パパママバイバイ

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無し三等兵
2名無し三等兵:2009/07/23(木) 00:48:24 ID:???
3名無し三等兵:2009/07/23(木) 00:48:50 ID:???
4名無し三等兵:2009/07/23(木) 00:50:50 ID:???
5名無し三等兵:2009/07/23(木) 00:52:09 ID:???
6名無し三等兵:2009/07/23(木) 00:54:20 ID:???
7名無し三等兵:2009/07/23(木) 00:55:18 ID:???
7
8名無し三等兵:2009/07/23(木) 01:12:00 ID:???
1,ジェット機が落ちてくるぞ 
 この事件が発生したのは、1977年(昭和52年)9月27日の事ですから、今からちょうど20年前の事になります。
横浜の中心部から北西に15キロメートル程離れた荏田(えだ)町。
 国道246号線と東名高速道路が交差し、丘や山が崩され大型の宅地造成が進み、高層のマンションが立ち並びつつある地域でした。
 午後1時17分頃、米海軍厚木基地を離陸した米海兵隊所属RF−4Bファントムジェット機が相模湾沖を航行中の空母「ミッドウェー」に向かう途中、エンジン火災を起こし、荏田町の宅地造成地に墜落したのです。
 墜落地点から2kmほど手前の横浜市立鉄(くろがね)小学校では運動会が行われていましたが、校舎の屋上をかすめて火炎と黒煙を上げながら墜落していくジェット機を生徒も父母も目撃し運動会が中断してしまいました。
 そして、轟音とともに黒煙が山の向こうに立ち上がったのです。
9名無し三等兵:2009/07/23(木) 01:15:02 ID:???
2,助けを求める人たち 
 墜落地点一帯は全長19メートル、重量26トンの機体と大量のジェット燃料が飛散し、付近の公園と民家を飲み込んで一瞬にして火の海になってしまいました。
 炎上する家の中から、火がついた衣服をまとって大やけどを負って助けを求める女の人。血ダルマの幼子をしっかりと抱きかかえ飛び出す母親の姿がありました。
 その時の状況を被災者の救出活動に参加した人は「「たすけて−」と悲鳴をあげながら女の人がかけてくるんです。顔は火ぶくれでふだんの2倍ぐらいにはれあがり、髪は焼けちぢれ上着はボロボロ、わずかに下着がついている程度でした」と語っています。

3,自衛隊の救難ヘリコプターは 
 事件発生と同時に米軍から連絡を受けた自衛隊はすぐに救難ヘリコプターを厚木基地から緊急発進させ、事件発生の10分後には現地の上空に到着しました。
 しかし、救難ヘリは大やけどを負つて救助を求めている被災者を助ける事なく、墜落前にパラシュートで脱出し、はとんど無傷で地上に降りた2人の米軍パイロットを乗せて厚木基地に帰ってしまい、再び飛んでくることはしませんでした。
10名無し三等兵:2009/07/23(木) 01:16:15 ID:???
4,「パパ ママ バイバイ」・裕一郎君と康弘ちゃんの死 
 火炎が広がり、黒煙がきのこ雲のように立ち上るなか、付近で仕事をしていた宅地造成工事現場の人達による必死の被災者救出活動が行われ、民間人の通報で救急車が到着2人の幼児を含む9人の重軽傷者が病院に運ばれました。
青葉台病院に収容された林裕一郎君(昭和49年8月24日生まれ・当時3歳)と、弟の康弘ちやん(昭和51年3月28日生まれ・当時1歳)は、全身大やけどを負い包帯でぐるぐる巻きにされ「水をちょうだい、ジュースジュース‥‥」
と叫びましたが、容体が悪化するので水もジュースも飲ませてもらえませんでした。
 そして、この日の深夜‥‥‥。
 青葉台病院には2人の幼さな児と椎葉悦子さん、林早苗さんらの大やけどを負った被災者が収容され、夜になってもあわただしい時間が過ぎていきました。
 午後10時過ぎに、裕一郎君は「痛い いたいよう‥‥」「水、みずをちょぅだい‥」の叫び声の合い間に黒いどろどろした物を吐くようになり、急速に弱々しくなっていきました。
 「おばあちゃん、パパ ママ バイバイ‥」の声を残して裕一郎君が息を引き取ったのは、午前零時50分のことでした。弟の康弘ちゃんも嘔吐が始まり、父親の一久さんらの必死の励ましの中
「ポッポッポ」と鳩ポッポの歌をかすかにうたいながら翌日、未明の4時30分幼い生命を閉じたのです。
11名無し三等兵:2009/07/23(木) 02:07:04 ID:???
11
12名無し三等兵:2009/07/23(木) 02:43:07 ID:7+wLMVyB
つまり民主党を支持することこそ
この家族の願いであったわけです。
13名無し三等兵:2009/07/23(木) 02:45:06 ID:???
脳科学研究グループB強硬派は、政権交代に賭けていた
何故なのかは、開示されてゆく
14名無し三等兵:2009/07/23(木) 02:45:56 ID:???
他方で、TBF Avenger
これ、現実です
15名無し三等兵:2009/07/23(木) 03:08:58 ID:???
ローゼン閣下、中川酒センセ等の方々が、脳科学研究グループB強硬派に対してきわめて厳しい態度で臨んだからだ
16名無し三等兵:2009/07/23(木) 03:10:31 ID:???
擬似家族のような側面を持つそれぞれの研究室、研究チーム
17名無し三等兵:2009/07/23(木) 03:50:06 ID:???
オー、ノー
18名無し三等兵:2009/07/23(木) 08:03:03 ID:???
うんたん♪うんたん♪
19名無し三等兵:2009/07/31(金) 21:20:55 ID:???
>>12
>>13
>>14

>ミゾオチ君
ピペドBの様々な姿を知っている
惨いかもしれない。だが、強制捜査に持ち込まねば
20名無し三等兵:2009/07/31(金) 21:21:37 ID:???
示しがつかないだけではなさすぎなのだ
21名無し三等兵:2009/07/31(金) 21:25:21 ID:???
おそらくこのスレは若手のポスドクピペドが建立したスレだ
複雑ではある
だが、そろそろ本郷内戦を強制捜査によって終わらせる
すぐ近所にホテル本富士とホテル和光がある
22名無し三等兵:2009/08/01(土) 16:14:29 ID:???
パパママリバティ
23名無し三等兵:2009/08/16(日) 23:04:28 ID:???
テストします〜
池沼
クズ
24名無し三等兵:2009/08/19(水) 07:39:09 ID:???
姉妹スレ
パパママバイバイ
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/ehon/1026798301/
25名無し三等兵:2009/08/21(金) 11:21:31 ID:???
26名無し三等兵:2009/08/21(金) 23:58:47 ID:???
当時の在日米海軍航空隊は、ベトナム帰還捕虜で編成された懲罰部隊。
戦闘機もベトナム戦争当時の丸腰のF−4のようなポンコツしか与えられず
ソ連軍が侵攻してきたらその丸腰の戦闘機で重爆や艦船に体当たりするよう命じられていた。
階級も剥奪され、そこらへんのゴロツキと大差ない整備兵たちからも蔑まれ嘲られた彼らの鬱憤のハケ口は
飛行訓練時の住宅街への「突入訓練」と称した超低空でのいやがらせ飛行位しかなかった。
この事件も、いつもの「突入訓練」のつもりが高度を誤り墜落した。

冷戦終結により、「正規の」海軍航空隊が展開したことで懲罰航空隊は解散となったが
捕虜崩れの居場所は本国にもあるはずもなく、ほとんどがホームレスにおちぶれ、
犯罪に手を染めた者も少なくない。
27名無し三等兵
なるほど