1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 22:40:36 ID:???
以前のスレは知らないので悪しからず。
まずは銃砲当たりからは如何でしょうか?
3 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 22:52:49 ID:3OFhrm//
前スレにリンク貼られてなかったから暫く上げとこうか。
露土戦争とかセルビア、モンテネグロの死闘だとかその辺りも面白そうではある。
ヨーロッパの1流どころではなくむしろ2流3流国家の軍隊と日本の軍との比較とか。
4 :
名無し三等兵:2009/06/16(火) 22:58:35 ID:???
>>1 乙
「幕末の幕府軍の兵器・兵装・戦術を語るスレ」
の発展系のスレということでいいのかな?
2日ほど上げ進行?
5 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 06:39:45 ID:???
6 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 10:06:38 ID:???
百科事典とかで、クリミア戦争を調べると、ロシアの後進性を表すのに、ロシア軍は滑腔銃で、英仏連合軍は施条銃を使用したと書いてあるが本当?
7 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 12:31:47 ID:???
おう。
それどころか鉄道網もまともにないから兵隊は遠距離をだらだら歩いて、落伍死するのが一番酷い死因だったり。
万国海律全書
9 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 19:16:07 ID:???
お、久しぶりに見たら次スレまで行ってる。
前スレで出てた話少々。
幕末の大砲運搬は、基本的に人力だったようです。
野砲・山砲問わず、車輪付き砲架に乗せて、人力牽引。馬がいないし、御者もいない。
そのため、軽量なボートカノン(陸戦隊用の小型砲)が割と重宝されたようです。
和式大筒は長距離移動に向いた車輪を有するものは少なく、改造して大八車に積んだ例もあったよう。
幕府の艦船は決して新型のものでもありません。中古船の輸入が多いですね。
例えば、榎本艦隊主力の回天艦は、元プロイセン海軍の旧式外輪砲艦です。
それなりに新型なのは、開陽艦、富士山艦(1964年新造)あたり。
あと蟠竜艦も1856年就役ながら、造りは上質だったそうです。
なお、特徴的なのは性能はともかく国産艦船が多数いることでしょうか。
例の甲鉄艦はモニターではないです。砲塔がないですから。
搭載砲は艦首砲が28センチ前装滑腔砲、舷側砲が12センチ後装施条砲で、いずれもアームストロング製。
火砲性能はともかく、装甲の厚さと機走能力の高さで、木造軍艦には絶対優位と言えるのではないかと。
南米太平洋戦争の装甲艦ワスカルから、砲塔おろしたのに近いですね。
10 :
名無し三等兵:2009/06/17(水) 20:16:39 ID:???
>>6 そもそもその滑腔銃すらまともな射撃経験のない兵が大勢いたとか読んだ気がする
銃剣突撃万歳とかで
スヴォーロフの格言だったか?銃剣は賢者の武器、銃弾は愚者の武器……
12 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 09:34:51 ID:???
クリミア戦争時の英仏連合軍も、冬季装備を持って行かなかった為、伝染病で苦しんだみたい。因みに、この時英国が使用したライフルって、エンフィールド銃?時期的に合わないような気がする
13 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 10:29:40 ID:???
>>10 ただ単に弾が無かっただけのような気がするけどね・・・
>>12 ヘンリーマルチニーライフルかなあ・・・
14 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 12:03:43 ID:???
修正・・・
時期から考えるとヘンリーでもスナイドルでもなくミニエーだと思われます・・・
15 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 17:08:25 ID:???
>>9 開陽vs甲鉄が実現していたら、どうなっていたでしょうか。
やはり開陽の負けでしょうか。
ハンプトンローズ海戦をみるかぎり、開陽の砲では甲鉄の装甲を抜けず、砲門数が多くても無意味の気がします。
16 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 19:07:13 ID:???
>>15 まぁ、甲鉄は確実に衝角狙いで来るだろうね。
春日くらいなら兎も角、開陽の機動力じゃ回避できるかな…
17 :
名無し三等兵:2009/06/19(金) 22:34:39 ID:???
>9
回天はプロイセン海軍から退役した「ダンツィヒ」をイギリス商人が
「イーグル」として売り込んだそうだが、たしか幕府が買い取った理由が
「すごいボロ船だが薩摩あたりが買うとイヤなのでとりあえず押さえとく」
実際、まっさきに沈んだ開陽の代わりに最後まで故障することなく活躍して
個人的には一番好きな幕府軍艦だ。
18 :
名無し三等兵:2009/06/19(金) 23:36:40 ID:???
>>15 開陽vs甲鉄なら両方手に入れて、ミッションに応じて使い分けたらどう
なりますか?
素人目には火力の開陽、防御力の甲鉄に見えるのでこんな質問してし
まいました。
19 :
名無し三等兵:2009/06/20(土) 13:02:45 ID:o4uPJE8J
幕府は、ストンウォール号を購入以降にも、
最新鋭の軍艦を購入する予定はあったんかな?
(もっとも、幕府はストンウォール号を購入前後に崩壊してしまったけど…(T-T)。)
20 :
名無し三等兵:2009/06/21(日) 14:51:09 ID:kRS8Rqew
戊辰戦争前後の頃に、
スペンサー銃(元込め式七連発ライフル銃)以外に、
元込め式連発ライフル銃は、どんな銃があったんかな?
>>20 カービン入れていいならウインチェスターM66とか。
22 :
名無し三等兵:2009/06/21(日) 22:02:17 ID:???
ヘンリー・マルチニーとか
23 :
名無し三等兵:2009/06/21(日) 22:02:42 ID:???
って、レバーアクションばかりだな
24 :
名無し三等兵:2009/06/21(日) 23:35:48 ID:???
コルトリボルビングライフル
25 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 06:25:59 ID:???
ヘンリー・マルチニーは単発だったような
26 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 14:24:51 ID:???
東洋・西洋を問わず、また時代を問わず、ほとんどの弓は狩猟のための「生活必需品」であると共に
戦闘では欠くことのできない武器だった。弓はその構造により、長い木の棒に弦を張った「単純弓」、弓の
胴に紐を巻いて抵抗力を高めた「強化弓」、木や動物の角・腱などを組み合わせ改良した「合成弓」に分けられる。
また、大きさによって長弓と短弓に、形態によって直弓と彎弓(わんきゅう)などに区分される。
韓国の代表的な伝統弓は「角弓」だ。角弓は水牛の角、牛の腱、クヌギの木などを利用した合成弓で、世界的に
見て最も進んだ形態の弓に挙げられる。角弓は長さ1メートル程度と小さいが、弾力性に優れ330メートル以上の
射程距離を誇る。今日使われているスポーツ用に改良された弓でも145メートル離れた的に当てることができ、
オリンピックの正式種目となっているアーチェリーが70メートル離れた的を射ることと比較される。楹集弓矢博物館の
劉世鉉(ユ・セヒョン)副館長は、「角弓はあまり力を込めなくても遠くまで飛ばせるのが最大の利点」と語った。
弓は北東アジアで特に発達した。モンゴルの弓は射程距離150メートル程度に過ぎないものの耐久性が抜群で、中国では
満州族が使う弓が最も強力だった。一方、刀が発達した日本は、弓の性能で大きく後れを取った。竹や杉など1種類の素材で
作る日本の弓は、相手を威嚇するために長さが2メートルを超える反面、射程距離は60−70メートルに過ぎない。
ヨーロッパでは、イギリスの長弓がその名をとどろかせた。イギリスの長弓はイチイの木を長く削り、両端を
弓弦でつないで作った原始的な形態で、破壊力と射程距離を上げるには弓を大きくするよりほかに
なかった。イギリス軍が15世紀に導入した2メートルの長弓は、当時としては革新的な射程距離200メートル
を誇ったという。
またの名を石弓ともいう弩(ど=大弓)も、東洋・西洋を問わず広く使われた弓の一種だった。弩は梃子
(てこ)、引き金などさまざまな原理で弦を引き、矢を発射する。狙いをつけ易く射程距離が長いが、1度
矢を射ると再装填するのに時間がかかるのが最大の弱点だった。
http://www.chosunonline.com/news/20090623000045
27 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 14:25:52 ID:???
そして三十三間堂だのニカワで張り合わせるとウルシ接着より弾性があるだのと
この議論は常に紛糾するんだな
28 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 16:25:01 ID:???
>>24 リボルビング式のライフルって、チューブ式よりも装填が素早くできるし、
構造が単純だから故障も少なそうなんだけど、なんで廃れちゃったの?
29 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 18:56:00 ID:???
発射ガス漏洩による、パワーロス。あとボルトアクション、レバーアクションの進歩
30 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 19:24:52 ID:???
>>29 ああ、パワーロスのデメリットが拳銃より大きかったということですか。
ライフルは長距離射撃ができないと無意味ですから、拳銃とは違うでしょうね…
31 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 20:24:23 ID:???
後装式でのガス漏洩はパワーロスのみならず結構深刻。
拳銃なら発砲する際は腕を伸ばして、或いは腰の辺りなのでガスが漏れても支障は無いが、
小銃の場合だと眼球の直前、文字通り目の前で高温のガスが噴出する。
目玉焼き(゚Д゚)ウマー
32 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 20:28:24 ID:???
>>31 ああ、そうなのか!
「元込め式という発想自体は昔からあったが、ガス漏れを解決できないため実用化には何百年もかかった」
みたいな記述を読むたびに
「ハア? ちょっとくらいパワーロスしても元込めにしたほうが強いだろ」
と思ってたけど……
そうか、目をガスが直撃しちゃうのね、ゴーグルってわけにもいかないしね。
でも幕末の元込め銃は、まだガス漏れがゼロではなかったそうだぜ(怖)
33 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 20:36:55 ID:???
目だけで済めばまだマシ、ときには機関部が吹き飛んで、飛び散った破片などで命を失うことも。
34 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 20:40:22 ID:???
35 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 20:44:35 ID:???
ところで、素人の疑問なんですが、
私、外輪船って、スクリューより効率は悪いだろうけど、
左右の外輪を逆回転させてやれば戦車の超信地旋回みたいな「半径の非常に小さい旋回」ができると思ったんですよ。
つまり旋回性能が優れていると思ったんです。
ところがウィキペディアで宮古湾海戦を見ると
「回天は外輪船のため小回りが効かなくて、うんぬん」って書いてあって。
逆回転って不可能なんですか?
あるいは逆回転させても、急旋回できない?
36 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 20:47:54 ID:???
逆回転の機構そのものが無かったのかどうか
37 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 20:52:18 ID:???
>>35 外輪は、一本のシャフトの両端に付けるのが普通。
つまり、左右一体なので、逆転どころか、回転数を変えることも不可能。
38 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 06:42:22 ID:???
>>34 映画「ズール戦争」の中に出てきたヘンリーライフルは単発のように見えたけど
39 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 06:57:54 ID:???
>>38 ズールー戦争では、ヘンリー・マルチニーは故障が多発して、
事実上単発式として使われていたらしい。
多分、その史実を再現しているんだろう。
本来は、チューブ式弾倉を備えた連発式。
40 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 07:45:04 ID:???
>>35-37逆転させる機構付けたら遠洋を渡りきる前に壊れちゃったとかだと死活問題だな
当時、クラッチ板や逆転歯車をつけ切り替える機構を作ったとしてそれを十分メンテできたかということになるのか
>>39スペンサーでも同じ問題が起こってたっけ
41 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 10:06:58 ID:???
チューブ弾倉は一度弾を射ち切ると、戦闘中の再装填が難しくて事実上単発ライフルと化してしまう。軍用ライフルとしてチューブ弾倉式が廃れたのはそのせい
42 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 14:45:09 ID:5HimVH5/
…それでも、元込め式連発ライフル銃っていうことで、
値段はかなり高価そうだが…。
元込め式連発ライフル銃って、
単価はどのくらいしたんかな?
43 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 15:03:46 ID:???
10-15両くらいらしい。
44 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 16:04:11 ID:???
ボルトアクション連発で、チューブ式マガジンの不具合のせいで不評だった小銃があったな
22年式だっけ?
猟銃だと今でも現役なのは、全弾撃ち尽くしたあとの再装填に少々時間がかかっても、致命的にはならないせいか
45 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 16:06:42 ID:???
火縄式から雷管式に改造した火縄銃ってわりとよく見るけど
当時は流行ってたんだろうね
アリモノ使うから単価も安そうだし
46 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 18:16:41 ID:???
ほかに、チューブ式弾倉はその構造上前の弾の雷管を次弾の弾頭が当たって暴発するってのも有る。弾の形状が尖頭弾に成るのに対応出来ずに消えていった
47 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 19:13:06 ID:???
>>46 ショットガンだとその心配がないから、まだ現役なんだろうな。
48 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 14:53:35 ID:X8kp7GhO
幕府や雄藩の弾薬を製造する能力は、
どのくらいあったんな?
いくら小銃の性能が良くても、
弾薬があってこそ、本領を発揮する筈なんだが…。
幕府が導入した最新式のシャスポー銃の弾薬は、
あまりにも数量が少なくて、
殆ど、本領を発揮する事無く終わったとかいう話だが、
西洋式小銃の弾薬を製造する能力は無かったんかな?
49 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 14:55:46 ID:???
カンシャク玉というか雷酸銀を作る必要があるな
50 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 15:00:19 ID:???
http://oshiete1.watch.impress.co.jp/qa4435851.html 1.通常の黒色火薬が使われています
2.かんしゃく玉の中に少量の砂が入っており、たたきつけたときの衝撃と摩擦を利用して発火させています。
3.火を点けても音が出ます。音を出す仕組みは、固い紙で周囲を覆って、密閉した状態で発火させて、ガス圧を高くして、
瞬時に解放させたときに音が鳴ります。従って、火を点けたとき周囲の紙部分が燃えるより中の発火温度の方が低いことからたたきつけて発火させたのと同様な効果が出ます。
4.やけどをします。よく、小さい子でズボンのポケットに入れて、転んだときに発火してやけどをする子供がいます。
小さいときに、ゴムパチンコでかんしゃく玉を発射して遊んでいました。
_____________________________________________________________________________
薬きょうにこの機構を付けるのは大変だな
51 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 16:19:28 ID:???
52 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 17:42:46 ID:???
つまり発射薬だけじゃなく雷管も必要だってことね
雷管は衝撃に敏感である必要がある。成分を変えないと。
でも幕府軍(大鳥たち)はシャスポーの弾薬が作れなくて困ったけど、他の弾薬の事は書いてない
シャスポー以外は作れたってことじゃないか?
シャスポーの弾薬は紙薬莢をつくるのが難しいらしい。
まぁメタルカートリッジも難しいだろうけど。
その点、前装式は便利だ。
54 :
名無し三等兵:2009/06/26(金) 23:51:27 ID:???
少し時代は下るが、西南戦争のときに、西郷軍がせっせと弾丸作ってたらしいね。
55 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 00:00:45 ID:???
>>54 弾丸は簡単なんです。
この時代の弾丸ってメタルジャケットのない鉛の塊だから、
タイヤキみたいに、型を用意して鉛を流し込むだけ。
火薬も黒色火薬だから何百年も作ってる。効率はともかく、作れないって事は有り得ない。
問題は薬きょう。普段は安全に火薬を守って、
いざというときに確実に発火する薬きょう。これが難しい。
56 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 01:52:01 ID:???
堂々日本史って昔のNHKの歴史番組で薩摩側の補給として、タイヤキ法で弾造って見せてたな
結論として、消費速度に到底追いつかず全然足らないとされていた
57 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 02:14:25 ID:???
わざわざ扱いにくい雷酸銀とか作らなくても
作りやすい黒色火薬に砂粒混ぜて急にグシャッと潰れれば砂粒の摩擦熱でバン!と爆発する代物にはなると
そしてこれをパーカッション式雷管を通して反応させられれば、とりあえず発火はする
だが砂なんぞ一杯入ってたら銃筒傷んでしまうんじゃないか?と心配する
更にアルミニウムやマグネシウムも入れて、その燃焼による高温発生によって
弾丸の推進に使う火薬の燃焼を確実にする、などか
58 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 05:58:52 ID:???
>>56 覚えてる。完全に正露丸みたいな丸いのつくる奴だよね。
携帯型で作ってたけど当然、1日に1人数発も作れなかったとか。
59 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 10:48:20 ID:???
>>58 ソースは覚えてないけど、
弾が足りなくなった薩摩は「鉄の棒を短く切断して弾にしていた」らしいぞ。
このほうがタイヤキよりたくさん作れる。
乾電池みたいな形の弾になって、すごく弾道特性がダメっぽいが
60 :
名無し三等兵:2009/06/27(土) 11:40:17 ID:???
そして先端が平らな弾となって、田原坂で
61 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 08:33:57 ID:???
1850〜1870年頃の戦争映画って、グローリー以外で何かあります?クリミア戦争、セポイの乱、アロー戦争、普襖戦争、普仏戦争を描いたので
62 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 09:38:58 ID:???
ちょうどyoutubeでグローリーみた後にこのスレ見たら、↑が書いてあってびっくりした…。
なんで南北戦争ものの映画の南軍って、制服着ないで木こりのおっちゃんみたいな格好してんだろ…。
>>61 97年に作られた鴉片戦争って映画がおすすめだよ。戦争映画というよりは歴史ものだけどね。
63 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 09:46:35 ID:???
>>62 南軍の制服そのものはちゃんと存在するけど、それを充分に製造する能力が南部連合に無かったから。
64 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 10:00:43 ID:???
原料のワタだけ作ってたか
65 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 11:45:46 ID:???
確か、軍靴の製造は特に絶望的で戦死者から真っ先に奪うのが靴で
さもなくば裸足で数十キロ歩き回るハメになるとか
66 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 12:15:15 ID:???
まあ工業基盤のない国の常ですわな>軍靴の不足
日清日露戦役の日本とか常に軍靴不足。
大陸打通でも、前線では兵隊はいらんから靴送れ! と古参兵はぼやいていたとか。
「武器と防具」幕末編でも南部兵は裸足がおおいと書いてあった。
68 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 18:36:34 ID:???
となると幕軍、薩長軍とかは、ワラジだったのかな
イラストだと草鞋率がかなり高い。靴は士官とか一部(幕府)の兵士だね。
70 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 21:35:13 ID:???
71 :
名無し三等兵:2009/07/05(日) 23:28:09 ID:???
>>70 ありがとうございます。その頃の英国軍だとヘンリーマルティニ銃ですよね。スナイドル銃やエンフィールド銃を使う英軍、シャスポー銃やタバティエール銃、ミニエ銃を使う仏軍、トライゼ銃を使うプロイセン軍っていうのを見てみたいですね。
72 :
名無し三等兵:2009/07/08(水) 05:09:32 ID:???
ラストオブモヒカンなんてどうだろう
内容はアレだけど、イギリス軍の砦をフランス軍が攻める場面は結構いけるよ
73 :
名無し三等兵:2009/07/08(水) 12:09:33 ID:???
夜間の攻城戦で臼砲打ちまくるフランス軍の場面は燃えた
74 :
名無し三等兵:2009/07/13(月) 21:43:17 ID:???
タバティエール銃って、どんなやつ?
75 :
名無し三等兵:2009/07/13(月) 21:52:42 ID:???
図解古銃事典にも載ってないよ・・・
76 :
名無し三等兵:2009/07/13(月) 22:10:59 ID:???
>>74 武器と防具幕末篇によると、スナイドル銃のフランス版で、
シャスポー銃が余り役に立たなかったので並行使用されたんだそうです。
77 :
名無し三等兵:2009/07/13(月) 23:25:38 ID:???
タバティエールを調べると→嗅ぎ煙草入れみたいですね。確かに似てる。弾薬ボクサー弾なのかな。それともシャスポーみたいな、紙製薬筴?
78 :
名無し三等兵:2009/07/25(土) 08:22:27 ID:???
シャスポー銃が、余り役立だないって言われるのと、普仏戦争では活躍したって言われるのとあるが、どちらなんだろう。因みにドライゼ銃は、普襖戦争の時、ストッピングパワー不足、威力不足が問題視されてたみたいだね。
79 :
名無し三等兵:2009/07/25(土) 08:41:41 ID:???
シャスポーは、カートリッジ閉塞に問題無ければ、性能的に優秀
工作精度の問題っていうか、材料があれだし
ドライゼは、シャスポーのようなガス漏れ問題を回避し、早く実用化する為、
あらかじめ発射薬の量を少なくしていた
80 :
名無し三等兵:2009/07/25(土) 09:09:50 ID:???
じゃあ実用的なのは、スナイドル銃なのか。金属薬挟だしね。シャスポー銃の金属薬挟版が、グラー銃、ドイツはモーゼルM1871になるか
81 :
名無し三等兵:2009/07/25(土) 10:33:19 ID:???
だろうね
如何にも英国らしい技術の在り方だね
当面の実用性を目指すのか、技術的な飛躍を重視するのか
大量のエンフィールドを改造して延命させるためのスナイドルだから、
技術発展の方向性が違うというか
82 :
名無し三等兵:2009/07/28(火) 09:39:42 ID:???
ワトソン博士も負傷した、アフガニスタンでは、スナイドル銃やジィゼル銃(火縄銃)を持った武装勢力に痛い目に、あっちゃったんだよね。
83 :
名無し三等兵:2009/08/14(金) 06:48:15 ID:???
保守
84 :
名無し三等兵:2009/08/14(金) 16:08:09 ID:XW2PX1TB
ここで聞くのもなんですが、歴史上の新撰組の話をしても
司馬小説やそれをモデルに脚色されたアニメの新撰組の感覚でしか語れない奴は少なからずいるんですか?
85 :
名無し三等兵:2009/08/14(金) 16:19:58 ID:N3cPo9I1
大勢いるでしょ
歴史上の新撰組はあんまり知られてないしね
とくに外見に関しては、沖田は美形だと思ってる人がまだ多いだろ
プラネテスの作者が描いた沖田は面白かったな
ガリガリに痩せて、目は虚ろで。
ああヒラメ顔ってこんなのか。
86 :
名無し三等兵:2009/08/14(金) 16:38:48 ID:???
鳥羽伏見までに倒した敵の数17名、内部粛清で殺した味方の数41名
って説もあるし、虚像無しでは誰も見向きもしないだろう
87 :
名無し三等兵:2009/08/14(金) 18:45:20 ID:s+VoK708
新撰組=ドキュンでガチホモという史実を観るのは辛いよな(笑)
足の裏に釘を打つ拷問とか、特高よりひどい。連合赤軍並み
88 :
名無し三等兵:2009/08/14(金) 23:14:01 ID:???
新撰組とか実像話すとうざがられるから注意。
3回ほどデートしたおにゃのこが新撰組ファンだったが見事に
>>84の型で、実像虚像と史跡めぐりデートの最中に
話した結果、その日の晩、洒落たレストランでの食事の後「何かわたしたち合わないよね、感性とか相性とか」と言われ
断交したことがある。
普通に綺麗な子で好きだったんだけどな……
89 :
名無し三等兵:2009/08/15(土) 00:41:00 ID:???
ある意味では仕方ないといえる。
萌えキャラの話をしてるのに、
「現実の女性って12歳にもなればマン毛ボーボーだよ?」なんてことばかり言われたら断交したくもなる。
90 :
名無し三等兵:2009/08/15(土) 08:47:23 ID:???
91 :
名無し三等兵:2009/08/20(木) 17:02:21 ID:???
新撰組ではなく新撰組が正しいみたいよという話をしたら、マジギレされた事
がある。
漢字の意味からしても選の字の方が妥当だし、幕府に出した書簡の印も新選組
なんだよねと言ったら「永倉さんは新撰組って書いてるのよ。知らないの?」
激高された。
沖田が則宗もってたって本気で信じてる人には何も言わない方がいいという事
を学習した。
92 :
名無し三等兵:2009/08/20(木) 17:33:28 ID:???
この板だって軍人とかに幻想持ってるやつ多いだろ(w
軍人どころかコテハン神視してるやつもいるしな
93 :
名無し三等兵:2009/08/20(木) 20:05:43 ID:???
>>91 でも当時は、「どの漢字が正しいか」なんてのはあんまり問題視されなかったんじゃないか?
坂本竜馬か龍馬か、の問題のとき「どっちでもいい。本人も周囲も適当に使い分けてた」という結論を読んだぜ。
まあ「永倉が書いてるから」という理由で「新撰組」を主張するのは変だがな。
永倉は現場の人間だが、明らかに筋の通らないことも言っている。
(沖田が池田屋で血を吐いたとか)
94 :
名無し三等兵:2009/08/20(木) 22:17:16 ID:???
>>91 直接の関係者が当時書いたものに、「新撰組」と「新選組」の両方の表記があるんだ
どちらか一方だけが正解ってことも無かろう
95 :
名無し三等兵:2009/08/22(土) 19:34:44 ID:???
91の書き込み変換間違えてた…。
正解はコレっていう話じゃなくて、当時の文献でも「新選組」の方が多いみたいだし、漢字の意味では選の字の方が正しいんじゃないかねぇっていう雑談と
軽い話題のつもりだったんだけど狂信的な信者みたいなファンの人ってそう云
う話を受け付けないのね。
永倉の「新選組始末記」一字一句もう間違いないみたいな感じで。
なんか目がつり上がって怖かった。
たしかに当時の人は字は読みの音が合っていたら構わないというのが一般的
だったらしいね。
土方なんて「土方才三」ってかかれているのもあるし、江戸時代の手紙なんか
なんかクイズみたいな判じ物みたいなのがあるね。
96 :
名無し三等兵:2009/08/22(土) 20:17:37 ID:???
>>95 そんなファンいるんか。
俺は坂本龍馬で変なファンを知ってるな。
「龍馬を殺したのは新撰組」って強硬に主張してる奴が。
その説は怪しいっていくらいってもききやしない。
97 :
名無し三等兵:2009/08/22(土) 20:19:09 ID:???
>>95 永倉のやつは何十年もたってからの回想だし、あくまで記者が書いたものだから脚色の可能性もあるよね。
98 :
名無し三等兵:2009/08/22(土) 20:19:15 ID:???
薩摩が犯人って言ってる人も多い。
最近じゃ否定されてるんだけどね。
99 :
名無し三等兵:2009/08/22(土) 20:23:09 ID:???
新撰組が犯人だったら、隠す必要なんて無い、どうどうと発表すればいい
龍馬は、幕府にとっての政敵であるのみならず、役人を拳銃で撃ち殺して逃げた殺人犯でもある。
誰に恥じることも無い正当な治安維持行為だ
なんでいわんのだ。これだけで新撰組犯人説は怪しい
龍馬ってKYぽいから薩長の人達がうざがったんだじゃないの?
はいはい薩長のせい薩長のせい
見廻り組の今井が自白しているし。
>>102 そっ、それは政権を盗った薩長の陰謀なんじゃよー!
多分。
>>102 ただ、今井の「自白」って、内容が発言時期によって変化していて、
しかも現場の状況と矛盾しているのも確かで、よって見廻組犯行説に疑問を呈する人もいる。
個人的には、それこそ、記憶違いだろうとしか思えないけどな。
>>104 フツーの人間なら1年前の記憶ですら整合性100%なんて無理だもの。
つか、本当のターゲットは中岡で、坂本は巻き添え説が真相なんじゃないのか?
当時の知名度は中岡の方が上だろ?
そういや土方歳三も、
「あれは戦死ではなく、榎本が暗殺した」
「徹底抗戦派の土方がいると降伏できなくて俺が困るから」
という説があるな。
>>107 はいはい榎本のせい榎本のせい
あと、大鳥のせいとかも付け加えると、新選組絡みの「天狗のせい(AA略」は全部埋まるかな。
>>107 どう考えても土方は死にし行ったとしか思えない。
あと味方の誤射ってもの珍しくはない。
花火の中継映像を見て思ったが江戸時代にも花火はあったよね。
あれを軍事転用できないものなの?照明弾とか、焼き払うとか。
>>110爆薬ならなんぼでも使ってたな
つーか日本は一応内戦を戦っていたわけで、
江戸時代に長らく国土を大事にする風潮が育っていたから
町ごと焼き払ってしまうのなんて、どの戦闘でもなるだけ避けようとしてたような
(それでも蛤門の変で京都の2割くらい焼けたんだっけ?)
あと会津は焼かれまくった
榴弾砲が飛んで来た薩英戦争でも薩摩の町は半分以上焼けてしまった
ガトリング砲を除いては、当時の攻撃はむしろミニエ弾とライフルによる精密長距離射撃がメインかな
アームストロング砲は日本では役立ったが
その40年後にはロシア相手に互いに機関銃と大口径砲で撃ちあう事になる
>あと会津は焼かれまくった
会津藩の焦土戦法に効果はあったのかね
>>112 どうだろう…
石筵村みたいに村人を敵に追いやったエピソードしか聞いた事無いなぁ。
会津は「民衆を敵に回したら負ける。とくに弱小側がそれをやったら勝てるもんも勝てなくなる」
という痛い教訓を残したなー
追い詰められた状態にだけはなりたくないやね
京都守護職拝命や軍備の拡張の経費で年貢も苦しかったからな。
わかってたからさんざん断ったのにさ、おっつけた松平春嶽はちゃっかりあっち側だし
でも松平容保も、就任を必死で止めた西郷頼母を無視してるからな。
西郷は、その後、禁門の変で帰国を説いたかどで解任の上、蟄居させられてるし。
結局は自分の責任。
江戸時代の倹約令の意味が分からなかったんだよなあ
城内で倹約するなら支出削減になるから分かるが
庶民の支出削らせて何の意味があるんだ?とw
・倹約令によって支出を削るべき最大のターゲットは、恐ろしいw女性が一杯いる大奥
・庶民が贅沢すると、いつしか金で世が回り始め金が豪商に集まる事になる。
・そして豪商が贅沢な製品を次々と作る。それに大奥の方々も興味を持たれる。大奥がこれを買いたいと言う
・もし、倹約令で贅沢品を作れないとしたら、大奥も贅沢品を次々に発注は出来ない
・また大奥独自の流行で妙に高いものが欲しいと言い出した場合、それを注文した時に
他の豪商が購入したモデルケースが存在しないから、幕府側から言い値で購入できる
・もし世が贅沢なままなら、豪商が「大奥でも流行の柄の着物!」と宣伝してまた小金のある庶民が買う
それを見た大奥がそれをまたちょいゴージャスデザインにしたものを注文する。そしてどんどん値上がりし
幕府の支出が増え続ける。この流れを、倹約令で断ち切れる
こんな説明で良いのかなあ?
ともあれ金が世を回り、1箇所に集まる事によって中産階級が生まれるわけで、ヨーロッパではこの階級の人たちが
王政を打破した国も幾つかあったが、日本では幕末に直接反乱側に回った訳ではなかったと(倒幕側の支援をした所もあったが)
マリー・アントワネットが注文した日本製高級漆器というのもあったらしいな
長崎から運ばれて行った
江戸の物価の統制とか。
狙いは色々ある。
消費を上からコントロールしようってのは難しいよなぁ
感情や感覚によって変わってくるわけだし水物中の水物だろ
そういえば西南戦争の抜刀隊って薩軍の切り込みに対抗して組織されたんだよな
普通に考えて日本刀より着剣したスナイドルのほうが長いし殺傷力あるし近接戦闘で有利だと思うのだが、なぜあえて両軍とも日本刀を使ったんだろう
よく訓練された薩軍の剣士>>当初の徴集兵の銃剣
だったんじゃね?
政府抜刀隊は会津っぽだ
維新の恨みをぶつけさせた
会津から集めた士族兵士が銃剣より日本刀に慣れていただけ(訓練させればリーチある銃剣が良くなるかも知れんが
その余裕が無かったか)と考えれば良いのかな?
西南戦争後半からは、徴集兵も切り込みが来ると十数人ずつくらいで纏まって円を作り、
銃剣を突き出して切り込みを防いだらしいけどね。
以来銃剣がクローズアップされ、人夫も「ケンツキテッポウドッコイ」と掛け声に取り入れたとか。
しかしこの話なんで読んだんだっけ。全然思い出せないorz
>後半からは、徴集兵も切り込みが来ると十数人ずつくらいで纏まって円を作り、
銃剣を突き出して切り込みを防いだ
あっさり短槍もどき戦術で防御OKか
ナショジオか何かのワーテルローの戦いを扱ったドラマで
フランスの騎兵突撃をイギリス歩兵がやっぱり同じように防御してたな
当時の戦術なのかな
じげん流
某アニメのせいでどっちが銃だか分からなくなる
>>127 歩兵方陣は対騎兵の定番ですな
鎮台兵にそこまで本格的なのが出来たかどうかは分からないけど。
方陣組めば理屈からいえば勝てるんだが、
未熟だと精神力が持たなくて蹂躙されるんだよな。
>>130 騎兵も対策持ってるからね。
射程距離ギリギリで挑発>未熟な兵が発砲、他の兵士も釣られて一斉射撃>
撃たれたらそのまま突撃!>馬で方陣に体当たり、後は列の中に入り込んで切りまくる!
ってこれもどこで読んだか思い出せん……。
会津人は兵士じゃ無くて、熊本に治安維持に派遣された巡査の中から対薩摩示現流に選抜された警視庁抜刀隊の方だったと記憶してたんだが。
今世紀最高の天才だと思うw
>>131 馬は先端恐怖症なんで、正しく銃剣を構えてさえ居れば、
射撃の有無に関わらず、方陣に体当たりは出来ないのじゃないのか。
下手に近くで射撃すると、撃たれて死んだ馬が本能関係無く、
勢いで突っ込んで来て、逆に方陣が崩れちゃうとか。
>>136 >馬は先端恐怖症なんで、正しく銃剣を構えてさえ居れば、
そう思うんだけど、優れた体格の馬をミサイルみたいに突っ込ませ、
騎兵は後は馬から降りて切りまくるとかそんな感じで戦う……とかなんとか。
本当に何で読んだんだろう。シャープとかの小説かもorz
スピードが命の騎兵に下馬戦闘させてどうするよ、突破口を空け混乱させたら歩兵に場を譲って下がる。
騎馬隊(騎兵)は戦国時代までは、色々聞いたり描かれたりしてるが、幕末〜西南戦争では殆んど聞かれない。徳川体制の間に衰退しちゃったの?
>>140 戦国時代の「騎兵」は馬で移動→徒歩戦闘が主体。馬上で弓を射るのがせいぜい。
馬が小型すぎて欧州のような運用してないし。
>>140 ミニエー銃が出てきた時点で騎兵を攻撃に使うのは自殺行為になった。
歩兵ですら太刀打ちできないんだから到底無理だ。
下馬戦闘ばかりとか、騎射(鎌倉で既に廃れているが)しかしていない
馬がポニー並みだから云々というのも鈴木眞哉って人が言い始めた結構なトンデモだけどね。
>>140 軍馬の育成に全く失敗してしまったかららしい。
どうも軍馬を見た目重視で育てたら、人を乗せるなんてとんでもない! ってな品種改良になっちゃって
騎兵なんて夢のまた夢となっていたらしい。
「富国強馬」とかその辺り書いてあるよ。
地形的にも日本は、大規模な騎兵部隊を運用するのは難しいのかもね。大規模な平原は少ないし。
>馬がポニー並み
肩高140cmより小さいのがポニーだよな
結構大きいとは思うが
日本の野生馬は130cm未満ばっかりw
しかし、日本の合戦のほとんどは平地で行われているし
西欧の会戦も、だだっ広い野原で縦横無尽に、というわけでもない。
大規模ってのがナポレオン戦争期を指してるのならその通りだと思う。
>>142>ミニエー銃が出てきた時点で騎兵を攻撃に使うのは自殺行為になった。
クリミアでも酷かった
日本の平地って水田とかあるが、水を張っていない冬季でも、あぜやあぜみちで凹凸した所を馬で駆け抜けるのは、どうなんだろう?
昔の日本人なら鎧有りで十分乗れる
でも火縄銃弾防ぐレベルの装甲つけたら低速になる
火縄銃を防ぐ装甲ってすげえ重いよな
日本の甲冑では全然防げなかった。
西洋の甲冑や胸甲の中には「なんとか防げる(肋骨くらいは折れる)」ものはあって、
ナポレオン戦争の時代にも鎧きた騎兵がいたけど……
あれ、たしか40kgくらいあるよね?
西洋の軍用火縄銃は日本のよりも大口径で、一般に威力が大きい。
日本の一般的な鳥銃レベルなら、そこそこ防護可能だったかと。
あと威力も射距離によって大きく変わるから、長距離なら防備可能ってこともあろう。
まぁ日本の鉄砲もサイズ色々だから何とも言えん。
段々、口径が大きくなっていったけど。
竹を束ねるずら!
そこで伊達の騎馬鉄砲隊が
「我々の同僚であった通訳生は、昼も夜も彼につきまとう恐怖感で頭がいっぱいになり、
公使館の門から決して出ようとせず、第九連隊の一団と大勢の護衛がいるにも関わらず、
さらに防御を固めるためにアームストロング砲を二門本国から取り寄せてほしいと公使に懇願したのである。
ある晩、哀れな若者はそれ以上耐え切れなくなった。
彼は仲間と一緒に静かに食事をして自分の部屋へ戻った。
銃声が二度聞こえた。
最初の一発が失敗したのは、手が震えたせいだと思われるが、
その弾丸は天井から発見された。
二度目が致命傷であった。
自殺は伝染するというが、その週のうちに横浜で二度同じような事件が起きた」
「回想録」Algernon B. Mitford 1871年 「英国外交官の視た幕末維新」
連発銃(リボルバー?)だったのかなぁ。
一発目ですぐに飛込めば、もしや。
騎兵の本質とは何か?
突破力
そら重騎兵限定だろ。突破や捜索の能力に転化できる広義の機動力だと思うが
>>166 結構居たんですね>伝習騎兵
戊辰戦争の時にはどこに行ってたんだろ?
脱走歩兵とかは聞くけど、脱走騎兵なんて知らないしなぁ…
168 :
名無し三等兵:2009/09/20(日) 19:55:40 ID:WZSR5AFe
1866年(慶応2年)10月に、徳川幕府が計画を立てていた譜代大名の軍役案。
・一万石 … 銃卒60人(役人10人) 計70人。
・二万石 … 銃卒120人(役人20人) 計140人。
・三万石 … 銃卒180人(役人30人) 計210人。
・四万石 … 銃卒240人(役人40人) 計280人。
・五万石 … 銃卒240人(役人40人)、大砲2挺、砲手16人(役人3人) 計299人。
・六万石 … 銃卒300人(役人50人)、大砲2挺、砲手16人(役人3人) 計369人。
・七万石 … 銃卒360人(役人60人)、大砲2挺、砲手16人(役人3人) 計439人。
・八万石 … 銃卒420人(役人70人)、大砲2挺、砲手16人(役人3人) 計509人。
・九万石 … 銃卒480人(役人80人)、大砲2挺、砲手16人(役人3人) 計579人。
169 :
名無し三等兵:2009/09/20(日) 20:36:33 ID:WZSR5AFe
>>168の続き。
・十万石 … 銃卒480人(役人80人)、騎兵10騎、大砲4挺、砲手32人(役人8人) 計610人。
・十一万石 …銃卒540人(役人90人)、騎兵11騎、大砲4挺、砲手32人(役人8人) 計681人。
・十五万石 … 銃卒780人(役人130人)、騎兵16騎(役人2人)、大砲4挺、砲手32人(役人8人) 計968人。
・二十万石 … 銃卒1020人(役人170人)、騎兵1小隊(役人4人)、大砲1座、砲手64人(役人16人) 計1302人。
・二十五万石 … 銃卒1320人(役人200人)、騎兵1小隊(役人4人)、大砲1座、砲手64人(役人16人) 計1636人。
・三十万石 … 銃卒1570人(役人232人)、騎兵1小隊(役人4人)、大砲1座、砲手64人(役人16人) 計1918人。
・尾張殿 … 銃卒3360人(役人560人)、騎兵1中隊(役人8人)、大砲3座、砲手192人(役人48人) 計4232人。
・紀伊殿 … 銃卒3000人(役人500人)、騎兵1中隊(役人8人)、大砲3座、砲手192人(役人48人) 計3812人。
・水戸殿 … 銃卒1800人(役人300人)、騎兵1小隊(役人4人)、大砲2座、砲手128人(役人32人) 計2296人。
・軍役の他に、適当な人員及び物資(鼓手、医師、右筆、勘定役、作事方、土工兵、頭備兵、小荷駄、弾薬、諸器械、諸職人等)を動員する事。
・歩騎砲三兵の増減は、勝手次第、但し騎兵1騎は銃卒4人、大砲一門は銃卒16人に準じる事。
・京、大坂その他の警衛には、この軍役の半減で勤める事。
・在府の兵は、大名の席次ごとに組み合い、月に2,3回の演習を行う事。
但し、教練は幕府陸軍方もしくは構武局より人選して当たらせる事。
・参勤交代は、軍役三分の一で行う事。
・規定の軍役に加え、農兵等を徴募して動員すれば、忠勤と認める事。
今日BSジャパンでチンギスハーンの特集やってた時にモンゴルの騎兵出てた時に馬の体格がだいぶ小さかったがアラブやサラブレッドが入ってくる前の日本の騎兵の馬もあれくらいの体躯だったのかな?
171 :
名無し三等兵:2009/09/20(日) 22:56:24 ID:3cLK90BX
質問っす。
軍隊は「自己完結」できる組織とよく聞きます。
「自己完結性とは軍隊が食料・電気・通信・移動などの生存ひいては作戦行動の遂行に必要なインフラを自分たちで用意する能力である」
ってことは、つきつめれば自前で食料を生産できなかったり、自前で戦車を移動できずに日通に頼んだり、自前で被服を生産できず外注したり、
自前で医官を充足できず困ったりしている自衛隊は、自己完結できていない中途半端な組織ってことですか?
>>171 マルチポストしてるんじゃねえよ、基地外
幕末の洋式兵制
フランス式・・・幕府、土佐、彦根、米沢
イギリス式・・・薩摩、佐賀、尾張
オランダ式・・・幕府、水戸、前橋
プロイセン式・・・紀州
紀州www「バタリオン、マルシュ!」「フォイヤーフライ!」って号令してたんだろうな
他藩はどうだったんだろう?
鳥羽伏見の戦いの後では会津もフランス人顧問シャノアンを招き洋式兵制を取り入れてる
あと意外に幕府側諸藩もアームストロング砲なんかをもってたんだな
禁門の変では会津の20ドイム臼砲が活躍したそうだ
買ってはみたが訓練不足で使っていなかったとか
下手に使って消耗したら切腹もんだと温存してしまったか
>>173 >禁門の変では会津の20ドイム臼砲が活躍したそうだ
山本覚馬が見事な腕前で撃ちまくり、長州兵の立て篭もった公家屋敷を焼き払ったとか。
目が悪いのによく当てるなぁと周囲も感心したらしいね。
>>175 あれ?禁門の変の負傷が元で失明したんじゃなかった?
178 :
名無し三等兵:2009/09/23(水) 22:08:33 ID:wWfTB0AC
>>173 世界中の調練法が結集して実戦してたなんてすごい事実じゃね?
なんで幕末って軍事史における価値が低いんだろ?
>世界中の調練法が結集して実戦してた
裏を返せば、どいつもこいつも生兵法の素人ばかりって事だろう。
加えて武器の優劣による戦力変動値が極端すぎる。スペンサー銃と火縄銃じゃねえ。
見ていて面白いのは確かだが、後代の参考になるかというとどうも。
史学的な評価も、特に自ら新しいものを生み出したわけでもないし
戦術や戦略面でも特筆するものはないって感じだったかな。
借り物やお仕着せで戦ったとか何とか。
個人個人では大村や伊地知のような名戦略家・戦術家が居たけれども。
函館戦争の頃なら正規軍同士の戦闘、特に
官軍上陸は陸海共同の一例として戦前に戦史の
教材とされたことがあったそうだ
>>178 というか日露戦争でも諸外国ではあんまり参考にしてないみたいだ。
ただ単に日本に関心が薄いだけでは?
南北戦争の様子を聞いたモルトケが、
「そんな田舎の戦いは参考にならない」
と言って切り捨てたという逸話もあった気がする。
日本の場合、言葉の壁もあるからなあ
制服の見た目がかっこいいのは伝習隊と仙台藩の額兵隊かな
五稜郭祭でパレードや射撃してるよね
てか伝聞でしか伝えられないから詳細が伝わりにくかったってのもあるんじゃね?
写真も映画も無い時代だし
写真はあったよ!
あなた土方とか榎本の写真を見たことはないのか。
(南北戦争では戦場の写真も数多く残っている。技術的に考えて戊辰戦争でも戦場写真は可能だったはず)
出征する官軍兵士が出撃前に一枚、ってのが結構残ってるよね。
南北戦争みたいに、戦場写真が残ってればなぁと思うけど、
現像馬車まで繰り出したあの国と比較するのはちょっと厳しいか。
>>186 納刀はまともにやって欲しかったな
鞘を見ながら入れるのはカッコ悪いよ・・・
191 :
名無し三等兵:2009/10/04(日) 09:59:38 ID:cxxr0ZsW
伝習隊は帽子と帯以外はまんまフランス戦列歩兵w
フランス本国でも採用されたばかりのシャスポー銃は弾薬調達が難しいとはいえ、
前装式のエンフィールドやミニエーの薩長に対しかなり有利だろ
幕府側の最大の敗因って、戦術も大きいな。
会津なんて武器は意外にいいの使ってね?
エンフィールド銃はいっぱいあるしボルトアクション銃もあり、官軍に没収されたがドライゼ銃も購入してる
白虎隊なんて二番隊はライフル騎兵銃持ってたし
鳥羽伏見でライフル相手に方陣組むような旧態然とした用兵が悪かったと思うんだ。ナポレオン時代の密集戦術のままかと
幕府が核武装できていたら、世の中は変わっただろうな。
問題はどうやって敵陣地に爆発させるかだ>核武装
世の中つうか世界が変わるわw
写真はあっても配布するのが難しいんじゃまいか
意外に外国語のWIKIやサイトにはけっこう戊辰戦争の写真や絵が貼ってあったりする
>>191 いい武器を使っていたのにボロ負けしました、なんて、
刀で戦ったから負けました、より恥ずかしいじゃないか
「近代兵器に刀で立ち向かった幕府軍」というデマは、むしろ負けた側が流した自己弁護じゃないか。
幕府側が負けた理由
1、密集隊形で前進するなど、戦術が古い
2、幕府のトップが戦闘意欲なし
3、東北諸藩の連携が取れず
4、東北が苦戦している間、幕府艦隊がちっとも動いてくれず
5、会津の支配階級は民衆に憎まれていたので、民衆がみんな敵側に協力
これだけ揃ったら、どんな武器があったって勝てないと思うがな
とくに連携不足は最悪だろ。
大鳥たち旧幕府陸軍、会津などの東北諸藩、日本最強である榎本艦隊、これらが有機的に協力し合っていれば勝ち目はあった。
>これだけ揃ったら、どんな武器があったって勝てない
ちょっと上にある核兵器とか燃料気化爆弾とか想像してみたが、
この調子だと敵の本隊がどこにあるかの情報すら入らず
味方に誤爆するか地元民大量虐殺するかどっちかに終始して
ますます形勢悪くなるだろうなw
198 :
名無し三等兵:2009/10/04(日) 19:47:52 ID:wf7iE6dA
そういえば当時の砲兵ってどんな感じだったんだろ?
アームストロング砲とかが革新的な兵器扱いされてるのをみると、砲兵そのものの数が少なかったか
よっぽど旧式の砲だったかだな。
まさにデカい火縄銃な砲だったw
>>191 会津の良い武器ってのはほんの一部だけで、あとはゲベールとか火縄銃だから。
せっかく良いのを買い付けても間に合わなかった、とかが多い。
後、使える弾が少なすぎたとかなぁ。
もちろん一番の敗因は確たる戦略も、実情に即した戦術も無かった上に
油断しまくってたせいだけど(特に長州戦争と鳥羽伏見)。
最も最近じゃ「刀槍で戦うものが多く、火器はあっても火縄銃」という風評の元となった
『会津戊辰戦史』が、敗北の理由を糊塗し、事実を誤魔化している、という批判も有るようだ。
長州征伐や鳥羽伏見だと密集隊形で前進して
遠距離から散兵に狙い撃ち、もしくは伏兵に横から奇襲され、ってのばっか
文字通り肩をぴったり寄せ合って進んだ
南北戦争でも火器が発達してんのにこういう運用してたから損害続出したんだけどね
>>202 それでもやっぱり反乱の雄叫びはかっこいいと思ってしまったり。
アナクロニズムだと分かっちゃいるがw
幕府軍のシャスポー銃って、約三千挺くらいだよね。数が少なく稼働率が低いって、第二次大戦時のドイツのジェット機みたいだな
シャスポーは弾薬不足が致命的だからなあ。
大鳥が十分な弾薬を持ち出していれば……
シャスポー銃の弾薬は、江戸脱出後も、一時的に入手できたこともあるみたいね。
文献記録に、具体的にどんな銃が使われたかは書かれていないことも多いのだが、
以前、研究者の方にお聞きしたところでは、陣形が開いているときはシャスポー、
密集しているときはミニエやエンピールなどを使っていたのではないかと推測できるらしい。
シャスポーって勝手に中折れ装填だと思ってたら、ボルトアクション銃なんだね・・・
ナポレオン三世がプレゼントしたんだよね。
そういえば蝦夷地上陸以降の幕府軍は歩兵連隊指揮官が全員フランス人だなwww
ブリュネの手紙に、官軍側にイギリスやアメリカの士官が参戦しているとあるけどあれは本当?
観戦武官じゃねえかなぁ?イギリスは国として薩長に武器を卸したみたいだし
軍事顧問団とかだったりして(笑)居てもおかしくは無いんじゃない。大人の事情で、英国士官の存在は機密だとは思うけど
イギリス人だと前線に経って戦うヤツがいそうな気もするが
間違えてあげちゃった‥orz
シャスポー銃を使うと負けるという先例が旧幕軍なら決定付けしたのが本家のフランスだな。
普仏戦争ではシャスポー銃で完敗している。
本国も扱い難さにシャッポを脱いだ
普仏戦争で仏が負けたのは、動員能力の差と参謀本部の有無でしょ。シャスポー銃は、ドライゼ銃より増しって評価されている
そんな事は承知の上でレスしているのだが、遊びが判らないのか?
もう少し流れを読みなさい。
シャッポを脱ぐという言葉は昭和30年代以降は殆ど書籍ですら見かけなくなった
>>216 命令形で相手を見下して仕返しというのはちょっとみっともなくね?
>>213は客観的に見てジョークともマジレスともとれるぞ。
二行目がシャスポー銃の性能が悪いから負けたと受け取られかねない。
これは擁護できんね。
ジョークにしても面白くないからなぁ。
ちょっと微妙なカキコすると 良く吊れるなwww
河井継之助って舘ひろしに似てるよな
223 :
名無し三等兵:2009/10/11(日) 23:32:54 ID:ta1zI8ed
>>9 だから佐賀藩のアームストロング砲も12ポンドや9ポンドも買って
いたのに6ポンドしか持って行けなかったのね。
世良修三は俺の知り合いに似てる
官軍で作戦を建ててたのが、大村益次郎じゃなくて、英国士官って事は無いよね?
そうだね!!
あの忠義に厚く人間的に優れた正義の幕府軍が、
邪悪な薩長ズレに真っ向勝負で負けるなんて有りえないね!
きっと英国士官とフリーメーソンとネオアトランティスの陰謀に違いない。
証拠なんてないけど。
その頃、フランスは…
外交政策は失敗続き。メキシコ、日本とね。普襖戦争でもうまく立ち回れずプロイセンの台頭を許し、とどめが普仏戦争での惨敗
そのころ中国は何やってたの?
>>229 「太平天国の乱」が1851年から1864年までずっと続いて、
清国はもう財政的にも政治的にもガタガタだった。
>.229
ウィキペディア「清」より引用
この戦争と同時期には、国内でもキリスト教の信仰を紐帯とした組織・太平天国による太平天国の乱(1851年 - 1864年)、
捻軍の反乱(1853年 - 1868年)、ムスリム(回族)によるパンゼーの乱(1856年 - 1873年)や
回民蜂起(1862年 - 1877年)などが起こり、清朝の支配は危機に瀕した。
太平天国の乱の末、即位した同治帝の母西太后が政権を握ると、曾国藩・李鴻章ら太平天国の鎮圧に活躍した漢人官僚が力を得て、
清朝の根幹の制度を維持したまま西洋の技術を導入する洋務運動を開始するに至った。
中国にも洋式軍あったよね
太平天国鎮圧でゴードン将軍が率いたやつ
しかし当時の中国の火縄銃のローテクさにはびっくりするわ
発射機構が原始的なサーペンタイン式なんだけど、引き金の仕組みが割り箸鉄砲に似てるw
>>232 銃も大砲も爆弾も地雷もロケット弾も、みんな発明したのは中国なのに、
惨めなもんだよな。
あと清国兵のコスチュームがどう見てもキョンシーで噴いた
中国は眠りすぎたな
眠れる獅子と呼ばれて警戒してたのに
いざ戦争してみれば寝ぼけ眼れ戦っていたのれす
当時の清じゃ兵士が十分に撃てるだけの薬莢なんて準備できそうに無い
弾丸と火薬包んだ紙カートリッジすら真面目に作らないんじゃないか
結局火薬と弾丸ザラザラザラコロンギュッギュッで終わり
それもみんな西太后が
>>237 とはいえ、洋式化が始まると、国力の総体は大きかったから、金にものをいわせて、当時の日本軍
が装備していないような優秀な輸入兵器やコピー兵器も、結構大量に導入していたのだがね。
まぁ、ほとんどの部隊が、士気と訓練度が低すぎたね。
1880年代に最新の洋式戦艦を導入し国力を見せ付けた
日清戦争時期の清朝陸軍の主な装備に関するページ
ttp://www.beiyang.org/qiangpao.htm 当時の軍需工場について
ttp://www.beiyang.org/jungc.htm >237
西太后は、北洋海軍の予算流用で批判されることが多いが、寧ろ漢人官僚
を登用して近代化政策を進めた洋務運動により1850〜60年代の清朝崩壊
の危機を何とか克服し、同治中興といわれる安定期+近代化政策をもたら
したことが最近では評価されている。この安定が、海軍建設を可能とし、また
各地に軍需工場を建設、中国の近代軍需工場の開始はこの時期に由来す
る。その結果として清仏戦争では、フランス軍相手にかなりの善戦を見せる
局面もあった。
ただし、軍制改革を全国一律に行う事が出来ず、マウザー小銃やクルップ砲
などの近代装備をそなえた部隊が編制された一方で、旧式銃や刀槍、弓矢で
武装した部隊もまだ多かったこと、近代的な士官養成が開始されて西欧軍制
の知識を身につけた士官が輩出され始めたが、まだ軍上層部はその様な教育
体制が整う以前に出世した指揮官が大半だったこと、一元的な軍政軍令機関
が設立されておらず、100万を超える戦力を上手く活用できなかった、徴兵制度
が確立されておらず、一端損耗した部隊に対して戦力を補充して上手く復帰さ
せる事ができなかった、これらの要因が日清戦争における敗北の大きな原因と
なる。
いやん馬関
夷狄に砲台を占拠されたのれす
そんな軍隊を運用する方法ってどうしたらいいのかなあ?
数十キロ離れての砲の撃ち合いで相手陣地を砲撃戦レベルで壊滅させた心算でも
そのまま砲を前進させて行けばこちらの戦力が強いまま進軍した事になるんだろうが、
刀や槍や青龍刀で作った薙刀?みたいなので進軍していった場合
砲撃戦レベルで壊滅したと見なせる相手であっても十分反撃してくる恐れがあるなw
万単位で槍歩兵吹っ飛ばせる
150門の最新砲で敵の準最新砲110門のうち80門を破壊し、敵は残りの30門を持って退却を始めた
それを槍と刀と弓矢の歩兵10万人で追撃したら残り30門の敵砲からそれぞれ100発の砲弾を食らい
1発当たり20人の死者を出してこっちの犠牲者6万人
こっちも砲動かせば良かったが、槍歩兵部隊の将がうちらにも手柄立てさせろと主張したから
そいつらに任せたらこんな事になったw
槍歩兵6万人分兵站に余裕が出来て助かるな。
>>240 100万ていうけど日清戦争の清側の動員力ってえらい少ないよね。
当時の射程はアームストロング砲で4〜5km程度だったりする
ナポレオン時代の牽引カノン砲が1.5km程度なのに比べれば進歩してるか
結局旧式装備の歩兵は略奪型の兵站にしか使えないと
>>244 国同士の総力戦というより、一軍閥との戦争みたいなものだから
16世紀の明軍の大規模演習を見たスペイン人は、
整然と並び一糸乱れず展開する槍兵と銃兵の錬度の高さに驚愕し、
こんな規律正しい兵士達は他にない、中国の軍隊なら世界を征服できるみたいなこといってたよね。
いつからグダグダカオスになったんだろう・・・
みんな阿片が悪いんです!
>>248 日本も徳川三百年の太平で、一度グダグダカオスになったからなあ
平和が続くと、どこの軍隊もグダグタになるんじゃないかな?泰平の世→指揮官の官僚化って感じで
江戸300年の平和は武士を貴族にしてしまった
200年以上戦争してないってすごいことだよな
大阪・島原といった地域をを除けば250年戦争してない
もし今の日本が、あと150年外敵の大した脅威も感じず平和に暮らすと考えると・・・
そりゃグダグダになるわw
254 :
くすのき:2009/10/22(木) 02:58:57 ID:b8ckbhwY
そのサイトって流石にネタだよな?
3億円事件は川端康成和服でノーベル賞授与物議を逸らす為の茶番劇とか。
257 :
名無し三等兵:2009/10/22(木) 21:36:30 ID:YoPwfubO
しかし、どこの国も日本に侵攻できるだけの軍隊を持っていなかった、
ってのは大きいみたいだよなあ
インドでセポイを擁していたイギリスだけが例外みたいだが
ちょうどムガル戦争に突入で…
>>252 武士ってよりは官僚といったほうがあってるとは思う
貴族ほど無能ばかりではないが…ってところか
役持ちは間違いなく官僚だろうね。
江戸町奉行なんか、大政奉還後も自主的に江戸の治安を守り、しばらく明治政府の下で働き続けてたし。
……男だよなぁ。
日本って宮廷貴族の公家と、軍事貴族の大名にわかれてる。戦士階級が武士だったが公務員化
西洋貴族は宮廷兼軍事な貴族なんだよな。戦士階級は騎士だったけど廃れた
しかし、幕末くらいの時なら火縄銃等の旧式装備でも、戦い方によっては勝てるんじゃないかな。中国得意の人海戦術とか遊撃戦とかで
制度上の問題で人海戦術が可能なほど動員できないし
遊撃戦が可能なほど士気が高くない。
小部隊でのゲリラ戦には優秀な下級指揮官が多数必要だが、それも無理。
イギリスも最初は東洋最大の国家と慎重に戦ってみたら眠りすぎてて拍子抜けしたとか。
1840年代には武装そのものにはそんなに差が無いよな
それでもイギリスは蒸気船使えるから砲を敵に向けるのだけは速いのかな
戦術の違いもあるかも
一斉射撃、銃剣突撃
機関銃、ボルトアクション式連発銃、後装式速射砲が一般化する前なら、火線が弱いから何とかなりそう。ズールー戦争とかアフガニスタンで英国がくらったみたいに
清国に戦国日本ほど大量の火縄銃があったとは思えないし、火縄銃では充分な密集隊形は組めない。
大量の火薬を持ち歩きながら、剥き出しの火を扱うのは危険過ぎるし、少し風が拭けば火の粉も飛ぶ。
これは帆船時代の軍艦ではもっと深刻な問題で、フリントロックが発明されるまで、海兵隊は銃を持ち込めなかった。
一番の差は規律だと思う。烏合の衆はすぐ逃げるからほんとに数だけ。
戦術の充実も欧米と他地域では比べ物にならん。
>>268 太平天国なんて武装は清の正規軍よりショボイくらいなのに神がかりの規律だけで勝ったからな
アヘン戦争のころの清国軍はほんと烏合の衆だったんだろう
規律だけで勝てていたのは最初だけ。
官営の武器庫を奪ったり、外国からの輸入で太平軍の武装も徐々に充実していってる。
南京に落ち着いた後の太平軍は軍紀が弛緩し、虐殺や略奪暴行を繰り返すようになったせいで人心を失った。
逆に清軍は腐敗した八旗の代わりに、軍紀厳正な湘軍や淮軍を編制した太平天国を滅ぼした。
(両軍は後に正規軍に編入)
>南京に落ち着いた後の太平軍は軍紀が弛緩し、虐殺や略奪暴行を繰り返すようになったせいで
その時の人骨が大量にあるんですねわかります
当時滞在してた外国人による記録とかがあるよ。
上海に接近する太平軍を撃退した常勝軍に対する評価なども。
隠密旅行中の高杉晋作も太平軍に対する感想を残してるね。
そりゃ貴重な証言だ、簡単で良いからUPしてもらえる?
太平天国が虐殺を行ったことは否定できないけど、
どの程度か、というのは研究されているのか?
共産中国では太平天国を「偉大な農民革命」として賞賛しているので批判的な研究ができない、と聞いた。
(「中国の大盗賊」という本に書いてあった)
逆に、捏造や水増しをしてまで太平天国を悪く言おう、という勢力もあるだろう。
客観的なことが知りたい。
どうなんだろう、「太平天国の乱で1億人が死亡」「2000万人が死亡」なんてのを見かけるが、有り得ない数字だよな?
新暦れ換算した今日の出来事
明治元(1868/12/08)年 函館戦争、旧幕府・海軍副総裁の榎本武揚らが箱館と五稜郭を占領。
こっちは新暦、今日の出来事
1873(明治06)年 征韓論争で破れた西郷隆盛、板垣退助らが参議を辞職(明治六年の政変)。
>>275 直接虐殺したのが1億人というのは有り得ない話だが
乱が原因で2千万人死亡は有り得る。
江南の要地を押さえて14年戦い、北や西に遠征軍も派遣しているから。
戦場となった地域の荒廃による死者が半端じゃないはず。
流れをぶった切って申し訳無いが、バカ皇帝が幕府に贈った、シャスポー銃って戦場評価試験を兼ねてたって事は無いかな?
>>278 あるかもね・・・
代理戦争ってのは新兵器の実験場でもあるから
アームストロング砲も薩英戦争で暴発事故や砲栓の亀裂が相次いだことで、信頼失ってイギリスの制式装備から外されてる
日本で高評価を得たアームストリング砲が
本国で、それもその日本の1地方統治藩相手の戦争で
事故を起こしてしまったというのはちと皮肉w
日本ではその後でアームストロング砲をわざわざ佐賀でコピーしたとか
日本では砲があるだけでびっくりで大口径にする必要も無く事故は殆ど起きなかったとか
>275
>太平天国を「偉大な農民革命」として賞賛しているので批判的な研究ができない
70年代から80年代頃の共産中国の阿片戦争から辛亥革命までの近代史の研究書の訳が
何冊か出ているけど
義和団も文字どうり「民衆の連合8ヶ国の残忍な中国侵略に対する義挙」で
李鴻章も太平天国の鎮圧から洋務運動、清仏、日清戦争、義和団と全ての責任を負わされて
「腐敗した封建清朝で私腹を肥す反動売国奴」扱いだった
最近は再評価が進んで愛国者の列にくわえてもらったけど
>>280 佐賀藩のはオリジナルを小口径化したんだよね
丸々コピーではなくリサイズしたのはすごいな
しかし日本が幕末に作っていた反射炉の技術そのものは
ヨーロッパでは150年も昔の技術だった
それでも従来の刀鍛冶レベルの鉄生産しか出来ない時代からしたら大きな進歩だった
そしてこの時期に、日本の将来を見据えている人たちはどうやって日本にあの鉄工所をを作ったらいいか
もう考えていたわけだ
>>282 つまり、二人乗りのリサイズした洋式軍艦を造った宇和島藩が最強という事で。
悪そうなボートになりそうだなw
>281
太平天国研究が聖域だった時代は大陸中国でさえ既に終了している。
農民革命の先駆者などマルクス主義的な歴史観に基づく価値判断が
第一線の歴史学では廃れて久しく、太平天国の実態に即した実証的
な研究を行うための史料集成、基本的な史料の編纂などが進んでお
り、日本や台湾、アメリカなどの研究の成果も取り入れた方向での成
果が出てきている。
革命史観の衰退と共に「革命の先駆」としての太平天国研究を行う研究
者の数はひところに比べて少なくなっているとのこと(太平天国研究で
知られる夏春濤教授のコメント)。しかし、研究内容は大変興味深い物が
いくつもでてきている。
ただし、学問の領域での研究の自由がある反面、何かのきっかけでそれ
が党の公式イデオロギーに触れる事があると面倒ごとが生じる事も完全
になくなったわけでは無いのは悩ましいところ。
>>280 >>282 佐賀藩で製造された云われているは,アルンストロンゲ銃でも後装施条(線条)形式
の1861年式9ポンドですが,製造説の根拠である『佐賀藩銃砲沿革史』で〈製造〉と
している記述が,ほぼ一次史料である『松之落葉』などでは全て輸入となっていて,
文献学的には現在のところほぼ否定視されています(小宮睦之「アームストロング砲
佐賀藩製造についての疑問 −文献史料を中心にして−」 『佐賀の歴史と民俗』福岡博
先生古希記念誌2001年) .
産業技術的にも佐賀藩の技術水準では,構成要素に練鉄精錬に必要なパドル炉(発達型
反射炉)や圧延機を欠き,鍛造に必要な加熱炉や蒸気ハンマーなども船舶用の輸入記録
はありますが,持て余して据え付けさえ行わず幕府にそのまま献上しています.
6ポンドの雛形を佐賀藩の精煉方で製作した可能性はありますが(『田中近江大掾』),
まともなコピー製品に成功したとは到底思えません(南北戦争時の南部連合でも失敗して
います).
と云うか,長崎のグラバーを通じて6ポンド野砲を数十門輸入して,武雄領で編制された
多数の砲兵小隊を4ポンド前装施条青銅砲からアム銃に装備改変していますから,あえて
苦労してコピーする必要がなかったような…
その他,多種多様なアームストロング砲が輸入艦船の備砲として存在していました(野
砲は「銃」,艦載砲は「砲」と表現してあって面白い).
また,アム銃以外にもブレ−ケリ−砲やウィットワ−ス砲なども試験的に輸入していた
ようで,性能的にはともかく,運用面や輸入しやすさでアム銃を選択したようです.
【本当に】佐賀藩製アームストロング砲【可能か】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1070280780/l50
しかし女子砲丸投げクラスの砲弾重量でも当時は重宝されたのか
その後大鑑巨砲主義に突っ走るのは70年後か
軽砲は人力でも引ける機動力があり、山砲みたいに歩兵に随伴できて便利なんじゃね
弾頭の炸薬量からして、撒き散らす破片の威力はたかがしれてるが・・・
>軽砲
日テレの白虎隊で官軍がえらく小さな大砲を2人程度で押して進撃してたがそのこと?
>>287 清の兵士の軍服ってどんな感じなの?
>>291 そう。会津だと4ポンド山砲かな?もしくは旧式のポンペン砲
>>287 有難う。
清軍って、なんだかランツクネヒツに近い状態ですな。
>>291 「武器と防具 幕末篇」よめば載ってる。
清の軍服はモロにキョンシー
若い人は知らないか、キョンシーって。
>>292 会津が使ってたのは「4ポンド」じゃなくて「4斤山砲」で、砲弾重量は4キログラム。
フランスはメートル法を使ってるからね。
これも「武器と防具 幕末篇」に詳しく書いてある。
>>290 当時の日本は鉄道も無く、道は細く、大型砲を運搬するのは困難だった。
だから6ポンドとか9ポンドとか、そのくらいの砲しか運べなかった。
このへんの軽量野砲だって、砲全体の重量は300キロ前後だぜ。
大型野砲は重量1トンを越えるから陸上輸送が難しかったわけ。
300kgだって当時の山道押すのは、
まあ力持ちで足指のしっかりしたの5人掛かりでも一仕事だよな
まして坂道ならスリップしないように大変だ
北関東でアームストロング砲もった部隊が大鳥と戦って負けたときは
砲身だけ持って逃げてるそうです
砲身だけなら半分ですからね
幕末に使われた砲弾って他にあったっけ
実体弾・・・無垢の金属弾。9ポンド滑腔砲で15〜20人程度の人体を貫通する運動エネルギーがあり、
砲弾が球形だった時代は地面をバウンドさせ射線上の敵部隊を薙ぎ倒した。
ライフリングが一般化し弾が円錐形になると建造物や船体破壊に使われた。
榴弾・・・金属製の外殻に炸薬が入っており、破片や爆圧で人馬を殺傷する。空中で炸裂させれば遮蔽物に隠れた敵も殺傷できる。
散弾・・・数百個の子弾を発射する巨大な散弾銃みたいなもの、射程は短いが範囲内は回避が困難で最も恐れられた
榴散弾・・・18世紀末にイギリスで開発された。時限信管で中〜遠距離で散弾の詰まった砲弾を炸裂させる。
焼き玉・・・加熱した砲弾。木など可燃物に火災を起こさせる。榴弾のように不発がなく幕末でもよく使われた
>>298 帆船時代の軍艦は、複数の弾を鎖でつないだ奴を発射した場合があったそうな。
マストとか帆を破壊するんだって。散弾と同じ、隊列を薙ぎ倒す効果もありそうだな。
幕末の軍艦にも、そういう弾が多少は積んであったんじゃないか?
もちろん滑腔砲でしか使えないけど、まだまだ滑腔砲はたくさんあったはず。
開陽丸だって滑腔砲も積んでいた。装填速度が速いからな。
近代(機船、機帆船の時代)になって改良された炸裂弾が有って、その上で更にチェーンショット積むかな?
砲弾形は旧来の丸型であるものの、威力と確実性で欧米に引けを取らない炸裂弾を
末期の幕府は自力開発できたし(すぐ時代遅れにはなったけど)。
有毒ガスを出すカーカスショットは少なくとも19世紀前半まではあったはずだが、廃れたかな
薩英戦争の薩摩側の死者は「いずれもミジン(微塵)也」とあるから
アームストロング砲で粉々になったんだろうな。
薩摩側の死者ってたしか数名だったハズ、よっぽど運が悪かったんだね。
英国も何で台風の真っ只中で攻撃するんだろう。天候が回復するの待てなかったのかな。
305 :
名無し三等兵:2009/10/31(土) 08:47:38 ID:JJojh2Cg
清の軍制について調べてて、検索かけてこのスレにたどり着いたのには驚いたw
清朝北洋軍の写真とか、三国志みたいな格好した緑営の写真とかないかなあ…
中国のドラマとか見てると、辮髪にナポレオンみたいな格好しててかなり笑えたんだが
実際の北洋陸軍は辮髪切ってたのか…
>309
新建陸軍や北洋陸軍の時代になると、軍服の洋装化に伴って辮髪を帽子
の中で丸めたりして邪魔にならないようにするようになる。
ただ、>307の本の写真を見ると、洋装の軍服に辮髪を下げている将兵も
確認できる。
>>304 薩英戦争では薩摩が電気水雷を仕掛けていたのが興味深いね。
蒸気船も轟沈サイズのやつ。
待ちきれない薩摩の砲手が勝手に発砲して、水雷を敷設した水域から英国艦は離れてしまい
運悪く(良く?)戦果は挙げられなかった。
312 :
名無し三等兵:2009/11/02(月) 12:38:06 ID:s5NdqqUc
日本じゃ知名度ゼロに近いけど南米のパラグアイVSブラジル・アルゼンチン・ウルグアイの三国同盟戦争
ってのもこの時代の出来事だよな。最近ふとした事から知ったんだけど当時のパラグアイの人口の半分以上
が死んだ押しも押されもしない大戦争だったんだが・・・
軍事板ではさすがに有名な戦争だと思うぞ。
パラグアイの老人兵・少年兵動員の末期ぶりとか、
戦後にパラグアイの男女比がおかしくなってウハウハというあたりとか。
総力戦の時代でもあるまいし、弾丸が飛び交うだけの戦争でどうやったらそんだけの人が死ぬんだw
・パラグアイの首都放棄後も首都住民がぞろぞろついていって、6年間戦闘が続いた。
・略奪と耕作放棄で国土が荒廃。
・ゲリラ戦をやったからゲリラ狩りで虐殺発生。
・疫病の流行。
・捕虜の奴隷化。
特に成人男性は、総人口50万人に対して正規軍6万人という大動員で外征をやったため、
人口バランスが崩れるほどの壊滅的打撃を受ける結果になった。
>>314 人口60万程度の小国が、南米の大国ブラジル・アルゼンチン相手に5年も戦った戦争だからね。
精鋭の軍主力が壊滅した後は、士気は高いが錬度が未熟で装備も劣悪な兵士を逐次投入せざ
るを得ず、結局その都度撃滅された。
それに、戦死者以外に、多数の病死者も出ているしね。
歴史群像が、以前パラグアイ戦争の特集をやったから、軍事板では結構知ってる人多いんじゃないか。
318 :
名無し三等兵:2009/11/03(火) 19:40:51 ID:sY4bjRzQ
314
でも当時のパラグアイやそれと戦った三国からすればそれぞれの国家の総力を挙げて行われた戦争だったみたいよ?
普仏戦争で、ナポレオン3世が捕虜になったのもこの頃か。
皆それぞれに一生懸命だったんだろ
日本とアメリカ以外で機帆船による海戦って、クリミア戦争以降あります?
やっぱり、この頃の海戦も帆船時代と同じように、最後は接舷して乗り込んで白兵戦なのかな
>>324 南北戦争やクリミア戦争では接舷切り込み戦術は行われなかったね。
リッサ海戦でもなかった。
すでに一般的な戦術とは言えない。
戊辰戦争では「回天」が行ったが、大失敗だ。
銃の性能なんかが上がりすぎで難しいんだろう。
切り込み側が手投げ弾みたいな制圧手段を準備していれば多少はマシだったかもな。
太平洋戦争では一応は接舷切り込みがあったね。
といっても、イキケ海戦で衝角攻撃を受けたときの最後の反撃手段として使った程度で、簡単に撃退されてる。
アンガモス岬海戦では、降伏した装甲艦を洋上拿捕するときに、小競り合いがあった。
現代の護衛艦に小銃が置いてあるのも、まさかの切り込み用なのかな?
臨検するときとか、入泊時の舷門警備とかに使うんだろうね。
>>328 遭難者を救助する際、近寄ってきたフカなどを追っ払うときにも使うようだね。
まぁ、今月の歴群の巻末漫画みたいな、予想外の事態に備える意味もあるんだろうけれど。
海賊が捨て身の肉弾戦法で接舷切り込みしたら少し怖いなあ。
まあソマリア沖の海賊は殆ど小舟みたいだけど。
それで沖合い1000kmにも出没するから侮れない。
日本のいちばん長い日を読んでたら、
>>312の話が突然台詞で出てきてびっくりしたww
過激派将校「六年戦争のように、人口の八割・九割を失っても聖戦を敢行すべきです!お願いします!」
ノルデンフェルト砲あげ
西南戦争って白黒時代も含めて映画化されてないのかな?
>>334 テレビドラマなら、「田原坂」ってのがあった。
>>334 「飛ぶが如く」のドラマに出てくるんじゃないか?
見たことないけど。
映画、映画はなー。
需要が怪しいよな。
ラストサムライみたいに設定を変えないと受けないんじゃないかな
ラストサムライのサムライ軍団が近代的に銃で戦っていたらきっと受けなかったぜ
338 :
名無し三等兵:2009/11/23(月) 22:51:46 ID:DZoz0Vec
>>336 ここ的な話として、ラストサムライは政府軍側の銃の演出が秀逸だったな。
史実だと前装ミニエー銃と、それを改造したエンフィールド・スナイダー銃の端境期で、どうも判りにくいのを逆手にとって、
前半の弱小鎮台兵に古い前装ミニエー銃持たせといて、後半の新時代大日本帝国陸軍を、
最新式(シャスポーはもうあるよ)のボルトアクション・ライフルで一気に全数更新しやがった。
最初見てて思わず吹き出したよ。あのシーンで史実をどんくらいデフォルメしてるかの加減が見えた。
あと、あれの「大村」ってのは、明らかに大村益次郎から取ってて作中史実と唯一の共通点になってるが、ポジションは山県有朋だな。
汚職のモデルは当然、山城屋和助事件だ。ズウィック監督の日本人に対するサインだろう。
で、最後の全財産出せ!ってのは開拓使官有物払い下げ事件がモデルだろうから、
同じく西南戦争で活躍した黒田清隆も兼ねてる…って大村一人で薩長両方さりげなく代表させやがったのかよ監督!!
たった今気付いた!!どこまで奥が深いんだあの映画。
意外と日本史勉強して作られてるるんだよな、ラストサムライって。
フィクションだと割り切った上で、幕末〜西南戦争前後の日本で何が起こってたのかと言うのを
分かりやすく表現してる
リアリズムをこだわると日本人しか見れない地味映画から仕方ない
あれは明らかに、勉強した上で娯楽として嘘をやってるんだよな、侍軍団の格好の古臭さとかは。
シャスポーとミニェーの違いがわかり、帽子のてっぺんに星を入れる考証ができる人間が、西郷軍の装備を知らないわけない。
でも、皇居が山の上にあって石段で上るのは、なんだかムッとしたw
ラストサムライは、侍が鉄砲すら使わないっていうトンデモ設定がかなりハードル高いな・・・
当時実際の侍はナポレオンよろしく三角帽かぶって騎兵ブーツ履く西洋コスプレ軍隊持ってたわけだし
250年前の戦国時代から既に、侍筒持った上層階級の射撃手が居たからな。
>>341 幕府の旗本は鉄砲を持ちたがらなかったそうだけど。
あれは足軽が持つもので、士分は槍を持つものだって言う気風があったみたい。
諸藩でも同じだったようで、例外は薩摩や長州、長岡くらいかな?
だから、ラストサムライのあの描写を見ても、何となく納得できたんだけど。
それ以前に幕末の旗本は極一部を除いてまともな戦力になってない。
鳥羽伏見戦以降、新政府側はもちろん幕府や諸藩でも銃編制が普通になっている。
長州戦争で既にその兆候が現れてはいたけど。
あの会津藩でも、火縄銃でもゲベールでもとにかく銃をという話になった。
ラストサムライのネタ元の西南戦争でも薩軍は銃編制だったしね。
状況によって切り込みはしたけれど。
もう出た話かも知れないが、会津が新撰組を召し抱えた名目だって、洋式軍装のモデルとしてだしね。
芹沢鴨のコネだろjk
先進的と云われる事が多い佐賀藩でも,
本藩では慶応の軍制改革には成功していませんからね.
石高に関わらず同じ銃(エンピール)を持たされるのが,
気に食わなかったらしい.
アームストロング砲で有名な武雄領兵は御親類同格(龍造寺系)で,
天保以来の教導部隊の役割を担っていたようです.
>>342 和製バズーカw
江戸時代前期の各藩軍役の装備品を見ても、
上士からなる騎馬隊すら半数くらいが鉄砲を装備してるね
>>344 幕府陸軍では旗本はカピテインなどの士官か騎兵隊に充てられて、石高に応じた兵賦が課せられていたけど
侍が地面に伏せられるか!とか洋式兵器への抵抗が強かったんで後に金納のみになったんだよね。
>侍が地面に伏せられるか!
兵力集団の自覚ねーなーw
>>340 挿し絵画家の中西立太著の『改訂版日本の軍装〜幕末から日露戦争』のあとがきで
ラストサムライの衣裳デザイナーのアシスタントをしている日本人から
「幕末から明治の軍装資料を探していたがこっちにはないので困っていたが
先生(著者)の本(初版)を見つけてありがたく使わせていただいている。
できれば軍装についてのアドバイスをいただけないか」
という手紙をもらって初めは無理と断ったが改めて質問の手紙がきたので
できる限りの回答と資料コピーを送ったとある。
本屋でそれ読んだおれは100ページ未満で3300円という
普段手を付けない値段設定であるはずの本を速攻レジに持っていった。
>>341 他の人も書いているけど、明治9年の神風連の乱では、反乱側は銃を使ってない
神道を基本とする極端な攘夷思想で、西洋から入ってきたものを全て拒否していたから
だから、あれも別に史実を無視したトンデモ設定じゃないんだよ
>>354 いやあ、そこまで言うのは強引では
だって作中のサムライ軍団は神道とか一言も言ってないでしょう。
もちろん製作者は神風連のことを知って作ったとは思うけど、明確にモデルにしたわけではない
>>355 神道の説明までし出すと、欧米の観客には冗長になりすぎるから省いたんじゃないの?
制作サイドにしてみれば、日本市場は重要だけど、それだけがターゲットではないわけで。
>>354 少なくとも甲冑は無い。
長州戦争に参加した連中は皆途中で脱いでる。
参加しなかった会津も、鳥羽伏見以降は鎧兜は止めてる。
>>357 神風連の乱に参加した連中は、甲冑を着込んでいるが?
あの映画が神風連だったらな。
史実に神風連って実例がある以上、侍軍団が甲冑を着込み、銃を使わないのも、
トンデモ設定とは言えないってことだ。
ソースは何だろう?
>>353 これは酷いw
当時の新聞用銅版画っぽいけど、想像で描いたのか?
江戸時代は銃は砲術としてむしろ武士の嗜みだったけどね。
なので伝統から見て火縄銃を否定する必要は全くない。
364 :
名無し三等兵:2009/11/27(金) 22:48:32 ID:S8nWgOT0
戊辰戦争とかも映画少ないな。
ラストサムライと言えば大半の侍が甲冑姿なのに
所々にそうでない、わりと史実に近い姿の
侍がいたのも何か理由があるのかな?
367 :
名無し三等兵:2009/11/28(土) 17:33:16 ID:rz13/XBJ
>365
同じく大映で白塗りの勝新主演の「花の白虎隊」がありましたね
368 :
名無し三等兵:2009/11/29(日) 19:10:36 ID:NXW4A/X4
戊辰の役も盛大にCG使いまくって本格時代映画やってもらいたいよな
会津は何年か前にもジャニドラマ化されてお腹一杯だし
薩摩や長岡藩
または榎本主役で描いてくれたら喜ばしいが
榎本だと箱館以外だと戊辰戦争中は船の上のイメージだから、大鳥圭介とかどうだろう
いや、榎本主役はぜひ見てみたいが
今のところ、戊辰戦争で一番それっぽいのはるろうに剣心のOVAだろうか
二本松少年隊を忠実に映画化
リアルにやると、人死にがあんまり出ないからなあ。
それも敗走の途中で腹切りする人間がほとんど。
白河攻防戦はガチですよ。
石川雅之の漫画で、二本松少年隊のがあったな。
だからエンタメにおける「リアル」と「リアリズム」は違うんだって。
史実通りがリアルなら、史実を踏まえて演出を講じるのがリアリズム。
「どうせ死ぬなら切腹より討ち死にじゃ!」ほら、迫力が出て来たろ? 結果も変わらん。
ラストサムライに学ぼうぜ。
いや、戊辰の役では切腹より戦死の方が多い戦いは普通に有るが。
そもそも
>>371は具体的に何の戦いを指しているのか?
鳥羽伏見、会津、五稜郭とか有名なの除けば、一回の戦いで死傷者数十人程度って戦いが多いよね。
両軍で二千数百人とか戦ってるのに。
鳥羽伏見でも、東軍の死者280名(幕臣120、会津130、その他)、
西軍の死者は最大で100名程度と言われておる。
うち、東軍の会津兵は、ちょっとでも負傷するとその場で自害しちゃったそうな。
嘉永六年に長崎に来たプチャーチンの一行は
乾パンを補給しに行った上海で、太平天国の乱を目撃している。
官軍は城壁を包囲しているだけで、太平軍は城壁の上から籠をぶら下げて
集まってきた物売りと取引していたそうだ。
外国人は租界からそれを高みの見物。
安倍公房の「榎本武揚」はフィクションに近いものだが、
榎本は実は新政府側で、幕府の抗戦派の勢力を終結させて効率よく始末し、
戊辰戦争スムーズに終結させて戦後の統治を容易にするために
東北から北海道にかけて転戦させたのだ、という説をぶちあげている。
幕府艦隊が役立たずだったのも意図的なもの。
>>379 「明治維新は勝海舟が操って起こした」に匹敵するトンデモ説だなー
どんだけ榎本は有能なんだっつうの。
前のスレでも、
「慶喜は戦争をできるだけ抑えて平和裏に幕府を転覆させるため、あえて逃亡したのだ。大阪城から逃げたとき、すべて考えていたのだ」
などという意見があったけど……w
>>379 カンジェルマン殿下を思い出したオレはぢぢぃですかそうですか。
>>381 殿下については、ポタリアスとの間のホモ臭ぇ描写の方が気になってしょうがなかった。
それ系のネタなら、慶喜は長州と繋がってて成破盟約のもと幕府を破壊しようとした
というとんでもフィクションを読んでみたいなあ
長州は薩摩と違って慶喜には最初から寛容だし、
明治には外交に慶喜の当用を提案したり好意的なのが気になる
>>383 >長州は薩摩と違って慶喜には最初から寛容だし
そら、慶喜さんも同じだろう。
「長州には何等の遺恨も無い。
薩摩には云い様も無い憎しみを感じる。」
瓦解後、かなり後になってもブツブツ言ってたらしいからな。
最初から反旗を翻していた長州は「男らしい」んだそうだw
第一次長州征伐で使節にきた勝海舟はとてもお茶目で長州側に好評だったらしい
大鳥圭介なんて、敵である薩摩には
「大鳥に負けても恥ではない、大鳥は我々の師匠なんだから」とか高く評価され、
函館戦後、助命嘆願の動きすらあった。
味方である会津には
「お前が無能だから俺たちは負けたんだ」みたいに罵られている。
なんかおかしな話だ。
無能なのはむしろ会津なのだが・・・
>>386 その薩摩の大鳥評は初めて聞いたな、ソースは何?
大鳥は伝習隊の部下達や旧幕の仲間に
「大鳥さんが指揮すると負けるが、大鳥さんが人を選んでやらせると何故か勝つ」
と言われてるのが面白い。
戦術指揮はそう上手くないが、高等部分での指導と人格が好かれたのだろうか。
榎本と違って狷介なところが無いし。
そのせいか榎本と大鳥はお互い反りが合わなかったみたいだね。
会津は暗殺・焼き討ち・誘拐を手口とする、
自称志士という実質テロリストを取り締まってたのに恨まれるのはちょっと可哀想だなw
禁門の変も長州征伐も反乱を鎮圧しようとしただけ、何で謝らなきゃいけないんだ!って藩論だったそうだが
大義名分論ばっかで空気読めなかったんだろうな
汚い仕事押し付けた春嶽さんがうまいこと空気よんではんたいがわで偉い人やってたのはなんかね
彦根藩が官軍なんてそれありなのか、と思うしな。
親藩、譜代の連中がさっさと新政府側に寝返ったのに、
徳川に義理があるわけでもない列藩同盟が抗戦して冷や飯食わされた。
東北人は目先がきかないな。
そういう自分は、幕府側と新政府側のどちらにつくかうかがっているうちに
機会を逃した芸州の人間だが。
一番可哀相なのは、機会を見て官軍になったが回りからフルボッコにされた秋田
>>393 佐竹は、関ヶ原の時も立ち回りをミスったよな。
おかげで秋田に飛ばされて。
「あとちょっとで秋田を落とせた」がじいさんの口癖だった
>>389 さすがに征長の役は勇み足だね。
会津自身は出兵していないが、松平容保が征伐を強硬に主張した。
そのせいで参戦していないにも関わらず、余計な恨みを買うことになったし。
会津は色んな意味で読みが浅かったよな。
部下に恵まれてない訳ではなかったんだがガチガチの連中が多すぎた。
後は殿様が、まあ言いたくないけど無能すぎた。
>>395 庄内藩か・・・
秋田陥落まであと一歩だったのに他藩が降伏して撤退する羽目になったんだよな。
シャープスカービンとマルチニーヘンリーライフル、なんと主力銃がどっちもレバーアクション式
西部のガンマンみたいだな
もし荘内が徹底交戦で薩長とガチバトルをやっていたら?
数に押されて終了だったかな
庄内のシャープス対佐賀のスペンサー
どこの南北戦争だよw
本家と逆でこっちは南軍が勝ったけどな
>>399 同盟側の主要な貿易港(武器弾薬輸入等)が長岡だからなぁ。
長岡藩や会津藩のように四方から侵入されて領内が焦土になりそう。
402 :
名無し三等兵:2009/12/13(日) 23:37:15 ID:qWP8+P7k
最後発組ながら薩摩や長州等を脅かした、
紀州藩の軍制改革って、どんな軍編成や装備をしてたんかな?
>>402 紀州が改革を始めたのは戊辰戦争後だったが、明治5年に全国に徴兵令が発布されるまでダントツ日本最強の軍隊といっていい。
武士の家禄を大幅に削り、全国に先駆けて四民平等に徴兵令を敷き、
歩兵6個連隊、騎兵1個連隊、砲兵2個連隊、工兵1個連隊、総員2万に及んだ。
調練、戦術はプロイセン式で、主力小銃はボルトアクション式のドライゼ銃。肝心の銃弾も自前の兵器廠で日産1万発。
軍装も洋靴で統一し、技術者を招き革靴生産を行っていた。
士族主体、装備も和洋折衷だった他藩と比べ、徹底した西洋化をしたがゆえ。
これは政府に大きな影響を与え、徴兵令とプロイセン式編成導入につながった。
404 :
名無し三等兵:2009/12/15(火) 18:09:16 ID:FG853+zV
>>403 紀州藩以外に、
プロイセン式の軍制を取り入れた藩ってあったんかな?
405 :
名無し三等兵:2009/12/15(火) 23:31:23 ID:aviE/9zF
戊辰戦争は、鳥羽伏見の戦いのあとでも慶喜が戦い続ければ幕府勝利でしょう。
幕府陸軍は大阪に5千、江戸に2万5千いて、完全に西洋化軍隊、鉄砲も先込式ではなく、元込式が装備されていた。
負けた方がおかしいと言うか、慶喜に戦う気がないんでしょうね。
戦う気があれば、鳥羽伏見の戦いに負けた後でも大阪城に籠城すればよい話。
大阪湾の制海権は幕府海軍にあるし神戸の薩摩藩汽船を攻撃し徳島沖で撃沈しています。
薩長が大阪城を包囲しても、幕府軍が籠城を続ければなかなか落ちない。
事実、官軍は大阪攻めをどうするか頭を抱えていた。
それに大阪城を包囲している間に東海道から幕府軍が西上してきたら、どうするかでも官軍内部で結論が出ていなかった。
しかし、慶喜が大阪城から夜中に退出し江戸城に船で逃げ帰ったので官軍サイドのこれらの懸案が全て片付いてしまった
困っていたら、慶喜が逃げ出して大阪城が丸焼けになったと聞いて逆に官軍が拍子抜けしたぐらい。
>>405 伝習隊など、元込め銃装備の部隊もあったのは事実だが、あんたの書きかただと幕府陸軍全員が元込め銃装備みたいに読める。
ソースは?
朝敵になって戦い続けるなど慶喜にしてみれば有り得ない話
一般歩兵隊の主力は前装式だったような記録があるな。
西軍の記録で、装填作業をそれなりに器用にこなす様が目撃されてた。
>>405 >徳島沖で撃沈
座礁して放棄・自焼したのを撃沈と呼ぶのか…
確かに翔鳳丸は品川から開陽に砲撃されながら追い掛け回されてるし、
それの経緯含めれば強ち間違っちゃいないけどな。
先込め元込めより
発射圧食い込み型ライフル銃か否かの方がこの時代ならまだ重要だ
射程が3倍違うんだから
>>410 発射速度も三倍以上違ってくると思うが>>前装後装で
ライフル銃は命中精度と射程は長くなるが、狙うのは人間なので遠距離から撃ってもほとんど命中しないけどな。
エンフィールドやシャスポーみたいに有効射程が千数百mあっても、それは現代戦ですらスコープ着けたスナイパーが狙う距離。
遠くから撃つとろくに当たらないうちに反撃と回避行動をとられるため、十分引きつけて撃っていた。
南北戦争だと250〜300ヤード(225〜270m)から射撃開始だそうだ。
しかし丸弾なら数百m離れると鎧で止められる
同じ距離で鎧をぶち抜けるのは大きい
クリミアでは音速を超えた弾丸が飛び交い
小銃弾でも衝撃波で手足が千切れたりするのかと恐れられた
遠距離ってどのぐらいの距離の話をしてるんだ?
南北戦争だろうと幕末だろうと、三八式を使ったWW2だろうと、
歩兵小銃に1000mもの有効射程が不必要だったのは同じ。
南北戦争や、戊辰戦争でのミニエー弾使用のライフル銃の利点は
火縄銃やゲベール銃等のマスケット銃が有効射程100m(確実を期すなら80m以下)なのに対し
有効射程がおよそ三倍の300mであること。
これは長州戦争と鳥羽伏見で顕著に現れてる。
人類が音速を超える武器を手にしたのはこれが2つ目
最初は鞭
次はライフル弾+高性能火薬
>>415 WIKIの「戦列歩兵」のページで、こんな無茶苦茶な記述があったのよ。
> ミニエー銃を装備した軍隊とマスケット(当時の日本ではゲベール銃と呼んだ)を装備した軍隊が交戦した場合、
> マスケット側は有効射程の100ヤード(しかも命中率は50%)まで接近するために最大で900ヤードに渡る死のロードを、
> 友軍の屍を乗り越えつつひたすら進まねばならなかった。
> これを第二次長州征伐での交戦者双方に当て嵌めてみると、戦列歩兵として訓練された幕府陸軍の前進速度は60m/分であり、
> 900ヤード(約800m)を進むためには13分以上かかる。
> この13分の間に、エンフィールド銃は30〜40回の射撃が可能であるため、仮に1,000人の幕府陸軍を相手にする場合でも、
> 長州諸隊は最小の場合たった25人の小部隊で、しかも自分達は無傷のままで相手を全滅させてしまう事ができた。
25人で1000人無双ってw
800m離れた場合の命中率を全く考えてない・・・
>>417 まて。相手は散開していない、戦列歩兵だぞ。
戦列歩兵って言うのは肩がぶつかるくらいの密集した状態で歩いていくんだ。
つまり100メートルくらいの塊を撃ってるのと同じだ。人間を狙って撃つ必要はない。
「そのへん100メートルくらい」に向かって撃てば当たるんだ。
もちろん命中率が100パーセントだとは言わないが、1000メートル距離で個人を狙撃するのとはまったく違うぞ。
かなり命中が期待できるはず。
>>417 あ、でも、当時の歩兵は弾薬を30発しかもっていないので、全弾命中しても750人しか倒せないや。
そのウィキが非常に極端な例を取り上げていることは事実だけど、
「命中を期待できる距離」が何倍も違うのは事実。
で、同じ距離で撃ちあったら命中率が2、3倍ちがう。
これは圧勝できるだろう。
幕軍の歩兵隊も、相当数はミニエー銃に装備更新されてた筈だぞ。
散開したり、伏せたりといった運動も、実戦で記録されてる。
戦列歩兵と称してはいても、古典的な密集横隊戦術ではない。
>>420 鳥羽伏見に限定した話でしょう?
鳥羽伏見では古色蒼然たる戦列歩兵戦術が取られて、滅多打ちにされて負けたよ。
ああ、第二次長州征伐か。
当時の幕軍なら、まだミニェー銃もってなかったのでは?
それならアウトレンジでボコボコだろう。
たしか、家茂が上洛するときに、護衛兵の7割くらいが銃兵で、うち半数はミニエー銃だったそうな。
歩兵隊が従来装備のゲベールで、御家人部隊がミニエーだったのかね?
マスケット銃は訓練の100ヤード標的射撃だと50%だが、
不発率が晴天で15%、湿っていると30%前後。
ミュラーによると実戦に近い環境では、100ヤード(91m)で命中率約15%程度との試算。
ナポレオン時代では、相手を死傷に至らしめた有効弾はヴィトーリア会戦が全体の0.2%、タラヴェラ会戦が4%って集計があるそうだ。
いくらなんでも低すぎないか?
ライフル銃だとどれくらいなんだろう?
ベトナム戦争では、ベトコン一人倒すのに二万発必要だったことになるそうだが、これは消費弾薬から逆算しただけだから……
ナポレオン戦争の頃だと、敵兵一人を倒すのに、相手の体重と同じ重さの銃弾が必要って話も
立見閣下の話が読みたくて闘将伝探したが、全くないぞな。
基本的な質問かもだが
なんでこれだけ歴史に残る戦なのに
戦国時代より動員兵力が全然少ないの?
楠木正成の時代ですら百万の軍勢から包囲されたらしいのに‥
逆に戦国時代や南北朝時代の軍勢の数字が誇大過ぎないかと思う。100万って言ったら大都市の人口だし、兵站とか考えると非現実的
>>428 百万は誇張にしても、関が原とか朝鮮攻めなんかと比較して戊辰戦争の兵力が少ないのは事実だ。
理由1 長年の平和により戦う意欲・能力をもった武士が減っていた。
理由2 町民や農民で部隊を編成すればいいわけだが、編成や訓練には時間も金もかかるので数をそろえられなかった。会津藩なんかは近代軍隊を作り始めてから敵がくるまで3ヶ月しかなかった。
理由3 この時代の戦争は、頭数よりも「高性能な銃や砲」が必要である。銃が1万丁しか手に入らないのなら、それ以上の兵は無意味。兵站に負担をかけるだけ。
こんなところが理由なんじゃないか?
憶測だけど。
戦国時代は農民や町人も徴兵されたが、江戸時代になって武士だけが戦闘員になったのが一番だろうなあ。
だから戦国時代に1200〜1800万(諸説あり)だった日本の人口が幕末3200万に増えても、動員兵力は逆に減る。
武士は当時の全人口のたった7%。薩摩だと25%もいるけどw
>>428 薩長・幕府の両軍ともに基本的に志願兵や傭兵で軍を編成していたから。
ああそういえば幕府陸軍は傭兵だったな
100万の農民兵士が
衝撃波出しまくりのミニエー銃弾の雨嵐に巻き込まれるなんて考えたくない
音速を超えていても弾の質量から、たいした衝撃波は出ないんじゃね?
人体に命中すれば衝撃波で周囲の毛細血管をズタズタにする効果があるが、
かすった場合は現代の小銃弾の衝撃波ですら鼓膜も破れず、かすり傷ができる程度みたい。
大口径の砲弾だと大怪我するようだ。
「怪しい伝説」というアメリカの番組で、“音速越えの衝撃波でガラスが割れるか?”という実験をやったことがある。
銃弾の衝撃波での実験も行われたのだが、50口径の大型ライフル弾が標的の12.7mmという至近距離をかすめた際にも
ガラスは割れなかった。そのことから考えると、衝撃波で手足が飛ぶというのは非常に怪しい。
438 :
名無し三等兵:2009/12/20(日) 13:41:06 ID:KOBfO3N4
そういえば、幕府軍であれ、諸藩の軍であれ、
三兵の内で、歩兵、砲兵は活躍していたが、
騎兵だけは、活躍したって言う話は聞かないが…。
騎兵は、日本の地形的からして活躍するのは難しかったのかな?
>>438 そもそも数が少なかったかと。
幕府の近代軍の中に騎兵は70騎しかいない。
これでは偵察も難しい。
440 :
名無し三等兵:2009/12/20(日) 16:02:18 ID:KOBfO3N4
騎兵が乗馬する馬も、
やはり日本産の小型馬(木曽駒等)を使用していたのだろうか?
確か、幕府は、幕末の最末期に、
イギリス、フランスからアラブ馬?を贈られていたそうだが…。
>>438 戦闘が起こるのは街道沿いや街、峠なので日本の地形でも騎兵は有効。
しかし、兵器の進歩で騎兵は正面戦闘には不向きになった。
それに対応する運用方法(戦闘ではなく偵察・警戒)が南北戦争で生まれたが、日本では両軍共に
未成熟だったからじゃないかな。
幕府陸軍は重騎兵6個中隊576騎、軽騎兵2個中隊192騎を持っていたが、
鳥羽伏見では一部しか参加せず各配置に分散され、斥候や伝令として使われた。
いずれも騎兵銃を持ち、近接武器は槍かサーベル。
>>442 あれ? それどこの資料?
おれの見た騎兵70騎と違うんだけど
「幕府歩兵隊」とか?
ソースがあるなら謝る、すまん
勝海舟の「陸軍歴史」に、そんな兵力が出てた気がするな。
重騎兵6個エスカドロンとか書いてあったはず。
ただ、文久の軍制改革の最終形としてこうなるという話で、実際には充足率1割とかじゃない?
シャスポーはじめ、輸入した兵器が使われないまま倉庫に眠ってたケースは多いようだし。
>>415-419 大山柏「金星の追憶」読むと、少なくとも大正期の日本陸軍は、
距離800mで分隊斜め上一斉射撃の公算射法の実験やってるよ。かなり有効らしい。
弾が十分に有るなら別だけど、補給の期待できない帝国陸軍の実戦では
そんな贅沢な戦い方は出来ないと言う結果に終わったような・・・・・・・
幕末の動員兵力に関しては弾薬の補給問題もあったんだろうな。
数万の軍を動員しても彼らに廻す弾の生産が追いつかない・・・
シャスポーにいたっては弾薬完全輸入だからなぁ
丸弾のゲベールや火縄銃が陳腐化しながらも使われ続けたのはその辺の事情もあったんではないかと
450 :
名無し三等兵:2009/12/21(月) 20:41:08 ID:vshhTSSc
欧米列強から輸入する弾薬は、
どのくらいの値段で取引されていたのだろうか?
考えてみれば、五稜郭陥落の時点で榎本軍はミニエー(衝鋒隊)、エンフィールド(幕府歩兵)、シャスポー(伝習隊)、スナイドル(額兵隊)、ヤーゲル(会津藩兵)、スペンサー(拿獲)と弾の異なる銃器を使用していたわけで弾薬調達の煩雑さは想像を絶するものがある。
つか、降伏までよく弾が続いたな・・・
シャスポーは、江戸脱出時に十分な弾薬を持ち出せなかったので、奥羽転戦中ずっと弾薬不足に悩まされてるな。
あ〜、やっぱ弾切れてたのね。
シャスポーの実包は紙薬莢の特別製だっけか?
幕末の技術力では生産不可能だったんだろうけど、確かシャスポーは維新後に政府軍も装備してたよな、てことは明治期には弾の生産も可能になってたんだろうけどいつの間に生産施設を整えたんだろう?
やっぱ東京造兵廠が出来てから?
あと、シャスポーは機関部のガス漏れ対策にゴム製パッキン(当然消耗品)を使っていて、
これの入手にも苦労したらしい。
うへぇ!流石フランス製、細かい所も凝ってるなw
あの時代にゴムとか日本じゃ入手不可能だよな。
あらためて幕末には過ぎた銃だわ、オーバーテクノロジーにも程がある・・・
て言うか、実用性低すぎ。変な所に凝って実用性を下げる、典型的なおフランスな兵器
>あの時代にゴムとか日本じゃ入手不可能だよな
日本でゴム取れる植物って何がいいかなあ?
タンポポとかキク科やクワ科の植物か
少な過ぎるけど
乳液の出る植物全てからゴムが取れるわけじゃないから
ガガイモとかダメだなw
そのゴムは加硫したものだったのかなあ?
>>451 確か開陽がまだ健在の時に、大阪城から持ち出した三万両の一部で弾薬を三十万発調達したはず。
開陽を喪失してからは、足元見られて散々だったらしい。だから、ストーンウォールの奪取にこだわったと言う説が。
回天、幡竜、千代田形の三隻でも当時では十分強力。砲は少なくても、快速艦の上、全艦クルップ砲装備していた。
ソースは忘れた。
>>448 昭和陸軍はそうだけど、大正陸軍は13個師に2個増やせ嫌だとか言ってる小世帯だからね。まだ余裕があった。
スレ違いだが、「湛山回想」(平和主義者石橋湛山、実は予備歩兵少尉で軍の目的合理性は大いに認めてる)とか、「大戦間期の日本陸軍」とか読むとマジ泣けるぞ。
一旦は坂の上の雲にたどりついた陸軍が昭和にはどうしてああなっちまうんだよ。とほほ…
>>447 >>415は物理的に有効か?ではなく、実際に戦闘の起こる距離から判定された必要性の有無の話。
>>455グッドイヤーが極貧の中でゴム加硫法を開発し特許を取ったのが1844年か
>>461 それってブーツのグッドイヤーウエルト製法と関係あるの?
俺もそれ思った。
>>462 ぐぐったら、
耐熱ゴムを開発したのが父グッドイヤー(チャールズ・グッドイヤー)で、
靴のグッドイヤー製法を開発したのが息子のグッドイヤー(チャールズ・グッドイヤー・ジュニア)
であるらしいぞ。
>>458 千代田形は軍艦といっても、小さすぎて戦力はないな。
小型低速で備砲数門
467 :
447:2009/12/23(水) 23:58:20 ID:???
>>460 それ一丁づつで狙い撃ちした時の有効射程だろ。大前提がずれてる。
こっちのは、まとまった敵縦隊を遠距離で視認した時、交戦が始まる前に先制して相手の数を減らす、面制圧―擬似砲撃としての研究なんだよ。
行軍中の相手部隊全体を射程800・部隊全部で狙って一斉射撃。あとは確率論でいい。
重いタマが相手部隊に雨下して(これはもちろんいまのタマじゃ無理)、人馬を殺傷する。
あの頃の小銃照準器の800だの1500だの、単独で狙っても意味がない目盛りの意味はそういう事だ。
ま、日本軍の補給量じゃ実際の戦場でやる訳にはいかんけど。
>>467 だからな、そんな距離なら重機や軽機、擲弾筒や平射砲で攻撃したほうが有効なんだよ。
実験したのは事実だし、そういう事が可能なのは確かだが、それ自体に大して意味が無いから
実践されなかったということ。
弾丸と砲弾が飛び交い目の前は砲煙で見えず、振動と轟音で照準を定めるのも一苦労・・・・
戦場ってそういう環境じゃないの?
サバゲーの経験だけど、撃たれてると撃ち返すのが精いっぱいで、狙う暇なんてないよ。ぜんぜん当たらん。
単騎突入して敵勢を打ち破った、とか無双談話のない戦国時代の記録ってないものかな…
例えば、足軽の募集記録とか兵站の帳簿とか、軍役と実数の差について言及してある記録・日記の類など…
幕末スレじゃなくて戦国板で聞けばいいんじゃね
岩波文庫の雑兵物語とかオススメ。
足軽達の体験談ばかりで講談色のない実践本
>>470 幕末だと、「武士の家計簿」にそんな話がちょっと出てきたな。
幕末、幕府は旗本を鍛えなおすために講武所を設立し、剣・槍・銃を教授したといいますが、
実際のところ、講武所設立によって幕府軍の錬度は上昇したと言えるのでしょうか?
教授方として剣豪が多数居たのは知っているのですが、
後に剣・槍の教授が廃止され、西洋砲術の教授だけになってしまった、などとあるのを読む限りだと、
少なくとも剣や槍の教授は実戦ではあまり意味が無かったようにも思えるのですが・・・。
ご指摘の通り、講武所による鍛練は殆ど意味がなかった。
多数の旗本は鍛練を嫌がり、その理由として
受講手当などが出なかったため、生活に苦しむ下級旗本は内職などの時間を割いてまで講義を受ける魅力に乏しい。
また生活に余裕のあるものも比較的容易な弓術などを選択し、実際の講義はさぼる奴が後を絶たず、酷いのになると銃・砲の教授方に嫌がらせをする始末。
勿論、少数の真面目な旗本は熱心に講義を受けていたが、組織化が命の近代戦にこれでは部隊として使い物にならない・・・
結果的に幕府もさじを投げ、旗本の戦力化を諦めて徴募主体の洋式歩兵隊を編成することに。
この辺の経緯は野口武彦の幕府歩兵隊を読むとよくわかる
開けた地形での白兵突撃は自殺行為になってしまったが
薩軍や警視庁抜刀隊の、抜刀突撃は西南戦争で森林や夜襲では非常に効果をあげたね。
警視庁抜刀隊って、押井守のケルベロスみたいなもんか?
>森林や夜襲では非常に効果をあげたね。
敵に近迫し易いからね。でも後続の支援が重要なんだな。
銃火器の発達した時代に白兵戦で戦果を挙げようとするなら、求められる条件として
銃兵との連携、個人の技量、高い士気、地形の利用。講武所通いの旗本達は特に1・3に欠けているので厳しいかな。
鳥羽伏見での遊撃隊くらいか?幕府方で前記の条件満たしてたのは。
講武所の剣術や槍術に限らず、当時の武術そのものが、
集団戦、ぶっちゃけ戦争を前提にしていないものだったからな。
陳腐な言い方だが、道場(競技)で強くても実戦じゃあんまり意味がなかった、というわけだ。
明治以降は抜刀隊みたいな例もあったけど、全体の流れとしては、
武術は実戦術ではなく、精神鍛錬のためのもの、という方向に流れていってるよ。
そういえば本場の中国武術の人が
「東洋の武術は実戦からかけ離れ形式化し、演舞になってしまったのが残念だ」といってた
>>474 講武所の設立、並びに入所の命令が出された直後、多くの上級旗本が
隠居を申し出て家督を息子に譲った。
手続きは正当なものだったので、順当に処理され、幕府の未来は年端もいかない
少年達が担うことになった(その前に潰れたけど)。
>>478 抜刀隊も折角奇襲で陣地とっても鎮台さんがビビっちゃって続かず、
結局薩摩兵の逆襲に遭って追い出されちゃうしね。
>>480 一応は集団戦を想定した演習もやったようだけど、御遊び半分だったらしいね。
かぶとに焼きものの器をくくりつけて、そいつを割られたら「戦死」というルールだったとか。
講武所って、最初のころは旗本の部屋住み連中が出世するためのコースでもあったんだっけ?
こうして見ると、幕末の剣術ブームってなんだったんだろうな。
剣士でもあった新政府高官だって結構いたのに、
かなり早いタイミングで廃刀令出てるし。
それとも剣士だからこそ、
戦闘で剣が役に立たないことを痛感できたんだろうか。
逆に剣士で殺伐とした京都を生き抜いてきたから、武器は取り上げたかったのかもな。
元テロリストだから、基地外に刃物の恐ろしさを知ってる。
その両方だと思う。
タマが飛び交う戦場では役にたたん(桐野利秋と土方歳三が口を揃えてるから間違いなかろう)癖に、
誰もが着込みを付けている訳ではない平時では、おそろしく厄介なテロの凶器だ。
急いで街角から始末するに限る。
…ってぐぐったら山縣有朋の建議が発端かあ。もともと帯刀出来ない中間身分だしな。納得。
特権階級の連中をぶっ潰してやるわというルサンチマンだよなあw
それにしたって、高官連中も自分の出身道場くらい庇護してやりゃいいのに。
北辰一刀流の玄武館ですら一度潰れて、
周作の息子ですら撃剣興行に出ざるを得なかったってのはよっぽどだぞ。
剣術道場での結びつきが維新の原動力とまで言う奴がいるくらいなのにさ。
武士が自分の階級と剣術に見切りをつけはじめていたときに、
武州の田舎の百姓たちが侍気取って白色テロにいそしんでいたと。
>>490 剣に幻想持ち過ぎ。
当の高官連中からすれば「そういえば昔はやってたな」程度のものだろ。
護身用の拳銃が32口径のリムファイヤが主流の時代には、テロの道具として有効じゃね。
大口径のマズルローダは常に持ち歩くのに大変そう。
刀ってのは武士の身分証明書みたいなもんだから、堂々と帯刀してても怪しまれないってのもあると思う。
これが拳銃や懐鉄砲だとそうはいかない、何をする気かと勘繰られる。
結局、剣って中途半端なんだよな。
戦場で使用するにはメリットが少ないけど、日常で使われたら洒落にならないという微妙さ。
良くも悪くも、平和な時代の武器だったってことかねえ。
496 :
名無し三等兵:2009/12/25(金) 23:38:28 ID:usjD1Pbr
明治の廃刀令が日本男児を腑抜けにした!!
日本人男子が今日でも帯刀していればどうなっていたか!?
イマジンしてみい。
>>496 廃刀令以前でも、帯刀している男子は全人口の1割もいなかったわけだが。
498 :
名無し三等兵:2009/12/26(土) 00:00:49 ID:Iz6tUn67
帯刀する刀も下手したらナイフみたい小刀の場合もあったらしいな
あと、江戸以前は老若男女問わず、御守りの意を込めて皆小刀を携帯していた
脇差(道中差)一本だったら身分に関係なく携帯できたからな。
>>488 いやいや最初に主張したのは大村益次郎
その構想を引き継いだだけ
っていうか山形の構想は全て大村益次郎のいいとこどり
そもそも日本刀が武士の魂とか、剣術が武士の表芸とか言われだしたの、江戸時代以降だぞ。
維新後、実戦における剣術の非力さが露呈したのに対して、
剣術家が修身の側面を強調し出した影響もあるし、後付けもいいとこだ。
>>496 花は桜、人は武士、と言うように
侍は当時の日本の支配階級だから、影響力は大きいね。
誰だったか、
「昔は刀を差していたから、嘘や侮辱を言えば斬られるかもしれなかった。今はその緊張が失われたからダメになった」
みたいなこと言ってたね。
切り捨てゴメンって実際はホイホイできるものじゃ
なかったらしいね
とはいえ町人相手の試し切りとしょうした斬殺や
度胸試しの斬殺もあったらしいが
>>502 その理屈なら、刀じゃなくてアメリカみたいに拳銃でも良いことになる。
嘘や侮辱を言ったら「決闘だ」ってなる。
しかし「昔の日本は良かった」論者がアメリカを褒めることはまず無い。
この時点で論理の破綻は明らか。
二本差しってのは大変そうだよな。思いっきり走ったらずれそうw。
戊辰戦争中は西洋風に、タスキがけの剣差しに吊ってたりするよね。
基本的に江戸時代の日本人は今みたいに走れないし、走ったとしてもナンバ走り。
>>504 そうかな?
座ると刀が常に横に置いてある、その存在感を言ってるんじゃないの?
>>451 会津の篭城戦では、紙を竹に巻いて円筒を作って先を捻って塞ぎ、
弾を入れ、その上に火薬を入れてから捻って作ってたとあるね。
社会がどれほど道徳や精神論を説こうと、手元に凶器があれば使ってみたくなる人間は必ず出るよ。
刀の存在で己を律っするなんて言っても、それが出来る奴が少ないからこそ誉め称えられてたわけで・・・
>>508 おお、なんか確かに出来そうだw
スナイドル以外は
>>510 仙台戊辰戦史には長州兵の山田仙蔵がスナイドルの弾がなくなったので、
エンピールの弾をだしてスナイドルに使っていたとの証言が載っているけど、
どうやったかは想像できないw
薬莢を取って置いて、雷管と装薬と弾丸を詰め直したんだろうか・・・
>>507 だったら拳銃でも変わらない気がするがなあ。
刀にしたところで、人と対面する時は抜きにくいように
差す時とは逆側に置いてるわけだし(人と会う時の礼儀として)
大抵の武士は家への咎めを怖れて、よっぽどのことがあってもガマンしてる。
それに乗りかかって町人が武士をおちょくったことが多かったそうだしな。
剣術自体、大してやってない武士だってそれなりにいたわけだし。
刀より槍のほうが実用的なわけで。
鳥羽伏見で会津藩長槍隊が蜂の巣にされている件。
刀より実用的であっても白兵戦という選択自体が既にナンセンスなんだな。
まぁ気づいた所で金のない小藩は洋式歩兵なんて育成できないわけだが・・・
かといって日頃常に槍を持ち歩いてたら変人なわけで
>>515 おのれの股間についているのは突くためじゃないのか!
>>512 実際に武士が刀を抜いた場合は相手が無礼を働いた町人だろうとただじゃ済まないよ。
ケンペルは武士は他の階級にも礼儀正しく接して、欧州の貴族のように威張らないと書いている。
かといって鈴木眞哉や菅野覚明の「武士道の逆襲」みたいな、センセーショナルな話題作り狙いの通説否定本に組する訳じゃないが。
切り捨て御免は保科正之が禁止したしな。
>>517 長崎喧嘩ですねわかります。
でもあれが幕閣にすら好意を持って受け止められたってこと自体、
武士が刀を抜くことが稀になったことの裏返しでもあるし。
まあ、なんにせよ然るべき教育なしで刀だけ持たせても、
殺人/傷害の件数が増えるだけだろ。
だったら教育だけで済ませた方が効率いいと思うがな。
520 :
517:2009/12/27(日) 06:37:11 ID:???
刀を実際に抜くかどうかは別として、刀の存在感が人との接し方に影響を与えていたということだろうね。
礼服を着ると気が引き締まるようなものだろう。
武士の精神性が現代人と違うのは刀それ自体の影響じゃなくて、
「失敗したら切腹」という厳罰のせいだと思うけど。
(切腹は表向きには罰じゃないんだけど)
失敗しても解雇されるだけの人間と死を要求される人間では、生活態度から人生観まで全部かわって当然だろう。
逆にいえば刀がなくても、あらゆる刑罰をモノスゲー厳しくすれば同じ効果が得られる。
万引きも飲酒運転も脱税も死刑とかな。武士の世界ってそのレベルだろ。
刀剣が実戦的であるかはともかく、武のシンボル的事物であるのは古今東西変わらぬところ。
現代でも銃剣がなくならないのは、生身を切り裂く行為、訓練を通して、戦闘のプリミティブな部分を忘れぬため。
>>521 他人に死刑執行されるのと自分で腹切って死ぬのとじゃ
必要とされる覚悟が全然違うだろ
時代が下ると、ほとんどの切腹は扇子腹(扇子を当てるだけ)になって
実際の執行は介錯役が行う流れになってる。
本人と遺族の名誉を守る形式ってやつだな。
金も絡んでるから。
武士の世界は本音と建前の区別がシビアな印象がある。
失敗した部下の責任を取らされて切腹というのはやるせないよね・・・
是非はともかく、面子が第一というと武士の倫理感に
現代で一番近いのはヤクザなんだよなあ。
武市半平太の三文字切腹は、見捨てた藩主の山内容堂への怒りで凄まじかったらしいな
一文字に腹切って刀抜いてを三回繰り返すという・・・
容堂は何度も夢で思い出しうなされたとか
慶應04/01/03(1868/01/27)年 政府軍と旧幕府軍が鳥羽・伏見で衝突、戊辰戦争はじまる。
>>516 奥まで突き刺してひねりを加えると、より効果的です。
ふと思ったが幕末期の日本で、拳銃持ち歩いてた人ってどのくらいいるのかね。
戦闘中じゃなくて刀のように日常的に。
それこそ坂本龍馬くらいしか思い浮かばんw
>>532 異人さんなんかは持ち歩いてたかもね。
携帯用となるとまだリムファイアとかカニ目撃ち式とかかな。
考えてみれば
西南戦争で日本の統一化されたいはば日本軍相手に
半年戦った薩摩軍って本当に強かったんだなぁ
半年戦ったと言っても田原坂以降は、ほとんど山中を彷徨してるだけのような。
鹿児島も落とされてるし。
>>535 >半年戦ったと言っても田原坂以降は、ほとんど山中を彷徨してるだけのような。
なんかインパールかガダルみたいだなw
まぁ300年前に可愛岳のように突破されて国許に帰られた挙句に
「やるならいつでも来いやぁ!」と言われ、
本領安堵と共に加増までさせられた挙句に300年後に政権ぶち壊されたんだわ…
明治政府も((((;゚Д゚)))ガクガクブルブルだぜ…
鹿児島での戦いは4通りあるんだっけ?
1.政府軍の海上輸送による上陸戦(薩軍が包囲するも、更なる海上輸送で背後に上陸されて戦線崩壊)
2.可愛岳突破した薩軍が鹿児島に向かっていると聞いた民衆が蜂起
3.新撰旅団を蹴散らした薩軍が市街地を制圧(米倉以外)
4.城山の戦い
因みに最近の「歴史群像」で政府軍による鹿児島陥落時(薩軍主力は人吉に布陣中)の写真が掲載されている。
竹芝や土嚢で強化された長大な陣地で、塹壕戦に近い状態のもの。
海上輸送で鹿児島に上陸した政府軍に対して周囲の薩軍の逆襲に対抗したものである。
従来この写真は薩軍主力による鹿児島奪回後の城山陥落時に撮られた写真と思われていた模様であったが、
政府軍の陣地としては向きが逆なので、「政府軍の鹿児島上陸時」に撮られた写真だと判明したとの事。
歴群の幕末〜明治の記事面白いよな。
今月は無いみたいだけど。
沢田さんによると、拳銃は米国の古銃研究家が所有していたもので、十数年前に入手した。箱には「森五六郎義士」
「直弼公天誅の短筒」の記述があった。
森は桜田門外の変に参加した水戸浪士の一人。最初に拳銃を発砲したという説もある。ただ、発砲したのは、
ほかの浪士という説もある。
桜田門外の変では、かごに向けて発射された弾丸が井伊直弼に命中。井伊直弼は動けなくなったところを浪士らに襲撃され、暗殺された。
沢田さんは「確証はない」としながらも、「水戸・徳川家が造らせた拳銃が襲撃に使われても矛盾はない」としている。
沢田さんは今回、公表した理由について、「歴史的事件の凶器である可能性を考え、これまでは明かしていなかった。
映画化で機運が高まる中、自らの年齢を考え、銃の素性を知りたくなった」と話している。
■桜田門外の変 1860(安政7)年3月3日、江戸城桜田門近くで登城中の大老・井伊直弼が水戸・薩摩の浪士に
暗殺された事件。直弼は朝廷の許可を得ぬまま日米修好通商条約を結び、安政の大獄で吉田松蔭や橋本左内ら尊皇攘夷
論者ら反対勢力を一斉に処罰したことで尊皇派の志士に狙われた。事件は倒幕運動のきっかけになり、時代は明治維新
へと突き進んでいく。
え?これリボルバー?
コピーとは言え1851年にリボルバー国産出来たのか
すごいな
オリジナルはライフリングがあるけどこれは真似できなかったはず。
ライフリングより輪胴式弾倉の方が技術的なレベルが高そうだ
職人芸で対応したのか? 工作機械入れたの?
つか弾は国産なのか?
銃だけコピー品で弾は海外輸入とかだったら、素直に米国製のリボルバー買って使えよと思うけど。
しかしライフリングなしの拳銃でよく当たったな
この手の前装リボルバーなら金属薬莢じゃなくて紙薬莢じゃないか?
というか輪胴の前から一個ずつ先込するから、従来型の銃と弾薬の事情は変わらんのではないか。
雷管だけは用意せにゃならんだろうが。
>>545 パーカッションだから弾は単なる鉛の球のはず。
雷管の調達の方が興味深い。
しかし雷管なら、すでに雷管式ゲベールやらがかなり早い段階で入ってきていたのではないか?
>>45以降のあたりや、前スレの以下のレスが参考になるかと。
77 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/13(金) 20:09:18 ID:???
★幕末信州の「ハイテク銃」鑑定家が収集、公開へ交渉
江戸時代末期に松代藩真田家家臣の片井京助が発明した銃を武具鑑定家で大阪市在住の澤田平さん(73)が、
全国の古美術商などをまわって収集した。長野市で公開できるよう関係者と交渉しているという。
片井京助が発明した銃は点火方法などが、当時としては先進的で、中でも火縄銃を改良した「傍装雷火銃」は、
火縄銃の3倍の速射能力があったという。ただ、当時の松代藩に高度な技術があったことを疑う銃砲研究者もいた。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nagano/news/20090312-OYT8T01215.htm http://www.yomiuri.co.jp/photo/20090312-679845-1-L.jpg 79 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/13(金) 21:58:44 ID:???
安政以降、日本各地で製造された、火縄銃を雷管式に改装したものの一例と思われ。
火門から火縄で点火する代わりに、雷管を火門に装着して撃鉄で発火させる。
雷管の装着は「元込め」だけど、後は戦国時代以来の火縄銃となんら変わらない先込め式。
性能的にも小口径ゲベール銃といったところで、そんなに高級なものではございません。
在来の火縄銃に比べると、いくらか雨天に強いとか、面倒な火縄の管理がいらないのは利点。
80 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/03/13(金) 22:16:57 ID:???
雷管をがつーんと叩いた衝撃で銃が揺れるから、火縄銃唯一のメリットたる命中精度
(火口がそっと点火薬に触れるんで銃が揺れない)があじゃぱーになっちまう意味なし改造とか、「狙うて候」に出てたような。
(西洋式銃床だと肩付け・握り・先台保持の三点支持で雷管叩いた揺れを帳消しに出来るけど、和式火縄銃だと肩付けなしの二点支持だからね)
これも澤田さんか
斯道の権威だな
時に第二次長州征伐のとき
彦根藩の鎧が簡単に貫かれて逃げ惑ったってあるけど
もしこれが現在のサブマシンガンだったら貫けはしないのかねぇ
鎧って戦国時代に鉄砲防御に対応して進化しても、火縄銃に対する防御は不完全だよな
実際止めようと思うと欧州陸軍の胸甲騎兵みたいになるんだろ。
5ミリ厚……
旗本に鉄砲訓練の時
まともにやる人は少なかったそうだけど
格好にも問題あったと思う
なんであんなにみすぼらしい格好を採用したんだろう?
あの格好は・・・・・・なんか間違ってる
フランス式にしたならフランス兵の格好でもよかろうに
新政府側にもいえることだけどさぁ
異人の格好なんて嫌だとか、洋学かぶれで良からぬことを企んでいるのでは?
という非難を躱す為だよ。
高島秋帆の演習や江川坦庵の洋式調練の筒袖袴(洋服ではない)でさえ何やかや言われた。
本当にもろフランス式だったらおそらくもっと参加者が少なかったろう。
つーか旗本が軍事訓練を嫌がったのは格好云々以前に、訓練そのものが嫌いだったし
その為の金(兵器とか)も使いたくなかったから。
新政府側にも言えるが、いきなり全く違う文化を受け入れるのは難しい。
それと軍服は汚損が当たり前だから、いざという時に代わりをすぐ調達できる
和服ベースのほうが合理的。
洋式の制服を導入していたのは
紺をベースに赤ラインが入った上下の、フランス陸軍制服を着用した(帽子は熱帯用の植民地仕様だが)伝習隊と、
赤のチェック帽・ジャケットに赤ライン入り黒スラックスの、仙台藩の額兵隊しか知らん
他に洋式兵装の藩や部隊ってどこがあるんだろう
ガトリング家老こと河合はどう見る?
殆ど武士で戦い会津とは違い柔軟に
ゲリラ戦を駆使したり奪われた城を奪還したりなど
近代戦の戦い方をしてるようだけど
政治家及び外交官としては短気過ぎて向いてなかった。
軍人としては有能なのは確かだが、総指揮官なのに前に出過ぎて負傷の後死亡など
近代戦の戦い方と言われるとどうかな?と思う。
おっとww2のドイツ軍将校の悪口はそこまでだ
鳥羽伏見の戦いが、ヨーロッパの国でいうとどの時代の戦術に近かったのかが気になる。
縦隊組んで密集射撃かな?それで近づいたら銃剣突撃による白兵戦とか?
砲兵が少なかったのは確実だろうし…
>>561 どうかなぁ
むしろww2の日本軍の戦術に近い気がする
準備砲撃して敵がつっこんできたら射撃
編隊をくまずに確固でゲリラ的に射撃
>>561 洋式軍隊に改正したところは欧州の戦術も入ってきているだろうから、ナポレオン時代の
隊形戦術は入ってきているでしょう。
幕府陸軍はフランスの軍事顧問から直に指導を受けているので、最新の戦術理論をもって
訓練されていたはず。
しかしその最新戦術とやらが、当時奇形的に発達していた兵器のレベルについていけていなかったというのが悲劇なわけで……南北戦争とかもそうだけど。
ゆえに「当時の最新戦術でよく訓練された幕府陸軍」より、「比較的適当に戦った薩長軍」のほうが、
当時のカオスな兵器によく適応しており、結果として優勢となった、みたいな話を聞いた覚えが。
ていうか銃をメインに戦う時点で
陣形なんてたんなるでかい的になってやくにたたない気がする
資料を読んだ限りだと、
幕府側と薩長は兵器の質に差はそれほどなかったけど、
下士官含む指揮官の質に差がありすぎたみたいだな。
そのせいで、軍としての動きが出来ずに敗れた、ということらしいが。
>>561 鳥羽の戦いは幕府がフランス式の密集突撃で薩摩がイギリス式散兵による射撃で突撃を破砕。
伏見の戦いは会津と新撰組、幕府軍がひたすら突撃するのを長州が4列縦隊による槍ふすまと
射撃により撃退した。ってのが最近の有力な説になってたと思う。
安政の頃に、長州で「神器陣」なる火器重視の戦術が採用されたそうだけど、どんなもんだったの?
安政じゃなかった。文化年間だ。
中心に台車に乗せた大砲、左右第一線に十匁筒30余り、第二線に槍を配置し、
火力で敵を混乱させたうえに、白兵戦を挑んでけりをつける必勝の策だそうな。
1817年(文化14年)に、これを用いた大演習を行ってる。
あくまで和式砲術の延長で、安政年間に大隊・小隊単位の洋式銃陣に切り替えられてる。
この洋式銃陣への改革には反対する者もだいぶあったようだが。
まだ山鹿流が長州の制式だった頃だな。
長州藩の軍学師範だった吉田寅次郎はアヘン戦争に衝撃を受け
山鹿流を捨てて脱藩したが、そこから大村益次郎が指揮者になるまでの
間は誰が担当してたんだろう。
鳥羽伏見は奇襲から始まったからな。薩摩が封鎖した街道を幕府側が問い詰めたところ、
急に発砲されて行軍隊形の幕府側は大損害を受けた。
立て直そうとするも攻撃縦隊で突っ込む幕府側に、薩摩は伏兵で側面からも射撃し、破った。
敵は大兵に恐れをなしてるはずだから戦にはならない、と思い込んでいる
トップと現場指揮官では何やってもダメだろう。
へ?それはどの時点でどのトップのこと?
鳥羽伏見の時点では慶喜は戦う気なんてさらさらなかったし(ありゃ幕臣の暴走)
第二次長州征伐のこといってるならそう思って当たり前だろう
第一次のときはそれで恭順してるし第二次でも
陸の装備はそう見劣ってたわけでもないし海軍にいたってはむしろ幕府のが上だったし
話の流れから鳥羽伏見と分かりそうなもんだが。
問題は慶喜と竹中重固・滝川具挙の両名に交戦の意思があったかどうかではない。
大兵を引き連れて入京しようとすることが、どのような事態を引き起こすのか?を
考慮しないで呑気に行軍隊形で進軍したのが問題(斥候も出さずに)。
同時にそういう主戦派に現場指揮官を任せた慶喜の問題でもある。
長州戦争でもそうだが、当初の目算と違って戦闘になった時の準備はしておかないと。
四境戦争の時点で陸の幕府軍の装備・戦術は劣っていたと思うけど。
それは出兵した譜代各藩の軍勢が身をもって証明している。
>>567 槍ふすま?
パイク兵が現役だったのか?
wikipediaその他を調べたが、薩長側が鳥羽伏見で槍隊を使用して勝ったという記述が見つからない。
>>575 一列目が銃剣で槍ふすまを作り、2列目が射撃、3列目が受け渡し、4列目が装填を担当して、
路地ごとに小部隊を編成して射撃しながら前進していった。
これは市街地特有の両翼が閉じられる特性を生かしたものだね。
>>556 規制で書き込めなかったが、当時の洋式軍服ってどうやって調達していたの?
洋裁の経験者なんてあまりいそうにないのに。
白虎隊では母親が手縫いした話があるが、藩の方から○△のように縫えば洋服になります、
みたいなマニュアルが配布されていたのだろうか?
>>578 外国から購入だね。
維新後ブーツまで自前生産してた紀州みたいなところもあるが・・・
幕府が真似ようとしたフランス歩兵の戦法w
敵が射撃戦をしようと横隊でずらっと戦列を組んでいる。こりゃ蜂の巣にされる、とてもこんな壁は破れない。
いやいや、平押しで無理なら目標を一点に集中すればいいじゃないか。
全体で不利だとしても局地的優勢を作ればいい。
↓
散兵と囮部隊で敵を拘束&混乱させる。
↓
砲撃を一点に集中、敵戦列にぽっかり穴が。
↓
そこに縦隊がどっと押し寄せ突破、消耗した敵はこれを防げず陣形が分断。
指揮系統と後方連絡線を絶たれることを恐れ敵は退却。
なんというかこれを市街戦でやろうとしたこと、ろくな支援があったのかなど疑問が残る・・・
フランス軍はイタリア統一戦争の時にも縦隊突撃を実行してるな。
勝つには勝ったが大損害を受けた。
そもそも鳥羽伏見の幕府軍て各隊の判断で行動してて、横の連携すら取れてないからなぁ。
各連隊を統括する司令部がその役目を放棄してるから仕方ないとは言え、事前の作戦要領すら用意してないのは致命的・・・
昔、戦国自衛隊ならぬ幕末自衛隊っての妄想してたなあ。
幕末言っても戊辰戦争時で自衛隊が奥羽越列藩同盟に加勢する話。
>583 故・砧大蔵の「漂流自衛隊 3」でそれやってたぜ。
あと、光瀬龍「征東都督府」読んだことがなかったら勧めとく。
戦国明治陸軍なら「ラストサムライ」がw
軍事や歴史の専門家ではない、まったくの門外漢というべき人から見た薩英・戊辰・西南戦争という線で
山下洋輔「ドバラダ門」はいかがでしょうか
>>584 ネットでサンプル読んだけど「征東都督府」面白そう。
主人公がナヨナヨしてなくてよいw
参謀本部の戦史課とかにもないんだよな。幕末の資料。
戦国時代研究するよりも100倍有益だったのになんで調査しなかったんだろ?
実地体験者が多かったから研究の対象にならなかったんじゃないの。
元々欧米の戦術そのままの模倣で特に新しいところや、見るべきところが無いと思われてたし。
政治的に拙い面もあったんでしょうな。
お偉いさんの面目を潰す恐れがあるし、賊軍を褒めるようになったら困るし。
基本書になってる「戊辰役戦史」を著した大山柏は、
大山巌の息子であるというのが、ちょっと面白い。
資料はどうやって集めたんだろう。前文に書いてあったと思うが。
>>590 つか、昭和の陸軍の首脳は東北人メインなので、
うっかり真面目に研究したらそれこそ「お偉いさんの面目を潰す恐れがある」わなw
余り踏み込まず、白虎隊を顕彰するくらいが無難か。
しかし戌辰の悲劇で名が挙がるのは白虎隊ばかりで、悲惨さでは上を行く二本松少年隊の知名度が低いのはなぜだろう・・・
やっぱ部隊規模の違い?
それとも生存者の有無?
本を書く人が居なかったし、映画にもならなかったからだろうね。
現につい最近まで白虎隊ですら、自刃した白虎士中二番隊の19名以外はほとんど無名の有様だったし。
飯盛山で自刃した人以外の大半の隊士が生き残っているにも関わらずね。
庄内・秋田戦線が語られだしたのも、つい最近からだしね。
>>594 薩摩…そこに至るまでの庄内との関係突っ込まれたら墓穴、どう見ても薩摩が悪い。
庄内…いくらでも言い立てることは出来るんだが、薩摩に貸しといた報が都合がいい
秋田…流動的過ぎる情勢に振り回された挙句、天朝の側に付いた筈が何故かフルボッコ、見返りもろくにない、思い出したくもない
てな事情があるからねえ。
…肥前はねえ、行けといわれて行って、最新兵器を駆使して、薩長が崩れる中終始崩れることなく後衛を支えまくって、地味に帰ってきましたよ。
別段言い立てるつもりもなかったが、完全に無視されるってのはいくらなんでもないんでないかい?
幕府歩兵隊を読んで俺も幕府陸軍のファンになっちゃったけど、
第二次長州戦の大島での惨敗と、鳥羽伏見、初日は薩長軍から先制奇襲を食らったのは
大目に見ても、2日目・3日目以降の敗北だけは弁護できぬ・・・
大坂とその周辺に5000残っていて、もうあと5000が会津・桑名兵でも歩兵隊は5000あって、
薩長軍と兵数でも互角というわけだし、慶喜の遁走もその後だから、純粋に戦術・戦闘でも負けてたんだよな・・・
逆に、二日目・三日目の敗北の内容の駄目駄目さ加減で、幕藩体制もう駄目ぽ、
このまま粘ったら完全に日本が滅ぶって慶喜が腹を括った面はあるんでないか…
1945年8月に、九十九里に塹壕すら掘れてないぞ的な意味で。
慶喜は徹底抗戦したら長期内戦になり、列強に付け入られることを恐れて
鳥羽伏見以降は恭順路線を通した、という説もあるな。
幕府陸軍も脱走兵を除いて恭順し、函館戦争に官軍側で参戦したりしている。
>>598 帰正隊だっけ?
本とかにもあんま出て来ないからよーわからん部隊やねー。
>>598 そこまでの深謀遠慮があったというより
水戸斉昭の息子として生まれ、勤王の家に育った身としては賊軍になるのが
耐えられなかったといったほうが合ってるような。
江戸に帰ってからは何かも勝海舟に任せっぱなしだし、会津も庄内も見捨てたから。
ふと思ったんだけど
弾薬ってどうしてたんだろう
ライフルを数千とか購入するのはいいんだけども
弾薬は最低でもその数十倍はないと話にならないよね?
そんな規模の弾薬も一緒に発注してたのかねぇ
ゲベールあたりの丸弾は火繩銃と大して変わらんので容易に生産可能。
ヤーゲルやミニエーなんかで使う小銃弾も戌辰の頃には自給自足出来てたみたい。
ただし、シャスポーの紙薬莢つき弾は明治期になるまで国産は出来なかったらしい。
まぁ、輸入した洋式銃に比べて投入された銃兵が少ない事を考えると、潤沢に撃てるのは自力で弾薬調達できる一部の雄藩だけで、中小の諸藩は(主に財政的な理由から)弾薬不足に悩まされていた様子。
幕府ですら輸入したきりお蔵入りしてた銃が少なくないからなぁ・・・
弾薬供給の事を考えると、後装式ライフルを揃えるより、前装式ライフルやマスケットを揃えた方が良いとなった可能性ってある?
戊辰戦争・西南戦争がその好例だよ。
伝習隊のシャスポー銃はモノは良いけど弾が少ない上に自製できない。
官軍はミニエー銃、エンフィールド銃、スプリングフィールド銃などの前装式ライフル銃を主力にしている。
後から後装式ライフルも加わったけど。
幕府側は歩兵隊の一部や庄内藩なんかは良い装備持ってるけど
会津を始めとする他の諸藩諸隊は火縄銃やゲベール銃、良くてなんちゃってライフルの
ヤーゲル銃が主力装備で、中核となるべき前装式ライフルが少ないアンバランスな戦備。
よく火縄銃を連呼されるけど
火縄銃ってまさか戦国時代の骨董品じゃないだろうな?
もちろん江戸太平の時期に生産されていたものだよね?w
信頼性が低く、弾薬が不足がちな後装式ライフルより、火縄銃の方が現場では喜ばれたとかは?
江戸時代に生産されていたものが多いだろうけど
戦国以来の物も無いとは言い切れないぞ。
長州戦争で徳川譜代の武士たちは先祖伝来の具足を付けていった位だからな。
泰平の世になると銃の生産量もガクっと減ったし、高価なもんだから仕舞い込んでた
銃を持ち出してもおかしくはない。
>>606 火縄銃、ゲベール銃ではものの役に立たないという声なら有った。
最低でもミニエーだと。
>>605 現代の研究家が日本中しらみ潰しに探し回っても
確実に戦国時代のものと言える火縄銃は発見されていない。
もしそれが幕末に現存していて使用されたとしても
非常に珍しい一部の事例だろう。
>>608 長州征伐戦が一番顕著に現れてたよね
地形を利用した戦術とかゲリラ的奇襲戦が出来たら射程の短い銃でも勝負になるんだけど
諸藩軍、ただでさえ無理やりな出兵でやる気ないから、肉薄なんてまずせずに
射撃戦に終始して撃ち負けると
>>609 えっマジ?
日本刀が大量に残ってるのとは対照的だね。
なんでだろ?実は鉄砲はあまり流行ってなかったとか?
美術的価値が余り無いし、剣術や剣道と違って砲術は武道になれなかったから。
純粋に兵器や狩猟の道具として見られていた。
朝鮮の役なんかの文書では戦国末期には大名自身も鉄砲を持って射撃しているから
殿様の得物だった銃とかなかったのかな? そういうのがあれば残ってそうなもんだが
雑賀の孫市が「愛山護法」という銘の銃を愛用していたとかいう話も聞くから、
少数でも銘の入った高級品の鉄砲もあったろうに…
まぁ現代でもそうじゃないか
日本では銃=使い捨て
ww1やww2で使われていた兵器とかぞんざいな扱いだし
飛行機ですら数多く生産された零戦ですらやっとどうにか残ってるって状態
そういえば日本軍の兵器の中で一番残ってるのってサーベルだよな。
>>612 砲術も例に漏れず精神修練的な要素を多分に含んでいたよ。
>>616 比較の問題さ。
実学としては泰平の世で使えず(西洋砲術も入ってこない)。
品や箔付け、精神修養の為にやるには、弓道に比して実学に近すぎた。
あ、高島流はちょっと違うな。
和式砲術ってことで。
AKなら幕末の日本でも自主生産できそうな
気がしないでもないようにするような
SA80装備の長州藩とファマス装備の幕府歩兵隊ですね、わかります。
そして余り物のFN-FALやM16を押し付けられる東北諸藩・・・あれ、こいつらが1番強くね?
一方長岡藩はA-10を1機購入したのであった
>>601 もし外国製の銃を国産化しようとしてもライフリングって日本の技術力で真似できるんだろうか?
>>621 なんかバックトゥザフューチャー3を思い出した。
デロリアンが西部時代にスリップしたんだけど帰るためのガソリン自体が無いって話。
維持できないんじゃ現代兵器も無用の長物だなw
俺はヒオウ戦記思い出したw
なんだかんだいってみんなオーバーテクノロジー好きだなww
>>623 長岡なら近くに油田があるぜ
知識があればの話だが
原油でも所によってはそのままガソリン代わりにエンジン動かせるような超軽質油が出る油井もあるな
アメリカにもあったし、たしか日本でも静岡のほうに小規模なのがあったはず
>>622 ライフリング自体は、15世紀頃には既に知られていた技術だから、
当時の日本でも似たようなものは作れるだろう。
>>628 ライフリングを“刻める”のかということじゃないかな?
蒸気機関が実用化され、安定的に強力な動力を得られるようになった事が、ライフリングの一般化に貢献して
いるから。
>>627 相良油田やね。
>>629 アメリカ独立戦争当時のケンタッキー・ライフルもあるし、ライフリング自体は水力があればなんとか刻めるだろ。
実際、相手が撃ち返して来ない(重要!)分、高いタマも火薬も節約できる、猟銃としての用途なら、
ミニエー以前にライフルはもう十分に普及していたと思うんだが。ペリー以前の日本でもゲヴェーア銃とヤーゲル銃は区別していたし。
特殊用途ではない一般の歩兵銃としてライフルが普及したのは、蒸気機関による量産性というより、ミニエー弾による装填速度の圧倒的向上故だろやはり。
元々ライフル銃を持った猟師を散兵として採用したのが猟兵だもんな。
初期のライフルはマスケット銃に比べかなり装填時間がかかり、近距離の射撃戦では逆に不利になったので
長らく散兵や狙撃兵の装備だった。
南北戦争の頃になってやっと装填が短縮され、一般の歩兵が持つようになった。
633 :
名無し三等兵:2010/02/03(水) 15:46:13 ID:gWOhAc0C
質問、御願いします。
坂本竜馬は拳銃を所持していましたが、弾丸はどこから
調達していたのですか?
市中に銃砲店が有ったとも思えず、以前から不思議に思っていました。
>>633 高杉晋作から拳銃と一緒に貰ったんでしょ?
寺田屋の後も銃と一緒に購入したんだろう。
某スレで、1960年代に丁髷に羽織袴姿でAKを装備した侍による独立戦争で
日本が独立を勝ち取ったって話があったな。
637 :
名無し三等兵:2010/02/04(木) 11:43:00 ID:miSSjL6M
>>634 >>635 さん ありがとうございます。
答えは意外と単純だったのですね。
腑に落ちました。 ありがとうございました。
639 :
名無し三等兵:2010/02/06(土) 15:42:36 ID:YN1QNYpC
寺田屋事件で、坂本龍馬は襲撃されてから拳銃に弾丸を
装填しようとしましたが、なぜ常に装填状態にしてなかったの?
(護身用ではなかった? 使い方がよく分からない? 当時の弾丸は不安定?)
>>639 基本的に拳銃をすぐ使用しない状況
例えば日常生活において弾丸装填しておくということはしない
暴発の危険があるのでね
現代の拳銃でもよく聞くでしょ?
暴発事件
>>640 竜馬みたいな人間なら日常的に命を狙われる危険があるわけで
そういう状況で弾を装填しないってのはやはり油断じゃあるまいか
せめて刀をすぐ使えるように体の側においてあれば多少は違う状況になってたかも
そもそも基本的に
龍馬は暗殺されるようなことしてないし
あれ多分中岡慎太郎の巻き添えくらっただけだろうぜ
強いて言うなら紀州藩の誰かくらいしかいないな
龍馬は命の危険というか新撰組や同心やらに「捕らわれる」危険はあったけどな
そういや竜馬の二丁めの拳銃って威力が弱すぎるって言われてたっけ
今で言えば25ACP位の威力なんかね
>>374 日本維新(にほんいしん)は、1965年に日本で発生した独立と統一戦争の総称である。
この独立戦争の結果、日本はイギリスの植民地を脱し国家統一を果たした。
1862年に発生した生麦事件に激怒したイギリスは、徳川政権に対して宣戦を布告した。
徳川政権は300年の伝統を誇る「ハタモト」と呼ばれる軍団を投入したが、産業革命を果たしたイギリス軍の
前に通用するはずもなく、ハタモトは至るところで完敗し、江戸はイギリス軍に包囲された。
イギリスは九州全土と、ネングと呼ばれる藩王国からの徴税権を幕府から獲得し、以後20年かけて日本を植民地化した。
イギリスから送り込まれた政治顧問が、傀儡と化した徳川政権を通して、全国200程ある藩王国に対して行政権を
付与する体制を、トクガワ・ショーグネート体制という。なお、藩王国の中で最も大きかったのは北陸のカガノカミ・マエダ藩王国
であり、この王が治めていた北陸は、現在でも資源豊かな観光地として有名である。
サムライと呼ばれる、伝統的な土着集団は死も恐れぬ勇敢さを持っていることから、イギリス軍に重宝された。
サムライ師団は、第二次世界大戦においてナチス・ドイツとの戦いにおいて常に最前線にあったことから、ジョージ特別勲章を授与されている。
ノルマンディー上陸作戦において、伝統的なカタナを装備しチョンマゲと呼ばれる髪型をした黄色人連隊が突撃する写真はあまりにも有名であり
同作戦をあつかった書籍には必ず掲載されている。
トライバル級駆逐艦「サムライ」ってのができそう。
基本的に兵器に人の名前や
わけわからん固有名詞をつけるのをやめていただきたい
恥ずかしい
超弩級戦艦「徳川家康」とかみたいな風習ができずに
ほんとーーーーーーーーーーーーーに良かった
そういえば38を作ったのはいいとして
その弾薬はどうしたんだろう?やっぱ手製でせこせこやってたのかね
>>646 軍艦に人名を付けない国のほうが珍しいんだぞw
名前なんてそれなりに箔が付けば人名でも何でもよかろうに何をむきになってるんだか
だってかっこ悪いじゃん
人の名前をつける神経が解らん
そりゃビスマルクだの西洋の名前はそれっぽいが
日本の名前じゃしっくりこないな
戦艦伊藤博文
駆逐艦安重根の雷撃で海の藻屑にしてやるニダ
>>650 それは単に、すでにそういう名前がついてて慣れてるだけだろ
はじめから日本の軍艦に「東郷平八郎」とか名前がついていたら慣れてて違和感ないと思うけどな
幕府海軍も薩摩側も後の気象天象国名山岳名河川名幻獣名等の
優雅な名前に通じるものがあるよなぁ…
春日・千代田・回天・開陽・翔鳳・朝陽…
>>654 レジメントをそのまま当て字して「列士満」とつけるぐらいだから、主力艦の名前に人名を採用した可能性は、充分
あるような気もする。
明治の初め頃、軍艦名に人名をつける案があったが、明治天皇の反対で廃案となり、
その後、慣習的に、現在に至るまで、人名をつけた艦艇が存在しないそうだ。
「しらせ」も、公式には地名(白瀬氷河)で、人名ではないからな。
以前、架空戦記であったな。
徳川将軍家が流れ流れて欧州に公国を建設し、「グレート・ヨシノブ」なんて将軍座乗艦を作ったりするやつが。
>>658 もろにグレート・デギンのパロディだろ。
他の設定の中で、あの名前だけ違和感あったけど。
あのころの三木原慧一は、パロディが中途半端で浮いていた。
>>654 幕府の連中がげんに人名をつけなかった以上、幕府体制が続いても戦艦徳川家康はなさそうだよな。
つうか幕府海軍の連中のネーミングは帝国海軍とけっこう似てるよな
「回天」とか普通つけねーだろ。
名前にふさわしい奮戦ぶりだったし。幕府海軍で一番活躍したよな。
日本の場合、名前が固定化されたのって明治以降だからじゃないか。
武士の場合、出世魚的にコロコロ名前が変わる。
江戸時代も養子縁組は日常的に行われてたし。
固有の人名にそれほど価値を感じてなかったのではないかと。
あと襲名って言う習慣もあるし。
>>660 それはあるな。
ドイツのヒンデンブルグとかの名前も長くて気が狂いそうだが、
日本の連中が名前を何種類ももってるってのもややこしいよな。
名前だけじゃなくて陸奥守とか上野介とか官職名も使われるし
しかも戦国時代とか朝廷から賜ったんじゃなくて自称して使ってなかったか?
>>662 さすがに、朝廷からの勅を得ずに自称したのは、織田信長とか、割と少数派。
664 :
暫編第一軍:2010/02/14(日) 17:10:12 ID:???
>>663 うちの先祖は長らく淡路守と呼ばれていました。総本家筋はたぶん日向守です。
地方史レベルではたまに知っている人もいる程度の家柄でしかありませんし、朝廷から官位を授けられたとは思えないのですが。
こんな感じで地方には意外といるのではないでしょうか?自称とか主君が勝手にとか。
そういえば榎本武揚も近所の端かなにかをもじって官位を勝手に作って名乗っ
てたな
×端
○橋
スマン
アレって、公式の官位で、幕府の上役から「どこかの国守とか名乗っていいけど、どれにする?」
と聞かれて、「じゃあ、近所に和泉橋があるから、和泉守で」と答えたって話じゃなかったか。
(当時は、官位の内示があったときに、いくつかの候補から本人が選ぶ場合もあった)
>>668 え? 神田和泉町って秋葉原のすぐ近くだよね?
あのへんの出身なの?
釜次郎の出生地
下谷御徒町、三味線堀 いまの台東区小島1丁目 2丁目のあたり
新選組の永倉新八も三味線堀の産まれ
昭和通りx蔵前橋通りの交差点角 北陸銀行・1Fはローソン
ここに心形刀流の道場が有って通っていた
伊庭家は現在の台東区役所付近
同じ一族でも官職別に家が建てられてることが多いよね。
織田弾状忠家とか伊勢守家とか。
戦国時代の官職名は出鱈目なものが多いけど、朝廷に近い筋では正式なものもあるよ。
上泉伊勢守の場合など、一剣豪にも関わらず、キチンと朝廷が発行したものだったりする(何故?)
逆に織田弾正忠などは、織田信長の勝手な名乗り、ただし実在する官職だし、わきまえた官位だった。
最後に、江戸時代に入ってからの武家百官は、左膳だの右近だの、以前からあったもっともらしい名乗りを整理したもの。
信長は一時、「上総守」(上総、上野、常陸は親王任国で親王しか「守」になれない。この三国は「介」が他の国の「守」と同格)
を称し、後に人に教えられたか何かで「上総介」に改めている
>>673 山科言継が推挙したんじゃないの?
>上泉信綱の官職
幕末の古写真みてると、丁髷が時代劇と違って凄く乱れてたり、形が整ってなかったりで面白い。
やっぱ生活感があるっていいよね。
女性の髪も時代劇ほどきっちりじゃないよね
あと疱瘡の後が生々しかったり
お歯黒も、時代劇ではまず見ないよなあ。
丁髷にも色々あるよね、大銀杏とか病のなんたらとか。
幕末もので近藤勇役なんかがやってる、ほとんどスキンヘッドとか。
しかし火縄銃ができたんだから
ライフリングしこんだ銃だってコピーできそうなもんだけど
なんでできなかったんだろう
やはりスプリングかねぇ
681 :
名無し三等兵:2010/03/06(土) 19:28:21 ID:/ZGGLbb0
大学の図書館見てたら、幕府歩兵隊っていう本があって喜び勇んでこのスレ開いたら
当然既出wやっぱり好きな人はすごいわぁ…
>>681 幕府歩兵隊おもしろいよな。
幕府が滅んだ後のほうが活躍したという不思議な軍隊、それが幕府歩兵隊。
大鳥とかに興味がわいてきたよ。
無能軍人と呼ばれることもあるが、でも「人をまとめる力」は結構凄かったんだよな。
学者バカだったら、ヤクザ者を集めて軍隊作ってまとめるなんて無理だ。
>>682 不思議でもなんでもない
彼らは幕府が滅ぶ直前まで幕府はゆるぎない岩盤だと思ってたから
>>682 大鳥は無能と評されることが多いが、兵力の割には善戦している。
負けるのは他の藩の役人がなぁ・・・
>>681 俺は歩兵戦術の変遷に興味があって食いついたよ。
おもしろいし良い本だけど、著者の野口ってひとは研究面で批判も多い人だから、ちと注意な
>>686 最新の鳥羽伏見本になると、いよいよ加速してるなw
歩兵戦術の転換つうか変化の速度が日本限定では凄まじいから
よく対応したと思う
19世紀後半と言うんで質問させて下さい。南北戦争に関する資料があったら教えてもらえませんか。
「南北戦争―49の作戦図で読む詳細戦記」というのがガチらしいんですが中古すら出回って無い始末。
軍板のスレもdat落ちし世界史板のスレも深刻なほど過疎。洋書を当たった方が幸せになれるというのは想像が付くんですが…
>>689 ごめん、軍事面から見た、日本語で読めるまとまった資料って、今のところアレしかないんだわ。
昔、アメリカの戦史書をこつこつと翻訳している同人グループがあったんだが、こちらも入手難でなあ。
というわけで、頑張って英文資料を読んだ方がよさげです。
「戦争指揮官リンカーン アメリカ大統領の戦争」(文春新書)もあるな。
ユニフォームの事しか書いてないが、メン・アット・アームズで南北戦争物が北軍南軍共に出てたな。
漫画で申し訳ないが、滝沢氏の「ガンズブレイズ」も面白いな。
元江戸火消しの幡龍乗組(砲兵)と彰義隊生残り(旗本三男坊)の箱館戦争からの軌跡を描く作品。
拳銃の変遷が見られるのも面白いけど、火縄銃・ゲーベル・エンピール・シャスポーと
小銃の動きが見られて面白い。
695 :
689:2010/03/07(日) 14:48:26 ID:???
皆さんありがとうございます。参考にします
696 :
名無し三等兵:2010/03/08(月) 16:42:06 ID:paYK01V3
こんなの誰が買うんだ?
そろそろ歴史ネタでキャラ萌えとかするのやめて欲しい
そりゃ、腐な淑女達向けでしょ…
あ、でも「スペイン騎兵1898」とか「新政府軍歩兵西南戦争ver」とかだったら欲しいかも
>>700 和月はともかく、矢吹と腐って縁がないんじゃね?
黒猫の頃は腐に人気あったの?
もっとも土方歳三の墓前に恋文を添えて行く女性達はうん十年前からいるしな。
最近のブームだけとも言えまい。
最近のブームって戦国でしょ
幕末のことじゃない
どっちもだろ?
>>689 遅レス失礼。
もし図書館を利用可能ならこれがお薦め。
『合衆国の歴史:第6巻/南北戦争』1966年 時事通信社/ライフ編集部
戦争全体の概要や主要な戦役、政治、経済、人種問題などと戦争との関連、細かいエピソードに至るまで
よくまとめてあり、1冊でおおまかな所を掴めるのは助かる。
また大判を生かした地図や図版、カラーイラストなども豊富で理解しやすい。
古い本だが県立図書館クラスなら蔵書として持っている可能性があるので、ネットで検索してから直接出向くか
近くの図書館で相互貸し出しを依頼するといい。
あと、当時の兵士達の生活や心情を知りたければ
「白球の王国」(トマス・ダイジャ)
「少年は戦場へ旅立った」(ゲイリー・ポールセン)
辺りが割と良い。
前者は寓話っぽい話、後者は児童文学ながら、どちらも雰囲気はよく伝えている。
706 :
名無し三等兵:2010/03/11(木) 16:42:03 ID:42mZ6nG4
気をつけ、捧げ筒って幕府軍の用語でしょ?
なんで帝国陸軍でも使用されてんだろ。
707 :
名無し三等兵:2010/03/13(土) 22:48:17 ID:za8EuKCW
幕府歩兵隊読んでると、長州兵の強さと戦国時代の武器の惰弱さが露呈してるけど
あそこまで弱く書かれてると、戦国時代でも弱かった印象がある…。
実際の戦国時代の戦いの様子が分かる資料が多いといいんだけど。
ボルトアクションライフルとAKで撃ち合ってAKが勝つからって、ボルトアクションが火縄銃に負けるってこたなかろ。
で、数を揃えれば火縄銃は弓矢に勝つ。そういう事。
>>707 戦国時代?
美化されすぎてるだけ
実際は全体の2割もやられれば裏切りが連鎖して壊滅な世界
戦国時代最強の集団が相手でも
長州軍と戦えば同じ結果になっていただろうね
そもそも陣形作って旗を立てて〜
とやってれば炸裂弾を主軸とした大砲の良い的だし
それがなくてもライフリングを装備した兵士がゲリラ的に展開すれば
簡単に群集は崩壊するだろうね
>>708 断言してもいいけど負けるだろJK
ライフリング施した銃と火縄銃なんて
命中率が違う飛距離が違う
向こうは弾が届かないけどこちらは余裕で届くぞ
>>711 本当だ読み違えてる
しかし・・・w
「ボルトアクションライフルとAKで撃ち合ってAKが勝つからって」
こういう文章がきたら普通は
「ボルトアクションが火縄銃に勝つってこたなかろ」
って思い込むじゃんw
>>707 幕末と戦国とでは、250年も時代が違うんだから強弱に差が有るのは当たり前だよ。
715 :
名無し三等兵:2010/03/14(日) 07:29:01 ID:rsFsNWJ/
そういえば、戦国時代における火縄銃の運用って幕末のゲベールみたいに
小隊を主とした集団発砲で弾幕を貼るというのでいいのだろうか?
火縄銃の場合、隣の奴の火縄で暴発を起こす危険があるので、
あまり密集した隊形は組めないらしいぞ
ズールー戦争じゃ手槍と皮の盾しか武器をもたないズールー族が野砲、元込め式ライフル銃を持つ
英軍に完全勝利してるけどな。武器よりもそれを活かす戦術行動が取れるかどうかが問題だろう。
イサンドルワナでは勝利したけど、そこで受けた損害が大き過ぎて結局負けてる。
武器も戦術も両方大事。
>>715 戦国後期以降、鉄砲組は備(そなえ、各兵科の「組(中隊)」を合わせた当時の戦術単位)の主力と言える。
長柄組(長槍隊)の前面か両横に一列横隊に展開して、号令の後は各自のタイミングで射撃してた。
火縄銃は盛大に火花を散らすため、スペースが必要で一定の間隔をとってた。
立射、膝射と交互に並んでスペース節約もしたようだ。
装填時の空き時間を補う弓組が補助についてる。
>>717 ズールー戦争の場合、英軍のマルティニ・ヘンリー・ライフルが、
砂塵などのためにまともに作動せず、それが敗戦の大きな原因になっているそうだ
村田経芳が駄目だこりゃゆーた19世紀版L85だったっけ。
19世紀後半の連発銃ははずれ多いな。
米軍のクラックヨルゲンセンとか。
村田銃も22年式は微妙だし。
まだ発展途上だもんね。
なんと日清戦争の時の清兵が持っていたのは、ボルトアクション式のモーゼル。
てっきりマッチロックが主流かと思いきや凄い武器
実は日清戦争のころは兵器にそれほど大差はない
清国軍は基本的に私兵だから部隊によって装備がマチマチ。
部隊によっては偃月刀
19世紀の素敵なマイナー正規軍
1.幕府歩兵隊
2.北洋軍
3.大韓帝国陸軍
ハワイ王国軍とかもあったんだろうな。
>>729 カメハメハ1世(大王)は、18世紀の末頃から、英米から武器を輸入したり、軍事顧問を雇ったりして、
軍の近代化に努めている
ハワイ諸島統一って、ハワイ王国の圧倒的な軍備によるところが大きい
カメハメハ1世というと、あちこちに立っている民族衣装姿の銅像のイメージが強いけど、
残っている肖像画を見ると、欧米式の衣服を身に着けてるんだよね
カメハメハさんところの娘さんだかと天皇家の縁談の話ってありませんでしたっけ?
>>731 それは、カラカウア王の姪で、後に王の養女となったカイウラニ王女ですね。
カラカウア王は、選挙で選ばれて国王になってるので、カメハメハ王家との血縁関係はないです。
幕末期に輸入・使用された洋式銃を、これは火縄銃に比べてこれぐらい素早く撃てる、
射程や威力はこれぐらい、こっちはもっとすごい、って具合に実際に撃ってみせるような
動画やドキュメンタリー番組ってないのかな?
この連休中に彦根で古式銃のイベントがあるな
>>735 まぁ、火をつけて逃げた友軍が今日のメインストリームでありますゆえ。
>母成峠
なんてまさに味方運が悪い見本。会津藩が足を引っ張ってる。
てか大鳥が負けているのは兵力差がありすぎるときか、味方が足を引っ張ってる。
大鳥無能説は司馬遼の小説が原因で広まったと思う。
逆に、大鳥をかっこよく描いた小説が大ヒットすれば認識も変わるだろう。
坂本龍馬も土方歳三も、司馬以前はまったく不人気だったんだぜ。
「歳三往きてまた」の大鳥は、それなりによかったんだけどな。
幕末小説では珍しく、大鳥と土方が篤い友情を結んでいる小説。
ラストは大鳥が、土方の使っていた部屋に花を供えて五稜郭を出て行く。
「大鳥は知識人には珍しく議論癖がない」とか、大鳥の人格面にも触れていて、おすすめ。
>>738 坂本も土方も司馬が取り上げる前から
もう大正時代から人気あったんだけど
龍馬は夢枕の話がきっかけ土方は新撰組顛末期がきっかけ
司馬が書いたのはすでにその時点で人気があったから
大鳥はその時点でも人気がなかった
ただそれだけの理由だ
大鳥は医学を専攻していたのに一般教養だった軍事が面白くなって軍ヲタになり、
やがて本職になるというのがすごい。まさに軍ヲタの星だw
>>739 えー? 戦前の映画とか見ると、近藤は良く描かれているけど、土方はただの悪役じゃね?
大鳥や榎本は、日本人の美意識に合わないとは思う。
生き残って敵側に仕えちゃったから。
そのたくましさが、逆に不人気に繋がっている。
切腹か戦死していれば人気は違ったかも。
その割に勝や鉄舟わりと人気かも。
三谷幸喜の新撰組での榎本&大鳥は、割と好意的に描かれていたと思う。
>>741 大正〜昭和にかけて新撰組が一挙に見直され
新撰組=忠節の義 みたいなイメージになった
土方も鬼の副長として人気になったそうだよ
>>745 それは知らんかった。不勉強だった。
じゃあ大鳥の不人気は誰のせいだ。
やっぱ切腹しとくべきだったのか。
>>746 お前も腹切ればもてるんじゃね?
切腹しなよw
>>746 親分を見習って切腹の振りをすればよかったかもw
「止めるなよ、絶対止めるなよ!」
死ぬのはいつでも出来る、ここは一番降伏と洒落込もうってのも好きなんだけど、
やっぱ世間的にはマズかろう。
>>748 同じようなエピソードがあるけど
無駄口さんは暗愚として大人気
現在は小説のせいで誤解されているが、
当時は榎本らが新政府に仕えることを、皆望んでいた。
榎本は最初は出仕の要請をがんと拒んでいたが、周囲の頼み込みで重い腰を上げた。
版籍奉還・廃藩置県後、藩は廃止され士族の仕える先は日本政府のみとなった。
誰もが出仕を望んだが、榎本大鳥らが投獄されたままでは、特に函館帰りの兵は
出仕を良しとしなかった。
一方、廃藩置県と榎本ら釈放で、これで大手を振って新政府に仕えられると皆喜んだ。
丸毛利恒の「感旧私史」にその喜びの声の最たるものがある。
「十年其身を死生の間に処せしもの幾数回、而して万死に一生を得、
今日太平、聖天子の一兵卒と為る。嗚呼亦幸栄なる哉、嗚呼亦幸栄なる哉」
なお、箱館参戦者は、榎本ら有名どころだけではなく、
榎本道章、澤太郎左衛門、本多晋、安藤太郎、大塚賀久治、林董、山内堤雲他多数が
釈放後、有能な高級官僚として様々な省で明治政府を支えている。
また、伝習隊士官(本多、大川、滝川、山口他)も多くが明治陸軍入りし、
フランス式を採用した明治陸軍の貴重な経験者の人材になった。
なお、明治陸軍が仏式を採用したのは、当時仏式教本がもっとも分かりやすかったから。
その教本を翻訳し実用に提供していたのが、大鳥ら旧幕府の頭脳。
新政府に仕えるのが潔くないなど言い出されたのは、栄達できなかった人間の僻み。
実際、明治政府の1/3は旧幕臣だったのが官員録で確認できる。
751 :
名無し三等兵:2010/03/24(水) 15:02:07 ID:4vnPCcg1
第二次長州征伐(幕長戦争)で、
徳川幕府に従って参戦した藩って、どのくらい居たの?
…また、戊辰戦争の始まり?となった、
鳥羽・伏見の戦いで、旧幕府側に従って参戦した藩って、どのくらい居たの?
>>751 第二次長州征伐は基本的には薩摩以外のほとんどが敵
すぐ隣の藩は中立だったりもしたけど
実際に参戦したのは長州の周辺国
その中でも尤も最強だったのは熊本軍
753 :
名無し三等兵:2010/03/24(水) 20:04:41 ID:dgfNBs+B
幕府陸軍に参謀本部があればなぁ…。
下士官を教育して、きちんとした軍令機関があれば鳥羽伏見も少しはマシな結果になってたかもしれない。
それ以前の社会制度に問題が山積みだ。
むしろ薩長側の適応が異常だっただけな気もする
いや他にも土佐藩、佐賀藩、紀州藩、庄内藩とか成功した藩は有るからな。
その中で薩長が頭抜けているのは確かだけど。
幕府の場合、余りにも所帯が大きすぎて身動きが取れなさ過ぎ。
阿部正弘とかが頑張っても、幕閣の老中連(譜代大名)が抵抗すれば動けないし
本人が死ぬと後が続かない。
阿部はまじで気の毒
あんなに過労死してまで頑張ったのに
ww2的な意味の戦後までずーーーと悪くいわれてるんだからな
平成に誕生した安倍総理も同じく気の毒
いや、安倍元総理を持ち上げるのは無理があると思うぞ
>>758 それは君が知らないだけ
麻生のことも悪くいってる口かねw
安倍と麻生ってなんかしたっけ…?
現代政治の話は他所でお願い。
>>761 いや軍オタなら常識だからでついでに挙げただけなんだけどね
なんで軍板にくるようなやつが安倍や麻生の功績知らないんだよw
それを幕末スレで言う意味は?
場所を弁えない政治談義は目障りなんだよ。
話は変わるが、幕末にスパイクタイプの銃剣を使ってた藩はあるんだろうか?
なんかどこもブレードタイプばかりの印象がある。
ん?そんなことはないんじゃないの?
基本的に輸入だし
幕府はフランス式に重点置いてるし
むしろ だけしか というより混在してるイメージすらあるんだけど
なんつーか、当時の日記とかで歩兵が銃剣を振り回して狼藉を働き云々っていう記述を度々目にしたもんだから、どこもブレードタイプって先入観があったのかもしれん。
確かに考えてみればスパイク銃剣が流入してないはずがないよな・・・
>>765 「武器と防具 幕末篇」にいろいろ書いてあるよ。
情報サンクス。
休みの日に図書館で探してみるわ。
>>765 それは多分参考にならない
何故って?
当時の一般兵がそんなブレードだのなんだの知ってるわけがないから
彼らからすればどっちも「銃剣」だよ
「武器と防具 幕末篇」は個人装備のことはいろいろ載ってるけど
どうも艦載砲みたいなデカブツのことがあまり載ってないのが不満。
「幕末の蒸気船物語」という本で、「甲鉄」の砲はすべて「アームストロング前装滑腔砲」だと書いてあったんだけど、
これは本当?
なぜ滑腔砲という、古臭く、命中精度の低いものをわざわざ積むのだろう? 利点もある?
「開陽丸」だって砲の大部分はライフル砲でそろえてるのに。
>>768 そこは剣付き鉄砲と言った方がなお風情があって良いw
>>769 Wikipediaだと、300ポンド砲は前装滑腔砲、70ポンド砲は後装ライフル砲となってるね。
ライフル加工は高くついたり、装填が手間だったりで嫌がる向きもあったような。
300ポンド・・・当たったらとんでもない威力だろうなw
砲弾重量160kgはあるよね?炸薬どんだけ詰めれるんだ
よく考えると、天狗党の乱あたりから戊辰まで日本は一時的に戦国時代なんだよな。
戦国時代の合戦とかよりも詳細な記録が残っているんだろうし、もっと大衆化しないかなぁ…
関ヶ原と同じ赤備えの格好をして、狙撃の格好の的になってぼろ負けした彦根藩とかw
「甲鉄」の300ポンド砲は艦首にある。
もしかして遠距離砲戦じゃなくて、衝角戦で使うための砲かも。
体当たりして衝角を突き刺して、とどめにゼロ距離から巨砲を撃ちこんで敵艦を真っ二つ。
これならライフリングはいらない。
なんて男らしい戦法なんだ。アニメの見過ぎみたいだ。
初期の後装式銃砲は、閉鎖システムが不完全なため、事故が多く、そのため、
前装式の方を好んだ軍も多い。
大口径の前装式ライフルを作るのは難しいから、前装式滑腔砲になったのではないかなあ?
巨砲を零距離から撃ったら自分の方も危ないよ。
>>769 >>770 アームストロングの後装填砲は事故が多かったから。
この砲に限ったことじゃないけど、艦砲は信頼性の面から前装砲を採用することもあった。
>>775 前装なのは分かるけど、「滑腔」の理由がわからんのです。
>>774 巨砲だと、装填速度とかの問題で前装ライフル砲は不利であるってこと?
大砲の場合はミニェー弾というわけにもいかんのかな。
野砲の前装式の奴をみると、リベットでライフリングに食い込む方式になっていて、
これだと装填のときにひっかかって大変そうなんだよね。
信頼性、堅牢さ、砲身命数で滑腔砲のほうが優っていたからだろう。
砲本体の性能に未だ照準装置が追い付いていないし。
初の装甲艦同士の対決と呼ばれた黄海海戦でようやく砲戦距離3000m(主な)だよ。
初に装甲艦どうしは、南北戦争のハンプトンローズでは?
でも、照準能力がないから滑腔でも問題なかった、というのは一理あるかも。
だって大阪で開陽丸と春日が撃ちあった時、開陽丸の弾は一発もあたってないんだぜ。
1400メートルまで近づいてるのに。
ハンプトンローズの南軍艦メリマックは木製の船体に装甲を貼った艦だから。
まぁ鋼鉄艦同士による砲撃戦とか言った方が良かったかな、リッサ沖海戦とかもあるから。
しかし戊辰戦争を勉強すればするほど疑問に思えてくる
当時の人は主の命令は絶対
自分の命は惜しくない
主君のために死ぬことこそが正義という考え方だった
なのに何故にあんなにやたら逃げまくってるんだ
ドンゴリとかもう・・・ね
そして明治以後になると逃げるなんてありえない
死ぬことこそ〜と精強な性質に変わったんだ
やはりあれかね
戊辰はあくまで日本人同士の戦いだから負けても勝っても同じ民族だから
という考えで外国との戦いはそうではない!という意識があるからかね
主君のために尽くすのは確かに忠義だが、闇雲に従うだけなく諫言したり
主君が昼行灯の場合にはリーダーシップを取る人間も居た。
もっと過激な場合は自分達の意に沿わない主君に従わなかったり、廃嫡しようとする家臣も居た。
今の時代に思われてるほど藩主や将軍は絶対ではなかったよ。
ドン五里は上も下も腰が座ってないし、装備は旧式・訓練も古い。
大藩意識は強いけれど、元々戦になった経緯も成り行き任せだから戦う理由が弱い。
最後の頃は佐幕派の藩主が家臣に追い出されたり、暗殺されたりってケースもあったしな。
このままではわが社は倒産ということで、クーデターで社長交代と。
雇用が大事だよ。
勝海舟なんて大坂捨てて逃げてきた慶喜に呆れてきついこといってるよねw
言い返せない慶喜にワロタ
>>782 佐幕が行き過ぎて、藩主自ら脱藩した請西藩みたいな例もあるなw
桑名も確か、国元の家臣が殿様捨てて跡継ぎ立てちゃってたな。
>>786 待て・・・・・・斉彬だと?
あれは急死だろう・・・
仮に暗殺されたとしても首謀者は父親なんだから肉親じゃないか
死ぬ前まで元気だったのと、死因とされた病気と症状が合致しないことから明らかに暗殺の疑いが濃い。
>>789 >仮に暗殺されたとしても首謀者は父親なんだから肉親じゃないか
ああそっか、確かに斉彬は
>>782のケースとはちょっと違うか…。
ドライゼ小銃って
ネーミングが青いドム系MSみたいでかっこいい!
幕艦の「富士山丸」は某年末時代劇の影響で、長州の「乙丑丸」に撃沈されたものだと
真剣に最近まで信じていました。
>>793 「ドライゼ撃針銃」と表記すると、さらに厨くさくなって最高だ。
オタクが勘違いするといやなんで
ツンナール銃でいいよ。
幕末は大河とかで色々やるからいいよなぁ…出版物も揃ってるし。
僅か10年後の西南戦争の書籍はあまり増加せず…
そりゃ、まぁ地元の大学の研究生や有志による研究チームの出版物は出てるけど、
こう、もう少し客観的に、且つ詳細な書籍って出ないものかなぁ…
1次資料出して述べているそれっぽい本が最近出てたけど、
城山最終日なんて想像、つか個人的主観入りまくりの結末迎えるトンでも本だった罠orz
そりゃまぁ、維新の頃に比べると写真とかも結構残ってるけどね。
でも城山陣地の写真が長い間言われてきた薩軍の最後の防衛線じゃなく、
それより数ヶ月前の鹿児島橋頭堡の防衛線(防:官軍 攻:薩軍)だと判明したのって
つい最近の調査だった・・・
写真といえども鵜呑みにできない例だね(´・ω・`)
取っ付き易い概説書の歴群赤本『西南戦争-最強薩摩軍団崩壊の軌跡』も絶版。
歴群黒本「幕末戊辰西南戦争」はまだある。
最近の歴群新シリーズは合本化の影響ではしょり過ぎなんだよなぁ。
802 :
798:2010/03/30(火) 22:59:20 ID:???
>>800殿
それは持ってるんだけどね…ちと大雑把過ぎるかな。
>>799殿
あれ絶版になったのか…実家に置いてきて、それきり実家と縁を切ったので見られなくなったんだよね;;
和田超の戦いとか解説図付きで載ってたけど、
可愛岳突破のその後とかは今も不明なんだよね…
最近鹿児島の有志が小林から城山に入るまでの経路を聞き取り・実地調査した結果の本出したけど、
宮崎側のは宮崎の有志で調査中らしい…
鹿児島県警VS警視庁とか、
鹿児島県庁が薩軍に出した物資・資金の流れとか、
知りたい事は沢山あるけど、東京に出てきてからは地元の資料漁る事も出来なくて
書籍に頼らざるを得なかったり。
愚痴っぽくなってスマソ(´・ω・`)
>>802 西南戦争に限らず旧赤本はほとんど絶版。
今の新シリーズの図版とか、旧版の付録地図のスキャン画像だったりするからねぇ。
>>803 あるある。
つか、ここ最近出している歴史群像のスペシャルなんて
連載モノをスキャンしただけじゃないのか?という画像の酷いものまである。
かなり昔のなら仕方ないかも?と思うかもしれないけど、
ここ10年以内の連載モノにまでスキャンしたような画像。。。
文字が潰れて読めねーよ!
西南戦争に特質する点なんてある?
せいぜい紀尾井坂の攻防くらいでしょ
>>805 大久保利通・中村太郎 VS 元加賀藩士5人+1人か。
凄い攻防戦だったんだろうな。
田原坂の間違いですた
言いわけもないここに謝罪と訂正をさせていただきます。
英語版のウィキペディア見たら、日本語版よりも細かく戦闘ごとの記事になってて笑った
810 :
名無し三等兵:2010/04/09(金) 17:19:53 ID:+9Ab+lG2
明治期の屯田兵の装備小銃がレミントン銃とのことなんだが、調べても実像がいまいちはっきりしない
幕末佐賀藩製作のレミントン銃が他所ではエンフィールド銃(鳥羽ミニエー)とも言われてるからエンフィールド銃ってことでいいのかな?
811 :
霧番:2010/04/09(金) 17:41:49 ID:8Orvc2Gl
>>809 何この腐女子向けやおい本をゲーム化したような恋愛ゲーム
812 :
名無し三等兵:2010/04/09(金) 18:44:47 ID:pIHVwqiY
起きた掃除(←もうヤダ…)、沖田総司が美形というか美青年ってイメージは何時頃からの物なんだろうねえ?
土方歳三の人気は圧倒的で死後から今日まで墓前に恋文が絶えた事がないって位だけど
司馬の小説よりは前からのイメージなのかな?
テレビドラマの燃えよ剣の影響が大きいですね。
島田順二さんが爽やかな好青年役を好演したからです。
島田順二と言えば、はぐれ刑事純情派の安浦刑事の上司
>>812 司馬遼太郎以降じゃないかねえ。
子母沢寛なんかは、わざわざ新撰組内の美男に関する話まで書いているのに、
沖田が美男だったとは全く書いていない。
ギギギ新政府軍と幕府軍の手に汗握る戦いを大河ドラマで見たいのう…
>>817 今の大河は、戊辰戦争の始まる前に終了なのは確定だからなあ。
手に汗にぎる戦いってあったっけ?
知る限りではないんだが・・・
榎本軍と長岡藩の死闘くらいだろう
白河口とかいいね
>>819 北関東の大鳥軍は強かったんだぞ! 激戦を繰り広げたぞ!
最終的に負けたのは2000人しかいなくて弾薬も補給できないんだから仕方ない
あんまり北関東の戦いにはスポットが当たらないので残念
会津や函館の戦いは何度も映像化されてるが……
会津は一方的すぎて死闘じゃないし
死闘といいたいならせめて長岡藩くらい粘ってから・・・
ていうかもう軍オタとしては戊辰戦争自体がお遊びに見える
後のアッツ島、ベリリュー、サイパン、硫黄島、沖縄などの
本当の死闘を詳細に勉強したものとしては・・・
そっから戊辰戦争を改めて調べていくと
裏切り多すぎ(笑)
すぐ逃げすぎ(笑)
補給?弾あるだろう?(笑)
勇敢?食料と弾が尽きた後突撃してからいえ
とか思っちゃう
幕末があるからこそww2に繋がるのにね
島原の乱以降、一度も本格的な戦乱を体験しておらず、
しかも、火力戦は先祖の記憶の中にすらないのが当時の日本人ですよ?
本当の死闘ねぇ…何言ってんだか
玉砕なんてただの狂気の沙汰だろう
人が死んで殺しあう戦争でそれがお遊びとのたまうからには
>>822は軍オタじゃなくキチガイと名乗るべきであろう
>>822 中世から19世紀中ごろまでの戦史も広く眺めてみると、
あの時代の戦争ってのは概してあんなものという感じもするけどね。
>>819 いやいや、鳥羽伏見の戦いでも4日持っている。
関が原が1日で瓦解しているのを見ると死闘しているよ。
つか、実際に戦死者の出ている戦闘が、死闘でなくてなんなのか。
>>822 たしかに野戦の死傷率の非常な少なさと逃亡の多さは気になった。
同時代の南北戦争と比べるとどうしてもね。
ナポレオンの頃でも、会戦があれば大体全軍の20〜40%は死傷するものだから。
近代欧州の軍隊が、その他地域の軍隊から抜きん出た原因の一つに、非人間的なまでの規律があると言われるけど
脱走兵や反発した兵士を撃ち殺すくらいじゃないとそりゃ瓦解してしまうよな。
南北戦争でも敵の銃陣や砲列に密集隊形で接近して銃剣突撃するんだもの。
830 :
810:2010/04/10(土) 10:15:43 ID:???
>>816 おぉ、ありがとう。ぜひ参考にします
明治中頃までは連隊ごとに小銃が違ってたりしてややこしいな
>>824 >幕末があるからこそww2に繋がるのにね
と書いたように頭では理解してるんだよ
でもね・・・アッツとか玉砕してないインパールとかを詳細に調べた後で
戊辰戦争を調べなおしてみると・・・どうしてもね
本当に存続の威信をかけて武士として戦ったのか?
と疑いたくなってくる・・・せめて長岡藩くらい皆やろうぜ・・・
それだけ裏切りが酷い
逃亡率が高い
非戦闘員の殺傷が多い
全体の人数に対して死亡数が威信をかけた戦いで負けた側としては死亡数が少なすぎる
家名残してこその威信だろ。武士的に考えて
むしろ内戦として考えるならすんなり終わってよかったよ
対外戦並の被害なら他国に漁夫の利を狙われてたかも
存続の威信とやらをかけて滅びるほうが国として異常だし、武士としても異常なほうだ。
南方の外地で戦った日本兵は逃亡したところで行き先が無い。
大陸戦線では戦争が進むに連れて逃亡兵が増えてるけど。
沖縄戦での疎開の不完全と日本軍の方針のせいで民間人の死者のほうが多いからなぁ。
ある意味昔から変わっていないとも言える。
>>829 国民国家の体制とナショナリズム無しの封建制度ベースで散兵戦術を実行すると
死傷率が下がって逃亡率が上がったという気がするね。
南北戦争は戦争中盤までの戦術、ナポレオン軍は動員数を頼りにした遮二無二な突撃戦術が
犠牲を大幅に増やしたな。
>>833 本気でそんなこといってたら
西南戦争、日清戦争、日中戦争、ノムンハン、日露戦争らで死んだ兵士に殴られるぞ
別に日本兵がああだったのは玉砕が起こったところに限ったわけじゃない
>>835 死人に口無し
まして手なんて出せるわけないww
勝手に死人利用してどうこう言うならもっと具体的に反論すれば良いのに
「実証的な科学に尽くして死んだ学者の皆さんにぶん殴られるぞ」
>>835 そりゃ
>>831に言ってやるべきだな。
玉砕が有ろうと無かろうと日本兵が変わらんのは同意するがね。
大陸でもフィリピンでもベトナムでも民間人を殺してるから。
勝てるはずのない無謀な戦争を始め、尚且つ長引かせて犠牲を増やした指導者の怠慢を
死んだ兵士や英霊にかこつけて美化するなよ。
『存続の威信』とやらを理由に戦わされた兵隊こそ、いい面の皮だ。
>>837 一つだけ問おうか?
勝てるはずのない
無謀な戦争を始めたその責任者とは誰だ?
恐らく頓珍漢な答えが返ってくるな
知っていたら
>『存続の威信』とやらを理由に戦わされた兵隊こそ、いい面の皮だ。
とはいわないはずだから
>>838 誰か一人とは言えないな。
山本七平曰く「累々たる無責任の体制」だから。
満州事変・支那事変・日中戦争なら現地の暴走を追認した参謀本部と
「国民政府を対手とせず」と馬鹿な事を言った近衛文麿。
太平洋戦争なら開戦を決定した最高戦争指導会議の面々だな。
四年に渡って戦い、戦争目的も終わらせる手段も失った支那事変を
「支那から撤兵するのは英霊に対して申し訳が無い」と言って続けたのが『存続の威信』なのかい?
これを言ったのは東條英機だが、別に東條一人のせいとは思ってないよ。
幕末戊辰の役の際、藩・家を守るため主君を守るため、或いは領民を守るために
新政府側に付いたり、恭順したり、幕府側を裏切ったりとそれぞれの選択が有った。
それを存続の威信をかけて武士として戦ってないだの、長岡藩くらいやれだの
まして後の時代に比べてどうこうと言い出すほうがよっぽどどうかしてると思うよ。
>>831 戊辰戦争を太平洋戦争と比べて、裏切り多すぎ、逃げすぎ、というのは、そりゃ当然で、
軍を作り始めた直後だったんだから。
会津藩は軍隊を作り始めてから敵が来るまで3ヶ月だよ?
幕府陸海軍ですら、たかが10年だ。
徴兵制もなく、「国民」という概念もなく、
武士以外は戦いなんて関係ないね、という時代が200年も続いて、そういう意識が民衆に染み付いた環境で、だぞ?
むしろ即席軍隊のわりには良く頑張った、と思うが。
何十年もかけて精神的にも技術的にも磨きぬいた(悪く言えば、洗脳した)帝国陸軍とは、比較するのが間違いだ。
だからこそ明治政府は「裏切らない、逃げない、ちゃんとした軍隊を作ろう」と思って、
小学校から士官学校、軍大学まで教育制度を整えたんだよ。
反面教師として役に立ったんだよ。
ちなみに勝海舟は、「海軍を建設するのに何年くらいかかる?」って訊かれて
「500年かかります。士官の育成は大事業ですから。
英国ですらキャプテン・ドレイクから今日まで300年かかっているわけで、
まあ長めに見て500年」
などと言って相手を呆然とさせていたそうな。
(ソースは忘れた)
>>841 はて戊辰戦争の幕府側は殆ど武士だったはずだが
>会津藩は軍隊を作り始めてから敵が来るまで3ヶ月だよ?
そんな前提条件ありえない
武士は元々戦うために存在するんだからな
それで裏切っても逃げてもしょうがない で通るわけないだろうw
それと特に会津藩は調べれば調べるほどヘドがでるくずの集まり
非戦闘員を弾よけにしたり虐殺したり
会津戦争終結後に領民に一揆起こされるとかよっぽどやぞ(会津世直し一揆:別名やーやー一揆)
それがなぜか今は勇猛果敢の会津武士扱い・・・
>>842 >幕府側はほとんど武士だったはずだが
そんなことはない。
幕府陸軍に武士は少ない。
大半は、ヤクザ者や肉体労働者だ。
彼らは「忠義」ではなく、金で動く傭兵だった。
「幕府歩兵隊」読め。
会津が高く評価されすぎている、というのはまったく同意する。
勇猛果敢とは言えない。
非戦闘員を虐殺したり、というのは帝国陸軍もやったし、戊辰戦争の連中が弱兵だった件とは別次元の話じゃないかね?
>>842 まあ前提条件として言ってしまうと、
「会津はじめ、幕府側の連中がまったく連携を取れず、力量もまったく不足し、くだらないプライドや縄張り意識のせいで足を引っ張り合って負けた」
という事実認識は俺も持っている。
だから「会津などは立派に戦ったが力及ばなかった、可哀想に」みたいな描き方には反発を覚える。
そこまではあんたと意見が一致すると思う。
その上で「存亡をかけて全力で死闘を繰り広げるのが、良いことなのか?」
「何百年も戦争がなかったのに戦士階級としての責任感を求めるのは酷じゃないか?」
と疑問を呈しているだけ。
太平洋戦争並みの徹底抗戦していたら、死者は2万人どころか数十万人にのぼったろうし、イギリスやらフランスやらが介入してきて、日本という統一国家はありえなかっただろうよ。
あっさり占領されて植民地、という可能性もあったね。
>太平洋戦争並みの徹底抗戦していたら、死者は2万人どころか数十万人にのぼったろうし、イギリスやらフランスやらが介入してきて、日本という統一国家はありえなかっただろうよ。
あっさり占領されて植民地、という可能性もあったね。
これは否定はしないが・・・(いやそれほどの兵士相手に当時の諸国が占領なんて絶対不可能か)
が・・・
「何百年も戦争がなかったのに戦士階級としての責任感を求めるのは酷じゃないか?」
それを主張するなら非生産部門であった武士なんてやめて農民になれといいたいねw
平時の武士は行政官としての職務が主。武士が全員帰農して誰が国を運営するの?
江戸の泰平の中で武士に求められたのは戦士としての素質ではなく行政手腕。統治機構を円滑に運営する駒として存在している。
実際、幕府創設期を見てもわかるように武断派は遠ざけられ能吏が重んじられる時代。
それが何百年も続いたんだから、とっくに武士は官僚化してしまっている。そんな武士を当てにしていないからこそ幕府も歩兵隊なんて作ったわけで・・・
まぁ、戊辰始まってからも平時組織の行政組織のまま運営してたのが致命的だったね。
つまり何が言いたいかっていうと、官僚として存在していた江戸の武士に軍事面での全責任を問うのはどうかと?
武士のそもそもの存在理由とか考えると矛盾してるのはわかるが、もう武士が戦やる時代じゃなかったんだよ
今日は何の日
慶応4(1868)年 戊辰戦争、江戸城無血開城。江戸城は新政府軍に明け渡され、徳川慶喜は水戸へ
会津軍が武士主体だったのは鳥羽伏見までで、
会津戦争のころには既に農兵主体
これは周辺諸藩も同じ
じゃなきゃ会津藩で一万なんて兵力出てくる訳がない
裏切があたかも悪いことのように言われてるけど
現代で言うところの「戦略」の一種でしょ。
日本の有力者たちは古代からこの戦略を多用しているわけで
伝統ともいえるが、世界の常識でもあるので、裏切りは人間社会の伝統的戦略と見ることが出来る。
兵士や部隊がすぐ裏切り逃走する軍隊は弱い。
よって前近代の軍隊は、士気と軍規をもった近代軍に勝利するのが難しい
幕府だと士官や将校等の指揮官クラスをつとめる旗本、御家人の多数が園芸や俳諧を町人と楽しんでたからな。
>>850が言ってるのは実質300余りの国に分かれていた日本ような場合の話で
一個の軍隊の中の兵士や部隊の裏切りとは違うんじゃないの。
裏切る場合も藩単位だったわけだし(その藩兵が強いか弱いかは別にして)。
裏切りという戦略は実はかなり勇気がないと出来ない。
効果も素晴らしいが、失敗した時は相当酷い目に合う。
裏切りと逃走は切り離して考えるべきだし、
裏切って参戦しないという兵法もある。
1兵士が様々な戦略・戦術を駆使して大名までのぼりつめる。
現代社会でもよくある話です。
>>853 >一個の軍隊の中の兵士や部隊の裏切り
戦術レベルの部隊や兵士の脱走と、
>>850が言う政治的な駆け引きを含む戦略レベルの裏切り=策略とは分けて考える必要があるんじゃね?
なんか一緒くたにしてる人がいないか?
敵前逃亡は容易だが裏切りは難易度高いってことじゃない
武器も違うしね。
>>858 >それだけ裏切りが酷い
と言ってる。
まぁ
>>822から見ればもっと分かりやすい。
後、これだな。
>本当に存続の威信をかけて武士として戦ったのか?
>と疑いたくなってくる・・・せめて長岡藩くらい皆やろうぜ・・・
独立勢力であった各藩と後の日本軍を比べてるところとか。
前進のみの軍隊も悲惨だぞ。
撤収・後退・退却戦で死傷者を低く抑える事は難しい。
何このスレ
なんの知識も無く適当に想像して言ってるだけだな
だめだこりゃ
元の流れにリセットせねば
元の流れって?
元から史料・資料に基づいた話は余りされてなかった気がするけど。
>>863 想像ってなんの想像?
どれが捏造だと思ったの?
清国の「八旗」、オスマントルコの「イエニチェリ」もそうだが、
「世襲の軍隊」「戦士階級」というのは、最初は強くても、世代交代が続くと腐っていくもの。
日本の武士も例外ではなかった、というだけじゃないのか?
八旗やイエニチェリと比較して、とくに日本の武士がダメであった、とは思わん。
ああやっぱり、てなもんだ。
旧軍の草創期の概要については、
>>841、846さん辺りの御話が
本質を突いているように思います。
当時の軍の首脳部が菊の御紋の威力を背景に武士階級を近代軍に
組み込む過程は、戸部良一先生の『逆説の軍隊』(中央公論新社)が
分かり易かったです。
上級武士の下士官と下級武士の士官が同居する世界とか、維新期に
頻発した暴動の鎮圧に旧士族を動員する話すだとか、旧政権の柵の
清算に苦闘する件が中々興味深かったです。
幕府側でも新政府側でも、下級武士から自分の才覚でのしあがってきたようなのは
考え方が合理的だよ。昭和の軍部なんかよりよほど柔軟。
そういや新撰組も最後は騎兵やら銃兵、砲兵を有してたな。
騎兵は初耳だなw
騎兵が馬に乗った部隊以外の別の何かでは?
と考えて、米軍と同様の戦車乗ってるのに騎兵扱いのだとか、
あるいは時代錯誤にWW2に突撃したポーランド軍とかイメージした
そして対するは機械化歩兵
しかしこれもエンジンで動く車両部隊であってロボットやモビルryじゃないw
機械化新撰組でなんかネタ投下してくれ
いやです
前近代的な「部隊を動かすだけでボロボロと落伍者・脱走者が出る」ってのとはレベルが違うんだろうが
なんか深いな
>>870 俺の読んだ漫画だと、土方は馬で敵に突撃するところを撃たれて死んでるんだが……
「いわゆる騎兵」でなくとも、「馬に乗った戦闘員」は新撰組の中にいただろう。
(騎兵の定義によるな)
大将が馬上で指揮してたって話と、
騎兵が居たかどうかはまた別ではないかと……。
>>874 ソースが漫画ってのをおいとくとしても、上級の武士が騎乗するのは、
それこそ武士の誕生以来の伝統だから、それを騎兵と強弁するのは無理があると思う。
池田屋の功績で近藤が騎馬の格になったのと同じようなものか。
新撰組は甲州勝沼の戦いの前と後で分けて語る必要があるんじゃないか。
土方が鳥羽伏見の戦いで敗戦した後、これからは銃の時代って言ってたらしいから
案外連中は適応力高いんじゃない?
時間と金があれば銃兵隊に再編してたかもw
いやいや土方っていうか
第二次長州征伐経験したとこは全てが
「火縄銃でもいいから銃もってこい」状態だった
そりゃ土方があの中で頭一つ抜けてたって話だよ。
そもそもが警察活動しかやってなくて、戦闘訓練してなかったし。
江戸で四散した後は構成員も変わってる。
>>879 いや実際、鳥羽伏見以降の新撰組は銃兵部隊だってば。
あのボロ負けした勝沼の戦いでも。勝沼では小銃500を装備していたってよ。
その後、再編したあと、北関東や会津でも。
もちろん函館の戦いでも。
さらに言うと、函館で治安維持のために作られた「箱館新撰組」というのがいて、こっちには旧新撰組のメンバーも残っているけど、リーダーは土方ではなくて、
それとは別に旧新撰組のメンバーが他の隊にいて……そいつらは土方をずっと敬い続けて……
つまり函館の時点では「新撰組とはどの隊のことか」というのがけっこうややこしい……
土方が周りと違ってたのは
「洋装を積極的に取り入れた」それだけ
でも土方が指揮官として優秀なのは否定しない
日本軍ばりの敵前逃亡即処刑を実戦して兵士に覚悟を植えつけた
これによって他の逃げるの当たり前、裏切り当たり前の幕軍とはレベルがケタ違いに精強になったね
布陣時に総勢300名、戦闘時には121名に減ってる甲州勝沼で、小銃500丁装備はさすがに信じ難い。
漫画を例に挙げるのも、突っ込むのも意味が無いからなぁ。
>>887 そこはこれ一冊を基にしているようだね
松浦玲 『新選組』 岩波文庫
他にこのように書いてる人が居れば確実性も増すんだがなぁ。
勝沼進軍の時には、横浜奉行所の下番とかにも声をかけてるようだが、
実際に動いたのは新撰組のみ?
銃の故障率でも考えるかw
>>889 土方が神奈川の菜っ葉隊に増援を要請に行ったが、断れたのれす
甲陽鎮撫隊の構成も新選組れは足りず、非人頭の浅草弾左衛門の一派を組み入れたのれす
>>869 砲は京都時代から持っていたよね。
騎兵がいたとすれば新撰組がフランス式調練を取り入れた時期あたりかな?
>>892 京都時代の新撰組の大砲って言ったら
店に「金出せ」とかいって撃ちこんだという、アレだろう?w
あんなのを砲兵とかいったら世界中の砲兵がマジギレするわw
>>892 もっと後。
戦艦大和に乗り込む時に作った。
宇宙要塞に切り込みとかやったらしいよ。
895 :
名無し三等兵:2010/04/15(木) 01:49:57 ID:OuGbfTRh
菜っ葉隊はその頃は存在しません。
非人頭は車善七
896 :
sage:2010/04/15(木) 03:12:36 ID:VG79UFoZ
土方は新選組の身内からはもてはやされているが、
身内から離れれば、奥羽でも箱館でも大して存在感は無い。
土方ら前軍攻め落とした際、宇都宮側は一揆で主兵は疲弊しまくり、
官軍援軍は旧装備の上、大鳥中軍との小山での戦闘敗残兵で士気は瓦解していた。
土方が戦闘で指揮している様子を記録している新選組以外の他隊や、官軍側のものはほとんどない。
「奥羽蝦夷戦乱史」には、二股の土方は
「防御のみに留意し、西軍餌兵の実情偵察を困却したる欠点あり」
とあり、このために後に「榎本子、盃を捨て机を叩きて大息せりき」とある。
大鳥も自分の記録で、土方配下の新選組を「撒布の法も宜しからず」「番兵怠慢」と記したり、
五稜郭攻略の際に土方が合図の狼煙を怠ったことを記している。
土方は直接配下の一小隊ぐらいの指揮はできても、中隊以上や他隊との連携が
必要な複雑な指揮はうまくできなかったようだ。
なお、仙台藩額兵隊所属の佐々木京運「敗賊武士の謹慎日記一班」という記録には
「土方公は一本木にて、松平公の命にて下馬して進まんとせしに、飛丸に殪る」
とある。死亡時は下馬していて、流れ弾に当たったというものらしい。
非人頭じゃなく、格上の穢多頭だな。
菜葉隊はネット上だと慶応4年4月結成と書いてあるところもあるが、間違いだぞ。
正しくは神奈川開港からすぐ安政6年に設置。
神奈川奉行所配下の警備部隊「上番」(士分)・「下番」(農兵)がそれで、
緑の羽織を制服にしてたもんだから、俗称が菜葉隊だった。
後に士分部隊として「定番役」という名も見え、発音からして「上番」と同じものと思う。
最初は数十人規模だったが、ピーク時には定番・番所付下番で計二千人に達してる。
慶応2年の軍制改革の関係で、戦闘用の番所付下番は歩兵隊に編入となり、
定番は別手組(開港地を中心とした警備・外国人警護要員)や撒兵隊に編入。
歩兵3個小隊を残し、主力は江戸や京都、箱館などに転出する。
代わって、千人隊(旧・八王子千人同心)の一部が増援として神奈川に展開。
しかし、残留歩兵隊も千人隊も慶応3年中には転進してしまったため、
神奈川奉行所の役所付下番(非士分の警察要員)を足軽に格上げし、兵力も増強する。
そして、この役所付下番が、新撰組と絡む「菜葉隊」ということになる。
ネットでは旗本子弟と書いてるのが多いが、農兵ないし郷士だな。
本格的な仏式戦闘部隊に改編するために、歩兵隊と開成所から教官として送り込まれたのが、
しばしば菜葉隊隊長と書かれてる岡島鉄蔵と吹田鯛六の二人。慶応3年秋のこと。
大政奉還後、神奈川奉行所は新政府方に帰順し、慶応4年4月(旧暦3月)に横浜裁判所に改称。
菜葉隊も主力はそのまま横浜裁判所→神奈川裁判所→神奈川府の府兵の前身となる。
一部は吹田鯛六が率いて「旭隊」と号し脱走、彰義隊に加入する。
なお、番所付下役系で歩兵隊に編入された者は、約半数の箱館警備への派遣が計画されたが、
先遣隊2個小隊100人弱のみが箱館に進出でき、主力400人は江戸滞留中に無血開城を迎えた。
箱館についちゃった先遣隊は、新政府側の箱館府兵に改編される。
八王子千人同心の箱館派遣部隊を府兵に改編した隊などとともに榎本軍を迎撃するが、
御承知の通り敗北し、生存者は府知事の清水谷公考とともに本州へ撤退した。
菜っ葉一枚
899 :
名無し三等兵:2010/04/16(金) 01:07:27 ID:ulRGeMKp
薩摩官軍の半首笠って知られてる程尖んがってないようだね
>>899 キャラ描き分けの絵画表現と言う説が有力みたいね。
>>896 土方は有利な戦いに勝てただけで過大評価だよな
大鳥は不利な戦いで損害抑えてるのに過小評価
普仏戦争でプロイセンが使用した、クルップの大砲って後装式?それとも前装式?
後装式。鋼鉄製で、射程・発射速度ともフランスの四斤野砲を上回った。
いっぽう小銃は、ドライゼ銃のプロイセンに比べフランスはより射程の長いシャスポー銃だったが
銃の優劣だけでは如何ともし難かったな
>>902 後装式の1864年式軽野砲だね
これを受けて和歌山藩が「克式八珊野砲」として輸入契約を結んだけど、廃藩置県で政府が契約引継ぎ
後で買い足した分と新式の克式七珊半野砲、ブロドウエル山砲は創成期の陸軍では貴重な後装砲
でも鋼製砲の自給には不安があったので、兵器の独立の際に選択したのはイタリア人のP・グリロ砲兵少佐らを招いて
イタリア式青銅七珊野山砲を製造することだけど
(二十八榴なんかの大型海岸砲が作れるようになったのもイタリアのおかげ、感謝感謝)
イタリアの砲というとカテリーナ・スフォルツア
クルップのはアームストロング砲みたいに、お尻がぶん抜けたりの、トラブルは無かったのかな?
>>905 なるほど。
でも開陽丸のクルップ砲は前装ライフル砲なんですよね?
やっぱり信頼性がこっちのほうがいいのか。
口径がでかくなると当時の後装砲はヤバイのか。
アームストロングだって小型の奴は問題を起こさなかったわけで。
今我々が時代劇等で見ている馬は、近代以後に陸軍省の馬種改良に基づいて外種と交配させられている。
よって江戸時代以前の騎馬は、現代我々が想像している馬より二まわりも三まわりも小さい。
時代劇で使ってるのはクォーターホースだろ?
日本馬とは何の関係も無い
>>908 アームストロングが保守化していたとも言える。
まぁそれは需要先の英国海軍が保守的だったからだけど。
戦国時代の騎馬組や馬廻の馬は、平均体高125cm程度と思われる。
山地の馬はもっと小さいだろう。
ただ、日本馬はチンギスハンの蒙古馬と同種で、それなりにスピードは出る。
それ鈴木眞哉の本から?
幕末〜明治初期の兵卒ってすぐ逃げることが強調されてるよね。
西南戦争のときの抜刀隊に襲われた官軍とか。
玉砕するまで戦わざるを得なかった太平洋戦争時と何がどう違うんだろう?
>>916 教育によって「国民国家」を作り出したのさ。
悪く言えば洗脳だ。
「我々は日本人という一体の存在である」
「国の中心には天皇という偉大な存在がいる」
小学生から大人まで、こういうことを教育・宣伝したわけだ。
数十年も続けば、精神がまったく変わってくる。
大半の男子を徴兵して軍隊を体験させたのも大きい。
フランス革命後のフランス軍がプロイセンやイギリスと比べて強かった理由と一緒。
「我々は何とか領主、なんとか隊長のために戦っているのではなく、フランスという崇高な一つの物のために戦うのだ」
こう信じることができるから、脱走もせず、後ろから銃で脅さなくても突撃する。
>>916 それと太平洋戦争では逃げる先がないからなあw
泳いで帰るわけにもいかんし。
農民兵なんてありえない時代がずっと続いてたんだし、いきなり兵隊にとられたらそりゃ逃げるw
果たして西南戦争当時の兵隊って走れたんだろうか?
幕府が歩兵隊を組織して最初に教えたのが走り方だったらしいけど。
小学校で運動会とかを始めて
「競走」を奨励したのもその辺の思考変革のためだったからなあ
それまでのムラ社会では
「おらとこのせがれが庄屋さんの子に勝った」なんて角の立つ行為はもってのほかだったから
江戸時代にケンペルだっけか、スウェーデン人が日本の商人に
「もし日本に外国の軍隊が攻めてきたら戦うか」
と聞いたら、その商人
「それは武士の仕事であって、我々には関係ない」
と答えたそうだw
庶民の国防意識の低さを懸念してた。
>>921 うーん、今の日本国民もたぶん同じような感じだぞw
徴兵制のない国は難しいよね、国民の意識が。
「防衛戦争」を戦ったのはもう100年も前のことだしな。
そりゃそうだ、その為に志願制である自衛隊という組織があるんだから。
徴兵制が必ずしも最良と言えないのは他の先進諸国見ても分かるし。
防衛戦争を国民の意識の観点から述べるなら、太平洋戦争末期に目一杯現れてる。
まぁ考え方次第だね。
余計な事に煩わされずに商業に専念できたからこそ、日本の金融システムは高度になったとかね。
現代の韓国みたいに徴兵を制度化したからこそ、非戦時社会で問題になるという負の面もあるし。
特に、太平洋戦争時代なんかに東大の教授や官僚を二等兵として戦地に送るなんて愚の骨頂だよ。
後の大統領が死に掛けるアメリカっていったい……
まあ愚の骨頂だな
帝大の「教授」が徴兵された例って有るのか?
根こそぎ動員以外だと兵役年限越えてるだろう。
懲罰召集ってのなら分かるけど。
そもそも帝大教授って上級官吏(官僚)だから兵役免除の対象だと思うんだが。
>>926 徴兵令は、官吏の兵役免除規定があるけど、昭和2年以降の兵役法だと、個々に判断で、
明文化された官吏の免除規定はないよ。
>>927 単に明文化されていないだけで、「個々の判断」の適用で免除されていたのが実情じゃないか?
東條によるピンポイントな懲罰召集なら、高等官が召集されて戦地に送られた例も有るけど。
身分による職業の制限ってのは、それなりに効果があった時代もあったってことだ。
赤子の頃から道具に囲まれながら育つ職人とかね。
現代みたいに複雑な社会じゃ職業の制限なんかしてたらやってられないけど。
ぶっちゃけ、江戸時代で身分が固定されてたのって中級以上の武士とお公家さん、
あとはBな方々くらいでは?
他はお金で株や土地など身分を買ったり、
親方に弟子入りして一人前になれりゃすぐなれるものばっかりじゃ
>>928 本来免除されてるはずの官吏の召集権を利用して、
軍の意向に沿わない人の排除と抹殺、官僚の統制をしたのが旧軍部だからなあ
そりゃ好き勝手に国を操れるわ
>>917 日本の場合は、帝国主義国家に絶えず脅かされたから、
日本という独立国家と体制を守るために銃を取る、
って大義名分が成り立ったんだが、
アメリカやフランスなら自由を守るために、
イギリスなら、自分たちが恩恵をうけてる世界権益と繁栄を守るためにで大体説明つくか
オーストリアとかロシアなんかだと、
「安全なところでよろしくやってる、皇帝や貴族の利益のためにお前ら死んでこい!」
だったからそりゃ士気も低いし、後ろから銃で脅したり密告制度で相互監視させたりしたり
(ソ連名物密告制度は帝政ロシアからの引継ぎ)
最後にゃ反乱起こされて崩壊するわけで
結局、王政・帝政に徴兵制度はどだい無理だったんだよ。理論が破綻してる
>>932 いや、帝政が全部ダメというわけではない。
ナポレオン・ボナパルトだって皇帝陛下じゃないか。
帝政といっても、「皇帝の下、万民は平等。特権はない」を貫ければ可能。
あるいは、貫いているかのように騙し通せば。
>>933 だからヒトラーは故郷オーストリアの兵役につかず、ドイツで志願したんだろう
要するにどっちがもっともらしくて大義があったか、ってことか
935 :
名無し三等兵:2010/04/23(金) 11:16:31 ID:VCAwb74u
大義名分は大事だな
大義名分があれば戦争を正当化できるわけではないが、大義すら用意できない戦争なんざ擁護しようがないからな。
鳥羽伏見のときの幕軍に全体を指揮する人間がいなかったことが問題として
指摘されてるけど、薩摩軍や長州軍のほうは誰が指揮してたんだろう
幕末って、どこの陣営も根っこの部分では「日本の自主独立・外国干渉排除」
というところではつながってたからな
案外だめだ、と分かったら潔く引いて講和、ってのがおおかったかんじ
>>937 薩摩は西郷隆盛、長州は桂小五郎か山田顕義。
幕府は陸軍奉行の竹中 重固。
はっきりいって、その前に罷免されていた勝海舟が陸軍奉行として総指揮とっていたら、街道封鎖を目論む薩摩軍に対して1万配置して、残りの5千で退路を断つ戦法取っただろうね。
イギリスは江戸の徹底攻撃、内戦の長期拡大に反対だったらしいが
だとしたら戊申戦争の泥沼化に介入してきそうな列強って他にあるのか?
フランスやロシア?
フランスと米国じゃないの?
特にフランスは幕府支援に回ってたし。
ロシアはシベリア鉄道敷設前だから、張子の虎ほどの戦力もないよ。
一応、榎本武揚がプロシア人に租借を許している。
もし泥沼になっていたら、ひょっとしたらドイツが動いた可能性も、全くゼロじゃないんじゃないかな。
943 :
名無し三等兵:2010/05/02(日) 15:44:10 ID:i41j37za
>>939 徳川側は、こういう肝心な時に、
勝海舟や小栗上野介、大鳥圭介等といった使えそうな面々は、江戸で留守番させていたのか…。
フランスはメキシコで失敗して、ナポレオン3世の威信はがた落ち
になり、プロイセンは挑発してくるしで、それどころじゃないんじゃないのかな。一方プロイセンの方も、ドイツ統一に向けての最後の詰めである、フランスとの戦争にむけての準備で
日本には余りかかわってこないんじゃないの
アメリカも南北戦争の復興に注力してるしなあ・・・
1860年代後半〜1870年代前半のロシア軍が装備していた
後装式ライフルって、レミントン式とスナイドル式を掛け合わせたKRNKAライフルで良いの?
ナポレオン3世の事だ、威信回復を狙って日本出兵とかやりかねないぞ。
そうなると列強各国で日本を巡って争いの種になりかねん。
結局、列強のバランス・オブ・パワーを崩してまで躍起になるほど
日本という土地にも市場にも旨みなしってところか? 中国と違って。
その当時の日本市場の旨味って何?
>948
旨みがないなんてことはない、当時の日本の人口は3千万以上あり市場規模は充分。
介入がなかったのは、日本の諸勢力が金を持っており「土地」を対価にする
必要がなかった(その前に戊辰戦争が終結した)ことと、中国での先例を
知っていて外国軍隊の引き入れに慎重だったため。
もし、慶喜がフランス傭兵を利用してでも政権維持に執着し内戦が長引けば
どうなっていたかわからんよ。
案外日本自体が持ってる戦力も抑止力だったかも。
戊辰戦争後半には官軍主力は後装銃装備のそれなりに訓練された兵力を数万保持してたわけで
中途半端な戦力で介入しても状況を変えることが出来たかどうか・・・
かといって極東のど田舎まで万を超える戦力を送るのは戦争レベルの支出になるし。
イギリス軍は薩英戦争での損害を議会で叩かれたんだってね
>極東のど田舎まで万を超える戦力を送るのは戦争レベルの支出
35年後にそれをやったry
具体的に何処の国が?となると候補がいないけどな。
インドなどの既存の植民地で手一杯のイギリス、
メキシコ問題やプロイセン、そしてドイツと接するフランス
クリミア後の改革に悪戦苦闘し、かつシベリア鉄道の無いロシア
アメリカ?プロイセン?またまた御冗談
を。
十年二十年続けば又別だろうがね。
955 :
名無し三等兵:2010/05/03(月) 08:40:09 ID:cRk6pqRk
日本で開陽や甲鉄等の軍艦を購入している段階で、
欧米列強は、どのくらいの規模の軍艦を建造していたのだろうか?
また、その頃の欧米列強の海軍の規模は、どのくらいの規模だったのだろうか?
阿片の中国史って本に、太平天国の乱や中国の植民地化にてこずっていなければ
イギリスは日本に阿片を大量に持ち込んだり、無理難題を押し付けて植民地にする気満々だったって書いてあった。
なんでイギリスって日本に阿片持ち込まなかったの?
税関で見つかったから
元々中国には阿片がかなり蔓延してたからその市場に進出しただけ。
産地を持たず市場自体がほとんど存在しない日本に輸出とか言われても、妄想乙ってレベルの話でしかないぞ。
イギリスが日本から輸入したい物がある訳でもないし。
開国以前の日本で産出する列強が欲しがる資源ねぇ…貴金属?
日米修好通商条約だっけか、アヘン禁輸を条件に結んだのは。
それ以降、日本はたとえ大麻といえど麻薬には厳しい国になったね。
なんか補給港くらいの価値しか見えないな>日本
ただ政治に干渉するのは長い目で見て旨味もあるだろうし。
クリミア戦争でもしロシアが勝ってたら、極東地域でのつば迫り合いが激しくなってたかもね。
そうなると、日本や朝鮮半島に対する列強の干渉はもっと強くなってたかも。
>補給港くらいの価値しか見えないな>日本
捕鯨の中継地だったなw
そして今は日本の捕鯨を欧米各国に咎められる立場
シーシェパードwwww
手を出すには(列強からは)遠すぎる。
近くには、より美味しい中国という獲物がある。
資源はない。
内戦が起こって介入できるかなと思ったら、あっという間に終わって、
外国人排斥を主張してた側が近代化を驀進。
ハリネズミの様に武装して、手を出すには面倒くさくなる。
……列強にとっては本当に嫌な国だな。
四十年ぐらい後には列強の一国と互角に戦争までするんだぜ、この国。
そうか?本当に価値がないなら日米和親条約を結んだ後に次々に外国に押しかけられたりはしないだろう。
関税自主権が度々幕府の交渉にあがっているということは、相当の消費大国と看做されていたと考えるのが適切ではないか?
現に当時の日本人口3000万は世界に比しても巨大なほうだぞ。
人口が多いと言っても金がなければ売りようがない。
幕末の日本がおいしい市場だったのは事実だけど、世界有数の武器輸入大国として。
持てるかぎりの金銀を突っ込んで、世界中の中古兵器を買いまくった。
>>963 真逆。ロシアの極東進出は史実よりかなり後退していた可能性が高い。
アレって、クリミアでガツンとやられて近東への進出をかなりスローダウンさせられた結果の一つだから。
普通にオスマンへの攻勢を強め、英仏との関係を更に悪化させてた可能性が極めて高い。
スポンサーを失ったシベリア鉄道に至ってはしばらく建設すらされてなかったかも。
植民地にされなかった日本すげぇって言ってたヤツ、泣いて謝れよ。
クソみたいな土地だからスルーされてただけだろが。
まあ維新志士たちの危機感は今の俺等とは比べ物にならん位強かっただろうし、
欧米連中の思惑は別として、それが明治への原動力になったと言う事で。
>>970 現実には日本みたいな国を植民地にするのは非常に難しかったと思う。
開国10年でそれなりの近代軍を編成するし、彼我の戦力差を理解して柔軟に外交関係結ぶし。
付け込む隙が見つけにくい。
おいおい、まとまった人口があって購買力のある市場が存在している土地をクソ扱いかよw
そもそも現代じゃないんだから、当時なんて産業に転用できる天然資源なんて限られているだろ。
金や香辛料みたいなものを世界中に捜し求めてた時代は大航海時代で終了しているよ。
もっとも、幕末でも絹や銅は売れたみたいだけどな。
当時ヨーロッパが欲しがっていたのは市場。
産業革命で生産力が上がったために、国内で増えてきた工業製品を売りつける市場をね。
それを徹底させるために、イギリスはアヘン戦争で得た香港を拠点にして、アロー戦争で中国にいいがかりをつけて
様々な商業上の特権を強奪したんだろ。
幕府崩壊前の日本だって、改税約書によって
関税が殆どかけられなくなったもんだから、輸入超過で大変だった。
これを見てもヨーロッパが市場を欲しがっていたのが分かる。
市場と植民地は別物だが...
自分で言っているとおり、植民地にせずとも市場の確保は達成してる。
要するに市場を開放させりゃ良いんだから。
植民地にする程の価値はないって事。
どう考えてもコストと利益が見合わない。
分割して統治できるほど国内の文化が違う訳でもないしな。
ちなみに戦国時代の日本の陸軍力は、
スペインやフランス。神聖ローマ帝国と言った欧州列強よりはるかに強大だった。
スペインが8万、イギリスが2万4千人しか動員できない時代、
日本は30万人の兵士と20万の鉄砲を持っていた。
同時代のイギリスの鉄砲数は6千丁・・・
...などと言われているが、ぶっちゃけ数字のトリックである。
「戦国時代」が長期に及ぶ事を利用し、同時期でヨーロッパでも軍拡が起きた事をスルーしている。
例えば、フェリペ2世のネーデルラント駐留軍だけで8万人を超えており、同時期のスペインが同時に動員可能な兵力は30万人を軽く超える。
もちろん、これにはオーストリアの方のハプスブルクは含んで居ない。
>>939 正直、勝海舟の実戦指揮官としての力量は未知数だろう。
>>955 開陽丸の時点で、イギリスは排水量9000トンの装甲艦ウォーリアを保有していた。
開陽丸の3倍以上の排水量で、火力も2倍はある。しかも装甲があるため、開陽丸の砲では有効な打撃を与えられない。
戦ったら手も足もでないはず。
ウォーリアは桁違いの高性能艦だから別格にしても、開陽丸クラスの「排水量3000トン、砲は20門〜30門、装甲なし」
というのは、「重武装のフリゲート艦」で、列強はこのクラスのものを多数保有していた。
1866年に建造された軍艦としては、やや古臭い設計でもある。
ただ、排水量のわりに大火力であることは間違いない。フリゲートの大きさで、戦列艦に準ずる火力。
第二次大戦の軍艦でたとえれば、ドイッチュラント級ポケット戦艦みたいな感じ。
982 :
980:2010/05/05(水) 14:06:24 ID:???
983 :
980:2010/05/05(水) 14:07:10 ID:???
984 :
名無し三等兵:2010/05/05(水) 20:30:53 ID:SJjEvK5U
986 :
名無し三等兵:2010/05/06(木) 00:07:21 ID:1qwVgDe8
坂本龍馬の持ってた拳銃って、パーカッション式だっけ?
>>986 リムファイアだけど、れっきとした金属薬莢式。
今月号のコミック「大河」で一所懸命に火薬込めている竜馬が載ってたけど、
あれは演出か・・・
スナイドル銃埋め
スペンセル銃産め
エンフィールド銃 撃て!
シャープスカービン萌え
スポっとシャスポー!
つんつんツンナール
げげっ!ゲベール
ちょっとドライゼなあいつ
そんなことアルビニー
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