1 :
名無し三等兵:
ベトナム戦争全般について語るスレです。
2 :
名無し三等兵:2009/05/07(木) 15:12:34 ID:???
3 :
名無し三等兵:2009/05/07(木) 20:51:19 ID:???
4 :
名無し三等兵:2009/05/07(木) 21:40:56 ID:???
5 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 01:45:59 ID:???
6 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 01:47:22 ID:???
建国からやたらと戦争していたアメリカがベトナム戦争のときだけ、やたら帰還兵の荒れた精神が問題になったのは
やはり国に受け入れられなかった……ってところにアルのかな?
キツイジャングルでのゲリラ戦だけど、あれなら硫黄島とか太平洋戦線のほうがしんどかったような気がする
7 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 07:19:15 ID:???
おまえは実際に経験でもしたのか?
8 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 10:32:27 ID:???
FPSでなら
9 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 16:17:48 ID:???
うちの母ちゃんの同級生がアメリカ人になるって言ってベトナム行った。
ちゃんと五体満足で帰って晴れて市民権とれたそうだが、なんでか知らんが今
は日本に住んでる。
10 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 20:14:28 ID:qGQhMMfV
>>6 メディアが現地に入って、鮮場の現実を報道したからじゃない?
それで、国内の参戦気分が萎縮した。
民主主義国の兵隊は、国民や家族の支持がないと、辛いところがある。
アメリカはそれに懲りて、以後は鮮場報道を厳しく制限するようになった。
11 :
名無し三等兵:2009/05/08(金) 21:12:01 ID:???
>>10みたいなクソ素人って何?報道?はぁ?
>>6デイヴ・グロスマン著「戦場における人殺しの心理学」を読め。
12 :
名無し三等兵:2009/05/09(土) 06:25:25 ID:???
結局戦争なんて知らないズブの素人しかいないんだし、
本や映画の知識しか語れないんだったら偉そうに威張るなアホ
13 :
名無し三等兵:2009/05/09(土) 17:34:56 ID:???
14 :
名無し三等兵:2009/05/09(土) 18:10:31 ID:???
BETONAMU
15 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 10:02:29 ID:???
>>11 したくない人殺しを国家の命でしたのに
>>10のように本土で歓迎されなかったからでは
16 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 19:24:27 ID:???
>>6 前日まで殺し合いをしていた人間に何の処置も施さないで、いきなり
平和な社会にぶち込んだりした結果があのざま
それまでは家族や地元の自治体が、帰還兵のケアを英雄扱いする
ことで特に意識することなく行っていたが、ベトナム戦争では反戦運動の
あおりでそれも無し
その反省から、湾岸以降の米軍は、帰還兵はいきなり送還しないで
後方で一定の社会復帰プログラムを受けることが義務付けられている
最初はストレスが無い日常を過ごすことに馴れるために、数週間程度
基地内の慰安施設でブラブラさせる
その後、給与の現金化を許可して経済感覚を取り戻させ、同時に
酒やドラッグに走らないように、カウンセリングなどを受けさせる
最後に、各自の進路に合わせた帰還後の生活設計を確認して、晴れて帰国
これだけやっても、犯罪に走ったり、PTSDなどの後遺症で軍を訴える
帰還兵は少なくない
17 :
名無し三等兵:2009/05/10(日) 22:50:19 ID:???
ランベイの戦い
18 :
名無し三等兵:2009/05/11(月) 11:14:21 ID:qz253NOq
アメリカのベトナム帰還兵だけでなく、韓国の帰還兵も
かなり荒れていたという話。
19 :
名無し三等兵:2009/05/11(月) 14:50:21 ID:OmrpWGPz
うちのジイチャンが、韓国兵でナムに行ったけど、それはひどかったらしい
20 :
名無し三等兵:2009/05/11(月) 17:37:23 ID:???
>>18 あっちはそれでも英雄扱いされたと思ってた。
ホワイトバッジもう一度見るかな。
21 :
名無し三等兵:2009/05/11(月) 23:55:15 ID:???
フォークランド紛争で休暇をもらって本土に帰ったアルゼンチン兵が戦場から離れた平和な街の人々を
見て混乱したという話を思い出すな。
22 :
名無し三等兵:2009/05/12(火) 00:06:39 ID:???
いや、それはベトナム戦の米兵のが先だから。
23 :
名無し三等兵:2009/05/12(火) 10:19:56 ID:XC6soA4j
>>20 韓国軍は、接近戦闘を恐れず、勇猛果敢だったが、
逆に言えば、一般民衆への誤射、財産の破壊、さらに、強姦、略奪なども多数生じた。
そのため、今でもベトナム人は、韓国人を大変嫌っている。
別に韓国の軍隊派遣は、アメリカからの援助金とのバーターで、
金のために兵隊の血を流させた、と言う面もあり、使い捨てにされた兵隊にしてみれば、
過酷な鮮場体験とあいまって、たいへんだった。
24 :
名無し三等兵:2009/05/13(水) 14:06:22 ID:???
クリントイーストウッドの最新映画で、主人公が
「自分の人生面白くないのは、全部、戦場での過酷な体験のせいだ」
と明確には言及していなかったけど
朝鮮戦役で得た主人公自身のシルバースター戦闘体験を痛烈に自虐していた
25 :
名無し三等兵:2009/05/13(水) 16:22:58 ID:???
太平洋戦争の日本軍人で精神的トラウマの残った話ってあんまり聞かないが
トラウマ別にないんだろうな
26 :
名無し三等兵:2009/05/13(水) 16:24:29 ID:???
27 :
名無し三等兵:2009/05/13(水) 18:02:36 ID:???
>>25 日本軍でマジでトラウマ背負うくらいの体験をしたのは南方だけど
死亡率が凄まじいので、あんまりニュースにならなかったんじゃないか?
数%しか帰ってきてないし、しかも戦後すぐは多少人が死んでもニュースにならない
北も終戦前後は酷かったけど、期間が短いからねぇ……
しかしアメリカはとりわけ「世界一裕福な恵まれた生活」から「地獄のゲリラ戦のジャングル」に直行した訳で
この落差がトラウマをつくったんじゃないかな?
しかも全くケアしなかったし、出迎え方も最悪だったし
……なにより「勝てなかったし」
地獄度合いでは多分何倍も上の筈の地獄の東部戦線や、第一次大戦の地獄の西部戦線など
地獄には上がたくさん在るわけで……
28 :
名無し三等兵:2009/05/13(水) 22:42:10 ID:???
>>25 捕虜生活があったからなぁ…
その時に色々と吐き出す機会があったんじゃないか。
もちろん何の根拠も無い推測だが。
29 :
名無し三等兵:2009/05/13(水) 22:53:30 ID:???
>25
日中戦争では戦場神経症が問題になっていた
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/9073/zinkotuhp/arcive/2007yoshida.htm 戦場と軍隊の諸相二 戦争神経症を参照
ただし、それを社会的に公に出来る環境になかったこともあり帰国した
兵士のケアも行われず、社会的に不適合を起こす事例も多かった。
また、社会的に認知されていないため、公に出来ないこともその存在が
表に出にくい原因であった。
これを癒す装置の1つとなったのは、同じ体験を共有した隊員が集まれる戦
友会であったとされる。
知り合いのお爺さんは、終戦から60年以上たつ現在も寝ている時に戦場で
の体験がフラッシュバックのように表れ続け、飛び起きることがままあるとの
こと。
「戦場における人殺しの心理学」でも描かれているが、時間がたってもトラウマ
が癒える事が無く、ますます悪化する事例もある。ある意味、これは現在進行
形の問題でもあるといえるだろう。
30 :
名無し三等兵:2009/05/13(水) 23:25:06 ID:???
ベトナム人が書いた反戦小説「戦争の悲しみ」で戦車で人間をひき潰した記憶を忘れることが出来ず
発狂する北ベトナム軍の戦車兵が出てくるな。
主人公自身も米軍との戦闘の記憶で精神をやられて色々とやばいことになるけど。
31 :
名無し三等兵:2009/05/14(木) 20:04:00 ID:???
>>31 北ベトナム側でハンバーガー・ヒルを体験した
(作者を投影した)主人公のフラッシュバックで進行する小説でしたね
32 :
名無し三等兵:2009/05/14(木) 21:44:59 ID:???
33 :
名無し三等兵:2009/05/15(金) 07:23:44 ID:???
34 :
名無し三等兵:2009/05/16(土) 12:43:43 ID:???
俺の親父は1967年から一年の間ベトナム戦争に参加した。
今は大丈夫だけど母によれば昔は寝ている時にうなされたり夜中に飛び起きたりしていたらしい。
35 :
名無し三等兵:2009/05/16(土) 18:48:17 ID:???
36 :
名無し三等兵:2009/05/16(土) 22:24:07 ID:???
すごいな。16で陸軍に入隊して叩き上げで少佐まで昇進したのか。
ここまで生き延びたのにね…御愁傷様です。
37 :
名無し三等兵:2009/05/17(日) 20:01:57 ID:???
現代の軍だから六十でも有効活用出来たんだね
最近の軍は滅茶苦茶進歩が早いから、昔のいわゆるたたき上げの下士官がどれだけ現場に有効なのかちと疑問だ
もちろん正面からぶち当たるような正規戦には必要不可欠だけどね。今はそんな戦いがほとんどないし、特殊知識ばかり必要とされる
38 :
名無し三等兵:2009/05/18(月) 19:58:26 ID:???
精神面のケアが担当みたいだから、そこらへんの技術はあまり関係ないんじゃないの?
39 :
名無し三等兵:2009/05/19(火) 01:16:06 ID:???
ベトナムは楽しかったぜぇ〜、やりたい放題でな
いいベトコンは死んだベトコンだ。抵抗しない奴は良く訓練されたベトコンだ
……みたいな感じの教育だといいな
40 :
名無し三等兵:2009/05/19(火) 22:16:18 ID:???
映画の見すぎだバカ
41 :
名無し三等兵:2009/05/21(木) 23:45:53 ID:???
前線派遣前、キャンプ訓練の時点でもうすでに精神が参ってしまって
集団の落伍者になっちゃった兵士が大事件を起こす映画じゃないかw
42 :
名無し三等兵:2009/05/22(金) 02:08:58 ID:???
おまえの言い回しはいちいちうっとうしくてキモいんだよ
このバカ
43 :
名無し三等兵:2009/05/26(火) 19:34:22 ID:???
いちうちうっと
44 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 11:39:46 ID:YqtKqR+V
北ベトナム勝利の鍵は、ホーチミンルートなどの補給路の確保だと思うが、
ラオス、カンボジアは、自国内を通るのに、どんな対応をしたのか?
見て見ぬふりか、陰で協力したのか。
最近どこかで見た(ソース忘れ)が、実は陸路のホーチミンルートより、
海路の小舟などを使ってメコンあたりに運んでいた量の方が、
ずっと多いという。
45 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 12:19:54 ID:???
ナムで実際に戦車戦ってあったの?
M48 vs T55 or PT76 とか。
46 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 15:29:36 ID:???
47 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 15:43:15 ID:???
南ベトナム軍のM41がNVAのT55と小隊規模で何回か交戦したが
いずれも南ベトナム軍側が勝利したはず
英語版オスプレイの『ケ・サン』を持っているが
NVAのPT76戦車大隊が中隊、小隊規模ずつ投入されたが海兵隊のM48とは交戦に至らず
米軍は無反動砲とLAWで撃破している
48 :
名無し三等兵:2009/05/29(金) 21:19:56 ID:???
>>44 見て見ぬ振り……だったハズ
軍事力では全く歯が立たないし、国境線近くはジャングル地帯ばっかなので知らんぷりしてた
49 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 00:09:18 ID:???
ランベイ基地の攻防戦で、侵攻してきた北ベのPT76群を迎え撃つため米陸軍のM48戦車四両とM42一両が出動し、
正面からの戦車戦に発展。
米側は損害なく北べ軍を撃退している。
50 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 02:13:36 ID:???
【前史】
ベトナム戦争の源流は実は、コミンテルンによる日本破壊作戦にあった。
昭和7年、ソ連の支配するコミンテルンは「32年テーゼ」を発表。
日本を貶めるための大作戦を開始した。
これは、東亜細亜において、
ソ連・共産主義の侵略を食い止められる唯一の国家が日本だったからだ。
亜細亜におけるモスクワの代理人は毛沢東率いる中共だった。
昭和12年、北支の蘆溝橋において、中共の謀略によって日支事変が始まった。
毛は、日支両国を戦火に陥れることによって、10億の支那のマンパワーをもろに
我が国にぶつけ滅ぼそうとしたのだ。
しかし、日本軍の前に支那軍は連戦連敗、毛は悪名高い
「便衣兵戦法」(今で言う無差別テロ)を繰り出すも、歯が立たなかった。
昭和14年。黒幕であるソ連は、壊滅寸前にあった中共を救うべく
正規軍による侵攻を図った(ノモンハン事件)。
20万の大兵力の機甲部隊による完全な奇襲にもかかわらず、
日本の関東軍はよく耐え、逆に敵に5万の人命と8百輌以上の戦車の損害を出させて敗走させた。
51 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 02:15:00 ID:???
【迫り来る嵐・序章】
ここにおいてあせったモスクワは、対日本の戦線を、
支那のさらに南、インドシナに置く事にした。
モスクワの指令により、延安から2人の中共工作員が派遣された。
胡志明と武元甲の2人である。
2人ともれっきとした中国人だが、ベトナム語を堪能で、
ベトナム風の名前に変え、「ホー・チ・ミン」「ボー・グエン・ザップ」
と名乗り、ベトナム人に化けたのだ。
彼らの目的は、東南亜細亜における赤化勢力を育てること、
蒋介石への援助ルートを維持すること、
日本のみならずモスクワの邪魔になる政治勢力
(フランス、ベトナム民族主義者)を滅ぼすことであった。
彼らはコミンテルン東南亜細亜支部であるベトナム共産党(略称ベトコン)を結成、
日本が仏印進駐によって、多くのベトナム民族主義勢力を支援しても、ひたすら逆らい続けた。
大東亜共栄圏構想にのっとり、日本がベトナム帝国独立政府を復活させても、
ベトコンは逆に中共じこみの便衣兵戦法でこれに反対したのである。
あくまでベトナムに必要なのは「モスクワのロボットたるベトコン政府」だったからだ。
52 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 02:17:07 ID:???
【迫り来る嵐・間接侵略の章】
昭和20年。日本がポツダム宣言を受諾。
しかし、日本が亜細亜各地に播いた「独立の種」は、
インドネシア、マレー、ビルマ、フィリピン、インドと育っていた。
ここベトナムにおいても、宗主国フランスは、ベトナム帝国政府を無視できなかった。
これを気に入らないのがモスクワ、中共だ。
ベトコンに指令が下った。大日本帝国無き今、拠点を築くチャンスだ!
得意の便衣兵戦法でフランス、ベトナム両軍を苦しめる。
しかも、悪いことは重なるもので、昭和24年、中共がついに大陸を赤化。
余裕ができたため、朝鮮と同様に大量の中共義勇軍を派遣してきた。
この中共兵による人海戦術により、昭和29年、仏軍ディエンビエンフー基地が
陥落、仏軍の撤退が決まった。
53 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 02:18:55 ID:???
【謀略の章】
仏軍の撤退によって、ベトナムにはサイゴンのベトナム共和国政府、
ハノイのベトコン政府の2つの政府が並び立つことになった。
ハノイは国内で独裁政治を実施。宗教を禁止、秘密警察が国民を監視、
経済は共産主義化され多くの人が粛清された。
各地には胡の巨大な銅像や記念物が大量に建てられ、個人崇拝が強要され、
「ホーチミンはベトナム人。 20代のころから北部の山のジャングルで抵抗活動をしていた」との宣伝がされた。
一方、共和国政府統治下の南部には、
北の圧制を逃れて大量の難民が流入してきた。
この混乱をハノイが見逃すはずは無い。
ハノイにはソ連・中共から大量の兵器と、
両国正規軍からの兵員を受け取り、近代的な軍隊をつくるとともに、
南部ベトナム武力併合・赤化のための指令が下った。
すなわち。
第1段階・難民に化けた破壊工作員を南部に潜入させ、
無差別テロを実施。社会インフラを破壊し社会不安を煽る。
第2段階・スペツナズ部隊を派遣、共和国政府の要人を暗殺、政治混乱をつくる。
第3段階・ソ連・中共の大部隊がベトコン正規軍の制服を着て一気に南下。武力占領する。
54 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 02:21:53 ID:???
【地獄の戦場の章】
この計画にもとづき、南ベトナムでは連日爆弾テロが発生、
ガス、水道、電気、電話などインフラをはかいされたほか、
国会議員、医者や教師などインテリも無差別に暗殺された。
共和国政府はついに、米国と相互援助協定を結び、
軍事顧問を招くなど対テロ戦争に乗り出した。
米国の支援・参加によって、モスクワの計画は多いに狂った。
あせった彼らはそこで米兵や施設に対する無差別テロに乗り出した。
テロに屈しない米国は、逆にテロの策源地である北ベトナムを爆撃、
A4スカイホークやA8イントルーダー、B52が次々ベトコン基地を破壊した。
F4ファントム戦闘機はミグをバタバタ叩き落した
陸軍、海兵隊やグリーンベレー、シールズは、
麻薬で感覚を麻痺させる自爆便衣兵や、侵入してくる共産側正規兵を次々倒した。
そこで、ボーは一大反撃作戦「テト攻勢」を発動。
昭和43年1月の正月、南部の各都市に総攻撃をかけた、
中部のユエでは自由主義者を大量虐殺。
サイゴンでも警察長官の家族を皆殺しにするなど皆殺し作戦を展開したが、
防衛の意思の硬いベトナム共和国、米両軍に大敗北をした。
55 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 02:24:34 ID:???
【獅子身中の虫章】
この大敗北にあせったモスクワはそこで、宣伝戦に乗り出した。
日米両国のブサヨク、プロ市民、マスゴミに工作資金を渡し、
いわゆる「反戦活動」をさせたのだ。
マスゴミは、米軍が「無差別爆撃」「虐殺」「強姦」「略奪」「侵略」
をしていると宣伝、一方、テロリストや共産兵士のことを、
残虐行為を一切しない「天使」のように宣伝した。
テト攻勢で家族を惨殺された警察長官が犯人のテロリストを処刑した写真を、
「南ベトナム政府の虐殺」と嘘のキャプションをつけて公開、被害者家族を愚弄した。
(諸君はどこかでデジャピュを感じないだろうか。そう。日教組の自虐歴史教科書と同じ手口である)
プロ市民は毎日毎日デモをし、 脱走させた米兵をソ連のスパイに引き渡して洗脳させたりした。
米国では国の為に戦って帰還兵士が空港でデモ隊から腐った卵をなげつけられ「ベイビー・キラー」とののしられた。
日教組教育によって育てられ、日教組の圧力によって大学に優先入学したブサヨ学生たちは、
鉄パイプを振りまわしたり火炎瓶を投げたりピース缶爆弾や腹腹時計(時限爆弾のこと)で爆弾テロをしたり、
ベトコンばりのテロをして社会を不安に陥れた。
56 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 02:28:20 ID:???
【崩壊の章】
結局、自由民主主義陣営である米国や日本、ベトナム共和国では、
言論の自由が保障されスパイ防止法も無いために、
ブサヨクの工作で自由に国の足をひっぱる反戦活動ができ、愛国活動に専念する若者は「ニート」のレッテルをはられ、
選挙権が保障されているために、軍事の素人(イージス艦からB52が飛んでいるwというような議員)
が国策に介入できるという弱点があったのだ。
国の悪口をいうだけで秘密警察に拉致・粛清されるコミンテルン支配下の共産主義国は、
このような心配をする必要は無かった。
「ノイジー・マイノリティー」の声によって米国は撤退。
ソ連・中共の強大な軍事力を持つベトコン・ハノイは昭和50年、
大戦車部隊をもって南を侵略して「統一」。アジアにコミンテルンの拠点が増えた。
勿論、その後には、ポルポトのような大虐殺、強制収容所、何百万人もが殺され、
さらに何百万人もがボートピープルとして自由世界に脱出するという悲劇があったのであるが…
この論文を、自由の為に報われない戦いを戦った愛国兵士と、
コミンテルン、共産主義に殺戮されたすべての人々に捧げたい。
57 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 04:22:31 ID:???
>50-56
ベトナム戦争関連のスレがたつと必ず張られるポエム
もはやスレの風物詩といった感がある
昭和12年の中国の人口が10億というパラレルワールドの住人か
らのメッセージと思うとそれなりに風情がある
2005年頃からか「軍事歴史研究所 」というコテがこの文書を張っ
ていたが彼は元気だろうか
58 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 12:08:35 ID:???
そういえばホー・チ・ミンとボー・グエン・ザップが中国人だと
主張するヤツと大昔に何処だかの掲示板で遣りあった事がある、
ココの昔のスレだったかもしれないが、記憶が定かじゃない、
59 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 12:55:33 ID:???
軍事歴史研究所・・・論文・・・
60 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 19:34:06 ID:???
>>50-56 どこかの専門家の論文のコピペだな。
今の日本の大学はブサヨばかりで、これぐらい深い考証をできないから、
民間にいる専門家だろう
61 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 19:35:57 ID:???
ブサヨ(笑)深い考証(笑)
62 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 19:40:16 ID:???
>>58 俺は軍事歴史研究所やないけど、
ホーもボーも漢字で書ける中国名を持ってるんやから、
中国人とちゃうのん?
2人が延安にいたことは、ベトナム共産党かて認めとるはずやし
63 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 19:41:54 ID:???
64 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 20:29:48 ID:???
>>62 ホー・チ・ミンってのは偽名、本名はグエン.タト.タインと言う
ボー・グエン・ザップは多分本名だがそもそもベトナム人の名前
っていうよりベトナム語は、漢字表記ですが?
フランス統治が長かったんでローマ字表記になり
漢字が廃れただけで古い書物や寺院なんかでは漢字を使ってます、
ちなみにベトナム人に多い名前グエンは漢字では阮です
延安に居たのは確かだけど、共産主義ベトナムの亡命政府だから
秘密でもなんでも有りません、
それを言えばホー・チ・ミンはフランス共産党に入党し活動していたし
アメリカやソ連に居た事も有る、
極端の例で言えばベトナムの平地に住む京民族は800年位遡れば
中国人って事にならない事は無いけど、
65 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 20:33:26 ID:???
>>63 >50-56にもソースは全く出されてないわけだが(笑)
66 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 20:42:15 ID:???
>60
記憶では、軍事歴史研究所は自分が書いた「論文」と言っていたはず
(当時の過去ログが無いかと探してきたが見つからなかった)
67 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 20:46:43 ID:???
>65
>ベトナム戦争中に「ニート」という言葉が存在する事
>20代のときは海外で活動していたホー・チ・ミンがベトナム山中で
>ゲリラをしていたと宣伝
>日中戦争次期の中国の人口が10億
という内容にソースを求めるのは酷な話だろう
68 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 21:28:28 ID:???
ホーチミンの銅像がボコボコ建てられたりというのは
彼の死後で存命中の話ではないはず
あとベトナム共和国で言論の自由が保障されてたと書かれているが果たしてどうだろう
ジェム時代にかなり悪名高い治安維持法が導入されていたし
あとボートピーポーも数百万でなく数十万だろ
>日教組の圧力によって大学に優先入学したブサヨ学生たちは、
>鉄パイプを振りまわしたり火炎瓶を投げたりピース缶爆弾や腹腹時計(時限爆弾のこと)で爆弾テロをしたり、
>ベトコンばりのテロをして社会を不安に陥れた
鉄パイプ振り回すようなしょぼい行為をベトコンばりのテロと同義にすんなよw
69 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 21:39:56 ID:???
>>50-56 はかいされた、あせった、デジャピュ って何だ
専門家と称しているくせに単語も正確に書けないのか
70 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 21:56:24 ID:???
自称研究者の人気に嫉妬
71 :
名無し三等兵:2009/05/30(土) 22:20:31 ID:???
グエン子さん・・・
72 :
名無し三等兵:2009/05/31(日) 03:26:57 ID:???
>>49 やっぱりPT76軽戦車でM48中戦車と戦うのは自殺行為ですか?
73 :
名無し三等兵:2009/05/31(日) 06:02:02 ID:???
>>72 同じ装甲車輌でもジャンルが違うし、PT76の装甲は30_しかないよ。
74 :
名無し三等兵:2009/05/31(日) 23:58:02 ID:nyL5WCp8
ジャングルに対してヒューイとかからミニガン掃射するのってあんま効果無いのかな?
けっこう悲慘なことになりそうなんだけど、
てか偵察機飛ばして上から赤外線で観測すればけっこう敵兵とか把握できないのかな?
当時はそんな技術無かった?
75 :
名無し三等兵:2009/06/01(月) 00:09:32 ID:???
>ミニガン掃射
>赤外線で観測
バリバリやってましたが、何か?
76 :
名無し三等兵:2009/06/01(月) 13:16:03 ID:???
ベトナム戦争から
米軍は対砲迫レーダーを使用始めたしたが
だいたい敵の砲弾飛翔をキャッチしてから何秒後に反撃射撃出来るのですか?
77 :
名無し三等兵:2009/06/01(月) 14:52:43 ID:MUERvTf9
>>76 対砲兵レーダーの評定時間は、一般的に行って現用のものなら、
十数秒から、1分以下だと思う。
以前は、レーダーアンテナが回転式だったが、
現用のは位相式が多いので、機械的な回転部分がなく、
かつ、演算速度も上がっている。
自衛隊のFH−70などは牽引式のため、陣地進入、撤収に数分かかるとされ、
敵が対砲兵レーダーと、自走砲を持っていれば、破壊されてしまう。
ただ、ベトナム戦争時の北側の砲撃は、ある程度の時間射撃する
効力射というより、人力で運んできて数発撃って撤収、
というバースト射撃的なものが多く(北正規軍はまた別)、
対迫レーダーでの探知と反撃といった戦闘は、あまり効果がなかったと思う。
78 :
名無し三等兵:2009/06/01(月) 15:24:47 ID:tuQ2aLmS
79 :
名無し三等兵:2009/06/01(月) 17:51:30 ID:???
対迫レーダーはケサンで米海兵隊が陣地防御に多数運用してた。
トラブルが多かったというのが定説だけど結構活躍したようだ。
80 :
名無し三等兵:2009/06/01(月) 21:06:12 ID:g+GuqtBd
>>25 結構あるが、当時はPTSDなんて言葉はないから
「あの人は戦争に行ってからなまけ者になった」
と言われて村八分にあったみたい。
81 :
名無し三等兵:2009/06/01(月) 21:20:07 ID:???
俺は、キャット嫉妬ワンでベトナムネタは終了。
82 :
名無し三等兵:2009/06/02(火) 01:07:54 ID:???
北爆で落とされた爆弾は第二次大戦の総量を超えるとかなんとか言われているけど、
実際のベトナムは前大戦と比べてどれくらいハードだったんだろう?
正規軍(?)がガチでぶつかったのなんてテト攻勢くらいしか有名じゃないし、しかも最終的にベトナムの方が負けてるし
何となく日本の沖縄戦とかの方がきつそうな感じなのだけど
83 :
名無し三等兵:2009/06/02(火) 06:07:10 ID:???
どれぐらいハードだったんだろね?
誰も戦争行ったことないからわかんないよね?
84 :
名無し三等兵:2009/06/02(火) 06:15:06 ID:???
そんなこと言ったら誰もローマは語れないじゃないか
85 :
名無し三等兵:2009/06/02(火) 06:44:46 ID:???
86 :
名無し三等兵:2009/06/02(火) 19:22:42 ID:???
できれば2ちゃんねらーでベトナム戦争行った人に聞きたいんですよね。
行ってない人は別に書き込まなくていいです。
87 :
名無し三等兵:2009/06/02(火) 20:36:06 ID:???
スレが落ちてしまうw
88 :
名無し三等兵:2009/06/03(水) 06:02:13 ID:???
質問が幼稚過ぎるんだろ。
どれくらいハード??
知るかアホ
89 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 01:41:24 ID:???
幼稚なこのスレの住民を駆逐するために、ローリングサンダー作戦が発動サレマスタ。
90 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 01:59:37 ID:???
しかし何も言わない奴に限って偉そうなのは何故なんだ?
91 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 04:29:18 ID:???
団塊左翼先生がレスしてた時期が一番面白かったぜ…
92 :
ヤシン市場:2009/06/04(木) 14:10:18 ID:YZgVUVK4
ベトナム戦争中、アメリカ軍は、多数の秘密作戦を実行した。
カンボジアやラオス内の拠点や補給路の攻撃や、
ラオスの軍閥を利用してのケシ栽培などは今ではある程度知られている。
しかし、現在でも情報公開されていない極秘の作戦もある。
その一つがおそらく1970年に実行された Tailwind Operation だ。
これは、共産側に寝返ったアメリカ軍兵士(と南ベトナム軍兵士)を
化学兵器で殺害する、という政治的にも問題のある作戦。
「寝返った」は、拷問などで強制されて情報提供する兵士も含む。
この「裏切り兵士」の基地はラオス奥地にあり、
攻撃手段が化学兵器(サリン)という点で、何重にも危険度が高い。
Tailwind Operationは、断片的にアメリカのメディアに乗ったが、
もちろん、政府や軍は否定し、現在でも詳細は明らかになっていない。
93 :
名無し三等兵:2009/06/04(木) 15:37:49 ID:???
>>90 さあなんでだろうね?
答えるに値しない幼稚な質問だったからじゃないかな?
94 :
名無し三等兵:2009/06/12(金) 01:28:58 ID:???
保守
95 :
名無し三等兵:2009/06/14(日) 17:12:16 ID:???
96 :
名無し三等兵:2009/06/18(木) 22:16:43 ID:???
女が手榴弾を投げたぞ!!!
枯葉剤の被害なんて案外少なくてガッカリ。
マスコミだけがガタガタ煩い。
虫除けスプレーのCMみたいだ。
蚊が他人の血液を運ぶのが不衛生だって???
97 :
名無し三等兵:2009/06/19(金) 05:23:05 ID:???
釣り針の大きさはちゃんと調整しないと。
98 :
ヤシン市場:2009/06/23(火) 14:29:16 ID:HP12u3L/
>>95 枯れ葉剤の影響は色々言われるが、戦時の情報戦の一種(戦後は外交ネタ)の可能性が高い。
そもそも、インドシナ半島には、土壌に重金属が含まれる地層があり、
水を多用する水田耕作などで、重金属による健康被害があった。
定住している農民など、その地の水や農産物を、長期間使用するひとに影響が出る。
ベトナム戦争中から1975年頃まで、北ベトナム政府は、
この健康被害を、アメリカ軍の化学作戦に絡めて、情報戦として用いた。
ベトナム政府は、戦後アメリカに「戦後賠償」などは言っていないと思うが、
外交公称のカードになるので、あえて放置している。
ダイオキシンなどの影響は、多少はあるだろうが、元からある風土病の可能性が高い。
実際、ダイオキシンの「毒性」は、今はかなり見直されている。
最近の騒ぎは、それとは別の環境保護団体などが、このネタを利用するケースだろう。
99 :
名無し三等兵:2009/06/23(火) 16:24:32 ID:???
劣化ウラン弾と同じ臭いするよな
まあ、劣化ウラン弾が健康にいいとか無茶言う気はないが(いいわけないし)
エージェント・オレンジペコ
いつまでもネチネチいじってるあたり、
戦後のドサクサに紛れての、中韓の日本への賠償、謝罪請求と似ている
>枯れ葉剤の影響は色々言われるが、戦時の情報戦の一種(戦後は外交ネタ)の可能性が高い。
>そもそも、インドシナ半島には、土壌に重金属が含まれる地層があり、
>水を多用する水田耕作などで、重金属による健康被害があった。
>定住している農民など、その地の水や農産物を、長期間使用するひとに影響が出る。
それは初耳でした。
できれば、ソースも一緒に教えていただければ有り難いです
103 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 03:10:43 ID:YhbHHxdu
> 定住している農民など、その地の水や農産物を、長期間使用するひとに影響が出る。
これだとベトナム戦争の時に問題になった理由が説明できんよ。
ベト・ドク兄弟は中部高原の移民の子供だし。
104 :
ヤシン市場:2009/06/24(水) 11:22:54 ID:3GFXPb4V
105 :
名無し三等兵:2009/06/24(水) 11:54:50 ID:4TErPUBB
_______
i r-ー-┬-‐、i
| |,,_ _,{|
N| "゚'` {"゚`lリ
ト.i ,__''_ ベトナム戦争ってナンダヨ?
/i/ l\ ー .イ|、
,.、-  ̄/ | l  ̄ / | |` ┬-、 つまらないスレ作らないで
/ ヽ. / ト-` 、ノ- | l l ヽ.
/ ∨ l |! | `> | i 性風俗について語り合えば?
/ |`二^> l. | | <__,| |
農薬と枯葉剤は違うもの↓
ベトナムで使用された枯葉剤は、2,4-ジクロロフェノキシ酢酸(2,4-D)と
2,4,5-トリクロロフェノキシ酢酸(2,4,5-T)の混合剤であり、
ジベンゾ-パラ-ダイオキシン類が含まれ、副産物として一般の2,4,5-T剤より
さらに多い2,3,7,8-テトラクロロジベンゾ-1,4-ジオキシン(TCDD)を生成する。
このTCDDは非常に毒性が強く、マウスでの実験で催奇形性が確認されている。
ベトナム戦争退役軍人の枯葉剤暴露とその子供の二分脊椎の増加については
このTCDDとの関連が示唆された。
なお、2,4,5-Tはアメリカ合衆国や日本では散布使用が許可されていない。
農薬 = 2,4-ジクロロフェノキシ酢酸(2,4-D)
禁止農薬 = 2,4,5-トリクロロフェノキシ酢酸(2,4,5-T) TCDD含む
枯葉材 = (2,4-D)(2,4,5-T)などの混合物 さらに多量のTCDD含む
TCDD = マウスに奇形起こす (ヒトは不明らしい)
108 :
名無し三等兵:2009/06/25(木) 03:18:05 ID:SsJZT4xu
>>104 > 医学的に確定されているわけではない。
> まず、「奇形」は一定割合ででると言うこと。
どっちもその程度のことは知ってるよ。でもそれだけでは
>>103への反論にならないでしょ。
逆の言い方をすれば、
> 元からある風土病の可能性が高い。
は、ベトナム側が主張する奇形児の症例に関して、医学的に確定されてるのか?
> 戦時の情報戦の一種(戦後は外交ネタ)の可能性が高い。
というのも学問的に証明されてないように思うが。
いずれの場合も、何を根拠に「可能性が高い」と主張してるの?
北ベトナム、ハノイのとある石橋を落とせば勝利。
110 :
名無し三等兵:2009/06/25(木) 05:00:54 ID:yPpWqrmD
>>108 まあまあ少し落ち着こうよ
結局何がどうなってそうなったかは最終的には分からずじまいになるのかな
歴史ってのはそんなものなのかな・・
ところで
>>109が唐突に全然違う話題だしててワロタw
>> 戦時の情報戦の一種(戦後は外交ネタ)の可能性が高い。
ベトナムが奇形発生を情報戦・外交の道具にしていたとしても、それと枯れ葉剤が
犯人じゃないという説の論拠には全くならんしねえ
奇形の自然発生の話と化学剤の散布も因果関係の追求では無関係だし。
むしろこういう無関係の話を傍証にするのって、探求の妨げになるだけっしょ
事実の究明に際して冷静でないのは、むしろ
>>104というw
112 :
名無し三等兵:2009/06/25(木) 11:56:20 ID:W7B3KTRh
昨日、ディスカバリーチャンネルで未公開カラーフィルムも含む
ベトナム戦争のやってたけど、戦死や殺害された死体や
川に沈めて窒息死させるとこやらあってチャンネルかえてしまった
爆弾で大使館が攻撃されてアメリカ人の女性スタッフが
全身血まみれで倒れてたり、今までみたことがないシーンがいろいろと
それと一番、恐れられて嫌われていたのは韓国軍って証言もあったよ
村人を皆殺しで子供の足をもって引き裂いたりとかしてたそうな
んなこと気にしてたら
リエナクトなんて遊べないよーん!
>>113 南無心www
サバゲ板から出張乙(プッ
平和ボケ甚だしい
>>110 > まあまあ少し落ち着こうよ
これまたずいぶんな言われ様だな。
主張の根拠の提出を求めたら取り乱してることにされちゃうのかw
前の前の大統領選に出ていたマケインってベトナム戦争の英雄だったんだな……
えらい名前が似ている奴がいるなぁ、と思って記事読んでたら当人だった
ハノイを東京大空襲みたいに火の海にするわけに行かなかったのかねえ。
今思えば盛大に焼き尽くしとけば、米側としては後腐れもなくよかったんだろうが、
世論や政治、外交上の縛りが多く、
また戦争においての道徳観念も20年前とは変化があったため、
徹底的にはできなかった。
結局敵に復興のチャンスをくれてやっていたようなものだ。
爆弾の量だけで言ったら結構な量だったんじゃなかったっけ?
殆どは無人のジャングルの中に落としてたんだから
何発落とそうが火の海にはならない
ハノイは交渉の時の人質みたいなものだったから
壊滅はさせなかったらしい
南下するほど南北境界線に近くなるほど都市部も含めて爆撃は無残だったらしい
たしか23度?線以南のパンハンドル部分(北ベトナムのフライパンの持ち手部分)は
地方都市なんか壊滅状態だったと聞く
>>122 ナム戦当時のパイロットはマクナマラの「規制」を嫌ってたらしいから
出来る時にやっちまおうって感じか?
ハノイにはフランス代表部とか、非共産国の在外公館があったしな。
(おまけにソ連の援助で当時世界最高水準の防空コンプレックスを配備していた)
米軍が戦場で全力を出せず「規制で縛られていた」というのは、北ベトナムの外交戦の勝利でもある。
「戦争の帰趨は前線での殴り合いのみが決定する」という思想の人たちには、認めがたいらしいが。
実際、フランス代表部は直撃くらって死人出したんじゃなかったっけ?
ラインバッカーUの時だな。
大統領選にらんだニクソンがリミッター解除。ハノイ、ハイフォンほぼ壊滅。
仏代表部とバクマイ病院も被弾し、死者が出たせいで、
国際世論敵に回した。
戦争になっても諸外国から人質を囲ってたわけだな。
自国の首都に外国の大使館置くのは「人質」っていうのか?
その視点で一番の「人質」は、ソ連の外交団や援助要員だったろうな。
戦争状態なのだから、大使であっても国外や安全な区域に避難させるべきだろう。
それをしないで首都に置いといたのは
人間の盾的な意図もあったのでは?
第2次大戦の日本の駐独大使はベルリン陥落の1月前までベルリンに留まっていたんだっけ。
よく空襲から無事でいられたな。
>>129 ベトナム民主共和国とアメリカ合衆国は、建前上戦争してなかったからね。
(アメリカもするわけにはいかなかった)
だからこその規制付き爆撃だったわけで。
なるほど複雑な戦争ですね
>>130 でもソ連軍が近づいてくると、在ベルリンの邦人を置いて
自分だけ温泉地に逃げたけどな。しかも、空襲と砲撃に晒される
ベルリンに残留させられた大使館員に酒とつまみを持ってこいと
命じてるし。 しかも軍人のくせに「ソ連軍に捕まるくらいなら
米軍に捕まったほうがマシ」と、自決もしないであっさり投降。
>>132 北ベトナムにとっては、ジュネーブ協定を無効化して
あまつさえ自国の封じ込めを図るアメリカが真の敵であることは明白
→けれども国力・軍事力の差はいかんともしがたく、全面戦争になったら負けるのも明白
アメリカにとっては、NLFを通じて東南アジア反共の砦・南ベトナムを打倒しようとする北ベトナムは
東南アジア政策の妨害者であり、真の敵・ソ連の有力なコマの1つであることは明白
→けれどもソ連との核戦争へのエスカレーションは避けたいし、そもそも冷戦の主戦線は東欧であり、こんなとこで国力浪費したくない。
ここにおいて、北ベトナムとアメリカの利害は皮肉なことに一致した。
そしてその一致は、国力・軍事力の差を外交戦、宣伝戦で埋めようとする北ベトナムの方が
より有利になる状況をつくったわけ。
>>134 この辺の制限(国際環境や国際法および世論)を無視して北ベトナムに侵攻してれ
ばよかったとか、ハノイを完全に破壊してれば共産化防げたとかいうやつが後を絶
たないんだよな。
>>135 で、そういう奴は、アメリカが何でそうしなかったのか理解できないもんだから
「背中に匕首」論をがなりたてるんだよな。
ひどい場合はマスコミ、反戦運動、公民権運動までが「ソ連の陰謀」にされてしまう。
陰謀論は知性と理性の欠如が生むと言うことがよく分かる。
137 :
名無し三等兵:2009/06/30(火) 08:09:15 ID:A43FPvH1
>126
本気出されて、北ベトナム軍は反撃能力を
完全になくして壊滅だったな
138 :
ヤシン市場:2009/06/30(火) 11:44:55 ID:CB+gtao2
>>129さ
在留大使館は、その国の「領土」だから、いくら安全対策といっても、
勝手に外国の大使館を動かすわけにはいかない。
その意味で
>>128の指摘の方が正しいと思う。
>>134>>135 的確な分析で、正しい理解だと思う。
139 :
ヤシン市場:2009/06/30(火) 11:47:19 ID:CB+gtao2
>>137「本気」
国際関係を無視し、アメリカ・ベトナムだけの軍事力や国力でみるのは、間違っている。
例えば、二次大戦で、ドイツとイギリスだけの軍事力を比べ、どっちが強い、というのが、
無意味であるのと同じ。
ドイツは、イギリスに全力を集中すれば、背後のソ連からの攻撃の不安がある。
イギリスは、ドイツとは正面対決すれば負けるが、アメリカ、ソ連を引き込んで、勝利した。
これは、軍事力その他では劣っていたが、優れた戦略でイギリスが勝利した、ということだ。
ベトナムも同じで、ソ連、中国など諸外国の国際関係を上手に利用して、勝利した。
アメリカは「本気」をだしたが、負けたと言うこと。
戦争の勝利は、それぞれの国の戦争目的が達成されたか、どうかで決まる。
ベトナムは全土の統一と独立が目的でそれを達成し、勝利した。
アメリカはベトナムの共産化の阻止を目的とし、それに失敗し、敗北した。
オスプレイのベトナム戦争での海兵軍団(英語版)買ってビックリしたけど
海兵隊の偵察大隊(偵察4〜5中隊)の編成で
中隊装備がM16とM79だけで
通常の海兵歩兵中隊ではM60分隊と軽迫(60mm)分隊とロケラン分隊からなる火器小隊があるのだが
偵察中隊にはない
しかも海兵歩兵大隊では大隊本部に中迫(81mm)小隊と無反動砲小隊があるのだが
偵察大隊にはない
で偵察大隊は通常の三単位編成でなく4〜5中隊の重編成
こんな軽装備で重編成にする意図って何なんだろう?
特殊作戦部隊の分隊でもM60は持っているのに
ドキュメンタリー映画「ディア・アメリカ」のワンシーンで、M16に混じってBARを乱射する米兵が居たな・・・・
誰だか失念したが日本人戦場写真家の写真でグリースガン持ってる米兵もいた
MAS49持った南ベトナム軍の狙撃兵の画像もあるよ
M2カービン持った米兵もいたな
M2カービンはベトナム戦時でも米国本土の空軍基地の警備隊などの間で現役だ。
AK47持った南べ兵もいたぞ
147 :
名無し三等兵:2009/06/30(火) 21:55:36 ID:02Fr+gc0
>>146 アメリカンも拾ったの使ってたって本と?
148 :
名無し三等兵:2009/06/30(火) 23:07:54 ID:ztzr2efC
>>146 ようつべで「cholon 1968(綴りが違うかもw)」で検索してみそ。
あげてもたwすんません
>>147ダナンの市街戦で黒人の海兵隊員が56式突撃銃を使ってたよ。
他の海兵隊員達が壁越しにM16A1撃ちまくってる横で、どさくさに紛れてトンプソン撃ちまくってる海兵隊員もいた。
>>137 ところが2年後の年末には、南ベトナムへの総攻撃が可能な状態にまで軍を再建。
南ベトナム軍の脆さともあいまって、作戦発起から3ヶ月で目的達成。
しかも、72年の春季大攻勢で獲得した17度線の南、クアンチ省北部
(ベンハイ川とクアンチ川の間)は、北ベトナム軍が最後まで保持したままだった。
152 :
名無し三等兵:2009/07/06(月) 22:52:39 ID:nHhIiuwu
ttp://www.cnn.co.jp/usa/CNN200907060024.html 2009.07.06 Web posted at: 22:28 JST Updated - CNN
ベトナム戦争時の米国防長官、マクナマラ氏が死去、93歳
(CNN) 米紙ワシントン・ポストによると、ベトナム戦争時代に米国防長官を務めた
ロバート・マクナマラ氏が6日早朝、ワシントンの自宅で亡くなった。93歳。家族が明らかにした。
自動車大手フォードの社長を経て、1961年に国防長官に就任。
ケネディ大統領とジョンソン大統領の時代に国防長官を務め、
結果的にベトナム戦争の拡大路線に寄与した。
68年に長官辞任後、13年間にわたって世界銀行の総裁を務めた。
晩年は核兵器使用を反対する意見を述べていた。
マクナマラ氏を長時間にわたってインタビューしたドキュメンタリー映画
「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」は、
アカデミー賞でドキュメンタリー長編賞を受賞している。
153 :
ヤシン市場:2009/07/07(火) 12:06:59 ID:nvS4w86K
ハルバースタムの「ベスト・アンド・ブライテスト」を読むと、
ベトナム戦争に深入りしていったケネディ政権の人材の優秀さには、
本当に感動する。
優秀な人間はきら星のようにいたが、おれ個人としては、J・F・ケネディと、
マクナマラに好感を持った。
マクナマラは、確かに頭でっかちの数字優先みたいなところがあり、
F−111の採用問題などでは、随分ごり押しをして、エリート臭さを出している。
だが、基本的にマクナマラには、ある種の「誠実」さと、国民への「責任感」があった。
デーンやラスクにそれがないとは言わないが、
マクナマラのような歴史への正直な反省をするほどの、勇気はなかった。
このことは、翻って我が国の政治家、高級官僚について考えると、
彼の歴史への率直さと愛国心は、際だっていると思う。
まあ、日本人としては、残念な結論だが。
中越戦争の時
ベトナム軍がアメリカ製の兵器使ってんのはなんで?
155 :
名無し三等兵:2009/07/07(火) 23:34:44 ID:KtxOnVkX
やはり、北の方の基本装備は共産圏からだから、ソ連でゴミと化したモシン・ナガンやナガンリボルバーとかきてたのかな?
>>154 ベトナム戦争で米軍・南ベ軍などから鹵獲したアメリカ製兵器が大量に残っていたから。
装備体系がまったく異なる、西側兵器の在庫が残っているなら、使い惜しみしてもしょうがない
じゃない。
誰もプラモの話なんかしてねえだろ
バカ
162 :
ヤシン市場:2009/07/09(木) 17:10:13 ID:B3jXSMnh
>>158 M113って懐かしい。
タミヤで指揮車モデルがあったな。
163 :
名無し三等兵:2009/07/09(木) 18:17:46 ID:RsSF6quc
そこらへんの高卒者を集めて適当に訓練しただけでジャングル送り込む
って今思えばかなり凄いよな
日本ではあり得ない話だな。
まったくだーーあまったくだー
しかし、そんな兵士が使い物になるのだからAmericaは怖いよね。
凄いマニュアル化らしいな、そのマニュアルほしい
>>156 第1次インドシナ戦争で、残留日本兵が武器をベトミン軍に引き渡した時、
海軍の根拠地隊など二線級部隊のものとして結構な量のモシン・ナガン小銃があったらしい。
日露やシベリアなどで捕獲したものが回り回ってインドシナくんだりまで来たもの。
後にソ連・東欧圏からの援助が本格化した際、弾薬が共通で重宝したという話。
168 :
名無し三等兵:2009/07/10(金) 01:26:38 ID:TNoDkrxS
地獄の黙示録のウィラード大尉って、173空挺所属にもかかわらず、
CIAの要人暗殺に従事していたって・・・
そこらへん、どういう設定なの?LRRPみたいなもん?
もしそうなら、Wikiの“特殊部隊員”って表現はおかしくないか
>>168 ウィラードの本当の所属はMACV-SOG。173空挺は彼の原隊か、
ダミーとして仮に所属してるだけ。
MACV-SOGは各部隊からの志願者で構成されており、
非合法性の高い任務を受けた、特殊部隊の中で最も極秘性の高い部隊。
時にCIAの委託で要人誘拐、暗殺などの任務を受けていたことが明らかになっている。
M113とLVTPEってどっちが防御力高いの?
M113は乗車戦闘に不便でハーフトラックにも劣る代物だってユダヤ人が言ってた。
そら装甲板のフチから8人くらい並んで顔出してライフル撃ちまくるなんてM113には出来ないからな。
LVTPEが何を指したいのかよくわからんけど一般的にはAPCより装甲薄いよ。
デカいから的になりやすいし。
SKSとかは、中国からよくきたらしね
むう。
>>167 じゃあ、WWUの時、日本兵はモシン・ナガンを広く使っていたのか!
ほかには、どんな外国製兵器をつかっていたのだ?
>>175 ドイツ製火器
モーゼル98K・stg44・MKB42・MP40・MG34・MG42・ワルサーP38・ルガーP08
フランス製火器
Mle1917・MAS49・MAT49・ワルサーP38
日本製火器
三八式歩兵銃・九九式短小銃・九六式軽機・九九式軽機・九二式重機
チェコ製火器
ZB26・VZ58
ソ連製火器
AK47・AKM・RPD・RPK・PPSH41・PPS42・SVT38・SKSカービン・モシンナガン・DP38・トカレフTT33・マカロフ・DshK・RPG
その他
ブレン・56式突撃銃・56式騎兵銃
鹵獲火器
M1カービン・M1ガランド・M1928トンプソン・BAR M1918・M3A1グリスガン・FAL・CAR-15・M605・M16A1・XM177・M14
M60・M79・ブローニングM1919・コルトガバメント
177 :
名無し三等兵:2009/07/11(土) 06:15:50 ID:XzkTuc61
>>176 こんなん持ってたら負けないんじゃないか?
まあ兵站グズグズだから結局無理か・・・
てかイイカゲンスレチ
179 :
名無し三等兵:2009/07/11(土) 20:53:24 ID:XzkTuc61
浅讀みでした
石の上に3年座ってきます
180 :
ホーク:2009/07/11(土) 22:08:40 ID:???
ベトナムで行方不明になった兄ジョンを捜しています。
>>176 リエナクトなんかだと共産側は大抵西側ほ捕獲兵器はオッケー
カンボジア進攻の映像なんか見ると嬉しそうにM113乗ったり
ガバメント振り回したりしてるよな。
本音は、米軍装備がうらやましかったんだろうな。
まさか。
ベト公もそこまでガキじゃないだろう。
>>183 それユーチューブ?
激しく見たいんですがw
CAR-15持ってる写真は見た事あるよ
>カンボジア進攻の映像なんか見ると嬉しそうにM113乗ったり
ガバメント振り回したりしてるよな。
これはクメールルージュによるプノンペン陥落時の映像だよ。
あれはクメールルージュだったか。
最低だな。
その後にM16A1を肩に担いで川沿いを移動する兵士や警官達の映像が流れてたが、あれはプノンペン陥落後にタイに逃亡するロン・ノル政府軍
の兵士達の映像だったと思う。
PM 5:00
| ̄/|('A`) カチカチ
|□ | ノ)
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
PM 9:00
シュッ
シュッ
____( 'A`)
ヽ〜/ (ヽ♂彡
[二二] 」 」 ",
AM 6:00
('A`)
/⌒⌒⌒⌒⌒ヽ
// ̄  ̄ フ /
/ (___//
(______ノ
______________
<○√ <○√
父→ ‖ ‖←母
くく くく
191 :
名無し三等兵:2009/07/16(木) 19:02:28 ID:8VdauRTg
あげ
>>190 父と母をアメリカに、
上のを好き放題やってるベトナム人に直せって事?
え?なに言ってんのw
ネタにマジレスかこいい
北ベトナムや解放戦線の兵士の行軍風景で小銃を担ぐ時に、銃身を持って担いでるのを
よく見かけるのですが、あれは何か理由があってのことなのでしょうか。
AKはマガジン長いんですyo
モンタニヤードがM651持ってる画像があるけど需要ある?
マガジンの長さかぁ、だけど他国の兵とかアフガンのゲリラなんかがAKを
ああいう持ち方しているってのも見かけないのだけど、見過ごしてるのかな
AKは伏せ撃ちする時苦労するんです。
背筋の鍛え方が足りない。
マガジンが長す(ry
マクナマラ回顧録読み終わったけど次は何を読めばいいのでしょう?
裏切られたベトナム革命
204 :
ヤシン市場:2009/07/21(火) 14:11:53 ID:cpOO1l3m
>>203さんご紹介の
「裏切られたベトナム革命―チュン・ニュー・タンの証言」
は、おれも非常におもしろかった。
タンはベトナム民族解放戦線に参加して、ベトナム戦争を「反米」の立場で戦うが、
彼は基本的にコミュニストでも、親北でもない。
参加動機はベトナムへの愛国主義と、民族の自由と独立。
解放戦線を支持した南ベトナム人には、おそらくそうした人が多かった。
いわば憂国の士の集まりを、次第にベトナム労働党が支配していく様子がよくわかる。
全土を制圧後に解放戦線内部の(秘密)共産党員が姿を現し、
一気に支配権を握り、それに一般の非共産主義者、愛国主義の解放戦線メンバーが、
あっけにとられ、しかも、教育キャンプなど、弾圧に打ちのめされる心情が、
痛いほどよくわかる。
ジャングルで、コの字型に小屋を造り、参加者同士が顔を合わせずに、
司会者や演壇の方しか見えないようにした秘密集会風景など、
当事者だけにしか分からないおもしろいエピソードがたくさんある。
205 :
203:2009/07/21(火) 14:28:27 ID:???
>>204さん
うぬ〜w
では「ブラザー・エネミー」「サイゴンのいちばん長い夜」「シャッターチャンスは一度だけ」を・・・
南側のヴェトコンって結局は統一後に粛清されたよね
ここらへんは、第二次大戦で祖国解放のために戦っていた共産主義者たちが
ソ連が進駐してきた後でまとめて粛清されたのと似ている
結局は体制側にしてみれば、ゲリラ活動していた反乱分子よりも子飼いの
部下のほうがかわいいんだよねw
米軍はヒューイのTOWミサイルで捕獲品のM41も何両か撃破してる。
210 :
ヤシン市場:2009/07/22(水) 11:09:09 ID:ODQOLzOw
>>205さん、詳しいですねw
「ブラザー・エネミー」は、部分的にしか読んでいませんが、さすがの情報量。
ベトナム戦争時に「反戦」を言っていた日本のサヨクの愚かしさが分かる。
気分的に「陥落後」は、近藤紘一の「サイゴンの一番ながい日」が好み。
この人は軽い文章だけど、その奥底に痛切な感情があり、
ベトナムを書いた新聞記者としては、ジャーナリストとして、出色でしょう。
「シャッターチャンス」は未読。
「地雷を踏んだら」など、個人的にどうも新聞社系のカメラマンに偏見があるかも。
>>206さん
その通り。
ポーランドなどは、ポ人左翼にポ人右を殺させ、占領後に亡命者中心のポ人コミュニストに、ポ人左翼を殺させる。
スペイン内乱などで見られた、ソ連の常套手段ですな。
211 :
名無し三等兵:2009/07/22(水) 13:18:39 ID:oABTnSMB
コミン☆テるん♪
212 :
名無し三等兵:2009/07/22(水) 16:11:53 ID:dT726aS0
>>210 普通のナム戦物の本はサイゴン陥落までの話だけで
サイゴン陥落後も武力闘争を続けていた人達の話や、革命政権の行った残虐行為の話は一切出てこないよね?
その点「裏切られたベトナム革命−チュン・ニュータンの証言−」は非常に参考になる。
213 :
名無し三等兵:2009/07/25(土) 17:50:52 ID:phSTfgRg
ベトナム戦争時代の缶詰ケーキ開封 米陸軍兵の退役記念
7月25日13時45分配信 CNN.co.jp
ワシントン(CNN) 米陸軍で退役を迎えた兵士が24日、国防総省で開かれた退任式で、36年前に支給されたパウンドケーキの缶詰を開ける「式典」を行った。
パウンドケーキは陸軍のヘンリ・モーク大佐がベトナム戦争に従軍していた1973年に支給されたもので、退役したら記念に開けようと、大事に取っておいたという。
ケーキが大好きだったというモーク氏は「チャンスがあれば食べてしまおうと思ったが、食事にケーキがついてくることはめったになかった」と振り返る。
友人や家族が注目する中、年代物の「P38」缶切りを使って缶を開けたモーク氏は、「もし腐って真っ黒になっていたら食べない」と話していたが、中から出てきたのは、まだ食べられる状態の黄色いケーキ。
本物の退役記念ケーキカット用に用意されたナイフを使って缶入りケーキをカットし、口に運んだモーク氏は「いいね、まだしっとりしている」と親指を立てて見せた。
Cレーションが意外に美味くて保存性もよく、
現在でも食うに耐える品質を保ってるとは聞いてたが、すごい。
物量に優れた米軍ならパウンドケーキなんていくらでも兵士に支給されてたのかと思ったけど、
実は貴重品だったのか。
しかしこの人、この缶詰一個を楽しみに長い軍役を勤めたのか?w
>>214 むしろ36年も持つなんてどれだけ保存料漬けになっていたんだとゾッとした。
>>214 いくら兵站最強の米軍でもベトナムでケーキは無理
そんな余裕あったら弾薬かコカコーラかアイスクリーム運んでる
フルーツポンチをヘリで空輸したりしてたらしいな。
218 :
名無し三等兵:2009/07/26(日) 15:07:37 ID:CFMC4h8s
韓国軍の規律正さを各国軍隊は見ならわなくてはなりません。あの殺される側に立つ本多勝一先生のお墨付きです。
ベトナム人が韓国軍の残虐行為を訴えていた?それは嘘だと本多先生はおっしゃっています。
ベトナム報道1200日って本を読んだら
元南ベトナム国民が可哀想でたまらなかった。
劣等国民認定食らって北ベトナム人に馬鹿にされたり差別されるとは。
軍部の都合で中部高原地帯を放棄したのに一般市民を見捨てて遁走するし
それが原因でダナンが陥落して南ベトナム軍の主力五個師団は壊滅
って時点で末期過ぎてオワットル。
220 :
名無し三等兵:2009/07/26(日) 15:19:59 ID:nnNxALBm
↑キムチの香りがするなw
ヤードとMP40
ベトミンがフランス軍と戦ってた頃も含めてサイゴン陥落で戦闘が終結する
まで20年以上も戦争ばっかのベトナムの戦後史を見るとゾっとする。
ケネディが生きててベトナムへの派兵を却下してたら
分裂して対立したままか南が滅んだかは別にして10年は早く終わってたろうに。
アメリカが中途半端に何かをすると最悪になる典型例だな
おおそうか。
火を付けたのはケネディじゃん
上からガソリンかけたのはマクナマラだけど
>>225ケネディが生きてたら軍事援助で止まってただろうから
サイゴンが陥落して無条件降伏するか南が残るかは別にしても
少なくとも20年越しの戦争にはならずに済んだかと
227 :
名無し三等兵:2009/07/26(日) 23:08:32 ID:Aq0O4QDL
共和党が戦争終結させたのに、イメージ的に
戦争大好き政党みたいに思われてるよな。
フラ・ルーズベルトだって、麻薬卸商の子孫で
共産シンパの人種差別主義者なのに
名大統領扱いされてるし。
ホント、終戦時にトルーマン大統領になってて良かったよ。
サイゴンが陥落して無条件降伏が戦争終結なら
アメリカのやった事は全部徒労だったようにしか思えないんだが
南ベトナム消滅を十年遅らせただけで壮大な無駄だったし
229 :
名無し三等兵:2009/07/27(月) 04:32:37 ID:CPSF/CNc
>>223 > サイゴン陥落で戦闘が終結
したはずだったが、実際はカンボジア撤兵まで続いたんだよな。
今でいうところのPTSD発症者はカンボジア駐留軍の方が(少なくとも表向きは)多い。
プノンペンの方が先に陥落したよ。
>>229 ベトナム側のPTSD発症者数のデータがあるんですか?
どれくらいでした?
232 :
名無し三等兵:2009/07/27(月) 22:59:26 ID:NWYhymv0
岩波書店のベトナム戦争の記録ってだいぶ昔に出た本によればサイゴン陥落後の
南側の国民や政府関係者、軍人の強制収用所送りはなかったというかあっても
処罰的なものはなかったし、米兵捕虜への拷問、洗脳もなかったそうだ。
記述はだいぶ偏向してるけど、当時の有名な写真(よりよき日の夢とか)は結構押さえてる。
そうか
岩波書店さんがそう言うなら間違いないな。
>>232ベトナム報道1200日って本だと目立つ元役人や警官や軍人
が再教育と称した強制収容所送りで何処かに拉致されてそれっきり
と書いてあるんですが
>>232 かつて南ベトナム軍相手に戦ってた、南ベトナム解放民族戦線の最高司令官のチュン・ニュータンですら(ry
ていうか「ARVN wiki」で検索掛けて、海外版のwikiを見てみろ。
当時の有名写真押さえて岩波書店が言ってるんだから
間違いない。
238 :
名無し三等兵:2009/07/28(火) 04:57:40 ID:QjjynBR7
>>231 定量的なデータがあるわけではない。
ただ、カンボジア紛争の場合はいちおう公になっているが、ベトナム戦争の場合は殆ど公になっていない
ということ(民族解放の大義に身を捧げた人間がシェルショックで気違いになったとか政治的に×)。
だからこそバオ・ニンの『戦争の悲しみ』なんかが問題視される。
239 :
ヤシン市場:2009/07/28(火) 11:11:38 ID:qmIb3PVy
>>223さん
基本的に同感。
二次大戦後の「敵はコミュニズム」というのは、西側がつくり出した要素が多分にある。
「鉄の壁」も、チャーチルが没落するイギリスを回生させるために、
アメリカを引き込む作戦だった面があるし、「ドミノ理論」は逆に相手を強化したのかも知れない。
「中途半端」はまさにその通りで、イラクでも中途半端をやって負けている。
>>226さん
ケネディが生きていたら、の話は永遠の謎だが、キューバ危機への対処を見ると、
ハードプレイヤーだが、対共産主義恐怖症という原理主義ではないので、
結果的に交渉で解決したと思う。
>>226さん
南ベトナム政府は、バオダイからゴ・ジン・ジェム、その下の官僚組織まで、
国家としての体をなしていなかった。
腐敗が横行する典型的な植民地利権政治で、ここに金と軍をいくら入れてもダメ。
結果的に途上国が独立する場合、私利私欲のない指導者と官僚組織、国民軍が不可欠で、
20世紀を見ると、旧植民地の場合、この「モラル」を与えたのはコミュニズムだ。
ホーチミンの目的は、国の独立と近代化で、コミュニズムは手段であり
反米は目的ではない。
アメリカは使った軍事費の数分の1の「近代化援助」で北ベトナムを味方にできた。
そうして対中国とソ連への防波堤にも使えたかも知れない。
>>236 この画像ネットサーフィンしてると時たま見かけるけど映画かドラマの場面だよ
本物ならばアメリカの政治家が取り上げまくってもっともっと大騒ぎになってるから
>>240 映画(Fall of saigon)のヤツはカラーだし、似たような画像があるけど全くの別物だよ。
もう少し調べてごらん?
アメリカにとっては陥落後のサイゴンで何が起きようが知った事では無かった。
いや、実際には陥落後も80年代初頭まで反共ゲリラとなったかつてのモン族や少数民族へ
秘密裏に援助を行っていたし、
共産ベトナムに対する情報や残留してたと思われる米軍捕虜についても、現地の活動員等通じて
諜報活動を行っていた。
決して関心がないという事はなかったし、
難民の保護を名目とした再度の軍事行動の計画もあった。
>>242 もっと詳しく話を聞かせてもらえないかな?
スタローンの出番だなw
245 :
名無し三等兵:2009/07/28(火) 20:45:02 ID:+mFiABJx
米軍は当時、アイスクリーム工場やミルク工場をベトナムに作ったらしいけど
今はどうなってるんだろ?
>>241 >もう少し調べてごらん?
>アメリカにとっては陥落後のサイゴンで何が起きようが知った事では無かった。
いや、知った事では無かったじゃないだろ。
この写真が本物ならば政治家マスコミMIA家族あげて物凄い騒ぎになってるぞ。
新聞のなんとかタイムスに載ったとか、議会で取り上げられるとか必ずあるから
調べてあるならそういうソースをくれ。
再教育キャンプに送られた旧政府・軍関係者10万人のうち9万4000人は
1992までに社会復帰しているらしいが
248 :
名無し三等兵:2009/07/29(水) 00:26:51 ID:bX222cnj
>>247 ソースは?
ベトナムじゃなくてアメリカか最低限国際的な人権団体がきちんと確認した
やつをたのむ。
249 :
名無し三等兵:2009/07/29(水) 01:24:25 ID:ZU0JlyqV
とりあえず画像の件は
>>236が出典を示せば解決すると思うが。
>>248 ニール・シーハンの「ハノイ&サイゴン物語」P156
・再教育キャンプに送られた10万人のうち9万4000人は1992年までにキャンプから開放
・10万人中3年以上キャンプに入れられていたのは4万5000人
・米越間協議でアメリカは3年以上キャンプに居た4万5000人は受け入れてもいいと言って
ベトナム側は9万4000人全部アメリカに引き取るよう願ったとか
当時のベトナムの失業率と窮乏が以上に高くて、
アメリカに引き取ってもらいたいのだそうだ
聞いたところではMIA詐欺というのも存在するらしいな。
不明兵士の家族から救出するからって金をだましとるらしい。
>>250 統一だの民族解放だのときれいごとカマしといて、
結局面倒見切れずにアメリカに泣きつくとはだらしない。
254 :
ヤシン市場:2009/07/29(水) 11:20:02 ID:LNsGLh3+
>>253さん
ベトナム労働党の方針からすれば、
「南関係者」「対敵通報者」「潜在的的分子」
の戦後処理について、次のような選択の可能性があったと思う。
(1) 殺害する
(2) 敵性度を区分して、Aクラスは殺害、それ以下はキャンプ、洗脳など振り分ける。
(3) キャンプ、洗脳後、二級市民として監視付きで国内居住を認める。
(4) 本人の意志と能力で国外退去を許す
1893年のフランス革命の時は、(4)がメインで、(2)もあり。
1919年のロシア革命は、(1)と(2)がメイン。
1959年の中華人民共和国成立時は、(1)に近いが、(2)(3)も併用。
革命軍が権力を握った場合、敵対勢力への処置は、過酷なものとなる。
ベトナムの場合、国際世論を情報戦で利用して敵に回したくなかった、
また、敵性住民にカトリック教徒、華僑がおおく、宗主国や中国に配慮した。
その結果、革命軍の勝利後の戦後処理としては、やや「人道的」になったのではないか。
「面倒見切れず」
国内戦の戦後は、どの国でも経済や社会の破壊で、大変苦境に立っている。
ソ連の場合、その中で工業化の原資をつくるために農村を収奪し、
大量の餓死(数百万人から1千万人といわれる)をだした。
中国の場合も同様で、建国後の経済難のときに大躍進をやって
2千万人ともい割れる犠牲者を出した。
国内で餓死、粛正するよりも、勝手に出て行ってもらい、
多少海で溺死させる方が、マシなのかも知れない。
>253
ベトナムはドイモイ以後は海外の越僑の帰国を進んで受け入れようとした
まあそれも越僑の金目当てなんだけど
今はアメリカに行った越僑とかでも普通に出入国できるんでない
政治活動とかしようとするのは駄目だけど
236が本物ならNYタイムズとかワシントンポストの一面に載ってると思うんだけど
MIA家族って拉致家族みたいなものだけどそれより影響力や発言力あるだろうな
ベトナムも解放後は迷走しっぱなしだったよな
カンボジアに攻め込んだり、中国と戦争したりで
ドイモイやるくらいな最初から資本主義を受け入れてれば良かったのでは・・・
まあ、中国にも言えることか
LLDB
261 :
奥様はベトナム妻:2009/08/01(土) 06:12:42 ID:AyvIvu5U
カンボジア侵攻は、現在でもベトナム軍部側には情報管制が敷かれていて
実情はいまいち不明なのだが、中国のハノイ侵攻を撃退したあとも、長期にカンボジア国内に
駐留してポルポトを叩き、ウンタックに引きついだおかげで、カンボジアは
国民消滅を免れたので、もうそろそろ
ベトナムには、ノーベル平和賞を授与するのがよろしい
もし、ベトナム軍が入らなければ
カンボジアは、東南アジアの北朝鮮と化して、人口100万くらいの犯罪国家として
核兵器を保有してた可能性が強い。ほんと。
あああー、ホーチミンはビールが美味い。っぞ。
ハケーン
>>261ポルポトが絶滅収容所を作って自国民を殺しまくってる。
と亡命者が方々で言ってたのにアメリカもベトナムも全く信じなかったってのが悲劇だね
日本のアサヒや毎日とかのマスゴミなんかはむしろポルポトを称賛してたもんな。
実際は徹底した鎖国、虐殺の地獄だった。
>263
ベトナムはカンボジアに侵攻して結果として大虐殺を終結させだが、
アメリカはその後もポルポトを含む三派連合を支持し続けたのが罪深いよな
そもそもアメリカがクーデターでシアヌークを追放しなければポルポトなんて
台頭してくる余地なんかなかったのだからアメリカの罪深さは底知れない
シアヌークがバカすぎたんだろ。失脚しようがしまいがポルポトは誰でも利用しただろうし。
ベトナムは結局勝者のおごりで、かつて非難したアメリカと同じことをカンボジアにしたわけだから、
賞賛する点は何もない。
ベトナムは中共に一泡吹かせたことが最大の功績だろ
ベトナムの息のかかった政権が民主選挙を経て現在も与党の座にあるのだから
結局は成功といえば成功してる
アメリカと同じなんてのは乱暴すぎるだろ。
当時の状況としては国境に難民が押し寄せてくる。その中には粛清を逃れてきた
クメールルージュの親ベトナム派幹部もいてカンボジア国内の状況も伝わってくる。
それと同時にカンボジア側からの国境侵犯が増え、ラジオ放送ではメコン川流域は
元々クメール人の土地であるからサイゴンまで進撃して奪い返せと煽り立てたりしてる
ベトナム側はよく我慢していたと思うよ
それ以上に、よくベトナム相手にケンカ吹っ掛けたよなw
>ドMカンボジア
>>266そのベトナムが耐え難きを耐え、忍び難きを忍んでたら
カンボジア人絶滅してたけどね。賞賛する点はそれしかないけどかなり重要
そうなるとg.uで990円ジーンズも買えなくなるなw
ユニクロ 国産生地 中国縫製 3990
g.u 中国生地 カンボジア縫製 990
20年以上前に読んだ本の中に、インテリであることを隠して生き延びた人物の証言で
いつの日かアメリカ軍が自分達を救い出してくれるのを夢見て耐え忍んでいたのに
実際にポルポト兵を追い払い自分達の命を救ってくれたのはベトナム軍であった事に
ものすごく複雑な想いを吐露していたものがあった。
映画「キリングフィールド」の主人公のモデルとなったジャーナリストもベトナム軍によって
救い出されたもののベトナム人の支配を嫌ってタイ国境から亡命している。
カンボジア人にとってはベトナム軍の侵攻は一言で言い表せないものなんたろな
バルト三国などの国がソ連支配を救ってくれたのがナチスみたいなもんだろ
自分たちを救ってくれたのがファシストってのが皮肉だよな〜
まあ、すぐ再支配されたけど
都市インテリは反ベトナムで親米多い
しかし東部の農村地帯はベトナム戦争時に米国の猛爆撃受けたのでそうでもない
与党人民党の支持地盤は東部の農村地域
カンボジア全体で見て人口が多いのも都市でなく東部の農村
276 :
名無し三等兵:2009/08/02(日) 14:59:21 ID:aTHQro1X
まぁ、ポルポト派もソ連の傀儡のベトナムと戦う自由の戦士でしたので・・
つくづく「正義」とは相対的なものよのぉ
一見弱者に見える側のほうが、
実はずる賢かったりするからタチが悪い。
279 :
名無し三等兵:2009/08/02(日) 23:59:58 ID:0PRAVggV
うちに「この目で見たカンボジア」って本があってベトナム軍の「プノンペン解放」の
直後に書かれた本で中々興味深い。例によってだいぶ左がかってるけど。
ポルポト派が大量に放置していった新品兵器の写真とか「中国工場」なる施設や
収容所の写真(製造中のポルポトの銅像や中国製の鎖)や中央銀行の内部等。
ナム戦の再現にはならない
精密集中攻撃の実現によって戦争は変化
>>280してないよ。
米軍は元々砂漠や平原での戦闘は滅法強いし
アフガニスタンで未だに古臭い戦い方してるんで
弱者がずる賢くなかったら勝てないだろうがw
強者同士の戦いなら艦隊決戦でケリがつく
弱者との戦いは、ゲリラ戦となるから、住民の慰撫や経済の復興が重要になる
これを見誤ると住民が簡単にゲリラ側について消耗戦へ突入
圧倒的な軍事力を持つアメリカがイラクやアフガン、ベトナムで勝ててないのはこのせい
>>282 子供にブービートラップ持ち込ませて相手を殺したりとかな。
世論が圧倒的弱者と同情してくれるのを利用して、アメリカが非難をおそれて手加減してる懐に潜り込んで、何でもできる。
>>285 少女に手提げに入れた手りゅう弾をヘリコプターに投げ入れさせたりな
タリバンも女に自爆テロやらせたりしてるしな
女、子供を使うのはゲリラの基本戦術
女に対してはガードが甘くなるし、殺せば同情を買うことができるしで二度美味しいですw
ヒスボラも似たようなことやってる
>>215 缶詰って知ってる?
今どきの若い奴は見た事ないのかなぁ。
賞味期限過ぎても保存状態によってはかなりもつよ。
>>289普通に冷蔵庫で低温保存すりゃ持つと思うよ
>>213の人は絶対に常温保存してないだろうし
35年間の殆どは冷蔵庫の中かと
缶詰を蒸し暑い部屋に常温保存したら賞味期限内でも腐りますか
>>290 たぶん、この部分に突っ込んでいるのかと・・・
>缶詰って知ってる?
>今どきの若い奴は見た事ないのかなぁ。
今は缶詰よりパックの方が幅を利かせてるのかな
缶詰ってそこそこ使うと思うんだけど
まー、缶詰は戸棚の中からいつのものかよく分からないものが出てきたでござるの定番でもあるけどね。
パウンドケーキとかは糖分高くて腐らないと聞いたけどな。
295 :
ヤシン市場:2009/08/11(火) 11:50:11 ID:ipBUMOF8
おれのハンドルの「ヤシン市場」は、ホーチミン(旧サイゴン)に
実在する市場で、軍装品をたくさん扱っている。
駐留時の米軍の軍服、軍靴、機銃弾のケース、ハンモックや、
比較的新しいパチものまで、かなり豊富で安い(外人だとたかくなるが)。
ここには行っても、オリーブドラブの缶詰を売っている。
表示を見ると、米軍のレーションだと思うが、中国軍?のもある。
缶詰はさすがに怖くて買ったことはないが、ラミネートパックのを試したら、
結構食えた。
田舎の市場に行くと、片隅に米軍の本物(テント生地、建材、薬篋など)を
売っていて、多分ベトナム人は、「素材」として活用しているのだと思う。
アメリカ軍は基地を引き払うとき設備を丸ごと放置しておくらしいからな。
ダンケルクからの撤退後の浜辺に脱ぎ捨てていった英軍のカーゴパンツを
フランス娘がみんな穿いてたって話もある・・・まぁ、倉庫にあった分だろうけど
>>296 余裕があれば持ち帰ったり処分したりするが、
ベトナムでは持ち帰るにも莫大な費用がかかり、撤退の期間も限られていたので、
そのまま置いてったり南ベトナム軍にあげたりした。
なにしろB-17を極東に持って行くよりも簡単だからと
B-29を新造しちゃう国だからな。
お大尽ですよ。お大尽。
B-29ってそんな理由で作られてないでしょ?
正直、南ベトナムが政権とってアメリカの庇護のもと
東南アジアにおける民主主義の砦やってたほうが幸せだったんじゃね?
共産政権で生活が豊かになったとはとても思えんよ
中ソ対立に巻き込まれて、イデオロギー論争やったあげくカンボジア侵攻
国際社会からハブられるっていうのよりはマシだった気がする
南ベトナムの支配層が一般国民といかに乖離していたか勉強した方がいいよ
彼らの大部分が北部出身のカトリック教徒でフランス植民地政府の官吏だった者も多かった
彼らの多くは一般のベトナム人と関わることを嫌い日常会話はフランス語を好んで使う
子供達はフランス語の学校に通わせその後フランスに留学させる
そうして醸成されていった上流階級層の人間達がどれほど鼻持ちならないか想像するのは
難しくないだろう。血統的には同じ人種かもしれないが宗教もしゃべる言葉も違う奴らが
生まれついての支配者として君臨している社会が民主主義ってブラックユーモアにも程があるよ
それだけでなく20世紀有数の腐敗国家だったし。
>>302 指導者がクズ揃いだった故、民主主義を唱いながら西側では当時最も非人道的な国だったよな。
つくづくアメリカも深入りしないで、こんな国こそさっさと見捨るべきだった。
南ベトナムがクズだったのは認めるが、北もたいがいだと思うけど・・・・
カンボジアに傀儡政権を樹立すべく侵攻したのはなぁ
そのせいで中越戦争になってもどこも援助も手助けもしてくれなかったし
西沙諸島もとられちまうし
>305
カンボジア侵攻は先に手を出されてるしベトナムが侵攻しなければコアなポルポト派以外の
カンボジア人が本当に絶滅しかねなかったと思うぞ
そういった意味ではベトナムのカンボジア侵攻はアメリカのイラク侵攻よりも遥かにマシ
その結果は報われていないように見えるが、全世界で見ている人間はちゃんと見ている
カンボジア侵攻によって国際社会から孤立したせいで、ソ連に急接近
カムラン湾に軍事基地をこさえ中ソ対立の最前線に
ソ連崩壊後はソ連からの援助打ち切りで経済迷走
まったく報われてないなw
ワロスw
お前全然見てねえじゃん
>>306 なーにが「見てる人間はちゃんと見てる」だよw
>>307シナ事変とまんま同じパターンに陥ってるな。
敵が恒常的にちょっかい出すから攻め込んだら孤立って時点で
国際世論は真実や本質なんかどうでも良いのだろうけど
>>306 >見ている人間はちゃんと見ている
何様?
>>300 意味を取り違えてますね。
まだ十分乗れるのに車検で新車に買い換えちゃったってこと。
>>311 あなたそんな意味のこと
一つも書いてないじゃない。
>>311本人が意味を取り違えたんじゃね?
>極東に持っていく… が嘘っぱちって事でしょ
欧州のB17を活用せず廃棄したって話は、そこそこ有名な話だし。
その頃日本は、松の根から搾り取った油で
逆転勝利を狙うのであった!
ブラザー・エネミーを今読んでる
なぜ中越戦争が起きたかよく分かっておもしろい
つくづく思ったのが戦争に勝つことと国を発展させることは別なんだなぁということ
ヴェトナムは結局、ソ連の後ろ盾がなければ自立できなかったし
今だって外国資本がなければ発展できないし
本当に独立独歩で自立できる国なんて限られた国だけだな
自立の定義に寄るよ。
第一次産業と手工業、それに観光産業くらいまでなら一国単位で独立した経済圏が運営できるけど
工業を発展させようとすると他の経済圏と貿易や援助関係を築かないといけない。
地政学的な状況が許せばブータンや江戸時代の日本みたいに発展より孤立政策を
選ぶこともできる。アイスランドのようなやり方もある。
外交的独立と経済的独立って、相互に関係はしているけれど
基本的には別物だよな
ヴェトナムは地形が悪すぎるな
上に中国がいてすぐ攻め込める状況
そんでカンボジアを挟んで隣はタイ
どっちかの側につかないと、やってけない
中越戦争ではどっちも敵になって、最悪の状態に
>>318-319 ガンジーはインドをイギリスの工業向けの商業作物や原料を供給する植民地経済から脱却して、
軽工業と農業で自立することで外交的にも経済的にも自立を目指していた。
国旗に描かれた糸車はその象徴だし。
パキスタンや中国との紛争もあってインドは軍事大国化していったけど
経済は鎖国状態で外国資本を歓迎せず工業の発展はあまり重視してこなかった。
この15年で様変わりしたけど外交も常に等距離外交。
しかも民主主義国家であり続けたから、干渉も受けにくかった。
第三世界のある種の理想だよね。ベトナムもソ連の影響はあるけど
共産党政権であることを除けば、けっこう近いかな。
321 :
ヤシン市場:2009/08/17(月) 17:06:51 ID:90kqWXBV
>>316さん
賛成だ。
自立自尊は、民族と国家のプライドを満足させるが、経済的に発展しなければ、
結局、外国の影響力に飲み込まれてしまう。
日本の幕末から明治期を見ていると、本当に冷や冷やするが、
産業化が失敗して、借款地獄に陥り、イギリスやフランスの半植民地になる可能性は、
充分にあったと思う。
現在でも、IMFに借金すると、内政干渉のひどさは、植民地なみ。
アフリカの貧困国が陥っている無間地獄をみると、
ベトナム含めて東南アジアは、よくやった、と言ってやりたい。
>>319さん
ベトナムの国土的な条件は、色々な見方があると思うが、おれは好条件だと思う。
まず、対中国では国境に山脈、高地があり、ランソンと山道をいくつか守れば対抗できる。
ラオス、カンボジアは弱国で、うまい緩衝地帯となっている。
最大のメリットは、長大な海岸線で、ここには良港がたくさんある。
また、東南アジアの中間地点で、日本、中国のシーレーンを扼することができる。
工業や通商に向いているが、南北に長い国土は、農業にも向いている。
メコンデルタは3期作が可能で、高原では商品化作物の栽培に適する。
cho DAN SINH=「ヤンシン(北部読みでザンシン)」市場では無いか?
323 :
ヤシン市場:2009/08/20(木) 11:07:34 ID:VC5r7Mwq
>>322さん
おお、そうかもしれない。
耳で聞いた感じで表記したので、かなりいい加減ですねw
ご指摘snks
ベトナムに行ったときに、サイゴンで南ベトナムが政治犯をぶちこんだ
「虎の穴」という監獄を見た。屋根に金網が張ってあるだけのコンクリートの穴。
映画「パピヨン」で、脱獄に失敗した主人公がぶちこまれる懲罰房そのままだった。
サイゴンで政治犯と密告されたら命がないからな。
一方的に裁判されて処刑か、拷問。
まあ解放戦線も南の支配地域の指導者層を殺したから
おあいこだが。
内戦になると朝鮮でも同じことしてたし、アメリカでは
今でも南北戦争の残虐行為のことはタブーだし
内戦はやっぱ嫌だね。
国共内戦でも国民党が共産主義者シンパを片っ端から虐殺してた
中共は中共で農民を拉致ってオルグしまくったり、富裕層を襲ったりしてたし
ロシア内戦では赤軍と白軍が互いに殺しまくり
日本でも戊辰戦争の時に官軍がひどいことしたって話は枚挙にいとまがない
戊辰戦争の時の赤報隊なんか味方の官軍に逆賊呼ばわりされて皆殺しだもんな。
るろうに剣心の主人公のモデルなんて攘夷派をおそらく暗殺しまくってたから
最後は消されちゃったし
ドイツではソ連の突入で急遽動員した民間人やユーゲントの少年が
逃げ出すと見せしめに処刑して晒していたが、日本でも本土決戦が
行われたらやったかねえ。
沖縄では米軍の索敵隊の接触から戻ってきた農民をスパイとして殺害したり
終戦後に投降を呼びかけにやって来た沖縄人を洞窟に籠もる沖縄の人が殺害したり
あったが、そこまでやるかと・・・
ユーゴやルワンダでも、ついこの間まで一緒に暮らしてた連中が殺しあった。
ドストエフスキーが「人類愛なんて簡単だ。難しいのは隣人を愛することだ」と
言ったそうだが、そういうものなのかもしれない。
>>328 米軍が侵攻してくる前にみんなで死のうと、
村の小学校に子供達を集めて、慈悲のためだとして大人が子供達を殺して回った話もあった。
泣き叫んで逃げ回る児童を、教師や村の有志達が、刃物を持って追い回す姿は、この世のものとは思えなかったという…
自分達が宅間なくせに米軍に責任転嫁とは恐ろしいね。人間は。
さらに自分の属する国家の命令だと(ry)
ごめんなさいスレ違いでした
沖縄戦の秘蔵映像で米軍が防空壕に火炎放射しているのかなり昔テレビで見た事があるよ
ところが、火炎放射器の有効性を先に米軍に教え込んだのは日本陸軍だったりするんでね…
ドイツの影響で熱心に整備していたのを、フィリピン・ガダルカナルで使って、
特にガダルで海兵が多大な衝撃を受けたのが、米軍の火炎放射器整備のきっかけだとか。
>>332 まあ、生きて虜囚の辱めを受けずを日本人のあるべき姿と教えられていた時代に
軍から手榴弾を渡されたら、何を意味するのかわかるからな。
捕虜や投降兵の射殺処分とおなじで文書での命令は残していないから
軍の命令があったかどうかは藪のなかだけど、駐屯してる部隊もよかれと
思って手榴弾を渡したようなケースはあっただろう。
民間人を壕から追い出したり、泣く子どもを黙らせろと命令したりしてるし。
ベトナムだったら投降したと見せかけた女子供が油断したアメリカ兵に
手榴弾を投げつけたりするのだろうけど、、、
日本人はこういうときに勝手に死んでいくからアメリカ兵もいうほどトラウマに
ならないだろうけど、ベトナムだと抵抗をやめない女子供に直接手を下さないと
ならないから兵士のトラウマも半端なかったんじゃないのだろうか
竹槍で突撃させなかったからなあ。
さすがに日本軍も国際法違反の民間人に戦闘はさせようとは思ってない感じ。
鉄血勤王隊の生徒もちゃんと軍籍に入れてのことだし。
竹槍訓練も「自衛」でしかなかったのかも。
完全にスレチw ついでにひとつだけ・・・
>>335 の
>軍の命令があったかどうかは藪のなかだけど、駐屯してる部隊もよかれと
>思って手榴弾を渡したようなケースはあっただろう。
ですが、こういうのも帝國軍(日本国政府)として責任負わされるの?所謂「使用者責任」というのは有るわけ?
負わそうとしている人が居るのは確かなんですが
なんというか日本人とベトナム人の死生観の違いって言うか
日本人は死ぬことを自己目的化している感が強い気がする
日本兵もベトナム兵も自殺(自爆)攻撃をよく行なうけど、日本兵の攻撃は
死ぬためのポーズに見えて仕方がない。攻撃の成否よりきちんと予定通り
死んだかどうかが重要であるかのような逸話が多いのが虚し過ぎる
>>338 責任という観念は馴染まない。命令でもないし、住民も覚悟して受け取ったのだから
ただ、家族多数が手榴弾自決で死んだ場合、軍が渡さなければ
生きていてくれたかもしれないと、遺族は悲しんだり恨んだりするだろうね。
人間の感情の問題。
>負わそうとしている人が居るのは確かなんですが
沖縄の人が悲しんだり恨んだりしているのを、ブサヨと言う風潮があるけど
それは違うんで、注意して欲しいかな。
>>340 338ですがコメントいただき有難うございます
>>339バンザイクリフの気持ち悪さは半端ない。
死んだ連中が初等教育受けてなくて読み書きできないなら筋は通るんだが
そうでもないのに自殺しちゃう時点でマジキチと呼んても違和感が無い。
アレに比べたらアフリカのフツ族ツチ族間の虐殺の方がぶっちゃけマトモに見える
日本人が手段と目的を混同しやすい、というのは
国民性としてよく指摘されることだな
>>344適当に見つけたブログの転載だが
本当に沖縄戦で生き残った連中がそう思ってたなら病理が深過ぎる。
そもそも軍人でもないのに生き残って恥じる理由が分からない
戦後の沖縄を支えた人々、それは、沖縄戦から生き残った人達でした。
彼らの多くが戦後、慙愧の念を抱えながら繰り返し語った事があります。
私も孫ではなく子の世代なので、沖縄の老人からこの言葉を聞きました。
「いい奴は皆戦争で死んだ」
「他人に先駆けて真っ先に突撃したやつはみんな死んだ」
「生き残ったものは皆無能で悪い奴だ」
「あの戦争(沖縄戦)で、沖縄の最良の部分はすべて散った」
346 :
名無し三等兵:2009/08/24(月) 02:51:50 ID:+DumT902
>>343 何時撃たれて死ぬか判らん恐怖があるし生きていても援軍も補給も来ないの知っている、
出て行けば死ぬ確立の方が高い、ならば死んだ方が楽 と、言う事らしいです、
ベトナムには元日本軍の爺さんがかなりの数居たそうですね、
かなりの人がベトナム戦争を生き抜いたようです、
>>346沖縄戦だと「軍属でもないし普通に考えて殺されないだろう。」
と思ったアメリカ帰りで英語も話せる移民失敗者が周り説得して投降してた
出て行けば死ぬ確立の方が高い、ならば死んだ方が楽 で死んだ方が多分多いけど。
酷い事言うようで何だが、軍人がやるなら軍上層部が腐ってただけで済むけど
民間人がやったら終末思想に取り憑かれたカルト宗教の集団自殺と同じだよな
349 :
名無し三等兵:2009/08/25(火) 02:03:17 ID:nCTKp3N7
>>347 それです、自分が目にしたのはまだ子供の頃テレビのドキュメンタリー番組で
実際に現地に残留して戦ったお年寄りたちでしたが現地人と結婚して子供もいる
が年とって一度日本に帰りたいと願うという企画だった、その当時はまだ問題が
知られてない頃で初めて取り扱ったみたい、昭和52年頃だったかな、
>>348 当時の世間体という考え方がそうさせちゃうんだよね、村社会で大家族主義
今みたいに社会規範が緩くないし、 その状況をアメリカから見て言わせると
全体主義と言う事になるんだけど
一家の娘と一発断り無くやったら大黒柱としてのおとーさんが
俺の娘を傷物にしたな、ってくるような時代、バブル以降女の子が逞しくなったw。
お前らそんなに日本の話がしたいのかw
愛国者だなあw
351 :
名無し三等兵:2009/09/01(火) 00:12:37 ID:n/dp+Y5d
全ての始まりがグエン・アイ・コックなもので
阮愛国がグエン・アイ・コックとか、東京湾がトンキン湾とか、漢字文化圏というのは凄いなと思う。
354 :
名無し三等兵:2009/09/01(火) 00:39:56 ID:xQ/JtUWI
ζ イメージ・・
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// ,,r'´⌒ヽ___/
天守閣に逃げ込んだ殿様だな
355 :
名無し三等兵:2009/09/01(火) 00:45:55 ID:rDpstuZ/
武元甲生きてるのかよwww
さっさと死ねよなグェン・ザップ爺。
あの笑顔がキモい
実は人造人間
キラー・カーン
360 :
ヤシン市場:2009/09/02(水) 13:58:56 ID:JdOK1iB5
ボー・グェン・ザップについては、不思議に感じることがある。
一つは、彼は正式の軍事教育はもちろん、下級野戦指揮官の訓練も受けていないのに、
どうしてあれだけの近代的な軍隊を指揮できたのだろうか、ということ。
ここにいる人なら分かると思うが、近代的な軍隊の指揮官は、作戦・兵站・情報など、
専門的な知識、数理的な訓練を受けたものではないと、とても出来るようなものではない。
いくらセンスがあるからといって、素人が大企業のCEOの経営が出来ないのと同じ。
ザップの場合、1945年頃のゲリラ的な蜂起指導者は分かるが、
インドシナ戦争、例えば、ディエンビエンフーの時の砲兵部隊の指揮など、
それまでの経歴から、飛躍がありすぎる。
ゲバラのように、山から都市をゲリラ戦で包囲とか、トロツキーのように実際は
旧ロシア帝国の将校を使い、自分は政治将校、督戦軍の指揮官といった役割なら、可能だろう。
しかし、ザップの場合は、それたとは違い、装備に劣るとはいえ、
フランス軍と近代的な軍として交戦し、勝っている。
隠れた指揮官、参謀がいたのか、実はザップはどこかで将校教育を受けたのか。
これは、かなり奇妙なことで、誰か教えて下さい。
始まりのラインバッカー
>>360 貧乏な百姓出身で足軽をやってた豊臣秀吉が将軍になるための正規教育
を受けたという話は無い。
グリンベレーでも一番重視されるのは適性です。
適性ゼロでもグリンベレーに入れば誰でもグリンベレーに恥じない行動が
できるのかと言えば嘘になるし、訓練で落伍するでしょう。
正規教育を受けていたが、滅茶苦茶な作戦をやって負けて逃亡したインパール
作戦の牟田口などを見れば適性が無いとダメなことは解ると思う。
ボーグェンザップに負けて降伏したり逃亡した将軍達は正規教育を受けていたが、
結果は降伏や逃亡です。
>>360 ボーグェンザップはソ連で教育されていたという説を唱える人
もいるでしょうが、そうであったとしてもソ連で教育されたら誰でも
名将軍になれるなら苦労はいらないでしょう。
ソ連軍の英雄で第二次大戦の独ソ戦を指揮したジューコフ将軍は一兵卒
から叩き上げた将軍で、ほとんど無学に近い人物だったが、軍人としては
卓越した力量を見せている。
またソ連がアフガンに介入した時は正規の教育を受けたソ連の軍人が
アフガンのゲリラに負けて撤退してる。
>>360 兵站とは軍隊の学校に入らないと解らない話かというと、そうじゃない。
米びつにコメが無ければコメは食えないし、燃料が無ければコメは炊けない。
コメは天から降ってくるものじゃないし、田植えをして収穫し、貯蔵したり、
運ばないとコメが口に入ることは無い。
服も靴も牛も天から降ってくるわけじゃない。
これは子供でも解る話だが、インパール作戦の牟田口は正規教育を受けていたが、
この当たり前の事実を完全に無視している。
>>360 ザップはゲリラのリーダーだったのであれば、強い相手に何も考えずに突撃
したら全滅するので、事前によく相手について調べたと思う。
もしザップにそうした能が無い人間ならゲリラの段階で全滅してる。
そこでザップは相手の陣地、戦法、兵器などをよく研究して近代戦とは何か
を学んでいった面もあるのではないか?
それができない人間だったら、ゲリラの段階で全滅してる。
>>360 旧日本軍の兵士が戦後もベトナムに残って指導をしていたという説
もあるが、これもありえる。
銃剣格闘は旧日本軍に学び、銃剣格闘に自信があったから、インドシナ戦争
でもベトナム戦争でも敵の陣地に果敢に突撃できたのかもしれないからね。
銃剣格闘に自信が無かったら、突撃して敵陣地に浸透できても、白兵戦で
負けてしまうわけだから。
ザップなどがこうした教育を受けたのであれば、適性もあったし、士気も高かった
ので吸収して活かしたのではないか?
>>360>>363-364単に旧日本軍の秘密工作員だっただけじゃね。
それか偽名使って別人に成り済まして日本軍占領下の何処かで
正式の軍事教育や下級野戦指揮官訓練を受けたとか
>>367 ただ兵站を完全に無視していた旧日本軍と違い、ザップは兵站を
最重要視している。
トラックや輸送ヘリなどが無いので、自転車、リヤカー、天秤棒、
帆かけ船、牛などを使って大輸送作戦をやってる。
こうした発想は旧日本軍からは死んでも出てこない。
だから旧日本軍オンリーの人間であったとは考え難いのではないか?
なにかソースの片鱗でも欲しいね
>>369 ベトナム戦争は戦後の話なんで写真や映像も多く残ってる。
ベトナム人が自転車にたくさん荷物を積んだり、天秤棒などで
必死に輸送作戦をやってる写真は図書館などに行けばあるよ。
ディエンビエンフーの戦いでべトコンがフランス軍の陣地を大砲で
攻撃できたのは、大砲や砲弾を最前線まで運ぶだけの補給力があった証拠でしょう。
弾薬消費量が多い軽機関銃や突撃銃でべトコンが戦い抜けたのも補給力があった証拠で、
補給が無ければすぐ弾切れになってしまう。
補給を完全に無視してた旧日本軍とは違う。
>>366 NVAは支援無しの銃剣突撃や銃格なんか重視してないよ
そんなもん優勢な火力を持つ敵に対し必敗の戦術であるし
ザップのゲリラ戦術に反する
ディエン・ビエン・フーだって仏軍に対し火砲で優勢にたってから攻撃をしてるし
ケ・サンだって戦車を持っていない米軍拠点に軽戦車中隊投入し攻撃しかけている
ハンバーガー・ヒルでのNVAは1個分隊ごと軽機関銃1挺とRPG1基を装備させ分隊火力を増強している
はっきりいってNVAは旧日本軍の自殺戦法なんて全然参考にしていない
もし参考にしていたらインドシナ戦争勃発半年で戦争は終わっているよ
仏軍の完全勝利で
今だに銃剣道なんかやってるのは世界で自衛隊と韓国軍だけだ
ナチからソ連に解放された東欧みたいなもんか。
>>345 ヒトラーがほとんど同じような事を言っていたなぁ・・・
>>371 司馬遼太郎の小説で作られた「銃剣突撃をさせた乃木はきちがい」という
歴史観だけで論じたらいかんと思います。
司馬の小説は歴史修正がいたる所にあり、あくまで小説に過ぎないことは
証明されていることです。
ディエンビエンフーの戦いでも、べトコンの大砲のみで陥落したわけじゃなく、
最後は銃剣突撃をして陣地を占領したわけでしょう。
そこで白兵戦で負けてたら、ディエンビエンフーは陥落してませんよ。
またテト攻勢もそれに参加した兵士は自決覚悟の決死隊だったわけで、司馬遼太郎
がきちがいと呼んだ作戦も状況によってはザップは採用してる。
ザップは火力強化も重視しましたが、火力のみでインドシナ戦争やベトナム戦争に
勝ったわけではない。
インパール作戦の牟田口や連合艦隊の南雲提督は本当に勝つ気が
あったのかどうか疑うような箇所が多いわけでしょう。
名将軍が称えられるのは名将軍が滅多にいないからで、大半はボケたり、
戦意を喪失したり、われ先に逃げ出したり、私利私欲ばかり満たした
ようなダメ司令官だったわけでしょう。
反対にボーグェンザップは勝つことに貪欲で真剣だったのだと思うよ。
だから苦しいなかでも補給力、陣地防御力、火力などを向上させ、英雄的突撃主義や人民ゲリラ
も活用して勝利に導いた。
ただベトナム戦争はザップ将軍やべトコンが優秀だったというだけでは
説明ができない点も多い。
アメリカ軍は物量作戦で徴兵してまで望んだにも関わらず、いかに言い訳を
しようが、連戦連敗、逃げるだけの軍隊と呼ばれてもしょうがないことをしてる。
第二次大戦のクルクス戦車戦以降の東部戦線のドイツ軍は士気が低下して、
改良型ティガー戦車などがあってもひたすら逃げてるが、それに近いものがある。
ベトナム戦争の米軍や韓国軍はへたれだったと言ってもいいのではないか?
釣りっぽいが…
NVAやベトコンが陣地に果敢に銃剣突撃した?
冗談じゃない。
奴らは自分から姿を現すなんてよほど圧倒的優位な状況でない限り、そんなバカな真似はしなかったよ。
常に姿を見せず、相手の根気を削ぐ消耗戦を用いたということぐらい、
ここに書き込むぐらいならわかるだろ?
司馬遼太郎って乃木のことを「きちがい」なんていってたかなあ。
軍事的に無能である、みたいなことはかなり書いてたと思うけど。
あの人がそれに類することを書いてたのって、
信長とか、無能というより、奇行のようなことについてしか
読んだことがないなあ。
>>いかに言い訳をしようが、連戦連敗、逃げるだけの軍隊と呼ばれてもしょうがないことをしてる。
具体的にどの戦いで連戦連敗したのかkwsk
>>378 司馬遼太郎は乃木は軍人としても無能だが、人間としても知能や精神に
欠陥があるような人物として描いてる。
しかし司馬が死んだ後に司馬史観が歴史修正まみれであることは証明
されたわけでしょう。
GHQや中国共産党がこう書けと言った内容をそのまま書くような
三流作家であることはバレてると思う。
>>379 米軍もベトナム戦争の米兵に厭戦気分、アル中、麻薬中毒が広がって
いたことは認めており、戦う以前の問題があったということでしょう。
また米軍はベトナム戦争で初投入されたM−16ライフルの初期モデルに
致命的欠陥があり故障が続出したことは認めており、多くの兵士はピストルとナイフで
戦うはめになったことになる訳で、そんなものを改良せずに採用した米軍には
戦う以前の問題があったと言わざるを得ない。
これは米軍が認めていることです。
広く受け入れられているいわゆるスタンダードに近い歴史観
無条件に受容するわけでもない
リヴィジョニズムとは異質すぎるので念のため
>>380 福田氏の晩年の台湾シフトをどのように説明するのか?
>>381 だから、どういう場面でNVAやベトコンに米軍が連戦連敗したのかを聞いてるんだけど。
戦いの名前を一つでも挙げてみて。
というか、ナム戦スレで何故に司馬史観論争?
>>381 M16はたしかに改良がくわえられたけど、作動不良の根本的な理由は、
7.62mmの装薬を使い続けた事だで
ベトナム戦争には韓国軍も米軍側で参加し、韓国人が語るには
「我々はタイガーのように勇敢で決して逃げず死ぬまで戦ったニダ」
という話になってるが、ではなぜ韓国軍は撤退したのかという話になるし、
ベトナムから生きて帰れた韓国人は1人もいなかったはずだ。
彼ら韓国人は大袈裟な嘘を言いまくることが文化で、常に嘘を繰り返すのだから、
その発言は割り引く必要があり、実際は「ひたすら米軍で横領を働き、何かあったら
真っ先に逃亡したニダ」というのが事実じゃないかと思う。
韓国人は朝鮮戦争でも「北朝鮮を食い止めるために最後の一兵にいたるまで決死で戦ったニダ」
と言い張るが、事実の戦史ではひたすら逃亡したり、降伏して米軍の助けを求めていた。
とにかく嘘が多い、嘘つきコンテストみたいな人々なのだ。
>>383 ベトナム戦争はベトナムだけではなく東南アジア全域で行われた
戦いだったと言っていいはずだが、そのほとんどの部分でミスを犯し
負けたので米軍は撤退する結果になった。
ほとんどの作戦で勝っていたら撤退してるわけないでしょうが。
ベトナムのこの村のこの畑の隅でこういうミスをしたといった問題は
兵士のみが知る面もあり、今となっては確認しづらい。
>>ほとんどの作戦で勝っていたら撤退してるわけないでしょうが。
戦術的勝利を積み重ねる=戦略的勝利
ではない事が理解できない人間がまだ生きてたんだ。
メール欄???はまだ生きていた辻〜んに違いない。
>>384 ベトナム戦争を司馬遼太郎の本だけで解説するかのような人も
いらっしゃるからです。
しかし突撃したらキチガイだと断定する司馬史観から行けば、米海兵隊
もきちがいだし、関が原の戦いで突撃した徳川軍もきちがいだし、
人類のすべての戦争はきちがいだという話になる。
戦争においては、ただの一歩も前に進んではならないという話になる。
>>ではなぜ韓国軍は撤退したのかという話になるし、
>>ベトナムから生きて帰れた韓国人は1人もいなかったはずだ。
すみません、いったいどういう思考を経たらそういう結論になるのか俺に教えてください。
>>137 「始まりのラインバッカー」
意味、理解できてるのか?
>>390 海兵隊や徳川軍は明らかに優勢な火力を持つ敵に何の策もなしに正面から突っ込んだの?
>>385 テスト不十分で採用したか、談合があったとしか思えないはずの
話だと思います。
その結果として故障が相次ぎ、多くの兵士がピストルやナイフで
戦うはめになったわけでしょう。
これでは撤退はやむを得ない。
>>388 太平洋戦争の図式で考えてらっしゃると思います。
太平洋戦争では米軍の戦略攻撃が成功して日本の生産力を低下させ、
補給路も切断したわけですが、ベトナム戦争は陸の戦いであったが
ゆえに補給路を切断できなかったし、生産地は東欧、ソ連、中国にも
あったので共産圏の核の抑止力によって、そこには戦略攻撃ができなかったわけでしょう。
戦略的勝利が困難となったら、戦術で押すしかないじゃありませんか。
それとも戦略勝利が無理なら、それであきらめて逃げるだけですか?
>>390 この場合比べるべきなのはクレシーの戦いで野戦陣地に篭るイギリス軍に正面からの突撃を16回も繰り返した挙句全滅したフランス騎士だな。
バラクラーヴァじゃあるまいし
>>393 太平洋戦争の硫黄島の戦いで米軍は事前に艦砲射撃や空爆は
行っています。
しかし日本軍もそれを見越して堅牢な地下陣地を構築していたので、
海兵隊はバンザイ突撃になったわけでしょう。
有名な硫黄島のすり鉢山に星条旗を立てる話にしても、それをやった
部隊はたしか全員が立てた後に戦死してるはずです。
>>海兵隊はバンザイ突撃になったわけでしょう。
海兵隊がいつバンザイ突撃を?
>>396 それは愚かなことに見えるかも知れませんが、最新型のメルカバ戦車
があったが、それを使わず馬に乗って出撃したというわけではないでしょう。
テト攻勢やケサンですら戦術的には米軍+ARVNは勝利してるんだが、こいつのいう連戦連敗ってのはなんの事なんだろう。
>>396 第二次大戦でナチスの戦車部隊に騎兵隊で戦いを挑んだポーランド
騎兵隊はたしかにギャグに見えるし全滅しています。
しかしよく調べるとポーランド騎兵隊は全滅はしたものの、結構な被害
もナチスに与えており、漫画の花の慶二みたいなもんとして、その敢闘精神、
ポーランドに対する愛国心は称えられていい面もあるのではないかと思います。
>>401 テト攻勢でも勝った、ケサンでも勝ったと言うなら、ではどうして
米軍は血相を変えて最後に撤退するはめになったんですか。
>>377普通にディエンビエンフーで夜間銃剣突撃を多用してたよ。
日本陸軍の浸透戦術っぽい感じで
405 :
ヤシン市場:2009/09/02(水) 20:17:39 ID:JdOK1iB5
>>362>>363さん
なるほどね。
才能があって、チャンスに恵まれれば、出来るのか。
>>366さん
前のレスに旧日本軍将兵が、敗戦後も残ってベトミンに軍事教育した、
という話があったが、それとボー・グェン・ザップは重ならないのだろうか?
>>368さん
日本軍すべてが兵站を無視したわけではないと思う。
中国戦線でも、末期の一号作戦でさえ、一応兵站は通っている。
旧日本軍の補給無視、というのは、末期の島嶼戦や、
インパール、フィリピンの印象が、大きく影響している。
大陸はもちろん、開戦当初のマレー、フィリピン、ビルマなどでは、
もちろん、補給計画が立てられ、おおむね実行されていたと思う。
>>368さん
これはその通りだな。
最後は、ホーチミンルートを使って、パイプラインまで引いている。
406 :
ヤシン市場:2009/09/02(水) 20:21:29 ID:JdOK1iB5
>>370さん
その大砲や砲弾、重機の部品などは、どこから供給され、運んだのだろうか?
ベトナムは、宗主国フランスの政策で、基本的な工業の立地が許されず、
ベトナム戦争後でさえ、組立は出来るが、簡単な部品さえ作れない始末だった。
戦争中、仏印に進駐した部隊の兵士の手記かなにかで、輜重部隊の貨物自動車が故障し、
ネジや、パイプを探したが、どこにも工場がなく、すべて輸入だったので驚いた、
というのを読んだことがある。
ディエンビエンフー戦でも、大砲、機関銃を稼働させるには部品必要で、
砲弾や銃弾は、ベトナムでは生産できないので、日本軍や仏軍の残したものがあったとしても、
それを運ぶ自動車(荷車?)、道路の開鑿、その他諸々の補給計画はどうしたのか。
その頃から、ソ連からの補給があったのか。
仮に一個砲兵大隊が、1週間砲撃するとすれば、どれだけの弾薬や補給品が必要だったのか。
少なくとも、旧軍の輓馬編成の輜重大隊くらいは、必要だったのではないか?
その馬匹、糧秣などは、どうしたのか。
補給の面から考えると、色々不可思議なことが多い。
>>380 乃木の人間性については、詩作の才能や感受性、
もって備わった(多分に運も含まれる)カリスマ性(というか劇性)
という点はプラスに評価してると思うけれど。
そもそも、司馬遼太郎作品の主要登場人物に、
欠陥の無い人間なんてほとんど出てこないし、
坂本竜馬だって、秋本兄弟だって、人間的にはかなりいびつな
人物として描かれてる。
これは特に乃木に限ったことではない。
司馬の乃木に対する批判が、史実に照らして正しく無い部分がある、
という批判はある程度正しいとは思うけれども、
>GHQや中国共産党がこう書けと言った内容をそのまま書くような
とまで言うのは、それこそソースきぼんぬ。
408 :
ヤシン市場:2009/09/02(水) 20:23:04 ID:JdOK1iB5
>>371さん
「NVAは支援無しの銃剣突撃や銃格なんか重視してない」
多分、旧日本軍との比較だと思うが、やや事実と違っている。
旧日本軍は、ただ銃剣突撃していたわけではない。
軽機関銃を分隊の中心にして、敵拠点を擲弾筒でつぶし、
必要なら歩兵砲や、本格攻撃なら野砲・山砲の砲撃があった。
また、日本軍は比較的早くから浸透戦術を取り入れていて、
ゼークトラインを破った南京戦の勝利などは、火力と機動力の利用が決め手だった。
旧軍も、末期の包囲されて全滅、といった戦闘をのぞけば、
普通の軍隊と同様の戦闘スタイルを取っていたと思う。
米軍はベトコンに勝ってヒッピーに負けたんだよ。
これ以上、グークに米兵を殺ろされることは大衆が許さない。
>>403 政治的な理由で敵の本拠地を本気で攻撃する事が出来ずに、何年も南ベトナムで戦闘を続けている内に死傷者が増大し国内に厭戦気分が蔓延したから。
南ベトナムでどれだけ勝利を重ねようが肝心の北ベトナムが無傷では戦争に勝つ事は不可能。
そもそもテト攻勢やケサンで米軍が負けたと言うのならそのソースを提示しろ。
例えばケサンでは米軍・ARVNの死傷者4000に対し北ベトナム軍の死傷者が1万から1万5000と戦術的には圧倒している。
>政治的な理由で敵の本拠地を本気で攻撃する事が出来ずに
戦略、政略的に、勝つシナリオって一応あったのかね。
米国首脳部には。
戦術的にやっつけてれば、そのうちあきらめるだろうとか思ってたんだろうか。
>>394 いや違う。メーカーは専用弾薬使うように再三促してたんだ。
現に専用弾薬つかってきちんと整備された空軍のM16はめちゃくちゃ評価が高くて、
そのため全軍に配備が決定されたんだし。
確かにやわい部分もあったけど、当時としてはかなり洗練された銃でしょ
>連戦連敗、逃げるだけの軍隊
これはアメリカ軍というか政府軍の話ではないだろうか
脱走兵が年間十万人だし
414 :
くま:2009/09/02(水) 21:45:05 ID:dHrCVMiY
もうこの手の話はうんざりだよ
ベトナムやインドネシアの独立戦争に日本がいかに貢献してたかってのは
そりゃ、そういう人もいましたよ確かに
しかし、その倍くらい現地の食料を徴用した兵士がいたってことを無視すんな
>>405 明治時代の日本も日清戦争や日露戦争に勝つために貪欲に外国から
様々なものを吸収したわけじゃないですか。
その背景には植民地にされたくないという猛烈な危機感があったわけじゃないですか。
ザップも勝つための執念で日本だろうが、ソ連や中国だろうが、アメリカ
だろうが吸収できるものは吸収したんじゃないかと思います。
日本に帰っても苦労するだけなので、敗戦後も現地に残留、
紛争などの小競り合いで貢献するとすっかり村の王様気取りになって食い物やら女やら好き放題していたため、
村人から陰で憎まれてた元日本兵のほうが多い。
>>406 戦争をやってたわけですから、国内で生産できないものは海路、空路、陸路
を通じて、どこからでも手に入れたんでしょう。
トラックや鉄道が使えないなら、人海作戦で天秤棒、カバン、荷物が積めるチャリ、
リヤカー、帆かけ船、牛など何でも使って運び、土木工事も重機が無ければ人海作戦
でスコップを持ってやったんでしょう。
>>408 日本軍は夜間は防御側は火力の使用が困難という前提で戦っていたからです。
攻撃側も使用が難しいので夜襲には重機関銃や歩兵砲といった重火器は基本的には参加しませんし
火器類は装填も禁止されています。
米軍は観測無しでエリア単位の砲撃を無駄弾になろうと実施したり
あるいは歩兵部隊の自動火器によるFPF (Final Protective Fire、最終防護射撃や現陸自の用語では突撃破砕射撃)
各機関銃ごとに死角ができないように指定された区域を掃射し続ける
といったような方式で夜間でも火力によって防御していました。
>>408 そう。
どうみても軍事的に成算の立たない突撃、いわゆるバンザイ突撃は、
軍事的に見て他に合理的な選択肢が無い場合に選択されているだけなんだよね。
それまでは、日本軍とて普通の軍隊と同様の戦闘スタイルを取っていたと思う。
そこを誤解している人がけっこういるのかな?
>>419 米軍だけは他国軍とちがってFOとか未来の砲兵システムを持ってたからね。
>>420 ガダルカナルあたりだと防御法が確立している米軍からすると謎のバンザイ突撃で
日本軍からすると何が起きてるか全然掴めずに突撃くりかえしてるんだ。
まるで大人と子供が戦争してたようなもんだ。
>>406 ザップの軍事的才能に関して言えば、彼が若い頃からフランス語と中国語に堪能で、
東洋、西洋の戦史を本場の文献で学んでいたというのも大きいのでは?
もちろん机上の学問だけで近代戦の将が務まるわけでなく、頭に入った知識を、
実情に合わせて応用する知性もあってのことなのでしょうか。
ザップの教師時代の逸話に、次のようなのがあります。
(引用開始)
ザップの当時の教え子の一人は試験で二〇点満点のところ一五点をとったが、
これは素晴らしい成績といえた。それくらいその頃の彼は「きびしく公平」なことで
有名だったのだという。彼が教えていたのは、いつの日かその土地を踏みたいと憧れ夢見ていた
フランスの歴史と地理であった。
彼はフランス革命の際の戦闘の話やナポレオン戦争、日清戦争の話、中でも戦闘の展開については
正確な図を黒板に書きながら熱心に講義した。感心するベトナム人生徒を前にして、ザップは最初の戦術論の
講義を行っていたわけである。生徒のだれもが、この教授のなみはずれた「知識の広さ」を認めざるをえなかった。
(引用終わり)
ジェラール・レ・クアン著、寺内正義訳「ボー・グエン・ザップ」より
こんな軍オタの先生がついてくれたら、授業も楽しかったのかも、などと、
あまり実りの無かった自分の学生時代を思い返したりします(笑)
まあなんというか
このスレで日本賛美厨が巣食うと思わなかったなw
日本を賛美する前に
ホーチミン市にある日帝に餓死させられたベトナム人200万人の記憶を将来も絶対消さぬように建てられた
立派なお前らが言う“反日的”な記念館をどうにかすべきだなw
>>422 あの一木支隊先遣隊だって、擲弾筒を集中したり百方手を尽くして突撃発起の機会を作為してるんだぜ
427 :
名無し三等兵:2009/09/02(水) 23:59:15 ID:CDAe87XZ
伸びすぎw
>>417 興味が湧いたんでソースを教えてくれないか
429 :
名無し三等兵:2009/09/03(木) 00:46:03 ID:nRaxGNnD
始まりのラインバッカー
>>429 おい絶対的少数者
選挙であれほどまで惨敗してまだわからんか
とっとと日本から消えな
どうせお前が差別する前にお前自身が実社会で差別の対象なんだろうけどw
チョン公きてるな
434 :
花:2009/09/03(木) 07:23:12 ID:TwUhXyUu
>>424 ザップは勉強家だったようだが、インパール作戦の牟田口は漫画やエロ本
しか読んでなかったんじゃないかと思われる。
ガダルカナル島で餓死が続出した背景には日本側のミスもあるのではないか?
日本はガダルカナル島が戦略重要拠点だとは考えてなかったし、連戦連勝
で気が緩み、まさか米軍が上陸してくるとは思ってなかった可能性がある。
食料を浜辺の小屋に置いていたので、米軍が上陸してくるとすぐ食料を奪われ、
それで餓死が続出したのだが、米軍が上陸してくると考えていたら、そんなミスは
犯さないはずで、米軍の上陸そのものが無いと判断していたから、浜辺の小屋に食料
を置いていたのではないか?
腹ペコで餓死続出だったガダルカナル島の日本軍は、仮に夜間突撃
が成功して米軍陣地に浸透しても、腹ペコだけに銃剣格闘では不利
だったはずだ。
米軍も銃剣を装備して、銃剣格闘の訓練はやってるんだし、体格でも
日本兵に勝るわけで、それに餓死寸前のフラフラ状態で銃剣格闘を
挑むというのは、その時点で無謀な作戦だったとも言えるはず。
飢餓にマラリアや赤痢も追い討ちをかけていたという証言もあるが、
ならば仮に米軍側に火力が無く、銃剣格闘のみで日米両軍が戦っても
米軍側が圧勝したのではないか?
ベトナムは熱帯雨林気候なのでコメが日本と違って1年のうちに2回
栽培できる。
この点でザップのベトナム軍は食料の調達補給が容易だったというのはあると思う。
米軍が枯葉剤作戦をやったのは、ジャングルを無くしたいという面もあったが、
べトコン側の食料生産力を引き下げたいというのもあったのではないかと思う。
戦時中の日本の話を聞くと、腹ペコが最大の問題で、最前線も銃後も腹ペコすぎて
何もできなかったという証言もあるぐらいで、この食料面でべトコン軍はわりと恵まれて
いたのではないか?
>>398 ちなみに、有名な写真の人達なら、二人だかは生き残ってるぞ
当時の最新兵器だったカラシニコフ突撃銃やRPG−7ロケットが
べトコン側に配備された点も大きかったのだと思う。
カラシニコフ突撃銃はM−16に比べると命中率が低く重いと言われるが、
信頼性、堅牢性では高評価の突撃銃で、信頼性という点で兵士に大きな勇気
を与えたのではないか?
反対に初期のM−16のように戦闘中に故障が続出した銃は、兵士に限りない
不安や不信感を抱かせたはずだし、故障が原因で死亡した米兵も少なくないはず。
AK47やAKMはやや重いおかげで半自動であれば反動も少なく命中精度もそれなりに
良かったとどこかの本で読んだことがある
M−16ライフルだけではなく、米軍がベトナム戦争で使用した軽機関銃
も欠陥があったので戦闘中に故障が続出したという話もある。
これが事実だとすれば、米軍兵士としてはたまらない気持ちだったろうし、
映画ランボーのように基地に戻って機関銃を乱射してやりたいような気持ち
にもなっただろう。
444 :
ヤシン市場:2009/09/03(木) 10:07:19 ID:K9VPIm1f
>>411さん
これには、おれも興味を持っている。
アメリカの戦略目的はどこにあり、それは可能だったのか?
>411さんが指摘するように、南ベトナム内のゲリラを殲滅し、
政府に援助して、南を北に対抗できる「自由主義国家」にしよう、
といったところだったのだろうか?
ハルバースタムの「ベスト・アンド・ブライテスト」をみると、
ケネディ政府の基本は、共産勢力の拡大阻止で、そのは以後にドミノ理論がある。
心理的には、未開のアジア人のゲリラなど、近代装備のアメリカ軍がいけば、
一掃できると、あまり深く考えていなかったのではないか。
>>416さん
独立のために必死になったというのは、よく分かりますね。
おれとしては、対フランスのインドシナ戦争時に、ソ連の援助が、
どのくらいあったのか、その辺に興味があります。
445 :
ヤシン市場:2009/09/03(木) 10:08:43 ID:K9VPIm1f
>>418さん
人海戦術は、その通りだと思う。
ただ、二次大戦のフィリピン戦線で砲兵部隊の下級士官だった山本七兵の手記だと、
一個砲兵中隊の1会戦分の弾薬を、人力で運搬し、ほぼ部隊は壊滅状態になった、とある。
砲兵部隊の移動をジャングルでやるのは、道路開鑿や、砲の陣地など
膨大な労力と組織力が必要で、かなりの支援組織をもっていたのかな。
>>420さん
ガタルカナルでの日本軍の夜間襲撃といった例ですね。
相手が重火器を使用できないときには、歩兵で強襲する。
一方、通常の戦闘では、敵の機銃陣地は歩兵砲や重擲弾筒で、
また、野砲陣地は、対砲兵戦で潰してから、
最終的に歩兵が軽機関銃と擲弾筒の援護の下に突撃する、という先方が標準ですね。
>>420さん
その通りだと思う。
ごく一部の事例を取り上げて、全体を判断すると、間違うと思いますね。
旧日本軍、特に陸軍については、イメージが先行しているような気がする。
好きとか、嫌いとかは別にして、まず事実を正確に見ていきたいと思う。
>>424さん
なるほど、これは、おもしろい。参考になります。
ポルポトもそうだけど、インドシナのコミュニストには、フランスの影響が大きいな。
始まりのペイブウェイ
447 :
ヤシン市場:2009/09/03(木) 10:28:22 ID:K9VPIm1f
>>425さん
もしかして、おれのことも含まれるのかも知れない。
もちろん、おれは日本軍を「賛美」しようなどとは、思ったことはない。
ただ、感情や先入観で、あるものを「賛美」したり「侮蔑」するのは、
結局、イメージに流されている点では、同じものだと思う。
例えば、アメリカ軍の欠点を指摘すると「反米主義者だ」というようなもので、
あまりに単純すぎる。
ホーチミン市にあるという「200万人餓死の記念館」というのは、どこのことを指すのだろうか?
おれは、ホーチミンには何度か行ったことがあるのだが、まだ見たことがないのでl、
今度行くときには、ぜひ見てみたいので、ご教示願いたい。
おれの知る限りでは、ベトナム政府は、戦争時代の日本軍による
破壊・挑発などの損害賠償請求は、一切していないし、
そのことでの対日批判もしていなかったと思う。
この点では、韓国、北朝鮮とは、まったく態度が違う。
448 :
ヤシン市場:2009/09/03(木) 10:29:14 ID:K9VPIm1f
一般のベトナム人は、極めて親日的で、おれが聞いた限りでは「米徴発→大量餓死」を
知っている人は、ほとんどいなかった(学校で教えられていない)。
ある高齢者におれが直接聞いた話を紹介する。
<フォン川地域(北ベトナムのデルタ地帯のこと)は、メコン流域と違って
米が良く取れず、昔は水路が整っていないので、不作の時には、しばしば飢えた。
戦争中食糧が足りなかったのは事実だが、200万人餓死の話は知らないし、
日本軍との関連もわからない。
日本に負け、戦後植民地を奪われたフランス人が言い出したことではないか。
ただ、戦争中、日本軍は軍票で米を買ったが、戦後これが使えなくなり、
恨んでいる地主などは、いると思う>
日本人相手なので気を使ったのかも知れないが、おれの印象では
一般的なベトナム人の感じ方と近いと思う。
日本軍の支配が野蛮であったと指摘する人々は、フランス軍やアメリカ軍の
支配も野蛮であった点も指摘しなければ片手落ちだし、日本の植民地政策は
悪だが、欧米の植民地政策はすべて正しかったとでも言うのかという話になる。
アメリカ軍は無差別に枯葉剤、ナパーム弾、小型地雷をベトナムに撒き散らし、機銃掃射
で無差別に非戦闘員の幼児などを虐殺している。
また米軍と共に参戦した韓国軍は「レイプキムチ」と呼ばれるほどレイプ強盗の常習者
だったと言われ、幼児を殺してキムチ鍋にして食べていたという話もある。
さらにアメリカ軍が撤退した後にベトナム軍はカンボジアを植民地にしようとして侵略して
虐殺を行い、その侵略からカンボジアを防衛したポルポトもまた虐殺と餓死を産んでいくという
一筋縄では語れない人間社会の現実がそこにある。
某勢力の特に悪質な者の逮捕を、ポルポトの知識人虐殺と同列に論じられるのか?
>>449さん
俺も同意する。
韓国軍がレイプキムチと呼ばれてたのは確かだし、
前線で幼児をキムチ鍋に入れて喰った事件も問題になったという。
もちろん日本軍はそんな事はしなかった。
でなければベトナム人が日本人をここまで愛する理由が説明できない。
>>425 もう軍板で十分演習しただろうから、早く東亜板に本戦挑みに行けよ。
ハン板から出張ですか?
ベトナム戦争に関する書籍でお薦めのものを教えてください。
>>449 >さらにアメリカ軍が撤退した後にベトナム軍はカンボジアを植民地にしようとして侵略して
>虐殺を行い、
どこの国の歴史ですか??
456 :
名無し三等兵:2009/09/03(木) 16:21:14 ID:2Xqiv7P7
カミさんベトナム人だけど炊事洗濯頑張ってるよ
ベトナムにも八回いってます
このスレのみんなあんまりナム戦のことわかってませんね…
政治板民は巣にカエレ。
ベトコンはベトナム帰れ
459 :
名無し三等兵:2009/09/03(木) 17:55:24 ID:zY1bACSW
いつの間にかすっげー伸びてんなw
460 :
ヤシン市場:2009/09/03(木) 18:19:53 ID:K9VPIm1f
>>449さん
冷静で正確な指摘だと思う。
戦争や軍隊については、善玉、悪玉の観点を外して論じたほうがいい。
もちろん、「○○のファンです」というのは、自覚しているので、また別ですが。
ベトナムで韓国(兵)が人気がないのは、今も続いている。
一般のベトナム人の韓国人イメージは、
○乱暴(店で怒鳴ったり、物を投げたり、店員を小突いたりする)
○うるさい(店は勿論、寺などでも仲間同士で大声で話す)
○ケチ、ずるい、ごまかす(金が絡むと、たいてい問題になる)
○ベトナム人を蔑視している(なぜが自分たちは、ベトナム人より偉いと思っている)
などの理由で、戦争時代を知る年配者は怖がり、若い世代は嫌う。
461 :
ヤシン市場:2009/09/03(木) 18:21:31 ID:K9VPIm1f
>>454さん
不勉強で、詳しくないおれがあげるのも何だが、平易で個人的に好きなもの。
・まず、全体的な流れを見るのに役立つもの
「ベトナム戦争」松岡完 中公新書
*フランスとの関係など、前史から網羅的に紹介されているし、比較的公平だと思う。
「ベトナム戦争」三野正野 朝日ソノラマ
*特に軍事面に重点を置いた紹介で、陸海空など全体的な状況を概観できる。
・現場の雰囲気、当時の臨場感を理解できるもの。
「ベトナム戦記」開高健 朝日新聞
*現地に取材した作家のエッセイで、やや感傷的だが、描写は優れている。
「本当の戦争の話をしよう」ティム・オブライエン 文春文庫
*短編集。実際に従軍した兵隊でしか書けない細部描写、戦場の臨場感が素晴らしい。
462 :
ヤシン市場:2009/09/03(木) 18:23:11 ID:K9VPIm1f
・政治的な背景を知るために
「ベスト・アンド・ブライテスト」ディビッド・ハルバースタム サイマル出版
*ケネディ政権を描いたドキュメンタリーの金字塔。ベトナム戦争に深入りしていく、
アメリカの政治的状況が、洞察力に満ちた分析と共に描かれ、素晴らしい。
「裏切られたベトナム革命」チュン・ニュー・タン 中公文庫
*解放戦線の秘密工作員だった著者が、「開放」後に北ベトナムに裏切られていく。
当時のNLFの活動や、1975年前後の北側の状況が分かり、貴重なもの。
ほか、比較的公平な報道をした産経新聞の特派員、近藤紘一の
「サイゴンの一番長い日」「ベトナムから来た妻と娘」(いずれも文春文庫)
などは、優れたジャーナリストによるエッセイで、とても感心した。
ややずれるが
「ベトナムのスパイ Xー30」タン・チャン 新興出版
は、小説仕立てだが、南で活動した北側のスパイの話で、現地の噂だと実話という。
ベトナム戦争という状況を別にしても、現実の諜報活動を描いて興味深い。
ベトナム戦争を扱った本は、左翼的なイデオロギーで書かれた本が多く、
気をつけて選ばないと、偏った情報を与えられることがあるので、気をつけた方がいいです。
464 :
ヤシン市場:2009/09/03(木) 18:33:22 ID:K9VPIm1f
>>439さん
その通りだ。
北部では二期作(一年で米を2回収穫)だが、土壌問題か、収量は南よりも悪い。
南部、特にメコンデルタでは、三期作でしかも収量が多い。
メコン周辺はクリークも多く、魚が豊富に取れ、野生のバナナ、パパイヤなどもある。
鍋と釣り針とナイフを持ってメコンデルタに入れば、飢えることはないw
意味もなくageるコテハンってこんなにウザイんだな。
>>459 スレがいつの間にか伸びるのは、ベトナム戦争が普遍的なテーマを含んでる
からだと思う。
猛烈な戦闘の果てにアメリカ軍を撤退させてサイゴンを陥落させた北ベトナム
は南北統一をし、そこから当時の日本の左翼では考えられなかった事態になって
いったわけでしょう。
今度はベトナムは中国やカンボジアとも戦争をはじめ、自由資本主義VS共産圏
という図式では語れない戦争になっていった訳で、そこには世界と人類の普遍的問題
が凝縮されているように思う。
中東戦争が単なる地域紛争ではなく、石油、天然ガス、スエズ運河などを巡る世界の
戦いであるようなものです。
467 :
名無し三等兵:2009/09/03(木) 20:43:46 ID:hGu+f76N
>>461 その松岡さんの本図書館で借りっぱなしだわ
早く返さないと
>>464 東南アジアは貧しいというイメージが強いが、ビニールハウスが
無くても気候の影響でコメが1年のうちに3回栽培できるといった
恵まれた要素もあるからこそ、植民地争奪戦の対象にされたわけでしょう。
南米だって貧しいイメージや光景が多いが、コーヒーやコカインなどがニョキニョキ
育つ環境という一種の富があったからこそ、植民地争奪の対象にされたんだと思う。
地下資源ならぬ、植物資源とでも言いましょうかね。
腹ペコではガダルカナル島の日本軍のようになる訳で、食料は兵器だと
言っても過言ではないはず。
そりゃ農業的には豊かだよ。
カンボジアだって米の輸出で景気が良かった頃もあったからなぁ。
但し、熱帯雨林の土壌そのものは貧栄養で、養分のほとんどは樹木に依存している。
降水量の多さから土壌から養分が流れやすく、その事から大河の無い熱帯雨林地域は
農業的に後進地帯となった。
なので、伐採しまくると赤土の地肌が剥き出しになった荒地が広がることになる。
コーヒーや砂糖の生産も、人手によるモノカルチャーを武力で強制したからなんだよね。
>>469 植物資源と言えば東南アジアはアヘンの生産地でもあるわけじゃないですか。
非合法麻薬ではあるが、アヘンの原料のケシも二期作や三期作ができるなら、
そりゃ栽培農家は儲かっちゃうよな。
エビなんかも東南アジアから輸入されてるのが多いので、エビなんかもよく採れる
んじゃないかと思うし、ベトナムはコーヒーでも有名ですわな。
そういう潜在力があったればこそ、フランス軍はディエンビエンフーに立て篭もってまでベトナム
を失うまいとしたんでしょう。
べトコン解放戦線は貧乏なイメージばかりが強いが、実は戦闘前にはエビを食べて、ビールやベトナムコーヒー
を飲んで、アヘンなんかもたしなんだりして、ガダルカナル島の日本軍よりはるかに恵まれた食生活があったのではないか?
インドの広大な紅茶畑も、南米のコカイン畑も、そこで働く貧しい
労働者だけを見れば、なんとも貧しい遅れた光景に見える。
しかしよく考えれば、その紅茶もコカインの原料になる植物も商品
として売り物になるわけで、昔の東インド会社の主力商品のひとつが
紅茶であったことを考えると、英国ロンドンに残る前時代の立派な建物
などは紅茶で建った紅茶御殿なのかも知れないからね。
エビの養殖が盛んになったのはベトナム戦争後だよ…。
よく"採れる"んじゃなくて、囲い込んだ生簀に薬剤と餌をぶち込んで育てている。
ベトナムのコーヒーもプランテーションの産物。
植民地の畑を細かい四角に区切ってる農園の絵を見たことない?
フランスが我を張ったのは何というかフランス的な意地とか栄光の為。
現地軍や農園主以外に余り支持者もいなかったし。
アルジェリアもそうだけど。
ザップ将軍が語学もできる人間だったのであれば、日中戦争や太平洋戦争
の日本軍の失敗を研究して、よく学んで自軍に活かしたのかも知れない。
途上国の話だけに、先進国から見るとバカにした上から目線で考えてしまい
がちだが、日本で言えば二宮金次郎とか、西洋医学の本を翻訳した杉田玄白
みたいな要素もザップ将軍にはあって、日本人よりも日本軍の敗北について深く考察し、そう
ならずにフランスやアメリカに勝つにはどうしたらいいのかと考える毎日が
あったのやも知れない。
474 :
名無し三等兵:2009/09/03(木) 22:24:07 ID:Uz+MOZsr
サイゴン陥落の映像で鉄のフェンスを踏み越える戦車はどこのテレビ局が流したのか覚えてる人いる?
あの戦車は、晴れ舞台のために鉄道で運んだのかな。
春季攻勢の推移を見ると普通に進撃したもののようだけど。
つーか鉄路はあってもまともに動かなかったと思われ。
>>474 あのサイゴン陥落の映像がすべて捏造だったとか言うならともかく、
あれが事実を含んだ映像ならば、アメリカ軍や韓国軍は対戦車ロケットランチャー
や戦車があっても、ひたすら血相変えて逃げたことになるはず。
なにも米軍は食べるものも無く、武器が竹槍だけだったという訳じゃない。
>>476 米軍も韓国軍も1973年に撤退してるから。
サイゴン陥落は1975年、南ヴェトナムは孤立無援になって敗北した。
最後にサイゴンが陥落して米軍が撤退したということは、航空戦
でも終盤では北ベトナムが勝ってたことになるのかな?
制空権は最後まで米軍側にあり、米軍の猛爆撃を受けながら北ベトナムの
戦車部隊が進んだというのはちょっと考えにくいはずだ。
米軍のファントム戦闘機がミグに押され、米軍の空港も攻撃されて使えなくなり、
空を飛ぶミグの編隊を見て米軍や韓国軍がライフルを投げ出して、ひたすら戦意喪失
して逃亡していったという感じじゃないのか。
パリ和平協定を知らんのか。
こりゃ、だつおさんや某研究者の親戚かね?
始まりのラインバッカー
>>477 しかしサイゴン陥落のときに米軍のヘリで米国人がサイゴンから
逃げ出して沖の米空母に向かう映像は残ってるし、テレビでも放映
されたじゃないか。
大軍はもう撤退してたとしても、一部はサイゴン陥落まで残っていた
といたのではないか。
>>481 ひたすら在留米国人と協力者の南ベトナム国民の脱出に専念してただけで、防衛戦には参加してない。
つーかしてたらパリ和平協定違反だ。
後は大使館の警備とかね。
この文体、どこかで見覚えがあるんだよなあ。
昔軍板にいた、名前を忘れた電波コテに似てるような……
ダナンのドラゴンフライをパクって爆撃してたよ。
>>484 「決勝」飛行隊ね。
南ベトナム空軍に浸透していた労働党の秘密党員グエン・タイン・チュンが、
まず自分のF5Eでサイゴンの大統領官邸を75年4月8日に爆撃した後、
北ベトナム軍に合流、北のパイロットを指揮し、A37の5機編隊で同28日にタンソンニュット基地を爆撃。
>>486 水田やジャングルをカラシニコフを持って突撃する陸べトコンだけではなく、
空飛ぶべトコン航空突撃隊もいたということか。
>>473 ザップはハノイ法科大学でフランス人教授にも師事したインテリで、
別に前近代の鎖国国家に住んでたりしてたわけじゃなんですけど…。
それに延安の抗日学校でゲリラ戦の講習も受けてますよ。
489 :
488:2009/09/04(金) 00:12:19 ID:???
失礼しました。ザップは延安には行ってませんね。
延安はホーおじさんでした。ザップは昆明でホー・チ・ミンに合流してます。
>>487 南ベトナム議会に潜む「議員ベトコン」とか、
南ベトナム政府撤退時のインフラ破壊を食い止めた「電力公社副社長ベトコン」
なんてものいたよ。
>>488 アメリカ軍の宣伝では百姓のオッサンのように描かれてるが、勉強家で
フランスの植民地だったからフランス語の本や新聞なんかもベトナムコーヒー
を飲みながら丹念に読んで研究してたんでしょうな。
インパール作戦の牟田口にはできないことばかりだ。
>>490 その議員べトコンや社長べトコンも何かあれば、カラシニコフや
RPG−7を持って米軍と銃撃戦をやったりしたんじゃないか?
日本で言えば若い頃のハマコー議員みたいなもんかね。
493 :
454:2009/09/04(金) 01:04:12 ID:???
>>461 詳細に紹介していただきありがとうございました。
入手し易いものから読んでみたいと思います。
よく見かけるのはアメリカサイドの写真(ベトコンの捕虜など)はよく見かけるのですが
ベトナム-ベトコンサイドから見た写真集とかはないですか?もしくはサイトなど
よろしければ教えてください
米軍がベトナム戦争に投入した型のジープは構造的欠陥があり、横転事故
が続出した。
無茶な運転をしたら横転するというのではなく、普通に運転してても横転
するので最新の注意を払いながらゆっくり走らないといけない代物だった。
これは米軍も認めていることです。
初期のM−16ライフルに故障が続出し、ジープも横転しまくりでは作戦に支障を
きたしたことは間違いない。
地上の兵士レベルで考えれば、近代戦が無理だったと言っても過言では無い。
米軍はこの横転問題を解決するために、横幅が広いハマーを採用したのだが、
そういう問題じゃないことは素人でも解るはず。
>>478さん
俺もあなたの意見に同意する。
米軍や韓国軍はM42ダスターやM163バルカン対空戦車で
後退する地上軍の援護にあたったが、
空を埋める勢いで侵攻してきた北ベトナムのMIG-15、17、21、23といった
戦闘機部隊(俗に言う栄光飛行隊)になすすべなく撤退した。
M42はレーダーを備えてない目視標準で、ジェット機に対応できなかったからだ。
米軍がベトナム戦争で行ったヘリボーン作戦は、斬新な作戦ではあったが、
当時の技術では無理があった面もあると証言してるヘリコプターのパイロット達もいる。
彼らの証言が事実なら、ヘリコプターも故障しまくりで作戦に支障をきたし、
一番信頼性が高かったのは1人乗りの小型ヘリコプターだったらしい。
アメリカ車のボロさを考えたら、十分あり得る話だろう。
米ソ両方の最新兵器が次々と投入された戦争だっただけに欠陥品や粗悪品も多く、
まったく使い物にならなかったものもあることも考えられるべき。
>>496 よく「ベトナム戦争は地上のゲリラ戦には負けたが、航空戦では米軍は
負けしらずでミグを次々に叩き落した」とか言うじゃないですか。
しかしそれで米軍が撤退に追い込まれたら話がおかしいはず。
米軍にも大本営発表のようなご都合主義の嘘はあるはずで、ふつうに考えたら
航空戦でも戦車戦でも負けたから撤退したはずじゃないですか。
「太平洋戦争で日本の航空隊は負け知らずだったが、気づいたら負けていた」
とか言ったら、そりゃ明らかに嘘じゃないですか。
ベトナムでミグ戦闘機やソ連製のT戦車に負けまくったんで、そのトラウマから
ステルス戦闘機やハイテク戦車の開発に邁進したと考えたほうが話がおかしくないはず。
ベトナムで米兵の士気が下がりまくったことは米軍も認めてるわけで、
だったら兵士としての資質に欠ける兵士が逃亡しまくってたとしても
全然おかしくない。
士気が下がりまくってるのに、勇猛果敢に戦い負け知らずだったと言ったら、
そっちのほうがおかしい。
しかし冷戦真っ最中の当時にはおいては、そうした事実があっても認めるわけ
にはいかない冷戦構造というものがあったのではないか?
冷戦イデオロギーだけで塗り固められてきたベトナム戦史を冷戦が終わった
現代の視点で見直さないといけないと思う。
>>500さん
そういうこと。
実際には米軍は北ベトナムの空爆で深刻なダメージを受けた。
しかも地対空ミサイルや対空砲は当時まだ未発達だったから、
実際は米軍は空を飛ぶ銀翼のMIGをただ眺めるしかなかった。
大本営発表のおかげでこの事実は知られてないが。
南ベトナムの士官学校の校長がベトコンだったというのは聞いた事がある
副校長だったけ?
>>502 北ベトナムは当時の日本の左翼が思い描いたような理想の共産主義には
ほど遠く、それは嘘だったが、同時にジョンウェインの映画などに描かれた
勇猛果敢なアメリカ軍も嘘だった可能性は高い。
冷戦時代は嘘まみれで、北朝鮮を笑えないのだと思う。
日本の左翼はザップ将軍をマルクスしか読まない生粋のマルクス革命家
と考えていた時期があるが、実際はナポレオンなどの本を読み、下手すると
マルクスなどまったく読んでなかった可能性がある。
そして、だからこそザップは勝ったのかも知れない。
ナポレオンは兵站を軽視してロシア遠征に失敗し、反対にナポレオンを迎え
討ったロシアは地の利である冬将軍を最大限に活かして防衛戦をやったが、
ここからザップは兵站の重要性や、地の利を最大限に活かす戦法も編み出した
のかも知れない。
米軍はベトナムで豪雨や泥に負けたという証言もあるからね。
東南アジアにはまだ日本では知られてないような伝統武道も存在する。
ブラジルのグレーシー柔術だって、つい最近になって有名になったんだし、
知られてないが強い武道というのがこの世にあってもおかしくは無いはず。
そこにフランスの植民地だったがゆえにフランスの武道や銃剣術も広まり、
さらに旧日本軍の銃剣術も広まり、そうした白兵戦術に自信があったから
べトコンは果敢に突撃したというのもあるのではないか?
いくら愛国心、援護、突撃銃があっても白兵戦にさっぱり自信が無く、
白兵戦になったら負けるのが確実だったらあんなに突撃ばかりしてないだろうし、
ディエンビエンフーで突撃して最終的に白兵戦で陣地を制圧したことを説明できない。
ベトナム戦争中に南ベトナム上空をミグが飛んだ事はただの一度も無いけどなw
ちなみにミグ23は一機だけ試験投入されてたはずだよ。
>>506 ディエンビエンフーは
火力上での優越と人数的優位によって行われた浸透戦術による反復攻撃による勝利である
もし人海戦術による反復攻撃を白兵戦が優れていたというのなら
八路軍を含め中国軍も銃剣突撃による白兵戦技術がかなりあったということになる
もともと日本は連射機能を有する小銃の開発が遅れた上に体格に比し異常に長い小銃を装備していた
いわゆる射撃後装填に時間のかかる火繩銃と長槍の性格が組合わさった小銃
つまるところ日本の戦術は戦国時代から変わっていない
ただ相手が植民地の治安維持部隊や寄せ集めや徴集されたばかりの兵に対しては威力があったものの
そんな神通力は太平洋戦争で相手が正規の野戦部隊が投入したとともに崩れ、以降は連戦連敗
まともに装備訓練された中国軍に対してもフーコンなどで壊滅させられている
インパールでの相手の英軍は実質インド軍だ
自分はいかにも「素人」に受けそうな言い回しに相当の嫌悪感があることを自覚したw
510 :
ヤシン市場:2009/09/04(金) 11:56:36 ID:A+WjKBPs
>>468さん
「一種の富があったからこそ、植民地争奪の対象にされた」
その通りだと思う。
短いスパンで考えると、欧米は古代から世界の主役だったように感じるが、
実際は17,18世紀までは東方が優勢で、物質的に豊かだった。
インド洋、東南アジアは世界市場の中心で、商船隊が行き来し、物資を運んでいた。
その基礎は、豊かな農産物と工業品、高い技術。
18世紀になっても、西欧ではアジアのつくる絹製品や陶磁器の技術に達していない。
「大航海時代」なども、既にイスラム、華僑商人が築いていた世界市場に、
元からある地中海ルートがオスマントルコで遮断されため、
どうしてもアジアの物産が欲しい貧しい欧州が、新しく直取引しようと参入してきたもの。
ヨーロッパは、オリエントにたいし、ずっと「赤字」でだった。
ただ、連中は戦争に強く、平和的に交易していたアジアが、
ヨーロッパを野蛮だ、とバカにしているうちに、逆に武力で支配されてしまった。
511 :
ヤシン市場:2009/09/04(金) 11:57:33 ID:A+WjKBPs
>>469さん
その通りですね。
農産物は当然としても、アジアは鉱物資源も豊かで、例えば日本産の銀は、
16,7世紀には、世界の産出量のかなりの部分を占めた。
スペインが開発した南米のポトシ銀山とならび、日本の銀が世界経済におよぼした影響は大きい。
>>474>>475>>476さん
近藤紘一のサイゴン陥落時の記事などを見ると、大統領官邸に突進した戦車は、
本当に戦闘部隊のもので、ヤラセではなかったらしい。
北ベトナム軍は、サイゴン決戦ということで、相当準備して望んでいたら、
意外と抵抗が無く、すらすらと部隊が進んでしまい、大統領官邸まで行ってしまった、
というのが実態ではないか。
当然、晴れの舞台なので報道部隊も同行して、あの映像が残ったと思う。
ちなみに北ベトナムの報道部隊は、本当に前線の近く(というか現場そのもの)にいて、
機関銃の射撃を受けて真っ暗になるといった映像がいくつもある。
砲撃でやられるのでなく、小銃や機銃でやられるということは、最前線ということ。
512 :
ヤシン市場:2009/09/04(金) 11:59:10 ID:A+WjKBPs
>>478さん
1975年の軍事情勢をみると、中部高原を北が占拠したころから、
南ベトナム軍の空軍は活発な活動を行っていないと思う。
サイゴン陥落の前には、南ベトナム空軍が裏切って、タンソニュットに北ベトナム軍機が
空挺部隊を降ろした、という記事をどこかで見たことがある。
>>494さん
今手元にないので出版社がわかりませんが、軍事ものをだしているところから、
「ベトナム戦争」というタイトルで3冊の写真集が出てます。
この中には北ベトナム軍報道班員が撮ったものも多く含まれ、とてもおもしろい。
個人的には、122ミリ砲の砲兵が個人装備で銃剣と手榴弾を下げていたり、
南に侵攻した北軍兵士が基地でくつろぐ姿(人気のヘヤスタイルがあったらしい)、
メコンデルタで、小舟に乗っているゲリラなど、貴重なカットがいっぱい。
赤い背表紙で、B−5判、池袋のジュンク堂や神保町の書泉グランデ6階にいけば、
すぐ見つかるとおもいます。
>>501さん
興味深い指摘だ。
結論としては、「言われているほど、空軍力は威力がない」、ということでは?
空軍の圧倒的な力では、二次大戦のヤーボや、戦略爆撃が思い浮かぶが、
戦場によっては、制空権を持っていても、それで勝敗が決まるわけではない。
また、戦略爆撃の効果も誇張されていて、戦後の日独へのアメリカの調査でも、
被害はあるが、総力戦体勢の生産力にとどめを刺せなかった、というのが結論。
>>508 司馬遼太郎は203高地の戦いで突撃を命じた乃木はきちがいで、反対に
児玉の発案で採用された臼砲は陣地攻略に大きな貢献をしたという神話を作った。
しかしそれが嘘だったと近年になって証明されてたりするわけよ。
あの映画203高地にも出てくる臼砲は幕末に作られた青銅製の臼砲で、
榴弾が撃てず丸い鉄の玉しか発射できない代物で、無いよりはマシだから数合わせで
引っ張り出されたものに過ぎなかったと研究者が発表している。
だが司馬はそれを捏造し、旧日本軍はひたすらバンザイ突撃をするだけのきちがい
だったと断定し、自虐史観を作り上げていった。
もし旧日本軍がバンザイ突撃のみのきちがいなら、「チハ戦車」という軽戦車をどうやって
説明するのかと言いたい。
>>507さん
>ミグが飛んだ事はただの一度もない
確かに表向きそう言われている。
「大本営発表」ではね。だが実際はベトナムでは表向き知られていない、様々の事柄があった。
無闇にageるウザいコテとキチガイのしえで、ほんの数日で完全な糞スレと化したな。
>>512 第二次大戦でヤーボに狩られまくったと言われるティガー戦車は大きくて、
キャタピラ跡も残るので移動時は隠蔽が困難であったと思うんです。
モロ出しになってる所を空から狩られたと思うんです。
反対にベトナム戦争のべトコンは体に草を付けまくって、ジャングルに隠れていたら、
飛んでる飛行機やヘリから目視で見つけるのは困難でしょう。
そういう隠蔽が可能な地域では、米軍に制空権があっても、べトコンは隠蔽しながら
地面をほふく前進で進んだりしたのではないでしょうか?
>>513 >>研究者が発表している。
その研究者の名前は?彼の発表は査読されたのか?
>>514 で、お前はどうやってその「表向き知られていない、様々の事柄」を知る事が出来たんだ?
一次史料を使って証明してみろ。出来るならなw
>>516さん
俺もそう思う。
地の利を生かした戦いがベトコンの勝利につながったと思う。
米軍は自然に対して力で制圧する西洋的戦術をとったのが誤り。
もちろん米軍でも、敵を研究し、地の利を生かす戦術、技術を開発していたがあくまで小規模だった。
>>515 そうだな。
お前のようにちょっかい出すだけで話一つふれないバカのせいでなw
>>519 どう考えても
>496
>497
>500
>501
>506
>508
>513
>516
などのソースを何一つ出さずに脱糞を繰り返すキチガイの戯言のせいだな。
ヤシン市場が意味もなくage続けなければ、このメール欄???のキチガイがこのスレに目をつける事も無かっただろう。
謝罪の意味を込めて今すぐこのスレから出て行け。
そしてキチガイよ、お前は今すぐ自殺しろ。それが社会の為だ。
>>514 君が何を根拠にそんな事言ってるのか知らんが、ロシアから対地攻撃用に供与されたイリューシンでさえも
結局最後まで使われる事は無かったんだぞw
>>513 ただの小説、フィクションなのに、それに対してこんな態度をとってる時点で
もうね…
>>518 ベトナム戦争の写真や映像を見ると、米兵が沼地で首まで泥水に浸かって、
M−16ライフルも泥まみれで行軍しているものがある。
もしやザップ将軍は捕獲したM−16ライフルの弱点を研究し、雨季に
沼や川になるポイントに米軍を誘い出すという三国志のような作戦も展開
したのやもしれない。
ヒットアンドウェイとか、そういう単純なものだけじゃなく、楠正成や
真田幸村のような作戦もあったのではないかと思う。
べトコンが作った竹製のブービートラップなどは中世の発想がそこに見られ、
あらゆる戦法が駆使されたのではないかと思う。
真田幸村を持ち出すと、「バカ野郎!」と叫ぶ人間もいるかも知れないが、
日本の忍者のルーツは中国だろうし、三国志の話にも中国版忍者が出てくる。
そしてベトナムと中国は陸続きで、ベトナム料理や華僑の商人などを見たら
解るように中国の影響もベトナムにはあるんだから、中華式忍法が改良された
ベトナム忍法とでも呼ぶべきものがあったのやもしれない。
>>525 ソースを出せないなら最初の行に
「これは妄想です」と入れておいてくれないか?
大した手間ではないだろう
読まないから
>>526 「グリンベレーは研究熱心で日本の伝統的な武士や忍者にも学んできた」
と言ったら、それがおかしい意見だと言う人は少ないんじゃないかと思います。
アメリカ軍も古今東西の多くの戦士の足跡を研究して、学べる点は学んできた訳です。
アメリカ海兵隊のナイフ格闘術にはインディアンなどの戦士の格闘術の影響も見られる。
武器が変わっても、継承されていくファイティングスピリットは欧米社会にもあるはずだ。
しかしべトコンがジャングルに作った竹と蔓による手製ブービートラップには東南アジアにおける
忍者的な戦法があるのではないかと書いたら、おかしいと言われる。
何という偏狭な視野だろうかと指摘したい。
現在のフランス軍はブルパップ式の突撃銃ファマスを装備しているが、だからと
いってフランス軍にナポレオン軍の足跡が消えたかと言えばそうではないはず。
フランス軍内部からもファマスは有効射程距離内の狙撃には適していても、突撃や
銃剣格闘には向かず、警察の装備ならともかく、軍隊用の銃ではないという批判もある
らしいじゃないか。
ここには現代でもナポレオン軍と同じテーマがあるということでしょうよ。
>>524さん
俺も貴方の意見に賛成だ。
銃器の専門家でもあるザップ将軍が、M-16のデリケートなリュングマンシステムに疑問を抱いたのは確かだろう。
なぜ米兵が雨の日はジャングルを歩かないのか?
北ベトナム情報部もその点に疑問を抱いてはいたが、将軍自ら前線視察して
米兵の遺体からM-16を取り上げて瞬時にして万事を悟った…
俺にはどうもそんな気がしてならないんだ。
ディエンビエンフーの戦いでも、べトコンに大砲など無いとフランス軍が
判断してたら、べトコンはナポレオン軍のように人海輸送作戦で大砲や砲弾を運び込み、
大砲を撃ちまくった後にべトコンが塹壕から飛び出して総突撃を行い、
ディエンビエンフー塹壕のあちこちで白兵戦に突入したわけでしょう。
そこには戦闘の最終段階、詰の部分でワーテルローの戦いと同じ光景に
なったわけでしょうよ。
>>529 米兵は雨の日にもジャングルを歩いてますが。
>>529 米軍がニーキャノンと呼んだ旧日本軍の超小型迫撃砲を研究開発して
ベトナム戦争に投入したグレネードランチャーなどは傑作兵器の声もあるが、
M−16ライフルの初期型は欠陥銃だったし、映画ハンバーガーヒルなどに
描かれる泥水まみれのベトナムには向かない突撃銃だったというのは定説になってるわけでしょう。
改良で弱点を克服したとは言われるが、ベトナム戦争の時点では弱点むき出しだったわけで、
ザップ将軍やべトコンがそれに気づき、弱点を狙って戦法を練っていたとしても不思議じゃない。
>>531 柘植はベトナム戦争で米軍は空でも陸でも圧勝していたが、アメリカ国内
の反戦運動で撤退に追いやられたと著書で述べてきたが、柘植の詐称臭い経歴だけでは
なく、そのベトナム戦争論も様々な角度や資料から検証するとおかしいものなのだ
ということを、このスレでは論議してきた。
いわばこのスレは「脱柘植宣言」でもある。
柘植のベトナム戦争論を太平洋戦争に例えれば「旧日本軍はガダルカナル島でもミッドウェー作戦
でも圧勝し、米空母や米軍機を次々と叩き潰したが、気づいたらなぜか負けていた」という珍妙な
論理になるからね。
柘植はアメリカ版大本営発表の産物じゃないかと思う。
>>534さん
全く同意見だ。
北ベトナム空軍機は南ベトナムを飛ばなかったというのは全くの大本営発表にすぎない。
実際には多数の北ベトナムのMIG機が飛来して空爆を行ったという話があるし、米軍のF-102がMIG17を迎撃した。
これは十分我々を驚かすに値するが、
同時に体面に拘った米側の大本営発表を知るものだ。
ここに集う者で現にベトナム戦を体験したものなどいない。
経験者から聞いたものすらいない。
今まで語ったことは全て既成概念の妄想の可能性が多分に高い。
>>535 南京大虐殺30万人は、中国がでっちあげた嘘だという説はあるし、
このたびのアフガン紛争やイラク戦争で死んだアメリカ兵の数も米軍は
かなり低めの数字を捏造して大本営発表をしてきたという説はあるじゃないですか。
戦時中に毎日「米空母を撃沈せり」と捏造記事を書き続けた朝日新聞の大本営発表は
もちろん、共産圏もアメリカ合衆国も基本的には大本営発表の塊だという諦念は
必要なんだと思うんです。
アメリカがアメリカにとって不利なことを言うわけが無いからね。
>>535 第二次大戦のクルクス戦車戦を扱ったゲームやアニメなんかを見ると、
地上戦では戦車しか出てこない戦車のみの戦闘に描かれてるじゃないですか。
それを見た人は「クルクス戦車戦は戦車のみの戦いだった」とイメージして
も無理は無いと思うんです。
しかし実際には両軍が戦車だけではなく、歩兵も人海作戦で投入しており、
ソ連やドイツで作られたクルクス戦車戦の映画では歩兵が至近距離でサブマシンガン
を撃ち合ったり、白兵戦になるシーンも描かれてるじゃないですか。
>>537さん
同意します。
猫は魚が好物だというが、もし最初にやったのが魚でなく牛肉だったら…
猫は牛肉が大好物だと認識されていただろう。
このようにファーストインプレッション→固定観念とは実に恐ろしいもので、
どんな軍事愛好家でも通説の呪縛から逃れられない。
あらゆるものが既成概念を越えていたベトナム戦でさえ、時期がたつとこのように既成概念に飲み込まれてしまう。
これは嘆かわしい事態だが、
興味深い事象ではある。
>>538 「零戦燃ゆ」という太平洋戦争を扱った戦後の日本映画があるんですが、この映画
のシーンで零戦の20ミリ機関砲を至近距離で米軍のB−29に撃ち込んで
も全弾弾き返され、さらにB−29のコックピット部分を20ミリ機関砲で
撃っても弾き返されるという場面があります。
さらにそこで丹波哲郎が「米軍のB−29は超合金で作られているのか!」と言うんです。
そんなアホな話があるわけないが、これしか観てない人はこれが事実だと思うはず。
>>538 神風特攻隊は米軍のVT信管を使った対空砲火の前に撃墜されるのみで、
何の戦果もあげられない犬死だったというイメージがあります。
しかし太平洋戦争で沈没した米艦船の45%が神風特攻隊によるものだったと
米側の記録にはあります。
沈没が45%ということは、沈没しないが損傷を受けた艦船はそれ以上にあると推測できる。
これが事実ならば、神風特攻隊は非人間的ではあるが、当時においては有効だったことになる。
同時にVT信管は神風特攻隊を完全に阻止することはできない兵器だったことになる。
素人考えの仮説ですが、初期のVT信管は神風特攻隊の機銃弾にもレーダーで反応して爆発する
代物で、神風特攻隊が機銃を撃ちながら特攻したら、米艦隊が発射したVT信管の高射砲弾は
神風特攻隊に近づく前に機銃弾のところで爆発して、トドメを刺せなかったのかも知れない。
>>538 バズーカやRPG7のような携帯用ロケットランチャーは後方爆風が
凄まじいので、狭い場所で撃ったら後方爆風の跳ね返りで射手が死にかねないと言われます。
かなり開けた場所で撃たないと自殺用兵器になるんでしょう。
この後方爆風の問題があるので、実戦で使える場面は極めて限られると言う兵士もいるようです。
しかしハリウッド映画、アニメ、ゲームの多くでは、この後方爆風がゼロとして
描かれてるものが多く、後方爆風を描いてるものはごく稀にしかありません。
そしたら、そうした映画やゲームを観た人は、車の中から窓を開けて携帯用ロケット
ランチャーを撃っても射手には何の被害も無いと思い込んでしまう面もあるはずです。
手榴弾にしても、ハリウッド映画ではピンを抜いて投げた距離がたった1メートルでも死ぬ
のは相手だけで、主人公には何の被害も無いシーンがざらにありますが、これもこれしか観ない
人にはそういうものだというイメージができあがると思うんです。
異様に盛り上がってるなw
ベトナム戦争で登場した垂直離陸機ハリアー1は後の改良型のハリアー2
と違って、技術に無理があったのでまともに離陸ができなかったらしい。
よほど操縦者に腕前が無いと、ちょっと浮いて、すぐ地面に激突したらしい。
飛ぶ時も傾いたような状態で飛び、飛んでるだけで精一杯でミッションなど
不可能に近かったという。
欠陥銃だった初期のM−16だけではなく、米軍はこの欠陥機ハリアー1も
実戦配備してベトナムに送ってるのだが、勝つ気などさらさら無く、軍需産業
に対する配慮でやってただけの戦争だったと言われてもしょうがない面はあると思う。
改良型某研w
いや、考察の前提となる知識は某研のほうがまともだなw
>>535 迎撃機であるF-102、ベトナムに派遣されてたんだ
知らんかった
米軍は朝鮮戦争やベトナム戦争において、米軍の戦闘機1機でソ連製の
ミグ戦闘機10機を相手に果敢に戦い、すべて撃墜したという話を実話
として報道していた。
当時の米軍機の性能から言って、これが真実ならパイロットが超人技能の持ち主だという
話になるが、米軍はそれが一部のエースパイロットではなく、「平均値」だと言い張っていた。
しかし後に「あれは冷戦時代のプロパガンダであり嘘でした」と認め、実は米軍機1機でソ連製戦闘機
4機と戦って撃墜していたんだという話に「修正」した。
だがそれでも当時の米軍機の性能から言えば、パイロットは超人技能の持ち主だという話になる。
米軍が大本営発表を繰り返してきたのは間違いない。
「米軍の大本営発表」
単に嘘や欺瞞を強調したいんだろうけどさ。
仮にも大本営は、旧軍の統帥機関なんだから違和感ありまくり。
他に替わる表現はないもんかや。
零戦のエースパイロットだった故酒井三郎氏は氏が所属したラバウル航空隊
が壊滅した主な原因は伝染病による下痢だったと著書で述べている。
にわかに信じがたいが、ラバウルの場所と旧日本軍の衛生レベルを考えたら
あり得る話ではあると思う。
零戦で飛んでる時に腹が凄く痛く、ウンチが漏れまくりでは機銃による航空戦
だった当時においては不利だったはずだ。
故酒井三郎氏は米軍機の数の多さも敗北した原因として取り上げてはいるが、
敗北した最大の要因は伝染病の下痢で戦うどころじゃなかったと書かれていた。
これが事実ならば細菌や寄生虫に零戦は負けたという話にもなろう。
これも一般的なイメージとは違う話で、イメージと真実は常にかけ離れていると
考えたほうがいいんじゃないかと思う。
550 :
名無し三等兵:2009/09/05(土) 08:16:54 ID:3/GwcsBe
>>548 大本営がナチスドイツの国家啓蒙宣伝省と同じ位置付けになってんだろな
>>546 日本大好き人間とそれに茶々入れる人間のスレ題を無視したKY論争が続いている
552 :
ヤシン市場:2009/09/05(土) 08:56:15 ID:zGlV8hq/
おはようございます
ベトナム戦争のケサン攻防戦も実態は次のようなものだったのかも知れない。
1、米軍の主力戦闘機ファントムがボロ負けし、制空権を失い茫然自失
2、パットン戦車も戦車戦に負け、開いた口が塞がらなくなった
3、信じられないほど欠陥まみれのM−16ライフルは使い物にならず兵士は発狂
4、白兵戦で負けまくり絶望
5、逃亡
>>544 某研は複数人装って自演とかしないしなw
555 :
名無し三等兵:2009/09/05(土) 10:20:22 ID:3/GwcsBe
北にはソ連の軍事顧問がどれぐらい派遣されていたのだろうか?
BAN!!
>>548 「大本営発表」って旧軍絡みじゃなくても普通に使われてるぞ?
話を大げさに、自分に優位なように伝えるという意味の代名詞で。
なんか一人でスゲエ頑張ってる電波が居るな、
自分にレスしたり自分に同意したりで忙しそうだ、
当時のベトナムには太平洋戦争における日本の工業地帯のような
戦略爆撃のターゲットが無かったわけでしょうよ。
そしたら戦略爆撃という概念は成り立たないし、戦術爆撃しかできない。
戦術爆撃は戦術だけに臨機応変な即応性が求められるが、ジャンボ機のB−52では
それは難しかった。
B−52はアパッチ武装ヘリより多くの爆弾を積めるが、アパッチ武装ヘリのような
臨機応変な低空攻撃はできない。
だから米軍はアパッチ武装ヘリやサンダーボルト2を開発したと考えるべきではないか?
ファントム戦闘機は格闘戦に不向きで、ミグに格闘戦を挑まれると
ひたすら逃げた。
だから米軍はアウトレンジ攻撃を可能とする機体やミサイルの開発を余儀なく
され、ラプター戦闘機が生まれた。
こう考えたら無理が無いのではないか?
米軍の大本営発表にあるようにファントムがたった1機で当時のミグを10機撃墜
するのが楽勝の高性能格闘機だったら、ファントム系列の戦闘機が米軍で消滅した
理由を説明できない。
当時のミグはファントムなどをよく研究して作られたファントムキラーだったのではないか?
つっこむ価値も無いと思われてる反応が悲惨
どっから突っ込めばいいんだよw
ベトナム戦争で米軍のパットン戦車に戦いを挑んだソ連戦車は、砲塔が
お茶碗をひっくり返したような形のT−54戦車とかじゃないのかと思う。
操縦に支障をきたすほど狭い車内だったと言われるが、小柄なベトナム人
はさほど気にならず、ベトナム人は操縦も得意だったので、戦車のメリット
や地の利を最大限に活かして戦い米軍のパットン戦車を狩りまくった。
この「T−54ショック」によって米軍はM1戦車の開発をせざるを得なかった。
イースター攻勢時、南ベトナム兵の操るM48やM41にすらボコボコにやられてたけどなw
> T-54
T−54戦車は中東戦争ではイスラエル戦車部隊に負けまくったと言われる。
しかし「ユダヤ大本営発表」が本当のことを言うかどうかを考えるべきであると思う。
もしイスラエル戦車部隊が凄まじく強かったのであれば「メルカバ戦車」のあの
形状が気になる。
戦車の前面にエンジンを配置して防御力を高め、戦車の後ろにハッチがあって、そこから
脱出できるようになってるのだが、もしかすると過去の中東戦争でソ連戦車に負けて逃げまくった
トラウマでそういう形になってるのかも知れないではないか。
次々とイスラエル戦車が被弾して炎上し、上部ハッチから出ようとしたら焼け死んだという教訓
があって、メルカバ戦車が生まれたとしたら辻褄が合う。
勝って停戦に持ち込んだのではなく、負けたがユダヤだけに金があり、金で解決して、嘘をついて
勝ったと言いふらしていた可能性もあるのではないか?
アウシュビッツで600万人のユダヤ人が殺された話もユダヤ機関の捏造した大本営発表だと言われてるんだしね。
盛り上がってると思えばなんだこの陰謀説は・・・
うつ病かよw
>>564 当時のパットン戦車はM1戦車ではないから、高性能のみでT−54戦車
をボコボコにすることはできなかっただろう。
もしボコボコにしてたとしたら、南ベトナム兵の戦車兵のレベルが高かったことになる。
だがベトナム戦史やサイゴン陥落を見た時に南ベトナム兵が優秀であったと言えるだろうか?
指導者レベルでも南ベトナムはホーチーミンやザップ将軍に匹敵する人間はおらず、資質に欠け、
米軍の援助のみを頼りにしていたのだし、南ベトナム軍もひたすら撤退して最後は消滅している。
一部には勇敢で優秀な兵もいただろうが、ひたすら負けて逃げて消滅した軍隊にはダメな点が多く、
実際は戦う前からパットン戦車を乗り捨てて逃げたということもあったのではないか?
ダメだこの人。団塊左翼先生のがまだ話が出来る
>>569 今の君の気持ちは全盛時代のヒクソングレーシーとパンツ一丁でリング
の上で対戦している気分だろう。
「どこから突っ込んだらいいのかわからない、下手に突っ込むとチョーク
スリーパーを決められてしまうという気分だろう。
irか?
>>568 >乗り捨てて逃げた
ズバリ御名答。
その通りだと思う。
米軍からパットン戦車を譲られた南ベトナム兵は、
それに乗りT54に戦いを挑んだ。優勢に戦を運んだ南ベトナム兵だが、
なにしろ相手はあのザップ将軍。
wwUでのタイガー戦車に対するシャーマン戦車の戦法もチャンと計算づくだったらしい。
パットン戦車は各地で不信感を生み、
北ベトナムがサイゴンに踏み行ったときは、
文字通り南ベトナム兵は戦車を乗り捨て逃げるはめになった。
統合失調症
>>572 ザップが戦車戦に関して無能なら北ベトナムの勝利などあり得なかったはず。
ナポレオンに関して学者並に研究していたザップなら、ヒトラーや太平洋戦争
におけるシャーマン戦車とチハ戦車の死闘などをよく研究してたとしてもおかしくはない。
また米軍のパットン戦車のデーターを収集するだけではなく、実際に捕獲したパットン戦車に
ザップ自身が乗り込んで「あっ!これが弱点だ!」と発見していたとしてもおかしくはない。
そのぐらいの勝利への執着心が無ければ、初期のゲリラ蜂起から北ベトナムの勝利にまで戦争を
進めていくことはできなかったんじゃないかと思う。
米国の大統領のように官僚丸投げではなく、自分の足や目で調べたんじゃないかと思う。
現代のようなデジタル自動照準装置が無く、アナログ機械だった当時なら、そうした努力は同程度の
性能の戦車戦なら勝利に結びついたはず。
>>574さん
人民軍幹部がパットン戦車への対策として対戦車砲一辺倒主義だったのに対し
クレムリンにRPG-7を大至急で要請したのもザップ将軍その人だからね。
まったくその先見の明には脱帽せざるを得ない。
結果米軍パットン戦車、M551戦車はRPG-7に翻弄されるが、驚くのはここから。
この肩撃ち式携帯対戦車ロケットは改良の末 40年 経った今もイラクでM1エイブラムズを翻弄しているw
576 :
名無し三等兵:2009/09/05(土) 21:36:15 ID:BIMe15LL
なにこの自演
>>575 間違ってたらスマソですが、米軍がベトナムで使用した装甲兵員輸送車
の車体はアルミ合金に燃えやすいマグネシウムが混じっていたので、RPG7
の攻撃そのもので致命傷を負わなくても、爆発時の熱で車体に含まれた
マグネシウムが燃えまくったなんて噂があるじゃないですか。
これが本当なら開発者は小学校の理科も知らなかったのかという話になると思う。
>>577さん
M113の事だね。
仰せ御尤も。
ただこのM113という代物、防御力よりも水上航行性や空輸能力を重視したため、
ハナから耐弾能力はないよ。
そのため米兵は燃えやすい車内にいるより車外にいる事を好んだわけ。
だがすると今度はVC狙撃兵の格好の的になる始末。
結局ジャングルで身を守るすべがないのだから、
米兵も厭戦気分になるわけだw
>>578 米軍はベトナムで小型対人地雷を空中散布しまくってるが、これは味方の米兵
もかなり踏んで犠牲者が出たのではないかと思う。
空中散布では撒いた地帯は解っても、どこに地雷が落ちてるかまでは
味方にも解らないわけじゃないですか。
枯葉剤作戦でも味方の米兵にも撒いてるんだし、米軍はこの戦争に勝つ気が
あったのかと真剣に思う。
太平洋戦争で旧日本軍の地上部隊は米軍のシャーマン戦車に対抗する
すべが無かったようなイメージがある。
しかし太平洋戦争で旧日本軍の地上部隊に撃破されたシャーマン戦車の数
や戦闘記録などを見ると、旧日本軍の対戦車砲やチハ戦車はシャーマンに
有効だったのかと思う。
装甲ではシャーマンに及ばない豆タンクのチハ戦車の小さな大砲でも、
シャーマンは燃えたのかなと思う。
シャーマンはヨーロッパ戦線ではワンショットライターとか、走る棺おけと
米兵士からも呼ばれたわけで、あり得るのではないかと思う。
えーと…
フィリピンでチハ5両 VS シャーマン1両の戦闘でも(ry
俺の知ってる横綱は46時間の間5分おきに自己レスを書き続けた
まだまだ幕の内クラス
ベトナム戦争は冷戦時代の戦争だけに、冷戦時代の両陣営のイデオロギー宣伝
のみで語られてきた。
そしてこのスレを見ても、今なお冷戦時代の両陣営のイデオロギーのみで語られていた。
しかしベトナム戦争を細かく見ると、イデオロギーでは説明できない現象が随所にある。
だがイデオロギーに捉われる人にそれは見えない。
そのイデオロギーでは割り切れない問題を指摘すると「アホかきちがい、死ね」などと言ってくる。
ソ連は崩壊したが、こうした人々は今なお冷戦イデオロギーに洗脳されたままではないのかと指摘したい。
アメリカに勝つ気があったなら、M−16ライフルのような欠陥銃を
配備することはあり得ない話だろう。
アメリカには品質管理の発想は無かったのかという話になる。
火縄銃でも何でもいいから、動くものは猫でも使えというほど貧しかったわけでもない。
このM−16の問題ひとつとってもアメリカ側イデオロギーは崩壊する。
当時のベトナムの都市部の裕福な層はともかく、当時のベトナムの農村部
なんて江戸時代と大差なかったのではないか?
少なくとも映像や写真に映る光景は江戸時代のようだ。
我々だってテレビも電話も無い農村で生まれ育ったら先進国的豊かさなど想像
もできないし、コメが豊作で子供が多かったら豊かであるとか、江戸時代のような
指標でしか豊かさを考えることはできないはずだ。
そうした人々が自由や平等が実現できなかったから悩むということがあるのだろうかと思う。
悩んでたら、あんな牛で畑を耕すような生活はできないだろう。
コメが不作だから悩むとか、農作物が高い値段で売れなかったんで悩むということはあったとしても、
そうした人々から「裏切られた革命」という発想が生まれるのかと思う。
裏切られても今晩の晩飯においしい魚料理があったら、それで満足するような感覚なんじゃねえかとも思ったりする。
戦火の爪跡にしても、もしや彼らの感覚からしたら「いやー戦車の残骸がたくさんあって、鉄が手に入るんで
助かるよ!鍛冶屋で鍬とか包丁とかを作って助かってるよ、まさに天からの贈り物だね」とか、そんな感覚
で生きてるんじゃないかとも思ったりする。
海賊行為をやってるらしいソマリアを先進国の指標で見たら悲惨に見える。
しかし彼らの民度が日本で言えば戦国時代ぐらいの民度だったら、「昔は
刀や弓矢で戦っていたのでござるが、最近はカラシニコフ突撃銃、RPG7、
トヨタ車という南蛮渡来の武器もあって助かってるでござるよ」という感覚
なのではないか?
そういう感覚でもなければ、あんな生活なんかしてないんじゃないかと思うのだ。
.
日本マンセー野郎を
放置ミン
>>589 日本マンセーしないなら、どこをマンセーするのよ。
まさか韓国?
キチガイ湧いてたのか
きっついなー。
2ちゃんとはいえ、リアルタイムでおかしな人をみるのは。
反論がある人はちゃんと反論してみたらいいと思うんだよ。
ベトナム戦争のファントム戦闘機にミグに圧勝できる性能があるか?
F−15戦闘機の改良型やステルス戦闘機じゃないんだよ。
武装ヘリのコブラや爆撃機のB−52はどう考えてもミグが飛んできたら、
運を天に任せて逃げ回るしかないような航空機でしょうが。
ベトナム戦争で米軍の主力戦車だったパットン戦車も最新戦車みたいな
デジタル照準機は無かったわけだろ?
アナログ式なら、停車して、レンズを覗きながら、ハンドルやペダルなど
を一生懸命操作して大砲の照準を合わせていたんじゃないか?
最新のM1戦車に乗ってる戦車兵が見たら、「助けてくれ、こんなアナログ
じゃ戦えない、死んでしまう」と言うんじゃないか?
そのパットン戦車にソ連製のT−54戦車に圧勝するだけの性能があったと言うのか?
T−54は砲塔がお椀みたいな半円形で被弾経路も採用されてるんだよ。
パットン戦車の相手はチハ戦車では無かったのだよ。
中国の毛沢東だって、マルクスレーニンの本など一冊も読んだことが無かったし、
むしろマルクスレーニンの本を読む人間を軽蔑していたという情報もあるんだよ。
代わりに毛沢東が愛読してたのは水滸伝、西遊記、三国志だったという説もある。
西遊記なんてサルが雲に乗って空を飛び、如意棒がどこまでも延びるんだから、
左翼思想から見たら空想的な迷信の塊だが、毛沢東が西遊記の京劇を見て喜んでる
写真や映像は残ってるぞ。
プロパガンダで形成されたイメージと、実際は違うと考えるぐらいがちょうどいいと思うぞ。
>>594 B―52やスカイレイダーがミグを撃墜したこともあるよ。
後は陸軍のOV―1も撃墜に成功したとか?
当時新鋭機だった北のMig21は損失を恐れてF4には戦いを挑まなかった訳だが・・・
※檻の中のゴリラちゃんに餌をあげないでください※
※おりのなかのゴリラちゃんにエサをあげないでください※
※Do not feed it to the gorilla.※
※真性的本気基地餌与相手不可的放置汁善※
スカイレイダーがMIG落としたとか…
どんだけデムパなんだw
↑少しは調べて物言えよ
ミグがソ連製だからといって馬鹿にする声もあるが、戦前の旧日本軍に
空母赤城から発進できる改良型ミグー15が配備されてたら、歴史が
どうなってたかを考えてみたらいい。
沖縄守備隊の鉄血勤皇隊が2人に1人の割合でRPG7を持っていたら
沖縄戦がどうなったかを考えてみたらいい。
狙撃の38式小銃や軽機関銃による弾のばら撒きにプラスして、RPG7
までタコ壷から発射してたら、シャーマン戦車はうかつに前に進めない。
戦場に穴が開いて廃棄されたシャーマン戦車や、炎上して煙を吐くシャーマン戦車の
残骸が放置され、米兵が後ろから撃たれながらも必死で走って逃げていく光景
がさらに出現したやも知れない。
明らかにペースが落ちてきたw
映画フルメタルジャケットの鬼教官は初期のM−16ライフルを手に
「いいか!これはお前達の息子だ!息子だが弾を撃ったり、埃や水滴が入り込む
とすぐ壊れるデリケートな息子だ!だから戦闘中でもこのクリーニングキット
で忘れずにしこしこ掃除してやれ、いいかシコシコが肝心だ!常にしこしこピカピカ
にしてないと精液を飛ばそうと思っても水しか出ないぞ」と怒鳴っていたのだろう。
息子がそれでは勝てなくてもしょうがないじゃないかと言いたい。
フルメタルジャケットで鬼教官が持っていたのはM14なんだが…
この前から長々しい講釈をたれてる奴は「初代だつお」・「少佐」・「恐竜」のどれかだと思う。
607 :
名無し三等兵:2009/09/06(日) 18:47:25 ID:OK1VmhMU
なんで欠陥銃であるM16とその派生型を半世紀以上經っても米軍は使い続けてるの?
始まりのラインバッカー
「同意する」の人のネタの方がおもしろかった。
こいつもうネタ切れだろ。ツマンネ
つづきが楽しみなんだが
恋人はラインバッカー
たしかファントムは格闘戦をまったくせず、ミサイルを撃つのみの
飛行機として設計されたものでしょ?
だから初期型では機関砲が搭載されておらず、しかも初期のミサイルは
命中率が悪かったので慌てて機関砲を搭載したというじゃないですか。
コンセプトは斬新でも当時の技術では無理があり、ミグ相手に圧倒的制空権
を確立できるような性能は持ってなかったのではありませんか?
当時は電卓すら発売されてなかった時代ですよ。
>>607 欠陥もあるが、軽さや命中率といった長所もあるから改良に改良を
重ねて今に至るのではないか?
これは米国や米軍も認めたことだが、南ベトナムの政府は無能で統治能力
が無かった。
軍事はもちろん、経済、外交、内政などあらゆる面で無能だった。
もし北ベトナムやべトコンといった軍事的脅威が無かったとしても、無能ゆえに
自由主義国家としてはやっていけないような国だったのではないか?
ひたすら横領をして国民を騙し、自分だけ亡命することを考えている指導層
の国では守りようが無いという問題もあったはず。
当時は現代のようなパソコンや電卓など無かった時代である。
そろばんで計算するのが当たり前だった時代だ。
ベトナム戦争に連れて行かれた米兵は大半が落ちこぼれだったのではないか
と思うが、彼らに近代戦ができたかどうかは極めて疑問だ。
そりゃ鉄砲を撃つことはできただろう。
しかし自分の頭で計算して大砲を撃つなんてことはできない人が多かったのではないか?
適当に撃つことしかできなかったのではないか?
日本と違って、アメリカは教育格差が凄まじく大きい国で、今でも米国で生まれ育ってる
のに字が読めない人間がゴロゴロしてるからね。
こいつ、前スレで俺にうんちマンて呼ばれて怒り狂ってたヤツじゃねーかな?
軍事オタクなるものの姿勢が浮き彫りになった面もあると思う。
初期のM−16が欠陥銃で、士気が低かった米兵がろくに銃の手入れを
しなかったこともあって故障が続出し、それが原因で若い米兵がジャングル
で死んでもそんなことはどうでもいいというのが軍事オタクの姿勢のようだ。
さらにそうした失敗が積み重なって南ベトナムが崩壊し、多くの人が悲惨な境遇
になって、ボートピープルで逃げ出した人々がいたことも軍事オタクにとっては
どうでもいいことなのだろう。
その根底にあるのは「平和ボケ」だろう。
売られた喧嘩は買う?
もし、ちゃんとした反論が述べられるならば、ここに至るまでにあったはずで、
無かったということはちゃんとした反論などできないのではないかと思う。
せいぜい「俺たち2ちゃんねらーは偉いんだ、死ね死ね死ね」と書くぐらいの
もんじゃないかと思う。
いやそうじゃないんだと仰るのであれば、ちゃんとした反論をしてみて頂きたい。
621 :
ヤシン市場:2009/09/07(月) 11:59:44 ID:HUGcg9Mp
>>516さん
地形や植生によって、対地攻撃の条件が大幅に違うという指摘は、
その通りだと思う。
>>533さん
つまらない細部の指摘で恐縮ですが。
おそらく、八九式重擲弾筒のことを指していると思うが、
米軍の呼称は「ニーモーター」(膝撃ち迫撃砲)で、
この名称から大腿部に台座を置いて(八九式の台座もそれらしい形をしている)、
足の骨を折った、という「伝説」がある。
重擲弾筒は前にも書いたが、歩兵突撃の前の敵の火点破壊に優れ、
米軍も優れた兵器として評価しているが、
グレネードランチャーに影響を与えたかどうかは、やや難しい問題だ。
622 :
ヤシン市場:2009/09/07(月) 12:00:41 ID:HUGcg9Mp
>540さん
特攻機の「効果」については、反戦イデオロギーの影響で、「無価値」というのが多いが、
実際は>540さんが指摘するように、一定の効果を上げたのは事実。
ただし、343空(紫電改で有名)や一部の艦爆隊のように、
<通常攻撃の方でも効果があり、反復できるので有用性が高い>
といった意見は、戦時中からもあり、ヒューマニズムは別にしても、
「効果」の判定は、難しい面がある。
ちなみに二次大戦中のアメリカ軍艦艇からの対空射撃で、VT信管付きの5インチ砲では
敵一機撃墜のために300から500発必要だったとされる。
>>559さん
これは、正しい指摘だと思う。
ただ、北ベトナムのような後進国でも、戦争遂行力の鍵となるチョークポイントがあり、
(港湾、橋梁、鉄道、軍事輸送道、軍需品集積地など)
そこを狙うのに,B−52はもちろん、F−4やF−105のような戦術機でもむずかしかった。
そのため、戦術爆撃のこうかを上げるため、スマート兵器が開発が促進された。
623 :
ヤシン市場:2009/09/07(月) 12:01:43 ID:HUGcg9Mp
>>577さん
横レスですが、多分M−113のアルミニウム製の車体のことを言っていると思う。
ベトナム戦争で多用されたM−113は、本来の開発目的が、
戦闘に直接参加する「戦闘兵車」でなく、戦場まで兵員を輸送する「装甲兵員輸送車」だった。
また、空輸のための軽量化で、結果的にアルミ合金製となった。
そういった方針から、防弾性能は敵の小銃弾と小さな弾片防御でよしとされた。
実際には、敵の重機関銃でも打ち抜かれ、地雷にも弱く、それが信頼性を落とした原因。
問題のポイントは、本来の想定戦場以外のところで使われた、というところではないか。
これは、ソマリアやイラクなどで装甲の脆弱性が指摘されるハンヴィーについてもいえる。
M113は折角アルミでやったけど、鋼と同じ対弾性を持たせるのに、結局鋼の3倍の厚さが必要で
重量は鋼で作ったのと変わらないと言うオチ
ただし板が厚い分、剛性は高くなりましたとさ。
ヤシンは普通にいいやつだと思う。
>>577さん
極めていい指摘だと思う。
米軍では兵員輸送車としていくつかのタイプがベトナムに送られたが、
問題の車両はM―113のことだろう。
汎用性は高いがあまりに燃えやすかったのでM―113A1でディーゼルエンジン化に改良、
また現地改修で銃座に増加装甲を設けている。
これら車両は一定の効果はあげたが、防御力において根本的な解決とならず、
「戦場までの足」にはなっても
「戦場での足」にはなり得なかった。
後のブラッドレー兵員戦闘車が開発される契機である。
>>622 アメリカは北爆をやりまくっていた訳ですが、それでも北ベトナムが降伏せず、
戦争遂行能力も消滅しなかったのは、北ベトナムが後進国だったので
戦略爆撃のターゲットになるものが無かったという点もあるんでしょうが、ここでもまた
ザップ将軍の先見力で北爆を睨んだ体制を作り上げていたとも言えるのではないでしょうか?
ザップがアホで無ければ、ナチスや日本が中央集権体制であったがゆえに戦略爆撃でコア部分
を破壊されると極めて弱く、それがナチや日本の敗北に繋がった点を研究してたはず。
さらには米軍の精密誘導爆弾の精度が技術改良で向上していくことも睨んだ先見力まであった
のかも知れない。
米軍が北爆で核を使用することも睨んだ体制まであったのかも知れない。
>>628 北爆は基本的に制限付けまくり。
空港はダメ、工場もダメ、精油施設もダメ、港もダメ、ハノイ中心から**km以内もダメ。
状況によっては解禁される時もあったが、戦略爆撃のターゲットになるものが無かったのではなく爆撃許可が下りなかった。
>>623 車体の素材の問題から極めて燃えやすく、燃えたら有毒ガスも出る素材
だったのが不評だったと聞いております。
一般の乗用車でも、車体の素材が燃えやすく、燃えたら有毒ガスが出るという
のでは事故の際の生存率が下がるわけですから問題にはなるでしょう。
戦闘に直接参加はしなくても、最前線まで兵士や物資を運ぶのであれば、敵に
大砲や航空機があれば、輸送中に空からの攻撃を受けるのだろうし、補給路を遮断
しようとする敵の地上部隊の奇襲攻撃も受けたのでしょうし、地雷も埋められてたので
しょうから、許容できる範囲内の合理化と許容できない手抜きがあったのだと思います。
ここで疑問に思うのは耐弾性能がゼロに等しいジープがなにゆえに傑作兵器という評価
を受けたのかです。
>>623 第二次大戦のジープは耐弾性能がゼロにも関わらず傑作兵器の評価を受けたわけですが、
それは弱点を補ってありあまる長所もあったからではないかと思う。
ハマーより小型なので小回りが利いて、細い道も走りやすく、泥沼にはまり込んで
も人間の手で押し出しやすかった。
修理も簡単で、オープンカーなので視界や聴覚も遮られず、こうした長所で愛された
のではないだろうか。
ハマーは横幅が広くて、細い道なんかは走りにくそうじゃないですか。
>>629 その北爆の制限というものが本当にあったとして、なにゆえ米軍は北爆で
爆弾を落としてもいい地帯を制限していたわけですか?
↑少しは調べて物(ry
>>632さん
当時北ベトナムには中国軍やソ連軍、他共産主義圏の国々から軍事顧問が派遣されていたとされる。
これら顧問団は前述の重要拠点に駐留しており、アメリカとしては爆撃でこの顧問団に死傷者が出ると、
南北ベトナム以外で重大な国際問題を抱えることになるため、エリアに制限を設けたわけだ。
みんな優しいなぁ 俺は関わりになるのは御免蒙るが
>>634 なるほどソ連や中国と核戦争を含めた全面戦争になることを怖れた
アメリカは爆撃を避けたわけですか。
ザップ将軍がそれを見越して、そういう形にしたのであれば戦上手だと言えるよね。
戦略爆撃ができないアメリカは戦術で戦うしかなくなるわけだからね。
自分達の得意なフィールドに引きずり込んだというやつだよね。
ファントムが相手ならミグでも勝ち目があるし、パットン戦車が相手ならT54戦車
でも勝ち目があるわけだから。
>>637さん
そういうこと。
ザップ将軍は敵の懐に潜り込むという戦術で、じわじわと敵を滅ぼしていった。
実に爽快なお手並みだと思う。
MIGとT54の優位性だが、残念ながら少々ファントムとM48戦車には負けていたようだ。
だが正面切ってのT54とM48の一騎打ちは公式記録には殆どないものの、
イースター攻勢以降地上戦が南べ軍に移行してからは圧倒的にT54の圧勝。
各地でM48を乗り捨てた南べ兵が、服も靴も脱ぎ捨て
文字通り身ひとつで逃げ出す姿が見られたそうだw
/  ̄ ̄ \
彡 ::::::⌒ ⌒ヽ
彡彡:::::::: (.。) (.゚))
彡(6|:::::::: ( 。。)) o
_c―、_ _ __ 彡/, ;∴; ノ; .;; 3; ;ノ;;丿 _ _ _,―っ_
三 ツ ´⌒ \;;__,,,,;;;;;;;;;;;;;;;,,,,) ̄⌒ヽ ゞ 三
 ̄  ̄`――、__ィ ,  ̄ヽ , )__,-――' ̄  ̄
`i^ ー '` ー 'ヽ
l ヽ
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,-――、_ l ,,,@,,, ノ _,――-、
( ⌒ ヾ、.::;;;;;;::.ノ ⌒ )
\ ヽ ノ /
\ ヽ、 ヽ ;ミシミッ ノ ,ノ. /
\ l`ー‐--―イミ.i i.ミー'`ー‐--―' /
〉 イ `ー∪' 〉 |
/ ::| (_ヽ \、
(。mnノ `ヽ、_nm
>>638 ベトナム戦争の前哨戦とも言える朝鮮戦争を見ても、韓国の大統領は
北朝鮮軍が攻め込んでくる前から負けることを想定して逃亡し、ひたすら
米国に助けを求めていたんでしょうから、戦う以前に戦意が喪失してたし、
共産圏の脅威が無くても日本や米国の援助が無ければやっていけない国で
あったことは明白だと思うんです。
>>638 映画「ブラックホークタウン」の題材になった米軍のソマリア作戦での
失敗を見ても、ヘリコプターが撃墜されたら戦意喪失し、黒人に取り囲まれたら
戦意喪失し、銃の弾が尽きても戦意喪失し、ハマーに敵のライフル弾が命中すると
戦意喪失し、少しでも身軽になるために拳銃などもすべて投げ捨てて、ひたすら
走って逃げたとあるじゃないですか。
それは特殊部隊の話であるわけで、特殊部隊でも負け戦ではそうなる訳ですから、
南ベトナム兵がパンツ一丁でひたすら自転車を漕いだり、走って逃げててもおかしくない。
642 :
ヤシン市場:2009/09/08(火) 18:38:55 ID:EQ/o1JOp
>>625さん
snks。ただ、根性はねぢまがっていると思う。
>>628さん
「ザップ将軍の先見力」
ザップ将軍の軍事能力の高さを認めるについては、おれも>625さんと同じだが、
北爆を予想して、分散体制を整えていた、というのは、ややうがちすぎではないか?
工場、通信、鉄道拠点などの分散は、もともとそれらがかなり存在するからやるので、
最初から大した物がなければ、分散しようがない。
ベトナム戦争までのベトナムのインフラは、基本的にフランスがつくったもの。
フランスは宗主国として、利益の上がるための投資しかしなかった。
例えば、北部のホンゲイ炭田(良質の石炭が取れる)からの運び出し線とハイフォン港や、
南部の農作物を集めて運び出すサイゴン港、下級官僚要請のための学校といったもの。
この点、永続的に支配するつもりで、「日本化」しようと、全土に鉄道網をしき、
学校をつくり、農業改革をやりといった、儲け以外の投資を行った日本の朝鮮統治とは、かなり違う。
(日本の朝鮮統治は、日本の投資の方が半島からの儲けより多く、赤字だったという)
したがって、ベトナムには日本統治下の朝鮮のように、重工業地帯などはなく、
ある意味、爆撃に「強い」体質だったと思う。
643 :
ヤシン市場:2009/09/08(火) 18:43:53 ID:EQ/o1JOp
>>630さん
「耐弾性能がゼロに等しいジープがなにゆえに傑作兵器という評価」
一つは、現代の先進国では、兵士の損耗に極めて敏感ということがあると思う。
二次大戦中のジープも、実際はラープのような戦闘任務や地雷などで被害もあったが、
当時はそうした兵士の被害よりも、兵器としての有用性が注目され、評価を高めた。
次に先に述べたことと重なるが、ジープは正規戦の輸送、軽偵察が主用途だが、
ハンヴィーは非正規戦で、敵兵と民間の区別も付かないような戦場で多用されている。
損害を与えた武器もIEDといったもので、基地=基地間の移動中に、やられるといったもの。
さらに「傑作兵器」といった呼称は、戦後ジャーナリズムや兵器メーカーが言い出すことも多く、
実際の戦闘シーンで、どれだけ役立ったか、という問題とは、また別だと思う。
例えば、二次大戦中で、軍艦大和や四式戦車が「傑作」などといわれるが、
実際は、松型の量産駆逐艦や、三年式重機関銃といった地味な兵器が、確実に役立っている。
しかし、「傑作兵器」とか言うネタの場合、目立ち、高性能といったものが選ばれやすい。
試作だけの震電は有名だが、地道に活躍した100式重爆は一般には無名に近い。
仮想戦記でも「震電改」は良く出てくるが、「呑龍改」とかは聞いたことがないw。
始まりのラインバッカー
>>643 ジープはむき出しのオープンカーで耐弾性能がゼロであり、地雷を踏んだり、
機関銃で撃たれたら即死確実だけに兵士の危機感や生存本能が最大限に引き出され、
それで結果として傑作兵器になったという面もあるんじゃないかと思う。
>>642 この点、永続的に支配するつもりで、「日本化」しようと、全土に鉄道網をしき、
学校をつくり、農業改革をやりといった、儲け以外の投資を行った日本の朝鮮統治とは、かなり違う
日本は満州でも同じことやってたなぁ
まあ、これのおかげで朝鮮戦争のときに中国人民軍を支える立派な兵站基地になったわけですが
647 :
名無し三等兵:2009/09/08(火) 22:21:36 ID:5O3H4LA/
>この点、永続的に支配するつもりで、「日本化」しようと、全土に鉄道網をしき、
学校をつくり、農業改革をやりといった、儲け以外の投資を行った日本の朝鮮統治とは、かなり違う。
(日本の朝鮮統治は、日本の投資の方が半島からの儲けより多く、赤字だったという)
日本が韓半島の近代化してやったんだ感謝しろというあれですね?
ネトウヨ妄言乙WWWWWWWW
本陣が+民流入で危ないんだから、軍板で遊んでないで政治板に帰って防戦したら。
650 :
名無し三等兵:2009/09/08(火) 23:28:25 ID:FAp5hKfZ
M-151も忘れないでね
>>645ジープは確実にパットン将軍事故死の原因の一端を担ってるな
ロンメルとタメ貼る男だったのにくだらない事で死んでしまったし
>>651 第二次大戦のジープはドアが無くて、ドアの代わりに紐が一本付いてる
だけだから、カーブを曲がる時は踏ん張って座席にしがみつかないと、そのまま
遠心力で車から落ちて怪我しちゃうんじゃないかと思うんだよ。
だからこそ乗り手は細心の注意を払い、その細心の注意によって結果として高い
戦闘効率を生み出したのではないかと思う。
M-14ライフルはM−16よりは汚れにも強く、ベトナムのジャングルや
泥沼でもM−16よりは信頼性が高かったと言われる。
命中率や弾の威力もM−16より上だし、銃剣格闘にも向いてる形と材質を持ってる。
M−16が導入されても、M−14を使い続けた米兵士はいると言われるからね。
ただM−16より重い点や、長い銃身がジャングルの茂みでは邪魔な点や、7、62ミリ弾を使うために所持できる
弾薬数がM−16より少なくなってしまう短所もあったようである。
このM−14をベトナム仕様に改良して使えば、アメリカ軍は勝ってたかもしれないと思う。
メインライフルが故障しまくるというのでは、地上戦で勝てなくてもしょうがないからね。
第二次大戦で米軍が使用したM1ライフルが故障しまくる銃だったら、致命的な結果を第二次大戦
の米軍にもたらしたはずだ。
全角(笑)
俺、エアコキのM14持ってるぜ。
M−16はM−14より軽くて反動が低いので、銃身を腹のあたりで
激しくフリフリしながら弾を乱射するのには向いてるのだろう。
しかしそのフリフリ撃ちをしたら、高確率で壊れて暴発で自分が死に
かねない欠陥があったら、死のフリフリ撃ちになったはずだ。
657 :
ヤシン市場:2009/09/09(水) 17:30:00 ID:WpZk2Cbx
>>647さん
「日本が韓半島の近代化してやったんだ感謝しろというあれ」
おれの
>>642をよく読んで欲しい。
おれは、「感謝しろ」などといっていない。
単に、日本とフランスの植民地政策の違いの述べ、
ベトナム戦争にどう影響したかを指摘した。
「ネトウヨ」といった意味のないレッテル張りよりも、
ベトナム戦争を論じた方が、おもしろいのではないか?
もしみんなが米軍側の傭兵としてナム戦に参加するなら、どの武器の組み合わせ選ぶ?
(任務は、隊員六人での長距離偵察)
@M2カービン(30連予備マグ八本)+M72(二本携行)ガバメント
AM1928トンプソン(30連予備マグ六本)+イサカ・ソウドオフ(予備弾30発)+サイレンサー付きコンバット・コマンダー
BBAR M1918(20連予備マグ18本)+ガバメント
Cサプレッサー付きM3A1グリスガン(30連予備マグ六本)+M79(予備弾6発)+サイレンサー付きワルサーP38
DM14(20連予備マグ16本)+バイポッド+ガバメント
EM16A1(20連予備マグ16本)+M72(一本携行)+MP40(バッグに収納・32連予備マグ三本)
FCAR-15(20連予備マグ16本)+M72(二本携行)+ガバメント
GXM177E1(20連予備マグ16本)+M72(二本携行)+コンバット・コマンダー
HXM177E2(30連予備マグ十二本)+M203(予備弾六本)
IM21(20連予備マグ六本)+スコープ+ガバメント
JM79(予備弾28本+M16用20連マグ6本)+ステンMk-IIs(バッグに収納・32連予備マグ三本)+サイレンサー付きM39
KMk63(百五十発箱マグ+30連マグ六本)+ガバメント
LL2A2スターリング(32連予備マグ六本)+M72(二本携行)+ブローニングハイパワー
MAK47s(30連予備マグ三本+弾丸のみ百五十発)+サイレンサー付きM39
NレミントンM700+スコープ+PPSH-41(バッグに収納・71連予備ドラマグ一個)+トカレフ
ORPG-7(予備ロケ三本)+UZI-SMG(32連予備マグ三本)
※服装(M59リーフ・タイガー・リーフ・レオポルド・ODとか)の選択、手榴弾の携行数は自由※
660 :
ヤシン市場:2009/09/09(水) 18:13:45 ID:WpZk2Cbx
>>658さん
おもしろいレスで、あれこれ悩んでしまったw
最初思いついたのは、(8)か(6)だが、火力という点なら(16)、
補給を思えば(14)などとあれこれ悩んだ末、
結局、信頼性の点で、おれなら(3)を選ぶ。
*本人に体力あり、他のメンバーとの分担は考慮せず、狙撃手は別にいると前提。
それにしても、それぞれの弾薬量やサイドウェポンとの組み合わせなど、
よく考えられているな。
相当小火器に詳しい人でしょう?
。
>>660 おおっw真面目に考えてくれてありがとう!!
火器の組み合わせや重量、携行弾薬数なんかは少し意地悪も込めて考えてみたんだよw
ちなみに俺だったら、体力的無いんで手榴弾六個とMを選ぶと思うw
>>658 FとGに大した違いはないだろ。いかにも厨くさい内容の質問だ。
サバゲ版に帰れ。
秋ベトって何ですか?
>>658 M21とM72の組み合わせで無双したいのに、無いのか(´・ω・`)
>>658 雨季で雨が降りまくって霧が出て、首まで埋まるような泥沼や茂みを歩いて進むのであれば
MのAKしか無いんじゃないかと思う。
>>657 君はあまりにも歴史的事実を知らないね。
フランスの植民地統治はイギリスを代表とする他の列強の略奪を専らとする支配とは違い、
現地の文明的発展と自由と民主主義の拡大を目指す進歩的なものであったのだよ。
アルジェリア統治は毎年2億フランを越える赤字であり、フランス政府と多くのフランス人
入植者の献身的努力によって、野蛮な海賊の巣窟であったアルジェリアはかつての
カルタゴの繁栄を取り戻した。
代々夜郎自大で残虐な国王の圧制に呻吟していたベトナムはフランスの莫大な投資によって
一躍東南アジアの希望の星となり、サイゴンは「東洋のパリ」と全世界から賞賛された。
もしドイツや日本といった凶悪な専制国家による邪悪な侵略がなければ、これらの地域は
現在でも民主主義発祥の地であるフランスの一部として輝かしい歴史を刻んでいたで
あろうことは今や世界的民主主義的常識であろう。
全くもって残念なことである。
>>669 それが事実ならザップ将軍はゲリラ戦に身を投じるまではフランス的文明人
だったことになるな。
実際ザップのフランスかぶれは有名だが。
>>671 ザップがフランスが好きで好きでしょうがなかったというだけではなく、
フランスの植民地だからフランス文化を押し付けられたという面もあると思う。
しかしそれが結果としてザップを名称軍にしたんじゃないかと推測する。
もしベトナムがフランスの植民地でなければザップはナポレオンなど名前も
知らないか、知っててもフランス革命の英雄だというぐらいのことしか知らなかった
可能性は高いと思う。
だがナポレオンはフランスの大英雄なんだとフランス文化を押し付けられたことでザップ
はフランス革命やナポレオンについて一生懸命勉強し、ナポレオンがロシア遠征の際に
兵站で大失敗した点などに学んで戦ったのだと思う。
ザップの兵站重視思想は後進国の野卑な将軍とは思えないもので、先進国並の兵站思想がそこにあるはずだ。
ただトラックなどが足らないので人海輸送になったが、まず進んだ兵站思想が無ければ人海輸送作戦も
あり得なかったはずで、フランス文化が生んだ名将軍だったとも言えよう。
ザップは民主主義革命や共産主義革命に関して美しい理想を持っていた人物
だとは思えない。
フランス革命について一生懸命勉強すれば、民主主義革命も共産主義革命
も失敗するものでしかなく、エゴイズムがむき出しになるだけのものである
ことは明らかな話だからである。
またナポレオンが敷いたような帝政独裁も非常時には機能しても、やがて破綻
するものであることはナポレオンの悲惨な晩年で明らかだろう。
こうした点もザップはフランス革命史から学んだのではないかと思われる。
また仮にザップがパリに住むフランス人並のフランス的意識を持っていた
とすれば、フランス外人部隊は食い詰めた貧民や泥棒などがそこに入隊するモラルの
低い奴隷的兵であることは容易に察したはずである。
酒と飯があって寝るベットさえあればいいという人間が多く、何かあったら
寝返る人間が多いからフランス外人部隊はフランスの正規軍とは区別されていたのだろう。
毛利元貞という日本人の元傭兵がフランス外人部隊に入隊していた時の本を読んでみると、毛利
が入隊してた時でも給与が出たらすぐ酒やギャンブルでパーにするような連中ばかりだったらしい。
そして、そこからザップはインドシナ戦争に勝てると判断したのかも知れない。
>>658 チョトずらしてMAT-49とRPG-7とかじゃ駄目?、
ベトベト見て来たけどみんな楽しそうだね。
ここの人たちもみんなベトベトで遊ぼうよ。
ぼうや。
ここの人達はみんなメタボだから行けないんだよ。
メタボのおじさんから高校生までみんなナムを楽しんでるよ。
ナム最高!
681 :
ヤシン市場:2009/09/10(木) 16:01:38 ID:fWQbr9qx
>>669さん
「君はあまりにも歴史的事実を知らない」
もちろん、おれが余り物を知らず、浅学非才だということは、良く承知している。
その上で言うのだが、>669氏のフランスのベトナム統治の評価は、
かなり歴史的事実と違うし、それ以上にイデオロギー的でありすぎる。
サイゴンがいくら「東洋のパリ」であっても、フランス統治下のベトナム人が、
重税、土地の収奪、人種差別、文化の破壊などで苦しんできたことは、事実である。
インドしシナ総督は、生活必需品(塩、酒)などを専売にし、違反者を重刑に処した。
アヘンをばらまき、かつそれを専売品にして、大儲けした。
フランスの植民地支配の警察は、極めて残酷で、蓚酸な拷問が行われていた。
「東洋のパリ」はフランスがベトナム人を搾り取った富でつくったものである。
フランスは植民地に未練があったからこそ、インドシナ戦争で介入した。
「日本といった凶悪な専制国家による邪悪な侵略がなければ、これらの地域は
現在でも民主主義発祥の地であるフランスの一部として輝かしい歴史」
これらについては、ただ呆れるほかない。
単にフランスなら何でもOKの「おフランスさん」なのか。
682 :
ヤシン市場:2009/09/10(木) 16:03:13 ID:fWQbr9qx
>>661さん
「+弾丸のみ百五十発」というあたりが、かなり深くて、シビレますねw
「サイレンサー付きM39 」
これは、何を想定しているんだろう? 歩哨を倒すためか?
後退時の追跡を考えると、手榴弾を4個にして、各自クレイモア1個を持たせたいな。
>>675さん
MAT-49っていうと、「名誉と栄光のためでなく」という映画を思い出すな。
アルジェリア戦で、フランス軍のパラが使っていたが、フルオートで集弾性がわるそうだった。
でも、RPG-7を主兵装と考え、近距離防御用としてMATを考えるなら、合理的かも知れない。
>>680さん
ベトナム料理は、油を少なくした中華料理みたいな感じだから、
メタボの人にこそ、おすすめしたいですね。
始まりのラインバッカー
>>681 東南アジアやインドなどにある植民地時代の建物やインフラは非常に立派なものもあるが、
植民地時代の光には影もあり、搾り取って奴隷労働で作らせた面もあるし、「宗主国はこんなに偉くて
立派なんだから土下座して茶畑で黙って働け」というメッセージが溢れてる建物であることも
また事実だと思う。
光あるところには影もある。
フランスは70年もベトナムを植民地にしてたのだが、より搾り取る
ため常にベトナム人に「勤勉勤労」を説いたと思う。
怠惰では奴隷として役に立たないので、ムチやキックで勤勉を叩き
込んだのではないかと思う。
その結果としてべトコンは勤勉勤労になり、ディエンビエンフーを陥落
させたという面もあろう。
>>682 ヤシン市場さんもベトベト〜参加してみない?
装備は当時の雰囲気を壊すものでなけれは実物レプ問わずOK、もちろん「それっぽい」
ありあわせの服を合わせてのベトコン役での参加も大歓迎!。
サバゲー的な撃ち合いではなくようはいかに当時の雰囲気を演出できるかがポイントのリエナクトイベントです。
最大のお楽しみは二日間のうち初日の夜に行われる前夜祭かな。
ウンチク話で盛り上がりませんか?
>>686 君に言われてベトベトぐぐってみたんだが…
面白そうだし、参加したいけど遠すぎるんだな〜
全国的にやってくれ
>>684 >
>>681 > 東南アジアやインドなどにある植民地時代の建物やインフラは非常に立派なものもあるが、
> 植民地時代の光には影もあり、搾り取って奴隷労働で作らせた面もあるし、「宗主国はこんなに偉くて
> 立派なんだから土下座して茶畑で黙って働け」というメッセージが溢れてる建物であることも
> また事実だと思う。
> 光あるところには影もある。
>
>
「宗主国は〜働け」のところが【光の部分】、の積もりなのだろうが・・・
>>681 民主主義の総本山フランスをイギリスやドイツのような残虐な野蛮国家と一緒にしてもらっては困る。
フランスの統治はあくまで自由・平等・友愛の民主主義の精神を広めるためのものであり、収奪を専らとする
他の欧州諸国とは根本的に違う。
アルジェリアやベトナムの海外市民達がフランスでは「不可分の共和国市民」としてフランス本国市民から対等
に扱われ感激したのは有名な事実ではないか。
(海外のフランス人植民者に"ほんのちょっと"羽目を外した例外的な不良市民がいたとは言われているが)
現在でもアフリカのフランス海外県では世論調査でも8割以上の市民がが「フランスからの独立に反対」だ。
これが日本やドイツと我等フランスの差であり、専制と民主主義の差なのだ。
>>アルジェリアやベトナムの海外市民達がフランスでは「不可分の共和国市民」としてフランス本国市民から対等
に扱われ感激したのは有名な事実ではないか
その割には、移民のフランスでの扱い悪いぞw
2005年にフランスで暴動起こしたのは旧植民地出身の連中だが、彼らは
フランス社会に溶け込めず疎外されまくり
不況になれば真っ先にクビ切りだし、住んでるところは郊外のスラム
政治板民が手口を暴露 !!
82 名前:名無し三等兵[age] 投稿日:2009/09/10(木) 22:36:58 ID:???
>>77 君は典型的なミリオタだねwww
仕事はできない、顔はブサイク。
ネットでイケメン好青年を酷使様認定して憂さ晴らしwww
議論して言い負かせばいいじゃん。
俺がいつもミリオタ相手にしてやってるようにさwww
元を隠した引用文でミリオタに反論すると、
おもしろいことがいっぱい起こるよ!
堀栄三をニワカ認定したり、
元海軍パイロットをミズポたん呼ばわりしたりwwww
もちろん最後は「ファビョーン!!お前は酷使様ニダ!!」で締めwww
>>688 イギリスが植民地時代のインドに作った駅の建物をテレビで見たけど、
感動的なほど立派なものだよ。
管理が行き届いてなくて黒ずんでボロくなってるんだけど、それでも立派
な建物に見えるんだから、元々の綺麗な時はそれ以上に立派だったんだろう。
今でも駅として使われているんだから、綺麗なだけじゃなく実用性もある作り
だったということでしょうからね。
それはまさに植民地主義、大英帝国の栄光の象徴としか言いようが無いんだが、
その裏には奴隷労働で死んだ多くのインド人もいたんだろうから、光と影だなと思う。
693 :
ヤシン市場:2009/09/11(金) 17:26:51 ID:zA2951F3
>>689さん
「フランスの統治はあくまで自由・平等・友愛の民主主義の精神を広めるため」
キプリングのへたくそな引用みたいだが、アルジェリアやベトナムには
「自由」も「平等」も「友愛」もなかった。
「アルジェリアやベトナムの海外市民達がフランスでは「不可分の共和国市民」としてフランス本国市民から対等 」
どう歪曲したら「台頭」問い言葉が出てくるのか理解できない。
二次大戦後のアルジェリア独立戦争で、アルジェリア人は100万人も犠牲を出しながら、
それでもフランスから独立を願って戦った。
その原因は、要するに、弾圧、搾取、差別に尽きる。
植民地時代のアルジェリアには、フランスからの移民が多く、彼らと現地人の間には、
歴然とした差別があった。
アルベール・カミュは、アルジェリア生まれのフランス人だが、彼の本を読めば、
その差別構造のひどさが分かる。
海外県はフランス系が多いし、過疎地域が多く、本国の援助でやっているので、当然。
694 :
ヤシン市場:2009/09/11(金) 17:27:40 ID:zA2951F3
>>684さん
賛成だ。
この場合の「光」はフランスと一部特権ベトナム人で、「闇」はほぼすべてのベトナム人にある。
日本人は、植民地にされた経験がないので、被支配の悲惨と屈辱は理解できないかも知れない。
おれも実感は出来ないが、ハノイの歴史博物館にある、フランス植民地当時の
拷問部屋やギロチン、また、ゴム園、コーヒー園などのプランテーションをみれば、
欧米の植民地支配の格差は、ある程度実感できる。
>>686さん
ベトベト、ちょっとググってみたけど、おもしろそうですね。
おれって、サバゲーはほとんど経験無しなので、体力造りから始めないと。
興味はあります。
最初やるときは、アオダイ(パジャマみたいな服)をきて、ベトコンかなあ。
地雷とかブービーとラップの規定はあるんですか?
>Cho ヤシンー殿
424だが、ベトナムのリエナクトは楽しいよ。
ここでフランス植民地を持ち上げてる人たちって、どこまで当時のベトナム史を調べたのかな。
北部、中部、南部での統治体制の違いとか、南部の国民議会議員枠とか、
悪名高いアヘン・アルコールの買い取り制度とか。
それと、フランスは「刑務所」とは別に「収容所」も設置してたのは知ってるよね?
>>695 私はあるナム戦リエナクトに息子と参加しましたよ。
私がベトコンのコス、息子にだぶだぶのファティーグで米兵のコスをさせ、
米兵に連行されるベトコンを演じて会場を一周したところ観客に大受けしました(笑)。
参加者一人一人が監督であり、役者であり、観客であるリエナクトまた行きたいです。
開催地に近いみんながうらやましいよ…
うちの倉庫でナム戦装備(ARVN・国家警察・BDQ)が錆び付いてるぜw
いくら不逞ベトナム人が妄言を繰り返そうと、「独立」後のベトナムから数十万の難民が発生したのは厳然たる事実。
民主国家フランスの統治ではそんな惨状は皆無であった。
これこそフランスの民主主義的統治の素晴らしさ、そしてベトナム人に独立国家を作る能力など無かったという証拠だ。
ドイツや日本といった専制国家の侵略さえなければサイゴンは今でも東洋のパリであったものを…全く残念だよ。
>>697 あなたもぜひベトベトで国家警察を演じてください。
ロアン長官のコスでベトコンの銃殺刑プレイとかやったら絶対ウケますw
植民地時代は、難民どころか反乱が起きてますがな。
出国・移動の自由が無ければ、難民にすらなれんからね。
植民地時代、それでも何とか出国した難民のコミュニティーが、タイ東北部にあったのはご存じ?
それから、「民主主義的統治」とやらにおける
>北部、中部、南部での統治体制の違いとか、南部の国民議会議員枠とか、
>悪名高いアヘン・アルコールの買い取り制度とか。
についてはどう思う?
>>697 実は私も転勤で参加できんようなり申した。
ナム戦キャンプやってたころが夢のようだ。
難民の大部分は華僑です
戦時中の南ベトナムには商機がごろごろしていたので
華人が流入して華人人口が水ぶくれしていましたから
大戦前後、そしてベトナム戦争中に流入した華人達は社会主義経済化で脱出していったわけです
さやうにて候。
南部と中部と北部では訛りがそれぞれ違うし農業の形態も違う
南部は豊作地帯で地主と小作人が多いが中部は零細農家が多い
南部と北部でベトナムを二分化して単純に考えている人が多いが
中部の独自性や特徴はもっと考えられて良い
あと辺境の省には南北それぞれに親類が散らばった家族が多かったそうな
704 :
xread:2009/09/12(土) 15:39:05 ID:???
こんにちわ。遅いレスですが、658さん、658で列挙されたベトナム戦争
当時の歩兵用(主に特殊部隊の様な部隊向けの銃器と携行弾数の組み合わせ
の様に思えます)の銃器と携行弾数の具体的な数値は当時の米軍側の兵士の
作戦時の肉体的な負担を少しでも想像する上で参考になりました。ありがとう
ございました。随分と、いわゆる東側の装備や第二次世界大戦時にも使用されて
いた銃器もあるようですが、これらの銃器の携行弾数を示す実際の資料という物
は存在するのでしょうか。特にbar m1918の予備マグ18本なんて重量的にも
容積的にもかなりの物ではないかと思いました。私の存じている範囲のbar
m1928系の携行弾数では第二次世界大戦時でしたが、たしか20連弾倉を9本
(10本だったかもしれません)だった様に思います。
難民の質は時期によって違う。
サイゴン陥落から途絶えることなく真っ先に逃げ出したのは公務員、教員、弁護士、地主といった層。
それまでも解放戦線が入った街では真っ先に殺害された階層。
当時、アメリカは海軍を展開して極力近海でこうした難民を収容した。香港で下ろしてはすぐにパトロール現場に戻す必要から(すでに法令はあったが)海軍に収容された難民には自動的に永住権獲得の前段となる渡米ビザを与えた。そうしないと第三国の港で下ろせない。
これに目をつけたのが、二三ヶ月遅れで発生した経済難民の大量流出。
706 :
タイ人海賊:2009/09/12(土) 17:24:43 ID:???
ヒヒヒヒヒ……
>>704 BARベルト(12本)+バンダリア分(6本)だよw
敵との遭遇時にバンダリアをBARの近くに置いて、六本全部使い切る前提で考えてみた。
近藤紘一のベトナム本でタイ人漁民が海賊になって難民のベトナム人女性を拉致して性奴隷にしている、という話が載っていたな。
昔からの民族的軋轢とかコンプレックスとか色々あってそういう蛮行になったと色々書いてあった。
トンキン、アンナン、コーチかな?
性奴隷もそろそろ60近かったりしてな
フランス植民地時代の光と影や、サイゴン陥落後の虐殺や難民まで語られる
というベトナムコーヒーの臭いが漂うスレになってきたと思う。
読んでるだけで映画ランボーのテーマソングが流れてくるような気がする。
これは人類史的テーマなんだよね。
当時、解放後のサイゴンでは軍人も含めて数ヶ月の教育で釈放されるというプロパガンダを(誰に対する?)展開したのは、実は東京新聞が筆頭だった。
映画人では山本薩夫とかね。
東京新聞が加担した理由は、佐橋(後に社長かな?)が解放戦線に拘束された間の取引としか考えようがない。
得意のでっち上げ記事か。
単なるでっち上げって言うより、見事に統制された一細胞としてのプロパガンダだよ。
あと、パリ会談からサイゴン陥落までの3年間の情報遮断っぷりが凄かった。
北軍が南進してることなんか普通の人は知らなかったもん。
初期のベトナム難民は地主、富裕層、旧軍・政府関係などでサイゴン陥落の年に10数万人が逃げた。
翌年と翌々年は数千人程度の流出だった。
それが中越戦争前に激増して国際問題になった。この時の8割くらいが中国系。
ベトナムでは新しく成立した共産主義政府によって、約10万人にのぼる南ベト
ナム軍と旧政府関係者らに当局への出頭が命ぜられ再教育キャンプと呼ばれた
強制収容所に送られ、階級や地位に応じてそれぞれ数週間から10年以上をキャ
ンプで過ごした。1992年時点で10万人のうち9万4000人は釈放されて社会に復
帰していたが、残る6000人はまだ再教育キャンプに収容されていた。米越間協
議で9万4000人のうち3年間以上キャンプに収容されていた4万5000人について
は本人の希望した場合アメリカが家族とともに受け入れる事を同意した(当時
国内の窮乏と異常な失業率の高さに悩むベトナム側は、アメリカへ9万4000人
全員とその家族を引き取るよう要求した)
10万人中4万9000は3年以内に出て4万5000は3年以上〜17年間未満の間
再教育されてたわけだな
これって世界の歴史でいうと厳しい部類なん?
10万人のうち6000人は17年以上抑留されているってことだな
なんかフランスを擁護してる奴がいるが、どんなにフランス統治が素晴らしいものであろうが
どのみち植民地放棄せざるを得なかったよ
地中海をぬけてインド洋を超えていかなきゃいけないインドシナまでは距離ありすぎ
フランスが第一次インドシナ紛争を戦えたのはアメリカ艦隊がバックアップしたからにすぎん
アルジェリア独立闘争を抱えて、さらにアジアまで遠征なんて無理無理
おまけに中東戦が起きて、スエズ運河国有化されてからは地中海すらまともに出れなくなったんだからさ
ここんところの20レスくらいはフランス擁護なんていないだろ。
おまいは、ホーチミン政府を批判するとそれがフランス擁護だと思うのか?
フランス統治時代は学校より政治犯を入れる刑務所のが多いと言われた
識字率は大変低かった
その後の南ベトナム時代も数十万人の政治犯が各地の刑務所に収容され
拷問は常態化していた
軍隊の脱走率は非常に高く地域によっては七割を超えた
強制徴兵
そういえば、ARVNが街頭徴兵やってるってのも、NHKあたりがお得意のねただったな。
ARVNは確かに徴兵不出頭者の街頭検束やったけど、解放戦線の村の男全部拉致ってのとは異質だ。
BDQ>LLDB>海兵隊>国警隊>一般兵
ARVNて米軍参戦後には年間10万人ベースで脱走してたが
テト攻勢中にはさらにいちだんと多くのARVNが脱走した。
1972年には月間2万人が脱走していたと米紙に報道された。
徴兵難と脱走兵の多さについては米軍上層部も頭を悩ましていたという。
>>721 フランスにとってベトナムは遠すぎたというのはあると思う。
日本軍が38小銃を手にベトナムに侵攻してきて、日本軍が負けた後はべトコンが
105ミリ榴弾砲まで撃ちまくってくる状況ではフランス外人部隊にとって
遠すぎた戦場だった面もあっただろう。
インドシナ戦争、ベトナム戦争が行われていた頃にニッポンは高度経済成長
時代で、植木等の人気映画「日本一の無責任男」や「日本一のホラ吹き男」が時代を
写す鏡だったが、米軍がベトナムから撤退した頃に日本の高度成長も終わり、今に
至っている。
軍事面だけではなく、経済面も見れば米軍がベトナムで負けたことが日本経済の
敗北にも繋がったという面があったわけだろう。
距離が遠すぎるというが、現在でも南太平洋や中南米のフランス海外県は問題なく統治できているが?
英独蘭露日のような植民地統治とフランス統治は違う。
やはりドイツ・日本のような専制国家や中国からの共産主義者の侵略がフランス統治崩壊の決定的要因
なのは今や常識だろう。
まあ、地の利から言えば圧倒的に不利ではあったな
中国経由でバンバン物資が補給されちゃうんだから
アメリカも日本という補給基地がなけりゃ戦争持続できなかっただろうね
732 :
名無し三等兵:2009/09/13(日) 17:21:50 ID:DGk0jF2l
コンフィクトベトナムっていうゲームがありますが
あれのオープニングで流れてる曲名を教えてください。
733 :
xread:2009/09/13(日) 19:10:01 ID:???
708さん。そうでしたか。そういえば、たしか、rpd軽機関銃(7.62mm
×39mm弾の金属弾帯をドラム型の弾倉につめるなどして使用した物)を
全長を短縮化した様な物をアメリカ軍の特殊部隊員が使用したらしいです。
これについては詳細は存じませんし、事実かどうかもわかりませんけど。
734 :
xread:2009/09/13(日) 19:14:29 ID:???
すいません、733でかいた、rpd軽機関銃の弾帯は金属弾帯ではなく布製
の弾帯だったかも知れません。あるいは金属製と布製の二つがあったのかも知れ
ません。
Pinkvilleマダー?
>>733 特殊部隊の兵士達は、XM177E1の消炎器をベトナムタイプのチューリップハイダーに付け替えた物も使ってたよw
M79なんかもソウドオフ仕様にして使ってたし、とにかく使う武器は短いに越した事は無いって感じなんだろうね。
珍しい物ではM16A1のロアフレームに、XM177E1(CAR15バージョンもある)のアッパーフレームを付けたM651っぽい物も使ってたし
G3A4や、HK33なんかも使用してたよw
>>734 7.62X39は時代的にも長さ的にも布弾帯は考えられないんじゃないかな。
特に布ではさんでドラムに収めるって、全然絵が見えてこないよ。
>>736 すいません
そのM651っぽい物って今度のベトベトに作って持ってったら
ウケますかね?
740 :
ヤシン市場:2009/09/14(月) 18:37:15 ID:DToverlc
>>695さん
>>686さん
「ベトナムのリエナクトは楽しい」
そんな感じ。前向きで考えてますw
すごくダイエットして、ヒゲ伸ばし、ホー叔父さんでもやるかな。
>>698さん
「「独立」後のベトナムから数十万の難民が発生した」
この辺になると、もう確信犯だろうな。
それはそれとして、まず、フランス植民地下のベトナムでは、「逃亡の自由」もなかった。
スターリン支配下のソ連には、数百万人の収容所「奴隷」がいたが、誰も逃げ出せなかった。
「ベトナム人に独立国家を作る能力など無かった」
今つくっている。
>>700さんのは、後見だが、その通り。
フランスもイギリスもアヘンを売って儲けたが、そのツケが回ってきている。
741 :
ヤシン市場:2009/09/14(月) 18:40:09 ID:DToverlc
>>701さん
「難民の大部分は華僑です」
そういう誤解、プロパガンダがあるが、事実と異なる。
もちろん、ボートピープルなどに中国系は多いが、ベトナム人(キン族)も多い。
東海地方や北関東に定住しているベトナム人は、このときの難民が多い。
メコンセンターのミンさんに聞けば、すぐ分かるw
http://mekong-center.net/jp/access.html >>703さん
「中部の独自性や特徴」
これは、その通りですね。
フエやホイアンは歴史もあるし、ゲアン省みたいな貧乏地帯もあるし、高原はまたちがう。
>>712さん
おれの場合、「地獄の黙示録」のヘリの音、ワルキューレとビーチボーイズ。
743 :
xread:2009/09/14(月) 20:39:54 ID:???
736さん、色々と情報をありがとう。しかしrpd軽機関銃の全長を短縮化
した物を使っていたなら、短縮化に伴って反動の制御が難しくなったのではない
かと思います。それを体力と反動を制御する技術でなんとかしたのかも知れません
が。hk33は米軍の海軍特殊部隊員が使用したらしいですね(陸軍等の部隊も
使用したかもしれないけど)。g3a4も使用していたのですか。これは知りませんでした。
そういえば、米軍はrpg2も使用したらしいです、これは想像に難しくないですけど。
でもrpg2だとロケット弾のストッパー(発射機からの脱落防止)が無いので使用時には
rpg7より気をつけねばならないように思います。
737さん、やはりrpd軽機関銃は金属弾帯かもしれませんね。米軍は現在はm249や
m240を特殊部隊員向けの(ひょっとしたら一般部隊でも)強力な短機関銃の様な運用を
手持ちで行う用途に使うようになっていると思います。雑誌などで情報収集した限りでは。
NHK特派員報告のイントロ音楽だなあ
「映像の20世紀」のBGM
>>743 逆にベトコンなんかも鹵獲したM14のフロント周りをブッた切って使ってたらしいからね。
新聞である年のボートピープルの85%が中国系だったと読んだ事がある
戦争中に出入りしてた華僑かどうかはおいといて中国系が大半なのは間違いない。
実際チョロンの人口が数分の一に激減するほど出てったからね。
そらキン族難民もいるところにはいるだろけど。
749 :
名無し三等兵:2009/09/14(月) 22:33:51 ID:mtFdu5//
>>747,748 だから時期によって構成が違うと
90年頃にもう一回ボートピープルのラッシュが発生した。
ベトナムから来たって言い張るんだが誰もベトナム語しゃべれない。船内にはチンタオビールの空き瓶がごろごろ。
海保の人、馬鹿じゃないから、チンタオ飲むのは中国でも中流層だって見抜いた。
90年代のは国連の手当て目当ての経済難民と中国からの偽装難民だったような
難民キャンプからベトナムに帰ると国連からいくらか手当てが支払われて
その金目当てにまた出てくる難民が出てきた
華僑難民が大量発生したのは中越戦争の時期
華人学校で中国語教育が禁止されたり華人資産没収されたりで
華人街がガラガラになるほど大量流出
751 :
名無し三等兵:2009/09/14(月) 23:03:39 ID:mtFdu5//
中国人の通訳連れてくるとね。たとえば上海都会出の通訳だとせっこう省とか安徽省とか見抜いて地区ってくれるわけ。
大笑い。
偽装難民は中国に帰されたよ
ベトナムの華僑は1975年以降145万人のうち110万人が第三国に移住したけど
マレーシアでもインドネシアでも華僑は中華人民共和国のシンパになって
積極的にゲリラ活動やってたんだから当然だろ
>>734 wikipediaの記事には非分離金属ベルトとある。これだけでは、布ベルトが存在しなかったとはいえないんだけど、写真を見ると、前後方向の位置で、排莢ポートとマガジンが大体同じ位置にある。
ということは、装填メカは単純な押し込み式であって、後ろに引き抜いてから押し込むメカではないことが想像できる。
布ベルトは、後方引き抜き方式(ブローニングのM2重機やM1919みたいなの)でないと上手く作動しない。
カートリッジの形状がテーパーが付いてるので、前には引き抜き難い。閉鎖状態でボルトがベルトの輪の中を貫通してるって、ものすごく不自然な設計に
。
こんな考察から、まず布ベルトはなかっただろうと断言できる。
755 :
424:2009/09/15(火) 00:13:11 ID:???
華人の出国・難民化については、北部での、同じ社会主義国である対中国関係がらみと、
南部での社会主義化の両方、に根元がある。
ジュネーブ協定後の1955年、中国共産党とベトナム労働党との間で在越華人の扱いに関して合意が成立
1・北部のベトナム民主共和国主権内の華人は、ベトナム人民と同じ権利を持ち、自由意志でベトナム籍公民になれる。
2・南部在住華人は、南部との統一(解放)後に別途協議する。
76年の南北統一時点で、ベトナム全土の華人人口は120万〜150万、うち100万は南部に在住していた。
76年2月、ベトナム社会主義共和国政府は、華人を含む全住民に強制的に同国籍を申告させた。
すでにこの時点で陸路国境を越えて父祖の地を目指す華人が北部で発生した。
一方、ポル・ポト政権のカンボジアとの対立激化、ベトナム援助を打ち切り対カンボジア援助を強化する中国との対立も明確化した。
ベトナム(社会主義)政府は、国境からの中国の影響、もっと具体的には間接侵略の浸透を警戒し、
ベトナム国籍取得を拒否する北部国境周辺の華人の強制移住を実施した。
78年1月以降、中国政府が在越の華人・華僑に「反覇権闘争」「中国帰還」を指示する地下文書を大量に配布。
ベトナム当局の主張では、これは、前年12月にベトナム・カンボジアが断交したことを受け、
カンボジアへの支援の一環として、ベトナム国内に争乱を起こすのが目的だという。
この影響もあってか、78年3月から3ヶ月で13万人の華人が国外に脱出。
これがベトナム政府にとって華僑・華人弾圧の決定的な根拠になった。
756 :
424:2009/09/15(火) 00:14:16 ID:???
一方、南部ホーチミン市の華人街・チョロンでは、それまで華人と中国政府に配慮して、
経済の社会主義化が他地区に比べある程度ゆるやかに進められていたが、
同年2月のベトナム共産党(労働党から改称)政治局会議で「南部全域での社会主義化断行」が決定。
3月には軍、警察、経済警察、民兵を投入し、華人の財産を没収、資産国有化を宣言した。
生活の糧を奪われた南部の華人は、やはり中国への帰国に殺到した。
中国政府は、ベトナム政府の措置を「華人の排斥、略奪、追放であり、反中国の暴挙」と非難。
ベトナム政府は「社会主義改革の一段階であり迫害にあらず。排斥されているのは不法出国者と犯罪者、スパイだ」と応じた。
さらに共産党の理論家たちは「華人資本家は中国政府の指令を受け、西側資本家と結んで東南アジア支配を企図している」
との論陣を機関紙上などで張った。
この対立は中国による援助引き上げ、在越総領事の引き上げ、広州、昆明、南寧の領事館閉鎖に至り、
ベトナムの第2次5カ年計画の頓挫・経済破綻にもつながった。
>>712 ボストン公共TV(WGBH)のノンフィクションシリーズ「ベトナム戦争」のテーマ曲
読み手は伊藤惣一か石田太郎でw
757 :
名無し三等兵:2009/09/15(火) 00:26:26 ID:adaM2tde
>>726 LLDB>>BDQ>>空挺>>海兵隊>国警隊>一般兵
どう考えてもBDQよりLLDBの方が上でしょ?
植民地軍時代からのエリート部隊空挺隊が抜けてますぜ、
>>743 RPDは金属製ベルトリンクで連結した弾を布製の袋、又は金属製
ドラム型ケースに収めています、ドラム弾倉に見えますがアレ
は単なるケースで中は芯棒以外空です、
ttp://loda.jp/dion/?id=1685 ↑ソードオフしたRPDの画像です
HK33は海軍兵器開発局チャイナレイクによるM-16と同口径ライフル
のテスト採用でSEALだけの限定試験採用です、
30口径にこだわりM-16すら気に喰わない陸軍上層部が試験的にとは言え
採用する事は有りませんでした、同じ理由でM-63(ストーナー)も採用試験
で難癖つけて不採用としました、(海軍はMk23MOD0としてSEAL用に採用)
ttp://www.youtube.com/watch?v=9RUu1GAJwF8&feature=related ↑6分頃にHK33を持った隊員が写ります、(有り勝ちな画像ですが)
>>736 E1のハイダーをチューリップにするとガス圧不足で回転不良起こし
排莢しなくなります、E2になって銃身を延長したのは銃剣の装着
以外にガス圧の確保の意味も有っての事です、
>>753 クアラルンプールの警察博物館がなかなかしっかりと展示してる。
中華系は国を乱したのだから差別されて当然とまでは言ってないが、その直前までを展示で語ってる。
>>757 海軍のおっさんがXMベースバーンズタイプのような物を作ろうとしてジャムった話を知ってて書き込んだんだけど
YOUTUBEのシールズ関係の動画見てるとたまに出てくるんだよね
>>759 海軍のおっさんでは無く落合ノビーの本で有名になったLRRPのおっさんでは?
確かにCAR15(M607)の初期型(GX5857)はバレルのエクステンション無しで
バードゲージハイダーがフロンサイトベースに直付けになってますが
発射炎と音が大きい以外のトラブルが有ったって話は聞きませんね、
LRRPのおっさんの銃がジャムしたのは弾の火薬が改善前だったからかな?
>>760 なるへそ
いろいろ勉強になりました。
ちなみにシールズが使ってたHK33(試験的に50丁だっけ?)はM16シリーズと比べて、どんなメリットがあったんですか?
ノビーワロスw
762 :
ヤシン市場:2009/09/15(火) 10:52:41 ID:j2wmbbQU
「ベトコン」(南ベトナム民族解放戦線NLF)というのは、どんな存在だったのか。
以下、素人的に見てみたい。
□ 政治的性格
基本的に植民地からの開放と民族独立を願う「愛国者」が主体で、
当初から、組織的に共産主義を奉じていたわけではない。
北ベトナム労働党(共産党)は当初からスパイをNLFに送り込んでいたが、
(NLF議長のグェン・フー・ト自身が北のスパイだった)
主導権を確保するために本格的に動いたのは、テト攻勢のあった1968年以降である。
NLF自体では共産党シンパは少数派で、北に対し自主性を保ち続けた。
しかし、1973年頃に北側の工作が盛んになり、
NLF内部で本来の民族主義者と共産党シンパの権力闘争が激化する。
最終的には、1975年の開放の主体を担った北ベトナム人民軍NVAによって
非共産党系は排除される。
このあたりの事情は、既出の「裏切られたベトナム革命―チュン・ニュー・タンの証言」で
生々しく描かれている。
763 :
ヤシン市場:2009/09/15(火) 10:58:53 ID:j2wmbbQU
NLFは南ベトナム政府に比べると、組織的、献身的、行動的で、政治・軍事的能力が勝り、
南ベトナム人の支持が集まっていた。
例えば、食糧が極度に足りないときでもNLFでは、指揮官・兵士全員が平等の食事を取った。
指揮官は携帯ラジオを持ち、兵士に情勢を説明し、戦闘の意義を理解した兵士は、
死を恐れず、徹底的に戦った。
一方、ARVNは、将校が兵士の給与を横領するのが日常的で、コネで地位がきまった。
政府自体の腐敗も深刻で、援助物資は横流しされ、政府要人は海外に資産を逃避させていた。
NLF、南ベトナム人の一般的な希望は、外国人に支配されない、自主独立のベトナムである。
むしろ共産化には否定的で、自由主義的な政府をNLF自身ですら望んでいた。
そのため、北の労働党は、戦局が有利になるまでNLFの主導権を奪えなかった。
労働党がNLF内部の政治闘争に勝つのは、アメリカが撤退してから1975年までの間で、
75年の解放時には、NLF幹部や一般の将兵が気づかないうちに、
労働党シンパ(とスパイ)によって、組織全体が支配されていた。
そのため、NLF構成員自身が、解放後に「北」に支配されると知って驚く、
といった現象が多発する。
始まりのラインバッカー
物量戦から精密誘導兵器の時代へ
765 :
ヤシン市場:2009/09/15(火) 11:05:49 ID:j2wmbbQU
おれが個人的に思うのは、アメリカは最初からベトナムの政治情勢を読み間違えた、ということだ。
NLF=コミュニストと断定したため、以後は南ベトナム政府と組むしかなかった。
これに、ドミノ理論が加わり、すべてが2色に分けられてしまう。
実は北ベトナム労働党でさえ、ホー・チ・ミンの証言を見れば、
国の独立と近代化が闘争の目的で、共産主義はそのための道具の一つだった。
ホーは、中国共産党の強い影響下でベトミンを指導したが、
中国への警戒感は、最後まで持ち続けた。
アメリカは、例えばマーシャルプランのような提案で、フランスを追い出した後、
ホー・チ・ミンと交渉することが可能だったのではないか?
また、南部地域で組むべき相手はゴ・ディン・ジェムではなくNLFの民族派だったのではないか。
アメリカが二次大戦後の日本の占領政策に成功したのは、日本の民族派を尊重し、
行政能力を持つ官僚組織を維持したためだろう。
南ベトナムで、アメリカは、民族主義者を敵に回し、組織運営能力のない方を選んだ。
911以来の「テロ戦争」でも、アメリカは無理に「妥協できない敵」をつくり、
中間層や、味方になる可能性のある層を、敵側に追いやっている。
イラクとアフガニスタンで、米国はいずれ敗北するだろうが、
それは歴史の教訓を学ばなかったせいだと思う。
ホーチミン死後の集団指導体制で「ベトナム労働党」が「ベトナム共産党」に党名を変えられてしまったのが象徴的だ
解放戦線を美化しすぎてると思う。
彼らがやったのは、実効的な行政能力がない分、暗殺のテロルによるある程度の実行支配を得るというやり方。
これこそが毛沢東主義。(まあ張作霖とかもみんなそうだが)
そして解放戦線にとっての偶像がホーチミンであったことも論を待たない。
愛国心に燃えて自発的に解放戦線に加わったというところからして幻想的だ。
拉致されて戦わされたの。支給物でいうならどんなに腐敗していてもARVNがはるかにまし。
>>アメリカは最初からベトナムの政治情勢を読み間違えた、ということだ
911以来の「テロ戦争」でも、アメリカは無理に「妥協できない敵」をつくり
アメリカがアホなのは昔っから
そもそも第二次大戦で日本を満州から排除したせいで、中国は共産化したようなもん
中国が共産化したせいでアメリカは朝鮮戦争・ヴェトナム戦争を戦うはめに
その土地の政治情勢を考えずに力を行使するから、大変な目にあうんだよw
イラクもフセインを排除すれば民主化できるとお花畑なこと考えていたようだが
フセインという重しをなくしたら民族紛争が激化したじゃんw
>アメリカがアホなのは昔っから
だな。中国大陸から日本を排除してたのに国民党を援助せず共産化されるなんてなw
仕掛け爆弾が一個破裂したら住民の1/10を街頭に吊るすとか、そういうことがやれればアメリカも統治できるんだけどね。
残念ながら地域をナパームで焼き払っちゃうやり方だとうまく統治できないんだな。
771 :
ヤシン市場:2009/09/15(火) 18:11:09 ID:j2wmbbQU
>>767さん
美化も侮蔑もしていない。
ちなみに1964年のNLF側のテロ(彼らにとっては「攻撃」)の数字がある。
殺害 誘拐
政府役人 436人 1131人
一般市民 1356人 8423人
NLFは、米軍人、南ベトナム役人やARVN将兵の集まるレストラン、映画館で
爆弾攻撃を行い、その際、一般市民の巻き添えも多かった。
対敵通報者と見なせば、一般市民でも暗殺、誘拐もためらわない。
一方で、ARVN側も、「ベトコン」「コミー」と見なせば、裁判無しの処刑も行った。
民間人への「誤爆」「誤射」を含めれば、ARVNの方の殺傷数の方が、多いと思う。
「愛国心に燃えて自発的に解放戦線に加わったというところからして幻想的」
イデオロギーを「幻想」というのは自由だが、いつの時代、どの地域でも、
「国を愛する」「民族のため」に命を賭ける人々がいることは、事実だ。
アメリカ軍にも、「自由世界のために」というイデオロギーを信じて戦ったものも多かったはずだ。
ARVNにさえ、カトリック信者の将兵は、確信的な「反共主義」を持って戦った。
一般的にNLFには、「支給物」のためでなく、愛国心から戦ったものが多いと思う。
誰でも「もの」や「金」のために戦うと思うのは、歴史を誤解するばかりでなく、
さもしい感じがする。
軍ヲタの端くれとしては、信じるもののために、命を賭けて戦った将兵すべてを
勝敗にかかわらず、その勇気と献身を、たたえたいと思う。
その点人権という甘言を切り捨て、
粛正による見せしめで住民を抑え込んだ共産側は賢明だったな。
そして中長期的歴史的敗北を喫することになるのだ
774 :
名無し三等兵:2009/09/15(火) 22:05:01 ID:/nwxTE9z
解放戦線に兵士出さなきゃ、村長が殺されちゃうんだよな。
南ベトナムの伝統的な村議会はジェムが廃止して
仏植民地時代に親仏派だったカソリック教徒を村長に据えた
これは村内の旧ベトミンを抑えて監視する意味があった
坊主丸焼きにしてどうするつもり?
>>765 いい意見だと思う。
現実も軍事もすべて無視してイデオロギー主導で戦争を進めたアメリカは、
現実や軍事を見ていたザップに勝てるはずが無かった。
冷戦時代は共産圏だけではなく、西側世界も現実を無視したイデオロギー至上主義
がまかり通ったということでしょう。
当時のアメリカ経済が良好で、生活不安があまり無かった点も現実を無視したイデオロギー
至上主義を加速したと思う。
パンの不安が無ければ人はパンについて考えることは無いからね。
しかし地面に地雷が埋めてあり、狙撃兵の銃弾や砲弾が飛んでくる戦争をイデオロギー
だけで勝利に導けるはずが無かったということでしょう。
ただまあ、当時のアメリカの視点から見てドミノ理論に理由が全くない訳でもないのだな。
北部仏印から南部仏印へ進出して、そこから打って出てフィリピンから東南アジア全域を一時制覇した連中がいただろう、20年ほど前に。
またか、と警戒するのは無理もない…ホー・チ・ミンもボー・グエン・ザップもそんな野心の欠片もないけどね。
>>779 支那軍閥(毛沢東含む)のどれかが突出する危険性を昭和15年頃には気づいておくべきだった。
しかしベトナムの場合は、予想に反して中共を袖にしてくれた。偶然だろうなあ。
カンボジアもラオスも共産化したから、ドミノ理論もまったく外れではない
おまけに当時の東南アジアはマレーシア、タイ、インドネシアと揃いも揃って共産主義勢力が強すぎ
そもそもこれらの国々が独立した際には少なからず共産主義者が関わっていた
インドネシアなんか共産政党が第一党だったくらいだ
アメリカもそりゃ懸念するだろ
>>781 カンボジア、ラオスの共産化は、ベトナムの工作の寄与はさほどのものではなく
むしろ、ドミノ理論に踊った米国の介入が引き起こした余計なおまけだ。
>そもそもこれらの国々が独立した際には少なからず共産主義者が関わっていた
>インドネシアなんか共産政党が第一党だったくらいだ
>アメリカもそりゃ懸念するだろ
インドネシアの総選挙で共産党が第一党だったことは無いぞ(州選挙ではいくつか押さえたが)
米国の懸念と言うが、冷戦の主戦線だった東欧では、まさに共産主義政党一党独裁のユーゴスラビアに
軍事援助までしていたのだから、不定見・不見識としかいいようがない。
>>783 ただいまー ちょっと見て書いてきたよ。
巣に帰れ
786 :
ヤシン市場:2009/09/16(水) 10:12:12 ID:zwEIHjOD
>>772さん
同感だ。
>>773さん
ベトナムは、まだ生き残っている。
>>781さん
一理あると思うが、歴史の筋道として、前後関係が違う。
カンボジア、ラオスは、ベトナムついては、
>>782さんの指摘が正しいと思う。
シンガポールを資本主義的に発展させたリー・カンユーも元コミュニストだった。
戦後の「民族独立運動」にはコミュニズムが関わっていたが、それを一律に
「善玉・悪玉」理論で分け、本来なら「味方」になるべき相手を「敵」に回した。
近年の「テロ戦争」で、イスラム教徒全体を敵に回しているのと似ている。
ベトナム戦争初期を扱った、グレアム・グリーンの「静かなアメリカ人」に出てくるが、
<アメリカ人は、物事を単純化し、正義を盾に力を振るうが、それでは失敗する>と。
787 :
ヤシン市場:2009/09/16(水) 10:21:52 ID:zwEIHjOD
>>778さん
「パンの不安が無ければ人はパンについて考えることは無い」
正確で、かつ、巧みな表現だと思う。
ディカバリーチャンネルで、「ベトナム戦争・大統領の決断」という番組をやっていた。
ケネディ、マクナマラ、ロストウなど当時の「ベスト・アンド・ブライテスト」の証言が盛りだくさん。
それによると、ロストウでさえ、1961,2,3年当時、国務省でベトナムの位置を
正確に言えるものはほとんどいなかったという。
ケネディは、現状をまったく知らず(知らされず)、「共産主義のウィルス」を防ぐため、
軍隊を派遣したかったが、責任を取りたくないため「軍事顧問団」という形を取った。
「顧問団」が1万数千人に達した段階でも、アメリカにとっては
ポーランド、ハンガリーが重要で、ベトナムはごく小さな問題だった。
サイゴンで諜報活動をやっていた有能なランズデールが「直訴」し、
ケネディは厳しい状況に初めて直面して衝撃を受け、本格介入を決意する。
このとき、ランスデールをベトナム大使にすれば、別の解決法があったかもしれない。
しかし、国務省は現地を知らない、キャリア官僚を送り込む。
788 :
ヤシン市場:2009/09/16(水) 10:26:03 ID:zwEIHjOD
結局、頼りにならないゴ・ディン・ジェムと、ニューを取り除き、「軍隊」を派遣する。
ジェム、ニュー排除は、実質的にアメリカ政府による外国首脳の暗殺で、
報告受けたとき、さすがにケネディは、大きな衝撃を隠せなかったという。
>>778さんが指摘するように、アメリカはベトナムもベトナム人も知らずに、
アメリカという文明国が介入し、指導すれば、開発途上国のひとつくらいは、どうでもなると思っていた。
軍事介入決断時点でも「4万5千人」の「近代的軍隊」を入れれば、「裸足のゲリラ」は、
ごく短期間で、殲滅できると、疑問の余地なく、思いこんでいた(たぶん1968年まで)。
アメリカは、最終的に50万以上の部隊を派遣し、敗北することになる。
本格介入以前にケネディは暗殺されるが、いわゆる「ベトナム戦争」で
引き金を引いたのはケネディであることは、確かだ。
ケネディは、キューバ介入でも失敗し、ベトナムでも失敗の種を蒔いた。
長生きすれば、再選されたかどうか疑問だ。、
おれの印象は、傲慢で自己を過信するものは、どんなに強大でも敗れうる、ということだ。
アメリカは、敵も知らなければ、己も知らなかった。
このことは、おそらく、現在でも変わらない。
ラオスの共産主義ってやつが奇妙奇天烈で、確かに新聞とかテレビの統制やら見ると共産主義だし指導者数人のの写真がどこでも貼ってあるけど、あれを共産主義というのは肌の感覚に抵抗がある。
第一、日本との仲が良すぎる。
あれは単に経済が未成熟過ぎるだけなんじゃないかと思う。
で、本題なんだがホーチミン・トレールをラオスは本気で貸し与えたんだろうかという疑問。
ラオスとベトナムとか、山の中に国境線がビシッと引いてある概念は、フランス到来以前はなかったんだろうね。
里から見て山に入れば山の人たちの領域。そこからもっと進むと安南国だよってわかってはいるけど、じゃあどこからどこがラオスなの?ちゃんと線引いてなきゃわからないじゃん・・・とか小学生みたいなことは誰も言わなかったんだろう。
仏からの独立戦争の時勝てたのはあの地域を元々おさえていたからだよ
パテトラオの発祥は平野部でなく山村地区だし
あとラオス王国は南ベトナムがホールートの空爆に加わる事を非常に嫌がった
独立戦争てかディエンビエンフーね
土地勘のある現地部族がベトミンの武器や食料を運搬したり山に要塞作ったりしたの
パテトラオかあ。もっと山の人大事にすべきだなあ。
現代の話ね。
アメリカに逃げたミャオ族(モン族)なら自国内の空爆を嫌がる王国軍のかわりに
戦時中ラオス中に空爆しまくったよ。
空爆の犠牲になったのはアメリカにつかなかった他のミャオ族と山岳民族ら。
亡命する人間って自分らがさも多数派のように語るよな
だがなあ。犠牲になったったって、北ベトナム軍に徴用された結果だからなあ。
北ベトナム、というよりベトナム共産党の少数民族懐柔は見事だったよな。
対仏戦争初期の頃から(ゲリラ地帯確保と避難を兼ねて)彼らの生活圏に入り込み
キン族の幹部が一緒に寝起きして働いて飯食ってたんだから。
昔ならチュー・バン・タン(トー族、独立宣言時の国防相)、今のノン・ドック・マイン(タイ族、現書記長)
みたいに、彼ら自身が幹部になったケースもある。
>>787 当時のアメリカは世界一の経済大国のうえで経済が絶好調で浮かれ放題浮かれて
いたのだし、ケネディという高校生がそのまま大統領になったような指導者は当時
のウハウハ環境があって生まれえた存在でしょう。
すべての考えがバブル好景気に基づいていた。
しかしベトナムの位置すら知らず、南米だと考えていたというのでは勝てるものも勝てない。
人はパンの危機が無ければパンについて考えず、砲弾が飛んでくる危機が無ければ砲弾の危機も考えない。
その典型が「ヘリボーン作戦」で奇襲が失敗したら全滅覚悟の作戦で、兵士が携行できる食糧や弾薬は1日分
しか無く、失敗したらジャングルを歩いて帰還せよという作戦だった。
だが爆音を高らかにあげて飛び、レーダーにはっきり映るヘリで奇襲は困難だった。
浮かれた頭で漫画を読みながら考えたらそうなるという風な作戦が多い。
南米だと思っていたってのがいみじくもだな。
実際、南米や中米に対してやるようなことをアジアでやったら失敗するぞで失敗したわけだし。
>>788 ケネディは若さ、夢、アメリカの明るい未来への限りない確信という点では
偉大な指導者であったとしても、実務能力は共産圏の指導者以下で、地図も
解らないし、ベトナム戦争の敗北だけではなく、今日に至るアメリカ凋落の
種を撒いた張本人とも言える。
負の側面を語れば重度のアルコール麻薬中毒で精神病の薬を飲んでいたという疑惑
もあるケネディは、あの時点で暗殺されたから明るい伝説だけが残ったと言える。
結果論で言えばケネディは自己の政治的無能を誘拐、暗殺、爆撃で取り戻せるという
思考パターンから抜け出せなかった人間で、ギャングのボスぐらいが適職だったのではないかと思われる。
ただし、その負の側面を振り払うだけのカリスマ性や人気はあった人物ではあるが。
アルコール麻薬中毒で精神病薬って、そこまで噂を再増幅しちゃうのは感心しないな。
戦傷の後遺症があって強い鎮痛剤を使っていたことまでは事実だけど。
ブッシュとかクリントンとかオバマとか全員アル中とかヤク中なんだよなw
パウエルも若い頃クスリやった事あるらしいし
>>800 ケネディが麻薬中毒でなかったとしたら、天然バカだったことになる。
なにしろ自分が介入したベトナムの位置を知らなかった。
もしやケネディはキューバの位置も知らなかった可能性もある。
一般的なイメージではケネディが深刻な顔で「キューバが共産化してソ連の
核が持ち込まれたら大変なことになる、私の政治生命を賭けて阻止する」と
大統領室で部下に語るイメージになってるが、だったらどうしてキューバ革命が起き、
アメリカが気づいた時にはすでにソ連の核ミサイルが秘密裏で持ち込まれていたのかという話になるからだ。
ケネディがキューバは中国の田舎だと考えていたので、気づいた時には遅かった可能性がある。
ケネディは「ニューフロンティア精神」という演説で有名だが、ライター
が書いたものを読んだだけなので「ケネディ!あなたが語ったニューフロンティア
精神とは何なのですか?」と聞かれても「そんなの俺は知らんよ」と答えた
という逸話もある。
ケネディが凄いという人の意見の多くはこんなものだ。
「ケネディは若くてハンサムだった」
「ケネディは金持ちで輝いていた」
「マリリンモンローと交際していて羨ましかった」
政策や実績でケネディが偉大だという意見はゼロに近く、でかい車に乗って
連れてた姉ちゃんの乳がでかかったという評価基準しか無い人物に近いのだ。
>でかい車に乗って
>連れてた姉ちゃんの乳がでかかった
アメリカ人にとって最高の人物w
おまいらマリリンを勘違いしてるだろ。バスストップ見てみろ。
おくりびとの広末見たくらいびっくりするんだから。
ホーチミンだってアメリカやフランスがどこにあるか知ってたか怪しい。
スターリンや毛沢東を見れば解るが、サヨクの指導者は、
外国にろくに出ようともせず、グローバルな視点は持ち得ない奴が多い。
>>806 ヒトラーは大きなヨーロッパの地図を見ながら政治を考えたと言われる。
スターリンは大きな地球儀をパイプ片手にくるくる回しながら政治を考えたと言われる。
ケネディはポルノ雑誌を見ながら、「ベトナムはここら辺かの?」とポルノ女優の尻を
指差して指示を出していた可能性がある。
ケネディは戦後のバカな若者を体現した人間で、バカむき出しだからお笑い芸人のビートたけし
のような感覚で若者に支持された可能性もあるだろう。
ケネディがグリーンベレーに力を入れたのは深い作戦があった訳じゃなく、
相手はチョンマゲをして裸足の竹槍を持った百姓だと考えていたので、
小規模な部隊を送り込んで適当に機関銃を撃てばすぐ降伏して土下座すると考えて
そうした可能性も高い。
なにしろケネディは東南アジアとインドの区別もできない。
グリンベレーの武装はほとんど銃だけで、第二次大戦でも全滅する覚悟になる部隊だが、
相手が竹槍ならそれでもいいんじゃないかとケネディが考えてた可能性はある。
ケネディの時代のアメリカを描いた映画に「アメリカングラフィティ」がある。
あるいは映画「バックトゥザフューチャー」に出てくるパパとママの若い時代だ。
誰もがアメ車に乗って燃費など考えず、誰もがマクドナルドのハンバーガーを食いながら
車のラジオから流れる夢を聞いてビックになることを夢見れた時代である。
黄金時代と呼ばれてる。
このほんわかムードのなかでジャングルにおけるザップとの戦いを考えるのは無理があった。
結果としてベトナムが現在のように市場経済や外資を受け入れて経済発展
をはかるのであれば、アメリカ合衆国はインドシナ戦争に一切介入しない
ほうが良かったとも言える。
共産主義はキノコのようにワーッと生えても、やがては失業などの問題で
枯れるものだったとも言えるからだ。
だったら欠陥銃を持たされてベトナムのジャングルや沼地で死んだ米兵は
一体何だったのかという人類普遍の問題がそこにある。
↑ 喩えが極端だよ。
814 :
名無し三等兵:2009/09/17(木) 01:47:00 ID:ZfDXaHQ7
あいかわらず電波野郎がとばしてんな、
この勢いで電波で1000までいっちゃうんじゃね?
ホーチミンが料理の手伝いをすることで外国船に乗り込んだのは有名な話
フランスやアメリカの場所が分からないとは思えないがw
JFKだってフィリピン界隈で魚雷艇乗ってたんだから、真西がベトナムくらいわかってるって。
>>815 船でコック見習いをしてた頃のホーチーミンが独立闘争のための下見
でそれをやってたとしたら凄いよな。
コック見習いなら寄港した際には船から下りて市場に行って食料や調味料
の買出しもやった可能性があるが、そこでホーチーミンは生きた国際社会を
肌で感じ取って、調理室で野菜を刻みながら革命闘争のプランを練ったのかもしれない。
>>816 米国は文盲が多い国で、必然的に米兵も文盲ないし準文盲がおり、
東西南北が解らないし、アフガンで戦っていても自分が戦ってるアフガンが
どこにある国か解らないようなのもいると言われてる。
「俺はよ、食うに困って乞食になるのが嫌なんで軍隊に入ったんだが、飛行機
に乗せられちゃって気づいたら、このアフガンとかいう国に連れて来られて銃撃戦
をやらされてるんだが、もう早く帰りたいし、このアフガンという国はメキシコあたり
の国なのか?」と思ってる米兵がいる可能性がある。
米国の共和党のペイリン副大統領候補はカナダの位置がどこか知らず、
カナダはケニアのあたりかと思っていたらしいんだが、米国ではそんな
人でもエリートと呼ばれ共和党の副大統領候補になるんだから、そういう
もんだと思ったほうがいい。
なんか「らしい」とか「可能性が高い」とか「思える」ばっかだな
>>812-815 金日成が白頭山でパルチザンやってたという捏造歴史とかも鵜呑みにする人たちですか?
船のコックしながら革命プランを練ってたのは実話だよ。
確かあれはホーチミン・・・何号だったか思い出せないけどさ。
ホーチーミンは見た目もコックみたいだし、ザップは床屋の店主
みたいな見た目だよな。
ホー・チ・ミンは、オーギュスト・エスコフィエが総料理長だったころの
カールトンホテル(ロンドン)の厨房で働いていたが、
彼に見出されてパティシエの修業もしている。
船のコック見習いといい、地下活動でみんな自炊していた頃、さぞや重宝した技能だろう。
一方、ザップはといえば
463 :料理と言えば:2009/09/06(日) 02:25:11 ID:???
ベトナムの対仏・対米の戦いを指導し、
「赤いナポレオン」「20世紀のチャン・フン・ダオ」とも称えられたボー・グエン・ザップ将軍。
大卒の法学士であり、英仏中露4カ国語を操り、各国の軍事文献を原書で読みこなした彼ですが、
彼の料理ときたら下手なんてものではなく、「作り方すら理解していない」代物だったそうです。
後に中国領内やベトナム北部で地下活動に入った時、
後にベトミンとなるグループでは、平等に幹部も炊事当番をしたのですが、
粥一つ満足に炊けない彼のまずい飯に閉口した同志たちから、彼のみ当番免除されたとのこと。
>>824 ホーチミンはベトナム版料理の鉄人だったかもしれないわけか。
赤いナポレオンザップといい、世界の料理人ホーチーミンといい特攻野郎Aチーム
のように多彩な人材力があったことになるな。
>>824 客が食べ残した料理から口つけてない部分を丁寧に選り分けて、自分で食べない部分はホームレスな人に分けてたら、
料理人たるもの食べられるものは大事にしなけりゃならんって事が判ってるな、心構えが気に入ったってエスコフィエに言われたんだっけ、確か。
>>826 料理の心は独立闘争や革命にも通じるということを厨房で学んだわけか。
こういう逸話が出てくると、時々ホーさんが日本人じゃないかと錯覚する。
何というか美徳のメンタリティが似ているんだよね。
お隣の毛さんの方にはこんな話あんまり出てこないな。
>>828 日本のジャーナリズムがいじりまくった神話だからだお
たしか飢饉に陥った際に国民に向けて、一日三食食べられる人は一食抜いて
その分を食べ物の無い人に施してあげて、と呼びかけたんだよね
>>829 日本のジャーナリズムがいじりまくる前の話を教えてくださいな、あなた知ってるんでしょう。
832 :
ヤツソ市場:2009/09/18(金) 09:20:36 ID:???
俺も聞きたいな
>>829 ジャン・ラクチュールやジェラール・レ・クアン、ウィルフレッド・バーチェット、
チャールズ・フェンが日本のジャーナリストだったとは知りませんでした。
で、日本のジャーナリズムがいじりまくる前の話って?
834 :
マダム:2009/09/18(金) 15:20:05 ID:???
ふん、バーベQならアタシのほうが上手いわよ!
>>809 このほんわかムードのなかでジャングルにおけるザップとの戦いを考えるのは無理があった
まあ、一理あるとは思うけどね
しょせんは豊かな国で育った人間に第三世界のことが分かるとは思えん
アメリカはヴェトナムでもイラクでも失敗したが、ウォルマートに行けば何でも売ってる国の住民が
そもそもスーパーすら存在しない国の人間の気持ちを考えろとか言われても限界がある
どのみちアフガンからも撤退するはめになるだろうが、アメリカ人は世界にはマクドナルドも
ウォルマートも存在しない国がたくさんあることを知っておいたほうがいい
日本には未だに侍・忍者がいるとか
開高さんの読んでると、ハノイも最初の頃なんかは学生運動が起こってるんだな。泣き女のエピソードには笑った。
>>835 それは日本も同じでアメリカだけ批判すればいい話ではないけどな。
839 :
名無し三等兵:2009/09/19(土) 11:34:55 ID:901Ka/PA
ベトナム戦争で国民の一兆2000億がクエートに行かず実はアメリカに行っていて
そのキックバックを得ていた保守系政治家の実名教えてください。
ふくしまみずぽ
>>835 アメリカは面積が広い国で、マクドナルドなどのチェーン店が発達してきた国
でもあり、地平線のかなたまで、どこまで行ってもウォルマートやマクドナルド
があるような錯覚に陥るのではないか?
南極や月にもマクドナルドがあるような錯覚に陥るのではないか?
しかしアフガンにはマクドナルドが無いんで両手の手のひらを空に向けて
「ホワイなぜ?」と頭を傾げているのではないか?
大学進学目当てで志願してるから仕方ないよ
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ヽ::::::::::::::::!~ 丿 | くェェュュゝ /|:\_
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_________________∧__
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844 :
名無し三等兵:2009/09/19(土) 18:06:19 ID:cSEYNCU+
放置民
始まりのラインバッカー
♪ホワーイなーぜーにー
>>824 ボー・グエン・ザップは大卒じゃないよ。ハノイのリセ(旧制中学みたいなもん)を卒業した。
licenceは学士としか訳しようがないけど。
848 :
xread:2009/09/20(日) 15:12:01 ID:???
746、754、757。みなさん、ありがとうございます。
しかし、m14のフロントサイトあたりを切断してしまうと作動不良の確立が
高くなるんじゃないかと思ってしまいます。あまり影響がなかったのかもしれ
ませんが。rpd軽機関銃のドラム型弾倉はバネによる給弾ではないだろうと
おもっていました。
>>848 なんでも、ブッた切ったM14のフロントにSKSのフロント周りを付けてたようだよ。
wikiに載ってた
>>848 824ですが、ご指摘ありがとうございます。
「フエの国学(クオック・ホック)を卒業した後ハノイで法科LICENCE取得」
というのを、勝手に「単科大(COLLEGE)卒」と思いこんでました。
ジゴモクに出て来たようなフランス人のゴム農園主や、その傭兵達はサイゴン陥落後
国外追放されたのかな?
852 :
ヤシン市場:2009/09/25(金) 14:34:01 ID:m4AOHEj0
>>851さん
インドシナ戦争でフランスが敗北した後、かなりの規模で
「自主的に」出国したんじゃないかな。
でも、アメリカが介入した1960年代後半でも、ある程度のフランス人地主はいたと思う。
最終的に根こそぎ国外退去になるのは、1975年。
そういえば、「地獄の黙示録」(完全版)に、ウィラード大尉がカーツ暗殺に
向かう途中、フランス人入植者の農園一族に出会うエピソードがある。
今でもベトナムは高原地帯にゴム園があるが、おれの個人的印象だと、
コーヒー園に変わってきているのが多い感じ。
これは、ゴムよりもコーヒーの方が、安定して高く売れるからではないか。
ベトナムは世界1か2位のコーヒー産地だが、ブランド力がない。
そのため、インスタントコーヒーや、銘柄豆に混ぜられて(秘密)売られる。
853 :
xread:2009/09/25(金) 18:46:15 ID:???
849さん、ありがとう。
855 :
名無し三等兵:2009/09/26(土) 02:22:18 ID:O8+Gj74s
>>852 2001年のコーヒーバブル崩壊知らない?
コーヒー栽培にみんな大挙して転換したために国際価格大暴落。
中部高原経済がとんでもないダメージ受けた。
あと、確かにベトナム豆がインスタントに回されることが多いんだけど、ブランド
が確立出来てないというのは結果であって原因ではない。
豆の種類(地味の関係などもあってロブスターが主体)と品質がダメダメなの
が最大の原因。ま、だからこそ価格が安いわけで、インスタントコーヒー向け
需要がベトナム豆に回ってくるわけでもあるけど。
結局ダメな国でしかないわけだな。
世界全体からみればそれは無い
我々がもう半世紀民主主義を教育していれば…
全く残念だよ。
日独の独裁国家の罪は重い。
ベトナムのフランス化はどのみち失敗してただろ
2世紀近く占領してたアルジェリアのフランス化すら失敗したんだから
富裕層や知識階級はフランス化したが、圧倒的多数の農民はそのまんま
かえって、国内の分断がひどくなっただけ
そんなんだから大衆が簡単にアカになっちまったんだよ
「NAM 〜狂気の戦争〜」買ったぜ!
861 :
ヤシン市場:2009/09/28(月) 18:43:11 ID:/HIbkemi
>>855さん
「コーヒーバブル」
今は膨大な資金が利益を求めて世界中を動いているので、
どんなものでも投機対象になる。
>>856さん
「ダメな国」
何が「ダメ」かは定義によるが、日本からすればベトナムは有望な投資先で、
市場としても、資源(有望な海底油田がある)からも、無視できない相手だ。
>>859さん
これは、言えると思う。
キプリング流の
「選ばれたヨーロッパ人が、遅れた有色人種を文明化する」
といった植民地支配は、日本という「偉大な例外」の力もあって、
いずれ崩壊したと思う。
ただ、国内を宗主国べったりの支配層と、貧しい多数に分節させ、
相互に対立させるのは、支配する側にとっては、必要な政治技術だと思う。
>>861 ベトナム沿岸の油田もロシアに牛耳られて日本が立ち入る隙はないだろ。
シベリアの天然ガスも結局日本はおいしいところをことごとくロシアや中国に持ってかれてるし、
中国に至っては勝手に日本の領海内から天然ガスを横取りしてるのを
傍観してる有様だし。
(採掘技術はかつて日本も相当援助した)
NAM 〜狂気の戦争〜
図書館で読んだなかなか面白い
>>861 国内を宗主国べったりの支配層と、貧しい多数に分節させ、
相互に対立させるのは、支配する側にとっては、必要な政治技術だと思う
植民地統治するには、支配者層を取り込むのが一番早いですからね
欧米が植民地支配していたアジア、アフリカの独立運動って大衆運動でもあったわけで
結局、国民のほとんどを敵にまわして、植民地経営なんてできるわけない
もっとも支配者層を追い出したせいで、経営ノウハウがない連中が農園経営やってとんでもない事になったりもしたけど
>>863 まああれはベトナム戦争百科事典みたいな物だから
866 :
ヤシン市場:2009/09/29(火) 10:48:10 ID:1OTjsUww
>>862さん
「ベトナム沿岸の油田もロシアに牛耳られて日本が立ち入る隙はない」
正確な数字は知らないが、ベトナムの輸出相手国は、アメリカが1位、日本が2位。
日本の輸入内容は、水産物、原油、繊維などで、原油が最も多い。
ベトナムから原油を最も買っているのは、日本だろう。
ロシアは超深度油田開発技術に優れ、ベトナムの石油会社が使っている。
ちなみにペトロベトナムは、逆にロシアの油田開発に出資している。
「牛耳る」の意味が分からないが、ベトナムは石油を売って儲け、
日本は輸入相手国の分散化や、近い産地のベトナム石油で得をし、
ロシアは、技術を売って金を稼いでいるわけで、
どこが「牛耳」っているわけではない。
シベリアの天然ガスは、日本も輸入するし、出資する。
商売なので、ロシアも高く売れる方に売るのは当然だ。
>>864さん
「植民地統治するには、支配者層を取り込むのが一番早い」
賛成だ。。
アメリカは、イラクで旧支配層を敵視して、組織を破壊してしまった。
これが、現在の失敗の元だと思う。
サダム・フセインだけを追放し、バース党、軍、警察、諜報機関をそっくり残し、
頭だけすげ替えて、使っていれば、今のような混乱はうまれなかった。
868 :
ヤシン市場:2009/09/29(火) 15:49:13 ID:1OTjsUww
>>866さん
その通りで、エビが多いみたいですね。
この間国道一号をクルマで、クイニョンからカムランの方へ南下する途中、
昼飯を食おうと、海岸町に降りたら(この辺の地形は三陸海岸に似ている)、
くねくねした砂利道を下ると、あっと驚く近代的な岸壁と大きな建物が出てきた。
ベトナムの地方漁村は、浚泄、岸壁、護岸工事が、ほぼないので、
遠浅で入ってこられない漁船は、沖に停泊し、小舟で浜と往復するのが多い。
漁船が横付けできる「港」は少ないので、珍しいし、規模に驚いた。
現地の食堂の人の話だと、日本の資本でつくったもので、
海産物を加工・冷凍する工場だとか。
ベトナムの家庭で冷蔵庫を持つのはごくわずかで、店にも冷蔵設備を持つ店も少ない。
したがって、捕った魚はその日のうちに市場で売らないといけない(若干干物がある)。
だから、いくら取っても冷凍して売れるので、漁民にとっては大変化である。
その辺はイカがよく取れるので(食堂のも美味かった)、
今では、ベトナムイカも結構日本に入ってきていると思う。
こういう日本資本の進出はあちこちであり、ベトナム人はもちろん職場が出来るので大歓迎。
政府は税収が上がり、一般庶民の日本への好意も、地道な形で広がっている。
始まりのラインバッカー
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| //'"""" ヽ) 女 │|利;´ 〉`} //{{{、{{{{,}}}}}}};、 │
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| 男性がいないと安心! .│| 私は特にどこでもいいです │
└―――――――――――──┘└―――――――――――──┘
>>868 レスありがとう、毎度いろいろと勉強になります。
ヤシンさんは外交員なの?
やっぱり日本はすごいなあ。
難民も養って食わせてあげてるし、
ベトナム人たちも日本人には感謝してもしたりないと思う。
>>872 そんなもんは現地の人が言う事で日本人のあんたが言うとおかしな話だから
海産物の加工工場か…
出資した企業はどれ位儲かるのかね。
>>873 でも事実そうでしょ。
あ、ごめん日本の方じゃないんですね?
>>872 ベトナム難民の待遇はすげ〜ひどかったぞ。
3ヶ月間施設で日本語教えて「あとは勝手に生きていってね。」
>>866 イラクでバース党、軍、警察、諜報機関をそっくり残さなかったのは
イラク全体を弱体化・混乱させて占領を長期化する事こそ目的だったからでは。
イスラエルの利益になるし、軍需産業は喜ぶし、イラクの油田の権益をしっかりいただく事ができる。
はなからイラクの安定なんて表向きの理由にすぎなかったと思う。
産経の近藤紘一の著作で、日本政府の難民の扱いを見たイギリス人記者が激怒して
「もし日本人が難民になっても絶対に受け入れてやるものか」
と言っていたという話があったな。
>>878 気にするな。
彼も反日国家に育った犠牲者だ。
>>862 90年代以降の石油開発は、三菱石油(現・新日本石油)との合弁(日本ベトナム石油)が一番大規模だったはずだぞ。
ド・ムオイは社会主義ベトナムの最高指導者として初めて日本を公式訪問したが、
わざわざ岡山の水島製油所を視察日程に入れたぐらいだ。
ちなみに、バクホー油田産出の石油を一番輸入してるのも日本だ。
やっぱすごい国だわ。日本。
グニタもコバが流れ込んで劣化したな。
グニタ?
>>881 ド・ムオイも日本の発展振りに腰を抜かしたことだろうね。
日本人としてお世辞抜きで誇らしく思えるよ。
>>862 なあ、これのソースを教えてくれないか?
>中国に至っては勝手に日本の領海内から天然ガスを横取りしてるのを
>傍観してる有様だし。
ヤシン市場さんの考察が正しければ、ベトナムは変なことでも無い限りは、
今後10年は経済成長するな。
ベトナムコーヒーの品質が低いのも、馬鹿じゃなければ努力していい品質
のものも作れるようになれという話でしょう。
アメリカ軍がベトナムやイラクから撤退し、アフガンでも苦戦してるのを
見ると、カラシニコフ突撃銃やRPG7がある地域を植民地支配するのは
机上の空論ではともかく、現実には困難であると言わざるを得ない。
ベトナム戦争が証明したのは突撃は火力が発達した現代戦でも有効な作戦
だということである。
もちろん膨大な犠牲覚悟にはなるが、犠牲を覚悟するなら戦線を覆す。
火力で突撃を阻止できるなら、ディエンビエンフーもケサンも陥落してない。
また火力だけで突撃を阻止できないという事実を見れば、戦国時代のお城のお堀
のような突撃を阻止するための防御手段も敵の大砲等で破壊されないならば、
有効な防御手段になるということだろう。
お城のお堀は戦車でも堀に落ちるだけで突破できない。
ま〜た始まったw
891 :
ヤシン市場:2009/10/01(木) 12:00:43 ID:PmQt7y3O
>>871さん
普通の下っ端会社員です。
ベトナムのエビは養殖が多いけど、イカは天然で干したのも美味いなあ。
ベトナムだとどこに行っても道ばたで干しイカを売ってるけど、
ホコリを別にすれば、これがビールに実に合いますねえ。
>>877さん
「イラク全体を弱体化・混乱させて占領を長期化する事こそ目的」
当たっていると思う。
アメリカも最初は日本の工業や官僚制度、金融を破壊し、要するに農業国にするつもりだった。
ところが冷戦で、「役に立つ子分」に仕立てる必要に迫られ「日本解体」を中止。
イラクの場合、基本は>877さんのいうイスラエルの要求が強かったと思うな。
>>880さん
その近藤紘一の話はおれも読んで、非常に共感した。
特に「ベ平連」とかいう、反戦運動をしていた奴らは、要するに共産国の工作隊で、
ベトナムやベトナム人には関心はなく、安全なところにいて「反戦遊び」をしていた連中。
>>887さん
ベトナムは、初等中等教育が充実し、中国、タイよりも識字率が高い。
国民の平均年齢が25歳?くらいで、若く、労働力が増え続ける。
海岸線が長く良港が多く、アセアンの中心に位置する。
資源も石油、石炭、非鉄金属が豊富で、農産品は競争力の高いものが多数ある。
農業で言えば、そもそもメコンデルタは、世界で最高の農業地帯だと思う。
ここの半分くらいあれば、日本人の食糧をすべてまかなえるのではないか。
ベトナムは開発途上国だが、後十数年で「離陸」する可能性はあると思う。
始まりのラインバッカー
>>891 君が読んでる本は俺も大体読んでるぞ。
近藤さんは右も左も関係なく、真実を求めてる姿勢に好感が持てる。
鍵和田 良輔の「・・・そのとき ぼくはへっぴり腰でシャッターを切った!」も読んでごらん
>>889 あのね
ディエン・ビエン・フ−ではNVAの方が仏軍より火力で優勢だけど
>>894 同意。
そもそも仏軍の戦術は、
山岳地帯から火力支援無しの多数のベトミン歩兵を盆地の平原に誘引して、
それを火力と機動兵力で粉砕するというものだった。
(それはナサン戦で成功していた)
105榴と82迫、75山砲、カチューシャをあの山中に持ち込んで、
鉄量で圧倒して逆に仏軍の機動力を封じ粉砕したのが勝負の鍵だったはずだが。
>>889 ただし、この当時はまだNVAでは無いですぞ。
あえて言うなら人民軍(QDND)
近藤紘一さんは奥さんが産経のサイゴン支局長で奥さんはベトナム人とスゴイどっぷりベトナムに浸かってるのに
執筆する記事はベトナムを突き放した見方なんだよな。
某朝日の某本多さんみたいに完全に感情移入して
「解放戦線は残虐行為なんて絶対しない!」(キリッ
とどうしてこんなに違うのか。
偏ったプロパガンダによって、すっかり解放戦線は民族解放の戦士なんて見方が根付いてしまったが、
実際は無差別テロはもちろん、南の村から税を取り立て、
従わない人々は惨殺して見せしめにするなど、数多くの蛮行を行ってるんだよな。
>>896 彼個人の履歴がかなり影響してるんだろうな。
自伝的部分読んでると、良家に生まれてその後のキャリアも順調にも見えるが、
一方で嫁さんが自殺したりと波瀾万丈。どの本だったか忘れたが、高校・大学の
同級生が語った「オレの家は金持ちなんかじゃない」とか言って自分を虐めた
奴への恨み辛み語ってるところとか。
オレは友達になれなさそうだ。
>>897 ある世代には未だにそうかもしれんな。
と言っても、南政権が良かったかと言えば・・・。
>>898 元々南ベトナムの人達にとっても、解放戦線は決して好ましい存在ではなく、むしろ脅威だったんだけどね。
ただ南べ政権が輪を掛けてクズぞろいだったので、おおかたそちらに流れてしまった。
彼らにとっては北も南も民族独立なるお題目も大した関心ではなく、豊かで安定した生活を望んでいたわけだが、
皮肉にもそれをもたらしたのは共産政府ではなく、
立ち去ったはずのアメリカをはじめとする資本主義諸国だったw
>>891 ベトナムの道端で売ってるようなものを食っちゃって食中毒とかには
ならないんですか?
彼らの衛生観念というのはどのぐらいのレベルなんでしょうか?
ベトナム人は小学校を卒業してる人や若者が多く、水、資源、食料も豊富
らしいですが、彼らの国民性と言いますか、向上心というものはどうなんでしょうか?
「こんだけ恵まれた要素もあるんだし、便利なショベルカーやコンピューターも
あるんだし頑張るぞ」という風な覇気あふれる民族なんでしょうか?
それともダラーっとしてるような民族性なんでしょうか?
>>894 ベトナム人がディエンビエンフーに中国から手に入れた105ミリ榴弾砲
などを持ち込んで撃ちまくったことは知っておりますが、それだけで陥落
したのではなく、軽機関銃、手榴弾、銃剣を持って人海突撃もやって
陥落さしてるわけでしょう。
その大砲を撃ちまくって、最後に突撃というのは、第一次大戦で連発された
突撃戦のパターンではありませんか?
>>900 横レスするけど、
> ベトナムの道端で売ってるようなものを食っちゃって食中毒とかには
> ならないんですか?
これは売ってるモノそのものよりも、食った人間の体調や体質の方が大事。
中るヤツは何食べても中るし、中らないヤツは何食べてもちょっと軟便になる程度で平気。
よくレスする気になったな、皮肉でなく偉いわ。
おれは無理w
904 :
名無し三等兵:2009/10/02(金) 10:59:10 ID:zWs8AVx7
枯葉剤→森には火を、森には殺虫剤を。旧日本→木の家が普通だった、爆弾の火によって燃え盛ると考えた米国。
大それたことを考える米国、しかしベトナムには負けた米軍。
太平洋戦争のガダルカナル島の突撃でも、せめて半自動小銃があったら
話は違ったという証言はある。
ロケットランチャーがあれば旧日本軍は南太平洋の島々を防衛できた
んじゃないかという意見もある。
ベトナム戦争のべトコンはカラシニコフ突撃銃とRPG7を持って、この
意見を証明したと言える。
べトコンが行った虐殺にしても、米軍は枯葉剤、ナパーム、クラスター爆弾
を無差別に投下していたのだから、その手先のような人間を見つけたらべトコン
が家族全員皆殺しにしても、これは戦争時の感情として当然であると思う。
虐殺された家族は「金が欲しかったんだ、アメリカの言うことを聞けば金持ちに
なれると思ったんだ」と泣き叫んだだろうが、そうした売国奴の言うことをいちいち
聞いていたのでは祖国防衛などできないし、殺されたほうにも殺されるだけの理由が
あったのだと思う。
>>901 攻撃準備射撃に膚接し歩兵攻撃を行うのはどこの国の軍隊でも行うことですが
北ベトナム軍はただやみくもに旧日本軍のような無謀な突撃は行わない軍隊です
基本はあくまでゲリラ戦です
正規戦を挑むときはそれなりの準備と理由があります
ディエン・ビエン・フ−の場合は間近に迫ったジュネーブ和平会議の前に
どうしても大きな勝利という既成事実が必要なためにやや無理をしたのであり
ケ・サンではテト攻勢の一貫としてアメリカ世論に心理的インパクトを与えるのが目的です
準備もディエン・ビエン・フーでは大口径砲を48門(仏軍は28門)、中口径砲を80門(仏軍は40門)を集結し
対航空機用対空砲を100門も準備してます
ケ・サンでも全般的火力は米軍に劣るとはいえ北ベトナム軍は最多で一日1307回も砲撃
米さらに軍の対戦車火器が僅かな無反動砲と携帯対戦車RLしかない陣地に対し
歩兵連隊とともにPT-76軽戦車中隊を投入したりています
>>907 ディエンビエンフーもケサンも空からの補給を絶たれて、砲撃だけで陥落
したのではなく、塹壕のなかでフランス兵もアメリカ兵も粘ったわけでしょう?
そして最後に白兵戦に持ち込まれて負けた。
この考察がおかしいですか?
いつの間にかケサンの海兵隊が負け犬にされてるしw
ケサンは米軍の戦術的勝利
ディエンの仏軍は白兵戦だけで負けたわけでないでしょ
海岸線とディエンの地上補給路を寸断して
高射砲で仏軍航空機60機撃墜して空路補給も不確実にしたことも重要
912 :
ヤシン市場:2009/10/02(金) 14:53:17 ID:ZULvoR+g
>>892さん
興味が似ているんですね。
鍵和田良輔は知らなかったな。
面白そうなので読んでみます。ご教示snks。
>>896さん
賛成です。
近藤紘一は、ベトナムを愛しながら、政治的には冷静さを貫いたところが、
本物のジャーナリストだと思う。
外国を扱う記者、評論家といった類は、物事を単純な「善玉・悪玉」に分け、
どちらかのイデオロギーに乗っかり、相手を論断する連中が多い。
単純なレッテル張りでなく、事実を元に歴史的な背景をおさえた
本物のジャーナリストは、極めて少ないと思う。
近藤紘一は、ベトナム戦争、また、戦争以後の経緯、アジアとヨーロッパへの目配りで、
出色のジャーナリストだと思う。
>>898さん
近藤紘一個人について言うと、やはりフランス大使令嬢の最初の奥さんの死が
彼の人生観に極めて大きく影響していると思う。
それ以後の彼の人生は、おそらく、余生にちかい。
サイゴンのマジェスティックホテルの屋上で、河面を見ながら、
亡くなった奥さんが描いていた絵を回想する場目など、詩情あふれる文章だ。
913 :
ヤシン市場:2009/10/02(金) 14:58:22 ID:ZULvoR+g
>>900さん
おれは、食中毒にはなったことがないけど、初めての国だと下痢はよくあります。
ベトナム人の衛生観念は、体を洗う、熱して食べる、家の中は靴を脱ぐなど、
原則として日本時を含めた東アジア人の衛生観念と、ほぼ同じ。
これは、例えばインドなどの南アジア、中近東、中央アジアと比べると、違いが分かる。
中国は南北で別の民族なので、日本は南中国から東南アジアと近い。
表面的な違いは、先進国と途上国の差で、時間軸でなく民族性で見た方がいい。
国民性は、基本的に勤勉で向上心が高い。
これは、「家族のために頑張る」という気持ちが強く、勉強して出世する、
または、党員、僧侶になって社会的な尊敬を集めるために、努力をする。
ちなみにベトナムには、引きこもり、いじめはなく、坊さんは独身で金をねだりません。
他国と比べると分かりやすいが、フィリピン、インドネシア、タイ人は、
物事を勧めるときの順番(計画性)、組織力、時間の意識などがベトナム人より
劣ると思う(おれの個人的な体験に基づく意見)。
同じ条件で集団で競争させた場合、上記に南アジア人を加えても、ベトナム人が勝つ。
ベトナムには「ゴム時計」という言い方があり、これは時間を守らない人のことで、
つまり、そういう意識があること自体、時間を守る(組織的行動の大前提)ということ。
以上は、一般論で、地域ごとや例外などは、もちろんあります。
開高健の輝ける闇、夏の闇は高校生の頃、むさぼる様に読んだな。
やがて集英社だったか、ニール・シーハンの輝ける嘘が出版されたけど
・・・国内のろんぜつ主流に流されず、よく戦争の真実をみきわめたよ。
もっともオーウェルのスペイン内戦における先行著作(革命も反革命もやがて虐殺で終わる)があったから
まあ良くも悪くも東南アジアの小中国だからな。
916 :
名無し三等兵:2009/10/02(金) 20:34:27 ID:Q9Qhx6vL
> ちなみにベトナムには、引きこもり、いじめはなく、
いやいや、あるってw
小学校での少数民族子弟へのいじめとか普通にあるし(dan toc(民族)という
単語が少数民族の意味になるくらいだ)。
まだまだ口コミ社会なんだから、ハマルとすげ〜よ。
というか、いじめや引きこもりが無い社会があるというなら見てみたい。
統合失調症に仕立て上げようとするのも貴様らの手口 常套手段ですね
精神神経実験学界 頭がオカシイのはオマエたちだ 脳ピペドカルトのマインドコントローラー
電磁波兵器おもしろいね 不愉快にさせる奴には容赦しない キチガイ脳ピペドカルト
貴様らの手口なんてすぐバレんだからさ なんか新しい事やれよ キチガイ カルト
処刑する 狡猾で卑劣極まりない犯罪者 公論の集中砲火を浴びて滅べ
どこのコピペか知らぬが、書き手はまちがいなく仕立て上がった側だなw
>>913 先日、食中毒の件についてお伺いしたものですが、教えて頂きありがとう
ございます。
ベトナムさんは人件費も安いのだろうし、現地で生まれ育ったベトナム人の
感覚からしたら高度成長のような感覚で幸せ一杯なのかも知れませんね。
>>896 書き込んでこれだけスレが進んでいるのに
×近藤紘一さんは『奥さんが』産経のサイゴン支局長で奥さんはベトナム人
○近藤紘一さんは産経のサイゴン支局長で奥さんはベトナム人
なのに突っ込む奴がいないとは…
近藤さんの死後、奥さんと連れ子の女の子はどうしてるんだろうね。
あの子の話は面白いね。
小娘と言われて怒ったり・・・
>>921 神田憲行 『ベトナム・ストーリーズ』(河出書房新社/2007)によると
故近藤紘一さんの『サイゴンから来た妻と娘』で知られたナウさん
は、近藤紘一さんが亡くなったあと、娘のユンさんの住むパリに移
り、故国ベトナムに親戚を訪ねたり、ときには日本に帰国したりの
元気な生活を送っているらしい。
とのこと。引用元は個人ブログなのでURLは張らない。
ナウさんの書かれた『アオザイ女房』が好きだったので、健在とのこ
とを知る事ができて嬉しい。
ベトナムにいじめは無かったとしても虐殺はあったことはベトナム戦争史
で明らかじゃないかと思う。
「ケサンで米軍は勝った」という意見があるが、はたしてそうなのか検証
してみるべきだと思う。
戦争はプロパガンダの塊で、鵜呑みにしたら間違う面がある。
ケサンで米軍が勝ってるなら、どうして米軍がケサンから撤退したのかという
問題がある。
そこから米軍が撤退したら、明らかに米軍が不利になる戦略重要拠点がケサンで、
だからこそ米軍はケサンに基地を築いて死守しようとしたわけでしょう。
ケサンは北ベトナム軍に包囲されたが、米軍のC−130輸送機や輸送ヘリチヌーク
が必死で空中補給を行い持ちこたえたと言われる。
しかしそんなことが可能だろうか?
C−130輸送機は戦艦並の装甲があって、ミグ戦闘機に攻撃されようが、
ケサン基地を包囲してる北ベトナム地上軍から高射砲や対空ミサイルを撃たれ
ようが空中補給が行えたのだろうか?
どう考えても嘘に決まってるだろう。
C−130輸送機にミグ戦闘機のミサイルや機関砲が命中したらどうなるかは明らかだ。
またプロペラ機のC−130輸送機ではミグ戦闘機から逃げることもできない。
堅固な要塞を出血ポンプとして使って、敵の戦力を削るのに狙いを定めるってのはそんなに珍しい話じゃないが…旅順ヴェルダン硫黄島、
当のベトナム人民軍もアシャウ渓谷の戦いで、価値ゼロの高地を使って精鋭101空挺を削りまくるのに成功してるじゃない。
最後に人民軍はアシャウから撤退したが、トータルでの勝ちは人民軍側だろう。ケサンはそれが逆転しただけだ。
ベトナム戦争当時の米軍が使用していたM−16ライフルが欠陥銃という
のは定説になっている。
すぐ暴発や弾詰まりになる欠陥銃で、故障しなくても米兵がよくやるフルオート
で撃ちまくるやりかたではすぐ弾切れだろう。
包囲されて補給困難だった末期のケサン基地では撃つ弾すら困窮していた可能性は高い。
白兵戦で銃に強い衝撃が加わると、プラスティック部分がポキンと折れるという意見もある。
また包囲されて大砲や迫撃砲を撃ちこまれまくるケサンでは、塹壕から頭を出してライフル
で狙うことも困難だっただろう。
爆風で頭を吹っ飛ばされるし、轟音のなか塹壕にうずくまり「ママ助けて」とつぶやくのが
精一杯だったのではないか?
敗北が明らかになったので、大救出作戦を実行して、死にそうになっていたケサン
基地の隊員を救出して逃げ出したというのが実話なのではないか?
>>927 結果として出血ポンプになったとしても、当初から米軍は出血ポンプが
目的でケサン基地を建設したわけじゃないでしょう。
そこを死守して戦争に勝つつもりだったはず。
ベトナム戦争当時の日本の言論界は酷かったという意見もありますが、
これは当時の日本の社会情勢を考察する必要もある。
当時の日本では高度成長が永遠に続くと考えられており、「戦争に負けて
占領されて本当に良かった」という意見が左翼も保守も支配的だった。
つまり平和ボケで戦争を語る資格すら無かった。
>>929 ディエン・ビエン・フーの仏軍は戦術的な意味で完全に負けて再起不能になったが、
ケ・サンは防衛上の費用対効果比が嵩み過ぎるんで基地としては一旦使用取りやめにしただけで、米軍のがっちりした管掌下にはあるんだよ?
実際、1971年にはラムソン719作戦の支援基地として米陸軍によって使用再開している。
1972年に今度こそ完全放棄したが、これは米軍撤退の大きな流れの中の一環であって、局地・戦術的に人民軍に敗北したからではない。
その意味で、ケ・サンの主導権は米軍が保持し続けている。
>>931 その米軍側の説明はほんまかいなと思う。
主導権をがっしり保持してるけど撤退なんてことがありえるのか?
泣いて逃げたのではないか?
軍事的には飛び地にすぎないけど、
政治的には重要にされてしまったのがケサン攻防戦77日だね。
ジョンソンはケサンについて、「政 治 的」「国 際 世 論 の 目 に」
第二のディエンビエンフーになることを懸念して(まさしくNVAの目論見だけど)
統合参謀本部幕僚全員の血判付宣誓書を要求した
またお花畑君が湧いてるよ…
「ケサンで米軍は負けていない、ベトナム戦争のいかなる戦場において
も米軍は負けていない、唯一負けたのは国内の共産主義者の反戦運動だ」
この主張が事実なのかどうか検証する必要はある。
秋なのにお花畑満開か
ディエンビエンフーのフランス軍やケサンのアメリカ軍がへたれであった
ことを考えると日露戦争で203高地に立て篭もったロシア軍、第一次大戦
の塹壕戦で塹壕の奪い合いをした両軍、第二次大戦でスターリングラードを
守り抜いたロシア軍、硫黄島で玉砕覚悟の守備戦をやった旧日本軍などは
賞賛に値する戦いをしたのではないかと思う。
残り60レスしか無いんだから、くだらない事書かないでもらいたい吉宗であった。
元々釣り堀的なネタスレだからキチガイが湧いてもしゃあないわな。
まー、細かい兵器のスペックネタを除くと、あらかた論点が出尽くして、
たまに新人さんがきて以前の論点を蒸し返しても、結局、議論自体は
同じような流れになってる感があるしな。
ケサンは北ベトナムにとって、南への浸透ルートに対する重大な脅威でしたから、
いくら米管掌下にあったといっても、そこを拠点にパトロールや攻撃を行わない限り、
北側にとっては張り子の虎以下の存在になったのではないでしょうか。
つまり、プロセスはどうあれ、米軍によるケサン放棄は、
北側にとっての「勝利」であったと言えると。
誰かツッコンでやれよ おれは断る
>>926 NGしたいからコテハンにしてくれねーかな?
946 :
ヤシン市場:2009/10/06(火) 15:54:57 ID:LPbVPF1O
>>916さん
「小学校での少数民族子弟へのいじめとか普通にあるし」
同じ動作や仕草が、社会や時代の違いでまったく別に意味になることがある。
職場で女性の服装をほめることは、イタリアなら普通の行為だが、
現代アメリカの都市部だと、「セクハラ」として起訴の対象になりかねない。
ベトナムでも当然子どもが他の子どもを殴る、ぶつ、ののしる、といった行為はある。
ただ、ベトナムの場合、子どもは反撃し、ケンカになる。
勝ち負けによって、序列や親分子分の関係は出来るが、これは「いじめ」ではない。
日本の「いじめ」は、暴力や力の行使に反撃せず、打たれっぱなしの無抵抗の状態が大半だ。
子どもは残酷なので、無抵抗の相手はさらに痛めつけるようになる。
これが「いじめ」で、「力」や「対決」を避ける日本社会独特の性質が原因にある。
また、ベトナムの一般の子どもは「個室」がなく、子どもも労働力に数えられる。
仕事、学校がなく、ヘヤに引き籠もることは物理的に難しいし、そなれば
親が子どもを働きに出すか、追い出す。
したがって、ベトナムには日本的な概念の「いじめ」「ひきこもり」はいない。
947 :
ヤシン市場:2009/10/06(火) 15:58:58 ID:LPbVPF1O
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
>>914さん
「オーウェルのスペイン内戦における先行著作」
これは「カタロニア賛歌」ですな。
おれも愛読しとります。
スペイン市民戦争で、政府側に立って闘った国際旅団のその後をみると、
政治というやつは、すべての純粋さ、献身、忠誠心を売り買いのネタにする「悪魔」、
というのが、実感。
948 :
ヤシン市場:2009/10/06(火) 16:00:43 ID:LPbVPF1O
>>929さん
>>931さん
横レスですが。
「ケサンの戦い」自体で、北ベトナム軍は、ケサン基地の占領に失敗した。
一方でアメリカ軍はケサン基地が維持できないことを悟り撤退した。
その後、北側は「基地攻撃」でなく、「都市攻撃で人民蜂起」作戦にきりかえ、
テト攻勢につながることになる。
ケサンでは両者とも戦術目標達成に失敗し、敵に対して新たな認識を持ったが、
その学習結果の応用では、北側の方が一枚上手だったのではないだろうか。
アメリカは北ベトナムが近代的な軍事作戦を行える強力な敵だと知ったが、
その背骨をへし折るためには、
(1)策源地の覆滅、(2)補給路の遮断、(3)大規模兵力の全深縦展開による敵兵力の撃滅
の3つが必要だったが、そのすべてに失敗し、敗北した。
ベトナム戦争のような非正規戦、非対称戦に正規軍が加わったような戦いでは、
兵力の逐次投入や、絶対安全な策源地を持つ相手を破ることは、まず難しい。
アフガニスタンは「北」よりは軍事的に弱いが、アメリカはまたしても負けるだろうな。
950 :
名無し三等兵:2009/10/06(火) 20:10:03 ID:UiMO2c/v
韓国軍は世界最強が証明されたよ
米軍は軍人か民間人か分からず躊躇するが 韓国兵は迷わず人を見たら
殺す 女は得意の暴行して子供を産ませ知らん顔
ご褒美に米国のグリーンカード発行して今やロスアンジェルスの黒人暴動の
原因を作ったんだよ
951 :
名無し三等兵:2009/10/06(火) 22:07:40 ID:/j2NNFEp
注:仮想戦記を読んだので書いてしまいます
北ベトナム軍は,ラインバッカー作戦等の北爆により
敗北寸前まで,追い詰められましたが
もし,その時,2009年現在のベトナム軍が,インフラも
含めてタイムスリップしていたら,北爆の勝敗はどうなった
でしょうか。
(アメリカの物量と技量に磨り潰されるだけで結果は同じ??)
気になって,ロマンシング サガに手が付けられません!!
>>951 2009年現在のテクノロジーを餌に対米和解図るんじゃないか?
>>948 ベトナム戦争の写真や映像を見ると戦車どころかジープも通れそうにない沼地
を兵士が首まで浸かって進んだり、小船で進む姿が映っています。
そういう水没地がどれぐらいあったのかは知りませんが、雨季になると
そんな場所だらけでは飛行機やヘリは空を進めても、陸の機甲師団は沼地も進める
水陸両用仕様じゃないと展開すらできなかったのではないかと思う。
アフガンも写真や映像を見ると、ジープも通れないような山道などが映っており、
そうした場所では兵士が持てる武器と防具で戦うしか無い。
954 :
名無し三等兵:2009/10/06(火) 23:54:34 ID:SogoI44S
>>946 それは違う。
日本的な概念のいじめというが、文科省の文書だと
「一般的には、「自分より弱いものに対して一方的に、身体的・心理的な攻撃を継続的
に加え、相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされているが」とある。
抵抗するかしないかは基本的に関係ない。抵抗できない状態に追い込むことに想像
が到らないのであれば、あなたはいじめられる側の心理について疎い。「抵抗すると
もっと酷いことになってしまう」といじめられる側が思い込むケースは非常に多い。
そしてこれは、別にいじめに限らず、ヤクザなんかも同じような手法をとる。
> ベトナムでも当然子どもが他の子どもを殴る、ぶつ、ののしる、といった行為はある。
無視や陰口などいじめの手法は多様。そして、国や地域を問わない。
わかりやすい物理的力の行使だけなんてことはない。
955 :
名無し三等兵:2009/10/06(火) 23:59:24 ID:SogoI44S
>>946 > 勝ち負けによって、序列や親分子分の関係は出来るが、これは「いじめ」ではない。
親分子分関係は、子分として加わった場合に他からの攻撃に対して親分や他の子分が
味方になって保護する。いじめとは根本的に異なる。いじめの場合、その序列や親分
子分関係から排除されたり、他集団への生け贄に差し出されたりするんだよ。
民族差別や部落差別的なモノ、嫁いびり・姑いびりなどが厳然として残ってるベトナムで、
いじめだけが無いとか常識的に考えてあり得ない。そして冒頭で説明したように、「日本的
な概念」とあなたが都合良く定義したものと、現代日本でのいじめの定義は一致しない。
> これが「いじめ」で、「力」や「対決」を避ける日本社会独特の性質が原因にある。
そうではない。日本は義務教育の間は学校を外れると逃げ場が無い。学校に行っていじめ
に遭うか、不登校になって社会から隔離されるかの2択を多くの場合、強いられる。
ベトナムの場合も都市の上層であればいまや同様だが、田舎の場合は、そこから外れて農民や
奉公人として生きていく道も、日本と比べれば、まだ少し開かれている。
でもそれは、いじめがないことを断じて意味しないのだよ。いじめられた結果、学校を離れた
ということ。
>>953 ケサン戦の北ベトナム軍はPT-76装備の第198戦車大隊を投入している
対する米海兵隊は装甲戦闘車両はM48を6両、対空戦車2両しかなかった
局地的には装甲戦闘車両のなかった米特殊作戦部隊の陣地に対し
第198戦車大隊1個中隊と歩兵1個連隊で攻撃を仕掛けたこともある
米軍は無反動砲2門とRLで敵を撃退したが
対空戦車の機関砲はソ連製軽戦車に対して有効で対歩兵にも絶大な威力があり、重宝したらしい
オントスはベトナム戦争でどれぐらいの効力や汎用性があったか知りたいですね
再装填はかったるそうですが
それにマイナー兵器好きには根強い人気のある60式自走無反動砲のご先祖様でしょ
ランベイの戦いだね。
特殊部隊の兵士数人が捕虜になったそうな
ランベイで捕虜になった米兵はいなかったはず。
>>957 使える場所では戦車を使ったということですな。
オントスはヨーロッパ戦線で数を並べて進撃していくことを前提とした兵器
として開発されたような気がする。
再装填の問題をクリアして投入されるべきだったんじゃないかと思う。
961 :
ヤシン市場:2009/10/07(水) 14:48:21 ID:W+Z3HGno
>>954>>955さん
繰り返しで申し訳ないが、同じ現象でも、社会によって意味合いが違うと言っている。
よく知られた例だが、「子どもの頭をななでる」現象が、日本では愛玩の意味だが、
タイでは、宗教的に非常に非礼な行為として非難される。
ベトナムの学校内で、暴力の行使や言葉による威圧があるのは、もちろんだが、
それは日本で言う「いじめ」とは認識されない、ということだ。
こういう比較社会学的な問題は、日本だけの「常識」を見ていても、解決しない。
日本の「子どもの人間関係」の特性が、ベトナムを鏡として理解できる。
おれが知る数少ない例では、例えばアメリカや中国などと比べれば、
こうした「いじめ観」は、むしろ日本の方が珍しい、といえるのではないか。
962 :
ヤシン市場:2009/10/07(水) 14:49:42 ID:W+Z3HGno
>>931さん
>>957さん
ケサンの戦いについて。
ケサンでアメリカ軍は、B-52を使った爆撃作戦「ナイアガラ」を行ったが、
これは、非常に効果を上げた。
B-52は、500ポンド爆弾を108発搭載し、3機のセルが航過爆撃する場合、
遮蔽物に退避した場合で3キロ×1キロメートル、露出では約その倍のエリア内の
部隊に対して殺傷力を持つ。
もし、終結している地点に当たれば、1個大隊全滅といった打撃を与えられる。
ケサンでは、「ナイアガラ」で約10万トン以上の爆弾を投下し、
これが最終的に北ベトナムの攻撃力を削いだと思う。
>>952 圧倒優位の側がバーゲニングに応ずると考えるのか?
愚劣だねぇw
>>959 逃げ遅れてヤードと一緒に捕虜になった隊員が居たよ。
ディスカバリーでやってた
オントスだと対人フレシェット弾発射できるから
ベトナム軍にとってはかなりの脅威だろうね
あんなプラスチック針みたいなもんブスブス刺されたたまったもんじゃない
>>964 その隊員とヤード達は無事釈放されたのかな。
>>962 米軍は技術が発達してるはずの現代でも味方の地上部隊を誤爆する
ケースが多いと言われますし、ベトナム戦争で死んだ米兵の半数ぐらいが
この誤爆で死んだとも言われますが、もしやナイアガラ作戦は誤爆でケサン基地
に爆弾を落としまくってしまい、米軍は慌てて情報操作、情報隠蔽をして、もみ消す
意味合いもあってケサンから撤退したということは無いでしょうか?
ナイアガラ作戦が効果をあげれたのであれば、それを続行すればケサンを守れたわけで、
ケサンから撤退する必要性が無かったはず。
>>965 対人弾を装填しておいて、敵の人海突撃の波やスナイパーが潜んでいそうな
茂みに一斉発射したら効果はあったでしょう。
ただオントスは装填のことを考えておらず、乗組員も含めて使い捨て兵器
として開発されたように見える。
車体が戦車よりも軽かった点も運んだり、ぬかるんだ道を走行する時は
助かったんじゃないかと思う。
>>961 (1)あなたは
>>946で「行為」の例を挙げているが、私はその例示およびそれに
対するあなたの解釈が間違っていると言っているのです。
(2)程度の過ぎた暴力や嫌がらせ、喧嘩の延長とベトナム社会で認識されており、
日本のように独立したカテゴリーになっていないと言うことは、当該社会における
いじめの存在を否定することにはならない。別に褒められた行為として称揚されて
いるわけではない。「頭をなでる」の例は不適切。
日本の学校のいじめのようなものはベトナムには無いのではないか?
冷蔵庫も普及してないベトナムは日本とは社会環境が違うし、日本の学生の
ように甘やかされてもいないんじゃないかと思う。
ガキは鞭で叩いたり、ほっぺたを引っぱたき押えつけるのではないかと思う。
戸塚ヨットスクールが日常という面もあるはずだ。
972 :
↑:2009/10/07(水) 22:36:13 ID:???
初めてまともな事言ったw
江戸時代の寺子屋だっていじめはあったのに…
日本のいじめはガキを甘やかした結果として生まれた先進国的いじめだ。
しかしガキを売り飛ばしたり、鞭で打ったりを平然とやるであろうベトナム
では、こうした先進国的甘えにもとづく先進国的イジメは生まれようが無い。
日本とは歴史が違う国でアメリカに従ってた人間は家族全員皆殺しにされた経緯
がある国なんだろうし、日本のような野放図な自由主義もあるまい。
アメリカ的自由を唱える人間はガキでも問答無用で銃殺したり、収容所に送って
きた国なんだから。
ガキを甘やかしたら、碌なことにならないのは戦後ニッポンで明らか。
そのまま馬鹿な大人になるだけだからな。
豊かさのなかで甘やかし放題に甘やかされてきた日本の若者が貧困化した
のを見れば、その先には不幸しか無いと解る。
>>968 オントスが使い捨て?
やっぱアメリカは金持ちだわw
まああの時代にベトナム戦争で対砲迫レーダーを開発し実戦投入させ
戦争とは別に同時期人を月に送り込んだのだから
アメリカの科学技術開発能力、財力恐るべしだな
自民党が選挙に敗北して野党に転落した日本は合法的にサイゴン陥落が
起きたようなものだし、ベトナム戦争は過去の話では無かったということだ。
>>977 オントスは戦車の代用品として敵戦車部隊に突っ込んでいく使い捨て特攻兵器
として開発されたのではないのか?
人力装填で後方爆風も凄かったのだろうし、戦闘中に移動しながら装填するのは
無理なようにしか見えないからだ。
それともカチューシャのような火力支援用に開発されたのか?
IFVと実用的なATGMが登場するまでは機械化歩兵に対戦車火力持たせるために
オントスのような対戦車車両が必要だったのですが。
981 :
ヤシン市場:2009/10/08(木) 10:48:13 ID:pZRL/Jl1
>>967さん
誤爆、誤射は結構あったと思いますね。
どこかで見たことがあるが、誤爆・誤射はどの軍隊でも損害の5%程度はあるとか。
ただ「半分」というのは、多すぎるのでは?
ケサンを誤爆した、というのは、部分的にあると思うが、それが撤退の原因ではないと思う。
>>968さん
>>979さん
オントスの使い方は、遮蔽物に隠れて待機し、敵装甲車両が近付いたら射撃。
無反動方なのですぐ気づかれるので、直ちに用意した別陣地に移動して再装填。
以後、この動作を繰り返す、というものだと思う。
要するに、待ち伏せ攻撃用の対戦者兵器である。
まあ、RPGやパンツァーシュレックの使用法に似て、
発射後の迅速な陣地変換が前提だったので、装填についてはあまり問題ないのではないか?
982 :
ヤシン市場:2009/10/08(木) 10:49:45 ID:pZRL/Jl1
>>970さん
何度も言うようで失礼だが、「現実に起こること」(現象)と、
それを世間がどう意味づけるか「社会的な意味」(概念)は、別問題である。
おれが指摘しているのは、ベトナムでは、日本で受け入れ羅ている「いじめ」概念がない、
ということだ。
>>971さん
「社会環境が違うし、日本の学生のように甘やかされてもいない」
バックグランドの理解としては、正しいし、賛成だ。
ベトナムは途上国で、子どもは勉強して良い成績を取り、良い仕事に就き、家族を助ける
という一般的な社会常識がある。
学校は、学習や出世のための重要なチャンスの場なので、
「いじめ」などで学校に行かなくなる、というのは、そもそも「損」なので、当然抵抗する。
「戸怎ットスクール」
確かに厳しい躾は、そういった側面もある。
ベトナムの学校の教師は、言うことを聞かない生徒を、定規で叩くし、退校させる。
一方で、教師は社会からも子どもからも尊敬され、真剣に子どもを育てようとする。
>>975さん
日本が「甘やかす」、ベトナムが「厳しい」のは、その通り。
1975年以降、アメリカ側だった人たちを粛正した事実もある。
今現在も、旧アメリカ側の家系に対する差別がある。
「いじめ」よりも、むしろこちらの方が、ベトナム人家族にとっては重要問題。
ちなみに「差別」は、旧アメリカ側の家系は、軍・警察幹部になれず、ピオネールにも入れない。
始まりのラインバッカー
>ヤシン氏
> おれが指摘しているのは、ベトナムでは、日本で受け入れ羅ている「いじめ」概念がない、ということだ。
それが分かっていながら何故に
> ベトナムには、引きこもり、いじめはなく(
>>913)
> 勝ち負けによって、序列や親分子分の関係は出来るが、これは「いじめ」ではない。
> したがって、ベトナムには日本的な概念の「いじめ」「ひきこもり」はいない。 (
>>946)
などと現象の話ばっかりするんですか?
さらには「日本だけの「常識」を見ていても、解決しない。」とか、あたかも私がベトナム社会について無知で
想像で書いているかのような印象操作をする。逆に、日本のいじめについてのあなたの理解は非常にお粗末ですよ。
>>987 ベトナムはつい最近まで子供が自由、人権、平等などを口にすれば銃殺や
収容所送りを免れなかった国だ。
つまり日本の学生なら99%が銃殺か収容所という国だったわけで、そこに
日本の学生がやってるようないじめは発生しないという意見は正しいものじゃないか?
ポルポト時代のカンボジアに資本主義が存在しないようなものだ。
>>987 映画「バトルロワイヤル」というのがあったが、あれがつい最近までの
ベトナムで、そこではいじめをやってるどころじゃなく、殺されないことで
精一杯という環境でしょう。
ヤシンが言うようにベトナム経済がさらに発達していけば、社会に歪みが生じ、日本型いじめは必ず発生する。
ヤシンは自分のベトナムへの思い入れに捕らわれすぎて、
言ってる事の矛盾に気づいていない。
>>990 ただ日本型いじめは物質的豊かさだけから発生したわけじゃない。
敗戦による負け犬根性や戦後の精神的甘えもあるわけで、経済発展したら
すべての国が日本のようになるわけじゃないと思う。
じゃあ戦勝国が経済発展するとアメリカンなスクールカーストが出来るのか?
というか江戸時代の寺子屋だろうが明治の小学校だろうがいじめはあるだろ。
旧日本軍も貧乏だったが、軍内でのいじめの酷さは有名じゃないか。
>>992 ただ日本のいじめは特殊なものだろ?
日本ぐらい学生が甘やかされた国は無かったわけで、その甘えから生まれた
わけだから。
鉄砲なら火縄銃も突撃銃も一緒なのかよという話だよ