[ローマ]古代地中海世界の軍事総合スレ[ギリシャ]
1 :
名無し三等兵 :
2008/08/30(土) 13:08:43 ID:???
2 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 13:22:13 ID:???
一等自営業阻止。
3 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 13:28:24 ID:???
4 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 18:13:22 ID:???
全ローマ市民が泣いた
5 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 18:44:38 ID:???
ディオゲネスに、私はなりたい
6 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 18:44:57 ID:???
なんで数々の国家や部族を征服し、当時世界最大の版図を持ち、諸兵科連合の高度に組織された軍を持ったペルシャが世界の片田舎でしかないギリシャの単純な重装歩兵戦術に負けたのかさっぱり解らない。
7 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 18:59:14 ID:???
ぼうやだからさ
8 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 20:33:25 ID:???
マジレスするとでかくなりすぎたから。 アレクサンドロスの帝国やローマもそうやって滅びていった
9 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 22:10:03 ID:???
でもローマはまだいい方だと思う モンゴル帝国なんかは、強力な軍隊と優秀な駅伝制を持っていながら、 古代中世レベルの枠を超えた領土を得た事で、元と4汗国に分割せざるを得なくなったし ペルシャやローマくらいが前近代レベルでの最大領域の目安なのかも
10 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 00:19:09 ID:???
敗者を同化して帝国の安全保障に参加させ、混血を進めるのと ひたすら武力で広大な領域で殲滅戦をやるのでは、そもそも政略が違うでしょ。 ボーグ並みの同化力だよローマは
11 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 00:35:34 ID:???
モンゴルもひたすら武力で殲滅戦なんかやってないよ。 むしろ、それまでの征服者よりも敵の取り込みには熱心だ。 分裂(実際はそうでもないが)もお家の事情や遊牧民の相続方法が主な原因。
12 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 00:49:41 ID:???
モンゴルは君臨するも支配せずという印象だが 一応他国の内政にも必要以上に口入れたのかな
13 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 04:20:15 ID:???
モンゴルは取り込みすぎて中身が中華王朝になっちゃっただろ ローマとモンゴルだと周辺状況が違いすぎる気もするが
14 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 11:25:45 ID:???
モンゴル帝国って、モンケ没後はひとくくりに出来ないよなぁ 盟主の大元ウルスとか色々別れたし
15 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 11:34:19 ID:???
端から端まで移動すんのに軽く1年かかりかねない国は現実的じゃないだろう。
16 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 11:36:19 ID:???
交通もそうだが通信手段がなぁ 意思決定を素早く伝達する手段がなかったわけで
17 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 13:52:46 ID:???
>>6 地域色の濃い兵科の寄せ集めってだけで
諸兵科連合といえなくも無いが、別段システム的に高度でもなんでもなかったんじゃね。
18 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 16:11:17 ID:???
>>17 少なくともメディアやイラン系の歩兵部隊は10人隊・100人隊・1000人隊・10000人隊と編成されそれぞれに指揮官と下士官が配置されていたぞ。
騎兵は実際に対峙したクセノフォンが絶賛しギリシャ人も騎兵をペルシャ式にするべきだといっている。
19 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 16:30:17 ID:???
じゃあ歩兵の統率はマケドニアやギリシャの方がペルシャより上手だったんだろう。 とにかく、岩波書房のアナバシスの解説読む限り、ギリシャじゃ騎兵はあまり重要視されてない兵科だったから 進化した用兵を目の当たりにすれば感銘を受けるのは当然。
20 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 16:47:24 ID:???
21 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 18:38:00 ID:???
>>10人隊・100人隊・1000人隊・10000人隊と編成され モンゴルもそうだったような。
22 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 19:22:58 ID:???
ペルシャの軍勢って、部隊同士どころか同じ隊内ですら言葉通じてたのどうか怪しいな
23 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 19:32:09 ID:???
航空英語みたいな共通指示言語があれば問題ない
24 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 21:39:10 ID:yFnzKIDc
>>21 どこも同じようなものだよ軍隊は
金のボギレとかもそんな感じだ
ローマの軍隊も結局ゲルマン人の傭兵が役割果たすようになって滅ぶ…
25 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 22:00:39 ID:???
スティリコ将軍を殺したりしなければ、もっと続いたかもしらんよ。
26 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 22:09:45 ID:???
ローマ題材の日本でのメジャーな漫画やアニメや小説がないせい(ヒストロエはすきだが)か今ひとつどう起きてどう滅んだのかよくわからんところがあるな
27 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 22:13:24 ID:???
いや、ヒストリエはローマが題材じゃないだろ。
28 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 22:38:18 ID:???
セスタスよりはローマっぽいからいいんじゃね
29 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 23:00:40 ID:???
それはないわ
30 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 23:32:36 ID:???
ヒロスエとセクロス?
31 :
名無し三等兵 :2008/08/31(日) 23:50:58 ID:???
ヘウレーカ
32 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 00:52:25 ID:???
>>ローマの軍隊も結局ゲルマン人の傭兵が役割果たすようになって滅ぶ… それ違うから。
33 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 03:59:11 ID:???
ローマが異民族を自国軍に加えるのは共和制のスキピオの時代から始まってる ぞ。異民族を自国軍に入れたから軍が弱体化し滅んだって説は短絡的だし鎖国的 な発想だろう。異民族を積極的に受け入れ、先祖が非ローマ出身どころかイタリア 出身でなくても平気で皇帝に据える様な国だから何百年も保ったとも言える。
34 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 04:54:48 ID:???
軍人皇帝はどうかと思うぞ
35 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 05:55:02 ID:???
海外サイトのホプライト絵で、槍の構え方に ・槍を順手で腰ダメに構える ・逆手で肩より高い位置に構える の二つをよく見るんだが、後者は投槍じゃないし、この二つの使い分け方は何ぞや。
36 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 12:19:56 ID:qsVc+1mM
>>33 ゲルマン人の傭兵と書いてるだろw
正規軍や補助軍に異民族はローマじゃ普通
傭兵に頼るようになってローマはダメダメになっていく
37 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 13:57:22 ID:???
ローマ人の物語あたりは?
38 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 14:13:19 ID:???
>>傭兵に頼るようになってローマはダメダメになっていく Foederatiが急増したのは西ローマ帝国最後の20年辺りからで、既にガリア、ヒスパニア、北アフリカを失ってからの事。 傭兵に頼ったからダメダメになったんじゃなくてダメダメになった後に傭兵に頼りだしたんだよ。
39 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 14:49:06 ID:QlhUfS5l
ビザンチン帝国には、水をかけても燃える 強力な火炎放射器があったな その製造方法は極秘で、現在までわかっていない もっとも科学者達が推測はしているけど。 その火炎放射器が、大砲が出来るまで、最強の対艦装備だった
40 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 16:03:22 ID:???
41 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 17:02:29 ID:???
戦車にすら有効な火炎瓶はないのかね
42 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 17:18:24 ID:???
ヴァレンス帝がアドリアノープルで敗死したあたりが境目だと習った記憶が。 だからゲルマン民族をローマ領域内に移住認めちゃったあたりからでない。 移住認める代わりに兵隊を出してもらうってんだから、土地と引き換えの傭兵みたいな もんでは。
43 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 17:32:52 ID:???
遠征などの為に素早く兵力を用意するため蛮族の軍を金で雇うと言うのはずっと前から行われていた事。 金の代わりに土地を提供し始めたのは経済が悪化して金が用意できなくなったから。
44 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 18:33:51 ID:???
>>41 モロトフのカクテル。
土地を与えたのがいけなかったな、土地を取られる事で減収に繋がりますます
中央権力が空白化する。中央が弱ると相手は足元見てより高い要求を求め、それが
ますます中央を弱体化させて行くの悪循環に繋がる。
45 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 19:35:07 ID:???
金が払えない、土地も与えないとなれば戦うしかないが 既に昔日のローマ軍の精強さと兵力は望むべくもなかったわけで。
46 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 19:49:49 ID:???
>>45 ヒスパニアも北アフリカも奪われたのは軍が内乱や他地域の防衛の為に出払っていた時だ。
逆に言えば蛮族と戦った場合は殆どの場合は勝利を収めていたと言う事。むしろ西帝国は他の全てを犠牲にしてでも軍の維持をしていたと言っていい。
47 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 19:58:01 ID:???
48 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 20:10:30 ID:???
アドリアノープルの大敗はウァレンスが功を焦って無茶な突撃をさせた所に側面に奇襲をかけられたからじゃなかったっけ?
49 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 20:12:39 ID:???
西帝国の場合はスティリコの処刑で没落が決まったな。
50 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 20:20:36 ID:???
>>49 ぶっちゃけた話有能な将軍が一人や二人いようと延々と繰り返される内乱とどんどん悪化する経済を何とかしないかぎり意味が無い。
もっとも経済悪化は3世紀の終わり頃から始まった地球の寒冷化も要因の一つと言われてるから人間の力でどうこうするのは難しいだろう。特に当時の経済の理解なんて単純な物だったし。
西ローマの最後が決まったのは468年の北アフリカ奪回作戦の失敗だと思ってる。あれに成功して北アフリカの豊かな穀倉地帯を取り戻せればまだ再興の芽はあったかもしれないが、
失敗した後はもう本当にどうしようもなくなった。
51 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 20:30:17 ID:???
>>50 スティリコ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%B3 "このスティリコの死を契機に、スティリコに忠誠を誓っていた彼の配下は主君を失い、
ローマ軍は軍の中核を担う有能な人物を失った。またローマ軍によって自軍に籍を置く蛮族傭兵が虐殺され、
彼の配下を含む多数の兵が西ローマ帝国を見限って敵である西ゴートのアラリックのもとに身を投じるようになった。
そしてスティリコが処刑されてから1ヶ月も経たないうちに西ゴート族はローマの城壁を頻繁に取り囲むようになる。
しかしながら、このようなローマの危機にホノリウスは何ら具体的な手を打たず、
蛮族が消え去るのをローマから離れたラヴェンナから祈るのみであった。
そして彼の消極的な態度は西ゴート族がイタリア国内を荒し回る隙を与え、
そして410年のローマ略奪を引き起こす原因となった。"
やはり、蛮族出身でありながらローマ軍人として抜群の功績を挙げていたスティリコを処刑したことは
大きなマイナスだと思うね。
環境的な要素も有るものの国が興るとき、滅ぶときは人為が大きな影響を与えることは否定できない。
北アフリカ奪回作戦などの諸作戦の失敗にしてもそうだ。
52 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 22:06:36 ID:???
>>40 軍艦や城・砦の城壁や楼閣などのデカブツに据え付けられてた所を見るに、
陸上輸送できるサイズにまでダウンサイジング出来なかったからじゃなかろうか?
53 :
名無し三等兵 :2008/09/01(月) 22:29:37 ID:???
>>52 あの時代にナパームみたいなもんだしな。超燃えるわ
54 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 09:12:53 ID:???
>>35 前者は、サリッサなんかの前後に穂先がついた長槍の使い方。
腰だめと、槍の後ろについた石突で槍を固定し、敵の突撃に備える。
後者は、マケドニア軍みたいな長槍が普及する以前の短槍を持っていた頃のホプリタイの構え方だよ。
使い分けというか得物が違う。
55 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 09:33:21 ID:???
>>45 アドリアノープルの戦いだけで、ローマ軍の精強さが失われたと判断するのは如何なものかな?
共和政時代だってガリア人にローマが占領されたりしてるし、カンネーでも、カルエラでも大会戦で
ローマ軍は敗北している。
ゲルマン人相手だったら、トイトブルクでの三個全滅もあるし、ローマ軍って結構負けているよ。
ローマ軍の強さは、大会戦で負けてもそれで、政権が揺るがない事だと思う。
ウァレンスが死んだ後も、甥っ子二人にすんなり政権が移譲されて、公務が継続しているじゃん。
上でペルシャがどうしてギリシャに負けたかとか議論されているけど、オリエント的な専制国家とか
ゲルマンなんかは、政体が脆弱で大規模な戦術的敗北をすると、政策変更を余儀なくされるところ
がギリシャ・ローマに勝てなかった理由だと思う。
56 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 11:43:25 ID:???
57 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 13:56:01 ID:WwR49iJB
政体が脆弱で大規模な戦術的敗北をすると、 ↑ 戦略的敗北でいいんじゃないか
58 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 14:22:24 ID:???
勝っても居座られて領土減らされたりしてたら意味無い。ピュロスの 勝利だな。ローマの興隆期は何度負けても最後勝つまで屈しなかったのにな。
59 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 19:19:21 ID:???
60 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 19:39:33 ID:???
>>55 >共和政時代だってガリア人にローマが占領されたりしてるし、カンネーでも、カルエラでも大会戦で
>ローマ軍は敗北している。
>ゲルマン人相手だったら、トイトブルクでの三個全滅もあるし、ローマ軍って結構負けているよ。
ガリア人に占領された頃やカンネーの頃はまだまだローマ単体としての力は弱かったが
兵力の中心となる農民層も没落しておらず、ローマ市民の士気も揺るがなかった。
カルラエやトイトブルクは大打撃ではあったが外地でのことでもあり、国境の短縮で済ませられた。
しかし、アドリアノープルは武装して首都へと侵攻する異民族の軍隊を
皇帝が直率して一敗地に塗れた戦いだ。
結果として"武力を保持したままの異民族"を帝国中央部に居座らせることになり
東西分裂は決定的となった。
その後はゴート族に和を請うて西方領に移動してもらったりしてるね。
テオドシウス1世
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%89%E3%82%B7%E3%82%A6%E3%82%B91%E4%B8%96 「ゴート族への外交方針」を参照されたし。
61 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 19:56:11 ID:???
62 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 19:58:02 ID:???
63 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 20:00:12 ID:???
4〜5世紀のローマ軍はそれまで民間業者に委託されていた武具の生産が国営化され、装備が規格化されたり軍人と政治家の違いが明確に分けられるなどむしろ近代化している。
64 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 20:20:23 ID:???
現代と似たシステムだからと言って当時の人が幸せだったとは言えないだろう。 それらはキリスト教が自分達の勢力を増やす目的で行った物が多いし、それが帝国 の繁栄どころか帝国の崩壊、暗黒の中世に誘ったのだからシステムが似てれば良い ってもんじゃない。どうせローマ時代に生まれるなら五賢帝時代に生まれたいな。
65 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 21:40:47 ID:???
「当時の人間が幸せだったかどうか」と言う事と「軍のシステムが優れていたかどうか」の関連性がさっぱり解らん。
66 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 21:49:38 ID:???
>>63 武器生産の国営化は近代化とは全然別の問題。
むしろ近代以前のほうが多い。
>軍人と政治家の違いが明確に分けられる
そうした軍人が元老院なり、皇帝なりの政治家の命令に服従して
政治に容喙せず、ましてクーデターなどもっての外だったのなら近代化と言えるだろうね。
67 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 21:49:58 ID:???
? キリスト教が勢力を増やす為に装備を規格化したり職業軍人を制度化したの?
68 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 21:58:45 ID:???
>>66 >>武器生産の国営化は近代化とは全然別の問題
いや、それまでは規格が全く存在せずバラバラに作られていた武具の生産を国営化し、大量生産する事によって効率化したんだよ。
3世紀中ごろにローマ軍の兵数はそれまでの30万程度から60万に倍増したから大量に武具を生産する必要が出来たからこそそうなった。
>>そうした軍人が元老院なり、皇帝なりの政治家の命令に服従して
>>政治に容喙せず、ましてクーデターなどもっての外だったのなら近代化と言えるだろうね。
それは政治システムの問題であって軍制の問題ではない。実際に軍隊がある程度近代化されている国でも政府が不安定ならクーデターは普通に起こりうる。
3世紀中ごろまでの様に属州総督が将軍を兼ねたりする等政治家と軍人の区別が非常に曖昧であるよりは軍事を専門とした職業軍人のほうがより効率的なのは当然じゃないか?
69 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 22:00:53 ID:???
>>68 だから「近代化」という単語を使用するのは間違ってると言ってるんだよ。
70 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 22:05:53 ID:???
確かに近代化と言うのはおかしな例えだったな。すまん。
71 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 22:52:55 ID:???
時に、古代ローマの時代の剣、たとえばグラディウスとかってどうやって作ってたん? 日本刀なら砂鉄をたたらで製鉄した玉鋼を打って組み合わせて〜ってイメージが沸くけど、 当時のローマの製鉄技術とかどうだったんだ
72 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 23:06:28 ID:???
ローマには鉄を溶かせる炉が存在しなかったから熱して柔らかくした鉄を鍛える。
73 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 23:10:45 ID:???
その鉄はどっから持ってきたたんだ?
74 :
名無し三等兵 :2008/09/02(火) 23:19:08 ID:???
鉄鉱石?
75 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 00:38:22 ID:???
宗像教授に聞けばヒッタイト起源で説明してくれるぞ
76 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 04:40:25 ID:???
ローマ人がローマ街道にコンクリ使わなかったのは謎。
77 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 06:42:48 ID:???
>>68 国営化で大量生産とかいわれると
軍事的にはともかく経済的には却って非効率だったんじゃないの?
とか勘ぐりたくなってしまう俺様現代人
78 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 09:56:59 ID:???
>>72 それって他のヒッタイト起源の技術を持ってるローマ以外の都市から精錬した鉄を買ってたって事?
79 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 10:11:02 ID:???
80 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 14:26:14 ID:???
>>76 よくわからんが運んでるうちに固まりそうな気がする
81 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 16:57:41 ID:???
>76 アッピア街道はローマ式コンクリ使ってなかったか?
82 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 17:33:57 ID:???
アッピア御免なすって
83 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 19:32:30 ID:???
>>64 その認識はおかしくない?
そもそも、ローマ法の再発見と、カノン法の融合が近代的な社会システムを生んだ訳で、現代とローマのシステムが
似ているのは、近代の政治的・法的システムがローマの流れを汲んでいるからであって偶然の一致じゃないよ。
それで、カノン法っていうのは教会法なんだけど、これもローマ法と並んで近代的社会システムの重要な要素になった
訳でキリスト教的であれば、即ち暗黒の中世的なものであるっていう認識はちょっと違うと思う。
ローマは確かに高度な文明を気づいていたけど、その崩壊は、結局はシステムの破綻による自壊。
そして、その自壊の結果、西ヨーロッパの主役がローマ人からゲルマン人に変わった。
この時、ゲルマン人たちはローマ人の学問や技術を体系的に受け継ぐ事ができず、断片的にしか
継承できなかったから、文明がリセットされたような状態になり、暗黒の中世となった。
ただし、この暗黒の中世もただの停滞の時代ではなく、ゲルマン文化とキリスト教文化、それにローマの産物の
断片が融合した独自の文化の基に、ローマとは違う方向性ではあれ進歩し続けた。
そして、中世後期に入り、ローマの文化・学問の再発見により、二つの文明を融合させられたことこそが
近代を生んだのであり、ただ単に、どっちが高度だとか、文明が衰退して中世になったとかそういう問題じゃない。
84 :
名無し三等兵 :2008/09/03(水) 20:15:13 ID:???
西洋コンプレックスのせいかどうかは知らんがとにかくキリスト教=悪、中世=暗黒時代と思ってる人間が多いからな。
85 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 07:03:37 ID:???
ルネサンス人こそその筆頭だと思うけどな
86 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 07:32:01 ID:???
ルネサンス絵画は教皇庁が最大のスポンサーになってキリスト教をテーマに花開いたし プラトン・アカデミーを主宰したフィチーノも、最終的にはギリシャ哲学とキリスト教の融合を目指していた。 ローマを頂点とするカトリック教会という制度に批判的な人間ならともかく キリスト教自体を悪などと言った著名なルネサンス人は知らないんだが。
87 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 07:47:45 ID:???
確かにプロテスタント=アンチクリストでは無いが 中世を暗黒時代と見なすのも明らかに西欧起源の史観ではあるな
88 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 12:14:35 ID:???
ルネサンス期ではさすがにキリスト否定すると火あぶりになる。明確にキリスト 批判が出てくるのは宗教戦争後、独立戦争・フランス革命等に出てくる啓蒙思想、民主主義、 国民国家などキリスト教に代わるイデオロギーが出てきてからかな。
89 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 13:09:57 ID:???
90 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 13:17:19 ID:???
火あぶりになるのはキリスト教否定というより「異端」と看做される人物だね。 いずれにしても神を信じているのがデフォ。
91 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 17:05:31 ID:???
神を信じていなくても金さえ払ってくれれば問題ないだろう
92 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 17:50:39 ID:???
93 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 17:52:45 ID:???
>>91 そういう事言ってる奴が火炙りにされる時代が暗黒時代。
94 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 18:22:22 ID:???
ちゃんと教会の権力者に黄金菓子を届けてない奴らから火あぶりになるに決まってるだろ もう少し経済を勉強した方がいいな。 そんなんではポルポト政権下とかで生き延びられないぞ
95 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 18:26:11 ID:???
>>94 いい加減にしろ
自分の無知がバレてないと思ってるのはオマエだけ
96 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 18:31:51 ID:???
近代以前において宗教がどれだけ人間の生活に関わっていたか知らないからこんな頓珍漢な発言が出てくるんだろうね。
97 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 18:41:38 ID:???
でも、バチカンの聖職者が汚職まみれだったと喧伝して回ったのはプロテスタントでしょ 事実か誇張かただの誹謗中傷かは知らんけど
98 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 18:44:49 ID:???
聖職者の腐敗と、信仰への疑いは、まったく別次元。 聖職者の腐敗は、より純粋な信仰への要求を呼び、 プロテスタントなどの新教を成立させた。
99 :
名無し三等兵 :2008/09/04(木) 19:16:54 ID:???
>>91 >>94 神を信じていなくても問題ないがそのことを表明するととたんに火炙りになる、
それだ中世ヨーロッパという世界でそのことに金は関係ない。
そもそも生きている信者から寄進される金も異教徒や無神論者(この言葉はもっと後のものだが)を処刑して没収する金も教会からすれば同じ「金」でしかない。
ルターの時代のローマ教皇はメディチ家出身のレオ10世 開明的で古代ローマ好きで、ラファエロはじめ多くの天才画家のパトロンになった人物だけど いかんせん文化に金を使いすぎた。そこをルターに突かれたんだね。 実際、独身のはずの教皇に「甥」「姪」がいたりとか、司教の座が賄賂で決まったりとか いわゆる「腐敗」はあったろうけど、ルターが成功したのは、教理がどうこうよりも 教皇権からの経済的独立を目指したドイツ諸侯のバックアップがあったから。 プロテスタントてのは「成功した異端」なんだよ ある教えが「宗教組織」になったとたんに聖職者は既得権益者になるし、 自分たちこそが神の仲介者であるとの権威を持つようになる。 そしてそういった権威に対して「信仰者に立ち返れ」という改革の動きはどんな時にもある。 そもそもキリスト自身が、当時の伝統的ユダヤ教の中で異端的な存在だったし アッシジの聖フランチェスコも教皇インノケンティウスの理解がなければ火あぶりになってもおかしくなかった。
信仰の疑惑もたれても信用を金で買えるに決まってるジャン 昔の人がやたら宗教を神聖視してたとか思ってる連中がいるからおめでたいよな 権力側はいつの時代でもそういうのを利用してるだけだよ こういう連中がいつの時代もいるから宗教商売はやめられないんだよなw
>>101 では「信仰の疑惑もたれても信用を金で買った」例を幾つか出してみろ。
やっぱり神を叩くと反論する馬鹿が多くて楽しいな
>>101 前近代と近代以降での宗教に対する人々の考え方の違いに気づけ
やっぱ個人的にはID表示して欲しいなぁ
>>101 とりあえず具体例頼む
>>104 別に神を叩いたから反論が出てるわけでは無いと思うぞ?
前近代と近代以降っても 砂漠地帯で自爆テロしてる連中だって中世と精神的に大して代わらないよ
権力者が疑惑を持たれる=破門 貧乏人が疑惑を持たれる=火刑
魔女だと言いがかりつけて街のエロイ女相手に強姦したいよ
>>101 財産の一部を寄進させるより処刑して財産全部を没収するほうがより多くの金が手に入るんだよJK
経済的には4流のやることだな 金ずるを根絶やしにするなんて馬鹿のやること
ぬっ殺して財産没収はローマ皇帝以来の伝統だな
>>109 そしたら魔女と交わったお前も処刑対象だろw
異端審問での財産没収に熱心だったのは教会ではなく どっちかというと世俗権力の方だな。 王権によるスペイン異端審問なんかは半端じゃない。
>>107 イスラム教はキリスト教に比べ、約6世紀分の遅れがあるからなあ
単純比較すれば、今世紀か来世紀にでもイスラム圏で大きな宗教的変革があってもおかしくないかも
アタチェルク辺りが近代化改革で ホメイニから反動宗教革命の最中なカンジ
テンプル騎士団を取り潰して儲かったのはフランス王だけでしたっけ。 アビニョンに教皇来てたはずだけど、教皇にも上がりはいったのかしら。
パーレビ朝時代、近代化をやり過ぎて伝統イスラムを蔑ろにしたから今が有る訳で アフガニスタンもクーデター派がソビエトの支援を受けた事から反動化してるし イラクはどっちに成るかねえ・・・・
イスラーム教をないがしろにしたというよりも 土地改革など近代化政策が宗教指導者含む保守派の利益と激しく対立したのがまずかったな 大衆とそれを煽る要因だけで革命を起こすのは難しい 政権に害されている有力者による組織化が必要 フランス革命も最初はブルジョワ階級が既得権益を守るために民衆を組織化した 利害の対立さえ解消出きれば、宗教指導者も安定した基盤をもつ政権に無闇に対抗しようとはしない
>>101 倫理と実定法が区分されていない時代に、宗教を否定して何に身を守ってもらうの?
なんか古代関係ない話多いNE
温故知新ってやつじゃね?
それとは違うと思うけど
ネタも尽きたか。ルネサンス辺りから脇道それちゃったね、まあ西ローマ 滅亡後1000年近くイタリアは暇さえあれば周辺国や蛮族に攻められ国内も 小国に分割されて共に争ってた訳で、当時の歴史を知ってる知識人達が昔は 良かったと思いたい気持ちは判らんでもない。
古代の戦闘はかなり幼稚だな
ところで戦闘技術の歴史という本がちょうどギリシャローマ期の戦闘を扱っているようなんですが このスレの住民の皆さんの評価としては如何なものでしょうか?
>>129 内容が正確かどうかは分らんのだけど、文章についてだけ言うと、
話があっちへ行ったりこっちへ行ったり、知ってることを雑然と書き連ねたような印象。
あんまり整理された書き方ではない。
「指揮と統率」とか抽象的なテーマだと特にそう。
個人的には拾い読みする分にはなかなか面白いと思うのだが、
コストパフォーマンスとしてどうだろ。ちょっと偏った百科事典?
>>127 グスタフ・アドルフ以前のヨーロッパに、共和政後期から元首政初期にかけてのローマ軍よりシステム的に優れた軍隊
なんているの?
そもそも、ちょっとした野戦築城+弓なんて芸当にも対処できない中世ヨーロッパ軍なんてピュドナの戦いの頃の
マケドニア軍にも負けそう。
この場合の中世ってのは1453年までか?
攻城戦や築城技術は中世の方が高度なものになってるだろ 逆に言えば中世は都市が城壁に守られて発達したから野戦に力入れる必要性が薄かった
>>そもそも、ちょっとした野戦築城+弓なんて芸当にも対処できない カエサルの内乱記を読む限りじゃローマ軍も「ちょっとした野戦築城」を突破するのにかなり苦労しているがね。
「中世」で一括りにして論うのはいかがな物か
包囲壁とか対抗壁とか築いてたギリシャ諸都市に比べたら 攻城戦についてのローマの技術はかなりマシだが デュッラキオンの包囲とかは包囲壁に近いものを感じるな
とりあえず中世の定義についてKwsk と言うと嫌がられるんだよなw まぁ東洋史カジッタ身からすると、時代区分論争なんて不毛極まりないけど
便宜的に西ローマ帝国滅亡前と後を分けてるだけだろ このスレはローマ扱ってるわけだからその区分は使いやすいことになる
都市を城壁で囲むことならローマ・ギリシャの方が熱心。
昔の野戦築城って言うと、信長の馬防柵とか土塁くらいしか思いつかないんだけど。ローマ帝国やギリシャ時代の野戦築城ってどんなの?
源平合戦の頃にも野戦築城は実施されていたような つか以外と昔からそれなりにどこの地域でも行なわれている模様 ま、出来とかサイズとか差異は一杯あるけど
大国同士がぶつかり合う古代の攻城戦は壮大なイメージが強いなぁ
>>138 西ローマ滅亡から、ウェストファリア条約までじゃね?
ぶっちゃけた話、現代の史学では中世は500年〜1500年辺りまでを指す適当な言葉でしかないよ。
おいおい、ルネサンス期まで中世かよ
>>148 何年何月何日と決められるもんじゃないんだからケチつけるな。その種の
議論は延々とループしちゃうからやめとけ。
(1)共和制期までのローマ軍 (2)五賢帝時代までの最盛期のローマ軍 (3)その後から西ローマ滅亡までのローマ軍 位には分けないか。
先生〜 ビザンツ帝国はどうしますか?
ビザンツ帝国はどうしようか?形としてはローマ継いでるけどキリスト教色 強いからなあ。中世被るから無しにする?
ビザンツってまとめていいのかな? あれはアレで何回も変質してそうだし
うんじゃ無しでage。
155 :
名無し三等兵 :2008/09/14(日) 02:53:44 ID:l0zi1bgo
トロイって映画あるやん? 上陸したギリシャ軍が盾をつなげてテントのような形にして敵の弓矢を 防御してるシーンがあったけど、あの当時に実在した戦法なん?
>>147 なんかで、西ローマ滅亡からコンスタンティノープル陥落までが中世だっていう定義のしかたを見たことある
あんま時代区分に意味は無いけど
159 :
名無し三等兵 :2008/09/14(日) 12:14:54 ID:hFoW30Qp
ROMEはいいね。
>>148 ルネッサンスは運動であって時代じゃない。
12世紀ルネッサンスもあるしイタリアのルネッサンスの先駆者のペトラルカは14世紀の人物だ。
>>142 ローマ軍は「先ず防御ありき」の考えから戦場につくなり堅牢な陣地の構築にかかった様です。
柵を作り土塁を積み上げ堀を廻らせ、その外周には落とし穴、馬防の為の逆茂木の設置と他民族から見ると過剰に思える程の野戦築城マニアだった様です。
ん、こりゃアレシアの包囲陣地じゃないの
アレシアだろこれ、さすがに1日ではローマ軍団でも無理。だけどカエサルなら 平気でやらせそう。
カエサルの時代以前から建築マニアだったみたいね。>ローマ軍 それだけ建築に関する技術や知識が高かったと言う事なんだろうけど、戦闘員 = 工兵 ってのも凄いな。
今日の軍隊や自衛隊の災害出動とかを見ても、 軍隊と土建は不可分なんだなとつくづく思う
>>161 おかげで、野営地が奇襲されて大打撃なんてことがローマ軍にはほとんどないよね。
陣地からおびき出されたり、陣地造営中に奇襲なんていうのはあるけど。
>>164 ポンペイウスと戦ったときは野戦なのに、双方塹壕と柵を張り巡らせて睨みあってるしねw
ギリシャのアクロポリスって後世の山城って認識でいいんですかね?
一応最後に立て籠もる場所だけど、基本は神々に奉げた神殿と宝物を保管 する倉庫がある場所。ローマもギリシャも都市国家が発祥だから都市の周囲に 城壁を設けて籠城の場合そこで守るのが基本。日本みたく純戦闘員だけが籠る 山城とはちゃう。
現代戦車でも通れる位の道路を嫌がらせの様に作るローマ軍団は異常。
>>170 防衛のために軍隊を送りやすい。秦の始皇帝も道は作ってる。
いったん領土に入り込まれると逆に利用されて敵の進撃が早くなるけどね・・・
>>129 さっき読み終わったけどおかげでこのスレの話にかなりついていけるようになったw
テーマ別に分かれてるんで時代が行ったり来たりするけど悪くない本だと思うよ。
ギリシャ・ローマの部分はかなり詳しい。
アレシア包囲網は戦術・技術的発想がキチガイじみてる
包囲戦は珍しくないけど、包囲側も包囲されて籠城するって例は珍しい。普通 は包囲を解くか、援軍を野戦で撃破しようとするんだけど2方面であんだけ厳重な 塹壕を築いたカエサルとローマ軍はすごいよな。
ガリア人とゲルマン人の城ってどんな感じだったん?
177 :
名無し三等兵 :2008/09/19(金) 23:05:52 ID:SLV3EQRF
亀ですが、>73 鉄鉱石は酸化鉄すなわちFeO これに高温の一酸化炭素を加えるとCがOと反応してFeO+CO→F+CO2 となる。 高炉製鉄だと鉄の融点を超える温度なので融鉄(溶湯)が得られるが、融点以下でも還元反応は起きるので、その場合酸素 が抜けてスポンジ状になった鉄塊が得られる。これを熱しつつ打鍛すれば鋼になる。しかし鋳造はできない。 詳しくは「古代人はどう暮らしていたか―実験考古学入門」「鋼の話」「シンガー技術の歴史」などを参考にしてくれ。 亀が喋ってすまん。
>>178 たまに「刀を鍛造した日本と違い西洋では溶かした鉄を型に流しただけの粗悪品を使っていた」云々みたいな記述を見かけるけど、トンデモって事?
ダガー、ダマスカス、カットラスその他色々
>>176 別に百人隊長一人で他の人達を管理してた訳じゃないだろ。何か緊急事態が発生
すればすぐに軍団長に急使がいく。また正規の指揮官がいなくなってもすぐ次の階級
の人が代理指揮を執る様になってるのがローマ軍。軍団が壊滅して上級指揮官が全員
死んでも、残った百人隊長が兵をまとめて帰還した例もある。だから主力が出撃しても
基地が平時状態なら普通に管理されてたんじゃないだろうか。
Coria基地も軍団長の護衛も防壁の後方任務だから、大隊ごとの持ち回りで 計画的に前線から下げてたんじゃないか?
>178 鋳鉄は可鍛鉄とくらべて硬いが脆いので、武器としての品質は低い。しかしヨーロッパではそもそも鉄の鋳造技術が中世ま で存在しなかったから、鋳造ゆえに品質が低いというのは眉唾。むしろ中国の話じゃないかな。中国では戦国時代から鉄の鋳造技術があるから。
塩婆なんかアウグストゥスのゲルマニア侵攻、引いては属州化によるライン河 からエルベ河への防衛線移行は防衛負担が大きくなって失敗しただろうと言う意見 だが。エルベまで移せば防衛線は短くなるし、ネッカー川周辺からは銀も採れる。 長期的にもローマにも+になったと思うんだがどうだろう。トラヤヌスのダキア みたいになったんだろうか。
>>183 実際にローマもゲルマニアに殖民市を建設していた(トイトブルクで全部パーになったが)からローマ自身もそう思ってたんだろう。
185 :
73 :2008/09/20(土) 11:00:55 ID:???
ペルシア戦争の年表 BC498 アテナイ、エレトリア軍はイオニア反乱に加担して サルディス(ペルシア領都市)の街を焼き払う BC493 ペルシア軍はイオニア反乱を鎮圧 BC492 ダレイオスI世はアテナイとエレトリアに制裁を宣言 BC490 ペルシア軍はエレトリアを制圧 BC490 アテナイ軍はマラトンの戦いで勝利、ペルシア軍は撤退 BC481 ペルシア軍は再度ギリシアに侵攻 BC480 ペルシア軍はテルモピュライの戦いで勝利 BC480 ペルシア軍はアテナイを制圧 BC480 アテナイ海軍はサラミスの海戦で勝利 BC479 ペルシア軍はアテナイを再制圧、アテナイの街を焼き払う BC479 スパルタ軍はプラタイアの戦いで勝利 以後小競り合いが続く BC448 「カリアスの平和」によって和睦
187 :
186 :2008/09/20(土) 11:24:18 ID:???
ペルシア戦争について考えたんだけど 1.アテナイはかなり性悪 2.ペルシアの戦争目的をBC492年の宣言とすると BC479年に目的を達成していると言える と感じた。 ペルシア側の立場なら勝利宣言を出してもおかしくない のではないかな。少なくともボロ負けという印象は受けない。 せいぜい泥沼になって撤退時期を逸したと言う程度なのでは?
目的は達成してるね でもマラトン・プラタイアの二つの大会戦で敗北してるのは痛いね 小競り合いにいくら勝って目的を達成できたとしても、 国家の威信をかけた、 インパクトの強い大会戦に負けてしまえば面目丸つぶれだからなあ テルモピュライの戦いも結果的には勝てたけど、 精神面(名誉や威信)では敗北って言われる事も
旧軍やイギリスみたいな番号+地名+部隊名(>176の第一トゥングリア大隊とか)の元祖はローマ?
>>189 帝政期の軍団名って同じ番号の軍団が複数あるかと思えば23から29をすっ飛ばして第30軍団があったりかなりバラバラな印象を受けるんだけど、なんであんな風になってたんだろ?
末期の日本海軍もそんな感じだったな
全滅ー再編くりかえしてればそうなるだろ
不吉な数字をとばしたとかは?
不吉な名前を飛ばすという習慣はなかったみたいだな。解散した部隊の所は 欠番とかはあったみたいだ。
ローマの軍団は(特に有力者の私兵化してかrは)解散、再召集が珍しくなかったそうな
全盛期の帝政期程、戦死とか考えなければローマ軍団程安定した雇用先はないぞ、 給料は保障されてるし衣食住は完備、入浴料や娯楽は無料、病院もあるし退職金も 完備されてる。上手くいけば騎士階級や元老院階級への道も開かれてる。 解散・再召集が頻繁なのはマリウスからアウグストゥスまでの100年程度。
訓練は厳しいんじゃないの?
運が悪いと砂漠やゲルマンの森で全滅したりするけどね。 ヴァルスよ、わが軍を返せ!
ローマ程訓練と軍規の厳しい軍隊も無いと当時から言われてるからなあ。でも 訓練なんてなくてもあれだけ街道建設とか軍事施設建設とか年中やってれば誰でも 相当鍛えらるんじゃないだろうか。
>>197 どれだけ厳しいかは場所と指揮官による。
例えばエジプト駐留の軍団は戦闘と言えば時たま起こる暴動の鎮圧程度だったので、東方遠征のたびに錬度が低くて使い物にならなかったので(野営地の作り方すら知らなかったとか)一から訓練をやり直すと言う事が何回か起きてる。
エジプト軍団は黒人の支配地域、現在のスーダンまで進出して下手なエジプト 王朝よりナイル川の上流に進出してんだけどな。ドナウやラインの国境沿いより かは楽かもしれんけど、数百年守り通したんだから立派なもんだと思うぞ。 黒人のローマ皇帝とか出たら面白かったんだけどなあ。
>>黒人のローマ皇帝とか出たら面白かったんだけどなあ。 黒人じゃないがセウェルス帝はリビヤ人とのハーフだったかクォーターだった筈。
フィリップス・アラブス帝も名前のまんまアラブ系だったな。
日本の朝鮮統治とローマの属州統治が似ているように見えるのは俺だけ?
どこがどう似てるのか説明してくれ。
>>196 ローマ市民なら生まれた途端、飯も娯楽も無料だ
大体、兵役免除になってるし 帝政中期以降の話だけど
立身出世を夢見るパトリキでもなきゃ、わざわざ命掛けて
厳しい訓練受けてまでも従軍しないだろ?
小麦が貰えるのは10歳以上の男子、脱穀やパンにする金まで保障してる 訳じゃないよ。また住・衣は無保障。娯楽も神事や有力スポンサーは万人が ただだけど商業的娯楽は有料。
例えば日本人が脱穀してない米を1日二合だけもらって、それを「メシは無料」と言うかって話だよね
まあ貧困層への食糧無料配布だけでも古代では画期的な事なんだけどね。
暴動よりはましだと判断したんだろうなw
ちげーよ。 パンとサーカスは共和制後期の政治家の人気取りが積み重なった結果だ。 それが帝政期に入って皇帝の人気取りに変わっただけ。 首都住民の暴動程度なら近衛さえ味方に付けれいればいつでも殲滅できるしな。
まあまあ、とは言え数百年ローマ国内で大規模な飢餓を原因とした集団死が なかったんだから政策としても有効と評価して良いのではないだろうか。単純な 人気取りは気の毒な様な気がする。
国家の基本的な目的が「安全」と「食」の保障てのは現代も変わらないからな。
飢えさせてしまっては多少の政治的自由なんぞ意味がなくなるからな とは要塞事務総監もいってる
>>212 >>数百年ローマ国内で大規模な飢餓を原因とした集団死がなかった
それって凄い事じゃないか?
日本なんか飢饉はしょっちゅうだってのに。
確かに日本の歴史でも他の国の歴史でも飢餓から逃れた時代の方が少ない。 中国なんて農民が餓えるたびに政権変わってる位だからまさに「食は政治」だな、 だけど飢餓の原因を調べてみると本当に食糧がまるでない訳じゃないんだよね 大抵 (1)他の地域では豊作でもそれを輸送する組織や輸送路などがない。 (2)政体が悪政や戦争・内乱・無政府等で人民が餓えても無策。 (3)商人等が値上がり期待して売り惜しみする。 などの例が多い。ローマはそれを政策としてそういった要因を排して、 絶えず有能な皇帝はそれがちゃんと行われてるかチェックしたんだから、 今の凡百な日本の政治家より百倍マシだな。
逆に言えば民間が優秀なら政治家は無能でも国家経営はうまくいくわけだな
海軍長官=食料長官だったのはずっとだったっけ?
海軍長官と食糧長官は別、ポンペイウスが一身に兼ねたのは食糧高騰の 原因が海賊という事情による特例。まあその後、オリエントまで行ってんだから 海軍長官ってよりローマ軍東方方面軍総司令兼海軍司令兼食料安定大臣みたいの が現代風に言えば正しい様な気がする。
>>216 商人の売り惜しみっての、結構マルクス史観的発想だからなぁ。
売れば儲かる情況なのに売らない商人ってのが信じられない。
売らないのは回収見込みが無いからとか、本当の理由はほかにあると思う。
で、歴史的視点で意外と欠けているのが、貨幣の供給量。
昔は金属貨幣だったから、金・銀の産出量で景気が思いっきり左右された。
焼け野原→復興時は貨幣量が経済規模に対して多くて、発展する。
しばらくすると、必要な貨幣量以上に経済が発展してくると、デフレになる。
そうでなくても、一部の者に貨幣が集中して流通量が減る事もありうる。
デフレが過ぎると、財政は悪化し、内乱が起きて、経済活動が更に停滞して、
慢性的な物資不足になる。裏経済が出来て物々交換が主流になってくると、
貨幣価値が計測不能になる。この状態を現代ではハイパーインフレーション
と表現する。でも、実際は行き過ぎたデフレで経済活動が停滞した状態。
逆に金山が発見されると経済も成長する。
インフレ(経済の過熱)が経済の大問題となるのは、実は1970年代以後
の事。金本位制から管理通貨制度に移行して起きた新しい問題。
中国古典では韓非子で貨幣の量と経済の関係について非常に鋭い洞察がされて
いるけど、中国人の欠点はそれを活用できなかったこと。1500年たって
江戸時代の享保の改革で大岡忠助が悪化改鋳を進言し実行したのは、この古典
からのヒントじゃないかと思う。
翻って東西分裂頃から後のローマは、長いデフレ期だったんだろうなと思った
りする。
>>211 その見解は、共和政後期の自作農の没落に際して起こった、ローマの政治的混乱を無視しすぎじゃね?
江戸時代の売り惜しみってのは買い占めとセットで成り立つんだ。 何かの拍子でとある商品が不足したとき、 いち早くそれを察知して買い占め売り惜しみで市場価格を釣り上げまくる商法な訳。 後に豪商が闊歩する時代になると権益そのものを寡占してうはうはになったりするんだけどな。
>>222 田舎の庄屋さんとか、戦国時代の豊臣秀吉がやったとかならわかるけど。
江戸時代の豪商取り潰しは、大名貸しをチャラにする目的だよ。
そういう情況だから、後から尾ひれ羽ひれついて、正当化されている。
アッリアヌスがアラン人を撃破した戦いの戦闘序列を見ていたら Cohors I Italica voluntariorum civum Romanorum Cohors Apuleia civium Romanorum って補助部隊があったんだけど、civum Romanorumってローマ市民の事だよね? 補助軍って属州民だけじゃなかったの?
ローマには国内外に友好国・部族ってのが居て同盟関係結んでる。租税は 取らないが戦争時にはそういった連中は参戦したり食糧援助したりする義務が ある。トラヤヌス円柱とかにはそういった兵士がごろごろ彫られてる。
>>225 Cohors I Italica voluntariorum civum Romanorumはイタリアのローマ市民志願兵って事だからそれには当てはまらないんじゃないか?
惑星ナブーから来たボランティア兵かもだ
×惑星ナブー ○小惑星ナブー
ああ、Small planet を「小惑星」と訳したんだっけかw
>>215 時代による気候の違いと天災を考慮しないと。
>>215 日本の場合、不思議なのは、地方農民の悲惨な暮らしの話は残っている
のに、江戸や大阪で飢饉が起きたという話は残っていない。あと、大抵、
改革とセットで起きている。
多分、改革の影響でデフレがおきて、地方経済が地盤沈下して地方間
での流通が滞って局所的な飢饉が起きていただけなんだと思う。
これ、昭和恐慌あたりでも同じ傾向になる。改革と金本位制復帰を目指した
浜口内閣で、金本位制復帰と同時に昭和恐慌を起こして(金本位制復帰=
貨幣価値を高める政策=デフレ誘導政策なので、恐慌になって当たり前)
いるけど、悲惨な話は「東北での娘の身売り」ばかり。
余談だけど、そういう視点で小泉改革を見ると、日本がでかくなった分、
何とか耐えられているだけで、同じようなことになってる。歴史って繰り
返すものだと言う思いが強くなる。
幕末モノ読んでると自分の藩にいたころはあわやヒエもろくにないのに 脱藩して都会にきたら乞食ですら食にありつけてるのを見て驚いてるから あんまり現代みたいに積極的に流通してないんだろうな 隣りの藩なんて違う国家みたいなもんだし
>>232 ここローマスレな。後、江戸時代程近代除けば流通盛んな時代ないからあんまり
無知と無恥さらすな。
そうか?君の脳内ソースだろ 他の時代と比較したデーター出せよ 馬鹿 てめえみたいな叱咤か見てるとむかむかするぜ死ぬよくそ虫 お前みたいな害虫死んだほうがいいね
流通が盛んでないと100万都市「江戸」はできないだろう。まあローマは 紀元前にそれを達成してるのだから立派なもんだ。でもローマ帝国崩壊後は 人口3万にまで減っちゃったって言うんだから国家の盛衰って怖いよねえ。
高校日本史の教科書なり、資料集なりを読めば直ぐ分かる。
つまらんこと言うなよ 実際にデータ出さなきゃ単なる推測だろ ついでに明治以降の流通も出せばいいだろ
日本史スレあたりでやってくれ。
煽りに対して煽っているところなんだからすっこんでろ じゃなきゃスルーしな
すまんが、ここはNGIDが無いのでそれは無理。
>>175 Maiden Castleとかじゃないかな。
>>175 >>241 時代や部族にもよるだろうが、少なくとも共和政末期の時点のゲルマンの大多数の部族は
城塞の類を築かなかったんじゃない?
孫引きなんだが、ガリア戦記のタキトゥスのゲルマニアを引用した部分では、ゲルマン人は基本的に
永久的な建築を好まず、住居も掘っ立て小屋で、集落の周りを荒地にしておく事を誇りとするみたいに
書いてある。
同時時代のガリア人は地中海世界では標準的な城塞都市を築いてたみたいだね。
しかし、ゲルマン人はいつから築城するようになったんだろう・・・。
ガリア人の城塞都市はoppidaでググればどう言う物かわかる。
>>224 の戦いの戦闘序列が↓なんだけど、
第十二軍団フルミナタ
第十五軍団アポリナリス
第一アウグスタ・コロニア騎兵大隊
第一ウルピア・ダキア騎兵大隊
第二ガリア騎兵大隊
第二ウルピア・アウリアナ騎兵大隊
第三ウルピア・ペトライア混成弓兵連隊
第一ラエティア混成大隊
第三ラエティア混成大隊
第三アウグスタ・キュレナイカ混成弓兵大隊
第一イテュラ混成弓兵連隊
第一イタリア市民志願大隊
第一ボスポロス混成連隊
第一ヌミディア混成大隊
第一アプレイア市民大隊
随分と遠くの部隊も参加してるのはなんで?
>>244 補助軍は、近くの属州や同盟市の軍だけじゃなくて、ヌミディア、ガリアの騎兵とか、バレアレスの投石兵とか
その地方特産の兵科はそれこそ、ローマ世界中に駆り出されているよ。
例えば、ヌミディア騎兵なんて、第二次ポエニ戦争ではローマ・カルタゴ両軍の最精鋭騎兵隊としてヒスパニアからイタリア、
カルタゴ本国でも戦ったし、バレアレス投石兵はカエサルがガリア戦役において自らの部隊の軽歩兵隊として
多用している。
あと、カエサル配下のガリア騎兵なんて、カエサル軍の将軍だったクラッススの息子が、親父のパルティア遠征に従軍する
ことになったときに、一緒にパルティアまで行かされてるし。
>>245 それに補助部隊は別に編成地に配属されたわけじゃないしね。
例えばブリタニアのウィンドランダ要塞に配属された第九バタウィア、第一トゥングリア大隊はいずれもガリアで編成された部隊。
むしろ反逆を防ぐため意図的に遠方に配属されていたそうだ。
>>246 そういう所を見ると、ローマ軍の編成や兵站システムって近代的軍隊としか思えないね。
むしろ、士官と下士官・兵っていう明確な区分以外は、近代軍がローマ軍的システムを踏襲していると
言えるのかもしれないけど。
マケドニア軍兵士が被ってた、垂れたアイスクリームみたいな兜って 英語だとPhrygianなんだけど日本語だと何式兜って呼ぶんだろ
フリュギア式じゃね?
250 :
名無し三等兵 :2008/10/06(月) 03:01:00 ID:2MAoPr38
バルカン半島に唐突に現れたこの文明。 アレクサンドロス三世は20代でアケメネスを一人で制覇。 師はあのアリストテレス。 古代ギリシャの祖先は東欧あたりから南下してきた民族。 バルカン半島から東のアレクサンダーに征服された地域は 都合よくイスラム圏。 ナポレオンが発見したという翻訳石のインチキ臭さ。 ネジや歯車、ヴァイオリンからギター、科学的思考方法まで古代ギリシャ起源という、 にわかには信じられない功績の多さ。 アレクサンドロスというアーサー王や日本武尊みたいな胡散臭い伝説的な王が、その支配した土地でなぜギリシャの文化を伝える必要があったのか?もともと アレクサンドロスの出身国(古代マケドニア)はアケメネス帝国の版図内(服従していた王国)であり、当時のアケメネスは バルカンにあった諸王国などとは比較にならないほどの大国であり、 普通は「アケメネスの文化がバルカンを覆った」はずである。 なぜアレクサンドロスの遠征後は「ヘレニズム(ギリシャ化)」であっても「マケドニズム」ないしは「ペルシャイズム」とはならないのか? 胡散くせ。
251 :
名無し三等兵 :2008/10/06(月) 03:04:40 ID:2MAoPr38
アリストテレスたちの「イデア論」も、 ちょうどまったく同じ時期に支那に現れた道教と主張する内容が酷似してるな。 「万物のかたちをなす根源=道」という概念と「それによってかたちづけられ、 われわれが感じることの出来る物体」という解もそっくり同じだ。さらに「人間は中庸が大事」に至っては支那の 儒教と同じ。なんでこんなにそっくりなんだ? 「アリストテレスの言語学」というサイトより引用 >アリストテレスのギリシア語原本は、ほとんど失われ、 >現存するものはギリシア語ーペルシア語ーアラビア語ーラテン語をへて、 >ギリシア語に再翻訳されたものだ、と「誰がアレクサンドロスを殺したのか?」で述べました。 >それは事実ですが、アリストテレスの言語論、文法論を読んでいるうちに、 >疑問にとりつかれました。 >アリストテレス原典が、ギリシア語に再翻訳されるまでの1500年以上の間に、 >ギリシア語も変わったし、文法も変わったにちがいない。だとすると、 >再翻訳のさいに、新しい知識が導入されたと思われる。 ↑これが事実だとしたら、 アリストテレスの原本はほとんどなく、単に後世のイスラムや ビザンツの人間が『これがアリストテレスの言ったことだ』と してアリストテレスの著作をなんども翻訳し直したものを 現在「アリストテレスが言ったこと」としてわれわれが古代 ギリシャの人間の「発見したこと」とみなしていることになる。 つまり、2500年ほど前から12世紀までの思想哲学の改定を、 現在われわれがアリストテレスの著作と信じている論に 含まれている可能性がある。つまり「託されて」いるのだ。 どうだろう?イスラムもキリストも白人も、支那人が 古代の支那の、たとえば春秋という書物を孔子が書いたと考えているように、古代ギリシャ文明とはメソポタミア以西の人たちの「かたしろ」なのではないだろうか?
以上チラウラでした。
なんで世界史板のキチガイがこんな所に来てるんだ?
共和制中期頃までローマ軍が装備してた刀剣ってコピスとクシフォスって考えていい? グラディウス・ヒスパニエンシスが採用されたのって第一次〜第二次ポエニ戦争の頃だよね?
>>250 >>251 なんか根拠に沢山、突っ込みどころがあるけど、結論はその通りだよ。
ルネサンスっていうと、中世の間見つからなかった古代の文明がいきなり再発見されたってイメージがあるけど、
そのイメージが間違いなだけ。
12世紀ルネサンス期の人々が、アリストテレスに触れたのはボエティウスなんかの古代末期の文献を通してだし、
それら古代末期の原典をテキストとして、この時代において学問が発展した。
しかも、このような12世紀ルネサンスは、例えばボローニャ大学におけるローマ法大全の研究のような、古代末期
から小規模ではあるが、継続して古代文化が伝えられ、研究され続けた事もひとつの要因。
要は、中世初期の西ヨーロッパに確かに一時、古代の諸技術・諸学問の体系こそ失われたしたが、そこで断絶
したわけではなく、中世独自の諸技術や諸学問とともに、古代のそれらの断片も伝えられており、研究もされていた。
ただし、後者は初期中世の政情から芳しいせいかをあげられなかったが、12世紀頃にヨーロッパが農業の発達と
それに伴う都市人口の増加、そして商業の発展により、このような学問に多くのリソースを割けるようになった。
これに、同時期に十字軍によるアラビア・ビザンツとの交流が生まれた事が合わさって、ヨーロッパの学問が目覚しい
発達をとげたのが12世紀ルネサンス。
つまり、古代と中世ってきちんと継続性を持っていて、その伸びにムラこそあれ、着実に進歩していった過程なのであり、
その過程を考慮すれば、「古代ギリシャ文明とはメソポタミア以西の人たちの『かたしろ』」である事はむしろ当然で、
別に陰謀でも捏造でも何でもないよ。
ただ、古代における諸技術・諸学問の興隆が凄まじく、逆に初期中世の進歩状況の停滞も凄まじかったから
古代がスゲー!って強調されているだけ。
>>これに、同時期に十字軍によるアラビア・ビザンツとの交流が生まれた事が合わさって イベリアのムーア人との交流の方が重要じゃね?
>>256 スマソ。法制史のしか見ないで書いたんで、そこら辺適当だったorz
>>257 薄々は気づいてたんだけど、やっぱそっち系かorz
>>258 これの真ん中のヤツって両刃かな?両刃なら刺突に適してるんだけど
>>260 コピスは基本片刃で、クシフォスは両刃みたいよ。
>>261 了解。小烏丸みたいな半剣半刀みたいな作りに見えたけど、俺の勘違いだったみたいだね
>>262 出土品のコピスの画像を眺めてるが、先端部分が両刃で突き刺しやすくなってるような気がせんでもない。
コピス?ファルカタ?
>>264 コピスはギリシャ人が使った曲刀で、ファルカタはイベリア人が使った物。
両者に直接的な関係は無いらしい。
ローマってギリシャ系の影響が強かったからギリシャの剣を使ってたんだろうか?
>>266 ローマだけじゃなくてエトルリアや他のイタリア都市国家もマグナ・グレキアのギリシャ植民市に強い影響を受けている。
>>257 古代ギリシャ文明だけじゃなくカエサルのガリア征服も捏造だとか言い出してるな、そいつw
久々に本物のキチガイが見れた。
天然物? 天然物なの!?
「原本が無いから捏造ならカエサルのガリア征服も捏造なの?」 ↓ 「その可能性はある。ローマに憧れを持っていたフランク族が捏造したかもしれない」 ↓ 「ローマがガリアを支配下においてないなら一世紀の終わりからガリアに突如ローマ様式の都市、貨幣、碑文、墓石などが出現したのはなんで?だいたいフランク族がどこから来たのか知ってるの?」 ↓ 「遣唐使だって唐の建築様式を日本に持ち帰ったが日本は唐に支配されたわけじゃない」 「アレクサンドロスが捏造ならなんで中央アジアやインドにギリシャ語の貨幣、碑文、パピルスなどが大量に出現したの?」 ↓ 「ギリシャ語が中央アジアやインド発祥じゃない証拠を出せ」 こいつにかかれば第二次世界大戦も無かった事にできそうだなw
ギリシャローマの水道路って戦争中の破壊工作の標的にはならんかったのかな 四六時中軍団が巡回警備でもしてたんかの
>>271 実際にゴート族がローマ市に通じる水道橋を破壊したりしている。
でも、ローマ市に通じる水道は11本でその全長の大半は地下だから、大都市を干上がらせるのは難しかったと思う。 特にポエニ戦争期以降のローマ軍を相手にした場合、大都市囲って兵糧攻めなんてして時間食ったら地中海世界中から ローマ軍が群がってくる訳だし、あんまり良い策じゃなさそう。 アドリアノーブルでウァレンスを敗死させたときの、ゴート軍もそこらの村々の略奪と守りの薄そうな都市を急襲してた気が するし。 ハンニバル以前と西ローマ滅亡のごたごたを除けば、ローマ軍相手に堂々と城を囲んだ事自体、ササン朝くらいしか してない気がするから、そもそも水道を破壊しようという動機がないんじゃね?
常に整備や清掃しないと埋まったり、くずれたりしてしまう。 アラリクスが包囲した時になると11本の水道のうち全部が生きていた訳ではない。 残った水道を制されて遂に開城せざるを得なくなった。
農民が勝手にぶっ壊して石材盗ってったりしてたかもなw。そこら辺の補修も含めた包括的なメンテナンスか。
276 :
名無し三等兵 :2008/10/14(火) 22:10:44 ID:OoBRAjUu
水道の保守に関しては水道管理委員(cuator aquarum)ていう専門の役職がある ちなみにつくことが出来るのは執政官級の人物
277 :
名無し三等兵 :2008/10/15(水) 19:36:41 ID:W7FdmnWX
水道壊したら都市を占領する意味がなくなるだろ 蛮族しかやらないよそんな戦法古代ローマではね
属州からの食糧供給が潤沢だった頃はそうだろうな。
属州とかならテロ行為でやるヤツいそうだけどな 調べればそういう記録も残ってるんだろうか
蛮族はローマを占領しにやって来るんじゃない 略奪しに来るん だから関係なし
>>280 だから、蛮族は滅多にまともな都市を攻撃しないんだけどな。
攻囲戦なんかやってたら、自分らが飢えて本末転倒じゃん。
そもそもやつらの攻城技術は未熟だからな 帝政末期の混乱で占領された都市はほとんど内部からの裏切りで陥落だし まともな攻城戦で陥落したとこってどこだろ
アクイレイアってゴートのときもフンのときも住民逃げ出してたんじゃないっけ 現ヴェネチアの潟に
あぁ、それがヴェネツィア発祥のきっかけとなった戦乱か
ヴェネトの住民が避難したのはアクイレイア陥落した後
ああ、後なのかあれ ゴートはともかく、よくフン族の追撃から逃れられたな
>>271 現実にそういう破壊行為が行われたのかは知らんけど・・・
「古代のエンジニアリング」と言う本の、ギリシャ・ローマの水道についての解説によれば、開渠式の水道には根本的な問題点が三つあり、
材料と労力がかかる。水が汚染にさらされやすい。
そしてギリシャ・ローマの都市にとって最大の問題が、包囲攻撃された場合、外敵に簡単に壊されてしまうこと。
それで丘をくり貫き、地中にもトンネルを掘る方法が、一般に好まれることになった。
とのこと。
その著名な工事例として、ローマのアクア・クラウディア、サモス島のエウパリノスの水道が挙げられている。
そう言えばアテナイのペイシストラトス水道も水路の大部分が地中。
なので水道を攻撃目標にされる危険性は結構大きかったのかもな。
都市の水源をめぐる攻防とかありそうだな
>水道壊したら都市を占領する意味がなくなるだろ なになにどういうこと、後で再建すればいいだけじゃん 包囲して水絶てればどんな都市でも落ちるぞ
再建にも時間と金と手間がかかるという事だろ、まして戦役中ならそんなことをやってる余裕があるとは思えん。
>>287 実際フン族によるアクイレイアの陥落はかなりの衝撃だったらしい。
蛮族が城塞都市を武力によって制圧するのは初めての事だったから。
>>290 いや、大半の都市で普通に川とか湧き水とか井戸とかあるから。
ローマなんてティベリス河に接する湿地帯と丘陵地帯の上にたてられた都市だし。
>>293 それだけじゃまかなえないから水道があるんだろ
テヴェレ河って下水道に使われてたんだよ
>>294 いや、質さえ文句をいわなきゃ河川と雨水と湧水だけでローマの人口はまかなえると試算されてる。
心苦しい事実だが現代でも泥水同然の水を飲用水にしてる地域は山ほどある訳で。
というかあの時代で水資源の質に国家単位でこだわれたローマの国力は異常すぎ。
>>296 ベルサリウスがローマで
>>297 誰が何時のローマを基準にして出した試算?
たしかオックスフォードの教授(ごめん名前出てこない)が アウグストゥス帝と後いくつかの時代ののローマの人口を元に試算してたと思った。 俺も気になったからちょっと本棚漁ってくる。
>>297 泥水同然の水を飲用してる地域で起こってる事が、人口密度が高く自然の浄化作用の無い都市部で起こっちまうぞ
301 :
名無し三等兵 :2008/10/19(日) 12:09:28 ID:R4Fzl6Cz
それ以前に古代の上水道は下水道とセットだから無くなると困るぞ
実際、西帝国が滅亡して水道がなくなったらローマの人口は激減したじゃん。
ローマの水道ってアラリックかなんかに包囲された時に
防衛側が怖くなって自分で壊したんじゃないっけ
>>302 水道が使えなくなって衛生状態悪化→ペスト流行って流れ?
神聖隊のメンバーって女と寝たら懲罰モンなのか?
Tiberis flumen 自体が澄んでない川だし・・・・・・雨季が来なければ、芥を押し流すことが出来ない 更に沼とやぶ蚊に囲まれ、丘に逃げたローマの生誕を、忘れるべからず
デュッラキウム包囲みたいに近代以前に塹壕戦が起きた例ってローマ以外にある?
塹壕戦って両軍が塹壕掘ってにらみ合いってこと?
というか、ドゥラキウムの戦いって塹壕戦なの? 塹壕掘って、野戦築城をしてにらみあったのはその通りだけど、この場合の塹壕って兵が入って戦うためのものじゃなくて、 柵の前に築いて敵の前進を阻害するという堀的な役割を果たすものじゃないの?
ちょっと内乱記を引っ張り出して確認するか。
>>309 じゃないけど内乱記を確認してきた。
塹壕じゃなくて堡塁だな。
双方とも要所要所には砦を築いていて、時間が経つに連れて櫓や防柵を増強してるようだ。
311 :
308 :2008/10/27(月) 14:00:56 ID:???
>>310 さんくす。
堡塁だったのか。
やっぱ、曲射の武器が主流な近世以前だと、塹壕って意味無さそうだね。
ローマの人口が減ったのは水道つうかゴート戦役のせいだろ
属州からの穀物輸入が激減したのが致命的。
ベルサリウスがイタリア遠征のとき使ったって言う、軍団用の食料製造船ってどんな奴だったのかねぇ ティベリウス川に泊めて使ったて言うから、ただの輸送船とは違うんだよね
>>312 避妊と堕胎を繰り返していたからじゃない?
どうでもいいことだけど、ラッセル・クロウの『グラディエーター』 冒頭のウィンドボナ蛮族討征のシーン、カッコイイよな 考証はどうだか知らんが
>>318 詳しい解説感謝します。
トラヤヌス帝の柱にしっかり彫られてますね。
合わせ目もあれで正しいのか・・
肩に食い込みそうな気がするなあ。
ヨーロッパのプレートメイルも日本の具足も合わせ目が逆さなのに。
そういや一枚板の胴鎧はギリシャではそこそこ見るのにローマではあまり見ないよね あれって、やっぱ柔軟性のなさとかが嫌われたのかな?
>>コンモドゥスの時代にあの鎧はおかしい、って突っ込みはどっかで見たなぁ そうか? マルクス・アウレリウスの記念柱にもセプティミウス・セウェルスの凱旋門にもセグメンタタを着たローマ兵は普通に描かれてるぞ。
でもレリーフとかは他の建造物からぱくってきて再利用するから ディティールはあんまあてにならないんだよね コンスタンティヌスの凱旋門なんて時代がばらばららしいし
326 :
名無し三等兵 :2008/11/06(木) 01:47:13 ID:bHutR860
>>224 アッリアヌスがアラン人を撃破した戦いの戦闘序列を見ていたら
Cohors I Italica voluntariorum civum Romanorum
Cohors Apuleia civium Romanorum
って補助部隊があったんだけど、civum Romanorumってローマ市民の事だよね?
つい最近読んだ本にでてたんで一応ここにも書いておきます
なんでも帝政が始まって以後、正規軍団兵はガリアやヒスパニアから徴兵されてイタリアからの募兵は禁止されたそうです(明確な時期も書かれてたけど失念
で、軍隊に入りたいイタリア出身者は仕方なくこのコホルスに入ると
329 :
名無し三等兵 :2008/11/08(土) 05:17:44 ID:lnDF0OS2
ブラット・ピッドのアキレスってどうなの?
330 :
名無し三等兵 :2008/11/08(土) 06:01:04 ID:4ISiOLbf
槍を100メートル以上投げてるような印象だったが
オスプレイのメンアットアームズとかであるんじゃないトロイア戦争
334 :
名無し三等兵 :2008/11/08(土) 13:55:59 ID:KBIsILtl
335 :
331 :2008/11/08(土) 14:03:07 ID:???
>>334 きわめて近似してるかどうかはともかく、交易都市でギリシャとは隣同士だったんだからある程度の影響は受けてるんじゃないか?
同じ事はギリシャにもいえるけど。
ギリシャ風にしたいなら>331のミュケナイ戦士、オリエント風にしたいなら>333のヒッタイト兵をモデルにしたらいいんじゃない。
トロイア兵の軍装は想像するしかないと思いますよ おそらくトロイア兵の装備なんてものは発掘されてないでしょうし 都市や発掘された土器から言えばミケーネの影響を強く受けているようです
>>333 さん
たくさん画像を貼ってくださったのですね!
ありがとうございます!
最後の1枚をのぞき、全部保存させていただきました!
nefertiti.iwebland.com/hittites.jpg
↑これなんかみると、ギリシャの兜の飾りはオリジナルではなく
案外、オリエントが起源なのかもしれませんね
なんかギリシャ文明はギリシャ人のオリジナルではなく、
セム系の肌の黒い人々がつくったという説もあるそうです
>>334 さん
ヒッタイト風にさせていただきます
>>336 さん
やはりギリシャの影響を強く受けていたのですね
しかし模型の場合、似たようなものにするとドラマ性が薄れるので
便宜上、ヒッタイト風にしようと思います
ということで、鎖帷子のモールドは削って、
スカーフという設定にします。
やはりトロイヤ戦争に鎖帷子は似つかわしくない感じです。
「Helen of Troy」というDVDを見ましたが
やはり鎖帷子は出てきませんでした。
ほとんどギリシャ兵と似た格好をしていました。
>>224 >>326 タキトゥスの年代記で、Cohortes civium Romanorumに触れているところがあったので一応書いとく。
ティベリウスの治世初期にCohortes civium Romanorumの各兵に300セステルティウスが贈られた。
この時、親衛隊には1000セステルティウス、都警隊には500セステルティウス、軍団兵には300セステルティウスが贈られている。
岩波版の年代記の付録によるとローマ市民の志願兵からなる補助軍でCohortes civium Romanorumは32個大隊が編成されたというから、
1万5千から2万人位いたみたいだね。
てことは扱いは軍団兵並ってことか、本来補助軍は賜り金はもらえないし 給料は軍団兵の2分の1、もしくは3分の1だったらしいから 給料も軍団兵と同じだけもらってたんだろうね
340 :
名無し三等兵 :2008/11/17(月) 20:26:32 ID:2I5AN7eW
ここの住人は、読んでると思うけど。 ちくま新書「戦争学」松村つとむ 日文新書 「世界地図で読む五大定刻の興亡」湯浅利男 なんかが、面白いよ。
文春新書じゃなくてちくま新書?
342 :
名無し三等兵 :2008/11/18(火) 16:42:28 ID:IPXu1cEp
ごめ、文春新書でござった。
ヘウレーカ
ローマ時代の板金鎧と騎士だテルシオだって時代の板金鎧との違いを詳しく知りたい
345 :
名無し三等兵 :2008/11/28(金) 06:57:24 ID:WM9q8GPf
ローマの板金鎧で代表的なロリカ・セグメンタタは板金を重ねて作っててかなり特徴的 テルシオの時代にはもう胸甲のみが一般的だった気がする ちなみにスイスのパイク兵は前列に優先的に胸甲が配備された
ギリシャ式の鎧あったよな Muscle CuirassだかLORICA MUSCULATAだか言うヤツ
ローマ時代の冶金技術ってどうなんだ
興隆期、全盛期が最高で衰退期に入ると衰えるってのが通説。東ローマに 技術継承が行なわれビザンチンの重要な収入源が金銀細工だったって言うから 当時としては最先端行ってたんじゃないだろうか。
349 :
名無し三等兵 :2008/11/30(日) 17:55:03 ID:t9e9lNsG
ユダヤ人とローマ帝国の関係を詳しく説明して下さい
塩婆の本読め。比較的纏められていて良い。基本は一神教と多神教の違いに よる対立。ローマ側は他の民族と同等に遇してるし、出世の機会も与えて、 ユダヤ教を禁止してる訳でもないのになんで抵抗するんだっていう思いと。 ユダヤ教徒はユダヤの教えに殉じて暮さなければならず、他の事で物心 両面で自由や豊かさ与えられても意味が無いという思いの食い違いが悲しい。
塩本は著者の趣味に無理矢理付き合わされている感じがする。 カエサル萌えとか、ホモ描写とかキツイんですが。
カエサル萌えはしかたない。彼を越える政治家は存在しないのだから。
偉大な政治家は反対勢力にしてみればものすごい脅威だからな 適度に無能なほうが政治家としてはうまくいく
軍の最高司令官としては微妙
まあ生き残った奴が最強だよな
カエサルはスーパースター
>>349 講談社現代新書「ユダヤ人とローマ帝国」を読めば
とっかかりぐらいにはなるだろ
読むのが面倒なの?
ヨセフス読めばいんじゃね
>>358 その時代近辺の人物でスーパースターを名乗っていいのはジーザス・クライストつまりキリストと呼ばれるイエスだけだな
スター☆カエサルくらいで
塩野さんのは楽しく読ませてもらったが、 キリスト教絡むと如実に批判するのが、なんとも・・・
スピリッツのヴァスタスがなんちゃって拳闘士ものからいきなり政治むきな漫画になった
ライフ・オブ・ブライアンを見ればいいよ
ベン・ハーが良いと思うよ、副題が「キリストの話」だし。
ベン・ハーは、映画としては単に金掛けただけのゴミだよ。
すごいのは戦車競争だけ
まあ、興業目的の映画だから。別に歴史考証の映画じゃない。それに大抵 歴史考証映画と呼ばれるもんはどこの国でも政治宣伝強いもんだしな。ローマ 兵が赤いマント羽織ってるのも史実とは違う。あれは映像写り良くする為 らしい。
真紅の染料は当時めっちゃ高価だったからな。
紫の次に高かったんだっけ?>赤
ってか「共和政期の重装歩兵の楯は皮を重ねた物を鉄枠で補強した楕円形だった」とか 「一般兵はチェインメイルがメインんだった」とかいう話を初めて聞いた時は工エエェェ(´д`)ェェエエ工工 だった記憶が。
>>371 そう。
紫は皇帝色だから実質的に最も高価な染料だな。
海外ドラマのROME見とけ 時代考証ならアレが一番しっかりしてる 主役はアティア
>>374 戦闘シーンはほとんどないけどなー
実質的に最初のガリア戦記とラストのフィリッピの戦いだけ?
>>370 え?赤ってむしろ一番安いんじゃなかった?
紅花の発祥地、エジプトから近く。古代からローマでも紅花による染料 が使われてたので赤い染料がめちゃくちゃ高いという事はなかったのでは ないかと思われる。ただ、当時のローマ兵にマントを赤く染める発想はな かったみたいだな。どうも赤は女の色的なイメージがあったんじゃなかろうか。 マントは風呂敷代わりや毛布、防寒代わりの実用品でもありながら漢らしさ をアピールする格好つけの道具でもあったんだからそれを「女の色」で染める なんて勇敢さが問われる軍人には考えもつかなかったんだろう。でも軍団ごとに 法被みたいに同じマーク描いたり、相手を威圧する為に黒く染めたりしても良かった 様な気がしないでもない。真っ黒なマント付けた完全武装の漢達が隊列組んで 何千人も迫ってきたら相当怖いと思うのだが。
そういえば、 「会戦時、ローマ軍団は敵に罵声を叫んだり鬨の声を出したりはせず 静かにそして整然と前進した。 一糸乱れぬ足音だけを轟かせて静かにそして無表情で進んでくるローマ軍団の静の威圧は 敵に言い知れぬ恐怖を与えた。 戦士の鬨の声というのは、戦闘による恐怖をなくし無理やり興奮状態に持って行く為の ある種の自己催眠でもあるが、 世界最強のローマ軍団兵というプライドと自信に満ち溢れていた彼らには必要無かったのである」 というのを何かのローマ本で読んだような記憶がある できればこれが書いてあった本の題名を教えて下さい
>>378 少なくともポエニ戦争期のローマ軍はピルムで盾を叩きながら鬨の声を上げて前進していた(ポリュビオス)
どこだったかは思い出せないけど、帝政期の軍団もマルスへの賛歌を歌いながら前進していたと言う記述があった筈。
一方、オスマン帝国は太鼓を鳴らしながら前進した
381 :
名無し三等兵 :2008/12/03(水) 22:17:05 ID:dTYbaTAV
赤は女の色とか小学生のランドセルかよw
それに戦闘中にマントなんか邪魔なだけだろ
>>378 図説 古代ローマの戦い
プリニウスの博物誌によれば将軍の外套はコックム(coccum、植物染料、赤)で染められていたらしい コレも史料で色々違いがあるけど他の例だと紫(カエサル、アフリカ戦記)に深紅(プルタルコス、対比列伝) 赤い盾に赤い羽根飾り、赤はユピテルとマルスの象徴でもある
太鼓のが歩調あわせやすくてよさげだな
スパルタ人は歩調をあわせるのに笛を使っていたらしい。
戦列を保ってナンボ、壊してナンボの世界。
ローマやギリシャの兜って頬当てとか以外は みんな青銅の一枚板からの叩き出し?
ローマだと モンテフォルティノ(共和政期)、コールス(共和制後期〜帝政初期)、インペリアル・ガリック型(帝政期)は打ち出しかな とりあえずモンテフォルティノ型は打ち出し、回転成形は帝政初期に一時的に見られたが依然、兜は打ち出しで作られたそうだ インテルキサ型(帝政後期)は2つの部品を中央で接合するからちがうぽい 疑問だが鋳造はなかったんだろうか、防御力で劣ったりするのかね?大量生産に向いてそうだけど ていうかすでに回転成型なんかあったんだな、恐るべきローマ
>>388 >シュトゥック炉
古代ヨーロッパの製鉄炉は低シャフト炉なんで
鉱石の還元(半溶融の海綿鉄の製造)→海綿鉄の鍛造による精錬までしか無かったはず。
シュトゥック炉(低シャフト炉と高炉の中間)は、紀元一世紀頃の遺構がポーランドのノワスルピアで発見されて
現地の博物館に展示されているらしいが。
390 :
389 :2008/12/05(金) 22:23:38 ID:???
アンカミスった・・
>>388 >シュトゥック炉
じゃなくて
>>388 >疑問だが鋳造はなかったんだろうか
ね
ようするに鋳造製はもろいってことか 低シャフト炉で回転成形とかもできるの?
これは面白そうな本ですね でもローマ軍みたいな大量生産が必要な軍隊で鋳造装備が広まってないって事は やっぱそういう高熱の炉も少なかったって事なのかなあ
ローマ軍が大量に規格化された金属製品が必要だったかは疑問だな。精々 鏃位じゃないか。軍の指揮系統はローマが握ってるけど建国当初から実質多国 籍軍だし、帝政期に入ってからは3世紀の危機になるまで頻繁に戦争している 時期の方が少ない。30年以上戦争を経験しなかった地域も多い。それにローマ 軍の補給は現地人や退役兵で構成される従軍商人が行うのが習い。また当時の 軍需で一番大量に消費されるのは食糧と秣、当然経費もこれが一番かかる。こういう 時代にあっては変に官営兵器廠みたいなの作って規格統一に血道上げるよりローマ 街道でも作って補給の効率化と経済向上を図った方が合理的だったんじゃない。
軍団も補助軍も歩兵は帝国全土で同じような装備使ってるよ 大量生産できればコスト軽減にもつながる まあ、当時はできなかったわけだが
大量生産の次には大量消費がくる。このサイクルを維持する為に民営にしろ 国営にしろ工廠ないし工場みたいなのが必要になってくるが、それが見られない って事はローマ人は武器の均質化を痛切には感じなかったって事だろう。裏返せ ば武器の消費は近代に比べれば遥かに少なかったんではなかったのではないだろうか。 当時公共事業とかに使われる煉瓦や水道に使われる鉛管なんかは企業化・規格化 なんかが進んでいた事考えれば、ローマがやろうと思えば兵器の規格化はやれたと 思う。それをあのハドリアヌスですらやらなかったのは広いローマ領全域で同じ 装備に執着する方がコスト削減に繋がるどころか返ってコスト高についてしまうと 考えたからではないだろうか。
>>394 >>396 兵装の規格化はディオクレティアヌスやコンスタンティヌスの改革の際に行われているのよ。
それまでは帝国中に散らばっていた民間業者にバラバラに委託していたのが、全て政府が所有する工房で同じ規格で作られる様になる。
それが効率的だったかどうかはともかく。
>>395 同じ様な装備でも、4世紀までは民間業者が個々に作っていたから色々と違ってくる。
だから同じインペリアルガリックヘルムでも地域や時代によってさまざまなバリエーションがある。
軍団兵全員が同じ装備の映画なんかと違って、実際の軍団兵の容姿は、大まかな形は似ていても細かい部分じゃ相当のバラつきがあったと思うよ。
>>397 それは知ってる。でも個人的には蛮族の襲来や貨幣価値の止まらない下落、
皇帝位をめぐっての混乱なんかで民間業者達でさえ軍との取引を嫌がったから
ではないかと思う。あるいは商人に払う金さえなくなったか。ゆえに仕方なく
自分達で工房作って喰い詰めた職人とか集めて働かせたってのが実態の様な気がする。
実際、ローマの軍団が改革の結果連戦連勝を重ねてローマを立て直したって訳でも
なく、規格化でローマ軍の戦闘力が大幅に向上した訳でもない。
だから改革と言うより、ローマ崩壊を示す。切羽詰まった窮余の一策に思えて
ならない。
>>398 アウグストゥス以来300年の間30万前後を維持していた軍をディオクレティアヌスが60万に倍増させたからじゃない?
軍の規模を二倍にしたんだから当然数十万の武具を一度に揃えなきゃいけない。
それには国が武具の製造を国営化して規格化した方がやりやすかと思う。
金が無くて増税ばかりやってた当時の事考えれば国営工廠作って、一から 武具作るより中古の武具買い集めて装備させた方が安上がりだし、実相に 近い様に思われる。
>中古の武具買い集めて装備させた方が安上がりだし 中古の武具って軍団以外には存在しないんじゃね あったとしても1割に満たない程度と思うが
402 :
名無し三等兵 :2008/12/06(土) 10:53:50 ID:1+2csdkU
装備を規格化すれば製造にも訓練にも修理にも有利 切羽詰まった窮余の策とは思えん ついでに言うなら武器防具作れるほどの技術を持った職人が食い詰めるとも思えん
パックスロマーナの時期ならいざしらず蛮族にバンバン攻められるは 軍人皇帝が乱立していた時期直後のディオクレティアヌス時代の庶民が まったく非武装でいたと考える方が非現実的だろう。中古武器は溢れてた 様に思える。またこれらの混乱とコロヌス制への移行等で都市商業は衰退 していたので失業した職人が大勢居たとしても不思議じゃない。 装備の規格化と言っても鎧とかは本人の体格に合わせなければいけない し、槍や剣の長さはある程度決まっていたとしても後代の銃火器みたいに ミリ単位の品質規格が必要だったとも思えない。また兵装の規格化が訓練 等に有利ならローマ軍はその後連戦連勝でなければいけないが、その後のローマ の歴史はご存じの通り。
>>ローマ軍はその後連戦連勝でなければいけないが 実際に連戦連勝だったじゃん。 蛮族に領土を次々と失ったのは軍が敗れたんじゃなく、属州を守る筈の軍が別の地域の防衛や、特に内乱の為に出払っていたから。 イベリアやカルタゴは全部そのパターンで喪失している。
規格は品質維持の為では無いのか?
失った地域を取り戻せていないのは?
>>407 政治的、経済的にもそんな事が簡単に出来る状況じゃない。
カルタゴを失ってもなお内紛を続けた連中だぞ。
下手に軍を動かせば自分の地位、それどころか命が危ない。
それでもコンスタンティウス三世の指揮下で失った領土のいくばくかは取り戻せたんだよな。
彼が皇帝になってすぐに病死したのが悔やまれる。
結局、西帝国が滅びた原因は ・ウァレンティニアヌスやホノリウスなどの無能な指導者が何人も続いた ・悪化し続けた経済 ・延々と続く足の引っ張り合い ・蛮族に領土を削り取られているにも関わらず何回も続いた内紛 に起因すると結論出来ると思う。
>>403 根拠から仮定を導くのは、結構だけど、仮定の上に仮定を重ねていったら、それはただの妄想にすぎないんじゃね?
>>409 じゃ何故それが起きたかとなると、気候的な要因も大きいのではないか、と
3世紀の終わりごろから地球が寒冷化したって奴だろ。
最大の要因は統治機構の衰退じゃね? そもそも、版図に対して統治機構が貧弱すぎるから、内紛が耐えない訳で。
最初の200年は内乱なんて殆ど無かったのになんででしょう? 版図の大きさ自体は特に変わらなかったのに。
どんな優れた統治機構も数百年立てば劣化して腐敗する 常に時代の変化に合わせて 的確な整備が必要だけど変化を嫌い伝統を重んじる保守派はいつの時代にもいる それに的確な整備っていうのが非常に難しい それよりならいっその事きれいさっぱりぶっ壊して 新しい統治機構作った方が簡単な場合も
蛮族と言われる人々無しには帝国が成り立たなくなったからだろうな。
蛮族も成長してるしフンにつつかれて活性化してるしで圧力きついし
>>416 ティベリウスの後期から既に、元老院階級は既に内紛と粛清の嵐じゃん。
というか、ローマのシステムは皇帝とその私的な陪臣の才覚に頼りすぎじゃね?
共和政の上に成り立つ元首政なんだから、そもそも皇帝位の継承においてシステム的な不安定さがあるわけで、
トップがちょっとやそっと内紛してても、日常業務と国土防衛くらいは勝手に行える官僚機構が必要だよね。
>>トップがちょっとやそっと内紛してても、日常業務と国土防衛くらいは勝手に行える官僚機構が必要だよね。 最初の200年はまさにそうだったろ。 カリグラやドミティアヌスやコンモドゥスがいても帝国自体はまったく揺らいでいない。
つか各地の総督がかってに軍引き抜いて内戦するんだから 日常業務と国土防衛くらいは勝手に行える官僚機構があっても そこからもっと引き抜いてくよ
>>421 それって統治機構が優秀と言うか、まだ元老院階級がまともで属州総督とかがまともに仕事してただけじゃなくて?
>>422 それが、問題なんだよね。
政治家じゃなくて、官僚だけで日常業務と国土防衛くらいは完結しないとね。
424 :
名無し三等兵 :2008/12/09(火) 00:22:20 ID:wpRc8X3G
一番の原因はユリウス・クラウディウス朝が断絶したことだけどな 血縁とか関係なく誰でも皇帝になれるってわかっちゃったから内戦が起きる
ちょっと待て、ローマに血統信仰ってあったかのか? 皇帝位の養子相続を見ると、そうでは無い気が・・・
血統はそんなに重要じゃないかと どっちかっつーとローマ皇帝は現代で例えれば第三世界の終身大統領みたいな感じだと思う 後継者指名や後継者争いもそんな国々のノリに近かったんじゃなかろうか
血統はむしろローマ的ではないんじゃないかな
アウグストゥスとティベリウスからして既に血つながってないし
(アウグストゥスは血統にこだわっていた節はあるが)
ただ、3世紀にセウェルス朝が途絶えた時は
血統の断絶が混乱の原因の一つにはなったかも知れない
>>426 アメリカの大統領に近いと思うよ
後継者指名はするけど市民の承認は受けないといけないし
元老院(上院)の支持は必ずしも必要ないけど、折り合いが悪いと上手く行かない
428 :
名無し三等兵 :2008/12/09(火) 06:03:18 ID:stpI024P
結局、ローマ兵のマントの色は何色なの? ずっとロムってて、赤じゃない、というのはわかったけど じゃ何色なの?っていうのが出てこないじゃないか ひっぱった人は、きちんと見解を書いてよ こっちはメタルフィギュアの塗装にここを利用してるんだ
てめーのフィギュアのことなんか知るかよ
ニコ動で「ROMA」辺りを検索すりゃBBC辺りのドラマが出てくんだろう それを参考にすりゃよくね? もっとも共和制時代のカエサルの回とか考証がしっかりしてるのか 一兵卒がチェインメイルで大盾が楕円形の茶色い革張りだったりマント着てなかったりしたと思った
皇帝:紫 将軍・総督:赤 元老院議員・首席大隊長:白に縁取り赤 一般兵士:白・茶等ばらばらで良いのかな?
>ちょっと待て、ローマに血統信仰ってあったかのか? >皇帝位の養子相続を見ると、そうでは無い気が・・・ >どっちかっつーとローマ皇帝は現代で例えれば第三世界の終身大統領みたいな感じだと思う >後継者指名や後継者争いもそんな国々のノリに近かったんじゃなかろうか ユリウス・クラウディウス朝って書いてるじゃん、養子縁組は断絶した後だろ 血統信仰がないと見るほうが考えられん >アウグストゥスとティベリウスからして既に血つながってないし >(アウグストゥスは血統にこだわっていた節はあるが) うん、アウグストゥスの苦肉の策って有名じゃん
>>428 別に制服があったわけじゃないんだから決まった色があるじゃない。
手に入る塗料によって青、赤、茶、黒、様々な色があった筈だが赤は血の色を隠せるので遠征中の兵士には一番人気があったと言われている。
>>434 あったのは血縁じゃなくて家に対する意識だろ。
カエサルの家を継ぎカエサルの財産を継いだ人、
前代のカエサルに後を託された人、
カエサルの歴史と栄光を次へと伝える新しいカエサル、
そういう信仰は強かったと思うけど。
家てのは大半が同じ血統に連なるものだろ 養子縁組なんてもんは例外、レアケースなんだよ それを取り合げてこれがデフォとかいうのは賛成できない ついでに言えば皇帝位の継承だけ取り上げて血統信仰がないというのも 大方ローマ人は養子縁組で皇帝を決めた、血統重視ではなくきわめて先進的! とか思ってるんだろうが
そりゃ単にお前が先走ってるだけじゃね? だれも先進的とかいってないしただ単に文化と価値観が違うだけだと思うが。 どっちが進んでるとか優れてるとかそういう視点でしか見れないのは悲しいな。
ローマ時代にそういう考え方があったと主張するなら、それなりの資料をもってこい 養子縁組がレアケースってお前、皇帝は実子より養子が継いだ方が遙かに多いぞ
>皇帝は実子より養子が継いだ方が遙かに多いぞ 何人いるか数えてみろよ
血統信仰がなけりゃネロ即位時にアグリッピナが奔走する必要もないわ 近衛隊がクラウディウスを選ぶ必要もないしな ネロ死後の内乱が起きたのもその血統が絶えたせいだろ 血縁とか関係なく誰でも皇帝になれるってわかっちゃったから内戦が起きる
数えてみた (東西分割まで) 養子 9人 アウグストゥス ティベリウス ネロ(連れ子) トラヤヌス ハドリアヌス アントニヌス・ピウス マルクス・アウレリウス ルキウス・ウェルス(共同皇帝) マクセンティウス(先々代の実子) 実子 10人 ティトゥス ドミティアヌス コンモドゥス カラカラ ゲタ(共同皇帝) ヘラガバルス(自称) マクセンティウス(先代の養子) コンスタンティウス2世 コンスタンティヌス2世(共同皇帝) コンスタンス1世(共同皇帝) 実子のが多いけど、「養子がレアケース」とはとても言えんし (どう見ても偽物のヘラガバルスを除けば一緒だ) そもそも帝国が安定していた3世紀より前に限定すると 実子はティトゥス・ドミティアヌス・コンモドゥスの3人だけなんだが・・・
ローマ皇帝に実子がつく例って意外と少ないんだよね。でも、親戚とか縁戚で 考えると皇帝になった人多かった訳で、そういう事考えると血統信仰とまではい かなくても皇帝は先帝にゆかりのある人が望ましいと当時のローマ人が考えて いたのではないだろうか。皇帝弾劾刑である「記録抹殺刑」に断罪された皇帝の 親戚は永久に皇帝になれないって一文が入ってるのもそこいら辺を暗示したもん なんだろう。また当時の状況みればローマの内外に大小の王国があって、部族長 で世襲の元老院なんて例がごろごろあって血統信仰に対する拒否感は現代人より 少なかったんじゃないだろうか。
だからなんで皇帝位の継承だけ取り上げて血統信仰がないなんて結論下すんだよ >実子のが多いけど、「養子がレアケース」とはとても言えんし >家てのは大半が同じ血統に連なるものだろ >養子縁組なんてもんは例外、レアケースなんだよ 俺が例外って言うのは家においてな、家ってのは皇帝家だけじゃなくローマ全体における家のことだ
>>439 >皇帝は実子より養子が継いだ方が遙かに多いぞ
自分がどんなレスしたかぐらい覚えてようよ
たとえばノウス・ホモという連中が何を持って他の元老院議員と区別されたかというと
>>442 実子がいないから養子にとった例はどんだけあるんだ?
448 :
名無し三等兵 :2008/12/10(水) 13:03:57 ID:lqCPk4xv
とりあえずアウグストゥスとティベリウスとトラヤヌスはわかる
アウグストゥス(実子なしのため養子) ティベリウス(実子なしのため養子) ネロ(アグリピッナの奔走により実子押しのけて皇帝位) トラヤヌス(実子なしのため養子) ハドリアヌス(実子なしのため養子) アントニヌス・ピウス(実子なしのため養子) マルクス・アウレリウス(実子はいたが前皇帝より指名、養子) ルキウス・ウェルス(実子はいたが前皇帝より指名、養子、共同皇帝) マクセンティウス(先々代の実子、前皇帝の義理の息子) だな
あ、アウグストゥスは一応カエサリオンがいたか でも実子として承認してないからコレでいいよね
実子がなければなければ必然的に養子だしやっぱり世襲色が強く見えるな
そういう理解のしかた確証バイアスって呼ばないか?
では反対意見をどうぞ
454 :
名無し三等兵 :2008/12/10(水) 13:40:54 ID:lqCPk4xv
ローマに血縁信仰がないというのも確証バイアスではないのだろうか
でも実子有りで養子指名が2人(しかも同じ人物によるものなので実質1例)しかいないし… ちゃんと実例持ち出して説明してるのに確証バイアスとか言われちゃうなんて
つうか相手の意見を勝手に極論化するのって詭弁家がよくやる手法だと思うけど
あ、ネロとアウグストゥスは例外ね 例外と見ても異論はないでしょコイツらの場合
煽りはいいから ローマ時代にそういう考え方があったと主張するなら、それなりの資料をもってこい
ローマ皇帝の血縁関係が自分に不利な材料になりそう →皇帝はレアケース ローマ皇帝の血縁関係が自分に有利な材料になりそう →証明完了
煽りはいいから反論してください
>→皇帝はレアケース 一言も言ってないよ >実子のが多いけど、「養子がレアケース」とはとても言えんし >家てのは大半が同じ血統に連なるものだろ >養子縁組なんてもんは例外、レアケースなんだよ 養子が例外って言うのは家においてな、家ってのは皇帝家だけじゃなくローマ全体における家のことだ とは言ったが
>459 じゃあ元老議員の世襲率でも持ってきてくれ
皇帝位以外の話をすると たとえば共和制初期においてはパトリキとプレブスは結婚が禁じられてたし(後でプレブスの力が上がって許可されたけど) ノビレスとノウス・ホモが区別されたのはその血統だし ポンペイウスも血統をコンプレックスとして持ってたようだし 名門はデスマスクとかつくって何代もおいとくし 共和制っていっても実質貴族寡頭制といわれるほどだし、血縁信仰は高いと思うよ 帝政期に入ると東方とか蛮族の考え方もどんどん浸透してくし 個人的に血縁信仰は動物的本能からくるもんだと思ってるからどんな文明にも存在すると思う ローマだけがその呪縛から逃れられたとは考えにくいんじゃないか
464 :
名無し三等兵 :2008/12/10(水) 14:19:15 ID:lqCPk4xv
自分が不利になると煽りだすとかひどいですね
ローマ皇帝の血縁関係が自分に有利な材料になりそう →ローマ時代にそういう考え方があったと主張するなら、それなりの資料をもってこい ローマ皇帝の血縁関係が自分に不利な材料になりそう →確証バイアス、詭弁家、煽り
マルクス・ブルートゥスが共和制の創始者の子孫だから担ぎ上げられたとかいう例もあるね
まぁ、家という括りは現代人の我々が想像するより遙かに強かったから
そういう意味では血統が強かったとも言えるけど・・・
血の濃さとかそういう価値観とはちょっと違うんじゃないかなぁ
少なくとも
>>424 は「四皇帝の年」の原因の一つではあったかも知れないけど
のちのちの帝国衰退の理由としてはトンデモじゃね?
内乱を収めたウェスパシアヌスもユリウス家とは縁もゆかりもないし
タキトゥスは同時代史で養子を礼賛しているようだな
468 :
428 :2008/12/11(木) 00:48:14 ID:8rzfNmTm
↑のやたら気合入ってるローマ動画ではカエサルとかギリシャ式の胸鎧装備だな
>のちのちの帝国衰退の理由としてはトンデモじゃね? そうか?俺は結構重要な内乱勃発の原因と見てるが 血統がつづいてればそれが皇帝位の条件の一つになるしな 皇帝の死後に見境なく各地で総督が兵挙げることも少なくなるように思える 実際4皇帝の時代の内乱はその血統が絶えておきた内乱だし >内乱を収めたウェスパシアヌスもユリウス家とは縁もゆかりもないし ウェスパシアヌスはネロ死後の内乱を収めたから皇帝になったんだろ すでに血統は断絶した後だ その後は実子相続で新たな皇帝家の誕生ですよ
>タキトゥスは同時代史で養子を礼賛しているようだな ドミティアヌスの恐怖時代を経験して 養子縁組が一番上手くいってた時代の人間だからな そりゃそうだろ
ローマ帝国が衰弱の原因は、兵士の質の低下 全盛期はヨロイをつけたうえに二倍の重さの武器を持って訓練していて実戦と同じ死人もでた。 まあ、そのかわり退役兵は土地もらったり政治家になれたりおいしかった。 しかし帝国初期は、軍隊は名誉ではあるものの死や苦痛の多い苦役というほうが妥当だろう だが平和な時期が長く続いて親衛隊は高給取りになり、政治利権になった こうなると国を滅ぼす公務員と同じで軍人の利権拡大が際限がない。 高級待遇を求める一方で仕事はしたくない。重いヨロイをきることもいやがるようになった。 ちなみに金属ヨロイは中世でも高級乗車の価格と同じで、貧乏な軍隊が数千もそろえるには けっして安価なものではなかった。 15世紀のドイツ傭兵でも自前で武具をもってくると二倍のサラリーが出たので倍給傭兵といわれ 装備充実した倍給傭兵は、全軍の先鋒形成した。 このように兜や武器は、たいへん重要なものだったがローマ人がこれをいやがるいっぽうで ローマ周辺の異民族もヨロイを着れるようになってきた。 ゴート族の王アラリックはまずイリュリクムに侵入して、交渉してイリュリクムの総司令になり 鍛冶屋に武器を作らせてイタリアに侵入を図った。 アラリックの手はいまでいえば北朝鮮が日本に侵入して米国攻撃兵器を作らせるようなものだ。 異民族の強化へもってきて軍の軟弱と世襲官僚化だ。幕末の旗本8万騎のように高級待遇でも まったく軍人はやくたたずになってきたのだ。 自衛隊を募集します!苦しい兵隊は不人気でも月給50万円とかはずめば殺到するだろう そうして世襲貴族化したがいざ戦争になったら怖い!腹が痛い!といって動かない、逃げ散る ローマの人頭税は、ガリア=近代フランスと比べても数倍というほどきびしく、商人の税の取り立て は二年に一回だがそのたびに夜逃げや自殺者が大量に出るほどきつかった。 民衆は平和になれ重税で繁栄した帝国を、異民族は武力で脅せば簡単にお金が出るのだからたまらない。 ローマの富は略奪対象としても魅力であり、かつまた軍隊の腐敗で自衛手段がなかったということだ。
↑ スルーでお願いします
軍事板の見解としては兵士の質の低下 血筋云々より妥当だと思うが
>>472 >>474 >405
ローマの衰退は経済的、そして政治的要因による物で、軍事的な物ではない。
そもそも兵士の質が低下したから滅んだのならなんで東は生き残ったんだ?
軍団が消滅したのは戦闘形態と防衛戦略がかわったためだよ さらに言うならば帝政末期においてもローマ軍の質は他の勢力より格段に上だ
いいか、よく聞け
>>472 >>474 お前らは
>>405 を読み直して来い
あとついでに言うとな
>だが平和な時期が長く続いて親衛隊は高給取りになり、政治利権になった
セウェルス帝の改革後は皇帝直属にして帝国最強部隊だ
>15世紀のドイツ傭兵でも自前で武具をもってくると二倍のサラリーが出たので倍給傭兵といわれ
傭兵の装備は基本自弁だ、倍給傭兵は剣術の達人な、最前線でパイクの柄をぶった切るのが仕事
「ドイツ傭兵の分化史」という本がお勧めなので読んでみるといい
訂正 ×ドイツ傭兵の分化史 ○ドイツ傭兵(ランツクネヒト)の文化史―中世末期のサブカルチャー/非国家組織の生態誌 ラインハルト バウマン (著), Reinhard Baumann (原著), 菊池 良生 (翻訳)
つーかそもそも親衛隊はコンスタンティヌスが解散してるし。
東京に家屋敷はあるので子供は欲しい 結婚はしたくない。 金持ちにうまいぐあいに国籍法が改正されたネー
>ローマの衰退は経済的、そして政治的要因による物で、軍事的な物ではない。 ローマはゴート族の王アラリックに軍事占領されたわけだが
>>481 アラリックの軍は403年のポレンティアの戦いや、翌年のウェロナの戦いでもスティリコ指揮のローマ軍によって撃破されているし、406年の別のゴート族の王ラダガイススのイタリア侵攻もやはりスティリコが壊滅させた。
ローマが占領されたのはローマ軍が戦いに敗れたからではなく、ローマ軍がそもそも存在していなかったからだ。
406年と410年の4年間に政治的状況が完全に変わったんだよ。
肝心のスティリコはホノリウスと言う大マヌケに処刑された上にアラリックが再度ローマに侵攻した時、ブリテン島とガリアの大部分は簒奪者コンスタンティウス三世によって喪失し、ウァンダルやアラン族の侵入も激化。
その為軍はほうぼうに散らばっていてとてもローマを守れる状況じゃなかった。
要するにだ、経済的に衰退し続け、政治的にも不安定の極みだった5世紀の西ローマ帝国でさえ戦闘になれば大抵は勝利したって事だ。
問題は経済的に帝国全土を守れるだけの軍を維持出来ず、また頻繁に起こった政争の為に帝国の全リソースを外敵との戦いに投入出来なかったって事。
>>481 それなら世界各国すべての国家の衰退の原因は軍事的なものになるな…
的外れなレスを煽りで誤魔化すんですね!わかります!
>スティリコ指揮のローマ軍によって 実態は蛮族補助軍(外人傭兵)が主力というべきだ。元老院が蛮族への補助金を渋ったことでアラリックの友情を失い スティリコの死によって外人傭兵の離反が決定的になった。 さいごまでスティリコを警護していたのはフン族の兵士である。このことからローマ兵士は信用に値しないとわかる。
>>485 最新の研究――1996年のヒュー・エルトンの著作から始まる――は後期ローマ軍にいたいわゆる蛮族兵はマイノリティでしかなかった事を証明している。
詳しい事はH. Elton, Warfare in Roman Europe: AD 350-425 (Oxford University Press: Oxford, 1996) 128から155ページと172から177ページを読んでくれ。
兵士の大部分は帝国の属州からの人間、つまりローマ市民だったんだよ。
ローマ兵が国家自体ではなく個人に忠誠を持っていたのはそれこそ共和制末期からの話。
え〜っと、いつの時代の話していたんだっけ?
>ホノリウスと言う大マヌケに処刑された いかにも軽薄な歴史認識だ。スティリコがアラリックへの賠償金支払いを主張し、元老院の若手議員は 「寄生虫に金を払う売国奴とスティリコを弾劾した スティリコの軍事勝利は明白であったけれどもキリスト教会はあくまで神の奇跡を強調しローマの勝利は 誰が指揮しても必然であったとした。現実派スティリコはカルトと右翼の総攻撃に会ったわけだ。 けっきょく現実路線が勝ち、賠償金をはらうことになったが売国奴スティリコの人気は落ち、ホノリウスは 政治的嗅覚によって切り捨てた、というのが大まかな流れ
スティリコの考えは、ローマ人は弱体化してマイノリティである蛮族補助軍を使わないと、どの道勝てないから アラリックなど敵意をしめすゴート族も、一度叩いてから金で取り込んでしまおうというもの。 実際問題、のちにフン族のたたかいのときはローマに付き従う蛮族とアッチラに付き従う蛮族に別れた。 この時点はもうゴート族が主力でアエティウスの率いるローマ帝国軍は片翼の形成する部隊でしかなかった。
どっちにしろホノリウスがもっと長期的な視野を持っていたならスティリコを守っただろうし ホノリウスが無能だったという事実は変わらないよ
つか既にローマ自体が積んでいる気が・・・・
ホノリウスをたたくのは今川某や徳川慶喜を叩くのに似てる 三戦板のように「名君ホノリウスとともに苦難を乗り越えるスレ」があってもいいくらい気の毒な立ち場だ。 慶喜はそれこそ大改革でもやらない限りどうしょうもなかったし、それにはスターリン以上の粛清が必要になったろう。
>>ホノリウスは政治的嗅覚によって切り捨てた ようは過激派を抑えられずに勢いに流されて有能な将軍を処刑したってだけ。 「スティリコは蛮族出身だから信用ならない」なんて馬鹿げた噂も信じ込むし。 まあスティリコ一人がどうなろうと西帝国が救えたわけじゃないが。 >>ローマ人は弱体化してマイノリティである蛮族補助軍を使わないと、どの道勝てないから ダキアとマケドニア属州の支配をめぐっての東帝国との争いに、都合の良い手駒として使おうとしただけだろ。 ローマ軍の弱体化は何の関係も無い。 そもそも同盟部族の軍をそのまま使うのはそれこそアウグストゥスの時代から行われている普通の事。 >>ローマに付き従う蛮族とアッチラに付き従う蛮族に別れた。 アッティラにより近く、既に従属していた部族とアエティウスとコネがあり、アッティラに従属していなかった部族と言う違い。 >>アエティウスの率いるローマ帝国軍は片翼の形成する部隊でしかなかった。 既に帝国がイタリア+α程度の領域に削り取られてたんだから当然。 問題は軍隊の質じゃなくて数だ。 そして既に書いてあるが、軍が弱くなったから帝国が滅亡したのなら、ゲルマン部族やフン族だけでなくササン朝ペルシャまでが敵にいた東帝国がなぜ生き残ったかの説明がつかない。
>問題は軍隊の質じゃなくて数だ。 けっきょくロオーマ軍のほうが少数派じゃないですかぁ〜
>>491 そうでもない
前皇帝テオドシウスの時代でローマはある程度持ち直してる
スティリコも前線属州回って防衛の建て直しやってるし(ブリタニアにまでいってたはず)
東西両帝が幼すぎたのと成長しても暗君だったというのは滅亡の原因であることは間違いない
>けっきょくロオーマ軍のほうが少数派じゃないですかぁ〜 何が言いたいのかわからん 帝政後期のローマ軍は少数で多数を打ち破るのが常だが
>名君ホノリウスとともに苦難を乗り越えるスレ ちょっと聞きたいんだがどのへんが名君と思うの?
ホノリウスは政治的バランスにすぐれた名君ですよ・・・侮辱はいけない あなたが皇帝でもなにもできなかったでしょう ヒゲそるだけでも百人の侍従が付いて来る様な官僚主義です 怖いカルト司教に毎日天罰でおどされるんだおっ、スティリコは超売国だし、どうすりゃいいんだよ?
もう、不利になるとすぐ煽るんだからこの子は
>>494 軍全体の兵数が少ない≠軍のローマ兵の比率が低い
イタリア以外の領土を殆ど失った最末期とそれ以前の4世紀中ごろ〜5世紀中ごろまででは当然事情が異なる。
東帝国についていえばアラリックはイリュリクムから東方をせめようとしたものの、かたい城壁や海峡ごしの地の利 など考慮して方針をイタリア進入に切り替えてる まあコンスタンティヌス1世の築城術のたまものというか、幕末の清正の熊本城のようなものだな
「内部問題が軍備に波及していき、最終的には外敵への対処を誤って国が滅びた」で良いじゃん。 原因の一つを重く見すぎたり、軽く見すぎて無視する見方は、宜しくないと思う。
最末期でもアエティウスとボニファティウスの間で内戦やってんだよね もう病気だよね これが原因でアフリカ取られちゃうし
ホノリウスの判断材料としては ・賠償を主張する売国スティリコと、支払いを拒む愛国議員をどちらをとるか こいつは死にかけた北朝鮮に賠償するかみたいな議論で これはもう金を払わなくて住むし愛国議員できまりでしょう。 国外の蛮族の支持を得るのと、国内の若手議員の支持を得るのと どっちが理性的でしょうか? ・軍事的にスティリコは必要か 軍事的にはキリストの奇跡によりローマの勝利は約束されてる その証拠に、前回の戦いの中に奇跡うんたらかんら・・・といわれればスティリコ はいなくても毎回勝てると判断して当たり前。 さらにスティリコは蛮族と交渉して息子を帝位につけようと画策していた、といわれる 軍事専門誌があるわけではなくマスコミ報道がキリスト教会しかないのだから、 誰が考えてもスティリコ死刑でローマは安泰と考える ゆえにホノリウスはまっとうな常識人である。
>>誰が考えてもスティリコ死刑でローマは安泰と考える それって単にローマが詰んでたってだけじゃ…
もしおまいらがホノリウスで 「神の奇跡などない!頼むべきはスティリコ将軍。賠償を拒むネットウヨとうそつきカルト教団は死刑!」 といったら、ユリアヌスのように背教者ホノリウスになっていたわけだが? なんという思慮の浅さだ。ホノリウスさまのお立場を考えろ。
むしろこの流れが面白くなってきたw まぁホノリウスみたいなのが皇帝になるしかなかったという時点で詰んでるわけだが スティリコもホノリウスを押しのけて自分が皇帝になる!というほどの 力も力量もなかったわけだしなぁ 「ファイナル・エンペラー」って邦題で出てるイタリア映画(原題は「帰郷」)が この時期のgdgdな帝国を描いててけっこう面白いよ 邦題もパッケージも粗筋も嘘ばっかだけどな
スティリコが皇帝になろうとしたら、もっと早くに暗殺か粛清されていただろうな。
そもそも出自の時点でスティリコがすんなりと皇帝になるのは有り得ん。 出自なんて関係無い、俺が皇帝なんだと無理やりクーデターを起こしても東側に承認されないだろうし、すぐに暗殺されるのは目に見えてる。
名将を登用した君主が名君と称えられるなら、 逆の方向のホノリウスはなんて言えば良いのだろう?。
なんかドイツ語でアラリックやテオドリックの戦国時代を大スケールで描く歴史絵巻があって パウルカレルの翻訳者が「面白すぎる!」と各社まわったがどこにも相手にされなかったそうな 何の本か題名を教えてくれ
514 :
名無し三等兵 :2008/12/12(金) 08:58:14 ID:4qBZ7vB6
また軍装の話で恐縮なんだけど 楕円形の楯と長方形の楯では階級的な差とかあるの? それとこれらの楯は青銅製でいいのかな? ゲルマン人のように木の板を繋げて皮をかぶせるとかはないよね
>>514 >>楕円形の楯と長方形の楯では階級的な差とかあるの?
共和制末期までは楕円形しかなかった。
帝政になってからは一般的に軍団兵が長方形の盾、補助兵が楕円形と言われている。
なぜ長方形の盾が出現したかには、城塞攻略の時に取り回しを良くする為と言う説がある(それはもっぱら軍団兵の役目だったので)
>>それとこれらの楯は青銅製でいいのかな?
糊を使って木板を数枚重ね合わせ、それをキャンバスと皮で覆って中心部と周辺を金属で補強している。
全金属製の盾と言うのは重すぎるので基本的に存在しない。
いつの時代指してんのかわからんが補助兵が丸盾で軍団兵が長方形の盾、 長方形の盾は板2枚を重ねて少しお椀形にして四方を鉄枠で補強して取っ手 を厚手の革で作られた非常に重い物。歩兵の集団戦術が廃れていくのにあわせて だんだんと廃れて小型の丸盾に移っていく。だから役割的な装備の差はあるけど 階級を示す差は基本的にはない。どちらかいえば中世の方が盾の形やデザインは 多彩、十字彫り込んだり紋章彫り込んだり書いたり色々ある。
上のホノリウス談義を見ていて思ったこと 歴史の流れと、個人の果たした役割 まぁどう判断するか、難しいなぁ それよりも久々に『グラディエーター』を視聴 冒頭の戦闘シーンや親衛隊カッコヨス まぁ映画は、『ローマ帝国の崩壊』を上手く料理しようとしたけど、何故か同じような事になってしまった作品だけど 雰囲気は満喫できたからおk
カリグラってなんでサンダルなんだろう。 ブーツとまでは言わないが、せめて足の周囲や甲の部分はしっかり防備しないものかなあ。
ローマ兵が履いてるサンダルはカリガっていうんだ。 カリグラは「小さなカリガ」って意味な。 というかイタリアの気候でしっかりした靴を履いて肉体労働しまくったら 足の匂いが化学兵器に匹敵すると思われ。
あんなでかい盾が青銅製だったら戦いになる前に軍団兵が死んじゃう
>ブーツとまでは言わないが、せめて足の周囲や甲の部分はしっかり防備しないものかなあ。 蛮族全裸戦士「・・・・・・」
日本なんかずっと後になっても草鞋じゃないか
>>515-516 共和政時代の楯は木板を使わずピンと張った革を重ね合わせたヤツだったんだっけ?
四角い盾ってのは機動隊が使ってるアレみたいな奴?
>>522 日本は赤道付近の地域ほどではないにせよ、湿気がハンパないからね
草履以外の履物ったら、公家がはいてる靴の他はせいぜい雨天対策に下駄がある程度くらいかな
>>523 木板を使わないってのははじめて聞くなあ
527 :
名無し三等兵 :2008/12/12(金) 16:16:54 ID:JHr98S6k
>>523 エジプトのKasr el haritから出土した共和制末期〜帝政初期の物と見られる楕円形の盾は普通に木製。
木板を使わない訳じゃないよ。共和期は一枚板になめした皮を張った、火矢 や火炎瓶とかに強くなる利点がある。帝政期になると廃れるのは価格が高いの やガリアとかブリタニアとか湿気や雨が多い地域だと傷んだり腐ったりしやす かったのが原因ではないかと思う。
矢と鉄砲には竹の束がもっとも軽くていいのだが
そんなのもって重装歩兵動けないだろw
そもそも竹なんて無いんじゃね?
蛮族全裸戦士「盾など不要!」
ケルト人は長方形の盾を使ってたと思うが。
鎧はともかく盾を装備してないところはないんじゃないか、木と紐で簡単にできる
ケルト人の盾って、伝統的に円形、楕円、六角形の三つじゃないの? 図説ケルトで紹介されてたケルト系豪族の墓から出土した盾は、楕円のものしか無かったけど。
>>517 あの親衛隊の装備ってどの程度史実を踏まえてるのかなぁ
かっこいいのは認めるけど、どうも古代版SSに見えてしょうがなかった・・・
ホノリウスの兄の東皇帝アルカデウスも、フランク族の将軍の娘がいい体してるのでセックスに狂って たぶらかされてるね。フランク族の浸透は夜のベットから、軍隊まで フランク族というのは比較的あたらしくでてきた民(士族共同体?)らしいが、あの団結力はなぞだね
ヴァンダル、オドアケルの王国、東ゴート、ランゴバルドなんかが蛮族として終わって フランクは栄えた違いは何?
フランクって結構はやい時期からローマと交流してなかったっけ?
東ゴートの場合は、東ローマ帝国とガチの戦争したからなぁ 結果イタリア全土が荒廃したけど 東ゴートが存続していたら、地中海世界がどう変化していたか非常に興味深い
国家としてそれなりに成熟するまでにイタリア入りすると東ローマに怒られるんかな
フランクはドイツ語でフランケン。本家すじフランケン大公国領はフランク=フランスが憎く思っていたので ナポレオンに潰された。現在では小さく分割吸収されてバイエルン王国に該当(ナチスの本拠) フランケン人からベルギーに分派したのがサリー族で金髪がトレードマークだったが、構成員は異人種も 多かったので全員パツキンに染めていたらしい フランケンとは自由開拓民というほどの意味でフランケン人種というものではなかったらしい。 史書にあらわれるのは比較的新しい。髪を染めるじたい真の野蛮人では出来ないので、いわば文明人が ゲルマン族を気取り髪を染めてヤンキー暴走化した様な民族では。恥ずかしくもバカらしい話だが ただ異民族を受け入れる、そして金髪でなくても髪を染めて同化できるという習俗が、フランク王国が爆発的 に膨れあがった要因として注目に値する。つまり誰でも黒髪を金髪にそめて「フランク貴族だ」となれる ちなみにメロビング王朝史話では、ローマ人の汚い百姓が名前をゲルマン風にかえ、髪を金髪にそめ 悪の限りを尽くしフランク王にゴマをすって大貴族になりあがっていく下克上の浅ましさを嘆いてる
当時はどうやって染めたんだろうか
脱色か・・・人間の変身願望はすさまじいな 現在は髪は染めるのはむろん、肌の色素を抜くまでなんでもありだ。 アメリカやブラジルなど新大陸の整形は鼻を高くするものがほとんどで、ヨーロッパや中東では 鼻を低くする整形が殆どという。現代版フランク=米国にいかにインチキ白人が多い事か。
ハゲはフランク人に成れないのか
フランクの王族は金髪ロング、平民は短髪。ハゲでも平民にはなれるよ その中心たる王族が染めていたので偽造はなはだしい。よそへ越して二代くらいで黒髪化したんだろw
>>539 塩野七生はローマ帝国下行政とかのノウハウ蓄積してたケルト民族との同化に成功したからとか書いてなかったっけ
同化に失敗したアングロサクソンとの対比でそんなこと言及してた気がする
>>550 ローマはイタリア統一あたりから中隊(後に百人隊)を単位として
歩兵について戦術的機動力を重視した編制にしてるから
密集隊形が必ずしもローマそのまんまとは言えない気がする
もっとも共和政初期とかは確かにファランクス採用してたんだろうけど
イギリスもそうだがフランスも上層階級は背が高く金髪で、下層階級は背が低く黒髪が多い。 英国のテレビで「上流階級は労働階級と完全に同化しつつある」といったら、おばあちゃんが 「平民と貴族が同化できるわけないでしょう!人種が違うんだから」と叫んだそうだ。
フランスそうかぁ? 例えば金髪の第五共和政大統領っていないと思うんだが
フランスは身分社会だよ。エリート学校でないとなり上がれない。そしてグランセゴールはいるには うまれつき名門の出である事が条件。(なり上がりには3代掛かる) 公務員の重みがフランスと英国ではかなり違ってて、官僚の力が強い。官営は強く民間企業は弱い 税が重いから店とか中小企業の経営なんかは儲からず、役人と農民が威張ってる コネのない若者には夢がない息苦しい国。
そうじゃなくて金髪が多いってのが間違ってると思うんだよね 政治家にはそのグランドゼコール出が多いわけだが黒が多い スィヤンスポやエナのHP見ても金髪はそう多くない
>同化に失敗したアングロサクソンとの対比でそんなこと言及してた気がする 塩野がどうかいてるか知らないけど アングロサクソンは同化せずに成功した例だよね?
何に成功した例だと言うのか 言語もフランスはロマンス系だがイギリスはチュートン系 単語はノルマン・コンクエスト後にロマンス系のが入ってきてるけど イングランドのコモン・ローとスコットランドのローマ法という分離もあった ケルトが残った地域はともかく、アングロサクソンによってイギリスにローマの影響が定着したことってそうないんじゃないか
>何に成功した例だと言うのか 国が持続したことだよ
そう言えばローマ化じゃなく国が繁栄したかが問題だったな こいつは済まなかった
アングロ・サクソンのゲルマン化は見事に成功したよね 他の地域と違って現地民の抵抗が苛烈で徐々に領土をひろげてく結果になったから そうなったと聞いたが
563 :
名無し三等兵 :2008/12/13(土) 05:37:00 ID:t979pLo9
イリアス読めばわかるがアイアスの盾は木板に革を16枚くらい重ねたヤツだよ
牛皮7枚だったわw
牛皮7枚ってすごいなあ、皮の重さだけで半端無いと思うんだけど、 それだけ火炎を使った攻撃が多かったって事なんだろうか。まあ時代 が青銅期では鉄の武器に比べたら殺傷能力低かっただろうしなあ、その 分火を使った例が多かったって事なんだろうなあ。さすがオリーブの 国、侮れん。
ヘクトル「おらぁ!(槍を投げる)」
読み直してみた 一番外側は青銅板でその内側が7枚の牛皮だな ホプロンでググってみたところ全金属製のものと外側を青銅でコーティングしたものがあるそうだ 全金属製はよほど特別か祭具だと思うが古代ギリシアはあんま詳しくないんでなんとも
シールドガード! =━━→ ◎д´) ( )二> / > ↑アイアス
∧∧ 我が最強の盾!貫けるものなら貫いてみよ!ヘクトル! (д´* ) (⊃⌒*⌒⊂) /__ノωヽ__)
尻からロー・アイ…… ∧ ∧,〜 ────────
∧_∧ ハゥ!!! ( (⌒ ̄ `ヽ───_ ────
Σ ( ; ) 人/し \ \ `ー'"´, -'⌒ヽ──
( ̄ ̄ ̄ ̄┴- ( /∠_,ノ _/_───‐―─
>>1 | ( *============(( ノ ヽ、_/´ \―────‐
/ / ∧ \ ( く `ヽ、 ―──
/ / / U\ \ \____>\___ノ ───
/ / ( ̄) | |\ ( ̄) /__〉.───`、__>.―‐―
/ ( ノ ( | | \ ノ ( ‐─────
⊂- ┘( ) └--┘ ( ) 俺の股間はゲイボルク!!!!!
UUUU UUUU
何此処??
>>573 テーベ神聖隊「よくきた!こっちへこい」
神聖隊とか考えついても普通はやらないよな ずっとパンツ履かせてズボンと言い張ってみたってレベル
ガチホモ部隊だもんなぁ しかも精鋭。強い。
でもアレクサンドロスには勝てない。
そりゃ両刀だもの、守備範囲の広さが違う。
騎兵戦力整えるのは卑怯
馬じゃサイズが違うからな
でも象もいる世界だし
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ っファルサルス
583 :
名無し三等兵 :2008/12/15(月) 08:23:44 ID:3a4KLo7/
考証の確かなことで知られる 「Helen of Troy」では 一枚の薄い青銅でプレスされたとおぼしき 楯が多数出てくるね You tubeで確認できる
586 :
名無し三等兵 :2008/12/16(火) 04:24:19 ID:/wTcSOgP
ゲルマニアで戦ってたころのローマ軍 その騎兵の楯はどのようなものだったの? 小型の正方形のような形でいいの?
588 :
名無し三等兵 :2008/12/17(水) 03:41:52 ID:Gf7Tl8vT
589 :
名無し三等兵 :2008/12/17(水) 11:11:18 ID:PzDYHnIe
今、映画「グラディエーター」を見て確認しましたら 確かに騎兵が楕円形の楯を馬につけていましたね ただ自分の持っている模型とは大きさが違うようです
ハンニバルの包囲殲滅戦への拘りは異常
>>558 これはぜひリドリースコットに映画化してもらいたい。
グラディエイター、BHD、KOFみたいな感じで。
592 :
名無し三等兵 :2008/12/17(水) 20:02:25 ID:5R8B8SCM
>>ハンニバル カルタゴの軍装って ローマに準じたものでいいの?
カルタゴはローマと違って傭兵主体だから装備とか決まってないんじゃない。
>>594 裸馬に手綱ナシか。どんだけ凄いんだ、ヌミディア騎兵は
596 :
名無し三等兵 :2008/12/19(金) 04:56:13 ID:CKkeXzKi
>>594 いつもありがとうございますm(_ _)m
ローマ軍よりかなり地味な感じですね
採用させていただきます
>>リビヤ・フェニキア人はギリシャ人と同じスタイル。
これはつまり、フェニキア人であるハンニバルの軍装は
ローマと類似、ということでよいのですね?
ありがとうございましたm(_ _)m
>>596 ハンニバル本人はフェニキア風だろうけど、イタリアで戦ってた頃のハンニバルの軍はイベリアで編成された部隊に
アルプスで集めたガリア兵、マシニッサのヌミディア騎兵で構成されているからギリシャスタイルなのは一部の士官
だけだよ。
>>550 こりゃ興味深い・・・!
機動隊と中核派って、刃物は使わないんだけど、
ローマ兵と蛮族との戦いも、ほとんどこれに近かったと思う。
それと「集団と集団とのぶつかり合いで、押し負けないこと」の重要さが、
このビデオでも分かる。そのために歩兵のファランクスが生まれたんだな、と実感。
遊牧民が農耕民じゃどうにもならないレベルの弓騎兵となるのっていつ頃からなん?
最初からじゃね?
そもそも実生活において弓と馬に触れる機会が平均的農耕民と比べてダンチに多いんだもんなぁ 狩人ならば弓のスキルは遊牧民よりも上だろうが、反面、乗馬のスキルはあまり磨かれないだろうし
弓って槍と並んで農民の主要武器じゃないの?
イングランドの弓兵も弓そのものもだが 軽装の近接戦闘に強い
家畜をつれて草地を求めて移動する集団がいつから馬に乗るようになったのか
キングダムに描いてあったな
ロングボウは職業軍人に近かったんじゃないっけ 少なくとも狩猟の弓とは何もかも違うだろ
職業軍人どころの話じゃねえ。 爺様の代から孫の代まで人生全て弓に費やした異能集団だ。
ヨーマン成立前の農奴制の時代はどうなん?
>>607 弓の練習のしすぎで腕がシオマネキみたいになってたって本当なのか?
腕とかおかしくなりそうな気もするけどどうなんだろうね
テニス選手とかピッチャーとかも両腕同じじゃないし
612 :
名無し三等兵 :2008/12/30(火) 03:22:25 ID:GqlBwcBi
>>609 沈没したイギリスのグレートシップ(ガレオン登場以前のでかいキャラックのこと)から発見された遺骨は
奇形だったらしいな、指と肩の骨が変形してるとかなんとか
>>609 発掘調査で骨の変形と過度の疲労が確認されている。
当時の弓兵は鬼のような職業病を持ってた
>>605 キングダムって何ですか?
書籍ですか?
始皇帝の少年時代からの漫画 戦車戦が熱かった
>>613 現代じゃ考えられないくらいの骨疲労らしい
イメージとしては日本の甲賀・伊賀みたいな連中か
特殊技能になにもかも全てを捧げた怪物集団
そういえばローマ軍団の練兵も死人けっこう出てたみたいだね
現代でも銃弾の暴発とかで死人がでることもあるけどそれとはまた別だね
訓練というよりも模擬「実戦」というレベルか
模擬刀がそんなあるわけじゃないし みんな真剣でしてれば普通に死ぬよな
618 :
名無し三等兵 :2008/12/31(水) 05:35:14 ID:oaROk6cr
ローマ軍の訓練は倍の重さの装備を使用したらしいよ
ヨスフス曰く、「ローマ軍の訓練は血が流れない実戦で、実戦は血が流れる訓練である」だからねえ。
ローマの演劇では俳優が実際にしぬ。 手を焼くシーンでは本当に焼く すでにネロの時代にはセネカが低俗であると非難してたが、知識人階級では 人が死ぬことは若者にたいする教育効果があるとする見方もあった。
実戦形式の訓練ってどういうことやってたの? 戦列組んでスクラム押し合いだと武器云々の前に死者でまくるよな
ローマでは戦場を再現したアトラクションが開催されて話題を呼ぶ事があったが その再現率は非常に高く、出演者は本当の兵士と同じ装備を身につけ 海戦を模した場合は実際に水面に浮かべられた軍船が用意されて 本物の人間が本当に殺し合った。
人気は人命より重いのか
恒常訓練を受けていた兵なんて近代以前ではローマ軍と中世傭兵ぐらいなものだろう 日本や中国の戦国時代は訓練ヌルかったし。
遊牧民国家なら日常生活=訓練
虎が訓練をするかね といくさ人ならいうだろ
627 :
名無し三等兵 :2009/01/01(木) 00:31:01 ID:W0M43SMO
病気・怪我・出産なんかで人がコロコロ死ぬ時代だし、その上奴隷なんかもいた。 人命に対する意識なんか今とは全然違うんだろうな。
人間一人の命が地球上で一番高いのは日本人じゃねえか? ちょっと貧民国にいけばAKより安い命だぜ
大丈夫 何かあれば暴落するし値引きは効く
死んだ人間の扱い見てたらプライバシーもなんもないしそうでもないよ
暇な時は「ローマ人の物語」の文庫を読みまくってたんだが、もう忘れてしまったな 似たような人名(むしろ同姓同名もいたり)ばかりのローマ
軍ヲタがああだこうだ言ってる板にはもったいないスレだこと 現代兵器の愛称が神話やローマ時代から来てたりはするけど
ローマにしても、ローマの中の軍事関係だからね
>>632 君の入り浸ってる板も一見さんにはキチガイ板だ
そもそも2ちゃんに基地外のいない板はない
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri ■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy ■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb ■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/
2チャン寝るは「■とう■■■一■教■■会■」が 運■■■営して「個人じョうホう」を収集してる。
駅前で「■手■■■相を見せてください」 と「カンユウ」してるのが「■とう■■■一■教■■会■」。(カ■■■ルト宗■教)
カ■■■ルト宗■教の下にいる人と、上にいる奴を分けて考えないといけない。
下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。
ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=「とう★■■一■教★■★会」上層部=層化上層部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝■鮮■人ハーフの政治家=金■ 正■■日(キ■ム・ジ■ョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン
毎■日■■■新聞スレを荒らしてる奴らも「■とう■■■一■教■■■会■」。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1230363385/
>635 それ以前に、基地外でないなら人間ではない。 そんな存在は野生生物と同じだ。
>>624 恒常的な訓練という点では近世の「常備軍」もだよ。
中世の軍隊なんてオランダ以外ほとんど訓練なんてないぞ。国籍バラバラ、 人種バラバラその都度の傭兵契約で昨日の敵は今日の味方なんて例はざら。 比較的まとまった訓練が行われたのは絶対王政になってからだろう。
近代以前、近世の絶対王政の時代にも事例が有るよと言ってるだけ。
近世の話をしてるのか中世の話をしてるのかどっちだ
近代以前の話してるんだろ
それよりアウクシリアについて詳しく教えてくれ
>>643 1〜3世紀までならこんな感じ。
通常は市民権を持たない属州民の志願者によって構成され、ローマ人の士官が指揮をする。
給料は軍団兵より低く、兵役期間もより長いが除隊後には市民権がもらえる。
軍団は存在せず、最大単位は大隊。大隊ごとに防衛線上の砦に駐屯する。
通常は同じ地域出身の人間が同じ部隊に配属され(例:第九バタウィア大隊)反乱を防ぐ為編成地から遠く離れた場所に配置される。
例えば上記の第九バタウィア大隊はガリアのバタウィアで編成されたが、ブリタンニア北部に配属されていた。
アウクシリアの総数は軍団兵と同じかそれより少し多い。
騎兵や弓兵などの特殊兵科も多いが、過半数は軍団兵と同じ重装歩兵だった。装備や訓練も軍団兵に特に劣ると言う事は無かった。
軍団兵が持ってた色んな控除特権とか補助軍の給料額わかるやついないかな
646 :
名無し三等兵 :2009/01/10(土) 13:07:16 ID:Hm3u0Luk
ぼく、アウクシリアァー!
647 :
名無し三等兵 :2009/01/10(土) 13:51:41 ID:Fkud8IEg
3世紀ぐらいからローマ正規軍の錬度も下がり、 ・ピルムからダーツへ ・グラディウスからスパタへ装備変更。 ・盾も四角から卵型へ 蛮族とされるゲルマン諸族が、装備的にほとんどローマと差が無くなって くるのも3世紀ぐらいから。
>3世紀ぐらいからローマ正規軍の錬度も下がり、 >・ピルムからダーツへ >・グラディウスからスパタへ装備変更。 >・盾も四角から卵型へ 何の関連が?
英語wikiに給料のってたわ
>3世紀ぐらいからローマ正規軍の錬度も下がり、 このスレで何度も論破されてるのにまだこんなのがいるのか
651 :
名無し三等兵 :2009/01/12(月) 00:58:49 ID:V2ovJsvm
ファルサルスの戦いについて聞きたいんだけど なんでカエサルが勝ったの? カエサルサイドの方が士気が高かったようだけど 何故士気は高かったの? 元老院に対して革命的意識を持っていたのか? また歩兵を盾にして背後に回ろうとする騎兵を押し返して 逆に側面攻撃をかけたりしてるけど 騎兵の突撃を歩兵で拘束することが増して押し返すことが 本当に可能なの? ウィキペディアに 勝因は歩兵の効果的運用により騎兵の動きを封じ込め、 その長所である機動性と運動性を封殺したカエサルの 作戦に求めることが出来る。ザマの戦いのスキピオ・アフリカヌス と同様に動物の性質を知り尽くしたカエサルの作戦勝ちと言える。 とあるけど全然具体性がないんだけど根性で騎兵の機動性と 運動性を封殺できるものなのか? 後、この戦いの以後歴史上、このパターンでカエサルのように勝った戦いってあったの? 騎兵とか機動力で敵を圧倒するような話は良く聞くけどこういうパターンってあんまり 聞かないんだけど、真似されなかったとしたら結局異例な戦い方だってことなのか? 勝因がネットとか本で読んでもなんか納得できないんだけど
>>651 士気が高いのは、カエサル側の半数以上はガリア以来のカエサル子飼いの軍団だからだろ。
革命的意識に関しては、兵にはあまりなかったんじゃないかな?
ただ、カエサルの副官だったラビエヌスが、元老院側についたのはそういう意識からって説もあるね。
騎兵に関しては、カエサル軍の騎兵を撃退した元老院軍の騎兵は、貴族の子弟が多かったから、
顔をピルムで狙うように命じられていたカエサル軍の重装歩兵の攻撃を嫌がって後退したらしい。
でも勝負が決したのはこの事よりも、ポンペイウスを支援しようと転進したラビエヌスの騎兵隊を
ラビエヌスが敗走したと見間違えて全軍が崩壊した事の方が大きいんじゃないかな?
>>652 >騎兵に関しては、カエサル軍の騎兵を撃退した元老院軍の騎兵は、貴族の子弟が多かったから、
>顔をピルムで狙うように命じられていたカエサル軍の重装歩兵の攻撃を嫌がって後退したらしい。
これ有名な逸話だけど本当なのかね
惰弱さを協調するための伝説のような気もする
654 :
名無し三等兵 :2009/01/12(月) 02:02:34 ID:V2ovJsvm
>>652 顔を狙われるのが嫌で後退したってことはそもそも同胞同士の戦いに
戦意がなかったということか。
それで後退したのがきっかけとなってポンペイウスは逃げて崩壊したということか
そうなるとこの戦いは完全に士気の差が勝因になったということになるね。
ポンペイウス陣営はまるで戦意がなくやる気もなくこけおどし程度の戦闘で
決着をつけるつもりだったのだろうか?
>>653 これが本当かどうかはわからないけど、元老院側の一度の騎兵突撃をカエサル軍の重装歩兵が
撃退したのは事実なんじゃない?
というか、元老院側の騎兵は包囲を試みずに、カエサル軍の第四列に側面から突撃してるんだよね。
これがちょっとまずかったかも。
でもこの失敗自体は決定的要素じゃないと思う。
元老院側は圧倒的な騎兵戦力を有してたから、再度包囲を試みれば成功したかもしれない。
だけど、その機会を待たずにラビエヌスが敗走したと勘違いした、元老院軍は崩壊してしまったと・・・。
馬は槍とかに突進するのを本質的に嫌うらしいから 実際は貴族の子弟云々とかじゃなく馬の性質のせいだろうね ピルム投げずに持ったまま顔狙えってのは 後の時代にアリアノスが対騎兵戦術で同じようなこと描いてるし 第1列はピルムを投げずに腰をかがめて槍を斜めに構えとけみたいな
>>655 騎兵の突破を防ぐ方法って考えてみたら信長みたく柵をつくるとか
障害物を儲けるとかそういうことが普通一番に思い浮かぶじゃない
だけどさ、カエサルの場合歩兵でそれを跳ね除けようってそうとう無理な
話してるわけじゃないか、最初はさカエサルが臆病な馬の特性を
利用して人間を障害物がわりに利用したのかと想像してたけど
やっぱりおかしいよね、人間が障害物として成立するなら
他の戦いにおいても馬は有効でない訳だし…
それで考えたんだが俺が想像するにカエサルって心理戦に長けてるところがあるじゃない
精鋭を集めた第四列ってことはもちろんガリア時代からの戦友だろ
対してラビエヌスの騎兵もガリア以来の者が多かったと想像する
カエサルはラビエヌスとその部下がかつての戦友の前に突撃できないことを
見越していたんじゃないだろうか?
それによって裏切りでないにしろ結果的には裏切りに近い失態をラビエヌスはしてしまった
ポンペイウスもラビエヌスの突破の失敗=裏切りないし騎兵の戦力としての無力化を悟ったのかも
それで逆に包囲されることを恐れて早々に逃げたのかな。
ちょっと教えて欲しいんだけど、 この時代に他の部隊の助攻なしで騎兵部隊が重装歩兵に正面から挑んで勝った例ってあるかしら?
>>658 この時代と言うか基本的にどの時代にも無い。
なんらかの理由で、敵騎兵の機動力が減殺された状態で交戦、撃退したのは確か。 打撃力を上げる為にポンペイウスが騎兵に軽歩兵を随伴させていたとか、 追撃中に丘の斜面に足を取られたとか、解釈はいろいろとある。
>>660 ポンペイウスってローマ史上でも屈指の名将だし
騎兵に歩兵を随伴させるようなことはしないんじゃないか?
そもそもポンペイウスサイドの騎兵の方が数が勝ってるのに
わざわざ歩兵を随伴させて打撃力をあげる意味がわからないし
追撃中に丘の斜面に足をとられたというのならカエサルサイドが
単純なトラップを仕掛けていたというのも考えられるね。
でもそれが直接的勝因になるとはちょっと考えにくいな。
オスプレイのRoman Battle Tactics 109BC-313ADによれば、カエサル軍の第四列は第十軍団と騎兵隊の影に隠れる様に配置され、ポンペイウスの騎兵隊からは見えなかったらしい。 だから突如出現した第四列の七個大隊の攻撃に大混乱に陥ったらしい。
カエサル時代の歩兵1個大隊て何人だっけ
戦場については正確な位置がわかってないけど 丘の稜線の向こう側に歩兵を伏せさせてたんじゃないか という話なら聞いたことがある テッタイ! 騎 コレデカツル! 槍<オラァ! フセロ!/\騎 モドル! /\騎<ウワアァァァ! 槍/ 丘 \ → 騎 / 丘 \
となると、カエサル側の騎兵は無駄に蹴散らされたわけではなく 元老院側の騎兵を誘引拘束してた訳だ
そりゃ7個大隊引き抜いてるんだから当然そうだろう
>>663 一個百人隊(定員八十名)が六個だから四八〇人。
ただし、カエサルの軍団は消耗して定員より大幅に減っていたから多分二百〜三百人の間。
668 :
名無し三等兵 :2009/01/12(月) 20:56:41 ID:V2ovJsvm
騎兵戦力を片翼に配置せざるを得ない川岸の戦場、騎兵戦力で圧倒的に上回っていた為のポンペイウス側の過信、カエサルの地形を利用した予備兵力の有効活用が勝因って事でおk?
騎兵を片翼に配したのは間違ってない。ハンニバル・スピキオよろしく、騎兵 は機動力を活かして敵歩兵集団の背後・側面に回り込んで殲滅戦に追い込むのは 古代の必勝パターン。今回、片面が川でそっち側は川が壁の役目を果たしてくれる のだからポンペイウスが片側に騎兵を配したのは常道中の常道、逆に言えば常道 だからカエサルに読まれてしまったのが敗因。しかも対抗策で騎兵を無力化され、 包囲する側面からあべこべに敵歩兵に包囲されそうになった時勝負は決まったんじゃ ないだろうか。
騎兵の側面攻撃を読んで逆襲したカエサルの会心譜だろうけど 兵力差を考えるとポンペイウス軍の寄せ集めがカエサルの統率力に勝てなかったってことじゃね
仲間内でもう、戦後の官職争い始めて キケロが場を和ませるために無理やりジョークを言うような陣営だぜ 生死かかってるカエサル側に勝てるわけがない
富士川の戦いの平家方や桶狭間の戦いの今川方を思わせますな
お互い堂々と会戦したのだから富士川の戦いや桶狭間はどうかと思うが、ポンペイウス 側の兵力規模が適切だったかは疑問がある。ハンニバルもスキピオもアレクサンダー大王 も会戦において総兵力5万以下で戦ってる。それだけの兵力を集められなかった点もある だろうけど、古代においてもそれ以上の兵力を集めた例もあった訳だから、名将でも会戦 で管理できる兵力の限界が5万以下だったんじゃないだろうか。騎兵をいくら教本通りとは いえ一箇所に集めたのも結果から言えば失敗。いくら戦術に長けたラビエヌスでも 7千騎もの騎兵は多過ぎたんじゃないだろうか。7千といえばアレクサンダー大王がイッソス の戦いで率いた騎兵6千を超える数。騎兵を重視したカエサルでも一度に投入する騎兵は たいてい2千前後。やっぱ過ぎたるは及ばざるが如しってのは真理なんだろうなあ。
675 :
名無し三等兵 :2009/01/15(木) 01:21:51 ID:EwYVhgMz
単純に指揮官同士の折り合いがつかなかっただけと思われ
帝政時代のローマ人は “自分達は神々から地上を支配する事を許された種であり、よって世界中を支配する義務を持っている” と言う一種の選民思想を持っており、ブリタニア征服や東方遠征の一因は皇帝がこの期待に答える為にあった。 って言う様な事をある本で読んだんだけど、本当?
677 :
名無し三等兵 :2009/01/15(木) 21:12:34 ID:djTG4NzD
ローマ時代の歴史家の誰かが言ってた気がする、確かギリシア人だったような まあタキトゥスみたいなヤツも中にはいるけど ブリタニア遠征はクラウディウスの名誉心というか皇帝らしいところを兵にみせてやらなきゃ みたいなとこからきてると思うけどね
678 :
名無し三等兵 :2009/01/16(金) 14:20:08 ID:fFtANGIy
>>676 キリスト教国教にする以前は他国の神々も受け入れてたし
そもそも多民族国家のローマには選民思想はないと思うが
ただ文化的にレベルに低い地域を領有して多民族国家
に併合していくわけだからそうういった意味合いでは
押し付けがましい選民思想という言い方もおかしいかもしれないけど
アメリカがイラクを占領して民主化してやってるんだというような
感覚と似たものがあったのではないかと想像するけど。
なんでキリスト教が出てくるんだろう? と思った
>>そもそも多民族国家のローマ 多民族国家と言ったって結局は 市民権を持った人間(ローマ人)>その他(属州民) でしょ?
啓蒙思想・平等権が17世紀に発達するまで人類社会は身分制度があるのが当たり前の 世界。確かにローマにも身分制度はあったが、それを持ってローマ人は選民思想 の差別主義者と批難してもしょうがないだろう。
奴隷が当たり前に使用されてた社会だからな、現在のそういう基準はあまり意味がない。
別に「ローマ人は選民思想を持っていた差別主義者だ!」と非難したい訳じゃなくて、単に>676の様な考えが本当にあったのかって事じゃね?
当時の宣戦布告文に神々が出てくるのは定型文で別に珍しい事じゃない。現代 国家が「自由」とか「民主主義」とか「人道」とか並べるのと同じ。たいてい 相手を非難する時、神々も許さないだろうと書き、自分達の行動を正当化する 時神々も嘉するだろうと述べる。戦勝祝いや戦勝祈願にデルフォイの神殿に 参拝する例はローマ・ギリシャ世界では珍しくないし、凱旋式も最後は神殿に 戦勝報告して終わる。現代よりはるかに神々が人間社会に浸透してた時代。 また世界といってもローマ人の感覚ではそれは地中海文明地域を指すもので あって世界=文明社会=ローマ帝国領域である場合が多い。自分の国を守るのは、 まして国の最高責任者である皇帝が守るのは当然であって、選民的な思想からでた 文章というより皇帝としての責務と義務として相手に出した文章と解した方が 自然だと思うぞ。
「ライフ人類100万年 騎馬民族の出現」って本に ペルシャの指導者ダレイオスは、戦闘のさなかにスキタイの敵兵が、たまたま目に留まった野兎を追うために突然 会戦を途中放棄する様を目撃し驚いた。ってな短いくだりがあったんだけど、これって何時の戦争での話なのかね。
たぶんダレイオス1世だろうから紀元前5世紀
687 :
名無し三等兵 :2009/01/18(日) 21:19:26 ID:SEQ0A4wu
ポンペイウスって調べたら、すごい傑物なんだよね。ある面カエサル以上。 勝ってたらローマ史上最大の英雄と言ってもいいくらい。 まあ、後の世のビジョンはなかったみたいだけど。スッラの弟子みたいなもんだしな。
二人とも戦略ミス多い
ギリシャだかローマだかの甲冑でLinthoraxってのがあるらしいんだが、どんなのかググっても分からん。
Lin thorax=Linen Cuirass=リネン・キュラッサ
>>690 デザインや材質がまるで剣道の防具みたいだね
693 :
名無し三等兵 :2009/01/19(月) 21:38:58 ID:QrMPMBY7
アメリカが軍産複合体絡みで戦争をし続けなくてはならない状況に追い込まれているという ドキュメンタリーを見たんだがそこでローマ帝国と同じ状態だという書き込みを何度かみたんですが 共和制帝政に関わらずローマも軍需産業的なものが存在してそれを維持するために戦争を しなければならないような事があったのでしょうか? それともいわゆるパンとサーカスを提供し続けるためにエジプトなどの属州支配を続けなければ ならなかったということをアメリカの軍産複合体と同じような関係であるという意味合いで同じである としたのでしょうかね?
>>687 ポンペイウスは能力も人気も財産もあったが自分が覇者になるという野望だけがなかったようだ、
カエサルと戦ったのもなりゆきっぽいし。
重装歩兵同士の戦闘経過がどんな具合かよくわからないのでご教授願えますか? 何かの本で盾を構えて敵にぶつかっていって一列目を後ろの数列が前方へ押して 圧力を加えるというのを見たのですが、 例えば、一列目の人物が致命傷ではないが傷を負った、戦闘時間が長く体力がもたない、 といった場合はどうするのか? 各人の判断で退いていいのか?隊長の判断で組織的に交代できるものなのか? また、ローマ軍は短めの剣を使ったらしいですが、それだと初めは盾でぶつかって いかないと思います。だとすれば、混戦時以外ではあまり使わなかったのでしょうか?
>>695 ドラマのromeでの描写だけど、前の奴が倒れたら次の兵が前進し隊列を凹ませないようにしてるっぽかった。
それ以外でも、百人隊長の笛を合図に、横一列目が隊列の間を抜けて後退し、
すぐ二列目が前進して常に元気な兵が敵と接触するよう図ってる感じだったな。
んで、兵士が自分の前にいる兵の背中を掴んで、数珠繋ぎになって各縦列を構成してるの
ドリス式のファランクスを組んでた時は軽装歩兵が隊列に生じた間隙を埋めたとされる マニプルス(中隊)型のレギオが編成されるころになると、中隊を組み合わせた隊列が、 そのまま戦術予備として機能したと考えられる 突く長槍は第三隊列に限られ、前の二列は投げ槍を持つ それを敵陣に投げつけて剣による攻撃の道を開いた ファランクスと違ってマニプルス型のレギオは意図的に間隙を作っている マリウスの改革以降は隊列より中隊を束ねたコホルス(大隊)が重要な区分になる 3つの隊列を組んでいた時期は隊列の交代でコホルスを構成した時期からはコホルスの移動で対応したんじゃないか
>>696 >>697 なるほど。勉強になります。
自分の前にいる兵の背中を掴んでいるんですか。ドラマ、おもしろそうですね。
ローマ軍はそういえば間隔を開けているのをうっかり忘れてました。
その場合、号令で交代出来そうですね。
あと、ギリシャと違ってローマは戦術展開出来るからそれで対応していたというのも
納得です。
何か当時の詳しい戦闘経過が載っている本、資料はご存じですか?
戦略、戦術が載っている本は多いのですが、細かい戦闘や当時の軍事教本みたいなものを
見てみたいのです。
こないだ読んだヴィンランド・サガっていう11世紀のヴァイキングを描いたマンガに ウェールズ地方の小国の将軍が出てきたんだが、ローマっぽい軍装をしていて 「我々はローマン・ケルトの末裔だ」と言っていた。 西ローマ崩壊から500年以上もたってるのに、そんなアイデンティティを保てるのかな? やっぱりフィクションかね?
ファランクスが実戦投入されたのはマラソン会戦がはじめてなのですか?
>>700 マラトンの約200年以上前から存在しています。
イージスのファランクスがあれば1万人くらい相手に出来る
703 :
名無し三等兵 :2009/01/21(水) 03:15:02 ID:OZTXHHB4
>>699 ホントかどうかともかくとして、当時としては「ローマ」って箔付けがすごく効いたとは思う。
現代でも「ウリは中華文化の正統ニダ」って基地外半島人が存在するくらいだから。
フィクションに決まってるだろ レガートゥスなんて称号やあんな船や装備が残ってるわけない そもそもウェールズはローマ次代でもケルト色が強かった地域 おかげで暗黒時代突入後は現地の土着諸侯が即座に勃興をはじめた 伝説でもローマン・ブリテンの親玉アルトリウスと 現地諸侯の親玉であるヴォーディガーンは対立している
705 :
名無し三等兵 :2009/01/24(土) 11:31:14 ID:gmVAY8rC
ローマ文明ってのはヨーロッパでは長く光輝いていたからね。 辺境の土豪同士の戦いの中で「俺らはお前らただの蛮族とは一味違うんだ」 と主張(詐称?)することがあっても全然おかしくない。 ゲルマン人の支配者たちも、かなりの間「東ローマ皇帝から認められた王」って 名目を大切にしていたし。 ところでドラマ「ローマ」は面白いね。ドラマなんで鵜呑みにするのはアレだけど、 「人権・・平和・・何ですか、それ?」みたいな古代人の感覚は良く出ていたと思うw
「ローマ」は面白かった。監督が現代的・キリスト教的発想は全部排除するって 宣言して撮影に臨んでた。監督自身「現代劇でなくローマ人の物語を撮りたいんだ 、現代人からしたら違和感を覚えるかもしれないが許して欲しい。」とインタビュー で答えてた。ローマの影響はヨーロッパにおいては長く残ったと思う。法的にはだけど、 ローマ帝国→西ローマ帝国→神聖ローマ帝国→ハクスブルク帝国 ローマ帝国→東ローマ帝国→ビザンチン帝国→ロマノフ王朝 と20世紀まで後裔を自称する国家があったんだから面白い。しかも2つの国とも 10年程度の誤差で両国共滅んでしまったのも歴史の喜劇だわなあ。
ローマと言う国家自体は滅んでも、ローマ皇帝の称号は亡霊の様に残ったからね。
708 :
名無し三等兵 :2009/01/26(月) 18:26:59 ID:a/yQTjTV
>>706 あっ、やっぱり。多神教の神への崇拝をドラマの中でちゃんと描いてたんで、
「アレ、なんか今までのローマものとは違うぞ?」と思った。
あと奴隷の描き方ね。今のイタリア人を少し見下してるドイツ人フランス人は、
自分達の先祖がイタリア人(ローマ人)の奴隷だったことに複雑な気持ちを持
ったろうw
第一話でアティア様がやってた、牛の血をぶっかける儀式はあの時代には少し早いが本当にやっていたらしい。
今のイタリア人にも当時の奴隷の子孫はいくらでもいるだろうけどな
>>706 と言いつつも現代アメリカドラマにありがちな
ステージママとかレズとかDVとかの要素が盛り込まれてるのには笑ったけどな
命の値段が安いのが古代っぽかったね
あとネロ以前ってことで狭っくるしくてごちゃごちゃしたローマ市街が新鮮だった
軍板的には最初のガリア戦記と、後半のフィリッポの戦い以外あまり見るところはないけどね
712 :
名無し三等兵 :2009/01/26(月) 20:59:18 ID:sLqI9bwi
>639 フランスの勅令隊も忘れてる
>639 マキアヴェッリのフィレンツェ市民兵も・・・やっぱ忘れてくれ
「ROME」はフィリッピでのテストゥードが素晴らしかった。 最重要人物(指揮官)を中心にして、一糸乱れぬ動きであっと言う間に 散開状態からテストゥード隊形に。 「さすがローマ軍団兵、日ごろの厳しい訓練が活かされてますな」と思った。
>>715 でもあのシーン、矢で盾が簡単に貫通されすぎてない?
個人の技能を磨く訓練としてはイングランド長弓兵が一番きつそうなイメージ 生活自体訓練な遊牧民除いて
>718 シオマネキ骨格と聞くと余程トンデモな事と思われがちだが、 意外と人間の骨って簡単に変形しちゃうのには注意。 日本で典型例挙げるとウンコ座りやら蹲踞やらの姿勢かな。 あれ、現代人には長時間やると辛いものがあるが古代は逆に休憩の姿勢だったりする。 何故かと言えば、昔の日本人は和式便所を使っていたお陰で向こう脛と足首の骨が変形していたからで これは縄文時代には既に全ての骨に見られる変形なんだそうな。 この変形により蹲踞は(本来の人間の骨格に反し)極めて楽な姿勢だった。 現代でも蹲踞を職業柄やる剣道家や神職の人はたいてい変形しているという調査もある。 それぐらいに割と簡単に変形しちゃう代物。
ほう
>>716 遠方から矢が大きく弧を描いて飛んで、
重力の影響でさらに加速。
それに上方から来るから盾との角度が垂直に近くなる。
で貫通力アップ。
条件が整えば現代の拳銃レベルの貫通力まで出せるみたい。
イギリスの長弓兵はヨーロッパにおいて特に有名だが、何故イギリスで 弓兵が発達したかは良く判ってない。元祖はウェールズでイングランド兵が 弓兵に痛い目に遇い、占領後それを取り入れたのが元祖であるとする説が 定説だが、他の国ににも弓兵はいたのに何故イングランドだけ優秀なのかは 謎である。ロビン・フッドを産んだお国柄としか言いようがない。 イングランド王国やその貴族達が自由民に給料を出して修練させたと良く 言われ、それを示す文章もみられるが数が少なくまた当時の王権が大量の自由民 に給料を渡す程、財政に余裕があったかは疑問とされておりこれを懐疑的にみる 人も多い。また弓兵達と地方領主である貴族や国家主権者である王との関係は 常に良好であったとは言えず、ロビン・フッドの話や史実的なところでは有名な マグナ・カルタでは「王国の不名誉たる、外国人騎士・傭兵・弓兵の即時追放」の 文言があるように険悪な関係だった場合も多々あった様である。
矢で装甲着た敵にダメージ与えるなら、 やっぱ出来るだけ強い弓となるべく硬い鏃で近距離から射った方がいいの? オスプレイのモンゴル軍によれば モンゴルの戦士は、遠距離用の軽い弓と、近距離対甲冑用の強い弓の両方を携帯してたそうだけど。
724 :
名無し三等兵 :2009/01/28(水) 22:55:13 ID:bGfNFegf
けど「ローマ」ってさぁ、一部と二部じゃドラマの性格がえらく変わってない?
ペロポネソス戦争でアテナイやスパルタ等の司令官って戦闘中どの辺りの位置に いたんでしょうか? また、テーバイ等の騎兵の司令官はどうだったのでしょうか? あと、戦闘中にどんな統率をとっていたのでしょうか? 統率の方法はどうしてたのでしょうか?笛とかかな? だとしたら、自分で吹いたのか?それとも部下に吹かせたのか? 誰かわかる方ご教授願います。
直接隊を指揮する人は隊の右側じゃなかったっけ エパメイノンダスも重装歩兵隊の右側に付いてて戦死したんだよね?
>>722 マグナ・カルタで言われているのは弓兵ではなくて弩弓兵ですよ。
728 :
名無し三等兵 :2009/01/30(金) 18:03:44 ID:iCGYrHAX
729 :
728 :2009/01/30(金) 18:08:05 ID:iCGYrHAX
インペリアルヘルムとロリカ・ハマタが地味だと申したか。
>>726 スパルタなら、各小中大隊に隊長がいて、強いのは右翼、さらに王の親衛隊が
いるとは思うのですが、もし、王と親衛隊が右翼のどこかに位置するとすると、
戦闘中、左翼まで目が届かない気がするんですよ。命令の伝達スピードも遅く
なる気がするし。直接戦う前なら大丈夫な気がしますが。
ただ、戦闘中は細かい命令は出してないような気もします。
あと、王は何列目に居たのか・・・。真ん中ぐらいかなとか勝手に想像している
のですが、どうなんでしょうか。
732 :
名無し三等兵 :2009/01/30(金) 21:39:21 ID:bZRex79T
けど、「ローマ」でのヴォレヌスの奥さん、どうやって子供生んだんだろ? あんなプライバシーも糞もない「長屋」で周りの目をどうやって誤魔化したんだ? 第一話から気になって気になってしかたありません。
>>732 妹も友人も知ってたから口止めだけで誤魔化してないんじゃね?
>>729 上のURLに思いっきり9ADってあるだろ。
つーかTeutoburgでググる位の事はしろよ。
>>732 ぶっちゃけ子供の親が誰か知らないのはヴォレヌスだけ・・・
736 :
728 :2009/01/30(金) 23:20:39 ID:iCGYrHAX
今ググッてみたよ ローマの東欧進出を停止させた大戦役だったんだね 西暦9年のことだった さて、ところでローマ騎兵の格好よい衣装はどう? 知ってる人いたら急募(^ω^ ) すぐに作りたいんだよ
738 :
名無し三等兵 :2009/01/31(土) 00:03:30 ID:RAtfsA4M
けど、死んだと思ったヴォレヌスが帰って来たら、その場で娘が生んだことにして 一芝居打てる・・この奥さん何者?
手紙か知らせか、あるいはカエサル軍団が帰還すると聞いて 生きて帰ってきた時のために口裏合わせたんじゃね?
740 :
728 :2009/02/01(日) 13:28:10 ID:Y8WQxQJR
>>737 様
たくさんの画像、どうもありがとうございます!
とくに最後のページの胸甲はとても格好よいですね!
是非、使わせていただきますm(_ _)m
ありがとうございました(^ω^ )
ヒストリーチャンネルでブーディカ女王やってんな。
半分国を遺産としてローマに与えとけば大丈夫だろうと思ってたら 王が死んだら保護王国なんか解体するつもりだったでござる
(*^ω^) 中古ショップでスリーハンドレッド買って此処に飛んできたお
肉便器女王
ボウデッカはウォリアー・クイーンって映画で見たなぁ クラウディウスが激似で吹いたぜ
今日のは自分の地位と財産を得る為に現地人に血も涙もなく悪逆非道に接する ローマ人に対して名誉と民族自決に立ち上がり儚く散った女王みたいな描き方だった けど、実際にはあの後ローマのブリタニア放棄まで現地人の反乱なんて数百年無かった し、ローマのブリタニア経営は年中赤字であった事考えるとなんだかなあって気も しないではない。やっぱり欧米人も判官贔屓が好きなんだろうか。それとも現代的な 自由主義・民族自決史観の影響なんだろうか。
ボウデッカはイギリスのシンボルだからね ロンドンに銅像が建ってるくらいだし それでいてローマの属州であったことを誇ってるんだから、なんとも複雑な国ですな
ビクトリア期くらいだろそんなの あとイギリスはロマニストとゲルマニストがいるよ
フランスではカエサルと戦ったフランス・ガリアのウェルキンゲトリクスを祖国最初の英雄に挙げてるけど、 ローマ支配の時代はどう思ってるんだろう?やっぱイギリスと似たような考え?
ガロ・ローマはどうなんだろうね しらね
751 :
名無し三等兵 :2009/02/03(火) 00:35:19 ID:cgw9nRNd
イングランド人とは関係ないだろ?
中世は俺がローマの末裔だって言ってた王国が多かったそうだが 具体名がなかったからよくわからんな
神聖ローマ皇帝ですがなにか
>>747 イギリス人にとって悪者はノルド人とかデーン人だから、ローマもガリアも好きなんじゃね?
755 :
名無し三等兵 :2009/02/04(水) 18:25:58 ID:mUqcOmSd
アナバシスが重版かかってるから、まだ持ってない人は確保しといたほうがいいよ。
756 :
名無し三等兵 :2009/02/04(水) 21:07:12 ID:5qZPWyGj
しかし、なんでローマはイギリスなんて支配したの? 当時としちゃ何の利益もない北の果ての島だろ?
>>756 クラウディウス帝が政権の基盤を確固たる物にするには軍事的勝利が必要だったから。
それと利益が無いわけじゃない。ブリテン島に豊富な鉱物、特にスズの資源があるのは当時から知られていた。
イギリスにはキリストが来てたって、 第2の国家で歌ってた!
>>756 元々カエサルがガリアと戦ってる間に背後を襲われないようにするんで征服した
と言っても沿岸部のみだが
その後内陸部に進出していったのは
>>757 のような理由
θαλαττα θαλαττα.
>>761 古代の大国同士の軍事行動と中世の地方領主同士の諍いを比べるのは可哀想かと
技術者は中央から派遣されるんじゃ無い? アフリカの水道工事で角度計算でヘマこいて両側から掘ってた穴がかみ合わなくて 退役兵が入植してた町から初期の現場監督やってた兵士を呼び寄せて再度角度計算してもらった ていう話もあるけど
中世のしょぼい攻城戦でも塵も積もれば山となるで、そこに突っ込まれたリソースの総量は 古代より多いんじゃね
巨大な城塞都市の包囲と小さな砦の包囲を同じに扱うのも……
766 :
名無し三等兵 :2009/02/08(日) 13:53:23 ID:ZOhenlUx
騎兵の利点ってどこにあるの? 馬上じゃ動きにくそうだけど
機動力と打撃力
相手がビビってくれる
各種騎兵共通の利点は機動性
戦争において、位置取りというのが重要な要素を占めるので
移動力が高い=自分に有利(相手に不利)なポジションにつけるというのは大きい。
重装騎兵の利点として打撃力が挙げられるけど、これは物理的な打撃力より
心理的な打撃力の方が大きい。
人より大きな獣に武装した人間が乗って向かってくるというのは大変恐ろしいので、
それで心が折れて部隊が崩壊する。
物理的な打撃力という点では
>>766 のいう問題があって実は低い。
また、的が大きい/馬自身を装甲するのが難しいという点もあり、
機動性を奪うと、やわらかくて的の大きな鴨と化す。
キンブリ・テウトニ戦争について詳しく書いてある本ってあるかな?
日本語じゃ見たことねえな、英語とかならわかんないけど プルタルコス英雄伝が一番詳しいんじゃね
thx 調べてみたらマリウスの項あったわ
ちゃんとマリウスがのってるか調べて買うんだぞ はしょられてること多いから エウメネス伝、読みてええええええええ、なんで収録してねえんだよおおおお
英雄伝の全訳って入手困難みたいだな
スッラは偉いわ。あんだけ実力があったら「皇帝」にだってなれたのに・・ 終身独裁官を自らの意思ですぐに辞めた。大変な傑物だわ。
痛快ではあるが、一代のみで後継者を作れなかった。 本人が死んだらリセットでしたけどね。
スッラはパトリキの代表みたいなやつだったんだろうね 庶民受けを狙って独裁者になるなんざ 貴族的なスッラには想像もできなかったんだろう
世界史でもそう例がない希代の変人じゃなかろうか
白黒はっきりしてる点では魅力を感じるが、同時代の人間にはたまったもん じゃないんじゃないか。日本でも織田信長なんか人気あるが、彼のまわりに 実際にいたら明智光秀に共感してしまいそう。
スッラに若きカエサルが殺されてたら・・ ローマ史はどうなったんかいな?
グダグダの内戦が頻発→内部から崩壊 と言う良くあるパターンに。
シーザーの例を見ると、やっぱ政敵にはへんな情けをかけずヌッ殺すのがベストでつね。
|┃三 , -.―――--.、
|┃三 ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
|┃ .i;}' "ミ;;;;:}
|┃ |} ,,..、_、 , _,,,..、 |;;;:|
|┃ ≡ |} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;|
|┃ | ー' | ` - ト'{
|┃ .「| イ_i _ >、 }〉} _________
|┃三 `{| _;;iill|||;|||llii;;,>、 .!-' /
|┃ | ='" | < 話は聞かせて貰ったぞ!
|┃ i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { \ とりあえず
>>782 はシベリア送りだ!
|┃ 丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ \
|┃ ≡'"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i`ー-  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|┃ ヽ、oヽ/ \ /o/ | ガラッ
>>781 内乱続きだと産業流出が起らないから、かえって長続きするかも。
>>779 スッラ本人が望んだとおり、味方には最高の有人で、敵には最悪の敵だったろうな。
普通そういう人はタレイランみたいに参謀っぽいんだがな 治世の能臣乱世の奸雄?
「ローマ」見てると、あんだけシステマチックに軍隊運営してるんだから、火 縄銃くらいあってもいいように思える。 けど、後1500年誰も造らなかったんだよね。なんか不思議だなー
軍隊が組織的であることと火薬の発明、安定供給、冶金技術の発達はまた別だから すでに物があれば巧みに運用しただろうけど
下手な火縄銃よりクロスボウの類のほうが有効だし
でも大砲を活用するローマ軍とかは見てみたかも もし扱うのだったら、結構上手く運用しそうだし
大砲の最大の問題は運搬だからな ローマの一番得意そうな分野だ
戦場の土建屋国家だもんな
ローマがあと2000年続いた世界とか、誰か火葬で書いてくれ
>>794 海外じゃ、結構ある模様>ローマ帝国が続いたらとかのifもの
むしろ工業化を果たしてしまったローマ帝国とか
高野史緒氏の「アイオーン」を読んで思った
ローマ軍とゲルマン民族の核戦争とか凄く悲惨そうだなぁ
ビザンティン帝国なんて今は呼んでるけど、あれは紛れもなく(時代の変化に 適応した)ローマ帝国なんだよね。
797 :
名無し三等兵 :2009/02/14(土) 03:55:54 ID:VZD63ipx
あれをローマ帝国と呼んでいいのなら フランク王国やザクセン公国もローマ帝国だな(失笑)
2000年の伝統の戦車戦術はいやすぎるな
欧米ではアメリカを現代のローマ帝国に擬える例が多いよね。政治学の書物 なんかでは特に顕著なんじゃないかなあ。まあその種の話題にイタリア人だけ 乗ってこないのは笑って良いのか失笑して良いのかわからんな。
>>797 東ローマ帝国が断絶せずにそのまま続いた物なんだからギリシャ化したローマ帝国以外の何者でもない。
国称だけでなくそこに暮らす市民も自分達をロマイオイ(ローマ人)と呼んでいた。
五賢帝時代のローマと違いすぎるからローマじゃないと言うなら五賢帝時代のローマだってポエニ戦争時代のローマとはまるっきりの別物だ。
ローマに比べればアメリカなんて選民意識高すぎのろくでもない国家だろ
強大なローマ帝国が2000年続いた世界って言い換えればいいかと
イタリアの国号をローマにしてしまえば、混血が進み没落して共和制(現代民 主制)に戻った「ローマ帝国」と言えないこともない。
804 :
名無し三等兵 :2009/02/14(土) 16:09:15 ID:iFSootDP
805 :
名無し三等兵 :2009/02/14(土) 18:17:16 ID:bt8gPrr+
>>803 ムッソリーニみたいな例外はあるが、大多数のイタリア人は、自分をローマ人の末枝なんて大それたことは思ってない。
>>804 アルミニウスはローマの同盟者でウァルスとも親しい間柄だった程だよ。
807 :
名無し三等兵 :2009/02/14(土) 20:02:48 ID:iFSootDP
>>806 さん
ありがとうございます。
ローマで育ったアルミニウス自身はともかくとして
配下のゲルマン人どもはどうだったのでしょう?
鎖帷子ぐらいならつけていたのでしょうか?
>>804 うろ覚えだが、タキトゥスか誰かがゲルマン人の装備は族長や貴族がローマの軍団兵並の装備で
ほかはそれ以下って書いてなかったっけ?
ゲルマニアなら通常はフラメアと盾が主武装って書いてるよ 鎖帷子なんかは一般兵はつけれないと思ったほうがいい もちろん服くらいは着てるが中には裸のやつもいる 最も勇敢な姿はすっぱだかで盾を使わないというスタイルらしいが……
トロイ戦争時代の歩兵戦術に詳しい方いらっしゃいますか? 最近この時代に興味を持ったのですが、この時代で知ってる 戦術ってファランクスくらいで、トロイ・ギリシャとも同じ戦術 で戦っていたとも思えず、他に機動力で突き崩す事もしてたんじゃ ないかと考える今日この頃。 もしかして投石機とか使って崩してたのでしょうか? 映画のTROYだと、火球を転がしてますが、あんなノリなんでしょうか? 疑問は深まるばかりです。
重複対策あげ
トロイ戦争時代の戦術については学者の間でも意見が分かれてるからなんとも 1つ目はイリアスに書かれているとおり戦士による一騎打ちが行われていたという説 2つ目はすでに重装歩兵による集団戦術が確立されていてイリアスにあるような一騎打ちは無かったという説
814 :
804 :2009/02/15(日) 18:52:29 ID:vgqeXlAp
>>808 〜810さん
ありがとうございますm(_ _)m
大変参考になります。
ところでフランキスカという斧が5世紀くらいから
使われた、という記事を見たのですが
普通の斧ならトイトブルグ戦時に使われてますよね?
まさかフラメア(槍)だけということはないですよね?
タキトゥスの記述を信用するなら成人時に男はフラメアと盾を与えられたらしいからほとんどフラメアだと思うけど 下層階級の連中なら日用品である斧やサクスで武装していたこともあるかもしれない
816 :
名無し三等兵 :2009/02/16(月) 21:34:49 ID:X3WJx1f7
詳しく分かるのはなぜだ? なんに書いてあったの?
>>813 10か0かって考えがおかしい。戦いがあるレベルを超えた場合は、卑怯も糞
もなく凄惨な戦術が使われたろう。
が、小競り合いや戦いの導入部では、ゲーム感覚や景気づけで一騎打ちを双方
が「楽しむ」ってことが当然あったはず。時代がぐっと下がった鎌倉武士を考
えたらわかる。
ま、異民族同士の戦いには、更に凄まじい部分があったろうけど。
>>816 もう、しばらくタキトゥスのゲルマニアの記述の話なのも解らないの?
馬鹿なの?
タキトゥスのゲルマニアの記述が怪しいって指摘ならわかるけど。
>>817 ローマ軍でも一騎打ちの例が無い訳じゃないしね(マルケルスとか)
トラクスがこちらを見ている
>>817 まあ、戦法の主体がどちらであったか
みたいな話だから
ダビデvsゴリアテみたいな感じかね。
ベリサリウスのダラスの戦いでも戦闘前にペルシャ軍とローマ軍の間で一騎打ちがあったな。
マケドニア式のファランクスだと、両手で槍把持するのに盾を胸だか首から下げてちゃ取り回しに支障がでそうだけど、 後世のパイク兵のように盾を廃したスタイルの軍もあったんかね?
パイク兵はその代わり胸甲つけてるよ まあパイクの時代には盾なんかほとんど意味無いからねー
鎧の進歩があれば盾は廃せる
楯なくすのは機動性向上のような気も 鎧が進歩しても雑兵までまともな鎧はなかなかいきわたらないだろう
やっぱ鉄砲の発明が大きいんだろうな。
古代は大抵どこの軍もミサイルもってるから盾ないときついかもなあ このスレでも何回もでてるけど盾なしで戦に望むのが勇敢な戦士と呼ばれる条件だったみたいだし 盾を廃したスタイルの軍隊てのはいなさそうに思える
両手武器が主流になれば普通楯は邪魔だから廃されるよなぁ マケドニア式ファランクスってのいまいちよくわからん 日本だと長槍は叩くのが主流だったらしいけど楯かついでたマケドニア式ファランクスってどうやって戦ったんだ?
盾というのは最初に現れる防具 鎧と比べると工数が少なくて安価に製作できるため、装備が貧弱な兵士でも大型の盾を装備することが多かった また、密集陣形の場合、盾は自分だけでなく隣の味方もカバーするため、重宝がられた。 鎧が発達してくると、片手をふさぐ盾は嫌われるようになる。 >日本だと長槍は叩くのが主流だったらしいけど楯かついでたマケドニア式ファランクスってどうやって戦ったんだ? もちろん突いたり、叩いたり。 マケドニアファランクスは基本的には敵を正面で捉えて拘束するのが主任務。 拘束した相手に側面や後方から騎兵で攻撃することで、敵を粉砕した。
>>830 は、盾と長槍をどうやって同時に使ってたかっていう疑問だと思うから補足しておくけど・・・
マケドニア式のファランクスの盾は腕に通して使う、でかい篭手的なもの。
サリッサを構えたときに、前のほうに来る腕(たぶん左腕)のひじの辺りに装備するんだけど、
サリッサを構えた状態で肘を前に突き出すことによって、両手で槍を持ちながら盾も構える事ができる。
攻撃方法は
>>831 に加えて、サリッサのは両端に刃がついていて、片側を地面に刺して使う事も
考慮されていた模様。
「盾を腕ではなく胸に装備させることにより」とwikiのマケドニア式のファランクスの項に書いてあった。
これは簡易な胸甲って感じで、使用感とかのイメージは付き易いんだが、
>>832 の装備方法だとやっぱり槍の取り回を
阻害するんじゃないかと思えちゃうな。
でも、武器の歴史図鑑って本の、中世か前近代のパイク兵の教練用と思しき絵の切り抜きには、しっかり胸甲着けた兵が
両手で槍を持ちつつ、丸盾を腕にぶら下げてる構え方が描かれてたりしてたし。盾の有無を決める理由がよくわからん。
>>833 結局さ、盾が装甲の主流から外れたのって、腕で盾の重量を支えている以上、盾に付加できる防御力に限界があるからじゃん?
即ち、盾そのものが使い物にならない訳じゃなくて、相対的に鎧に劣るから装甲の主流から外れたわけで、
長槍兵の密集隊形みたいな、機動力無視の陣形であれば、少しでも装甲を強化しようと胸甲と丸盾を併用
する事があってもおかしくないんじゃない?
ほう
長槍の密集隊形は完全には機動力無視じゃないよ 前面の攻撃に異常に強い分、側面の攻撃にはかなり弱いから、 状況に応じて素早く方向転換・展開をしなきゃいけないこともある。 盾を無くせば素早くランダムに陣を組めるし、 盾の幅がない分槍ぶすまの密度も極限まで高められる。 まあ盾の有り無しはその時代・所属勢力の密集隊形の使い方にもよるんじゃない?
古代ローマ海軍の艦艇における食事ってどんな感じだったんだろう?
陸軍なら小麦粉なりでパンを作るとか宿営地で煮炊き出来るだろうけど、海軍はどうだろ
ローマってお粥ばかりじゃないの
ポンペイからパンが出土してなかったっけ 軍で食ってたかは知らんが
パン食ってたのは都市住民だけらしいから基本麦粥だろうな。
ローマのパンってせんべいみたいなやつだっけ?
麦粥ってどういう味がするんだろ
オートミールをさらに味気なく薄くした感じと想像してる。 粉状にして持ち歩いて適宜水足して食べたんじゃないか?→海軍も
ただでさえオートミールまずいのにな ろくでもないものくってる
オートミール食べると美味しさを実感するあまり感動を覚えるよ。 白米が主食だった幸せを再確認できる。
俺、飯食うのが面倒な人間だから、完全栄養のお粥があったらそれでいいよ。 時々、醤油たらしたり味噌溶かしたりカレー混ぜたりしたら、味も十分。
453 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2006/03/25(土) 21:07:45 0
11巻で拳奴の食生活が細かく書いてあっていい感じだった。
麦の挽きわり粥食ってみたい。
455 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2006/03/25(土) 21:59:08 0
>>453 イギリスの一般家庭にホームステイすれば一度は食わされるぞw
「ボール紙を麦粒サイズに細かくして粥にしたようなもの」で味が想像できるかな?
461 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2006/03/28(火) 22:18:18 0
こってりしたクリームシチューとか、餡をからめて中華粥みたいなものを
想像していたのにorz
・・・もしかして以前ホテルで食った英国式朝食の、あの大和糊か・・・
食い物スレ読んで出直してきます
だ、そうだ。
セスタスにでてたのは無用にうまそうだったがうまいわけないよな
セスタスといえば、今号でローマ街道の工事現場で、ドカチンやってたな。 ローマ街道の技術の高さスゲー。あんなものを、帝国全土に張り巡らしてたのかよ。
ついでにローラー車とコンクリ与えてやれよ
支援
>>846 糟も含んだ穀物そのもの、米なら玄米だから、一口食べてああ美味しいぃ〜といものではないが、
じんわり美味いものだぞ。贅沢なおかずなくても、白米の素の美味しさでいける人なら、
結構わかると思う。但し、精製したのとか、インスタントはダメ。あれはどうやってもマズい。
そもそも調理のしようがないし。
軍船でも大差ないんかね?
ローマでカップヌードルが開発されてれば世界征服できたぞ
カップヌードルを求めて蛮族の進入がより激しくなるだけ
軍でもパン食うに決まってるだろ ベリサリウスはアフリカ遠征の際にパンを2度焼きしとけといっといたのにされてなくて 痛んでキレたとか云々
パンを二度焼きしたらビスケットになるきがします
ナポレオン時代の大陸軍じゃあるまいし。
共和政期は戦場で小麦が支給されてたらしいから粥かなあ 臼もってて自分でひいてたとか何かで読んだ気がする、おそらく塩ばあ 戦場でパン作るとは思えないし、水に溶かして焼くという手もあるが ちなみに帝政初期のブリタニアの砦でも支給されていたのは小麦らしいが 砦の場合はパン屋に持ってて焼いてたかも知れんな まあパンも粥も食ってたと思う
ガリアンヌードルとパルティアンヌードルの味付けはどう違うの?
ガリアンのアニメ絵のカップヌードルを想像した
軍事じゃないけどさ、 昔スパルタクスの乱を扱った本を読んで 剣闘士の養成所では剣技だけではなく「胸の厚さが家の壁ほどになるまで」筋力を鍛え、 そして海水を混ぜた特製ワインを飲ませていたということを読んで ひどいことをするなあと思っていたが、 後年ブラジルに行って、奴隷が食べていたという名物料理フェイジョアーダを食べ その塩辛さが暑いところで重労働に従事する奴隷に必要だったのだということを聞いて 海水入りワインとは当時のスポーツ飲料だったのだなとわかった。
海水入りワインは普通のローマ人も飲むよ どっちかというと味をどうにかするためだと思う
ローマ時代にワインってドロドロして酸っぱかったんだっけ?
今のと比べるとドロドロして酸っぱいし、底におりものたまってるし、かきまぜると不純物が混ざってるせいで泡が出るし 保存状態を保つためにワイン壷に油注ぎ込んだりしてる、当然アルコール度数も低い
そういや今みたいなガラス瓶とコルク栓が使われるようになったのって1600〜1700年くらいからだっけ? それ以前の保存状態とかってあまりよくなかったんだろうなぁ
保存もだが半分泥水か腐った水で作るんだからうまいわけがない
なんか聞けば聞くほどマズそうだなローマ時代のワイン
真水が飲めないからの代用品だし 水道の水のほうがうまいだろ
水は現代人が飲んだら一発でやられそうだな まずくてもワインのほうが安全そうな
中国戦線なんかの話だとやかんに水沸騰させたらそこに金属のクズみたいなのがいっぱいたまるとかあるし日本とはやばさが違うな
そのドロっとしたのを生でぐいぐい飲ってたのか、ティベリウスは そりゃみんな引くわ
>>869 ワインの醸造過程で水を加えることはないぞ?
収穫したぶどうを潰して(素足で踏んで潰したりする)
果汁と果肉、皮ごと醗酵させる。(酵母が皮についているのでこれを利用して醗酵させる)
昔はこの一次醗酵の段階の果肉や皮が混じった段階で飲んでいたのでドロドロなんだな
油を加えるのは、ワインが直接空気に触れないようにして雑菌が繁殖しにくくするためだし。
日本酒も清酒が出来るまではお粥状の物を飲むというか食べるのが主だったし。
古代のお酒はドロドロが基本
水を追加して発酵を開始させるのは蜂蜜酒だっけ? ローマ人が飲んでたかは知らんが。
そのままの状態なら半永久的に持つらしいからな>蜂蜜
そんな事言うならあの頃の洗剤は動物の尿だぞ。
健康な人間の体表は酵母や乳酸菌のコロニーが形成されていて 有害な雑菌が繁殖しにくくなっている。 葡萄踏みの時、下手に石鹸で足を洗うとそのせいで雑菌が混入して 醗酵をしくじる時があるので、洗わずそのままで踏むんだとさ
体表って、黄色ブドウ球菌とアクネ菌じゃないの? まあ、確かに最近の研究だと、体表の菌を無くすとかえって有害な 雑菌が繁殖してヤバイってのは聞いたけど。 そういや、コウジカビ製品(味噌・醤油など)は昔はフランスあたり では輸入禁止だったんだよな。
>>867 でもギリシアではワインは水で割って飲むのが普通で
割らずにストレートで飲むのは飲み助とされていたというから
当時のワインは度数強めなのかと思ってたよ。
当時も何も現代でもアルプス以南のワインは強いぞ。 日本人がイメージするのはフランスワインだが あれは元々弱めだった地元のワインが高度に商品化されたもの。 強いワインは水や他のワインで割って楽しむのも当たり前。
ワインをぶどう汁で薄めて飲んでたって話は聞いた事ある
>>883 以南?
やっぱり陽光をよく浴びた木の果実は糖度が高くて
酒にすると度数も高くなるってことかな。
それはそうとして、アレキサンダーの後継者やローマ時代の巨大化した軍船はどうか知らないけど、 三段櫂船は衝角攻撃を受けて穴があくと沈没するのかな。 後世の帆船は風を真横ややや後方から受けても行けるように船底にバラストを入れていたから 穴があけられればブクブク沈むだろうけど、三段櫂船ぐらいまでの軍船は重量物といえば 自分の衝角ぐらいで、あとは海水より重いものって何も積んでいなかったと思うけど。
ガレー船って帆船と比べてやたら乗員数多いけどトイレどうしてたんだろう
最初から臭いから士官も垂れ流しでいいんじゃね
船と言えば漕いでるのは奴隷という本と奴隷じゃないという本を両方見かけたがどっちが主流なのかね
普通の輸送任務は奴隷でもいいけど 大事な会戦ならプロを雇うほうが有利じゃね
アテネの無産市民が漕ぎ手になったおかげで彼らの影響力が増大したって歴史の教科書にもあるじゃん。
>>889 ペロポンネソス戦争でアテナイと同盟国の艦隊が
貿易で富んでいたケルキューラ (現コルフ)の艦隊と戦って勝ったとき
得た捕虜の多くは奴隷だったので漕ぎ手は奴隷だったとされる。
でも捕虜になったんだから「ベン・ハー」みたいに鎖で繋がれてはいなかった。
一般にギリシア人は市民その他の自由民が漕いでいたらしい。
フェニキア人やそれ系のカルタゴ人はどうだったのかな。
やっぱ裕福だから奴隷かな。
漕ぎ手はかなりの技量が必要とされるから奴隷がやるってのは考えにくいんだが。
膂力や持久力もいるからいくら奴隷でもすぐに潰れるようならたんなるデッドウェイトにしかならんよな 補充要員積んどくわけにもいかないし
ローマ海軍の場合は市民だったっけ?
訓練すればいいんじゃないの?
そもそもローマ軍の場合軍役自体が一つの権利っしょ? グラックスの奴隷軍団は特例として。 だとしたら市民なんじゃないかな 非ローマ市民のアウクシリアも基本志願兵だし
ポエニ戦争で櫂をこぐ訓練を船の建造中に云々でてるからたぶん自由民
>>885 当時は醸造も濾過技術も未発展だから保存と輸送のために濃くてアルコール度数の高いもんを作ってたらしい
度数を上げるためにわざわざ加糖して無理やりアルコールを高めていたそうだ
とはいっても普通のローマ人はそれを割って飲んでるからヤツらにとってワインは水代わりのようなものだ
※ティベリウスの味覚は異常
つまり今のリモンチェッロみたいな感じだったのか? ああ、古代ローマのワイン飲んでみてぇ・・・どっかで作ってないかな
自分で葡萄つぶして発酵させれば似たようなモンになるんじゃね
>>901 酵母による醗酵ではアルコール度20%が限界なのでリモンチェッロまでは行かない。
リモンチェッロはどっちかというと梅酒に近い。(蒸留酒にレモンを漬け込む)
アルコール度が高いワインとなると、飲用味醂のような醗酵途中で
ブランデー等の葡萄由来のアルコールを添加して醗酵を止める酒精強化ワインとかになる。
これは古代ローマにはない。
近いのは醗酵途中のもろみをろ過しないにごりワインか、葡萄以外の果実やハーブを加えて
香りをつけたフレーバーワインかなぁ。
ちなみに日本では自家製酒は違法で製造するだけで5年以下の懲役または50万円以下の罰金なので注意
酒精強化ワインで有名なのはポートワインだな。確かアルコール度20だったはず。 アルコール度が高いんで、開封した後でも何日かは劣化せずに飲むことが出来る。 古代ローマの頃に現代のワイン醸造技術の基礎が出来たはずだから アルコール度数は今のワインと大して変わらないはず。 それまでのワインと比べるとアルコール度数が高かったってことだろな。 醸造技術が未熟だとアルコール度を上げるのは難しいし
で古代ローマワインを美味しく飲むために鉛を…
鉛のコップ使ってたんだっけか
そもそもワインって向こうは水が硬水だから飲んでたわけ?水代わりにするなら6:4くらいで薄めるよな? シチリアは酔いつぶれるまで飲んだみたいだから相当なんだろうけど
ローマやギリシャはワインを 食事の時に飲む葡萄ジュースという認識で、醸造はジュースを長持ちさせるためであって 飲んで酔っ払うためではなかったらしい。 だから水で割らず生のまま飲むのは下品であるという考えだったんだな。 実際、ギリシャやローマではビールは流行らなかったらしい。 ケルトやゲルマン人はワインやビールを祝祭日に飲む酒(酔うための飲料)として扱ってて ローマ人はそれを野蛮な行為とバカにしていたらしい
じゃあ酔っ払う為には何を飲んでいたかというと、やはりワインじゃないのかな。 酔うことがお下品と考えない一般市民諸君は特に
そこは本音と建前の使い分けだろ。 ローマ人のワインは食事用のジュースで、蛮人のビールやワインは酔うため のお下品な飲み物。ローマ人が酔ってるのは、たまたま・・
当時のゴシップ誌みたいなスウェトニウスの皇帝伝なんか読むと 歴代皇帝の欠点として「ワインを生のままで飲んだ!」なんてことが仰々しく書いてあるね。 なんとなくマスゴミの某首相バッシングを思い出したり。
もしカエサルが暗殺されずに予定通りパルティア遠征を行っていたらどうなったのかな?
そりお前、カルピスを原液で飲んでるやつがいたら異常と思うだろう
え おまえのまないの? あのくどい精液並みにのどに絡みつく感覚がたまらんだろ
精液飲んだことry
>>914 は女性もしくはアッー!な人であるかもしれないではないか。
少年奴隷には「飲ませる」に決まってるだろJK
間を取って、「飲んだり飲ませたり」
年下をやるのはいいんだが年下にやられるのは禁忌なんだぜ
だからこそ盛り上がるんじゃないか
美少年奴隷に女装させて (くくく…男のくせにしゃぶってやがる) こうですね
わかりません><
イェニチェリについて語るスレはここですか?
ヴァルタス見てる分にはローマでも美少年嗜好は 盛んだったようだな
美少年嗜好が分からない男は3000人に1人の美少年に巡り会えなかった男だと思う
300億人に一人でも御免こうむる
女装して女にしか見えないようにしてから犯すのならたいていの男がいけると 最近のエロゲーでわかった
シュトゥルムやフェーダーヴァイサーをそのまま発酵させちゃったのが 古代ローマのワインってことかな?
ここは軍板じゃなかったのか?
>>912 トライアヌスやセウェルスと同じ感じになるんじゃね?
すげえ美人にティンコ生えてたら、しゃぶりたい・・
ご随意に
ローマ的には、すげえ美少年のティンコ切ってから結婚だな
寝転がって食事するのにあこがれたが 2日で胸焼けしてきてあきらめた
確かに、かえって苦しいように思う
寝転がるったってあれだぜ、専用の寝椅子と奴隷のサポート付きだぜ。 畳の上で座布団ひじ枕で周囲のものを腕のばして引き寄せて食うのとかなり違うような
食うための姿勢として楽ではないかもしれないという話
大きな円筒状のクッションもあったんだろう? 必ずしも一人に一人づつ奴隷がついたとは思わないけどな。
奴隷の尻もみながら食事するのは日常茶飯事だったみたいだな
奴隷の尻をもむと消化にいいらしいぞ
ちょうどちんちんまんこの位置に顔があるからなあ
801スレ
炉利か、などと言う外套を着込んでいる変態集団め!
ローマのお貴族様が異民族の子供を奴隷にして云々、なんてのは茶飯事。 つか普通に売り買いされてたようだ品。
別に貴族じゃなくても、遠征地で勝利すれば一般兵士にボーナス支給されたろう。
というかセクロスの価値なんてこの時代相当に低いし
受験生時代に読んだ英文によれば ローマ人はワイン飲む時に焦がしたパンの切れ端を入れてたようだ。 実際に味がまろやかになるらしい。 奴隷の話なら,ローマ貴族は食っては吐き食っては吐きを繰り返していた食キチとして知られるが そのゲロを処理する専門の奴隷がいたという。
なるほど
アリストテレスも「理想の都市は市民が5000人程度、奴隷がその十倍で構成される云々」と言っていたな。 なんでも5000人くらいが人が一生のうちに知り合える人数の限界なんだそうな。
1集団は150人が理想の数なんで中隊はその枠内で編成するとエンゼルクラウンで行ってた
当時、例えばペロポンネソス戦争当時、 武器はどれくらいが鉄器だったの? 槍の穂は鉄だったろうけど、刀は青銅も使われていた? 鏃みたいな回収困難なものにも鉄は使われていたのかな。
青銅製の武器は遅くとも紀元前六世紀には完全に姿を消してる筈。
でもヘルメットは青銅だろう? 盾や脛当ての補強金具も。
青銅砲は日清戦争のころまで使われたぞ。
流れ切って悪いけどヒュパスピスタイってどういう装備? 密集歩兵と同じなのかファランクス(否マケドニア式)と同じなのか調べてもわからん
>>957 ありがとう
英語のwikipediaの事失念してたわ
話とぎれたね。 >804の人はトイトヴルグ森戦役のミニチュアは完成させたんだろうか。
ソマリアの海賊はポンペイウス方式で根拠地ごと叩いてしまえ!
そりゃ昔なら海賊の家族ごと根拠地焼き払って終わりだけど 今の世の中それはちょっと難しいよなぁ・・・
島に根拠地作ってる海賊が一般的じゃなかったっけ
963 :
名無し三等兵 :2009/04/23(木) 01:13:21 ID:uGQ/f0j1
それより誰かコメス・レイ・ミリタリスについて詳しく教えてくれ 英語のwikiはよくわからん
古代戦でいいターンベースのPCウォーゲームないですか? HPSのはクソでした。
パソコンでゲームせんからわからんな。 ルールの翻訳とかCRTの解決なんかには使うけど
ローマ軍団兵支給のラードとスイトンの粥を作ってみたが、 こりゃあひでぇ味だな、豚臭くてかなわん。 胡椒もない時代だ。どうやって喰ってたんだろうな?
そのレシピどの本に載ってるの?
>>967 レシピ無し。ガリア戦記に材料と概要だけ書かれてたから、
自分なりにアレンジして作ってみた。
ネット上にあったような>ローマ軍の食事 南北戦争時期の食事とかと一緒に
カルタゴを滅ぼした後は、アフリカの一部とギリシャとイタリア半島だけを 保持して、徹底的に内政と防御に徹していたら・・ と思う。 まあ、無理だろうけどナw
>>971 拡張をやめて防御と内政に力を注ぎ始めたまさにその時点が
ローマの斜陽の始まりなのだが。
城壁と基盤施設の維持費、高度技能者と化した軍人への給与、
各種同盟国へ貨幣が流れた故に起きたハイパーインフレがローマ帝国滅亡の三本柱だよ
領土が大き過ぎなければ軍隊の維持にも金が掛かりすぎないし
何かあっても速やかに移動出来るだろう?
>>971 ガリアやイベリアを取っちゃだめなの?
半島から近いじゃん。
軍の規模は国境線の長さでは無くて仮想敵の大きさによって決まるのよ。 ガリア、イベリア、イングランドなどをローマ化することでローマ北方の仮想敵は駆逐され、 ライン川という天然の防壁を盾にすることが出来た。 もしライン西部を押さえてなければローマは常にアルプスを迂回してくる野蛮人に脅かされることになり、 陸上兵力を大幅増大せざるを得なくなる。
セレウコスを放置するわけにはいかんだろ。
>>972 貨幣が流出したらデフレになるだろ。jk
>>976 貨幣は流動するものだよ。ローマでは旧貨幣の切り下げをせずに額面どおりの
価値を持たせてたから、一度国外に抜けた貨幣が戻ってきた時にハイパーインフレが起きた。
>>977 なんの裏付けがあって価値を持たせてたんだ?
価値ってなんだよ。銀の価値が変動したの? 額面に対して貴金属の量を上げ下げしたとか?
皇帝代わるたびに新貨幣が鋳造されるけど、その後も旧1アスに新1アスと同じ価値を持たせてたんだよ。 同盟国に支払われた旧貨幣は殆ど国債の利子で、切り下げを行えばローマの信用自体が失墜する。 で当時の最先進国はローマで、他国の支配層はローマ内で貨幣をばら撒くから流通する貨幣が増えてインフレ
981 :
名無し三等兵 :2009/05/05(火) 12:47:12 ID:p+chKktI
流通する貨幣が増えてインフレ?
>>977 ハイパーインフレって年率1300%以上(月率50%以上)のインフレを
指すんだけど、そんなインフレが起きていたの?
>>979 金属貨幣の時代は、貴金属の量に対して価値が認められているわけで、
基本は物々交換イメージ。表示単位を同じ1アスだと言い張っても、
貴金属の量が減ったら、交換してもらえる財の量は減るから、まあ
1アスという通貨単位に対してはインフレと呼ぶような現象になるわな。
物々交換イメージから脱出して、ただの紙切れを「便利だから」という
理由だけで使うようになったのは、実は1971年のニクソンショック以後。
それまでは、大恐慌の頃など特殊なケースを除いて、無理やりどこかで
金などにアンカーしていた。
管理通貨制度って意外と新しいのだ。
>>981 それは別におかしくない。
ローマでいえばアス貨みたいな小額貨幣は管理通貨制に近いものがあるよ でも同盟国に支払うような額の場合は貴金属を使った金貨や銀貨だよね で金属貨幣の価値が変わるような時って大量の貴金属流入しか考えられないんだけど 例えば大航海の新大陸銀みたいな そういう事例が思いつかないんだけどいつの話なの
貨幣に関しては含有量の低下 保有量に関してはスペイン鉱山の採掘減少やら 東西貿易による流出 物価に関しては産業の荒廃や凶作による高騰 防衛費の圧迫 まあハイパーインフレが一時におきたとはいわんがディオクレティアヌスの頃には かなりインフレが深刻化してたのは想像に難くない。
>管理通貨制度って意外と新しいのだ。 日本は結構昔からそれやってたり。 ある老中が「瓦に一両と書けば幕府の威信により1両で流通する」っていってたり。 (藩札もそうだね) 幕末頃、それを悪用されて大量の金が流出したよ。 当時、一分銀を銀の量ではなく額面で流通させてたんだ。 メキシコ1ドル銀貨一枚→1分銀3枚(1分銀の銀の量が1ドル銀貨の1/3) →金1両3/4(1分銀4枚で1両)→メキシコ1ドル銀貨3枚(1両に含まれる金と銀の価値は1ドル銀貨4枚分) 当時の日本の金銀換算が1対10だったこともあって、アメリカぼろもうけ。 日本は「1分銀には1分の価値はなく、幕府の信用で1分として流通させているだけ」と説明したけど アメリカに「そんなバカな話は聞いたことがない」と突っぱねられたり。
>>984 ハイパーインフレってのは年率1300%とかなの。
それと貴金属の流出・産出量の減少はデフレ要因だよ。
良く、防衛費が財政を圧迫したって言うけど、帝政ローマの税収構造って
どうなってたのかね。デフレ圧力で税収不足になって、歳入が減った事で
防衛費が維持できなくなったとかじゃないの?
成長率が低下した国では良くある事だよ。
つか、1アスが表示単位をあらわすんなら、銀の量目の変更はインフレでは
なく、どちらかというとデノミに該当すると思うな。デノミで貨幣価値を
落としたからインフレってなんじゃそれと思う。
>>985 管理通貨制度系のネタって韓非子か何かが元ネタなんだよね。
古代中国って凄いよ。なんで末裔を自称する連中があのレベルなのかわからん。
幕末の話は「大君の通貨」に詳しいね。
ただ、その取引。日本人がやっても、金は流出するけどぼろ儲け可能。
どっちみち、金貨を鋳潰して金地金にして本国でメキシコ銀貨と交換し
なきゃならんので、言うほどの速度では流出しない。
金の流出については単純に日本の輸入超過に対して、支払いを全て金で
する事を事実上強いられたのが原因じゃないかと思う。アメリカ側だって、
流石に地金価値の低い一分銀で払われたら、1/3の価格で売った事になる
ので受け取りを拒否して当たり前かなと。
ディオクレティアヌス時代のインフレはカラカラの貨幣改悪とローマ市民権授与による 属州税の撤廃とその後の内戦が原因だろ
>>985 >ある老中が「瓦に一両と書けば幕府の威信により1両で流通する」っていってたり。
天保銭みたいな例も有るけどね。