【蒙古襲来】元寇の勝因は?part2【文永弘安】

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1名無し三等兵
中世日本を揺るがした大事件、元寇(蒙古襲来)。
元軍の敗因は?幕府軍の勝因は?日本侵略の意図とは?
軍事的に考察しましょう。

文永の役=1274年10月5日〜10月20日(太陽暦11月19日)
弘安の役=1281年5月21日〜閏7月1日(太陽暦8月16日)

前スレ
元寇って本当に台風で勝てたの?何かおかしくない?
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/army/1194657260/
2部品鳥スーパー改 ◆Izm0rwxujE :2008/06/26(木) 21:42:27 ID:???
3名無し三等兵:2008/06/26(木) 21:43:38 ID:A/FxHj0b
関連スレ(一部dat落ち)
軍事板
【文永】元寇の軍事分析【弘安】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1189275357
蒙古襲来を軍事的に語る
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1084109929
もし、元寇で神風が吹かなかったなら。
http://yasai.2ch.net/army/kako/994/994863568.html

日本史板
【モンゴル】 元寇 3 【高麗】〜神風は運?実力?〜
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1193354622/
戦国時代に蒙古襲来があったら
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1088685950/

歴史難民板
もし蒙古が九州ではなく蝦夷から日本に侵攻していたら
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1194316331/
4名無し三等兵:2008/06/26(木) 22:07:46 ID:???
>>1
乙〜
5名無し三等兵:2008/06/26(木) 22:23:33 ID:A/FxHj0b
高校教科書の歴史叙述の実例
(山川出版社・詳説日本史/2006年印刷)

第2部 中世/第4章 中世社会の成立
4.蒙古襲来と幕府の衰退
《蒙古襲来》
(前段略)
…幕府の執権北条時宗はこれを拒否したので、元は高麗の軍勢もあわせた約3万の兵で、1274(文永11)年、対馬・壱岐を攻めた後、大挙して九州北部の博多湾に上陸した。
かねてより警戒していた幕府は、九州地方に所領を持つ御家人を動員して、これをむかえ撃った。元軍の集団戦やすぐれた兵器に対し、一騎打ち戦を主とする日本軍は苦戦におちいった。
しかし元軍も損害が大きく、たまたまおこった暴風雨にあってしりぞいた(文永の役)。
 その後、幕府は再度の襲来に備えて、博多湾岸など九州北部の要地を御家人に警備させる異国警固番役を強化するとともに、博多湾沿いに石造の防塁(石塁)を構築させた(※1)。
南宋を滅ぼした元は、ふたたび日本の征服をめざし、1281(弘安4)年、大軍をもって九州北部にせまった。しかし博多湾岸への上陸をはばまれているあいだに暴風雨がおこって大損害を受け、ふたたび敗退した(弘安の役)。
2回にわたる元軍の襲来を蒙古襲来(元寇)という。
再度にわたる襲来の失敗は、元に征服された高麗や南宋の人びとの抵抗によるところもあったが(※2)、幕府の統制のもとに、おもに九州地方の武士がよく戦ったことが大きな理由であった。

※1:異国警固番役は九州地方の御家人に課せられ、文永の役の前からはじまったが、文永の役後、大はばに整備された。防塁の構築は御家人だけではなく、九州地方の所領所有者たちにも割り当てられた。
※2:とくに高麗は30年余りモンゴル軍に抵抗したのちに服属したものの、以後も三別抄の乱などさまざまな形で抵抗を続けた。フビライは日本との交渉や、日本の攻撃に高麗を利用したが、高麗の元に対する抵抗の継続は、日本遠征の障害となった。
また旧南宋の勢力や大越(ベトナム)の人びとにも元への抵抗の動きがおこり、3度目の侵攻を断念させる要因ともなった。

※注:「詳説日本史」は2007年に改訂版が出版されています。お持ちの方は改訂に関する情報をお寄せください。
6名無し三等兵:2008/06/27(金) 01:00:01 ID:???
>>また旧南宋の勢力や大越(ベトナム)の人びとにも元への抵抗の動きがおこり

日本が勝利した影響もあるじゃないの?
7名無し三等兵:2008/06/27(金) 09:24:43 ID:???
BS11デジタル 6月15日(日) 23:00-23:55 歴史のもしも もしも元軍が九州上陸に成功していたら
再放送 6月18日(水) 15:00-15:55
ttp://www.bs11.jp/?action_public_pgm_detail=true&cid=1&pid=187
8名無し三等兵:2008/06/27(金) 10:14:37 ID:???
違うとこのスレに書いてあったが、日本軍はどうやって大型船を沈められたんだ?
>火器でもなく、ビザンツの火炎放射器(ギリシア火のことか?)でもなく
確かに

1隻や2隻はともかく、多数は当時の武装から考えて無理だろう
9名無し三等兵:2008/06/27(金) 10:52:00 ID:???
ヒント=当時の船は木で出来ている
10名無し三等兵:2008/06/27(金) 11:35:06 ID:???
牛の角に松明をつけて放った。
11名無し三等兵:2008/06/27(金) 12:12:35 ID:???
>>9
引き上げた全て船の状態からして火失の線は全くないな
それに小船ならまだしもギリシア火のように持続性がない限り
そんな大型船は燃やせんと思うが
12名無し三等兵:2008/06/27(金) 12:23:46 ID:???
木材の間に油性のモノを利用して気密性を保つ設計の船だったのなら
火矢が原因で燃え上がることも十分に考えられるが
実際問題として陸から届くとも思えないし
戦闘中に小船の上で火矢に着火して狙うってのもな〜

敵が上陸しようとする所で撃退し兵士が大方減ったタイミングで
小船出して元の船を急襲って感じなんじゃないかな
で台風の追い討ち
13名無し三等兵:2008/06/27(金) 12:51:03 ID:???
引き上げた全ての船に火災の後は全く見当たらないことはどう説明する?
それに数隻単位の話でない
しかも小船のような船で数多い大型船に火種を投げ込むようなことは
密集した敵船団の中ではちと無理だろうな
それ以前に火薬使うわけないから夜間なら火種の光で直ぐ敵に察知される
14名無し三等兵:2008/06/27(金) 14:59:30 ID:???
元軍の船の篝火が戦闘のドサクサで引火したという可能性は?
15名無し三等兵:2008/06/27(金) 15:06:10 ID:???
それが4000隻全部に?ちょっと無理でねぇ?
海面に油が流れて引火したというなら日本軍の小船も一緒に丸焼けだろうな
16名無し三等兵:2008/06/27(金) 19:00:02 ID:???
乙。景気付けに歌でも。

1 四百余州を挙る 十万余騎の敵
  国難ここに見る 弘安四年夏の頃
  なんぞ怖れんわれに 鎌倉男子あり
  正義武断の名 一喝して世に示す


2 多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢い 
  傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
  いでや進みて忠義に 鍛えし我がかいな
  ここぞ国のため 日本刀を試し見ん


3 こころ筑紫の海に 浪おし分けて行く
  ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
  死して護国の鬼と 誓し箱崎の
  神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし


4 天は怒りて海は 逆巻く大浪に
  国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
  底の藻屑と消えて 残るは唯三人
  いつしか雲はれて 玄海灘月清し
17名無し三等兵:2008/06/27(金) 19:21:56 ID:???
>>16
勇気がわいてくる名曲よね
18名無し三等兵:2008/06/27(金) 20:39:11 ID:???
>>5
>再度にわたる襲来の失敗は、元に征服された高麗や南宋の人びとの抵抗によるところもあったが

日本に侵略した張本人の高麗と南宋の責任を誤魔化そうとする酷い論理。
三別抄の乱は高麗のモンゴルに対する抵抗なんかじゃなく、一部の武臣たちによる
高麗に対する抵抗。
モンゴルに対しては三別抄は条件次第で帰順するつもりだった。
高麗の日本侵略を正当化できる要素なんかないぞ。
19名無し三等兵:2008/06/28(土) 09:16:41 ID:???
燃えてないんだから、日本軍が力技で敵船に乗り込んだんだろ。それしかない。
相当に鎌倉武士と元兵士の間に力量の差があったんだろうな。
20名無し三等兵:2008/06/28(土) 10:19:43 ID:???
だって元側の兵は僧侶や流民を無理矢理武装させたり
南宋滅亡後に旧南宋の老兵の処理に困った元が日本に屯田兵として送り込んだ

だからもともと戦意なんかありゃしない

しかしそれを置いといても乗り込むには船が多すぎるし
察知されればたとえ戦意がなくとも猛反撃は免れないだろう
死にたくはないだろうから
21名無し三等兵:2008/06/28(土) 11:28:02 ID:???
>>20
戦意がないなら猛反撃なんかしないで逃げるって。みんな斬られたくないから先を争って海に飛び込んだんだろう。
で、人気のなくなった船を武士がさっくり沈めて、次々って感じの流れだったんじゃないかと。
海に飛び込んだ元兵は小舟に待機してた武士に槍でサクサク刺されました。
22名無し三等兵:2008/06/28(土) 13:21:16 ID:???
>>21
南宋軍が降伏して真っ先に日本遠征の希望者を人員を募ったんだから、
南宋兵の中でも戦意旺盛な強兵が多かったと考えるべき。
弘安の役の南宋兵が老兵だったなんて史料はない。
弘安の役の後行なわれたベトナム遠征とかには残り物の老兵などが
回されたかも知れんが。
23名無し三等兵:2008/06/28(土) 14:25:32 ID:???
>>21
だからどうやって多数の大型船を沈めたが問題なの
火でなかったらどうすんのよ
マンガみたいに自殺覚悟で船底に穴開けて沈めたとか
まぁそれはないと思うが


なんか段々暴風雨説の方が納得いくような気がしてきた・・・・・
24名無し三等兵:2008/06/28(土) 15:07:24 ID:???
>>23
別に沈める必要ないだろ
乗り移って船員皆殺しにして捕獲してもいいんだし
25名無し三等兵:2008/06/28(土) 15:22:49 ID:???
あっわかった。いくらか乗っ取った後はその船で他の元船に回々砲使ったんだな。
で同士討ちを始めて大混乱、と。
26名無し三等兵:2008/06/28(土) 15:28:24 ID:???
何か勘違いしてるみたいだけど、昔の海戦は基本的に乗員対乗員の戦いで、船は単なる乗り物。
問題はいかに船に乗っている敵兵を殺すかだけだよ。
27名無し三等兵:2008/06/28(土) 18:10:41 ID:???
それはあくまで同規模の船体ならありうる
しかし一方が大小規模混成の大艦隊で
もう一方が小舟でゲリラ的奇襲しか出来ないときは可能性は薄い
28名無し三等兵:2008/06/28(土) 18:18:53 ID:???
>>27
薄くない。
昔の海戦なんてそんなもの。
29名無し三等兵:2008/06/28(土) 18:31:11 ID:GEEV1W5Q
俺らがイメージするような感じの海戦が行われ始めたのって
アルマダがイギリスにぼこられたあたりからだろ?
それまではどんだけうまく敵側の船に乗り込むかがネックだったんじゃ?
30名無し三等兵:2008/06/28(土) 19:32:39 ID:???
Youtubeかニコ動にupされてる日本刀に関するディスカバリーチャンネルの特集でやってたんだが、元が装備していた片手剣や盾では太刀の斬撃を防ぐことができなかったっていう解説がでてた
単純に考えて、両手で打ち下ろす、凪ぎ払う力+太刀の重量を片手で防ごうとするんだからそりゃ無理だろうねぇ
31名無し三等兵:2008/06/28(土) 19:34:14 ID:???
>>30
それ見てたけどむちゃくちゃだったじゃねーかw
32名無し三等兵:2008/06/28(土) 20:20:48 ID:Z2RMuAKz
KAMIKAZE
33名無し三等兵:2008/06/28(土) 20:43:52 ID:???
世界一受けたい授業に今日も出てた「日本史リフォーマー」とか呼ばれてる奴が以前出た時に
「武士は元軍に対して一騎打ちを挑んだが言葉が通じなかったため無視され、馬から引きずりおろされてぼこぼこにされた」
とか言ってた時は、ああこいつもか、とがっかりした覚えがある
34名無し三等兵:2008/06/28(土) 23:34:39 ID:???
>>23
船ってのは海の上に放置しとけば
何もしなくてもそのうち勝手に沈んでくれる。
日本軍がわざわざ船を沈めようとした可能性は
あまりない。そんなことに努力するよりも、一人でも
多くの水夫を殺すことに注力した方が、より効果的に
敵の戦力を破壊できる。


>>31
や、元寇のくだりはそれほど間違ってない。
日本刀が、片手刀に比べて白兵戦には圧倒的有利
なのも事実っちゃ事実。
特に鎌倉から南北朝時代にかけては、日本刀が
一番大型化していた時期でもあるし。
35名無し三等兵:2008/06/29(日) 00:01:30 ID:???
日本刀は振り下ろして相手が怯んだ際に、長さを利用して刺すのが当時の一般的な戦闘法。


36名無し三等兵:2008/06/29(日) 00:03:53 ID:???
山野野衾ってコテが北条時宗を「外交感覚のない人物」って言ってたんだけどどうなの?
37名無し三等兵:2008/06/29(日) 00:07:26 ID:???
当時の船は丸ごと可燃物なのでいったん火がつけば火達磨。
38名無し三等兵:2008/06/29(日) 00:11:04 ID:???
どうやって船を沈めるかの話をする前に、何故いちいち船を沈めて回る必要があるのかを話したい
39名無し三等兵:2008/06/29(日) 00:25:33 ID:???
海が時化るだけで船酔いで立ち上がれなくなる。
船で寝泊りしていた元軍の兵士の士気があがる訳ないだろ
40名無し三等兵:2008/06/29(日) 01:31:08 ID:???
こんな事言ってると壇之浦の合戦の意義も事実もなくなる
水軍同士の戦いのいい例が100年前にあるじゃん
41名無し三等兵:2008/06/29(日) 02:28:22 ID:???
>>36
【モンゴル】 元寇 3 【高麗】〜神風は運?実力?〜
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1193354622/
より


山野野衾は基本的に日本史に詳しくない世界史板とかの住民相手にしか知ったかできない人。
相手に日本史の知識があるとわかると直ぐに逃げるし。

じゃあ逆に聞くがあの当時外交でうまく立ち回ってモンゴルの侵略
切り抜けられた君主はどんだけいる?モンゴルの支配下に入った連中は抜きで。
42名無し三等兵:2008/06/29(日) 15:21:02 ID:eQ8OHzGm
>>41
>じゃあ逆に聞くがあの当時外交でうまく立ち回ってモンゴルの侵略
切り抜けられた君主はどんだけいる?モンゴルの支配下に入った連中は抜きで。

俺が知る限り一人もいない。
ってか外交だけでうまく立ち回れるならモンゴルがあんなに空前の大帝国築けるはずもなかろうに。
高麗は臣従したが南宋攻撃に500人の処女差し出せと言われ忠列王は婚姻禁止令まで出した。

当時、モンゴルの前では
@戦って勝つ
A征服されてひどい目に会う
B臣従してモンゴルが求めるものを何でも差し出す。
この3つしかなかった。
これ以外に何かを選択できた国って当時世界のどこかにあったのか?
43名無し三等兵:2008/06/29(日) 16:23:45 ID:???
>>35
昔の日本刀は江戸時代の日本刀のように洗練されていない
何人も斬らないうちに刃こぼれするのは必然
44名無し三等兵:2008/06/29(日) 17:20:49 ID:???
元の襲来自体が、元の日本への武力の誇示だったから
最初の文永の役では、元軍は日本本土で少し暴れまわってすぐに撤退した。
その気になれば日本を叩くのも出来るという、元の懲罰的な目論見だった

二度目はそれでも使節を殺すなど、不遜な態度を崩さない日本への

弘安の役では、本腰入れての対日戦争だったが
日本と一戦交えた後に船に引き上げたところで嵐にあって大打撃を受けたというのが本当らしい
その際に日本は旧宋の遺臣達は許して本国に帰国させているが
高麗人などは皆殺しにしている。この辺が日本人の感情を示しているな
45名無し三等兵:2008/06/29(日) 17:47:53 ID:???
>>44
>懲罰的な目論見
たかが懲罰ごとき目的で5ケタもの兵員を送るかよw

>日本と一戦交えた後に船に引き上げた
「一ヶ月半近く戦っても進軍できなかった結果、攻略不可と見て撤退後に船で退散した」の間違いだろ
海が荒れる時期になっても橋頭堡を築けなかった時点で敗北必至だよ

>旧宋の遺臣達は許して本国に帰国させているが
>高麗人などは皆殺しにしている。
・蒙古:侵略の首謀者、責任者。殺して当然
・高麗:侵略計画の進言者。殺して当然
・旧南宋:侵略者の虜囚。個人的には殺して当然とは思うが、
 情状酌量の余地があるという言い分は理解できる
46名無し三等兵:2008/06/29(日) 18:01:33 ID:???
>>44
大宰府はおろかその手前の水城にすら到達できないまま、たった1日で撤退してしまっては、
日本への武力の誇示になんてなっていない。
日本側に「元軍弱し」の印象を与えるだけ。
文永の役についての日本側の記録は、「異賊敗北」、「皆追い返された」、「即退散」
「使者が来た時に騒ぎになっただけで、直ぐに静かになった」なんてのばかり。
鎌倉幕府が強気になって使節を殺すなど、不遜な態度を崩さないのは当然だ。
47名無し三等兵:2008/06/29(日) 18:43:24 ID:???
>>44の言う通り
対馬、壱岐、松浦で日本軍は惨敗、占拠される
壱岐に至っては元側はわずか400の兵で制圧、その直後の戦場を見た日本人は
日本の兵数百の遺体が遺棄されているのを見ている

日本側は少弐氏、龍造寺氏、宗氏、松浦党など高名武将の討ち死が相次いだ
文永では博多湾内上陸1日で引き上げた
「其の国に入りて之を敗る、而るに官軍整わず、又た矢尽き、惟だ四境を虜掠し
て帰るのみ」―『元史』
「一岐島に至り、千余級を撃殺し、道を分ちて以て進む。倭は却走し、伏屍は麻
の如く、暮に及びて乃ち解く。会々、夜、多いに風ふき雨ふる。戦艦、巌崖に触
れて多く敗る。金セン(左軍使)、溺死す。」―『高麗史』

また文永においては高麗軍とは別に蒙・“漢”軍とある
従って高麗兵を除けばモンゴル兵というわけでない
むしろ非モンゴル系の旧金人=漢人の割合が多く、その多くは僧侶や流民を強制
的に武装しただけでそれをわずかなモンゴル兵で督戦したと見て妥当であろう

また海港は占領しておらず、1日で撤収したところを見ると馬を揚陸した可能性
は乏しく、揚陸したとしても極僅かだろう
48名無し三等兵:2008/06/29(日) 18:55:35 ID:RviSV1n8
>>47
確か対馬や壱岐で迎え撃った武士は百人足らずで、他はみんな民間人だったんじゃ?
49名無し三等兵:2008/06/29(日) 19:04:39 ID:???
弘安における25000の東路軍の内訳は
「今、復び正軍一万(実数は9500)・“水手一万五千”を菅領し、往きて日
本を征せしむ。」―『高麗史』
兵より漕ぎ手が多いのは前回の失策から糧食・矢弾の兵站船を増やしたためであ

旧南宋からの江南軍が旧南宋の老兵で実態は農具と種籾と粗末な武器を持った植
民目的の屯田兵であり、僅かな監視役のモンゴル兵を除けば実質戦闘力は低い

また今回も海港を占領したわけではないので多数の馬が揚陸出来た可能性は低い

多数の船舶を沈める技術のない当時の日本の能力から見ても暴風雨により元側船
舶が失われたことはほぼ確実であろう
50名無し三等兵:2008/06/29(日) 19:04:57 ID:???
またループかw
51名無し三等兵:2008/06/29(日) 19:26:37 ID:???
当時の鎌倉幕府は三十万を超える戦力を常時動かす力があった。
元軍が如何に十五万の戦力を抱えたところで、充分に対抗できる戦力が日本にはあった。
実際、所詮で元軍は日本軍に副将が負傷するなど、少なからぬ打撃を受け
侮りがたしと日本軍の戦力に驚嘆している。

元と言えども、海を隔てての侵攻という、絶対的な困難がある以上は、日本侵攻は難しい
もっと言えば無理だったよ
52名無し三等兵:2008/06/29(日) 20:02:05 ID:???
驚嘆なかしてないし
文永では高級将校は高麗軍の右軍使が溺死したのみ
蒙漢軍副元帥洪茶丘も高麗軍副使任ガイも負傷記述なし
例え負傷者がいても整然と舟に回収できたところをみても戦場は元側が支配した
ことを逆に証明できる
53名無し三等兵:2008/06/29(日) 20:05:14 ID:???
>>2 一騎打ち戦を主とする日本軍は苦戦におちいった。
しかし元軍も損害が大きく

武士強すぎ
54名無し三等兵:2008/06/29(日) 20:22:16 ID:???
ベトナムの陳朝軍はウリャン・ハタイ、トゴン、ウマルという高名な将軍が指揮
する元軍を撃退した
特に第3回のモンゴルのベトナム侵攻では陸海双方から大軍を投入
海上からの元軍はフビライの命により第3回日本遠征用の建造船舶の全てを投入
しかしベトナム側のチャン・フンダオに白藤江河口の戦いで惨敗し、遠征司令官
ウマルも捕虜になった

日本の元寇において元漢高麗軍で溺死など事故死以外で戦死したり、捕虜になっ
た高級将校は皆無である
55名無し三等兵:2008/06/29(日) 22:00:46 ID:???
>>52
戦場を支配した軍隊はたった1日で撤退したりしないよな。
しかも元軍の撤退は船が岩にぶつかって多数の溺死者がでるなど大混乱そのもの。
壊走以外の何物でもない。
56名無し三等兵:2008/06/30(月) 00:18:07 ID:???
そりゃ上陸もできずに逃げ帰ったんだから捕虜にはならんわなw
57名無し三等兵:2008/06/30(月) 08:52:13 ID:???
当時、知らない土地で暗くて何も見えない中を夜営するのは、かなり勇気がいることだった
どんな自然現象やその他の災難が起きるとも知れなかったからな。
元軍が海上で夜を過ごそうと考えたのも無理ないことだろう

まあ実際はその海上で自然災害が起きた訳だがwwww
58名無し三等兵:2008/06/30(月) 09:29:18 ID:???
>>49
>旧南宋からの江南軍が旧南宋の老兵で実態は農具と種籾と粗末な武器を持った植
>民目的の屯田兵であり、

日本に遠征した元軍には農具なんかじゃなく武器や鎧が支給されてるぞ。

元史卷一十一 本紀第十一 世祖八 十八年二月
「給征日本軍衣甲、弓矢、海青符。」

59名無し三等兵:2008/06/30(月) 10:59:24 ID:???
現在の大陸の方々はどんな風に認識しているんでしょうね。
60名無し三等兵:2008/06/30(月) 22:33:52 ID:???
>>54
調べた
第2回ヴェトナム侵攻では北東、北西からの侵入及び現在のラオスを迂回した南方、海上の4方向から侵攻
当初はヴェトナム側に投降する者もあったが、陳興道が体勢建て直し
各地でゲリラ戦により敵を遅滞しつつ紅河デルタで反撃開始、各個撃破
元側、総菅の張顕が降伏、南方軍司令官トアド戦死、北西軍司令官ウマル遁走
北東軍司令官トゴンも遁走(青銅の棺に隠れ逃げたという)
元軍は捕虜5万を含め25万を失った

第3回ヴェトナム侵攻では
陸上から前回の汚名を返上すべくトゴンが30万の軍率い侵入
(トゴンはフビライの第8子)
同じくウマル、張文虎が海上からバクダン河へ侵入
陳興道は范五老将軍を敵陸上侵攻軍の後方のランソンへ派遣
自軍はウマルの水軍が通過後、張文虎の水軍を伏撃し300隻を焼き、張文虎以
下多数を殺害
それを知ったウマルは河口へ戻った
陳興道の小艦艇が陽動に引っ掛かり、満潮時に見えなかった杭が干潮となり、深
追いしたウマルの艦艇を捕えた
興道は潜ませていた陸上の兵とともに総攻撃し元船100隻沈め、400隻捕獲
ウマル以下多数の将兵が捕虜に
トゴンの軍も退路のランソンで范五老将軍に惨敗した
61名無し三等兵:2008/06/30(月) 22:39:32 ID:ahlMuy/K
ベトナムすげー。
鎌倉武士達も相当強かったが、流石にマムルークやベトナムに比べると霞んじまうな。
62名無し三等兵:2008/06/30(月) 22:55:51 ID:???
>>60の後日談
ヴェトナム側は捕虜にしたウマル以下元の将軍たちを丁重に扱い、捕虜にした兵
とともに帰国させていった
しかし元は相変わらず高圧的な態度を改めなかったため
怒ったヴェトナム側は第2回侵攻時の多数の住民虐殺など最も残忍だったウマル
の乗った帰国船を海上途中で意図的に沈めた
63名無し三等兵:2008/07/01(火) 02:27:35 ID:???
>>25
回回砲って投石器だろ?田中某の小説では火砲になってるらしいけど。
64名無し三等兵:2008/07/01(火) 03:16:41 ID:???
つまりあれか?現代船で米軍に対してそれなりの戦果を出せた国というのは
元の時代にも、元に対してそれなりの戦果を出せるようなDNAを持っていると
言うことか?
65名無し三等兵:2008/07/01(火) 03:41:26 ID:???
>>63
投石器だよ。
66名無し三等兵:2008/07/01(火) 08:34:18 ID:???
第1回ヴェトナム侵攻ではモンゴル軍の兵数は3000人に過ぎなかったのにヴェトナム軍を撃破し、
首都を占領破壊している。
その後、ヴェトナムにはモンゴルの代官が赴任して属国化。

第2回、第3回とも元側の記録では、ヴェトナムに侵攻したのは10万に満たない兵数。
特に第2回なんて元史では最大2万5000にしかならない部隊が、ヴェトナムの史書では60万にまで
誇張されていたりする。


昔はね、モンゴル軍のヴェトナム侵攻について、モンゴルとヴェトナム双方の記録からきちんと
検証した研究書とかが出版されていたんだよ。
それがヴェトナム戦争以降、左寄りの連中がヴェトナムをマンセーした内容の本ばかりになった。
歴史の教科書とかには、第3回元寇がなかった理由はヴェトナムの御蔭みたいに書かれているけど、
モンゴル史の研究者の杉山はこれを完全否定した上で、こんな説が台頭したのはヴェトナム戦争の
投影だと批判している。
67名無し三等兵:2008/07/01(火) 08:43:03 ID:VdLObQzy
>>66
だろうね。大体30万だの60万だのという大遠征なら世界史的にも大事件でもっと有名になって世界中の学者が研究対象にしているよ。
バトゥやフラグの大遠征以上に有名になってるはず。
第2次ポエニ戦争でカルタゴのハンニバルがカンネエで倍のローマ軍を包囲殲滅した戦術は今でも欧米の士官学校では教材にしてるくらいだからもしベトナムがモンゴル30万を壊滅させたらハンニバル以上に現代でも世界中で研究されてるはず。
でもそんな話てんで聞かない。
68名無し三等兵:2008/07/01(火) 08:46:05 ID:VdLObQzy
つーか、あの難民が何十万も流出する恐怖政治やったベトナムのハノイ政権の垂れ流しをそのまま宣伝するのが戦後の歴史学者。
こういう連中が編纂に手を染める学校教科書がいかに噴飯ものでうそくさいかということだな。
69名無し三等兵:2008/07/01(火) 09:09:36 ID:???
学生の頃マルクス主義の御用歴史学者の論文をいくつか読んだんだが、すげーの何の。
まず『歴史は必ずこう進んでゆく』という絶対的法則・理論が前提にあって、
あとは個々の事象をそれに無理やり当てはめていくだけなのなw
しかも当時の社会主義政権がとる政治的スタンスが変わるとそれに合わせてコロコロ変わる。
特に中国の学者が凄かったw
70名無し三等兵:2008/07/01(火) 09:36:20 ID:???
>>66
あんた、どっかで見たけど日本に有利なものや賛美してるものだけ採用して
日本以外のものは侮蔑する感じの人でしょ

この板にも顰蹙かってる皇軍賛美の似たような奴いるけど
もしかして同一人物?
同じならアンチの嵐が来るのは必至だなw
71名無し三等兵:2008/07/01(火) 09:38:47 ID:???
>>66
杉山って日本賛美のトンデモで有名な杉山徹宗だったら大笑いだけどw
72名無し三等兵:2008/07/01(火) 10:15:10 ID:???
>>70
史料に基づいた書き込みすることが、何で日本を賛美することや、それ以外のものを
侮蔑することになるのさ?
本当の事を書くことがいけないことなの?
俺は日本以外の国の歴史も大好きだから、少しでも詳しく知りたくて資料や書籍を
漁ってるだけだよ。
73名無し三等兵:2008/07/01(火) 10:19:10 ID:???
歴史の改竄ってどこの国だってやってる事。
74名無し三等兵:2008/07/01(火) 10:24:20 ID:???
>>70
あんた、どっかで見たけどベトナムに有利なものや賛美してるものだけ採用して
ベトナム以外のものは侮蔑する感じの人でしょ
75名無し三等兵:2008/07/01(火) 12:28:48 ID:???
>>71
杉山正明だろ常考。こちらは過剰なまでのモンゴル賛美論者だがw
76名無し三等兵:2008/07/01(火) 12:34:43 ID:???
>>70
いるんだよなあこういう自分の信じてること否定されると発狂してレッテル張りに走る奴ww
>>60>>61はもしかして自演?
77名無し三等兵:2008/07/01(火) 18:35:45 ID:???
>>76
てか否定に対してソース貼っつけて理論的に自説を立証じゃなく
感情論(愚痴っぽい)を展開してるとこが、すでにあれかと
78名無し三等兵:2008/07/01(火) 18:37:43 ID:???
>>54
>>60
の方が自演に見えるw
文体のせいで・・・ 
79名無し三等兵:2008/07/01(火) 19:31:17 ID:???
>>61は単に>>60のトンデモに騙されただけじゃね?
>>61が自演ならそもそも「鎌倉武士も相当強かった」
なんて前おきしないだろ。
80名無し三等兵:2008/07/01(火) 19:40:34 ID:???
> >>61は単に>>60のトンデモに騙されただけじゃね?
ふむ、確かにそうかも
なんにせよ調べようとせずに書かれたこと盲信する>>61は反省すべきだなあ
81名無し三等兵:2008/07/01(火) 20:25:30 ID:???
上陸戦では兵力の中には船員が含まれるのは当然
オスマントルコのマルタ攻略戦での第1次攻撃部隊の兵力は
4万で内1万5000は船員

オスマン時代の艦船は大型化しているため、船員数は減っている

高麗史によれば兵力25000の内15000は漕ぎ手と明記されている
この割合を当てはめれば江南軍の兵力がたとえホントに10万であっても
実兵力は4万にしかならないな

あと気をつけなければならないのは戦死〜名の記述
この中には溺死など非戦闘により損失した者が含まれる
つまり戦死=非戦闘損失を含む全損失人数
台風による溺死者が実戦闘損失を遥かに上回ることは十二分に考えられる
82名無し三等兵:2008/07/01(火) 20:48:18 ID:???
上陸するにはだいたい古代でも10名の部隊で最低10m幅が必要だもんな
2500X10=25000m
2.5kmか

あと上陸できるところは砂浜や三角洲しかない

博多湾内以外の九州でそんな上陸できる広いとこあんのか
弘安のときは博多湾外だろ確か?
83名無し三等兵:2008/07/01(火) 21:44:14 ID:???
>>81
>上陸戦では兵力の中には船員が含まれるのは当然

どこの世界の「当然」だよw
海戦には当てはまっても陸戦および上陸戦では全然当てはまらないぞ
84名無し三等兵:2008/07/01(火) 22:18:00 ID:Z7at/Xhn
それにしても元のベトナム遠征軍が30万だの60万だの、そして25万が死んだなどという説を何の疑問も持たずに信じきってしまうのにはワロタwww
そんなにベトナムが強いなら南宋が対元戦争の同盟もとめていただろうし、ベトナムだって南宋滅亡前に南宋援助しただろう。
弱体化した南宋が江南にいた方が何かと都合いいだろうし。
>>67のいう通り世界戦史に燦然とその名を残すだろうしベトナムの将軍ハンニバルやアレクサンダー大王、いやいやジンギスハーン以上の名将と評価されているだろうに。
85名無し三等兵:2008/07/01(火) 23:04:21 ID:bk/3ZnEh
というか杉様は日本賛美とか日本に有利なことなんて書いてない気がするが。
>>70とか、もしかして杉山正明知らないのだろうか。
86名無し三等兵:2008/07/01(火) 23:15:15 ID:???
ちょっとあおられただけでここまで必死になるマルチニート久々見た
87名無し三等兵:2008/07/02(水) 02:05:00 ID:???
3000人送るだけでいいと評価されたヴェトナム…
88名無し三等兵:2008/07/02(水) 03:07:41 ID:???
杉やんのスタンスは基本、
「元はめちゃ友好的だったのに使者を切り殺した日本はおかしい」
「文永は勝ち戦なんでさっさと帰った、弘安は多分台風来なくても元負けただろう、でも江南軍は雑魚しかいなかったよ」

という感じ
89名無し三等兵:2008/07/02(水) 04:28:57 ID:???
>>82
志賀島から東へ延々広がる福間・赤間の大砂浜
糸島から毛屋方面へ果てしなく広がる遠浅の浜

お好きな方にどんじょ。あー、可也山籠もられたらちょっと骨だね。
90名無し三等兵:2008/07/02(水) 06:29:50 ID:???
プッ
91名無し三等兵:2008/07/02(水) 08:19:32 ID:???
船つくって海外に送り出す兵士が雑魚って
船作る経費考えりゃありえない

普通に精鋭になる
92名無し三等兵:2008/07/02(水) 15:11:37 ID:???
もし日本が負けていたら80万人ぐらいベトナムに攻め込ん
あーあ
93名無し三等兵:2008/07/02(水) 16:21:16 ID:???
大河ドラマの北条時宗は、宗孝親王が策謀はりめぐらしてた
あたりまでは面白かったな、元から使者がきたあたりから
詰まんなくなった。
94名無し三等兵:2008/07/02(水) 16:38:15 ID:???
>>92
日本は大戦中に武力を使わずベトナム人を200万人も餓死させた
まさに神だな
95名無し三等兵:2008/07/02(水) 17:30:18 ID:???
それって元々、フランスの仏印植民地政策で現地人の主食の穀物生産より
輸出用の農業生産にシフトチェンジしたとこに日本の仏印占領と天候不良が重なったんだよね
仏印に展開した日本軍部隊が現地の食糧食べてたって話聞かないし
前線での食材の材料が現地の農作物だったって事も聞かない
宗主国と植民地の政策ミスじゃない
日本軍が武力を使わずベトナム人をどうやって200万餓死させるの?
断食でもさせたねか?
後、推定でもいいからフランス植民地時代から日本軍進駐、独立戦争を経てベトナム戦争と
人口推移を頭に入れてる?
彼らは都合の良い歴史解釈で涌いて出てくる存在じゃなく
同じ人間だからさ
急には人口増えんし減った人口も戻らない
日本と同じだから
96名無し三等兵:2008/07/02(水) 17:35:57 ID:???
>>95
キチガイ現るwww
97名無し三等兵:2008/07/02(水) 17:43:42 ID:???
1930年代からベトナム戦争後のたった30年40年の間に都合いい解釈の為に彼らを数字上殺害し続ければ
絶滅してるだろ
現実の数字から目を背けて自分の都合で数字減らしをしてる方がキチガイだろ
98名無し三等兵:2008/07/02(水) 17:48:20 ID:???
だいたい仏からの独立戦争、アメリカとの長期にわたる戦争をした彼らに
日本軍が原因で200万の餓死社を出した苛酷な軍政を日本がしてれば
第二次大戦中に日本に対して大反乱が起きてるだろ
99名無し三等兵:2008/07/02(水) 20:22:12 ID:???
日本軍の暴挙に対し
ベトミンは日本軍の食料倉庫を攻撃し米を人民に配布した
鬼畜日帝から人民を救った
まさに神
100名無し三等兵:2008/07/02(水) 20:25:59 ID:???
>>99
そうそう。それが事実だってのに>>95みたいなキチガイがいるから困る
101名無し三等兵:2008/07/02(水) 21:03:42 ID:???
日本軍は1944年秋から45年春にかけベトナムで過酷な米収奪を行った
1000万人の北部ベトナムの人民のもとには僅か95万tの米しか残されなかった
この量では750万人に辛うじて生き延びられる量でしかなかった
鬼畜日帝はその搾取した米をフィリピンの日本軍や内地へ送った
ベトミンは日本軍の食料倉庫から米を奪取し人民に開放したが、量的には不足した

日本軍はベトナム人民の抵抗運動を焼き、45年8月敗戦降伏直前に
日本軍はなんの罪のない人口600人のキムソン村を攻撃し、非武装の村民に対し残虐行為を行った
102名無し三等兵:2008/07/02(水) 21:12:44 ID:???
>>101
うわーこりゃひでえ。鬼畜にもほどがあるだろ
どんなド外道だよクソ日本軍
103名無し三等兵:2008/07/02(水) 21:43:21 ID:brc2NBkb
イルボンマンセー


なーんちゃって
104名無し三等兵:2008/07/02(水) 21:53:39 ID:k7xQdrLc
軍板ってたまにどうしようもない低脳が湧くね
105名無し三等兵:2008/07/02(水) 23:51:35 ID:???
キィキィキィーーッ
今日はうるせぇな、猿が



倭猿って猿がよっ
106名無し三等兵:2008/07/03(木) 00:05:23 ID:???
前スレはまともだったのに。



このスレもこれまでじゃ。
107名無し三等兵:2008/07/03(木) 06:12:04 ID:???
どこがまともだ笑笑笑

見たらジャップ万歳の妄想スレだろ

笑笑笑笑笑
108名無し三等兵:2008/07/03(木) 07:15:35 ID:iPslXRGQ
あーあ、変なのが棲みついちゃった
109名無し三等兵:2008/07/03(木) 07:24:23 ID:???
ピエロ役が来たし、東アnewsみたいな流れにもっていくのかな?
110名無し三等兵:2008/07/03(木) 18:42:08 ID:???
こういうのいい加減な数字とわかってても国としては反論しにくいわな。敗戦国の悲しさよ
111名無し三等兵:2008/07/03(木) 23:37:54 ID:???
僻地の猿がほざいてる


うきぃ〜〜っ
俺が大将


うきぃ〜〜っ


糞まみれ、嘘まみれの猿が笑笑笑笑笑
112名無し三等兵:2008/07/04(金) 14:25:30 ID:C4Gev26M
>108
見たらどのスレも荒らされてるんだよな・・・何でだろ。
113名無し三等兵:2008/07/04(金) 16:33:19 ID:5aLJFrUB
朝鮮人ばっかですね
114名無し三等兵:2008/07/04(金) 16:38:34 ID:???
欧米系白人から見れば、支那チョンも日本人も同じ猿。
115名無し三等兵:2008/07/04(金) 23:10:39 ID:???
>>113
そういうお前は猿だろ

直立歩行できるようになったか
笑笑笑笑笑笑
116名無し三等兵:2008/07/04(金) 23:18:25 ID:???
いつも遊んでいる所に帰ってくれよ
117名無し三等兵:2008/07/05(土) 08:16:33 ID:???
>>88
杉さまは文永の役について「元軍は負け戦だと考えていた」って認めてるよ
118名無し三等兵:2008/07/05(土) 18:42:50 ID:???
>>117
まあ、最近は蒙古や高麗側の資料で負けを認めていたことが明白になっているからな。
もはや認めざるをえないだろう。
119名無し三等兵:2008/07/06(日) 00:16:06 ID:???
>>117
> 杉さまは文永の役について「元軍は負け戦だと考えていた」って認めてるよ
そうだっけ?

双方そこそこ損害があって、「派遣軍側も「日本手強し」という印象を受けた」
というような事は書いてあったはずだけど。
あと、「(『高麗史』はどうか知らないけど)文永の役はモンゴル側が負けた、と言う認識が
当時クビライ政権にあった形跡は無い。そもそも文永の役は威力偵察が任務だったろうから」
云々みたいなことを、お杉せんせは『モンゴル帝国の興亡』とかで書いていたはずだけど。
120名無し三等兵:2008/07/06(日) 07:29:16 ID:???
>>119
杉さまの著書は書いた年が後になるにつれて日本が強くなっていくんだよ。
そして、それに比例して戦後の元寇研究がタブー視されてほとんど手付かずだという
愚痴が増えていく。
『モンゴル帝国の興亡』以降の本と読み比べてみれば。
それから文永の役については、元史にも戦って負けたという記述がある。

元史卷一百五十二 列傳第三十九 劉通
「十年,遷征東左副都元帥,統軍四萬、戰船九百,征日本,與倭兵十萬遇,戰敗之。」
121名無し三等兵:2008/07/06(日) 12:51:54 ID:???
>>120
『元史』の劉通伝というか、その息子で文永の役で矢傷を負った劉復亨の伝か。

> 著書は書いた年が後になるにつれて日本が強くなっていく
面倒だけど気になるから一応は主だったものを見てみようか・・

最近読んだ新井孝重『蒙古襲来』の説明する、文永の役前後の九州に下向した御家人や在来の
九州北部一帯の御家人たちの動静を見る限り、「與倭兵十萬遇」とかは流石にあり得ないw
劉復亨は多分、元朝側(+高麗側)と日本側の記録で負傷が確認出来る唯一の人物みたいだから
そこら辺も関係あるのか。

他には『元史』に「戰敗之」とか書かれているところはあるの? 世祖本紀にはそもそも文永の役は
「行って帰って来た」くらいしか触れて無かったと思ったけど。
(というか文永の役も何時の間にか司令官が忻都から忽敦に変わってたり色々あるみたいだが)
122名無し三等兵:2008/07/07(月) 09:05:46 ID:???
「與倭兵十萬遇」が特に問題だとは思えん。
古今東西、大抵の合戦は敵味方双方の記録を照合すれば、敵側の兵数や損害は
何倍にも誇張されているものだから。
元、高麗、日本、関係国全ての史書に「元軍が戦って負けた」と書いてあるのだから、
その点についてはもう何の疑問の余地もないだろ。
123名無し三等兵:2008/07/09(水) 03:50:55 ID:???
いずれにせよ、竹ちゃんがコマンドーだったことだけは間違いない
124名無し三等兵:2008/07/10(木) 15:06:54 ID:???
まだ続いていたのか、このスレ。
「日本刀が凄いから勝てた」
「武士は針鼠状態になっても凄い鎧を持ってたから生きていた」
「ヨーロッパに勝ったモンゴルに勝った日本は世界最強」
「海上侵攻は陸上侵攻よりも簡単」
とか言っている愉快な人達はまだ残ってる?
125名無し三等兵:2008/07/10(木) 16:05:42 ID:???
元寇関連を読んでて思ったんだけど、ひょっとして日本の歴史学って相当レベルが低いんじゃない?
ベトナムのモンゴル軍30万を殲滅なんて記録をそのまま鵜呑みにするって19世紀以前のレベルじゃねえか。
126名無し三等兵:2008/07/10(木) 16:58:03 ID:???
ズバリ、日本の歴史学はレベルが低いのが悲しい
今ならネットで簡単に調べ物や裏を取る事ができるからマシだけど、
20世紀までの状況は酷いなんてモンじゃなかったからなぁ
127名無し三等兵:2008/07/10(木) 18:26:09 ID:???
>>125
>>126

>60なんか海外で言えばヘロドトスの「テルミピュライに参加したペルシャ軍の総数は500万」を鵜呑みにする様なもんだからな。
ソース検証なんか歴史学の初歩中の初歩だってのに…
128名無し三等兵:2008/07/10(木) 22:36:27 ID:???
日本の歴史学は政治と近すぎるのでは。

楠木正成の「忠臣」→「悪党」しかり、記紀や神話の扱いしかり、戦前戦後の振れ具合は極端過ぎると思う。
沖縄戦とか63年しか経ってないのにあんなにグダグダなので、730年前の元寇なんてどうなの、って感じ。

軍事に対する無理解も相変わらず。
民間で軍事が研究されないので、結局戦前も戦後も官製軍事学しか存在しないというお寒い状態。
「インテリは軍事に無知であれ」というのはもはや平安貴族並。この風潮は穢れ思想が由来なのか?
129名無し三等兵:2008/07/10(木) 23:23:22 ID:???
>平安貴族並
なんかすごく納得した
動乱期の例外をのぞけば日本史はおおむねそんな感じだね

室町期の軍事論・戦略論なんてきいたこと無いもんね
130名無し三等兵:2008/07/11(金) 00:12:44 ID:???
戦国時代の騎馬隊論争もだらだらと史料を引用するだけで、当時の馬具をつけ、訓練された日本馬を用意し武装した騎手を乗せて色々実験をするなんて事は誰一人やってないもんな(NHKが昔やった怪しい実験ぐらいしかない)
それどころか連中が馬に乗った事があるのかどうかすら怪しい。
海外じゃ三段櫂船を丸ごと作って実験したりしてるのに日本の古代〜中世軍事史のなんとショボい事。
131名無し三等兵:2008/07/11(金) 00:13:37 ID:???
>>125
ベトナム戦争以前は、ベトナムのモンゴル軍30万を殲滅なんて記録をそのまま鵜呑みになんかしていなかったよ。
だから、ベトナム戦争以前に書かれたベトナム史の本は、今では古本屋で中古車並の値段が付く。
現在では朝鮮通史のみで高麗史専門の詳しい本なんて皆無だけど、戦前はいっぱいあった。
元寇の軍事研究で最高の本は昭和6年に出版された竹内栄喜著『元寇の研究』。
全部イデオロギーのせいで物凄く退化しちゃったんだよ。。。
132名無し三等兵:2008/07/11(金) 06:57:09 ID:???
>>海外じゃ三段櫂船を丸ごと作って実験したりしてるのに
マジかよ。
こっちで言えば安宅船を作って実験するようなもんか。
日本じゃ考えられないな。
133名無し三等兵:2008/07/11(金) 07:33:26 ID:???
>当時の馬具をつけ、訓練された日本馬を用意し武装した騎手を乗せて色々実験をする
なんて事は誰一人やってない

じゃあ、君、日本の歴史学発展のためにその実験のスポンサーになってくれんかね
134名無し三等兵:2008/07/11(金) 08:06:33 ID:???
>>133
そんな金も時間も(ry
135名無し三等兵:2008/07/11(金) 08:43:40 ID:CRB2ijQt
でも以前テレビ番組でタレントが大鎧着たことがあった。
とにかく歩くのも一苦労といった感じで「武士ってこんな重いものつけて戦ってたんですかあ?」
と驚いていた。
時代劇の合戦シーンなんてありゃ全部嘘だと思った。
大鎧ってやっぱり機動性より矢合戦での防御専用に作られてるんだと思った。
136名無し三等兵:2008/07/11(金) 09:30:35 ID:???
>>135
大鎧って馬に乗って使用すれば、着ている人には重さが掛からないようにできてるの
徒歩で戦闘する人たちは胴丸っていう別の鎧を着用していたんだよ

137名無し三等兵:2008/07/11(金) 11:49:41 ID:???
鎧って大陸の方が重そうなイメージあるんだけど
138名無し三等兵:2008/07/11(金) 12:13:44 ID:???
>>135
そりゃろくに運動もしていない現代人のタレントに着させればそうなるだろ。
だが武士は戦闘が職業の人間だ。

それに大鎧の重量は30kg。
現代の兵士の携行装備は50kg近くになる事もある。
139名無し三等兵:2008/07/11(金) 13:37:12 ID:???
軍事をまともに研究してる大学って日本では防衛大以外にあるのだろうか。

東大は教養の国関、一橋は社学の平和学。
平和学ってのはアレだし、国関も安全保障がメインではないようだ。

私大だと、早稲田政経の「安全保障の研究」と「平和研究」、それに社学の平和学。
それから慶應法の安全保障論。ここが軍事に一番近いか…

国立大に安全保障の専門家がいないのはかなり問題だと思うんだけど。

何より、この板に大学関連のスレが一つも無いのが学界の状況を表しているような。
さすが趣味カテゴリに入れられるだけのことはあるなあ(笑)
140名無し三等兵:2008/07/11(金) 13:40:44 ID:???
昨年辺りは「シビリアンコントロール」とかいう言葉が流行ってたけど、軍事・安全保障の知識も無いのに一体どのシビリアンがコントロールするんだろう(笑)
141名無し三等兵:2008/07/11(金) 14:40:09 ID:???
シビリアンコントロールというのは

「戦争反対!!自衛隊はただちに解隊!!うぇ;AIIEJAkldqlkdj@ふじこ」



「自衛隊を直ちに国防軍にしろ!!シナチョン討伐!!うぇ;AIIEJAkldqlkdj@ふじこ」

のどつちかの事ですよ。
シベリアンコントロールというのは

「戦争反対!!自衛隊はただちに解隊!!うぇ;AIIEJAkldqlkdj@ふじこ」



「自衛隊を直ちに国防軍にしろ!!シナチョン討伐!!うぇ;AIIEJAkldqlkdj@ふじこ」

のどつちかの事ですよ。
142名無し三等兵:2008/07/11(金) 15:05:14 ID:???
史料から推定される文永の役

・元軍は博多正面には上陸していない。
・少弐氏率いる日本軍主力部隊の損害は皆無。

元軍の上陸地点は博多湾西岸の今津、百道原付近。
恐らく元軍は、対馬、壱岐、松浦党との戦闘が苦戦続きで、既に一杯一杯の状態だった。
そこへもってきて、赤坂へ派遣した部隊があっさりと菊池氏に蹴散らされたことにより、松浦党の背後には
更に装備や兵数の充実した日本軍本隊が、まったく無傷で温存されていることを知る。
ビビッた元軍は「小敵の堅は、大敵の檎なり」と撤退を決定。
雨天、夜間という悪条件の中を無理やり出港した元の艦隊は、博多湾の出口で岩に触れて1艘が座礁し、
溺死者多数。

日本軍の損害は、対馬80騎、壱岐100騎、松浦党数百人。
元軍の損害は、1万3500余人。
143名無し三等兵:2008/07/11(金) 15:40:27 ID:xDgyzBDY
>>142
そういや史料からは対馬守護宗氏と壱岐の平景隆と松浦党以外にこれといった高名な武将で戦死者はいないよなあ。
対馬も壱岐も80とか100人相手に征圧に何時間もかかってるようだし。
144名無し三等兵:2008/07/11(金) 16:58:52 ID:???
>>142
>>143
この事から考えても当時の世界最強の戦闘集団が武士だった事は明白だな。
世界最強のモンゴル軍をわずか10分の1で蹴散らしている。
145名無し三等兵:2008/07/11(金) 18:50:50 ID:mvtlQWVZ
二回目はフビライのテンションが低かったから適当だったと聞いたけどどうなの?
146名無し三等兵:2008/07/11(金) 19:27:17 ID:???
以前から気になってたんだが第三回の遠征の可能性ってなかったの?
もしあったとしたら二回続けて失敗してる太宰府狙いをもう一度繰り返してたかな?
147名無し三等兵:2008/07/11(金) 19:30:27 ID:???
>>145
1000隻の艦隊と20万の兵を送るのがテンションが低いと?
また鎌倉武士が強かったのを意地でも認めたくない連中の妄言か。
148名無し三等兵:2008/07/11(金) 19:42:51 ID:???
いやほんと鎌倉時代でよかったよ。平安時代だったら大変だわい
149名無し三等兵:2008/07/11(金) 19:52:15 ID:???
>>144みたいな奴って何とかならんのか。
こいつみたいなのがいたら「鎌倉武士は強かった派」がトンデモ扱いされる。
150名無し三等兵:2008/07/11(金) 20:49:48 ID:???
>>130
自らの乗馬経験を元に、鈴木真哉氏なんかの「騎馬軍団はなかったよ説」を批判している作家さんがいたな。
彼らは馬を知らないってかなり怒ってた。
151名無し三等兵:2008/07/11(金) 21:05:59 ID:???
>>148
>平安時代
刀伊の入寇
152名無し三等兵:2008/07/11(金) 21:24:49 ID:???
大変だったらしいね
153名無し三等兵:2008/07/11(金) 21:53:00 ID:???
>>148
811年・12月】新羅の賊船が対馬近海に出没し日本人を襲撃。
813年(弘仁4年)・2月】新羅人百人余、肥前小近島に来て島民を殺傷する。
869年(貞観11年)・5月】新羅の海賊、博多で掠奪する。
893年(寛平5年)・5月】 新羅の賊、肥前・肥後を襲う。
94年(寛平6年)・4月】 新羅の賊来る。大宰府に討たせる。
997年(長徳3年)】 高麗の賊が大挙して侵寇。多数の日本人を虐殺。
1014年(長和三年)】 高麗の賊が攻め寄せ、大宰府が討伐する。
1019年(寛仁三年)】50余隻の船団が来襲し、壱岐、対馬、筑前糸島、
志摩・早良諸郡を荒らして物資を奪い、家屋を焼き払い、老人子供は殺して丈夫な者だけを拉致。
154名無し三等兵:2008/07/11(金) 22:19:13 ID:???
全部海賊じゃん。
155名無し三等兵:2008/07/11(金) 23:20:40 ID:CRB2ijQt
>>144
鎌倉幕府は弘安の役のときは対抗できる兵力はちゃんと配置している。
北条時宗は北条一門で反抗的な名超一族や実兄の時すけを誅し朝廷も押さえ国内を統一している。

神風だけで勝てたなんていうのも馬鹿だが鎌倉武士が強いだけで勝てたというのもおかしい。
勝つには勝つだけの理由はある。
156名無し三等兵:2008/07/12(土) 01:56:05 ID:???
>>151
刀伊の入寇は文永の1/10以下の兵力で、しかも所詮は略奪目的の海賊にすぎない。
その程度の相手に相当やりたい放題やられている。

マジな話、元寇当時の日本がさらに劣化した平安後期の形骸律令国家だったら、ひとたまりもなかっただろう。
157名無し三等兵:2008/07/12(土) 02:22:01 ID:???
>>141
シベリアンコントロール?

木の数を数えさせるのですね。わかります。
158名無し三等兵:2008/07/12(土) 02:57:17 ID:???
>>155
>>勝つには勝つだけの理由はある
その理由が精強な鎌倉武士だった。
例えば菊池武房の僅か200名が10倍の元軍を蹴散らしたのはどう説明する?
言っとくが「元寇に参加した兵はモンゴル人じゃない」は言い訳にならないからな。
ユーラシアを征服したモンゴル軍の殆どはモンゴル人じゃないんだからな。
159名無し三等兵:2008/07/12(土) 02:57:22 ID:???
倭寇の際、日本の騎馬軍団は対馬海峡を渡って高麗を荒らしまわったんだよ。
「騎馬軍団はなかったよ説」とか「騎馬軍団は海を渡れない説」とか全部デタラメ。
160名無し三等兵:2008/07/12(土) 05:14:01 ID:???
>158
そりゃおまえ、ランボー「者」菊ちゃんが偉そうに突入するまえに
真のコマンドー竹ちゃんが蹴散らしていたからだろ

竹ちゃんが怒るのも無理はない
161名無し三等兵:2008/07/12(土) 05:25:34 ID:???
>>160
準備万端の10倍の敵軍に正面から突撃した粉砕したとでも思ってるんじゃねえの。
162名無し三等兵:2008/07/12(土) 05:38:18 ID:???
モンゴル帝国第4代大カアンのモンケが南宋に侵攻した際、モンケ直属軍の民族構成は元寇と同じ蒙古、漢人、高麗、女真。
163名無し三等兵:2008/07/12(土) 06:10:06 ID:???
元寇の元軍の内騎兵はどれ位含まれてたの?
蒙古襲来絵詞の元軍って軽装歩兵以外は描かれてたっけ?
164名無し三等兵:2008/07/12(土) 06:20:44 ID:???
>>163
大部分が騎兵。
すなわちユーラシアを征服した元軍と同一の物。
日本はそれを正面から打ち破った。
165名無し三等兵:2008/07/12(土) 08:17:08 ID:???
>>163
蒙古襲来絵詞には元軍の騎兵も描かれているよ。
更に集団で陣形組んで突撃する武士団も描かれている。

http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e03.jpg
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.jpg
166名無し三等兵:2008/07/12(土) 08:41:12 ID:???
大部分が騎兵?
167名無し三等兵:2008/07/12(土) 08:48:54 ID:???
>>153
最後のだったかな襲撃の報告したらたまたま神事の日で「こんな日に不吉な話を持ってくるな」って逆に怒られたのは。
御公家さんじゃダメだわ。
168名無し三等兵:2008/07/12(土) 09:11:03 ID:???
百年戦争とかでは、間に海があることがイギリス軍の編成に制約なんて全く与えていないよね。
例えば>>162のモンケの南宋侵攻で、ウリャンカダイ率いるモンゴル軍の編成は騎兵3000とタイ系ポ族1万。
当時のモンゴル軍は皆そんな感じ。
元寇のモンゴル軍だけ特別だったなんて考える理由はどこにも無いの。
169名無し三等兵:2008/07/12(土) 13:01:46 ID:???
>>百年戦争とかでは、間に海があることがイギリス軍の編成に制約なんて全く与えていないよね。
百年戦争時のイギリス軍は弓兵が主力で元々騎兵が極端に少ないんじゃないの?
それに初期にカレーを手に入れてそれを拠点に出来たんだから上陸してすぐに戦闘になった元寇の参考にはならないんじゃない?
>>モンケの南宋侵攻

それって陸路じゃ?

と言うか元側の史料にはっきりと「軍の内○○人が騎兵で○○人が歩兵」ってはっきり書かれてないの?
170名無し三等兵:2008/07/12(土) 13:13:32 ID:???
鎌倉時代の武士の部隊編成、指揮系統、戦術、軍制について知りたいんですけど何か良い本はありますか?
171名無し三等兵:2008/07/12(土) 14:11:08 ID:x74CxnhG
しかし元寇について学ぶと世界史がバカバカしくなるな。
モンゴル軍程度の雑魚に連戦連敗する様な情けない連中が何をやっても興ざめでしかない。
鎌倉幕府が当初の予定通り元への逆上陸をやればよかったのに。
世界最強の鎌倉武士なら簡単に元を滅ぼしシナを征服する事が出来たに違いない。
172某研究者:2008/07/12(土) 14:34:30 ID:v59QGBbS
30kgの歩人甲で機動性が低下した宋歩兵が
10kg以下の胴丸主体の日本の徒士の機動力で包囲され
やられたと言う可能性も有るだろうが
(まあ只平治物語絵巻では大鎧を着た徒士も居るが
 蒙古襲来絵詞では無いだろうか)
日本も騎兵突撃は南北朝時代迄は行われて居たと言うから
徒士は元軍の騎兵の突撃は防げたかも知れぬし
槍を持つ元軍騎兵は阻止出来たかのかだが
元軍騎兵も余り長い槍は持っていない訳だろうか

槍を持つ元騎兵に日本側の騎馬武者は対抗出来たのかだが
下馬して対抗したか
或いは射撃戦に持ち込んだのかどうかだが
173名無し三等兵:2008/07/12(土) 14:40:40 ID:???
某研究者がかぎつけたか…
終わったな。
174某研究者:2008/07/12(土) 14:42:16 ID:v59QGBbS
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.htm
元軍騎兵も可也短い槍しか無いが
日本の騎馬武者に対して此れで有利に
戦えたのかだが
175某研究者:2008/07/12(土) 14:50:49 ID:v59QGBbS
http://medieval2.heavengames.com/m2tw/history/historical_battles_folder/liegnitz_mohi_folder/index.shtml
唐の時代以降中国では馬鎧は廃れたと言うが
モンゴルでは残って居たのかどうかだが
此れを日本側の騎馬武者が弓で先に
倒せたのかどうかだが
下馬戦闘して盾越しに射撃すればだろうか
176名無し三等兵:2008/07/12(土) 15:00:37 ID:???
某研頼むから去ってくれ
177某研究者:2008/07/12(土) 15:03:55 ID:v59QGBbS
確かに一辺に書き過ぎたかも知れぬし
一旦撤退するが
http://www.twcenter.net/forums/showthread.php?t=73180
上に画像成り論評成りが有るが
此れの評価はどうなのだろうか
178名無し三等兵:2008/07/12(土) 19:39:21 ID:???
>>169
でも、その300年前のウィリアム1世によるノルマンコンクエストでは
騎兵がかなり多かったみたいだよ。まあドーバー海峡と対馬海峡とではかなり距離に差があるけど
179名無し三等兵:2008/07/12(土) 19:55:33 ID:???
>>178
それに上陸してすぐに対馬→壱岐→博多と連戦した元軍と違いギヨームは上陸から最小の戦闘まで2週間以上ある。
180名無し三等兵:2008/07/12(土) 22:14:23 ID:???
文永の役における元船団は九百隻で兵力は二万五千人。
仮にこの内五分の一程度、五千人が騎兵なら、騎兵一人につき代え馬が数頭いるので全部で一、二万頭の馬が船団にいた事になる。
そして当たり前だが馬一頭は人間一人より居場所をとるし世話をする人間も必要だ。
いい所で騎兵千人、馬三千〜四千頭くらいが限界じゃないか?
181名無し三等兵:2008/07/12(土) 22:45:48 ID:???
>>180
九百隻の内輸送船は三百隻で残りは小舟や軍船だった筈だ。
と言っても一隻辺り80名程度なのでそれほど大型の船ではない。
騎兵五千、馬一万五千頭なら一隻辺り50頭。
やはり無理があるな。

誰か文永の役で使われた元の輸送船の構造図みたいな物はもってないの?
そう言うのがあれば結構簡単に答えが解ると思うんだが。
182名無し三等兵:2008/07/13(日) 03:42:28 ID:???
元は確かインドネシア方面を征服しようとして断念したこともあったよね。
あまり船との相性が良くなかったのか
183名無し三等兵:2008/07/13(日) 08:50:36 ID:???
>>178
ノルマンコンクエストでギヨームが渡ったのはドーバー海峡ではないから。
ディーブ河口→サン・ヴァレリー→ぺヴンジーで、距離的には対馬→壱岐→博多とほとんど一緒。

>>180
代え馬が必要なのは陸路を長距離侵攻する場合で、船に乗って大宰府攻めるのに代え馬なんて必要ないよ。
一人一頭で十分。
それに、対馬、壱岐、松浦辺りのローカルな勢力に過ぎない倭寇ですら騎兵700人を渡航させているのに、
元や高麗が国家事業として行なった元寇で騎兵千人が限界なんてありえない。

あと、騎兵が多かった渡海侵攻では第4回十字軍があるけど、この時の艦艇数は約200艘。
その内約150艘が輸送船で、ヴェネチアの試算では騎士4500人分の馬が輸送可能だった。
184名無し三等兵:2008/07/13(日) 09:44:00 ID:???
>>181
文永の役で使われた元の輸送船については、「歴史の海を走る―中国造船技術の航跡」で山形欣哉が試算してる。
それによると約420トン。
1268年にルイ9世が十字軍用に120艘注文したウシャー船114トンの3倍以上。
ただ、第4回十字軍で使用されたのはウシャー船よりも大型のナーヴェという帆船だったけど。
185名無し三等兵:2008/07/13(日) 12:29:51 ID:???
上でも言ったけど、元側の史料にはっきりと「軍の内歩兵は○○人、騎兵は○○人」って書いてないの?
そうならこんな憶測だらけの議論なんてすぐに終わるのに。
186名無し三等兵:2008/07/13(日) 12:47:15 ID:???
文永の役じゃ元軍は何週間も船上で過ごしてたけど馬はどうしたの?
カイバも水もすぐに無くなりそうだし馬もストレスでバテるか下手すりゃ死んでしまいそうだけど。

結局モンゴル騎兵が元寇で活躍出来なかったのは鎌倉武士が圧倒的にモンゴル騎兵より強かったから?
187名無し三等兵:2008/07/13(日) 12:57:11 ID:???
元寇の少し前、元軍は樺太に上陸して、こちらの方は占領に成功しているんだよな。
樺太のアイヌは、元寇の後も元に臣従していたりする。
188名無し三等兵:2008/07/13(日) 14:05:32 ID:???
>>186
>>文永の役じゃ元軍は何週間も船上で過ごしてたけど馬はどうしたの?
弘安の役の事だろ?
>>結局モンゴル騎兵が元寇で活躍出来なかったのは鎌倉武士が圧倒的にモンゴル騎兵より強かったから?
少なくとも弘安の役に関して言えば橋頭堡を築けなかったんだから騎兵が活躍する以前の問題。
189名無し三等兵:2008/07/13(日) 15:42:14 ID:???
騎兵を運用する上で最大のネックは馬糧。
鯨飲馬食は単なる諺ではない。
そこら辺の草食わすだけではまともに馬は育たん。
190某研究者:2008/07/13(日) 16:21:35 ID:w/vV4kAR
野戦でも日本軍がモンゴル軍を包囲し勝利しているが
奇襲に拠る物だったかも知れぬし
モンゴル騎兵に包囲される前に逆に包囲したと言う事かも知れぬが
モンゴル騎兵に包囲されたり側面や背後を衝かれれば
日本の歩兵+下馬騎兵も勝てたのかだろうし
騎兵対騎兵の戦いでも日本側は槍は無いから
勝てたのかどうかだが
191名無し三等兵:2008/07/13(日) 17:18:35 ID:???
>>185
書いてないよ。
そもそも、モンゴル軍の戦闘全てで「軍の内歩兵は○○人、騎兵は○○人」と書いてあるわけじゃないし。

>>189
馬糧がネックとなるのはむしろ陸上侵攻の場合ね。
船の輸送力は陸運よりも圧倒的に大きいから。
陸上では運搬手段が無い。
仮に馬一頭が100キロの荷物を輸送できるとして、その馬が1日10キロの馬糧を消費するとした場合、
10日以上離れた場所に馬糧を輸送することはできないという計算になる。
192名無し三等兵:2008/07/13(日) 18:33:22 ID:???
3万5000人の重量は平均60kgとすれば2100トン
成人男性は1日2kgほど食料を消費するから2週間分積むとすれば1000トン
馬1頭400kgとして5000頭いれば2000トン
秣は馬1頭1日10kgとすれば2週間分で700トン
装備(鎧、武器、矢、衣服)は1人平均30kgとして2万5000人分で700トン
合計で6500トン

420トンの船って積載量はどれくらい?

>>船に乗って大宰府攻めるのに代え馬なんて必要ないよ。
なんで?
馬が負傷したらお終いじゃん。
それに大宰府落としたらめでたしめでたしってわけじゃないんだから。
193名無し三等兵:2008/07/13(日) 18:45:47 ID:???
>>船の輸送力は陸運よりも圧倒的に大きいから。
なら換え馬を輸送するのは全く問題ないな。
194名無し三等兵:2008/07/13(日) 18:47:43 ID:???
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq11h.html#10203
 馬を世話すると分かるが,水は一日も欠かせない.しかも大量に.
 カイバもそう.
 運動も必要だ.
 これらを欠かすと,すぐに馬は病気になる.
 狭い船の中で,しかも熱気のある環境だとすぐにくたばる.
 馬は暑いのが苦手だからね.
 江南の軍の渡来では,あそこから馬を運んでくるのは,上記の理由を持って不可能といってよかった.(馬が途中でへばってしまう).
 したがって長途航海に馬を運搬するのが至難だというのは,容易に想像がつく.

 また元寇の間,元軍は船上で日常生活?を送っていたと思える.
 馬を帯同していたら食餌等の問題で,船上生活は不可能だろう.

 仮にそれらをなんとかできたとしても,玄海灘なら2日くらいでなんとか越えられるが,日本に到着したら即刻,馬を下船させ,水やカイバを与えなければならない.
 幸いに日本は清流の国なので,水は豊富だが,与える牧草は供給に苦労するだろう.
 モンゴルが大陸を制覇したような,機動的な騎馬戦を日本国土で展開するのは不可能といっていい.

 事実,蒙古絵を見ても,馬に乗った蒙古兵は描かれてない.
 蒙古兵の力は日本では発揮することができなかった.

 したがって,モンゴル軽騎兵ではなく,散開歩兵であったと思われる,
 これでは,弓術に秀でた鎌倉武士の騎馬隊に対し,充分な攻勢を示せず,橋頭堡を確保するどころか,慣れぬ船上生活に押し込められたまま消耗してしまったのだろう.

 要するに,日本侵攻には無理があったということです.
195某研究者:2008/07/13(日) 21:37:59 ID:w/vV4kAR
蒙古襲来絵詞には騎兵が描かれて居るが
馬が暑さに弱いとすれば侵攻に暑くない季節を選ばなかったのは
何故なのかだが
196名無し三等兵:2008/07/14(月) 01:28:24 ID:???
海賊が平安時代に対馬・壱岐・九州沿岸さんざん荒らしたんで高麗が簡単に上陸して橋頭堡築いて涼しくなったら
1年以内に平定できるとか組易しと教えて上陸した後の事考えたんじゃないかな。
197名無し三等兵:2008/07/14(月) 03:40:25 ID:???
>>195
簡単
暑くない季節は海が荒れるから
198名無し三等兵:2008/07/14(月) 08:50:49 ID:???
>>192
フビライが高麗に建造を命じた大型船が「米3、4千石積載可能」だから、1石60キロとして1艘180〜240トン。
300艘の合計で5万4000〜7万2000トン。

余裕だろ。

ヴェネチアが第4回十字軍で騎士4500人、従者9000人、歩兵2万人を聖地まで運ぶのに必要な輸送船の数を
150艘と試算してるんだから、こんなの当然なの。
ようするに、馬を輸送するのに海は障害でも何でもないんだよ。
実際、「蒙古襲来絵詞」にだってモンゴル騎兵が多数描かれてるし。
199名無し三等兵:2008/07/14(月) 09:04:17 ID:???
>>192
それから文永の役の元軍の兵力は、事前に耽羅島人から得られた「大宰府侵攻には兵2〜3万人が必要」との
情報をもとに設定されたものね。
200名無し三等兵:2008/07/14(月) 10:05:54 ID:???
もし、台風が来ないで、元軍が無事に十数万の兵力を揚陸できたら、
その後どんな展開になったんだろう?日本側も京から増援を呼び寄せて決戦とか燃えるな。

ただ史実を見てみると、台風が無くとも主力の揚陸もできず、そのまま何週間も無為に
海上で過ごして、そのまま撤収しちゃいそうな気もするが。
201名無し三等兵:2008/07/14(月) 13:31:06 ID:???
中世欧州で一般的だった三層甲板船を例に出してみる。
これは最大で馬百頭か歩兵六百名まで搭載する事が出来た。
ただし、実際は飼葉や水の問題で30〜40頭以上搭載する事はマレだった。
例えば1174年にノルマン人がアレクサンドリアを襲撃したときは36隻の船に1500頭の馬を載せていた。

元軍の船はどう考えても上記のノルマン人の船より大きいが、とりあえずそのまま当てはめれば12000頭の馬を輸送する事が出来る。
この内半分が換え馬でも6000騎の騎兵を輸送出来る。

だが
>>馬を輸送するのに海は障害でも何でもないんだよ。
と言うのは極論に過ぎる。
>194で出ている通り馬を海上輸送するには困難がつき物だ。
現代の、1日ですむ飛行機でさえ馬に与えるストレスは結構な物だ。
それが更に狭く、揺れる船の中なら馬が経験するストレスは相当な物だろう。
そして温暖な地中海を進む十字軍と違い彼らが航海するのは激しい玄界灘だ。
202某研究者:2008/07/14(月) 14:56:03 ID:e6Ocg7eC
日本側は兵の1割は騎馬武者だから
20万動員出来ても最大2万の騎馬武者しか
投入出来ない訳だろうか
203名無し三等兵:2008/07/14(月) 15:16:40 ID:???
鎌倉時代じゃ軍勢は○○人じゃなくて○○騎と書かれるけど実際に全員が騎乗してたわけじゃないんでしょ?
204名無し三等兵:2008/07/14(月) 16:03:23 ID:???
1騎につき3、4人の歩兵がつくのが一般的だったよう
205名無し三等兵:2008/07/14(月) 17:25:13 ID:???
>>198
結局の所、元寇が失敗した理由はなんでだと思います?
206名無し三等兵:2008/07/14(月) 18:10:19 ID:???
>>205
鎌倉武士の武器や戦術がモンゴル軍よりも優れていたからだよ
207名無し三等兵:2008/07/14(月) 18:25:49 ID:???
>>206
具体的にはどの辺りが?
208名無し三等兵:2008/07/14(月) 18:33:06 ID:???
>>207
針鼠状態になっても問題ない世界一堅牢な鎧
世界一切れ味が鋭い日本刀
世界一威力と射程がある和弓
世界で他に例が無い日本にしかない兵科重装弓騎兵
209名無し三等兵:2008/07/14(月) 18:45:51 ID:???
島国で内輪もめを繰り返していただけの封建戦士集団が、あらゆる種類の軍隊と戦い続け史上最大の帝国を築き挙げたモンゴル軍より優れていたと言うのはどう考えても不自然に感じる。
それでは鎌倉武士が世界で最強の軍隊になってしまうし外敵と殆ど接触が無かった鎌倉武士が「たまたま」世界で最も優れた軍制を作ったと言うご都合主義的な話になってしまう。

それとも>>206氏が言いたいのは鎌倉武士が絶対的にではなく相対的にモンゴル軍より優れていた(相性が良かった)と言う事で、
例えば、鎌倉武士が当時のフランス軍やマムルーク軍と戦っても圧勝すると言う事ではないと言う事か?
210:2008/07/14(月) 18:52:31 ID:???
最強かはさて置き
あらゆる種類の軍隊と戦い続け史上最大の帝国を築き挙げたモンゴル軍は
日本には勝てなかったってのは事実だな
211名無し三等兵:2008/07/14(月) 18:54:40 ID:???
重装弓騎兵なんてスキタイ人の時代からある中東や中央アジアじゃありふれた兵科だろw
212某研究者:2008/07/14(月) 19:01:20 ID:e6Ocg7eC
>針鼠状態になっても問題ない世界一堅牢な鎧
>世界一切れ味が鋭い日本刀
>世界一威力と射程がある和弓
>世界で他に例が無い日本にしかない兵科重装弓騎兵

モンゴル軍にも弓を持つ重装騎兵は居るだろうし
騎兵の比率は恐らく日本側より多く
槍迄有ると言う事だろうから
装備では無く奇襲や夜襲・防塁の利用等の戦術で勝利したと言う
事かも知れぬが
213名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:02:02 ID:???
>>210
その通り。
世界最強の奴に勝った奴が世界最強なのは幼稚園児でも解る理屈だ。
ラオウに勝ったケンシロウはラオウより強い。
当たり前の話だ。
だから当然鎌倉武士は13世紀当時の世界最強の軍隊になる。
この輝かしい事実を受け入れられないのは日本人ではなく在日やサヨクに類する人間だ。
214名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:03:19 ID:???
>>212
菊池の200騎はモンゴル騎兵2000騎に正面から突撃して蹴散らしている。
奇襲などが入り込む余地は無い。
鎌倉武士はモンゴルとガチで戦い、完全に完膚なきまでに粉砕した。
これが唯一の事実。
215某研究者:2008/07/14(月) 19:06:43 ID:e6Ocg7eC
奇襲も防塁も利用不能な状況なら
騎兵同士の戦いで敗れて
歩兵の背後や側面を突かれればアウトかも知れぬし
側面や背後を突かれぬ様な場所に布陣し
正面からの騎兵突撃を阻止し続けたとしても
モンゴル軍の槍を持つ下馬騎兵や
宋の歩人甲を装備した重装歩兵には勝てるのかどうかだが
216某研究者:2008/07/14(月) 19:08:08 ID:e6Ocg7eC
>菊池の200騎はモンゴル騎兵2000騎に正面から突撃して蹴散らしている。
>奇襲などが入り込む余地は無い。

槍を持つモンゴル騎兵に刀で突撃して
果たして勝てるのかだろうし
弓の扱いに差が有る訳でも無い訳だろうから
此れは事実なのかどうかだが
217名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:08:55 ID:???
>>215
だからそんな事は関係ないんだって。
双方の史料に残っているのは「鎌倉武士200騎がモンゴル騎兵2000騎を正面から粉砕した」と言う事実だけ。
218名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:10:24 ID:???
>>216
和弓は世界に例の無い竹と木の複合弓で、その射程と威力はモンゴル弓を遥かに上回る。
また、和弓は盾を完全に粉砕する凄まじい矢を放つ事も出来た。
そして鎌倉武士は子供の頃から弓を扱うプロなので腕もモンゴル騎兵よりも遥かに上。
219某研究者:2008/07/14(月) 19:14:05 ID:e6Ocg7eC
>モンゴル軍の槍を持つ下馬騎兵や
>宋の歩人甲を装備した重装歩兵には勝てるのかどうかだが

此れに対して下馬した騎馬武者で応戦すれば
可也持ち堪えられる可能性も有るだろうが
果たしてどうだろうか
(宋やモンゴル軍の槍が短槍なら
 長巻でも勝算は有るのかどうかだが
 宋には長柄刀も有るが
 宋の重装歩兵は日本の下馬した騎馬武者には
 勝てるのかどうかだが)
220名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:16:51 ID:???
という妄想でした

カマクラ基地害って当時のモンゴルの人口、今より多かったとおもってんのか
そんなに各地に大兵力なんかいるかよ
ましては日本みたいな僻地攻めるのにモンゴル人裂くわけないじゃろw
221某研究者:2008/07/14(月) 19:18:08 ID:e6Ocg7eC
>和弓は世界に例の無い竹と木の複合弓で、その射程と威力はモンゴル弓を遥かに上回る。

射程に関してはモンゴル弓の方が上と言う意見も多いが
果たしてどうだろうか
(和弓の燻した竹と角何れの反発力が
 上なのかだが)

>また、和弓は盾を完全に粉砕する凄まじい矢を放つ事も出来た。

蒙古襲来絵詞を見るとモンゴル軍の盾は藤製だから
打ち砕けるのかどうかだが
逆に日本側の木の盾が打ち砕かれる危険は無いのかどうかだが


>そして鎌倉武士は子供の頃から弓を扱うプロなので腕もモンゴル騎兵よりも遥かに上。

モンゴルも此れは同様と言う事は無いのかどうかだが


まあ装備面は兎も角戦術面では日本側が勝利と言う事かも知れぬし
モンゴル軍も実戦を経験しているにしては
日本軍の奇襲や夜襲に対処出来ていない訳だろうか
222名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:26:47 ID:???
>>219
だから現実を見ろって。
鎌倉武士は現実に元軍を完全に粉砕している。
そんな細かい議論なんてどうでもいい。
鎌倉武士が元軍を壊滅させたと言う事実のみが重要。
>>220
少なくとも日本よりは遥かに多いな。
ちなみに元寇の元軍は東欧を制圧したバトゥの軍と同じ編成だから。
モンゴルは自軍の最強部隊を日本に送り、完膚なきまでに粉砕されたのだ。
223名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:29:13 ID:???
>>221
>>射程に関してはモンゴル弓の方が上と言う意見も多いが
それは嘘。
モンゴル弓の有効射程は精々200m。
和弓はその二倍はある。
>>モンゴルも此れは同様と言う事は無いのかどうかだが
厳しさが全く違う。
鎌倉武士は火器管制システムがついてるとしか思えない程正確に矢を放つ事が出来たのは少し調べれば解る事だ。
224名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:32:44 ID:???
これはさすがに釣りか?
あまりにも頭が悪すぎる。
225某研究者:2008/07/14(月) 19:33:46 ID:e6Ocg7eC
>それは嘘。
>モンゴル弓の有効射程は精々200m。
>和弓はその二倍はある。

同種の構造のトルコ弓の射程は
600mと言う意見も有るが
どうなのだろうか

まあ3度目の遠征も計画され居た様だが
日本側も鎌倉末期からは槍を利用し出した訳だろうし
モンゴル軍に装備面でも対抗可能とは成ったかも知れぬが
226名無し三等兵:2008/07/14(月) 19:37:35 ID:???
こいつらの話を聞いてると鎌倉武士なら米軍にも圧勝しそうな気がしてくるから困る。
227某研究者:2008/07/14(月) 19:40:28 ID:e6Ocg7eC
http://www.23ch.info/test/read.cgi/history/1158940720/
モンゴルの矢は長射程だが軽い為に武士の鎧を容易に貫く事が出来なかった。
船の上からだと弓による狙撃はまず不可能で結果大量に消費する一斉射撃を
繰り返して弓矢の欠乏を招いたとか。
逆に日本の矢は短射程だが重量が有り、硬く鋭い矢じりは、射程内なら皮の鎧を
貫く事が出来た。上陸してくる敵を狙撃する事で効率よく殺せた事とか。


弓は日本のほうが射程も殺傷力も遥かに上
さらに、『弓馬の道』『海道一の弓取り』という言葉が示すように
武士の主戦兵器が弓であり、熟達していた
隊列を組んで整然と前進してくる元軍に対して
長大な射程を生かして後方の指揮官を弓で倒す
作戦を取っていた模様
228某研究者:2008/07/14(月) 19:41:17 ID:e6Ocg7eC
モンゴル軍の矢は長射程だが威力が無く
モンゴル騎兵は槍がメインウエポンだから
弓の扱いは余り良くは無かったのかどうかだが
229某研究者:2008/07/14(月) 19:53:34 ID:e6Ocg7eC
http://ihbaa.org/mgl-f/w-mongol.html
>1245〜47年の間、第三代グュク汗治世のモンゴルを旅したジョン・ド・ピアノ・カルビニ修道士の記録によれば、
>「モンゴル人は、2張の弓と、30本の矢が入った矢筒を2、3個備え、矢は2種類あり、小型で鋭利な鏃を装着した長距離用と重く幅広の鏃を装着した近距離用と区別し携帯していた」といわれています。
>しかし、当時の鏃の遺品には他にも様々な形態の物があることから、矢の使い分けはより多彩であったことが推察できます。

モンゴル軍は一応重い矢も
使用していた訳だろうか
230名無し三等兵:2008/07/14(月) 20:29:51 ID:???
>>長大な射程を生かして後方の指揮官を弓で倒す
>>作戦を取っていた模様
どうやって指揮官の位置を確認出来るんだ?
231名無し三等兵:2008/07/14(月) 20:34:53 ID:???
モンゴル兵の扱う弓は射程の短く小さな弓だが、馬上て巧みに
使う技術でもって相手を倒した、と聞いたことがあるが。
232名無し三等兵:2008/07/14(月) 20:48:39 ID:???
>>165
上は歩兵と敗走する指揮官にしか見えない。
下も矢筒や刀剣の位置などから考えてもモンゴル・テュルク系の騎兵にはぜんぜん見えないし弓を持ってない騎手すらいる。
そしてモンゴル軍のドクトリンにおいて決定打を与える存在の装甲騎兵がまるで見られない。
モンケの南宋遠征と同じく主力は漢人、女直人、高麗人ではないのか。

そもそも元寇の史料は陸戦に関しては断片的な記述しかなく、結果だけが書かれてる物が殆どなので憶測だらけになってしまう。
元軍の内騎兵が何割を占めていたのかすら解らないのだ。

結局解る範囲での元軍の敗因は
・不慣れな海上侵攻
・対馬、壱岐、博多と連戦で疲弊した兵
・本来の戦力である軽騎兵と装甲騎兵の不在
・鎌倉武士の予想以上の頑強な抵抗
辺りに落ち着くのではないか?

少なくとも「鎌倉武士はろくな抵抗も出来なかったが神風が来たので助かった」や「鎌倉武士がスーパーマンで世界最強だったので勝てた」なんて説よりはよほど説得力があると思うがいかがか。
233名無し三等兵:2008/07/14(月) 20:50:08 ID:???
残っている絵を見る限り、モンゴル弓って複合素材のリカーブボウだし
リカーブしてない和弓に比べて、そんな圧倒的に威力が劣っていたとはとても思えない、
それどころかむしろ威力は強かったって考える方が自然だと思うんだけれど
234某研究者:2008/07/14(月) 20:53:46 ID:e6Ocg7eC
和弓の両端部もやや外側に湾曲が有るが
此れの効果はどうなのかだが
235名無し三等兵:2008/07/14(月) 20:56:43 ID:???
>>233
キチガイにマジレス(ry
236某研究者:2008/07/14(月) 21:11:18 ID:e6Ocg7eC
西欧軍等すれ違い様に斬れない
直刀等を使っていては
槍の無い騎兵は突撃時には脆かったと言う事は無いのかどうかだが
直刀でも太ければ騎兵のすれ違い様でも
何とか斬れると言う事は無いのかだが
237名無し三等兵:2008/07/14(月) 21:54:43 ID:???
鎌倉武士最強派って打通と同じ匂いがする。
238名無し三等兵:2008/07/14(月) 22:35:01 ID:???
モンゴル軍最強派なんてまともなソース出して無いじゃん
239名無し三等兵:2008/07/14(月) 23:02:28 ID:???
騎兵って結構重要なんだけど、経済的・訓練的に問題が多い兵科だよね。

鎌倉武士みたいに、重装長弓騎兵が主戦力なんていう軍隊が世の中に存在
するほうがおかしいんだよ。普通は、全軍の5%も用意できれば良い方。
主戦力は歩兵で、騎兵は後方に回り込むなど機動を活かした補助的な使い
方をされる。そこに、弓なんていう更にコストがかかる兵装?%F
240名無し三等兵:2008/07/14(月) 23:06:39 ID:???
騎兵って結構重要なんだけど、経済的・訓練的に問題が多い兵科だよね。

鎌倉武士みたいに、重装長弓騎兵が主戦力なんていう軍隊が世の中に存在
するほうがおかしいんだよ。普通は、全軍の5%も用意できれば良い方。
主戦力は歩兵で、騎兵は後方に回り込むなど機動を活かした補助的な使い
方をされる。そこに、弓なんていう更にコストがかかる兵装をつけた弓
騎兵自体更にレアな存在。ある事はあるけど、主力ではない。

しかし、鎌倉武士は標準の主力兵装が重装長弓騎兵だぜ。長弓の射程・殺傷
力と、騎兵の機動力だぜ。しかも、重装だから敵の弓に対してもそれなりに
耐えられる。ボクシングで言うなら、超アウトボクサーの癖にパンチが重く
て打たれ強いっつー滅茶苦茶な設定になる。

地形に熟知したホーム側が、アウトレンジで長弓を射掛けてくるんだぞ。
そりゃ、いくら元軍でもどうにもならんだろ。

後、ご恩と奉公の関係があり、子孫のために家名を汚さない事を旨とした
武士集団は、?
241名無し三等兵:2008/07/14(月) 23:08:29 ID:???
元軍に討たれたか
242名無し三等兵:2008/07/14(月) 23:09:32 ID:???
騎兵って結構重要なんだけど、経済的・訓練的に問題が多い兵科だよね。

鎌倉武士みたいに、重装長弓騎兵が主戦力なんていう軍隊が世の中に存在
するほうがおかしいんだよ。普通は、全軍の5%も用意できれば良い方。
主戦力は歩兵で、騎兵は後方に回り込むなど機動を活かした補助的な使い
方をされる。そこに、弓なんていう更にコストがかかる兵装をつけた弓
騎兵自体更にレアな存在。ある事はあるけど、主力ではない。

しかし、鎌倉武士は標準の主力兵装が重装長弓騎兵だぜ。長弓の射程・殺傷
力と、騎兵の機動力だぜ。しかも、重装だから敵の弓に対してもそれなりに
耐えられる。ボクシングで言うなら、超アウトボクサーの癖にパンチが重く
て打たれ強いっつー滅茶苦茶な設定になる。

地形に熟知したホーム側が、アウトレンジで長弓を射掛けてくるんだぞ。
そりゃ、いくら元軍でもどうにもならんだろ。

後、ご恩と奉公の関係があり、子孫のために家名を汚さない事を旨とした
武士集団は、「一命を賭して」という時に本当に命を賭けてしまうわけで。
その点で、士気に相当な差があって、それも戦果に影響を与えた面も大きい
と思う。

つーわけで、大陸の軍隊のありとあらゆるお約束が通用しない、変態軍団
に出会って、元軍も相当に戸惑ったものと思われる。
243名無し三等兵:2008/07/14(月) 23:53:56 ID:???
とりあえず落ち着けと
244名無し三等兵:2008/07/15(火) 00:24:35 ID:???
現代で例えると主力部隊が全部戦車師団か。めちゃめちゃ贅沢だな。
移動もトラックじゃなくて全員戦車。地平線まで埋め尽くす限りの戦車。
攻撃はとにかく主砲。みんな主砲。銃の代わりに主砲。
245名無し三等兵:2008/07/15(火) 04:25:39 ID:???
白藤江の戦いって両者合わせても二万いかないんだ…
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Bach_Dang_%281288%29
246某研究者:2008/07/15(火) 09:24:42 ID:oxMNINaQ
槍を持つ騎兵に騎馬武者が太刀で飛び込んで
すれ違い様に数人を斬ると言う様な真似は可能なのかだが
敵が密集していれば槍に一方的にやられ得る訳だろうか
247名無し三等兵:2008/07/15(火) 09:41:06 ID:???
>>232
元寇以後、日本側も元側もはっきりと日本の方が強いと認識してるだろ。
単に元軍が日本へ攻め込んでも勝てないというだけではない。
元へ来航する日本人は強気になる一方だし、それに対する元側は腰の引けた対応しかできないし。
ホームの利や騎兵の有無が問題なら、何で元本国でも日本人に弱腰になっちゃうのさ?
248名無し三等兵:2008/07/15(火) 10:08:57 ID:???
>>246
それはどれくらい練度に差があるかだから、何人にまで囲まれても大丈夫とか一概には言えんだろ。
達人レベルの武士だったら相手の槍の穂先なんて切っちゃうだろうし。
249名無し三等兵:2008/07/15(火) 10:43:03 ID:???
テレビドラマの見過ぎ
250名無し三等兵:2008/07/15(火) 11:54:10 ID:snSs2CBW
ちょwwww日本史板の方のスレが物凄い加速してるんだがwwww
普段めちゃ過疎ってるのになんでまたいきなりwwww
251某研究者:2008/07/15(火) 12:48:06 ID:oxMNINaQ
奇襲や地形を利用不能なら
敵騎兵を足止めしつつ
歩兵の優位な機動力を利用し
敵歩兵を包囲すると言うのが妥当かも知れぬが
騎兵対騎兵の闘いで勝てるのかどうかだが
(騎兵戦力が劣勢でもザマの様に騎兵を偽装撤退させている内に
 或いは敵騎兵を足止めしている内に
 歩兵を歩兵で包囲すると言う様な手も有る訳だろうが
 果たして上手く行くのかどうかだが)
252某研究者:2008/07/15(火) 12:56:38 ID:oxMNINaQ
モンゴルの軽騎兵を日本側の騎馬武者が
足止め出来るのかと言う問題は有る訳だろうし
彼等だけで歩兵に突入されればだろうが
偽装退却をすれば軽騎兵も騎馬武者に
追随して来る可能性は有る訳だろうか


>それはどれくらい練度に差があるかだから、何人にまで囲まれても大丈夫とか一概には言えんだろ。
>達人レベルの武士だったら相手の槍の穂先なんて切っちゃうだろうし。

密集して槍を構えて突撃して来る騎兵相手に
太刀で対抗可能なのかだが
突撃をせずパルティアンショットに徹すればだろうが
相手の弓の応射も有るかも知れぬし
軽騎兵に包囲されてやられる危険は有る訳だろうか
253某研究者:2008/07/15(火) 12:59:40 ID:oxMNINaQ
日本の騎馬武者がモンゴルの軽騎兵に包囲され
足止めされている内に
モンゴル重騎兵が日本の歩兵に突入したり
歩兵を足止めすれば
日本の歩兵がモンゴル歩兵を包囲するのは困難に成る訳だろうか
254某研究者:2008/07/15(火) 13:25:05 ID:oxMNINaQ
モンゴル歩兵も軽歩兵だけ分離して機動し
日本側の歩兵を包囲すれば
逆に殲滅されるリスクも有る訳だろうが
日本側も装甲の無い歩兵と言うのは
居たかも知れぬから
彼等を利用してモンゴル軽歩兵を
足止めは出来ないのかどうかだが
255某研究者:2008/07/15(火) 13:34:41 ID:oxMNINaQ
故に日本側が奇襲や地形を使わずに勝利する方法としては
騎馬武者の偽装退却で軽騎兵・重騎兵を引き付けている間に
モンゴル軽歩兵を装甲の無い徒士で足止めしつつ
モンル重歩兵を通常の徒士が包囲し殲滅すると言う方向も有るだろうが
歩兵殲滅後戻って来るモンゴル軍騎兵に
何処迄対処可能なのかと言う事は有るだろうが
ザマでハンニバルはローマ軍歩兵を壊滅させたとしても
戻って来るローマ軍騎兵にどう対処する気だったのかだが
256某研究者:2008/07/15(火) 14:02:21 ID:oxMNINaQ
日本側も奇襲や地形の利用・夜襲に徹したのは
評価できる訳だろうが
何度も奇襲を受けたり夜襲に対処出来ない
モンゴル軍の指揮官の質はどうだったのかだろうし
モンゴル軍が他の場所で何処迄奇襲や夜襲を受けたのかだが
エジプトで敗れた時は奇襲を受けていた訳だろうか
257某研究者:2008/07/15(火) 14:09:40 ID:oxMNINaQ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
アイン・ジャールートでもモンゴル軍は奇襲を受けているが
この指揮官はモンゴル軍では
有能な方だったのかだが
258名無し三等兵:2008/07/15(火) 15:14:40 ID:???
>>255
それ以前にそもそも港も占領してないのにそんなに簡単にモンゴル側が馬を揚陸できんでしょ
259某研究者:2008/07/15(火) 15:25:09 ID:oxMNINaQ
馬を小船で揚陸後に野戦と言うのは
恐らく何回か有っただろうが
日本側の奇襲で敗れていただろうか

日本側にも胴丸しか無い様な騎馬武者も
蒙古襲来絵詞に描かれて居るが
モンゴル軍の軽騎兵に追随出来る機動力は
有ったのかだろうし
軽騎兵だけで単独行動をしていたのかどうかだが
260名無し三等兵:2008/07/15(火) 15:34:13 ID:???
日本側は、
歩兵中心の国衙軍団制から、対蝦夷戦の中で騎馬隊の騎射が有効となった。
元寇の時も騎射の騎馬が崩し役、軽装歩兵が広げ役であったろう。

遊撃的に騎馬隊が遠距離から矢を射掛け、歩兵隊はやや後方に待機し、
形勢有利と見れば合一して、突破する戦術が基本であったと思う。
261名無し三等兵:2008/07/15(火) 15:36:47 ID:???
>>225
>>246
そもそも弓騎兵主体で闘ってた時代に槍装備を比べる意味があんまし・・・

普通に、敵槍兵がガッチリ陣形組んでるときは遠くから弓で応戦、
陣形が崩れたら抜刀突撃→撫で斬り
でおk

戦闘教義が日元で全然違うんだから、装備の違いで戦力を測っても仕方ない。
262某研究者:2008/07/15(火) 15:41:26 ID:oxMNINaQ
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e09.htm
胴丸だけで兜も無い様な騎馬武者も多いが
機動力はモンゴルの軽騎兵に比べれば
劣ったのだろうか


モンゴル軍の軽騎兵は兎も角重騎兵は
槍主体だったと言う事は無いのかだろうし
弓も有るなら
一方的に射撃し続ける事は可能だったのかどうかだが
263某研究者:2008/07/15(火) 15:45:18 ID:oxMNINaQ
>胴丸だけで兜も無い様な騎馬武者も多いが

彼等も金が無いから大鎧が着られないと言う訳では無く
兵種として軽装騎兵を用いて居たと言う事は無いのか
どうかだが
264某研究者:2008/07/15(火) 15:48:53 ID:oxMNINaQ
元軍の藤の盾を
日本側の矢が貫通している描写も有るが
藤の盾は日本側の重い鏃を
防げたのかどうかだが
265名無し三等兵:2008/07/15(火) 15:49:13 ID:JuZ558wv
>>233
モンゴル軍も後期になれば西欧型のボーガン採用してる。
このあたりから弓の性能を推し量れる・・・かも?
266某研究者:2008/07/15(火) 16:15:22 ID:oxMNINaQ
日本の歩兵の主武器は刀では無く長巻だろうが
モンゴル軍の槍+長柄刀等に対抗出来たのかだが
槍は蒙古襲来絵詞を見る限り
余り長くは無いだろうが
長柄刀は何故か描かれて居ないだろうか
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.htm
中央上部には棍棒の様な物を装備している兵が居るが
此れは何なのだろうか
267名無し三等兵:2008/07/15(火) 16:22:28 ID:???
>>265
それは漢人の兵とかに
訓練なしで強力な弓をってことじゃないのかな
普通の弓は修練が必要だ
268某研究者:2008/07/15(火) 16:28:17 ID:oxMNINaQ
歩人甲を装備した宋の重装歩兵には
下馬した騎馬武者が長巻を利用しても
勝てるのかと言う事は有る訳だろうし
歩兵の機動力を利用して包囲殲滅する以外無い訳だろうか
(長巻を利用して踏み込んだ後剣での勝負に持ち込めば
 宋の重装歩兵にも或いは勝てるのかどうかだが
 こうした戦術は用いられたのかどうかだろうし
 いきなり太刀で槍や長柄刀に踏み込めるのかどうかだが)
269某研究者:2008/07/15(火) 16:30:12 ID:oxMNINaQ
騎士同様に歩人甲を装備した兵は
長時間戦闘は困難かも知れぬし
軽装の徒士が(出来れば石垣や地形等を利用して)長期戦に持ち込めば
正面からでも勝利は或いは可能かも知れぬが
騎馬武者は大鎧を装備しているから
同様の戦術は無理な訳だろうか
270某研究者:2008/07/15(火) 16:36:32 ID:oxMNINaQ
モンゴル軍騎兵に対しても剣での乱戦に持ち込めば
槍は確かに役に立たぬかも知れぬが
そう簡単に可能なのかどうかだが
至近距離で弓を放って牽制し
槍を回避して乱戦に持ち込むと言う様な事は
出来たのかだが
槍に慣れていない者が何処迄
可能なのかだが
271名無し三等兵:2008/07/15(火) 17:25:19 ID:???
あれ?ここっていつの間に某研スレになっちゃったの?
272名無し三等兵:2008/07/15(火) 20:26:50 ID:???
高麗は消極的だった


NHK高校講座日本史より
273名無し三等兵:2008/07/15(火) 20:31:02 ID:???
>>272

>>5のこれでしょ?
>再度にわたる襲来の失敗は、元に征服された高麗や南宋の人びとの抵抗によるところもあったが(※2)…
>※2:とくに高麗は30年余りモンゴル軍に抵抗したのちに服属したものの、以後も三別抄の乱などさまざまな形で抵抗を続けた。フビライは日本との交渉や、日本の攻撃に高麗を利用したが、高麗の元に対する抵抗の継続は、日本遠征の障害となった。

日本遠征に参加した事実は変わらないのに、ちょっと酷いよね。
274名無し三等兵:2008/07/15(火) 23:02:21 ID:R0DvolEc
>>272
誰よりも日本遠征に積極的だったのが高麗の忠烈王。
高麗の忠烈王ほど元の番犬になった奴はいない。
何たって元に南宋攻撃の従軍処女500人差し出せと命令されると国内に婚姻禁止令まで出して本当に差し出した。

>>273
三別抄の乱なんか日本遠征のときはとっくに鎮圧されてた。
275某研究者:2008/07/15(火) 23:31:31 ID:oxMNINaQ
モンゴル軍の槍を長弓で打ち払って突入し
逆の手で持っていた刀で斬ると言う様な真似も或いは
出来たのかどうかだが
276名無し三等兵:2008/07/16(水) 00:46:53 ID:???
277名無し三等兵:2008/07/16(水) 02:47:52 ID:???
三別抄の乱なんて3年ちょいで制圧されてんじゃん。しかも南宋攻略作戦の片手間に。
278名無し三等兵:2008/07/16(水) 11:46:16 ID:???
三別抄が連絡入れてきたときは、日本黙殺だからね。
孤立主義ばりに、外国ないし外国勢力からの通信はほぼ黙殺だったのが当時の外交。
279名無し三等兵:2008/07/16(水) 16:56:34 ID:???
>>265
>>267

元々、中国は「弩」の本場だよ。
南宋時代なら3割程度は弩弓兵じゃないか?
騎馬が少ない(後述)からもっと割合は多かったかも知れん。


あと某研のイメージは「モンゴル vs 日本」だろうが、実質は違う。

「蒙古軍」と一言に言っても、流石に「帝国」、兵の種類は多岐多様。

元寇蒙古軍は「純粋な蒙古兵」はいなかったか、いても極少数。
蒙古風編成の色目・漢軍が半分と、宋の降軍(新附軍)半分で構成されている。
しかし弱かったわけじゃない、色目・漢軍は蒙古と共に数十年戦ってる精鋭。
それと「東路軍」も高麗兵ばかりじゃなく、宋兵が相当数混じっている。

南宋兵も左巻きどもが言うような、ヨボヨボ兵なんかじゃない。

「給征日本回侍衛新附軍冬衣」と元史にあるが、「侍衛」軍がヨボヨボなわけがない、最精鋭だよw

最後に騎馬だが、これはいても少数だったようだ。
范文虎が「増員」と「ウイグル砲」と「騎馬2000」を要求した時に、
「増員」は認められたが、後2者は「船戦で要らんだろ?」と拒否されている。
280名無し三等兵:2008/07/16(水) 17:34:25 ID:???
>>279 つづき

文献にない部分は、どうしても想像になってしまう。

これから中国全土を治めて行かないといけない時に、
純粋蒙古兵は日本遠征には使えん、勿体無さ過ぎるw

但し軍の「柱」としては絶対に必要、反乱を防ぐ必要がある。
10万にも及ぶ忠誠の薄い大軍を、そのままにするのは危険。
恐らく駐屯地には純粋蒙古兵もかなりいたのではないかな?と思う。
しかし、ほとんどの純粋蒙古兵は出征を見届け、後に残したのではないか?

それと純粋蒙古兵と降軍蒙古兵の強さは同等に近いと思う。
遼も金も南宋も、元に敗れたのは「リーダーシップ」が一番大きい。
大汗の号令一下、10万20万を容赦なく戦場へ送り込み戦わせる政治力、
日本が強かったのは断固として元使をぶった斬った「北条時宗」と、
「武功があれば所領が貰える」「武功がなければ所領没収」の
至極解かり易い、戦意を掻き立てる戦争システムがあったからだ。

「一所懸命」に「命より家名」を大切にし、死んでも名を残す、
恥は絶対に嫌だ、そんな覚悟の戦意旺盛な鎌倉武士が、強国日本のルーツだ。
281名無し三等兵:2008/07/16(水) 17:40:58 ID:???
ウイグル砲 = 中世のレールガン うわなにをするやめL:;LDFS
282名無し三等兵:2008/07/16(水) 18:23:43 ID:???
>>279
「ウイグル砲」ではなくて「回回砲」w

元々はウイグル Uyγur〜Huyγur を漢字で「回鶻」などと音写と書かれていたものが、
転じて「回回」とも書くようになったのが起源だが、この当時天山ウイグル王国などの
ウイグルやウイグル人は、これとは別に「畏兀児」などともっぱら書かれていた。
「回回」や「回方」と呼ばれたのは、天山ウイグル王国などよりも西、マーワラーアンナフルや
イラン方面の(テュルク系を含む)イラン系などイスラム教徒のことを指して言っていた。
例えば「回回語」といった場合、主にペルシア語のことを指していたので、「回回」はもはや
=ウイグルではなくなっていた。

「回回砲」とはこれらマーワラーアンナフル以西で「マンジュニーク」と呼ばれていた投石機で、
特に、12世紀後半に十字軍との戦争でシリアあたりで開発されたらしい、可動式の重りで
従来の投石機よりも飛距離が格段に伸びた新式の投石機のことを主に指していたようだ。
(それまで100mからせいぜい200mくらいだったのが一気に500m位まで射程距離が伸びたらしい)
中東ではこういった投石機に石弾や、硝石とか石油精製物から作った焼夷性や爆発性のある薬剤を
詰めた陶器製や金属製の弾丸を投擲していた。(チンギス・カンやフレグの遠征でも使われている)

范文虎が進言して艦隊に搭載させようとした「回回砲」が、クビライの南宋作戦時、襄陽包囲戦の
ようなでかい投石機だったかはわからないが、鷹島沖とか志賀の島周辺の海底遺跡から発掘された
遺留品を見る限り、陶器製の丸い弾丸が多数発見されているけど、構造などマムルーク朝時代や
元朝時代前後に編纂された軍事書・類書にでてくる可燃性の弾丸と一致するし、『元史』や
有名な『蒙古襲来絵詞』の「てつはう」の丸い形状とも一致するので、実際には「回回砲」が
搭載されていた可能性が出て来たということか。(そういえば某山野氏がスリングか何かで歩兵が
投擲するのに用いたんじゃ無いかとか推測を別スレで述べていたか。>てつはうとか遺留品)
283某研究者:2008/07/16(水) 20:48:22 ID:C15dd+qw
南宋軍主体なら
野戦で奇襲の無い状況でも
日本の徒士の機動力で包囲すれば勝利と言う事に
成ると言う事かも知れぬし
モンゴル軍の騎兵が少ないなら日本側が南宋軍に騎兵突撃も
逆に出来る訳だろうか
284某研究者:2008/07/16(水) 21:05:37 ID:C15dd+qw
防塁上なら宋の重装歩兵に対しても
有利には戦えた訳だろうか
285某研究者:2008/07/16(水) 21:06:46 ID:C15dd+qw
南宋軍がクロスボウ主体なら
クレッシーの再現の様には成らなかったのかだが
南宋軍の防弾装備はどうだったのかだが
南宋軍もクロスボウの射程は
生かせなかったのかどうかだが
286某研究者:2008/07/16(水) 21:37:42 ID:C15dd+qw
元軍もモンゴル兵が少ないなら
他国の兵が反乱を起こして逃亡或いは
日本に即時投降と言う事は
何故無かったのかだろうし
南宋軍等も戦意は何処迄低かったのか
どうかだが
287名無し三等兵:2008/07/17(木) 08:09:45 ID:???
>>280

>「一所懸命」に「命より家名」を大切にし、死んでも名を残す、
>恥は絶対に嫌だ、そんな覚悟の戦意旺盛な鎌倉武士が、強国日本のルーツだ。

蛮勇は臆病に勝る。
戦術史の大原則だわな。太平洋戦争のトラウマか、否定する奴が多いけど。
288名無し三等兵:2008/07/17(木) 09:51:53 ID:???
>>287
そうなの

幕末に起きた下関戦争では
四国艦隊(といっても殆んど英軍、米国に至っては砲1門搭載しただけの武装商
船1隻のみ)に対し狭い海峡で長州側が射程に入れ
しかも四国艦隊の水兵中心の陸戦隊2000に対し長州側は砲操作員以外3000の兵を
投入できた
しかし結果は上陸した四国艦隊の陸戦隊に怯えまともな交戦もせず、長州兵は砲
を無傷で放棄して遁走した

これが実際の日本武士の実態さ
289名無し三等兵:2008/07/17(木) 10:01:18 ID:???
ま、元和偃武で武装解除してから300年くらい経ってるわけだしな。

実践経験が無きゃ駄目でしょ。流石に。
290名無し三等兵:2008/07/17(木) 10:26:26 ID:???
>>288

江戸時代は「無難に生き延びる」風潮が出来てしまった。
何か事があれば「お取り潰し」なのだから、皆が「無難を第一」にした。
まあ「家風」によって藩別の強弱の差は凄くあったけれど。

結局「戦争システム」って奴も大事なのだな、「護国の英霊として靖国に祀られる」のと、
「ヒトゴロシの犯罪者」扱いされて後ろ指差されるのでは、大いに違う違いすぎる…

蒙古も貧乏な遊牧生活から、「勇者への尊敬」「臆病者には死」、
「勝てば略奪し放題」、そんな「働き甲斐」のある「戦争システム」があった。

「美女選び取り放題」こんな世界だったらお前ら死ぬ気で働くだろ?w
ちなみにジンギスカンの子孫は、世界に「1600万人」もいる。
291名無し三等兵:2008/07/17(木) 10:29:30 ID:???
>>290
>>288みたいなアホにも懇切丁寧にレスしてあげるお前の優しさに泣いた。
292名無し三等兵:2008/07/17(木) 10:37:57 ID:???
モンゴル帝国も略奪への欲望と征服欲が原動力であったのだろう。
「大航海時代」も結局は経済的な利益への欲望が生み出した。

「美しい国」なんてどうでもいい、誰もそんな物の為に働かない。
信長の織田家だって「猿でも出世できる」から強かった。

「欲深貿易収奪国家・ニッポン」これからはこれだ。
293名無し三等兵:2008/07/17(木) 11:14:37 ID:???
ルールブリタニアは庶民の歌だもんな
294名無し三等兵:2008/07/17(木) 11:19:45 ID:???
>>291
モニターの影に隠れてないで表立って鎌倉武士妄想論を2ch以外で公表しろよ
それで衆の支持得られると思ってるのか
295名無し三等兵:2008/07/17(木) 12:21:12 ID:???
鎌倉武士オッスオッス
296名無し三等兵:2008/07/17(木) 12:36:19 ID:???
>>294

意味が良くわからないのだが、鎌倉武士妄想論って何なの?
日本が強いと都合の悪い事が君にはきっとあるんだね?

元将忻都は後に元に帰って「日本人は死を恐れず、1人で大勢の中に飛び込み、
全滅を承知で戦う。日本人ほど恐ろしい敵を見たことはなかった。」と報告している。

「300」で有名な、スパルタのレオニダス王は世界中で知られているが、
拉孟・騰越・ミートキーナの守備隊は圧倒的な彼我差で全滅まで3ヶ月戦い抜き、
蒋介石をして「日本軍を模範とせよ、我が軍の及ばざる甚だ遠し」と嘆かしめた。
硫黄島守備隊は25万の兵、艦船800、航空機4000を相手に、
96%もの史上稀に見る損耗率の中で、我を上回る損耗数を米軍に強いた。


まあ戦車と同じで、鎌倉武士なんか実はいなかったんだがな、夏だし。
297名無し三等兵:2008/07/17(木) 12:40:29 ID:???
>>294
俺、鎌倉武士最強説なんてレス一度もしてねーしww
自分に批判的な人はみんな敵に見えるんですね、よく分かりますw




被害「妄想」って知ってる?(プ
298某研究者:2008/07/17(木) 13:57:20 ID:em1Bg8c8
宋の重装歩兵も奇襲でやられているなら
矢張り包囲されれば軽装歩兵には勝てないと言う事かも知れぬが
(ギリシャやマケドニアのファランクスも軽装歩兵に側面や背後を突かれて
 何度も敗北している訳だろうか)
軽装歩兵との近接戦で敗れたと言うより
包囲された場合射撃を盾で防護困難と成ると言うのも
大きかったかも知れぬし
クロスボウの射程も奇襲では生かせず
長弓の発射速度が物を言ったと言う事かも知れぬが
299某研究者:2008/07/17(木) 14:13:33 ID:em1Bg8c8
ローマのテストゥドの様な陣形なら左右からの矢も防げるだろうが
中国にこの様な陣形は有るのかだろうし
テストゥドも後方からの射撃は防げない訳だろうか

宋の重装歩兵の装甲を矢で貫けるのかだが
貫けず共軽装歩兵は壊滅し
重装歩兵も包囲されて騎馬武者や徒士の近接戦を受け
壊滅したと言う事かも知れぬが
300某研究者:2008/07/17(木) 14:30:04 ID:em1Bg8c8
宋の兵もマラトンの様に射撃を大量に受ける前に
包囲している日本側の兵に突入すればだろうが
突然周囲から大量の矢が間断なく降って来たら
指揮系統が混乱する前にこの様な事をするのは
無理だったと言う事なのかどうかだが
301某研究者:2008/07/17(木) 14:33:10 ID:em1Bg8c8
縦隊で行軍している時に
突然左右の崖や高台から奇襲を受ける等すれば
早期に近接戦に持ち込むのも困難な訳だろうか
302名無し三等兵:2008/07/17(木) 15:11:30 ID:???
>>297
こりゃまいったw
生きの良い知的障害者だなw
話にならんわwww
303名無し三等兵:2008/07/17(木) 15:37:19 ID:???
>>279

丁寧な説明ありがとう、原文も「回回砲」その通りです。

「布伯于北岸堅砲以缶之,舟悉沈没。后毎戦用之,皆有功」
船戦で使ってた記述もあるんですね、しかも毎回役に立ったと。
って事は、元寇が日本に来た時も当然持って来そうな物ですが。

他にも実際使用された「震天雷」を始めとして色々あった筈です。
「猛火油櫃」と言う火炎放射器すら当時既に存在していました。
まあ、実際に使用されたかわからないような兵器の話をすると
「民明書房刊」みたいになるので、ここでは止めておきますw 

>>302 哀れだな
304名無し三等兵:2008/07/17(木) 16:10:50 ID:???
>>298

鎌倉時代の騎射戦術は、散兵に近かったのではないかなと。
元軍集団の一斉射撃を射程内でまともに浴びたら
鎧がどうだろうと普通は大打撃を受けるでしょう。

平地では元側が攻撃や防御の態勢を整える前に、
奇襲的に前衛の騎馬が騎射で襲い掛かり、態勢を整えたら離脱する、
これを繰り返しつつ、機を見て後衛の歩兵と斬り込むのが基本かなと。

防塁の攻防戦はまた別ですが。
305名無し三等兵:2008/07/17(木) 17:41:30 ID:???
日本史板が「鎌倉武士無敵」で荒れてたんだなw

別に無敵だったとは言わないが、戦意のないヨボヨボ兵を相手に、
神風が吹くまで逃げ惑ったなんて、「左巻きのバイアス史」は
明らかにおかしいと、ただそれだけなのだがな。

使者を斬るのはルール違反で野蛮だとか、ふざけんなと言いたい。
一度強姦されて掌に穴空けられてヒモで舷側に吊るされてみろ。
「壱岐・対馬の虐殺」と言う歴史用語があって良いと思うわ。
306名無し三等兵:2008/07/17(木) 18:10:36 ID:???
なんでもかんでもサヨのせいw
自分がキモオタブサなのも
サヨのせいw
自分がニートなのも
サヨのせいw

ノーガキはいいから2ch以外で公開して皆から叩かれろよ
待ってるぜ!!

どうせイモ引きなのは見・え・て・る・け・ど・なwww
バカウヨさんwwwww
307名無し三等兵:2008/07/17(木) 18:10:58 ID:???
キチガイ警報
308某研究者:2008/07/17(木) 18:11:17 ID:em1Bg8c8
周辺の国が皆侵略を受けているのに
通商だけを求め続ける等とは
当時の人間は誰も思わぬかも知れぬし
敵を挑発して準備の整わぬ段階で攻め込ませ戦った方が
良いと考えた可能性も有る訳だろうか
309某研究者:2008/07/17(木) 18:18:23 ID:em1Bg8c8
>鎌倉時代の騎射戦術は、散兵に近かったのではないかなと。
>元軍集団の一斉射撃を射程内でまともに浴びたら
>鎧がどうだろうと普通は大打撃を受けるでしょう。

>平地では元側が攻撃や防御の態勢を整える前に、
>奇襲的に前衛の騎馬が騎射で襲い掛かり、態勢を整えたら離脱する、

盾で防護困難な騎馬武者でも
散開してクロスボウが当たり難く成っている状態で
且つ盾で防護出来ぬ様に前後左右から同時に長弓を連射すれば
敵は大混乱に陥ると言う事だろうか
310某研究者:2008/07/17(木) 18:28:21 ID:em1Bg8c8
http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamakura/genkou/kouan.html
>そこには若き執権「北条時宗」の断固たる決意があったからです.時宗は尊敬する蘭渓道隆(らんけいどうりゅう=日本に禅宗を伝えた宋のお坊さん)から,
>「宋が蒙古を軽く見てだらだらと交渉している間に侵略されてしまった」ことを聞いていました.
>また蘭渓道隆の後継者(こうけいしゃ=あとをつぐ人)である無学祖元(むがくそげん)からは「莫煩悩」(ばくぼんのう=あれこれ考えずに正しいと思うことをやりとおしなさいと言う意味)と唱えられ,交渉の道を絶って徹底的に戦う決意を示しました.

と言う意見も有る訳だろうし
使者を帰したら永久に攻めて来なかった等と言うのは
正しいのかどうかだが
311名無し三等兵:2008/07/17(木) 18:34:24 ID:???
>>307
それってお前の事だろw

ついでに狂信者ってレッテルもさw

悔しかったら2chから外に出てこいよw

そこで誰がキチガイで狂信者であるかハッキリするからよwww
312某研究者:2008/07/17(木) 18:36:37 ID:em1Bg8c8
使者を帰しても南宋を攻略した後に
結局は日本本格攻撃を行っていたと考えればだろうし
モンゴルの勢力図を考えると
外交で事態がどう成る訳でも無いかも知れぬし
文永の役で戦闘データーを得られたのは矢張り
良かったと言う事かも知れぬが
313名無し三等兵:2008/07/17(木) 18:38:41 ID:???
>>311
お願いだから東亜板あたりで遊んでくれよ…
314某研究者:2008/07/17(木) 18:48:46 ID:em1Bg8c8
宋の歩兵も円陣でも組めば
散開した騎馬武者に包囲され射撃を受けても
ある程度は対抗出来たと言う事は無いのかだが
騎兵突撃を受けたり
軽歩兵に包囲されれば壊滅すると言う事かも知れぬが
315某研究者:2008/07/17(木) 18:56:56 ID:em1Bg8c8
まあ盾を構えて円陣を組んでも
撃たれる方向に拠ってはやられる訳だろうし
現実には盾を持っていない兵も多い訳だろうか
316名無し三等兵:2008/07/17(木) 20:08:40 ID:???
>>303
自分は見てないがディスカバリーの元寇を見た人のblogによれば
弘安の末期に回回砲を積んだ船が到着したとのこと
同時に台風で全艦沈没で実際に使われることはなかったとのこと
番組内では潜水カメラにより回回砲が結構見られたとの事
間に合ってたら保塁を巡る戦いの展開も変わったのではないかとか感想あったな
317名無し三等兵:2008/07/17(木) 20:14:53 ID:???
あと文永についてなんだが
かなり前たまたま図書館で読んでた際に
元軍の人種比率は高麗兵が多かったという話があったよ

元軍は漢人・金・色目などの混成だと思いがちだが
あの場合については元の高級将校にも高麗人が結構いて
元に帰化した高麗兵や将校、更には「在元高麗人」とでもいうべき
元領内で育った高麗人からなる集団だけの兵もそのまま組み込まれていて
高麗軍とは別に元軍そのものが高麗人をかなり抱え込んでたんだとさ
318某研究者:2008/07/17(木) 20:57:25 ID:em1Bg8c8
>間に合ってたら保塁を巡る戦いの展開も変わったのではないかとか感想あったな

まあしかし城の様な高い城壁では無い訳だろうし
高い部分でも精々2m程度だろうから
簡単に崩せたのかと言う事は有る訳だろうか
319ハインフェッツ:2008/07/17(木) 21:40:36 ID:CT+Qa/It
佐藤守元空将閣下が韓国で聞いてきた話によると、
日本侵攻のための船をこさえた朝鮮の人たちは「友達に手を出すわけにはいかない」
ということで、普通なら一寸間隔で打つ釘を二寸間隔で打って
すぐに沈没するようにしておいたおかげで台風で元軍は全滅したから
半島の人達の友情に感謝しなきゃいけないんだそうだ。

…まあ、閣下も「をいをい、正気かよ?」という感じで語っておられましたが。
320某研究者:2008/07/17(木) 21:42:17 ID:em1Bg8c8
高麗人が乗る予定の船の
手を抜くのかと言う事は有るだろうが
作る側の士気は低下し
品質は低下していた可能性も有る訳だろうか
321名無し三等兵:2008/07/17(木) 23:10:16 ID:Q2dK+lUo
高麗は率先して日本侵略を元に進言しました。
やる気満々です。
322名無し三等兵:2008/07/17(木) 23:31:40 ID:???
>>317
洪茶丘なんかは、まさにそうした存在なんだろな
あと、蒙古襲来時、半島の慈悲嶺以北はモンゴル領だったというし
323名無し三等兵:2008/07/18(金) 09:57:06 ID:???
侵攻成功>日本侵略を進言した高麗の手柄ニダ!元はウリに感謝しる!
侵攻失敗>サポタージュした高麗の手柄ニダ!日本はウリに感謝しる!
324名無し三等兵:2008/07/18(金) 16:50:01 ID:???
連中も一枚岩ではないだろう
秀吉の朝鮮攻めもやる気のある連中と勝手に脱走する連中とでめちゃくちゃだったし
325名無し三等兵:2008/07/18(金) 20:06:13 ID:???
当初は消極的だった忠烈王の姿勢が積極的なものへと変わったのは、
洪茶丘がクビライに金方慶を誣告したことが影響してるというしな
326名無し三等兵:2008/07/19(土) 09:24:18 ID:???
>>319
>>320

手を抜いたって、何の論拠もない話だよな。
荒波を乗り越えて日本まで無事に着いてるし。
そもそも「壱岐・対馬」を全島「皆殺し」にしておいて、やる気満々だろ!と。

まあ急造したから出来が悪かったのはあるかも知れないが、
「日本への友情」なんかカケラも無かったはず。
327名無し三等兵:2008/07/19(土) 09:30:51 ID:???
>>319

>一寸間隔で打つ釘を二寸間隔

↑こんなのいつもの事じゃん?w

「ウリナラクオリティ」まで無理矢理恩に着せようとする「ウリナラ根性」が凄い。
328名無し三等兵:2008/07/19(土) 09:32:51 ID:???
329名無し三等兵:2008/07/19(土) 13:02:24 ID:???
朝鮮征伐の例えはわかりやすいな
あれも秀吉と一部の武将だけが異常に熱心で
残りは強烈な反対派かサポタージュばっか
330名無し三等兵:2008/07/19(土) 17:45:11 ID:???
唐入りと書こうよ。
331名無し三等兵:2008/07/20(日) 11:36:36 ID:???
弘安の役の台風で沈んだのは江南製の船のみ。
高麗製の船に史料から確認できる損害はない。
だから元内でフビライに対して「今度攻める時は全部高麗製の船にしよう」などという提案がされている。

どこが手抜きよ?
332名無し三等兵:2008/07/20(日) 12:33:45 ID:???
>>329
共通項は「日本側大勝利」ですな
333名無し三等兵:2008/07/20(日) 19:59:03 ID:???
急造のためか、木材が生乾きで、すぐに腐ってしまったそうだ>高麗製の船
意図してのものかどうかはともかく、結果としては手抜きのものになった、と考えても良いだろう
しかし高麗にも、竜骨や水密艙を備えた構造船を造る技術があったんだな
334名無し三等兵:2008/07/21(月) 04:05:27 ID:???
そりゃ半島国だし
335名無し三等兵:2008/07/21(月) 08:57:29 ID:???
何事もなく対馬海峡の荒波越えて日本に到着してるだろ
336名無し三等兵:2008/07/24(木) 01:58:39 ID:ldz9upK/
日本史板の方のスレが凄いことになってる。なんか気持ち悪い人達がいっぱい湧いてる
337名無し三等兵:2008/07/24(木) 06:05:32 ID:???
>>336
お前モナー
338名無し三等兵:2008/07/24(木) 06:13:44 ID:???
梅雨明けも当てられず
明日の天気すら当てることが難しい猿のアホ面予報士どもが
700年以上も前の特定日の天気を予想し暴風雨なぞ有り得ませんだとw

おまいら20年生きてて冬の降雪期や北海道出身者除いてこの月は暴風雨絶対あり
ませんなんて月あったんかよw
特に北九州出身者よ
339名無し三等兵:2008/07/24(木) 06:41:43 ID:???
そもそも、モンゴル軍の指揮官が「このままでは強大な日本軍の餌食になるだけだ。撤退するしかない」と言って
逃げ帰るために乗船してるんだから、暴風雨があろうが無かろうが、その時点で軍事的にはモンゴル軍の完敗だろ
340名無し三等兵:2008/07/24(木) 09:25:07 ID:???
外国の軍事雑誌見たって
日本遠征軍はモンゴルの「外国人」兵だって書いてあるし
絵巻物とやら見ても本当のモンゴル兵は甲冑を着込んで騎乗のごく僅かの監視兵だけだろう

他の史料見ても当時中国にいたモンゴル兵の兵装見ても絵巻物に描いてある一般
兵の兵装とはかなり違いがある

当時のモンゴル人の人口から考えてもモンゴル人がやたらめったらいるわけないだろう
アホくさw
341名無し三等兵:2008/07/24(木) 09:43:49 ID:???
>>340
でも、それは元寇だけに当てはまることじゃないから。
東欧、中国、中東と世界各地に攻め込んだモンゴル軍も、モンゴル兵はごく僅かの監視兵だけで大半が「外国人」。
だから、元寇で日本軍にボロ負けしたモンゴル軍も、それらと同じだったというだけなの。
342名無し三等兵:2008/07/24(木) 12:54:32 ID:???
>>341
ソース
343名無し三等兵:2008/07/24(木) 14:30:43 ID:???
>>342
そんなのモンゴル軍について触れた本なら大半が書いてること。
とりあえず手頃な3冊をUPすると。。。

ロシア・東欧へ侵攻したモンゴル軍↓

「記録によれば、1238年、モンゴル軍がルーシ諸公国を襲撃したとき、彼らの軍隊は
33万の大兵力を擁していた。しかし、モンゴル人はわずか約4000人だけで、彼らと血縁的に
近い遊牧民族キプチャク人が約3万人、残りは彼らによって征服されたその他の異民族の
遊牧民だった。」
(植田樹『コサックのロシア』)

中国へ侵攻したモンゴル軍↓

「至元四年(1267)、クビライと謀臣たちは、南宋進攻作戦に着手した。
まず一年をかけて、作戦計画が検討された。クビライは李壇鎮圧の前例をいかして、
この戦役の主力には漢人部隊と、華北の要地に分駐する蒙漢混成の「新モンゴル軍」を
用いることに決した。純モンゴル軍はアジュ直属の2000にも満たない督戦部隊だけに
とどめた。」
(杉山正明『中国の歴史08 疾駆する草原の征服者』)

中東へ侵攻したモンゴル軍↓

「フレグ・ハーン率いるペルシア討伐軍の先鋒二万騎の将としてのキドブハは、
本隊の進撃を援護する任務を負わされていた。いよいよニザリの勢力圏に入ると、
二万騎とはいえそのうち大部分は、戦士としてはあまり適格でないタジーク族であり、
一部はカスピ海北東の荒寥たる砂漠に出没して隊商を襲うのを本業としている反覆常なき
トルコマン人であった。隊の中核たるモンゴルはきわめてわずかにすぎない。」
(岩村忍『暗殺者教団 イスラム異端派の歴史』)
344名無し三等兵:2008/07/24(木) 16:41:04 ID:???
ここで30人と書いてあるが桁違いに少ないな

http://www2.ttcn.ne.jp/~kazumatsu/sub203.htm
345名無し三等兵:2008/07/24(木) 20:05:23 ID:???
>>343
そのサイトには史料の裏付けなんかないよ。
346名無し三等兵:2008/07/24(木) 20:07:57 ID:???
アンカーミスった
>>345>>344へのレスね。
347名無し三等兵:2008/07/24(木) 21:32:09 ID:???
真相はどうなんだ
348名無し三等兵:2008/07/24(木) 23:04:39 ID:???
弘安の役の台風の後、元軍の指揮官たちは兵士10万人以上を日本近海に置き去りにして逃走
残された元軍10万人以上の内、蒙古、高麗、漢人は皆殺しにされ、江南人だけは奴隷にされたと資料には書かれている
元軍にモンゴル兵がほんの少ししか参加していないのなら、何で置き去りにされちゃったの?
高麗人ですら約2万人は生還してるのに
349名無し三等兵:2008/07/24(木) 23:46:12 ID:???
置き去りにしたというより置き去りにせざるをえなかった
350名無し三等兵:2008/07/25(金) 11:46:29 ID:???
具体的な数字とか割合はどうなのよ
>>343みたいな
351名無し三等兵:2008/07/25(金) 11:52:46 ID:???
>>343は捏造
352名無し三等兵:2008/07/25(金) 17:17:47 ID:???
つまり、>>351は当時のモンゴルには、兵士として活躍できる
モンゴル人が、何十万何百万もいたと言いたいわけですね。
353名無し三等兵:2008/07/25(金) 17:27:33 ID:???
「戦場に臨んで進み戦わず、中には当境を守ると言い第一線に出ない者が多いと聞く。甚だ不忠者である。此等は厳科に処するので夾名を報告せよ。これらのことを全軍に通達せよ。」
(建治元年 幕府の大友氏宛文書より)

文永の役で、総兵力で遜色なく上陸してくる相手を迎撃するという有利な戦いにも関わらず敗走したのはこういう手合いが多かったからだろww
354名無し三等兵:2008/07/25(金) 22:37:09 ID:???
普通モンゴル軍と言ったら、
遊牧しつつ遠征する遊牧部族連合軍を思い浮かべるわな
チンギス、バトゥ、フレグの西征(主体はあくまで遊牧部族)のような
元寇の際のモンゴル軍は上記のようなのと異なるのは明らかだろ
高麗人、南宋人多すぎ
355名無し三等兵:2008/07/25(金) 23:41:44 ID:???
>>353
文永の役でもモンゴル軍は当時九州に駐屯してた日本軍より多かったが何か
そして即座に態勢を立て直してモンゴル軍を海に追い出したんだから、敗走とは言わない
356名無し三等兵:2008/07/26(土) 10:39:38 ID:???
>>354
ラシードゥッディーンの『集史』
「これらの諸部族のモンゴル軍すべてが出陣した。右翼に属するものは、ジャウクトの軍とともに、
モンケ・カアンに従って進発した。それらふたつの軍団の総数は60万であった。ジャウグトは、ヒタイ、
タングト、ジュルジャ、ソランカから成り、その境域をモンゴルたちはジャウクトと呼んでいる。」
(杉山正明『モンゴル帝国と大元ウルス』)

モンゴル帝国第4代皇帝のモンケ・カアンが南宋へ攻め込んだ時、皇帝直属部隊の民族構成は、
元寇と同じ蒙古、漢人(ヒタイ)、女直(ジュルジャ)、高麗(ソランカ)だった。
357名無し三等兵:2008/07/26(土) 13:33:57 ID:???
>>353
明らかに敗走したのは蒙古軍なのに、はじめに「日本軍は蒙古軍に手も足も出ず敗走した」という
結論を決めているから、「圧倒的優勢なはずの蒙古軍が突如、謎の撤収をした」なんてムチャクチャ
な話になっちまうんだよな。
358名無し三等兵:2008/07/26(土) 13:51:46 ID:???
まぁ普通、上陸地点に陣地を構築して橋頭堡にするわな
359名無し三等兵:2008/07/26(土) 14:32:50 ID:???
>>353
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1193354622/462
>462 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/07/18(金) 11:56:47
>「戦場に臨んで進み戦わず、中には当境を守ると言い第一線に出ない者が多いと聞く。甚だ不忠者である。此等は厳科に処するので夾名を報告せよ。これらのことを全軍に通達せよ。」
>(建治元年 幕府の大友氏宛文書より)
>
>文永の役で、総兵力で遜色なく上陸してくる相手を迎撃するという有利な戦いにも関わらず敗走したのはこういう手合いが多かったからだろ。
360名無し三等兵:2008/07/26(土) 16:03:53 ID:???
なんだ。
単なる日本史板のコピペ荒らしか。
361名無し三等兵:2008/07/26(土) 17:12:04 ID:???
どっちも見てるからコピペしないでいいよw
362名無し三等兵:2008/07/26(土) 17:19:24 ID:???
>>357
>>358
船のほうが設備があるんだからそっちに行ったに決まってるだろ
363名無し三等兵:2008/07/26(土) 17:25:00 ID:???
>>362
つまり、元軍は上陸する気も、大宰府に侵攻する気も、
全く無かったという事ですね。わかります。
364名無し三等兵:2008/07/26(土) 17:27:33 ID:???
>>363
いや、初日ではそこまで進んでないだろうから船で休んだほうが早いだろ
365名無し三等兵:2008/07/26(土) 17:33:01 ID:???
>>364
つまり、翌日また1から上陸作戦を開始して、そこまで進んでいないという
理由で船に戻ってしまうわけですね。上陸する気が無いとしか思えないよw
366名無し三等兵:2008/07/26(土) 17:34:39 ID:???
だから、よく言われるように日本軍が敗走したのなら橋頭堡を築くはずだろ。
船に戻ったって事は大勝したんじゃないってこと
367名無し三等兵:2008/07/26(土) 17:47:15 ID:???
>>365
緒戦の圧倒的戦力差で日本側は初日のような防衛線を展開しようとはしなかったはず
一からの上陸作戦にはならない
368名無し三等兵:2008/07/26(土) 22:06:08 ID:???
>>362
貴方には軍板は無理のようですね。

日本史板ならそんなタワゴトに騙される軍事オンチが少しはいるかもしれませんよ。
369名無し三等兵:2008/07/26(土) 22:33:56 ID:???
サヨクが軍事知識を目の敵にして執拗に国民を軍事常識から遠ざけようとするのは、やはり
軍事常識があると>>367のごとき妄言で国民をだます事が出来なくなるからかね ?
370名無し三等兵:2008/07/26(土) 22:52:30 ID:???
>>367の学説だと、ノルマンディーでも米英軍は一度
引き返して、翌日また上陸作戦を開始するんだろうな。

確かに初日のように一からの上陸作戦にはならないわな

-5くらいからの開始か。
371名無し三等兵:2008/07/27(日) 00:21:34 ID:???
陸軍さんは船の上にいる時が一番脆弱なんだけどね。
372名無し三等兵:2008/07/27(日) 14:26:08 ID:???
>>356
なるほど、モンゴルとジャウクトはきちんと区別されてるようだな

一口にモンゴル軍と言っても、
ほとんどが純然たるモンゴル(遊牧部族)からなる場合と、
ジャウクトが多数を占める場合とがあるということか
元寇の際のモンゴル軍は後者なのだろうが
373名無し三等兵:2008/07/27(日) 16:46:58 ID:???
研究者かと思ったわけだが
374名無し三等兵:2008/07/27(日) 16:52:39 ID:???
某研は最後だろうかで締めるからちょっと違うw
375名無し三等兵:2008/07/28(月) 04:47:24 ID:???
>>350-351
>>342であがっているフレグの西方遠征軍の例になるけど、
モンゴル高原周辺からマーワラーアンナフル経由でやってきたフレグ西方遠征軍のメインの規模は、
実は明確な数字は良く分からない。肝心のジュヴァイニーの『世界征服者史』や半世紀ほど後に
編纂されたラシードゥッディーンの『集史』に詳しい数字が載っていないからだが、例の杉山先生は
これらはモンゴル帝国としての秘匿情報だったから、故意に書かなかったのだろう、というような
ことを主張しているみたい。
(チンギス・カンが最終的に保有していた編成のみ、千戸長から親衛軍の十戸長単位で記録がある)

分かっていることは、このフレグ西方遠征軍の前衛軍司令であったナイマン部族出身のキトブカが
当初1万2000騎を率いていたことで、これにニザール派の諸城の攻撃やバグダード包囲戦の時に
イラン周辺の諸政権から徴発したりした兵員やフレグの本営軍などから適宜戦力を補充して戦って
いて、ここら辺の経過は『集史』フレグ・ハン紀に記録されている。

モンゴル帝国の軍隊の基本は、軍全体の大将(大規模な遠征軍の場合、普通王族や有力部族長家の
家長やその世継ぎクラス)がいる本軍(コル)を中心に、大将に次ぐ地位にある王族や有力部族長家の
子弟が右翼軍(バラウン・ガル)や左翼軍(ジャウン・ガル)の主将をそれぞれ担当し、これらの
先鋒として前衛軍(アルギンチ)が置かれる。
376名無し三等兵:2008/07/28(月) 04:49:24 ID:???
>>375の続き。
フレグ西方遠征軍の場合、これらの前衛軍や左右両翼にルーム・セルジューク朝やケルマーンの
カラヒタイ朝、ファールスのサルグル朝、アルメニア王国、グルジア王国、時にはシリアの
アイユーブ朝王侯や十字軍諸侯などのイラン周辺の現地政権の軍勢が扈従し、適宜フレグ直下の
遠征軍本軍とともに前線に投入されていた。(これにはオゴデイの頃にホラズム・シャ−朝の
スルターン・ジャラールッディーン追捕の為にイラン入りしていたバイジュ・ノヤン率いる
イラン鎮守軍三万(タマ)やアフガニスタン方面とインド境域に駐留していた同じく
カシミール鎮守軍(いわゆるカラウナス軍団)などもフレグの指揮下に編入されている)

では、フレグ西方遠征軍の規模というか内訳が全く分からないかというと、そうでもない。
『集史』にはチンギス・カンからイルハン朝のガザンまでの「帝王本紀」がメインで書かれているが、
これらに先立って、モンゴル帝国を構成するテュルク・モンゴル系の主要諸部族の「部族誌」が
各々の部族ごとに書かれていて、これらの記事からモンゴル高原からフレグの遠征に従軍して
イラン入りした諸部族の家長たちの情報を拾うことができる。(「部族誌」本文では、だれそれの
息子のだれだれがフレグの時代に従軍し、イランに至り飲膳頭として侍り、アバカ/テグデル/etc.
の時代にも「尊重すべきアミール(譜代家臣)」として仕えた云々、みたいな書き方で語られる)
377名無し三等兵:2008/07/28(月) 04:51:24 ID:???
>>376の続き。

それらのひとつひとつを調べあげると、フレグ遠征軍にはジャライル、オイラト、コンギラト、
ケレイトなど、「テュルク・モンゴル諸部族誌」に述べられているモンゴル帝国を構成する
40以上のテュルク・モンゴル系の諸部族からほぼ満遍なく選抜されていたことが分かる。
(首長家の人物のみならず傍系の連中も結構多かったらしいけど。あとあまり知られていない
 みたいだけど、ジョチ・ウルスからもジョチ家の王族たちが三名、各々一万戸規模の部衆を
 率いて従軍している)

これらテュルク・モンゴル系の部族長家の子弟が自領の部衆を引き連れて千戸長やフレグ親衛の
十戸〜万戸の長となり従軍していたみたいだから、具体的な数字を出すのはかなり難しいが
モンゴル高原からは万単位のテュルク・モンゴル系の諸部族が選抜されて派遣されていたことが
なんとか伺い知ることができる。10万とまで行かなくとも、少なくとも5万戸前後くらいは
普通にいそうな気がするのだが、実際はどうだったろうか。多分だが、イラン周辺でフレグの
指揮下に置かれた諸政権の軍勢の総数と同じくらいは居そうな感じはする。

ともかく、これらモンゴル高原周辺からかき集められた諸軍が中核となって、それにイラン
周辺の諸政権の軍が適宜附随して、イラン周辺での前線で戦っていたようだ。

ここら辺のイルハン朝およびモンゴル帝国全体のテュルク・モンゴル系諸部族の将軍たちの
動向についての研究は志茂碩敏『モンゴル帝国史研究序説』やその他志茂碩敏先生の一連の研究が
詳しいから、もう少し詳細を知りたい人は各自関連論文などを参照のこと。
378某研究者:2008/07/29(火) 04:55:54 ID:LTgptggx
北宋や高麗の騎兵も槍は有る訳だろうし
近接戦を仕掛ければ弱いのかどうかだが

射撃戦用の大型の垣盾と言うのは
蒙古襲来絵詞にはモンゴル側も有るが
現実には使用していたのかだが
車で移動するタイプの盾なら中国には有ったかも知れぬが
持ち込んでいたのかどうかだが
無いとすると射撃戦では可也
モンゴル側は不利だったと言う事は無いのかだが
379名無し三等兵:2008/07/29(火) 15:05:38 ID:???
武士と蒙古兵の交換比率はおおむね1:1くらいの認識でいいんだろうか
騎兵が使える環境だったらもっと大差がついていたものかな
380某研究者:2008/07/29(火) 20:18:12 ID:LTgptggx
騎馬武者を偽装撤退させている内に
射撃や機動力での包囲で宋の歩兵を叩いて
徒士と共同で騎兵を撃破出来れば
勝機は無い共言えぬだろうが
そう上手く行くのかと言う事は有る訳だろうか
381某研究者:2008/07/29(火) 20:22:17 ID:LTgptggx
宋軍もクロスボウを歩兵の中型の盾の背後から
放っていたなら
日本側の垣盾と弓の攻撃で壊滅していた可能性も
有る訳だろうが
重装歩兵の装甲で弓が可也止まったと言う事は無いのかだが
多数命中すれば混乱は避けられないかも知れぬが
382名無し三等兵:2008/07/30(水) 01:09:46 ID:???
>>375-377
これは面白いや
383某研究者:2008/07/30(水) 04:52:21 ID:2GzxLB/l
http://aammee0807.hp.infoseek.co.jp/horse.html
日本側の弓も可也長いだろうから
此れで槍を払う様な事も或いは可能かも知れぬが
其の様な事は行われたのかどうかだが
384名無し三等兵:2008/07/30(水) 05:09:59 ID:???
中国人が行ってたんだけど、元寇で日本に来た船が帰っていって、
それの残骸が現代見つかってるらしいんだけど、それには当時の
中国の役所の「この船は○○川で使用するものとしてインスペクト
済み」の刻印が彫ってあったと。

日本に行くためにとにかく船を集めたけど、本当は台風どころか
日本海を横断するだけでも考えられない危険がともなう作戦だったんだと。
385某研究者:2008/07/30(水) 09:40:56 ID:2GzxLB/l
軽装歩兵や騎兵に包囲されぬ様な地形で
歩兵相手に使うなら
宋の重装歩兵も強力かも知れぬが
其の様な地形を戦場に選べなかったのが
問題である訳だろうか
386名無し三等兵:2008/07/30(水) 11:07:57 ID:???
地の利は日本にあるわけだから「選ばされた」というところだろう
387名無し三等兵:2008/07/30(水) 11:51:59 ID:???
モンゴル軍の強さは、軽騎兵のみで構成された軍の統一性の高さ。
アラブで戦えばアラブの装備や兵法を学び、欧州で戦えば欧州の兵法を学ぶ
その柔軟な思考だった。
海を越えての戦いでは、さすがにそうした長所を生かす場所はないわな。
何より、日本遠征軍は寄せ集めの民族で構成されている
これでは意思の統一も容易ではないだろう。
388名無し三等兵:2008/07/30(水) 13:47:18 ID:???
>>387
日本遠征軍が寄せ集めというのは間違い
日本遠征軍はそれまで三別抄との海を越えての戦いに2連勝してるのね
ナヤン・カダアンの乱などモンゴル帝国内の内乱で、モンゴル騎馬部隊を相手にした時も大活躍してる
普通に一線級部隊だよ
389アンドロメダおたく:2008/07/30(水) 20:13:56 ID:+7PEwU3n
ラッキーだったんだろ。
390名無し三等兵:2008/07/30(水) 20:39:01 ID:UUFlL6hk
元でも清でも少数民族が少数民族が国土支配していたんだから、
切り殺した元の使者が北条時宗に何と言ってきたのが、知りたいね。
官僚機構の上部のっとれば、人口の1%程度で全国土支配できるんだから
相当のノウハウあったんだろう。
まあ、今の中共も同じだけど。
391名無し三等兵:2008/07/30(水) 20:48:17 ID:???
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1187372694/

164 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:04:37
>>160
> ナヤン・カダアンの乱で草原地帯から朝鮮半島に攻め込んだモンゴル軍は、
> 大元ウルス軍と高麗軍の連合軍によって壊滅させられたんだよ。
あれは攻め込んだんじゃなくて、後の成宗皇帝である皇孫テムル率いるユシ・テムル、トトカ、
李庭、ボルコンらの諸軍に遼河中流で敗れて高麗領まで落ち延びて来たもの。ナヤンは3年前の
1287年夏にはクビライの親征軍に敗北して処刑され、その後は東方3王家もクビライの意向を
受けた新当主が次々に継承し、カチウン家の傍流カダアンだけが転戦する状況になっていた。

テムル率いる「大元ウルス軍」に敗れた後、カダアンとその息子ラオディの軍も高麗領内を荒し
回ったけれど、結局高麗周辺を確保する事も出来ず、高麗領から離脱した後に鴨緑江の中上流部で
迎撃に出て来た件の大元ウルス軍と高麗王国の連合軍によってカダアンは敗死している。
>>161の言う「モンゴル軍」というものがどういうものを想定しているか良く分からないが、
「大元ウルス軍」も「モンゴル軍」じゃないと?
392名無し三等兵:2008/07/30(水) 20:49:19 ID:???
> チンギス・ハーン時代の進化の過程段階のモンゴル軍を過大評価してるな。
> この時代のモンゴル軍は元寇の元軍に比べたらそんなに強くない。
>>158-159の目を覆いたくなるような内容は論外としても、チンギス・カン時代の軍と文永
弘安の役の対日本遠征軍とでは部隊構成の根本的な違いをちゃんと認識しているのかいないのか。
「モンゴル帝国がもっとも強かったのは日本に攻めて来たフビライの時代。」
とか、時代状況をちゃんと認識しているんだろうか。クーデター政権でしかも中央アジアでの
内戦と歴代モンゴル皇帝悲願の南宋遠征にかかりきりで帝国全体の統治なんか不可能だった
この頃を指して「モンゴル帝国がもっとも強かった」とか言われても一体どれだけの意味が
あるのかと・・

> モンゴル帝国内で並ぶ者のない強力な軍事力を持つ存在になった。
確かにそうだろうが、バラク、シリギの乱で中央アジア遠征計画が空中分解よろしくことごとく
頓挫・大失敗している重要性をもうちょっと配慮すべきではないだろうか。
南宋遠征などクビライの漢地経営は成功していたけれど、チャガタイ王家のチュベイ家を抱き込む
事に成功していたから良かったものの、クビライの北方経営は常に苦しい状況が続いていた事は
十分認識しておくべきでは。
393名無し三等兵:2008/07/30(水) 21:46:39 ID:???
>>388
ナヤン・カダアンの乱においてモンゴル騎馬部隊を相手に大活躍してるとしたら、
元寇では日本遠征軍は大したダメージを負わなかったっつーことなんかな。
大打撃を受けていたとしたら、
わずか数年でモンゴル騎馬部隊を相手に大活躍するくらいになるまで戦力が回復するとは考えられないし。
394某研究者:2008/07/30(水) 23:53:26 ID:2GzxLB/l
>モンゴル軍の強さは、軽騎兵のみで構成された軍の統一性の高さ。

騎兵のみだが
重騎兵が4割と言う事だったかも知れぬが
軽騎兵と重騎兵は別々に運用され
軽騎兵は敵の側面や後方を攻撃
重騎兵は正面を攻撃と言う様に役割は特化していたのか
どうかだが
395名無し三等兵:2008/07/31(木) 00:09:28 ID:EW/5GjIN
遠征や移動の際モンゴル軍は豚を後方に歩かせて人間や馬の糞を
豚に食べさせたそうだ、合理的な行軍だなとは思った。
396名無し三等兵:2008/07/31(木) 00:32:44 ID:???
ジンギスカン作戦ですね…って違うよな。すまん
397名無し三等兵:2008/07/31(木) 01:48:30 ID:???
>>384
南宋は水運が盛んで、膨大な水軍を持っていた。
元もそれに対抗するため大規模な水軍を作って南宋を攻略した。

対日戦にはこれらの対南宋用の水軍および投降した南宋の水軍を転用したと思うが、向こうの水軍の
船は基本的に黄河や長江といった大河川を航行するもので、外洋を航海するように造られたものでは
ないんだよな。
398某研究者:2008/07/31(木) 02:18:10 ID:7ZKGRkyf
とは言え大型艦主体であれば
外洋航行も可也可能と言う事は無いのかだが
399某研究者:2008/07/31(木) 02:23:55 ID:7ZKGRkyf
歩人甲を装備した宋の重装歩兵に
夜襲であれ船上で中々勝てたのかだが
多数の小型船で包囲すれば勝てたのか
どうかだが
400名無し三等兵:2008/07/31(木) 02:39:19 ID:???
>>384
でも、少なくともその船は大海を越えて日本へ行った後、台風にも耐えて、無事中国へ帰還してるわけだろ
401某研究者:2008/07/31(木) 03:01:05 ID:7ZKGRkyf
石塁も高い場所は3m以上有る訳だろうし
此れを梯子も無く上るのは困難な訳だろうが
元軍も梯子は一応攻城用に持って来ては居たのだろうか
402某研究者:2008/07/31(木) 05:18:34 ID:7ZKGRkyf
http://www.geocities.jp/hazuki08172000/weapon.htm
>長い説明になりましたが、要するに何が言いたいかと言いますと、騎射戦と組討を中心とした日本の戦では手に持つ楯が不要だった(というかむしろ邪魔)だったと言うことです。
>組討と言う特殊な戦闘方法が磨かれた鎌倉武士は世界的に観ても屈強だったようで、蒙古襲来時に長距離戦では飛距離が2倍もある蒙古軍の弓に毒矢や、火薬による攻撃で遅れを取りますが、接近戦では圧倒的に日本軍の方が強かったようです。

騎馬武者の場合は盾が廃れていたから
組打ちが主流と成って居た訳だろうし
盾を持つ相手には組打ちは余計に
有効である訳だろうか
403某研究者:2008/07/31(木) 05:25:06 ID:7ZKGRkyf
モンゴル騎兵に対して
組打ちに持ち込む前に槍でやられた
騎馬武者も可也居たと言う事は無いのかだが
長大な弓で槍を払った後に
組打ちに持ち込むというのは
可能だったのかどうかだが
404某研究者:2008/07/31(木) 08:14:36 ID:7ZKGRkyf
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=106781&tab=ten
>一般の兵士には綿襖甲と呼ばれる唐風の甲冑が用いられていた。これはコート状の布に革や鉄の小さな板を綴じ付けたもので防寒にも優れていた。
>ただし、家地の布は耐久性が低く、その後の度重なる戦乱で失われたため遺物は現存していない。また、大和朝廷のあった奈良盆地はそれほど寒気の厳しい土地柄でもなく、日本は一般に高温多湿の気候であることから、綿襖甲は廃れていった。

日本にもブリガンダインの様な鎧は
有ったと言う事だろうが
何故か廃れているが
雑兵用としては重量が有り過ぎるのも有るのかも知れぬが
胴体だけ此れを用いた様な物は
無かったのかどうかだが
405名無し三等兵:2008/07/31(木) 08:41:31 ID:???
>>393
1287年に万を超えるナヤンの騎馬部隊と遭遇した時、洪茶丘の率いていた高麗、女直、漢軍は3000人に満たなかったらしいから、
元寇で受けたダメージが大きくて、まだ回復してなかったんだと思う。
それでも、武功をあげてるんだよな。
洪茶丘って、元寇で日本軍の突撃喰らって敗走するなどボロボロだったわりには、モンゴル帝国内の内乱だと活躍する。
洪茶丘の戦歴見る限り、モンゴル騎兵は鎌倉武士よりもかなり弱い。
406名無し三等兵:2008/07/31(木) 10:15:56 ID:???
>>405
『元史』洪茶丘伝のその部分だと、ナヤンの叛乱の時、夜中に裳帛を引き裂いて旗幟をつくり、
馬の尾を断って旄(トク、旗指物)をたくさん作って兵が沢山いると見せ掛けたそうだ。
ナヤンはこれに引っ掛かってすこぶる驚き降伏し、クビライはこれを賞したってのが
話の筋だから、別に文永弘安の役のように『高麗史』にあるような「長剣交えて」奮戦した、
って内容じゃないけどね。
407アンドロメダおたく:2008/07/31(木) 17:42:18 ID:fljChZik
ラッキーだったんだろ。
408名無し三等兵:2008/07/31(木) 19:12:51 ID:???
409名無し三等兵:2008/07/31(木) 21:38:14 ID:???
>>406
なんだ、そういうことなのかよ。
410名無し三等兵:2008/08/01(金) 00:22:51 ID:???
>>408
> ずいぶん、傲慢な国書の内容で、日本にとって屈辱的な内容を持っていることは言うまでもない。
どうもこの手のサイトは至元三年の国書をモンゴル帝国の命令文についての最近の研究とか知ってか
知らずかスルーして、形式から何から「傲慢な文面」って結論に持って行きたいらしいw

まあ、朝廷や鎌倉幕府が「無礼な手紙だ!」と憤慨したのは確かだけど、大体は「兵を用いん」の
部分に警戒したんであった、文体そのものが議論の対象になっていたような感じはしないんだけどねえ・・
鎌倉時代史をやっている人たち的にはそこら辺はどう見ているんだろうか。
411某研究者:2008/08/01(金) 03:20:58 ID:+Z2hV5ku
南宋がやられた後に永久に元軍が日本に侵攻しないのかは
疑問も有るだろうし
南宋攻略後に日本に大軍を向けられるよりは
南宋と戦っている間に軍を出させて
各個撃破すると言うのは妥当な判断かも知れぬが
結局大軍は派遣されている訳だろうが
日本の挑発に対抗して攻略を急ぐ余り
準備が余り十分では無かったと言う意見も有るだろうか
412某研究者:2008/08/01(金) 03:22:48 ID:+Z2hV5ku
>洪茶丘の戦歴見る限り、モンゴル騎兵は鎌倉武士よりもかなり弱い。

槍に対処出来れば
組打ちの能力の差等で勝利は出来たのかも知れぬが
其れでも軽騎兵の包囲には梃子摺らなかったのかだが
413名無し三等兵:2008/08/01(金) 05:53:36 ID:???
>>412
意外と知られていないが、独特の形状の和式馬具は、両手持ち武器を使用した時の安定性が非常に高い。
当然、弓などを使用した際の命中率などにもかなりの差がでる。
騎射戦だろうが、薙刀使用の接近戦だろうが、騎馬戦において蒙古が武士に苦戦するのは当然。

414名無し三等兵:2008/08/01(金) 06:44:40 ID:???
>>413
和式馬具の特徴に興味あるなあ。詳しく紹介してくれないか
415名無し三等兵:2008/08/01(金) 13:57:39 ID:???
和式馬具で一番特徴的なのは鐙だよね。
踵に重心かけて踏ん張ることができから、弓や薙刀などの両手使用の武器も自在に使えるし、騎上で組打ちなんかもできる。
おまけに、戦闘中に落馬しても、諸外国の輪鐙のように足が抜けなる危険もないし。
416名無し三等兵:2008/08/01(金) 21:02:45 ID:???
>>410
文体そのものは無礼じゃないけど、内容を意訳すると結局は手下になれっていう意味なんだから、
プライドの高い国や国家元首なら怒るのも当然ではあるわな
417名無し三等兵:2008/08/01(金) 22:23:17 ID:???
> 内容を意訳すると結局は手下になれ
いや、それも多分言ってない。

天下唯一の「皇帝」たる立場をとりながらも、「奉日本国王」とか「不宣」とか、
他国の君主に対して臣下となったりそれに類するような表現は用いていない。
飽くまで「連絡をやりとり出来る関係が欲しいから返事をしてもらいたい」
程度しか言っていないと思う。
(連絡がつかない関係のままのせいで)戦争にでもなったら良くないし。的な
ことは言ってるけど、臣に下ることを含ませるような言い方はしていないし。

幕府側の意向で取り止めになった文永七年正月付けのモンゴル皇帝の書記局に
あたる中書省宛(二回目以降の国書はモンゴル皇帝じゃなくて中書省から出された
ものだったらしい)の太政官牒による返牒案でも、「我々に臣下になれとということを
前提にしているのか。けしからん!」みたいなことも言ってないようだけど・・
418:2008/08/01(金) 22:35:18 ID:3GeJhNG2
じゃあいいじゃん。だれも怒ったりすることはなかったのだから。
419名無し三等兵:2008/08/02(土) 07:18:12 ID:???
中華思想的朝貢序列組み込まれたら臣下じゃないのか
420名無し三等兵:2008/08/02(土) 08:21:36 ID:???
要は「友好国の南宋攻めまくっていながら何言ってんのこいつら」

ってことでしょ
421名無し三等兵:2008/08/02(土) 18:44:48 ID:???
国書が来る前に高麗が酷い目にあってるの日本は知ってるからいい意味では受け取れないよな。
422 ◆2ncxcI0rpg :2008/08/02(土) 22:31:26 ID:7rvHOHjt
/
423名無し三等兵:2008/08/03(日) 09:27:17 ID:???
【韓国】高麗・モンゴル連合軍(元寇)は台風で壊滅せず、破竹の勢いで日本本土占領を開始した … 新刊小説『日本征討軍』出版 [08/01]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1217719609/
424名無し三等兵:2008/08/03(日) 19:52:16 ID:???
>>420
南宋とも別に友好国というわけじゃないだろ
平清盛の貿易推進政策に対する周りの態度を考えるに
正式な国交もなかったはずだし
425某研究者:2008/08/04(月) 01:39:23 ID:Qo7Hx5Ew
モンゴル相撲等も有るが
モンゴル軍の組打ち能力と言うのはどうだったのかだが
盾を構えた状態で組まれたら
矢張り不利は否めないと言う事かも知れぬが
426某研究者:2008/08/04(月) 06:42:34 ID:Qo7Hx5Ew
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%88%80
>「刀はたいした事は無いが、前後左右に飛び回り、剣で斬ろうと近づこうにも、刀の方が長く近づきにくい。また、槍で突こうにも柄ごと両断されてしまう。」 とある。

倭寇は刀で槍を切り落としていた様だが
通常の兵はどうだったのかだが
大太刀以外では無理と言う事は無いのかだが

元寇時もモンゴル軍の槍を
野太刀や長巻で切り落としていた可能性も有るだろうが
中国軍と戦闘していた
倭寇以外では日本には槍が無いなら
余り一般的な戦術では無い訳だろうが
恐らく倭寇も投入されていた海戦では
多用された可能性は有る訳だろうか
427某研究者:2008/08/04(月) 06:49:47 ID:Qo7Hx5Ew
goo.ne.jp/biryo/e/b0119530fd5c10684e6cbdb47e34b0c6
>[日本人はフットワークが巧みで一息で1丈も飛び込んでくる。彼らの日本刀の刀身は五尺あるので一丈五尺も先から斬り込まれる事になる]
>我ガ短兵器ハ接シ難ク長器ハ捷ナラズ、身多ク両断ス。
>[我々の武器のうち剣などの短めの武器では日本人には近づくことが難く槍などの長柄武器では遅すぎて日本人のスピードに付いていけない、我々の多くが両断されて死んだ。]

>この例では五尺(約165cm)程度ですが長い太刀を用いた武士の力は物理的にも心理的にも恐ろしいものだったようです

野太刀を用いた水軍兵・海賊と言うのも
多かったのかだが
槍に対抗は出来たのかだが
野戦では何処迄使われたのかだが
428某研究者:2008/08/04(月) 08:36:49 ID:Qo7Hx5Ew
長巻でモンゴル軍の盾は叩き割られ
槍は長巻・野太刀で斬られて
壊滅したと言う事なのかどうかだが
長柄刀を持っていた兵は可也奮戦したと言う事は無いのかだが
機動力での包囲や
組打ち等でやられた可能性も有る訳だろうか
429名無し三等兵:2008/08/05(火) 01:19:55 ID:???
>>417
明らかに蒙古を上位の大帝国、日本を下位の小王国として書いている上に、高麗を征服して属国化した事を
ひけらかし、高麗の如くよしみを結ぶべし、さもなくば武力で攻めると言ってるわけで、明白な武力恫喝による
服属要求。
「奉日本国王」だの「不宣」だのの表現があるからってこの根本はいささかも変わらない。
服属していない国に服属を呼びかける文書だから (彼等としては) 多少柔らかな表現をしただけの事。
そもそも未だ服属していないのだから、結末が「不宣」なのは至極当然。
対等な外交関係を意図した文書などであるわけがない。
たいたい蒙古は南宋を滅ぼして自らが新たな「中華」となろうとしてるわけで、中華思想による冊封体制に対等
な外交関係などという概念ははじめから存在しない。
430名無し三等兵:2008/08/05(火) 01:21:48 ID:???
最後の「兵を用いるに」云々がなければ、これは単なる無礼な国書にすぎない。
「中華」の他国に対する文書が無礼なものになるのは当然の話で、問題視すべきなのはわざわざそれを
送りつけてきた上に、武力で恫喝をかけてきた事にある。
日本は高麗がどんな目にあってるかよく知っていたんだから。
431名無し三等兵:2008/08/05(火) 21:18:48 ID:???
>>417
中華思想的なところがあるようだけど(それも当時の慣例に従ったまでのことだろうが)、
あの国書自体は普通に友好を求めてのものらしいね
当時の公家も「和親の義を称すること、委しく牒状に見ゆ」って言ってるそうだし(『深心院関白記』文永五年二月八日条)
432名無し三等兵:2008/08/06(水) 00:21:30 ID:???
本気で友好を求める奴が武力をちらつかせた恫喝などかけてくるはずがないし、中華思想に「友好関係」
などという発想ははじめから存在しない。

あくまで「中華皇帝」が中心であり、他国はそれに (形式的か実質的かの内実はともかくとして) 服属して
属国となるか、否かの判断のみ。
433名無し三等兵:2008/08/06(水) 01:48:06 ID:???
まあ、ペリーが黒船に乗ってやってきて「日本のミナサーン、仲良くシマショー。開国してクダサーイ」
とか言いだすのは、どうみても無礼だろう。本当に仲良くしたいなら軍艦に乗ってくるなよと。
434名無し三等兵:2008/08/06(水) 10:38:23 ID:???
「仲良くしよう」とだけ言えばいいものをわざわざ「戦は好きじゃないんだ」なんて、どう見ても恫喝
435名無し三等兵:2008/08/06(水) 13:19:23 ID:???
「なあ、あんちゃん、おっちゃんもあんまり荒っぽいことは好きってわけやないんや」
みたいな感じか
436名無し三等兵:2008/08/06(水) 13:31:12 ID:???
側にごっついおっさん連れた細眼鏡のインテリヤクザがにっこり笑って
「ああ、彼は優しい人ですから『刺激』しなければ心配ないですよフフフ」

って光景を思い浮かべた
437名無し三等兵:2008/08/07(木) 05:09:23 ID:???
またヤクザのはなしかw
438名無し三等兵:2008/08/07(木) 20:48:15 ID:???
「また」って何 ?
ヤクザなんて単語が出たのは>>436がはじめてですよw
439名無し三等兵:2008/08/07(木) 22:34:19 ID:???
>>438

このスレを見ている人はこんなスレも見ています。(ver 0.20)
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あとは分かるな?
440名無し三等兵:2008/08/07(木) 23:51:15 ID:???
>>439
一番下ワラタ
441名無し三等兵:2008/08/08(金) 00:44:28 ID:???
>>439
誰も他のスレの話なんかしてないのに。
よっぽど悔しかったのかw
442名無し三等兵:2008/08/08(金) 11:20:39 ID:???
>>440 すまん、それ俺
443名無し三等兵:2008/08/08(金) 12:04:05 ID:???
日本史板の方でも元の侵略意図云々で揉めてたのか

そういや日露戦争関連でもこの手の話しがあったな
当時のロシアに東方侵略の意図はあったとかなかったとか
なんとなく元寇と日露戦争で両者に共通する背後関係、みたいなものを感じ取ってしまうのは穿ちすぎか?
444名無し三等兵:2008/08/08(金) 12:28:36 ID:???
もし全盛期のモンゴル軍が戦国時代に攻めて来たら?
http://etc7.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1212055328/
445名無し三等兵:2008/08/08(金) 23:14:55 ID:eoOpasSV
>>443
共通してるよ。
明治の日本、アジアと同盟して欧米列強と当たるか、それとも日本単独で欧米型軍事国家となるか。
結局脱亜論で単独でロシアと戦い勝利した。
当時のアジアなんかと連携したら共倒れ以外になかったろう。
鎌倉幕府も三別抄なんかと手を結ばなかった。これ正解。
そして戦後の日本。中国韓国と久しく国交なかったが高度経済成長した。
いつの時代も脱亜が日本を輝かせている。
446名無し三等兵:2008/08/08(金) 23:24:42 ID:???
秋の日の フビライの ためいきの
身にしみて ひたぶるに うら悲し

阿仏尼
447名無し三等兵:2008/08/08(金) 23:56:30 ID:???
>>443
うーん・・・、
鎌倉幕府の中央に外交を司る部門が存在せず、
中央の意思に基づく直接外交を行わずに外交を一出先機関に任せてたことが
(外交という概念が鎌倉幕府になかったとしか思えん)、
ロシアが日本との外交を極東総督府に管掌させてたことに似てるかなとは思うけど・・・
448名無し三等兵:2008/08/09(土) 00:36:59 ID:???
>>445,447
あ、いやそういう深い意味じゃなくて・・・
元寇でも日露でも戦争の原因を日本側の好戦性にしたがってる人たちがいるのかな〜くらいのつもりだったんだけど
449名無し三等兵:2008/08/09(土) 08:55:25 ID:???
>>447
大宰府は中央の意思に基づいて外交を行なっていたわけだが
450名無し三等兵:2008/08/09(土) 20:18:58 ID:???
鎮西探題を設置してそれに北条一族を配置し、
得宗の統制を強化したのは、蒙古襲来後の話だしな。
北条一族でも御内人でもない大友や小弐に対し、得宗がしっかりと手綱をとることが出来たかどうかは、
まぁ疑問だわな。
451名無し三等兵:2008/08/10(日) 07:13:40 ID:???
>>450
現実に蒙古との外交では全く問題なかったわけだが
452名無し三等兵:2008/08/10(日) 22:21:12 ID:OGV6eT1A
>>445
で、いつのまにか中韓とずぶずぶになって凋落ですね。わかります。
453名無し三等兵:2008/08/11(月) 11:16:26 ID:???
>>446 ヴェルレーヌな。 軍板で最も有名な詩だろうw
454名無し三等兵:2008/08/12(火) 08:37:56 ID:jQCA01lo
>>452
日本と国交回復しなければ中韓は貧乏のままだった。
日本が経済援助、技術支援したから少しはまともになれたのに少しも感謝しない民族ども。
ただ連中の工業製品なんか部品とかは完全に日本依存だから一度経済制裁でもして懲らしめた方がいいよ。
455名無し三等兵:2008/08/13(水) 22:20:34 ID:cCkEFPgA
元寇失敗を台風や高麗人氾濫のせいにして、
武家の働きを軽く見ているのは、
モンゴル人や半島人の血を引く天皇の権威失墜を防ぎ、
生っ粋の日本人が多い武家を侮辱することで、
天皇家の権威を守り反乱者の武家を失墜させるためだろう。
士卒(足軽など)を中心にした明治維新で武家勢力が破れ、
武家(士族)は徹底的に骨抜きにされた。
先の大戦においても、天皇にひれ伏した一部を除き、
士族はほとんど軍部の主要部分から外され、
その多くは海外侵攻に際しても、軍属としてしか参加させてもらえなかった。
くそ農民と下司出身の軍部じゃ、まともな先約・戦術も企図できず、
兵員を無駄に消耗させ、当然のごとく負け続けた。
456名無し三等兵:2008/08/13(水) 22:21:56 ID:cCkEFPgA
先約
↓<訂正>
戦略
457名無し三等兵:2008/08/13(水) 23:39:25 ID:???
>>455
連山の人?
458名無し三等兵:2008/08/20(水) 11:58:05 ID:???
hoshu
459名無し三等兵:2008/08/20(水) 13:01:00 ID:???
日本史板のスレがシュール
460名無し三等兵:2008/08/30(土) 01:41:20 ID:87ACVNF4
もし「元寇に失敗したのはタイミングよく来た台風のおかげ。鎌倉武士はザコ」
ってのが正しいんなら
「ナチスドイツやナポレオンがロシア遠征に失敗したのはタイミングよくきた冬将軍のおかげ。ロシア軍はザコ」
とか
「日本が唐入りに失敗したのはタイミングよく秀吉が死んだおかげ。明軍はザコ」
ってのも正しいことになるなwありえねーよwww
461名無し三等兵:2008/08/30(土) 02:03:01 ID:D5fyLh3Q
>>460
一番下は正しい
462名無し三等兵:2008/08/30(土) 13:56:51 ID:???
>>460
他板スレへのレスをこんなところに書き込まなくてよろしい。
463名無し三等兵:2008/08/31(日) 13:21:58 ID:3gjKm+sT
>>460
もう少し勉強された方がよいのでは?
一番上以外は全く間違ってますよ?
特に一番下なんて日本軍は緒戦以外は海戦も陸戦も負け続きだったのですが。
464名無し三等兵:2008/08/31(日) 16:04:21 ID:???
>>463
本気で言っているならお前は仮定法の勉強をしたほうがいい
465名無し三等兵:2008/09/04(木) 12:20:10 ID:???
仮定法以前に戦史自体を誤認識してる可能性大
466名無し三等兵:2008/09/04(木) 23:14:16 ID:Lmm5IJ6m
そして、どう考えても一番上が正しくて一番下が間違いという理屈はおかしい件
467名無し三等兵:2008/09/04(木) 23:51:51 ID:???
>>466
いや、全然おかしくないが何か
468名無し三等兵:2008/09/05(金) 11:42:05 ID:???
日本史板の元寇スレのとばっちりが…
まぁこっちのレスがあっちにコピペされたりとかもあるけどね。
やめてほしいわぁ。
469名無し三等兵:2008/09/05(金) 17:33:52 ID:???
455から後ろ

ス レ 読 め や ! ! !
 そ し て 吊 れ ! !

某研もどっか行ったなw
470名無し三等兵:2008/09/09(火) 13:02:41 ID:???
日本史板のスレ大丈夫か?
471名無し三等兵:2008/09/09(火) 21:48:24 ID:+G2OfxR5
最後は弓の話になって落ちた。
要約すると日本の弓は精々数十メートルしか飛ばない。
だからモンゴルに一方的にアウトレンジされたってのが正しいという結論になってた。
472名無し三等兵:2008/09/09(火) 22:09:40 ID:???
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%AF%87
>前回の文永の役での元の戦力を分析し、日本は元軍より射程距離の長い弓矢を開発して使用した。
473名無し三等兵:2008/09/10(水) 01:41:38 ID:???
弓の射程なんてものは矢の重さでいくらでも変わってくるという基本的な事さえ知らないのだから話にならん。
474名無し三等兵:2008/09/10(水) 01:57:44 ID:???
まあ、文永の役で元の弓と矢を入手できたのなら、それを元に和弓と矢を改良することはできただろうな。
475名無し三等兵:2008/09/10(水) 10:58:17 ID:???
【モンゴル】 元寇 4 【高麗】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1220964839/
476名無し三等兵:2008/09/10(水) 11:16:33 ID:???
>>475
うへ・・・なんか気持ち悪い流れだな
477名無し三等兵:2008/09/10(水) 14:50:26 ID:???
>>471
え〜〜ッ
モンゴル軍は副司令官まで射られて負傷してるのに??
478名無し三等兵:2008/09/10(水) 21:33:09 ID:???
>>475
いきなりネトウヨサイト張って宣伝したのお前か?
479名無し三等兵:2008/09/10(水) 21:56:09 ID:???
殺傷距離が200〜300ヤードの弓矢w
480名無し三等兵:2008/09/10(水) 22:12:54 ID:???
正直弓に関しては全くのド素人なんだけど
矢の飛距離って、要は初速(=張力)と
矢を放つ際の角度と矢そのものに対する抵抗で決まるんじゃないの?
だから弓そのものの性能で飛距離に滅茶苦茶差が出ることってあんのかなー
って思ったんだけどそこんところ教えてエロい人。
もしモンゴルのが日本のより遥かに飛んだってのが本当なら
むしろ矢の方に差があったんじゃないかな?
例えばモンゴルの方が飛びやすい矢だったとか。
或いは鎌倉武士が相手を狙って真っ直ぐに飛ばすのに対し
モンゴルは兎に角大量の矢を斜め45°で放って矢の雨を降らせたとか。
481名無し三等兵:2008/09/10(水) 22:13:00 ID:???
2 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/09(火) 23:36:14
前スレが採り上げられてたので
ttp://teitodennoumou.blog84.fc2.com/blog-entry-28.html

3 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/10(水) 09:24:05
そこの管理人典型的なネトウヨじゃんw

4 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 09:25:12
宣伝が出たんでしょっぱなからウザったくなったな。

5 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/09/10(水) 09:30:21
ネトウヨは事実がまるきりねじ曲げて見えてるから話にならない。どんな不利な日本を提示しても、超〜プラス思考で捉え、なんでも日本の武勇伝にし、ある意味ポジティブの度が過ぎた厨的発想力なのでイタい

6 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 10:12:57
孤立している感を演出

7 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 10:18:16
実際、孤立しているんだからねぇw
過去スレみたけりゃ方法はいくらでもあるのに、よりによって……。

8 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/09/10(水) 11:11:02
横道や宣伝はいいから、本題にはいろうよ。
鎌倉武士自体の弓矢に関する史料がまったく出てないわけだが、これは適当なのが無いってことでいいの?
蒙古側は西洋人の第三者記録、というはっきりしたものがあるけども。
482名無し三等兵:2008/09/10(水) 23:11:01 ID:???
>>481
3以降のレスだけど、「ネトウヨ」を「ブサヨ」、「日本」を「モンゴル」と取り替えても問題なく通じるな
483名無し三等兵:2008/09/10(水) 23:17:07 ID:???
>>482
わけ分からんコピペしてる人の相手しちゃだめ
484 [―{}@{}@{}-] 名無し三等兵:2008/09/11(木) 00:39:14 ID:???
>>480
つか、弓って、人間の腕力で引いた分の位置エネルギーを運動エネルギーに
変換する装置だから、初速という面では腕力で引ける程度の弓であれば、
そんな大差はないかと思う。

半弓は引く距離が短いけど、その分弓の張る力は強いと思う。

あと、和弓は、もともと騎馬弓兵が遠距離から曲射でヒット&アウェイする
ものじゃないかと。

つまりだ。元の弓が強かったという幻想をまずは捨てろという事だ。
485名無し三等兵:2008/09/11(木) 00:55:43 ID:???
>>480
昔の弓については詳しくないんで、一般的な話を。

弓で射ちだす矢の「威力」を強くするためには弓の張力を高めれば良いわけだけれど、
人間の筋力には限界があるから、弓の張力にも当然のことながら上限がある。
人種の違い程度でそれほど筋力に差があるとも思えないから張力自体はモンゴル弓だろうが和弓だろうが、同じ程度だと思う。

ただしここでいう「弓の張力」ってのは、矢を射る直前、つまり弓を一杯に引き絞った時に必要とされる力であって、
弦の引きはじめや引いてる途中の力は考慮されてないてっところに注目。

引きはじめに必要とされる力が4で、一杯に引いたときの力が5の弓と、
引きはじめは2で、一杯に引いた時の力が5の弓とでは、「張力」そのものは同じでも
射ちだされる矢の威力は前者のほうがずっと大きくなる。
引きはじめと引き絞った時で張力にあまり差が無い、という形に持っていくことで
同じ張力でも矢の威力がアップするわけで、なんとかそれを実現しようといろいろ工夫された結果が
弓の先が反対側にカーブしているリカーブボウと呼ばれる形や、薄い板を何枚も貼り合わせたコンポジットボウだったりする。

いちおう和弓も軽くリカーブしているし、コンポジットボウの一種だという話もあるけれど、
徹底の度合いとしてはモンゴル弓のほうが上だと思う。
(日本では湿気でノリが剥がれてしまうから、コンポジットボウは進化しなかったってのは弓関係の文献には良く出てくるフレーズ)

あとは弦を引くのに使った力がどれだけ効率的に矢の運動エネルギーに変換されるかも影響してくる。
その点でも小型のモンゴル弓の方が和弓よりも有利かもしれない。
486名無し三等兵:2008/09/11(木) 01:55:59 ID:???
>>480
>或いは鎌倉武士が相手を狙って真っ直ぐに飛ばすのに対し
>モンゴルは兎に角大量の矢を斜め45°で放って矢の雨を降らせたとか。

実際にはおそらくこんなとこ。
多分、矢自体も遠矢に向く軽いものを使っていたんだろうけど、最も大きいのはその撃ち方の違いだろう。
間接射撃の遠矢と直接射撃の指矢を比べて射程距離がどうこう言うのは戦車砲と榴弾砲の有効射程の
差を云々するのと同じくらい馬鹿げたこと。

もちろん遠矢と指矢は単なる撃ち方の違いだから、状況に応じて臨機応変切り替えられる。
487名無し三等兵:2008/09/11(木) 08:58:04 ID:???
和弓は弓返しがあるから、同じ張力でもモンゴルの弓より威力が強いらしいぞ
488名無し三等兵:2008/09/13(土) 01:22:26 ID:???
>>485
腕の筋力だけで引く、元〜大陸系の弓と
背筋まで使う和弓だと張力は大分違うだろね
489名無し三等兵:2008/09/13(土) 06:42:18 ID:???
>>488
「元〜大陸系の弓は腕の筋力だけで引く」ってのはどういう理由で?
490某研究者:2008/09/22(月) 22:55:29 ID:oXLI6P5A
モンゴル重騎兵の鎧と言うのは
http://www.juno.dti.ne.jp/~tenchi/DETA/kaisetu/kaisetu%20hukusyoku.htm
>チェインメイルや皮製で、軽くて硬い。
>もっとも、本当に鎧を着ていた兵士は少なく、10人に1人くらいとも言われている。

こんな程度なのかだが
鎖帷子では弓には対抗不能と言う事かも知れぬが
楯を持っていた騎兵も居る訳だろうか

http://www.geocities.co.jp/Technopolis/5215/fubu/min.htm
明騎兵も元の影響で
鎖を利用している訳だろうか


http://www.gaopu.com/gendai.html
中央の兵は皮甲かも知れぬが
此れなら弓は止まった可能性も有るだろうが

http://www.gaopu.com/mindai.html
鎖帷子の兵と言うのは上の明の中央の兵と恐らく同じだろうが
此れは矢は止まったのかどうかだが
491某研究者:2008/09/22(月) 23:03:58 ID:oXLI6P5A
元騎兵は軽装だろうが
宋の歩兵は重装備だろうから
弓は通用しないかも知れぬが
長巻でやられていたのかどうかだが
492某研究者:2008/09/22(月) 23:16:31 ID:oXLI6P5A
モンゴル軍が日本の楯突戦に対して
騎兵突撃を仕掛けた場合は
50−100m程度からの一回の弓の射撃には耐えられるかも知れぬが
騎馬突撃は楯の正面からでは通用したのかどうかだが
楯で止められた後ヘースティングスの様に馬を長巻でやられたと言う事は
無いのかだろうし
モンゴル馬はペルシュロン程衝撃力は無い訳だろうから
丘の上に布陣せず共シールドウォールで阻止出来たと言う事は
無いのかだが
493名無し三等兵:2008/09/22(月) 23:17:22 ID:5sVlroWH
いや〜ん
494名無し三等兵:2008/09/22(月) 23:18:35 ID:???
すみません、まとめてから書いてください
495某研究者:2008/09/22(月) 23:19:14 ID:oXLI6P5A
モンゴル騎兵も楯の正面から飛び込む程愚かなのかだろうし
宋の歩兵を先に突入させたかも知れぬが
宋の重装歩兵も弓には耐えたかも知れぬが
長巻ではやられていたと言う事かも知れぬが
496名無し三等兵:2008/09/22(月) 23:36:11 ID:j4IB/hYn
これがチンギスハーンでチンギスハーンの頃のモンゴル軍で、
んでモンゴル高原辺りで野戦するとなれば確実に敗北するね。

司令官はフビライだし、相手が島国だから
大陸で大活躍したモンゴル軍使えないし、
その上、日本は迎撃側だし、
不利な条件の方が現実には多い
497某研究者:2008/09/22(月) 23:47:55 ID:oXLI6P5A
楯を全周に並べて方円陣を敷いても
果たしてやられたのかどうかだが
宋の重装歩兵も丘を登ったり長距離を行軍した場合は
まともに戦闘出来たのかどうかだが
498名無し三等兵:2008/09/23(火) 00:39:19 ID:7NW9eGH+
設楽ガ原みたいに塹壕ほって掻き上げ堡塁に障害物並べてみたら馬なんかさっぱしだべ
499某研究者:2008/09/23(火) 01:01:13 ID:4dcc4Ymj
宋の重装歩兵も方円陣で騎兵を防護したが
長時間戦闘不能だから元軍に敗れたと言う可能性は
無いのかどうかだが
500名無し三等兵:2008/09/23(火) 02:44:00 ID:???
実質的には支那朝鮮軍だろう。
そもそも貴重なモンゴル騎兵を海戦につかうわけがない。
501名無し三等兵:2008/09/23(火) 03:28:15 ID:???
スレ全部見てから書き込めよ。
何回も同じ反論されてること書くな。
502名無し三等兵:2008/09/23(火) 13:45:55 ID:???
>>500
この遠征の元軍は高麗人の傭兵や帰化人の兵がいた
高麗の兵は通説以上に多い

西征軍は>>375-377
503某研究者:2008/09/23(火) 15:24:17 ID:4dcc4Ymj
この時点では日本側も騎兵突撃をしていたから
此れに対する備えは一応有る訳だろうが
方円陣は何処迄利用されて居たのかどうかだが
504某研究者:2008/09/23(火) 15:31:40 ID:4dcc4Ymj
30−50kgの歩人甲で
山岳地帯で長時間戦闘をすれば
ゼンパハの戦いの様に成ると言う
事だろうか

505某研究者:2008/09/23(火) 15:39:12 ID:4dcc4Ymj
まあしかし40kgの大鎧を着た騎馬武者も
下馬戦闘は出来たのかだが
楯突戦では下馬時に射撃しかしなかった可能性も
有るかも知れぬし
白兵戦をやったのは長距離を徒歩で行軍せずに済む
船上や防塁上での戦いだけと言う事は
無いのかどうかだが

まあしかし船上で歩人甲を着た宋の歩兵に
重い大鎧を着た兵は有利に戦えたのかどうかだが
槍を長巻で切り落とした後
近接戦に持ち込んだのかだが
長柄刀の柄迄斬れたのかどうかだが
506某研究者:2008/09/23(火) 15:47:08 ID:4dcc4Ymj
長距離を徒歩で行軍して来た
歩人甲装備の宋の歩兵が
防塁で戦った場合は
矢張り長時間の戦闘等は困難な訳だろうか
507某研究者:2008/09/23(火) 16:07:35 ID:4dcc4Ymj
http://www.teamrenzan.com/archives/writer/matumura/post_226.html
>重騎兵は、通常、皮革製の鎧、状況によって敵軍から奪った鎖製の完全な鎧を着用し、当時のビザンチン帝国の騎兵や中国騎兵が着用していたものと同じような兜をかぶっていた。
>重騎兵の乗馬にも皮革製の鎧を着せていた。重騎兵の主武器は槍(ランス)であった。
>1個師団の60パーセントを構成する軽騎兵は、兜を着用していたが鎧を着ていなかった。しかし、その運動性はきわめて軽快で、あらゆる地形を克服し戦闘することができた。

モンゴル騎兵の4割は皮甲を装備して居たと言う事なのか
どうかだが
馬甲迄4割有ったのかどうかだが
モンゴル重騎兵も弓でダメージは与え難いかも知れぬが
近接戦では可也脆かったのかどうかだが
508某研究者:2008/09/23(火) 16:13:46 ID:4dcc4Ymj
>軽・重騎兵はいずれも三日月刀か、戦斧を携帯し、戦闘直前に着用する絹シャツを携行していた。
>ジンギス・カーンは矢が厚手の絹地を貫徹することが難しく、単に将兵を負傷させるだけであることに気付いていた。中国人の軍医は絹地を引っ張るだけで、しばしば突き刺さった敵の矢頭を負傷した将兵の体から引き出すことができた。

軽騎兵も綿甲は装備しているが
矢は完全には止まらなかった訳だろうか
509某研究者:2008/09/23(火) 23:34:31 ID:4dcc4Ymj
http://www.geocities.jp/shokatusei/nansong/04.html
>宋朝の対面する主要な敵は北方王朝の騎兵であることにより、大部分が弓弩手で、少ない部分が槍手、刀手で、その他に少量の火器兵の配属があった。
>後、南宋の時代になると、火器が増加し、砲兵の数も増加したが、弓弩手を歩兵の先頭におく構造はまだ改変されなかった。

南宋軍は近接戦用の兵が少ないと言うから
船上の白兵戦では容易にやられたと言う事かも知れぬし
日本の楯を並べる楯突戦に対して弓は余り有効では
無かった訳だろうか
510某研究者:2008/09/23(火) 23:44:14 ID:4dcc4Ymj
http://www3.plala.or.jp/ccc1/twmu/Medieval/2.3.html
>重装騎兵は革の上に金属甲片をひもで綴った鎧、金属製兜と首当てを着けた。(中)
>中後期、火器が発達につれ、鎧も変わった。分厚い棉や絹布地の中に鉄の甲片を仕込み、表面に銅の釘で固定した棉甲が誕生した。

綿甲は何時頃の
登場だったのかだが
此れを装備している兵は多かったのか
どうかだが
511某研究者:2008/09/24(水) 19:24:59 ID:ncinD5Fp
平地では楯突戦後
宋の歩兵が突入するが
弓兵の比率が多いので敗走
モンゴル騎兵が突入する事は出来ないが
敗走した宋の兵を追う騎馬武者に対して
攻撃を掛けた可能性は有るかも知れぬが
モンゴル騎兵にやられたと言う記述は無いだろうか

宋の歩兵が敗走した後
モンゴル騎兵が下馬突撃と言うのは
有り得たのかどうかだが
下馬して戦闘しているモンゴル兵と言うのも
描かれていただろうが
此れには梃子摺ったと言う事は無いのかどうかだが
512某研究者:2008/09/24(水) 19:32:50 ID:ncinD5Fp
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
上の最前列に居るのが下馬したモンゴル騎兵かも知れぬが
モンゴル騎兵も槍や斧を構えて下馬突撃したが
斧は長巻に対して長さが足りず
槍は長巻で折られて居たと言う事は無いのかだが
513某研究者:2008/09/24(水) 19:36:45 ID:ncinD5Fp
http://www.gaopu.com/soudai.html
弓を装備している歩兵も歩人甲を装備している様に見えるが
歩人甲の装備率は何処迄有ったのかだが
514某研究者:2008/09/24(水) 19:40:13 ID:ncinD5Fp
>モンゴル騎兵が突入する事は出来ないが
>敗走した宋の兵を追う騎馬武者に対して
>攻撃を掛けた可能性は有るかも知れぬが
>モンゴル騎兵にやられたと言う記述は無いだろうか

モンゴル軽騎兵の槍は投げ槍だろうから
弓で対抗可能だったかも知れぬが
重騎兵の槍で馬を狙われたら対抗出来たのかだが
弓で槍を払った後組み打ちに持ち込んだ可能性は無いのかどうかだが
515某研究者:2008/09/24(水) 21:11:39 ID:ncinD5Fp
船上でも宋の歩兵には弓兵が多いから
近接戦に持ち込めばだろうし
モンゴル騎兵の下馬戦闘に対しても
前書いた様に
長巻で対抗は可能かも知れぬが
516某研究者:2008/09/24(水) 21:15:41 ID:ncinD5Fp
まあしかしモンゴル軽騎兵でも徒士に比べたら
装備は兎も角戦闘能力は高いと言う事は無いのかだろうし
騎馬武者も大鎧を装備して長時間下馬戦闘は可能なのかだが
胴丸装備の騎馬武者も多かった訳だろうか
517某研究者:2008/09/24(水) 21:18:41 ID:ncinD5Fp
まあしかしモンゴル軽騎兵でも徒士に比べたら
装備は兎も角戦闘能力は高いと言う事は無いのかだろうし
騎馬武者も大鎧を装備して長時間下馬戦闘は可能なのかだが
胴丸装備の騎馬武者も多かった訳だろうか
518名無し三等兵:2008/09/26(金) 01:41:26 ID:???
519名無し三等兵:2008/09/26(金) 11:50:52 ID:???
良いスレだったのに某研スレに堕しちゃったのか…orz
520名無し三等兵:2008/09/26(金) 16:57:23 ID:???
なぁに、どうせしばらくすれば消えるさ
521名無し三等兵:2008/09/26(金) 17:42:01 ID:???
怒濤の勢いはまるでモンゴル軍だな
522名無し三等兵:2008/09/26(金) 19:57:23 ID:???
最近あぼーんだらけだから、どこのキチガイがファビョってるのかと思いきや、
このスレに目をつけた某研の絨毯爆撃だったのかw
523名無し三等兵:2008/10/10(金) 15:11:33 ID:???
>>518
黒い人って罪人だったのね
524某研究者:2008/10/16(木) 14:33:21 ID:nmt6HwAS
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3814117
上を見る限りロングボウの矢はスイカを完全に通り抜けているし
モンゴル弓は通り抜けていないから
ロングボウより飛距離は兎も角威力は有るのかどうかだが
525某研究者:2008/10/16(木) 16:53:50 ID:nmt6HwAS
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3814419
クロスボウも弓に比べて意外と精度は無い様だから
宋のクロスボウ兵が日本にやられていたと言う可能性は
有る訳だろうか
526名無し三等兵:2008/10/16(木) 19:00:07 ID:???
俺はニコ見れないけど
蒙古の弓って
短射程の重量矢と長射程の軽量矢とあったよね
それはどっちが使われてるの?
527名無し三等兵:2008/10/16(木) 19:16:14 ID:???
youtubeでくれ
528名無し三等兵:2008/10/28(火) 23:47:53 ID:???
保守sage
529名無し三等兵:2008/10/29(水) 02:05:14 ID:P0ahiGsQ
高麗軍が女子供を虐殺したんだよね?
530名無し三等兵:2008/10/29(水) 06:15:32 ID:RkhE4CLX


大爆笑!韓国政府が自爆!慰安婦の正体を暴露!(最悪)wwwwwwwwww
http://photo.jijisama.org/ianfu.html

うそつきw

朝鮮人謝罪しろ
ゴミ民族w

531名無し三等兵:2008/10/29(水) 23:07:02 ID:???
某研氏がニコニコ観てるというのも興味深いな
やっぱりコメントに、「矢張り〜だろうか」
などと投稿しているのだろうか
532名無し三等兵
>>531
青の大文字で延々と「〜だろうが。」のコメをしまくって
荒らし認定されてる某研想像して吹いたw