クルスク戦車戦

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1名無し三等兵
ホントにあの小説の様な、戦車同士の超大規模の会戦があったんだろうか


2名無し三等兵:2008/04/03(木) 06:53:03 ID:???
自営業阻止
3名無し三等兵:2008/04/03(木) 06:56:30 ID:???
いや、なかっただろ
4名無し三等兵:2008/04/03(木) 07:03:18 ID:???
krsk

ってのは既にどこかにあったな
5:2008/04/03(木) 09:45:32 ID:XA4lHPqL
スマン、それ俺がよく使ってるorz.
6名無し三等兵:2008/04/03(木) 09:58:42 ID:???
>>4
もっとkwsk
7名無し三等兵:2008/04/03(木) 11:07:11 ID:???
くすぐる戦車戦
8名無し三等兵:2008/04/03(木) 11:24:17 ID:???
昔はクルクスと思っていた
9名無し三等兵:2008/04/03(木) 15:05:32 ID:???
ナチの捏造の可能性やソ連の自作自演だったってこと?
10名無し三等兵:2008/04/03(木) 17:28:53 ID:???
日本で言う大本営発表みたいなもんだ
11名無し三等兵:2008/04/04(金) 00:56:16 ID:???
>>9
日本の捏造より酷くないと思うね
12名無し三等兵:2008/04/04(金) 12:57:33 ID:???
プロパンダ
13名無し三等兵:2008/04/04(金) 13:26:04 ID:???
お前はガス会社の回し者か
14名無し三等兵:2008/04/05(土) 01:30:22 ID:???
むしろ中共の回し者のパンダだろう。おそろしいことだ
15名無し三等兵:2008/04/06(日) 02:23:41 ID:???
プロパンガスパンダ
16名無し三等兵:2008/04/06(日) 07:06:57 ID:130aaqsY
「この戦車が唯一のティーガーです」
「この中隊でか?」
「いえ、わが師団でです」
17名無し三等兵:2008/04/06(日) 09:14:30 ID:???
クスクス戦車戦
18名無し三等兵:2008/04/06(日) 09:45:36 ID:AX2kqnV7
ツンデレ作戦
19名無し三等兵:2008/04/06(日) 10:00:38 ID:Ypu7cgtx
チハデレ作戦
20名無し三等兵:2008/04/06(日) 10:09:26 ID:???
ハルハ川戦争
21名無し三等兵:2008/04/06(日) 11:57:13 ID:P1nc4ZxP
のモンハン事変
22名無し三等兵:2008/04/06(日) 12:41:51 ID:???
クルシス戦車戦
23名無し三等兵:2008/04/06(日) 13:22:32 ID:???
ルクレール戦車戦
24名無し三等兵:2008/04/06(日) 15:51:29 ID:???
W号戦車が大活躍
25名無し三等兵:2008/04/06(日) 16:34:06 ID:???
牽引式ロケット砲が大活躍
26名無し三等兵:2008/04/06(日) 21:21:01 ID:???
クルクル大作戦
27名無し三等兵:2008/04/07(月) 18:50:59 ID:???
「魔法陣グルグル」大作戦
28名無し三等兵:2008/04/07(月) 18:55:28 ID:???
スクール水着大作戦
29名無し三等兵:2008/04/07(月) 21:58:22 ID:???
姉妹スレ

すた〜りん☆ぐら〜ど
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1180348929/
30名無し三等兵:2008/04/07(月) 22:16:39 ID:???
つまりそれが姉スレでここが妹スレなわけだな?
31名無し三等兵:2008/04/07(月) 22:20:22 ID:???
立った時期を考えるならそうかも。
32名無し三等兵:2008/04/07(月) 22:46:49 ID:???
wikipe の説明を参照。
アレ以上のものは出てきません。

で終了。
33名無し三等兵:2008/04/07(月) 23:45:42 ID:???
アレ以上は無いとか言うのは無いだろ・・・。
北部の話は丸々割愛されてるし。
34名無し三等兵:2008/04/08(火) 00:07:36 ID:???
wiki独語版は結構詳しい
35名無し三等兵:2008/04/08(火) 00:13:00 ID:???
ドイツ語読めない俺涙目。
36名無し三等兵:2008/04/08(火) 02:15:38 ID:UZ1N37bV
クリトリス戦車戦
37名無し三等兵:2008/04/08(火) 06:35:02 ID:???
おれの88ミリ砲は未使用
38名無し三等兵:2008/04/08(火) 07:50:36 ID:???
クリトリス舐めたいw

アッ! 夕べ舐めたばかりだたw

い..いかん..早くも痴呆が..orz
39名無し三等兵:2008/04/08(火) 07:54:06 ID:???
アルデンヌの森
40名無し三等兵:2008/04/08(火) 12:12:41 ID:???
アルデンテの盛
41名無し三等兵:2008/04/08(火) 14:27:39 ID:???
デルモンテの野菜ジュース
42名無し三等兵:2008/04/08(火) 16:59:29 ID:???
wikiに詳しく書けるけど、長くなるしな
43名無し三等兵:2008/04/10(木) 11:53:21 ID:???
スクリプキン大隊長の奮戦
44名無し三等兵:2008/04/10(木) 12:49:49 ID:???
ハウザー報告書見て、信じられる、と
45名無し三等兵:2008/04/11(金) 20:07:09 ID:???
ロトミストロフはソ連軍が勝利した、と>プロホロフカ
46名無し三等兵:2008/04/12(土) 09:26:12 ID:???
どっちも勝利宣言してるし
47名無し三等兵:2008/04/13(日) 09:07:02 ID:KsSrzPkG
クルスク戦車戦クスルク

右から読んでも左から読んでも山本山
48名無し三等兵:2008/04/13(日) 09:15:35 ID:???
クルクス戦車戦
49名無し三等兵:2008/04/13(日) 12:12:13 ID:???
セックス戦車戦
50名無し三等兵:2008/04/14(月) 16:27:21 ID:Mvd5XQ5y
50
51名無し三等兵:2008/04/15(火) 09:05:06 ID:vzOyNjMl
クスルク戦車線
52名無し三等兵:2008/04/15(火) 11:32:36 ID:???
53名無し三等兵:2008/04/15(火) 12:29:16 ID:???
ククルスドアンの島
54名無し三等兵:2008/04/15(火) 13:17:07 ID:???
ククレカレー戦車戦
55名無し三等兵:2008/04/15(火) 14:06:15 ID:???
クックドゥーの補給大隊
56名無し三等兵:2008/04/17(木) 16:18:00 ID:???
wiki独語版のWeblinksのUmfangreicher detaillierter Reportが詳しい
57名無し三等兵:2008/05/06(火) 20:22:37 ID:IPcX97LL
あげ
58名無し三等兵:2008/05/07(水) 19:48:20 ID:???
クレクレタコラ戦車戦
59名無し三等兵:2008/06/04(水) 23:01:27 ID:rpOD69Nj
1/6の戦車を買ったぞ!
高いもん買ったと嫁に怒られたぞっ!
60名無し三等兵:2008/06/05(木) 07:59:03 ID:???
うp
ついでに嫁うp
61名無し三等兵:2008/06/05(木) 11:28:16 ID:???
よし、今夜は嫁と大戦車戦を展開するんだ
パックフロントを蹂躙すべし!
62名無し三等兵:2008/06/05(木) 14:31:34 ID:???
その戦車は、ティーガーなのか?ホッチキスなのか?と。
63名無しさん:2008/06/13(金) 20:46:16 ID:RF4QeGVA

第二次世界大戦の独ソ戦で活躍したソ連のタンク・デサント兵

早く言えば『戦車の上に歩兵をたくさん乗っけて突撃する戦術』
かなり無茶な戦術のようにみえるが、実はそのまんま無茶で
戦車にしがみついて突進するから、振り落とされて後続車両にひき殺されたり
敵の砲兵射撃の餌食になってミンチにされるかとおもえば乗っかってる
戦車が発砲しても吹っ飛ばされる。
しかし【全滅】させられなければ効果抜群で敵戦車の懐に歩兵を送り込めれば
至近距離で爆雷や銃器で敵戦車を撃破できる。
ちなみにタンク・デサント兵の平均寿命は一週間、セミと同じくらいか・・・・・
64名無し三等兵:2008/06/13(金) 20:56:32 ID:???
ファシストのハリボテ見本市会場
65名無し三等兵:2008/06/13(金) 20:58:10 ID:???
>>63
「自軍に戦車が有るだけマシぢゃねぇか!」

M4シャーマンによじ登り
ハッチや給油口をこじ開け
手榴弾や火炎瓶を投げ込む
帝国陸軍歩兵の皆様が羨ましがってます
66名無し三等兵:2008/06/13(金) 21:12:22 ID:???
>>63
タンクデサントの平均寿命1週間って話題、
独ソ戦関連書籍だと頻繁に目にする話ではあるんだが、
これって出典元どこなんだろう?

元になったデータと計算方法が分かれば、
もっと独ソ戦全体についての理解が深まりそうなんだが。
67名無し三等兵:2008/06/13(金) 22:29:53 ID:???
データとか計算とか言う前に自分で調べな
68名無し三等兵:2008/06/13(金) 22:37:37 ID:???
と言って真偽不明の数字を振りかざすわけだ。
69名無し三等兵:2008/06/13(金) 22:41:18 ID:???
計算して1週間というのではなく
そのくらい短いよ、という比喩的表現じゃないだろうか
70名無し三等兵:2008/06/13(金) 23:19:43 ID:???
デサントの平均寿命に関しては
2週間という説が多いようだが

まあ、>>63と同様、話だけが先行してて
信頼できるソースがあるかどうかは不明
71名無し三等兵:2008/06/13(金) 23:34:35 ID:???
>>67
それで探してみたのだけれども、それでもどこが出典元なのかよく分らないから
ここでこうして疑問を挙げてみたのさ。知っているならヒントだけでも良いので
教えてくれないか?

>>70
だいたい2週間から1週間、というような表現が多いね。
1週間、という表現のみならば比喩的表現かな、とも思うのだけど、
2週間だともう少し特定された印象になるから、
何らかの統計・計算に基づくだろうと推測しているんだが・・・。
72名無しさん:2008/06/14(土) 19:19:41 ID:8IpHKwte
>>63本人です。すいません平均寿命一週間の信頼できる証拠は見つかりませんでした。

ちなみにロシアの成年男子の1/4はアル中でソ連崩壊の大きな原因は
共産主義のため、このまったくの役立たずをクビに出来なかったこと
と言う説がありますが、これも出所不明です。

なんかロシアの資料って出所不明とか証拠不明とかがやたら多いんですよね。
73名無し三等兵:2008/06/14(土) 19:56:01 ID:MjbtalGp
T34/76の寿命が一週間なんだな〜
それだけ独軍の攻撃が壮絶だったわけだ!
ちなみにソ連20歳代男性の1/3は独ソ戦で死亡。
74名無しさん:2008/06/14(土) 20:41:14 ID:KEh9Tn9r
ちなみに

イタリアの戦車は鉄板を溶接で止めずリベットで止めているため敵の砲弾が
あたると戦車内のリベットがピュンピュン飛んで内部の戦車兵を攻撃した。

というのが【ネット】の【世界史コンテンツ】にあったんですけど
マジこれ?
75名無し三等兵:2008/06/14(土) 20:44:42 ID:???
チハにもふんだんに用意されてそうなエピソードだな
76名無し三等兵:2008/06/14(土) 20:55:15 ID:???
チハなら装甲が割れるから大丈夫だし
77名無し三等兵:2008/06/14(土) 22:08:59 ID:???
チハなら弾が向こう側に飛び出すから、穴が開いて涼しくなるだけですから
78名無しさん:2008/06/15(日) 12:48:05 ID:1QKsKDv3

これも【世界史コンテンツ】にあったんですけど

イタリアはドイツと相談せず、勝手に北アフリカで戦闘開始
そのイタリアの部隊は北アフリカでイギリス軍を破ったのはいいけど

気がゆるんで三ヶ月間、戦闘を中止してバカンスを楽しみ
そのためエジプト攻略の絶好の機会を逃し、挙句に

その間に軍を立て直したイギリス軍に敗退
『このままでは北アフリカの植民地を失う』とナチス・ドイツに泣き付き

その結果ロンメル将軍と戦車隊の北アフリカ登場となり
本来独ソ戦に使うはずだった戦車を大量に北アフリカに送る羽目となった。

だそうだ。
79名無し三等兵:2008/06/15(日) 12:51:21 ID:???
あってるじゃん。
続きを書けば、

ロンメルは方面軍司令の厳命を無視して勝手に進出し、結局は敗退してアフリカ軍団を
破滅に追いやった。

だなw
80名無し三等兵:2008/06/15(日) 16:14:35 ID:CqrQoER2

アルデンヌの森戦車戦


81名無し三等兵:2008/06/15(日) 16:30:37 ID:???
クルスク戦のLAHの戦果

7月5日:戦車15輌撃破

7月6日:戦車10輌(KV-II:2輌)撃破

7月7日:戦車75輌撃破

7月8日:戦車82輌撃破

7月9日:不明

7月10日:戦車53輌撃破

7月11日:戦車21輌撃破

7月12,13日:戦車192輌撃破

7月14日:不明

7月15日:戦車15輌撃破

7月16日:無し
82名無しさん:2008/06/15(日) 17:27:17 ID:nkywKayE
>>74-79【世界史コンテンツ】より

ドイツの敗因はイタリアと同盟した事だ。イタリアが弱兵ぶりは第一次大戦
で有名だったが、まさかあれ以下になるとは思わなかった。あらゆる戦線で

イタリアはドイツの足を引っ張り、いかなる連合国よりもドイツ軍を翻弄し
た。敵より厄介な味方、アル意味で世界最強だ。

次はイタリア抜きでやろう。

ナチス・ドイツより大日本帝国へ
83名無し三等兵:2008/06/15(日) 20:19:13 ID:???
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3495131
この虎戦車はすげー力作だわ
84名無し三等兵:2008/06/15(日) 23:57:50 ID:???
>>78
エジプト侵攻し、維持するにはどれぐらいの兵站能力が要るか調べれば
イタリア軍が3ヶ月停止したのも納得するよ。
85名無し三等兵:2008/06/16(月) 20:31:39 ID:xZI9xScH
ふーん、遊んでただけが理由じゃなかったんだ。
86名無し三等兵:2008/06/16(月) 20:44:26 ID:???
せめて鉄道の一本もあれば大分違うんだけどねえ。
つうか、兵站もなにもお構いなしに突進したロンメルの方が
でたらめやってるだけなんだけどね。
87名無し三等兵:2008/06/16(月) 22:35:36 ID:???
北アフリカ戦線のシーソーゲームっぷりは凄まじいもんな。
最初見たときは何かの冗談かと思ったよ。
88名無し三等兵:2008/06/17(火) 13:17:34 ID:???
LAHの作戦稼働数(20〜21時現在)

7月 5日 Pz.III:12 Pz.IV:77 Tiger: 7 StuG:23

7月 6日 Pz.III:− Pz.IV:− Tiger:− StuG:16

7月 7日

7月 8日 Pz.III:10 Pz.IV:40 Tiger: 1 StuG:20

7月 9日 Pz.III: 4 Pz.IV:32 Tiger: 4 StuG:22

7月10日 Pz.III: 4 Pz.IV:41 Tiger: 4 StuG:20

7月11日 Pz.III: 5 Pz.IV:47 Tiger: 4 StuG:10

7月12日

7月13日 Pz.III: 5 Pz.IV:31 Tiger: 3 StuG:20

7月14日 Pz.III: 6 Pz.IV:32 Tiger: 8 StuG:21
 
7月15日 Pz.III: 6 Pz.IV:32 Tiger: 8 StuG:28

7月16日 Pz.III: 5 Pz.IV:42 Tiger: 9 StuG:30  
89名無し三等兵:2008/07/01(火) 16:17:35 ID:???
>>87
北アフリカの場合、都市やオアシスの外は占領しても無価値な砂漠が広がってるから
両陣営とも攻めるときも退くときも
とにかく大きく動かないとその移動に意味がないという事情もある
90ケココ軍曹:2008/07/02(水) 07:13:22 ID:???
プロホロフカにおける戦闘のみ凄かったみたいですね。
91名無し三等兵:2008/07/06(日) 13:22:09 ID:exwwILDu
イタリアはギリシアより弱い
ルーマニアとドッコイ
92名無し三等兵:2008/07/06(日) 13:33:17 ID:???
クスクス
93GD師団のチタデレ戦:2008/07/19(土) 23:19:53 ID:???
7月4日
砲兵の観測所確保を目的として準備攻撃は、1450時に開始された。
右翼は擲弾兵第III大隊、左翼はFues第III大隊攻撃を雨の中で開始した。

最後の爆弾が落ちた直後に、右翼の第11中隊が先頭の擲弾兵第III大隊は突撃砲第1中隊、戦車猟兵第1中隊、
突撃工兵第4中隊に支援され、高地へ飛び出した。
重迫撃砲と対戦車ライフルは敵の抵抗の激しさを示し、攻撃開始と同時に敵戦闘機が現れ地上戦に介入した。
損失は増えたが、1600時までにButovo西の高地右側の区画を占領した。
右側の第11戦車師団が同時刻頃にButovoの方へ方向転換したと知らされた。
1645時、観測所が設置された。

左翼のFues第III大隊はうまく行かなかった。
大隊長ボルク大尉は、地雷で足を失い後方に送られた。
それでも大隊は雷雨の中、斜面に向かって前進した。しかし、そこに達していたのは何時間も前だった。
敵砲兵と迫撃砲の激しい砲火は、何度も攻撃を停止させた。
暗闇が訪れたあと、Gerzovka南東の高地をついに奪取し、ロシア軍の前進前哨地点に最も近い陣地を占領。
多数の損失を出しながらも、攻撃目標に達した。

全砲兵部隊員は、できるだけ前線近くに車輌を移動した。
命令を受け前進。正確な敵砲撃を避けるために、装甲観測車と通信車が離れてジグザクに前進した時、
やっと歩兵は向かいの斜面を登り始めた。兵と車輌の損失は奇跡的に軽かった。
状況説明の間に全指揮官は地雷について警告され、それがすぐに証明された。忌まわしいものは、至る所にあった。
砲兵第I大隊長ティーアマン大尉の通信車は運用不能に、もう一輌の装甲観測車は爆破された。
キュールマン大尉は地雷の爆発で重傷を負い、誰もが細心の注意を払って前進した。
大隊副官グレース中尉と作戦将校ブアハーディ中尉は、大急ぎで作業した。
連隊通信将校マイヴァルト大尉は、回線を設置して走りまわった。
非常に間に合わせで二重回線を敷設する時間は無かった。

To be continued・・・?
94名無し三等兵:2008/07/21(月) 04:45:41 ID:???
ソ連公式戦記のデタラメを信じた古い資料ばかり読んでないで、新しいのも読めや。
大日本絵画の「クルスクの戦い」「続クルスクの戦い」とか。合わせて税別\11000もするけど。
95名無し三等兵:2008/07/21(月) 13:26:00 ID:???
the History of Panzerregiment "GD"
the History of the Panzerkorps GD
PanzerGurppen
Glantz本
その他
だったりするんだけど・・・
96名無し三等兵:2008/07/21(月) 14:39:13 ID:???
あと
>大日本絵画の「クルスクの戦い」「続クルスクの戦い」

「クルスクの戦い」は持ってないけど、「続クルスクの戦い」は
結構、間違いが多い気がする
コッセル突撃砲大隊って何のことかと思ったら
フォン・コッセル少佐の第35戦車連隊第I大隊だし
97名無し三等兵:2008/07/22(火) 06:57:38 ID:???
その後、>>94の姿を見たものはいなかったと言う
987月5日-1:2008/07/24(木) 22:15:05 ID:???
0500、40分の攻撃準備射撃の後、予定通りに攻撃開始。
    GD戦車連隊は、擲弾兵第III大隊、砲兵と共にはButowo-Gerzowkaの線から出る。

0530、先遣部隊(第1戦車中隊、ティーガー中隊)が対戦車壕及びBeresowyj東の峡谷に到達した。
    峡谷の前は、有刺鉄線が張られ深い地雷原だった。
    GD戦車連隊は229.8高地北部の地雷原に入り込んだ。
    動きが取れない戦車は対戦車ライフル、対戦車砲と砲兵の激しい防御砲火で歓迎され、大混乱に陥った。
    戦車第II大隊長グラーフ・ザオァマ中佐の砲塔に被弾し、フォン・ゴットバーク大尉が大隊の一時的な指揮を
    取った。
    工兵が呼ばれ、地雷原に道を通し始めた。
    連隊は地雷原でかなりの損耗を出し、残った戦車は1.5km西で峡谷を渡ろうとした。

0640、擲弾兵第III大隊は戦車連隊を残しBeresowyjの峡谷を渡った。
    そして、砲兵に支援され237.8と239.3高地の間の小高い場所を占領。
    続いてTscherkasskoje西端で、Kolchos地区北と別方向からの反撃を撃退したが、TscherkasskojeとKorowino
    から側面への砲撃は、戦車なしでの前進を困難にした。
    師団長は第III大隊が出撃せず攻撃が停滞しているFüs連隊を右翼に移動させ、擲弾兵連隊後方に派遣した。
    Füs連隊も峡谷を渡ったことが報告された。

0645、第10戦車旅団(Moschenjoje北に集結)が、GDの指揮下に入った。
    旅団はGD戦車連隊がBeresowyjの峡谷を渡った後、投入されることになっていた。

0655、師団は湿地の上、前日の雨の為増水した峡谷でGD戦車連隊の前進がますます困難になっていると報告。

0800、第10戦車旅団本部とラウヘアト戦車連隊はBeresowyjに向かい集結地を出発、0815時に幹線道路を越える。

0915、擲弾兵第III大隊がTscherkasskoje南西の237.8高地に到達。第12中隊は西へ向きを変えた。
    237.8高地前面に右に第11戦車師団、左にFüs連隊が並んだ。
997月5日-2:2008/07/24(木) 22:19:38 ID:???
0945、GD戦車連隊の数輌の戦車が川に入った。
    しかし、1輌のティーガーが中央で動けなくなり、全ての渡河を停止させた。
    工兵は新しい渡河地点を造るために大急ぎで作業したが、建築資材は深い泥の中に沈み続けた。
    師団は渡河に予想以上の時間が掛かると認めた。
    第10戦車旅団はまだ229.8高地の南を移動中。

0950、ロシア空軍が、Beresowyj渡河地点を攻撃。
    擲弾兵連隊指揮所に爆弾が直撃し、連隊副官ゲアハート・ベッケンドアフ大尉、第IV大隊副官ホフステッター
    少尉、シュタイン少尉( 戦車猟兵大隊)が戦死。

0955、深刻なロシア軍の砲撃にもかかわらず、擲弾兵第III大隊は237.8高地を占領。

1005、GD戦車連隊の最初の戦車が、Beresowyj峡谷を渡った。
    GD戦車連隊に師団Iaから「210.7高地へ進出」と命令。

1105、二番目の渡河地点が準備でき、すでに10輌の戦車が対岸に渡ったと報告した。
    北に進出したFüs、擲弾兵の両部隊は、ロシア軍の反撃を受けていた。
    Füs連隊長カスニッツ大佐は重傷を負う。

1210迄に、GD戦車第I大隊は峡谷を渡ったIV号戦車10輌で、210.7高地に向かい前進していた。

1300迄に、更に5輌のIV号戦車が渡河した。
    軍団長は師団の攻撃計画を承認するが、第3戦車師団に後続するGDの戦車部隊を調査するよう命令した。
    しかし、これは第3戦車師団の後続部隊の前進を妨害した。

1335、峡谷を迂回するために道路を捜してBeresowyj東部を偵察しているGD捜索大隊は地雷原を発見した。
    工兵が地雷を取り除くよう派遣された。

1350、Korovinoの方向からFüs連隊、擲弾兵第III大隊に7輌の戦車を伴ったロシア軍の攻撃を受けるが、ドイツ軍戦車
    が全車撃破する。
1007月5日-3:2008/07/24(木) 22:23:50 ID:???
1430、擲弾兵第I大隊の先遣部隊と第10戦車旅団はBeresowyj渡河地点へ、擲弾兵第II、IV大隊は229.8高地南及び
    峡谷へ前進。

1530、パンターがBeresowyj渡河地点の仮設橋を渡る。

1600迄にパンター30輌が渡河し、第10戦車旅団と擲弾兵第I大隊はTscherkasskoje北西に向かって進んでいた。

1620、Beresowyj渡河地点は再び爆撃された。そして、GD戦区に激しいロシア軍の反撃と爆撃があり擲弾兵第III大隊
    とFüs連隊は、動物塚の両側で激しい防御戦闘に入った。

1730、擲弾兵第II大隊は、ButowoからTscherkasskoje南西の237.8高地に進出。 そこで、擲弾兵第III大隊と接触した。

1735、Beresowyj峡谷を渡河中の戦車部隊は、再び動けなくなった。

1745、GD師団長は軍団長に、1個戦車大隊、GD突撃砲大隊の工兵とGD師団砲兵でButowoから237.8高地へ進み、
    更にTscherkasskojeへの前進許可を求め、軍団長は承認した。そこは第11戦車師団戦区だった。

1750、擲弾兵連隊の戦闘指揮所をYamnoye西端に移す。

1900、擲弾兵第II大隊はTscherkasskojeの攻撃を命令された。
    第10戦車旅団は随伴の擲弾兵第I大隊と共に、Tscherkasskoje北部に対して攻撃。
    擲弾兵第I大隊はそこでロシア軍砲兵部隊を襲撃し、北西部へ突入した。

1935、擲弾兵第II大隊は、Tscherkasskoje南西部を攻撃。
    しかし、すでに第11戦車師団がいて、すぐに第II大隊による攻撃は中止し、Cherkasskoye南西部の前に集結
    した。
1017月5日-4:2008/07/24(木) 22:25:24 ID:???
2020、Tscherkasskoje北西部を占領した。
    第10戦車旅団は激戦の後Jarkiを占領。その後、232.4高地を攻撃したが激しい抵抗に会った。
    多数の敵戦車が埋められていたので、困難ということが判り、攻撃を直ちに停止した。
    師団工兵は、Beresowyj峡谷に残った戦車部隊の前進に備え道路から地雷を排除した。

2105、Jarkiを確保して、擲弾兵連隊は西からTscherkasskojeを攻撃。そして、町の大部分はドイツ軍の手に落ちた。
    Füs連隊は、Krassnyj Potschinok南東の高地帯に到着した。
102名無し三等兵:2008/07/24(木) 22:43:42 ID:???
疲れた・・・

96のPanzerGurppenってなんだー 綴りも間違ってるし
PanzerTruppenね
103名無し三等兵:2008/07/30(水) 23:05:03 ID:???
>>94
自称新事実を売り物にする本も信用出来ない
説明出来ない矛盾や間違いも多いし
104名無し三等兵:2008/07/31(木) 19:38:29 ID:???
新事実って言っても、実はクルスクはドイツ軍に占領されてたならともかく、
ただSSの戦車数と損耗が少なかっただけだろ
105名無し三等兵:2008/08/09(土) 00:21:23 ID:???
>>ソ連公式戦記のデタラメを信じた古い資料ばかり読んでないで、

まぁ、プロホロフカ戦の記述なんかはその通りなんだけどなw
106名無し三等兵:2008/08/09(土) 05:12:15 ID:???
>>105
>>94に対するツッコミの本質から話をそらすなよ
っていうか、本人乙?
107名無し三等兵:2008/08/13(水) 10:46:48 ID:???
ソ連公刊戦史にあるロトミストロフの観戦記や、
スクリプキンのKVがタイガーに体当たりした話もプロパガンダか
108名無し三等兵:2008/08/13(水) 13:38:01 ID:???
「アウトレンジで、やられました。ええ、ほとんど一方的に。
 でも、何とか突破は食い止めて、敵は撤退。
 いや、こっちの戦果が上がったからじゃなくて……。
 追撃は一生懸命やりましたよ」
じゃ、格好悪いよな。
109名無し三等兵:2008/08/13(水) 14:02:34 ID:???
ソ連軍の報告書には、第6親衛戦車軍の攻撃は失敗と・・・
110名無し三等兵:2008/08/13(水) 18:51:09 ID:???
↑第5親衛戦車軍の間違いだわ
111名無し三等兵:2008/08/13(水) 21:20:54 ID:???
んだな、第6親衛戦車軍ができたのはコルスン包囲戦のちょっと前だな。
112名無し三等兵:2008/08/13(水) 22:37:56 ID:???
>>108
「ほとんど一方的に」やっておいて突破できなかったから
ドイツ軍はヘタレだ、と言いたいわけか?

全く、ドイツ厨はソ連を貶したつもりで墓穴を掘るから面白い
113名無し三等兵:2008/08/16(土) 14:53:29 ID:???
ハイコフカ付近の地図はどこかにないか?
3DCGマップ作る参考になりそうなやつ
114名無し三等兵:2008/08/18(月) 20:33:00 ID:la21yeOz
虎1を撃破するために接近戦を挑んだ=虎1の重装甲も火力もアドバンテージを失った=ロシア側
虎1を撃破するために接近戦を挑んだ=虎1は大していなかったのでV号でもT-34を撃破できた=ドイツ側
どっちの言い分が正解
115名無し三等兵:2008/08/18(月) 23:47:44 ID:???
ヒント

全体に占める虎、V号、W号の割合
116名無し三等兵:2008/08/18(月) 23:56:41 ID:???
シュルツェン付き四号も虎さんとして計上=ロシア
117名無し三等兵:2008/08/19(火) 00:02:04 ID:???
遠目には区別つかんかもな
118名無し三等兵:2008/08/19(火) 00:21:16 ID:???
まあ、4号だからって遠距離射撃をしてもらっていたら
生存する可能性もあったんだろうが
ティーガーと間違えられて、特攻かけられた
シュルツェン付き4号の乗員カワイソス
119名無し三等兵:2008/08/19(火) 23:24:25 ID:???
プロホロフカは射撃訓練のような戦闘でした
120名無し三等兵:2008/08/20(水) 00:23:03 ID:DwGgm9XB
史上最強の戦車隊と言えばドスタム将軍の戦車隊でしょう。
121名無し三等兵:2008/08/20(水) 00:49:45 ID:???
>シュルツェン付き四号も虎さんとして計上=ロシア

独軍もT-60や70をT-34と誤認してカウントしてるし、まあしゃあない
122名無し三等兵:2008/08/20(水) 00:53:19 ID:e1nAu1+O
スルクス大戦車戦
123名無し三等兵:2008/08/20(水) 00:58:44 ID:???
フェルディナントの強さに衝撃を受けるのはいいけど、
三突まで「フェルディナント」と呼ぶのはどうかと思うんだ
124名無し三等兵:2008/08/20(水) 14:42:03 ID:???
>>121 ソビエト約8400両の内6000両がT-34。ドイツ約2700両の内ティーガーは約150両。ソビエト側の記録ではティーガーは800両居た事になってるが
125121:2008/08/20(水) 23:02:07 ID:???
>>124
あっごめん、クルスク戦時じゃなくて41年〜43年前半あたりのことです。

ブラウ作戦の各戦車師団や502重戦車大隊のラドガ湖畔戦とかの
T-34やKV戦車撃破の記録をソ連側と照らし合わせると
T-60や70、ヴァレンタインのみ装備の部隊しかいなかったり
とかが結構あるそうで。

敵軍を実体以上に強力に感じての誤認はしかたあるまいて。
126名無し三等兵:2008/08/26(火) 02:28:41 ID:Xe+ovQLC
戦車不足の為T-34を宛がわれた25両のドイツ戦車兵の心境はいかに
127名無し三等兵:2008/08/26(火) 10:53:18 ID:???
GDやダスライヒのようなエリート師団でさえも、だからな>Tー34装備
照準器だけはドイツ製に替えたのかな
128名無し三等兵:2008/08/29(金) 04:02:22 ID:???
国防軍は1号にPak47改造とかしか無かったんだよ
良くて3号
129名無し三等兵:2008/08/29(金) 04:14:34 ID:???
基本的に爆撃戦だからね
と思っている
130名無し三等兵:2008/08/29(金) 04:52:36 ID:NgszcFmC
>>125
>敵軍を実体以上に強力に感じての誤認はしかたあるまいて。

これは戦場では陥り易い心理なのかな?
新兵が見間違えるだけじゃ無くて、
レイテ沖海戦でも護衛空母を正規空母と間違えてたらしいし…
131名無し三等兵:2008/08/30(土) 19:38:05 ID:???
>>127
我が国の基準には通らなかったので・・・だった
T-34程の戦車が
>>129
Il-2に狙われたら怖かっただろうな・・・
132名無し三等兵:2008/08/31(日) 11:08:12 ID:???
7/7、ヤコヴレオ村でベッサラボフ小隊長(Lt.Georgy Bessarabov)のT-34が、
ティーガー3輛を撃破、レーニン勲章を授与したと公刊戦史にあるが、
ドイツ側の記録ではどうなんだろ
133名無し三等兵:2008/09/10(水) 13:16:52 ID:???
ho
134名無し三等兵:2008/09/16(火) 07:30:54 ID:9TolafVc
ティガーより遥かに発射速度・砲塔旋回が遅いT34にまぐれが連続するわけがない

かといって個別遭遇なら
数少ないティガーに何度もご面会する前に他戦車に遭遇するでしょう
135名無し三等兵:2008/09/16(火) 07:35:07 ID:???
「わけがない」とか「でしょう」ではなく
>>132は公式記録を知りたいんだろう
136名無し三等兵:2008/09/16(火) 11:30:32 ID:???
ヤコヴレオ村って何処の部隊の作戦地域だ?
137名無し三等兵:2008/09/17(水) 10:03:19 ID:???
ヤコヴレオ(ヤコフレヴォ)は、オルコフカの東北、
ヴォルスクラ河畔、オボヤン〜ビエルゴロド街道沿いの村

第2SS戦車軍団受け持ち戦区の最左翼にあたり、
7月5〜7日にかけて、LAHがその周辺で戦闘、奪取してる。
138名無し三等兵:2008/09/17(水) 14:41:21 ID:???
師団史見たら、7月5日に戦車戦闘団シェーンベアガーSchoenberger(13sPzKp欠)と
第1SS擲弾兵連隊がこの辺で戦闘してるな。
第13中隊は第2SS擲弾兵連隊に配属されてるから、IV号の誤認と
139名無し三等兵:2008/09/17(水) 15:15:50 ID:???
6日、第1SS擲弾兵連隊に対してソ連軍はヤコフレヴォ東から戦車38輌で反撃。
で、ちょうど発進した戦車戦闘団にぶつかり交戦、8輌撃破し撃退。
戦車戦闘団は、1630時には、ルチキを突破してテテレヴィノを攻撃してるから、7日にヤコフレヴォってのは嘘
140名無し三等兵:2008/09/17(水) 15:18:16 ID:???
× 8輌撃破し撃退
○ 8輌撃破しソ連軍を撃退
141名無し三等兵:2008/09/19(金) 12:34:23 ID:???
日付と場所が違ってるにせよ、LSSAH第13中隊のティーガーは
開始日に12輛あったのが、7月11日には4輛にまで減ってるから、
その間Tー34にやられてる可能性はあるな
142名無し三等兵:2008/09/20(土) 14:28:14 ID:???
資料によれば、虎式壱型は
 5日夜CR 7輌
 6日夜CR 5輌
 7日夜CR 4輌
143名無し三等兵:2008/09/30(火) 12:19:16 ID:???
>134
砲塔旋回が鈍いティーガーより更に遅いって相当だぞ>T-34
144名無し三等兵:2008/10/01(水) 23:21:55 ID:???
>>143
まさか、通常旋回の他、急速旋回出来るの知らんの?
145名無し三等兵:2008/10/14(火) 10:35:18 ID:???
不明点が多いドイツ中央軍集団第9軍の戦闘序列(1943年7月7日)

予備
−第561戦車駆逐大隊、第442特別編成師団司令部、第299歩兵師団、第36歩兵師団(一部)
第23軍団
−第185突撃砲大隊、第189突撃砲大隊、第36歩兵師団/第87歩兵連隊、第383歩兵師団、第216歩兵師団、第78突撃師団
第41装甲軍団
−第656戦車駆逐連隊(第653重戦車駆逐大隊(第I大隊/656)、第654重戦車駆逐大隊(第II大隊/656)、第216突撃戦車大隊(第III大隊/656))、第86歩兵師団、第292歩兵師団、第18装甲師団
第47装甲軍団
−第245突撃砲大隊、第904突撃砲大隊、第21装甲旅団+第505重戦車大隊、第6歩兵師団、第20装甲師団、第9装甲師団、第2装甲師団
第46装甲軍団
−第909突撃砲大隊、第177突撃砲大隊、第244突撃砲大隊、第31歩兵師団、第7歩兵師団、第258歩兵師団+マントイフェル集団(第9、第10、第11猟兵大隊)、第102歩兵師団
第20軍団
−第72歩兵師団、第45歩兵師団、第137歩兵師団、第251歩兵師団

正確かどうかはわからないので、間違ってたら修正してくれ。
146名無し三等兵:2008/10/18(土) 16:27:52 ID:???
予備は第4、第12装甲師団、第10装甲擲弾兵師団ともあるが
147名無し三等兵:2008/10/21(火) 20:55:17 ID:W6Et++6/
>>146
合ってると思う。
この3個師団は、中央軍集団の予備としてEsebeck集団に所属していたらしい。
但し、第12装甲師団と第10装甲擲弾兵師団は予備として第47装甲軍団の戦区、
第4装甲師団は7月8日に第47装甲軍団の第20装甲師団の戦区(第31歩兵師団と第6歩兵師団の間)より戦闘参加
148名無し三等兵:2008/10/22(水) 00:41:19 ID:???
>>145
第189突撃砲大隊は43年2月1日付の編成表で第78突撃師団第178砲兵連隊所属になっています

同年6月1日付の編成表でも第178砲兵連隊所属から外されたものの同師団所属であることに変化ありません
149名無し三等兵:2008/10/24(金) 23:14:04 ID:???
エーゼベック集団は、急遽7月8日に作られて9日に解消された集団だよ。
第21戦車旅団は、6月25日に21戦車連隊本部から編成されたが、
旅団長のデッカー大佐は何故か第10戦車旅団に移って、
指揮官不明の上、どの部隊を指揮したか記録のない謎の司令部。
150名無し三等兵:2008/10/25(土) 10:43:56 ID:???
グランツ氏の「Battle of Kursk」には、第21戦車旅団は第505重戦車大隊とともに、第41装甲軍団に所属していたと書いてあったけど、上の戦闘序列には第
47装甲軍団に所属していたと書かれている。本当はどうなんだろう?

それから、Lexikon der Wehrmachtに、第21戦車旅団は、1943年6月27日に第
505重戦車大隊、2個突撃砲大隊(第245・第904突撃砲大隊?)、装甲偵察部隊から編成さたと書いてあった。
151名無し三等兵:2008/10/25(土) 12:48:25 ID:???
Panzertruppenには25日とあって、第10戦車旅団が27日。
152名無し三等兵:2008/10/30(木) 18:30:27 ID:???
何気にすごい書き込みが続いてるね。クルスク戦についての日本語の本より、
ここの書き込みの方がすごいような気がする。このスレにはかなりクルスク戦
に詳しい人がここに数人いるのかな?なんでここは注目されていないんだろう。

数年前のマントイフェルのスレを思い出す。
153名無し三等兵:2008/10/31(金) 03:52:59 ID:???
まあ、ここには例の彼が来ないからな
154二人兄弟の墓:2008/10/31(金) 11:12:28 ID:???
>>151
Panzertruppenってよく話題に出てくるけど
グデーリアンの書いたこの本のことで良いの?
http://www.amazon.co.jp/Die-Panzertruppen-Heinz-Guderian/dp/1843425092/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1225418993&sr=8-1
155名無し三等兵:2008/10/31(金) 11:24:29 ID:???
156名無し三等兵:2008/10/31(金) 11:45:05 ID:???
ttp://www.amazon.co.jp/Panzertruppen-Blindees-Allemandes-1935-1945-Historique/dp/2840481510/ref=sr_1_3/375-6802195-3933108?ie=UTF8&s=english-books&qid=1225419628&sr=1-3
こっちは、将軍の経歴と戦車軍〜戦車大隊の略歴が書いてる。

ちなみにデッカー大佐の経歴(43年以降)
カール・デッカー Karl Decker
第35戦車連隊 (1943年1月)
第21戦車旅団 (1943年6月)
第5戦車師団 (1943年9月)
第39戦車軍団 (1944年10月)
157名無し三等兵:2008/10/31(金) 12:34:48 ID:???
>>154
装甲師団関連なら、今年出版されたこっちの本もスゴイ。高いけど、ある意味究極の本だと思う。
著者:Kamen Nevenkin
書名:Fire Brigades, The Panzer Divisions 1943-1945
国内でも買えるよ。
158二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/10/31(金) 17:56:34 ID:???
>>155-157
即レスありがとうございます。
東部戦線専攻の軍ヲタなら、絶対に外せない本みたいですね。
Fire bridgesはAmazonにないので、手始めに初めの二つを注文しました。
俺の財布から 予備兵力が削られていく・・・

159名無し三等兵:2008/11/05(水) 23:53:21 ID:???
>>145
第46戦車軍団の突撃砲大隊は第909突撃砲大隊だけで、第177突撃砲大隊と第244突撃砲大隊は
第41戦車軍団に配属されてる。
160名無し三等兵:2008/11/09(日) 14:37:16 ID:???
保守がてら、続クルスクの戦いの変なトコ

P.356の救急車輌の活躍って話、マインラート・フォン・ラオハートはクルスク戦時パンター連隊を指揮してる。
大隊長してたのは第35戦車連隊第I大隊で42年11月迄。全然クルスクとは関係ないじゃねーか、と。

ちなみに大隊軍医Dr.シュルツ−メアケルがP.207の戦車博士w
コッセル死後大隊指揮して、騎士十字章貰ったすごい軍医。

P.149のGruppe Weissは白じゃなく人名ではないかと思う、多分。

他にも色々あるから、この本を鵜呑みにするのはどうかと思うnya
161名無し三等兵:2008/11/09(日) 17:19:34 ID:???

【 ロシア原潜 クルスクII 撃沈 死者20人、22人病院搬送 】
http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20081109AT2M0900909112008.html

日本海航行中、漢級潜水艦とみられる潜水艦から雷撃を受け
応戦するも10分後、撃沈を確認。
162名無し三等兵:2008/11/09(日) 17:21:14 ID:XTodXajb

クルスク級潜水艦撃沈、キカーーーーーーーーーーー!
163名無し三等兵:2008/11/12(水) 08:59:43 ID:???
>>160
訳者がウザイほど訳注入れてた思うが、見落としか
164名無し三等兵:2008/11/12(水) 12:13:08 ID:???
それは南部戦区の方で、続の方には監修者は居ないだろ
165名無し三等兵:2008/11/12(水) 12:19:42 ID:???
× 監修者は
○ 監修者も
166名無し三等兵:2008/11/17(月) 00:01:37 ID:???
南部戦区は最後までドイツ側が押してたみたいだが
シチリア島をスルーしてマンシュタインの主張通り攻勢を
続けていたらクルスクを取れたの?
それともソ連軍が北方戦区でクトゥーゾフ作戦だっけ?逆攻勢をかけていたから
この攻勢によって背後を脅かされて失敗した可能性の方が高い?
クトゥーゾフ作戦の詳細がわからない・・
167名無し三等兵:2008/11/17(月) 10:45:48 ID:???
>>166
>シチリア島をスルーしてマンシュタインの主張通り攻勢を続けていたらクルスクを取れたの?

ソ連軍は7月17日に、ドイツ第1装甲軍戦区のイジュムと第6軍戦区のミウス河の
2か所から攻勢作戦を開始した。イジュム地区ではソ連軍の攻勢をなんとかしの
いだが、ミウス河地区ではドイツ第294歩兵師団戦区を突破された。このソ連軍
の攻勢をくい止めるために、クルスク戦区から第2SS装甲師団ダス・ライヒ、第3
SS装甲師団トーテンコプフ、第3装甲師団を抽出しドイツ第6軍のミウス河地区に
投入せざるを得なかった。クツーゾフ作戦よりこのソ連軍のミウス河作戦の影響
でクルスクを取ることはできなかったと思う。
168名無し三等兵:2008/11/17(月) 19:33:26 ID:???
>>166
マンシュタインはステップ正面軍を始めとする戦略予備の存在を把握していなかったので
彼の立場では攻勢が成功するように思えたかもしれないな。

そもそも押してると言っても、35km進出して防衛第三陣まで行ったところで
カツコフの第一戦車軍に阻止されているし。
169名無し三等兵:2008/11/18(火) 06:29:36 ID:???
まあ、第一戦車軍も兵力をかなり抽出転用させられてたし
全力を以ってまっすぐ北上していれば、ホトの部隊もクルスクまでは無理にしろ
もう少しソ連防衛陣地に食い込めてたかも知れんなあ

そうなればなったで、妨害なく前線に急行してきた第五親衛戦車軍に
右側面を突かれて、壊滅的な打撃を受けていたことは想像に難くないから
いずれにしろツィタデル作戦の成功は覚束なかったわけだが
170名無し三等兵:2008/11/18(火) 12:51:26 ID:???
ミウスには第24戦車軍団を投入して、ローラント作戦やればクルスク近くまで行ったかも。
すぐ戻ることになるが。
171名無し三等兵:2008/11/18(火) 23:25:06 ID:???
浅学で申し訳ないです
もしマンシュタインが主張したようにツィタデル作戦を早く開始(3月頃?)してれば
状況は変わってたのかな?
ソ連側:塹壕などがまだ完全でない
ドイツ側:X、Y号戦車が揃うかどうか
なんだろうけど

パウル・カレルの焦土作戦を読む限り、ドイツ最高司令部の情報はソ連側に筒抜けだったみたいだけど
172166:2008/11/18(火) 23:32:21 ID:???
皆様ありがとうございます。
173名無し三等兵:2008/11/19(水) 06:42:11 ID:???
>>171
マンシュタインが3月の時点で攻勢を主張していた、という話は寡聞にして知らない

ちなみにカレル本は、読み物としてはそれなりに面白いが
議論の根拠たる資料として扱うべきでない、と板的には意見の一致をみている
174名無し三等兵:2008/11/19(水) 13:06:49 ID:???
そんな事はなく、カレルの本は師団史なんかにも引用されてたりする。
手元にあるのではレーマンのLAH師団史、シュトラスナーのWiking師団史とか。
ただ事実誤認があるから、他の資料で確認補足した方が良いけど。
175名無し三等兵:2008/11/19(水) 14:09:41 ID:???
>>174
師団史にカレルの本が引用されてる→議論の論拠たる資料として適切
って論理は成立しない。
176名無し三等兵:2008/11/19(水) 18:42:19 ID:???
だから、議論の根拠たる資料と成り得ると
177名無し三等兵:2008/11/19(水) 18:55:40 ID:???
カレルが基にした一次資料、二次資料が重要だからな。
ソ連側の情報とモスクワ戦敗退の原因については古くなってしまった感が否めない。
178名無し三等兵:2008/11/19(水) 22:11:44 ID:???
176の補足すると
>ドイツ最高司令部の情報はソ連側に筒抜け
これを否定する資料でもあるのか?。
カレルの主張と、書いてある事象は別にするべきだと思う。
179名無し三等兵:2008/11/20(木) 07:11:11 ID:???
そりゃまあ
10の内3か4くらい正しかったからって
残りの6や7まで信用するわけには行かんなあ
180名無し三等兵:2008/11/21(金) 11:35:52 ID:???
>マンシュタインが3月の時点で攻勢を主張していた

まて。>>171が「3月頃?」とカキコしてるだけで、マンシュタインが
「3月開始」といってたわけじゃなかろう。
その時期は泥濘期だから、そんな主張するわけなかろう。
181名無し三等兵:2008/11/22(土) 11:45:50 ID:???
>>173
>>180
パウル・カレル「焦土作戦」
マンシュタインは三月のはじめからそれをあて込んでいて、ヒトラーに、ソ連
六個師団がいるクルスク《バルコン部》へ南と北から挟撃をかけようと提案し
ていた。

マンシュタインの回想録「失われた勝利」475-476ページ
南方軍集団としては、最後に中央軍集団の協力のもとに、いまだ遠く西方、ド
イツ軍の戦線内に突出しているクルスク周辺の湾曲部を東方に後退させ、ここ
に最短距離の弦陣地を構成したいと希望していた。
長くなるので省略するけど、
以後「中央軍集団が作戦の協力は不可能」と記述している。

この二つの記述を見る限り、>>171の書き込みは間違っていない思う。
182名無し三等兵:2008/11/22(土) 19:40:33 ID:???
もし、マインシュタインの南方軍集団が作戦中止を<行動の自由>を行使して、
後退するモーゼル第9軍への片翼包囲をやってたら、第1装甲軍へのソ連の攻勢は
停まっていたかも(そうなられば中央に攻勢をかけたソ連軍が孤立包囲されかねない)。
183名無し三等兵:2008/11/22(土) 20:04:05 ID:???
マインシュタインっておいおい
184名無し三等兵:2008/11/22(土) 23:44:20 ID:???
私の宝石という意味である
185名無し三等兵:2008/11/23(日) 05:04:29 ID:???
モーゼル第9軍ってのもおいおいだな
186名無し三等兵:2008/11/23(日) 12:25:10 ID:???
マンシュタインは、作戦中止後も攻撃続行させてたけど。
187名無し三等兵:2008/11/23(日) 22:35:59 ID:???
イタリア戦に装甲兵力を引揚げるのも拒否して第9軍に追いついて片翼包囲していれば、
ソ連南翼はガラ空きになる。そうすれば、中央の脅威も自然に消える。
188名無し三等兵:2008/11/23(日) 23:55:26 ID:???
去年出た分厚いクルスク本だと定説が再度ひっくり返って
実はマンシュタインの言い分に正当性があるってな結論だったな。
ソ連軍の損害が思ったより大きかったことが新資料で判明した。
189名無し三等兵:2008/11/24(月) 09:14:18 ID:???
>>188
書名は何?ちょっと読んでみたい
190名無し三等兵:2008/11/24(月) 13:16:48 ID:???
191名無し三等兵:2008/11/24(月) 19:00:36 ID:???
>>188
俺もタイトル希望。
マンシュタインの前面にいたソ連軍の損害が大きかったとしても
シチリア島の米軍や北方やミウス川で逆攻勢に出たソ連軍が
いなくなるわけじゃないし、どういう論理だろう。
192名無し三等兵:2008/11/24(月) 19:34:56 ID:???
予備兵力への対処をどうするのかが気になるな。
193名無し三等兵:2008/11/25(火) 05:47:21 ID:???
>>191
確かにクルスク戦時にミウスで攻勢に出てもハリコフ正面のソ連軍の兵力が減ったわけではないが
ソ連軍はこの時期、兵力不足に悩んでいたのは確かだ
そのため攻勢正面、例えば南方の戦線でなら平穏な北方戦線の軍団師団の兵員定数の5〜3割まで落とし攻勢正面の部隊に補充した
それに狙撃兵の不足をカバーするために適時独立突撃砲連隊や旧式のKV独立連隊を攻勢正面の狙撃兵軍団に配属補完した
ソ連軍の独立突撃砲連隊は43年末までに29個に急増している
そのためソ連軍の攻勢は全線攻勢でなく、北方、中央、南方と各戦線の攻勢ごとタイムラグが生じる
194名無し三等兵:2008/11/25(火) 08:06:08 ID:???
>>193
せっかく書いてくれたのに申し訳ないけど
>>191-192の答えになってないよ
195名無し三等兵:2008/11/25(火) 12:34:43 ID:???
188が言ってるのはこれじゃねぇの?
http://www.amazon.co.jp/%E7%B6%9A%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%
82%AF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84%E2%80%95%E6%88%A6%E5%A0%B4%E5%86%99%E7%9
C%9F%E9%9B%86%E5%8C%97%E9%83%A8%E6%88%A6%E5%8C%BA1943%E5%B9%B47%E6%9C%88-
%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3-%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3/dp/44992
29421/ref=pd_sim_b_1
196名無し三等兵:2008/11/25(火) 12:37:49 ID:???
上は
続・クルスクの戦い―戦場写真集北部戦区1943年7月 (大型本)
197名無し三等兵:2008/11/25(火) 13:58:36 ID:???
そこで第1戦車軍と第6軍を後退させて、機動防御を展開だよ。
198名無し三等兵:2008/11/25(火) 15:29:41 ID:???
た 高い!でも読みたい。>>188さん、この本でいいのかい?
だったら食費抜いて金ためて買うけど。
199名無し三等兵:2008/12/04(木) 00:25:54 ID:???
ho
200名無し三等兵:2008/12/04(木) 12:54:57 ID:???
確かに>>196の本にはそういうことが書いてあるな
201名無し三等兵:2008/12/08(月) 01:01:33 ID:???
恐らく和訳が将来出ると思われるOSPRAYの対決シリーズ“PANTHER vs T-34 Ukraine 1943”より
1943年中のT-34/76の損失は14000両
その内、6000両は43年7〜12月の半年で独南方軍集団により撃破されている
一方ドイツ軍は43年の半年で493両のパンターを損失した(ドイツ軍全体で)
・43年7月に撃破されたT-34は
26%が88mm砲(ティーガー)によるもの
40%が75mm砲(パンター、W号、V突、マルダー、対戦車砲など)によるもの
33%が50mm砲(V号、対戦車砲)によるもの
・T-34を撃破した射距離は
最も多いのは200〜600mで全体の60%
1400〜1000mの遠距離でも10%あり
また200m以下の至近距離でも10%ある
202名無し三等兵:2008/12/08(月) 01:33:46 ID:???
近年ロシアでは秘匿されていた大戦中の軍資料が一般人にも開示されるようになり
かつてソ連が公式に出していた自軍の損失数が意図的に少なく発表されていたことがわかってきた

クリヴォシェーエフの「ソ連軍の死傷者及び戦闘損失」によると
例えばクルスクにおける7月5日〜11日の中央方面軍の死傷者を公式では33897名となっていたが
実際には92700名も失っていたことがわかった

また43年7月のクルスクでのソ連軍戦車の全損数を公式には4150両としていたが
実際には7月5〜23日のみで6064両全損していたことがわかった
しかも記録が脱落している日付もあるのでこれ以上の全損数になると思われる
※ドイツ側のツィダテル作戦期間中の全損数は
南方軍集団で
戦車約150両、突撃砲約30両
中央軍集団で
戦車約40両、フェルディナント約20両、突撃砲約30両総計で270両
従って全損比は270:6064となる
203名無し三等兵:2008/12/08(月) 07:52:48 ID:???
それでも負けるドイツって…
204名無し三等兵:2008/12/08(月) 12:10:41 ID:???
そんだけ敵がいるところに突っ込んでいったドイツ軍ってやっぱどうかしてるなw
正確な実態は分からないにしろ、写真偵察とかで進む先がとんでもない事になってるのはわかろうにw
205名無し三等兵:2008/12/08(月) 12:16:28 ID:???
>204
その程度の知識でここに来るなカス
206名無し三等兵:2008/12/08(月) 13:19:19 ID:???
偵察で判ってたから、歩兵不足を補うために戦車が揃うまで延期したんだよ。
207名無し三等兵:2008/12/08(月) 14:51:50 ID:???
それで戦機を逃して更に防備を固められて爆死なんだからそれ弁護になってないぞ
西部戦線の上陸がなくて作戦中止にならず更に戦力ぶっこんで行ったら早期に東部戦線崩壊してたかもね・・・
208名無し三等兵:2008/12/08(月) 19:09:49 ID:???
>>206
まぁ、その偵察で分かったのは前線陣地とそこに配備された赤軍兵力までで
後方陣地やソ連側の戦略予備については全く分かっていなかったけどね。
209マンシュタイン:2008/12/09(火) 09:22:14 ID:???
だから、わがはいは早期の作戦実施を進言したというに、あの伍....(ry
210名無し三等兵:2008/12/09(火) 17:15:44 ID:???
>>202
全損6000両……開戦時のソ連軍の戦車数が3600両だから、
戦闘中に2400両以上補充されたってことか?
英wikiにも同じ数字が載ってるが、こちらはdamaged or destroyedに
なってるな。露wikiだとただ損失としか書いて無いが、
戦車及び自走砲となっている
211二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/12/09(火) 17:44:23 ID:???
>>210
ちょうど今、損失数の元ネタになったクリヴォシェーエフの本を
取り寄せているから、需要があるなら週末に詳細をレビューしますよ。
212名無し三等兵:2008/12/09(火) 22:54:16 ID:???
>>211
羨ましいねえ
たかが2ちゃんのために洋書買える余計な金あるんかい
代わりに俺の車のローン払ってくれ〜
213名無し三等兵:2008/12/09(火) 22:59:50 ID:???
軍オタやってて本読まないのはダメだろうよ。
214二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/12/09(火) 23:05:41 ID:???
>>212
皮肉ををイワンでくれ。
東京に越してきて駐車場代払えない+道が狭すぎて怖い
って理由で愛車を売ったんだよ俺は。
俺に残されたのはマウンテンバイクと2本の脚のみ。
戦車を失ってパンツァーファウストで戦うドイツ兵の気分だよ。
215名無し三等兵:2008/12/09(火) 23:28:52 ID:???
>>214
他に趣味ないの?

俺の感覚だと
すげ〜もったいねえ気がする
216二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/12/09(火) 23:42:59 ID:???
>>215
ほかの趣味?
映画 サイクリング スキー 読書 食べ歩き 
旅行&写真(風景中心)
こんなもんかな。
217名無し三等兵:2008/12/10(水) 00:13:55 ID:???
クルスク戦でのソ連の損失は1614輌。
ドイツは
南方軍集団   第9軍
PzIII:40輌    PzIII:3輌
PzIV:79輌    PzIV:35輌
Tiger:6輌    Tiger:4輌
Panther:44輌  StuPz:10輌
FlamPz:3輌   Ferdinand:19輌
StuG:18輌   StuG:17輌        合計278輌   

損失比1:5.8
218名無し三等兵:2008/12/10(水) 00:48:08 ID:???
>>217
>>202と違う数字のようだけど。
219名無し三等兵:2008/12/10(水) 01:09:30 ID:???
>>218
6000は全戦線の数字じゃないの?
220名無し三等兵:2008/12/10(水) 12:04:44 ID:???
202は「続クルスクの戦い」が元だと思うが、これには1943年7月の赤軍戦車全損失数とあるんで、
クルスク戦での損失と勘違いしたんだと思う。
217で書いた1614輌はクリヴォシェーエフの数字だから。
221名無し三等兵:2008/12/10(水) 12:51:51 ID:???
>>220
その「全損失数」は全損数?
それとも「全損+修理が必要になり戦線離脱した戦車」数?
222名無し三等兵:2008/12/10(水) 20:10:42 ID:???
>>221
たぶん「全損+修理が必要になり戦線離脱した戦車」。
詳細は211。
223211@二人兄弟の墓:2008/12/10(水) 21:02:27 ID:???
>>222
在庫がなくて海外からの取り寄せになるってメールが来た。
最悪今月末まで到着は遅れるって話だから、スレが持たないかも。
期待を裏切ってしまい申し訳ない。
224名無し三等兵:2008/12/10(水) 21:18:50 ID:???
>>223
USアマゾンなら、来週には届くし3721円と安いよ
225211@二人兄弟の墓:2008/12/10(水) 21:32:46 ID:???
>>224
でももう日本密林で注文しちゃったし。。。
海外のMarket placeは11ドルか。。久々に凹んだ。
226名無し三等兵:2008/12/10(水) 21:33:10 ID:???
1943年中にドイツ軍が6000両の戦車を失ったなどと吹聴するレスがどこかに書いてあったが
ドイツ軍が43年中にそれだけ大量な戦車を装備できるはずないのである
例えばパンターはのべ数にしても774両ほどで補充があったとしてもその半数にも満たないだろう
詳細は次レスで
227名無し三等兵:2008/12/10(水) 22:26:17 ID:???
1943年中に東部戦線に配属されたパンター装備大隊
【第51戦車大隊】配属先:装甲擲弾兵師団GD、配属日:43.7.1、初期保有数:96両、備考:GD師団配属7.1〜7.18、7.25〜9.?
【第52戦車大隊】配属先:装甲擲弾兵師団GD、配属日:43.7.4、初期保有数:96両、備考:GD師団配属7.4〜7.18、8.24→【第15戦車連隊第1大隊】に改称
【第2SS戦車連隊第1大隊】配属先:装甲擲弾兵師団ダス・ライヒ、配属日:43.8.22、初期保有数:71両
【第15戦車連隊第1大隊(旧第52戦車大隊)】配属先:第11装甲師団、配属日:43.8.24、初期保有数:96両
【第23戦車連隊第2大隊】配属先:第23装甲師団、配属日:43.8.31、初期保有数:96両
【第2戦車連隊第1大隊】配属先:第13装甲師団(仮配属)、配属日:43.10.2、初期保有数:71両、備考:原隊は第16装甲師団
【第1SS戦車連隊第1大隊】配属先:第1SS装甲師団LAH、配属日:43.11.9、初期保有数:96両
【第1戦車連隊第1大隊】配属先:第1装甲師団、配属日:43.11.11、初期保有数:76両
【第31戦車連隊第1大隊】配属先:第11軍団直轄(〜12.15)、第3装甲軍団直轄(12.16〜12.27)、配属日:43.12.5、初期保有数:76両
備考:原隊は第5装甲師団


以上
228名無し三等兵:2008/12/10(水) 23:22:20 ID:???
>>226
6000両?
43年度のドイツ戦車40個師団分?
ドイツの戦車師団ってそんなになかっただろうw
何処のスレに貼られてんの?
229名無し三等兵:2008/12/10(水) 23:51:12 ID:???
>>226
期待したのに、ガッカリだよ。

43年全損数
PzIII:2633輌
PzIV:2396輌
Panther:493輌
Tiger:291輌   合計5813輌 Source: Panzertruppen2
230名無し三等兵:2008/12/11(木) 07:06:54 ID:???
>>228
6000両が同時に戦闘配備されてるわけじゃないんだぜ?

損耗分を後方から送って、さらにそれが撃破されて、さらにその補充が…
とループするのは別にドイツに限らず、ソ連でもアメリカでもあったことだし
年間損失数が年初配備と同等かそれ以上になるなんて珍しくも何ともない
231名無し三等兵:2008/12/15(月) 16:09:26 ID:???
ホッシュ
232名無し三等兵:2008/12/18(木) 01:49:34 ID:???
age
233名無し三等兵:2008/12/20(土) 10:20:54 ID:???
>>223
あんたこんなとこにも書き込んでんの
2ch命だね
感心するというか呆れたわ

家はともかく、こんな軍本に囲まれた職場を考えただけでゾッとするな
自分の部屋もこんなだったら彼女呼べんだろ
彼女引きまくりは確実だろうね
234名無し三等兵:2008/12/20(土) 10:32:44 ID:???
よっぽど悔しいんだなぁ。
何時も史料で反論できないもんだから。
235二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/12/20(土) 15:39:14 ID:???
>>233
>家はともかく、こんな軍本に囲まれた職場を考えただけでゾッとするな
囲まれてねーよ。机の引き出し1本に収まってる。

>自分の部屋もこんなだったら彼女呼べんだろ
それも心配だったのでちゃんと対策を立てたよ。
押入れの一部を本のための収納として使っていて、そこに既読の軍本を置く。
未読の本は外の本棚だが、歴史の本やポスターを使ってうまく隠蔽すれば
問題ない。洋書は、背表紙だけじゃ何の本かわからないのでおおっぴらに
置いておいても大丈夫。目に付きやすいところには旅行のガイド本や
服の本、仕事の本など引かれない類の本を大量においておく。
今のところ、彼女からのクレームはない。
236二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/12/20(土) 23:16:38 ID:???
あともう一つ>>233
「2ch命だね」の一文だが、これは違うぞ。
軍板を見に来るのは手段であって目的ではない。
2chの各スレを回って情報を集めて、使えそうな本を選んで買ってるのだ。
目的(軍ヲタとして成長すること)と手段(2chで資料探し)を混同してはいかん。
237名無し三等兵:2008/12/23(火) 14:29:00 ID:???
ドイツから本が届くまで ホッシュ
238名無し三等兵:2008/12/23(火) 23:41:28 ID:???
>>235-236
別にそんなに過敏反応しなくていいだろう

流せばいいのにその反応の仕方見るとほんとにリア充してんのか疑問だね
もうこれは個人の事だからこれ以上突っ込まないよ
239名無し三等兵:2008/12/24(水) 06:46:34 ID:???
ほんとにいちいち絡むのが好きなんだな。
240名無し三等兵:2008/12/27(土) 10:09:57 ID:???
>>234-237
コテハンにするならする
しないならしない
どっちかにしろよ
バレバレだぞ
241二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/12/27(土) 11:47:59 ID:???
>>237
ドイツではなくアメリカからの取り寄せなり。30日までには届くとさ
>>240
234と237は俺じゃないよ。無意味な自演認定して絡むな。
スレが荒れては他の人に迷惑だろう
俺が気に食わないんならちゃんとコテが書いてある俺の書き込みに反論すればいい。
238みたいなのは「反論」とはいわない。ただの難癖だな
242名無し三等兵:2008/12/27(土) 13:31:09 ID:???
237は自分だけど、最近書き込んだのは217,229。
ドイツに注文したのは師団史。で、これが船便コースらしく届くのは2月頃だよ・・・
243二人兄弟の墓:2008/12/27(土) 14:01:10 ID:???
>>242
あ、これは申し訳ない 文章の意味を勘違いしてたわ
船便はまとまった量がたまるまで動かないから大変だよね
244名無し三等兵:2008/12/27(土) 18:42:17 ID:???
2〜3週間で到着とあったから今週中に来るかと思ってたのに・・・
それ迄にスレが落ちたら立てればいいか。
クーアラント戦の話になるけど・・・
245二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/12/28(日) 12:19:06 ID:???
Krivosheevの本が届いたのでちょっとずつ読み始めた。
やはり>>202の内容は完全に間違っているぞ。
6064両の戦車損失はクルスク防衛(7/5-23)、その後のオリョール攻勢(7/12-8/18)、
ベルゴロド=ハリコフ攻勢(8/3-23)を合計したものだ。

英Wikiに書いてあるが、ドイツにとってのクルスク戦(ツィタデレ作戦の中止まで)と
ソ連にとってのクルスク戦(敵の攻勢を頓挫させた後の反攻戦も含む)では
時期が異なるので、>>202はその辺を勘違いしたのかもNA

でもって、7/5-23の損失は1614両となっている。これは>>217の数字と一致する。
>>217の「独軍の損害278両」と>>202の「ツィタデレ作戦中の全損」270両
は近い数字だが、ツィタデレ作戦の期間て7/5-17だよね。

そこで>>217氏に質問なんだけど>>217さんの挙げた278両の損失は全損数?
あと、戦闘期間は何時までの集計?Panzertruppenはまだ持っていないので
情報を頂けたら嬉しいッス。

Krivosheevの戦車損失数の算出法についての記載はまだ見つけていないので、
この数字が全損数なのか「修理が必要となって戦線から脱落した戦車」
を含んだ数字なのかはまだわからない。
英Wikiでは同じ数字が'Damaged and destroyed'で載っているが。。
新しい発見があったらまたレポします。
246名無し三等兵:2008/12/28(日) 21:05:43 ID:???
へい、まいど。
278輌は全損数。長期修理車輌を入るとこの数は増える。が、それは不明。
第9軍が7/5〜14、南方軍集団が7/5〜17の集計。
Sourceは「Kursk 1943」
247二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2008/12/28(日) 22:42:37 ID:???
>>246
ありがとうございます。
248名無し三等兵:2008/12/29(月) 15:43:01 ID:???
202のは勘違いと言うより、「続クルスクの戦い」に7/5〜23で6064輌損失とあるからアレでナニだね。

1943年後半で17753輌全損だそうで、クルスク戦、オリョール攻勢、ビエルゴロド-ハリコフ攻勢、
ドンバス攻勢、チェルニヒフ−ポルタヴァ戦で8953輌の損耗だけど3ヶ月の戦闘でこの数だと、
これ全損としてもおかしくない数字の気がする。

後の詳細は、247の中の人がぁぁぁぁぁ・・・

オスプレイにも同名の本があったから、こっちの方ね。
Kursk 1943: A Statistical Analysis
249名無し三等兵:2009/01/05(月) 23:15:39 ID:???
二人兄弟の墓さんの書き込みがないので・・・
余計なこと書いたかなと反省しつつ

南部戦区でのソ連軍の全損数 (7月5〜17日)
・KV-1: 14輌 ・Matilda/Valentine: 25輌
・KV-2: 5輌  ・Churchill: 48輌
・M3: 83輌   ・T-60/70: 260輌
・T-34: 776輌 ・SU-122: 36輌         
計 1,247輌  全損比 190:1247(1:6.6)
250二人兄弟の墓:2009/01/06(火) 15:55:00 ID:???
>>249
すまん、中々読む時間がとれんで・・・
今のところ、Krivosheevが損失数の算出方に言及してる部分は
見つからない。
>>249のソースはPanzertruppenでっか?
251名無し三等兵:2009/01/06(火) 23:11:27 ID:???
んーと、これ
Kursk Operation Simulation and Validation Exercise - Phase II
アメ陸軍の研究報告だって

これでは7月5〜18日迄に1274輌全損になってるけど、7月23日のザエフ大佐の報告では7月5〜20日で1254輌全損だから、
ほぼ正確じゃないかと思う。



ここだけのヒミツだけど
ttp://www.dtic.mil/dtic/index.html
↑で KOSAVE で検索すると、なんとっ!まさかっ!他にも、あんな物やこんな物がぁぁぁ
252二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2009/01/06(火) 23:34:17 ID:???
>>251
gracious!軍板は勉強になるな。
しかしリンクしていただいたサイトは見えない。なぜだろう・・・
253名無し三等兵:2009/01/11(日) 00:25:33 ID:???
ho
254名無し三等兵:2009/01/12(月) 14:11:25 ID:???
age
255名無し三等兵:2009/01/12(月) 19:26:07 ID:d4s5AbrZ
戦車の残骸とか残ってたら見てみたい
256名無し三等兵:2009/01/13(火) 10:09:39 ID:???
なにこれ
つまんねぇスレアゲルナ
257名無し三等兵:2009/01/13(火) 14:45:46 ID:???
何を期待したんだ?
258名無し三等兵:2009/01/14(水) 18:36:15 ID:???
撤退したドイツは未だ修理すれば使える戦車置き去りで地域確保したロシアは
ドイツの置き去りも含め全部回収でますます差がひらきますた
259名無し三等兵:2009/01/14(水) 20:26:09 ID:???
たぶん
6000台でも2000台でも いいけど
半分くらいは、再生したんかなあ・・ロシア
260名無し三等兵:2009/01/15(木) 15:12:57 ID:???
write-offだからムリ
261名無し三等兵:2009/01/23(金) 11:34:08 ID:???
>>259  ロシア人はそんな面倒なことはしないはず。
262名無し三等兵:2009/02/05(木) 20:57:21 ID:???
263:優しい名無しさん::2009/02/08(日) 21:50:09 ID:Z7YeLdHp
ドイツも内輪のいがみ合いで戦車の増産が出来なかったのが敗因の一つだな
264名無し三等兵:2009/02/08(日) 22:15:50 ID:???
>>66
すげえ長距離レスだけど、タンクデサントでググっててたどり着いたから許して欲しい。

これ、日本語では、サンケイ出版から出てたジョン・ウィークス「小銃・拳銃・機関銃」って本の
PPSH41の項目に出てきたと思う。
もう本が手元にないんだけど、戦争終結時、
エルベ川でソ連軍と会った英軍将校の話として紹介されてたはず。

だとすれば、英軍関係の資料をあさったほうがいいかもしれない。
265名無し三等兵:2009/02/08(日) 23:38:45 ID:???
パンター数揃うまで延期じゃなくVW寄せ集めで早期に仕掛けたらまだ勝ち目があったのだろうか?
266名無し三等兵:2009/02/08(日) 23:56:12 ID:???
ヤケクソになったファシストのハリボテ見本市会場
267名無し三等兵:2009/02/09(月) 00:05:25 ID:???
突破の要であるティーゲルも足りないだろう。
北部戦区とかどうすんだ。
268名無し三等兵:2009/02/09(月) 02:16:49 ID:???
パンター200両揃える間にソビエトはT-34何両配備したんだって話。
269名無し三等兵:2009/02/09(月) 04:28:32 ID:???
防御陣地がとんでもなく縦深になる罠。これが一番痛かった。
270名無し三等兵:2009/02/10(火) 09:57:39 ID:???
ティーガーパンターが攻勢作戦に使われたってこれだけ?
271名無し三等兵:2009/02/10(火) 12:55:46 ID:???
アルデンヌ攻勢や春の目覚めで先頭きって戦ったのはパンターだし、
中古のティーガーIを装備した部隊もあったじゃん
272名無し三等兵:2009/02/10(火) 23:18:43 ID:???
YAHOO知恵袋にあったが

ボクは小学生ですが…

それは、ソ連第八親衛戦車軍の無限とも思える予備兵力でしょう。

最近の研究で、特にクルスク南部戦区ではドイツSS第一装甲軍などは、ほとんど無傷に近い状態で、
オクチャブリスキ農場を通過してテテレビノまで進出していたことになっているが、ここから進撃を続ければ、
大損害をうけるか、どのみち一時的にクルスクを占領しても保持でことは確実だったからね。

しかし、オクチャブリスキはボクが所属していたSS第1装甲榴弾兵師団のたった4台のタイガーI型
(ボクは1号車アドラーの乗っていた)が少なくとも36台のソ連戦車を撃破したからねえ。
あのときの偏差射撃の腕のサエはすごかったねえ。KV重戦車は高速徹甲弾で6台破壊したなあ。
今、思えばテテレビノの風車は墓標のようだった。

敗因は?と言えばヒトラーが戦術的勝利を戦略的勝利の穴埋めにしようと思ったこと自体、
無理があったと言わざるをえないですね。
もはやクルスクごときを占領しようが、戦争の状況は変えようがなくなっていた時期だからね。
-------------------------------------------

笑わすなよw
273名無し三等兵:2009/02/12(木) 08:51:23 ID:???
意味がさっぱりわからん
274名無し三等兵:2009/02/12(木) 08:55:57 ID:???
第八親衛戦車軍が存在する火葬戦記かゲームの世界の話だろう
275だつお ◆t0moyVbEXw :2009/02/12(木) 21:47:57 ID:HRgLrVUO
クルスク戦は、太平洋戦争でいえばソロモン海戦に近いものだったと思うぞ。
戦闘自体は互角だったが、一方はそれが全力だったのに対し、相手は予備兵力が豊富ってとこが。
ドイツ軍もさすがによく戦い赤軍もそれを上回る損害を出したが、力尽きたのはドイツのほう。

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40738003
クルスク航空戦 独ソ戦車戦シリーズ

自分なんかの三文レビューよりは、原著にあたってみるほうがいいと思うよ。
何でもソ連が勝ったわけでもなくて、レーダー関連や工作精度などはドイツ優位だったと。
276名無し三等兵:2009/02/12(木) 23:44:02 ID:???
>>275
欧州戦史関連で君が来るとスレが荒れるからお引き取り願おうか
277総統命令774号:2009/02/12(木) 23:58:51 ID:xINjHrt2
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1231828990/l50

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278名無し三等兵:2009/02/13(金) 13:44:22 ID:???
>>273-274
クルスク戦のドイツの敗因は?って質問の答えがコレ
279274:2009/02/14(土) 06:30:38 ID:???
>>278
んなこたわかってる
フィクション脳で答えてるから笑うところだろ、つってんの
280名無し三等兵:2009/02/15(日) 21:49:04 ID:???
ゲームの中の話なら納得できるな、とちょっと思った
そんなゲームがあるのかどうかは知らない
281名無し三等兵:2009/02/17(火) 10:20:19 ID:???
>今、思えばテテレビノの風車は墓標のようだった。

ここだけは納得できる
282名無し三等兵:2009/02/23(月) 14:07:45 ID:???
ho
1943年7月8日:曇り。午後に時々雨。
夜、師団は暗闇の中、タギノ正面北東の地域から攻撃準備の為移動。
第35戦車連隊I大隊は、第2戦車師団(ブアマイスター旅団)の指揮下に入れられ、
第12擲弾兵連隊第I(SPW)大隊、第9(sIG)中隊、第33擲弾兵連隊第9(sIG)中隊は訓練中で欠。

第12連隊第II大隊は移動中でまだ攻撃準備位置に到着せず、0330時に攻撃から外される事になった。
唯一の攻撃部隊である第33連隊に904突撃砲大隊が配属された。
0500時迄に、到着した15輌の突撃砲と共に第33連隊はサボロフカの南西で攻撃準備が整う。
第103砲兵連隊は、陣地変更でサボロフカ地域に0445時に集結を完了した。
第4捜索大隊は命令によりボブリク東の盆地で停止、第12連隊の指揮下に入った。

0500時、攻撃はスツーカによる非常に強力な空爆から始まる。
そして0505時、突撃砲と随伴する第33連隊は前進を開始。
第4戦車師団左翼のポドソボロフカ南のブアマイスター旅団の戦車集団も出撃。
空爆で弱められた歩兵の抵抗に対して増強第33連隊は敏速に進出した。
しかしサモドゥロフカ北の東西道路を越えようとした時、南西から激しい砲撃を受け前進を停止。
一両の突撃砲が触雷した。死傷者は後方のボブリク南の停車場へ送られた。

それでも擲弾兵達は怯まず前進を続け、開いた右側面にもかかわらず0615時サモドゥロフカ東部の地域を確保。
その後、攻撃は南へ続けられた。そこは、戦車と砲兵の火力支援地域だった。
第33連隊第II大隊は多大の損耗を出しながらも、第1攻撃目標の238.1高地に到達、第I大隊も右側近くに到達した。

第35戦車連隊第I大隊は238.1高地に進みそこから二手に分かれ、一方はサモドゥロフカ東部とチョープロエ東部の
間の地域を確保し、もう一方は0830時にチョープロエ南東の240.0高地に到達した。

師団は戦闘を停止し、チョープロエ南の高地帯への攻撃の為に砲兵と重火器を移動。
ソ連空軍は、前日程ではないが絶えず活発で、0930時にポドリャンの橋を空襲。
284第4戦車師団の7月8日-2:2009/02/25(水) 23:09:49 ID:???
1100時、第9軍司令官は、Iaを通して師団指揮所に状況報告を求めた。
1200時頃、第103砲兵連隊第II大隊は238.1高地の北東約1kmの陣地に移動。
一方、第I大隊は開いた右側面からの激しい戦車射撃により陣地変更を中止しなければならなかった。
またこの時、第12連隊第II大隊はボブリクの西に達し、ソボロフカの西方へ前進した。
 
1215時、師団長は234.0高地方面から西への戦車を伴う反撃を知り、第49戦車猟兵大隊の一中隊に出撃を命じた。
師団は再編成の後、第47戦車軍団の指示した1300時に攻撃を再開。
第一目標はチョープロエ東部、その後272.9高地を確保。
同時に左翼のブアマイスター旅団も、再び第35戦車連隊第I大隊と支援の第505重戦車大隊と共に274.5方面を攻撃。
第33連隊の右側面は、広く開いたままだった。

高射砲の激しい防御射撃にもかかわらず、再び空軍の効果的な支援を受けた。
第103砲兵連隊は大量の弾薬消費で、チョープロエ南の高地を重点的に制圧した。
敵のB地区及び判明した多数の掩蔽した戦車と歩兵陣地網を砲撃する必要があった。
攻撃は火力支援に比例して速くチョープロエに達し、擲弾兵達は敵砲兵のB地区1km手前とチョープロエ東部に侵入。
ソ連軍はチョープロエ西部を確保する一方、東部は長い戦闘になった。
敵は激しい損耗で高地へ後退、しかし同様に第33連隊も相当な損耗を被った。
第II大隊は約100名に達し、第I大隊では大隊長ネーリング少佐が負傷しヴィッテンベヒャー中尉が指揮を引き継いだ。

午後に増強第33連隊は第103砲兵連隊の強力な支援を受け、チョープロエ東から253.5高地を攻撃。
更に左翼では、第35戦車連隊第I大隊を含むブアマイスター旅団が272.9及び274.5.高地を攻撃した。
雨が降り、その為この重要な時に航空支援が中止された。
砲兵と迫撃砲、特に掩蔽戦車からの激しい防御射撃により、攻撃はチョープロエ南100m少しで行き詰まった。

272.9と274.5高地の前では、多数の掩蔽重戦車の為にブアマイスター旅団の戦車攻撃は成功しなかった。
深刻な損耗が生じ、1400時に戦車攻撃を中止しなければならなかった。
しかし、ロシア戦車部隊と歩兵の反撃は、第35戦車連隊第I大隊とティーガーによって撃退された。
強襲の後、予想以上に強化された高地陣地を占領できず、攻撃の継続は今やあり得なかった。
285第4戦車師団の7月8日-3:2009/02/25(水) 23:15:19 ID:???
1610時、師団に第47戦車軍団からの無線通信が入った:「攻撃中止!指示に従え。」
その後すぐ1620時に師団は第33連隊に、明日の攻撃の為に後退するように命令した。
連隊はチョープロエの峡谷に防御陣を敷く。
チョープロエ北東の平野に高地から敵戦車が進出し、連隊と交戦。 

右側面の隙間を塞ぐために師団は、1630時に第12連隊(第II大隊及び第4捜索大隊)へチョープロエ及び
チョープロエ-サモドゥロフカ線で防御する為にすぐに移動するよう無線で命令した。
しかし漸く1835時に命令が第12連隊へ届いたが、砲撃下でミスと誤解により夜の暗闇の中で任務は失敗した。            
それにより第33連隊は、右側面防護が無い中留まった。

1930時に師団長フォン・ザオケン将軍は師団指揮所に戻ったあと、1940時に軍団に翌日の再攻撃の意志を伝え、
2015時に指揮官達と作戦協議。

2130時に第35戦車連隊第I大隊から、燃料補給の為に後退し、再び明朝の攻撃準備が整ったと無線通信が入る。 
しかし2400時にモーデル上級大将は、9日は再編成と入念な準備に利用し10日に再び攻撃することを決定した。

第35戦車連隊第I大隊の最初の報告によればPz.IV-lang3輌が全損。    
その他に8輌が戦場に在り、晩まで回収出来なかった。   
敵損害:T-34,4輌 KV-I,1輌 撃破、KV-I,2輌損傷、s.Pak,20門、対戦車ライフル,20挺破壊、死者200-300名、捕虜33名
286第4戦車師団の7月8日-4:2009/02/25(水) 23:17:05 ID:???
人員損耗数:戦死/負傷/不明
I./Pz.Rgt.35: 18/32/ 9
Pz.Gren.Rgt.33: 46/131/5
II./Pz.Gren.Rgt.12: 3/17/−
Pz.Art.Rgt.103: 7/13/−
Pz.Aufkl.Abt.4: −/10/−
Pz.jäg.Abt.49: −/1/−
Pz.Pi.Abt.79: −/3/−
Pz.Nachr.Abt.79:−/3/−
合計:74/210/14

全損数:7/5〜9(主に7/8)
6輌 Pz.IV-lang
10輌 Pz.IV-lang / 現在も戦場に残置
1輌 Pz.III-kurz / 原因不明
1輌 StuG (StuG.Abt.904)
1輌 7.5cm-Sfl.Pak
1輌 Wespe (長期修理)
2門 2cm-Flak


おしまい
287名無し三等兵:2009/02/26(木) 15:54:43 ID:???
とりゃ
288名無し三等兵:2009/02/26(木) 16:38:24 ID:???
sage進行でお願いしまーす
289名無し三等兵:2009/02/26(木) 22:52:55 ID:???
>>283-286
もしかしたら、出典はJoachim Neumannの「Die 4. Panzer-Division 1943-1945」ですか?
あの本は師団史の本でも最高峰の一つのような気がします。私のお気に入りの本です。

間違っていたら、スミマセン。
290名無し三等兵:2009/02/26(木) 23:27:37 ID:???
>>289
当たり
291名無し三等兵:2009/03/02(月) 23:32:26 ID:???
ttp://sylphys.ddo.jp/upld2nd/mil/src/1236003650899.jpg
7/8の地図
コレがないと状況がよくわからないと思うので
292名無し三等兵:2009/03/31(火) 21:15:54 ID:LoXmisKS
サンクス
293名無し三等兵:2009/04/27(月) 17:33:24 ID:???
最近、Swch. OktjabrskijのSwch.がSowchosの略だと判ったよ
スワヒとか書かれてるし説明もないから地名だと思ってた
294名無し三等兵:2009/05/27(水) 17:30:17 ID:???
プロホロフカで、ティーガー中隊が交戦したソ連部隊はどの旅団?
時間は0920で場所は252.2高地で良いのか?
295名無し三等兵:2009/05/31(日) 00:40:47 ID:???
7月11日午前4時にプロホロフカ前面の線路上にあった252.2高地にいたのは、
第9親衛空挺師団の第26親衛空挺連隊第2大隊(一部第3大隊)だったことは確
認できたけど、その後この高地は突破されてしまったので、戦車旅団は特定
できなかった。
この7月11日にプロホロフカにいた戦車軍団は第29戦車軍団で、第9親衛空挺師
団の第28親衛空挺連隊戦区には第25戦車旅団、同師団の第26親衛空挺連隊戦区
には第32戦車旅団がいた。

<参考>第29戦車軍団 7月11日17.00時の戦車・自走砲
T-34 120両
T-70  81両
MK- 4   -
SU-122  12両
SU- 76   8両
合計   221両
296名無し三等兵:2009/05/31(日) 21:45:08 ID:???
>>295
ありがと
でも実は12日の事が知りたかったり・・・
ティーガー中隊は場所を移動してなかったら252.2高地?

グランツ本の記述はよく判らん、なんか戦闘が重複してるし
後で戦況を書いてみる
297名無し三等兵:2009/06/01(月) 02:22:03 ID:???
昔デルタ出版から出たクルスク本には、
ティーガーの第13中隊(とLSSAH突撃砲大隊)が迎え撃ったのは、
ソ連軍第18戦車軍団第181戦車旅団のT-34の40両で、
09:20にベトロフカを発進して南下、オクチャブルスキエ村付近でティーガー中隊と交戦、
戦闘は11時過ぎまで続き、ティーガーと突撃砲は40両ほぼ全数を撃ち取ったとある。
(ティーガー中隊とは言っても当日4台が稼動してるに過ぎず、ビットマンのは2発受けたが
跳ね返し、結局やられたのは1両のみで、あと3両は被弾しながらも損傷だけですんだとかで、
突撃砲大隊も10両程度が稼動だった。)

ちなみにソ連公刊戦史によると181戦車旅団はプショル川左岸にいて、
第2大隊長のP・A・スクリプキン大尉の炎上するKV(T-34?)が
ティーガーに体当たりして、両車大爆発したという話がある。
298名無し三等兵:2009/06/01(月) 06:46:59 ID:???
パンフロの十月農場でもちゃん181戦車旅団になってるな
やるな石津
299名無し三等兵:2009/06/02(火) 00:33:42 ID:wET04E3n
救済あげ
300名無し三等兵:2009/06/02(火) 09:38:45 ID:???
>結局やられたのは1両のみで

それがスクリプキンにやられたヤツかw
30112日の状況:2009/06/02(火) 23:11:01 ID:???
0800:約50輌の戦車部隊(第31戦車旅団)の攻撃。

1115: ヤムキから戦車40輌(第25戦車旅団)、第169戦車旅団、第53親衛戦車連隊合計120輌が
    第1SS連隊の守るスターリンスク農場に攻撃。

1120: プロホロフカから戦車35輌(第32戦車旅団第1大隊?)、ペトロヴカから戦車40輌(第170戦車旅団?)が
    LSSAH第II戦車大隊のオクチャブルスキーへ攻撃。

1330: 第32戦車旅団第2大隊と第9親衛空挺師団第23空挺連隊、第25戦車旅団の大隊と第9親衛空挺師団第28空挺
    連隊の攻撃により252.2高地をソ連軍が取り戻す。

14??: 第53機械化狙撃兵旅団第2部隊と第31戦車旅団残余が2カ所でLSSAH捜索大隊の防御陣地を突破。

1515: 戦車による反撃で252.2高地再占領。

1530: ストロシェヴォエ東で防御線を突破しプロホロフカ−テテレヴィノ街道に到達した第25戦車旅団ミアスニコフ大隊
    を撃退し戦線回復。

1600: ペトロヴカのすぐ東の峡谷(第110戦車旅団?)とアンドレーエヴカ東に集結した戦車部隊(第181戦車旅団?)
    オクチャブルスキーの1km北西の歩兵部隊に師団砲兵による砲撃。

1610:第1SS連隊へ戦車と歩兵連隊の攻撃。

ちなみにグランツ本では、第181戦車旅団(T-34,24輌、T-70,20輌)はトーテンコプの作戦地域で戦闘してる
297の本の基になった出典は何だろ?クロフスキー辺りか
調べると意外に、プロフロフカの戦闘はよく判らんのな
302名無し三等兵:2009/06/02(火) 23:23:25 ID:???
プロフロフカって・・・

>>297
ありがと
あとそれ、古いし誤訳もあるみたい
303名無し三等兵:2009/06/05(金) 22:58:46 ID:AGos2y8L
クルスク会戦における赤軍の戦車・自走砲の全損数って1600両にも達したんだね。
この戦いは実質的にドイツ軍の戦術的勝利、戦略的敗北ですね。
戦略的敗北といっても、地中海戦線における連合軍の攻勢に対応するために、
作戦を中断したというだけなんですね。
実際、南部戦区を担当していたマンシュタインは、攻勢の続行を主張したみたいだから、
このまま、攻勢を続ければ、勝てるかもしれないという、現場の感が働いたのかも。
思いのほか苦戦すれば、このような主張するわけないと思うから。


304名無し三等兵:2009/06/05(金) 23:09:49 ID:???
マンシュタインもクルスクの制圧はさすがに断念していたが、この際、
攻勢に出てくる赤軍を叩いて戦力を損耗させておくべきだとは具申していた。
305名無し三等兵:2009/06/05(金) 23:24:02 ID:???
伍長どのには、マンシュタイン閣下に劣等感が有るからどうしようも無いね。 閣下にフリーハンドで東部戦線全体の指揮権を付与すれば、ドイツの敗北は避けれないが東西ドイツの分裂は無かったかもね。
306名無し三等兵:2009/06/05(金) 23:29:27 ID:AGos2y8L
そういえば、マンシュタインは当初の、クルスク突出部の包囲という戦略的目標から
赤軍の戦車戦力(後方の予備戦力も含む)を叩く、という戦術的目標に切り替えたんだっけ?
ヒトラーは東部戦線における強力な指揮権をマンシュタインに預けるべきだったんだよね。
第三次ハリコフ戦の功績もあるのだから、それを認めるべきで、
あとヒトラー自身も各地戦略という考えを改め、もっと柔軟な対応をするべきだったんだよ。
そうすれば少なくとも、東部戦線における早期崩壊を防ぐことは出来たはず。





307名無し三等兵:2009/06/05(金) 23:32:07 ID:???
マンシュタインは攻勢に出るなら5月初頭にやるべきと具申したが、
ヒトラーはパンター戦車が揃うまで待てとこの案を却下、
さらに赤軍が体勢が整えた2ヶ月後に攻勢命令を
マンシュタインやグデーリアンの反対を押し切って下令。
308名無し三等兵:2009/06/05(金) 23:52:37 ID:???
グデーリアンは、実際の指揮力は?
と、俺は思うのだが前線で直接指揮したのは、初期攻勢の時だけだろ。幕僚の面子も恵まれていた。
戦争全体の雲行きが怪しくなった頃には装甲兵監や体調不良で休養と前線から離れているな。

参謀総長に就任した時には戦争の大勢は決していて誰がやってもどうなる状況ではなかった。

確か歴群で伍長からボーナスをもらって農場を買っていたことが書いてあったな。
309名無し三等兵:2009/06/06(土) 09:42:23 ID:???
グデーリアンは装甲兵監であって参謀総長ではない
彼の仕事は疲弊した装甲師団の再建であるから彼の攻勢に対する反対の主張は正しい
クルスク戦に参加した装甲師団の一部がそうであるように
クルスク戦に参加しなかった装甲師団の殆どが戦車1個大隊しか存在しない状況下では当然の主張

またグデーリアンの土地授受に関しては酌量の余地がある
激情的なヒトラーに対しては彼の意に反する直接的な意見具申するグデーリアンタイプの将帥の地位は不安定で
いつ罷免されてもおかしくない状況だ(実際、後に罷免されたが)
ならば除隊後の生活手段の確保しておくのは当然だろう
もともと第一次世界大戦後帰属決定の住民投票もされずポーランドに編入された西プロイセン出身のグデーリアンは勿論
同じ西プロイセン、ヴァルテガウ
そして前大戦後住民投票でドイツ帰属が決定していたにも関わらず
ポーランドの一方的な侵略により併合されたオーバーシュレージェンのドイツ人にとっては奪い返した郷里の念が強い
その土地を授受して批判するのはおかしいだろう
もし批判できるとするなら第二次世界大戦後のポーランドによる
オーデル・ナイセ以東の領土編入、一方的な資産没収、居住していたドイツ人住民に対する暴行はさらに批判してしかるべきだろう
310名無し三等兵:2009/06/06(土) 10:02:55 ID:???
世界史板のアンチポーランドでも紛れ込んだのか。
オーデル・ナイセ線は連合軍が決めてドイツも同意したこと。
領土編入、一方的な資産没収、住民に対する暴行も同じ事をやってて言えた義理じゃない。

まぁドイツ政府がポーランド人やユダヤ人から奪った土地をヒトラーから
ボーナスとして貰っていたのは、グデーリアンに限った話ではないけど。
311名無し三等兵:2009/06/06(土) 11:18:46 ID:???
>>309 参謀総長としては1944年7月から1945年3月迄在任している。
312名無し三等兵:2009/06/06(土) 12:10:44 ID:???
>>310
ドイツの住民虐待はもっとひどいだろ。
ポーランドの民間人死者とか人口比だと凄い高率だったはず。
ワルシャワもボコボコにされたし
戦略爆撃で壊すより地上軍が壊す方が都市破壊は効率がいいんだよな・・・
313名無し三等兵:2009/06/06(土) 15:33:05 ID:???
世界史板のアンチポーランドスレなんてあんのか?
見たことねぇな

また変なの入ってきたな
314名無し三等兵:2009/06/06(土) 15:57:44 ID:???
グデは連合軍の無差別爆撃を犯罪だと糾弾したが、
ワルシャワ、ロッテルダム、コベントリーとドイツが先にやったことはいいのか
315名無し三等兵:2009/06/06(土) 16:10:31 ID:???
いきなり他人の家の敷居をまたぎ、土足で入り込んで怒鳴り散らす
↑のやってる事はおのれが批判しているナチの侵略と同じですな
こんなとこ荒らしていも結局相手にされなくなり
おのれがいなくなるまでただ過疎るだけだ
他にもアンチスレたくさんあるんだから転居を勧めるね
316名無し三等兵:2009/06/06(土) 16:16:20 ID:???
1943年5月16日の国防軍総司令部会議、
グデーリアン「総統、あなたは今年中に東部戦線を一挙に攻撃しようとお考えですか?」
ヒトラー「全くキミの言うとおりだ。この攻撃を考えるたびに、わしの胸は高鳴る」
カイテル「我々は政治目的理由で攻撃せねばならんわけですな」
グデーリアン「クルスクが何処にあるかさえ、知ってる人間が一体何人いるでしょうか。
ドイツ軍がクルスクを占領するかどうか、それは世界中の人々にとって、どういうことでもないでしょう」

ヒトラーは城塞作戦に固執するつもりはない、と言った。しかし事実、彼は固執し続け、計画は推し進められた。
(ハリソン E.ソールズベリー「燃える東部戦線―独ソ戦の全貌」)
317名無し三等兵:2009/06/06(土) 16:33:54 ID:???
>>313
アンチスレじゃなくて、ドイツ関連スレでやたらとポーランドに敵意剥き出しの人のこと
ポルスキ連呼する人とかな
318名無し三等兵:2009/06/06(土) 16:56:28 ID:???
>>315
意味不明。
319名無し三等兵:2009/06/06(土) 17:06:20 ID:???
ドイツが攻撃してくるまで待たなくても、先にソ連が攻撃してもよかったんじゃないか?
320名無し三等兵:2009/06/06(土) 20:05:32 ID:???
ジューコフはスターリンに第一撃をドイツ軍に撃たせて、
戦力を損耗させた上で、攻勢に移るのが望ましいと具申し、
スターリンはその案を認可した。
マンシュタインもまず赤軍に攻勢をとらせ、それを受け流し、
その後に攻勢に移る攻勢防御を具申したが、ヒトラーは却下し、
攻勢を下令した。
321名無し三等兵:2009/06/06(土) 21:00:20 ID:???
たまたま検索していたら、ここのスレッドに遭遇しました。みなさんクルスク
戦のことをよく知っていますね。日本で出版された本よりはるかに最新の資料
で議論されています。驚きました。最近公開されたプロホロフカのソ連側の主
役である第5親衛戦車軍のデータ(一部のデータのみ抜粋)です。

−7月12日と7月13日の第5親衛戦車軍の可動戦車数−

          7月12日可動戦車数 同日戦闘参加戦車数 7月13日13.00時可動戦車数
第18戦車軍団    183        149        033
第29戦車軍団    215        199        051
第02戦車軍団    059        052        044
第02親衛戦車軍団  140        138        080
第05親衛機械化軍団 158        066        158
  合    計   808        642        399
出典:ロシア公文書館保管資料
※合計が合致していない理由は不明。
※第5親衛機械化軍団のみ7月12日18.00時の記録。他は戦闘開始前の数値
322名無し三等兵:2009/06/06(土) 21:06:17 ID:???
>>321
出典はGlanzのクルスク本?
親衛機械化軍団の方が親衛戦車軍団より配備車両数が多いのか。
323名無し三等兵:2009/06/06(土) 22:01:41 ID:???
>>322
Valerii Zamulinの「Zasekrechennaya Kurskaya Bitva(機密扱いされたクルスク戦)」
グランツ氏の本のデータは1980年代までに公開された数値を再構築しているの
で、残念ながら?の数値が多いようです。でも、グランツ氏の本が×という意
味ではありません。世界で最も著名な戦史研究家の一人であることは間違いな
いと思います。尊敬しています。
1990年代後半からロシアでは、上記の本位外にも真実を追究するために10冊近
くのクルスク戦の本が出版されています。

-7月11日の第5親衛機械化軍団の保有戦車、自走砲数-
  可動数 移動中 修理中 計
T34 120   43   1  164
T70 056   04   1  061
SU76            010
SU122           011
合計            246

第2親衛戦車軍団の数値は不明
324名無し三等兵:2009/06/06(土) 22:53:12 ID:???
>>323
レス感謝です。
ってことはロシア語が読めるのですか。羨ましい・・・
325名無し三等兵:2009/06/07(日) 00:48:21 ID:???
笑えるぐらいの自演w


そういや何ヶ月か前にコテハンでやたらレンドリースを否定しまくる奴を思い出したわ
誰かにレンドでソ連はボーキサイトやアルミを供給されていたというカキコミに対して
奴は虚勢張ってソ連はアルミニウムをレンドに頼らず国内で生産供給していたと言い張った
しかし後で調べたらドイツ軍により撃滅されたPQ17船団の積荷リストに大量のアルミニウムが記載されておったわ

厨か贔屓かよくわからんが奴の必死さだけはよく伝わったw
それによく似ているな
326名無し三等兵:2009/06/07(日) 01:03:58 ID:???
変なやつがきたな
327名無し三等兵:2009/06/07(日) 01:12:35 ID:???
誤爆だよたぶん。クルスクでもたくさんあったこと

と無理やり本筋に戻してみる
328名無し三等兵:2009/06/07(日) 01:20:15 ID:???
>>325
321と323を書き込んだものですが、何のために自演する必要があるのでしょうか?
322さんの2番目の質問にはデータがなくて答えることが出来ませんでしたけど・・・
このスレッドの応援の意味で書き込みましたけど、どうも部外者のようですのでこれを最後とします。
ではでは。
329322:2009/06/07(日) 01:26:20 ID:???
>>328
>>322を書いたものだけど俺はアナタが自演してるなんて思ってないよ。
新しい資料の話が聞けて勉強になった。
気が向いたらまた来てな。
330名無し三等兵:2009/06/07(日) 01:55:37 ID:???
>>328さん 305.308.311です。スレに部外者なんてあり得ませんよ。気になさらずに今後もレスしてください。
私のレスの前後にも変わった方がいました。何処にでも偏狭な人物は存在します。
331名無し三等兵:2009/06/07(日) 07:41:04 ID:???
数字上は撃破された戦車はドイツ軍より赤軍が上回ったが、
ドイツ軍は大半の撃破された戦車を遺棄せざるを得なかったのに対し、
赤軍は破壊された戦車を回収し修理することが出来たので、
結果的には赤軍の方が余裕が出来た。
332名無し三等兵:2009/06/07(日) 07:48:01 ID:???
赤軍すごい
333名無し三等兵:2009/06/07(日) 09:55:02 ID:???
パンター200両配備する間にロシアT-34 1000両位増えちゃたんだろこれ
334名無し三等兵:2009/06/07(日) 09:58:04 ID:???
5000両はないとパンター200両には不十分だな
335名無し三等兵:2009/06/07(日) 10:14:12 ID:???
初期型のパンターでそれはちょっと
336名無し三等兵:2009/06/07(日) 10:19:12 ID:???
ただしパンターのうち150輌は火を吹いて停止する
337 :2009/06/07(日) 12:04:48 ID:???
>>306
それができるヒトラーだったら
ナチ党の政権奪取も無い
先制攻撃と指導者原理で成功を収め続けてきた人間なんだから
338名無し三等兵:2009/06/07(日) 14:31:30 ID:???
>>331
そんなことないよ
8/1の装備数は、全損を引いた分とあまり違わない
339名無し三等兵:2009/06/07(日) 14:43:41 ID:???
>>338
8/1までに回収車両の修理・再配備が終わるのかい?
340名無し三等兵:2009/06/07(日) 15:16:23 ID:???
何?
損傷車輌は遺棄されずに回収されてる、と言いたいんだが
341名無し三等兵:2009/06/07(日) 15:19:41 ID:???
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
後衛戦闘を行いつつ撤退したドイツ軍に対し、ソ連軍は予備兵力をまとめて反撃を開始した。
これにより、前線で修理中のドイツの損傷車輌で後送の間に合わないものは自爆させられ、
全損車輌の台数がかなり増えてしまったともいう。
(そして、戦場に留まったソ連軍は逆に損傷車両を修理再生、戦力を回復した)



これが間違いとも思えないけどなぁ。
342名無し三等兵:2009/06/07(日) 15:25:38 ID:???
>>341
でもその書き込みソースが書いてないし。
そういやWikiのトップ画像が変わってるな。
以前は放蕩のないT34が損傷車両を回収してる写真だった。

全損してても回収できれば鋼材は再利用できるし
無駄にはならなかっただろうけど。
343名無し三等兵:2009/06/08(月) 05:36:05 ID:???
まあ、ソースがはっきりしないから「ともいう」なんだろうが
その後の戦線の移動や、損傷車両の回収・修理にかかる時間等を考慮すれば
状況の合理的かつ客観的な推測にあたって、エスパー的要素は必要としないだろう
344二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2009/06/08(月) 05:51:50 ID:???
>>343
でもさぁ、7月の戦闘中(まだソ連側の反撃が始まる前)に
独軍が記録した全損車両て270両くらいなんだよ。
で、これら全損車両以外の損傷車両(まだ再起可能なやつ)をどっかに
集めておいて、それが独軍の後退後にソ連軍に持ってかれたら、
結局のところ全損車両は270両よりも増えるはずだよね。

なのにWikiの独軍損害は全損270両って書いてあるじゃん。
これって
「独軍が損傷車両をちゃんと回収できてたから全損が270両よりも
増ることはなかった」
のか、
「全損270両が過小報告」
なのかどっちかじゃね?

つまりWikiの内容は
「前線で修理中のドイツの損傷車輌で後送の間に合わないものは自爆させられ、
全損車輌の台数がかなり増えてしまったともいう」
の一文と、脚注の
「戦車の全損数はドイツ軍の278輌に対してソ連軍は1614輌」
で齟齬が生じているように見えるのだよ。
345名無し三等兵:2009/06/08(月) 06:09:53 ID:???
>>344
そりゃ、編集履歴を見ればわかるが
今年の1月28日にその本文と脚注を追加した奴が悪い

ってかお前ら、WikipediaをWikiと略すな
346名無し三等兵:2009/06/08(月) 06:10:49 ID:???
やだ!
347二人兄弟の墓 ◆z8d8W/sbaQ :2009/06/08(月) 06:23:51 ID:???
>>345
すまんかった。
348名無し三等兵:2009/06/08(月) 19:40:38 ID:gLUe96R3
「全損」ってのは、完全損失のことなんだろ。
例えば、戦車でも何でも、たとえ修理に出しても無駄であるほどの
損傷を被って放棄されたものや、敵に捕獲されたりしたもののことをいうんでしょ?
349名無し三等兵:2009/06/08(月) 22:22:55 ID:???
>ソ連軍は予備兵力をまとめて反撃を開始した。これにより、〜
作戦終了後の事だから、矛盾しないと思うが?
「クルスクの戦い 南部戦区」がソースみたいだから8月だと思うし
上で書いたとおり、この数字は作戦期間の全損数
北部戦区は作戦中止後も戦闘は続いてるから数は増えるけど

>>345
本文は変えてないだろ・・・
350名無し三等兵:2009/06/09(火) 00:56:41 ID:chM2Xkl5
ナショジオでクルスクの戦いやってたぞ
351345:2009/06/09(火) 04:32:28 ID:???
>>349
2008年12月22日版
>ドイツ軍を上回ると思われる被害
の部分が
2009年1月28日版では
>ドイツ軍を上回る損害<ref>戦車の全損数はドイツ軍の278輌に対してソ連軍は1614輌。</ref>
と、脚注の追加に加えて明らかに本文の編集が行われている
Wikipediaは項目の本文より、編集履歴の方が面白いんだぜ?

ちなみに、1月28日で編集した奴は「装甲兵総監」を、わざわざ
「戦車総監」に書き換えるなど独自の視点を持っているようだ
352名無し三等兵:2009/06/09(火) 09:11:02 ID:???
「Panzerを装甲と訳すのはおかしい」派の仕業かな
じゃ装甲擲弾兵は戦車擲弾兵か、って聞いたらマジギレする連中
353名無し三等兵:2009/06/09(火) 21:18:54 ID:???
俺は旅団以上の規模のPanzerを装甲と訳すのを支持しているけど、当時のドイツ軍は
ソ連軍のTank Army(Corps)をPanzer Armee(Korps)と訳している。そう考えれば、
Panzerを戦車と読むのもありだろうな。結局好きな呼び方すればいいと思う。
354名無し三等兵:2009/06/09(火) 21:58:09 ID:???
>>353
aromoured infantryを戦車歩兵かって聞いたら頭おかしいと思うだろう。
aromouredを機甲とやってpanzerを装甲とすると所属する側がわかりやすくなって読みやすい。

panzerkampfwagenを略してpanzerで、単にpanzerというと戦車の印象が強いだろうけど。
355名無し三等兵:2009/06/10(水) 01:29:40 ID:???
Panzer-GrenadierでPanzergrenadierじゃないから、自分は訳すなら戦車−擲弾兵
当時は単に歩兵師団との差別化だから

Inspekteur der Panzertruppeだから戦車部隊総監
装甲兵にする方がムリがあると思うが
356名無し三等兵:2009/06/10(水) 05:17:35 ID:???
MBTを主戦闘戦車とか訳さないと気が済まないタイプの人が現れてるようだがw

結局、訳語の問題だから「装甲兵総監」でも「装甲兵監」でも「戦車部隊総監」でも
具体的な職種として"Inspekteur der Panzertruppen"と関連付けできてれば問題ないだろ

直訳が必ずしも正しくない、というのは中学校で習うはず
"Good morning"を「良い朝です」と訳すバカはおらんと思うんだがな

個人的には、加登川先生の表記が一番わかりやすくて好きだが
ドイツ:装甲/アメリカ:機甲/ソ連:戦車、機械化/フランス:部隊の頭文字
357名無し三等兵:2009/06/10(水) 13:41:33 ID:???
装甲兵総監は自走砲の生産も管理してたのにな
戦車総監だと砲兵がキレるわ
358名無し三等兵:2009/06/10(水) 13:56:06 ID:???
主戦闘水槽
359名無し三等兵:2009/06/11(木) 06:59:14 ID:9EWDosec
>Inspekteur der Panzertruppeだから戦車部隊総監

Inspekteur der Panzertruppeの監督下にあるには戦車部隊だけじゃないからそれは間違い。
装甲兵科の下には最初から
戦車部隊とともに
装甲偵察部隊
狙撃兵部隊(後の装甲擲弾兵部隊)
戦車駆逐部隊(対戦車部隊)が存在する。

戦車部隊だけじゃない。
360名無し三等兵:2009/06/11(木) 07:07:12 ID:???
ってか、単数形だと不自然だと思うんだが
361名無し三等兵:2009/06/11(木) 21:42:21 ID:???
Reichsfuhrer-SSですら、日本語訳が結構ばらばらだしなあ、、、
362名無し三等兵:2009/06/12(金) 07:47:58 ID:???
1943年の段階でもスターリンはドイツに単独講和を打診していたというが、ヒトラーは無視した。
クルスクの戦いでドイツは予備戦力を完全に喪失したことで、スターリンは対独講和の打診を打ち切ったという。
363名無し三等兵:2009/06/12(金) 07:55:12 ID:???
まあ、単独講和つっても43年の時点であれば
スターリンが本気でドイツとの戦争やめる気があったかどうかは、な

米英に対するブラフだったという説が有力
「おめーら早いとこ第二戦線作らねえと俺っち抜けちゃうぞ、ええのんか?ああ?」

だからこそ、ハスキー作戦が始まると講和の必要がなくなったわけで
364名無し三等兵:2009/06/12(金) 19:38:13 ID:???
スターリングラードでは第六軍を壊滅させたが、
ハリコフで大量の戦車部隊が壊滅させられるなど、
優勢になったとはいえ、依然ドイツとの戦いは
続ければ膨大な損失を受ける予断を許さない厳しい常態だった。
クルスクの戦況と米英の態度次第ではスターリンは離脱する選択も有り得た。
365名無し三等兵:2009/06/12(金) 19:43:48 ID:???
ないない。
あくまで米英に対する揺さぶりが目的。
そもそもクルスクの戦況が好転したり、米英が引っ込むという想定自体が無理ってもんだけど。
366名無し三等兵:2009/06/13(土) 08:20:23 ID:???
てゆうか、スターリンが持ち出した講和条件って全占領地の無血返還なんだから
それをヒトラーが受諾するわけ無いじゃんか。
367名無し三等兵:2009/06/13(土) 09:09:49 ID:???
だからブラフだ、つってんだろ
368名無し三等兵:2009/06/13(土) 11:31:05 ID:???
つまりヒトラーが絶対呑みそうでない条件でかましてみたというわけか
369名無し三等兵:2009/06/14(日) 00:01:16 ID:???
つか、ヒトラーが講和を受け入れるとしたら
ウラル以西の割譲とかシベリアの資源に対する優越的地位とか

いずれにしろ、双方ともあの時期に講和の意思はなかったと見るべき
370名無し三等兵:2009/06/14(日) 00:51:00 ID:???
ヒトラーは「スターリンとの講和などたちどころに反故にされるだろう。
いずれにせよ戦うことになるのだ。」とソ連と折衝していたリッベントロップに答え、
スターリン相手の講和を全くあてにしていなかった。
371名無し三等兵:2009/06/14(日) 10:09:17 ID:???
ヒトラーはミュンヘン協定や不可侵条約を反故して破ってるし、
かたやスターリンは中立条約なんか屁とも思ってないから、
外交なんか頼らずに互いにどちらか倒れるまで戦い続ける他ないんだろ
372名無しさん@恐縮です:2009/07/05(日) 12:16:24 ID:???
お元気ですか?
あの日から66年経ちました。
いつの日か懐かしい約束の地クルスクを訪れたいと思います。
それまでお元気で、さようなら。
373名無し三等兵:2009/07/09(木) 22:25:31 ID:tNV4ou53
例えば、ケンプフ軍支隊の第3装甲軍団に所属する、第6と第7、第19の3個装甲師団について見ると、
ツィタデレ作戦開始時にはそれぞれ106輌、112輌、81輌の戦車および自走砲を装備していましたが、
7月14日の時点で、各師団の稼動戦車台数は14輌(開始時の13%)、24輌(同21%)、27輌(同27%)でした。
とはいえ、これだけを見て「第6装甲師団は106−14=92輌の戦車をクルスク戦で失った」と見るのは早計で、
同師団がクルスク戦で「全損」した戦車の数は、III号戦車9輌とIV号戦車13輌、それに火焔放射戦車3輌の計25輌のみで、
残りの67輌は、故障や損傷により一時的に戦線を離脱したものの、後に修理されて戦線に復帰しました。

この事実を踏まえれば、「ドイツ軍はクルスク戦で装甲部隊の大半を失い、終戦まで回復できなかった」という、
ソ連公刊戦史とパウル・カレルが異口同音に記した内容は戦史的事実と一致しないことは明白で、
ドイツ軍の装甲部隊はクルスク戦で大損害を被って再起不能となったわけではありませんでした
374名無し三等兵:2009/07/10(金) 00:26:46 ID:???
>終戦まで回復できなかった
事実だよ
375名無し三等兵:2009/07/10(金) 06:04:20 ID:???
>>373
「再起不能となったわけでは」ないのに
その後、装甲部隊を中心とする大掛かりな作戦は
行われた形跡がありませんどうしましょう
376名無し三等兵:2009/07/10(金) 10:07:44 ID:???
コーニェフ「クルスク戦はドイツ軍の白鳥の歌」
377名無し三等兵:2009/07/10(金) 19:21:32 ID:???
修理が一瞬で出来るわけもなく、いっぺんに修理できるほどの施設人員もないので順番待ちになるわけだし、
後送は全損と同等な扱いなんじゃね
378名無し三等兵:2009/07/10(金) 19:29:19 ID:???
>>373
何のコピペか知らないが、ドイツ軍がクルスク戦以降に何回戦略的な攻勢作戦をやったか書いてみろよ。
事実、局地的な反撃作戦しか行っていない。木を見て森を見ずの典型的な解釈だな。
現在戦史研究者の間で、ソ連公刊戦史やパウル・カレルをまともに信じるものは誰もいない。
20年前ならともかく今更そんなものの批判をするなよ。
だが、パウル・カレルは元SSということを差し引いて読めば、読み物としてはいまだに色あせていない。
379名無し三等兵:2009/07/10(金) 23:17:50 ID:???
ケンプフ軍支隊は進撃が遅れて第4装甲甲軍の側面を援護することが出来ず、
ロトミストロフ戦車軍の横ヤリを許してしまい、ソ連軍の反撃時には
第3装甲軍団の第19装甲師団はグライボロン=アハツィルカ地区で完全に壊滅してしまった。

『焦土作戦』では捕虜になった第19装甲師団の司令部員が戦死した師団長のグスタフ・シュミットを
埋葬したという箇所があるけど、それもカレル本だけにフィクションなのかな。
380名無し三等兵:2009/07/10(金) 23:25:48 ID:???
そう思いたければ、そうだよ
381名無し三等兵:2009/07/11(土) 17:05:10 ID:???
ソ連映画「ヨーロッパの解放」だと、第19装甲師団長はマンシュタインに
師団は壊滅したと告げて、拳銃自殺していた。
382名無し三等兵:2009/07/12(日) 16:44:35 ID:???
プロホロフカ決戦の日
383名無し三等兵:2009/07/12(日) 17:55:14 ID:???
シュミット中将は
ベレゾヴカで本部が包囲され弾薬を撃ち尽くした後、副官ケーネ中尉と共にピストル自殺だと
384名無し三等兵:2009/07/12(日) 18:01:46 ID:???
ベレソヴカだった
後、第19戦車師団は壊滅してないぞ
385名無し三等兵:2009/07/12(日) 18:25:34 ID:???
ソ連だって将官の捕虜はちゃんと扱ってたんだから
無理しないで降伏すりゃよかったものを。
386名無し三等兵:2009/07/12(日) 23:52:29 ID:???
とりあえず損害の補充が精一杯なドイツ軍vs前回の戦闘の数倍の兵力に膨れ上がって攻めて来るソ連軍
387名無し三等兵:2009/07/13(月) 00:48:02 ID:???
師団長が自殺に追い込まれるなんて、師団が相当損害を被らない限りないっしょ
388名無し三等兵:2009/07/13(月) 04:03:11 ID:???
まあ、捕まったらタダじゃすまないくらいの悪行を重ねていた、と
本人に自覚があったとすれば自殺もあり得るのかなあ
国防軍だって、武装SSを非難できないくらいの戦争犯罪は起こしてるしな

第19装甲師団がどうだったかは知らないが、可能性の問題として、な
389名無し三等兵:2009/07/13(月) 12:11:33 ID:???
>>386
補充が苦しいのはソ連軍も同じですが。
歩兵師団の平均兵員数でみると定員約1万人に対して
43年7000人→44年2000人
と激減してる。(詳解独ソ戦全史)
戦争が長引いたら破滅だった
390名無し三等兵:2009/07/13(月) 12:23:00 ID:???
ソ連軍は攻勢側だしな…
大損害は終戦まで減ってないし
391名無し三等兵:2009/07/13(月) 19:56:03 ID:???
>>389
その前にドイツが力尽きるわな
ましてドイツには資源も無い
392名無し三等兵:2009/07/13(月) 22:15:45 ID:???
ドイツ軍もその都度兵員を補充する方式じゃなく、
師団として戦闘力が失ったら一旦後方に引き揚げて怪我明け兵の復帰や補充兵を
一括して充足させるやり方じゃなかったかな。

第19装甲師団は、グライヴォロンでソ連軍から包囲を逃れてアハツィルカでGD師団と合流。
更にキエフ、カネェフ、ブクリン橋頭堡、ジドミールと転戦。
明けて44年にカメニェツ・ポドルスクで再び包囲され4月に脱出と、
6月にオランダで休養・再編するまでずっと戦い続けたから
恐らく戦闘団レベル以下まで戦力は落ち込んでたと思われ。
393名無し三等兵:2009/07/14(火) 12:08:33 ID:???
>>389
戦争が長引けば45年後半には一個師団数百人になってただろうな。
これではとても攻勢ドクトリンは機能しないだろう。
394名無し三等兵:2009/07/14(火) 17:13:02 ID:???
>>389
兵員数じゃ全く減ってないというのを無視してるな。師団に2000人しかいなくても、
軍団を師団感覚で使える物量があれば大した問題はない

独の装甲軍団とソ連の戦車軍団じゃ前者のほうが遥かに規模は大きいが、
それが何か戦闘の帰趨に影響を与えたかね?編成単位の大小より、
投入できる戦力の総量の差のほうが万倍重要だぞ
395名無し三等兵:2009/07/14(火) 17:36:37 ID:???
大戦末期のドイツ軍の歩兵師団なんて連隊規模のやつがごろごろいただろ

というか、なんでみんなソ連のドクトリンと戦力規模を過小評価するんだ?
誰かも書いていたが、米英軍だってバグラチオン規模の大攻勢食らったらただではすまんぞ
圧倒的な航空優勢でどうにかはうるだろうが
396名無し三等兵:2009/07/14(火) 18:30:28 ID:???
>>394
D.Glanzが著書の中で、まさにあなたが言う通りのことを書いてる。
人手不足の後期ソ連狙撃師団の方が人手が足りてた頃のソ連狙撃師団より
戦力的には上だったって。
397名無し三等兵:2009/07/14(火) 18:37:04 ID:???
末期ソ連の場合、後方部隊が生存してるってのが大きい気が
398名無し三等兵:2009/07/14(火) 21:02:42 ID:???
>>389は詳解独ソ戦全史の都合の良い部分しか読んでなかったんだな。

>>396
戦前の編制は一単位の兵力が大きすぎて、指揮官が掌握し辛く
鈍重だったみたいなことを書いてるね。
399二人兄弟の墓 ◆OYxT9PNEKpHC :2009/07/14(火) 21:26:27 ID:???
>>398
俺が>>396で書いたのは詳解独ソ戦全史じゃなくて、Glanz氏の別の本デシ。
Soviet Miitary operational artとかいうやつ。まだ邦訳されてないはず。
この本は独ソ戦の通史である詳解と違ってソ連軍の戦術をメインテーマとして
書かれた本で、この本には
「後期のソ連軍は人手不足で、1個師団あたり4500人くらいしかいなかった」
(>>389が書いてる1個師団2000人てのは師団の「実質戦力」つまり
戦闘員の数で、このほかに補給やら通信に携わる補助人員を加えると
1個師団あたり4500人くらいいたようだ)
「しかし、師団の戦力は人員ではなく、その火力で考えるべきだ」
「この時期のソ連軍狙撃師団は大量の火砲、自走砲が配属され
以前よりもはるかに火力が充実し、戦闘力では大戦前期の
ソ連狙撃師団を凌駕していた」
と書いてあるのだ。
さらにいうと、1個師団あたりの兵数が少なくても投入される
師団の数がドイツとは段違いだ。
だからソ連側の1個師団あたりの人員が少なくても、
ソ連側は兵数の優位を確保できてる。
砲火力の差はさらに圧倒的にソ連側優位(砲は定数充足に近い+投入師団数も優越)。
この状況では、1945年に多少戦争が長引いたところで、
ドイツの敗北は動かないしソ連を破滅に導くことなんてできっこない。
400名無し三等兵:2009/07/14(火) 21:40:31 ID:???
そんな本が有るのか。
学研は早く邦訳してくれ…無理かな?
401399:2009/07/14(火) 21:43:11 ID:???
ついでにいうと45年の兵員損失比はソ連優位だ。
しかも戦場はドイツ本土 長引けば長引くほどソ連兵以上にドイツ兵やドイツ人が死ぬし
国土もグチャグチャ インフラもズタズタになる
西からは米英も爆撃機を飛ばしてくるし、45年8月には原爆もスタンバイしてる
長引いて「破滅」するのはどう見てもドイツの側だ
402名無し三等兵:2009/07/14(火) 21:53:55 ID:???
>>400
採算がとれないから無理だろ
学研に邦訳してもらうためには赤軍ヲタがもっと増えて需要が増えないと
403名無し三等兵:2009/07/14(火) 21:54:41 ID:???
>>400
採算がとれないから無理だろ
学研に邦訳してもらうためには赤軍ヲタがもっと増えて需要が増えないと
404名無し三等兵:2009/07/14(火) 21:59:21 ID:???
んじゃ原書房か、大日本絵画から定価6000\位で出ることを祈る。
405名無し三等兵:2009/07/14(火) 22:01:18 ID:???
>>404
ブルジョワめ!!
406名無し三等兵:2009/07/15(水) 05:14:13 ID:???
>>403
大事なことなので2k(ry
407名無し三等兵:2009/07/15(水) 12:14:52 ID:???
馬鹿コテが書いてる戦争後期ってのは43年ごろの定数を満たしている場合の話だろ。
43年の消耗を経て44年になると内実はこのようになる。↓

直接攻勢に参加したソ連軍の戦闘単位は、目標達成時には概算で兵員の22〜25%の損害を
出していた。したがって1944年には、赤軍もドイツ軍と同じように深刻な人員不足に直面
していた。多くの狙撃師団は実質人員が2000人かそれ以下だった。このような師団では
大口径砲が削減されたため、それらは緊要な突破のたびに別途に集められた。戦車部隊と
親衛部隊は通常の狙撃師団よりも優先的に人員の補充を受けたが、それでも損害は大きく、
急速に戦力を低下させていった。(詳解独ソ戦全史)
408名無し三等兵:2009/07/15(水) 12:20:53 ID:???
401 :399:2009/07/14(火) 21:43:11 ID:???
>ついでにいうと45年の兵員損失比はソ連優位だ。


それは終戦前後の膨大なドイツ軍捕虜の数を入れての話だな。
「憎悪の世紀」によると終戦後に捕虜になったドイツ軍は8百万人
409名無し三等兵:2009/07/15(水) 12:28:45 ID:???
なんでも混同して自分の妄想に有利なように語る馬鹿コテ
まさに白○と呼ぶに相応しいクズwwww
410名無し三等兵:2009/07/15(水) 12:31:24 ID:???
そして歩兵戦力が足りなければ攻勢の際に展開力その他の戦術的選択に大きな制約が生じるのは確実。
詳解だと45年4月1日時点でソ連軍前線戦力641万が45年5月8日には570万に減少している
(一方、この間ソ連側のポーランド、ルーマニア、チェコ、ブルガリア軍は計45万で不変)
411名無し三等兵:2009/07/15(水) 20:30:35 ID:???
伍長閣下が死守命令や無理な攻勢を強要せずに戦力を温存しつつ
機動防御に徹していれば、赤軍の進軍は大幅に遅れたのは間違いない。
しかしあの伍長閣下はどうせ敗北するならドイツなどボルシェビキに蹂躙されてしまえと、
わざと赤軍の餌食になるような馬鹿な作戦を強要したとも思われる。
412二人兄弟の墓 ◆OYxT9PNEKpHC :2009/07/15(水) 21:52:39 ID:???
>>407-410 
全 て 間違ってる。
まず>>407
>馬鹿コテが書いてる戦争後期ってのは43年ごろの定数を満たしている場合の話だろ。
全然違う。俺はあなたと違うので、捏造引用はしません。
ちゃんと「後期のソ連軍は 人 手 不 足 で ry」
って引用したでしょ。定数を満たしている43年じゃなくて、
師団の充足率が下がっていた'44-'45の話だよ。
原書では'44-'45ソ連狙撃師団について語る章があって、そこからの引用。はっきりと
「Although the personnel sterength of rifle corps and divisions was low by 1944 and 1945,
the combat capabilities of these formations increased because of an increase in weaponry」
と書いてある。
413二人兄弟の墓 ◆OYxT9PNEKpHC :2009/07/15(水) 21:54:16 ID:???
>>408
>それは終戦前後の膨大なドイツ軍捕虜の数を入れての話だな。
いいや、俺は終戦後の捕虜を除外して計算してる。というか5月の双方の損失は除外した。
Krivosheevの本には45/01/01-45/04/30に独軍が被った戦死捕虜行方不明、戦場に戻れなかった負傷
全て足して200万ていう独側の発表が載ってる。
んで、これは過小評価だって突っ込みが入っている。
(44年のその前の月の損失数がそのまま変化なしに続いたものとして、
計算で求めた値。なので、実際はもっと多い)

過小評価であることを織り込んだ上で、この数値をもとに計算すると。
この時期の損失200万のうち2/3が東部(詳解P.578にも引用されてる)
だから'45 1-4月の独は東部戦線で、月33万の
損失(戦死捕虜行方不明、戦場に戻れない負傷)を出してる。

ソ連は'45 1-3月に死亡行方不明合わせ46万、負傷158万(Krivosheevの本)
ソ連の負傷者のうち、10%は死ぬ。20%は戦線離脱(同上)
なので1-3月の3か月で、ソ連の兵員非回復損失は94万。31.3万の損失。
独軍の東部戦線損失は低く見積もっても、月33万
なので、終戦時捕虜を除いても、損失比はソ連優位。

同様の方法で'45年第二4半期(4-6月)のソ連の非回復損失を計算すると、
同時期のソ連は35万の非回復損失を被っている。
'45年第二4半期(4-6月)のうち、戦闘があったのは4/1-5/8の38日間。
ソ連が4月に被った非回復損失は35x30/38=28万/月となり
損失比は、さらにソ連優位に傾く。
よって、終戦時の捕虜を除いても、末期戦の損失比はソ連優位。
414二人兄弟の墓 ◆OYxT9PNEKpHC :2009/07/15(水) 21:56:35 ID:???
>>410
>そして歩兵戦力が足りなければ攻勢の際に展開力その他の戦術的選択に大きな制約が生じるのは確実。
希望的観測で「●●は確実」とか断言しちゃダメよ。

投入可能な師団数がソ連と独では全然違う。ソ連の師団数は年を追うごとに増加してるのだ。
1個師団あたりの歩兵戦力が少なくても
作戦参加師団を増やすことでソ連側は兵数の優位を確保できてる。

例えば、Bagration作戦にてもっとも疲弊した狙撃師団が担当してた戦区はParichi南方。
ここのソ連軍狙撃師団は1個師団あたり4500人程度しか戦闘員がいない。
(攻勢正面の部隊は補充を受けるから、さすがに攻勢参加師団の戦闘員が
平均2000人てことはない。でも、人手不足はたしかにあった)
守備側のドイツ軍は、1個師団あたり8900人の戦闘員がいる(ソ連側の推計)。
つまり1個師団あたりの戦闘員は、独軍の方が多い。しかし・・・

Parichi南方戦線戦力比(Bagration作戦開始直前)
        独:ソ
参加師団数1:13(!!!!!!!!!!!)
戦闘員   8900:51600(ソ連が5倍の優越)
機関銃   337:2918(ソ連が9倍の優越)
迫撃砲   75:1002(ソ連が13倍の優越)
対戦車砲  64:333(ソ連が5倍の優越)
野砲(>75_)74:1623(20倍)
戦車自走砲25:394(16倍)
人手不足の師団でも、武器や戦車は定数に近い数が配属されている。
人手を補うためにたくさんの師団が攻勢に参加すると、
歩兵の有利を確保できるだけでなく、支援砲兵の密度や戦車の数で
歩兵戦力の差以上に圧倒的な優位を得ることができるのだ。
415二人兄弟の墓 ◆OYxT9PNEKpHC :2009/07/15(水) 22:02:39 ID:???
>詳解だと45年4月1日時点でソ連軍前線戦力641万が45年5月8日には570万に減少している
ドイツ本土が落ちたらヨーロッパの戦争は終わるんだから、対独戦の前線で
損失した兵を補充する必要ないし。次の兵力集中は東方、満州の準備だ。
ヨーロッパで補充してなくても、後方にはシカーリ補充兵が準備されてるから、
全体の兵力は減ってないよ。詳解独ソ戦全史の巻末表には、1944年までしか
ソ連軍の兵力(全体)は書いてないが、参照元のKrivosheevの本には書いてある。
45/7/1で、まだ1139万いた。つまり、'45のソ連はまだ兵力を補充できてる。ドイツとは違う。
ってか45/7ならドイツが死んでるんだからもう200万くらい動員解除して
家に帰してやればいいのに。。。
ttp://www.allworldwars.com/image/008/SovietPictures057.jpg
416名無し三等兵:2009/07/15(水) 22:03:03 ID:???
バグラチオンとか戦争末期の話はよそでやれ
クルスクの話しろよ…
417二人兄弟の墓 ◆OYxT9PNEKpHC :2009/07/15(水) 22:06:15 ID:???
>>416
正直すまんかった。
;y=ー( ゚д゚)・∵.PAM!
418名無し三等兵:2009/07/16(木) 12:19:17 ID:???
>>412
>「後期のソ連軍は人手不足で、1個師団あたり4500人くらいしかいなかった」
これは43年の話ではないかということを指摘してるんだが。で、グランツ自身の記述で44年は平均2000人になったと。
>以前よりも はるかに 火力が充実し
なんて強調表現がお前が引用した文のどこに書いてるんだ??

お前が引用した数字のうち、ドイツ軍の負傷兵はすべて復帰できずソ連軍のは復帰可能って解釈も意味不明
なんで単なる損失数で比較しないんだ?
独ソ両軍の負傷者数の比較は詳解によると603万対1520〜1834万(罹病含む)で
戦死者の比率300〜350万(詳解17章の注21)対866万(赤軍興亡史2)
とバランスが取れているように思うが? 「永久損失」という言葉に過剰反応しすぎ。
詳解の本文中では戦争全期のドイツ軍の損害について単に「負傷603万」とあるのでそう解釈すべき 。
これがソ連軍の傷病数1834万に対応するドイツ軍側の数字。 他に数字があるのか?
よって、意味不明の補正をせず45年1-3月のソ連軍損失は205万でドイツ軍は200万の2/3の3/4で約100万人

>>414は支離滅裂でなにが言いたいのかさっぱり分からない。
>参加師団数1:13(!!!!!!!!!!!)
全く意味不明な引用ワロタwwwww
単にソ連軍がそういう局所的攻勢重点を作ってたてだけの話。
バグラチオン作戦の双方の師団数、兵員数比較してみなよ。
ついでに東部戦線全体の師団数も比較してみ。
1:13なんて数字にはならんから
419名無し三等兵:2009/07/16(木) 12:25:50 ID:???
>>415
お前の書いた最初の3行は意味不明。
つーか、それいうならドイツ側だって終戦後に捕虜になったのが800万人なので
終戦直前の戦線崩壊で大量に捕虜になった人員をあわせると1000万人近くなる。
ソ連とたいして変わらねー
420名無し三等兵:2009/07/16(木) 12:28:42 ID:???
二人馬鹿に言わせると独ソ両軍の損失比は1:1.4らしいからな
妄想補正乙www
421名無し三等兵:2009/07/16(木) 12:48:20 ID:???
局所的な優位を確立するのが作戦の基本だろ。
422名無し三等兵:2009/07/16(木) 12:50:31 ID:???
423名無し三等兵:2009/07/16(木) 12:50:56 ID:???
424名無し三等兵:2009/07/16(木) 13:10:16 ID:???
流れ豚切り関連画像支援w
(1)ロシアの各国立アルヒーフ共催「大祖国戦争戦勝記念写真展」サイト
http://victory.rusarchives.ru/index.php?p=3)から
クルスク戦に関する写真集
http://victory.rusarchives.ru/index.php?p=32&sec_id=10

(2)「絵画で見るロシアの歴史」サイト
http://history.sgu.ru/events/?q=rus_hist/events&eid=47&fPage=)から
「クルスクの野」
http://history.sgu.ru/?wid=400
http://history.sgu.ru/img/x1-0_1_7.jpg
425名無し三等兵:2009/07/16(木) 15:44:10 ID:???
420みたいなバカは、同じだと思われてるのが判らないんだな可哀相に
426名無し三等兵:2009/07/16(木) 18:40:01 ID:???
まだ続けるのなら派生議論スレにでも行ってもらう?
427名無し三等兵:2009/07/16(木) 23:30:41 ID:???
ハイハイシチリア上陸で終了〜
428二人兄弟の墓 ◆OYxT9PNEKpHC :2009/07/17(金) 18:43:21 ID:???
続きは派生スレに書いた方がいいのか?
429名無し三等兵:2009/07/17(金) 19:15:14 ID:???
そうしてもらえると有難いです。
430二人兄弟の墓 ◆OYxT9PNEKpHC :2009/07/17(金) 23:08:40 ID:???
それじゃ>>420の人、続きは派生スレで。
431名無し三等兵:2009/07/24(金) 20:34:01 ID:???
>>430
さっぱりレスがなくなったから書くことにするが
>>418の返事はどこに書いてるんだ?
432名無し三等兵:2009/07/24(金) 20:57:25 ID:???
>>431
派生議論スレに行ってみろ
どうせダンマリだろうけどな
433名無し三等兵:2009/07/25(土) 12:13:43 ID:9RcFHY2b
Wikipedia「クルスクの戦い」に載っている、赤軍の損害についてなんですけど、
戦死・戦傷・捕虜が607737と出ていますが、これをより詳しく分けると、
それぞれ何人になるのでしょうか?
434名無し三等兵:2009/07/25(土) 23:47:51 ID:???
クルスク戦:戦死7万余り、負傷10万7千余り
オリョル戦:戦死11万2千余り、負傷31万7千余り

通常クルスクの戦いはオリョルと合算するので

戦死18万3千弱、負傷42万5千弱、計60万8千弱 となる。
(データーはグランツ著 詳解独ソ戦全史 より)
435名無し三等兵:2009/07/26(日) 00:53:23 ID:+W9RtLSV
>>434
ご回答ありがとうございます。
436名無し三等兵:2009/07/28(火) 00:39:54 ID:???
そんだけ損害出しながら冬季攻勢できるってどんだけ人的資源あるんだ
437名無し三等兵:2009/07/29(水) 02:44:19 ID:???
ソ連の軍備は元々は少数の常備軍と大量の予備役で構成され、
平時下では徴兵された人員は比較的短期間の軍事訓練を終了されるとパートタイムの予備役となった。

世界大戦が始まる頃にはこの軍事訓練修了者は1400万人に達していたので独ソ戦開戦時の最大動員可能兵力は1500万弱だろう。
(1925年だと常備軍は総兵力56万に過ぎない)
(対象は20歳〜50歳の男子。これは当時のソ連人口は2億人であることを考えると、その年齢層の男子人口の1/4ぐらいだと推測できる。)

独ソ戦でソ連軍は1941年末までに累計600個師団を編成できたのはひとえにこの膨大な予備兵力のおかげだった。
クルスク戦が始まるまでに、ソ連軍は開戦時から累積戦死・行方不明だけで677万人以上を出したが、それでも理論的にはまだ800万名残っていた。
438437:2009/07/29(水) 03:22:27 ID:???
ソ連の人口は1940年の1億9597万人だったが、1946年では1億7390万人と2207万人減少している。
(ちなみに1941〜1945年のデーターは無い)
1940年の人口増加率は約2%であるので、戦争期間中も同様だった仮定すると、独ソ戦による死亡数は
1.02^6×19597−17390=4679.4(万人) となるが毎年大量死亡しているので単純乗算して
1.10×19597−17390/1.02=4507.6(万人)

まあ、大雑把に4000万人ぐらいは独ソ戦で死んだと解釈するのが穏当だろうか。
そしてその内900万人以上が兵士として死んだわけだが。
439名無し三等兵:2009/07/29(水) 13:12:13 ID:???
そんな試算に頼らんでも実際の出生数や死亡数を元に
国家統計委員会・国防省が出した総死亡者数2660万人、
軍人戦死者については参謀本部の出した866万人って数字が有るじゃん。
440名無し三等兵:2009/07/29(水) 17:46:14 ID:???
戦時中って種付けができないから出生率が下がる
441名無し三等兵:2009/07/29(水) 23:05:44 ID:???
>>439
2660万は少なすぎるよ。
442名無し三等兵:2009/07/30(木) 01:19:45 ID:???
冷戦時代は1200〜1500万だったのがドイツ統一しそうになると急に2千万だ3千万だと言い出したそうじゃないですか
443名無し三等兵:2009/07/30(木) 01:21:54 ID:???
戦死者の話は他所でやって下さいよ。
444名無し三等兵:2009/07/30(木) 09:26:01 ID:???
>>441
「少な過ぎる」とする根拠は?
仮にも国家機関が実際の出生数や人口動態を元に弾き出した数値より
正確な数値が出せると言うなら、その数値も示した上で試算すればよかろう

>>442
「死者2000万」は別にフルシチョフ時代から言われてたことだしな。
(スターリン時代は”800万”)
「概算」を精査した結果が2660万なんだろ。
で、仮に死者数が水増しだったとして、ソ連なりロシアなりの政府が
統一後のドイツに謝罪や賠償を求めたかね?
445名無し三等兵:2009/07/30(木) 10:06:45 ID:???
きっとマーズ作戦の損害が抜けてたんだよw
446名無し三等兵:2009/07/31(金) 02:34:37 ID:???
マーズ作戦?
447名無し三等兵:2009/07/31(金) 20:52:06 ID:???
マーズアタック
448名無し三等兵:2009/07/31(金) 21:13:30 ID:???
GlantzのZhukov's Greatest Defeat購入した人いる?
449名無し三等兵:2009/07/31(金) 21:52:59 ID:???
wikipeのT-34で
例えばクルスクでのプロホロフカ戦車戦において、1輌のIV号戦車が突破してきたT-34の只中に取り残され、
共にドイツ軍側を向きながら前進、後ろからT-34を順に撃破していったが、前しか見ていないT-34側はこれに
全く気づかなかった。
とあるけど、これのソースは何だろ
450名無し三等兵:2009/08/01(土) 22:03:15 ID:???
ロシアになってから独ソ戦における犠牲者が増加したのは
スターリンや共産党による粛清や虐殺を認めたことが原因で
中国が日本に対するように政治的にドイツを批判しようという意図は無い。
451名無し三等兵:2009/08/01(土) 22:08:48 ID:???
スターリンの失態による緒戦の大損害を認めたんだろう。
452名無し三等兵:2009/08/01(土) 22:41:38 ID:???
独ソ戦の犠牲者の他に粛清による犠牲者がいるからな。
ソ連人民は大変だ。
453名無し三等兵
>>449
4号戦車がT34と並行行進しながら射撃したのとは違うみたいだな。あれ1輌じゃなかったし