1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2008/03/16(日) 14:42:28 ID:???
3 :
名無し三等兵:2008/03/16(日) 15:49:13 ID:???
惨
4 :
名無し三等兵:2008/03/16(日) 17:27:57 ID:???
5 :
名無し三等兵:2008/03/17(月) 06:25:19 ID:vrLcpXkq
ほしゅあげ
6 :
名無し三等兵:2008/03/18(火) 00:11:52 ID:???
乙
俺のじいちゃんだが、愛知に居たとき体当たりで撃墜したB29を見たらしい
日付はわからないようだが、たぶん五月以降の話だそうだ、何かわかる奴いるか?
7 :
名無し三等兵:2008/03/18(火) 07:08:04 ID:???
8 :
uaa:2008/03/18(火) 16:04:28 ID:8HpXzIIW
9 :
名無し三等兵:2008/03/18(火) 22:37:01 ID:???
10 :
名無し三等兵:2008/03/18(火) 23:15:21 ID:D/s+tKfM
おじいちゃんは、日本と南方を潜水艦で終戦まで輸送任務についてたらしい
だれかわかる人いる?
11 :
名無し三等兵:2008/03/19(水) 03:51:57 ID:sY0KXwNI
↑ドン亀野郎?
12 :
名無し三等兵:2008/03/19(水) 12:26:26 ID:???
>>10 『あなたのおじい様の戦争体験を教えて その16』
http://mobile.seisyun.net/cgi/read.cgi/hobby9/hobby9_army_1187337705 144 名前:名無し三等兵 mailto:sage [2007/08/26(日) 22:04:59 ID:???]
>>142 1945年、既に日本に制海権はなく、輸送に従事する小型船舶は輸送特攻隊とさえ言われていた。
1945年2月、北九州若松から大連に向けて航行中の小型船が、深夜、郡山沖で前方海域に浮上航行していた潜水艦を発見した。
どうせ逃げても逃げ切れない。
そこで、船長は機関長と相談し、「体当たり攻撃」をすることにした。
気の早い奴は、敵潜水艦乗組員と殴り合うため、スパナやハンマーを準備した。
潜水艦に「ガツン」と体当たりしたものの、5,6ノットの低速では、
「向こうが凹んだだけ」だった。
しかし、その潜水艦から艦長らしき人物が出て来て、「コラぁ!、なんばしょっとかぁ!!」と怒鳴られた。
その潜水艦は陸軍のマルゆ艇だったのだ。
13 :
名無し三等兵:2008/03/19(水) 22:31:40 ID:nXibXLnc
おじいちゃん、福岡人…
14 :
名無し三等兵:2008/03/20(木) 15:03:27 ID:???
ウチの爺さんはギリ徴兵免れて、学徒動員で川崎重工で飛行機作ってたらしい。
海が近かったから頻繁に機銃掃射受けて、そのたび友人が死んだりしたとか。
防空壕も近くになく、物影に隠れてやり過ごすのが日課だったとか。
食料もほとんど配給がなく、塩かければだいたいのものは食えるとかでナメクジやGで飢えをしのいだとも言ってた。
今は高校球児の聖地の街での話。
15 :
名無し三等兵:2008/03/20(木) 17:38:47 ID:???
>>14 >Gで飢えをしのいだ
Gってもしかしてモビルスーツ・リブキゴの事か?
16 :
名無し三等兵:2008/03/20(木) 18:01:55 ID:???
ゴキブリだろ
17 :
名無し三等兵:2008/03/20(木) 18:31:54 ID:???
ゴルゴだったらどうするんだ!
18 :
名無し三等兵:2008/03/20(木) 20:23:37 ID:???
ゴジラを食べる爺さんオソロシス
19 :
名無し三等兵:2008/03/21(金) 09:22:30 ID:???
>>18 きっとクッキーカッターじじいだったんだよ
20 :
名無し三等兵:2008/03/21(金) 12:28:11 ID:???
上官が宇垣さんだった
21 :
名無し三等兵:2008/03/21(金) 13:26:57 ID:???
ほう 海軍すか
22 :
名無し三等兵:2008/03/21(金) 13:35:12 ID:???
23 :
名無し三等兵:2008/03/24(月) 22:14:09 ID:???
保守
24 :
名無し三等兵:2008/03/25(火) 23:10:12 ID:???
自分の身内じゃないんだけど
お彼岸で墓参りに行ったとき、うちの墓所の近くにあった石碑みたいに立派な墓石を
よく見たら「〜〜義勇〜〜」と戒名が彫ってあったので、これはどこかで戦死した人の
ものかと更によく見たら、墓石の裏に亡くなった方の戦歴が刻んであった。
「○○師団第△歩兵連隊第◎中隊〜〜ハ某月☆日某所ヨリ出帆 同★日某所ニ至ル」
みたいな感じで、磨耗してるうえ旧カナづかいの文章をどうにか読み取ったところ
日清戦争に従軍し、出征してわずか半年あまりで戦死した方らしい。
死後に金鵄勲章と桐葉章(青か白か忘れた)を受け一等卒に昇進とあった。
今でもきれいに整えてあるお墓だったから、ご家族にとって誇らしい方なんだろうと
思ってしんみりしたよ。
戦歴に書いてあった地名の「十三里台」をぐぐって一番目のサイトを見たら
そのカオスっぷりに(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
25 :
名無し三等兵:2008/03/26(水) 01:10:35 ID:???
俺も見てきた
確かにカオスだw
26 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 03:15:18 ID:yaixSQXO
戦争体験とは違うけど、昭和元年生まれのうちの爺の話。
うちの爺は一人っ子なので戦争には行かずにすんだらしい。
終戦時、国鉄で働いていた爺が駅で子供の泣き声を聞き行ってみると
子供が『お母さんが、お母さんが』と泣きじゃくっていたらしい。
嫌な予感がしたらしく、同僚と二人で子供の言う場所に駆けつけると
数人の朝鮮人が母親をレイプしてたんだと。
爺さんは気が弱いんだけど、止めに入って半殺しの目にあったらしい。
その時の後遺症で今でも左耳の聴力が殆ど無い。
27 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 04:27:53 ID:SP5lgNLw
爺さんは731部隊の生き残りで東工大で教授をしていた。
28 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 06:28:34 ID:???
爺さんは日清・日露戦争に従軍し、さらに太平洋戦争にも参加した。
29 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 06:52:38 ID:???
それはない
30 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 09:04:01 ID:???
>>26 一人っ子だってだけで徴兵免除にはならないよ嫌韓wwwww
31 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 10:07:12 ID:???
>>28 親任官クラスの高級将校なら有るだろうが・・・
ウチの爺様は農家の跡取りだったから兵役免除だったな。
家業の農作業の他に三菱の航空機工場に勤めてたとは聞いたが。
むしろ戦前に英語教師やってて戦時中は県庁勤めだった婆様のキャリアが凄い。
32 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 11:49:32 ID:???
>>31 あれじゃない?
大正時代とかのくじ逃れとかじゃないのか?
33 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 13:02:29 ID:???
>>32 明治45年生まれなんで太平洋戦争中だと少々歳がな。
養子に出された爺様の弟は大陸に出征して伍長で復員したけど。
34 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 13:06:36 ID:???
>>33 満州事変前でくじ逃れ世代ですね
ラッキでしょう
35 :
33:2008/03/30(日) 22:22:35 ID:???
言っとくけど俺をあまりナメないほうがいいよ
vipでコテハンやってるしこのスレ潰すくらいの影響力は持ってるから
くだらないことで刺激して後悔しないようにね。
36 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 22:30:17 ID:???
vipでコテハン(笑)
脅すならもう少し遠まわしに言わないと怖くないよww
vip臭くてかきこめなくなっちまえ
37 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 22:33:13 ID:???
38 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 22:51:08 ID:???
古いコピペにマジレスするおまいらに感動した
39 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 22:59:32 ID:???
で、何で
>>35は俺を騙ってるんだ?
さっき爺様の妹によくよく聞いたらやっぱり抽選で外れたそうだ。
40 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 23:07:21 ID:???
>>39 すっごい幸運
でも銃後で大変だったんじゃない?
41 :
名無し三等兵:2008/03/30(日) 23:22:02 ID:???
>>40 奈良の田舎だったから一度畑で艦載機になおざりな機銃掃射された以外は特に空襲にも遭わなかったらしい。
農家なんで食うには困らなかったし、終戦直後には大阪から買い出しに来た人等が着物と交換していったとか。
今でも納屋にその時の古い着物やらが大量に残ってるよ。
42 :
uaa:2008/03/31(月) 03:05:30 ID:CIUWSk14
>>31 東条英機・山本五十六が日露戦争の時少尉だから、有り得ない。
43 :
名無し三等兵:2008/03/31(月) 03:39:43 ID:???
44 :
名無し三等兵:2008/03/31(月) 08:42:38 ID:???
45 :
名無し脱走兵:2008/03/31(月) 13:38:28 ID:OrBb+7xz
爺さんではないけど大叔父さんは太刀洗の飛行場で陸軍の整備兵だった時
に米軍艦載機の地上掃射をうけて仲間が何人も撃たれ内蔵はみだした状態
の犠牲者を回収したり遺族が死体を引き取りに来るまで歩哨させられたり
工具不足から鉄板と鑢でスパナなどの工具を手作りさせられてたらしい
46 :
名無し三等兵:2008/03/31(月) 17:08:08 ID:???
原爆落ちなければじいちゃんと婆ちゃんは出会わなかったので
僕は核については反対しません
核武装賛成!
47 :
名無し三等兵:2008/03/31(月) 17:39:37 ID:???
>>46 なんだ、俺も賛成派だったのに。
そういう事なら断固反対させてもらおう。
48 :
名無し三等兵:2008/03/31(月) 17:42:36 ID:???
49 :
名無し三等兵:2008/03/31(月) 21:04:03 ID:???
僕、は男
ボク、が女
だろ。
50 :
名無し三等兵:2008/03/31(月) 23:57:28 ID:???
朴は?
51 :
uaa:2008/04/01(火) 01:18:49 ID:vNGzLZmQ
52 :
uaa:2008/04/02(水) 02:58:33 ID:pFi9u/Pj
一ヶ月前の話だが、知り合いの女子高生に、年寄りに「3月10日は何の日か知ってる?」って聞かれたら、
「陸軍記念日です。日露戦争の奉天大会戦で日本軍が勝利した日です。」と答えるように教えたんだが、
俺間違ってる?
53 :
名無し三等兵:2008/04/02(水) 03:04:41 ID:???
去年仕事で中国にいったとき、公園歩いてたら「あんたら日本人か?」って
爺さんに呼び止められて「そうだけど?」って答えたら、突然握手されて深く頭を下げられた。
「反日活動の全ては自分の利益しか考えていない政治家と、そいつらに騙されている
一部の民衆がやっていることで、多くの中国人は日本が大好きだから、
テレビだけ見て中国を嫌いにならないでほしい」
みたいなことを言われた。
たまたまその爺さんが親日なだけかと思っていたら、ホテルや食堂で働いている
若いスタッフにも同じようなことを言われた。
向こうの出版社にそのことを話すと、中国のごく一部で行なわれているカルト的な活動が、
まるで中国の常識のように日本で報道されていて悲しいと語った。
(反日運動の話をするとき、「ごく一部の地域」という単語がやたら出てくる)
ネットやニュースを鵜呑みにしてたから、中国なんて行きたくなかったけど、
行ってみなきゃわからないもんだと思った。
信じてもらえないかもしれないけど全部作り話です。
54 :
名無し三等兵:2008/04/02(水) 03:59:22 ID:???
55 :
名無し三等兵:2008/04/02(水) 07:28:01 ID:???
56 :
名無し三等兵:2008/04/02(水) 12:22:55 ID:???
>>53 リアルでネットなんかで反日やってるのは暇ある党の幹部子弟とか富裕層のヒキコモリだけどねw
向こうで才能あるやつは受験や留学のために必死だから
57 :
名無し三等兵:2008/04/02(水) 17:10:06 ID:???
58 :
名無し三等兵:2008/04/02(水) 20:55:55 ID:???
なんせ小皇帝ですからww
59 :
名無し三等兵:2008/04/07(月) 07:09:24 ID:???
うちの103歳の爺さん。
大正10年に軍隊に入ったらしいが25年の軍隊生活で何を経験したんだろう。
入隊した事は日清戦争、日露戦争の経験者がまだいたんだろうな。
60 :
名無し三等兵:2008/04/07(月) 20:20:13 ID:???
>59
生きておられる間に軍歴証明とっけおいたほうがよろし。
大東亜戦争開戦時は油の乗りきった時期か・。
61 :
59:2008/04/07(月) 22:25:05 ID:???
もう10年位は老人ホームにいてますわ。
痴呆とかは無いけど、耳が遠くてねぇ。
それでも毎日新聞読んでるし、体も元気そう。
終戦後は個人で保険関係の仕事をしていたらしい。
軍歴証明って何?
62 :
名無し三等兵:2008/04/07(月) 23:44:14 ID:???
63 :
59:2008/04/08(火) 05:41:25 ID:???
>>62 そんな記録があるんですね。
俺は曾孫になるので、俺は取れないな。
親父に聞いてみますわ。
64 :
名無し三等兵:2008/04/08(火) 13:04:54 ID:???
曾爺様に許可取ってからにしろよ。
見られたくない過去かもしれんからな。
65 :
名無し三等兵:2008/04/09(水) 01:45:15 ID:onDcqR2w
俺の祖父は、愛琿近くの孫呉で砲兵として戦ったよ。
野砲が無かったので、高射砲を水平射撃して抵抗しまくったそうだ。
敵の戦車も恐ろしかったけど、一番恐かったのが黒竜江のロシア艦隊からの
砲撃が恐かったと、生前俺に話してくれた。
結局は、捕虜になってシベリアに連れて行かれるんだが、ここでもかなり恐ろしい目にあったとのこと。
何しろ、あのロシア人だから。
列車に乗せられてシベリア奥地に連れて行かれるんだが、夜な夜な酔っぱらったソ連兵が
貨車から日本人捕虜を引きずり出しておもしろ半分に射殺するからたまらない。
しかも、良く狙われたのが満蒙開拓団の人たち。
軍人は軍刀を持っていることがあるので(祖父の話ではソ連兵2人が斬り殺されたとのこと)、
無抵抗の開拓団の人や非武装の兵をよく殺したとのこと。
66 :
名無し三等兵:2008/04/09(水) 06:46:48 ID:b1Ko8ZOA
家の父親は徴兵逃れるのに正露丸のんだ
67 :
名無し三等兵:2008/04/09(水) 07:53:07 ID:SqAi+nd0
祖父の兄さんは沖縄戦の時に「マルレ」に乗船し、米軍艦船に特攻、まだ18歳の若さで散りました。
同じ部隊だったという生き残りの戦友の方が、戦後になって遺品を届けに訪ねて来てくれたそうで、ワンパク坊主でいつも親に叱られる弟をいつも心配してた事や、出撃の様子、そして、ためらいながらも浜辺へうちあげられた遺体の話をしてくれたそうです。
最後に自分が生き残ってしまった事を遺族に詫び、仏壇に手をあわせてひっそりと帰ったそうです。
68 :
名無し三等兵:2008/04/09(水) 13:56:19 ID:???
>>65 孫呉で砲兵て事は、歩一の師団砲兵かな。
歩一主力はフィリピンで玉砕したんだっけか?
69 :
名無し三等兵:2008/04/09(水) 19:15:44 ID:???
レイテからミンダナオに転身して
70 :
65:2008/04/10(木) 00:10:22 ID:???
71 :
名無し三等兵:2008/04/12(土) 18:11:59 ID:YcwFdmHS
>>59 25年も兵隊行ってたら准尉くらいだろうね
72 :
名無し三等兵:2008/04/12(土) 18:21:34 ID:???
俺のじい様の弟の墓石には
「フィリピンレイテ島に於いて激戦中、壮烈なる戦死 陸軍伍長」とある。
73 :
名無し三等兵:2008/04/12(土) 18:58:41 ID:3oMqwCeH
放漫と堕落の果てに
箱島清吉 (73歳 無職 東京都墨田区)
浅草寺散策のついでに浅草産業貿易センターを訪れた。実は今まで産業貿易センターに行ったことがなく、初めて訪れてみた。浅草産業貿易センターの入り口には男たちが大挙して並んでいた。女の姿はまれで、数えるほどしかいなかった。
行列に押されながらエレベーターに乗り込んだ。5階と7階で何かイベントがあるようで、混雑していた。
私は5階で降りてみることにした。
5階はブラックホールなる武器販売イベントが開かれていた。いかにもの服装をした暑苦しい男たちが武器を見定めていた。
私は、なぜ若者が平和な時代に武器を欲するかという疑問にぶち当たった。
戦後60年、我々が懸命に捨て去ろうとしていたものが目の前にあった。
平和教育をおろそかにした結果、若者は右傾化し、年配者は戦争を忘れ、再び軍国主義の亡霊を呼び起こしている。
彼らが武器を欲しがるのも、平和な時間に飽きてしまったからではないかと考えてしまった。
私は失望を覚えて、再びエレベーターに乗り込み、7階へ移動した。
エレベーターの扉が開いた瞬間、饐えた臭いが漂ってきた。
そして、目の前に広がる小林薫のような男たちの集団。
異臭に辟易しながら、そのイベントを見た。
驚いたことに私の孫のような子供を裸にしたポルノ漫画が売られているのである。
中には動物や少年、幼児同士が絡み合っている本もある。
いつから日本はこんな国になってしまったのだろう。
白昼堂々卒倒するような子供の同性の愛を扱った本を売っている。
しかもそれを山のように買っているのが男だという事実を前に、私はますます失望の念を覚えた。
日本は教育を放棄した結果、武器や幼児性愛者が罷り通る悲惨な国になってしまった。
残念でならない。
74 :
名無し三等兵:2008/04/12(土) 19:50:33 ID:???
>>73 官職と氏名を名乗れ!
なにぃぃっ?きさまっ、上等兵の分際で伍長に逆らうか!
75 :
名無し三等兵:2008/04/12(土) 19:52:25 ID:???
おぢさん・・・
76 :
uaa:2008/04/12(土) 20:17:02 ID:++xdnV61
>>73 >73歳 無職
戦争中はガキだったくせにwww
昭和9年か10年生まれだな。団塊のプロトタイプでサヨが多い。
77 :
名無し三等兵:2008/04/12(土) 23:09:52 ID:???
>>73 まぁ、なんだかんだ言っててもじっくりと堪能されてたことが良くわかる文ではある
78 :
呉の床屋:2008/04/13(日) 05:47:05 ID:lFcdvT6d
うちの親戚なのだが
中国戦線に出征して、相当に奮戦したそうだが
最期は野糞してるところを狙撃にやられたそうだ。
軍跨下ろしてウンコしてる其の侭の姿で戦死してたそうだ
弾は脇の下から入っていたそうで
戦友の話では、「死に顔が笑っていた」そうだ。
くすぐったかったのだろうな
79 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 06:07:56 ID:???
えてしてそういう物だろう。
狙撃する側にしてみれば動かない的を仕留めるのは容易い。
野糞垂れるにも気を抜けない最前線で死んだのだから立派な戦死だ。
80 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 06:14:20 ID:???
その通り!
81 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 07:36:18 ID:???
まさにフン戦
82 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 11:42:36 ID:wM2+wNLq
うちのじい様の兄は、サイパンで戦車兵として戦死したよ
83 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 18:53:00 ID:WQTq8Uso
ブラジルのアマゾンに住んでいたんだが、戦後移住者のじいちゃんばあちゃんの
話を良く聞いた、満州開拓団だった人たち」、南方へ出兵し手投げ弾の破片の跡を
見せてた人、特攻くずれのひと、普段は気丈な人だったけど夕方行って酔っ払って
よく泣いてた今考えるともっと話をまともに聞いていればよかった、あのころは
まだ子供で、戦争のことなんてあまり聞こうとしなかった、皆もうなくなってしまった、
戦争で大変な思いをしてアマゾンくんだりまでいって、大変な思いをし、日本に一度も
帰れなかった人たちが、沢山居る、サンパウロの方では、もう昔の話になるが、終戦の日のころ
戦争経験者旧軍人さんたちが集まったりしていた、靖国神社行ったとき日系人の子供たち
が靖国神社を守ってくださいという本をみて泣けた、お袋かたの爺さんは満州から無事
帰ってきたが、爺さんの弟さんは、特攻で亡くなったそうだ、じいちゃんに何回も会わないで
亡くなってしまったが、戦争の話はあまりしなかった、親父方はもともと海軍軍人で駆逐艦の
機関長だったらしい、戦死ではなく肺病だったと聞く、今思えばブラジルにいたから
よそのじいちゃんたちの話が聞けたと思う、昔の人はえらかったというが最近つくづく
思うようになった、ブラジルにいたため日本の学校はでていないが、下手な日本にいる同年代の人
より生の声聞かせてもらったかもしれない。 お年寄りに優しくしよう。
84 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 19:06:28 ID:5uxahmY2
うちの死んだじいちゃんは、捕虜でシベリアに行ったが、何人かで脱走して中国経由で日本まで帰ってきたよ。
おれのじいちゃんはプリズンブレイクしたのか。どうりで、髪型がマイケルスコフィールドだったわけだ
85 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 20:02:54 ID:???
>>83 > ブラジルのアマゾンに住んでいたんだが
この時点で信憑性がた落ち
86 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 20:07:22 ID:???
戦後移民として南米へ渡った人達もいるけどな。
小野田少尉も向こうに移住してるし。
87 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 21:04:24 ID:jMmBTnIg
母方の祖父の話。
昭和18年、トラックからラバウルへ移動し
彼の地では零戦に乗っていたと自慢してた。2回ほど車輪を折ったらしい。
19年になると補給も途絶え、飛べる飛行機もなく
米国の爆撃機を、ただ見上げて大人しくしていたそうだ。
それでも高射砲やなんやらで、米国機が墜ちる事があった。
墜ちた現場に行ってみると、歩兵がゴンボウ?というので、まだ生きている搭乗員を殺していたそうだ。
その後すぐ、何だかんだあって日本に帰る事が出来て終戦。
部下が一人、深夜に拳銃自殺。
同じ基地にいた特攻隊の連中は荒れに荒れていたそうだ。
俺が聞いたのはそんな話。
88 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 21:07:02 ID:???
89 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 21:10:31 ID:Ht0rUGpU
>>83 ブラジルのアマゾン日本人沢山いるよ、約30数年前に農業移住
は終わったけどね。コショウ、カカオ、商業、他で頑張っている。
アマゾンというより、アマゾン地域かな、パラ州に沢山いる
2世、3世の人も日本語喋るよ。今は逆に日本に移住してるけどね。
90 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 21:15:39 ID:???
> アマゾンというより、アマゾン地域かな、パラ州に沢山いる
ハジメカラソウイッテクレヨ
91 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 21:16:01 ID:???
>>88 まさかジャングルで樹上生活してるとでも思ったのか?
92 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 21:22:35 ID:???
>>91 むしろアマゾンを地名だと思ってる奴かと思った
93 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 21:36:15 ID:???
15〜20年くらい前にテレビで、
「アマゾンの密林の中に『トウキョウ』という村があるらしい!
実際に行ってみた!」
みたいな感じの番組があったな。
そこは廃村みたいな感じの村で日系人のオバサンがひとり映ってた。
話によると日本人移民が作った村で日本を懐かしんで「トウキョウ」という名前を付けたとのこと。
そのオバサンは日本語喋れなかったが、番組の最後では
「さようなら同郷の人」みたいな感じのことを言いながら泣きながらスタッフ全員と握手して
別れを惜しんでた。
ま、かなり昔の番組なんでオイラの記憶もあやふやだし、
所詮はテレビ番組なのでどこまで本当かはわからんが。
94 :
名無し三等兵:2008/04/13(日) 21:43:24 ID:???
「アマゾンの密林の中に
藤岡弘かとおもた
95 :
名無し三等兵:2008/04/14(月) 02:35:01 ID:lQmpFfIZ
96 :
名無し三等兵:2008/04/14(月) 06:58:50 ID:???
97 :
名無し三等兵:2008/04/14(月) 08:50:46 ID:???
南米移民の成功者 と
98 :
名無し三等兵:2008/04/14(月) 14:43:15 ID:???
自分の祖母の、そのまた親類が長崎県五島市に居たそうで、
日本海海戦の時遠くの沖の方でドーンドーンという音が聞こえた
そうです。はい。
99 :
名無し三等兵:2008/04/14(月) 18:35:44 ID:SQCbxG9p
100 :
名無し三等兵:2008/04/14(月) 22:13:38 ID:JsX/CeBn
アマゾンでスレがあるとは思わなかったです、最後にしますけど、昭和天皇が、
亡くなる前、日本では自粛モードでしたよね、ブラジルの日本人社会でもそうでしたよ
少ない娯楽の中から運動会、カラオケ大会、相撲大会、野球はやったかな?他色々。
自粛で中止でした。天皇が亡くなったとき、戦争に行ってたよそのじいちゃんだけど
僕のところ(日本です)に電話してきてブラジルアマゾン日系人代表で記帳に
行ってくれと電話してきた、他数人からもありました。日本にきてから本物の日本人
は海外にいる日本人では?と思うことがあります、スレ違いだからこの辺で
やめます、スイマセンでした。
>>100 何がスレ違いなものかね。
もっと詳しく聞きたい位だ。
>>100 ブラジルの『勝ち組』(「日本は戦争に負けてない。」と主張する一派)
についても聞いてみたいものだ。
103 :
名無し三等兵:2008/04/15(火) 22:31:33 ID:N8HNsfHe
>>101さん
有難うございます、うれしかったです。
>>102さん 勝ち組 負け組みは戦後10年20年は普通にあり、戦後30年
位からは流石に無くなり、ほぼイベントみたいな感じになっていたようです。
戦後すぐは勝ち組の人と負け組みの人とまじめに喧嘩してたというからすごいですね。
ブラジルも大戦のときはいちおう連合国の一員ということで日本人はあるていどの差別
はあったそうです。ただ当時のブラジルでは地方に行けば戦争のことも知らないぐらいだった
ようで、アメリカの日系人達とは違ったようです。
さすがにアマゾン移住地の方は戦後移住者が多いということもあって無かったようです。
ただいまだにそのときの言葉が残っていて日本への出稼ぎが始まったころ、
早い時期に日本へ来た人は負け組みなどと呼ばれていました、いまでは誰でも来てるから
そんな呼び方消滅しましたけどね、あと知らない人もいると思うのですが、
ブラジルにも原爆被爆者が、なにも保障もなしにいるということをわかってほしいです。
そう思うと戦争はまだ終わってない気がします。それから日本ではもうほとんど
無いと思うのですが、昭和天皇の古い肖像画が飾ってある家が、昔は何件もありましたよ。
俺の爺さん孤高のガンダムマスターなんだけど話聞きたい?
俺の爺さん喫茶店のマスターなんだけど話聞きたい?
>>106 是非聞かせてもらいたいな。
「戦争体験」を。
108 :
名無し三等兵:2008/04/16(水) 19:15:58 ID:phpvkdaB
うちのじいさん戦争のときなんか山口にいたらしいが,
そのとき原爆が光ってるの見たらしいよ
うちのじいちゃんは8/5の夜に広島から小倉に移動して、
8/9には小倉で空襲警報聞いたそうだ
うちの父方のひいじいさんの話。
ひいじいさんは長崎の人で、軍からの命令で横須賀へ行くことになった。
だが、いざ横須賀についてみれば基地の場所が分からない。
そこで、近くの住民に道を聞いたのだが、住民は、
「そこの道を曲がってさー、で、そこを左に曲がってさー」と、
語尾に「さー」をつけて喋っていて、ひいじいさんは
「貴様、さっきから『さー、さー』と、私を馬鹿にしているのか!」
と激怒、殴り合いの喧嘩になったそうです。
112 :
102:2008/04/16(水) 22:30:57 ID:???
>>103 うわぉ、詳しいお話をありがとう。
勉強になりました。
>>110 8/9に小倉で空襲警報聞いたって事は、午前中なら原爆投下態勢に入っていたボックスカーか。
結局立て続けに失敗して長崎に目標変更したんだが。
上げ
なんだそれw
すまん誤爆した
民間資産の損害は軽微
昔、爺さんの通っていた埼玉県のU高校の目の前にあった文房具屋の息子さんが
2.26事件の兵卒として参加してたそうだ
もう文房具屋もなくなり爺さんも他界したから、これ以上の話は聞けないなあ
120 :
uaa:2008/04/18(金) 04:16:34 ID:Q/NOhB1R
>>107 二等兵から手柄を立て続けて大尉にまで出世。
大の字勲章・日の字勲章・本の字勲章を受章。
121 :
名無し三等兵:2008/04/18(金) 06:32:56 ID:Fq3QWXmG
>>120 のらくろの最後はたしか喫茶店のねーちゃんと一緒になるんだっけ?(テリア犬がモデル色は白だったかな?)
122 :
121:2008/04/18(金) 06:43:40 ID:Fq3QWXmG
戦争の話し一つ南京攻略の後、家のじい様は徐州に向かったが道路はぐちゃぐちゃで軍歌に唄われるぐらい酷かったらしい隊も予定日を大幅に遅れて配置に着いた。新しい隊長が来る前に徐州戦は終わった。
123 :
121:2008/04/18(金) 06:52:38 ID:Fq3QWXmG
その後今で言う治安活動を行い広島に戻ってじい様の日中戦参加の話しは終わりだ。中々詳しく聞けなかったのは前隊長が責任を取って自殺したからだと思う。また前哨戦でなくそれ以前の戦闘で敵が敗走したのですぐ終わると楽天的に見ていたといってた。
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
125 :
名無し三等兵:2008/04/18(金) 12:26:06 ID:15zjqpZ5
うちのじいさんは、確か満州に行ってたらしくて線路脇に赤ちゃんの死体が置いてあって
それを野犬が食い荒らしていて物凄く臭かったとか言ってた。
あと当時の白黒写真を見せてもらって腰に刀差してた。
もう一人のじいさんは、戦場には行かずに弾薬作っていたらしい。
ばあさんは、兵隊用?だったと思うけど靴作っていたとか言ってた
126 :
名無し三等兵:2008/04/18(金) 15:35:02 ID:/gFbjJ6/
先月亡くなった祖父から聞かされた内容を少しお話致します(;^〜^))
私の祖父はなぜか
終戦まで本土の勤務でした。
祖父は戦前に貿易の仕事をしていたので、少しの英語が話せたらしく、福岡の捕虜収容所で米軍や英軍捕虜の衛生管理担当の下士官をしておりました。
その収容所で米軍のパイロットでジェームズとか言う捕虜から「なぜ日本人と言う生き物は降伏しようとせず最後の一兵まで戦おうとするんだ」と質問されたそうです
祖父は、片言の英語でその捕虜に「ヨーロッパ人が騎士道を持っているように日本人には武士道と言う物があり武士とは最後まで決して敵に背を向けてはならない」と話しました。
ジェームズは、そこで自分が日本人に対して思っていた「ただの黄色い猿」と言うイメージが変わったと祖父に話しました。
その後も終戦までジェームズと交流のあった祖父は日本が降伏し帰国する際にジェームズから記念として腕時計を貰いました。
それから祖父が亡くなるまで二人は何の連絡もなかったですが、
押し入れの遺品を整理していたら、バンドがちぎれて動かなくなっていましたが大切に保管されていたその当時の腕時計と祖父の軍服姿の写真がありました。
もうかなり前に死んだけど、うちの父方のじっちゃんの話。
満州だかで機関銃陣地に突撃。自分の小隊は、一番に飛び出して次の塹壕に飛びこんだけど、
一寸出遅れた隊は狙い撃ちされてばたばた死んで行ったそうな。
結局、朝まで撃たれまくって釘付けにされ援軍が着たらにげられた。
その後、満州から戻って新潟の飛行場の警備中に爆撃くらって尻に破片喰らって入院。
入院中に終戦になったそうな。
128 :
名無し三等兵:2008/04/18(金) 18:03:31 ID:9k9Ua00O
第2師団の軍医だった。
ガ島で地獄。
脱出するも乗船した駆逐艦あぼんでさらに地獄。
ビルマで英軍に包囲され地獄。
野戦病院で一生懸命怪我人病人治して退院させた途端直ぐ前線→より重症または戦死。
無限地獄。
129 :
sage:2008/04/18(金) 18:08:45 ID:uAw+O3BG
じいさんの話
戦争中に近所にアメリカの飛行機が落ちて見に行ったところ
パイロットは若いあんちゃんで半ズボンだったそうだ。
飛行機は濃い緑色だったそうで本人は「グラマンだった」って言ってるが
グラマンで緑なんかあったかしら?
それより何より操縦席に金髪ヌード写真がはってあって
「上も下もおんなじ毛だった!」とニコニコ話てた。
広島県北部、島根との県境付近の山奥に祖母の家があるのだが、
直線距離で40〜50km先の原爆のきのこ雲が見えたそうだ。
驚いたのはやけどを負った被爆者が逃げてきたこと。歩きで。
ちょうどそのとき、祖父の叔父が広島市内に出かけていて行方不明。
知り合い米を届けに行っていたそうだ。100kg以上を自転車で。
昔の人の底力に驚嘆。
ウチの死んだ婆様、戦中は県庁に勤めてたが、毎日4時に起きて
片道25kmを徒歩で通勤してたとか言ってたからなぁ。
ホラ話かと思ったが、んな事言う必要もないし、
80歳過ぎても2km先迄歩いて買い物に行ってたから強ちホラとも…
本当だと思いますよ。
中国人留学生が「山二つ超えるくらい当たり前」と言っていたのを思い出しました。
ちなみに、132の時、祖父はフィリピンに居たそうです。
体が弱いせいか、大工の手伝いなどして器用だったせいか
戦闘部隊ではなく、航空機の整備を手伝っていたようです。
食料が無くて、現地人のバナナ畑に盗みにいったのはいいが
捕まって、物置みたいなところに閉じ込められて酷いめにあったそうです。
その上マラリアに罹って、ますます体が弱くなり、無事引き上げたものの25年ほど前に他界しました。
家は何度も改築されましたが、祖父が付けた引き戸はちょっと歪んだまま残っています。
135 :
uaa:2008/04/18(金) 22:43:04 ID:5cGwAG/9
戦跡巡りすると昔の人のすごさがわかる。
「鎧着てあんな距離走れねーよ」って毎回思う。
そうだねすごいおじいさんだね。
どこでもドアとか開発されたら良くあんな電車とか車とか使ってたなとなるだろうな
138 :
名無し三等兵:2008/04/19(土) 12:25:49 ID:vIbLQRq0
祖父は父島に駐留してたみたいだけど、たまにグラマンが飛来するので対空機関砲で応戦、黒煙噴いて墜ちてゆく敵機を見ると万歳して喜んだとか言ってたなぁ。
>>138 父島なら硫黄島のP51とかも飛んでそうなものだが、どうだったの?
うちの爺さんは、最初はラバウル島の飛行場設営隊だったけど、
漁師だった経験を生かして朝から晩まで魚釣りをして食料を確保していたらしい
その時の上官も何名か漁師出身者を魚釣り専用の部隊として編成したとか......
143 :
名無し三等兵:2008/04/19(土) 21:24:41 ID:E2fCugLB
うちの母方のじいさんは
種子島に配属されていたそうだ。
昔、家の屋根裏に鉄兜、38式の銃剣、弾丸5発が
置いてあったので聞いたら、終戦のどさくさで
もちだしてきたとか。(記念品として)
なお終戦が1日遅かったら、種子島も艦砲射撃されて
いたそうな。
144 :
uaa:2008/04/20(日) 02:38:20 ID:/4AwH/7N
>>138 パパブッシュが墜ちたのも父島沖だったよね。
Jr.がベトナムに墜ちて食われてたら、
マケインが早期に大統領になっていれば、
世界は平和になっていただろうか・・・
146 :
名無し三等兵:2008/04/20(日) 05:05:45 ID:JWO8HQRa
17歳で終戦です
147 :
名無し三等兵:2008/04/20(日) 08:15:24 ID:WF/m+Gxj
うちの家系は戦争体験ないんだよな〜。
北海道で蒸気機関車の機関士してたが昭和19、20年辺りになると保守用の部品や潤滑油の確保にも困るようになったそうで、重油タンク搭載型もタンクが空のままで運転しなければならなかったってさ。
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
俺の爺ちゃんは陸軍で満州方面に行ったそうだ
馬の横でいっしょに歩いて軽機関銃の弾運び
戦局が不利になると「南方方面へ転戦」という命令が来たそうだが
運ぶ輸送船がことごとく沈められて待てど暮らせどやってこない
で、そのまま終戦
終戦後は抑留されたらしいがそのことは話したがらない
部隊の備品などをなくした時は往復びんた&ベルトで背中を引っ叩かれた
部隊への入隊金は3円20銭
最終時の階級は上等兵だったそうな
150 :
uaa:2008/04/20(日) 19:37:29 ID:d/fRvwJv
>>145 だったら、パパブッシュが父島で食われてもよかったじゃん。
151 :
名無し三等兵:2008/04/21(月) 21:48:44 ID:KNkUWAlC
父島、母島仕事で行ったが、艦砲射撃受けなかったから、いまだに
トーチカの跡がそのまんま残ってる、母島の旧日本軍が掘った洞窟は
ほぼ潜りました。地元の人は絶対潜らないから変人扱いされてました。
でも途中から亡くなった人はそんなにいないという話だったが、ご苦労様でした。
とタバコとワンカップ持って入ってたな〜自衛隊が、封鎖してる所もあったけどね。
山側の小さな穴があって風が、出てきている所があって、腹ばいになって
潜っていって(蛇がいないため出来る)途中で発狂しそうになったけど
海側に出て砲が置いてあった場所に出たときは(崖をくりぬいた場所)
思わず敬礼した。もう茂っていて海からは見えないけどね。一緒に
仕事に行ってたやつは、日本兵の霊が〜と言って途中で、仕事やめて帰ってしまった。
そのまんま会社も辞めてしまった。よほどいやだったんだろうな。
152 :
名無し三等兵:2008/04/21(月) 23:34:50 ID:b+lXFdAx
うちは義理の祖父が戦争行ったらしいけど、
明治40年前後の生まれで、昭和19年と書いてある千人針と
忠烈とか滅私奉公とか書いてある扇子くらいしか家には残ってないや、
納屋か蔵探せばもしかしたら何かあるのかもしれんが。
私が小さい頃亡くなったから陸軍だった事以外詳細はさっぱり
昭和19年とかだと40前後のはずなんだか、何をしていたんだろう…
水木しげるのラバウル戦記でも読んどこ
祖父(母方)は海軍の中尉さんで大学を卒業してから軍人になったそうだ。
といっても前線に出ていたわけじゃなく、呉の工場で航空機の製造に携わっていたらしい。
母曰く、昔実家の蔵の中に航空機のプロペラがあったそうだ。残念ながら家を改築した際に処分されてしまったようだが。
ほとんど話したこともないから、これぐらいしか知らないが、厳格で読書とカメラとカレーが好きだったのは憶えている。
幼少の頃、俺が木製の剣のおもちゃで遊んでいると、祖父がやってきて綺麗な短剣を見せてくれた。
そしてそれが海軍のもので大切な物だと教えてくれた。当時俺は海軍というのは船に乗って戦う人という認識しか
もっていなかったので、中世の海賊みたいなのを想像していた。
俺が「これで船に乗り込んできた敵を倒すの?」と訊くと祖父は「ああ、そうだよ」と少し笑いながら言っていたのを
今でも鮮明に憶えている。危ないからと触らせてはもらえなかった。
俺の兄弟は、軍刀を見せてもらったことがあるそうで、どこまで本当か知らないが、室町時代から伝わる家宝?だそうだ。
よくわからんが、一度お目にかかりたいものだ。
その祖父が数年前に亡くなった。御通夜の際、祖母が「主人が海軍の軍人さんであったこと誇りに思っております!」と
毅然とした態度で言い放ったときは、何か胸の中で込み上げてくるものがあった。時代は変わったね。
こんなもんだろうか。軍人時代の話はほとんど知らないので、今度祖母に会ったら聞いておく。もちろんここに書きにくる。
父方の祖父も軍人(こちらは陸軍)だったようで、何やら奇跡的な体験を母に話しているのをチラッと耳にしたことがある。
これも機会があれば聞いてみるね。あと、母は介護施設で働いてるようなので、他にも何か聞けるかも。
>>153おお、短剣ってのは銃剣なのかな?
さらに軍刀まで残っていたとはうらやましい。
友人のじい様の話だが、近衛兵をしていたそうで、
成績もずば抜けて良かったらしい。
本来喜ぶべきことなのだが、彼にとってはそうでなかったらしく、
いつも「近衛だったから外国へ行ってアメ公を殺せなかった」といって
近衛兵になったことを悔やんでいたそうな
筋金入りだな。近衛ってことに尊敬してしまう。
おれの祖父は陸士出(歩兵科)の満州帰り。
現地で子供を全員亡くしたそうだ(父経由で聞いた話)。
満州の事をいろいろ本で知ってからは、
恐くて何も聞けないよ。へたれですまん。
>>154 銃剣ではなく士官用の海軍短剣では?
陸軍の軍刀よりも多分に儀礼用の意味合いが強いけど。
恩賜の短剣か?
158 :
uaa:2008/04/24(木) 04:22:29 ID:33Sh+MAc
以前読んだ何かの戦記物に、ルソンで航空隊が解散した際に(富永が逃げた直後)、
操縦士が陸戦しなきゃならないならってんで主計将校が自分の軍刀を
航空隊の短剣と替えてもらった話があったな。
母親の叔母にあたる人は戦前戦中従軍看護婦だったそうだ。
それで、朝鮮人や中国系(満州人?)の部下を持つこともあったらしいけど、日本人とは色々違ったと母親は聞いていたらしい。
実際に戦地に行ったのかどうかは知らない。
あと、母親の実家のあたりはかなり田舎で、とくに爆撃されるような物はなかったんだけど、勘違いだか何かで田んぼに一発だけ爆弾が落ちたらしい。
もっとも、被害は殆どなかったとか。
他には、母親の実家は典型的な貧乏名主の家系で、歴史だけはあったから、戦中は辺りの取り纏め的な役に就いていたらしい。
で、日本刀や囲炉裏の上にかける鍵とか供出しちゃって、「少しは残しとけばいいのに」と母親がぼやいてるの聞いた。
なんか纏まり無い上に長くて申し訳ない。
父方の祖母が満州帰りで細々としたエピソードなら幾つかあるけど、書いた方がいい?
俺の田舎では、村の墓所になぜだか爆弾が落ちて、土葬した遺体やら骨やらが、掘り返されてしまったって言ってたなぁ。
爆撃からの帰投中に爆弾倉で残ってしまったのを投棄したんだろうな。
>>163 俺、埼玉の浦和なんだけどウチの近くに焼夷弾が落ちた、と爺さんが言ってた(昭和二十年五月)
おそらくそれも投棄したやつだったんだろうな
落下傘で降下した米兵が捕まったらしいがその人の消息は知らない
上司が部下にそんなこと言ったらドン引きされそうだな
>161
そりゃ、うちの婆さまだ。
爺ちゃんが中国に出征中に火縄銃やら足軽槍やら供出してもうて・・。
残ったのは槍一筋だけ。
俺の翁ではなく隣の家の翁の話だわさ。
開戦から中国戦線でずっと自動車整備中隊とか言う軍用車やトラックを修理する部隊にいたらしい。
隣の翁曰く、中国軍から鹵獲したサイドカーやバイクやトラックから戦車まで、ありとあらゆる車輛を修理してきたけど、やはり日本軍の陸王とか言うバイクが一番かっこいいらしい。
>>169 陸王は日本版ハーレーですね
私の祖父が支那事変の折乗っていたと聞いてます
171 :
名無し三等兵:2008/04/25(金) 02:19:32 ID:nfT6IyIG
>>169 サイドカーって
機関銃をつけると似合うよね
172 :
名無し三等兵:2008/04/25(金) 07:07:20 ID:TKv6mp8i
>>171 THEコクピットの鉄の竜騎兵を激しく思い出す
ゴールから弾は飛んでこない
飛行場へ…皆の所へ戻らないといけないんです!
ここはゼバランカ....
レイテの古戦場......今日もその側車は赤い鉄の涙を流すだろう
(ザ・コクピット第3話)
そういえば、俺の爺さんもバイクを使った部隊にいたとか言ってたな。 もう亡くなったけどね。
死ななくてもよかった男達が何故死んだのかと
赤い錆びの涙を流しているのだ・・・
>>178 漫画版の『鉄の竜騎兵』は大大大大大大大好きだが、
OVA版はその要らんセリフが入っちゃってちょっと「?」だよな
御大も歳を取った、ってコトか
て優香、ココ何のスレだよw
いやぁ、我々の爺様達にもそんなドラマがあったらいいなぁ、と。
うちのじっちゃんのお兄さんは、桜花搭乗員だったそうで…
おーほうか、ほうか、古代くん。
散り行く桜は二度と元へ戻ることはない
そうだ、それは決してないのだ
184 :
名無し三等兵:2008/04/26(土) 21:21:53 ID:GYmrECoY
我が家の場合(略歴)
S9 呉海兵団入団
S10 伊22,70潜水艦乗務
S13 佐伯空附転任
S14 伊69潜水艦乗務
S15 第六艦隊司令部附,練習巡洋艦香取乗艦
S18 巡洋艦青葉乗艦
S19 レイテにて乗艦雷撃大破,呉に帰投
S20 1021空(横濱)附拝命
1022空(博多)附拝命
→終戦
186 :
名無し三等兵:2008/04/27(日) 01:37:25 ID:a2qr6B54
>>185 でも、兵科は通信(電信員)ですから
元々航空隊志願でしたが視力検査で断念したとの事。
そのおかげで命拾いしたと祖母は申しておりました。
187 :
名無し三等兵:2008/04/27(日) 06:12:18 ID:AhF3F1Fk
うちのじいちゃんは樺太→満州にいたらしい。階級は2等兵でした。
188 :
名無し三等兵:2008/04/27(日) 10:50:29 ID:bwQRdQQM
満洲に将校として行ってます兵站関係なのに下級将校の大量消耗で小隊長として匪賊狩りに
下士官に狙撃されるからとの理由で兵隊と変わらない格好させられたそうです。1年半やらされ7人の損害で300人やったそうです
やり方は匪賊が来る時は数日前に偵察に来る。すると部落に配置した日本軍の密偵が知らせに来る。村人の移送をして小隊員が家屋に潜み何日か待つ。
来たら撃つの繰り返しです。そのため兵舎内はシナ兵の機関銃武器がごろごろしていたそうです。
機関銃のない小隊なのに9丁も機関銃があったといいます。
シナってBAR使ってたんですか?部下の人に写真見せたらこれだと言ってました。
BARどころかドイツ製兵器も使っとる。
190 :
名無し三等兵:2008/04/27(日) 11:07:36 ID:bwQRdQQM
小銃は知ってる。ZB26も......そうなんだ
BARならフィリピンのゲリラも使ってた。
どっちもアメが援助したからだが。
192 :
名無し三等兵:2008/04/27(日) 21:50:00 ID:7NS0zBBT
>>189 ドイツ政府が国民党に供与した時代を髣髴させる。
巧妙なルートで国民党から匪賊に武器が流れたのかな。
匪賊と戦った日本軍の人々は討匪行を歌いながら
満蒙の治安維持任務に命を賭けたんだろうなあ。
元満州特務機関の将校をされていた人の前で討匪行
の短縮バージョンを歌ったら少しニッコリして頂けた
事がある。
193 :
名無し三等兵:2008/04/27(日) 23:33:08 ID:bwQRdQQM
>>192すごくうらやましい経験ですね。うちのおじいさんも俺の誇りですから
同じ事してあげたかった。自分だけシベリア送りにならなかったことを悔むような人でした。
194 :
uaa:2008/04/28(月) 15:59:52 ID:qzbrp7xE
>>192 巧妙も何も、中国兵なら小遣い稼ぎに武器の横流しとか、兵隊が武器持ったまま脱走して匪賊に転職なんて普通でしょwww
>192
巧妙も何も東アジア大陸ではデフォルト(横領、横流し、ちょろまかし、人事権を乱用して血族で固める、目を離すと人員を業務内容と関係なく入れ替える)
196 :
195:2008/04/28(月) 19:19:40 ID:???
>195
途中で送ってしまった
別に昔だけじゃなく、今(2000年)の時代でもある
上海、広州に出張した日本人はほとんど同じこと(横領がひどい)を報告する
197 :
名無し三等兵:2008/04/28(月) 19:40:04 ID:fDAkSmi+
歩兵第二十九連隊
第百二十九連隊→北方防衛で千島へ→シベリア抑留
一度も敵国人を悪く言わなかった祖父を尊敬してます
亡き祖父の部隊を調べてて疑問が・・・
第百二十九連隊をググると第百二十九旅団がでます
当たり前だけど「旅団」と「連隊」は違うものですよね?
第百二十九旅団は独立混成部隊ですし。
しかしどちらも同時期、同ルートで得撫島配備。
129連隊=129旅団ってことなのでしょうか?
質問スレ違いごめんなさい。
わかる方いらっしゃったらうれしいです。
>>197 昭和16年9月 歩兵第129・第130・第158聯隊を編成(第62独立歩兵団所属)
昭和18年5月 留守第2師団と第62独立歩兵団を基幹として第42師団を編成
昭和19年2月 第42師団の臨時動員と千島派遣発令
昭和19年3〜4月 中千島に上陸(歩129聯隊:新知島、歩130聯隊:得撫島、歩158聯隊:松輪島)
昭和19年4月 島嶼作戦に応じるよう第42師団の編制を改正(砲兵聯隊等を解体し歩兵聯隊の編成に編入)
昭和19年10月 得撫島の防備強化のため配備変更(歩兵第129聯隊は第1大隊を新知島に残置して主力は得撫島に転進)
昭和20年5月 北海道の防備強化のため第42師団主力は北海道に転進を開始(北海道上陸後に編成改正)
昭和20年7月 第42師団の得撫島残置部隊をもって独立混成第129旅団を、松輪島残置部隊をもって独立混成第第41聯隊を編成
第42師団得撫島残置部隊
:歩兵第129聯隊と歩兵第130聯隊の各1個大隊半、砲兵3個中隊
第42師団松輪島残置部隊
:歩兵第158聯隊の本部と2個大隊、砲兵2個中隊
独立混成第129旅団
:旅団司令部、独立歩兵第807〜809大隊、旅団作業隊、旅団速射砲隊、旅団砲兵隊、旅団通信隊、旅団兵器勤務隊
独立混成第第41聯隊
:聯隊本部、歩兵大隊2個、砲兵大隊、作業隊、衛生隊
199 :
名無し三等兵:2008/04/28(月) 23:29:01 ID:sV9zqtYu
オレのおじいちゃんはゼロ戦特攻隊の一番隊長だった
B29とかとも戦ったことあるんだって言ってたよ ちっちゃい頃聞いた
>>199 そりゃ嘘だね
ゼロ戦がなんでB-29迎撃するんだ。
201 :
名無し三等兵:2008/04/29(火) 01:00:43 ID:dfv/z4Xo
嘘かどうかもう聞けないけど
でもB29に狙われてた女の人を特攻で助けてあげた
その女の人がおばあちゃんなんだって
かっこいいよね
|
∩___∩ |
| ノ _, ,_ ヽ (( | プラプラ
/ ● ● | (=)
| ( _●_) ミ _ (⌒) J ))
彡、 |∪| ノ
⊂⌒ヽ / ヽノ ヽ /⌒つ
\ ヽ / ヽ /
\_,,ノ |、_ノ
死んだ朝鮮人は良い朝鮮人。
>>200 B-29が魚雷10本積んで輸送船に対して雷撃を敢行
↓
特攻に出向く際中のじいさんが発見、邀撃へ
↓
B-29が応戦
↓
激戦の末B-29は逃げ出す
↓
じいさんは特攻へ。ばあさんは山に芝刈りに。
↓
じいさんが硫黄島沖に辿り着くと、黒潮に乗って桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてくる。
>>200 高々度に弱い零戦でも、
やらない訳にはいかないので、B-29の迎撃をやってます
実際に撃墜の例もあります
(ただし、入念に整備/調整された機体だったけど
206 :
名無し三等兵:2008/04/29(火) 09:08:17 ID:WTWL20mg
>204
山へしばかれに行くのは古来じいさんの仕事だ
207 :
198:2008/04/29(火) 10:42:31 ID:???
>>198は戦史叢書「北東方面陸軍作戦<2>千島・樺太・北海道の防衛」の記述。
「旭川第七師団」示村貞夫(総北海出版部)によれば、独立混成第129旅団の編成要領は次のとおり。
独立混成第129旅団司令部は、第42師団司令部の一部と第57歩兵団司令部を基幹に編成
独立歩兵第807大隊は、歩兵第129聯隊第3大隊を基幹に編成
独立歩兵第808大隊は、歩兵第130聯隊第3大隊を基幹に編成
独立歩兵第809大隊は、歩兵第129聯隊第第1大隊3中隊・第4中隊と歩兵第130聯隊第2大隊第5中隊・第8中隊を基幹に編成
旅団作業隊は、歩兵第129聯隊作業隊と歩兵第130聯隊作業隊を基幹に編成
旅団速射砲隊は、独立速射砲第14中隊を基幹に編成
旅団砲兵隊は、歩兵第129聯隊砲兵大隊と歩兵第130聯隊砲兵大隊の各一部を基幹に編成(野砲3個中隊と10糎加農砲1個中隊)
旅団通信隊は、第42師団通信隊の一部、歩兵第129聯隊通信隊、歩兵第130聯隊通信隊を基幹に編成
旅団兵器勤務隊は、歩兵第129聯隊からの差出し人員をもって編成
旅団野戦病院は、第42師団第2野戦病院と第42師団防疫給水部の一部を基幹に編成
※第57歩兵団司令部は、昭和19年月に北千島防衛のため第11派遣隊(のち千島第1集団と改称)の司令部として満州の第57師団から派遣されたもの
※作業隊とは、歩兵の装備を持った工兵(言い換えれば工兵の能力がある歩兵)のことで、単なる労務者部隊ではない
なお、昭和20年8月2日付けで独立混成第129旅団と独立混成第41聯隊主力(聯隊本部と歩兵1個大隊)の北海道転進が発令されたが、実現しないまま終戦となった。
また、昭和20年5月から開始された第42師団主力の北海道転進も、船舶の不足などのため終戦までに完了しなかった模様。
208 :
名無し三等兵:2008/04/29(火) 11:05:21 ID:Q1166i64
じーさんはギリ戦争行ってないけど、ひいじーさんは日中戦争で青島で死んだとか・・・。
一般に自動車が普及してなかった当時タクシー会社をやってたから、当然輸送任務をやっていたそうです
209 :
名無し三等兵:2008/04/29(火) 11:24:49 ID:fbCsWFJ7
北海道の部隊って何気に激戦地に送られてるような気がしないでもない
うちの爺さんもノモンハンで負傷してなければ樺太行きになったんだろうし
ひいじいさんは確かガナルカナルに行って戦死したらしい。
じいさんはギリギリ徴兵される年齢じゃなかったから戦争に行かなかったが、広島で被爆した。
そのときのエピソード
知り合いの兵隊さんに手紙を出してきてほしいと言われ、ひいばあちゃんと郵便局へ行った。
郵便局に入ってすぐにドーンという音がして郵便局が崩壊した。
運よく入り口に居たため瓦礫の下敷きにならず、気絶したひいばあちゃんを助けて逃げたらしい。
だから俺は被爆3世。
211 :
名無し三等兵:2008/04/29(火) 16:20:10 ID:3USAQBYM
何で軍版って喧嘩になるんだろう?もうちょっと温厚になれないかな?
まず忠告ダメなら警告それでもダメなら怒りそれでもダメなら無視。これが常識人の対応です。
スレが荒れる。仲良くしよう。
B29に攻撃されてたばあさんを特攻で助けたのがじいさん、なんてのは、
「外人にしつこく迫られてた女の子に何済んだやめろ、と割って入って助けた」
ってのを照れ隠しで特攻話にしてたりする味のある人たちも居るからな。
全身銀色に輝く外国人に迫られた女性を全身緑色に塗った日本人男性が助けただと!?
ところで、特攻て事は爆装した零戦でB29に体当たりしたんだよな?
成る程、爺さんは人外か。
>>213 全身の色の話はお前が付け加えただけじゃん。
そんな色つけないとゼロ戦とB29を日本人と外人の男性の
置き換えと想像できないのかよ。
>>213 全身銀色に輝く外国人に迫られた女性を全身緑色に塗った日本人男性が助けただと!?
ウルトラマン対仮面ライダーか
全裸で下半身丸出しで女性に迫っていたアメリカ人を見かねて
股間の爆弾だけを武器にアメ工の尻に突撃一番したんだろ。
>>213 >特攻て事は爆装した零戦でB29に体当たりしたんだよな?
【面白いかどうか審議中】
∧,,∧ ∧,,∧
∧ (´・ω・) (・ω・`) ∧∧
( ´・ω) U) ( つと ノ(ω・` )
| U ( ´・) (・` ) と ノ
u-u (l ) ( ノu-u
`u-u'. `u-u'
んでB29が狙い撃ちって、低空で機銃掃射か。
初期の工業施設だけ狙うやつか
曽祖父だけど、2個師団ほど全滅させた。
オヤジの話しでは「無理な命令だとおもったけど
体面があったので強行させた」と言ってたらしい。
終戦まで台湾の小学校教師を勤めていた祖父は、市街地上空で、日本軍機と米軍機の空中戦が繰り広げられたのを見たと言っていました。
あと、台湾を去る時、教え子やら卒業生、父母の皆さんが、泣きながら見送りに来てくれたのが忘れられないそうです。
223 :
名無し三等兵:2008/04/30(水) 09:47:36 ID:DfLENY56
>>198 >>207 ありがとうございます!
祖父は得撫で終戦を迎えシベリアに・・・と聞いてたのですが調べると、
同じ連隊で終戦を迎えた場所が違う等わからない事が多く混乱してました。
198さんの詳細なご説明で納得しました。
祖父は第2師団第29連隊で重機関銃隊(昭和15年時点で軍曹or曹長、以降不明)だったようで、
得撫で終戦を迎えたという事は・・・おそらく独立歩兵第807もしくは第809隊にいたのかも・・・。
198さんのお陰で今まで見ても全くわからなかった守配備要図や行動概要図・書籍等、少し理解できるようになりました。
新たに祖父の辿った道を想う事ができ、すごく嬉しいです。本当にありがとうございました。
224 :
名無し三等兵:2008/04/30(水) 11:00:42 ID:ankQQqKJ
戦艦長門よ、先日死んだじーちゃんに代わって一言礼を言いたい。
じーちゃん言ってたよ。
長門は最強の戦艦でありワシの第二の家でもあったって。
長門に乗ってなかったら、とっくの昔に遺影と遺髪だけになって仏壇に飾られとったろうなと。
ビキニ環礁で水爆で沈んた時も、じーちゃん東の空に手を合わせてボロボロに泣いてたそうだ。
戦艦長門、ありがとうなウチのじーちゃん連れ帰ってくれて。
そうじゃなきゃ俺はこの世に生まれてなかった。
ありがとう。
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
いいじゃないか
ゼロ戦でB29に特攻して娘を奪還する爺さんがいても
孤高のガンダムマスターの爺さんがいても
戦艦の厨房や山奥でいつの間にか戦闘始めてる合気道の達者な爺さんは?
あぁ その爺さんならアラスカで会ったことがあるな
その爺さん、ウチの近所で道場開いてたぞ・・・・
230 :
名無し三等兵:2008/04/30(水) 23:32:32 ID:EpuZGb0y
興味が湧いて親父に聞いた所、父方の祖父は陸軍の機関銃部隊にいたらしい。大陸にいたと言っていたが、写真を見たら背後にヤシの木みたいなのが生えていて半袖着てた。他の写真で階級章が見えたので調べてみたら准尉(特務曹長)?らしい。
太平洋戦争時は内地で教官してたって。
秋田県の炭坑の町出身だけど所属部隊とかどうやったら調べられるかな?
>>230 町役場とかに聞いてみるとか
郷土資料館を訪ねてみるとか
ググってみるとか
>>230 ※チラシの裏
『・・・祖父の事をあれこれ調べているうちに、「軍歴証明書」というものがあるという記事を発見した。陸軍であれば各都道府県庁、海軍であれば厚生労働省が保管しているという...
234 :
名無し三等兵:2008/05/01(木) 21:42:40 ID:bc+0atrx
>>231 >>232 >>233 ありがとうございます、調べてみます。
軍歴証明書って直接窓口に行かないと取れないんですかね?自分東京在住なもので…親戚に頼もうかな。
235 :
名無し三等兵:2008/05/02(金) 01:48:24 ID:IL5gx0O9
今年88になる爺さんが最近入院して、田舎に会いに行ったんだが、そろそろやばいかもわからん感じだった。
寝たきりで表情もないんだが、病室出るときに、手を振ったら手を振り替えしてくれた。
頭は結構しっかりしてるようだ。
そんな爺さんは、戦争中は海軍でいくつかの駆逐艦や巡洋艦に乗ってたらしい。
最後に乗ってたのが妙高ってのは知ってたんだが、そのほかのはわからなかった。
田舎に帰ったとき、爺さんの出征当時の写真をみたら、セーラー帽に「大日本軍艦 出雲」とあった。
wikipediaで調べたところの「装甲巡洋艦 出雲」のことだろうと思うのだが、
日本海海戦で活躍した由緒正しい船のようだな。
236 :
名無し三等兵:2008/05/02(金) 07:46:01 ID:kxyS0YTu
もう3年前に亡くなったウチの爺ちゃんの話なんだけど、戦争中は海軍で占守島まで行ってたらしい。
で、敗戦後に本土に帰還するときにソ連の砲撃を受けて、4隻あった艦のうち3隻が沈められたって話を聞いたんだけど、
この事について何か知ってる人いる?ソ連の攻撃を受けた海軍の艦って、少ないと思って調べたんだけどよく分からんかった。
親父様が満州からの帰国組で、
「ロシアの女は道端で小便をしていたとしか覚えていない」
と前に書いたものです。
親父様が満州での生活を文章にしました。
小便の話以外にもかなり内容が盛り込んでありました。
まだまだ加筆するという事なので、これからが楽しみです。
中間報告までに。
1945年8月22日には樺太からの引き揚げ船「小笠原丸」、「第二新興丸」、「泰東丸」がソ連潜水艦の雷撃・砲撃を受け大破、沈没した。
かな。
無事だった船の名前がわからない。
三船殉難事件(さんせんじゅんなんじけん)1945年8月22日
で
google検索すれば詳細はつかめるかと。
>>239 調べるの面倒くさいから絵本にして枕元で聞かせてよ
>>240 >枕元で聞かせてよ
・・・『底の無い柄杓』渡さないといけなくなるような話になって、寝汗かきそうだな
243 :
uaa:2008/05/02(金) 16:56:47 ID:op7SJRZL
>>236 第11戦車連隊?
すっげ〜かっこいい!
>240
字の読み書きができれば後は自分でやってくれ
じい様は台湾におったがあまり話をしないなぁ
電線とか電話線とか電柱とかあまりネタにならない仕事ばかりだったそうな
245 :
名無し三等兵:2008/05/02(金) 22:15:20 ID:kxyS0YTu
>>238 >>239 サンクス。
調べてみたけど、無事な船については分からなかった。聞こうにも爺ちゃんは亡くなってるし…
生きてる間にもっと聞いとけばよかった。
第二新興丸だ。
といっても大破して300人近く死んでるが。
確か搭載砲で反撃して敵潜沈めたんじゃなかったか?
>>236 >4隻あった艦のうち3隻が沈められたって話を聞いたんだけど、
確か俺の爺ちゃんもそんなこと言ってたような気がする。
記憶違いかもしれないが。
戦車部隊で97式に搭乗してたらしい。
もっと話を聞いておけば良かった。
249 :
名無し三等兵:2008/05/03(土) 03:46:24 ID:l436Lj0i
インパール戦線にて前線で戦っていた祖父の話。
イギリスやアメリカの陣地が近かったせいか、よく敵軍の輸送機から投下されたパラシュート付きの食料が風に流されて祖父がいる陣地の近くに落ちることが多かったらしい。
祖父の部隊は、偵察にいくふりをして、敵が落とした物資(特にビスケットやコーヒー)を拾ってきて夜にこっそりと―――――ウマ――――(゚д゚)イ――――と言いながら食べてたそうです。
他界した祖父は、あの時のアメリカのビスケットやコーヒーの味が忘れられなかったと言ってました。
250 :
名無し三等兵:2008/05/03(土) 05:04:20 ID:hJP84THS
祖父から聞いた話だけど、曾祖父が潜水艦乗りだったそうで、何かの任務でドイツまで行ったらしいが、帰り道に沈められて戦死したとか言ってた。
詳しくは知らんけど。
251 :
名無し三等兵:2008/05/03(土) 14:11:30 ID:bk4XVLeS
>>249 「チャーチルの給料」と言われていた投下物資ですね。
御存知のとおり日本軍の補給戦はアーだったから
戦場で食べたお菓子の美味しさを実感したのでしょうね。
漏れは台湾の人でインパール作戦に従軍した人の話を
少し聞いた事があります。
赤痢と発熱に苦しみながら担架に乗せられて後方地区に
搬送してもらい助かったそうです。
うちの爺さんは予科練で土浦とか行ってたそうな飛行服着た写真を見せられたことがあるようなないような・・
それと軍刀携えた写真が飾ってあるんだが、調べたら予科練の制服に佩刀の制度は無いそうで・・
下士官に任官したのだろうか・・今度聞いてみよう。
それとこないだ物置で実弾5発クリップ付きを発見。口径を測ったら6.5mmで三八式のだった。おそらく持って帰ってきたのだろう。
母方の爺さんはまだ子供で、数キロ離れた町が空襲されるのを見てきれいだなと思っていたそうだ。
爺さんがグラマンのPの顔がはっきり見えたと言ってたけど音速の半分ぐらいで飛ぶ飛行機のPの顔なんて見えるわけないよな。
38を並んで発射してグラマン落としたとか言ってる人だしほらなんだろうな。
パイロットの顔が見えた発言はよくある
有名人だと松本零次とか
全部がホラだとしたら戦中派の日本人はホラ吹きだらけだな
>38を並んで発射してグラマン落とした
歩兵はそういう戦法もやっていたようだよ。
もう死んだが、親父いわく、なかなか墜ちなかった。
単発式の歩兵銃でポンポン落とせたら対空機銃要らんわw
257 :
名無し三等兵:2008/05/04(日) 18:46:13 ID:ddWl4LGV
>>単発式の歩兵銃でポンポン落とせたら対空機銃要らんわw
1,000人が並べば話は別。
そんな人数や物量が日本陸軍にある訳ないがなw。
フライングタイガースかシェンノートかなんかの本で
日本兵が整列して空に向けて発砲してくる記述があった。
上空から何度も機銃掃射しても逃げずに撃ってきたなんて
書いてあったな。さすが錬度が高かったというか怖いもの
しらずというか。
あと、Pの顔が見えたという話はよく聞くな。
武勇伝的なテンプレなんかも知れんが複数から
聞いたことあるな。
259 :
名無し三等兵:2008/05/04(日) 22:21:45 ID:RfygP53X
>>上空から何度も機銃掃射しても逃げずに撃ってきた
弾道特性が優秀なM2に命中すれば肉体が粉々になるというのに
全く動じないのは凄いな。
我々の御先祖様は勇敢だったんだ。
>>Pの顔が見えたという話
戦時中、池袋に住んでいた父方の祖母から何度も聞かされた。
顔が見えるくらいの低高度を飛行していたのだろう。
終戦時に4歳だった父親から聞いた話:
非戦闘員である農民や漁民を米軍機が機銃掃射した。
「戦争に勝てば戦時中の非行を問われないんだな」
とよく怒りの言葉を口にする。
親戚のじいちゃんの話だが
ソロモン群島に送られ
敵からも味方からも置いてきぼりにされ
実際の戦闘のの経験の無いまま終戦になったそうだ
しかし小さな島なんで、
食い物には心底、苦労したそうだ
>>253 銃撃しているときなら、地面に向かってきてるわけだから、狙われてる辺りにいる人なら見えるに決まってるし、
横を掠めて行ったときでも、視力が良くて動体視力も良い人なら、ハッキリ見えても不思議はないんじゃない。
電車がすれ違うときに、10mもない至近でも、目の持って行き方次第で、残像がハッキリ見えることもある。
さすがに新幹線では無理だけど。
262 :
uaa:2008/05/04(日) 23:50:31 ID:Jl4Mx5XQ
>>253 鈴木武樹は軍国少年で、アメリカ人には角が生えてると信じてたが、
ある日、低空飛行するグラマンのパイロットに角が生えてないのを見てアメリカ人も人間だと知ったそうだ。
>>255 歩兵が対空戦訓練として、一斉に仰向けに寝て小銃を構える写真があるよ。
ベトナム戦争でもベトコンがやった。墜とされたジェット機もあるらしい。
ナム戦の時ハノイじゃ、女子供が小銃で米軍機を撃墜してたそうだ。一見「まさかぁ〜」と思うがベトコン曰く、「爆撃進路に入ったら敵機はまっすしか飛べない。投下地点はわかってるのでそこを狙う」「飛行機はハイテクの塊なので小銃弾でも当たれば落ちる」そうだ。
264 :
名無し三等兵:2008/05/05(月) 00:37:17 ID:RNQH67r5
俺のじいさんは満州のコトウ要塞(?)だかにいたとか。戦後はシベリア。
>>264 それって必殺15榴があったシベリア鉄道沿線の僻地だっけか
267 :
名無し三等兵:2008/05/05(月) 05:25:38 ID:qcbnemX1
陸軍航空隊のパイロットとして、疾風にも乗った事があるという祖父。
海軍の紫電と、アメさんのF6Fはシルエットが良く似ているので、見間違えて冷や汗かいた事があるって言ってたなぁ。
ゴールデンウィークで田舎に来てるので爺ちゃんに戦争の話を聞いてみました
爺ちゃんはまだ子供だったけどひい爺ちゃんが戦争に行ってたとのこと
ひい爺ちゃんはニューギニアで終戦だったみたいで戦争が終わってしばらくして帰ってきたらしい
戦争の話はあまりしたがらなかったけど向こうでは食料の補給が少なくて猿ばっかり食べてたから猿って言葉を聞くのも嫌になったって
大東亜戦争=曾じいちゃん
もう、そんな世代か
271 :
名無し三等兵:2008/05/05(月) 12:40:32 ID:KwnOsGfP
>>268 「地獄のニューギニア」と言われた戦場ですからね。
曽祖父様が口に出したくない思い出が沢山あると思います。
14人中1人しか生きて帰国できない戦場から復員出来たのですから
それだけ話して頂ければ十分だと思います。
だいぶ以前、祖父の件を書いたことがあるのだが
祖父が最初の招集で転戦の末に派遣されて病を得たのがトラック島で、
そこから氷川丸が病院船として最後に南方を回った時に帰った、と聞いていた。
で、日本郵船が氷川丸をリニューアルして再公開したので、この連休を機会に行ってきた。
古風な船体に、平時の郵船の上質なサービスやのどかな航海の記録、巨大なB&Wディーゼルエンジンにも感心した。
航海記録がパネルになって展示されていたので、最後の南方への病院船航海記録を探した。
「1944年4月27日 トラック」 あった。
その後のルートが凄い。
「トラック→パラオ→パリクパパン→アンボン→スラバヤ→昭南(シンガポール)→マニラ→佐世保→横須賀」
横須賀帰着は同年6月14日
マジックで写真にルートを書いてみて、めまいがした。これ、1万キロ超えないか?
直線ルートなら数日で行けそうなところ、一月半かよ……「沈められない保証がある?」病院船とはいえ……
90歳を超えて寝たきりになったが、頭はしっかりしている祖父に、
俺の撮影してきたいまの氷川丸の写真を見せ、日付を尋ねた。
「おそらくそのとおりだ」という答えだった。
戦時中の写真は空襲などでなくしてしまったが、従軍の時の日誌がしまってあるから、突き合わせればわかるはずだという。
祖父は「(氷川丸は)一度行ってみたかったが、もう行けなくなった。見てきてくれてありがとうよ」と言ってくれた。
あの船に祖父が乗らなければ、祖父が離れたあと空襲が激しくなったというトラック島で、祖父は命を落としていたかも知れない。
俺もいなかったかも知れない。
老船・氷川丸へ幾ばくなりの敬意を抱くと共に、少しは孝行になったかな、と思った。
じいさんは2人とも早死にしたんで戦争には行かずだったが、
親父が子供ながらに戦争体験してる
東京へ行くB29の進路の下に住んでたんで
B29特攻する日本の戦闘機を、丘の上で眺めてたら
突然機銃掃射を受けてビックリしたと
夢中で見上げてて気づかないうちに
随伴の米戦闘機が地上付近に来てた
ただ、そのパイロットは本気じゃなくて
子供だから、からかっただけ
低空飛行しながら笑って手を振ってた
もうそのころはアメさんも余裕だよ ・・・だ、そうだ。
うちのオヤジは進駐軍が水田に投げるチョコやガムを夢中で拾って5人兄弟全員で分けて食べたっていってたな
ガムは一枚を長兄から順に食べ始めて下に回していくらしいけど最後は味がなくなるんで砂糖を少しまぶして食べたって
爺さんは酔うと大陸での徴発ボボの話ばかりだった。
日本の軍人は大陸でさんざんひどいことしたんだから中国人に恨まれても仕方ないよ。
>>275 じゃ爺さん筆頭に一族郎党雁首そろえて中国と朝鮮に謝罪と賠償をしてくりゃいいだろ
俺には非人間の血は流れてない。有り難い事だぜ
278 :
その1:2008/05/05(月) 17:40:48 ID:???
昨日プールの帰りに公園のベンチでぼーっとしてたら、知らないおじいさんに話しかけられ、
よくわからないままじいさまは戦争体験を話しだした。
その人は現在86歳、21から26ぐらいまでのおおよそ4年間マレーに行っていたという。
ナマケモノやワニやいろんな動物を見たが、何より恐ろしかったのは虎。
一度人間を食べた虎はまた襲ってくる。
人間を襲うときは、首の後ろに噛み付き、噛み付かれた側が息絶えるまで放さないらしい。
また、幌のないトラックの荷台に兵隊を乗せ50kmぐらいで走っていると、
虎が走ってきて荷台を飛び越える。飛び越えるときに前足の爪で
荷台にいる兵隊の服を引っ掛け、そのまま持っていってしまう。
一瞬のことなので運転手は気がつかず、目的地に着いたら荷台は空っぽだったということも
あったらしい。(「あの千葉の兵隊もやられたなあ」という言葉がリアル…)
あまりに恐ろしいので、軍用犬のシェパードを送ってもらい、出そうとしたら
犬が怯えて出ようとしない。尻尾を足の間にしまいこんで吠えもせず踏ん張っている。
しょうがないので、怯えていてももし虎が来たときには吠えるだろうと思い、
外に繋いでおいたら、次の朝には首輪と耳しか残っていなかったという。
(じいさんは3mぐらいの虎、と言ってたけどそんな大きいのはいないよね?)
もうひとつ恐ろしかったのが「百歩コロリ」という蛇。
30cmぐらいだが、噛まれたら百歩で死んでしまうからそう呼ばれていたらしい。
ただインドネシアの人たちは裸足だったのに比べ日本の兵隊たちは
編み上げ靴を履いていたのでまだ被害は少なかったらしい。
あとキングコブラもいたと言っていた。サソリもいたがそれは別に怖くなかったらしい。
279 :
その2:2008/05/05(月) 17:41:09 ID:???
終戦後は英軍が飛行機から原爆投下後の広島・長崎の写真をばら撒いてきた。
ほかに情報も入らず、東京もこんな風に焼け野原になってしまったに違いない、
もう日本には帰れないと皆思ったらしいが、シンガポール奪還したこともあり、
投降したら一人残らず英軍に殺されるだろう、
しょうがないからここで畑を耕して何十年か生き延びようという話もあったらしい。
でも捕虜になった後は意外とイギリス人は優しくて、○×中尉(聞いたけど名前忘れた)と
いう人にコーラを貰ったといっていた。
「うちのじいさんは中国行ったんです」と言ったら、
一番大変だったのはロシアに行った人、その次は中国、
マレーの自分たちはまだ良かった方だと言っていた。
そんなことをいろいろ話してそのまま行ってしまった。一体何だったのだろう…
> 一体何だったのだろう…
2ちゃんに代筆させる企みだろうなw
282 :
uaa:2008/05/05(月) 18:08:55 ID:7g1rBK5m
スレ違いかもだが。
婆ちゃんが曾婆ちゃんだかに教わった数え歌。
いちれつだんぱん(談判)、はれつ(破裂)して、
にーちろせんそう(日露戦争)はじまったぁ。
さっさとにげるはぁロシアの兵、
死んでもつくすはぁ日本の兵。
五万の大軍引き連れてぇ、
六人残して皆殺しぃ、
7月8日の戦いでぇ、
ハルピンまでもぉ、せめよせてぇ、
クロポトキンのくぅび(首)をとりぃ、
東郷大将ばんばんざーい、ばんばんざーい。
こういうの、記録には残らず消えていくんだろうな。
>>283 ♪宮さん、宮さん お馬の前に
ひらひらするのは何じゃいな・・・
この歌も、しっかり“記憶”と“記録”に残されています。
あなたがご紹介の歌も、
私は知っていましたよ
結論:小沢昭一なめんなw
>>283 元々はもっと古い「日清談判」の派生バージョンだろうが、
日露戦当時とその後、戦前を通じて子供の間で長く歌われた数え歌の一つだから
ちゃんと記録に残ってるよ。音声も。
スレ違いだが、小沢昭一は初対面の香具師(露天商ですよ)同士が仁義を切り合う様子まで
昭和40年代に取材してテープ録音にも残している。
(渥美清が寅さんに扮して演じた「生まれも育ちも〜フーテンの寅と発します」の、あれね。
香具師とか渡世人とかが、初対面で「お控えなすって」と口上を交わしあい
互いに敬意を表しながら自己紹介して、同類としての挨拶をする儀式だ)
ああいう世界の記録採取は貴重だね。
全然大した話じゃないんだけど、婆ちゃんが空襲が来た際に町内の鐘?をガンガン
鳴らす係りをやっていたんで、逃げ足だけは誰にも負けん!ってよく言ってたなぁ・・・・。
何故か「八百屋お七」というキーワードを閃いた・・・・。
昨日親戚が集まったんで婆さん囲んで世間話してたんだが詰まらん内容だったんで
つい横でうたた寝してしまった。
起きたのは婆さんが放った「機銃掃射」と言う言葉に脊髄反射してだった。
後で母ちゃんに聞いた話だと爺さんの出征話やら内地での苦労話やらスレ的にネタになるような
おいしそうな話ばかりだったようだ。
婆さん普段戦争話はしないんだが気分よかったのかかなり盛り上がったようでかなり興奮して
喋っていたようだった。
なにやってんだ俺。
>>287 うちの婆ちゃんは火なんか点けとらんぞ!o(`ω´*)o
・・・タブンナー
昔家の婆さんに戦争体験を聞いたら、「田舎の農村も戦中戦後とひどい食糧難だった。苦労して収穫したカボチャをリヤカーに積み込み、ちょっと目を離した隙にリヤカーごと盗まれたことが一番腹が立った」とまるで昨日の事の用に怒ってた。
ウチの近所(田舎)に住む二人のおじいさんの話
Aさん(農家)「ひもじい思いをした記憶はないなぁ…」
Bさん(散髪屋)「ウチの妹は栄養失調で死んだ。
オヤジはあちこちの村に散髪しに行って必死に食料を集めた。」
戦中の農家の大半は小作人で、先祖代々の土地持ちは少数だったそうです。
一番お金になる米は地主と軍部に殆んど取られ、米なんてお盆と村祭りにしか食べれなかったとか。
Aさんは土地持ち農家では?
>>293 オイラが住んでる地域ではその例は当てはまらんよ。
Aさんは土地持ち農家であることは間違いないが「大地主」ではないよ。
オイラが住んでる地域の古くから有る農家はほぼすべて先祖代々の土地持ちなのサ。
確かに「地主」と呼ばれる家は何件かあるが、それは他の家よりも
ほんのちょっと多くの田畑を所有している、という程度の話。
その「地主」も他の家同様、小作人を雇わず自分で耕して米を作ってたらしい。
(そもそも小作人を雇うほどの広さじゃないし)
んで、Bさんちは田んぼも畑も持ってなかったと思うな。
ウチのばーさん「お金はなかったが米はあったので、
○○(漁村)からリヤカーで魚を売りに来た人に米と魚を交換してもらってた。」
Cさん(大工)「昔の日当は米二升だった。
金持ちという意味ではないが百姓の人をうらやましく思った。」
貨幣経済?ナニソレ?
295 :
ZII ◆RPvijAGt7k :2008/05/06(火) 03:58:46 ID:3hBD8qoL
私はフィリピン戦遺族会「曙光会」に入っています。
以前は武蔵の元乗組員の方が来られましたが、今回は愛宕から大和に移乗した
栗田司令部付の方が来られるかもしれません。
今年の北海道支部の会合開催は海軍記念日の5月27日、定山渓のいつもの某ホテルです。
栗田はなんで対潜警戒しとらなんだのかよーう聞いておいてくれ。
宇垣との確執で頭が一杯だったから
家の近所に疎開してた宮さまのお宅の台所には、アメリカの飲み物がたくさん積んであったそうな…
いつの時代にも、あるとこにはあるんだ。
戦後の宰相、吉田茂は
戦時中にお気に入りの輸入葉巻を備蓄して吸っていたし、
外交官としてイギリス赴任中に購入し、持ち帰ったロールスロイス25/30HP
(ロールスの中型セダン。没後に婿であるローゼン閣下の父・麻生多賀吉が引き取った)
も、他の有力者みたく軍に差し出したりはせず、手元で保管してたぐらいだもんな。
サントリーがウィスキーでシェアを伸ばしたのは、海軍で角瓶をスコッチの代用にして貰えたところが大きいが、
ワンマンのあの人だったら、ジョニ黒かオールドパーを隠匿していても不思議じゃないw
外交公嚢でいろいろ持ち帰れただろうし。
(外交官はいろいろ職権濫用できる。
ボサノバの生みの親の一人でオールマイティの詩人・ビニシウス・ジ・モライスはブラジルの外交官でもあったが
欧州からの帰国に際して外交公嚢でスコッチの「ヘイグ」10ダースを税逃れで持ち込んだ。
長期休暇を取ると、ギタリストのバーデン・パウエルと一緒にアパートに1ヶ月引きこもって作曲作業に熱中、
後世に残る名曲を10曲以上仕上げたが、その時には10ダースのヘイグが空になっていて、二人はそのままアル中治療のため入院した)
ウチの爺さまは陸なんで、南方では日本酒メイン、たまにビールだったそうだが。
部隊長の従兵で呑み相手だったからずいぶん飲めたと言ってた。
>>299 部隊長さんとお爺さんの階級ってどんなもんなんだろ?
部隊長は当然佐官だが、爺さまは上等兵だったと。
部隊長は酒好きなんだが、
それまでの従兵のイビキが酷くて眠れなかったのと、参謀たちに酒好きがあまりいなかったんで
酒が飲めて大人しく話し相手になる爺さまが抜擢されたそうだ。
部隊の隊旗を持つことになった時も士官たちから
「さほど古参でもない招集の上等兵ではいかがなものか」とか言われたが、部隊長が構わんと言って通したらしい。
>>301 レスthx
お爺さんは上等兵ですかい!
隊長の人柄にもよるだろうが最初はかなり緊張したんだろうなw
隊長は温厚な好人物だったと言ってるよ。
補給の連中からは、隊長の命で燃料(笑)を取りに行くたびに
「隊長のおかげでおまえばかり飲みやがって」と妬まれたそうだが。
304 :
岡崎の人:2008/05/06(火) 18:43:03 ID:PWB9oLzT
俺の爺さんは昭和20年8月20日 岡崎空襲の体験者
その時は14歳、真夜中の爆撃音で目が覚めて焼夷弾の落ちる中を必死で
逃げたらしい。次の日には一面の焼け野原、所々で人々の叫び声・うめき声
が聞こえてきてこの世の状態ではなかったと話してくれた。
話を聞いた後には震えていたよ。
なんかこうさ もっと血沸き肉踊るような爺さん武勇伝はないもんかね
306 :
uaa:2008/05/06(火) 19:19:35 ID:uO7CORCb
>>298 天皇陛下が質素な食事をしてた時も宮家の中には贅沢な食事をしてた所があったそうだ。
>305
異世とやらの住人が迷い込んで来たんだろう。
ほっとけ。
友人の曽祖父の話だが、仕事で満洲に行ったそうで、
そこでなんと、かの伊藤博文閣下を見たらしい。
・・・伊藤閣下が安重根の凶弾に倒れたのは、その次の日だったそうな。
>>309 俺が子供の頃近所に住んでた爺様は、原敬だか暗殺現場に居合わせたと言っていた。
祖父の話ではないが・・
つい先日、親父の長兄(親父は5男2女の末っ子)が戦争で死んだ話をしていて、
死んだ先がパラオだったといっていた。
玉砕だったそうな。
>>311 奇遇だな。
うちの爺様はアンガウルで死んだよ。
以前勤めていた会社の会長は幼少の頃、
渋谷駅でハチ公と遊んだらしい。2・26事件も目撃したとか
徴兵すっぽかして山へ逃げて終戦まで逃げ切ったじいちゃんは神。
親族はひどいめにあったらしいけど、戦争で死ぬよりはましだよな。
315 :
名無し三等兵:2008/05/07(水) 15:04:33 ID:xGh5kHYt
戦艦武蔵の乗組員で艦と共に沈んだ祖父の事を、祖母は「立派な海軍さんじゃった。」と、額縁に飾られた真っ白い軍服姿の遺影を毎朝惚れ惚れしながら見て、今でも夫の事をとても誇りにしとるみたいだ。
>>314 ナニが神だよただの卑怯者じゃねえか。お前の一族チョンだろ!さっさと祖国に帰れカス!
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
318 :
名無し三等兵:2008/05/07(水) 18:05:12 ID:x3hsoH7b
俺のじい様の戦友の話。じい様の戦友の人は九州南部にある赤江飛行場と言う場所から特別攻撃隊として52型の零戦で出撃したがなぜか無事生還してアメリカ軍の捕虜になった。
理由は、敵艦隊に接近する際に米空母の護衛戦闘機隊に追い掛け回されて海面すれすれまで逃げ回ったが撃墜され着水→コクピットから脱出して飛行服のまま浮かんでいた→そして米軍の駆逐艦に救助されたらしい。
>>318 同じ様に特攻に失敗して海面を漂っていたパイロットが、救助しようとした米軍の目の前で、手榴弾で自爆した瞬間の動画なら見た事ある
カワイソス.....
近付いて来た米艦(機)が問答無用で機銃掃射で止めさしたってのもあるから、
その方は運が良かったんだろう。
それ以前に救助されないまま鱶の餌なんてのも往々にしてあるからなぁ…
>315
うちの婆さまニューギニア戦死した弟の写真大事に持っていたな。
飛行機乗りだって自慢しとったしお墓にも飛行兵曹と大書してあるけど・・・。
写真には何故か軍艦霧島と・・・。
323 :
名無し三等兵:2008/05/07(水) 20:12:09 ID:zU5zmXlC
水偵乗りでは?
なるほそ
漏れの爺さんは終戦直後、大胆にも米軍基地に忍びこみ泥棒をしていたが
ついに歩哨に見つかり命からがら逃げのびたといってた
それでやっぱり泥棒は割に合わないと、素直に?ヤミ屋になったとかw
なんでも米軍は進駐直後はかなりピリピリしていたが、日本人が羊のようにおとなしいと解ると
あっというまにだらけてしまったそうだ。
326 :
名無し三等兵:2008/05/07(水) 21:01:32 ID:zU5zmXlC
戦艦の水偵乗りは飛行時間2000以上の腕の良い飛行士だとか。ソースは書籍『大空のサムライ』のどこか…思い出せません。
自慢の弟だと。
自衛隊でもPS-1のパイロットはプロ中のプロらすいよと言う噂。水上機ってかなり難しいんだろね。
偉大なる祖国
勇気溢れる偉大なる先人達へ敬礼
>>327 >PS-1のパイロット
硫黄島の基地からポリネシア辺りまで救助に出撃、
他の国の救助隊が着水を躊躇う波頭の中を着水強行する
飛行艇でも横波があると着水は至難の業だろうから、
況してや下駄履きの水偵ではかなり高度な技術が。
戦闘中の着弾観測なんか戻って来ても回収されるかわからんしね。
艦載の水上機のパイロットは、海軍のパイロット100人に
一人が空母パイロットに成れ、空母パイロット100人に1人が
艦載のカタパルトパイロットに成れた。
なんて読んだ事ある。まあ、誇張だろうけどね。
PS-1は荒れた海でも着水できるって学研の図鑑に書いてあったよ!
>>322 もしくは元は霧島乗り組みで、後に飛行機に転科したとかね。
>>322 >>333さんの推理に同意
坂井三郎も霧島や榛名の砲手だったしね
転科は、すごい優秀じゃないと合格しなかったらしいぞ!
ここで聞いてもいいかな?俺の母ちゃんは宮城県の田代島という所の出身です。そんな小さな島にも敵機が飛んで来たそうです。
戦略的に見て小さな島に攻撃をする意味があるのでしょうか?また終戦後には進駐軍が居たらしいのですが、これもまた小さな島に駐留する意図は何でしょうか?
朝鮮戦争時、祖父は米軍基地(今は航空自衛隊の基地)で前線部隊への
補給物資の整理の仕事をやっていたとのこと。でその基地で一人の朝鮮人に出会いその人から
「今度故郷に帰る事になったから内地の記念に何か欲しいんだ」
と言われて自分の万年筆をあげたとの事。で代わりにタバコを何箱もくれたそうな。
ノムヒョンが大統領の時の反日関連のニュースをみて寂しそうに語ったのが印象的だったな・・。
>>335 地図で見ると、金華山と仙台を結んだ線の近くにある島ですよね。
その島自体が目的で飛んできたわけでははなくて、仙台方面への進入路だっただけでは?
牡鹿半島と金華山を目標にして来て、金華山あたりで西に向かったとか。
帰りも、金華山あたりで方位を定めたとか。
進駐軍がいた理由は分からないけど、通信施設でも作ったとかですかね?
いずれも、地元の役所とかに歴史資料があるのでは?
といっても、母方の田舎というだけで、気軽に行けるほど近くはないのかな?
338 :
335:2008/05/08(木) 02:49:06 ID:???
>>337 すいません重大な事を忘れてました。隣町から引っ越した時には既にあったのですが、地元には松島基地があります。
もしかしたら基地を目標に飛んで来たのかもしれません。これが正しければ質問の意味さえ無くなってしまいますね。
本当にすいません。
母ちゃんも当時は4歳で空襲警報が怖かったのと進駐軍から綺麗な色の飴を貰った事しか覚えてないようで、どうやって当時を調べたら良いのか困っていましたが、おっしゃる通り市役所で資料が残っていないか問合せてみます。
わざわざ地図を調べて頂いて有難うございました。
>>338 松島の飛行場って戦時中に既にあったのかな?
それはともかく、仙台も空襲の目標だったんじゃないですかね?
調べて分かったら教えてね。
>>338 なお、米軍機が跋扈した末期には、残存していた航空兵力を集中させていた一部を除いて、
飛行場があっても、飛行機も乗員もいなくて機能してないほうがむしろ普通だったみたいです。
その基地のばあいにどうだったか、土台からしてあったのかも調べてないから知らないですが。
341 :
338:2008/05/08(木) 03:22:31 ID:???
>>339 テレビ映画バンドオブブラザーズのワンシーンで、
ウェブスターがオランダ人の子供にチョコをあげる微笑ましいシーンがあって、それが何だか母ちゃんが飴を貰ったと言う話と重なってしまって。
調べて分かりましたら報告にきます。
342 :
uaa:2008/05/08(木) 04:09:05 ID:igJvruWQ
>>319 浮いてる特攻機をピストルで射殺する映像が You Tube にあった。
>>339 自衛隊の飛行場は殆どが戦前・戦中からの飛行場。普天間は米軍が作ったんだけど。
戦後作られたのは秋田と舞鶴だけ。
秋田は民間空港に間借りしているだけだから、自衛隊が新しく作ったのは舞鶴だけ。
結局、戦争で死ぬかどうかなんて運しだいだよな。
俺の爺ちゃんは徴兵されて南方への輸送船が出航する前日精がつくようにと
ひまし油飲み過ぎてひどい下痢になって助かった。その輸送船は潜水艦の攻撃で撃沈されて全員戦死
したそうです。
>>331 彗星夜襲で有名な芙蓉部隊も元々は美濃部少佐が水偵乗りの技量に着目して組織した部隊だもんな
>>343 いいな、羨ましい
俺の爺ちゃんのお兄さんも同じように南方に行くために輸送船に乗ったんだが
途中で潜水艦に雷撃されて沈没
乗船していた全員が死亡したそうだ
今は家の額縁に写真がぽつんと飾ってある
遺骨は今もどこかの海の底…
できれば拾って里帰りさせて実家のお墓に収めさせてあげたいが…
346 :
名無し三等兵:2008/05/08(木) 21:15:57 ID:ChQhMCrF
引き上げ船で、グラマンの機銃掃射受けて、死亡。
>339
松島なら終戦間際にサイパン降下作戦用に残った陸攻とダグラス集結させてたぞ。
呉鎮101特別陸戦隊とか剣作戦、園田直でぐぐって見。
>>343 そもそも、ひまし油って下剤なんだが・・・
>>342 なるほど、そういわれてみれば、「非常時」でないと容易に作れるものではないですね。
ウチの爺ちゃんは今年で85になるけど、戦前は陸軍工兵で大陸に行ってました。
歩兵よりも体力使うから辛かったって言ってたけど、終戦後は3年くらいに現地に留まり遊んで帰ってきたと言うが…(汗
352 :
名無し三等兵:2008/05/09(金) 19:34:42 ID:wjO1eWpr
男子校の県立高校教師で校長の転勤命令に逆らい続け、転勤皆無で同じ高校に定年まで勤務。
趣味は生徒をビンタする事と、登山と海外旅行と歴史書を読む事と、野球観戦に国会中継罵倒。
大学受験に落ちてうろうろしてたら徴兵され、地獄のビルマ戦線に衛生兵として送り込まれたそうだ。
命からがら生き残り奇跡的にビルマから帰還して、大学に入りなおして教職についた。
戦友会は毎年出席していたが、赤旗も一時取っていてデモもやったことがあり、洗礼名も持っていて
わけわからん矛盾した人だった。
書斎には「共産党宣言」と「我が闘争」とソルジェニーツインの「がん病棟」と「収容所列島」と
「ドイツ参謀本部」と「ゼロ戦」と「一億人の昭和史」と「旧約聖書」と「エロ本」
留守中に入り込んでアウシュビッツのグロ写真や拷問史を見たりした。戦争関係の歴史書は豊富だった。
ヤクザに絡まれて喧嘩をして爪をはがして定期も取られて、帰ってきた事もあるらしい。
戦争に行った人間はサバイバル精神がすごく地震のときも野宿して帰ってきた。
行軍中に川を泳いで泥水を越して飲んだとか。すごすぎる。
父が言うにはよく戦友がよく遊びに来て軍隊時代の内務班の新兵時代のいじめとか、
苦しかった頃の思い出話をしていたらしい。あの世代の戦友との一体感はすごいらしい。
でも保守ではなく妙に進歩的でわけわからんひとだった。
おかげで歴史に興味を持つようになり、同世代よりは詳しくなった。
収容所「群島」じゃね?
まあそれはいいとして、すんばらしいはなしだな。ビルマ
>>352 教職と軍隊体験以外は俺とよく似た先生だなぁ。
特に読書傾向。
同じ学校にいたら気が合いそうだわ。
355 :
名無し三等兵:2008/05/09(金) 22:20:11 ID:h7TCKl5B
356 :
名無し三等兵:2008/05/10(土) 00:57:03 ID:xxaKT8gt
さっき爺さんが死んじゃった。
マレーを統治していた頃日本語の先生として赴任してきました。
ところが戦局の悪化で兵として駆り出されてニューギニアへ
何とか生き延びて復員できたそうです。
しかし脳梗塞で5年寝たきりで、昨日の23時30分頃亡くなったそうです。
人間の運というものは分かりませんな。これで戦争に行った爺ちゃん2人とも居なくなった。
正式な軍人とはいえないでしょうね、でも戦友会には入ってたみたい。
俺のじっちゃんの兄は「もや部隊」にいました。
親戚ながら家が近かった事もあり、ガキンチョの頃からよく遊びに行き、蛇を食った事、抑留での惨々たる出来事を聞き子供ながら酷い事だと感じていました。
俺のじっちゃんは国鉄に勤めていたということもあって、生まれてから戦争なんぞ行ってませんが兄を大変に誇りに思っていたようです。
俺が高校三年の5月5日に逝ってしまいましたが前の月、4月はピンピンしながら兄から又聞きの戦争体験を話してくれ、じっちゃんの兄たちが自費で出版したもや部隊戦記をくれたのを覚えています。
ものすごく誇らしげに
「兄はシベリアに行ったが日記を隠して毎日書いていた。この中でも一番いっぱい書いているんだ。それをおまえに見せられるのはとてもいいことだよ」
と言ってくれました。
私の家からすぐそこにはA級に指定されてしまった方の生家がありますし、石原完爾さんの生家も職場の近くです。
友人は戦争?はぁ?みたいのもいますが俺はめっちゃ無茶しながら頑張って生きたじっちゃんとその兄と5人の兄弟を尊敬できることをじっちゃんと同じように尊敬してます。
あぁじっちゃんと酒は飲んだが麻雀できなかったなぁ…
358 :
名無し三等兵:2008/05/10(土) 02:07:03 ID:V72bflGo
359 :
名無し三等兵:2008/05/10(土) 02:09:55 ID:vQJgXOMZ
俺の・・・・・・
父方の爺様は戦時中郵便局にいたがなぜか徴兵されなかった。
母方の爺様は戦時中農業委員であった為に徴兵が免除された。
ところが、
父方の祖母の弟は戦時中船舶工兵として招集され・・・・・
広島にて20年8月14日戦傷死、原因は例のアレですわ。
母方の祖母の兄は予備役砲兵中尉として招集され・・・
帰って来ちゃいました。
なにぶんなぜか父方は母方合わせても女だらけの兄弟でして、
なんという戦死率の低さよ。サーセン。
後年
俺→陸自にて幹部として5年間勤務(上官のやり方に頭に来てやめた)
>>356様
おじいさまのご冥福を祈っています。
めっちゃ懸命に生きた人なんだろうと思います。
やっぱりじっちゃん達はすごい。
>>356様
うちらも頑張ってきましょうや
俺の爺様は落下傘部隊にいたが、落下傘って過酷なの?
>>361 どこの国でも空挺は精鋭とされており、我が国も然り。
363 :
名無し三等兵:2008/05/10(土) 02:32:45 ID:k+VKzRtE
祖父ちゃんは帝大出て海軍士官になったとか言ってたな。
おそらく短期現役士官のことだと思う。
主計将校として厚木基地で終戦を迎えて、戦後は銀行員。
本人曰く「やってることは大して変わらなかった。」
黒部川発電所建設の資金調達に関わってから、関西電力の
社史に名前だけ登場する。
364 :
名無し三等兵:2008/05/10(土) 07:18:14 ID:Z0fd/jsR
東北抗日聯軍で日本軍と戦ってた
ちなみに日本軍の部隊をかなり壊滅させたらしい
解放後は粛清されかけたので大阪へ逃げたけどな
>>363>>365 いろいろな「戦後」があるなあ……
主計将校の「やってることは大して変わらなかった」
抗日ゲリラなのに日本へ亡命
原爆で死んだり、21世紀まで生き延びたり、運命もいろいろだ
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
368 :
名無し三等兵:2008/05/10(土) 07:44:57 ID:w4Im5chv
昨年亡くなった私の祖父は、義烈空挺隊員だったそうで、隊員達は十数機の航空機に分乗し、沖縄へ向けて出撃したが、乗っていた爆撃機の発動機が不調でやむなく途中で引き返し、次の出撃を待つも天候不順続きでなかなか命令が出ずに、そのまま終戦を迎えたと言っていた。
もし発動機が順調だったら、おそらく自分は生まれて来なかったわけで、何だか運命的なものを感じました。
父方の祖父の場合。
小作をいくつか抱える関東平野の米農家出身。
体格はいいが荒事苦手。釣りとクラシック音楽が好き。
製本職人で兵役は免除されたっぽい。
東京が空襲で燃える様が遠くから見えたらしい。
住んでた集落にも米軍の爆撃があって知り合いの家が吹っ飛んだらしい。
母方の祖父の場合。
豪雪地帯の貧農出身。体格は悪くなくスポーツ万能で徴兵検査も甲種合格。
弱い者には手を出さず、強い者にも敢然と立ち向かう人だったらしい。
肩章付きの軍服着た写真があるところをみると、それなりに長いこと軍人やってたらしい。
最終階級は曹長。満州だか朝鮮だかでソ連軍に降伏してシベリアに連れて行かれて鉄道建設に従事したそうな。
宿舎を建設するところからやらされ、栄養失調と寒さで次々に死んでいったと語ってた。
戦闘については興味無かったんで聞かなかった。
徴兵ばっくれて逃げ切った俺の爺様が最強の勇者だな。
大日本帝国にうち勝った爺様に敬礼!
うちの窓から時折見える落下傘演習はそんなにスゴい人たちだったのか
確か入り口に「第一空挺団」と書いてあったな
家の爺ちゃんは戦車隊として中国戦線で戦い
ソビエト参戦により日本軍が降伏したためシベリアへと収容された
シベリアへと向かう中での列車から見えた湖を日本海だと勘違いして日本に帰れると思ったらしい
>>372 降下作戦では重火器を持って行く事が難しいんで個人携帯火器だけ
で戦わなければならない場合もある。
それに空挺部隊は敵の勢力圏に降下して破壊工作を行ったり、
後方撹乱や拠点の制圧等で味方の進撃を援護する事もあるが、
友軍の来援が無ければそのまま包囲されかねないしね。
孤立無援でも戦える様に空挺は特に優秀な兵士で編成されてる。
第一空挺団も陸自のエリート部隊だよ。
空挺が精鋭揃いなのはそういう理由があったのか。
精鋭無比
>>365 「義烈空挺隊」ってさっきググってみたけど、当時の日本軍人は勇敢だなぁとしみじみオモタ。
>>377 一緒に戦ってくれた高砂族の人々もたまには思い出してあげてくださいね。
義烈空挺隊は陸軍特攻隊と近い扱いで知覧の資料館に展示されているね。
しかし、成功率低すぎ、敵掌握飛行場に胴体着陸難しすぎ
成功した奴の攻撃力凄すぎ
>>378 高砂族の皆さんが参加したのはレイテの薫空挺隊では?
>>362 そっか…
生き残った隊員達と写真取ってるのもあったからなあ
もっと色々と話を聞いておくんだったよ
パレンバン降下作戦には参加されたのだろうか。
幹部候補生学校の研修で義烈空挺隊終焉の地を見に行った
ただっ広い平原にポツンと記念碑みたいなのが建ってるだけというのが寂しいやらなんやら…
385 :
uaa:2008/05/11(日) 00:32:28 ID:myY/cfeD
>>357 大川周明?
>>361 戦争中の日本の落下傘は開傘率が 99.0 % 位だったそうだ。
100人飛び降りたら1人は確実に事故死。
大規模な演習の後は火葬場がフル稼働だったらしい。
>>383 実家に帰ったとき、空挺写真集?があったな
ひょろひょろで伊達眼鏡をかけた写真があったけど、そんな爺様が輸送機から飛び降りていったんだねぇ
義烈空挺隊の隊長も眼鏡だったような…
>>387 そんな立派な人じゃないなw
でも、うろ覚えだけど乗ってた輸送機が落ちて海を漂流したとか言ってたんだよねえ
俺が覚えているのってそんぐらい
389 :
名無し三等兵:2008/05/11(日) 01:46:53 ID:UMSvGoBB
@祖父ちゃん達、マラッカ海峡辺りを輸送船にて移動中
A突如、輸送船の目の前に潜水艦浮上
B祖父ちゃん、持っていた軽機関銃を潜水艦に向け発砲
C驚いた潜水艦、急速潜行
D祖父ちゃん達、「撃退した」と大喜び
E怒った潜水艦、輸送船に向け魚雷発射
F輸送船、魚雷で吹っ飛ぶ
G祖父ちゃん達海に投げ出される
G祖父ちゃん漂流
H数時間後、味方駆逐艦、救援に到着
I祖父ちゃん、駆逐艦に発見されずそのまま漂流
J被弾より17時間後、祖父ちゃんようやく違う駆逐艦に救助される
祖父ちゃん、生きててくれてありがとう
390 :
名無し三等兵:2008/05/11(日) 03:21:42 ID:XljNRJuE
>>238 うちの祖父はそれで、全員死亡とされているはずの船の数人しかいない
生存者の一人です。犬HKから取材の申込あったが断ってた。
391 :
338:2008/05/11(日) 10:57:53 ID:???
>>349 田代島については書かれてないので市役所で調べてみますが、松島基地は大戦当時からあったんですね。
5回も空襲爆撃されたとか終戦後500人のアメリカ兵が接収しに来たとか。
有難うございました。
392 :
338:2008/05/11(日) 11:02:51 ID:???
*追記 自分も調べますがその接収部隊は第11空挺師団でしょうか?
戦中でも爺様の話でもなくて父の話だが。
佐世保に住んでいたんだが、よく米軍基地に遊びに行っていたらしく、
一緒にサッカーやラグビーをしたり、泳いだりして遊んだそうだ。その写真が今も飾ってある。
誕生日を米兵と祝ったりもしたらしい。
基地の敷地に顔パスで入っていたとか、そんな話も聞いた。
流石に誇張も入っていると思うが、一応聞いたままを報告。
それと、友人の爺様の話。
戦後様々な国(主に中東諸国)へ仕事などで行っていたらしい。
ターバン巻いてAK持った男と肩を組んでいる写真などを見せてもらった。
戦争体験書けよ
うちのじいちゃんは船乗りで、戦時中は軍に徴用されて働いていた。
終戦まで働いていたようで勲章も貰ったらしい。
398 :
名無し三等兵:2008/05/12(月) 18:52:37 ID:4TtAORcN
海軍の一式陸上攻撃機の後部20mm機銃の機銃手だった親戚の爺様の話だわさ。
なぜか飛行兵の弁当は白米と梅干しに飲み物はラムネが多かったらしい。
防弾がほとんどない死亡率90%のこの機体に乗っていたが、南方の基地に配属された為にあまり交戦回数が少なく、なんとか終戦まで生還できたとの話ですが、爺様の話では20mm機銃は弾が重いから真っ直ぐ飛ばずに下に落ちていくみたいだったと言ってますた。
爺様曰く、あんな危ない機体には二度と乗りたくないと言う話です。
以外と火吹かないものだな。
もっと派手に燃えるかと思ったが。
ワンショットライター→一式陸攻
ワンショットライターの兄→九六式陸攻
>>400 …そりゃ、これでも初期型に比べりゃ被弾対策してるからさ。
というか、
一式陸攻でこれなんだから、B-29がいかに燃え難く落ち難いかが判るベ。
>>398 たとえ機体が落ちなくても、
『機上戦死』も十分有り得る機材です、あなた様のおじい様は凄い方ですね。
>>398 海軍にも陸軍にも言える事だけどパイロットはちゃんとした食べ物を食べてたみたいだね。チョコレートとかドロップとかの甘い物とかも支給されたとかされなかったとかの話。
いい話ですね〜さすが海軍さん。
チョコレートやらは搭乗員の機上食じゃなかったっけ?
戦闘行動等でやむを得ず機内に持ち込む非常食扱いなんで、
搭乗員でも普段は食えなかったらしいが。
一式陸攻ではないが俺の祖父も陸軍の爆撃機乗りだったなぁ。
97式重爆の機長だったけどインパールで戦死したよ。
空に散った英霊達へ帽振れー
35年以上前に亡くなった父方の祖父(山形の水呑ん百姓)の話。
満州国建国の直前に徴兵されて、
地元の連隊では無く、
ソ連と満州の国境近くの騎兵部隊に配属。
昼も夜も無く、馬の世話をさせられたと。
それ以外は、とても待遇が良く、
戦闘を、一度もした事が無く、
それに、食事が豪華だったと。
内地に還って来てから作った末っ子(私の父親)に、
直属の上官から一文字を貰って名前を付けて居る位だから、
余程、良い扱いだったのでしょう。
しかし、没年から計算すると、
当時、36〜37歳のはずなのですが、
この様な歳でも徴兵されるのでしょうか?
オイラの親父の親父(つまり爺さん)は本当の親父ではなかった。
本当の親父は、某島で戦死。離婚した祖母は籍を離れて新たな婿を得て結婚。
その再婚先も戦死。仕方なく再婚相手の弟と結婚。が、結婚後すぐ、乗っていた潜水艦が帰還せず。
戦死と判定されて、新たな嫁入り先を見つけて結婚。すぐに終戦となるが、某台風で夫が死亡。
その後、女手一つで親父を育てて・・・・・・・・・・・
俺は誰の子供なんだwwwwwwwwwwwwwwwww
412 :
名無し三等兵:2008/05/13(火) 08:12:36 ID:reiyI0TS
>>410 君が悲観的になってないからコメントしない。
保守がてらにどうでもいい話
小学生のころ、埼玉県浦和市に住んでいましたが、
当時のじゃんけんのグーチョキパーが軍艦・朝鮮・ハワイでした
あのころは何も感じませんでしたが、今から思うと戦中からの風習だったんでしょうねえ
1970年代末期から80年代初頭にかけての思い出です
さすがに今では廃れたでしょうねえ
60年前のガキンチョも同じことしてたのかな
軍艦軍艦チョーセン! 朝鮮朝鮮ハーワイ!
てな感じで2回復唱ののち3回目のコールで勝負でした
軍艦はチョーセンに勝って、朝鮮はハワイに勝って、ハワイは…?…
如何しようも無いじゃないか?
母親から聞かされて、曖昧なのだが
家の母方の親父、平時は農夫として戦時は陸軍軍人(将校クラス)として戦争に参加する人だったとか
母の家には士官クラスの軍服や軍刀が置いてあって、戦争に関わる資料も豊富だったとか言ってた
資料とか服は写真だけでほとんど親戚が処分したらしいけどね
戦中は何をやっていたのかは不明だが、地元に残ってなにかやってはいたらしい
戦後は農夫として生活し、「日本が負けたのは、陸軍じゃなくて海軍に原因がある」と言ってたと母親は言ってた。
ある日、脳卒中であの世へ逝ったとか
よくわからない母方の親父だが、父方の親父は工兵としてミャンマー等で活躍してた(本人は何にも言わないのでこれまた不明)
ただ、今村均から貰った賞状(内容はどこかの油田の火災を部隊ごと消したとか)を大事にしてる
戦後は墓石作ってたが、今は引退してテレビを見ながらお茶をする毎日を送ってる
>>415 日本が負けたのは圧倒的物量の差ですよ。
>>413 90年代に小学生を過ごした人にも伝わってますよ
皇軍の兵士だった爺ちゃんがうらやましい。
俺も皇軍の兵士になりシナ兵撃ちまくってから最後は機銃弾の雨に打たれて死にたかった。
もうぬるま湯の日常にはうんざり、生まれるのが遅すぎた。
420 :
名無し三等兵:2008/05/13(火) 18:15:23 ID:reiyI0TS
>>419 何も遅くはない。斎藤さんのようにフランス外人部隊に入ればいい。
市ヶ谷の駐屯地に殴りこめ
>419
パンパンパーン
∧__∧ ∩
(,, ゚ Д ゚)彡☆
⊂彡☆))∀´))) ←うれしそうな顔するな!
☆
>>419 今すぐチベットかミャンマーに行きたまえ、君の願いは叶えられん。
案ずるより生むが易し、だ。
>>420 俺は皇軍の兵士として戦って死にたいんだ。
銃身が焼けるほどチャンコロ兵を撃ちまくって栄えある皇軍の兵士として散りたい。
426 :
uaa:2008/05/13(火) 20:28:34 ID:VFC6u4u4
>>410 祖母さんがサゲマンだったんじゃ・・・・・
大君の御盾となりて散る桜
九段の庭で戰友(とも)が待つ
特攻隊員辞世の句
皇軍の兵として陛下の盾となって散華できた特攻隊員がうらやましい。
生まれた時代が遅すぎた。
だからはやく決起して皇居で天皇さらって九州で抵抗を続けろよ
>>415 爺さんが将校だったら
偕行社か偕行会の冊子があるとおもう
>>154 >「近衛だったから外国へ行ってアメ公を殺せなかった」
それは一部の部隊だろうふ
>154
近衛の桜田旅団は支那だし。
第二師団はマレーだしな。
アメ公殺せたのは近衛機関砲大隊位だろうけど
弾がB29まで届かないし・・・。
十数年前の学生時代、海に近い駅弁大学近くの漁師町が学生アパート街でもあった。
俺は砂丘上に広がる漁師町の、その丘の上の安アパートに住んでいた。
バストイレ共同の安アパートを3棟持つ土地持ちの大家さんは、近辺でも唯一という近衛師団出身が誇り。
戦後は東京で商売をして小金を貯めてから、郷里に戻って、もうけ度外視でアパート経営に悠々自適だった。
家賃を払いに行くと、「まあ上がれ、呑めや」
昼日中から安酒に小ダコ(近くの漁港で知り合いの漁師から貰ってきて醤油で丸煮。まずい)を出してきては、
近衛師団の時の話を繰り返し聴かせた末に、カップラーメンや野菜をたっぷり持たせてかえしてくれたものだった。
もうご他界されたろうが、大正ヒトケタの豪快なお人だった。懐かしい。
>>425 皇軍の兵士は……
この中にいる!
└───v────
| なんだって!
└―v―┬─――――
| 誰なんだ!
Λ_Λ └―v――――─
( ´Д`)
/ J J ∧_∧∧_∧∧_∧
|. | ̄ ̄ ̄| (((( ´Д (Д` (Д` ) )))
し| | ( ( ( )
| |
|___| ええーーーーー!!
/∩ Λ∩ └─v──‐v──‐v──
(ノノД`)ノ ミ
/ / ムー!ムー! ∧_∧∧_∧∧_∧
| (;゚□゚) (Д` (Д` (Д` )
し ((<( ヘ)ヘ )) ( ( ( )
>>385 大川さんです
うちのばあさまによると大川周明の祖母は町に名前が知られるほど躾が厳しい方だったとか
435 :
名無し三等兵:2008/05/14(水) 00:41:36 ID:zV1m/sqR
俺の曾じいさんが日本海海戦で軍医として
三笠に乗ってたらしい。かなり偉かった人なのか
勲章が5個くらい今でもばあちゃん家にある。
436 :
uaa:2008/05/14(水) 01:04:00 ID:MJWwgx8K
>>434 父方の祖父さんが市内で祖母さんが寒河江なんだけど、甘粕正彦も山形だよね。危ない思想の奴が多いwww
曾祖父さんがどこかの温泉で無職時代の甘粕正彦と一緒になって意気投合したそうだ。
でも、祖父さんや祖母さんと話してると、米沢は”同じ山形”って感じだけど、酒田や鶴岡は他所のクニって感じだった。
437 :
名無し三等兵:2008/05/14(水) 01:26:08 ID:Uuw2dzl/
爺様ではなく、高校の技術の先生が元陸軍少尉殿で、
8月6日に広島にいたらしい。つまり被爆者。
8月6日に部隊から司令部へ軍刀の完成本数報告に行こうと宮島あたりで市電を待っていたが、
乗ろうとした電車は混雑し、見送った。
その電車が広島市内に入る時間に8時15分。
本人は直撃を避けた。
その後被災地で救助活動。
この体験を先生本人が生徒の面前で「自慢」するものだから、
被爆体験談なんか疑って聞くようになりましたよ。
その日生徒達は「なんで電車に素直に乗らなかったんだ!」
と言う意見が多くって・・・・
豪傑だったもんなぁ。
広島は宮島の方でで軍刀の製作?どこの部隊にいたんだ?
>>437 幕末期、関門海峡防備の武器作成の為、
岩国藩が藩出身者で江戸で刀工となっていた人を呼び返し、
以後、広島の大竹にて日本刀や日常生活の刃物(大竹手打刃物)を作成する様になりました
彼ら大竹の刀工等は、軍刀の需要拡大の為に軍部の肝いりで軍刀を打つようになり、
鍛錬場を宮島に開いた様です(歴史的にそう言うのに向いた場所だから)
当然、軍に納入する物ですので、軍から監督官が来ます
自分が中学時代に歴史を習った先生は、
戦時中広島で船舶工兵をなさってたとの事でした
被爆の直接の被害はあまりなかった様ですが、
「・・・その後の1ヶ月は酷かった。もう思い出したくもないくらい。」
とおっしゃってました
爺ちゃんは生まれついてのちんばであれじゃあ嫁ももらえんと言われてたのが、村の同年代の男性が戦死しまくって
女余りになって、選り取りみどりで嫁さんがもらえることになった。それで美人で山餅の嫁さん貰って戦後の不動産ブーム
で大儲けして2,3号も作って道楽の限りをつくしてしんだ。人生塞翁が馬ということだね。
>>436 昔の藩割りじゃないの?上杉と酒井じゃ全然違うし。
441 :
名無し三等兵:2008/05/14(水) 22:47:23 ID:Mzx1Y0K3
昭和19年夏に一号作戦で負傷した陸軍大尉の親戚が帰国した時、あまりにも内地の人の
暮らしがひどいので驚いたそうだ。大人も子供もみんな栄養の悪い顔をして、もう一つ驚いた
のが新たに編成される部隊を将軍閣下の閲兵に付き合って見たとき。
兵士の服や装備が見るからに安いっぽいか古いか、みんなおっさんばっか。
これで本土決戦できるのかと密かに泣いたそうだ。
442 :
名無し三等兵:2008/05/15(木) 00:51:59 ID:F66NHJTS
>>438 勉強になった。ありがとうと言いたいが・・・・・
実を言うと、父方の大叔父はその歴史の先生と同じ船舶工兵の
幹部候補生で8月6日にアレを喰らって14日に死んでしまったらしい。
まさかと思うが神奈川県出身?
りりーすゆあうぇぽん
他界した祖父の話。
アメリカ軍が上陸していたフィリピンにおいて味方の飛行場を死守する為に基地守備隊として配属される。重機関銃や軽機関銃が不足していた為に、飛行場周辺の大破して壊れていた友軍の航空機から7.7ミリ機銃や20ミリ機関砲を取り外して使用したそうです。
445 :
名無し三等兵:2008/05/17(土) 21:37:14 ID:gsYykMJM
>>続き
飛行場は占領され守備隊は壊滅しましたが祖父と部下3名は瀕死の重傷を負いながらも捕虜になり助かりました。
祖父は航空機用の7.7mm機銃で陣地を守っていたが、アメリカ軍の戦車砲を至近距離で受けた為に奮戦むなしく惨敗したと言ってました。
父方は軍医として満州へ言ったと聞く
母方は広島で軍曹だったとは聞くも、体には傷痕が多数在るだけで
8月16日に何故無事だったのかは不明のまま天命を終えた
あまりこういう事は言いたくないんだが。
君ら日付を間違え過ぎるぞ
素で知らないのか分からんが、もしミスタイプなら
書き込む前に確認した方が良い。
>>444臨時で戦車の車載の重機を使用した例や貴方のお爺様のその話のように
故障した戦闘機の機銃を陸上で固定銃座
として使っていた例は割と多く見掛けるね。何でも利用出来る物は利用するのが日本軍流。
>>439 現在の日本人が軟弱なのは、そこに原因がありそう。
今徴兵制があったとしたら、兵士適格者はあまりいなさそう。
今年の終戦記念日を以って、祖父の戦友会は解散する
>>448 資材不足からなのか、竹で弩を作って弓矢部隊とか編成したのもあったらしいね
まぁまぁ利用出来るw
>>451 考案者がその道の専門家だからな。
徹甲弾こそ撃てないが、砲丸や手榴弾から糞尿袋にペスト患者の死体まで、
手当たり次第ブン投げるにはもってこい。
454 :
名無し三等兵:2008/05/18(日) 01:10:45 ID:hGDgvgYE
曽祖父が戦死した時に呉鎮守府司令官(総督?)から曽祖母宛てに来た手書きの
手紙が残ってる。
機関長だったって聞いてるが、それなりの階級だったんだろか?
>>454 艦種にもよるがそれなりなんじゃないかな。
>>455 艦種は分かんないんだわ。ただ真っ白な詰襟の軍服姿で手袋して制帽を
脇に抱えた写真は見た記憶がある。
皆知ってるとは思うが、知らない方へ。
>>452のカタパルトの考案者は彼の大山巌の御子息、大山柏少佐。
考古学者でもあり、古代ローマ時代のカタパルトを復元して20kgまでの
対戦車爆雷を投擲可能な代物だったらしい。
加えると大山柏氏は縄文農耕論者
887 :名無し三等兵 :2008/05/13(火) 00:56:13 ID:???
バイク板より
【心霊】バイク乗りの心霊体験part8【死神】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/bike/1191918543/l50 724 名前:774RR 本日のレス 投稿日:2008/05/13(火) 00:33:26 ndQY0HPO
霊なのか偶然なのか。まああんまバイクと関係ないんだけど
俺のじいちゃんは軍艦乗りだったのよ。軍艦っても駆逐艦だけど。
んで、俺が小さい頃とかよく自慢してたわけ。日本の艦はすごいとか。
で、そのじいちゃんがそろそろヤバイって時、じいちゃんがうわごとのように
「艦が迎えに来た」「仲間が迎えに来た」って言ってたのよ。
そしてしばらくして、俺がバイク乗ってたら、かすかに軍艦行進曲が聞こえてきた。
実際聞こえてたかはわからないんだけど、頭の中にすごい響く感じっていうか、
なんと表せばいいかわからん。
最初は併走してる車か、どっかにバカチョン右翼でもいるのかと思ったけど、どうも違う。
んで、家に帰って携帯見てみたら、実家から電話。
着信の時間は、ちょうど軍艦行進曲が聞こえてた頃。
電話したら、じいちゃんが亡くなったとの知らせ。
後にばあちゃんから聞いたんだけど、じいちゃんは観艦式で乗ってた駆逐艦の準備指揮を取ってたらしい。
その後、米の潜水艦の魚雷で爆沈。じいちゃんは重症で終戦まで入院。
仲が良かった戦友はその時みんな死んでしまったらしい。
あんまり怖くないけどwwww
725 名前:774RR 本日のレス 投稿日:2008/05/13(火) 00:51:02 b3ibEO46
なかなか深い話やね。
てか魚雷食らって生き延びたじいちゃんすげーww
駆逐艦って軍艦だっけ?とか無粋なことを言うw
>>460 何だっけ、艦首に菊の紋章が着いているかどうかで分けるんだっけ?
>>461 菊花紋の有無で分けるというか、御紋が軍艦に付けられるものだから。
wikiぺによると、殊勲艦には軍艦でなくてもつけてたらしい。
模範解答は艦艇か。
>>457 バネは自動車用の鉄の奴だがなー。このエピソード見るたびに白魚の天麩羅食いたくなって困る。
(当時の根室では網にかかった白魚をぞのまま捨ててたので、飯はあるがおかずに困っていた柏少佐がただで貰い受けて天麩羅にしてみたらウマかったそうな)
お祖父さんは日系人部隊でイタリアで戦ったと聞いております。
>>459 いつも思うんだけど、霊ってもんがあるなら敵前逃亡の富永とか特攻の黒亀とか
どうしてとりつかれないんだろうか。なんか全然関係ない人脅かして喜んでる
霊が多すぎ。
>なんか全然関係ない人脅かして喜んでる 霊が多すぎ。
そーゆーのはオバケとか妖怪とか。
人じゃなく場所に付いている、いわゆる自縛霊。
WWUじゃ各陣営、相手を呪い殺そうとしたり、占いで作戦決めたり…
>>466 悪逆非道の外道が幸せに天寿をまっとうするなんていくらでも例があるじゃんか。
この世には神も霊もねえよ。
あるのは力の論理だけ。
富永の場合は何故祟らなかったのか、ではなく
何故銃殺刑に処さなかったのかが問題だろう。
敵前逃亡は明確な軍規違反にもかかわらず、だ。
>>469 下に厳しく上に甘いのは日本の組織の特徴だからしょうがないんじゃないか。
>>470 だからそれが問題だと言うとるんだ。
戦闘機搭乗員だった祖父をシャーマンのキャタピラの脂にしておいて、
テメェ等だけ逃げてのうのうと生き延びた奴をしょうがないの一言で
済まされてたまるか阿呆。
>>471 しかし実際問題としてもうどうしようもないのも事実でしょう?
あなたが『二代目・神軍平等兵』を名乗って先代さん同様の活動を行えば、別ですが
473 :
名無し三等兵:2008/05/20(火) 21:09:28 ID:qiBsU5oH
うちの近所のおっさんが、ビアク島での遺骨収拾に、参加してるみたいなんですけど、玉砕したのはどこ出身の部隊なんですか?
>>466 そのために地獄ってものがある…んじゃね?
うちのじーさんは支那事変の初期頃に徴兵されて輜重兵をやってたらしい。
ただ、盛岡連隊区で事務だけやってたのか出征もしたのかは知らん。
俺が生まれる前に他界したからね。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
>>476 お前は何を言ってるんだ?
現場の教師のことをもう少し考えたらどうだ?
この前授業参観の後、教育方針の説明会のようなものがあった。
現場の教師は子どもたちの国語力の低下を痛切に実感しおり、
読書を推奨して語彙を増やさせようとしたり、
テーマを与えて発表内容を子供に考えさせて文章力を付けさせようとしたりと
色々と工夫をしている、という説明を受けた。
しかし授業時間そのものが少ないからとても大変だということらしい。
そこで俺は考えた。
土曜日の授業を復活させて、教師の休みを月〜金に分散させるのが一番だ。
授業週6日制復活、やっぱりこれしかないな。
>>476よ、おまいさん、なかなかいいことを言うじゃねぇかw
土曜日は自習のはずのに案の定子供たちは遊びほうけてるからなぁ
でも毎日の宿題は遊ぶ暇もないほど出されてるよ
放課後は遊び放題だった昔とは随分変わった
今の子供たちはかわいそうだ
あれじゃ歪みも出てくるよ
>>479 テレビ内容を詳しくヨロ
坂井さんは右も左もなく戦争で学んだ事を脚色せず現代人に伝えてくれた。
こんな人を指差して「人殺し」と言う若者には耳を疑ってしまう。
坂井氏は戦後医療関係のパイロットとしても大きく貢献したしな
赤松さん・・・
俺の爺さんは戦中生まれで、名前を信政で、旧姓は辻(婿養子なんだ)。
曾祖父が「天下の英雄の辻参謀にあやかりたいが、
そのままというのは恐れ多いから、順番を入れ替えよう」と名付けたんだそうだ。
で、戦後。
祖父は旧軍上がりの上司達に
「貴様、いい名前しとるのお。あの糞の親戚か、ん?」
といびられまくったらしい。
ロクなこと無いなw
足利出身の爺さんは不忠者の子孫ということで気合いを入れられたって言ってた。
>>486 そういう話をけっこう聞いたことあるな、戦前は皇国史観に支配されていたので
足利尊氏は謀反を起こした超大悪人とされていた
そのとばっちりで足利市出身者はかなり肩身の狭い思いをし、差別を恐れて出身地を隠したとか
じゃあ、新田さんや楠木さんや北畠さんはもてもてだな。
今でも右翼に殴られる可能性あるらしい
>足利出身
491 :
名無し三等兵:2008/05/22(木) 21:32:08 ID:wUAUk1lp
>>490 出身地だけで行動を決めるのは酷すぎじゃね?
生前の婆ちゃん(明治生まれ)は「足利尊氏は賊軍」と頻繁に言っていた。
当時、左翼教育に洗脳されていた漏れは「軍国主義の影響は酷すぎ」と
心の中で唱えていたw。
今となっては足利尊氏を良い方向で評価すればいいのか、そうでない方向で
評価すればいいのか判断に迷うw。
ついでに婆ちゃんは「ドイツがソ連(当時)を攻めている間に極東から
日本がソ連(当時)を攻めればモスクワは陥落した。
あのチャンスを逃した政府の責任は大きい」と言っていた。
要するに北進指示者だったのかな。
492 :
名無し三等兵:2008/05/22(木) 22:59:22 ID:ZsA3AWs5
今は亡き伯父さんの話。
駆逐艦乗り(名前失念)だったが、米潜に雷激され撃沈。二晩、浮遊物にしがみついていて
「もうだめか」と思った時に戦艦武蔵に拾われたとのこと。
自分のいた駆逐艦よりも武蔵の飯の良さに驚いたと言っていた。
>>491 たのしい婆ちゃんだなw
モスクワ落としてもソ連にゃかてねーけど、当時のひとはみんなそう思ってたみたいね。
>>491 尊氏は源氏の代表者として武家の利益を図った。
後醍醐帝は過去の理想に染まった復古主義者。
尊氏が逆賊なら昭和陸海軍だって逆賊だよ。
>>494 逆賊かそうでないかは動機や目的で決まるのか?
坂井さんのテレビの話で思い出したけど、以前何かの番組で硫黄島戦の生き残りの方の言葉は胸に響いた。
番組内で戦争反対を叫ぶ方々はそもそも戦争のことを良く知らないのか
日本兵=天皇陛下万歳を唱えながら国に騙されて死地に追いやられた被害者→今は皆戦争が嫌いで大日本帝国を恨んでる。
みたいな在り来たりな考えしかないようだった。
だから生き残りのご老人が
「もう一度戦争に行けと言われれば行く。それが当然だし行かないと家族を守れない」
とキッパリ言うと皆黙り込んでた。
「お孫さんが戦争に巻き込まれたり戦争に行くことになっても良いんですか?」
とか言われてもビクともせず堂々と言い返してた。
内容抜きにしても両者の言葉の重さが全然違って感じられたよ。
BB弾と大砲の弾くらい違った。
そんなもん人次第だよ
うちの爺さんはもう二度と行きたくないと行ってたし
>>498 「好きこのんでいく」という意味合いだと勘違いしてない?
「どうしても行かなければ済まないような状況になったら」という話でしょ。
どんか状況でも行きたくない人もいるだろ
そんなもん人それぞれだよ
重みという点では従軍者同士で語り合ってるの見てみたいな
>>499 戦争なんか行きたくなかったけど、嫌々行ったんだって話してたからそうじゃないと思うよ
格好つけて本当の事言わなくたって誰もわかんないのに、爺さん正直だなって、ある意味感心したわ。
「あー、戦争なんてやるもんじゃねえよ。殺されるかもしれんし、
殺すかもしれんし、昼飯一緒に食った友達が次の日には死んでるかもしれんし。
二度と行きたくねえよ、ほんと。
でも、俺が鉄砲持って戦えばくに(故郷の意だと思われる)に落ちてくる爆弾が
一発でも減る……ってのは言い過ぎでも、爆弾が落ちるのが一秒でも遅れるっていうんなら、
やっぱり行かずにはいられんよなあ」
とうちの爺が申しておりました。
俺の爺ちゃんも「オーストラリア兵を何人も撃ち殺したけどその感触がずっと忘れられない。戦争なんて二度とやるもんじゃない」とよく言ってた。
飛行兵なんかと違って陸軍の兵隊は直にやりあうからそういうふうに思うのかもね。
>>503 ヴェトナムから帰還したランボーもそんなこと思ってたんだろな。
>>503 そういう心情に付け込む指導者は糞だが、
そういう心情自体は尊いものだよな。
>>503 犯される前に股を開こうっていう某プロ市民に聞かせてあげたい
>>504 『戦争における「人殺し」の心理学』によると、まさにその通りらしい。
飛行機、戦車、大砲などで戦う場合、物理的距離や間に機械が存在しているという事実が
殺人に対する嫌悪感を緩和してくれるらしい。
あと、相手が車両や艦艇や航空機だったりすると、
「俺が撃ってるのは「人間」じゃなくて「飛行機」だ」みたいな認識になって、
殺人をしているという意識そのものが希薄になるらしい。
ガンダムを降りた時のアムロみたいなもんだな
職業軍人だった俺の爺さんに同じ質問した事があるが、
「何回起きようが俺は行っただろうなぁ、それで飯食ってたし」
と笑ってた。
ビルマで迫撃砲弾食らって片腕飛ばされた人の言葉だ。
終戦での地方人の豹変ぶりにあきれはてたと言ってたな。
玉音放送があった後、上官の命令で警戒態勢をとかずにいたら通りがかったおばはんに
「戦争終わったのに何やってんのあんたら」と笑われたらしい。
兵隊さんご苦労さんですからいきなりこれだからな。
そのおばはんにとっては兵隊は有難いものじゃなかったって事なんだろ
別に不思議は無い
玉音放送前後に警戒態勢にあったのは一部の部隊が徹底抗戦を唱えて
武装蜂起する恐れがあったからなんだがなぁ。
まあそんなことを民間人がすぐに理解するとも思えないしね
516 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 08:02:56 ID:oLBiNukX
満州→シベリアでやっと帰ってきて、消防士になり、火事場で殉職。
どういう人生だったか、話してみたかった…
ちなみに、東京消防庁で戦後殉職した20人ほどのうちの一人。
第2回の学徒動員(明治神宮で雨のヤツ)で出陣。
陸軍航空隊の見習い士官・特別操縦生として養成を受けました。
特攻隊志願の意思確認の時、末弟だった自分は即座に志願。
しかし、部隊で長男や一人っ子だった何人かは拒否、偉い奴らだな〜と思ったそうです。
終戦時はポツダム中尉、訓練は部下?の下士官に受けていたので、指揮をしたのは、帰省時の連絡船で最上位者として満員の兵士を整列させた時だけだとか。
自慢は一家伝来の刀を仕立て直した軍刀だったとか。
518 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 10:17:30 ID:mfoFyu6F
家のじいさんは早死にしたので
直接聞いた話で無いけど、
身体が弱かったので兵役検査?では不合格・・
しかし九州出身の人だったので、
男子として親戚に顔向けできない。
そこで音楽学校出だった事もあり、
陸軍の軍楽隊に入り指揮者をしてたらしいっす。
中国とかにも出征していた事もあるとか・・
そんな訳で、殆ど実戦は経験せずに
名目上結構上の階級になり、
ピストルも携行?していたとか。
子供時代のウチの親父がピストルに触りたがると、
「子供が触るもんじゃない!」と怒られたそうな。
戦後になり、すっかりアカに染まったウチの親父が
「親父はあの侵略戦争で人を殺さなかったんだね」
などとほざくと、
「俺もあの戦争に参加した事には変わりは無い。」
と静かに一喝したそうだ。
そんなじいさんは戦後十年ほどで病死しますた。
会って話がしてみたかったなあ。
519 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 10:43:09 ID:o9bUi7o/
小学校時代の先生の話。
当時55歳くらいか?
偵察機の通信兵だったらしい。
との先生の話によると帰還または特攻を免れた兵士の話では
天皇陛下万歳なんてする兵隊は皆無だったらしい。
発狂する者、「母ちゃん」と叫ぶ者、ウツ状態で一言も喋らない者
些細な事でケンカをする者。
美談なんてなく地獄そのものだったらしい。
520 :
名無し三等兵:2008/05/24(土) 23:05:17 ID:cL9Lmt5e
漏れの祖父から聞いた話。
戦場は中国
ラクダに乗った事がある
こっちはパンパン、向こうはダダダダッで戦争にならんかった
但し戦闘はたまにある程度で、割とのんびりしていた
ちなみに姫路の連隊所属。部隊名とかは聞いてないが。
523 :
名無し三等兵:2008/05/29(木) 20:28:08 ID:H4d3PTad
すいません、ちょっとお聞きしたいんですが、九州の熊本にあった連隊に詳しい方はいますか?
524 :
名無し三等兵:2008/05/29(木) 21:33:21 ID:BtWCQ3sv
>>519 ウチのジーサン
地獄のニューギニア戦線の生き残りだけど
天皇陛下万歳って死んで言った兵隊が
多かったらしい。
525 :
名無し三等兵:2008/05/29(木) 23:19:02 ID:S6v1qckZ
キムジョンイルマンセーみたいでやだな。もっとも、陛下とは比べる意味が無い糞だが。
私の大伯父はレイテ島に増援部隊の大隊長として赴任し、戦死しました。戦史業書やレイテ戦記にも部隊の行動は出てくるのですが、本人の戦死がいつだったのかは判りませんでした。
レイテ戦についてこれらより詳しく書かれた本はありますか?ちょっとスレ違いの質問ですいませんが。
大隊程度の小規模部隊まですべからく網羅している
本って思いつかないな。
529 :
名無し三等兵:2008/05/30(金) 12:31:04 ID:agDboal7
祖父はフィリピン・ミンダナオ島から生還した人だけど、戦闘中、弾がビュンビュン飛んで来てるのに、
蛸壷から、いきなりスクッと立ち上がって、「天皇陛下バンザイ」とか、「母ちゃん」って叫んで、わざと敵弾に当たって死ぬ兵士が結構いたと言ってたなぁ。
日本軍は弾も食糧も無くなって、極限まで追い詰められた状態だったのに、米軍の攻撃は鬼の様に凄まじくて、精神的におかしくなる人も多かったみたいだ。
>>526 実名出したら誰かが見つけて来るかもよ。
>>526 レイテに行った大隊長がどれだけいると思っていやがる。
名前出してくれ。
>>526
部隊名でも出しやがれ。
すべからくおしえろ
526です。
仕事帰りで何も手元にないのですが、第102師団の第171大隊長で階級は中佐です。精鋭などではなく、中部フィリピンの治安部隊を急遽形だけ統合した師団で装備も相当悪かったようです。
独立歩兵第171大隊(抜10633), 田辺中佐
第35軍管下 第102師団 福栄真平中将 23期 セブ島 イリハン
歩兵第77旅団 河野 毅中将 23期
独立歩兵第170大隊 戸塚良一中佐 30期
独立歩兵第171大隊 田辺侃二中佐 32期
526です。
大伯父は田辺侃二です。早くてびっくりしました…。
538 :
名無し三等兵:2008/05/30(金) 23:44:34 ID:syAs01b+
一年以上前、厚木のジーサンの話を書き込んでいたものです、
ジーサンが他界され、書き込みを終わらせていたのですが、
久しぶりに訪れてみました!
私の父の事でも書き込ませていただきます!
父は予科練に憧れ、志願して海軍に入りました、
今も元気に存命ですが、
戦争当時の事はほとんど話しません、
どんなかったんや?
そう聞いても、何か遠くを見るような顔をして、
戦争なんかするもんじゃない、、、、それを繰り返します!
そんな父が語った数少ない話です、 沖縄にグライダーで突っ込んでいった、、、、
切り込んでいったのですが、
そんな特攻が行われました!
父は飛行場の兵舎横で洗濯していたそうです、
みんなが手を振り、走り、見送りする中、
夕日に向かって、グライダーが飛行機に引かれて、
ユックリ、、、ユクッリ、、、ものすごくユックリ上がっていった、
父は何かに取り付かれたように兵舎の屋根に上がって、
洗濯していたシーツを思いっきりふっていたそうです!
みんな機影が見えなくなるまで手を振っていた!
あの時のグライダーはユックリ上がっていった!
キレイな夕日だった!
そればかり繰り返していました!
父達は日本が負けるのはもう時間の問題だと思っていたそうです!
独立歩兵第171大隊
通称号:抜第10633部隊
編成地:パナイ島
補充担任:熊本師管区歩兵第3補充隊(旧歩兵第45連隊補充隊)
最終位置:パナイ島
大隊長:田辺 侃 中佐(陸士32期)(戦没)
副官:松村平三郎 大尉(戦没)
1943年(昭和18年)11月16日軍令陸甲下令によりフィリピン、パナイ島キャピスにおいて復帰した独立守備歩兵第37大隊を改称して編成業務に入り完結。
引き続き同島にて治安粛清作戦に従事した。
1944年10月20日米軍がレイテ島へ上陸。第35軍司令官は「鈴二号作戦」(尚作命甲)を下令し、師団先遣として大隊主力(一中隊欠)は24〜27日にかけ
機帆船にてキャピスを出発し、それぞれ25〜30日頃にレイテ島オルモックに上陸。直ちにカリガラを経由しハロへ向け前進途中11月2日カリガラ付近にて
突然米軍戦車の攻撃を受けたため、ナジソン川西方山地(717高地)へ撤退し同地の確保に努め、歩兵第41連隊の残兵とともに米軍戦車部隊と交戦を続け
兵力が半減するにいたった。 12月末ごろまでに軍司令官以下日本軍部隊が同島を脱出するなか大隊はレイテ残留となり歩兵第126連隊長指揮の金田支隊へ
編入され、カンギポット山東方地区にて米軍に抵抗を続けたが1945年(昭和20年)4月ごろまでに大隊長以下全員戦死したものとみられる。
パナイ島残留の第1中隊(長:野田中尉)は、キャピス飛行場警備に従事中、同年3月の米軍上陸により北部山地帯へ撤退したのち、自戦自活状態で
終戦を迎えた。
>>526 の大伯父貴殿へ敬礼っ
●
_ __ / / / /
│/ /ヽ=v=ノ
│| // (゚Д゚,(ヾ / ヾ ミ
│| | 。 y' ヾ ゝミ
│| 巛巛巛 | 。 〜 (ヽ//ミ
┝ 巛巛 ∪∪ ミ ミ
|..
彡∴. .
526です。
大伯父が最後まで部下と共に戦ったらしいことが判りました。昨年亡くなった祖母が生前どんな最後だったか気に掛けていたので調べ始めたのですが、報告できます。(続く)
(続き)539さん、ありがとうございました。いつか読んでみたいので、できたら出典も教えて頂けませんか。541さん、皆さん、ありがとうございました。私も装備劣悪な部隊で勇戦した大伯父を少しでも見習いたいと思います。
545 :
名無し三等兵:2008/05/31(土) 10:21:22 ID:px8KGAhr
>>540 義烈空挺隊は、十数機の九七式重爆撃機に分乗して出撃したから違うと思う。
>>540 グライダーといえば・・・
ドゥーチェ救出ですね。解ります。
>>544 フルネームでしかググらなかったのがまずかったようですね。お恥ずかしい…スレ違い、ありがとうございました。
>>547 あと、陸士関係の書籍あたった方がいいかもです
550 :
名無し三等兵:2008/06/01(日) 02:27:36 ID:v4yLAv6D
二年前に亡くなったおじいちゃん、昭和8年生まれだったはず。
戦時中、兵士ではないけど親戚と樺太に移住。
酪農?農家?で生活してて、そのときはロシア人より強かったらしい(力とかじゃなく)
終戦になって引き上げ船が来るって言うので、みんなで2日かけて山を越えて船のとこまで行ったのに着いた頃にはもう出航したあとでガッカリして戻っていったんだって。ロシア人に銃を突きつけられたとも言っていた。敗戦したから立場が変わったのかな。
次の船には乗れたから帰って来れたんだけど、前に乗るはずで出航した船は撃沈されたって聞いた・・
じいちゃんが持って帰ってきた飯盒には
カタカナで カトウ と刻んである
死んでしまった仲間の持ち物と交換したらしい
それからこれは戦争体験ではないのだけど
海部総理(だったかな?)から従軍者に対して感状が送られた来たときに
わざわざ軍服と軍刀借りてきて着替えて写真撮ってた
しかもモノクロで
凛々しかったな
>550
わざわざ出航させて潜水艦で撃沈したつーのは。
アカの考えることは。
じいちゃんは国民学校の教師で少年戦車兵に大量志願させて新聞で誉められた軍国教師
戦後は民主主義平和憲法万歳に豹変して教育委員会のボスになって91で大往生、
要領の良いじいちゃんだよ。
少年戦車兵になって戦死した子供の親からはひどく恨まれていたらしいけどね。
>553
うちも同じだわん。
でも大伯父を予科練に志願させて、特攻に出させた分恨まれていないハズ・・・。
引き返して着陸に失敗。
結局、大怪我して入院中に終戦になりますたが・・。
555 :
名無し三等兵:2008/06/01(日) 09:49:07 ID:6YhoucdB
我々一族の中で今も美談になっている伝説があります。
うちのお爺さんは第二次大戦前から海軍に所属していました。
海軍に入隊を熱望してたのですが、正式に入隊するまで若干遠回りして、
苦労しましたが、猛勉強して、入隊したそうです。
うろ覚えですが中偉だった様に記憶してます。
お爺さんは漁船を改造して造った、護衛艦の艦長でした。
その語り草になっている事件は真珠湾の時、起こったのですが、
お爺さんは3隻の船と、とある岬で待機している守備的な役目でした。
その岬で待機していると、日本の小さな蟹工船がロシアの不良の船(お爺ちゃん曰く海賊船?)
が猛スピードで近づき今にも襲いかかろうと、追いかけていました。
当時も漁船を襲い→品物金品を奪い→漁師を殺し→船を沈める。悪い輩がいたそうです。
お爺ちゃんも大使命があり、場面は岬に潜んでいなくてはいけない、あくまで守備でした。
目の前の蟹工船が捕まり悲惨な末路を迎えるのは、誰の目にも一目瞭然。
その光景を双眼鏡で目の当たりにして岬の日本軍の船艦は皆心配そうに見つめていました。
見るに耐え切れず、お爺ちゃんは部下に指示をだしました!次の瞬間
『ちゅるる…っ』
『ズッドーン!!』
『
556 :
名無し三等兵:2008/06/01(日) 10:25:27 ID:6YhoucdB
続き…
そう、お爺ちゃんはやってしまった。ロシア船にむかって、威嚇の一撃を命じてしまったんす。
岬に潜む黒く怪しくも凛々しく構える日本軍船隊www!!
それに気付いたロシア船は慌てて速度を落とし…イソイソとUターンし、
バタバタと手旗信号を振ってきました『本日はお日柄もよく…』
蟹工船は事なきを得ましたが、何故か更に猛スピードで逃げ去ってしまったらしい…。
その後、お爺ちゃんは使命に背いた事実を責められる覚悟していた様だが、
さにあらず。当時、の海軍は強くて、賢く、何よりも粋な男達なのでした。
寧ろ、当時、酒の席では、仲間の間でも語り草になったそうです。
ただ、もし、あの時目の前の蟹工船を見て見ぬふりをしていたら、逆に良くなかった。
つまり、船隊の全員の士気が下がり、良くなかったと上官や仲間もちゃんと理解したのだと。
どんな時でも人間、本当は美意識を求めているのだと。
組織を動かす時には美意識やハートが一番大事なのだと説いてました。
しかし太平洋戦争に関してお爺ちゃんは反省していました。
>>555 0点。つまらな過ぎ、考証からやり直せ。
後、国語の勉強も。
558 :
名無し三等兵:2008/06/01(日) 17:27:24 ID:ZvLEY0xz
坂井中尉は言ってることがやはり偉人だなーと思わせる。ほんとにすごい人だ小野田少尉もそうだし
自分とは違いすぎる。生物学上これから戦中の人たちは消えていくけど大いに学びたい。そして彼ら
を貶す人間がいたら自分の立場を超え徹底的に打ちのめそうと思う。彼らはもっと過酷な状況で
強大な敵と立派に戦いつづけたのだから
よく見ると創作が多いな。まあソース無しだからしゃあないけど、俺の経験からすると「辛い体験をした人ほど過去は語らい」だけどな。自慢気に昔話する年寄りには嘘つきが多いのも事実だ。
ボルネオ島から生還した、うちの爺さんも、酒を飲んで酔った時しか戦争の事を話さんかったなぁ。
食い物無くて、虫食っただの、マラリアで動けなくなった戦友に、自決用の手榴弾を渡して置き去りにして来た事への無念やらを、泣きながら話してたな。
>>559じゃあ本物の話を
おじいちゃんは熊本生まれ
学徒出陣で徴兵されて米軍が沖縄上陸後、15歳(16歳だったかも)で鹿児島に派遣
米軍はいつ鹿児島に来るのかとヒヤヒヤしてたら日本降伏。
戦争長引いてたら米軍が鹿児島に来ただろうし危なかったなー、とか思いながら熊本に帰った後、軍需工場で働いていたばあちゃんと出会って結婚
でも持病の喘息とたばこで肺ガンになって50台で死去。
まぁなんの変哲もない話だけど一応実話。
ばあちゃんは工場で働いてた頃にB29の爆撃を受けたことがあるとか言ってた。
うむ、うちの故・爺さんの話は特攻隊で出撃の番が回ってきそうなところで
終戦。生き残ってしまった。・・・で終わりでした。
詳細は語りませんでした。
助かった感想は?と聞くと、先に出撃していった志願兵に申し訳ない。と
嘆いておりました。
終戦後は、お国の盾として先に散っていった志願兵の大儀に負けぬように
がむしゃらに働いたそうだ。
爺さん曰く、お前も国のためとは言わん。人のため、大儀のために
尽くせるような誇りのある大人になれよ。と逆に説教されちゃった。
俺の会社の専務も、「家は旧家で代々高級軍人の家系」とか「厚木基地勤務だった」とか他にも勇ましい事言ってたが、突っ込んで聞くと話は二転三転、オチは「横須賀海防団に仮入隊したまま自宅待機」と厚木には「土嚢運んだだけ」だと。なら偉そうにしゃべるな!
ウチの死んだジーサンは横須賀で終戦迎えたんだが
厚木に来た米軍の護衛で沿道警備に
刈りだされたって言ってたな。
うちの母方の爺さんは呉の海軍工廠で働いていたが、
大和の建造に従事したのが唯一の自慢と言うとったな。
広島への原爆投下時も職場からキノコ雲が見えたらしい。
>>566 大和の建造?
当時の情報セキュリティー統制はどうだって?
機密情報だったろ?
>>567 厳重に口止めされてたんで戦中は家族にも言えなかったらしい。
本当は言いたくてウズウズしてたらしいが、憲兵の目が光ってて
もし後でバレるとおっかないから黙っていたんだと。
この話聞いてすぐに亡くなってこれ以上詳しい事は聞けなかったんだ。すまん。
吉村昭の「戦艦武蔵ノート」とは随分話がちがうな。
結構広範囲に知られていたということ。
祖父じゃなくて大叔父(祖母の弟)だが、19歳で海軍に徴兵されて
出征前は「氏にたくねえー!」って号泣していたそうだ。
結局戦死して、国から勲章が贈られてきて今でも家にある。
写真も家にあるが、美人だった祖母に似てイケメン。
この大叔父の弟は、当事は年齢が満たなかったのと
自動車整備の経験があったので飛行機の整備工場に回されて生還。
戦後はしばらく自動車整備工場を経営してた。今でも元気。
少年Hのエピソードにもあったが、手に職があると生存率が上がるな…
ウチの爺さんが馬鹿正直に秘密守ってビクビクしてる間に皆が
ベラベラ話して知れ渡ってたんかw
まぁさもありなん…そんなもんだろうな。
>>571 それじゃ意味が通じない。
「新型の画期的な巨大戦艦が造られている」という「噂」なら、希望的観測も含めて「広く」ささやかれていたといって構わないだろうけど、オープンに取りざたされたわけではないでしょ。
「ノート」によるなら、設計図紛失事件も、関係者でさえ全く知らないほうが普通だったそうだし。
>>574 いや、そういう意味での「広く」ではなかったはず。
ばあちゃんに聞いた話だが船乗りだったらしい。
相当なトラウマが残っていたらしく、戦争に関しては決して何も喋らなかったな
夏休みの宿題かなんかで聞こうとした時の辛そうな表情は忘れられん
ミッドウェーはとても美しい南国の島らしいが、誰か逝ったことないか?
第一航空艦隊一同
海自艦がたまに慰霊に立ち寄ってないか?
凄い新型戦艦とかの話は巷間広く伝わっていたと考えるが?…
秘密の厳守については相当なものだったようだよ。
何しろ栗田某がレイテ戦で司令官として座乗していたにもかかわらず、
主砲の口径を知らなかったと証言しているくらいだから。
それで、戦争に勝つつもりだったのか?笑い話にもならない。
>>578 アホウドリが住んでるだけ。
あと掘っ立て小屋の観測所が。 >現状・ミッドウェイ島
>>581 呉の大和製造現場の情報セキュリティーは万全?だったけど、
武蔵の三菱・長崎造船所は地形(長崎は坂の町)的に覗き見も、情報もダダ漏れだったとか
文献で読んだ。
武蔵進水でエライコッチャての聞いた事あるなあ。
>>577 人間として当然の感情。俺のじいさんも従軍してたらしいが家族は誰も何も知らない テレビで戦争特集とかあるとすぐチャンネル変えてたな
後期医療免除してもらいたいなら戦争体験を積極的に語り継いでもらわないとと思ったりもする。
逝きつけの模型屋の客のお爺さんの遺品から、
金剛かなんかの図面が出てちょっと話題になったっけwww
(とは言え実物拝んでないのでガセだったらスマン)
自分の祖父は442部隊でヨーロッパ戦線で戦いました。
588 :
名無し三等兵:2008/06/03(火) 12:11:41 ID:eHIQQ6FY
>>587 詳細を書き込まないと、ネタだと思われますよ
詳細はわからないんです。ただし祖父が着用していた軍服を保管してます。
ただの軍装マニアだろ
祖父の名と部隊名が分かっているのだから、なんとかなるだろう?
何故に2chで聞くのか意味分からない。
つか2chで聞くってのがネタっぽいつかネタ
戦後沖縄で空手教えてたんだろう。次!
母方のジーチャン、マニラ市街戦で戦った
米軍だけど
そういや(マニラ市街戦)、映画等で扱われたこと無いな。
ジャングルか沖縄ばっかで。
P・ライアンみたく良い絵づらで映画作れそうな気がするんだが。
>>587 442部隊って日系米人の部隊だろ。
君の国籍は何処よ。
マニラ市街戦って、日米両軍の戦いの巻き添え喰らった民間人が、10万人近く死んでるよね。
598 :
名無し三等兵:2008/06/03(火) 23:24:14 ID:YM7cRZPv
ウチの祖父は海軍の航空機部隊所属で、特攻隊員だったらしい。
いよいよ自分にも順番が回ってきたか?と思ったところで突然の終戦、拍子抜けしたらしい。
生きる目標を失い、戦後はヤンキーのような荒くれた生活をしていたとか。
そういう人多かったのかな。
特攻崩れって言葉になるくらいには
>597
殺しまくって罪被せてきたからな・・。
601 :
名無し三等兵:2008/06/04(水) 00:38:09 ID:XA6Hv6AB
祖父の経歴
師範学校卒業、物理学校在学中、海軍飛行専修予備学生として海軍航空隊に入隊。翌年、飛行学生教程卒業。元山航空隊の教官を経て、202航空隊戦闘303飛行隊に転勤。沖縄戦にて特攻機の直掩、敵機動部隊索敵攻撃、本土防空戦に奮戦。
終戦時は海軍大尉。
戦後は教育関係の仕事に携わる。
昨年、波瀾万丈の人生を終え、戦友達の待つ天国へと旅立った。
うちの母方の爺ちゃんは、自動車部隊(輸送専門?)に所属してノモンハンに参加して死ぬ思いしたそうな
その後退役して神戸の何かの工場に勤務してたんだけど、太平洋戦争が始まると召集され南方のマレーシアとか、
インドネシアを転戦してたけど、運良く帰国できた
下っ端だったんだけど、参戦した証の記章?ってのを2つ3つ持ってた
ノモンハンの時の部隊の本(隊員限定に配られた、満州周辺の活動記録本)みたいなのを持ってるから、
今度借りれたらうpるよー
ちなみに爺ちゃんのお兄さんは、ガタルカナルで戦死されてた
爺ちゃんの友人は特攻隊として鹿児島にいたけど、事故で外され、朝鮮半島に送られたらしく、
その方は鹿児島の知覧に、仲間に申し訳なくて行けない、顔向けできないと仰ってたり・・・
誰かの書いた戦中の回顧録に自分の爺ちゃんや曾爺ちゃんが出て来たら大興奮だな。
>>603 田舎の町の町史に「日露戦争で活躍した某」と出ておる(自慢)
他に自慢することはないかというと、特にない。 orz
>>603 戦時中に刊行されたノモンハンの本の中に出てた。
じーちゃん頑張ってました。
>>603 血縁者なのに書物か他人の回顧録でしか本人の言葉を聞けないってのも妙な気分だぜ。
>>601 爺さんの経歴もいいがお前は改行を覚えることから始めるんだ!
>>607 前半に改行なくても普通に読めるけど?
改行房ですか?
609 :
名無し三等兵:2008/06/04(水) 11:16:13 ID:M85UDkOv
前から疑問だった。PCの改行と携帯の改行では表示されたときに違いあるの?
けーたいのほうが画面幅が小さい(狭い)から変に見える時がある。
AAなんかズレまくり、縦読みもしにくい見にくい。
かなり前のスレで、原爆直後に救助活動をした第二総軍の方の話があったと思うんだけど、
誰かコピーしてもう一度貼ってもらえませんでしょうか?
先日、祖父からはじめて戦争当時の話を聞き、祖父も第二総軍にいたことを知り、
祖父に聞かせてあげたいと思いました。
すみませんが、どなたか親切な方、よろしくお願いします。
>>612 弁護人「お金はなかった?」 被告「はい」
弁護人「お金を持たずに食べたらだめなのはわかってるよね」 被告「はい」
弁護人「ホームレス生活をしていたのはなぜ?」
被告「3万円ちょっと金があって、ぷらぷらしていたら、働く意欲がなくなった」
弁護人「働くのそんなに嫌?」 被告「はい」
弁護人「ホームレスは楽しい?」 被告「辛いです」
弁護人「なぜ働くのが嫌?」 被告「仕事が楽しかった経験がない」
被告の勤労意欲を検察官が厳しくただした。
検察官「どんな仕事ならできるんですか?」 被告「建築現場の作業員の経験はある」
検察官「なぜ仕事が長く続かない?」 被告「楽しい仕事につけない」
検察官「あなたの考える楽しい仕事って何ですか?」 被告「ペンキ屋の仕事は長く続いた」
裁判官が厳かな態度で質問する。
裁判官「なぜ、家族とけんか別れになった?」
被告「『これからがんばる』と伝えたが、けんか別れになった。姉とは連絡が取れなかった」
裁判官「兄に情状証人になってほしいと思わなかった?」 被告「向こうから断られた」
裁判官「信用してもらうには、ある程度ちゃんと生活するしかない。きちんと働く気ある?」
被告「はい」
>>615 ここまで歪んだ解釈は初めて目にする。
Intelが半年後とに値下げを繰り返しているのは
第一にAMDが怖いから、恐ろしいから
第二にエラッタだらけのCore2Duo/Quadを投入せざるを得なかったから
以上に尽きる
利益を失うことよりも、たとえ実質1年と少しにせよ最高性能の
CPUメーカたり得なかった事実に恐怖して極度のパニックを起こし、
欠陥満載の製品を漏らしてその尻ぬぐいを続けているからに過ぎない
つまりはIntelは過去も現在も、そしておそらくは社としての存在を
やめることになるであろう将来に至るまで、
自らのプライドのみを眺め評価し、ライバルをたたくことにのみ
注力する、パラノイア企業という自負をただただ継続し、ついに
顧客や業界の発展については思い至ることのないままの
未熟な企業体として醜態を晒し続けるであろうという単純な構図に
ほかならない
本当に技術に優れた企業なら、ベンチマークのみ速くて利用感の不快な欠陥CPUなど垂れ流しはしない
以上の事柄は私がCore2Duo所持し感じたことをありのままに文章化したに過ぎない。
C2Dのもっさりぶりを感知できない白痴連中は一生インテルにお布施でもしてるがいいだろう。
>>616 AMDのCPUって何でL2キャッシュの容量がPenDC並みなんだ?
それでも780/690搭載M/Bで低価格PCを組むのには役に立つけど
>>611 下の2つは見た事あります、上のは記憶が曖昧なのでよくわかりません><
ありがとうございました
619 :
名無し三等兵:2008/06/04(水) 21:38:26 ID:f2VdwmqM
上の方に匪賊狩りしていた祖父の話がありましたがうちの祖父も中国軍の機関銃を使っていたらしいのですが写真を見せると
MG34を指さすのです。しかも妙なことを言い横に箱型弾倉がつくというのです。MG34はベルト給弾のはずです。
621 :
名無し三等兵:2008/06/04(水) 21:49:01 ID:nXFd/NV3
50発のマガジンあるよ。
MG34/42共通。
>>622 すまんが わからん
ベルトは255発
75発は初耳。でも俺も そんなに知識ないので。
624 :
名無し三等兵:2008/06/04(水) 22:44:38 ID:rgugIc4f
>>624 あー、そうそう、75発はMG15のサドルマガジンだ。
MG34に着いてる写真よく見るんで混同してたが、元はMG15のだったな。
だがMG15とMG34とはバレルジャケットがかなり異なるし、中国輸出だと
>>625の言う様にMG13の可能性大か?
627 :
名無し三等兵:2008/06/04(水) 23:58:20 ID:f2VdwmqM
MG13ですね。ありがとうございます
>>606 こっちが生まれる前になくなっているから当たり前なんだけど。
詳しいな〜〜〜
>>624 > …しかし本当に匪賊かそれ?
って、「中国軍(から分捕った)機関銃で匪賊狩り」という話でごわしょう。
>>628 MG30てスイスのソロータン製で制式採用はされず、使用は少数じゃ?
ただMG34開発のベースになったんで似てるのは言わずもがな。
MG35はスウェーデン生まれでフォアグリップ外してピストルグリップ
着けたBARみたいだが、こいつも武装SS位しか使ってないしなぁ…
632 :
名無し三等兵:2008/06/05(木) 13:38:42 ID:HzO/glL3
嫁さんのおじいさんと兄弟が戦争体験者です。
わりと大きい写真が3〜4枚飾ってありましたが、生き残ったのは嫁さんのおじいさんだけだそうです。
敵に撃たれた弾が体に残ってると言ってました。
軍刀も納屋にあるとも言ってました。その頃、戦争に全く興味も無くこちらから聞くことはありませんでした。おじいさんは2年程前に亡くなり私も離婚した今では詳しい話はわかりません。おじいさんは昔の人にしては身長180を超えていました。
>>632 とっとと再婚して軍刀もらってうpしてくれ!
私の祖父は戦前高等師範を経て教員をしていました。
旧制高校に行きたかったようですが親元を離れられない事情があったようで地元の高等師範へ。
祖父の亡くなる前後、教え子の方が訪ねて来られたりしましたが、話を聞いていると
軍国主義に追随するでなく反発するでなく、と言った様子で、よく耳にしたのは貧しい家庭の子弟や障害を持った子供達にも
分け隔て無く接し、また周囲にもそのような接し方を勧める教師であったようです。
なので私も祖父の戦時中の話は多少聞いたものの、余り深く聞く事もありませんでした。
直接祖父に聞いた話は、戦時中二度、満州と南方へ出征する機会があったそうですが
それぞれ子供を亡くした時期や心臓疾患が検査で発見されたりで出征しなかったそうです。
満州についても南方についても地元で少尉に任官して現地で大尉に任官する、といったものだそうですが
今から思えば長男で徴兵が免除されていたハズなのに士官に任官するのは少し不思議に思います。
祖父は明治終わり頃の生まれなので当時は30〜40ぐらいでしょうか。
終戦直後は教職に戻れず、暫くして教員に復帰し、定年前に紡績会社の役員になり
経理→総務・人事の担当者になりました。
祖父が亡くなって10年以上も経った最近、叔父がポツリと語り出した
戦時中の話に祖父の意外な話があり、なんとも不思議な心地です。
叔父の話によると
祖父は戦時中、地元で本土決戦に備えて県内の男性で編成された部隊を指揮するための
訓練を受けたりしていたそうです。夜間に車で迎えが来て県内の山間部を回ったり
管区の指令部に出頭したりという事もあったと聞きました。
戦時中の話を聞くのは好きで他の方々の話、特に従軍された方の話は子供の頃はよく聞きました。
ただ叔父から聞いた祖父の話は意外、というより全く聞いた事の無いタイプのもので
最初は叔父に担がれた?なんて思ってもみましたが叔父は実直な性格で嘘をつくような人でなく。
他にこのような話はあるのでしょうか?
またこの話が事実だとすれば祖父が語らなかった部分がかなりあるように思います。
国民義勇戦闘隊かな。
>>632 軍刀って戦後にGHQに強制的に没収されんかったん?
ウチの祖父も泣く泣く供出したって・・・
>634
一年志願兵の少尉ドノだろうけど・・。
満軍に転出したら上尉殿てな訳でもなかろうし。
639 :
名無し三等兵:2008/06/05(木) 21:56:37 ID:F4t9H9mA
子供だった爺さんは当然日本軍は勝ったと思っていたそうだ。
だから嬉々として兵隊に日本は勝ったんでしょう?と聞いたら、
負けちゃったよ。でもこれからは平和に暮らせるな と言われたらしい。
その時爺さんは何言ってるんだこの人は、早く倒しにいかなきゃと思ったらしいがな。
以上終戦時の話でした
あれsageなってないな。すまん
>>633 若いのがいいから無理。
>>634 >貧しい家庭の子弟や障害を持った子供達にも
分け隔て無く接し、また周囲にもそのような接し方を勧める教師であったようです。
いい話ですね。ちょっと感動しました。
>>634 GHQとはアメリカ側?地元の街は8年間も駐留軍がいたけど。
戦時に旧制中学生だった爺さんは少年Hみたいなやつは絶対おらん、あいつは後からの格好つけだと言ってた。
そんときはベストセラー作家に対する妬み乙とか思って冷淡な態度とってたがすまんことしたと思う。
>>637 小銃や拳銃よりも、刀のほうが取り締まりが厳しかったらしいな。
それだけポン刀片手の突撃がトラウマになってたんだろうなぁ……
うちの爺さんのこと
うちの家は貧乏で(爺さんのひい爺さんが博打で負けて、家と田畑を失った)
爺さんは小学校さえ行っていなかったそうだ。
だから、読み書きもあんまりに出来ず、
たまに「○○へいってきます」みたいなメモを残しているんだけど、
まが逆にむいてたり、すが下まで伸びきってなかったりしてた。
爺さんが軍隊のときのことを話すのはあんまりなかったんだけど、
そこで文字を覚えたことと米の飯が食えたことだけは少し懐かしそうに話してた。
(何というか、夕飯とかで麦飯が出ると、いやそうな顔をしてたw)
で、この四月に実家帰ったら、爺さんマラリア持ちだということが判明!
しかし、以前確かチチハルにいたという話を聞いていたはずなのだが…
このスレ見てて、
今度帰ったら爺さんに少し話を聞いてみてもいいかなと思います。
645 :
名無し三等兵:2008/06/06(金) 13:50:26 ID:1WmUkvo+
>>632 銃刀法違反で逮捕
知った時点で提出しないとアウツだよ
646 :
名無し三等兵:2008/06/06(金) 14:12:31 ID:tHcRWkzb
>>645 見逃してよ。もう離婚したんだし嫁さんの家とは関係無いよ。納屋にあるって聞いたから保存状態悪いと思う。どうせ錆だらけで切れやしないよ。つーか地元農家にけっこあるみたいだけど?
父方の祖父:中国へ出兵(狼に囲まれたり大変だったらしい)
父方の祖母の弟1:近衛兵
父方の祖母の弟1:戦艦武蔵乗組員(途中で爆撃に遭い漂流、駆逐艦に助けられるもまた撃沈と大変だったようだ。でも運良く生還)
母方の祖父:フィリピンへ出兵(電信兵だったらしい。オオトカゲをドラム缶で煮て食べた話とか毒茸で笑い狂った兵隊を敵が来るたび抑えてた話とかをしてくれた。)
母方の祖父の兄:レイテで玉砕(佐倉57連隊)
母方の祖母の兄:満州へ整備士として出兵
>>649 …!!
ちなみにとーちゃんはもう退職したけど海自でした。この叔父さんの影響があったんだろうか。
むかしのスレでフォレストがんぷのダン中尉みたいな家系の椰子いたぞ
652 :
age:2008/06/06(金) 23:58:20 ID:xLHY60CA
>>636 ググッてみましたが少し違うみたいです。
>>638 満州では関東軍だと言ってたように記憶してます。でも調べてみると
一年志願兵にピッタリ一致しそうな部分がありました。
>>641 ありがとうございます。私の記憶の中の祖父は規律に厳しくも穏やかな
性格でした。だから何というか軍務につく祖父はイメージし難かったです。
で、恐らく祖父は一年現役制(あるいは教職員であったことから六週間現役制
の可能性もありますが)で予備役少尉であったようです。
もう少し生きている間に色々聞いておけばよかったな・・・と思います。
少し調べてるうちに祖父から聞いた従軍経験では無いのですが戦時中の話などを
いくつか思い出しました。
記憶が微かであったり他の方に聞いた話と混同してるかも知れない内容なども
あるので、親戚の集まった時などに確認したいと思います。 では。
653 :
uaa:2008/06/07(土) 00:50:29 ID:PE0sAVf0
>>644 >爺さんマラリア持ちだということが判明! しかし、以前確かチチハルにいたという話を聞いていたはずなのだが…
俺もいまだに分からないことがある。
母が結婚前働いていた頃の上司なんだが、農学博士だったから徴兵されず、
戦争中は満州にいたんだけど、マラリア持ちだった。
満州にもマラリアがいたのかな?
小さい時に死んだじぃちゃんが
元海軍兵曹で1等巡洋艦乗りだったんだけど、
戦記もの読むと、海軍兵曹ってエライ鬼のように書かれてるわけだが
ウチのじいちゃんには優しい思い出しかないから違和感あるわ
満州でもソ連との国境地帯は疫病やマラリアの蔓延る湿地帯だったりするよ
ノモンハンの手記に必ずと言っていい位蚊の話が出てくるもんなぁ。
657 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 10:02:00 ID:WVcqITIZ
近所の薬局のじいさん(故人)の話なんだが、軍医としてビルマに赴任。
終戦間際は酷い有様で、とにかく逃げ回っていたそうだ。
当然負傷兵の治療などできる訳なく、敵中に置き去りにした兵には申し訳ない事をしたと
いつも泣きながら話していたな。
戦後は捕虜になり、イギリス兵(グルカかも知れないが)の扱いはかなり酷かったらしいが
軍医の待遇はまだマシだったらしい。ちなみに鳥取の連隊。第54師団なんだろうか・・・。
部下を無駄に死なせないために心を鬼にして指導をしたのだ。
ゆとりぬるま湯世代には解らんだろうが。
富永やら牟田口やら辻、東條あたりがその心情の一欠片も持っていたらと・・。
660 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 10:42:11 ID:oy15PNPE
うちのじいちゃんは戦争中3度死にかけたらしい。
1度目はビルマに出征していた時。
満期除隊になり、昇進か除隊かを決める際迷わず除隊を希望
日本に帰ったので助かった
そのままビルマに残ってたら確実に死んでいた
2度目はビルマから帰る時。
たまたま乗ってたじいちゃんの船だけ沈まずに無事だった
他の船は魚雷が命中して撃沈
3度目は知覧基地で警備兵をしていた時。
特攻機が整備不良で基地に戻ってきたとき、
本当はじいちゃんが誘導しなきゃいけなかったのに
後輩に誘導させたらしい
(じいちゃんは軍歴が長かったので当時いばっていた。)
着陸した特攻機のプロペラが外れて、その後輩は巻き込まれ死亡
身がボロボロに飛び散ったらしい
じいちゃんがもし3度、違う選択をしていたら
自分はこの世には居ない。
こんなことを言っては戦死した方々に大変失礼だとは思うが
生きるか死ぬかはやはり運だと思った。
富永恭次だけはどうしてもいいところが思い浮かばない。
東條と牟田口は「戦場から遠ざかるほど事態の認識が困難になる」て事情もあるし、頭が足りないなりに部下思いではあった。
辻は自分が銃弾の雨の中を飛び回れるからって他人にも蛮勇を求めすぎだし、一介の作戦参謀の分際で軍の統帥を掻き回したのは問題だけど、そういう性格は軍人としては分からなくもない。
富永だけは…。
662 :
646:2008/06/07(土) 12:08:26 ID:E+JmxCRW
>>662 刀狩りでぐぐれ。
お前ちゃんと学校卒業したのか?
664 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 12:56:44 ID:E+JmxCRW
>>663 戦後のGHQと秀吉なんか関係ないじゃん。
どっちも猿だし(W
>>665 馬鹿っ、ブッシュJr.と福田Jr.に聞かれるぞ!
日本人って国家代表をくじ引きで選んだり(足利義教)、サル(ヒデヨシ、竹下)やチンパンジー(モン吉)に国家運営を任せてみたり
やる気あるのかこの国民は?
668 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 14:15:22 ID:U3BdQo4r
心の余裕と遊び心…
GHQの軍刀狩りについては恐怖心もあったのだろうけど
「工芸品としての価値」を見出してそれで接収(もちろん個人的に)しちゃってた
兵もずいぶんいたようです。
GHQは兵に勝手な接収を禁止していたが、将軍の一人は5000振もの日本刀を
持ち帰ったのもいるとか。
駆逐艦「雷」に救助された英海軍士官が「雷」元艦長の墓参りに来日 というニュースが近頃あったが
この艦長も戦争の話は身内にも言ってなかったらしい。どんな話でも戦争体験は一生消えないトラウトになるんだろうな。
671 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 17:15:37 ID:+zIB25jI
>>670 空母に乗船した経験のある人の証言を雑誌で読んだけど、戦闘中は機関銃の
弾を運ぶのに忙しくて恐怖を感じなかった。
だけど戦闘が終了して周囲を見渡すと味方が片足を失って呻いているとか
映像再現するのは難しそうな生々しい数々の証言があった。
軍艦に戦闘船経験した元軍人の方には相当なトラウマがあると思う。
陸上で戦闘体験した元軍人の方にも相当なトラウマがあると思うがな。
結局、戦闘経験=トラウマと言いたいんだな?
673 :
名無し三等兵:2008/06/07(土) 17:45:11 ID:U3BdQo4r
多かれ少なかれ非日常なわけで
でもトラウマという性質のものだけじゃないと思う
トラウマになったか否かは人によるとしか言えないのではないかな
書籍『戦艦武蔵の最期』の生々しい惨状描写と映画『日本海海戦〜海ゆかば〜』の映像は今でもトラウマ
米軍による刀剣没収→刀狩り→豊臣秀吉、って流れのジョークも解せない奴がいるとわ。
敵兵救助の“武士道”実践 救助された元英国士官が恩人艦長の墓参で来日へ
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080607/trd0806071405011-n1.htm 恵隆之介氏の苦境を理解し、支援の手をさしのべてください。
恵さんは、沖縄集団自決冤罪訴訟に関して、またその他諸般の保守活動について、
なくてはならない重要人物ですが、現在、ご著書を出版されている草思社が倒産し、
予定の印税が一切入らなくなったため、大変な苦境に立っておられます。
恵さんはこれまで、すべてのご自身の活動をを自費でまかなってこられました。
カンパ活動をされたことはありません。恵様の苦境の原因は「この度不幸にも
小著を出版した草思社が倒産し」と書かれているとおりで、その結果入るはずだった
印税が1000 万円以上入らなくなり、それを予定して精力的に各種活動を展開されて
いたため、突然の事態に大変な苦境に立たれているわけですさらに今企画されている
サムエル・フォール卿日本招聘は、フォール卿がご高齢である事から一刻を争います。
そのためには約2000万円の資金が必要と予測されています。
「サムエル・フォール卿来日支援基金」の口座
何卒ご支援の程御願い申し上げます。
1.郵便局 口座番号 01740−6−135085
口座名義:サムエル・フォール卿来日支援基金
2.銀行 沖縄銀行首里支店
店番 : 127
口座番号:1393716
口座名義:サムエル・フォール卿来日支援基金
代表者 恵 隆之介
関係ないもん持ってくるなよカス
もうひとひねり欲しいな・・。
「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」@銚子電鉄通販再開。
みたいな感じで・・・・。
おまえも板チだうせろ鉄!
まあまあ、そうカッカせずに。
間をとって装甲列車保存基金で…
681 :
名無し三等兵:2008/06/08(日) 18:09:15 ID:bUyA+gmx
シナ関係での捕獲機関銃の話は面白いですね拳銃も結構捕獲され使用されていたようですが
そんな話の人いませんかね
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
>>680 斜め上に、
四式中戦車引き上げが、
思いもよらぬ『漁業補償問題』で頓挫した時は泣いた
684 :
名無し三等兵:2008/06/08(日) 23:52:06 ID:byafnqO9
じいちゃんは学徒出陣で明治神宮の壮行会で東条英機の演説聞いてたって言ってな
それで米軍の本土上陸作戦の上陸予定だった海岸で塹壕掘りまくってたけど上をB29が飛んでいくだけだったって。本気で国を守らないかんて思ったって言ってたな
本土決戦本当にやってたらドイツ同様分割統治は必至、人口も男子の1/3くらいは死んでたかも。
当時の戦略はとにかくどんな手を使ってでも相手に出血を強いて進撃を遅らせ厭戦気分を作り出すことだったからなー。
今のアフガンやイラクみたいになってたかも。
それを考えると昭和天皇様々だな。
686 :
名無し三等兵:2008/06/09(月) 00:06:36 ID:4WURyrxN
婆ちゃんの住んでた町には鳥取連隊が来てて、町中の家で何人の兵隊さんを泊められるかで競いあってたらしい
婆ちゃんの家には稲田っていう連隊長が泊まってて物凄く立派な人だったっていってた
周りはみんな勝ってるって信じてたけど訓練で銃の代わりに木の棒使ってるの見てこれじゃかてない思ったてゆうてた
終戦の時は本気で奴隷になると思ったらしい
これ
>>684、銃剣の一本も無いではないか。
の、九十九里か?
688 :
名無し三等兵:2008/06/09(月) 01:12:16 ID:YZQJ3ZuZ
じいちゃん方の従兄弟のじいちゃんは「信濃」に乗っていて
起きたら船が傾いていて、君が代を皆で唄ったらしい
何が何だか全く分からず、カッターに乗ってみんなでポカーンとしてたそうだ
「思い出は?信濃は大きかった?」と聞いたら
「蛍光灯がとても明るくて、みんなで喜びあった」と答えてくれた。「信濃」は艦内の照明が、どうやら蛍光灯だったらしい
俺のじいちゃんの話
日本軍通信士として中国に渡ったらしい。小渕総理さんの賞状も飾って
あった。
戦闘兵じゃなかったから戦死せずにすんだらしいけど・・
昔は醤油一升瓶をガブ飲みして胃とか悪くして戦争にいくのを
免れたひともいたらしい。
戦争の赤紙が来た時にじいちゃんは死を覚悟したらしいね。
ほんとに今は平和だ・・
>>689 醤油一升瓶じゃなくて、コップ1杯で充分。
醤油ガブ飲みなんかしたら、胃を悪くするどころか死ぬぞ。
胃に異常を来すよりも、血圧急上昇させて循環器疾患を装うのが狙いではないかなぁ?
高血圧と尿検でひっかかる。
前の夜に飲んで、渇きに一晩耐える必要がある。
>>683 >思いもよらぬ『漁業補償問題』で頓挫した時は泣いた
ありゃー・・・漁業補償ですか・・・
せっかく署名までしたのに・・・
「醤油で徴兵逃れ」は有名な話。
別スレより
710 :名無し三等兵:2008/05/11(日) 17:59:54 ID:???
爺さんがビルマにて経験した話
第二師団 歩兵第四連隊がビルマにいたころ、
山岳地帯の洞窟にある子供が居た
爺さんは、よくお菓子などを与えたそうだ
ちなみに、その子供は、目が1つしかなかったそうだ
(一つ目小僧のようであったという)
697 :
名無し三等兵:2008/06/09(月) 20:50:52 ID:DVd/2c8L
死んだばあちゃんに聞いた話
ばあちゃんは秋田県の出身なんだが、
能代飛行場を造るときに村人が徴用されたといってた
戦後は、茗荷畑になったといってた
能代飛行場でググってみて下さい
698 :
名無し三等兵:2008/06/09(月) 21:04:09 ID:+5ug7YF3
亡くなった祖父は戦争末期満州に送られて
ソ連の捕虜になったのですが
体が弱く、労働には使えないという理由で運良く日本に
戻されたと聞いたのですが
ソ連にしてはあまりに人道的?な計らいで
どうも信じられないのですが
こういう話はあったのでしょうか?
>>698 『アクチブ運動』に染まったクチだろ
(虚弱、は言い訳
んで公安に張りつかれたと?
701 :
名無し三等兵:2008/06/10(火) 00:31:52 ID:EwhgWv84
ウチの曾祖父は大尉時代平壌の朝鮮軍の中隊長をやっていて、祖母は其処で生まれた。
80歳を超える祖母は、未だに里帰りが出来ないで居る。
戦前の平壌の写真は沢山見せて貰ったけど、当時の東京を小型にした感じ+朝鮮半島の文化が入ってる
感じで、とても平穏な感じ。いまテレビで見る平壌とは大違いな美しい街だよ。
曾祖父はその後、満州→中国本土と大隊長、連隊長として勤務し、最後は沖縄決戦で第64旅団長(?)として参加(少将)。
野砲と迫撃砲、速射砲、機関銃を大量に運用すると共に、歩兵の斬り込みや夜襲などで一進一退の攻防を繰り返したが、
ジリ貧になってしまい、首里城まで撤退。その後戦火を交えながら最後まで戦い、1945年6月21日、副官ら少数幹部
と共に壕内で10`爆雷を使って自決。バラバラになったので遺骨すら残ってない。
牛島司令官達との交流があったのかは分からないけど・・・。どうだったんだろ。同じ同郷の士だし・・・。
702 :
uaa:2008/06/10(火) 03:24:54 ID:weyWr203
>>701 有川主一少将?
「 陸軍中将 有川主一小伝 」って本も出てるね。
>>698 ソ連は抑留者を死ぬまで扱き使うのがデフォ。
優先的に帰国出来たのは本気でアカに染まったか、超絶演技で責任者を誑かしたかのどちらか。
スターリンやベリヤの身も蓋もない実用主義を舐めてはいけない。
704 :
名無し三等兵:2008/06/10(火) 06:28:44 ID:sQVRzmvC
うちのヒィじいちゃんはイケメンで天皇陛下の隣を警備する係をやる予定だったが身長がたりなく落選!
706 :
名無し三等兵:2008/06/10(火) 16:48:45 ID:EwhgWv84
>>702 そうです。牛島大将や長勇中将が活躍しすぎてマイナーな存在ではありますが。
6月22日に鹿児島県護国神社で沖縄慰霊祭があります。ウチの母は「孫代表」なんです。
小伝はウチの蔵書です。
708 :
名無し三等兵:2008/06/10(火) 22:41:24 ID:EwhgWv84
>>707 恥ずかしながら、対戦車戦闘までやっていたとは知りませんでした。サンクスです。
自分は厨房の頃まで、日本軍は沖縄人を大虐殺した、と信じてたので、自分の曾祖父が陸軍の高官
だったことを恥じておりました・・・。
いまでも母の実家には当時の部下や沖縄住民の方々が訪問してきます。皆さんお礼を言って
涙ながらにいろいろ語ってくれるのですが、ニュースでは日本軍が沖縄県民に自決を強要したとか、
スパイ容疑で次々に虐殺したとかまことしやかに語られてますね。
どちらが真実なのか分かりませんが・・・
有川主一中将
鹿児島県出身
陸軍士官学校第25期(大正2年5月26日卒業、同年12月25日任官)
昭和14年8月1日 任陸軍歩兵大佐
昭和15年3月9日 歩兵第75聯隊長(第19師団、朝鮮会寧)
昭和19年3月1日 任陸軍少将、歩兵第64旅団長(第62師団)
昭和20年6月30日 戦死と認定、任陸軍中将、功4級
合掌
710 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 00:22:37 ID:fcWYiMaT
自分は軽〜い軍オタだけども…いやはやここの皆さんは凄い(笑)
で、うちのお爺さん。別に偉くもなんにもない徴兵だと思うけども北海道の旭川連隊に居たらしい。歌が上手いから(民謡とか江差追分とかね)よく上官に呼ばれて歌ったそうです。
あと、朝鮮とか中国人は一秒でバレる嘘ばかりついて好きじゃないとかいう貴重な?証言があったよ(笑)
ただ大量の勲章らしきのが有ったんだけどお爺さんは投げてしまった…もしかしたら貴重なのもあったかもね。
お爺さんの兄弟はシベリア抑留帰り。寒いとゲートルを巻いたりとかね。ナイス発言としては「シベリアに比べたら北海道は暖かい」「ロスケのバターと黒パンだけはまた食べたいなぁ」「ロシアのニシンはでかくて旨い♪」等々…
尚、北海道の日高の海沿いにはトーチカも現存しており皆様の御来道をお待ちしております♪
>>710 「投げた」って「捨てた」って意味だよね。
東北から北海道にかけて分布してる方言。
俺も北東北だから分かる。
重ね重ね金鵄勲章廃止したのが悔やまれる。
せめて受勲者には功級数に応じて恩給加算してやりゃいいのに…
俺のじいさんは、
「チャンコロはこすい」っていってたな
シベリア抑留が大変だったって話はよく聞くけれど、
抑留された皆さんはアッチのほうはどうしていたんだろうか?
ピー屋までは抑留されていないので、性欲を満たす機会はほとんどなかったと思うのだが。
>>714 看守の中には女も居たわけで・・・
俺の上司の知り合いで抑留された方が居たんだけど、
毎晩のように迫られたらしい。
なんでも、日本人のアレは硬いから気に入られたそうだ。
しかし本人曰く 「貧しい食事と強制労働で楽しむ余裕なんてねーよ!」
だってさw
抑留生活でそれが一番苦痛だった方も居るわけで。
>>701 一億人の昭和史の別巻「日本植民地史・朝鮮」で写真を見たけど、確かにきれいな町でした
今は見るかげもないですが……
718 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 14:52:18 ID:xH9Z822r
皆さんこんにちわ。ここを紹介されて始めて来てみました。
僕の祖父が何部隊だったか分かる方はいらっしゃいませんか?
手記があるのですが、断片すぎてよく分からないのです。
手記にある情報を書きますね。
「訓練地=加古川。県別ではなく混成部隊。特殊砲撃。早期訓練の後南京に入る。
南京にて腹痛。地元の中国人老夫婦に薬を貰う。無事に帰ることが親孝行、身体に気をつけろとお叱りを受ける。
その後上海、台湾のタカオ。シンガポールがなかなか堕ちず一ヶ月船底に待機。
一ヵ月後ジャワ入り。軍馬の足腰立たず。蘭人が逃げた後の民家から高級車を拝借。
イソラのホテルは目を見張るものがあった。
スマトラに入る。パレンバン防衛。上空にて戦闘あり。連合軍はすぐに降下。しかし味方は機体と共に爆弾となる。
偵察機は10000m。こちらの高射砲は7000m。ただただ歯噛みする。【続】
719 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 15:11:34 ID:xH9Z822r
捕虜のアメリカ兵は陽気。クリスマスまでには帰れると私に語る。
千人針の小銭を外しておやつを買いに行き店主に笑われた。
バナナ畑のバナナを盗むも、しぶくて食えず。管理者の地元民に怒られた。
隣りの製油基地が襲撃される。九州部隊壊滅。黒煙が三日三晩空を覆う。雨が黒い。
仲間がオーストラリア沖に援軍に行く。清水曹長の計らいにより私のみ税理として残る。
敗戦。
英国の捕虜。傭兵として現地の治安維持にあたる。
夜半過ぎ、地元人の拘留所の警備をしていると現地人が竹槍で襲撃してきた。
こちらは二人。地元民は投げ槍。にわか雨のような音と共に竹槍がふる。威嚇射撃にて応戦。
仲間がかけつける。事なきを得る。しかし混乱に乗じて捕らえていた者逃げる。
初めて人を撃つ。
逃げる背に撃つ。棒の様に垂直に跳ね上がり絶命。翌日回収に行くと真っ黒になっていた。蟻が血肉に群がっていた。
本国に帰れることになった。
終戦より一年経っていた。
独立のため来てくれないかと頼まれ、仲間の大半はマレーシアの傭兵となる。
少数にて本土に返る。
オーストラリア沖海戦は日本軍の全滅。
独立支援の仲間はついに帰らず。
戦友会を作る。……」
こんな感じです。これは何部隊なんでしょうか?
商品の単価が1万円以上場合、消費税の税率を8%にする。
商品の単価が1万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。
貧乏人でも1万円以上の物を買う時はあるし、金持ちでも1万円未満の物を買う時もあるので、
幅広い国民に公平な負担を求めるという消費税の基本理念は貫ける。
したがって当面の間、これが最善の消費税率と言える。
>>718 兵科は砲兵でいいのか?
昭和十六年に南方に派遣された部隊だってことだけはハッキリしてるが…。
蘭印に米兵の捕虜がいたの? クリスマスって1941のか42のかは書かれてないのか。
もっと詳しい人に任せよっと。
722 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 16:14:06 ID:xH9Z822r
>>721 祖父は高射砲部隊だったと祖母が言っていました。
祖父の上に清水曹長という人がいて、その上に五十嵐中尉、更に上に丸山中将という人がいたそうです。
捕虜のことはそれ以上の記述がありませんが、祖父は徴兵される前は先生をやっており、
中国語とマレー語と英語が話せたので上官にガクシャと呼ばれ捕虜と話すときの通訳などもやっていたそうです。
その英語がアメリカ英語なのかイギリス英語なのかまでは…。
クリスマスについてもそれ以上書かれていません。
僅かな情報から読み取ろうとしていただき、ありがとうございます。
加古川だと野戦高射砲じゃないか?
南京配属で丸山中将なら、第二野戦高射砲司令部っぽい
加古川の高射砲なら高射砲第3連隊か?
加古川にあった高射砲だと、高射砲第三聯隊
南京の防空なら、高射砲第16連隊か第21連隊、第22連隊
パレンバン防衛に当たった高射砲部隊なら、高射砲第101聯隊、高射砲第102聯隊、高射砲第103聯隊のどれか
再編されたりなんだりで、部隊名は代わってったと思うが
726 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 19:38:20 ID:P3gDYpBS
>714
女と酒は全く興味がなくなるらしいね
シベリヤ帰りの人が書いた本によると
ただタバコだけは欲求が無くならなかったようだ
かと思えば、極限状態に在る時程思いがけず勝手に股間が反応すると書き残す方も多いとか。
>>719 地元民に混じって新たな戦いに向かった元日本兵って本当にいたんだね。
ベトナム戦争にもベトコンと一緒に戦った日本兵がいたとか。
>>728 インドシナ戦争じゃなかったっけ?
まぁ、実際ベトナムやラオスには相当数の残留日本兵がいたようだが
730 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 21:32:38 ID:fwMhL5V6
>>726 タバコには依存性があるし吸っている時は空腹感と肉体的な苦痛と
精神的なストレスを麻痺させる作用があるらしい。
ビルマ・インパールで物資調達をされていた将校の回想録を読むと
タバコの確保に気を使っていた記載があった気がする。
タバコは軽いし湿気に気を付ければ長持ちするから戦場での娯楽品
として重宝したのかも。
731 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 21:35:26 ID:BP4Y3IMN
ベトナムでは殆ど反日感情がなかっていう話もあるね。
統治が短かったのと、「ベトナム帝国」を立てたことと、主戦場にならなかったことなどが原因かなあ。
フィリピンなんかは現地人が反日ゲリラだったわけで、その辺の違いは凄まじい。
逆に言えば煙草位しか娯楽が無いのか
>>729 インドシナにはゴロゴロいたそうだが、「ベトナム戦記」開高健によるとベトナム戦争にもいたという話を人伝に聞いたそうだ。曖昧ご免
>ベトナムでは殆ど反日感情がなかっていう話
>なかっていう話
日本軍の占領によって相当数の餓死者が出てたが
735 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 23:05:06 ID:xH9Z822r
こんばんわ。718です。
>>723 >>724 >>725 ありがとうございます!
いろいろ名前が挙がりましたが…すると僕の祖父は一つの部隊にいたのではなく、
転々とした可能性が高いということなんですね?
あと、もう一つ質問してよろしいでしょうか?
祖父は「清水曹長」に言われて下士官試験をわざと落ち続け、
ずっと下士官にならなかったそうです。
それなのに家には、祖父の当時の持ち物として、日本刀があります。
戦国時代の武士が使いそうなやつです。鞘は白木の鞘で、
何かを削り取ったあとのような凹みがあります。
なんで日本刀なんて持っていたんでしょうか?
>>728 なぜ故郷に帰ろうとしなかったんでしょうかね…?
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
737 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 23:28:49 ID:9vuxWos3
最近の話だとイラクとかチェチェンで戦った日本人もいるね。
>>735 訓練受けた部隊から小隊・中隊の所属する上位部隊・司令部が再編などで代わるのはよくある話でして
部隊名が変わるだけで、お爺様の戦友たちとは多分ずっと一緒だったんじゃないでしょうか?
部隊の通称や符号はわかりませんでしょうか?漢字一文字の
特に思い出ってワケじゃないんだが・・・・・・・・・・・・・
ウチの爺さん(当時陸軍大尉)は、当時看護婦だった婆さんと入院したとき病院で知り合って結婚したんだそうな
死んでからお袋に聞いた話なんだが、オレは
「それなんてエロゲー」とか「陸軍にもモギリがいたんですかw」
とか、そんな印象しか持たなかった
しかしあとから思い出してみると、オレってば、自分のじいちゃんというより
「帝国陸軍の大尉殿」
に顔合わすたびに、無礼極まりない態度を取り続けてたわけで、そう思うとちょっとぞっとした
>>735 部隊を移る事もあるだろうが、戦闘での消耗等々で、
他部隊の残存兵力と糾合して新たに部隊を編成し直す事もある。
刀については先祖が武士で家に代々あったんじゃないか?
人によっては軍刀用として作られた昭和新刀ではなく、
家に伝わる文字通り伝家の宝刀の拵を軍刀に仕立て直して
戦場に持参した方もいた様だが。
俺の家の物置にも同じ様な白木拵の脇差が残ってるが、
祖父は大正生まれで徴兵はクジで外れたんで戦地には当然出てない。
先祖は庄屋か何かで名字帯刀を許され、その刀が残ってるらしい。
741 :
名無し三等兵:2008/06/11(水) 23:53:30 ID:xH9Z822r
>>738 はい。戦友は、加古川から敗戦までずっと一緒だったようです。
通称かどうか分かりませんが、敵に第何部隊かわからなくするために、
隊長の苗字を取って五十嵐中隊と呼ばれていたときがあったようです。
その他にも隊長が変わるたびに○○(隊長の苗字)中隊と呼ばれたとか。
漢字一文字の部隊名は、申し訳ないですが手記には記されていません。
742 :
名無し三等兵:2008/06/12(木) 00:04:03 ID:gFv1D1vy
>>740 なるほど〜!
武士かどうか分かりませんが…
僕の先祖は、家系図を見ると明治初期あたりまでしか遡れないのですが、
その頃は岐阜の一帯を治めていたようです。
家は僕の曽祖父のときに没落しましたが、父の話によると、
幼少のころの家の物置には不自然なもの(大きな火鉢、屏風、馬印?など)が
多く埃をかぶっていたそうです。
ちなみに祖父は弟がいたんですが、体が弱かったため長男の祖父が徴兵されたそうです。
私の祖父(海軍)は、下駄ばき機に乗っていたそうです。
正確には覚えていないと言っていましたが、
P-38を2機、P-40を1機墜としたそうです。
B-17にも遭遇し、ヤリ合ったこともあるとか。
グラマンと交戦中、被弾して不時着したこともあるとか。
744 :
名無し三等兵:2008/06/12(木) 00:12:09 ID:LGdBDOjr
俺の知り合いの祖父は「回天」に二度搭乗し、今も生きています。
>>743 マテ
その撃墜数はさらりと言ってるが、かなりすごいことだぞ?
乗っていたのは零式観測機か?
二式水戦ならさほど不思議でもないのかな
746 :
743:2008/06/12(木) 00:42:09 ID:???
>>745 ご推察のとおり、三菱零式水上観測機です。
水上機母艦に乗り込み、太平洋戦争の緒戦、南方にて
暴れまわっていたとのこと。
時には、250kgの爆装で出撃したこともあるそうな。
>>728-729 残留(脱走)日本兵がベトミンに参加した事を、最近まで越南政府は認めていなかった。
かつて旧ソ連ブロックの社会主義国だった越南では、基本的に日本は越南に有史以来初の飢饉をもたらした“ファシスト・ザパン”であり、その評価は“中国の仲間”とも認識されていたため、かなり低かった。
この評価が+へ変わり始めるのは、日本政府のODAや留学生の交換の成果だが、友好国からの援助で長い戦争を戦って来た越南人の性質の反映とも言える。
(現在の日越関係は、“緩やかな同盟関係”にあると越南側では認識されている)
ベトミンに参加した残留(脱走)日本兵は最初期のベトミンに軍事的知識を伝授するのに貢献したと言われているが、その貢献度合いは越南側のリップサービスの範疇と考えて良いだろう。
ベトミンの古参である軍事的指導者達は第一次国共合作期の中国・国民革命軍 黄浦軍官学校の出身者(ホーチミンはコミンテルンから派遣され、独露出身教官の通訳を務めた)たちであり、
中核となったのはWW1で欧州の塹壕戦に投入された“安南兵”のOB達と、ホーチミンによる独立宣言後にベトミンに参加した若者達だった。
ソ連・欧州型の軍事教育システムを通過した人材によって構成されたベトミン軍に、日本軍の軍事教育システムが導入された形跡は無い。
これは、国府軍への対処として日本軍の野戦戦術を模倣した中共とかなり対照的である。
第一次インドシナ戦争の帰趨を決めたディエンビエンフーでの戦いで用いられたのも、前線への兵站の確保は越南人の米運搬手法の流用(旧軍よりよほど重要性を認識している)であり、
周囲の山頂からの砲撃と対空射撃は朝鮮戦争を経験した中国軍顧問の発案によるものであり、仏軍陣地への肉薄は典型的なWW1型塹壕戦の態を取り、
陣地の突破は手榴弾だけを武器とする若年兵を大量動員した肉弾突撃と後方からの軽機による援護という分かり易いまでのソ連式、という混成された戦術だった。
尚、ラオスには残留日本兵として有名な赤坂勝美氏がおり、昭和36年に日本から逃亡した辻正信の殺害に関与したとされている。
748 :
uaa:2008/06/12(木) 02:17:34 ID:Jppg+NKN
残留して現地人と一緒に戦った日本兵っていうとインドネシアが多そうだけど。
武装解除される前に武器をゲリラに流したそうだし。
ゲリラに武器を流したなんて、とんでもない!
でも泥棒が勝手に持って行っちゃったらどうしようもねぇなぁ…(以上棒読)
>>749 そうだ。我々はきちんと山奥に廃棄した…(棒読)
>>738 >部隊の通称や符号はわかりませんでしょうか?漢字一文字の
たいがいの高射砲隊は軍直属だから、通称号はスマトラなら「富」(第25軍と同じ)だろう。
753 :
名無し三等兵:2008/06/13(金) 15:39:08 ID:Dy7vd3KX
今日から愛知県図書館5階で『平和祈念展』開催。本格的展示内容。
http://www.pref.aichi.jp/0000015420.html 歴史的写真やパネル、爆弾や軍隊や生活用品など実物展示、音楽、籾突き体験など多数。
水木しげる直筆のラバウル風景画や、西村晃の特攻隊体験記、松島トモ子の朝鮮逃避行物語もあった。
一番興味深かったのは、昔の名古屋市街の航空写真の大フロアパネル。
三菱重工大幸工場(発動機主力)の空襲前、空襲中、空襲後が比較でき、B-29の視点になれる。
今日から6月22日(日)まで。受付嬢も美人。必見。入場無料。
7,7mmでP38って落ちるの?
相対速度考えたら仮にパチンコ球だったとしても当たり所によっては落ちるだろ常考。
零観の機動性ならマニューバキルもあるかも。
>>747 当方、にわかですが、辻 参謀の最後についてお願いします。
そんなものは当事者しかわからん…
戦争中にさんざんな目に遭わされた
残留日本兵に天誅をくだされたそうな・・。
760 :
743:2008/06/13(金) 20:31:47 ID:???
>>754 >>755 >>756 じいちゃん曰く
下駄ばき機には、下駄ばき機なりの戦い方があったようで、
「5,000フィートくらいの中高度へ上手く誘い込めば、
ライトニングやカーチスなどの陸軍機は怖くなかった」
「でも、グラマンなどの海軍機には通用しなかった」
とのこと。
零観は複葉機ですが、機動性、空戦性能は二式戦よりも上
と言ってました。
じーちゃん、かっこえー
下駄履きで引き込み脚を・・・
763 :
名無し三等兵:2008/06/13(金) 23:30:46 ID:h6cH7arv
>家系図を見ると明治初期あたりまでしか遡れないのですが、
>その頃は岐阜の一帯を治めていたようです。
明治初期に岐阜の一帯を治めていた?
県知事でもやっていたの?
廃藩置県前の知藩事じゃないか?
つまり元の大名家。
新政府軍の頭目だったんか?
766 :
名無し三等兵:2008/06/14(土) 02:32:06 ID:pfOJtm5t
>>763 どうも、
>>742です。
「そうらしい」という話だけで、実際は分かりません。
父が物置にあったという馬印の詳細を覚えていてくれたら良かったのですが…。
家などは残っていないそうですが、墓地は残っているそうです。
>>764 小作農に田を分割しても依然として力は衰えなかったそうです。
しかし祖父の父、つまり曽祖父が旅好きで家を省みず、ついには北海道で妻子を持って定住する始末。
お家の存続のために次男が跡取りになるという話があがったのですが、
その時に曽祖父が「長男を差し置いて何事だ」と待ったとかけたそうです。
そして一族内で裁判。裁判は曽祖父が勝ったそうなのですが、結局それが原因で
蓄えの財力が分散し、家が没落したそうです。
大名ではないと思います(笑)
でも曾祖母は北海道の公家の出であることは確かなので、そんな家の人がお嫁に来るくらいだから、
多少は名の知れた家であったと思われます。
767 :
名無し三等兵:2008/06/14(土) 02:58:53 ID:pfOJtm5t
>>766ですが
そういや皆さんの中に、「列聖珠藻 聖徳餘光」という題名?の書かれた本についての
詳細を知っている方はいらっしゃいませんか?
768 :
名無し三等兵:2008/06/14(土) 03:16:15 ID:pfOJtm5t
ええと、今のうちに詳細書いておきますか。
先に記述した本ですが、なんか家にありました。
曽祖父が「このえさん?」って人に貰ったそうです。
あと、なんかバッジも一緒に貰ったようですね。確かバッジは仏壇にあります。
天皇も拝顔したとかなんとか。
証拠品のアップとかは出来ないのかな。
>>759 山奥で亡霊につかまって延々とコキ使われている、とかのほうが良くない?
>>767 列聖珠藻/聖徳餘光
辻善之介・佐々木信綱
昭和15年 紀元二千六百年奉祝会
前者は歴代天皇御製の和歌集、後者は歴代天皇の事蹟を記してある様だ。
て事は近衛文麿首相から貰ったみたいだな。
バッジてのは紀元二千六百年奉祝会で記念事業に携わった者に
贈られた記念章だろう。
本もその関係で手に入れた物ではないかな?
でっかいどうに公家さんなんかおったかな・・。
772 :
名無し三等兵:2008/06/14(土) 05:53:25 ID:vflK6Lgj
>>771 開拓の時に一緒に移り住んだ公家ならいるぞ。
俺は山科家と八田家しか知らんが、調べればもっといるんジャマイカ
>>771 あんな歴史が浅い土地に、公家なんていない
俺の爺ちゃんは工兵だったらしい
爺ちゃんの部隊が橋とか作ってるときに中国人を雇ったりしてたらしいんだけど
その中国人のほとんどが中国兵で、昼は普通に働いてるんだけど
夜になると夜襲をかけてきたりして苦労したって言ってた。
あと、爺ちゃんは運がよかったらしく、南方に転戦する途中マラリアにかかって
バナナしか食べれなくなるぐらい弱ったから部隊から置いていかれたらしいんだけど
その部隊は全滅したって言ってたなぁ。
っていうか爺ちゃんの遺品で戦友って本があるんだけど、なんか当時の新聞記事と
出征した人の写真と住所とか簡単な家柄の説明とか乗ってるやつ。
他にももってる人いる?
承子さま、乱交パーティーのあとのお言葉であります。臣民はありがたく傾聴せよ。
乱交SEXに関する記述
やっちゃった、久々の成り行きってやつ(笑)
いいんだけどね、めっちゃ楽しい夜だったけどね、けど布団が他人のにおい
なのがやだぁ〜自業自得ですが。。。
昨日のパーティーは最近マジでman eater化してて男を片っ端から選ばず喰ってるとある友達に呆れられたけど、基本は楽しかった♪知らない人といっぱい知り合えてよかった×A。けど寝すぎなんだかなんだか、ハイパーです。
イってもよろしいですかー!?いやもうすでに出てました
承子様〜!
うちのじーちゃんは徴兵検査を学校?かなんかで受けてるとき機銃掃射受けたらしい。
その時兵士が大慌てで隠れてしまったが、検査していた医師が、「この若者達はまだ兵士ではないのに、
軍人が一番先に逃げてどうする!!」みたいなことを言って一喝したらしい。
もう戦争末期のことです。
>>762 まあ模擬戦闘でF104でF15を撃墜した例もあるので
あながち無理とはいえないな
780 :
名無し三等兵:2008/06/15(日) 12:16:40 ID:R2X0fOrF
満州では97戦のB29体当たり撃墜があった
うそーん!
>>742さん
某所から誘導してきた者です
お爺様がいらっしゃった第16高射砲連隊は後にパレンバン防衛隊に移って防空第101連隊に改変され、
さらに昭和19年4月に第101高射砲連隊に名称変更されておりました
終戦時の連隊長は山県諒大佐で、部隊符号は「翔」です
783 :
名無し三等兵:2008/06/15(日) 16:30:37 ID:pHGOzhma
このスレやら関連スレ見てたら旧日本軍のパイロットって生き残るだけでスゲーんだな・・・
俺の死んだじいちゃんも昭和19年始めから結核で除隊するまで一年間パイロットやって戦果が高射砲で落伍したアベンジャー一機だけって聞いて、
ドイツのエースとか坂井三郎しか知らなかった俺は「じじぃしょべぇwww」と思ってた・・・ ゴメンじいさん・・・
日本軍に限らずパイロットはどこでも消耗品なんだから、生き残るだけで大したもんだろ
>>754 旧軍が搭乗員を消耗品扱いしてどうなったか御存じ無いと見える。
>>784 パイロット、
育成にはものすごいお金と時間が掛かるので、とても消耗品になんか出来ません。
ドイツでは期せずしてそうなってしまいましたが、
日本ではその辺が理解できてなかったのが残念です
消耗させたくなくても結果的にはそうなる。大小の差は有れ、同じだ。
その大小の差は、大戦末期の日本兵の連度の低さとなって現れた。
艦載機のパイロットなのに着艦できないとか死にに行くしかないじゃないか。
帰らずに敵艦へ突っ込めばいいじゃない
>>787 結果的にはそうなる、
確かにそうで、事実ドイツではそうなった
(計画的な養成にもかかわらず)
だが、
消耗の度合いがドイツに比べていかにも酷い
>>789の様な馬鹿な事を本当に言う、飛行機に触った事すらない馬鹿参謀がいたからだい
海上戦線が多いから制海権ないと救助できない
793 :
名無し三等兵:2008/06/15(日) 23:10:26 ID:NJc3HKns
>>782さん
その説はどうもお世話になりました!
貴方のおかげでこんな素晴らしいところに来れて、感激しています(嬉)
うわぁ!こんなに詳細に至るまで教えて頂けるなんて!?
本当にありがとうございます!!
うちの爺さんは存命中に聞いたところによると、
巡洋艦(重巡?)で機銃を担当してたらしい。最も射手じゃなくて測距担当。
射手が負傷してからは交代して機銃を撃ったらしいが、
いくら撃っても滅多にあたるもんじゃなかったそうで、
かろうじて一機オイルを噴きながら落ちていったから、あれは撃墜しただろうと言ってた。
結局乗ってた艦は魚雷を食らって、かろうじて港にたどり着いた後で着底したとか。
乗っていたのは、青葉か高雄か、もしくは利根か?
>>795 従軍時の話を積極的にするような爺さんじゃなかったからなぁ。
聞いたのがかれこれ20年近く前の話なので曖昧です。
駆逐艦でなくて巡洋艦だったのは多分確かだけど、軽なのか重なのかは曖昧。
佐世保に帰港した、というような話も聞いたような気がしますが…。
青葉に乗ってた俺がきましたよ
青葉城?
佐世保で着底て、涼月…いやまさかな、巡洋艦だしな。
>>799 大和に随行したって話は聞いてないから、涼月ではないかと…。
でも微速後退で帰港、ってフレーズにも覚えがあるような。
本で読んだ内容とごっちゃになってる気がしてきました。
佐世保云々は忘れてもらったほうがいいかもしれません。
国内で着底した巡洋艦、ってなれば青葉か利根
さもなきゃ常盤かな?
802 :
名無し三等兵:2008/06/16(月) 16:45:00 ID:EJ25HgMU
常磐に乗りたい俺が来ましたよ
尤も乗りたいのは貴子の方だが…
>>801 >さもなきゃ常盤かな?
「常磐」は敷設艦。
出雲か磐手では?
>>803 出雲は呉で転覆、磐手も呉で防空戦闘やって着底
少なくとも出雲は違う気がする
805 :
名無し三等兵:2008/06/16(月) 23:25:36 ID:VB8rZ+wg
戦争体験者もずいぶん少なくなられつつある。
朝日新聞の語りつぐ戦争を毎回涙を浮かべながら体験者の
搾り出すような声をきいているが、本日の投稿者の方も掲載される
前にお亡くなりされたそうだ。60年以上前の勇者達へ敬意を
込めて 敬礼
807 :
名無し三等兵:2008/06/17(火) 00:33:10 ID:DAAE0ws1
>>807 人物と事件自体はスレチであるが、このスレ住人への教訓を残してもいるな
すなわち、
「証言を鵜呑みにするな」
ってことで
おらも気をつけなくては
家のじいちゃんは兵学校の助教官だったらしく、手記には二二六事件に関わった安藤さんという方の弟さんがいたと書いてある。後、答案を集めた時は殿下の答案を一番上に置いたらしい。 また調べてみるね。
俺の母方の祖母の兄はどこだか忘れたが抑留されてたとか。
何とか帰ってきた時に40歳。
それから100近くまで生きた。
親父の方は一番上の兄貴がレイテ沖で戦死。
軍服姿の写真を親父の実家で見た記憶がある。
戸籍を見たらレイテ沖と書いてあったのも覚えてる。
婆さんは戦死の恩給をずっと貰っていたとか。
811 :
名無し三等兵:2008/06/17(火) 04:51:23 ID:zYjYDcx2
ここまで読んで
特攻=神
南方=英霊
満州=ああ・・
シベリア=・・・・
812 :
名無し三等兵:2008/06/17(火) 05:15:06 ID:tExpJGpN
前働いていた会社の同僚の祖父がソロモンで船がやられて海に浮いていたら連合軍に飛行機に銃撃加えられ
「撃つなー撃つなー」と叫んだが駄目で指を吹き飛ばされたらしい。日本軍の戦闘機が敵機を撃墜して助かり
帰国して除隊という幸運を得て生き延びた
813 :
名無し三等兵:2008/06/17(火) 08:04:14 ID:3gzYvDiJ
うちの祖父は乙種で徴兵され、大陸への出征を前に硫黄島が陥落したので、連隊はそのまま茨城県坂戸へ
そこで陣地壕の建設に従事し、艦砲射撃や空襲、時には目の前に墜ちた1t爆弾が不発だったなどの悪運に見回れ、終戦と同時に帰郷
去年5月、81歳でこの世を去った
>>811 それぞれがそれぞれの義務をはたしてくれたから
今の繁栄があるのよ。
亡くなられた方、生き残って復興を支えた方、みんなまぎれもない英雄だよね。
816 :
名無し三等兵:2008/06/18(水) 00:24:43 ID:ELQqaUUJ
母方の婆ちゃんの叔父の話。
戦時中は宮様がいる部隊にいたらしい。(陸軍か海軍かは忘れた)
イケメンでなかなか上位の階級だったとも聞く。九州の基地にいたそうだ。
8/15に出撃が決まり、腹をくくっていたのだが敢え無く終戦。
戦犯にも引っかからず、九州の大きな商家のお嬢さんに見初められて
婿入りで結婚したそうな。
爺ちゃんじゃないけど父方のひい婆ちゃんの話も。
爺ちゃんが朝起きたら、ひい婆ちゃんが竹やり持って
「ヤーッ!!」という掛け声と一緒に突く練習してたんだって。
本土決戦に備えて待機していた俺の曽祖父(陸軍少尉だか中尉だったそうだ)は、
日本降伏直後、部下を率いてアメリカに最後の決戦を挑もうとしていたらしいが、
拳銃抜いた先任下士官に止められて諦めたらしい。
うちの祖父の兄はインパールで戦病死
祖母の兄はどこだったか忘れたが南方の島で、
米軍も上陸してこずバカンス気分で南方ライフを楽しんでたらしい
「海は綺麗だし山に入れば果物はあるし他と比べればとても恵まれてた」とのこと
なんたる差・・・
じいさまは、痔で徴兵に落ちた。
墓参りの時、同じ寺の戦死者のお墓を見まくったら。
ペリリュー島、ラングーンとか危ない場所が多かった。
もう亡くなってしまったが、父方のおじいちゃんは戦艦武蔵に乗っていたとの事。
戦争の話は全く話してくれなかった…
調べたところ、2399人のうち生存者は400数十人とのこと
又聞きだが泳ぎ続けて助かったと聞いたなぁ‥
822 :
名無し三等兵:2008/06/18(水) 20:01:20 ID:DK98Imr8
じいさまの話ではないけど、思わずもらい泣き(ある意味俺号泣)した話
数年前男たちの大和の映画ありましたよね、かみさんの同僚の女の子がデート
したときの話です。彼女の彼氏結構年上で結婚の話もないため、わかれようか
と思ってたとき大和の映画を見に行ったそうです。なぜこんな映画をと彼女
は思ったらしいんですが、彼がどうしても見たいからとそれならと見てたそうです
途中から彼氏の方が泣き始めずっと泣いてたそうです。映画館でてすぐ彼
が、泣きながら電話し始めたそうです。恥ずかしいと彼女は思ってたらしい
のですが、じいちゃん、じっちゃん、えらかったな、えらかったな、と
話し始め耳が悪いせいか大きな声で話してたらしい途中で彼女にじいちゃん
大和の生き残りと聞かされた瞬間彼女彼に抱きつき号泣したらしい。
そのあとじいちゃんが生きてる間に孫見せると田舎に彼女を連れそのあと
とんとん拍子で結婚今は子供もいる。
823 :
名無し三等兵:2008/06/18(水) 20:48:19 ID:5ZZ0lobe
最近、祖母が俺によく
「兄ちゃんそっくりだよ」と言ってくるんだよね
浴衣なんか着たときには特に
祖母の兄は大戦末期に、今の俺と同じ二十歳で南方へ出征し、フィリピンの土を踏む前に胸部に銃弾をうけ戦死した。
戦死報告によると即死だったらしい。
祖母たち家族のもとには遺骨ではなく一房の髪が届けられたという
しかし、祖母曰く
「本当はどこで戦死したのかまるでわからない」とのこと
たしかに、大戦末期のフィリピンなんて制海権も制空権も連合軍に抑えられてただろうから、実際は輸送艦ごと海の底だったのかも知れない
>>824 部隊の戦地移動前に留守居の連隊に預けて行ったとかじゃないか?
うちの爺さんも満州駐屯の連隊から南方へ移動する際に
髪と爪置いてきたと言ってたが。
826 :
名無し三等兵:2008/06/18(水) 21:37:15 ID:dWdPkpe1
小学生の時祖父が海自の海将補してるやつがいてそいつが世界で初めて作られたという腕時計を持ってきて騒ぎになったことがある。
そいつの家系は征途の藤堂家のような家系で親も海自の士官だった。こいつの家系の戦争体験を聞いてみたかった。先祖にドイツの
駐在武官になった人がいると言ってた。その人はドイツ人の妻を娶ってるのでやつもドイツ人の血が混ざってる。
海軍冥土さん事件ですね。
わかります。
829 :
名無し三等兵:2008/06/19(木) 05:24:52 ID:ZLlJc2nj
>>827名前出すと素性がばれるぐらいこの世界では有名だと思うので。
多分やつも防大に行ったと思う。
夜勤明けの俺には「防大」が「防人」に見えて妙に納得したじゃないか…
うちの爺ちゃんは納屋の影でせくーすしている最中になぜか機銃掃射を受けた。
相手は夫が出征中で体を持て余していた夫人。
戦時中は男が少ないので、農村ではやりたい放題できたらしい。
これが窒痙攣を起こして抜けなくなって大変だったとか。
>>822の映画繋がりに近いけど…
うちの爺さんは、ビルマの鉄道隊?だった。
それなりに責任ある階級で、敵軍に線路を爆破されても、直ぐに復旧し線路を繋げ、目的地迄繋げるはずだったんだが、うちのジサマ、出兵前の軍服写真で見る限り屈強な身体してたのに、風土病に倒れ本国へ送還。
しかも、病院で療養してる間に終戦
「マッチョも病気に勝てない」
は語り種。
因みにビルマの竪琴という映画本編にてうちのジサマ達日本軍とビルマの人達が作った汽車の線路映っており、当時の事話してたが、病気の事がインパクト強すぎて他の事は、覚えてない。
因みに療養中に2回も未亡人になってしまった、ばーちゃんと結婚し7年前肺ガンで他界。
「マッチョも病気に勝てない」
逝く前に思い出して、言うなっつーの。
>>832 戦中、出征してる兵隊の女房は暇と性欲を持て余してて、間男がうようよいたらしい。
当時は姦通罪があったので摘発の対象だったが、余りに数が多いのと事実を知った前線の兵士の士気に悪影響があるってことで警察も見て見ぬ振りになったとか。
>>834 貫通罪は旦那が戦地で起訴出来ないんで不法侵入(家屋に)で起訴したと聞いた事がある。
不法侵入に違いは無いが、家屋じゃなくて…その…に、だな。
>>835 マッカーサーを松川さんと間違えたという話と似たような、全く単なる聞き間違いじゃない?
そもそも戦前の村社会では、一種のフリーセックス状態だったので、
取り締まること自体が無意味なのでは?
姦通罪は武家社会のルールを押し付けたもので、農民には無縁だったし。
うちの母ちゃん、北九州なんだけど、
夏の草刈に米軍の捕虜が借り出されて、
それを遠くからドキドキしながら覗いてたらしい。
そりゃ白人なんて見るの初めてだし。
後に九州大学に入って、
あの先生が捕虜生体解剖の…と教えられたらしいけど、
もしかしてその時の捕虜が…
841 :
名無し三等兵:2008/06/19(木) 23:49:46 ID:glgOmuV3
うちの爺さんは大戦末期に三菱に勤めてて技手として爆撃機製造してた
といっても一番やらされた仕事は「部品集め」だったそうで
「どっかから部品探して来い」といわれて民家やら役所やら駆け回って部品集めてたそうだ
(一番回収率高かったのは刑務所だったそうな)
製造工場がそんな状況だからもうアメリカに勝てるわけないことくらいとっくに分かってたと言ってたな
あと、技手にも2階級特進があって、技手の同僚が作業中に爆撃で死ぬと
技手→技師→工場長 と資格が昇進して
遺族には工場長待遇の退職金(?)が支払われたとも言ってた
842 :
名無し三等兵:2008/06/19(木) 23:49:48 ID:yD+YsLzi
戦争とは直接関係ないけど、
ウチの祖母の話。当時東京美術学校の学生だった祖母は、1938年ヒトラーユーゲントが来日したとき
友人らと共に見学に行ったそうだ。もう黒山の人だかりで、特に若い少女らの歓声が凄かったらしい。
ビートルズの来日よりも群衆の興奮度は上だったとのこと(あくまで祖母の個人的感想)。
ヒトラーユーゲントの青年達は、背が高く、色が白く、スマートで制服も格好良く、今まで見たどんな男性よりも
格好良かったらしい。早速スケッチブックに彼らの姿を描き、その後自宅にて色づけ。
戦時中は軍国少女ならぬ「軍国女子青年」で、独逸やヒトラーを心の底から尊敬し、英雄だと思っていたとか。
大切に所持していたらしいけど、東京大空襲で住んでいた家が焼失。そのスケッチブックも失ってしまったらしい。
その後現在に至るまで、ヒトラーユーゲントほどカッコイイ人を見たことがない、と言ってたな。
話を聞いた当時、祖母は75歳だったけど、その表情は純粋な乙女になっていたよw
ヘイセイジャンプとかにキャーキャーいってるジャニヲタと同じ。今も昔も変わらないんだなあ、ってオモタ。
俺のばーさんは女学生時代に勤労動員先で白人捕虜達に遭遇したそうだ。
でも、その夜の寮はどの捕虜がハンサムだったとワーワーギャーギャーで遅くまで大変だったそうだ。
マスコミで「鬼畜米英」と言ってても外国映画に憧れて育った世代にはあんまり意味なかった
ってことらしい。
844 :
名無し三等兵:2008/06/20(金) 00:40:39 ID:BILFeJ6l
>>843 俘虜にもキャーキャーなるのかあ。ヒトラーユーゲントなら分かるけど・・・
やっぱり明治以降の白人至上主義は払拭できなかったんだねえ・・・。
>>834 やはりあの当時でも本能が…
ちなみに自分は
>>809なんですが『本当に純粋な恋愛もできない時世でした…』と、じいちゃんの手記を見て自分をはじめ現代人はいかに恵まれてるか痛感しました
847 :
名無し三等兵:2008/06/20(金) 03:20:18 ID:2B4YiUdB
大和建造の情報統制、、、
当時の呉ですが、
道から海が(ドック)見える所にはすべて、
ゴザやムシロが張り巡らされていたそうです、
それに、海の見える道を歩く時は、
絶対に海側に顔を向けないよう指導されていたそうです、
ただ、
大きな戦艦を作っているのは皆知っていたそうですよ!
ジーサン、
軍の用事で呉まで何人かで行き、
ドック近くで海をみながら歩いていて、
憲兵に呼び止められて整列させられ、
全員ブチマワサレタそうです(笑)
うちのじいさんは造船所で潜水艦の蓄電池の担当をしてたらしい。
水島か玉野で造ってたみたいだけど、芝浦かどこかで勉強をしたとも言ってた。
あと通信兵もしてたらしく、富士山の近くの飛行場にいたらしい。
その時に木で偽物飛行機があったって言ってた。
↑木で作った偽物飛行機
>>848 偽物飛行機は苦肉の策ではあるけど、それなりに効果はあったとか。
木製「疾風」もあるよ
本物も木造だから、もはやどこからどこまでが偽物(デコイ)かわからん。
知り合いの元赤軍戦車兵の方の話だ。
彼の娘は日本人と結婚したんだが、その婿殿が軍オタだったらしく、
披露宴の席でモスクワ防衛軍歌を一緒に歌ったんだそうだ。
何でも、義父がモスクワ防衛戦を戦った戦車兵で、
今でも当時のことを誇りに思っていることを知った婿殿が、
それなら一緒に歌おうと言ってくれたらしい。
招待客の大半がドン引きする中、二人+α(軍オタ、軍人一同)で色々歌った
という話だ。
いろんな意味でスゲー。
その披露宴って日本でやったの?
>>854 それに関してはちょっと揉めたらしいが、
「式は日本、新婚旅行はソ連の観光都市巡り」ということで
双方納得に到ったとのこと。
856 :
855:2008/06/20(金) 18:14:06 ID:???
ああ、でも、来賓が何人か入国できなかったとかで、
結局向こうでも似たようなことをもう一度やったらしいよ。
披露宴というよりは単なる宴会みたいなものだったらしいが。
>>来賓が何人か入国できなかった・・。
聞けば聞く程スゲー話だなぁ。
入国できなかった方は残念だったろうに。
結婚式に軍歌といえば、同期の桜歌って「見事散りましょ」とやって大顰蹙というのはよく聞く話だが、モスクワ防衛軍は初耳だわw
>>婿殿が軍オタ
>>新婚旅行はソ連の観光都市巡り
どこいったか容易に想像がつく
860 :
名無し三等兵:2008/06/21(土) 05:14:01 ID:ZDFXMpL9
ハバロフスク?
ノモンハン?
ヴォルゴグラード!
>>853 赤軍と言えば、タンクデサントとして半年生き延びたという化け物が祖父の知り合いにいた。
もう二人とも故人となって久しいが。
二人ともノモンハン経験者ということで仲良くなったらしい。
(祖父曰く「もしかしたらノモンハンで擦れ違ったかもしれんな」)
祖父からの又聞きだが、その人はウォッカを飲んで酔っ払うたび、
「俺がソ連邦英雄に選ばれないのは間違ってる!」と喚いていたそうな。
864 :
名無し三等兵:2008/06/21(土) 20:24:47 ID:ZDFXMpL9
昔売っていたロシア軍の時計買ってきてもらえばよかったのに。
曾爺さんの漁船が徴用されたってじっちゃがいってた
返ってきたか?
婆様(御年93歳)の話は、引き揚げ時よりも女学生時代の方が面白い。
艦隊が入港して戦艦に載せてもらった話や、巡洋艦の進水式の話。
海軍のエライさん宅への見習奉公の話。
引き揚げの時の話は、ホント笑えない。
868 :
名無し三等兵:2008/06/22(日) 02:01:03 ID:ajdXZub2
ウチの母方の祖母は、志布志で竹槍訓練や築城作業をやってたそうな。
東串良に住んでて、空爆は少なかったけれど、敵が上陸してきたら皆殺しになる地域だからね。
そりゃあもう必死で頑張ったらしい、士気も旺盛だったけど、如何せん資材が足りず・・・il||li_| ̄|○il||li
結局意味もない穴掘りなどをやってたらしい。
うちのじいちゃん「ほうしょう」って船乗ってたんだって
でも戦争の話は生前ほとんどしてくれなかった
好きな花に囲まれていたいと、戦後何年かたって
小さな花屋を経営し死ぬまで花屋だった
871 :
名無し三等兵:2008/06/22(日) 12:06:00 ID:cafbZH8O
>>870 日本で初めて本格運用された空母として評価しよう。
ミッドウェーでは戦艦大和の護衛として出撃しているよ。
小さい船体で太平洋の荒波に耐えたと感心する。
戦後になってから復員船として活躍したのが最大の功績かも。
これじゃ空母と言うより輸送船だね。
世界で初めて空母として「最初から」設計・建造された艦だし。
ミッドウェー海戦後は、内地で搭乗員の訓練に使用され、戦後は復員輸送に尽力。
功績艦だと思う。
873 :
名無し三等兵:2008/06/22(日) 18:53:09 ID:/eZKZmMz
>>世界で初めて空母として「最初から」設計・建造された艦
広大な海を保有していた当時の日本の実情を考慮したとしても
(現在の日本も広大な海を保有しているけど)
当時の帝国海軍には先見性があったんだ。
空母は海の真ん中に航空基地を保有できる便利な存在だもんね。
ついでに自由に移動可能なのもポイント。
明後日は曾祖父の命日だ…
875 :
名無し三等兵:2008/06/22(日) 21:49:47 ID:ajdXZub2
沖縄戦で散華されたのか?
いんや、戦後に妾の腹上で散華したんよ。
明日は慰霊の日だな。母方の祖父(すでに故人)が沖縄戦に出ている。
いつ入隊したかは聞きそびれたが、日華事変の時は大陸に(1930年代とのこと)
↓
満期除隊して沖縄に帰る
↓
沖縄戦で郷土防衛隊に
↓
戦後は米軍(米民政府)で運転手
自分が小さいときに亡くなったから戦場話は聞けなかった。
復帰前に運転手関係(安全運転者表彰とか?)でもらった運輸大臣名の感状があって、
この表彰のためにパスポート取って東京までいったという話はたっぷり聞かされたな。
878 :
名無し三等兵:2008/06/22(日) 23:33:13 ID:ajdXZub2
鹿児島の護国神社では今日慰霊祭があったよ。「孫代表」の母親と同時に参加した。
陸自の軍楽隊や、代議士、部下や戦友が集まって厳粛な雰囲気だったなあ。
鹿児島県からは2,582柱もの戦死者を出したようですね。
>876
懺悔だな・・・
880 :
uaa:2008/06/23(月) 02:23:39 ID:1S9H1CoK
>>876 男子たるもの斯くありたい。
稼ぎが少なくて三人目の彼女を切り、二人目も切ろうとしている自分が恥ずかしい・・・・
881 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 03:02:13 ID:1+ZrenZ+
祖父はインパール作戦に参加し、帰還した一人。所属はなんと60連隊・・
小さい時に聞いた話しによると、最初は物資が豊富でうはうはだったけど夜に飛行機で後ろに回り込まれ挟み打ちされてから負けっぱなしだったとか。
援護にきたインド人は戦況が悪化するとほとんど逃げ出したらしい
記録によると、ほとんど飢餓で前線までたどり着けなかったらしいぞ。
やってきたのも病人だらけ。
うちのバアチャンの原爆体験をひとつ。
当時バアチャンは広島から上り方面2つ目の駅の海田って町で小学校教師をしていた
らしいのだが、原爆が落ちた瞬間は一瞬激しく光った後学校の窓ガラスが一瞬ですべ
て割れて、かなり体に刺さったらしい。
先生、生徒共に負傷者続出の中、応急救護をしていたらメチャクチャ恐ろしい姿になった
人々が広島方面から列を作って歩いてきたらしい。
本当におぞましい姿で今でもはっきり覚えていると言っていた。
学校はすぐに病院になったわけだが、その時に撮られた写真のなかには原爆の写真と
してとても有名な写真も(着物の後がついてるやつとか)何枚かあるらしいです。
乱文失礼しました。
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
>>883 被爆認定・入院されているのですか? >祖母
何も症状が出ていないのなら良いのですが。
886 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 12:25:00 ID:1+ZrenZ+
>>882 そうだったのか・・
ちなみに祖父は撤退時に戦友の死肉を食べたらしいです・・・
887 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 12:37:54 ID:gadi6w+W
祖父と曾祖父は二人とも戦前から中島飛行機で働いた。
祖父は電気技師として、曾祖父は事務方の管理職だったらしい戦時中でもバイクに乗って通勤してたからそこそこ生活に余裕があったのかな。
戦後祖父は電気技師として民間企業に再就職し、曾祖父は中島飛行機の解体事業をしたあと国家公務員という戦争によってあまり不幸や不運にならなかった人達でした。
888 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 15:34:29 ID:HwIL9JhN
爺さんは、某重工で艦船の擬装技師。 重巡洋艦なんかの艤装をやってたらしい。
戦争中は修理で24時間働く事もあったそうな。白い麻のスーツにカンカン帽で家族で食事に行く話はよくきいたなぁ。
親父は海軍兵学校。あと1年若かったらきっと特攻隊かなぁといっていた。
兵学校にいたから、腹がすいて困る事はなかったみたいだけど早起きがきつかったらしい。
母方の爺さんはシベリア抑留組で無事帰国できた口。銀行やさんだからロシアの部隊の経理やってあげてタバコもらったらしい。
戦後たべた黒パンは、ロシアの奴とは別物だそうだ。
義父は少し若くて、練兵場の薬きょうを拾ってそれで、ご飯食べさせてもらった話を良くきいた。
白いご飯は練兵場でいつもたべてたみたい。
生死をさまよう話のなかにどことなくのどかな話もあり、小さいころからよく話を聴いていた。
この人たちが日本を復興させたんだよね。
もう皆お墓の中なんだけどね。 合掌
889 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 15:41:13 ID:HwIL9JhN
戦争中、召集される前に、銀座でビールの配給があって、
1杯のんで、前に並んだ人たちと他の配給所へ走る話は、なんか楽しそうだった。
つらい事暗いことばっかりで、そういうことは話してくれないけど。
>>885 原爆手帳は持ってるけどピンピンしてますよ。
ジイチャンは海軍で通信兵をしてたらしい。
広島は軍港があるし海軍のほうがカッコイイ!ってね。
場所はどこだか忘れたけど突然盲腸で入院することになって
船を降りることになったんだけどその船はそのあとすぐ轟沈した
って言うのを聞いて本当に運がよかったと思ったって言ってたよ。
ジイチャンは去年亡くなったけどもっと話を聞いておけばよかった
って心から思うよ。
あと10年もしたら生き証人はほとんど居なくなってしまうから。
大事なことだよね。
まずは簡単に始められる海外マネー撃退法を教えてあげよう。
日本の株式市場に流入している金の約6割が外資マネーということを知っているかな?
平均株価は外資によって維持されていると言っても過言ではない。もちろんこのような状態は
不健全であり、日本の株価は外資の思惑一つで簡単に上がったり下がったりしてしまうのが
現実なのだ。
しかし裏を返して言えば、あなたが株の売買を通じて利益をあげることができたとした場合、
その利益の6割は外資から金を奪うことによって成り立っていると言えるわけなんだ。
もしも君が株で100万円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60万円。
1億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は6000万円。
100億円の利益をあげれば、外資から奪い取った金は60億円にも達することになる。
つまり君が株式市場に参入し、利益をあげればあげるほど、外人投資家がそれに応じた
打撃を被るというわけだ。
君が利益をどんどんあげていけばいくほど、ハゲタカファンドは苦しんでいくんだ。
それがどれほど日本を守ることにつながるか、わざわざ説明するまでもないだろう。
株で勝つ方法は簡単。日経新聞や株に関する雑誌を講読すれば良い。
日頃から情報収集を怠りなくおこなえば、そして外資がすぐには入手することができない情報を
日本の地の利を生かして先に入手することができれば、外資を出し抜いて金を奪い取ることなど
造作もないのだ。
最近は株に投資するなとレスする奴がいるが、そいつは外資のスパイだ。日本の愛国者が株で
外資から金をせしめることを恐れて、外資のスパイが情報工作しているのだ、気をつけろ。
金が無いならサラ金で借りれば良い。株式トレーダーは自営業みたいなものだから、職業を聞かれたら
自営業と答えれば良い。
アコムで無理ならプロミスで借りろ、プロミスで無理なら武富士で借りろ、
武富士で無理ならアイフルで借りろ、アイフルで無理ならレイクで借りろ。
海外ファンドから日本経済を守るため、そして海外ファンドを苦しめるため、君も株に投資しよう。
892 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 17:20:59 ID:8d+SVedU
俺の爺様はキリバスで軍医をしていました。生き残りでありました。
右翼から段ボールで現金が上納されておりました。
今だに何物だったのかわかりません。
軍医さんなら、誰かを助けたのだろう。
その誰かが、恩に思ってくれたのだから、いいことじゃまいか?
つーか。生き残りの軍医さんって
結構、出世していたりする方が多いですね。
(今よりも、医者はエリートだったんだろうけど)
私のおじいさんは、(東京)「国分寺にB29が落ちてきた」って言ってました。
この前の不発弾騒ぎのこともありますから、あながち嘘ではないと思うんですが・・・
どなたか知っておられる方いらっしゃいませんか?
おじいさん(故人)は現場まで見に行ったと言っていました。
以前このスレッドに書き込んだ時は何の反応もなかったです。
街のコミュニティー掲示板にも書き込んだんですが、「へえー」位の反応で、
具体的な情報は得られませんでした。年配の方がそういう掲示板は見ないとは思いましたが。
本土防空に関する本や文献・ネットなどを漁ってみても戦闘そのものの記述ばかりなんですよね(そりゃそうだ)。
896 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 20:15:22 ID:0imxgvEB
>>894 自分の地元、群馬にも墜落したことがあるらしい
機種は不明
現在の大泉市にあるった軍需工場を爆撃した帰りに、事故か、撃墜されたかと思われる
>>895 本土空襲墜落機調査を見ました。
やっぱり本当だったのですね!!静かな感慨に耽っております。
検索方法の甘さがあった様ですね。それにしても感謝です。大変ありがとうございました。
898 :
名無し三等兵:2008/06/23(月) 23:26:16 ID:YUJOGoAb
もしかしたら、うちの爺さんが撃墜したB29かもしれない
しまった、ちょっと誤表記があったので訂正を
>>896 × 大泉市
○ 群馬県大泉町
>>866 返ってこなかった
それとどうも漁船じゃなくて貨物船だったみたい
901 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 01:28:08 ID:wFRISR6/
日本は従軍慰安婦などと称してアジアの女性の尊厳をことごとく奪った。
中国ではなんの罪もない人々を何百万人も人間の所業とは思えないような酷いやり方で殺した。
善良な人間は殺人鬼たちによって権利を奪われ、殺人鬼は戦後のうのうと生きながらえた。
しかもこの国はいつまでも過去を清算しない。
それがアジアの人々を傷つけていると分かっていながら謝らない確信犯。
独りよがりの日本は世界から孤立しているのに気づかない。
全く持って恥ずかしいことだと思う。
902 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 01:59:05 ID:CNe9H1KN
>>901 とか何とか針小棒大なことをいって難癖をつけて、いくらせびり取りたいのかね?
903 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 02:24:30 ID:qTijKAhy
今回は祖母の妹の話
うちの祖母は三姉妹の長女だったんだけど、姉妹の中で唯一の喫煙者で一番長生きした次女のお婆様
の昔語りを何度か聞きました。内容は
戦時中はこの人(旦那様)と一緒になる気はなかったんだけどね…
当時は凄く格好良い将校さんがいて白い軍服(海軍さんかな?)が良く似合ってた。
たぶん戦死されたんだと思う……
と。また少女時代の話として
川嶋美子みたいになりたかったそうで、夢は満州で馬賊になって大陸を駆け廻りたかったそうな。
もう祖母含めて三人とも故人となりましたが時折、親族が集まると
そういった話題もでます。
904 :
uaa:2008/06/24(火) 03:05:38 ID:ZCoYkQZG
ここにいる20代の奴は曾祖父さんが太平洋戦争に従軍してるんだよね?
秋葉の加藤は曾祖父さんが青森連隊に居て、八甲田の遭難事件で死んだって聞いたんだけど、
ガセかな?
>>901 過去のことはとっくに清算してるだろ
いつまで基地外じみたウソをつき続けるつもりですか?w
906 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 04:45:30 ID:0VzGAz7+
うちの爺ちゃんは若い頃、特攻隊員だったが、特攻機に搭乗する直前に終戦になった。しかしその一時間前に出撃した同期は戻って来なかったと、涙を流して話してくれた。ちなみに爺ちゃんの特攻機は、彗星33型です。
907 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 06:12:37 ID:4ED4FoEb
友達のじいさんの話だけど
友達のじいさんはとある航空母艦で整備兵やってたらしい。
戦後は自転車屋やってたね。
そのじいさん曰く、空母が沈むとき、みんなで傾く甲板に立って泣きながら敬礼したらしいよ。
絶対忘れられない思いでだそうです。
>>904 八甲田山で遭難死した兵隊は、ほとんどが岩手県出身だったって聞いたけどなぁ
>>904 いや、うちは祖父が従軍してた。
他の方々も従軍されたのはおそらく祖父世代でしょう
911 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 10:24:58 ID:ubDEwkpS
>>904 私は24歳ですが、祖父は兵卒→下士官として勤務。曾祖父は将官として勤務してました。
まぁうちは代々晩婚なのでそうなのでしょうが・・・・。
大抵の方は学徒動員などで軍需工場で働いたり、各種学生だったりしたのではないでしょうかね<祖父世代
>>907 瑞鶴?
飛龍は機関停止を理由に魚雷で処分なんで、乗員が退去する際は傾いてない。
翔鶴は魚雷命中後しばらくしてからのガソリン爆発で沈没だからそんな余裕は無い。
914 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 12:18:36 ID:Fpi0LGrP
信濃をおわすれか?
信濃は乗員が転覆する最後まで傾斜復旧、曳航に努力していたので総員退去命令は
出てなかったとも。
そのため艦長以下生存者少ないし。
>>913 >飛龍は機関停止を理由に魚雷で処分
いや、『火災鎮火不可能』ではなかったか?
機関そのものには損害がなかったはずだが?
(まぁ釜への空気の供給が止まったのかな)
それにしても、Wikiに書いてある
『空母「鳳翔」の偵察機が、漂流中の飛龍と、大穴が穿たれた飛行甲板にたたずむ人影を二人確認。
二つの人影は、艦と運命を共にした山口少将と、加来止男艦長と思われる』
ってどんなヨタ話だよw
(真実は下層甲板から脱出してきた機関科員らであろう)
>>飛龍は機関停止を理由に魚雷で処分
>いや、『火災鎮火不可能』ではなかったか?
火災は一時的に鎮火しているが、機関が停止して機関室との連絡が途絶えたので
処分を決めたはず。(実際は機関は無事で機関員が脱出を図ったからだけど)
>処分を決めたはず
実際は『中破』程度の損害で、
機関室への有線電話か伝声管かが復旧すれば自力航行で戦場離脱できたんだよね
(機関は全く無傷)
まぁ、戦場のど真ん中で判断には急を要する局面だし、
歴史に “ IF ” は禁物なんだけど
ところで、例の漂流する飛龍の写真撮ったの、
鳳翔の九六式艦爆だよね?
うちは大学教授だったから徴兵されず。
戦争で死ぬ人間は馬鹿だといっていた。
おれも戦争おきても多分徴兵されない地位にいる。
920 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 20:58:54 ID:qTijKAhy
>>904 私は今年30になるけど祖父は明治43年生まれ。
あと、いっていたのは、
下層階級の人間が軍に入ったせいで風紀が乱れた、と。
日露戦争のときとはぜんぜん違っていたみたい。
>>908 岩手県には連隊がないから、調べていないけれど青森の第5連隊(遭難部隊)
の徴集地区の可能性は大いにある。
それに、徴集は本籍地別にするから、うちの御先祖サマは東京在住だったが、
本籍は長野県で、入隊は金沢の第7連隊であった。
東北6県で岩手県に連隊はないが、青森県は2連隊ある。
これは、廃藩置県のときの新政府の東北嫌がらせの一つが原因ともいわれる。
青森県を形成する主な藩は弘前藩と盛岡藩の一部だが、この2藩は秀吉の小田
原戦時に帰参する時の領土争い以来犬猿の仲であった。
最初は弘前県だったが、県庁をわざわざ小都市青森に移転され、青森県になった。
だから、青森第5連隊の駐屯地は最初は弘前で、後に弘前第31連隊ができて移転、
その後も1ケタ連隊駐屯地を差し置いて、弘前が師団編成地であった。
八甲田事件の時、弘前第31連隊も雪中行軍中で、こちらは全員生還した。
新田次郎の小説では、遭難に気付いた31連隊は二重遭難の危険を避け、泣く泣
く下山したことになっている。
しかし友人のじいさんの話では、地元では「見つけても誰が助けるか」「遭難
したほうがましじゃい」と言い合っていると聞く。
923 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 21:42:52 ID:bUl3ao13
>>919 次戦争するときは本土決戦から始まるからさ
大学教授も徴兵されているお
>>904 それは人というか家によるだろ。
俺は現在29歳だが曾祖父は文久2年生まれだ。
スレチの話続けてすまぬが、飛龍の機関科員の話はせつない
捕虜になって生還した機関科員が戦後
「(脱出前に)隣のカマの隔壁をたたいた時向こうからたたき返してきた音を一生忘れられない」
と語ってた話とか
生き残りの方もほとんどが鬼籍に入られたことでしょう
>>904 私も30ですが祖父は支那事変時に上等兵でした
生まれる前に亡くなってるのでその後の軍歴を調査中
927 :
名無し三等兵:2008/06/24(火) 23:14:25 ID:JMqN0E0+
軍人ではないけど中島で航空技師をしていて戦時中捕獲した外国の航空機を見学旅行に行った。
満洲にもいきロシアの木製の航空機を見たという。3式戦とよく似ていたというからイ17かもしれない
ノモンハンで使用されてたという話を聞いたことがある。
兵隊やくざの中の従兵も大学教授だったな
929 :
uaa:2008/06/25(水) 03:45:11 ID:7uYTj7WN
父方の祖父は善通寺連隊で、日中戦から従軍、終戦時は
ビルマにいたそうです。生前いろんな話を聞きました。
丁稚奉公先から召集され(甲種合格)歩兵でしたが、
主計科に移りたくて、尋常小学校しか出ていないけど
いろいろと主計に関する勉強して終戦時は主計伍長でした。
インパール戦のとき、土嚢が確保できずに、放棄された砂糖工場の
砂糖で土嚢を造ったそうです。
弾は砂よりよく止まったそうですが、一雨くるとえらいことになったそうですw
ほかにもいろいろ教えてくれました。
ゲートルの巻き方や、携帯天蓋の張り方、38式や擲弾筒の使い方なんて
小学3年生に教えてどうする気だったんだかw孫の中でちゃんと聞くのは
オレだけだったし、
内容はどうあれ、誰かに聞いてもらいたかったんだと思います。
>929
俺加藤より10上だが爺様が従軍してたよ。
爺婆大将10年代で親が昭和20年代だから両方30代で子どもなら今ちょうど加藤くらいだわ。
50代てのは何処から?
932 :
uaa:2008/06/25(水) 16:48:02 ID:eQ3AHrzZ
>>931 曾祖父さんが死んだのが1902年1月だから、祖父さんが生まれたのは遅くても、
出かける直前に仕込んだとして同年11月生まれ。
父母は1959年と1955年生まれ。(報道による。誕生日の関係で1年ずれるかも。)
933 :
名無し三等兵:2008/06/25(水) 17:01:57 ID:ckZ9732p
前付き合っていた彼女のおじいさんから聞いた話。
「中国軍よりも補給物資を盗む市民の方に苦労した」
>>933 昔も今も(手ぐせ)が変わらないんだなw
流れと全っ然、関係ないんだけど、
>>928を読んで思い出した。
ちょっと世間話をした見ず知らずのおじいさんの話。
兵隊に行ってみると色んな人がいてその中にチンピラ風で悪ぶっているヤツがいた。
いつも相手を脅すようなモノの言い方をしていた。
初めての戦闘で普通の人はみんななんとか頑張って動いたが、
チンピラ風のヤツは恐怖で震えててまったく動けなかった。
「普段悪ぶってるヤツほど役に立たなかったなぁ。」と言ってた。
その後どうなったかは聞いてない。
>934 冗談抜きで、補給物資をかっぱらいに来る中国軍が一番厄介だとか。重砲隊がきれいさっぱり消滅したとかね。
938 :
名無し三等兵:2008/06/25(水) 23:47:58 ID:RDkWJ8t0
潜水艦乗りだった人はいない?
ウチの祖父の兄は大型潜水艦(伊号?)に乗って、インド洋でドイツ軍と共に対英通商破壊をやってたらしい。
敵駆逐艦が機雷を投下すると、離れている場所で爆発しても船体が大揺れして、慣れるまでは相当恐かったとか。
「ブレストまで行った連中は超人だよ」と言ってた。
シンガポールで終戦、英軍俘虜になったらしい。
商船を攻撃するときは魚雷ではなく艦載砲や機銃を使い、撃沈or拿捕したそうで、駆逐艦などに出くわしたときだけ
魚雷を使ったとか。
うちの爺さんは海軍だった。鳥海という船に乗っていて、艦橋で見張りとかの仕事をし
ていたと言っていた。どんなに船が揺れても、食欲と元気だけはあったそうだ。
「殴られたり、蹴られたり
とか毎日だったけど、そんな人でも褒めるとこはちゃんと褒めてくれたし、お菓子を
くれたりした。海兵団にいた時に、普段厳しい班長がみんな寝てるときに、こっそり
お菓子を差し入れてくれた。理不尽な制裁もあったけど、みんな心は優しかった」
と、しみじみ聞かせてくれた。戦争は悪いことだろうけど、僕は海軍に入って本当によ
かったよ、と最後にぽつりと言ったのが印象的だったなぁ。
もう随分前に亡くなったから、もう話聞けなくなっちゃったなぁ・・・。
当時の上官だった人から、形見としてもらった白くて黒い線の入った帽子を散歩の時
毎日被ってた。戦争が終わってしばらくして、再開を果たした時にくれたそうだ。
あれが士官二種略帽だと知ったのはずっと後だったけど。
戦争のロマンに洗脳されてるやつがいるな。
現実の戦闘はそんなもんじゃない。
941 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 01:55:27 ID:ft7oLifr
酒に酔った時にしか戦争体験を話さない祖父。
フィリピン・ルソン島からの生還者。
一度だけ聞いた話だが、連日の戦闘と、食糧の不足、マラリアなどの過酷な環境で、同郷出身の戦友が精神的におかしくなってしまい、敵の飛行機が来ると、陣地を抜け出して行っては敬礼をする。
祖父はその度に、命懸けで連れ戻しに行くんだが、機銃掃射を浴びせてきたグラマンの米兵が、白い歯を剥き出して笑っていたのが見えたと言っていた。
「一緒に日本に帰ろうな」と言い聞かせて、身の回りの世話をしていたが、ある日、また飛行機が飛んで来て陣地を抜けだそうとした所を、上官にピストルで撃ち殺されたそうだ。
>>940 むしろ逆だろ。戦闘体験というのは殺伐とした環境を長く過ごした人からの
他人にしゃべれることの出来るエッセンスだ。貴様のは脳内妄想。
943 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 03:34:29 ID:ucHNSQCq
うちの、じいちゃんは千葉習志野戦車学校を出て、満州に戦車兵で
行ってたらしい。満州では今程、チャンコロとは仲が悪くなかった。と聞いた。
まぁ中国の一般市民だろうけど。敗戦後 日本に帰っていたら、ロシアが攻めて来た、
と聞いた。応戦するも火力に圧倒的差が、あったらしい。
で、連行されて、シベリア送りだったと聞いた。
シベリアでは、極寒での強制労働。栄養失調で仲間が毎日死んでいったと聞いた。
特に都会の人は、体が弱いので死にやすかったらしい。
うちの伯父(故人)もシベリアだ。
学徒で出征、砲兵隊の中尉で捕虜。部隊は三分の一が帰ってこれなかった。
ハバロフスク地区では成績が悪いほうだといわれ、帰還も遅かった。
伯父の優柔不断さが多量の死者を出した原因と一部の兵から指弾されたらしい。
それでも将校だから生きて帰れたと本人は言う。
1995の最後の戦友会に初めて出席したが、「皆、喜んでくれた。ビックリした」
と言っていた。
実は3割死亡というのは平均値だとの話もある。
俺の死んだじーちゃんもシベリア体験者。
存命中は「子供にはわからん」と中学生の俺には何も話さなかったが
ばーちゃんは曰く、
・初日に軍隊から持ってきた身の回りのものをほとんど盗られた。
・囲まれて金目の物を取られた。で、「あいつらは土人」
・警備兵がこっそり死体の金歯を抜いていた。
・量が少なくて消化の悪い食事のためによく噛む事を心がけたから
生き残れた。 がっついて食べて、腹を壊した奴は衰弱して死ん
でいった。
・仕事は機械の点検。アメリカ製で英語表記の注意書きがついていた。
・帰国する前に、国に着いてから収容所の虐待の事を話すと、
スパイから報告されて、シベリアに残った戦友が帰国できなくなる
ぞと脅されたので、しばらくは自分の妻にも黙っていた。
・収容所で酷い食事をしていた割には料理の味にうるさかった(笑)
最後の1つはばーちゃんの愚痴(笑)
>>939 重巡・鳥海?
雷撃で沈んだ船だけど、その際の事は何か言ってなかった?
こういう軍艦クルーの祖父の体験談は興味津々なもんで。。
948 :
名無し三等兵:2008/06/26(木) 11:01:05 ID:EF83bApm
うちの爺さんは工兵だッたが
所属していた部隊が爺さん残し全滅して
敵の銃弾が目に当たり失明して
日本に帰国したと母から聞いた。
爺さん義眼だったのは記憶にあるんだがな
爺さんは第25軍に従軍したらしいけど
どの師団かはわからないんだよなぁ
もう爺さん死んじまったし、聞くこともできない
近衛だったらいいなとは思ってるけどどうなんだろ
ちなみにマレーで負傷して後方部隊に移ったらしい
>>946 ほんと、ロスケはろくなもんじゃないよ。
ただ、あいつらバカだからうまくやればおいしいこともあると
昔シベリアに連れて行かれたことのある教師にきいた。
たとえば、その人は腕時計をいくつか持ってたんだけど、
一つだけネジ巻いて腕につけておくんだって、
あとのはネジ巻かずにベルトにでもつけておく(隠すと厄介らしい)
ロスケは動かない時計は壊れてると思ってスルー
腕につけた動く時計は当然ロスケが欲しがる
↓
食い物と交換
↓
そのうちロスケの時計は止まる
↓
その辺に捨てる
↓
拾ってベルトへ
↓
別の一つをネジ巻いて装着
↓
ロスケry
↓
食べ物と交換
無限ループウマーw
ロスケもひどいが日本もひどいと知り合いの爺様が言っていたよ。
シベリアで苦労して、やっと帰ってきたところで一時金かなんかが出たそうな。
で、やっと故郷の駅について、腹がへったんで今川焼きを買ったらなくなちゃ
ったとか。
いろんな意味で涙が出て止まらなかったと言っていた。
ユーモアのある面白いじいさんだったんですごい印象的だった。
俺の母親の祖父だから俺にとっては曽祖父になるんだが
B-29乗りで東京大空襲に参加した。
何の因果か、娘が日本人と結婚し俺の母親誕生。
ちなみに俺の父方は天保年間からの江戸っ子という
皮肉な組み合わせ。
父方バーサンは大空襲逃げまくった。両国で火にまかれて
命からがら生き残った。
953 :
名無し三等兵:2008/06/27(金) 00:13:30 ID:TBGJa7cr
漏れの爺さんは陸士51期、中尉の時にガダルカナル島に行って筆舌に尽くしがたい
苦労をしたそうな。将校でさえ野生の動物を食って生きるしかなかったような事を聞いた。
もっとも参謀とかの中級以上の将校は別かもしれないけど。九死に一生を得てガ島から
撤退時に乗った輸送船で出されたお粥とミルクが「一生のご馳走」だったらしい。
さらに目的地に向かう途中で潜水艦に襲われて輸送船も沈没、今度こそ生きて内地に
帰れないと思いきや、後続の水雷部隊が潜水艦を撃沈、ところが救助までに相当時間が
掛かったらしく、駆逐艦に引き上げられた時に水兵に思いきり顔をぶん殴られてカツを
入れられたらしい。終戦後、漏れが生まれて間もない昭和59年、ある新聞記者の協力で
この水兵と再会して礼を述べ、奇しくも昭和の終わりの日に急性心不全で亡くなった。
今でもこの水兵は老人ホームに居るけど元気なのでたまに会いに行ってる。
俺の母方の爺は東京の立川で飛行機の整備士をやっていたと言っていた。
やはりグラマンはすごかったとのこと。戦後はトヨタに勤務。
>>922 >新政府の東北嫌がらせの
北海道が激戦区に行かされたのが多いのもこれに関係するのかな
鹿児島とか九州も激戦区に行っている。菊とか龍兵団。
都会から離れた地方こそ強兵って概念がある。
(例外として、ペリリューの水戸とかもあるけど)
貧しい農村の2男3男が軍隊のメリット(毎食有るとか)を受け、
軍も、他に行き場のない人間を強兵に仕立てたってこと。
それは「激戦地」という名のノタレ死にコース。
子供の頃から歩いてきた距離が違うんだろうな…
>956
カゴウマは西郷ドンがああいう結果になったんで逆賊一味扱いじゃまいか。
佐賀も熊本も福岡も似たようなモン。
長州なんぞは激戦地送りのはあまり聞いたことが無いけど・・。
長州は広島第五師団の管区下。
上陸作戦の専門家として知られる師団で、大陸出兵に際して常に先陣を切る部隊だよ。
961 :
名無し三等兵:2008/06/27(金) 22:39:37 ID:ffZ9CUjN
こないだ仕事に行く途中の電車に乗ったとき昼間なのですいてた
おばあちゃんと車椅子のおじいちゃん、おばあちゃんが車椅子動かそうと
してたので大丈夫ですか?と声をかけたらおじいちゃんとおばあちゃんに
にっこり挨拶された、雪風は沈まずの本を読んでいてきっとおじいちゃん
表紙を見てたんだろうね、僕が電車降りるとき軽く挨拶して降りたとき
おじいちゃんに海軍式敬礼されただいぶお年を召された方だったので
ひょっとしたら戦争経験者?の方だったのかもしれない、急だったので
頭を下げただけだったけど、その後つい涙ぐんでしまった。
変かな?
962 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 02:22:59 ID:m4Pf3f9e
俺のじいさん(宮城)は平壌や延吉辺りまで行ったらしい
除隊寸前で挨拶の言葉も考えていたのに日米開戦して内地に帰れなかったそうだ。
でも、シゴキなど嫌な事もあったが軍隊生活にも楽しい思い出もあるらしく
野球チーム作って他の隊のチームと試合するため飛行機使って遠征したり
他にも現地人から娘を貰ってくれないかと言われたりしたそうだ。
じいさんの身内には失恋したショックで南方の最前線を志願して戦死して、皆から大馬鹿者と思われた人もいたり
上官の奥さんが露助に強姦され自殺したという事もあったらしい。
963 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 04:00:53 ID:kAXA6Ium
うちのお爺さんは、海軍の特別陸戦隊で上海でも戦ってた。
その後、太平洋戦争のとき出撃途中に乗ってた船が撃沈された
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
966 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 11:55:31 ID:7IuN5luA
支那戦線でのチェッコ機銃の砂埃だけの無音の弾着は、めちゃめちゃ怖かったって。
機銃は、敵を定めたら縦に銃身を振って撃つもので、映画みたいに左右に振って撃ったところで当たりはしない、とは重機部隊だったうちの爺さんの話。
>>966 発射速度の遅い九ニ式とかだとそうだけど、
機関銃は本来『面制圧兵器』なので左右に振るのは本来あり
968 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 12:36:19 ID:GnI4pSJn
兵隊だったとしか聞いてない
>>963 別人だが、考察サンクス。
ドイツが戦争後半にニキーネ不足になった理由が分かりました。
970 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 12:51:44 ID:oOn4KkBc
うちのじいさんはゼロ戦乗ってた。天皇陛下に貰ったっていう金属製のゼロ戦の模型持ってた。その孫の俺の従兄弟は空自でイーグル乗ってる。
その従兄弟の結婚式で自衛隊の人等がじいさんに敬礼してた。自衛隊の人等はみんな軍服で来ててそのテーブルはなんかの作戦会議してるようにしか見えなかった。
>>967 ところがどっこい、日本でそれは通用しない。現代では迫撃砲をピンポイントで当てる国ですから。
>>935 巣鴨プリズンでは軍人より文官の方が堂々としてたって児玉誉士夫だか笹川陽一だかが言ってたよな。
弘前師団、旭川師団は日露戦争の時には虎の子だったそうじゃないか。
勿論戦場が寒冷地だからだけど。
八甲田遭難の話は「八甲田から還ってきた男」(高木勉・文春文庫)に詳しい。
973 :
972:2008/06/28(土) 14:04:51 ID:???
間違えた。
笹川良一だった。
笹川良一かぁ。
公文書やぶりとりの真偽はどうなのだろう?
祖母は、8歳の時にサイパン戦を経験。
家族や他の人達と隠れていたジャングルの洞窟に、これから最後の突撃をするという日本の兵隊さん達がやって来て、
「今からアメリカをやっつけて来るからね。これでも食べて、最後まで頑張りなさい。」と、
持っていた水筒と食糧を沢山置いて行ってくれたおかげで、餓死する事無く助かった。
しばらくして米軍に見つかり、収容所に連れて行かれる道中、沢山の日本兵が刀や銃を持ったまま倒れてる場所があって、あの時の優しかった兵隊さん達だと言って、みんなで涙を流したそうだ。
977 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 19:41:35 ID:6vK1m/qr
だれか覚えてないかな、30年位前何の本だったか忘れたが、終戦間もなく
満州で中国軍からみなで逃げてるとき、しんがりの兵隊さん達が応戦してるとき
中国軍の銃撃が少なくなってどうしたんだと後ろを振り向いたとき小さな男の子
が、兵隊さんのほうへ歩いて来ていて飛び出して助けに行って何をしていると
怒ったら母ちゃんが兵隊さんにとオムスビ出した話。撃たなくなった中国兵
にも泣いたけど銃弾飛び交う中オムスビ持ってけと言った母ちゃんに子供
ながら泣いた記憶がある。あとソ連軍に侵攻され毎日のように日本人の婦女子
がレイプされてた時、兵隊や男達は何もできなかったのに日本人のきれいな
看護婦さんが、直談判に行くと行ったきり帰ってこなかったがその後暴行は
無くなった話。体験談だったけど未だに子供のころ泣いた事思い出す。
>>927 そのロシア製の飛行機は多分、ソ連から亡命してきたラボーチキンLag3戦闘機じゃないかな。
979 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 20:21:43 ID:MFKf5OBQ
>>977 日教組左翼教員が拡散した話じゃね。
日本軍の兵隊を一方的に悪く言いまくっている。
一方で共産軍を良く言っている。
君は定年退職した団塊元教員かな?
残念ながら2ちゃんは教室と違うから自分の言いなりにならないぞ。
>>979 >>977の文章をから日本軍が悪し様に書かれていると読み取る
君の読解力に心底敬服する。
981 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 21:33:26 ID:MFKf5OBQ
>>980 貴官の発言に対して心から感謝の意を示したい。
既存のTV番組や雑誌や新聞では反日活動の効果が少ないと
彼らは気が付いた。
だからアクセス数が膨大な量を誇る2ちゃんを利用する手を
彼らは考えたんだろうね。
南満州に抑留されてたる日本人を内地へ帰還させる作戦を
実行した元関東軍兵士が実在する。
特定されたくないので詳細をカキコしない。
「ウッドマイヤー」でネット検索すればヒットするかも。
>>981 大将、自分にはその文章の前半と後半のつながりが理解できないから、くわしい解説ヨウソロ。
普通の話を強引にウヨサヨ話にもってく
極東板住人になえた。
早く巣にお帰り。
984 :
名無し三等兵:2008/06/28(土) 23:26:34 ID:MFKf5OBQ
>>982 前半と後半の文章を無理矢理繋げたカキコを発見するとは貴官は
優秀な情報分析官だと断定する。敵ながら天晴れだ。
それに比べて文章構築能力がゆとりレベルの漏れは修行が足りない。
ゲバラの本とレーニン本と似奔共産党60年史をかじっただけでは
ケツが青いと自己批判を強要されそうw。
>>983 本スレは戦場へ出征された軍人軍属の体験談であるのにウヨサヨ話へ
持ち込んだことに対して反省の意を示す。
小学生時代に日教組の教員に苛められた経験が共産党への憎悪へ
?がっている事実を考慮して頂きたい。
大東亜戦争で戦病死した父方の祖母の弟が草葉の陰で漏れを操った
と言い訳するかw。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
何このウンコな流れ?
>>984 閣下、文章はつなげるもので無く、つながるものだぞ。
「イイタイコト」がまず先にあってそれから文章をつくることが、文章を書く本道。
989 :
名無し三等兵:2008/06/29(日) 01:08:45 ID:S8/jWqrl
>>988 貴官の助言に対して感謝の意を示したい。
「結論」を述べてから「データと理由」を述べるのが
報告文書を作成する時の基本中の基本である事を忘れていた。
>>979 反乱の満軍なら、戦意はあまり高くない。難民とわかれば撃ってこないというのは有りうる話だ。
共産軍にしても、日本人に対しては怖くない、というか日本軍に対して中国兵は怖くないぞ。
南京大虐殺?以前は敵意丸出しだったが、その後はかなりなあなあ。捕虜に対する扱いも天地ほど変わった。
ソ連軍は怖い。容赦ない。占領確定後、日本人が死に絶えるかゲットー行きした後は、
朝鮮人、そして満人漢人が略奪、強姦の目標となった。
991 :
uaa:2008/06/29(日) 02:17:05 ID:fBCLkXCr
自分の爺さんの話じゃなくて、中学の時の先生のお父上の話なんだが、
捕虜としてシベリアに送られて、強制労働させられていたらしい。
そしてあるとき健康診断があったのだが、担当の女医がものすごいブスだったらしい。
他の捕虜が顔を見て笑いをこらえている中、先生のお父上だけは診察後に最敬礼を行った。
診断の結果が「伝染病」であったため、先生の父親は帰国させられたらしいが、
実は健康で、女医が虚偽の診断をして、自分を馬鹿にしなかった先生の父親だけを帰国させてくれたらしい。
先生が子どもの頃、酒を飲んだ父親から聞いた話らしいので、信憑性は?だが、
自分にとって、人間性の大切さを教えてくれるいい話だった。
993 :
名無し三等兵:2008/06/29(日) 07:21:13 ID:r+4/+Ely
>>990 父ちゃんの知り合いでシナ帰りの人は重い装備を担いでシナ大陸を歩いた。
昼も夜も関係無し。仲間から外れるとシナ人から何をされるか分からず
怖かったそうだ。そんな話を聞いていたのでシナ人に対する不信感が漏れに
醸造された。
本で「暴をもって暴で報いるな。得をもって報いよ。100万人の軍人軍属
民間人を無事に日本へ帰国させた蒋大総統」と書いてあるのを疑いながら
読んでいたけど嘘じゃなかったんだね。
>>992 「ロシア人は冷酷な奴」と婆ちゃんに散々聞かされてきたし
父ちゃんの知り合いでシベリア帰りの人は体を壊しているのを
見ているとロシア人に対する敵意が漏れの中に醸成されていた。
だけど中には温厚なロシア人も存在するんだね。
994 :
名無し三等兵:2008/06/29(日) 07:48:00 ID:pok8QMDC
白系ロシア人はそれほど残酷でないらしい。やはり中央アジア出身とかは本当にひどいことをした。
まあ比較的という但し書きはつくけど
同志大元帥書記長閣下て中央アジア方面の出だろ。
996 :
名無し三等兵:2008/06/29(日) 09:22:37 ID:pok8QMDC
そうグルジア人。
>>993そんなきれいごとで日本人を扱ったわけでない。戦争中まともに勝てなかった日本人に対し恐怖があっただけ
それが100万もいたらどうなると想像し静かに退散させたというのが真相。
997 :
名無し三等兵:2008/06/29(日) 09:43:55 ID:VFmkeCjv
グルジアのような小国出身のオッサンに滅ぼされたロシア帝国・・・
そして振り回された国民って一体・・・
逆に考えるんだ
グルジア出身のオッサンがすごかったんだ…きっと
1000
1000 :
名無し三等兵:2008/06/29(日) 10:17:07 ID:XiT9kyYg
さよなら1000
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。