>訓練によって条件反射をたたき込み、ワケの判らないうちに人殺しをさせることが可能
『ゲーム脳』と同じくらいのヨタ話だけどね。
953 :
島田戦車隊:2008/08/30(土) 23:41:19 ID:???
wwwwwwwwwwwwwwww
戦後の局地を経験した人の、その報告をしたことに後悔したwwwww
>>953 知性のかけらも感じられない文章になってきているぞ、少しは落ち着け
._, ._
( ・ω・ )
○={=}〇,
|:::::::::\, ', ´
wwwwwwwwwwし 、、、(((.@)wwww
956 :
942:2008/08/30(土) 23:50:05 ID:???
>>952 条件反射はあくまで「一例」。
射撃訓練のターゲットを、丸型から人型に変えた。
これだけで発砲率の向上に十分な効果があったとされてる。
無論、これだけの工夫で20%の発砲率を90%まで向上させられたわけではない。
条件反射訓練の具体例や、その他の重要な要素については同著を読まれよ。
恥ずかしながら、オレはこの本読んで目から鱗だった。
手持ちの本の何冊かを読み直すことになったし、新しい視点が得られた。
読みたくないなら読まなきゃいいよ。
読むべき本を読まずに語る恥ずかしさの例を1つも知らないならね。
957 :
島田戦車隊:2008/08/30(土) 23:53:46 ID:???
ゴメンな。いいスレを悪い流れにしてしまって・・・・・
ホントにスマン。みんなが好きなスレなのに。
でもこのスレの最初のほうに書き込んだ302厚木の整備兵の話は、
ブログも建てられないようなスキルしかない俺のまとめなんだ。
横浜市藤が丘の「梨園」で有名な、現地の小学校もその人の名前が付く位の
地元の名士なんだ。覚えていてくれたらうれしい。
亀仙人乙
>>956 「動く物はまず撃って、その後に誰何しろ」とかか?
960 :
名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:07:18 ID:uFp9tXoo
>>956 西南戦争当時の日本陸軍は白黒のマン・ターゲットどころじゃなく、
錦絵の技術で量産した総天然色の兵士精密画像をターゲットに使ってるわな…
錦絵ターゲットのその後は知らんけど、山野の演習場に的置いて慎重接敵とか、
ポップアップ・ターゲットとか、訓練方法を色々工夫している。海兵の史家が書いた日本軍歩兵本にあったよ。
961 :
名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:11:03 ID:Rq9XnkoF
>>956 まず、
> 20%の発砲率を90%まで向上
に根拠が、ない
銃の数と消費弾薬、戦死者などから計算したらしいが、
弾薬の製造能力や補給数、そもそも銃の性能や“銃の目的”自体も違う
『○○によって□□は△△%向上した』は“死の商人”の常套句
奴らの言いなりで戦場には“傭兵”も復活した
確かに、費用対効果は上がる
しかし“戦争”は本来“ビジネス”には向かないハズだ
963 :
奥崎謙三:2008/08/31(日) 00:16:03 ID:???
>>961 >日本陸軍に学ぶ
「上官は殴れ!」
(うしろだまはひきょうだからしちゃだめだよ
>>915 何しろ「神聖にして侵すべからざる神」の命令で闘っていたわけだからね。
>>924 その辺が決め手でしょうな。要するに「天皇教団」で、戦士は聖人、戦死したら殉教者。
命令に従うのが当たり前で、悩んだりするほうがおかしい、といったところですか。
>>919 利害得失を考えてみれば分かりきったことだけど、ベトナム戦で喧伝されるようになったのは、
「戦意を減殺させるための東側の謀略」という面もあるに決まってるな。
いるよね、そういうのにすぐ乗せられて悲憤慷慨する単純な奴。
「載せられる台に描いてある模様」が違うだけで、どこでもありふれてるわけだけど。
>>962 >『○○によって□□は△△%向上した』は“死の商人”の常套句
「ゴキジェットProによって駆除率は30%向上した」
>>962 オマエは同書を読んでないと1200%の自信を持って断言しよう
それにツッコミのパターンが軍板チックじゃない
971 :
名無し三等兵:2008/08/31(日) 00:59:13 ID:cEjn++ww
俺の死んだ爺さんは、関東軍で、高射砲部隊にいたらしい。軍曹を殴って営倉に入れられたり、自決した
将校の遺体を片付けたり(遺書で血糊を拭いた!)、爆撃で死にかけたりと、散々だったらしい。結局、
シベリア抑留を喰らって苦労したそうな。京大出のエリートを通訳を介して同じ牢屋のドイツ兵と「ロシア人
は馬鹿だ」と、愚痴ってたとか。もっと話を聞いとけばヨカタ
>遺書で血糊を拭いた!
ほかに何か拭えるようなものは無かったのかえ?
それとも嫌がらせで?
>>972 単なる「聞き間違い憶え間違い」じゃない。
本を読んでいる云々より、ここではレスに説得力が無いのが問題じゃないのか?
説得力なんて、どうでも良いじゃないかと思います
激動の時代を生きた話を聞かせて貰えるだけで幸せです
少し位の着色や細かい間違いは聞き流しましょうよ
明らかな間違えは個々の判断ですがw(他の人達の為?)
一個人の経験を聞かせて頂ける時間は残り少ない
追記
厳密な史実を知りたいなら図書館へどうぞ
但し発刊されている書籍も、間違い多過ぎですけどねw(公文書含む)w
977 :
名無し三等兵:2008/08/31(日) 09:34:13 ID:0s9/Urur
>>961 具体性に欠けないか?
ところで、みなさんのおじいさんが所属していた師団、連隊の郷土部隊史関係の書籍は
読んだことありますか?
やはり、士官中心に書かれているものなんでしょうかね。
>>961 大和魂だの言ってボロ負けするような軍隊の話が役に立つのか?
>>962 > “戦争”は本来“ビジネス”には向かないハズだ
それこを何を根拠に言ってるのかわからんな。単なる君の願望でしょ?
981 :
980:2008/08/31(日) 10:49:26 ID:???
失礼。書きかけで送信してしまった。
ガ島帰りの爺様が絶賛してる本だろ
このスレ的には、役に立つか立たないかの次元を超えた価値が
あると言えるんじゃないだろうか
戦争指導はアホだし、組織もダメっぽかったらしいが、部下が心酔するような
指揮官が一定数いたのも事実だし。
辻とか?
>>981 このスレッド的価値はあるだろうが、それ以上の意味はないな。
ガダルカナル島なんて、古今の失敗事例の最たるものの一つだろう。
もっとも、その失敗に学ぶという意味はあるか。
何か方向を間違ってるな。
役に立つ話など誰も求めて居ない。
スレ違いもはなはだしいからもう辞めろ。
985 :
名無し三等兵:2008/08/31(日) 14:01:41 ID:e18E1vs8
>>984 そうですよね〜。スレ違いも甚だしい。
俺達はお爺様、お婆様の戦争体験を聞きたい。
無駄な議論はいらないよ。他のスレでやって下さいね。
>>978 戦後の劇的な高度成長は、ボロ負けした敗因を徹底的に反省した上に初めて成り立ったという面はあるからね。
で、現状はレイテ戦が終わったあたりか・・。
小泉も結局、特攻戦常套化しただけの栗田だし。
経済敗戦も時間の問題だ。
>>987 郵便局を敵に差し出した所で前面降伏。
10年続いた金融戦争は首相が国を裏切り終了。
63年前より酷い負け方だな。
郵政省の敵とは…?
>>989 郵政省の敵とは…?
そんな事は書いてないでしょ。「郵政省を敵に差し出した…」としか書いてない。
ただのν速史観だよ
ν速民と、その眷属が紛れ込んでるらしい
特定の話題が大好きで、多少でも文脈が繋がるとみると見境無い
陰謀論者やオカルトマニアと同じ心理状態にある人種なので、説得は無意味。
ささやかな天災だと思ってスルーしなされ。
>>992なら、
純粋に聞きたい人だけが集うスレに成る
993 :
1/3:2008/09/01(月) 00:24:16 ID:E09Xvb3k
「噂の生死不明者生還」 母方祖父記す。
突然召集令状を受け取った私が一番記憶に残るのは、生後一年半の三男が、
歌にもあるように妻の背に負われ小旗を持ったまゝ眠っているのを見たときだった。
生きて再び此の児を見られるか否か――M駅に送っていただいた方々にも
元気で挨拶を交わしていたものの、万感は胸一杯になっていた。
一日入隊、八日野戦行きというあわたヾしさの後、二日後には釜山着、
現地の小学生が歌や踊を演じて吾々を慰問してくれたが、
故郷に残してきた子供に想いを馳せながら、感動して時の過ぎるのも忘れた。
それから貨車で出発、南京からは船で揚子江をさかのぼり、
十月下旬石首というところに着いた。ここは漢口から約六百キロ、
日本軍の第一線に近かった。南京からでは二千キロ、
つまり五百里も揚子江をさかのぼったのである。
それでも夜間だけの航行なので空襲もなく、
まるで現在の慰安旅行のような気分だった。
994 :
2/3:2008/09/01(月) 00:27:49 ID:E09Xvb3k
石首上陸三日後、先輩たちは洞庭湖畔の常徳作戦に出動、
私ら補充兵は残留先輩の指導で馬手入などをしていた。
ところがある日、敵機の空襲を受け、馬六頭が爆死してしまった、
その後、雨が続いたが爆風で屋根が飛んでしまったので、
私達は立食で食事、夜は携帯天幕の下に寝た。
二ヵ月後、沙洋鎮飛行場の警備につきながら、約一ヶ月間、
本格的野戦教育を受け、一人前の兵隊になった。
そのころ、私は故郷の妹の夢を三晩見た。不安に思っていたら、
「妹死す」の手紙が届いた。
U駅で、あんなに別れを惜しんだ妹を想い浮かべ、辺りに咲いている桃の花を
棚に飾ってヒッソリと妹の霊を慰めた。
それくらいしか、戦場の兄としてはしてやれない。
妹の霊が、この支那の奥地にまで飛んできたものと私は信じた、
995 :
3/3:2008/09/01(月) 00:31:14 ID:E09Xvb3k
戦局は急転する。私らは、中・南支貫通のエツ漢打通作戦に参加、
長沙を攻略して衡州に進軍、塩山の警備についた。
このとき私らと出会った桜兵団(第二十軍)の兵隊は、
全員下士官だったのに驚く。歴戦の部隊だったのだろう。
ところが間もなく、私ら二十八名は戦野にさまよってしまった、
本隊に帰ってみると、既に前線に出発してしまった後なのである。
毎日々々、あちらの部隊こちらの兵站に頭を下げて御厄介になり、
本隊いずこと捜し歩いた。いつの間にか、
かの有名な桂林という名勝地に来たが、風景を眺める余裕とてない。
仲間六人も死んでしまった。
こうしたハグレ鳥の状態で迎えたのが私らの終戦だった。
ときに八月十九日、内地に帰ることなど夢にも考えられず、
一同無念の涙で途方に暮れ、その地に骨を埋める決心をした。
そうこうしているうちに、私らにも復員命令が伝達され、
その後三ヶ月もかゝって揚子江岸の九江に辿り着き、
ヤッと本隊に合流して捕虜収容所に入った。食うや食わずのうちに年も明け、
内地帰還に希望の灯がともった。
どんなに苦しくとも「帰るまでは」を合言葉に戦友同士が励ましあい、
二十一年五月上海発、六月二十八日朝八時半I駅に着いた。
陸橋より男体山を拝んだとき「あゝ故郷に来た」という
実感が胸の中で張りさけんばかりだった。暫く日光連山をみつめていた。
原文ママ。拾い物
ν即史観って、「日本軍はアジア解放に
立ち上がった正義の軍隊」「大日本帝国は
アジア民衆を救うために戦った正義の国」
ってアレか?
旧軍マンセーの俺でもヒクわw
997 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 01:59:03 ID:UkVRuK5H
埋
1000なら…
カチャ
;y=ー( ゚∀゚)
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1000 :
名無し三等兵:2008/09/01(月) 02:59:51 ID:e8KSvLYJ
;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン
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1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。