1 :
名無し三等兵 :
2008/01/25(金) 11:11:33 ID:bd2ThojR
2 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 11:33:19 ID:???
堀の内のお祖師さま
3 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 11:38:06 ID:???
で、日本側の被害実数はどれぐらいなんだ? 片方は内部史料、片方は大本営発表じゃまともな評価なんかできるわけない
4 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 11:43:47 ID:???
>>3 >で、日本側の被害実数はどれぐらいなんだ?
>片方は内部史料、片方は大本営発表じゃまともな評価なんかできるわけない
一応日本軍のも内部史料だろ。
損害がすべて計上されていない可能性があるという指摘があるだけで。
5 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 11:48:47 ID:???
>>4 いや、引き分けないし日本側勝利を主張する側が引用する数字は
陸軍省発表の死傷者戦病者合わせて18000人というもの
内部史料のではないよ
6 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 11:58:04 ID:???
実際には3万いってるんじゃない? 政府要人の得た情報もあるし 比率としてもっとも被害受けてない連隊ですら五割死傷というのが第六軍のデータだからな
7 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 12:10:53 ID:???
>>5 そうなのか。
有名な第六軍の内部報告を利用しているとばかり思っていた。
>>6 原熊は確度が低いのであまり信用しないほうがいい。
極東軍事裁判で東條が詳しく間違いを指摘した場面があって、
結構おもしろい。
8 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 12:27:39 ID:???
米軍の諜報結果や、素直に死傷率を兵員にかけて算出した数字と合致するからな>3万規模 一番信憑性は高いんじゃないのかね 誰かが内部データ発掘してくれると正確な照応ができるんだが
ノモンハンで陸軍航空隊は10倍の超過大戦果を発表したらしいですね。これなら九六戦と海軍航空隊なら大陸戦線と同じくソ連軍のI-15.I-16を圧倒できたのでしょうね。 なぜ陸軍はいじはって九六戦を採用しなかったのですか?身から出た錆ですね
10 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 15:21:38 ID:???
日本軍の損害推計がばらける一つの要因は、 ノモンハン時の動員形態が平時編制のままだという点にあるんでは無いだろうか ・・・とまあ、これは牛島先生の見解そのままだがw 損害率何%というのと、一般的な日本軍の編制兵力イメージからすると、 3万くらいいきそうなんだが、 実は、平時編制のままの出動なので、一般的なイメージより兵力が少ない。 たとえば六軍集計とか第23師団集計の数字は、延べ兵力で、 実際に一時点で戦場に居たのは第23師団では1万人以下のようだ。 戦時編制の歩兵師団だと2万人前後に膨れるから、ざっと半分程度の規模でしかない。
11 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 16:24:13 ID:???
靖国神社のノモンハンの死者数は約18000柱だが それとほぼ同数の怪我人が出たとすれば、ほぼ死傷者は3万人で計算は合うのだが
12 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 16:26:43 ID:???
普通、負傷者って戦死者の3-5倍くらいでるもんじゃないかな? 野戦医療が不十分で負傷者は大半が死んだのか?だとしたら玉砕戦一歩手前だが。
13 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 16:36:19 ID:???
実際に玉砕戦一歩手前だったのだが それについては過去レスで散々キシュツだったのだが
14 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 16:44:54 ID:???
>>10 しかし、平時編制で訓練未了の師団があそこまで頑張ったのか。
ソ連軍も強いが日本軍もやたら強いなあ。
15 :
名無し三等兵 :2008/01/25(金) 17:17:13 ID:???
やれやれ、いったい自分の軍団の人数を把握していないなんて、どこの世界の軍隊なんだよww ノモンハン戦への日本軍の参加人数は、最終的には約5万4000人だということがちゃんとわかっている そして部隊平均の損耗率が、自己申告だが約六割ということもわかっている 単純計算しても、日本軍の死傷者数は3万人を超えてるだろ
16 :
名無し三等兵 :2008/01/26(土) 04:01:13 ID:???
ノモンハンには一個師団しか派遣されていないのだが。五万四千人てソ連側の 大げさな報告だろうに。
17 :
名無し三等兵 :2008/01/26(土) 04:56:10 ID:???
5万4千人ってのは、例の辻ーん強気発言の4個師団という奴を含む日本側の数字。
つまり多くは実戦参加して無い。
>>14 ソ連側も、武器を持ったことが無い兵隊多く含んだ師団なんかも途中から出てきてるけどね。
18 :
名無し三等兵 :2008/01/26(土) 06:05:22 ID:???
>>17 >>ソ連側も、武器を持ったことが無い兵隊多く含んだ師団なんかも途中から出てきてるけどね。
これってノモンハン時の話なのか?
幾らなんでもこの当時からそんなアホ師団を投入したのか?
国民党が督戦隊をおいて後ろから追い立てる様に、
政治将校が後ろから追い立てて戦いを強制させていたのか?
19 :
名無し三等兵 :2008/01/27(日) 04:14:28 ID:???
>17 その四個師団が戦っていればソ連軍に壊滅的打撃を与えたのに・・・・
20 :
名無し三等兵 :2008/01/27(日) 09:05:03 ID:???
壊滅させられた、の間違いだろ 戦車も無く砲も少ない時代遅れの歩兵師団が、ろくな陣地構築資材もなく平原に展開しても犠牲でかくなるだけ 包囲され玉砕や、それを防ぐための無断後退(ってか司令部がきちんと命令して退却させるべき状況なんだが)が相次いだ第二次事件の悲劇が拡大される
21 :
だつお :2008/01/27(日) 11:28:10 ID:LwEvWQ6g
ところでソ連は日ソ中立条約で「満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明」
したって知ってるか?
満 州 国 の 正 当 性 に つ い て は こ れ で 異 論 な い よ な !
声明書
大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ1941年4月13日
大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル中立条約ノ
精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ
領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯
邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nissotuuritujouyaku.htm 大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約(1941〔昭和16〕年条約第6号)
1941(昭和16)年4月30日公布
22 :
名無し三等兵 :2008/01/27(日) 11:42:28 ID:???
つうか国境紛争のレベルじゃすまなくなる そうなったら増援なんてできん、と日本軍の参謀自身が認めているぞ
23 :
名無し三等兵 :2008/01/27(日) 19:30:20 ID:???
>>20 >ってか司令部がきちんと命令して退却させるべき状況なんだが
下手に押し込まれるとタダじゃすまないんだろ?
日本の威信をかけて反撃しなければならない羽目になる。
要するに第二次日露戦争勃発。
24 :
名無し三等兵 :2008/01/27(日) 23:29:35 ID:???
>>16 ほかにも9師団からの増援連隊やら満州中から集めた砲兵隊や
満州国軍やらいっぱいいますが
25 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 00:06:21 ID:???
>>24 そういえばソ連側の損害報告には外蒙軍は入っているのか?
26 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 07:17:36 ID:???
そっちの損害は不明だったような。
27 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 15:17:14 ID:???
>>23 典型的両翼包囲された時点でもうタダじゃ済んでないよ
退却して再編制しなきゃそれこそソ連軍がその気だったら満州まで突っ込まれてたよ
28 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 17:56:33 ID:???
>>27 両翼で前進された時点で普通に退却すればいいのに、
攻勢を試みてソ連軍の網の中に突入したことの方が深刻なミスな気はする。
砲兵の擁護を放り出して歩兵が無益な攻撃をするから、
いたずらに砲兵を犠牲にしたわけでもあるんで。
普通に後退再展開してソ連軍の出血を増やせばいいだけのはずなんだが。
29 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 18:23:01 ID:???
>普通に後退再展開してソ連軍の出血を増やせばいいだけのはずなんだが。 自動化が進んでいるソ連軍より素早く後退できて、 ソ連軍がやってくる前に再編成が済むならそれでいいかも知れない。
30 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 18:26:41 ID:???
>>25 出てるよ。死傷500人前後だったと思う。
よく国士様が悦に入ってる数字には、少しでも膨らますためにモンゴル軍の損害が入ってるのが多い。
ただ、いくらか集計方法が違ってて戦病が入ってなかった気がする。
まあ、いずれ投入兵力が2個騎兵「師団」で計5千人程度だから大勢には関係ないな。
序盤の兵力不足では、翼端警戒に活躍したみたいだけど。
>>24 例の5万4千人には満州国軍は入ってなかったと思う。
別枠でたしか第二次の分は計1万3千人くらいだった。
31 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 18:29:00 ID:???
>>27 >>28 そんで、どこまで後退するの。
あの辺りで防御向きの地形ってあったっけ?
>砲兵の擁護を放り出して歩兵が無益な攻撃をするから、
>いたずらに砲兵を犠牲にしたわけでもあるんで。
砲兵の援護なんて、すでに期待できないだろうに。
砲弾は関東軍のどこにも残ってない。
本土にはあるが間に合わない。
32 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 18:31:07 ID:???
33 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 18:46:11 ID:???
>>29 無理に攻勢に出て機銃で圧倒されて敵軍の包囲網深くはまりこむくらいなら、
一歩一歩後退するか、現地を死守して機を見て離脱したほうがましだろ。
34 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 19:01:19 ID:???
>>33 >無理に攻勢に出て機銃で圧倒されて敵軍の包囲網深くはまりこむくらいなら、
つまり、7月に起した攻勢すべてが間違いであると。
>一歩一歩後退するか、現地を死守して機を見て離脱したほうがましだろ。
機甲戦力で優るソ連軍を振り切るのは無理だろ。
敵軍に食い込んでいる陣地を固守して…って、それじゃ史実と変わらないだろうがw
35 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 19:09:33 ID:???
>>34 どうなんだろ、
俺が言っているのは8月24日以降の攻勢移転の件だが、
下手に攻勢を企図して白昼に正面から攻勢をかけて挫折したのが、
犠牲を大きくしたような気がするんだけどね。
36 :
名無し三等兵 :2008/01/28(月) 19:21:38 ID:???
荻洲司令官の判断が間違いだと。
37 :
だつお :2008/01/28(月) 21:33:55 ID:GcC+Vb7g
ノモンハンで日本は惨敗したのかとか、紛争が続いてたら満州国は危なかったとか、 そういう願望的な「たられば」論などやってみてもむなしいだけだ。 現実はというと日ソ停戦、後に日ソ中立条約でソ連は満州国を公式承認した。 中国人にとってはまさに「痛恨の一撃」であったといえよう。
38 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 00:09:08 ID:???
>24 満州中から集めた砲兵隊? 本土から投入した野戦重砲兵二個連隊をはじめとする砲兵隊や戦車、航空機を投入しても 壊滅したのに、「残り物」を投入して何ができるんだ?
39 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 00:11:17 ID:???
>31 28じゃないが、「砲兵の擁護」と「砲兵の援護」は全然別だと思うけど。 28が書いているのは、放り出された各砲兵部隊全滅の話だと思う。
40 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 03:51:30 ID:???
41 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 11:10:38 ID:???
ソ連軍の大増員を諜報でキャッチしてたのに 参謀が「情報を弄んでも仕方無いじゃないですか」と無為無策 この時点でグダグダだからな まともな国の軍隊なら、せめて勝ち目無い戦いは避けて犠牲を減らし後図を策すもんだろ
42 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 11:21:42 ID:???
師団レベルの司令部じゃ統制できません、ってことで急遽第六軍に繰り上げ編制しているぐらいだから 当然日本側が展開した兵数もそれに相応しい程度だった、ぐらいは予測つくけどなぁ 実際には第六軍の首脳の多くは移動組で現地はもとよりソ連軍や満州についてさえ予備知識がなかったというから却ってこれが混乱を招いたかもね
43 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:00:09 ID:U7tbODK5
>>41 >まともな国の軍隊なら、せめて勝ち目無い戦いは避けて犠牲を減らし後図を策すもんだろ
それは政治的事情で不可。
土地の取り合いなのに、こっちからさがってどうすんだよ。
ま、作戦は政治に優先すると言うなら、戦術的な損得で後退してもよかろうがね。
44 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:06:53 ID:???
その依怙地の代価は作戦指導した馬鹿じゃなくて現場の兵士の命で支払わされ 占領された場所以上の土地も奪われてノモンハン含む要地がソ連側に (後の対日侵攻で現実になるようにソ連の鉄道へのアクセスを容易にしてしまった)
45 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:15:22 ID:???
後退すべきだろ。 無理して居座って殲滅くらったら、後は相手の思うが侭。 一を惜しんで十を失ったらそりゃアホだ。
46 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:18:38 ID:???
後退するかどうかは戦略目的をどこに置くかじゃないの。 ソ連側、欧州諸国は関東軍強しと(まちがって)思いこみ、 それはその後の政治に効いてきている。 これが目的なら犠牲に見合うかどうかはともかく、 軍事的には意義のない作戦とはいえない。 まあ、日本側もソ連軍強しと(正しく)思いこんだわけで、 これもその後の政治に影響するから両者とも戦略目的を達したともいえる。
47 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:21:06 ID:???
関東軍が強い、と思うのなら装備戦車が欧州では完全引退のBT7とかふざけた扱いにはならんと思うが。 そして実際にその程度の相手にも1945年は蹂躙された(´Д⊂ヽ
48 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:24:07 ID:???
>>44 >その依怙地の代価は作戦指導した馬鹿じゃなくて現場の兵士の命で支払わされ
そんなのは戦争じゃ当然のことで、責めるに値しない。
>占領された場所以上の土地も奪われてノモンハン含む要地がソ連側に
>(後の対日侵攻で現実になるようにソ連の鉄道へのアクセスを容易にしてしまった)
土地に価値があって取り合いになっているのではなく、国のメンツの問題なんだが?
49 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:24:38 ID:???
>>47 1941年までの話だよ。
この時期のソ連は必死に対日宥和しようとしている。
イタリアとドイツは関東軍をあてにしている。
根こそぎ転用された1945年には、
ソ連軍も関東軍は弱体化したと思っていたかと。
50 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:27:04 ID:???
>>47 そりゃ、戦力を引き抜かれた関東軍が見るも無残に痩せ衰えてることを掴んでたんだろ。
51 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:29:04 ID:???
日本軍は勝てないほど相手が増員してるのがわかって それでも戦わせたんだろ? 無謀としか言い様が無い 土地は取り返せば済むが、死んだ兵士や消耗した物資は帰ってこない 面子のために死ねってヤクザかよw
52 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:32:21 ID:???
>>51 それが国家であり軍隊だったんだよ。1930年代には。
53 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:36:26 ID:???
日本軍は滅びるまでそんなレベルの頭しかなかったんだよ。 面子から玉砕させたりなんて、あちこちでやられてる話じゃないか。
54 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 12:54:12 ID:???
その結果が戦死者だけで18000柱の軍神量産か。 ところでこの靖国合祀者の中には、自決強要された者も入ってるの?
55 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 13:15:01 ID:???
56 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 13:22:55 ID:???
キスカ撤退以外は負けるとわかってて戦わせて玉砕ばっかじゃん 戦略的に意味も無いところにどうして固執して兵士死なせるんだ、と連合国側は首捻るばかりだったとか
57 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 17:45:17 ID:???
>>20 いやいや兵力自乗の法則と言うものが有ってだな、たった一個師団でさえもソ連軍に大損害を与えている。
十分な数が有れば敵を更に圧倒することになる。
ソ連の戦車など日本の火砲で瞬殺だったし、逆に日本側の損害はずっと少なくなるだろう
58 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 18:12:15 ID:???
>>56 >キスカ撤退以外は負けるとわかってて戦わせて玉砕ばっかじゃん
史実と食い違う発言なので具体例を複数どうぞ。
59 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 20:30:43 ID:???
>>57 その1個師団がただの1個師団相当ではないんですな。
第二十三師団は新設連隊3個で編成された必ずしも精鋭とは言えない、しかし当時多数存在した特設師団よりはましという程度のまあ中くらいの平凡な師団。
しかしかなりの砲兵部隊や戦車部隊で増強された上、他師団から速射砲や歩兵部隊まで配属された意外に装備優良の師団なんですよ。逐次投入のうらみはありますが。関特演前としては。
それが事実上壊滅し、配属された他師団の速射砲も軒並み失い、やはり他師団からの増援歩兵も一部損害を受け、配属された貴重な野戦重砲兵連隊も壊滅し、戦車連隊も早々に打撃を受けて配属を解除された。
逆に言えば関東軍にはまだ幾つかの精鋭師団もあるがその師団の速射砲が少なからず既に第二十三師団下で壊滅していて、歩兵連隊も既に一部損害を出しており、支援してくれるはずの野戦重砲兵連隊も既に壊滅。
出て行っても実質歩兵と師団砲兵だけで戦うような会戦になってしまう。意外に配属部隊が強力だった第二十三師団とは違うんです。
しかも第二十三師団でさえ満足に兵站を維持できなかったところに数個師団を送り込んで兵站を維持できようはずもなく。
更に言えば当時の関東軍は僅か数個師団を基幹とする小さな所帯。
対してソ連軍は極東にかなりの師団を配備済みなので本格的な増援合戦になると他正面でも火がついて手の施しようがなくなってしまう。
関東軍で火遊びをするのならせめて関特演が完了するまで待たなくちゃ。
60 :
名無し三等兵 :2008/01/29(火) 23:37:55 ID:???
>そして実際にその程度の相手にも1945年は蹂躙された(´Д⊂ヽ
周知の通り、19世紀後半以降、日本はしだいに軍国主義の道を歩み始め、数々の侵略戦争を起こし、
参加してきた。その多くが中国への侵略戦争だった。100年近くにわたり、日本の軍国主義の野蛮な侵略によって、
長い歴史を誇る中国文明は散々に破壊され、これは中華民族にとって莫大な損失となった。特に1937年以降の
全面的な中国侵略戦争において、日本軍は中国の軍人・庶民を虐殺し、労働者の強制連行、婦女子への暴行、
細菌兵器、化学兵器の使用、南京大虐殺など、人間性をまったく失ったとしか言えない残酷な事件を引き起こし、
許されない罪を犯した。中国の国土にはまだ莫大な量の化学兵器が埋まっている。完全な統計ではないが、
第二次大戦期間、中国の軍人と庶民あわせて3500万人以上が戦死した。1937年のレートで換算すると、
直接的な経済損失は1000億ドル以上、間接的な経済損失は5000億ドル以上となる。第二次大戦勝利後、
極東国際軍事裁判および、中国、ソ連などの国家軍事裁判で、日本人戦犯に対する裁判が行われ、侵略戦争を開始し、
各国の人々の地で染まった犯罪者は相応の処分を受けた。この裁判は国際正義を広め、人類の尊厳を守り、
世界中の平和と正義を愛する人々の願いを体現した。これは歴史の審判であり、この正しい審判に挑戦
しようといういかなる企ても、人々の心をつかむことはできない。
http://www.fmprc.gov.cn/ce/cgfuk/jpn/xwdt/t267932.htm 論評:靖国参拝に見る誤った歴史観(3) 2006-08-17
61 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 01:07:16 ID:???
>更に言えば当時の関東軍は僅か数個師団を基幹とする小さな所帯。 それじゃ、8月までに砲弾の備蓄が尽きてしまうのも無理はないな。 逐次投入じゃなくて、すでに投入できる兵力がそれだけだったと。
62 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 01:09:26 ID:???
>>56 まずガダルカナルを忘れているだろ。
アッツも撤退させようとはした。できなかったけど。
日本軍は撤退できるときは撤退させているよ。
撤退できないときが問題だけど。
そして、連合軍は戦略上価値がないところは攻略しないので、
戦略上価値のないところでは玉砕できない。
63 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 01:19:38 ID:???
>>57 中国政府の回し者は放っとくとして
「十分な数が有れば」といっても
その十分な数が、装備錬度共に
敵に優越する、という保証はない
64 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 09:33:03 ID:???
それが情報参謀の「情報を弄んでも仕方無いじゃないですか」発言に繋がるわけか 中国戦線で手一杯で到底関東軍増強なんかできないって
65 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 10:35:06 ID:???
「こっちが一発撃つと、向こうは十発返してくる。頼むから撃たないでくれ」というのが実戦参加した日本軍兵士の感想
66 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 10:58:52 ID:???
苦戦が伝えられると、当時中尉だった宮様を出すのはいかんと慌てて逃亡させた。 その混乱で一時所在不明になったらお付武官が責任取って自決。 何やってたんだろうな。
67 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 12:09:07 ID:???
日本軍は自分たちの戦車を豆腐と揶揄したとか。 豆腐のように簡単に撃破されたからだとも。 あっさり消化(損害に耐え切れずとっとと後退)されたからだとも。
68 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 12:41:43 ID:???
ま、意外な話ではないな どれもこれも
69 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 14:54:28 ID:???
当然ものすごく日本軍の敗北心理は強かった。 何故かソ連軍の敗北心理もものすごく強かった。 ノモンハンの結果の世界史的意義というのはそのあたりに尽きるわけだが。
70 :
名無し三等兵 :2008/01/30(水) 18:46:30 ID:???
機甲部隊の実験として重要な経験だったと思うのだが 活かせたかどうかは別として
71 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 08:53:15 ID:???
日ソともに戦車を他の兵科と連携無しで突っ込ませて大損害、というミス犯しているしな。 これが教訓として生かされた形跡はあるか?
72 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 10:00:17 ID:???
どうやれば歩兵が戦車についていけるんだ?
73 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 10:28:13 ID:???
歩いて。 戦車っつってもいつも最大速度でかっとばしてるわけじゃないし。 長距離移動なら自動車化されてるのが望ましいけどな。 ドイツの装甲師団なんかまさにそれ。 戦車と自動車化された歩兵砲兵の諸兵科連合。
74 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 10:41:54 ID:???
戦車は装甲ある代わりに死角だらけだしな 歩兵の肉薄攻撃が意外と有効なのもそのため 敵歩兵の攻撃を排除してくれる歩兵がいる 歩兵側も、手持ち兵器じゃ苦戦するトーチカや機関銃の巣・あるいは敵戦車を破壊してくれる戦車はありがたいし
75 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 11:06:03 ID:???
>>72-74 ソ連の場合は戦中のタンクデサントと戦後の歩兵の自動車化・装甲化。
もっとも'30年代前半に
既にТ-26のシャシーを利用した装甲兵員輸送車の開発計画があり、
その後も軽戦車のファミリー車両としてのAPCの開発計画に
コンセプトは受け継がれたようだが、
戦争勃発により戦闘車両の頭数揃えるため戦後まで結実しなかった結果
安易ながらタンクデサントに頼らざるを得なかった。
日本の場合は装甲兵車開発の計画はあったようだが実現に至ってないようだし
それを補完する戦術の研究がなされたかも不明。
76 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 11:16:53 ID:???
77 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 11:38:28 ID:???
諸兵科連合について基礎から優しく教えてくれても、相手が文盲だと意味ないなw
78 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 11:50:53 ID:???
ノモンハンのときの日本軍に自動車化兵力なんてない。 従って、諸兵科連合なんて実現しようがない。 諸兵科連合っぽいことをしようと思えば、歩兵の側で火力支援に徹する以外にない。
79 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 11:55:41 ID:???
熱河作戦は昭和8年だぜ・・・。
80 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 11:56:18 ID:???
歩兵と砲兵と戦車しかないのに諸兵科連合ってそれなんてギャグwwww
81 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:05:45 ID:???
だからその状態について戦訓得たの? という話なんだが やっぱり文m(ry
82 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:15:18 ID:r4AnKFQp
装甲戦力は軽戦闘車レベルだったが、日本側の捜索隊は諸兵科連合 東捜索隊は第一次事件で壊滅 第二次事件では、井置捜索隊がソ連軍が指揮官更迭させるほど善戦したが結局敗北して隊長は自決させられるハメに ソ連軍の場合、第二次事件の時点でもう戦車単独はやめて他の兵科と協力に切り替えている その結果がジューコフによる包囲殲滅の成功
83 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:21:08 ID:???
そもそも日本側は陣地組む資材すら不足していたくらいだからな。 平原で機動性に優れる相手と戦うには条件悪すぎる。
84 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:30:56 ID:???
チャハル作戦で、日本初の機械化旅団がつかえないってことで解散(実態を見ると分散しようしたりまともな整備時間も取らせ無かったりと運用もまずさが原因なんだが) ↓ 各地に捜索隊とかの小部隊単位で分散配置。やっぱり戦力集中の原則に反して使えない ↓ その後これじゃ駄目だというので対ソ戦のために四個分もの機械化師団を創設。しかし時代は既に日本戦車を引き離していた 南方に抽出されて、米軍の補給遮断でまともに戦車とか運ぶ事もできず玉砕相次ぐ これが不運な日本機械化部隊の大雑把な流れ
85 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:31:05 ID:???
86 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:33:56 ID:???
すぐに改善したソ連軍 グダグダのまま降伏までいった日本軍 この差か……
87 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:43:52 ID:???
>>84 >実態を見ると分散しようしたり
戦車がまとまって通れるまともな道がないんだからしょうがない。
道路工事しながら進めとでも?
>まともな整備時間も取らせ無かったりと
つまり、史実以上に時間がかけて進めと。
足の速さが見込まれて戦場にやってきているのに、ますます役立たずだなぁ。
>運用もまずさが原因なんだが
まったく、チャハルへの投入を決めた司令官は馬鹿だよな。
あんなところでまともに戦車が使えるわけないだろうに。
>各地に捜索隊とかの小部隊単位で分散配置。やっぱり戦力集中の原則に反して使えない
捜索隊は充分使えたんだけどさぁ、何を見て言ってるの?
お前さんは独ソの機甲軍に毒されすぎ。
88 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:44:37 ID:???
つうか歩兵と砲兵の諸兵科連合は世界の常識 歩兵三個ないし四個連隊に対して砲兵一個連隊というのは世界のほとんどの国が取っていた基本編制 歩兵は他の兵科と協力せず突っ込めとか書いてある日本の歩兵操典のほうが異常
89 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:46:01 ID:???
捜索隊よりずっと戦車持ってた戦車団さえ、損害に耐えるだけの数が無くて第一次事件で編制を口実にとっとと退却だからな 戦は数だよぉ、という面もある
90 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:48:38 ID:???
>>88 歩兵操典の何処にもそんなことは書かれて無いぞ。
関係各部隊との密接な協調が随所に主張されてるのだが・・・。
91 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:48:51 ID:???
チャハル作戦では司令官は後の首相・東条英機。 あまりに無茶苦茶な運用するもんで、旅団長から馬鹿呼ばわりされたらしい。
92 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:49:27 ID:???
>>88 日本軍の師団編成にも、そのぐらいの砲兵はつきますが。
93 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:49:54 ID:???
>>90 書いてあるよ。
「他の兵科と協力できないからといって、攻撃しないことがあろうか」とはっきりと。
94 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:51:35 ID:???
歩兵操典は「情報や兵站に拘らず攻撃せよ」とか近代軍事常識に反することばっかだからな。こういう風に改定されたのはむしろ近代戦を味わったはずの日露戦争後というのは不思議。
95 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:52:56 ID:???
>>87 ていうか予備車両が不足していて
しかも八九式戦車も九二式重装甲車も故障しやすいし
八九式戦車の上海〜南京戦の記録見ると
被弾率が凄いってのもある。
全損までいかなくてもボコボコに撃たれてるからね・・・。
96 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:54:55 ID:???
インパール作戦時でも、野砲連隊増援に来たと思ったら弾がなくて これじゃ使えない、と貴重な増援なのに返すハメになったとか まず送るほうも送るほうだが
97 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:57:20 ID:???
当時はむしろまだ騎兵がかなり数あったんじゃないの>機動打撃兵力 日本側も満州国騎兵隊とか出しているし。あっさり蹴散らされたけどな、やっぱり
98 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 12:58:22 ID:???
>>93 そりゃどこの国でも当然だ。
今手元に有る中で最善を尽くさないでどうするんだ。
赤軍だって火力不足を理由に諦めたら処罰されるぞ。
99 :
名無し三等兵 :2008/01/31(木) 13:00:38 ID:???
後にあちこちでバンザイアタックとかやるぐらいだからな 常識外れの歩兵偏重主義 その歩兵にはまともな火力渡さないし バズーカやパンツァーファウストみたいな対戦車火力も実戦配備できす終戦まで布団爆弾と火炎瓶w
最善を尽くすって無謀な玉砕とイコールなの?w
ていうかさ 連隊以下の将校は、兵力配分の権限を持たないわけで 上が砲兵持ってきてくれないまま 砲兵無いから戦いませんは通じないわけよ。 それは例えば赤軍の下級将校向けのマニュアルでも同様。 高級将校向けの作戦要務令とは扱ってる範疇が違うのさ。 批判するなら両方読んだ上で言わないと駄目よ。
では実際に歩兵だけで正面突撃させている例がいくらでもあるのはなぜ? 現場将校がまとめて勘違いしてた、ということ?
>>100 ある意味イコール。
銃も持たずに督戦されて突入したのは
スターリングラードの赤軍や、大戦末期のフォルクスイエーガーもだ。
それにパンツァーファーストが配備されるのは中期以降だろ?
それまでのドイツ兵士は梱包爆薬で戦車と戦ってたわけで
単純に数年日本が遅れてるだけのこと。他の装備と同様でしかない。
その結果がノモンハンだけで一万八千柱の戦死者量産である。 ノモンハンで実際に戦った須見大佐は、これはガダルカナルやニューギニアの雛型だ、と批判していたね。
>>103 それってやっぱり負けが込んでる時とかじゃないとやらない異常例ばかりじゃあ
だいたい中期以降って全く間に合わなかった日本と比べりゃずっとマシだし
>>102 砲兵が介入できない事態なんだろう。
それか玉砕。
>>102 だって砲兵が無いんだよ。
上陸されたり攻め込まれてるってのは
既に味方砲兵が無いも同然になってるって状態なの。
戦いの最初に両軍の対砲兵戦があるわけで
その制圧合戦で砲兵負けちゃって、通信網ズタズタになってるんだから
歩兵がヤケクソで反撃したって砲兵の援護はできない。
これは何処の戦線でも同じことで
例えばコブラ作戦に晒されたドイツ側の反撃の多くも
砲兵の援護が無いまま、戦車と歩兵が突っ込んで撃退されてる。
>>104 >ノモンハンで実際に戦った須見大佐は、これはガダルカナルやニューギニアの雛型だ、と批判していたね。
正しいね。
航空戦力が壊滅し、砲兵が蹂躙され、弾薬が尽きればどこの軍隊でもそうなる。
ジューコフ曰く「日本軍は非論理的・非現実的に戦う」 バンザイアタックについては欧米の研究家もなんでこんな集団自殺を、と首かしげているしな 不思議な国だったんだよ、当時の日本は
ノモンハンの日本軍は師団長が車で敵前逃亡して、それを追いかける戦車にあやうくひき潰されそうになったところを砲兵の支援でようやく逃げたていたらくだったからな 強いてバンザイ突撃した後の例と違い、正面から撃砕されていた 少なくとも指揮系統はずたずた オマケに戦闘中に軍に昇格だってんで現場のこと何も知らない幹部送り込んだりな
>>105 そりゃドイツの国力と技術力があっての話しだよ。
成形炸薬弾も無反動砲もロケットも持ってなかった日本が
ドイツを模倣して作ろうとしたって簡単にはいかん。
>>93 陣地戦ではなく遭遇戦を中心にしているから。
調整攻撃なんていちいちしてられない。歩兵単独でも歩兵砲までは加入する。
>>94 流動的状況では情報を待つわけにはいかない。
急速に前進すると補給が途絶えがちになる。
全て遭遇戦が基準になっている。
陣地攻撃でも遭遇戦と同じようにしようとするのがあれだが。
須見大佐が問題にしてたのはむしろ事前の情報収集失敗や相手の意図察知失敗・戦力の逐次投入という基本的なミスについてだけどな
ドイツから送られたパンツァーシュレックの模倣品・ロタ砲すら実戦配備には間にあわなかったからな。 無理すれば投入できたかもしれんが、例によって本土決戦への温存とかで使わず。 しかも所詮劣化コピー、成形炸薬弾は回転力与えると却って威力落ちるという基本すら把握してなかったから、実際に使っても額面通りの威力はでなかったろうという話。
包囲されて殲滅必至の部隊すら後退させない柔軟性の無さだしな。 後に日本軍の疫病神こと牟田口が「英米軍は弱い。包囲しようとするとすぐ逃げるから」 といってるが そりゃまともな軍隊なら包囲された時の危険性は理解しているから脱しようとするわい
>>113 >事前の情報収集失敗
突発的に始まった国境紛争で、どうやって事前に情報収集しろと?
>相手の意図察知失敗
途中から制空権が取れなくなったからな。
>戦力の逐次投入という基本的なミスについてだけどな
関東軍には逐次に投入できる予備兵力など存在しない。
>ジューコフ曰く「日本軍は非論理的・非現実的に戦う」 聞いた事がないな。ソースは?
>>103 >銃も持たずに督戦されて突入したのは
>スターリングラードの赤軍や、大戦末期のフォルクスイエーガーもだ。
後者はともかく前者って史実の裏づけとなるソースが無いんだよね。
まさかハリウッド製の映画がソースとか言わないよね?
>>118 ブラウ作戦時のソ連軍歩兵師団の小銃充足率は
50%切ってるのがソ連の記録にもある。
できればその記録の出典を教えてくれんかね
>116 航空偵察の結果を、「そんな筈はない。」とか言って黙殺したりしているね。
制空権がないと敵兵力が分かりませんって、飛行機開発前ではどうしてたんだよと。
>>119 それは、SMGは別カウントだからなんてオチではあるまいな?
>>124 かもしれんが、一応SMGはSMGで定数あるんだよ。
>>122 一通り見てみたけど
'42年時点の狙撃師団の火器配備数の表とか無かったしなぁ。
>>71 日本側も、もともとは気にして安岡支隊編制してたよ。
戦車団の戦車2個連隊基幹に、自動車部隊配属して完全自動車化した歩兵大隊、
牽引車付きの機動野砲装備の独立砲兵連隊に、自動車化編制の独立工兵連隊。
満州国軍の騎兵隊。
さて、ところが戦場に着いたら、歩兵は機動力があるからと取り上げられて渡河迂回部隊用に。
機動野砲も射程があるのでやっぱり取り上げられて。満軍騎兵すら翼端掩護に分散。
代わりにもらったのが、第23師団が持ってた徒歩兵と輓馬の旧式榴弾砲(射程5000m)、嗚呼w
>>82 Wikipediaの捜索連隊の頁の戦歴見ると悲惨なのが多いな
ソースはウィキw
>>127 自動車化歩兵一個大隊程度を何に使えと(ワラ
>>130 戦車2個連隊を支援するなら足りなくも無いだろ。
2個連隊っても合計で6個中隊で、せいぜい2個大隊規模だしね。
で、戦車2個大隊と自動車化歩兵1個大隊をどこにやればいいんだろう。
>>93 歩兵操典の「歩兵は縦令他兵種の協同を欠くことあるも自ら克く戦闘を遂行せざるべからず」は
そういった困難な戦況下において歩兵が消極退嬰に陥ることを特に戒めるため、あえて記述してある。
「縦令」がついてるようにもしもの際の心構えであって、別にそれを通常の前提としてるわけじゃない。
逆にいえば、「常に他兵種の協同がなければ戦闘できません」なんていうような歩兵なんぞは烏合の衆だ。
136 :
名無し三等兵 :2008/02/02(土) 08:42:55 ID:wsma00ZG
そもそも投入した戦力が違う。戦車とか火砲の質量もな。 ソ連は戦車大国。一時期世界の現役戦車の過半をソ連一国で持ってたぐらい。 T26系統なら日本軍の装備でも撃破できたけど、BTシリーズ後期型に対しては後に日本軍自身が鹵獲した奴相手に射撃試験して苦戦した通り。
後は弾さえあればよかったんだがな。
ソースはウィキw
弾がない、という時点で戦争の根幹である兵站で敗北しているわけだが、すでに。
ノモンハン後、ソ連兵器はT34やらラッチュバムやら、ドイツ製すら上回る強烈なレベルに進化してしかも大量配備されるというのに 日本軍は力不足だから砲換えよう、としたチハ改すら太平洋戦争開戦後にようやく生産開始……
日本軍の重砲の最大射程距離は一万八千メートル ソ連は十五インチカノン砲が三万メートル 日本軍は重砲に定数の5倍割り当てたから凄いよ、と自賛していたがその数は一門あたりせいぜい六十発 ソ連は一日で一万発以上ぶち込んでくるわけだからお話にならん さらに致命的なのは日本軍は偵察に失敗、台地上にいるソ連軍を把握できず敵陣地がありそうなところに盲目撃ちしていた……
末期のドイツ軍だと、確かに師団の無理な増強で小銃が無いというケースがあった が、かわりにパンツァーファウストはあったという (構造が単純なんで小銃より簡単に生産配備できたらしい)
全滅を避けるため退却した部隊の指揮官が敵前逃亡だ、とかで自決させられたりしているけど じゃあ敵に追いかけられる醜態さらした小松原師団長はどうなったの?
>>143 15インチのカノンて38cmだぞ
そんなもんノモンハンに持ち込んでたのか?
日本軍の重砲はほぼ全滅、という結果が何よりも差を証明しているだろ
>>146 小松原師団長には退却命令が降りてる。
敵に追いかけられたというのも
戦死寸前の状況だったというだけ。
退却許可なしに下がった各部隊は
退却命令が降りる前に下がったのでアウト。
単純に第六軍と23師団司令部には連絡線が生きてて
23師団から隷下への連絡線が寸断されてただけなんだがね。
敵に追いかけられて逃げて、師団長なら敵前逃亡じゃないって…… く、腐ってやがるw
>>148 前スレみれ。
投入砲の多くが損傷・全損したのはソ連側も同じだし
日本側重砲は歩兵戦に飲み込まれて失ってるから
砲兵の撃ち合いでどうだったかを最終損害だけでは図れない。
ま、日本軍は10km超えで砲戦やったのが
実はこのノモンハンが初めてだってので、色々と不備があったのは事実だがね。
陣地高度や偵察の問題は性能で勝る日本側火砲の戦力発揮を妨げたが
それでも日本側は弾切れまでは負けてなかったってのが現実。
航空隊は台地上の偵察放棄したけどお咎め梨。
負け惜しみ以外何ものでもないなぁ、既にw
弾切れだったら負けてない、とか 一部砲のカタログデータとか取り上げて勝っていた、とか 情けなすぎる弁明だなw 弾切れしたのは日本側の失敗だし、運用含めたトータルで負けてりゃ紙の上でささやかに勝ってたとしても意味ないし。
>>150 脚本が先にあるんだ。
敵が居たから逃げて追われたんじゃなくて
退却命令が下る前に玉砕突撃にかかってて
それで突撃止めて後退したから追いかけられたと。
ま、突撃準備の前から後退命令は降りてて
欠くなる上は覚悟を決めてとなった師団長を、幕僚以下が必死に説得し
遂には師団長も後退を決意したという筋道があるのよ。
もちろん遺書まで認めてるんだから、完全に出来レースw
敵に追われたとかだって本当かどうか怪しいもんで
そこまで危険な状況でした。一生懸命頑張りましたという弁解の為の演出よ。
地力が違うからどうしようもないって感じだな オマケに日本側は指揮系統が混乱したり参謀が勝手に命令出したりと無茶苦茶だし
オマケに出先と中央が喧嘩している品 越境攻撃には勅命が必要だ、という原則論すらすり合わせができてないし
>>154 勿論、弾切れの時点で日本側の負けだよ。
単に砲の性能は敗因にならないということさ。
何しろそこに出したwikiの砲一覧
一部じゃなくて、ノモンハンに出たほぼ全部の砲だからさ。
1930式152mm榴弾砲が出てたかどうか確認できなかったので出してないけど
あれ、射程10kmないから、九六式十五榴に劣るわけでな。
砲の性能でいうなら、日本側は年式の新しいのが揃ってるんで優勢だったんだよ。
逆に言うとソ連軍は1934〜1939あたりの新しいものを持った
いわゆる一線級の部隊ではなかったってことだけどね。
負け惜しみはもういいから。 ただでさえ弾数圧倒的劣勢なのにめくら撃ちとかじゃあそれ以前の問題だしw。
>>157 日ソ両軍の認識では越境攻撃ではない。
お互いに領土主張している部分だからw
タムスクはさすがに日本(正確には満州国)領土なんていってないってw
>>159 いちおう、見えてるものだけ撃ってたんだよ。
それで弾切れしてるんだけどな。
カタログデータじゃ劣ってません、というが 別に圧倒しているわけじゃないし 耐久性とかの数値に出にくいデータはまた話別だし 逆にいえばそれ以外全敗だからなぁw
>>164 だから越境攻撃だろうが、国境越えて攻撃したんだから
実際に中央がやめろ、といったのもこのケースだし
未だに日本側の一方的戦果報告を前提にしているの? それはフェアじゃないだろ、本当はどうなんだとスレ初っ端で散々いわれているのに。
>>166 前々スレ350あたりから見てごらん。
クロスチェックされてるからさ。
>>165 日本側が主張する領土を攻撃しに来る飛行機の基地だな。
基地自体に損害を与えなければ、数的に劣勢な日本の航空隊では支えきれんぞ?
>>167 見た結果まとめておくよ。結局砲兵戦の戦果はクロスチェックできてないじゃん。
7月の砲兵戦の段階では、実は
十五加6対0
十五榴16対12
十二榴9対8(日本軍のは射程が短すぎで実質は0対8だがw)
十加16対38 ←少し怪しい数字だ。
長射程野砲12対4、短射程野砲約20対8、連隊砲12対14
で、加農砲以外はソ連軍と互角以上。
口径ごとに比較しないで、肝心の重砲合計数で見れば、
日本側:38(榴弾砲16、加農砲22)
ソ連側:63(榴弾砲25、加農砲38)
日本側の損失:野砲3,90式野砲1,十五榴2,十加8(自損事故),高射砲2
ソ連側の損失:不明。(日本側の観測では24門破壊、10門制圧、残存42門)
両軍とも派手に打った割には、効果なしという第1次大戦と同じパターンと見ていい気がする。
そりゃ、砲兵中隊の陣地潰すのに 机上でも2000発とか見積もってるわけで 実戦じゃこんなもんだ。
>169 野戦重砲全滅したように言われているけど 案外損害少ないんだな。
>>172 7月の時点だからね。
8月には野砲以上は破壊と自壊を含めて48門を失い損失率72%。
これは恐ろしいことだよ。
ノモンハン当時の野戦重砲兵連隊の動向 野重1連隊 ノモンハンで壊滅 野重2連隊 南支で行動中 野重3連隊 復員中。再編は15年 野重4連隊 ノモンハンに進出中停戦 野重5連隊 ノモンハンに出動準備中停戦 野重6連隊 支那で行動中 野重7連隊 ノモンハンで壊滅 野重8連隊 復員中。再編は16年 野重9連隊 支那で行動中 野重10連隊 復員中。再編は16年 野重11連隊 復員中。再編は19年 11個連隊中、行動可能は7個連隊。 内、支那事変で行動中なのが3個連隊で、ノモンハンで既に壊滅が2個連隊。 つまり追加投入できそうなのが2個連隊で実際に計画。 だが内1個連隊は進出しつつあったが、もう1個連隊はまだ準備中。 元々2個投入して壊滅しているのに、残り2個が逐次投入になってはもう駄目っぽいですね。 揃い踏みしても難しそうなのに。
あちらさんの野砲てZIF3だろ・・。 重砲でも射程距離負けてとるわ・・。
ソ連側砲兵損害 但し野砲以上のみ 76oM1902/30 11門 内全損2門 107oM1910/30 4門 122oM1910/30 31門 内全損5門 152o 6門 計52門 内全損7門? 合計で言えば日本より少し少ない位で決して楽勝ではなかったことがわかるが、日本側が概ね全損なのに対しソ連側は意外と全損が少ない。 但し全損数の記載が無い砲に関してはただ単に具体数の資料が無かっただけの可能性もある。
野砲F-22でもF19でもこっちの重砲と射程距離かわらんぞ。
>>172 8月になって、敵の戦車・歩兵に蹂躙された頃に一気に失われた。
あと、逃げるときに自爆放棄も。
いずれにしろ、砲爆撃ではほとんどやられてない。
ちゃんと穴掘って隠れてると、体は減らないのだ。心は減るけど。
>>176 射程の短い122mmが多いけど、いつごろに出た損害なのかね?
砲兵戦の時期にはほとんど戦場にいなかったようだけど。
師団砲兵だろうから、7月末〜8月頭になってソ連側の歩兵が揃ってからか?
>>178 さあ?
しかしソ連軍砲兵の全損が少ないことや日本軍砲兵の全損が多いことから以下の推論が成り立ちますね。
対砲兵戦は損傷は与えてもなかなか全損させるのは難しい。破壊したと思っても実は修理可能な範囲である可能性が高い。
一方直射戦闘は壊滅的損害をもたらす。
土地を無くしたかどうかが大きい気がするの。 直せるものでも、捨ててくるしかないもの。
>>175-177 ソ連野砲はZISもF-22もFVも出てない。
性能同じぐらいの1902/30と三八式並みの1902だよ。
それとノモンハンに出た日本重砲で
ZISに射程で負ける重砲て九六式十五榴だけ。
ついでにいうとソ連側重砲で
ZISより明らかに射程の長いのも来てない。
弾数で撃ちまけた訳ですか・・。
第23師団歩兵第64連隊第3大隊の停戦後の戦場掃除の話だっけ?
185 :
名無し三等兵 :2008/02/04(月) 13:06:42 ID:LX9vmFWK
地力で差があるのに、日本は中国戦線で戦力の大部分を取られて 指揮系統もグダグダ その上相手は後にソ連を勝利に導き、二次大戦期最高の軍人の一人とされるジューコフだ 状況も相手も悪すぎた
対して日本側は、あの辻ーんが参謀だしなw
その割に善戦してたんだから凄いな
どこが善戦? 実態はボロ負けでしたと具体的なデータで論証されてしまっているわけだが いつもの旧軍厨の悔し紛れさん?
元々ソ連は火力重視主義だからな。 一般的な世界標準の師団だと歩兵三個ないし四個連隊プラスで砲兵一個だが。 ソ連のにはこれに師団固有の重砲一個連隊がついている。 独ソ戦が進むと砲兵師団なんつーそのものずばり砲が主軸の師団すら編制されるしな。
188のような煽りが居るとスレが止るから止めて欲しいもだが ああいう奴らの典型は必ず文末に >いつもの旧軍厨の悔し紛れさん? とか書くので判りやすくて便利だが。
と、レスを無視して善戦とか唐突にまた蒸し返した人が喚いておりますw
ソ連は対空ロケットを実戦に使って日本機を落としたとしているが。 これはマジ?
ソ連の歩兵師団の定数ってどれぐらい? 確か日本は2万前後だったよね? 時期によって異同あるだろうけど
>>191 くやしいのう くやしいのうwwwwww
ソ連はオートジャイロを使ってたというけど本当だろうか? 一方、日本軍は気球を使った。日本歩兵は見慣れぬ気球を見て、敵だと思って撃ちまくった。
196 :
名無し三等兵 :2008/02/06(水) 09:38:13 ID:k7RrcDUh
日本軍ってこれだけやられているのに、出した戦訓といえば 物的戦力の優勢な敵に対して勝利を収めるには、日本軍伝統の精神威力をますます拡充すべきである」 (『失敗の本質』) という精神論で終り。ガイシュツだが戦訓を得たはずのチハ改すら太平洋戦争でM3にまた苦戦してようやく生産開始レベル 「日本軍はある意味において、たえず自己超越を強いた組織であった。それは、主体的というよりは、そうせざるをえないように追い込まれた結果であることが多かった。 往々にして、その自己超越は、合理性を超えた精神主義に求められた。そのような精神主義的極限追求は、そもそも初めからできないことがわかっていたものであって、 創造的破壊につながるようなものではなかったのである」 (同上)
海軍に予算総取りされていたからなぁ という側面もあるんじゃね?
>総取りされていた んなこたーない。
日華事変で予算貰っても吸い取られる一方だったからだろ
結局金の問題なのだよ 世の中金さ
技術的問題、生産能力の問題 ノモンハンの戦訓から、野砲に機動力を与えるというコンセンプトで1939年から開発が開始され 1941年に試作品が完成した これが一式自走砲 後に一式75mm自走砲、一式砲戦車として正式採用 全長 5.90 m 車体長 5.59 m 全幅 2.23 m 全高 2.29 m 重量 14.7 t 懸架方式 平衡式連動懸架装置 速度 38 km/h 行動距離 210 km 主砲 九〇式75mm野砲×1 副武装 なし 装甲 8〜50 mm エンジン 三菱 空冷V型12気筒ディーゼル 170 馬力/2000 rpm 乗員 5名
この場合は日本軍がただでさえ国が貧しいのに戦争しまくりで浪費ってのが問題だろうがなw
というか植民地とされる所に投資しまくりもな・・・ 普通植民地からは搾取するもんだが当時の 日本人は馬鹿だよな植民地運営を理解して居ない ってか実は植民地じゃなかった?('A`)
ところでソ連は日ソ中立条約で「満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明」
したって知ってるか?
満 州 国 の 正 当 性 に つ い て は こ れ で 異 論 な い よ な !
声明書
大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ1941年4月13日
大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル中立条約ノ
精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ
領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯
邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nissotuuritujouyaku.htm 大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約(1941〔昭和16〕年条約第6号)
1941(昭和16)年4月30日公布
>>203 普通植民地には資本を投下するもの
ウヨクはあえて無視するが、イギリスのインド支配とかも識字率や人口向上という数字は挙がっている
単に黒字転換まで日本がそこを発展させられなかっただけw
>>205 という事は朝鮮や東南アジアの日本が支配した地域では
日本が支配した後で識字率向上とかか生活環境が良くなったとか
インフラが整備されたとか言うのはなかったのか。
単に強欲に収奪したかそうでないかの違いだと思っていたわ
>>206 東南アジアなんて、それこそ戦時中確保したところだから投資余裕なんてないし
それこそ収奪、弾圧、インフレの嵐
シンガポールでは千倍の超インフレ
フィリピンの教科書には「日本からアメリカが解放してくれた」と書かれるぐらい
ノモンハンに興味無い奴はくんなボケ
多少の脱線を咎めたら、ほとんどのスレで自治が暴れなきゃならんだろうにw
これが多少か スレ違いどころか板違いだ せめて軍事ネタにしろ
単に日本に都合の悪いほうへ行ってるから自治演じてるだけじゃないの?w ほっとけほっとけ
軍板の住人は日本に都合が悪いとか関係ないんだよw
日中戦争開始の時点で日本軍が悩んだのはまず弾薬の欠乏、とされるぐらいだからな 冗談でもなんでもなく一個師団への補給割り当てが銃弾200発、手榴弾6発しかないという事態 しかも手榴弾や食糧は日露戦争の遺物で、手榴弾は暴発するわ食糧は腐ってるわな状態 予算はまず今軍隊に供給するためのもので吹っ飛ぶ
>>214 >一個師団への補給割り当てが銃弾200発、手榴弾6発しかないという事態
ねーよwwwwwww ソースだせ笑ってやるからwwwwwww
国が立ち行かないからってのを名分にして外国に手を出したら 却ってそれがまた負担増大 なんというアホさ加減
>>215 マジだよ。呉淞(ウースン)上陸作戦時の第三師団に対する割り当てはそれだけ
戦史叢書でもなんでもいいから調べてみな。
ちなみにまともな武器補給がきたのは二ヵ月後になってから。
武器が足りないために中国軍相手に損耗率100%を超えた。
つまり当初の人員は全て死傷し、補充兵と入れ替わってようやく部隊を維持していたレベル。
「9月13日、現役当時の同年兵の軍曹に会う。彼は8月23日、歩兵分隊として敵前上陸し、
一個分隊中2名しか残らなかったと話す」
(「第三師団衛生隊回顧録」より)
>>217 小銃手一人あたり、の誤記と疑っているのでは?
日露戦争時代の武器とか食い物なんて常識で考えて使えるわけねぇだろw 武器の年式が古いです、とかいう話ですらないし
>>217 戦史叢書にも弾薬の記載まではない どこからに引用かソースをだせ
呉淞上陸作戦は悲惨だったが、機銃掃射もやっており、一個師団に銃弾200発という
ことはありえない
呉淞作戦では「火器に頼らずもっぱら銃剣によるべし」という通達がいきなり出されているぐらいだからな。 弾欠乏したから突っ込めじゃなくてほぼ最初からだから救いようが無い。
呉淞がどうとかいってる馬鹿はほっとけよ ここはノモンハンスレ
こうやって都合の悪い事実を認めない、という姿勢を続けたために日本軍はついに完敗の挙句無条件降伏させられたわけだが。 その姿勢は旧軍ヲタに受け継がれているようだな。 「…呉淞の岸壁にはいあがった私の目を射た風景は、まさに地獄であった。修羅の巷もこんなに ひどくないであろうと思われるほど残酷なものであった。岸壁の上一面が見わたすかぎり死体 の山で、土も見えないほど折り重なっていた。まるで市場に積まれたマグロのように、数千の 兵の屍が雑然ところがっている。それと同時にヘドの出そうないやな死臭が私の鼻をついた。 これは十日前に敵前上陸した名古屋第三師団の将兵の変りはてた姿であった。彼らはこの地に 中国軍の大部隊が待ち構えていると知ってか知らずか、上陸するいなや次々になぎ倒されて いったにちがいない。そして兵たちは何が何やらわからないまま死んでいったのだ。…」 (第11師団長回想より)
銃剣だけで要塞構築して十倍の勢力の中国軍に勝ったのかw 中国軍弱すぎ
おもしろいけどネタスレやめろよw
太平洋戦争の愚はノモンハンからだ、と思ってたけど 日中戦争ですでにやっちゃってたのか……
>>228 どこも同じ やっちゃった後に力が残ってるかどうかが勝敗を決める
いや、普通の軍なら兵士に弾無しで突っ込め、なんていうぐらいなら逃げるか降伏しているよw
どこも同じって面白いギャグですねw
いや、まともな軍隊ならそもそも補給のメド立たず攻撃かけたりしないって。 日本軍が自己の兵站不足で自滅したわけだからな それこそ後年のように補給路切断されるまでもなく
銃剣だけで要塞構築して十倍の勢力の中国軍に勝ったのかw 中国軍弱すぎ これに対するレスはないのか?w
少なくとも攻撃作戦しょっぱなから小銃弾さえまともに持たせられません、でも突っ込めってやった軍は存在しないんじゃあ?
典型的な逐次投入だろ 準備不足で突っ込ませて、当然のごとく駄目だから次だ次だ、で ノモンハンやガダルカナルと一緒
名古屋って地元なんだぜ 第三師団の人達(´・ω・)カワイソス せめて手榴弾ぐらいは昭和製をw
>>196 ノモンハン後に出された関東軍の戦訓と要望を読んでみ。
全部この通りに出来たら良かったのになあって内容。
何しろ師団野砲に九二式十加寄越せと書いてるw
>>234 十分な物資がありながら戦えば連戦連敗する連中もいる。
逆に銃剣突撃したら敵がビビッて敗走、勝ってしまう連中もいる。
物資の有り無しは確かに戦局を左右するが其れだけで
全てが決する訳でもない、相対的なものだ。
>>242 後半2行「物資」を「精神力」(w)に変えても同じ事が言える希ガスw
>>244 なんでそっちにはパーセンテージがないのかと。日本は戦場から戦車引き揚げてるだろ。
損失率、期間当たりとか。それで比べないとおかしいだろ。
>>245 朝鮮戦争時のB-29の往復距離と、大戦末期のそれと比べてみ?
あと、B-29だけわざわざ抽出してるようだが、日本の四発爆撃機って何機あったっけ?
それとの喪失率との比較でないと中立的でないだろう。事故機をカウントから抜くとか。
>(史料によって違うが出撃毎重爆喪失率は日独ともに1.5%前後)
http://members.aol.com/forcountry/ww2/aws.htm ここのSortiesとLostで計算すると1.3%って出るが、計算方法間違ってるのか?
>米陸空軍
……空軍? 大戦中に?
日本の場合、海軍のデータの方が重要だろうと。
>>246 横レスだが、大戦中の米陸軍航空部隊の名称はArmy Air Forceで、直訳すると陸空軍になる。
(陸軍航空隊ないし陸軍航空軍って訳語の方が一般的ではあるが)
>>242 特殊な例を、さも一般的な法則であるかのように装うのは
詭弁の法則の何番目だったっけ?
日本アンチしている奴が馬脚だしはじめたら他の事に 話を逸らしたり詭弁を弄するのは何とかならんのか? >244-247で日本アンチしていたのは戦争プロパガンダ(10)の法則の (7) 辺りが適用できるぞ。 どうせいつもの日本アンチしたいだけの廃人だろ? いい加減死ねよ。
まあ、日本マンセーしてる奴も同レベルだけどな ただし、「廃人」の用法が間違ってる点から推定して 半島人認定されても文句は言えないが
>>250 日本マンセーしている奴が半島人だとよ、
と言えば今度は右翼認定するか?
いい加減お前の芸は飽きたからサッサと死ねよ。
顔を真っ赤にして見えない敵と戦っている愛国者がいるスレはここですか?
>>251 くやしいのう くやしいのうwwwwww
>>251 お前ごときに死ねと言われて死ぬ奴なぞいない
無力だなお前
>>252 問題はどこの国の愛国者か?
という事だがな。
なんつーか、 日の丸や菊の御紋とならべ「韓日友好」とか書いた黒バスみたいなモンだろw >「勝った」or「引き分け」派
258 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 09:00:16 ID:xmz9eTue
精神力で勝てる、とまだ信じている人がいるのに驚きw 精神力で火力や物量どうにかできるのなら、兵器や戦術なんて発展せず狂信者を世界は軍の中心に据えてるわい
精神力を奨励するのは間違いではない。人と人との勝負の根幹のひとつはやはり心だ。 ただし、それを戦力として(しかも一方的に自分のほうが勝っているとして)計算するのは明らかに間違い。
>>258 お前はサイコガンという武器を知らんのか
>>260 今の若い子は知らないだろ。そんなふるい漫画w
フィクションのせいで本当に精神力が物理的手段に取って代われると思ってるリアル子供がいるの?
ナポレオンだかが、戦力とは物理力と精神力の合計だとかなんとかゆううてたような。
リアルな子供は黙ってなさい。
>>258 タリバンやらアルカイダやらは、世界最強の軍事大国アメリカをいまだに引きずり回してるけど?
きっと心の小宇宙燃やせば光速で動いて神様でもどつけると思ってるんだろw。
>>265 でも狂信者がまともな軍隊の中核を占めることはない
ありゃあ根拠地さえ不明なテロだからやれること
まともに国権の正当な存在として明らかになればぷちっと潰される
だいたい精神力でテロってるわけじゃないしな
爆弾だありゃw
精神力で勝てるのなら、戦車とか大砲作らず座禅でもずっと組ませてるよなw
いくら歩兵が精神力連呼して突っ込んでも、相手に機銃一丁あれば大量虐殺されるだけなんだがな その例は日露戦争から第一次大戦までで多数発生しているというのに 学習能力ないなぁ
でも士気(精神力)の無い軍隊では勝利もおぼつかない
それは十分条件であって必要条件ではない 普通、物量装備に差があればそれだけで士気も高まるもんだ 誰だってろくでもない装備で死んで来い、といわれるより装備充実味方一杯のほうが気力上がる
言ってることは正しいが十分条件・必要条件の使い方が違う
>>259 精神力を支えるのもまた物量という太平洋戦争の前線からの悲痛な
報告を知らんのか・・・
軍神スレを参照する流れですね。
>>267 そりゃまあ、長い目で見ればゲリラが勝つことはないわな(イスラエルみたいな特例を除けばw)。
しかし、戦いに飽きたアメリカが「勝った勝った」と連呼して中東から撤退することはありえるわけだが。
ベトナムみたいに。
テロとゲリラは違うんじゃ? どっちも精神力に頼ってないのは確かだがw
タリバンもアルカイダもまだ根負けしてませんが?
中国が色々供給しているからねぇ 中国でテロが無いのはそれが理由
279 :
名無し三等兵 :2008/02/12(火) 19:00:06 ID:bD0Kb78k
別宮暖朗+兵頭二十八『大東亜戦争の謎を解く――第二次世界大戦の基礎知識・常識』光人社、2006年
ttp://www.7andy.jp/books/detail?accd=31849300 70頁
この事態をうけて、ソ連軍はすみやかに反応した。
ハルハ河の東岸(北岸)を守る関東軍の第二十三師団に対し、
戦車と装甲車を先頭に立てた微弱な反撃をかけた。
日本軍は劣勢ながらも、防勢作戦を成功させ、撃退した。
六月に入ると、関東軍参謀の辻政信は、
西岸(南岸)へ突出することを要求した。
だがこれも陽動で、六〜七キロ入ったところで、
日本軍は東岸陣地に戻った。
八月に入ると、ソ連軍の司令官ジューコフは、
三個戦車師団と三個狙撃兵(歩兵)師団による猛攻を、
東岸陣地にこもる第二十三師団にかけた。
日本軍はこの時も防勢作戦で応え、包囲されながら友軍の到着を待った。
満を持した救援の三個師団が到着し、ソ連軍を逆包囲する形勢となったとき、
モスクワで休戦協定が成立した。
>ソ連軍を逆包囲する形勢となったとき、モスクワで休戦協定が成立した。
これって訳が分かりません。
お二方とも、軍事の碩学なのに、
ノモンハン戦は外交戦によって日本が軍事的勝利を逃したと、
いう立場なのでしょうか?
戦理上、包囲するものは包囲されうる。 敵が包囲行動に出る場合、敵包囲部隊の外翼は我に対して曝露しやすい。 敵の包囲に対する積極的な対抗策としては、 通常「敵包囲軸に対する攻撃」と「逆包囲」がある。 我が有力な後続部隊又は予備を保有する場合は、敵包囲部隊の外翼に対して 逆包囲に出るのが有利な場合がある。
ソ連軍の八月攻勢を受けて 一個師団が全滅(死傷率約8割) の事情が抜け落ちてるのは ウリナラマンセー史観の賜物か。
他にも第二十三師団には既に第七師団からの増援が配属されていて一緒に大損害を受けてしまっていたこととか、増援の師団はまだ到着しておらず逆包囲どころか第二十三師団の残存戦力の収容さえ本来なら危ぶまれる状態だったりとかね。
ソ連軍に「第23師団の完全殲滅」という魅力的なエサを与えて それに熱中するソ連軍の側背に痛撃を与える、という大局的着眼があればな。 ただ情緒的な日本の参謀にはそこまでの冷徹さは望めないだろう。
軍学者の肩書きが泣くぜ。 別に負けは負けで構わないじゃないか。 下級将校以下の素質が良好で、大善戦したと言えば。
すこし詳しく見ていくと、ソ連軍攻勢開始後の8/25にハイラルに集結した第七師団主力を第六軍に配属したことにはなっています。 しかしノモンハンでの損害は歩兵第二十六連隊は約7割の死傷、歩兵第二十七連隊は約2割の死傷、歩兵第二十八連隊は約7割の死傷。 他に歩兵第二十五連隊もいますが、期待される精鋭第七師団といってもその歩兵戦力は既に半減しているといって良い状態です。 また同日、第二師団、第四師団を戦場に招致するよう処置しています。 ところが翌日8/26夕刻には第二十三師団とその配属部隊は包囲されてしまい、8/31には残存兵力約2千が脱出。 ソ連軍は自主的に国境線で追撃を中止。 どう考えても3個師団で逆包囲体制どころか、第二、第四師団の到着前に第二十三師団と配属部隊が壊滅し第七師団もかなり痛い目にあっていますね。
つかぶっちゃけ別宮+兵頭って時点でネタをネタと(ry …ありゃ本職なら平成の牟田口+辻みたいなモンだろが
日本軍には、関東軍の師団以外補充する当てがなかったんでしょ? こりゃ駄目だわ
だいたい、この時期の関東軍って片手で数えられるぐらいの数の師団しかなかったんだろ。 怠慢じゃなくて、そもそも送り込む兵力自体が存在しないってどういうこと。
増援したくても、中国戦線に大軍貼り付けているから補強も困難だしな
ソ連が本腰だったら、中国軍との挟み撃ちで満州国と関東軍は壊滅か
291 :
だつお :2008/02/13(水) 21:29:51 ID:sC69esEg
>ソ連が本腰だったら、
残念だがソ連は、「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及
不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス、ということになってるから。
もちろんソ連も例によって信頼できる国とは言えないが、対日参戦ならそれはそれで、
米英中はヤルタ協定でそうであったように、それに見合う報酬をソ連に献上せねばならない。
スターリンはその条件が満たされない場合、なぜソ連が対日参戦しなければいけない
のか国民に説明するのが困難になる。国民はソ連の存在をおびやかしたドイツに対する
戦いは明確に理解したが、何ら大きな問題を抱えているわけではない日本を相手に
なぜソ連が戦争に入るのか理解しないだろう。一方国民はもし政治的諸条件が満たされ
れば、先の国益(終戦に際し、樺太の南半分とクリル諸島がソ連側に引き渡されること)
を理解し、その決定を最高会議に説明することが格段に容易になろう。とのべた。
http://www.k3.dion.ne.jp/~karafuto/s-111.html
>>287 支那から第五師団と内地から第十四師団も増派する予定だった。
その他野戦重砲2個連隊、速射砲9個中隊、高射砲16個中隊、飛行1戦隊
自動車25個中隊等々。
>>291 だつおにレスしてもなんだが、残念ながら日ソ中立条約はノモンハン事件から2年後締結だw
294 :
名無し三等兵 :2008/02/13(水) 23:01:16 ID:elknHm2V
>>290 ソ連は結構本気だったね。
日本は国境紛争程度と認識していたら本気でびびった。
>292 なんか、結局は歩兵の頭数が増えるだけで、残りは改善されていないように見えるな。
ソ連も決して信頼できる国とはいえないが、中国なんかを相手にするよりはマシでは。 理由はどうあれソ連は満州国を承認したのだし。
承認しておけば後で満州国の領土を占領したときに中国に言い訳できる。
日本側は不可侵条約を臨んだんだが、ソ連は中立程度で抑えた でも先に条約破りの攻撃かけようとしたのは日本。未遂だったけどな ちぐはぐw
>>297 中国が満州国を承認するのは、
日本が北方領土を放棄するくらい
道理面でありえないことだろうな。
さっさと忍者部隊を使って中国人を絶滅させればよかったんだよ
なにはともあれソ連とは中立条約を結んで中国を攻撃したのは正解。 ソ連を攻撃すれば反撃されてベルリン陥落だが、中国はいくら攻撃しても大丈夫。
>>300 北方領土放棄はありえない話しじゃなかったよ
事実上放棄しているようなものじゃん? 国民にあれこれ言い訳してるだけで。
口先だけだろ。 どうやって核しこたまもってて、しかも近年の経済回復でただでさえ日本を上回る軍備を増強姿勢にしているロシアに何かモノをいえると?
>>300 当時漢民族と満州族の間に同族意識があったとも思えん。
だからこそリットン調査団も「帰属未確定地」である事は認めたのでは
だからって日本が支配していい理屈にはならん そもそも日本が軍事行動起したのは自衛です(無論、実際は自作自演の謀略)、という主張で 後になって満州の独立だの持ち出したのに過ぎんからな
つうかリットン調査団報告書がいうように、日本出て行け国連の共同管理だ、とうい話になったら 結局のところ日本は骨折り損の草臥れ儲け 共同管理しろっていわれた国が合法的に満州の権益手に入れて終りじゃ? だから日本は調査報告正式提出前に満州国ぶちあげたんじゃないの
310 :
名無し三等兵 :2008/02/15(金) 11:57:23 ID:fNREm1sn
それでも世界から孤立するよりはマシだろう そうしていればノモンハンで苦戦している時に敵増援情報掴んでも、手駒がないんで「情報を弄んでも仕方無い」なんていう話はなかった
参謀本部では関東軍がうるさいから一個師団で遊んでこいという程度の認識だったからな 苦戦してるから増援しろと言われても限度がある
>>308 半分傀儡とはいえ独立させている。
日本人官吏が優遇されているのは満州側も了承しており、
正式な協定になっている。
>>309 リットンの勧告を呑めばよかったんだよ。
満州を中国から切り離すことができれば、あとは好きに料理できる。
どうせまともに兵力を送れる国は大国は日本だけだ。
>>312 あの、承認させるのが傀儡というものですが…
善悪は別としてもね。
315 :
名無し三等兵 :2008/02/15(金) 21:26:08 ID:FS9QU2pM
>>313 今のアメリカにイラクから撤退しろというくらい難しいでしょうね。
>>315 別に満州国建国をやめるわけではない。
とにかく満州を中国から切り離すのが目的。
それさえできれば、日本の権益を侵すピーナツ野郎をぶち殺す大義名分を手に入れられる。
蒋介石さえぶち殺せば、あとは満州だろうとなんだろうとおかまいなし。
319 :
名無し三等兵 :2008/02/16(土) 00:20:03 ID:y2o3oaql
>>316 いや、それよりはリットン調査団の要求飲む方が楽だったでしょう。
そこまでする価値が本当に満州にあったのか 調査したら資源が思ったほどない、といって今度は中国本土窺ったのが当時の日本のレベルだぜ?
中国産は天然資源まで不良品だしな 近代製鉄に適さない鉄鉱石や泥炭、(当時は発見されていなかったが)硫黄分が多くて環境の敵な石油 しかも量も十分ではなく採掘環境も苛酷 どうしようもないわな 満州国建国を企んだ石原莞爾と愉快な関東軍一味は、それを完全にではなくともほぼ把握しながら承知の上で自分たちの私欲の火遊びの舞台にした 最悪の官僚の暴走だったね
>>321 加工すれば充分使えるし、日本はそれで金を稼いで重工業化を果したんだけど?
323 :
名無し募集中。。。 :2008/02/17(日) 20:23:54 ID:iXuSkP+3
満州国建国を熱望したのは溥儀だけどね。 岩波版ジョンストン卿の「紫禁城の黄昏」はダイジェスト。 重要な章を故意に省いている。 第一〜十章と第十六章『王政復古派の希望と夢』を省き、また序章の一部を省略。
順序逆。 溥儀が皇帝時代に郷愁を強く感じていて喜んで神輿に乗ったのは事実。 だが満州国建国は溥儀の意向とは関係なく関東軍の意志で行なわれ、溥儀は後から乗っかったに過ぎない。
じゃあ王政復古派なんて存在しなかったと?
違う違う。王政復古派は存在した。実力は微弱というか無に近くなっていたけどね。 ただ満州事変から満州国建国の流れは王政復古派の画策ではなく関東軍が筋書きを書いて後から溥儀らを担ぎ出した。 そして担ぎ出された溥儀等も半ば嬉々として神輿に乗ったんだ。後にどう思ったかは別としてもね。
>323 少なくとも、関東軍が「溥儀の望みをかなえてあげたい」という理由で 満州国を作ってあげたわけじゃない。
>>327 当たり前だろ。バカか。
イギリスが「ハーシム家の望みを叶えてあげたい」という理由で
国と作ってあげたとでも?
>328 言いたいことがわからん。 >323が、実際の満州国建国と全く関係の無い >満州国建国を熱望したのは溥儀だけどね。 なんていう話を唐突に持ち出してきたから、「それとは関係ないよ」と 指摘しただけなんだが。
じゃあ溥儀が話に乗らなくても満州国は成立したと?
なんか別の手を考えるだろ。傍系の誰かを連れてくるとか。
>じゃあ溥儀が話に乗らなくても満州国は成立したと?
>>329 氏ではありませんが、成立しますね。
旧皇帝の溥儀は傀儡国の盟主として高い利用価値があります。
しかし華北の切り取りなどでも見られたように地方軍閥の実力者(旧軍閥でもかまいませんが)を引っ張り出す手もあります。
要はそこそこ名の通った人物を神輿に乗せればそれで良いのです。
張学良系でも省防軍系を中心に日本になびく人物は何人もいましたから。
もちろん旧皇帝の溥儀が一番コントロールしやすく且つわかりやすい大物ですから一番利用価値が高いですが。
まあ、あっちの国は王朝に関して 「万世一系」なんて物語は必要ないからな 溥儀を引っ張り出しての「清朝復興」も 大義名分の one of them でしかないわけで 日本からすれば、実質的な支配さえできりゃ 満州民国でも満州人民共和国でも構わんわけだ
ノモンハンの話はどうした
それ以前に溥儀とそのとりまきが「清朝復興」を言い出さないと 満州国建国などというアイデアは出てこないだろうに
ノモンハンのことしらない奴等しかいないスレw
>>335 「清朝復興」派の存在は満州国建国に非常に便利でしたが、必須のものじゃないんですよ。
満蒙問題解決方策大綱原案成立 6/19
満州事変勃発 9/18
関東軍が溥儀担ぎ出しを具体的に決めたのが 9/20と9/22の会談。
それ以前から傀儡政権に溥儀の利用も考えていたが決定を見ず、親日政権を樹立するところで具体化が停止していた。
吉林長官公署の成立が 10/1
その後も東北の実力者を領袖に据えた地方傀儡組織や傀儡政権の樹立が相次ぎます。これらの実力者の中には「清朝復興」派もいますが、多くはそれと対立的な張学良系の中の親日者です。
一方日本側が直接溥儀とコンタクトをとったのが 9/30
しかし溥儀は即答を避けます。沈黙戦術です。
沈黙戦術の溥儀に対し早期に同意を取付けたい日本側の工作がいくつかあったようですが、溥儀がようやく同意したのは11/2
しかしその後も条件面で少しごたついています。
そういうわけで、溥儀は日本にとってやや遅い決断であったもののベストに利用価値を発揮したわけですが、もし同意しなければ既に立ち上げが
進んでいる張学良系からの帰順者達による複数の地方政権を母体として清朝と縁続きでない傀儡国が樹立されるであろうことは間違いありません。
既に見てきたように親日政権樹立が決まった時点では溥儀は最有力候補者ではあるものの唯一の候補者ではなく、具体化してからも本人が同意
する以前、それどころかコンタクトする以前から傀儡組織の立ち上げは進行中だったのです。
>既に立ち上げが進んでいる張学良系からの帰順者達による複数の地方政権を母体として清朝と縁続きでない傀儡国が樹立されるであろうことは間違いありません 親父を爆殺された張学良がそんなの許すかね?
>>338 そろそろスレ違いなのでやめますが、張学良の意向なんかと関係なく実際に何人もの裏切り者が満州国やその前段階の傀儡組織に参加していますよ。
張学良系でも比較的省防軍系には不満者が多かったようです。
おいおい、自分だけ書きたいことを書いて「スレ違いなので止めます」はねえだろw 関東軍は張軍閥の切り崩しに成功していた、ということ?
そもそも張作リンからして、日本軍は自分の傀儡にするつもりだったのがそうでもなかったので殺したという乱暴な話 宣撫下手な日本軍では、長期的に味方につけるのは無理
>>340 これは失礼。
満州事変の時、張学良は石友三の反乱を鎮圧するため蒋介石に協力し主力部隊のうち歩兵と騎兵の3割、砲兵の6割を関内に入れて満州を留守にしていました。
日本軍は満州事変を起こすと瞬く間に在満州の東北軍を撃破して広大な地域を占領。そのため多数の文官や一部の武官は占領地域に取り残されています。
それらの中に保身の為自ら、或いは圧力に屈し日本側に恭順したものも少なくないのです。
また省防軍系には元々張学良に冷遇されていたものもいるので誘いを受け機会主義的に日本側に走った者もいるようです。
撃破、というか張学良軍は何がなんだかわからず無抵抗命令出してて 一部以外抵抗しなかったのが事実だけどね
>>341 役に立つ犬でも用済みになれば煮られるというのに、
役に立たないどころか飼い主に噛み付く犬は叩き殺されて当然だろう。
まあ、使おうと思えばまだ使えたはずなのに エサ代もったいねえ、とか犬小屋のスペース邪魔、とか そういう理由で保健所に引き渡されたようなもんだな
>>346 まったくだよな。
なにしろ徳川幕府を執拗に追い詰めて滅ぼした連中の子孫だからどうしようもない。
清、ロシア、台湾、朝鮮とだって、共存しようと思えばできたはずなのにしなかった。
自分達の下に組み込むか敵としてかしか扱えなかった。
>>346 徳川家や西郷隆盛だって使おうと思えば使えたのにそうしなかった。
日本政府には雅量がない。
>>349 徳川慶喜と西郷の場合、彼らに忠誠を誓う人間はごまんといてほとんど自前の軍事力を持っているに等しい。
そういう強大な勢力を持つ人間を放置するのは政権にとって危険極まりないわけで、
機会をつくって再起不能なまでに叩き潰すのが正しい。
>>350 放置と殲滅の中間に、取り込みという手段があるわけだが
それを実行に移す意思、もしくは能力がなかった点が
明治以来の大日本帝国政府に見られる弱点だな
台湾や朝鮮は取り込んだじゃないか。 幕府や西郷軍にしても、生き残った侍は色んな形で政権に参与していったわけだが。 さすがに西郷や慶喜はダメだったけどね。
>>351 そう、雅量が必要だ。
例えばイラクの民主政府はタリバンを取り込むべきだろうね。
ベトナム戦争のときも、北ベトナムの共産党を容認して南ベトナム側…そうなると全ベトナム政府だが…に取り込むべきだった。
まったく、アメリカ人ってのは日本の教訓から何も学んでない。
>>353 タリバンじゃなくてアルカイダだが、まあ要するにあの辺の現地政府が、ゲリラだのテロリストだの軍閥だのと対話して政権に取り込むようにすべきだということ。
一度や二度テロられても絶対に反撃しない。非難もしない。
きちんと議席を用意し、ひたすら我慢して根強く呼びかけを行う。
フセイン派残党もタリバンもアルカイダも、寛大なる温情に感激して従うだろう。
これでこそ中東は平和になるんだよ!
アメリカは、もし国内で「イラク我慢ならん!」と世論が怒りの声を上げても、容赦なく鎮圧して黙らせるべき。 事によっては軍隊の投入も辞さない。 新聞社に対しても行政指導。 徹底検閲で世論を煽るような記事は排除。
それなんて中国?
ってかまさに大日本帝国そのものであるw
は? 偉大な明治日本がやってたことですよ。 侮辱に耐えて臥薪嘗胆で隠忍し、国力を蓄えて日清日露戦争に勝ち抜いた。 言論の自由など同人誌にすら認めらなかった。 さらに暴動を起こした日本国民を武力鎮圧した。
同人誌の方ですね わかります
>>358 君死にたまふことなかれを掲載した明星が発禁になったとは寡聞にして聞かないのだが
>>358 暴動を起こした暴徒を放置されては民衆が困るのですがw
重税取り立ててたくせに賠償金も取れなかった国が悪い。 その上報道を規制しなかったのが最悪。
オマエみたいな屁理屈しかいえない人間は 報道を規制したらまた文句をいうんだろ?
国民の意識をコントロールしろといってるんだよ。 新聞検閲と、暴徒化した国民を軍隊で鎮圧することを比べたらどっちがマシだ?
それ以前に、調子の良いことだけ伝えて新聞や国民を煽ってた指導部の問題だろ? まあ、へとへとな状況をそのまま伝えたんじゃ、ロシアが喜ぶだけだというのはある し、実際は簡単な話じゃないけどね。
へとへとな状況なんてすでに旅順の大苦戦で知れ渡ってたじゃないか。
>>364 そんなあなたにピッタリな国が近所にありますよ
一度、亡命してみては?
つ【北朝鮮】
北朝鮮はそういう戦時みたいな非常時がずーっと続いてる国なわけだよ。 俺はずーっと続けろとは言ってない。
>>368 そんなに都合よく政策に融通利かせられるのはそれこそ独裁国家くらいだよ
>366 苦戦して戦死者が多数出たってだけだろ?知れていたのは。 奉天のあと、追撃どころか、これ以上長引けば満州軍が壊滅しかねない位 に国力の限界に達していたなんて、国民どころか軍の中央すら意識してい なかった節があるというから、どうしようもないだろうけどね。
>>369 戦前の列強なんてどこも似たようなファッショ国家さ。
372 :
だつお :2008/03/09(日) 13:36:54 ID:Kkl4XPsd
ところでソ連は日ソ中立条約で「満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重
スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明」したって知ってるか?
満 州 国 の 正 当 性 に つ い て は こ れ で 異 論 な い よ な !
声明書
大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ1941年4月13日
大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル中立条約ノ
精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ
領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯
邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nissotuuritujouyaku.htm 大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約(1941〔昭和16〕年条約第6号)
1941(昭和16)年4月30日公布
>奉天のあと、追撃どころか、これ以上長引けば満州軍が壊滅しかねない位 >に国力の限界に達していたなんて、 マジレスなら、これのソースを詳細にきぼん。
常備兵力はロシア10に対して日本が1 日本は打ち止めなのに(深刻なのは士官不足。当時は予備士官制度みたいなものが未成熟だったから)。相手はその気になれば数倍増派できる 当の満州軍司令部自体がもうだめだ、講和をと動いているぐらい
本来沿海州攻撃に編制された駐サツ軍も満州軍に手順実質無視していれるぐらいだしな
>>373 児玉源太郎が、これ以上の追撃戦なんかやったら戦費と必要兵力がとんでもないことになると、
陸軍内の強硬派を説得した話は、日露戦争に関する本にはよく出てくるが
児玉といえば 丹波哲郎はもういないんだな
378 :
名無し三等兵 :2008/03/11(火) 22:22:23 ID:eYi9s+E0
丹波さんって亡くなっていたのか。 釣り馬鹿とかであまりに身近だったから実感無いや。
>>374 勝手に動いてるんじゃねえよ。
講和か継戦かを決めるのは政府だ。
満州軍は戦況報告だけ上げて何も考えずに戦って死ねばいい。
シビリアンコントロールはどうした?
明治憲法に文民統制なんて条項あったっけ?w それを差し置くとしても、戦えないものを戦えないと実情報告するのがいけないのなら、それこそ政府に判断材料があがらないじゃん
戦況報告はいいが講和せよとか継戦せよと働きかけるのはいけない。 大山も児玉も、まるで自分達が大本営のような戦争指導をしている。 満州軍は出先軍に過ぎないのに。
児玉は元老でもあったから、国政に発言するのは当たり前ジャン 軍人は出席しなかった開戦の御前会議にも元老資格で出たぐらい だいたい出先軍だろうが実情報告はそれこそ必須だろ 逆に戦え、という指示も判断材料なきゃ中央だせん
それじゃ昭和期に国政を壟断した軍人と大差ないだろうに。 しかも元老だぁ? 軍部大臣現役武官制よりひどいじゃないか。 軍人をやるなら元老を辞めろ。 元老をやるなら軍人を辞めろ。 このぐらい当たり前だろう。
元老はことによると首相よりデカイ権限を持ってる。 最後の元老、西園寺公望はどれだけ首相が変わっても死ぬまで影響力を維持していた。 元老が軍事力まで持っているのは昭和の政治将校よりタチが悪い。 東条だって苦労に苦労を重ねてようやく独裁体制を築いたのに。
>>しかも元老だぁ? 軍部大臣現役武官制よりひどいじゃないか。 その通り、児玉よりもっと凄いのが居たんだから如何にもならん。 ただ、日露戦争と同じく局地戦、短期決戦型ならプロシア式国家体制でも 問題ない。 昭和期の参謀総長は戦場に出ていないんだから 的確な状況判断が出来ない、戦場にいる強みを利用して 発言権を強める手が無いので有害だった。 ヤッツケ仕事で総力戦体制を整える為に総理と参謀総長と兼任するから 東京からなかなか出てこれなくなり最前線どころか占領した後方にすら なかなか行けなくなってしまう状況を作ってしまったのは下策だったな。
そんなもんジョージ・マーシャルだって行ってないと思うが。
>>385 参謀総長が動いたところに情報基地創って幕僚集めて会議開けってことかな
>383 制度を組み立てている時期はどこもそんなもんだよ。 問題は、まともな制度を樹立せずにそのままになったことなんでね。
つか、日露戦争時代の話はスレ違いだろ いい加減ノモンハンの話に戻ろうぜ
もうネタがないから脱線するのも仕方ないな なんか明治時代コンプレックスがあるようなのもいるしw
>>383-
>>384 結果よければ無問題
児玉の判断は常に適確
元老としても軍人としても欠ける所が無い
その真逆が権限も無いのに暴発した上判断もまずかった昭和の馬鹿軍人どもだしな
何その馬鹿丸出しの結果論w
昭和軍人が成功してりゃ
>>391 はべた褒めするわけだw
成功してりゃ誰でもそうだろう
>>392 は釣られてるんじゃねーよ
そりゃ軍人は結果が全ての世界だからなw
児玉源太郎だからね、何しろ 日露戦争がはじまるとき、世界の軍人達は当然ながら日本の負けを予想したが 日本に来たことのあるドイツ軍のメッケルだけは「コダマがいるから日本が勝つ」と断言して、その通りになった
児玉源太郎に個人的恨みでもある人がいるの?w
,.へ ___ ム i 「 ヒ_i〉 ゝ 〈 ト ノ iニ(() i { ____ | ヽ i i /__, , ‐-\ i } | i /(●) ( ● )\ {、 λ ト−┤. / (__人__) \ ,ノ  ̄ ,! i ゝ、_ | ´ ̄` | ,. '´ハ ,! . ヽ、 `` 、,__\ /" \ ヽ/ \ノ ノ ハ ̄r/:::r―--―/::7 ノ / ヽ. ヽ::〈; . '::. :' |::/ / ,. " `ー 、 \ヽ::. ;:::|/ r'" / ̄二二二二二二二二二二二二二二二二ヽ | 答 | コ ダ マ ! │| \_二二二二二二二二二二二二二二二二ノ
398 :
名無し三等兵 :2008/03/15(土) 19:30:18 ID:nVcMgf0h
児玉って過大評価されすぎじゃなかろーか
奉天会戦でも敵軍殲滅に失敗してるし、乃木の方が優秀なんじゃなかろーか
水面下で満州へのアメリカ参入認める代わりに 満州防衛をアメリカに分担させると言う手は使えなかったのかねぇ?
>>402 満州は、対ソ戦に於ける
本土防衛の為の前進警戒陣地に相当するわけで
そこを他国、それも仲良しとは言い難い国に委ねるのは
ちょっと安全保障上難しい。
アメとソ連が密約組んだら
20年8月のソ連軍満州侵攻が、朝鮮侵攻になっちゃうんだぞ?
委ねる時代が問題だな。
1次大戦での戦車戦からの戦訓をモノに出来ていたら状況は変わったんだろうかねぇ
WW1の戦訓:戦車は陣地突破用に歩兵と同じ速度で進みましょう どう考えても役に立ちませんありがとうございました
砲兵戦では日本が圧倒していたのだが、ソ連軍の八月攻勢により 後退する際に砲を自爆処分してるのが多い。
ソ連の砲兵の損害も出ているが、損傷は結構多いものの全損は大して無い。 敵が射撃陣地を変換したのを制圧したと誤認していた可能性も考えないと。
>>408 陣地変換と制圧はイコールだよ。
撃破とイコールじゃないってだけで。
>>409 ちゃうちゃう。
砲兵の陣地変換は元々計画的に行なうべきもの。同じ位置で撃ち続けるのは支那事変のように相手の対砲兵戦能力が著しく低い場合。
制圧されて移動するものとはまた別。
>>500 の話はもうドクトリンの違いでしかないよ。日本がそれに慣れちゃってるということでょ。
相手のマトモな位置すらわからずめくらうちしてた日本軍の砲兵が優勢?
初代スレ 337 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/25(水) 22:54:04 ID:??? 砲兵戦の様子・・・ > 8月12日 > > 連日の砲撃により、酒井部隊正面の敵砲兵は破壊又は制圧され、全く砲兵は姿を没し、 > ただ、遠距離砲撃する敵重砲の射撃、近距離の迫撃砲活動するのみとなれり、 > 尚、迫撃砲は本十二日の破推射撃により完全に制圧せり」 > > 野砲13V(関) 高台に設置したソ連軍の一部の長射程の重砲には手が出なかったが 他は全部潰している。それにロシア人の遠距離射撃など・・・・
249 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/23(月) 21:10:03 ID:??? > 「ソ連砲兵は弾道修正が下手だった。交通遮断射撃で毎日同じ箇所に撃ち込み、そこを避けて通れば安全だった。」 > 野戦重砲 鷹司連隊長 (昭和史の天皇) > 「(ソ連軍砲兵は)ずっと同じ処を目がけて(撃って)いることが判り、ソ連恐るるに足らずという風に > 馬鹿にするようになってしまった・・・朝から夜まで毎日一点目指して弾丸を落としてくるのだから・・・ > とに角、技量は日本を百点とするなら、ソ連軍は、二十点だろう。」 > > 野戦重砲 丸山正巴氏(ノモンハン回顧録)
それは日本側の一方的見解じゃないの 現実問題として事件の最初から最後まで砲戦はソ連側優勢で推移したわけだが
>>413 高台に設置してある重砲には手がでなかったものの、他のは全部制圧してるわけだが
してないしてない じゃあ日本軍が受けつづけた砲撃の出所はどこなんだ?
その高台の重砲なんだろうが、アノ連中ずっと同じ所をめくら撃ちしていただけ。 ソ連軍の無能な砲兵隊
「砲兵ノ効果予想ニ反セリ。二、三時間乃至一日砲戦セバ敵砲兵ノ大部分ヲ破摧シ得ベシト信ゼシニ、 事実ハ之ニ反シ、敵主力ハ後退コソスルガ其威力ハ概シテ衰ヘズ、寧ロ弾薬ノ豊富ナル関係上、 第三日ハ敵ノ方優勢ナル感ヲ懐カシムルニ到ル」 (小松原師団長陣中日誌) 当の日本軍も砲撃でやったよ、と思い込んでいたが実際は違って劣勢に推移したと認めているわけだが
>>419 それは7月末の「総攻撃」での話しだぞ。時系列を理解しよう。
345 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/27(金) 18:57:12 ID:???
7月23日、大規模な砲兵戦から始まった日本の総攻撃は7月25日で一段落。
この三日間(23日〜25日)の砲兵戦による戦果
> ソ連軍の当初の砲数(確認済み) 破壊数 制圧数 残存数
>
> 15センチ砲12門 破壊04門 制圧02門 残存06門
> 15センチ榴12門 破壊03門 制圧02門 残存07門
>
> 10センチ砲24門 破壊03門 制圧04門 残存17門
> 12センチ榴16門 破壊05門 制圧01門 残存10門
>
> 野砲 12門 破壊09門 制圧01門 残存02門
> 総計 76門 破壊24門 制圧10門 残存42門
>
> 比率 100% 破壊32% 制圧13% 残存55%
>
> ノモンハン2 クックス 朝日文庫 P267
日本の砲兵隊は、ソ連軍の砲兵の約半数(55%)を撃破又は制圧した。 壊滅に追い込むつもりだったのだが
それは無理で約半分しか制圧できなかった。
346 名前:名無し三等兵 投稿日:2006/10/27(金) 19:00:17 ID:??? 7月24日より歩兵部隊が前進し、ソ連軍と激戦を展開する。 > 地上戦果、総計 > > ソ蒙軍の遺棄死体約三,〇〇〇、捕虜五四、 > 破壊及び焼却した戦車・装甲車約五〇〇両、 > > 砲兵撲滅約七中隊、制圧約一二中隊、 > > 高射砲による飛行機撃墜四五機、 > 捕獲した戦車・装甲車二八両 他 > > 7月28日、師団司令部のまとめ (戦史叢書・関東軍1) この総攻撃による日本軍の損害 戦死1377名 負傷3044名 不明34名 ソ連軍の負傷者数は不明だが、遺棄遺体(ソ連軍が撤退する際トラックに収容しきれず残した遺体)が約3千。 日本側の戦死者は約千3百名で、ソ連側は日本の約三倍の打撃を受けたことが判る。 また500両もの多数の戦車・装甲車を撃破。相当な激戦だったが大勝利と言って良いだろう。
>>420 上記陣中日記の日付は七月二十六日
話を理解して書き込んでいるわけだが
もろに3日間の砲戦の総括
主観的優勢すら保てないのが現実なわけだが
そりゃ日本側の景気のいい自己申告だけつなぎ合わせればいい数字は出る罠 よく言われることだが、日本側は大本営発表的な宣伝数字を信用し、ソ連側は内部資料の数字を用いるからおかしくなる
本当の日本側被害は、靖国に名前送られた戦死者だけで一万五千超だっけか?
時系列を整理すれば 7月末に大砲撃戦により、日ソは激戦を展開し、8月頃には 一部の重砲の除きソ連軍の砲兵隊をおおむね制圧しおえたと。
日本贔屓は勝手だが、客観性をすこしは考えてほしいもんだかな 制圧本当にできてたら、8月攻勢でもう少し日本側損害は抑えられてただろ
負けたこと、そして負けを素直に認められないこと 日本軍は各所でこの二重の失敗を犯しているが 現代の日本軍ヲタも同様か…
日本側戦果をつなぎ合わせると、戦車撃破数とかがソ連軍の総投入数超えちゃうからなぁw
撃ってる連中が撃ち負けてないと意識できる程度には優勢だったんだろ。
>>430 だから、事実が如何であるかとは別に
7/23-25の日本砲兵隊は負けたと思ってなかったってことだろ?
多くを撃破したか追い払ったと判断してたわけで、それは概ね間違ってない。
7/26になったら日本側砲兵は弾切れで大人しくなり
追い払ったソ連砲兵は遠距離から元気に再活動したと。
ソ連側砲兵が追い払われたというのが日本側の見積もりで
もしかしたらソ連軍側は(どういうドクトリンかしらんが)
遠距離に後退するのは既定の計画だったのかはわからんが
事実として23-25の砲戦ではソ連軍砲兵は戦術的には敗北してたわけだろ?
>>420-421 それがソ連側の損害実数とは合わないんですよね。
ノモンハン戦の損害を総括するとソ連側砲兵の損害は全期間合計で
76o砲1902/30 11門 内全損2門
107o砲1910/1930 4門
122o砲1910/30 31門 内全損5門
152o砲 6門
計52門 内全損7門
これでは7/23から数日の戦果、7/28の師団報告の破壊24門に全く及びません。
全損内数の記載が無い砲種は修理可能損傷程度なのでしょうが、仮にこれを全損に参入してもまだまだです。
もっとも修理可能な損傷砲も全て破壊に数えれば全期間の損害の半分弱をこの数日だけで与えたことになります。
他に砲兵というより歩兵砲ですが連隊砲クラスの損害もあり
76o連隊砲 1927 14門 内全損7門
82o迫撃砲 全損8門
45o対戦車砲 20門 内全損8門
ですが、7/28報告とは砲種が全く異なります。
あと
>>419 氏の抜粋が7月末の総攻撃の話という件ですが、ソ連側に7/23以降、7月末までにソ連側に到着したまとまった野戦砲兵部隊は無いようなんです。
7/23の時点でも、7月末の時点でもソ連軍砲兵は第36自動車化狙撃師団の砲兵連隊1個、第82狙撃師団の砲兵連隊1個(当時正規の狙撃師団は野砲兵と重砲兵各1個連隊を標準としていたがこの2個師団は砲兵1個連隊編制であったことがわかっている)
他に第5機関銃狙撃旅団が大隊規模の野戦砲兵を持っていたことがわかっています。
他の野戦砲兵部隊を伴なった第57狙撃師団は8/5にようやく同地区に集結。
つまり7/23以降、7月末までに増援されたまとまった野戦砲兵は無いわけで、7月末にソ連砲兵が健在であったということは7/23から数日の戦闘で受けた野戦砲兵部隊の損失はそう大きなものではないということになります。
次に戦車関係なんですが、7/24から戦車装甲車約500輌を破壊乃至焼却というのも奇想天外な数字です。 実は増援されてきた第6戦車旅団を含めた7/20時点の保有車輛数は水陸両用や火炎放射型、機銃のみ装備を含めて戦車計409輌、装甲車計324輌。 しかもこの数字は修理中の車輛100輌強を含んでいます。そのいくばくかは7/24までに修理が完了したでしょうが、またいくばくかは新たに故障なり損傷なりで修理扱いになったでしょう。 いずれにしても数日で500輌を破壊乃至焼却したとすればその大半を始末したことになってしまうわけです。 また全期間中のソ連側装甲部隊の損害は、全損、焼却、又は大修理を要した車輛の合計で 戦車253輌、装甲車133輌、自走砲2輌。(他に牽引車9輌) 相当な損害ではありますが、全期間のこの損失を見ても7/24から数日で挙げたとされる戦果に到底及びません。 他に戦場で直せる程度の比較的軽微な損害を受けた車輛は多数存在するとのことですが、破壊にも焼却にも該当するものではありません。
>429 撃ってる連中はそうだろうよ。でも、「敵砲兵を黙らせた」というのを鵜呑みにして攻撃に 出ようとしたら、元気に撃ち返してきたんで、「あの報告はなんだったんだ」という話に なっているでしょ? 後、>420 その表は、「畑少将が考えていた戦果」であって、実際の戦果がどうかというのとは切り 離して考えるべき数字ですよ。
>>430 二〜三時間ないし一日でソ連軍の砲兵を撃滅するつもりだったのだが
当てが外れたと言うわけ。
しかし敵砲兵の半分を制圧したのだから圧倒してるのも事実。
>>434 部分的損傷や後に修理したりしたものも多いんだろう。あの時点では制圧してたにしても。
>436 いや、だから>420が引いている表そのものが「畑少将らが想定した戦果」を示したもの であって、実際に制圧したかどうかを確認・検証したものでもなんでもない。 だから、あれをみてもわかるのは「日本軍は『半数を制圧した』と考えていた」ということ だけで、実際に何が起きたのかとはほとんど無関係だよ。
当時、実際に制圧されていた事が確認されていたのだから制圧されてるんでしょ? 全部破壊したと言ってるわけじゃ無いんだし
>438 「確認された」って、誰が「確認」したんですか?単に砲兵隊が「制圧したと確認した」 と報告してきただけの話でしょ?普通の意味での「確認」とは程遠い話ですね。
>>438 横レスですが、制圧というのはかなり主観ですから。
対砲兵戦闘では一定時間砲撃したら陣地を変換するのがまあ基本です。
そのタイムラグを制圧し得たと勘違いすることは大いにあります。
事実、数日中に
>>419 の事態になっていることからみて大きな損害を与えられていないことがわかる。
>>420 の数日の破壊数もソ連砲兵の全期間全損数にさえ届かないわけですし、損傷を与えていたとしても2〜3日後には
>>419 ですので効果を過大視していることは間違いありません。
きちんと戦果を観測できなかっただけなのか、対砲兵戦でよくある偽陣地でも砲撃させられてしまったんでしょうか。
そもそも、>420の表の下に書いてあるとおり、あの表は畑、小松原両将軍の認識していた 戦果をまとめただけの話で、実際に後日確認した戦果という趣旨じゃないですからね。 (表の下には、出典:畑勇三郎「日記」1939年7月25日;小松原「日記」1939年7月24日と 明記されています。)
442 :
名無し三等兵 :2008/03/21(金) 02:11:34 ID:TJfQ1kZt
『サンデー毎日』 [3月30日号]
昭和史/ノモンハン、須見部隊の死闘−最強師団の宿命(15)
http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG3/20080318/92/ 保阪正康が連載でノモンハン事件を扱っているんだけど、ソ連がドイツに泣きついて
独ソ不可侵条約を結んだ実態を正反対にとらえて日本を低評価したり、日本が停戦
の運びにしようとしているのに関わらず、軍は、大規模な兵力を投入して、ソ連軍に
一度大打撃を与えて冬期までに撤退しようと考えていたことを批判。
しかし、日本が戦力増強しようとしていたのにびびっていたのはソ連側だし、
ジューコフだって、「いい時に日本は停戦してくれた」みたいに述懐していたわけだ
から、結局、軍の判断の方が正しかったんじゃないか?
保阪は古い史料で批評しているんじゃないの?
保阪氏は史料の新旧以前にバイアスかかりまくりだから。 彼は歴史学者ではなく、ただの歴史小説家。
攻撃は23日開始で師団長の見解は25日現在。数日じゃん。
攻撃開始から第三日目が25日現在で同じ日だよ
制圧したぞ、これだけ破壊したぞというでかい数字は日本側の一方的思い込み 実際の戦果は稀少で、むしろ総攻撃三日目の時点で苦戦に陥り、師団長自身がこりゃダメだと前日の甘い観測を覆す程度だったってことですね
三日で、たった半分しか制圧できなかったから師団長も苦戦を認めたんだな。
日本側の一方的数字と
>>432 のレスではっきり証明されているのに
宙に浮いた過半制圧という空文句で粘着する奴がいてワロスw
ソ連軍は巧妙だからねぇ。わざと砲撃下火にして日本軍に誤認させたとか そもそも日本軍は敵軍の正確な位置すらわからず砲撃するハメになった程度 8月攻勢でも、当初の攻撃は規模が小さくて「情報で入手した攻勢とはこの程度か」と日本軍側は笑っていたら それは両翼包囲を完成させるための囮に過ぎず結果は完璧な殲滅戦喰らった
日本側の甘い希望的観測もろな戦果報告信じるのがそもそも誤りだろ。
さてソ連軍の8月攻勢。この時のソ連軍の砲撃だが、それまでの砲兵戦でソ連の砲兵隊は日本との砲兵戦で おおむね制圧されていたのに何処から撃ってきたのかというと例の高台・コマツ台地から。 安全で有利な地形の高台に砲と弾薬を集積してソ連は砲撃してきた。そして空爆と多量の戦車装甲車の攻勢。 日本の砲兵隊は技量で圧倒してたのに不利な地形とソ連の物量にやられた。 参考 「ノモンハンの夏」P366 文春文庫
敵の位置すらわからないままどうやって技量を発揮しえたのか 物理的に無理だろwwwwww
だから判ってる範囲内の敵砲兵はおおむね制圧し終えているから
>>413-414 下から見えない高台の砲兵には手がでないけれどやむなし
完全に否定された話を何度もループ こいつはただの煽りだな
時系列を追ってみると、7月末頃に激しい砲兵戦を繰り返し、8月に入って少なくとも
日本側の砲兵の手の届く範囲内では制圧し終えているわけだ。(コマツ台地を除く)
>>456 関係ない。7月末の時点ではソ連側の砲兵は完全に制圧されていないと言うだけのこと。
それに関しては誰も否定していない
だから制圧しきったつもりが三日目にはもう打ち負けてるよこんなはずじゃなかったよ、と日本側の陣中日記ですらその妄説否定しているだろうに こんな話題ループさせて何の得があるのかよくわかんね 誰も賛同してくれないのが悔しいのかな
>>458 オマエの方が煽りだぞ。ループ。7月末の砲戦開始からたった三日目の感想ではそうだが
8月頃には制圧し終えたと
靖国に送られた犠牲者って、終戦後自決させられた人達もはっているの? あと戦闘後傷病が原因で死亡した人は? これらが含まれていないのなら、日本軍の本当の被害は一万五千余じゃすまないってことになるが
日本側の戦死者は靖国神社慰霊祭で18000名と公表 自決者が入っているかは不明
>>462 それ勘違い。まず靖国神社は厚生省からの資料に基づいて戦没者を祀っているのだから
戦没者数も厚生省の資料と同じ。
戦没者1万8千のネタ元は昭和41年靖国神杜の慰霊祭を伝える新聞に戦没者数1万8千と出たのが根拠。それを見た作家の五味川らが
日本の戦死者数に作為がある!! ソビエト連邦の発表値こそ真実だ!! などと言いだし始めたのが発端。
新聞の単なるミスと、当時は盛んだったソビエト共産党神話に乗って騒いでいただけのこと。
いや1万八千でもソビエト側予測とあわんわけだが 都合の悪い数字だからって嘘ついちゃいかんべさ
日本側に都合の悪い数字は、砲の損耗数だろうが戦死者数だろうが無視かレッテル張り ただのスレ潰しじゃね?。
靖国神社のHPにも18000名と書かれているのだが
事実だぞ。靖国神社が厚生省からの名簿に基づいて戦没者を祀っているのは。
そこは事実だが、誤認だデマだというのは明らかに嘘だろ おかしな日本軍贔屓が毎日湧くなぁ
一部善戦、という幻想すら崩れたからって 同じ日本人を同士討ちすんなやwww
ノモンハン事変に於ける日本側の戦死者数は8741名で、負傷者は8664名、合計すると死傷者17,405名。 当時の新聞なんらかの記載ミスがあるとすれば、死傷者数17405名を、大雑把に18000名として それを新聞記者が全部戦死者と思い込んで記事にしたのかな?
そのうち靖国神社も、ソ連万能主義のなんたらとかレッテル張られそうな勢い
ま、「18000」なんて区切りのいい数字が事実のわけが無いんだろうが
靖国は根拠にも補強にもならんだろ
>>462 >日本側の戦死者は靖国神社慰霊祭で18000名と公表
正確には靖国神社ではなく朝日新聞の発表した数字
> 昭和四十一年十月十二日、靖国神社でノモンハン事件戦没者の慰霊祭を行った。翌日の新聞は、その戦没者を一万八千余人と報道した。
> 事件後の軍の数字からみると死者の数が一万人増えている。
> 五味川純平『ノモンハン 下』(文春文庫)p.252
> 靖国神社に問い合わせたところ、1966年10月2日に行われたのは「ノモンハン会」主催の慰霊祭であり、靖国神社では、
> その際にノモンハン事件戦没者数の発表を恐らく行っていないだろうとの回答でした。
> 文面から察するに、戦没者数は靖国神社が発表したものではなく、ノモンハン会あたりが、発表したものなのではないでしょうか。
> 何れにせよ、確かなことが分からない以上、(中略)朝日新聞が「戦没者数を1万8000人と発表したことがある」、と推論を含めずに書いて
> おくのが良いのではないかと思います。
ウィンキ ノートから
> > ソ連の戦史では「7月から8月までの間に、日本側の損失は戦死者だけで1万8868名、死傷者2万5900名であった。」(ソ連側の発表) > 朝日新聞の発表した数字 18000名 > (靖国神社に戦没者を調査する機関などなく厚生省からの資料に基づいているだけなので朝日新聞の報道には大きな疑惑がある) > 1万8000名余と報道した朝日の記者も、現在証言を求めることがむずかしいようである。 > 推測すれば、簡単なことで、ソ連側が発表している1万8000余人という資料に資料源を求めたか、その資料を知っている研究者なる者の > 話しに頼ったかも知れないのである。 > > 元防衛庁事務次官 牛島康充氏 「ノモンハン全戦史」
477 :
だつお :2008/03/21(金) 21:34:28 ID:bjOac1+o
>現実問題として事件の最初から最後まで砲戦はソ連側優勢で推移したわけだが
ところでソ連は日ソ中立条約で「満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重
スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明」 したって知ってるか?
満 州 国 の 正 当 性 に つ い て は こ れ で 異 論 な い よ な !
声明書
大日本帝国政府及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦政府ハ1941年4月13日
大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間ニ締結セラレタル中立条約ノ
精神ニ基キ両国間ノ平和及友好ノ関係ヲ保障スル為大日本帝国カ蒙古人民共和国ノ
領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨又「ソヴイエト」社会主義共和国聯
邦カ満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明ス
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nissotuuritujouyaku.htm 大日本帝国及「ソヴイエト」社会主義共和国聯邦間中立条約(1941〔昭和16〕年条約第6号)
1941(昭和16)年4月30日公布
ノモンハン戦とソ連の満州国承認は何の関係も無いってば。 ただ条約の意義としてはソ連は後方からの日本軍の脅威を取り除きたかったこと、 日本としては満州国をソ連に承認させ北方を安泰に南進を目指したことかな。 あとソ連はこれを機会に中国国民党と縁を切りたかったのだと思う。 中国にとってはソ連に満州国を承認されたことは手痛い打撃であったろう。
どうしてソ連は中華民国の意向に反して満州国を承認したのでしょうか。 それとも満州は中華民国の領土ではなかったのですか?
480 :
名無し三等兵 :2008/03/21(金) 21:50:17 ID:ETE5ulos
>>479 だって、西と東から攻められたくないしー。
承認したって、ヒトラーがいなくなれば攻め滅ぼせば良いしー。
中国は攻め滅ぼす対照だったしー。
スターリン、わかんなーい。
481 :
だつお :2008/03/21(金) 21:56:09 ID:bjOac1+o
要するにだな、ソ連にとって中国は取るに足らないカスも同様で、 それと比べれば日本軍の軍事的脅威のほうがずっと切実な問題。 ノモンハンにおける日ソ両軍の損害がどうあれ、ソ連側が関東軍の実力 を高く評価しこれに挑むのはリスクが大きいと判断したことは疑いない。 バルト三国なら一気に押しつぶせるが、関東軍ともなるとそうはいかない。 >ところでソ連は日ソ中立条約で「満洲帝国ノ領土ノ保全及不可侵ヲ尊重 >スルコトヲ約スル旨厳粛ニ声明」 したって知ってるか?
482 :
名無し三等兵 :2008/03/21(金) 21:57:13 ID:Vaz/4FFI
おまえらも暇だな
483 :
だつお :2008/03/21(金) 22:02:45 ID:bjOac1+o
あと上でノモンハンにおける日本軍戦死者が18000人以上と主張するなら、 具体的に何師団の何部隊がこれだけというふうにその内容を明らかにしてもらいたい。 壊滅的損害を受けたのは小松原中将の第23師団だが、それ以外は寡聞に して知らない。もしあったとしたらここで何師団かを挙げてみてくれ。 そうでなければ、支那事変も含めた数字なのかということにもなる。
>431 遠距離に後退するつーたら規定の計画どころか常套手段だぞい。 ケスロは引き寄せて罠に掛けるしか能が無いからな。
>>484 射程外に下がるのが既定計画なのか。
赤軍のドクトリン的にそれは無いはずなんだが。
>>459 ソ連側の全期間の損害カウントを見ても制圧したなんてとても甘い評価ですが。
一時流行ったなんとか太郎みたいな奴がいるな
誰にも賛同されてないのに連日同じコピペみたいな主張を繰り返すところだけは確かにだつお似w
マジでなんとか太郎の如くコピペばっかりだからなw
だいたい日本側の陸軍省発表の一番控え目な数字ですら。 純然たる戦死者みると、ソ連の内部資料数字に日本側負けてるわけだしな。
491 :
だつお :2008/03/22(土) 22:24:04 ID:LwG7Fm53
なんかロクに調べもしないで、根拠の無い伝聞を撒き散らしてるのも少なくないな。 「ノモンハン事件の日本軍戦死者18000人以上」 そのような主張をするのなら、朝日新聞にそう書いてあったからってんじゃなくて、 具体的に出典を明らかにそしてその内訳をしっかり示すべきだ。 日本は公務員数が多いだとか小泉竹中の市場原理主義だとかいう物言いに似てる。
492 :
名無し三等兵 :2008/03/22(土) 22:36:24 ID:olZ3ilRP
つうかさノモンハン事変で展開した日本の兵力ってって延べ何人よ? あとノモンハン事変で靖国に祭られてる人は何人よ?
493 :
名無し三等兵 :2008/03/23(日) 06:23:48 ID:iiegYB9u
アフォか、靖国の18000柱は「軍神」であり、名前も出身地もはっきりしている どこぞの名無しは軍神にはなれないんだよ だから靖国の宮司は数を把握しているはず(でもあえて言わない) 納得できなかったら、てめえでバードウォッチング用のカウンター持って、 遺影なり位牌なりを数えてくりゃいーだろーが
494 :
名無し三等兵 :2008/03/23(日) 08:39:07 ID:WxM6FppH
幼稚園児にはわからないだろうが 靖国に奉られている人は遺影も位牌もないよ ないものをどうやって数えるの
商品の単価が10万円以上場合、消費税の税率を8%にする。 商品の単価が10万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。 これが最善の消費税率。
496 :
名無し三等兵 :2008/03/23(日) 08:48:05 ID:WxM6FppH
上記の書き込みを見ても分かるが ネット右翼は何かを伝えたいが 文章を書くことが不可能なためコピぺするしかないのだ ネット右翼は社会の底辺であることを証明する例だろう
オレはそれをネット左翼の書き込みを見るたびに感じる訳だがw
498 :
名無し三等兵 :2008/03/23(日) 09:38:33 ID:WxM6FppH
上記のような書き込みでも分かる通り ネット右翼にとっては自分らを非難する奴はは左翼しかいないとしているようだ ネット右翼のなんと偏狭なことか
499 :
* チベット動乱! 五輪中止! バブル崩壊! * :2008/03/23(日) 09:45:38 ID:hYX22/zD
チベット動乱で五輪はなしになるでしょう。中国バブルは春四月まで に崩壊するでしよう。中国発世界大恐慌が起こるかもしれません。 たぶんそうなるでしょう。そうなれば 中国全土で暴動や略奪が起こる でしょう。 中国は無神論国家のためモラルがありません。このため 収集のつかない事態に陥る危険があります。今年は世界にとって極め て危険な年となるでしょう。
>>498 そういう事を考えて書き込むのも左翼だけだよな
んで問い詰めると証拠があるというが、更に問い詰めると
妄想でしかなかったという事が明るみになるという
>>492 ノモンハンで靖国神社に祀られているのは約8000名
>>484-485 実際には日本の砲兵隊の精緻な攻撃で平原から追い出され
安全圏の高地まで逃げ込んだと言うのが実態だろう。
無能なソ連軍の砲兵隊に、まともな砲戦指揮は望めないし
>503 釣り?対砲兵戦で惨敗したのは日本軍だろう?
砲兵戦では勝利していたのだが・・・・・
>>505 それがどうも怪しくなってきたということでしょう。明らかになってきたソ連砲兵の損害数から見て。
そういえば日本側の対ソ軍研究でも、ソ連砲兵の偽陣地の使用や移動砲についてのくだりがでてきます。
そのあたりノモンハン後には何となくわかってきていたのかもしれません。
>>506 要するにソ連の砲兵隊は平地では制圧されて、高台に避難または後退したと言うことでそ。
それも勝利。
>>507 全然違いますよ。
>>506 で書いた研究では、ソ連砲兵は偽陣地を作ったり、数門の砲をわざと偽陣地に配置して砲撃しすぐに別の偽陣地に移してまた砲撃する戦術を採用して砲の配置や数を偽装するとしています。
他国でも偽陣地を作り敵の砲撃を吸収することはよく行われるのですが、一部の砲で実際に射撃して見せてまで偽装する例は珍しいでしょう。
ここで研究に出てくる位なので、ノモンハンで無駄弾を撃たされたことに気づいたのでしょう。
あとこの研究とは直接関係ありませんが、砲兵の陣地変換というのはどこの近代軍でも普通に計画的に行います。ソ連軍もです。
勝敗云々とは当然関係ありません。
一定時間砲撃した後は敵の反撃は当然あるものと予想して配置を換えるのです。
その後、敵が砲撃してもそこはもぬけの殻。もし陣地変換が遅れて砲撃を受けてしまっても準備をしている分だけすばやく移動できます。
これを怠るから対砲兵戦闘で損害を出したり、甚だしいのは敵歩兵や戦車などの進出により逃げ切れなくなり自爆なり遺棄なりを強いられます。
日本の場合はそれまで相手が対砲兵戦能力の低い支那軍だったのであまり必要性を感じなかったのでしょうか。
ソ連軍でもその後、独ソ戦初期の大損害の後に間接射撃を有効に行える人材やシステムの欠乏から師団砲兵クラスは直接射撃を主用せざるを得なくなり迅速な陣地変換も難しくなっていったことでしょう。
>>508 よく判らないんだが
>>413 は捏造で、実際には8月に入っても高台以外の場所から
ソ連軍砲兵は盛んに活動し砲撃を繰り返していたのかい?
日本軍の手の届かないコマツ台地に陣地転換をしたのは判っているんだが。
上のほうに、砲兵団長や師団長の日記を「戦後の確認」であるかのごとくごまかしつつ、 恣意的に引っ張ってきて勝手に勝利宣言していた馬鹿がいたね。 あれで「確認された戦果」ということになるなら、台湾沖なんて大勝利だよ。
誰やねん。それ
「戦後の確認」で検索したが、このスレには居ないな
>>509 日本軍の手の届かない距離まで下がったら
射程が日本軍と変わらないソ連軍が撃てる筈も無いわけだが。
いずれにせよ日本軍の砲兵隊がソ連軍砲兵隊を追い散らしていたのは 事実なんだから良いのでは無いかと
>>513 あの、、、、高地から低地めがけて玉を投げると遠くまで飛ぶって小学校で教わらなかった?
ソ連軍は高地に退避したと何回も出ているのだが
>511、512 >420あたりは、クックス本からの引用として「砲兵隊の戦果」と書いているが、表の下に 明記されている出典(畑、小松原両将軍の当日の日記)を隠しているね。 単純にあれだけを読むと、クックスが「砲兵隊の戦果」として表を作成したようにも読め るが、実際は「日本軍が当時認識していた『戦果』」という趣旨の表。 非常に不誠実かつ恣意的な引用だよ。「引用」と言ってよければの話だけどね。
>>516 なるほどクックス本にも(確認済み)と書いてあるが日本側の当時の資料には違いない。
しかし元スレを見ると、元々日本側の戦果報告を提示する流れだった。
日本軍の戦果報告のレスに対し、「それには続きがあったよ」、ということで、その続きを
提示したのが
>>420 元スレでは日本側の戦果報告だったのはハッキリしていた。ところが本スレでは1レスだけ
コピペしたので勝手に誤魔化されたと思い込んだのが居たんだろう。
>>509 捏造ではなく、誤認ではないかということです。
日本側砲兵としては敵の砲撃が止んだり減少すれば破壊した、制圧したと考えても不思議はありません。
実際7月の方では
>>420 の報告があるにもかかわらず、数日後には
>>419 です。
ところが、対砲兵戦の常識として敵が対砲兵戦能力を持っているのなら一定時間射撃したら陣地を変換するのは常識です。
研究の方では陣地変換以外に最初から囮用の偽陣地が用意されていることや、偽陣地から砲撃して誤認を誘発させる一部の砲兵の存在に注意を喚起しています。
他の方が引用していた日本軍の砲兵戦術講授録でも、別の部分では砲兵の予備陣地への移動や遊動砲兵の活用を謳っていますから日本軍もその重要性は頭では理解していたのだと思います。
>>413 は8/12の話ですから
>>419 とはまた違う話ですが、ノモンハン全期間のソ連砲兵損害は
>>432 で全損砲は少数ですし損傷砲はそこそこありますが殆ど潰していると言えるかどうか。
むしろ大攻勢準備中のソ連軍が戦力の蓄積に入った可能性が高いと考えられます。
8/20現在の砲兵装備ですが、
第36自動車化狙撃師団8門、第57狙撃師団40門、第82狙撃師団38門、第5機関銃狙撃旅団7門、第185砲兵連隊33門、独立重砲中隊4門の計130門。
この内、第36自動車化狙撃師団と第82狙撃師団、第5機関銃狙撃旅団は7月から戦っていますし、第57狙撃師団も8/5に同地に集結済みです。
第185砲兵連隊と独立重砲中隊の参戦時期は不明ですが、既に参戦している部隊の残存砲数を見ても8/12までにほとんど潰したとはとても言い難いのがわかります。
ただ第36自動車化狙撃師団は事件へのソ連軍介入時からずっと戦っているのでかなり砲兵戦力が低下していますね。日本側も頑張っていたことの証明にはなると思います。
砲戦開始から第三日目の7月25日には依然として過半数の敵砲兵が健在で苦労していたんだろうが、しかし その後の8月に入るとソ連軍報兵は日本軍の射程内の平地からは全部撤退してたんだな。 別の言い方をすれば制圧されていたとなる そして日本軍の射程外の高台に密かに多数の砲兵を終結させて、8月20日になって反撃してきたと。
> 実際7月の方では
>>420 の報告があるにもかかわらず、数日後には
>>419 です。
数日後ではなく両方の資料は同じ日。7月25日の話し。
>>520 いやだから23日から25日の戦果報告に対し25〜26日に駄目ジャンと言われてるんだわ。
要するに砲戦開始から三日くらいの25日にまとめた戦果報告と、その25日頃の敵側の砲戦状況が併記されているだけでしょ
まだループさせている過半制圧厨がいるのか。完全に客観的数字で破綻させられて久しいのに
捏造までして一部善戦に拘る理由がわかんね。 その程度で何があるのかと……
さぁ? 甲子園で敗退した高校の地元紙が、 「ヒット数や出塁数、脱三振数では勝ってた」と書き立て、 「善戦虚しく惜敗」を演出したがるのと同じ贔屓の引き倒しだろ? 特ア板ならともかく、この板でそんな贔屓の引き倒しに何の意味があるのかは不明だが… あ、よく考えたら、どんな三流紙も贔屓の為にヒット数や脱三振数捏造したりしねぇな。 って事はここのポン軍厨はそれ以下か?w
日本側ドクトリンに於いては追い出したら勝ちだったわけで それは達成したんだから、戦前の机上理論からは日本側砲兵勝利は間違ってない。 砲兵を移動させることで被害局限し 継戦能力を維持するという考えに基づけば ソ連側は初回打者三者凡退でチェンジって程度だから、試合に負けたわけではない。 考え方が古くて時代遅れだったと日本側が理解するのは戦後なのだから 作戦中の日本側砲兵の自画自賛は間違いだったと言い切れるものではない。 また近戦をソ連側にさせず、移動を頻繁になさせたというのは ソ連軍砲兵の火力を一定レベル減じたという意味で効果が無かったわけでもない。 それが敵砲兵殲滅というような素敵結果程ではないというだけ。
野球で喩えられても関係なさ過ぎて意味ワカラン
つか、ここは「当時の机上理論」や、 「古くて間違った考え」を追体験する場ではあるまい? それにも関わらず無意味に「勝ち」を強弁するからスレが荒れる。 辻の真似事がしたいのならなりきり板にでもスレ立ててそっちでやっとくれ。
>>528 だが当の日本砲兵は勝ってると思ってたぽいし
日本側評価基準ではそれはそのとおりだし
更に言えば、それでソ連砲兵を遠戦に追い出し
日本側砲兵は地上戦に巻き込まれるまで健在だったという点で
対砲兵戦の勝敗は、日本側だったのも事実。
砲兵戦闘で勝ってないソ連軍が、それでも強力な火力発揮が出来ていたこと
そしてそれが息切れにならなかったことは、ソ連軍の砲数と兵站の強靭さであって
それが砲兵運用面で無視し得ない重要な要素であるのは事実だが
その責は前線の日本軍将兵が負うものではなく、それこそ辻らに被さるものであるから
彼らの立場で追体験するならば、圧倒的な敗北であると断じる以外に無いと思うぞ。
>526 追い出したら勝ちって…。追い出せてないから、「どうなってんだ」「もっと前に出て撃て」 と重砲兵を前に出した挙句、8月に全滅するようなことになったんだが。
>>527 馬鹿なオッサンほど野球に例えるんだよ。
未だに野球が国民的スポーツだと勘違いしている。
>>529 少し違いますがな。
それをいうならソ連側砲兵も健在だったし。
詳しく言うと、7月下旬に日本軍が総攻撃に失敗した後、ソ連軍も狙撃連隊と機関銃狙撃旅団を使用した小規模な攻撃を行って失敗している。これが8/1〜2と8/7〜8。
その後のソ連軍は8月下旬の総攻撃の準備として全面的に配置の転換と企図の秘匿を行っているんですよ。前期の小規模攻勢に参加しなかった他部隊はもっと早くから始めているけど。
例えば前線部隊には陣地構築に専念しているように見せかけさせたり、砲や戦車を夜間秘密裏に配置につけて偽装を施したり。
つまりソ連側砲兵が目立った動きを見せなかったのは総攻撃の準備。
総攻撃前に位置を暴露するような馬鹿で無駄な攻撃は流石のソ連軍も避けていたということだし、兵站線が日本よりかなり長いソ連軍としては総攻撃前に砲弾を浪費するのも避けたかったというのもある。
それから上で上げられている野砲兵第十三連隊の第三大隊は三八式十二榴装備だから射程はせいぜい5〜6千。ソ連側重砲どころか野砲にさえ大きく劣る。
まあ122o榴弾砲の古い方との比較なら1〜2千m位しか差は無いがそれでも地図を見て砲兵陣地まで届くかといわれれば…
つまり、三八式十二榴が制圧したと考えていた砲兵とは射程の観点から見て実際には連隊砲の疑いが強い。仮に本当に制圧したのだとしても。
報告でも迫撃砲を沈黙させたようなくだりもあるがこれと同列の距離に配置されるものといったらやはり連隊砲だし。
ソ連軍の準備射撃では連隊砲も参加するんだから それを制圧したのは別に悪いことでもなんでもないと思うのだが。
>>532 ソ連軍にとっての7月後半の砲戦は何のためにあったの?
日本側の攻撃を火力で撃退するためだよね?
果たして日本側の攻撃失敗の原因の多くに
ソ連砲兵の火力を求められるものだろうか?
8月攻勢で見せた強力な打撃力を
7月の日本軍攻勢に対して発揮できていただろうか。
>>530 日本の重砲隊がやられたのは砲兵戦ではなく主に8月後半の戦車・歩兵などによる攻勢
によるものが大部分で、それで砲を破棄してきたわけだし。
またソ連軍の重砲隊はこの8月攻勢の時も安全な高台からしか砲撃をしていない。
平地の何処かに潜んでいたわけではなく、少なくとも射程内の砲兵隊は日本の砲兵によって
全部制圧されていた証拠。
凄く納得したけど同時に爆笑してしまった>地元の野球贔屓
で、しまいには 「勝負は時の運だが、気迫では負けていなかった」とか何とか
「負けと思ったほうが負け」の辻政信の系譜は現代にもかw
>>負けと思ったほうが負け 敵味方の被害の大きさを正確に把握できない以上、 士気の保持の目的にも沿うので問題なし。
野球オヤジども・・・・
>539 なんとか敵の被害を計るのが仕事だろうが。
>539 で、潰したはずの敵砲兵に叩かれて「こんなはずじゃなかった」とやったり、 壊滅したはずの敵機動部隊にぼこぼこに叩かれたりするわけね。 それが「参謀」なんだったら、小学生にでも勤まるよ。 それこそ黒丸大尉じゃないが、「その飾緒で首つって死んでしまえ」と現場 に叩かれても文句はいえんだろう。
>>542 問題は敵砲兵を全部破壊したと言っている人間が誰も居ないことではないかな?
航空部隊を大量投入で
日本の航空隊は九七戦と搭乗員の消耗が酷くてそこまで手が回りません ただでさえ辻の暴走のせいで航空攻撃に中央からの制約がかけられてたわけで
ジューコフ対辻では勝負は最初から見えていた
砲兵戦では圧倒していたものの航空戦では敵航空基地空爆が禁止されていたのが痛かった ソ連軍は一方的に空襲してきたのに。日本軍は初期にはソ連軍の飛行場を空襲して 制空権を確保していたのだが、空爆が禁じられてからは防戦しか許されない状況に・・・・・
それ以前に物量も兵站もな ソ連軍は日本側より兵器の質もよく トラックの大量投入で兵站を維持することに成功
正確には兵器の質は劣るが物量では上だったと。
え゛、
>>546 悪人対決ですね?
ジューコフの方が圧勝です。
>543 「制圧したから大丈夫」といって総攻撃に移ったら、制圧されたはずの敵砲兵に 叩かれたんだから、論外だね。 「全部破壊したとは言っていない」という言葉遊びは、田舎の事務室の中で一人 でやっておけばよろしい。
まあ、単純に考えても 10kmの射程の砲を自軍出発地点の後ろ2kmに置いたら 出発点から8km先までしか撃てないわけで 防衛側は出発点から8km以上先に置いても 日本軍が近づいてくるんだから楽にそれを一方的に叩けるわな。 砲を前進部隊を追って出発地点より前に推進したら 地上戦に巻き込まれてアボーンと。 全体的な砲兵運用つうか機動マネージメントが甘いというか 一個大隊で良いから20km級射程の切り札が欲しかったな。
>>552 制圧していないと認定されていた砲台に撃たれたことは概出ではないかな?
てぇ事は、このスレで一部のポン中…じゃなかったポン軍厨強弁するところの 「我ガ砲兵敵砲兵ヲ制圧セリ」ってのは、 ヘタするとそう思わせておびき寄せるソ連軍の術策に嵌っただけじゃねぇのか? 等と燃料を投下してみるw
実際に無謀な攻勢転移指示して被害増大させているしな。 意図してかはともかく結果からするとそうなるかも…
>>555 ソ連軍としては、増援兵力の到着前に誘引かけたって危ないだけだから
大人しく防御対勢整えてただけじゃね?
で、日本側は敵は怯んでると勝手に誤解して吶喊して自滅したと。
そもそも進んだ土地は兎に角死守、という発想自体が相手にはなかったんじゃ? スターリンが陣頭指揮してたらやりかねんがw
同志スターリン閣下なら 死ぬまで進め。諸君が休んでよいのは戦死したときだけだ。 諸君の進んだ距離だけ、共産主義が世界に広まる。さぁ前進だ。 ぐらい言いそうだ。
「死ぬまで進め。貴様らが休んでよいのは戦死したときだけだ。 貴様らの進んだ距離だけ、八股一宇の王道楽土が広まる。さぁ前進だ。」 を地でやらかしたのが辻だしなぁ…
>>557 8月攻勢の時の日本は防戦に徹していて吶喊なんかしてないが? 7月の話と混同してないか?
7月ごろはソ連軍の砲兵が健在で、それでも攻勢を強行していたが。
>>561 いや、8月23日付で日本軍は軍司令部前進させるほどの覚悟で攻勢を開始したよ
勿論、被害を増大させる結果にしかならんかったがね
>>562 ああそれは8月20から始まったソ連軍の大攻勢の最中に逆襲を試みた時の話し。
でも別にソ連軍の砲兵が壊滅したと思って安心して前進したわけじゃないから。
>>563 そうだね
砲兵制圧、という誤解は数日後には日本側から見ても誤りとわかるレベルだったから
それを元にというのは考えづらい確かに
>>564 ソ連軍の砲兵制圧とは平地の砲兵隊の話で8月頃にはおおむね制圧されている。8月攻勢での砲撃は
コマツ台地などの高台に設置されている砲兵隊からのもので、こっちは未制圧だったのは日本側の
資料にある通り。別に問題はない。
ループ魔の制圧厨はスルーで
まあ7月頃の話と8月頃の話を混在してループさせてるのが居るんだろう。
どうしても時系列を理解できずにループしてる人が居るので
砲兵戦の流れ
7月23日 砲兵戦開始 第一日目
7月25日 第三日の戦果評価、状況
>>419-420 8月中旬頃 高台の砲兵隊を除き、平地の砲兵は概ね制圧
>>418 8月20日 ソ連軍、攻勢開始 コマツ台地の重砲が盛んに砲撃してきた。
これで理解できるだろう。
攻勢転移で使ったのは九個大隊の歩兵程度 発動時には敵の攻撃が強くてさらに削減 これで本当にソ連軍の大軍をどうこうできると思ってたんだろうか?
>>570 しかも、もう日本軍に戦車はいない。
こういうときのための戦車なんだが。
とりあえず関東軍司令部ひいては参謀本部相手に 「頑張ってる」ポーズと既成事実だけ作っときたかったんだろ?
>568 > 8月中旬頃 高台の砲兵隊を除き、平地の砲兵は概ね制圧 >418 「したと思った」、が抜けてるね。確認できないまま「制圧」といっただけの話が 実際に制圧したことになるなら、台湾沖なんかは日本の圧勝だし、日本軍の 航空部隊は何回も全滅しているよ。
一番いい選択肢は後退だが 政治的理由から、そして日本軍がそれこそ部下の命よりw重んじた面子から有り得ない選択だからな
なーに、ジリ貧だじゃあいっそ突撃だは日本軍の習性ですよ その行き着く先が玉砕とそれを美化
>>573 その後も高台以外からは撃ってきていないんだから制圧されてるんだろう。>平地のソ連軍砲兵
>>574 領土をソ連に明け渡すかどうかを判断するのは政治だからな〜 前線の軍人は領土を守るために
可能な限り戦うしかないわけで
所詮「〜だろう」レベルの話でしかないな
>>576 そして、その中央(参謀本部と外務省)が
ソ連と揉めるな国境線は譲歩したっていいと言ってた訳なんだが。
関東軍の皆さんは何故か、それを越権行為だと仰るわけで・・・。
579 :
だつお :2008/03/31(月) 00:43:41 ID:/vU4h+Ri
>>570 大軍ではなく大群だけどな
とにかくは、水さえあればもっと戦えたよ我が軍は
>>580 普通に砲兵を擁護しながら組織的に後退だろ。
勝ち負けは別としてソ連軍も大出血しているわけだからいつか足が止まる。
反撃したければそのときすればいい。
砲兵を裸にしての攻勢移転では砲と砲兵が潰滅する。
しかも機動戦に必須の戦車はない。
どこに後退するのか?って聞いてるんだよ。 第一、歩兵主体の日本軍が自動車化の進んだソ連軍に逃げ足で勝てるわけ?
>>583 ふつう包囲しないかぎり逃げられるものだよ。
足の速い機械化部隊相手でもね。
実際、包囲しないで追撃だけで敵軍殲滅という戦例は少ないでしょ。
>>584 で兵站整えて両翼からの包囲狙ってる機械化の進んだ軍隊
相手にどうやって包囲から逃れるって言うの?
>>585 機械化部隊で包囲はできないよ。
間隙ができるもん。
歩兵で完全に包囲網閉じるほどの余裕はジューコフ先生にもないわけで。
それが証拠に、攻勢移転でみずから包囲網にはまりこんだ日本軍が、
最後に逃げに転じれば離脱に成功しているでしょ。
>>585 敵情不明な地に前進する側と
知ってる土地を一目散に駆ける側では
速度は比較にならんのだ。
逃げるついでに道路に障害物でも置いたら
簡単に足止めされるわけでな。
>>585 バルバロッサでドイツの機械化師団が歩兵が主力のソ連軍を取り逃がしたことを知らないのか?
追撃戦とは退却側が通らなくてはいけない地点に先回りする行為であり。 そして現在地点から重要隘路への最短ルートは 大抵退却側が占有している(道路とかだ) 道路を進む退却側に、道路を使わずして追い抜くことは無理な話だ。 他に追撃に使える道路があれば何とかなるかもしれないが えてして、そういった側道は貧弱なので、大規模追撃部隊の行動には適さない。 偵察大隊だけ先回りしても、下手したら師団規模の後退軍に一撃で飲み込まれて潰されてしまう。
>>588 横レスですが、それは単に包囲側の兵力密度の問題ですよ。
味方歩兵部隊が充分に追随できていない状態も多かった訳で、比較的少数の機械化部隊で広大な地域の包囲を完璧に維持は出来ません。
そんな不完全な包囲でも大量の捕虜は得ていますし、装備は殆ど放棄させていますからソ連軍で無ければ再起不能だったでしょう。
日本軍の場合、そもそも包囲くらいかけたら退却してそれを避ける、という当たり前の行為すら指揮官の自決がいるほどの大事だったわけでの……
>>590 あの時期のソ連軍は組織的に最悪の時期だったから
不完全な包囲でも大量の捕虜と兵器の遺棄が出ただけともいえる。
>>592 不完全な包囲でも逃げ切るためには装備を持ってはいけなかったということでしょう。
装備を持っていては追いつかれてしまうし、重装備ならある程度の道路が必要で、いくら不完全な包囲でも主要な道路を遮断するのは当然ですから。
まあ包囲の不完全さには被包囲部隊より小数の部隊で包囲網を形成している点も大きいので被包囲部隊が組織的戦闘能力を維持して突破できればもう少しうまく逃げ切れた可能性もあります。その場合でも重装備の大半は諦めないといけないでしょうが。
被包囲戦で重装備を棄てずに包囲から脱出できたなんて 最初から組織的な撤退戦を狙ってないと不可能だろう。
まあそもそも 重装備を持って脱出できたとするならそれは 元々包囲が完成していなかったとも言えるわけだが
まあ日本軍の場合は、重装備って何?て感じだが。
全部潰された重砲は紛れもなく重装備だろ
>>597 援護の歩兵をすべて攻勢移転に転用すれば、
重砲が潰されるのは必然だよねえ。
前に出したってのも致命的だよなw
600
タイムトンネル開いて74式を送り込めば勝てたのにな
倍以上の数のT72送られて殲滅だろうなw
3倍程度なら74式が勝つな。
105mmではAPFSDS弾でもなければ貫通出来なかろうがな。 その前にアウトレンジされて終わりだろうしw
送っても操作仕方がわからないってオチだろw
物資の補給が追いつかないってオチ 弾丸作れないぞ当時の技術じゃ
いざとなったらぶつけるまでさw
74式を接収したソ連がさらに発展させた戦車を投入して オブイェークト いかんせん日ソ双方の後方の工業基盤が違いすぎる トドメを刺すならアメリカを味方につけた方が勝つ。
むしろ当時でも製造できそうな安価な対戦車兵器の設計図でも送ったほうがよくないか?
図面があっても工作機械が無い w orz rya 中繰り盤 ボール盤 旋盤 フライス盤 大型プレス ホブ切り盤 溶接機 計測する[ブロックゲージ][マイクロメーター][リングゲージ] は輸入品がほとんど さらに それらの工作機械を動かす 電気を作り出す発電所の蒸気タービンは 米国製ってオチ(具体名あげれば[プラットアンドホイットニー][ゼネラルエジソン][ウェスチングハウス・エレクトリック]のどれか)
君達はほんとに日本人の適性を考えないのだなあ レンドリース船団には五百台ものフォードが積まれてるんだぞ 拿捕して鉄板貼って3個師団に配給すれば、全部機甲師団
>611 んで 「物資の補給」は? 電球は ガソリンは サスペンションは 電池は タイヤは ガラスは ネジは 洗剤は ワイパーは フィルターは Oリングは ミラーは ↓抽象化 ○×は の補給は?
>611 > 君達はほんとに日本人の適性を考えないのだなあ そんな君は 「国家VS国家」の状態であることを考えないのだなぁ。 朝鮮戦争をしている1950年ごろのマッカーサー元帥の発言 「・・・・・ その補給線を絶たないかぎり、相手はけっして降伏しない。 ・・・・・・」 個人のケンカとは違うのだよ個人のケンカとは。 なぜ政治家が優遇税制を設けてまで鉱工業商業を呼び込もうとしているのか考えましょうね。
>611 んなことしても スターリン書記長が 米国にスパイを送り込んで 日米の通商・貿易・物資輸送をストップさせて 当時の日本を孤立させて日本敗北で終わりだなw
>611 お前は ソ連で手一杯の 当時(1939年以前)の日本に アメリカを敵に回すような行動をさせる気かと。 日米ソの鉄関連生産量(単位:万トン)を見てみろ。
>611 仮定する 昭和の日本人が611の提案を実行する アメリカ怒る (風が吹いて桶屋が儲かる)式に 資源の供給を止められて ↓こうなる //www.horae.dti.ne.jp/~fuwe1a/images/syoujyuu/kokara.JPG 戦うとか通り越して もはや「銃の定義」に入るかどうかの問題だなw
>>616 そのページ見てみたが国民簡易小銃(火縄銃)とか簡易投擲器(弓)とか
俺達がイギリスのPIATを笑えないことは分かった
なら全自衛隊を兵站付きで送れば良いな MLRSでロスケもイチコロ
>>615 船団を拿捕するのは、ソ連にそれを渡さないというメリット
それから届かなかった物質を再度贈らなくてはならないアメリカ側の負担
そして優秀な機動力が、乾いた砂漠にしみこむ水の如く、次々と部隊に拝領されていく様子は実に頼もしい
ソ連を攻略したら、対米戦に使う戦車や火器が大漁なんだよ
チハタンなんていつまでも作ってることはないのさ
軍板住民はマジレス好きと言うけども 全力で飛び掛るなぁ
>619 > 船団を拿捕するのは、ソ連にそれを渡さないというメリット 利益(ソ連への妨害)と損害(アメリカを敵に回す)からしてそうでもない > それから届かなかった物質を再度贈らなくてはならないアメリカ側の負担 アメリカにとっては大した負担にならない(ヒント:米国西海岸からソ連のムルマンスク港への物資輸送量) > そして優秀な機動力が、乾いた砂漠にしみこむ水の如く、次々と部隊に拝領されていく様子は実に頼もしい それって日本人が優秀なんじゃなく、アメリカの工業製品が優秀なんじゃ・・・ > ソ連を攻略したら、対米戦に使う戦車や火器が大漁なんだよ シベリアの天候知った上でか?はるかに慣れている現地のロシア人でさえ温度の低さから資源の実用に苦労しているのに? > チハタンなんていつまでも作ってることはないのさ 書かなくてもわかるだろ?(チハが当時の日本の限界値(つか実力以上に背伸びして無理がある状態)、工業力がヘボ過ぎる)
史実の敗北の溜飲下げたさにifに逃げるポン軍厨哀れ。 妄想に溺れるんじゃポン中と変わらんなw
623 :
621 :2008/04/10(木) 01:06:59 ID:???
いけね書き間違え ×米国西海岸 ○米国東海岸 ニューヨークやノーフォークからの輸送船の数を調べよう(ソ連あてへの輸送船)。
>>620 そりゃ戦力の集中投入は戦いの大原則だからねw
逐次投入しか出来なかった日本軍がソ連側の集中投入した戦力に、
遂に抗しえなかったノモンハンの戦訓からもそれは自明の理。w
1939年の日本に 1940年のアメリカ合衆国並みの 国力があればなぁ。 レンドリソースってすげぇ(豊富という意味で)。 自分で突っ込むと そんな工業力があったら日本発の恐慌生むけどね(需要の不足)。 島国で需要が少ないからね(日本国内の移動距離が少ない>アメリカより)。
>>625 その為の改造論ですよ。
全国津々浦々まで高速道路をだな。
ってか、日ソ開戦なんかしたら中国人の思うツボだろ。 あの恐ろしい地獄の大車輪・97式中戦車チハがシベリア送りになるのだから♪
>626 また田中角栄か!!11!
>>627 それは対中国向けだから、対ソ戦用には専用戦車を作るでしょ
技術はあるのか? 資材はあるのか?
無い。ついでにいえば工夫する気も、そもそも戦車を活用しようって思想自体が無い。歩兵支援やってりゃよし程度。
航空機生産を犠牲にするなら可能だが。
無理だろ。航空機のリソース転用しても戦車と全く共通の技術資材でやれるわけじゃないんだから。 第一蓄積が無い。 相手は既にT34出現前夜だし、一式中戦車程度じゃ前倒ししてもボコられて終わり。
対ソ戦用の戦車は四式以降だったはずだが
>>629 射程50キロの41センチ砲を配備しておきながら無駄になったのは至って残念
昭和18年中に宣戦し、この砲を放ち、一軍を差し向けて沿海州を分断し
連合艦隊が浦塩を封じて三ヶ月ぐらい降伏を促したら、切り取れたものを
>>634 1945年ですら試作あわせて一桁しか生産できなかった戦車でどうしろと?w
航空機のリソース転用じゃなっくて 予算からやり直しって意味だ。
無理。カネぶっこんでも技術蓄積と戦術思想は生まれない。
>>632 それでどう制空権を確保するんだ?
>>635 その「一軍」とやらをどこから動員する?
その規模と装備と運用は?、
かつ当時の日本にそのような「一軍」が編成可能か?
可能ならその根拠は?
願望と可能は別物なんだよ。
>>634 四式はT34の情報に対する回答ですが、元々日本陸軍はソ連が仮想敵国の第一位ですからそれ以前の戦車も本来対ソ戦への使用をも前提にしています。
新砲塔チハの存在もノモンハンで対決したBTとの戦訓に基づく部分が大きいと考えられます。
T34相手じゃ四式でも勝てないだろ。 それ以前に生産数とか、試作が完成するのが敗戦直前とかの問題もあるし。 だいたい四式の砲はボフォースのコピーだから、中国戦線で鹵獲品の数が揃うまで技術蓄積すら開始できんし。
四式は元々間に合わせ的戦車。本来の主力は五式戦車で、それに加えて重駆逐戦車として 目標貫徹力200mm/距離千mの105mm砲搭載車を整備する予定だった。
>>640 > 四式はT34の情報に対する回答ですが
いや四式は独ソ戦の情報に基づきKVが対象。距離千mでKVの前面75mm装甲を
撃ち抜くための主砲。
いよいよもってifに等しい皮算用かよ。
そもそも、航空を犠牲にする時点でイフものなのだが?それが何かね?
なんで銃後の日本にそんなややっこしいものをつくらせたがるのか チハの車体は極めて優秀なんだから、改三ハ砲+防盾でどしどし送ればよかろう
つーか普通に航空機で戦車攻撃しようや。
レシプロエンジンだから難しい そもそも爆弾の構造が違う。 ベトナム戦争が参考になるかと。 あらゆる対象(機械)に使える「陸海海なんでも破壊できる兵器」ってのは理想だが 実用的じゃない。
>>644 皮算用ってw 兵器と言うものはナンとなく適当に作るのではなく
相応の開発目的を持って作るのだよ。
独ソ開戦以来ドイツから入ってきた情報によると、ソ連の新型戦車「KV」の装甲は75mm以上で、これを撃破できたのは 八八ミリ高射砲の徹甲弾か、一〇センチ砲以上の徹甲榴弾だけ。 そこで、このKVを撃破するために必要な威力を持つものとして、四式中戦車の主砲が決定された。 更に将来現れると想定される新型重戦車の、その正面装甲は二〇〇ミリ以上と言う情報も入ってきた。 そこで将来の連合国重戦車に対抗するために開発されたのが新開発の105mm砲と、これを搭載する車両(ドイツ式に言えば駆逐戦車)
>>638 予算さえあれば、少なくとも徹甲弾は数ランク改善できたんだが。
>>646 初速558m/sのソ連76mmL-10の貫徹力が
90度で500m/61mm、1000m/51mmなわけで
三八式が一式徹甲弾使ったら500m/sぐらいしか出ないんだから
500mで60mmに届かないのは確実だろう。
そして47mm速射砲は500mで70〜65mm行くんだから
三八式野砲搭載チハと、47mm搭載チハでどっちが上かは明らか。
>>650 もっともチトは途中まで長砲身57o砲搭載で開発されていて試作車まで出来ていたから本当にKVを最初から対象にしていたかといわれればちょっと怪しい。
史実の形に方針が変更されたのは43年半ば位からなので、チヘorチハ改をBTへの対策、チトはその後継への対策と考えていたのではないか?
むしろ最初から75o砲搭載を目標にしていたチリこそがKVに対応する戦車だったように思える。
>>653 確かにチトは開発当初はBT相手だったのだが、独ソ戦の状況から急遽KV相手の
戦車へと開発方針が転換されている。併せて主砲も強力なものに変更。
>>647 シュツーカとかシュトルモヴィクとか、普通じゃない航空機しか
対戦車攻撃には使えませんさようなら
>>655 満州の104戦隊は無視ですかそうですか。
相手は80ミリ以上のクラスを当然のように搭載して大量生産やっている時代にようやく75ミリクラスの試作、だからなぁ
量産云々はともかく 当時の陸海軍含めた技術で対抗しえる戦車の開発は可能だったの?
無理。BT7にすらかなわないチハが終戦まで実質主力のままだった体たらくを見れば潜在能力のほどもわかろうというもの。
量産を前提にしなければまあなんとか しかし日本の港湾のクレーンで積み出しできる重量はチハたんが限度なので 対抗できる戦車を作ったはいいが生涯を日本本土で終えることになる
当時の船舶は港湾のクレーンで積み下ろしなんかしてないわけだが。
>>661 勝てないだろ
無印チハのように、砲撃直撃させても全く効かないよりはマシ程度の改善に過ぎんから
事実です、残念ながら チハ改は主砲を換装しただけで、他の問題は一向に改善されていません BT7の主砲のほうが射程・威力で上ということはかわってないし つまり絶対的絶望が接近して当てればなんとか、程度になったぐらい
>>665 防御力は大分違うぞ。
厚みも材質も差が有るし、避弾経始もかなり違うわけで
BTでチハの前面を抜くのは、それなりに近づかないと駄目だが
47mmがBTに当たれば、かなりの距離でも抜ける可能性があるわけで・・・。
>>666 それは日本軍自身の試射の結果にすら反する
問題は日本軍の砲弾の弾頭の質が悪いという最後まで解決できなかった要素
傾斜装甲の効果を無くす被甲帽砲弾もなく、弾頭は装甲に当たると貫く前に自分が砕けるレベル
>>667 >>665 >>667 チハ改の47mmは1000mでM3の正面装甲を貫徹している。
M3より薄いBT7を抜けないわけがなかろ。
どうしてこう禄に調べもせずに日本軍を故意に貶めたいのかわからんね。
>>668 実際に試射して抜けなかったんだから仕方無いべさw
冗談はさておき、傾斜装甲の効果だと思う。砲弾滑らされると、計算上では貫通できるはずなのに効かないとか。
だから傾斜装甲が世界の戦車のデフォになったわけだしね。
BTみたいな薄い装甲では傾斜装甲は意味がないんじゃなかったか?
日本の砲のレベルなら意味あるんだろ。でなければ装甲の質が、日本の砲弾よりずっとよかったとか。
「敵を知り味方を知れば百戦あやうからず。戦車対戦車の戦闘は、彼我戦車の戦闘性能に最大の影響を受ける。敵戦車はBT(7)を我は97式を想定すると、敵は射程距離1500mで我を貫通できるのに対し、我は彼の側面装甲を500mで貫通できるのみ。 そのときの命中率は3発につき一発、彼は1000mで我を良く二発に一発で命中するであろう。BT戦車の戦場速度は97式の1.5倍。戦車の装備数から、常に敵の1.5分の1以下で戦うことを常態とするであろう。....この逆境でいかに勝利を獲得するか」 (日本戦車隊小林中佐の操典案)
ぶっちゃけ陸の戦艦だよな
>>669 だからその傾斜度合いは、新砲塔チハのほうがえげつない上、厚い訳だが?
しかも57mmと47mmを混同してないか?
スペック上直角に当たれば1500でも25mm抜けるだろうさ。
で、どうやったら直角に当てられるんだ?
都合の良いところだけ抜き出すなよ。
直角に当たれば可能性として1500でも抜けるかもしれないというなら
BTなんか47mmに2000でも抜かれるわけでな。
アメリカ軍はチハを撃つ時、弾が勿体無いからって機銃で撃って撃破していたぐらいだからな 勿論、全部がそうだという話じゃないよ そういう話が成立する程度の戦車だったってこと 中国軍の37ミリにすら正面装甲抜かれているしね
>>674 計算上なら抜けるが、実際に撃てば…だからな
日本軍の官僚的体質のために紙の上だけの数字を重視して実地の威力は後回しだから…
新砲塔チハの場合、装甲の質が悪いからまさに傾斜なんて意味ない、レベル
それ以前にリベット溶接だから衝撃喰らうとそれが飛んで中の乗員殺傷とか分解とか泣ける状態
>>669 >実際に試射して抜けなかったんだから仕方無いべさw
いつ九七式中戦車改がBT7を試射して抜けなかったんですか?
M3に対してはフィリピンの事例を知っていますがこれは初耳なので
できればソースをお願いします。
>>676 >日本軍の官僚的体質のために紙の上だけの数字を重視して実地の威力は後回しだから…
それはソ連軍も同じですね。
カタログ性能で劣るレンドリース兵器が珍重される軍隊ですから。
坂が登れなくて、鹵獲スチュアート「軽」戦車に引っ張り上げてもらうのが栄光の97式「中」戦車改だからな
ソ連の45ミリ戦車砲を防ぐには、製鉄に優れたドイツですら50ミリクラスの装甲を用意しないと駄目だったからね
日本軍自身、これじゃ駄目だとより大口径の高初速砲開発に着手するが 口径を10ミリ増やした砲の試作すら失敗 結局、中国軍から鹵獲した欧米製の砲が手に入るまで実質停滞だからな
そもそもそんなチハ改すら、太平洋戦争で改めてM3クラスに苦戦するまで生産に着手しなかった件。 無い袖は触れないよw 泥縄につぐ泥縄の典型
そりゃ優先順位が低いから当然。 太平洋戦域で航空機よりも戦車の生産を優先させる馬鹿な国はない。
大陸で大戦争をやってる最中なのに、海軍予算も増大する一方だったのはバカな国の証明ですな。
そうだ、海軍の長10p砲にキャタピラをつけて走らせれば!
>>685 その珍理論なら
戦争すら起こしていないのに海軍予算が増大する一方だったアメリカはもっとバカな国になりますな。
>>687 その代わりアメリカ陸軍はショボショボプーだったろ。
むしろ戦争しているときこそ大して必要のないところの予算を削って戦争を有利に導けよ。
米陸軍も30年代は着々と拡大していたが。 無論、参戦後の拡大とは桁違いだが。
>685 ソビエト連邦を孤立化させるには 水上が便利。 海で河で川で湖で海峡で。 本来、大英帝国の海上力(海軍、海運)の仕事だが 当時(1920-1930年)の大英帝国には豊富な国力が無い。 日米が海の権力の空白を埋める必要がある。
海の上の覇権を握ろうと思うなら、 大英帝国海軍の拠点はとても参考になる。 マラッカ海峡 セイロン港 スエズ運河 ケープタウン港 ジブラルタル海峡 マルタ島 クレタ島 キプロス島 香港島 シンガポール港 フィジー島 ドーバー海峡 ホルムズ海峡 etc --------- 英米国が日本国と同盟を組んで得られる抽象的利益も 「海」からの牽制ができるから。(具体名あげれば、呉、舞鶴、大湊、横須賀、佐世保、(入れるべきか対馬))
クリスマス島 アシュモア・カルティエ諸島 コス (キーリング) 諸島 (Cocos (Keeling) Islands) ノーフォーク島 も忘れないでね。 背後から牽制して気を取られる こういった大量の海軍後方支援基地があるから、 太平洋戦争全般で最終的な詰めが出来ず、途中で勝敗が逆転した。
>>691 よそのスレで説明されてもまだ解らんのかお前は。
同じ「水面」でも、海と内水(川、湖沼)では軍事利用であれ商業利用であれ性質が異なるし、
大陸国故国内に多くの大河を抱えるロシア−ソ連は、海はともかく川については、
他国に勝るとも劣らぬノウハウを軍民双方で持っている。
「便利」って書いてあるだけで 「有利」って書いているわけじゃないと思うんだが。 当時の情勢では 陸から牽制するのと 海から牽制するのと どっちが当時の ソビエト連邦:利益と損害 大日本帝国:利益と損害 に大きな影響を与えられるか。 当時の双方のおおざっぱな人口知った上での発言か? 陸の機械と海の機械ではどっちが輸送効率が高いか? 陸関係で日露関係が逆転する要素ってそんなに多いか(個人主義的思考だけど)。 軍人さんだって人間、長期戦考えるなら人間負担は陸と海どっちが効率がいいか。 個人のケンカじゃなく、国家の戦争ってこと考えるとねぇ。
ノモンハン戦研究序説第3章 ://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1201227093/l50 ミッドウェー海戦大勝利で戦況はどう変わったか 4 ://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1205147516/l50 陸主体であるはずのノモンハンで海の話題で盛り上がる(クリスマス島) 海主体であるはずのミッドウェーで陸の話題が盛り上がる(満州の兵力) 件について。 いやまぁ、どっちも巨視的には関係あるけどさ。 --------- 陸が無いことには海軍は物資が調達できないし 海が無いことには陸軍は大量輸送ができないから 陸海どっちも大事なんだけどさ。 仲が良いのか悪いのか。 しかし、世界地図的にソ連を詰め切るのって難しい。広大な領土(資源付き)
>694 大砲を撃つことが目的か? 孤立させることが目的か? 孤立させることが目的なら ソ連を孤立させるには 海から包囲するのと 陸から包囲するのと どっちが当時の現実的か? おおざっぱに ソビエト連邦1億6200万人(1937年頃) 大日本帝国8000万人(1939年頃) 双方の 海・水に関するノウハウと陸に関するノウハウ どっちの方が見込みが高いか(ここまで行くと数字の実証じゃなく、個人の主観・思想の問題だけど。)
解って無ぇなぁ 同じ「水」でも「海」と「川」は別物だって話だろ。 で、海から包囲しようにも、日本の実力で閉鎖可能なのは沿海州沖の太平洋だけで、 それも米に喧嘩売るリスクを背負った上で、 しかもたいていの資源製品を自給可能なソ連・ロシアにとっては、 史実の様に反対側でドイツが奇襲仕掛け軍、工業共に大打撃を受けない限り、 たいしたダメージにはならないし、そのような最悪の想定下ですら、 他の援ソルートが機能する限り大勢に影響しない。 精神論や机上プランの域を出ない計画兵器の皮算用しか語れないポン軍厨に比べ、 工業や資源、地勢って視点が有るだけ見込みの有る奴だとは思ったが、 所詮海洋国家=海運・海軍中心と、大陸国家=河川水運・艦隊中心 の区別が付かない様じゃ、 どうやら少々買い被り過ぎた様だなw
とりあえずここに [伏見(ふしみ)砲艦] 1906年進水、1935年除籍 おいておきますね。 [隅田(砲艦)] ------ 政治が絡むから資料(川をどこまで遡ったのか信頼に足る資料がほすぃ)が混沌としていて 判断に悩むが。 行かないというには、途中まで行っているし 行ったというには、中途半端で企画倒れの感じもする。 内陸河川に興味があることはあったのは確かだと思う>日本海軍。 でなきゃ、砲艦をヤーロー社に注文しないしな。 2隻しか見つからないから河川上の水上作戦をどこまでやる気だったか分からないが。 長江での技術習得中に日米関係の方が忙しくなったし。 俺の知らない問題があるのかな?アムール川一帯 政治はカオスすぎる。
さらに混乱させよう。 アメリカ海軍の砲艦 ・ルソン(USS Luzon, PG-47) ・ウェーク(USS Wake, PR-3) ・パナイ(USS Panay, PR-5) 長江で活動した。 味方であれば気にならないが、 敵か味方かわからないと在満州の日本軍は混乱するな(ルーズベルト大統領の思想しだい)。 後方から輸送網を断ち切られて孤立しちまう。 いつの時代でもカオスな 上海、長江一帯
アムール川 長江 黄河 タタール海峡(間宮海峡) 政治の道具だから、 数字(温度、流量、流速、底と水面の高さ)がバラバラ。 確定したかと思うと 拡幅工事したり、埋め立てて小さくしたり、 数字を載せたくても やりにくくてしょうがない。
誰か日本の船関係の数字のっけて。。 調べていたけど、いろいろ絡んでどの数字が実態か分からなくなった。 --手がかり始め-- ・ワシントン海軍軍縮条約1922年 主力艦が 米国52.5万トン 英国52.5万トン 日本31.5万トン ・ロンドン海軍会議1930年 ・さらに接収やスクラップや動態保存や爆破事故座礁事故 ・総花的には600万トン(軍民の区別あるのこの数字?)ぐらいらしい --手がかり終わり-- そろそろどうでもよくなってきた
砲艦列伝 www.down.ne ドット jp/ish/ijn/gbhist/index.htm 中には三峡(長江)まで行った艦もあるらしい。 --------- で三峡ってどことなると お約束の政治のあか 三峡ダム tp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%A1%E3%83%80%E3%83%A0 1993年か、俺まだ義務教育中だ。 数字がころころ変わりやがる(半泣)
さらに温暖化で 凍結してて当たり前だと思っていたところが溶け出したりして(頭痛)
プラス 学校の先生が言うには 技術が未熟で計測機械(温度計や巻尺や枡や圧力計や時計や硬さ)の誤差がすごく大きいから 「数字」を見つけたと思ってもうのみに出来ないややこしさ。 [ °C ]の定義なんて100年スパンで見れば変わっている。 ガロンは国によって定義が違うし(米ガロン、英ガロン) ああ、馬力もか(英馬力、仏馬力) 頭が熱くなってきた・・・・ 誰かタイムマシーン作って。
さらに 船の燃料(石炭と石油)の切り替えと重複する時期 だから燃料調達先の政治情勢も考えないといけない。 戦前の日本経済はどうなの 6 tp://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1207481483/192 ABCD+F A america石油つながり B biritish 石油つながり C china 石炭つながり D dutch 石油つながり F france 石炭つながり ABCD+Fの内、AとCを除く[BDF]はドイツの影響をもろに受けるorz 日本の鉄鋼はアメリカからの調達だからアメリカも知らないと(1929年に大恐慌) 軍事超えて経済学の影響 もう北半球すべてを知らないと無理(俺には無理)
>>699-701 ではお返しにアムール小艦隊(司令部ハバロフスク、
:アムール・ウスリー・スンガリー各川を管轄)の主要砲艦の要目をば
(出展:A.ShIROKORAD著"KORABLI I KATERA VMF SSSR 1939-1945"
2002年ベラルーシKhARVYeST社刊 ※原文ロシア語。携帯じゃキリル出せんw)
「シュトルム級モニター」(1907-09年に 7隻就役)
・基準排水量:960トン(就役時)-1100トン('45)
・最大時速:16粁(遡航時)−27粁(下航時)
・武装('30年代):50口径120ミリ砲×4
(トリアンダフィーロフ及びビューガの2隻はうち2門が50口径152ミリ砲、シクウァル、ビーフリの2隻は85ミリ戦車砲×4門)
、37ミリ機関砲×2、12.7ミリ機関銃×4
「アクチブヌィ級モニター」(‘34年に一隻就役)
・基準排水量:250トン
・最大速度:13.3粁−23.7粁
・武装:45口径102ミリ連装砲×2基、45ミリ速射砲×4門、7.62ミリ機銃×2基
>>665 陸軍が実射試験をしてみると、国産47ミリ砲はBTの45ミリの倍近い貫徹力を発揮したんだが?
どう見ても日本勝てないな…… ソ連に仕掛けるのは自殺以外何ものでもない
>>708 続き
「ブリャート級砲艇」(‘18−20年に2隻就役)
・基準排水量:180トン
・最大時速:23.5粁−10.5粁
・武装:40口径76ミリ砲×2門、45ミリ砲×2門、7.62ミリ機銃×5、機雷×80個
「クラスナヤ・ズベズタ級砲艇」(‘20年に1隻就役)
・基準排水量:318トン
・最大時速:28、1粁−13、4粁
・武装:56口径100ミリ砲×2門、45ミリ砲×2門、12、7ミリ重機×2基、機雷×20個
「クラスナイェ・ズナーミャ級砲艇」(‘20年に2隻就役)
・基準排水量:344トン
・最大時速:10粁−22粁
・武装:56口径100ミリ砲×2門、30口径76ミリ砲×1門、12.7ミリ機銃×2
いい加減面倒になったのでこの辺で止めとくが
、他にトン、主砲76ミリ×2門クラスの砲艇が8隻、
76.2ミリ戦車砲塔×1~2に12.7ミリ重機×1、7.62ミリ機銃×2、機雷×10個搭載の各種砲艇が、
'40年までに47隻就役し、大戦勃発後は更に26隻増加した事を指摘しておく。
大陸進出後付け焼き刃で急ごしらえした日本の河川艦隊や、
その傀儡に過ぎない満州のそれとは質量共に桁違いなんだよ。
満州国軍の水上戦力 「定邊」「親仁」「順天」「養民」 ------------ [「大同」「利民」]->[東北造船所(松花江岸)(日本の東北じゃなく、中国の東北)] -------- 漢字圏に同名が多くて混乱してきた。 ---おぼえ書始--- 大同型(河川用砲艦) 全長 30.5M 全幅 2M 喫 水 0.8M 排水量 65ton 速 力 13knot ---おぼえ書終--- ---おぼえ書始--- 定邊(砲艦) 全長 54.6M 全 幅 8.8M 喫 水 2.2M 排水量 290ton 速 力 12.5knot ---おぼえ書終--- やはりソ連より何回りか小さいか。 第一次五カ年計画で設備を切り替えたからなソ連は。日本は明治時代のしがらみを引きづるしなぁ。
>>711 の「他にトン」部分に数値補足→230〜340トン
英国はロシア革命以来、欧州方面である自分だけで手一杯だし 他国に工業製品をまわす余裕のある アメリカ(工業力40%)の上層部は親[ソビエト連邦]の状態だしなぁ. 日本は本来の仕入れ元である西欧・北米と通商すべきだがソ連がスパイ送りまくったし。 通商封鎖うけて日本の工業製品はWW1からあまり進歩していない。 無理かorz
715 :
名無し三等兵 :2008/04/13(日) 20:57:45 ID:kRNMCCsq
師団あたりの兵数・装備もソ連のほうが上だしな。 ソ連軍の一個師団の定数は2万数千。 世界的に見てもかなり大型の上、重砲連隊も常設されているという大盤振る舞い。 (無論、定数上の話ではあるが。独ソ戦が進むと重砲は不足から固有より外され、兵数も9千と極端に小型化)
716 :
名無し三等兵 :2008/04/13(日) 21:03:17 ID:J/ZS3sXk
>>712 >>708 >>711 の就役年を見れば解るが、殆どは帝政末期〜国内戦期の建造。
つまり帝政時代からロシアには大河における水運及び軍事利用のノウハウがある。
ちなみに似たような規模及び性質の「河川艦隊」は、戦中ソ連には計10個あったが、
残る9個艦隊は全て欧州及び中央アジア方面の諸河川・湖沼に配置されていた。
ソ連は土地が広大だから 工業に有利な側面(環境規制をあまり気にしなくていい・すみわけが出来る・危険な実験が出来る)あるからねぇ。 広すぎて輸送に時間がかかるという不利な側面もあるけど。 水力発電の候補(ボルガ川ドン川、オビ川、エニセイ川、etc)もいっぱいあるし(工作機械に好都合)。 --------- 対して日本本土は 川が発電に向くのかどうか(飲料水、農業用水と競合を起こしちゃう)。 人口が密集しているから設備を立ち上げる場合は環境技術を投入してやらないといけない。 工作機械も土地の制約を受ける。 工業力がなぁ。工業用地の確保で有利不利がなぁ。
ソ連は、ドイツがヴェルサイユ体制下で軍備再建を試みた時。土地貸す代わりに技術を得たとかいう政治工作の結果もあったからね。 よりによってそのドイツに攻撃されるハメになるわけだが。
>>712 別スレでの話だと台湾の人だそうだからおまけの話を付けると、
>>708 のシュトルム級モニターの一隻の艦名が”Sun-Yat'-SYen:孫逸仙
(=孫文の別名)だった事もある。('27-47)
ちなみにこの”孫逸仙”号、'45年の対日戦時、チャムス近辺での砲撃により戦功を挙げ、
8月30日に”親衛”の名誉称号を授与されている。
720 :
だつお :2008/04/13(日) 21:50:23 ID:5BmH6GLd
>ソ連は土地が広大だから 土地が広大ってなら、中国だって土地が広大だよ。問題は土地事情でなくて人間事情。 ソ連がドイツに勝利してベルリン入りできたのは、ロシア人の科学力が優れてたから。 ちなみに中国の場合は中国人というチンピラゴロツキが涌いてくるだけで、 工業と呼べるものは何一つ育たなかった。
>>674 遅レス+横レスですが、チハ改の大半はチハと同じ装甲厚で、要部に25o増加装甲を装着して計50oにした装甲強化タイプは小数に過ぎません。
また被弾傾視についてもチハもそれなりに考慮されていますが、BTは写真を見ていただければわかるように、より徹底した傾斜車体となっていて明らかにより考慮されています。
BT5なら装甲厚でチハが勝り、角度でBT5が勝り優劣は微妙ですが、装甲厚で同等のBT7では残念ながら相手が同等以上であることを認めざるを得ません。
BTの装備する45o砲は日本でも鹵獲されていて、チハの実車に対して射撃試験され、1500mから完全に貫通するという結果が出ておりほとんどのチハ改はこれと同じ状況になります。
対してチハ改の47o砲はBTの45o砲を上回る威力で恐らくはBT7の正面に対して相当の距離から貫通可能と考えられますので特に不利ではないと思いますが、総合的に両者の直接対決はほとんど互角になると考えられます。
>720 人口密度といえばよかったか。 中国人 組織のためには戦わない。自己の利益のために戦う(血族や出身村)。 三国志や国共内戦みたいによく戦うこともあるが所属組織のためじゃなく、血族を食わせてくれるから。 ドイツ・イギリス・アメリカ・日本が世界的には特殊(契約を重視する)。
ついでに47o砲が一式徹甲弾でどれくらいの距離でBT7の正面を貫通できるかは尚考察が必要です。 50o均質鋼鈑に対して90°で400m/sが不貫通限界なのに対し75°だと500m/s、60°では800m/s。 表面硬化鋼鈑に対しては90°660m/s程度に対し75°でも670m/s程度、60°になると710m/s位、40°付近で800m/s位。 BT7は正面22oですが、ドライバーズハッチ付近は72°、それ以外は30°。(チハは81°〜62°) 鋼鈑種類が不明なので一概に言えませんが、もし表面硬化甲鈑だとして ドライバーズハッチ付近は1000mでも容易く貫通出来ると考えられます。1500でもいけるかもしれません。 しかし30°の部分はもっと近づかないと恐らく無理です。
季節の変わり目になるとノモンハンとインパールのスレがにぎわう
錬度では明らかに日本の戦車兵の方が上なんだから 戦車の性能が同等ならチハ改>BT7で決まり。
>>725 それは特に否定はしませんがそもそも数が違う上にチハ改は決定的に揃う時期が遅いので。
サイパンで戦った戦車第九連隊でさえチハ改は数輌しかなかった体たらくですから。
そりゃ航空戦と海戦主体の太平洋戦線でチハ改ばかりを優先して生産してりゃ史実以上に充実しただろう。 無論、史実以上の批判を浴びることは疑いないが。
>>727 航空機に生産の重点を置いたのは正しいと思いますが、チハ改についてはそもそも砲の生産能力が低かったことが大きいと思われます。
なぜならチハ自体は太平洋戦争開戦後の昭和17年度、18年度と年度単位では戦前よりむしろやや多くの生産実績があり、戦前からの累計で見ても生産されたチハの約半数は開戦後の生産であるにもかかわらず、チハ改の数はなかなか揃わないのが実情です。
729 :
名無し三等兵 :2008/04/14(月) 10:24:29 ID:iUsjm1qM
オレ従来敗北の最大の原因は「日本軍の戦車が対戦車戦闘に向いてなかったからだ」って思い込んで 来たけど、wiki読んで考えが変わった。日本の戦車って主砲意外はソ連戦車に必ずしも劣ってなかった んだね。ソ連戦車も工業的なクォリティは日本のそれとドッコイドッコイだったし、何より97式戦車が 両軍戦車で一番装甲が厚い(!!)ってのは意外だった…(;;;) 通説である「BTに対し火炎瓶はガソリンエンジン車には有効だったが、ディーゼルエンジンに換装してからは 効かなくなった」ってのは根拠の無い話だし、「関東軍上層部はこの戦いの敗因について何も研究しなかった」 というのも俗説で、一応はちゃんとしてたんだね。 結局この戦いの最大の敗因は、一重に両軍の数量の差、だったんだね。 ソ連軍は数では圧倒的だったが、その内実はバルバロッサ初期同様有能将校不在で機能不全の軍隊… 泥沼日華戦争でノモンハンに戦力裂く余裕が無かった、ってのもあるけど、国内(満州)重工業を 充実させない内から領土欲ばかり先走りで関東軍の暴走を許すからこんな事になるんだな。 鞍山製鉄みたいな重工業の大企業の誘致・育成にもっと国策として力を入れてれば…
なんかひとつあげるなら輸送能力の欠如でしょ
日英同盟の解消(1923年)も痛いな 大英帝国からの{技術・物資}の調達が難しくなった。 日本の造船力や海軍制度が白人世界と比較してどの水準に有るのか分からない。 広大な植民地を持つ大英連邦からの資源の調達でもやりくりしにくい状態になった。 (具体的品目挙げればゴム、錫、ボーキサイト(代用もあるけど・・・・同盟状態に比べればやはり手間が増える))
732 :
名無し三等兵 :2008/04/14(月) 17:12:04 ID:UztQaM+u
> ソ連戦車も工業的なクォリティは日本のそれとドッコイドッコイだったし、 ぷぷぷ何ゆめ見てんだよwww 日本が誇る世界最高級の戦車チハは、ばら蒔かれたピアノ線をキャタピラにからませてしまうと、 走れなくなるという最高に非力なエンジンを積んで痛んだよんwww そこを無理矢理走らせようと吹かすと火を噴くという、例によって三菱のお家芸だったのさ 仕方なく、兵士たちが動けなくなったチハを、一生懸命に押して敵陣に突撃しようとしたんだよ、 まるで陸のカタツムリwww歩兵支援車が歩兵に支援されて、どーすんのwwww もちろんソ連のBTに容赦なくボコボコ狙い撃ちにされるんだよな当然www、 日本兵たちは必死にチハの陰に隠れようとするんだけど、チハはコンパクトだからさ、 どうしてもひとりはみ出てしまうんだよww 銃弾の雨の中、必死に押し合いへし合いして身を隠そうとする日本兵たち、 人生最後の椅子取りゲームだ、やれ押せそれ押せワッショイワッショイwwww でもそんな事情にはかまわずに攻撃を加えるBT、まともにそんな直射砲撃をくらって、 後ろに隠れている日本兵ごと吹き飛ぶチハなんて、マジすげー笑えるんですけど、何か?wwww
商品の単価が1万円以上場合、消費税の税率を8%にする。 商品の単価が1万円未満の場合の消費税率は現行のまま税率5%に据え置く。 これが最善の消費税率。
735 :
名無し三等兵 :2008/04/14(月) 21:09:25 ID:6EfY6eWw
>>734 そのコピペは全く意味は無いかと。
日本戦車は実質数日間の戦いで損害続出で引き上げられているのに対し、ソ連AFVは最後まで戦線で戦い続けていますから。
損害も多数出していますが、戦闘日数を考慮すればわからない数字でもありません。
戦車戦では日本戦車が有利だったのだが・・・・
737 :
名無し三等兵 :2008/04/14(月) 21:25:09 ID:8mMK5yZk
>>732 ピアノ線がキャタピラに絡まったら走れなくなるなんて、クルスク戦の
パンターもそうだったけど。
エンジン出力だって九十五式とかはT-26のそれより上だったんだぜ。
…流石にBTにゃ負けるが。BTのエンジン出力って当時の同時代の戦車としては破格だな。
>>736 そのような回想もありましたね。
最近ではソ連側の資料も出て来て、少々怪しくなってきています。
まあそもそも戦車戦自体があまり無かったようでもありますが。
動いてると全然当たらないし、砲や照準機の精度も悪く命中率も低いから 機動戦闘では日本戦車のカモだったって。BT
ノモンハンあたりまで来ると どっちも本国から突出しすぎていて燃料がギリギリの状態。 だから燃料効率の高い鉄道に血道を注いだわけで。 鉄道と自動車じゃエンジンスペースが違いすぎる。
>>739 当時の戦車には有効な行進間射撃能力は確かにありませんね。
日本側には肩当式で調整云々という話もありますがこれはソ連軍でも旧式化した37o砲では同様の機構を採用しており、古い低圧砲では特に珍しい機構でもありません。
前スレで両軍の「戦車戦」の記録すり合わせが行われていますのでぜひ御一読を。
>>741 前スレにはBTも走行射撃できたと言う話が出てるの?
89式戦車の短砲身砲でもノモンハンでは結構ソ連の戦車を撃破してたよ。 薄い装甲のブリキ缶見たいなBT戦車。
744 :
名無し三等兵 :2008/04/14(月) 22:00:04 ID:8mMK5yZk
>>731 もっと言うなら、そもそもアメリカを怒らせたというのがスゲー痛いな。
もともと日露戦争でアメリカが日本を応援したのは満州の権益のお相伴に預かりたかったからで
、それを日本が欧米資本排斥して権益独り占めしたもんだからな… アメリカ資本受け入れてりゃ
産業育成も順調に言ったし、リットンの調査報告ももっと日本有利な物になったかもしれないし、
軍事・経済の両面においてアメリカの協力が受けられたのに…
>>742 肩当て式に関する資料は前スレかどうかわかりませんが過去に提供してくれた方がいましたね。
因みに言えば肩当て式だから行進間射撃が出来るというとちょっと本末転倒で、低圧の低威力砲ではこの方式が出来るのですが、日ソ共に45〜47oクラスでは放棄した機構でもあります。
前スレでのすり合わせは戦車戦でソ連軍戦車多数を撃破したと報告されていた戦いについて相手側の記録も出て来て多くの誤認があったことが明らかとされています。
またそもそも戦車戦自体があまり発生していないようでもあります。
ではでは。
>744 けど日米が仲良くなっても スターリンおじさんがスパイ送り込んで離間工作して史実と同じ状態になる予感
つか軒先を貸して母屋を盗られるのがオチだろう。
なんだ、重砲制圧小僧が誰も自分の嘘に乗ってくれないから、戦車戦日本勝利厨に切り替えたんか。
だいたい日本軍の戦車運用ってヘンだろ 戦車団を送り込んだはいいが、歩兵・砲兵との直協無しで突出して叩かれている 歩兵支援としてもおかしい
ノモンハンの戦訓から、戦車戦で絶対不利を悟った日本軍の回答の一つが重戦車開発。 大イ車はそのための試作で1940年には試作車体完成。が、当然実用化は失敗。 何しろ重量100トンに達すると見積もられ、ティーガーの二倍近い重さになるというトンデモ兵器。 そりゃ無理だわw
20トン未満のチハクラスすらマトモに生産できず運用にも苦労してたのにアホ過ぎる 120トンクラスの戦車すら試作してただろ。これも負けが込んだゆえの発狂の一種なんだろうか?
>>749 戦車より先に歩兵がくたばっただけだろ。
砲兵? そんなものは最初からいない。
>>749 ドイツ軍だとまず戦車、自走砲、突撃砲、野砲、重砲の火力を集中して陣地を突破。
その後に歩兵が突入して戦果を拡張する。
が、砲の支援がろくにない上戦車の数も少ない日本軍が同じことをやろうとすれば、
歩兵が突入する前に戦車だけやられて終了。
>>749 戦車第四連隊が夜襲した時は戦車単独だったが勝利を収めている。
戦車第三連隊が突進したときは歩兵がいたが敵砲火に釘付けになって、
しょうがなく戦車が前進してピアノ線にやられた。
>>754 夜襲なら砲火力はあんまり問題にならないな。
>>755 まあ夜襲は賢明な判断だ罠。
実際、良好に準備された対戦車陣地に戦車だけで突進すれば、
T34だろうがティーゲルだろうが普通やられる。
沖縄でM4がボロ糞にやられたからな>良好に準備された対戦車陣地
>>749 ノモンハンでの日本軍の戦車運用は特例なんだよ。
日本軍の作戦計画はドイツの電撃戦ばりにハルハ河西岸に渡河迂回して
ソ連軍を背後から奇襲するのがその骨子で、
実際に機動力のある須見の乗車歩兵と90式野砲を西岸渡河部隊に配属したのはよかったが、
戦車だけはハルハ河渡れなかったから、戦車団は東岸ソ連陣地の正面攻撃に振り向けるしかなかった。
戦車渡せる橋か、良好な渡河点さえあったら普通に西岸で歩兵・戦車・砲兵の協同攻撃やってたはず。
馬鹿煩いエンジン音出す戦車で夜襲って。 ソ連軍が馬鹿だったのか、日本軍が斜め上で相手の予想を外したのかw
760 :
名無し三等兵 :2008/04/16(水) 08:41:32 ID:OyCl+PLO
>>758 つか渡河の確たる見込みも無いのに
渡河を前提とした作戦を立てるってのは、
「特例」というより単なる「失敗」だと思う。
準備不足で現地の地図すらろくにもってなかったからな日本軍 かの宮崎繁三郎が地図の写しを隊長クラス配布したのが特筆されるレベルなんだぜ?
762 :
名無し三等兵 :2008/04/16(水) 10:20:25 ID:ttbKRHc3
>>756 クルスク戦が正にそうだったね。完璧な対戦車陣地にヤラレるために突撃して行ったティーガー、パンター…;;;
ノルマンディーや湾岸じゃ、工兵隊が事前に入念に対戦車障害物を撤去したから戦車が突入出来たと…
パンツァーカイルで突破という手もあるがな。クルスクでは南翼側がそれでかなりソ連軍陣地を潰して回った。 しかしチハでは…w
>>763 大消耗を前提に大量の装甲兵力を集中していればそうだが、
さすがにノモンハン戦の時期には、
世界のどこにもそれだけの装甲兵力は存在しない。
>761 ノモンハンに限らず 当時の日本軍は前線にばかり集中して 後方の工業力・工業資源・補給を軽視しすぎる。 石油備蓄の数字や工作機械の数を見ていると 当の軍部でさえ平和なのか戦時なのか判断できているのか? "国家として"の視点で備蓄6ヶ月とかって平和なときでもヤバイ数字の気がする。 中将や大将が下士官感覚なのは日本の宿命かねぇ。 ------- 「日本の下士官は優秀だ、下級将校は熱狂的に戦う、しかし将軍は無能である。 特に金モールを吊った高級将校は低能としかいいようがない。」 ソビエト連邦赤軍第1ソビエト・モンゴル軍集団軍司令官ゲオルギー・コンスタンチノヴィチ・ジューコフ 1939年にノモンハン事件を報告して。 ------- まぁ、日本の教育システム上(下士官と下級将校に中心)、そう(ジューコフの報告内容)ならざるを得ないんだが。
だって絵にならないし。 補給がうまいからといって出世するシステムじゃないはず日本の人事システム。 日本の高級将校にアメリカ型(補給線をめぐる駆け引きがうまい)の人間がいればなぁ。
補給が切れる前に突撃して決めろ、が日本軍だからな。 国力が低いことを認識した上で、という背景があるからだろうが、そういう短期決戦思考は外れると日露や第一次大戦の長期化で思い知ったはずなのに。
>769 補給が切れる前に決着しろ って いつの時代(戦国江戸大正)でも日本のあらゆる組織での行動規範だよね 俺の会社だったりしてorz 手持ち受注50に対して倉庫の資材は18ぐらい 発注済だろうと思ったら最初の発見者が同期と俺orz(発注していない) 社長・・・・小学生レベルで良いから数字を理解してください
輜重兵に決定された士官候補生は数日泣き明かし 輜重兵を出した区隊長は負け組扱い それが陸軍士官学校
火砲でも 銃砲でも 大砲でも トラックでも 小銃弾でも ノモンハンにおけるあの数字は 藩と藩の戦いの数字だろ(長州藩vs会津藩)。 とても 国家vs国家の戦いとは思えない。 幹部の一例だと 牟田口 廉也(明治21年(1888年)) 東条 英機(明治17年(1884年)) 明治時代前半だとまだ藩の影響が大きいからなぁ。藩の影響を国民から抜くのはもっと時間が経って1955年ごろなんだよな。 米英留学は少ない時代か。米英留学組は海軍幹部に集まる傾向があるし(陸は独仏組が多い)。 難しい。
日本では官僚システムでも民間経営でもそうだが理数系出身者は伝統的に軽んじられる。 組織の和を重んじる日本社会では冷徹に数字だけで押し切るようなタイプは徹底して嫌われ、出世できない。 談合根回しの上手いタイプのほうが出世街道に乗れる。
いやノモンハンの70年前までは 藩と藩が[国家]対[国家]だったし。 教育制度なんか急ごしらえだからとても間に合わないし。 関東と関西往復することが(ごく少数の貴(華)族・商人除いて)農民にとっては一大事の時代に何を求めるのかと。
そんなのどこの世界でも同じだろ。専門バカはあんまり出世できない。
肩書きを与えなくても片隅でも良いから組織の内部に置いてとくべきでしょう>補給関係の人材 高級将校(東条、花谷正)が自分の立場守るために片隅どころか組織の外にって>輜重兵(海南島とか樺太とか)。。。 はじめから最後まで 金属関連(鉄鉱石、鉄屑、鋼材、蛍石、ニッケル鉱、クロム鉱、ボーキサイト)の調達に苦しむ羽目に。
補給の重要性を知っている人間はどちらかというと 軍隊より商社に行くんじゃないか? 軍の交渉(停戦とか境界線協議)の近くには何らかの形で商社員(大中小問わず)が聞耳立てている。
欧州でもナポレオンの時代あたりまで 補給は御用商人にお任せ&現地調達だったからな。 軍が恒久的に輜重を抱えてどうのってなるのは 思想的にも予算的にも新しいわけで(日本なんか20世紀に入ってからだし)
商社は裏で動いて表に名前を出したがらないからなぁ ある程度有名になると名前を変えて追跡しにくくする。 住友商事なんかいったい何度名前を変えたことか 知っているだけでも5回は名前を変えている。
age
兵站は軍の要ですよ フリードリッヒ大王の時代から兵站は国王直属 参謀総長の別名も兵站総監 日本軍が兵站を理解できなかっただけじゃないの プロイセンを手本にしたのに 日本にきたメッケルは兵站を口酸っぱくして教えたが、身についた将校は僅か
>>781 いや、そもそも、そのプロイセン兵学の兵站は
普仏戦争とWW1で失敗を露呈した時代遅れのものでな・・・。
>>769 高度国防国家建設・統制経済確立というのは、
一応抜本的な生産・補給体制の確立を狙ったもの。
>>776 東條が率いる統制派の軍官僚には、生産・物動・補給の専門家が多いよ。
>>781 総力戦体制下では兵站の観念が変わっているわけで。
でも陸軍だけで総力戦体制の構築なんてできないわけで。
統制経済を軍官僚はやりたいけど経済界からは共産主義者よばわり。
せっかくの兵と物資は海軍の見込み違いと怠慢で全部海の底。
総力戦研究所のひとって優秀だよね、役にたたなかったけど
>>782 その時代遅れすらまともに咀嚼できなかったわけだからな
さらに兵站が重要になった総力戦時代についていけるわけがない
4月も中盤だというのに兵站房が大暴れだなぁ。
極論すればそれがすべて
兵站だけじゃなく作戦が駄目じゃん。
>>758 とか。
幾ら自国の軍隊だからって、そういった駄目ダメな部分に目つぶってまで、
贔屓の引き倒しは出来ねぇな俺は。
>>788 ハルハ河渡河攻勢ではソ連軍の装甲兵力が大打撃を受けている。
ソ連軍の撃滅という当初の目的は達せられなかったが、
7月3日までの渡河戦闘は戦術的には日本軍の勝利といってもいいぞ。
というか、渡河作戦を中止しなければいけない理由が、
兵站を充分に確保できなかったということなんだが。
>>790 かなりの大兵力を渡河させているぞ。
なにか誤解があるんじゃないか?
>>790 それから、橋が貧弱だから戦車の渡河を中止したんじゃなくて、
貧弱な橋しか造れないことは最初からわかっていたので、
戦車を渡河させないで使用する計画をたてたということだぞ。
なるほど 「当初の目的は達せられなかった」が 「かなりの大兵力を渡河させて」 「ソ連軍の装甲兵力が大打撃を受け」たから まあよしとする、ということか どこかで見たような論法だが 軍事に対する認識が俺とは少し違うようだ
だいたいなんで戦車団、という孤立した戦車兵力運用かましたのさ? 第一混成旅団という日本初の機械化部隊が関東軍にはあったはずだろ?
それは「張北バラバラ事件」のために解散させられました。
>>793 だから「戦術的」とことわっている。
別に「戦略的」に成果を得たわけではないとは思うよ。
反対に歩戦分離して装甲兵力に大損害という失態を演じたソ連軍は、
そのことで日本軍による包囲を防いだわけだから、
戦略的には肯定的な評価もあるということなのかもしれない。
やや冷酷すぎる戦術かもしれないけどね。
渡河してせっかくソ連軍の機械化予備に大損害与えて 川又のソ連軍砲兵陣地まであと数kmってとこで撤退するところがなんだかな。 そのまま突進して砲兵陣地に夜襲かけてればソ連軍総崩れになった確率は高い。
もう弾も食いものもなかったんじゃない?
ソ連の武器を鹵獲すればいいじゃない -------- つか調べるとこの時期の幹部(牟田口、花谷、木村兵太郎、東条英機)って、いったいどれだけ味方を引っ掻き回したのかと
>>799 辻・服部が抜けているぞ。
というか、むしろそっちが主役じゃないか。
東條・木村は強硬だが上のいうことは聞く。
まあ、花谷はあれだから。
牟田口はロコウキョウまで責任を追及されるのは気の毒かな。
>>800 牟田口の盧溝橋は、本人が吹聴しているんだから自業自得だろう
日本の人事システムっていったい(頭痛
>>801 牟田口は自己陶酔激しすぎだが、実質的には小物。
このとき手を打っておけばあんなことにはならなかった、
というのはわかるけど。
>802 2005年の今も健在 フロッピー発言の麻生太郎 (本業じゃないから仕方が無いがせめてCD(compact disc)あたりと言って欲しかった) 「若い人が車をステータスと思う時代は終わったのかもしれない」、 トヨタ自動車の渡辺捷昭社長(63) (社内で三指の高い給料もらう人間が、1974年から30年以上何をやってきたのかと) 「車なんか5年もてばいいでしょう」、会長 (消費者の生命健康を何だと思っているのかと) 日本の人事システムは付き合いきれない
いちいち注釈いれんと分からん程度の話だな
そんなに日本の人事システムが気に入らないなら、 手前で独立起業なりすれば良かろう。 その度胸も才覚も元手も無いなら、そういう人事システムを逆手に取り、 組織の中で出世し、富なり人脈なり作り組織を乗っ取るなり変えれば良い話。 その為の自制すら出来ないなら、日本に限らずどの国でも栄達は望み難いな。
ナポレオン時代は補給といえば食糧メインだが、 近代になってからは多量に消費される弾薬がケタ 違いになり、食糧をうわ まわる。これは現地調達はムリ。以降、補給量 の差が勝敗を左右するとことになった。
>>807 「人事システムを逆手に取り」「組織の中で出世し」「富なり人脈なり作り組織を乗っ取るなり」
で、辻〜んが現れるわけだな
日本の人事システム恐るべし
すでに実践されたお方がいます 緒方 重威(おがた しげたけ、1934年6月4日生まれ) 「人事システムを逆手に取り」(前例主義のこと?) →早大法学部卒業後、検察庁へ入庁 「組織の中で出世し」 →長官になられました 「富なり人脈なり作り組織を乗っ取るなり」 →見事に乗っ取りました、[日本国法務省公安調査庁] 1939年の図式(人事システムがアホ)が2000年に入っても変わっていない
アハハハ('∀`) ・精密計測器大手[ミツトヨ] 各開発可能な精密測定器(三次元測定器)を海外に売却した疑いで 社長の手塚和作容疑者(67)ら5人を逮捕 ・海自三佐、ロシア海軍武官への情報漏洩 ・横お和子 1978年 厚生省大臣官房統計情報部情報企画課長 1994年 社会保険庁長官 2001年12月 - 最高裁判所判事 ・橋本龍太郎 1978年12月第1次大平内閣において厚生大臣に就任 第82・83 代日本国 内閣総理大臣 在任期間 1996年1月→1998年7月 ・小泉純一郎 1988年12月竹下内閣において厚生大臣に就任 第87・88・89 代日本国 内閣総理大臣 ------- 恐るべし日本の人事システム アハハハ('∀`) 辻政信の発生も当たり前かorz 任命する側(大臣や長官)や裁く側(裁判官)が癌細胞って
スパイは関わっている限りついてまわる。 人間社会の宿命。 つか当時(1920〜1940年)はスパイのいない工業国のほうが珍しいんじゃないのか? ソ連のスパイ網は凄すぎる。人種が多いってのも便利だし。
日本の人事システム恐るべし 欧米なら第三国から第三者による見極め(スイス出身の観戦武官とか)が出来るけど、 日本は地理的に外部からのチェックが出来ないからなぁ(ほぼ単一民族、ほぼ同じ言語、島国で(機械がない限り)移動しようが無い)。 日本の人事システムをチェックできるのはせいぜいアメリカあたりか?
>813 >欧米なら第三国から第三者による見極め(スイス出身の観戦武官とか)が出来るけど 日本じゃそういう事をする存在は和を乱すとか空気を読まないなどと言って排除するだろね
815 :
名無し三等兵 :2008/04/23(水) 09:38:35 ID:jMrUHRWc
結局、日本軍がノモンハンにつぎ込んだ総戦力ってどれぐらいになるの? 辻らは第二師団や第七師団を動員して打撃与えるところで停戦になって残念、とかいったけど 既に第二師団や第七師団からは連隊単位で動員済みで、残りを投入しても勝ち目なんてないんじゃ? 第七師団から出た第二十六連隊なんて死傷率九割以上という常識外れの数字だし…
そういやミリクラでノモンハンの特集だね。
wikiだと日本軍の兵力が3万から9万という異常な数字になっているから信用できねぇw 確かのべ6万ぐらいじゃなかったか>日本側総兵力
818 :
名無し三等兵 :2008/04/23(水) 12:36:19 ID:OujBEEkB
6万だったら、3万から9万の範囲に収まるじゃねーか
投入未遂で終わった、第七師団や第二師団残余らを含めれば9万、しかし一度に実戦参加したのは最大でも3万程度、のべは6万なら別に矛盾はないな。ややこしいがw
戦車団が損害に耐えられず後退して機動戦力はゼロ。 重砲もほぼ全滅状態。 そんなんで既に逐次投入で戦力が半減した歩兵師団を数個送ろうが負けるに決まってるだろ。 辻らは脳味噌に蛆でも湧いてたのか?
>>820 一応戦車、重砲を含めて日本軍の基準では大兵力、大火力を、
ノモンハンに結集するつもりではあった。
第四師団も派遣されて、
第五師団と第十四師団の追加投入も計画されたわけで。
作戦案は夜襲主体の浸透攻撃だったような。
局所的に前進はできた可能性もあるだろうが、
ソ連軍が出血を厭わず予備兵力を投入してくれば、
日本側としては大きな成果は望めないかな。
もっとも、ソ連側もヨーロッパ情勢が風雲急なとき、
極東で兵力を浪費もできないかもね。
>>820 我らがつじーんは「小松原師団長を見捨てるのか!」と司令部を大喝してました。
>817 満州の兵隊を含めて考えるか否か 狭く解釈するか広く解釈するかだね>[日本]を 台湾、満州、樺太、を入れないで 北海道=沖縄とするかどうか・・・
傀儡満州国軍は日本軍下部部隊でよし 無論、ソ連軍にとっての蒙古軍も同様で
新編成で戦力が低い第二十三師団に続いて、道産子師団はまだしも何れも弱兵と定評のあるドンゴリ師団を送ったりまい ど師団を送ろうとするなど、大本営が真剣に対応しているとは思えない。 広島師団を送って鎧袖一触でソ蒙軍を撃滅すべきだったのだ。
>825 >ドンゴリ師団 仙台のことか? 弱いんじゃない、イタリア軍のフィレンツェみたいなもの。 命をかける動機が違う >まいど師団 東に政権機構があるのに、西の方々は中央政権制度にヒビを入れるから政治的に排除したい >大本営が真剣に対応しているとは思えない。 大本営の中の人を見れば戊辰戦争1869年をまだ引きずっていることが分かるかと > 広島師団を送って鎧袖一触でソ蒙軍を撃滅すべきだったのだ。 んなことした大日本帝国政府を支える師団(薩摩、長州)がなくなって内部分裂起こしますがな
兵を送れば損害増えるだけだろ。ソ連軍と日本軍の差はかなり開いていたからな。
そうそう貴重な中国チンピラゴロツキ殺戮要員を消耗させては大損だ。
>820 > 辻らは脳味噌に蛆でも湧いてたのか? 藩の戦争(会津藩vs長州藩)なら妥当な数字(火砲が百門とか) 問題は1930年の国家間の戦争(ソ連vs帝国)でも 西南戦争(1877年)の感覚の戦いをやっていた ことだ・・・・ 辻政信に教えた教官の年齢(の青年期)は西南戦争と重なる 1868年の明治維新まで時系列をまき戻さないとノモンハン事件に間に合わない・・・・
830 :
829 :2008/04/24(木) 20:26:40 ID:???
ごめん、計算間違えた >辻政信に教えた教官の年齢(の青年期)は西南戦争と重なる の行は取り消し。 -- 辻政信1902年生まれ 1920年入学 1924年卒業 -- 1920年時点での軍学校の教官構成を調べる必要が出てきたメンド
1920年頃ならだいたい日露戦争を下級指揮官で経験した人間だろ>教官
だったら国家総力戦を認識していてもよさそうなものなんだけどね まぁ、ポーツマス条約に持ち込んだから微妙(局地戦から総力戦の定義に入るかどうかの状態)といえば微妙なんだけど>日露戦争
>だったら国家総力戦を認識していてもよさそうなものなんだけどね 認識しているだろ。 バーデンバーデンの密約の4人が丁度その時代。
>833 となると 物資の補給量(弾薬、燃料、銃砲火器)が説明つかないんだよなぁ 混沌しすぎ
>835 そっち(貧乏)かい・・・ 単純すぎ けど調べると やっぱり [貧乏が悪い] 国内から工業製品(銃や大砲や砲弾や軍靴や軍服)を調達することは無理やりなら出来るけど 工業資源(石油、鉄鉱石、ニッケル、モリブデン、ボーキサイト、ゴム)は外貨(英国ポンド、米国ドル)が無いとどうしようもないからなぁ。 当時の日本の工業製品(繊維とかマッチとか靴)と交換してくれと資源国(仏蘭)に言っても お断りって言われるのがオチだし。 やはり史実どおり日米同盟を組んで工業設備(製鉄所、石油化学プラント、発電所)を提供してもらうしかないか。 つらいのう
貧乏が悪い、というのもあるが 中国で泥沼にはまって貧乏がさらに加速し余力もなかったんだから自業自得ともいえる 持てる力すべてを投入することすらできなくしたのは日本軍が次から次へと戦線広げたせいだし
それも最初はそんなこと毛頭もなかったんだよね。 一撃で屈服するはずが。
貧乏自体は悪くない。問題は貧乏を自覚せずに博打ばっかやっているどら息子だ。
>>839 日本の政策は確かに失敗だったが、
世界に革命運動を輸出しようとする攻撃的な謎の強国と対峙するのは、
なかなか難しいということでもある。
実際、封じ込め政策という画期的なアイデアが出てくるまで、
西側諸国は右往左往している。
大筋では正しい封じ込めでも失敗がちらほら。
世界最強国アメリカでもベトナムの深刻な打撃を蒙っている。
なお、日本陸軍上層部の統制派官僚の中には、
中国の戦訓からベトナム反戦運動に加わったものがいる。
その「世界に革命運動を輸出しようとする攻撃的な謎の強国」と不可侵条約を結んで、 仲間になるはずの西側諸国相手に喧嘩売った馬鹿が、大日本帝国なのですが。
>>841 危ないから宥和したのさ。
当然、「世界に革命運動を輸出しようとする攻撃的な謎の強国」に対する、
考えられるオプションのひとつだろ。
まあ、西欧諸国はこの場合はもっとうまくやったわけだが。
つまり西欧諸国から見れば、我が身かわいさに「世界に革命運動を輸出しようとする攻撃的な謎の強国」の軍門に下って、 自分らに攻撃を仕掛けてきた裏切り者とw
>>841 そうは言っても、その「世界に革命運動を輸出しようとする攻撃的な謎の強国」と不可侵条約を結んだ上に、仲間になれるは
ずの西側諸国相手に喧嘩売った挙句不可侵条約を結んだ相手にも自分から喧嘩を売って東にも西にも敵を作っちゃうような
大日本帝国を上回る馬鹿もいるわけですが。
>>843 時系列について初歩的な誤解をしているぞ。
日本が西欧諸国に戦争を仕掛けた頃、
なぜか「世界に革命運動を輸出しようとする攻撃的な謎の強国」は、
西欧諸国の友好国なのさ。
日ソは対立の立場にあり その対ソ戦略上の要衝になるのが満州という位置づけだったんだが 注(満州を握るということは中国大陸の利権を間接的に握ることにもなる) 中国満州の利権に未練のあるアメリカが これに非協力的な態度を取ったというのが、大まかな流れだが 面白いことに満州・大陸の石油市場を石油メジャーには提供せず ソ連に提供してるんだよな(日本への見返りは中間の利ざやと樺太油田) 同時期に欧州でもソ連石油は安さを武器にシェアを獲得する方向にあり イデオロギーだけではなく市場対立もあったというのが現実。 実際、ソ連油の仲介で得られる利はまやかしで ソ連は市場開拓が進んだら、直接乗り出して日本の仲介を排除し、樺太油田からも追い出した。 短期的に一部の財閥が儲かっただけで、ソ連が資金を得るのを手助けしただけで 日本における最大のガンは財界だったんだろうな。
「国際関係は善悪ではなく損得が基準」 このテーゼを無視し イデオロギーだけで国際関係を語ろうとするからカモられるのさ ソ連はもちろん欧米からすらも。
>>847 失礼な、日本だって損得勘定ぐらいできるぞ
東亜解放を謳いながら仏印は植民地支配のままにしておくとか
>>847 逆に損得で言えば戦後日本の対ソ政策は最善なのさ。
アメリカをソ連と噛みあわせて、自分は背後でぬくぬく。
こんな理想的な外交は他にあまりない。
同じ人間(外務官僚上層部は同じ)が考えたのに、
戦前の外交政策は大失敗で、戦後日本の外交政策はあまりにも見事。
まあ、要するに時と場合がうまくいけばうまくやれるということ。
結果からいえば大戦争をやって、戦後は戦争の敵方を援助して、
かつての味方とガチで衝突する羽目になったアメリカは、
なにかわからないが、結局非常に大きなへまをやったことになる。
>>849 ちゃうよ。
戦後はソ連と商圏が咬み合わなかったから、比較的上手く言っただけ。
ちょっと気を緩めたら東芝の工作機械とかでも判る様に
財界は無節操極まりないし、それは今の対中国でも判るだろ?
国策関連で何処まで商売の手綱を絞れるかが全てであり
その点に於いて日本は非常に下手だってのは変わってない。
>>850 それでいいんだよ。それが一番いいんだよ。
別にぬるく日ソ親善をするのもいいんだよ。
適当に逸脱者が出るのはしかたないんだよ。
ガチンコ勝負もせず同盟もしないのがいいんだよ。
喧嘩はアメリカがしてくれる。
日本はソ連に恨まれないように、接近しすぎないように、
ぐだぐだしていればいいんだよ。
あなたの原理原則をはっきりさせる姿勢は、さすが軍板と思うが、
外交にはあまりむいていない。
>>851 いや、いってる意味判る?
ぬるい商売で留めるには
政府からの一定の制限締め付けが必要であり
その舵取が日本は不得手なママだってことさ。
対ソ商売が小規模だったのは、アメリカがそうしろとココムを定義したからであって
日本が押さえてたわけじゃない。昔からこの点は変わってないんだ。
>>840 物知らずにも程がある
トロツキー対スターリンの権力闘争についてご存じない?
>>853 おちつけ。知っている。いっている意味もわかる。
しかし、トロツキー路線が敗北しても、
当時の日本の共産党はコミンテルンの支部なんだよ。
方針はコミンテルンが決めるんだ。
まあ、最近のなんでもコミンテルンが悪かった説には食傷気味だが。
というわけで、当時の一国社会主義と、
戦後のスターリン批判以降の社会主義は違う。
戦前の国権主義者と戦前の共産主義者の最も似ているところは 絶対的忠誠心を発揮する対象が存在することである。 そして、最も違うところは、 絶対的忠誠心を発揮する相手が、前者は天皇制国家で後者はコミンテルンであるということである。
コミンテルン=第3インターナショナルは第2インターナショナルに多くを学んでいる。 すなわち各国の社会主義政党が第1次世界大戦において自国を支持したため第2インターが崩壊したことである。 だからコミンテルンは「社会主義の祖国=ソ連邦」を擁護しつつ革命を輸出することを目的としていた。 各国共産党はコミンテルンから承認されない限り共産党としては認められない。 そして日本共産党には特に大きな干渉をして、綱領までコミンテルン製を押し頂く形だった。 だから22テーゼは「天皇制の廃止」や「軍隊の廃止」などの日本の現実を無視してソ連の「夢」が盛られた内容。 日本社会の破壊がコミンテルンの夢であった。 ただし現実的なソ連とコミンテルンの目標は東欧と中国の共産化=衛星国化で一応成功にこぎつけた。
そんな難しい話されても困る。 筋肉マンでたとえてくれ。
>仮に豊富な工業資源工業力があって >武器になる機械があって なら戦争しないで、朝鮮半島を拠点とした大陸貿易で国富を稼ぎ、 農業国から加工貿易国への脱皮を図る。 領土要求はやめ親西欧外交路線を維持。…って、 考えれば考える程無理な気が…ORZ
資源があれば戦争になってないな
まあ資源があれば江戸末期にフランスやらイギリスが ガチで日本を植民地にしようとしたんだろうな。
仏も英も皆首チョン切られてオダブツ
何をやっても史実に戻ってしまう 補給が機能するうちは進める 進みすぎると補給に支障をきたし途中で止まる(地形的に何をやっても(歩兵だろうが鉄道だろうが戦車だろうが)ノモンハンでとまる、 ハルハ川が勝手に境界線になる([こっちが橋を架ける敵は破壊する][敵が橋を架けるこっちは破壊する]のループが日ソのどちらかの補給切れまで行われる)) 答えが見つからないorz
答え 日本の主張通り「ハルハ河」を国境線にすれば解決する。
トラックの数ちがうから
866 :
名無し三等兵 :2008/04/30(水) 20:52:58 ID:tClNIded
>>864 そこが島国と大陸国の感覚の違いだったんだろうなあ(´д`)
満州周辺の河川 地図上で長さ測ったけど 牡丹江、渾河(こんが)、嫩江(のんこう、どんこう、Nen River) 何KMあるんだよ・・・・700KMとか千KMとか多すぎ 国力(工業力)を超えてしまっている 580万トンの鉄生産量じゃあ勝負にならない せめて一千万トンは無いと見かけだおしの形にもならない 本当に急な行動だったんだなぁ(物資の準備がギリギリすぎる)
満州の河川の長さと工業力や鉄生産量が何の関係があるんだかw
>868 つ[砲の配置] 浅くでいいから工業について勉強してください。
何処の馬鹿が河川全域に砲を並べるんだと・・・。
河川関係で調べたら面白いことが出てきた。 揚子江方面の日本軍の河川部隊は 河川砲艦じゃなくて、ホンモノの戦闘艦が主力だったのな。 南京攻略作戦の船舶部隊って「第三水雷戦隊」でやんのw 駆逐艦クラスまでなら結構普通に上がっていけたらしい。
え、日中戦争に従軍してた海軍士官の戦記とか読めば常識だよそれ。
というか、各艦隊の編成見れば一目瞭然w
>870 1つの砲 まぁ、仮に88ミリ砲8,8-cm-FlaK の射程が2000M ---- 火砲109門 2000×109=218000m=218KM 戦線(境界線、実在する河川)をカバーできない。 空白があきすぎ、移動させるって手もあるけど時間のロスがある。 上記は日本側 対してソ連。 砲の射程の具体的数字がよく分からないが、 88mm砲と同じだとして(この時点で仮定に無理があるがとりあえず机上計算を便利にするために) 砲の数が559門 2000×559=1118000≒1120KM 戦線をカバーできる(少なくても川の長さと同じ数字であることは確か)。空白が少ない.時間のロスが少ない。 やはり日ソでは感覚が違うなぁ。 大陸国家と島国の違いのような気がする。この数字。 お互いの現場の兵隊さんの負荷も違ってくるって。 末端に押し付け丸投げ現場で勝手に解決しろの日本人事思考らしいといえばらしいが。 やはりお国柄かねぇ。 計算ミスがあったら訂正してください。 砲の向きを考えれば対応領域が2倍になるっていう脳内反対意見もあるけど 2倍にしても川の長さより短いって脳内突込みをした。 218KM(日)と1120KM(ソ)の比率って日ソお互いの鉄鋼生産の数字と連動している気もする(最後のこの1行はこじつけ)。
「日本軍は、 兵は非常に優秀・勇敢であり、世界で最も上等、 下士官・下級将校は熱狂的狂信的に戦う、 中級将校は凡庸、 高級将校はひどく無能だ。 特に金モールを吊った参謀にいたっては低能としか言いようがない。」 byゲオルギージューコフ 数字(砲の数、補給する弾薬)に表れているな。 やはりお互いの地理面積資源が思想に何か影響を与えているのかねぇ。 面積が違うから物量に対する認識が変わってくるのかもしれない。
>871 どの時点の数字を取るかだが 火砲 大日本帝国109門 ソビエト連邦300門〜500門 「面積」をカバーできないんです。 前線だけじゃなく、後方支援する企業も計算をしているんです(裏方で)。 やはりお国柄w
送り込んだ火砲が 大日本帝国 109門 ソビエト連邦 542門 このあたりからして感覚が違うw 故障とか整備とかの手間を含めて、現場の人の負荷も考えるともう アボカドかと
しかも人材を引き抜いて 自分で自分の後方を弱体化させるというお目出たさ アメリカ並の国力・後方支援能力があればのう
あ、ちなみこの時点(1938年近辺)での鉄鋼生産量は 580万トンから650万トンぐらい ショボ 雑学として 今(2000nen)は鉄鋼を「1年で」1億トン生産しています
>871 500門ってのはかなりと思う 日本側も200門は欲しい ・空白をあけない ・稼働率を含める 後知恵で考えるとね 今度は工作機械の問題(消耗品が手配できない)が出てくるが。。
>882 そして 日本軍上層部が[大奮発]したつもりの弾薬を ソ連は[日単位]で発砲してぶち込んだ 数字を出すと 日本軍は1万2千発を発射 ソ連軍は5万〜10万発発射 ドンだけアホやねん>[日本の上層部]
この時代だけじゃない。 ------------ 1917年4月段階でのWW1参戦各国の"日産"砲弾生産量 露11万発、オーストリア16万発、英29万発、仏31万発、独44万発。 --- この時、日本は"月産"10万発が可能だろうと推定されているにすぎなかった。 ------------ いつの時代でも日本軍の傾向ではある>[後方支援の軽視]
たとえ海上封鎖されようがハーバーボッシュ法で火薬を生産し続けるドイツオソロシス
>885 水と空気から生産ってのがなぁ ドイツ凄すぎ(高いと言う意味で) かたや、海上包囲されて敵の爆弾が落ちたわけでもないのに尻に火がつく我らが大日本帝国 基礎研究に後乗りしすぎたツケが表面化しただけかもしれない。 自前で物資を調達できないって近代軍事としてはいかがなものか。 ドラえもんとのび太の関係だなぁ。
後出しジャンケンはいい方法だと思うんだがなぁ けど史実を見ると、長短あるかな
888 :
名無し三等兵 :2008/05/01(木) 16:40:02 ID:KGqk2scT
パンツァータクティクにノモンハンの例が載ってたな
>884 月産でも 欧米の日産に劣るって・・・・ 単位(月産を日産に計算)をそろえたらもっと悲劇的になるな 本当に低レベルだったんだな、戦前日本
>888 工業大国 陸軍大国 のドイツに価値あるネタがあるとは思えないんだが ノモンハンは・・・ 具体的に何を参考にするんだろう。 日本からは参考にする部分はいっぱいあるが。。 大砲とか戦車とか後方補給とか電線網とか火薬の大量生産とか石油合成とか参考になるネタはいっぱいある>独ソ戦(1939-1945)
>>890 「回転ドアー」式の包囲殲滅戦の代表として取り上げられてた。
892 :
890 :2008/05/01(木) 17:23:53 ID:???
>891 >「回転ドアー」式の包囲殲滅 そういう考えがあるか 納得 けど行動半径が広いから物資の量が大変なことに。
>>883 そうは言ってもな、ノモンハンは想定外が戦闘だったから
関東軍の我侭をちょっとだけ聞いてやったつもりが・・・
参謀本部も陸軍省もさっさときりあげてほしかったというのが本音で
>>875 河川全域に警戒は必要だけど、河川全域に火点を設ける必要は無い。
大部隊が集結して渡河しようとしてたら
通報して航空機や迎撃部隊を呼べばよい。
迎撃部隊が間に合わないほど短時間に渡河できるのは少数部隊だけだから
そんなの渡った先で潰せばよいだけ。
だから常時巡回する警戒部隊の数は流域に比例するけど
それだけのことだよ。国境線としては守る側としては陸路より全然楽だし。
あと、野砲の射程は10km越えるわけだが。
野砲弾は5〜6kgの鋼鉄使う、1日10万発で500t、年18万t 大口径砲弾もあるから年20〜30万t、30とか40万発作ったら年100万t 大型商船100隻だから、大した規模でもないけどな。
>894 > あと、野砲の射程は10km越えるわけだが。 実物がわからないが 38 式 75mm 野砲 に行き着いた。 出所を調べた。 またクルップkurppか vickers armstrong krupp 工業製品を調べると何度でもこの3社が大量に出てくる。 一体どんだけ作れば連中は飽きるんだ
まぁ、大御所 御三家だな krupp,vickers,armstrong ゲルマン民族に比べればルノーなんて
鉄鋼 ソ連1450万トン うーん、日本が命中効率を高めて ソ連が冬(凍結)という天候の不利を抱えているなら こう着状態に持ち込めるかな?だけど詰めきれないorz
アメリカかドイツの助けがないと 目的には国力が足りないな。 しかも外貨事情がorz
>895 実務では物資輸送のために レールを敷いたり列車を走らせたり 整備工場を立ち上げたりで 厳密には、前線が消耗する鋼材(弾みたいな消耗用)の、2倍ぐらいの鋼材(固定設備目的)を送るけどね。 色々からんで計算が合わない。
>>895 仮に野砲弾30万発だと150門の1会戦分位にしかならないんですけどね。
ソ連は全国力を極東につぎこめないし、 満州国をつくらなければ、ソ連とあまり 国境を接しなかったし、英米を味方にできたかも。
>>903 四六時中戦闘してるわけでもないからな。
1会戦は平均して3ヶ月程度の作戦期間を見積もってるわけで
日産30万規模あれば、13500門を維持できるって事になる。
第一次大戦末期のリガ戦時のフランス軍の火砲数は約1万門。
30万/日あれば、この規模を維持できるってことだ。
ちなみに第一次大戦では、砲弾の前線移送と備蓄が
戦闘のインターバル時間を決める要素の一つだったそうな。
>901 忘れ物 つ砲弾のための[火薬工業]の設備に使う鉄鋼 つ大砲のための[金属加工]の設備に使う鉄鋼 見えている部分(大砲)の裏で、工場では見えている部分より大量の物資(ドリル、切削刃物、冷却水、切削油、洗浄油、グラインダー、ベアリングの交換、他たくさん)を使うわけで。 5のものを作る裏では14ぐらいの過程がある。 学校で教えてくれれば理想的だが、子供に負荷をかけすぎる問題もあるから仕方なく省略している。
FlaK 18, FlaK 36, FlaK 36 砲重量 6861s 加工される前の素材だと10000kgぐらい必要なのかな いかんせん裏方(企業ノウハウだから)は資料が少ない。 鉄の量がなぁ
日本陸軍の近代化を圧迫し続けたのは日露戦争の借金。 これさえなければ予算がもっとついたはず。
>>906 でも、それらは戦車や船舶を作るときにも必要なわけでな。
どの分野の製品でも同様のことだよ。
砲弾の仕上がり重量と鋳造重量比は4割ぐらいだけど
切削したカスはリサイクルされるわけでな(高級鋼には無理だが)
ドイツと同盟せずにアメリカに補給してもらえばいいじゃん って史実ですね。 大恐慌1929年が複線となってアメリカ上層部は親ソビエト連邦の幹部であふれ ハルノートに至ると。 難しい。
輸送能力の問題もあるが、そもそも砲弾の備蓄自体が少ないのではどうにもならない。 送りたくてもカラッケツでは何も出来ない。 なんでこんなことになってしまうのか? 弾薬の備蓄ってそんなに金がかかるのか?
>>911 弾薬や火薬って使用期限があって、長期貯蔵は基本的に出来ないの。
長いもので20年ぐらい。場合によっては5年ぐらいしか保存できない。
だから、平時に使う分の10年分ぐらいしか貯蔵してなくて
それを期限内に使ってしまうか、解体して再生するかしてるわけ。
これを数倍保存したとすると、使い切れないで腐る弾が続出して
米軍みたいにしょっちゅう海に捨てるとかする羽目になる。
(演習で打ったら砲の寿命削るから)
>>911 そもそもソ連との全面戦争に移行する気があるのかね?
日ソ全面戦争を始めるつもりなら国力の大部を投じて
最前線に戦力を投入するけど。
それ程の覚悟もなく、小規模な局地戦で済ますつもりなら
史実通りにしかならない。兵力の小出し。
>>913 仮に全面戦争になるなら、満州は捨石になる緩衝地帯なんだお。
陸軍の計画だと満州を放棄して旅順に篭城…おそロシヤ
>911 火薬の生産過程には 硫酸 硝酸系化合物(硝酸カリウム、硝酸アンモニウム) 日本にはそれらの資源(硫黄、カリウム、あるいは触媒である(プラチナとか白金とかだっけ、具体名は確信がない))が出ないかとても少ない。 実務ではさらに安定化させる作業も必要で・・・・ 国力がないのが悪いんだORZ
硝酸はアンモニアから合成するオストワルト法が1902年に考案された。 そのアンモニア合成は1909年ハーバー・ボッシュ法の実験に成功。 また1913年工業化に成功。 日露戦争には間に合わなかったため火薬原料はチリ硝石に依存しており日本軍は弾薬が不足。 しかし第一次世界大戦のドイツは豊富に弾薬が使えた。 ハーバー・ボッシュ法は空気中の窒素と、水素が原料で 水素ガスは水性ガス(赤熱したコークスで水蒸気を還元して水素と一酸化炭素を得る)から得られる。 またオストワルト法は空気中の酸素でアンモニアを酸化するもの。 すなわち水と石炭と空気があればよい。 ※ 触媒自体は減らないし何度でも再生可能。 ※ アンモニアは肥料としての用途もあるので農業部門との獲得合戦になりがち 日本では野口遵によって設立された、日本窒素肥料を中心とする日窒コンツェルン 戦後財閥解体でチッソ 、旭化成 、積水化学工業 、信越化学工業 また森矗昶率いる昭和電工も
国内で取れないって事は輸入するしかないが、そうなると予算の問題がさらに重い足枷に…
もし国内で取れたとしても、民需分を軍需にまわすわけにもいけないし…嗚呼
安瓦薬=硝酸アンモニウム+硝酸グアニジン+RDX ・硝酸グアニジン=石灰窒素 ・RDX=硝酸+ヘキサメチレンテトラミン ヘキサメチレンテトラミン=アンモニア+ホルマリン ホルマリン=ホルムアルデヒド水溶液 ホルムアルデヒド=メタノール+空気酸化 メタノール=一酸化炭素 という手間をかけて、日本はTNT・ピクリン酸同等威力の火薬を作ったけど 他国はコークス副生成物からTNTを幾らでも作れましたと。 さすがにドイツでは人造石油材料でもあったので、硝安で増量したけどさ。 コークス生産は鉄鋼生産と相関するから、結局は鉄鋼産業の規模なんだよな。
>>915 アホか。それは大東亜戦争末期の話し。
本来はソ連に攻勢を仕掛けるつもりだったのだよ。
ノモンハンで懲りなかったのか、ダメだこりゃ。
本当は勝っていたノモンハン
924 :
名無し三等兵 :2008/05/03(土) 21:55:14 ID:zTqoMm6K
勝っていたとして、勝因はなんなんだろう?
ロシア側のミス
心の問題。 負けと思った方が負けだ!
下半分職務を果たして死んで 上半分が職務放棄で天寿を全うする 日本人事システム 凄すぎ そしてやってられない。
>高級将校はアメリカ人(補給がうまい)で いかにアメリカ人といえど、根本的に物資がないのでは何もできまいw 山のようにマラリア患者と栄養失調患者を出したコレヒドールを見るがいい。
アメリカ人高級将校はマッカーサーのようにサッサと逃げるのが上手い。 勢力が強くて勝てるとなるとカサに掛かって攻める。 一将功成って万骨枯るのは万国共通
>930 味方の犠牲を減らすと考えるならそういう判断もあり。 問題はこの国日本の上層部は見込みがなくてもつっこませることだ。 インパールでガダルカナルで。 採算が全く取れない。 物資を手配してからつっこむじゃなく、 突っ込ませてから物資を手配する 順番が逆。
ソ連の高級将校は敵に弾数使わせて弾薬を空にさせるのを目的として 無理矢理突撃させる人海戦術が得意な人達だらけ
>>931 それはかなり特殊な状況で補給が困難なインパールとガ島ぐらいのものだろう
>>931 ガダルカナル戦では飛行場を取れる一歩手前までいってるぞ。
逆襲されて追い出されたけど。
スレチ
>932 敵が無能なのは好都合。 いかんせんお互いの人口が・・・。
確か日本とドイツの人口を足したくらい。>ソ連の人口
何をやっても地図の形どおりにしかならないな 例外なのは日露戦争1904年ぐらいか けど日露戦争も別に特殊なんじゃなくて、 初等教育制度の有無だったから... 1920年にはロシアも教育に力を入れてレベルアップしているから 1904年の2番煎じはできないんだよね>ノモンハン。 けど、調べるとWW2でゼンマイ時計を知らなかったり、水道管や蛇口をかっぱらっていたりと 頭がいいのか悪いのかさっぱりわからん>ロシア
爺さんが第23師団歩兵64連隊所属でノモンハン経験者。 弾丸2発、体に入れたまま故人となりました。(随分昔です) そこで、この連隊について調べたいのですが参考となるサイト を教えて頂けませんか?
23rd division
師団長
小松原道太郎中将(ハルピン特務機関長)
井上政吉中将
1938年に創立。
熊本で編成。
ハイラル区で警備に当たる。
ハルハ川を越えてきた蒙古兵を相手に行動する。
ノモンハン事件のさきがけとなる。
1万1958名の犠牲(死者・負傷者)を出す。
ノモンハン事件で動員兵力のおよそ8割を失った。参加総数15040名。
1944年まで満州を転転とする。
台湾への派遣が決まったが台湾への移動途中でフィリピンへ変更
ルソン島に配備され1945年フィリピンでの戦い(ルソンをめぐる戦い)で構成員29,636人の内24,508人が戦死不明になる。生存したのは5100人前後。
帝国陸軍の中で機械化が進んでいた師団である。
小松原師団長は、歩兵第64聯隊長山縣武光大佐(26)指揮の山縣支隊(歩兵1個大隊、山砲4門、捜索隊基幹)に
出動を命令、飛行隊も増強して5月28日攻撃を開始した。我が戦闘機は空中戦で50余機の撃墜を報告、
快勝であった。一方機動速度の速い捜索隊は、ソ連・外蒙軍の退路をいち早く遮断し、支隊主力から分かれて
迂回して側面攻撃に向かったが、敵はハルハ河西岸台上からの砲兵射撃のもとに優勢な機械化部隊をもって反撃した。
敵の行動は翌29日を迎えいよいよ活発となり、砲10数門の支援を加えるに至った。
1600頃激戦のうちに捜索隊長東中佐以下一丸となって敵中に突撃して玉砕、出動兵力の半数が戦死、死傷63%の大損害を受けた。
小松原師団長は全般の戦況から撤収命令を下達、山縣支隊は命令により5月31日戦場を離脱してハイラルに帰還、
ソ連・外蒙古軍も日本側の行動を誤判断して30日以降ハルハ河西岸に後退した。さらにソ連空軍の活動も低調になったので、
出動した航空部隊(飛行第11戦隊、第24戦隊等)も原駐地に復帰を命じられて撤収、
ここに第一次ノモンハン事件は終了した。
政治が絡むだけに総花的なことは書いてあるが、詳細となると不明も多い。
ここでも武器の数(1桁の砲)と受けた犠牲の数(千人単位の負傷)がいかにも日本らしい。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC23%E5%B8%AB%E5%9B%A3_ (%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%BB%8D)
ttp://www7.plala.or.jp/uminarido/page101.html ttp://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-kokkyo21.html
ありがとうございます。
>台湾への派遣が決まったが台湾への移動途中でフィリピンへ変更 薩長は熊本肥後に何か恨みでもあるのかと。。
943 :
会津若松 :2008/05/04(日) 23:20:43 ID:???
>942 一緒に手を組んで薩長をやろうではないか。 水戸-尾張-紀伊も集めてもう一度ikaryaku
西南戦争でも薩摩軍は熊本部隊を使い捨て…。頑張れ熊本。
熊本第6師団と言えば精強さと同時に南京大虐殺の下手人としても有名。 とことん不幸な熊本。
だからスレ違い
6Dの連隊がノモンハンに参加してたんか?
バルバロッサ作戦で日本が対ソ開戦したらどうなったかだが、これは結局中国人を喜ばせるだけ。 貴重なチンピラゴロツキ殺戮要員を消耗させられて、大陸打通作戦が遂行できなくなってた。
>>951 借りて読みました。
総合的にいえば、ソ連軍の人員損失などは一応最近の公開資料を使用していますが、戦車や航空機などの損失については日本側の記録の積み上げでしかありません。このあたりごっちゃにしてはいけない本です。
あとソ連側資料の明らかな誤訳と思しき記述もありますね。
しかし、当時の日本側前線部隊が戦果をどう記録していたかという観点で読むには色々な著作からの引用があるのでざっと読める点で便利です。
ウィキベディア見てて気になったんだけど、第6軍医学部の報告 って戦車部隊や一次の損害やらが入ってなかったんじゃなかったっけ
1966年10月に靖国神社でノモンハン事件の戦没者慰霊祭が行われた際、戦没者数を1万8000人と報道されたことがある。
>947 さては薩長と手を組んだ土佐か? 堺事件(さかいじけん)1868年で切腹しすぎ。
>>954 ソ連の戦果発表を鵜呑みにする朝日新聞の報道だけどね。
>947 あながちスレ違いでもないよ。 藩という区分は数百年続いたから影響や関係はある。1935年においても関係はある。 なにせ東条英機が、藩閥を気にしているし。
永田鉄山と小畑岡村東条の「バーデン・バーデンの密約」は陸軍の近代化機械化 薩長閥除去を目指したものだから昭和の軍部の動きと関係が深い
佐賀藩閥からはかのムッチーが…
熊本と佐賀って仲が悪いの?間に福岡県があるのに。
自分の所属派閥以外には冷淡だからこそ派閥がそもそも形成されるわけでw
佐賀の乱(さがのらん)1874年(明治7年) で調べれば九州の中の力関係がわかるかと。
なんでノモンハンにまで藩閥の影響が持ち込まれなきゃならんのだ らしいといえばらしいけどさ。
とは言え、21世紀の現代まで持ち込まれているものなあ
教育制度で藩の影響を抜くことは出来ないものかのう んなことしたら大抵抗に遭う(孤立する)か・・・・難しい。 共通語を教える目的で送り込んだ東京出身の教師が 逆に抱き込まれる話(土佐弁、名古屋弁(別にどこでもいいんだけど)を覚えてきた(逆じゃんw))なんてごろごろしているし。 やはり数か。
九州の勢力(薩摩でも肥前でも)が頑張っても 長州が影響力を保持しちゃうんだよなぁ 長州が要所(関門海峡、下関港)を握っているのはどうにかならないものか。 九州から京に上るには嫌でも下関の設備(海港)を利用する必要が。。。 明治時代だけじゃなく 今平成の時代でも俺が九州方面に旅行するときに関門(下関-門司)は通るし。 地図の形どおりにしかならないのかなぁ。
また長州閥か 安倍晋三 あべ しんぞう も長州だっけ? よく見かけるのぅ>長州勢力
ただの荒らしだよ。>藩ネタ
キン肉マンでいえばジェロニモだな
つかそのテの地域派閥やその間対立が全く無い国なんて、 中国はおろか欧米にも無かろう。
>970 工業界にとってはいい迷惑 Aという出身地の人が銃身(穴径5.54mm)を作る Kという出身地の人が銃弾(外径5.68mm)を作る 暴発するとわかっているが 戦場で混乱してもどうしようもない、解決のしようがない。 だから戦後しつこいぐらい、 メートル法で記述・計算・計測実習・機械の銘板の検査・他たくさん、 することに時間をかけているわけで。 少しでも気を抜いたらすぐ分裂する(地域ごとに食風習ごとに)。 近代工業社会を目指すなら分裂は困る(ネタにはなるが実用ではない>地域分裂)
>>971 馬鹿か? 戦国時代だって銃身と弾丸の径くらい合わせていたよ
おっと、旧日本軍を馬鹿にするのはそこまでだっ!
>972 特定の地域内だけでしょう>戦国時代。 尾張藩なら尾張藩の中の銃口と銃弾だけで合っている。 越後と加賀になるともう違う。 義務教育制度が目指しているのは 津軽と薩摩、仙台と肥後、の間でも、とにかく日本全国で使い回しが出来ること。 適用できる範囲が戦前と戦後では大違い。 合っているといっても 戦前は都道府県内の1つの自治体だけ。 戦後目指したのは日本全国どこでも。 文章でやり取りしても始まらないから 自分の出身地域と別の地域の戦前と戦後の工業製品(代表的なのはネジとクギ)をあてがってみると規格のありがたみがわかる。 戦前は西日本製の6角ボルトと東日本製の6角ナットがはまらないことが当たり前だった。 組み立ての際に権力の無い立場の弱い普通工さんが作った人の出身地域を突き合わせながら1本のネジをはめるために十何本もあてがって試して パズルのように当てはめて強引に解決していた(軍部にしてみれば都合が悪いから検閲して公的な書類には記録をあまり残さない)。 当時の時代(1930-1940年)に工業(自動車でも飛行機でも電話線でも)に関わった人はほとんど同じ発言(部品の使い回しが出来ない、単位の定義が違う)をする。
>>971 要するに日本では小銃弾の補給ができなかったと言いたいわけね。
単位厨がここに逃げてきたかw
未だに電圧は東と西で違うがな。
あの、弾丸や銃身の話じゃないのなら板違い
>977 東西で違うのは周波数の方だね。以前は東日本専用/西日本専用の家電とか、 引越の時には調整しろと言う注意書きのある家電があった。 最近は勝手に調整するのが多いみたいだけど。
加工精度の話と単位の話をゴッチャにするレベルの低さ
そういえば、どっちがどっちだったか忘れたが 情報の伝達と解釈をそれぞれ、ヤード・ポンド法とメートル法でやっちゃって 結果、いつの間にか行方不明になった可哀想な人工衛星があったよな 20世紀末のアメリカ合衆国、NASAとか何とかいう マヌケな組織での出来事だった、と記憶しておるが
>985 かわいそうな人工衛星は Mars Climate Orbitor で検索すればいっぱい出てくるよ。 成功率の数字を見ないとコメントに悩むが。 日本の人工衛星は大丈夫かな。 いつの時代かに日米は肩を並べたんだねぇ(また1985年1998年とまた、ややこしくなるが)。 長い道のりだ。 ノモンハンが1939年だからほぼ60年がかりか。 スタートが遅かったことを含めれば明治半ばから90年間で追いついたなら(1968年,,日本の工業力は西ドイツと肩を並べる)よく走ったほうか。
>>981 ガンドリルの解説と本スレと、なんの関係があるの?
中国なんかホテルによってコンセントの形状が違ってたり
だから何の関係があるのかと
>989 お前は祖父に武器(歩兵銃、機銃)も持たせずに戦わせるつもりかと。 ABCD包囲網(米英蘭中)の状況下でどこから武器を調達するのだ。 ノモンハンにいる敵(ウォッカ好きな人)は素手で越境してくるのか?
まぁ、 辻政信 牟田口レンヤ が出てくるのも当たり前か・・・。 ノモンハンでどんな機械が使われたかを書けばいいのか? BT戦車、45mm砲、モシン・ナガン小銃、他たくさん。 上記の相手に祖父に素手で突っ込ませることは俺にはできない。
>992 外交下手の国だから・・・・。 外交は1対1じゃない 外交の世界は複数対複数なのが実態 日本とソ連がノモンハンで争っているのを気にしているのは日本とソ連だけじゃない。 場所柄、中国も気にしているし 植民地経営をしてきた英仏も気にしているし 鉄道(満鉄や鉱山(石油、石炭))に資本参加しているアメリカも気にしている 英仏米を通してオランダも気にしている>ノモンハン。 つかソ連に関係する国はすべての国が気にしている>ノモンハン事件1939
一応局地紛争であって総力戦じゃないから とりあえず物資の調達は関係ないとして良いだろう ただし真っ最中にドイツのポーランド侵攻で第二次世界大戦が勃発
>>993-994 だから1941年の「ABCD包囲網」と1939年のノモンハン事変に、なんの関係が有るのかと
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