1 :
1 :
2007/12/15(土) 04:22:23 ID:qucs5aCX プリーズ
2 :
1 :2007/12/15(土) 04:29:11 ID:qucs5aCX
やあどうも 最近古代ローマの戦闘について考えて夜も寝られないんだが、 親切な軍ヲタに色々と御教授願いたいという次第でスレを立てさせて貰ったんだ。
3 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 04:30:00 ID:???
一等自営業阻止 そして初心者質問スレに行け
4 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 04:33:55 ID:???
・単発質問でのスレ建てはご遠慮願います。 ふと疑問に思った事があったらスレを立てる前に、初心者質問スレで質問しましょう。
5 :
1 :2007/12/15(土) 04:34:08 ID:qucs5aCX
まず、不思議なのは なぜ敗北する方は桁違いの死者を出すのかということだ。 確か、共和制ローマのルクルスはポントスと戦闘をしたはずだが ローマ側は死者は数えるほどで、向こう側は万単位で使者を出している。 それも、兵力はローマ側が数分の一だったはず。 これは想像するも難しい。 幾ら包囲されても、そのまま突破できないものかとおもうんだが。
6 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 04:36:11 ID:???
それよりちょっと聞いてくれよ 腹減ったからなんか食べようと思うんだが、 手軽に作れておすすめのものってある?
7 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 04:36:47 ID:???
>>5 俺はローマの戦闘には詳しくないので一般論で。
マジで識者にききたいなら初心者スレにでも行け。そしてこのスレには削除依頼を出せ。
一般論として、敗走する側が大量の死者を出すのは珍しくもなんともない。
同じ人数でちゃんと陣形を組んでおしあいへしあいしている間は、たいして死者はでないが、
敗走を始めると陣形が組めないし、士気も崩壊するから一方的虐殺状態になることもよくある。
ちゃんと統率できるなら別だが、まあ普通は不可能。
8 :
1 :2007/12/15(土) 04:38:43 ID:qucs5aCX
第二点はローマ側の強さについて。 なんでローマ軍はあれほど強いのか 同じ人間でこれほどまでに、違いがでるのはどういうことだろうか? 古代では兵器での違いはそれほどないと思う。 それだけに人間の判断の優劣が これほどの違いをもたらすと自分は考えている次第です。
9 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 04:42:15 ID:???
>>8 とりあえず「ローマ 戦術」でぐぐるくらいのことはしたのか?
10 :
1 :2007/12/15(土) 04:47:12 ID:qucs5aCX
11 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 04:47:51 ID:???
>>10 半年も調べているなら、ある程度の結果は出てるだろ。
とりあえずわかったこととわかっていないことを箇条書きでいいから書いてみなよ。
12 :
1 :2007/12/15(土) 04:51:13 ID:qucs5aCX
カエサルの最強さはどういうところからくるのか。 ありゃもう神じゃないか。 それに比べてオクタビアヌスの下手クソさはなんだ トップが違うだけでこれだけ違ってくるものなのか? 軍事的才能ってなんだろうか?
13 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 04:52:49 ID:???
半年調べた結果がそれだけかお前。 とりあえず塩婆の本でいいから読んでこい。いろいろ言われることもあるがとっかかりには充分だろ
14 :
1 :2007/12/15(土) 04:53:37 ID:qucs5aCX
包囲作戦の真価はわからないでもない 確かに人間は後ろに回られるのはかなりパニくるだろう そこで浮き足立って、じりじり押し込まれて中は圧死 確かにこうなれば、死者もかなり出てくるだろうということまではわかるよ。
15 :
某研究者 :2007/12/15(土) 04:55:59 ID:XpzDAOTE
16 :
1 :2007/12/15(土) 04:56:45 ID:qucs5aCX
古代ローマの戦闘に興味を持つのは それがとてもシンプルだからというのもアル。 ある意味スポーツのようでもあるしな。 男心をくすぐるわけよ。 現代に千人ぐらいの集団を作って戦わせてみたいとか毎夜考えたりしてね。 アメフトとかもそんなフウに見てるわけさ。
17 :
某研究者 :2007/12/15(土) 05:01:21 ID:XpzDAOTE
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1646953 >しかし、スナレス(Surena)はローマ軍がそういう戦い方をすることを知っていました。
>彼は前もって沢山の駱駝に矢だけを乗せて、砂漠に放っていました。そして矢が無くなった兵から順番に、その矢を持って来させていました。
>つまりローマ軍が予想するよりも沢山の矢をパルティア(Parthia)軍は持っていたのです。大量の矢による攻撃は、まるで砂漠に黒い雨が降っているかの様でした。
パルティアも大量に矢を揃えなければ
ローマには勝てなかったと言う事なのだろうか
>さらに強い日差しの日中、みんなで密集して寄り添っているのは、とても暑苦しい状態です。止まらない矢による攻撃にローマ軍は、だんだん焦れてきました。
まあしかし暑い場所で無ければ
パルティアに大量の矢が有ろうと
ローマが勝利していたと言う可能性も
有る訳だろうか
18 :
1 :2007/12/15(土) 05:01:31 ID:qucs5aCX
カエサルとポンペイウスのファルサルスの戦いでも カエサルは数が2分の一ぐらいなんだがそれでも勝ててる。 カエサルは自信があるわけだ。 同じローマ軍で体力は同じなんだし、 中央の重装歩兵はポンペイウスの倍の兵力に持ちこたえている。 これは、実に不思議だ。 カエサル軍は経験があるわけだがそれでもそれはどういう感じなんだろうかと。 色々考えちゃうわけよ。
19 :
1 :2007/12/15(土) 05:06:25 ID:qucs5aCX
百人隊長が指揮しててそれが、 ローマの背骨といわれてるらしいが 彼らがどんな指揮をしてるのかとか まあ実際の経験がなければこれはわからないわけだが。 細部が知りたいんだな。
20 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 05:06:56 ID:???
某研と根比べやって勝ったら教えてやるよ
21 :
1 :2007/12/15(土) 05:09:23 ID:qucs5aCX
なんというか、読むだけじゃわからない不思議さが色々とあってね。 軍ヲタなら、絶妙なサジェッションがあるんじゃないかと思い、スレ立てしたんだが まあ支離滅裂な質問かもしれないが、 マニアな奴がいたら是非聞きたいと思ってね。
22 :
1 :2007/12/15(土) 05:14:51 ID:qucs5aCX
俺の古代ローマの戦闘に対する情熱はわかってもらえたかな。 おもいつきのスレ立てじゃないんだ。
23 :
1 :2007/12/15(土) 05:15:56 ID:qucs5aCX
ふう、 久しぶりに長文かいたぜ。
24 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 05:15:59 ID:???
>>22 情熱はさておき、質問スレがすでに存在するのには気がつかなかったらしいな。
ちゃんと削除依頼出してこいよ。
25 :
1 :2007/12/15(土) 05:17:01 ID:qucs5aCX
26 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 05:17:48 ID:???
27 :
1 :2007/12/15(土) 05:23:10 ID:qucs5aCX
>>26 いや
おれはここでまったり古代ローマについて語らいたいんだよ。
出来れば、雑談風に。
知識というかヒントが欲しい。
大体軍ヲタだってただの耳学問だろ。
一般人に毛が生えただけのもんだろう。
というわけでしばらくここに居させてもらうぜ。
28 :
1 :2007/12/15(土) 05:25:24 ID:qucs5aCX
ここまでくれば即オチはしなさそうなので睡眠を取ることにしよう。
29 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 05:26:11 ID:???
>>27 だったらまずお前が率先して語れ。
というか、立てるならちゃんと誰でも古代ローマについて語れるスレを立てろ。
まったり語らうスレを立てるのに、「俺に手取り足取り教えてくれ」ってどんなふざけた態度だよ。
スレを私物化するな。お前の知りたいことを教えてもらうだけのスレなんて単発質問スレと一緒だろ。
30 :
1 :2007/12/15(土) 05:32:18 ID:qucs5aCX
>>29 まあそれはいえないこともないな
だがなんというか
2ちゃんによくあるスレ立てのテンプレみたいな定番だろ?
そう目くじら立てるなよ
戦場じゃ冷静さが大切だぞ
一緒にゴート人を壊滅させようじゃないか
31 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 05:35:49 ID:???
>>30 まあ、冷静になってじっくり考えてみろ。
古代ローマについて語りたい奴がスレ一覧を見たとする。
で、このスレを見つける。
一目見て、「ああ、教えてくんが立てた単発スレだ。有益な情報の交換はできそうにない」と判断する。
まかり間違ってスレを開いたとする。
1に一言「プリーズ」。この先を読む気は失せるだろう。
ちゃんとしたスレ立てをしろってのはそーゆことだ。
32 :
1 :2007/12/15(土) 05:38:33 ID:qucs5aCX
七生嬢のいうことには サッカーがすきらしいが それは古代ローマの戦闘を思わせるかららしい 俺はたいしてサッカー自体は好きじゃないがそれを聞いて ちょっと真剣に見たりしたりもしたんだが 俺の想像力はくすぐらなかったな。 という訳でオヤスミだ。 一日1回ぐらい書き込むぜ。
33 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 05:39:55 ID:???
まして、古代ローマについて教えてほしいという情熱を持ってスレを立てたはずの1が、 「1日1回くらい書き込むよ」と放置同然の状態にあるのならなおのことだ。 自分でちゃんと語れる自信がないのならスレなんか立てるな。おとなしく初心者スレに投稿してろ。
34 :
1 :2007/12/15(土) 05:44:00 ID:qucs5aCX
>>31 スレがそれなりに伸びれば
こいつもただの プリーズ じゃないな
とわかってもらえそうだな。
俺みたいなとーしろがあんまり畏まるのもどうかと思って
軽いのりになってしまった。
歴史に関しては平均的日本人よりは心得てるぞ。
センターはほぼ100点だからな。
35 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 05:44:48 ID:???
まあ、まず身近なことから考えてみようか。 義務教育は終わってると思うので、学校を例に挙げよう。 最近は少子化で子供の数も減ってるだろうが、 それでもまあ体験する中では大人数が動く身近な例だろう。 (過疎地域だったらすまん) 古代にはマイクもなければ拡声器もない。 言ってみれば学校の遠足の規模を大きくしたようなもんだ。 目的地が決まってる遠足だって教師が至るところについて指示するだろう。 あれが百人隊長みたいなもんだ。 で、遠足と違って状況もやることもコロコロ変わる。 総司令官の声なんかはとどきゃしねえ。 だから大隊(クラス)単位で整列させて陣形組ませて百人隊長(教師)に指揮させると。 おまけにある程度密集させておかないと声が届かないから指揮できない。 で、戦闘やってる時には総司令官はあんま細かな指示は出せない。 声は届かないし伝令出してる間に状況が変わるからな。 大まかな指示出しておいて現場では百人隊長などの中級指揮官が自分の目と声が及ぶ範囲を指揮すると。 だから百人隊長が駄目だと駄目なのよ。 次に包囲戦術だがこれもラッシュ時の電車を想像してくれ。 まあ、大規模な人混みなら何でもいいが。 包囲された中があんな状況になるともう中は動けない、武器も振るえない。 外周だけが戦うわけだが、外側の方が武器を振るいやすいわけだ。 包囲を破られそうになったらそこを厚くできるしな。 まあ、ちゃんと戦うにはある程度の空間が必要なわけだ。 突破するにもな。
36 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 05:52:59 ID:???
スレタイなんかはどうでもいいんだが、実は古代ローマ帝国の軍隊を語る スレっていうのがすでにあるんだよね…
37 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 06:04:57 ID:???
38 :
1 :2007/12/15(土) 06:22:44 ID:qucs5aCX
>>35 そういう具体的な説明はいいな
わかりやすい
圧死したポントス軍は満員電車状態か
しかし、日本の戦闘で圧死は聞かないな
39 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 06:26:59 ID:???
>>38 日本の戦闘は近世以前は規模が小さいものが多いのと、
ファランクスやレギオンのような密集隊形を取っていないのさ。
もちろん、実際には圧死した人間もいるだろうがね。
40 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 06:28:16 ID:???
あと、中世の武士の戦闘は集団戦というより個人戦の集合なんだよ。 一騎討ちの寄せ集めというか。 戦場での人口密度が違うってのが大きい。
41 :
1 :2007/12/15(土) 06:35:45 ID:qucs5aCX
ローマ末期でも結構ローマ軍は蛮族相手に勝ってるんだよな ローマ軍はすでに成員が蛮族なんだが ローマの強さはシステムと軍団内に蓄積された経験なんだよな ただ押してくるだけの蛮族相手に、 百人隊長に率いられたサブ軍団が臨機応変に動いて兵力の少なさをカバーしてるわけだ。 その戦場の勘というか、判断力 それに組織力 戦闘の醍醐味を感じるね。 相手方の崩れているところとかを見つけて、突入するんだろうな。
42 :
1 :2007/12/15(土) 06:44:23 ID:qucs5aCX
>>39 関ヶ原の戦いで小早川が裏切らない場合
東軍は毛利とかに挟まれて圧死もありえそうだな。
43 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 06:50:46 ID:???
>>42 それはない。
関ヶ原の地形図を見ればわかる通り、
全周包囲に持ち込むには地形が起伏に富みすぎている上に、
毛利が山上から降りてくるのに時間がかかる。
毛利の参戦で総崩れになったら東軍の犠牲は増えるだろうが、
大部隊が圧死で失われるということは考えられない。
44 :
1 :2007/12/15(土) 06:55:07 ID:qucs5aCX
なんとなくわかってきたなぁ 古代の場合は、狭い空間に閉じ込めていくのが圧勝のセオリーか 満員電車の例えは秀逸だな 刀も振るえないしな 女子高生の尻を堪能できるぐらいだな だが、兵力が有り余ってるのに、 されるがままというのは、敵方も情けないな。
45 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 06:59:16 ID:???
>>44 元々密集隊形というのは機敏な方向転換や対応が苦手な陣形なんだよ。
ファランクスは特にそう。
レギオンは少しは自由があるがね。
ただ、全周包囲は非常に実現するのが難しいので、
地形を利用した反包囲や挟撃だけでも十分な効果が見込める。
何が言いたいかというと、ハンニバルやスキピオ・アフリカヌス、カエサルはマジ天才。
46 :
1 :2007/12/15(土) 07:04:34 ID:qucs5aCX
>>43 古代じゃわざわざ会戦形式で両軍が平地に布陣するということか
ローマ側がおびき出しているということかな
たしか、マルクスアウレリウス帝の頃の戦闘でローマがゲルマン相手に勝てなかったのは
平地じゃなかったからというのがあったようななかったような
47 :
1 :2007/12/15(土) 07:07:39 ID:qucs5aCX
48 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 07:08:21 ID:???
>>46 いや、単に全周包囲に拘る必要はないということさ。
トラシメヌス湖畔の戦いのように地形を利用すれば別に全周包囲しなくても大打撃が与えられる。
というか、共和制ローマから帝政末期以前のローマ軍団は士気が高すぎるので、
包囲して殲滅しないと駄目だが、他の軍ならそこに至る前に士気崩壊して潰走するから。
ま、具体的な戦例を地形図見ながらいくつか見ていけばわかる。
49 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 08:11:21 ID:CLzrPSP3
古代ローマ時代を基としたAVって、カリギュラしかないの?
50 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 08:15:00 ID:???
良スレの予感
51 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 18:04:56 ID:???
そこで徒手格闘兵団ですよ。 「いかなる武装いかなる人数でも徒手にて戦い完勝する。それが徒手格闘兵団 (パンクラトスレギオン)の使命と識れ!!。」 「日頃の鍛錬はこの日のためぞ!。奮い立て!衛帝隊!!。」 「俺は、三人の剣闘士を素手で倒した男を知ってるよ・・・・。」 セリフ間違えてたらごめんして。
52 :
1 :2007/12/15(土) 19:04:14 ID:qucs5aCX
確か大スキピオがスペインの刀グラディウスを採用したが それも短めの刀身だったな そう考えると古代の戦闘の特徴が垣間見えるな 混戦になりやすいからスキぴオはグラディウスが有利と見たんだろうな。 七生もそこまで書かないとだめだな 書いてたっけか? 俺としては、このスレでローマ人の物語が今市弱かった戦闘についての洞察を にわかローマ史ファンにも納得できる形にフォロウしたいね。 というわけで俺の継続の意志を示すぜ
53 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 20:20:31 ID:???
あの時代の重装歩兵と軽装歩兵の違いは、どのあたりにあるのか? 一般的には、戦列の白兵歩兵と、散開戦術の射撃・投擲兵というイメージだと思うが。
54 :
名無し三等兵 :2007/12/15(土) 20:44:09 ID:???
アルミニウスとスティリコとアラリクスはローマ帝国に於ける蛮族の三傑と言っていいのではなかろうか。
55 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 05:15:29 ID:???
>>53 基本はそんな感じ。
ただ、散開といっても後の時代の散兵戦術とは根本的に異なるのは、
指揮・通信系統が未発達だから。
まとまって隊列を組むのは重装歩兵と一緒。
戦場では得物を効果的に使うために重装歩兵よりは散開する。
56 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 11:22:45 ID:???
重装歩兵も投げやり持ってるね。白兵戦直前に投げるのかね?
57 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 13:38:49 ID:bW4dR561
遠征の時はどうしてたのかな? あんな大群をローマから引き連れて行ってのか? 何ヶ月も歩き続けて、食料を調達するのも大変だと思う。 病気になる奴もでてくるだろし。 それと、版図を広げるのはいいけど、 なぜ凱旋している間に奪還されたりしないのか? ローマに知らせが届いてそれからローマ軍が戻ってくるまで何ヶ月もかかるだろ。
58 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 13:40:05 ID:???
古代ローマ時代が舞台のAVって、カリギュラしかないの?
59 :
1 :2007/12/16(日) 16:22:06 ID:h3I9lsoX
白兵戦における消耗率に関してなんだが昨日考えてみたよ。 よく時代劇なんかだとズバズバ切られちゃってるけど あれは無論嘘だよな? 俺の仮説だと、いきなり致命傷や戦闘不能になるような傷を負う事は殆どなくて 軽い傷とか、交代が出来ない状況での体力の消耗が続いていくうちに、 だんだんと判断力がすりへりや動きが鈍くなって徐々に歯が抜けるように、 戦友が倒れてゆくという解釈でいいかな? 百人隊長が率いる小隊も戦闘を最初から最後まで続けるんじゃなくて やっぱり、後詰があって交代しているというのが俺の考えなんだがどうだろう。 俺は剣道してたが10分でもかなりきつくなる。 サッカー見ていてももう後半15分切ればハーフ入れてもフラフラだもんな。 つまり大量の死者がでるというのは均衡が破れて陣形が崩れた時に限るという感じでいいか? カエサルが包囲に持っていって勝つ戦闘も最初は重装歩兵がガチンこでぶつかっているわけだが それでも死者があまりでていないということは白兵戦における死ぬ可能性の低さを表してるとおもうんだが。
60 :
1 :2007/12/16(日) 16:26:07 ID:h3I9lsoX
俺はまさに自分がローマ兵の気分で考察してみた。
61 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 16:27:32 ID:???
>つまり大量の死者がでるというのは均衡が破れて陣形が崩れた時に限るという感じでいいか? それで合ってるよ。 というか、その為にわざわざ陣形組んでるからね。 互角に組み合ってる内は死者も余りでないが、一旦陣形が崩れ、更に敗走に移ると 途端に死傷率が跳ね上がる。 なので白兵戦に於いては死ぬ可能性が低い、とは一概に言い切れない。
62 :
1 :2007/12/16(日) 16:41:54 ID:h3I9lsoX
寄生獣かいた岩明均が最近ギリシャローマにこってる感じだな。 ギリシャのファランクスも描かれている。 あれは参考になるな。
63 :
1 :2007/12/16(日) 16:49:30 ID:h3I9lsoX
>>61 そうか
それは、
>>61 オリジナルの考察か
それとも結構軍事史では常識なのか
俺は昔剣道で調子に乗って振りかぶったら女子に見事な胴を入れられた経験があるが
こういう不運な奴もいそうだな。
真っ二つだ
ゲルマンはほぼ甲冑なしの裸だったというがよくそんなんで刃物振り回せるもんだよな。
64 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 16:53:07 ID:???
戦史では常識的な事だと思うけど、気になるなら本を読んで検証してくれ。
65 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 16:55:33 ID:???
>63 兵士個人のレベルならグロスマンの「人殺しの心理学」読んでみれ。 面と向かっての殺害には大きな心理的抵抗が伴うが、背後からなら 抵抗なくいくらでも切りつけられる。 しかも、逃げる側もそれを知ってるから士気は崩壊し、抵抗らしい抵抗も できなくなり、追撃側がさらに勢いづき… となる。 だから退却戦は難しいし、それを成功させた指揮官は名将といわれる。
66 :
1 :2007/12/16(日) 18:17:04 ID:h3I9lsoX
>>65 なるほど
ローマ人同士の戦いだと更に心理的抵抗がありそうだな
同盟市戦役なんて複雑な心境だっただろうな
よく消耗戦というが同盟市戦役なんてまさにそれだっただろうな
お互い手の内はわかってるし
士気も拮抗
もはや、死力を尽くした戦闘だったんだろう
だからお互い死者数が多い
最後列のベテランまで使い果たしてボロボロの戦いだったんだろうな
指揮する執政官ももうだめだなこりゃという感じだろう
67 :
1 :2007/12/16(日) 18:48:33 ID:h3I9lsoX
なんだか、だんだん想像できるようになって来た希ガス オクタビアヌスは消耗戦しか出来なかったのかもな 戦場の勘という奴がないんだろうなあ なんとなく勘づいてもいまいち実行できないとか こういう人間っているよな 俺もまさにこっち 考えすぎて勝機を逃がすタイプだわ
68 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 19:09:43 ID:AU2g3mVY
69 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 19:19:28 ID:???
生足兵士萌え
70 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 19:41:36 ID:???
略奪しまくりされまくり (;´Д`)ハァハァ
71 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 20:04:40 ID:???
とりあえず突撃の際は「ローマビクター!」と絶叫する それと、陣形を決して乱さないこと 孤立して自分がどこいるかわからなくなったときはこの世のものでないそうだ
72 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 20:35:35 ID:???
ローマ軍かあ、生身の軍隊だから天と地ほど違いが有るとは思わないけど 士気が高く粘り強く、一気に崩れるような感じではないな 後、ガリア戦記の中で工兵が優秀だったと見た気がする
73 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 23:24:17 ID:u20TNBQk
>68 ただ、古代ローマが戦例の宝庫なことを考えると、こういうシロート向けのスレがあってもよさそうな 気はする。限りあるリソースの有効活用のためにも、スレを無駄にするわけにもいかんし。 幸い1にはやる気だけはあるっぽいし、冒険も来たことだし、age進行で人目につくようにやってみるか。
74 :
名無し三等兵 :2007/12/16(日) 23:52:46 ID:???
age進行は他力本願 ある程度は自力で頼む
75 :
名無し三等兵 :2007/12/17(月) 01:04:49 ID:???
適当に知ったかぶりを書き散らすよ ローマ軍の最小単位は8人一組。 生活用具を8人で分担して持ち、兵舎でも同部屋で暮らす。 10組でケントゥリオ。80人でも百人隊。 百人隊には80人の兵士の他に、百人隊長、隊長代理、旗手、伝令がいるよ。ラッパ手もいたかな。 2個百人隊でマニプルス(中隊)。 このマニプルス単位で密集陣形作って突っ込んでいくよ。中隊の指揮は二人の百人隊長のうち、先任の方が取る。 しかし中隊が編成されていたのは共和制期で、帝政期には6個百人隊(480人)でコホルス(大隊)を作るようになる。大隊長も最先任の百人隊長。 但し帝政期の第1大隊のみ、160人からなる5個百人隊800名。 共和制期は30個中隊と騎兵10個中隊(300騎)、 帝政期は10個大隊と騎兵4個中隊120騎でレギオン(軍団)を編成。 員数外は一杯いたみたいだけど。 軍団の指揮は共和制期、執政官の下に元老院議員1名、騎士階級5名の士官クラスがいて(千人長)とっていたけど 帝政期には軍団の駐留する属州の総督が軍団長。総督も忙しいので、経験豊かな百人隊長を陣営総督に任じて 平時の軍団の管理と戦時の参謀長をさせた。 他に軍団旗手とかオナゲルやカタプルタを装備した砲兵隊とか退役した兵士達からなる予備大隊とかもあったよ。
76 :
名無し三等兵 :2007/12/17(月) 01:06:11 ID:???
軍団の数は共和制期、ローマ市民からなる2個軍団、同盟市民からなる2個軍団(騎兵は30個中隊900騎)からなる4個軍団が毎年編成され常備兵力となる。 戦時にはもっとたくさん編成される。 内乱時には60個軍団にもなったのをアウグストウスが28軍団に削減。 代わりにそれまで臨時に召集していたアウクシリア(補助軍)を常設化して大隊単位で国境警備に当たらせた。 レギナリィ(軍団兵)14万に対して、アウクシリアは歩兵14万騎兵8万(ハドリアヌスの時) レギナリィはローマ市民権保有者から徴募。当初はイタリアや南仏出身者が多かったが後には国境沿い属州出身者が増える。 任期20年。勤め終えたら退職金か土地がもらえる(という建前)。 アウクシリアはローマ市民以外の自由民から徴募。任期25年。勤め終えたらローマ市民権がもらえる。 ところがローマ市民からなるアウクシリアというものもあってよくわからん。 後、コホルス・プラトリエとかコホルス・ウルバナエとかクラシスとか色々あるけど 疲れたんで終わり。
77 :
名無し三等兵 :2007/12/17(月) 01:21:49 ID:???
>72 ガリア戦記は著者が親玉だっつう事をお忘れなく つまり自画自賛
78 :
名無し三等兵 :2007/12/17(月) 03:29:52 ID:???
>>57 防衛ラインに駐屯地築いて軍団常駐させてる。
もちろん、装備や食料も備蓄してるしな。
79 :
名無し三等兵 :2007/12/17(月) 21:00:36 ID:Tym68QJw
>>61 戦争のプロが実際の経験を基に考えた陣形が有効だろうことは理解できるが、
陣形が保たれている間は死人がほとんど出ないというのは想像しにくいな。
常に1対1なら分かる。殺るか殺られるかで集中力が研ぎ澄まされていたんだろう。
ただ、サッカーやラグビー、バスケットなんかでも、2対1、3対1の状況なんてすぐにできてしまう。
さすがに剣を持った兵士3人に囲まれたら殺されると思う。
80 :
名無し三等兵 :2007/12/17(月) 21:14:21 ID:???
>>79 >さすがに剣を持った兵士3人に囲まれたら殺されると思う。
そりゃ当たり前の話だ。
そうならない為に陣形を組んでるんだってば。
例えば、ファランクスでは自分の盾で左隣の戦友を守る仕組みになっている。
それ故に最右翼の列は最も屈強で勇敢な者が選ばれていた。
そういう状況を打開する為に予備兵力や騎兵、弓兵といった戦力や
迂回や包囲、側面攻撃や中央突破といった戦術が生まれたわけで。
それと、「ほとんど出ない」とは書いてないよ。
81 :
名無し三等兵 :2007/12/17(月) 21:26:07 ID:Tym68QJw
>>80 なるほど。
やっぱりいろいろ考えてあるんだな。
82 :
名無し三等兵 :2007/12/17(月) 22:24:07 ID:???
百人隊長は、そんな両軍戦列の間を走って、指揮を鼓舞しなければならなかったらしいな 死傷率が高いわけだ
83 :
名無し三等兵 :2007/12/18(火) 02:35:09 ID:???
グラディウスって突き以外に振り下ろしも甲冑なしなら有効。
84 :
名無し三等兵 :2007/12/18(火) 04:08:53 ID:aP+xdRMt
>>80 上にあったカエラルの戦いを見たが、
矢に備えて何十人も集まって盾を構えて亀みたいになってるな。
あれが陣形や隊形というわけだ。
よく映画で見る「突撃ィ!!」の合図でみんな思い思いに全力疾走で
突進するというわけではないんだな。ある程度は集団で動いているのか。
その陣形、隊形から外れた奴は殺されやすい訳だ。
「陣形を保て!」とか「陣形を整えろ!」というのは1人1人バラバラになると
一気に殺されてしまうからという訳だ。
85 :
名無し三等兵 :2007/12/18(火) 04:13:47 ID:aP+xdRMt
>カエラルの戦い カルラエの戦いの間違いでした。
86 :
名無し三等兵 :2007/12/18(火) 07:23:26 ID:???
2000や3000の兵士が無秩序に突撃したらそれは潰走と変わらんよ。 それこそ圧死者が出るぞ。 戦闘になんぞなったもんじゃない。
87 :
1 :2007/12/19(水) 06:30:28 ID:PuVePZ2g
皆の臭 おはよう なかなか示唆に富んだ書き込みがあるな 身近な感覚の発想大歓迎だぜ 質問をするにも結構頭を使うので間が空いたよ
88 :
1 :2007/12/19(水) 06:35:50 ID:???
俺は川沿いをマラソンするんだが
これからローマビクターと叫びながら走り込むことにするわ
そんな奴がいたら俺だと思ってくれ
多分、後ろにローマ兵のオーラを発しているはずだ。
>>84 亀甲隊形とかいうんだよな
マルクスアウレリウスのマルコマン二相手の戦闘で包囲された時にそれで耐えたらしい
どこか筋肉マンの筋肉ガードじみてるよな
89 :
1 :2007/12/19(水) 07:02:08 ID:???
包囲されたローマ軍は、圧倒的な劣勢に陥り、周辺部から損害を増加させていった。
ロングスは突破口を探し、正面のガリア歩兵に対して戦力を集中させた。
カルタゴ軍中央を突破したローマ軍は、そのまま撤退した。
しかし、およそ半数が包囲下に取り残され、殺されるか捕虜になった。
http://ja.wikipedia.org/wiki /%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%93%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
トレビアの戦いだが
やっぱり包囲からの生還もあるな。
包囲されてもそれぞれの隊が外を向いて踏ん張ることは出来ないものかな?
包囲されることの不利をこれはという感じで説明して欲しいな
心理的な恐怖心からグダグダになるのか
騎馬兵がものすごい勢いで側面からやってく来るんだろうが
うーんやっぱり背を見せちゃうのかな?
百人隊長が幾ら叫んでも
流石のローマ兵も恐慌を収められないものか
退くな、ローマを守れ
の声が空しく響く
トレビアの戦い
90 :
1 :2007/12/19(水) 07:20:01 ID:???
全軍が意思統一できないというのも包囲脱出を難しくしてるんだろうな now on thinking,,,
91 :
1 :2007/12/19(水) 07:32:53 ID:???
この戦から、特に包囲戦の有効性が強調されるが、 ローマの敗因は、包囲されたことによりパニック状態になり、 組織的で有効な対応ができなかったことにある。 もし、ローマ歩兵が包囲側の攻撃に耐え、 そのまま前進し包囲網を突破し左右に展開出来たならば、 逆に寡少なカルタゴ軍を包囲できたことになり、 全く違った結果となっていたと考えられる。 カンナエの戦い 同ウィキからの引用だが やっぱり戦場でのパニックというのがキーだな
92 :
名無し三等兵 :2007/12/19(水) 15:27:54 ID:DOEZ491q
圧死者が出るというぐらいだから、包囲される前あたりから中にいる兵士には 相当の圧力がかかってくるんじゃないか? そうなると中にいる兵士達の間で「押すんじゃねーよ!」と小競合いが起こって、 それがエスカレートして殺し合いなんかでも起きたら収集がつかなくなる。 まさにパニック。
93 :
名無し三等兵 :2007/12/19(水) 15:36:57 ID:DOEZ491q
百人隊長との信頼関係もどの程度あったのか? 包囲されそうになって、百人隊長からの的確な指示が出ない時に 兵士が進言しても即却下されたりしたら、疑ったりしないかな? 兵士「反対側が手薄です!向こうからなら突破できます!」 百人隊長「だまらっしゃい!!」 兵士「・・・・ダメだ、このアホにはついて行けん」 そうなったら1人また1人と隊列を離れて自分だけ助かろうと脱出を 試みる奴もいたと思う。 恐怖が伝染した見方は敵に勝ると言うから、 また更に逃げだす連中が出てくる。 いわゆるパニック。
94 :
名無し三等兵 :2007/12/19(水) 15:52:54 ID:???
トラヤヌス帝の円柱モニュメントにもあるけど、 あそこまで楯で上下左右隙間無く、固められた陣形に 組織だった行動されると相手にとっては脅威だろうな。まさに動く戦車。 でもあういうのって、パニックにならないからこそできる戦術なんだろうな。 カンナエでその様な陣形がとられたかは判らないが・・・
95 :
名無し三等兵 :2007/12/19(水) 20:22:03 ID:???
96 :
名無し三等兵 :2007/12/20(木) 16:19:00 ID:???
>>93 個人差も時代にもよるだろうが、百人隊長は士官じゃなくて叩き上げの下士官で、
優秀な軍団兵が昇格するものだから下手な貴族や騎士階級出の士官よりは
兵士には信頼される傾向があったんじゃないか?
ガリア戦記なんかにも勇敢な百人隊長の話がわざわざ書かれてたり、
百人隊長は市民から尊敬を集めるなんてローマの習慣からすると、
平民には憧れの対象だったんだろうしね。
97 :
名無し三等兵 :2007/12/20(木) 22:18:47 ID:???
カエサルの部隊は大蒜を食いすぎだと思うんだ…ノルマ一日20個〜30個は多すぎだろ。 口は臭いし、腹を壊すぞ。 カエサルの部隊=口臭軍団 キシリで歯を磨いていたそうだが…。それでも臭い…臭い。 そしてカエサルは珍しく、ハゲ、デブでオオモテ…。知的で 精悍で気概、胆力、政治力、軍事力、服のセンス、口説き文句が上手ければ モテル珍しい人物だな。 殺されなければパルティアは滅亡は早かったのかも知れん。
98 :
名無し三等兵 :2007/12/21(金) 20:09:54 ID:???
>知的で精悍で気概、胆力、政治力、軍事力、服のセンス、口説き文句が上手ければ もてて当然な気がしてならない
99 :
名無し三等兵 :2007/12/21(金) 22:12:45 ID:???
そんだけありゃ普通以上にモテるよ。 髪の毛なんてなくたってな。
あぼーん
101 :
名無し三等兵 :2007/12/22(土) 02:22:54 ID:iWvOYfii
古代ローマやギリシャの集団密集戦は記録には残っているが、 具体的にどのように戦ったかは再現できていないとどっかで読んだことある。 確かに想像すると、 ・最前列の兵隊が敵の最前列と槍や剣を相手の盾に力任せにガシャガシャと叩きつける。 ・横には移動出来なのでひたすら正面から相手の盾に打ち続ける。 ・その間、二列目三列目はそれを傍観している。 ・どちらかが疲れてくるとやられてしまう。代わりに二列目が前列に入る。 本当にこんな戦い方してたんだろうか? なんか現代人は思いっきり勘違いをしてるんじゃないかと 思ってしまう。集団密集戦を選択したのにはもっと深い理由がありそうな 気がするんだけど。
無線機が無い時代だからね、型に押し込めて部隊で動かさないと指揮官が戦闘を把握 できず移動も補給もままならない。独立戦争の頃だって、お互い50メートル位まで隊列 組んで立ったまま銃撃戦繰り返すと言う現代人から見れば自殺行為としか思えない戦術が まかり通ってた。
ファランクスとかだと、二列目や三列目の人達も槍で突いてたとか聞いたけど。 あの槍、結構長いし。 歩兵は敵の歩兵とぶつかる前に、投げ槍や投石、矢の雨をくぐり抜けなきゃいけない。 そういう飛び道具に対して有効だったのが、盾と鎧でガチガチに固めた重装歩兵の密集陣形だったんでしょ。
で、勝ち負け比べしたいんなら今までに殺した数を報告してもらおうか
105 :
名無し三等兵 :2007/12/24(月) 00:59:38 ID:/+Kqg7Og
>>102 >>103 たしかに米と墨の戦争なんか、太鼓叩いて、銃弾の雨の中を隊列組んで進軍
という映画のシーンがあるよね。
だけど、毎回密集隊形どうしで、ギリシャ時代から何百年も戦ってれば、
迂回するとか、小部隊で背後を突くとか考えると思うんよね。
あんだけの建造物作る古代ローマ人なんだから。
(まあそれを覆したのがハンニバルなんだけど。)
何かもっと密集隊形とらないといけない決定的な理由があるような気がするんだけど。
例えば、剣も槍も、相当相手に接近して、渾身の力をこめないといけないほど、
ナマクラだったとか。
>ナマクラだったとか。 剣も槍も突いたり、殴る道具だ 日本刀の様に切れねーよ、言わば自重で千切るだ 同太貫でさえ3-4人切ると血糊で切れなくなるぜ
>105 ラグビーでスクラム組まされた経験があれば 一発で解ると思われ。 密集して突っ込んでくる相手を受け止めるには こっちも密集して後ろの奴に押してもらう必要が有る。 さもなければ剣を振るう間もなく踏み倒される。 重装騎兵を相手にする場合や、火器が登場する時代になると 話は違ってくるが。
108 :
名無し三等兵 :2007/12/24(月) 03:14:58 ID:/+Kqg7Og
>>107 それずごくよくわかる。俺もラグビー経験者
FWが密集で壁作って耐えてる時はいいけど、疲弊してきて、中央割られると
BKの散兵では抑えきれなくなって、戦線崩壊、ぼろ負けコース直行。
重装騎兵や火器がなかった時代に、ナマクラ武器で人力で衝力を得るためには
密集隊形しかなかったってことなんだな〜。
なんとなく納得。
>>105 迂回しても他の部隊で補足される
小部隊なら背後を突いても殲滅される
つか、指揮と通信の問題だからある程度以上の規模になると密集隊形はどうしようもない
>>108 ついでに言っておくと、戦国時代の日本刀だって人なんかロクに切れないぜ
付くか殴って組み付いて脇差しで首を取る
主兵装は槍だ槍
斬撃武器なんて鎧着込んだ相手にはろくすっぽやくにたたねーんだよ
>>106 >同太貫でさえ3-4人切ると血糊で切れなくなるぜ
いや、それはない。
3、4人切ったらダメになるとか
日本刀は人をロクに切れない、ということは無いよ。
介者剣法は突きが主体である事と主に使うのが鑓である事は事実だけど。
刃物なんて焼きが若干あまければ研ぎ次第で切れ方なんていくらでも変わるんだけど・・・
あまり鋭くすると刃こぼれしやすくなるから時代や用法、使う人の好みで違ってたでしょ。
>>110 野太刀や大太刀はともかく日本刀で重さで叩くってのは無理があるよ、両手で使う刀剣としては
軽すぎるからね、鎧なんて斬撃に恐ろしく強いものだし、あなたの言うとおり首落とし用や相手の
末端部を傷つけて失血させる武器だね(某雑兵記より)
ただし主兵装が槍ってのも無理があるね、戦国で言えば主兵装は弓>銃砲や投石>槍でしょう、
意外にも飛び道具マンセーなんだよね。
ただ幕末や西南戦争くらいになると、入手や容易で数もあり、法的に規制が緩く扱いになれてた 日本刀が大活躍してたし主兵装として使われたはいたけどね。
鎧の意味が無くなったからねえ、戦術が違う。ゲルマン人とかダキア人は鎧 を装備せず、半裸や普通の服で盾だけ装備して戦ったって言うから剣もそれなり に有効だったと思われる。補助兵は長剣が標準装備だし。
ここでも鈴木眞哉説か。 ほんと多いなー。
>>112 いわゆる太刀や打刀で首は掻けません
脇差でも厳しい
首を掻くのは短刀のようなものです
>>113 着込みを付ける習慣が廃れたんで相対的に刀の威力が上がったのもあるぜ。
それでも、鳥羽・伏見以降はもう刀は駄目だ鉄砲だって薩摩の桐野と新撰組の土方が証言してるし。他ならぬこの二人が揃って言うんだから間違いあるまいよ。
刀っていうか刀槍弓全部な。 弓は長州戦争で役に立たないと分かり 銃以外は意味を成さなくなった、と判断された。
119 :
名無し三等兵 :2007/12/24(月) 23:30:55 ID:/+Kqg7Og
話をローマに戻そうよ。 紀元前後の話と18世紀の話を比べてもどうかと... なんであんだけの建築技術を誇ったローマ軍が、密集隊形という 現代人からすれば、滑稽とも言える非効率的な戦いをしたのかということ。 通信の問題を言う指摘もあるけど、電子的な通信手段は19世紀以降の ことであって、古代人が密集隊形を選択した理由にならないと思う。 七生先生もそのところは書いてないんだよね。 うーん やっぱり軍板の知識を持ってしても、密集隊形の謎は解けないのかの〜。
ローマ軍の格好は、正直、有り得ないと思う。剥き出しの 腕や脚なんて。しかも、その格好で短剣での近接戦を行う 訳だし。
>>120 そりじゃあんまりじゃねーかよ。
ここに逝ってくれといわれても、それじゃこのスレはいったい...?
オレの思ってる解けない謎は、何でその後集団密集隊形は消えたのか。
(歴史的に伝承されていない)少なくとも19世紀ぐらいまで通信手段も
なんも変化ないのに、戦法だけが劇的に変わってるということは、
何か別の大きな決定要因があったんじゃないかと思っているだけ。
単純に集団密集陣形を組みうる基盤になる社会が消失したからでしょ。 スイス傭兵とかランツクネヒトとか、ある程度の社会基盤が復活すると密集陣形も再建されてるやん。 鉄砲の時代になってもテルシオなりナポレオンの方陣なり、密集陣形の時代は続く。19世紀半ばのミニエー弾の登場で消滅するけどね。
>>122 一体?も何も、単発の○○スレだ。
本来なら
>>4 だというに。
その集約された疑問点を初質で聞けば良いんだよ。
ローマについてなら前述のスレだ。
後は「戦争の世界史」とかでも読むんだね。
後、程度の差は有ると雖も、密集隊形は19世紀まで消えてないよ。
>>119 謎というか、当時の兵器体系では密集陣形を撃破出来得る
有効な戦法を採れないからなのでは?
理論的には非効率でも実戦では一番効率的、なんて話は現代戦でもよくある事
まあ、何となく納得したという感じだけど。
>>124 の言う「単発の○○スレ」とういのもその通りなんで
今日はこの辺でよろしいかと。(いヴだし)
>>124 連れ合いと密集隊形でもしてろ
オレは散兵戦術だがな・・・
フランチェスカ・・君を残していくのが・・
129 :
名無し三等兵 :2007/12/25(火) 02:12:10 ID:JtQwUgFI
知恵遅れの鈴木馬鹿はローマスレまできて弓が主武装だとか 刀は切れないとかやってんのか
煽りとフリでスレを維持するってのは、あれよ、無理だってばさ。と邪気眼の使い手が。 密集隊形が必要なのは機動隊と学生運動の衝突とか、そこらをみれば分かり易いと思う。 いくら体鍛えてる機動隊だって、単独で飛び出すと袋叩きにされちゃうよ。ゲバ棒怖いし。
131 :
某研究者 :2007/12/25(火) 05:30:49 ID:r8u1/zbY
>ローマ軍の格好は、正直、有り得ないと思う。剥き出しの >腕や脚なんて。しかも、その格好で短剣での近接戦を行う >訳だし。 歩兵は重装備は困難だろうし 攻撃は盾で防護すると言う方向だろうか (まあしかし騎兵は後でパルティアの影響で 重装備に成ったと言う事だろうか)
>>122 国民国家が出てきて徴兵制で散兵戦術使い始めるまでは歩兵は密集隊形だが。
お前、基本的な知識が皆無だな。
つか、
>>122 は密集隊形とファランクスやレギオンの区別が付いてないんじゃないか?
密集隊形はファランクスやレギオンだけじゃないぞ。
フリードリヒ大王の斜行陣だって密集隊形の一種だし、グスタフ・アドルフの横隊も密集隊形の一種だ。
なるほどね、道理で話が噛み合わないわけだ それこそ通信技術や火砲が発達して密集が自殺行為になり、 密集しなくても指揮が執れるようになるまでは 規模の大きな歩兵の集団は密集隊形で運用されてたってことを知らないのか
簡単なまとめ Q.なんでローマはその後廃れた集団密集隊形使ってたの? A.集団密集隊形は20世紀になるまで使われてましたが何か 君、集団密集隊形はレギオンだけだと勘違いしてるでしょ 理由:集団密集隊形でないと大部隊の行軍や戦闘が指揮できないため
密集隊形で無いと、逃げ出す兵隊もいるしな。 まあ、かわりに、崩れだしたら被害激増するわけでもあるがw
137 :
ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2007/12/25(火) 16:48:06 ID:DIPhgv7S
同じ古代ローマの軍隊をテーマにしているのに世界史板と違って賑わってますね。 某研さんも降臨していることだし……うらやましい。
>>130 あー、学生のときやってた俺には、その例えが一番わかりやすいわ。
銃火器以前の戦闘をマジ再現しようとしたら学生紛争の形が一番近いんだろうな。
とりあえず鈴木信者と某研はこのスレから出て行け
141 :
1 :2007/12/26(水) 04:19:01 ID:iBQ2+PDV
やあ 皆の臭 ローマ人の物語11冊をブックオフで仕入れてきたよ 年末年始はこれで年越すわ おやすみ そして 血なまぐさい年を・・・
142 :
1 :2007/12/26(水) 04:43:54 ID:???
143 :
1 :2007/12/26(水) 04:57:30 ID:???
じゃあラグビーが現代で一番ローマ兵気分を味わえるスポーツというわけだな。 ボールもって独走は騎馬で背後をつくという感じで。 アドリアノープルの戦いでローマ軍はオーソドックスな包囲陣を組んだが 相手の蛮族が、それぞれ指揮系統が異なっていたので逆に返り討ちを食らったらしいな。 帝政末期で兵や指揮官の質も落ちていたというのもあるかもしれないが もしくは、兵力も不足していたのかもしれないな。 でも、どこか、示唆する所があるね。
144 :
名無し三等兵 :2007/12/26(水) 08:46:13 ID:pvHlZANc
意外にも機動隊見てるとローマ軍の雰囲気を味わえるぞ。 昔、大阪の謀スラムの鎮圧を見たことあるが。 暴徒の投石に亀甲体系組んだり、グラディウスの変わりに警棒を振り回したり。 挙句の果てに密集陣形組んで突撃したりw まさしく、ローマビクトリー!!だわ
>>144 そうそう、そうだわ。
投石防御のために、最前列は盾をたてに、第2列以下は盾を頭上におくんだ。
で、放水車は後方の側面、あるいは前面から支援。指揮車は後方で全体を
把握してる。
で、密集隊形のまま、ゆっくりと前進。ゆっくりとというところがミソで、
それに対面してると、ジワジワと恐怖心がわいてくる。
長い竹ざおが、盾にもうちょっとで触れるかどうかという距離まで迫ると
やつらは一気に突撃してきて、もう殴打しまくり。
潰走する学生たちを、側面や後方に伏兵として潜んでいた私服がチョークで
印しつけといて、離れたとこに待機してる別働隊が、そいつらを拘束する。
彼らは非常にシステマチックだった。
そうなると、機動隊vs機動隊というのも見たくなる。
運動会の騎馬戦て、戦術も何もあったもんではないよな。 下手に戦術を考えても、机上で終わるか、卑怯者扱いされるのがたいてい。 上に乗るのは偉い人。
運動会なんて勝敗を競うスポーツじゃなくて、いわばただのお祭りだろう。 みんなでわいわい騒ぐのが第一目的のところに、マジで勝つための戦術を持ち込んだらそりゃ卑怯者扱いされるよ。
ある意味、古代の戦闘に似てるかも
>>122 確か、密集隊形と散兵戦術の過渡期はナポレオンの時代だと思う
縦隊と横隊と散兵を組み合わせた物がオーダーミックスだが
その散兵の部分が拡大、応用されて現在の散会隊形に繋がると思う
151 :
155 :2007/12/26(水) 20:24:40 ID:???
追記 なんで密集隊形を捨てたのかだが 銃剣の開発により槍兵が不要になり 少人数で機動力のある隊形が組めるようになり 火器の発達が決定打になった
そこは小銃火力と野砲と榴弾の発達のほうが要因として大きいと思うが。 密集している事が自殺行為になった。 銃剣の開発により槍兵が消えたのは事実だが、密集隊形は依然として残り続けた。
通りすがりですが >151 火力の発達により、逆に火力を集中させる為に 射撃発揮という意味での密集隊形というのもお忘れなく。 従来の密集隊形と違い縦深が大幅に減った為、横隊といった方が良いですが、 また対騎兵陣形とも言うべき方陣も、また近代的密集隊形とも言えるかも知れません。 という事でナポレオン時代に密集隊形が捨てられたというと、ちょっと語弊があると思います。 隊形の意味合いが大きく変わったとか、の方が表現として良いのでわ。 にはは
機関銃が登場するまでは密集隊形はあったような気もする。
>154 そうですね。WW1でも横隊による波状突撃は普通に行われていましたから。 これがなくなるのは、WW1末期の独軍の小部隊浸透戦術からですね。 じゃ、通りすがりなので、これで。 にはは
南北戦争では両軍共、ナポレオン戦争当時のような戦術で戦ったが、 当時とは遥かにライフルの射程が延びていたので、戦うとアホほど損害が出た。
なんだ、この既視感は
太平洋戦争での日本軍の夜間銃剣突撃も、ガダルカナルの一木支隊の写真を見たら 密集して倒れているので、日本軍の夜間銃剣突撃は密集隊形であったのだろう。 一木支隊長は陸軍幹部学校の教官で、訓練道りに突撃している。
イル河の写真はあまり見掛けない気がする。 海岸に一木支隊が追い詰められた箇所の写真ならよく見掛けるが。
徒歩の場合、 刀剣類の突きは身体ごと突っ込んでいくもの。 槍類の突きは手の動きだけが基本。
161 :
だつお :2007/12/27(木) 17:53:12 ID:???
>>158 日本陸軍の分隊突撃は通常横隊形で行う。
各隊員の間隔は約6歩。
銃剣で仲間同士が支援できる範囲なんて精々3メートル以下だろうからそんな もんだろう。機関銃にまで銃剣付けるアホだからなあ。日本軍。
傘型隊形で突撃するときの先頭に立つんだぜ。銃剣が無いほうがかわいそうだ。
17世紀〜19世紀の戦列歩兵の最前列には絶対立ちたくない。 銃弾に対する肉の防壁じゃんアレ。
東ローマって、軍事技術的にはローマ帝国を受け継いでるの?
東ローマの時代は重装騎兵が主流ではないか
考えてみるとガンダムって楯も剣も持ってて、レーダーも使えない時代なのに 密集隊形じゃないよね。ってどうでもいいか。
乱暴に言ってしまうと、 日本のロボットアニメはチャンバラ劇の派生だからじゃね?
>>167 一見密集してないように見えるけど、一般の宇宙での機動と比べると
遥かに密集度は高いよ(ファランクス並み)
要は演出の結果だろうけど。
ソロモン攻略戦のジムやア・バオア・クーでのボールは密集隊形だったような
古代で良く使われていた、2頭立ての戦車(ノコギリのついたやつ)。 あれは、ローマ以降は廃れたんかな。 平野での会戦だったら中々威力を発揮しそうだが。
騎兵相手では役立たずなんだろうな。
そもそもローマの馬車や戦車は欠陥品。 馬の首を圧迫しているような作りなので、力も速度もない。 同時代の他地域のそれは、きちんと馬の胸に帯が当たっているのにね。
175 :
名無し三等兵 :2007/12/28(金) 04:14:52 ID:DL4HjQiG
普通に考えろよ。 1000人が散開しているところに、密集した1000人の敵が来ました。 バラバラに散開している=局地的には少数、では大勢を相手に出来ないから、結局皆が集まり密集して戦うしかありませんでした、となるだろ。
>145 >やつらは一気に突撃してきて 経験談か!!
177 :
名無し三等兵 :2007/12/28(金) 08:53:58 ID:vEjgrp3y
>>165 >東ローマって、軍事技術的にはローマ帝国を受け継いでるの?
軍事技術を受け継いでいるという答えにはYES
密集歩兵陣を受け継いでいるかというコノスレ的な答えはNO
>>167 ヤマトなんてもっと酷いぞ。
「全艦密集隊形!!」
とか言って、これでもかこれでもかというほど、戦艦が幅寄せして隊形をつめて、敵の波動砲で一掃されるからなw
刃物の付いた戦車って、ローマと戦った敵方の、イギリスのケルト人の女王の話だぞ。 余りに印象的だったらしく、それ以来語り次がれる事になっただけだ。
179 :
だつお :2007/12/28(金) 10:55:32 ID:???
1909年版歩兵操典だと中隊突撃は通常散開隊形で行う。 各散兵の間隔は約2歩。また、突撃開始時にはラッパ手が突撃の譜を連奏する。
戦車に車輪つけるのはペルシアも同じだぞ つーか、戦車戦術が流行ったのは紀元前15世紀あたりのオリエントからでは それまでの古代国家は、歩兵だけだったので圧倒され、天然の防御を誇るエジプトまで制服された
車輪のついていない戦車について詳しく
戦橇とか?
クリスティー式以外のタンクは無限軌道だけだと思うが
ハンニバルの戦法って頭いい人なら思いつくんじゃないのか? まさか日本の武将がハンニバルのこと知ってたとは思えないしw
ハンニバルはカンナエで対峙するローマ軍より質量、そして士気も劣っていたが、 唯一勝っていた騎兵を最大限に生かしてパーフェクト勝利したのが恐ろしい。
たしかハンニバルの両翼包囲は アレキサンダー大王の物を発展させたんじゃなかったかな
鎚と金床
つか、劣勢の兵力でローマの軍団相手に完璧に実行できたのがすげーよ、ハンニバルは
>>150-152 ナポレオン戦争頃は、たしかに微妙な時期だよな。
英軍お得意の密集横銃陣も、フランス砲兵の榴散弾に食われないように、反斜面戦術多用してる。
ハンニバルは名将だが、なんか指導者とはちょっと違う感じ
>192 名将では有るが、政治家では無かったな。 内外共に、政治的駆け引きが出来ない。
密集戦術には社会制度も影響してるんじゃ?
封建時代はみんな傭兵みたいなもんだし
>>193 まぁそれはライバルのスキピオも同じだけどな
195 :
名無し三等兵 :2007/12/30(日) 23:47:38 ID:TRDN0Tqw
つまり、1人で50人から100人から切り殺して、 へたすりゃ1人で勝っちゃうんじゃないの? つーような英雄は映画の中だけつーこと?
そのての個人的勇者は士気が低い連中相手には活躍できても、 ローマ相手には無理。
ヘイヘなら100人までのイワンを防げます。
198 :
ほへぇ〜 ◆jHlTwEW9lA :2008/01/01(火) 01:44:58 ID:P+Q+mFx0
鎌付き戦車なんてガウガメラの戦いですでに陳腐化しているはずだと思うが。 それでもローマ時代の4輪馬車って前輪部が車両進行方向に対して固定されているので 角を曲がるとき大回りをしなければならなかったんだよ。
199 :
名無し三等兵 :2008/01/01(火) 03:55:24 ID:NyREuU0a
>>115 鈴木なんたら説いうのは知らないが
古来より戦争の主力は遠距離を攻撃できる武器ってのは常識
白兵戦なんてやってたら3分で心臓が爆発してしまうぞ
ふ〜む、ダルクは不合格か 別の役者を探さないとな サルコジなんてどうだろう 最初から期待してないけどwwwwww
あけましておめでとう。さて、兵士諸君。今年も皇帝に忠誠を誓うかね?
>>35 太公望も殷にやってたなそれ>大軍を少勢で包囲して内側vs外周で殲滅
203 :
名無し三等兵 :2008/01/01(火) 11:09:34 ID:eC/RZY2V
みんなに質問!ガリア戦記を読みたいのですが、お勧めの訳者は誰ですか?
>>202 これは古代ギリシャの話なんだが
確かスパルタの強さは厳しい訓練により、いかなる時でも混乱し難く
それによって敵前でも迅速に戦列を組み替える事が出来た事にあったと聞くね
スパルタの男の子は6歳で親から離され、成人するまで団体生活による軍事訓練を受ける。 訓練は、死者が出る程厳しく、鞭で打たれる訓練もある。 成人式は、奴隷を殺すことにより成人と認められる。
206 :
1 :2008/01/01(火) 12:01:30 ID:???
ポエニ戦争以前にエピロスのピュロス王とローマは戦ってるが そこでも負けてるよな。 エピロスはギリシャなのでファランクスだったが ポエニ戦争以前のローマだとまだかなわないレベルの相手だというわけだ。 それでも相手にもかなりダメージを与えているので流石ローマといわざる得ない。 ピュロス王はローマの布陣を見て、 「バルバロイではないようだ」 とのたまったらしいが、レジオンとかファランクスというような戦列を組んだ戦い方が 合理的な戦い方だったんだろうな。 今のスポーツで言えばちゃんとした基礎訓練をしたチームとしないチームぐらいの差があるんだろう。 ガリアとかゲルマンはそういうのが出来てないのでちゃんとした会戦形式だと相手にならなかったんだろうな。 それに第二次ポエニ戦争いごのローマはハンニバル仕込み戦術も鍛えられてきてるし もう隙はない。 それでもカエサルとかスキピオレベルの鮮やかな戦い方が出来るインペラトールはめったに出てこないな。 やっぱり戦闘というのは戦う前に7.8割は決まってるといっていいのかもしれんな。 俺もガリア戦記でも読もうかと思ってた オーソドックスに岩波のでも読んでみるかな
岩波もいいけど訳が解かりにくいからなあ(所謂岩波ライクな昔風の訳で注釈が入りまくって読みずらい)。 お勧めというわけではないが、個人的には講談社学術文庫のやつが読みやすかった。 今読んだら、巻末に資料までついているし。 ガリア戦記の写本の種類(主な6種類ついて説明がある) から、軍団の野営地の図とか軍団兵のイラストとかそこそこ豪華。
208 :
名無し三等兵 :2008/01/02(水) 11:53:21 ID:/rjIqOcd
明日TBSで古代ローマ史やるよな。 期待していい?
>>199 何を根拠に主力と言い切ってるのか知らんが
古来より遠距離戦だけで決着が付くことは稀だぞ。
211 :
名無し三等兵 :2008/01/03(木) 20:27:38 ID:n32O0NWX
212 :
名無し三等兵 :2008/01/03(木) 20:28:36 ID:x5383Hqa
TBSのローマモノ最高っす!
213 :
1 :2008/01/03(木) 22:04:58 ID:???
全然戦闘やらんね しかも司会はみのもんただ tbsどんだけみのに握られてるんだろうか これはもうみのによる帝政だな tbsにもブルータスが必要だな
「お前もか、峰竜太!」
>>213 TBSからブルータスが出るとTBSに居るみのの長男がTBS社長になってしまう。
216 :
名無し三等兵 :2008/01/04(金) 17:12:16 ID:hvqMdQ+t
ハンニバルが歩兵を弓形に配置した理由を教えてくれ。 騎馬兵がローマ軍を蹴散らす迄の時間稼ぎだろうとは思うけど、何故に弓形なんだ? 歩兵がローマ軍の側面に取り付いていたけど、それも弓形だから可能だったのか?
217 :
名無し三等兵 :2008/01/04(金) 17:15:50 ID:9FOY7ML1
218 :
名無し三等兵 :2008/01/04(金) 18:06:39 ID:LmYHWCrw
ハンニバル側の目的は包囲殲滅にあるので囲みやすい陣形にする必要があったのと、ローマ側の突破力を減殺させる為。 平らに兵を配すると戦闘正面の面積が少ない分突破される可能性が上がる、包囲の為の移動に手間取る。 乱暴な説明だが、大体こんな感じ。
しかし弓形に配置って難しいよな、平らなら隣にあわせりゃいいんだが 平らに並べて中央の部隊だけ前進させたんだろうが
中央の部隊は100歩、その両隣は80歩、両右翼は60歩進め。 みたいな感じだろ。
確か古代ギリシャでも斜線陣形は組まれていたよ 有名な所ではテバイのエパミノンダス、マケドニアのフィリッポスU世 その意図する所は様々だが、相手が混乱し易いのは確か 前者は強力な右翼にそれ以上の戦力を左翼に集中し自身の弱体な右翼が衝突する前に大勢を決した 後者は前進していた部隊を衝突の際にワザと後退し、衝突したアテナイ軍を前進させ 相手の戦列の乱れを誘い、その間隙に騎兵を突入させた
>>215 実子なら養子の後継者に粛清されるから大丈夫だ。
エパミノンダスは斜線陣でも先頭は一列だからちょっと違うだろ 左翼のテバイだけを前進させたから戦闘は斜線陣だけど フィリッポスは確かに布陣から斜線陣だな 相手も混乱するだろうが隙間に突っ込まれたら壊滅するから博打だよな
224 :
1 :2008/01/04(金) 21:22:22 ID:???
>>220 そういう指令ではなくて
百人隊長が各自判断しているんじゃないかね
昨日のローマはまさに最近のtbsを表している様な
ぐだぐだな出来だったな、
多分俺たちはbbcとかのもっとクオリティの高いドキュメントが必要だな。
なんかTBSのローマの番組見たけど、イマイチだったなー。 特に戦闘場面。やっぱり、タイムマシンが欲しくなるなー。
226 :
216 :2008/01/04(金) 21:59:59 ID:0NfSd6sQ
>>218 サンクス
それでもまだ疑問が残るな。
ローマ軍は横一列に並んでじゃないと前進できないのかな?
隣の奴が戦闘を開始しているのに自分の前に敵がいなければそのまま待機?
>221,>223によると斜線陣形はかなりリスクは高いようだけど、
ローマ軍がそれを恐れて横一列を崩さなかったのか?
けど、ハンニバル軍のほうは既に斜線陣形になっているのだから、
リスクを冒しているのに何故にそこにつけ込まなかったのか?
あと、側面に取り付かれる前に何らかの対処はできなかったのか?
ローマが新兵中心で練度が低いから左右を狭めて中央を厚くして数まかせの中央突破を狙ったので ハンニバルにはまったらしい がっちり横一列を組むように訓練するらしいが密集陣は後列の兵士がおしまくる陣形だから相手にあうまで進撃しただろうな それでも弓形なら単なる一列より薄くても自陣の前後幅は取れるわけだからそっちが目的だったかも 最前線は確か志気は高くても訓練のないケルト人だし あと包囲に成功したのは騎馬隊の勝利が大きいだろ テレビみてないからどんな説明したのか知らないけど
228 :
216 :2008/01/04(金) 22:36:48 ID:0NfSd6sQ
>>227 サンクス
つまり、軍隊の質の問題が大きかったということか。
騎馬兵がローマ軍の騎馬兵を蹴散らして裏に回ったことはテレビでもやっていた。
229 :
名無し三等兵 :2008/01/04(金) 22:46:17 ID:LmYHWCrw
>>229 私も勘違いしてた。
なんて言やいえばいいかな。
塩野七生の本読めば分かり易いが、弓型の中央はローマに突破されるの前提というか囮。
横一列で前進してくるローマに左右に別れて包囲、突破された正面の後方(ローマから見れば前方)をハンニバルの精鋭が受け持ち、騎兵部隊による包囲網の完成まで防御。
ローマ側からすれば、側面への対処は難しかったと思う。彼らは包囲網の完成まで「歩兵戦闘では有利に進んでる」と信じていただろうし。
230 :
名無し少尉 :2008/01/04(金) 22:58:17 ID:???
では、この時ローマ軍はどのような戦術を取ればよかったのだろうか?
231 :
216 :2008/01/04(金) 23:02:21 ID:0NfSd6sQ
>>229 ローマ軍はハンニバルの陣形をズタボロに引き裂いてやった、と思っていたということだな。
戦況を読めなかった指揮官の責任は大きいな。
>>230 騎馬兵が包囲にくるのはわかるだろうから/本体\
みたいな感じで側面に対処するぐらいじゃないか
ドイツ軍はカンナエの研究が大好きだったらしいがどんな結論をだしたんだろうな
233 :
名無し少尉 :2008/01/04(金) 23:18:36 ID:???
>>232 とすると防御に徹するってことか。でも防御しても包囲されることに変わりがないと思うんだが。
中央突破までの時間稼ぎということで アレキサンドロス大王がやった戦法の真似だ
235 :
名無し少尉 :2008/01/04(金) 23:27:12 ID:???
あ、なるほど。その間にハンニバル軍を中央突破するってわけか。 歩兵戦力では優勢だったから、可能だな。
BBにマダラ、ルナ、マトゥルスの血族追加 中国の1階層にスペースコブラ、パタリロ、7都市物語追加、タイタニアもテスト
229も言ってるけど、 ハンニバルの中央弓型配置は攻囲への時間稼ぎのための配置。 中央を前に出しておいて押されることを前提としている。 次元は違うけど、モンゴル軍もこの作戦を良く使ってたよう。 中央が後退すると見せかけて、左右から包囲。 ハンニバルは最初から攻囲戦を前提としている。 でも不思議なのはいつからこれを考えていたのか。 少なくとも、アルプス越えてイタリアに入るまでは 使ってないよね。(当時確か年齢20代) 紀元前の話ということを考えれば、 やっぱ天才なのかね。
238 :
名無し少尉 :2008/01/04(金) 23:39:51 ID:???
相手は自軍が押してると思ってズルズルと縦深陣に引き込まれていくわけか。 しかし、数で劣る騎兵隊をそのままハンニバル軍に騎兵隊にぶつけるのはどう考えてもまずいと思うんだがなぁ。 もっと有効な使い方はなかったのだろうか。
ハンニバルはゲーマー的なとこがある カンナエでも主力の精鋭は後塵で最前線は捨て駒だ 敗北を喫したザマでも一列目が傭兵二列目が市民兵三列目が主力でやっぱり一二列目は捨て駒だ 最前線の死傷率が高いのは周知の事実とはいえ人をおとりに使って時間を稼ぐようなやり方は 市民兵が主力のローマには実行できないしそもそも思いつかないだろう 天才だろうけどどこか一本ネジが抜けてるのは確かだろうな 塩野もローマの憎しみにとりつかれていたとか書いてあったような
>>239 言えてるね。
ゾウという使いずらいけど、使いたくなる兵器を、ザマでも懲りずに使ってるしね。
でも、航空地図も無い時代に、上空から作戦を考えていた想像力はすごいと思う。
数、練度とも劣るのでああいう使い方しか出来なかったと思われ。 ハンニバルのヌミディア騎兵を引きつけ、中央突破まで時間稼ぎしてくれりゃいい位の感覚、というよりそれ以上期待出来なかった。
242 :
名無し少尉 :2008/01/04(金) 23:51:30 ID:???
なるほど、歩兵重視のローマ軍だからそういう考えなのかな。 ローマ騎兵隊は一応の仕事はしたわけですな。
当時の騎兵っておそらく鉄砲玉だよなぁ
一度戦闘開始したら二度と総指揮官は命令下せないんじゃないか
実際古代ギリシャの戦いだと逃げる敵兵をどこまでもおっかけてく例が多々あるし
事前に言い含めてたか何らかの命令伝達法があったのか知らないけどカンナエでのハンニバルの騎兵の使い方はすごい
>>240 の三行目の言うとおり
ハンニバルは強力なヌミディア騎兵を前提としていたから、攻囲戦を実行に 移すことができたなんだ思うけど、ヌミディア騎兵って今で言うどのへんの人種の人 なんだろうと思うことがある。ハンニバルのアフリカ傭兵もそうだけど。
モロッコやアルジェリア辺りかな? 思ったがカンネーの戦いの時にローマ側が片側に騎兵集中させたり、凸型の先端に騎兵を集中させたらどうなるのだろう? 凸型にした場合は投げ槍でパルティアン戦術をし歩兵を動かす位にしかならないが…
このスレ、意外にも粘ってるよね。ローマってすごいね。
247 :
1 :2008/01/05(土) 04:04:04 ID:???
弓型の陣にかんしてグッジョブな洞察が得られたな 後、版威張るの非情さも 彼は片目をローマ遠征で失明してるんだよな
248 :
名無し三等兵 :2008/01/05(土) 05:37:36 ID:uw7QGw/5
>>247 ハンニバルが非情な奴でも、隊を離れる奴はいなかったみたいだな。
七生曰く「俺がついてなきゃダメだ」と思わせる指揮官が優秀らしな。七生もやはり女。母性本能をくすぐられた女の発言だな。
土方歳三が蝦夷地で死に場所を探しているとき、隊士や少年兵に酒を注いで回ったりして、みなから父、兄のように慕われたというが、それに近いと思うんだがな。「この人についていく」という感じ。
>七生曰く「俺がついてなきゃダメだ」と思わせる指揮官が優秀らしな。 それが正しいかどうか分からないだろ。 ただの物書きが武将の有り方云々言っているだけなのを取り上げるのってどうよ。
著者自身も言っている通り、あれは小説だしね。
つーか塩婆は腐女子だからな ハンニバルやカエサルはべた褒めだが アウグストゥスみたいなデキるけど萌えない男は評価が低い 俺はハンニバルやスキピオよりファビウスのが好きだぜ・・・
252 :
1 :2008/01/05(土) 07:27:32 ID:???
丹波哲郎は先の大戦で小隊を率いたことがあったらしいが 敵の弾がピュンピュン飛んで来る所で恐れを露ほどに表さず振舞ったりすると それだけで部下の信頼を一気に得られるという主旨の話をしていた。 逆に怯えたりなんてするともうだめらしい。 結局、戦闘というのはこういう小さなことの積み重ねなんだろうな とそのときオモタ 空軍とか海軍は少し違うかもしれんが
253 :
名無し三等兵 :2008/01/05(土) 08:37:33 ID:oNZC9gV2
戦術が退化して騎士の個人戦主体になった中世より ローマ帝国の方が強いって本当?
>>253 戦術云々以前の問題で動員できる兵力で中世国家でローマ帝国に勝てる国は存在しない。
あくまで欧州基準だね。 中東や東アジアじゃ余裕で大兵力動員できてる訳で
>>253 規模は小さくなったけど、戦術面では見るべきものがあると思うよ>中世
騎士の個人戦主体というのは場合によりけりだし。
>>255 世界史レベルならユーラシア大陸中世じゃモンゴル最強でケリが付く
258 :
名無し三等兵 :2008/01/05(土) 15:03:42 ID:m+Uf4cxM
つまり義経が最強ということか
今どき、義経ジンギスカン説を信じてる奴がいるとは思わなかった。
それが東北の哀しいサガじゃけん
古代ヨーロッパ最強のローマ軍だけど、同じく古代世界の東の大国であった 漢の軍隊と戦ったらどっちが強かったのかな。 秦の兵馬俑から発掘された兵士の像をみると当時の中国の軍隊は一応 まともな装備をしていたようだし。どちらも騎兵というより歩兵主体の軍隊だし、大軍を用いた会戦主体で あったようなので、戦えばまともに正面から組み合う勝負になったような気がする。 唯一の手がかりはどちらも匈奴(=フン族)と戦っていることかな。 まあ、匈奴=フンについても確定したわけじゃないんだけど。
ローマ軍対漢軍ってスレ前にあったな。結局実際には戦わなかったのだから なんとでも言えるけど、どちらも相当規格化された装備してたのは確か。雲南省で 発掘された鏃と剣と河北省で発掘された剣と鏃の規格がぴったり符合してたりして 鋳造で大量生産された事が確認されてたりする。ちなみに現代では匈奴(=フン族) は否定されつつある。似たような文化持ってたのは事実だがさすがに何千キロも 他の遊牧民や国をすり抜けて移動できる訳がない。今はおしくらまんじゅう的に 押された連中がローマ側に流れ出たってのが有力。
263 :
名無し三等兵 :2008/01/06(日) 04:57:23 ID:Mc5x0jaA
TBSの告知に偽り?指摘した2chスレ強制停止
http://www.tanteifile.com/newswatch/2008/01/05_01/index.html 探偵ファイルではTBS関係者に確認をとることにした。
関係者曰く、「「ガーディアン ハンニバル戦記」で間違いありません。
他にも、複数の作品を使用しているようです」とのことだ。
告知には「作家の塩野七生さんの著書「ローマ人の物語」を英国BBCが映像化」とも
記されているではないか。「ガーディアン ハンニバル戦記」に関する海外の情報も
一通り確認したが、この映画作品と塩野氏の「ローマ人の物語」が連動しているとの
情報は皆無であった。
更に、当サイトが確認した時点で既にgoogleの検索結果表示でしか見られなかったのだが、
「英国BBCが制作した塩野七生原作の「ローマ人の物語」の大型再現ドラマを交えながら」という
記述のある番組表もあった。「原作」、「「ローマ人の物語」の大型再現ドラマ」という表現は、
当該の映像が塩野氏の作品に基づいて作られた、という意味にしかとれないので
釈明の余地はないだろう。
ハンニバル見たけどそのまんまだったよ BBCは他にもローマ物のドラマをいくつも作ってるから カエサルやネロやウェスパシアヌスもそのへんのドラマから切り貼りしたんだろうね
>251 良いねファビウス、渋い大人の魅力があるよな。 直接戦闘では敵に勝てない劣等感と、消極策への味方の批判を浴びながら、黙々と負けない戦いを続ける。 自分の弱さに振り回され苦しみながらも、その弱さを自覚し、それを受け入れるオヤジが素晴らしい。 スキピオの華々しい戦いの影に隠れ、功績を認められないばかりか、本人もスキピオを認められない屈折ぶり。 そのスキピオも、カトーの揚げ足とネガティブ・キャンペーンで、失意の内に病死するのだが……
>>251 塩婆が萌えみたいな感じで書いてる節はあるが、
アウグストゥスが評価が低いってなぁ。
アウグストゥス以外の一族があれなのは仕方ないが。
>>265 いやそこまで妄想はしないが
国土を荒らされてる最中に防御戦略を取るってのはなかなかできないと思う
そういう時は反撃策のが受けるからね
MI作戦、ラインの守り、不朽の自由etcetc
勝手に攻撃に出てフルボッコにされた部下を助けに急行するってあたりも泣かせる
>>266 功績の評価はちゃんとしてると思うけど、カエサルと明らかに扱いが違うジャマイカ
自分は人の嫁さんを奪っちゃったり部下の嫁と浮気したりしてるくせに
娘の浮気が許せなかったり姦通法を制定したりするあたりがダメなのか
もしかすると「若いときの姿しか残さない」ってのが自分と似てて嫌いなのか・・・
俺は逆にカエサルみたいな完璧超人は愛せないな
ってこれは妬みかorz
トイトブルグの戦いについてあっさりと書いているのが残念。
カエサルは人間的な欠点も多いが、政治や戦争は本当に完璧なんだよな。 ガリア戦役の初期なんか、酷い苦境でも持ちこたえたし、戦略的優位に立つと、過失を犯さないし。
>>269 >政治や戦争は本当に完璧なんだよな。
ガリアの統治が最高。蛮族が瞬く間に帝国民になった。
近現代史でも再現は無い。
おろかにも真似をしようとした国が、一つだけあったような気も最近はしている。
植民地に義務教育や鉄道や大学を設けた。。。
>270 南の方はそれなりに上手く行ってなかったか。
ウェルキンゲトリクスが部下の突き上げに耐えていればカエサルに一泡ふかせられたかもしれないのに
>>270 アメリカも真似しようとしてるよ
「蒙昧な未開人」どもに「素晴らしい民主主義」を教えようとね
なぜか一向にうまく行ってないがな
>267 そんなもんかね? 俺は塩婆のを読んでアウグストゥスのファンになったんだが… けっこう熱いれて書いてたようなイメージがある。
本人も書いてるけど、感動と感心の差かな。アウグストゥスは本人は戦えば 必ず負けるって位戦争下手なのにその後300年以上続く軍事制度作ったのが すごい。
カエサルは好色なとこまで手放しで褒めてるけど アウグストゥスは「すごいヤツだけど、人間的にはちょっとね」 というニュアンスを俺は感じた まぁ・・・血統にこだわってしまったのは俺も失敗だったと思うわ
その才能をアウグストゥスが幼い内から見抜き(しかも戦争は弱いともw)、死後に跡継として発表したら、他の皆は「アウグストゥスって誰?」 まだ見抜かない、と言うか名前も知らない。 ……そんなカエサルは何故ブルータスを見切れなかったんだ? アウグストゥスの次にかってたらしいし。
ラビエヌスの時と一緒で、信じたかったというのが前に出て目を曇らせたか、 自分とは違う情念までは理解できなかったか。 カエサルがオクタヴィアヌスの才能は理解できても情念が理解できなかったように。
転載 969 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2008/01/05(土) 16:10:16 ID:0olKCZvJ0 [バラエティ] 新春超歴史ミステリー 古代ローマ1000年史!! 空前の巨大帝国 全解明スペシャルw (Xvid 704x396).avi orz動画4CwKG2I06e 2,028,511,744 00c59851d8d039728968a42c7073b9632f134476
◆視聴率情報提供専用スレ114◆
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/tvsaloon/1170902001/ 570 名無しさん@お腹いっぱい。 sage New! 2008/01/04(金) 15:19:14
01/03木
12.2% 19:00-19:30 NHK NHKニュース7
*8.3% 19:30-20:25 NHK ダーウィンが来た!生きもの新伝説「新春もっと見たーい!スペシャル」
**.*% 20:25-20:45 NHK 放送直前!正月時代劇「雪之丞変化」メイキングスペシャル!!
**.*% 20:45-21:00 NHK ニュース・気象情報
*9.7% 21:00-22:45 NHK 正月時代劇「雪之丞変化」
*4.1% 22:45-23:30 NHK まさしとタカトシのハッピー・ニューイヤー・ショー
13.1% 18:00-21:00 NTV 芸能人ウワサの美人妻顔出し解禁100連発スペシャル
13.7% 21:00-23:30 NTV ダウンタウン正月DX今年もよろしく大トークスペシャル
*8.1% 18:30-19:00 TBS 新春超歴史ミステリー古代ローマ100年史!!空前の巨大帝国全解明スペシャル
10.2% 19:00-21:00 TBS 新春超歴史ミステリー古代ローマ100年史!!空前の巨大帝国全解明スペシャル
10.7% 21:00-22:54 TBS 新春超歴史ミステリー古代ローマ100年史!!空前の巨大帝国全解明スペシャル
15.4% 18:30-19:00 CX* 新春!ネプリーグ芸能界超常識王決定戦SP
20.2% 19:00-20:54 CX* 新春!ネプリーグ芸能界超常識王決定戦SP
14.0% 21:00-23:10 CX* 平成教育委員会・2008ねずみ年だよ謹賀新年今年も考えチューSP
12.7% 23:10-24:10 CX* 一攫千金!日本ルー列島!
*9.8% 18:30-20:54 EX__ 史上最強のメガヒットカラオケ完璧に歌って1000万円
14.7% 21:00-23:30 EX__ とんねるずのスポーツ王は俺だ!スペシャル9
*9.8% 23:40-25:05 EX__ ミッドナイトQさま!!
*6.1% 18:30-19:00 TX__ 初笑い!お江戸人情茶屋
*4.4% 19:00-21:00 TX__ 初笑い!お江戸人情茶屋
*5.6% 21:00-23:18 TX__ ガイアの夜明け「ガイアの危機〜資源争奪の世紀を生き抜く」
281 :
名無し三等兵 :2008/01/09(水) 02:45:19 ID:CZ5Oux7C
陸戦に関しては、概ね出尽くした感があるが、海戦はどうだったんじゃろうか。 第一次ポエニ戦争でローマはカルタゴから地中海の制海権を奪取しているわけだが、 ほんとに巨大なガレー船を数十・数百隻も並べて戦ってたんじゃろうか。 加工機械もろくに無い時代に、木を切って、加工して板にして、トンテンカンと 作って、数百隻揃えるうちに老朽化ではなかったんかね。 映画「ベンハー」や「トロイ」のイメージが強すぎて...
さすがに1年2年ほったらかしにでもしないかぎり老朽化しない。ローマ 時代の軍船は小型の物ばかり機械化されてない時代とはいえ南イタリア中で 作ったって言うから不可能ではなかったろう。また農閑期の冬期なら労働力 も余ってるしね。第一次ポエニ戦では2度も海難でローマ軍は大損害を受けてる。 あっちの損害の方が船作る出費より大損害だったろう。
283 :
某研究者 :2008/01/09(水) 04:44:34 ID:hW6el2PL
ローマも生産性が低い欧州は捨てて アレクサンダーの様にバビロンに遷都して 欧州を捨て メソポタミアだけでは無く ペルシャやエジプトも支配すればどうなのかだろうし アレクサンダーの部下が作った王朝で有る プトレマイオス朝やセレウコス朝もローマにやられる迄意外と長く 保ったと言う事かも知れぬが アレクサンダーの様な欧州に拘らぬ考えを持つ者は 居なかったと言う事なのだろうか
284 :
某研究者 :2008/01/09(水) 04:47:15 ID:hW6el2PL
285 :
某研究者 :2008/01/09(水) 04:51:55 ID:hW6el2PL
カエサルが後10年等生きていても 欧州を放棄してバビロンを首都にする等と言う事は 考えたのかどうかだが
286 :
1 :2008/01/09(水) 04:52:46 ID:???
夢見ちゃった ローマ軍じゃなくて 古代中国か日本の戦国時代っぽい戦闘で最前線に立つ夢 刃物が怖かった
古代中国と戦国時代じゃチャリオットとチハくらい違うぞ
>チャリオットとチハ 大差ないじゃん。 石油いらないぶん前者の方が優秀だよ。
>>288 チハに搭乗してチャリオットと戦うのと
チャリオットに搭乗してチハと戦うのを
選べって言われたら、迷わずチハに飛び乗るけどな
チハとチトくらい違う
数分後、前面装甲を貫通したパイラムで胸を突き刺されて戦死する
>>289 の姿があった
つまらん
293 :
ななしさん :2008/01/09(水) 22:02:54 ID:QL7LFJ1M
もしポンペイウスがシーザーを裏切らなかったらどうなったんだろうね。 いや、この間テレビでやったローマ特集と、300(スパルタ人の奴)におまけでついてた ROMEってシーザー物のドラマ見てぼんやり考えたんだけど。 俺、ポンペイウスが僅かな私兵で元老院の軍隊とローマで交戦、シーザーは親友の危機を救えるか!? 今! 賽は投げられた! みたいなドラマを思いついたんだ。
TSUTAYAで「ガーディアン〜ハンニバル戦記」っていうDVDみつけた んだけど。「BBC制作」とあるから、先日のTBS番組の元ネタかね?
元ネタ(の一つ) ちょっと駆け足なとこはあるがけっこう面白かったよ 同じ番組の中ででてきたカエサルのやつが見てみたい・・・ しかしDVDは発売時期がどう見てもハンニバルライジングにあやかってて受ける
296 :
名無し三等兵 :2008/01/12(土) 16:27:04 ID:s/C6I3kV
>みたいなドラマを思いついたんだ それはないわ
297 :
名無し三等兵 :2008/01/13(日) 01:52:33 ID:R2MZ3NGA
コサックスとかでも金床と鎚できるけど、 突っ立ったまま銃を撃つのが納得できねーw 史実ではそうだったにしてもさ、 せめてしゃがめよ。
あの当時のエジプトを押さえ込んだ功績だけでもアウグストゥスはいいんだよ。グリーンだよ。
当時のエジプト衰退してなかったっけ
>>301 かなり衰退してた。元々ギリシャ系が多数派の現地人を抑え込む体制だった
から王権自体も弱かった。反乱とかで王様殺されてもお家騒動が起こっても
王権続いて国が無事だったら関係無いって感じで現地の貴族も神官も無視状態。
ただ賢明だったのはエジプトが早くからローマと友好関係築いてた事、これで
国が存続できた。逆に言えばローマの支援が無ければ国が倒れる訳でげんにローマ
に弓引いた途端あっさり滅ぼされた。クレオパトラとアントニーの墓を探すプロジェクト
が推進されてるけど、ツタンカーメン時代なんかと比べたらかなりショボイ墓しか
出てこないだろうね。
それは後生のイメージだろ。 当時からしたら、後末期の清や80年代のソ連みたいなもんだ。 実態≠ ローマなんてまだ勃興国でしかなかった。
正直ハンニバルのアルプス越えってインパール作戦並の無茶じゃね?
少なくとも食料はちゃんと用意してたぜ
確かに象さん連れてやろうとは思わんよな
毛皮羽織っただけで雪山越え超えさせるなんて、 むちゃな指揮官持つと大変だなw
つーか、戦争の立案から交戦までのスパンが長過ぎて、想像できん。
まぁ、現地調達をある程度期待した行軍をするとか、 行軍中の損耗率が戦闘のそれを上回るとか共通する部分はあるが・・・ 古代でそれをやるのと近代戦じゃえらい差だろw
そういえばローマ軍の兵士の食事って結構簡素なものだったけど カルタゴ軍の食事も似たようなもんなのかね?
遠征中は、内容を選べるような状態だったのか? っつーか、象……。
あるぷすのやまのなかでおなかがすいた ぞうたちは かるたごやがりあのおじさんたちに えさをもらおうと ひっしにげいをしました。
突進して重装歩兵を踏み潰す芸か
連れてった象とか、どうしたんだかw
スタッフが美味しくいただきました
>>298 試せるけど、騎馬多目の2列陣とかの密度の高い陣を敷いて、わざと相手の陣にオフセットした形でぶつけて、
突撃を繰り返しながら陣形の端の部隊から各個撃破していくと、損耗率が10:1とかで楽勝できるんだよね。
浮いた敵を右ダブルクリックしたり「駆け足」ボタンを押して「フォーメーション!チャージ!」ってやってるだけ。
大半の敵を遊ばせて、局所的に包囲殲滅していくイメージで、相手の部隊を1つづつ削ってくの。
大体、途中で敵将軍が救援に入るので、チャンスがあったら速攻で将軍を囲んじゃう。
将軍倒すと、相手の士気もゲロ落ちになり、囲んだ瞬間に潰走するようになる。
騎馬がしょぼいと乱戦になって逆に包囲されちゃう時もあるけど、平均的に一番良いやり方だと思う。
これで何個「有名な戦場地」の碑を建てたことか。
しかし、このゲームのお陰で、旗もって走ってるだけの奴がいる理由がわかったのは内緒。
とりあえず重オナでの削りあい萌えー
余りそう言う逸話はないよな。 そう言う話の方が興味があるんだが。>象さん
象さんとか喰ったんだろうな死んだ馬や牛は当然最後は兵士の胃袋に入る事 になってた。コロッセオでも殺された獣の肉や毛皮は再利用された。
319 :
1 :2008/01/28(月) 22:26:38 ID:???
近くのパン屋で石窯地中海風パンという固いパンがあるんだが それが妙にローマぽくて俺敵にはイイ スティリコという父親がヴァンダル出身のローマ末期の最高軍司令官がいるんだが 皇帝の命令で殺され、 あっというまにアラリック率いる東ゴートにやられてしまった所で 末期ローマの馬鹿さ加減に呆れた 2ちゃんじゃ在日とか嫌われてるがその中にスティリコがいるんじゃないかと思う今日この頃 これからの日本は優秀な外国人を入れていかないと多分将来がないと思う まあ確かに犯罪率が高いのは否定できないんだが
確かにスティリコは蛮族出身ではあるが、正式なローマ市民であり、最もローマ人らしくあろうとした人だ。 前提条件が違いすぎて無意味な比較だな。 というか飛躍しすぎだ。
321 :
1 :2008/01/29(火) 00:32:02 ID:???
いや飛躍してないよ 少なくとももう日本人だけではこの国は成り立たない 在住の外国人と利害関係を共通するようにしないとこの国はもう駄目だろう 大日本帝国の申し子、という書籍があるが 当時朝鮮の資本家はかなり親日的だった これこそ、共通した利害関係を持つということだ これは政治の力によってできることだと思う 今の日本じゃ21世紀はイギリスにさえgdpで逆転されるだろうな もう一人当たりじゃ再逆転されてるが
>>321 利害関係があろうがなかろうが、在日外国人を最高軍司令官(軍事顧問とかじゃなく)にすえるってどんだけ人材不足なんだよ。
ありえねー。
政治の力で協力関係が構築できるということは、政治情勢の変化でいつそれが破れるかわからんということだし 外国人は外国人。それ以上でもそれ以下でもない。日本人がやるべきことをそっちに求めてどーする
アルプス越えで、現地の族長に裏切られて襲われて逃げたり、 道が過酷だったりして、37頭が、20頭まで減。 その後、イタリア北部で戦っているうちに冬が来て、 1頭を残してあとは全滅。
後から見ればハンニバルなら南からでもローマ軍を蹴散らして半島に侵入出来ただろうから、 アルプス越えで軍を消耗したのが勿体無かったな。
つーかスティリコは親の代からローマ市民だし 在住外国人ではないだろ 帰化して国益を一に考えるなら何色の血が流れていようが構わないとは思うが 異分子であり続けることを自分で選んでいる連中を国政に関与させるべきではない ローマで言えばユダヤ人や初期のキリスト教徒だな
>>325 んなことはねーよ
ローマは南からのカルタゴ進行をずっと警戒してて
第一次ポエニ戦争でカルタゴに対する砦としてシチリアを制圧したし、海軍も強化した
それに対しアルプス越えルートは誰も予測してなかったから防備がほとんどなかった
当時のローマには常設軍がなかったから
突然現れた敵に対処するには軍団の編成からやらないといけない
実際、2個軍団を差し向けるまでに2ヶ月近くかかっている
さらに古代では領内に侵入して荒らし回る敵を捕捉するのは至難の業だった
即時の情報伝達が可能な近現代でさえ、予測しない方向からの攻撃は大きな効果を上げる
ましてや早馬しかなかった古代においてはな
ハンニバルがナポレオンも第一次イタリア遠征で通ったルートを使って半島に侵入出来なかった理由は ローマが半島西北部に兵力を集結させていたから、だったか。
330 :
1 :2008/01/30(水) 23:44:59 ID:???
フランスの大統領はハンガリー系だからな アメリカも黒人系のオバマが大統領になる可能性がでてる アメリカの白人の黒人に対する差別や警戒感を考えてみればこれは 日本で在日が首相になるぐらいのインパクトはあると思う 21世紀の日本はかなり厳しくなることは認識しておいた方がいい。 少なくとも企業経営だとローマは注目されているらしいな
>>1 の自説珍説の演説が無かったら、この単発のクソスレでも多少はマシなのにな。
自分が例に挙げてる人は全員、正式な手続きを経てその国の国籍を獲得し
尚且つ自国と国民の為に献身している人達なのだが・・・。
〜系が、とか在日が、とかいう問題じゃないよ。
>>330 国内で少数派に属する民族の国民が首相になるのと、外国人が首相になるのとではまったく事情が違うわい。アホか。
日本国籍をもつ『朝鮮系日本人』が正当な手続きをへて首相になるというのであれば、衝撃的ではあってもあり得ない話ではないけどな。
つか、サルコジは父はハンガリーから帰化したフランス人だが、 離婚していてユダヤ系フランス人の母に育てられたわけなので、 どっちをより本人が意識しているのか知らんが、でも結局フランス人だろ。
今でも酵母とか入ってないパンとか有るよな。 ローマ時代ならともかく、未だに何であんなの作るんだろう。
お前はナンを何だと思ってるんだ
誰がうまいもの食えって言ったよ
ローマは建国以来の移民国家 アメリカも建国以来の移民国家 日本は万世一系の皇帝を擁く民族国家(事実はどうであれ皆そう思っている) この差は大きい。 大日本帝国が後200年続いたら満州族系日本人の首相が出たかもしれないが 満足な日本人街すら外地に持たない現代では外国人系日本人の首相は かな-り難しいと思うよ。
まあまてアイヌから総理が出る可能性も
でも、最近、サルコジは伝統っぽい物を破壊しすぎるんで、 中道左派くらいの人でも、半分くらいジョークで、 ルペンの方がマシだった、というくらい嫌われだしたようだが。 フランス人からすると、宗教関係者やらに対して失礼すぎるらしい。 ナン大好き。でもローマ時代のはふくらんでるだろ。 種無しパンというと、ユダヤの過ぎ越しの祭を連想するが。
経済大統領なのに経済で上手くいってないのが原因だね、離婚・再婚もマスコミ 一同あっそ個人の自由だしねって感じ。中国からお土産貰ったところまでは良かった けどサブプラで吹き飛んだ。アホなディーラーが大穴開けるし躓いてるな。 現在の国籍とか民族と古代の民族を同列にするのもどうかと思う。現代思想では 悪である奴隷とかだって平気でいるし、かと思えば有力な部族長とかだとローマ市民権 平気でもらえる。
時代によっては、ローマ貴族が貴族をやめて、 一般市民枠で議員選挙に出たとかあったしな。
ヨーロッパってなんだかんだ行っても、凄く関係が近いだろ。 いわば、あそこが一つの連合国家で内戦を繰り返してきたといえなくも無い。 藩政の日本みたいな。
フランス、ドイツ、イタリアは、 シャルルマーニュ大帝の死後、 兄弟で分割した部分が元だしなあ。 まあ、子孫は途絶えてるんで意味ないけど。
>>338 沖縄から総理が出たらどういう反応するんだろ。
国会で「なんくるないさ〜」と言ったらマスコミは叩くんだろうかw
>>299 コサックス系の後継のやつでは、見た目で
しゃがんで、弾込めをやってる奴いたかも。
そもそもアルケブス・マスケットなんざあたらないっつか、
しゃがむなんてカッコ悪いから将校・下士官たちが許さないです。
あの時代は、ある程度見栄張らないだめ。士気が潰えれば
負け、怖気ついて逃げたら終わりです。
基本的に弾をよけるようになるのは、命中率と初速があがった
ライフル連隊が登場してからです。
346 :
名無し三等兵 :2008/02/08(金) 17:20:00 ID:/LVLpWtZ
ローマ軍の兵站ってどうなっていたんだろう? ガリア戦記では近くの部族から提供させてるけど、あのときのカエサルの軍隊はある意味私兵だからとも考えられるし、 現地調達だけに頼るならローマ軍がヨーロッパと中東中に整備した道路網の意味も疑問になってくる。 ただ、調べてもあんまり出てこないんだよね・・・。 17世紀あたりの軍隊みたいに、事前集積と現地調達の組み合わせだったのかな?
基本現地調達、通過する自治体は軍を支援する義務があった。糧食代とか 運搬費は後で中央政府がある程度経費を払ったと思われる。ローマが道路網を 整備したのは迅速に人員・物資を前線移動させる為もあっただろうが、地方自治体 の負担を軽減させる意味もあったのではないだろうか。部隊が長期に居ればいる程 現地の負担は重くなったろう。物資の補給という意味では道路より河川や海の方が 大きい。ってか鉄道発明以前では大量に物資を運ぶ手段は船しかなかった。カルタゴ を3年も包囲できたのは船で糧食を運べたから、ローマ軍がライン川・ドナウ川沿い に配置されてるのも船を使って相互に支援できるから。
>>347 詳しい回答さんくす。
河川を国境としたのには要害としての意味だけでなく、そういう意味もあったのか。
たしかに、ユリアヌスもチグリス、ユーフラテス川沿いに侵攻しているうちは無敵だけど、
川から離れた途端補給不足に陥っているね。
ということはローマ軍の基本的なドクトリンは展開地域の略奪に端から頼り切るのではなくて、
属州防衛やある程度の侵攻戦なら、近隣の属州に提供させるとはいえ補給段列によって補給を
行うことを念頭においていたのか。
これって古代では結構画期的ジャマイカ?
エルサレム包囲戦ってどれぐらい日数かけてたっけ アレシアとか兵站整ってなきゃ長期包囲なんてできないよな ところでスパルタカスは誰も見てなかったのかい 陣形組んで前進するローマ軍がものすごくかっこよかった 戦闘はいまいちだったが
画期的、だから現在でも教本にされている。ローマがあっちこっちに植民都市 を築いたのもローマ市民権与えるのに寛容だったのも軍団の補給を円滑にする為 の後方支援基地としての自治都市や友好部族の支援を期待したから。アレクサンダー 大王とかも征服地にギリシャ人を移住させたのも同じ考えだろうし、まあどこの国 でも自国内や同盟国には供出を期待するもんなんだろうけどここまでシステマチック にロジックを完成させたのは古代ではローマ人だけだろう。
>>345 マスケットが当たらないのは性能のせいばかりではなく
兵士の心理的作用も大きく影響している。
それと、しゃがまないのはカッコ悪いからではなく
前装銃では構造上、立った状態じゃないと再装填が出来ない為。
見栄がどうこうじゃなくて戦闘そのものに支障があるからです。
前装銃の伏せ込めと伏せ射ちはきいたことはあるがしゃがみ込めしゃがみ射ちは知らんな
>>349 戦闘はイマイチだけどローマ軍がカッコイイ映画なら、ベンハーもそうだね。
最初のローマ軍が行進してくるシーンは最高。
音楽もローマトータルウォーの人気MOD・SPQRのオープニング使われているくらいのカッコよさだし。
>>351 >>352 日本の火縄銃の射撃の再現なんかではしゃがんで射撃している事が多いけど、あれも立たないと装填できんの?
進出した先に拠点を建設してそこに集積して戦闘に備えたってのもあるよ 会戦でも近世のように大規模な機動戦みたいなものではなく 決戦地を決めて陣地を建設してから戦いに望んだしね アレシアの攻防戦なんかは敵の要塞の周囲をそっくり自軍の要塞で囲んだようなもんだし AoEなんかでも敵のなるべく近くに城だの育成所だの建てるけどあんな感じ そう言えばHBOのROME第二期のレンタル開始だ 第一話でガリア戦役の終盤がちょろっと出ただけで大規模戦闘はなかったけど ようやく出てきそうだな
物資の補給って大事だよ。1万の兵士が一日1キロ飯食うとしたらその量は 10トン。馬なんかその10倍は麦や飼葉食う。馬と人間の構成比は良く判んない けど、仮に10対4位で4000頭とすると一日あたり40トンになる。当時の 4頭立て馬車が運べる最大量は1トン前後だから、1万人の兵士の糧食と4千頭の 馬を1日養うだけで4頭だて馬車が50両必要って事になる。
>>354 主人公二人が航海中に難破するというまさかの展開で
ファルサルスの戦いは完全スルーされてたorz
ちょwwwww見せ場wwwww 予算なんて言い訳は嫌いだー!w
ファルサルスの戦いって天下分け目の大決戦じゃないか…… そ、それをスルーって(汗
一応、敗走するポンペイウスが戦いの様子を説明するシーンはあった まぁTVドラマだししゃーないか・・・ 装束とか街並みはすごくよくできてるよ 今んとこ第一話にしかないけど、ローマ軍の陣形変更とかのシーンも一応ある
大丈夫! ファルサルスがないのはガッカリしたが、フィリッピの会戦は日本の大河ドラマよりよっぽど金かかって作ってあるぜ。 ブルートゥス軍のシルクのコホルス旗?が東方で編成した軍団っぽくてカッコいい。 ただ戦闘経緯がイマイチだけど・・・。
幕府軍は立ち撃ち 薩摩軍は膝立撃ち 長州軍は寝撃ちw
幕府兵も寝打ちもやったようだ。仰向けになっては撃ってきてどうのという記録があったはず。
結局マスケット兵による横陣圧迫ってファランクスの時代と変わってねーよな。 グラディウスやサリッサがマスケットに変わっただけで。 ロングボウによる公算射撃の方が遙かに進んでる面がある。 つーか、日本の戦国時代でもある程度陣を作って撃つのは常套手段だったようだし、 ぼーっと突っ立ってるのは誰が見てもヤバイw 昔から手法自体は良く知られていたんだろうが、 横一列に並んでだーっと撃つのはあまり訓練が必要無いし、 数を沢山揃えたいときは他に手段が無かったかも?
マスケット銃の横陣は 隣の味方が倒れようが何しようが、常に一定の発射速度(しかも全員揃って)を 維持して、号令に従ってひたすら撃つものだから。 切迫した状況で複雑な装填・発砲の手順を正確に素早くこなし 死者が出ても崩壊しない戦列を作るには絶えざる訓練が必要だった。 だからこそ、フリードリヒ大王の軍や英国の赤服は精鋭と謳われていたのだし。 ロングボウのあの戦術は特殊な状況でしか通用しないからね。 何より相手から攻撃してくれないと手の出しようが無い。
フリードリヒ大王が横隊戦術多用したのは自軍兵士の逃亡を防ぐ為だったりする。 また横隊戦術が頻繁に行われた印象があるが実際にはそうでもない。当時の兵士が持ってる 弾薬は60発程度、面が制圧できるとはいえ一定方向に撃ちまくったらすぐ弾切れになる。 また横隊で斉射するのは前線にいる連中だけ後方の奴がそれやったら同士撃ちが 多発しただろう。
逃亡を防ぐ為ってのもあるが、それだけじゃあない。 どっちかというとその目的は要所に下士官を立たせる事で行われる。 革命後のフランス軍が縦隊を使用したのは、横隊での部隊運用が兵員の練度の問題から 出来なかったから(それが結果的にプラスになったが) アメリカ独立戦争で民兵が地形を利用したゲリラ戦をしたり 初期の大陸軍が英軍に横隊で正面から抗すべくも無かったのも訓練と物資で劣っていたから。 フランスからの援軍と自身の練度が上がると正面決戦で英軍を打ち破っている。 弾薬をたくさん持てないのはもちろん生産力の問題からだが お互いにマスケット銃で次々当たるくらい近づいて発砲するので 大概、弾切れ前にどちらかが崩れ、銃剣突撃されて終わるからだ。 だからこそ相手より先に崩れないよう、発砲速度で劣らないよう日常の訓練が必要になる。
一発撃つと次に時間がかかるから初撃が大切なんだよなマスケットは そこをついたのがハイランダーチャージ 射程距離ぎりぎりで挑発して撃たせ次発までに突撃して勝負を決める それに対抗できたのは銃剣のおかげ 二列にするというか二回に分けて発砲とかあまりなかったようだな マウリッツとか考案したようだけどはやらなかったのだろうか
「渡し」って言って一人が撃って他の人が装填してたみたいだね日本では、 ヨーロッパでも同じ戦術が採られてた場合もある。次々に撃てて横列より射撃 の自由度も高い。横列だと銃を横に向けると同僚の銃や体にぶつかったりする けどそれもない。壁際とかによれば安全度も高い。欠点は移動が困難な点。
結局カギは連射能力だろうな。 ロングボウは連射に優れるから公算射撃ができる。 マスケットではそうはいかん。 できるだけ密度を上げるには横に並ぶしかない。 バカな方法だと解っているが、武器の制限のため、それしか選択肢が無い。 だから連射能力が上がるにつれて廃れていくわけだ。
>>369 ロングボウは射程外から大砲に撃たれるとどうしようもない。
百年戦争後期ではフランス砲兵隊にそれをやられて壊滅してる。
結局、長弓隊はあの時期のイングランドだけの特殊兵科で終わった。
マウリッツは射撃しつつ、前進するという方法を編み出したけど
実際に運用したのだろうか?
そりゃロングボウも無敵ではあり得ないw そうじゃなくて、着目したいのは射撃の密度と運用の関係だよ。
殺傷力も大事だよ。弓矢が廃れて装填に時間がかかり雨の日には使えなくて 火薬も鉄砲も高価なのに銃器が普及したのは銃がそれだけ殺傷力が高かったから。 てかこれローマスレ。
>>371 長弓戦術で射撃の速度や密度より重要なのは
迂回されないように野戦築城によって敵の前進ルートを限定することだな。
更に仕上げとして、自軍を弱体に見せたり、挑発を行うなどして
相手の進撃を誘う必要がある。
だーから、長弓や弩より火器の方が優れているのは明らかだろw 長弓の方が優れているなんてだれも言ってない。 長弓の使い方の話をしているのでも無い。
ローマは弓ほとんど使わずに 投げ槍→ダーツ の歴史なんだよな どこまでいっても農耕民族ということか?
>>375 ローマの軍団兵はそうだけど、大抵ローマ軍はバレアレスの投石兵とか傭兵の軽歩兵をつれてるじゃん。
投石兵のほうが多い印象があるけど、あれは当時は弓より投石のほうが射程が長かったから。
普通に弓だよ。投石機兵ってのは投石機を運用する兵で石礫とは違う。まあ どこでも手に入るし当たれば痛いけど殺傷力は弓矢・槍・剣の方が高いのは当然 だろう。ダキア戦役とかでも矢で射倒されて城壁から落ちるダキア兵とかが彫られてる し、軍団基地なんかを発掘するとゴミ捨て場から弓矢の的にされてぼこぼこになった 牛や豚の頭蓋骨がゴロゴロ見つかる。普通に補助軍やローマ兵が弓矢の練習してた証拠。 また陣地では色々なサイズの丸く加工された石がでてくる。投石機用の球だろう。
>>372 ロングボウの殺傷力は当時の銃を上回っていたが
まぁ射手の能力に依存する以上発達余地がないしな・・・
弓100発 銃100発 同じだけ発射するなら鉄砲のほうが楽チンだね。
>370 ↓マウリッツは下記なので横隊としては前進しないです。 --- マウリッツは斉射戦術を発展させ、背面行進(カウンター・マーチ)と呼ばれる戦術を編み出した。 まず、前列の兵が斉射する。その後、前列の兵は最後尾に移動して装填を行う。 その間に、後列の兵が進み出て斉射をする。 これを繰り返すことによって、理論上は途切れることなく斉射を浴びせかけられることができる。 ↓前進するのはグスタフなり。 --- グスタフ・アドルフは背面行進以上に攻撃的な、漸進斉射戦術と呼ばれる戦術を編み出した。 まず、前列の兵が斉射する。その後、前列の兵は最後尾に移動せず、その場で装填を行う。 後列の兵は前列の兵の前に進み出て斉射をする。 これを繰り返すことによって、敵に接近しながら斉射を加えるのである。 この漸進斉射戦術は、敵の隊列を撃破する可能性を銃兵に与えた。
>>377 弓使ってないんじゃなくて、投石兵もいるから影薄く感じるんじゃない?って話ね。
解りにくくてスマソ。
もちろん補助軍の兵士は弓使う連中もいたよ。
ただローマ軍にはバリスタやらスコルピオンやらあったし、投石機の類が多いのは
たしかだけど、別にスリングを使う投石兵もいたんだ。
これって古代じゃメジャーな兵科で、ペルシャ以東はしらないが、地中海世界じゃ
どこの国でもよく使われている。
ガリア戦記にも、カエサル軍が投石兵を運用している描写が結構頻繁にでてくるよ。
人の文章を良く読まない奴が多いな
投石はどこでも行われてる。日本の戦国時代でも石による負傷は統計とると全体の 14%あると言われている。中国でも油染み込ませた石に布巻いて火付けて投げる戦術 もあった。でも兵科って程大袈裟な物でなく、貧乏人や武器が無い場合の応急策ではな かったろうか。
14 % も有ったら立派な兵科じゃねーの?w
城壁の上から石落とされたり石投げたりしてるのや。目に砂を投げかけられた りしてるのもカウントされてんで訓練された兵士が一斉に石を投げて相手に打撃 与える類いとはちょっと違う。鉄砲が伝来すると石による負傷は5%以下に低下 する。さすがに鉄砲に石じゃ分が悪い。w
兵科と言うほどじゃないけど まぁ今の兵士が手榴弾を携行してるようなもんだろう ギリシャなんかには兵科として運用されてる投石兵がいたような感じではあるけどね
古代は弓の飛距離が中世に比べて短かったことと、敵が比較的軽装だったことから
スリングを使った投石兵はイメージと違って強力で、軽歩兵の一種として使われていたよ。
クレタ弓兵のように、ロードスやバレアレスの投石兵が傭兵として有名だった位だし、
一つの兵科として運用されていた。
もちろん
>>383 のいうように、安価であったのも理由の一つだけど、同時にある程度の訓練も必要だよ。
中世以降に投石が廃れたのは鈍器であるが故に貫通力が低く、冶金技術の向上による
装甲の強化が原因だよ。
あと、日本の戦国時代の投石はスリングはなく、足軽が補助的に素手で投げてたんじゃなかったんじゃないかな?
そうなると古代の投石兵とは威力から射程から大違いだよ。
ローマの負け戦の話でもするか。 ハンニバルは除外して
ハンニバル除くとクラッススが負けたカルラエの戦いか、ウァルスが負けた トイトブルクの戦いかな。こう考えるとほんの1年位で10万人位ローマの殺し まくったハンニバルは超人だな。
>>385 石合戦は、むしろ訓練用にやっていたみたい。織田信長とかがね。
家康も小さいころ、石合戦で少数側が勝利するとのを当てたという逸話が残っている。
スリングもどきはあったし、簡易的に手ぬぐいを使ってもいた。
ハンマー投げみたいなのもあったらしい。
>>389 万人単位の人数聞くといっつも思うんだけど、軍団ひとつでその当時の都市国家の人口超えてない?
ローマは五賢帝の時代に百万都市になったんだっけ? そう考えるとカンネーの10個レギオン8万人って凄いな
>>391 そんな事は無い、古代アテネの人口は30万人位居たといわれてるし、世界
の首都と言われてた首都ローマの人口は100万人超えてたと言われているし、
アレクサンドリアの人口は50万人以上居たと言われている。だから動員でき
ない事は無い。でも補給と移動は大変だったろう。一カ所にいるとそこの食糧
すぐ喰いつくしちゃう。
日本でも印地って言って石を投げる武術というか戦法はあった。スリングも
あったよ、江戸期の太平な時代になると廃れて山伏とかにほそぼそと伝わる程度
になったらしいが、これも明治期には途絶えたらしい。
武田は石投げの専門部隊を持ってたとか 敵を倒すというか挑発が主だったとかだった覚えが
アドリアノープルはビザンチンにかかるんでやめた。
石合戦というのは昭和 40 年代くらいまで残ってたよ。子供の遊びとしてな。 おそらく戦国の石投げとは全く違うものだろうが。
アリアドネ
バッカス
軍クーデターが今より少ないのは皮肉なのか。>ローマ
軍を握った段階で、ほぼ権力を手中にするからじゃないの? 皇帝といえど血筋が重要なワケじゃ無いし。
軍人皇帝時代や後期はそればっかりじゃないの。
軍人皇帝時代、クーデターのない時期があったのか?w
どういうこと?
ローマなんて共和制のころからクーデターばっかじゃん
共和制で軍を背景にしたクーデターって、明確なのは1人だけじゃね? そいつ以前は政争の範囲な気がする。スッラとか定義が難しいけどさ。
「古代」ローマスレだったなw
どの辺までが古代なの?軍事的には?
ビザンツ帝国は中世ローマ帝国。
西ローマが滅ぶまでが古代らしいな。
>>393 都市つうか、あの時代の主産業は農業だから、その周辺にいっぱい人すんでないか?
江戸時代以前だと、日本の武士も大半が半農だから、都市より自分の領地で畑耕して、戦争になったらイザ鎌倉へってはせさんじてたじゃん。
ローマの重装歩兵は基本的に、所謂郷士みたいなもんだから、ほとんどが普段は都市外で農場管理してたとおもうど
レギオンが同規模の敵と正面から衝突した時、 やはり敵部隊と正面衝突して動きが止まったケントゥリアやマニプルスの相互支援ってどうなってるの? ・レギオン内での相互支援は無し、あくまで戦列維持が最優先。 ・後続の部隊が味方の部隊を拘束する敵の側面を打撃。 ・それ以外。 教えて、エロい人!
指揮官の作戦とか練度とか、状況によってケースバイケースじゃね
>>392 市民階級の歩兵の数が減りすぎて、奴隷軍団まで編成した位だからな。
当時の感覚からすれば、多分女子挺身隊を戦場に投入するくらいのもんだろうな。
>>414 女子挺身隊ではなく、囚人部隊の方が近い。ローマには解放奴隷の制度があって
奴隷から市民になる道も開かれてるが、市民が市民足るべき名誉ある兵役に奴隷を
つかせるなんて市民の恥。当時の戦闘にも実際には奴隷が動員され後方兵站や伝令、
医療・飯炊き・軽歩兵として使われたけどあくまで主力は市民で構成されるローマ
歩兵であり軍団だった。だから軍団定数も市民の頭数でカウントされ奴隷は数に含まない。
つかさ、歩兵と騎兵あわせて8万とかいったらさ、兵站の連中もあわせると 15万くらいいないと運営できないでしょ。しまも、連中は軍団編成したら そのまま2〜3年出ずっぱりだし。 本当に、そんな人数出せるの?って思う。
417 :
sage :2008/02/20(水) 06:11:04 ID:GTc1TUT1
そのための軍用街道網ではないんかい? 策源地を強襲されないためのリメスだと思うし 一次大戦・ベルダン戦での聖なる道みたいにイメージしている
軍隊が道を作るんだぜ。 戦のない時は暇だからさ。
>>416 イタリア半島内でローマに近い上に、一時的な事だから出来た芸当だろうね。
トイトブルクの戦いを見ると、外地では現地住民の協力が前提でも8万の常駐は難しい。
>>420 マリウスの改革までは自腹で武器買える農民が主体
つまり、カンネーの戦いの時代は所謂、富農が重装歩兵、資産家が騎兵、大富豪が元老院議員
貧乏人は石投げ専門w
>>416 古代から現代に至るまで、野宿を平気にできる連中は
外征に強い(外征なれしたアレキサンダーの軍隊、モンゴル軍)
お家に帰って、カアちゃんの手料理が食えないと萎える連中には
遠征軍はできないよな。
8万人が一箇所で野宿って・・・去年の富士のF1がどうなったか考えてもみろよ
さすがに一カ所にはあつまらんだろ
8万人が野宿したら、イナゴの大群が畑を食い尽くすみたいなものじゃね?
ローマ軍の野営ってのはそれはすごいもんだぞ テント張っておしまいってレベルじゃない
今のアメリカとどっちがすごい?
ちょっとした陣地構築するからなあ。 ある意味、アメリカよりすごいw
トイトブルクではそれが出来なくて大惨事になったな。
もちろんローマ軍ならトイレも作るに違いないw 風呂くらいつくったかもしれん。
陣地には当然トイレ用の穴掘るよ、立ち小便なんてもってのほか。ローマ軍の 一日の平均の行軍は早朝から初めて、だいたい20キロ〜25キロ。一時間4キロ 進むとして5時間から6時間で終わる。もっと進めると思うかもしれないが、攻城 兵器や糧食運搬部隊待たないといけないし、馬という生き物は10キロ位餌喰った後、 水を5?飲ませて休ませないと弱る。ローマ兵はこれ以外にも煮炊き用の薪集めから 夕食作り、秣集め・食糧集め等々の仕事があり夜警にもつく。これで陣地作りやって 行軍中も20キロ近い荷物持たないといけない。ガリアやブリタニア・地中海周回した カエサルの軍団なんて戦闘無くてもまさに鉄人兵団。
>>432 資料に従ったマニュアルどおりならそんなものだが。
現実は簡素化してると思う。
結果
>>430 のような事態になったりするw
トイトブルクは地勢の悪い所に騙されて連れてこられたあげくの裏切られて 奇襲攻撃だから例として正しくない。
補助部隊が離反すると如何にもろいかってことだな。 トイトブルクでは奇襲された後、数日に渡って避退・離隔を目指して 移動し、野営陣地で防衛しようとしたが、満足なものは作れなかった。 それさえも構築のたびに妨害されてしまったけど。
情けないヤツらだ>ローマ人 勇気ではなく、地形や障害物に頼ろうとするとは
まあ、ローマ軍て家康の大阪城の掘り埋めて攻略するのを、戦闘を続行しながら、やりかねない軍隊だかんなw しかも、堀埋めて傾斜路を弓矢打ち合いながら作って、攻城塔で攻撃したり、土台崩したりやりたい放題w
暇なときは道作ってるし、殆ど土建屋w
そして、土建屋精神のみWW2のイタリア軍に引き継がれるわけだ。
中国や日本の攻城戦とかと比べるとすげーって思う
中国の城壁とかみると高さ5メートル以上の奴とか万里の長城とか普通にあるぞ。 日本の場合は写真とかで見るいかにも城らしいのは江戸期で戦国以前は山城とか砦の 類、あるいは寺院が砦兼てたのも多い。ただ数が半端無く5キロもあるけば砦や城に ぶつかる例なんてざら。一国一城令が当時いかに画期的か良くわかる。 ローマの様に戦略的に地形や気候に合わせながら街道を通し、運河を掘り、防衛 施設や都市まで作ったのは古代では画期的だろうね。中国も万里の長城作ったけど、 完成させた秦はすぐ崩壊してしまった。何百年も持続的に体制維持するローマ人の 頑固さには驚嘆する。
むしろ塩野婆の言を借りれば
国境に城壁を建てた中国人
国境に道路を通したローマ人
ってことだな
>>438 むしろそっちが本職
暇になると戦争始める
そしてHBOのROME第2シーズンレンタル開始
いよいよアグリッパが登場するぜ
まあ、中国は道より運河だけんどな
なるほど、ローマ帝国というのは古代の土建国家だったのだな。 公共事業を通して経済運営と軍備を同時にやるんだw 頭いい!
国内に便のいい道路をたくさんつくるのは軍隊の移動に都合がいいが同時に相手に攻め込まれたときにもろくなる欠点もあわせもつ 逆の例がロシア、冬将軍とあいまって効果百倍
まぁ広大な領土と国境線を守るにはローマ軍の兵力は少なすぎたから 機動防御しか考えられなかったんだろう 植民都市に元軍団兵を入植させたのも いざという時には遅滞戦闘をしてもらうという意図があった 中国はそのへんどうだったんかね? 草原だから道路は不要だったとか?
>>441 万里の長城もずっと拡張・メンテされてるよ。
秦が完成させたわけじゃない。
漢をはじめ、その後も継承している。
ローマもせっせと長城拵えてたらしいぜ
今の長城を作ったのは明だよね。殆ど作り直しに近い。 ローマまのはハドリアヌスの長城が有名だな。 まあ長城ってのは弱さの象徴でもあるわな。 これ以上領土拡張しませんっていう。
ハドリアンウォールはウォールといってもでかい城壁じゃなくて 防塁+駐屯地+デポ+それらを繋ぐ軍用道路だから要塞線に近いと思うが・・・ 考えてみると万里の長城はどういう運用されたのかよく知らないわ
万里の長城も似ている。 都市部に近い部分は立派な城壁が残っているけど、 アレは明代に再構築されたもの。 そもそもずっと繋がってるワケでもないし、 やっぱり駐屯地をベースにして道を作って見回り。 所々門も有るしね。 それ以外の用法は不可能じゃね?
馬は障害物を嫌がるから最初はものすごく低い壁だったとか聞いたことがある>万里
ローマにはリメスゲルマニクスもあるよ
>>451 そうなのか
だとすると塩野婆さんの指摘はちょっと的外れだな
>>453 リメスゲルマニクスはさらに城壁っぽくない
と言うか「城壁」の部分はほとんどないだろ
古代の長城は掘って掘った土を固めて壁を作る、草を間に挟んで補強材に したらしい。掘った場所は当然後で堀になる。リメスゲルマニクスは似た構造上に 材木で壁を作る。ところどころに見張り台兼狼煙があるのも共通。軍事施設である のは当然だけど、あまり強固な施設じゃない、数千人に攻められたら1時間ももた ないだろう。強力な軍事線ってより国の内外にここが国境線でありここを無断で 横断したら攻撃するという事を示す意味相の方が強かったのではなかろうか。
リメスは概念的な「防壁」であって 別にラインとドナウ沿いにびっしり城壁作ったわけじゃないと思うが・・・
どっちにしろ、どこもかしこも守るのは不可能だわな。 万里の長城は所によっちゃ馬でその上を移動できる部分がある。 山間に作られたものは馬ではちょっとキツイが、獣道を移動するより遙かにましだな。 そういや、西安城も見てきたぞ。 城壁の上に電気自動車、それもバスのようなものを持ち込んで観光客を乗せておったw 2車線とれるくらいの幅がある。 「こんなものどうやって城壁の上に揚げたんだ?」と聞くと、 「西門には馬の道があります。」だと。 聞いてみるもんだなぁw
むしろ世界遺産をそんな扱いしてることに涙が さすがのイタリア人もフォロ・ロマーノにバス走らせたりはしてないぞ・・・ いやアッピア街道は普通に車道だし似たようなもんか
万里の長城は落書きの宝庫だとか 地元住民がレンガ引き抜きまくって崩壊してるところもあるとか聞くが
ローマとフンの背後で覇王ガイセリックが暗躍してたってマジ?
>>455 マジノ線もそんな位置づけだったんだろうなぁ
マジノ線はWWTの塹壕間無間地獄を経験した後なので軍事的意味あいが 強い。その割にはベルギー沿いになかったりアルデンヌ間がなくてそこをドイツ に突かれたりで散々なのはあれだね。
ローマの遺跡は落書きはないな 遺跡以外は落書きのない場所探す方が大変だが
>>462 ベルギー方面を空けていたのはわざと。
独軍がマジノ線を迂回してベルギー方面から侵攻してくるよう誘引する腹づもりだった。
遺跡が長い間に失われていくのは仕方がないよ。 コロッセオだって残ってるのが奇蹟。 今のローマだって遺跡の上に建っている。 西安でショックだったのは城塞よりも郭内だったな。 跡形もない。残っているのは道の区画割りだけ。 城塞は、電気自動車が走っていようと、売店が建ち並んでいようとw、城塞だった まあ東京に江戸城の面影が残っているかというと、これもまたごく僅かだからな。
コロッセオは残ってると言えるのかどうか・・・ ドイツのブンカーではないが「でかすぎて壊し切れなかった」って方が正しい 奇跡と言えばパンテオンやカステルサンタンジェロじゃないかな いや、もちろんどっちも維持に絶大な努力を払ってきた結果だが
コロッセオは長い間採石場代わりだったからねぇ。
パンテオンもカステルサンタンジェロも教会が再利用する事で生き延びたね。 ただカステルサンタンジェロは城に改造されたりしてるから原型はほとんど留めてない。 コロッセオも残ってるのは3分の1位。大理石板とかは持ち去られ、その後貴族の城塞に 改造されたり、ホームレスの巣になったりゴミ捨て場になったりした。ラピュタよろしく 中が林になってた時期もある。ハドリアヌスの長城もローマ放棄後は石材は羊を囲う壁 に再利用されたりしてる。リメスゲルマニアもほとんどが土と木だから跡形もない。
サンタンジェロ城は中はともかく外側はかなり原型留めてるよ アウグストゥス廟と比べてみると構造がそっくりなのが分かる ROMEのフィリッピの戦いを見たが、密集陣形がちゃんと再現されてた 後ろの列が前の奴の背中を押さえてるのな ガリア人と違ってローマ人同士は弱点知ってるから お互い鎧から出てる部分を狙ってるのが面白かった アントニウスが騎兵で蹂躙かけるのは こいつが天性の戦上手であることを示してるんだろうけど 見てる人の大半は適当に突っ込んでるアホとしか見てくれないだろうな・・・
戦上手はともかく、 天性とはこれまた大袈裟なw
いや、あのドラマのアントニウスは粗野で空気読まない全くのバカという扱いなんだけど 突然思いついたかのように(それまでメシ食ってた)騎兵で突撃かけるあたりは バカだけど戦は得意ってイメージなんじゃないかなぁと キケロの家で酔っぱらって植木に立ちションするシーンはワラタ
アントニウスは戦術レベルの能力は十分だけど 戦略を考える能力はない
キケロに女好き、酒好きの剣闘士並のアホってさんざんに書かれてたからなあ、 そう書かれるエピソードを入れたかったんだろう。アントニウスもキケロ殺した時、 首だけでなく手も持ってくる様に言ったらしいから憎んでたんだろうな。
474 :
名無し三等兵 :2008/03/16(日) 22:41:25 ID:VlEMhvti
あげ
475 :
名無し三等兵 :2008/03/29(土) 08:36:24 ID:ZszppV29
ローマ ビクトリー 頭から離れない
476 :
名無し三等兵 :2008/04/16(水) 22:44:32 ID:zDD4oyqL
>>471 あの、突撃シーン見たけどどうだろう。
前線は混戦状態に突入してたから、マジメに戦況はわからんようなw
まあ、騎兵の突撃時期とも言えるか
しかし、よく研究して作ってるドラマだなあ、日本もあんな時代劇作って欲しい
クレヨンしんちゃんなら、きっとその夢をかなえてくれよう・・・
ローマ人の物語で褒め称えられているローマ人気質ってのはどっから来たんだろう。
>>479 対カルタゴで散々に負けても、しみじみ負けても挫けなかったところ。
それがどこから来たか聞いてるんだと思いますが・・・・
んじゃーロムルスとレムス。 違うか。
>>481 多分、共和制。
素人が後ろにいて国民向けにいい格好しいの命令出していたから、
敗将の首を切って新しい軍隊を送り込むなんていう、グダグダが
いつまでも続けられたんだと思う。
王政の国だと、王様が戦争の戦闘に立っていたわけで、彼が負け
たり戦死したりすると、国内で後継者争いになったりするでしょ。
そうなると戦争を継続できないわけ。
うむぅ、素人が大統領になってる共和制って海の向こうにあるけど、足掛け7年くらい戦争やってますよ?
最初期のローマって敗将の首切ってたのか
切ってないだろ?指揮官=執政官だぞ?
軍団の指揮は執政官か執政官経験者しかできなかった (スキピオ・アフリカヌスが最初の例外) だから政治のトップが先頭に立って何人も死んでるぞ ありがちな答えで済まないが、市民兵だからだろう フランス革命の時もフランスは世界中を相手に戦争をやりながら決して挫けなかった と言うか他の国なら崩壊するほどの大量の軍隊を動員できた 経済発展を優先して傭兵に戦いを任せてるとこうはいかない ってニッコロ君が言ってた
敗死と敗将に責を負わせて殺すのは全然違うだろ フランスはすでに大国(人口が多い)だったからナショナリズムと徴兵制で兵を補えたが ローマも小さいころならむしろ兵力不足で困りそうだ」 あとギリシャも市民兵だろ
平民と貴族の抗争が200年も続いたのとケルト人に一度ボッコボッコにやられた のが原因だろう。最高指揮官(執政官)の責任を問うと両派の抗争原因になって内戦になりかねない。そして 国内が分裂すると外敵に負ける。これをローマ人が学んだからだろう。ローマ市民になると 一生に5回は戦争にでなければならない時代、軍人なら指揮系統の分裂が敗戦に繋がるのは 馬鹿でもわかる。敗戦の上に国内が分裂してちゃ国が壊れちゃうから、だったら罰金とか自主亡命 とか、敗将は勝つまで前線配置させるで済ませた方が合理的だったんだろう。
一日ごとに指揮官が交代するとかむちゃな指揮系統だった気がするんだが
つまり、ローマの性質として生得的、民族的にあったわけじゃなくて、 後天的に制度が形作られていく上でたまたまその路線で成功して定着していったという ような見方なんでしょうか。 とすれば、ローマと似ているけど滅んじゃったり吸収されちゃった他のラテン民族という 失敗例が豊富にあってローマの成功例が一つだけ輝いている状態なのかもしれないなぁ。
>>488 いや、動員数より士気の問題ね
市民兵は傭兵に比べて非常に士気が高い
ギリシャもアテネやスパルタがブイブイ言わせてた頃は強かった
もっともそのローマをフルボッコにしたハンニバルの軍は傭兵メインだったから
傭兵が常に弱いってわけでもない
共和制と市民兵というシステムがうまくマッチしてたってことじゃないかな
帝政になった後も建前上は市民兵だけど、実際は職業軍人化していったしね
マリウスの頃からもう職業軍人だろ
マリウスの改革で志願兵制度にはなったけど、市民兵の性格は残していたよ 五賢帝の時代が終わったあたりから職業軍人と言うか、軍閥的性格が出てくる 市民の職業の一つに過ぎなかった兵士が、軍人という特殊な階級に変化し始めて ミリタリーとシビリアンが渾然としていたというローマの特色が失われていく まぁマリウスの改革も要因の一つではあるけどね (要因と言うか階級の分化の現れの一つか)
軍閥化はマリウス直後から始まってるだろう。スッラとかポンペイウスとか カエサルとかは彼等に従う兵士達がいなければ活躍できなかっただろう。五賢帝 以前にもティベリウス帝は軍団兵からの忠誠拒否にあってるし、ネロ自殺直後の 混乱期にはライン軍団がウィテリウスを皇帝に担ぎ出したり、それを打倒した ウェスパシアヌスが皇帝になってフラァウディア朝を開いたりしてる。だから問題 はローマが衰退期に入ってから政治が軍事をコントロールするのではなく逆になって それが常態化したのがいけなかったんだろう。
だなぁ カエサルやウェスパシアヌスらはあくまで政治の道具として軍閥を使ったけど セプティミウス・セウェルスからは軍が政治を利用していく傾向が出てくる (それまでも親衛隊によって一時的にそういう状態になったことはあったけど) まぁ経済的に豊かになってくると、わざわざ兵隊になりたがる奴も減ってくるし 戦争が利益を生むことも少なくなってくる そうなると軍のための軍になってしまうのがお決まりのパターン 今のアメリカもそうだな ローマの場合、それによって逆に防衛力が低下してしまったというのが悲劇なんだが
498 :
名無し三等兵 :2008/05/24(土) 00:36:17 ID:nQMWD+uq
>>483 ローマは敗軍の将の首は切らないよ
生かしといて生き恥さらそうって思想の国だからw
>498 凱旋パレードの後、神へ生贄にされてただろ 少なくとも共和制までそうだった筈
500
ええ、敗戦の将でも何年か後普通にコンスル再選されてたような
話が噛み合ってないぞ。カエサルと小カトーの会話みたいだ。w
というか凱旋って敗者の将でもやったのか
>499だけど >503 敗者の将=敵将で話してた、道理で話が噛み合わない筈、失礼した
>>502 その二人ってまともに会話する気があったのか?
一応あったんじゃない。まあ総合するとローマ人の敗将の場合、敗戦だけで は罪には問われない。勝つまで前線配置などに付けさせられたりする。ただ指揮官 にあるまじき行為をした場合は罰金や自主亡命させられたりする。 ローマに敗れた相手の指導者や王、敵将の場合。たいてい凱旋式の見世物にされた 後、ローマの有力者の元で人質生活する。優遇されると客人扱いになる。ローマ派に なったと看做されると現地人の王に据えられたりもする。ただローマにとってあまり に有害で政治的活用法無しとみなされると処刑される。
まあ言われてみれば常識的なことばかりに見えるな 前線に張りつけとくのも左遷みたいなもんだろうし
共和政時代の高級指揮官(元老院階級)は従者の形で自家の奴隷やクリエンテス を連れて行ったらしいから何年も戦場に貼り付けられたら出費も莫迦にならなかった だろう。
大敗して処刑された執政官っていなかったっけ? 処罰の理由は、直接責任を問われた訳でなくて、 鶏の餌占いの儀式を軽んじたからだとかだけど どう考えても死刑に値するとは思えない。 難癖つけようと思えばいくらでも方法はあったんではないの?
クラウディウス・プルクルスの事言ってるなら彼は死刑になってない。1万 2000デナリウスの罰金刑になってる。親戚・縁者が支援して家は手放さずに 済んだらしいがこの程度で破産ギリギリなんだから当時のローマがいかに貧乏か が判る。 執政官は共和制末期まで戦死以外は死刑にも暗殺にもあってない。2名同時就任 だし任期は1年、前執政官やら法務官やら前法務官やら財務官やらがごろごろいるから 暗殺による政変って感じにはなりにくい。元老院議員が大隊長クラスや高級幕僚の 感じで付いていくのがざらの時代。作戦もミニ元老院会議みたいに決まる例も多い。 こんなんでは指揮官だけ処刑して済ますって訳にはいかなかったんだろう。
指揮官に責任を取らせる=全権があることを認めるわけだから 敗将を処刑するのは共和制に反するんだよ 共和制の理念では、責任はあくまで指揮官を任命した元老院にある、ということになる
512 :
名無し三等兵 :2008/06/09(月) 05:38:15 ID:Acc9WboZ
君らの間でカエサルって2代目が基本となってるの?
そもそもkジャエサルは称号じゃなかったか
514 :
名無し三等兵 :2008/06/09(月) 09:13:58 ID:M80Wvkwo
>>1-2 略奪に押し入った国の女を木の前に立たせ、コンドームも着けず洗いもしない、いきり立った御無沙汰チンコを後ろからいきなり挿入し激しくピストンし中田氏。
海外じゃ当時の装備を再現して模擬戦をしたりする団体が結構あるけど日本にはそう言うの無いの?
ドイツの武田信玄オタがやってたな。日本は祭りとかでそういうのあった気がする
>>515 お祭りによっては、そういうのやってるよ。
なんだっけ、長篠で種子島ぶっ放す足軽グループがいたような。
海外のあの手の団体ってかなり真剣にやってるよ。 俺が知ってるホプリタイの再現団体は号令を古代ギリシャ語で行い訓練も可能な限り当時と同じ方法でやってる。 装備も殆ど自作だし。 日本にはそこまでするのはいないんじゃないの?
>>519 普通に、「何々でござる」ってやってんじゃないの?
流鏑馬だって似たようなものでしょ。
葡萄バカにする奴は遠的に縛り付けて殺す(゚д゚メ)
>>520 当時の物とは馬からして違うから、
今の流鏑馬は当時の再現じゃない
武者行列はよくあるんだけど、大抵はコスプレの域を出ないからなぁ
>>523 の人たちは陣形や弾込め動作の研究までしてて本格的だ
俺たちで作ればいいじゃない
もうローマでも何でもないが戦国時代までいくと日本の軍の陣形とか編成とかよくわかんないだろ
戦国よりむしろ中世の源平合戦とかの方が記録は豊富なんじゃないかな ヨーロッパは逆に中世になると記録がなくてはっきりしなくなる
>>528 >>ヨーロッパは逆に中世になると記録がなくてはっきりしなくなる
?
中世の記録の豊富さは古代の非じゃない筈だ。
アジャンクールの戦いに参加したイギリス兵の名簿やらリチャード獅子心王が作った十字軍の海上輸送の計画書が残ってるくらいだぞ。
>>528 戦国時代の方が史料は豊富だぜ。
どこの日本だよ、それ。
中世初期はローマ時代に比べて記録が少ないよ
>>531 西ローマ帝国崩壊〜シャルルマーニュまでの事ならその通り。
いわゆる中世暗黒時代か ローマが滅びた話もあまり詳しいの寡聞にして知らないな
>527 お前は幼稚園児かよw 俺でさえ小三で魚燐・鶴翼位は知っていたぜ
>534 全然具体性がないだろ それに三河ヶ原でしか聞いたことない
>>522 まさか昔の馬がラバクラスだと思ってる人
>>538 昔の日本馬やモンゴル馬は小さかったんだよ。
なんで写真もキチンとしたデッサンも無い時代の 馬の大きさが分かるんだよ
>>540 出土した馬の骨格その他。
つか、お前根本的な知識がないな。
出直せ。
なんで写真もキチンとしたデッサンも無い時代の 恐竜の大きさが分かるんだよ
流鏑馬ってサラブレッド使ってんの?
今は純粋な日本馬なんて殆どいないからな
坂の上の雲で、日本馬を見た西欧人が「馬のような馬」と笑ったとあるね。 「六尺五寸殿」と呼ばれた斎藤義龍が馬に乗ると足が地面に付きそうだったらしいし
鐙が発明されたのは7世紀頃だそうだけど、鐙無しで馬上戦闘って可能なの?
可能、つか、可能でなかったらそれまで騎兵が活躍なんて出来ないだろ。 パルティアがクラッスス破ったカルラエの戦いでは、 パルティア側の弓騎兵が活躍してるし、 ハンニバルがヌミディア騎兵を活用していたのは言わずもがな。 農耕民の馬になれてない連中が騎射するのが無理とか、 あと、ランスによる突撃は鐙がないと無理だがな。
アレクサンダー大王やハンニバルやカエサルが聞いたら卒倒する様な事言う奴だな。
>>547 まあ、素人には鐙無しの騎乗戦闘は困難だったからこそ、
大スキピオがマシニッサとヌミディア騎兵を欲しがったってのはあるが
鐙無しで騎乗戦闘が出来ないのかという疑問はアホすぎるな
>>549 まぁ手取り足取り教えるスレなんだからそう邪険にしなくても
騎兵って追撃と騎射以外は役に立ったのか疑問なんだけどさ ファルサロスでポンペイウスは歩兵も騎兵も相手より多かったけど 蹴散らされてるわけでさ。 単に指揮官と練度の差なのか?
鐙がないと、膝で鞍を挟んだまま戦うなど高度なスキルが要求されるため 子供の頃から馬に乗っているような遊牧民や一部の金持ちしか騎兵になれない そのため一部の遊牧民族を除いて常に少数だし 育成に時間がかかるのでおいそれと消耗できなかった 加えて鐙がないと衝撃力を活かすことができないので 中世の騎士のように人馬一体となって歩兵にぶつかっていくような戦闘はできない あくまで「移動力の高い軽歩兵」という感じ(カタフラクトとか一部の例外は除く) もっとも鐙が出てきてから重装甲重武装化が進んで 肝心要の機動力を喪失した騎兵は戦術の硬直化を招いてしまうんだけどね 中戦車→重戦車→MBTの流れに似てなくもない
>>554 指揮官と練度と戦術の差。
騎兵の本領は機動力にあり。
ファサロスでポンペイウスは騎兵の機動力を活用できなかった。
アレクサンドロスやハンニバル、大スキピオは、騎兵の機動力を活かして、
”鎚と鉄床”戦術や包囲戦術を行ってる。
>>(カタフラクトとか一部の例外は除く) その一部の例外がどうやってランスチャージをしていたのかが気になる。 アレクサンドロスの近衛騎兵なんて鐙どころか鞍もつけずに突撃したそうだし。
>>558 鐙有りの中世の騎士のようなランスチャージはしてない。
もう少し補足すると、中世のランスチャージですら、 長柄の武器構えてちゃんと陣形組んだ歩兵の戦列に突撃しても騎兵は撃退される。 密集陣形の側面を突いたり、 投射武器によって相手が陣形を崩したところに騎兵が突撃するなどが主な用法。 前者は陣形を崩すのが目的、後者は陣形を解体するのが目的。 大体マケドニア騎兵(ヘタイロイ)の槍はランスのような突撃特化じゃない。 ヘタイロイの武装は突き槍(クシュストン)と剣、それに兜と胸当て。 ランスは鎧のランスレストに固定して、人馬一体で突撃して突破力にする。
あれ、カタフラクトって鐙使ってたっけ・・・ちっと曖昧ですまん 当時の歩兵は基本的に密集隊形だから迅速に方向転換ができず 側面や背面を衝かれると容易に潰走したって事情もあるね
クシュストンって長さ4mの両手槍だよ。 そんなに長くちゃ突撃以外に使えなさそうだけど。 >>あれ、カタフラクトって鐙使ってたっけ・・・ちっと曖昧ですまん 鐙が最初に確認されるのは4世紀の中国。それがヨーロッパに伝わったのが6〜7世紀。
>>562 いや、鐙無しで踏ん張れないから長い槍で突くんだよ。
ランスと同じように突撃したら反作用で騎手が馬から落ちることくらいわかるだろ。
>>562 まさか歩兵がパイクやサリッサで突撃するとは言うまいね
つか、自分の足の付かない自転車でペダルから足離してみな 実際はもう少し安定性は高いがそれが鐙無しの乗馬の状態だ その状態で何が出来るかやってみるといい ……人のいない、人に迷惑をかけない場所でな
普通の槍の場合鐙がないと踏ん張れないから刺さる瞬間手を離したんじゃないかという説もあるな 4m以上の槍って相手に刺さったら抜くことできないよな、日本だったら刺すんじゃなくて叩くのが主流のようだったけど プリュビオスの歴史読んだらカンナエだったかヌミディア騎兵は下馬して戦って激戦だったとか書いてあって吹いた イメージが全然ちげー、歴史的にはドラグーンとかいるからおかしくはないけどさ
プリュビオスじゃないポリュビオスだ
>>561 東ローマのカタクラフトは使ってただろう。
古代のパルティアやバクトリアの重装騎兵は使ってないかも。
古代ローマは鐙がないとはいえ、4方に御者を固定する角が付いた鞍を使ってたから、結構安定してたはず。
ただ、足を長時間ぶら下げておく事による健康被害は解決できないけどね。
>>560 ん? ランスレストって、突撃時の槍の固定にも使えるの?
行軍時の負担軽減だけじゃなくて?
>>569 鎧側のランス固定具もランスレストと言ったと思った。
ランスレストでググればでてくるな
ほほー。これは知らなんだ。 ランスレストで突撃時に槍固定できたんか…… 勉強になりますた。ありがトン
>>563 安定が利かないなら取り回しの良い短槍を使うと思うんだが。
踏ん張りが利かないのに長い槍を振り回すなんて出来ないんじゃないか?
カタフラクトイやヘタイロイがどの様にして落馬せずに突撃を実行したのかは俺も興味があるので海外の古代戦マニアが集まる掲示板で聞いてみよう。
下馬戦闘とかオチがついたりしてw 横隊じゃなくて楔形に陣を組んだことはなにか関係があるのだろうか
>>574 相手を考えろよ。
元はファランクス相手だぜ?
短槍じゃお話にならん。
>>565 さすがに自転車じゃねーだろ。
長い脚立の上に腰掛けて、足を段にかけるかかけないかくらいの差だろ。
>>576 下馬するなら馬を装甲化する意味が無い。
581 :
575 :2008/06/13(金) 15:41:40 ID:???
ってか、そもそも古代の騎兵にランスチャージのような突撃衝力は求められていないでしょ。 敵の騎兵を追い払い、敵の歩兵の戦列を迂回して側面か背後から圧力をかけるのが騎兵の役目なんだから。 歩兵は基本的に軽装だし、重装のギリシアのファランクスはその密度故に方向転換は困難だから、重装かつ柔軟な機動が 可能なローマ軍の出現以前には騎兵に中世のような突撃衝力は必要ないよ。 だから鐙なしで踏ん張って馬と身体を固定するだけでも足りた。
>>581 どれかさっぱりわからん
誰か教えてくれ
>>585 を翻訳
Cipher
最近ヘタイロイやカタフラクトイなどの重装騎兵がどうやって突撃を実行していたのか疑問に思っています。
鐙の助け無しにどうやって出来たかのかが解りません。鐙抜きで歩兵に突撃したら衝撃で落馬しちゃうと想像するんですが。
最初は角つきの鞍を使ったのかと思いましたがクシュストンは両手で扱っていたそうなのでそれは出来ません。
どうやって足を鐙に乗せずに突撃の衝撃を吸収したのか解ってるんでしょうか?
Marcvs75
もし古代戦で騎兵突撃が可能だったか詳しく知りたいならPhilip Sidnell著のWarhorseをお勧めするよ。
その本で彼はヘタイロイの衝撃戦術がどうやって可能だったかを説明している。
hoplite14gr
"ギリシャ騎兵"と"ギリシャ馬"スレをチェックしる。
スコットランドの女性(リエナクター?)が裸馬に乗って突撃を実行し、写真もある。
(鐙無しでも)完全な突撃は可能だ。
多くの人がハリカルナッソスのディオニュシオスの記述のおかげで古代騎兵は騎乗した歩兵だと信じていたがこの女性がその考えの間違いを証明した。
4世紀にはフェルトの鞍が現れた(?)
hoplite14gr
その女性のサイトが見つからん。
誰か他にいい写真を出してくれないか?
>349 超亀だけど エルサレムっーか長期包囲戦になったのはマサダ要塞だね 2年半以上の兵糧攻め 3重の板塀で囲み干上がるのを待った マサダ要塞は要塞内に農園も持っていたけど女子供抱えて千人だったからなー
>>545 ほう、とすると股下が120以上有る大男だったんだな
日本馬は小さいとは言うのを勘違いしてる奴が居るな
西成の暴動の写真みるとローマの魂を感じる
ただの烏合の衆じゃん
鎮圧する方にじゃないのか
うほ!良いテストゥドだ!
>>596 いや、古代の騎兵の突撃は中世の騎士のランスチャージとは別物だろう。
少なくとも、当時の槍は”ランス”とは明確に違う。
槍騎兵による突撃は存在したというのは確かだが、
それはランスチャージではない。
用語は明確に区別しようぜ。
つーてもクシュストンとかは他の槍とも違うからなあ 全部一緒にはできんじゃろ
金がかかるからじゃねーか?w貴族社会なら歩兵の装備なんておまけだからな
>>599 相手の防具も比較しないと駄目なんじゃないか
ランス時代はフルアーマーだから衝撃力と頑丈さがさらに必要になったんでは
>>601 その鎧、ロリカ・セグメンタタ(以下LS)は中世どころか3世紀の終わりには姿を消している。
理由はこの鎧の利点と欠点を挙げれば解る。
LSの利点
・メイルより矢や槍などの刺突に強い
・メイルよりある程度軽い
LSの欠点
・製造に大きく手間がかかる
・打撃で変形しやすい
・打撃で板が欠落してしまう事がある
・メイルと違いサイズを変える事が出来ない
・メイルと比べてすぐに錆びる
見ての通り欠点が利点を上回っている。
ローマ兵と言えばこの鎧と言うイメージが強いが、実際にこの鎧を装備したのは西方の軍団兵のみでローマ兵の大多数はメイルかスケイルアーマーを使用していた。
このイメージは恐らく軍団兵が全員LSを身に着けているトライアヌス帝の戦勝記念柱に由来していると思われるが、一つ面白い話がある。
ルーマニアのアダムクリシと言う場所に、ダキア戦争に従軍した元ローマ兵達が建てさせた記念碑が残っている。
この記念碑はトライアヌスの物と同じくダキア戦争の模様を描いた物だが、ここに描かれているローマ兵でLSを身に着けている物は1人もおらず、皆メイルかスケイルアーマーを装備している(ただこの記念碑はLSを装備しなかった補助兵部隊が建てたと言う説もある)
だからそもそも大きく使用されたのかどうかさえ疑問になっている。
結局、この鎧が登場したのは紀元前一世紀の終わり頃で、消えてなくなったのが3世紀の終わり。
使用されたのは約250年。
大してメイルの方は紀元前三世紀から西ローマ帝国の崩壊までの約750年。
そして言うまでも無くメイルはその後も各地で使用され続けた。
見た目は格好よくても鎧としてはメイル以下と言ったところだろう。
なるほど、鐙なしでもチャージができることは分かった
鐙がチャージの威力を上げたのは確かだろうけど
それまでの騎兵がチャージをしなかったのではなく
重装騎兵の運用は鐙以前と以後で明確に変化したというのは間違い
というのが結論かな?
馬の種類も時代によって変わるし、装備の変化は双方にあるだろうから
単純な比較はできないだろうけどね
>>603 ロリカは1〜2世紀じゃなかったっけ
アウグストゥス〜五賢帝あたり
トライアヌスの円柱(EURにあるコピーの方)じっくり見てきたけど
あれの軍団兵がロリカを着てるのは絵的に分かりやすいってのもあると思う
どこを見ても木を切ったり地面を掘ったりしてるロリカ姿で一杯だった
>>ロリカは1〜2世紀じゃなかったっけ >>アウグストゥス〜五賢帝あたり 最も古いセグメンタタはドイツのDangstettenで発掘された物で紀元前9年の物だと言う事が判明している。 最も新しいのがスペインのレオンで見つかった物で三世紀中ごろの物だと推定されている。
>>605 ということはセグメンタタはローマで開発されたものではなくて、どこか他に由来するものだったってこと?
>>607 スマソ。紀元前9世紀と読み違えてて驚いたんだ・・・orz
でもセグメンタタが東方の重装騎兵にルーツがあるのっていうのは初耳だ。
貴重な情報さんくす。
紀元前に重装騎兵が活躍してたのか。ペルシャって凄いな
紀元前に装甲騎兵が活躍してたのか。アウストラルって凄いな
最低野郎がいるなw
どうでもいいが
>>596 の人って馬の扱いは上手いんだろうけど槍の扱いは素人だな。
613 :
名無し三等兵 :2008/06/24(火) 19:34:37 ID:IDpJlVQv
>>585 のスレに興味深いレスが幾つか出てるので翻訳してみる
Ioannes_Ahenobarbus
カタフラクトイに関しては、どこかで(ソースを思い出せなくてすまない)彼らはいわゆる突撃ではなく、キャンターかトロットで前進して敵陣に密集隊形で進入するとあった。
ゆっくりと動く巨大な波が海岸にぶつかるのを想像するといい。
(カタフラクトイの)重装甲、メイスとランスを考えればこれは隊列を組んだ精強な歩兵に対しても有効だ(971年のDorostolonの戦いを参照)
むろんこれは一般化だが大筋では正しいだろう。
Kineas
私もこのスコットランドの女性には興味があるが、既に二人の有名な古代騎兵の研究家LittauerとCrouwelが鐙ありで出来る事は、ランスの使用も含めて全部鐙なしでも出来る事を実験で証明している。
ただし、馬に乗れる軍事史研究家なら誰でも隊列を組んだ歩兵が騎兵の突撃によって崩された事は歴史上一度も無い事を証言するだろう。
だから君が騎兵がホプリタイ等に突撃するのを想像してるなら――そんな事は有り得ない。
まあ怪しい幾つかの例外はあるが…
この件に関してはBrent NosworthyのAnatomy of Victoryをお勧めする。
騎兵は歩兵が何らかの理由によって隊列を崩してる時にのみ有効だ。
崩れていない槍の壁の前にたった馬は――18世紀の兵士は42インチの「槍」、17インチの銃剣と2、3列程度の厚みしかなかったのに一度も正面からの騎兵突撃で崩れた事はない事を思い出して欲しい――前進する事を拒否し反転してしまう。
馬とマスケット時代の幾つかの絵画に描かれてる通りに。
もっとも、もし歩兵の一部が馬が反転する前にパニックを起こすのなら事態は急転するがね。
プロイセンの参謀本部が1870年代に行った研究では騎兵戦では武器自体は全く重要ではなく、重要なのは馬のサイズ、凶暴さ、そして騎手の技術だと結論された。
我々の様な現代人は技術が重要だと考えがちだ。
だがそうじゃなかった時もあったと考えて欲しい。
テッサリア、マケドニア騎兵が精強だったのはランスや投槍や剣のせいではなかった。
これは私自身のと19世紀のインドで戦った多くのイギリス人騎兵の経験からだ。
ランスは確かに恐ろしいが、穂先を防いでしまえばそいつはおしまいだ。だがもし馬が大きければ…
ageてしまった…スマソ Kineas すまないが、上の私の発言には「私の考えによれば」「と私は信じる」「私が理解する限りでは」と入れてくれ。 私は騎兵と歩兵の関係は近代以前の軍事史の中で最も議論が激しい事だと思う――ウォーゲーミングの掲示板ではそれでよく荒れる――ので私が全ての答えを知ってる等とは思わないで欲しい。 「テクノロジー」(の重要性)に関する議論はやってみたいが、それが全てだとは思わない。 我々はAIM-54を搭載したF-14はどんな装備をしたMiG-25よりも優れている時代に生きてるが、過去ではそうではない。少なくともどれだけ重要だったか慎重に検証される必要がある。 Dan Howard 鐙は過大評価されすぎ。 重槍騎兵が鐙無しでは不可能だと言う古い神話は明らかにトンデモ。 Sean Manning Kineas, 俺は18,19世紀の証拠からそれ以前の騎兵を理解出来るのか疑問だ。 少なくとも古代・中世のソースと比較しない限りは。 あの時代の騎兵は浅い隊形で戦い、彼らを簡単に殺せ、混乱させられる銃火器と戦った。 騎兵は槍衾を怖がらせて隊列を崩せなければ槍衾に対して有効ではないというのは良い点だが、それがそもそもの騎兵の仕事だ! そして中世の騎兵はナポレオン期の騎兵と違って槍兵・パイク兵からいつも逃げたわけではない。 無論たいていは(突撃しても)負けたがそれでも敗走を始めるまでに時間はかかった。 いつかは重装歩兵・ショック騎兵のメカニクスに関する真剣な研究が見たいもんだ。 騎兵は通常(槍衾に対して)どの時代でも負けたが、具体的にどうやって起こったんだ?
hoplite14gr
心理は戦争において全てに優先する!
例え槍衾の真ん中にいても稲妻の様な馬の足音を聞き、地面の振動を感じるのは簡単な事じゃない。
私はモロッコでショーに参加した(?)
そりゃ観光客の為のショーだし彼らは軽騎兵だったが、馬が向かってくる方の席にいるのは怖い事だった。
Paralus
Minor M Markleの記事を幾つか読んだ方がいい。
彼の騎兵槍の扱いに関する研究は深いし情報も多い(私は彼の騎兵がサリッサを用いたと言う説には賛成しないが)
クシュストンは片手で扱う物だ。これはKinchの墓、SidonのSarcophagusとアレクサンドロスモザイクで明らか。
Nicholas Gaukroger
このリンクが参考になるかも。
http://www.classicalfencing.com/articles/shock.php Kineas
Stefanos、私は何十回も騎兵に突撃されたが未だに慣れる事が出来ない…だから賛成する。
心理面は重要だ。
テクノロジーは重要じゃない。歩兵が恐れるのは槍やランスではなく(少しは怖がるだろうが)ヒヅメの化物だ。
もっとも、おかしな事に化物の方も恐れている。
PMBardunias
ルネッサンス期のポーランド騎兵は長いランスを有効的に使っていた。 (
http://www.jasinski.co.uk/wojna/comp/comp06.htm )
スイスパイク兵すら突破されたと言う話しもあるが、私の意見では他のあらゆる「騎兵が歩兵を蹂躙した」話しと同じくスイス兵は突撃前に隊列を崩していた筈だ。
「突撃」と言う物自体が何なのか考える必要もある。
私の記憶が正しければ、ナポレオンのポーランド騎兵とプロイセンの歩兵が雨の中戦った事があって(だから銃は無し)、騎兵はゆっくりと近づいて槍でチクチクと刺していただけだった。
どっちが勝ったのはか記憶してない。
Strategos
1813年のGro?g?rschenの戦いの事?
私の考えも堅固な戦列には馬は突撃しないと言う物だ。
もしこれが事実じゃないならワーテルローのウェリントンはネイ将軍の騎兵がイギリスの方陣に突撃した時に敗北した筈だったし、
ガウガメラの戦いではマケドニア軍が戦車を中におびき寄せる為に戦列に穴を開ける必要も無かった。
>>歩兵が恐れるのは槍やランスではなく(少しは怖がるだろうが)ヒヅメの化物だ。 ピサロがあの人数でインカを滅ぼせたのは銃の威力もさることながらより原住民が 馬を見たこと無くて騎兵を手足六本の化け物だと思ったから、っていう話を読んだことあるな。
ケンタウロスなんかは「馬から人が生えてたら便利なんじゃねwww」みたいな発想から生まれたんだろな
>>私は何十回も騎兵に突撃されたが未だに慣れる事が出来ない この人は何の仕事をしてるんだ?
25年も勤めればパンノニアあたりに入植地をもらえるのか。 いいなぁ
>>613-616 やべー面白い
騎兵ネタは奥が深いな・・・
馬群が駆けてくるってのはやっぱ怖いもんなんかね
競馬見に行けば気分は味わえるかな
>>613-616 やっぱ本場と日本じゃこの手の事に関する本の数が段違いみたいだな。
こう言う本もどんどん邦訳されればいいのに。
だって俺達欲しくなると原本取り寄せて読んじゃうじゃん。 購買層がそんな態度なのに有為な需要を見出して翻訳しろってのは無茶な要求だよ。
626 :
名無し三等兵 :2008/06/26(木) 23:43:50 ID:fxPnEoPL
大学のレポートのタイトルが「古代ローマの人口問題」というものなのですが、 浅学ゆえ何から手をつけてよいか分かりません。 アプローチの仕方など何でも構いませんのでどなたかご教示ください。
首都ローマの人口推移を王制期から時代とともに追ってみれ。 軽くデータを集めたら、次に人口問題と何をからめてレポートを書くかを決める。 水資源なら水道開発だろうし、食糧なら小麦供給戦略だろう。 政治ならば参政権と兵役の義務の移り変わりは欠かせないだろうし、 他のラテン民族の諸都市との市民権制度上の確執は押さえておくべき基本問題だ。 あるいはパンとサーカスに代表される社会福祉と市民買収の歴史を追う王道に挑んでみるのも面白い。 奴隷と解放奴隷と市民権保持者の増加問題は、共和制ローマの時代から問い質されてきた市民権制の命題でもある。 ま、要するに興味がある事に重点絞って好きにやれ。 授業を受けてきたのなら課題が真に何を問おうとしてるのかも分かるはずだしな。
本当に親切な人がいるなw
帝政ローマだったら 軍団の退役兵による殖民都市の変遷とか、 皇帝の出自と支えた軍団とか。 古代ローマだったら、サムニウム人とかエトルリア人との関係あたりとかは 既に出ているのでエピソードを紹介して攻める方向で、ネットで史話を探して 訳出するとかでしょうか。 変わったところでは、ハンニバルと戦っているあたりの共和政ローマをいれて いいならば、敗北にも拘らず動員できた軍団数から当時の人口と戦争による 人口に対する圧力を考察してみるとか。 あと、論文を探して紹介するのが色々出来ます。例えばローマの碑文から 家族構成を再現して紹介するとか、ポンペイあたりの世帯構成とか。
630 :
名無し三等兵 :2008/06/27(金) 00:48:23 ID:Ur5KEj8P
世間の大ポンペイウスへの過小評価は異常
つーかなんで軍板で聞くんだよ
世界史板のローマスレにもマルチポストしてるよこの人 スルーされてたけど
そりゃ普通スルーするだろ しかし人口の資料ってそんなに豊富にあるのかねぇ
ローマ市民権保有者に関して良く残ってる方じゃねえ。属州民とか奴隷とか自治都市 とか同盟国の住人とか加えた総合的な人口統計になるとかなり怪しくなるけど、近代国家 じゃないから仕方無いだろう。現代だって本当にその人口であってんのか?と 言いたくなる国がいくつもあるんだから古代では相当緻密な調査やってる方だと 思うぞ。
ローマ在住の市民権保有者数なら結構残ってるぞ 当時から統計とってるしな
今でも国勢調査をcensusって言うくらいだしな 財政や軍事力が常にかつかつでやってたから統計が不可欠だったとかいう理由もあるが 今のイタ公に比べるとローマ人は異様に几帳面だな・・・
エンジンはダイムラーベンツのエンジンを戦闘機にのっけれたんだけど 戦車はぱっとしなかったですね。
ローマ時代に馬甲ってつかってたっけ どれぐらい飛び道具に耐えられるんだ馬って
ハンニバルは長征して勝てずに国を疲弊させてカルタゴ滅亡のもととなった国賊
ローマ vs バルカ家
641 :
名無し三等兵 :2008/07/04(金) 10:15:24 ID:5oLDgx5r
>>636 財政や軍事力がかつかつだったんで、補給を無視した何処かの国とは偉い違いだw
いいすれ
槍投げる→命中ざまあwww→槍投げる→槍の命中するタイミングに合わせて突撃 こういう戦法が用いられたってテレビでやってたんだけどマジ? ローマ人ってどんだけ早く走ったんだwww
ローマ時代こそ、徴発が補給の基本だ。
>>645 いきなり何が言いたいのかよく解らんが、鉄道が発明されるまではどこでもそうだぞ。
いや、ローマ以外はほとんど略奪が基本だから
国勢調査はまがりなりにも律令制のころからあったが、戸籍制度など整備したのは東洋では帝国日本が初だな。 まあ一応アジア唯一の近代国家だったし。
政が統一を達成するから秦の国に制度としてあっただろ。 奴隷は財産扱いで乞食は除外した兵役義務をもつ家限定の名簿だったが。
>>647 略奪と言うのが「食料のありそうな所から脅して奪い取る」と言うのならローマだって大して変わらん。
>>650 その後に代金をきっちりおいてくるか否かじゃ大分違うと思うんだが
多くの場合、支払う値段や対価を決定するのは調達・徴発を行う側になる。
>>652 例えばガリア戦記や内乱記では近くの市町村から徴発する場合「物資の提供を命じた」とか書いてあるだけで代金を払った様子は全く無いが。
生かしておいてやるだけありがたいと思え、てか家屋や残りの作物に火をつけて進軍したりするからな。
>588みたいな長期包囲だと徴発だけではやっていけないと思うんだが
頭のいい奴は占領地の内政をよくして合法的に食糧補給する 略奪より効率的
内政を良くすると赤字になるので根こそぎ収奪します。 どうせ任期が終われば関係なくなる土地なので。 奴隷として売り払う以外の現地人が死滅すれば、 新しい入植者を入れられるので好都合。
進軍中なのに内政とかどんだけ余裕あるんだw
漢のショウカがいればそのくらい朝飯前
661 :
(*´・ω・`*).。o(ヌルー) ◆09UfR9plYM :2008/07/05(土) 18:55:40 ID:6K9PfefU
♪ ∩ r(*´・ω・`)ノ _ └‐、. ・ レ´`ヽ たわわにみのる初夏のうみ! ヽ ω ノ´` ( .(´ ♪
662 :
(*´・ω・`*).。o(ヌルー) ◆09UfR9plYM :2008/07/05(土) 18:57:05 ID:6K9PfefU
誤爆すまんorz
ハンニバルって略奪だけであんなに長く食いつないでたの?
詳しいことは忘れたんですが、イタリア半島の長靴の爪先にある都市だったかを 根城にしていたと思います。
兵士の補充はどうやってたんだろう。 「ハンニバル軍兵士募集中!」とか宣伝すればローマ同盟市の人間でも集まってくれた んかな
>>665 サムニウム人やブルッティウム人が特に多くハンニバル軍に入った。
最近巷の若きオナゴの間ではローマ軍式サンダルが流行ってるとか (今日福留の番組でやってた) 因みにこのサンダルの事をグラディエータと呼ぶそうな しんじられないが(ry
つまり、日本のオナゴはローマにとっつかまって闘技場でその日その日を 命を的にして生き延びているのですね。
SM嬢の装備にしか見えない自分は終わってる
鉄の鋲は靴底に打ち付けるんだっけ?
そのうち子供用製品としてカリグラが作られるんですね。
カリグラとか名前の付いた靴を日本中の子供が履いてたらイタリア人卒倒 するだろうな。日本では武士とかが有名な鍛冶師とかが打った「正宗」とか 「菊葦」とか名刀欲しがったがローマ兵はそういうの無かったのかな、官給品 だから使えれば良かったんだろうか。でも自分の命懸ける武器には業物欲しい よな。
官給品でなしに自前だろうが
>>675 >>カタフラクトイの突撃と中世(?)のランスチャージの違いって具体的に何なのですか?
ぶっちゃけた話し、明確な違いは無いんじゃね?
677 :
名無し三等兵 :2008/07/09(水) 14:30:37 ID:KLO5xsfd
みんなで槍もって競馬のときの発走前にぐるぐるまわってるあの感じで輪乗りして囲むんじゃねえの?
カッコいい横文字にしただけじゃね
共和制、帝政にかけてのローマ軍で、マケドニア式のファランクス戦術が 使われた事はあるんでしょうか だいぶ前にseveran phalangiteとかキャプションの付いた絵をオスプレイか 何かの書籍で見た記憶があるんですが
>>679 >だいぶ前にseveran phalangiteとかキャプションの付いた絵をオスプレイか
>何かの書籍で見た記憶があるんですが
アレクサンドロスの崇拝者だったカラカラがギリシャから一万六千人の兵士を徴集し、マケドニア式ファランクスとして編成した事がある。
ローマ軍でマケドニア式ファランクスが使われたのはそれだけの筈だ。
681 :
679 :2008/07/09(水) 22:48:22 ID:???
>>673 というか皇帝カリグラって名前の方が、小さい靴って意味のカリグラってあだ名からきてるんじゃなかった?
>>675 >>676 ランスチャージって、ほとんど固定されたランスを装備した重装騎兵の突撃のことじゃない?
つまり、突撃衝力は極限まで高められているけど、一撃必殺で運用の柔軟性も何もないし、突撃で敵を粉砕できなかったら
白兵戦なんてできない。
対して、カタクラフトイの突撃は歩兵の突撃みたいなもんで、比較的低速で突撃した後、普通に殴りあうし、場合によっては
後退したり、戦術機動したりするって話じゃない?
ランスを用いた騎兵突撃ってことで。基本的に対重装甲番長みたいなもんかな
でもランスの先っちょに力が集中してるから、結局、
>>613 の最後の行が真理なんだろな
さすがにローマ時代の戦争とかレベルが低いよね 合理的な戦争の仕方ができていない
>>684 当時の科学力と産業力で、彼らと戦って勝つ方法を教えてくれ
第二次ポエニ戦争時のローマ側の戦略とか凄いぞ カエサルのガリア制圧は最早神がかってるというか 何で成功したのか分からんほど見事に成功してる
>>684 では合理的な戦争の仕方とやらをぜひご教授してくれ。
ポエニ戦争は紀元前の時代に総動員に近いことをやったのが驚き
驚きでもなんでもない 誇張評価なのだから
>>689 つまり記録よりも少数の戦力で敵を倒したのか
>684 >合理的な戦争の仕方ができていない 戦場における戦術的なことを言いたいのでしょうか? それとも政治を含めた戦略的なこと?
合理的な戦争っつーのも技術革新が進めば変化するもんだから曖昧だね。 例えば疫病対策だって現代なら風土病の予防接種はするのが当然だろうけど、 古代の世界で疫病対策として神頼みするのを不合理とするのか?
もっと言うとなんで爆撃機と戦車使わないの? ってことになっちまう
合理的な戦争って聞くと合理的な開戦理由を連想してしまう
今ちょうど、ローマ人の物語2「ハンニバル戦争」を読み終えた ポエニ戦役当時のローマ人達は今の世界中のどの国よりも 政治の分野においては進んでいるな。さて、3巻目借りに行こう
>>691 というか、記録より敵が少数だったってことだろう
>>696 塩野七生女史の戦術に対する理解って適当じゃね?
「鉄床と金槌のように」と「絨毯爆撃のように」って言葉ばかりで
戦闘展開とかいい加減だったような
塩野七生は中身がないからな。 はっきりいってあれ読んでこの時代のことがわかった気になってたら恥ずかしい るろうに剣心よんだら幕末がわかっちゃったと勘違いするほど恥ずかしいこと
700 :
696 :2008/07/12(土) 01:54:31 ID:???
>>698 どの作家にも得意分野と不得手な分野があるし、
一次資料が無いものも多いので仕方ない所はあると思う。
それよりも、単行本の中にもっともっと・・・もぉっと地図を増やして欲しいw
オイラは頭の中で戦闘させる〜〜〜〜〜ので問題無し。
>>699 あれは歴史書ではなく、歴史の小説だよ。何をむきになってるのかな?
>>701 だからただのイロモノ小説に考察も理解も必要じゃないだろ
>>702 十分楽しいよ。もっと大らかにしてないと、先人達に笑われるよ。
ここは 古代ローマの戦闘を手取り足取り教えてくれるスレ であるからして、古代戦史の一級資料について教えてくれんものだろうか>698
「中身がない」って言うだけの批評って何の中身も無いよね。
全く、不毛。
>>704 >698じゃないが
手に入れやすく、初心者でも手が出せるのは
Adrian Goldsworthy
Ross Cowan
Hugh Elton
Paul Cartledge
Nicholas Hammond
Donald Engels
この辺りだな。
Adrian Goldsworthyは英語も解りやすいので初心者にはお勧め。
Ross Cowanは最近有名になってきた若手でローマ軍の宗教的側面に着目している。オスプレイでも何冊か出しているので初心者でも手がつけられる。
Hugh Eltonは4〜5世紀のローマ軍が専門。彼は後期ローマ軍の再評価を行った研究家の1人で、よくある誤解(ローマ軍の蛮族化)などが間違いである事は彼の研究を読めば理解出来る。
Paul Cartledgeはスパルタ研究の大家。余りにスパルタを贔屓するのが玉に瑕。
Nicholas Hammondはアレクサンドロスの専門家で、彼の著作はアレクサンドロスの遠征のいいまとめになる。
Donald Engelsもアレクサンドロスの研究家だが彼はAlexander the Great and the Logistics of the Macedonian Armyでアレクサンドロス遠征の兵站と輜重について非常に細かい考察と研究を行っておりこれを読めば古代における兵站がどの様な物だったか大体理解出来る。
アレクサンドロスの専門家は後継者戦争の方もカバーしてたりします?
一級資料が一次史料の事ならポリュビオスやカエサル位しか無い。 リウィウスやらディオドロスやらプルタルコスは全部二次史料だから。
ダキア戦記がどっからか ひょっこり出てこないかなぁ
横文字は手がでんなぁ・・・
そうなると、塩婆は内容が古いだの、妄想入っているだの、言われてるけど、日本語で書かれたローマの通史って だけで意味はあるよね。 欧米ではメジャーなジャンルなのにローマ関連は和訳少なすぎ。 中世ドイツ法制史なんて分野ですら、大家の論文は和訳されているのに。
トム・ホランドなんかは少し和訳されてるけどね。
日本は判官ひいきなんでローマみたいに強いのはつまらんからムリ
>>712 そこを呼び水にしてもっと本がでてくれればなぁ
図書館行けばぼちぼちあるんだが
ローマが日本の歴史と関係が薄いのも影響してるかも、明治期から知識人の 間ではローマに関しての書籍がぼつぼつ出てるけど専門書や古典の訳が多くて 一般大衆に文学・通史として紹介したのは塩婆が初だろうね。
誰かエジプト史とかもやってくれないかな、ミイラとかピラミットとかの 考古学的探究は多いけど通史的にまとめた書物は非常に少ないと思う。まあ いつから始めるかによるけど、ローマに併合される以前の歴史でも悠に3000 年超えるんだけどね。
>>718 歩兵が扱える様に小型化された全鉄製のバリスタ。
>716 最近の若いしとは、塩野さんから入るのか 俺は通史としては中央公論のローマの歴史から入ったからなー
レギオンとかなんのいみがあったんだ?
部隊兵員数に何の意味があったんだ?と聞かれても困るけど、伝統的にそれが ローマの戦略単位だったとしか言い様が無いな。無線も何も無い時代。ある程度、 指揮官が自由に分散・集合させられる人数は6000人程度が適当と考えられて たんじゃねえ。
>>720 司馬遼太郎から日本史に興味持つようなもんですよ
俺はAoEからだけど・・・
あー俺も中公の「ローマの歴史」からだ。 通史にしては妙に面白く、異様に砕けた軽〜い文章でさくさく読めたな。
西洋文学史からガリア戦記に入った俺は異端ですか?
情けない話だが俺はRome:Total Warからだ。
俺はCivilization→ガリア戦記 間にジャレドダイアモンドの銃・病原菌・鉄が入ってる
いやーヒエストロとセスタスみるまでローマなにそれ?daltuta
ヒストリエか? あれはアレクサンドロスの時代のギリシア周辺だけど。
730 :
名無し三等兵 :2008/07/18(金) 20:05:05 ID:eQf4p62A
朝日新聞社発行のアレクサンドロスの遺産って名の、古代戦SLGw 後継者戦争を題材としたwgだw
ローマ皇帝歴代史→塩婆→ガリア戦記→ギボンの衰亡史と読んだ俺に次のオススメ教えて。
タキトゥスの「年代記」は面白いよ。 カリグラとかネロの奇行を妙に真面目な文体で描写してるから、ところどころプッと笑える。
>>731 リウィウス
ポリュビオス
と進んで
ヨセフス
タキトゥス
スエトニウス
辺りに行ってみれば。
高校世界史の授業で、ポエニ戦争に興奮して、ローマ史に興味を持ったのは自分だけいい
>>732 >>733 さんくす!
当時の歴史家の著作を読むって発想はなかったわ。
ちょっと色々引用されてて馴染み深いタキトゥス読んでそこら辺あたってみる。
平野でのスタンダードなフォーメーションってどんなだったんだろう
>>737 時代にもよるが、共和政後半から元首政前半にかけては3列縦隊の重歩兵の戦列の両翼、または片翼に騎兵が展開する感じ。
投石兵や、弓兵は主に歩兵の戦列の前に配置され、投射後、接近戦になる前に退いた。
騎兵は、まず敵機動兵力に向かいこれを撃退し、敵歩兵の戦列の側面、後方から圧力を掛け、包囲殲滅を目的とした。
こうしてみると、とてもオーソドックスだけど、特徴的なのは重歩兵の戦列内の配置。
まず、第1列にはハスタリティという、盾とグラディウス、ピルムを装備した平均的な兵士が配置された。
次に、第2列にはプリケンプスといい、ハスタリティと装備は同様であるが、より戦歴の長い兵で構成された。
そして、第3列だけど、トリアリィといって最古参兵からなり、長槍を装備していた。
この3列目は戦いを決定するための予備兵力や、劣勢の時にも戦列を維持する役割を負った。
それと、強固だけど硬直的なファランクス陣形と違って、兵の間隔が比較的広く、マニプレスという中隊が
重視されてたから、歩兵の密集隊形にしては比較的に機動性に優れていた。
絶対トリアリィは逃亡防止だと思うんだ 密集陣形自体そんな感じだけど
ファランクスは後世にテルシオみたいな形で復活したのに なんでレギオンは復活しなかったの?
ファランクスとテルシオは長槍を使う密集方陣と言う点以外に共通点なんて無いだろ。
レギオンは戦略単位名であって現代の「師団」や「軍団」にあたる。だから 別に戦法でも戦術でもない。ローマ帝国に片思いした感じのムッソリーニが師団 をレギオンって呼んだ位か。
レギオンというか、古代ローマの軍制はヨーロッパが封建軍から近世の軍隊に脱却していく過程で参考にされているだろ。
マウリッツが背面行進のアイデアをウェゲティウスの兵法書から得たと言う話くらいしか知らないな。
古代ローマの軍制とか戦術って他の技術と同じように 西ローマが崩壊していく中で失われていったんじゃないの?
確かに歩兵から騎兵に、貨幣経済から封建土地経済に、中央集権から地方分権 に移行するにつれてローマの様な兵制は不可能になってる。でも東ローマでは比較的 ローマの兵制を受け継いでる。でもローマの偉大さは塩婆じゃないけどたかだか30 万程度の兵力であの広大な領域を300年以上守り通した事だな。
マキアベリって共和制時代の軍制をそのまま再現して市民兵最強wwwwテラツヨスwwwwwと思ってたら傭兵軍にコテンパンにされたんだろ?
どこの平行世界のマキャベリですか?
そういう誤解してる人多いよな ヘタリアでもその扱いだったし・・・
マキャベリが作った市民軍がスペインの傭兵にボロ負けしたのは事実だろ?
マキャベリが説いたのは騎兵より歩兵。傭兵より常備軍の必要性。この点 では進んでるけど火器に興味が薄かったり、常備軍の主軸を市民に求めた点は 古典的、実際には君主による傭兵常備軍の時代の後国民皆兵の時代に入るのだから 早く生まれ過ぎたのかもしれん。マキャベリの傭兵嫌いは自分が負けた性もある のか自分の著作でメッタ切りに酷評してる。
マキャベリの構想した市民による常備軍を実現できる力が フィレンツェにはなかったってだけだろ マキャベリ自身も単なる役人だったしな
14〜15世紀のイタリアの都市国家同士の傭兵による合戦なんて、いわば戦争ごっこみたいなものだし 傭兵隊長同士がお互いに兵の損失を最小限に収めつつも雇い主にたいして面目を立てる、 みたいな戦い方をしていたわけだから、これをやめて常備軍を作ろうと言う考えはリーズナブル。 ただ、常備軍は中央集権国家にあってはじめて可能なものであって、都市国家風情には実現は難しい、 てことじゃないか。
市民兵は間違いではないでしょ ただその市民兵を上手く使う戦術の才能がなかっただけでさ
図書館戦争と不真面目さではどちらが上なのだろうか
実際、近代以降、国民国家の軍隊と傭兵軍が戦うと国民国家の軍隊が異様に強いからな。
市民兵であろうと傭兵軍であろうと、イタリア戦争時に侵入してきた スペイン軍には戦力的に対抗は無理だろう。
よく知らないけどフランス外人部隊は強いんじゃないの? スレ違いだけどさ。 まぁ古代ローマにも補助兵と言う外人部隊がいたことはいたんだけど
グルカ連隊とかね。 あと往年のワイルド・ギースとか。
フランス外人部隊は傭兵じゃないからなぁ。
ペルシャ最強の部隊はギリシア傭兵部隊のファランクスだっけ
日本も外国人労働者がいるんだから足りない兵員は外人部隊で攻勢すればいいのに
>>764 クセノフォンのアナバシス?
あれは別にペルシャ最強の部隊なわけじゃなくて、兄に比べて扱いの悪かったキュロスの戦力の中では
有力だったってだけじゃね?
ついでに作者が傭兵隊長だった。
そう言えばピュロスも傭兵だったけど、ローマをボコボコにしたよね
ボコボコにしたけど、「ピュロスの勝利」だったよね
ローマは兵士の動員数が凄いって言われてるけど、具体的にどんな要因があって 他国と一線を画す動員力を実現できてたんだろう。 単純に人口が多かったのだろうか。
傭兵と奴隷じゃないのか?
ローマ軍の兵力が圧倒的であった訳ではないよ。敵軍より少数である場合 も多い。帝政になってからの常備兵力はあの広い国土から考えれば圧倒的に 少ない30万前後。良くあんな少数で300年領土守ったと言える位。ローマ の強さは兵の錬度が非常に高いのとロジスティックが確立してる事と、一度 戦争始めたら相手の国を滅ぼすか相手が講和求めてくるまでいくら損害出そう とも戦争やめない点。
科学技術の高さが大きいと思う
建築技術の水準は本当に凄いな。古代最高を通り越してる。
人材登用の上手さがローマの強さだと思う
ピルムの後継武器みたいなのって後期ローマ軍に無かったの?
30万て、当時の人口考えたらかなり多いだろう
人口は五賢帝の時代に5000万人だっけ 軍団がインフラ整備を担当し、ある程度自活も可能だったから 経済に打撃を与えずに動員できたんじゃね? もちろん古代屈指の生産性の高さや奴隷労働力の存在も無視できないだろうけどさ
帝政期の30万編制って職業軍人による常備軍と化してたような。
5000万ってローマ市民権持ってる人だけで?
老若男女、奴隷から何から入れてアウグストゥスの時代で5000万、五賢帝時代で7000万以上ではないか と言われている。陸上兵力を30万で固定して考えると前者で0.6%、後者で0.43%になる。ちなみに現代 軍の場合、日本0.19%、アメリカ0.51%、韓国1.39%、北朝鮮5.38%等になる。まあ現代と比較 しても仕方無い面が多々あるが近代兵器も無く、移動手段が馬か徒歩か帆船しかなく、無線機も何も無い時代の領 土の広域差を考えれば良くやった方じゃない。
戦力の一点集中が大変な時代だな
ピルムは人も刺せるけど、盾を放棄させるのが役目で戦闘では折れやすい。 重いしかさ張るし、使い捨てだしで使いがってが悪い。相手の主力が盾を持って 並ぶ重装歩兵なら使いでもあるけど、重装騎兵や軽装騎兵が主軸になってくると 歩兵に持たせるのは槍・剣・弓で良いって事になったんじゃないだろうか。実際、騎兵 が主軸になって以降ピルムに似た兵器を採用した国はない。騎兵の時代から 歩兵の集団戦法に戻ってからも火器の発達も進んできたんで復活しなかった。もう この頃には大盾事態が時代遅れになってたし、盾が使われなければ盾を使えなくする のが役目のピルムも使われない。
ピルムの後はダート使った時代があっただろ
ダートじゃ盾放棄させるまではいたらないだろう。熟練した腕じゃないと 鎧着た相手に致命傷与えられないだろうし。
西ローマ帝国の後も、フランク人はアンゴンと呼ばれるピルムから発展した投槍を7世紀頃まで使っていたしイベリア半島では中世末期まで投槍が盛んに使われていた。
>>781 市民権不所持と一部の奴隷以外は
どういう基準、ってか根拠に基づいてカウントされた人数なんだろ
当時の調査が実行された時点で、帝国内に一定期間以上住んでて、これからも
在住する意思のある人間ってことだろかね
普通に国勢調査 census がありましたがな。
ローマの奴隷はいわれてるほどぬくぬくしてたわけじゃないぞ かなり過酷な環境だった模様
私的制裁の禁止。肉体を損傷させたり、牢屋に入れるの禁止等にはなってた けど、女奴隷の場合主人がセックス要求したら拒めなかったし、労働時間の 規制もない。怪我・病気になった場合の主人の治療義務も無い。ローマ市民権 所持者は小麦法で最低限の小麦支給が受けられたがそれもない。ギリシャみたいに 一生奴隷でその子も奴隷って訳ではなく、解放奴隷の制度もあったが肉体労働とか しかできない農園・鉱山で働かされる奴隷はやっぱ辛かったんだろうな。
奴隷が主人を殺す→主人が持っていた奴隷300人が全員処刑される とか 裁判で奴隷が証言する場合はまず拷問にかけなければいけない とかあったわけで。
岩明均の漫画「ヘウレーカ」でローマ下級兵士(?)の装備が、金属の胸当て一枚と兜、それにタワーシールドな描写でしたが、あれは史実に基づいた 装備なのでせうか
奴隷相手にセックスなんて 家畜相手に欲情していたすくらい回りの市民から馬鹿にされる好意のような気もするが 江戸時代もそんなに下女にお手つきはなかったし
ゲルマン人の金髪碧眼の女奴隷は人気が高かったよ。 トイトブルクの戦いのずっと前にゲルマンの在る部族がローマと戦い敗れた時 女達が自害したという話もある(男たちは既に戦死していた)。 彼女達は降伏したらどんな扱いをされるのかをよーく知っていた。
ローマの軍隊には奴隷商人が随行していたから、男も女も転売された。
ヤフオクで買えたらなあ・・・・
当時だったら、別にローマ相手じゃなくても捕虜→即奴隷だろう
貧乏人に買える値段じゃない。
俺、来年任期を勤め終えたら奴隷を一人買うんだ
と思ったら債務奴隷に転落
減らず口をたたくギリシャ人奴隷を一人買って、家事を任せるのもいいな。
子供・女子の奴隷なら安いぞ。
美幼女の奴隷を買って一年くらいで乗り捨ててもローマ的にはOKなのか
技術や教養があったり頑健な男の奴隷は高くて手が出ないから 安い幼女奴隷で妥協するか(´・ω・`)
やっぱ幼女の方が安いということは 娼婦の価格そうとう安いということなんだろうな
>>799 に戦地でゲットしたガリア女に情が移って連れて帰ったはいいが
刺されて死ぬフラグが立ちました
ローマにも児童買春禁止法があってだな、18歳未満との性交は禁止になってる。 とはいえ日本もそうだけど、女子の結婚は16歳からOKで20未満で2人の子持ち なんて例はローマの上流階級でも珍しくない。お前等が美幼女奴隷を楽しむとしたら 法律違反で罰せられるの覚悟するか、18歳以上になるまで待つか、解放して解放奴隷 にして正式の妻にして楽しむかの3択しかないぞ。
奴隷の年齢なんてごまかせるんじゃないか?
つか奴隷にそれ適用されたの?
ローマには帝国所属や自治体所属の奴隷も多い、徴税業務や街道・水道メンテナンス イベントの裏方等々の業務を担ってた。だから奴隷とその家族と言えども保護する意義が あった。まあ奴隷だからローマ市民権所持者に比べたら管理も法の保護の面でも甘かった だろうけど、法的建前ではそうなる。
法律もそうだが、幼女相手にセクースするような人間はやはり軽蔑の対象になったんじゃまいか
今のイタリアでも養子という名目で50万で幼女買えるそうな。
アメリカだと美称年が買える
うちの奴隷はみーんな18歳以上だよっ☆と主張すれば問題あるまい 世間体はどうしようもないが・・・
つうか娼婦買ってもたいした金でもないんじゃないか わざわざ自分とこの奴隷犯して奥さんに睨まれるほうがめんどくさいと思う
娼婦にも色々いて、奴隷の1日分の値段から1晩で一般労働者の1月分稼ぐ のもいた。美人で教養が高く、テクがある人ほど稼いだみたいだな。 コロッセオとか港とか人が集まる場所には居たと言われてる。「男娼」 も多かったと言われる、奴隷や使用人は無論の事、詩人や歌手、踊り手、剣闘士 がなったと言われる。ローマの上流階級なんて転勤や戦争で家を空ける事なんて ざらだから上流階級の婦人も結構不倫楽しんでたみたいだね。旦那が外で娼婦と 馬鹿騒ぎしてる時、奥さんは「男娼」といちゃいちゃなんて事もあったんだろうな。
>>817 今の風俗と大して変わらないな
人間ってw
むしろかなりの現在の国家がローマ以下の政治体制だな
そりゃそうだろ 戦後独立した元植民地がたくさんあるわけだし 高々60年の歴史しかない国家と 最盛期だけで100年以上あった国家を比べてしまっては当然の結論
安い奴隷でも500〜1500デナリウスしたから、庶民じゃちょっと手が届かないよ。 庶民の年収は大体500〜1000デナリウス こんなに高価じゃ無駄に乱暴に扱えないね 娼婦は一晩2デナリウスから
×2デナリウス ○2アス 1デナリウス=16アス
だいたいGTーR一台分くらいか いいのだとポルシェ一台分
スッラは1万人の奴隷を持ってたそうだけど…
>>821 岩波のタキトゥス「年代記」の巻末資料だと、庶民がつつましく暮らすために必要だった年収が、
2万4000セステルティウスだから、デナリウス換算で6000デナリウス。
一番安い農業奴隷が1200セステルティウスだから300デナリウスってなってる。
奴隷も、ピンキリだろうけど、もっと簡単に手に入ったんじゃないか?
ってか、この資料古いのかな?
それはハイソだったタキトゥスの謙遜だろ→つつましい暮らし云々。
タキトゥスは年を取ったら移動する輿を担いだり、身の回りの世話をするのに 屈強な男の奴隷が最低2人は欲しいって言っている。タキトゥスは元老院議員で 元老院議員になる最低資産は100万セステルティウス、デナリウス換算で25万 デナリウス。この資産の運用率を仮に10%と仮定すると年収は2万5000デナリウス になる。庶民の年収を1000デナリウスとすると、元老院議員になるには最低、庶民 の年収の25倍は必要で、それ位の収入が無いと輿を担ぐ男奴隷2人を常時維持できなかった んだろう。そしてそれをタキトゥスは自分のささやかな願望と述べてるから、そこいら辺 が「紳士」の体面を保つボーダーラインだったんだろうな。
弓削の本で同じ内容を見た覚えがあるぞ さてどこにやったかな
>>827 たしかに元老院階級の最低資産は100万セステルティウスだけど、
>>825 の巻末資料だと、
元老院階級の財産としてあげられている額は、Cn, lentulusの財産、4億セステルティウス、
Vibus Crispusの財産、2億セステルティウス。
セネカ所有のあるぶどう園の年収40万セステルティウスとある。
実際、元老院階級の最低資産ってローマ人の上限ではなく、少なくとも帝政期の富豪や
元老院議員は、それよりははるかに多い年収を得てたんじゃないかな?
庶民といったって、この時代の市民の下層は医者・教師・兵卒などで、どちらかというと
近代以降で言うと中産階級のイメージだし。
たしかに、俺もこの巻末資料の信頼性には疑いもあるんだけど・・・。
ちょっと、ギボンあたりから、兵士の給料でもj探してみよう。
度重なる戦争で土地所有者であった市民兵が没落して都市に流入したという説はどうなの?
説というか常識共和制から帝制に移行した大きな理由。都市国家が大きく なると、市民集会で民意を問う式の政治は成り立たなくなり、覇権の拡大と 共に富が流入し貧富の格差が増大する。また遠距離への征服活動は決まった時期 に交代させなければいけない市民中心の軍事活動を不可能にする。
現代で共和制が多いのに帝政が唯一の方法だったのかなとも思う
最も早い通信手段が馬と言う世界でどうやって三大陸にまたがる国家を共和制で維持出きるのか教えてくれ。
そもそも現代の共和制と違って、実質的に既得権益者による寡頭政だし
百人隊長が百人を代表して投票するんだっけ 百人の中でも賛成とか反対とか投票して決めたのか それとも百人隊長の独断?
一体何の話をしてるんだ。 まさかコミティア・ケントゥリアタの事か?
質問が紋切りで良く判らん。
スピリッツのローマ拳闘士タイムスリップ漫画 訓練ごときでコロシあってるな なんだ間引きか?
興行師が損するだけじゃないか
買うにせよ雇うにせよ金はかかるからな
メシ食わせるのも費用がかかるが、何で殺しあって居るかと言えば、 面白くないと連載しうりょう、だからだよな。
漫画家を雑誌に飼っておくのも金がかかると言うことだ。
セスタスでも一々訓練で殺しあっていたな 無駄メシ食わせたくないなら 捨て値で商人に売ればいいのに
古代ローマだと10分の1刑とかもあるものなぁ。
敗走した軍隊への懲罰だけどな。
剣闘士は慢性的に不足してるよ。マルクス・アウレリウス帝初め、歴代の 皇帝が剣闘士の力量を楽しむ物であって無闇に死なせてはならないと言っている。 訓練中にボコボコ死なすなんてありえない。罪人や動物との一方的虐殺見せて 剣闘士不足を誤魔化し、残虐性を向上させる事で大衆を喜ばせる事にプロデューサー は骨を折っただろう。
コンモドゥス帝の時はゲルマンと戦争しまくってたから 奴隷の供給は多かったでは?
コンモドゥス帝はゲルマンとの戦争を終わらせた人。さっさとローマに帰って 剣闘士染みた事と粛清しかしなかったから暗殺されてしまった。剣闘士試合の 元は戦闘前や後に士気を上げたり戦勝を祝う為に創められたもんだが、帝国全域 に広がった帝政期では、捕虜を全域で戦わせるのは現実的ではなかったろう。また 帝国も年中戦争して奴隷を大量に確保してた訳でもない。
いくらローマでものべつまくなしに戦争している財力はないだろ
戦争する→略奪する+奴隷を売る の永久コンボでまかなえれば財政は問題ないんだがな すげえ盗賊国家だ
トライアヌス帝以後の領土拡張が終わったローマではそれ以降奴隷の供給先が無くなり、奴隷がどんどん値上がりしたってのは本当?
女の子供の奴隷ってどういう用途があったんだ?
幼女愛好家はどの世界にもいる
カエサルって国家予算規模の借金があったけど ガリア奴隷を百万人ぐらい売ぱっらって返済したんだっけ
まあソ連みたいに捕虜をとってもすぐ殺しちまうより売り払う方が文明的だな
そりゃドイツの話だ。
>>848 終わらせたって言うとなんか有能に見えるなw
どっちかと言うと「途中で切り上げた」だな・・・
まぁ最後までやる価値があったのかと言うと微妙だが
>>855 ソ連は自国民もすぐ殺しちゃいます
「結果的に沢山死んだ」だけだ。「すぐ殺し」たわけじゃない
結果的にたくさん死ぬくらいなら、 最初から殺しておけば、 食料を食いつぶされずに済んだのにな もったいない 日本から生まれた「もったいない」を、世界のアイコトバ「MOTTAINAI」へ。 ケニアのワンガリ・マータイさん提唱のMOTTAINAIキャンペーンを広めましょう。
共産主義の聖書に人を殺すな自殺するなって書いてあったとしても やっぱり失敗しただろうな
本国の家族に身代金出させて釈放させれば国庫も潤って飯や人材も減らずに敵国兵士からもあんまり恨まれずにホクホクじゃん 第二次世界大戦の連中はその程度の道理もわからないんだからローマ人に笑われるよ
身代金をすなおに払うなどと考えているのもどうかと思うが 自分も払わされるから無意味という事もわからんのか
いや金を出すのは一般庶民だし 国は関係ないじゃんw 払わなければ奴隷として第3国に売り飛ばせばいい
>837 紋切の意味解ってるか?
>>860 同志!あれは、シベリアで木を数えさせただけであります!
えーっと古代当時のシベリアって人住んでたの?
>>866 住んでた。日本より早く精巧な青銅器が見つかってたりして治金技術とかは
日本より上だった時もある。
日本の土器技術の元はシベリアコースで入ったやつじゃね?
869 :
名無し三等兵 :2008/08/15(金) 15:55:57 ID:FADjF9Pf
映画「グラディエーター」のでラッセルクロウやホアキン・フェニックスが着てた革鎧なんだけど、 あの時代にああいう革鎧って使われてたんだろうか? あくまで映画の演出と捉えた方がいいかな
板金鎧を模したつもりじゃないの。
>>870 いつごろから始まり、いつまであったかは知らないが、ローマの高級将校はああいう革鎧着てるね。
ハドリアヌスの立像なんかを始めとして、彫刻でもよく着てるし。
>>869 ドイツ語よめないんだが、これではAD200以降のローマ兵がズボンに靴姿なんだけど、これって
ゲルマニアやガリア駐留の軍団以外でもこうなっていったのかな?
あう言う革鎧はハリウッドの産物で、実際は青銅か鉄で出来ている筈。
ローマ軍の重装歩兵が皮鎧を着てたのは共和制中期〜後期前半ぐらいまでだな。 途中鉄板で補強されたりしてるけど。
>>872 俺もなんか時代が違っても履いてるズボンだけ同じなんで怪しいと思う・・・
日本だと革鎧は仮に使ってても高温多湿だからほとんど残らないという話なんだが ヨーロッパだと現存してたりするのか
革鎧って突きとか矢とかに有効なん? なんか頼りなさそう……
鎖帷子だって槍の突きや弓射には弱い。 だからこそ大盾を持っている。
>>871-874 てーとあの革鎧はフィクションで、
高級将校は似たようなデザインの金属鎧を着てたって事かな?
>>869 AD100年頃から鎖帷子の肩の補強された部分がなくなってるんだけど、なんでかな?
>>878 だったら有効なのは殴打と斬撃ぐらいってこと?
白兵戦でしか役に立たないのね。
だから矢戦しかやらない散兵は装甲なしでいいのかな?
散兵って、ゲームの適当翻訳だよな?
Skirmish(er)の訳なんで、間違ってない
>>869 75年の軍団兵の行進姿が格好よすぎて脳汁が噴出した。
>>879 小さな鉄板を幾重にも重ね合わせた鎧が基本
Lorica Segmentataじゃねえの。 他にも、ギリシャスタイルの、一枚板を打ち出した鎧なんてのもあった。
>>886 こう言うのって作るのに何年かかるんだろう。
パッと見じゃ半年はかかりそうだけど。
中世の城と規模的、技術的に肩を並べられるくらいの城砦って古代ローマにあったの?
中世時代は長いんだよ。 ともかく、中世時代は城主一族郎党で守らなければならなかったんで 防護性に拘った石造りの巨大城砦が登場したけど、ローマ時代は 部隊規模が大きかったから、そこまでは必要なかった。
中世の城と言っても数週間で建造出来るモット・アンド・ベイリーの様な砦からクラック・デ・シュヴァリエみたいな巨大な石造りの城砦までピンキリだぞ。
ローマ時代の城郭は、権力者の居城として独立してそれを備えてる物は皇帝の宮殿くらいで、他は軍団が駐屯する軍事拠点か、都市を囲む大規模なものじゃね。 中世盛期の集中式城郭は、少人数で防衛できるよう、天守を中心にギチギチに固め規模を抑えた堅牢な築城のはず。
>>885-887 皇帝像とかの鎧はロリカ・セグメンタタじゃなくて
ギリシャスタイルのに見える
なんて名前だったっけあのタイプの鎧
ローマの軍装みると、フトモモ斬られると痛いだろうなと思ってしまう
>>894 ローマ時代で独立した城壁備えた宮殿なんてディオクレティアヌス宮しか知らない。
結構な大きさだがな。
建築史の教科書によると、軍団の駐屯地を参考に作られたそうだが、駐屯地風情に
どんだけ手間隙かけてたんかと。さすがドカチン軍団だな。
さすが土木工事に定評のあるローマ軍だ。 城壁なんてなんでもないぜ。
街道の整備とかのインフラ整備も軍がやってたんだっけ?
10世紀以降の石造りの城って、イスラム勢力圏で使われてたローマ式築城技術を十字軍が欧州に持ち帰り誕生 したモノと某ファンタジースレで読んだが。そうなのか?
街道の整備も運河堀も鉱山採掘も下水堀も水道建設も街の建設から修理まで 公共部門は全部やってんじゃないかな。
>>901 ×十字軍が欧州に持ち帰り
○イベリアのムーア人から広まり
世界史にあまり詳しくない俺のちょっとした思い出について聞いて欲しい 俺が中学だか高校の頃に使っていた教科書には世界市民主義の表れとして 国際結婚(ギリシア男×東方女)の奨励がものっそく肯定的に記述されていたんだ しかし、これって今の中国の漢民族化政策と一緒じゃん チベット娘やウイグル娘を中国都心部に労働者として住まわせ漢民族出身の男と 結婚させてるやつ、いわば征服の醍醐味は男を殺し女を孕ませ の「男は殺し」を省いて「女は孕ませ」を穏便にやってるだけで そう思ったとき、俺は思った。誰だこの教科書を書いたヤツは?と
古代ギリシャって物凄い閉鎖的だったはずでは… 両親ともにアテネ市民でなければアテネの市民権はもらえないとか
>>904 アレクサンドロスの事を言ってるならあの集団結婚は配下の貴族とペルシャ貴族の娘を結婚させ、支配をより円滑に行う為のアレクサンドロスの命令だが。
そもそもアレクサンドロスは中国の様に現地の宗教・言語・文化を抹殺しようとはしていない。
むしろ逆でペルシャのサトラペイア制を殆どそのまま残しペルシャ人を重用し、ペルシャの風習を取り入れるなどしている。
当時の非常に閉鎖的なギリシャ人の社会ではこれは異常な事だ。
>>904 全然違う
別にオリエントの文化文明を否定してるわけじゃないからな
アリストテレスなどは、ペルシャの風習を入れることに批判的だったね。
比べるならローマの方じゃね? ローマ化とかなんとか言っても要は征服地の文化を抹消してるわけだし。
洗脳と愚民化政策だと思う
文化文明レベルが違いすぎて 押し付けとかじゃないだろう ローマ化は自然に広がったんだよ
そんなに違うもんなん? ユリウス暦の閏年を文言を取り違えて 「三年毎で数十年やってました」とかだよ。 誰か気付けよってレベルの間違いだしさぁ
ローマ化も「ローマ人っぽくなってラテン語を喋れば色々と得ですよ」と言った程度の物で一部の例外を除いて積極的に征服地の文化を破壊したわけじゃない。 それどころかむしろ征服地の風俗や宗教がローマに広まる事もある。 シナ如きとは比べ物にならない。
ローマが破壊し尽くして塩撒いたのは、 舐めくさったコリントスと 最悪のタイミングでローマとトラブル起こしたカルタゴくらいだっけ?
大加藤が煽りまくらなければカルタゴも弱小国として存続できたんだろうか
>>915 ローマはハンニバルがトラウマだから、いつかは属州にされたんじゃないだろうか。完全破壊まではされなかったかもだけど
>>909 ローマは多神教で神が増えても問題ないから、異民族の宗教排除したりする必要あんまなかったんだっけ?
>>917 つうかむしろ他所から神々を輸入したり同化させたりしてる。
その代表格がよりにもよってユピテルだし。
まあローマ人にとっての憧れだったギリシャは別格だけど、
だからといって他の地方の神々を否定した訳じゃない。
唯一の例外が多神教を否定した原始キリスト教だな。
ユダヤ教と違って布教という習性を持つ彼等はローマの神々を積極的にこけおろしたから。
>>918 というか、キリスト教が弾圧されたのは、皇帝崇拝を拒んだのが原因
一新教でも祭祀に参加し、かつ皇帝崇拝をしていれば認められた。
>>919 それが最終的には皇帝権力と結び付いて帝国の延命に寄与することになったのだから歴史の流れって不思議なもんです
宗教といえば、どうしてユダヤは常に火種をばらまくのかと
「常に」っていつからの話だよ
宗教が原因の戦争は多いけど 宗教によって平和が維持されたことはあまりないじゃん 全ての神は争いの種
宗教は大真面目に信じてる馬鹿が多いから名目になるけど 実際は経済問題がほとんどだろ スローガンとして異教徒を血祭りに上げるほうが他国の人間を人間扱いせずにすんで楽チン
血みどろの三十年戦争を忘れてませんか?
現代以前において人間の生活の中で宗教がどれだけ重要だったかを理解出来ないと
>>923 の様な誤解を持つ事になる。
たとえそうでも宗教よりもその組織のために戦争してるからな
宗教組織もある種の共同体なわけで、 都市国家のように振舞うこともあるし ある程度の戦力を備えていることもあったり 普通の国家と違うのは国土がなくてもそれなりに存続できちゃうことだと思うよ
ローマが神々を自国に持ち帰ったのはローマに住む外国人にも神に祈る自由 を与えるって言うヒューマンな理由ではなく、宗教の管理はローマが行うって 言う明確な意味があったと思うぞ。王が神の子や神の化身であると信じられて いたのが当然の時代。神を放置しておくと自分は神の子とか名乗って反乱起こす 奴が出てくる。キリストは反乱こそ起こさなかったが治安を乱したとして処刑 された。宗教の管理も覇権国家の重要な仕事だったんだろうな。
>>924 きっかけは宗教ですが、実態は経済・軍事・名誉欲の絡んだ覇権戦争ですよ。
最終的には旧教国同士で決戦となりましたし。
宗教という存在が重要なファクターだったことを無視して実態は〜とか勝手に決めつけてる奴がいるな
>>928 >王が神の子や神の化身であると信じられていたのが当然の時代
例外が多すぎる気がする
ユダヤ、ガリア(ブリテン含む)、イベリア、ギリシャetc
エジプトはガチ、ローマは帝政期では形式的な色が濃いけど一応ガチだな
皇帝崇拝に反したという罪が権力者同士の争いの道具に使われたりしてるけど
重要なファクターの一つである事は確かだがね、それだけでは三十年戦争の苛烈さは生じ得ないんだよ。
神様はいてもいなくても生活に問題ないが 食料と水だけはないと死ぬからな みんな究極的には食えないから奪うだけ
そういやローマ時代の金貨や銀貨はどれくらいの価値があったんだろ? 一枚で小麦がどんくらい買えるとかいまいちイメージが沸かない
>>933 新約聖書の記述中では
「1デナリオン銀貨=ほぼ一日分の生活費」
らしい。
奴隷一人が銀貨30枚に相当するとか。
つかあの時代金貨銀貨の種類が多すぎてどうもこうも。
ユダがキリストを売った30デナリオンって安いよな。
小汚い野朗一人の値段だし
1デナリ=16アス 庶民の年収500〜1000デナリウスほど 紀元79年ポンペイの物価 パン 2アス(1人1日分) オリーブ油 1リブラ(328g)で 4アス 公衆浴場 1/4アス 奴隷 二人で1262デナリウス ラバ 雄 130デナリウス 娼家の落書き 『わたしは2アスであなたのもの』 『女奴隷のロガスは8アス』 紀元1年ごろの奴隷の値段 普通の奴隷 500〜1500デナリウス 葡萄園の熟練者 2000デナリウス きれいな女性 2000〜6000デナリウス 歌の上手な女性 4000デナリウス
美人性奴隷1000万くらいか
>>927 日本の話で恐縮だけど、神社仏閣は、軍事拠点として使われる事が多かった。
古い神社は軍事拠点が出自じゃないかと思えるものが結構多い。
また、仏教導入以後、お寺も思いっきり軍事拠点として使われている。
近世になって城郭が独立しても、本能寺、石山本願寺などもろ軍事拠点と
して活用されている。
旧仏教系は僧兵がいたりするしね。
>>937 段々奴隷自体少なくなって来るのは分かるけど、ここまで値上がりするものなのか
>>934-937 ほうほう…なるほど
パン1日分が2アス(1/8デナリ)か
で紀元何年かの時点では1デナリオン銀貨で1日分の生活費か
つか奴隷高いな
帝政期になると借金奴隷や裁判奴隷が増えるからねえ債務者への支払いが あるから値段が高くなる傾向になる。だから大農場の様なところの場合、奴隷制 から小作農制に移行していく訳で。3世紀の危機以降ローマの通貨のインフレぶり は酷いもんだが、あれも政変も理由の一つだが鉱山で働く奴隷が不足して採掘量が 減ったのも理由になるかな、まあ鉱脈も枯れ気味だったんだけど。
鉱脈が枯れてコインの量が増えにくくなったらデフレになるんじゃないかと。 奴隷不足なのか、奴隷を抱えたがる人口が増えたのか。 借金奴隷・裁判奴隷が増えたのは、奴隷不足が恒常化して身売りした方が 金になりやすくなった結果では?債務者への支払いを理由に高値がついて も、売れなきゃ意味ないぞ。 ところで、この奴隷の価格ってのは%
切れたorz ところで、この奴隷の価格ってのは、現代風に言えば移籍金って奴だよな?
>>932 いてもいなくても問題ない神の為に死んだり殺したりする連中は現在でも幾らでもいるぞ。
権力者や金持ちにはそんな奇特な奴はひとりもいないと断言してもいいぜ 死ぬような奴は社会的弱者
ビン・ラディンは成金一族の出自だが。
クリスチャンと話してると、やっぱ考え方、価値観がまるっきり違うンだなと感じるわたしゃ無神論。
十字軍に参加した貴族も大半が資産を売り払って破産覚悟で従軍した。
知能足りない子特攻させたり、汚い話はある。 あと司令塔だろうが、テロリンに関与したら命がけだ。 イスラエルとか執拗に玉ァ狙うだろ。
>>942 債権者への支払いじゃないの?
"債務者への支払い"だと借金奴隷本人に金を払う、という意味に取れるけど。
>>943 >鉱脈が枯れてコインの量が増えにくくなったらデフレになるんじゃないかと。
重要なのは貨幣の量そのものじゃなくて、金や銀の含有量だろう。
貨幣自体は混ぜ物を増やせば数を作れる。
そうね 多分名目上のデナリウスやアウレウスは大きくなっていったけど 金属の含有量の差を考慮した金銀そのもので量った値段は変わってないと思う
漢王朝と軍隊とローマ軍を比べたらどっちが強い?
孔明はローまでいうとだれと同等くらいになるのかは気になる
>>952-953 >>942 で言うところの、3世紀以後のインフレって
>>937 に出てる1世紀
近辺の物価の何%増くらいになるの?
金・銀の含有量を変えると言っても、倍半分程度にしかならんと思う。
あと、単一財の価格変化だけ見ると、インフレ・デフレの判断を間違う。
個々の財の相対価格の変化は、一般物価の上昇とは区別しなきゃならん。
そして、WW2前の時代?%C
途中で切れたorz あと、単一財の価格変化だけ見ると、インフレ・デフレの判断を間違う。 個々の財の相対価格の変化は、一般物価の上昇とは区別しなきゃならん。 そして、WW2前の時代は構造的にデフレが課題となりやすかった時代。 インフレが問題になるのは1970年代からだよ。
参考になるかどうか 紀元79年 ポンペイ 小麦1モディウスで12アス ・親子3人に奴隷1人の家で一日平均支出25アス 紀元301年 ディオクレティアヌス帝の最高価格令 小麦1軍用モディウス(1.5モディウス)で100デナリウス 労働者の賃金 1人1日あたり、食事つき 羊飼 20、農場労働者 25、 大工・パン屋・石切工 50(それぞれデナリウス)
>>957 そんなこといったって
古代の世界に統計の正確性や
GDP、マネーサプライの概念がないんだから
厳密な分析は無理ってもの
>>957 日本でも中国でもヨーロッパでもインフレは度々問題になってるよ。
傾いた財政を貨幣・紙幣の大量鋳造・大量印刷で立て直そうとしたり
金銀の比率を下げることが何度も行われてる。
そーいやローマってか西洋の金貨銀貨って打刻だよな 鋳造じゃなくて
鋳造もあるけどね、伝統かな。細かい文字とか入れるには打刻とかの方が向いてる のかもしれん。
965 :
名無し三等兵 :2008/08/28(木) 17:30:24 ID:+LeHQCl2
ローマ時代の硬貨ってずっしり重いの?
>>954 間違いなく漢軍だな。まず漢は技術がヨーロッパより圧倒的に上。漢は既に鉄を溶かせる炉を持っていたのにヨーロッパでは16世紀になるまで発明されなかった。
つまり漢軍はプレートアーマー、クロスボウ、鋼鉄の剣で武装していると言う事だ。
そして戦術でも戦略でも漢がローマを大きく上回っている。ローマに勝ち目は万に一つも無いだろう。
>漢軍はプレートアーマー mjdsk!?
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A014.htm#E2 アウレウス金貨で7.3g。デナリウス銀貨で3.41g。
日本の5円玉が1匁、3・75gだから現代貨幣と似た様なもんだ。
銅貨はちょっと重くて11gする。基本的には現代通貨と変わらない
大きさと重さだが紙幣の無い時代だから枚数が増えれば重かったかも
しれん。旅行者なんかは結構な小銭を携えて移動しなければならないから
大変だったかもな。江戸期の日本だと両替商の預かり手形なんかが預金
通帳の代わりはたしてて必要な時に預けたり引き出したりできたんだけど、
ローマ時代はまだそこまで金融が発展してたかどうかはしらん。
日本は盗賊団それほどの勢力でもない割りに金融よく発達したな
兵馬俑にプレートアーマーを着けた兵士なんて一体でもあるのか?
ラメラアーマーのはいっぱい出てくるがプレートアーマーらしきものはないと思う
近世(江戸時代)以前は戦々恐々、堺とか一部を除いて信用取引は盛んでなかったんでないかな。
>>968 そういうのはじめたのって、テンプル騎士団じゃね?
銀行と信用取り引きはじめたのはエジプトかオリエントの誰かじゃね? ウガリトあたりがかなり怪しいらしいが地代が下がってフェニキアかもしれん。
先物取引は日本が手本になった様だがソースが思い出せん、誰かよろ
>>976 手本かどうかは知らないけど、大阪堂島の米の先物市場が世界最初って
のは良く言われる事だよな。事実かは知らん。
元祖論議はたいてい声の大きい奴が勝つ
いや確かアメリカの証券会社のお偉方がそう言ってた気が… ダメだ、思い出せん
ま、日本の金融システムは江戸時代の安定期に、パラレルワールド状態で 勝手に独自進化したからな。ある部分では遅れていたし、ある部分では 進んでいた。必要は発明の母で、先物市場は、給与が米で物納される 武家の人たち向けの融資制度として発達した。いわゆる大名貸しね。 余談だけど、日本の金融システムの特徴に、「不渡り2回で銀行取引停止 ?
(切れた) 余談だけど、日本の金融システムの特徴に、「不渡り2回で銀行取引停止 処分」という村八分システムが組み込まれている事がある。官報に処分が 記載されると、ブラックリストか、ヤクザの回状かってくらいの効き目で、 その会社は銀行と取引させてもらえなくなる。この制度がある国は世界で 3ヶ国しかない。もちろん、一つは日本。 さて、残りの2ヶ国はどこでしょう? スレ違いすまん。これで終了するよ。
小説ベン・ハーには商家の信用状取引が出て来るから当たり前にあったものと思ったよ。
信用取引の雛型は商人同士の「組合」とか同じ宗教教徒間での取引が初め。 古代からユダヤ人がこの面で強いのはエルサレムに毎年2デナリウス寄進する のに信用取引で寄付を収集してたからと言われる。ローマ全体に広がった信徒 から少額ずつ集めても最終的に膨大な量になる貨幣を毎年エルサレムに集めるのは 現実的ではないからな。
984 :
名無し三等兵 :2008/08/29(金) 13:58:42 ID:dPJH3/Pj
古代ローマ最大の造船所ってどこにあったんですか?
ロンドン・カルタゴ・アレキサンドリア・ターラント・クレタ・アテネ アンティオキア等、良港があり人がいっぱい住んで商売の盛んな港町で作られたみたい だな。ローマは一貫して地中海の海軍国になるより地中海の周辺国を制圧して 地中海を制すと言う戦略を採ったから大規模な常設海軍を持たなかった。 だから大規模な国営造船所みたいのもなかった。地中海最大の港と言えば 皇帝港なんだろうけど。
網野善彦さんなんかによると、わが国で信用取引がはじまたのは平安末期ではないか、てなはなし だったな。「為替」「切手」なんて語も鎌倉あたりから使われだしてるそうだし。どうも国司の遥任が すすんで、国元で収取した貢物を畿内で消費したい(逆も然り)という欲求が信用取引のニーズを生 んだんじゃないか、ということだった。
987 :
名無し三等兵 :2008/08/29(金) 23:03:59 ID:mVEhOkrx
>981 韓国と台湾じゃね? 日本の商慣習が継受されてるってーとこの二国な気がする。
>>987 正解。
つまりだ。他所の国では、何回不渡りしてもOKなのだ。
小切手が不渡りになっても関係ない。
手形類似の制度が存在する国もあるんだけど、不渡りになった時の
ペナルティーがないため受け取る人がいない。もしくは、事前に保証金
を積んでから発行すると言う、およそ手形とは思えない仕組みで発行者
がいないかどちらか。
989 :
名無し三等兵 :2008/08/30(土) 00:17:07 ID:u/7YBSRQ
世界の主要な発明の起源は大半が朝鮮だよ
この世に元祖談義ほど無用のものはないね ひろめた人間の方が重要
さておまいら次スレはどうするね
>>991 [ローマ]古代地中海世界の軍事総合スレ[ギリシャ]
ってのはどうか?
>>986 当時の切手は誓詞や覚え書きのようなもの
経済とは関係ない分野でも使われてたぞ
海外の映画とかで小切手で高額の取引とかしないのは 基本的に口約束とかわらないからなんだろう 高額の場合銀行で本人に確認をとって承諾が必要となる で、ことわったらただの紙切れとなる うろ覚えだがこんなとこだったと記憶してる
生め
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