1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 14:16:55 ID:/bHNPiaL
現代のクルトマイヤーの俺様がにげっと
3 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 14:35:07 ID:???
オリハルコンの剣を探してる
4 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 14:44:23 ID:???
5 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 16:56:04 ID:7v/4ur0t
第一次 1941年・・・ドイツ軍がハリコフを占領
第二次 1942年・・・ソ連軍はドイツ軍に大して先手を取ろうと攻勢をしかけるが、24万人の捕虜を出す大敗北。
第三次 1943年・・・スターリングラードの戦いの勢いに乗ってソ連軍はハリコフを奪回するが、補給線が伸びきったところで
マンシュタインの反撃に遭い、敗戦。 ハリコフは奪回されてしまう。
第四次 1943年・・・小競り合い。ソ連は再びハリコフを奪回。
6 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 17:01:28 ID:???
ちた☆でれ
7 :
名無し三等兵:2007/10/09(火) 19:01:58 ID:???
第3次ハリコフ戦から従軍したと言われるギイ・サジェールの「忘れられた兵士
」は実話にしては疑問な点が多い
まず彼は装甲擲弾兵師団“大ドイツ”に所属したと書かれているが
彼の所属は第5中隊
しかし“大ドイツ”の装甲擲弾兵連隊の1個大隊の編成は5個中隊編成で3個装甲
擲弾兵中隊、1個機関銃中隊、1個重中隊、しかも第1大隊はSPW装備
第5中隊は戦車猟兵、突撃工兵、軽歩兵砲各小隊から成る重中隊のはず
なのにサジェールの本では彼の中隊はそのような部隊ではない
第2に“大ドイツ”師団に配属される将兵は志願して他部隊から転属してくるが
よほどの戦功がない限り半年ぐらいで原隊に復帰するはずである
しかしサジェールは終戦まで“大ドイツ”師団に配属されたままである
第3に“大ドイツ”師団に配属される将兵は高い政治的意識がないと無理なはず
しかし著者のサジェールはアルザス人、隊にはチェコ人がいるという一般歩兵師
団と変わりないのはなぜか
1942年秋〜冬に同師団はルジェフ戦で大損害を受けたのは確かだが、同師団は師
団内に野戦補充大隊があり、さらに原駐屯地には予備連隊がある
サジェールのような後方部隊から志願者を募らなければならないほど困窮してい
たとは思えないのだが
8 :
名無し三等兵:2007/10/13(土) 21:04:31 ID:oX09fGNk
うーむ
9 :
名無し三等兵:2007/10/15(月) 13:31:33 ID:???
上げる
10 :
名無し三等兵:2007/10/15(月) 14:41:42 ID:???
>>7 反論じゃないんだけど、
1・重中隊の装備が損耗してそれに補給が追いつかない状態で歩兵として運用。
2・諸事情により編成表と実際の編成がかけ離れてる状態。
3・員数合わせで、持ってきた中隊を全滅した重中隊の番号のまま、運用
重中隊を歩兵中隊にするには色々と煩雑な書類作業があるでしょうし。
で、軽歩兵中隊だったという可能性は如何でしょう?
確かに?というか脚色も有るとは漏れも思います。
11 :
名無し三等兵:2007/10/15(月) 16:28:35 ID:???
軽歩兵って・・・猟兵かよw
まあ、緊急時に現地で員数合わせの後方要員を使う事もあろう
実際、鉄道ダイヤ乱れまくっていたから、本国から補充兵持ってくるのに
時間もかかるし・・・でも、正規の補充兵が到着したら原隊復帰だろ?
ずっと大ドイツ師団に所属してるのは・・・ちょっと・・・
12 :
名無し三等兵:2007/10/15(月) 23:20:33 ID:???
>>10 一般歩兵師団ならわかるが、兵員、兵装が優先的に配属させられるエリート部隊
だとちょっと考えられないな
特にGD師団のハリコフ戦での活躍見ると
それにGDやWaffen-SSのLAH、DasReichのようなエリート部隊の装甲擲弾兵
は米英のレンジャー、コマンド並の訓練受けると言われているし
13 :
名無し三等兵:2007/10/25(木) 17:11:38 ID:???
保守
14 :
名無し三等兵:2007/11/01(木) 04:07:32 ID:???
揚げ
15 :
名無し三等兵:2007/11/12(月) 00:37:49 ID:pJtYi9lF
上げ潮
16 :
名無し三等兵:2007/11/20(火) 02:50:57 ID:???
上げ
17 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 01:50:42 ID:noM8IXCM
43年3月のハリコフ戦から8ヶ月後のジトミール〜コロステン戦でのソ連軍の戦略
戦術・兵站はかなり改善されたと思う
ジトミール戦に投入されたほぼ完全装備だった第1装甲師団(パンター76両、W
号95両)、SS装甲師団LAH(パンター71両、W号66両、ティーガー27両)が反攻
開始たった1週間後には各々稼働戦車が40両、47両に低下している
ソ連軍はキエフ奪回戦開始前に戦車軍をブクリンからリュテシへ200kmも隠密に
移動させ、航空偵察でも解らぬ水中橋を構築し、重火器を渡河させた
ドイツ軍反攻時には迅速に独立対戦車砲連隊を展開させ遅滞させ、予備戦車軍団
を投入した
編成も不足していた狙撃兵の代わりに旧式化したKV戦車連隊や重突撃砲連隊を
狙撃兵軍団に配属
兵站面もアメリカから40万両のトラックを受領し、馬曳きであったハリコフの時
のように補給切れの心配もなくなり、戦車随伴狙撃兵もハーフトラックが供給さ
れた
戦略用兵面でも兵力不足を平穏な北方・中央戦線の定数を半減し攻勢正面へ転用
充足した
どちらにしろアメリカの参戦はドイツの敗戦を決定づけてしまったという結論に
達してしまう
18 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 02:17:18 ID:???
アメリカがいなくてもソ連の勝ち。
第二次世界大戦とはドイツとソ連の戦争
19 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 02:20:13 ID:noM8IXCM
ちなみにジトミール戦ではやや弱体化していたが第7、第19、第25、SS・DR装甲
師団も反攻に参加したが、1週間後には稼働戦車が第7装甲師団が4両、第25装
甲師団が3両に激減している
実はドイツの工業力は当時の工業力の目安となる鉄鋼生産では連合国の英ソ両国
を合わせた生産量があった
42年→43年(万t)
独3340→3570
英+ソ1310+1000→1320+1200
しかしアメリカの生産量は群を抜いており、そのアメリカを牽制せねばならない
はずの日本の生産量は悲惨と言わざるを得ない
米7800→8060
日760→880
結果は明らかだ
ソ連は陸上兵器は戦車生産に力を注げることが出き、1943年中のT-34生産を先年
の25%増しの15000両を生産、KV重戦車生産は4分の1に低下したが、突撃砲を40
00両生産した
ドイツは他からの援助がなく、人造石油を含め全てを生産しなければならない
その上、41年冬からの人員不足で重要な基幹工業の熟練労働者を戦線に送らねば
ならなかった
20 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 05:14:08 ID:???
第3次ハリコフ攻防戦ではドイツ軍は戦術的に勝利するも、この時期になると、レンドリースの効果が如実に現れる
21 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 08:51:25 ID:LUPoWImw
>>17-19 詳しい人乙です。
最初はかなりアバウトな戦争をしてたソ連も徐々に作戦の精度を上げてますね。
>10
2と3は現存する戦闘日誌からしてありえませんな。
1についてなら、戦車が1両しかない戦車中隊とかよく見かける話ですが、
そのような状態が半年も続くわけも無く△。
まあ、忘れられた兵士はノンフィクション風の読み物と思っておくのが吉。
23 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 09:55:50 ID:???
21世紀にもなって、ギイ・サジェールの真贋を
論じること自体、無意味じゃねえのか?
「脚色」なんてもんじゃもちろんねえし
どっちかつーと、旧ソ連風のプロパガンダ雑文だろう
24 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 12:39:31 ID:???
>>21 スターリンの赤軍粛清で生き残った古参将校が復帰したからね
25 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 21:24:41 ID:???
>>24 それだけじゃなく、若手の将校の中からも
実戦で学習して腕を上げた有能な連中がでてきた
まあ、腕を上げる前に死んじゃった奴の方が多かったけどナー
26 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 22:50:33 ID:???
ジトミール戦でのソ連軍は第3次ハリコフ戦での教訓を学んでいた
ブルシロフでソ連軍は第5親衛戦車軍団(+戦車1個旅団、独立重戦車1個連隊
を増強)、第8親衛戦車軍団、第1親衛騎兵軍団をドイツ軍第48装甲軍団に包囲
された
ソ連軍がその危機に対処した方策は基幹高級・中級指揮官を包囲陣から逃がし、
後の兵員を見捨てることだ
基幹指揮官さえいれば
>>17で述べたように平穏な地区から兵員をまわし、部隊は
再編成できるからだ
ときには平穏な地区の部隊を定数の30%まで落とし補充した
従って43年夏〜の攻勢は南部、44年春は北部、44年夏は中央と戦域を限定する
これは兵員不足もあるが、42年秋の南部(土星作戦)、中央(火星作戦)の同時作戦の失敗に起因する
スターリングラード戦後の土星作戦は独軍でなく、枢軸軍を攻撃し、成功したが
ジューコフが威信を賭けておこなったルジェフ突出部への火星作戦は同地の独軍
により反撃され大損害を受け失敗したことが影響している(ジューコフは戦後、
自らの回顧録からこの作戦を削除している)
〔火星作戦はジューコフ最大の失敗と後に評されることになる〕
27 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 23:04:14 ID:???
平穏な地区から抽出した兵員で優良で経験のある者たちは優先的に親衛部隊に配
属された
ソ連軍の戦法では損害が大きいものの確実に生き残る兵員もおり、他の戦域に配さらに経験を
属され、さらに経験を積む
従って親衛呼称は伊達でなく、実質準エリート化していった(勿論装備も優先)
また戦車を援護する随伴狙撃兵の戦術も向上し、携帯対戦車火器を装備するまで
独軍歩兵による近接肉薄攻撃も困難になった
それは独軍だけでなく、フィンランド軍も44年夏のいわゆる流血の夏でソ連軍戦
車を以前の冬戦争のように近接肉薄攻撃で大損害を与えることが出来なくなって
いた
28 :
名無し三等兵:2007/11/29(木) 23:39:08 ID:noM8IXCM
44年になると独軍のエリート部隊でも戦果はかなり得るものの損害も半端でなく
なった
装甲擲弾兵師団グロースドイッチュランド(GD師団)はハリコフ戦時、74両のW
号戦車、9両のティーガーT、21両のV号突撃砲を装備し大戦果を挙げた
44年になると国防軍装甲師団が戦車保有が100両程度に低下するのに対し、GD師
団は通常の戦車連隊にティーガーT戦車大隊を有し、各装甲擲弾兵連隊は3個大
隊編成で内1個大隊はSPW装備、砲兵連隊はロケット砲中隊、師団固有の自走高
射大隊もあり強化されていた
44年4月下旬、ルーマニア国境に近いタルグル・フルモスでスターリン重戦車連
隊を強化された第2、第16戦車軍団と1個狙撃兵軍団を迎えうち、激戦となった
GD戦車連隊が反撃し、制高地を占領しようとしたが、濃密な対戦車砲陣にあたり
停滞した
陣頭指揮していたマントイフェル師団長が予備の装甲擲弾兵1個中隊を自ら指揮
して高地側面を攻撃して占領するほど困難な戦いだったが、ソ連軍戦車350両を
破壊撃破し最終的に撃退
しかしGD師団の損害も半端でなく、師団の有していた補充大隊では足りず、原駐
屯地から第1029GD予備連隊を呼び寄せ、丸ごと編入して再編成しなければならな
かった
29 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 00:00:48 ID:???
>>19 そのソースある?
単純な疑問だがドイツの3分の1に満たないソ連が6万両以上ものT34を作れたの?
ちなみにドイツはV号が5千強V突が約1万両W号が1万弱パンターが5千強ティガーが2千弱。
全部の装甲車両合わせてもソ連のT34に満たないと思うがなぜ?
30 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 00:07:40 ID:???
age
31 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 02:07:37 ID:???
>>29 6万両ってお前
戦後生産分まで含めてるんじゃねえよ
ちなみに、鉄鋼生産量と戦車生産量が
比例するという前提で論を進めたがっている時点で
ためにする議論であるということができる
32 :
名無し三等兵:2007/11/30(金) 23:45:21 ID:???
>>29 ドイツは前にも書いたように全てを生産しなければならなかった
その上、フィンランド、イタリア、ルーマニア、ハンガリーなど枢軸国の鉄鋼必
要分も賄わなけならない
しかもソ連と根本的に違うのは鉄鋼は軍需用のみだけでなく、民生用としても多
く消費されるからだ
あと付け加えなければならないことがある
1943年に戦車を4200両生産したが、軍需相シュペーアは戦車以上に生産したもの
がある。生産したというより生産しなければならないものだ
それは機関車と貨車だ
1942年の生産高は各々2600両、28000両だったが、1943年には各々5000両、66000
両に急増した
戦争が進展するに従い、弾薬、燃料、整備用パーツなどの必要量は急増した
ソ連軍の場合、戦車がある程度撃破されると破棄してしまい、新しい戦車を補充
するが、ドイツ軍の場合は現地修理する
戦後、パンターを使用した仏軍が称賛したようにパンターのような整備が複雑な
ものを苦もなく独軍は修理した
まだ勝ち戦が続き、戦場を制圧できた時はスクラップ・アンド・ビルドで修理で
きたが、後退戦が多くなると部品パーツを本国から送る量が激増した
それも鉄鋼消費量を増加させる一因にもなっている
33 :
名無し三等兵:2007/12/01(土) 00:11:43 ID:???
ドイツは戦争中、志願者以外の女性を動員しなかった
イギリスでさえ労働者として女性を動員したにも関わらず、終戦間近でもドイツ
は7万人しか志願した女性を労働者として動員したに過ぎない
これはナチスがまがりなりにも国民生活の向上を歌い合法的に政権奪取した約束
でもあるからだ
戦争中期に熟練労働者を動員せねばならなくなると労働者不足になる
外国人労働者や捕虜を動員せねばならなくなる(これは日本でも当てはまり、強
制労働は必要になったはずである。女性の鉱夫など有り得ないのと同じだ)
ただドイツの場合は強制労働の対称には温度差があるユダヤ人の様に苛烈に扱わ
れた民族もあれば友好民族と見られたリトアニア人に対しては
まずドイツの行政当局からリトアニア人の村長に村から一人、ドイツに労働供出
するよう依頼され、人選は村長に委ねられた
リトアニア人の場合、多くは農夫のため、農場に送られた
しかし工場とは違い、監視役もいないため、中には簡単に逃げて郷里に帰り、ド
イツ側も追求しなかった
(友好民族のため)あるリトアニア人は鉄道の保線を任された
彼は戦後、ソ連支配下で自らの農場を奪われたためそのまま取得技術を生かし保
線係を続けた
34 :
名無し三等兵:2007/12/01(土) 00:36:54 ID:???
ドイツは日本とは占領政策の違いがある
ドイツは独ソ戦開始後、占領民の家が戦火で失われたならたとえ粗末であっても
ドイツ当局が家を再建した
彼等の生産する農産物は東部戦線の将兵にとって必需品であるからだ
装備燃料弾薬の他に食糧を西から送るには鉄道輸送に負担が掛り過ぎるからだ
友好的民族に見られたリトアニア人に対しては学校も新築したり、連行して主の
いなくなったユダヤ人の家を戦火で家を失ったリトアニア人に供給した
食糧配給は確かに東方においては西方より少ないが極めて悪いわけではない
1941年の食糧配給(一般労働者)
パン/肉/油脂/イモ(単位g)独:321/57/37/-
仏:300/51/14/300
蘭:300/43/29/428
露:214-286/14/15/357-571
リトアニア人に対しては供出食糧と交換に彼等が欲しがる機械油等工業製品と物
々交換した
確かに供出量は多かったが、むしろリトアニア人にとっては割りの良い取引だっ
た
リトアニアに関してのデータは「複数民族社会の微視的制度分析、リトアニアに
おけるミクロストーリア研究」を参考にした
35 :
名無し三等兵:2007/12/01(土) 01:05:23 ID:???
よく誤解されるのは戦争により占領した鉱山や工場は活用できたと思われること
だ
しかし実際は極めて悪い
戦前と占領後の産出量
石炭:ドネツ8500万t→300万t
鉄鉱:クリボイロク1650万t→100万t
マンガン:ニコポリ140万t→120万t
ソ連軍は退却の際、徹底的に破壊したこともあるが、当地の技術者や熟練作業員
が逃げてしまったからだ
奇跡的にニコポリのマンガンは生産を維持できたため、後にヒトラーが固執する
ことになる
友好的なエストニアのオイルシェールやガリツィアの石油は8〜7割の生産を確保
できた
結局、戦前と変わらぬ量を輸入できたのは中立国のスウェーデンの鉄鉱と枢軸国
のルーマニアの石油のみである
また占領には莫大な経費がかかる
占領後、フランスに対しては貿易で輸出超過で43700万ライヒスマルクの黒字だ
が占領経費として13692000万フランと684600万ライヒスマルクを必要とした
ベルギーに対しては17700万ライヒスマルクの貿易黒字だったが、占領経費とし
て2950000万FBと2537万ライヒスマルク供出せねばならなかった
つまり占領地が増えれば増えるほど累積赤字は増大し占領地の資源も確保できな
かったのである
日本はドイツよりさらに悲惨であるが
36 :
名無し三等兵:2007/12/03(月) 20:18:37 ID:x75sZxr8
偶然だうかわからんが
ドイツ軍のSS第2装甲師団“ダス・ライヒ”とソ連軍の第5親衛戦車軍団はハ
リコフ、クルスク、ジトミールと同正面で直接戦っているね
ハリコフでドイツ軍が反攻にでる前までハリコフ市街近郊で防衛線張っていたの
がダス・ライヒ師団で正面で攻勢かけてたのが第5親衛戦車軍団
ハウサーの命令でダス・ライヒ師団が撤収後、2月19日に第5親衛戦車軍団が占
領し、ドイツ軍が攻勢に出る前に後方へ戻されたため同軍団の勝ち逃げ
クルスクではダス・ライヒはSS第2軍団右翼を配置されプロホロフカで同師団
正面に殴り込んできたのが第5親衛戦車軍団、今回はダス・ライヒが同軍団に大
損害を与えた
ジトミールでは戦闘団規模に戦力低下していたが、ダス・ライヒ師団が第48装甲
軍団の一翼としてファストフ西方からブルシロフへ反攻、そこで包囲され壊滅し
たのが第5親衛戦車軍団
都合ダス・ライヒの2勝1敗か
しかし隣接戦区ならよくあるが、1年間で重要戦闘で直接正面で3回も同一部隊
と戦った部隊は他に例はないだろう
37 :
名無し三等兵:2007/12/04(火) 07:42:05 ID:LqMa3yKP
>>17 トラック40万両!まさに88mm砲には負けたがジープで勝ったですな
38 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 03:40:06 ID:mqWm/Ey0
43年2月にマンシュタイン元帥と会見したヒトラーの乗った連絡機が反ナチのトレスコウ将軍に爆弾
を仕掛けられていたが不発だったという
もしヒトラーがこの時爆死していたなら・・・・・
と思ったが、ここのレス見たらヒトラーが爆死しても状況は結局変わらなかったかもな
むしろゲーリングとヒムラーの権力闘争や士気低下が悪化するか
39 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 05:53:13 ID:???
YOUTUBEのコメントにパンターは東部戦線では活躍できなかった主役はティーガーだったとか書いてる奴が居てワロタ
40 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 15:15:37 ID:jv4RC18q
>>36 「ハリコフ、クルスク、ジトミール」
すべて戦の「名勝地」だ
語呂の良さは
「宮古・釜石・気仙沼」に匹敵する
41 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 16:29:19 ID:???
アメリカのレンドリースの凄まじい物量な…。
あれがなかったら、ソ連はかなり苦しかっただろうね。
レンドリースの物資はイラン経由で運ばれたの?
42 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 16:40:47 ID:???
>>36 敵に知ってる奴がいたらまさに源文の黒騎士になるな
43 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 16:44:29 ID:???
>>41 それもあるだろうがPQ〜QP船団もあるだろう
多少独海空軍に叩かれても別段気にしないだろう
44 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 17:25:39 ID:???
アメリカのレンドリースがなければ、砲は馬匹、砲も、戦車も、絶対数が足りず、貧乏ドイツ軍と、どっこいどっこいだよな。
45 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 17:26:42 ID:ZlWOa3eR
マンシュタインは第三次ハリコフ戦の勝利後、迅速にクルスク突出部への攻撃を主張した。
5月ぐらいに攻撃が行われていればどうなったのだろうか・・・?
46 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 17:35:45 ID:???
5月というとパンターがまだ完成してなくて3突と4号とティガーのみ。
ティガーは機動戦には向いていないから実質3突と4号だけで攻勢かけることになるからやはり無理。
47 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 17:41:18 ID:???
>>46 史実よりも酷い結果になることも有りうる?
48 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 17:41:54 ID:???
伍長乙www
虎も像も豹も結局あまり決定的な役割を果たせなかったな。
陣地構築と航空優勢だけでも早期攻略に分がある。
49 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 17:45:19 ID:???
T34とKV1がうじゃうじゃいるのに3号4号で攻略出来ると思う?
50 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 18:00:04 ID:???
>T34とKV1がうじゃうじゃいる
ネタバレして準備期間を与えればそうなる罠w
パックフロントのほうが厄介だったらしいが。
それにしても伍長多すぎw
51 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 19:08:47 ID:???
>>45 ソ連が防衛体制を整えてないから、もしかしたら成功するかもね。四号も長砲身だから、圧倒的な数量差がなければT-34相手に有利に戦えるだろうし。
まあ攻勢が成功したところで、東部戦線全体での勝利に直結するわけでもないから、戦争がダラダラ続いて結果的に史実より悲惨になるかもね。
52 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 19:21:28 ID:???
かもねか〜もね♪
53 :
名無し三等兵:2007/12/05(水) 19:57:31 ID:???
まず、敵戦車の進路を予測して予想進路上に対戦車砲を展開させる。
対戦車兵力が不足している場合には戦車を使うこともある。戦車壕を掘ったり極端な場合には埋めたり。
対戦車砲用に掩蓋付き陣地を予備陣地含めて複数作るよりは軽易な陣地で済むし、陣地変換も容易だから時間がない場合にも戦車が投入されることもある。
対戦車砲の自走化、駆逐戦車化も陣地構築、陣地変換を容易にするためのもの。
ただし、攻防走三要素そろった戦車は攻撃してこそ真価を発揮する。
防御の場合でも逆襲という重要な攻撃局面がある。戦車は主導的な戦闘のために必要で受動的な用法はあまりふさわしくない。
突破されたり予想外のところから敵戦車が来た場合には機を失せずこっちも戦車等の機動戦力をぶつけて
遭遇戦により撃破することになるが、これがなかなか難しい。
クルスクのように攻勢が予測されている場合は敵戦車と戦う前にパックフロントを突破しなければならない。
54 :
名無し三等兵:2007/12/06(木) 03:24:09 ID:???
ドイツ軍のトラックってフランスからパクったの合わせても20万台位じゃなかったか?アメ恐るべし
55 :
名無し三等兵:2007/12/06(木) 03:28:20 ID:???
もし春の雪解けによる泥寧化が遅れ、マンシュタインの反攻が継続された場合ど
うなるか?
ハリコフがドイツ軍に奪回された3月15日のスタフカの状況を見てみよう
スターリン、参謀総長ワシレンスキーはようやくここに来て事の重大さがわかり
北西方面軍の包囲されたレニングラードへの陸路打通作戦を指導していたジュー
コフを急遽呼び出した
16日午前5時に到着したジューコフはヴォロネジ、南西方面軍の残存兵力を確認
し、スターリンに伝えた
「スタフカ予備や隣接地域の予備兵力を全てベルゴロド方面に投入しないと敵は
すぐにベルゴロドを攻略し、“クルスクの陥落”も時間の問題でしょう」
スターリンはワシレンスキーに予備兵力を調べさせた
しかしジューコフにはわかっていたはずである
なぜなら彼が42年11〜12月に行った中央戦域における攻勢、火星作戦の大失敗で
3方面軍に大損害を被り予備兵力を捻出するのが困難なことを
そしてどうにかワシレンスキーが探してきたのは第21、第64軍、第1戦車軍、スターリングラードに投入さ
れていた部隊でまだ再編成中だった
結果はベルゴロドは失陥したものの泥寧化が始まり第21、第64軍は間に合ったの
である
56 :
名無し三等兵:2007/12/06(木) 03:41:03 ID:???
もし泥寧化が遅れ、マンシュタインが攻勢を継続したならクルスクは取れたかも
知れない
先に見たようにソ連軍も消耗して予備兵力が見当たらないことはジューコフも承
知していたことだからだ
恐らくジューコフは突出部を構成している部隊を下げ
戦線を短縮させようとしただろう
しかし攻勢の限界点を越え進出しすぎたソ連軍部隊に対する補給はまだ当時は馬
牽き兵坦が殆んどだったため燃料不足で重装備を放棄せざるを得なくなる上、多
くの部隊を包囲の危機から救うために冷徹に犠牲になる軍を攻勢をかけるドイツ
軍に対して張り付けただろう
その後は年内、少なくとも秋までははソ連軍側からは攻勢をしかけられなくなっ
たと思える
57 :
名無し三等兵:2007/12/06(木) 04:03:27 ID:6uGRYGOf
今回の南部戦域におけるソ連軍の攻勢でハリコフ反攻で大損害を受けた諸軍は1
月13日に開始されたオストロゴジスク・ロソッシ作戦から作戦継続でずっと投入
された部隊である
同作戦後、ヴォロネジ・カストルノエ作戦、早駆け作戦、星作戦と休養なしで投
入された
ここで法則が導きだせる
1月13日の戦線から2月20日のドイツ軍反攻までの進出線まで計算すると当時の
ソ連軍の馬牽き兵坦では300kmで補給の限界に達し、補給は枯渇する
ドイツ軍の立場からすればソ連軍の攻勢は約1ヶ月、約300km敵に走らせれば
敵は補給が枯渇するから反撃のチャンスである
つまり後の先を繰り返せば最終的勝利は無理にしても痛み分けに持ち込めそうだ
った
しかしアメリカのレンドリースはその夢も砕いた
アメリカからの大量のトラックは兵力、補給の移動をスムースにした
43年11〜12月15日までドイツ軍はジトミールで反攻し、敵に大損害を与えたが
ソ連軍はその大量のトラックで兵力装備を補充再編成し予備兵力を移動させ、補
給品を蓄積し同地域で再攻勢をかけたのはわずか約10日後の12月24日である
58 :
名無し三等兵:2007/12/06(木) 04:33:57 ID:???
ふん
例の伍長勤務上等兵が「300kmの後退」なんて許すもんか
59 :
名無し三等兵:2007/12/06(木) 08:54:57 ID:???
>>55 >もし春の雪解けによる泥寧化が遅れ、マンシュタインの反攻が継続された場合どうなるか?
ドイツ側にそれだけの余力はあるの?
というか反攻の目的は? 突出部のソ連軍を包囲殲滅させて戦線を安定化するとか?
そのあと防御に専念するなら史実より粘れるでしょうけど、そういう方針転換が出来るかな。
どっかで無理に攻撃しかけちゃうのでは。
60 :
名無し三等兵:2007/12/06(木) 21:38:46 ID:6uGRYGOf
>>46 装甲擲弾兵師団グロースドイッチュラントのハリコフ戦(43年3月7日〜3月
20日)での対戦車戦闘データ
・師団保有戦車・突撃砲数
長砲身W号戦車:71両
Y号戦車ティーガーT:9両
長砲身V号突撃砲:35両・撃破ソ連軍戦車の内訳
T−34:232両
T−60/T−70:41両
KVT:3両
・戦車種別撃破数
長砲身W号戦車による:188両
Y号戦車ティーガーTによる:30両
長砲身V号突撃砲による:43両
42年11〜12月のソ連軍火星作戦阻止では同師団は3方向に分散されていた
が定数で長砲身V号戦車34両、長短砲身混成W号戦車19両の戦車1個大隊と
長砲身V号突撃砲21両の突撃砲大隊を保有(稼働実
数はこれより少ない)
戦車大隊は敵戦車100両を撃破したが、戦車30両損失
突撃砲大隊は敵戦車150両撃破し、損失は突撃砲4両のみ
〇結論:W号戦車はティーガーTに比べ性能的には劣るが機動的作戦では遜色な
く活躍できる。防御的作戦ではやや不利か
V号突撃砲は防御的作戦では極めて高いパフォーマンスを示すが、歩兵援護なし
での機動的作戦にはあまり向いていない。但し対戦車砲や野砲に対する攻撃能力
は高い
61 :
名無し三等兵:2007/12/06(木) 22:11:42 ID:???
>>59 まあヒトラーがいる限り無理でしょう
但し、ヒトラー自身はツィダテル作戦には乗り気ではなく、陸軍参謀本部の強行
により行われたことは考慮すべきでしょう
62 :
名無し三等兵:2007/12/07(金) 13:33:56 ID:y34vnuJk
age
63 :
名無し三等兵:2007/12/07(金) 20:35:41 ID:???
>>59 クルスクの湾曲部を抑えられれば戦線を短縮でき、防御に有利との認識があったよう(マンシュタイン談)
一度敵を叩いておけば、敵の攻勢を遅らせる効果も期待できる
64 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 00:52:32 ID:???
上昇
65 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 09:38:15 ID:???
高地に独軍陣地→ソ連砲兵が制圧砲撃(しかしこの時代の砲ではさほど制圧効果はない)→T34とソ連歩兵が突撃
→MG38、対戦車砲が阻止→T34も応戦
→数にまさるソ連軍が全ての火点、対戦車砲を制圧→高地制圧
ん?独軍の砲兵に仕事はないのか??
66 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 09:45:47 ID:???
まあ、ドイツ砲兵は突撃砲で戦車食って
騎士十字章貰うのに忙しかったから
67 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 11:14:47 ID:???
>>63 いや、その点はちゃんと書いているけど?
戦線を整理した後で防衛に転ずるって決断が出来るのかね?
伍長閣下以下の首脳陣が。
現場の司令官達の意見は違うでしょうけど。
それに、ドイツとしては防衛していても将来の展望がないでしょう?
時間がたてば、連合国側との戦力差は開くだけの気がしますが。(国力差からみて)
68 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 11:48:44 ID:???
ドイツ軍は一方面に集中しての防御しか選択肢が無いけど
ソ連側は対峙しつつ、別方面での攻勢が可能なんだよな。
69 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 12:21:30 ID:???
ところで7.5cm歩兵砲って、独ソ戦後半でも使われてた?
あれを苦労して泥濘のなかを引いてウロウロした挙げ句、対戦車戦闘能力を兼ねないということは、歩兵にとっては厳しいよね
70 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 12:24:55 ID:5z/xtreS
71 :
名無し三等兵:2007/12/08(土) 14:07:56 ID:???
>>69 元々は平射歩兵砲にそうやって対戦車能力持たせたのが対戦車砲。
72 :
名無し三等兵:2007/12/09(日) 17:58:58 ID:7T5huQ/B
北アフリカ戦線の写真に7.5cm歩兵砲みつけたよ
持って行ったんだな。
73 :
名無し三等兵:2007/12/09(日) 19:04:43 ID:Fy2UsT97
第三次ハリコフ戦におけるソ連軍の死者ってどれくらい?
捕虜は23000人って資料をみたことがあるが
74 :
名無し三等兵:2007/12/09(日) 22:05:39 ID:+GFN7Mos
アイケSS大将の功績も忘れないであげてください
75 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 00:04:20 ID:???
>>65 ドイツ軍の歩兵師団では特に砲迫火力は特に戦車猟兵や突撃砲がどこにでもいる
わけでないので対機甲戦力では重要だ
ドイツ軍装甲師団も戦闘団戦術が確立され、各戦闘団毎に砲兵大隊が配属され、
航空優勢が確保出来なくなってからは自走榴弾砲は重宝もの
逆にソ連軍は違った砲兵組織を再構築し成功した
ソ連軍は戦車・機械化軍団、狙撃兵師団の殆んどから砲兵部隊を外し、それらを
統合、砲兵師団として攻勢開始時や防勢転移後の防衛線支援に投入した
戦車・機械化軍団や狙撃兵師団の間接支援火力は主に移動が楽な120mmクラスの
重迫(時には160mmクラス)が配属される他に突撃砲連隊など直接支援火力部隊
が適時配属され、間接支援火力の代わりをした
これはまだ自動車化の遅れた各部隊の補給部隊のせいもあるが、鈍重な砲兵部隊
がドイツ軍反攻時の損害率が高いことがある
しかし師団化はかなり効果的な攻撃準備射撃や敵の攻撃破砕射撃を実施できるこ
とがわかりソ連軍はこの組織体系を維持した
ドイツ軍はこれに真似、第18装甲師団を砲兵師団化したが、失敗した
戦闘団戦術が発達し、臨機応変な部隊投入しなければならないドイツ軍にとって
不適な組織だったからだ
76 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 00:21:52 ID:???
ソ連軍の典型的攻撃準備射撃〜攻撃は
まず作戦開始数日前から偵察して砲兵観測点を戦線から500m位に設置
作戦開始日、砲兵師団は20〜2時間の攻撃準備射撃を実施
その際、パウル・カレルの著作に書かれているようにドイツ軍は砲撃を逃れるた
めに第1線から一旦、第2線に引き、砲撃終了後、第1線へ戻る戦術を使ってい
たため、ソ連軍はドイツ軍が砲撃終了と思い第1線に戻った時を見計らい第2波
の攻撃準備射撃を実施
次いで重戦車連隊や突撃砲連隊の火力支援下狙撃兵師団が攻撃開始、砲兵師団は
前線への煙幕に射撃を切り換える、その際ドイツ軍のストゥーカ攻撃を真似、大
音量のサイレンを鳴らし威嚇する
Il-2地上攻撃機は敵防衛線が森林や木造家屋群に隣接している場合、焼夷弾を使
用する
77 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 01:08:18 ID:9YW1U3qp
ソ連砲兵師団の敵の攻撃破砕射撃については典型的戦例を用いて説明しよう
1943年7月30日ミウス川に橋頭堡を確保したソ連軍を撃破するため、ツィデタル作戦
中止後の第2SS装甲軍団(第2SS装甲擲弾兵師団ダス・ライヒ、第3装甲擲弾兵師団トーテンコ
プフ)を投入した
初日にダス・ライヒ(DR)はステパノフカ市街突入と230.9高地確保を
トーテンコプフ(TOT)は213.9高地とジュラシモフカ渓谷確保を各々命じられた
DRは午後にはドイッチュラント連隊基幹戦闘団がステパノフカ市街の半分を奪取
総統連隊基幹戦闘団は1000に230.9高地を奪取
戦車連隊、SPW搭載装甲擲弾兵大隊基幹戦闘団は戦果を拡大しステパノフカ南東の223.7
高地を1345に奪取
しかしTOTは無謀にも事前偵察もせず攻撃し失敗、擲弾兵が大損害を受けた
さらに翌日にはなんと戦車の支援(前日の損害1両のみ)を受けずに擲弾兵単独で
夜襲を強攻、運よく第1線は突破したもののソ連軍が気づき攻撃破砕射撃敢行
それは非情だった
敗走する友兵もろとも第1線、第1〜第2線のドイツ軍を集中砲撃した
こうして2回目の攻撃も頓挫、さらに8月1日まで6回の攻撃に失敗する
あおりを食ったのはDRでステパノフカへのソ連軍の反撃を8回撃退した
結局、DRの1個大隊が223.7高地南方の203.4高地を奪取し好転した
78 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 01:20:56 ID:???
ハリコフやクルスクでは目立たなかったが、トーテンコプフには43年夏でもまだ問題があるよう
だ
対仏戦や対ソ戦初年での虐殺や上部司令部への反抗的態度、命令違反などドイツ
軍内でも問題になったが
42年秋からの再編成で他部隊からの転属やSS士官学校から配属され、それまで残
っていたチェコ製やフランス製兵器もドイツ製に一新したのだが
まだベッカーやクネヒラインのような極めて素行の悪い将校も残留していたこと
もあるが、LAHやDRに比べると指揮の仕方にやや難があると見てよいのだろうか
79 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 05:35:41 ID:???
上げ
80 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 21:21:45 ID:???
>>73 大日本絵画の『ハリコフの戦い』J・ルスタン著では
ヴォロネジ正面軍、南西正面軍40万の内
97000死亡
110000負傷
20000捕虜
戦車・装甲車1354損失
火砲5000以上損失
航空機450損失
と書いてあるね
81 :
名無し三等兵:2007/12/10(月) 22:32:30 ID:???
>>80 dd
死者約10万とはド派手な損害を受けたもんですな。
泥濘の到来が無ければ第二次ハリコフ戦の損害になるとこだったのか・・・
82 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 01:44:17 ID:7gfxj9Ol
>>29 データ提供(ドイツ:ソ連…生産台数)
1942年
戦車2488:24662
駆逐戦車・突撃砲813:0
自走榴弾砲・自走対戦車砲・対空戦車・回収戦車・弾薬運搬車等826:51
1943年
戦車7766:20209
駆逐戦車・突撃砲3401:2110
自走榴弾砲・自走対戦車砲・対空戦車・回収戦車・弾薬運搬車等2822:1908
半軌道装甲兵車10048:0
1944年
戦車7903:16965
駆逐戦車・突撃砲9484:4909
自走榴弾砲・自走対戦車砲・対空戦車・回収戦車・弾薬運搬車等1911:7155
半軌道装甲兵車11187:0
ソ連軍の半軌道装甲兵車は全てアメリカからのレンドリースで自国では生産して
いません
レンドリースにより戦車10815両(ドイツ海空軍による輸送船団攻撃による1590両
を除く)をソ連軍は受領
83 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 01:48:42 ID:???
84 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 19:23:14 ID:7gfxj9Ol
>>82 44年のドイツの駆逐戦車と突撃砲の急増の多くはヘッツアーの生産?
85 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 19:24:52 ID:???
資料には何が生産されたまでは書いてなかった
86 :
名無し三等兵:2007/12/11(火) 23:49:16 ID:???
>>81 死者数に比べて負傷者数が少ないような気が・・・
凍死?
87 :
名無し三等兵:2007/12/12(水) 09:52:59 ID:???
負傷者の救出、後送はしないしね。独軍は捕虜とらないのが基本だし。
88 :
名無し三等兵:2007/12/12(水) 14:18:50 ID:???
>87
負傷者の救出、後送は「しない」じゃなくて「できない」
状況だったんじゃ。
89 :
名無し三等兵:2007/12/12(水) 18:44:16 ID:???
出来るときでも殺してるからな。
90 :
名無し三等兵:2007/12/12(水) 23:46:24 ID:???
まあ日本軍もソ連軍も捕虜虐殺は日常茶飯事だったからな
91 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 00:09:05 ID:???
ドイツ軍の話をしてるのに、唐突に他の軍もやってると言い出すのが如何にもだな
92 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 00:26:27 ID:???
しょうがないだろ
真実なんだから
だいたいスレ題からかなり逸脱してるのにどうこう言えるのかよ
93 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 00:55:43 ID:???
じゃあ俺も真実を
山ちゃんとかないに続いて
青山と高山も離婚した
え?スレ違い?板違い?
しょうがないだろ
真実なんだから
だいたいスレ題からかなり逸脱してるのにどうこう言えるのかよ
94 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 06:37:47 ID:???
ドイツヲタは開き直るから困る。
95 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 08:39:11 ID:???
>>94 せっかく良スレになりそうだなとROMってたら
お前あれだろ
いろんなとこで荒らしてるって噂のポーランド厨だろ
96 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 11:27:05 ID:???
いちいち釣りに反応しなくていいよ
97 :
名無し三等兵:2007/12/13(木) 20:35:05 ID:???
第四次ハリコフ攻防戦のソ連側の作戦名「ルミヤンツェフ」
そのルミヤンツェフ元帥?っていったいどんな人?クトゥーゾフ将軍は
見つかったが全然正体が判明しないんだけど・・・・・
98 :
名無し三等兵:2007/12/14(金) 02:54:35 ID:???
自分が知ってる限りでは18世紀のエカチェリーナ女帝配下のルミャンツェフ将
軍のことかな
第1次露土戦争でワラキア、ベッサラビアを占領したことぐらいしか知らない
だからその作戦名の指す人物かどうかは確証はないです
99 :
名無し三等兵:2007/12/17(月) 01:21:23 ID:4C3rm39X
グデーリアンは突出部への攻撃に反対したが
攻撃しなければ、ちょっとは破局を先送りにできたのかな?
クルスク攻勢はソ連軍にそれなりにダメージを与えたとは思うけれども・・・
100 :
名無し三等兵:2007/12/17(月) 02:41:24 ID:HWaHBIfH
>>99 中立国への政治的配慮が大きかったみたいだね。
ツィタデレ前にトルコ総参謀長をタイガーTの演習に招いてるし
>>99 「それなりにダメージ」がどの程度のものか、というと
ツィタデル開始から1ヶ月後には
体勢を立て直した赤軍の反撃を受けて
オリョールとベルゴロドを同時に奪回される程度の
「それなりにダメージ」であった
その後、3ヶ月に渡って全戦線で攻勢に出た赤軍は
11月6日キエフの奪回に至るわけだが
物量に勝る相手に回復可能なダメージを与えたところで
大勢に影響はない、という厳然たる事実が
明らかになったに過ぎない
まあダメージって相対的なものだから、与えたダメージより
遙かに大きなダメージを被っては、とどのつまり相手のアドバンテージ。
つか、HP300の勇者が中ボスHP6000(自動回復あり)に
被ダメージ250で5000ダメージ与えたら、どっちのアドバンテージなんだ?
まず、例えとしても5000も食らってない。
映像の世紀ではチタデレ作戦で、ドイツ軍は戦車2200両、航空戦力の全てを失ったとあったな。
凄いソ連寄りだね。
>戦車2200両
たぶん、連合国側資料の「装甲車両2200両」を誤訳したとかじゃね?
>>99 先送りできたかも知れない
但しヒトラーが戦略を改めたらという条件がいるが
結果論的には米が参戦したから負けは確定
ソ連も43年末の時点で装備はともかく人的不足がちらちら見え始めたけど
ドイツの装備不足はチダテルの時点で露呈してたし
殆んど戦車師団は戦車1個大隊、親衛旗AHと大ドイツ除く全師団がまだV号戦
車が主力とかね
>>49 W号戦車はカタログスペックでT34/76に火力以外で劣っているが、T34/76、特に
初中期生産型にはW号戦車に劣ってる部分が多い
・照準器が粗悪
後期型では英国製戦車のものをコピーするが、英国製より粗悪
・全方位を監視するキューポラがない
前方のみの視界では側背に回られるのが不利であるのと同時に歩戦分離され、孤
立した戦車は側背から近接攻撃する独軍歩兵の格好の目標となった
・通信器が中隊長車以上にしか装備されていない
戦闘開始前の号令以外、戦闘中には命令を受けられず相互援護もできない
独軍は特徴あるアンテナを持つ中隊長車を一番先に狙うようにしていた
・砲手が車長兼任
時間あたり発射速度の低下を招いた
また砲塔内の死傷率が高いため、後には操縦手が車長を兼任するようになった
・装甲がニッケル合金でない
たとえ敵の徹甲弾が貫通せず、弾いても装甲内部で剥離し車内乗員を傷つけた
>>109 それだけ劣ってたT-34にビビッて
IV号には長砲身砲を載せて
パンターまで急いで開発したドイツ軍はヘタレ、と
まあこういう結論でよろしいか?
111 :
名無し三等兵:2007/12/19(水) 19:37:00 ID:NdgYUXcA
>>109 ハリコフでは3号戦車が主力ですね
でも結局、T‐34に対し優位に戦闘を進めてるし
クルスク、ミウスでも3号戦車が主力だったけどドイツ側の優位は弛いでいない
とこを見るとやはり練度の違いが大きいのでしょうね
112 :
名無し三等兵:2007/12/19(水) 19:49:47 ID:J0Mpa8Gy
4号じゃT-34/76は互してもT-34/85はくえんて
>>110 今日は冷えますね、釣れますか?
あと、T34の砲弾の大部分は床下収納なんで、脇のラックに置いてある何発かを撃った後は、装填に時間がかかるってのもあったような。
>>113 だーかーらー
「それだけ劣って」たT-34に
IV号が負けたのはなぜだっての
>>113 それもあるけど
やはり車長が砲手を兼ねると戦車の指揮しながら目標照準しなければならないか
らドイツ軍戦車に先を越される場合が多い
中隊長車以外無線もなく前方以外の視界がほとんど内容では状況すらつかめない
クールラントで38式駆逐戦車に3両が隠蔽陣地でスターリン戦車を含むT-34戦車部隊を迎撃
し、駆逐戦車1両をスターリン戦車の側面に迂回させて撃破したという戦果報告を見る
とやはりソ連軍の戦車はキューポラできた戦車でも視野が狭いのか?
キューポラって独ソ関係なく視野悪いよ。危険を覚悟で戦車長が頭出して状況確認しないと。
カリウスは戦闘中でも基本ハッチ開けっぱなしでキューポラほとんど使ってないしソ連戦車が
砲塔ハッチ閉めっぱなしなのを不思議がってる。猛獣シリーズ後期の戦車長ハッチを持ち上げて
回す形式にしたのは持ち上げた状態で隙間から周りを直接見渡せるようにしたため
戦術の違いだな。
ソ連は戦車兵がにげださないようハッチを溶接してガソリンまいて火をつけて戦線に送り込んだり、
女乗せたり。兵の質はともかく数で押す
ドイツは戦車が少ないから戦車兵もそれなりに訓練されてる
車長が狙撃されても代わりは入る。修理上がりの戦車はだいたい車長のキューポラ血まみれ
そういやビットマンはハリコフで3号乗ってたんだよな
>>117 T34/76みたいに全くないよりマシでしょ、だから装甲擲弾兵の援護必要なんだし
それにT34/76はハッチ閉めたら前方しか見えない
それよりは周囲見られるしドイツ軍各戦車には通信機装備してあるから相互に監
視できるし状況はソ連側より有利だとおもうよ
>>119 カリウスも第20装甲師団所属時は38(t)軽戦車の乗員だと思ったが
>>121 著書に長砲身の4号とそれ以上に装甲強化された3号が配備されたって書いてるから
ハリコフ戦あたりだとそのどっちかじゃね
カリウスの話によると当時の戦車兵には「ロシアが丸っこい装甲でドイツが四角いのは
ロシア戦車がドイツの機械で作ってるからだ。ドイツはその機械を輸出してしまった」
といううわさがあったようだが、だとするとあんまり頭が良くないなw
カリウスはタイガー戦車も四角くて「まだロシアより遅れてる」とがっかりしたとか。
>>123 >カリウスはタイガー戦車も四角くて「まだロシアより遅れてる」とがっかりしたとか。
まあ、タイガーは設計自体は古いし。
生産設備やら工数・コスト考えないなら、タイガーと同じ厚さで更に傾斜装甲のほうがいいわな。
現場の声としては当然でしょうねえ。T-34に命中弾が弾かれた経験たくさんしているだろうし。
>>120 ハッチ閉めたら前方しか見えないって回転式ペリスコープ無しのえらく初期型T34だな。その頃は
3・4号短砲身なんで3人乗り砲塔や無線機があっても辛いっしょ。それよりやっぱり長砲身4号が
出てからドイツ有利なんじゃないかと。でもヴィンターケッテ無しだと道路から動けないから
冬季はちと路外性能で分が悪いかも
自分としては鋳造100ミリより鍛造圧延100ミリの装甲のほうがいいけどな
カリウスたちはそんなことも判らなかったのかと
>>126 鉄板をトンテンカンテン打ち伸ばしてる間に
鯛焼きの皮なみにポコポコできてくる鋳造砲塔か
スペックオタの中の人も大変だな
なにいってんの?
圧延鋼といえばローラーで押し出して切断するだけじゃん
>鉄板をトンテンカンテン打ち伸ばしてる間に
爆笑した。さいきんのゆとりは・・・
つ:鍛造
鍛造と圧延は同じ意味だよ?
ぷっ
正確にいうと鋳造の組織を圧力かけて破壊して、均一なものにならすのが鍛造
圧力かけるのがローラーだろいうとハンマーだろうと
やってることは同じ、つまり圧延=鍛造
>>128の脳内的にはハンマーで叩くの「だけ」が鍛造のようだが
ローラーでのばした圧延鋼もまた鍛造
もちろんドイツ戦車の装甲板を職人がハンマーで叩いて作るわけがない
そうやってると思ったんだよな?ひとつ勉強になったなwぼうず
>>126 未来の戦車エース?に言うのも何だが
実際に戦車に乗ってたカリウスは、そうではないと判断したんだろ。
鋳造とか鍛造の強度の違いとかって、素人(鉄鋼業に関してね)が見ためでわかるもんなのか?
「うわー、ソ連の戦車は継ぎ目が少なくて弾をはじくように斜めに装甲がついている。それに比べてうちの新型は相変わらず垂直装甲orz」
ってくらいだったんだと思うが。
日本だと司馬が
「チハはやすりで削れないのにチヌは削れるort」
とか書いてるしね
136 :
名無し三等兵:2007/12/26(水) 07:43:40 ID:vO0LEqnT
なんだかんだ言ってもティーガーTの抗たん力は高いんじゃないか
クルスク7月5日〜14日までのティーガーTの損失数見ても
第503重戦車大隊:3両
SS第1戦車連隊:4両
SS第2戦車連隊:2両
SS第3戦車連隊:2両
GD戦車連隊:0両
第505重戦車大隊:3両
の総計14両に過ぎない
ティーガーって何語だよ
ティーゲルかタイガーだろ田舎もん
ティーゲルって何語よwww
冬休みだし、厨かw
ドイツ語勉強しなw
>>136 14両に過ぎない、のか
14両も喪失した、のか
生産性や経費の面から考察すると…カワイソス
濃密なパックフロントの中を、しかもソ連軍は戦車砲から対戦車銃に至るまでま
ず全ての火力をティーガーに集中するよう教育している中で14両のみの損失で
終ったのはそれなりに価値はあるだろう
ティーガーに敵火が集中している間に他の戦車が行動し易くなるわけでもあるし
まあ、シュルツェン付き4号を
ティーゲルと誤認して集中砲火浴びせたり
T-34が特攻して零距離射撃ぶち込んだり、と
4号の中の人も大変だったらしいがな
旧ソ連発表の戦果報告で
ティーゲルが異常に多いのは
プロパガンダ用の水増しに加えて
そういう経緯もあった、という
で、ティーゲルなのか?それともティーガーなのか?
タイガー
ティゲァ
いいえ、ケフィアです。
自演厨
タィーガ!
パンツェル・マイエル
終ったなこのスレも
白痴しかレスならなくなった
おいおい日本語まで怪しいじゃないか
153 :
名無し三等兵:2008/01/15(火) 15:42:39 ID:OUt7etwO
あげ
スレ違いな気がしないでもないんだけど、
第一次ハリコフ戦の詳しい状況が読める
和書の資料ってないのかな?
というか、第三次以外の資料ってあんま見かけないよね・・・。
第二次ハリコフ戦は、コロミーエツの本があるから比較的マシだと思うけど。
ディーガーに歯が立ちませんガンガン跳ねね返されるので
穴に回り込んで打ち込みましたが駄目でした
どうすればいいですか?
戦車ではダメです。ティーガー部隊が嫌がる歩兵1個大隊を集中投入した夜襲をしましょう。
ありがとうございます
大隊投入は難しいので
今度は工兵で攻めてみます
158 :
名無し三等兵:2008/01/21(月) 16:22:01 ID:EH/93B1j
age
>>154 残念だけど、第1次ハリコフ戦の詳しい状況が読める日本語の資料はないと思う。
というか洋書でさえ、今までこの戦いだけをまとめた本は出版されていない。第1次から第4次までまとめたアメリカの雑誌はあるらしいけど・・・
1941年10月のハリコフ周辺で進撃したドイツの師団史の本であれば記述しているかもしれない。
特に、ハリコフを占領した第101猟兵師団の本であれば、期待できるのでは?誰か日本語訳してくれたらいいけど・・・無理だろうな。
参考:1941年10月22日-23日にハリコフ周辺で戦った師団群
ハリコフ北部戦区 第17軍団(第44歩兵師団、第294歩兵師団、第239歩兵師団)
ハリコフ正面戦区 第55軍団(第101猟兵師団、第57歩兵師団、第100猟兵師団)
ハリコフ南部戦区 第11軍団(第68歩兵師団、第297歩兵師団、第125歩兵師団)
>>159 薄々そうだろうなあとは思っていましたが、
洋書ですらそのレベルだったとは・・・甘かった。
師団史というのは思いつかなかった。
戦闘序列の提供、ありがとうございます!
161 :
名無し三等兵:2008/01/24(木) 13:54:30 ID:HTKQETRF
第二次と第三次は日本語でもそれなりの資料が出版されてるけど
第一次はあんまり聞かないね
ハイマックスさえあればブリキカンにしてやれるマップ
上げ
>>60 別の資料では
1.撃破数
T-34:250輌
T-60or70:16輌
KV-1:3輌
2.兵器別撃破数
PzIV(lg):188輌
Stug(lg):41輌
Tiger:30輌
他:10輌
戦車連隊GD保有数
PzIII(lg):20輌
PzIV(kz):10輌
PzIV(lg):75輌
Tiger:9輌
損失数
PzIII(lg):1輌
PzIV(kz):1輌
PzIV(lg):11輌
Tiger:1輌
165 :
名無し三等兵:2008/02/07(木) 05:58:31 ID:xBuGz9QY
>>164 V号戦車は無戦果?
突撃砲のデータはないの?
×突撃砲のデータ
〇突撃砲の損失数のデータ
報告書にはIII号のは無いね
Tiger中隊に10輌配備されてるけど、イラネってTigerだけで行動してるみたいだし
突撃砲のは分かんね
おまけ
3月11日の稼動数
PzIII:9輌
PzIV:39輌
Tiger:6輌
長砲身V号戦車なら短砲身W号戦車より対戦車能力あるからT34/76ぐらい
なら撃破可能だと思うが
もちろん中隊全体の連携は不可欠だろうけど
上げ
上げ
171 :
名無し三等兵:2008/03/01(土) 11:00:03 ID:KpC2zHXD
>>47 ソ連の進撃を鈍らせて、西側から英米仏が先にベルリンを突いていたら…大して変わらんかな。
>>110 技量の優勢だけで勝てるほど戦争は甘くないって事。
>>172 米英はともかく、フランスはザールラントの併合に固執してたからな
ザールラントがドイツ連邦に帰属したのは1950年代末
もしも米英軍が先にベルリン到達したらチェコ(スロバキアを除く)オーストリ
ア、ユーゴ(少なくともスロベニア、クロアチア)はソ連の干渉なしに自由主義
国家として再編されただろう
ドイツは国土の荒廃、割譲は免れないが、チャーチルの主張の通り史実の国境線
西ナイセ川でなく、東ナイセ川が国境線となり、バルト海の海港シュテティンと
ともにブレスラウがドイツに帰属しただろう
>>168 ×:対戦車能力
○:対戦車攻撃力
まあ、対戦車防御力が絶望的に低いから
撃破して撃破されて、収支決算はマイナスな
錬度の面で相当な開きがあるので、
性能の差が戦果の差に繋がるのはまだ先の話
練度以前に
T−34/76はカタログデータではV号戦車を圧倒するが
当時のソ連軍戦車の照準器はガラスが曇っていたり、歪みがあったり劣悪であっ
たことと中隊長車以外は通信機を搭載していないため
戦闘前の中隊長の指示以外、戦闘中は命令受けられない
つまり命令方式でなく号令方式を取らざるを得ない
従って一度イニシアチブをドイツ側に取られると例え相手がV号戦車でも苦戦す
るのは必定と思われる
なんか、かわいそうな独厨が湧いてるようだが
…現実を見ようぜ
ドイツの有利な点だけを恣意的に強調しても
戦争がそういうもんじゃないのは史実の通り
>>168 もっというと戦車を含む集団同士の交戦だな。
戦車戦が重要な戦闘形態となる遭遇戦では、一部をもって敵主力を拘束し
我主力は敵縦列を側背面から攻撃し分断、包囲殲滅を図る。
特に輸送機関をヴィレルボカージュでヴィットマンがやったように撃破できれば最高。
これがポーランド騎兵じゃ拘束すらできんが、長砲身III号ならば対抗可能であるが故にうまくやれば拘束は可能だろう。
逆に冬は接地圧の関係で道路から外れられないから悠々と走り回るT34にドイツ戦車包囲されちゃうんだよね。
>>178 ムツェンスクでグデーリアンの第2装甲軍が阻止されたアレか
183 :
名無し三等兵:2008/03/09(日) 23:44:25 ID:NTXnMD8y
上げ
上に行く
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飽きた
第三次ハリコフ戦がああした経過を辿った原因は、
赤軍側の兵站に不備があったため、とする意見をよく目にするけど、
その理屈に従うと、有名なマンシュタインとヒトラーの論争は結果的に
ヒトラーも強ち間違ってなかった、つーことになったりしないのだろうか?
その辺さらっと流されていることが多くて、
説明を聞いてもよく分からないんだよね・・・。
なんで?
ルーマニア、ハンガリー、イタリア各軍が崩壊し、ドイツ軍も1個軍失われた状
態で兵力が極めて不足していた時にヒトラーの言う通りハリコフ死守は出来ない
と思うけど
実際、ハリコフ付近にいた部隊はSS第1とGDの2個師団しかなかったし
この少ない兵力ではマンシュタインの言う通り攻勢防御的な機動戦でしか局面打
開出来なかったと思う
あ、いや、そっちの方の話ではないです。
ハリコフ死守はヴァイクスのB軍集団に与えられた任務で、
マンシュタインのドン軍集団が責任を持つ部分じゃなかったような。
当時マンシュタインが恐れていたのは、赤軍が、伸び切ったドン軍集団左翼の
戦線を大突破し、小土星作戦で果たせなかった独軍南翼の殲滅を実現することだよね?
で、もし、赤軍側の兵站に問題があり、こうした攻勢を達成する能力が
実は最初から無かったのだとすれば、ヒトラーがマンシュタインとの
論争で指摘した「赤軍の攻勢は兵站・天候の問題でそう長続きしねえし、
大包囲の実行は無理だろ・・・常考」という部分は、必ずしも間違いじゃなかった、
ということになるのかな、という話です。
改めて説明すると本当にどうでもいい話ですんません・・・。
190 :
名無し三等兵:2008/04/05(土) 19:34:11 ID:SW0tePLh
一次や二次はやはり有名じゃないなぁ
第二次ハリコフ戦はなかなかダイナミックで
面白いと思うんだけど、なんかこう・・・地味だよね・・・。
>>191 第2次はわりと有名でしょ
ボードゲームでも出てるし
というより第1次って本格的に戦ってた?
ソ連軍が本格的に戦わず撤退していっただけと思うんだが
>>192 第二次は結構大事な意味のある攻勢だと思うんだけど、
その割には扱い軽いなあと思うんだよね。
第三次は別格として、第四次ハリコフ戦が
第二次より人気ありそうに見えるのを不思議に思う。
変かなあ、俺。
まあ、そんなとこでしょう
2次、4次の注目度の差は僅差だと思うけど
3次は確かに最も成功した攻勢防御の戦例だけど
43年末のジトミールの奇跡の時はソ連軍がレンドリースにより大量の車両で兵坦
補給、予備兵力投入が劇的に改善され、3次程の戦果を挙げられらかったけれど
も注目度では2次、4次並の注目度はあったでしょう
4次はウクライナ戦全体とセットで比較的知名度が高そう。
ウクライナ戦は、優勢な敵軍を相手に、追撃を必死にかわしながら・・・
つーところがヒロイックだからなあ。あの辺の戦いが一番好きな
独軍ヲタは多そうだね。
不可侵条約を無視して、不意打ちを食らわせた上に
非戦闘員にまで暴虐の限りを尽くした非道の侵略者が
怒りに燃えた人民による正義の鉄槌に叩きのめされた戦いの
いったいどこがヒロイックなのか、と小一時間(ry
_人人人人人人人人人人人人人人人_
> ゆっくりしていってね!!! <
 ̄^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ ./;;,ィ''"´ ̄`゙゙ヾ;ミミミ;;、
.i;}' "ミ;;;;:} /ミミ/゙ ゙:::゙iミミミ:l
|} ,,..、_、 , _,,,..、 |;;;:| iミミ′: : ..::::_;ミミ;ミ;リ
|} ,_tュ,〈 ヒ''tュ_ i;;;;| .ヽ,! ゙ .,;;;..'' ''゙゙;;_ ゙:::ヾ;;;;;;/
| ー' | ` - ト'{. .} :'゙::“:゙:. l::'゙.”:゙;.::'':;;゙irく
.「| イ_i _ >、 }〉}. | ヽ .,r ..:::、 ..::::;;;トl;|
`{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、 .!-' |.. :' ''ー;^''::ヽ. :':::::;;;i::ソ
| ='" |. l、 ←‐'‐→、! ..::::;;;l゙´
i゙ 、_ ゙,,, ,, ' { ヽ.. `゙゙゙.,゙´ '":::';;;ハ、
丿\  ̄ ̄ _,,-"ヽ _,,/`i、 -:: -:::'::゙:::;;ツ'::::`;、_
''"~ヽ \、_;;,..-" _ ,i-‐''" | ゙;、 i":;;:::::;,/':::::::::;!::::`::-、.._
ヽ、oヽ/ \ /o/ .| .l゙ ゙ヽ:;,ン'":::::::::::::/::::::::: : -ー `
>>197 「優勢な敵軍を相手に、追撃を必死にかわしながら・・・つーところが」と書いてるやん。
独軍の行動全体をそう説明しているわけじゃないよ。
それと、俺自身はあんましそういうヒロイックなものに憧れる発想は好きじゃない。
英雄も裏返せば虐殺者だし。
>>197 日清、日露、シベリア出兵、満州事変、日中、太平洋戦争
宣戦布告なき不意打ちは日本が大先輩だな
ドイツは少なくともソ連には宣戦布告したな
海外メディアにより目撃され報道された日清戦争での旅順虐殺事件なんかの日本
のその後の弁明を見ると現在の中国のチベット弾圧に対する中国の弁明に非常に
酷似しており見苦しいかぎりだ
日清、日露の頃は宣戦布告は一般的でなかったし(国交断絶がそれに当たる)
シベリア出兵は列強の要請によるものだがな。
>>201 嘘こけ
クリミア、普墺、普仏戦争など19世紀の戦争だってちゃんと宣戦布告してるじ
ゃねえかよ
ただ単に日本が卑怯なだけの話
卑怯というのはエムス電報事のようなものを指す。
卑怯おおいに結構
日本は周辺の鬼畜相手に格好つけてる場合じゃなかろう
>>205 不意打ち、虐殺虐待、強姦、強制労働、性的奴隷、やってることは日本の方が鬼
畜だな
既に江戸時代のアイヌに対しても日本は上記のような悪行を行っていたからな
アイヌに対して土地返還、保証金支払はおろか謝罪も一切していないし
言っておくが、カナダはイヌイットに、豪はアボリジニに、米は先住民に土地返
還や保証金支払に応じているぞ
少なくともあの中国でさえ民族語教育は許しているけどな
こんなトコで、チベットの正当化か
ある意味しんじられないが(ry
加、豪、米の白人が祖国に帰ったって話は聞いてないな
上げ
エムス電報
どうして中国人がハリコフ攻防戦のスレで粘るのか分からんw
ドイツとは仲良かったろwww
ハリコフは善光寺ではありません
人間未満の糞虫だつおより数段マシだろ
上げ
216 :
名無し三等兵:2008/05/13(火) 08:02:33 ID:OyzNSv8M
>>206 お前アイヌだろう?
そんなアホなこと言ってるから、和人に支配されるんだよ。まあ、今更文句言っても遅いが
。
217 :
名無し三等兵:2008/05/13(火) 08:06:07 ID:OyzNSv8M
アイヌ人にアル中が多いのは困ったモンだ。
近年、日本人の国語力の低下が顕著になっている。
これはゆとり教育によって、特に国語の時間が減少したことが主な原因である。
日本の国語力を向上させるためには、教師の土曜休みを月〜金休みに分散させることに
よって、授業週6日制を復活させるしかない。
週6日制授業を復活させ、日本人の国語力を回復すべきだ。
219 :
y:2008/06/04(水) 22:23:00 ID:rpOD69Nj
ドイツが教授したのは国民党軍であって、共産党軍ではない
ここは肥満な倭猿が吠えるスレですか
いえ、三国人の餓鬼が吠えるスレです。
三国人とは
小日本鬼子
倭猿
ジャップ
の総称ですか
画数の多い漢字をよく覚えましたね
感心です
ジャップはJAPANESEの略ではなくJA・PIGの略です
従って倭猿というよりは倭豚ですねw
三国人は
ぺクチョン(本国)
Gock(アメリカ)
朝鮮人(日本)
と呼ばれる
おまえら在日チョンのことです
サジェールの本、図書館にあったので借りてきた
43年秋、コノトプで包囲されGDは50%の兵力を失った・・・
GDは、ドニエプル渡河前はOpshnya〜Kremenchugで戦闘してるじゃねーかYo
そもそも、ギイ・サジェールの本に資料的価値がないのは
このスレの冒頭で既出だし、いちいちツッコむのは
吉本新喜劇にツッコむくらい野暮な所業
このスレ、最初はまともなこと書いてあったんだな
229 :
y:2008/07/06(日) 13:02:45 ID:exwwILDu
GD師団はいつもばら売り使用されていたから、全部デ語ってはいけないのではなかろうか
GD師団に在外独系や外国人が配属されることはまずない