あなたのおじい様の戦争体験を教えて その16

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1uaa
前スレ
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その15
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1179836959/l50
2名無し三等兵:2007/08/17(金) 17:13:21 ID:???
2ゲット!
ぱんつぅ♪ぱんつぅ♪
3名無し三等兵:2007/08/17(金) 17:43:45 ID:???
>>1
乙です
4名無し三等兵:2007/08/17(金) 18:21:28 ID:???
>1
しゃぶってやるよ
5名無し三等兵:2007/08/17(金) 22:18:32 ID:Cc92qlY4
ヒトラーは偉い人と女学校時代教わったと婆さんが
言ってました 時代とともに価値観も変わるんですね

6名無し三等兵:2007/08/17(金) 22:38:03 ID:???
日独伊三国同盟の頃は猫も杓子もそんなもんでした。

リヒャルト・シュトラウスが皇紀二千六百年祝典曲作ったり、
北原白秋が『万歳、ヒトラーユーゲント』なんての作ったり。
7名無し三等兵:2007/08/17(金) 22:41:41 ID:???
>>5
価値観は変わるけれども、
『やった事』自体は変わらないけどな。
“ 解釈 ” を変えちゃう人は、居るけれども。
8名無し三等兵:2007/08/17(金) 22:46:00 ID:???
>>6
少なくとも民主的な方法で合法的に政権を取り、
第一時大戦の敗戦ショックで虐げられたドイツを、
再び世界の一等国に返り咲かせた手腕は大したもの。
9名無し三等兵:2007/08/17(金) 22:53:30 ID:???
ドゥーチェも国内交通機関をまともに運行させたり
皆が仕事するようにしたりの手腕は人外並なんですよねー
10名無し三等兵:2007/08/17(金) 23:49:58 ID:???
そなんだよなー
戦争(ポーランド侵攻)してなかったら、ナチ体制が維持されてたわけで、
いまの世界が全く違うものとなってるよなー。
各国の植民地までそのままだったりするんだから。
11名無し三等兵:2007/08/18(土) 00:25:31 ID:???
うちの爺ちゃんは愛国熱血教員で多くの教え子を少年戦車兵や予科練に志願させて新聞で褒められたが
教え子は少なからずアボーンして親にひどくうらまれたらしい。
戦後はもちろん民主主義万歳のリベラル教師になり、戦争の愚かさ人権の大切さを説いて校長にまでなり、勲章を
貰って87で大往生した。世の中こんなもんですよね。
12uaa:2007/08/18(土) 01:10:56 ID:TgKIxz/x
>>5
親父の厨房時代の地図帳では、ドイツの国旗がハーケンクロイツ。
国土面積が一番広い国はイギリス。
拡張した日本の領土が手書きで書かれている。
13名無し三等兵:2007/08/18(土) 01:12:11 ID:???
>>11
仕事熱心でいい人だったんですね。
教え子の親御さんたちも逆恨みなどせず、もっと理解すべきだったでしょうに。
14名無し三等兵:2007/08/18(土) 01:27:30 ID:???
>>5
それは事実だけど、「ド」が着いてるからね。
15uaa:2007/08/18(土) 01:34:50 ID:TgKIxz/x
>>13
戦後、民主主義万歳のリベラル教師に豹変されたら許せないだろう。
関係ないけど、「体を鍛えるため」とか言って、小学高学年の女の子を裸で授業受けさせた愛国熱血教員がロリコン雑誌でネ申扱いされてたのを思い出した。
16 :2007/08/18(土) 01:38:58 ID:???
>>15
その設定でエロゲ作ったらソフ倫通らない(w
17名無し三等兵:2007/08/18(土) 01:57:44 ID:KcS4cw2O
二年前に亡くなったうちの爺さんはシベリアに抑留された。
しょうべんをすると、地面に落ちたところから凍っていき、しょうべんの杖ができたとか言ってたなぁ。
あと、収容所でドイツ人と話したらしい。
18名無し三等兵:2007/08/18(土) 02:10:11 ID:???
外人のじいさんの話も読んでみたいんだよね。
あんまり英語得意じゃないけど。
そもそも英語圏じゃない人も多いと思うけど。

ナチスと戦ったソ連のじいさんの話とか
面白いと思うけどなあ。
19名無し三等兵:2007/08/18(土) 02:11:13 ID:???
ドイツ語? 日本語? 英語? まさかロシア語?
20名無し三等兵:2007/08/18(土) 03:13:42 ID:crxBNIHv
俺の爺さんじゃないけど、昔、社会科を教えてた老教師は、
「わしゃ、戦闘機に乗る時は長短二本の軍刀を携えて乗り込んだ…」
と、言ってた。

そんなスペースあったのか?
21名無し三等兵:2007/08/18(土) 05:40:10 ID:???
俺の爺さんは武蔵に乗ってたらしい。
対空強化さえ確りしてたらと嘆いてた
22名無し三等兵:2007/08/18(土) 07:35:16 ID:???
>>21
漏れ厨房の時、初めて遊就館逝ったんだが武蔵の生き残りの爺さんとたまたま会って話聞いたけど同じようなこと言ってたなぁ。あの爺さん今ごろどうしてんだろ
23名無し三等兵:2007/08/18(土) 08:10:38 ID:S0OdNAt+
祖母の弟さんの話ですが
南方戦線において、栄養不良からか失明してしまい覚悟を
決めていたが、戦友がベルトを結びつけてジャングルを走り
回ってくれたおかげで生き残れたと言ってました。(涙
24名無し三等兵:2007/08/18(土) 08:27:37 ID:???
>>23
面倒見のいい戦友だの。
25前スレ738:2007/08/18(土) 09:19:07 ID:???
>>1

亀ながら乙

>>22

そうですか…今でもその方が生きておられると良いですね

>>23

ええ話じゃ…(泣)


今お盆だから祖父さん(前スレの瑞雲祖父さん)祖母さんの家に帰省してるんだが新たな情報が…
祖母さんのお兄さんも徴兵で朝鮮にいたらしい。
んでほぼ何もないまま終戦迎えたんだけどシベリヤに抑留されてたらしい。
でもゲソゲソに痩せこけながらも帰って来たらしい。
26uaa:2007/08/18(土) 13:32:36 ID:BxWgGTtZ
>>20
スペース無いけど持ち込んでた。
二本差しは見たこと無いが、いても不思議じゃない。
サバイバルナイフとしては使いづらいと思うんだが・・・・

当時の戦闘機の操縦席は俺なんかが見るとすごく狭いんだが、パイロット達はそうは思ってなかったようだ。
零戦から雷電へ機種変更したパイロットから、操縦室が広すぎるというクレームが出たそうだ。
27名無し三等兵:2007/08/18(土) 14:14:36 ID:???
         ,,-――-ヘ    敗 戦 記 念 ♪
       . /./~ ̄ ̄ヽ ミ http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d4/Macarthur_hirohito.jpg
        | |    . | |  マッカーサー将軍の下に呼び出され、戦犯ヒロヒト記念撮影
        | |━- -━| |  http://en.wikipedia.org/wiki/Hirohito
 General . |/=・=| =・=ヽ|
        (6|   |__i . |9)        / ̄ ̄~ ̄\
. MacArthur |   ._,  |         /./ ̄ ̄ ̄\ |
         \_____丿        |┏━  .━┓|
      ,--―|\   /|¬―、  .   |/‐(◎)-(◎)‐|.|
    /   .|/~\/\|    \  (6|    |_」  . |9)
   /    __ /・  __|   |   丶  ━━  /
 /   /| | ・ | |・  | ・  |   |    \ ' ̄~ /
<   .<  |  ̄ ̄ |・   ̄ ̄~| . )   /| ̄ ̄ ̄|\
. \  \ .|___|・____/  /  /\| ̄▼ ̄|/\
  .\  \|____回___|  /  /   |\▲/|   ヽ
   . \ /          \/  /.戦犯 |  ▼  | ヒロヒト |
      /            | . |      ̄~|~ ̄      |
      |      i      | . |  |    | o  . |   |
      |      |      |  |  |   . | o     |   |
      |      |      |  |  |  .  ∧    |   |
    .  |     ||    .  |  |___|   / ヽ .  |___|
    .  |     ||      |   | |   /  | .\   ||
       |    . | |     |.  .巛|u  /. / |  ヽ  u|》》
     . |    | |     |      |/  /  |   \|
       |   . |  |    |  .  . |    | . |    |
     .  |    | . |   . |      |   |  |    |
     .  |___|  |_.__|    .  |__| |___|
       (  )   (   )       (_丿  ヽ_)
        `ー"    `ー"
28名無し三等兵:2007/08/18(土) 17:00:30 ID:???
>>27
スレタイ読めない文盲君
29名無し三等兵:2007/08/18(土) 20:51:00 ID:???
ヤマザキ、天皇を撃て
30名無し三等兵:2007/08/18(土) 21:25:34 ID:???
「ゆきゆきて、神軍」だっけか。

虎ノ門事件なんてのも昔あったが。
31携帯からスマソ:2007/08/19(日) 00:17:13 ID:YJL8DhZh
名古屋人の母方祖父の話。対米開戦前。


当時名古屋港近くに住んでいた祖父は夜の帰り道、行軍する兵団を見た。兵達は港へ向けて粛々と行進していく。薄暗い通りを人目を避けるように。こんな夜更けに一体何だろな?と思い付いて行った。


兵団は港へ着いた。そこに待っていたのは数隻の艦。何と艦の全ての照明を落として港の暗闇と同化している。兵団は号令もなく静かにそのシルエットの中へと消えていった………


そのあまりに奇妙な光景をポカンと見ていると、見張り兵に追い返されてしまった。


それから数日後、新聞に踊ったのは上海?敵前上陸の記事だったそうだ。
32名無し三等兵:2007/08/19(日) 01:14:17 ID:???
うちの父方の祖父、地方語の訛りが酷くて何喋ってるのか分からないから
これは父から聞いた話になる。祖父は陸軍に所属していて中国戦線で戦ってた。
その内、内地に移動した後、広島に原子爆弾を落とされて、祖父の部隊も現地入りした。
遺体が山積みして火葬していたらしいんだが
(父親の話では地下室に集めてあった遺体を外に出して火葬したと
言ってたが、地下室にわざわざ集めるんだろうか?)
燃えている遺体の上半身が起き上がってまた横になったらしい。
燃やすと筋肉が云々で動く事があるらしいが、その時祖父はどう思ったんだろうか。
33名無し三等兵:2007/08/19(日) 01:22:25 ID:???
>>32
>燃えている遺体の上半身が起き上がってまた横になったらしい。
戦争体験のあるじーさんに言わせると人を焼くとスルメ焼いているのと同じように動くんだって
34名無し三等兵:2007/08/19(日) 01:26:47 ID:???
>>32
筋肉が熱収縮起こしてボクサーのファイティングポーズみたいになる。

昔の火葬は野焼きだったから、焼いてる途中で起き上がるのが普通に見れたそうだ。
35名無し三等兵:2007/08/19(日) 19:31:42 ID:ToorRewu
うちのジーちゃん南京に行ったみたいです。というか、兵士たちの「ああ南京」
」という卒アルみたいなのにも写真つきで乗っているので確かです。
いっぱい鉄砲玉が飛んできたそうです。そんだけしか覚えてない。以上
36名無し三等兵:2007/08/19(日) 20:26:49 ID:???
もう亡くなったが、母方のひいじいちゃんの話。
ひいじいちゃんは陸軍軍医の伍長さんで、パイロット。
満州事変にも参加したらしい。1943年くらいに帰って来たらしく、そのまま終戦。
空襲時は防空壕作ったり、治療したりして活躍してたらしい。
ちなみに写真見たが結構イケメンwww
そんなじいさんを持った私は、顔は似てませんが今年陸自に入隊します/(・ω・)
37名無し三等兵:2007/08/19(日) 20:51:34 ID:???
>陸軍軍医の伍長さんで、パイロット
如何いう意味か?
3836:2007/08/19(日) 21:24:55 ID:???
>>37
実はそれが私自身もよく分からない。
教えてくれたのが祖母なので・・・。多分、何かを勘違いしたんだと思うけど(真珠湾攻撃に参加したと言うし)恐らく
陸軍 軍医 で階級は伍長。
何せ当本人は結構前に亡くなってるので・・・スマソ。
39名無し三等兵:2007/08/19(日) 23:10:51 ID:???
>>38
航空隊配属の衛生兵でFA
40名無し三等兵:2007/08/19(日) 23:13:37 ID:???
うちのじい様は第11軍で通信兵やってたって
大陸打通作戦に参加したんだそうな
いやぁ、15軍だったら今オレいねぇかも知れねぇわ
「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々とんぼも鳥の内」なんて言われてるが意外と輸送兵を蔑視したなんてことはなかったそうだ
もっとも仲良くしとけばタバコをたくさんくれるとかが理由だったらしいけど
むしろ平時は「楽な兵科は一に衛生、二にラッパ、三にずぼらの通信兵」なんて言われてた蔑視されてたそうだ
41名無し三等兵:2007/08/19(日) 23:45:44 ID:AZVKwcNS
俺の爺ちゃんは赤紙来たけど山へ逃げて敗戦まで隠れてた。
人間、卑怯でも何でも生き残ったやつが勝ちよと大笑してた。
42名無し三等兵:2007/08/19(日) 23:53:09 ID:FkAl3Q9h
>>40
ウチも通信兵だよ。
福井か山口の山奥で、ヤマメ釣ったりしてたって言ってたな。

ひい爺ちゃんは、避難命令が出てみんな防空壕に逃げ込んでるのに、
アメリカなんざ怖くもなんともねえ、撃てるものなら撃ってみやがれって
強がって部屋で寝てたんだけど、
戦闘機の弾丸が部屋に飛び込んできて、
血相変えて防空壕に逃げ込んだものだから、
我が家の語り草になっておりますw
43名無し三等兵:2007/08/20(月) 00:30:30 ID:7gjYVVTw
今年83の母方のお祖父ちゃん。

当時は大学生だった。
お祖父ちゃんは生まれつき内反足(ちょっとした足の障害)
で理系学生だったから?生き残ったらしい。

自分の事、戦時中の事は、ほとんど語らないけど
「友達は学徒でどんどん死んでった。
○○(弟)もフィリピンに行って髪一本、爪一つも帰らん。
内反足で出来損ないだった自分だけが生き残ってしまった。」
「死に損いがこんな旨い物が喰えるんだから人生不思議なものだ…」
と、お酒を飲むと良く自嘲しながら言っている。

科学者になりたかったらしいけど、
戦後ちょっと頭がおかしくなったも時期があるらしく
結局なぜか教師になった。定年退職後は県会議員もやってた。

保守大国の田舎の中で、バリバリ左寄りのお祖父ちゃんで
ちょっと変わっているところもあるけど、
一度今までの価値観をひっくり返されたら
それもしょうがないのかな、と思ってる。

ちなみに ちょっと歩き方変だけど、
今でもチャキチャキ歩いて元気ですw
44名無し三等兵:2007/08/20(月) 10:32:08 ID:???
イイハナシダナー(TωT)
45名無し三等兵:2007/08/20(月) 10:59:59 ID:???
祖父は地元の土地を国(軍?)に取り上げられた事にキレたらしく、
近年亡くなった某有名人の父親と返還運動をやって投獄・・・。

祖母は既に他界していたらしく、東京から疎開して来た人が母親代わりに
なってくれて親父の面倒を見てくれていた。
ばーちゃん曰く『ガリガリな上、頭に虱とか一杯であんまり可哀想だった
から面倒を見てやった』っていってた。
この話を聞いた時、俺とばーちゃんは血縁関係がないって事に
ちょっとショックを受けたが、ガキの頃から可愛がってもらったし、
なにより俺がばーちゃん子だったのでその後もそんな事を気にしなかった。

んで、そのばーちゃんの旦那の話になるんだが、出征して戦死したらしい。
詳しくは分からないんだけど『軍人探偵』をやっていたと言っていた。
写真は何度か見せてもらった事があるけど、軍服を着ていたって
事ぐらいしか記憶に残っていない・・。
軍人探偵って一体・・・・?

46名無し三等兵:2007/08/20(月) 11:27:00 ID:???
密偵の事じゃないか?
47名無し三等兵:2007/08/20(月) 16:22:33 ID:???
>>45
軍事探偵の間違いじゃないか?
48名無し三等兵:2007/08/20(月) 17:54:38 ID:???
>>45
その有名人て植木等?
49名無し三等兵:2007/08/20(月) 18:51:20 ID:???
ガチョ〜〜ン
50名無し三等兵:2007/08/20(月) 23:40:00 ID:???
みんな立派な爺さん持ってるんだな。
おれんとこなんて爺さんの親父が跡取りだからってことで
裏で手回して農業要員にしてもらったらしいからな。
最低の卑怯者、非国民だよ。
今度戦争があったら俺はお国のためにこの命を捧げ、子や孫が胸を張って自慢
できる軍神になる。
51名無し三等兵:2007/08/20(月) 23:51:08 ID:???
今日実家で初めて軍刀と御先祖様の造った日本刀と銃剣を持った
日本刀は江戸後期の作らしいけれどもかなり綺麗な状態だった
軍刀は柄の部分に桜模様が描かれてた
銃剣は意外と重たかったよ

>>50
良き心掛け也
52名無し三等兵:2007/08/21(火) 00:46:22 ID:???
>>50
自衛隊入れよ
53名無し三等兵:2007/08/21(火) 01:41:22 ID:???
俺の爺さんはイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズに魚雷をかましたらしい。
イギリスの戦艦は対した事が無いと思ったそうで。
因みに爺さんは戦争末期に特攻隊に志願するも海軍が本土防衛に爺さんが使われた。
その後B29一機と鰯二機を落としたそうだ。
そして終戦後は敗戦するなら特攻したかったと思ったそうで。
54名無し三等兵:2007/08/21(火) 01:52:44 ID:???
俺の爺さんは敗戦直後に部下にリンチされて殺されたらしい。
死体は全裸にされて、そのまま満州の荒野に捨てられたそうだ。
55名無し三等兵:2007/08/21(火) 03:31:08 ID:???
俺の爺さんは凄腕の狙撃兵で南方のジャングルでアメリカ兵を何十人も仕留めた。
最後はアメリカの狙撃兵と相打ちになったらしい。
5645:2007/08/21(火) 08:41:02 ID:???
>>46,47
ばーちゃんも他界しているので、今では確かめる術もないです。
写真も軍服で記念撮影した1枚しかなかったみたいで、
凄く大切にしていました。
もっとも、軍事探偵(スパイ、特殊工作員という認識でOK?)とかなら
身内にも活動内容は言えないと思いますし。

>>50
BINGO
5748:2007/08/21(火) 08:42:19 ID:???
アンカー間違えた・・・orz
50ではなく48ですね
58名無し三等兵:2007/08/21(火) 09:03:26 ID:???
>>55
戦場漫画シリーズ乙
59名無し三等兵:2007/08/21(火) 19:00:52 ID:Ga5ywilu
>>54
一番避けたい死に方のひとつだねw
60名無し三等兵:2007/08/21(火) 19:20:49 ID:BCUaIld2
俺の爺さんは、病弱だったため徴兵に引っかからなったらしい。
しかし、住んでる場所が海軍の特攻基地がある某市だったため、連日空襲に遭ったらしい。「家が基地に近く怖かった。」そうだ。
そんな爺さんも6月に他界。亡くなる三日前に見舞いに行ったら突然、同期の桜を唄いだし歌い終わったあと「天皇陛下万歳!日本国万歳!」と小柄な体しかも末期癌とは思えない声量で叫んだ。
その夜から昏睡状態になり、そのまま永眠。俺は、誇れる爺さんを失ったんだな。と思った。
61名無し三等兵:2007/08/21(火) 19:48:41 ID:???
前にも軽く書いたことがあるんだが、青年時代は富樫中隊の一員として満州で苦労してたらしい
帰ってきてから海軍のパイロットに志願したら年齢上限に引っかかってはねられた
しかし陸上基地で勤務してればツテがあるかも知れないとの噂を聞いて、筑波で射爆員として零戦の調整をやっていたと
結局一度も空を飛ぶことなく敗戦、3日もせずに実家に帰れたそうだ
ずっと陸上勤務だったから、長門、大和等に思い入れは特にないと語っていた
62名無し三等兵:2007/08/22(水) 02:41:35 ID:???
>>60

すごい祖父さまだな…ご冥福をお祈りします。

うちの祖父さんは航空自衛隊に入ってた。んで御巣鷹山の事故の時に緊急出動した事をよく話す(今でも)。
後は旧海軍343空の隊長だった源田中佐とも握手したらしい。その為やたらと源田さんを褒めてる…orz
ちなみに二佐で退官した。
63名無し三等兵:2007/08/22(水) 02:47:12 ID:???
舞鶴にいたって事しか聞いてない

あああ、じいちゃん長生きしてればなぁ・・・
64名無し三等兵:2007/08/22(水) 04:39:59 ID:???
俺のとーちゃんは、なんだか知らんが満州で馬賊になるつもりで密航を企てて貨物船に潜んでいた所を捕まった。
リアル「はいからさんが通る」を夢見てた。
当時は憧れの職業だったのだろうか?
65名無し三等兵:2007/08/22(水) 08:13:09 ID:???
家の爺さんは俺が厨房の頃まで、将来の職業とかについて考えていると
「お前大陸に渡って馬賊になれ。一回列車襲えば凄い儲かるぞ」みたいな事よく言われた。
当時は馬賊なんて言われてもよく分からなかったが、爺さん達の時代では憧れの職業だったのかも。
でも平成入ってから馬賊は無理だよ爺さんorz
66名無し三等兵:2007/08/22(水) 08:51:01 ID:???
新天地で一旗あげてくるんだ、ぐらいに思えばいいのではw
お爺さん達の時代にはそういう感覚だったはずだ
67名無し三等兵:2007/08/22(水) 11:27:35 ID:???
なら北へ行くしかないな
68名無し三等兵:2007/08/22(水) 12:01:51 ID:???
>65
群馬県へ行くんだ
69名無し三等兵:2007/08/22(水) 12:54:54 ID:???
俺の爺さんは呉で長門や大和や伊吹を造ってたらしい。
修理や対空強化もしてたらしい。
だから青葉とか武蔵も乗って触って修理したりしたらしい。
70名無し三等兵:2007/08/22(水) 13:07:48 ID:TqlM4dXT
俺のじいさんは片手失くして帰ってきた、
あの時のショックが、いまだに忘れられない
71名無し三等兵:2007/08/22(水) 13:26:04 ID:Nwd7eQ++
俺の爺さんは少年戦車兵でフィリピンでアメリカのシャーマン戦車と刺し違えて死んだ。
享年、15歳、あまりに短い人生だった。
72名無し三等兵:2007/08/22(水) 13:33:10 ID:???
>>71
戦場漫画誌リーズ乙
73名無し三等兵:2007/08/22(水) 13:35:57 ID:???
>71
幾つの時の子供だ、おまいの親父は
74名無し三等兵:2007/08/22(水) 13:39:18 ID:/n/mrJ9E
南国にいって好き勝手生きてたよ〜。てか遊んでたなぁ

と言われた。
でも風呂上がりのおじいさんの背中には小さい白い斑点があったり、首もとにはみみずばれがあった。

私が10歳の頃で、複雑な気持になった。ちなみに父はミリオタ。
75名無し三等兵:2007/08/22(水) 13:42:38 ID:???
>>53
悪いが、それ嘘だろ。
POWを攻撃したのは陸攻。
それなのに、末期は戦闘機乗りになって
B-29撃墜?は?
陸攻乗りが戦闘機パイにねぇ、へぇ。
76名無し三等兵:2007/08/22(水) 13:59:03 ID:aWiUvX+F
昭和20年8月9日に小倉にいた
77名無し三等兵:2007/08/22(水) 14:36:38 ID:???
>>75
そもそも、ここはネタスr
78名無し三等兵:2007/08/22(水) 14:49:07 ID:???
俺の祖父は18才の若さで童貞のまま特攻し、空母を撃沈した。
79名無し三等兵:2007/08/22(水) 15:01:29 ID:???
>>75
普通に考えて
一式陸攻or九六陸攻で戦艦プリンス・オブ・ウェールズに魚雷をかます。

銀河でB29撃墜だろ。

間違ってないと思うが。
80名無し三等兵:2007/08/22(水) 15:48:43 ID:???
>>78
おいw
81名無し三等兵:2007/08/22(水) 16:16:02 ID:???
タイムパラドックスだ!
82名無し三等兵:2007/08/22(水) 16:50:21 ID:???
>>78
戦場漫画シリーズ乙
(多分桜花のやつ)
83名無し三等兵:2007/08/23(木) 01:45:59 ID:???
爺さんは海兵にあこがれて二度受けたが落ちて松山高校の理科に逝った。
海兵って何気に難関だったんだね。

84名無し三等兵:2007/08/23(木) 16:58:10 ID:???
うちのバーさん、子供のころ赤毛でいじめられてたが
ある日、ヒトラーユーゲントが町に来てからは
うらやましがられたそうだ。
85名無し三等兵:2007/08/23(木) 22:32:06 ID:???
>>84
おばあさんは、日本人なの?
86名無し三等兵:2007/08/24(金) 00:24:06 ID:???
爺ちゃんに戦争中のこと聞いたが「もう思い出したくもない。戦争終わってほっとした。だれも敗戦を悲しんでなど
なかった」と言ってた。普通の庶民はこんなもんだったんかもね。
87名無し三等兵:2007/08/24(金) 08:58:40 ID:???
>85
1/4ドイツ人だそうですが、ホントかは不明。 
どっから見ても日本人・・・でも若いころの写真は、なるほど美人かも・・・
ホントなら、漏れは1/16ドイツ人か?? どっから見ても日本人だけど・・・
バーさんいわく、いとこの一人は戦車に乗っていてフランスで戦死したらしい。
88名無し三等兵:2007/08/24(金) 09:08:49 ID:???
追記スマソ
バーさんいわく、終戦時ドイツ系なので1番最初に
米兵に見せしめで殺されるから、自害を覚悟したそうだ。
近所の人たちは山の中へ逃げる準備をしてたと。
この話を聞いた時は、バーさんを誇りにおもたよ。
89名無し三等兵:2007/08/24(金) 16:16:36 ID:???
爺さん
南方で終戦、
狙撃兵ではないが射撃の腕を見込まれ潜伏
「18ヶ月で二人しか潰せなかった・・・」と悔やんでました。
両足に反撃の銃弾を浴び一晩越した時に友軍に拾われて帰還。
90名無し三等兵:2007/08/24(金) 16:36:26 ID:0NIyDk4E
俺の爺さんが大陸にいた時、慰問に来たのが李香蘭
楽屋の警備などの任務をしたんだが、使いかけの口紅や飲みかけのサイダー瓶、鼻紙、綿棒、歯ブラシなどをget
しかし、同僚に見せたら、口紅を食う奴、瓶を舐める奴、鼻紙や綿棒を食う奴、歯ブラシを舐める奴、などがいたそうです。
しかし、汗を拭いたタオルはまだあります。我が家の家宝です。
91名無し三等兵:2007/08/24(金) 16:43:16 ID:???
>>50
農業要員で徴兵猶予なんて聞いたことがない
それに 地方でコネで徴兵逃れなんて周囲の目があるからほぼ不可能

事情があるんだよキット よく調べてみ
92名無し三等兵:2007/08/24(金) 17:26:44 ID:???
>>90
きのうのイジリー思い出した。うぇぇっうぇぇ
93名無し三等兵:2007/08/24(金) 17:41:40 ID:???
じいちゃん華北省で戦病死
女手一人で(一時期再婚したが)父ちゃん育てたバーチャンえらす
94名無し三等兵:2007/08/24(金) 21:17:41 ID:???
>>90
李香蘭本人がこのスレ見てたらどうすんだ。
95名無し三等兵:2007/08/24(金) 22:11:11 ID:???
>>88
本当すごいおばあさんだね。敬服します。
96名無し三等兵:2007/08/24(金) 23:10:17 ID:VMS79BlJ


まだ夏休みなんだよな
97名無し三等兵:2007/08/24(金) 23:14:47 ID:???
>>90

…確か口紅って食ったらガンになるぞ
98名無し三等兵:2007/08/25(土) 01:35:44 ID:???
>>96
普通は、31日まで夏休みだろ。なに言ってるんだ?
99名無し三等兵:2007/08/25(土) 02:00:36 ID:???
>>98
今年は2日まで休みな罠
100名無し三等兵:2007/08/25(土) 03:25:38 ID:???
夏休み?何それ美味しいの?



クソガキドモメ…otz
101uaa:2007/08/25(土) 04:47:54 ID:ifT1t6D5
>>89
うちの祖父さんは方面軍の将校拳銃射撃大会で優勝したことがあると自慢してた。
使用してたのは自腹で買った14年式。

「殆どの人が94年式なんだから、14年式使えば勝てるだろ〜」
なんてゆーつっこみは入れなかったけど・・・・
102名無し三等兵:2007/08/25(土) 06:17:58 ID:oI5ChJF4
父方の祖父は騎馬兵でシベリア帰り、
母方の祖父は水兵で信濃に乗る予定だった。
103名無し三等兵:2007/08/25(土) 09:13:05 ID:pVYWLuwX
3年前死んだ曾爺ちゃん。
昭和17年の春まで、霧島という艦に乗っていたらしい。
曾爺ちゃん曰く、昭和6年に志願して海軍に入隊し
訓練後は、停泊地の連絡艇から2度ほど艦を代わり
最終的に霧島に乗ったそうだ。
昭和17年からは、ずっと呉にある ”艦船主計養成所”(何処で聞いても調べても
そんなものは無いので嘘かも)
で、奉職をしたと言ってるが、実際何するとこだったのか聞いたら
「艦に積む、食料やその他の物資を1貫目でも多く嘘800書いて積み込んで
航海の間中、乗組員に少しでも良い物喰わせるのが仕事」
とか言ってた。
104名無し三等兵:2007/08/25(土) 09:51:14 ID:???
>>90 李香蘭
当時、まだ綿棒なる商品は存在しなかったはず。

ストローとかにすればよかったのに…
105名無し三等兵:2007/08/25(土) 10:10:25 ID:???
>103

軍需部の需品担当
106名無し三等兵:2007/08/25(土) 10:21:57 ID:???
>>「艦に積む、食料やその他の物資を1貫目でも多く嘘800書いて積み込んで
航海の間中、乗組員に少しでも良い物喰わせるのが仕事」

古今を問わず、物資を1貫目でも多く自分の懐に入れようとする輩が多い中、
あんたの曾爺ちゃんは良い人だ。
107名無し三等兵:2007/08/25(土) 17:19:18 ID:8wLNc5FG
戦後、料亭で仲居をやってた婆ちゃんが客の進駐軍の将校に手篭めにされようとしたとき、助けてくれたのは爺ちゃんだった。
ガバメントを突きつける将校を見事一本背負いで失神させた爺ちゃんの漢ぶりに婆ちゃんは一目ぼれした。その爺ちゃんはアメ公に
舐められない日本を作るために政治家になったが、アメ公の手先に仕組まれて失脚してしまった。
108名無し三等兵:2007/08/25(土) 17:30:01 ID:+YzIDWsR
>>107
田中角栄??
109名無し三等兵:2007/08/25(土) 19:23:54 ID:d89G+I/d
家のじいちゃんは昔満州にいたらしい。
ある日、崖の下に敵兵士の死体が何体かあって、その内の一人が死んだフリをしているのに気づいたそうだ
んで、崖の上から撃ち殺したらそいつの体が1mくらい浮いてビックリしたっていってた。

後、ある時森の茂みに伏せていたら大砲が飛んできて前に居た友達の顔面に直撃したんだって、
んで友達みたら顔面に穴がポッカリあいてて向こうの景色が見えていたらしい。

てか、大砲顔面に受けたら穴あくどころか頭ふっとぶんじゃないの?
110名無し三等兵:2007/08/25(土) 20:06:43 ID:???
過去スレのDATをお持ちの方がいらしたら頂けないでしょうか。
個人で楽しむ範囲で使用しますので宜しくお願いします。
111名無し三等兵:2007/08/25(土) 20:24:16 ID:???
>>103

前スレでも書いたけどうちの曾祖母の弟さんも霧島に乗ってたんよ。
もしかしたらお世話になってたかもしれない…一応礼をいっておきます、ありがとうm(_ _)m
112名無し三等兵:2007/08/25(土) 22:24:54 ID:isbZD1X/
俺の婆ちゃんは駆逐艦で水雷長をやってたらしい
113名無し三等兵:2007/08/25(土) 22:29:30 ID:AZxEa1KE
死ぬ前に「戦友」をアコーディオン演奏でもう一度聞きたい
114名無し三等兵:2007/08/25(土) 22:55:49 ID:4cF4y1ak
うちん婆ちゃんは戦争で爺チャんを父が生まれる3年前に亡くしたが
とても気丈な婆ちゃんでその後子供を7人産んでひとりで育てた
立派だとおもうよ
115名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:04:08 ID:???
>>114
?、爺チャん?、誰だ?
116名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:07:00 ID:???
解った!、冷凍保存した爺チャんの精子だ!
117名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:08:48 ID:???
>>115

えっ…突っ込む所そこ!?
118名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:09:28 ID:???
>俺の婆ちゃんは駆逐艦で水雷長をやってたらしい
そんな事例があったのか?
信じられないが?本当か?
119名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:11:36 ID:???
>>115
生物学的には、死んでから3年後に子供は生まれない。
120名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:11:55 ID:???
満州戦争にいたよ
写真を見たけどとても戦う格好じゃなかった¥
よれよれの普段の着物に旗を持って行った
農民の百姓一揆みたいな格好
曾お爺さんだけど
あれじゃ丸腰っていうの?よく無事で帰ってこれた
121名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:15:46 ID:7Em7nmcv
母方のほうはインパール作戦に参加して生還したしか聞かず、漏れの中学の入学式の前夜に長旅に出て、父方のほうはジョホールバールで会計やってたしか聞かなかったなぁ…

そんな父方の爺さんの通夜は明日。(´・ω・`)
122名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:19:35 ID:???
うちのお婆ちゃんの家の座敷にね、水平さんの服を着たすごく幼い顔の人の
写真が額縁に飾ってある。誰かは未だに聞いてないけど、なんか悲しくて。
でも戦艦大和の話は禁句になってる。絶対話してはいけないと。
だから誰なのかいまだに知らない。
123名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:19:44 ID:???
Sorry
>>117
生物学的には、死んでから3年後に子供は生まれない。
124名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:21:57 ID:???
>>121

そうでしたか、また歴史の語り部が一人減ってしまいましたね…ご冥福をお祈りします。
125名無し三等兵:2007/08/25(土) 23:34:52 ID:???
俺の爺さんの兄弟で顔が全く違う弟がいる
ほかの5人はにてる
126uaa:2007/08/26(日) 02:03:35 ID:En+nYMxC
>>123
カンガルーの♀はどのくらいの期間、体内に保存できるんだっけ?
セクスからかなり経ってから妊娠出来るって聞いたことあるんだけど。
127名無し三等兵:2007/08/26(日) 02:31:20 ID:???
うちの爺さんは最上に乗ってて、沈没の際時雨に乗り移り、比島沖の敗戦を隠すために父島要塞で終戦を迎えさせられますた。
128名無し三等兵:2007/08/26(日) 07:48:33 ID:TYTKVsVI
祖父から、新潟市の河口にて兵隊さんをお見送りの最中に機雷に接触、何人もの人が亡くなる惨事に居合わせた、という話を聞いたことがあります。 
どなたかこのお話に詳しい方はいらっしゃいませんでしょうか。
129名無し三等兵:2007/08/26(日) 16:51:35 ID:???
俺の爺ちゃんはインテリ上等兵でうまがあったやくざあがりの二等兵と組んで大陸で暴れまわったらしい。
130名無し三等兵:2007/08/26(日) 17:00:37 ID:???
>>129
しかも無類の女好きときた
131名無し三等兵:2007/08/26(日) 17:24:31 ID:???
うちの爺ちゃんは中国方面に行ったそうな。
あまり詳しく話したがらないけど、母親の話では結構えげつない戦場を見てきたのではないかとのこと
肩に傷跡のある爺ちゃん、今は傷跡も分からないくらい痩せ細って、病院のベッドで寝てる
132名無し三等兵:2007/08/26(日) 17:37:36 ID:???
>>129
兵隊ヤクザ乙
133名無し三等兵:2007/08/26(日) 18:09:24 ID:???
>>128
『新潟市の資料によれば、新潟港には45年5月以降、合計12回、約800個弱の機雷が米軍機から投下され、
 わかっているだけで計43隻の船が触雷、その多くが大破・沈没しています。』
沢山あるみたいだから日付とか判らないと特定できないかもよ。
134uaa:2007/08/26(日) 19:29:06 ID:En+nYMxC
10年位前、会社で雑談中「精神注入棒」と言ったら、当時の上司がブルブル震えだした。

上司の父親は陸軍ポツダム少佐で、復員する時、部隊で使っていた精神注入棒を持ち帰ってきたそうだ。
そして、敗戦で心が荒れていたせいもあり、子供達をその棒でめちゃくちゃ殴ったそうだ。

その人は60近かったのにトラウマが強烈に残ってた。
135名無し三等兵:2007/08/26(日) 19:33:35 ID:???
>>134
「精神注入棒」

陸軍にねえ プゲラ
136名無し三等兵:2007/08/26(日) 19:39:53 ID:???
愛国精神肉棒
137uaa:2007/08/26(日) 19:40:33 ID:En+nYMxC
>>135
俺もそう思ってたが、使ってるところもあったらしい。
138名無し三等兵:2007/08/26(日) 20:08:04 ID:???
大学の教授が言うていたが熊本の工兵隊はスコップで殴るそうな。
139名無し三等兵:2007/08/26(日) 20:30:57 ID:???
俺の爺さんは、死骨崎の監視所に動員されていて、アメリカの艦隊が
釜石沖でグルグル回っていたって言ってたな。
やはりグラマンがやってきたそうな
140名無し三等兵:2007/08/26(日) 21:04:37 ID:umRqaUkM
ばーちゃんが 新潟の空襲でみんな信濃川に逃げたから、川中死体だらけだったらしい。
ちなみにじーちゃんはシベリアで抑留してたらしい。銀杯はうちの家宝です。
141名無し三等兵:2007/08/26(日) 21:06:46 ID:???
うちのはフランス領インドシナさ
サイゴン、プノンペン、ハノイに行ったんだってさ
142ドン・ウーゴ ◆eaYqa3SeLE :2007/08/26(日) 21:53:24 ID:???
父方の祖父は本籍は石川で、1943年か1944年に奉公先の京都で陸軍に徴兵され、
1945年頃まで佐世保に警備兵として勤務し、
その後東京空襲の直前に東京の赤坂らへんに勤務となり、空襲に被災するもなんとか生存。
酷い空襲の中でも赤坂のアメリカ大使館は決して燃えなかったのと、
焼夷弾はバケツで水かけても火が消えなかったのが印象に残ってたそうです
そのまま東京で終戦し、どこぞの山の村落まで歩いて行軍して
鉄兜やらなんやらを遺棄して解散したそうです。
陸軍だけど潜水艦乗ったっていってました。
143名無し三等兵:2007/08/26(日) 22:04:04 ID:???
>>142

陸軍の潜水艦…マルユかな?
144名無し三等兵:2007/08/26(日) 22:04:59 ID:???
>>142
1945年、既に日本に制海権はなく、輸送に従事する小型船舶は輸送特攻隊とさえ言われていた。
1945年2月、北九州若松から大連に向けて航行中の小型船が、深夜、郡山沖で前方海域に浮上航行していた潜水艦を発見した。
どうせ逃げても逃げ切れない。
そこで、船長は機関長と相談し、「体当たり攻撃」をすることにした。
気の早い奴は、敵潜水艦乗組員と殴り合うため、スパナやハンマーを準備した。
潜水艦に「ガツン」と体当たりしたものの、5,6ノットの低速では、
「向こうが凹んだだけ」だった。

しかし、その潜水艦から艦長らしき人物が出て来て、「コラぁ!、なんばしょっとかぁ!!」と怒鳴られた。
その潜水艦は陸軍のマルゆ艇だったのだ。
145名無し三等兵:2007/08/26(日) 23:32:11 ID:???
血縁でも日本人でもないが、知人が直接聞いてきたベトナム人のおじいさん。
ディエンビエンフーの戦いに少年兵で参加したそうだ。

当時15歳ぐらいで、伝令だった。その地方の少数民族の服に着替えて行くんだと。
伝令は皆少年が選ばれていて、当時は理由が解らなかった。

経験をつみ、成長して、「伝令は大人は怖くて出来ないから怖いもの知らずの少年を選んだんだ」と気付いたそうだ。
146名無し三等兵:2007/08/27(月) 10:38:48 ID:0FfDGvva
うちの爺さんは11年間シベリアに抑留されてたそうな...
帰国した時の様子を父ちゃんから聞いた事があるけど
陸士の先輩、後輩、同期の人達が大勢集まり
皆、必死に大声で爺さんの名を呼びかけて
なかなか感動的な光景だったそうな。

シベリアに抑留された将校と言えば、瀬島氏が有名だけど
うちの爺さんとの接点は不明...
もう一人、草地氏という方が居られますが(故人だったかな)、
草地さんは、(爺さんが亡くなった後だけど)うちに本を送って下さったのを
私も憶えております。
爺さんは私が産まれる前に亡くなっているので、それが残念でなりません。
147名無し三等兵:2007/08/27(月) 12:39:56 ID:???
うちの爺さんは零戦のパイロットで撃墜された山本長官機を護衛していた。
それからは海軍流のけじめとやらで死地に送られ遂には撃墜された。
パラシュートで辛くも脱出したが大火傷を負い、パイロットとしての生命は
立たれてしまった。
148名無し三等兵:2007/08/27(月) 13:16:12 ID:???
>>147
で何処が立ったの?
149名無し三等兵:2007/08/27(月) 13:37:57 ID:???
>147
誰が生き残ったか分かってるわけだが・・・

つかkwsk!
150名無し三等兵:2007/08/27(月) 14:43:21 ID:???

ネタって事で
一つよしなに
151名無し三等兵:2007/08/27(月) 15:19:25 ID:???
じーちゃんは軽度の近視だったが重度だと偽って内地勤務
152uaa:2007/08/27(月) 15:25:54 ID:jdwJlZGv
>>151
山下清は視力検査で「読めません」と答えて徴兵を免れた。
153名無し三等兵:2007/08/27(月) 16:28:26 ID:NGBIWIle
じいちゃんの父ちゃんは、シベリア出兵したが長男ということで
早々に帰還させられた。 勲八等を受けた。
帰国後は女郎屋を経営、萩だったから戦艦長門の水兵さんには特別に
女学生を用意したって聞かされた。
つまり、オイラは女郎屋の孫ざんすw
154名無し三等兵:2007/08/27(月) 16:51:44 ID:???
>>152
ドランクドラゴンの塚地で裸の大将が復活するようです。
155天草四郎 ◆mWxYIpwpGs :2007/08/27(月) 17:15:50 ID:dP9KEuLn
>>91遅レスでスマン!

うちの実家でも生産者なら徴兵回避出来たと聞きました。うちの爺様は熊本で
大規模に炭焼きやってました。特殊技能なので俺の親父の弟(叔父さん)は
年齢10代後半だったが炭焼きを続けられたと言ってました。彼は「生産者」なら
兵隊に行かなくても良かったと今でも言ってます。
156名無し三等兵:2007/08/27(月) 17:35:24 ID:???
じーちゃんは長男だったので徴兵されんかった
でもじーちゃんの弟二人のうち一人はシベリア抑留
もう一人は軍艦に乗って未だに帰ってこない
157名無し三等兵:2007/08/27(月) 19:35:50 ID:u6y6ohii
おやじの父親(1918年生まれ)は、どもりが激しい理由で召集を免れたと聞いた。

おかんの父親は中国戦線へ出撃。1944年に除隊。理由は不明。
父親の兄弟は次男が1944年10月フィリピン東海上で戦死。(海軍だったのでレイテ沖海戦?)
三男がインパール作戦で戦死。四男もインパールに出撃したけど、英軍の捕虜になり帰還。
158名無し三等兵:2007/08/27(月) 20:39:53 ID:???
>>144
どちらかというと、ほのぼのスレ向きの話だなw
159名無し三等兵:2007/08/27(月) 21:13:13 ID:???
徴兵検査で不合格になるのは
結核、肋膜炎
性病
低身長
きつい刺青
不具
160名無し三等兵:2007/08/28(火) 00:38:59 ID:Tr0Fanvp
何年か前、NHKで放送した「映像の20世紀」だかっていう番組の、
神風特攻隊が出撃する前に、別れの盃を交わすシーンに、俺のひい爺ちゃんが映ってる。

ビデオに撮った爺ちゃんは、毎回それを見て泣いてる。
161名無し三等兵:2007/08/28(火) 10:10:19 ID:???
祖父の弟は酔っ払うと「大陸でクーニャンをコマして……」とか「同期はみんな
死んだけど俺だけ生き残った」みたいな話を始めて親戚の眉をひそめさせていた。
普段からホラ吹きで有名だったので戦争話もどこまで本当かはわからないけど、
結構悲惨な目にも遭った筈なのに戦争の話をしてるときはいつもやけに楽しそう
だった。
162名無し三等兵:2007/08/28(火) 13:21:34 ID:qLoKjR1L
俺の祖父は俺が2歳の時に98歳で亡くなったので
戦争体験を聞けば良かったと悔やまれる
そして97歳の祖母もあとを追うようになくなった

ん?何か不自然か?
163名無し三等兵:2007/08/28(火) 14:45:23 ID:???
>>162
ネタにもなんない事書くなYO    大W
164名無し三等兵:2007/08/28(火) 14:55:36 ID:???
>>138
おらは熊本だがそんなことあるべ。
普通死ぬだろう。
敵兵に対してスコップを使うべ。
165名無し三等兵:2007/08/28(火) 15:08:46 ID:???
>>159
うちのじいちゃんは、戦時中二十代半ばだったが、
腎臓疾患のため徴兵検査不合格、勤労動員で工場へ行った。
166名無し三等兵:2007/08/28(火) 15:22:18 ID:3VSHZItC
うちのじいちゃんは満州いってソ連につかまって親指一本腐って収容所から脱出してきたという
167名無し三等兵:2007/08/28(火) 15:48:08 ID:57JusUpz
俺のじいちゃんはチョップでM4シャーマンを撃破したそうだ。
168名無し三等兵:2007/08/28(火) 16:12:37 ID:FoU1wP9p
俺のおじいちゃんは士官の従者(身の回りの世話をする人)をやっていた。場所は満州で。
終戦間際になると日本行きの列車に偉い軍人さんばかり乗っていたそうだ。
しかも家族連れで。家族まで連れていくのはおかしいぞと思ったそうだ。
これは大変と仕えていた人に頼み込んで自分も偉い人と一緒に列車に乗せてもらったそうだ。
鼻が効くおじいちゃんは戦後マネーゲームで大儲け。
169名無し三等兵:2007/08/28(火) 23:35:42 ID:???
>>167
キングコングかよ・・・
潜水艦に乗っていた方はいるかな?
170名無し三等兵:2007/08/28(火) 23:40:31 ID:1N/G2oPb
俺の爺ちゃんはラッパ手で銃撃されて死んでもラッパを放さなかったらしい。
171uaa:2007/08/29(水) 01:40:47 ID:QuPs+rqK
>>170
つ死後硬直

珍しくなかったらしいね。
172名無し三等兵:2007/08/29(水) 02:00:54 ID:???
>>171

ちょっwwおまwww
ラッパ手がラッパを、旗手が連隊旗を放さなかったと言ったら
そこは立派な死に様だったと褒めるところだろw
173名無し三等兵:2007/08/29(水) 10:43:40 ID:???
ひでぇ言い草だなw

>>170
謹んでご冥福をお祈りします。

それはともかく、終戦直後だか直前だが記憶があやふやだが、
じいさんは疎開してた秩父から
児玉基地方面で空戦みたいのを見た、と言っていた。
当時の爺さんは何分にも幼少だったもので、
ここの日時の記憶が定かではないという。

児玉基地はたしか陸軍の特攻機地でもあったはずで、
首都邀撃任務も担当していたはず。
厚木の連中が児玉に脱出したのは8/21だから、この件とは無関係だと思う。
174名無し三等兵:2007/08/29(水) 11:02:43 ID:???
昔の話だがもう亡くなってるから言うが昔、釧路市駅前にM模型店が有った。
そこの親父が終戦時、満州から97式戦闘機の空きスペースに妻子を乗せて北海道まで逃げて来たと
言ってた。当時、俺は子供だったのでフーンと聞いていたが本当だったのかな?
175名無し三等兵:2007/08/29(水) 12:07:44 ID:???
模型繋がりだが
ガキの頃通っていた模型店のじいさん
南洋に出兵していて乗ってた艦が撃沈
浮遊して救助を待っていたがその間フカの背鰭がいっぱい見えて怖かったそうだ

数年後、ニュースに幼児猥褻で捕まったのを見て吹いた
ショタコンだったらしい
176uaa:2007/08/29(水) 14:44:44 ID:MEiSTRuy
>>172 >>173
>>170 の元ネタ知らんのか?
戦後、死後硬直説が浮上。

>>175
同性愛は軍隊で覚えたのかな?
177名無し三等兵:2007/08/29(水) 14:47:42 ID:???
>>170
木口小平ですな。
178名無し三等兵:2007/08/29(水) 14:58:30 ID:???
>>176
事件以来怖くて店にいってないからわからんぜよ

ただ、数年前に店の前通ったら店舗面積が増えてたw
179名無し三等兵:2007/08/29(水) 15:31:24 ID:???
三年前に亡くなった母方の曽祖父のはどこに出征したかは知らないが体に被弾して
銃弾の破片が体に残っていたそうだ。また、歳だったからか「憲兵が来る。憲兵が来るぞ。」
とうわ言の様に繰り返していたそうだ。当時は憲兵は将兵から忌み嫌われていた存在らしいが本当だったんだな。

友人の爺さん(御存命)は南方に出征していて機関銃手はだった。それで、何故か敵兵に囲まれ戦友と二人で敵を相当数倒したらしい。
あと、頭部に瀕死の重症を負った兵士がいて一日中痙攣を繰り返していたらしい。マンゴーだったか、ドリアンはうまかったそうな。
友人の所は田舎で20数人〜40人徴兵されたんだが帰還できたのはその爺さんを含め3人だけだったそうな。
腕っ節が強く相撲の大会で優勝した経験もある強い男の人だったから帰ってこれたのかと納得した。
180名無し三等兵:2007/08/29(水) 17:22:10 ID:???
>>174
97式戦闘機の航続距離は、約800kmしかない。満州から北海道までは、一気には
飛べない。
嘘くさいね?
181名無し三等兵:2007/08/29(水) 19:12:21 ID:???
九七式重爆ってことはないか・・・
182名無し三等兵:2007/08/29(水) 19:51:28 ID:???
終戦で軍人に対する民間人の態度が豹変したのがショックだったと言ってたな。

183名無し三等兵:2007/08/29(水) 22:29:27 ID:???
>177
最近の若いもんはマジで木口小平を知らないそうだ。

184名無し三等兵:2007/08/29(水) 22:38:46 ID:1EW27xd+
木口小平でググってみた。
寝ながらウチワ扇いでいた人みたいなもんか。

と書いていて思ったが、昔の人は
こんな暑い中戦争やってたのか。
大変だったんだなー。
185名無し三等兵:2007/08/29(水) 22:50:23 ID:???
満蒙開拓団団員だった祖父は現地招集されて、
長春(だったかな?)の三角山で陣地構築に明け暮れた。

そんな最中、毎日の古兵殿のビンタに
堪忍袋の緒が切れて現地召集の人数名と供に
「毎日毎日こんなにビンタされたんでは、あんたと一緒には死ねません!」
と抗議したそうな。

あくる日からビンタが無くなったそうだ。
186名無し三等兵:2007/08/29(水) 22:50:58 ID:???
>>184
>寝ながらウチワ扇いでいた人
んんん?
国語の教科書で、必ず落書きの標的になる横顔の写真の人か?w
187名無し三等兵:2007/08/29(水) 23:03:04 ID:???
衛生兵(伍長)としてカンボジアに派遣された祖父の話です。

インパール作戦が頓挫し、隣国のビルマから、
負傷した兵士が続々と後送されてきました。
カンボジアまで送られてくる負傷兵はかなり幸運な連中なのですが、
中には途中で力尽きてしまう兵隊も少なくありませんでした。
その中に半分になったザボンを抱えたまま息絶えた、
若い兵隊がいたそうです。
そして彼の鞄にはどっさりと日本の軍票が・・・

インパール作戦の壊滅的敗戦によって、
通貨としての信用を失った軍票ですが、
捨てるに捨てられず、
腹上のザボンが彼の最期の宝物になってしまったようでした。
合掌(-人-)
188あげ:2007/08/30(木) 00:21:40 ID:yBhE6Eci
人殺しの子孫が大手をふるって歩いてるんだな。
きもちわりいぞ
189名無し三等兵:2007/08/30(木) 00:46:39 ID:???
人類始まって以来の歴史の中で
戦争・紛争・内戦しなかった国家・地域・民族ってある?
190名無し三等兵:2007/08/30(木) 00:59:20 ID:???
>>188
おまえの棚は月にあるんだろう。
191名無し三等兵:2007/08/30(木) 01:04:41 ID:1Ag11neg
今年で88才の祖父の話。
第5方面軍に所属していて、
昭和17年から同19年まで幌筵島に派遣されたらしい。
黙々と経理の任務をこなす割と平和な毎日。

昭和19年頃からは食糧事情が悪化して、
米の備蓄は大量にあったみたいだが
おかずが全くなく、毎日サケを捕まえて食べたそうだ。

それがトラウマになり、大のサケ嫌い。
外食に連れて行くと毎回「当時はサケしかなかった」と言いカツ丼を食べる元気さ。

当時のアルバムをめくると、流氷の上で両手にサケをつかみ
無邪気な顔で笑っている祖父がいた。
192名無し三等兵:2007/08/30(木) 01:13:14 ID:4E18B8FK
はげ
193名無し三等兵:2007/08/30(木) 01:18:27 ID:ep8nRPa4
うちのひい爺ちゃんは、歩兵第29旅団・歩兵第18連隊(愛知、豊橋編成)所属でした。でも同部隊はグァム・サイパン守備隊で玉砕しているにもかかわらず 何故か戦死地がフイリッピン、セブ島になっててフイリッピンで戦死したって爺ちゃんは言ってる。

なんで!?

爺ちゃんに会う時は毎回聞くんだけど、かならずセブ島って言うし遺品があるって言っても見せてくれないわ曖昧だし…

おかしくないかな?
194名無し三等兵:2007/08/30(木) 02:11:26 ID:???
うちの亡くなったおじいちゃんは、大発の艇手で中国で渡河訓練のあと南方に行ったらしいが
その海路でお決まりの潜水艦攻撃で他の輸送船は何隻も沈んだそうな。

現地に着いてからは空襲で折角陸揚げした荷物をやられて、とても情けなかったそうな。
たまに空中戦で撃墜される飛行機を見て、仲間と手をたたいて喜んでると
落ちてきたのは日本の飛行機だったとか、勇ましい話は全然無かったナァ・・・。
今でも不思議なのは夜間に大発で航行してると、敵の魚雷艇から魚雷攻撃を受けて
「真っ赤な火の玉みたいなのが(魚雷)水中を突っ走ってきて生きた心地がしなかった」
て言ってたんだけど、魚雷って水中で赤く光るのかなあ??夜光虫が光るなら青白い色だし
曳光弾を見間違えたのかと、聞きなおしたけどはっきりと魚雷だって言ってた。

そんなおじいさんに子供のころ「戦争で何人殺したん?」って聞いてしまったことがあった。
おじいさんは苦笑いしながら「一人も殺してないよ」って言ってた。
ごめんね、おじいさん^^;


あと現在存命中の叔父さんは零戦や雷電にも乗ってたそうで、神雷部隊の最初の攻撃に
護衛としてついていったそうです。
別のお亡くなりになった叔父さんは、343空で整備員だったそうです。
195uaa:2007/08/30(木) 04:20:27 ID:dkVP9H74
>>183
現代版木口小平
観光バスの事故で、カラオケマイクを握ったまま死んでたおっさん。
新聞読んで笑ってしまった。

>>194
魚雷で大発を攻撃するのは無理だと思う。やはり曳光弾では?
魚雷だとしたら、周りの輸送艦を狙ったんだと思う。

うちの祖父さんも乗ってた輸送艦が魚雷攻撃を受けたことがあるが、
積荷が自動車・トラックで、船の喫水が浅かったため、魚雷が船の下を通過したそうだ。

俺も「何人殺した?」って聞いたことあるが、
「白兵戦では二人。拳銃でも数人は殺った」と軽く答えてた。
196名無し三等兵:2007/08/30(木) 06:10:22 ID:EUkkIVIZ
>>194
中国大陸に派兵された人はほとんど紛争すらしてないよ

現地の人と仲良くやって別れを惜しんで帰ってきた
って人が大半だよ
大陸は戦闘行為目的の派兵じゃなく治安維持目的とからしいね

俺もすげー誤解してたなあ
197名無し三等兵:2007/08/30(木) 11:18:19 ID:???
>>189
ここ60年くらいの日本は人類史上奇跡的なほど
素晴しい国だと思うよ。
198名無し三等兵:2007/08/30(木) 12:41:48 ID:???
>196
中国人は自国軍隊をまったく信用していないから来て欲しくないし
戦場になったらかなわんから適当に上手くあわせてたんだよ。

たくましい連中だよ(w
199名無し三等兵:2007/08/30(木) 17:40:12 ID:???
>>180
>>97式戦闘機の航続距離は、約800kmしかない。

いや、あの爺さんは真顔で言ってた!
誰か?M模型店の近くの人で聞いた人居ないかな?
200名無し三等兵:2007/08/30(木) 18:31:46 ID:???
航続距離 627Km 補助燃料時800Km
201名無し三等兵:2007/08/30(木) 18:43:33 ID:???
うちのおじいちゃんはソロモン諸島に行ったと言ってたな
確か、日本海軍の大将の死体を捜しに行かされたとか

202名無し三等兵:2007/08/30(木) 21:02:39 ID:YnuFNKpg
海兵団に入団した爺ちゃんはあまりの修正に耐えかねて脱走しようとしたが
途中で海軍大尉に捕まった。
修正されるかと思ったら格納庫に連れていかれ、そこにはピカピカの零戦があった。
大尉に「我慢したら零戦の操縦士になれる」と説教されて思い直した。
203名無し三等兵:2007/08/30(木) 21:03:28 ID:???
修正w
204名無し三等兵:2007/08/30(木) 21:31:05 ID:???
我慢して・・・我慢して・・・その果てに特攻が待っているのでありますか?
205名無し三等兵:2007/08/30(木) 21:41:30 ID:???
俺が子供の頃、一人で遊んでいると、
物置の奥から古びた防毒マスク?が見つかった。
そのよく分からないが恐ろしい印象を与えるモノと
布袋様似のじい様の印象が噛み合わず、暫く誰にも話せなかった。
いつもにこにこしていたじい様は、戦争を語らない人だった。
206名無し三等兵:2007/08/30(木) 21:41:44 ID:???
>>202
いい大尉さんじゃん
207名無し三等兵:2007/08/30(木) 22:15:43 ID:???
皆さん立派な爺さんをお持ちですね。
うちの爺さんはは戦前警官だったのでタダで映画館に入ったとか
朝鮮人の暴動で警官だけにボコボコにされたとか
戦中は兵隊で満州にいって慰安所の世話になったとか
しょっぱい話ばかり。
208名無し三等兵:2007/08/30(木) 22:37:54 ID:DzLKcuYy
>>129
兵隊やくざだろ。
209名無し三等兵:2007/08/30(木) 22:53:00 ID:???
>>170
昔の教科書に載っていたキグチコヘイかね?
210名無し三等兵:2007/08/30(木) 22:54:11 ID:???
終わったネタにレスつけんなよ
211名無し三等兵:2007/08/30(木) 22:55:18 ID:???
>>183
まあな。
212名無し三等兵:2007/08/30(木) 23:21:54 ID:???
>>207
そういうのはオモテのメディアに載らないから
むしろ価値がある。
詳しく教えて。
213名無し三等兵:2007/08/31(金) 00:33:17 ID:???
うちのじいちゃんは赤紙がきて満州に行くことになったらしいけど中国についてから赴任地まで行くのに汽車で行ったらしいけどとにかくめちゃくちゃ遠くまで連れて行かれたって言ってた。
満州とソ連の国境のあたりにいたらしい。なんせ寒くて風呂上りに手拭いを一振りすると凍るらしい。近辺の川や湖は全部凍ってて休みの日(?)にはそこでアイススケートしてたらしい。
でなんかの事情で内地に帰って来たんだけど、しばらくしてソ連軍が攻め込んできてそこの部隊の大佐は銃で自殺したって行ってた。運よく助かったみたい。
214名無し三等兵:2007/08/31(金) 00:42:40 ID:???
女房の祖父(故人)は、衛生兵として中国戦線に従軍していたそうです。
昭和15年には、軍曹で勲七等青色桐葉章を受勲し、報奨金400円をもらった
そうで、大卒初任給の半年分くらいに相当したとか。家にはその時の勲章
と賞状が残っています。
戦中の話を詳しく聞く機会がなかったのが残念ですが、赤十字の旗を立て
ていたにもかかわらず、野戦病院に迫撃砲を撃ち込まれたそうで、戦時賠
償とかの話がTVで出ると、「敵も味方も、やってたことは皆同じや。」
と憤慨していたとか。
終戦時は篠山に駐屯していて、最終階級は曹長だったそうです。
215名無し三等兵:2007/08/31(金) 01:13:44 ID:???
>>202
見た見たそのシーン
凄いなお前の爺さん!
近頃の映画のワンシーンになったんだから
大尉役は永島だよな


つーか、夏休みは終わったんだからもう書くな

オムツ忘れるなよ
大wwww!
216名無し三等兵:2007/08/31(金) 02:10:09 ID:???
>>215
永島ってなんだ?
若大将だろ
217名無し三等兵:2007/08/31(金) 14:44:37 ID:???
うちの爺さんは結婚以来、飽きることなく飲む打つ買うの三拍子。
四半世紀にわたる壮絶な家庭戦争の末、婆さんに逃げられ討ち死にした。
218名無し三等兵:2007/09/01(土) 02:06:47 ID:???
俺の爺さんは海軍の整備兵だった。
零戦等を整備してたらしい。
一応真珠湾では加賀に乗ってたらしい。
それから暫くは赤城に乗ってたが整備兵不足でトラック島→ラバウルとかに行ったそうだ。
爺さんは整備兵にしては眼が非常に良かった為に整備以外の時は見張り等もしたらしい。
219名無し三等兵:2007/09/01(土) 02:59:51 ID:???
自分の祖父母とは全く関係ない話なのだが、20年ほど前の小学生のとき
田舎からの東京旅行で初めて靖国の遊就館に連れて行ってもらい、展示の
彗星艦爆をwktkしながら観ていたら、初老の女性が話し掛けてきて、
「自分は戦争中学生動員で工場で航空機を作っていたが、自分達が作り上げた
飛行機はこんなボコボコのものではなく、もっとたくましく美しい姿だったんだよ。」
とおっしゃっていた。当時は実物の兵器を目の当たりにした感動に水をさされたような
気持ちにもなったが、展示物一つでも戦時中の記憶を持つ人にとっては受止め方が
違うのだ、ということは勉強になった。
あのご婦人はお元気だろうか。東京で暮らし始め、訪れた靖国で彗星を見るたび
に思い出します。
220名無し三等兵:2007/09/01(土) 04:21:31 ID:fRMkV+KN
禿げちらかした町内会長が、昔ベーリング海で熊と格闘した、禿は熊にやられた。戦争は旨いもんだ。とか言ってた。ベーリング海に熊なんておらんのちゃう?とか言ったけど爺は無視。
何日かして家に白菜持ってきて、船に上がってきたんだよ、熊。おりがちょきっとしばき回したら逃げてった。とか言ってさいなら。
海に熊なんておらんやろ思いながら今に至る。
いやさ、なんかおもろかったから晒す。もしかしたら海の動物かも。
221名無し三等兵:2007/09/01(土) 10:58:10 ID:???
父島の戦跡ツアーいくつもりだけど…父島って空襲と艦砲射撃だけだっけ?
222名無し三等兵:2007/09/01(土) 12:34:28 ID:e0Hwq8B1
>>221

艦砲射撃は知らんが、空襲はあった。
ブッシュ元大統領が父島を空襲した際、対空砲火により撃墜されたのは有名。
223名無し三等兵:2007/09/01(土) 12:50:07 ID:gUJQYSsD
うちの死んだ爺さんは中国の方に行ってた。
歩兵部隊の大隊砲って大砲を扱っていたらしく、部品を背負って
道の無いところでも行軍してたそうだ。
それが祟って内臓痛めて満州の病院に入院したが、退役して帰国。

その間に国で子供が餓死したんで、帰ってからは昼も夜も関係なく
残った家族の為に働いたんだそうな。
224名無し三等兵:2007/09/01(土) 13:01:28 ID:???
>>220
ロシア人の事なんじゃ? >熊
当時の比喩ではそう言う事が多いぞ。

ちなみに中国人は豚。
225名無し三等兵:2007/09/01(土) 13:03:57 ID:???
>>220
それはロシア人のことを言っているのかい?
226名無し三等兵:2007/09/01(土) 15:13:21 ID:???
>221

藪親父、せっかく撃墜したんだから捕まえて食べておいたら・・
イラクの人たちも平和に暮らせたとおもうのです。
227名無し三等兵:2007/09/01(土) 18:46:31 ID:eXBWxtIf
>>226
親子でイラク攻撃してるしw
228名無し三等兵:2007/09/01(土) 20:48:25 ID:fRMkV+KN
>>225

人間じゃないと思う。3mはあったとか言ってたから
229名無し三等兵:2007/09/01(土) 21:09:35 ID:???
俺の友達のひいじいさんの話なんだが、
何でも「無謀な作戦指導によって日本軍に大損害を与えた」功績に
免じて戦犯訴追を取り止めて貰ったんだそうだ。
あと、戦後、わざわざ防衛庁まで押しかけて
「俺の作戦指導は間違ってなんかいない!」と熱弁を振るったりしたらしい。
しかも自分の葬式では「俺は間違ってないよ」という文書を
参列者に配布させるような真似までしたらしい。
230名無し三等兵:2007/09/01(土) 21:39:08 ID:???
つまらん
231名無し三等兵:2007/09/01(土) 21:50:49 ID:???
>>229
そ、それってインパール作戦を進めた牟田口の事では?

佐藤師団長かわいそ杉・・・。


他にもノモンハン、ガダルで日本人を大量死させた辻も憎い。
232名無し三等兵:2007/09/02(日) 00:16:17 ID:???
>>229
誰? 栗田?
233名無し三等兵:2007/09/02(日) 00:34:38 ID:???
爺ちゃんは大学で動物学の研究やってたんだが、軍から「役立たずの研究ばかりしねえで何か、食料増産のためになる研究しろや、ゴルア」と
言われてかちんと来て「じゃあうなぎの養殖の研究するぜ、だから鰻集めてこいや」で爺ちゃんのもとに集まった大量の鰻は研究室のみんなと
家族でおいしくいたいだたらしい。ちなみに鰻の養殖なんかむりなのはわかってたのこと。
234233:2007/09/02(日) 00:37:29 ID:???
×いたいだたらしい
○いただいた
235名無し三等兵:2007/09/02(日) 00:45:53 ID:???
俺の爺さんは宇都宮太郎だ!!
と水餃子を食べながらいってみる
236名無し三等兵:2007/09/02(日) 00:52:15 ID:???
今日、入院してる爺ちゃんをお見舞いに行って来た。爺ちゃんは元海軍通信兵兵長。
胃癌なんだがもうあまり長く持たないみたいだった(意識が朦朧)。
俺はよく幽霊もんなんか知ってたから「もう誰か迎えに来てる?」って聞いたら「おばあちゃん(爺ちゃんの母)」と。
それでちょっと泣きそうになりながらも、実は近々自衛隊にいくので生意気にあるお願いをしてみた。
「あのさ、俺も軍隊にいく以上、もしかしたら早めに死んでしまうかもしれない。そしたら靖国神社で会おうよ・・・」と言ったら首を大きく縦に振ってくれた。もう今日一日泣きそうだよ。
くだらん話スマソ
237名無し三等兵:2007/09/02(日) 01:02:59 ID:???
>>232

>しかも自分の葬式では「俺は間違ってないよ」という文書を
参列者に配布させるような真似までしたらしい。

っていうエピソードで牟田口だと思った。
ホンマにそんなことやったらしいから、インパールの白骨街道で亡くなった方達も浮かばれないよな。
238名無し三等兵:2007/09/02(日) 02:34:01 ID:???

当時の社会情勢うんぬんもあるが
天皇より何より自分達の信念が全て!
の軍幹部が多過ぎたわけだ
だから戦争になってコテンパンに負けたんだがなー
スレ違いスマソ
239名無し三等兵:2007/09/02(日) 23:44:46 ID:S2w4YkOD
英国帰りの祖父(故人)は貿易を営む実業家だった。真珠湾のラジオを聞き敗戦を予見したそうな。民間レベルでもインテリ層では開戦時から悲観論も多かったとか。祖母共々憲兵嫌いだった。


終戦直後の動乱期は進駐軍の通訳をして食べ繋いだりもしたらしい。

明治生まれには珍しい、英語堪能で見識豊かな国際派の祖父でした。
240名無し三等兵:2007/09/03(月) 01:03:41 ID:???
憲兵の孫だけど
嫌われていたのは町の巡査
奴らよりはかなり良心的と言ってたよ
241名無し三等兵:2007/09/03(月) 01:42:44 ID:???
自分で言ってりゃ世話無いよ
人が感じるものだからね
242名無し三等兵:2007/09/03(月) 04:32:12 ID:???
俺の爺さん、陸奥が自爆した時の生存者らしい。
丁度その時、軍医と一緒に甲板で釣りをしていたらしく、
爆発が起こって「ヤバイ!」と感じた瞬間、
軍医と一緒に海に飛び込んで逃げたんだそうだ。
243名無し三等兵:2007/09/03(月) 14:27:03 ID:vJWVV1r8
>>239
二・三年前に、太平洋戦争中の衆議院の議事録が公開されたという記事を見てたら
真珠湾奇襲直後の『けしからぬ流言飛語』の例として「アメリカが双葉山(69連勝の
不世出の大横綱)なら、日本はふんどし担ぎだ。とても勝ち目は無い。」という『街の声』
を取り上げている。
普通の街の大人でも、この程度の認識はあったんだよ。
244名無し三等兵:2007/09/03(月) 18:47:42 ID:???
戦闘しない後方はだいぶ士気が下がってる部隊があったって聞いたことある
情けない話だからあまり話してくれないけど
245名無し三等兵:2007/09/03(月) 20:53:42 ID:???
>>244
水木しげる先生の戦争マンガ『総員玉砕せよ!』
でも、玉砕に走る若い連隊長を古参の中隊長がそんな事を言って諌めようとしてたね。
「なんでそんな奴らの為に俺ら死ななきゃならんの?」って。

これのTVドラマ版↓、ぜんぜん期待してなかったけれど戦闘場面とかけっこう良かった。
ttp://www.nhk.or.jp/nagoya/kitaro/cast.html
246名無し三等兵:2007/09/03(月) 23:54:48 ID:???
うちの爺さんは、朝鮮のとある街の警察署長だったらしい。
軍人じゃないけど、それっぽい制服を着て、軍刀(?)を突いて
椅子に座ってる写真が飾ってある。
終戦直後、爺さんは連行されたって。
ばあさんと子供(漏れの親+おばさん)たちは
復員船で舞鶴に命からがら引き上げてきたらしい。

もちろん、ウチの墓には爺さんの骨は入ってない。
247名無し三等兵:2007/09/04(火) 05:15:15 ID:kQvnTjUy
>>246ニダーの餌食になってしまったのだな……終戦直後の朝鮮も相当な騒乱だったらしいな。


近所の婆さんが朝鮮からの引き上げ者なんだが、避難の際集団で橋を渡った時前を行く人が川岸から狙撃された。皆荷物を捨てて腹這いになり、狙撃の銃弾の中を必死に渡ったと言ってたな。
248名無し三等兵:2007/09/04(火) 05:48:03 ID:???
近所のじいさんがようつべにある
戦前の東京のカラー映像見ていきなり発狂した。
これはワシの知り合いじゃ!!知り合いじゃ!!

どうせ勘違いだろwって思う。
249名無し三等兵:2007/09/04(火) 08:29:10 ID:???
爺ちゃんは壊疽で左足切ったんで戦争にはいかなかったんだが
戦後は街で傷痍軍人演じてた。けっこういい稼ぎになって家族楽々養えたらしい。
その頃使ったアコーデイオンをよく弾いて聞かせてくれたがうまいもんだった。
250名無し三等兵:2007/09/04(火) 08:30:21 ID:???
>246>247
親戚のばあ様から聞いたけど終戦直後、その様にチョンに殺された日本人は
1000人や2000人では済まないそうな。
強姦なんて、その何十、何百倍・・・

ぜひ、謝罪と賠償すべきだな。
251名無し三等兵:2007/09/04(火) 11:25:01 ID:???
戦後略奪した駅前などの一等地も返せよな。

もちろん借地料、賠償金、謝罪もセットでな。
252uaa:2007/09/04(火) 17:03:06 ID:Fq/2Uah6
>>249
アコーデイオン持った傷痍軍人って20年くらい前までいたよな。
戦争行って来たにしてはやけに若い奴www
253名無し三等兵:2007/09/04(火) 18:31:04 ID:0RqdW6k1
家のじいちゃんに聞いた話だが、戦争後半の時に特攻隊に志願して、訓練を受けていたら終戦してしまったらしい。

この時、ばぁちゃんと出会ってなかったらしいので、もう少し戦争が長続きしていたら、ここにレスすることも出来なかったと思う。
254名無し三等兵:2007/09/04(火) 21:35:01 ID:???
>>250 >>251
お気持ちはよ〜くわかるんですが
そんなことを言ってはどこかの後ろ向きな人種と一緒になってしまいますよ。
「もう戦争は終わった」し、賠償も国家間で済んでるんですから前向きに生きましょう。
255名無し三等兵:2007/09/04(火) 21:49:19 ID:???
ばーちゃんの話によると、俺の大叔父にあたる人が満州の満鉄で
働いていたらしい。その人は満人の襲撃で殺され、首が杭の上に
置いてあり、体は線路の上に放置してあったらしい。
256名無し三等兵:2007/09/04(火) 22:29:59 ID:???
>>254

最低でも戦後61年間日本国が被った様々な不名誉と被害だけは
帳消しにしたいのだが・・・
もしかしてザパニーズさん?
257名無し三等兵:2007/09/04(火) 22:37:23 ID:???
>252

兵隊乞食て商売がありましてな・・。
258名無し三等兵:2007/09/04(火) 22:47:29 ID:???
>>256
ザパニーズなら「賠償も国家間で済んでるんですから」なんて書きませんよ(苦笑)
かの国は絶対に帳消しなどしてくれません。
不当な賠償請求が1つ通ればきっとまた別の要求を出してきますよ。
こちらが誠意を持って接しても裏で舌を出している。
哀れなことにそういう国民性のようですから・・・。
259名無し三等兵:2007/09/05(水) 00:31:32 ID:???
>256
ホント、不名誉と被害は帳消しにしたいと思う。
が、戦後、及び腰になってしまった日本人にげいいん(なry
があるのかもしれないね・・・

>254
ソソ、もう戦争も終わったし、賠償も済んでるんだから、
今更「従軍慰安婦」問題とか出してもらいたくないよね。
特別に永住の許可をもらってる人も、不満があるなら
帰国すりゃいいのに・・・。無理して日本に居て貰わなくても
いいと思うんだけど。

そもそも日本人じゃないんだから。
外国に行ったら、郷に従わないとねw
260名無し三等兵:2007/09/05(水) 00:49:02 ID:???
>>259

何より重要なのは向こうの国のは「ありもしない言いがかり」で
こちらは正当な抗議なんだよねw
日本人ならこの二つを同義と捉えられないはず
261sage:2007/09/05(水) 01:04:50 ID:???

2連投お疲れ様

げいいん=×
げんいん=○

次は日本語の復習をしてからだな
262名無し三等兵:2007/09/05(水) 01:15:16 ID:???
みなさんの先祖で、ナチスドイツのハニトラにかかって三国同盟に
賛成した海軍軍人はおられませんか?

(参考)
「昭和史の論点」坂本多加雄 他著 文芸春秋 2000
p127
保坂「ドイツでは、メイドの名目で若い女性を日本の武官と一緒に住まわせた
    といいます。これが実質的な現地妻だった。」





263名無し三等兵:2007/09/05(水) 01:24:29 ID:???
>>262
その頃から、日本人はメイドに弱かったんだね…
264名無し三等兵:2007/09/05(水) 02:56:24 ID:???
メイド・イン・ジャパ(ry
265名無し三等兵:2007/09/05(水) 05:21:00 ID:???
俺が幼稚園の頃、じいちゃんに戦争の話してっていったらこんな話をしてくれた。

外国のな、島にせめていったんだよ。
戦艦で、大砲いっぱい撃ってから、船で島に攻めるんだ。
そしたら、島から戦車がでてきてな、わしら動けんくなった。
そしたら、戦艦がきてくれて、また大砲を撃ってくれた。
戦車が壊れたので、どんどん先に進むと、敵も味方も入り乱れて
どっち向いても、敵も味方もいるんでな、どっちにも撃てなくなったんだ。
相手も撃ってこなかった。しょうがないから、みんなで(敵も味方も)呆れて笑ってたら
誰かに肩撃たれて(傷跡残ってる)な、そのまま船まで運ばれて
(家まで)帰ってきたから、その後のことは知らんw

この話はたぶん作り話だと思うけど
実際にそんなことあったのかなぁ

従軍はしていたらしいし、肩の傷も銃創みたいだったけど
本当はどこで何をしていたのか、墓の中までもっていった爺さんでした。

266名無し三等兵:2007/09/05(水) 07:13:54 ID:???
>>265
ハスキー作戦参加者乙
267名無し三等兵:2007/09/05(水) 11:03:02 ID:???
近所のご老人から聞いた話
玉音放送があった数日後、近所に住む少々仲の良かった半島の方が
人格が変わってしまったそうです。
それまでは、普通の日本人と変わらなかったのに、ある日を境に
ヤクザ以上の野蛮な人になってしまったそうです。
268名無し三等兵:2007/09/05(水) 12:32:26 ID:???
十年近く前だけど、祖父の葬式の時、沢山の戦友会の人達が来てくれた。
「今、私達がこうして生きているのも、隊長殿の決断のおかげです。本当に感謝しています。」
って、みんな口々に言っていた。

祖父の命日には、戦友会の人達が毎年訪れてくれていたが、年々少なくなり、遂に今年は誰も来なかった。
聞いた話だと、高齢化で戦友会も解散したらしい。

戦時中、祖父が率いた部隊はフィリピンにいたらしいが、詳しい話を聞いていなかったのが本当に悔やまれる。
269名無し三等兵:2007/09/05(水) 12:38:40 ID:???
某観光名所の近くの商店のおじいちゃんの話。

漏れ「(某観光名所)ってどうやって建てたんですか?
   昔のことですから大型クレーンもないでしょうし、
   昔の人はすごいですねぇ。」
店主「馬で材料を運んで全部人の手で作ったな。
   でも危険なところは朝鮮人か食い詰めた日本人が
   やったな。」
漏れ「え?え?」

詳しく聞いてみると朝鮮人や食い詰めた日本人が
タコ部屋みたいな感じで働かされてて、
とくに危険な箇所をやらされてた、とのこと。
今となってはその朝鮮の人たちは「強制労働ニダ!」
なんて言ってるんだろうか・・・。

戦争体験じゃなくてすまん。
270名無し三等兵:2007/09/05(水) 13:27:27 ID:???
「それでも当時は半島祖国にいるよりマシなくらしが出来たんだよ。」
って、そのじいさん言い忘れてるよ。
271名無し三等兵:2007/09/05(水) 13:40:13 ID:???
うちの爺様から十年以上前に聞いたはなしだが
関東大震災のとき火事場泥棒していた挑戦人を
とっつかまえて、皆でぼこぼこにしたそうだ。
やつらは死人の着物まで平気で持っていくとお
こっていた。
泥棒とかは挑戦人、日本人の差別無く皆ぼこぼこ
にされていたそうだ。
272sage:2007/09/05(水) 13:57:47 ID:???
その通りだね
スレ違いだが
一つごく普通の例を挙げれば
当時半島の人達の住居にはトイレが無かった
と言うか、トイレで用をたす概念が無かった
全て外(あたりかまわず)で用を足していて
だからどこへ行っても強烈な異臭がした


ついでにもう一つ
某国営放送で識者とゲストのユンソナの会話

ユンソナ
「日本の女性はなぜ肌を露出して街を歩いているのかが不思議」

識者
「当時韓国の既婚女性で子供がいる人は全員乳房をあらわにして、
私は既婚で子持ちと体で意志表示していたんですよ」

ユンソナ「、、、。」
273名無し三等兵:2007/09/05(水) 14:10:20 ID:???
このスレはあまり差別主義っぽくないので、
挑戦関係の話も本当っぽく感じる・・・というか
「偏見をなくそう」というバイアスを持っちゃうと
黒いとこをスルーしちゃったりとかあるし。

それにしても2ちゃんやるまで日本と韓国がこんなに
ややこしい関係だとは全然知らなかった。
274名無し三等兵:2007/09/05(水) 14:30:16 ID:???
>>268
万歳突撃を選ばず、降伏して沢山の部下の命を大事にしたんだろね
275名無し三等兵:2007/09/05(水) 14:31:53 ID:???
挑戦人のすべてが悪いやつではないんだろうけど
悪いやつが多いというのは事実だな。
276sage:2007/09/05(水) 15:07:22 ID:???
挑戦の反日教育は日本人が思っている以上
異常なくらい日本をコケ降ろしてから
本題の小中華思想に入るんだよ
ゴミみたいに見るのが当然と教えられるんだから
たまったもんじゃないぜ
277名無し三等兵:2007/09/05(水) 15:15:16 ID:???
>>275
悪く見えない奴が元凶。
278名無し三等兵:2007/09/05(水) 16:19:31 ID:???
親類のおばあさんから聞いたことあるけど
戦争が終わってしばらくは挑戦人が、「朝鮮進駐軍」
と名のって、やりたいほうだいしていたそうで
鉄道には無賃乗車、日本人から略奪した当時は貴重
な物資を闇市で売って大もうけ、警官でも集団で
襲われて殉職するしまつ、この朝鮮進駐軍は好んで
戦時中の特攻服(日本軍の飛行服?)を着ていたそ
うで、特攻服を見ると若い女性は直ぐに隠れた、
捕まると強姦されるからだって

当時、日本に残った挑戦人に良い人などいないそうだ
なぜなら、まともな挑戦人は皆、国へ帰ってしまった
からなんだって

あと、戦後大陸から引き上げて来る際、半島を通った
日本人は筆舌にしがたいほどの、あらゆる暴行を挑戦
人からうけたそうだよ。
279名無し三等兵:2007/09/05(水) 16:38:18 ID:1OyIlBjI
オイラの父ちゃんのジーちゃん、陸軍大学出て、中将までいった。
そいでもって、トーちゃんから大学進学するとき防衛大学受けろといわれた。
そのときの人脈ってまだ使えるとか言われた。
じゃが、トーちゃんが公安関係の仕事しとるから、まさかと思って受けなかった。
280名無し三等兵:2007/09/05(水) 16:52:57 ID:???
>父ちゃんのジーちゃん
ヒイじいちゃんかな?
その文章では、防大無理でしょw
281名無し三等兵:2007/09/05(水) 17:11:42 ID:???
>>269
貧しいとはこーゆーことだよな。

昨晩シルクロードをみてたら、石油マネーで潤うサウジに出稼ぎしている
外国人労働者が登場したのだが、まぁ・・・ですわ。
282名無し三等兵:2007/09/05(水) 18:26:33 ID:???
俺のオヤジは子供の頃、ある日突然家中の障子やふすまがカタカタ鳴りだした。「どこかが米軍にやられてんだろ?」とお袋が言った。次の日の新聞には「岩手県釜石に鑑砲射撃」との見出し。遠く離れた秋田の山の奥まで聞こえたとは…戦争恐るべし!
283名無し三等兵:2007/09/05(水) 19:41:18 ID:???
>>282
うちの親父は釜石で育ったそうだが、チンポコ出して川で泳いでたら、
釜石沖の空母から飛んで来た艦載機に、狙われたって言ってた。
あまりにも低空飛行だったから、爆笑してる米軍パイロットの顔まで見えたらしい。
284sage:2007/09/05(水) 20:41:43 ID:???

終戦間際は
ゲーム感覚で笑いながら無差別殺戮をしたんだよ
アメ公は
285名無し三等兵:2007/09/05(水) 20:42:08 ID:???
>>283
東北沖にまで空母来てたんだね
なんかスゴいな
286名無し三等兵:2007/09/05(水) 20:49:23 ID:???
>>285
それどころか白昼堂々艦砲射撃もやってる(つまり、大砲を撃ってる軍艦が陸地から肉眼で見える)
でも、日本は既に反撃する力がなかった
287名無し三等兵:2007/09/05(水) 21:01:36 ID:???
>>278

2年前親戚の子供達に
「何で総理が(靖国)神社に行くとテレビで怒られるの?」って聞かれて
ちょうど良いからいろんな事を教えてあげた、
そのとき日本のヤクザの大半は朝鮮半島の人で云々言った後
徴賎進駐軍の話をしたら家のばあさんが急に(((;゚Д゚)))ガクガクブルブルして
「徴賎進駐軍?ありゃあ本当に怖いよ」と一言だけ言った
大叔父さん(元警官)は会うといつも三国人がいかに恐ろしかったかの話
爺さんも帝都で補助憲兵で終戦を迎えたが9月半ばまで東京に居たため
徴賎の人を嫌ってた
288名無し三等兵:2007/09/05(水) 22:01:41 ID:???
岩手県の釜石って、当時は東洋最大の鉄の鉱山だっけか??


そりゃ標的になるわなぁ…
289名無し三等兵:2007/09/05(水) 22:34:18 ID:???
>>284
特にパイロットには覚醒剤(アンフェタミン)の服用をさせていたといいますから
ラリッたアメ公が「人間と思ってない日本人」を子供であれ何であれ撃ち殺したんですね。
その感覚あればこその「原爆」だったんでしょうね。

覚せい剤は日本でも特攻隊に使ってたとの話も有りますが、民間人相手じゃないしね〜。
ちなみにアメリカでは今でも戦争の際に使ってるそうです・・・。
290sage:2007/09/05(水) 23:04:46 ID:a5zs6bCJ
>>289
米軍のアンフェタミン服用は今は許されていないよ
特攻隊員が飲んだと言われている麻薬も史実では確認されてはいない

当時アンフェタミンを飲んだ米軍パイロットが無抵抗の日本の一般人を
虫けらのように追いかけ回し「楽しがって」殺したのは>>284の通り確かな史実
大戦直後では撃墜されて生きて両手を上げている
日本のパイロットを体中蜂の巣のようにされて殺したくらいは沢山ある
291名無し三等兵:2007/09/05(水) 23:07:07 ID:???
>>特攻隊員が飲んだと言われている麻薬も史実では確認されてはいない

そりゃそうだ、飲んだのは覚せい剤だから。
292名無し三等兵:2007/09/05(水) 23:40:23 ID:???
>>291
飴玉?
293名無し三等兵:2007/09/05(水) 23:42:49 ID:???
sage間違うわ、麻薬と覚せい剤を間違えるわ・・・。
あと、大戦直後に撃墜??なんじゃそりゃ??
こりゃ信憑性無いなw
294sage:2007/09/06(木) 00:08:20 ID:WDXYHm9t
すまん訂正
戦争が終わった直ぐと解釈されても仕方がない

大戦直後=×
大戦開始直後=○

勘弁してくれや
295名無し三等兵:2007/09/06(木) 00:27:15 ID:???
↑ヲイ!

ダメだこりゃ('A`)
296名無し三等兵:2007/09/06(木) 00:51:59 ID:???
大戦中に、撃墜されて生きて両手を上げている
日本のパイロットを体中蜂の巣のようにされて殺したくらいは沢山ある

じゃないの?
297名無し三等兵:2007/09/06(木) 01:18:19 ID:???
昭和30年代に書かれた某小説が最近復刊されたんだが、三国人という表現がまずいというので、
そこが「アジア人」になっている。全く違うものだと思うが
298名無し三等兵:2007/09/06(木) 10:05:15 ID:???
マジでchonを頃したくなった。
299名無し三等兵:2007/09/06(木) 11:16:58 ID:???
>>291
夜戦パイロットが覚醒剤を「ブドウ糖」ということで軍医から投与されていた
って話が以前、航空ファンに載ってなかったっけ?
300名無し三等兵:2007/09/06(木) 11:33:46 ID:???
釜石で思い出したけど、近くの場所かどうか分からないが、「後藤野飛行場」ってゆう、日本で最も北から特攻機が飛び立った基地があったらしいね。
301名無し三等兵:2007/09/06(木) 11:47:23 ID:???
302名無し三等兵:2007/09/06(木) 12:15:02 ID:qNLYE3nx
スマトラへいってたじっちゃん、食料が尽きたので鳥を食べようとして撃ったら
バラバラになって食えんかった。おまけに敵に見つかりえらい目に遭った。と言ってた

ダムダム弾なんか使うわけないし、そんなにバラバラになるものなのかな。
貫通しそうな気がするけど。
303名無し三等兵:2007/09/06(木) 13:13:45 ID:???
>>302
そりゃ拳銃程度なら貫通で済むけどライフルならバラバラになるべ。
まして鳥なんて飛ぶために中身スカスカなんだから。
304名無し三等兵:2007/09/06(木) 13:37:00 ID:???
>>300
今の北上市後藤野にあったヤツだな

ちなみにその近くの山では、確か中島の飛行機工場も建設されてたりしたよ
305名無し三等兵:2007/09/06(木) 14:46:48 ID:DuwV5zOi
じいちゃん、町内会の防衛隊にかり出されて福山航空隊の警護をしたんだって。
基地には春嵐じ?パナマ運河を爆撃するための艦爆があったそうな。
町内のおじさんたちと銃の形をした木を持って歩哨に立ってたらしい。
当時17歳。
そしたらP38(双胴の悪魔)に機銃掃射されてチビッたそうだ。
グラマンやP51にも機銃掃射されたらしいがP38が一番怖かったらしい。
大火力だからな。
パイロットの顔はもちろん、ゴーグルの中の青目まで見えたそうだ。
まるで鬼に見えたそうだ。
それにしても艦載機でもないのに何処から飛んで来たのだろうか?
危険のない任務と言われいたけど、しょっちゅう空襲があるので
村長さんに頼んでもらって任務を解いてもらったそうだ。
あのでかい戦艦大和は秘密裏に建造されたのに、何処から春嵐の情報が漏れたのだろうか?
306名無し三等兵:2007/09/06(木) 14:48:39 ID:???
空気銃だって、スズメを撃つとき、4.5mmだときれいに貫通するが、5.5mmだとバラバラ
になってしまうことがある。
307名無し三等兵:2007/09/06(木) 15:05:52 ID:???
>>306
通報しますた
308名無し三等兵:2007/09/06(木) 15:58:53 ID:???
動物愛護団体の者ですが
309名無し三等兵:2007/09/06(木) 15:59:48 ID:K55Vt1oR
タンソニュット空港の端っこで、米軍のファントムをライフル銃で撃墜した
っていう、ジジイの自慢話がベトコンの間で流行ったことあったよな

あれって、マジなのかよ?
310名無し三等兵:2007/09/06(木) 16:06:30 ID:???
>>309
運転手に当たれば落ちるわな
311名無し三等兵:2007/09/06(木) 16:36:31 ID:???
>306-307
違法改造エアソフトガンじゃなくて狩猟用の空気銃のことだよ
312名無し三等兵:2007/09/06(木) 16:39:44 ID:???
>>306
動物愛護団体の方からきますた
313名無し三等兵:2007/09/06(木) 16:50:49 ID:???
スズメは、狩猟許可されているよ。
314名無し三等兵:2007/09/06(木) 17:01:38 ID:???
狩猟免許を持っていれば、猟期中(11月15日〜2月15日)にスズメを撃つことに
何等問題は無い。
315名無し三等兵:2007/09/06(木) 17:05:34 ID:???
バラバラになってしまうかとがわかっていながら5.5を使うことに鬼畜性を感じる
316名無し三等兵:2007/09/06(木) 17:09:18 ID:???
だから、スズメ撃ちには4.5mmが適当だという主張だが?
何が問題なのか?
317名無し三等兵:2007/09/06(木) 17:20:21 ID:???
>>316
もういいよ変態
318名無し三等兵:2007/09/06(木) 17:24:50 ID:???
>>317
法律で認められているんだぞ!
何だ?その書き込みは?
真性の基地外か?
319名無し三等兵:2007/09/06(木) 17:34:54 ID:???
>>299
覚せい剤やコカインも広義では麻薬だが、麻酔などにはできず中毒性もないらしい。
気分が高揚し、常用すると錯乱状態になる。

余談だがアヘン、モルヒネ、ヘロインの三兄弟が痛みを消し新陳代謝を変調させる薬物。
ラリッたりはしないが中毒性があり、やる気を無くす。数年で危険な禁断症状に至る。

それぞれ原理は違うが劇薬で、過剰摂取すれば一発で死ぬ。常用すると睡眠や体調管理ができなくり廃人になる。
320名無し三等兵:2007/09/06(木) 17:42:34 ID:???
>>318
殺生してることを声高に主張するなバカ
321名無し三等兵:2007/09/06(木) 18:44:59 ID:???
>305
もともと機密保持の意識が低い。イージス艦の情報流出どころじゃない甘さ。

テスト部隊や会社の従業員から噂がながれでた。
前線は新型を心待ちにしてたから格好のネタになったわけ。

烈風もかなり正確な情報が流れてたな。
322名無し三等兵:2007/09/06(木) 19:14:54 ID:???
それが事実なら晴嵐だろう?

春嵐は架空戦記(紺碧の艦隊)
323名無し三等兵:2007/09/06(木) 19:32:14 ID:???
うちの裏の秋田犬のおじいちゃんが戦時中大陸で春麗をいっぱい犯したって言ってた。
太ももがボンレスハムみたいで重労働だったって言ってたよ。
もちろん犬だから獣姦で、戦争犯罪にはならないんだってさ。
324名無し三等兵:2007/09/06(木) 19:41:17 ID:Tlymvr0X
>>320
ベジタリアン?
植物にも命は有るんだ
325uaa:2007/09/06(木) 19:45:37 ID:mJ9WwEo7
>>323
栃ノ嵐の息子か?
326名無し三等兵:2007/09/06(木) 19:54:00 ID:???
いまのお菓子メーカーが
戦争中に飴でもうけた話を読んだキガス
327名無し三等兵:2007/09/06(木) 20:04:58 ID:???
>>320
お前さんは、何も食べることができず、飢え死にするのを待っているのか?
328名無し三等兵:2007/09/06(木) 20:51:17 ID:???
スルーしろよ
329名無し三等兵:2007/09/06(木) 20:51:56 ID:???
>>309
「イントルーダー怒りの翼」でその話のオマージュのような
シーンが冒頭にあるよね。
330k:2007/09/06(木) 21:00:29 ID:KH5jaeP7
人殺しの子孫が偉そうにしてるスレでつねw
331名無し三等兵:2007/09/06(木) 21:18:46 ID:???
>>330
朝鮮人は人間じゃないから殺しても殺生にならないよ。
332名無し三等兵:2007/09/06(木) 21:22:37 ID:???
スルーしろよ
333名無し三等兵:2007/09/06(木) 22:09:25 ID:+aH8wDhM
kinenkan-mikasa.or.jp/epi/matsuyama.html
 ↑四国の人間が好きになった!
334名無し三等兵:2007/09/07(金) 00:00:33 ID:???
>>333
これ↓を貼れと言われた気がした
ttp://nukkorosu.80code.com/img/nukkorosu1804.jpg
335名無し三等兵:2007/09/07(金) 03:08:07 ID:i8mlkFM8
間違ってハン板にかき込んじゃったw
マルチまがいスマソ


俺の父方のじいさまは、身長だか体重だかが足りなかったので乙種合格になってしまった。
そういう訳で、外国の戦地にはいかず、東京の局所防衛に回された。
じいさまは学は無いが、商人の家の生まれなので数字には強い。
そんな理由で任されたのが、高射砲の三番砲手。
じいさまの説明では良くは分からなかったが、どうやら
数字がいっぱい飛び交うポジションらしい。

当時血の気が多かったじい様は、鬼畜米英に一矢報いようと意気込んでいた。
しかしじいさまがそこで見たのは、敵機の墜落する姿ではなく、
戦闘になるたびに散っていく、高射砲前面に配置された一番砲手、二番砲手の姿。

飛び散る血しぶき、そして肉片。

そして次の戦闘までには、砲手が補充されてくる。
そしてまた、名前も覚えぬ間に散っていく。

そんなじいさまは運良く生き残り、未だ存命。
じいさまは最近、すこしボケてきた。
もうあの頃のことを話してくれることは無いだろう。

この話を聞いたとき、俺はまだ小学生だったが、
そんな人がいて、今の自分と日本があることを強く感じた。
本の上ではなく、リアルに感じられる「日本史」そのものであったからだと思う。
336名無し三等兵:2007/09/07(金) 03:10:35 ID:???
局所→局地
スマソ。どこ守ってんだw。
337名無し三等兵:2007/09/07(金) 03:52:49 ID:???
>>336
いい話なのに、噴いたじゃねぇか(w
局所を守るのも大事だぞ!ウン。
338名無し三等兵:2007/09/07(金) 09:59:45 ID:???
朝鮮進駐軍は殺人、暴行、強姦、略奪集団だった

怖いのは、今でも同じ町内に住んでいたりすることだね
339名無し三等兵:2007/09/07(金) 11:53:39 ID:???
俺の爺ちゃんは知覧の整備兵だったんだが、ある特攻隊員と親しくなって
いろいろ面倒を見ていたらしい。そして明日、出撃という日になって
自分は女性を知らないのでぜひ遊郭につれていって欲しいと頼まれた。
それではということで遊郭につれていきなじみの女郎に心づけを十分にわたしやさしく
教えてやってくれと頼んだ。それで彼は一晩過ごし
満ち足りた顔で返ってきた。爺さんはどうだったと聞いたら彼は「もう思い残すことはありません
本当にありがとうございました」と礼を言った。そして彼は出撃していった。
2、3日たって爺さんが遊郭に出かけ例のなじみの女郎を呼んだら、彼女は手に包帯をしていた。
どうしたんだと聞いたら、彼女は泣いて語り始めた。「自分は母を早く無くして女性に触れたことがない。
手を触らせてもらえませんか」と彼は頼んだらしい。そして彼女の手を握り、故郷のこと、友人のこと、学問のことを
とりとめもなくしゃべり、いつしか彼女の膝枕で眠ってしまたらしい。
「この手は一生誰にもふれさせない。それがあの子の思いに対し私ができること。」と彼女は語りながら泣き続け
爺さんも涙が止まらなかった。

こういう人の犠牲のおかげで今の日本があると本当に思います。

340名無し三等兵:2007/09/07(金) 12:21:13 ID:XktzAmfp
俺が泣いた。
341名無し三等兵:2007/09/07(金) 12:45:20 ID:???
漏れも泣いた
342名無し三等兵:2007/09/07(金) 13:18:45 ID:09+AH/dt
うちの母方のじーちゃん八路軍だったよ。
トンネル設計の仕事だってさ
343名無し三等兵:2007/09/07(金) 13:51:49 ID:???
>339
こ〜ゆ〜エエ話は
松本さんとかにパクラレないように
みいなよく覚えとけ
344名無し三等兵:2007/09/07(金) 15:02:37 ID:???
>>339
まじにコックピットの続編にできそうな話だ。
M本0痔さんなら飛びつくかも。
345名無し三等兵:2007/09/07(金) 15:15:44 ID:???
>>336
皇居じゃね?
346名無し三等兵:2007/09/07(金) 15:15:47 ID:ZXzonrP+
>うちの母方のじーちゃん八路軍だったよ。

つ〜ことは、おまい、1/4ほど支那人かよ?
347名無し三等兵:2007/09/07(金) 16:03:51 ID:99bTa5Xd
>>339
昔読んだ本宮ひろ志のマンガに似た話しがあったような気がしたが。
あるいは本宮氏がその話しを取り入れて描いたのかもしれない。
どちらにしても切ない。
348名無し三等兵:2007/09/07(金) 16:11:47 ID:M+ITaMwb
>>343
もう漫画になってるよ…
本宮だったかな?
349名無し三等兵:2007/09/07(金) 16:21:47 ID:M+ITaMwb
かぶってた…orz
350名無し三等兵:2007/09/07(金) 16:36:28 ID:???
>>347>>348
多分、『ゼロの白鷹』だ。
歴戦のパイロットである主人公に、新品隊長の少尉が女郎屋に連れていってもらって、そんな展開になった。
その日、その姐さんは手に包帯を巻き、取った客に「何だその包帯」と言われたんだっけな?
そんな風に記憶してる。
351名無し三等兵:2007/09/07(金) 17:38:46 ID:???
今帰宅したんだがいきなり泣かされた
352名無し三等兵:2007/09/07(金) 17:53:44 ID:???
>>339のおじい様は>>350のモデルになった方なのかな?
353名無し三等兵:2007/09/07(金) 17:59:43 ID:???
>>350の話を>>339がアレンジした話しだったとしても俺の感動は変わらない
354名無し三等兵:2007/09/07(金) 18:50:51 ID:???
>>353
おまいは俺か
お主は拙者か
貴殿は磨呂か
355名無し三等兵:2007/09/07(金) 21:40:26 ID:???
中国に行ってた俺の爺ちゃん、一時帰国するとき何を思ったか
戦場に落ちてた頭蓋骨を拾ってみやげに持って帰ったそうだ。
それを果物かごに入れて実家の玄関に飾ったが、爺の親父が
見つけてぶったまげ、気味が悪いから捨ててこいと怒られた。
仕方がないので陸軍病院に持ってったら歯科医が喜んで引き取ったそうな。
356名無し三等兵:2007/09/07(金) 22:18:08 ID:???
十数年前に死んだうちの爺ちゃんは、片頬に変なくぼみがあった。
子供の頃、「なんで?」ってきいたら、「弾丸が頬を貫通して、(運良く?)開いていた口から出ていった。」と。弘前入営で、支那方面に行っていたらしい。
婆ちゃんは終戦の間際、ど田舎だから空襲もないしと畑仕事に行こうとしたら、グラマンに機銃掃射されたと。
倒れ込んだすくそばを、弾丸が掠めていって怖かったと。でも一回しかこなかったから、遊び半分で撃ったんだろうねと言っていた。
357名無し三等兵:2007/09/07(金) 22:28:19 ID:???
続いて
婆ちゃんが持っている写真に、若い婆ちゃんと、スゴく格好良くて綺麗な馬が写ったものがあった。
どうしたんだろうと思ったら、とても良い馬だから、偉い人が乗るようにと徴用されたそうだ。ホントかわからないけど。「どこに行ったかわからないけど…、きっと戦地で死んだんだろうね」
婆ちゃんは少し懐かしいような、悲しいような顔で話してくれた。

長くてかつ、微妙にスレ違いでスマン
358ハゲ:2007/09/08(土) 01:42:03 ID:VZkALNxm
久々の名作だな
つーか
爺さんを婆さんに置き換えたのを読んだが
359名無し三等兵:2007/09/08(土) 06:38:45 ID:???
あなたのお馬さんの戦争体験を教えて下さい!
360名無し三等兵:2007/09/08(土) 06:40:28 ID:???
親父の田舎には軍馬として徴用されて死んだ馬達の慰霊碑がある。
361名無し三等兵:2007/09/08(土) 06:53:34 ID:???
>>339
どっかで聞いた話のような…
362名無し三等兵:2007/09/08(土) 08:15:43 ID:???
>>356
あれ?弘前って空襲無かったっけ?
俺五所川原の近くのドがつく田舎だけど電車襲われたし、家から歩いて30分の駅にも掃射受けた話を聞くよ?
当時子供だったおばあちゃんも「子供心に飛行機の音が怖かった」って言ってたよ。
当時の田舎の人は老若男女畑仕事に精を出してたんだってね。
工場で生産労働とかしなかったんだろうか・・・;
地元の戦争話は知っておきたいんだけどな・・・なかなか聞く機会が無いよね。
363名無し三等兵:2007/09/08(土) 09:34:00 ID:???
俺の婆ちゃんは、戦争中に見たという、沖の方から数十機もの米軍機が飛んで来た話をよくしてくれた。

それまで飛行機なんて一度も見た事無かったらしく、轟音を響かせ、しかも一糸乱れずに編隊を組んで飛んで来る様子が、不気味で怖かったそうだ。

何レスか前に、釜石の話が出ていたけど、うちの婆ちゃんの家はそのさらに北にある街で、鉱山の工場や橋、さらには墓所まで機銃掃射や爆撃を受けたみたい。

釜石艦砲の時と時期が同じみたいなので、その時の米空母から発進して来たんだと思う。
364名無し三等兵:2007/09/08(土) 09:55:23 ID:???
戦争体験が後世に伝えられていくのは、本当いい事で大切な事なんだなと、このスレ読んでつくづくオモタ。
365名無し三等兵:2007/09/08(土) 09:57:39 ID:KIaRbQHH
>>362
356です。
弘前出身ではないのです。当時、青森出身者は青森5連隊に、それ以外、岩手出身者とかは弘前入営が多かったようです。
爺ちゃんは、地元が騎兵連隊とかしかなかったんで、弘前入営したみたいですね。

366名無し三等兵:2007/09/08(土) 10:46:51 ID:???
>>360
靖国神社にも、馬の慰霊碑あるよね
あと軍犬のも
367名無し三等兵:2007/09/08(土) 12:18:32 ID:HuEjtmqg
>>360>>366
当方、千葉県在住ですが
こちらにも沢山ありますよ
朽ち果ててとても読み取り難いのですが
徴用軍馬慰霊、馬頭観施音?と彫ってあったかな?
殆どが日露戦争当時の古いものですが
馬は当時の農家の貴重な労働力
家族の一員であったと思われます
その馬を徴用された人々の気持ち
察して知るべし、ですね・・・
368名無し三等兵:2007/09/08(土) 12:31:45 ID:???
茨城出身ですが自分のとこにも馬頭の慰霊碑よく見かけます
369名無し三等兵:2007/09/08(土) 12:37:34 ID:???
>>367
千葉は御料牧場もあったからな。
馬産はいまや北海道にかなり集中してしまっているが、
かつては御料牧場を中心に、千葉から茨城にかけては最良の馬産地だった。
馬頭観音が多いのもその名残と言える。
370名無し三等兵:2007/09/08(土) 14:10:38 ID:4Zq0pxOu
うちのじいちゃんが話してくれたんだけど、小学生のころ空襲で逃げてるとき目の前に焼夷弾が落ちてきたけど不発で助かったらしい…
371名無し三等兵:2007/09/08(土) 20:17:07 ID:???
>>365
失礼しました;なるほど、意外ですね。岩手出身者が弘前へと。。。
県は県で統制されているものだとばかり・・・;
自分自身まだ若くておばあちゃんの世代でも終戦近くで小学生だったので、
ましてやひいじいちゃんは神経関係の病気で赤紙免除(?)で戦争はやっていないのでなかなか知る機会がなく・・・
最近になってそのひいおじいちゃんの姉の息子が南で戦病死したのを知って興味を持ち始めたんです。
骨はもちろん遺品も帰ってこないらしく、国から勲章と戦死した場所と靖国に合祀されましたという通知のみ。
>>365さんのように近い身内に戦争体験者がいるのは、そういった話を聞けるという点においてとてもうらやましく思います。
372名無し三等兵:2007/09/08(土) 20:19:25 ID:???
>>370
「だから君がいる」
偶然って神秘的ですな。ほんと。
373名無し三等兵:2007/09/08(土) 22:24:21 ID:ExzW/Yxs
>>360>>366>>367
ノシ 仙台にもあります
けど地元でも知らない人が多いかも

うちは父方母方とも戦争のことは話してくれなかったなあ
374名無し三等兵:2007/09/09(日) 00:39:30 ID:???
米軍偵察機が爆弾落としてきたから慌てて伏せたが爆発せず
不発弾かと思いきやよく見たら増槽だったとか言ってたな
375名無し三等兵:2007/09/09(日) 04:03:58 ID:???
埼玉の浦和には空襲は無かったんだけれど
空襲任務の帰りがけに余った焼夷弾をよく落としていったそうだ。

ウチの隣の靴屋さんの大旦那が、えらい目にあったよ、
と生前よく話してくれた。
376uaa:2007/09/09(日) 04:56:06 ID:wzeMVWkT
うちの祖父さんが言ってたけど、
飛行機から落とされる爆弾は、落ちてくるのを見て伏せれば大丈夫だから怖くないけど、
榴弾砲は怖かったそうだ。
手の甲には死ぬまで砲弾の破片による傷跡があった。
377書籍スレから。:2007/09/09(日) 05:33:27 ID:KIyL56A4
412 ZII ◆RPvijAGt7k 2007/09/09(日) 05:19:48 ID:KIyL56A4
どこに書けば良いのか迷ったのですが、雑談スレだとすぐに流れてしまいますので、
ここに書きます。
私は比島戦遺族会「曙光会」に入っています。私の血縁者に比島戦での戦死者は
いないのですが、3年前、札幌駅前通りにあるアテネ書房で戦記を漁っていた
ところ、実父を比島戦で亡くされた方に声を掛けられ、入会したのです。
で、その曙光会の紹介で「戦場体験放映保存の会」から手紙が来ました。
今月21日に日比谷公会堂で集いを開くそうです。会では、15万人の大戦からの
生還者の証言をDVDに収めようと言う壮大な目論見を持っており、今回の集いを
その端緒にしようと言うものです。私は集いには参加できませんが、1000円の
カンパはするつもりです。もしこのDVDができたら当然買います。
手紙には8月6日付の東京新聞のコピーが添付されています。
関心のある方は是非どうぞ。
378名無し三等兵:2007/09/09(日) 20:01:09 ID:???
うちの爺様
最初の原隊が山形第32連隊から北部18部隊に転属になって
衛生兵兵長になる目前で、支那終戦を迎え
大陸からは、LSTで帰って来たって言ってました。
ちなみに、未だに健在!(婆さんが亡くなってから一寸衰えましたが)
今日、二人で飲んでていろんな事聞いたら
一番怖いのは、機銃掃射で
一発当たる、当たった部分が吹っ飛ぶって言ってました。
後、自分の目の前、約10m位まで小銃弾の弾道が
近くなってくると、命中弾が多くなるような事を言ってました。

379名無し三等兵:2007/09/09(日) 20:25:30 ID:???
みんなでごはん一口分出し合ってどぶろく作ってたそうです
380名無し三等兵:2007/09/10(月) 00:36:06 ID:0+Jc+knI
うちの死んだ爺様が昔、話してくれたんだが
プロペラが六つもある爆撃機でサイパンに爆撃しにいったそうな。
でも途中でトラブって海に不時着。運良く米軍に拾われて捕虜になって終戦。
その後どうなったか聞いたら、米国に連れて行かれたらしい。そこでなんかやっていたらしいが、詳しくは教えてくれなかった。
当時は退屈な話だと思っていたが、今考えると六発の爆撃機なんてないもんな。
もっと生きている間に聞いておけばよかった。

ちなみに遺物にはそれに関係しそうなものは無し。真相は闇の中。
親に言わせると捕虜になった後、米国に行って終戦後しばらく経つまで帰ってこなかったのはホント。
だけどなにやっていたかとか、爺様の階級とか所属とかは知らない。
でも少なくとも嘘をつくような人ではなかった。
381名無し三等兵:2007/09/10(月) 00:39:01 ID:???
>>380
三枚ペラの双発で六つ。
乗っていたのは銀河あたりじゃないの?
382名無し三等兵:2007/09/10(月) 01:00:15 ID:???
>>375
 そりゃ浦和は昭和9年まで県庁所在地なのに『町』だったし、鉄オタ的に言えば、1985年まで
特急が停まらない唯一の県庁所在地の駅だった。米軍にも華麗にスルーされたんだろう。
383名無し三等兵:2007/09/10(月) 01:04:19 ID:???
>>382
那覇なんて無粋なことを言う気はないが、
大津や奈良に停まる特急ってあったんだっけ?
384名無し三等兵:2007/09/10(月) 02:17:58 ID:???
>>383
堅いこというなよ、大津は一時期特急が停まってたし、奈良は近鉄がある。
浦和の場合、確か東北線・高崎線の普通列車にもラッシュ時以外は
スルーされ続けてた筈。
385名無し三等兵:2007/09/10(月) 15:53:23 ID:???
うちの爺様は岩手だけど、なぜか秋田の迫撃砲部隊に入隊したそうだ
386名無し三等兵:2007/09/10(月) 18:13:19 ID:hwy6suZC
うちの父方の祖父→昭和20年徴兵され海軍入隊、舞鶴で高射砲部隊に配属され、
         弾運びをしていた。舞鶴で終戦。

うちの母方の祖父→昭和20年徴兵され陸軍入隊、釜石の部隊に配属され、同地で終戦。

祖母の兄→陸軍の憲兵で少尉

母方の祖父の兄弟→海軍の水兵
387名無し三等兵:2007/09/11(火) 21:45:42 ID:???
うちの祖父は、引き上げて帰ってきたとき、祖父の兄(特攻隊?だったらしい)が死んで残された
その嫁さんと子供3人を不憫に思って結婚して養ったそうだ。

すごい人だなと思っていたが、最近日本一行軍した部隊に所属してたことを知り
ますます、すごいと思った。

ちなみにすごい元気に生きてます
388名無し三等兵:2007/09/13(木) 02:16:33 ID:???
曾祖父は関東軍の剣道指南役だったらしい
祖父は反抗して歯医者に
引き上げの時家族の歯の中に宝石を入れて帰国

389名無し三等兵:2007/09/14(金) 12:23:01 ID:k7Qskn0Q
下がりすぎ
390名無し三等兵:2007/09/14(金) 17:35:35 ID:s9ZFdeEG
親戚のおじいさまは、暗号手をしていたほどで頭がよかった。
戦後も、長年にわたり自分の日記を暗号で書いていた。

しかし、加齢と共にその日記が解読できなくなってしまった。
家族のものにも、何がなんだかワカランままである。
391名無し三等兵:2007/09/14(金) 18:31:43 ID:???
父方の曾祖父はビアクで玉砕。

母方の曾祖父はニューギニアで戦死。
392名無し三等兵:2007/09/14(金) 18:34:27 ID:???
>>390
ヴィオニッチ写本乙
393名無し三等兵:2007/09/14(金) 18:36:31 ID:???
>>391
岩手の人?

旧軍の中でも、東北の部隊は、粘り強く勇猛だったらしいですね。
394名無し三等兵:2007/09/14(金) 20:14:19 ID:???
母方の爺様は当時としては大柄で柔道の先生をしていた。
召集されて満州へ行ったそうだけど、
ある日、敵陣へ突撃し敵塹壕へ飛び込むと敵兵が3人うずくまって
死んだフリをしていたそうだ。 
こっちは、まさに真剣、必死に戦争しているのに、何たることと
頭にきて、1人づつ思いきり壕の外へ放り投げた。
その豪快さたるや、敵兵は数mも宙に舞ったそうで、
あたりの敵兵2〜30名が一目散に逃げて行ったそうだ。

395名無し三等兵:2007/09/14(金) 21:04:06 ID:???
>>394
漫画みたいな光景が浮かびましたw
飛び散る青服w
396名無し三等兵:2007/09/14(金) 23:45:29 ID:uv6i+9CW
>>392
ピーターラビットのミス・ポターもそうだったよ。
397名無し三等兵:2007/09/14(金) 23:56:59 ID:???
>>396
ヘンリー・ダーガー乙
398名無し三等兵:2007/09/15(土) 18:45:54 ID:???
ゲリラに協力しているらしき村を焼き討ちし、老人から女子供まで一カ所に集めて、機銃射撃や銃剣で突き刺し皆殺しにしたそうだ。
399名無し三等兵:2007/09/15(土) 20:47:42 ID:xlPRVRCz
生前、大日本帝國軍人だった爺さんが前から来た高校生カップルを見て
  爺「なんだ!あの格好は?」
女のだらしなくズリ落ちた靴下、男のだらしなく垂れ下がったベルト
  俺「あれはルーズソックスって言うだよ」
  爺「それじゃ男はルーズベルトだな!」

400名無し三等兵:2007/09/15(土) 21:38:51 ID:???
わははははははは!!





と言って欲しかったのか?コリマに15年だ!!
401名無し三等兵:2007/09/16(日) 02:45:07 ID:I5Gza7lZ
高知出身のうちの祖父は鯨部隊?とやらにいたらしい、5人兄弟のうち3人はサイパン等で戦死しているそうだ。
爺ちゃんはもう亡くなっているのでこれ以上詳しくは分からないのですが、鯨部隊について何か知っている方はいませんか?
402名無し三等兵:2007/09/16(日) 02:51:48 ID:???
>>401
南国土佐を後にして 中支へ来てから幾歳ぞ 思い出します故郷の友が
  門出に歌ったよさこい節を “土佐の高知のはりまや橋で 坊さん
  かんざし買うをみた“ よさこい よさこい

 月の浜辺で焚き火をかこみ しばしの娯楽のひとときを わたしも自慢の
  声張りあげて 歌うよ土佐のよさこい節を “みませ見せましょ
  浦戸をあけて 月の名所は桂浜“ よさこい よさこい

 国の父さん室戸の沖で 鯨釣ったと言うたより わたしも負けずに励んだ
  あとで 歌うよ土佐のよさこい節を “言うたちいかんちや おらんくの
  池にゃ 塩吹く魚が泳ぎよる“ よさこい よさこい

403名無し三等兵:2007/09/16(日) 03:02:43 ID:I5Gza7lZ
402
主な歌とは歌詞が違いますね、戦地で兵隊さんが歌っていたのでしょうか?
祖父にもっと昔話しを聞いておくべきでした。
404名無し三等兵:2007/09/16(日) 11:10:54 ID:???
>401

たぶん日本で一番お金持ちの戦友会だろうなぁ・・。
印税のお陰で。

405名無し三等兵:2007/09/16(日) 15:14:17 ID:N8jgzX5z
名はあかせないが連合艦隊の将官でした。
1944年に某島にて玉砕しております。
406名無し三等兵:2007/09/16(日) 15:33:15 ID:???
>>405
南雲さんか。
407名無し三等兵:2007/09/16(日) 19:10:10 ID:k6ctpb3w
おかんの父親は第10師団所属で、満州事変・日中戦争を転戦していました。
まだ幼少だった頃に「中国でラクダに乗った事がある」「こっちは一発ずつなのに
敵さんは何発も撃ち返してくる」「中国は広い」を聞かせてくれた事がある。
その後満州駐留、昭和19年に帰国し除隊。

第10師団は昭和19年にルソン島に投入されているが、何故おじいさんが除隊に
なったのかは不明。もしルソンに行っていたら戦死していたと思う…。

漏れが小学生になる前に亡くなってしまったが、漏れが生まれるまで国民服を
着ていたらしい。
408名無し三等兵:2007/09/16(日) 19:24:13 ID:???
お前が生まれてからは人民服なわけだな?
409名無し三等兵:2007/09/16(日) 19:28:51 ID:???
本当は聞いた事も無い祖父の話だが、聞くに堪えない戦争犯罪を犯して、日本の名誉を汚したそうな。
本人はまったく反省したそぶりも無く(そりゃそうだ)お前等ミリヲタの気分を胸くそ悪くさせて
やろうかと思って書き込むよ藁

なんて奴が非常に多いんだな?
410名無し三等兵:2007/09/16(日) 20:59:19 ID:khkrFxBg
父方祖父、工兵部隊に居たらしく、支那からパプアニューギニアに転戦して、終戦迎える。ワニを見たと自慢している。今も元気。 母方祖父、海軍に居たとの事。駆逐艦に乗っていたらしく、二回撃沈されて、二回とも無事だった。でも今はいない。
411名無し三等兵:2007/09/16(日) 21:35:24 ID:0sFpsyPM
漏れの祖母が経験した戦争↓
北海道の田舎町で挺身隊として電話交換手の仕事をしていた。
隣接する郵便局の局長が隠居所として造ったはなれが軍の将校の宿舎に
なっていた。当時、祖母は「熊部隊の隊長様」と呼んでいたらしい。

終戦間際に田舎町に米海軍艦載機の空襲があり、祖母のいた電話交換所も
銃撃を受けた。祖母は命令でギリギリまで交換台を死守することを義務付け
られていた。銃弾が交換所のガラスを突き破る状況になって、祖母は電話線
を切断して郵便局の裏山の斜面にある防空壕へ退避。そこにはズラリと軍刀
を持った将校がいた。16歳の自分には死守命令を出し、いつも「鬼畜米英
なにするものぞ」と威張っていた将校たちがいち早く防空壕に逃げていることに
祖母は怒りがこみ上げてきたそうだ。そんな将校たちを祖母はキッとにらむと
恥ずかしそう「隊長様」以下みな目線をそらしたそうだ。この時に軍に対する
信頼は崩壊したそうな。
412名無し三等兵:2007/09/16(日) 21:51:28 ID:???
>>411
で、北海道のどこさ?管内でいいから言ってみ。
413名無し三等兵:2007/09/16(日) 22:08:32 ID:???
熊部隊なら、旭川では?
414名無し三等兵:2007/09/16(日) 22:10:42 ID:???
熊兵団のことか?師団だろ。
熊のトップなら中将だ。
なんだよ熊部隊隊長様って。
415名無し三等兵:2007/09/16(日) 22:50:06 ID:???
>>414
単に『熊兵団から派遣されて来ている隊長』って程度の意味でそう呼んでたんじゃね?
じいさま、ばあさまの昔話に突っ込んだってしょうがねぇだろ?
416411:2007/09/16(日) 22:50:16 ID:0sFpsyPM
>>412
根室管内の中標津町武佐(むさ)地区の武佐郵便局(現在は廃止?)だよ。
交換手の仕事以外にも近くの陸軍計根別飛行場の造成にも動員されたそうだよ。
>>413
終戦時の熊部隊(第七師団)本部は帯広。
>>414
師団長ではないはず。終戦後、山からゾロゾロと700〜800人の兵隊が
下りてきたと祖母が言っていたから大隊規模で少佐くらいか?
417名無し三等兵:2007/09/16(日) 23:32:32 ID:8V75LvgQ
小学生の俺が「戦争について教えて」
って言うといつも慰安婦の話ばっかだったw
慰安婦は欲しがりません勝つまではとか関係なく
派手だったらしいよ
平気でとんでもない事とか言ってたし戦後もロクに働かずに風俗で遊びまくってたらしい。
性格はやたらすぐにキレるし
誰にでも怒鳴り散らすし
浪費が激しく贅沢で
口がわるくてわがままで
ひどいもんだったようだ。
それで家族はみんな軽蔑していたが
戦前は真面目で勤勉で極貧から陸軍士官になった程働き者だったようだ。
今思えばベトナム帰還兵で有名なPTSD
みたいな症状だが、日本ではあまり聞かない気がする。
こういう人ほかにもいませんか?
418417:2007/09/16(日) 23:34:53 ID:8V75LvgQ
スマン
携帯からだから文章めちゃくちゃだw
悪いが主語とかは脳内補充して読んでくれorz
419名無し三等兵:2007/09/16(日) 23:41:04 ID:???
>>417
PTSDよく聞くよ。
「あの人は戦争にいってから人が変わった」って。
420名無し三等兵:2007/09/17(月) 02:25:07 ID:V30cvkck
俺の親父は、戦争中呉で電気溶接を、学徒動員でしてたそうだ。もちろん、
大和も見たそうな。46Cm砲の砲身には、細い学生ならはいれたそうな。
何か、色の違う潜水艦も見たそうだ。ドイツの、らしい。日本のねずみ色より
明るい色で塗ってたらしい。呉は、爆撃と機銃掃射で大変だったらしい。
海に飛び込んで逃げたって言ってた。防空壕違いで皆、同級生が吹っ飛んで、
跡形もなかったとか、空襲のときは、電車道(路面電車ね)真ん中を歩いて
も、両端の家の火災で熱くてたまらなかったそうだ。空襲で沈んだ伊勢?型
戦艦には、戦後家を焼け出された人が住んでたって。
溶接で小型潜水艦(海竜?)の中の溶接もやってたそうだ。あと2年、戦争
が続いてたら、オイラは存在しなかったんだろうな。親父海軍で潜水艦で特攻
して。
421uaa:2007/09/17(月) 03:02:40 ID:OzYMZjGW
>>419
俺が知ってる祖父さんは信心深く、毎日朝晩の読経を欠かさなかった。
祖父さんが死んだ後、祖父さんの従弟と話をしていて、話題が祖父さんの若い頃の話になった。
戦争へ行く前は全く信仰心が無く、墓参りとか寺への挨拶となると従弟に押しつけて逃げ回っていたそうだ。
422名無し三等兵:2007/09/17(月) 03:14:11 ID:???
祖父から聞いた話。

戦前・戦中と町にあった大きな鉱山に、朝鮮半島から沢山の労働者が働きに来ていた。
ほとんどが家族連れだった。

朝鮮人の子供達や女性は、農家の仕事を手伝ってくれたので、野菜などの食料を分けてあげた。

戦後、鉱山が閉山になっても、地元が気に入ったのか、帰化して今もずっと住み続けている人達もいる。

祖父曰く、彼らは自由な生活だったようだし、ちゃんと給料も貰っていた。
しかも家族連れなので、戦後騒がれている強制連行な筈は絶対に無いとの事。
423名無し三等兵:2007/09/17(月) 10:49:48 ID:???
もうすぐお彼岸です。
仙台の在住の方、東北大病院裏の柏木や新坂町、北山周辺の古いお寺のお墓に
お参りして、墓誌を見て下さい。昭和17〜18年に20代で亡くなった男性のお名前が
多いことに粛然とした気持ちになるでしょう。

東京在住の方、大江戸線・半蔵門線の清澄・白河駅からほど近い深川江戸資料館の
周辺は、お寺の団地?になっています。
墓地に入ると、割れたり欠けたりした墓石が多いのに気付かれると思います。墓石には
大抵建立年月日が刻まれているので、見て下さい。ほとんどが昭和20年3月10日以前
です。
B29が投下した焼夷弾の炎は、墓石まで焼いたのです。
424名無し三等兵:2007/09/17(月) 12:01:06 ID:???
>>423
わしらの地方では、
戦死した人は単独でオベリスク風の先の尖った墓を建てるのじゃが東京では違うのかね?
(一族墓には入らない/というか遺骨そのものが無い)
まず、正面には戒名、『○○義国居士』とか『□□忠烈院信士』、通常より1〜2ランク上(本来なら高額)の戒名だ
おお、すごいなー、と右側を見ると、『陸軍歩兵伍長 勲△等 従□位 ○○○○』と叙勲/位階付きで本名、
ますますすげー、と左側を見ると戦死時の状況が書いてあり、
『・・・にて優勢なる敵を防戦中に腹部負傷、後方にて治療を受けるも戦死』
「あああああ、長い時間苦しんで死なれたんだなぁ...」と落ち込む、という按配だ
425名無し三等兵:2007/09/17(月) 12:36:02 ID:???
うちらんとこは正面に位階勲等氏名、横に戒名
裏面に功績だな・・。

ただし負けた後に立てたお墓は正面に軍人戒名、横に氏名
裏に建立者名かな。
426名無し三等兵:2007/09/17(月) 12:36:33 ID:???
父方母方ともに生まれる前に亡くなっているので両親に聞いた話

母方の祖父
警察官。戦中または戦後まもなく病死

父方の祖父
満州でハーレーに乗ってた?父親もうろ覚えなんでこのくらいしかわからなかった
ちなみに父親の本籍は横浜らしいです
427名無し三等兵:2007/09/17(月) 13:41:50 ID:9AbDXKAH
>>417

昔遊郭だった地域に住んでいるんだが、元慰安婦のばあちゃんがいるよ。
特アが騒いでいる性奴隷なんて聞いた事がないし、むしろ待遇は良かったとか。

幼心に一番強烈だったのは、「兵隊さんを一人一人相手していたら身がもたん。短時間で
兵隊さんの性欲を満たすテクニックをやるのが結構難しい(大意)」なんて言っていたなぁ。

今はお好み焼き屋を経営してる。
428名無し三等兵:2007/09/17(月) 14:33:33 ID:???
>>423
仙台に来て2年目ですけどそんなのあったんですね。
彼岸迎えたら行って見たいと思います。
429名無し三等兵:2007/09/17(月) 16:50:47 ID:???
>>424,425
母から聞いたところでは、太平洋戦争開戦前、大陸で戦死された方は、まだ日本も
余裕があり、戦死者の絶対数も少なかったためか、盛大な葬儀で立派なお墓が
作られたそうです。
戦争が激しくなるとそれどころではなくなったと聞きました。
多分>>424さんの書いたようなお墓は、建立年月か戦死年月を見ると開戦前なのでは
ないでしょうか?
更に東京の下町地区に限ると、江戸時代に方々の寺を集めて寺町にしたり、関東大震災後
の都市計画で同様のことがあったそうで、お寺の敷地は狭いのです。
したがって墓地も墓石がびっしり立ち並んでいる状況で、戦死者の立派なお墓はあまり
見かけません。(青山墓地のような広大な墓苑は別ですが。)
430名無し三等兵:2007/09/17(月) 17:25:03 ID:???
>>428
特別な記念碑が有る訳じゃないですよ。青葉城址の護国神社周辺に
忠魂碑ならありますが。
墓誌というのは墓石の脇の石碑や墓石そのものに、葬られている方の
お名前を刻んだものです。
仙台の北山は伊達政宗の仙台開府以来のお寺が多く、そのため
仙台に長く住んでいる家のお墓が多いのだと思われます。
したがって第2師団に従軍し、ガダルカナルで戦死された方のお墓が
多いのではないかと推測します。
431424:2007/09/17(月) 17:31:49 ID:???
>>429
インパール戦線でした・・・

あれから墓碑の事を良く考えたのですが、
「もう俺は腹を撃たれて駄目だからおまえらだけでも逃げろ・・・」
という様な状況だったのかも知れないです...
432名無し三等兵:2007/09/17(月) 18:57:49 ID:???
>>431
そうですか。
東京近郊都市の我が家が檀家になっている寺院(建立は江戸時代)の墓地の特等席に
戦死された方のお墓がありました。形は普通でしたが大きな立派な墓石で、五芒星の下に
『故 陸軍歩兵曹長 勲×等 ○○ ○○ 之墓』と彫ってあり、建立は昭和14年頃でした。
しかし何かの事情で無縁墓になっていたようで、寺院が墓地の整理をした時に撤去され、
他の無縁墓の墓石と一緒に墓地の一角に移されました。なんとも罰当たりな気がします。
433名無し三等兵:2007/09/17(月) 19:03:56 ID:???
上海で壊滅した101師団だろうか・・。
434名無し三等兵:2007/09/17(月) 19:32:06 ID:???
>何かの事情で無縁墓
3/10に残された家族全滅
435名無し三等兵:2007/09/17(月) 20:04:24 ID:???
>>434
あう(泣く)
436名無し三等兵:2007/09/17(月) 20:48:06 ID:???
>>434
頼む、よく読んでくれ。その寺があるのは東京近郊某市。当時は田舎町で空襲にも遭っていない。
下町の小さい寺院の墓地じゃ、巨大な墓石は無理。
下町の墓地には俺のお袋の実の母親(つまりは俺の実のばぁちゃん)が葬られている。
俺の母方のじぃちゃんとばぁちゃんは離婚して、直後にばぁちゃんは病死した(戦前のこと)。
その後じぃちゃんが再婚したこともあり、お袋はじぃちゃんと再婚したばぁちゃんが亡くなる
まで、離婚した実のばぁちゃんの墓がどこにあるか調べることも出来なかった。
やっと深川の寺に墓があることが分って、墓参りに行って驚いた。墓石は角が割れ、ヒビが
縦横に入ってボロボロ。そしてそういう風に傷んだ墓石がその墓地にはそこここにあった。
不思議に思って一つ一つ見て行くと、それらのお墓は全部戦前の建立。戦後のお墓には
傷んだ墓石は一つも無かった。
寺に確かめるとやっぱりその当たり一帯は空襲で火の海だったそうだ。
もちろんその墓地の墓の墓誌を見ていくと、命日が昭和20年3月10日の方がポロポロ見つかる。

437名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:01:53 ID:BznfDHx/
墓石の文字を読んでいると、初期の戦線の頃は戦死した状況が詳しく書かれているけど、レイテとか、インパールとかになって来ると〜方面にて戦死と言う風にしか書かれていない。

438名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:13:20 ID:???
9年前に他界したウチのじーさまは
半島で衛生兵をやっていたそうだ

今なら面白い話が色々と聞けたかもしれないのに、惜しい
何はともあれ色々乙でした>じーさま
439名無し三等兵:2007/09/17(月) 22:56:08 ID:BSsqNrTT
>>432
日中戦争の初期に戦死して子孫は俺と俺の兄弟しかいない(らしい)先祖がいるんだが…
墓の場所知らないし出身地知らないし
名前しか知らないし昔「骨はない」と言われたくらいしか覚えてない
無縁仏として撤去されてる可能性大なんだが…
今時家が途絶えるなんて珍しいし、その無縁仏もうちみたいな理由じゃない?
440名無し三等兵:2007/09/17(月) 23:21:31 ID:???
>739
親の代までなら戦死の恩給あるだろう・・。
爺様の戸籍謄本でも請求してみやがれ。
441名無し三等兵:2007/09/17(月) 23:22:59 ID:???
ロングパス出ましたー
442名無し三等兵:2007/09/17(月) 23:45:07 ID:???
>>440
傍系だと恩給なんか出ないんだよね
443名無し三等兵:2007/09/17(月) 23:48:11 ID:???
父方の祖父の話
函館で空襲があった時、船がいくつか函館と海を挟んでいるうちの村の方向に逃げてきたらしい
祖父は消防団の団長?をしていて、海辺を見回っている最中に岩に激突した船を発見
中に倒れている、一見無傷そうな船員を介抱しようとして、声をかけながら仰向けにした
お腹にぽっかり穴が空いていたらしい
機関砲でやられた、と聞いた

自分が幼い頃死んでしまったので、うろ覚え
うちの村は潜水艦の分屯地だったらしい
戦後はそこを隔離病棟にしたそうで
だけど山が側にあり、住宅地は狭く細く風も強い土地柄のせいか、空襲は全く無かったそうだ
444哀ー:2007/09/18(火) 00:58:34 ID:???
哀しいかな
少子化で無縁墓は増えるばかりだろうな

弔う人も無くただ朽ち果てるのみか
無情だなー
445名無し三等兵:2007/09/18(火) 01:16:22 ID:???
>>278,>>287,>>338
遅レスだが俺は普段でも朝鮮人が大嫌いなので、TVニュースなどで
在日朝鮮人犯罪なんかが報道されると、思わず「チョン死ね!」とか言う。
すると、必ず母が真顔で「そんなこと言うもんじゃない!」とたしなめる。
差別がいかんという意味ではない。もし隣近所に在日がいて聞かれたら
どうするんだと、マジで恐ろしがっているのだ。

母は終戦当時まだほんの子供だったのだが、その時祖父母から在日朝鮮人の恐ろしさを
嫌というほど聞かされ、戦後60年以上たった今でもトラウマになっているそうだ。
話を聞いただけでこの有様なのだから、実際に朝鮮進駐軍の横暴ぶりを目撃した人は、
さぞかし恐ろしかったんだろうな。まして被害にあった人は...
446名無し三等兵:2007/09/18(火) 06:26:28 ID:???
まーた嫌韓厨か…
447739:2007/09/18(火) 08:25:45 ID:MdXQ3xjW
韓国じゃあ立場が逆でその話伝わってるよ
在米韓国人のおばんとかの殆どが「僕は日本人です」って言うと感情的に
日本人留学生にしつこく朝鮮人の暴走の逆ヴァージョンみたいな話するからイヤになる。
毎回みんな「にっていわるいねーれいぷはんのしそんでごめんねーぷぷぷwww」
って適当に答えてるが
時々本気で信じて変な知恵つけられて「帰国したら反天皇運動する」とか
おかしな事こと言い出すのもいるが…やはりFラン大でワロタwww
448名無し三等兵:2007/09/18(火) 09:13:43 ID:thzY9B1/
父の伯父が上海で憲兵を…終戦間際、戦死公報&遺品は木片と一枚の写真
何故か憲兵MPの腕章…ホルスターはどう見てもコルト・ガバメント…
国際都市ならではの装備?
449名無し三等兵:2007/09/18(火) 11:23:05 ID:???
>446
まーた在日乞食か…w
450名無し三等兵:2007/09/18(火) 14:02:36 ID:???
>>449
在日乙
451名無し三等兵:2007/09/18(火) 15:51:32 ID:GQLhk0X7
祖母の父は戦時中は通信兵だったらしい…終戦まで生き延びたんだけど、直ぐに病死。30代でなくなったそうだ。
452名無し三等兵:2007/09/18(火) 17:58:04 ID:ATuEonSI
アンパンマンの作者「やなせたかし」先生は元陸軍暗号兵だったらしいな。大陸で戦友の死を見取ってたらしい。
453名無し三等兵:2007/09/18(火) 18:22:44 ID:???
○○駅前の食堂は、空襲で一家全滅した友人家族の土地を
挑戦人がくすねた土地だと、爺様から聞いた。
友人の親戚が抗議にきたが挑戦進駐軍に半殺しにされたそ
うだ。
454名無し三等兵:2007/09/18(火) 18:42:24 ID:???
まーた嫌韓厨か…
455名無し三等兵:2007/09/18(火) 18:45:25 ID:???
オヤジが晩年の曽祖父から聞いた話。
曽祖父は陸軍の将官で南方で敵と遭遇
大した数じゃないと思って総攻撃を命じたら
とんでもない大軍&重火力で壊滅状態になった。
拙いと思って逃げて、曽祖父は助かったって笑ってたらしい。
456名無し三等兵:2007/09/18(火) 18:56:40 ID:???
>>456
そんなことヘラヘラ書き込むな
457名無し三等兵:2007/09/18(火) 19:16:53 ID:???
おまえがな〜
458名無し三等兵:2007/09/18(火) 19:19:00 ID:???
>456




志村〜
459名無し三等兵:2007/09/18(火) 21:36:29 ID:???
今は亡きじいちゃんの話だ。WWU開戦の時の事だが、

上官「これより我が軍は、真珠湾攻撃によりアメリカ合衆国との戦争に突入する」

祖父「うはw 自由の国に勝てる訳ねぇwww 日本オワタwww」

上官「こらwww そんなこと言っちゃ駄目www」

みたいなやりとりがあったらしい。
じいちゃんは今で言うニートだったが、やればできる子だった。射撃大会で貰った賞が今もある。感想は、
「適当にやって帰ろうと思ったら、何か当たってた」

中国で通信兵をやることになったらしいが、一度だけ待ち伏せを食らって戦闘に巻き込まれた。
両軍とも、失禁して何か喚き散らしながら銃を乱射していたそうだ。
弾はまともに当たらないし、流弾で死ぬ者も居たらしい。
じいちゃんは隠れていたが、隣にいた友人が目の前で死んだと言っていた。

「映画みたいに撃てるわけねーよwww」だそうだ。

そして、俺はじいちゃんの若い頃の顔にそっくりらしい。若い頃のじいちゃんを知ってる人が驚いてた。
ニートにならんように気を付けようと思う。
460uaa:2007/09/19(水) 02:01:14 ID:Mbvqcycr
>>448
海外勤務の憲兵はMPの腕章も使ってた
http://moijan4.hp.infoseek.co.jp/army/army-gaichi_mp.htm
461名無し三等兵:2007/09/19(水) 02:35:00 ID:???
祖父は通信兵だった。そして亡くなった仲間を供養する為に、生前娘夫婦と一緒にサイパンへ行った。

もう一人は知り合いのおじさんで、既に亡くなっているが戦争に行きカタワだった。
南京大虐殺はあったみたいな話をチラッと漏らしていたが、奥さんに止められてしまい聞けなかった。
462名無し三等兵:2007/09/19(水) 02:37:51 ID:???
>>461
付け加えです。
そのカタワのおじさんは前にいた戦友が爆撃を受けてくれたから
自分は片腕を亡くしただけで済んだと言ってました。
463名無し三等兵:2007/09/19(水) 04:17:20 ID:???
そのおじさんはどこの戦地にいったんだ?
南京あたりか?
464名無し三等兵:2007/09/19(水) 04:22:03 ID:???
沖縄の観光ガイドの爺さんから聞いた話だけど、
米軍に包囲されて、絶望的な状況でも全く降伏する気配もなく、抵抗を続ける日本軍陣地に、
米軍の捕虜になった日本人が、フンドシだけの姿で投降を呼びかけに来たらしいが、

「おまえみたいな裏切り者がいるから、負け戦になったんだ!コノヤローッ!!」

って軍刀を持った日本軍将校達が怒り狂って、
数人がかりで、メッタ斬りにして殺したのを見たらしい。
465名無し三等兵:2007/09/19(水) 04:34:00 ID:???
>>464
たしか前スレでも、
基地外隊長が、投降を呼びかけにきた人を刀で切り捨てて、
双眼鏡で一部始終を見てた米軍の総攻撃を喰らって、部隊が壊滅し、自分は片腕を失ったってゆう爺さんの話を見た。
466名無し三等兵:2007/09/19(水) 11:11:41 ID:???
>>464
沖縄サヨクの言うこと信じるなよ
皇軍を悪者にしたいだけだ
467名無し三等兵:2007/09/19(水) 11:51:06 ID:???
皇軍w
468名無し三等兵:2007/09/19(水) 13:44:26 ID:???
>>463
その人は高知在住でした。
どこの部隊だったとか詳しい話は父が聞いてると思うので、
機会があったら聞いてみます。
469名無し三等兵:2007/09/19(水) 15:01:45 ID:???
うちの大婆さんは終戦の1ヶ月ほど前に大阪の近くで
空中戦を見たそうです。米も日本も同じような戦闘機
で日の丸がなければ、どっちが見方かわからないほど
だったそうです。
そのうち見方の戦闘機が煙を吹いてしまい、周りの皆
がパイロットの安否を気づかう中、 パッと落下傘が
開き、皆ほっとしたそうです。
しかし、卑怯極まりない敵機がわざわざ戻ってきて、
その落下傘を羽の先に引っ掛けたそうです。
そのため、パイロットは田んぼに落ちて戦死してし
まったそうです。

米兵は本当に卑怯だと言っていました。
470名無し三等兵:2007/09/19(水) 15:18:38 ID:???
>>464
観光ガイドは信用出来ないよ。
白梅学徒隊の追悼碑がひめゆり部隊より小さく祭られているのを
不思議に思って観光ガイドのばあちゃんに聞いたら、
「人身御供にされたから、マスコミでとりあげられない」と言っていた。
調べたら、現在も生きている人が多いのと、規模と死傷者の違いから
ひめゆりが取り上げられる事が多いだけだった。
学校の先生がそれを鵜呑みにして熱弁していたけど。
471名無し三等兵:2007/09/19(水) 16:33:26 ID:???
>470
白虎隊みたいなもんか。
472名無し三等兵:2007/09/19(水) 17:19:05 ID:???
パラオ旅行に行った時、海岸で出会った現地の爺ちゃんが「コンニチワ、日本人デスカ?」と流暢な日本語で話かけてきた事がある。

その爺ちゃんは、日本統治時代の懐かしい思い出話を沢山教えてくれた。
「マルヤマサン」という若い日本兵に、本当の弟みたいに大変可愛がってもらった事。

戦後ペリリュー島に戻ってみると、至る所に優しかった日本兵達の遺体が、無惨に放置されていて、しかも米軍は遺体があるのもおかまいなしで、ブルトーザーで漠然と整地していた。
そんな好景を見て、みんなで泣いた事。

自分は、今でも立派な日本人だと思っているし、
ペリリューを守る為に玉砕した、マルヤマサン達大勢の日本兵に感謝したいから、死ぬまでに一度靖国神社を訪れたい事など、涙を浮かべて話てくれました。
473名無し三等兵:2007/09/19(水) 17:38:52 ID:???
>>465
降伏呼びかけに来る裏切り者殺すのってそんなにヘンなことか?


抵抗を続ける敵陣地に捕虜を交渉役で送り込めばどうなるか…
捕虜が殺されても自分たちの負担が減るだけだし、
降伏に応じなくても敵は精神的に疲弊させられる。
そういう効果を狙ったんだろ。
474名無し三等兵:2007/09/19(水) 17:57:24 ID:???
>472
そのパラオのお爺さんに日本国籍をあげたいね。

糞挑戦よりどれだけ良いか。
475名無し三等兵:2007/09/19(水) 21:43:39 ID:8uqzI5i/
嫌いなら関わらなければいい話。朝鮮が嫌いなら心にしまっておけばいいじゃないか。
ネットで書いたらその朝鮮人と同じことしてるわけだし。
君が朝鮮系のヤミ金業者に不当額の返済を迫られてて
遠洋漁船乗せられたり内臓抜かれたりしていなければの話だがwww
476名無し三等兵:2007/09/19(水) 21:46:57 ID:???
丸山さん、14師団2連隊かな?
みとっぽ
477名無し三等兵:2007/09/19(水) 22:13:52 ID:???
>>473
国際法違反だし。
478名無し三等兵:2007/09/19(水) 22:20:35 ID:???
>>477
国際法典に「いけません」と書いてあって違反すると国際警察に逮捕されて国際裁判所で裁かれるのか?
479名無し三等兵:2007/09/19(水) 22:22:49 ID:???
>>478
アメリカ様に裁かれます
480名無し三等兵:2007/09/19(水) 22:43:25 ID:???
>>469
落下傘引っ掛けるのは日本もやってますので…。
481名無し三等兵:2007/09/19(水) 23:26:59 ID:???
この前テレビでやってた釣瓶の番組に出てきたお爺さんは
どえらい経験をしてたね。
が、聞き取りをしたスタッフが全く軍事を分かってないようで、
??な事柄ばかりだったのが残念だったなあ。
482名無し三等兵:2007/09/19(水) 23:30:12 ID:???
>>469
大阪府交野市にP51に落とされて落下傘降下中に
落下傘を切られて墜死した飛燕パイロットの碑がある。
中村少尉という。
道路工事で飛燕の残骸が発見されて新聞にも出た。
483名無し三等兵:2007/09/19(水) 23:34:48 ID:KP1UDK9M
海防艦乗りだった親父は2度撃沈されている。

1度目、朝鮮のどこかの河口付近で触雷。
親父は航海士で艦橋にいたらしいが、上から見張り兵が落ちてきた。
その見張り兵、手すりに手をついていたら衝撃で両腕複雑骨折。
触雷時の上下振動がすごいので、艦上では決して手をついてはいけないのだそうだ。
艦長は遁走。
浅瀬だったため着座して沈没を免れる。

輸送船にも乗った。
25mm連装機関砲をつけようというので土嚢で固定した。
案の定グラマンにみつかったので機関砲を撃ったら、3発撃ったところで反動で銃座が転倒。
グラマンは撃たれたことに気づかずに去っていったとか。

2度目は終戦後、復員者を満載して帰国寸前に原因不明の大爆発。
親父は艦橋ごと海中に落ちる。
鼻がもげたが助かる。
広島を通ったら焼け野原で呆然となったそうだ。
幸いにも鼻は2007年の今もついてる。
484名無し三等兵:2007/09/19(水) 23:59:36 ID:???
>>483
生えた?
485名無し三等兵:2007/09/20(木) 00:19:10 ID:???
>>472
たしかペリリュー上陸の時に米兵が沢山死んで、血で真っ赤に染まった浜辺が、
「オレンジビーチ」って呼ばれてたよね??
486名無し三等兵:2007/09/20(木) 01:18:58 ID:guOX4WNz
>>484
親父に新しいパン焼いてもらったんだろ
487名無し三等兵:2007/09/20(木) 02:40:08 ID:???
>>478
おいおい、そんな事言ったら便意兵も全然アリって事になるじゃねーかよ!
488名無し三等兵:2007/09/20(木) 04:09:00 ID:???
>>487
「便意兵」ってのは確かに汚いよね。敵対しないふりをするわけだから。
489名無し三等兵:2007/09/20(木) 04:19:18 ID:???
一人酒してたらこのスレに迷い込んで、
せっかくだから俺のじいちゃんの話でもする。

俺自身知識がないからひょっとするとおかしい所あるかもしれんけど、
そこんとこはてきとーに諸兄の脳内で補完して下さいませ。
490名無し三等兵:2007/09/20(木) 04:21:53 ID:???
じいちゃんは当時大学生で成績もわりに良かったとかで、
召集されたのは最後の方。

厳しい時代だったけど、家はそれなりに裕福だったみたいで、
親戚からお金を集めて餞別をかなりもらったらしい。

支度を整えて、皆で呑み遊んでもまだ1円程余ったってことで、
見つからないようにズボンの裏地に縫い付けて戦地に持っていったらしい。

やたら長い時間列車に乗って、着いた所はソ連との国境。
ホントに暇で、おかげで寄せ集めだった部隊の人とも仲良くなれた。
ある日いきなり、攻めて来ないハズだったソ連が攻め込んできて、
戦車やらで来るソ連軍にこっちは毎日誰かが指名されて、
手榴弾やらなにやら担いで戦車に踏まれにいってた。
運よく戦車がひっくり返れば突撃。それの繰り返し…
いつか指名されてもされなくても辛かったって言ってた。
491名無し三等兵:2007/09/20(木) 04:24:15 ID:???
続き。

結局あっという間に制圧されて、
どこに連れてかれるのかと思えば、そのままシベリアへ抑留…。
そこでの生活は本当に悲惨だったようで、多くは語ってくれなかったけど、
朝起きると隣の人が凍っていた話、壁に寄りかかってたら背中がくっついて皮膚が?げた話、
吹雪がやんだ後の日なた気持ち良さ、暖かいボルシチのおいしさ…。
断片的に聞かせてもらった。

時は流れて8年後。
船に乗って地元の港まで来たはいいけど、迎えがないと家まで帰れない状態。
港は市場で賑わってて、色んな屋台が出てた。
「せっかくやからうまいもんでも食らうて待っといたろう。」
ってことで、シワシワの1円札を持って歩き回ったけど、
物価が違いすぎてて何も買えない…
んで、無理矢理売ってもらった煙草をふかしながら迎えを待ってた。

そんな話をしながらロングピースに火を付けたじいちゃんがかっこよく見えた。
492名無し三等兵:2007/09/20(木) 05:31:12 ID:???
>>488
日本軍もやっちゃったのは汚点だったよね。
沖縄戦末期じゃ仕方なかったかもしんないけど
493名無し三等兵:2007/09/20(木) 09:54:05 ID:???
じいちゃんはフィリピン山中をさまよっているときに
味方の兵隊から見慣れない肉を・・・
494名無し三等兵:2007/09/20(木) 11:05:01 ID:???
>>487
ウンコしたいからちょっとタイム、とか言って油断させて攻撃してくるのは汚いな
495名無し三等兵:2007/09/20(木) 11:48:45 ID:???
>>488は「」まで付けてるけどわざとなの?
496名無し三等兵:2007/09/20(木) 18:23:39 ID:???
便衣兵だって言いたいんだろうけど、どうでもいいよなあw
497名無し三等兵:2007/09/20(木) 18:34:34 ID:???
そういやフィリピン戦線に出征してた祖父も、
住民に紛れ込んで攻撃して来るゲリラに、もの凄く悩まされたって言ってたなぁ…。
498太平洋のアキレス腱:2007/09/20(木) 21:31:22 ID:Ueq58K/J
曾祖父は大型貨物船の船長をしていた。家には帰れずとも外洋を駆け巡り、船乗りである事を誇りに思っていたそうだ。


昭和16年になり戦争の暗雲が立ち込めた頃、怪我か病気だかで陸上勤務を命じられた。ベテランの誇りを失いひどく落ち込み立ち直らすのに大変だったらしい。しかし、その後の日本商船隊の末路を見れば……いい時期に船を降りられたのかもしれない。


ロクな護衛もなくシーレーンは寸断され、日本が世界に誇った商船隊は壊滅した。かつての仲間達が海の藻屑となっていったのを曾祖父はどう思っただろうか。


戦後は多くを語らぬまま逝かれたが、復興した造船業を見ることができたのが唯一の救いか……

499名無し三等兵:2007/09/20(木) 22:26:56 ID:/7+41DmK
うちのじいちゃんは、中国東北部からラバウルに転戦した。
山本五十六が飛行場から前線視察に飛び立つのを見送ったそうだ。
その後、山本長官機が撃墜されたと聞いた時、「負けるかもしれない」と思ったと言ってた。
あと、飯を炊く「飯ごう」をなくした時、上官に死ぬ寸前まで殴られて悔しかったと言っていた。
500名無し三等兵:2007/09/20(木) 22:30:56 ID:???
500
501名無し三等兵:2007/09/20(木) 22:36:56 ID:???
土人と黒人の違いから教育する必要があるようだのー
502名無し三等兵:2007/09/21(金) 00:11:45 ID:???
飯盒なんて無くさねーだろ
虐めで同僚に捨てられたんだろうな
503名無し三等兵:2007/09/21(金) 01:44:23 ID:???
>>492
故意に人減らしをしようと企む国とは違うからね。
504uaa:2007/09/21(金) 05:18:05 ID:bcOV/C6g
>>502
無くしたら他人のを盗むのが日本軍の常識。
「蹴られたら蹴返せ」(蹴る=盗むの隠語)と言う諺が軍隊にはあった。
誰かが無くしたり破損したんで員数合せのために盗んだんだろう。

泥棒した話は”丸”とかの戦争体験談でよく出てくるが、面白いよ。
中国大陸で出張中に拳銃を盗まれた下士官が出張が終わるまでに何とか調達した話は、筆者の文章力もありワクワクした。
訓練中に銃剣鞘を破損てしまい、酒を飲んで寝ている古参兵の部屋に忍び込んですり替えた大胆な新兵にもワラタ。
505名無し三等兵:2007/09/21(金) 12:40:52 ID:8bAFBqcV
>曾祖父は大型貨物船の船長をしていた

そうか、俺のジーちゃんもそうだったが、船ごと徴用されて、海軍大尉に
なって、下士官の敬礼に照れていたそうだ。
終戦当時、関門海峡で機雷に引っかかり、爆発させることなく船ごと
座礁させて船から下りた。 下りて、バーちゃんのやっていた女郎屋の
亭主になったが、さすが現職を退いてボケが早まったらしいが、カーちゃん
に言わせると数学や英語が得意でおかげでカーちゃんは山口高等師範?
現山口大学に入学できたそうだ。
余談が多くてすまんがw
506名無し三等兵:2007/09/21(金) 14:10:20 ID:EX0jGDVt
農家の次男三男が大量に死んでさぞ農村は大変だっただろう
と思っていたら…

507名無し三等兵:2007/09/21(金) 14:54:47 ID:DLSqiC/a
うちの爺さん、憲兵軍曹で南京にいたらしい。終戦まで生き延びて帰ってきてからは
市会議員になって市長と対立ばかりしてて、結局辞職して、それからすぐにガンで死んだらしい。
508名無し三等兵:2007/09/21(金) 18:33:46 ID:???
>>504
『員数合わせ』は今でも大変
笠俊商店に買いに来る現役は絶えない
509名無し三等兵:2007/09/21(金) 18:47:19 ID:???
曾祖父は、とある藩の名家出身で海軍大佐でした。
駆逐艦だか戦艦か忘れたけど、艦長を勤めましたが、作戦行動中に、敵機の猛烈な攻撃を受け、沈みゆく艦と運命を共に。

今でも地元の人達から「艦長さん」と慕われ、お盆や命日になると沢山の方が、お墓参りに来て下さります。
510名無し三等兵:2007/09/21(金) 18:59:35 ID:pHC067n/
うちのばあちゃんから聞いた俺のひいじいちゃんの話。
ひいじいちゃんは舞鶴の海軍所属。陸で仕事していて、部下も結構持ってるちょっとした偉いさんだったそうです。あるとき部下の男性が事故で亡くなってしまい、残された家族の為に綺麗なお墓を建て、それがよい行いだということで当時の新聞に載ったらしい。
うちのばあちゃんはいつもこの話を嬉しそうにしてくれます
511名無し三等兵:2007/09/21(金) 19:20:20 ID:???
>>509
大佐なら戦艦か巡洋艦の艦長だろう。
512名無し三等兵:2007/09/22(土) 06:10:02 ID:7gUtJIEd
>>508
民間だって大変だぜ?
会社の車ぶつけて、ミラーやウインカーレンズ
何回部品共販にこっそり買いに(ry
513名無し三等兵:2007/09/22(土) 06:34:36 ID:???
>>512
運転が下手糞なだけだろ。
514名無し三等兵:2007/09/22(土) 09:43:53 ID:hyMMKP8H
よく免許とれたな
515名無し三等兵:2007/09/22(土) 11:59:23 ID:???
運転やめろ
516名無し三等兵:2007/09/22(土) 12:50:09 ID:+SmxXtXI
このスレ住民のお祖父さん達は皆偉いんだねwwww

二等兵のままあっけなく亡くなった人とかいないの?
517名無し三等兵:2007/09/22(土) 13:03:57 ID:???
名古屋の天龍閣という立派な料亭兼で士官の相手をしてたそうな。ばあちゃん。
518名無し三等兵:2007/09/22(土) 14:38:53 ID:???
>>516
あっけ無くかは知らないけど俺の祖父は満州で死んだ。
年数の関係で自動的に一等兵になっただけで普通に下っ端のまま死んだ。
遺品は現地?の石ころ。
それと感謝状みたいな木の札一枚。
亡くなった大多数の中の一人。

でも、俺へと血を繋げてくれた。俺にとっては偉大な人だ。
まだ若かったのに再婚もせずに親父とその兄妹を育て上げた祖母と共に。
519名無し三等兵:2007/09/22(土) 15:42:13 ID:???
>>518
全米が泣いた
520名無し三等兵:2007/09/22(土) 19:26:38 ID:???
すまそ・・
二等兵て一期の検閲すんだら全員一等兵じゃまいか・・。
521名無し三等兵:2007/09/22(土) 19:54:56 ID:O7gO6Y0x
>>516
家のばあちゃんの、兄ちゃんは、位牌ごちょう?(有ってるか知らない)となってるが
522名無し三等兵:2007/09/22(土) 19:58:33 ID:O7gO6Y0x
>>516
家のばあちゃんの、兄ちゃんは、位牌かではごちょう?(有ってるか知らない)で、満州で肺炎だかになって死んだらしい。
523名無し三等兵:2007/09/22(土) 20:21:36 ID:peG75XWR
俺のじいさんじゃないけど、友達のひいじいちゃんが
士官学校のエリートでスパイ教育を受けていたらしく、色々な国の言語を教えられていたらしい。
で、卒業間近に控えて戦争が終わったそうで・・・w
まぁスパイ教育のおかげで頭はかなりよかったらしいです。
その人は8年前に肺がんでお亡くなりになったそうです。
524名無し三等兵:2007/09/22(土) 20:36:35 ID:???
おばあちゃんの父さんつまり俺のひいじいちゃんが、
山城に乗っててレイテで戦死したとは前から聞かされてたんだが…
最近改めて聞いたら「砲術長だった」と言うんだ
砲術の前は中国で陸戦隊をやってたとか
陸戦隊から戦艦に乗るとか…しかも砲術長ってそれなりに偉いよな?
まあ所詮山城かもしれんけど…知識のない俺にはなんだか信じられんのだが
山城が沈んだときの砲術関係の人の名前とかわかる資料とかないかなぁ

あとおばあちゃんのお兄さんは特攻で駆逐艦沈めたとか、
夫つまりじいちゃんは伏龍だったとか…
525名無し三等兵:2007/09/22(土) 22:04:36 ID:???
>>524
>所詮山城
なに失礼なこと言うてんじゃ、
太平洋戦争で戦艦同士打ち合った日本海軍戦艦は、山城と霧島だけぞ

置いておいて、
横須賀のヴェルニー公園↓に
ttp://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/park/verny/
戦艦・山城の記念碑があるから、なんらかの手掛かりがあるかも
526名無し三等兵:2007/09/22(土) 22:40:06 ID:???
>>525
いやなんか一方的にフルボッコされて沈んだイメージが
まあ山城に罪はないか…サーセン

そういやおばあちゃん元は横須賀に住んでたらしい…今は川崎だが
今度会いに行くとき横須賀にも足伸ばしてみようかな
サンクス
527名無し三等兵:2007/09/22(土) 22:45:13 ID:???
俺の曾祖父は岩手の山奥の町から、はるばるニューギニアまで出征して二等兵で戦死。

仏壇に、「ラエにて機射中戦死」って書かれてある箱があり、中には現地の貝殻と砂が入ってます。

遺骨は未だにジャングルに眠っているのでしょうね…
528名無し三等兵:2007/09/22(土) 23:51:49 ID:???
>>526
>一方的にフルボッコ
開戦劈頭以降はずっとそうです。
529名無し三等兵:2007/09/23(日) 00:36:33 ID:???
>>511
「広瀬中佐」で通っているのと同じく、階級は戦死された後の話じゃろう。 (ー人ー)なむー。
530名無し三等兵:2007/09/23(日) 00:44:22 ID:???
>>516
引っ張られたタイミングとかで、あり得えないではないとは思うけど、一般的な年齢からいって、亡くなられたのなら、子がいる可能性が極端に低くなるんじゃない?
二等兵のままで亡くなったというと、漫画家の水木さんなんかの同年兵の多くがそのはずだけど。
531名無し三等兵:2007/09/23(日) 01:11:59 ID:???
>>530
納得。
532uaa:2007/09/23(日) 01:20:04 ID:WhEkfOr6
>>523
荒木久美子の祖父さんは上海特務で、上海でダンサーをやってた祖母さんと結婚したそうだ。
出来すぎた話だが、祖父さん本人が言ってたから・・・・

↓若い奴は荒木師匠を知らんだろうから

http://arakishishou.net/
533名無し三等兵:2007/09/23(日) 03:26:21 ID:yI1YkgI6
最新9.15 リチャード・コシミズ東京講演会 ダイジェスト版
http://video.google.com/videoplay?docid=3889996417451902162&hl=en
    9.15 東京講演会 全編版
http://video.google.com/videoplay?docid=-3859363222910740882&hl=en
534名無し三等兵:2007/09/23(日) 05:54:43 ID:54bFOaRl
俺のお爺さんは近衛兵だった。
近衛師団近衛支長連隊2600部隊とか言ってましたね。
皇紀2600年に編成されたからとか言ってました。
豆満江に上陸して満州でソ連との国境線に配備されたようですね。
川の向こう(黒龍江?)にソ連軍のトーチカが沢山あったとか、巨大なナマズの話とか小休止してた時に爺さん耳元にプッて音がしたら、隣にいた戦友が狙撃されて戦死してしまったとか。歩哨に立つときは鉄砲の玉は一発も貰えなかったとかね。憲兵は凄く怖い存在だったとか。
コーリャン米で部隊が下痢する人が続出したとか。町を歩いていたら、凄い偉い階級の兵隊から敬礼されたんだって、訳を聞いたら近衛兵の帽章に対して敬礼したとか言われたそうです。
支長兵って調べてもあまりわかりずらいのですが、工兵と歩兵を兼ねたような兵種だったようです。
535名無し三等兵:2007/09/23(日) 06:29:24 ID:???
>>534
輜重?
536名無し三等兵:2007/09/23(日) 07:08:27 ID:???
輜重兵第2600連隊だと思うが…
支長兵や2600は部隊内の隠語?
いくつかの部隊の話を混同されてるのかなあ?
537名無し三等兵:2007/09/23(日) 07:11:04 ID:54bFOaRl
>>535
そちらの、しちょう、かもしれませんね。
二度召集を受けたみたいです。
春峰という馬(指揮官専用馬)を世話していたといってました。
一回の召集が麻布連隊とか言ってたと思います。
村で近衛兵はモテモテだったらしいですね。
階級は上等兵だったようです。
打たれ戦友は馬賊みたいなのにやられたらしいですね。
538名無し三等兵:2007/09/23(日) 07:15:38 ID:???
うちのじいちゃんは近衛兵で、皇居を守備していたそうだ。
今はその面影もないが、かつてはイケメンだったらしい。
何事もなくすごしていたが、ある日同僚が皇居で火事起こして自分で消して、特別休暇もらったが、彼はそれがバレて更迭されたって。
539名無し三等兵:2007/09/23(日) 07:24:19 ID:54bFOaRl
>>538
近衛兵は容姿端麗で甲種合格でないとなれないですからね。

爺さんが近衛兵だったって言うと、反応が両極端なんだよね。
皇室に好感のあるひとはやたらと親切にしてくれるんだけど、左翼からは目の敵にされる。
職場に左翼の後輩が来たときは、俺のこと睨みつけやがったよ。その後も仲良くはなれなかったね。それ以来俺も尊皇で生きなきゃいけないと目覚めたね。
だって、左翼は俺ら近衛兵の子孫を敵視してるんだからね。
540名無し三等兵:2007/09/23(日) 07:31:08 ID:???
>>539
俺けっこう左翼ww
541名無し三等兵:2007/09/23(日) 08:27:40 ID:???
うちのおじいちゃんは農家のせがれ、2回召集された。
1回目は台湾に駐留。
もう召集はないだろうと思ったら、次は支那事変に駆り出され上海へ。
それから蘭印(ジャワ)に送られ終戦。武装解除された後はそのまま抑留。
うちではもう戦死したんじゃないかと思われていたが、終戦から数年後に還ってきた。
うちの父は、生まれてから小学校5年生になるまで、一度も父親の顔を見たことがなかったそうだ。
いろんな話を聞きたかったが、時々思い出したようにポツリと語るだけで、
聞いても殆ど語ることがなかった。
葬儀には仲の良かった戦友も来ていた。そのときに、支那事変や蘭印で激戦だったこと、
仲間を助けたこと、戦友の乗った船が太平洋でかなり沈められたことを初めて聞いた。
戦争に参加した多くの人たちは、うちのおじいちゃんのように、
辛く苦しい経験を誰にも語ることもなく、亡くなっていったんだろうな。
542名無し三等兵:2007/09/23(日) 09:55:02 ID:???
俺の叔父は地方の村で役場に勤めていたのだが召集されることになった
村を出て高校などで勉強していた者も呼び戻されたうえに
警察官、消防士、役場の職員、個人で営業を営む商店などの店主学校の職員などなど…
500人ほどが召集された為に、村の若い男はほとんどいなくなってしまったそうだ
(ちなみにその出陣壮行会の映像が役場に残っているらしい)
村の者たちが入った部隊は南方へと出陣してどこかの島で玉砕したらしい
叔母が父を身篭るのがもう少し遅かったら俺はここにいなかったな
543名無し三等兵:2007/09/23(日) 10:36:59 ID:???
病弱で徴兵されなかった。勤労動員のみ。
おかげで、自分が居るわけだが、やはり病弱。
544名無し三等兵:2007/09/23(日) 12:08:02 ID:???
>>542
ちょ
545名無し三等兵:2007/09/23(日) 16:20:12 ID:???
>>539
かつ、思想的にも三代前と縁者調査して
左右両極端ではないと判断されなければ無理だったしな。
546名無し三等兵:2007/09/23(日) 16:26:01 ID:???
>叔母が父を身篭る

どういう関係?
547名無し三等兵:2007/09/23(日) 19:00:25 ID:2t8lbvNF
>>538
私の父方の祖父も近衛兵で、毎日サーベルを提げ馬に乗り
皇居を守っていたと言っていました。すでに他界していますが。

>>539>>545
普通の男では近衛師団に入る事なんて、出来なかったんだぞ!
って、自慢げに言ってましたが、そうゆう事だったんですか?
何となくですが納得出来ました。
しかし、三代前までの縁者調査なんて
何処かの親衛隊みたいだな!?
あっ!、あちらは六代前まででしたっけ?
548名無し三等兵:2007/09/23(日) 19:16:40 ID:???
俺のじいちゃんの家は貧乏農家で、父親(つまりひいじいちゃん)はじいちゃんが子供の頃に
死んでしまった。
兄ちゃん(つまり大叔父)当時海軍に入隊しており、不在(後に金剛をイギリスに受け取りに
行くクルーになったそうだが)。他の兄弟は商家に養子に出されたりしていて、母子家庭で
高等小学校を卒業した後は母親(ひいばあちゃん)を手伝って農業をしていた。

そして18歳になってすぐ陸軍に志願、地元の連隊に入隊した。最初の1年は歩兵としての
訓練を受けた後、志願して主計の試験を受けたそうだ。兵営で夜遅くまで勉強して、ライバルが
まだ起きているのを見ては、負けないぞ!と頑張ったそうだ。
その結果、16人中2番の成績で合格。晴れて主計兵になった。

続く
549名無し三等兵:2007/09/23(日) 19:25:29 ID:???
「おば」と「そぼ」を勘違いしてんだろ

爺さんが姉ちゃんを孕ませない限り、父ちゃんの姉ちゃんが父ちゃんを孕む事はないからな
流石に徴兵される年齢で娘孕ますのは無理だろ
550名無し三等兵:2007/09/23(日) 19:42:24 ID:???
ところが子供の頃の貧乏が祟ったのか、体が弱かったそうで肋膜炎を
患ったりしていて、同僚や上官はコイツは長生き出来そうに無いから、
早く恩給を受けられるように外地勤務にしてやろう、ということになったらしい。
(親父から聞いた話だが、当時は外地勤務1年は国内勤務3年に換算されたそうだ)

そこにちょうど尼港事件が起き、北樺太を保障占領するため東京の第1師団が派遣
されることになり(間違っていたら訂正して下さい)、じいちゃんは田舎の連隊から
第1師団に転属し、北樺太へ出征した。周囲は病弱なじいちゃんが厳しい樺太の気候に
耐えられるか心配したらしいが、数年過ごす内、逆に鍛えられて健康になって、師団の
撤退と一緒に帰国。そのまま東京の第1師団の主計として勤務することになった。

続く
551名無し三等兵:2007/09/23(日) 20:02:07 ID:???
予めテキストに書いておいてから投下しろよw
552名無し三等兵:2007/09/23(日) 20:06:17 ID:???
祖父は暁部隊でニューギニアへ行き帰って来なかった
母の産まれる直前に出兵した祖父宛てに
出産後、家族写真を送り、しばらくして、
祖父から写真が届いたと返事がきたとの事。
戦地に送ったのと同じ家族写真が家にもあるが、祖父が
どんな気持ちで眺めていたのか思うと切ない
携帯からスマソ

553名無し三等兵:2007/09/23(日) 21:11:40 ID:???
訂正。今改めてじいちゃんが晩年に書いた自伝メモを見直したら、北樺太から帰ってきて
すぐに働きぶりが認められたのか近衛師団に転属にした。
>>539,545のような基準があったかどうか分らないけど、貧乏農家でしかも田舎の連隊の
叩き上げ主計兵でも配属されることはあったんだね。
ちなみにじいちゃんの性格は超クソ真面目、倹約家、表裏の無い人で、世話好きでもあった。
そういうところが評価されたのかもしれない。

昭和8年に主計少尉に任官と同時に予備役になったが、昭和13年10月に召集を受け、
支那事変に従軍、上海、徐州、天津、北京、済南、青島と従軍。14年9月主計中尉。
昭和16年4月召集解除。
同年7月召集、満州で関特演参加後台湾に移動し、開戦と同時にフィリピンへ転戦。
リンガエン上陸戦参加後各地転戦し昭和18年9月召集解除で帰国。命拾いする。
昭和19年7月三度目の召集。東京の陸軍造兵廠勤務。昭和20年4月主計大尉。

二等兵から叩き上げて大尉と言うのは結構凄いよね。

孫の俺には基本的に優しいじいちゃんだったが、小1の頃、冬にしては暖かい日でジャンパーの
前を開けて着ていたら、「その愚連隊のような服装はなんだぁ!」といきなり鉄拳制裁する、
恐いじいちゃんでもあった。
554名無し三等兵:2007/09/23(日) 21:26:27 ID:???
近衛を騙るスレ?
555名無し三等兵:2007/09/23(日) 22:20:29 ID:wLq7JuH8
知らないじいさんが
「歴史上どれほどの停戦協定.条約がむすばれたでしょう?
またそれらはどのくらいで破られたでしょう?
いままでどれくらい戦争があったでしょう?」
とか演説してたがそんなの数えられるのか?
556名無し三等兵:2007/09/23(日) 22:36:33 ID:???
タイムマシンでもあれば数えられるかもしれんが、
それ以前に戦争体験じゃないだろw
557名無し三等兵:2007/09/23(日) 23:34:00 ID:bFymu8Cy
うちの爺ちゃん、陸軍の2等兵だったんだが、過去2度赤紙で戦地へ赴いたそうだ。
もっとも爺ちゃん、旧家の出だったので(単なる豪農だけどな)直接戦闘には
参加せなんだらしい。
その爺さんが、2度目の除隊で郷里に帰った時、熱烈歓迎を受けたらしい。
そして、地区の班長さんから講演を頼まれたそうだ。
勿論お調子者の爺さん、講演を受けた。題目は「戦時の心得」だったそうな。
まあ、最初は勇ましく、戦闘経験も無いのにシナで戦友に聞いた話を面白おかしく話して、
検閲憲兵もニコニコ顔だったそうな、が、根が間抜けなうちの爺ちゃん
質疑応答で、空襲時の心得で「逃げろ!逃げろ!兎に角逃げろ!」
「竹やりでは飛行機は落ちん」とか「バケツ消火は無駄」とか、今考えると
もっともらしい事を言ったものだから、一斉に「非国民」の嵐だったらしい。
 流石に地域の名士だから逮捕はなかったらしいが、その後は、ほぼ
隠居&謹慎状態が続いたらしいw
そしてうちの地区にも米軍の空襲があった、その時真っ先に逃げ出したのが
班長や「非国民」と罵った連中だったらしい。
戦後はその連中、爺ちゃんに頭が上がらんかったようです。


558uaa:2007/09/23(日) 23:38:11 ID:WhEkfOr6
>>537
麻布連隊=近歩3連隊かな?歩3も麻布にあった。
戦争が始まって、近衛師団も予備役をかき集めて3個師団に増えたから、新編部隊に振り分けられたんだろう。
近衛輜重兵は南方でめざましい活躍をしてるが、満州に行った部隊があるとは聞いたことがなかった。

近衛兵ってことは、村でも名士の家だったんだね。

>>538
”丸”でもその話を書いてる元近衛兵がいた。動機は上等兵になりたかったかららしい。
559名無し三等兵:2007/09/23(日) 23:39:05 ID:???
>>539
ありゃ、私も左翼から敵対視されないといけないのかな。
560uaa:2007/09/23(日) 23:47:45 ID:WhEkfOr6
>>557
母方の祖父さんが高級官僚だたんだけど、戦争が激しくなった頃は退職して田舎に疎開してた。
夜になると地元の人たちが集まって、「戦争はどうなるんだ?」と聞きに来た。
祖父さんが「この戦争は負ける」と言い切ると、みんな納得したそうだ。

我々が想像するより多くの人が勝てるわけ無いと思ってたと思う。
561名無し三等兵:2007/09/23(日) 23:54:16 ID:???
まあ自分ちの金物回収されて勝てると思うやつはそうおらんわな
562名無し三等兵 :2007/09/24(月) 00:23:52 ID:???
地元や親戚から出征した人の戦死の知らせが続々と届くようになり、
転進・玉砕なんて言葉を目にしたら、いやでも不利な戦況を察する
ようになる
563名無し三等兵:2007/09/24(月) 00:27:44 ID:???
頭の上をB-29が我が物顔で飛び回って、日本の反撃はほとんど見られない状況だしねえ
564名無し三等兵:2007/09/24(月) 00:35:13 ID:???
本音と建前は違いますから
実際は口には出せなかったはずです
>>560氏のような高級官僚ならいざ知らず
市井の庶民では、当時負けるなんて言えませんって
ましてや、情報の無い閉鎖的な田舎ではね。
565名無し三等兵:2007/09/24(月) 00:46:13 ID:???
>558

近衛の輜重兵なら北支でテロリストに襲われて全滅した事件がありましたぁ。
今だにそのテロリスト改め人民解放軍が大勝利したと宣伝しとりますがな。
566名無し三等兵:2007/09/24(月) 01:10:30 ID:???
東条英樹は、終戦時にもあと半年戦い続ければ勝てると言ってた。
567名無し三等兵:2007/09/24(月) 01:12:11 ID:???
うちの祖父さんは海軍で
人間魚雷の訓練を受けてういるときに、終戦になったそうなんだが
特攻部隊への配属の選抜基準ってあったのか?
いらないやつを配属したとか・・・・・・
568名無し三等兵 :2007/09/24(月) 01:15:17 ID:???
適性検査に拘ってたパイロットさえ次から次へと
使い捨てしてたのに

もう選別してる余裕なんてとっくに無くしてた
569名無し三等兵:2007/09/24(月) 01:19:18 ID:???
予科練を大量採用したが、昭和19年後半になると飛行機も燃料もなくなり、
飛行訓練もできないというか、無意味になったので、
回天や伏龍などに転換された者が多いようだ。
三菱の史料館の担当者さんも、16歳で琵琶湖で伏龍の訓練受けてたと言ってた。
570名無し三等兵:2007/09/24(月) 01:36:55 ID:???
>>567

うちの故じいさん(大和の電気技師から回天)の手記によると、定期的に試験があって、転属したい人や技術を学びたい人はその試験を受け、受かれば帰国して兵学校に行けてたらしい。んで、志願とかでなく課程を修了したら何時の間にやら何処いらの職務に就かされたそうな。
その一つが回天、つまりはP基地。
ちなみにじいさんは「いよいよ死ぬのか」と思ったそうな。
571名無し三等兵:2007/09/24(月) 01:38:27 ID:???
俺のじいちゃん伏龍の訓練してたそうな
学徒動員で工場勤務→海軍の砲術?→伏龍って流れで
砲術といっても、対空射撃の訓練ばかりだったと言ってたな
伏龍は野比浜分隊とか言ってたかなぁ…まあ実戦はなかったけど
訓練で死人続出、毎晩お通夜状態だったそうな

ちなみに、じいちゃんは終戦してからおばあちゃんと結婚したから、
訓練で死んでたら俺居なかったんだよなぁ…
もう1人のじいちゃんは、出兵→病気で輸送船降りる→船は潜水艦に…
という、まあ運の良い生き残り方だったらしい…
572名無し三等兵:2007/09/24(月) 01:47:34 ID:zTsgs7+B
>>571

うちの片方のじいさんとかなり似てる。
じいさん、台湾に行くこと決まってから数日後に手を負傷、内地に残る。
仲間の乗った輸送船は沈められ、殆ど帰らず。でもじいさんは死ぬまで戦争のことは一つも言わんかった。なんか寂しいな
573名無し三等兵:2007/09/24(月) 02:45:30 ID:CUtSEmUV
うちのおやじは、呉で学徒動員してたから、戦争が激しくなるに連れて、
白い箱かかえた海軍さんが帰ってくるのが増えて、軍艦も少なくなるし、
こりゃ、負けるな、と思ってた、と言ってたよ。そりゃ、現実、船がなくなる
んだから、そう思っても不思議はないよなあ。何か、砲弾の中にうるしを塗る
作業があって、おやじはうるしにかぶれて、他の少し楽な電気溶接をしてた
そうな。潜水艦の内部儀装だったらしい。小学校(国民学校?)の国旗掲揚
のポールは、なんかの軍艦のマストだった、って言ってたな。
574名無し三等兵 :2007/09/24(月) 02:57:47 ID:???
砲弾にウルシ

防水加工・・・?
575戦争を変な名前で予防会:2007/09/24(月) 03:31:54 ID:T3EBOFXx
 スレ違いですが。「戦争」の新呼称を募集します。良い名前があれば書きこんでください。
 人が戦争を起こすのは「戦争」という単語がかっこいいからかもしれません。
「暴走族」を「珍走団」と呼ぶように、戦争にも変な名前をつければ、この世から戦争が消える遠因になるでしょう。
 戦争が人の心に忍び込む前に、脱力感に満ちた新呼称を流通させ、戦争を無邪気に予防しましょう。
 戦争を変な名前で予防(よぼう)!  以下はこれまで挙がった新呼称です。
「戦争」改め・・・・・・ ・「痴争」(ちそう)・「珍攻」(ちんこう)・「珍略」(ちんりゃく)
 ・「珍闘」(ちんとう)・「珍国際」(ちんこくさい)・「恥乱」(ちらん)
 ・「国家間ウハウハ珍騒動」(こっかかんうはうはちんそうどう)
 ・「キレた大人のハッスルタイム」(きれたおとなのはっするたいむ)
 ・「暴れお国のナマ本番」(あばれおくにのなまほんばん)
 ・「愛国ドクドクどっぴゅん騒動」(あいこくどくどくどっぴゅんそうどう)
 ・「ガチンコ変態バトル」(がちんこへんたいばとる)
 どうでしょう。もっと良い案がありましょうから、是非お書き込みください。
「戦争」の新呼称は甚だしく下品で無様かつ不魅力であればあるほど世界平和に寄与するものと思われます。
このスレを読むと戦争は派手ではなく冷たく重く寂しくけだるいものなのだと感じました。
                     戦争を変な名前で予防会
576名無し三等兵:2007/09/24(月) 03:34:43 ID:???
祖父は生前、戦争の話は滅多にしなかった。
酒に酔った時だけ、泣きながら話してくれたが、
食料が尽きて、虫や蛇を食った話、
仲が良かった戦友が、マラリヤにかかり、「故郷に帰りたいよ」と言いながら骸骨みたいにやせ細って死んだ事、
米軍に追い詰められ、弾が無いのに部隊最後の総攻撃を敢行、砲弾で片腕を失った事など、一つも武勇伝など聞いた事が無い。

辛い体験ばかりの過酷な戦場だったから、わざわざ思い出して、たやすく口にしたくなかったんだろな…。
生きて帰って来てくれた祖父に、俺は心から感謝してます。
577名無し三等兵:2007/09/24(月) 11:54:31 ID:4fbtwEAc
>>160
まじか…
578名無し三等兵:2007/09/24(月) 12:08:33 ID:LTIXBnVi
>>576戦場への従軍経験を持つ人は口をつぐむ人が多いようだね。苛烈な戦地ならなおさら。思い出すのも嫌な壮絶な体験だからだろうけど、後世の為にもどうか勇気を出して語って欲しいと願う戦後産まれです。



自分の大伯父は関東軍のソ満国境警備隊にいましたが、ひたすら無人の原野で冬は鼻毛が凍る寒さだったと言ってました。対米英開戦前から既に前線部隊は弾薬不足だったようで、ノモンハンでサイダー瓶を利用した火炎瓶で応戦したのは実話だそうですよ。
579名無し三等兵:2007/09/24(月) 12:14:55 ID:???
http://vista.undo.jp/img/vi9058819987.jpg
さあ感想を聞こうか
580名無し三等兵:2007/09/24(月) 16:48:15 ID:???
>>579
なんで全裸なん?
581名無し三等兵:2007/09/24(月) 17:18:26 ID:???
生きて虜囚の辱めを受けず。
582名無し三等兵:2007/09/24(月) 21:49:07 ID:???
>>574
日本海海戦で大活躍した、下瀬火薬等の強力な炸薬には
主にピクリン酸が使われてんだが、ピクリン酸は金属と接触すると
即座に反応して、極めて不安定で爆発性の高いピクリン酸塩となって自然爆発する可能性がある。

なので、弾殻内面に漆を塗って保護膜を作り
さらに弾殻と炸薬の間にグリースを緩衝材として封入して安定化してたそうだ。


第二次大戦時に海軍が下瀬火薬を現役で使っていたかは知らん。
583名無し三等兵:2007/09/25(火) 00:41:08 ID:???
陸奥は使ってたらしいね。
陸奥爆沈時の爆発煙が三式弾のものではなく、下瀬火薬特有の黄色であったということが、
陸奥の隣に碇泊していた扶桑の艦長であった鶴岡信道大佐以下目撃者が語っているから。
584名無し三等兵:2007/09/25(火) 01:54:13 ID:vuPE02y1
>>545 >>547
その手の調査があるのは近衛兵と憲兵だけだっけ
585名無し三等兵:2007/09/25(火) 06:16:57 ID:ZRplliww
俺の父方の祖父の太平洋戦争の話。
祖父は戦闘員じゃなくて、機械の整備員みたいなもんだったらしい。
船の整備専門なのかもしれない。
フィリピン沖で祖父の乗る戦艦がアメリカの戦艦と遭遇し、戦闘が起こった。
敵艦の攻撃を受け船体に穴が空き、どんどん海水が浸入してきた。
沈没はもはや時間の問題だったそうだ。
甲板に出て戦っていた多くの兵隊が負傷したり死亡した。
祖父と生き残った整備員他、数名の兵隊は船が沈む前に海へ飛び込んだ。
甲板で生き残った乗組員が「天皇万歳〜!」と叫びながら沈みゆく戦艦とともに海中へと消えた。
なんとか、脱出した祖父たちは一箇所に集まって
互いに手を繋ぎあって輪を作りそのまま数日の間漂流し続けた。
しばらくして、遠くの海面に立つ奇妙な一本の棒が見えた。
それは、一定の速度で徐々にこちらに近づいてくる。
先端が直角に曲がり、レンズのようなものがついていたことから
それが潜水艦であることが分かった。
おそらく、アメリカの潜水艦だ。自分たちを殺しに来たのだろう。
そう思った祖父らは、せめて道連れにしてやろうと、
ポケットに忍ばせていたメスを強く握り締めた。
しかし、彼らがそれを使うことは無かった。潜水艦は日本軍のものだったのだ。
こうして、祖父たちは助かった。
だが、無事生還した彼らに新たな出動命令がくだった。
この時、長い間、漂流していたせいか祖父はひどく風邪をこじらせてしまっていた。
祖父も当然、出動するつもりでいたが上官に止められてしまった。
なんでも祖父の病気は風邪ではなく流行の伝染病である可能性が
あったからだそうだ(後の医師の診断でただの風邪であることが判明)。
祖父以外の助かった整備員は再び沖に出て、
その全員がアメリカの戦艦と遭遇し戦死した。
そして、祖父が病気の療養中に太平洋戦争は終結した。

俺の父親はそのあとに生まれてるからなぁ。
じいさんが風邪引いてなかったら、俺この世にいなかったな(汗)
586名無し三等兵:2007/09/25(火) 06:26:56 ID:???
うちの祖父は農家の次男坊で、職業軍人ではなく召集兵、
それでも、約20年軍隊にいた。
台湾、満州、上海、蘭印など転々としていたが、うちでは戦争や軍隊の話は殆どしなかった。
戦後民主主義教育を受けた父は、祖父を軍国主義だとか人殺しだとか言って、
いつも馬鹿にしていた。
祖父は戦争や軍隊の体験話は殆どしなかった。
しかし、祖父が亡くなって、葬儀のときに祖父の戦友から、祖父の戦時中の話、
激戦で多くの戦友が亡くなったことなどを聞かされ、
大泣きしていた姿が今でも忘れられん。
587名無し三等兵:2007/09/25(火) 11:48:24 ID:iJwqjSLd
秋田大学の鉱山の学部にいたジーさんは、徴兵を除外させられておった
そうな。 山師に石油かレアメタルを採掘する仕事に就かされたそうな。
588名無し三等兵:2007/09/25(火) 11:49:10 ID:???
さすが団塊
589名無し三等兵:2007/09/25(火) 15:58:54 ID:???
召集兵で20年もか
590名無し三等兵:2007/09/25(火) 18:23:31 ID:???
近所の爺さんがトラック島に出征していたみたいだが、降伏して武装解除の時、米軍の将校に譲った軍刀が、戦後数十年経って本人の手元に返ってきた。

地元の新聞とテレビにも写ったよ
591名無し三等兵:2007/09/25(火) 19:47:28 ID:???
俺の爺さんは戦争中は工場で戦闘機(ゼロ戦とか)の製作に関わってたんだが
なんでも末期には材料が足りなくて、本来は金属を使わなくちゃいけない部分を木材で作らされたそうだ
作ってる自分たちもそれでちゃんと戦場まで辿り着けるのか疑問だったけどなんとかなったらしい

592名無し三等兵:2007/09/25(火) 20:52:17 ID:???
>>590
そういう話たまに聞くけど、米国人は刀の手入れなんてしてない(できない)だろうから、
還ってきても錆だらけとかひどい有様なんだろうな。
593名無し三等兵:2007/09/26(水) 05:12:12 ID:???
軍隊は、貧しい農家など、ロクな収入のない世帯には、貴重な働き先だったんだよ。
自分が死んでも、家族には、恩給当たるから…
うちのおじいちゃん、戦後教育受けた父から、思いっきりボロクソだったが、
それでも、一切反論せず、軍隊の話は殆どしなかった。
戦時中、何があったんだろう?
具体的に知りたかったし、もっと聞きたかった。
でも何も答えてくれなかった。
結局殆ど何も語らず、亡くなった。
594名無し三等兵:2007/09/26(水) 07:21:09 ID:4BvDvV5J
そうして歴史は忘れ去られまた繰り返すのさ
595名無し三等兵:2007/09/26(水) 07:23:51 ID:???
戦争中、女学生だった婆ちゃんは、勤労動員で風船爆弾の製造工場で働いてた。
爺ちゃんは百里ケ原基地って所で、飛行訓練してる最中に終戦。
596ラプター ◆muRbTeyo.o :2007/09/26(水) 08:11:33 ID:???
>>595
今の茨城にある空自の百里基地だな
597名無し三等兵:2007/09/26(水) 12:45:29 ID:???
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アサヒ・る【朝日る】
(動ラ五[四])
(1)事実を捏造して悪く言ったり笑ったりする。嘘をつくこと。
「堂々と―・る」「一国の首相を―・る」
(2)自分の利益のために、なりふり構わないこと。
「君は少しー・り過ぎる」
(3)売国をする。国を売る。
「今度の首相はー・るつもりか?」

□まれに親韓派、親中派の行動を指して使われることもある。
「あの人、最近ー・ってるよね」
□朝日(朝鮮在日)が動詞化したもの。
598名無し三等兵:2007/09/26(水) 13:25:53 ID:0F6EI1s6
じいちゃんの話

芦屋飛行場の一時期守備隊?か何かに配属されてて、敵の航空攻撃に備えて航空機を擬装していた。
まだ全ての航空機の擬装が済む前に、敵機が来襲。
爆撃が終わり航空機の損害を確認しに行った所、擬装した航空機は洩れる事無く全機撃破されていた。
しかし、擬装もせず放置していた航空機は攻撃もされず残っていた。
じいちゃんは思った
「一生懸命擬装したのに・・・馬鹿らしかw」

じいちゃんは爆撃機が接近していると聞いた。
すると、戦闘機が次々に大空へと舞い上がってゆく。
じいちゃんは近くにいた兵に聞いた。
じいちゃん「おっ。迎撃に行くとね?」
兵隊「いえ、爆撃されて破壊されないように非難しよるとです。」
じいちゃん「馬鹿らしかw」

戦闘機乗りの人が戦闘機で着陸したときに、照準機で頭を強打して記憶に障害を起こすことが度々あったらしい。
パイロット「ここはどこね?」
じいちゃん「なんばいよっとねw」
そんな時は、あまーい羊羹を食べさせるとか言ってた。
599名無し三等兵:2007/09/26(水) 13:39:10 ID:0F6EI1s6
じいちゃんの話2

戦闘機はしょっちゅう落ちていたらしい。
離陸したかと思うと突然田んぼに突っ込んだり・・・。

これは、どこにいたときの話かは聞いてないけど・・・福岡城辺りに居たときだっけ。
じいちゃんの所属していた舞台の近くには、おばけが出ると噂のお屋敷があった。
近くの道で人魂を見たとか噂も色々・・・。
じいちゃんも見たことあるらしい。
上官の馬を連れて(連れてる理由は忘れた)その館の近くを通ったとき、やけに寒かった。
そしたら、道の近くに生えた木の辺りが「ボー」と、明るくなっているのが見えた。
「そんなはずは無い」みたいに思いながら横を通ったとき、横目でチラッと見たら、何も無いところに青白い火の玉があった。
大急ぎで馬引っ張って逃げたらしいw
ちびったとか言ってたような気がする。

600名無し三等兵:2007/09/26(水) 15:47:57 ID:???
ばあさんから聞いた話だけど(じいさんはもう居ない)
じいさんは戦時中の夢を見て良く魘されてたそうだ。
中国人をむしろに巻いて生きたまま川に流したり、
井戸に放り込んだりした時のことが、何度も夢にでてきたんだそうな。
(殺した相手が捕虜なのか、ゲリラなのか、民間人なのかはしらん)
じいさんは戦争の話はほとんど絶対と言っていいほどしない人だった。
601名無し三等兵:2007/09/26(水) 18:30:57 ID:???
俺の住んでる所は、東北の小さな港町だが、戦前、伊号第十二潜水艦の艦長になった人がいる。

地元のお寺に、潜水艦乗組員の慰霊碑があり、不思議に思って祖父に聞いてみた所、この艦長さんの存在を知った。
米軍の輸送任務に就いていたドイツ製の帆船を発見したが、あまりの美しい姿に感動し、
「貴艦の無事な航海を祈る」
みたいな電文を送って、撃沈しなかった逸話や、
艦長が休暇で地元へ帰省した時に見た、真っ白で凛々しい軍服姿がとても格好良かったと、祖父は言っていた。

その艦長さんが乗った潜水艦は、昭和19年11月13日、ハワイ北東沖でアメリカ軍艦の攻撃を受け沈没、全員戦死したそうだ。
602名無し三等兵:2007/09/26(水) 18:57:03 ID:???
>>601
>撃沈しなかった逸話
利敵行為だな…
603名無し三等兵:2007/09/26(水) 22:24:17 ID:???
爺さんの徴兵話ではないのだが、終戦ちょっと前に、
実家の上空でB29に飛燕が特攻して撃墜したことが
あったらしい。戦後に実家の持ち山に飛燕の翼が刺
さっているのを確認したとか。
ウソだと思って自分で調べたら、地元の郷土資料館に
似たような話の展示を見つけたときは、ゾッとした。。。
604名無し三等兵:2007/09/26(水) 23:27:14 ID:yNo4D686
戦時中は陸軍士官の御用達だったという近所の高級料亭が廃業。
取り壊された物置から大量の新品の航空眼鏡がでできた。
605はげ:2007/09/27(木) 01:59:09 ID:???
埼玉の川越市なんだけど
行きがけの近所にある接骨院の院長の実父が語る馬鹿げた実話

存命のその爺さんはもう91歳、終戦時は台湾(のどこかは聞いてない)で当時陸軍航空隊大尉

時すでに爺さんの部隊にはまともに飛ぶ(乗れる)飛行機が全く無く終戦になった、

しかし終戦翌日にはどこからともなくまともな飛行機がぞろぞろと滑走路上に集められていた
見ただけでも雑多な種類で50機以上、あるはずなの光景が心底不思議に思い、
試しに燃料を入れさせ目の前の3機のエンジンをかけて(かけさせて)みたら
なんとみんな快調に回り、さらにそのうちの一機(飛燕らしい)で上がってみたところ
今まで自分が操縦していたどれよりも快適だった
それに心底憤した爺さんはその日部下全員を伴って
まともな機体を温存していた軍司令部に殴り込んで(マジで殴り合い)大喧嘩したと。
白状した参謀が言うには決戦に備えた極秘のえんたい壕があったらしい

騒ぎが収まったあとは、戦争に負けた悔しさ以上に
情けなさと悔しさで立ち直れなかったと。
606名無し三等兵:2007/09/27(木) 02:07:50 ID:???
父親から聞いた話だが
北海道のじいちゃんは出陣するも病気で送り返されたそうな
北海道だからか、戦後の混乱でも食べ物とかは全然困らなかったようだ
あと、米軍から落下傘を全部焼き捨てろって命令があって、
軍の人(戦争終わったから軍じゃないか…役人?よくわからん)が、
「もったいないから…」って、落下傘をあちこちの家に配って歩いたらしい
米軍は空から飛行機で確認するだけなので、燃やしたのは空箱だけw
丈夫な絹製だったから、いろんな用途に役立ったといってた
紐の部分で網を作って川で魚取ったとか…
全然戦争の話じゃないなw
607名無し三等兵:2007/09/27(木) 02:18:28 ID:???
>>606
本州程ではないけど北海道でも食糧難はあったんだよ
終戦の年とその翌年は記録的な冷害で
農作物は滅的打撃をうけて、ひどい所では餓死者まで出たからね
608名無し三等兵:2007/09/27(木) 02:23:10 ID:???
>>607
そうなのか…知らなかった
父親もまだ小さかったろうから、その辺あんま当てにならないなw
本当はじいちゃん自身にも話聞きたかったけど、
俺が軍事に興味持つより前に死んじゃったからなぁ…
609名無し三等兵:2007/09/27(木) 20:13:13 ID:???
死んだ爺さんが、駆逐艦だかに乗ってたんだが、初の航海なのに船酔いひとつ
しなかかったらしい。で、飯時でもガツガツ食べたあげくに、船酔いでご飯食べれ
ない人の分も貰って食べたらしい。それが原因でボコボコにされた。そのあと、ボコボコ
にした上官が、「―だが、船酔いもものともせず飯を食えるのは偉い」と、誉めてくれた
そうだ。夜に夜食?が出て、お汁粉を4杯も飲んでみんなを驚かせたらしい。

おかげで、色んな上官に可愛がられて、「大食いのクラ(倉吉という名前だった)」
と呼ばれていた。と、爺さんが生きてるときに聞いた。
610名無し三等兵:2007/09/27(木) 20:16:30 ID:???
別にボコボコにするとこじゃねぇだろそれ・・・
軍隊ってよくわからんな
611名無し三等兵:2007/09/27(木) 20:23:02 ID:???
とりあえず殴るんだよ
612uaa:2007/09/27(木) 20:48:22 ID:cVYMB3cg
俺が大学生の頃、祖父さんが外出するときは車で送り迎えしてた。
戦前、戦中、戦後と自動車に関係してただけあって、自動車に乗ると機嫌がよかった。
(ここで書いてるネタの殆どはそういう時に聞いた話だ)

ある日、昼飯を食いにビックリドンキーに入った。
祖父さんは戦後貿易関係の仕事で海外を飛び回ってたから、洋食が好きだった。
俺はハンバーグを注文したんだが、祖父さんは別のものを頼んだ。
その時話してくれた。

祖父さんは海南島を出発して、マレーに向かう船上で開戦を迎えた。
船は徴用された商船で、士官食堂で出されたその日の夕食は特大ハンバーグだった。
揺れる船上で無理に食べてため気分が悪くなり、それ以来ハンバーグだけは嫌いになったそうだ。

613名無し三等兵:2007/09/27(木) 20:51:57 ID:???
>>611
>とりあえず殴る
その時の擬音は『ビビビビ』
614名無し三等兵:2007/09/28(金) 02:26:58 ID:???
>>613
ラバウル戦記ww

彼は片腕失ったことを親に伝えるために片腕の無い自画像を描いて送ったらしい。
615名無し三等兵:2007/09/28(金) 10:22:50 ID:???
彼の会ったぬりかべの正体とは一体…
616名無し三等兵:2007/09/28(金) 10:45:04 ID:???
ttp://info.linkclub.or.jp/nl/2005_08/art.htmlより
「ある日、見張りをしていた時、敵が後ろから攻めてきて
部隊が全滅したことがありました。私ひとりだけ生き残った。
夜の間に敵は我々を包囲していて、私が皆を起こしに行くのを待っていた。
だけど私は、オウムが面白いので望遠鏡で見ていたんです。
オウムは時間がきても面白さをやめないじゃないですか。
そのうちに日が昇って、しびれをきらした敵が撃ってきたんです」


ちゃんと見張りしてください。゚(゚´Д`゚)゚。
617名無し三等兵:2007/09/28(金) 16:40:30 ID:y/oo2HTZ
漏れの爺は軍人では無いので申し訳無いが、爺は旧国鉄に居て電車の運転手だった。
戦争が始まると運行中、空襲サイレンが聞こえたら次の駅に全速力で滑り込めと言われていたそうだ。

最初に経験した空襲の時は、電車の轟音か?意識して無かったのか,
空襲サイレンがまったく聞き取れなかったみたで、
血相変えて走って来た車掌から言われて空襲だと気づいたと笑って言ってた。

次の停車駅は近いので慌てて速度を上げ向ったと。
駅に入ると慌てて走って来た陸軍の警備兵から急かされてホームを繋ぐ地下道に逃げたそうな。
で、上役からドえらく説教されたので車掌が告げ口したろと思ったし、
次は絶対に聞き逃さないぞと決めたそうな。

二回目の空襲にあった時は神経張り巡らして運転してせいか?
電車の轟音の中にかすかに聞こえた空襲サイレンを逃さず、次の停車駅に全速力で向うが、
電車が全速力なると縦横揺れが激しくなり、今にも電車が脱線してしまうかと思ったと言ってた。

敵の弾に当って死ぬより、脱線して死んでしまうと心底、思ったと。

次の停車駅までが途方も無く長い時間に感じたと言ってた。
空に飛行機が見え始めると通過する鶴見山からは高射砲の煙が立ち上がっているが焼け石に水。
海側の工場地帯に黒い点や火が降注いで煙があっちこっちから上がっていたし、
横浜駅の手前、東神奈川駅は火に包まれていたのを見たと。
そして次の停車駅、横浜駅に入ろうにも駅は火と煙に包まれていたので手前で停車して
乗客を下ろして横浜駅の火を消しに行ったそうな。
火を消しに行ってもロクに火を消す物が無いから物で火を叩いて消そうとしてる内に
次の焼夷弾が降注いで来たので逃げ惑うだけだったと。
結局は焼けて行くだけを見てるだけだったとも言っていた。
火の勢いは凄くて近寄れないし、何しろ熱くて肌が焼かれているようだったと。
下火になり始めた頃に消火が始まったのだが正直、遅いと思ったけど口には出さなかったと。

後にも先にも勤務中に死ぬ、本当に死ぬと思ったのは、あの全速力の時だけと!
何しろ揺れが地震より凄かったし何度も席から浮き上がったと言ってた。
618名無し三等兵:2007/09/28(金) 21:11:05 ID:???
週末、晩飯を喰いながら聞いた話し。

1.漢口の航空隊で整備兵をしていた。
  と言っても計器類が担当なんで列線での整備は無かった。
  飛行場は物凄く暑く(昭和19年夏の話しと思われる)
  列線の整備兵は暑さで大変だった。
  漢口の暑さは「インド人も逃げ出す」と言われていた。

2.基本的には営外に出る事は禁止されていたが、管理が甘
  かったので、地元の飯屋で飯を食べに良く外出した。
  水餃子、蒸し餃子を良く食べた、そんなに美味しく感じ
  無かったが、戦争が終わったら日本国内でも餃子は流行
  るだろうと思った、但し、焼餃子は見なかった。

  料金の支払いは、隊内で配給されるタバコを持ち出し
  裏通りで闇で、現地の通貨と交換して使用した。
  現地通貨はインフレがすごく、札束をヒモで縛りぶら
  下げて歩くような状況だった。
  日本のタバコは人気が高く、一箱で一回の食事分位に
  成った。

続きます。

619618:2007/09/28(金) 21:12:15 ID:???
3.漢口から水原に撤退する時、隊内に有った色々な物を
  売り(私物?)、地元通貨を日本円に両替し、持って
  行った、水原は、内地と同じ円が使えた。撤退は昭和
  20年に入ってからだと思う。
  
 *陸軍の航空兵力を水原に集結させ本土決戦に備えた
  移動。

4.水原では、当初は米軍機の攻撃が有ると戦闘機が迎撃
  に出ていたが、じきに、接近の知らせが有ると離陸し
  基地の外で隠れていた。

5.水原の列線には、ベニア製の飛行機を並べて居たが、
  敵はデコイと見抜き、攻撃する事は無かった。

続きます。
620618:2007/09/28(金) 21:12:56 ID:???
6.8月15日に敗戦の知らせを受け、武装解除の命令で
  基地の保有する機体を全部並べた、最新鋭の四式戦、
  四式重爆がずらりと並び、全部呉れてやるのはとても
  勿体なく感じた。

7.復員帰国し、博多で船を降り、東京まで貨車で移動した
  が、外地と内地の貨幣価値が違って居るので驚いた。

8.広島を通過したとき、ホントに一面何も残っておらず
  新型爆弾の威力に驚いた。  
  広島に新型爆弾が落とされ被害が甚大との噂は部隊で
  聞いたそうです。

9.京浜工業地帯も焼け野原になっており、こりゃ復興は
  大変だと思った。

こんな話しでした。
621名無し三等兵:2007/09/28(金) 23:13:09 ID:E6uaTsAz
>>472
泣きそうになった…
622名無し三等兵:2007/09/30(日) 00:53:01 ID:???
伯父が海軍志願兵で巡洋艦に乗っていた。(艦名不詳)
ある日乗艦が撃沈され、共に脱出した乗組員達と数日間漂流するハメになった。
幸いにも近くを通りかかった友軍に救助されるのだが、長時間の漂流で皆疲れ切っており、
投げ込まれたロープに掴って引き上げてもらう際に力尽きて落ちる者が多かったそうだ。
そして落ちた者のほとんどは二度と海面に浮かんでこなかったと。
それを見ていた伯父は「腕なんて折れても構わん!」と、ロープを腕にがんじがらめに
巻き付けて引き上げてもらったそうだ。
艦上に引き上げられた後は、玉を思い切り蹴り上げられたと言っていた。

これは幼少の頃に聞いた話なのだが、自分が軍事に興味を持つようになって
「いつか詳しく話を聞きたいな」と思っているまま会う機会もなく亡くなって
しまったのが残念。
623名無し三等兵:2007/09/30(日) 10:18:54 ID:???
>>622
玉を蹴り上げられたのは気付けのためかな?
救助された直後or直前に気が緩んでそのまま死んでしまうってのはよく聞くよな・・・
切ない
624名無し三等兵:2007/09/30(日) 13:07:52 ID:???
>>623
呪われた潜水艦・伊-33の事故の時も、
救助されたのは3名だけど、助け揚げられた直後に1人死んだらしい・・・
625名無し三等兵:2007/09/30(日) 17:36:04 ID:???
>>624
金蹴りで?
626名無し三等兵:2007/09/30(日) 22:31:39 ID:???
>>625
60mの水中から奇跡的に浮かび上がって、
さらに、海流の早い水域に揉まれながら十数時間漂流、
あげくせっかく助けられたのに、その場で力尽きて絶命してしまう、
そんな人もいると思えば、
お前みたいな糞馬鹿は生きているんだな、
まさしく神様は堅気じゃない
627名無し三等兵:2007/09/30(日) 22:34:58 ID:???
死にそうな奴かどうかを判定するのに玉を蹴るとかあったような。
628名無し三等兵:2007/09/30(日) 22:42:38 ID:???
ちなみに、
その時浮上に成功したのは10数人はいたようだが、
その場に少尉がいたにもかわらず、
「若造が。」と侮ったのか、ベテランの兵曹がそのうち9〜8人と勝手に泳いで行ってしまい、
取り残された少尉とその場の2人だけが、反対方向に向けて泳ぎ出したそうだ
十数時間の漂流のち助けられた少尉は、
「やっぱり、俺が選んだ方向は失敗か、1人死なせてしまった・・・ベテラン兵曹らはとっくに救出されてるだろうな・・・」
と後悔したそうだが、「いや、救助されたのはあなた方だけですよ?」と言われ、
改めて運命の不思議さを噛み締めたそうだ
629名無し三等兵:2007/10/03(水) 08:11:27 ID:???
>>627
助かった事にホットして、死んじゃうからキンタマ蹴るんじゃなかったっけ?
630名無し三等兵:2007/10/03(水) 08:22:07 ID:???
>>629
キンタ負けるな!
631名無し三等兵:2007/10/03(水) 09:54:10 ID:???
キンタ負けが多い 
632名無し三等兵:2007/10/03(水) 11:14:06 ID:???
キンタマカオに着いた
633名無し三等兵:2007/10/03(水) 13:02:29 ID:g83YDPy9
「金太の大冒険」よりも「極付けお万の方」のほうがマニアックだぎゃ。
http://homepage3.nifty.com/suekichi/p08d.htm
634名無し三等兵:2007/10/03(水) 13:50:41 ID:???
よく海に何日もつかってた話を聞くけど、
低体温症は、大丈夫なの?
南方の海では大丈夫そうだけど、本州近くだとやばい?
635名無し三等兵:2007/10/03(水) 16:41:50 ID:???
お万〜子鹿に触る〜♪
636名無し三等兵:2007/10/03(水) 20:59:42 ID:???
>>634
本州近くといっても場所と季節で大違いじゃない。
冷たい海では「海に落ちたら何分も持たずにアウト」だそうだし。
637名無し三等兵:2007/10/03(水) 21:55:42 ID:???
アッツ燈沖で酔って落っこちた潜水艦の艦長さんがですね
638名無し三等兵:2007/10/03(水) 23:41:20 ID:???
>>643
赤道付近の表面海水温度は
温水プールの温度とほぼ同じ
まあ、全身ふやけるだろうがな
639名無し三等兵:2007/10/04(木) 02:16:48 ID:tKZEtc3m
>>633-635
「金太の大冒険」は発売後二十日で放送禁止になったが、
「極付けお万の方」は六日で放送禁止になった。
640名無し三等兵:2007/10/04(木) 21:32:45 ID:???
>>637
板倉光馬艦長かw

「酔って海に落ちて死ぬ奴が多いから気をつけろよ」と言ったその晩に
自分自身が泥酔状態で落ちて心肺停止するも、普通に蘇生した人だからなぁ…
常人ならば四肢の血管が収縮して逆流、そして心不全起こして死ぬはずが
洒落にならんくらいに飲んでたおかげで血管が限界まで拡張していたから助かったんだっけか
641名無し三等兵:2007/10/04(木) 22:02:47 ID:???
昔伯父に聞いた話だが、彼は軍艦(艦名は聞いてなかった)の機銃撃ってたみたい。
で、豪州に行ってたと聞いた。

敵機群が機銃掃射しながら海面スレスレでこちらに迫ってくるらしい。
機銃手が撃たれたら新たに人が替わって撃つんだけど交代する者も次々と撃たれ
て艦上は悲惨な状態だったって。

艦名とか詳しく聞いておけばよかったな。
豪州の海戦ってソロモンの海戦とかかな?
642名無し三等兵:2007/10/04(木) 23:14:26 ID:???
珊瑚海だったりして・・・
643名無し三等兵:2007/10/05(金) 03:16:02 ID:???
まさに「戦艦武蔵の最期」状態だな
644名無し三等兵:2007/10/05(金) 07:42:01 ID:???
俺の曾祖父は、久留米の菊部隊だった。

中国大陸で数々の戦闘に参加するも、ビルマで戦死。確か部隊も壊滅状態になったと聞いた。

実家に軍服姿の遺影が飾ってあるけど、
当時の日本人にしては体格が良く屈強そうな若者だった。
645名無し三等兵:2007/10/06(土) 02:31:39 ID:???
世界最強と言われたという久留米の竜兵団の方のお話は無いですか?
646uaa:2007/10/06(土) 04:46:20 ID:ZKf07L81
>>644
うちの祖父さんは自動車部隊でビルマにいた。
インパール作戦の時は参加部隊を運んだそうだ。
戦争中の事をいろいろ話してくれたが、インパールの話はあまりしたがらなかった。
647名無し三等兵:2007/10/06(土) 05:44:04 ID:???
ばぁさんの話でもいいか?

うちのばぁさん、大陸からの引き上げ者なんだけどさ、やっぱりロスケが攻めてきたとき、軍人さんに手りゅう弾渡されたってさ。

幸いにして使わずにすんだから、俺が生まれてるわけなんだけど。

648名無し三等兵:2007/10/06(土) 06:04:03 ID:ZhW8Onp3
父方の祖父は大陸に従軍した。
中国人は優しかった。
飯も酒も旨かったし、特に女がなぁwとよく言っていた。
ロシア人の姉ちゃんとデキてたらしく、未だに写真を眺めてたりする。

砲兵で観測員?だったらしく、戦闘は極めて楽で、38を敵に撃った事は一回もなかったらしい。

しかしそんなじいちゃんにもピンチが訪れた。

ある日いつものように「だんちゃーくよーしへいよーそろー…あー髪伸ばしたい軍団ヤダヤダ」とグダっていたと。

しかしよく双眼鏡を見ると中国兵が恐ろしい数で突撃してきていた。
前線は崩壊し、友軍は凄い勢いで砲兵隊の方に撤退していた。

そこで我が祖父は塹壕?で死んだフリをした。
頭の上を中国兵が走り去って行き生きた心地がしなかったそう。
その後友軍が盛り返して助かったとか。
未だに「みんぱーいwww」とか怪しい中国語を話す90歳です。

ちなみに祖父はヘタリアのハーフです。

母方の方はエジプト人と混じってたので顔つきで二人共軍では嫌な目にあったみたい。
長崎出身の人は結構混じってる人多いと思う。

まぁ話しが逸れたが、そのおかげか、当時の日本に染まらず戦争で死ぬのは真っ平ゴメン精神を発揮してくれて、俺が今いる訳だから感謝してます。
649名無し三等兵:2007/10/06(土) 06:04:43 ID:???
650名無し三等兵:2007/10/06(土) 09:33:39 ID:Ia15YzxB
俺の爺ちゃんは天津で軍用犬の訓練をしてたぐらいw
友達の爺ちゃんは大和が出来た時に艦内に乗ったことがあるらしい。
その時にどっかの部品を取って持って帰ったって聞いた。
別の友達のじいちゃんはジャングルで友人が米兵に頭をナイフで刺されて殺されるのを目撃したらしい。
そのまた別の友達のじいちゃんは海軍だったけどお前若いから乗らなくていいと言われて、結局乗らなかったけど
その後その船は敵に沈められたらしい。
651名無し三等兵:2007/10/06(土) 09:41:14 ID:oeZFXZfp
開戦時からパイロット。写真も残っている。
○鶴の搭乗員だが何の飛行機に乗ってたのかは聞いてなかった。
大戦末期は予科練で教官をしていた。
652名無し三等兵:2007/10/06(土) 13:52:19 ID:Y4XHLdWs
【技術】兵科以外の軍科スレッド【主計】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1191255587/

「技術」「主計」「衛生」「軍楽」「法務」などなど、兵科以外に
所属していたおじいさまがいる人はこっちにも書き込みどーぞ。
653連隊長:2007/10/06(土) 16:36:02 ID:J2fUeqw9
うちの爺さんは、一般兵から陸軍士官学校に行きました。
そして、満州に大隊長で終戦を迎えたけど、ソ連によってシベリアに強制連行されたそうです。
満州の部隊は自動車化された機動部隊だったと聞いてました。
大隊長の乗る自動車(フロントガラスに銃弾根があった)脇に立っている写真も見せてくれました。
その爺さんから子供の頃、地形にあわせた防衛戦術についてレクチャーも受けてました。
でもね最後には、戦争はしないことが一番いいと言われたな。その爺さんも92歳でなくなりました。
654名無し三等兵:2007/10/08(月) 22:49:16 ID:???
どなたか教えて頂けたら幸いです。

亡き大叔父(海軍)の写真を見つけたのですが
服装は、全身白(靴・手袋も)で、
肩章?には一つなにか付いてるのですがよく判りません。
軍刀(長い)も写っています。海軍は短剣ではなかったのでしょうか?
階級が知りたいのですがどうやったらわかるでしょうか?
たぶん明治40年頃の生まれだと思います。

陸軍に昭和18年入隊直前の甥(私の父の兄)に
”靖国で会おう”と話をしていたというのは昔聞いたことがあります・・
(既に父も亡くなり、戦前の話が聞ける人がいないので)
655名無し三等兵:2007/10/08(月) 23:24:28 ID:???
>>654
白い軍服で肩章付きであれば、「海軍士官二種軍衣」ですね。
このサイトをみて、階級の判別がつきませんか?
http://www.nakatashoten.com/indexmenu.html
656名無し三等兵:2007/10/08(月) 23:30:21 ID:???
「日本海軍 軍装・装備品」の4ページに肩章があります。
657uaa:2007/10/09(火) 04:29:02 ID:fAv9bT5p
>>654
> 服装は、全身白(靴・手袋も)で、
> 軍刀(長い)も写っています。海軍は短剣ではなかったのでしょうか?

第二種軍装で太刀型軍刀ということは、昭和12年以降でしょう。

> たぶん明治40年頃の生まれだと思います。
> 肩章?には一つなにか付いてるのですがよく判りません。

40年だと海兵55期ですね。早生まれとかで前後しますが・・・・
終戦時に生き残って中佐、戦死で大佐だから、少佐時代の写真だと思います。

> 階級が知りたいのですがどうやったらわかるでしょうか?

http://www42.tok2.com/home/fleet7/Museum/RankJN5.html
ググればいろいろあると思います。

↓この中に名前があるのでは?
卒業していれば、海兵52〜56期、海大36〜39期にあると思います。

http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/sub2.1.html
http://homepage1.nifty.com/kitabatake/kaidaitop.html
658名無し三等兵:2007/10/09(火) 05:45:37 ID:???
おぉ、さすが軍板!
偉い人が現れた!
659名無し三等兵:2007/10/09(火) 15:41:17 ID:???
>>655,656,657
ありがとうございます。

大叔父の生年は定かでなく、私の祖母が明治36生まれなので
明治40年〜大正初期生まれかな、と私の勝手な推測です(祖母の下に妹弟が4人)

写真は保管もよくなく、汚れていて、でもハンサムで立ち姿が格好よくいい写真です。
少佐?少尉?兵学校とかそんな立派なところにいったのかなあ・・・

大叔父は生き残り、30数年前に亡くなったそうです。
その甥(私の伯父)は昭和19年、22歳で中華民国湖南省柳陽縣で戦死。

他に大正3年乃至9年戦役従軍記章(祖父の従兄弟のもの)も仏壇の下から見つかり
うれしいというか厳粛な気持ちになりました。
知識ゼロなのでこれから勉強しようと思います。
660名無し三等兵:2007/10/09(火) 16:35:43 ID:???
兵学校って今の防衛大ぐらい狭き門なんか?
661名無し三等兵:2007/10/09(火) 17:49:21 ID:???
東大と日体大を足したようなところ、と認識すればよい。全国の俊英が受験してもなかなか受からない狭き門。(除く昭和19年以降)
662名無し三等兵:2007/10/09(火) 18:05:40 ID:???
凄いな
663uaa:2007/10/10(水) 02:54:59 ID:XwBab3Gb
>>661
> 東大と日体大を足したようなところ
うまい表現www
目が悪い奴は経理学校か陸士に行ったそうだ。

>(除く昭和19年以降)
昭和初期以前もそんなに難しくなかったらしい。
少しでも余裕のある家庭の子弟は帝大を目指したそうだ。
陸士・海兵・高師は月謝が無料だったから、貧しい家の子が集まって倍率が高かった。

特に、大正の軍縮時代は人気無かったようだ。
その頃入った連中が太平洋戦争中の大佐〜少将クラスだったから・・・

でも、その当時質が低下してたのは日本だけじゃないようだけどね。
アメリカ映画「ケイン号の反乱」は、軍人の人気がない時代に士官学校を卒業した艦長が、
能力的について行けなくてノイローゼになったって言う話だし。
664名無し三等兵:2007/10/11(木) 19:32:55 ID:6vdR+vWZ
このスレ見て祖父(92歳)にいろいろ聞いてみたんだけど、記録がいろいろ
出てきました。詳しい人に説明してもらえると嬉しいな。

1936年召集され甲種合格、習志野戦車二連隊配属、1937年天津→石家荘
→南宮→清河と行って1938年に3年で除隊している。
89式に乗っていたようで最初は砲手だった。当時はガソリンエンジンだっ
たようだ。除隊時は伍長勤務で予備役で伍長となったことが兵隊手帳だっ
け?に正式記録で残っていた。本人は昔から甲種合格でヒラから伍長まで
いったことを自慢していたけど、これって結構立派なのだろうか?

マラリアにかかった証明書だとか恩給をもらう資格がないことを示す書類
だとかもセットで出てきたよ。
ちなみに実家の家業は戦車のノウハウを生かして自動車修理工場、俺は
リーマンで上海赴任中なのでこんどいちど祖父の足取りをたどってみようと
思っています。
665名無し三等兵:2007/10/11(木) 22:20:37 ID:???
知り合いの爺さんは帝大在学中に召集されて立川の研究所(陸軍)に配属になった。
トウモロコシで航空燃料をつくる研究をやらされたそうだ。
実験はしていたが絶対にモノにならないと思ってたそうだ。

学徒動員組は職業軍人からいじめられたが戦争はすぐに負けると思い我慢。
中央線で研究所まで通っていたが制服を着ていると市民から白い目でみられて嫌だったとも。
でもまあ軍人にレポートを提出するだけのお気楽な中尉生活だったらしい。
上官からおまえたちが活躍するのは戦後だなと打ち明けられたという。
研究所は終戦の日まで冷静だった。

蛇足だが東京大空襲時にも関わらす省電は動いていたそうだ。
女性の乗務員が懸命に働いていたとか。

理系帝大生の戦中はのん気なものだったらしい。
666名無し三等兵:2007/10/11(木) 23:58:49 ID:???
>>665
立川からはちょっと離れた陸軍の研究所で働いていた津村節子の自伝小説「茜色の戦記」に
出てくる学生研究者の仲間の人だね。

> 理系帝大生の戦中はのん気なものだったらしい。
そうだったらしい。ただし、家が空襲でやられた人も多いし、後期は艦載機の銃撃とかで
やられた人もいたそうだから、戦時中としては、という但し書きが必要ですな。
667名無し三等兵:2007/10/12(金) 16:33:35 ID:???
>>665
トウモロコシから航空燃料か……
そういう研究の延長で、今じゃ食用廃油から合成軽油が作れる時代になったんだな。
668名無し三等兵:2007/10/12(金) 19:05:21 ID:???
よく知っているおじいさんが、昭和20年8月15日に全国民向けラジオ放送のナレーターを担当したそうな。
669名無し三等兵:2007/10/12(金) 20:39:37 ID:whfoiTIG

 一 銭 五 厘 の 赤 紙
 戦 陣 訓
 バ ン ザ イ 突 撃
 玉 砕
670名無し三等兵:2007/10/12(金) 20:44:40 ID:whfoiTIG

 一 銭 五 厘 の 赤 紙
 戦 陣 訓
 バ ン ザ イ 突 撃
 玉 砕

 登 場 さ ん よ !

 一 般 国 民 な め ん な お っ !
671名無し三等兵:2007/10/13(土) 04:01:27 ID:???
陸軍中尉だった祖父(現在89歳)
中国で武装解除の時、軍刀はそこらへんの木をたたき切って
刃をボロボロにして渡した、犬10匹捕まえて食べたとかも言ってたな。
終戦から1年間捕虜の後帰国。
672uaa:2007/10/13(土) 04:53:31 ID:p7CBYPfT
父方の祖父さんの軍刀は武装解除で渡してしまったけど、文官だった母方の祖父さんの儀礼用サーベルは残ってた。
死んだ時、守り刀として棺桶と一緒に焼いちゃった。
今考えるとすげー勿体ないことをしたもんだ。
俺が軍ヲタになる前に死んじゃったから・・・・
673名無し三等兵:2007/10/13(土) 18:51:43 ID:???
>>669
「一銭五厘の赤紙」というのは俗称ね。
実際には郵便物ではない。
674名無し三等兵:2007/10/13(土) 19:08:34 ID:0VNJNzYw
七銭五厘の弾でも中れば痛い
675名無し三等兵:2007/10/13(土) 19:46:21 ID:???
一升三円
676名無し三等兵:2007/10/13(土) 23:47:39 ID:???
身の上心配ある参上す
677名無し三等兵:2007/10/14(日) 00:03:40 ID:???
チンタツ サセコイ
678名無し三等兵:2007/10/14(日) 00:10:50 ID:???
球の体積かよ。
679名無し三等兵:2007/10/14(日) 02:24:27 ID:???
身の上に
心配あるの惨状は
杞憂堆積の結果なりけり
芭蕉                うそ
680名無し三等兵:2007/10/15(月) 01:16:36 ID:???
>>677見て思ったんだけど、『横須賀鎮守府』も『ヨコチン』って略す訳?
681名無し三等兵:2007/10/15(月) 12:08:37 ID:???
>>680 「チン」は朝鮮の鎮海鎮守府の略だから、
横須賀鎮守府は「ヨコ」でOK

「チンタツサセニコイ」=「鎮海を出航、佐世保に来い」
682名無し三等兵:2007/10/15(月) 20:35:05 ID:???
チンコが勃つてしやうがなひのでサセ子は二人こっちへ来るやうに
_____  __________
    ___∨_______,,,
  /  ∧_∧            ヽ
  |::ヽ ( ・∀・) --|--      ヽ ヽ
  |.::::ヽ(∩  へ ,,_,,_,,,__,,,,, ヽ ヽ
  ヽ:::::::i'''''i (_)          i'''''i
    ヽ::::i_i (_)_______i_i
683名無し三等兵:2007/10/15(月) 20:52:55 ID:???


743 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 17:50:00
軍人が好き好んで殺しをやってる精神破綻者かなんかだと思ってるんだろうか。

744 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 17:52:08
>>743
そう思い込む向きは多いんじゃないかと思われます。

まぁ、相手はランボーじゃないから安全ですしね。

745 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 17:52:35
>>743
間違いなく思ってる。

748 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2007/10/14(日) 17:56:43
>>743
そう似た様なことをTVで言っていたのを見て、
「敵国の狂人が国民の所に行かない様に俺達はみんな狂ったんだ」
と呟いた死んだ爺さんを思い出した。
684名無し三等兵:2007/10/15(月) 23:31:07 ID:???
>>681
鎮海は要港部/警備府で、鎮守府ではないが?
685uaa:2007/10/16(火) 03:17:58 ID:uTNGW67Q
鎮海鎮守府略してチンチン
686名無し三等兵:2007/10/16(火) 05:54:10 ID:???
うちの爺さん(静岡連隊)の思い出話。
俺(15才、97式戦車のブラモを作りながら)「日本の戦車って、弱かったんだよね」
爺さん「そんなことはない、強いぞ。機関銃にやられないからな」

当時は「何言ってんだ爺さん」はと思ったもんだが、今考えると「なるほど」と思う。
687名無し三等兵:2007/10/16(火) 07:17:55 ID:???
上海じゃチェコ製の機関銃に日本軍は悩まされたからなぁ。
688名無し三等兵:2007/10/16(火) 23:36:23 ID:???
うちの祖父さんは・・・

新天地満州へ移民の話が出たが祖母さんの反対でなしになった。

昔手術で負った大きな傷跡の酷さが元で徴兵検査で落ちた。

戦火が激しくなって疎開することになりようやく疎開先が広島に決まったが
どうも誰かが裏金を使って順番を割り込んだらしく疎開先が変わった。


万事塞翁が馬

今にしてみれば恐ろしく幸運な人生だったな
689名無し三等兵:2007/10/17(水) 07:26:19 ID:???
>>688
結構なんでも徴兵されるものだと思ってたけどそうでもないんだね。
うちの亡くなったひいじいちゃんは当時30歳前後で、適齢期だったけど、
神経系の病で徴兵されなかったらしい。
俺が生まれてからはアルツハイマーで、俺はからかって遊んでたけど、
当時の俺をぶん殴ってやりたいよ。。。orz

病気も徴兵に関しても色々な苦労があったんだろうなって今なら切に感じるよ。
690名無し三等兵:2007/10/17(水) 20:30:41 ID:???
>>689
30歳では兵隊には適さないね。
おじいさんが徴兵検査を受けた18歳の頃は
戦争はなかったし。
ウチの母方のじいちゃんも適齢で無かったので
徴兵から免れた。
父方のじいちゃんは満州に移民して末期まで兵隊に取られなかった。
二週間だけ兵隊やって、部隊長から
「オマエら、兵隊なんてやってないから、家族と一緒に帰れ」と言われて
運良く抑留されずに帰ってきた。
やはり祖母が逃げていく途中で、
「置いていってくれ」と村の人たちに懇願したらしい。
同行していた兵隊さんが「こんな所で死んではいけない」と
叔父をおぶってくれて、なんとか逃げ切りました。
その兵隊さんとは戦後、40年ほどして
年金受け取りの証人になって貰うために再開して御礼を言えたと言っていた。
祖母が死ぬ間近になんでもしてやろうと、色々とやりたい事をやらせてあげたが、
「世話になった満人にお礼を言いたい」と言ったのには困った。
食べたいものは食べさせてあげたし、お墓も立てたし、
祖母のやりたい事をやらせてあげたが、これだけはどうにもならなかった。
691名無し三等兵:2007/10/20(土) 02:36:37 ID:???
軍板にも、こういうスレがあるんですねー。
何度か「ウチの爺さんがこう言ってたんだが」と書いたが必ず
「嘘つけ」「ぼけてんじゃねーの」とかで終わっちゃってたから。
692名無し三等兵:2007/10/20(土) 14:41:01 ID:???
【歴史】ビルマで戦死した日本兵の手紙、64年ぶりに届く[10/20]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1192812592/l50

良かった良かった・・・
693名無し三等兵:2007/10/21(日) 21:53:26 ID:34OhghJi
今NHKでやってる特攻隊の番組で
亡くなった特攻隊員の遺影がでてきたんだが
俺と顔が全く一緒で家族全員が合成写真で俺が驚かしてるとか
疑う程だった…
本当に顔が全く同じだ…
凄く不思議な気分だ…

戦友の人が「大上は『もし生まれ変わったら平和な国に生まれて教師になりたい』と言っていた」
と言ってた。
俺は大学で教育について学んでる…
なんだか不思議な偶然…
生まれ変わりって本当にあるんでしょうかね?
平和は本当にありがたい。
靖国の英霊に敬礼(`-´)ゞ
694名無し三等兵:2007/10/21(日) 21:57:32 ID:???
え…? 最近の日本語は随分と難しいんだな…
695名無し三等兵:2007/10/21(日) 22:02:59 ID:???
>>693
頑張って勉強しなされ。
696名無し三等兵:2007/10/21(日) 22:13:46 ID:???
父方の祖父は戦前から内務省の技官で、満州に行ったりしていたらしい。
戦中は東京に住んでいたが、九州帝国大学で教授の口があるということで福岡に引越し、その数日後に東京大空襲があったので助かったと祖母は言っていました。

母方の祖父は九州大学工学部の学生で、理系なのでしばらくは徴兵されなかったが、45年になって状況が厳しくなってくると海軍に徴兵されたらしい。
帝大の学生は特例で(?)いきなり少尉になったという話だが、現在は本人はボケてしまったのでよく分かりません。
海軍だけど軍艦がもうあまり残っていなかったので、九州に上陸してくる米軍を迎え撃つために訓練をしていたんだとか。
乗馬の訓練で仲間が落馬して死んだとか、本州から戦車が送られてきたけど、小さくて戦車砲のかわりに機関銃がついているもので、こんなのでアメリカ軍に通用するのか不安だったらしいです。
697名無し三等兵:2007/10/21(日) 22:17:03 ID:???
>>696
>小さくて戦車砲のかわりに機関銃がついているもので、
おそらく、九四式軽装甲車(通称;豆タンク)かと思われ。
698名無し三等兵:2007/10/21(日) 22:37:11 ID:???
九七式軽装甲車の機銃装備かも
699名無し三等兵:2007/10/21(日) 22:39:28 ID:???
戦車だけど砲架だけで戦車砲が付いてなかったとか…
700名無し三等兵:2007/10/21(日) 22:54:25 ID:???
>>696
>帝大の学生は特例で(?)いきなり少尉
動員時に予備学生(少尉候補生)→少尉任官でしょ
701名無し三等兵:2007/10/22(月) 06:03:12 ID:???
>>693
教え子に手を出すなよ、特攻で亡くなった方はそんな事微塵も思ってないからな。
702名無し三等兵:2007/10/22(月) 07:01:35 ID:FdLionzO
>>701
教え子に中田氏しまくって教え子何人もはらませてるヤンキー先生
がカリスマ教師像なこの国…
元ヤン売りにして「教育に命かけてる」とか自分に酔いすぎだよな
やっぱりこの国は何かがおかしくなったよな
703名無し三等兵:2007/10/22(月) 07:19:51 ID:???
>>702
http://www20.atwiki.jp/mekemekedash/pages/5.html
これか。
教育に命かけてるって言ってたのか。
今じゃ議員やってるくせにな。

自己陶酔ってのはある程度必要だぞ。
ただ、こいつは行動と言論(宣言)がかみ合わないんだわ。

蛇足だが。
http://www.popteen.jp/research/04.php
これみた時、悪寒がしたわ。虫唾が走る。
704名無し三等兵:2007/10/23(火) 18:56:22 ID:???
私の母方の祖父は
ガタイが良すぎて被服が無いとの理由で徴兵を落ちた
大正生まれなのに身長176cm、靴のサイズが現在の28cmじゃなぁ

705sage:2007/10/24(水) 00:12:57 ID:a6hMoKMI


>>704
俺の爺さんお宅の爺さんとほぼ同じ(靴は27だけど)スペックなんけど
学徒出陣で駆り出されたよ、陸軍の内地勤務で少尉

支給された服は全く合わなくて(剣道部だったので特に肩幅)難儀して
結局自腹で上着を作ったみたい
706名無し三等兵:2007/10/24(水) 00:31:37 ID:???
友達の爺さんから聞いた話だが

「一番死なない兵隊は3,4年兵だな。戦場にも慣れそつがない

よく死ぬ兵隊は初年兵と5、6年兵
初年兵は慣れない戦場でつまらんことで死ぬ
5年も6年もの古年兵になると慣れすぎて死ぬ

俺の同期など敵の機関銃でバリバリ撃たれているのに伏せもせんで
『こんなタマにはあたらんよ』と突っ立ていたもんだ

別な古年兵は敵からパンパン撃たれているのに土手の上に立って撃ち返していた
『あたらん、あたらん』と言ってたら案の定撃たれて下に転がってきた
『みんな、俺の真似はするなよ』と言って亡くなったんだ

だから俺は慣れないように注意していたから帰ってこれたんだよ」

という話をしてくれた
中国の話らしいけど具体的にどこの場所を転戦していたかを聞く前に亡くなってしまわれた
707名無し三等兵:2007/10/24(水) 02:00:46 ID:DPnWyCbN
たまたま仕事で話したおじいさんは、大戦中、巡洋艦に乗っていたそうだ。
撃沈される前に陸上勤務になり難を逃れたが、仲間は皆、戦死したとのこと。

「酷い戦争だった」
と、呟いた時の顔が忘れられない。
708名無し三等兵:2007/10/24(水) 03:28:53 ID:???
祖父の海軍時代の軍歴証明を入手したいのですが
どのようにすれば良いでしょうか?
709名無し三等兵:2007/10/24(水) 04:09:24 ID:V2dfKoVY
親戚のおじさんが、中国大陸で戦ってたらしんだけど、終戦後シベリア抑留に
なって、3年位して日本に帰ってきたらしい。親族は、皆、戦死したもんだと
思ってたそうだ。話を聞こうとすると、つらそうな顔で、「寒かったなあ」と
一言。話すのはやはり嫌なみたいだった。20歳そこそこであの経験はかなり
人生観変わるだろうなあ。
710名無し三等兵:2007/10/24(水) 05:54:42 ID:???
>>708
少しはググレよw

ほい!

日本における軍歴証明書は、主に太平洋戦争に従軍した陸軍・海軍の元将兵について記録した文書であり、
主に恩給や保障を受ける際の証明などを目的として本人または3親等以内の親族に対して発行している。

書面の内容は、氏名、官職、叙位叙勲以下、招集時期、出航した港、配属、任官、進級、従軍記録、賞罰、
傷病と治癒に関する記録、招集解除時期などが記されている。

陸軍の軍歴は各都道府県の社会福祉担当部署及び厚生労働省が所管している。
陸軍軍人・軍属(従軍文官、雇用人、工員を除く)は都道府県、陸軍軍属(高等文官・従軍文官)、
海軍軍人等については厚生労働省が所管している。その他、陸海軍の軍属に関して年金等の
証明に伴う証明書発行に際しては社会保険事務所を介する場合もある(厚生労働省ホームページ参照)。

軍歴証明書の発行は、証明書に記載された本人または3親等以内の親族であることを証明する書面、手数料と返信用の封書と切手等を同封の上、提出するなどの手続きを経て、発行を受ける。
711名無し三等兵:2007/10/24(水) 09:37:55 ID:???
インディアナポリスを沈めた時に魚雷を発射した乗組員の1人が俺のじいさん
712名無し三等兵:2007/10/24(水) 12:24:18 ID:???
そういや祖母のお兄さん(なんか言い方あるのか?)が
下駄履きの水偵で駆逐艦に特攻して沈めたそうな
マリソンとかいう駆逐艦で、アメリカのどっかのサイトに記録があった
うろ覚えだがその文章の最後の方、「三機の旧式水上機が攻撃を仕掛けて来て〜」
と該当箇所を読んだときにはなんか心が震えたな…
713名無し三等兵:2007/10/24(水) 12:44:45 ID:???
>>711-712
スゲー
714名無し三等兵:2007/10/24(水) 21:09:01 ID:mtnsWLrH
以前勤めていた会社の上司だが、
父上がB-29に体当たりして散華したと自慢していた。
715名無し三等兵:2007/10/24(水) 21:14:39 ID:???
>>712
大叔父(おおおじ)
716名無し三等兵:2007/10/24(水) 21:24:21 ID:???
>>712
DD-560、フレッチャー級の『モリソン』な。
ttp://en.wikipedia.org/wiki/USS_Morrison_(DD-560)
昭和二十年五月四日沈没(海軍特攻隊、琴平水心隊の攻撃による・九四式水偵)
ちなみに、命名の由来となった、南北戦争時の海軍提督 ジョン・G・モリソン は、
あの ジム・モリソン の先祖だったはず。

て優香、このネタ『あなたのおじい様の戦争体験を教えて その8』で見たぞw
717名無し三等兵:2007/10/24(水) 21:38:59 ID:???
>>715
そんな呼び方があるとは知らなかった

>>716
それ俺wサーセンww以前はこのスレに世話になりました
最近久々に軍板に来たらこのスレが懐かしく感じたもんで
相変わらずモリソンをマリソンと間違えてしまった…w
718名無し三等兵:2007/10/25(木) 00:28:26 ID:???
>>715
祖母の兄さんなら大伯父だろ。
719sage:2007/10/25(木) 00:36:54 ID:???

>>715
祖母の兄弟なら
読み方は同じだが
大叔父=祖母の弟
大伯父=祖母の兄

細かい事だけど知っいて欲しいな
意味が違うからね
720名無し三等兵:2007/10/25(木) 00:44:48 ID:CrVS10OL
俺の爺さんは、大戦末期に砲兵だった。長男だったので、38歳で
招集されたそうだ。実際、写真に写る他の兵隊さんも、初老という感じだ。
B29は高々度過ぎて、高射砲の弾が届かなかったそうだ。生涯、耳鳴りで
苦しんでいた。砲兵の職業病が耳鳴りだというのは、最近2chで知った。本人は
なにも言わなかった。そういうこともあって、戦時中から睡眠薬なしでは
眠れなかったんだろうな。。。。
721名無し三等兵:2007/10/25(木) 02:30:01 ID:HomtGDIe
祖父(当時11歳)の戦争体験

「終戦直後アメリカの飛行機を見た。どっちへ行ったかなと思って見ていると、
目の前を見た事もない飛行機が、とても早く飛んで行ったので、
私はびっくりしてしまった。にくらしい。癪だ。今に見ろ今度はアメリカの国の
上を飛行機で悠々と飛んでやるから、と思って、にらみつけてやった。」
722名無し三等兵:2007/10/25(木) 10:01:35 ID:???
>>705
 多分、徴兵時期が支那事変の前なので、そこまでせっぱ詰まっていなかったからだと思う。
一応、戦時中は長崎の造船所で徴用されていたらしい。
723名無し三等兵:2007/10/25(木) 17:09:52 ID:???
家に帰ってくると・・・・
占拠されていた!
724名無し三等兵:2007/10/25(木) 23:17:53 ID:???
>>705
よく知らないのであれだけど、士官は元々自腹でないのかい?
725名無し三等兵:2007/10/26(金) 00:40:13 ID:???
父方の祖父は国鉄勤めかつ長男だったためか、従軍しなかったらしい。
母方の祖父は、電電公社勤めでこれまた従軍せず。
母方の祖父の従兄弟が南方に行ったが、五隻の船のうち三隻沈んで残った
二隻の方の船にいたため生き残ったらしい。
どっちの祖父も、戦中の苦労話はあまりしてくれなかった。

726名無し三等兵:2007/10/26(金) 00:44:02 ID:???
そりゃ国鉄と電電は鉄砲担ぎに行かなくても、昭和17年だか以降は軍属扱いだ。
鉄道員や電話交換手が勤務中に空襲で死んだら「戦没者」で弔慰金も年金も出るぞ。
727まったくもー:2007/10/26(金) 00:58:06 ID:???
>>724
士官になるまでは官給品だ
728名無し三等兵:2007/10/26(金) 19:03:04 ID:???
俺の祖父の兄さんが、陸軍特別攻撃隊員として知覧基地から出撃、沖縄本島沖で散華したんだけど、
あの鳥濱トメさんの世話になってらしく、
戦後、兄さんの遺書とトメさんからの手紙が届いたそうだ。

祖父はどうしても感謝の言葉を伝えたいと、
東北の田舎町から鹿児島県知覧まで、はるばる会いに訪れた事があるみたい。

この前公開された特攻隊映画を、祖父を誘って一緒に見たんだけど、出撃シーンから最後まで大号泣してました。
729名無し三等兵:2007/10/27(土) 02:02:59 ID:???
383 名前:底名無し沼さん[sage] 投稿日:2007/05/01(火) 17:14:12
昔警察が家に来て38式歩兵銃を没収しようとしたとき
爺さんは悲しい目をしていた。
730名無し三等兵:2007/10/27(土) 05:18:01 ID:???
うちのおじいさんはハ号潜水艦の教官をしていたといっていたなぁ。
このスレ読んで気になったので、今度の帰省の時に詳しく聞いてみようと思う。
731名無し三等兵:2007/10/28(日) 20:41:55 ID:???
従兄弟の爺ちゃんの話だが戦争前に徴兵されて訓練が進んで下士官への進級試験を
受ける時に曾爺ちゃんが教官殿に酒を持っていって「落ちるように」頼んだらしいw

そのせいか兵隊のままで戦地に行ったようだが進級した仲間はほとんどが戦死、
本人は下っ端なんでちょっと怪我して後方送りで内地に帰って来たらしい。

まあ勇ましい話はいろいろあるけど、一般人は結構冷静に生き残る手を
打っていたんだな。

あ、当人も怪我して診療してもらうときも軍人の軍医じゃ帰してくれないんで
もと民間医で「産婦人科」の医者を選んで診断をしてもらったらしいぞw



732uaa:2007/10/28(日) 20:47:10 ID:w0b6BDcz
俺が子供の頃は元軍医の町医者がゴロゴロいたが、怖かった。
眼科に行ったらいきなり「姿勢が悪い!」「髪が長い!」と怒鳴られた。
733731:2007/10/28(日) 20:57:14 ID:???
あ、念のために行っとくけど本人は結構死ぬ目にあったらしい。

1、行った先がニューギニア(だったかな?南方)
2、途中で輸送船がボカチン、本人泳げないんで材木につかまってたら駆逐艦に拾われた、
   泳げる連中は泳ぎまわって疲れて沈んだ。
3、戦地で食料が無くなって残った食料を分ける時に隊長が選んだのはバター缶詰と石鹸。
   米や肉の缶詰は運ぶエネルギーの方が大きいんで効率のいいバターを選び、
   食事前に石鹸で手を洗い病気にならなかった。
4、内地に戻るにも輸送船がなかったけどたまたま補給に来た潜水艦(って言ってた)に
   乗せてもらって帰れた。

普通1〜4のどっかで死んでるぞ・・・
734名無し三等兵:2007/10/28(日) 21:15:26 ID:vQwQmhlQ
俺が幼い頃死んだ母方の爺ちゃんは砲艦と駆逐艦に乗ってたと母ちゃんに聞いた。

潜水艦の魚雷で乗っていた砲艦が沈み二日漂流したとか、南方で駆逐艦勤務の時戦闘で負傷して、その時の怪我のせいで戦後何回も銃弾やら爆弾の破片を手術して取ったらしい。

父方の爺ちゃんはシベリアに送られた、未だに骨さえ返って来て無い。
戦後何年も経ってシベリア帰りの帰還兵(婆ちゃん曰く、爺ちゃんの部下だった人)が爺ちゃんの遺品だと言って外国製煙草の箱を渡してくれたとか・・・。

二人とも靖国で俺を見守ってくれていると良いな〜っと想いつつ泣きながらカキコ。

駄文済まん。
735名無し三等兵:2007/10/28(日) 21:15:26 ID:LGCcxqS0
満州からラバウルへ転地。そこで芋掘りに勤しんだ。ラバウル海軍航空隊の替え歌を皆で歌って励ましあって終戦を迎えたが
マラリアにかかっており、戦後も数年苦しんだが治癒。5人の子宝に恵まれ建設会社を
定年後は妻と元気に暮らしていたが娘の一人がシャブで逮捕されたのが堪えて倒れ、じき病院で死んだ。享年87。
736名無し三等兵:2007/10/28(日) 21:22:09 ID:???
>>732
町で唯一の医者が軍医崩れで、平気で注射の廻し打ちをしたために
肝炎・肝癌での死亡率が全国平均の数倍、という町が日本のどこかにある。
737名無し三等兵:2007/10/28(日) 21:24:07 ID:???
>>734
うちの死んだじいちゃんはシベリアに5年間いたらしい、当時のことは
ほとんど話してくれなかったけど最晩年にぽつぽつ聞いた中で
「戦争に負けても国が残ってることがどれほど有り難いことか」が記憶に
残ってる。

3歳上の兄さんはソ連の満州侵攻時に前線にいてどこで戦死したかも判らない。
738名無し三等兵:2007/10/28(日) 21:36:23 ID:???
>>737お祖父さまのおっしゃられた通りだと思います。

父方の婆ちゃんが「お父ちゃん(祖父)達が御国の為に必死で戦ってくれたから、今の日本がある。それなのに旧軍は悪だと言う人がいて、お父ちゃん達を悪者扱いにされるのは悲しい。」と嘆いてました。
父方の爺ちゃんの男兄弟は全員戦死。
母方は祖父と叔父以外戦死されたとの事です。

婆ちゃんが生きている間に、爺ちゃん達の名誉が回復する事を願っている。
739737:2007/10/28(日) 22:10:29 ID:???
>>738
仰るとおりだと思います、祖父は戦中、抑留中のことはあまり話してくれませんでしたし
声高に反戦平和を口のすることもなかっただけに「国が残る」の言葉は記憶に残っています。

それだけに所謂「反戦平和団体」について私は非常に胡散臭く思えてしかたがありません。

あ、今になって思い出しました、小学生の時T-34のプラモデルを買ってきたときは
物静かな祖父に珍しく強い口調で言われました「(兄を殺した)ソ連の戦車なんか買うな」って。
740名無し三等兵:2007/10/28(日) 23:00:45 ID:???
チハ買え
741739:2007/10/28(日) 23:02:48 ID:???
チハはモーターで走らなかったからな
742名無し三等兵:2007/10/28(日) 23:06:42 ID:???
タミヤの戦車が走ってる時代かよ。
T-34は戦車相撲で最強。
743739:2007/10/28(日) 23:28:47 ID:T8VydiTS
いずれにしてもその時の祖父の口調が頭の隅に残ってるせいか
それ以来ソ連戦車の模型は買ってないよ。


744名無し三等兵:2007/10/28(日) 23:41:35 ID:???
>>743
>ソ連戦車の模型は買ってない
ここで市川の模型店主がなぜかものすごく不満顔
745名無し三等兵:2007/10/29(月) 01:14:33 ID:???
俺の祖父様は南方で英軍の捕虜になっていたらしい、捕まるまではひたすら民家から芋の弦とかを掘り出していたらしい。捕虜にならなかったら餓死してたと淋しそうに語るのは覚えていた
今ではうわごとで毎朝天皇に忠誠を誓っているらしい

祖母様は神奈川の工場で飛行機を組んでいたらしい、ある時近くに爆弾が落ちて友達が大勢しんだらしい

もう片方の祖母様の弟は徴兵が嫌で赤紙が来たら醤油をがぶ飲みしていたらしい、おかげで本当に体を悪くしたらしいのな
残念ながらその人は死んでしまった
746名無し三等兵:2007/10/29(月) 07:38:04 ID:???
>>728
うちの爺ちゃん、知覧で整備兵してたよ。
散っていくパイロット達の為に最高の機体にしてやろうと徹夜で整備して、
燃料も片道分てのは全くの嘘で、必ず満タンにしてやったと言っていた。

出撃前、「ありがとう。」
ってパイロット達が笑顔で言ってくれるのが嬉しくもある半面、見送る側として複雑な気持ちだったらしい。
もしかしたら、あなたのお爺様の機体をうちの爺ちゃん達が整備し、出撃されたのかもしれませんね。
747uaa:2007/10/29(月) 13:59:43 ID:1zdSLir7
>>736
軍医崩れの特徴は”患者に発言をさせない”ことだよね。
俺の経験
眼科:症状を聞かず、見ただけで病名を決定。原因を髪が長いからと決めつけ。
外科:いきなり切開。麻酔無し。「痛くないだろ」と凄まれた。

その町の人たちも、「先生注射器・・・」って言う間もなくブスッとやられたんだろうな。
748名無し三等兵:2007/10/29(月) 16:23:09 ID:???
徴兵忌避やら肉親が裏から手を回したことが自慢なのかよ。。。

恥を知れ!
749名無し三等兵:2007/10/29(月) 17:44:33 ID:???
>>748
まあ表立って堂々といえる事ではないのは確かだが、
当時の事を考えれば、今のうのうと平然と生きている>>748
「恥を知れ!」などと非難する資格は微塵も無いと思うぞ。
750名無し三等兵:2007/10/29(月) 20:48:41 ID:qVDBtsfK
>>748
誰が自慢しておる? 君は馬鹿かね?
751名無し三等兵:2007/10/29(月) 20:52:47 ID:50tu6l4M

『中国が北朝鮮を併呑する』
http://www.netlive.ne.jp/archive/SII/ 

[ビデオ]講師:青木直人(ジャーナリスト)
2007/9/28
752737:2007/10/29(月) 22:04:56 ID:???
748は勇ましい映画や戦記ものの読みすぎ。

実際の戦争を体験した人に聞くと「いかにして生き残るか」が大きな関心
だったとも言える、737で書いた俺の爺ちゃんも「国があってこそ・・・」
以外に話してくれたのは黒パンの配給は両端の切れが重くて食べでがある、
とか、スープの順番は中ほどに並ぶとが具が多い、とかだった。

多分、本当に地獄を見た人は却っておちゃらけて話すしかないのかもしれん、
「話しても理解してくれないだろう」ってね。

うちの嫁さんの爺さんは陸軍士官で戦地の話をよくするんだが、死ぬ目には
会ってないと思う、多分。

・・・・俺が暗然として書いてるのが判るか、748よ
753名無し三等兵:2007/10/29(月) 22:20:28 ID:???
なんか聞きたくてもあまり聞けないんだよなぁ、じいちゃんには
随分前に学校の課題で戦争体験聞いたときも、
伏竜の会?の冊子に載った体験談の紙切れ渡されただけだったし
俺が戦争系のゲームやってると「またどうしようもないゲームやってるな」
と笑いながら言ってくれるけれど…
ゲームに出てくる軍艦や飛行機の名前を見てるときは少しだけ懐かしそう
ばあちゃんは親兄弟を戦争で失ってるけど自分から笑いながら話してくれる…
やっぱり本人が死ぬような思いをすると違うのかな
754名無し三等兵:2007/10/29(月) 22:34:31 ID:???
父の知り合いが結構陸士、海兵上がりが多いらしく
戦中の話を色々と又聞きしてるんだが
憲兵だった人の南方戦線での漂流体験が興味深かったな。

乗船していた駆逐艦が撃沈され、何人かと三日三晩漂流したらしいんだが
その中で一番心安らいだのは小便のときだったらしいw
なんでも、海水温が結構低かったので小便が服の間を上がってきて気持ちよかったとか。

中野学校上がりの人の話も驚いたが、呆れたw
755名無し三等兵:2007/10/30(火) 00:25:17 ID:???
>736
>町で唯一の医者が軍医崩れで、平気で注射の廻し打ちをしたために
>肝炎・肝癌での死亡率が全国平均の数倍、という町が日本のどこかにある。

肝臓ガン死亡率が全国一の九州某県のことでしょうか?

30年前まで集団予防接種とはで平気に回し打ちしてた気がする・・・?

756uaa:2007/10/30(火) 01:49:20 ID:VJZ1bL7s
>>754
> 中野学校上がりの人の話も驚いたが、呆れたw

kwsk
757名無し三等兵:2007/10/30(火) 02:13:40 ID:ycfi9VA+
前にもどこかに書き込んだ内容になるけど

うちの祖父はミッドウェー海戦に参加して空母赤城に乗ってたそうな。祖父は整備
兵だった。ミッドウェーの時は兵装転換中で、本当に火薬庫の中に爆弾が落ちたよ
うな感覚で、大爆発したといっていた。何の船で助けられたかはわからんです。それで
口癖が「俺は一度死んだ男だ・・・」でした。

その後、祖父は南方戦線に送られたらしい。場所はわからないんだけど現地ではモ
ンキーバナナ?がおいしかったと言っていた。敵が攻めてきたらタコツボ?に入っ
て戦車が上に来たら爆弾のようなものを爆発させるとも言っていた(自爆)。

あと、戦時中天皇陛下の式典かなんかに参加して(詳細不明)、直接見たことがあった
らしい。

あと初期のゼロ戦は無敵だったことと、ゼロ戦の機銃の焦点(交差する距離)は400m
(あいまい?)だといっていたと思う。あと、小さいながらに疑問に思ったことがあって
戦闘機のプロペラ部分についている機銃弾がなぜプロペラに当たらないのか聞いたことも
あった。そのときの答えは弾がプロペラの隙間を抜けるようなタイミングで発射されるに
、と聞いた。あと他にも色々聞いたなー。たまにやる戦時中の映像とか見て、「これって
爆弾なの?」と聞くと「これは魚雷だよ」とか「これは燃料が詰まっていて、途中で捨て
るやつだよ」等。他に機雷の話とかもしてくれたんだけどどんな話かは忘れちゃったなー。

最終階級なのか、ミッドウェーの時点での階級なのかはわからないが兵曹長だといっていた。
当時は少佐とか、大将とかしか知らなかったのでヘッポコだと思ってたが、ソコソコ偉か
ったようだ。

という祖父は自分が小4のときに他界してしまった。現在26歳です。今思うともっと話したかっ
た。じいちゃん大好きで、倒れて病院にいったときは病院で泣きじゃくってたなぁ。又話したいよ。
758名無し三等兵:2007/10/30(火) 02:21:10 ID:???
>>755
肝炎については見たことがないが、肝(肝内胆管含む)ガンでの死亡率は厚労省が統計で出してるのがある。
九州に近いが九州ではない某県に、県全体、あるいは管轄保健所の区域全体では全国平均と大差ないのに、
その町だけ男性は平均の5倍、女性は3倍の死亡率、というところがある。
759名無し三等兵:2007/10/30(火) 02:29:01 ID:???
フグの食い過ぎか
760ラプター ◆muRbTeyo.o :2007/10/30(火) 07:53:37 ID:???
>>753
伏竜って潜水服着て自爆するアレか・・・
761名無し三等兵:2007/10/30(火) 15:43:44 ID:???
お前ら爺ちゃんは厳格な人多いな、俺の爺ちゃんは戦争に負けて悔しいかったとは
言ってたが、銃とか兵器なんかのミリタリー関連は大好物だそうだ、タナカの99式小銃
買ったときなんてしばらく返してもらえなかった(´・ω・`)
762名無し三等兵:2007/10/30(火) 17:05:25 ID:???
>>749
卑劣なまねしても生き残ればって?w

>>752
だから 親が裏から手を回しただの 醤油飲んで。。。
なんて連中と抑留者が同次元だと?
763名無し三等兵:2007/10/30(火) 17:14:11 ID:???
>>762
日本語わからんのかにょ

今のような平和な時代で、死に直面したこともない人間が、
あの時代のことを批判してできるのか、って話。

必ず死ぬってわかっていて、勇敢に戦えれば
それは素晴らしいかもしれないけど、
大多数の人間はそんな立派なもんじゃないよ。
でもそれが普通だから、勇敢な人は讃えられるんだろう。

子供だからって言っていいことと悪いことがあるってことを知れ。
764名無し三等兵:2007/10/30(火) 17:15:11 ID:???
>>763
訂正orz

>>あの時代のことを批判してできるのか、って話。

○あの時代のことを批判できるのか、って話。

俺カッコワルス。
765名無し三等兵:2007/10/30(火) 17:25:36 ID:???
>>763
当時の基準なら立派な国賊だろうが

ていうかナニその人命尊重絶対主義w
766名無し三等兵:2007/10/30(火) 17:28:27 ID:???
>>763
アノ時代全体ではない

黙々と義務を果たした人間たちの中で一握りの卑劣な連中が権力やコネや
悪知恵でうまく立ち回り それを伝え聞いた馬鹿な孫が自慢げに
爺の恥を書き込んだだけの話だわなw
767名無し三等兵:2007/10/30(火) 17:41:01 ID:???
現在の基準で当時を裁くなといいながら 都合が悪くなると
現代の基準で擁護か。。。。w

闇で食い物確保した。。。なんかとレベルが違うだろうが
兵役忌避などはw
768名無し三等兵:2007/10/30(火) 19:41:24 ID:???
ムッチーの孫に語ってもらうとどんな壮大なお話が出てくるのだろう・・・
769名無し三等兵:2007/10/30(火) 19:45:07 ID:???
となると、関羽がチャーチルで張飛がパットンだな

呂布・項羽 ウイグル獄長wwwww インドゾウさん強いだけwwwwwww
770名無し三等兵:2007/10/30(火) 21:10:34 ID:???
>>767
『死刑台のエレベーター』の故ルイ・マル、
戦中派の彼の自伝的映画↓『さよなら子供たち』
ttp://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=9102
では、敵であるはずのドイツ人達はゲシュタポ以外あまり悪人には描かれず、
(松本零士マニアが泣いて喜ぶ “ ババリア人のおっさんの兵隊 ” とか出て来ます)
今でもフランス人連中には唾棄される “ 対独協力者 ” も故ありと同情的、
しかしながら “ 徴兵拒否者 ” には容赦無い描き方でしたね。

とは言うものの、やはり『生きていないと、意味がない』と思います。
771名無し三等兵:2007/10/30(火) 21:48:11 ID:???
>>756
父と同業?の方と一緒に、とある企業の重役に会いに行ったそうなんだが
その方と重役が握手をしようとした寸前に両者の動きが止まり、同時に
「あなたとは中国の××の××通りで、昭和十×年の×月×日にすれ違った事がある!」と言ったらしいw
それでもって、お互いに詳しく話を聞いてみると中野学校の卒業者で(当時面識ナシ)
その地方での諜報に携わっている頃に偶然すれ違ったとのこと。

父も含め、同席者はただ驚くやら呆れるやらだったと。
772名無し三等兵:2007/10/31(水) 00:14:00 ID:???
>>765
こういう、聞いた風なことを公言する輩ほど、実際には使い物にならないんだよ。
口だけ。
773名無し三等兵:2007/10/31(水) 00:18:28 ID:???
>>767
陰で似たようなことをコソコソやる奴の常套句。
774名無し三等兵:2007/10/31(水) 00:18:33 ID:???
>>771
すご杉。
775名無し三等兵:2007/10/31(水) 00:20:39 ID:???
>>771
そういう超能力的な観察力と記憶力を持った人が選抜されたらしいですね。
776752:2007/10/31(水) 00:25:44 ID:???
>>762よ、
その抑留者の孫で、実際に本人から話を聞いている俺がその後それなりに
年取って話の背景に思いを巡らした、その上で書き込んでるんだぞ。
777名無し三等兵:2007/10/31(水) 00:50:30 ID:???
うろ覚えだが、なんかの本で読んだ中野学校の試験に立ち会った人の話。
その時の受験者は、試験官の座っている部屋に呼ばれて姓名階級等を申告、
で即退出(その間10秒くらい)。
別室で30分くらい待たされた後、おもむろに紙と鉛筆を渡されて
さっきの部屋にあったものを書けと言われる。
その受験者は机にあった灰皿と吸殻の本数、ライター、たばこの銘柄etc・・・
を覚えており、さらに部屋にあった本棚の本も複数列挙。
立ち会った人も驚いたらしい。
>>771 の話もうなずける。
778776:2007/10/31(水) 00:50:51 ID:???
ついでに言っとくと、737で書いた終戦時にソ満国境で戦死した爺ちゃんの兄さんは
どんな気持ちでT-34を見たのかと思うとソ連戦車の模型を買う気にはならんのだ。

身内としてはたとえ前線から脱走してでも生き残っててほしい、そうは思わんかね。

願わくば爺ちゃんの兄さんが砲弾の直撃かなんかで苦しまずに死んでくれてたらと思う。

ひょっとして>762は>740かね?
779名無し三等兵:2007/10/31(水) 00:53:48 ID:???
真面目に考えよう。
まず自分の周りの男が行くばっかりで家族に連絡もよこさない
軍は転進して本土を固め始めている
食料も配給が目に見えて減っている

そんな状態の戦争にいけと?俺には兵役逃れをした人を批判できない、そしてその話を戦後する勇気が出た事に尊敬する
普通言い出せないよ、周りが恐くてね
780名無し三等兵:2007/10/31(水) 02:30:30 ID:GUOmYv7A
徴兵検査に落ちるため、醤油飲んだり、コネで逃れたり、の話は昔からよく聞く。勝手な使命感を持って戦ったのは職業軍人と洗脳された青少年だけ。赤紙一枚で馬より安いおっさん兵は、ただ家族と普通の生活がしたかった。米国も一緒だ。
781名無し三等兵:2007/10/31(水) 03:27:07 ID:GUOmYv7A
亀レスだが、小さい頃近所の歯医者が元軍医だった。待合室は暗くて、不気味な歯の標本が置いてたり。診療室からは絶えず、ギーガリガリ、ぎゃあ!こら、黙れ!などの悲鳴が。麻酔は「男の子やろ、我慢せい!」。歯医者嫌いになった。
782名無し三等兵:2007/10/31(水) 03:35:33 ID:IkldV4oI
予科練で 訓練中に砂が目に入り除隊になったと。
そんなことあるのかな?特攻要員でもあったらしいが。
783名無し三等兵:2007/10/31(水) 05:31:11 ID:???
>>777
映画「陸軍中野学校」だったかでそのまんまのシーンがありましたね。
784名無し三等兵:2007/10/31(水) 07:15:03 ID:???
>どんな気持ちでT-34を見たのか

 少年戦車兵出身・Sさん:「すげぇ、やっぱ戦車はアレくらいでなきゃな!」

※Sさんの部隊には冗談のような八九式が一両 だ け 配備されていたが、
 それも南方に引き抜かれ、戦車なしの戦車隊だった・・・
785名無し三等兵:2007/10/31(水) 10:51:44 ID:???
>>767
現在の馬鹿ウヨ基準の価値観で当時の人の行動を裁いてるのは
おまいさんだろう。
786uaa:2007/10/31(水) 14:44:50 ID:+21h55nX
>>771
>>777

前の晩やった女の顔を覚えてない俺には無理だな。
でも、おっぱいは覚えてるんだよな〜不思議に。
787名無し三等兵:2007/10/31(水) 14:59:41 ID:???
今の時代は、兵役逃れじゃなくて就職逃れだよな。
「やりたい事探してる」とか「働いたら負け」とかいいながらあの手この手で労働を拒否してる輩がたくさんいる。

時代変われ、品変われど、基本的な所で人間自体は、大して変わっていないのかもしれませんね。

788名無し三等兵:2007/10/31(水) 16:45:03 ID:G2i4/8x+
>>785
馬鹿ウヨと言う自体で、てめえの無知を晒す結果にw

ウヨサヨなぞ使うな、ボケ!
789名無し三等兵:2007/10/31(水) 16:47:37 ID:???
>>785
あのーw
兵役忌避やコネで戦地から呼び戻しやら合法化されてる国
教えてくれよw

あぁ一時期影潜めてた ブサヨがこんなところにまでw
790名無し三等兵:2007/10/31(水) 16:51:11 ID:???
>>779
みんないったんだよ みんなね

ここで孫が恥書き込んでる爺以外はね

勇気?正反対だろw
反戦平和で 先の大戦否定 たとえば仮病使った宇野重吉とか
誉めそやす風潮が支配的だった期間が長かったからな
791名無し三等兵:2007/10/31(水) 16:55:06 ID:???
>>779
当時は君の期待と正反対だったんだよ
君にとってはそれは洗脳の結果に思えるかも知れんがね
正当な事情があって徴集を免れた爺さんを残念に思うカキコがあった
義務に準じた爺さんたちを痛むカキコがあった

それを目にしつつ平然と自分の卑劣な爺のカキコを平然と恥じることなく書き込む
生きてることが一番大事!とそれを擁護する連中。。。
792名無し三等兵:2007/10/31(水) 16:57:13 ID:???
>>788
>>789
おまえいいかげんにしろよ。
だれも兵役逃れの話なんてしてないだろ。


お前が批判してるやつだって
>>下士官への進級試験
を落ちるように頼んだだけで兵役逃れじゃないし。

あの時代にしに直面してなんとか生き残る確率を高くしようと
あらゆる手段を尽くした人がいた、というだけの話で
その行為をすばらしいといっている人間は一人もいないし
ああいう時代ならそういうこともあっただろう、ぐらいの内容なのに
そんなに噛み付いて楽しいのか。
793名無し三等兵:2007/10/31(水) 17:41:41 ID:???
>>792
醤油一気飲み
794名無し三等兵:2007/10/31(水) 17:43:33 ID:???
じいさんが「俺は沖縄戦で怪我人を連れて小舟で沖縄から九州に逃げた」とか言っていたんだが
795名無し三等兵:2007/10/31(水) 17:45:59 ID:???
>>790
俺の祖父様は戦争に行ったぞ、行って餓死しかけた所で捕虜になったから生き残れたんだ
餓えなんかで兵隊が死ぬ国の為に戦う義務なんてふざけてる
だから兵役逃れした祖母様の弟も理解できるし戦いに行った祖父様も誇りに思う
俺は反戦はしないがあの戦争は許せない
796名無し三等兵:2007/10/31(水) 17:47:29 ID:???
>>794
指揮系統寸断して孤立してからでしょ?
で本土につけた?
そのあとは?w
797名無し三等兵:2007/10/31(水) 17:50:06 ID:???
>>794
これはすごいエピソードだ!
スレ立てていい?
798名無し三等兵:2007/10/31(水) 17:50:07 ID:???
>>795
戦時中 捕虜になった爺さんは義理の弟の行為を知ったらどうしたと思う?
それをわきまえてるよな?
799名無し三等兵:2007/10/31(水) 17:54:45 ID:???
>>795
ていうか当時故意に健康を壊したり身体を傷つけての兵役忌避は
見破られて厳罰だったはず
貴君の大叔父の行為については再聞き取りを薦めるw
当時の人の心情からして兵役にとられなかったということは非常な屈辱で
ありわざと冗談にして話したのかもしれない
たとえば結核は当時死病で非常にネガティブな印象だったしね
800名無し三等兵:2007/10/31(水) 18:15:50 ID:???
ロシアに連れてかれたとき蛙が飛び出て来たら仲間の一人が捕まえて生で食ったそうだ。
801名無し三等兵:2007/10/31(水) 18:37:50 ID:???
とりあえず お 前 ら 全 員 ス レ タ イ を 声 に 出 し て 読みたい日本語
802740:2007/10/31(水) 18:52:13 ID:???
>>778
おまいが俺のこと嫌いというのはよくわかった。
803名無し三等兵:2007/10/31(水) 20:49:51 ID:???
>>794
沖縄本島のすぐ北の上、与論島(本島から約30km)に脱出した兵士は結構居る様ですね。
脱出でなく、補給要請に行った兵士ももちろん居ます。
手漕ぎの舟で夜中じゅう漕げば辿り着けたようです。
804名無し三等兵:2007/10/31(水) 21:09:59 ID:???
爺ちゃんの戦争体験談スレかと思って開いたらただの議論スレか・・・
805名無し三等兵:2007/10/31(水) 21:18:46 ID:???
おとなしく体験談聞いてりゃいいのによ
俺が聞きたいのはおじい様の戦争体験で、お前らの議論じゃねーんだよ
806名無し三等兵:2007/10/31(水) 23:06:05 ID:???
俺の爺ちゃん、
台湾人の元日本兵の戦友と、今でも交流を続けてるよ。
フィリピンだかどこだか忘れたけど、かなりの激戦地で戦ったみたいです。

毎年、終戦記念日近くになると、
台湾から戦友の方が日本へ来られるので、自宅に泊めてあげ、終戦記念日には靖国神社に参拝し、戦死した戦友達に逢いに行ってます。

昔は沢山の生き残りの戦友達がいたらしいけど、年々減り続けて、今では四、五人程度だそうです。

祖父も「台湾の戦友と会えるのも、来年の八月が最後だろな」って弱気な事を言ってます。
807名無し三等兵:2007/10/31(水) 23:55:18 ID:???
>>806
それって凄い事だよね
両人が存命のうちに色々聞いて書き込み宜しくです


その台湾の方は高砂義勇兵?
戦友で同じ部隊にいたと言うなら違うけど
その辺から宜しく!
808名無し三等兵:2007/11/02(金) 05:44:31 ID:???
うちのじいちゃん戦争が始まった頃に戻ってきた
でもすぐにまた召集されて出て行ったけど
兵隊教える立場だったから死んだらいけないっていわれてまた戻ってきた
809名無し三等兵:2007/11/02(金) 09:52:31 ID:???
アメリカ人の友人の祖父は、沖縄戦の時、駆逐艦に乗っていたそうだが、「カミカゼ」を何度も見た事があるという。

ある日、超低空で接近して来た特攻機が、隣を航行している空母目掛けて突入しようと、艦の上を通過した時、
燃え盛るコックピットの中に、歯を食いしばって、こちらを睨みつけている、日の丸の鉢巻きをした少年パイロットが一瞬見えて、
恐怖と、精神的に深いショックを受けたという。

少年達にまでこんな惨い死に方をさせる日本の指導者達に怒りを覚え、
天皇は責任を負って処刑されるべきだったと死ぬまで言っていたらしい。
810名無し三等兵:2007/11/02(金) 10:27:13 ID:???
そこまで日本を追い詰め、人以下のものとして非戦闘員の住民を焼き殺し、あまっさえ原爆の人体実験までした雨の指導者達に対し、我々は限りない激しい怒りを覚えているのだが
811名無し三等兵:2007/11/02(金) 10:41:33 ID:???
しょせん、人それぞれの正義さ。
812名無し三等兵:2007/11/02(金) 14:22:04 ID:???
祖父は南方へ行っていたとき飯ごうを2つ持っていって1つにラードをつめておいて
それをチビチビなめていたから生きて帰ってこれたと言ってました

飯ごう失くした上官に1つよこせと言われたときは焦ったそうですが
813名無し三等兵:2007/11/02(金) 15:03:32 ID:4GQGr/fO
特攻の真実を天皇は知っていたのだろうか?沖縄戦の被害率の報告を受けてトルーマンは原爆投下を決断したのでは?(日本本土上陸作戦により米兵17万人が死傷するという予測が立った。)逆の立場なら日本は原爆を使用しなかった?
814名無し三等兵:2007/11/02(金) 15:38:14 ID:???
813>スレ違い
原爆投下はソビエトに対する政治的宣伝も兼ねていました。
米兵が何人死ぬから云々ってのは、投下する理由付けにしかすぎないと思うのだが。

当時、全世界でアメリカしか持っていなかったから使えた。
日本にも原爆があったらアメリカは使えなかったと思う。
それは、実際にその後の冷戦で証明されてるしね。

815名無し三等兵:2007/11/02(金) 15:40:51 ID:???
死んだ俺のお爺さんは南京攻略にも参加した。
親戚が集まるたびに大虐殺なんか無いと涙を滲ませながら語ってた。
816名無し三等兵:2007/11/02(金) 16:16:08 ID:4GQGr/fO
>>814 確かに米英は勝利を急ぐ必要があった。原爆が不発に終わった時に備えて、(被害を軽減するため)ソ連に(条約破っても)北から攻めよ、と尻叩いてたのも米英。日本は信じていたが。スレ違いすみませんでした。
817名無し三等兵:2007/11/02(金) 17:06:37 ID:???
>>809
俺の婆ちゃんは、当時、女学生で奉仕隊として、特攻隊員の身の回りの世話をしていました。

隊員の方々とは、恥ずかしくてあまり話をしなかったらしいけど、とても立派で優しいお兄さん達だったよって言ってました。

とある少尉さんは、両親が東京大空襲で亡くなり、
田舎の親類宅に残した幼い妹達を、最後まで心配しながら出撃して行ったそうです。
818名無し三等兵:2007/11/02(金) 21:36:36 ID:???
>>817
(つд`)
819名無し三等兵:2007/11/02(金) 21:40:17 ID:???
>>817
・゚・(PД`q。)・゚・
820名無し三等兵:2007/11/03(土) 01:31:46 ID:???
しんみりした空気の中すまないが、変な事例だ

爺さんは満州で後方の輸送とか物資の管理とかを担当していたらしく、結構気楽だったとか
45年の初めですら、原っぱに水をまいてスケートリンクを作って滑ってたらしい
で、終戦直後、近くの基地で物資がソ連に徴発されるという話を聞いた爺さんは、
どうせ奪われるなら捨ててしまえと、倉庫にある何十トンという物資ものをすべて捨てた
石油は集めて爆破し、武器弾薬はトラックごと川に沈め、食料以外スッカラカンにしたそうな
ソ連涙目wwww
821名無し三等兵:2007/11/03(土) 10:12:59 ID:???
>>815
共産支那は南京大虐殺の被害者名簿作ったんだけど500人も集らなかった。
どこから30万人等という数字が出て来たのか説明してほしい。
822名無し三等兵:2007/11/03(土) 11:12:49 ID:???
>>821
>30万人
政治的な数字。これは支那自身も認めている。
823名無し三等兵:2007/11/03(土) 12:33:57 ID:???
>>820
ロシア人に報復されんかった?
824名無し三等兵:2007/11/03(土) 17:46:00 ID:???
>>817
その少尉さん、両親の仇を討てたのかな…

妹さん達も、さぞかし寂しい思いをしながら成長されたんだろうね…。
825名無し三等兵:2007/11/04(日) 01:14:53 ID:???
>>823
それで怒られたという話は聞いていない
爺さんが死んじゃったから詳しいことは分からなくなっちゃったけど
もっと聞いとくべきだったな
826名無し三等兵:2007/11/04(日) 14:48:55 ID:???
ロスケは目の前にあるものは欲しがるけど、ないものを持ってこい、っていう想像力はないからな。
827名無し三等兵:2007/11/04(日) 22:35:54 ID:???
そういえば「ワイルドスワン」っていう小説に、

満州にソ連軍がやってくる、ということでヒゲを生やして威風堂々として
馬に乗った軍人を想像していたが、実際にやってきたのは青白い
やせこけた青年ばかりでがっかりした。彼らは腕時計を集めてばかりいた。

みたいな感じの部分があったのを思い出した。
828820:2007/11/05(月) 00:04:26 ID:???
>>827
そうそう、懐中時計を持ってないか身体チェックされたらしい
服の上から手でパンパンされただけだったので、
ケツの谷間にはさんで隠したそうな
抑留中にロシア人に渡して、食料と交換したんだって
829名無し三等兵:2007/11/05(月) 18:49:19 ID:???
ちいとスレ違いかもしれんが、祖母の話から。
祖母は戦争中、樺太の真岡というところにいたそうだ。
祖母の父はそこで大変腕のいい建具職人をやっていて、一財産を残すほど羽振りが良かったらしい。

戦争が始まったあたり、祖母は「人造石油」という会社の事務所で、通信員として働いていたらしい。
当時樺太のあたりでは、規模のほどは分からないが石炭が取れたらしい。
それを本土の会社まで輸送し、石油を作るのに使っていたそうだ。

敗色が濃厚になる時、その施設は全部閉鎖してしまったらしい。祖母たちもその時に引き揚げようと思ったのだが、船は常に満員。
そのうちその引き揚げ船が撃沈され、いよいよ戻るタイミングを失った。

敗戦が決まり、ソ連軍の進駐が決まった。
そうすると、樺太にいた警察官や軍属は、皆真っ先に山の方に逃げて行ったらしい。きっと処刑されるとでも思ったのではないだろうか。
その人たちは、漁船でひっそりと樺太を脱出していったそうだ。

いよいよソ連軍がやってきた。
当時、祖母の母には隠れているように言われたらしいが、ある日恐る恐る見に行ったそうだ。
祖母ちゃん曰く「皆真っ赤な顔をしていて、それこそサルみたいだった」そうだ。
酔ってたのか?

やがて祖母の家にもソ連兵がやってきた。ソ連兵は、皆腕に5個も6個も腕時計をつけて、腕時計を見ると
ダワイ、ダワイと言って身振り手振りでよこせと言う。
ある日、また時計を目当てにソ連兵がやってきた。もうやるものも無いので祖母の母親が「あれならくれてやる」と
でっかい柱時計を持ってきたら、ソ連兵は首を振って逃げていった。

830名無し三等兵:2007/11/05(月) 19:08:05 ID:???
結局、祖母が、函館港まで引き揚げたのは47年になってからだった。
最後の最後まで、樺太にいたそうだ。

その時、結構な額の金を持っていた(当時の金で1万円程度)そうだが、全て税関で没収されてしまったそうだ。
その頃は円のインフレが始まっていたらしく「物に変えれば良かった」と悔やんでいた。

返還の請求をしたのだが、記録は見つからなかったそうだ。
「済んでしまった物は、いくら言っても仕方ない」が口癖の祖母だ。朗らかに笑っていた。
腕時計を欲しがるソ連兵を見て「日本よりも国民が貧乏してる国が、戦争では強いんだ」というような事を思ったらしい。

余談だが、住民登録をするとき、祖母の母が祖母を初めとする娘や息子の生年月日をでたらめに登録してしまって、皆実年齢とは違うらしいw

もうひとつ。祖母は8人姉弟だが、末っ子以外は全員女性。
その話を聞いたとき、「そ、そんなエロゲのような話が…?」と内心思ってしまった。
しかも、その末っ子は、唯一の男ということもあり、皆可愛がっていたという…。

ちょっとだけ生まれてくるタイミングが…いやいや不謹慎か。

機会があれば祖父の戦争体験も話します。
831名無し三等兵:2007/11/05(月) 21:29:07 ID:???
先週の土曜に義理の祖父さんが無くなった
義祖父は大戦中熊谷で飛行機乗りの教官をしていらしたそうで
ただ、実の子供たちにもその頃の話はあまりしなかったらしい。

義祖父は戦後一代で会社を興し、それなりに大きな会社に成長させた立派な人でした
どこにでもありそうな話で、チラシの裏失礼
832名無し三等兵:2007/11/05(月) 21:51:57 ID:???
>>827
腕中に時計をはめていても、読み方はおろか
ゼンマイ巻くことすら知らない兵士もいたらしいなw

ドイツでは時計屋が「この動いている時計とそれ交換してやる」と
金時計や超高級ブランドの腕時計をそれとなく取り替えて復興の糸口にしたとか。
833名無し三等兵:2007/11/05(月) 21:52:31 ID:???
>>830
末っ子で唯一の男となると、女装させられて姉達の玩具になったろうに。
834名無し三等兵:2007/11/06(火) 00:45:34 ID:dFQzZfDU
オレの爺さん(といっても昭和20年戦死・会ったことは無い。)

飛龍という航空母艦に乗っていた。職業軍人。
戦死の年からすると、ミッドウェイ海戦の時には無事だったようだ。
その後の配属経緯は分からない。
で、マーシャル諸島のウォッゼ島付近で小型掃海艇の艇長として敵偵察に行って
米軍に遭遇・戦死したらしい。
被弾したのか溺死したのかサメに食われたか、良く分からんが、
オレの祖母と母親は、母子家庭として遺されたわけだ。
835名無し三等兵:2007/11/06(火) 01:11:16 ID:???
>>834
飛龍ってミッドウェイ海戦で沈んだはずだが、脱出したの?
836名無し三等兵:2007/11/06(火) 02:16:58 ID:???
>>835
総員退艦時に800名ほどが駆逐艦に移乗。
また6月18日に、何人だったかは忘れたが、米駆逐艦に漂流中の乗組員が救助されていたかなと。
837名無し三等兵:2007/11/06(火) 03:01:09 ID:???
樺太つったらタコ労働地獄があった島だな

戦前、あそこに飛ぶと二度と帰ってこれないって噂されてたらしいな
838名無し三等兵:2007/11/06(火) 12:33:39 ID:6HuuiDwJ
爺さんの話によると
昭和20年8月6日の数日前、広島に模擬爆弾(1t爆弾?)が落とされたらしい
当時空襲被害をほとんど受けていない都市が
京都、広島、小倉、長崎だったのでコレから何かあるかもと思ったらしい
ちなみに爺さんの勤務先は第五師団(広島)
839838:2007/11/06(火) 12:57:30 ID:???
模擬爆弾は1t爆弾かどうかわからないけど爺さんの表現だと「模擬爆弾」。
正確な爆弾の種類は爺さんが死んでいるので不明
勤務先は陸軍で広島市内。第五師団かどうかわからない。第二総軍司令部
とかいろいろあったのでそっちかもしれん
840名無し三等兵:2007/11/06(火) 13:11:30 ID:???
思ってもみれば、祖父さんから戦争体験をまともに聞いたことなかったな……

父方の祖父さんからは、小学生時代に
「オレァ、へそんあたりに銃弾くらってよぉ。仕返しにしこたま銃でバババァ!っとやり返してやったんだ。
んで、気付いたら(戦争が)終わっちまってたよ」
って、へそ見せられながら聞かされただけだった
確かに、盲腸とかの手術痕とは違った傷があったっけ

その祖父さんは、5年前に癌で往生しちまった
母方の祖父さんは俺が生まれる前に他界してた。聞く話じゃ相当厳格あったらしく、
去年他界した祖母さんと同じ学校の教師やってたそうな
今も生きてたら、成績も人としても底辺スレスレな俺は、こっぴどく叱られてただろうなぁ……
841名無し三等兵:2007/11/06(火) 17:18:49 ID:???
自分の父親の叔父の父はなんて言うんだ?
まぁその爺ちゃんから聞いた話
戦争中は海軍の「航空通信士」で上等兵だったそうな
舞鶴の鎮守府に勤務してそのあと横須賀に赴任して、
終戦の時は厚木にいたらしい、士官だったか下士官が軍刀を
持って脱走しようとした奴が斬り殺されたりして
それでも何とか逃げて汽車に乗って故郷へ戻ってきた(今でも存命)
ちなみに零戦にも乗ったことがあると言っていたが・・・乗れるのか?
842名無し三等兵:2007/11/06(火) 18:46:45 ID:???
祖父は、大平洋戦争終結後、占冠島で行われた最後の戦いの生き残りです。

ロシア軍は島への上陸作戦が不慣れだったらしく、日本軍の猛烈な抵抗に取り乱していたそうです。
海岸はロシア兵の死体で埋まり、日本軍よりも損害が遥かに上だったみたいな事を言ってました。

武装解除の時、武器だけでは無く、
日の丸の鉢巻きも置いてけとロシア人将校に命令されたらしいけど、なぜかは分からんそうです。
843名無し三等兵:2007/11/06(火) 19:06:17 ID:xZtTOTBw
昨日乗ったタクシーの運転手さんの話し。

彼は霞ヶ浦の航空隊にいたらしい。
赤トンボなどに乗ったらしい。
844霞ヶ浦の住人 ◆HzqDOXy.Ho :2007/11/06(火) 20:55:27 ID:pJWe3tXG
>>835
>>834
>飛龍ってミッドウェイ海戦で沈んだはずだが、脱出したの?

霞ヶ浦の住人の回答。
脱出できました。

すぐには沈みませんでした。
総員退艦の命令が発せられてから、退艦しました。
その後漂流を続けました。
総員退艦の際に閉じ込められて、脱出できなかった、機関員たちが、その後脱出しました。
ボートで漂流して、アメリカ軍の捕虜となりました。
その他の空母も、ミッドウェー海戦では、すぐには沈みませんでした。
乗組員や飛行機搭乗員は多数助かっています。
下記、ウィキペディアの飛龍 (空母)を参照ください。ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%BE%8D_%28%E7%A9%BA%E6%AF%8D%29
845名無し三等兵:2007/11/06(火) 21:18:20 ID:???
>>842
九十一師団ですね。
846名無し三等兵:2007/11/06(火) 21:21:44 ID:???
>>844
飛龍って、鎮火不可能と思われた大火災も、
翌日に機関科員が下から這い出してきた時は自然鎮火しちゃってたんだよなぁ。
(沈没の直接原因は駆逐艦・巻雲からの魚雷←処分の為
つまり曳航も十分可能だったんだけど、しょうがないのか。
847名無し三等兵:2007/11/06(火) 21:26:17 ID:???
たしか、連れて帰れない状態(追っ手に殺されるから)だったと思う。
848名無し三等兵:2007/11/06(火) 22:47:30 ID:/rdFNqSH
>>815
嘘はいかん。嘘吐きは泥棒の始まりだぞ。
849名無し三等兵:2007/11/06(火) 23:18:39 ID:???
最初に、航空部隊か陸上配置か希望を聞かれたらしい。
そして、陸上を希望して訓練が始まった途端に戦争が終わったらしい。
ちなみに、空に上がった友人も訓練機の段階でやはり終戦。
どちらにしても戦場には出ずじまい。

ただ、玉音放送の直前か直後に上官に呼ばれて「なんかあったときはコイツでクーデターを起こせ」
とかで拳銃を支給されたそうな。
結局は返還したらしいけど。

もう一人の爺さんは戦争にいきたくないがために
気象大学校に進み、後に第一回の予報士の試験に一発合格。

どちらの爺さんも誇りです。
850名無し三等兵:2007/11/06(火) 23:39:34 ID:jdLKpxBj
俺の曾祖父は神戸にすごい工場もってた大金持ちだったと婆ちゃんが
言ってたが、その割にはひ孫の俺に遺産が回ってこない・・・
爆撃でつぶされたのかな
851名無し三等兵:2007/11/07(水) 02:07:42 ID:???
体験とは違うけど…
この間、祖父のところに金色の懐中時計が送られてきた。
詳しくはわからないけど、名誉あることらしい。喜んでて何より。
852名無し三等兵:2007/11/07(水) 02:37:16 ID:???
>>851
「平和祈念事業特別基金」の慰労品贈呈事業ですかね。
勤務年限が不足して恩給を受けられない旧軍人・軍属に旅行券とか懐中時計の慰労の品と、
内閣総理大臣名の書状を贈呈していたはず。
853名無し三等兵:2007/11/07(水) 02:58:22 ID:???
うちの爺さん(明治40年生まれ)は徴兵検査を受けたけど、偏平足だったので兵隊には行かず爆弾を作らされたようだ
終戦後はGHQの命令で通訳をやっていたらしい
その時に友達になった将校に貰った芯のついた鳥の羽がごっそり入ったすごく重い寝袋とかナイフとかブーツとかが今でも物置にある
854uaa:2007/11/07(水) 03:31:55 ID:EJFzs0ca
>>841
>自分の父親の叔父の父
普通に曾祖父でしょ
厚木は反乱計画があったから・・・・
他の所はさっさと帰る連中が続出だったらしいね。
ドイツでは帰った連中は連れ戻されて銃殺だった。

残業してたのは>>842の所ぐらいで・・・
11戦車連隊の”士魂”マークカッコエエ
855名無し三等兵:2007/11/07(水) 09:00:31 ID:???
京都出身の17年前に死んだ
うちのじーさんについてふと知りたくて検索した
なお、戦争体験の話は聴いたことはない。
じーさんの弟は、日本帝国海軍の巡洋艦(?)乗りだったらしく
乗艦を沈められ、流れ着いたレイテの孤島で餓死したそうだ

じーさんについては母親から
「病気にかかりやすい環境で従軍していたそうだ」
という話は聞いたことはあったが、
ググッたら、
京都出身なので、日本帝国陸軍15師団所属「祭兵団」所属だと思われる。
この師団は
大戦初期は「盗賊ウヨウヨ」のシナ方面に展開、
戦争後期は「地獄のインパール戦線」に行かされたようだ。
終戦時には半数が死んでいたようだ。
これは確かに過酷な環境だなw。
でも、戦争経験者なんて風格は微塵も感じなかったが。

だからてっきり戦争中、台湾あたりにでもずっと駐留してたのかと思った。
ガチの最強の日本兵だ。
爺さんは幸運にもある程度の権限と地位があり、
終戦時に、第十五師団が中立地帯のタイにいたから、
アンクルサムの戦犯狩りにも、
ロスケの奴隷狩りにも捕獲されずに、安全に復員できたのか。
856名無し三等兵:2007/11/07(水) 09:23:22 ID:???
>>847
でも米軍は空母を連れて帰ったよな、少ない空母を大切にしてた。
857名無し三等兵:2007/11/07(水) 10:12:09 ID:???
>>842
ロシア兵はなぜだか、日本兵の日の丸鉢巻きを、異常に怖がったって話を聞いた事があるけど、怖がる意味が分からんよねw


戦争が終わってからも戦うなんて、本当お爺様達はお疲れ様でしたね。
これからも長生きされて、幸せな老後を過ごして頂きたいです。
858名無し三等兵:2007/11/07(水) 10:35:45 ID:???
家のじいちゃんも戦争に参加して、20年ほど前に亡くなってるんだが、
今になってどんな立場で戦争に参加してたのか気になる。
じいちゃんはドイツ語が読み書きできた、たぶん喋ることもできただろうが
聞いたことはない。子どもの頃はスゲーと思ってただけだが、
今になって思うと当時の同盟国の言葉だから、それが関係してると思う。
あと支那事変従軍記章と、亡くなる前後に中曽根総理の名で
勲章をもらってる。
こんな情報しかないが、手がかりのようなものが得られれば嬉しい。
859名無し三等兵:2007/11/07(水) 19:04:56 ID:yHHjjntd
うちのじいさまは終戦少し前岩手から沖縄に船で行く途中、船が故障してしまって呉港で降りたみたいだ。
んで、代わりの船が今のところないからってその辺りの守備に就いていたようだ。
学生の話も聞いたからきっと大学かどこかか?空襲警報が鳴ると、学生たちは勉強机を持って
えっこらえっこら逃げて行ったらしいw
アメリカの戦闘機とも戦ったみたいだが
「ひこーきが飛んでくると音するよりはやぐ弾飛んでくるがら撃ち返せねがったじゃw
 こうしてな、穴さ伏せでるどな、そごらの土がパンパン、て跳ぶのよw
 おっかねがったようで、面白がったようでもありw」
けらけら笑ってました。あっちの夏はこっち(岩手)の夏より暑かった、とも言っていた。
じいさまのお兄さんは飛行機乗りで、どこか南方で戦死しているとのこと。
じいさまのお兄さんは、今もジャングルか、それともどこかの海底で眠っているんだろうか。
ちなみに当のじいさまは多少ボケてはいるが今も存命です。あとつるっぱげ。
860名無し三等兵:2007/11/08(木) 02:39:16 ID:???
うちのじいちゃん49歳で校長勤めて、文部大臣から賞状貰うほどハイパー教育人
学徒動員時19歳だったからギリギリ徴兵されることなく工場で働いていたそうだ
聞いた話によると大本営発表は嘘だってすでに周知の事実であったそうだ、結構ヤケクソで
入隊する人も多く、じいちゃんも士官に憧れて(詳しく言うと軍刀を腰に挿す自分の姿に憧れて)
いたそうだ・・・まぁじいちゃんは最初から先生になりたがっていたがな

実家は銚子方面だったんで、B29はこなかったけど地獄猫が機銃掃射してきていたと言ってた
まぁ「戦争は嫌だな」と言っている・・・

この前会いに言ったよ、80超えているのに毎日早寝早起き適切な運動のおかげで
ボケとかのボの字もない・・・というか未だに囲碁勝てねぇ(じいちゃん県大会出場者)
まぁ長生きして欲しいな
861名無し三等兵:2007/11/08(木) 18:47:08 ID:???
こないだ爺ちゃんの葬式で、爺ちゃんの弟(御歳92以下)から聞いた話。

大叔父、主計科員(階級は聞いてない)として、海防艦(艦名忘れた)と駆逐艦「花月」に乗組んだそうな。
通夜の席でとうとうと喋り倒してた話に聞き耳立ててただけだから非常に取り止めがないのだが、

1.主計科をぞんざいに扱う奴はいなかった
2.主計に喧嘩売った奴は仲間内からフルボッコの上、謝りにくる羽目になる
3.仕事場は二人部屋、床のハッチの下に需品庫
4.官品だの士官用だの、そんなの関係ねえ!ビバ主計

5.支給のタバコは二種類、士官用のチェリーと、下士官兵用の誉
6.チェリーはうまいが、誉はまずい
7.艦内でチェリーが吸えるのは士官と主計科

8.ゴム入り羊羹(まりも羊羹のバケモンか?)は水に浮く
9.浮きになるほどじゃないからつかまるのは無理
10.ボートに乗ったら、とにかく人と羊羹を拾え
11.甘いし保つし浮くし羊羹最高!

嫌韓向けっぽいのがまだ続く
862861:2007/11/08(木) 19:13:35 ID:???
終戦に伴い、大叔父さんの艦も本土に帰ろうとしていると、樺太近辺にいた船舶はすべて大泊港に向かえと命令があったそうな。
大叔父、たぶん花月に乗ってたんだろうけど、大泊に着いてみるともう人人人人だらけ。
ソ連軍が真岡に上陸し、守備隊が食い止める中で、着の身着のまま逃げてきた避難民。
着く船着く船、片っ端から人積んで、本土に向かって逃げてったそうな。

そんな中、大叔父が上陸してみると、朝鮮人の態度がやたらにでかい。
ざまあみろ敗戦国めだの何だの言われて、唾まで吐きかけられたそうな。
変わり身の早さと豹変振り、お前ら何もしてねえだろと呆れながらも、彼らにも避難船が来ているぞ、ソ連が来たら帰れないぞ、日本に行こう、と声をかけてみてもガチシカト。
それどころか大八車引っ張って、空き家の箪笥の引き出しだけ片っ端から積んでって、でっかい屋敷に陣取って「ウリの家ニダ!」とか言い出す始末だったそうな。
そんな状態じゃ呼びかけるだけ無駄なわけで。
一応待った、声もかけた、自分で残る言ってる奴いつまでも待ったって、こっちも危なくなるだけだ、ってんで最後にはあきらめて大叔父たちも日本に帰ったんだそうな。

大叔父の戦争は、実はまだちょっとだけ続く
863名無し三等兵:2007/11/08(木) 19:27:06 ID:???
帰国後の大叔父、残存艦とその乗員のご多分に漏れず、復員省に引っ張られた。
お疲れさん、日本に帰ろう、と延々外地と内地を行ったりきたり。

それも終わって、晴れて自由の身になって幾十年。
テレビを見れば「無理やりこんなとこに連れて来られて、しかも置いてかれた!謝罪とry」とかいってる奴がいる。
おまけにメディアは同情的、というかそっちの言い分100%、自称市民も吹きまわって、政府どころか世間まで信じかけている始末。
「俺は自分の眼で見てきた。あんなの嘘っぱちだ、ふざけるな。今の若い奴は何も知らないから信じてしまう。テレビも新聞も、俺たちの言うことなんか聞きゃしない。それどころか、俺たちが外道扱いされる始末だ。納得できるか。」

と、酒の勢いもあってか、延々34回は同じ話してたとさ。
864名無し三等兵:2007/11/08(木) 19:38:02 ID:???
貴重なお話。ありがたいです。
865名無し三等兵:2007/11/09(金) 08:52:51 ID:???
>861
GJ!!!
866名無し三等兵:2007/11/09(金) 14:15:22 ID:???
>>861-863
感謝です。
867名無し三等兵:2007/11/09(金) 14:24:57 ID:???
【集団自決】 「戦争を知らない人達が“隊長命令で自決”と真実をゆがめ続けている」…汚名を着せらた元守備隊長
http://news22.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1194581119/
868861:2007/11/09(金) 19:22:21 ID:???
大叔父の話にちょと追加

大叔父に、なんて船に乗ってたんです?と聞いたところ、大叔父の答えが
「あーあー、海防艦○○と駆逐艦「かげつ」。ほれ、花鳥風月の花と月。」(原語まま)

・・・「かげつ」?「はなづき」でなくて?
まぁ「はなづき」じゃ舌噛みそうだし、普段は「かげつ」で通してたのかなぁ、と一抹の疑問を持ちつつ、とりあえず納得してみた次第。
この一言で大叔父の話が一気に胡散臭くなった罠。

騙るにしても、そんな微妙な船選ばんよなとか、微妙な分だけナマっぽくなるんかなとか、もう気になりすぎ。
罪な大叔父。
869861:2007/11/09(金) 19:35:38 ID:???
大叔父シリーズたぶん最後

駆逐艦の外板、実際めちゃ薄かったそうな。
曰く「通路の壁なんかもうペラペラでね、機銃掃射されたとき、通路に逃げてって死んだ奴もいた。配置についてても助かる奴もいるのに」
やっぱり延々繰り返した後、最後の締めは
「誰がいつどこで死ぬかなんかわかんないもの。そうかと思えばひょっこり残っちゃったりもする。それが戦争だよ」だったとさ

来月爺さんの四十九日で大叔父くるから、またなんかネタ入るかも。
他の大叔父たちの話も、暇なときにあげさせとくれ
870名無し三等兵:2007/11/09(金) 20:51:56 ID:???
駆逐艦は高速化のために装甲薄くしたから「ブリキ艦」なんて呼ばれてたみたいだしな。
871名無し三等兵:2007/11/09(金) 22:58:33 ID:???
>>869
期待してる
872名無し三等兵:2007/11/09(金) 23:02:04 ID:???
>>869
なかなか貴重なお話しですね。
次回を期待!
873名無し三等兵:2007/11/10(土) 12:30:31 ID:???
>>869
ひょっこり大叔父さん乙
874名無し三等兵:2007/11/10(土) 14:49:28 ID:???
いい加減自演すんな
875名無し三等兵:2007/11/10(土) 17:08:45 ID:???
>>874みたいに他人が褒められるのが我慢できない奴ってどこにでもいるな
876名無し三等兵:2007/11/10(土) 17:44:20 ID:???
爺ちゃんがトラック島?で、戦艦大和が停泊してるのを見たとか、山本元帥殿?に敬礼したとか言って、自慢してたけど、
『またまたお爺ちゃんはホラ吹いて〜』とか言って、家族とか知り合いは誰も信じてなかった。
877名無し三等兵:2007/11/10(土) 19:30:58 ID:???
テコンダー朴
ttp://captain.jikkyo.org/img/ribbo/src/1190118023668.jpg


   ボンチャン!!
     ∧_,,∧  \ | / /
    < `∀´>  ゞ ⌒ヾ∠_
   ( _ ̄つ⊃(     =- 三ニ=−
  / /,>" 〉  //_  く ̄
 (_> (__>,/ / ∨.N \
878名無し三等兵:2007/11/10(土) 20:22:47 ID:???
俺嫌韓やめる!
879名無し三等兵:2007/11/10(土) 22:02:02 ID:???
コピペですが。
12 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2007/11/10(土) 18:23:08 ID:db8E0TbB
俺のじーちゃんは陸軍士官学校卒の偵察パイロットだった。
86歳の今でも当時乗ってた偵察機の写真や絵を眺めては想いを馳せる、ばりばりの飛行機野郎。
そんなじーちゃんと、数日前飛行機の模型とかがいっぱい飾ってある博物館に行った時の話。

博物館の奥には、日本をはじめとした世界各国の戦闘機や偵察機の模型や資料が展示されてた。
じーちゃんは何か色々思うことがあるんだろう、30分ぐらい自分が乗ってた偵察機の模型の前にいた。
俺はそんなじーちゃんをちょっと離れたとこから見てたんだけど、
そこへ老紳士って単語がぴったりな白人じーちゃんが現れて、うちのじーちゃんに何やら声かけてた。
じーちゃんは英語出来ないからあたふたして、慌てて俺が駆けつけた。
以下俺が通訳してのじーちゃんと老紳士の会話(数日前だから多少脚色あるかもしれないが、そこは勘弁w
じーちゃんξ゚听)ξ 老紳士(´・ω・`)

(´・ω・`)「貴方はこれに乗ってたんですか?」
ξ゚听)ξ「そうだ。それがどうした?」
(`・ω・´)「おお、私は幸運です! まさかジョーに会えるなんて!」
ξ゚听)ξ「??」
(`・ω・´)「この偵察機は、当時米軍で最も恐れられてた偵察機なんです。
      いつのまにか現れて私たちの情報を握り、いつのまにか消えていく。
      当時誰もがその日本の技術力の高さ、そしてパイロットの優秀さに感心してましたよ」
ξ゚听)ξ「……」
(`・ω・´)「私は基地で見てた身ですが、いつかあの偵察機とパイロットに会ってみたいと思ってました。
      その夢が今日叶いました! 握手してください!」
ξ゚听)ξ「……いいのか? 俺はあんたの仲間をたくさん殺したかもしれないんだぜ?」
(´・ω・`)「それは戦争ですから、しょうがないです。それに基地勤めたと言っても私だって軍に所属してた身です。
      間接的にたくさん大好きな日本人殺して、大好きな日本にあの恐ろしい爆弾も落としました。
      個人的には、日本にそんなこと、……したくなかったですが。……ごめんなさい」

                          1/2
880名無し三等兵:2007/11/10(土) 22:04:12 ID:???
13 名前:日出づる処の名無し[sage] 投稿日:2007/11/10(土) 18:23:40 ID:db8E0TbB
続き
ξ゚听)ξ「謝るな。もう、戦争は終わったんだ」
(´・ω・`)「はい……」
ξ///)ξ「いいか、よく聞け。俺はアメリカが嫌いだ。だけど、お前は……嫌いじゃない」

じーちゃんが握手しようと手差し出して、老紳士が嬉しそうに手を握った。

(`・ω・´)「ありがとうございます! 私生きてる限り、ジョーの素晴らしさ、パイロットの優秀さ、
      そして貴方の器の大きさ皆に語ります! 日本人大好きです!」
ξ///)ξ「ちょ、直球すぎんだよ」
      
じーちゃんのツンデレっぷりに孫ながら萌えつつ、老紳士に和んだ一日でした。
ちなみに老紳士の「ジョー」ってのは、日本の偵察機のあだ名みたいなもんだそうだ。
謎だったからwikiで調べてみたら↓こう記述してあった。
>連合軍は本機を“写真屋のジョー”とも呼び、“ジョー”がやって来た数日後には必ず日本軍の攻撃があるとして、その飛来を恐れたという。

                                    2/2
881名無し三等兵:2007/11/10(土) 22:13:29 ID:???
100式のってたのか。カコイイ!
882名無し三等兵:2007/11/10(土) 22:16:32 ID:???
いい話じゃないか
GJ
883名無し三等兵:2007/11/10(土) 22:21:47 ID:???
なんという水師営
884名無し三等兵:2007/11/10(土) 23:32:45 ID:7ouzgOiQ
大叔父は100式で特攻、乙飛13期で20才だった
ここまでは祖父に聞いた
で、祖父は学徒兵で内地勤務

85才で元気だけど大叔父の話になるとすぐに無口になるからあまり深く聞けない

つーか聞けないんだよ
885名無し三等兵:2007/11/10(土) 23:40:50 ID:ij68ZvzY
俺のじーちゃん、潜水艦でスマトラ島周辺をぶらぶらしたり、ミッドウェー海戦になんたらかんたら…って聞いたことがある。

まだ全然ボケてないから、一回は話を聞いてみたいと思ってる。
886名無し三等兵:2007/11/10(土) 23:44:19 ID:tK6VTG0A
年よりの話はちゃんと菊
887名無し三等兵:2007/11/11(日) 00:08:49 ID:???
母方の祖父は、軍属として軍馬の世話をしていたらしい。
消防の頃聞いた話だけど、あまり話したがらなかった記憶がある。
多分、徴兵検査で不合格になったのかと(推測)。

父方の方は、伯父たちが俺の親父と親子ほど歳が離れていて、
兵役に就いたのは伯父達(親父は末っ子で10人兄弟)。
長男、次男は戦死・・・細かいことはわからない。
三男は、内地で高射砲部隊の少尉だったそうな。
「空襲に来るB29を撃つんだけど、当たらんわ」っていう話と、
護衛のグラマンの機銃掃射で危機一髪だった話をしてくれた。
もう、とっくに鬼籍に入っちゃった。
もっと詳しく聞けばよかったな・・・。
888名無し三等兵:2007/11/11(日) 00:16:41 ID:???
じいさんの話じゃないけど
中学の時の修学旅行でとまったホテルで、○○落下傘部隊生き残りの同窓会が開かれてて、子供ながらに驚いた
889名無し三等兵:2007/11/11(日) 01:34:21 ID:???
>>877
だから何で在日が二重瞼でチョッパリが一重瞼なんだよ!!!!
逆だろ!!
890uaa:2007/11/11(日) 01:59:37 ID:A1Vl/G05
>>888
俺が高校の頃は兵役を経験した世代が現役だった。
ゲーセンで射撃ゲームをやってる年配のリーマンがやたらと上手くって見惚れてた。
当時のゲーセンの銃にはボルトアクション式のがあったんだけど、排莢→次弾装填の動作がかっこよかった。
891名無し三等兵:2007/11/11(日) 04:07:10 ID:???
>>890
俺にも似たような経験がある。
今から30年近く昔、俺が糞ガキだった頃、
友達と一緒にオモチャの鉄砲で、
「バン!!バン!!」って言いながら、戦争ごっこをしていたら、
それを見ていた知らないおっちゃんに、
「おい坊主、本物の鉄砲はな、ダーーンッ!!って音なんだぞ。
それより、もっと楽しい遊びがあんだろ?戦争ごっこなんてやめとき」
って言われた事があったな。

そのおっちゃんは、片腕が無く、顔にはひどい火傷の跡があった事を今でも鮮明に覚えている。
892名無し三等兵:2007/11/11(日) 14:18:17 ID:???
>>891
×ダーーンッ!!
○アッーー!!
893名無し三等兵:2007/11/11(日) 14:40:14 ID:???
>>892
その鉄砲じゃねえええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
894名無し三等兵:2007/11/11(日) 16:15:52 ID:twu0fXZ3
>>891
私もドチビの頃にそういった人見たな。
宇都宮に連れてってもらった時によく見るじいちゃんの左腕が無かった。
なんとなく正面から見るのが気が引けて、後ろ姿しか記憶が無いけど、
背筋をピンとのばした後ろ姿が今でも忘れられない。
895専守防衛さん:2007/11/11(日) 16:50:50 ID:UNjZ4aOM
俺の祖父は陸軍の戦闘機のりだった。
零戦にも乗ったことがあって、曰く、風防の端が腰の辺りで、
視界がものすごくよかったらしい。
朝鮮半島の基地に配属されてて、グラマンに撃墜されたらしい。
搭乗機は複座で、後ろに乗ってた。
機種炎上してて、前に乗ってた上官がなんとか不時着に成功して助かったが、
その上官は顔が溶けたらしい。
今書いてて、この上官がうまく着陸してくれたおかげで俺が生きているということを実感しました。
感謝します。

896名無し三等兵:2007/11/11(日) 17:02:12 ID:07Qx1UcN
>>895
面白いお爺さんだなwwwwwwwww腹抱えて笑わせてもらった

陸軍の戦闘機乗り→零戦×
朝鮮半島の基地→グラマン×
897名無し三等兵:2007/11/11(日) 17:03:42 ID:07Qx1UcN
追加
キャノピー→腰の高さ×
898専守防衛さん:2007/11/11(日) 17:21:36 ID:UNjZ4aOM
ああ、零戦は何かの機会にのせてもらったらしい。
グラマンは正直怪しいと思ったが確かそういってた。
キャノピーが腰の高さというのはマジでいってた。
あと、敵機襲来のとき、敵は太陽の中に入ってきたらしいが、太陽がかけて見えるほどだったらしい
そういうときはとにかく隣の飛行場ににげたらしい。
 あと複座式の戦闘機って何だろ?
899名無し三等兵:2007/11/11(日) 17:29:00 ID:???
昭和20年5月くらいから散発的に朝鮮半島への艦載機の空襲も行われて
みたいだから嘘ではない思う。
戦前の単発機=グラマンなのかもしれないが
風防の端が腰の位置ってのは、座席を離陸位置まで上げると風防の後端が
三点姿勢も相まって腰の高さあたりにあるってことでねーけ?
視界の良さを誇張したか複座機乗りの方のようなので単座機の視界に驚いたか?
900名無し三等兵:2007/11/11(日) 17:30:59 ID:07Qx1UcN
陸軍で複座戦闘機といえば屠龍
901名無し三等兵:2007/11/11(日) 17:40:51 ID:???
司偵かもね。
それか九州南部にいた部隊か
貴重なお話をd
902専守防衛さん:2007/11/11(日) 18:01:23 ID:UNjZ4aOM
>>899〜901
レスありがとです。 やっとわかった。今度また祖父に聞いています。
付け加えると、祖父は特攻に出されそうなときに病気で出撃できなくなり、
その療養中に無線操作の技術を身につけて重宝されて助かったらしい。
おそらく知覧から出撃する予定だったらしいです。
903専守防衛さん:2007/11/11(日) 18:10:13 ID:UNjZ4aOM
無線操作ってなんだwwとりあえず無線通信の技術です。
失礼しました。
904サルキチ.com:2007/11/11(日) 18:14:31 ID:???
 ,..-''";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;`゙ヽ、
       ,.-'";;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ヽ
     /;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;゙i,
      |;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;:-'"゙i,
     .!;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;; -'''"ミミミミミミi
     lシ""""""""""""""´      ミミミミミ|
     |           ,,,,,,,,,,,,...-  ミミミミ|
     | ,,;;;;;;;;;;,、   ,.-='==- 、 ___,,...-'´`゙!
    /!´    `ヽ___l         }_r'´   ,. !.|
   [| ゙!   メl    |⌒!   メ l     |      〉 ! 僕、ブチャラティ
    ヽ、|      ノ i:.ヽ、    _.ノ     ' /
       |`ー‐ '´   !::.   ̄         r'"
      i,      , |:::            '1
        ゙i,          ノ       |
       ゙、  ,...____.,,,._ノ         /  |`ヽ
        ゙、   ー  ゙     / / ./  ゙、
         ヽ         / '/     iヽ、
           ヽ、    ,../  /     ∧ ゙ヽ、
              /`゙゙T''"     /     /     ゙ヽ、__
           /    !    /     /         `ヽ,
           ,ィ'    |    /    /            i,  ヽ
          / |    |  /   /             |  
自分で探すぐらいの努力はしような、これが最後だ。
905名無し三等兵:2007/11/11(日) 18:15:34 ID:dUX+PZos
詳しくは知らんが俺のじいちゃんは警務隊に居たらしい。
戦争が終わった後軍の機密文書を燃やしたらしい。
906名無し三等兵:2007/11/11(日) 18:28:30 ID:???
俺の爺ちゃん、
元海軍のパイロットだったけど、戦後も空自のパイロットをした。

「やっぱり、純国製の飛行機じゃないといかんなぁ〜。空自の飛行機にゃあ、なかなか愛着が沸かんかった」とか言ってた。
907名無し三等兵:2007/11/11(日) 19:38:21 ID:???
俺の爺さんは大正4年生まれで、終戦まで職業軍人だったそうだ。
72歳で大往生したのが20年前で、あまり詳しい体験を口から聞いたことはなかった。
ラバウルで、魚釣ったりパパイヤやバナナ食ったりしてた話を
面白おかしく夜な夜な聞かせてくれた大好きな爺さんだった。

詳しい話(階級や経歴、つらい体験)は殆ど聞いていない。
銃弾が右手にあたって破片がまだ入ってるんだよ、なんて話は聞いたけど。
家には勲六等のでかい賞状が残ってるが(昭和19年2月発行)
其のあたりのいきさつなんかは聞いていない。

爺さんが往ったあと、婆さんが爺さんが語らなかった辛い話をいくつか聞いた
輸送船でラバウルに向かう時に、2回も台湾沖で潜水艦に撃沈されてしまったこと
其の時に、サメに仲間が大勢やられてしまったこととか

葬式の時に、軍人時代の仲間が大勢来て見送ってくれた。確か50人くらい来てたかな、、、
送別の言葉を代表者の方が読み上げて下さったのだが、爺さんを中将と呼んでいた。
逝去したことで2階級特進扱いだったんだろうか。。。
908名無し三等兵:2007/11/11(日) 19:56:59 ID:8ZF6zoYR
今年亡くなったうちの爺さんも
輸送船に乗ってたら潜水艦の魚雷攻撃にやられたと言ってた
遺品の中から恩給申請の経歴書が出てきて読んだら
第221設営隊と記してあった
909名無し三等兵:2007/11/11(日) 20:25:29 ID:???
>>908
「第221設営隊」でググったら、ミクロネシアのポナペ島で滑走路を作っていたようですね。
その前は、モートロック環礁で飛行場を作って、ブラウン環礁に転進中に海没し、
残員がポナペ島に上陸ってあります。
910908:2007/11/11(日) 21:12:13 ID:8ZF6zoYR
>>909
経歴書によるとその前にトラックで飛行場を作ってたようです

ポナペでの話はよく聞かされました
海軍は海沿いの陣地で陸軍は山間の陣地にいて
時々艦載機(爺さん曰くグラマン)の爆撃や機銃掃射があったり
大規模な艦砲射撃があって兵員が結構死んだとか
島内に川が流れてて水や食料には困らなかったと
米軍の攻撃がない時は畑で芋を作ったりしてたらしい
911名無し三等兵:2007/11/11(日) 21:46:52 ID:hCZzScYR
S56年没
ポツダム大佐(陸軍)
万里の長城?の楼壁から手榴弾落とされて、
左太股が酷いことになった...らしい。
実際見ても、肉がえぐれて痛々しかった。
その後は都城あたりで兵学校の校長をしてたらしいが...

エピソードとしては、国内のハードウェアは信用ならん...
という事で、佐官ならではの自前調達で拳銃はコルト32オート。
(ハンマーの隠れたヤツ)
見せてもらったが、保存が良く コマーシャル用の深いガンブルーで
まだまだ綺麗だっくぁすぇdrftgyふじこ

912名無し三等兵:2007/11/11(日) 21:50:57 ID:2IZ7c2Jo
京都でのんびりしてたとさ〜。
913名無し三等兵:2007/11/11(日) 21:55:20 ID:???
なんだ、まだ古いスーパーモード使ってたのか
914名無し三等兵:2007/11/11(日) 22:07:01 ID:???
>>911
ペーペーの少尉さんでも自費購入ですが・・・
(むしろコルト32オートとかより九四式の方が高額
915名無し三等兵:2007/11/11(日) 22:24:53 ID:???
本当のじいちゃんでなくて,近所にいたじいちゃんの話。
その人は,主に中国戦線で重機(三年式だったと思う)を撃っていたのだが,
口径70mmの大砲の開発にも加わっていたと話していた。
たぶん,九二式歩兵砲のことだと思い,「ボロかったでしょう。
何で,あんなボロを開発したのですか?」と聞いたら,笑っていた。
そのじいちゃんは,ZB26のことをチェッコ機銃と言っていた。
「チェッコでなくて,チェコでしょう?」と聞き返したら
「チェッコ」と言い張っていた。ああ,昔の人だなあと思った。
916名無し三等兵:2007/11/11(日) 22:29:10 ID:???
父方は理系で徴兵されずに終戦
広島出身だが他所で技術系の仕事してたとかで被爆は免れた
母方は予科練に行ったがそのまま終戦したそうだ


小中高と日本史で扱う二次大戦って悲惨悲惨ばっかで
参戦して帰ってきた兵士はいないみたいな印象だったけど、ンなことありえないんだよな
社会科でベビーブームとか教わってたのにどうも繋がらなかった
じーさんは帰省する度に当時の話をしてくれたが
逝っちまう前にもっと真面目に聞いときゃ良かった
今現在が60年前の戦時と繋がってることが、驚くほど実感できない
当時のことは血の繋がった身内がちゃんと記憶してたのに
917名無し三等兵:2007/11/11(日) 23:02:25 ID:???
>>903
それは無線操作(通信)じゃ無くて、無線機操作(技術)だろうな
通信はできても、修理が出来ないのがパイロット(空中勤務者)
通信(和文モールス)ができないと空中勤務者にはなれるはずがない
爺さんは和文モールスを今でも絶対に覚えているはずだよ
聞いてみなされ
忘れたとか知らないと言われたら、お前の爺さんは空中勤務者じゃなかったらと思いな
918名無し三等兵:2007/11/12(月) 01:43:10 ID:???
>>917
長年使わなければ母国語でさえ忘れかねんのにそりゃないぜ
まぁいくつかは覚えてて然るべきだろうが。
919名無し三等兵:2007/11/12(月) 08:32:29 ID:???
我が家の老人は未だに和文モールス現役なみです
「忘れんもんじゃのう」と不思議がっておりますよ
予科練訓練時は略毎日失点1毎にバッター1発
但し送受信とも1字間違いで3点減点
必死だったそうです
920名無し三等兵:2007/11/12(月) 08:43:35 ID:???
>>918は認識不足
>>919の家の爺さんが普通
習わないで習得した事は忘れる
訓練で習得した事はなかなか忘れない
921903:2007/11/12(月) 09:49:37 ID:eVBxxx1/
>>917 ほむほむ。 多分和文モールスのようです。
 あと、撃墜されたとき、祖父は落下傘で飛び降りろ! って言われたが、
質のいい落下傘は空挺部隊に送られてて、粗悪品ばかりだったから飛び降りずに
上官にお供したらしい。
 
922名無し三等兵:2007/11/12(月) 11:34:48 ID:???
4年前に死んだ3軒隣の爺さんは乙飛18期の偵察だった
和文モールスは完璧だったよ、当時免許(2総通)取り立ての俺もびっくりした
923名無し三等兵:2007/11/12(月) 12:44:16 ID:???
ウチの爺さん、三式戦で本土防空戦に参加。
夜間迎撃できる腕は無かったらしく、昼間高高度迎撃組みだったらしい。
偏西風に乗って飛んでくるB29との相対速度は1000km越え。
遠くに黒い点が見え、それがジュラルミンの銀色になると、あっという間
に接近、で後方に吹っ飛んでいく。会敵時間は数十秒しかないそうな。
殆ど、捕捉の機会が無く、余程のベテランではないと撃墜はまず不可能といってた。
1万メートルでは三式戦闘機でも反行戦で上手く捕まえないと、すぐに
あっぷあっぷで高度を失い、爆撃の帰りまでB29を待って待機するんだが
電熱服は粗悪で火傷は当たり前、発火したこともあるとか。
酸素瓶も「物資欠乏の折、節約して使え」という命令で、酸欠は日常茶飯事。
酸欠で墜落した機体も結構あったとか。
結局、不確実撃破4〜5。撃墜無し。
戦後暫くは、防空隊出身という理由でリンチに遭った空中勤務者がいた
らしいので出自は周りに伏せていたらしい。
爺さんの発言をノートにまとめてあるので、何時かキッチリ発表したい
もんです。
924名無し三等兵:2007/11/12(月) 12:47:20 ID:???
追加。じっちゃんの発言に
緊急発進の際、補助ロケットを使って高度を稼いだ。ウチらは過給機
と呼んでいた。ってあるが、戦闘機が迎撃に補助ロケットを使用という
記録は見つからないので、これは記憶違いだと思うけど。
亡くなる2年前の記述だし。
925uaa:2007/11/12(月) 14:21:12 ID:c92De1yu
>>923
>電熱服は粗悪で火傷は当たり前、発火したこともあるとか。

今話題のニチアス製かな?
当時は電熱服作ってた。その流れで今でも組合はゼンセン。

>>918−922
関係ないけど、うちの親父(昭和5年生まれ)は今でも軍人勅諭と教育勅語を暗唱できる。

926名無し三等兵:2007/11/12(月) 16:01:57 ID:???
うちの爺ちゃんは艦爆乗りだったみたい
田舎に行った時に見せてもらったアルバムにどこかの陸上基地で撮った写真があったよ
九九艦爆の前で二人で腕組んでポーズ取ってた
カッコ良すぎて涙が出てきた

爺ちゃん俺が小学低学年ぐらいの時に亡くなっちゃったんだよね
遊びに行くと頭の上に持ち上げてくれてブーンって飛行機やってくれるのが大好きだった
行くぞー空母だ戦艦だー!って言いながら公園をグルグル走ってくれた
爺ちゃん…
927名無し三等兵:2007/11/12(月) 18:22:06 ID:???
>>920は色々認識が不足してそうだな。
928名無し三等兵:2007/11/12(月) 18:43:40 ID:???
母方の曾祖父も、父方の曾祖父も、それぞれニューギニアとビアクで戦死。

この辺りでの日本軍死亡率は90パーセント以上らしい。
戦闘よりも餓死やマラリアなどでの死者が多かったと聞いた。
家族を遠い岩手に残して、痩せ細りながらも戦い、そして亡くなっていったと思うと、さぞかし無念だっただろなと思った。

今学生ですが、あの戦争についてもう少し勉強していきたい。
929名無し三等兵:2007/11/12(月) 18:49:11 ID:???
>>925
戦前・戦中に教育を受けた人は、
教育勅語の暗唱は当たり前。
あと、歴代の天皇の暗唱もできる。
930名無し三等兵:2007/11/12(月) 19:25:47 ID:a03u1mPU
母の兄なんだが甲飛12期の偵察。銀河で台湾沖に出たとかなんとか。怪我して地上勤務で生き残ったとか。無線が好きだそうで庭に鉄塔たててアマチュア無線やってたなぁ。寝ててもモールス打てるとか自慢しとったけど。
931名無し三等兵:2007/11/12(月) 19:48:55 ID:???
俺の祖父の弟は内地の陸軍飛行場で疾風の操縦士をしていたらしい
といってもそこへ配属されたのが昭和20年になってからなので経験した空中戦は1回だけ
そのときは「隊長機がバンクしたので慌てて左右や上を見たところ、上空からP-51が数機突っ込んできた
完全に不意を衝かれた上に初の空中戦なのですっかり上がってしまって逃げ回るのに精一杯だった
何とか生きて帰ったものの隊長に「貴様、まるで鬼ごっこで鬼に追いかけられて必死で逃げ回っている子供みたいだったぞ」
と笑われた」そうだ(当然、この空中戦でのスコアはゼロ)
数日後にまた敵機が来襲してきたので、エンジンを回して乗り組もうとしたところ、真っ白い煙が出だしたので緊急停止
退避しようと防空壕へ向けて走っている最中に敵機が機銃掃射してきて機銃弾の破片が尻にヒット
病院に入院している時に終戦を迎えたと言っていた
ちなみに、今でもバイクを乗り回してピンピンしています
932名無し三等兵:2007/11/12(月) 19:49:38 ID:Efy0L1kT
うちの爺さんは、陸軍歩兵(詳しくは知らない)。
昭和19年までは満州駐屯。
20年から宮古島防衛に移動。
そのまま満州にいたら露助に殺されるか、
捕まるかしていたことだろう。

で、結局米軍は宮古島を無視して沖縄に行ったから、
実戦らしい実戦はしてないそうな。
ただ、島を歩いてると、よくグラマンが
機銃掃射のために追いかけてくるので、
そのときはひたすら逃げ回ったとか。
933名無し三等兵:2007/11/12(月) 20:33:53 ID:???
>>924 終戦間際には記録が失われてて最近になって判明したことも多いから、
将来お爺さまの記録を出版するようであれば、「そういう証言があった」と
いうことは記載しておいたほうがよいかと思います。
いずれどこからか補助ロケットを搭載した写真や図面が見つかる可能性も
無きにしも非ず。
「過給機と呼んだ」という発言からは、2段式過給器を積んだ試作型とか、
水メタノールを積んだ二型という可能性も考えられますが、それはそれで
興味深いことです。
934名無し三等兵:2007/11/12(月) 22:19:14 ID:???
>>927←いやいや、お前よりはましだと思うぞ
935名無し三等兵:2007/11/12(月) 22:44:36 ID:???
( ´,_ゝ`)プッ 
936名無し三等兵:2007/11/13(火) 00:53:38 ID:???
>>933
おっしゃる通りですね。
それから、「過給機は夜間迎撃組みが使っていた。ロケットから
発火する火花がとても綺麗だった」ともあったり。
じっちゃんが夜間迎撃組みに廻れなかったので見れたらしいです。
後、体当たり専門機体のお話とか、当時自分はガキだったがもっとしっかり
聞いておけば良かったなあ、と思います。
937uaa:2007/11/13(火) 02:52:01 ID:tmrWnaq0
>>929
両親が歴代天皇で勝負したことあったwww
東大出の親父が圧勝だった。

938名無し三等兵:2007/11/13(火) 09:33:55 ID:???
予科練てエリートなん?

倍率が物凄く高かったって聞いた事がある。
939名無し三等兵:2007/11/13(火) 09:54:34 ID:???
ここなんか読むと戦争末期の日本でもまともな戦いをしていたところがあったんだと思った。
ttp://ohanashi.okigunnji.com/0021100/
940名無し三等兵:2007/11/13(火) 11:14:07 ID:???
>>931
上がったら多分戦死してたでしょうな、これが本当の怪我の功名。
941名無し三等兵:2007/11/13(火) 14:58:06 ID:???
>939
 何度読み返しても、フィクションとしか思えないんだが。
942名無し三等兵:2007/11/13(火) 19:38:05 ID:???
>>941
実際、芙蓉や六三四空の戦い方なんてフィクションの出来事みたいだもんなぁ
943名無し三等兵:2007/11/13(火) 19:46:35 ID:???
>>939
なんか創作っぽいなぁ。汚名挽回とかかいてるし。
昔のひとっぽくない。
944名無し三等兵:2007/11/13(火) 20:14:54 ID:???
昔のゆとりだろ
945名無し三等兵:2007/11/13(火) 22:00:29 ID:???
野中五郎少佐が、どの様な経緯で桜花14機と一式陸攻18機で出撃していったか?
を読むと、ホントにこれは冗談なんじゃないかと思うわな。
946名無し三等兵:2007/11/13(火) 22:13:00 ID:???
>>939
これブログじゃなくてホムペの時に読んだ
ホムペの時には三者間通信の箇所なんかは図解してた
何でブログに書き換えたのかが不思議
まあその時も話半分と思って読んだが
947名無し三等兵:2007/11/14(水) 00:09:56 ID:dJRp9miP
>>943
ジェリド乙
948名無し三等兵:2007/11/14(水) 00:11:34 ID:???
悪玉確認
西白鶴

優将確認中
東レーガンJr
949名無し三等兵:2007/11/14(水) 00:59:42 ID:4NbZxpka
>>947ガンダムかよw
950名無し三等兵:2007/11/14(水) 14:21:12 ID:???
出戻りフイタww
951名無し三等兵:2007/11/16(金) 13:59:54 ID:???
屠龍で策敵してたの?
なんか変だな。
952名無し三等兵:2007/11/16(金) 19:25:45 ID:???
>>951
まぁ普通に考えたら九九式襲撃機じゃね?
(百式司偵とかも
953名無し三等兵:2007/11/16(金) 20:52:02 ID:???
>>951
飛べる飛行機が底を突いてきてたから、何でもありなんじゃないの?
954?:2007/11/17(土) 02:36:14 ID:???
>>952
文脈から「軍直轄」の偵察専門特殊部隊なんだから
いくら終戦年の4月とはいえ
攻撃機を偵察に代用は無いだろ?

無線の事もかなり不可解
特に無線電話(振幅変調)の三者間通信、詳しく調べてみる
俺、プロ通信士だから
955名無し三等兵:2007/11/17(土) 07:28:34 ID:???
当時の航空無線は、雑音ばかりで使い物にならんかったって聞いた事あるが?

機体のバンクや手を使って合図をしてたとか?
956名無し三等兵:2007/11/17(土) 12:54:38 ID:???
トンツー使ってたんじゃないの?
957名無し三等兵:2007/11/17(土) 13:51:33 ID:???
>>956
ブログ読んだか?
958名無し三等兵:2007/11/17(土) 15:44:34 ID:???
あの話は、戦記じゃなくて、戦記小説だと思う。
959名無し三等兵:2007/11/17(土) 16:16:38 ID:???
それを言うなら、仮想戦記
960954:2007/11/17(土) 17:11:56 ID:???
無線電話(振幅変調)での交信は行われていた
受信はゼネラルカバーで無線電信・無線電話ともにおK

しかし当時送信は水晶発振子を使って行われており
振幅変調(全側波帯のA3波、占有周波数幅6Khz)の送信を
短波帯2〜30Mhzの全てでできるようにするには4666個の
水晶発振子を持っていなくてはできない
それも瞬時に切り替えが出きるようで無ければ役に立たない

したがって米軍機との3者間通信などは当時としては夢の又夢

>>959の通り仮想戦記ですな
961名無し三等兵:2007/11/17(土) 20:59:45 ID:???
余計なお世話だけど

>>960←おいおいお前さん本当にプロの通信士か?、それは単純に6khz 刻みにしただけじゃ内科医?
クリスタルの場合だと1khz刻みにしないと相手側が完全同調しない送信周波数が出て来てしまうだろ?
だから結局は28000片のクリスタルが必要となるのだよ

まあ、あのブログは仮想戦記には違いないけどさ
962名無し三等兵:2007/11/17(土) 21:58:25 ID:???
>>961
960の話じゃ送信だけ水晶なんじゃないか?
きっと受信はVFOなんだよ。
それに水晶だって±0.5%は調整できるだろ?
ただ、2〜30Mhz全部送信できるようにする必要性はまったく感じない。
963962:2007/11/17(土) 22:03:19 ID:???
それと、仮に2〜30Mhz全部送信できる送信機があったとしよう、しかしアンテナはどうする?
送信の場合はシビアだぜ。
全帯域でVSWRを1.5以下にできるだろうか?
航空機にログペリアンテナ付けるわけにはいかないしな。
964名無し三等兵:2007/11/17(土) 23:39:32 ID:???
あなた達の言っていることが暗号にしか聞こえないw
そういえばアマチュア無線4級の免許どこいったっけな・・・

うちのじいちゃんの話、戦場に行ってないし訓練だけの話ししかないけど書いて良いですか?
965名無し三等兵:2007/11/17(土) 23:43:20 ID:???
>>964
4アマのレベルってそこまで落ちたのかorz
どうして合格できたの?
966名無し三等兵:2007/11/17(土) 23:53:32 ID:GRX+Dmx2
当時の飛行機に付いていた空中線は尾翼先端から機体の中部に張られた単線で
給電部分がベースローディングタイプ
バーニア(カプラー)を調整して反射波(vswr)を抑制していた
だがしかし、通信員配備の大型機体だけで、単座や複座は飛び立つ前に固定された単一周波数での電信のみしか発信できなかった

確かに発振子を短波帯全て対応して揃える必要性な皆無だが
ブログにあるような通信芸等は出来ない
967名無し三等兵:2007/11/17(土) 23:54:05 ID:???
丸暗記の本を買って無事1発合格なんですけどね・・
勉強したのたぶん3日ぐらいだし、この問題はこの答えみたいな感じで覚えてました。サーセン

私はスノボで使う目的で取ったんだけど、携帯が普及してまったく使わなくなってしまったんです。
それでますます忘れて今に至る感じですね。
968名無し三等兵:2007/11/18(日) 00:04:09 ID:???
漏れは厨房、親父は40代、じいちゃんは60代、ついにこれからの子供は
親戚から戦争の話が聞けなくなるのか・・・

去年99歳で曾婆ちゃんが亡くなったけどちゃんと話聞いとけば良かった
969名無し三等兵:2007/11/18(日) 00:09:07 ID:???
>>963
T2FD というアンテナを知っていますか?
970名無し三等兵:2007/11/18(日) 00:10:27 ID:???
>>968
戦争経験者さんたちの間で共通に聞かれるのは、
「戦争は悲惨だ」と言うような言葉だよ。
戦争なんて無いに無いにこしたことはない。
前の大戦から戦争を経験していない国に生まれて
良かったと考えましょう。
971963:2007/11/18(日) 00:44:22 ID:???
>>969
知らん。
972963:2007/11/18(日) 00:47:24 ID:???
>>969
調べた。効率は悪いって書いてあった。
HB9CVと同じくコールサインだったんだな。
973名無し三等兵:2007/11/18(日) 00:57:40 ID:???
当時t2fdは米軍しか使っていない、それも拡張できる大型爆撃機にのみ
自国発明の八木宇田さえ知らなかった日本軍にはそんな空中線の技術は無かった
974名無し三等兵:2007/11/18(日) 01:16:52 ID:mlfRAdD/
確かに今では化石のアンテナ

今のと比べたら最低最悪だけど
当時としては広帯域で送受信が可能なのはそれしか無かった
いまではどこも使って無いけど
975uaa:2007/11/18(日) 04:26:59 ID:y4aQe8mI
>>968
そういえば、このスレ見てるとみんな祖父さんか曾祖父さんの体験だよね。
俺40代だけど、同級生の中には父親が従軍したっていう奴が何人かいた。
中には海軍兵曹長だった人もいる。

”お父様の戦争体験”っていう奴いないかな?
976名無し三等兵:2007/11/18(日) 06:55:18 ID:dO7FFY0v
おれ50代、おやじは軍属通訳で4年ジャワ島にいた燃料省に属しアメリカの
シボレーという車でアッチコッチいったそうだ。日本の将校で車の運転が出来る
やつってまったくいなかったそうだ。日本車のぼろいのには閉口したといってた。
 知人で真珠湾攻撃に艦攻(赤城)の後部機銃員でいった爺さんがいたがボロイ
飛行機でよくいったもんだと言ってた。伯父は野砲隊で国境でソビェト軍と一戦
交えた人だったが38銃の粗末さとマンドリン機関銃の恐怖を語ってた。
 近所の爺さんイー58の魚雷発射室にいてインディアナポリスを撃沈したのが自慢
。靴屋の爺さんは重巡洋艦高雄に乗ってた時シンガポールで主砲でB−24の編隊に
3式弾をぶちこみ数機撃墜した話を聞いた。みんな死んじゃった。
977名無し三等兵:2007/11/18(日) 15:33:15 ID:???
>>確かに今では化石のアンテナ

そうでもない。色々の国で、結構な数が業務用で使用されている。勿論、アマチュアでも。
USAでも、日本でも製品が売られている。
978名無し三等兵:2007/11/18(日) 16:17:49 ID:???
ttp://www.radiocraft.co.jp/t2fd.html
スレ違い、スマン。
979名無し三等兵:2007/11/18(日) 17:35:40 ID:???
>>976
戦争はもう嫌だとか言う人でも、戦地でのそういう話をする時は実に楽しそうにしていたな
980名無し三等兵:2007/11/18(日) 19:42:55 ID:???
>>979
だって、それが青春時代だったんだもの。
981uaa:2007/11/18(日) 19:42:59 ID:d0goDOVF
>>976
うちの祖父さん将校だったけど運転出来たよ。
運転出来る日本人が少なかった時代だから、かなり珍しい存在だったようだが。
免許取ると輜重兵や重砲部隊に転科させられたそうだ。

うちの祖父さんも普段はシンガポールで接収したアメ車を使い、
支給されてた国産車に乗るのは司令部に顔出すときだけだったそうだ。
982名無し三等兵:2007/11/18(日) 23:01:39 ID:???
>>981
どうした1しっかりしろ11
983名無し三等兵:2007/11/19(月) 02:01:26 ID:eAcu7hLe

フォールテッドダイポールアンテナの事ですね
リンクでは今でも販売されて使われているようですが
出力はダミーロードのように熱となる非効率なアンテナです
マニアックなアマチュアさんか先進国のプロ用ですかね
今でも需要があるのですか?
984名無し三等兵:2007/11/19(月) 10:08:01 ID:???
フォールテッドダイポールとT2FDは全く別の動作原理で機能するものです。
フォールデットダイポールは、通常のダイポールと同様共振周波数でのみ高効率を
発揮します。T2FDは2−30MHZとか7−50MHZとかの広帯域で平均的な能率
を発揮できます。この特性は、また、ログペリとかロンビックとかの大掛かりな
ものでなく手軽に使用できるという特性を生かして、最新技術であるスペクトル
分解によるデジタル無線通信等で威力を発揮できるものと考えます。
985名無し三等兵:2007/11/19(月) 13:05:13 ID:???
986名無し三等兵:2007/11/20(火) 10:08:01 ID:???
保守
987名無し三等兵:2007/11/20(火) 22:05:06 ID:???
sage
988名無し三等兵:2007/11/21(水) 00:43:32 ID:/FFFKCDZ
ハゲ
989名無し三等兵:2007/11/21(水) 23:17:06 ID:???
sage
990名無し三等兵:2007/11/22(木) 00:16:57 ID:J6ka+Ccr
残り11
991名無し三等兵:2007/11/22(木) 03:00:27 ID:YqNjUzNF
俺の爺ちゃんは海軍だったよ。戦争の話はしてくれなかったけど、カレー作るのがクソ上手だった。
992名無し三等兵:2007/11/22(木) 10:56:37 ID:???
爺さんの部下が、後のマルサンの創業者の一人だったらしい。
993名無し三等兵:2007/11/22(木) 23:57:35 ID:???
>>980 次スレ立てよろ。
994uaa
>>993
たてたぉ

あなたのおじい様の戦争体験を教えて その17
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/army/1195753214/l50