>>916 マジレスするけど零戦(12試艦戦)かな?
殉職されたの昭和何年頃か分かる?
940 :
名無し三等兵:2007/08/15(水) 11:13:12 ID:NODKNQG3
>>939 昭和50年代の松本零士作品の引写しぢゃ。
941 :
名無し三等兵:2007/08/15(水) 12:05:08 ID:NuS23p7k
衝撃効果90℃
俺の祖父は飯の事とか枝葉末節的な不満なんかの話をよくしてくれます
祖父「俺らは麦飯なのに海軍は白米だからな」
俺「まあまあ、健康に良いって事で得したって思えば」
祖父「ははは、健康には良いとは言うな」
健康に良いと言ったら笑っていたが当然納得はしてません
食物の恨みってのは深いものです
944 :
930:2007/08/15(水) 13:08:35 ID:???
>>937 「必ず」って俺、どこに書いた?
わざわざ強調してまで・・・熱中症に気をつけろよ。
>>929 あと俺の地元の場合なんだが
県内の全戦死者を纏めた「菊花録」って言うのがあって
地元の連隊は元より陸海問わず収録されている。
其のほか市町村でも戦死&戦没者を纏めた本を出していたりする
「もしかしたら」
>>929の地元でもそう言う物が「あるかも」しれん
各都道府県および其の市町村の図書館の郷土資料コーナーも狙い目
じっちゃの双子の弟の履歴表というやつを生前いただいたんで書き記してみる
自分は詳しくないんで間違い等あったら指摘ヨロ
うちの父方の祖父は大戦中、台湾の高射砲(対空機関砲?)陣地に居たらしい。
グラマンの飛行機の模型を作っていた時に、「こいつに爆撃された」って笑いな
がら話してくれたなぁ。死ぬ直前に記憶がフラッシュバックしたらしく「敵機が来
る!田中(戦友?)は無事か!?」って叫んで「無事だ」って応えたら安心して
眠りについた…。かの宮崎繁三郎も、病床を訪れたかつての部下に「敵中突破で
分離した部隊を間違いなく掌握したか?」とうわ言を言ったそうだけど、死ぬ前
は凄惨な記憶が蘇るものなのだろか…。
かなり長いんで艦船部隊内配置竝ニ潜水技倆ニ對スル経歴のみ
16.4〜17.1
横空 九七式艦攻飛行機員
17.1〜17.12
聖川丸 零式水偵飛行機員
17.12〜18.4
國川丸 零偵飛行機整備員
18.5〜19.12
台南空 99式艦爆飛行機班員
19.12〜20.6
台湾空 整備科倉庫員
20.6〜20.11
台南空 同右
聖川丸に乗ってた時撃沈されて救助はきてくれないし生き残るには泳ぐしかなくて
暗闇の向こうがぱぱっと光ってて花火のようだったと言ってた
台南沖航空戦で感状ももらったけど出撃してった機がほとんど戻ってこなかったのは悲しかったとも言ってた
ラバウルで一時的に零偵の整備してたときに新型の32型のクソみたいな評価を聞いて大丈夫なのかと思ったとも言ってた
もっと話しきいときゃうよかったぜ・・・
知識がにわか程度にしかない俺にはよくわからないところもあるんだけどね
>>947 横空にいたなら うちの実家に宿泊したかも
>>944 「県庁に行けば兵籍簿と言うのがあって所属やら色々と見れるんだ!」
という記述に、現物が存在しない可能性がある、という配慮はありますか?
>>928 陸軍の船舶工兵さんですね、
私の中学時代の社会科の先生も船舶工兵さんで、
広島配属だったので、'45年の8/7あたりから毎日忙しくて大変だったと言ってました。
>>947 空中勤務から地上勤務になってますが、
聖川丸の時に負傷でもされたんでしょうか?
>>ALL
無粋なツッコミと知識自慢は止めい。
952 :
951:2007/08/15(水) 16:46:29 ID:???
953 :
951:2007/08/15(水) 16:47:33 ID:???
パスrireki
954 :
名無し三等兵:2007/08/15(水) 18:00:39 ID:REg2lNz0
うちの爺ちゃんはスミ入れてたんで徴兵検査で殴られたけど兵隊には取られなかった。
みんなスミ入れれば死なずにすんだのにね。
モンモンあると兵役免除なのか?
地方都市なんだけど、
ここ2年ばっか、式の最中ずっと社殿入口の石段に座り込んでたじじい。
今年は、とうとう来てなかった。
別の忠霊公園では、去年から見なくなったばばあがいるけど、
今年はとうとう下草も刈ってなかったし、日の丸も揚がってなかった。
式にばばあ乗っけてきても、車で待機してる息子とかいるもんなあ。
随分前に死んだが大和の最後の出撃のとき
駆逐艦乗りで随行したそうだ
うちの爺さんは南太平洋海戦で筑摩に配属され、そのまま比島沖海戦へ。
艦が沈んで野分に救助されたものの野分も米艦隊に襲われ海上を漂流。
近海の島に流れ着き陸軍に合流したものの武器や食料は無く、水上偵察隊に助けられてダバオへ運ばれたものの9ヶ月後に敗戦。
日本に戻ってこられたのは昭和23年らしいけどすでに鬼籍に入っている。
兵籍簿で確認取れたけど、生きてる間は何もしゃべらんかった(´・ω:;.:...
>>949 そこまで配慮しなきゃならないってどんだけゆとりなんだよwww
探して無かったら無いで仕方ねージャンよ
ここはオメーの親族の軍歴照会所じゃネーんだ
960 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 00:15:06 ID:F+rqE/PV
親父だけど良いかな?
千葉大から学徒で飛行第19戦隊の整備になり
キ-61の地上滑走はしたとのこと 何かやたら機械に強く
ウチ地方の印刷屋なんだけど メーカーより詳しかった
最後の方はゲリラになり 投降したあとは
マージャンを覚えたとか 東條と握手したとも言ってた
今 介護施設です
961 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 00:24:30 ID:F+rqE/PV
スマソ東条でした
復員した時は 毛布と飯盒だけ持ってきたとの事
962 :
uaa:2007/08/16(木) 00:56:50 ID:8lxn/br7
昨日はおふくろが母校から頼まれた、女学生時代の写真を探してた。
戦争中で、セーラ服の女学生が軍事教練している写真や、賀陽宮の閲兵を受ける写真が出てきた。
あまり萌えなかった。
>>962 航空巡洋艦最上の艦尾から撮られた写真でうちの爺ちゃんと知らない女学生が敬礼してる写真あるけどやっぱり萌えんがな
初カキコなんだが、亡くなったうちのじいさんは海軍アッツ方面に赴任、
あんまり戦時中の話は教えてくれんかったが、食料調達や調理、偵察とかしてたようだ。
爺さんより先に亡くなったばあさんの棺おけに軍刀?短刀?(刃渡り20cmくらい)を詰めて一言
「散るは桜の花と散れ」
とキタもんだ。
言葉どうりの軍刀で、柄の桜の紋を外すと刀身がはずれバラバラになった。
今思うとちとホスィ・・・
ごめんなさい親父に聞いた伯父さん
(親父の兄で生きてたら84才)の話です
北海道のど田舎から北大に行き
三年の時に学徒で甲幹に合格
見習い士官(将校?)で旭川の機関銃隊へ
その後体を壊し転科して憲兵に
ここまでは親父(72才)の話しなんだが
先月軍籍調べたら最後は独立混成101旅団での憲兵少尉
でまた、親父の話に戻ると、一度だけ部下を連れて馬に乗って田舎に来た
その時は小さな田舎町は町中が大変な騒ぎになったと
当時まだ小学生の親父はカッコイい兄がうらやましく
近所の大人から「あんたも兄さんみたくなるんだよ」
と言われ、かなりのプレッシャーだったと
30年前に伯父さんが死んだ時は小学生(私は遅い子供なんで)でしたが
遺影に敬礼する人がたくさんいたのを覚えてます
調べたら独立混成101旅団は本土決戦北海道防備のためにい
全国からの寄せ集められた集団みたいです
結局海沿いの穴掘りが終わったあたりで終戦
これといった戦禍も無く平和だったみたいですが。
966 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 02:52:31 ID:P6QuqwTF
>>959 ら抜き言葉を使うところを見ると、今どきの餓鬼か、どこぞの田舎者だろう。
誤魔化さずに自分の間違いを認めて以後改めろ、大馬鹿者。
なお、愚にもつかない口答えを禁ずる。
>>967 朝鮮朝鮮パカにするな
同じメシ食ってヌクいクソ出す
日本人と何処が違う
クツの先が一寸違う
ってな事でー失せろ
970 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 03:22:45 ID:oVuksQWa
>>966 勝利宣言乙であります
余りスレ汚しを続けると御自身が大馬鹿者になりますぞ?
なお、愚にもつかない口答えを禁ずる。
971 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 05:37:13 ID:HZR+Bcgc
陸軍幼年学校砲兵科を卒業した44年、じいちゃんはビルマに転属された
そこでであったおいしい果物、バナナやパパイヤにマンゴー、特にドリアンが最高だったらしい
じいちゃんはインパール作戦に参加したのか所属していた隊が自分を除いて全員戦死したと言っていた
じいちゃん自身も胸に弾を受けて気絶したが、そこにあった成田様のお守りがじいちゃんの
命を救ったらしい
成田様はぱっかり割れてたらしい
靖国神社に参拝した時は、必ず成田様にも参拝してたらしい
こんなかっこいいじいちゃんを持つのに俺は何をやっているんだろう
すんませんじいちゃん
972 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 08:04:13 ID:7QLK7+r8
母方の爺さまは信濃と共に眠ってます。父方の爺さまは沖縄の海に散りました
>971
まだまだ、これから!
ガンガレ!!
974 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 14:56:52 ID:pndAFUOJ
>>971 現地でレイプや強盗した爺さんよりお前の方がましだよw
こりゃ面白いっ!
ちょーウケるっ!
……とでも思って書き込んだのか?
976 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 15:27:39 ID:/iENRU1D
昨日祖母から話聞いた。
祖父が生きてるうちに話聞いとけばよかったなぁって思った。
満州→フィリピン→ニューギニアにいってニューギニアで終戦を迎えた。
島にたどり着く前に船が沈んで、島まで泳いだらしい。
手帳?とかは海水に浸かったから真っ赤になったが、今でも持ち物は保管してあると祖母が言ってました。
戦時中の写真たくさんあったからざっと見たけど、偉い人達の顔は険しい顔していて威圧感があって怖い。
威張っていたり虐めをしていた兵隊さんたちを部下?達が組んで、戦争が終わって日本に戻る途中船から落としてたらしい
977 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 15:44:48 ID:/iENRU1D
祖父は落としてないみたいだけど。
私が小さい頃祖父は、ニューギニアには人食いがいると言っていました。
小さい頃は意味もわからなく怖がっていたけど、ニューギニア戦線を知った今は胸が締め付けられます。
祖父は脳梗塞になり、晩年痴呆になったのですが、ひどい時は一日中門の前に立って、
「中隊長?がくる」
と言って、家族が家に入るよう促しても待ち続けていました。
十年くらい前の話だが、陸軍大尉だった祖父の葬式の時、
武装SSの元中尉と米陸軍退役大佐が来て敬礼していった。
彼らに聞いた話によると、祖父は特務機関の人間として活動していたらしい。
それ以来、生前に祖父がしていた
「中野学校にいた。欧州の語学を仕込まれた」
「ヒトラーと握手したことがある。意外と小男で笑った」
「爆撃の名手(ルーデルらしい)を見かけたことがある」
「米軍と一緒に機密書類の処分をした」
という話を与太話だと思って聞き流していたことを後悔する日々を送っている。
>>978 そういうのって記録とっときゃ良かったと後悔するよな…。
中野学校出身ってことは、本人はあんま記録残してないだろうしな。
しかしルーデル見たとは凄ぇなw
知り合いにも満映関係で甘粕正彦や李香蘭とも親しかった人がいたんだが、録音でもさせて貰っとけば…。
>>979 「機密関係のことは書き残すな。書き残したら持ち出すな」って
指導を受けていたとかで、日記とか写真は残っていない。
機密に関係しない部分も戦犯になるのを避けるために
敗戦確定時に急いで焼き捨てるか、米軍に引き渡すかしたらしい。
泣きながら戦友との記念写真まで焼いたらしい。
情報将校ってのは徹底していると思う。
>>980 ルーデルのことは「もしかしたらそうかも」っていう程度だから、実は違うかもしれない。
「官邸で爆撃機のパイロットを見かけたぞ。ヒトラーに気に入られている様子だった」
とか言っていたから、ルーデルの写真見せて「この人?」と聞いたんだ。
で、そうしたら祖父は「ああ、こいつこいつ」と頷いた。
だから記憶違いの可能性もある。
982 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 20:34:59 ID:NOJ1ptw8
延々と下手な作り話ばかりご苦労さんw
983 :
名無し三等兵:2007/08/16(木) 20:55:14 ID:L4RHTCSi
うちの爺さんは幼少の頃より絶対音感の持ち主で音楽家
大阪城天守閣で14歳の時、人間レーダーをしてたそうだ
>>982 もうちょっとホラ話を楽しむ余裕を持とうやw
実家で俺のじいさんがもらった勲章を見せてもらった
かっこよかった
家のじいちゃんは銀杯くらいだな
987 :
uaa:2007/08/17(金) 05:41:55 ID:e3CAOz30
叙勲は戦前から軍人が圧倒的に優遇されてたようだね。
父方の祖父:予備役少尉時代、原隊が出征した時に留守番しただけで瑞六。
母方の祖父:帝大出のエリート官僚。数十年努めて、勅任官(少将〜中将相当)まで出世して瑞四+銀杯。
ちなみに、銀杯は叙勲基準に少し足りない場合に贈られる。
うちの祖父は旭七