810 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 22:40:08 ID:acta+tNI
さて「幣制改革」は置いておくとして、1935年11月24日には殷汝耕を
委員長とした『冀東防共自治委員会』が誕生します。
これは奉天特務機関長・土肥原賢二少将が、非戦区に傀儡政権を樹立すべく天津に入り、
支那駐屯軍参謀長である酒井隆大佐と謀議したものです。これは支那側の『鬼手』である
「幣制改革」に対抗すべく、北支の一部を切り離しにかかったものです。事実、殷汝耕には
国民政府からの『分離独立』を宣言させています――。
この辺のくだりは説明が大変難しいですが、要するに「カネ(通貨)を握った方が強い」と
考えてください。北支の経済圏が国民政府(蒋介石)の発行する『法幣』に飲み込まれれば
日本軍が苦心して進めた『北支分治工作』はオジャンです。しかも国民政府のバックには
英米が漁夫の利を狙うかの様に付いています。
さてこの頃には、支那駐屯軍司令官は梅津美治郎(中将:第2師団長へ転任)から、
『良識的』支那通軍人とされる多田駿少将に代わっています。
811 :
だつお:2007/08/07(火) 23:01:04 ID:bnjcDWMz
独断と私見でルーズベルト評。
http://plaza.rakuten.co.jp/shibu2003/2010 上は国士系のサイトで、米共和党のルーズベルト批判も載せているが、
第二次世界大戦における各国の軍事的役割を考えればルーズベルトの決断
はかなり合理的だったと言えるのではないだろうか。そもそもソ連との
協調を拒否するのであれば主敵ナチスドイツ打倒はおぼつかない。
あくまでソ連との協調を拒否するのであれば、アメリカは不戦しかなくなり、
第一次世界大戦までに築いてきた大国アメリカとしての国際的地位を失う。
日本だって第一次世界大戦で日英同盟のために欧州派兵か否かが検討されてる。
弊害はあったにせよ、やはりルーズベルト政権はアメリカを世界的大国にした。
パックスアメリカーナ、アメリカングローバルスタンダードの布教に成功した。
共産勢力の台頭は、大祖国戦争における共産主義ソ連の勝利と大陸打通作戦に
おける反共国民党の大敗によるものであり、ルーズベルトの責任とは言えない。
強いて言えばアメリカは戦勝国であってもその役割は限定されるというだけのこと。
最強ドイツ軍を殲滅したソ連赤軍>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>>>
>>>>97式中戦車チハにドツキ回されたエセ反共チンピラゴロツキ
・・・とまあ、歴史とはこう教えられるのが本質的に正しいと思うがどうか。
812 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/07(火) 23:01:09 ID:acta+tNI
多田駿少将は、関東軍の強引なやり方に極めて批判的で、土肥原賢二少将とは
たびたび衝突しています。他部署から自分の管轄で勝手に事を進められたら、
誰だって怒るでしょう。まあ、参謀長(酒井隆大佐)はえらく協力的ですがw。
しかし悔しいながら、支那駐屯軍と『天下の関東軍』とでは、所詮「格」が
違います。両軍の力関係から、関東軍の手出しは既成事実として黙認せざるを
得ませんでした。
それでも多田司令官は「冀東防共自治政府」に対する内面指導は、支那駐屯軍が
行なうことを土肥原少将に認めさせました。ところがどっこい、関東軍はこれを
ほとんど無視して殷汝耕に直接指示を出し、殷汝耕もまたどちらに尻尾を振れば
良いかはちゃんと分かっておりまして、支那駐屯軍の指示よりも関東軍の指示を
重んじて従う訳ですw。
「冀東防共自治政府」は長城以南の支那本土にありながら、事実上、関東軍の
傀儡政権だった訳です――。こうなって来ると関東軍の飛び地みたいな感覚ですw。
813 :
だつお:2007/08/07(火) 23:29:54 ID:bnjcDWMz
やがてスティルウエルは、蒋介石や美齢が自分に何を求めているのかを思い知る。
(引用者註 文脈から1942年の)七月一日の日記
「会議。蒋夫人、シェンノート、私が出席。夫人は言った。
『シェンノート君、飛行機はどれだけ必要ですか?』
『三〇〇機と月間補充二〇パーセントです』とシェンノート。
『よろしい。それではワシントンに連絡し、子文から圧力をかけさせましょう。
スティルウエル将軍からもワシントンにその旨伝えて下さい。飛行機を手に入れ
るのはあなたの仕事です』と蒋夫人。
私は中国人となり、中国の欲することは何であれすべて合衆国にすすめて
出させる代理人になるべきだというのだ。
『そうすれば、あなたが大将におなりになるよう骨を折りましょう』何という連中だ!?」
スティルウエルの司令部付きの外交官だったジョン・サービスは、美齢に初めて会った
ときのエピソードを語ってくれた。
「美齢は私に、『あら、サービスなんて素敵な名前だこと。あなたが中国に大きく貢献
(サービス)してくれるとよいのですが』と言ったのです。それで私は『自分の仕事は
中国への貢献ではなく、祖国アメリカへの貢献だぞ』と自分に言い聞かせたものでした。
「宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族 NHK取材班」(角川書店)
>>812 >>支那駐屯軍と『天下の関東軍』とでは、所詮「格」が違います。
ッ-ヘ。__.「^ヽ,ry'^i/ー- 、
レ, '´゚ ,ゝ"´ ⌒`ヽ=ヽ i
i ハ))).くi Lノノハノ)」 |/
イオi ゚ ヮλ.[i ゚ ヮ゚ノi! .+ こうしたアンバランスを少しでも解消する
,ぐ`i盃レ',ヘ.i`ム'」つ ために、支那駐屯軍の大幅な増強が後に行なわ
,メ∪イ-,く_,//T.iλ れるんだけど、それが支那側の大反発を招いて、
゙'ーi_'ォ_ァ"ーr_,t_ァ'" 盧溝橋事件の遠因となる――。とかく世の中、
ままならないもんさね。
815 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 00:07:24 ID:gmw9fPJ1
>>810 >>殷汝耕には国民政府からの『分離独立』を宣言させています――。
当然、蒋介石は殷汝耕の「非戦区行政督察専員」の職を罷免し『漢奸』として
逮捕することを決定します。しかし、もはや関東軍の庇護の下にある殷汝耕を
捕えるのは不可能でした――。要するに一戦交える覚悟が必要になってきます。
殷汝耕が「冀東防共自治政府」を樹立して以来、関東軍による『熱河産阿片』は
拍車をかけて天津に密輸されるようになります。土肥原少将や酒井大佐の目論見
どおり、天津の阿片市場では「四川産」「甘粛産」「綏遠産」「チャハル産」と
いった蒋介石の財源を担っていた阿片は急速に駆逐されていきました。
それと同時に、関東軍には「巨額の謀略資金」が流入する事になります。
また阿片以上に、蒋介石をキレさせたのは冀東政府による『特殊貿易』です。
殷汝耕は、日本と満州国からの輸入品に対しては国民政府の4分の1という
『低率関税』を実施した訳です。(いわゆる「冀東特殊貿易」)
816 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 00:26:27 ID:gmw9fPJ1
この『特殊貿易』により、日満両国から支那への輸出品の多くが大連で
積み替えられ、冀東政府地区に流入し、さらにその大半が北支・中支に
出回ることになります。
これにより国民政府の「海関税収入」は激減、また安価な日本製品が氾濫
したせいで中小の民族資本は大打撃を受けます。その真逆で、冀東政府の
関税収入はうなぎ昇りでしたから、殷汝耕が関東軍にその利益の一部を
ばら撒いたことは言うまでもありません。
蒋介石が日本との戦争を覚悟したのは、こうした『経済戦争』の結果による
ものです。まあ、ヤクザ同士の「シノギの削り合い」の果てのガチンコと
云えなくも無いでしょうw。
こうして「激動の1935年」が終わる訳ですが、次に来るのが
「転機の1936年」です。
818 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 23:33:03 ID:E5PvoNZt
>>817 の続き。>>次に来るのが「転機の1936年」です。
1936年に何があったかと言えば、もちろん『2.26事件』です。この晴天の霹靂
の後に起こったのは『粛軍』という人事のガラガラポンです。もともと支那課の軍人は
傍流の存在でありw、当時支那で勤務していたとすれば、ほとんど事件に関与しようが
ない訳ですが、それでも無風とはいきませんでした。これには陸軍次官となった梅津
美治郎の影がチラつきます――。
事件直後の1936年3月の人事異動により、まず関東軍司令官だった南次郎大将が
参本附となり、後任に軍事参議官だった植田謙吉大将が就任。
関東軍参謀長だった西尾寿造三中将は「参謀本部次長」に栄転となり、後任には参謀
副長だった板垣征四郎少将がそのまま昇格します。ちなみに板垣は4月28日に中将
に進級しました。
2・26に出てた竹中直人は今とほとんど顔が変わらない
820 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/08(水) 23:59:22 ID:E5PvoNZt
関東軍のキーパーソンだった板垣征四郎がさらに影響力を増した反面、
「北支分治工作」ならびに「阿片謀略」の推進者のひとりだった奉天
特務機関長・土肥原賢二少将は1936年3月7日、中将に進級して
東京の留守第1師団長に飛ばされます。その結果、満州を去ることに
なりました(ちなみにその後は第14師団長〈宇都宮〉)。これは痛いw。
後任の奉天特務機関長には、第5師団(広島)参謀長だった三浦敏事少将が着任。
さらに天津の支那駐屯軍参謀長だった酒井隆大佐も、その強引なやり方が上司の
多田駿司令官に疎まれたか、既に前年の1935年12月に参本附となっていま
した。その後の酒井は、歩兵第23連隊長(6D・熊本)です。さらに痛いw。
ちなみに酒井の後任は、満州国軍事顧問だった永見俊徳大佐が着任しています。
こうして初期の『阿片謀略』のトライアングルだった板垣征四郎・土肥原賢二・
酒井隆の3人の内、2人が支那を去ることになり脱落。大きな転機を迎える
ことになりました――。
821 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/09(木) 00:25:35 ID:pgWzG3tQ
そして陸軍の人事異動と同時期の1936年春、関東軍は『熱河産阿片』の
天津における密売管理を新たに『里見甫(さとみはじめ)』に委託しています。
というのも、それまで『熱河産阿片』の輸送と天津での密売を管理していた
前述の「坂田誠盛」が手を引いたからです。しかし、だからといって坂田が
今までの阿片密売を悔い改めた訳では全然ありません。
坂田は、河北省北西部にある「張家口」に月産1500キロの『ヘロイン』の
大規模工場をつくり、他の坂田組の資産および、自身が熱河作戦での功績で獲得
した熱河省内の交通運輸利権を「満鉄」に売却して北京を去る事になったのです。
張家口に移った坂田によって製造された大量のヘロインは、北京・天津・済南・
青島・上海へと密売されて(中心地は天津の日本租界橋立街)、これにより坂田は
巨万の利益を得ることになりました――。
まあ、いわゆる『発展的解消』というヤツですよ(核藁)。
::::::::|\/ i
::::::::|´:::::::::ヽ
::::::::|:::ノノリ::::〉 /[] ここまでで、ようやくプロローグが終了
::::::::|!゚ ヮ゚ノリ / []] というところね。『Fate/stay night』に
::::::::| i.Hi]つ/ [][] 喩えるなら、ちょうどオープニング曲が
::::::::| _|j / [] [] 始まったカンジだわw。
::::::::|し'ノ
英国の大陸政策は、プロイセンやフランス等のパートナーを作り諸国の対立を煽り欧州に統一勢力を作らせない事。
日本の対中政策もこれに似たようなものだと思うんだけどな。
日本の悲劇は中国大陸にパートナーとなる相手が居らず直接関与しなければならなかった事ではないか。
満州国は日本の対中政策のパートナーを自ら作り出したと考えられないだろうか。
>>823 対抗勢力の結集を阻むのは理に適ってる
・・・・・・が、満州建国をその文脈で意義付けるのは苦し杉。
日本側が支那の国家主権を尊重した形跡はあまりに乏しく、
「いいカモ」として魅力を感じていたのは事実だろうが、
「パートナー」なる概念は120歩譲っても抱いてなかった希ガス。
大体、本当にパートナーとして利用するなら「切り捨てる」選択肢だって有り得る筈だが、
実際は満州国承認をめぐって国際連盟脱退の袋小路に嵌り込んだ。
このあたりは(松岡演説の映像を含め)悲劇を通り越して喜劇と言うべき。
当時の国際外交の相場でも、極東で番を張る日本のプレゼンスは決して低くはないだろう。
だが、「多国間協議は厭」「瀬戸際外交ヨロピク」では将来性ゼロだ。
売りつける技術も資源も無しに「困ったチャン」路線を貫ける筈も無い。
マキアベリズムだって万能じゃない。
英国が大陸を眺める際の冷徹なパースペクティブとは、そもそも次元が違うと思われ。
825 :
名無し三等兵:2007/08/09(木) 20:45:00 ID:Ks00X6mS
正直、大陸打通作戦なんかやらなくて延安侵攻作戦をやるべきだったと思う。そうすれば
東条英機か誰かが言ってた「世界の害虫共産主義は駆除しないといけない」を実行に移す絶好の機会
だったのに。共産党の中国統一が無ければもう少し日本にとってもよい国になっただろうし
中国人から見てもいい結果になったはずだ。脅威であることに変わりは無いが、あんな人権無視の
困った国にはなってなかっただろう。
台湾に逃れたのが共産党なら即効で断交すればいいだけの話しだし。
(^o^)ノ < もっと銀本位立てろクズどもー
827 :
南京大殺:2007/08/09(木) 20:51:38 ID:/DEZYLaK
東郷平八郎と乃木どっちが強い?
828 :
だつお:2007/08/09(木) 21:25:36 ID:BzMoEMFR
1945年6月30日、蒋介石の一族、行政院院長宋子文はモスクワに到着し、
中ソ両国政府間の秘密交渉を開始した。交渉の背後にはアメリカの影が付きまと
っていた。交渉が始まる前に、アメリカ政府は中ソ双方に対し、「(アメリカ
政府は)ヤルタ協定を結んだ一員として、ソ連と中国との間で最後の協定が結ば
れる前に相談を受けたい。アメリカの立場は、ヤルタ協定は足しことも引くこと
もなく正確に遵守されるべきだというものである」と通告した。
<「一九四五年 満州進軍 日ソ戦と毛沢東の戦略」(徐 焔著・朱建栄訳)>
陸軍長官のヘンリー・L・ステムソンは、マーシャルの意見に同意したばかりか、
さらに一歩前進していた。もしスチルウェルを召還するならば、彼と交代して中国
に派遣される者と蒋介石との関係を阻害する、重大な過失をおかすことになる、
という意見を、ルーズベルトに提出した。
陸軍省内のおおくの人間の意見を総合して、スチムソンは、蒋介石とシェンノ
ートに対抗して、スチルウェルを支持しなかったのは、ルーズベルトの失敗である、
となげいた。スチムソンは、シェンノートを、“最低の貢献で最大の援助をアメリカ
からひきだすために、蒋介石の手さきとして使われた男”と見ていた。
http://www.tom-jerry.com/tomandjerry%20museum/taisen3.htm 「日中航空決戦」(ロナルド・ハイファーマン)より
829 :
だつお:2007/08/09(木) 21:29:55 ID:BzMoEMFR
1937年7月31日、蒋介石は汪兆銘の「最後の関頭」演説を発表する。
狙いは、全国民に、両者の一致提携を印象づけることにあった。その「最後の関頭」
という演説は次のようであった。松本重治「上海時代」から引用する。
《すでに最後の関頭に至れば、絶大の決心と勇気をもって犠牲をなすべきである。
・・・・・・吾人が自己を供するのみにあらず、全国同胞を一斉に犠牲に供する
ことを意味する。(略)中国人の一人をも、一塊の土をも、灰燼に帰せしめて、
敵の手に渡さぬ決意である。(略)大小都市の論なく、これを灰燼に帰せ
しめねばならぬ。(略)一物も得させてはならない》
830 :
俄将軍:2007/08/09(木) 23:38:28 ID:???
>>825 中国大陸が、赤化していなかったならば、GHQに、日本は、フィリピン化さ
れていた、ということになるようでは、などと、嘯いてみたり。
831 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/09(木) 23:42:08 ID:sHKh0qEm
>>823 >>日本の悲劇は中国大陸にパートナーとなる相手が居らず
>>直接関与しなければならなかった事ではないか。
そのための「北支分治工作」です。ただ日本の支那に対する目は、資源目的であり
市場目的であり、果ては英国に対するインドのような願望があったと思います。
パートナーというよりは植民地でしょうw。要するに「草刈場」です。
ただWW1で既に植民地は『死語』に成りかけていましたから(その結果、委任統治
領の概念が生まれる)、後発組の日本はいろいろ苦労する訳です。
>>824 >>「パートナー」なる概念は120歩譲っても抱いてなかった希ガス。
まあ、たかだか『軍閥』相手にパートナーも糞も無いでしょう。イギリスから見た
日露戦争前の日本ぐらいは利用価値が欲しいものですw。
832 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/10(金) 00:03:05 ID:k/5qwv2A
まあ、この辺りは1920年代の「支那課」の活動を振り返るのが吉です。例えば
『支那派遣軍総司令官 岡村寧次大将』(河出書房新社)などは、在支武官時代の
岡村の日記を摘出しており、最適な資料の1つと云えます。
満州での「パートナー」としては、張作霖で1回失敗していますから、反動も
大きかったと思います。その結果としての、満州事変や北支分治工作な訳です。
>>825 >>正直、大陸打通作戦なんかやらなくて延安侵攻作戦をやるべきだったと思う。
まあ、大陸打通作戦の前半戦(京漢作戦)で洛陽までは陥落させています。次回テーマ
候補の「重慶攻略作戦」では西安も攻略予定ですから、もう少し寄り道すれば延安だって
落とせるでしょうw。
このスレで何度も言っているように、日本の最大の戦争犯罪は「大陸に中共政権を
生み出したこと」ですw。
833 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/10(金) 00:18:39 ID:k/5qwv2A
>>829 >>1937年7月31日、蒋介石は汪兆銘の「最後の関頭」演説を発表する。
参考までに、蒋介石のもう1つの「最後の関頭」演説を紹介すると以下の通り。
1935年11月16日、国民党第5回全国代表大会の政治報告からです――。
「和平未だ完全絶望に至らざれば、決して和平を放棄せず。犠牲未だ最後の関頭に
至らざれば、また軽々しく犠牲を言わず。吾人未だ最後の関頭には立ちおらず」
まあ、「北支分治工作」の真っ最中の時期ですが、支那側からみた「北支分治工作」を
テーマとして取り上げても面白いかもしれません。少なくとも『蒋介石 マクロヒストリー
史観から読む蒋介石日記』(東方書店、黄仁宇著)を読んだときは「結構いけるかも」
と思いました。今以上に輪をかけて、無茶苦茶マイナーな話になりますがw。
>>833 >>支那側からみた「北支分治工作」をテーマとして取り上げても
>>面白いかもしれません。
, --─- 、
( '、
i ゛'‐-ー‐' "i
i i! あまりの悲惨さに、もう涙なしでは読めない
| .|,〉 内容ですよ…w。
レノλルリレ,j
└i_,ィ_ァ'
【修整】
>>832 △満州での「パートナー」としては、張作霖で1回失敗していますから、
◎満州での「パートナー」としては、張作霖と息子の学良で1回失敗していますから
ちょっと今夜は、フジテレビで『モノノ怪』がやるので殴り書きでしたw。
ドラマ24みたいにリアルタイムな作りで西安事件を再現してくれたら面白いのが出来そう
今日NHKで見てた出すけど、結構毒ガス使ってたですね
切羽詰った状況とはいえ、あんなに堂々とイペリット使ってたのかよ
840 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 01:27:07 ID:PKjxYaY5
>>837 >>ドラマ24みたいにリアルタイムな作りで西安事件を再現してくれたら
>>面白いのが出来そう
最近このスレにも『行き詰まり』を感じていましたので、そのネタ頂きます。
「重慶攻略作戦」ぐらいしか次テーマの候補が思い当たらなかったので。
西安事件をやるかどうかは分かりませんが、24(トゥエンティフォー)仕立て
というのは切り口として面白いかも。ちょっと資料を探してみます。
>>838 >>今日NHKで見てた出すけど、結構毒ガス使ってたですね
>>839 >>切羽詰った状況とはいえ、あんなに堂々とイペリット使ってたのかよ
帰って来たのが今頃なので、思い切り見過ごしました…orz. それは支那での話
ですかね? まあ、緒戦の「武漢攻略作戦」などでもよく使っていましたけど。
化学戦もテーマで取り上げられるように勉強します……。
841 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 01:40:43 ID:PKjxYaY5
例えば、『あか弾』(くしゃみ性・嘔吐性ガス)ですが、武漢攻略作戦では
375回使用されたと云います。
中支那派遣軍司令部による「武漢攻略戦における化学戦実施報告」を引っ張って
くると、以下の通り。
●特殊煙の効果ならびに成果利用の状況
防護装備ならびに防護教育、劣等なる支那軍に対しては、特殊煙は極めて
有効にして、その少量の使用するも敵を戦闘不能ならしめ、その射撃に対し
予期以上の効果を収めたること少なからず。
特に精神的効果は顕著なるにありて、我の発煙を認めて直ちに陣地を
放棄せる例あり。作戦初期においては使用ならびに成果の直接利用は
十分とは認め難きものありしも、教育指導の体験を重んずるに伴い
漸次良好となれり。
842 :
JY:2007/08/11(土) 01:47:36 ID:???
センセイはやはり17日は朝から時空要塞に・・・なのでしょうか・・・
適当に見ていただけだが、「き」を打通作戦行った際に衝陽でも使ってたな。
その時に大本営からの「き」使用の中止命令の電報を英軍が傍受していた。
「あか」n使用はまあ常識になってたみたい。
ただ東京裁判では米国政府の思惑により、日本軍のそれは無かった事にしてアメリカの研究機関が全てを頂いた
844 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 01:52:25 ID:PKjxYaY5
実施総回数は375回を下らず。その約8割は成功し、約2割は成果
十分ならざるものとす――。
まあ、要するに武漢攻略作戦における日本軍の攻撃パターンは、『あか弾』を
支那陣地向けて撃ち込み、土人兵がガスを吸い込んで中毒症状を起こしている
ときに、すかさず銃剣で突撃し全滅させるというものでした。
つーか、今日のNHKはまた直近の深夜とかに再放送しないですかね?w
ハイビジョン特集はBS1で再放送を必ずやってる
846 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 02:10:01 ID:PKjxYaY5
>>843 >>「あか」n使用はまあ常識になってたみたい。
その点は同意です。『きい弾』の使用例も探せば少数見つかりますが、
難戦だった「衡陽攻略戦」なら、さもありなんでしょうw。
>>842 >>センセイはやはり17日は朝から時空要塞に・・・なのでしょうか・・・
ノンノン。16日の深夜から超時空要塞に・・・の間違いですw。
今きりきり舞いして仕事を終わらせていますが(明日もw)、何か前日に
突発事故が起こるのではないかと心配でしょうがありません。山場はもう
越えましたが……。
>>845 >>ハイビジョン特集はBS1で再放送を必ずやってる
サンクス。でも自分のは、11年前に買った20インチのソニーの
『テレビデオ』が現役で頑張っておりましてBSは見れないのですw。
>>822 >>ここまでで、ようやくプロローグが終了というところね。『Fate/stay
>>night』に喩えるなら、ちょうどオープニング曲が始まったカンジだわw。
.「^ヽ,ry'^i 夢に見ていた あの日の影に 届かない叫び
,ゝ"´ ⌒`ヽ 明日の自分は なんて描いても 消えない願いに濡れる
くi Lノノハノ)」 こぼれ落ちる欠片を 掴むその手で
λ.[i ゚ ヮ゚ノi! 揺れる心抱えて 飛び込んでけ 夜へ…
レ',ヘ.i`ム'」つ 誰かを当てにしても 求めるものじゃないのだから
,く_,//T.iλ 本当の自分はここにいるって 目を閉じないで
"ーr_,t_ァ'"
誰かの為に生きて この瞬間だけが全てでいいでしょう
見せかけの自分はそっと捨てて ただ在りのままで…♪
849 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 02:59:48 ID:PKjxYaY5
>>821 >>まあ、いわゆる『発展的解消』というヤツですよ(核藁)。
さてプロローグからの続きですw。坂田誠盛が「阿片の世界」から消えていった
(ヘロインの製造だけに事業を絞った)ところまで述べましたが、その理由として
坂田自身が利権で『腐っていった』ことが挙げられます。
上海租界にある「ルイ王朝風の大豪邸」を根城にして贅沢三昧の坂田の暮らしぶりは
周りの軍人たちの反感を買い、次第に誰も近づかなくなったと云います――。さらに
一説には、終戦時に坂田は50億円もの現金を持っていたともされます。
上海憲兵隊特高課長だった林秀澄は坂田について、
●「軍部に取り付いた寄生虫。ああいう輩にたかられていたから日本軍は
ろくなことをしなかった」と散々な評価です。
, ー-、 / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ノ==、_ヽ | 徹夜禁止!
/´ , `\ 乂____________
. イ ///_`\ , ヽ /
! | ヒフ ヒフ |メi 、ゝ /  ̄ -- ____ \ | / --  ̄
リ.""ィ^i、"".|メ|)´ / ──────‐‐‐‐ 。 ← イナゾウ中佐
〈^ヽ‐|_,レ'^)'´リ /__ ──‐‐‐  ̄ ̄ ̄ ‐‐ -- ____
/ \ \ ∠´姫} / / / | \  ̄
「「 `>、 `)_,ノ /. ┌=┐ / / , | \
7ー'i n\ノ 〈. /. , '´=' `ヽ. / | \
く┬|/r\|┬' / ノ ,ix} / | \
/ }:} ) /. _'ヘ 'ノノ(リノ
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ __/姫}i `く 人
,. ,. -‐===‐- `つ/ >イ ゙ = 、ノ} < > ン
〃〃〃〃 / / ノ`ー 、_ゞ Y ,イ
_____ _ __,/ / /´ ;| .─┼─┐─┼─ /_ ィ´
::::::::::::::〈 二ニ[lニl]ニニニ) ノニニニ{ 、, }ニニl │ │─┼─ /| |
851 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/11(土) 03:17:51 ID:PKjxYaY5
しかし前にも述べた通り、坂田は1900年生まれ――。人間的に『腐った』
とされて阿片密売から外れた時には、まだ若干35〜6歳でしかありません。
終戦時に50億円もの現金を持っていた時でも45歳でしか無いのです。
いかに早熟過ぎたことが分かるでしょう。ホリエモンと何かイメージが
被るのは自分だけでしょうかw。
>>851 >>人間的に『腐った』とされて阿片密売から外れた時、まだ若干35〜6歳
, ‐‐-、___
/ ., '´⌒⌒ヽ
./ 、 i´ )ノ)ノ))ハ)
|| メ)ハ)゚ ヮ.゚ノl) まあ、いい年して『腐る』どころか、
ヽ. _Q)#」ネl」)つ 「実も花もつけられない人間」が今の時代
 ̄ ,<´_#,#ハ 多いんだから、そんな油虫のように
` "i_フ_フ" 言うことないんじゃない?w
大陸打通作戦よりも、なぜ南支の航空基地を潰して南方輸送路の保全をしなかったのか、理解に苦しむ。
米潜水艦に加え、南支から飛び立つ米陸軍航空隊による輸送船団被害はバカにならなかったのに。
855 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/12(日) 23:35:59 ID:1k65wuDT
>>854 激サンクス。教育テレビでやるのを気長に待っています。
856 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/12(日) 23:53:49 ID:1k65wuDT
>>853 >>大陸打通作戦よりも、なぜ南支の航空基地を潰して南方輸送路の
>>保全をしなかったのか、理解に苦しむ。
へ?『大陸打通作戦』(一号作戦)の主目的は在支米空軍基地の覆滅ですけど?
ヒデキ(首相兼陸相)が作戦計画案に同意するとき、●「敵航空基地の覆滅」
●「大陸打通」●「重慶軍の撃破」などが並列されているのに対して、
『作戦目的を単純明瞭にし、航空基地の覆滅一本に徹底するよう』指導したうえで
同意しています。
また杉山参謀総長もこれを受けて、作戦計画を天皇に上奏する際「敵飛行場群を覆滅し
本土および東支那海の安全を期すのが第1の目的で、副目的として大陸を打通し、海上
交通が遮断されても南方との輸送確保を期している」と説明しています。
そして実際、衡陽飛行場、桂林飛行場、遂川飛行場などを占領しています。
857 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 00:10:25 ID:RBt/K6pU
た〜だ〜し。作戦部長だった真田穣一郎(少将)や同じく作戦課長だった
服部卓四郎(大佐)は、在支米空軍の飛行場覆滅よりも『大陸打通』に対して
非常に強い拘りを持ち続け、さらに主役である支那派遣軍も世紀の一大作戦に
積極的だったため、一筋縄ではいかない訳です。
ヒデキは「大陸打通作戦」開始後にも、支那派遣軍の作戦計画について
真田穣一郎作戦部長に次のような不満を述べています。
「今度の作戦を聞いていると、依然として従来の対支作戦なり。西南支那に
おける『F』(敵)の『♯』(飛行場)の覆滅の計画がない――」
さらにヒデキは支那派遣軍への「お目付け役」として、秦彦三郎参謀次長を
1944年6月初旬に派遣しています。ヒデキはこの頃には参謀総長も兼任
していましたが(1944年2月)、秦はヒデキの意向として次のように畑俊六
支那派遣軍司令官に伝えています。
858 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :2007/08/13(月) 00:18:46 ID:RBt/K6pU
「第11軍の作戦計画を見ると、敵兵力殲滅に重点がある様である。今や重慶軍の
中身は全く米英軍であるから、敵飛行場の覆滅をもって主なる作戦目的とし、
必要であれば衡陽〜広州間の粤漢鉄道打通は『これを中止しても可』である。
遂川、南陽、の如き敵飛行場の覆滅を実施するよう研究されたし」
859 :
イナゾウ中佐 ◆FU/OcfTlfM :
要するに大陸打通作戦は、●「敵飛行場の覆滅」と●「南方との陸上連絡路の確保」
という2つの目的がどっちつかずになってしまった訳です。
ヒデキが陸相(兼首相)でしかなかった時であれば、統帥部(作戦)が言うことを
聞かないというのも有り得ますが、もうこの頃にはヒデキは参謀総長を兼ねています。
それでも真田や服部らが不服従というかサボタージュをするのは只事ではありません。
はっきり言ってしまえば、ヒデキは「敵飛行場を覆滅して本土空襲(および海上輸送路)
を阻止する」だけに割り切っていたのに対して、
真田作戦部長や服部作戦課長らは、●『太平洋方面の劣勢を大陸作戦によって挽回できる』
という根強い思想を抱いていたことによります。ぶっちゃけヒデキは現実的(消極的)
だったとも云えますし、真田たちは「過剰な望み」を打通作戦に期待していたと云える
でしょう。