1 :
名無し四等兵:
2 :
名無し三等兵:2007/02/05(月) 11:52:20 ID:Tv3OwqMv
2ゲト
3 :
名無し三等兵:2007/02/05(月) 12:59:08 ID:???
3上
4 :
名無し三等兵:2007/02/05(月) 17:44:32 ID:???
不死身の第四小隊
5 :
名無し三等兵:2007/02/05(月) 20:15:54 ID:W7pG9aar
13が落ちるのが早かったけどなんで??
6 :
名無し三等兵:2007/02/05(月) 21:10:03 ID:???
大叔母の話。
満州で看護婦をしていたが戦争が終わっても帰ってこない。
家族は何度も役場で調べてもらったが無事かどうかすらわからない。
そうこうしているうちにその大叔母から手紙が届いた。
「身を匿ってくれた中国人と結婚したのでこのまま中国に住む。」
ということが書かれていたらしい。その後は手紙のやりとりが続く。
「明らかに一度開封されたものばかり届いていた。
検閲されていたに違いない。」とは祖父の弁。
日中国交正常化の数年後に一度里帰りしてきたが、
戦中・終戦直後のことは誰も突っ込んで聞こうとしなかったし、
本人も話そうとしなかったらしい。
ただ、「文化大革命の頃は大変だった」と話したらしい。
白い三角の高い帽子を被らされて皆の前で「非難」された、とのことだ。
大叔母の息子は日本の商社に就職し日本に住んでいるが、
全く中国に帰ろうとしない。
「天安門事件の関係で当局から目を付けられているので帰りたくない」
と言っていたらしい。
以上、祖父と父から聞いたことです。
全然「戦争体験」になっていなくて申し訳ない。
7 :
名無し三等兵:2007/02/05(月) 22:40:44 ID:???
8 :
名無し三等兵:2007/02/07(水) 00:27:15 ID:???
祖父よあなたは強かった
9 :
名無し三等兵:2007/02/08(木) 04:03:32 ID:???
>>6 > 白い三角の高い帽子を被らされて皆の前で「非難」された、とのことだ。
ああ、それそれ。謎だったんだが、あの白の三角帽子って、どうゆう由来のどうゆう意味のものなんだろう。
エロイ人教えて!
10 :
名無し三等兵:2007/02/11(日) 07:11:25 ID:KZ/7v/sb
age
11 :
名無し三等兵:2007/02/12(月) 17:58:55 ID:???
俺のお爺ちゃんは今81歳で第2次世界大戦で出兵した人です。
そんな詳しく聞いてないけどソ連に捕虜されたそうです。
そして捕虜された人たちはシベリア鉄道を永遠と作っていました。
ソ連は寒くご飯も禄に食べれなかったので体が弱い人たちは死んでいきました。
そんな中でもお爺ちゃんは頑張って生きていった。
戦争に行くまえお爺ちゃんは左官屋の仕事をしていました。
そういう何か仕事が出来る人はソ連の偉いさんに頼まれて温かい部屋に入って
仕事をさせられたそうです。
で、2,3年後に解放され日本に帰ってきて無事結婚をして
今の俺がいます。
でも俺はお爺ちゃんみたいに死に物狂いに生きてないです。
ごめんね。こんな孫で
12 :
名無し三等兵:2007/02/12(月) 20:55:35 ID:???
時代がちゃうしな。
13 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 08:39:18 ID:???
シベリア抑留って、
建前上は戦犯として刑務所送り
という形だったんだよね。
靖国がどーのこーの言ってる人達は、
どうしてシベリア帰りの人達を「戦犯」と言わないのか。
戦時中に日本が朝鮮人を使ったことについて、どーのこーの言ってる人達は、
どうしてソ連のシベリア抑留について触れないのか。
14 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 15:19:47 ID:j73ae68k
俺ん家の母方のじーちゃんは、二等兵でシベリアで穴掘ってたらしい。
捕虜になる前は、年下の将校共に殴られてたらしい。
父方のじーちゃんは、伍長で、アメリカ兵の爆弾で足を負傷して、病院送りにされた。
15 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 16:28:15 ID:DuO4wixz
父さんのじいちゃんは男三兄弟で、その三男は軍の将校レベルまで出世←とは言っても高くはないだろうと思われる。中国湖南省で戦死したらしい←大陸打通作戦絡みかな?。で、一族の一番の出世と言うことで、墓の管理は三男の家系が直系になっている。
去年祖母が死んで、墓の管理や一族の存在を洗ってたところ分かった事実です。ちなみに祖母は七人兄弟で、下の方の男二人は陸海軍で戦死だそうです。
16 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 16:46:52 ID:???
17 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 16:51:39 ID:???
昨年、87歳で亡くなった私の祖母が、亡くなる少し前に、
長女(私の母)は今の祖父との子供ではないということを話してくれました。
満蒙開拓団の一員だった祖母は、そこで私の本当の祖父と出会い、
彼は満州で「警察のようなことをしていた」ということです。
戦後、詳しくは良くわかりませんが、祖母は祖父と共に引き揚げて来て、
その後は彼を「匿っていた」そうで、その時に母が産まれたそうです。
しかし祖父はそれ以前から体を壊していて、間もなく亡くなってしまい、
親友の男性(現在の祖父)に祖母と娘(私の母)のことを託したとのことです。
というわけで祖母の話だけでは良くわからないのですが、
「満州で警察のようなことをしていた」というのは憲兵なのでしょうか?
スレ違いかもしれませんがすいません。
18 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 17:34:57 ID:5stolC0m
うちのじーちゃんはなんか「新兵科に配属されるからほかの
人より行くのが遅かったから戦争にいけなかった」とか「兄貴
は朝鮮で衛生兵をやっていた。民間人とも仲良くやっていたが
死んじゃった」って言っていたな
ばーちゃんに戦争のこと聞くと「B29が近くの学校に落ちて憲兵さんが
来て大変だったと」か「アメリカの飛行機が飛んで来てトラックに機銃
掃射して帰っていった」とか言っていた
一番ばあちゃんから体験を聞いているな、じいさんだと兄貴のこともあるから
話しづらいわ
19 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 19:08:31 ID:D6vjfn9W
白鼠て資本家て意味だろ。
20 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 19:27:02 ID:???
21 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 19:32:14 ID:???
父方祖父: 明治38年(1905年)生まれ、いわゆる戦間期に青年期をマターリ過ごし、徴兵検査は受け甲種合格だったものの、
戦況が厳しくなってきた頃には既にオサーンだったので召集されず。終戦までただ畑を耕す。
母方祖父: 明治39年(1906年)生まれ、 いわゆる戦間期に青年期をマターリ過ごし、徴兵検査は受け乙種合格だったものの、
戦況が厳しくなってきた頃には既にオサーンだったので召集されず。終戦まで村役場でただハンコを押す。
22 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 19:33:40 ID:JC17O33E
衛生兵やってたらしい。民間人も随分助けたと言ってた。産気づいてしまった妊婦さんとか。
23 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 19:39:08 ID:TCm5dv1a
日ロ戦争の時に信濃に乗船したってひいじいちゃん言ってた
24 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 20:14:39 ID:???
>>20 そうだね、何でも国の教育のせいにするのは良くない。
25 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 21:13:52 ID:???
26 :
名無し三等兵:2007/02/16(金) 22:50:57 ID:vQ6PrNZ+
満州で通信兵やってたらしい。当然戦わず、シベリア送り。
27 :
名無し三等兵:2007/02/17(土) 02:00:37 ID:???
水木センセイと同じフネかw
漏れの身内は大叔父の海軍水上機パイロットで士官、
終戦時は厚木基地にも顔を出したという人のおかげで、
長野から京都まで2等車で旅行出来た。
たまたま大叔父と居合わせたのだが、士官は2等乗車が鉄則だったそうだ。
車掌も士官の身内だと文句言わなかったとか。
大叔父はアノ小園司令も見知っていたそうだが、
幸いにして電波の影響は受けずに済んだ。
パイロットなのに半島での決戦陣地構築(三浦か房総かは知らん)
に駆り出されていた為とか。
こんなの俺たちの仕事じゃないと抗議もしたらしい。
28 :
名無し三等兵:2007/02/17(土) 03:14:41 ID:Aj20kmJ8
ウチのじい様は、比島で、銃の手入れ中、暴発して死んだって。でも良く考えれば、超嘘くせえ。身内にヤラれたんじゃねーか?とも思う。ちなみに最後を見取ったのは、某トヨタ自動車社長だとか。
29 :
名無し三等兵:2007/02/17(土) 04:08:43 ID:???
師範学校出て教師だった爺さんは終戦前年の9月に乙種の召集
初めは旭川の機関銃中隊、すぐに憲兵試験に受かって2等兵からいきなり兵長
中野から帰ってまたすぐに甲幹にも受かったがその翌々月に終戦
戦犯となり公職追放
爺さんいわく
何だか戦争に行ったと言うより試験勉強ばかりしてた
おかげで戦犯になったのがバカ臭い
最後は中学校の校長
30 :
名無し三等兵:2007/02/17(土) 04:30:29 ID:???
爺さんから戦争の話を聞いたことがない。
で去年亡くなった。
徴兵で駆り出されたんではない、海軍にいた、なんとか学校卒業、終戦から2年半くらい帰ってこれなかったこと
なんか婆さんから少し聞いた。
知ってるのはそんだけ。
31 :
名無し三等兵:2007/02/17(土) 04:51:31 ID:???
>>21 盛り上がりには欠けるがラッキーな人生だな・・・
32 :
名無し三等兵:2007/02/17(土) 12:09:09 ID:???
うちのおじいさんも同じ年代の人だが、戦争には縁がなかったようだ。
ちょうど狭間なんだよね。
33 :
名無し三等兵:2007/02/17(土) 14:20:19 ID:???
母方の爺さんは1925年生まれ、徴兵→甲種合格で海軍で終戦時は上等兵
爺さんの兄は陸軍中尉で戦傷で帰ってきてすぐ死んだらしい
爺さんの弟は駅弁大学付属小学校に通ってて授業中に空襲で死んだらしい
爺さん、妹が生存
34 :
名無し三等兵:2007/02/17(土) 22:03:46 ID:???
愛媛・松山在住。
親戚が集まると戦時中の話ばかり。
戦争末期には、松山の新田高校(高校野球で有名)の校舎を、グラマン戦闘機
が爆弾を落とし、機銃掃射したらしい。
末期には、鬼畜米英は都市を無差別に攻撃したとのこと。
35 :
松山市出身:2007/02/18(日) 00:30:42 ID:???
新田高校の何処が高校野球で有名なの?
36 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 01:09:38 ID:???
>>29 下士憲兵試験に合格したんだよ
末期頃の正規憲兵は上等兵ではなく兵長が一番ぺーぺー
中野は憲兵練習所、恐らくその頃は半年間だろうと思う
それにしても歩兵から憲兵に転科後、すぐに甲幹試験を受ける事が出来たのは
師範学校卒だからの特別扱いだからと思われ
それにしてもアタマが良かった事には間違いない
初年教育の兵卒からすぐに下士憲兵の合格は、陸士合格と同程度の学力
37 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 05:15:23 ID:oRdb1wDl
38 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 05:25:21 ID:???
>>34 おれの爺ちゃんとこは九州の地方都市の郊外で回りは田んぼだらけ。
なのにかなり爆弾落とされたぞ。
長い直線の用水路があんだけど、それ沿いにズラーっと。
あと学校に。
さらに艦載機が低空でよく機銃掃射しに来たって。
登下校は道を通らず田畑を通れと言われてたんだって。
・・・これ全部爺ちゃんでなく婆ちゃんから聞いたんだけど。
39 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 06:54:56 ID:???
戦闘員or非戦闘員も軍事施設or民間施設もあったもんじゃないな
40 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 09:18:37 ID:9yr9ItM+
むしろ狙ってる
41 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 09:42:02 ID:2OVGgqgB
浜辺にいる人間を明らかに狙ってますって感じの動画があったな
42 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 09:44:17 ID:???
>>38 空母艦載機の場合、爆弾は必ず投下してくる様に指示されます。
(着艦時の重量の問題の為/戦闘機も銃弾を撃ってくる用に言われてた)
>九州の地方都市の郊外
と言う事ですので、
目標上空で対空砲火や防空戦闘機に阻まれ、
投弾の機会を逸した攻撃機/戦闘機が爆弾/銃弾を捨てたと思われます。
(迷惑な話ですが)
43 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 09:54:22 ID:???
>師範学校卒だからの特別扱いだからと思われ
当時の師範学校っちゃあ今で言う中卒で行く高等専門学校みてーなものだった
ってオヤジがよく言ってるが。
たださすがに、今みたいに中学ですでに落ちこぼれていた人間が行けるところでもなかったらしいが。
そういうオヤジは旧帝大卒(卒業時には新制)。よってある程度バイアスかかった意見でもある。
ただし、今でも国立大学の中には旧師範学校と同じに見られたくないと言って
旧師範学校とキャンパスを同じにする事を頑なに拒んでいるところもある。
44 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 13:09:14 ID:xpd8cYvQ
44年中頃からは下級将校や下士官の消耗が激しくなったので
兵卒の中の専門卒や青年学校卒にも甲幹の受験資格を広げた
師範学校卒は当然受験はできた
ただし、広げたは良いが将校適の甲種合格は一割に満たず
ほとんどは下士適の乙種合格
45 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 13:11:36 ID:9pB+hUlo
父方の爺さんは将校で、どこぞの研究所で画期的新兵器開発の研究をしていた。
その兵器の開発が成功すれば、圧倒的に不利な戦局も覆す事が出来るものだったらしい。
(多分、原爆?)
その研究所には、戦史に出てくる様な有名な政治家や将軍が、よく来てたそうです。
その際の差し入れは当時、貴重品だったバターやら洋酒やら外国タバコが多かったそうです。
戦争に負けたって事で、結局、開発は成功しなかったんでしょうね。
46 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 17:08:25 ID:???
うちの祖父は満州で将校の馬を引く役をやっていて、
ソ連が攻めて来た時も馬を連れていたので馬に乗って逃げれば良かったのに、
自分は乗ってはいけないというのを馬鹿正直に守って、捕まったらしい。
でもそれで今の祖母と出会うんだから人生はわからない
47 :
名無し三等兵:2007/02/18(日) 19:37:53 ID:???
うちの近所に戦艦金剛に将校として乗艦していた人がいた。
町内会長をしていて、祭りの時には子供だった俺達によく
戦時中の話をしてくれた。
当時、プラモデルのWLシリーズにはまっていた俺は、不思議な感情
にかられたもんだ。
金剛はレイテ海戦に参加したのち、台湾沖で潜水艦の攻撃で沈没。
この町内会長は数時間泳いで、島にたどりつき九死に一生を得た。
もちろんこの町内会長はとっくの昔に他界している。
48 :
名無し三等兵:2007/02/19(月) 18:22:45 ID:ek49K48c
友達の話。彼のじいさんはイチシキリッコ(たぶん一式陸攻)の機銃手で体当たりロケット(桜花のことでしょう)を
運んで射出して帰ってきそうです。そのときカモメ型戦闘機(きっとコルセアでしょう)の迎撃で重傷を負いそのまま終戦となったそうです。
よく生きて帰ってきたものです。軍オタの連中に話したら「すげー」の速射。
そのじいさん、昨日畑仕事をしていました。
49 :
名無し三等兵:2007/02/19(月) 19:08:43 ID:???
桜花隊の10回にわたる特攻での戦死者はパイロット55名、その母機の搭乗員368名に上った。
これに対し戦果は撃沈1隻、損傷5隻。
これらは全て駆逐艦以下の艦艇であり、余りにも犠牲に見合わぬ戦果であった。
50 :
名無し三等兵:2007/02/19(月) 19:18:20 ID:C1ssjWyH
うちはB29を迎撃したと言っていた
51 :
名無し三等兵:2007/02/19(月) 19:51:31 ID:???
左目が悪くって左舷の弾幕ばっかり気にしてたらしい
52 :
名無し三等兵:2007/02/19(月) 20:32:21 ID:1EzTdY0I
俺が小学生の時の担任の先生が子供のころの話・・
1937年上海事変が勃発し、海軍が戦艦陸奥を四国松山の
三津浜沖に回航し、松山第22連隊を上海へ運んでいった。
当時、戦艦陸奥が三津浜沖に現れるとのことで見物人でごった返した
そうな。
うちの祖父も上海事変に派兵された。 「聖戦の思い出」というタイトル
で当時の写真をアルバムに整理していた。戦艦陸奥の話をよくしていたっけ。
戦艦陸奥(むつ)は、昭和18年6月に瀬戸内海の柱島沖で謎の爆発を
お越し、瞬時に沈没した。
ここら辺のいきさつは吉村昭著「陸奥爆沈」を読めばわかる。
53 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 00:34:51 ID:???
>>44 納得しました、本当だったみたいですね。
引退後叙勲されましたが
貧農の三男で師範学校も学費すらバイトだったみたい
親父は毎日仏壇拝んでから仕事に行く意味がわかりました。
ありがとうございます。
Wの政経三年、就職頑張ります。
54 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 09:27:13 ID:???
55 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 13:13:12 ID:???
思いじゃなくて考えが悪かったんだな。
56 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 13:31:43 ID:???
↑ はいはい。
57 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 13:37:46 ID:???
思いと考えの違いはわかるだろ?
58 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 15:29:15 ID:???
やめとけ、くどいよ
59 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 18:16:35 ID:???
どっちがくどいんだか。
60 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 18:25:15 ID:???
>>54 戦局を『考える』と対艦誘導ミサイルが欲しかった。
しかし、誘導装置が出来ないので有人にした。
しかも、小型化も出来なかったので重くなり射程も短くなり、発射母機が必要になった。
母機を探したら、それが搭載できて信頼性がある機体がすでに旧式化しつつある一機種しかなかった。
要するに全部やっつけ。
それに乗せられる人は・・・・
大型爆弾とも言える桜花を抱いて敵の防空圏を抜ける事が可能と『思う』のだったら、
通常攻撃でも可能になるのではないのか?
『思う』だけで良いのなら、神風は百万回吹いている。
て優香それ何て瀧沢聖峰?
61 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 19:00:02 ID:???
護衛もつけずに桜花搭載一式陸攻だけで何しに行ったんだろう?
62 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 19:53:32 ID:kmVY+pmB
米軍新兵の実戦射撃訓練の的orベテラン兵の娯楽。
米軍撮影の >桜花搭載一式陸攻 の嬲り殺し画像どこかにあったよ。
わざと暇かけて打ち落とすの楽しんでるような感じだった。
護衛がついたのは最初だけで後は1機も護衛なし。
目標にたどり着くのは奇跡ですね。
命じた人には憎しみを覚え、命じられた人はいたたまれない。
63 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 20:03:28 ID:???
護衛が足らぬ?
足らぬ足らぬは工夫が足らぬ気合が足らぬ
日本男児なら精神で補え!フヒヒヒw
64 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 20:33:44 ID:???
>>63 |
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
>( c゚∀゚) |
|
>( c゚∀゚) J
>(c ゚∀゚)
|
〜〜〜〜〜〜〜〜|〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
| >( c´_ゝ`)
|
J >( c´_ゝ`)
>( c´_ゝ`)
65 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 22:11:03 ID:???
66 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 23:45:39 ID:28s0oeMc
護衛なしの母機が桜花の射程まで到達して発射、敵艦に命中できた桜花はなかったんですか?
67 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 23:49:17 ID:???
護衛無しでは、全滅。
撃沈1隻、損傷5隻の戦果は、全て、護衛無しでの出撃。
68 :
67:2007/02/20(火) 23:51:43 ID:???
慌てる良くない!
×護衛無しでは、全滅。
○護衛有りでは、全滅。
69 :
名無し三等兵:2007/02/20(火) 23:56:28 ID:28s0oeMc
ありがとう。
護衛無しでは桜花を発射する前に母機桜花もろとも全て撃ち落されたということですか。
70 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 00:27:55 ID:???
迎撃戦闘機vs桜花2トン搭載一式陸上攻撃機
お話になるわけがない・・・
71 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 02:39:53 ID:???
編隊は整然と隊を組む、
しかし敵に見つかり逃げる動作を起こすも、
重すぎて低速、かつ緩慢な退避行動になり
亜々、なすがまま散るがままよ
72 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 03:10:27 ID:???
現場の人はそうなるの分かってたから反対したのに
護衛がなければ行けないと言ったのに
嗚呼、日本の指揮官・・・
73 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 09:17:10 ID:???
1人で楽しそうだね。
74 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 11:19:07 ID:???
75 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 12:31:26 ID:???
定数 32x4=144
出撃機数 55
エンジン故障などで引き返さず護衛できた機数 30
76 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 12:48:31 ID:ZlbOoFre
ついでに言うと他部隊からの護衛機の制空戦闘は高空から一撃離脱。そのまま散開して帰還したそうな。
77 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 14:20:54 ID:???
その話はどこのお爺様から聞かれたのですか?
博識をご披露するだけなら他でどうぞ。
78 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 17:01:06 ID:???
祖父が生きていた頃近所に戦車に乗ってた爺さんがいた
なんとサイパンの生き残り、酒飲むと必ず戦争の話
内容は良く覚えて無いが、とにかく今生きているのが不思議だと繰り返してた
祖父は内地勤務だったからあまり話が合わなかったと思うけど
しょっちゅう家に来て戦争談義してたな
良く聞いておけば良かった
79 :
名無し三等兵:2007/02/21(水) 17:26:21 ID:???
おれの爺ちゃんは東京の軍の無線の学校とかに逝ってたらしいけど
ぐぐってもよくわからないんだよな。戦中にできた臨時の訓練学校みたいな
もんか。
80 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 00:32:09 ID:5CDdsKmC
その手の学校は戦中いっぱいできてたんだよ
81 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 00:43:18 ID:wwkjmps9
うちの爺さんもう90超えたけど
「軍隊だけは行くな、地獄だぞ」
が昔からの口癖。
北京近郊で零下30度で二ヶ月間
食わないで野砲で戦ったらしい。
82 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 01:03:23 ID:???
普通に死んでる!
隠れて何か喰ってる!
83 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 01:50:16 ID:???
昔、俺が勤めてた店の警備員の爺さんが、高雄に乗ってたって言ってたな。
もっと詳しく話を聞いておけばヨカッタ。
84 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 02:44:58 ID:???
>>65 最後の主翼が吹き飛ばされた場面
思わず目を瞑ってしまった・・・
85 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 03:12:40 ID:w5Ph8DI5
昭和16年に召集され、鳥取第53連隊配下の速射砲中隊に配属され、
昭和17年に中国戦線に送られ、中国軍と戦い、
昭和18年に上海をから、遠く離れた、ニューブリテン島ラバウル上陸し、
ニューブリテン島南端のツルブに進出して、12月に上陸した
米軍と死闘を展開した末、玉砕命令を受けるも、命令を撤回され、
昭和19年の2月にカ号作戦に殿として参加して。米軍と戦いながら、
ツルブ〜ラバウル間、直線距離600km以上を踏破し、
孤立したニューブリテン島戦線を戦い抜き、
昭和20年の終戦とともに2年近い捕虜生活を送った後の数十年後に
当時の直属の上司であった。陸上自衛隊中部方面総監、登弘美氏
からの感謝状を大事そうに立派な額に入れ、飾っている。
爺様ももう要介護老人になってしまった、時の流れとはなんと
早いものかと、つくづく思う、今日この頃。
86 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 04:15:55 ID:???
うちのひいじいちゃんは三笠乗っていたようだ
じいちゃんが三笠とか東郷さんや他の乗員の話をきかされたみたい
87 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 09:39:54 ID:???
一昨年亡くなったうちのじっちゃん。
元々金属加工の職人だったらしい。
運悪く戦争末期に満州に出兵し、そこで終戦を迎えてその後シベリア抑留。
親曰くシベリアでの事は一言も喋らなかったそうな。
じっちゃんはかなり細身の体型なんだけど、
中学生のとき腕相撲をしたら、尋常じゃなく強かった。
戦争体験じゃなくてスマソ。
88 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 10:14:52 ID:bZpdyr2c
>>87 >中学生のとき腕相撲をしたら、尋常じゃなく強かった
同じだ。
死後に分かったんだけど日向に乗ってたらしい。
勲○等の賞状?みたいなの額縁に入れて大切にしてたみたいだ。
これらは生前は1度も見聞きしなかった。
もう亡くなってるんで話は聞けない。
89 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 10:26:45 ID:???
自分の直系の先祖には軍隊経験者はいないみたいだ。
母方の大叔父2人が海軍で空母と潜水艦の乗り組みで、
どちらも乗艦が撃沈されて戦死と言うことだ。
母の実家にまだ比較的穏やかな時期に帰郷した時の何歩土産だという
貝が灰皿として使われていた。
母の実家が改装になる前の大昔の話。
90 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 10:29:06 ID:???
うちのじいちゃんは、日中戦争に参戦しました。
よく聞いたのは、規律がめちゃくちゃ厳しかったって話だね。
それこそ、靴下1本でも亡くした日には、上官から強烈な制裁を受けたそうです。
じいちゃんは、世渡り上手であまりいじめられなかったみたいですが、
要領の悪い人は大変だったようです。
ある日、川へ米を洗いに行った時、敵の戦闘機から銃撃を受けました。
その時、考えていたのは死ぬとかじゃなくて、米を放り出して帰ったら
上官に怒られるってことだったみたい。
だから、銃撃されている中で必死で米を洗っていたって話してたよ。
これだけ規律が厳しかった軍隊で、兵隊が勝手に略奪や暴行をしたとは思えない・・・
91 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 11:27:47 ID:IaJeBjHe
↑ だよね。八路軍やチョンじゃあるまいし。
92 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 11:42:01 ID:r/KgKb2R
母方の祖父は師範学校卒の小学校教師。
明治40年頃の生まれで徴兵はされたが、戦争には行っていない。
徴兵時も教師だったので通常より期間が短かったと言っていた。
軍隊生活は農家の生活に比べれば段違いで楽だったとのこと。
93 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 13:57:55 ID:???
>>90 >兵隊が勝手に略奪や暴行をしたとは思えない
逆に言うと命令で酷い事をさせられたケースは有るかもってことか。
94 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 14:49:22 ID:???
な〜んか最近、人の書き込みの言葉尻に
難癖つける。
在日か三国人がいるみたいだね。
95 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 14:57:38 ID:???
スルー推奨
96 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 15:04:15 ID:eLzW1Npk
>>88 漏れの先生も「日向」に乗っていた。
(たぶん飛行機の)格納庫が出来て
艦内がせまくなったと言っていた。
もう30年くらい前の話なので他界さ
れたろうな・・・
糞餓鬼だった漏れは、当時まともに
話を聞かなかったが、今となっては
悔やまれる。
97 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 15:19:21 ID:8EfhnBwj
俺のじいちゃんは当時12才だったけど
夜、山の向こうの上空が空襲で赤くなってるのが見えたらしい・・・
あと、よく近所に兵隊がきて演習?をしてたらしくて
家に士官が泊まりに来たらしい
それで士官の方がお土産を持って来てくれたって言ってた
うろ覚えでスマン
もう一度聞いてみようかな・・・
98 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 15:22:44 ID:???
99 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 16:07:37 ID:Y/0PHO34
母方の祖父はソビエト連邦の捕虜に
父方の祖父は大和の船体塗装してた
精神注入棒
と言う名のバット
爺ちゃんは終戦の年に志願して海軍に入り、呉大空襲の際、呉港の山腹の砲座で
急降下するグラマンめがけて機関砲撃ちまくったが一発もあたらんかった、
グラマン速すぎと言ってた。でも、そんなに機関砲って当たらないもんなんだろうか。
パイロットの顔が見えてたっていうぐらいだからそう遠距離でもないんあろうしな。
102 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 18:34:53 ID:RRa5mpY5
爺ちゃんは高校の先生でした。昭和20年代定時制高校の教え子?に自分と同年代の
ラバウル帰りの元パイロットがいたそうです。その彼は撃墜は無かったが一度だけ
内地の戦闘でで確実に機銃弾を浴びせかけることができたそうです。
103 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 18:49:21 ID:gQP+d8+F
祖父の部隊は、ニューギニア島で全滅しました
東北の部隊だったので、みんな故郷の雪景色を懐かしみ、そして死んでいったと、何かの本で読んだ事があり、とてもせつなくなりました。
もう死んだ爺ちゃんだけど戦争中の話は恐竜みた恐竜みたてことばっか話してたな〜
トラック島の近くの海ででかいワニみたいなの見つけたって写真でもありゃ信じるのにねw
コモドオオトカゲとか
>>101 えーと、あのそのヘタk・・・ゲフンゲフン
失礼、
九六式25mmは、追尾装置のない照準装置、弾倉の装弾数の少なさ等、問題もありまして・・・
ただ、上手が撃てば急降下してくるヘルダイバーを1個小隊全機撃墜した事もあります。(駆逐艦浜風)
毘式(ビッカース)40mmならなおの事当らなかったでしょうね。
107 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 23:36:06 ID:po7HgPLB
>>103 南の島に雪が降るとかいうタイトルの映画なら観ました
ニューギニア、悲惨だったようですね。
今の生活をしている自分からは、きっと想像してもしきれないくらいの状況だったのでしょう・・・
108 :
名無し三等兵:2007/02/22(木) 23:59:19 ID:xis2GJ0r
じいさんじゃなくて伯父さん。
満州へ徴兵で。
戦後、シベリア抑留。
109 :
名無し三等兵:2007/02/23(金) 00:04:35 ID:azIXhe5D
伯父が大和に乗ってインドシナに連れて行かれてビルマで戦死した。
戦後建てられた墓石にはそう書かれていた。
110 :
名無し三等兵:2007/02/23(金) 00:22:49 ID:5aiuq/wF
お爺さんが真珠湾攻撃の時の戦闘機乗りだった人いないかな?
どんな気持ちだったか聞きたい!
俺の爺さんは戦車とか列車とかの整備兵で、モンゴルまでいったりしていたらしい。
終戦時は、兵隊二人につき、小銃が1丁しかないような状態でロシア兵から命からがら日本に戻ったらしい。
そんな話を聞いたとき、俺はまだ小学生くらいでよくわからなかったが、
今はもう聞くこともできないので、日本軍の動きの中で何やってたのかよくわからん。
神国界での同席者から聞き取り。
Eさん
龍(たつ)兵団でした。雲南省のあたりで作戦。
土民のゲリラが跳梁して大変だった。ここら辺の支那兵は弱い。
土民は勇敢で、あるとき銃で武装した我々に対し3人の土民が蛮刀だけで襲ってきた。
簡単に捕虜にしたが、処分に困った。
手を縛って丸木舟に乗せ、これで帰れと説明し、
河の半ばに船が出たところで狙って撃ち殺す。ざまあ見ろと気持ちよかった。
勝っているときは、タバコ一つで何でも手伝ってくれたのが、敗勢が酷いとこうだ。
言葉が通じないので、説得するのは不可能だった。
私の返事
日本兵に懸賞金をかけるのは支那も米もやった手口。
いまでもイラクではお互いに懸賞金を懸けているのでわかるでしょう。
土人の類は「大義」では動かないのです。説得は言葉が通じても不可能でしょう。
113 :
名無し三等兵:2007/02/24(土) 09:41:43 ID:U1AgUxqc
あ
114 :
名無し三等兵:2007/02/24(土) 10:45:14 ID:U1AgUxqc
俺の大叔父は、陸軍飛行隊で隼に乗っていた。ビルマのドムアン飛行場にいたらしい。B‐24迎撃中に戦死したらしい、階級は曹長で死後、准尉に、家に戦友会誌などがあるが戦友会はもう解散してるし、どなたか陸軍飛行204戦隊について知ってる方いませんか?
ドンムアンってタイでなかったか?
116 :
名無し三等兵:2007/02/24(土) 20:15:21 ID:U1AgUxqc
すいません、タイかビルマだったか忘れてまして、戦友会誌みたらわかるんですけど。たしか、204戦隊は満州で発足して、大連、ドムアンと転進してます。また詳しく調べて書き込みますのでよろしくお願いします。
117 :
名無し三等兵:2007/02/24(土) 22:26:00 ID:bI9/h4EN
勤め先の定年退職した爺さんが、子供のころ呉海軍工廠で建造中の「戦艦大和」
を、当時工廠で働いていた父親にこっそり見せてもらったそうだ。
感想は「巨大な岩」だったそうな。 大和建造は国民に極秘だったけど、結構
防諜に関しては甘かったみたいだよー。
あと、レイテ海戦で小沢艦隊に所属し、空母を守るために自ら魚雷の生け贄になった
とされる駆逐艦「秋月」の本当の爆沈原因は弾薬庫の友爆が原因。
生き残りの海兵が言っていた。
118 :
名無し三等兵:2007/02/24(土) 22:34:39 ID:AFpAFSg4
ウチのGチャン、高射砲兵兵長。 書の上手さを買われて内地勤務だったそうな。
ちょと聞きたいんだけども背が高いと兵隊にとられないなんてことあるの?
うちのひいじいさん身長が185センチあったんだが、でかすぎるっていう理由で徴兵されなかったらしい
俺の母方のじいさんの父親話しだけど陸軍大臣になったり朝鮮総督になってその後、昭和天皇から総理大臣になれと命令されたらしい。
ちなみにA級戦犯で獄死した。実家に行くたびにアメリカ批判の話しばかり聞かされてかなりうんざりする……
次行ってみよう〜!
陸軍大臣やったっけか?
元海軍のうちのじいちゃん。「太陽の位置を測って現在地の緯度経度を知る」とかいう訓練で、
計算した数字を報告したら「ここはインド洋か!」と怒られたらしい。(訓練場所は瀬戸内海)
125 :
名無し三等兵:2007/02/25(日) 20:42:07 ID:O0zc9DGh
それはきっと秘密裏にインドに派兵されていた諜報部隊…おまえらだれだうわなにするやめ
126 :
名無し三等兵:2007/02/25(日) 21:02:56 ID:DMWFWy/h
ここ読んだり話聞いたりして思ったんだが、当時って本当に人の命って軽かったんだね。なんか大正後期生まれのじいさんてすごい少ない気がするが戦争の影響かな。
戦時に人の命が軽いのは当たり前ですよ。
そうは言っても時代を追って段々重くなって来てるんでないの。
重いと思うのと実際に重い軽いは別
命の価値は人類が誕生してから
今まで、この先、いつの時代でも不変だと思う
不変であって欲しい
戦い方が随分変わって来てるからねえ。
映画なんかでしか知らないけど古代の闘いなんて無茶だよね。
ウチのじいさんは若い頃に右手を工場の機械に潰されたので兵役免除され、
支那事変以降、地獄のメッセンジャー「赤紙配達人」になった。
町内の人は、じいさんのこぐチャリンコのキーコ、キーコという音を空襲警報よりも恐れた。
133 :
名無し三等兵:2007/02/26(月) 23:52:47 ID:B4MYseO5
tes
135 :
名無し三等兵:2007/02/27(火) 14:21:09 ID:8KbaCNaF
あんたすごいひい爺さんを持ってるな。誇っていいと思うよ。
>>135 でも、あまりいい実績は出してないと聞きましたが……
ちなみに来月、実家に行くので、なにか、うpしましょう。
138 :
名無し三等兵:2007/02/27(火) 19:32:42 ID:8KbaCNaF
をぉ!uぷよろしく! ところで小磯首相は若い頃はかなりのイケメンだったらしいけど君はどうなんだ?WWW
139 :
名無し三等兵:2007/02/27(火) 20:37:03 ID:2ihh+hew
漏れの曾祖父は沖縄戦で自決した「有川中将」という香具師なんだけど、無名だよね。知ってる人いる?
140 :
名無し三等兵:2007/02/27(火) 20:47:59 ID:xkRkQn6R
牟田口中将の孫曾孫さんまだ〜?
141 :
名無し三等兵:2007/02/27(火) 21:37:48 ID:kcpbqifJ
最近陸軍の将校だった人に聞いた話。 その人はよほど優秀だったのか
戦地経験はなし、本土決戦の作戦プランをみて最後に「戦車による援護はなし」
コレを見て絶望したとか、作戦打ち合わせで横須賀の海軍司令部にでむいたら
「飯をくっていけ」といわれ超貴重品だったカレーが出てきて腰をぬかしたとか
おまけがあって「お変わりの欲しい方はいますか?」といい海軍でなんて贅沢なんだ!
と感じたそうです。 陸軍では銀シャリすら食っていなかったというのに・・・
>>141 >カレー
「遠慮せず食え・・・」を思い出した
143 :
名無し三等兵:2007/02/27(火) 22:51:43 ID:Ms4ii5Mo
>>141 カレー…陸式では「辛味入汁掛けご飯」ですね。
>>142 「遠慮なく喰え」。。。陸軍は大変だったんだなぁ(一部要領の良い香具師を除く)
涙
145 :
名無し三等兵:2007/02/28(水) 03:37:50 ID:Y8AwHrsq
花岡事件 誰か知ってる?秋田の鉱山で、強制連行された中国人たちが、あまりの辛さに脱走する話。聞くも涙、語るも涙。
そういう事はドイツでもソ連でも日本より遥かに大規模にやっていた。
うちの爺ちゃんは、兵役でソ満国境の機関銃小隊?に就いたらしい。
聞いた話は
・満州に渡る時海は大荒れで、本当に船の中を転げまわった。
・満州はとにかく寒くて、小便は凍るわ、瞬きしたらまつ毛がはり付いて目が開けれくなるわ大変だった。
・ソ連軍はしょっちゅう機関銃や野砲の陣地移動をしていて、
砲撃して破壊されたトーチカなどは次の日には修復されていた。
・日本製の軽機関銃はすぐに「つっこみ」を起こすが、
中国軍のチェッコ機関銃は「トットットットット」と軽快に射撃できた。
・射撃場には様々な鹵獲銃が置いてあったが、弾薬が無く撃てないのが殆どだった。
・友達と森に狩りに行った。友達は自分が見つけれない場所にいる鳥を打ち落とすくらいの射撃の名手。
・兵舎の兵隊が忽然と消えることがあったがトラのしわざで、部隊を繰り出して山狩りをした。
うちの爺様は満州にいたんだけど小銃も貰えず畑仕事ばっかしてたらしい。
ところが内地で時計職人だったのを部隊の偉いさんが知り、
その人の時計を修理してからというもの農作業から解放され
大量に支給された軍票で毎日、街で美味しい物食べて博打に明け暮れてたみたい。露助が来るまでは…
露助から仲間と必死に逃げた爺様だけど最後の最後で中共に捕まったんだ。
だけどそこは元時計職人!
収容所でも時計を直す毎日で辛い目には遭わず寧ろ楽しかったらしい。
うちの爺様は
「出征してた時が人生で一番楽しかったけど婆ぁさんには内緒やで?」
っていつも話してたよ。
曾じいちゃんが35才でタイ・ミャンマー・ビルマ(これの真偽はわからない)へいったらしい
輸送船でなんとか帰ってこれたそうな
じいちゃんは十八歳でグライダー部隊?に徴兵されてて
出撃(特攻だったらしい)間近で終戦に
みんなまだまだ生きてる俺の家族(`・ω・´)
151 :
名無し三等兵:2007/03/04(日) 17:25:45 ID:oO2W+MLI
ばあちゃんから聞いた先年亡くなったばあちゃんの兄の話。
実家の隣町にある通信隊に配属されてて終戦になったら即除隊になったんで
無線機を川に放り込んでその日の内にさっさと帰ってきたそうな。
進駐軍が来たら安物の子供浴衣を「シルク、シルク!」ってGIに売りつけて
結構稼いだらしい。
苦労された方々が多いってのに・・・・
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153 :
名無し三等兵:2007/03/04(日) 21:48:23 ID:ghanqpGf
前世に軍人だった記憶ある人いる?なんかある一つの特定の物事にハマる人には前世の記憶がある人が多いらしい。 大抵は生まれてから得た記憶であって思い込みにすぎないとか。 俺は二度ほど戦死してますが。
>>153 >大抵は生まれてから得た記憶であって思い込みにすぎない
でFA。
俺にも『田原坂の戦い』の記憶あるもんなw
コルセア乗りの子供の話は面白かったけどな。
>>156 テレビでやってたやつですか?
FM2とか出てましたねえ。
あれは説得力があったなあ。
コルセアじゃないけど96歳で亡くなった曽祖父ちゃんに聞いた話では
隣の市にある飛行場を艦載機が空襲するのを屋根に登って見物してたら
隣の2階屋根すれすれにグラマンが飛びすぎて行ったので屋根からぱっと
飛び降りて隠れたとか言ってた(おいおい、当時50歳くらいだったんだろw)
ついでに言うことにゃ「アメリカ人は下駄を履いて出かけるみたいに飛行機を
運転してる」・・・・・うーん、言いえて妙と言えない事も無いw
確かに向こうの連中は気楽に飛行機操縦する。
おらも一度、小さいセスナの横に乗せてもらった。
セスナを操縦して通学してる高校生がいるくらいだからな
>>161 写真が不鮮明でアレだが、
“ DIPLOMA ” というのは『学位』の事。
学位認定状か卒業証書の類。
なお、
この類の物は、多くの場合がアメリカの非公認校が発行した物で、
社会的に通用しない学位であり、ただの『模様のキレイな紙切れ』の価値しかない。
詳しくは『ディプロマ・ミル』、『学位工場』でググれ。
163 :
名無し三等兵:2007/03/07(水) 18:58:03 ID:YkNjigcK
防衛功労賞って勲章はどんな価値よ?
164 :
名無し三等兵:2007/03/07(水) 22:48:16 ID:JQzQC8mT
165 :
名無し三等兵:2007/03/08(木) 01:00:08 ID:R0PWVq7I
ウチの死んだ爺さんは、映画ゾンビを一緒に見てた時
シナ人ゲリラはこんなんやったって言ってた。
撃っても撃ってもこっちに向かって歩いて来たらしい。
シナ人と戦って、ロシ公と戦って耳がちぎれて帰って来たみたいです。
叔父さんがミャンマーに派遣されたと聞く。
教授で数学が得意なことから会計役を任されたいたらしいです。
当時は米が全然無く、代わりに高粱が沢山輸送されてきたけれど、消化しにくいらしく、弱った兵が食べても栄養にはとてもならなかったそうです。
階級は少尉でまだ生きています。
167 :
名無し三等兵:2007/03/08(木) 22:30:28 ID:tT089eD7
じいちゃんは海軍でした。沖縄本土決戦時駆逐艦『榧(かや)』にいました。
突撃前部下に『自分にも家族が居るしこの世に未練が無いと言えば嘘になる。皆も同じだと思う。が、こう考えてくれ。敵の機銃が当りこれが最後と思った瞬間、私はこの瞬間の為に生まれてきたのだ!と。私もこの世にさよならする時そう思います。いや思いましょう。』
しかし、速力がなく足手まといになるとの指令で帰港したようです。
168 :
名無し三等兵:2007/03/08(木) 23:15:40 ID:3CYiAMs9
>>167 腹の括り方に脱帽です。
ある意味現代生きている我々にも十分通用するのでは…
俺も不平や愚痴をこぼす事ばかりでなく頑張ります。
我々の体の中には間違いなく先達の血が流れているのだから。
169 :
名無し三等兵:2007/03/08(木) 23:49:31 ID:tT089eD7
>>168 そう。現代人にはその時代を生きた人の血が間違いなく流れてるんです。
因みに突撃前に遺髪と爪を紙に包んで住所を書いた時、とても落ち着いた様です。じいちゃんの戦争手記は平和な時代しか知らない俺にとって本当にドラマみたいです。
■映画『ガイサンシーとその姉妹たち』完成記念シンポジウム www.cine.co.jp/gaishanxi/
2月17日、映画『ガイサンシーとその姉妹たち』完成披露上映会のイベントとして、
記念シンポジウムが東京都内で開催された。近藤さんは作品の出演者であり、シンポジウム
に招かれたゲストスピーカーだ。
映画タイトルにある“ガイサンシー(蓋山西)”とは、中国は山西省で“最高の美人”を意味する言葉である。
日中戦争中にガイサンシーと呼ばれた侯冬娥さんら女性たちが、日本軍の兵士から性暴力を受けた
事実について、日中双方にかろうじて残る生き証人の言葉を集めて制作されたドキュメンタリー作品だ。
終戦前に中国から沖縄へと異動した近藤さんは、沖縄戦について多くの日本人が偏った認識をしている
現実に驚愕した。「真実を知らされていないのでは? なぜ知らされていないのか?」と疑問を感じ、
「せめて自分がやったこと、見たこと、聞いたことだけでも知って欲しい。そうでなければ、
犠牲者の死がムダになってしまう」と考えて、自ら語り部となったという。
「刺殺訓練、生きている人を殺.す訓練では、中国の人2人が括られていて、心臓をめがけて突き刺す
というものでした。土下座させた中国の人に向かって、『日本刀の試し切りだ』と言って首をはねて
いるところも見ました。今まで生きていた人が、斬られて胴体は前へ倒れ、首はコロコロと転がっていきました。
(訓練の中で)『大和民族は優秀だ』と教えられ、その対極に支那があり、自分も段々と抵抗がなく
なっていたんです。ガイサンシーさんのようなことは、たくさんあったと思う」
「行軍の際に、赤ん坊のいる女性を拉致してきて輪姦して、殺.さずそのまま素っ裸で、靴だけを
履いた状態で歩かせていました。昼の休憩のとき、1人の古兵が急に立ち上がって、女性が抱えて
いた赤ん坊をつかみ、崖から放ちました。その後、女性は崖から身投げをしたんですが、その時、
休憩していた兵士たちの間から、笑い声が上がったんです」「オ二でもできないようなことを中国
でやってしまい、謝っても謝りきれない」
>>170 この映画の意にそう(日本兵の)証言者は近藤さん
1人みたいだね他の証言者は映画の意にそわないので、
まるで嘘つきのように描かれている。
そうそう、近藤さんの言う。誰も知らない沖縄戦とは
なんですかね? 聞いた人おしえてください。
近藤さんの出演料高そうだね
174 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 11:16:58 ID:fh7yenvo
俺の近所の爺さんたちはみんな元第九師団だけど
そんな話聞いたことない
175 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 12:29:43 ID:Gv1xhjBd
64年前の今日、浅草は灼熱地獄だったそうだよ。
177 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 14:12:28 ID:Y73dLqAc
明日は陸軍記念日であり東京大空襲の日でもある。 つまりチョンがうるさい季節である。
178 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 14:24:05 ID:YaR2TcBs
投票しようと思ったらもうないゾ
まだ、まだあるぞ〜
安部総理の写真の少し下んとこ
いま謝罪すべき24%、しなくて良い76%
投票数は300万超え
投票したお NOにね
しっかしこのCNN
日本人以外の慰安婦20万人って
当時の陸軍200万でっせ!
外地はせいぜい150万くらいか・・・
これじゃある意味戦争に負けるわな・・・って
ここでも南京同様、人数捏造かよ
181 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 16:00:43 ID:YaR2TcBs
そうだよな。10人に一人割り当てなんて恵まれた環境
提供すんのは雨ぐらいだろうが。
奴等の言いがかりは際限ないからな。
やっぱり将軍様のお仲間だ.......
182 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 18:44:41 ID:Z7g163G5
183 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 18:45:52 ID:6EKTEHDK
金町に住むばあちゃんの話。戦時中はとにかくグラマンやカーチス(P-51?)が恐かったと。「今居ないなーと思って歩いてると、突然目の前に居る。動くものは何でも撃つ。土煙が上がった後は、人も犬も馬も建物も、皆粉々だった」と。
184 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 20:43:01 ID:22x4jZwH
10年ぐらい前に会社関係の人で海軍兵学校出の爺さんがいた。
会社にくるなり変な体操して、「それなんですか?」と聞くと「海軍体操だ!」とか言ってた。
「雷電の離陸の時の音は凄かった」とかも話てました。
原爆が落ちた時にきのこ雲を兵学校の仲間と見たそうです。
その時は「新型爆弾じゃないのか?」と仲間内で話をしてたそうです。
終戦時には、反乱を起こす起さないで色々と仲間内で揉めてたとも聞きました。
もっとちゃんと話を聞いておけばよかったなぁと、今は後悔してる・・・
俺の祖父(80を超えているがまだまだ元気)は昭和18年の時、静岡第34連隊に徴用された
馬の横で重機の弾を運んでいたそうだ
初めは支那方面にいたのだが、南方へ増援の為に移動するなった
しかし幸か不幸か輸送船が次々と潜水艦に撃沈された為、移動出来ず待機していて終戦を迎えた
今も家には軍刀や軍歌の本がある
186 :
名無し三等兵:2007/03/11(日) 15:12:17 ID:p4n8mwyd
うちのじいさんは海軍の参謀将校だったようだ。
南方を視察して回った帰りに戦艦武蔵で尾頭付きを食べてびっくりしたそうだ。
結局、外地に出たのは若手時代の艦隊勤務と台南航空隊時代だけで、ずっと霞ヶ関と市ヶ谷と
横須賀と厚木の往復だった。
源田実の手下で航空自衛隊にまでついていったので、戦後もいろいろと世話になったらしい。
もっと話を聞いておけばよかった。
俺は親父から、俺の父方の祖父は大和の砲塔の部品を設計したと聞かされていた。
俺だけでなく俺のお袋も、親父との結婚前に同様に聞かされていた。
しかし、最近になって大和でなく武蔵だと判明。「違うじゃねーか!!」と、
家族全員で親父を糾弾したさ。
信濃じゃなくて、本当に良かった(笑)。
違う設計だったのかな。
>187
そうそう、砲身の肉厚が少し違うんだよね。
190 :
名無し三等兵:2007/03/12(月) 19:09:38 ID:Yj9fb2oV
191 :
名無し三等兵:2007/03/13(火) 00:22:57 ID:TrxupIKE
なぜ立派に死ななかった?
のこのこ生き残って…恥を知れ!!
192 :
sage:2007/03/13(火) 00:43:04 ID:???
193 :
名無し三等兵:2007/03/13(火) 02:10:49 ID:yX9VISS5
ウチのじっ様はフィリピンの司令部つきだった。マッカーサーが住んでいた
マラカニアンホテルを接収してやりたい放題だったらしい。年末に視察に来た
寺内元帥にクリスマスの祝いとして七面鳥のローストを手配したとか。
実際の陸軍の上層部には、国粋主義者とか狂信者は一部しかいなかったんだろうね。
むしろ基本像は華麗なる一族だろう。
知恵遅れで兵役免除だっけかな
亡くなったうちの血縁上の爺様は、大陸で「医者の伍長」やってたそうな。
注射器からメスなにやら怪しいアンプルまで入った医療セット持ってて、良く見せてくれた。
昔このスレに書いたものですが、祖父が亡くなり喪が明けましたので一筆
烈風のペラとされている物 終戦時二枚(現存一枚)途中でひん曲がり、凡その長さ
2m弱(1m80を超えるくらい)
スピナー(ペラ兜) 四つ溝入り(子供の頭が納まるくらいの大きさ)
色は双方薄汚れた茶色。疎開飛行か試験飛行の際発動機不調の為不時着し回収された機の物を
終戦のドサクサで武装解除前後に私物と共に持ち帰ったものとされている。
本物だったら宝物。爆撃機や重戦の物でも宝物には違いあるまい。
>196
うちにあるMe262に積まれていた2気筒2サイクルエンジン
も、お宝だぞ。 まだ動くし。
>>196 烈風って飛んだことあるの?長野か東北に試製烈風って4機〜11機くらいあったっていうのは聞いたことあるけど、量産されてないんじゃ本物の「烈風」じゃなく、試作機だよね?
200 :
名無し三等兵:2007/03/17(土) 23:35:04 ID:j8ZVSAjR
父方の祖父が陸軍中尉でした。北支の近衛師団です。士官学校出じゃないのに当時23歳でこの肩書きは驚きです。山を二つ持ってる家柄の長男で当時としては大柄の172cm、剣道二段ということで異例のスピード出世だそうです。
中国戦線にいた祖父が言っていたのですが
中国人の捕虜と協力して山脈超えをしたとか川を渡ったとか、戦争に協力してもらっていたとのことです。
足りない食料なども分け合っていたとか
私は軍事のことはよく分からないのですが、敵国の捕虜が軍事行動に協力するなどということがあるのでしょうか?
>>200 陸士上りなら20代前半で佐官というのもあるけどね
>>201 白露軍のような例もあるし
中共や国府軍に反感を持っている人間なら対日協力もしたろうと思う
>>201 ごく普通の事ではないかと。
こと、中国では・・・
205 :
名無し三等兵:2007/03/18(日) 21:36:00 ID:lIVN2Q+v
中国兵には「帰順兵」といって、皇軍に積極的に協力し、偵察や道案内、通訳、荷物運びなどをやってくれる香具師
も大勢いた。当時の中国にナショナリズムはまだ育っていなかったんだと思う。
206 :
名無し三等兵:2007/03/18(日) 22:35:38 ID:t2+5hCWt
おじいちゃんではないが俺の田舎は瀬戸内の島だけど、戦時中に練習機の赤とんぼが砂浜に不時着したらしい。
その人はその後特攻隊で亡くなったらしいけど、せっかく助かった命を特攻で終わらせたのは
悲しいと思う。名前も知らない人だけど。
それと、駆逐艦の天津風の艦長が島の出身だった。
天津風も最後まで沈まなかった船のようだが、いつぞやのときに大破して
その艦長も亡くなったらしい。
>>203>>204>>205 ありがとうございました。
中国戦線というと南京の30万虐殺とか血なまぐさいものしか知りませんが。そういう面もあったのですね
208 :
名無し三等兵:2007/03/19(月) 01:10:44 ID:Hrk1Rmjw
第二次大戦中、「中国軍」というの
は存在しなかった。
蒋介石の国民党(現在台湾)と、毛沢東の共産党が内戦していた
からな。 シナと言う呼称が正解。
日本軍が戦ったのが国民党軍の方。
、毛沢東の共産軍は逃げ回って戦力温存し、のちの国共内戦
で蒋介石・国民党軍を台湾へ追いやる。
なんで親日家の蒋介石が日本軍相手に戦ったのか不思議。
まずは毛沢東の共産党を始末するのが先だろ。
日本が「俺らが共産党を片づけるのを手伝ってやる。大陸の租界からは撤退する。ことによっちゃ台湾を返してもいい。その代わり満州国認めてくれ。」
と言えばなんとかなったんだろうか・・・
>大陸の租界からは撤退する。ことによっちゃ台湾を返してもいい。
これは言えなかったろうね。
ははは・・・
仮想戦記とかなら簡単に言えるんだけどなぁ・・・
共産党を〆てやる。だけじゃ駄目だろうな
表向き対立して現実は味方以外関係なく虐殺してたのが八路軍だからな。
嫌う人だって山ほどいただろうね。
>>209 ならないだろ。
戦前台湾はあんまり中国じゃなかった。
中国ぽくなったのは蒋介石が逃げ込んでから。
むしろ台湾人から恨まれそうな希ガス
>>214 もっと泣けるのは、
降下し捕虜となった米兵が処刑される際、
「わたしはあなた方を恨まない。わたしが任務を遂行した様に、あなた方も任務を遂行するだけなのだから。」
との言葉を残したこと。
216 :
名無し三等兵:2007/03/19(月) 18:32:21 ID:GNUQt4W0
>>206 俺の爺さんの出身地の大三島のことかい。
天津風の艦長は、漣の艦長から着任1週間後、魚雷攻撃で艦首が吹っ飛ばされ
亡くなった宮浦出身のK中佐(兵56期)のことではないでしょうか。
ちなみに俺の爺さんの従弟(M方出身)は支那事変前に退職した特務中尉です。
218 :
206:2007/03/19(月) 21:35:03 ID:H2YCZeKk
>>216 大三島のことです。
親父が言うには大三島の上空を呉の爆撃に向かうB29が沢山飛んでいたらしい。
大三島のM方には中国戦線で亡くなり軍神といわれた人の墓がある。
戦争初期の頃は、戦友が詳細を伝えたのか死亡時の詳細が墓に書かれているが
後期の頃になると、ビルマ方面にて戦死、ニューギニア方面にて戦死
等と、詳細が書かれていない.....。
大岡昇平の、野火とかレイテ戦記とか読んでいると悲惨さがほんの少しでも
伝わってくる。
NHK、鶴瓶の家族に乾杯という番組に
凄い爺さんが出てた。
蕎麦屋の爺さんらしいが、右腕はくの字に曲がっていた。
敗戦で軍旗を焼く話しを泣きながらしてたね。
中国へ進軍してた部隊の詳しい資料とか
HPありましたら教えてください。
祖父が第6軍参謀司令部に居たと言ってます。
シナの事は悪く言いませんが
朝鮮はいい印象を持ってないようです。
最近の半島事情に関しても
あいつ等はほっとけばいいんじゃ
2000年前からああなんだ、と言ってます。
222 :
名無し三等兵:2007/03/20(火) 17:07:19 ID:7qErIPe/
おれの爺さんの弟は
参謀本部にいたが
終戦にあたり
妻と子供を撃ち殺し
自分も自殺した
遺書があり敗戦の責任を
とったらしい
だんだんここのレスも減ってくのだろうねえ
うちのじいさまもペースメーカーを付けて、毎日5合の酒を2合でガマンすると言ってたよ。
おれの親父も、オレが生まれる2年以上前に死んだらしいよ(泣)
ルソン島なんかで匪賊(ゲリラ)討伐戦で、
ゲリラ村を老人女子供含めて根絶やしにしなきゃいけない。
「そういうことしちゃいけない」とお達しが出ていたが
「責任はオレが取る」と中隊長クラスが超法規でよく殺しまくったらしい。
戦後のBC級戦犯で証拠を残して吊るされたのがこれ。
>>219 俺も見た
興奮するじじいの背中を冷静にさする息子にワロタ
たぶんいつもああやって話してるんだろう
ドイツはそういうの容認してたんだっけ?
国防軍は禁止してたんだったか
俺の兄の妻はドイツ人
あのプロレスラーの弟さんじゃないよな?
うちの婆様の兄様は特攻で南の海で亡くなった。
終戦が終わってから、桐の箱にちょこっとの髪と爪と、
戦死しましたって紙だけが入っていて、婆様は今でもお墓の没年は嘘かもしれないって言う。
爺さんは満州の方に行ったってことしか聞いてない。言いたくないのかな。
ついこの間聞いてびっくりしたのが、婆様の叔父さんが大和に乗ってた少佐だったってこと。
学徒動員で、神奈川だかの工場で婆様が働いてたところに軍服姿で訪ねてきて、
工場は大騒ぎになったんだそうだ。
婆様の思い出は少女マンガっぽい。
229 :
名無し三等兵:2007/03/20(火) 19:00:31 ID:F06/Pe7b
俺の親父の話。子供の頃、ある日、障子や襖がカタカタ鳴ったんだと。家族全員で「どこかがやられてる」と震えてたそうな。翌日の新聞には「釜石、艦砲を受ける」 遠く遠く離れた秋田の山中まで、戦争の音は聞こえたんだと。
>>224 おれの親父も、オレが生まれる2年以上前に死んだらしいよ(泣)
悲しむことはない!その人は貴方の親父殿では有り得ない。
>>224 俺の本当の父親は誰なの?って、お袋様に聞く権利があると思うよ!
不覚にもワロタ
俺の祖父の話。 南京大虐殺はあったらしい。 今でも南京を掘り返すと
そこらじゅうから人骨が出てくるそうです。
日本には戦争責任がある。 罪のない人々を大量虐殺した罪は日本人が、
未来永劫背負うべき原罪だと語っていました。
以上北京からの中継でした。
よくあったなかったとか話されるね
勇気のあるお人だ
でもうちのじっちゃんは皇軍がそんなことするはずがない
支那人は平気で嘘をつく
と言って憤ってた
君側のかんが陛下を騙したんだとか怒ってばっかりだよ
236 :
名無し三等兵:2007/03/20(火) 22:36:59 ID:7qErIPe/
君側の奸て
東條のことか
孫娘は被害者ヅラするな
恥を知れ
>>236 日本人は全て存在する価値がない
消えろ
現代の日本人は犯罪者の血をひいている
呪われた民族
日本は日帝の戦争犯罪を一生かけてつぐなっていくんだという姿勢を示さなければならない。
そうして初めて真の隣国友好の資格を得る。
今の日本には資格すらない。
それどんな春休み?
ていうか、
隣国と仲が良い国、なんてほとんど無いしなw
じーちゃんがボケて死ぬ前に聞いてみたかったな・・・大陸と半島の方々について
245 :
名無し三等兵:2007/03/21(水) 00:21:26 ID:m7534azI
おまえは二年以上母親のお腹にいたんだ
ギネスだな?!
?
>239
>そうして初めて真の隣国友好の資格を得る。
じゃすりよってくるなよ!うざいから。
中国からエライ人が来日するそうだね。
急遽、韓国からも来るそうだね。
結局、コジキのタカリ競争だねwww
変なのが沸いてるからお札を貼っておくか。
つ「天安門事件」
つ「民主化」
つ「チベット独立」
これで大陸からのアクセスは消えるだろw
爺様のこえ
わしらの年金減らしてまで
ちゃんやちょんに、めぐまんでくれ
>248
ありがたいお札をどうも。
で、これから来るやつは在日か〜
近所のじいさんがあの世へ旅立たれた
インパールから帰還した勇士
南無阿弥陀仏
>>251 ご冥福をお祈りいたします
>>248 近所に住んでる中国陣が自分は天安門事件が起きた時まさにあの場所にいたと言ってるんだが
ほんとだとしたすごいな
父方の祖父は、ビルマで戦病死
先日祖父に聞いたところ、
祖父は徴兵される前「陸軍航空工廠」で働いていたことがわかりました。
そこで造っていたものについて聞いたのですが、
「造る過程では○○式とは呼んでいなかった」
とのことで詳しくはわかりませんでした。
しかし「爆撃にも偵察にも使える機体」
と言っていたので九九式襲撃、偵察機ではないかと思うのですが、
他に当てはまりそうな機種ってありますかね?
戦車については詳しいつもりですが航空機については殆どわからないもので・・・
何か良いスレ見つけたので書かせて頂きます。
私の爺さんは明治生まれで戦争には行ってないらしいです。
でも、民間の技術屋として満州に行ってたらしい
引き上げの時は悲惨だったらしい。昼間は死体の中に身を隠し、夜に動き出すって話しを幼稚園児の頃に聞いた
また叔父は師範に行っていたらしいが、叔父の友達は志願で特攻行って亡くなったって話しも聞いた。
その叔父も去年78でなくなった。
戦争の話をもっと聞いておけば良かった。本当に命について考えさせられます
軟弱で病的な若者が増えている今、出征を体験をした爺様方に再び立ち上がってもらいたい。
>>258 気持ちはわかるが
立ち上がれる爺さんの数に問題が有りすぎ
だれうま
うちのじいさまは自転車すら乗るが、そろそろやめてほしい
>>260 うちの爺様は90過ぎてやっと自分からカブを降りたぞw
262 :
254:2007/03/22(木) 23:00:38 ID:???
>>255 前述の機とは別に試作機も造ったと言っていたので、
その試作機がそれかなと思ったのですが・・・
もう一回聞いてみますかね・・・
263 :
名無し三等兵:2007/03/23(金) 20:24:51 ID:tS2DegwC
ここは勇敢な誇り高い戦士録のスレであり、決して対岸の民族が入ってきて良いものではない。
264 :
名無し三等兵:2007/03/23(金) 21:36:02 ID:YwCejwqt
車もろくに走ってない時代に
時速400〜600キロ、高度一万位までのとこで
超ハイテク機に乗って仕事してたんだから凄いよなぁ
>>264 それで弾が飛んで来なければ最高だが・・・
>>264 当時の飛行機はある程度訓練積めば二十歳未満でも操縦できたんだから特にハイテクでもないんでは?
>>266 今でも、自家用単発程度なら、ATCと離着陸さえインストラクターにやってもらえば、
操縦桿握ったその日に普通に飛べますよ。
うちの爺ちゃんの話。
大正人で、小さい時は大阪の陸軍工場で働いていた。
その後、自分で飯屋を立ち上げ、がんばっている内に20歳に。
そして学校でしこたま殴られ、晴れて帝國海軍に。
舞鶴に赴任し、そこで海軍式教育を受ける。
海軍は船の中という特殊な環境の為か、時間への厳しさはとてつもないものだったらしい。
5分前精神、なんかは今でも有名だが、私が驚きだったのは、掃除の話。
毎日、新兵は甲板掃除があり、モップと雑巾が置いてあって、各自道具を持って整列する。
当然モップ争奪戦となり、負けたものは雑巾になる。
すると上官がモップを取った者を全員、例の「精神注入棒」でボッコボコに殴ったという。楽をするな、と。
また、就寝時にはハンモックで寝るのだが、それも訓練の一つで、何分以内につけられない場合は便所掃除。
爺ちゃんは飯屋の腕を生かして主計科だった。
毎食何百人分という食事を作り、完成するとまず艦長のもとに。
艦長は少しでも気に入らないと机をひっくり返し、作り直しになったという・・・(物資少ないってのにw)
主計科という、食料を管理する職種だったために、ほかの兵科に対しては優位に立っていたそうな。
毎食で残ったご飯で握り飯を作り、タバコ何本かと交換、てなことをしていたらしい。
>>268 熱心な、というか迷惑な艦長もいたもんですね。
270 :
つづき:2007/03/24(土) 14:24:05 ID:3Rwcq0A5
幸い爺ちゃんは出兵にはならずに済んだ。(舞鶴出航して何日か行ったところで機雷のために引き返してきた)
でも、基地には敵機の波状攻撃が度々来たという。
そのたびに何もかもが蜂の巣になり、多くの同胞を亡くしたとか。
舞鶴の近くの山は全部死体を焼いた骨で一杯だったと、前に舞鶴行った時に教えてもらった。
爺ちゃんが舞鶴に来た時点で、その辺に沢山ある対空用の機銃は全部木のハリボテだったらしい。
いつも爺ちゃんの話聞くと、そりゃ戦争負けるわな。と思う。
あと、一番爺ちゃんが腹立ったと言ってるのが、朝鮮人の自分より若い仕官にしこたま殴られたこと。
そんな爺ちゃんも今年で86、配給のタバコにやられたのか、肺気腫で酸素ボンベが離せない体になってしまった。
もっと生きてくれ、そして話してくれ。
子供の頃に曾爺さんの家にあった柱時計の文字盤には元々の1から12の印字の
内側に手書きで13から24の数字が書いてあった。
戦時のラジオ放送は時刻を24時制で発表するので父親にわかりやすいようにと
徴収された大叔父が書いていったという事だった。
大叔父は日本に戻る事なく満州のどこかで戦死した。
>>271 地味な話かも知れないけど、
なんかこう、こみ上げるものがあるな・・・
273 :
名無し三等兵:2007/03/25(日) 11:56:56 ID:A8QugjU8
>>269 いや、艦長の食事って自前だもん
そりゃ変なの出されたらイヤだろな
でも、美味いもの食いたけりゃ郵船からのコックが居る徴用輸送船にでも行けとw
沈黙の徴用輸送船
すいません勘弁して下さい
中野学校出身のコックが…
276 :
名無し三等兵:2007/03/25(日) 19:10:07 ID:hM9O0G66
親戚のじいちゃんは歩兵中尉。
なんと、インパールの生き残り! 当時の話はあまりしないけど、主に士官学校の話とか、内地勤務時の話はしてたな。
>>276 インパールって作戦前にいっぱいトロピカルフルーツがなっているっていわれなかった?
餓えそうになったら、それたべたらいいのに。創意と工夫が足りないね。
名将むっちーもあの世でジンギスカン作戦に誤りはないと思っているだろう。
278 :
名無し三等兵:2007/03/25(日) 21:17:40 ID:kcMvgDgT
中佐のスレにも書いたけど
中国戦線にいた俺の爺さんの話なんだが日本軍の捕虜の生首が損壊した状態で皇軍の通る道に捨ててあったと言っていた
他にも敵の陣地を奪取してみたら日本軍捕虜のぼろぼろになった死体が捨ててあったとか
それを見た爺さんは復讐心や敵愾心がわくよりも純粋に恐ろしいと感じたらしい
自分も捕虜になったらこんな目にあってしまうのかと
かなりトラウマになったようで婆さんが中国旅行に行ったときも爺さんはついていかなかった
280 :
名無し三等兵:2007/03/25(日) 22:49:42 ID:8MiI/sQo
大学の時、中国に行ったらたまたま抗日映画で「戦争子午線」っていう作品をやっていて
その中で目を痛めて横たわった日本兵を中国人の子供たちが石をぶつけて殺そうとする
シーンがあった。
結局は殺さないんだけど、中国人はこういう殺し方を平気でするんだよな。と
つくづく思った。
なんか赤線映画のようなタイトルだな
>>279 うちの爺さんもそうだ
ただ怖かったって言ってた
>>280 なんたって人間も美味しく食べちゃうひとたちですから。
うちの爺さんは中国人よりも上官が憎かったと言ってたな
中国人に殺されてしまえとか思ってたらしい
まぁ今では戦友会で仲良くやってるらしいのだが
無抵抗な人間には強い中国軍
日本軍に攻撃されるとあっという間に壊滅する中国軍
>>279 軍隊は大変だとか戦争はもうごめんだとか言いつつ兄貴が膨大に入るのを一番喜んだのは爺さんだった
将校だったせいもあるのかね・・・
親戚の爺さんはおまいも防衛大に入ったらどうだとことあるごとに言うので困る
>>283 >>283 あるあるwww
古参兵のいびりはきつかったって昔からよく聞いてた
シベリア抑留組みなんだが、露助よりその古参兵のほうが憎いと言ってたな
>>274 君がそこまでシベリアで勤務したいと言うのなら特別に許可を出そう
287 :
名無し三等兵:2007/03/26(月) 22:19:11 ID:6BH3VbWP
友達のおじさんは初年兵時代顔が腫れて歯をへし折られるくらいに殴られた
古兵達を、将校になってから一列に並べてビンタを入れて、特にいびった
古兵を正座させて軍刀で滅多打ちにしてにしてやったそうだ。
同年兵にあまり迷惑にならないように、すぐに古兵達は戦地送りにしたそうだけど
、特にいじめたやつだけは手元に置いて徹底的にいびりまくったらしい。
他の古兵さへいなければ同年兵の天下だから、同年兵と一緒にそいつを足蹴にした
り、わざと面倒な仕事押し付けたり、外出させなかったり、そいつの飯だけわざと
ひっくり返して床に落ちたのを食わせたり。結構陰湿だよな。
>>287 甲幹行きそうな奴をイビリ倒すなんて空気が読めないんだからしょうがないな
まぁ、後弾食らわせたり甲板から海に投げ捨てたりするよりは大人しい
289 :
名無し三等兵:2007/03/27(火) 00:41:29 ID:HzA4tbby
漏れのじいさんはフィリピンかどっかで戦死。で幼少だった父はかなり苦労して育ったみたいで・・・。
余り昔の事は話したくないみたいで、漏れも聴き辛かったがこないだ家族で墓参りに逝った時、
墓石に刻まれた祖父の享年を見たら、ちょうど漏れの歳と同じだったので、それを糸口に父に祖父の事を聴いた。
>>287 それっていつぐらいかな?
将校が兵に手を上げるなんて普通あるの?軍規が乱れた時期?
291 :
名無し三等兵:2007/03/27(火) 00:54:04 ID:HzA4tbby
祖父は当時、時計職人でその手先の器用さを認められて陸軍の通信兵として徴兵。
在所の鹿児島から博多に集められ、そこから南方へ。
細かい事は父も幼かったので良くは知らないそうだが、
フィリピンで祖父の部隊がかなりの損害をこうむり、
多数の負傷兵を後方に送る事になって、その時点では無傷だった祖父がその作業に従事。
が、その途中で原住民のゲリラ兵に襲撃され、負傷兵を守ろうとした祖父はその戦闘で頭を撃ち抜かれて死んだそうだ。
この話はその時いっしょにいた戦友からの手紙で知らされたそうで、軍からは戦死の電報一本ですまされたらしい。
勿論遺骨等は存在せず、現在の墓には出兵前に残した髪と爪が納められてる。
292 :
名無し三等兵:2007/03/28(水) 15:22:32 ID:F9o+yRLU
前スレ
>>663へなんだが
ウチは酒屋だったので酒を渡していたらしい
俺の母方の祖父は太平洋戦争のときは中学生くらいでどこかの工場みたいなところで、ひた
すら通信機器の修理とかをやらされてたらしい。
それで、そこの工場が祖父の家から遠かったらしく、冬の雪の日とかは街灯の無い暗い道を
月明かりを頼りにわらじをぼろぼろにしながら帰ったらしい。
父方の方は田舎で空襲とかもなかったらしいから、戦争の実感があまりなかったんだって。
294 :
名無し三等兵:2007/03/28(水) 16:58:20 ID:Ltj0z80v
どなたか軍歴証明書を申請した方いらしゃいますか?
申請してみようと思うのですが、
申請理由はどのようにしたらよいでしょう?
爺ちゃんが死ぬまで大切に持ってた軍隊手帳と、フィリピンのルソン島で共に戦い、そのほとんどが戦死したという戦友達の写真。
火葬の前、一緒に棺桶に入れてあげました。
天国で戦友達に再会できたかな…。
全比が泣いた
>>294 したよ。
申請理由は「先祖調査のため」としました
298 :
294:2007/03/28(水) 20:42:20 ID:???
>>297 ストレートでいいんですね。
ありがとうございます。
299 :
名無し三等兵:2007/03/29(木) 17:46:33 ID:V3YxB4nX
祖父は日中戦争(支那事変)で中国へ行った。その頃に友人たちに書いてもらった
日の丸を見せてもらったことがある。いろいろな言葉の中に英語でGoodLuckと
書いてあるものもあった。米英戦ではないので、英語オーケーだったんだなぁと
思った。
譲り受けたいと思う一品。
太平洋戦争(大東亜戦争)では内地にいたらしい。戦争が終わって軍馬を自分の物に
しようとした上官に、馬を攻撃から守ったのは自分だと主張して、一番良い馬をもらって
家に帰ったそうな。
その後、ばあちゃんと苦労しながらも家庭を守り立てて今に至る。
じいちゃん、ばあちゃん、長生きしてちょうだい。
300 :
名無し三等兵:2007/03/29(木) 18:11:58 ID:jez4pt6z
うちの爺さんは海軍大尉で南アジア戦線で友軍救出の際戦死したらしい
301 :
220:2007/03/29(木) 22:42:18 ID:???
遅くなったけど爺さんの話をまとめてみました。
どこの地方にいたかと聞くと、たしかに杭州にいたそうです。
所属は第6軍参謀指令本部(広報、諜報課)だそうです。
悲惨な話や武勇伝的な事は言わず、日常の出来事をよく話します。
任務の内容は、シナ人と仲良くなり、有益な情報と物資を交換したそうです。
自由な身分だったらしく、本部より直轄の大隊の方が居心地が良かったそうで
よく遊びに行ったらしい。
(副官の人が同郷の方だった、大隊長にコンペイトウを手土産にもって行くと喜ばれた。)
参謀本部はどんな仕事かと聞くと
(ただ、前に進め、進めと言うとっただけじゃ)
まじめな話となると
(たまに脱走兵がおっての、シナ人が教えに来るんじゃ、近くだと上に報告せずに
ワシが迎えに行って説得するんじゃ。上に言うと憲兵が行くけぇのぉ、かわいそうじゃけぇ)
3月28日に博多に戻って来れたと言います。
山に緑があったのをみて日本はまだ大丈夫だと思ったそうです。
まだ他にも話てくれましたが今日はこの辺で。
山河有りか。
京都サンガがんばれよ。
八甲田山で亡くなったそうだ
映画のテロップでも名前出てる
304 :
名無し三等兵:2007/04/01(日) 08:30:57 ID:sTC5lMh0
うちの爺さんは中国戦線にいたんだが自分が見張ってた捕虜に麻雀教えてもらったらしい
でその捕虜たちが脱走したのを見逃したんだが
上官に問いつめられた時の言い訳のために自分で自分の体を傷つけたらしい。集団で襲いかかられてどうしようもなかったと言ったんだと。
上官も察してくれたのか見逃してくれたんだとさ。
南京とか本当だと思うかと聞いたこともあるんだが
ないと思うけど戦闘中は頭がかっとなって乱暴なことする連中もいるからなぁ。と言って困った顔をされた。自分たちは捕虜を手厚く遇せよと言われてたからとも。
戦争が終わってからも争いたくはないねと笑ってたよ。
俺には麻雀は中毒性があるからやるなと言いつつ、自分は近所の仲間と今日も打ってる
305 :
名無し三等兵:2007/04/01(日) 09:30:24 ID:WqAfyIIk
爺ちゃんでなく大学の講師が予科連上がり、何と大和を見学したそうだ!あまりに広く伝令が甲板を自転車で往来してたらしい…。
307 :
名無し三等兵:2007/04/01(日) 11:19:19 ID:owKQihFx
自分の曾祖父の話ですが、シベリア出兵したらしく、一度は戦死通知が来たみたいです。
その後、足の膝から下を凍傷で失いながらひょっこり生還されたらしいです。
義足で生活していて、
「ガチャガチャと義足の足音で祖父さんの来るのが分かった。」
と親父が話してくれました。
曾祖父の年金?恩給?だかで建てた家に今でも住んでます。
じいちゃんに戦争のことを聞いたら、
「ユウイチ…あの頃は大変やったたい。
どこに行くにも敵ばっかりやったし、味方でも気が狂うてしもとる奴もおったな…緊張しっぱなしやったら、人間は廃人のごてなっとぞ!
やっぱい戦争はいかん!平和が一番ぞ!」と
僕はユウイチじゃない…
>>304 ( ;∀;) イイハナシダナー
長生きしてね
>>310 それは本物のじいさんじゃない!
僕の爺ちゃんは満州国からシベリアに捕虜として運ばれ、そのまま亡くなったので話を聞けません。守備隊?と聞きました。
当時34歳だったそうです。
よくぞ生きて帰ってこられましたね。
皆様お爺ちゃんを大切に
俺の爺ちゃん、婆ちゃんは徳島のとある農家だったんだが、
空襲の被害もほとんどなく、皆の爺様のような厳しい体験はしていない。
だけど、食料事情は都市と同じで、村の若者もどんどん兵隊にもってかれた。
収穫した作物も国に管理されて、自分達が食べるので精一杯だったんだが、
それでも山の奥深くにこっそり畑やちっちゃい水田作って色々栽培してた。
若人が憲兵で村を出て行く時には、隠し畑で作った作物を加工して、
干し芋、干し柿、乾米などをこっそり渡してた。配給された僅かな砂糖も飴にして、
兵隊さんに渡していたらしい。戦地に赴く方々にも食べさせてほしいとお願いして。
後に、それらは没収されてお偉方に渡ってしまうという実情を聞いたが、
それならば道中で隠れて食べろと言って、それでもずっと渡してたそうだ。
終戦を迎えても過疎村の食糧事情は相変わらずだったが、
村の人達が協力して、自分達が食べる量以外は、他の貧しい人達、帰ってきた兵隊さんに
食べさせていた。爺ちゃん曰く、村の農家は5年くらいは山菜か稗、粟しか食べてなかったそう。
マンガやアニメじゃ、農家が高価で野菜を売るシーンをよく見かけるが、
その都度俺は「俺の祖父母がいた村は優しい人で溢れてたんだなぁ」と思う。
314 :
名無し三等兵:2007/04/02(月) 06:21:04 ID:cGPMD7WW
うちの翁は広東や香港を守備してらしい。
戦後、帰国するまでの間中国人たちと食べ物とかを
物々交換して楽しかったらしい。他にも戦災孤児を
育ててくれたから中国人に対してはそれ程悪い印象はないみたい。
しかし、朝鮮人は大嫌いらしい
315 :
名無し三等兵:2007/04/02(月) 09:45:01 ID:yw1ur2cl
母方の実家は祖父が役人で使用人に朝鮮の夫婦が居た様です…終戦で朝鮮の夫婦が帰国、なついてた母は訳が分からず別れを惜しんだそうです。戦後も祖父は役人を続けましたが、朝鮮に対し好印象は持たなかった様です。
316 :
名無し三等兵:2007/04/02(月) 09:50:53 ID:Biwms+5U
友人のじいちゃんだが小学生のとき学校で戦争の話をしてくれた
どうやら中国にいたらしい そしてなんとか帰ってきたら駅前から街からすべてが焼けていたらしい
うちの地元は海軍の研究所があったから何度か爆撃の標的になってたらしい
319 :
名無し三等兵:2007/04/03(火) 00:38:06 ID:YzTSNY1B
しんみりしているところですまないが・・・・
うちの母方の祖父は呉で大和の対空機銃を取り付ける作業をしていたそうな。どうも大和には
特別な思い入れがあるようで馬鹿でかい模型を家が家に飾ってある。正月に行ったときには側面の対空機銃を指差して「これを取り付けてたんだ。」と言ってた。
疎開地から原爆の光も見たらしい。
俺の祖父は、中学生の頃すぐ横で友人が米軍機に殺されてしまったそうだ。
さらにその祖父の兄は南京大虐殺に参加した日本兵だったそうだ。
父は元二等海尉だった。
とにかく、戦争の悲惨さをひどく感じた。
昔、罪も無い中国人をぶっ殺した日本が馬鹿に思えた。
322 :
321:2007/04/03(火) 01:40:54 ID:???
>>321 付けたし
父は元海自二等海尉で、江田島をトップ成績で卒業したそうです。
祖父の友人は戦艦大和の乗組員だったそうで今も生きてるそうです。
>>元海自二等海尉で、江田島をトップ成績で卒業
えらく早い退官? or トンでもない遅い昇進?
324 :
名無し三等兵:2007/04/03(火) 01:52:29 ID:kkFtCQSs
家のじいちゃんは腹を撃たれた後があった。
僕の爺ちゃんは10人兄弟の長男でした
>>321 ウチの大叔父も南京にいたらしいけど、死ぬまで"組織的な"虐殺は否定してたなぁ
327 :
名無し三等兵:2007/04/03(火) 09:41:56 ID:kNqdScAs
うちの母方の祖父はジャワ侵攻の戦車部隊だったらしい
終戦間際の連合軍上陸で黒人兵士を捕虜にしたが黒人兵士は気楽にしていたという
328 :
名無し三等兵:2007/04/03(火) 11:13:36 ID:lWWMvta8
俺のおじさんが零戦に乗ってたらしい。
で、軍ヲタへの階段を昇りはじめてた当時の俺は大興奮!
そのおじさんに会うのを楽しみにしてた。
が、久々に田舎に帰る途中、父親からえらい形相できつく言われた。
「戦時中の話は絶対するなよ!昔の事を思い出させてやるな!!」
で、結局そのおじさんからは何も聞けずじまい。
後で父親から話を聞いたが、何人もの部下を死なせてしまった事について、戦後もずっと
心を痛めていたらしい。
穏やかで優しいおじさんだったから、その話を聞いて俺もつらくなった。
おじさんは戦場で何を見て、どんな想いで戦後を過ごしてきたんだろう・・・。
>>328 爺さんからいろいろ聞いておまいが後世に伝えることが部下の英霊に報いるということで聞けば?
ガキの頃、爺さんと風呂に入るたびに話してもらった。うろ覚えなのはスマソ
祖父は朝鮮とソ連の国境あたりに行ってたらしい。
新兵の先生みたいな立場だったらしく、よく14年式軽機関銃(?)の口上を聞かされた。
山か小高い丘か忘れたが、横穴を掘り待機してるらしいが、反対側から砲弾が降り注いで、生きた心地がしなかったらしい。
また、前線でしんだ通信兵の機材を一人で回収しに行かされたらしい。なんもない平地で、死ぬ覚悟だったらしいが。
そんな爺さんも肺を病んで帰国。
療養中に、日赤の看護婦(?)として来ていた祖母を見初め、祖母は祖父が入院中に、田舎に帰るんだが、祖父はわざわざ住所を聞いて手紙を書いたらしい。で、文通から結婚。
余談だが、祖父の部隊では自分を朝鮮風にウリと呼ぶのが流行ったらしい。
ウチの爺さんは兵事係だった。
終戦後、近所から村八分にされるわ、戦地から帰ってきた復員兵に殴られるわ
散々な目に会って逃げるように上京した。
酔うと決まって「役場の仕事を真面目にやっただけなのに」と言って泣いてたな。
332 :
名無し三等兵:2007/04/03(火) 22:15:28 ID:tDH4D6IO
>>328 こういう方こそ、将来の日本のために
体験談を語ってほしいんだが・・・。
333 :
名無し三等兵:2007/04/03(火) 22:47:48 ID:PmEc4NlI
父方の伯父が陸軍航空学生でショウキ、ハヤテ、にて訓練…結局、訓練中に敗戦〜実戦参加は無しだった様ですけど驚いたなあ?シゴキ、イジメは相当だったらしい…。
334 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 00:42:46 ID:wRrL0dHK
・母方の祖父
佐賀出身。ルソン島でマラリアに罹り戦病死。
・父方の祖父
熊本出身。第6師団に所属し大陸を転戦。復員後は東京で警察官に。
軍服姿で「宮桐」という名の馬に跨った写真を引き伸ばして額に入れて
飾ってた。「あの馬は陛下から戴いたんだ」と誇らしげだった爺ちゃん。
実家の豆腐屋で若かりし日の川上哲治がバイトしていたらしく、「哲に
野球を教えたのは俺だ」と誇らしげだった爺ちゃん(実際野球を教えたの
は爺ちゃんの兄だったらしいが…)。
そんな爺ちゃんが鬼籍に入ったのは4年前のことだ。
>>334 ただ今貴殿の事をここのスレの「重鎮」(別称オタ)
と呼ばれる方々が解析中
中一日で重鎮からの書き込みが無い場合は
さらなる情報を期待します
>>335 解析って…何かまずいことでも書いちゃいましたかね?orz
軍ヲタ初心者なもので…。
337 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 01:53:45 ID:p6n/0LBj
ぜんぜん心配不要。
単にオセッカイの好きな人がいるだけだよ。
>>337 そういうことか。
祖父の軍歴は父からの又聞きばかりで、分からないことの方が多いので、
重鎮の方々が調べてくださるというならありがたいです。
お願いします。
339 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 02:42:48 ID:ReGfpc0H
「日本の男はキモイ」byリンゼー・アン・ホーカー
http://life8.2ch.net/test/read.cgi/world/1175095991/l50 なぜか白人男好きの日本人女と日本人男との争いの場所となっている。
76 :名無しさん :2007/03/30(金) 01:49:44 ID:RKICsBTf
白人男性⇔白人女性 お互いモテる
白人男性⇔日本女性 お互いモテる
日本男⇔白人女性 白人女性に全く相手にされない
日本男⇔日本女性 既に日本女性に愛想尽かされてる
日本男だけ蚊帳の外でバロスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
80 :名無しさん :2007/03/30(金) 02:29:23 ID:Bj9+a4Vp
日本人男性の姿は正直グロテスク。全人類の底辺そのもの・・・。
自分の昆虫みたいなチマチマした醜い姿を街中のガラスで見てみなよ。
白人の彼女が欲しいなんて恥ずかしくて言えないはず。
外人からすりゃ相当キモイだろうね。耐えられるのは日本人女性くらい。
でも、その同胞女性のことを自分が白人に相手にされないからと
嫉妬して八つ当たり。便器などと抜かすもんだから、
日本人女性も「日本男児」離れをおこしてるね。まあ、当然のことだよね。
まあ
チビ デブ メガネ ハゲ 出っ歯 ニキビ 一重 鼻デカ 油症 テンパー 短足 剛毛 アタマデッカチ
な俺みたいなのがいるから日本男児が変なイメージもたれるんだな。うん。
でもまあ結婚はできるだろう。ブスと。 子どもはもっと醜くなるのかな・・・
だいじょぶだ〜
男は外見じゃない・・・
男は外見じゃない・・・
男は外見じゃない・・・
男は外見じゃない・・・
・・・と思う ・・・たぶん
343 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 14:45:08 ID:mBAJuck1
うちのばあさんは、国民学校の教員をやっていたのだが、帰りに敵艦載機による機銃掃射の的になったらしい。
当時を知るヒトの話しと同じように、青い眼の敵パイロットの表情がはっきりとわかったとか。
その時機銃弾の破片を腕と腰に受け、軽傷を受けている。が、次の日も教壇に立ったとか。
その日、学校では「アメリカの凶弾を受けても教壇に立っている」と駄洒落みたいな戦意高揚(?)
が行われたらしい(w。
80歳を越えた今でも反米なうちの祖母・・・。気持ちは分かるが、俺が髪を染めたくらいで怒らないでほしいぞ。
ところで、なんで米軍は民間人をおもしろがってねらったんだろう?
>>343 空母に着艦する都合で爆弾や弾を全部消費しなきゃいけなかったから
ようするにたまたま近くにいた人間を撃っただけ。
345 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 14:53:49 ID:B9thiYzy
>>343 飛行機乗ってると人間がごみのように見えるんじゃね?
>>345 それが見える
パイロットの視力なんか今でも最低2,0が当たり前だしね。
347 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 15:06:55 ID:wmMFPq0L
近所のジジイは戦争初期に南方に…とある島にて米軍捕虜を飛行場の拡張に動員…捕虜の一人が遺棄されたドーザーを修理して作業はあっと言う間に終わり、日本の兵隊は唖然としたそうだ…特別に捕虜には、一合酒を振る舞ったらしい?
>>343 狩猟を遊びでやる人に聞くといいかも。
知り合いのアメリカ人は、田舎に行って小動物撃って遊ぶ話をしてた。
面白いやつだったけどこれだけはいやだった。
349 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 20:12:16 ID:zQMmlP2I
>>348 アボリジニーやタスマニア人を笑いながら殺していたオーストラリア人と同じような感覚なんだろうな。
今もイラクやアフガンで・・・((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
まったく、アングロサクソンってやつは・・・。・
350 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 20:20:38 ID:wmMFPq0L
有色人種は人間と思ってないんだよ奴らは…。
自分の爺さんはソロモン諸島のムンダという所で輸送部隊に所属していて
ガダルカナル島に米軍が来る前までは何回か物資を輸送しにいったことがあるんだとさ
戦闘部隊じゃなくて助かってよく言ってました
352 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 22:43:58 ID:zQMmlP2I
イラク人やパシュトゥーン人は人種分類上は白人なのになぁ
353 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 23:37:50 ID:zAdQfm9t
うちのじいちゃんが言ってた。黒人兵の首を軍刀ではねたって…
夢に出てくると言ってた
子供が出来て思ったが、自分の子供が首をはねたり、自分の首をはねられるような社会にならないように、今の社会の動き(庁から省に昇格など)に目を向けていかんとな…
354 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 23:42:14 ID:pu41gNBy
一年前に除雪ボランティアで、近所のじーさんの家の雪かきをした。
除雪後、じーさんがお茶と菓子をご馳走してくれたときに満州の話を
してくれた。じーさんは関東軍の第百七師団?の傘下の大隊率いていた
らしい。終戦時は陸軍大尉。シベリアに抑留されたときの話は悲惨
だった。ソ連兵に暴行されたこと、ストーブで雪を溶かして飲むために
雪を取りにいったら雪はすべて鉄条網の側によせられており、しかたなく
近づいたら監視塔からソ連兵が笑いながら機関銃で銃撃してきたこと。
「ロスケは汚い奴らだった」と語っていた。じーさんは身長170センチ
の大柄。現在は杖でフラフラ歩いているが、この人がシベリアから帰って
来れたのが何となく分かる気がした。その横にじーさんの奥さんがいた。
じーさんとは対照的で背の曲がった小さなばーさん。「ご主人が帰って
くるまで大変だったでしょう」と言うとばーさんは「今でも大変よ。
この人わがままばかりでいつもケンカで」と。その隣でじーさんが
苦笑しながら「うるせーババァだな」。そしてケンカ開始。
その後、俺の母親からじーさんとばーさんが老人ホームに入ったと聞いた。
あの後からボケが始まって、外出も出来なくなって娘夫婦がホームに
入れたらしい。どうか仲良く最後の余生を過ごしてほしいと思っている。
355 :
名無し三等兵:2007/04/04(水) 23:49:03 ID:p6n/0LBj
老いるというのは本当に悲しいことだよな・・・。
坂井氏や板倉艦長なんか、ずっと長生きしそうに思ってたけど・・。
じいさまが死ぬ時に「戦史叢書」を全巻もらった。
漏れの宝物
>>349 ジャワでだったか、先の支配者だったオランダ人は、女性が入浴中に現地の人に
裸を見られても平気、だったそうだ。
そこらを濶歩する野良犬野良猫に裸を見られても・・てな感覚。
俺原住民になる!
ゲルマン人なんぞはもともと森の中で狩りして木の実食って
生活してて文化水準は低くて奴隷か傭兵としてコキつかわれてたような
連中さ。アジア系の遊牧民にぶっ飛ばされて故郷の森を追い出されたり
アラブ人に征服されたりしてきたわけで。要するに
奴らが人種差別する理由、優越感というのは・・・・・・
外 見 な の だ よ orz
平井堅並に濃い顔してる俺は勝ち組
でもドイツでアラブ人だと思われて絡まれた
361 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 00:20:55 ID:IkuF7NSs
>>360 それはトルコ人と間違われたんじゃないの?
チビ デブ メガネ ハゲ 出っ歯 ニキビ 一重 鼻デカ 油症 テンパー 短足 剛毛 アタマデッカチ
ふたつ以上該当する人間は国賊
>>361 スキンヘッド連中がいちゃもんつけてきたんだが
一緒にいた日本語話せるドイツ人がこいつは日本人だと言って追っ払ってくれた
後から聞いたら、貴方をアラブ人だと間違えていたんだよと教えてくれた
トルコ人のことなのかね・・・
>>362 申し訳ありません
皇居にむかって一時間ほど土下座します
勘弁してください
365 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 00:37:57 ID:IkuF7NSs
>>363 トルコ人はドイツの雇用を奪っている、というのがネオナチの主張だから
>>365 それは知ってたけどまさか自分が絡まれるとは思わなかった
一人だったら絶対危なかった
相手の一人は178センチの俺より頭1つ分大きくゴリラみたいな体してたからな
スレチになってしまったので我じじの話を1つ
南方戦線にいたらしいんだが、白人の兵隊と取っ組み合になったことがあるらしい
相手は体はでかかったが、締め落とすことができたと言ってた。
アメリカ人は武器がないとなにもできないよと自慢してたな。
俺は軍事は詳しくないから知らないけど、日本の軍人はガチンコ勝負には強かったのかな?
単にガチンコ勝負に強かった者のみが生き残れただけでは。
濃い顔の人って性欲とかはんぱなさそうで嫌いだw
そんな俺は
>>341なんだがドイツでもイタリアでもオーストリア
でも韓国でも香港でもフランスでも長崎でもシンガポールでも
韓国人に間違えられた。いやリアルな話なんだが。
普通に韓国語で話しかけられるんだよね・・・。やっぱ外見は大事だな。
しかし東大じゃあ全然目立たないよ。学生の中じゃあ平均くらいだと思う。
学歴は外見をカバーするよ
たぶん
>>368 そういや、俺も香港あたりだと、現地の人にいきなり道尋ねられたりするなぁorz
>>361 トルコでクルド人と間違えられて小一時間ほど金属探知機当てられたり、
パスポートを穴が開くほど確かめられたりした俺が来ましたよ・・・ってのは
置いといて。
俺のじいちゃんは九谷焼職人の三男だったが、呉で駆逐艦降りてから
そのまま広島に住んだらしい・・・
で、祖父の話でなくて恐縮なんだが、浪人時代の予備校の先生の話。
終戦も近い少年時代(中学生だったかな?)に登校しようとすると、急にお母さんが、
「いいかい。けっして止まってはいけないよ。」と言ったそうだ。
はて、止まってはいけないとは何のことかと思って学校に行くとなにやら軍の人が来ていて
男子は校庭に集合とのこと。
なんかよくわかんないくるくる回る器械に乗せられて、男子が次々に回されている様子。
例外なくほとんどの男子がふらふらになって降りるのを見て、生来の負けん気がふつふつと湧き上がり、
よし、見ておれ!とばかりに、器械から降りてぴたりと止まって立って見せたそうだ。
「よし!」の一言がかけられ、あえなくいわゆる特攻隊の候補生に選抜されましたとさ。
もちろん、すぐに終戦、助かったわけだが、先生の口癖は「戦争はいかん。だが、卑屈になってもいかん。
祖国に誇りを持ち、正しく判断できる人間になるよう精進したまえ。」だった。
372 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 23:23:12 ID:rvbBtv0l
>>366 ウチの祖父も同じようなこと言ってたな。マレー戦線で英将校と白兵戦になったとき、組み討ちになったんだが、
拳銃を発砲できないように腕を押さえつけて何回か頭突きを食らわしたら降伏してしまったそうだ。
紳士の英国人と、子どもの頃からケンカばかりして鍛えられてる日本人の差がでたな。と思ったそうだ。
>>371 クルド人か・・・
貴重な体験だね
>>372 まあうちの祖父は当時の日本人としては結構でかい部類に入るけどな。
その祖父がでかいって言うだから相当でかかったんだろうな。
大抵の人が武道をやってるっていうのも大きかったのかな?
お前もアメリカ人なんぞに負けんようにしっかり体鍛えとけよ。とよく言われたよ
まだ戦う気満々だよ。このじいさん。
374 :
名無し三等兵 :2007/04/06(金) 00:14:26 ID:jGmFfkCy
家のじいちゃんは映画「加藤隼戦闘隊」に憧れて友人数名と少年飛行兵?に志願したらしいです
そんなじいちゃんは終戦時18歳。
よく練習したのは急降下・・・
じいちゃんは映画のような空中戦に憧れて入ったと思うのに実際は敵にぶつかるだけの訓練をさせられていたなんて悲しくなってきます・・
あと、訓練中や休んでいるときにグラマンが低空で撃ってきたらしいです
その他にも銀色の奴も撃ってきたと言ってました
終戦の放送の後は、とりあえずアメリカの飛行機が着陸してきたら脚を引っ掛けてひっくり返るように飛行場をスコップで穴ぼこにしたらしいです
終戦後に電車で家に帰ると一面焼け野原で家の裏のトイレの周りの林が少しだけがポツンと残ってたらしいです
「まさか家が焼けるなんて」と本当に驚いたらしいです
そして、今の爺ちゃんの家は鉄筋コンクリート
理由は「空襲にあっても家が残ってくれるように」らしい
本当に家が焼けてショックだったんだと思う
焼き肉食いに行って帰って来たら家が焼けてた奴がいた
ショックで肉を食わなくなった……
376 :
名無し三等兵:2007/04/06(金) 06:22:20 ID:8KTb/mnq
うちのじーちゃんの出兵録
物心つく前に陸軍中佐だった父を亡くし、若かった母は祖父と引き離され当時悲しい環境で育った祖父は志願兵として年をサバ読んで入隊した祖父は通信兵としてフィリピンへ派兵。
新兵として上官から叩かれ、よく戦闘の時後ろから撃ち殺したとのこと。元来愛国心の欠けらもなかった祖父は通信を通じて入ってくる日本軍劣勢の情報を得ると共に通信機を肩から降ろし脱走。
時に輸送機(どんりゅう?と聞いた覚えが…)をパクリ脱走したり、戦車をパクろうとして捕まったこともあったそうだ。
また終戦間近にフィリピンで脱走を繰り返し米・日軍から逃げ回っていた祖父は海岸の近くの崖が波の侵食作用によって窪んだ部分で生活をしてたらしい。
海が間近でよく沈没した船の木箱が漂流してきて食うには困らなかったとのこと。
最後は捕虜となり日本への帰路の道中でマラリアにかかったみたいだけど、無事治り昭和の時代を生きていきました。
377 :
名無し三等兵:2007/04/06(金) 06:25:24 ID:8KTb/mnq
あと、人間は岩に頭を3回ぐらい叩きつければ死ぬそうです。
祖父がフィリンピン人で実験したそうでつ
378 :
名無し三等兵:2007/04/06(金) 06:53:49 ID:c4CozOTt
ふぅん。やっぱりチョウセンジンって外道だね♪
オレの親戚のじーさんが南方行って生きて帰ってきたが、
南方行き直前に脱走した奴や輸送船からフラフラと海に飛び込む奴が出て
上官とうまく誤魔化した話を聞いた。
戦後、南方帰りは職場で箔がついたらしく、しばらくボルネオXXさん(XXは名前)と呼ばれて
いたそうです。
うちのひい爺さんは友達と歌を歌ってたらしい。
戦死したからそれ以外はわからない。
383 :
379:2007/04/06(金) 20:12:06 ID:???
キングコングの中の人じゃないですよw
トカゲからネズミまで人間以外なんでも食ったが自慢。
でも人間までも食ってそうな雰囲気だったw
新兵がこっそり毒の木の実を食って下痢して死ぬそうで、理由は
持って帰ると古兵に召し上げられるから。
ジャングルでは塩が欠乏したが、衛生隊には錠剤のストックがあったので
交換したとか。
でも、戦後の反動での暴飲暴食が祟り糖尿病でガリガリにやせて亡くなった。
友達のお祖父上が軍人だったということは知ってたけど、潜水艦乗りだったということを
友達づきあいして20年あまりにして初めて知った。
何でも生前、同期(クラス不明)で作った会誌みたいなもんがあるらしい。
彼女が次に帰省した時に発掘してもらう約束がしてあるので楽しみにしてる。
集まりではいつも「教官」と呼ばれてたそうだ。
385 :
名無し三等兵:2007/04/06(金) 21:47:46 ID:+0abpwKT
>>219 鶴瓶の家族に乾杯はこないだもいいのがあった。
「戦争で出征した時以外はこの町を離れたことはない」と言う爺さんに釣瓶が
「どちらに行ってはったんですか?」
と訊くと
「支那」と答え、その後「北支」と言ったが、ピーなしで放送された。
中国ってシナって言われるのにそんなに抵抗あるのか?
日本で言ったらヤマトって言われてるみたいなもんでしょ?
関係ないけどそう言えば昔の人ってラーメンのこと支那蕎麦っていうよね。
389 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 00:11:58 ID:FSoExFmM
支那もChinaも語源は同じ「秦」なんだがなぁ。
つか、ヌーベルシノアで起こる奴いないよな。
あれだって、直訳すれば新支那っつー意味だし。
391 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 00:28:44 ID:IiF0AX6f
山形の大地主の家に誕生。
↓
事情により家が没落。
↓
志願して入隊。
↓
北支で憲兵曹長として騎兵隊だったらしい。
↓
終戦直前に怪我して失明。
↓
病院船で帰還し、ぎりぎりでシベリア抑留を逃れる。
↓
治療の甲斐あって光を感じるぐらいに回復。
↓
外出許可が出たので散歩に出たら、
マンホールの蓋が開いてて落下、大腿骨骨折。
↓
回復して退院するが、上野駅で腹が痛くなり病院に戻ったら、
盲腸炎で緊急入院。
↓
今度こそ退院するが、志願兵なので公職に就けず、
開拓団に入り農家として55年後大往生。
「宰翁が馬」って言葉が似合うじいさまでした。
392 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 01:27:52 ID:RV9GrpOf
>>373 ウチの祖父は162pだから、当時の日本陸兵の平均くらいだ。
まぁやる気で敵を圧倒していたんだと思う。ひげ面で強面だし。
>>392 うちの祖父は174だったよ。
背筋もピンと伸びてるから高一の時の漏れよりでかかった。
顔も結構濃い上に髭も蓄えてる。小さいころの漏れにとっては正に鬼爺だった。
でも最近急に老けてきた。
隊友会の人もどんどん亡くなられていく・・・
できるだけ長生きしてほしいもんだ
>>391 志願兵だと公職に就けなかったというのはなぜだろう?
小学生の時、姉キの夏休みの課題で平和問題だかなんだかがテーマだったので、
親戚のじーちゃん(ばーちゃんの兄弟だったと思う)が来て体験談を語ってくれた。
話によると、徴兵検査の時、志望する部隊を聞かれ、死にたくないので「輸送部隊がいい」と答えたら
「前線で華やかに散る歩兵になりたくないのか!」みたいな事を言われて、力一杯殴り倒され、
無理やり歩兵にされたらしい。
徴兵後はどうやらビルマへ行ったらしい(ビルマの竪琴とかで、その国名は知っていた)。
ビルマのどこなのかまでは分からない。
現地では、市場で買い物をしているときに日本軍の飛行機が市場上空を飛ぶと、値段が安くなったそうな。
その後、ビルマで大きな戦闘に参加し、そこでは敵と至近にいる敵兵に向けて手榴弾を投げたりといった
白兵戦をやったと言っていた。
撤退行の中で次々と戦友が亡くなっていくなど悲惨極まる話はかなりショックだった。
内地に帰った時、本人曰くかなり名誉な勲章を貰ったそうで、その話をしている時は、撤退行の話とは
打って変わって誇らしげだったな。
大人になり、雑誌などで当時の戦記などを目にするようになってから、場所がビルマである事と、激しい戦闘
と地獄さながらの撤退といった話の内容、雰囲気から、ひょっとしてインパール作戦にでも参加したんだろうかと
思い始めたんだが、確かめる機会を得られないうちに亡くなってしまい、今となっては確かめる術もない。
>>391 ちょ、カコイイ(*´д`*)ハァハァ >騎兵隊
398 :
391:2007/04/07(土) 09:13:00 ID:???
>>397 身長が当時にしては珍しく、
180近くあったから騎兵として配属されたらしい。
軍刀を腰に差して馬にまたがった写真、
ばーさまは大事にまだ持ってるよ。
ちょっとカコイイ
憲兵曹長って、騎乗本分ではなかったでしょうか??
>>393 >>398 でけー
うちはじいさまが小さいから親父も小さい。
漏れは母親の遺伝子おかげか少しはマシに・・・
>>399 騎乗本分だよ。憲兵はみんなそうだよ。
フランスのジェンダマリシステムを採用してるから。
ジェンダマリというのはもともと近衛騎兵のことだから。
じいさんサッカリンが嫌いで食料難の時代にちゃぶ台返しをやったそうな。
403 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 21:19:01 ID:iDh0XQ/R
10年ぶりに祖先の墓に詣でてきた。
ハルピンの陸軍航空隊に所属して、
昭和19年にニューギニアのなんか長い名前の地名のところで
陸軍准尉で亡くなられた旨墓石に彫ってあった
これって、航空整備兵だったんですかね?
親戚に、戦艦大和乗り組み員だった人がいる(現在も生存)んだが、
今のうちに話聞いておくべきかな・・・でも、俺自身は一度も会ったことなくて、
家同士のつきあいも縁遠くなっているからな。
町会議員とかを勤めた名士らしいから手記くらい残しているかもしれないが。
共産党員で戦争中中国に渡って八路軍へ入隊、戦後帰国して某市の市議をしておりました。
408 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 22:20:39 ID:RFUCX7YI
うちは親父はじいさんより小さかったきがするw
じいさんはとにかくすけべだったらしい。性欲とか半端無かったようだ。
将校で中国にいたらしいんだが・・・まあいくらつぎ込んだんだろう・・・
409 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 22:27:38 ID:g2+Njvhg
>>394 憲兵(補助憲兵を除く)は志願・徴兵にかかわらず
全てが公職追放
そういや隣の家のじいさんは目付きの恐い人で、顔は笑っていても目が笑っていない人だった。
元県警の刑事だったが、その前は憲兵だったと聞いた。
公職追放解除後に警察に入ったのだろうか。
411 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 22:40:02 ID:lCttXfBP
会社の大先輩が昔、海軍の工場で下瀬火薬作ってたって言ってた。
手が黄色くなるそうだ。
ところで質問。俺のじいさんは大正15年生まれで、
終戦時に訓練をしていたらしく、戦争に行かなかったらしい。
二十歳の男が当時戦争に借り出されないってのは、普通にあったんだろうか?
それともレアなケースだったんだろうか?
学校の先生とか郵便局員に警察官とか公務員は召集されにくいらしいよ。
>>407 むかしテレビで見たそれなんて大地の子?
415 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 23:30:18 ID:lCttXfBP
>>412 戦争に行かなかったって言うと話が曖昧になる。
正しくは戦場に行かなかった、ではないか?入営して訓練中なら広い意味で
戦争に借り出されている。セクションによって戦場へ出ない軍人もいる。
多分貴殿のじいさまが戦場へ出なかったのは終戦のタイミング。
416 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 23:49:28 ID:igWdBd/G
友達のじいちゃんだけど軍かんが沈んでしかも腕に銃弾くらったのに片手で泳いできたってゆってた。しかも腕にくらった弾もみしてもらった。
417 :
412:2007/04/08(日) 00:05:12 ID:???
>>413 >>415 じいさんは郵便局員でした。そのおかげで終戦ぎりぎりまで訓練に駆り出されなかったんでしょうね。
じいさんがもっと早く行かされてたら、俺は今ここに居なかったかも。ぞっとする。
じいちゃんは南方に行ってた。
現地の人と友達になったとか、果物がおいしかったとかそんな話はしてくれたが、
戦闘の話は全くしてくれなかった。
「弾が飛び交うジャングルを逃げ回って樹の影に隠れていたら、綺麗な蝶が
腕に止まって汗を吸っていた。そこだけ世界が違うようだった」
「死んだら部下や仲間のいる海に散骨してほしい」
戦闘にまつわる話はこの二つだけ。あとは孫の私に聞かせたくないような、つらい話ばかりなんだろうな。
419 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 21:08:47 ID:oKcSUhEu
ウチの祖父は、機関銃手として中国から南方へと戦いを進めたそうだ。
勿論92式重機関銃と重慶軍から鹵獲した各国の機銃がその得物。
此の板でもさんざん言われてるように、ねらい打ちすることが多かったらしいね。
突撃の時はやられそうな味方を支援するようにねらい打ち、若しくは敵の機銃手をねらい打ち、みたいな。
南方では乱戦の中、米軍のM2銃器を鹵獲、使用したらしい。日本の重機の場合、弾が当たると敵兵が倒れるだけなんだけど、
M2の場合、敵の上半身がバラバラになったりと、威力が凄まじくて恐ろしくなり、祖父自身がパニックになって叫びながら照準も
付けずに弾が無くなるまで乱射したらしい。その後、「戦争神経症」と言うことで野戦病院に収容されたとか。
それまでは、M2の掃射で自軍の豆戦車や機材が破壊されたり、という現場は見ていたが、自分が撃つ側、しかも直截人間を
撃つとは思いもよらず、その威力はただただ恐ろしかったみたい。
戦場では殺される恐怖より殺す恐怖の方が大きいのかモナ。
420 :
名無し三等兵:2007/04/08(日) 23:27:30 ID://s/eLsn
誰かお爺さん、親、親戚、縁者で鳥取の歩兵第53連隊
に所属していた人はおられませんか?
421 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 00:10:37 ID:c1JjSnzs
家のじいさんの兄弟の話しだがその人は満州に行っていたが引き上げる時に、威張ってた上官なんかは部下にフルボッコにされて殺されたりしたらしい。
422 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 01:10:10 ID:erL+xUvn
爺さんの話でなくてすまん。
戦争中の女性なら珍しい話でもないのだろうが、
ちょっと書かせて欲しい。
最近祖母が亡くなって、袂に棺に入れる物を纏めてあった中に、
古い箱があったので開けてみたら、祖母宛の葉書や封筒が山ほど出てきた。
「検閲済」なんて判子、博物館以外じゃ初めて見たさ。
達筆で○○へ〜元気でいるか、田畑の様子はどうか〜なんてあたりしか
読めなかったけど、祖母は60年間大事に大事に仕舞っていたのがわかって
涙が出たさ。
箱の奥に一緒に帽子が仕舞ってあって、海軍のマークが入っていたよ
あれ?爺さん(故人)は陸軍で四国に居たんじゃなかったっけ?
あとで母にそれとなく聞いてみたが、ちょっと笑ったっきり何も言わなかった。
女性としての祖母を知った思いだった。
焼け残った帽子の鍔の針金を残して祖母はみんな持って旅立っていった。
先にどっちに会いに行ったのかは知らない。
うちの婆ちゃんも似たような感じだったな
案外当時の娘さんのデフォだったんかね?
海軍さんと恋に落ちて陸軍さんに嫁ぐってのは
424 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 01:53:33 ID:nwsFQvtz
俺の親父は南京生まれで危ういところで日本に戻ってきたらしいんだけど
何で南京なんぞで親父を生んだのかばあちゃんに聞いたところ
「じいちゃんが満州軍で働いていたから」だそうな
でも地図見たら満州と南京て近くないんだけど・・・
満州軍の出先機関でもあったんだろうか
聞いたのはちっちゃい頃だったのでそれで納得してしまったけど
今になってみたらちゃんと聞いておけば良かった。
でも親父が中国残留孤児の面々がテレビで紹介されるたびに
「俺も一つ間違っていたらここで紹介される側になっていた」
と言いつつずっとテレビに張り付いていた。
そんな親父は今年で定年になる。
425 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 03:47:20 ID:voUI+wDH
友達のじいちゃんだけど今はぼけちまったけど戦争の話だけはきっちり覚えてるらしい。満州のときトラックを突っ込ませたらしい。後、日本に帰ってくるときはわざと裸になってきたらしい。兵士だとわからぬように
>>331 末端の小役人にすぎん兵事係に八つ当たりしてもしょうがないってのは現代人の発想だなw
遺族とか、戦地で酷い目に会った人からすれば憎んでも憎み足りん相手だったろうさw
手前は若くても兵隊に行かず、他人を死地に送り出すばっかりだったんだからなw
427 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 10:12:46 ID:5jdJHUEt
仕事中に雑貨屋の前で休憩してたら店主のおじいさんと雑談する機会があった。
おじいさんの若い頃の話になり、少年飛行兵で雷撃機通信員だったと知った。
「機銃も魚雷も、やることがたくさんあって大変だった。」そうだ。
こう言う体験談を直接本人から聞けるのは貴重な体験だね。
語りたがらない人も多いしね。
>>428 志賀大尉:「おい阿部!どうして引き返したんだよ!!」
阿部大尉:「え?・・・空戦(哨戒のカタリナと直衛の零戦が空戦)をやっていたから、危ないと思って。」
430 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 20:08:52 ID:QWSCGMJ5
ウチの祖父の話。
身体は壮健なのに軽い知的障害が有る為、徴兵検査で駄目だったのが悔しかったが、昭和20年4月になって、
徴用令で、ダイハツかなんかのモーターを作る工場で働くことになり、飛び上がって喜んだとか。
でも空襲は本当に恐かったらしいね。
>>430 兵役に取られないと近所から穀潰しだの非国民だの言われる時代だから肩身が狭かったんでしょうな。
>>431 それもあっただろうが、やはりどんな形でも良いから
日本の役に立ちたいという思いがあったのだと思われ
433 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 21:50:08 ID:0ZhsrTp5
一時期、戦車の車長をやってた爺さんの話。
演習のときに車長は顔を出して指示するんだが、
そのときに操縦手の肩を蹴って教えるんだそうだ。
右なら右肩というふうに。
で、最初の頃はいいんだが、こういう演習って対抗だから、
段々熱が入ってきて思わず思いっきり蹴飛ばすときもあったそうな。
当然そのあとはケンカ。
434 :
現役0000:2007/04/09(月) 22:20:26 ID:I36gRPRU
騒音にて肉声にての支持は、当時不可…先輩方々は辛酸舐めてらっしやったかと?車長に成り代わり謝罪…。
母方の祖父は徴兵検査で盲腸が発覚して免除。が、盲腸の手術が上手くいかず生死をさまようも生還。
父方の祖父はマレーシアにて右目を狙撃され日本へ帰国。昭和56年、俺が2歳の時自宅で切腹、ノイローゼだったらしい。
436 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 22:40:40 ID:QWSCGMJ5
>>431 >>432 あまり肩身の狭い想いはなかったとか。「あの子は知恵遅れだから・・・」みたいな眼で見られていて、
「しょうがない」という感じ。
でも、徴用令が来たときは泣いて喜び、暴れ回ったとか(コレはひいばあちゃんに聞いた)。
たぶん狂ったように働いたんだと思う。敵機があらわれ、退避命令がでても最後まで作業をしていて、
なんか賞状みたいのも貰ってる。
身体障害者や精神障害者は戦時中なにをやっていたんだろうね?
437 :
名無し三等兵:2007/04/09(月) 23:00:51 ID:I36gRPRU
陸海からの謝状…母方の田舎に有るよ?祖父は朝鮮に役人として一時的に勤務したとか?謝状は、寄付金にて頂いたそうだけど…。一度だけ祖父に朝鮮時代を説いたらひどく不機嫌な顔をした…悪い事をしたとかしないとか分からない…。
>>429 阿部さんと志賀さんは戦後もずーっと反目してますね。
護衛の零戦隊が全く艦爆隊を守れないんだからなあ。
艦爆隊は辛い。
朝鮮人というとあまりいい話は聞かないが
うちの祖父の隊友会には韓国人もいる。毎年の集まりには必ず顔を出してるよ。
これだけが唯一の楽しみですよとよく言ってる。
俺は韓国旅行に行ったときその人から紹介されたヤ○ザに街を案内してもらった。
440 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 00:58:12 ID:uBfpPER7
>>436 フォレストガンプみたいな祖父ちゃんだったんだろうかね。
このあいだ新聞で戦時中の障害者の徴用について書かれてて、やっぱり「国の為に少しでも役に立てること」が嬉しかったって書いてたね。
反面、「戦争の片棒担いでたんだなぁ」とも言ってたけど。
441 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 01:14:28 ID:KZxhB3pP
彼ら、疑う事をしない人たちだからな・・・。
少し心が痛いよ。
>>439 ちょwwヤクザってwwww
やっぱ観光業ってつながってるんだなー
>>440 長寿をお祈りいたします
障害とは違うんだがうちのひい爺さんはあまりに背が高すぎたために徴兵されなかったらしい。
180数センチだったらしいが。
そんなことってありえるのかね?
443 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 07:01:33 ID:n8uoriQ1
>>442 軍服の支給に支障をきたすということで、徴兵免除になることもあるそうだ。
>>438 まぁ、海兵の卒業年次が先だからといって、
通信の弱い単座戦(志賀大尉は戦闘機乗り)に攻撃隊総指揮を任せる司令部もどうかしてるけどね
むしろ、優勢な日本機動部隊に対して積極的に接近索敵し、
(その為、
>>429にある通り索敵のPBYは二日で6機も失われた)
結果効果的な迎撃戦を行ったアメリカ陸軍航空隊の闘志の方を誉めるべき
ねぇ匿名にかくれて書き込んでいる右翼の弱虫どもは、
君が代や日の丸を見る事自体に苦痛を受けるほど
多くの人々が心を痛めている現状から目をそらすべき
ではないと思わないのかい?
日本に文化をおしえてくれたアジアの人々は、明治以降、
日本が侵略し、大勢の人々が日本軍に虐殺されたんだ。
親兄弟が日本軍に虐殺されたり、妻子が日本兵に強姦されたり
それはひどい事をアジアの人々にしてきたんだ。
そういう鬼畜のような所業を隠蔽している事実を
なんともおもわない君たちは、人格障害を患っていると
断言せざるを得ないよ。
446 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 16:38:22 ID:cBtZ0zFM
↑日の丸や君が代云々ってなら、五星紅旗や大極旗のほうがよっぽどアジアに苦痛と迷惑与えてるだろ。
>>445 関係ないこと書き込むんじゃねえよクズ。
おまえのことを必要としてる奴なんてアジアにもアフリカにもいないんだから、さっさと回線切って首吊って氏ね。
449 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 17:20:58 ID:wATVXgnw
祖父は少しボケてるから本当かわからないけど戦争中は伊58号?って潜水艦の機関員?みたいな事をしていたって言ってる。
いつも戦艦か巡洋艦を沈めたって自慢してた。本当かはわからないけど
ちょwwインディアナポリスww
451 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 17:25:15 ID:wATVXgnw
>>451 原爆をグァムに輸送した重巡洋艦<インディアナポリス
「ジョーズ」って映画みなよ。
原爆運んだ後に沈められた、インディアナポリスの乗組員がどういう目に遭ったかがわかる。
454 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 17:31:38 ID:wATVXgnw
祖父の話が本当ならその巡洋艦を沈めたってことになりますかね!?
ちなみにすぐ終戦になったって話てました
よければお爺さんに詳細を・・・
457 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 17:39:37 ID:wATVXgnw
聞いてみたんですけど正確かは分かりませんが1944年12月の中頃に呉というところで乗りくんだらしくてピカピカ新品のようだったって言ってます。
458 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 17:42:08 ID:wATVXgnw
ちなみに艦長が橋本さんという方だそうです
ガチだな
また凄い体験をした爺さんだな
461 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 18:01:56 ID:wATVXgnw
乗り組んだ後の初めての出撃は12月31日、呉だそうです。
新年を内地で迎えられなかったからしっかり覚えてると話てました。艦で新年を祝ったそうですが回天という人間魚雷を積んでたらしくすごく複雑な思いだったと言ってました。
462 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 18:03:40 ID:wATVXgnw
>>460 完璧に一致してます。ずっとボケて嘘をついてると思ってたけど本当の話だったんですね
>>462 まあ、原爆を運んだインディアナポリスを沈めてるから、
日本人にしてみれば溜飲の下がる思いをさせてくれる艦だな。
一面、回天の母艦だったり、特攻機の誘導をやったりと、哀しい任務もこなしてきた艦でもある。
あとインディアナポリスの艦長は米軍の官僚主義の犠牲になって、
軍法会議に掛けられた挙げ句、乗組員の遺族に責められ、自殺した。
艦を沈められたのは特に艦長の過失というわけでなく、
そのことは橋本艦長も証言していたりするわけだが・・・
名誉回復がなったのはごく最近のことだったりもする。
そういう意味では、非常に戦争という行為の悲惨を見つめてきた艦でもある。
さらに、戦争末期の敵の制海権・制空権の圧倒的な海域で作戦を繰り返してもいるわけで、非常な危険も伴っていた。
爺さんは、いろんな意味で貴重な場面に立ちあってきたと思うよ。
464 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 18:17:27 ID:PQ0h30t7
お爺さん英雄だ!長生きして頂きたい。
465 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 18:26:30 ID:wATVXgnw
ちなみに祖父は89歳で今年90歳です。
原爆の搭載艦だったと言うことは祖父は今までまったく知らなかったようでびっくりしてます。
祖父が伊58が戦後どうなったかを知りたがってます。誰か良ければ詳しく教えてください。
戦時中に中国大陸で、捕虜などに人体実験を重ねた旧日本陸軍731部隊の
衛生兵だった三重県尾鷲市の大川福松さん(88)が8日、大阪市で開かれた
国際シンポジウム「戦争と医の倫理」に出席、「毎日2〜3体、生きた人を解剖した」
と証言した。当時の体験を人前で明かしたのは初めてで、「不正なことは、社会に、
はっきり示さなあかんと思うようになったから」と語った。
大川さんは早稲田大で細菌学を学び、1941年に召集。44年8月から旧満州
(現中国東北部)にあった関東軍防疫給水部本部(通称731部隊)の「ロ号棟」で、
衛生伍長をしていたという。所属した班は、ペストやコレラ、梅毒などの病原体を
人体に注射して感染の状態を調べたり、人為的に凍傷を作ったりしていた。最初は
「大変な所に来た」と思ったが、次第に感覚がまひし、「そのうち、毎日2〜3体
解剖しないと仕事が終わらん気になっていった。多い時は1日5体を解剖した」
と証言した。
子持ちの慰安婦を解剖したこともあった。「子どもが泣いている前で、
母親が死んでいった。子どもは凍傷の実験台になった」と語った。
http://chubu.yomiuri.co.jp/news_top/070409_5.htm
まったく 小日本人は倫理ないですね!!!
>>465 昭和21年4月1日、アメリカ軍により五島沖で海没処分されました。
最近、五島沖海底に多数の潜水艦らしき金属塊が発見されましたので、
そこに眠っていると思われますね。
英語のサイトでスマンが、
ttp://www.combinedfleet.com/I-58.htm の下の方に下がっていくと、
1 April 1946: Operation "ROAD'S END:"
とある。
そこんところをざっと訳すと、
伊-58は使用可能な装備、素材類を取り払われ、
佐世保から五島列島沖へ、米潜水艦NEREUSによって回航。
NEREUSの砲撃により、北緯32度37分、東経129度17分に沈められた。
俺の祖父は、普段は絶対に戦時中の話はしなかったが、
酒を飲んで酔っ払うと、
虫や蛇を食って生き抜いた話やら、
怪我をして重傷を負った戦友に、「お願いだ、楽にしてくれ」と頼まれ、銃剣でとどめをさした話など、号泣しながらしてくれた。
471 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 19:03:12 ID:wATVXgnw
>>469 >>468 ありがとうございます。
別件なんですが祖父の弟も海軍軍人らしくて祖父の記憶が曖昧なため詳しくは分からないのですが戦艦に乗っててフィリピンのレイテ海戦?で戦死したそうです。祖父が艦名を忘れてしまってて、該当艦がありますか?祖父の弟は戦死したものの艦は沈まなかったらしいです。
あと確実に大和では無いそうです。
質問ばっかりですみません。
>>471 沈んでいない艦だな。
栗田艦隊だと大和以外は、長門、金剛、榛名。
小沢艦隊なら、伊勢、日向。
少し状況なり、艦型なり、装備なり、エピソードなりがわからないと絞りきれない。
473 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 19:23:11 ID:u/vj+od3
戦艦?
474 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 19:26:00 ID:u/vj+od3
参加した日本戦艦は9でしょ?んでしずんでないのなら絞れるんでない?
西村艦隊かな・・・
476 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 19:28:58 ID:wATVXgnw
>>473 戦艦です。
祖父は呉に帰投したときにその戦艦の乗組員に聞いたと話しているためレイテ後に呉に帰ってきた船とおもわれます。
477 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 19:35:44 ID:PQ0h30t7
戦艦の主砲口径でもヒントになるんだけどa
だから、戦艦は9艦参加して、3艦が沈んだ(栗田艦隊の武蔵、西村艦隊の扶桑と山城)
沈んでいない戦艦が472に挙がっている。
479 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 19:44:50 ID:wATVXgnw
祖父に艦名を言ったところやっと思い出しました。
榛名だそうです。祖父の友人の乗組員もその後に呉で戦死したそうです。
みなさん、伊58の件と榛名の件、いろいろとありがとうございました。
480 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 19:57:03 ID:PQ0h30t7
回答おめでとう!お爺さん英雄なんだよ。大切にしてあげてほしい…軍ヲタの神に値する☆
481 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 20:07:08 ID:rP8xvW7A
>>440 そうかも・・・。
知的障害と言っても新聞は読めるし。自閉症に近い感じかな(客観的にみて)。
いまでも、終戦記念日には護国神社に行って敬礼する。一時入院してて
参拝できなかったときは大泣きしてたよ。
482 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 20:13:20 ID:jogaC3Xa
ちなみに、工場へは父母(つまり漏れの曾祖父と曾祖母)が送り迎えしてたそうで、
毎朝が楽しかったらしい。最初は組み立てが出来ず、泣いたり喚いたりしたそうだが、
工場長や班長が根気強く指導してくれ、「コレはオマエの戦場だ。命をかけて戦え」
と激励したんだと(曾祖母談)。その後は工場一の大まじめ勤務。空襲も恐ろしかったらしいが、
戦う気持ちがそれを上回り、逃げも隠れもせず、同僚が無理矢理押さえつけて避難壕に
連行していたらしい。それがなければ爆死してただろうなあ。
つくづく、周りの理解って大事だと思う。
しかし、インディアナポリスを撃沈した潜水艦乗員の孫がいたり
エノラゲイらしきB29を8/6に迎撃したパイロットの孫がいたりと
ここ数日は貴重な証言者ばかり見てる。
484 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 20:21:01 ID:PQ0h30t7
世間は以外に狭い、自分の大学の恩師は戦時中の予可連?上がり 「呉停泊中の大和」を見学したそうだ…。不沈と確信したそうだけど。
>>484 『飛行予科練習生』の略で “ 予科練 ” 。
486 :
483:2007/04/10(火) 20:27:46 ID:???
そういえば俺の遠方の親戚の爺さんで、
広島の原爆投下の様子を見た人いたわ。
瀬戸内海の島に住んでるが、地響きのような音が聞こえたので
外に出たら、北の空に大きな変な形の雲が出来ていて近所の人と
眺めていたそうだ。当初は空襲のような雲に見えなかったから、
軍の弾薬庫が爆発したのかと近所の人と話していたそうだ。
そのあと、大やけどの悲惨な死体が何体か流れ着いてきた。
原爆と知ったのは終戦後。
487 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 20:33:30 ID:jogaC3Xa
当時は「新型爆弾」と称していたんだっけ?
>>486 ワシのかあちゃん、被爆者手帳持っとるデ。
父母を頭に女ばかり四人の子供の内、長姉のみ動員先で被爆死。
さらに被爆の申請もすんなり通り、ある意味変な強運。
ただし、父は地獄を見たのを機会に草加に走るorz
その父(ワシにとってはおじいさん)が存命中は、
週に1回?、精強新聞の特別版?みたいなのが家に郵送されとった。
>>479 その榛名を攻撃しに行き、撃墜され捕虜となった米陸軍の航空兵も被爆死した。
489 :
名無し三等兵:2007/04/10(火) 20:47:23 ID:cBtZ0zFM
現在の我々の為に、命を懸けて戦い、戦後を必死に働き我等が祖国「日本」を築き上げてくれた大先輩達に、
「敬礼ッ」 ∠(`д´)
490 :
440:2007/04/10(火) 20:52:31 ID:uBfpPER7
俺の祖母ちゃんは和歌山なんだけど京都行きの道中、広島のキノコ雲見たって話してたよ
うそかほんとかは知らないし、祖母ちゃんからは戦時中の話はそれしか聞けなかったけど、みんなどこかで繋がってるのかと思うね・・・
民間人は挙手の礼すんな
492 :
486:2007/04/10(火) 21:04:27 ID:???
>>488 強烈な体験すると、やはり人生観とかが変わって
そういうものに頼りたくなるのかなぁ。
>>490 俺の祖父や親戚の祖父母がスレの人たちの祖父母と
同一場所で同じ体験しているかもしれないわけなんだな。
そう思うと不思議な感じもする。
493 :
486:2007/04/10(火) 21:06:02 ID:???
実は、うちの爺さん
>>433の車長なんだが、内地勤務ばかりで
戦地に行かずにすんだ。暗号解読班やってたり、連隊本部にいたりと
なんか色々やってたみたいだな。
知多半島で戦闘機の機銃で撃たれてミンチになった兵の死体処理をしたことも。
母方の親戚の爺さんは沖縄で整備兵やってて、小学校のグラウンドで
米軍の戦闘機に追いかけられて機銃の弾がかすめていったとか、
おじ方の祖父はシベリア送りを経験してアカにそまらず逆にロシア嫌いになったとか。
そんな話も聞いたな。
>戦闘機の機関銃でミンチ
確かに20ミリが胴体直撃ならミンチまではならないが
バラバラの肉片だ
>>494 撃ったのは米軍だから12.7mmが本命かと。
母方の祖母の1番目の兄
中国で従軍→無事生還
母方の祖母の2番目の兄
中国で従軍→シベリア抑留→死亡
父方の祖父
海軍軍医として、呉(?)かどこかの軍港にいたらしい。
天皇陛下が視察に来たときに出迎えの列に並んでいたので、
間近で見て、すごく緊張したと言っていた。
そんな祖父も去年の秋、姉の結婚式を見届けた翌月に、90歳で天寿を全う。
雪風乗組員の孫が来ましたけど、
仕事が忙しいから、祖父から聞いた戦争の話はまた後でね
>466
こーゆーヤツが、平然と生き残って、さも正義の人のように人前で話す。
戦争の悲惨さが、この程度の話で伝わるなら、先の大戦は無かった。
純粋に国や家族のためと、まさに死線を越えて戦い散って逝った兵士の
前でその話を話せるのか?
・・・と、家の爺様が話してました。
呉で着底擱座した「榛名」の写真は悲惨だ。
あの中におられたのか・・・
500 :
名無し三等兵:2007/04/11(水) 19:22:37 ID:wlijxoi3
>>498 ちゅーかね、皇軍が仮にだな、いかに酷いことをやったとしてもだな、
墓場まで持ってって闇に葬るのが当然だ罠。
501 :
名無し三等兵:2007/04/11(水) 19:48:03 ID:AY44bCtr
婆ちゃんの体験談
まわりが傷痍弾とかで燃えまくっていて、みんな川に飛び込んでいたらしい。
そこに米軍機があらわれて重油(?)を垂れ流して傷痍弾を落としたとか…
婆ちゃんはみんなと違う方向に逃げたがまた敵機があらわれ機銃掃射されたらしい、その時に後ろから押し倒してかばってくれた兵隊さんは死んだらしい…今だに婆ちゃんの頭には機銃がかすったあとがのこってる。
お前ら
>>466がどこまでほんとか眉唾しないといけませんよ
中共の工作活動なめたらいけんよ
>>501 兵隊さんつД`)・゚・。・゚゚・*:.。..。.:*・゚
504 :
名無し三等兵:2007/04/11(水) 20:12:31 ID:0WEUE1Lh
>>499 今日、祖父に榛名の大破している写真を見つけて見せたら号泣してしまいました。
やっぱり弟と友人の事を思い出したんだと思います。
>>502 そういや、戦前の早稲田に、細菌学を学べる学部、学科はあったのだろうか・・・
あの大学には医学部はない。微生物関係を学べる講座が理工学部にでもあったのか?
506 :
↑:2007/04/11(水) 20:31:54 ID:mRJ6zEh9
九大医学部に来いよ、貴重な解剖資料が有る。
507 :
486:2007/04/11(水) 21:13:37 ID:???
>>505 調べたが、我が早稲田にはそのような学科どころか
研究室さえ存在した記録は皆無だ
>490
愛媛在住のじいちゃんも、広島でキノコ雲があがるのを見たって言ってたなあ。
511 :
名無し三等兵:2007/04/11(水) 22:50:00 ID:rPb1afrl
結局、市民を目的にした空爆って、日本国民にどんな感情を抱かせたんだろう。
・もう戦争なんかいやだ か?
・こんな酷いことしやがって。許せない! か?
・どんなにやられても戦い続ける。一億玉砕だ! か?
>>465←の大川福松氏は全く架空の人物だな
文章としては認めるぜ、なかなかまとまった文だ
近衛兵でマレーをぶち抜いて数カ国を周り
オリンピックかコロネット作戦用の本土決戦戦力で帰ってきたみたいだ
どこをどう巡ったのかは不明、聞く前に死んじゃったんで。
517 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 08:07:12 ID:Cv7NFbh3
エノラゲイ爺ちゃんの孫は、もう帰ってこないのかのう。
スレ建て期待してるのになぁ
519 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 11:46:34 ID:Q0rUTViT
うちの爺ちゃんは中国で軍医をしつつ、ママーリしてたそうです。
慰安婦と仲良くなって、絵のうまい爺ちゃんは絵を描いてあげたりしたら
喜ばれたそうだ。戦友が慰安婦を気に入って後に結婚したって話も聞いたな。
爺ちゃんはお気に入りの慰安婦を戦友にとられて悔しかったそうだ。
私のじいさんは工兵将校で、盧溝橋の当時はシナ駐在武官だったそうな。
で、張作霖爆殺にかなり深く関わっていたらしい。
私が生まれる10年前に亡くなっていて、父からの又聞きでしかないのだが。
太平洋戦ではマレー半島でイギリス軍と戦い、マラリアで寝込んだりしたあげく「B級戦争犯罪人」としてタイーホされちゃったりと散々だったらしい。
521 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 16:15:06 ID:jDomZeSh
沖縄戦ワニよっ!
北斗と新海に嵌りその頃大腸がん68で逝ったオヤジの遺産
すでにパチとスロに1400万捨ててる俺ですよッ!
オヤジ12才の頃この辺も激戦区となりオヤジの目の前で
母親が銃弾に倒れ逝ったそうです!オヤジ北部の方に
逃げながら小高い丘に上り島見渡したら回り一帯
無数の戦艦駆逐艦に包囲されてたそうです、もう
夜中でも焼夷弾で真昼のように明るくその辺に死体が
転がってたそうで、怖いですね俺的にはその後
不衛生な生活でケツからミミズみたいな寄生虫が出て来た
とかそっちのほうが怖い、大腸がんも末期口から血吐きながらも
笑って大丈夫だ!wと言ってたオヤジが俺は一番怖かったですよっ!
522 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 16:51:54 ID:Bf38Hm+G
>510
四国の松山でも「何事か?」と思う位だったそうだ
亡くなったば〜さまと、残念ながら元気な親父(当時小学生)の話
占領軍がタマネギの買い出しにジープに乗って来たらしい。
珍しそうにみているとチョコをくれたとのこと
(親父談)
523 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 20:51:07 ID:5udncPrC
父方の祖父は戦時中、予科練で『桜花』の操縦訓練を受けていた。
祖父が17歳で予科練に入隊した時は既に戦争末期。
予科練に入るという事は確実に特攻隊になるという事だった。
『桜花』と言うと、飛行機が腹に抱えて行って敵の近くで切り離すというイメージがあるけれど、
祖父達の場合は地上の発射台から直接、本土に飛来するB29に向けて打ち出すタイプの物だったらしい。
結局、出撃前に終戦となり祖父は助かったが、祖父の前の前の部隊までは出撃しており
「もう少し、戦争が長引いていたら俺もお前もこの世にいなかったんだぞ」
と父がよく俺に話していた。
524 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 21:03:15 ID:5udncPrC
もう一つ。祖父が予科練にいた時の話。
ある夜寝ていると空襲警報も無く突然、祖父達のいた兵舎(?)が敵機の機銃掃射を受けた。
銃撃に驚いて電灯をつけてみると、数人が寝たまま撃たれて死んでいた。
祖父の隣で寝ていた人も死んでおり
「もし、あと少しずれていたら自分が・・・」
と震え上がったという。
525 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 21:16:51 ID:5udncPrC
昼間に空襲を受けた時の話も聞いた。
祖父達は鉄兜を被って、一斉に防空壕へ向かって駆け出したが、祖父は転んでしまった。
その直後、目の前に爆弾が落とされ、祖父の前を走っていた人達は吹き飛ばされたという。
祖父は伏せっていたので助かったが、それでも爆風で凄い衝撃を受けたという。
526 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 21:34:26 ID:5udncPrC
これで最後。
撃墜したB29の搭乗員を捕らえて来いとの命令を受けた祖父達(戦争末期は予科練生でもそんな事をさせられたらしい)は、さっそく墜落現場に向かった。
墜落現場には既に住民が集まっていて、米兵を取り囲んで竹槍で殺そうとしていた。
祖父達は止めさせようとしたが
「もし、こいつらを助けるというならお前達も殺す」
と言われ、結局助けられなかったそうだ。
上の二つは祖父に直接聞いた話だが、これは祖父が酔って(酒は滅多に飲まなかった)父に漏らしていたのを、後になって父から聞いた話なので正確には分からない。
527 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 22:19:11 ID:jDomZeSh
沖縄戦ワニよっ!
北斗と新海に30過ぎて嵌りその頃大腸がん68で逝った
オヤジの遺産1400万捨てた俺ですよっ!
逝ったオヤジは俺が幼い頃よく戦時中の話をしてくれた
ある話オヤジが防空壕で寝てる時すぐ近くに爆弾が落ちたそうだ!
経験者なら分かると思うがもの凄い轟音らしい!父含め近くの
人たちすごい爆音で耳がおかしくなったそうだが
寝てた父はまったく耳はなんともなかったと言ってた!
冗談好きのオヤジだったのでネタかもしらんが
528 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 22:29:37 ID:UlG7hciI
>>526 戦争末期の悲劇だよな。
結局、憲兵や警察などが撃墜されたパイロットを救出し、多くは民間人に虐殺された。
無論、かくまった民間人も多数いたけど。
俺も同じような事を祖母(当時女学生)から聞いたことがある。
撃墜されたパイロットがリンチされているところを目撃し、警察に通報したが、時既におそく、米兵はかなりの重傷だったそうだ。
みな竹槍ではなく、木刀や竹箒などで殴っていたんだと。下手人は近所のおじちゃんおばちゃん。
で、その人たちが戦後、「マッカーサー万歳」「民主主義キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!」などと騒いでいたので、
一時期大人が信じられなくなったんだって。
あなたのおじいさんらは戦後そのことを責められなかった?へたすりゃ戦犯扱いだけど・・・。
529 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 23:17:38 ID:PAiwNkLQ
ワシの母ちゃんの話。
昭和16年生まれ。大戦争末期のモノゴコロついた頃、宇都宮駅と間違えて、真岡駅にアメ公が焼夷弾ばらまいたんだって。
そん時、夕方で母ちゃん子供だからリアルに「キレイッ(・∀・)!」
って言っちゃったんだって(>_<)
そしたら、ジイ様マジ切れで、往復ビンタ(≧д≦)発食らったって!
ウチのヒー爺さんは満州国軍の軍医だったらしい。
うちの祖父は支那事変で中国大陸に行ったんだけど
その頃の写真に外国人と一緒に写ってるのがあるんだ。
軍服調べたらどうもイタリア人ぽいんだけど、その当時イタリア人て
中国にいたの?その写真だけ紙質が違うんで相手に撮ってもらった
と思うけど。。。
532 :
名無し三等兵:2007/04/12(木) 23:45:55 ID:XDHJDn4i
母が子供の頃グラントハイツっていう米兵の住宅街が近くにあって当時の日本とは比べものにならない程リッチな感じがして、ギブミーチョコレートしに行って遊んでたらしい。なんか60年代の日本人は米兵大好きだったらしいwよくわからんなぁその気持ちw
>>523 桜花はロケットつきのグライダーみたいなもんだから、地上からB29が飛んでる高度まで上昇する能力はないはずだが。
Me163コメートをコピった秋水のことかな?
534 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 00:49:05 ID:dhNayaZP
北斗と新海に嵌りその頃大腸がん68で逝ったオヤジの遺産
1400万捨ててる沖縄戦の俺ですよっ!!
俺の爺さんつまり俺の大腸がんで逝ったオヤジのオヤジも
若い頃支那事変だったか戦争しに中国かどっかに逝ったと
よく話してましたよっ!俺5才だったので詳しい話は忘れたが
湖に手榴弾投げて魚気絶させて取り食ったとか、大陸は広く
何ヶ月続く坂道を歩いて移動したとかそのような事言ってましたよっ!
もう話がグチャグチャ
仮想空論入り乱れ終始がつかないスレになったな
536 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 01:40:10 ID:jGzxO6uz
>>528 戦後、責められたという話は聞いてない。終戦後すぐに東北地方の実家に帰って地元の工場に勤めたんだけど、
元予科練生という事で女工さん達にモテモテだったらしい・・・と父が言ってた。
>>533 そうなの!?でも(父が)『桜花』って言ってたけどなぁ・・・。
『秋水』っていうのは聞いたことある。ロケット戦闘機だっけ?
それではないと思う。
>>536 確か戦争末期も末期に、カタパルト射出型の桜花が開発されていたという話は、何かで見た記憶がある。
それがお前さんの親父さんが言ってるようなものだったかは判らないが・・・
>>528 空軍大戦略っていう映画見たことある?
撃墜されたスピットファイアから落下傘効果したチェコの義勇兵が、
ドイツ人と間違えられてリンチされそうになっている。
末期じゃなくても、一般感情としてはそんなもんだろ。
つか、We got a Blackhawk down!みたいな状態かと。
>>536-537 桜花43型乙のことか。
桜花は計画だけなら、ジェットエンジン型、銀河搭載型、連山搭載型、
曳航型、地上カタパルト射出型が計画はされていた。
地上カタパルト射出型の43型乙はモックアップまでだな。
ただし、11型からエンジンと爆弾を外し、複座化した、
カタパルト射出型の練習機である43型はできあがっていた。
爺さんが訓練を受けていたというのは、これじゃないかね。
ただ、B29を狙うにはやはり桜花のエンジンの噴射時間は短すぎると思うんだけどね。
>>528 「カルピス冷えとるよー。」とか言ってるやさしいお母さんまで焼き殺すような無差別絨毯爆撃やってるんですから、
降下して捕虜になった場合はどの様な処遇を受けるかは容易に想像できる筈で、
つまり米軍側の指揮官の責任です。
リアルで数十万人虐殺したことより
本当にあったという証拠が皆無な虐殺を
騒ぎ立てる、この矛盾。
肉親からのリアルな口伝を信じるのは、あなたがた隣国も一緒では
失敬、隣国の皆さんは未だに大本営発表と変わらないものを信じてるんでしたね。
>>541は米下院が慰安婦非難決議したことを言っとるんでは?
まあ恨むのもほどほどにしたい。
慰安婦問題で20万人という具体的な数字を出してくれた事によって、あの国のウソツキ度が世界中に知れ渡ったな。あとは韓国政府が公認するかどうかをwktkして待ちたい。
あとは南京か。共産党発表の有名なヤツは、支那事変で国民党軍が日本軍の追撃を逃れるために黄河の堤防を破壊、80万人の住民が流されて死んだってのがあるんだが。
そういうヤツを全部網羅して、蒋介石が発表した数字(当然プロパガンダまじり)と共産党が始めたスーパープロパガンダの無茶苦茶な数字と時系列で並べて整理されたのが世界中に知れ渡って欲しいな。
547 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 16:58:43 ID:jGzxO6uz
548 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 18:16:06 ID:rg5r1GjL
有人固形燃料ミサイルだ、Gはどれくらいか見当付かない
549 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 20:18:27 ID:ujor4fvp
操縦して見事敵艦を沈めた勇士もいるとこみたら気絶てことは無いだろう。つーか発進して気絶して生きて帰った椰子おるんか?
550 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 20:37:42 ID:1Q+bNZ9k
>>540 でもさ、パイロットは兵士じゃん。俘虜になったからと言って虐殺していいわけがないだろ、常識的に考えて・・・。
当時の日本人はジュネーブ条約なんかをしらなかったのかな。
551 :
†ケン† ◆kiM4qXVHAg :2007/04/13(金) 20:38:32 ID:YyvxIEml
俺の父方のじいちゃんは大日本帝国陸軍として、東南アジア方面に進軍。
終戦で帰国する。母方のじいちゃんは大日本帝国海軍として、特攻魚雷?
の訓練中に終戦。
母方の先祖は武田信玄の足軽として戦を重ねたと代々伝えられてきた。
学生時代習ってきた歴史上の戦に参戦していたわけ。お前らの先祖は
どうよ?
だから原爆を二つも落としておいて
ジュネーブ条約もクソもないって!
553 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 20:51:34 ID:1Q+bNZ9k
>>552 でも敵兵を民間人がリンチとか、シナの便意兵やゲリラのドキュソとかわらんだろ・・・。常識的に考えて・・・。
554 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 20:52:42 ID:1Q+bNZ9k
>>551 ウチの先祖も似ている。平安時代までは有力農民。鎌倉時代から武士。その後幕末までは郷士だった。
555 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 20:54:26 ID:UTcAQQxx
うちは両方とも戦争に言ってないらしい
555なら木内梨生奈とセックスできる。
555なら05年度の天てれの魔法少女姿の木内梨生奈とセックスできる。
555なら競泳水着姿の木内梨生奈とセックスできる。
555ならメイドさんの木内梨生奈とセックスできる。
555なら秘書スーツ姿の木内梨生奈とセックスできる。
555ならブルマー姿の木内梨生奈とセックスできる。
555ならスクール水着姿の木内梨生奈とセックスできる。
555ならバニーのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
555ならハイレグレオタード姿の木内梨生奈とセックスできる。
555ならセーラ服のコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
555ならスチュワーデスのコスプレをした木内梨生奈とセックスできる。
555なら不知火舞のコスプレをした木内梨生奈が俺の乳首を弄りながらフェラしてくれる。
555ならセーラー戦士のコスプレを一通りした木内梨生奈がディープキスをしながら手コキしてくれる。
555なら透け透けピッチリ胸あきブラウスにタイトミニの女教師ルックの木内梨生奈が生姦&膣内射精させてくれる。
555なら木内梨生奈が結婚してしてくれて、四六時中、淫らなセックスで俺様に御奉仕してくれる。
そして俺様の遺伝子で木内梨生奈が孕んでくれる!
555ならJSFに法則発動
555なら空自の次期F-Xはライノ
※拒否や無効化,棄却、取り消しはできません。
じゃあ、廃棄だな!
>>545 決議していないし、最近出た調査報告書では否定的結論になっている。
558 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 22:32:09 ID:iuFeKLk3
ちょっと前にレスした、「インパールの生き残り」の親戚が書きます。
正直辛すぎたそうです。中尉になったのわ、戦時昇任で、作戦前は見習い士官終わったばかりの少尉だったらしいです。
軍刀を腰に吊しているとガチャガチャうるさいので、忍者ばりに背中にたすき掛けにしてたそうです。
559 :
名無し三等兵:2007/04/13(金) 22:42:28 ID:/jFWiHzY
ウチのじーちゃんはフィリピンで戦ったよ
560 :
海軍下士官の血筋:2007/04/13(金) 22:50:12 ID:rg5r1GjL
母の伯父は叩き上げの水兵で幼い母に着物を買ってくれたとか?海軍だから戦没地区は不明で遺品は皆無…戦死公報のみ、何処の海に眠るのか分からない。
561 :
陸軍二等兵の血筋:2007/04/13(金) 22:55:49 ID:/jFWiHzY
もう一人のじーちゃんは作戦の地図を製図する役だったんだって。
家族から手紙が来たら上官の前で読まなきゃいけないらしく、それをじーちゃんが断ったら上官がナイフを投げて頭のギリギリ横に刺さってヤバかったって言ってた。
562 :
逓信役人の孫:2007/04/13(金) 23:15:16 ID:rg5r1GjL
戦時中電話、ラジオ、従卒が付いた祖父は勉強についてはオール甲!完璧な頭脳労働人材、配給もかなり差が有った様です。電信分野において自宅に電話あったのは家だけ、掛け放題無料…馬鹿孫ですいません。
>>553 まず、552が言うように民間人への無差別爆撃を行っている敵国は、自国の兵が同様に扱われる事も覚悟しているはず。と前置きする。
目の前で子供を焼き殺された親が、敵兵を殺したいと考えるのは、現代の殺人事件に対する親の気持ちなどと同じだとわかるはずだ。
しかしキミは「日本人は捕虜虐殺しなかった」を誇りにしたいという人なのだろうか?
ジュネーブ条約については現代人でも知らないものがほとんどだ。当時なら尚更であろう。
また、軍板にいるものならば、結局勝てば官軍であり他の事柄はお題目にもならないということは知っているはずだろ。常識的に考えて。
564 :
名無し三等兵:2007/04/14(土) 00:07:19 ID:1Q+bNZ9k
>>563 日本、ドイツ、ソヴィエトの俘虜虐待は世界的に有名だろ、常識的に考えて・・・。
米軍の無差別爆撃には根拠があった。当時日本では町工場や学校で兵器が作られており、
日本の軍需工業生産をゼロにするには、下町だろうが学校だろうが焼き払う必要がある、と
ルメイ中将は考えたんじゃなかったっけ?だから米パイロットにしてみれば、焼夷弾による
焼き払いは民族浄化ではなく、戦略爆撃だったはずだ。
だいたい、正規軍人をリンチしようなんて戦時国際法違反。まぁ日本のパイロットもシナ大陸で撃墜
された場合、リンチどころか正規軍に処刑されたケースもあったわけだから、感情的には理解できなくもないが。
本土決戦が行われていたら、ホントに沢山の米兵が民間人に虐殺され、米軍もベトナム戦争みたいにみーんな虐殺
することになっただろうな。
そもそも戦争にルール無用
566 :
名無し三等兵:2007/04/14(土) 00:21:52 ID:DTL6PY8X
じいさんは捕虜になったときの心得なんか聞いてないとか言ってたぞ
アメリカに捕まったパイロットは
「我が軍は●●にこれだけの戦力があるのだから、貴様らなど木っ端みじんだ」
とわざわざ言いふらしてきて、戻ってきたときはそれを誇らしげに自慢してたとよ
567 :
名無し三等兵:2007/04/14(土) 00:21:55 ID:ENwT6e4/
おじいちゃん香港派兵→足に銃弾受けて捕虜になる→帰国→嫁とセクロス
→父、4男として生まれる→父、俺の母と結婚し、俺生まれるw
捕虜で良かったw
568 :
名無し三等兵:2007/04/14(土) 00:35:22 ID:i2Pjsm+H
>>567 緒戦のときか?自決しなかったのが偉いな
>>557 スマヌ。
しかもボケてて無差別爆撃と間違えてた。
吊ってくる。
570 :
名無し三等兵:2007/04/14(土) 00:52:17 ID:ENwT6e4/
分からない
でも、香港の夜景はきれいだったらしい
俺の爺ちゃんはフィリピンで百式司偵の整備してたとか
572 :
名無し三等兵:2007/04/14(土) 03:34:15 ID:hk2zfOjR
俺の爺は支那かどっかで食料補給部隊かなんかだったとか
復員したときはやっぱり連合軍の日本女性レイプを手伝ったりしたんですか?
>>561 地図作成って、参謀本部の陸地測量部とはちがうよね。
いや、当時の地図、仕事で使うときあるから
ちょっと気になった。
>>573 逆パターンの話なら知ってる。
GHQが接収して女性士官用に使ってたビルが返還されて
片付けようとしたら、大量のコケシが見つかって処理に困ったとか、
夜の巡回役に使われていた日本人の兄ちゃんが部屋に引きずり込まれて・・・
とか。
>573
むしろ国が慰安所つくったじゃん>連合軍向け
従軍慰安婦とおんなじで、(旧軍=)国の関与が
公式にならない様に、書類残さないで裏金使って
>>577 日本語がおかしい上に誤解に基づいてる。
旧日本軍が慰安所に公式に関与していた事はきちんと記録に残ってる。周辺の防衛とか業者を選定したりとかしなきゃいけないし、コンドームの配布もしてるんだから。
キミは一体、何の話をしてるのかな?公式にならないようにって。
>>578 へ
>>577 は日本占領下の進駐軍兵士の為に
日本が作った進駐軍専用日本人慰安婦の事を言っているんだよ
佐官?以上にはその軍人専用の女性(別名:オンリーさん)をあてがってたし
いわさきちひろの父親だっけな。
戦時中に女衒の元締めやってたの。
>578
日本語でok
♀を集めるシステムや、その資金の出元が国だから
同じって事じゃないかな
昔、爺さんに戦争体験教えてってお願いしたことあったけど、
「孫に言えるようなことは何もしてない、勘弁してくれ」
って言って泣いてたなぁ。
585 :
名無し三等兵:2007/04/15(日) 01:06:04 ID:ipbx214K
若ハゲと性欲って関係あるような気がする。じいさん若ハゲだった。アカセンて何?
>>579うわあ敗戦国ってみじめ。戦勝国連合は精神的に敗戦国を去勢した上に、
現地女性を肉便器にまでしてるのか。最低だな
587 :
名無し三等兵:2007/04/15(日) 03:43:15 ID:gdhKnu70
だから戦争やる以上負けちゃならんのだよ。
クズに一生たかられるし。
>>587 一番しつこくたかってくる奴らとは戦争してないんだけどな
589 :
名無し三等兵:2007/04/15(日) 14:05:43 ID:LQHEqAKs
俺のじーちゃん玉あるけどペニ棒がなかった…
中共という戦時中存在しなかった国家もある
>>588 戦ってないのにたかってくるヤツらを、すなわち、クズというのでは?
594 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 15:10:37 ID:3JXIGGXe
>>589 詳細キボン 人工授精とかで産まれたの?
595 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 15:41:18 ID:qJvGy69d
カミさんの母方の祖父さん。
元海軍でコックをしていたらしいがなんて船に乗っていたのか身内は皆知らず。
2月に急逝して、遺品の整理をしたら「妙高」で飯炊いていたことが判明。
自作の妙高の絵と模型も出てきたらしい。
酒がやたら好きで朝から焼酎を飲んでいた。
若い頃の体験記をテープに録音しているので今度聞いてみよう。
>>595 士官食堂には民間人のコックさんが軍属として乗ってることもあります
(日本海軍の士官は、食費自分持ちだから)
また、酒保(艦船内に設けられていた売店に類するもの/サイダーとか売ってる)
にも軍属さんが乗ってる事があります
船のコックといえば?
で年齢が分かるな。ちなみに俺はジョン・シルバー。
母方の祖父
理系だったとかで戦時中は戦地にはいかずに荻窪で研究をしていたらしい
その研究の内容が「そこらの土の中からアルミとかの資源を取り出す」研究だとか・・・
そういうことやってるから負けたんだよな・・・orz
599 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 20:21:09 ID:WkLRMdxY
祖父の兄姉の話をしよう。
祖父が予科練で桜花の訓練を受けていた頃、農家の長男という事で徴兵免除されていた祖父の兄もついに入営。
陸軍兵士として訓練中に終戦を迎えた。
祖父の姉は結婚していたが、旦那さんは大陸か南方かで戦死したらしい。
戦死した旦那さんの写真を見た事があるが、階級章の隣に徽章が付いていたので憲兵だったのかな?
俺が知る限り、彼が一族で唯一の戦死者。
>>596 そうなんですか。初めて知った。
あまり軍人らしくない、奔放とした人だったので軍属だったのかもしれません。
自分の母方の祖父も海軍。航空隊のおそらく整備員。
祖母によると、南方(ラバウル?)にいたが、戦局の悪化で九州に転勤。
そのうち整備する機体がなくなって、偽装のために木製の飛行機をたくさん並べていたらしい。
ある日のこと、外で作業していたら機銃掃射に襲われた。
同僚二人と並んで走って、防空壕まで逃げようとした。
同僚1、祖父、同僚2で横にならんで走っていたら、両サイドの同僚に弾が命中。
あっという間にばらばらになって、脳がそのままの形で飛んでいった。
脳が着地したと思ったらジグザグに動いていったように見えたとのこと。
あまりに恐ろしいことで、祖母にしかこの話をしなかったらしい。
祖父の弟もビルマで戦死して髪の毛も戻ってこなかった。
骨壷の中には現地から持ち帰った石だけが入っていたらしい。
祖父はその弟に毎朝お経をあげていた。盆には灯篭を流しに一人で川に行っていた。
その祖父も亡くなって。もう誰もお経をあげる人がいない。
601 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 20:47:38 ID:WkLRMdxY
父方の祖母は(日本国内の)中国地方の女学校に通っていた。
父親(俺にとっては曽祖父)が軍属の電気技師だったそうだ(何作ってたんだろう・・・?)。
戦後、東北地方に戻ってきて祖父と結婚。
前にも描いたが祖父は元予科練生という事でモテた。
故に祖母は
「あの人はプレイボーイっぽい所がある」
と、あまり乗り気ではなかったらしい。
しかし、祖父が猛烈にアタックした結果、ついに承諾。
その結果、父や俺がここにいるのだ。
602 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 20:48:25 ID:WkLRMdxY
母方の祖母は看護婦で病院から街が爆撃されたのを見たと言っていた。
母方の祖父は病弱だったので徴兵免除された。
ただし母方の本家は地元の名士だったので、何らかの働きかけがあったかどうかは不明。
しかし祖父は実際、病気体質で身体が丈夫な方ではなかった。
それは母や俺にもバッチリ遺伝している。
父方の先祖には相撲取りもいる程だと言うのに・・・うまくいかないものだ。
俺の祖父の話じゃなく、以前いた鹿児島の会社の後輩なんだが、
祖父の軍人の頃の写真を見せてもらった。
後輩の祖父は特攻隊員で、出撃の数日前に、生まれたばかりの子供を
抱いて写っている写真だった。
もうすぐ死地へと向かう人とは思えないような爽やかで穏やかな笑顔だった。
その写真の数日後、特攻隊として出撃したまま二度と戻らなかったらしい。
>>603 笑顔じゃない写真なんて、写真屋でよう焼かんわ
(内心は写真には写らないし)
ま〜た空気の読めない子が・・・
>>605 ふん、笑顔で死ぬ人間がいると思うのか、おめでたいな・・・
オレのばあちゃん、病気で死ぬって時に、ほんとにさわやかな笑顔だったよ。
オレちっこかったけど覚えてる。
気品のある人間というのはそういうものだよ。
608 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 23:25:42 ID:NwgnCttL
祖父がグァム島で戦死したそうです。戦後、捕虜になっていた戦友から祖母が聞いたとのこと。
機関銃の射手をしていたそうなのですが砲弾で両足・片手を吹き飛ばされても機関銃を手放さなかったらしい。
最期は祖母の名前を叫びながら絶命したとのこと。かなり壮絶な最期だったらしく初めて聞いた時はショックでした。
気品のある無しだけじゃないよ。
たとえ、明日、自分が死ぬと判っていても。
持ちたいと望んで生まれた我が子を、生後数日で抱いたその瞬間に、
笑顔が出てこない父親はいないと思うよ。
それが自然な感情だもの。
子供から離れて死ぬその瞬間までは、人によって違うと思うけどね。
特にやっぱり残す子供の将来を心配すると思うんだけどね。
610 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 23:34:04 ID:3JXIGGXe
そう考えるとこうして日本が戦後驚異的に復興して世界一豊かな国になれたのは、やはり必然だったのかもな。日本人に産まれた事を誇りに思うよ。
611 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 23:42:30 ID:3JXIGGXe
じいちゃん10人兄弟くらい。曰わく「兄弟で戦死した奴…あぁいたな昔。今は何人生きてるのかな。」 俺が知りたいわw復員してから一回も実家帰ってないらしいw実家は広島で軍艦あるところらしいが…このスレのひと誰か住んでないか?
612 :
名無し三等兵:2007/04/16(月) 23:48:13 ID:RgjiUjAJ
早稲田大学在学中に学徒動員。資源や特に飛行機の数とかを考えるとアメリカに日本が勝てるわけはないと思った。
でも死にたくない、だから通信を志望した。通信は前線と本部との間だから安全らしかった。
海軍はバカだ、金と鉄を作って大和と武蔵なんて作ってからに、日本は戦争は下手糞だとは思うが、戦艦に固執する海軍が一番下手糞だと思ったらしい。
だから陸軍に入った。熊本で3ヶ月、満州の奉天で6ヶ月訓練した。
甲種の幹部候補生であったので、その後は上等兵になった。
軍に昔からいる一等兵は年齢は上だったが幹部候補生の自分の方が階級は上だったので言うことを聞かなかった。
ちなみに階級は上等兵>>一等兵>二等兵らしく、普通に軍隊に入って数年頑張ってやっと一等兵になれるものなそうだ。
だから更に上の上官から怒られた。
ステロタイプな「体罰!!!」とか言ってぶん殴られるみたいなのではなかったそうだ。
満州はとても寒かった。
風も強く体感温度はマイナス50℃。馬は口の周りにつららが出来る寒さ。
陸軍では練習中に小休止と大休止があり、普通の兵隊は大休止なら田んぼ等でゴロゴロと横になってもよかったらしい。
通信兵は馬を引き連れて歩く、大休止には馬のために水をついできて、ひずめや馬体についた土を落としたりせねばならず、休めなかった。
馬から頭噛みつかれるわできつかった。
けど馬も兵器だからなと笑っていた。
戦争が終わる頃には有線と無線の小隊長だった。
戦争が終わった後は博多に船で送還された。
見上げるほど背が高いアメリカ人、頭の上から散布されるDDT。びびったらしい。
路銀として1000円もらった。
たった1000円では何も出来なかった。
これは母方の祖父の話。
父方の祖父は3年近く軍属であったので、今尚軍人恩給を貰っているのだが、2年弱の俺は何も貰ってない、1000円で終わりと嘆いていた。
最後にあの戦争は下らん戦争だった。
負けることが分かっている試合だった。
試合に負けて、昔から日本の領土になったり歴史のある間宮林蔵が探検した北方領土や千島列島、ドイツから割譲されていたマリアナ諸島あたりの島々なんかも失った。
下らん戦争だった、とまた言った。
613 :
612:2007/04/17(火) 00:02:51 ID:RgjiUjAJ
続いて父方の祖父の話。
小さい頃から健康で運動神経もよく、北九州では神童と呼ばれるほど賢かった。
そのおかげで海軍の特別奨学生、全国に3人しかいない奨学生の内の一人だったらしい。
そのまま現在の九州大学医学部に入学、軍医として召集。
父方の祖父も幹部候補生で青島半島で主に医師として働いた。
飛行機にも乗ったことがあるらしく、確か先頭がガラス張りの奴だったような。
戦争中は特に危ない目にはあわなかったが、友達は沢山しんだと言っていた。昔チラリと見せてくれたが、中国の地図に沢山のバツがつけてあった、何も知らずにたずねると友達が死んだ土地だ、と言っていた。
最終的には海軍大尉。かなり凄いらしい。
帰ってきてから、九州大学医学部で博士課程を取得。
今でも休日には玄関に国旗を掲げることは欠かさない、出かける時は背広でバッチリ決める大正のモボ。
まだまだ元気。
614 :
名無し三等兵:2007/04/17(火) 00:06:46 ID:wFaOMJsK
615 :
名無し三等兵:2007/04/17(火) 08:40:46 ID:5aEb5FeX
俺のじいさんじゃなくて友人のじいさんなんだけど
爆撃で不発弾直撃受けて打撲?で死にました
クラスター風焼夷弾の子爆弾ならそんなに大きくないんでないか?
>>616 相当前、厨房のころに、たまたま産休代わりの先生が3月ほど理科の授業を
担当された、すでに定年間じかで授業もぼちぼち・・・
そんなある日、神戸空襲にあった話をしてくれた。
路地を逃げ回るとき、まえを走るおっさんの肩に焼夷弾が直撃したそうな。
たしかに肩甲骨が剥がれるのを見たと・・・
でも、逃げ惑う人々は残酷な物で、その人を踏みつけて行ったそうな。
「ギャッ」という悲鳴が忘れられないと言っておられた。
>>609 判るな・・・というか、親になって初めて判るというか・・・。
可愛いもんなあ・・・そりゃ、今がどうであろうと、単純に嬉しい。
笑顔も出るよ。最初はおっかなびっくで抱き上げて、その顔をマジマジと見たら、自然に笑える。
>子供から離れて死ぬその瞬間までは、人によって違うと思うけどね。
>特にやっぱり残す子供の将来を心配すると思うんだけどね。
こっちも判る・・・。
自分が死ぬなんて・・・子供と永遠に引き話されるなんて、自分なら考えられない。
つーか、想像するだに鬱になっちまうよ。
自分の死がこの子を守ることになるか、自問自答繰り返しちゃってさ。
無理やりに、守ることになるんだと気持ちをねじ伏せるんだろうな。
でも、子供の成長を見たいもんなあ・・・大人になるまで見守りたいよな。
オレだったら、突入の瞬間は、絶対に号泣してると思う・・・・
そやって壮絶に散っていった兵士の気持ちを思うと
言葉が見つからないよ。
対して、先の大戦で散っていった兵士のおかげで、
ここまで良い国になった日本を、ノウノウと生き
残った売国奴に貶められるのはゆるせんな。
三重県の売国元軍医とか・・・
将来をになう工学科の学生をシナに30人以上も虐殺されては
米もだまっちゃいられない。
625 :
名無し三等兵:2007/04/17(火) 16:53:19 ID:dhqMUtdA
ウチの爺さんの話
北関東在住だが田舎が石川だったので金沢の師団に召集、配属された。
中国大陸でほとんどを過ごす。
大砲を引っ張る部隊(輜重隊?)にいたので比較的安全だった。
清正よろしく、みんなで虎を捕まえた記念写真がある。
病気で一度、除隊したらしい。
婆さん曰く、二度召集された、とよく言ってた。
本人もあまり語らず、自分が知ってるのはこの程度。
爺さん、十年前に大往生した。
戦死された方、御遺族には申し訳ないが、
配属先によっても、本人にはどうにもならない運があると感じる。
以上、つまらん話でごめんな。
俺のじいさんは郵便配達員だった。
だが、5、6年前一緒に働いていたじいさんは南方で通信隊に
いたそうで、いろいろ教えてくれた。
戦争が終わって、捕虜(?)扱いになった時
「♪(ド)人に時計を取られた。あいつらは匂いをかいで『これはいい物だといってた』」
とか、
「威張り散らしていた憲兵達は居なくなった」とか。居なくなったというのは意味が違う
ようだったけど、突っ込めないふいんき(ryだった。
温和で小柄な人だったが、戦争はあんな人も連れて行くんだなぁと思ったよ。
627 :
名無し三等兵:2007/04/17(火) 19:03:15 ID:wrxc652s
当時の学徒兵ってのは戦争を馬鹿らしく感じていただろうなぁ…遺書にも随所にできる限りの反抗の意志が読んでとれる。戦時中はナベツネも冷めてたらしい。
>623
壮絶に散ったとか
凄絶な最後とか
玉砕とか自決とか
勇ましい言葉でごまかすな
餓死とか病死とか忘れんな
馬鹿な作戦指導で無駄死にさせられた兵士にこそ
懺悔を
いや、やはり戦ったじいさんたちの末裔として、
牟田口のインパールと、作戦後の陸軍の牟田口への不処分は
断じて許せん。
祖国を守るために、オレたちのために死んでいった兵隊たちを思えばこそ。
そこはオレも譲れんぞ。
第二次大戦の日本軍って戦闘行為じゃなくて疫病と餓死で「戦死」したのが
殆どらしいね。
>623は
壮絶に散ったとしか書いてないが
「何をごまかしている」のかな?
>餓死とか病死とか無駄死とか
忘れちゃこまるな。同感。
誰が懺悔するのか明記しないと
餓死とか病死とか無駄死とか忘るな
では、まるで赤の宣伝になってしまう。
>>632 日本兵の「国のために散る」という崇高さは、泣けてくるよ。
あんなムチャな作戦に突っ込まれても、最後まで戦ってるんだもんな。
「日本兵の残虐さ」をことさらに強調し、「証拠写真だ!」と言って捏造した写真を持って来て、
それがバレると「これが捏造だからと言って、事件そのものが無かったということにはならない」
と悪魔の証明を求めるプロ市民は、ホントにハラが立つし、
「間違っていたらあやまるべき」といいながら、自分たちの間違いには開き直る姿勢は、
結局プロパガンダとわかっちゃって。だから支持者が減ってるんだよ。
ただ、そういう崇高なじいさんたちの命を、基本的に粗末にしていたじゃないか、大本営は。
なんだよ、あの兵站の考え方は?
参謀本部が、結果的に自国の兵隊に対して残虐性を発揮したのは確かなんじゃないか?
しかもそれが、冷静な事務手続きの中でなされているのだからタチが悪い。
社民党や民主党の中の連中、反戦平和を叫ぶヤツらも、基本的に
「自衛隊員の命はどうでもいい。いくら死んでも統計上の数字」としか考えてない。
だからあんな無茶苦茶な防衛論議が出来るんだ。
634 :
名無し三等兵:2007/04/18(水) 15:23:12 ID:CCbXuZ4H
いくら兵隊がたくさん死んで得た権益だからってアジアへの侵略を正当化するのが間違ってるんだよ。土人を教育したおかげで文明化できただろとか傲慢すぎる。欧米も日本も手法は一緒。
全くその通りだけど、ここはそれを語るところじゃないでしょ?
636 :
名無し三等兵:2007/04/18(水) 16:13:55 ID:YuI0QVrp
中国で憲兵してたらしい
オレが生まれる前にガン死んだから詳しくは分からんが・・・
満州爆破!
638 :
632:2007/04/18(水) 16:44:12 ID:???
>633
よくわかりました。おおむね同感です。
>634のような池沼にも分かる時がくるだろう。
おいおい、634は池沼ではないよ。
スレ違いはその通りだが…。
>632
> 誰が懺悔するのか明記しないと
当時の指導者と軍令部と、それ担いだ臣民と
現代の国民だろうが
戦争指導者のやり方や、日本の軍隊の異常性や、戦争の意義について疑問を持つ余裕すらなかった戦時中を過ごした元兵隊たちは戦後に上官とか憲兵を凹したりしなかったのかな?
>>641 戦争の最中に、戦争の意義について疑問を持つ余裕のある兵隊がたくさんいるという、
そんな夢の国の名前を教えていただけないでしょうか?
やっぱ北朝鮮ですか?
祖父は真珠湾攻撃の時は鳳翔の整備兵。
珊瑚海海戦時に瑞鶴に乗っててマリアナ沖で大鳳に。
んでも生き残って終戦時に大分で宇垣さんを見送ったと云っている。
>>643 突然爆発したんでしょ?>>大鳳
よく無事に帰ってこられたね。すごい強運。
>>644 大鳳が魚雷を喰らっても当初はたいしたことはなく、
「( ´_ゝ`)(´<_` ) 流石不沈空母だよな」といってたらしいが、
リフト?(エレベーター)が中途半端に壊れて、甲板士官命令で資材で上甲板を
手の空いてる人たちで攻撃機が着艦出来るように埋めたらすい。
その後艦内で酸欠か燃料タンクから漏れた気化したガスの中毒かなんかで周囲の
人たちが倒れ始め、気分の回復ついでと帰ってきた攻撃隊を上甲板で待っていた
祖父は退艦する余裕があったらしい。
んでも艦で仲良くなった山形出身の人たちの多くが艦と一緒に沈んだらしい。
山地育ちの山形の人が新鋭空母大鳳に多く乗っていたというのは運命の皮肉か。
@最後は空母に乗る搭乗員が少なくて陸地の「コウカン(?)」扱いで九州にとばされ
宇垣さんの彗星を整備していたというのはなんともいえないところである。
>>641 このスレや前スレ前々スレ読めば、
『何故か後から飛んできた弾丸に当って戦死』とか、
『何故か突然最上甲板から足が滑って海面に転落戦死』とか、
何例もあったです。
>>642 人間は機械ではありませんので、上記の様な事が発生します。
しかし、それと『義務を果たす』ことは別です。
>>645 すげえ・・・
まわりの人たちが倒れ始めても自分は倒れず、たまたま上甲板に上がり・・
ほんとにタイミングだけで生死が分かれたんですね。
650 :
名無し三等兵:2007/04/19(木) 21:56:41 ID:MlCBO57F
気色の悪い書き込みがふえてんなぁ。
ひとつネタ投下
大学ん頃に、同じ部活のやつが爺さんの手記なる物を持ってきて見せてくれた。文芸部だったからそいつはその手記を出そうとしてたみたい。
そいつのじーさんは戦時中に単発機のパイロットで、まあ大した戦果もなく砂漠から砂漠へ飛び回ってたらしい。
ある時、皆で着陸できそうな場所を探してたら、下に何機かの飛行機が見えて、着陸したんだと。じーさんは制空下?だから疑いもせず真横に着陸。
そんでそのまま滑走しながら戻ってきて横に停めると、なんと丸いマークが!!!
じーさんはそのマークが敵の物と直感して、皆で相談。しばらくして隊長が
「ごまかす、俺に任せろ、喋るな」
って言って、素知らぬフリして皆で降りた。
しばらく隊長が何やらしゃべくる中、じーさんと部下はタバコをすすめてくる敵に怪しまれないように、そのタバコ吸ったんだと。
それが結構旨かったんで、部下の一人が思わず自分のタバコを差し出しちまって、敵が気付いた。
それでじーさんはとちくるって銃を取りだそうとしたんだけど、何故か隊長がそれを制止して、敵味方で飯くってから飛び立って別れたらしい。
「言語が通じれば、我々は簡単に友人にもなれる」
って隊長の冗談が忘れられないと書いてあった。
>>650 〃∩ ∧_∧
⊂⌒( ・ω・) < 『アフリカの鉄十字』乙 、っと…
`ヽ_っ⌒/⌒c
⌒ ⌒
松本サン?
>>645 大鳳は舞鶴鎮守府の所属艦だから、下士官兵は基本的に舞鶴鎮守府が兵籍簿を管理する者が乗り組む。
で、山形県は舞鶴の管轄だから。
>>654 さんくすです。
海に面してる処に住んでいるとか泳げる人メインといったモノで区分けをしていたわけではないんですね。
656 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 07:30:26 ID:8jmO/Yvu
おれいま17歳なんだけど本屋でたまたま[17歳の硫黄島]っていう本見つけて買って読んでみた。爺様世代って根性ありすぎて涙が出てきた。おれ今まで根性とか無縁でダラダラ生きてきたけど頑張って大学行って社会に出ます。
657 :
名無し三等兵:2007/04/20(金) 07:38:48 ID:0UeGtvLi
うちのじいはビルマにいってた 志願兵でまあ軍曹だけど狼にいたらしい
658 :
650:2007/04/20(金) 09:48:49 ID:kjywqC8q
やっぱ駄目か(^o^)/
一般的な空母と艦載機との交信
J( 'ー`)し とむきゃっとへげんきですか。いまめーるしてます
(`Д) うるさい死ね メールすんな殺すぞ
J( 'ー`)し ごめんね。えんたあぷらいずはじめてめーるしたから、ごめんね
(`Д) うるさいくたばれ、メールすんな
J( 'ー`)し 燃料補給しておきました。たいせつにつかってね 敵艦隊はいますか?
(`Д) 死ねくそ空母
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
o
___
空 | ゚
母 |
の |
墓 | ∴ ('A`)カーチャン..........
───┐ ∀ << )
>>661 ハイッ! 良く出来ました
オムツ忘れずにおやすみね
663 :
名無し三等兵:2007/04/24(火) 00:06:07 ID:Pn7ZdQqf
俺の父親の従兄の話。
昭和19年10月に熊本の予備士官学校を卒業後、サイゴンの南方総軍に
出頭の命令が出たので、輸送船に乗りこむ。
途中船団の船が何隻か沈められ、同期生の何人かは泳ぐ羽目になった。
何とかマニラまでたどり着いたとき、現地軍への編入の話があり、
海水浴組を含め半数以上の者が船に乗るのを嫌いその話を受け、
そのまま転属した。
しかし、先任であった同郷のJ見習士官(のちMに改姓 後地方銀行頭取)が
「わしらはサイゴンに出頭するよう命令を受けている。」と言ったので、
父の従兄もその意見に賛成してサイゴン行きの船に乗った。
結果は残留組は1名を除いて全員戦死。
出港後は、機関故障で数日漂流していたが、ある日通信室から万歳の声が
聞こえたので、何事か聞いてみると、敵がフィリピンに上陸したとのこと。
助かったから万歳をしていたらしい。
結局サイゴン到着後は、南支から歩いてきた九州の部隊(確か歩兵227連隊)
の機関銃小隊の小隊長を勤め、終戦はシンガポールで迎えた。
まだネタはありますが、眠たくなったのでまた明日以降書きます。
664 :
名無し三等兵:2007/04/24(火) 14:56:04 ID:jbCIcxe/
南支から徒歩でベトナムへ?!
すまないがこれは祖父の戦争体験ではない。
大叔父のことなんだが、今話題になっている硫黄島で戦死した。
軍属という身分だったが実質兵隊扱いでちゃんと靖国へも祀られた。
暇があれば硫黄島へと向かいたいと思いながらここに書いている。
>>664 満州から重慶まで歩いた部隊がいるくらいだから
667 :
名無し三等兵:2007/04/24(火) 21:04:36 ID:8gbPfOfO
>>666 ??重慶までいってないでそ?日本が中国奥地まで進んだのはラモウ、トウエツじゃん
何もわかりません一回目の軍歴で金鵄勲章、青森の出身でロシア戦争ですか??
(中国で戦ったとの事、かわやに行ってる間に、隊が総攻撃にあい全滅)
二回目、馬に乗れず、騎馬兵?不合格。兵役免除。
昭和15年ぐらいに50歳くらいで病没?
669 :
名無し三等兵:2007/04/24(火) 23:01:32 ID:IdknXKce
小説やエッセイを書いていた大叔父。
田舎の徴兵検査で職業欄に「文筆業」と書いたら、
「どんな物を造っているのか?」と試験官に訊ねられた。
文房具や鉛筆の製造業者と勘違いされたらしい。
爺さまの話では無いが、某海軍墓地で墓守やってる方から聞いた話。
島風や榛名に乗ってたそうだが凄い色々聞かせてくれた。
レイテの後油が無くて動けなかった榛名の雰囲気、大戦末期だからピリピリしてそうな感じだが、結構ノンビリしてたそうだ。
防空指揮所で見張りやってる部下がサボってないかこっそり見に行ったら案の定数人で煙草吸いながら談笑してたらしい。
注意しようと声をかけた途端、他の艦が対空戦闘を始めうやむやになったそうだ。
榛名は停泊したままバンバン主砲を撃ち、駆逐艦は港内を走り回りながら撃ちまくっていたらしいよ。
先日仕事で呉に行った時、たまたま入った喫茶店でご老人二人が同じ話をしてて驚いた。
利根が何機落としたとか駆逐艦が元気に頑張っとったとか榛名の主砲は凄かったとか。
さすがに上記の見張り員の人では無いだろうがw
671 :
名無し三等兵:2007/04/25(水) 01:53:00 ID:iWqy+TFQ
>駆逐艦は港内を走り回りながら撃ちまくっていた
笑うとこじゃないけど前後を読んだ後で読むと
小学生がドタバタ走り回ってる場面と同一視してしまって笑ったwww
672 :
名無し三等兵:2007/04/25(水) 11:14:30 ID:fMelcvN/
昔、対戦車隊に居たと言う学校の先生から聞いた話
47mm砲でシャーマン撃破する方法は
車体下面のハッチを狙えとの事
戦車が対戦車壕乗り越える時一瞬下面が見えるから
そのチャンスで仕留めるんだそうだ
そのための訓練を大真面目でしたらしい
距離は100〜300(((ガクブル
失敗したらどうなるか、聞くまでも無かったから聞かなかったけど
あの時聞いておけば良かったな。
親父から聞いた祖父の話なんだが。
祖父は戦時中になぜか色々な車の免許をもっていたらしく、戦地では兵隊を乗せて目的地に上陸させる浜辺まで乗り上げられる船?みたいなのを運転していたらしい。
終戦は中国で迎え、しばらくビルマで捕虜になり、帰国したらしい
674 :
名無し三等兵:2007/04/25(水) 11:45:48 ID:D9LsDsHD
終戦後の話で、戦時中の体験談とかを戦記としてまとめて
どこかの出版社に持ち込んだ人の話だと
戦時中は、武勇伝的な本が売れていたから、採用されるかと
思っていたら、やっぱりGHQの検閲とかが続いていたのでボツ
戦後の米軍の横暴さとかも手記にしたけどボツだとか
戦後多くの体験談とか 手記とかも出てるが
昭和30年以降 つまり戦後10年以上経過してる
結構積極的だったのが、左翼系の雑誌社で、結構採用してくれて
高い値段で採用してくれたので、ホイホイ投稿してたらしい
喰えなくなった元帝国海軍やら陸軍のエライ人らが、「自己弁護」の投稿して高い原稿料
左翼の人らは、軍国主義の批判材料に利用
まあ「倒産した軍隊(会社)」のエライ人らだったから、戦争の反省も多少あっても、オレも「戦争被害者」とかの弁
案外、戦後左翼にネタ提供してたのは、旧軍のエライ人たち
戦後の戦記やら見てると、階級により、戦時中の戦争経験がかなり違う
案外、「ウソ戦記」も多いらしいが、戦後のドタバタに、ウヤムヤだとか
父方のじーさんの話
・陸軍。終戦時台湾で高射砲要員やってた。
・戦争終わっちまって手榴弾が余ったので、海に投擲して魚をとった。
・で、脂ののった魚をたらふく食ったが、ろくな物を食べてなかったので全員腹を壊した…
母方のじーさんの話
・海軍。ニューギニアにいた(ことがあった)。輸送船に乗ってた。
・戦死の通知が出されていたらしく、復員して帰宅したら女房は腰を抜かし、娘にはぎゃんぎゃん泣かれた。
・帰宅後、召集されてからずっと身につけていたお守りを開いてみたら、安産のお守りで二人でワラタ。
軍事的にはちっとも面白くないハナシですまんです(´・ω・`)
うちのじいちゃんも戦争に行った
場所はインドネシア
環境は悪く二度と行きたくないとよく言っていた
そんなじいちゃんも去年の夏死んだ
享年89歳
じいちゃんさようならノン
677 :
名無し三等兵:2007/04/25(水) 14:45:27 ID:zPvEGJ+f
うちの曽祖父の部下、千人単位で戦死したんだけど曽祖父は長生きした。
ゴメン
679 :
名無し三等兵:2007/04/26(木) 01:07:34 ID:BU+38tw+
朝鮮戦争で零下の夜に蛸壺掘って寝たらしい。本人曰わくもう二度と朝鮮には行きたくないと。
黒人兵が差別されていたが、命を救ってくれたとか。
ケネディ暗殺を目撃したとか。下士官でベトナム戦争にも参加したとか。
テト攻勢はマジでヤバかったとか。
チャキチャキのアメリカ人だった昔の学校の英語の先生の話。
話しているとアメリカ人の価値観とかよくわかったなぁ。英語のスキルもかなり上達したなぁ。
恩師だよ。なつかし…元気かなぁ…
旧日本海軍が英国海軍を助けた美談。真の日本人はかくのごとし。
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工藤 俊作(くどう しゅんさく、1901年(明治34年)1月7日 〜 1979年(昭和54年)1月12日)は、日本の海軍軍人、海軍中佐。
1942年3月、駆逐艦「雷」艦長であった際、スラバヤ沖海戦で撃沈された英国艦船の漂流乗組員422名を救助したことで知られる。
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戦場のラストサムライ
http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/366/p366_3.html ---------------------------------------------------------------
(動画)
http://z02.zupload.com/download.php〜file=getfile&filepath=24503
青字で「Download file」と書かれた箇所をクリック。
かくのごとし、より「かくあるべし」の方が説得力があると思うのですが
輸送船に乗ってたじいさんは
「駆潜艇の護衛が…」と話すのだがこれは哨戒艇のことなのか?
結構、当時実際に使ってた用語って今と違うもんなのかね。
元高射砲砲手
そん時の口癖は「こんなん当たるかっての」
終戦後はひたすら労働に精を出す
家のじいさんは通信兵だったらしい、人手不足から衛生兵も兼ねていたらしい、その為か前線には配置されずに、ほぼ無傷で帰ってきました
家のじいちゃん!
昭和16年5月1日横須賀海兵団入団
で、陸軍の兵隊を乗せた輸送船(日本〜フィリピン)を潜水艦から護衛する為、駆逐艦(艦名はるさめ?)で爆雷を落としてたらしい!
対空戦闘時には機銃も撃ったと言ってた。
昭和19年11月20日に震洋特攻撃隊に行けと命令。
アモイ(携帯では何故か変換出来ない)に基地が有り、ボートに爆弾積んで敵船に体当たりをする為の訓練をしていたとの事。
アモイに居た日本陸軍の中には、阿片を作る専門の部隊も有ったらしい。
この辺までは、詳しく教えてくれる。
昭和20年8月15日アモイで終戦
収容所に送られ、悲惨な目に有ったらしい。
この辺から口数が少なく…。
昭和21年2月11日鹿児島港上陸復員
海軍上等兵曹で、辞めて帰って来たんだと。
今年83歳になるじいちゃんだけど、元気に畑仕事してる。
父方の方じいさんは戦争末期に徴兵されて515連隊という連隊に入ったそうだ。
でも訓練中に戦争が終わって幸い前線へは行かなかった。この前会いに行った時、
加越戦友会という所が出した本を見せてくれて、その中に当時のじいさんが映っている写真があった。
徴兵される前は商船や軍艦の建造に関わってたそうだ。
母方のじいさんは体が弱くて徴兵はされなかったそうだ。
正直、父方の方は話を聞いたのが正月の頃だったからあまり覚えてない。父方の方はまだ健在だから今度改めて聞いてみよう。
うちのじいさんは海軍で通信兵だが、
乗ってた艦は海ではなく中国の河を航行していたそうな
中国の河はでかいから軍艦も入れるのだなあ、なんて思いながら聞いてたが、
深さはあまりないだろうし……小さい艦だったのかな?
>>689 砲艦じゃないかな?
主砲は76oと重機関銃だっけ?
歴史群像に詳細が乗ってたハズ。
>>689,690
多分河用砲艦。
「300トン前後で八センチ高角砲を前後に一門備えていた。
長江は波こそ少ないが流れが速く、水深の変化も激しいところに
使われるので、艦底は広く平らで喫水が浅く、乾舷も低く、
ゲタ船という愛称(?)があった。(略)
名前は近江八景から取った「堅田」「比良」「保津」「瀬田」などのほかに
「伏見」「鳥羽」などがあった。
これらの艦は内地で建造されたのち、乾舷の上に波よけの板を張って
東シナ海を渡ってきたとの事で長江筋の上海、南京、長沙、漢江、九江、
重慶などに分かれて碇泊したり、長江を上下したりしていた」
(軍艦メカ開発物語 海軍技術かく戦えり 光人社)
>>688 造船技術者を一兵卒として引っ張るなんて・・・
>>692 うちの爺さんは長崎三菱造船所で武蔵の造船委員だったけど陸軍に召集されて昭和19年に陸軍上等兵で出征してますが、なにか?
>>690-691 ありがとう、それらしい写真を見ることが出来た。
思ったよりは大きいんだな。でもそんな船でよく日本海を渡ってこれたもんだ。
健在なので機会があったらもうちょっと聞いてみる
造船技術者でも熟練工じゃなきゃ引っ張られるのでは?
巡洋艦以上の船は軒並み建造中止しているし。
>>696 作らないから、工廠やドックは要らない、
なんて事にはならない。
損傷した艦艇の修理は?
護衛空母や駆潜艇、海防艦の建造は?
水中高速型潜水艦などの新艦種の開発は?
造船技術者を陸軍として引っ張るなんて・・・
もう負けパターンに入っててやめればいいのに続けてたって事スカ?
本土決戦用貼り付け師団編成する頃には現場以外は間接部門、管理職も含めて徴兵対象でしょ。
何日か前に初質の質問に答えるために、国勢調査の人口変動を調べて計算したら、
1941年に20から30歳だった男性は、1945年には4割以上がお亡くなりになってましたね。
(いうまでもなく、戦死、戦病死が主原因でしょう)
そりゃ、兵隊さんとして最適なこの年齢の男性が、5年間で半分近くもいなくなってしまうのなら、
誰彼構わず、根こそぎ動員しちゃいますますわな。
ただ、この世代というのは労働の現場でも当然必要なんですよねえ。
生産活動の主力なんですよねえ。
結婚して、子供を作って、それを養わなきゃならん世代でもあるんですよね。
それを思うとねえ・・・・
702 :
名無し三等兵:2007/04/27(金) 18:44:43 ID:xifKow/D
四割ってマジ?! 大正後期生まれが異常に少ないのは戦争のせいだな
703 :
701:2007/04/27(金) 20:38:15 ID:???
マジなんですよね、それが。
もっと正確に言うと男性人口の変動率を弾きだしたんですけどね。
1940年の国勢調査で21から25歳→1945年の国勢調査で25から30歳の生存率54%
1940年の国勢調査で26から30歳→1945年の国勢調査で30から35歳の生存率57%
ある程度は復員していなくて海外にまだいるとしたって、
やっぱり4割からの人口減=死亡という結果になるなと考えられるわけです。
せっかく蘊蓄をご開陳中に誠に無粋な話だが、
昭和20年の国勢調査(簡易調査)は戦争の影響で中止になって行われていない。
代替として人口調査が行われているが、これは内地・外地を問わず陸海軍の部隊・艦船にある者は調査対象外。
だから、昭和15年の国勢調査と比較した場合に減少している分がすべて死亡した、という推定は正確さを欠いている。
(昭和15年の国勢調査は軍人・軍属を含んでいる。)
昭和22年の臨時国勢調査や、25年の国勢調査と比較してみたことはあるのかな?
706 :
名無し三等兵:2007/04/28(土) 02:28:00 ID:rfgRvR+7
159 Name: 本当にあった怖い名無し [sage] Date: 2006/07/18(火) 14:00:04 ID: wHHDFJSB0 Be:
私の祖父は太平洋戦争の天王山といわれるミッドウェー海戦に参加していました。
祖父は空母飛龍の機関員だったそうですが、沈没間際に退艦のさい艦橋を見ると
山口司令と加来艦長が抱き合ってキスしてたそうです。
ほんうだとしたら怖い話です
>>706 鳳翔から飛び立った索敵機が、夜の海を炎上しながら漂流する「飛龍」を発見。
さらに、飛行甲板上にたたずむ2人の人影を確認する・・・
山口:「良い月だなあ、艦長、二人で月を賞でなから語ろうか」
加来:「じつに良い月ですね。私は月のとても良い晩に生まれたそうですが、今日もまた良い月の下で、
しかもこんな良い死に場所を得て、幸いです」
飛龍は萌えてもいた!!
というのは、結構人口に膾炙されている話だが、
実際には有り得ない。
(第一、上記の会話を聞ける者が居たはずが無いし、夜間に艦載機は飛べない)
件の加来艦長が総員退艦を決意したのが午前3時ごろ、
二人を残して処分の為の魚雷が発射されたのは夜明け直前午前5時ごろと言われている。
が、
実はその魚雷でも飛龍は沈まず、
鎮火不可能、と判断された火災も翌日の午前中にはなんと自然鎮火してしまう。
その後、艦の最下層の機関室からなんとか抜け出した機関科員が穴だらけの飛行甲板に辿り着いたのが昼頃。
(飛龍の被害は中甲板から上で、機関科員には被害無し/ちなみに火災が一番酷かった時でさえ機関は全力発揮が可能であった)
その時間までに山口司令と加来艦長はとっくに自決した物と思われる。
その後、夜が明けてから上記の鳳翔から飛び立った索敵機(なんと九六艦戦であったといわれる)が鎮火した飛龍とその甲板上の生存者を確認、
「ありゃ?曳航して回収出来るんじゃねぇの?」
と駆逐艦を派遣したが、
(なんせ九六艦戦の行動範囲内なので近距離である)
その頃にはようやく魚雷の開けた穴が効いて来て、
飛龍は沈んでしまっていた、という空しい話。
708 :
名無し三等兵:2007/04/28(土) 08:12:16 ID:vY1fQzoF
地元にミッドウエーの勇士、友永丈一の生家跡が有る。家は無く石碑のみだけど…。
俺のじいさん、海軍だったけど前線には行ってないらしい。
中佐で技術屋だったんだが、それって普通のことなのか?。
親父がはっきりした話をしてくれないんだ。任務の内容を
知らされてなかったのか。あるいは単に親子仲が悪かったのか(笑)。
あ、ちなみに俺は親父をはっきりと嫌ってます(苦笑)。じいさんの
育て方が悪かったからだと、お袋から聞いてるし。
普通とは言えないが佐官クラスで技術屋なら研究開発の指揮官として艦隊勤務にならなかったのかも。
うちの祖父は自分が物心つく前に他界したので祖母に聞いた話しでは
歩兵としてガダルカナルに行きなんとか生還してその後サイゴンで終戦をむかえたらしい
軍旗を現地で焼却処分させられた時の事は後々まで悔しがってたそうだ。
うちの家系は俺の知る限りなぜか従軍した人はいないらしい。
ちなみに戦前は父方の祖父は次男坊で果樹園経営。戦後も継続。
母方は福島出身の三男坊で東京の鉄工所勤務だった。戦後は独立して鉄工所経営。
今は二人とも他界して聞く術もないが母方の祖父は生前に母が聞いても教えてくれなかったそうだ。
>>668です。
立見中将の第八師団ですか?
詳しい人教えてください。
二回目が騎馬兵なんですか?何で馬乗れないぐらいで兵役免除になるんですか?
>>703 自分で調べろ、と言われてしまいそうですが、そこまでの計算ついでに、お願いしたいのですが。
その年代が1950年時点で増えているかどうか、というのがわかれば、
最終的な生存率が確定すると思うのです。
>>705、
>>714様の言葉を受け、再計算をしてみました。
また、
>>701における自分の書き込み、酒かっくらいながらの記憶書きで、間違いもあったので、ここで慎んでお詫びと訂正を申し上げます。
1940年の国勢調査で21から25歳→1945年の国勢調査で25から30歳の生存率54%
1940年の国勢調査で26から30歳→1945年の国勢調査で30から35歳の生存率57%
を次のようにに訂正します。
1)1940年の国勢調査で15から19歳→1945年の国勢調査で20から24歳の生存率54%
2)1940年の国勢調査で20から24歳→1945年の国勢調査で25から29歳の生存率57%
それで1950年の国勢調査結果を加えて、計算してみました。
1)のグループ
1945年の国勢調査で20から24歳→1950年の国勢調査で25から30歳の人口変動率約141%
2)のグループ
1945年の国勢調査で25から29歳→1950年の国勢調査で30から35歳の人口変動率約149%
はい・・・海外からの復員もあり、社会が安定して調査がキチンと行われ、案の定、相当数の人口が回復しています。この辺、検証の甘さがあり、申し訳ありませんでした。
ただ、トータルで見てどうかというとですね。
1)のグループ
1940年の国勢調査で15から19歳=3,717,483人
→1950年の国勢調査で25から30歳=2,847,983人
減少数=869,500人 生存率76.6%
2)のグループ
1940年の国勢調査で20から24歳=3,057,395 人
→1950年の国勢調査で30から35歳=2,382,599 人
減少数=674,796 人 生存率78.0%
前回の計算結果が結果なだけに、少々インパクトが弱いですが、やはり、先の戦争の影響は数値的にはやはり大きく、見逃せるものではないのではないかと。
717 :
名無し三等兵:2007/04/29(日) 20:28:55 ID:ht2o+4x2
そもそも日本人の戦死者ってどんな数よ?てか徴兵されなかった人って何が問題なの?
戦死者はドイツのが多いらしいが。
>>715 俺は興味ありました。
ありがとうございます。
>>716 俺のじいさんは海軍兵学校卒業してインパールで戦死したけど死亡率とか生存率は気になるぞ。
33歳で戦死したんだからな。
おかしなチャチャいれるな。鬼畜がよ。
兵士ではない民間人だけど、祖父が終戦したとき満州にいて、ソ連軍に捕まってたらしい・・・
ちゃんと生還できたから自分が生まれているわけだけど、民間人はシベリア送りにはされないのかなぁ??
ソ連兵が時計のネジが巻けないって話はやっぱり本当らしいw
>>720 満州に来たソビエト兵はボルトアクションの意味が解らないような奴ばかりで馬鹿が多かったそうだ。
つか、字も読めない奴が大半だったそうだ。そんな連中が日本が武装解除したとたんに襲いかかってくるわけだから
米軍よりも露助のほうが嫌いな人も多いんだよ。
>>715 帰って来るか帰って来ないかの違いでしかない。
>>717 戦死者はドイツのが多いらしい
死んだ内容が・・・
例えば、
ガダルカナル戦では二万余名が『戦死』したが、
実際に戦闘が原因で死んだ者は、五千名程度と言う。
(ほぼ全滅した一木支隊の約一千名を含めて)
後の一万五千名は、ことごとくが飢え死にである。
>>715 714です。早速どうもありがとうございました。
こういった数字の検証は本当に大事ですね。
20%が消える・・・でかいです。戦後、中卒の労働者が大量に必要になったのもこの辺ですかね。
725 :
名無し三等兵:2007/04/29(日) 22:05:06 ID:Bjp9HZ7l
伯父は陸軍少年飛行兵で搭乗機は二式戦…国内にて終戦を迎え、昭和軍刀と拳銃のみを持ち部隊は解散…軍旗と愛機を燃やし仲間と泣きながら解散したそうです。
726 :
名無し三等兵:2007/04/29(日) 22:27:28 ID:ht2o+4x2
関東軍てなんで民間人見捨てて逃げたの?朝鮮あたりで反撃しようとか考えてたの?
ちなみに知り合いの元関東軍のおじいさんは、
バ イ カ ル 湖 で 汽 車 か ら 飛 び 降 り て 骨 折 したが脱走に成功して徒歩で復員しますたww知り合いを見てるとDNA受け継いでるな…と思ってしまうww
>>726 俺の親戚は徴用中に機銃掃射で「鼻」を吹き飛ばされてるけどな。
お前は関東軍が悪いと思ってるのか?
>>726 関東軍の前線部隊はそこかしこでけっこうと善戦してるんだぞ。
だが、質も量も赤軍は圧倒的だった。
一目散に後退していったのは司令部。
一応、最悪は朝鮮半島の国境地帯まで引いて持久ということなんだが・・・。
前線部隊を見捨てて後退したという誹りは免れえないだろう。
あと、バイカル湖の傍でという地理条件からして、
その知り合いの関東軍のおじさんは、恐らくソ連に抑留されかかり、
その途上で脱走したんだろう。
前線で戦いつつ、後退し、休戦になり、生存条件劣悪な労働キャンプに送られる直前で
九死に一生を得たというところだぞ。
729は、いったい何に文句を付けたいのかな?
流れからして、何でいきなり728のIP晒すと言ってるのか、
サッパリ判らんが。
>>730 お前が検証しないからこっちも防御手段としてIP晒すと言っている。
おーい、身内の話をしてくれ。
>>731 ん?
何を検証??
何から防御するの??
>>733 ググるか辞書かなにかで調べろよw
アルツハイマー末期かよww
>>735 お前の友達はそのものが汚染されてるんだよww
738 :
名無し三等兵:2007/04/30(月) 00:40:51 ID:GCuYltLw
>>726 主力は、当然ながら、中国と南方が大変なんでそっちに移動済み。
残りかすみたいな部隊で、それでも民間人を守るべく必死で防戦し、玉音放送で降伏し、武装解除させられ捕虜になり、シベリア送り。っていうのがホントのところのようです。
741 :
名無し三等兵:2007/04/30(月) 04:20:15 ID:XUG+78sE
>>263 半島に結構いるという「元・日本人」から話を
きいてみたい気がする。
ダメか?
742 :
名無し三等兵:2007/04/30(月) 09:44:34 ID:vINUS2SN
うちのじいちゃんの戦争話はあまり聞いたことがないんだが、
小学生のころ、カーチスP-40の載った本を見ていたら
「中国戦線で撃墜したことがあるよ」
と。
小隊で移動中に掃射を受けて、全員で対空射撃(もちろん38式で)
3回目の掃射後に墜落。
警戒しながら墜落現場に行くとP-40は木に激突していて、
パイロットは既に死亡。
「白人でなぁ、頭が割れて脳みそが出ていたよ」
どこにあたって落ちたのかは不明ながら、連隊本部に報告すると
撃墜と確認されて、全員分のタバコと酒がもらえたとか。
ただ、小隊のうち6名が戦死。負傷者5名。
この後一時日本に帰ってきて、うちのお袋が生まれたから、
この時生き残ってくれたことに感謝。
再度中国に終戦まで出征。見事に生き残って90超えた今でも
10キロぐらいなら自転車で移動している。
しかし今考えると
「中国戦線でP-40で白人パイロット」
って・・・フライングタイガース?
743 :
名無し三等兵:2007/04/30(月) 10:06:50 ID:G377hjZ8
>>719 質問なんだけど、インパール作戦に参加した海軍部隊って何?
可能性としてあるのは航空機での支援だと思うけど、海兵出身で
33歳ならばかなりの地位だよね?それほどの指揮官が参加した様な
大規模な作戦って聞いた事がないんだけど。
それとも陸戦隊も参加していたのかな?無知で御免!
うちの父方の曾おぢいちゃんのお墓には、
203高地で死んだと書いてあった。
子供の頃だったので、どんな風に亡くなったとか聞けなかったが。
歴史を感じた次第。
>>745 ぜひ映画を見てくれ。
曾祖父さんは英雄だ。
英雄というよりかは、北海道の招集のはずだから、
多分、ただ、機関銃でミンチになっただけかと。
>>747 そういう問題じゃないだろ。
あそこに行かなきゃバルチック艦隊には勝てなかったんだから。
いや、うちのひいぢーさんは、北海道の招集だから、単にミンチになっただけのはずなので英雄とかそういうレベルでない。ちなみにひでおといなまえでもない
祖父のことが知りたくてこのスレにたどり着きました。
約15年前に他界した父方の祖父は、戦争についてあまり語らない人でした。
幼い私に話してくれたのは、北方領土に行った・シベリアに行った・
革靴を煮て食べたということぐらい。
私の母には、捕虜になっても手先が器用だったので待遇はよかった
と話していたそうです。
昨年、祖父が生前に書き残したメモと引揚証明書を母が見せてくれました。
そのメモによると
静岡の第一航空情報連隊に入営後、樺太→札幌→樺太と移動、
機械修理要員として第十一対空無線隊に転属→北千島前戦要員
として占守島上陸→占守島三好野にて武装解除。
捕虜となって占守島→カムチャッカ ペトロパウロスク→樺太→
昭和23年12月19日舞鶴港上陸、復員
日付も詳しく書いてあったので、たぶん手帳などから書き写した
のだと思います。手帳は処分したのか見つかりません。
無知な私に教えて下さい。航空情報隊というのは通信兵でしょうか?
また、占守島でのことが詳しく分かる本やサイトがありましたら教えて下さい。
祖父が占守島に上陸した日付は、後の私の誕生日と同じでした。
もっと話を聞けばよかったと後悔しています。
>749自分の先祖の最後を、その様に表現して、何とも思わんか?
752 :
名無し三等兵:2007/04/30(月) 19:22:57 ID:DZN1lcnm
田舎の村の墓で名字がみんな同じようなところに実家があるんだが、名字一緒なら血が繋がってると考えておk?
戦死者イパーイいるよ
それはどうだろう
>>750 >航空情報隊
『バトル・オブ・ブリテン』って映画見た事あります?
あの映画の中で、女性兵士さん達が各所の警戒レーダーからの情報を図表に書き記し、
それに対して別の女性兵士さん達が各所の防空戦闘機隊と連絡を取り、
今度は迎撃した状況を図版に書き込んでいってたでしょう?
つまり、レーダーからの情報とその分析、分析結果による攻撃方法の選定、
その選定の伝達、伝達された部隊からの攻撃結果の集計、集計結果から次の迎撃方法の研究、
といった事を総合的にやってた部署の様です。
もちろん通信も任務にありますし、その通信は暗号化(逆の暗号解析もあり)しなくてはならないのでそういった仕事もありました。
日本の場合は、防空陣地の高射砲の射撃諸元なども計算して連絡していた様です。
(レーダーが少なく探知用と射撃用を兼ねるしかなかったのでしょう)
追伸
>>750 なお、占守島の戦闘詳報ですが、
いぜん同じく占守島の戦闘に参化された方の手記を、
ご子孫がpdfファイルでうpしてくれた事がありますので、
過去スレを5ヶほど読めば見付けられると思います。
>>752 特に陸軍は地元の部隊に配属される事も多かったから、同じ場所で戦死している事は多いね。
古いお寺などに行くと、いくつも個人の慰霊碑があっても、同じ戦闘で戦死している
事は多い。
>>752 名字が全国で使われだしたのは明治にはいってから。
んで、自分の名字は結構自由に決められたんで面倒な人なんかは神主さんとかに決めてもらったりした。
流行があったようで「藤」が好まれてたようだ。例えば佐藤、藤本みたいに・・・
ちなみに俺のひいじいさんの里は○○村なんだけど○○姓ばっかりだ。もちろん親戚も多いけど他人も多い。
>751
いくら戦死を言葉で飾っても実際は
そんなもんかもっと酷い事だろうさ
759 :
名無し三等兵:2007/04/30(月) 23:52:30 ID:YsRfKP4a
663です。
連隊配属後の話を。
歴戦の九州人の部隊に見習士官の小隊長として配属。
機関銃隊の将校は乗馬本分なので、1頭馬をあてがわれたそうだ。
なんでもその馬は、20年の3月に仏印でフランス軍を撃破した際
「ミレー少佐」という将校から分捕ったとのことだった。
また、そのときの戦闘は、フランス軍の兵舎に投降勧告をしに行った際、
交渉に当たる将校1人以外はベテランの下士兵に将校服を着せて、
交渉決裂となった瞬間、下士兵が大暴れして難なく全員捕虜にしたそうだ。
部下の兵隊はその時の戦闘に参加しており、「フランス軍はチャ○コロ以下の
弱虫だった。」と言ったそうだ。
誰かこのような戦闘の裏づけをご存知でしたら、お教えいただければと思います。
>>757 藤は日本トップの名門藤原氏に憧れてみたいですな。
藤原とそのまんまの苗字にしている人もいる。
知っているのを承知で書くが、ちなみに元々藤原の氏を持っている名家は今は近衛、九条などの苗字
を使用しているので、藤原さんが藤原氏の名家の可能性はほとんど少ない。
>>759 熊本編成の歩兵第225連隊が、仏印のランソンで仏印軍を相手に戦闘をしています。
ただし、かなりの抵抗の為に激戦(数は仏印軍が勝っていた)であった為、
お話とはちょっと違うかもしれません。
ちなみに、仏印軍は兵員の約8割がベトナム人でした。
762 :
750:2007/05/01(火) 00:54:56 ID:???
>>754-755さん
詳しいご説明ありがとうございます。
祖父の体には特に大きな外傷もなかったので、後方支援のような役目だった
のではないかと考えていたのですが、やはりそうだったんですね。
父や弟が高校で電子科を選んだのは、祖父の血なのかな?と思いました。
恥ずかしながら祖父のメモを見るまで占守島での戦闘はおろか、
島の存在も知りませんでした。
今は手元に携帯しかありませんので、連休が終わったらPDFファイル探してみます。
ありがとうございました。
ベトナム兵なら強いだろうな
>>751 自分の肉親だからこそ、飾らない事実を表現できる。日露戦争は普通の戦争で勝てて心底よかったと思っていますが、「英雄」だなんていわれるとむしろぞっとする。
犬死にとは思っていないし、ひーぢーさん他の皆さんのご苦労があってこそ、今に至ると、英霊を偲ぶ思いはある。ただ、だからといって、北海道招集の師団は要塞戦に対する無策のためにただミンチにされただけであったことはかわらない。
>>758 ○。餓死や戦病死よりはむしろよかったのかなと思うのは不遜だけど本心です。
766 :
755:2007/05/01(火) 07:13:52 ID:???
>764それが聞けてよかった。
>758その程度のことは、ここに来る多くの人が知っているよ
ご親切な書き込み、ありがとう。
「ミンチ」より、現実をより正確に表現できる言葉があれば
提案してほしい。
>>765さん
>>766さん
ありがとうございます!
一部、携帯からも読めるところがありましたので早速読んでみます。
ありがとうございました。
764だけども、
それが聞けてよかったと上から言われるのもなんか変だぞ。
>767は自分が上の人間だと思ってるんだから
どーしよーもない
退職後に町内会とかで顰蹙を買わなきゃ良いが
771 :
名無し三等兵:2007/05/01(火) 20:55:11 ID:EfJuqJrQ
できればボイスレコで保存してほしいような話ばかりだ。
口伝はどうしても間違いや勘違いでずれていくものだからなぁ
>>757 その説は創価学会が広めたものだよ。
明治以前であっても、庶民には苗字はあった。
ただ公に300年使えなかっただけ。だって、豊臣時代の記録にも苗字は、全員の人が持っていた。
うちは嘉永年代は商人・百姓だけど、14代前の士族だった頃の苗字・安倍朝臣系
の苗字を使って、お寺に寄付したりしてたよ。家計図もあるし、土地の地理史にもうちの先祖
苗字がしっかりのってるよ。
明治の新苗字の人は世代を重ねるごとに先祖の苗字が伝わらないか、四つの人じゃないかな。
もう平成生まれが18歳、大学入る歳かあ
下手したら「おじいさん」が戦後生まれの世代だな
明治生まれは元より、元軍人世代もいよいよ歴史の中に埋もれていくんだろうな
>>774 明治生まれの軍人といえば、
パネー号撃沈で有名な奥宮正武氏が今年の2月に亡くなった。
また貴重な歴史の証言者が消えた。
>>767 つ「肉塊」
つ「かつては人間だったもの(by横山信義)」
ちょっと通ります
778 :
名無し三等兵:2007/05/02(水) 10:00:49 ID:YPSBQPZa
>>774 ワシは戦後の昭和24年製「おじいさん」だよ。
勝手なベトナム反戦運動家に寄付金たかられたのがトラウマ。
779 :
名無し三等兵:2007/05/02(水) 12:40:39 ID:dtxKpe8C
俺の爺さんは、中学卒業後、軍隊へ。
兵(航空課程)からの叩き上げで元陸軍少尉。
百式司令部偵察機など数機種を操縦してきたとの事。
司令部勤務が大半で参謀の輸送もしていたらしい。
それらのせいか、交戦経験は一度も無し。
飯に不自由した事は一度もなく、内地の人間には申し訳ないと良く言っていた。
話を聞いて興味深かったのは、整備兵と常に仲良くしていた、という事。
バナナとかの差し入れも良くしていたらしい。
と言うのも、生意気な搭乗員は将校、下士官に関わらず、整備兵が燃料、整備に工作し
意図的に墜落させることが暗黙の了解であったと言っていた。
「マジ?」と聞くと、真顔で「沢山あったよ」と。沢山て・・・・。
やっぱり、人には恨まれてはいけませんな。
敗戦後は、中国にて捕虜収容所に入る。意外にも、中国人は人道的に捕虜を扱っていたと聞いて、複雑になった。
爺ちゃん家に行けば、今でも必ず戦争の話はする。軍刀を持った写真が飾ってあるけど
なんつーか、カッケー。ただ、残念なのが、軍刀等は没収された事は、仕方ないけど、
勲章なんかは泥棒に持っていかれたのが・・・・みたいな。軍服も復員後に燃やしちゃったらしいし・・・。
こんなのカキコしていたら爺ちゃんに逢いたくなった。今度、地元に帰ったら。爺ちゃん家に行こう。
話を聞きに・・・。後、・・・お金w
780 :
1:2007/05/02(水) 13:49:31 ID:???
>>779 最後の一文字
必ずくれるよな
「父さん・母さんには言うなよ」って言いながら
この前は聖徳太子の一万円札でビックリした W
782 :
名無し三等兵:2007/05/02(水) 23:04:58 ID:Cvewb0IB
最近自殺しようかと考えてて思ったんだが、日本人が大昔から自殺が多いのは遺伝子的なものなのかね?
戦争中のあの悲惨さなら自殺もうなずけるが…
…ヒキるか…
orz
>>782 いえ、あなたの精神の問題でしょう。
さらに言えば、その精神を作り上げたいままでの生活態度。
ところで、↓これを見に行った事があります。
ttp://ww8.tiki.ne.jp/~hidekun/5.htm 引き上げ当時、エンジンから操縦席付近にかけて前からの命中痕が多くあったそうです。
パイロットはおそらく重傷を負いながら、しかも撃たれて壊れたエンジンを操作しながら、
それでもそれは見事な不時着水をやってのけたそうです。
生 き て 帰 る 為 に 。
残念ながら、不時着操作で力尽きたのか、この機体のパイロットは生還できませんでした。
死にたい人は死ねば良いと思います。
ですが、私は自殺なんてしません。
生きる為に精一杯の努力をしたこのパイロットに、あの世で合わせる顔がないから。
>>782 死んでは、ダメだょ!
逆に、考えれば我々は、恵まれて居るのですから…
若くして国の為に、有望な若者達が、命を投げ出し、我々が平和に、過ごせる訳ですから…
786 :
名無し三等兵:2007/05/03(木) 22:32:20 ID:yiTxhEQA
663です。
>>761さん 情報ありがとうございます。
今日、親戚の家に行って、兵籍簿の写しを見せてもらったら、
歩兵第227連隊ではなく、226連隊でした。
いいスレだねぇ。ホロリ
>>786 226連隊(都城)、分散投入でもされたのか、
晋南(山西省)残留部隊?の方々は色々本を出されている様ですが、
仏印での戦闘に関する書籍は検索にHitしませんね。
・・・もしかしたら、やはり相当な激戦で思い出したくもないのでしょうか?
789 :
名無し三等兵:2007/05/04(金) 15:03:12 ID:TGKa4YOP
曽祖父の兄に当たる人が、どこかの歩兵連隊所属の少尉だったそうです。
このことは随分前にもここに書き込んだ記憶があるのですが
大叔母に話を聞いたとき、色々と引っかかった点があったので詳しく聞いたところ
曽祖父の兄は男子に恵まれなかった跡継ぎ某男爵家に、跡継ぎとして養子として出されてたと
のこと。
うちは田舎侍の家系だと聞かされてたけど、跡継ぎって一族以外から出すものなんですかね・・
・(´・ω・`)
790 :
名無し三等兵:2007/05/04(金) 16:00:27 ID:TQUm+XwK
>>1 何年か前の「サンプロ」での再現。
その時の内容は「有事法制をめぐる問題」について。
司会の田原総一郎と福島瑞穂の会話。
田原 「有事立法というのは、どこかがもし攻めて来たらどうするのか、
どう対応するのかという法案ですよ。社民党はこんな物いらないって言う訳?」
福島 「戦争の為の法律は要らないと思いますぅ。」
田原 「そうじゃない、どこかが攻めて来た時のために…」
福島 「いや戦争の為の法律ですよぉ。」
田原 「ちょっと待って、じゃぁもしどこかが攻めて来たら殺されりゃぁ良いっていう話し? 降伏する?」
福島 「うーん…、戦争が起きないように努力する事が政治の責任じゃないですかぁ〜」
田原 「いやだからぁ、日本が戦争する気は全く無いでしょ、今でもない!」
福島 「ただですねぇ有事法制はそんな単純な法律ではない訳ですよぉ。
米軍の活動を円滑にしたり、国民保護法制という名でいろんな人の権利を制限する…」
田原 「ちょっと待ってよ、敵が攻めて来た時にね、国民の人権自由とかで
どこ動いて行っても良いですよっとはならないし、そりゃ規制もしますよ、当然。」
草野厚 「福島さんじゃあね、万が一攻められた時に、社民党は国民をどうやって
守るのかという具体的な案が無いじゃないですか? どうするんですか?」
福島 「うーん、ただ…例えば…非核構想をやるとかですねぇ…」
田原 「ちょぉっと待って! つまり敵が攻めて来るなんて事は有りえない!っと?
こんな夢みたいな事を自民党は言って、どんどん日本を軍国主義化してると、こういう事?」
福島 「…そうですねぇ、私は北朝鮮などを仮想敵国にしながら、
どんどんどんどん軍事国家の道を歩んでいると思いますぅ。」
田原 「北朝鮮と仲良くするんだって…」
福島 「そうです。そういう努力が必要だと思いますょぉ。」
田原 「っとなると社民党いらなくなっちゃうよ」
福島 「ぃやそんな事は無いですよぉ、だって憲法9条を改憲したいと言うのが今強く出ていて」
草野厚 「あの福島さんね、僕は社民党に頑張ってもらいたいと思う。でもとてもついていけない…」
↑こんなお花が咲いてる能天気な政党が未だに議席を取って、何かにつけて騒いでいるから驚きだ。
791 :
名無し三等兵:2007/05/04(金) 16:52:17 ID:+K/WjSw5
時津風に乗ってた
楽しかった話ししかしてくれなかったよ
昭和18年に勲八等貰ってたわ
792 :
名無し三等兵:2007/05/04(金) 21:17:54 ID:oCuPIq8J
おじいさんが戦争体験を語ってる動画とかありませんか?
朝まで生テレビとかそういうので。
横須賀の飛行機工場で働いていた俺の爺さん
ある日艦載機が襲来し機銃掃射をしていったそうだ
爺さんは逃げ遅れ艦載機に追い回されていたが竹藪に逃げ込み万事休す
追加で爺さんは左手の指が一本無い
理由はおしえてくれない
現在も生存中
794 :
名無し三等兵:2007/05/04(金) 21:21:56 ID:oumR9J+k
現在30代前半で親が14人兄弟の一番下でおじいさんじゃなくておじさんが
戦死した俺はダメですか?
795 :
名無し三等兵:2007/05/04(金) 21:49:18 ID:JX7BiK7g
漏れの母方の祖父はたたき上げの曹長(終戦時)だった。
中国大陸では国民党軍や匪賊と闘っていたが、匪賊討伐の際、敵と格闘戦となり、頸部を短刀で刺され、重傷。急所はずれて助かる。
その他迫撃砲弾が間近で炸裂したり、銃弾が腕をかすめたり、とあまたのキズを追う。子どもの頃、一緒に風呂に入ったとき、色々と
キズがあって恐かったな。
最後の戦闘は沖縄戦。とにかく、砲弾や爆弾の炸裂が凄すぎて、頭が破裂しそうだったらしい。しかも初めての負け戦。後退しては
戦い、また撤退・・・・の繰り返し。やれることは拳銃や軍刀、手榴弾をつかった白兵戦のみ。白人兵は巨大で「悪魔」「鬼」のようだったとか。
幾人もの米兵を軍刀や銃剣、拳銃などで殺したらしい。結局、白兵戦展開中、敵の手榴弾で吹き飛ばされ、気を失ったところで捕虜に。
部隊は玉砕。終戦後帰還するも、家もなく、母親は戦災で死亡。父親も肺結核で死亡。ゼロからの出発だったそうな。
その後、旭化成に就職、職場結婚して漏れの母誕生、となったようだ。
沖縄戦で闘った部隊って中国からの引き抜きだったのかな?
796 :
名無し三等兵:2007/05/05(土) 08:13:24 ID:OUIP/IQF
>>793 >爺さんは逃げ遅れ艦載機に追い回されていたが竹藪に逃げ込み万事休す
>現在も生存中
万事休すなのに生存中とは… ご無事でなによりだが。
差し出がましいとは思うのですが、過去スレのurlを
貼り付けてもよいですか?
丁寧に読みたい・・・というか読まなきゃ、と思い、また沢山の人に読んでほしいなと。
自分は何も書くことがないし。
>>797 過去スレのURLを貼っても、
過去スレがHtml化されていなければ読めないし意味がありません。
あなたがまとめサイトを作って、それを今後のスレの
>>1に貼ってもらう、
というなら意味はあると思いますが。
799 :
名無し三等兵:2007/05/05(土) 11:07:16 ID:c2NHlMv9
漏れの爺の友人(8年前に没)
ラバウルにて海軍士官で赴任中
アメリカ軍捕虜パイロットを上官命令により首チョンパ
終戦後、故郷に帰郷
1年後、MPがジ-プで御迎え
巣鴨プリズンに投獄
獄中の間はA級戦犯たちの配膳係り
サンフランシスコ講和条約で放免のち帰省
A級戦犯たちの色紙を多数所持
見せて貰ったが難解な漢字ばかりで読解不能。。。
なを、東条とか広田は落ち着き払った士であったと。。。
漏れの爺は終戦間際は某県の某橋を守る対空機関銃部隊であったが
グラマン機銃掃射の折、めちゃくちゃ応射するも
我軍の撃つ弾が余りの小便弾により敵機になんら損傷なき!
だったそうでつ。
そのとき確信したのは「米国は桁違いや!」
だ、そうでつ。
>>798 ありがとうございます。798です。
専ブラではすべて読めましたが、まとめサイトを作る技量はないので、
よくある過去スレ貼り付けならば、と思った次第です。
スレ汚し失礼致しました。
800は797の書き込みです。重ね重ね相済みません。
わー。801,802とも797です。回線切って吊ってきますorz
見苦しいから半年ROMってろ
●持ちなのか。
>>805 2ch専用ブラウザで、
ログをダウンロードして自ら保管するようなタイプならば、
かちゅーしゃでもA-Boneでもギコナビでも見れます。
つい一昨日、死んだ祖母の大叔父が死んだ。85歳だった。
先月、戦時中の話を聞きに行ったら、身内の人に足を骨折して入院中と言われた。
祖母の三回忌に来た彼に断片的に聞けただけだった。
1941年12月9日に赤紙。
埼玉県鴻巣で部隊編成した後、中支へ。
29師団「極(きわみ)」、12部隊、二等兵、92式重機関銃手。分解して運び、戦闘の際には一分で組み立てできた。
移動は徒歩で馬をあてがわれたが食い合わせが悪く、ばたばたと倒れていったという。
3年目には部隊に片手で数えるほどしか残されていなかった。結局全部死んだ。
僕は国民党軍を相手に戦っていたと思っていたが、そんなことはほとんどなく、のんびりしたものだったという。
1948年になると共産党軍が武器支援を受けて勢力を拡大。国民党軍が日本と同盟を結んで共産党軍に対抗。でも戦っていたのは日本軍が主だったとか。
同年、蒋介石が台湾へ逃げた。
やがて戦友達は南方に引き抜かれ、二度と戻ってこなかった。
転戦を繰り返し、揚子江付近の村で終戦を迎える。
大叔父は「戦争はやっちゃいけねえ、やっちゃいけねえ」としきりに口にしていた。
以上。
809 :
807:2007/05/07(月) 00:31:26 ID:???
>>808 大変ありがとうございます。資料拝見させていただきました。
幸いにも(残された方達を思うと複雑で、あまり喜べませんが)大叔父は1945年8月15日に終戦を迎え、22日(この辺りは曖昧です)に武装解除、2年後に帰国しました。
大叔父曰わく、「北支だったらシベリア行きだったから運が良かった」ともおっしゃってました。
祖母の三回忌の直後、両親から大叔父に縁切り状を渡され、「もううちとは血の繋がりはなくなったから」と訪ねることを許されませんでした。
再三に渡り、両親に掛け合い、大叔父の住所と「大叔父の野良仕事のない休日の雨の日に限り」許しをもらいました。
一度目は
>>807の入院中で駄目となり、そして今日、喪服を着た両親から大叔父の死を告げられ呆然となりました。
もはや大叔父から聞くことが叶わなくなったのが心残りです。
そこまで徹底的に縁を切ろうとするとは、何があったんだろう・・・
>>809 なんだ、1948年 は単なるミスタイプか
812 :
809:2007/05/08(火) 00:25:16 ID:???
>>811 すみません。よく確認しませんでした。
>>810 実は今日の仕事帰りに大叔父と住んでいた家族に会いに行きました。
なんと、彼の息子さんが詳しくとはいかないまでも、色々な話を聞いていたようなので、お互いに時間が取れたら、度々会うことになりました。
で、縁切り状のことなんですが、不可解な事が。
僕の祖母の三回忌が去年の10月末頃で、この直後両親が受け取りました。中には「冠婚葬祭無用」とあったそうです。
彼の息子さんからの話によると、大叔父は12月に質の悪い癌に冒されました。年のせいもあり手術は不可能となりました。
彼が死期が近いのを悟っていたのか、祖母がいなくなったことで直接的な血縁が絶たれたのを理由に、だったのか僕は分かりません。
彼の最期は……僕が彼の立場だとしたら、悲しいことなので伏せさせて頂きます。ただ、自らの意志で死を選べなかった、とだけ。
うちの一昨年亡くなったじいちゃんは、頑固で全く喋らなかったたど、
たまたま亡くなる数ヵ月前に夏休みでじいちゃん家に行って、居間で8月によくある戦争特集の番組をみてたら、
じいちゃんが真剣に見て、自分から戦争体験を話してくれた。
じいちゃんが戦争に行ったことは親父からきいてたけど、なんかききずらかったのでそん時はじめて聞いた。
じいちゃんは徴兵されてフィリピンかどっかに行ったらしい。
ずっと行軍でみんな疲れはてていて、東京出身の人が、「俺はもう歩けない。みんなに迷惑がかかるから」って言って、目の前で手榴弾で自殺したらしい。その人の名前まで覚えていてビックリした。
あと小隊長と何人かて行動してたら敵の飛行機がきたから、小隊長が民家に逃げ込めって言ったらしい。
じいちゃんも隣の人と民家に逃げたら、小隊長の逃げた家に爆弾が落ちて小隊長と何人かは亡くなったってきいた。
いろいろと普段喋らないじいちゃんが喋るからバアちゃんもびっくりしてた。
ちなみにじいちゃんは伍長でラッパ吹きだったらしいです。
>761 :名無し三等兵 :2006/09/28(木) 16:56:26 ID:0b58l3Xj
>うちの爺さんは、中国で人を殺しまくったって言ってたな。
>三光作戦って言って、焼きつくす、殺しつくす、盗みつくす。とかやってたみたい。
>中国は寒い場所で、村狩りをして住居を燃やして暖をとるのが一番の楽しみだったとか。
>女性の腟に酒の瓶突っ込んだとか笑いながら言ってた、変なジジイだった。
日帝は このように沢山の絶滅部隊で中国人民を8千万人も虐殺しました。日本人民は真摯に歴史と向かい合わねばなりません
>>814 643 名前:名無し三等兵 投稿日:05/03/04 20:53:25 ID:???
>>641 地元の古老:(何のためらいもなく)「オラ、戦争ン時は上等兵でな、人は殺したし、女子も強姦したし、家も焼いたりしたな。」
ミニコミ誌記者:「いわゆる“三光作戦”ですね?」
地元の古老:(何故だかちょっと照れながら)「い、いやいや、そういう事はせんだがな(赤面」
ミニコミ誌記者:「???(何かの勘違いか聞き違いだろうか?)」
日中国交回復前は酒が入ると中国大陸での残虐行為を語るオヤジなんかめずらしくなかったぞ。
戦後すぐの強姦殺人鬼の小平も中国大陸での経験が元になっているし。
>>815 >聞き間違い
・・・・・・・・・マンコー
すまん、氏ぬわ
>>814 そのペースだと中国一万年の歴史も目前だな。
30年前は三千年て言ってたがちょっと前は四千年、いまは六千年だっけ?
そもそも「中国」と言う名称の国家は
歴史上どこにも実在していないのだが
>>814=761
>日本人民は真摯に歴史と向かい合わねばなりません
具体的に書いてよ。
お金くれ、盗掘に目をつぶれ、国内の虐殺行為に口出すな・・・だろ
821 :
名無し三等兵:2007/05/10(木) 10:42:24 ID:apyjPZam
爺さまは厳しい人で、毎日朝早く起きて木刀を振っていた。
振り終わると井戸から水をくみ上げて頭からかけていた。
ラッパ吹きで203高地に一番乗りしたそうだ。
一番乗りした人はあちこちに居ると聞きますが
一番乗りした爺さまいませんか?
シベリア抑留経験者です。
823 :
名無し三等兵:2007/05/10(木) 15:54:50 ID:rRb8nUiE
じいさんではなくて、ばあさんの話だけど、
家と家の間の道に網を落として、捕まえた米兵を竹槍で刺す訓練をしていたそうだ。
そんなことを真面目にやらされてはいたが、「その前に艦砲射撃でやられるよ」とみんな思っていたんだって。
825 :
名無し三等兵:2007/05/10(木) 17:47:54 ID:PaLalHdL
海自に居た時江田島の学校に行った。スカパーでああ江田島って映画見たらやってる事が一緒だったので時代が止まってるなぁて思った。五省、軍歌、他。
日清戦争で支那兵を伝家の宝刀でバッタバッタと切り捨てたってばっちゃが言ってたぞなもし。
827 :
名無し三等兵:2007/05/10(木) 19:12:04 ID:PaLalHdL
ひい爺日露戦争時水雷艇に乗り金鵄勲章貰うた。その勲章はB29の空襲で焼けた。戦後爺は海から引き上げジユラルミンの下駄造り売ってたそう。
828 :
名無し三等兵:2007/05/10(木) 19:15:12 ID:PaLalHdL
海からひきあげたのは日本の飛行機。溶かして下駄にしてもつたいない。
祖父は戦争には行ってないけど……
祖父の父親は典型的なダメ親父で、腕の良いトビ職人だったけれど
賭博と酒と女に金を使いまくっていたらしい。愛人も囲っていたとか。
それで一回両親が別れ、病弱な母親が五男四女の大家族を支えたけど、
結局またその父親と再婚。
その後、東京大空襲の際に母親が空襲により失明し、父親は何処かに蒸発。
祖父は諸事情により父親の愛人と二人暮らしをしており、17歳で大工見習いとして
働きに出て一家を支えた。祖父の兄も海軍の研究所で働いていたらしく、
当時としては結構な高給を貰えたらしい。
この間祖父の母親の三三回忌で兄弟が一同に集まったんだけど、
皆顔がそっくりで、ちょっとボケが入ってたけど誰一人として棺おけに片足すら
突っ込んでいないほど元気でびっくりした。
実際に戦争に行ったにせよ行かないにせよ、戦争経験者はタフなんだなぁ…
壇ノ浦で平家と戦って死にかかったらしい
俺が祖父から聞いたのは、
歩哨さぼって、馬小屋でタバコ吸ってたのを見つかって殴られただの、
捕虜の監視役を命じられたが、居眠りしてる間に逃げられただの、
斥候に行った先で熟睡していたら、中国人に取り囲まれていて、
「こんなところで寝ていられると迷惑だ」と言われた挙句、
鶏一羽ひねったのを貰って帰ってきただの、
ロクでもない話ばかりだったな。
>>831 陸軍刑法第四十七条には、哨兵故ナク守地ヲ離レタルトキハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ死刑ニ処ス
二 軍中又ハ戒厳地境ナルトキハ三年以下ノ禁錮ニ処ス
三 其ノ他ノ場合ナルトキハ一年以下ノ禁錮ニ処ス
とある。
文面からは中国で戦闘中での出来事と思われるが、本来なら「敵前ナルトキハ死刑ニ処ス」
が適用されて、銃殺だ。
殴られて許してもらったのなら、大甘で寛大すぎる措置だ。
この世に生まれて来れて、良かったね。
834 :
833:2007/05/11(金) 01:58:09 ID:???
なお、次の条文もあるが、サボってタバコ…では、矢張り第四十七条適用だろう。
中国戦線の戦地は、敵前だろうから、第一項の適用だろうな。
第四十八条 哨兵睡眠又ハ銘酊シテ其ノ職務ヲ怠リタルトキハ左ノ区別ニ従テ処断ス
一 敵前ナルトキハ五年以下ノ禁錮ニ処ス
二 其ノ他ノ場合ナルトキハ一年以下ノ禁錮ニ処ス
age
836 :
名無し三等兵:2007/05/11(金) 07:08:53 ID:D3VJIyWK
近所の人終戦間際に学校の教練に使ってたような明治時代の銃持たされて大正時代のボロボロ軍服着せられて大陸に送られた と言っている
戦時中の事をあまり話したがらない爺さんだが、
「朝鮮人は信用するな」とはよく言ってたな
戦時中に何があったんだろうか・・・
因みに爺さんは今95歳だがピンピンしてる
家の近所に住んでいたジジイはいつも朝早く起きて外で乾布摩擦と天突き体操やっていた。
あれは軍隊時代の習慣なんだろうか。
>>837 とっても大切な一言だと思う。
家のバー様も同じことを言っていた。
840 :
名無し三等兵:2007/05/11(金) 20:12:17 ID:D3VJIyWK
841 :
名無し三等兵:2007/05/11(金) 20:45:08 ID:9T33F+Jr
俺は沖縄人なんだが
うちの父方の祖父が子供の頃、壕に匿った日本兵から貰ったこんぺいとうを廻り
兄弟と喧嘩してたらその声でアメリカ兵が壕を見付けて自分達は保護され助かったって話を聞いたな
その日本兵は壕を出た後だったらしく消息不明
件のこんぺいとうがなければ俺が産まれてなかったかもしれんと思うとなんか変な気分だぜ
祖父は死んでもう居ないけど色々聞いとけば良かったなんて思った
842 :
名無し三等兵:2007/05/11(金) 20:59:56 ID:++vNKaOj
台湾人(先住民)と一緒に南方で戦った祖父は、台湾人は一番信用できる、といって、しょっちゅう台湾に行ってる。
朝鮮人との違いはなんだったんだろう?民族性か?
精神構造だろ。
844 :
名無し三等兵:2007/05/11(金) 22:41:11 ID:mHVhACKD
父から聞いた祖父の話。
祖父は陸軍第2師団で、北支に3年程いて、電話線をひく仕事をしていたらしい。
父の実家には、祖父の受けた弾やその時着ていた下着、頭に刺さった砲弾?の破片が保存されているとか。
祖父は20年前に他界してる上、戦争のことはあまり話さなかった為、詳しいことは父もよく知らないそうなのですが、
父が昭和22年に生まれてるので、終戦後すぐに帰ってきたのでしょうか。
845 :
名無し三等兵:2007/05/11(金) 22:42:45 ID:++vNKaOj
846 :
名無し三等兵:2007/05/11(金) 22:42:46 ID:D3VJIyWK
まぁ2ちゃんでだけの誇張された話だろうとかいくらなんでも韓国人がそんなおかしいはずはないとか思ってたんだが
仕事で韓国にしばらく滞在してて思った
や ば い だ ろ こ い つ ら !!!!!!寒気がするわ…
847 :
名無し三等兵:2007/05/11(金) 22:49:19 ID:cHyEMfv3
戦後、北九州に一時滞在した祖父。
程なく朝鮮動乱…ある日、
夕方、近所に物凄い音をたて二階の屋根をブチ破り
何か落ちてきた…パラシュートが焼け、開かなかったB29搭乗員!
勿論、即死。墜落するB29も多数見たらしい…
朝鮮動乱当時、
日本を蹂躙したB29があまりに損害が多く日本では格好の笑い話だったとか?
ソビエトのミグの存在など知る由も無いから無理無いですね?
まことしやかに、旧日本軍のパイロットで義勇飛行隊の募集とか?
予科連上がりの搭乗する、日の丸コルセアとか…
噂話と実現は紙一重?
沖縄にいたらしいんだが、通信兵で大和出撃とと聞いてこりゃあかんと逃げてきた、と聞いたな。
たぶん嘘だろうけど、死んじゃったからほんとだという事にしておこう。
あと戦友の奥さんに、家の夫はどうしたんでしょうか、と聞かれて答えられなかったそうな。
榴弾だかの破片で死に掛けて動けなくなってるのを、手榴弾持たせてしっかり死ねよ、と言って移動しちゃったから。たぶんこっちは本当なんだろうな……。
漏れが厨房の頃、部活してるとよく通称つづみさんってジイさんが来てほふく前進やら銃の打ち方やらやってた
850 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 01:07:57 ID:rMQon+rT
ウチのお爺さんは震電を作り、整備もしてたらしいです。
シベリア抑留とか東京大空襲とか原爆とかの惨劇であっても
もしそれが無かったら祖父母が出会わず、生れてこなかった奴もいるし(俺とか)
その辺に歴史の妙を感じる。
852 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 16:28:53 ID:CBK4YgOp
853 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 16:47:14 ID:bleGQcu7
おれの爺さんは予科練あがりで戦後は闇市で不良米兵をしめていたらしい。
で、いつものように婦女子にふらちを働こうとしていた米兵をこらしめていたら
仲間の雲つくような巨大な黒人の米兵があらわれた。
爺さんは当然立ち向かったがぼこぼこにされてしまった。
しかし、何度倒されて血だらけになってもぞんびのように立ち向かってくる爺さんに
最初は笑いながら余裕かましていた黒人米兵は次第に恐怖の色をうかべ、
最後は悲鳴を逃げ出そうとした。しかしそんなことが許されるわけがない。
爺さんは「日本人は鉄砲玉と食い物の量ではお前らに負けたが、根性では
負けてねえんだ!」と叫んで黒人米兵に正義の鉄槌をくだした。
後でわかった話しだがその黒人米兵はランク入りしていたプロボクサーだったらしい。
今は鬼籍に入ったじいさんの熱血青春武勇伝、お粗末さまでした。
854 :
↑:2007/05/12(土) 17:06:06 ID:UGx3K/ok
ジャンプネタ乙
855 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 17:51:16 ID:Ymu8LcLn
「847日本を蹂躙したB29があまりに損害が多く日本では格好の笑い話だったとか?」
B29は、第二次世界大戦の方が、朝鮮戦争より損害が多かった。
しかし、日本人の目には逆に見えただけです。
日本空襲中に、墜落しなくとも、被弾が原因で途中の海上に墜落したB29が多数ありました。
朝鮮戦争では、近くに日本の基地があり、墜落する前に、基地へたどり着く。
あるいは、日本で墜落する。ですから、日本人から見える範囲では、朝鮮戦争での損害の方が多いように思えました。
「旧日本軍のパイロットで義勇飛行隊の募集」
スパイ飛行機を日本人が操縦しました。
表立っての日本人パイロットの参戦はありませんでした。
しかし、アメリカは当時、中国とソ連にスパイを降下させるために、極秘に日本を基地にして、飛行機を飛ばしていました。
万が一、墜落してアメリカ人パイロットが捕まったら大問題となります。
そのため、旧日本軍のパイロットを使っていました。この人たちが、後に日本航空が立ち上がった際の要員となりました。
856 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 18:30:54 ID:ChTHcF7D
>>807 うちの死んだじいさんもそんな感じだった。
思い出を聞いたら、「中華料理がうまかった」だそうで。
857 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 18:39:15 ID:bKQP7Ucb
俺の爺さんは横須賀の飛行機工場で飛行機を作っていたとか
でもある日米軍機の機銃掃射喰らったらしい
爺さんは戦闘機に追い回されながらも命から柄逃げ切ったらしい
高校で銃剣道部に所属している俺だが
たまに変な爺さんが来て実戦向きのやり方を教えてくれる
たまに木銃もって走るか?とか言われるw
859 :
名無し三等兵:2007/05/12(土) 19:25:42 ID:UGx3K/ok
>>855 祖父は民間人で、レスは当時日本では流布してた噂話
あながち、デマでも無かった様ですね?
>858
奇遇だな。俺も高校時代に銃剣道部に所属してた。
銃剣道連盟のお爺さんは皆ピンピンしてるよな。
前に連盟の集まりがあって高校生の俺も呼ばれたんだが、
その時に「月月火水木金金」を歌ったら握手を求められた。
母親から聞いた話。
俺の曽祖父は、日露戦争に出征。
佐倉から出て行ったというから、第1師団かな。
何処の戦場か知らないが、突撃中に敵弾が腹から背中に貫通してしまった。
とにかく息も出来ない状態で、余りの苦しさに、
首からさげていた、成田不動の木製のお札を、砕ける程に噛んだところ、
傷口から大量の血があふれ出し,それで急に楽になったと思ったら意識が遠のき、
次に目が覚めたときは包帯所だったそうだ。
それで内地に後送されたのだが、戦傷者に出される筈の手当ても、
「途中で帰ってきたのに、頂くわけにはいかない」と受け取らなかったそうで、
「折角貰えるものを」と曾祖母がこぼしていたそうだ。
ちなにみ、この硬骨漢の息子が
>>831w。
ワロタ
863 :
名無し三等兵:2007/05/13(日) 00:11:00 ID:is22KFab
「757名字が全国で使われだしたのは明治にはいってから」。
江戸時代の庶民が名字を持たなかったというのは、神話です。
僭姓(せんしょう)という実態が既に江戸時代にありました。
お上が正式に認めたものでは無いが、自分で勝手に姓を名乗っていたのです。
農民や町人で「名字帯刀を認められた」というのは、お上が正式に認めたものです。
明治時代になり、徴兵制度が施行されました。すると、個人を特定するのに、姓が無いと不便でした。
そのため、政府は、国民全部に姓を付けることを求めました。その際、
僭姓を既に持っていた者は、そのまま正式な姓としました。
僭姓を持っていなかった者は、新たに作りました。
864 :
名無し三等兵:2007/05/13(日) 00:26:05 ID:H0aW3Wl2
幕末から明治初期迄村医者…
ひい爺様の元に村人が名前を貰いに来てたらしい…
かなり適当だったとか?
村長兼任だったからかな〜
今は取り壊した田舎の実家には
往診用の籠(自分が乗る)馬小屋、お弟子さんの離れが有りました。
子孫の私?平凡な庶民…
御先祖様すいません(愚
うちの曾爺さんはシベリアに出兵していたよ。
>>865 うちもひいじいさんシベリア出兵。
戦利品としてロシア軍刀を大量に持ち帰るが、
大東亜戦後、「米軍に没収されるよりは埋めてやれ」
と庭に埋めた。
今もうちの庭に埋まっている。伊勢湾颱風で浸水したから掘りかえしても錆々だろうな。
うちの祖父は日露戦争から参加した明治うまれです、
大東亜のときは満州から南京に出兵、後期からはビルマに駐留し、捕虜になり終戦を迎えました
リアルにビルマの竪琴の残留日本兵の説得にむかいマラリアになり象に乗せられ帰国したそうです。
ちなみに帰国した祖父は渋谷駅前で薬局を経営しており、新聞で有名になり、みんなが餌を持ち寄り丸々太った忠犬ハチ公を毎日撫でていたそうですw
>>850 渡辺飛行機ですね。
ご苦労なさったでしょう。
>>842のジー様と同じような事、漏れのジー様も言っていたそうだ。
高砂族の人には良くしてもらった、としきりに褒めていたと母談。
そんなジー様も漏れが工房になる前に他界。
余り戦時中の話はしなかったし漏れも聞かなかった・・・。
もっとちゃんと聞いておけば良かった、と悔やまれる。
あの学童疎開船「対馬丸」に乗る予定だったけど、
期日に間に合わなくて乗れなかったって言ってた。
間に合ってたら今ここにいなかったかもな。
ID:CBK4YgOp
在日はもっとウザイのだよ
せっかくスルーしてるのに、なんでわざわざ蒸し返してるの?
873 :
名無し三等兵:2007/05/14(月) 21:27:33 ID:gWtEicXF
前スレ
>>594だが、どうやら証言とかなり違う事を書き込んでしまった様なので訂正する。
どうやら爺ちゃんの乗ったグライダーは木製で翼の所は厚いキャンパス布が張られY字状のゴムロープで繋がれていたらしいがどうやら、飛行機ではなく人間十八人がかりでロープを引っ張って飛ばしていたみたい。
一班二十名ほどで六班あり、一班のうち一人がグライダーに乗ってロープのY字に分かれた所を残りの人が八人づつに分かれて持ち凧上げの要領で引っ張って十メートルの高さまで飛ばしたらしい。
今度また話聞いてくるけどなんか聞きたい事ある?2、3問で簡単な物なら聞いてくる。
875 :
名無し三等兵:2007/05/14(月) 21:52:51 ID:gWtEicXF
恐らく無いと思うが、聞いてみる。
876 :
名無し三等兵:2007/05/14(月) 22:14:53 ID:gWtEicXF
>>874 特に事故等は無かったみたい。
爺ちゃん寝ちゃったから質問はこれで終了します。今度時間あるとき他に話してくれたのも書き込むかも。
自分も祖父の話をちゃんときいておけばよかったと後悔。もう遅いけど。
878 :
名無し三等兵:2007/05/15(火) 11:23:03 ID:BBhug7O0
南鳥島に行ってたじいさんと話が出来た。
周囲が3里もなく、山のない平らな島に兵隊が3000人もいたそうだ。
食料はどうしていたかと聞くと、将校が食べる程は終戦まで潜水艦で
輸送していたそうだ。
兵隊は毎日の爆撃の後に打揚げられる深海魚を食べてたそうだ。
食料には困らなかったと言っていたが、爆撃で毎日誰かが死んだそうだ。
どんだけ〜
うちの近所のラーメン屋のジーサンが
えらい台湾びいきで山岳の少数民族のとこに
遊びに行ってるらしい。店内にお土産品とか置いてある。
この間は、「中国が沖縄を狙ってる」とコンコンと言われた。
カレーラーメン伸びちゃったよ。
沖縄なんかくれてやりゃいいじゃん。
かわりに満州貰って。
>>881 そんなことをしたらハブvsマングースが見れなくなってしまうぞ
満州って寒そうだし土地痩せてない?
皆様、旗日には日章旗掲揚していらっしゃる?
886 :
名無し三等兵:2007/05/15(火) 20:59:25 ID:4b+Rr3yc
別スレにいましたがこのスレをみつけたので書き込みます。私の祖父は1941年のマレー半島攻略に参加し翌1942年の2月にシンガポールで負傷し指と片耳を失いました。歩兵42連隊といってたのを覚えています。
887 :
名無し三等兵:2007/05/15(火) 21:22:25 ID:4b+Rr3yc
10人兄弟でじーさんの家は天皇陛下から表彰されたそうです。男は6人いて兄弟全員出征、一番下の弟は18歳、兄四人が戦死し家の男が負傷したじーさんだけだったので自分のかわりに養子をとってもらい海軍に志願してモーターボート部隊で爆死したそうです。
888 :
名無し三等兵:2007/05/15(火) 21:31:42 ID:4b+Rr3yc
そんなじーさんの夢は一般参賀にいくことだったらしく、昭和天皇を初めてみたときにじーさんは泣いていたそうです。うちの実家は遺影が5つもあり兄弟5人が国に殉じたことが家の名誉だといってました。もちろん昭和天皇と皇太子(現天皇)のご成婚の写真もかざってあります。
>>881 俺の爺さんが命がけで守ろうとした土地だ。
シナチクなんかにくれてやるものか。
890 :
hei:2007/05/15(火) 22:25:43 ID:Z2Ikgf+t
今日初めて父から祖母の弟の話を聞きました。
戦前に国の政策でサイパンに移住させられそこで開戦を迎えたそうです。
サイパン陥落の際に有名な万歳クリフに島のみんなが集まり、次々身投げをするなか
まだ小学生の弟は祖父に連れられて背中に縄で縛られて身投げするときに祖父は
一段低い岩までしか降りずにじっと身を潜め、死んでしまっては何もできない、生きて内地に戻ると弟に言い米軍に投降したらしです、
僕の祖母は7人兄弟で祖母は岡山に疎開していて終戦を迎えましたが、万歳クリフに迎う途中に二人の妹は米軍機の機銃掃射で弟の目の前で死んだらしいです。
今だに健在なのはその弟だけですが、結局は島がいいみたいで某小笠原諸島の島にいるのでめったに逢えません…。
892 :
名無し三等兵:2007/05/15(火) 23:11:29 ID:Wt6w449t
みんなのじいちゃんの話聞いてるともの凄い愛国心があったんだなぁと感心してしまう。
うちのじいちゃんはもう浮き世の事には何も興味無いようだw帝大の法学部卒なのに憲法なんかどうでもいいという感じだw
タイムマシーン乗りたいなぁ
三鷹事件のとき事情聴取されたn。
894 :
名無し三等兵:2007/05/15(火) 23:39:48 ID:FXFUpy6k
うちの爺さんは歩49連隊で、226事件の時に東京へ出動したのが自慢だった。
>>873 亀レスの上、がいしゅつだったらゴメンね。
つまりあなたのお爺さんは空挺部隊だったんだね。
滑空機を利用して、作戦拠点へ決死の突入を敢行する。
生きて帰れる確率はかなり低い。
不謹慎だが、戦線への投入されなくて良かったね。
空挺部隊は実に過酷な任務ですよね。
決死、いや、まさに必死・・・涙が出ます。
>>889 たった二行なのに感動した。名言だ。
今度は俺らがこの土地たちを死守せにゃならんな。
このスレ見てると
まだ日本はだいじょうぶかなと思ふ
日本安泰の為、国旗掲揚。
>>898 うざいし、スレ違い。
腹切ってしねよw
900 :
名無し三等兵:2007/05/16(水) 11:02:05 ID:iSr5hr7O
そんな度胸あったらネトウヨになんかなんねーよwww
901 :
名無し三等兵:2007/05/16(水) 11:43:06 ID:C31hfvyK
台湾からの引き揚げ船、リバテイー船で、戦中えばり腐ってた、上官何人かが
東シナ海に放り込まれたのを目撃したってさ。
902 :
名無し三等兵:2007/05/16(水) 16:43:25 ID:7R76/3Oq
そういうことを避けるために普通の復員船では配慮されていた。階級章を取るのも日本近海でだし。
生きた人間が放り投げられていたのはシベリア帰りの復員船だけ。
903 :
名無し三等兵:2007/05/16(水) 17:54:12 ID:WCXZFNlP
え、うちの爺サマなんか出征したときの部隊でそのまま帰還。家の近くの港に戻ったらそのまま編成地に連行されたそうな。ではまた家まで何日かかかって幅員したそうな。
うちのじーさんはビルマで無田口のテントを襲ってきたグルカ兵を撃退したそうだ菊だか竜だか忘れたが…みんなすまん(´;ω;`)
905 :
名無し三等兵:2007/05/16(水) 21:37:18 ID:7R76/3Oq
大丈夫。無駄口は決して敵が来れるような位置に居ない。
彼に接触できたのは芸者だけだ。
彼は影武者まで使っていたから君のじいちゃんが命がけで守ったのは影武者さ。
影武者はきっとニートだ。
そして実際無駄口の本当の顔を知るものなど存在しないのだ。
もしかしたら無駄口自体存在しなかったかもしれない。
個人的には彼は地球の歴史に自分の存在を永遠に残したかったお茶目な異星人だと思っている。
そして今も我々は彼の手のひらで踊らされているにすぎないに違いない。
辻も同様。ラオスから大気圏外に脱出したから行方がわからなくなったんだろう。
うちのじーさんは日中戦争に行ったらしいが、戦闘には参加せずに帰国した。
自分が生まれた時にはもうあの世に逝っていたので、祖母の話しか聞けなかったのだが
従軍先で現地の中国人に掛け軸を書いてもらったらしい。
事実かどうかわからんが、床の間に飾ってあった。立派な書だった。
じーさん、何しに行ったんだ?
まさか脅して書かせたのかと思うと、現地の人ごめんなさい。
907 :
名無し三等兵:2007/05/16(水) 22:03:40 ID:lJC84c1/
ウチの母方の祖父は、軽機関銃(多分11年式)の射撃手をやっていたんだけど、すぐ壊れるので困っていたんだと。
ある時、中国軍を野戦でたたきのめして、沢山の軽機関銃(チェコ軽機関銃)をGET。若かった祖父は、
ハイテンションで我先にと11年式をポイ捨てして、チェコ機銃に飛びついたところ、
「天皇陛下から頂いた機関銃をうち捨てるとは何事か!」と将校にこっぴどく怒られたらしい。
まあでもその後はチェコ機銃を終戦まで撃ち続けたみたいだけど。「シナは兵士は弱いが、兵器は強かった」
というのが祖父の総評。
908 :
名無し三等兵:2007/05/16(水) 22:50:03 ID:wT1WK1V5
おれのじいちゃん長門でコックやってたよ
おまえのじいちゃんは渥美清か?
叔父(当時13・4歳)から聞いた話
実家の田舎から歩いて3時間ぐらいの市街へ嫁いだ大叔母がいた
(俺の祖父の8人兄弟の末妹)
大空襲で防空壕に残った大叔母が小さかった子供を抱きかかえたまま
黒焦げになって死んでいたそうだ
実家は田舎なので空襲は無かったが市街が赤く染まっていたので
翌日、嫁ぎ先の防空壕で旦那家族・子供と一緒に死んでるのを見つけた。
黒焦げなのにナゼ大叔母と判ったかというと
子供を強く抱えた部分だけ着物が残っていてその着物柄が
嫁入りで持っていった物と同じだったから判ったのだそうだ。
嫁ぎ先の家族は全員亡くなっているので
リアカーに遺体を載せて実家総出で運んだのだと
ちなみにこのとき祖父は身長が足りず兵役免除
おかげで自分がココにいるわけだが・・・・(親父は末っ子で団塊の世代)
911 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 00:23:40 ID:g8fw68Rs
父方は近衛兵と航空兵
母方は通信兵と機関長
連隊長くらいの人が多いです。
特に活躍した話はないです。
でも、こう言ってました。
あの戦争で、まともなもんはみーんなしんじまった。
次代を担う装丁はだーれもおらんようなってまった。
人がおらんようになってまった。
こう言ってました。社会に出てみてなんとなく
祖父らが言いたかったことがわかってきたような気がします。
祖父の話。
祖父は総量息子だったが、戦争末期に、ついに召集された。
で、従軍して軍船(日南丸というらしい)に乗っていた時の話。
その時、祖父は船底で大勢の戦友と一緒に寝ていたのだが、
自分の父親に激しく怒られる夢を見て、思わず眼を覚ましてしまった。
ちょうど、その時、甲板の見張りが船底に下りてきて、
見張りの交代要員を探しにきたところだった。
たまたま祖父が眼を覚ましていたので、祖父が見張りを交替することになった。
祖父が、階段を上がって、甲板に足をかけた瞬間だったという、
ドーンという激しい衝撃を感じた。敵船からの魚雷が着弾したのだった。
祖父は、すぐさま海に飛び込んで、必死に泳いで船から離れた。
(沈没時の渦に巻き込まれないため)。
それから、一週間ほど海に浮かんでいて、通りかかった船に救助された。
生き残った者は少なく、船底の戦友たちは皆戦死したそうだ。
↑「総領息子」でした。失礼。
爺さん特攻兵だったから終戦が少し伸びれば死んでたかも。
婆さんが兄をダンピールで亡くして、親類も南方で数多く亡くしてる
ので戦争の話はあまりしたがらなかった。親類にパイロットや艦艇の乗組員
(特に輸送船)が多かったのが痛い。
915 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 10:48:04 ID:rfmDv20C
>>902 しかし、人間の業って〜のは隠せないもので事実はあったそうな。
916 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 11:51:44 ID:LXQpOBb5
家の母方の祖父は終戦間際に徴収され、炊事や士官の世話約にされたらしい。
一週間ぐらいで上官の飯に手を出して汁や飯を薄めたりして盗み食い。
即刻ばれて銃剣の後ろ側でぶん殴られて鼻と頬骨を砕かれて入院…その間に終戦…。
顔が曲がってりよ、爺ちゃん…。
嫁の母方の祖父は神風で弟が沖縄で特攻。
なんかなぁ〜。
919 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 12:30:09 ID:1hQC4Zv5
家の母方の爺ちゃんは日向のクルーだったらしい。北号作戦から乗り込んだらしいけど。
(よってレイテには参加してないらしい)
呉に帰ってから、しばらく休暇というか上陸許可がでたので呉で遊んでたら、敵機がバラバラとんできて、
船に帰ろうと頑張って帰ったらすでに日向は大破着底。
ほとんど戦闘行動なしに日向のクルー生命が終わったそうです。
ちなみに北号作戦は「けっこう楽だった」みたいな話してましたが、
戦後の本を読んで「下手したら全滅覚悟」だったことをしって結構マジでびびってました。
中国沿岸ですごい数のジャンク船の群れを見たのを楽しそうに話してたけど、
そんなとこを日向は通ってたのか。
920 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 12:31:48 ID:rfmDv20C
大日本帝国海軍の八八艦隊ってほんま、役なしで沈没が多いなあ
海軍軍令部はなに考えとったんや?
祖父の生前の足跡を調べるうちに戦争について興味をもち先人達の偉業を知ったら靖国に行ってみたくなり先日初めて参拝しました
一番驚いたのは自分を含め20代の男の一人での参拝が結構いることです、遊就館の感想書くノートをみても20代や若い人がほとんど
でした。このスレはいいですね。このまま歴史を良く知らないでいることは祖父達をどんどん悪者にしてしまう気がします、
まだ健在な祖父がいる方々はよく話を聞いて子供に聞かせてあげましょう。右だ左だくだらない事もいわずに歴史を良く識って祖父達に誇りをもちましょう。
922 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 12:44:44 ID:1hQC4Zv5
>一番驚いたのは自分を含め20代の男の一人での参拝が結構いることです、遊就館の感想書くノートをみても20代や若い人がほとんど
ちゃかすわけじゃないが、国士様やネトウヨと呼ばれるタイプの人もおおいーな。
左系からのゆり戻しも結構だけどあんまり右に走るのもなんちゅーか。
やはりご老人には感謝を忘れてはならないな
>921 私も祖父の軌跡を辿って九段にはしょっちゅういくよ。
925 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 13:28:17 ID:LXQpOBb5
>>922 右とか左より、純粋に自分の命懸けて戦い死んだ先人がいること忘れんなアホ
父方の爺さんは騎兵で(世田谷の連隊だと言っていた)、
上海敵前上陸に参加したらしいが、俺がリア厨の時に亡くなり、
詳しい話を聞けなかったのが悔やまれる。
母方の爺さんは埼玉の現役百姓。
「白いズボンに憧れて」海軍に志願したそうだが、
結局船には乗れず(特根隊?)、八丈島で防空壕掘ってる間に終戦。
B29が上空をスルーして帝都へ向かうのを、
複雑な気分で眺める平穏な毎日だったそうな。
うちの祖父は、旭川の第七師団でノモンハンで戦ったらしい
戦場は、ものすごいソ連軍の戦車と砲弾で、ちぎれた軍馬やら兵士の死体が
ごろごろ転がっていたらしい、幹部、指揮官が先に死んでいくので、
統制もくそもなく、ひたすら撃っていたそうだ。祖父曰く戦場で生死を左右するのは、
運以外ないそうである。そんな祖父も今年で90歳、五体満足で健在です。
929 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 15:44:39 ID:wkv20GGP
靖国神社で[靖国.天皇イラナイ!なくせ差別と天皇制!]
とか場違いな事をしてる空気の読めない左翼に奇声をあげながら突進するけど結局なにするわけでもない
ネットウヨとか言われてる奴らっつ何なの?
930 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 16:02:04 ID:rfylfQUe
>>929 国士様を自称する団体が自衛隊に体験入隊して、
「支那人の方がまとも」
って教官に罵声浴びせられたってどっかに出てたな
>ネットウヨとか言われてる奴らっつ何なの?
奴らっつ何なの?
932 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 16:38:15 ID:US9i6KHi
最近旅立った祖父の話。祖父は奈良の田舎の人で当時としてはかなりの身長でまた筋肉モリモリだった(漏れが話をきいたときでも筋肉モリモリだった(笑))ほんで呉に呼び出されちまって軍艦づくり。大和を見たそうな。
933 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 16:40:44 ID:US9i6KHi
ほんで呉大空襲。いやまじにしにかけたらしい。隣のタコツボに着弾して友達が死んだらしい。しかもタコツボを掘り返して死体回収させられたみたい。そのまま呉から田舎に帰ったらすぐに終戦。広島にしばらく住む予定だったときいてマジに焦った。
まあ、自分の考え(頭の中)で某近隣諸国が嫌い・こんな一面があるって知ってるだけでネトウヨ扱いされては困るが・・・
サヨで嫌われる人も様々だし。まあ駐屯地前で行進してるのなんてのはかなり恐いが。
>>934 右も左も結局は同じって近衛首相が気付いたな、しかし気付いた時は既に手遅れ。
936 :
名無し三等兵:2007/05/17(木) 23:45:56 ID:JhjF1hSc
じいちゃんはパン職人でイオウジマに行った
うちのじいさんの話では無いんだが、中2の時に授業で戦時中中学生だった人の話を聞く機会があった。
漏れの中学は静岡で、その人は戦時中焼津から静岡に通っていた。時間は限られていたが、色んなことを話してくれた。
まず、最初に戦時中に拾った米軍の航空機の弾をクラスの皆に見せてくれた。実物を触らせてもくれた。
戦前の話では、連隊のお祭りだかで連隊旗を拝んだ事、日中戦争時、戦地へ送る慰問袋にその人は絵がうまかったから担任が
慰問袋に一緒に入れて送ったら前線の兵士が軍歌集を送ってくれた事、出征する兵士を見送った事、
戦死者の遺骨を抱えた兵士が帰還してきたのを見たこと、地元の34連隊がウースンに上陸した事、上海、南京陥落の事、
太平洋戦争に突入すると、農家のお手伝いをした事、昭和18年に中学校に入った事、東南海大地震の事、学徒動員で住友の
軍需工場で銀河のプロペラを作った事、空襲の時に韓国人の河田少尉がB29に体当たりを行ったのを目撃した事を授業で話してくれた。
その後、その人の話に興味を持って担任にまた聞きたいと漏らしていたら、お世話になっている教育相談員の先生がその人と知り合いで、
後日相談室に来ていただいた。その時に、開戦の日に配られた戦線の詔書の実物を見せてくれて、(なんとコピーも頂いた)
その時、日中戦争時に前線の兵士が慰問袋のお返しに送ってくれた軍歌集も見せてくれた。
しかも、後日スキャナーで取り込んだ軍歌集の画像を相談員の先生を通じてプリントして送ってくれた。
その後、授業で時間が無くて話せなかった話を聞いた。静岡空襲で周り一帯が焼け野原になった事、死体ばかりでしばらく飯が食えなかった事、
同級生が両親二人とも無くしてリヤカーで一人両親の遺体を運んだいたのを見た事、米軍が宣伝ビラを投下して、ビラを見たけど本気にしなかった事、
戦争末期になって清水港に米軍の潜水艦が艦砲射撃をしてきた事、昭和20年7月26日に原爆の模擬爆弾が投下されたのを見た事、
特攻隊の事、原爆投下の事、そして8月15日に近くの家で皆と玉音放送を聞いたけど解説があるまであまりよくわからなった事、
戦後闇市で磐田へ薩摩芋の買い出しに行った事、静岡の塩を東北の米と交換した事、米軍施設の手伝いをした事、映画のエキストラをやったり
自転車に尾灯を取り付けたりチューインガムやチョコレート売りをしてりしてアルバイトをした事などを話していただいた。
その後、相談員の先生が給食の先生に掛け合って学校の給食も食べていただいた。その後、その人は帰ったのだが、病気を患っていたそうだ。
今年に入って、毎年父方の叔父(
>>688)の家で新年会をやるんだが、その時に貰った宣戦の詔書や軍歌集のコピーを見せたら、凄い真剣に見てた。
その後、まだ聞きたい事がたくさんあったから相談員の先生に住所と電話番号を教えてもらって、いつかお話を聞きに伺おうと思っていたのだが、
すごい緊張してしまって、遂に行けなかった。そんな日々が過ぎて、先週、いつものように学校に行ってたら相談員の先生が新聞を持ってきて、
訃報広告の所にその人の名前が載っていた。最初は半信半疑だったんだけど、思い切って家を訪ねてみても居ないし、相談員の先生が電話をしても
出なかった。その後、相談員の先生がその人の知り合いに電話で確認したら、焼津の方の家で亡くなってたそうだ。遂に戦後の話は聞けなかった。
939 :
名無し三等兵:2007/05/18(金) 00:51:53 ID:IJIoc1uR
お爺ちゃんは紫電改の整備士でした
伯母は日本建鉄で雷電の部品を作っていた。
結構アルミ材の切れ端が出るそうで、休み時間中に弁当箱を作って、
支給された豆ご飯などを詰め込んで家に持って帰ったそうだが、
怒られなかったそうだ。
941 :
名無し三等兵:2007/05/18(金) 01:35:38 ID:UhyxH+bX
末期では
勝つ事より敗戦後の自分の身の事しか頭に無い参謀しかいなかった事は事実
聞いた話は4つ。
1)防空壕は各家庭の庭先に掘られていて、よく遊んでいた隣家の女の子の
家も壕も東京大空襲が明けた朝、跡形も無くなっていたという話。
2)自分の家も傾いていたため、疎開するしかなく群馬の山奥に逃げたが、
戦況が悪化するにつれ、敵機が昼間、当たり前のように低空を飛び、
誰かれ構わず撃ち殺されたとのこと。自身も急に襲われ命からがら竹やぶに
逃げ込み、一命を取り留めたという話。
3)少しでもお役に立とうと高射砲で敵機(B29!)に放った砲弾が
低高度しか飛べない友軍機に当たり、撃墜してしまったという笑えない話。
3は多分、東京大空襲のちょっと前の話、、らしい。
もちろん子供時代の話なので、撃ったのは大人(兵隊さん?)とのこと。
4)空襲で逃げる際、昔のおんぶ紐は隙き間が多く、気がつくと赤ん坊が
いない!ということがよくあったらしい。そこで皆前に抱くように逃げたが、
爆風やら押されてやらで転び、自重で圧死させてしまう母親が多かった。
という話。自身の叔母もそれで娘を亡くしたらしい。
以上。順不同でスマン。思い出した順です。
943 :
名無し三等兵:2007/05/18(金) 03:28:03 ID:Wb3f9CYA
俺の曾祖父は、海軍の一式陸攻のパイロットだったけど、
戦争末期に神雷特別攻撃隊として、
桜花をぶら下げられて出撃し、米軍機のいい標的になって戦死しました。
たしか出撃した部隊は全滅だったはず…
俺の一族は戦争経験者が多いので、ここにはとても全部書ききれない。
戦争経験談の中で、特に興味深いものを抜粋して記す。
―祖母の父の話―
最終階級は軍曹。満州方面の守備隊に所属していたが
ソ連軍が対日参戦をし満州に軍事侵攻を起すと戦闘になり、交戦のすえ捕虜となる
その後、シベリア送りとなった曽祖父は極寒の大地で、再び祖国の土を踏むことなく
1946年戦病死…。
―大叔父の話―
大戦初期の快進撃も終わり、敗色の表れ始めた1943年。
徴兵を受けた大叔父は激戦地・ガ島へと派兵される
その時に支給された武器が、なんと日露戦争時代の大砲だったという
しかし、それ以上のことを大叔父は決して語ろうとしない
いったいガ島で何を見たのか、一族の者たちは皆知らないが
大叔父は大戦後、帰国の後に二度ほどマラリアにかかっている
そういや日本じゃ、最近の若い世代の中にも
結構あの戦争に対して理解を示す人もいるけど、
ドイツはどうなんだろうか?
ドイツはドイツで、政治家が上手いことやって日本ほど
自虐的ではなく、自国民の誇りと尊厳を守っていたらしいけど……
高校の時に聞いた話じゃ、リリーマルレーンを口ずさんだだけでも
白い目で見られると聞いたもんで。
スレチガイスマソ
日本だって電車の中とかで軍艦マーチ歌ってたら白い目で見られるよ。
ドイツは全てナチに騙されていたって事にして終わらせたんでしょ。
戦後の話は周辺諸国の環境によって大きくかわるからドイツのまわりに架空請求国家がなかったから良かった。
948 :
名無し三等兵:2007/05/19(土) 07:45:02 ID:6FEvfV/Y
ポーランドとかベルギーなんかは良心があるからねw
ドイツ外務省には「EU加盟」「ロシアの脅威」「経済援助」などの外交カードをちらつかせたり
徹底的に事実関係を調査したりして、ポーランドの架空請求を認めなかったというしたたかさがあった
ともかく中国に三跪九叩頭して喜んでる日本の外務省とは大違い
950 :
名無し三等兵:2007/05/19(土) 10:53:07 ID:EOf+v1WP
密航してきて
後から連れてこられた
とかいわないもんw
ヨーロッパのお話はここまでね
近所のおじいさん(81歳)に聞いたお話。
戦後間もない頃、当時近所に陸上運動場があり、そこ進駐軍が駐屯してた時のこと。
年末に火の用心ため町内の人々が集まり「火の用心〜」と町内を練り歩いていると
進駐軍に回りを取り囲れ駐屯地まで連行されたとのこと。
デモ行進かなにかと勘違いされたらしく事情を説明するのに皆さん苦労したらしい。
ようやく解放してもらった時にスパムの缶詰を一人一つずつ貰ったとか。
あと朝鮮戦争も目前に迫ってた頃のお話。
近所にあった競輪場で八百長疑惑があり、詰め掛けた客が一時暴徒と化して
当時木製だった観客席に火まで放つ騒動にまで発展した。
治安維持の為に出動した進駐軍が装甲車を繰り出してきて
威嚇射撃も行わず、いきなりの水平射撃で死傷者も多数出た。
情報統制下にあった為、ニュースにもならならかったとか。
954 :
名無し三等兵:2007/05/19(土) 23:13:11 ID:6FEvfV/Y
カァチャンが今流行の韓流というのにハマっておばはんどもで韓国旅行
にまで行ってきた。
それを何気なくばぁちゃんに言ったら「あんたは朝鮮人なのか!」
と入れ歯をガタガタさせながらカァチャンにキレた。
戦中に近所の朝鮮人を近所の人と(単にウザイから)シカトしたりしてたら
戦後にその近所の人どえらい目にあったらしい。
それだけに限らず本当に国籍不明の輩が暴れまわってて殺人レイプまであって怖かったそうだ。
今でも恐怖感があって絶対に外国人は信用しないみたい。
今日俺のじいさんが心筋梗塞で死んだ。82歳だった。
十七で水兵になって、戦中は南方で陸戦も経験したそうな。
昨日まで意識もはっきりして喋ってたのに・・・
歳月は人を待たないって本当だよな。
なんか孝行してやろうとか思いつつぼーっとしてるウチに倒れちゃったよ。
もっといろんなことを相談したり教えてもらったりすべきだった。
このスレに書くネタももう聞き出せない。
>>955 今のご時世、孫にそう思ってもらえるだけで爺さんは幸せだったんじゃないか?
957 :
名無し三等兵:2007/05/21(月) 07:56:41 ID:vHoDwo2a
>>955 しっかり葬儀を済ませてな
爺ちゃんのゆかりの話は集まった方々に聞いてみればいいんじゃない?
俺は二人とも爺ちゃんを亡くしてしまってもう直接聞けないのが残念だ
母方はジャワで戦車部隊
父方は大陸で戦ったそうだ
今自分達に出来る事は大叔父達からも貴重な体験を聞いていく事だと思う
お祖父さんじゃなくてお祖母さんでスマソ。
父方の祖母は夫と離婚後幼い父とふたりきりで暮らしていた。
家に時々「制服姿の兵隊さん」がやって来た。ひとりではなく複数人いたらしい。
兵隊さんが来ると祖母は決まって息子に「お外で遊んでおいで」という。
日暮れまで外で時間を潰して家に帰ると兵隊さんはいなくなっている。
親戚と折り合いが悪く畑も持ってない祖母はどうやって生計を立てていたのか…
父はこの話を後にも先にも一度きりしかしなかった、と母が言っていた。
父が学童疎開する少し前の頃のことだそうな。
959 :
名無し三等兵:2007/05/21(月) 09:55:12 ID:rwnLVb2e
死んだお爺さんは、終戦後シベリアへ抑留。連れて行かれる時に見たでかくて綺麗な湖を見たと言ってた。バイカル湖だそうだが死ぬまでに一度行ってみたい。
960 :
名無し三等兵:2007/05/21(月) 10:01:02 ID:f4qUjIfB
みなさまの御勇戦に敬意を評します。
961 :
名無し三等兵:2007/05/21(月) 12:09:03 ID:pmKIOrFD
大学の講師が終戦時に
朝鮮から引き上げ…引き上げ船を待つ間
元憲兵が朝鮮人からリンチを受けMPは止めもしないで笑って見学…
残酷だ…最後は手足縛られ海に放り込まれたそうです
962 :
名無し三等兵:2007/05/21(月) 14:10:48 ID:ghD52hrY
いいきみだw
憲兵と特高は嬲殺しにされて当然w
かのアメリカマンセー映画「ランボー2」で、主人公のランボーがKGBの特殊部隊をやっつけるんだが
ロシア人たちもKGBがやられるとやんやの拍手喝采をしていたそうだ
チェーキストはどの国でも自国民にすら忌み嫌われてるもんだ
965 :
名無し三等兵:2007/05/21(月) 14:50:17 ID:g70G+A2C
うちのじいさんは、
満州ハイラルに駐屯してる部隊にいた。
ある吹雪の日、自分の乗る馬にくらをつけたが吹雪の中でよく確認しなかったので
隣の別の馬につけていたそうだ。
そんなじいちゃんも1945年の8月初めに胃の病気で福岡に戻ってきた。
あと1週間遅れたいたらと思うとぞっとするよ。
966 :
kanは糞ch●n ◆mWxYIpwpGs :2007/05/21(月) 19:14:46 ID:i4+KZOym
967 :
↑:2007/05/21(月) 19:38:25 ID:pmKIOrFD
何だ、在日か?
憲兵や特高の偉い奴はとっくに本国へ…
命令で動いた下層の者は哀れ…
968 :
名無し三等兵:2007/05/21(月) 21:39:39 ID:f4qUjIfB
憲兵隊の活躍に敬礼!
憲兵や特高は優秀だったよ。悪く言うのは違法行為をやりたい放題した奴らかその末裔。
共産党員の検挙に丸腰で行ったし、それに対して共産党員は拳銃乱射で卑劣にも対応。
武器密輸、銀行強盗等やり放題。リンチ殺人までやったんだ。
『日本共産党 戦前史』立花書房 第5章武装の推進以下、
立花 隆 『日本共産党の研究』を読むのをお勧めする。
憲兵が丸腰だった事はありませんが何か?
あ、わるい。
>共産党員の検挙に丸腰で行ったし
これは特高の話で不正確だった。
クソ真面目過ぎて、おまけにそこに命令だの規則だのが絡んできて
生活上やむを得ない不正どころか兵隊のちょっとした怠惰な部分も
一々ねちっこく指摘し始める憲兵も多かったらしいしな。
職務に忠実な余りの悲劇ともいえるし自業自得ともいえるし
973 :
名無し三等兵:2007/05/22(火) 07:17:48 ID:927XPd2c
でも憲兵殺しの話で一番悪いのって
チ ョ ン じ ゃ ね?
俺の爺さんは憲兵
975 :
名無し三等兵:2007/05/22(火) 08:24:35 ID:BZL1Zd8t
私服憲兵は丸腰も有り得る
丸裸
>973
の言う通り
憲兵は映画ではひどい描かれ方しかされないな
まあ庶民から見ればあのような描き方が妥当なんだろうけど
うちの爺さんは正義の憲兵
980 :
名無し三等兵:2007/05/22(火) 11:03:46 ID:Ze4BJO0d
うちのジーちゃん戦前陸軍士官学校落ちて特高、戦中憲兵、戦後米海軍情報部隊
で、海上保安庁が本職だった
憲兵の拷問は男女問わず性器と肛門の責めが中心。
逆さに吊るして竹刀で叩くなんては特高レベル。
大多数の日本国民にとって、憲兵・特高は戦前は恐怖、戦後は憎悪の対象なのに
酷使様にとって、憲兵・特高は「国民の範たる愛国者」なんだな
酷使様が救いがたいクズだということが、またもや証明されたわけだw
ブサヨにとっては交番や巡査も憎悪の対象だからな。
自分の側のやった虐殺暴行強盗を取り締まる方を
憎悪するだけだな。凶惨党、ブサヨにとってはな。
一般民にとっては味方だよ。その力を殺ごうとブサヨ
弁護士が必死に殺人者を弁護。シージャック犯を狙撃した
ら告訴するほどトチ狂っている。民衆の敵ブサヨ凶惨党。
特高・憲兵でも個人の性格に左右されるんじゃないの?
根っからの真面目・ズル賢い人がいるんだろうし、以前ここで出た話でも「改造」という雑誌
を購読してたから、特高か何かに目をつけられ金銭ゆすられてたって書いてたぞ。
986 :
名無し三等兵:2007/05/22(火) 18:31:10 ID:BZL1Zd8t
まあ強請りはないだろう。
犯罪取締る側だからな。
警察にも流石に窃盗は無いよ。
憲兵も多少威張るぐらいで普通の人。
歩兵や工兵と同じ兵科の一種に過ぎない。
徴兵で軍隊へとられた点も同じ。
軍港地などでは海軍の下士官に良く殴られていたな。
映画「陸軍中野学校」では市川雷蔵の憲兵がヒーロー。
度を越した憲兵嫌いは特殊なイデオロギーだろう。
酷使は死ねよwwwwwwwwwwwww
憲兵って色んな意味で神話化されてるキガス
↑やっぱ朝○人は正しい漢字も書けないのか。
ハングルばかり使ってたら・・・しょうがないか。
憲兵擁護の酷使様は人格破錠者wwwwww
きっしょwww
一生精神病院に入ってろww
991 :
988:2007/05/22(火) 18:57:04 ID:???
(´・ω・`)
↑ゴメン。
人格破錠者酷使wwww
ヌルー
憲兵って軍国主義の象徴みたいな感じで扱われるよね
さて、そろそろ次スレが立たないと危ないのでは
今も憲兵や特高が居たらここの住人連れて行かれてるな
憲兵さん↑が反政府的な言動を!
源平の合戦で大活躍したって
スーサイドピストル!
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。