1 :
名無し三等兵:
従来関東軍の大敗とされていたが、
近年の研究により、逆にソ連軍の敗北が判明。
さて、この興味深い戦について新事実を並べつつ
騙りあおう!
2 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 10:56:38 ID:???
ループスレ終了
3 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 10:56:39 ID:???
■「大高豊治陣中日記」■ 第23師団歩兵第26連隊所属
7月5日
戦争とはこれか、惨烈の極みだ。
目、鼻、耳、手足のないのが続々と来た。
苦しむ声を聞くと、胸がつまる。
7月7日
もう1回でよい。家に帰りたい。家に帰って父母に逢いたい。心残りだ。
すべては夢に過ぎぬ。僕の人生が二十五年の長い夢に過ぎなくなってしまふのだ。
憶へば平凡だった。生き甲斐のある人生だったらうか。
戦友は皆、夢を見て死んだんだ。
7月11日
死んでなるものか、これまで折角の親の苦心を、水の泡にしてはならぬのだ。
生きて必ず帰る。俺は帰ってきっと成功して、親を安心させて見せる。
それまで必ず神様よ、生かしてください。
7月20日
愈愈明日は総攻撃だ。取っておいた間食は、皆食ってしまふ。
果たして生き残るだらうか、負傷くらいですむだらうか、神様に祈りたい、無事であって欲しい事を。
7月25日
写真も見たくない。只眠いのだ。砲はどんどん撃って来る。
もう思ひ残すことはない。これが僕の二十五年の終局なのだ。
然しこれが約束の寿命なんでせう、すべてをあきらめて。
昭和十四年七月二十五日
ノモンハンにて同日戦死
4 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 10:59:44 ID:???
陸では少なくともソ連が優勢だったんじゃないの?
この線果を見て勝利を確信した結果、フィンランドを攻撃することを決定したと聞いたことがあるが。
5 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 11:00:52 ID:???
反日糞アカによって捏造されたノモンハンの大勝利!
精鋭日本軍によって卑劣なアカは全滅寸前だったのである!
これが正しい歴史である!
大日本帝国は世界最強の軍隊!
大日本帝国万歳!
天皇陛下万歳!
英霊に敬礼!
6 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 11:01:40 ID:???
>>4 アカの反日豚死ね
日本が嫌いなら日本からさっさと失せろ
7 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 11:13:47 ID:NPooEPSG
紳士淑女諸君!
もっと冷静に騙りあいたまえ!
8 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 11:23:39 ID:???
ノモンハンの戦いは日本軍の大勝利なんだからこれ以上何を話す必要がある?
9 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 11:38:58 ID:???
日本軍ザコスwwww
10 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 13:13:16 ID:???
エテ公は勝ったはずなのに
将校が責任とって自殺とは何故なんだぜ
11 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 14:20:59 ID:???
そりゃー日本陸軍航空隊は壊滅するは、投入した部隊は2割ぐらいしか生還しないは、
どこが日本軍の大勝利なんだかという戦争なんだから当たり前だぜベイベー
12 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 15:00:58 ID:???
じいちゃんのいた中隊は死傷率90%超えてたぜ
よく無傷で生き残れたな>じいちゃん
13 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 15:11:46 ID:???
示現流達人の漏れのじいさまは、
露助を5人ほど軍刀の錆にした
つわものだ。
14 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 17:36:38 ID:???
関東軍は1個師団だけだろ。ソ連は12個師団で攻め込んだんだ。
善戦したと言えるだろう。
15 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 21:44:48 ID:???
16 :
名無し三等兵:2006/10/14(土) 23:55:37 ID:???
戦力比で見れば善戦してる
世界的に見ても一目置ける
戦いぶりだろう。
17 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 00:28:22 ID:???
戦争に【よく頑張ったでしょう】評価をするスレはここですか?
18 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 00:38:09 ID:???
しかし、その「よく頑張ったでしょう」が案外重要なのも事実だがな。
敵がじ後の方針立てる際に関係してくる。
19 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 01:08:00 ID:???
負け惜しみ
20 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 01:18:58 ID:n1iB0jlF
21 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 01:45:26 ID:PdGqk95z
>>21そういう事です。
圧倒的な兵力の前によく善戦した事はもう少し評価されてもよいでしょうが
負け戦なのには変わりないでしょう。
負けた側からすれば、圧倒的な赤軍相手に自軍の損害以上の損害を与えた事を確認する事で
溜飲がさがるのは解りますが、彼我のキルレシオだけで勝敗を云々するのは明らかに
現実から目をそむけているといえませんか?
日本軍は作戦目標を達成できてはいませんよ。
9月以降も戦闘が継続したと過程して、23師団の壊滅と、第6軍の集結、反撃のどちらが
早かったのかは、検討する必要はあるかもしれませんけど、日本軍に分が無いように見えるのは
私だけでしょうか?
22 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 01:51:21 ID:0E8GPfU0
騙り合うことなどない、煽り合うのだ。
23 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 02:55:47 ID:???
キルレシオ勝負なら独ソ戦はドイツの完全勝利
24 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 06:38:02 ID:IKG2N8se
>>23 ロシヤ軍がいつ東京占領したんだ?ああ?このドブネズミ野郎
25 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 08:59:16 ID:???
>>24 何を言ってる、キルレシオで上回ったうえに東京を占領されてないなら日本のワンサイドゲームじゃないか。
何か勘違いをしているようだが疑心暗鬼はいかんな。
それと満州国はロシアにキルレシオで敗れたうえに首都を占領された惰弱な国家であることは同意してもらえるな。
26 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 11:50:24 ID:m/qZ3nrh
みんな辻ちゃんのせいさ。加護ちゃんか謹慎してるのも。
27 :
名無し三等兵:2006/10/15(日) 15:59:36 ID:???
ハモンハモン研究序説
28 :
名無し三等兵:2006/10/16(月) 10:14:26 ID:???
>>1 軍板はお前等糞ウヨがオナニーするためにスレを立てる板ではない。
29 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 00:06:26 ID:kA2NKogo
ノモンハン・・・それは帝国日本滅亡の一里塚
30 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 12:25:57 ID:6JEV+ufW
司馬遼も書こうとして、旭川連隊の須見大佐に取材してたんだが、某雑誌で瀬島龍三と仲良く対談したのがバレて須見さんに絶交されてぽしゃってしまったと半藤さんが書いてたな。
31 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 15:21:42 ID:GgJdUqcH
ノモンハンの個々の戦闘とは別に、領土紛争としては日ソどちらの勝利か?
> 「係争地域はソ連軍が大部分を占領しています」とありますが、秦郁彦教授の説明とはまったく違います。
> 『二十世紀日本の戦争』という本で、「日本軍はその南側にほぼ同じ広さを確保してしまう」と書いておられます。
> 『昭和史の謎を追う』に図示されている範囲でも、相当な広さです。
>
> ウィンキの「ノート」から
> ボイル湖からハロンアルシャン西南方に至る総延長110キロの国境線のうち、激戦の焦点と
> なったハルハ・ホルステン河流域付近の境界は、かねてからソ連側が主張していた線、すなわち
> ハルハ河東方15〜20キロに決まった。
>
> その代わりハンダガヤ〜ハロンアルシャン地区では日満側の要求が、ソ連側主張よりハルハ河より
> に線引きされた。モンゴルが今なお500平方キロを失ったと称するのはこの地域
>
> 「昭和史の謎を追う」上 P248 秦郁彦
どうも日ソ痛み分け位らしい・・・
32 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 15:34:57 ID:???
国境線画定
次に国境画定については九月十五日、東郷駐ソ大使とソ連のモロトフ外務人民委員との間に締結された停戦協定に
おいて、紛争惹起の原因となった滞ソ国境を明確にする目的のもとに委員会を組織すべき旨の合意が成立、爾来引き
続いて該委員会の構成及び事務処理に関する協議が行なわれた結果、昭和十四年十一月十三日おおむね意見の一致を見た。
(中略)
この会談も双方の意見対立によって容易にまとまらなかったが、結局六月九日に至って最終的な申し合わせが
成立した。
概言すれば確定された国境線のうち大部を占めるホルステン河流域方面の境界は、事件前からソ豪側が主張し
ていた線とし、これに対しハンダガヤ方面のそれは、かなり日満側の要求が容れられたという次第であった。
戦史叢書 関東軍1 P734
33 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 15:54:49 ID:???
しかし勝った戦なのに責任を問われて自決を強要される連隊長達って一体・・・
34 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 16:26:25 ID:???
技量や機体の性能が上でも数で劣勢だと早期に消耗する。
すなわち航空戦は物量である、という戦訓。
したがって陸軍の航空優先が導き出される(おかげで戦車その他はヘボになった)。
35 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 16:39:13 ID:???
36 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 16:55:25 ID:???
>>34 その割には襲撃機のあの貧弱な武装で、対戦車戦は十分と
判断したんだろうか?
37 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 16:59:45 ID:???
陸軍機は戦闘機でも爆撃できるよ。
38 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 17:26:37 ID:???
ノモンハン当時は37ミリ砲で対戦車線は楽勝だったけど
39 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 18:55:48 ID:dRTRnf4o
その37oも数はたらんわ、弾も無いわでと。
40 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 19:10:05 ID:???
>>1 >>35 「戦争とは、敵をして我等の意志に屈せしめるための暴力行為のことである」
このフォン・クラウゼヴィッツの定義、
および
>>32に書かれたノモンハン事変の結果を前提に
「ノモンハン事変において大日本帝国がソ連に勝った」
と言うテーゼを論証せよ。
41 :
名無し三等兵:2006/10/17(火) 19:15:47 ID:???
日本側士官の自決後の最終生存率を知ってる人は居ないでしょうか?
42 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 01:19:12 ID:???
とりあえずマクシム・コロミーエツのノモンハン戦車戦読め。
43 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 17:57:16 ID:???
>>40 その前にフォンクラウゼヴィッツの仮説を証明せよ。
44 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 20:50:24 ID:???
>>43 ならば聞くが、
相手をして我が意思に屈せしめる事、
もしくはそのような行為に対する拒否を目的としない
純粋なスポーツ試合のような戦争が史上あったのかね?
仮にそのようなスポーツ試合もどきの戦争があったとして
ノモンハン事変がそのケースに該当するというなら
まずそれを論証してもらおうか?w
45 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 21:55:24 ID:???
◆本当は日本軍の大勝利だったノモンハン事件 茂木弘道
一.昭和一四年に起こったノモンハン事件といえば日本軍がソ連の進んだ機械化部隊のために大敗した戦として
日本陸軍の愚劣さを象徴する事例にされてきた。
五味川純平の虚構に満ちたベストセラー小説が、いつの間にか常識化してしまい、教科書にまで
「ソ連は空軍・機械化部隊をくり出し、日本軍に死傷者二万人の壊滅的打撃を与えた」(日本書籍・高校日本史)と書かれているほどである。
二.これらは、基本的にソ連発表による「ソ連の損害九二八四名、日本軍の損害五万二千?五万五千」という情報をベースにしたものである。
ところがソ連崩壊とともにこれはとんでもないウソであることが当のロシアから出てきた公文書によって明らかとなったのである。
これまで出てきた資料では、ソ連の損害は二万五五六五で、日本の損害一万七四〇五を大きく上回っている。
さらに資料が出てくると損害数が多くなると見られている。すなわちソ連の大デマ宣伝のお先棒を担いだに過ぎないのが、五味川であり、
未だにその歴史偽造が大手を振ってまかり通っているということである。
ttp://www.asyura2.com/biz0310/idletalk5/msg/137.html
46 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 21:56:25 ID:???
三.ソ連の進んだ機械化部隊などというのも大ウソである。戦車は、走行射撃もできない水準であり、戦車戦では
全く問題にならなかった。また日本軍の速射砲・高射砲のえじきになり、約八〇〇台が破壊されている。
これに対して、日本戦車の損害は二九台である。航空戦でも、ソ連のイ15、16(布ばり機もあった)は
日本の九七式戦闘機に対して全く太刀打ちできず、一六七三機の損害を出している。これに対して日本側の損害は一〇分の一の一七九機である。
四.日本軍が苦戦をしたことは事実であるが、それは少数の戦力で約一〇倍にもおよぶ敵と戦ったためである。
47 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:04:19 ID:???
>>45 それ、いい加減食傷気味なんだが。
以前のノモンハンスレでも批判されたネタだ、大勝利って言うんならもっとマシなソース探してきてくれ。
48 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:05:48 ID:???
では、別ソースのコピペでも
> [図解]知ってるようで知らない昭和史 河合 敦
> 軍国主義から戦後復興、高度経済成長、バブル崩壊……。激動の時代“昭和”を象徴する事件や出来事が、図と写真でよくわかる。
> (2005/8/6)
同書 P26 「ノモンハン事件」から
> ソ連の機械化部隊の前に、関東軍の戦車はブリキのおもちゃであり、日本兵が
> 投げる火炎瓶ではソ連軍の戦車には蚊が刺した程度の損傷しか与えられなかった。
>
> (略)結果、8717名の戦死・不明者と10997名の戦傷病者を出すという歴史的な敗北を喫したのだ。
49 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:08:23 ID:???
>>46 まあただのコピペだろうが…
>戦車は、走行射撃もできない水準
WW2じゃ標準的な仕様だと思いますが。
50 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:08:59 ID:???
51 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:10:39 ID:???
>>49 ホイ
> 1356 戦車砲の水平面内での動かし方について質問します。
>
> 旋回砲塔を持っている戦車で砲塔に対して砲を微妙に動かせる戦車砲を持ったものというと、日本の37ミリ、57ミリ、47ミリの各戦車砲くらいです。
> これは行進間射撃(走行射撃)を重視していたためで、砲塔の旋回ハンドルとは別に肩当を使って微調整ができる仕組になっています。
>
>
ttp://www.warbirds.jp/ansqn/ansq03.cgi
52 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:11:53 ID:???
53 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:16:23 ID:???
>>52 技量以前に「肩当を使って微調整ができる仕組」の無い戦車には出来ないこと。
54 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:17:12 ID:???
>>51 サンクス。欧州戦線で走行射撃できる戦車なんてないからちょっと吃驚したぜ。
55 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:17:16 ID:???
56 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:19:15 ID:???
M4もT-34も4号も走行射撃なんてできやしない。つまり日本の戦車最強!
57 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:19:54 ID:???
>>51 逆にそのシステムだと、傾斜地では砲手が砲身に振り回されたり、
原理的に大口径砲を搭載できなかったりしてるわけで。
58 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:20:05 ID:???
ノモンハン事変に関係のない戦車を出したってダメだよ。
59 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 22:24:16 ID:???
つーかその機能がノモンハン戦で優位に働いたのかと。
60 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 23:01:48 ID:???
61 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 23:43:42 ID:???
>>50 「完敗」はしてなくても「勝った」と言えないってことは
よくて「引き分け」まぁ「惜敗」あたりが妥当ってこったろw
62 :
名無し三等兵:2006/10/18(水) 23:50:24 ID:???
まあ他国の兵士なら泣いて降伏するような絶望的な状況下で日本はよく戦ったよ。
それだけに生き延びた指揮官が自決するハメになったのが訳ワカンネ。
常識で考えれば戦訓を生かすための貴重な人材だろ。
63 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 20:24:16 ID:???
>>60-61 むしろ「ダブスタ」を批判してると見た方が良い。よく死傷者の過多で勝敗は
決まらないと主張する者も居る。
だが、それなら従来の俗説
>>48 は非難しないのか? ってこと。
従来死傷者の数が多いから敗北と決め付けてたのもおかしいはずなのに、
一方は非難して一方は擁護する。
そのダブルスタンダードな態度を批判されてると思って欲しい。
64 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 20:54:20 ID:ndL8z0Z8
キルレシオの話題で盛り上がっているが、イワンは勝敗に関わらず相手より多大の損害をこおむっているのでは?露助が少ない損害で圧勝した戦いってあります?儂は記憶に無いけど。
65 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:01:28 ID:9P6kVI5j
,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,
66 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:03:39 ID:???
バグラチオン作戦とかは?
67 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:08:33 ID:???
wikiで恐縮だが、バグラチオン作戦wikiより
>作戦前、兵力90万人とされたドイツ軍の中央軍集団は作戦後半減しほぼ壊滅した。
>ソ連軍も70万人以上の死傷者を出したが、8月以降引き続きバルカン半島およびバルト三国解放作戦を始めることになる。
相手より損害は多い、でも作戦は続くぜ!それがイワンクオリティ。
68 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:09:57 ID:???
>>64 勝った勝った言ってるやつらが、ソ連軍の他の戦いと比較すると
ノモンハンの損害はむしろ少ない方だと言うことに沈黙している理由も知りたいところだな
69 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:12:08 ID:???
勝ち負けは戦略目的を達成できたかによるだろ
おれはシラン
70 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:29:20 ID:???
ttp://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000031750716&Action_id=121&Sza_id=C0 さて前のスレでも大人気だった福井雄三先生の御本を紹介いたします。
司馬史観を批判するとかそんなコンセプトの基で書かれたこの本、もちろんノモンハンのことにも触れています。
ですがはっきり言わせてもらうと、この本は全ての点において問題外です。
内容は前作と似たり寄ったり、それどころか読んでいると何度も何度も既視感に襲われます。
それもそのはず、前の本と全く同じ文章に何度もぶつかるのです。
驚くべきことですが、なんと福井先生は自分の前作の本の内容をツギハギしてこの本を作ったようなのです。
正確には、ツギハギをちりばめて本を書いたと言うところでしょう。
さらに大して厚い本でもないのに、字のフォントが大きい大きい老眼対策でしょうか?
まあ普通に考えると原稿そのものが大した量では・・・ツギハギしてもこの程度しか書けないってどうなんでしょう?
そんなんで司馬史観を批判とか現代史を問い直すとか亀田コウキ並みのビッグマウスです。
亀田との違いは、現代史に審判がいないと言うことと、いたとしても買収する権力を持っていないと言うことくらいでしょうか
なんにせよ、ノモンハン勝利説の強烈なネガティブキャンペーンを行う福井先生の真意が知りたいところです。
71 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:31:09 ID:???
バグラチオン作戦って不意を衝かれて
ドイツ完敗かと思いきや、なかなか頑張ったね
72 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:31:42 ID:???
似たテーマで本を出せば内容も似かよって来るって。良くある話しさ。
73 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 22:04:36 ID:ndL8z0Z8
ねっそうでしょう。敵より大きな損害で勝ち抜くのがイワン流の醍醐味じゃ。兵士の命なんて屁とも思ってないしー。今、思ったが旅順では敗北したが死傷者の数は日本軍より少ないね。
74 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 22:12:16 ID:???
でも領土紛争としてもソ連は勝って無いと指摘されてるわけだが。精々引き分け
75 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 22:16:23 ID:np1D56ZC
停戦ラインは北部、中部がモンゴルの主張する線。
南部は満州が主張する線。
76 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 22:24:50 ID:???
全体としてはどっちが領土拡大したんだ?
77 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 22:50:40 ID:???
ノモンハンにおいて我が大日本帝国は鬼畜ソ連の糞アカの虫ケラども壊滅させて大勝利であった
アカの謀略にのせられ洗脳されているような馬鹿以外は軍板ではすでに常識
78 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 23:00:38 ID:???
自決の強要はこわいお
79 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 23:09:46 ID:???
これ、露助が3個師団くらいしか前線に送れなかったら、確実に勝っていたろ?
80 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 23:15:15 ID:???
>>79 そういう状況を作るためにはシベリア鉄道を爆破したり輸送路を爆撃したりする必要があると思うが。
81 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 23:23:21 ID:???
82 :
名無し三等兵:2006/10/19(木) 23:31:37 ID:???
>>74 概言すれば確定された国境線のうち大部を占めるホルステン河流域方面の境界は、事件前からソ豪側が主張し
ていた線とし、これに対しハンダガヤ方面のそれは、かなり日満側の要求が容れられたという次第であった。
戦史叢書 関東軍1 P734
これで「引き分け」?
83 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 00:23:43 ID:???
>>63 別に
>>40も
>>44も
>>48を「擁護」はしてないじゃん?
「戦争目的」に限定して考えれば、双方の被害者数が従来の通説のとおりでも
新説のとおりでも結果は動かないんだから。
野球に例えれば、50点差付けられ5回コールドだろうが、
双方無得点のまま翌日再試合の延長の末サヨナラ負けしようが
優勝できない以上負けは負けなんだよ。
こっちの投手が一人で完投したのに
相手は継投策で延べ10人の投手をマウンドに送り込んだ、とか、
奪三振数や出塁数じゃ勝ってたなんてのは、
結果を覆すような言い訳にはならんのよ。
84 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 00:43:31 ID:???
85 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 01:46:43 ID:???
たとえソ連に勝ってても不毛の荒野だし…。
国境紛争に留まってよかったねとしか言えない。
86 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 04:22:17 ID:???
>>79 そんなありそうにない仮定をすることになんの意味が?
87 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 09:07:24 ID:???
>>86 >>76は帝国陸軍>露助陸軍ということを言いたいんだろ。
確かに1対10であれだけ頑張った帝国陸軍の前線兵は賞賛に値する。
が、負けは負けだ。作戦、補給等を含めて完全に参謀連中の失態だな。
多分囲碁や将棋を打つ感覚で始めたのだろうよ。その前に外交とかあるだろうに。
それで前線であれだけ頑張った指揮官が詰め腹切らされたらたまったものじゃないが・・
88 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 10:41:20 ID:F5kFns/p
1対10でそれほどの頑張りを見せつけられたから、
バルバロッサでドイツ軍に侵入されても
シベリア配置部隊を西に持っていくことは
できなかったんだろうな。
89 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 10:56:45 ID:c6fMnyKo
戦略的目的を達成したからソビエトの勝ちは揺るがない。
負けたと思って、その後の交渉で不利になったんだからなぁ。
もし敵に与えていた損害を理解していればもっと有利な交渉ができたかも。
まぁ相手がソビエトだから被害なんて気にせんけどな。
90 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 11:04:04 ID:???
勢いの推移が問題なんじゃね
緒戦から中盤末までは常に日本が善戦して
大損害を与えつづけた
末期の反抗では陸でも空でも圧倒されたと見てるんだが
91 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 11:04:55 ID:???
後半になればなるほど空でのキルレシオも互角か不利に持っていかれてる
辻の言うとおり師団を増派したら犠牲者数も逆転しただろうな
92 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 11:28:44 ID:NTnU/hWp
ノモンハンがキルレシオを根拠に日本の勝利なんて言ってるのはただの馬鹿だ。
戦争と言うものを全く知らないんだろう。
ただ、圧倒的劣勢下であれだけ戦った日本兵は本当にすばらしいと思う。
93 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 11:40:38 ID:L4nsnvvV
戦闘的勝利→敵に大損害を与えたうえ、陣地を死守した
戦略的勝利→敵の領土拡張の野心を粉砕したうえ、世界中に自軍の手強さを
思い知らせた
94 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 11:41:39 ID:c6fMnyKo
>世界中に自軍の手強さを思い知らせた
ちょっとまて。ノモンハンのことは隠し続けたし、手強いなと思ったのはソビエト軍だけでしょ。
95 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 11:47:47 ID:MXNvvGbo
93 名無し三等兵 New! 2006/10/20(金) 11:40:38 ID:L4nsnvvV
戦闘的勝利→敵に大損害を与えたうえ、陣地を死守した
戦略的勝利→敵の領土拡張の野心を粉砕したうえ、世界中に自軍の手強さを
思い知らせた
にもかかわらず、指揮官に責任を取らせて自決を強要する日本軍って一体???????????
96 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 11:51:34 ID:???
結局、領土拡張されて腹切りヘタレ関東軍ワロス
97 :
93:2006/10/20(金) 12:05:00 ID:???
NO!No!
>敵の領土拡張の野心を粉砕したうえ、世界中に自軍の手強さを 思い知らせた
戦略的勝利を得たのはロスケの側だよ
98 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 12:10:23 ID:OQzyuKGx
>96
むしろ事変前には実効支配が及んでいなかった日満側が
支配地域を拡張している。
99 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 12:26:28 ID:???
さらに、この紛争の結果、ソ連が満州国を国際的に認知することとなった。
独ソ戦争開始!の火事場泥さえ恐くて出来なかった屁たッレ関東軍w
>世界中に自軍の手強さを 思い知らせた
101 :
名無し三等兵:2006/10/20(金) 16:18:55 ID:Tox9GOBy
>戦略的勝利を得たのは
お互いに領土を半分ずつ取り合ったんだから、引き分け以外の何者でもないな。
尚武の国であった我が祖国の兵は強かったんだな。
>>101 半分じゃなくて
ソ連:大部分
日本:その残り
どうみてもソ連の戦略的勝利です。
シベリア軍団を東方に引きつけて置いた点は、
視点をユーラシア全体に広げてみれば
独軍が有利に作戦を展開できたので戦略的勝利。
勝ってればな。。orz
>>104 シベリア軍団って独ソ戦開始後に西に送られてなかったっけ?
ぜんぜん引きつけてないじゃない。
戦略は引き分けで良いよ。戦闘力は大差で日本が勝ちだから。
スカウターでつか
ソ連の戦車は走行射撃もできない水準だし、空戦で一六七三機も撃ち落とされてるし
>ソ連の戦車は走行射撃もできない・・・
その後T34を生み出したソ連
最後までチハが主装備だった日本w
>>103 ソ連がとった部分に何か権益になるようなもんある?
>空戦で一六七三機も撃ち落とされてるし
それでも制空権を維持
裏山椎生産能力w
技量や機体の性能で上回っていても消耗が早ければ物量で負ける。
走りながら撃つだけならできるよな
狙いをつけるとなると別だが
o
戦車800両撃破か。ソ連がこの戦いに投入した戦車が大体600両だから、
実に撃破率130%を超えてたんだな。
当時の戦車は対戦車より対歩兵を重視している。
>>46にあるとおり主に速射砲が対戦車戦で威力を発揮した。
>>117 たしか、ソ連戦車の受けた損害は速射砲や肉薄攻撃によるもので、
日本の戦車によって受けた損害は少ないんじゃなかったかな。
>>119 撃破→回収して修理→再撃破
これを繰り返せば130%は余裕。
回収して修理できる程度のダメージかよw
>>120 敵戦車を破壊できるほどの強力な砲を積んで走り回るには技術力が
足りなかったってことか。
>>120 日本だけだろ
>>当時の戦車は対戦車より対歩兵を重視している。
>>124 ソ連の戦車は機銃弾しか防げないわけだが
まぁすぐにKV1とT34が登場するわけだが
小銃弾すら防げない日本の戦車の立場は・・・
装甲は船に積み込むときのデリックの重量制限の問題も
あるけど、一式以降の装甲板の溶接で、三式、四式と
それなりに向上は見せているが・・・
>>124 そうでもない。ソ連の快速戦車は装甲が薄く日本の中戦車でも十分撃破できた。
ただ日本は戦車自体の数が少ない(やられた29両が全体の4割)。
大体、ノモンハンではチハでさえ4両しかなかったからな。
このときにはハ号がかなり活躍・というか89式を前線に出すなよな・
132 :
だつお:2006/10/21(土) 05:45:26 ID:ENhXMiJm
>敵戦車を破壊できるほどの強力な砲を積んで走り回るには
なら史上最大の戦車戦「プロホロフカ大戦車戦」とやらの実像は?
133 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 08:33:54 ID:mMwBlxJS
佐賀の部隊はノモンハンに参加してたっけ?
134 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 08:44:31 ID:g44V3G27
ソ連やモンゴルに大損害を与えても戦略的に失敗してしまえば意味はない
ましてや巡航速度が10キロもいかない89式や機銃弾ですら貫通しかねない95式では…
事実を隠蔽するのに必死で原因を研究しなかったから
終戦時まで95式が現役で活動するはめになった…
昭和初期に開発された戦車が昭和20年まで現役だった国は日本くらいなもんだ
135 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 09:12:54 ID:nndtR0dd
チハたんはダメダメだったんだなあ。そこがカワユイw
136 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 09:14:14 ID:Z1vGijMh
佐賀
137 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 11:39:19 ID:cKfQ/reB
長篠の合戦の織田兵レベルの兵装の歩兵にWWT前レベルの砲兵少々、戦車を一滴の味つけじやぁ。
まぁ戦車をすぐに引き上げさせてのは正解だったよ
あのままぶつけてたらマジで全滅だったかもな
プロホルフカでは1号戦車を改造して47mmを載せた奴が出ていたな
役に立ったかどうかは不明だが
ハ号もそれくらいできれば・金と資材と発想がなかったか・
一式中戦車や新砲塔チハでいいじゃない。
>>140 チハ改だってチハよりはマシって程度のレベルで、WW2の戦車としては論外だろ。
大戦初期なら47ミリでも別に論外ではないけど・・・
その後の九〇式野砲の転用を断行を決定するまで
遅すぎというか、一式の段階でやっとくべきだったと。
42年じゃあもう初期じゃないってのww
チハ改が戦場に出た頃は、ソ連はT-34とか生み出してたわけで。
T34出現の時、ドイツだって主力はIII号だろ。
チハ改登場時のドイツ軍は長砲身三号と四号があったがな
>>145 チハ改と同時期の3号戦車は、既に50ミリ砲搭載型が主力。
さらにチハ改出現後も、旧型チハとの更新は遅々として進まず。
チハも、出現当時は世界標準ってのは同意だが、その後の発展のスピードが遅すぎる。
ソ連が中国に大量のBTシリーズでも供与してたら
日本軍ももっとましな戦車作るかもな
日本の場合参本の無理解というか露骨な妨害と、海軍に予算を
とられていたという足枷がありまっせ。
後は外征軍故に船に載せる必要があるが、あまり重いのを作る
とデリックの関係で積み込める港に制限が出てくるとか・・・
みんな貧乏のせいですヽ(`Д´)ノ
150 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 14:00:37 ID:8Z4mWKwz
佐賀県はこの戦いに参加したの?
開国があと100年早ければ
>>147 39年末には75mm級の砲を搭載した一式ホニの開発が始まるんだけど。
でも陸軍の航空機優先のせいで戦車開発予算を切られて…。
ていうか、ノモンハンでは戦車の優劣は戦況の優劣とあまり関係がないのに、
何を必死に戦車騙ってるのかと。
日本軍戦車がさして貢献しなかったのはもちろんのこと、ソ連軍戦車も日本軍
歩兵の阻止にはたいして役に立っていない。
両軍ともに戦車部隊は戦況を決定するだけの役割は果たしていない。
ノモンハンの戦闘の重点は両軍砲兵の戦力差に求められるんじゃないのか。
生産は43年からだけどなww
どうせ太平洋にM4がやってくるのは43年も末期だしいいんじゃない?
>>153 重砲の射程の差と、数の差は決定的だったな。
ソ連がノモンハンに投入した重砲ってなんだっけ?
なんでM4に陸上で対抗せねばならんのか、理解に苦しむ。
M4に陸上で対抗しないといけないということは、もうその戦闘は負けと
決まっている。
M4が上陸しているということは、そのあたりの制空権も制海権も米軍の
ものになっているのだから、もう守備隊には補給も援軍も送ることが出来
ない。
もし大量のホニIを準備しておいて上陸してきたM4を全滅させたとしても、
米軍は次の部隊を送り込めば済むだけの話で、全くちっとも戦況は有利に
ならない。
つまり、M4の上陸そのものを阻止する、つまり艦艇と航空機に配分を優先
するのは、少しでも勝とうと思うなら、戦況を有利にしようと思うなら、ア
タリマエの話。
そうだね。そう考えて陸軍は戦車を3流のまま放置したんだろう。
砲兵の戦闘はなにしろ砲弾の数で決まる。
ノモンハンで2個野戦重砲兵連隊と2個野戦砲兵連隊が3日撃っただけで、
関東軍の野戦用砲弾の備蓄は底をついた。
第二十三師団とか第六軍とかじゃなく、関東軍なのがどうにも寒い。
たかだか3万発ぽっちの砲弾で、軍団規模の敵軍と戦うつもりだったのも
正気を疑うが、しかし、それ以上に関東軍全てを合わせて5万発しかない
野戦用砲弾で、どうやってソ満国境を守れるつもりでいたのか、もう呆然と
するしかない。
3日間で3万発を撃ってしまった日本軍砲兵は、その後は一日の割当は砲種
によって異なるものの十数発〜数発、試射だけで終わってしまうような数しか
配当されていない。
対するソ連軍砲兵は7月からの累計とはいえ24万発を撃っており、なお続々
と到着していて休戦時にもたっぷりと余裕があった。
>>161 射程の長い新型重砲は数が少ない。
あと、日本製火砲の責任ではないが、台地上に布陣してたソ連砲兵隊の方が有利だったのも確かだな。
>>159 その通り、陸軍は昭和18年で戦車はもう完全にあきらめた。
昭和19年の新規調達はゼロ、試作車以外1台も作ろうとはしてない。
昭和20年にちょこっと作ったのも本土決戦に最低限必要と思われる分を作ろう
としただけだ。
>>161 この頃の我が九二式十加は、最大装薬で連続射撃すると脚が折れるんよ。
ノモンハンでの砲兵戦の初日と二日目に野戦重砲兵第七連隊が出している「損害」
は全部それが原因の自損で、戦力半減に近い状態にまで落ち込んでいるのだから酷
い話。
ガダルカナルの頃には補強されてたって話だが。
カタログデータだけではわからん話もあるということで。
また、第二十三師団の野砲兵第十三連隊は無印の三八式野砲(真偽は不明だが、
連隊内での噂では満州事変のときに張学良軍から分捕ったものだと言われていた)
と、これまた旧式の三八式十二榴で編成されていた。
無印の三八式野砲といえば単脚で方向射界が狭い上に仰角が取れず、最大射程で8000強、
有効射程は7000程度。
こんな砲でもノロ高地では敵戦車を10台以上も食ったりしているが、敵砲兵に対して
は手も足も出なかった。
三八式十二榴は陸軍自身が野戦砲としては適さないと評価していたもので、発射速度
が遅く機動性も良くなく、最大射程は5600、有効射程は5000程度。
ノモンハンで5kmじゃもう丸見えもいいとこで、実際ほとんど陣地が設定できず、発砲
機会もごく少なかった。
独立野戦砲兵第一連隊は第一大隊だけが参加、九〇式野砲の長射程を活かして活躍
したが、砲身寿命が尽きても予備の砲身が届かず、8月攻勢の頃には有効な射撃が
できなくなっていた。
野戦重砲兵第一連隊は最新鋭の九六式十五榴を装備していたが、それでも射程が足
りなかった。
このため、砲兵戦初日の成果に不満を持った第二十三師団長の命令により、地形的
な要素から選ばれた後方の遮蔽陣地から前進暴露陣地に移動した結果として被害続出
し戦力は激減、最終的には8月攻勢時にソ連地上部隊に捕捉されて潰滅した。
新設されたばかりの穆稜(ムーリンと読む)重砲兵連隊からは1個中隊が参加、この
隊は八九式十五加を装備。
門数は少なかったものの野重七連隊の十加が脚折れを続出する中それを補って奮戦。
しかし、砲弾の補給でも最もワリを食っており、7月下旬以降は各砲1日5〜6発し
か撃てなくなっていた。
168 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 16:08:09 ID:foD7L/ky
辻ちゃんが戦いに自信を持ち楽観的な観測をホザイたら、ヨーロッパ帰りの大佐殿にソビエト軍の師団の装備の強大さを指摘され一喝されたのね。それでも辻ちゃん懲りずに作戦を推進。┐(´〜`;)┌
だって他に手段が無いじゃん。
頼りになる防御陣地も無いのにどこに後退すればいいんだ?
機動力に優るソ連軍が相手では逃げ切れるはずも無い。
>>169 > どこに後退すればいいんだ?
将軍廟まで、最悪ハイラルまで。
あんな野っ原、国境線なんかどこでもいいようなもんなんだから、あっちの言う
国境線まで下がってしまえと。
そういう手段をできなくした、ていうかそもそも第二十三師団が出撃したのは、
これも辻が策定した紛争処理要綱があるからだろう。
>>169 そもそも喧嘩売らなければよかった。
最初の越境の時点では、ソ連側は自国の主張する国境線からは一歩も出ていないし、
普通に外交交渉に任せていれば、1個師団を丸々失うこともなかった。
>>171 そんな事態になったら国境紛争レベルではすまなくなるんでは?
>>172 国境紛争そのものは以前から頻発していたわけで。
それがノモンハンで頂点に達した。
>>173 そのとおり。
だからこそ、向こうだってハイラルまでは攻め込んでこないよ。
だから、ハイラルまで戻って鉄道使って、落ち着いて再編成すればいいの。
将軍廟までというのも、ソ連側主張の国境から重砲の射程外にある補給デポと
いう意味で使ってる。
175 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 19:27:45 ID:foD7L/ky
越境爆撃もやっちゃったし。辻ちゃんやり過ぎ。でもソビエトもここで日本を全力で叩き怖がらせて極東の安定を計ろうとしたわけで。それにしてもバルバロッサ作戦の初期にボコボコにされた軍隊とは思えない強かさ…
176 :
だつお:2006/10/21(土) 19:38:04 ID:ENhXMiJm
>越境爆撃もやっちゃったし。辻ちゃんやり過ぎ。
制空権は皇軍側にあったという、動かぬ証拠になるな。
航空戦で敗北した状態で越境爆撃なんて絶対にありえない。
>>176 越境爆撃してた時は、制空権は日本にあった。
航空機及び操縦士が日本のほうが上だったから。
でも、数ではどんどん差が開いていき、
日本の航空隊が疲弊した事もあって
最後には制空権はソ連のものとなった。
178 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 20:45:11 ID:HvhxcNxj
ソ連側の航空機の撃墜破1673機なんてのは誇張。せいぜいその4分の1
がいいところだ。ソ連側の主張する日本側の660機にしても200機足らず
が実数だから3分の1にならない。せいぜい4分の1の165機を少し越えて
いる程度だった。前半は日本有利、後半はソ連有利だったという。
陸軍航空隊が始めて体験した航空消耗戦?
>>174 >向こうだってハイラルまでは攻め込んでこないよ。
そんな保障が何処に? 東欧や終戦間際の日本など、相手が弱いと見たら容赦なく付け込むのがソ連って国なのに。
ドイツとの二正面だからじゃね
は? 当時独ソ戦は始まってないけど。
>>182 始まってはなくとも独ソ不可侵条約は未締結
「レーベンスラウム」なんつー事を著書にしたため
全家庭配布するような指導者の居る国の方がよっぽど怖いだろソ連からすりゃ
日本とガチンコかましてるウチに寝首かかれても困るしな。
大体あんたの思い入れ交じりのソ連観はおいといて
当時のソ連が満州もしくは日本に侵攻する
意図があることを示す客観的な(←ここ重要!)書証、
もしくは傍証があるのかね?
>>183 スターリンのアタマの中なんか知らないが、事実としてノモンハン地区を侵略してきている。
侵略の意図の動かぬ証拠。
関係ないがついでとして、ドイツに対しても先制攻撃を仕掛ける計画が有ったらしい。
(ヒトラーに先手を打たれてるが)
>>184 してねえよ、当初のソ連主張の国境線で進撃やめてる。
>>185 アーそうですか。それならソ連がA国領土内に「ソ連主張の国境線」を引いて
そこまで進撃してやめたら侵略してないと言いたい訳ね。(バカかアホかと)
>>184 >ドイツに対しても先制攻撃を仕掛ける計画が有ったらしい。
ヴェルナー・マーザーの著作「独ソ開戦」以降
やたらと歴史修正主義者が引き合いに出す
「ソ連の対独先制攻撃企図説」であるが、
最近大日本絵画から訳書が出たマクシム・コロミェーツ著
「バルバロッサのプレリュード」では、当時のソ連側資料を基に
1941年6月当時のソ連労農赤軍が、戦略的にも戦術的にも
その様な作戦を行い得ない状態であったことを、
具体例を挙げて理路整然と検証している。
一例を挙げれば、西部特別軍管区(司令部ミンスク:白ロシア方面に展開)の
砲兵隊に配備された砲牽引車は、その殆ど(600輌)が修理廠入りしており、
その修理作業完了予定は1943年第二四半期であった。
またソ連側先制攻撃企図論者が最大の根拠としてあげる
当時参謀本部作戦副局長であったヴァシリェフスキーの手による対独予防攻撃作戦案
「ソヴィエト連邦軍事力の東西戦略展開計画に関する考察」であるが
この文書は1948年までヴァシリェフスキーの個人金庫に保管され、
ソ連邦国立アルヒーフに引き渡されたのはその後であった。
またこの文書にはスターリン・ティモシェンコ・ジューコフの3名が
決済のサインを行ったとする説が広まっているが、
著者(コロミェーツ)が現物を直接見た限りではその様な形跡は一切無く
他にこれら3者による決済の事実を裏付ける証拠もない。
のみならずこの文書には字句の修正や挿入などのメモが沢山残っており
(サラリーマン経験のある御仁は、
その様な起案文書なり企画書なりが提出に耐えるか否か解るだろう?)
国家戦略として方針付けられた物とは到底認めがたい。
それ故当時のソ連国家の戦略として、
対独先制攻撃を行う計画があったとは言いがたく、
仮にあったとしても米国の「オレンジ計画」のように
予防的な作戦草案の域を得ない物であったとするのが妥当であろう。
>>186 あのさ、ノモンハン付近の国境が係争地帯だったってことは理解してる?
満州に訳の分からない国作って
ここうちのもんだからってのもあれだけどな
>>186 バカはそっち。
国境紛争で自国主張の国境線まで前進するのは当然。
しかも先に事態を拡大したのは日本側。
その論法なら、
日本側主張の国境線すら越境して爆撃やら行った日本-満州も"侵略"になる。
>>188 そりゃ〜ソ連軍が侵略してきたんだから、ノモンハン事変が始まってからは「係争地帯」だろうね。
それ以前は問題なかったのに。
>>190 ソ連が北海道に「「ソ連主張の国境線」を引いて、そこまで前進するのは当然だと?
もうバカかアホかと。それにしても洗脳って怖いね。
>>186 8月攻勢の時点では、ソ連は圧倒的な戦力を持っていたから、
開戦前に主張していた国境線を越えて満州領内に侵攻することは可能だった。
にもかかわらず、当初の主張の国境線で進撃を中止したのは、
1941年時点では満州侵攻の意図がなかったという証拠。
言っておくが、永遠に満州に侵攻するつもりが無かったという主張ではないからな。
1945年の話を持ち出して反論するのはやめてね。
>>191 それ以前から双方の主張する国境線が食い違ってたんだけど?
事件の発端となった越境も、両国の係争地帯で起きているから、
どちらが先に越境したかは、それぞれの立場によって異なる。
あと、満州事変直後は、日本もソ連側主張の国境線を認めていた。
>>189 でも正直、満州って誰の物かはっきりせんのも事実でしょ。
民族自決からすりゃ満州人の土地ではあるが・・・
>>193 >証拠
そんな事は知らないね。実際には多大な損害を被って、それ以上進撃する能力が無かったとも言われている。
知らない内に他国の領土内に勝手に国境線を引いて、軍を侵攻させておいて、「侵略意図が無かった」なんて
詭弁が通ると思ってるのか? どんなバカが信じるんだ?
>>192 未画定の国境線の話と、画定した国境線の話が区別できない?
>>196 知らないうちにって、勝手に国境線を変更したのは関東軍なんだが?
>>194 ソ連が勝手に作った「国境線」なんて、他国が知るわけ無いだろ。
>>197 ああ河を境界にすると条約に定められていたんだ。ハルハ河のこと。
>>198 ナニソ連の宣伝を鵜呑みにしてるんだ?
>>199 両国の国境問題の基本が理解できてないようだな。
ノモンハン付近の国境線については、ハルハ河の東方を通る線ってのは、
紛争前から複数の地図に記載されている。
そして、ある時期までは日本もこの主張を認めていた。
日本がハルハ河を国境線と主張し始めたのは、満州国建国からかなり経過したあと。
1727年に帝政ロシアと清国との間で締結されたキャフタ条約に基づきハルハ河が国境と認定されている。
ところが・・・
コピペ
> ソ連軍は1932年から34年にかけて、兵要図を作成するとき、ハルハ河東岸に国境線を変更した。
> 日本軍がそれを知らされたのは、ノモンハン事件が起こってから敵の20万分の1の地図を
> 手に入れたときであった。
> それまで(日本は)ハルハ河東岸に国境が変わっているなど考えても見なかった。
「ノモンハンの夏」P66 半藤一利 文春文庫
>>201 こうしたデマ・捏造に対処するために、捏造の過程も説明しておくか。
日本側の資料の提示
コピペ
> 日本はその主張の支えとなる証拠の地図には事欠かなかった。外務省の指示を受けて
> 行われた1935年の研究は、河北省唐山で製作された地図、ロシアで編集された各種の地図、
> イギリスで発行された地図、陸地測量部が製作した別種の地図をそれぞれ例に挙げているが、
> これらはいずれも満州事変以前に発行された物であった。
> 1939年、ノモンハン事変以後に開かれたチタ会議に、日本側はハルハ河を国境線として
> 図示してる十八種もの地図を提出したが、それらは1918年作成の参謀本部地図に準拠した物であった。
>
> 「ノモンハン1」 クックス 朝日文庫
>>201 > 日本がハルハ河を国境線と主張し始めたのは、満州国建国からかなり経過したあと。
ソ連側による日本の地図の捏造過程
コピペ
> 戦後、東京裁判に証人として召還された矢野光二の記憶によれば、ソ連の検察官は、
> モンゴル人民共和国の国境についてソ連の主張を裏付けるために、数葉の日本製地図を
> 提出して検証した。
>
> 地図は真正なものであったが、ロシア人たちはハルハ河中に引かれていた線よりも、
> もっと目立つように、ハルハ河の満州国側に勝手に国境線を引いてしまった。
> だが地図に記された日本語の原注記は、境界線が”ハルハ河沿いに”引かれている事を
> 示していた。
> ソ連側の問題提起に対して反論が試みられたが、無駄に終わった。
>
「ノモンハン1」 クックス 朝日文庫
東京裁判で検察側証人として出廷したチョクトン少佐の提出した(ハルハ河東の)国境地図は(戦後)1946年に
自分の指図でウランバートルで作製した物であると述べた(全く証拠能力が無い)
「ノモンハン事件の真相と戦果」−ソ連軍撃破の記録− 小田洋太郎・田端元
>>202 同書にこういう記述もある。
ここで注目される事がある。昭和9年の関東庁の地図では、外蒙古側が主張するハルハ河東方13キロの線が国境になっていたということである。
また、十二年に満州国外交部が現地調査したときにも、同じ事が確認されているという。その報告書は、関東軍司令部はもとより参謀本部、陸軍省にも送り届けられていた。
(ノモンハンの夏P.45)
>>207 そりゃそうだろ。ロシア人がせっせと地図に線をペンで書き込で東京裁判に
証拠として提出した地図なんだから。(日本側の反論は無視されて)
>>208 つまり昭和9年や昭和12年というのが捏造とでも?
>>209 捏造するなんて簡単。日本製の○年刊地図を入手したらペンできゅーっと国境線を書いて”ハイ証拠ができた!”
ロシア人は日本語が読めないから、その地図に”ハルハ河が国境線だよ”って書いてあっても理解できない。
>>210 いや、そうじゃなくて、昭和9年や12年の地図や報告が捏造であるという証拠を求めてるの。
まさか、何の証拠もなしに捏造とか言っているんじゃないでしょうね。
>>211 そう突っ込むなら
>>207はソースにならないと言うしかないね。
同書の参考文献 「ソ連資料から見たノモンハン事件」とかをソースとすべき。
>>212 まあね。二次(三次?)資料で真偽を測ろうとしても意味は少ないわな。
人によっては一次資料も信用しないし。
ただ、そういう観点から言うと
>>204-206もソース足りえなくなっちゃくけどね。
ハルハ河が国境線だってのも、シベリア出兵の時に拾ってきたロシアの地図に
適当にペンで引かれてたのを、日本人が鵜呑みにしただけなんだけどな。
日本は律儀にそれに合わせて国境線を引き直したりしてたんだが、
肝心のロシア人は実際の地形を見てないから適当に線を引いただけだったりする。
それで実際の測量時に国境線を画定しようとしてみたら、日本の主張する線
(つまり、古い地図にロシアが書いた線)とずれちゃったよ、ということ。
ロシアにとって見ればあそこは国境線が未確定の地域だったが、日本にとって見れば
国境線は画定してるものだと思ってた。その違いかな。
結局、ロシア人に振り回されてただけなんだよ。これが。
>>212 自分に有利な記述がある本しかソースとして認めないと言うこと?
自分で持ち出した本を「それはソースにならない」ってどうよ。
話がずれてきたけど、
要はソ連と外蒙古がノモンハン事件の時点でどこを国境と考えていたか、ということ。
別にノモンハン事件の後で国境を主張したのではなく、前から13キロ東と主張していた。
別ソースも
> 明治39年(1906年)ロシア軍測量隊の作成した「八万四千分の一の地形図には、明らかにハルハ河に境界線が引かれてあり、
> また(中華)民国七年(大正7年)版民国参謀本部考察地形隊測図外蒙境界十万分の一図の国境線も同様である。
>
> 日本軍においては大正元年〜同七年の間参謀本部の臨時測図部がこの方面を測量した。勿論その時の十万分の一地形図の国境線は
> ハルハ河となっており、その後における日本軍の手によった大部の編纂図の国境線もハルハ河とされている。
>
> 戦史叢書 関東軍1 P318
>>213-214 まあソ連側の資料はソースにならないな。東京裁判の証言録の通り。
> ハルハ河が国境線だってのも、シベリア出兵の時に拾ってきたロシアの地図に
アホか。昔からハルハ河が国境と認定されている。
>>215 つまり「捏造である証拠」を求めるなら、その本ではなく、東京裁判。その証言が動かぬ証拠だよと言うこと。
>>219 つまり、昭和9年の地図や12年の報告は、東京裁判で提出されたもの、ということ?
>>220 その本には何も書いてないだろ? だから「ソースにならない」と言うこと。
最低限、何処からの情報なのか書いてないとダメ。
222 :
220:2006/10/22(日) 02:27:50 ID:???
ちょっと言葉足らずだったか。
言いたいのは、東京裁判で提出し、国境線を勝手に引かれたという地図と、
「ノモンハンの夏」に書いてあった昭和9年の地図が同じものかどうか、ということ。
同じとする記述は何処にもないと思うのだが。
その上で「ノモンハンの夏」の記述が捏造と「思う」なら何も言う事はないね。
223 :
だつお:2006/10/22(日) 07:26:39 ID:LF4b3Crm
違うと「思う」根拠もないんだが。
>>224 >>222を良く嫁。
『違うと「思う」』ではなく
『同じとする記述は何処にもないと「思う」』
と書いてある。
東京裁判に出された地図と、昭和8年と12年に出された地図と
いうのが同じだとノモンハンの夏に書いてなければ、
それが根拠になるだろう。俺は読んだことないのでシラネ。
226 :
名無し三等兵:2006/10/22(日) 13:21:11 ID:1WLZ2FdY
これは凄い。
死傷者数が多いほうが負けっていうルールなら
独ソ戦はドイツの大勝利だったことになるな
>>228 硫黄島も、まあ引き分けってとこになるのかね♪
このスレ読んで軍板住人の戦略研究志向の無いことにビックリ!?
硫黄島って実質日本側の勝利じゃね?
ただその優位をなんも生かしてないから、
栗林閣下も浮かばれない( ´Д⊂ヽ
>硫黄島って実質日本側の勝利じゃね?
本気か?
>233
可能な限り損害を与えるという戦術目標はある程度達成されたけど
戦略的敗北は間違いないところ。
>>232 軍板住民というより一部の酷使厨がだろ。
>>234-235 だってあの期に及んで、硫黄島防衛なんて達成出来ないじゃん?
時間稼ぎが達成出来たなら、一応は日本側の成功でしょう。
問題はその結果をなんも生かしてないという事だけど。
では質問ですが、何をどうすればよかったと?
硫黄島の踏ん張りは何かアメリカの
>>238切れた
では質問ですが、何をどうすればよかったと?
硫黄島の踏ん張りは何かアメリカの態度を変えましたか?
硫黄島の善戦を知りつつも、沖縄戦で投機的な攻勢を強要したり、
あまり後に生かされてない事かなぁ
>>225 それは「無いという証拠を出せ」と言う悪魔の証明だろう。誰も書いてないことまでは知らないよ。
書いてないならソースにもならないと言うわけ。
>>241 それは違うだろ。
元々、東京裁判に出された地図はロシア人の手が加えられた捏造って主張なのに、
東京裁判に出されたものだと書いていないから、ソースにならないっていうのは
意味が分からない。
その理屈で行くと、東京裁判に出された捏造地図のみが証拠だと言ってるようなもん。
243 :
名無し三等兵:2006/10/23(月) 11:07:29 ID:qfRf9UM8
戦には負けたくないな・・・何でも捏造されて押しつけられる
欧米人が見たら笑うなw
245 :
名無し三等兵:2006/10/23(月) 12:20:31 ID:vk5tIwUc
どんなに言い繕っても負け戦は負け戦。
砲兵戦で大敗している段階でどうにもならない。
おまけに日本戦闘機部隊も壊滅したのだから惨敗だろ。
歩兵の消耗は地歩の確保と並べて見るべきもので
ソ連軍は関東軍陣地を蹂躙し占領したのだから歩兵戦もソ連軍の勝ち。
まとめると
砲兵戦:ソ連軍の圧勝
航空戦:ソ連軍の辛勝
歩兵戦:ソ連軍の勝利
よってソ連軍の大勝利でFA。
>>242 「ノモンハンの夏」のネタ元は同書の巻末に有ったが、確かにロシア側の資料も使っている。
>>212 日本側の資料では否定してるのは概出。
>>217
>>246 >地歩の確保
それは日ソで半々
>>31 だから領土に関しては引き分け。
戦車戦・航空戦では日本の大勝。
将兵の死傷者数の過多で見ても日本の勝利。
砲兵戦に関しても当然勝利。
> 「ソ連砲兵は弾道修正が下手だった。交通遮断射撃で毎日同じ箇所に撃ち込み、そこを避けて通れば安全だった。」
> 野戦重砲 鷹司連隊長 (昭和史の天皇)
> 「(ソ連軍砲兵は)ずっと同じ処を目がけて(撃って)いることが判り、ソ連恐るるに足らずという風に
> 馬鹿にするようになってしまった・・・朝から夜まで毎日一点目指して弾丸を落としてくるのだから・・・
> とに角、技量は日本を百点とするなら、ソ連軍は、二十点だろう。」
>
> 野戦重砲 丸山正巴氏(ノモンハン回顧録)
何この国士様?
ノモンハン日ソ砲兵戦 一例
戦果
野砲級 破壊六九門 破壊推定四三門 制圧七四四門
速射砲 破壊一四門 破壊推定〇一門 制圧〇〇九門
迫撃砲 破壊〇七門 破壊推定〇三門 制圧〇三七門
日本側の損害 火砲破壊四四門
野砲13 第一,二,三大隊の戦果と損害 上田良三(ノモンハン会報7号)
>>250 まあ
>>48 見たいな本読んで洗脳されてる子がいるから事実を教えてるだけなんだよ。
そもそも参加してる戦力が違うんだから、戦車やら火砲やらの損害が
ソ連側に多いのは当たり前なんじゃあ……? 日本はそもそも
火砲と戦車をそろえられなかったわけで。
>>225 > 東京裁判に出された地図と、昭和8年と12年に出された地図と
> いうのが同じだと
つまり、東京裁判での、この話だろ? ↓
「昭和十二年七月十日に印刷兼発行者日本帝国陸軍陸地測量部の地図ではハルハ河を国境とした」
萩州(元軍司令官)証人の証言
そして東京裁判の弁護団は、昭和八年までソ連参謀本部はハルハ河を国境線としている地図を
使用していることを指摘
「ノモンハン事件の真相と戦果」−ソ連軍撃破の記録− 小田洋太郎・田端元
こうした事実を真逆にすり替えて、地図を改竄しているのがソ連側の資料、及び、
それを鵜呑みにしている日本国内の幾つかの発行物 > ノモンハンの夏、他
>>253 ソ連軍の車両・航空機は大量撃破
>>46 一例
この日、戦車・装甲車数百台が日本軍へ向かって突進してきた。
(戦車百八十六台、装甲自動車二百六十六台)シースキン著『ハルハ河』
速射砲の活躍
> 速射砲と連隊砲は必中距離の四〇〇メートル以内にひきつけて身をのりだして猛射した。
> 車体を貫徹するとかならず戦車は炎上した。岡本部隊の連隊旗手川添武彦元中尉は語る。
> 「こっちの速射砲と連隊砲と野砲の改良三八で狙い撃った。よく当りましたな。これは勝ったという感じでした」
> 酒井部隊の戦闘詳報の抜粋。
> 「七時、敵は戦車十数台、砲数門をもつて射撃し...八時ごろ、敵戦車十一・二台攻撃
> し来る。...十時ごろ四十七台の敵戦車われを攻撃...十三時ごろには重砲射撃を開始
> し、約百台の戦車逆襲し来れるも...大部を欄坐炎上せしめ、その黒煙幾十条となりて
> 天に沖し、あたかも日本海大海戦の絵巻物の如し」
この日(7月3日)の戦闘で「日本側の記録で見れば、敵戦車百数十台を撃破した計算になる。」
ノモンハンの夏 半藤一利著 P230
ソ連側の記録では
> 7月3日にハルハ河西岸の戦闘に参加したソ連軍戦車133両のうち77両、装甲車59両のうち37両、
> 蒙古軍の装甲車8両 (計122両の喪失)
> (第11戦車旅団は)散開して勇敢に進んだ。日本軍の砲撃で大きな損害を出した。
> だが繰り返して言うが、我々にその覚悟はできていた。
>
> 旅団は人員の半分を戦死者、負傷者として失った。戦車も半数か、それ以上を失った。
> 攻撃を支援していたソ連軍とモンゴル軍の装甲車部隊は、もっと大きな損害を出した。
> 戦車は私の目の前で燃えた。
> ある戦区では36両の戦車が散開したが、そのうち24両は瞬く間に燃え上がっていた。
>
> ジューコフ将軍談
「ノモンハン戦車戦」 マクシム・コロミーエツ著
まあ東部戦線では、ドイツ相手にもっと損害だしてるけど
結局はソ連が勝ったわけだし。
>>46 その記述はなぁ。
日本は29両しか戦車を破壊されていないが、投入数がわずか87両。
装甲車は20両中7両撃破されてる。
投入総数がそもそも違う上に、犠牲を恐れて引っ込めたからその程度で済んでいる。
25%の損害で全滅とされるのに、29台しか撃破されてないなんて
何の妄言かと小一時間(ry
飛行機はなんとか勝ってたが、後半互角に近くなってきている。
航空戦では最後の一ヶ月で、事変の全死者66人中半数の33人が戦死している。
大体、ソ連の参加戦力は飛行機約550機、戦車約600両、装甲車が約400両なのに
何その大本営発表?
大砲に至っては、撃つ弾がないのでほとんど撃ててない。
>>160 >>162 参加したのも100門ほど。
砲兵戦で勝ったっていうのは、火砲の損害の差じゃないだろ。
>>255 総数の中でどれだけ損害を受けたかって言うのは重要なんだが。
損害数だけ論じても意味がないってのは散々ループするぐらい語られてる。
日本軍は劣悪な状況下に置かれ、数でも勝る敵を相手に奮戦したなで済ませれば
いいものを、数字や言葉尻で遊んでどうにでも日本の勝ちにしたい人って何者?
いろんな意味で「可哀想な人」なんだろp
ノモンハン事変勃発時、日本が保有していた戦闘機部隊は23個中隊(中隊あたり9機)。
で、事変での戦闘機搭乗員の損耗は93名以上。
パイロットは簡単には換えはきかんから、これはかなり致命的。
262 :
261:2006/10/24(火) 00:12:28 ID:???
分かるとは思うけど、日本ではなく日本陸軍と訂正しておく。
263 :
名無し三等兵:2006/10/24(火) 00:16:47 ID:bGyNzbHX
まぁそのうち硫黄島の戦闘も勝利になるんだろうw
>>263 残念ながら、基地害には皮肉が通じない・・・
既に、死傷者数だけを比べて実質勝利などと言うやつらが。
>263
そのうちもなんも、もう発生してるが?
領土紛争としては引き分けだよ。戦果は日本の方が多いけどね。
また出たよ
ソ連が勝手に国境線を引き直して、半分その主張が通っちゃったんなら、
ソ連の勝ちでは?
残りの半分はどうなったの?
>>270 日本の主張するハルハ河を国境とすることで落ち着いた。
国境が未確定の地域で、日ソの主張が食い違い、事変の結果
半分ずつ認め合ったとするなら、領土紛争としては引き分け。
しかし、元々ハルハ河が国境だったが、一方的にハルハ河より東に
ソ連が国境線を引き直し、その主張を半分認めさせたとするなら、
領土を失った日満側の負けということになるね。
>>74 概言すれば確定された国境線のうち大部を占めるホルステン河流域方面の境界は、事件前からソ豪側が主張し
ていた線とし、これに対しハンダガヤ方面のそれは、かなり日満側の要求が容れられたという次第であった。
戦史叢書 関東軍1 P734
>大部を占める
>大部を占める
>大部を占める
>大部を占める
>大部を占める
これで「引き分け」?
「戦果は多い」?
というか死傷者数もソ連側が負傷者をたくさん出しているだけで死者数は
ほぼ同じか日本がわずかに多いくらいだったような
死者と負傷者を足した数字なら日本が有利に見えるけど、死者と負傷者を
分けて書いたなら日本の負傷者の数の少なさがかえって異常に見える。
硫黄島でも、日本軍の負傷者の数が異常に少ないだけで死者数なら米軍を遥かに上回ってたよな
>>272 領土って言うのは「面積」だよね? 獲った領土面積は日ソで半々。
>>31 う〜ん、地図を確認してみるときれいに半分ずつ。
>>273 負傷も何も投入した部隊がほとんど全滅に近いからね。
戦闘は最後にそこに残ってる方が勝ちだけど残る人間がいないんじゃあ勝ったとは言えない・・・
意外と日本軍は善戦してたんだね。そう評価が変わっただけ。
損害が大きくて、引かざるを得なくなったってことに変わりはない。
それに、全体を通してみれば互角だったように見えるけど、
終盤は空も陸も押されてる。
うんにゃ。終盤に日本が押し返したから、ハンダガヤ方面を確保した。
280 :
名無し三等兵:2006/10/24(火) 22:35:26 ID:ynqLqp+j
I-16は翼に20ミリを装備している。しかもスペックで見る限り
99式二号銃やホ5よりも高性能
防御なしの97戦にこんな物が命中したら冗談抜きにバラバラになっていたかも
>>279 ハンダガヤ方面は主戦場じゃない。8月の後期にようやく攻撃を開始した場所。
そこを守ってたのはソ連軍ではなく、モンゴル騎兵隊。
失地回復とは言えても、押し返したという表現は適切ではないでしょ。
ハンダガヤ方面を落としたときには、主戦場のノモンハン近辺を諦めてるんだから。
>>281 領土を分捕った事には変わりない。敵の防備が手薄な方向を攻撃するのは戦術の基本だし。
>>282 そりゃ分かる。ただ、今まで主力ぶつけ合ってたところ以外での勝利を、
押し返したと表現されるとなんか違和感がある。それだけ。
>>283 元々日本軍の防備の手薄な方面だったノモンハンをソ連軍は侵攻してきたんだから
日本側に逆に防備の手薄な地区を攻撃されて文句を言ったらおかしな話しになる。
領土紛争では日ソ五分五分だったと評して問題ないだろう。
>>285 はあ? 最初に侵攻してきたのは蒙古兵。
>>284 防備の手薄なところを攻撃する行為は正当。そこを否定してるんじゃなくて、
主戦場であるノモンハン付近では完全に陸軍の攻勢は頓挫し、ソ連軍は主張した
国境線内にとどまって陸軍とにらみ合っていた。
そんな状態でハンダガヤ方面の勝利をもって、「押し返した」っていうのは
どうかと言ってるの。
ハンダガヤ方面って、敵はいたの?
>>287 どれだけ領土を奪ったかが問題でしょ?
戦闘での勝ち負けはどうでもいいと上で散々言われてるじゃん。
>>289 どうでもいいと言われていることは死傷者の数であって、
それを元に勝った負けたというものではないこと。
どうひいき目に見ても、ノモンハン近辺の戦闘じゃ負けてる。
最後にハンダガヤを奪ってなんとか五分に持ち込めた。
で、事変の結果は領土を等分したので引き分け。
認識にはそう相違はないと思う。
これを変に皇軍勝利としたがる人がいて、困るというのが漏れの愚痴。
>>290 >どうでもいいと言われていることは死傷者の数であって、
>それを元に勝った負けたというものではないこと。
今まで死傷者数が多いからノモンハンは負けたと言われていたし、教科書や
多くの一般書籍の解説もそう言う認識で為されている。
>>48 それに対するアンチテーゼ何だから
>>50 少々大袈裟に主張するくらいで丁度良い。
アンチテーゼなら誇張や歪曲ありか…何その北朝鮮式宣伝法(p
どうかな? 意図的に片方を批判し片方を黙認するのも、プロパガンダに荷担していると言える。公平な態度とは言えない。
恣意的な誇張や歪曲よりははるかにマシ。
恣意的な誇張や歪曲
>>48 他
「ソ連に対しても、1939年9月にソ連・モンゴル軍と国境を巡る軍事衝突をおこして、
近代装備を持つソ連軍に惨敗した」
某社教科書
正しくは「ソ連は領土侵犯を起こし一部を不法占拠したが、防衛のために優秀な装備と
高い練度を持つ日本軍が敢闘し、ソ連軍に多大な損害を与えた。」だな。
>>295 「優秀な装備」があと桁一つ多ければよかったんだがなあ
>>296 一部改正しとけば
「ソ連は大軍を以て侵略を開始したが、防衛のために優秀な装備と高い練度を持つ日本軍が
少数ながら敢闘し、大軍だが粗悪な装備に訓練も劣悪なソ連軍に多大な損害を与えた。」
トラックがあと桁一つ多ければなあ
BTシリーズは粗悪じゃない1!!!123
「ソ連は大軍を以て侵略を開始したが、練度でこれを上回る日本軍は損害を省みず敢闘し、
ソ連軍に多大な損害を与え、戦線は膠着した」
これぐらいでどうよ
装備のレベルは同程度だろ。
戦闘機は勝っていたのは確かなようだが、
戦場にいない戦車や弾のない大砲やらが優秀でも
意味がない。
だが
>>161-167見ればわかるが、下手すりゃ日本の方が
劣ってる部分もあるぞ。
301 :
300:2006/10/25(水) 17:05:57 ID:???
>>299 おおむねそんなんでしょ。物量とか生産力とかの前には
換えのきかない少数精鋭ではどうしようもない。
>>299 > BTシリーズは
「走行射撃もできない水準であり、戦車戦では全く問題にならなかった。」
>>300 兵力不足は有ったが、日本軍の装備性能に勝るところは有っても劣ってる処は無さそう。
>>301 > おおむねそんなんでしょ。
いやいや、親ソ派?が書いた様な従来の記述を、適切な記述に修正するには
日本軍の優れた装備に関しても正当に論じるべき。
>>302 乗員の練度と、BTを何と比べているかによると思うんだ
>>303 でも装備の優秀さで勝ったというか、粘ったというかなわけじゃないっしょ。量も含めて。
兵士が偉かったんだと思うよ。ある意味独ソ戦初期と一緒。
>>304 いや練度だけでなく装備の優秀さも当然関係あるよ。
>>302 重砲の性能・射程が既出だが、読めないのか?
カタログスペックを盲信してもな。
「戦車戦」はなかったんだから走行射撃ができないことが
「全く問題にはならなかった」のは当たり前。
いない戦車と撃てない重砲のスペック自慢しても何ら意味がない。
>>305 うーん航空戦ではその部分(装備の優秀さ)があった、ような気がする。
黒江保彦氏の本読んでの印象だけどね。ごめんね粗雑な議論で。
(ちなみにこの本からの印象では航空戦末期は苦しそうな感じがします。
中堅士官を失ったことは結構、航空隊に暗い影を投げていた、・・・感じがする)
94式速射砲が、ソ連の45mm対戦車砲とくらべてどっちが優秀か、というどうかなと。
世界的に見て中国軍も使ってたボフォースの37mmとかPak36とかと比べて優秀か、とか。
90式野砲は間違いなく優秀だな。
>>167みたいな話になっちゃうけど。
ということで「装備でソ連に勝る」ことを入れるなら「補給でソ連に劣る」ことを注記する必要はあると思うんだ。
>>306-307 重砲の射程は大差ないらしい。ソ連軍砲兵の低い練度や戦果は
>>249 >>251 もちろん戦車戦も有ったし、大抵日本側の勝利。
また日本側の数の少なさは「ソ連は大軍を以て侵略を開始した」の説明で兼ねてる。
309 :
コピペ:2006/10/25(水) 18:08:24 ID:???
損害率問題...
ディーゼルエンジンのおかげで損害率が下がったというのは多分間違い...
まず火炎瓶攻撃で燃えたソ連戦車と砲撃で穴だらけにされた日本戦車は
同じ比べかたをしてはいけない...
同じような状態は、中東戦争のセンチュリオンとT55の戦いでも起っていて
ソ連の砲弾はAPFSDSで貫通力が有りすぎて砲塔の前面装甲板を貫通した後面
装甲板も貫通して抜けていってしまってかえって損害が減った...
戦車の中で跳ね回って乗員や弾薬に当たって、損害を増やすエネルギー弾に威力が在りすぎて
二枚の装甲を貫通して何処かへいってしまった(-_-;)...
もう少し威力の劣る2ポンド砲(AP弾)と装甲厚25mmの97式中戦車の場合は
3発も当たると炎上して廃車になった...
つまり装甲が薄すぎてかえって損害が減ったためというのが正解...
#
#
#
ソ連の45mm砲に対抗するには最低50mm装甲(垂直換算)がなければ
役にたたなかった
>>308 いやそのポイントは兵員の質の高さでしょ
>>308 射程に大差ないなら優秀とは言えないね。
それに、撃ちまくったら数日で自損する大砲が優秀?
>>310 装備と練度の両方。
>>311 大砲の口径などに極端な差がなければ射程も大差ないのは当たり前。
一部に不具合が有ったが、質に関しては日本側の高い射撃精度だろう。
>>309 で、BT対策として後に一式中戦車が開発された。
>>312 撃ち続けたら自損するっていう砲としての致命的欠陥を、
「一部に不具合」の一言で済ましますか。
それから、精度は練度で補えるんだが。あとソ連側の運用にも問題がある。
実際に大砲を撃ち比べて集弾性能を測ってみないことには、
射程距離に大差がない以上、射撃精度のみでは何とも言えない。
まあ大砲と砲兵を一つのユニットとして考える大戦略的思考なら
なら話は別だがな。
>>313 そのころにはT-34が実戦投入されているわけだが。
戦車戦一例
> 七月四日の戦車戦では十二台の敵戦車を破壊し、敵は退却した。日本軍の損害はゼロ
>
> ソ連の戦車には走行しながら射撃をする技術がなく、射撃するために停止したので、そこを日本軍に砲撃されて破壊された
>>314 一部の軽量化し過ぎたタイプの砲で足折れが発生したが、何にせよ「一部」。
砲兵戦に関しては
「私達の周囲では敵砲弾による被害は非常に少なく、私たちは日ごろからソ連の戦力を過小評価していたので、
敵の兵器は数量だけで質は粗製濫造による粗悪なもので威力がないのだと解していた」
冨永信氏 「ノモンハン孤立兵の遺書」農文協
>>315 対抗して75mmクラスの砲を搭載した三式中戦車、四式中戦車、一式砲戦車を開発中。
予算がカットされたんでほとんど量産できなかったが。
>>317 その「一部」の重砲ってのは一番射程の長い九二式10cm加農砲なんだが。
参加重砲82門中16門。
>>318 そのころにはT-34/85とかJS-2とかが欧州東部を蹂躙しているわけだが。
>>316 この主張なあ。走行射撃が難しいのはWW2期の戦車じゃ普通のはずなんだが。
練度の差はたぶん停止から射撃のタイムラグに出てくると思う。
>>317 当時の日本兵ならそのソ連の兵器を使っても善戦したと思うんだ。
つーかその程度の装備の差だと思うんだけど。
装備入れ替えたら勝てません、くらいの差がないと装備の優劣は言えないと思う。
>>321 はい
>>51 >そのソ連の兵器を使っても善戦したと思うんだ。
不良品ばっかりだから駄目だよ。不発弾ばっかりだって。
>>323 いや
>>51の「重視」ってのはわかるが、スタビライズされてない砲でどれだけ効果があったかなあと。
戦鳥のログでは
「(補足)第二次大戦中の戦車砲の命中率は平均で約7%、ドイツで10%程度で、
しかも行進間射撃はかなりの困難を伴ったわけですから」
なんてのもあるしな。
あと不良品は「装備の優劣」ではなくて品質の優劣で・・・。
そしてそういう話になると滑る日本のAPとかそういう話になりそうな・・・。
ノモンハン砲兵戦 一例
7月23日
日本軍は軽砲44門、重砲38門、合計82門を集める。集積した各種砲弾3万発。
ソ連軍は75ミリ砲以上を109門配備し多量の砲弾を発射したが後に代用の銑鉄弾も使用した。(草葉大尉)
(弾薬の生産が追い付かなくなったと思われる。)
この日、日本軍は約一万2千発を発射した。(ソ連軍は5万〜10万発ほど発射したと推定される)
「正面の敵兵の活動するもの殆ど少なく、敵は台上よりしばしば其姿を没し我が射撃に制圧されたり」野戦重砲一報告
敵の砲撃は当初の半分となり相当の成果が有ったと推測される(日本側も砲一六門失う)
ノモンハン砲兵戦 一例
> 敵の弾は質が悪く、また、信管が鈍いので弾着時砂に深く入り込み、破片の四散する角度が爆弾の如く
> 水平線より45度以上に散るので、二〜三〇糎位の破片がワンワンと唸って飛んでくる。
>
> 数十メートル離れると空気抵抗が大なのか、身体に当たっても棒で殴られた程度のショックで大いに助かった。
>
> わが方の砲弾は鋼なので破片も小さくまた信管の精度も良いので破片は殆ど二十度角度の超スピードで四散する。
> 威力大である。
>
> 野戦重砲隊 山田幹二氏 (機関誌ノモンハン7号)
>>326 この方は自軍の砲弾を食らったのだろうか?
>>327 砲兵隊員は砲弾の威力・性能を知らない素人とでも?
>>316 追加 解説
ノモンハン事変に於ける戦車戦で、ソ連戦車66両・装甲車数十台を破壊した。
(日本軍の戦車の全損害29両は対戦車砲などによる損失で、戦車同士の砲戦では損失無し)
>>329 追加 解説
ところで日本の戦車隊は7月26日に帰還命令が出されノモンハンの戦場から引き揚げた。
8月1日に戦車団編成改正との予定が有ったためで、これはノモンハン事変以前からの決定事項。
関東軍参謀は既定方針通りに改正を行っただけ。
もちろん失敗だったが、これはノモンハン事変は収束すると見て、八月以降のソ連軍大攻勢を
予測できなかったため。
(注 戦車戦で負けるから引き揚げたのではない)
>>これはノモンハン事変は収束すると見て、八月以降のソ連軍大攻勢を 予測できなかったため。
軍部の楽観主義は根が深いな。
ソ連軍の侵略意図を甘く見たんだな。
甘く見たんだ?勝手にソ連を敵国にして、朝鮮だ満州だって侵略しといてw
侵略国家・ソ連と言えばフィンランド、ポーランド、バルト三国等々の侵略事例があるからなー
油断したらイカンよ
当時の朝鮮は日本国です。併合条約で日本になりました。
故にこの件で露助以外の欧米が文句をつけてくることはありません。
チュンとあの国は別ですが。
>>319 >その「一部」の重砲ってのは一番射程の長い九二式10cm加農砲なんだが。
「十加の射程を伸ばすため、装薬を最大にしたため、架台が折れた」と言う誤解が
広まってるらしいけど実は ↓
「十加は射程が18200米あり、装薬を強くする必要は無く、左右に振ったときに衝撃で脚が折れたのです。」
野戦重砲7隊員
砲兵戦の様子・・・
> 8月12日
>
> 連日の砲撃により、酒井部隊正面の敵砲兵は破壊又は制圧され、全く砲兵は姿を没し、
> ただ、遠距離砲撃する敵重砲の射撃、近距離の迫撃砲活動するのみとなれり、
> 尚、迫撃砲は本十二日の破推射撃により完全に制圧せり」
>
> 野砲13V(関)
高台に設置したソ連軍の一部の長射程の重砲には手が出なかったが
他は全部潰している。それにロシア人の遠距離射撃など・・・・
>>249
>>336 常装薬で方向射界の範囲内で撃って壊れるってんなら、なお悪いんじゃねえか(涙
>>325 ヒント・それには続きがあったよねえ。
>>326 砲撃というのは、1発の砲弾で何人殺すかということだけが問題じゃないん
だよね。
ソ連軍の砲撃で、地上部隊が実際に侵攻してくるより前に日本軍の陣地はすっ
かり孤立させられていたとか、部隊間の連絡がつけられなくなったとか、そうい
う部分で相当に効いているわけなんだが。
>>337 というふうに見えたというだけの話で、撃ってこなくなったのは陣地変換を
行なっていただけなんだなあ。
また、逆に言えばその程度のことしかできていないわけで、移動集中妨害とか
擾乱とかには手が回ってないということを告白してるようなもんだ。
>>336 いや、最大装薬は誤解じゃない。最大装薬=全装薬=一号装。
確かにこれ以上増すことはないけれども、この状態は増装ではなく正規の範囲で
最大ということ。
具体的には、十加の薬嚢は主装薬と補助装薬3つからなっていて、主薬嚢に補助
薬嚢が絹糸でゆるく縫い付けてある。
これをほどかないで全部装填するのが最大装薬=全装薬=一号装、1個外すと二号装、
2個外すと三号装、補助全部外して主装薬だけは零距離零信管射撃で使う減装。
>>340 いや、畑さんは少将で野重第3旅団長、野重1と野重7を併せ指揮してた。
>>338 大軍相手だから、無理な操作をし過ぎたんだろうな。
まあ確かに、一日に数十発も撃つなんて無理をしたからしょうがないか。
>>339 > それには続きが
7月23日、大規模な砲兵戦から始まった日本の総攻撃は7月25日で一段落。
この三日間(23日〜25日)の砲兵戦による戦果
> ソ連軍の当初の砲数(確認済み) 破壊数 制圧数 残存数
>
> 15センチ砲12門 破壊04門 制圧02門 残存06門
> 15センチ榴12門 破壊03門 制圧02門 残存07門
>
> 10センチ砲24門 破壊03門 制圧04門 残存17門
> 12センチ榴16門 破壊05門 制圧01門 残存10門
>
> 野砲 12門 破壊09門 制圧01門 残存02門
> 総計 76門 破壊24門 制圧10門 残存42門
>
> 比率 100% 破壊32% 制圧13% 残存55%
>
> ノモンハン2 クックス 朝日文庫 P267
日本の砲兵隊は、ソ連軍の砲兵の約半数(55%)を撃破した。
>>345 7月24日より歩兵部隊が前進し、ソ連軍と激戦を展開する。
> 地上戦果、総計
>
> ソ蒙軍の遺棄死体約三,〇〇〇、捕虜五四、
> 破壊及び焼却した戦車・装甲車約五〇〇両、
>
> 砲兵撲滅約七中隊、制圧約一二中隊、
>
> 高射砲による飛行機撃墜四五機、
> 捕獲した戦車・装甲車二八両 他
>
> 7月28日、師団司令部のまとめ (戦史叢書・関東軍1)
この総攻撃による日本軍の損害 戦死1377名 負傷3044名 不明34名
ソ連軍の負傷者数は不明だが、遺棄遺体(ソ連軍が撤退する際トラックに収容しきれず残した遺体)が約3千。
日本側の戦死者は約千3百名で、ソ連側は日本の約三倍の打撃を受けたことが判る。
また500両もの多数の戦車・装甲車を撃破。相当な激戦だったが大勝利と言って良いだろう。
>>345 一箇所 訂正
日本の砲兵隊は、ソ連軍の砲兵の約半数を撃破した。 (残存55%)
そんなに強いなら遠慮せずにソ連軍を全滅させればよかったのに。
3万発ほど集めた弾薬を、おおむね使い終わったので一休み。
おっと、7月20日時点では
ttp://rkkaww2.armchairgeneral.com/battles/khalkhin_gol/1armygroupequipment_jul20.htm ソ連軍
12 152mm howitzers M1934,
8 122mm howitzers M1910/30,
4 76mm regimental guns M1902/30,
10 76mm regimental guns M1927.
外蒙騎兵
4 76mm field guns M1902,
4 76mm regimental guns M1927,
なのか。見落としてた。
すると、日本軍砲兵の観測は、加農砲を除けば、わりと正確だったか?
まあ、砲兵情報隊もいたし、もともといた野砲13も観測してたろうし。
すると、23日の段階ではソ連側としても107加農は到着したばかりだったということ
になるのか?
日本側の砲兵増強の気配に合せて、急遽対砲兵戦用の長射程加農を呼び寄せたってと
こかね。
>>350 日本はソ連軍の砲を合計66門撃破したわけか
無駄に詳細情報満載なスレだなw
日本側は
野砲兵第十三連隊 最初から最後まで
24 三八式野砲(改造なしの原型)第2・第3大隊
12 三八式十二榴 第1大隊
損耗
21 三八式野砲
1 三八式十二榴
野戦重砲兵第一連隊 7月18日進出
16 九六式十五榴
損耗
16 九六式十五榴(4門は自爆)
野戦重砲兵第七連隊 7月18日進出
16 九二式十加
損耗
16 九二式十加(4門は自損、2門自爆)
独立野砲兵第一連隊 7月20日進出
12 九〇式野砲
損耗
数字見つからず、スマソ
穆稜重砲兵連隊 7月19日進出
10 八九式十五加 (4門は旅順要塞から増援)
損耗
10 八九式十五加(3門は自爆)
野砲兵第七連隊 (第1大隊は8月1日より、第2大隊は8月24日より)
27 三八式野砲改 (実戦参加は9門)
9 九五式野砲
損耗
4 三八式野砲改
6 九五式野砲
日本軍は延べで108門を展開(連隊砲含まず)
延べの損失は74門以上、70%以上を失っているのは確実と見られる。
実質まるで戦力になっていなかった野砲13の十二榴が多く生き残っているので、
いくらか数字が丸まっているが、砲火を交わした部隊に限れば8割。
こりゃ、完全に全滅だわね。
とはいうものの、損失66対80前後というのは圧倒的敗北という感じではない。
ソ連の場合、公刊戦史レベルで鯖を読んでいて、チタだのボルジヤだのに予備として
待機していた砲兵も、さも前線に展開したかのように書かれている。
その補給や輸送について、帳面上は合っているもののどうにもできそうもなくて、ソ
連軍は超人的な頑張りをしたのだと言われてきたのだが、本当のところはやはりマジッ
クはなくて、単に数字が水増しされていただけだった。
実際には、さしものソ連もノモンハンの前線に維持できる砲兵の数は限られており、
7月の砲兵戦の段階では野砲・榴弾砲の戦力ではむしろ日本の方が上回っており、これ
は戦果に如実に出ている。
この砲兵戦ではソ連側が38門展開させた107加農の頑張りが日本側を弱気にさせた。
加農砲で38対16という数量差が、ソ連軍加農の制圧の不足を招き、ソ連軍砲兵の活動
がなかなか弱まらないという印象を与えたものと見られる。
そして、日本側が3日で砲弾を撃ち尽くしてしまったことで勝負が決まったと言える。
タラレバだが、日本軍の重砲兵にあと2万発も砲弾があれば、7月下旬の戦いは全く違っ
た様相になっていたかもしれない可能性がある。
>>357 砲弾の補給もさることながら、ソ連側が高台からの打ち下ろしだったのも大きい。
あと2万発有ってもどこまで頑張れるか・・・。
8月中旬の段階でも日ソ両軍砲兵の門数には圧倒的な差はなかった。
圧倒的だったのは砲と砲弾の「補充」にあった。前線に展開可能な戦力に大差はなく
とも、それを維持し続けるという部分で、日本にはそもそも「おかわり」がなかった。
輸送力がどうこうという部分も確かに無視できない程度に差はあったが、大砲も砲弾も
運ぼうと思っても運ぶべきもの自体が存在していない。
8月に入ってからの日本軍の増援は歩兵部隊(と航空)ばかりになる。
歩兵の増強は8月23日以降かなり急となり、額面上はかなりの数を送り込んでいるのだが、
砲兵は第七師団の師団砲兵(野砲兵第七連隊)と、ソ連側が化学戦に訴える場合に備えて
急遽派遣された迫撃砲第二連隊(8月24日)だけが停戦までに間に合っている。
>>358 7月の砲兵戦の段階では、実は
十五榴16対12
十二榴9対8(日本軍のは射程が短すぎで実質は0対8だがw)
十加16対38
長射程野砲12対4
短射程野砲約20対8
連隊砲12対14
で、加農砲以外はソ連軍と互角以上。
砲兵戦では数は正直に効いてくるので、3日かけてソ連軍の野砲と榴弾砲はほぼ
撃滅しているのだが、後が続かなかった。
確かに所期の成果に対して予想以上の砲弾を使ってしまったことで高台効果は大
きい影響を与えてはいるのだが、やはり数は力なんだな。
十五加だと誤認するほどに長射程大威力だったソ連軍十加だが、これは対砲兵戦
で忙しかったはずで、事実日本軍歩兵第一線への砲火はかなり微弱になったとさ
れる。
ただ、25日時点で日本側は10門程度に減っていたとはいえ自軍十加は敵十加に集中
できるのに対し、敵十加は日本側砲兵の大部分をアウトレンジしてはいるものの、そ
のほぼ全てに射撃せねばならないはずで、これは相当に苦しい局面だったはず。
しかし、結局砲弾が尽きたことでこのソ連軍加農砲群を黙らせられる見込みが立た
なくなったこと、また砲弾の備蓄がなくなって関東軍自身が不安になってきたことか
ら、7月26日を以って守勢に転移という決定になったわけで。
むしろ、ソ連軍にとっては命拾いってとこじゃないのかな、と。
>355-360
ソースも・・・
>>356 ちょいまった、ムーリン連隊は第1・第2中隊+旅順からの増援1中隊でそれぞれ
2門ずつ、計6門じゃね?
>>360 くだんのムーリン連隊の15cm加農が入ってないぞw
その数字からすると15加は6対0になるのか?
なんやけち臭い砲撃戦やなあ。もっと二三千門も用意して、力入れてやらんかい。
大体そないなこまいことやっても、ようけ旦那衆のもうけになりまへんで。
わてらも老後(天下り)っちゅうもんがあるんやで。
そこんとこひとつよろしゅうたのんますがな。
>356
>延べの損失は74門以上、70%以上を失っているのは確実と見られる。
それってソ連軍の戦果報告かな? 日本軍の実損は一六門だったから相当な誇大報告。
>>325 日本側の損失内訳
野砲3,90式野砲1,十五榴1,十加8(架台の折れ、自損事故),高射砲2
計15門
ソ連軍の66門てのはノモンハン事件を通じての全損失だね。
>>350にあるサイトの数字を信ずるならばだが。
>>369 だいたい、7月の砲兵戦については
>>360が言ってるようなことでいいんじゃなか
ろうか。
まあ、
>>362のツッコミのとおり、数字はちょっとおかしいがw
畑少将の日記は多少の事実誤認を含むとしても、まあまあ信用していい数字なんじゃ
ないかと思う。
野砲と榴弾砲についてはだいたい正しく、加農砲については砲種も含めてあまり正
しくないのは、加農砲陣地は遠いし、しかも加農砲部隊が新着だったとするなら、
それで説明はつく。
十加と十五加を誤認するというのは重砲の専門家の畑少将としてどうかと思うけど、
ソ連軍は演習用の砲弾も撃ったというから、弱い弾と強い弾が混ざって飛んできたか
らとは考えられないかな?
372 :
名無し三等兵:2006/10/29(日) 22:14:58 ID:gY+YCClY
勉強になるなこのすれ
戦場での誤認はよくあることなので普通に間違えていた可能性も高いと思われ。
上の方でも書かれてたけど、ソ連軍の砲弾は意外に威力がないという見方を日本軍
がしていたとすれば、もっと説明しやすいような。
15センチと10センチは威力に大差があって、明らかに爆煙や吹き飛ぶ土砂の量
が違うし、それは自分とこのをしょっちゅう見ていて知っているはず。
普通なら見間違うはずはないのだけれども、ソ連の弾は威力が低いという新発見(?)
に毒された結果、ソ連軍十加の高威力の着弾を見て「これは十五加」、低威力の着弾
(おそらくは演習弾ではなく、単にソ連お約束の生産ノルマ達成のための粗製ロットか、
または貯蔵条件が悪くて火薬が劣化していたかじゃないかとも思うんだが??)を見て
「これは十加」と判断してしまったのかもしれない。
その上で、「敵には明らかに威力の違う2種類の加農砲がある」という判断が先に立った
ので、遠い側の陣地にいるものが十五加で、近い方にいるのが十加だろうと思い込んだの
かと?
遠近はあるものの、ともかく加農砲の陣地は少なくとも10km以上は先で、絶対距離で遠い。
しかも高台の上なんで、気球でチラッと見たり、飛んでいる飛行機から見たりでは、砲の姿
までははっきり見ることができず、発砲の閃光や音響でしかその所在は確定できなかっただろ
うと思われるし。
>>374 粗製ロット、ありそう。
「バルバロッサのプレリュード」にあったんだが、1941年には45mm
徹甲弾で品質が基準に達してないものが大量に混入していたとある。
ちなみに、単に混入してただけならまだ救いようがあるが、このときは検査
のために前線からごっそり砲弾を引き上げてて、部隊に砲弾の在庫がなかった。
そこへドイツが侵攻してきたとw
何かの陰謀かww
>>357 ソ連側の66門は、連隊砲まで入れてだから、
日本側もそれに合わせると、いくらか増えるんじゃない?
よく出てきてるサイトの元ネタである、コロミーエツ本によると、
ソ連側の「鹵獲」兵器表に75mm山砲26門という数字が載っている。
鹵獲といっても、ほぼ残骸化したものも計算に入れてるみたいだけど。
表の数字は、なぜか120mm曲射砲(榴弾砲の意と思われる。)が11門と大きい数字なほかは、
日本側の実損害
>>355-356よりも小さい数字なので、下限として使ってよいと思う。
するってえと、損失は、
連隊砲除くと、日本74門以上:ソ連52門
連隊砲入れると、日本100門以上:ソ連66門
377 :
376:2006/10/31(火) 06:33:16 ID:???
おっと、流れを読まないで書いてしまった。
例の砲兵戦での議論か。
流れというか、太平洋全体の艦艇損失と特定の海戦での損失とをゴッチャにするような
379 :
376:2006/10/31(火) 07:00:37 ID:???
流れを読まず、満州国軍とノモンハン事件について多少。
<出動部隊>
・興安支隊(興安騎兵師基幹:騎兵4個団、教導団、蒙古少年隊、装甲車隊ほか)
指揮官:野村中将(日系)、兵力6000人
・興安北警備軍(第10軍管区):騎兵4個団ほか
指揮官:鳥爾金将軍、兵力600〜1000人
・石蘭支隊(第3軍管区の第3教導団基幹)
指揮官:石蘭将軍、兵力3000人
・鈴木支隊(第1軍管区?の第1教導団基幹)
指揮官:鈴木将軍(日系)、兵力3000人
以上合計すると、騎兵旅団2個、混成旅団2個相当くらいか。
ちなみに満軍の編成単位は、師−団(連隊)−営(大隊)−連(中隊)−排(小隊)と思われる。
騎兵団は営を欠く。
敵方のモンゴル軍騎兵「師団」は、兵力2000人、装甲車10両強など。
2個〜3個師団が投入されている模様。
<戦闘経過>
事件前、興安北警備軍が警備担当。小規模戦闘を繰り返す。
第一次ノモンハン事件前半、東支隊(第23師団捜索隊基幹)に、騎兵8団の主力150が配属。
後半、山縣支隊(歩64連隊基幹)に、騎兵1・2・8団の一部計440が配属。戦闘に参加。
第二次ノモンハン事件
6月20日、興安支隊編成。安岡支隊(第1戦車団基幹)に配属。
7月、興安支隊、日本軍最左翼で攻勢任務。北警備軍、最右翼で警戒任務。
興安支隊、ホルステン川南の高地攻略に向かい、ソ蒙軍装甲部隊との交戦。
少年隊70名は対戦車肉薄を担当し全滅。騎兵4団も全滅。教導団は死傷30%超。
興安支隊では、中旬以降脱走兵が相次ぐ。騎兵12団、迂回反撃を試みるが失敗。
23日に、小松原23師団長が激励視察。
31日、敵襲により、騎兵5・6団400名潰走。日本軍司令部に一時、蒙古騎兵と誤認させ混乱招く。
支隊長、日本機の誤爆(?)により負傷。ほぼ支隊壊滅となり、第8国境守備隊と交代。
8月2日、興安支隊後退。残存戦力300名(5%)。死傷2895名以上。
8月上旬、興安支隊に代わり、石蘭支隊と鈴木支隊を最左翼に投入。
20日、ソ連軍総攻撃開始。右翼の北警備軍(騎2・8団)、蒙騎6師団により撃破され後退。
21日、左翼の石蘭支隊3教導団1営の240名が反乱。日系将校を殺害し、集団投降。
石蘭支隊残存部隊は、後退しつつも防戦に努める。鈴木支隊は後方待機。
24日、右翼の北警備軍残存部隊、井置支隊(23師団捜索隊基幹)の撤退を掩護。
<損害>
日系の戦死者202名。
興安支隊の損害死傷2895名。
このほか北警備軍の損害として、モンゴル側が8月2日の戦果としているものが「小銃100」など。
少々誇張されているでしょうし、遺棄兵器も多いでしょうから、死傷60名と見ます。
ただ、ほかにも小隊が全滅している光景を7月頃に記録されたりしていますから、総数はもっと多いか。
ほかに、石蘭支隊の集団投降240名など、捕虜は相当数でしょう。
脱走兵が非常に多いのは言うまでも無し。
日系兵士202名戦死以外、ほとんど確かな数字は無いようですが、
おおざっぱに推定すると、死傷と捕虜合わせた損害は、4000前後と見てよい気がします。
ほかに落伍兵・脱走兵は数千人単位でしょう。これらは、不問とされて、復帰が認められたそうです。
<石蘭支隊の反乱>
反乱を起こしたのは、主力部隊の第3教導団の第1営でした。
大隊長にあたる営長自らが指揮を執って、所属日系将校6名中3名、及び連絡将校1名を殺害。
営長といっても、名目的なもので、実権は部下の日系将校が握っていたようです。
反乱当日も、日系将校のみで作戦会議を行っていたところを、襲撃されました。
日系将校でも3名は、親密だった兵士に助けられて一命を取り留めています。
脱走兵約240名が集団投降し、ソ連側の記録写真に残っているそうです。
なお日本の出版物で「日本兵」として載っている写真を注意してみると、満軍が結構写っています。
満州国軍のことを長々と書き込む目的が判らない。
それよりソースを出して欲しいんだが。興味が有れば各自勝手に調べるし。
意図がわからないって、紛争当事者だろ。
兵力的にも大きい。7月始め日本軍地上部隊は2万しかないところで7千人。
事件の実相を明らかにするには欠かせない。
主要ソースは「満洲国軍」満洲国軍刊行委員会編、1970
満蒙軍のことは面白いですお。
やはり満州軍は士気が低いなあ。
余所の国の国境紛争に当事者の3倍の兵力をつぎ込んでいたのか。
よくあること。日本だって米軍が守っている。
ていうか日満間で協定があるっしょ。
当事者ってのは建前だからな
391 :
名無し三等兵:2006/11/02(木) 08:48:40 ID:CTW+tgTM
関東軍に優秀な装備さえあれば・・・
兵器の性能なんか標準さえ満たしていればどうでもいい。
そんなものより予備の砲と弾が一番重要。
んだ。とにかくタマだ。
ソロモン辺りと同じパターンで、砲門数より弾薬備蓄の差が、火力差にひびいてる。
速射砲もタマ切れ。
まあ、こっちは数自体も足りぬ。
砲兵の火力は弾で決まるからな〜。
日本軍が一発撃ったら米軍は百発打ち返してくるってのも、
やっぱり弾の数が違いすぎるからだし。
まあ砲の数でも負けてるんだけどさ。
クックス本を見てみると、砲兵戦で一時的に制圧しているのは、
ビビッテ砲員が逃げ出しちゃったせいもあるみたいね。
でも、築城がしっかりしてるから、存外被害は少なく、
人さえ落ち着けば、陣地転換も意外にしないで砲撃できているという話が出てきてる。
あと
>>360はちょっとミスリードやね。
口径ごとに比較しないで、肝心の重砲合計数で見れば、
日本側:38(榴弾砲16、加農砲22)
ソ連側:63(榴弾砲25、加農砲38)
と、ソ連側が数でも優ってる。
弾薬量と地形効果がついてきて、航空偵察の差まで加算されるからorz
いくら、腕が良くても、大変だね。
>>345-346 >>366 7月末までの砲兵戦に関しては日本軍の圧勝だけど、8月末のソ連軍の総攻撃では
歩兵部隊が前線を支えきれず突破されている。
その結果、砲兵隊員が直接戦闘に参加したりとか・・・仕方ないので砲を爆破して後退。
これで多数の損失を出している。
>>396 それは、日本側の主張する戦果であって、裏が取れてないでしょう。
例えば戦車・装甲車500撃破というのは、どう見ても過大。
『遺棄死体』というのすらも、実はあてにならないもので、いつからの死体かわからないし、
ダブルカウントはよくあるし、だいたい、そんなに厳密に数えたわけでもなく、
水増し報告もありうるわけで。
まあこれは、現場で見てる歩兵の戦果であって、砲兵の戦果ではないから置いておくとして。
砲兵の戦果に関しても、そう正確なわけが無いのです。
「確認」といっても、航空戦での「撃墜確実」と同じく、鵜呑みにはできません。
あと日本側の損害に関して。
重砲兵連隊長によると、96式15榴の損害は、復旧不能が2門と修理可能が1門とやや増えます。
砲兵以外の損害だと、山砲4、速射砲19、歩兵砲5というのが、同じ師団記録にありますね。
歩兵戦に関しては、いつものように日本側が圧している記録はあるようです。
23〜24日の戦闘で、東岸の第149狙撃連隊は強化中隊規模まで戦闘力が減少と。
7月31日にようやく損害が回復したそうです。
>>397 >例えば戦車・装甲車500撃破というのは、どう見ても過大。
どう見たのか判らないのでナンとも(w まあ旧ソ連の資料が公開される
以前のモノは損害が意図的に過小報告されていて、当てにならないらしいが。
>>397 >重砲兵連隊長によると、96式15榴の損害は、復旧不能が2門と修理可能が1門とやや増えます。
そっか。すると
>>366を修正して
日本側の損失内訳
野砲3,90式野砲1,十五榴2,十加8(架台の折れ、自損事故),高射砲2
計16門
・・・これでヨシ。日ソ砲兵戦での戦果の格差は、ソ連側の砲術水準の低さや砲弾の低威力に原因があるのだろう。
>>399 配備数から考えてもこの数字は過大すぎないか?
もし本当ならソ連は戦車と装甲車を数十パーセント失ってることになるような
この時期の前線展開兵力は、戦車装甲車あわせて300両程度ですね。
撃破されたのを後方に引っ張って修理してまた投入したんじゃね?
それでも多すぎ。
>>403 戦車の配備数も過小に報告していると言う指摘もある。
407 :
名無し三等兵:2006/11/06(月) 08:21:18 ID:Dwgc5hyQ
ならほど〜
知られていない事実が多数列挙された良スレですね
>407
知られてないというよりおまえさんが不勉強なだけだろ。
今までの流れで公刊されてない資料で論じた奴いるか?(脳内ソース除く)
いちいち余計な煽りを入れる意味が分からない
ノモンハンで日本軍は砲兵を集中して、ソ連軍に対抗しようとした。ところが、弾薬が足りず
現地部隊でも決められた以上の弾薬補給を要請するのは恥としていた為、多数の大砲が
展示会のように砲弾も無く、並べられていただけであった。参謀本部でも余分な弾薬を送る
のは、部隊を甘やかすとして、補給はしなかった。一会戦分(4ヶ月)は小銃300発、軽機
8000発、重機20000発、野砲2000発と決められており、4ヶ月以内で追加の弾薬補給など
とは日本軍ではありなかった。全師団に1年間に各一会戦分の弾薬補給すら難しい国力。
412 :
407:2006/11/06(月) 10:17:44 ID:???
>>408 気にさわったんならゴメンね
陸戦は余り踏み込んだことないもんで
>>411 日本軍が砲弾3万発集め、ソ連軍が約10万発集めて砲兵戦を戦ったらしいが。7月末。
>>411 こういった発想が蔓延している時点で負けだわな。
サラリーマン将校や参謀連中は日露戦争をどうやって戦ったかを全く理解していない。
児玉源太郎なら内地にある武器弾薬及び師団をつぎ込んで絶対に勝ちに行くと思うが。
全面戦争化したら困るということを前提にしてもらいたい。
416 :
名無し三等兵:2006/11/07(火) 10:18:03 ID:7+hMfwlu
>>414 児玉源太郎ならそもそも
こんな馬鹿な状況に日本を追い込む
ようなことはないだろう。
417 :
414:2006/11/07(火) 10:23:32 ID:???
おそらく映画「二百三高地」で丹波哲郎が演った児玉以上の
イメージは無いんだろ
>>414には
「戦は気合ぞ!」てかw
既にそういうレベルの戦争じゃないのにねぇw
兵力追加といっても、またも輸送能力がネックとなって。
420 :
414:2006/11/07(火) 11:56:13 ID:???
>>418 いいえ、「坂の上の雲」のイメージで考えております。
大体、「二百三高地」の映画自体、過去ビデオを借りてきましたが、
全く面白くなかったので、最初の30分くらいしか観ておりません。悪しからず。
>>414 つまりノモンハン事変を日ソ全面戦争に持ち込めと? そう言う意見も無論有り!!
事変を本格的な戦争に持ち込む覚悟が有るのなら、まず航空兵力を集中してソ連領土深く
侵攻し航空基地や鉄道・物資の集積地点に対し徹底的に爆撃を加える。
同時に海軍も動き樺太を占領し油田地帯を確保する。そして大陸海岸・港湾を制圧へ・・・
普通に考えて中国と戦争中の日本がノモンハンを契機にソ連に全面戦争を仕掛ける余裕はないだろ。
けど史実では中国と戦争しつつアメリカにもけんかを売るなんてまねをした大日本帝国。
ノモンハンの時点で日ソ戦になっても南方にちょっかい出して対米関係悪化はしそう。仏印進駐ぐらいはやりそう。
>>422-424、 414氏は壮大な計画を考えているようだ。
いや、欧米の権益さえ侵さなければ、米国も何も言わないどころか支援してくれる可能性も。
帝国海軍がウラジオストックに空母機動部隊と艦砲射撃から海軍陸戦隊が上陸して制圧。
陸軍は関東軍がソ満国境で持久戦に持ち込み、ウラジオから東部軍が上陸し、シベリア鉄道伝いに
西進し鉄道を制圧しノモンハンのソ連補給路を遮断。シベリアのタイガ地帯では戦車も使えないだろうから
補給が切れなければかなり有利に進められるような。補給は制圧したシベリア鉄道を使えば・・・・・
イルクーツクくらいまで進出できれば講和に持っていけるだろ。蒋介石と和睦しておくことが前提だが。
>蒋介石と和睦しておくことが前提
これが戦争の原因ではないかw
日本軍にとって一師団会戦分の弾薬を集積して4ヶ月を戦うというのは、非常に恵まれて
おり、そんな恵まれた師団は開戦直後を除いてなかったのでは。硫黄島で0.8会戦分。
沖縄で0.6会戦分。インパ−ル作戦では師団砲兵は1門につき150発で4ヶ月を戦ったのだ。
ノモンハンでは4ヶ月で一会戦分も使えて、恵まれすぎ。
さすが精鋭関東軍と言いたいところだが、なぜだろう、目から熱いものが溢れてくるよ
陸軍の航空戦力はすでにほとんど投入されちゃってるけど、
全面戦争ならば、海軍機が当てにできるね。
速射砲はすでに60門消耗してるけど、
支那派遣軍から全部引き抜いてしまえばいいんだし、
兵力だって、支那戦線の占領地放棄してしまえばいいんだし、アハハ
>>427 ちょ、一会戦分ていうのは約4カ月戦える分として算出されているという意味だろ。
7月末に小松原師団長が関東軍に砲弾を一会戦分おかわりくだちいと言って、そんな
に弾があるわきゃねえだろ、空気嫁、と磯谷参謀長から返電。
つまり、関東軍は師団長クラスでも満州にどれだけ砲弾持ってるか知らなかったと見
える。
第一、ノモンハン戦は6月下旬の第一次(師団主力は出ていない)から通算したとし
ても3カ月あまりだしな。
>>429 速射砲は北支方面軍からほんとに引き抜く予定でしたよ、アハハ
支那に戦車なんか録に居ないって。
1917年ドイツ砲弾日産440000発、仏310000発、英290000発、日本2100発。
1941年ついに努力のかいあって日本は日産15000発に到達。それ以上は無理。
>>432 四半世紀で7倍の生産力…あらためて考えると恐ろしい。
1944年ドイツ大砲月産4000門。米75mm戦車砲だけで月産3000門。日本1941年月産50門。
日本1944年47mm対戦車砲月産50門。高射砲配備数1944年ドイツ45000門、日本850門。
47mm対戦車砲は重点生産兵器で、歩兵師団に定数12門装備、この時の師団砲兵は18門
これは本土決戦準備の決戦精鋭11個師団の装備定数である。47mm対戦車砲はM4には
近距離で後面と側面のエンジン部分のみが貫通可能。
日本軍師団編制 第一次兵備沿岸配備17個師団
師団速射砲隊(47mm速射砲12門)
師団砲兵隊(10センチ榴弾砲4門、75mm野砲8門)
第三次兵備機動決戦8個師団
歩兵連隊 3個
47mm速射砲 無し
師団迫撃砲隊 12糎迫撃砲12門
ノモンハン事変と関係ない話はスレ違い。
>>256-257 比較としてソ連側の記録も見てみよう。
> 一九三九年七月二日、敵はバヤンツァガーン山に進出してきた。
>
> (略)
>
> この日は息がつまるほどに暑くて、靴の底が足を焼いた。 敵が突進しはじめた。
> 弾丸があられのように降る。砲弾がいたるところで、段々と爆発して、地面が震動し、
> 硝煙が高く立ちのぼって大地を覆う。
>
> 上空には多数の飛行機が飛びかい、絶え間なく爆撃し、重爆弾があっちこっちに轟々
> と爆発し、あらゆるものをふり落とすように振動させ、天地がひっくり返るよ
> うである。幾種類もの火器の砲声が絶え間なく響きわたり、わが兵士たちの突
> 撃のウラー″という叫び声も聞こえる。双方から四〇〇台以上の戦車が交戦
> し、中には黒煙をあげてそのまま止まってしまうのもある。
>
> 息をすると熱い空気が入ってきて、胸が焼けるようだ。縦横五−六キロ四方
> の戦場において、多数の兵力、装備を投入して展開された戦闘の職烈さは、人々
> は想像もできないほどのものだった。
>
> (略)
>
> バヤンツァガーン付近で数日間続いた戦闘は、七月五日に終結した。日本側がこの戦闘に使用した兵力は、
> 将兵三万八〇〇〇人、大砲三一〇門、戦車装甲車約二〇〇両である。七月初旬頃の敵軍備は、モ・ソ軍に
> 比べて歩兵と大砲が二倍、騎兵・対戦車砲は四倍にも達していた。
>
> 「ハルハ河会戦 参戦兵士達の回想」 O・プレブ編/D・アルマース訳 P64
日本軍はソ連軍の数倍の兵力を投入してきたらしい?
440 :
名無し三等兵:2006/11/13(月) 00:48:11 ID:Qi99WbR7
関東軍つええ
これなら関東軍はロンメルにも勝てるな!
当然
443 :
名無し三等兵:2006/11/13(月) 08:00:52 ID:sLbPqn0y
一発の銃弾でOKだろ、ロンメル倒すには
バールのようなもので後ろから殴るというのはどうか。
ノモンハン事変と関係ない話はスレ違い。
444に殴る蹴る等の激しい暴行をくわえ、警察官が駆けつける前に
付近に置いてあったBTを奪い川又方面へ逃走するのはいかがか。
極左暴力集団の内ゲバだね
事件の最末期に、戦車第五連隊が動員されてるけど、
どのくらいの整備状態だったんだろ。
たしか編成中じゃなかった?
ソ連の勝ち。
本来の係争地では日本の戦略的完敗。
戦術レベルでも、戦力差の割にはがんばったが、やはり結果は負け。
それでも酷使様が勝利を主張してる。
勝ち戦の後で連隊長が自決するわけない。
ドサクサ紛れに本来の係争地とは無関係な土地に侵攻し占領したからって
引き分けとは全然言えん罠。
取った領土の面積はどんぐらい差があるの?
大体同じくらい。
>>454 そういう話が出ているが、実際に地図でみても判らないんだよね。
国境線の長さだとソ連側の主張の国境線の長さの方が長いという話もあるし。
>>455 >国境線の長さだとソ連側の主張の国境線の長さの方が長いという話も
それは獲りあった領土面積が同じくらいでも、どちら側の立場に立っているかで見方も変わってくるから。
日本の立場なら、
国境線の北側が深くソ連に踏み込まれ獲られて、国境線の途中くらいは浅く獲られ、南側は日本側がゴッソリと獲ってる。
国境線の獲られた長さで見ればソ連側が多い。
ソ連の立場なら
国境線の南側が深く日本に踏み込まれ獲られて、国境線の途中くらいは浅く獲られ、北側はソ連側がゴッソリと獲ってる。
国境線の獲られた長さで見れば日本側が多い。
ソ連側から見たノモンハン事変
> 一九三八年秋、日本軍総司令部は、モンゴル人民共和国の領有とソ連領沿海州占領をねらったモンゴル及びソ連に対する戦争計画を練り上げた。
> 日本軍国主義者のモンゴル領有への宿願は古いものだ。彼らがモンゴル人民共和国の領土を支配すれば、戦略上、巨大な利益があると考えていた。
> モソゴルの石炭、鉄鉱石、家畜、さらにはイギリス、フランス、ドイツを合わせたよりも広い領土が日本帝国主義の関心を引きつけていた。侵略計画を実
> 行に移すために、日本は満州に犬軍団を集結させた。ソ・満、モ・満国境の組織的な侵犯が始まった。情勢の緊迫と軍事的攻撃の脅威を配慮して、ソ連とモ
> ソゴル人民共和国両政府は外交的、軍事的措置を講じた。
>
> 一九三九年五月十一日、日本の侵略者は、火砲と飛行機の支援のもとに五〇〇人の騎兵大隊をもってノモンハン、プルド・オボー方面からモンゴル人民共和国
> 領に侵入した。かくして、ハルハ河畔で宣戦布告なき戦争が始まったのである。
「ハルハ河会戦 参戦兵士たちの回想」 O・プレブ編/D・アルマース訳
458 :
名無し三等兵:2006/11/22(水) 15:59:20 ID:3XpAY5DB
健在ナリ
モンゴル満州間の国境線紛争にソ連が出てくること自体、ソ連の負け。
満州の国境線紛争に日本は何しに行ったの?
見物?
461 :
名無し三等兵:2006/11/23(木) 21:36:10 ID:C1JtT08n
挙げ
a
ノモン勝利厨の理屈だと、ベトナム戦争はアメリカの完全勝利
(キル・スコアで1:20以上)
辻ーんが大命に叛逆し続けたらどうかという仮定は残るが。
>>463 予想される反論としては国境線とか首都陥落とかだな。
局地戦闘のノモンハンと総力戦のベトナムを比べるのもどうかと思うが。
465 :
名無し三等兵:2006/12/02(土) 20:10:46 ID:gO64Kvp9
ところでなんで関東軍は「圧倒的優勢」なソ連軍と闘うハメになったんですか?
一時的に後退すりゃ良かったんじゃないでしょうか。
>>465 一時的後退もなにも、やる気満々で兵力動員しているのに、
「やばそうだから、引き上げようぜ」なんてことは出来ない。
もし、軍隊を動員した上で、そういう移動が可能な状況なら、
そもそも戦争なんか起こり得ない。
(日露両国は事件・紛争の扱いだが、地元モンゴルでは、
きっぱりと戦争の扱いだそうだ)
>>464 ベトナムが総力戦だという根拠は?
ベトナムにとってか?アメリカにとってか?
>>465 日本側はソ連の兵力を過小評価していた。
というより、敵の兵力を把握しようという努力自体していたか怪しい。
敵を常に過小評価するというのは日本陸軍の通弊。最後まで直らなかったな。
はじめ圧倒的優勢とは認識していなかった。
でそのまま戦ってしまって、ヤバイとは思ったけど、
戦ってから下がることは逃げることで、逃げるのは負けだからいやだった。
というあたりでは?
最後の退却具合を見ると、ソ連側主張国境まで下がれば、
追っては来ないだろうというのは、認識していたと思う。
>日本側はソ連の兵力を過小評価していた。
ソ連側の資料によると、日本は例の「田中上奏文」に基づいて世界を侵略するための
一環としてモンゴルを侵略しようとしてきたんだから、全力で反撃するのは当然なのにね。
お、新ネタか?
そのソ連側の資料とやらを求む。
>>470 >ソ連側の資料
戦史叢書に「シースキン資料」として良く引用されている資料だが、1989年にモスクワで
訳者の田中氏が原資料を入手して2006年1月に全訳を出している。
ノモンハンの戦い (文庫) シーシキン (著), 田中 克彦 (翻訳)
価格: ¥ 1,050 (税込)
日本軍の攻撃で大きな損害を被ったソ連にとって都合の悪い戦闘などは、その存在自体を
抹消してたりするなど記事の内容を鵜呑みには出来ないがソ連側の公式見解を知るには良い。
「田中上奏文」の話は本書11ページの訳者の注釈。数年前のロシア科学アカデミー・シベリア支部での
シンポジウムに訳者が出席した際には依然として歴史上の史実として扱われている。
(中国でも同じで、彼らの言う「日本は正しい歴史認識を〜」とは田中上奏文の内容を史実と認めろと言う意味)
>>472 出版社: 岩波書店 (2006/01)
アマゾンとかで簡単に調べて購入できるよ
「田中上奏文」が史実であればまだましと思ってしまうw
中ソともに計画経済と官僚制を正統体制とするお国柄だからかな?
(ロシアもソ連時代の史観を受け継いでいるとして
戦前日本はあんな計画的かつ統制とれたかたちで侵略てか、
政治的決定や軍事行動できなかったよorz
ノモンハンは典型じゃないかww
>>476 まあ、今のロシアは官僚制だけ受け継いで
経済はグダグダだからなあ。
は?石油景気で儲かりまくりじゃん。
>>478 あの、富の偏在をグダグタと言わないお前は
いったいどこの国の人間だ?
”経済=富の偏在”ってのも斬新な意見だが、まあ、それはともかく。
日本人としては、他国の富の偏在なんぞ知った事では無いのだが、
>>479は違うらしいな。
ぷっ
482 :
名無し三等兵:2006/12/07(木) 17:10:07 ID:A3EkJeFo
チハたんならユーラシア大陸を横断してモスクワまで攻め込むことは
決して不可能でないとは言えなくもない。
やわらか戦車に無茶なことを…
とりあえず95式はロシア本土へ進出したと言ってみる
証拠写真だって、ばっちり新聞に載ってしまったしorz
485 :
名無し三等兵:2006/12/14(木) 17:24:23 ID:aGEJccow
やわらかせんしゃ
参考になるかわからんが自分の祖父(第一連隊第五中隊所属)にノモンハンについて聞いてみた(戦争体験スレにも書いたが)
速射砲1個中隊100人全滅連隊葬は凄かったそうだ
日本の戦車は皆ピアノ線でやられたそうだ
とにかく前線に行くまでにみな疲れてしまい途中で機銃弾を置いていったり、手投げ弾を置いてきたりして帰って来る時に回収などという事もあったそうだ。
あと、上官からノモンハンの事は話すことを禁じられたそうだ。
487 :
(1/2):2006/12/16(土) 05:44:47 ID:???
「日本軍はキチガイだと思ったから『ねじまき鳥〜』を書いた」 村上春樹氏が正しい解釈を語る
1 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 22:52:16 ID:Y1wP10nz0 ?BRZ(5161)
なぜ日本の人々の特定の人々が村上氏を警戒しているのか、
いくつか理由がある。氏は日本人が踏み込まれる事を恐れる場所に
あえて踏み込んだ。日本の悪名高い第二次世界大戦におけるアジアでの不幸とか。
この話題は日本ではタブーであり、中国や韓国との関係ではいつまでも
抜けない棘になっている。村上氏の「ねじまき鳥クロニクル」
(アメリカでは1997年出版)は、日本の過去についての長く、
背筋の凍るような比喩を含んでいる。
「私は1939年の日本軍によるモンゴルへの攻撃的な侵入、いわゆる
ノモンハン事件について詳しく調べました。調べれば調べるほど、
私はこの天皇の軍隊の全くの狂気に呆気にとられました。
どうしてこのような悲劇が理不尽にも歴史の中に埋もれたのか?
(当時の日本人は)何もこの失敗から学ばなかったと村上氏は言う。
2年後、日本は第二次世界大戦に突入します。そしてノモンハンで起こった
狂気と悲劇は巨大なスケールとなって至るところで繰り返されることになります」
ウォールストリートジャーナル 2006/12/9
ttp://www.opinionjournal.com/editorial/feature.html?id=110009368 俺たちがハルキに望んでいるものはそんなものじゃない!
早く「笠原メイの冒険」を書く作業に戻るんだ!!!
(とりあえず続く >2-10)
488 :
(2/2):2006/12/16(土) 05:46:39 ID:???
しかし海外では反響の大きかったこのシーンに、日本の読者は
何の反応も示さなかったと村上氏は言う。
それどころか批評家は単なる「カザリ」や装飾として批判したという。
「ドイツでは、ナチスは多かれ少なかれ大衆の支持を受けていました、
しかし日本の天皇制は民主的なシステムではなかったので、
現代のドイツ人はあの戦争に対してある種の責任を感じているが、
日本人は自分たちには責任がないと思っているのです。
なぜなら『邪悪で間違っていたのは体制だけ』だからです。」
「もし私たちが過去から学ばなければ、また同じ事を繰り返すでしょう。
ある種の人々は歴史を『作り変えて』います。」
「中国や韓国の人は歴史に敏感で、日本人は無関心。その溝は大きい」
「私がマサチューセッツ大にいた頃、沢山の中国や韓国の学生が私を
訪ねてきました。彼らは私の本に非常に熱中していました。
私たちはとても暗く悲劇的な過去を持っている、しかし彼らはこうして
私の本を熱心に読んでくれている。とても嬉しくなりました。」
「私は日本人を登場人物にして、日本の、殆ど日本の社会を舞台に
書いていますが、私のやっていることは普遍的です。」
と村上氏は説明した。「私たちは言葉は違う、価値観も違う。
しかし抱えている闇は同じだと考えています」
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1166190736/1-4
ソ連軍は日本軍を追撃しなかったから、助けられた面もあるしなあ・・
損害の量だけではなんとも・・
490 :
名無し三等兵:2006/12/16(土) 14:51:02 ID:PeXmNqLJ
あのときチハタソが2万両いれば・・・
燃料切れ&弾切れ
あのときトラックが2万両あれば・・・
運転手切れ
>>489 停戦時ノモンハンに張り付いてた2個師団残余と国境警備隊は粉砕されてたでしょうね。
移動中の2個だか3個師団が上手く戦場に到着できれば良いですが。
ソ連軍の兵站を、航空部隊で叩いたら、どうだったんだろう?
史実では、戦闘限定という上の意向と、
やりたくない航空部隊の希望が重なってやらなかったみたいだけど。
戦力的には可能だったんだろうか?
どの程度戦術効果はあったろうか?
全面戦争になったかどうかは、検討してもわからんとしても。
何回か爆撃やってるけど。
調べなおしてみたら?
叩いたのって、兵站ではなく飛行場かせいぜい前線部隊ではなかったっけ?
といっても、兵站叩くっても駅は航続距離的に無理だろう
ワシの爺さんは終戦時陸軍大佐であったが、義弟がノモンハンで自決を強要
された某部隊長だった。所謂、名誉の戦死ではなかったので、死後遺族に
対して当初は恩給が支給されなかったそうだが、爺さんが上に掛け合って、
何とか支給されたそうな。唯、そのせいか終戦時に爺さんは、ポツダム少将
には昇進できなかった模様である。
>>487 17 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/12/15(金) 22:58:32 ID:v0jV6MS30
捏造翻訳するなよ。
そんなことどこにも書いてねえぞww
↓
お前ら釣られるな
500 :
名無し三等兵:2006/12/21(木) 08:38:22 ID:oV13NnHb
関東軍500万get
501 :
名無し三等兵:2006/12/21(木) 14:02:42 ID:lSnAYrDb
501 get!
もうこれ以上の歴史的事実ってのは出てこない?
それと、ノモンハン戦場跡に実際に逝った人いる?
>499
日本の一部が氏にMurakami慎重なぜであるか他の理由がある。 作家は日本の恐れ踏面に多くのところで賭ける:
アジアの国家の悪名高い第二次世界大戦の災難、日本のタブーの話題および近隣の中国および南朝鮮との関係の連続的なとげの探検。
広く「結末の鳥絶賛されるMurakami's氏は」、1997年に米国で出版されて、含んでいる過去の長く、気味が悪い解釈を記録する。
地下彼の本「: 東京毒ガス攻撃および日本の精神は」、Murakami氏記録する結末の鳥を」書くことを
「準備することを記述する: 「私はNomonhanのいわゆる1939年事件に詳細な研究を、モンゴルへの日本軍による積極的な侵略のした。
私が記録掘り下げたらもっと、私がrecklessness、帝国軍隊の命令のシステムの薄いlunacyでaghastになったら。
行ったこの無意味な悲劇持たれているそうでたらめにいかに見落とした歴史の間にか」。
何もこれらの間違い、Murakami氏から博学嘆き悲しむでなかった。
「後で2年、日本は第二次世界大戦に参加し、Nomonhanで起こった悲劇大きいスケールでおよび同じ精神異常はまた改めて繰り返された」。
すべての適合容易にカリチュア風に描かれるか、または誤解される歴史的記憶喪失症のより大きく、独特なパターンにこの。
日本は確実に自由国であり、中国の水漆喰を塗られた日本の歴史の教科書についてのきしるcomのplaintsは退屈に鳴ることができ
北京の自身の政府が支援する検閲および注意深く合わせた歴史的記述を考慮する。 日本の問題は検閲でない。
氏に従ってMurakami、すべての情報は、それである教えられない公正そこにある。
教育者はPandoraの箱を開発するための責任を取りたいと思わない。 「教師親からの批評を恐れているまたは管理」、は彼は言う。
murakami氏は高等学校で彼自身の経験を記述する。 問題は教科書の省略でなかった。
その代り、歴史は不意におよそ1925年クラスの時間が年の間上がったときに、切られた。
その時点で教師はクラスを言った: あなた専有物で残りを読みなさい。 murakami氏はそのような高等学校の経験が全く珍しかったと言う。
ソ連が、満州に侵攻してたら、大損害を出すことになったんじゃないか。
当時のソ連軍は戦車部隊単独で、「進めるところまで進め」的攻撃を仕掛けてきたり、
ナポレオンの時代よろしく方陣をくんだ歩兵部隊で、ズンズン進撃してきたり、
攻撃についての近代的ノウハウを持っていないか、
人命を軽く見ているか、どちらかだったのではないか
守りは強固だったようだが。
ソ連は我国以上に、人命をなんとも思ってなかったからな。
逆に言うと、損害は省みず攻められるので、たちが悪い。
>>504 政治的制約から日本軍がハルハ河対岸に張り付いて動かずにいてくれたから
入念な作戦準備ができて教科書通りのシステマチックな両翼包囲戦が成功したまでのこと。
ソ連軍がノモンハンの戦勝で調子に乗ってさらに事前計画外の侵攻をしてくるなら、
日本軍増援部隊と遭遇戦を演ずることになる。
当時のソ連軍は硬直した指揮システムなので、戦況が絶えず流動し、
部下指揮官の状況判断と独断専行が鍵を握る運動戦には適しないわけで、
戦場はまたもや「日本海海戦」「八幡製鉄所」の様相を呈することになっていたかもしれない。
兵器も弾薬もないよ。
速射砲は手持ちの分は使い果たしてる。支那からくる5個中隊くらいしかない。
航空戦力が消耗しきっている。
ノモンハンで日ソが戦闘を続けていたら、ソ連はポーランド方面との二正面作戦を強いられるんじゃないかな。
>>508 ポーランド戦を予定していたから、すぐ講話に応じたんでしょ。
>>509 なら講和なんか持ちかけないで、大攻勢を仕掛けるべきだった。
二正面作戦を強いられるソ連は相当不利な条件でも呑んで講和に応じただろう。
結局、どっちに転んでも「陸軍はアホ」って結論にしかならんのか。
>>510 独ソの密約は、中央ですら知らなかったんだから、ましてや出先の関東軍が知っているはずもなく。
知っていたとしても、ヨーロッパ情勢とアジア情勢をリンクさせるって芸当ができたかな。
独ソ不可侵条約締結のときに日独防共協定破棄して
ドイツと縁を切っちゃえば良かったのに
514 :
名無し三等兵:2006/12/29(金) 02:05:25 ID:vWDkL1/1
関東軍は確かに善戦したと思うけど…
大勝利とか言ってる奴はネタ?
515 :
名無し三等兵:2007/01/05(金) 22:58:17 ID:B9oDdeXk
関東軍最強
とりあえずBT-5のハッチを溶接しよう
逆らう奴は粛清
前線でイチイチ溶接できるなんて、なんて贅沢な。
こっちは砲弾すら、まともに揃わないというのに。
518 :
名無し三等兵:2007/01/12(金) 08:11:51 ID:Hkxc4tmQ
チハが75ミリ砲だったらよかったのに
三式が量産されていれば………
戦車が立派でも上層部の連中が馬鹿やらかしそうだが。
>>520 当の陸軍が二式砲戦車は使い物にならないって・・・
>>521 沖縄などの戦いの様子を見るとむしろその金(資源)で九〇式野砲2門買った方が良さそうな気も。
>>523 値段的にも鉄量的にも2倍じゃ利かないだろうぜ。
>>510 日本にとっても中国との二正面作戦だから講和を持ちかけたんだが・・・
>>506 渡ろうとしたって、架橋資材がまずないからねえ。
史実の左岸攻撃に使ったのは、一本きりの演習資材ってのは有名な話で。
527 :
731高地:2007/01/15(月) 19:42:18 ID:3fpqYnky
ソビエトにボロ負けという評価が定まっていたが、ロシアになって
旧文書が出てきたら、結構ソビエトの損害も大きくて、関東軍健闘という
評価になってきているらしい。ジューコフも認めた日本陸軍下士官兵卒の
奮闘を軽んじてはいけない。
>>527 奮闘は最近広く認められていると思われる。
ただ、当時の日本軍にとっては上層部が「負けた」と認識するくらい衝撃があったこともまた事実ですな。
529 :
731高地:2007/01/15(月) 19:57:35 ID:3fpqYnky
「ボロ負け説」をあまねく広めたのは司馬遼太郎だったか。
あの人、どう評価したらよいのかね。
司馬じゃんくともボロ負けって言ってたろ。
じゃんくつうたのは対談したくっくすだお
TBSジャンク
どっちにしろ上が無能だったのは変わらん
535 :
731高地:2007/01/15(月) 20:11:47 ID:3fpqYnky
チハは棺桶って本気で言ってたみたいだね。
福田中尉。
>>83 :名無し三等兵 :2006/10/20(金) 00:23:43 ID:???
>>63 別に
>>40も
>>44も
>>48を「擁護」はしてないじゃん?
「戦争目的」に限定して考えれば、双方の被害者数が従来の通説のとおりでも
新説のとおりでも結果は動かないんだから。
野球に例えれば、50点差付けられ5回コールドだろうが、
双方無得点のまま翌日再試合の延長の末サヨナラ負けしようが
優勝できない以上負けは負けなんだよ。
こっちの投手が一人で完投したのに
相手は継投策で延べ10人の投手をマウンドに送り込んだ、とか、
奪三振数や出塁数じゃ勝ってたなんてのは、
結果を覆すような言い訳にはならんのよ。
537 :
731高地:2007/01/15(月) 20:17:32 ID:3fpqYnky
満ソ国境紛争処理要領
其の1 軍は侵さず侵さしめざることを満州防衛の根本とする
>>528 そりゃあ総力戦をやったわけでもないのに、
結構な損害を負っているからショックは大きいでしょう。
一方のソ連は下士官以下の人命なんぞ屁とも思ってないから、
何人死のうが関係ない。
ただ、張鼓峰みたいにポカした軍団長は銃殺刑
関東軍自身は講和の時点でもソ連と戦う気満々だったろ。
ただ大本営が日中戦争の真っ最中にソ連とも戦争始められたらたまらんってことで、
無理やり講和にしただけで。
ちょうどソ連もポーランドに攻め込もうとしていた時だから、双方の都合が一致した
ってことだろ。
講和の内容を比較しても双方の主張が認められていて、日本の負けって訳じゃないし。
作戦レベルじゃ大負けじゃないかw
戦う気満々って・・・
砲兵で圧倒され戦車兵力でも圧倒され頼みの綱の航空部隊も壊滅しているんですけど。
大体、ノモンハン「日本勝利」および「日ソ引き分け」派が固執する
「ハンダガヤ南方」ってのは、
日本側がもともとの係争地であるノモンハンとは関係なく、
いわばドサクサ紛れに攻め込んだ所だろ。
結局日本側の当座の戦略目標とも言うべき「侵さず侵さしめざる」の
いずれも達成されて無いんじゃどうあがいても勝ちとは言えんわな。
関東軍が戦う気満々だったってことは、兵で圧倒されていないし戦車兵力でも圧倒されていないし
頼みの綱の航空部隊も壊滅していないってこと。
それに、ソ連との講和に持ち込んだんだから、「侵さず侵さしめざる」の戦略目標も達成じゃん。
大体、あのがめついソ連が勝った戦争で、日本の取り分なんか認めるわけないだろ。
ボロ負けのように言われているソフィン戦争ですら、戦争前に提示した条件より多くの領土を
分捕ってるのに。
ソ連にとってのフィンランドとモンゴルの重要性の違いも理解できませんかそうですかw
そりゃ日本の戦車団は途中で帰っちゃったから圧倒されようがないわなw
>>543 ボロ負けなんて言う人は極めて片寄ったものの見方をしていると思われます。
ヘルシンキまで攻めること自体不可能ではないわけですから。
損害は大きく、あり得ない勝ち方ですけど勝ちは勝ちです。
>>544 独ソ戦勃発時にドイツ北方軍集団と対峙していたソ連軍は49万8000。
その時期、関東軍に備えるため極東に配備されていたソ連軍は72万3000。
>543
戦闘機部隊は壊滅しているよ。
余りにも消耗が激しその再建に手間取った。
太平洋戦争緒戦で陸軍航空隊が不活発だった理由の一つはそのためとされているよ。
549 :
名無し三等兵:2007/01/16(火) 19:03:55 ID:WjAaB9gL
>>543 「侵さず」は綺麗事。実際は「万一侵されたら機を失せず膺懲する」「万一衝突せば、兵力の多寡、
国境の如何にかかわらず必勝を期す」と露骨な侵略主義を謳っている。
で、結果は痛み分けに近いが、これを戦略達成とみるのは無理だろw
ソビエトは関東軍をガツンと叩いて、さっさと独ソ戦準備。取りあえず
国境は適当でもおK。モンゴル人民にとってはノモンハン紛争は「祖国防衛戦」
だったが、ソビエトの考えはそんなものではなかった。
550 :
だつお:2007/01/16(火) 19:18:44 ID:z892eXMB
戦闘機部隊は壊滅しているよ。 余りにも消耗が激しその再建に手間取った。
大祖国戦争緒戦で赤軍航空隊が不活発だった理由は、ノモンハンで皇軍航空隊
にコテンパンにやられてパイロットが枯渇してたからに他ならない。
551 :
だつお:2007/01/16(火) 19:55:23 ID:z892eXMB
>>549 確かに。「ノモンハンは日本の勝利」派とほぼ共通するであろう
「ノモンハンは日本の防衛戦争」派は、
>>542の言うハンダガヤ南部を「獲得」した経緯も含み
どう考えているんだろうねぇw
553 :
だつお:2007/01/16(火) 20:45:16 ID:z892eXMB
あと坂井三郎氏の著作で読んだことだが、航空戦で失われる機数という
のは全体の損失に比してわずかだとか。ドイツ空軍にしても東部戦線で
200機300機の撃墜エース記録を輩出してるわりに、バグラチオン
作戦で飛んだのは40機だけだったとのことだし。
航空キルレシオなんて、フライングタイガーやらルフトバッフェやら
がそうだったように、史実の戦局とかけ離れた無意味な数字に思える。
>ソ連側のそれは戦闘によるもの207それ以外によるもの42と記録される。
米戦略爆撃調査団報告書によれば太平洋戦線の全損失27,000機のうち
戦闘によるものは8,700機しかもその6割くらいは対空火砲とのこと。
ノモンハン航空戦の場合、地上攻撃はタムスク爆撃くらいしかない。
航空撃墜で1600機というわけにもいくまい。とはいえ200機
であっても航空撃墜だけでそれだけやったのならなかなかのものだ。
554 :
だつお:2007/01/16(火) 20:48:14 ID:z892eXMB
>航空キルレシオなんて、フライングタイガーやらルフトバッフェやら
>がそうだったように、史実の戦局とかけ離れた無意味な数字に思える。
Canpain Allied Axis Allied Lost Axis Lost
Per 1000 Per 1000
France 1940 4480 21,000 58.5 6.1
Britain 1940 31,000 42,000 29.5 9.6
Pre D-Day 1944 98,400 34,500 10.3 36.1
Post D-Day 1944 203,357 31,833 2.5 110.6
http://www.angelfire.com/ct/ww2europe/stats.html WWII Statistics
Aircraft Sorties In WWII
同じころ、ドイツ空軍戦闘機部隊は中部ドイツに大々的に兵力を集中させた。
九月十二日には四〇〇機以上が防空任務に出撃できる体勢にあったが、悪天候
のため離陸命令は取り消された。ところがゲーリングはこの決定に納得せず、
自らしゃしゃり出て戦闘機に出撃命令を出してしまった。この馬鹿げた命令
によって戦闘機部隊は出撃機の一〇パーセントを失ったといわれ、そのため
九月の戦力収支決算はますます落胆すべきものとなった。本土防空に投入された
戦闘機は三七一機の損失に対し、敵機撃墜は三〇七機であった。ただしドイツ
空域に侵入した連合軍機の数は、防空側戦闘機の出撃数よりも一八倍も多く、
損失率はそれぞれ〇.七パーセント対一四・五パーセントとなるのである。
この数字はとても引き合わないどころではすまないものであった。
ヴェルナー・ジルビッヒ「ドイツ空軍の終焉」
555 :
名無し三等兵:2007/01/18(木) 12:34:02 ID:AsDrayDD
日本も3個軍集団規模の動員をしてれば勝ってた戦だよな
独ソ戦緒戦の独軍のように
まあ、小学生でも理解できる言い方をすると
「負けました」と、認めた方が負け
>>555 独軍のように?
つまり勝負ひっくり返された挙句首都を占領され国を分割されろと?w
>>556 何故かそれが理解できない小学生以下が居座ってるからなぁw
>>542 戦って土地の分捕り合戦してるんだから、ハンダガヤ方面も間違いなく「係争地」だよ。
>>558 ちと極端な例えになるが、ノモンハンのどさくさに紛れて日本が樺太北部を占領したとする。
んで、それをもってノモンハン戦は引き分けか勝ちだと主張できるかって言うとそうでもないだろ。
お互いが全面戦争前提で土地の分捕り合戦をやっているなら、意味があるけれど、
基本的にノモンハン正面での限定戦争なのだから、ハンダガヤは相対的に価値が低くなるということ。
>>559 いや、そもそも「ハルハ河沿いが国境」と言うのが日本側の認識で、「国境はハルハ河東方約20キロ」がソ連・蒙古側の認識。
ハンダガヤ方面では、ハルハ河沿いに領土を確保したんだから日本側の勝利。
ノモンハン方面では、ハルハ河から東方約20キロに領土を獲得したソ連・蒙古側の勝利。
だから領土紛争としては、日ソ双方の痛み分け。
主観的に越境攻撃をかけたのは、日本側だけで、ソ連の侵略という論はおかしい
562 :
名無し三等兵:2007/01/18(木) 21:20:40 ID:eeA6aUin
>>561 国境紛争の常で、どっちが先に手を出したかは不明ながら
蒙古軍が越境してきて、東支隊が出動したのが契機だろうから
日本側が先に仕掛けたという証拠はないだろう。
ま、やる気まんまんではあったようだがw
ハンダガヤ方面は明らかに停戦交渉の取引材料を意識した作戦ですね。純軍事的な意味は殆ど無い。
ノモンハンは
戦術的には大善戦した。
作戦的には敗北した。
戦略的、外交的には引き分けた。
でしょうか。
564 :
名無し三等兵:2007/01/18(木) 21:44:21 ID:7/CCs+pd
相変わらず、だつおは意味不明なコピペで根拠があるかのように胡麻化する
>>529 その当時、司馬が集めることの出来た生存者の証言とか資料とかからすりゃ
大敗、って解釈するのも無理ないと思うが。
566 :
名無し三等兵:2007/01/19(金) 01:59:22 ID:M56QmgBL
停戦協議
モロトフvs東郷
僅差で東郷の粘り勝ち
ソ連にしてみればあとから100倍返しすっから、あの時は適当に幕引きしたんじゃね?
>>565 どっちにしても昭和陸軍全否定の人だから、今の最新資料を見ても動じなかったと思う
>>565 それも偏った証言を集めてるだけだろう。当時の日本軍の立場に立てば
ソ連軍に物凄い損害を与えているのだから、当然日本軍の勝利と認識して
いるし、そう言う証言も多いよ。
ちゅうても戦後、懲罰人事っぽいものがあったのは本当だよな?
で、閑職に廻されたはずの辻ーんが、南進論に乗っかって復活っと。
で連隊長自決っと。
>>570 それ、関東軍の独断に対する懲罰人事で、勝敗とは無関係
>>563 >作戦的には敗北
領土紛争なんだから、領土を獲れば勝ち、獲られたら負け。
で、ソ連側の立場に立てば、日本軍に領土を獲られてるし、しかも
防備の手薄だったところを停戦間際に素早く獲られている。
つまり日本軍の作戦勝ち!!
こういうゴミの先祖が
ノモンハンでBTに轢かれて死ねば良かったのに
須見さんは喧嘩しなきゃ坂本龍馬や土方歳三みたいにかっこよくかかれてたのかな
常々思うが、好きだから贔屓目に見たい気持ちは解らんじゃないけどさ
贔屓の引き倒しってのは、
かえってその対象を貶めてるって事に気付かないのかね?
>>574とか。
論破された側が相手の人格攻撃に移行ってことで、議論には結論が出たみたいだな。。。
論破wwww
>>573 独断した者でない者も懲罰人事を受けてますが?
まあ、懲罰でも何でも正式な人事ならまだマシ。
非公式に自決を強要された部隊長の中の人は浮かばれんよ。
日本版ウリナラマンセー史観は永遠に不滅だ
オラが国さ世界一史観は古今東西普遍だと思うが
>>574 ソ連軍としては事変のその段階でのハンダガヤへの日本軍侵攻にはそれほど大きな興味は持たなかったと思います。
ハンダガヤの日本軍は主戦場のソ連軍にとってなんの脅威にもならず、また主戦場の日本軍が既に大打撃を受けている状態ですから。
万一事変が継続するようなら一部足止め部隊を送っておいて、ソ連主力とその増援部隊は主戦場に急行中の日本増援部隊の撃破を優先するでしょう。
ハンダガヤの日本軍に対する攻勢はその後で充分なのです。
もし直ぐにハンダガヤに大部隊を送って日本軍を撃破或は、始めからそれなりの規模の部隊を貼り付けて撃退出来たとしても、主戦場での日本軍との決戦時に遊兵化する恐れも多く、かえってこちらの方が作戦上稚拙と言えます。
逆にいえば、もしソ連軍が直ぐに大部隊をハンダガヤに裂いてくれれば日本軍にとって大きな牽制効果を発揮した成功であったことでしょう。
自軍にとって致命傷にならない土地は、敵軍主力を撃破すればいずれ手に入るのですから急ぐ必要は無いのです。
その意味でハンダガヤは交渉の取引材料乃至自軍の面子を立てるという政治的な意味でのそれも限定的な成功であって、作戦上の成功とはいえないのです。
ソ連軍は事変後、日本軍の戦闘能力に対し一定の評価を下していますがそれは部隊の善戦によるものでハンダガヤは特に関係無いのです。
ノモンハンのきっかけは領土紛争ではありますが、日ソ共その結果は全く違う影響となって残りました。
ソ連にとっては日本軍に大打撃を与え、ヨーロッパ正面に忙しい時期に日本の積極行動を防止することが出来ました。
また日本にとっても手強いと評価できる戦力を証明することで支那事変、太平洋戦争中の大半の期間、ソ連との衝突を避けることが出来たと言う見方もあります。
しかし元々ソ連の主たる興味はまずヨーロッパ正面の解決にあるので、割合的には我が国の方が損をしたと見てよいでしょう。
戦闘本格化後のソ連軍は、「戦争」への発展を避けつつ当面の日本軍部隊を撃破することを重視していて領土の拡張を目指してはいませんね。
当時のソ連軍はノモンハンに参加した第56特別狙撃軍団以外に多くの部隊が極東に配置されています。
深く満州国内中枢まで進む兵站能力はまだ無かったと思いますが、その気があればいつでも他の正面で国境線を越えることが出来たのですが、それをしなかったことの意味は軽くは無いと思います。
587 :
名無し三等兵:2007/01/23(火) 13:02:11 ID:eOf8GQQB
関東軍はカンジが指揮しないと烏合の衆
>>586 > 深く満州国内中枢まで進む兵站能力はまだ無かったと思いますが、その気があればいつでも他の正面で
>国境線を越えることが出来たのですが、それをしなかったことの意味は軽くは無いと思います。
本格的全面戦争に入ったら、日本軍に返り討ちにあうよな〜
589 :
名無し三等兵:2007/01/23(火) 13:35:58 ID:hbOWyjed
返り撃ちで満州から叩き出されてたほうがマシ。対米英戦なぞ出来なくなる罠。
ドイツが不可侵やぶって攻め込んだ時に、同時にソ連に侵攻するのは
米英に喧嘩売るよりはるかに現実的な気がする…
ノモンハンでビビッて、しなかったわけですが。
> 交渉の取引材料乃至自軍の面子を立てるという政治的な意味での
> それも限定的な成功であって、作戦上の成功とはいえないのです。
そもそもノモンハンと言う不毛な土地の奪い合い、それ自体が「政治的な意味」しか持たないよ。
モンゴルの親日派潰しが主目的だったらしい。
当時ソ連兵の9割以上が現地義勇兵なみ能力しかなかったらしいからね。
大体航空機・戦車兵の養成には2〜4年って言われているが、
ソ連兵は将校クラスでも四則演算はおろか読み書きもできない知遅れ揃いだった
そうだから5年以上はかかるとみるべきだろう。砲兵でも類推。
よって戦車航空機砲類がいくら揃っていてもそれを扱える兵力が不足していた。
ジェーコフ指揮下東側主力さえ殲滅できれば、後はシナ兵相手並の戦力で
ガタガタっときた妄想してみる
・前提の殲滅がミリ
・戦いは数だよ兄者
>>592 残念。当時のソ連兵はそこまで弱くない。
数的には第57特別狙撃軍団の他に30個師団前後に相当する兵力が極東に配置されています。
兵員の質が低下したのは独ソ開戦後に西送した兵力を現地で応急動員した兵士でうめた1941年後半以降。
対して当時の関東軍は残念ながらノモンハン参戦部隊を含めて10個師団程度の兵力に過ぎないのです。
ジェーコフはノモンハン事変回顧録でこう述べている。
日本軍は兵の質だけは世界最強である、と
前節では射撃能力、兵士間連携、地形活用力・・・が特に優れていた、と
だがこれは若干誉め過ぎであろう。これはいかに当時の極東兵士の
”質”が低かったか物語っていると推測。実際当時のジェーコフ指揮下
ソ連最新鋭機甲師団などが日本歩兵師団などを相手に損害数で
上回ってしまったことからも”質”について見て取れる・・
といっても数で押されるのが目に見えてるけどね。
回鍋肉さんがくれた愛
>>588 中国戦線のおかげで返り討ちに出来るほどの兵力が関東軍には無かったような・・・
更に砲弾なんかも不足気味だったんじゃなかったっけ
>>595 まあ、皇軍関係者には少ないことだが
あっちの将軍の回想録はもちろん
当時の新聞報道なんかでも
「敵は強かった」ってな表現は珍しくない。
敵は強かった→我々はその敵を打ち負かした
→俺たち最強ドンナモンダイ
と、まあ、こういう論理展開になるわけだが。
日本軍の兵員の質が高かったってのはあるかな。
長年、中国で戦ってるんだから、兵の実戦経験は豊富。
まあでもノモンハン後半みたいに、戦っているうちに
相手も学習するからその差はなくなるけどな。
>>599 後半差が詰まったのは、兵器弾薬を消耗してしまったからだろう
さらに兵力5割以上消耗した師団ではそもそも戦闘継続困難
>>600 当時から、だよ。
フェルキッシャー・ベオバハターの従軍記事でも
「強力な敵軍の攻勢に耐え抜いた我が軍は」
といった表現は頻出してる。
ん〜、結局はどこでもやってると。
>>597 もし日ソ全面戦争に発展したら躊躇なく中国戦線は大幅縮小。
当時支那派遣軍に師団と独混旅団がそれぞれ20個以上はあったから、そこから兵力転用するだろう。
「皇軍将兵の血を流した場所を手放すのは英霊に申し訳ない」なんて感情論を吐いて
中国戦線でダラダラやってられる状況じゃなくなるから。
>>603 日本じゃ無理だろ。
「我が皇軍は強力な赤匪の抵抗を撃破し…」
→シナチクチャンコロが「強力」な抵抗?非国民認定するぞヴォケ。不許可。
→「無敵皇軍は無人の野を行くが如く快進撃を続け…」ってなもんだな。
>>599 だが23師団は当時の日本ではかなり劣る部隊。
何しろ師団作って1年だからな。
兵も現役が多いとはいえ71/72連隊も一年しか経過してないし
唯一歴のある64連隊は第一次で大損害出してボロボロだし
「連係」なんか欠片も無い弱体極まりない部隊なんだけどなぁ・・・。
>>606 当時の日本軍にはそんな部隊が増えつつありましたね。
まあ、大本営による報道統制があったのは事実だがな。
「景気の悪い記事や写真の掲載まかりならん」とか何とか。
ただ、朝日あたりが代表選手なんだが、報道機関が
自ら主体的にイケイケドンドン的煽り・ヤラセ・捏造報道やってたのも
当時の新聞を現代の目で検証すれば明白なわけで。
例のサンゴ事件まで引き起こした点を考えてみても
朝日の体質は変わってない、と言ってよかろう。
戦前から現代まで首尾一貫した、この捏造体質は
敬服に値…するわけネーヨ馬鹿。
つーか講談社(夕刊ゲンダイや週刊現代)、岩波辺りを含め
今日じゃマスゴミの名にふさわしい左傾メディアって
大抵戦前は真逆を行ってたからな。
右にせよ左にせよ、
極論を声高に叫ぶ類の馬鹿は死んでも直らない良い見本w
先日、戦時中の少年戦車兵募集の広報本を読んだのだが、
「ノモンハンの大敗北」が周知の事実として記載されていたのは、面白かった。
機械力に優るソ連軍に酷い目に合わされたと。
だから、これからは機械化の時代で、諸君の働きが重要と。
612 :
名無し三等兵:2007/01/24(水) 20:48:46 ID:SWULOUlx
>>611 その割に日本軍には、強い戦車が無かったね…
日本の敵は戦車を使っても倒せない相手と
戦車を使うまでもなく倒せる相手しかいなかった
>>612 ノモンハンじゃソ連の戦車もヘボだったんだから
日本のヘボ戦車でも必要充分じゃん。
>>614 あー、まあ、ヘボ同士だと数がモノをいってしまうので、ああなってしまった
わけだから、こっちが数がないことを前提に強烈なのがあれば、差引で戦力同等
にならないかな、ということではないかと。
まさにドイツ理論
ヘボ対ヘボ…数の暴力ウマー
そこそこの奴多数対強烈な奴少数…数の暴力ウマー
ヘボもっと多数対強烈な奴少数…数の暴力ウマー
まあ真に質の高い軍隊は、劣勢のときは
いったん退くんだけどな。
ノモンハンでどこにさがれっつーのよ。
622 :
名無し三等兵:2007/01/26(金) 02:29:33 ID:F3aNHYOk
取りあえず将軍廟まで後退して援軍の到着を待ち
部隊を再編して、再興を期す。
最低線でもハルハ河までの敵は撃滅、掃討する。
おいおい、軍中央の意向を無視して勝手に始めておいて、援軍をあてにするなよw
ナゾナゾみたいに 国境を解き明かしたら
みんなでどこまでも行けるね
草原の果てまでBoooon!!
ワープでループなこの想いは
三宅坂を巻き込んだ想像で 遊ぼう
アル晴レタ日ノ事 魔法以上の野砲が
限りなく降りそそぐ 冗談じゃないわ
明日また会敵 伏せながら反撃
砲弾を集めよう どこにあるんだよ そ・ん・な・の
引きつけてね(引きつけてね) つかまえてみて
肉薄 攻&撃 スキでしょう?
辻政信の憂鬱 エンディグテーマ
>>625 関係なくは、ない。
つか、諸悪の根源。
じゃあ国境をそのままプレゼントすればよかったのかと。
>>627 それを決めるのは少なくとも関東軍じゃない。
辻はノモンハン停戦時、最も靖国に近かった男だろ
今年で105歳ですね。
631 :
俄将軍:2007/01/27(土) 01:39:28 ID:???
>>590 ソビエトに攻め込んでも、資源が手にはいるわけではない、ということになる
と、英米との関係は、ということになり、何故、英米と対立していたのか、
ということになるのか、などと、嘯いてみたり。
88mm砲さえ配備されていたなら或いは・・・
633 :
名無し三等兵:2007/01/27(土) 10:46:12 ID:3+pyPAoj
ノモンハン当時なら88ミリじゃ牛刀で牛を裂くようなもんだろ。
50ミリで十分じゃね?
鳥だった・・・orz
635 :
名無し三等兵:2007/01/27(土) 11:48:59 ID:lVwYaFKg
ノモンハンの戦跡を巡ることはできますか?
そういや、司馬遼太郎にノモンハン戦の小説書くなと圧力かけて断念させたのは誰?
やつぱなんか裏があるんろうか?
辻の対ソ連事業↓
・モスクワ駐在武官職を蹴る。
・対ソ連戦の契機と成り得る満ソ国境紛争処理要綱を策定する。
・軍中央の作戦計画の中止命令を破棄、続行する。
・作戦が優勢に進んでいると東京参謀本部に報告。
・ノモンハン事変停戦協議のソ連代表の暗殺を画策する(ソ連談)
辻先生はソ連と戦争する気満々だったな。
さては独逸の回し者・・
皇軍兵士の日記によると、火炎瓶で戦車を火達磨にしてたそうだが
毎度搭乗兵が出てこないから不思議に思ってたそうだ。
で後日破壊されたソ連戦車があったのでなかを覗いたとのこと。
そしたら開けてビックリ!!ソ連の戦車兵は逃げられないように
鎖で繋がれてましたとさ。哀れ
>>638 おうWWU中のソ連兵のことを考えると
南方に送られて餓死しようが
まだ皇軍に入った方が幸せだったと思うぜ
>>638 その話よく聞くが本当なの?
戦車は視界が悪いからたまにハッチをあけて、
外を伺わないといけなくない?
>・対ソ連戦の契機と成り得る満ソ国境紛争処理要綱を策定する
これは当たり前では?
現実としてソ連極東軍という脅威が存在するんだから。
そして関東軍は満州防衛の任を負っている。
>・軍中央の作戦計画の中止命令を破棄、続行する。
破棄したとしてその次はどうするわけ?
ソ連軍が止まらなかったら?
歓迎パーティでも開いてやるのかねw
>・作戦が優勢に進んでいると東京参謀本部に報告。
いつの頃の報告?
>ソ連軍が止まらなかったら?
たられば話で命令系統を無視されてもそのなんだ困る。
そういえば、辻〜んスレは落ちちゃってるんだな。
>>640 車長だけは繋がれていなかったとかじゃない?
真偽のほうはよくわからないとしか言いようがないな。
>>644 ハッチ蓋に鎖付けてカギかけられて、乗員全員が出られないようになってたって。
>>645 ハッチが開けられなかったら戦闘が終わったあと、
帰るのも大変そうだけど、どうしてたんですか?
>674
いや、それデマだから。
俺はそれのベトナムバージョンとイラクバージョンも見たよ。
探せば中国版とか北朝鮮版もあるんじゃないかな?
共産国では一般的だったんじゃないの? 戦車ハッチにカギ。
「ノモンハン4」(アルヴィン・D・クックス 朝日文庫)
ソ連兵が鎖で繋がれてたのはどうも事実らしい。
652 :
名無し三等兵:2007/01/29(月) 00:40:45 ID:QzS/JnFD
督戦隊を置くような軍隊だ。必要だったんだろう。
しかしロスケは自国民を抹殺することにかけては世界一だなw
督戦隊はドイツ軍にもイギリス軍にもあったよ。
植民地兵へじゃなくて?
後ろから機関銃でってのはロシア兵の回想に出てるの?
ドイツのプロパガンダ?
>655
ロシアのTV局製作のドラマでも描かれている位だからから
一般的な出来事として捉えられてたのでは
戦車の鎖で繋がれるのと、生き延びて自決を強要されるのと、どっちがましだろう。
でも、餓死だけはいやぁー
ロスケ軍がゴミなのはこの頃から始まってたんだなぁ
>>659 そういう書き方は
そのゴミに負けたゴミにすら及ばない軍の立場がなくなるからヤメれw
じゃ、そのゴミに負けた連中ってのは何な訳?w
ロスケをゴミ扱いしたのはアメリカですし
東西冷戦で負けたのはソ連だしね。
結果的に西側陣営の日本はロスケに勝ちましたが
ジャップをゴミ扱いしたのはアメリカですし
第二次大戦で負けたのは大日本帝国だしね。
結果的に連合国陣営の中国はジャップに勝ちましたが
おかしいな勝ったのに
なぜか日本の領土が帰って来ない
>>665 まったくだ。ノモンハンスレで、アメリカだの東西冷戦だの西側陣営だの
出すんじゃねーって。
それが嫌露厨クオリティーw。
>>670 スレタイ読めカス、スレ違い
なにクオリティーw。 だよ気持ち悪い奴だな
665 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/29(月) 22:08:26 ID:???
>>664 スレタイ読めカス、スレ違い
671 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2007/01/29(月) 22:31:29 ID:???
>>670 スレタイ読めカス、スレ違い
なにクオリティーw。 だよ気持ち悪い奴だな
収拾に必死wwww
>>666 まだロシアとの勝負はついてない。
だが国後と択捉を相手にやり、
二島をとれば日本の領土が増える。
外交的勝利は目前だ!!
国家間で勝負がつくなんて事は、どちらかの国が消滅しない限り永久にありません。
スレタイに沿ったネタ一つ振れず
場違いなロシアへの悪口しかいえない馬鹿嫌露厨なんぞほっとけ。
嫌韓厨の現れたスレ同様糞スレ化が進むだけだ。
こういう嫌露厨に限って、ロシア娘(推定年齢17歳)の
ハニートラップに引っ掛かると、一気に親露派に転向する法則。
>>678 引っ掛かったのか、お前。ウラヤマシス
どこだどこだ。俺にも紹介汁。
でもさぁ、ロシアっ娘って確かにかわいいのが多いけど、
あんまりおっぱいが大きい子はいないのよね。
私が知らないだけかもしれないけどね。
デブだとそれなりに大きかったりもするけどさ。
だがそれが良い
東欧ロシア系はマジで美人だよなぁ
10代とかたまらん
>>680 オッパイが好きならハンバーガー食ってる
ヤンキー娘で我慢してればよろしい。
そう言うことは、まともに日本人娘とつきあえるようになってから言えば?
自分のこと言っちゃったw
685 :
名無し三等兵:2007/02/01(木) 20:51:14 ID:aG9LhRqi
チェコ人は美人だらけだったぞ。
ハンガリー人はモデル体型ばかり。
東欧は美人の宝庫だ。
ちょっと待て。
この流れはみんな、プロの女性の話だよな?
素人さん相手に御付き合いしてるんじゃないよな?
687 :
678:2007/02/02(金) 00:02:37 ID:???
>>686 おれ日本語と片言の英語しか使えないから素人さんは無理
688 :
名無し三等兵:2007/02/06(火) 16:17:53 ID:ziCm+Oal
飲悶飯
689 :
名無し三等兵:2007/02/06(火) 20:00:00 ID:XRhPGgR3
>>686 ちがう。東欧、中欧を旅行したときみた普通の女性たちだぞ。片言の英語と現地語で話しかけて、
ツーショット写真を撮って頂いたコトもある(w。プチ自慢だ。
で、何だ?
いいことしたのか?
それが問題だ。
只でツーショット vs お金でいいこと
692 :
名無し三等兵:2007/02/08(木) 18:38:07 ID:O1G8edt8
野茂はん
あんなミクロ視点で見たノモンハン勝利説ってまだ信じてるバカいるの、この板に?
694 :
名無し三等兵:2007/02/09(金) 23:11:27 ID:KtvZqkJA
>>690 なにもしてないよ。写真撮って頂いただけで舞い上がってしまった(w
本当に、 美 人 過 ぎ る !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
695 :
名無し三等兵:2007/02/10(土) 00:43:26 ID:16+z2Egl
バカウヨ涙目wwwwwwwwwww
696 :
名無し三等兵:2007/02/14(水) 14:42:16 ID:uG+pWprv
陥落記念age
697 :
名無し三等兵:2007/02/14(水) 14:47:16 ID:8ece1m5L
じゃ俺イリノイ記念age
暇つぶしに物欲しそうなアジア人からかってやったら一緒に写真取っただけで舞い上がって喜んでたよ。
>698
可愛かったのか?
700 :
名無し三等兵:2007/02/19(月) 08:43:18 ID:B9OSyQMJ
ソ連軍は人でなしの軍団
701 :
名無し三等兵:2007/02/26(月) 08:59:02 ID:evJh7EYd
age
> 辻氏については、連合国軍総司令部(GHQ)の情報部門が対中工作を指揮させようとしたものの、逆に日本の再軍備のために
> 米国を利用しようとしたと分析し、「第3次世界大戦さえ起こしかねない男」(54年の文書)と警告した。
>
> (2007年2月26日1時8分 読売新聞)
おっ!やるな辻。大人しくGHQに利用されるどころか、逆に世界一の超大国・アメリカを日本のために利用しようとするとは・・・さすが。
利用しようとして利用され返され、パニくってるCIAが笑える。
じゃあラオスで行方不明というのはやはりCIAに消されたのか
CIAってかなり無能だな。児玉なんぞに金を毟られて
大粛清直後のソ連にボコにされるなんて、関東軍の弱さは半端じゃありませんな
708 :
名無し三等兵:2007/02/28(水) 07:05:12 ID:KSIiHFAj
石原閣下がいなければ関東軍といえども烏合の衆
保守しますた
710 :
名無し三等兵:2007/03/09(金) 08:09:24 ID:5kS7C3mC
嗚呼満州
メンタンピンドラ1、マンシュウじゃあ〜。
って、いばるほどのものではなかった。orz
712 :
名無し三等兵:2007/03/15(木) 19:29:25 ID:px7uARIH
大日本帝國
30°傾斜した50mm均質鋼鈑は撃速800でも貫通出来ないというデータがあるので仕方がないですかね。自分で計算しておきながら何か寂しくなってしまいました。
シャーマンの中でも鋳造車体のものは1割位対弾性能が落ちる筈なのでそれに期待しましょう。
誤爆でした。
ノモンハン敗戦の結果・・・・師団長更迭、連隊長5人自殺
ソ兵を一方的に虐殺してしまったことで良心の呵責に耐えられなかったんだろう>自殺者
自殺者じゃなくて、連隊長は自決強要だろ。
須美連隊長ぐらいじゃないの、自決を拒否したのは。
>>715 ダメダメ組織!ダメダメ組織!
失敗から学ばない。責任者は死んじまう。
ダメダメ組織!ダメダメ組織!
死なない程度に自殺の真似事するがよろし。
もちろん、自殺の原因は誰が見ても 辻
て訳にはいかんのだろうなぁ・・。
722 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 00:47:13 ID:ux/bh66M
序説で終わらしてはいかん!
>>715 小松原師団長と各連隊長を同列に語るのは各連隊長に失礼だぞ。
724 :
名無し三等兵:2007/04/05(木) 01:39:20 ID:j1tCA3so
ノモンハンはモスクワを攻略できなかったので日本の負け。
>>724 太平洋戦争は東京を攻略できなかったからアメリカの負けなんだよな。
もう引き分けでいいよ
>>726 ソ連軍、日本軍とも戦略的目的を達したノモンハンは、
両者とも勝利でいいのか?
なんか、軍ヲタ初心者扱いされそうで嫌なんだが。
やはり領土を得たから、ソ連軍の勝ち、のほうが、
上級者にみえていい。
両者とも勝利=引き分け
日ソが主張した領土って、鉄道引いて更に進めるとか何か将来性があったの?
御互い認め合って、ここ漏れの、その代わりこっちはオマイの。
とか決着・・・・・するなら、理性無き戦争は起こらないよなあ・・・・・・
>>730 まあ、領土紛争と言えば
メンツが絡んでややこしくなるケースが多いがな。
国内世論で「我が国の領土を一坪たりとも渡すな」とかって
盛り上がっちゃうと、なかなか後には退けない。
奪い合った領土は不毛の土地。何の権益もありゃしねぇ。
竹島も韓国に引き渡せ
竹島はダメだ。水産資源が惜しい。
735 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 03:01:31 ID:uyn/9dnZ
>>730 >>732 大事なところを守るための国境紛争
従って国境紛争は常に不毛などうでもいいところで行われる
国の中心部に攻め込まれたら降伏するってw
損耗率99パーセントまで頑張る無能旧日本軍であった。
>>735 カシミア織りで名高いカシミール地方の例もあるし一概には言えないだろう
738 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 03:26:01 ID:uyn/9dnZ
逃げりゃ文句言い、頑張ればもっと文句言う
オマイは文句をいう為にこの世に生まれてきたのか?
その通りかもシレンがw
739 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 03:31:28 ID:uyn/9dnZ
>>737 そこって、ヤギの毛ぐらいしか産業の無い山岳地帯ジャン
国境紛争でも戦死者より高山病で死ぬ兵士の方が多い
不毛ぶり。
>>739 州全体で1000万人は住んでる地方を不毛というのはいかがなものかと
741 :
名無し三等兵:2007/04/07(土) 05:13:09 ID:uyn/9dnZ
パキスタンは州全体の領有を主張している
そもそも領有を主張した土地に価値があったかどうか(
>>730)が発端
正直、大抵の国境紛争に付きものの住民の帰属問題がノモンハンにあったとは思えん。
ノモンハンしか見ないと
>国境紛争は常に不毛などうでもいいところで行われる
という結論になるのかもな。
張鼓峰での幕引きが納得いかなくて、勝手に国境線線引きして国境侵犯したとして攻撃
関東軍の面子で戦ったようなものw 結果は面子を守るための大玉砕大会
けど、辻とか大本営、関東軍司令部の連中は凄いな。
しっかり出世の足がかりにしとる。
>>747 派閥争いで潰されない限り高級官僚はエスカレーターだもんな
投入兵力じゃロシア軍のほうが上だし準備もよかったわけだが。
ソ連はモンゴルの親日派を潰すために、全モンゴル人口の何パーセントかを虐殺し大量の知識人を処刑してる。
併せてモンゴル首相を殴り殺し(同夫人談)政府閣僚もほとんど処刑。
そうした粛正の最中に起きたノモンハン事変だからソ連も必死だったんだろう。
日本軍に苦戦したらモンゴルの親日派が息を吹き返してソ連に反旗を翻すかも知れない。満州国のように
親日的な国になってしまうかも知れないと言うことで、全力を挙げて攻撃してきている。
日本軍の方はノモンハンという辺境で起きた小規模な国境紛争のつもりで居たから準備もナニも全然不十分だった・・・・・
威信をめぐる戦争であり、両者とも相手を威圧することを目的とした。
そして、日本もソ連も、同時に相手を威圧することに成功した。
欧州諸国は関東軍の戦力を一気に過大評価したわけで、
日本はソ連軍の戦力を一気に高く評価することになる。
つまり、日ソ両国とも戦略的な勝利を収めてしまったわけだな。
平凡な結論だけど。
>満州国のように 親日的な国
そこは笑えば良いのか?
>>753 まあ満州国のような傀儡国家、とか、日本の影響が強い国、と読み替えてもよかろう
傀儡国家を「親日的な国」と言い放つ点から見て
>>751の立ち位置は明白であると思われる。
すなわち、発言のクレディビリティも推して知るべし、と。
この戦いで日本軍がこてんぱんに伸されていたら、トハチェフスキー一派と目されていたジューコフは呼び戻されて粛正されたかもしれない。
ソ連はモスクワを守りきれなかった可能性がある。
日本軍の頑張り生き延びてしまったジューコフ。
>>755 立ち位置が如何なるものであろうとも、事実は決して推して知る事は出来ない。
例え知っても、偶々が連続で続くだけである。
これは思想Aに嘘aが含まれる。だから思想Aの主張bに信憑性がないと言う香具師と同じ。
人格批判の前に、まずは自分なりに調べてみよう。どうせ事実は変わらないのだから。
調べるのが面倒臭かったら、
★★★同志スターリンと語らい合うスレ【46】★★★
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1174159417/ の同志モロトフに聞いてみよう。
若しくは、世界史の蒙古スレに行くといいだろう。
何故弱体化したのか、かなり詳しい方達がいらっしゃる。
>>756 そうやって罵倒するのも、建設的ではないと思うが?
脳悶煩
761 :
名無し三等兵:2007/04/18(水) 21:37:07 ID:l5A/wDDF
韓国人は世界一強い
762 :
名無し三等兵:2007/04/26(木) 07:29:59 ID:U7AFq4lH
チハタンが2万台あれば
>>761 そりゃそうだ。何があろうとその時その時で勝者を名乗るんだから
誰も認めないどころか大体忘れられるけどな
>>763 演習器材しか持ってなかったのに、渡河したんだから大変だな。
近所の89歳のじいさんがノモンハンからの帰還者だったことを最近知った。
記録係りみたいなことをやっていたみたい。
> 今から30年以上も前だが戦争体験を話してくれた人がいた。
> 太平洋戦争の前年に起こったノモンハン事変で退却の命令
> が出た時に負傷した戦友が「俺も連れていってくれ」と言うの
> を「構ってはおれん」として放置して逃げた。後で行ってみると
> 日本軍のトラックはソ連軍の戦車でペチャンコにされていたと
> 云う。
> その人は戦車はピアノ線で動かなくなると言っていた。どんな
> 意味かは分からない。
> その人はノモンハン事変について口外禁止の命令を受けて
> 南方に配属となったのである。
> 負傷した戦友がどうなったかは聞かなかった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~minji/gieitai.htm
ソ連の八月攻勢の時の話だろうねえ。
日本の戦車が網状に編んだピアノ線をサスと履帯に絡めたのは6月末の23師団の
攻勢時だったか。
ノモンハン戦後に89式中戦車で日本軍がテストしてる写真が残ってるけどあそこまで
絡むとまず動けない。
木俣滋郎氏の戦車戦入門日本編にも打通作戦時に中国兵がピアノ線を持って肉薄
してきた話が出てるのでWW1あたりからあるごく普通の戦術かと思ってみたり。
南方配属は多分北進策が南進に変わった時の移動だと思うけど…懲罰人事ってわけ
ではないと思うが何せ辻がいるけんのうw
>>768 太平洋戦中のガダルカナル撤退の退却組は内地後送は禁止されてたよ。
でもそれで、インパール作戦に駆り出されるのはあんまりすぎる。
仙台の連隊だっけ?
餓島で死にかけた兵が病み上がりでインパールにいったら撤退戦だったって
戦記を読んだ記憶がある。
>767の件は南方転用が行われてるのでどっちともいえないっす。
771 :
769:2007/05/06(日) 23:24:09 ID:???
>770
俺が見たのは福岡の歩兵第124連隊の話。
インパールでは第31(列)師団。
仙台は第2師団ですね
ついていないと言うか何と言うか…
>>769 言いたかないが、口封じの側面もあったのかもしれんな。
774 :
769:2007/05/06(日) 23:53:47 ID:???
>773
生き残りはそう思ってるみたい。
それで
767の
> その人はノモンハン事変について口外禁止の命令を受けて
> 南方に配属となったのである。
をうけてレスしたのです。
>>770 インパールと言うより、雲南側で国府軍を押さえる方へ増援で参加してる。「断」作戦とか。
で、少しずつ戦略的後退をして終戦は仏印で迎えている。
そんな断作戦では辻が活躍していたりする。
服部といい辻といい末期の戦術は優秀だね。
>>776 断作戦も損害がやたら多いし、当初の作戦目的は達成できてないじゃん
まあ、圧倒的な戦力差を考えれば善戦した方かもしれないけどさ
辻はガダルカナルを挟んで黒辻と白辻に分かれる説。
服部はコメントしたくない
>>778 なんだそりゃw
てことはマレー戦は黒辻なのか?
スパイダーマンみたいだな
人肉を食ったら変わったのかな
>>782 傀儡国家だって大人の事情で承認することはあるだろ。
ソ連がどうの、なんてそんなの証拠にも何にもならんよ。
実態を見ろ、実態を。
ならソ連が満州国を承認した理由を教えて下さい。
大人の事情とは何ですか?
「大人の事情」というのがよほどのものでないかぎり、正式な国家間条約で
ソ連という大国が国境沿いの満州国を承認したのだから正統国家とみなされる。
>>784=782だったらちょっとイタいんだが
その声明書を意訳できるか?
*中立条約を守ろうと思ったら互いの勢力圏に手を出しちゃダメだよね
*日本はモンゴルに手を出さないよ、だってソ連の子分だから
*じゃあ、ソ連も日本の手下満州に手を出さないからね
言ってみれば、抗争してたヤクザ同士が手打ちして
互いの本部や事務所にカチコミかけないだけじゃなく
シノギのタネであるところのシマにも手を出さない、と
大人の事情としては十分だ、と思わんか?
まあ、傀儡国家と言う表現自体に
色々問題が含まれてるからなあ。
少なくとも、建国理念はともかく、実態として
満州国は日本の強い影響下にあった、でFA。
強い影響下も何もあったもんじゃない。
溥儀側に軍事外交内政全般の行政上の裁量権は全く無い。
また満州国では選挙は一度も行われていない。
専制君主体制からみても満州国に正当性はなく
民主主義体制からみれば完全にインチキ国家。
傀儡以前に国家とはとてもいえない出鱈目組織だよ。
とはいえ、満州自体がどこの国家のものでもなく、
また事実上無政府状態だったからねぇ
今の中国がいくら「東北部」と言い換えようが、
当時の中国が満州を統治してたとはいえんし。
ただ、民族代表として溥儀を立てたのは、最低限
の正当性は確保した訳だ。
まぁ統治の方法や正当性はともかく、成立過程の
ジサクジエンがあからさますぎるのが大問題な訳だが。
790 :
だつお:2007/05/11(金) 18:24:50 ID:eJb0nQRD
>言ってみれば、抗争してたヤクザ同士が手打ちして
>互いの本部や事務所にカチコミかけないだけじゃなく
>シノギのタネであるところのシマにも手を出さない、と
日本はナチスドイツをも凌ぐ軍事大国ソ連を相手に互角の条件で和睦してる。
だから例えソ連の側に満州国に対する心情的思い入れが皆無であったにせよ、
それならそれで逆に皇軍の軍事的実力を認めたことになる。
97式中戦車チハはあのソヴィエト赤軍さえも恐れたということでいいか?
ソ連はドイツと戦端を開いた場合、背後から日本が来て
二正面作戦になるのを避けたかったから、アレで目的達成
なんでないの?
まぁソ連側が恐れたのは、日本の戦車じゃなくて歩兵な訳だが。
792 :
だつお:2007/05/11(金) 18:56:46 ID:eJb0nQRD
それと付随して、ソ連は日本政府にモンゴル承認をしてもらいたかった。
フィンランド冬戦争で国連除名され孤立化してたソ連は、あの大嫌いな
ナチスドイツとの不可侵条約にも頼らざるをえなかった。西部戦線で大勝
したドイツ側からすれば用済みでも、ソ連にとっては命綱に近かった。
こうした状況でソ連からの対独先制攻撃説ってのは考えにくいわけよ、
たとえ計画があったにせよそれは実効性が乏しい計画倒れだったと。
自業自得とはいえソ連は日本参戦を除く最悪の条件でドイツ戦をやら
ざるを得なかった。
ロスケの都合で満州国を承認したんなら結構じゃないか。
>>793 それを以って「満州国は正統性を持った国家である」と言い切る
>>782=784がカワイソス
じゃ、まず君の言う正当な国家って何よ?
やっぱり選挙で選ばれた政治家が政府を運営している国家だろ。
国民主権であることが唯一、国家の正当性を獲得できるものだ。
王権神授説に基づいた王制や独裁者による専制国家に根本的に正当性は無い。
>>796 じゃ中華人民共和国とか言う専制国家も認められないな?
798 :
だつお:2007/05/11(金) 21:24:04 ID:eJb0nQRD
満州国がたとえ中国人の主張通りの偽国家偽満州国であったにせよ、
ソ連がわが97式中戦車チハに恐れをなして満州国承認に踏み切った
ことは日本人として胸を張ってしかるべき名誉ではないのか?
>>797 もちろん、明治政府とか言う専制君主国家も認められないだろう。
もちろん、アメリカ合衆国とか言う神聖国家も認められないだろう。
しかしアテナイはOKな訳だな
オマイらモチツケ。
まず最初に、
>>782の認識が間違い、というところから話を始めれ。
奴は、ソ連の満州承認を根拠として満州は傀儡国家ではない、と述べた。
しかし。
他国による承認は、国家としての要件を満たす傍証ではあっても
傀儡であるかどうか、という検証には何らの寄与をしない。
すなわち、満州国は、領土・国民・権力の面から見て
国家としての体裁を持っており、また少数ではあっても
枢軸国を中心とした幾つかの国から承認され外交関係を樹立していた。
これは事実。
しかしながら、その権力主体はあくまで関東軍の指導下にあった。
したがって、傀儡政権であることもまた、間違いのない事実。
以上により、満州国を傀儡国家と断ずることに何らの誤りはない。
803 :
だつお:2007/05/11(金) 22:13:38 ID:eJb0nQRD
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
ソ 連 が わ が 9 7 式 中 戦 車 チ ハ に 恐 れ を な し て 満 州 国 承 認
そりゃ傀儡国家だけど・・・なんかズレてないか?
満州が傀儡国家ないし親日国家、つまり日本の勢力圏に入ったのは、
別に、満州の住人が、親日的だったからではなく、
日本が実効支配できるだけの軍事力を持っていたからだからな。
モンゴル内の親日派がいようといまいと、さしたるもんではない。
日本にモンゴルを武力制圧できる能力は無い。
現ユジノサハリンスクには日本の総領事館があるが、
これは必ずしも南樺太におけるソロシアの支配権を認めたことにはならないそうだ。
満州とソ連の外交関係もそれと似たようなもんではないかと
>>803 ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
ソ連はチハが玩具だったので日ソ中立条約破棄&宣戦布告で満州蹂躙。
>>805 当時のモンゴルはソ連の傀儡国家だけど、日本が数年かけて戦力を整えて
攻勢かけたら、ソ連の圧制下から解放できるのでは?
流石にモンゴルまで面倒見切れないだろう・・・
実際、日本は密かにモンゴル独立支援を行っていた。
>810
独立と言うより反ソ活動支援に過ぎなかったのでは
満州国の方では民族独立派と見なされると投獄や処刑もあったようだし
>>808 ソ連の圧制下から解放されて日本の圧政下に入るのか。
それなんてバルト三国?
>>812 まあ、北朝鮮が韓国を「米帝の傀儡政権だ!」と主張し、韓国が北を「ソビエト共産党の傀儡政権だ!」と
主張するような話しだが、しかし客観的に観てどちらがマシかな?
たぶん”こちら側”の方がマシだと思われ。
波多野勝って学内ハメ撮りビデオで解任された学部長か
> 波多野勝 慶應義塾大学法学部卒業。同大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。専門は国際政治、日本外交史。常磐大学国際学部教授
>
> 著書
> 「友好の架け橋を夢見て―日中議連による国交正常化への軌跡」 波多野 勝 清水 麗 (単行本 - 2004/10)
>
> 「日中友好議員連盟関係資料 (帆足計・中尾和夫文書-資料編)」 波多野 勝、飯森 明子、 清水 麗 (- - 2002/11)
どうも、この人は日中友好推進派らしい
>>814 しかしどれだけ日本が慈悲深くても無い袖は振れないからな・・・
>>818 いいじゃないか。満洲や蒙古を独立させても。
地政学の基本だけど、イギリスなどの島国・海洋国家にとって「大陸国家は分割すべし」。
だからドイツなどが欧州を全て支配してしまう状況は非常な脅威になるので、何としても
阻止しなければ成らない。
日本の場合なら、中国などが肥大化することを阻止し、出来れば小国ずつ分割して行ければベスト。
>819
そんなんじゃダメダメ。
矢張り神国日本の無敵皇軍によるチンピラゴツキ虐殺3000Km進軍をしなければ意味がないのだ。
>>820 それをソ連にやったら良かったのにね。
無理だけど。
822 :
総統:2007/05/18(金) 21:19:22 ID:???
露助はチンピラゴロツキではないとな?
>>821 ドイツと共同してソ連を挟撃し、ソ連崩壊後、シベリアを分割するのなら現実味が有ったかも。
824 :
名無し三等兵:2007/05/19(土) 00:21:52 ID:xVSQj7sN
八甲田山で起こった事が師団レベルで再現されることになりそうな悪寒
シベリア出兵時のグダグダを思うとなぁ
826 :
名無し三等兵:2007/05/19(土) 13:14:15 ID:87ekfpxd
いつも思うんだが、日本軍は、戦術的に勝利をする事あるが、何故か戦略的に勝利する機会が少ないのか…。
>>826 そら負けた戦争(太平洋戦争)ばかりを語ってるからだろう。勝った戦争を語れば良い。
勝ったはずの鎌倉幕府が潰れましたが。
元寇から鎌倉幕府滅亡まで50年かかってるんだが。
まあ原因の一つなのは間違いないが
>>829 その理屈で言うと、WW2でも
勝ったはずのソ連が潰れましたが
…になるな。
WW2後に一度は世界でブイブイ言わせてたソ連と、滅亡一直線の鎌倉じゃあなあ
>勝った戦争
満洲事変、ノモンハン事変(引き分け?)、第一次世界大戦、日露戦争、日清戦争・・・・
>負けた戦争
太平洋戦争
チンピラゴロツキには勝てても
本気出した欧米には負けると
ほとんどの戦争に勝ってる日本
ほとんどの戦争に勝ってるって、
アンタ、倍チャラがけで負けたらすってんてんですがな。
日「ビンタを倍にしましょう!」
米「ええ かまいませんよ」
英「日本の戦略が…崩れていく!」
>>834 このスレでノモンハン事変を引き分けとか言うのはちょっと・・・
明確に勝利と書いとけ、ということか
戦略的には引き分け。
戦略的にはソ連の勝利だろ。
この紛争で日本は対ソ戦をしかけるのは自殺行為と考えたからな。
だがソ連も日本を警戒するようになった。
警戒(笑)
>>844 「あそこの家の犬はうるさく吠えるからよけとけ」レベルも警戒って言うのならな。
なんか、皇軍太郎が復活してるようだが
弱体化してるのは寂しいことだな
>848
元々ソ連には積極的に戦争する理由が無かった。
日本軍は相手が弱ければ理由もなく狂犬のように戦争を仕掛けていたが
ソ連はそこまでキチガイでは無かっただけの話。
>>849 > 元々ソ連には積極的に戦争する理由が無かった。
「ロシア人が国旗を揚げた場所は決して手放さない」という信念を守るため
日露戦争の復讐
そんな信念も知らずに、対米講和の仲介を依頼した低能民族w
ということはキミは当時の事情も知らずに貶す半島民族ですか?w
負けにシベリア出兵は追加しとくべきだな
つーか大戦末期の対日戦は
純粋にヤルタ・ポツダムでの米英との約束を守っただけだろ。
こう書くと中立条約を云々する奴が出てくるから書いとくけど
首都近くまで敵が迫ってる時に、
遅ればせながら武器や食料を送ってきた上
更に遅ればせながら最終的に敵を挟み撃ちにした国と
「関特演」と称し大兵力を国境線上に貼り付け嫌がらせした国と
普通どっちに義理立てすると思う?
>>850のレッテルでしかない稚拙な対ソ観は置いて置くとして
何ぼ「溺れる者は藁をも掴む」とはいえ、上記の様な挑発行動をしときながら
いざ旗色が悪くなるとヤルタ会談やポツダム会談の内容を知った上で
ソ連に対し和平仲介を頼むなんてのは、単に国際情勢の認識が甘いだけでなく
信義則上も随分とムシの良すぎる話だと思うが?
そもそも最初はドイツの勝ち馬に乗り
それが駄目なら西郷どんに似たスターリンに頼ろうってのがもう・・・
>>852 そいじゃ、こんな後知恵持ち出してくる馬鹿をなんとかしろよ。
>
>>849 >> 元々ソ連には積極的に戦争する理由が無かった。
>
>「ロシア人が国旗を揚げた場所は決して手放さない」という信念を守るため
>日露戦争の復讐
ソ連共産党のような平和愛好組織を非難するなんて・・・・・
858 :
名無し三等兵:2007/05/26(土) 12:28:45 ID:jvUjcTl/
あまりのあからさまな煽りワロタ
859 :
だつお:2007/05/26(土) 12:40:11 ID:kQ7xCv5y
>>859 ウヨの捏造だな。平和を愛好するソビエト連邦がかくのごとき低俗な要求をするわけがない。
スターリンはその条件が満たされない場合、なぜソ連が対日参戦しなければいけない
のか国民に説明するのが困難になる。国民はソ連の存在をおびやかしたドイツに対する
>859
>戦いは明確に理解したが、何ら大きな問題を抱えているわけではない日本を相手に
>なぜソ連が戦争に入るのか理解しないだろう。一方国民はもし政治的諸条件が満たされ
>れば、先の国益(終戦に際し、樺太の南半分とクリル諸島がソ連側に引き渡されること)
>を理解し、その決定を最高会議に説明することが格段に容易になろう。とのべた。
>何ら大きな問題を抱えているわけではない日本を相手になぜソ連が戦争に入るのか理解しないだろう
>何ら大きな問題を抱えているわけではない日本
>何ら大きな問題を抱えているわけではない日本
裏を返せば米英の承諾がなければソ連は満州に侵攻しないということだな。
よって>849が正しい。
まぁ、交渉術の一つでもあるがな。
何でオレがそんな事しなきゃならないんだよ!
やらせたいなら飴寄越せ!
ってのはさ。
やあ、第一次世界大戦時の日本ですね。あの時は上手くやったんだけどなあ。
まあ、ソ連はフィンランド、ポーランド、バルト三国、その他、相手が弱いと見ると
かさにかかって侵略してくるからな〜
関東軍も戦力を南方に抽出されて弱体化したから、チャンスと見たソ連軍に侵略されてしまった。
耄碌して惚けだした死にかけのルーズベルトを良いように利用できた火事場泥棒・スターリン
本国が占領されるとかさにかかって
植民地へ手を伸ばすどっかの国もあるし
世の中は弱肉強食ですな
867 :
名無し三等兵:2007/05/27(日) 08:03:37 ID:KE/4g5Pe
まぁ政治がダメダメだったからそれを軍事だけで
解決しようってのは無理なこと
政治あっての軍事だ
これを言っちゃあおしまいだけどさ
>>865 1.ソ連は隣接する弱小国と相互防衛条約を結ぶ。
2.弱小国が侵略されたと勝手にソ連が解釈して弱小国を占領。
3.弱小国はソ連の傀儡になるかソ連邦に組み込まれる。
これがソ連の常套手段。
フィンランドだけはなんとか条約をいじくって占領を免れた。
いじくったんじゃなくて敢然と抵抗した、だろ!
870 :
名無し三等兵:2007/06/02(土) 23:57:02 ID:dwuFcC0O
この頃の日本は対外的に毅然としててよかったよ
毅然としていたらいつの間にか世界中から袋叩き。
872 :
名無し三等兵:2007/06/04(月) 17:42:43 ID:DHk8Zizw
毅然としてない現在も袋だたきだから、毅然としてたほうがマシ
現在もって、何がどう袋叩きなんだよw
毅然としていたらいつの間にか焦土になったねw
まあ、アレだ。
焦土になって独立を失った国もあるし、焦土になって独立した国もある。
焦土にならずに国を失った例もあるし、極稀な例で平和裏に独立した例
もある。が、、、、、、
20世紀近代史は後者より前者の方が圧倒的に多い。
一番酷いと思うのは焦土にならずにちょろく国を失い、
ちょろく独立した後に焦土になっちまった例の国
例の国ってどこ?
チェコスロバキア?
後はオーストリアとデンマークかな。
両方ともロクスポ抵抗もせずに白旗振るし、国民も外敵にレジスタンスしていない。
ま、いずれにせよ自分から戦争ふっかけて焦土になった国は
それを回避できる可能性を自ら放棄して自滅した分だけ愚かだよな。
避けられない戦争も有るだろうし
880 :
だつお:2007/06/09(土) 16:20:33 ID:1W6b8bPo
>裏を返せば米英の承諾がなければソ連は満州に侵攻しないということだな。
これは確かにそのとおりだ。米英は日本本土侵攻でとてつもない損害
(公式には268,000)が見込まれしかも敗退して戦略計画を撤回若しく
は変更させ得たかもしれなかった。だから万一そうなっても何とかなる
ようにソ連を先に参戦させる必要があったということだ。
朝 鮮 戦 争 で チ ン ピ ラ ゴ ロ ツ キ も 撃 破 で き な か っ た 米 軍
がどうして日本本土で皇軍主力を殲滅できるのか、その合理的理由があるのかと。
ほんと楽しい軍事音痴だなw
882 :
名無し三等兵:2007/06/10(日) 01:57:02 ID:MB2lVNZp
ノモンハンの戦いは日本軍の大勝利であった。
それを駄目にした無能な政治家達。
これは現代の日本でも同じではないだろうか?
どこが大勝利だよw
>>883 ノモンハンの時は既に政治家達は傀儡だろ。
あえて叩くなら、戦線拡大を必死になって抑えようとした参謀本部だな。
無論、大勝利なんかじゃないので、やっぱり参謀本部のほうが正しいわけだが。
つーか戦車に歩兵ぶつける異常な戦いの訳だが。
サンダース軍曹が1個師団いれば勝てる
>>888 いるのは、せいぜいサンダー杉山くらいだ。
>>887 歩兵が戦車に対処するのは普通の話なんだが。
>>891 戦車がないなら歩兵だ。今でもかわらん、米軍でもそうする。
今の米軍なら航空支援だろ。
劣化ウランの山ができるぐらいに・・。
戦車を歩兵部隊の対戦車砲で撃つのは普通の対処法だよ。
>>894 ノモンハンの日本兵は対戦車砲なんか持ってるのか?
ノモンハンの日本兵は全関東軍から集めた、定数の数倍の37mm速射砲を装備していた。
師団定数12門なのに3倍ほど持っていたのだ。(参考ドイツ軍は37mmは定数72門。)
>>895 火炎瓶だよ。最初の頃はよくきいたそうだ。
>>893 携帯用対戦車ミサイルはなんのためにあるのかい。
日本にジューコフがいたらいいのに。
>>902 先生、ジューコフが要求しただけのトラック、日本中探したって足りません!
ここで言ってるのは、肉薄攻撃という意味だろう、常識的に考えて。
>>329みたいに、日本戦車にはソ連戦車にやられたものはゼロというのは、どこから出た話?
たしかに、日本とソ連の戦車が戦った例は少なく、ソ連側は装甲車ということがほとんどのようだが。
戦車第四連隊長の玉田大佐の回想録には、ソ連戦車にやられた話があったと思うけど?
906 :
名無し三等兵:2007/06/11(月) 01:11:24 ID:cWyYJ9SH
ノモンハン戦研究序説
鉄の嵐に蹂躙されたよ・・・
>>905 戦車には負けてない、装甲車にやられただけだって、全然自慢にならないなw
908 :
名無し三等兵:2007/06/11(月) 04:16:52 ID:meHVFm+4
>>902 ジューコフが居たら日本軍の損害はもっと増えてたと思われw
>>908 それはそうだが、勝ったかもしれないぞ。勝利とは損害の大小では
なく戦略目的を達成できたかどうかできまるからな。
たしかに。
第一線兵団が早々に消耗しきれば、
参謀本部も悠長に構えておれず、増援部隊を早期に投入して、
あるいは国境線を維持できたかも知れぬな。
その代わり、日本陸軍の損害は、破滅的なものになろうが。
少なくとも、航空戦力は消滅するな。
全面戦争になれば、欧州情勢に結構響きそう。
史実どおりの侵攻なら、ポーランドは、多少粘れるかも知れぬ。
> 戦後、米国ミシガン大学のハケット教授や新聞記者や歴史学者らと会談をしたとき、
> どの戦いが一番苦しかったかの質問に、即座にハルハ河と答えて、ドイツやソ連国内の
> 戦場を予想した者を驚かせ、改めて一同は『日本軍の精強な事に驚いた』
>
> ミシガン大学 ハケット教授談
ジューコフにとって最強の敵だったんだな。日本軍。
>>911 ジューコフ、補給が思うように受けられなかったのがつらい、みたいなことを言っているがな。
さあ? 教授は聞かなかったって
>>46 見たいな大戦果を挙げてる日本軍が大兵力を集め本格的に攻勢に転じたら
極東ソ連軍は壊滅してたと思う・・・・・
戦力は兎も角兵站どうすんの?
917 :
だつお:2007/06/12(火) 00:48:31 ID:5H9hUEmc
Tank losses (totally destroyed and need thorough repairs):
BT-7 -30 line tanks + 27 BT-7RT
BT-7A - 2
BT-5 - 127 line tanks+ 30 BT-5RT
T-26 - 8 KhT-26 (OT-26) - 10
KhT-130 (OT-130) - 2
T-37 - 17
BA-3 - 8
BA-6 - 44
BA-10 - 41
FAI - 21
BA-20 - 19
T-20 "Komsomolets" prime-movers - 9
SU-12 SP guns - 2
Reasons of tank losses:
Anti-Tank Artillery fire- 75-80%
Fire-bomb (later called "Molotov cocktail") throwers - 5-10%
Field artillery fire - 15-20%
Aviation - 2-3%
Mines and hand-grenades - 2 -3%
http://rkkaww2.armchairgeneral.com/battles/khalkhin_gol/losses.htm 日本戦車の損失 中戦車19 軽戦車11 軽装甲車7
http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-kokkyo23.html
ソ連戦闘車両の被害は大半が対戦車砲か
一方全部で80両の日本戦闘車両は1月弱の戦闘で半数近くやられてお帰りに…何しにきたんだ?
簡単な足し算だな。
合計すると、戦車236両、水陸両用車17両、装甲車142両、トラック型自走砲2門
戦車以外まで全部足しても、800両にはほど遠い。
日本側は、分母が小さいからな。
絶対数を比べても意味が無い。
あと、第23師団捜索隊の分が入ってないぞ。多くて10両超えないだろうが、全滅な。
分母が小さいとは言え戦車戦で日本の戦車は一両もやられてないから。
>>920 装甲車にやられただけだよなw
玉田連隊長も嘘吐きだよなw
装甲車にもやられてないけど
「(ソ連軍戦車)五百両まで数えて止めたが、1千両は居ただろう」
浜田敏夫少佐(歩72副官)
ソ連軍の戦車・装甲車の総数は凄いな。幾ら日本軍の戦車が強くても大変。
>>911 奪った機関銃の冷却水を飲むような野蛮な兵隊と戦いたくは無いだろうな。
日本軍は補給無しで進軍するからジューコフは驚異だったろう。
>>922 なんでわかるの?
砲は一緒だよ。戦車も装甲車も対戦車砲も。
戦車第四連隊長は、敵戦車にもやられたって言ってるよ。
>>923 トラックの見間違いか何か。
その時点で西岸地区の戦闘に投入されていたのは、戦車旅団1個と装甲車旅団1個
あとは装甲車旅団もう1個の先遣中隊と、モンゴル騎兵師団の装甲車中隊くらいで、
全部あわせても250両かそこら。
ちなみに東岸地区で日本の戦車部隊と対峙していたのは、
装甲車旅団1個で、保有車両は装甲車60両程度。あとは水陸両用戦車が一握り。
7月4日昼頃になって、戦車旅団の先遣隊8両がようやく到着するくらい。
この先遣中隊は、日本の戦車部隊と交戦して3両を失った代わりに、日本戦車7両撃破を報じている。
7月5日になると戦車がようやく揃う。
戦車第四連隊と交戦して、日本側の記録ではソ連戦車2両撃破。
日本側損害は八九式甲5両など。
>>925 > 全部あわせても
日本側の調査報告に比べ非常に少ないが、どうもソ連側は自身の戦力や被害を相当過小に発表してたらしい。
> 日本側損害は
全てソ連軍の対戦車砲によるもので、「どの日本戦車も(敵)戦車砲の直撃を免れた」ノモンハン2 クックス
戦闘例 7月4日
この日の戦車第四連隊(玉田戦車隊)の戦闘は、敵戦車・装甲車計十二両を含む部隊との交戦で、戦車5台、装甲車6台、
対戦車砲5門を破壊するという戦果を挙げている。被害は死傷者8名で戦車の喪失は無し。玉田戦車隊は追撃したものの
ソ連軍の戦車はスピードが速くて逃げられている。
玉田連隊の戦車損害は、いつ出たんだろう。
7月2日〜7日で九五式11両と八九式甲4両(7両?)、軽装甲車1両を失っているので、
夜襲でも4日までの戦闘でも損害がほとんど無いとすると、防御戦闘での損害なわけだが。
>>925 日付ずれてない?
ソ連戦車が渡河したのは7月3日だと思う。
>>926 最近の公開資料を基にした本を見ると、
7月3日の西岸戦闘に参加したのは、戦車133両、装甲車80両程度(ソ連59両+蒙軍)
戦闘により戦車77両、装甲車45両を失う壊滅的打撃を受け、4日は追撃不能。
全部あわせても250両くらいというので、この時期は合ってると思う。
ソ連側の行動も、ずさんだと思うなあ。
東岸で安岡支隊が攻勢との情報を受けて、北部迂回攻撃をしようと行った先で、
第23師団主力の渡河に鉢合わせ、尖兵の装甲車9両は一瞬で4両を失う。
これでようやく気がついたジューコフは、行軍隊形のまま装甲車両のみを逐次投入。
直協の第24自動車化狙撃兵連隊は、はぐれてしまって3日昼過ぎまで戦闘参加できず。
結果が
>>927の大損害で、ただ足止めにはなんとか成功。
>>926 クックスの著作は貴重な資料だけど、最近ソ連側の資料もわかってきているから戦車戦で出したらしい損害も計上されそうだよ。
7月2日〜3日東岸では第149自動車化狙撃兵連隊と第9装甲車旅団が防戦。
ホルステン河南では、第11戦車旅団の機関銃大隊が主力。
兵力3200、装甲車62両、砲12門、歩兵砲・対戦車砲23門
(たぶん水陸両用戦車若干もある)
第11戦車旅団の第2大隊から、戦車8両配属(3日0900時渡河)
日本の戦車兵が見た「敵戦車」ってなんだったんだろう。
戦車兵でも、装輪車両を見間違えるものかなあ?
そりゃ、遠くから見れば判別するのは難しいし、
近くからだって正面とかそれに近い角度から見れば、履帯か装輪かは区別付かないじゃん。
>>930 草が生い茂ってれば、足回りはよく見えないんだから、装輪と装軌を見間違えても不思議はない。
それで、戦車の標準決めて大東亜戦争までだもんなぁ。
シャーマンやT34と喧嘩しようてんだから。
大本営のアタマの中身が
確か捕虜交換で戻ってきた下士官の殆どが軍法会議梨で自決させられて
捕虜だった一般の兵卒も最前線に投入されて殆ど生き残ってなかったよな。
何で降伏しただけでこんな燦燦たる有様になったのかは意味不明だけども
935 :
名無し三等兵:2007/06/13(水) 20:23:29 ID:DdgOFtL/
連隊長も自決強要。
自決しなかったのは須見連隊長だけ。
それでも辻や服部は出世街道ばく進だ。嫌な組織だったな、旧陸軍。
自決強要のソースは?
>>937 たいていのノモンハン本には出てる話なんだがな
たいていのノモンハンの本では辻の現場での評判はいいけどな。
>>939 そりゃ、兵卒に自決を強要しないからな。
どんだけ低い望みなんだよ。
942 :
名無し三等兵:2007/06/14(木) 00:43:37 ID:WwIgNpta
>>933 シャーマンやT-34並みの戦車を作っても運べない件について
大本営の失策はバズーカやパンツァーファウストのような
歩兵用の軽便な対戦車兵器を軽視したことなんだな。
軽便なものに限らないと思う<対戦車兵器の軽視
全ては航空機by東條英機
序盤の制空権の優位をほとんど生かせて無い件
それでは、いくら空中戦で1千機w落としても無駄な件
大本営のゆとり脳ぶりは常軌を逸している。
弾薬を使い切っても降伏は許されないどころかジュネーブ条約を知っている士官が殆ど居なかった現実。
連合軍の捕虜に説明されるまでそんな事は露ほども知らなかっただろう
ドコの平行世界から来た変人ですか?w
ノモンハン辺りになると鬼畜米英思想を妄信してジュネーブ条約知らない新米士官だらけだったやんけ
WW1から居る古参も言うと非国民呼ばわりされそうだから貝のように押し黙ってた
>>959動けない傷病兵を処刑しまくってたのがソース。
イタリアやドイツなら降伏して生き残る事を期待されるが日本だと必ず殺される。
ジュネーブ条約知ってればそんな事にはorz
米・英も似たようなもんだがな
手を上げて明確に降伏することを示さなかったら射殺しても問題に為らなかったようだし
北朝鮮もジュネーブ条約を教えているのかな。韓国に潜入した工作員は捕まるよりも自決を
選ぶから、旧日本軍同様、降伏よりも自決しろと教育してるのかも。
不審船事件でも、以前韓国で海中で漂流している北朝鮮軍人を救助しようとして手りゅう弾
で自爆されたので、救助に入ることが出来なかった。
>>952 ×:降伏よりも自決しろ
○:捕まりそうなら自決しろ
最初から、降伏は選択肢に入ってないだろ。
>>952 スパイとかゲリラは正規の戦闘員じゃないからジュネーブ条約の範囲外だぞ。
>>942 ただでさえ火薬の総量が足りていないのに、そんなもの開発した所で生産できるのか?
>>956 足りないからこそ、有効に使うべき。
布団爆弾に火薬使うよりマシ。
また、鉄はもっと足りないわけで。
958 :
名無し三等兵:2007/06/14(木) 16:08:37 ID:4PCq+y1J
>>929 > 最近ソ連側の資料もわかってきているから
それって↓のこと?
> ノモンハン事変に於ける戦車戦で、ソ連戦車66両・装甲車数十台を破壊した。
> 日本軍の戦車の全損害29両は、対戦車砲などによる損失で戦車同士の砲戦で損失は無し
>
>「ノモンハン事件の真相と戦果」−ソ連軍撃破の記録− 小田洋太郎・田端元
959 :
名無し三等兵:2007/06/14(木) 17:50:59 ID:4Wez2DiP
>>952 朝鮮に自決の文化なんか有ったのかな?
旧日本軍人に指導されたのか?
自決の文化って何だよw
武士道みたいな名誉の為の自殺なら中華文化圏じゃ珍しいもんじゃねぇよ。
士大夫階級が名誉を人命よりも重んじるなんてのは初歩中の初歩の話。
そもそも武士道の大元は中国思想だしそんなの当たり前だ。
>>946 支那「事変」で戦争では無いから、ジュネーブ条約「準用」するということを言ってたので、
ジュネーブ条約の存在は、少なくとも上層部の頭にはあるな。
まあ同じ理屈で、ノモンハン「事件」だから、直接には適用しないと言い出すかもしれないな。
ノモンハン事変の話しに戻せよ。
>>958 その数字は、日本側の記録からの集計かと。
ソ連側資料でちゃんと裏を取っているなら、そんなに大きくならない。
>>958 その本、資料の1つとして使用するにはいいけど、クロスチェックしないといけないですよ。
別な箇所でソ連戦車総撃破数も出ていますが、投入数すら上回っているので。
そもそもソ連軍の場合対戦車砲も戦車も装甲車も同じ砲を装備しているので、それらが協同で戦闘した場合やられた側がどれにやられたか正確に突き止めることは殆ど不可能です。
>>965 「殆ど不可能」もいいが、それなら戦車戦で喪失した日本の戦車は無いという通説を覆すには至らないわけだ。
通説は、日本戦車はソ連戦車に一方的に撃破されていた、だろう。
もちろん、実際にはそんなことはなかったんだろうが。
>>967 無い資料を要求されても困るわけだが、文句はクックスにでも。
ノモンハン事件だと友軍を見捨てて敵前逃亡した日本軍戦車部隊
に対しての憎悪がひたすら噴出していたな
ソ連戦車の主砲は精度不良で、特に移動中の目標を撃破することは殆ど無理。更にソ連戦車自身が
移動中に射撃すると全く当たらない状況だった。
日本側から見ればBTが発砲すると、発砲炎や煙で、かえって目標になってくれて好都合だったとか。
>>969 クックス本に戦車戦で喪失した日本戦車は無いって記述があるの?
>>970 まあ仕方ない。
>>330 と言う事情もあった。それにソ連側は後退を偽装して、8月攻勢を隠していた
と言う状況も有ったし、日本側はそれでノモンハン事変が終息して平和が回復すると思ってしまっていた。
平和回復を願う日本政府側の思い、そこを突かれた。関東軍は東京の甘い見解に怒っていたけど、
遠い日本からじゃ厳しい対ソ情勢が理解できなかったんだろう。
ノモンハン事件の真相と戦果って本、類似スレも含めて、何度も皇軍大勝利派が引用してるな。
金をドブに捨てるだけのような気もするが、目を通した方がいいのかねえ?
いくら弾があたっても、ドアノッカーでは仕方がない。
BTなんて37ミリでイチコロ
7月2日〜4日、戦車団の本格戦闘。2個連隊とも大打撃。
7月5日、関東軍司令部、戦車団の帰還指示。前線から離脱。
7月7日〜8日、歩兵総攻撃。
7月9日、戦車団の帰還命令。(第六軍の抗議で延期に)
7月19日〜25日、フイ高地方面で防衛戦闘に従事。モンゴル騎兵師団と激しく交戦。
7月25日、砲兵総攻撃(23日〜)終結。
7月26日、戦車団帰還。
最後の離脱のタイミングは別として、
第23師団の西岸総攻撃前に、関東軍でも戦車団撤退が決まっていたのは変。
損害が大きすぎて今後の整備に支障きたすから、離脱したという従来の説明で正しいんではないか。
>>977 BA-20とBA-6、FAI装甲車は、小銃・機銃の徹甲弾は防げるが、13.2mm機関砲には撃破される。
BT-5、BT-7、BA-10は、13.2mm機関砲にも耐えられる。
日本の37mm砲はいかなるわが戦車の装甲も無理なく貫通撃破する。
その徹甲焼夷弾は、中距離でわが戦車の装甲を貫通撃破している。
戦車損害の75〜80%が、対戦車砲によるものである。
燃料タンクの設計に問題があって、被弾すると炎上する車両多し。
もっとも、5発くらって大破しつつも自走して帰還したT-26の例もあり、
装輪装甲車でも、タイヤに直撃されながら、特殊タイヤなので普通に走り続けた強者もいる。
参考:コロミーエツ「ノモンハン戦車戦」
>>966 装甲車部隊や戦車部隊が日本軍戦車部隊との戦いで撃破戦果を挙げているのはソ連側資料では書かれています。
そして日本側の損害記録でもその戦いで戦車が損害を受けた記録も確かにあるのですよ。
もちろんソ連の戦果記述中には誤認が含まれる可能性もありますし、協力他部隊の戦果が含まれてしまう可能性はあります。
しかし日本軍戦車がソ連戦車乃至装甲車から損害を受けていないというのは定説にはならないですね。
クックスは偉大ですが1つの説です。
ソ連側の資料は誤認だろう。良くある話。もちろん日本の戦車隊にも損害が出てるが
対戦車砲によるものとの資料は概出だし、反論も良いが相応の資料を提出してくれないと判らない。
>7月3日の朝、ハルハ河の東岸には第9装甲車旅団の装甲車のほかに
>第11戦車旅団第2大隊所属のルキン大尉率いるBT-5快速戦車8両が展開していた。
>1200時、ソ連戦車は進撃してきた関東軍戦車第3連隊とぶつかり合った。
>2時間の戦闘で日本軍は戦車5両が破壊され、ソ連軍はBT-5快速戦車3両が撃破された。
>1845時、(引用略)さらに2両の日本戦車を撃破し、(引用略)ハ号戦車を牽引して去った。
編集部注によると、鹵獲されたのは第四連隊が前夜に失った車両。
なので交戦した日本側部隊は、実際には第四連隊だと思われる。
日本側にも、進撃途中で戦車8両および歩兵若干と交戦して、これを撃退したという記録がある。
戦果・損害とも詳細を知らず。教えて。
>>983続き
ほかに、同日1130頃、第9装甲車旅団のほうでも、
偵察大隊の装甲車6両が、歩兵を伴わない「中戦車60両」を発見。
配属の76.2mm砲小隊で撃ったら、そのうち「40両」の追撃を受けて、
大隊主力のBA-10中隊(12両)がいる陣地へ逃走。
大隊も撤退を考えたけれど、政治将校の指揮の下、陣地で応戦し日本戦車9両を撃破したと言う。
興味深いことに、玉田連隊長の報告にも、
敵は装甲車を囮にして、追いかけると対戦車砲・戦車で待ち伏せしているという話がある。
稜線の向うに隠れて砲塔のみを出して射撃してくるので、舌を巻いたと。
あとで玉田連隊は、防衛戦闘の局面で、稜線射撃を取り入れて戦っている。
3日の戦闘での第四連隊の損害は、八九式中戦車1両、九五式軽戦車5両、九四式軽装甲車1両
ほかに2日の夜襲で1両失ったのは、前述。
7月4日にも、ソ連側に戦車戦の記録があり、日本戦車1両を撃破したが、
ソ連側3両が自走して集結可能レベルの損傷をしたとある。
たぶん、ソ連側が攻撃を仕掛けて、撃退されたのでしょう。
>>984 稜線射撃なんて、ほぼ100年前にウェリントンが使ってるが、
やはり受け身の地味な戦法だし、丘陵部を迂回されないことが
前提だよな。
988 :
暫編第一軍:2007/06/15(金) 23:04:53 ID:???
>>983 面白いですね。各戦闘の損害は戦史叢書でも詳しく書いてあるところと無いところがありますから推定せざるを得ませんが。
概算すると
7/7までの5日間で第一戦車団の損害は中戦車29、軽戦車7。(グランドパワー誌01/03)装甲車については記述無し。
但し別の資料では戦車の損害は中戦車18、軽戦車11、軽装甲車7。(帝国陸軍機甲部隊)
7/2の夜襲時、戦車第三連隊は戦死21、戦車装甲車に損傷(戦史叢書)、或は損壊(グランドパワー誌)。但し数の記載無し。
同じく戦車第四連隊は負傷者10、軽戦車1破壊。(戦史叢書)
7/3日中の戦闘で戦車第三連隊は敵戦車、装甲車、速射砲等と交戦で戦死15、戦傷12、戦車13、装甲車5破壊。(戦史叢書)
別の情報によればこの時の損害は中戦車13、装甲車4破壊。(グランドパワー誌)
同日の戦車第四連隊は砲兵支援を受けた歩兵と戦車、装甲車7〜8輌(戦史叢書)或は7〜8輌の装甲車(グランドパワー誌)の攻撃を受け撃退。
損害は不明ですが、戦史叢書によれば敵陣が強固であるとして同連隊は主力を後退させます。
ソ連側の資料によれば同日、第11戦車旅団のBT-5戦車8輌と第9装甲自動車旅団の装甲車6+12輌(稜線射撃をした部隊)と76.2o砲小隊がそれぞれ7輌と9輌の日本戦車を撃破。
狙撃連隊の戦果を含めて計19輌を撃破。(ノモンハン戦車戦)
この資料は7/3の戦いにおいては戦車第三連隊と第四連隊の区別が不明瞭なのですが、多少誤認があるとしても日本側の損害と大きな違いは無いようです。
尚、BT-5は3輌を失い、装甲車旅団については損害なしとのことです。
狙撃連隊の損害は不明ですが、1大隊が後退したとのことですから相応の損害はあったのでしょう。
989 :
暫編第一軍:2007/06/15(金) 23:08:15 ID:???
7/4は両連隊とも戦力の回復と攻撃準備。(戦史叢書)
但し4日朝まで戦車第四連隊が攻撃していたとも。(グランドパワー誌)
同日、ソ連軍は攻撃してきた日本戦車1輌を撃破したもののBT3輌が自走可能な損傷を受けた(ノモンハン戦車戦)といいますから、これが第四連隊の戦車かもしれません。
7/5から戦車第四連隊はソ連軍の攻撃を受け6日8時頃までに戦死18、戦傷24、中戦車6、軽戦車5を損失。(グランドパワー誌)
7/7には関東軍から帰還を命じられます。
戦史叢書、グランドパワー誌で数的に明らかになっている各戦闘での累計は戦車25、装甲車4〜5。
5日間の総損害が中戦車18、軽戦車11、軽装甲車7。
戦闘車両の場合は撃破されても回収し修理される場合も少なくないので正確は期しえませんが、損害不明の7/2戦車第三連隊、7/3戦車第四連隊は合わせて総損害からの差し引き戦車4、装甲車3〜4は失っていると考えられます。
ノモンハン戦車戦を信じれば7/4の1輌が存在しますが、修理戦車が復帰していると仮定すればことはもう少し複雑になります。
ノモンハンの戦車戦に関してもだいぶ資料が出てきましたが、まだ不明瞭な部分が残りますね。
990 :
暫編第一軍:2007/06/15(金) 23:18:01 ID:???
>狙撃連隊の戦果を含めて計19輌を撃破。(ノモンハン戦車戦)
注 ノモンハン戦車戦のこの部分ですが、読みようによっては7+19輌とも読むことができますので同書をお持ちの方の見解をうかがえれば幸いです。
7月5日以降も、どういうわけだか戦車第四連隊には、歩兵が随伴してないんでしたっけね。
途中から応援に来たようですが。
単純に、戦線全体に歩兵不足なのか?
>>990 単純に読むと7+19だと思われます。
戦車の話と、装甲車の話はたぶん別ソースによるものです。
装甲車のほうは、まるまる引用。
狙撃兵連隊方面の戦果に、戦車隊の戦果が含まれてる可能性はありますが。
コロミーエツの本には、どういうわけだか6月30日の戦車戦が出てこないな。
ソ連側の威力偵察部隊らしい戦車・装甲車と軽戦したという話。
その続きの、牽引対戦車砲に日本側が1両食われた話は出て来るんだが。
ソ連側には、該当する記録が無いのか?
日本戦車の損失は例のピアノ線で足止めされて対戦車砲で仕留められた7月3日頃の損害の多いのが目立つな〜
994 :
名無し三等兵:2007/06/16(土) 23:25:48 ID:l9+ylHWh
>本当は勝っていたノモンハン
戦車の玉田連隊長も同じ事を言っているよ。ハルハ河を挟んでの土地の攻防戦に
関しては日ソ相撃ちで、戦果は日本側の方が遙かに大きいって。
本当は日本戦車隊がソ連戦車隊を圧倒してたのに、ソ連軍の捏造宣伝を鵜呑みにしてる馬○が大杉だってさ
友軍を見捨てて敵前逃亡した連中の証言など信用できない
>>996 そう言うちゃんとしたのじゃなくて、
>>48 みたいな左翼学者が書いたような
いい加減なのとかを玉田連隊長は批判してるんだろう。
んで、その玉田連隊長は、日本戦車隊がソ連戦車隊を圧倒してたのに逃げ出した理由を
なんて言ってるんですか?
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。