あなたのおじい様の戦争体験を教えて その12

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1名無し三等兵
前スレ
あなたのおじい様の戦争体験を教えて その11
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1144591772/
2名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:33:50 ID:WGuk84Ti
>>2は自分でとる。
3名無し三等兵:2006/08/11(金) 00:34:37 ID:kvfP3PwT
「はだしのゲン」を熟読して、全体を理解しましょう!

概要
1972年に「週刊マガジン」の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢
の自叙伝『おれは見た』を元に、脚色を交えて1973年から「週刊少年ジャン
プ」での連載が始まった。
作品の内容、表現等について様々な論議があるが、作者の実体験に基づく原爆
の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を良く表現していながら、教育的ではなく
優れたエンターテイメントとしても見せる名作として国内外での評価は高く、
映画・アニメ・ミュージカル・絵本化もされている。
単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は1000万部を超える。
また、独特の描写や広島弁を含むセリフなどから、インターネット上で度々
ネタにされることがある。
4名無し三等兵:2006/08/11(金) 01:38:10 ID:???
予科練で訓練中に終戦
5名無し三等兵:2006/08/11(金) 06:20:06 ID:???
>>3宣伝は余所でやれ!
6名無し三等兵:2006/08/11(金) 13:54:06 ID:???
爺様 生きて帰ってきた
インパール

ばっちゃの弟 死んじゃった(´・ω・`)
硫黄島
7名無し三等兵:2006/08/11(金) 17:33:04 ID:???
>>4
>予科練で訓練中に終戦
知り合いのじいちゃんも予科練で終戦を迎えたと言っていた。
赤とんぼで練習中に川に落ちてしまい
翼に張ってあるワイヤーが切れて肩に刺さった話をしてくれたよ
8名無し三等兵:2006/08/12(土) 00:28:42 ID:???
うちのじいちゃん、あの対馬丸に乗る予定だったけど、
出航日に間に合わなくて乗れなかったって言ってたな。
9名無し三等兵:2006/08/12(土) 12:21:48 ID:NKMCHi8j
hage
10名無し三等兵:2006/08/12(土) 12:26:09 ID:???
「皇居の警備をしていて恩賜煙草を賜ったが、マズかった」
と不遜なことをしみじみ話してくれたよ
11名無し三等兵:2006/08/12(土) 14:05:05 ID:???
街の某有名な店の店主だったが赤紙くらって徴兵。

街の芸者喚んで宴をやって、翌日万歳三唱で駅から出発。




したのはいいけれど、身長180cm以上あるわ、靴のサイズが28cmだわで着られる軍服や靴が無く、
痔持ち腰痛持ちだったので速攻で不的確食らい・・・



大々的に送り出したのはいいけど家に戻るに戻れなくて
新潟に落ち延びたあげく、1ヶ月近くたったころ深夜こそこそと自宅に帰ってきたそうだw

<故・うちの母方の爺さん
12名無し三等兵:2006/08/12(土) 14:22:51 ID:???
>11
>大々的に送り出したのはいいけど家に戻るに戻れなくて

そういう話もたまに聞く。まあ、助かったんだしおk
13名無し三等兵:2006/08/12(土) 16:10:38 ID:???
中国で女子供をたくさん殺したってじいちゃんが言ってた
14名無し三等兵:2006/08/12(土) 16:24:39 ID:???
>>13
朝鮮人のじいちゃんをもつと大変だな。
15名無し三等兵:2006/08/12(土) 16:34:16 ID:qQbaVF48
ばあちゃんでもいいのか?
16名無し三等兵:2006/08/12(土) 17:17:02 ID:???
>>15
是非。
17名無し三等兵:2006/08/12(土) 19:16:04 ID:FGi5GjTr
はだしのゲンはもういいよ。
18名無し三等兵:2006/08/12(土) 20:09:59 ID:???
>>12
赤紙が来てみんなに見送られて出征した。
後で兄弟の赤紙とわかり、本人は故郷へ帰るに帰られなくなった。
それが原因で悩み自殺した人もいる。
それが私の母方の祖父
19名無し三等兵:2006/08/12(土) 21:58:48 ID:???
昔、子供の頃に今は死んだ祖父の家へ行った時の話
食事の際にひょんな事から祖父はイカの刺身が嫌いだという話になって、
他にも白菜の芯や白いタクアンなど色の白い物が苦手というので
不思議だとは思ったが、その時は理由までは特に教えてくれなかった。
しかし本当は戦争中に見た蛆虫がたかって真っ白になった死体を思い出すので
今でもあまり食べられないんだ、ということをその後に親がこっそり話してくれた
20名無し三等兵:2006/08/12(土) 22:33:06 ID:???
もの凄いトラウマになったんだね。
確かに想像しただけで鳥肌が立つよ。
21名無し三等兵:2006/08/13(日) 15:27:29 ID:a4qRbtUe
超いい番組やってますよ
ビルマですよ
俺のじいちゃんが行ったところですよ
最初っから泣きそうになりますよ!!
22名無し三等兵:2006/08/13(日) 15:37:14 ID:???
うちのおじいさんか……戦後まもなく物取りに襲われ、井戸の中に落ちているのを発見されたらしいです。
この間初めて写真を見たのですが、父にも私にも兄や叔父にも似ていて……血の繋がりを感じました。
父は東京大空襲の際にまだ幼子でしたが、祖父に抱かれて埃か灰がたちこめて息苦しい、暗い空間で一晩を明かしたと言っていました。
23名無し三等兵:2006/08/13(日) 15:48:43 ID:DfkDKP0C
このスレ、1から本にならないかな
24名無し三等兵:2006/08/13(日) 15:51:14 ID:a4qRbtUe
しゅむしゅ島ですよぉぉぉ!!!
みなさんのアイドルちはたんきますよぉぉおえぁお!!!!
25名無し三等兵:2006/08/13(日) 16:06:39 ID:???
こういう駄レスは除かないとなw
26名無し三等兵:2006/08/13(日) 18:34:56 ID:???
太平洋戦争当時は予備役で召集されて終戦間際に朝鮮守備隊。
現役当時は日中戦争で徴兵されたらしい。
で、その時に捕虜になった敵兵が斬首される場に出くわして、
首チョンパされた首のない敵兵士が何歩がどどどと歩いてから倒れたという
話を何回も聞かされた。

場所と時期は不明だがワシは「南京大虐殺」には傘下しとらんと言ってたらしい。
27名無し三等兵:2006/08/13(日) 20:46:50 ID:eCM41Xgv
あなたはこの映像をご覧になってどう思われますか?
本当に三十万人もの虐殺があったと信じますか?

Peaceful scenes of Nanjing after Japanese Occupation

The Truth of The Nanjing of 1937.12 - 1938.2 (1)
http://www.youtube.com/watch?v=uq1ZEdp9-VM

What really happened in Nanjing after Japan's
occupation in December 1937? "Massacre of 300 thousand
Chinese" as the Chinese Government claims?

You can watch some scenes in the following web page;
lives of Chinese people, including children having food,
as well as Japanese soldiers restoring the city.

Can these scenes possible if the "massacre of 300
thousand" actually took place?

南京入城式など、貴重な当時の記録映画です。
心優しき日本軍人の姿が収めされています。

http://www.youtube.com/watch?v=uq1ZEdp9-VM
http://www.youtube.com/watch?v=PkJ6Q6NLyCs
http://www.youtube.com/watch?v=_NH_a94fzEw
http://www.youtube.com/watch?v=sAHEKebbhy0
http://www.youtube.com/watch?v=O0ZPeFDG_BA
http://www.youtube.com/watch?v=6_0w2UP1s1Q
28名無し三等兵:2006/08/13(日) 21:04:34 ID:MaD92tJ+
B-29が爆弾と一緒に落とした銀紙を拾って遊んだらしい
29名無し三等兵:2006/08/13(日) 21:14:23 ID:???
レーダー撹乱用の短冊状のアルミ紙だね。
センチ波用ではないからウィンドウではなく、ロープか。
30名無し三等兵:2006/08/13(日) 21:26:01 ID:rX0sSl0O
三重の中部128部隊、第7航空連隊の戦歴をわかる人はいませんか?
祖父が所属していた部隊です。
31名無し三等兵:2006/08/13(日) 21:27:12 ID:???
じいちゃん陸軍の学校の教官やってたらしい。階級は少佐。
終戦の1年前に運悪く満州に転属。終戦後シベリアに抑留。
比較的暖かい地方に送られたとか言ってたけど…。
食べれるキノコに詳しくなったとか微笑みながら言ってけど
辛い思いしたんだろうなあ。
生前シベリア抑留の特集番組見て泣いてたじいちゃんを思い出す。
学生時代じいちゃんに数学教えてもらう時
じいちゃん「どこがわからない?」自分「何がわからないかわからない」
苦笑しながら「そういう生徒が沢山いた」
孫がバカでごめんよじいちゃん。
32名無し三等兵:2006/08/13(日) 21:50:01 ID:rX0sSl0O
じいちゃんが兵役についていたときに、恩給の7割が実家に払われているはずだったのに、
復員してみると、払われていなかった。役所に確認してみると、すでに払われていることに。
その代わりすでに徐隊した父親の恩給は払われていたとかw
今も昔も役所はいい加減だといっていました。
33名無し三等兵:2006/08/13(日) 22:04:15 ID:???
現役で「恩給」が払われるわけがねえだろ
34名無し三等兵:2006/08/13(日) 22:28:23 ID:???
>>33
ごめん、俸給だw
曾祖父が頂いていたのは、たぶん恩給じゃなくて、俸給だと思う。
これはいただくわけにはいかないと言っていたから。
35名無し三等兵:2006/08/13(日) 23:46:51 ID:???
俺のじいさんは国民党軍。
大戦中はビルマ国境で英陸軍の支援をしていた。
じいさんは学があって文字が読めたので通信員をやっていた。
直接日本軍と戦火交えてないので日本人のばあさんと結婚できたらしい。
36名無し三等兵:2006/08/14(月) 00:22:48 ID:ejACKC+E
ばあさんは満州残留日本人か?
37名無し三等兵:2006/08/14(月) 00:22:52 ID:???
国民党軍に入った経緯が知りたい
38名無し三等兵:2006/08/14(月) 00:39:51 ID:ekPMl94K
中学生だったジーチャン、特攻隊に志願したが目が悪くて入れず
予備士官学校?の試験をうける事にしたが試験当日に高熱でて受けられず、担任が激怒したとか
勇ましい話がない…でもジーチャン生きててよかった
予備士官学校は入れなきゃならない人数が決まってて、まわりに乗せられて受験を決めちゃった!とジーチャン言ってましたが学校ごとに割り当てがあったんでしょうか?
3935:2006/08/14(月) 03:46:34 ID:???
>36
そう
>37
蘇州の地主の家系だったから入ったらしい。ちなみにじいさんの兄貴は砲兵部隊率いてたらしい。共産党が政権握ってからはかなり大変だったらしい
40名無し三等兵:2006/08/14(月) 16:27:32 ID:ejACKC+E
国内からの書き込みだよな?台湾とかじゃないよな?
41名無し三等兵:2006/08/14(月) 16:35:40 ID:QmwJpiim
>>81
俺のじーちゃんもシベリアに抑留され足を壊して帰国したよ朝起きると隣の奴が死んでるのが珍しくなかった見たいだねちなみに階級は伍長最近亡くなったがもっと戦争の体験談を聞いておけばよかったと後悔してる。
42名無し三等兵:2006/08/14(月) 16:37:53 ID:QmwJpiim
間違えた>>31
43名無し三等兵:2006/08/14(月) 16:56:38 ID:???
誰か、祖父が第7航空連隊に所属していた方はいらっしゃりませんか?
戦争末期にフィリピンで活動していたようなのですが。
44名無し三等兵:2006/08/14(月) 17:37:51 ID:???
うちのじいさんはビルマで戦ってたらしい。
最初は軽機関銃部隊だった。
ビルマに行って数ヶ月で暗号兵に選抜されて、教育のため一旦隊を離れる。
原隊復帰した後、憲兵志願兵を募集していたので志願、一旦帰国。
憲兵学校卒業後はインドネシアの憲兵隊だった。階級は伍長。
なんちゅーか、落ち着きがないなあって思ったw
45名無し三等兵:2006/08/14(月) 18:11:59 ID:???
重機関銃の部隊はある。軽機関銃の部隊なんてあったっけ?
46名無し三等兵:2006/08/14(月) 18:22:32 ID:???
うちのじいさんは東京で徴用にでているときに徴兵検査を受けて、なぜか故郷ではなくて豊川の連隊に配属され、ついで三重に航空兵の通信員として赴任した。
じいさんは航空兵と聞いて、ラバウルに落下傘で落とされるかと思ったとかw当時は混乱してたのか郷土の高田連隊に配属されなかったのが不思議だな。
配属部隊である中部128部隊では、モールス信号の教育を受けていたそうだが、他はロートルの再招集兵ばかりでもっとも若い兵だった。
そして最後にはフィリピンに派遣されることになったが、途中で輸送船が撃沈されたりと、苦労を重ね、
一ヶ月半の間ジャングルをさまよって、投降したと聞いている。ジャングルではミミズを喰らい生き延びたらしい。
なお、最終階級は上等兵で、徴集からわずか一年半で昇進した。

感慨深いのはじいさんは3つの人生を生きてきたと言ったこと。戦争以前と以後、そして老後の今。
あと、人を殺さずに帰ってこれてよかったとも。
今は足腰が弱ってしまったけれども、それなりに健康でいます。
47名無し三等兵:2006/08/14(月) 18:41:01 ID:???
>>43
ええと、
レスが付かないのは有効な情報を持った方がいない為なので仕方ないです。

『飛行第7戦隊』なら、四式重爆・飛龍↓を装備してフィリピン?から台湾沖航空戦に参加し、
 ttp://imbbs5.net4u.org/sr3_bbss/16768kotaro/193_1.jpg
米艦隊へ夜間雷撃を敢行しています。

と、Googleではそれ以上の事は判りません。
このスレの通例通り『軍歴照会』(し方は前スレ等通読するなりGoogleに聞くなりすればわかります)
を行いそこから追うか、
編成もとの浜松航空基地(現在航空自衛隊基地)の資料館などで戦友会の伝をたどって下さい。
48名無し三等兵:2006/08/14(月) 18:46:24 ID:???
>>43
失礼ですが、第7航空通信連隊ではありませんか?
49名無し三等兵:2006/08/14(月) 18:56:29 ID:???
>>48
おそらくそうです。
全滅したとかで飛行機がなかったとか。そこらへんは勘違いだったのだと思います。
配属地は三重の伊勢だと言っておりました。最終的な所在地はわかりませんでしょうか?
あと、何回もレスしてもすみませんでした。
50横須賀航空隊、三等飛曹:2006/08/14(月) 18:57:29 ID:7Oj7qU+L
うちじっちゃんは、真珠湾攻撃、第二攻撃隊の護衛機として出撃、対空射撃のきつい中を零戦と共にくぐり抜け、見事帰還。のちに特攻作戦に参加、帰らぬ人となり、靖国へ葬られた。潔く国のため散ったじっちゃんを尊敬する
51名無し三等兵:2006/08/14(月) 18:58:51 ID:???
正に人生を太平洋戦争に奉げた御仁ですね。合掌。
52横須賀航空隊、三等飛曹:2006/08/14(月) 19:19:25 ID:7Oj7qU+L
後、じっちゃんの兄貴も硫黄島で最後の突撃に参加。戦死、靖国へ。最終階級:伍長
53名無し三等兵:2006/08/14(月) 20:35:37 ID:???
うちのじーさんは、徴兵で関東軍へ。
とにかくしごきは酷かったが、さすが精鋭関東軍だと思ったらしい。
満期除隊後は、満鉄勤務で徴兵はされずに終戦まで奉天で過ごす。
やってきたソ連兵達は服や靴がボロボロで見てて哀れで、
腕時計をねだってきたのであげると、片手に5〜6本は既に巻いていて驚いたらしい。
当時、一緒に過ごしていた姉妹は、坊主にして男装させソ連兵の目の届かないところに匿ったが、
満鉄が移送列車を手配してくれたので姉妹は何事もなく脱出できたとのこと。
じーさんはその後1年ほど過ごしてから帰国。
54名無し三等兵:2006/08/14(月) 21:05:52 ID:xRA+XEvC
戦時中に新兵の教育担当してたジイさん
戦争当時でもやはり跡取りの息子の長男と次男の兵隊では、戦死したら可哀相だと
新兵の配属先を比較的生き残り易い戦線と思い
大部隊も展開して、大船団でも行くフィリピンなら、大丈夫だと思い 長男などの兵隊を配属
台湾は、一応も支配していたが、国民党の影響や米軍の攻撃もあり激戦地だったので、次男などの兵隊を配属
結果は、長男の多い部隊は、フィリピン上陸以前に大型輸送船ごと潜水艦に撃沈されて、全員戦死
台湾に送った次男ばかりの部隊は、小型船で奇跡的撃沈されず、上陸に成功
終戦まで、誰も死なずに、全員帰還したらしい
戦線の配属先を一晩中考えて、赤鉛筆で、部隊配属を考えたらしいけど
自分の鉛筆一本で、結局生死が分けてしまったので、あの晩のことは忘れられないと云ってた
55名無し三等兵:2006/08/14(月) 21:21:36 ID:QmwJpiim
今日、男たちの大和をみたがじいちゃんに見せたかったなあ。
56名無し三等兵:2006/08/14(月) 21:40:21 ID:cJaHd4pg
うちのじーちゃんは小笠原諸島は父島で、高射砲部隊として従事した。
残念ながら、本人の忘れたい、触れるなかれという威圧感の前に、直接のインタビューは出来ぬまま、じーちゃんは癌で亡くなってしまった。
その高射砲が八八式七センチ野戦高射砲なのか、九九式八センチ高射砲なのかは分からないが、没後、入隊から出征前までの貴重な写真を閲覧する機会に恵まれ、高射砲の部隊にいた事を知った。
さらに写真の中から、ブッシュパパが父島のあたりで撃墜された云々の新聞記事を発見し、
もしや、じーちゃんの部隊が…?と思ったが、全く確証はないので、とりあえず、撃ったには撃ったのだろう、と結論づけました。
小さい頃から近所のじーちゃんばーちゃんから興味本位に戦争の話を聞いて育った中、皆、大体は快く話してくれたが、うちのじーちゃんだけは固く口を閉ざしていた。
だが、親父が昔、じーちゃんたちと父島に行った時、慰霊碑にひざまずいて号泣するじーちゃんを見たと聞いた時、聞かなくて良かったのだな、と思った。


57名無し三等兵:2006/08/14(月) 21:46:43 ID:QmwJpiim
いい話しだな、俺も子供の頃じーちゃんに、何人ぐらい撃ったの?と聞いたら激怒したのをいまだに覚えている。阿保なこと聞いた自分が情けない。
58名無し三等兵:2006/08/14(月) 22:51:27 ID:kkMo66T0
軍人は基本的に敵兵を倒すのが任務だから質問に恥じる事は無い。
兵隊だった人が敵兵とはいえ人間を殺害した事に対して罪悪感を
感じる事が存在するだろうが。
59名無し三等兵:2006/08/14(月) 22:57:55 ID:G6M/PwbB
親戚のじいさんに昔聞いた話

・北支の冬は寒かった。一つだけ良かったのは蚤シラミが湧きにくかったこと
・敵は国民党、共産党、軍閥?と四つあった
・共産党(とはっきり言った)は兵隊の足を鎖で逃げられないようにしてた
・「ヒューン」と音がしたら弾があさってに飛んでるから心配ない
「プス、プス」だったら自分の周りか戦友に当たっている音だ
・弾がもったいないからそんなに打ち返さない
・部隊が孤立して戦い続けて、終戦を知ったのは一年後
・人肉以外はみな喰った
・帰国船は佐世保に
港でビールを一杯だけ飲んで感慨にふけったが、勘定で汽車賃無くなった
・それで仲間5〜6人と示し合わせて弁当強奪
・ようやく東北の実家へたどり着いたら、家族が「どちらさまです?」
人相が激変してた
・お前、平和は大切だぞ
60名無し三等兵:2006/08/14(月) 23:08:32 ID:???
隣の家のじいちゃんは、シベリアに抑留されていた。
作業で余った木切れを使って麻雀牌を作って遊んでいたが、
見つかって没収されたようなことを言ってた。
昨年舞鶴の引揚記念館で、抑留されていた人が木切れで作った
麻雀牌やトランプが展示されているのを見て、
「やっぱり同じようなことを考える人っているんだなぁ」と思った。

自分のじいちゃん(父方も母方も自分が生まれる前に既に故人)が、
どこで何をしていたかは、未だに聞いたことが無かったりする…
61名無し三等兵:2006/08/14(月) 23:24:31 ID:???
>60
将棋の駒作ったなんて話もあるな。全部の話に共通するんだけど、
木の材質のせいもあって妙に軽く、しっくりこなかったと。
6260:2006/08/14(月) 23:28:26 ID:???
>>61を読んで思い出した。
展示されてたのは、麻雀牌と将棋の駒だったかも…
トランプは「マスターキートン」のエピソードとゴッチャになってるかも…
63名無し三等兵:2006/08/14(月) 23:35:07 ID:xRA+XEvC
ジイさんの部隊は、昭和19年夏頃 沖縄への攻撃も激しくなり始めたが
本土決戦要員とかで、本土への移動が決まったらしいが、最高機密で将校だけが解読できる暗号で通信が来たらしい
ところが、電文を受信した兵隊や下士官は、ナゼかその電文の暗号を知っていて、
暗号解読して、部下に内地移動を告げたら、既に、内々に知ってたようなそぶりで驚いたそうだ
下っ端でもある程度は、自分の生死に関わることだから、上司に内緒で暗号も知ってたらしい
それでも部隊の移動が知られたくないから、回りの部隊には、「台湾」に行くと云って、ウソを云って
あちらでは、新しい機械使うからとかで、部隊の備品や装備を、周囲の部隊にプレゼントして
皆口を揃えて、「台湾」に行くと広言して、偽装工作
周りの部隊も装備もらって、大喜びしてたらしい
内地への移動は、駆逐艦を利用して、潜水艦攻撃も受けずに、楽々移動
部下も沖縄じゃ死にたくないと思ってたので、内地に移動の件もまたうまく家族に伝えて
部下の家族も大喜びで内地の港に出迎えてたので、二度ビックリしたらしい
装備を貰って喜んでた部隊は、沖縄で全滅したらしい
64名無し三等兵:2006/08/14(月) 23:45:18 ID:???
>>61
麻雀牌を作ってみたけど、どうもあのジャラジャラの音が出ない。
創意工夫の結果、牌を油で揚げてみたらいい音が出るようになった、ってのを聞いたことがある。
65名無し三等兵:2006/08/15(火) 01:36:16 ID:???
なるほど水気が飛んで木目が締まって落ち着くんだろうな
手触りもよさそうだ・・・。

っていうか、変なこだわりw
66横須賀航空隊、三等飛曹:2006/08/15(火) 10:58:16 ID:CfWAbS/u
隣のじっちゃんは大阪で高射砲部隊に配属されていた。空襲が激化しているから、じっちゃんのようなベテランが要求されたんだろう。激しい爆撃の中を生き延びて、終戦を迎えた。今でも、南方での自慢話をしてくれる。とてもかっこいい、じっちゃんなのである
67横須賀航空隊、三等飛曹:2006/08/15(火) 11:08:26 ID:CfWAbS/u
自分の周りには軍人だった人がいっぱいいるんで、もっと聞きたい人はここで言ってください
68名無し三等兵:2006/08/15(火) 11:21:37 ID:???
終戦記念日
69横須賀航空隊、三等飛曹:2006/08/15(火) 11:25:38 ID:CfWAbS/u
そうっすね!今日靖国行かないと。
70名無し三等兵:2006/08/15(火) 11:34:08 ID:???
父方の祖父さん。
・満州で現地召集(丙種)
・長春(と思われる)の三角山で陣地構築に従事
・自動車大隊へ応援に出される
・応援に行った直後にソ連軍の猛攻で三角山陣地全滅
・戦後シベリアへ抑留
・無事帰国し2004年5月88歳で亡くなる

母方の祖父さん
・支那事変に従軍
・一度除隊するが再び召集される
・宗谷岬で監視及び守備の任務に就く
・脚気を発病し病院送りになる
・所属していた部隊は南方へ進出し、後にほぼ全滅
・退院して間もなく終戦
・90歳で今も存命
71名無し三等兵:2006/08/15(火) 11:43:59 ID:???
母方の祖父
大久野島で勤務。戦後特別な健康保険証を貰ったらしい。
もっとも仕事は門番で自分が健康に影響あるようなことはなかったらしいが。
戦後は健康を保ちつつ一代で造り醤油屋を起こし、それなりの規模に。天寿を全うする。

父方の伯父
有名なマレーシア銀輪部隊……の裏方の工兵隊。先行して道路整備をする役だったらしい。
「あいつらも有名になったけど俺たちがいなけりゃ何にも出来なかったんだ」と言ってたとか。
戦後は平凡なサラリーマン兼第二種兼業農家。肺癌で死去。やっぱタバコはいかんよね。


当時中学生。一度学校からの帰り道に敵戦闘機に遭遇、機銃で狙われたことがあったとか。
「奴ら絶対面白半分だった」と言っている。空襲で街が焼けたのも見たとのこと。
戦後は平凡な高校教師。現在は退職して悠悠自適。軽い手術で入院してたけど本日退院。
72名無し三等兵:2006/08/15(火) 17:58:02 ID:aS1nkfko
ジイさんは、小柄だったので、訓練の時 お前はトーチカの機関銃手やれと
敵役に廻り、トーチカに偽装した箱のようなところに入り、訓練用の機関銃で応戦訓練
小隊が、トーチカ襲撃グループになり、演習開始
一応機関銃で、模擬弾で応戦したけど 発煙筒を代用して、手りゅう弾攻撃のマネ、箱の中が硝煙で酸欠状態になり、気絶したらしい
訓練では見事陣地攻撃成功で、トーチカの外で、バンザイやったけど なかなか出てこないので、心配して救出される
ガスマスクしてたらしいけど 不良品で、酸欠状態になったらしい
あと2〜3分発見が遅れてたら、確実に「訓練中の殉職」だったとか
73名無し三等兵:2006/08/15(火) 19:28:51 ID:???
俺が高校生の頃に病気で死んでしまった。おじいちゃんは、
戦時中、海軍に志願して海防艦三宅に乗っていたらしい。
昨日、田舎に帰ったとき、おばあちゃんに、その話を聞いたんだけど、
「アンタみたいな、若いモンが知りたがるなんて思いもしなかったよ。
 私は若い人なんて、みんな戦争のことについて、関心が無いと思っとるから、、、。」
と複雑そうでした。
74名無し三等兵:2006/08/15(火) 20:16:40 ID:z0NO8rpL
かなり前だけど、友達のオヤジさんが、中国戦線から帰還兵だったらしいけど
一応、戦争激しくなる前に内地に帰還したらしいけど
大した戦闘も無かったので、内地の土産の戦利品も無いからと、なんと自分がいた塹壕の土嚢に当たってた中国軍の弾丸の持ち帰って来たとかで
不発弾ではなく、日中戦争初期の銃撃戦で、塹壕の土嚢に当たってた弾丸だったけど
どれも小さくて、折れ曲がってたり、先端もツブれてるような弾丸
全部で数十発あったけど 大したモノじゃなかった ホントこれが当たって死ぬのか思うほど小さな弾丸
黄色ぽくて、金属でもパチンコ玉より少し大きいくらいの弾丸
オモチャの銃の弾のような弾丸だったけど 実際に実戦で飛び交ってた銃弾だとか
75名無し三等兵:2006/08/15(火) 21:10:36 ID:???
会社の先輩の"父親"は、海軍の通信将校で『赤城被弾』をリ
アルタイムで受信していたそうです。
うちのGちゃんは、岐阜の各務原で高射砲やってました。
"あんまり"当たらんかったそうですが…
たまにB29?(って言ってた)が低空飛行でやってきて、強烈
な機銃掃射していってガクブルってよく話してたな〜
76名無し三等兵:2006/08/15(火) 22:28:06 ID:li5NUyZz
>64
日経新聞の「私の履歴書」でちょうどその話を書いている
77名無し三等兵:2006/08/15(火) 22:41:01 ID:qkP4qfGO
以前に山奥の駅であったジーさんが語るには
イギリス兵が一番残虐だったとひと言ポツリ。
まぁアメリカ海兵隊が一番酷いと思うけどね。
78名無し三等兵:2006/08/15(火) 23:22:51 ID:???
>>77
>イギリス兵が一番残虐
イギリス兵の格好したグルカ兵が、じゃない?
79名無し三等兵:2006/08/15(火) 23:44:21 ID:zzmJ0myi
ジイさんは、将校だったらしいけど 同じ部隊の部下で、召集で来てた兵隊でも、実家がかなり生活苦で
家族にも仕送りしてたので 貧困で、当時は内地の部隊でも、配給品だけでは食えず
基地近くの農家から、私費での食料品調達で、食いつないでいたらしいのに、そのカネも無く
あまりに可哀相だったので、給料を少し分けてやって、援助してやったらしい
終戦後は、その兵隊は山梨の農家の復員したら、巨峰ブドウ栽培に成功して、儲けたらしく
戦後何十年たっても、巨峰ブドウの高級品をシーズンになると送ってきてた
戦時中は、結構貧しい家の兵隊が多くて、実家に仕送りしてたので、貧乏で私物も買えないのも多かったようだ
戦時中の日本兵の略奪行為とか云うのが、よくあるけど 少ない給料を自分の留守家族への仕送りなどで、ホントにカネが無くて
仕方なくドロボウ行為やったのが実情だったらしい
80名無し三等兵:2006/08/16(水) 06:35:49 ID:hTvTtQuC
私の祖父はガタルカナル島から生還した。
仲間の兵士達が「母ちゃんの作った饅頭が食いたいなぁ」と言って
死んでいった、という話を良く聞いた。
81名無し三等兵:2006/08/16(水) 09:05:22 ID:sTaNXBFY
ジイさんは、戦時中通信兵やってたけど ある時から、南方で捕獲した米軍の無線機を情報収集用に
聞いていたら、スゴイ性能イイので驚いたらしい 日本の無線機は故障でもないのに、雑音が多くて
聞きづらかったけど クリアーな感度で終戦まで聞いてたから、ポツダム宣言の内容とか、軍部の動きは察知
ある程度負けもわかっていたらしい 日本の無線機の性能の悪さは開戦当時から、有名で
ほとんど米軍から、捕獲した無線で、通信していたらしい
性能の悪い日本の無線機同士の会話も捕獲した無線だとよく聞こえて、苦戦も模様とか大声で言い合うので
友軍で、後方にいても戦況もまる分かり 当然同じように、アメリカ軍も聞いてるワケだから
ボロ負けも当然だったようだ
終戦末期にもなると、大戦中期なら、船が沈んだり、重要拠点が奪われたら
暗号も変更もさかんにやっていたけど 変更する余裕もなく
暗号通信もそのまま使用してたので、軍事秘密のバレバレも想定内だったらしい


82名無し三等兵:2006/08/16(水) 10:04:33 ID:SfWZ36s+
じいさんがロスケにキレてる
83名無し三等兵:2006/08/16(水) 16:39:05 ID:sqNs3JE+
バアさんの戦時中の話 食料も配給制でも 遅配とか欠配とかもよくあったけど
魚の配給とかだと、なぜかフカ所謂「サメ」の肉の配給は、多かったとか
漁船も米軍の攻撃で、漁もまともに出来ないので、魚の入荷を少なかったらしいけど
なぜか「サメ」の肉だけは、豊富だったらしい
だいたい、南方などで船も大量に沈められて、漂流中にサメに喰われて死んだ人も多かったらしいけど
やはりサメも、近海でも大量発生して比較的漁がやり易かったようだけど
どうみても人を食べて大きくなったようなサメの大量発生でも
当時他に食べられるものも少なかったから、食べるしか無かったらしい
84名無し三等兵:2006/08/16(水) 17:44:41 ID:+nWL4Rwv
あの、どなたか過去ログなどで「ヒ86船団」に参加していたおじい様の話を見かけたことがある方はいませんか?
うちのじいさん、墓石に刻んである命日と場所からすると、どうもその船団がベトナム沖で襲撃された時に戦死したらしいんですが、参加部隊などがわからなくて確証が得られず、情報を集めてるんです。昭和20年1月12日の出来事です。
スレ違いでしたらすみません、無視して下さい。
85名無し三等兵:2006/08/16(水) 17:48:19 ID:FV9Kja0Y
戦時輸送船団史て本探しや
86名無し三等兵:2006/08/16(水) 17:59:27 ID:e3SuWHHX
うちのじいいさんは戦車に乗っていたらしく、アメリカの戦車と0距離射撃をしたといっていた
近距離で発砲されたれ装甲が貫通して助かったらしいけど、敵の戦車がそのまま上乗りみたいな感じになって
動けなくなってそのまま捕虜になったそうです。ちなみに敵の戦車を攻撃しても撃破は絶対できなかったそうで
体当たり攻撃だったそうな・・・。その後の捕虜生活は重労働はあったけど快適だったとかいってたな〜。
戦車動かせるから監視の中トラック運転してたそうな・・・


87名無し三等兵:2006/08/16(水) 18:57:15 ID:+nWL4Rwv
>>85
ありがとうございます。
本の名前がわかると探しやすいです。頑張ってみます。
お目汚し失礼しました。
88名無し三等兵:2006/08/16(水) 21:41:15 ID:???
89名無し三等兵:2006/08/16(水) 22:26:01 ID:+nWL4Rwv
>>88
84です。ありがとうございます。
そこでいろいろ検索しましたら、その時参加していた艦艇を特定できました。
引き続き85さんのおっしゃる本なども調べ、最終的に乗員名簿まで辿り着きたいです。
また、同じ日に別の任務で戦死者を出した海防艦があるようですので、そっちの線も調べてみようと思います。
スレ違いのようですので、これで失礼します。ありがとうございました。
90名無し三等兵:2006/08/16(水) 22:43:29 ID:snhtjr7i
ジイさんの友達は飛行機乗りで、当時では最新鋭の偵察機百式司令部偵察機に乗ってたらしい
当時「戦場で、ワレに追いつく敵機なし」とか打電して、
当時の最高スピードの記録したとか云われた百式司令部偵察機だったけど
その人は、戦争初期のビルマ戦線で、偵察飛行のために基地を離陸したまま行方不明となった
当時はまだ連合軍の空軍の勢力を強くなく 天候も良くて、捜索隊も出したけど
全く行方不明で、まさに神隠しのあったような行方不明事件
ただし、戦闘中行方不明と云うのは、「殉職」でも無く「戦死」でも無いので
所謂「2階級特進」の戦死とかでも無く 残された家族には、行方不明のまま終戦
軍人恩給とかだと、「殉職」とか「戦死」だと割増がつくけど そういう恩恵も無く
戦後は結構苦労したらしい ベトナム戦争でもMIAとかの戦闘中行方不明者の捜索を今もやってるらしいけど
実際、日本軍でも戦闘中行方不明も多いけど 戦時中、現地の日本軍を脱走した兵隊も多数いて
今も隠れて生活してるジイさんも多いとか 元日本兵とか騒がれた南方での騒ぎも脱走して、現地人に匿ってもらった兵隊らしい 
91名無し三等兵:2006/08/17(木) 00:22:05 ID:???
>86,90

どこまでが本当の話?
92名無し三等兵:2006/08/17(木) 01:06:48 ID:???
>>91
>>86の場合は、ブリキを貫いた初撃で米戦車の砲の尾栓でも故障したんでしょう、有り得ます。
>>90の例は晴天乱気流ですかね、後半はアレだけどw
93名無し三等兵:2006/08/17(木) 01:57:49 ID:idTz6CBo
ジイさんが、戦後数十年たって、年金関係で、役所から貰った書類見て、驚いたらしい
戦時中の軍歴もあるけど 終戦あたっての公式な軍歴と云うのが、「予備役編入」と処理されていた
つまり、「復員」と云うことは、戦前の制度だと、徴兵期間が終わると、軍人は「予備役」編入だったので
終戦で、軍隊が消滅していても自動的に、陸軍の「予備役編入」されたと云うワケになる
所謂「除隊」とかで、軍隊から、縁を切ったわけでなく
自衛隊で云えば、自衛隊辞めても、相変わらず「予備自衛官」と云う身分のようなもの
昔の予備役軍人が何歳まで有効だったか知らなかったらしいけど
まさか戦後何十年たっても自分が「陸軍予備役」に編入されてるのは、知らなかったと驚いていた


94名無し三等兵:2006/08/17(木) 02:05:07 ID:MY/JRN0z
>>92
奔敵ってヤツじゃないか?

南方方面ではどうだったかは知らないけど。
95名無し三等兵:2006/08/17(木) 02:05:47 ID:???
そりゃ兵役法の廃止だか陸海軍の廃止だかのタイミングで
当然に(特段に別途辞令等を発せられることなく)チャラになってるわけで。
96うどん屋:2006/08/17(木) 04:22:29 ID:qOnhHSu9
八年くらい前に死んじゃったうちのじい様、中国で通信兵やってたらしい。

そーいえば、通信学校?で出来の悪い生徒は外で道路拡張のドカチンさせられたとか言ってた。
土産といっちゃなんだけど弾丸をいくつか持って帰ってたよ。
終戦間際に帰国してたかなんかで抑留されなかったんだと。
おかげで私は今ここに存在している。
97名無し三等兵:2006/08/17(木) 04:27:35 ID:???
某スレにも書いたがおれの親父(大正15年生まれ)は今はボケちまっているけど
どの船か判らんが例の大和艦隊に照明兵として乗る予定だった。
死ぬつもりだった親父は出撃前に呉の飲み屋を探し回って
砂糖、塩をたくさん持っていた事をダシにして目に付く飲み屋と交渉しまくって
物々交換で今生最後の酒を仲間と一緒に飲んでいたらしい。
最初は若いから相手にされなかったけど
「酒が飲めないならここにある砂糖とかはどこかに捨てようか」と言ったら
女将が必死になって止めるのでうまく酒をせしめたらしい。
それから呉の大和艦隊に乗る予定だったので時間通りに出頭したわけだが
すでに艦隊は出発した後だった。時間通りに来たわけだから
上官も文句を言えずにお咎めなしだったらしい。
ここらはネットで調べても分らないんだが・・・
その後、横浜に赴任して終戦を迎えて曳航されて来る
真っ赤に錆びた戦艦長門を見て涙を流したそうだ。
今でも悔しそうに当時の事を語る親父は長生きして欲しいよ。
98名無し三等兵:2006/08/17(木) 04:43:23 ID:???
幸運でしたね。
99名無し三等兵:2006/08/17(木) 09:33:24 ID:uuwq5tVy
ジイさんは、沖縄戦が始る直前に、沖縄を離れたけど
沖縄への米軍上陸近いとかで、軍の有線ケーブル通信の充実策として、各基地を結ぶケーブルを設置したらしい
当時のケーブル線は、ニクロム線のような針金のようなもので、今の電話線のような電線を黒い皮膜加工もされていない裸電線だったらしい
しかも、新品だったので、遠くからだと、ピカピカ光ったらしい 設置当時はそんなこと考えず架線工事やったらしいけど
ある時に、米軍機の空襲受けて、通信基地も壊滅的な損害受けたとか
廻りからの目立たないようなところに、偽装して建てた通信基地も壊滅的損害
後で、復旧工事調査の段階で、新設ケーブルの針金が光ってたから、目標になったとか云われて
隊に、他の兵隊が、いい加減な言いがかりの怒鳴り込みが来て、お前責任とれとか云われて
なんと、その場で発作的に軍刀で、腹をして割腹自殺を図ろうとして、部下に制止されたらしい
別に米軍もすでに偵察機も飛ばして、基地も明確に把握してたようだから
光る電線など上空から、分かるわけも無いから、とんだ言いがかりで危うく割腹自殺しそうになったらしい
ジイさんのヘソのまわりに、黒いアザのようなモノがあったけど どうもその時の跡らしい
100名無し三等兵:2006/08/17(木) 11:19:00 ID:/Q2x3EgW
うちの祖父さんはWW2のころは尋常学生で戦地に入ってないらしい
でも、飛行場のそばだったので焼夷弾や爆弾は落ちてくるは
艦載機(艦載機とだけいってたけどもしかしたらP-51かもしれない)
機銃掃射をするやらで大変だったらしい
で、東京大空襲の日は利根川の土手にいたらしい
西のほうが真っ赤に燃えていたらしい
101名無し三等兵:2006/08/17(木) 11:50:08 ID:fvlZWI9K
84さんへ
ヒ86船団 は戦時中の輸送船団の中で最も有名なのでたくさんの資料があります。

NHKスペシャル・ドキュメント太平洋戦争 第一回 大日本帝国のアキレス圏/太平洋シーレーン作戦
で紹介されていますし、角川文庫になっています。

戦時徴用船については、知られざる戦没船の記録 などのリストである程度の事は調べられます。戦没船を記録する会の本はとてもしっかりしています。
 なお、8月15日の読売新聞社会面に「戦前船舶研究会」から、11月に「戦時日本船名録」が出版されることが大きく紹介されています。記事は、「戦没船の全容が明らかになるのは初めて」とトンデモですが良書のようです。
護衛していた海防艦等については 聯合艦隊軍艦銘銘伝 あたりでそれぞれの船史の大略がわかります。
ここまでは簡単なのですが、戦時中の軍艦および補助船の行動記録も調べるとなると、費用も時間もかかります。
がんばってくださいね
102名無し三等兵:2006/08/17(木) 11:52:22 ID:Pehkq546
オレのじいさんは士官学校卒の陸軍少尉だった。
これからバンバン出世するぞと張り切っていた矢先に終戦になって
とても残念だったと何度も聞いた。
103名無し三等兵:2006/08/17(木) 12:37:15 ID:???
私が子供の頃聞いた祖父の戦争話
・警察官だったが赤紙が来て兵隊に行くシナの北支に居た
・前職が警官である事は黙っていたらしい(元警官はいじめられるらしい)
・軽機関銃の射手で行軍時には重くて大変だったとの事
・当時体力のあった祖父は戦闘訓練の時に軽機関銃を持って小銃を持った
 兵隊よりも早く走る事が出来たらしい(おかげであまり古兵にどつかれなかったと)
・度胸付けと称してゲリラの処刑を銃剣でやらされた(これが一番つらかったと)
 シナ人は処刑される前でも動揺せず肝が据わっていたそうだ
・行軍時にはぐれてゲリラに耳や鼻を削ぎ落とされて殺された兵隊が沢山いた
 誰が敵かわかない所だった、集落には老人と子供しか居なかった
・古兵に殴られすぎて死んだ兵隊がいた(戦死扱いになったそうだ)
・仲間の踏んだ地雷で重傷を負う(どういう訳か復員し警官に復帰)
・警官復帰後大阪で空襲を体験する、空襲で亡くなった人はパンパンに膨れ
 男か女かも解らない状態だった、動かすと体の油がじっとりと滲み出し
 強烈な臭いを発した
・同僚で焼夷弾が直接頭に当たり死んだ人がいた
・終戦になり疎開していた祖母と父を大阪に呼び駐在所に勤務、のちに結核に
 かかり20年ほど療養所に(祖母と父達は大変苦労したとか)
・平成2年に死去(76歳)

小学生の頃に祖父から聞いた話です、今思うと無神経に辛い事を聞いたものだと我ながら
あきれますが、憶えている事は何でも話してくれる祖父でした
祖父なりに見た事を伝える事が生き残った者の義務だと感じていたのかも知れません
長文失礼しました。
104名無し三等兵:2006/08/17(木) 12:55:01 ID:+BopxcW1
ひー爺さんは、前の戦争で少年兵として出陣し
西軍の農民あがりの兵相手に奮闘したが、数で勝る西軍相手では話にならず
若松場に退却しそのまま篭城→終戦を迎えたそうです。
別の部隊の少年兵は全員切腹し生存者が1名だけだったそうですが
ひー爺さんの部隊は、生存者は10名だったそうです。
地元じゃ山口県民は敵と言う事になってます。
105名無し三等兵:2006/08/17(木) 13:35:08 ID:???
詳しい話は分からんのだが、ウチの母方の祖父は21の歳には満州で国境警備してたって話。
大戦中は南方派遣?で東南アジア諸国をあっちこっち転戦して歩いて、終戦はフィリピンだかどこかに居た時に知った、とか。

台湾の高雄からビルマに渡り、後方の兵坦部隊でほぼ毎日仲間の遺体を焼いて遺骨を作ってた…と言う事をチラッと聞いた事がある。
寂しそうな笑顔で、でも必要以上に「戦争の悲惨さ」を誇張したりせず淡々と語っていたよ。

今年で御歳87。
そろそろボケが始まって孫の俺らの顔も分からなくなってるが、苦労した分長生きして欲しい。
106名無し三等兵:2006/08/17(木) 14:34:51 ID:8cDoZQvn
>>104
前の戦争がどれかわからないのだが…
107名無し三等兵:2006/08/17(木) 14:52:18 ID:???
祖父は山形の出身、徴兵で陸軍飛行部隊に入り、ハルピンに行った。
その後、整備学校の上級課程などに進み、整備と操縦の技術を磨いた後
熊谷飛行学校の教官になり、第6・8・10期の少年飛行兵を育てたが
自らの生徒達の戦死の報を聞くにつれ、自らも前線に戻ることを志願。
しかし教官生活が長かったため戦闘部隊では使い物にならないとされて
輸送隊に配属、南方北方を問わず、さまざまな場所に機体を運んだらしい。

最後はベトナムで終戦を迎え、サイゴン郊外での捕虜生活の後、帰国。
元は駆逐艦であったものを改装した帰還船「榛名」に乗って本土に帰ってきた。
榛名といえば戦艦が有名なわけだが、45年7月28日には
米軍機の爆撃で呉港に大破着底していたわけで、もちろん違う艦。
改装された帰還船に船名を委譲(?)するなんてことがあるのかなあと思ったり。
108名無し三等兵:2006/08/17(木) 15:03:26 ID:???
連投すまんですが、もう一個。

祖父の兄の話。志願して航空士官学校の生え抜きで陸軍飛行部隊に配属。
昭和十年(十一年?)には既に大尉だったという。
昭和十九年には明野でキ84部隊を編成し、フィリピンに出征。
レイテ沖に展開していた米艦隊から発進したグラマンの大編隊を
迎撃すべく、隊長自らも出撃したものの行方不明となり戦死扱いとなったらしい。
後に、この祖父の兄の部隊は映画のモデルにもなったというほど
勇敢で苛烈な運命を辿ったということらしいのだが、その映画などの詳細は不明。
祖父は健在だが、あまり戦争の話はしたがらないし、足取りを知る術もないのだが
この大伯父の足跡を調べたいと思っている。
109名無し三等兵:2006/08/17(木) 16:32:56 ID:???
爺さんが中国転戦したが、シナ兵と民間人装ったゲリラの
区別つかないから、殺した中に民間人もいたかもしれない
と言っていた。だけどそれが戦争だから戦争はむごいもんだと。

って書くと馬鹿に在日呼ばわりされんのかな
先祖は日清・日露にも参戦した軍人一家だったんだが
110名無し三等兵:2006/08/17(木) 16:56:32 ID:a0w+3cJl
ジイさんは、終戦を内地の部隊で迎えたが、残務処理で、米軍による武装解除にも立ち会ったとか
米軍は陸軍中尉が来て、武器の引渡しとかを受けたけど
部隊も整然として基地にジープで到着して、凄く規律正しい軍隊だったので
流石アメリカ軍は違うと驚いたらしい 中国戦線にもいたから、中国軍のやりかたとか知っていたので
同じ敵国でもアメリカ軍の整然とした規律ある行動に感心したらしい
所謂「敗戦国」の兵隊にも敬礼してくれたのが感動したらしい
結構「知日派」の将校で、日本のサムライ道とかにも造詣があったらしく
将校で、軍刀とかでもかなり高級なもの持っていてので、武装解除で供出する際に
芸術品のような柄の部分を従軍記念品に持ち帰るのも認めるなど 「日本刀には武士の魂が宿る」など
日本文化とかにもかなり知識もあったので、驚いていた
中国人は、やたら日本人や日本軍をバカして、やたらと騒いで軍国主義とか騒ぐけど
知日派のアメリカ軍人に、「サムライの戦士」とかで、扱われて結構うれしかったらしい
111名無し三等兵:2006/08/17(木) 18:32:57 ID:???
中国軍の将校にも立派な人はいるけど、大半が・・・。
112名無し三等兵:2006/08/17(木) 20:44:01 ID:216Re17E
ジイさんは、船舶関係の通信兵とかやってたらしいけど
戦争中でも部隊に気象観測班とかで中尉がいて、気象予報士みたいなことやってた軍人がいて
毎日の気象予報とかも作戦会議とかの席で、全員の前で報告してたらしいけど
それが全く当たらなかったらしい 会議の席でもエライ人に明日やここ数日の天気予報を
報告してたけど かなりいい加減で、皆ウンザリしてたらしい
天気によって、通信状態も変わるし、部隊の運用なども変更あるけど
特に、台風とかの進路などもいい加減だったらしい
終戦前には、当時の観測拠点の南方の基地もアメリカに占領されてるし、全く台風の情報がつかめないから
予報も出来ないクセに、適当に自分で情報集めて、「天気予報の中尉」ドノの大胆予報は、大ハズレの連続
予報がハズレても、どうのこうの言い訳ばかり それども中尉ドノだから、部隊でも偉そうにしてたそうだ
今でも天気予報のオジサンとかが、出てくるこの話ばかり云うジイさん
113名無し三等兵:2006/08/17(木) 22:37:41 ID:???
ウチの父方のジイさんの話。
直接聞いたことは少なく、多くは親父からの又聞き。
そのため、不確実なところが多いのはご容赦ください。

ジイさんは慶応大学卒業後、逓信省入省。現在のKDDIの前身にあたる
特殊法人に配属される。この逓信省入省には、曽祖父が
東京郵便局長(?)という地位にあったことが関係しているらしい。
日本軍の香港占領とともにジイさんも香港に進出。軍や占領地行政
当局と本国の電信業務を担当する。情報機関の工作活動にも関係していた
らしく、ジイさんが接触した相手が次の日に九龍湾に浮いていてことも
あったとか・・・
戦後はオーストラリアに抑留された後帰国。中央電気通信学園(電電公社
やNTT職員の教育機関)の教官に。
抑留中のことについては「豪州兵は夜になると、酔っ払ってわざと監視塔
から機関銃をブッ放してくる。それを縫って便所に行くのがスリルがあって
いい思い出になってる」と笑って話してました。
そんなジイさんも2002年他界。
結核で片肺を切ってるので、軍隊には行ってません。
長文&スレ汚しですいません。
114名無し三等兵:2006/08/18(金) 00:22:00 ID:4FG+8Dlt
バアさんは、昔の女学校とか卒業してたから、当時はインテリだったらしいけど
女学校の入学試験に、口頭試問と云う面接があったらしいけど
一応良妻賢母を目指す学校だったので、将来の自分の理想像を述べさせる問題もあったらしい
但し、当時の戦時状況から、「軍国の母」を理想とする述べると合格とか云うのが模範解答だったらしく
「卒業したら何を目指すか?」との問いには、「ハイ 満蒙開拓団の花嫁になりたいです」と
答えると「合格」と云うのが、決まり文句だったらしい
実際太平洋戦争も終わりかけた時期の入学だったので、実際「満蒙開拓団の花嫁」には行かなくて済んだらしいけど
卒業生で、「優等生」で、実際当時としては、「理想の楽園」の満州に行った人も多かったらしいけど
やはり悲劇的な終戦だったようだ  
115横須賀航空隊、三等飛曹:2006/08/18(金) 10:09:38 ID:oNPE3l+w
誰か、サイパン守備隊について知ってる人いませんか?彼女の大叔父がそうだったので
116名無し三等兵:2006/08/18(金) 10:23:05 ID:???
>>115
多数の部隊が配備されていました。
まずは検索しましょう。
話はそれからで。
117名無し三等兵:2006/08/18(金) 10:53:20 ID:???
あまり突っ込んで聞いたことはなかったけど、
なんか撤退する自軍の最後尾で、敵が追って来れないように
橋を爆破する役目をしてたらしい。
弾はすごい飛んでくるわ逃げ遅れたら確実に死ぬわでトカゲの尻尾みたいなもんだった
とか言ってた。
あとドラム缶でお風呂に入ってる最中に米軍の戦闘機に襲われて全裸で逃げたとか。
ウソか真かはもう永久に確かめられないけど。
118名無し三等兵:2006/08/18(金) 11:22:02 ID:hMey132l
ジイさんの部隊は、高速輸送部隊だったらしいけど 小舟艇をグループにして、南方の離島などへの輸送作戦を実行しようとしたが
小舟艇に搭載する燃料も不足していたので、訓練では、帰港時には、母艦のような船にロープで曳航されて、燃料節約したらしけど
外海だと、天気は晴れていても、海は大荒れも多く 2〜3隻数珠繋ぎにして、帰港したらしいけど
船は全く木の葉のように揺れて 船の中も大揺れで、船乗りだけど船長以下十数人全員激しい船酔い
やっとの思いで港にたどり着いたけど 曳航されてた、すべての船の大の大人の船乗りが、船内で船酔いでダウン
岸壁に上陸したけど 全員フラフラで意識朦朧として、まともに立てなかったらしい
母艦の人間は、平気な顔してたらしいけど 船乗りでも「悪い船酔い」で死ぬ思いしたらしい
119横須賀航空隊、三等飛曹:2006/08/18(金) 11:56:09 ID:oNPE3l+w
誰か、戦車第九連隊について知ってる人はいませんか?
120横須賀航空隊、三等飛曹:2006/08/18(金) 11:57:21 ID:oNPE3l+w
後、歩兵第百一八連隊も。
121名無し三等兵:2006/08/18(金) 13:25:17 ID:Xint7wpl
>>106

>>104
・西軍相手
・若松場(城?)
・山口県民は敵
というキーワードから明治維新時の戊辰戦争だと思われ。。
「前の戦争」と言っても人それぞれだからねぇ。。。
近衛文麿だっけ?は前の戦争=応仁の乱って話しだし。。。
122名無し三等兵:2006/08/18(金) 14:13:07 ID:???
>119

光人社から「サイパン戦車戦」という文庫本が出てるよ。
戦車第九連隊の生き残りの人の手記だけど、参考になるかも。
123名無し三等兵:2006/08/18(金) 14:28:08 ID:???
大叔父が戦争帰りだったが、残念ながら生前に話を聞けなかった。
一人は戦死、もう一人も復員後人格が一変してしまい、家族ともろくに口を利かなくなってしまった。
東部ニューギニアはとても大変なとこだったようだ。



124名無し三等兵:2006/08/18(金) 14:33:13 ID:OnQ1GYRO
ジイさんは、陸軍の特攻兵器の「震洋」とか云う小型舟艇の部隊にいたらしい
実際には、使用されなかった船だけど ホントは出動準備が出来ていて、特攻用の燃料を積んだ小型タンカーが港に到着して
さあこれからだと瞬間に、なんとそのタンカーに米軍の潜水艦からの雷撃があって
水柱が数本上がり、目の前で撃沈されたそうだ
タンカーの乗組員も海に飛び込んで、逃げるのがやっとと云うくらいの瞬時の出来事で
沖合いから、尾行されて岸壁近くで撃沈され大炎上して、轟沈
正直これで、死ななくて済むと思ったらしい
空は晴天で、海を凪で静かな状態で、まさか目の前の舟が雷撃で沈むとか夢にも思わなかったとか
その撃沈事件で、燃料も供給も不可能となったので作戦中止
もともと「震洋」と云う船自体ベニヤ板で作ったような船で、洋上を高速走行しても船体自体がボロくて、分解しそうな船で
エンジンも高速洋上走行もムリなようなエンジンで、かなりの「机上の空論」の特攻兵器だったらしい
だいたい陸軍が考えて、海上特攻兵器だから、もともとムリがあったようだ
125名無し三等兵:2006/08/18(金) 14:41:33 ID:???
>>121
>前の戦争=応仁の乱

それ、京・烏丸の公家 冷泉(伯爵)じゃなかったっけ?
近衛家は五摂家筆頭だから家格は冷泉家よりも上だけど・・
126名無し三等兵:2006/08/18(金) 15:31:57 ID:???
特攻兵器って言やあ、桜花ってのが有ったと思うが、あれのエンジンの
設計やってた人に熱原動機学教わった。
もう、ん十年の前にかなりのお年だったからとっくに亡くなったろうな。
なむなむ。
127名無し三等兵:2006/08/18(金) 15:40:44 ID:???
>>104
>西軍の農民あがり
>地元じゃ山口県民は敵と言う事になってます。
すぐに長州藩の民兵部隊「奇兵隊」かなと思うたが、奥羽越列藩同盟を素早く脱退し、
西軍に降伏後会津戦に参加した三春藩の「奇兵隊」というオチがあるのかもしれん。用心、用心w

>別の部隊の少年兵は全員切腹し生存者が1名だけだったそうですが
恐らくその生存者は白虎隊の飯沼貞吉氏だな。
だがそれで全員ではなく、他に戦死30名、脱落2名、他所自刃1名おる。

で、貴方>>104の家は士族だったの?それとも百姓かい?
128名無し三等兵:2006/08/18(金) 15:42:31 ID:???
俺の親戚に回天の設計に参加した人がいた。
身内でその話はタブーの中のタブーなんだけど絶対に秘密ということで教えてもらった。
129名無し三等兵:2006/08/18(金) 16:36:24 ID:???
爺ちゃんもう亡くなってんだけど、周りの話とか軍事郵便解読した結果陸軍で満州にいた事が判明。でも疑問が一つ。どの葉書みても配属部隊名が違う。ころころ配属先が変わるなんて事あったのかな?未だ謎だよ。
130名無し三等兵:2006/08/18(金) 16:41:03 ID:???
>>129
俺の爺ちゃんは海軍だったんだけどビルマ戦線にいたりミッドウェー海戦に参加してたんだけど
それを表す手紙とかがないんだよな。軍事機密で身内にも作戦が知れないようにしてたのかな・・・
131名無し三等兵:2006/08/18(金) 19:08:12 ID:a0Qm9DW1
ミッドウェーならパインのエスどころか兵隊下宿のオバハンまでもが知っておった位のもんでの
132名無し三等兵:2006/08/18(金) 19:12:58 ID:WZtfQrCR
>>128
それを2chでカミングアウトしていいのか?
133名無し陛下:2006/08/18(金) 20:26:15 ID:???
とち狂った相対論と敗戦妄想が私をダメにする! もとい、この国をダメにする!

「原爆は敗戦で自らの拠り所(国体思想)を失った日本国民が
狂乱のうちに垣間見た脳内妄想である」

・・・61年目にして初めて明かされる真の史実・・・
国辱の闇・・・原子爆弾投下はなかった・・・
【戦争】1945年8月6日 8時15分 原爆の日【平和】
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news7/1154816285/

論客万来・祈完全燃焼
134名無し三等兵:2006/08/18(金) 20:51:32 ID:???
回天の設計たって機密事項も糞も無いだろw
舵どうり進む魚雷でもなかったんだからw
命中率5パーセント程度でしょ。

映画作ったけどお笑いだよ。全く。
135名無し三等兵:2006/08/18(金) 23:06:35 ID:???
>>124
それは震洋じゃなくて『マルレ(○にレ←秘匿名称が連絡艇だから)』ですね。
ttp://sunsun2.hp.infoseek.co.jp/Photo%20Island/zamami/IMG_1734-w320.jpg
ttp://sunsun2.hp.infoseek.co.jp/Photo%20Island/zamami/IMG_1733-w320.jpg
136名無し三等兵:2006/08/19(土) 14:51:26 ID:GdXeeqMt
>>123

ニューギニアといえば仲間の兵隊を殺してその人肉を食べたところでしょう。人格が変わってもおかしくないですよね。

ゆきゆきて神軍という映画で、そこで戦っていた兵隊さんがでてくるけど、見終わった後に戦争指導者に対して抑えがたい強い怒りがわいてきてどうしようもなかった。。
137名無し三等兵:2006/08/19(土) 18:09:32 ID:GofuOOog
ジイさんの友達は、成績よくて戦前の早稲田大学に入学したけど
結構盛り場とかで、当時の陸軍士官学校とかの学生とケンカして、ボコボコしたとか
但し、戦争激しくなって、繰上げ卒業とかで、軍隊に徴兵されるようになるので
仕返しが怖くのと、最前線送りがコワイから、当時では珍しい車の運転免許を自費で取得
車の免許があるし、高学歴だから、東京の近衛師団勤務の高級将校の官有車の運転手
うまく、前線に行かずに済んだらしいけど
終戦末期に、近衛師団の師団長が、抗戦派の青年将校に斬られた事件もあって大混乱
当時の車の免許取得で命拾いしたらしいけど 
戦後のドサクサでも早稲田卒だけど タクシーの白タクみたいなことやって儲けたらしい
儲けたお金で、早稲田に復学して、大学院まで行って、どこかの大学教授になったらしい
138名無し三等兵:2006/08/19(土) 18:11:24 ID:???
>>136
その『神軍平等兵』さんも、昨年原隊復帰しました。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E5%B4%8E%E8%AC%99%E4%B8%89
139名無し三等兵:2006/08/19(土) 18:35:57 ID:u04MIg9t
俺の爺さん、肺が悪かったから軍属でタンカーに乗ってたんだと、護衛に付いてた軍艦が次から次に沈められてたって
若い兵隊さんが、お母さんーんて言って沈んで行ってたのが悲しかったと言ってたらしい

港に入港したときは凄い歓迎だったらしい
140名無し三等兵:2006/08/19(土) 18:41:46 ID:???
じいちゃんとは生前会ってないんだけど
長門っていう戦艦の乗員で戦後まで生き延びたらしい
ばあちゃんが木箱に入った短剣と勲章をタンスの奥に大切そうに保存してたので
子供の頃に見せてもらったことが一度ある
軍事ヲタでない自分には今でも価値がよく分からんけどね
141名無し三等兵:2006/08/19(土) 20:47:03 ID:???
>>140
長門!
短剣だから、おじいさんは士官じゃないか?
142名無し三等兵:2006/08/19(土) 23:50:32 ID:sh4Lu35b
工作員だらけのスレだな。
工作乙
143名無し三等兵:2006/08/20(日) 00:46:30 ID:wK6DOeX7
うちの爺さんは田舎の大庄屋の跡取りだったんで徴兵検査で「何となく」第二乙。
太平洋戦争開戦の時は役場で会計係(?)をしてたらしい。18年の夏に召集され
たけど、ずーっと国内で訓練なんかしてて比較的のんびりしてたらしい。
それでも沖縄戦が始まる前には、いよいよ沖縄派遣の話が出て本人も覚悟したら
しいけど、輸送船が雷撃されて引き返したり、盲腸になって入院してたりするうち
に、とても沖縄に行けるような状況でなくなり、結局、小田原の部隊へ行くことに。
そこで飛行場の造成工事にかり出されたり、新兵訓練の教官の助手みたいなことを
しているうちに終戦。
最後まで本当の戦争に参加することなく復員。
144名無し三等兵:2006/08/20(日) 01:01:10 ID:L0n+tJZx
うちのジッコは、旧満航で(満州航空)測量機のパイロット
航空輸送機のユンカースには、驚いたと言っている!
今でもユンカースのエンジンを誉めている…あの当時の日本じゃ、真似も出来ないとか…
しかしなぜ、満州にドイツの機体があるんだ?
145名無し三等兵:2006/08/20(日) 01:07:48 ID:???
輸入したからでしょ。
満州飛行機にはフォッカー輸送機とかあったらしいし。
146144:2006/08/20(日) 01:15:38 ID:L0n+tJZx
>>145
ありがとう。
ジッコ寝てるから、明日フォッカーなる機体のこと聴いてみる。

それと桐の箱に、ドイツ製の照準器?も持ってる。
黒のペンキがハゲて汚い奴価値が解らん…
147名無し三等兵:2006/08/20(日) 01:58:16 ID:???
うちの父方の爺様は>>56の人と同じで戦争の事については聴くな触れるなで流石に聞けんのだが
親父が昔一緒に酒飲んでる時にポツリと聞いた話によると
満州で狙撃兵やってたらしい  
やっぱ狙撃兵だから他の兵隊よか人殺した感がダイレクトで強かったんだろうか・・・
復員後実家に帰ったら長男の兄貴が戦争から帰ってこなかったのでお見合い結婚して
さあ家継ぐか!というところに長男がシベリア抑留から帰ってきて結局家督相続は流れたみたい
戦後は鉱山技師みたいなことしてたって聞いたけど細かく聞いたことないから今度聞いてみるかな
脳溢血で倒れちゃって上手く喋れないんで苦労しそうだけど・・・
子供の頃に「おじいさんに戦争の話を聞いて感想文を書きましょう」てな宿題出されたけど上の理由で聞けなんだよ・・・

後大叔父がインパールで自動車整備部隊に居たらしいがやっぱり相当酷かったみたいね
自動車整備部隊に居たお陰で偶々自動車に乗れたから生きて帰ってこれたけど
そうじゃなかったら死んでいたと親父に語ったことがあるらしい

母方は普通に尋常学生だったお陰で食い物がなかったってのと空襲がやばかった
って言う話しか聞いたことがない  あとスゲエ遠い親戚に橘花のテスパイだった人が居るとかどうとか・・・
調べたら苗字は同じなんだけど眉唾な感じなんだよね
148名無し三等兵:2006/08/20(日) 08:57:59 ID:???
>143

なんて香具師だ。
本間様や徳川様でさえ、2等兵でご奉公されらのに。


たしかに、役場の兵事係は召集されんね。
149名無し三等兵:2006/08/20(日) 11:03:28 ID:gEWxAQKr
ジイさんは、朝鮮半島経由で大連に列車で2度行ったらしい
大連では、市内には、所謂「白系ロシア人」も多く 特に若い女性は、美人が多く
中国とは云うけどかなりイメージが変わったらしい
また、現地で日本軍が雇用してた現地人の満州人の作業員どもを監督してたのが、なんと朝鮮人の親方で
日本軍の軍人より、威張り散らしていたとか
イメージ的には、最近テレビのニュースに出てくるピョンヤン放送の男性アナウンサーのような口調
やたら日本やアメリカを批判するコメントとかで、出てくる挑発的なような言動の言い方
当時の満州人の現地人を朝鮮人の現場監督には、ビクビクしていてらしい
今でも、大連とかは、朝鮮人もロシア人も多数住んでるらしいけど
実際、関東軍が軍事的に満州を支配していたけど 民間レベルでは、朝鮮人が満州人を支配していたらしい
終戦後彼らがどうなったか知らないらしいけど 所謂強制連行や強制労働 従軍慰安婦の募集とかは
現地の朝鮮人を使用したのがほとんどだったらしい
150名無し三等兵:2006/08/20(日) 11:29:26 ID:???
>>146
>ドイツ製の照準器?
反射式光像照準器の研究の為、ドイツからRevi 3C を輸入してますからソレでは?
151名無し三等兵:2006/08/20(日) 14:37:52 ID:???
>>149
日本語でOK
152名無し三等兵:2006/08/20(日) 21:04:34 ID:vA3ym8g5
ジイさんは、戦争中陸軍の将校だったらしいけど 陸軍の場合 将校になると軍馬が与えられて
なんと駐屯地との「通勤」に、車ではなく軍馬を引いた兵隊が、宿舎まで出迎えがあったらしい
それも、兵科により工兵などの将校など限定で、若い将校でも軍馬で通勤しかも従卒従えて
歩兵部隊の将校は、出迎え無しで、部隊でも不満があったとか
軍馬でもバカじゃなくて、乗る人を選ぶそうで、相性もあったそうで
やたら部下にやたらと威張るデブの将校なども 結構「ウマが合わず」振り落とされたりとか
馬にも人を見る目もあって、馬の扱いのウマい将校はやはり人気があったらしい
戦後、アメリカ軍が駐屯地に来て一番喜んだのは、馬が沢山いたので、一日中駐屯地の中を競馬場みたいに
走り回って遊んでてたらしい アメリカ軍はジープやトラックばかりの自動車持ってたけど
さすがに、軍馬は使ってなかった カウボーイの本場のアメリカ人だから
日本で馬に乗れたので、大喜びだったらしい
153名無し三等兵:2006/08/20(日) 21:19:33 ID:???
>>152
輜重も将校は乗馬本分ですよw
154名無し三等兵:2006/08/21(月) 01:47:32 ID:JyZ+z5hw
>>149
お前が能書きを垂れてどうして生きていようと、居候である現実は変わらないし、パラサイトであることに何の変わりもない。
同じパラサイトでもニートは、労働者として働くことで問題を解決できるが、お前ら在日は半島に帰ることでしか問題の解決はない。
お前らが子供の頃から違う歴史を教え込まれてる以上、竹島の不法占領へ抗議しても痛くも痒くもあるまい。
お前らが日本海を東海だと主張するのを聞くときの感情と同じだ。
お前はもしかすると優秀で、日本のために役に立つ特技がある人間なのかも知れない。だが、同時に日本にとって極めて有害な思想も併せ持っている。こういう人はいくら優秀でも遠慮したいね。
君たちの存在は、あまり威張れることじゃないんだよ。
在日だってそれは知ってるから、必死になって事実を改竄するし、マスゴミも使って隠蔽工作もする。
お前ら在日や南鮮人を見て思うんだが、どうやら朝鮮半島には話し合いという習慣はなく、ただ理屈もなく大声を出すか、執拗に食い下がるかで主張を通すのが作法のようだな。
えせ愛国と言っているが噴飯ものだよ。えせ愛国に酔って50年以上火病っているのは、どこの民族だっけ?お前ら朝鮮人は周囲の国だけでなく、世界全体からどう思われているか考えてみろよ。
それとも現在進行形の歴史はさっぱりわからないのか?朝鮮人に責任感などないからなぁw
朝鮮人はシナ人と同じで自分のことしか見えない民族体質だから、果たして客観性を獲得できるどうかはバクチだけどなw
ん?政治家になれだって?おっと1本取られたなw
たしかにお前らは宗教団体やら政党やら作って国会で堂々と電波飛ばしてるからなぁ。それも外国で。この図々しさは見習わないとな。
1世代前までの日本人は、本当に温厚で大人しい人が多いけど、素直で博愛主義的性格を持つ人が多いだけに悪党の企みに乗せられて、すぐに騙されてしまう。
今の日本人は、そんなにいいヤツじゃないぜ、お前らが加減を知らずにのさばるせいで、対処法を学んじまった。
南鮮には奪還の日が来るまで、せいぜい竹島を綺麗に磨いておけと言いたい。
155名無し三等兵:2006/08/21(月) 01:53:23 ID:???
>>154
縦読みできないのはなぜ?
156名無し三等兵:2006/08/21(月) 02:18:07 ID:???
>>154
おまいを、映画【馬鹿が来た】の主役に抜擢する。
157名無し三等兵:2006/08/21(月) 07:15:57 ID:???
>>154
「お前俺のケツの穴でションベンしろ。」
まで読んだ。
158名無し三等兵:2006/08/21(月) 11:08:42 ID:???
>152
将校は自弁が基本だったと思うけど、軍が競走馬くずれの
安かろう悪かろうな馬をタダ同然に与えてたって事だろうか

馬にこだわる人は私費を投じてヨーロッパから乗用馬を輸入
したりしていたそうだが
159名無し三等兵:2006/08/21(月) 15:45:22 ID:???
華族の将校とか?
160名無し三等兵:2006/08/21(月) 15:48:52 ID:3iQqMamg
俺のじいさんは広島にいて、急病で田舎に帰った次の日くらいに原爆投下。
ぎりぎり死ななかったというのを聞いた。
161名無し三等兵:2006/08/21(月) 16:52:33 ID:???
>>124
うちの親戚が子供の頃までは、壕の中にそのまま残っていたって聞いた事がある。
162名無し三等兵:2006/08/21(月) 17:04:41 ID:X9zaTmhQ
バアさんの知り合いの数人は、原爆投下後の9月ごろの広島市に、役所の指示で、救援物資を持って1週間くらい
行って、帰って来てから、体調壊して、死んでしまった
当時の残留放射能でやられたらしいけど 当時は過労か伝染病にやられた位の認識だったとか
あんまり救援に行った人間が急死したので、派遣中止になったらしい
放射能が怖くて、以来広島名物の牡蠣やらお好み焼き もみじ焼きも食べられない
広島市内など地下には高濃度の残留放射能が沈殿してるらしいけど
タブーらしい たしか役所が調査したらしいけど今でも「極秘」扱いらしい
163名無し三等兵:2006/08/21(月) 17:58:38 ID:???
広島のフォールアウトによる残留放射能はゼロではないけど
今では精密な機器でようやっと検出されるレベルまで下がってる
ぶっちゃけ、チェルノブイリや核実験で世界中に撒き散らされた方が遙かに多い
多分>>162のお祖母さんの友達は井戸水を飲んだりしたことによる内部被曝だろうね
高濃度の云々ってのはよくある噂だけど、都市伝説に過ぎない
原爆による一番長期に渡る健康被害は
>>162のお祖母さんのような精神的なショックかも知れない・・・

詳しくはこのへん参照で
ttp://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/qa_a48.htm
164名無し三等兵:2006/08/21(月) 18:11:23 ID:???
だいたい、そんなホイホイ出てくる「極秘」があるかよ。
165名無し三等兵:2006/08/21(月) 18:27:30 ID:???
「機密」以外なら、結構出てるかな。

秘密→極秘→機密

秘密レベルなら関係者や、その家族・友人なら充分知りうる情報だからね。
極秘も秘密をもっと、狭めた情報だから、家族や友人は聞くことが可能。
166名無し三等兵:2006/08/21(月) 18:54:20 ID:???
ちなみに被爆直後にはホットスポットと呼ばれる放射線量が多い区域がいくつかあった
雨が溜まりやすい場所とかにフォールアウトが溜まってたんだな
それが噂になってそんな都市伝説ができたのかも知れない
167名無し三等兵:2006/08/21(月) 19:18:03 ID:???
確か長崎では『燃え残り』のプルトニウムがそのまま降下した場所があったんじゃなかったっけ
168名無し三等兵:2006/08/21(月) 21:23:04 ID:???
秘密レベルが家族友人なら知りえるって状況、まずいんじゃないの?
169名無し三等兵:2006/08/21(月) 23:31:59 ID:???
俺のじいちゃんは青森に住んでんだけど、学生時代田んぼを友達と歩いてるとグラマンが銃撃を加えてくるんだけど、かなりヘタだったそうだWW
170名無し三等兵:2006/08/22(火) 04:07:26 ID:???
うちの祖母さんは工業地帯に住んでたんだが
やはり機銃掃射を受けて九死に一生を得たそうだ
形まではっきり覚えてるそうで、それによるとF4Uコルセアらしい
パイロットの顔が見えるくらい低空だったそうな

女子供も普通に狙ったんだな…
171名無し三等兵:2006/08/22(火) 07:06:30 ID:???
>>170
「ヒャッハー!やっぱ戦争はじg(以下略
172名無し三等兵:2006/08/22(火) 09:48:23 ID:???
>>168
実は秘密はそんなに、大したものじゃないかと。
自衛隊の例だと、秘密レベルは弾薬庫がどこにあるとか、隊舎内の武器庫が、
どこにあるとか、連隊長室がどうとかのだから、一般隊員だったらほぼ知ってる情報。
海自だと、水上艦の艦内とかも、秘密に入る。(一応、公開はされてるけどね)
あと訓練内容や教本類も該当するかな。

極秘は、一部の尉官や佐官級や、専門職に就いてる人達。(曹士でも、その職種に配置されてたら、知ってる)
レーダーやら、戦術級の航空図やら、方面隊の燃料弾薬の備蓄量など。

機密は、国家レベルだから、首相とか将、佐官、ほんの一部の人しか、知らない情報。

役所もちゃんと、等級で別けられてるかな、でもいい加減だった……。
173名無し三等兵:2006/08/22(火) 10:56:37 ID:lqYFsf2z
>>155-157 何時までも日本を戦犯呼ばわりして楽しいのかなー?
韓国人は貧困でもないくせに教養の無い奴が多過ぎる
竹島は歴史的にも国際法上も日本の領土って知ってんのかなー?
それでも日本は漁場わけてやってんのに知ってんのかなー?
韓国人が世界で一番嫌われてる人種って知ってんのかなー?
韓国人がどれだけ非常識か知ってんのかなー?
日本で強姦とかしてる野郎は殺していいから
クソ在日日本で通名とか使うんじゃねえ、ありゃ偽名だろーが
しかも在日はあれだけ日本に優遇されていながら選挙権よこせだと?
虫のいい野郎共だなー
そのくせに友好宣言だと?
日本が嫌いなら帰れよ?馬鹿な強姦魔共、いつまでも我侭言ってんじゃねえよ
外国に住んだら普通はその国の為に努めるもんだ
キムチ食い過ぎなんじゃねーの?
脳波調べたらα波より興奮を示すβ波が強いはず
あのなあ在日共は日本でどんだけ優遇されてると思ってんだ?
責任と権利は表裏一体って言葉知ってるか?
因みに余談だが自衛隊の軍事力は朝鮮軍じゃ歯が立ちません
アメリカからF22ラプターが日本に来る予定です、
F22ラプター一機で韓国の戦闘機5機を相手にしても負けないと言われている
韓国は喉から手が出るほど欲しがっているが嫌われているので買えません
韓国はイージス艦も欲しがってるけど国家予算が東京都程度しか無いので買えません
おまけに君らの国は何時までも日本の過去を批判しているけど日本はとっくに
認めて謝罪している。韓国は戦後の日本に何度も救われた節さえある
事実君らの国は日本の経済支援によってGDP11に上り詰めた
アメリカに原爆を落とされた日本や他の国々は、自分の国を領有した国等に対して
韓国の様に賠償請求したりなどしない。
君のように減らず口は叩かないのだよ。
残念だねキムチ君。

あーあキムチ相手にが頑張っちったぜ
174名無し三等兵:2006/08/22(火) 14:04:20 ID:3siyR2e0
>>173を全面支援

http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea1.html
これ嫁 チョン公 チャンコロ共 
175名無し三等兵:2006/08/22(火) 15:48:19 ID:???
>>173
なかなか日本語がお上手ですが

>キムチ相手にが

にが?これは何処の言葉ですか?
176名無し三等兵:2006/08/22(火) 18:38:36 ID:???
>>173
『何時までも何所までもは阿乱霊の名著』まで読んだ。
177名無し三等兵:2006/08/22(火) 21:01:20 ID:???
>178

適当な秘密文書らしいのでっち上げてNYで流してみたらいいよ。

もちろん書きかけの妄想小説のプロット資料だけど。
178名無し三等兵:2006/08/22(火) 21:24:19 ID:???
>>177
    ⊂_ヽ、
      .\\  /⌒\
         \ ( 冫、)ウンチになぁれ
          > ` ⌒ヽ
         /    へ \
        /    /   \\
        レ  ノ     ヽ_つ
        /  /         ・*.・:
       /  /|          :。 *.・
       ( ( 、           ★。:’*
       |  |、 \        。・.*・; ・
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179名無し三等兵:2006/08/22(火) 21:28:38 ID:???
>>177
それ何てヴォイニッチ写本?
180名無し三等兵:2006/08/22(火) 22:33:25 ID:???
嫁の祖父は元関東軍でシベリアに抑留されて帰還した
拘束される前はソ連軍に対して、銃一丁で戦車に立ち向かって行ったらしい
同じ隊の人は軍刀でソ連兵を二人斬り殺したそうな
シベリアでの抑留生活は悲惨なもので、栄養失調、凍死、虐待で多くの同胞を亡くしたそうだ
支那に中国人から徴収した莫大な財宝を関東軍だけで埋めたそうだが、今でも埋まってるのだろうか…?
ちなみに場所までは曖昧だが覚えてるそうだ
181名無し三等兵:2006/08/22(火) 23:19:11 ID:???
>>180
それ何て川口浩探検隊?
182名無し三等兵:2006/08/23(水) 02:06:39 ID:???
俺のお爺ちゃんは海軍の兵学校に行ったそうなんだが、時既に遅し
乗る船が無くて高射砲陣地で勤務して終戦を迎えたらしいんだけど
日本に海軍兵学校っていくつあったの?
183名無し三等兵:2006/08/23(水) 03:10:06 ID:uj0iRuDp
もう死んだじいちゃんだけどビルマでイギリス軍と戦って騎乗中に撃たれたんだって
そのおかげでインドまで行かずにすんだらしい
そのじいちゃんの軍はほとんど全滅したらしい
184名無し三等兵:2006/08/23(水) 03:26:43 ID:b5+aGyNX
子供の頃お盆になると、じいさんの戦友仲間の飲み会していたっけ。
ここから弾が入ってこっちから抜けたとか自慢しあっていた、生きて帰って来た爺さんは強い人達だと思った。
185名無し三等兵:2006/08/23(水) 05:37:17 ID:???
>>162
だから広島にはヤクザとかキチガイが多いのか
186名無し三等兵:2006/08/23(水) 06:02:38 ID:???
>>185ちゃんパソコン触ったら駄目よ〜お具合悪くなるからね〜。
187名無し三等兵:2006/08/23(水) 07:00:57 ID:???
>>182
江田島に本校、岩国と舞鶴に分校
188名無し三等兵:2006/08/23(水) 07:56:03 ID:eEq870C8
>>187 針尾にもあったお。
189182:2006/08/23(水) 08:11:00 ID:???
なるほど、江田島、岩国、舞鶴、針尾か。
ありがとう。俺のじっちゃん結構遠くにいったんだな・・・・・・。
190名無し三等兵:2006/08/23(水) 16:35:11 ID:FDWYIE9G
>>173を叩いてるやつは世間知らずの低脳だな。w >>173こそが、普通の日本人だよ。
相手の行動に対して、相手の行動以上には反応をすることのない、迎合だとか調和だと
かの言葉に形容される対象となる相手に対して一方的に横暴なことをすることの無い、
典型的日本人そのものじゃないか。「?」と思うだろ。それはおまいらが朝鮮に対して
の認識知識が浅すぎるから。w 上記のように朝鮮が日本にしていることに対して、公
平に一方的にならないレベルで対抗しているに過ぎないんだよ。それほど朝鮮は腐って
るってことだよ。
191名無し三等兵:2006/08/23(水) 17:00:23 ID:???
いや、普通の日本人ならスレ違いって言葉の意味を理解しているはずだから、普通じゃないよ。
192名無し三等兵:2006/08/23(水) 17:12:34 ID:???
>>190
そもそも、>>149の文をよく読めば、満州で朝鮮人が酷かったって内容なのに、
>>154>>149を在日認定して長文で煽ってるから>>155-157は叩いてるんだよ。
そして既に話題が流れているというのに、わざわざ>>173で長文で蒸し返しているから叩かれたんだよ。
長文で煽るったり、蒸し返す時間があったら、もう一度ちゃんとレスを読み返せば良いのに。
193名無し三等兵:2006/08/23(水) 17:29:33 ID:iJWLkI7c
>>190
全般的に日本語の使い方がおかしいですよ。
日本の掲示板を荒らすにはもっと勉強が必要ですよ。小皇帝陛下。
194名無し三等兵:2006/08/23(水) 18:34:19 ID:FDWYIE9G
>>192
>日本軍の軍人より、威張り散らしていたとか
>所謂強制連行や強制労働 従軍慰安婦の募集とかは
>現地の朝鮮人を使用したのがほとんどだったらしい

自分らの感覚でモノを言うなっと。
鮮人は自分達の判断で出稼ぎに来た。

>>193
もう少しで、建国記念日だねw帰らなくていいのか?
195名無し三等兵:2006/08/23(水) 20:24:15 ID:???
>>194
>>149さんが書いている、
『あたらしく植民地化した地域を効率良く支配する為に、既に先に植民地化が完了している地域の被支配下民を中間管理に使う』
というのは良くある手法です。
(もちろん、半島の方々は徴募に自発的に応じているとは思いますが)
196名無し三等兵:2006/08/23(水) 21:02:17 ID:queO+84f
ジイさんは、真珠湾攻撃の直前の関東軍の大演習に参加して、満州にいたらしい
ソ連軍を想定した大演習をやった直後の真珠湾攻撃の大本営発表聞いて、驚いたらしい
戦後いろいろな人が戦記を書いてるけど 当時満州での大演習参加してた人間も多かったらしく
みな驚いたと当時の感想を述べているようだ
実際当時の参加部隊内部でもなんでアメリカと戦争するのかとかなりの異論が出て
将校だったジイさんでも、部下に説明するのに苦労したらしい
海軍が飛行機で敵陣に空爆したのは、重慶爆撃とか上海事変とか、中国でもやっていたけど
すでにドロ沼化していた中国戦線と太平洋との二正面作戦には、現場の部隊でも異論続出
中国戦線でも毎日のように戦死者も出ていたけど
太平洋戦線だとやれ名誉の戦死や二階級特進などで、特別待遇
新聞でも中国戦線での戦闘は小競り合い程度と報道してたようだ
実際ゲリラ戦が多く 散発的な戦闘が多かったらしいけど 戦死者は毎日出ていたが
全く報道されず 日本に帰国してもまだあちらでは戦争やってるんですか?云われてショックだったとか
むしろ中国だと、中国軍機の空襲が無くて平和でいいねえとか云われたらしい
197名無し三等兵:2006/08/23(水) 21:25:47 ID:L37OLRQx
>>195
うちのじいさんも満州で募集活動やってたらしい

ただ給与、待遇は実際より多少誇張してたこともあるからこの点では

厳密に言えば騙したと言えないこともないかも、まあハロワの求人とかで

でもありがちなことだけどwwww

でも強制はしてなかったし、約束と違うぞゴルァ!っていうような奴は

どーせ役に立たないからとっとと帰してたって。
198名無し三等兵:2006/08/23(水) 21:39:51 ID:???
>>197
>ハロワの求人とかででもありがちなこと
伊勢キリコ噴いた
199名無し三等兵:2006/08/23(水) 21:54:25 ID:L37OLRQx
>>198
あっ、としあき!?一緒にふたばに帰ろう、としあきぃー!!(ビルマの竪琴風)



ごめんスレ違いだな、もうやめます
200名無し三等兵:2006/08/23(水) 22:43:22 ID:???
俺の母方のじいさんは輸送船の機関士をやっていて
軍属として戦争に参加、18年頃だかにパラオ近海で輸送船が撃沈されて死んだ。
今となっては名前と顔しか知らない。
でも、臆せず頑張ったであろう祖父を想像すると誇りに思う。

歴史の片隅にも残らないことだしみんなにはどうでも良い話かも知らんが
せめてここでだけでもじいさんの自慢をさせてくれ・・・

ちなみに、典型的な昔の船乗りで
飲む・打つ・買うの三拍子ですごかったらしい。
今で言う所謂DQNなのかも知らんが、いつ死ぬか分からない仕事をしていた
男は刹那的になってしまうのかも知れない・・・。合掌
201名無し三等兵:2006/08/23(水) 23:49:51 ID:???
民間の船員さんたちも大変でしたよね。
合掌します。
202名無し三等兵:2006/08/24(木) 00:32:57 ID:???
父方じーさん
昭和2年(1927年)生まれ
小田原で飛行機の訓練学校に通いながら組み立て工場で働いてたらしい
もしかしたら>>143のじーさまと面識あるかもw
終戦時は横須賀の飛行場で訓練兵をしていたそうだ
終戦が後3ヶ月遅かったら特攻隊で氏んでたたろーなと笑ってたよw
兄弟については一切不明、ひいじいさんの連れ子らしく本人すらわからないとか( ; ゚Д゚)
戦後:陸上自衛隊、退職時3佐?
(本人から直接聞いていないが、ジーさんの知り合いが3佐と呼んでたのでおそらく・・)
ミグ25亡命事件の時は大混乱でどーしていいかわからなかったとかw

母方じーさん
昭和3年(1928年)生まれ
争いごとが大嫌いで当時から戦争反対だった模様(もちろん言葉には出来なかったと思うが)
戦争の話は一切しようとしないし、聞いても答えないのでばーさんや叔父、オカンからの情報によると
田舎で憲兵見習いみたいなことをしていたらしい
6人兄弟の末っ子で兄4人は戦死(一番上は日中戦争、以下フィリピン、ガダルカナル、硫黄島との情報あり)
すぐ上の姉は空襲?病気?(肺結核?)で終結直前に死んだらしい
戦後:ひいじいさんの後を継ぎ、農家、しかし跡継ぎ不在
203名無し三等兵:2006/08/24(木) 00:45:42 ID:???
204名無し三等兵:2006/08/24(木) 00:49:48 ID:???
父方の爺さんは大正13年生まれ。昭和19年に徴兵されて、南京へ。
15瑠付きのぺーぺーだったらしい。

映画によく出てくる手回し式の電話機持って走り回るそうな。

イタズラで、苦力の中国人に電話線の端を持たせて
手回し電話のハンドルを思い切り回した事はあるらしい。

結構な起電力があるんで、端を持つ奴は大抵飛び上がるくらい
びっくりするとか。
205名無し三等兵:2006/08/24(木) 01:48:36 ID:2HI8hOBk
ジイさんが、戦後アメリカ軍が来て驚いたのは、黒人兵のゴツイの見てビックリ
婦人部隊と云うが来てたけど、日本ではせいぜい従軍看護婦か女子挺身隊だったので
女性が軍服着て、しかも将校いたので、二度ビックリ
今で云うキャリアウーマンの女性将校で、男の兵隊を部下にして、敬礼されてたの見て
日本が負けたのもよく分かったとか 後方支援の部隊でも女性が大活躍
あとは、警備用に連れて来た警備犬のシェパード犬のペットフードに
牛の生肉喰わせていたのに、ビックリしたらしい
日本人でも喰えない時代に、警備犬に牛肉の生肉喰わせていた米軍の食い物事情
米軍のレーションとかの個人用戦闘糧食などは、ものスゴク旨かったらしい 
日本兵の乾パンなど犬も喰わない代物だったようだ
206名無し三等兵:2006/08/24(木) 03:43:02 ID:???
米をたらふく食わせてれば勝てたはず
207名無し三等兵:2006/08/24(木) 10:32:00 ID:???
在日の40%の生活保護者所帯への援助は年間一所帯600万円。
年計2兆3千億円が在日朝鮮人の生活保護費になっている。

ちなみに民潭の統計調査によると在日朝鮮人約64万人中、
約46万人が『無職』である。

割合でいうと、総数 636,548人中、無職 462,611人なので、
462611÷636548×100=72.67%
208名無し三等兵:2006/08/24(木) 11:56:26 ID:???
日本悪いからたくさん払いなさい 
209名無し三等兵:2006/08/24(木) 12:19:03 ID:???
>>205
うちの大正生まれのばあちゃん、戦後すぐに、近所の獣医からいい犬がいると
シェパードをなかば押し付けられた。
本当に賢くて良い犬で、
東京で、物のない時代に、その犬に牛肉の生肉を食べさせるために苦労したそうだ。
「人間が食べられない時代に犬に肉ですか」とよそのひとには驚かれたと言っていた。
犬を押し付けた獣医は、毎日、ばあちゃんちに寄っては、
その犬をかわいがっていた。
要は、じぶんのところで餌を世話できなかったから、
ばあちゃんにあげたんだろうな。

でも、そのシェパードは、ちょっと目を離した隙に、庭から前の大道路にでて、
進駐軍のジープにはねられて死んだ。
ばあちゃんも泣いたし、獣医も泣いたし、
はねた進駐軍の軍人も申し訳なさそうにしていたそうだ。
210名無し三等兵:2006/08/24(木) 12:23:18 ID:???
↑ここまでが、ばあちゃんによく聞かされている話。

今、ふと考えたら、もしかしたら、そのシェパードは軍犬予備軍だったのかな。
あの時代に、シェパードがいるところはそうないだろうし。
終戦で用済みになったところを、獣医がもらってきたのかもしれないな。
211名無し三等兵:2006/08/24(木) 12:33:03 ID:???
皆さん具体的に戦争体験が聞けて羨ましい。
私の祖父は既に亡くなっており、もう語る口も無い状況です。
祖父が語る機会は何度もあったと思うのですが、ついに詳しい事は何も明かさないままでした。
ただ僅かに戦争に触れた祖父の言葉は、「部隊では私以外は殆ど死んだ」ということと、
「戦争はするな」ということの二点のみです。
祖父の軍人時代のアルバムやいくつか残っている賞状や勲章から、語るに値することは
きっと多かったはず。
夏になり盆が来るたびに生前もっと聞いておけば良かったと思い後悔します。
212名無し三等兵:2006/08/24(木) 14:46:09 ID:???
うちの祖父も支那戦線に行ったはずだが、ほとんどその話はしてくれなかった
母が子供の頃に、斬首した中国人(便衣兵だと思う)の写真を見せられたらしいが
孫の俺らには何も語ってくれなかった
ちょっと意地悪で、大酒飲みの大らかな爺さんだった

火葬したら、骨の中から銃弾が出てきた
213名無し三等兵:2006/08/24(木) 14:50:50 ID:???
まあ、忘れたいのに求めに応じて話していると、話しの最中に深く埋めといたはずの記憶が蘇っちゃうからな。
214名無し三等兵:2006/08/24(木) 18:22:06 ID:???
私の祖父ではないが、知人のお父様が支那戦線へ。
家柄が良かったので階級的にも上の方で、馬にまたがり、中国人を切り
まくっていたらしい。
戦後間もない頃は戦友が自宅に集まってそういう話で盛り上がっていた
との事。

しかし、近年になってその話を改めてたずねると、「そんな事は言った
覚えはない」と呆けたふりをするそうだ。
やはり罪悪感があるのだろう。
この話は孫には伝わっていないのでは?、と勝手に推察する。
215名無し三等兵:2006/08/24(木) 19:10:15 ID:MAJuMObF
ジイさんは戦争中各地を転戦したけど 内地で終戦迎えたけど 独身だった
戦後は色々転職したらしいけど 喰うのがやっとで、両親と弟を養うのでやっと
ジイさん曰く戦時中に同じ年代の人間で結婚して子供作ってた人間の所謂「中国残留孤児」
には、凄くアタマに来てた あの時期に、戦争やってて、空襲もあったし、食い物も無かったし、友達が戦死したりとか
戦時中に、SEXして子供作って連中の生活態度のだらしなさが、子供を不幸させてたと云ってた
確かに、産めよ増やせよで、産児を促進してたけど あまりにも親として無責任だと云ってた
あんな時代にSEXして、子供作って連中は、当時でも変わり者扱いされていたらしい
216名無し三等兵:2006/08/24(木) 19:19:31 ID:mmdx4aH7
若い人たちにお願いしたい、
   暗く深い海の底で、
   遠い南の島のジヤングルの奥で、
   大陸の乾いた土の下で、
   さらに日本の各地で、
祖国の永遠の平和を願い犠牲となった人々のこころを、いつまでも忘れないでくれと
217名無し三等兵:2006/08/24(木) 19:27:53 ID:???
祖父は上等兵だったらしく、
一度だけ、満州国の実権を握っていた人にお茶を入れたらしい、
その時、
「そろそろ始まったかな、本川(仮名)上等兵、ラジオの電源を入れなさい。」
そして電源を入れたら、大東亜戦争が始まった事が伝えられたそうだ。。。
218名無し三等兵:2006/08/24(木) 19:36:56 ID:???
>>217
板垣?
219名無し三等兵:2006/08/24(木) 20:44:49 ID:???
>>218
板垣 征四郎
かな、今度祖父に聞いてみる。。。
220名無し三等兵:2006/08/24(木) 22:01:19 ID:???
ここ読んで思い出した、数年前に母から聞いた話。
戦争体験、とは違うけど…

爺さまは終戦後も軍刀ずーっと隠し持ってたらしい。
母も見たことあるそうだ。
ドサクサにまぎれて持ち帰ったみたいよ、って。そんなもんか?
んで、今もあるの?って聞いたらシラネ、小屋にあるんじゃね?って。
あの読書家で穏やかな爺さまが、と思うと何だかなぁ…
でも気になる、まだあるのかな…
221名無し三等兵:2006/08/24(木) 23:46:41 ID:???
じいちゃんと親戚のオッサン、
支那事変の時から終戦まで
約10年大陸にいたみたい。
小学校卒業後、陸軍に志願。
じいちゃんは憲兵隊長だった
みたいで、部下約20人と写っ
た物や、南京憲兵隊本部と書
かれた看板が写った写真もある。訳ありだと思うけど、
写真の半分が切られた物や
無検閲の物がほどんど。
そんなじいちゃんは俺が生ま
れる少し前にあの世へ。

今生きていたら100歳ぐらいかな。

222名無し三等兵:2006/08/25(金) 00:02:32 ID:xg/qlBqV
>>217

甘粕正彦
223名無し三等兵:2006/08/25(金) 00:41:57 ID:???
おじいちゃんは、インパール作戦で孤立してしまい・・
ビルマに潜伏して後に連合軍の捕虜に。

当時日本軍は、連合軍は捕虜をとらない。なぶり殺しにされると言われていたけど
将校だったおじいちゃんは節度のある扱いだったとの事。

陽気な人だったらしいけど・・復員後は、人が変わったように寡黙に。
普通に自分の墓があったらしい。
224名無し三等兵:2006/08/25(金) 04:51:32 ID:???
陸軍少尉殿だった爺さんは、伝家の銘刀長船を軍刀にして出征した
九州の通信隊で電信をやってたが、いよいよ沖縄に投入されるというところで
輸送船も油もなくなり、運良く戦場に送られることもないまま終戦を迎えた

GHQが刀を没収すると言うんで下宿?の天井裏に軍刀を隠したが、
戦後になって探しに行っても見つからなかったそうな
225名無し三等兵:2006/08/25(金) 06:00:37 ID:???
>>222サンクス、

祖父の他のメモによると、
1945年8月7日、祖父がいた羅進ってとこに、
ソ連が爆撃を開始したらしい、
家の数メートル近くに爆撃機が不時着して
米国ではなくてソ連という事が分かったそうだ、
でも祖父はこれをチャンスだと思い、
居なくなった家の食料を貰ったりしていた。。。
それで数日後、ソ連軍が「ウラーウラー」と言いながら、
攻めて来たらしい
226名無し三等兵:2006/08/25(金) 08:06:34 ID:???
>>220
10年くらい前に曾じいさまの家を解体した。
天井裏から軍刀がごっそりでてきた。
警察に届けました。短銃がでてこないでよかったよ。
227名無し三等兵:2006/08/25(金) 08:40:29 ID:MXfeARTI
今でもある家には銃がありそうだな
228名無し三等兵:2006/08/25(金) 09:50:29 ID:vA28Qg6p
ジイさんは、陸軍の将校だったらしいけど 軍隊時代の記念品は、軍刀の柄の部分と愛用の双眼鏡となんと軍用毛布
柄の部分は、机の上のペーパーウエイトとして置物
双眼鏡は故障してるのか、ピントも合わず使えない
軍用毛布は昭和20年と書かれてあって、温室の中のカバーとしてつい最近まであった
ジイさんが云うところによると、兵隊などは、当時「官給品」と云う配給で衣食住は足りていたけど
将校は、ある程度のものは、私費購入で結構カネがかかったらしい
若手の将校の中でも地方の金持ちの子供などは、軍刀などは家宝の軍刀などを持参
軍用の防寒コートなどは、スゴイ高価だったらしい 軍仕様の仕立屋もあり
軍帽から、足許のブーツなども自前で、兵隊より高級品だったけどかなりのもの入り
吸うタバコも配給はあったけど 将校用 下士官 兵隊とある程度ブランド品目も違っていたらしい
終戦後ヤミ市とかでも軍用品が大量で出回り、仕立のいい将校用のコートとか
軍用ズボンも大量に出回り、街中でも条件反射で高級将校のような格好の兵隊上がりのチンピラが闊歩
昔の階級章つきのまま服とかも出ていて、街中でもついつい敬礼しそうになったらしい
229名無し三等兵:2006/08/25(金) 11:31:05 ID:???
>214
>馬にまたがり、中国人を切りまくっていたらしい。 ・・・誤

馬にまたがり、中国の兵を切りまくっていたらしい。 ・・・正

この様に悪意を感じて話さなくなるのでしょう。
230名無し三等兵:2006/08/25(金) 12:06:12 ID:MKF5OfrW
うちの爺さん元通信兵  今でもたまにふざけて指でモールス信号たたいとる笑笑
231名無し三等兵:2006/08/25(金) 12:11:20 ID:???
うちの爺さんももうちょっと若い頃はやってたな

>>229
そもそも「馬に乗って斬りまくった」ってのはホラだろ
百人斬り騒動とか見たら法螺話もしたくなくなるわな
232名無し三等兵:2006/08/25(金) 12:43:31 ID:???
>>231
だな。
普通は杭に縛り付けたり、ひざまずかせるだろうしな。
でなければ、超レアな乗馬突撃の戦闘に、参加したときの話かもしれん。

近所の、おじいちゃんも海軍の通信兵で、暇な時にモールス信号叩いてるw
233名無し三等兵:2006/08/25(金) 12:49:55 ID:MXfeARTI
俺のじーちゃんてばた信号のやりかた知ってるぞ
234名無し三等兵:2006/08/25(金) 12:56:06 ID:???
俺のじーちゃんは父方も母方も南方で戦死したよ
235名無し三等兵:2006/08/25(金) 13:09:05 ID:j1Z9gwJC
俺の死んだじーちゃんは、天津で軍用犬の訓練をしてた。
あと、ともだちのじーちゃんは、戦艦大和が完成したときのまつりかなんかで、
大和の中に入れるようになってたらしいけど、そんときに大和の部品壊してもってかえったらしい。
236名無し三等兵:2006/08/25(金) 13:35:39 ID:???
>230
昔、NHKのラジオで、通信兵とその助手(?)の夫婦の話を聞いたな。
二人ともモールス使えるから、客が来た時とかに指先で

「コイツニハ ウマイサケ ダスナ」

とか命令を送れて、便利便利wwwwwとか言ってた。
指先ならクレヨンしんちゃんの本屋みたいに目立たないしな。
237名無し三等兵:2006/08/25(金) 14:50:26 ID:71fwdn2q
【父方の祖父】
中国へ出兵。写真が残っていてお寺をバックに「〜のべ部隊」みたいな板が写ってた。
それ以外はちょっと不明。
【父方の祖母の弟1】
近衛兵。
【父方の祖母の弟2】
戦艦武蔵の乗組員。今も健在。
直接聞いたわけではないが、武蔵が沈められた後、駆逐艦に助けられたものの、その駆逐艦もまた沈められと大変だったらしい。
【母方の祖父】
小田原の軍需工場で働く。(部品がドイツ語だったようで覚えるのがちょっと大変だったと)
その後フィリピンで電信兵。
途中13人で山に入り、最後は一人になってしまったとか。
毒キノコでイカれた人が多かったらしい。
ドラム缶でオオトカゲを煮て食べたと言っていた。
最後捕虜になり、九州の港に帰って来る。桜島が見えてみんな声を上げて喜んだそうだ。
電車で広島を通ったけど、まだ原爆とハッキリした事が分からなかったけど、何にもなくてどうしたもんかと思っていたと。
マラリアにもかかっていたようでしばらく高熱の日々が続いたらしい。
【母方の祖父の兄】
佐倉57連隊でレイテに行き戦死。
【母方の祖父の兄】
中国、満州に出兵。車の整備ができたとかで主にそっちの仕事を主にしてたらしい。引き上げの時、途中の品川で幼い娘を亡くす。
【母方の祖母】
挺身隊か慰問団かの選択肢から慰問団へ。
盧溝橋事件の劇などをやって病院などを回ったらしい。


長文スマソ。
こうしてみると今生きているお年寄りはそれぞれ大変な時代を乗り越えてきたんだとホント実感。。。
238名無し三等兵:2006/08/25(金) 15:03:13 ID:???
>>237
漏れの祖父母は、
【父方の祖父】
原爆落とされる前に偵察に来たB−29から
落とされた銀色の紙を拾ったそうだ。。。
【母方の祖父】
上でも話したように、羅津で上等兵として働いていた。。。
【母方の祖父の父】
船乗りだったらしい、船は独逸軍に沈められたが助けて貰ったそうで、
「独逸は紳士だ」と言ったらしい、
目島に慶尚南道蔚山郡温山面尋常小学校を建てたらしい。。。
【父方の祖母】
大阪に住んでいて、アメリカ軍の爆撃で家を焼かれたらしい。。。
【母方の祖母】
不明

>>237
が言うとうりに、大変だったらしい。。。
(らしい、ばかりでスマソ・・・)
239名無し三等兵:2006/08/25(金) 15:44:37 ID:71fwdn2q
>>238

うちの場合
【父方の祖母】
不明
↑今度聞いてみる。

確かに実際経験したり目撃した訳じゃないしな。らしいらしいになちゃうな。
240名無し三等兵:2006/08/25(金) 15:54:00 ID:M62amrbV
色々なエンジンで検索してみたけど、横須賀の海軍工機学校の記述が少ない…。
241名無し三等兵:2006/08/25(金) 16:16:39 ID:7Ipdd0/m
太平洋戦争に行った人は近親者ではいない
父方は重機の工場を経営、母方は学校の先生で双方徴兵されなかった

母方の曽祖父は海軍特務中尉で水兵の時日本海海戦に参加
その弟は近衛兵で奉天会戦に参加
「死んだフリしてたら助かった」が自慢で、勲章ももらったらしい…
242名無し三等兵:2006/08/25(金) 16:21:28 ID:???
陸軍少尉だった祖父は、昭和20年?に広島から九州へ移動してる
もし移動しなかったら被爆してたかも知れないし
オリンピック作戦が実行に移されていたら戦死してたかも知れない

沖縄や硫黄島の遅滞戦闘を無意味な犠牲と言う人もいるけど
あの人達がいなかったら俺は産まれてないだろう・・・
243名無し三等兵:2006/08/25(金) 19:07:19 ID:1iaMX/ro
みなさん、業が深いね〜
244名無し三等兵:2006/08/25(金) 20:58:14 ID:NztT6q2x
ジイさんの友達は戦闘機乗りだったらしいけど
戦時中ゼロ戦に替わる「紫電改」とか「雷電」の操縦もやったらしいけど
ハッキリ云って「失敗作」だったとか 「艦上」では「局地戦闘機」と云う名称で
既に乗せる空母も無い 地上発進専用で、「局地戦仕様」と云うヘンな名称
名前は、陸軍も疾風とか勇ましい名前だったけど 名前負けしてるような飛行機が多く
前方視界の悪さや本来精密機器であるべき計器や通信機も故障多く
エンジンのトラブルも多発して、稼働率も低かったらしい
それでもエライ人の視察とか 近所にB−29の空襲があったら一応申し訳程度に飛ばして
体裁を整えて、本土決戦に備えて、「戦力温存」で、「迎撃」と飛び上がっても敵機を避けて、安全空域に退避
敵機が通り過ぎたら、基地に帰還の繰り返し 
帳面上だと、いかにも戦闘機が、敵機迎撃に飛び立って、損害無しで帰還の構図
実際艦載機と遭遇してもアメリカ軍もよほどのことない限り所謂「ドッグファイト」の格闘戦も仕掛けてこなくて
むしろ「一撃離脱」戦法 それでも数が多いから、最新鋭機でもカンタンに落とされたらしい
日本軍機が、チャンバラみたいに、格闘戦で剣を振り回すサムライ戦法に比べ
アメリカ軍機が、ガンマンのように正確に一撃狙って離脱、しかも数派に別れて、インデイアンを襲う騎兵隊戦法
初めから、戦争のやり方の考え方が違うので、いくら新兵器投入しても勝てないと思ったそうだ


245名無し三等兵:2006/08/25(金) 22:12:05 ID:???
うちの母方の祖父は、最初から最後まで長門で飯を炊いていたらしい。

うちの父方の祖父は、艦爆に乗ってて、彗星で駆逐艦に80キロを一回当てたことがあるらしい
246名無し三等兵:2006/08/25(金) 22:42:10 ID:???
祖父直接関わってなくとも、実際は敵に目玉くりぬかれたり耳切られたり
その後とどめ刺されてえげつない殺され方された同僚や市民がいたのにねぇ、

そういうエグイ話はさすがに孫には内緒だろうね
247名無し三等兵:2006/08/26(土) 00:05:33 ID:???
>>244
何その三〇ニ空や三四三空の歴史的事実である対戦闘機戦を否定するヨタ話。
(トータル被撃墜で負けていた事は事実だけれども)

>>244
「八十番。」と言われたんでしょうけどそれ800キロ爆弾ですよ。
ただ、特攻戦でもないのに彗星には80番積んだかどうかは寡聞にして知りません。
248名無し三等兵:2006/08/26(土) 00:09:08 ID:???
>>247
アンカー>>245でしょ。
249名無し三等兵:2006/08/26(土) 03:39:19 ID:???
>>247
つーか、このスレにある話の殆どがヨタと妄想。
250名無し三等兵:2006/08/26(土) 03:55:57 ID:N5FzvAXA
>>244
ちょっと、そこの在日を自称する密入国朝鮮人2ちゃんねらーよ。

実はお前たちの爺さんも含めて、自称在日朝鮮人1世の
ほとんど全てが密入国犯罪者なんだって。
自分たちが密入国犯罪者である事実を隠して
連行されたとウソをついているんだって。
そのうえ、そのウソをネタに日本から金を強請り取っているんだって。


人間として最低最悪のクズだよね。
そう思うだろ?
251名無し三等兵:2006/08/26(土) 04:27:36 ID:???
>>247
>>249
>>250
バカ共発見!!

このスレは、個人の「戦争体験」な。
252名無し三等兵:2006/08/26(土) 07:00:53 ID:???
>>251
『伝聞』カキコならいいけど、
『推定伝聞』カキコは要らないんだよ。
253名無し三等兵:2006/08/26(土) 07:53:51 ID:???
スレ違いかもしれませんが。
うちのおばばの写真に、兵隊が写ってるしかも市街地で戦闘してそうな。
写真見ただけで、どこの戦場かとか、わかるのかな?
判るなら、UPしたい。。。
254名無し三等兵:2006/08/26(土) 13:54:40 ID:???
すいません、ウチのじいちゃんではないんですが
職場の先輩に、シベリア抑留帰りと特攻崩れがいました。
二人ともあんまり、昔のことはしゃべらなかったなぁ
255名無し三等兵:2006/08/26(土) 17:17:04 ID:???
>>247
あれ?
じゃ、60キロかな?
駆逐艦狙って落としたら、動作不良ですぐに落ちなかった翼下の爆弾が偶然当たったとか言ってた。

亡くなったから、もう聞けないんだけど。
256名無し三等兵:2006/08/26(土) 17:26:23 ID:eap85x40
うちの死んだ親父は兵学校卒の士官だったがアホだった。
戦艦大和にも乗ったことがあると言っていた(ただし見学会)。
257名無し三等兵:2006/08/26(土) 17:34:04 ID:???
>>255
本棚、探したら平和学習でお年寄りの人に戦争について聞いてみよう、というプリントが出てきた
そこに、おじいちゃんのが書いてあった、小学生のときに聞いた話だから、探したらあるかなと思ったらでてきた。

汚い字で読みにくかったけど、500キロと30キロ×2を積んで駆逐艦を狙ったら、きちんと落ちた500キロと30キロの一発が当たらなくて、
偶然、動作不良で遅れて落ちた30キロが当たったて書いてあった。
258名無し三等兵:2006/08/26(土) 18:55:37 ID:???
>>257
彗星乗りってすごいな。
家の父方のじいさんは台湾の工場で働いていたよ。
兵役免除だったらしい。


ところでドイツでもネットでこんな風に爺さんの兵士時代を語っているのかな?
259名無し三等兵:2006/08/26(土) 19:34:36 ID:???
俺、母親がアメリカ系日本人だから、アメリカの方の話なら母親経由でじいちゃんから聞いたんだけど、書いてもいいかな?
260名無し三等兵:2006/08/26(土) 20:04:51 ID:???
金髪の嫁さんとかエロそうでいいな
261名無し三等兵:2006/08/26(土) 20:39:51 ID:???
>>259
いいんでね?べつにここは国籍限定じゃないし。
オレがアメリカで祖父さん世代の人から聞いた話。

苦学して大学にいって地理教えてたんだけど、戦争になったから飛行機を飛ばして輸送する任務についてた。
ゴムが軍需優先で、自分が乗っていた自動車のタイヤを確保するのが少し大変だったそうな。
262名無し三等兵:2006/08/26(土) 20:46:40 ID:???
>>257
・・・もしかして、貴方の御爺様は『芙蓉部隊』↓ご所属で、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%99%E8%93%89%E9%83%A8%E9%9A%8A
レーダーピケット艦狩りをやってらしたんでしょうか?
だとしたら、ものすごいパイロットですよ!
263名無し三等兵:2006/08/26(土) 20:48:40 ID:???
>261

その任務に就く前はB17でドイツ逝きを何十回かやらないといかんのよ。
1回あたりの損耗率4%。
264名無し三等兵:2006/08/26(土) 21:17:05 ID:???
>>262
よく分からないけど、七月下旬に新型艦攻を渡されて、本土決戦のさいにこれで特攻しろと言われて、来る物が来たと思ったらしい。
で、機体の癖を知るために一度乗って、性能がよいのに驚いて、これで爆撃がしたいなぁ、と思ったそうだ。
でも、結局、特攻しないまま終戦を迎えたらしい。
265名無し三等兵:2006/08/26(土) 21:39:54 ID:???
うちの近所のジイさんは危ない人だった。
どっかの戦地に居たみたいなんだけど
「人は殺し放題だし現地の女は抱けるし戦争は楽しい」
みたいな事いってた。

266名無し三等兵:2006/08/26(土) 21:47:11 ID:???
>>265
アメリカ軍だろ
267259:2006/08/26(土) 22:10:29 ID:???
陸軍で高射砲を撃っていたそうです。
九七式艦攻とか、九九式艦爆はまだ、落としやすかったけど、一式陸攻は高い所を結構なスピードで飛んでいくから、落としにくかったと言っていました。
268名無し三等兵:2006/08/26(土) 22:33:40 ID:???
>>265
二十年ぐらい前に姉貴が勤めてた、旧財閥系メーカーのご老体(嘱託社員)連も、
飲むとそういう回想でしきりに盛り上がったそうだ。
どの国にもそういう兵士が一定数いた、というのが100万単位で徴兵されたあの
戦争だったのではないかな。

高校時代の恩師が陸軍の少年飛行兵だった。
玉音放送の後で、二人の同期生が脱走したのを徹夜で探し回ったそうだ。
翌朝、自決した二人の亡骸を裏山で見つかったという。
二人は台湾と朝鮮の出身だったそうだ。
269名無し三等兵:2006/08/26(土) 22:36:37 ID:0W02occA
じーさん

S19まで輪西製鉄所(合併して現新日鉄)で技師、
召集、横須賀。終戦
戦闘経験なしで帰還。
でも酒に負けてシボーン
270名無し三等兵:2006/08/26(土) 22:59:24 ID:QGO4w85C
父方のじーさん
軽巡鬼怒 空母出雲丸乗組み 巡洋艦五十島沈没の際負傷
母方のじーさん
江田島幸の浦にて、マルレ艇の教官。
母は面会の際、マルレ艇の訓練を観たそうな 
271名無し三等兵:2006/08/27(日) 00:44:15 ID:???
>>264
流星か?それは逆ガル翼の流星なのか?
272名無し三等兵:2006/08/27(日) 01:22:06 ID:???
父方の爺さん。陸軍伍長。昭和13年に足に玉を食らい負傷兵のまま除隊。
戦争中は某保険会社の支店長として戦争に行かず。

母方の爺さん。死んだジーさんであるが、東京帝国大学→某製薬会社
で、戦争中は瀬戸内海のある島で毒ガス工場の工場長をしていたと叔母
から聞いた。ジーさん、戦争中の思い出を1度だけ聞いたが、「陸軍省
に行って、陸軍のエライサンの会議に出て。」と。
中国の毒ガス回収の話をTVやネットで見るたびに、ジーさんの事を
思い出す。陸軍の命令でやった仕事だから。
まあ、その後某製薬会社は日本を代表する大企業になった訳でした。
詳しくは聞いておりません。仕事の話は家には持ち込まない厳しい
エリートサラリーマンでした。


273名無し三等兵:2006/08/27(日) 04:51:12 ID:???
俺の爺さんは尋常小学校の頃に南飛行場の建設にかり出されたらしい、
最近返還された読谷補助飛行場か。
274名無し三等兵:2006/08/27(日) 16:20:33 ID:???
俺の場合、もう曽祖父になるなぁ。
親父経由で聞いたから、なんかおかしい所もあるかも知れんけど、一応書いてみる。
海防艦の艦長をしていて、別の海防艦と二隻で航行していたら、B−29に撃たれたらしい。
爆撃じゃなくて銃撃されたらしい。
海防艦の方も必死で避けながら、撃ちかえしたらしいけど、全然当たったらなかったらしい。
何度も攻撃されて、艦橋にも弾が飛び込んできて、突然「熱い」と感じ、どこかを撃たれたのかと思って、体を見回したら、肩に弾丸がかすって、出血していた。
だけど、このぐらいの傷なら大丈夫だと、指揮を続けていたけれど、そんなに長く経たないうちに全ての武器が破壊されたり、撃つ人間がいなくなってしまい攻撃手段がなってしまった。
そこに、もう一度敵が艦橋の方に突っ込んで来て、もうダメだと思った途端、敵の近くで爆発が起きて一番右側のエンジンが火と煙を吐いて、敵は射撃することなく、そのままどこかに飛んでいった。
仲間の高射砲が至近距離で爆発したそうです。
九死に一生を得て、母港に戻っていた最中に治療を受けたそうですが、そのとき初めて、自分の右耳が半分無くなっているのに気がついたそうです。
もう少し弾がずれてたら、そう思った途端、急にひざが震えだして、立っていられなくなり、その場に座り込んでしまい、港近くに着くまでそのままだったそうです。
275名無し三等兵:2006/08/27(日) 16:49:33 ID:???
B−29てネタですかいな。
どうせならB24か25にしとけば・・・
276名無し三等兵:2006/08/27(日) 16:52:58 ID:???
可能性はあったんじゃないの?
当人か聞いた人の単なる記憶違いかもしれないけど。
277名無し三等兵:2006/08/27(日) 17:27:16 ID:MXC6vYmW
宮崎駿の雑想ノートにある「最貧戦線」とかいう話しにほぼソックリだな。
「最貧戦線」
@B−29による「銃撃」
Aそれで撃ち返しても当たらない
BB−24によるしつこい低空攻撃
C何とか片方のエンジンを撃破し、B−24は遁走
D九死に一生を得て帰還
278これも追加:2006/08/27(日) 17:29:15 ID:MXC6vYmW
EB−24が最後に艦橋めがけて突っ込んできた所を、撃破 
279名無し三等兵:2006/08/27(日) 17:55:15 ID:???
>>274
ごめん、軍事に詳しくないし、又聞きだから、変なところがあるかもしれない。
親父に本当にB-29だったかと聞いてみたら、「たしか、B−29だったはず、でも父さんもその辺詳しくないから、別の名前だったかもしれない」
との、ことでした。
280名無し三等兵:2006/08/27(日) 18:37:09 ID:PhFt4X8r
>>279
あんたが「B-29」と書いている時点で素人なのは分かる
分かるが
口径12.7_の弾丸が掠ったら
腕が吹っ飛んでるよ
281名無し三等兵:2006/08/27(日) 18:51:13 ID:???
まぁ、大型機が銃撃してきて、破片がかすったという話じゃないか?
282名無し三等兵:2006/08/27(日) 19:17:45 ID:4HWlB7OP
第二次大戦末期の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で
軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)が、「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等
援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする
住民は1人もいなかった」と証言した。
村長らが、赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、
同意を得たという。照屋さんらは、赤松元大尉が自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の
厚生省(当時)に提出。
照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の
悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。


本当にこの人は漢だね。苦しんでる人々を助けるために汚名をかぶるなんて。
283名無し三等兵:2006/08/27(日) 21:22:11 ID:???
じいさんの父親つまりひいじいさんは、日中戦争の初めのほうで
上海北方に敵前上陸したそうだ。ものすっご味方が死にまくり、
ひいじいさんの部隊は2回目か3回目の増援部隊だったけど
上陸地点で兵の盾になったのは先に死にまくった友軍の死体の山
軍閥軍の方が強力な機関銃を持っていて最初の何日かは
川ばっかの臭い街中を小橋を渡り小屋に飛び込んだり
水路に落ちたりしながら撃ち殺されるチャンスを待つだけ?という
無茶苦茶な状態だったそう。
終わった時には自分の部隊は4人しか残ってなかったらしい。

でじいさんは末期に九十九里浜でチハたんのお世話に付き
来る、きっと来る〜と言われていた米軍の着上陸を
お待ち申し上げておりましたとさ。
284名無し三等兵:2006/08/27(日) 22:30:08 ID:???
うちの爺さんも魚雷で戦艦ばかばか沈めたとか言ってたし、
その程度の誇張、記憶違いは誰にでもある事だろ。
自分が経験したわけでもないのに、知識振りかざして
すぐネタ認定する厨は逝ってよし。
285名無し三等兵:2006/08/27(日) 22:37:59 ID:???
名古屋師団が玉砕した呉松上陸作戦か。
貴様、帝国陸軍では無かったことになっておうのだが知らんのか。
軍機をペラペラしゃべりおって、憲兵と話するか。。
286名無し三等兵:2006/08/27(日) 22:43:44 ID:???
>283

ちなみに軍閥じゃなくて蒋介石の直系軍。
ドイツ式の完全装備の歩兵師団群。
装つでに作戦、指揮は第一次大戦の実戦経験豊富な
ドイツ参謀本部の精鋭が派遣された軍事顧問団。

帝国陸軍がまともに正面から当たったら当然ああ言う結果にしかならん。
287名無し三等兵:2006/08/27(日) 23:34:05 ID:???
>>285 >>286
そうなんかthx
ちなみにこの話は小学校の夏休みの戦争体験作文の時に
聞き出したものなんだが、この時にある橋の上で
ひいじいさんの前にかがんでいた兵が銃弾を顔に受けて死んだのだが
その顔の骨のかけらがひいじいさんの顔や目に当たり
歩けなくなってゲームオーバーしたんだそうな。
敵のことは俺の汚い字で「軍閥軍」と書いてあるから、
ひいじいさんが記憶違いでしゃべったんだろう。

九十九里浜行ったじいさんの話は訓練とか準備作業ばっかで
リアリティがない気がする…もちろん大変だったろうけど
288名無し三等兵:2006/08/28(月) 01:33:16 ID:???
>>287
気にスンナ
史実では>>286のいう超優良装備の国民党軍を打ち破って勝ってるから。
それだけ日本陸軍は強かったわけだ。
289名無し三等兵:2006/08/28(月) 01:46:41 ID:???
>>286
その
『第一次大戦の実戦経験豊富なドイツ参謀本部の精鋭』
が構築した上海←→南京の陣地(兵力:約100万)は、日本軍(兵力:約25万)によってあっけなく突破されてしまう。
そして
ドイツからの軍事顧問団員は、責任を感じたのか、多くは陣地に留まって戦死した。
(ちなみに日独防共協定締結後の戦闘であり、ナチスドイツは同盟国・日本の敵国に軍事援助していた訳)





と、
>>284に笑われるような事を書いてみましたw
私も魚雷で戦艦ばかばか沈めた事ありますよ、エポックのやつだけどww
290名無し三等兵:2006/08/28(月) 06:34:00 ID:???
オハヨウございます。
早朝ですが書かせていただきます。
うちの祖父は尋常小学校だから行ってないけど、本土の豆畑で艦載機から機銃掃射されたそうな。
小さかったので茂みに隠れてて難を逃れる。
私の家は炭鉱で有名な町だったので朝鮮人が多く、戦後駅にたむろして時計などを取り上げてたそうです。
 あと敵の戦闘機・爆撃機?が橋の近くに墜落した時に女性の死体があったとか。
占領後は給食を運ぶトラックが横転した時に、教科書をその場に捨てて牛乳をカバン?に入れてもって帰った
そうです。
祖父の兄が変わった戦歴で、徴集が来て行きたくないので無視してたら憲兵とお偉いさんが来たので
酒・米・鶏などを賄賂としてやるとお偉いさんが紙に何かを書いて「次に徴集が着たらこれを見せろ」と言って
1年だけ猶予をくれたそうな。
でも大陸に行って終戦後、抑留されてかなり大変だったそうな。
@寒いから小・大が直に凍る。A腹が減るので仲間を組んで軍馬を一升ビンの水で殺して解体して雪の下に埋めて食う。
B洗脳?プロパガンダが毎日あったそうな。
 帰国間際に船から日本兵が日本の将校を海に投げ落とすのを目撃したそうです。
また、「もうアカの話は聞かんでいいわい」と言った日本兵がまた大陸に・・・

長文すいませんでした。

291名無し三等兵:2006/08/28(月) 13:07:14 ID:+0v9KEgJ
ウースンで>>287のひいじいさんの盾になった友軍の死体の山の中にうちのじいさんの従兄弟もいたんだろうなぁ(*´Д`)=3そのせいで家系が途絶えちまったんだよなぁ…
292名無し三等兵:2006/08/28(月) 16:18:13 ID:???
じいちゃんが言ってたんだけど
終戦後中国から引き揚げてくる船の中で
女性がレイプされててかわいそうだったって
293名無し三等兵:2006/08/28(月) 19:38:17 ID:Xmr4iZOh
>>292
黙って見ていたジジイもジジイだなw
294名無し三等兵:2006/08/28(月) 20:41:02 ID:???
じいちゃんといっても、当時、子供だったかもしれないだろ
295名無し三等兵:2006/08/28(月) 20:47:29 ID:???
つか、そういう場面で正論を吐くと、爺さんが標的にされる可能性もあるわけで
296名無し三等兵:2006/08/28(月) 21:04:21 ID:???
爺さんもレイプ?
あっーーー!
297名無し三等兵:2006/08/28(月) 22:58:46 ID:???
そうして目覚めてしまったら292は生まれてこなかったかもしれない
298名無し三等兵:2006/08/28(月) 23:15:02 ID:???
>>292
そんなに荒れてたんだ・・・・初めて知りました・・
299名無し三等兵:2006/08/28(月) 23:29:19 ID:???
爺さんが徴兵検査受けに行った時に
山奥で炭焼きをやってる男も来ていた。
さすがにアッパラパーに武器を持たすわけにはいかないので
簡単な知能検査があるのだが、
炭焼き男は小学校低学年レベルの計算も出来ない。
バカを装って兵役を逃れようとしていう様子もない。
軍医が不思議がっていると立ち会いの将校が
「ここに炭俵が3俵あるぞ。そこに2俵加えたらいくつだ?」
と質問した。
男は即答した。
二桁の暗算も一発回答だった。

爺さんによると、軍隊の非公式な役割として、
貧しくてろくすっぽ学校に通えなかった人に
実家への手紙を書かせて読み書きを教えるという面があったそうだ。


あー、ところで米俵3俵と2俵で何俵なんだあ?
教えてエロい人。
300名無し三等兵:2006/08/29(火) 00:30:34 ID:???
馬鹿だな。3、2が6だから6俵にきまってるだろ。
301名無し三等兵:2006/08/29(火) 00:31:14 ID:???
>>299
ちょwwっをまwwwwっうぇえwww
302名無し三等兵:2006/08/29(火) 00:35:23 ID:???
今日、もう十何年前に亡くなったじいちゃんの、
申請していた軍歴証明がやっと届いたんだが、
うちのじいちゃんも、呉淞上陸作戦に戦車第五大隊として参戦していた。

9月4日の上陸だったので、激戦の真っ只中ではなかったんだろうな。

その後、中国前線を転戦して、最後は戦車第一師団にいて群馬で終戦を迎えたらしいけど、
他の戦車師団の外地での玉砕を調べると、ホント運がよかったんだと思った。
303名無し三等兵:2006/08/29(火) 01:51:07 ID:???
むう戦車第一師団とな?
惜しいなぁ。
戦車の塗装とか詳しく聞けたらなぁ。
304名無し三等兵:2006/08/29(火) 12:36:12 ID:3U86MLUb
わたしの祖父は、第7野戦補充隊の機関銃中隊で射手をしてタイに駐屯してたらしい。
部隊が直接戦闘することは無かったらしいが、インパール作戦のために兵の多くをもっていかれ将校にいたっては
各中隊1人しか部隊に残らなかったらしい。祖父は選ばれなかったが、インパールに行った友人のほとんど死んだらしい
運よく部隊に残ることができ祖父だが、ある日擬装帽をかぶって行軍中に敵の戦闘機、数機が低空で接近してくるのを発見して隠れていると自分たちの上空を
パイロットの顔が見えるほどの低空で旋回をはじめ、祖父が射撃しようとしたが弾薬手が「撃ったらやられる、撃ったらやられる」といって
弾薬を抱え込んでしまい祖父が引き離そうとしたが離さず、
そうしているうちに戦闘機は飛んでいってしまい戻った陣地に止めてあったトラックが穴だらけになって燃えていたらしい


ほかにもタイに駐屯してたときに中隊長に「門松を作るから松を探して来い」
とか言われて村を探してたら一軒の家でやっと松を見つけてその家の色の白い女性に
お茶と松をもらって帰って後で聞いたらハンセン病の患者だったとか。病気うつされる所だった
とか、戦闘はしてないけどそれなりに面白い話が聞けた
305名無し三等兵:2006/08/29(火) 14:59:42 ID:???
>292
終戦直後はチョソがやりたい放題だったからな
306名無し三等兵:2006/08/29(火) 15:52:46 ID:???
>>299
陸軍は識字教育のために日記帳を持たせてて
それが連合軍に回収されて作戦が筒抜けになってたとか聞いたことがある
307名無し三等兵:2006/08/29(火) 16:40:10 ID:???
一般兵の場合、戦地で日記を書く余裕はないでしょうし、
部隊として書かせもしないでしょう。
308名無し三等兵:2006/08/29(火) 16:54:16 ID:???
それでもメモの類は書いてたらしくて、なんだかんだでt単位で収集されてる。
309名無し三等兵:2006/08/29(火) 17:01:30 ID:q8hULqus
ハンセン病ってうつるのか?
310名無し三等兵:2006/08/29(火) 17:05:15 ID:???
昔はうつると思われててそれが悲劇を生んだ
311名無し三等兵:2006/08/29(火) 17:55:02 ID:???
ハンセン病は感染症だけど?
実際飛沫感染でうつるし。

普通の体力の人が普通に生活してる分にはまずうつらないってだけで。
312名無し三等兵:2006/08/29(火) 18:01:54 ID:???
>>311
うつると言うか、保菌者になるってことならほとんどの人が生きてるうちに保菌者になると考えた方がいい>ハンセン病
ごくまれにしか発症しないってだけで
313名無し三等兵:2006/08/29(火) 18:05:10 ID:???
乳幼児期とか抵抗力の低い時期に感染しない限り発症しない
小児期以降の発症は近年では例がない
万一発症しても薬物で治療できる
314名無し三等兵:2006/08/29(火) 18:14:35 ID:???
感染しても潜伏期間が長いから年寄りだと発病前に死ぬ。
笹川良一は晩年インドあたりのハンセン氏病患者の村で握手しまくっていた。
エイズだってそう簡単には伝染しないのだが、
理屈ではわかっていてもエイズ患者と握手するのは勇気が要る。
悲しいかな人間とはそういうものだ。

戦前は駐在さんが僻村の衛生管理責任者だったから
ハンセン氏病の患者を追い出したりした。
村人に説明してもわかってもらえないだろうし
感染の可能性はゼロではないのだから。
反面、疫病が流行した際に看病に奮戦して殉職した駐在も多い。
そういう人が国内や台湾で神として祀られていたりする。
砂の器はそういうところを理解して見るべし。読むべし。
315名無し三等兵:2006/08/29(火) 18:29:01 ID:gm6kHTTy
母方の俺のじいちゃんは近衛兵みたいな皇居守備させられたな。
316名無し三等兵:2006/08/29(火) 18:33:11 ID:fWT71C1X
シベリア幽閉時代 死んだ人の肉食べたりねずみ食べたるしないと飢え死にするぐらいひどかった低って田
317名無し三等兵:2006/08/29(火) 18:35:33 ID:gm6kHTTy
それから婆ちゃんの話もあるが、十キロ以上むこう山にある街が空襲にあったとき空が真っ赤になっててしばらくすると銀色の紙みたいのがたくさん降ってきてキレイだったらしいガ、
それは爆弾の薄くなって散った破片だったとか。
318名無し三等兵:2006/08/29(火) 19:48:51 ID:???
>>306-308
陸軍では日記を書く事自体禁止してました。
理由は>>306さんのおっしゃる通りです。

しかし、ガダルカナルの緒戦で戦死した一木支隊の将兵の遺体から
多くの日記、しかもほとんどが自分の移動(=部隊の移送)等詳細な記録を残した物、
>>308さんのおっしゃる通り回収されて、
日本軍の援軍規模や今後の予備兵力の推定に利用されています。
(その為に多くの日本語専門の情報部員を投入)

元・情報部員が語るには、
「・・・生身で機関銃に立ち向かってくる日本兵が悪鬼の様に思えた。
 しかし、遺体から回収した日記を読むと、彼らもまた些細な事で喜び、戦争について苦悩する人間だった事が判った。(滂沱」
319名無し三等兵:2006/08/29(火) 19:51:02 ID:???
>>317
ウィンドウじゃね?それ
320名無し三等兵:2006/08/29(火) 20:33:46 ID:???
チャフ
321名無し三等兵:2006/08/29(火) 21:04:35 ID:YaoGDrKV
父は満州で擲弾筒兵だった。
冬は寒くて、湖を装備を背負ってスケートで渡る
訓練は辛かったが、寒いなかで支給された一杯の
ビールはとてもうまかったとのこと。
父のアルバムにはスパイを斬首する写真や、その首が
見せしめのために電柱に設置された檻のような箱に
入っている写真もあった。
これは誰が撮ったのかと問うと、写真班が売りに来ると
いっていた。
叔父は海軍で駆逐艦に乗っていたが、米潜水艦に雷激され沈没、
2日ほど船の破片に捕まって漂流していたところ、なんと、武蔵に
救助された。
同じように漂流していた仲間が、次々と力つきて沈んでいくのが
なんとも辛かったと話していた。
322名無し三等兵:2006/08/29(火) 21:25:16 ID:???
爺さんの弟は海軍に志願したが、
2回もボカ沈食らって一つも負傷せず生き抜いた。
70過ぎてもスキーやってるようなタフガイジジイだったが
癌にゃ勝てなかった。
生命力が強いせいか、年寄りにしては進行が早かった。
323名無し三等兵:2006/08/29(火) 21:51:13 ID:1KSBzctX
ジイさんの友達に陸軍中野学校卒の友達がいて、なんと昭和30年までソ連の抑留されていて最後の帰国組の一人
陸軍中野学校は歌舞伎役者が主人公で映画化もされているけど
実際はもっと地味だったらしいけど 機密任務だから戸籍抹消されていたのはホントらしい
満州でソ連のスパイ相手に暗躍して、ソ連の女スパイを殺したとか
当時ソ連国境付近にいた「金 日成」の暗殺計画にも参加
そいつの住処にピストル持って、踏み込んだけど逃げられた後で、まだ寝床が暖かかったので、
悔しい思いしたとか ただし「公然のヒミツ」だけど 狙っていたのは本物の「金 日成」で
北朝鮮も建国した「金 日成」とか別人だと云っていて、あの「金 日成」は別人で顔が違うと云っていた
歴史上の事実だけど 満州で日本軍にパルチザン抵抗活動やっていたもう一人で「金」で、あの将軍サマのオヤジの「金 日成」は全くの別人
もしあのオジサンが、本物の「金 日成」の暗殺に成功しておれば、もう少しは世界の歴史が変わっていたかも
324名無し三等兵:2006/08/29(火) 22:48:02 ID:???
俺のじいさん東京帝国大学法学部卒陸軍法務中佐。
そこらへんの鉄砲人足とは違うよ、高学歴だもんw
んで、僕も高学歴になる予定w
みんなうらやましい?

325名無し三等兵:2006/08/29(火) 22:55:02 ID:XiO3Z9C9
8年前に他界した祖父は、海軍特攻隊に志願したようですが
どういうわけかどこかに拘束され、そのまま終戦。
その間祖母は祖父の行方がわからず大変な思いをしたと
涙を流して母に話したことがあるようです。

肝心のところが・・祖母の話を母経由で聞いたので本当にあいまいなのです。
天皇万歳で血の気が多く危なっかしい存在だったようです。
私の知っている祖父は相撲と焼きにんにくが大好きな可愛いおじいだったので
そんなに激しい方だったとは、と驚きました。

直接話を聞けなかったのが悔やまれます。自分のばか
326名無し三等兵:2006/08/29(火) 22:57:22 ID:???
>>325
当時は全員が激しかったんだよ。
そうでもしないと世界を敵に回して戦争できない。
俺のじいさんもいつでも死ぬつもりだったといっていた。
327名無し三等兵:2006/08/29(火) 22:58:00 ID:???
市川雷蔵か、色んな映画出てるなあ
328325:2006/08/29(火) 23:11:50 ID:???
>>326
確かにそうですね。
今では想像できないことですが。

祖父が持っていた海軍関係の書籍も
全部どっかにいってしまいました。おかあのばか
さてどうやって調べよう・・
329名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:14:10 ID:6UlrBadB
で、>299の答えは?
330名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:22:10 ID:???
>>324
おまえ、↓だろ。文体と芸風変えろ、馬鹿
532:慶應経済◆tj0B4Bocjc :2006/08/29(火) 19:59:27 ID:ydGpvzYX
ひれ伏せ低学歴wwww
331桜千代:2006/08/29(火) 23:24:00 ID:9yoUyGGR
祖父は他界したので父から聞いたうろ覚えの話ですが、祖父は通信兵で仏印などに行っていたようです。しかも全部占領した後に入る形になったので、前線には出ていないとのこと。しかも結構いい暮らしができたらしい…
332名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:32:27 ID:O+rMgAl7
>>299

>炭焼き男は小学校低学年レベルの計算も出来ない。

>「ここに炭俵が3俵あるぞ。そこに2俵加えたらいくつだ?」
>と質問した。
>男は即答した。
>二桁の暗算も一発回答だった。

その男はかしこいのかバカなのか、どっちなん?
333名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:37:28 ID:???
俺の祖父は震災の年の生まれで、フィリピンで戦った兵士では若いほうだとおもう。
そして、一年半で上等兵まで昇進した。そしてポツダム昇進で兵長に。
334名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:42:29 ID:+w/kICXi
>>333
ポツダム昇進ってなんだ?
335名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:43:11 ID:???
>>326
陸軍少尉だったうちのじいさんは激しくなかった。
自分が死ぬ覚悟はできていたが、
勝てる戦でないことは開戦当時からわかっていたと言っていた。
天皇陛下万歳といって死ぬつもりだったのかと尋ねたら、
そんな馬鹿なと笑っていた。
めちゃくちゃリアリスト。
336名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:45:52 ID:???
うちの爺さんから聞いた日中戦争の話。

激戦が続いていたある夜、爺さん部隊は小川の辺で露営。
真っ暗闇のなかその小川で汲んだ水で飯盒炊爨し、翌日の戦闘に備えて早々に就寝。
翌朝、飯を炊くのに使った小川を見ると水が真っ赤に染まっていた。
何事かと驚きすこし上流に足を運ぶと、そこには一群の友軍の兵隊が夥しい血を流しながら死んでいた。
戦場での異常心理か?友軍兵士の血が混じった水で飯盒炊爨し、その飯を食ったことに関しては別段何も思わなかったらしい。

戦局が追討戦に移った頃から、部隊は飲料水の確保に困り始めた。
しかし、後退するちゃ○ころ兵は井戸に毒物を投入し始め、部隊から中毒患者が続出。数名の戦友が後送されたそうだ。
337名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:48:44 ID:???
>>334
敗戦の時に、将兵のほぼ全員を無条件で1階級昇進させたこと。
ポツダム宣言を受けての降伏に伴う昇進だから、通称ポツダム昇進。
338名無し三等兵:2006/08/29(火) 23:49:16 ID:???
血って、結構栄養豊富だからね
339名無し三等兵:2006/08/30(水) 00:05:26 ID:3U86MLUb
うちの爺さんはタイで防衛隊やって、本土が降伏した後の8月20ごろ
中尉に昇進したけど、その後やった仕事が英軍が武装解除のために来る
までに使わずに倉庫に眠ってた数千発のイベリットやらルイサイトやら、
ガス弾類を部下100人くらいと河の人目につかない指定された場所にセコセコ
投棄してた。それがいつかガスが漏れるのではと後悔してた。

340桜千代:2006/08/30(水) 00:08:06 ID:f3wcOTR6
夕食が赤いご飯だったので、赤飯だと思って喜んで食べた次の朝、明るくなって川を見たら敵兵やら友軍やらの死体がいーっぱい浮いていた…という話も聞いたことがありますね。
加熱しても血が赤味を保っているのかはわかりませんが…
341名無し三等兵:2006/08/30(水) 00:08:45 ID:???
今からでも、外務省なり厚労省なり届けたほうがいいんジャマイカ?
342名無し三等兵:2006/08/30(水) 00:11:52 ID:???
爺ちゃんじゃないけど爺ちゃんの父が砲兵隊だったらしい。中国方面に行ってたみたい。
九州で漁師やってて体ごつかったから、砲兵隊に連れて行かれたらしいよ。
終戦の一年前位には年だったから本国に戻ったみたい。

婆ちゃんの爺ちゃんは憲兵だったんだって。詳しい事覚えてないらしいからそれしか知らない・・・
343名無し三等兵:2006/08/30(水) 04:26:39 ID:???
>>323
本物はかなりの爺さんだったらしいな
344名無し三等兵:2006/08/30(水) 05:38:06 ID:???
>332
>その男はかしこいのかバカなのか、どっちなん?

想像だけど
『さん たす に はいくつか!』と問われて、なにを言われているのかチンプンカンプン。

でも、自分がいつも扱っている 俵を単位に使われて、それがやっと意味のある言葉で
聞き取れたので即答したんじゃないかな?

『 たす・・・? たす ってなんぢゃ??(゜-゜;)ウーン ワカンネ』
345名無し三等兵:2006/08/30(水) 08:48:25 ID:rQ23hEdX
バアさんの近所の人で子供3人を戦争に出して、バアさんのところも子供2人戦争に出して
戦争中の「軍国の母」として、有名だったらしいけど
その近所の人は子供全員戦死 バアさんとところは命からがら生還
戦時中は仲良かったらしいけど 戦後は気まずい雰囲気で没交渉
バアさんところも生還したけど 戦後はどん底生活で喰うのがやっと
近所の人は死んだ3人の子供の軍人恩給で悠々自適
借家を建てて、家賃収入でスゴイいい生活
戦争未亡人でもかなりイイ生活してたらしい
あの映画「プラベートライアン」の母親みたいな「軍国の母」の戦後の生活
所謂名誉の「戦死」と事故での「殉職」では、同じ死亡でも軍人恩給の金額も違っていたらしい
あのライアンも戦後どういう生活を送ったか 一応結婚して、孫もいたようだけど

346名無し三等兵:2006/08/30(水) 09:36:13 ID:???
金正日の父親の金日成は、ソ連軍将校で
直接的なパルチザン活動はやってない筈。
347名無し三等兵:2006/08/30(水) 11:09:44 ID:aX7cTAzR
炭俵ついでに、こんなのをひとつ。

たかが50年前(戦後),小学校低学年の視力検査の時だった。
目が悪いとは思えない悪ガキそうな子供の番で、
指されたところが答えられない。見えないようだった、
段々上の大きい文字(ひらがな)へと行ったが、最上段も・・・
ソバの子供が言った「こん人、字が読めんとバイ」

○の隙間探しでの手旗信号識別は驚きの2.0。 チャン・チャン
348名無し三等兵:2006/08/30(水) 12:59:13 ID:???
「抗日運動をしていた金日成」という人物は存在したらしい
だが、戦後になって現れた金日成を名乗る人物は、
どう見てもその抗日運動家とは別人だったそうな
349名無し三等兵:2006/08/30(水) 16:23:37 ID:U31+Z7CW
うちの爺さん最初は満州で輜重兵やってて
その後いろいろあってマルレ艇に乗る事になった。
そして運が良いのか悪いのか重い病気に罹り
部隊から外れたらしい。その後、ある日広島のほうで
鉄道に乗っていました、日付は1945年8月6日でした。
よく生き残ったな、うちの爺さん。

また知り合いのお婆ちゃん、大田原だったか宇都宮で
航空機の組み立てに携わっていました。お婆ちゃんに
当時組み立てていた航空機について聞きました。
お婆ちゃんいわく
「駄ー目だアレ、よく落ちてたわwww」
チョwww オバwwww
350名無し三等兵:2006/08/30(水) 17:29:57 ID:zxjSg7mV
うちの爺さんは、「ヨオカイチ」って所の飛行場にいたらしいんだが、情報希望
351名無し三等兵:2006/08/30(水) 18:16:54 ID:???
>>350
おそらく滋賀県に1921年、民間用として作られた八日市飛行場の事だろう。
その後陸軍航空隊の根拠地になってる。
と言うか、検索出来ないのか?
352名無し三等兵:2006/08/30(水) 20:11:00 ID:JB/4f68m
母方の爺さんの戦友で終戦後おんなじ捕虜収容所にいた人はにいた人は、
英軍にイギリスに持ってかいるから山のようにある刀の中から何本か
良質のものを選ぶように言われて鑑定眼があるわけでもないのに20本位選んだらしい。


爺さんが言うには「ダイエー博物館にでも置くつもりだったんじゃないの、ははは。。。」
その戦友の人は当時中尉で戦争末期に捕虜の管理とかで少し英語が少し話せたらしいが、
中尉にそんな仕事回すかって
353名無し三等兵:2006/08/30(水) 20:54:34 ID:???
独立混成第92旅団楢山工兵隊てどこで何していたかわかる香具師頼む。
354名無し三等兵:2006/08/30(水) 21:01:27 ID:???
355名無し三等兵:2006/08/31(木) 02:49:36 ID:???
>>347
それ病気かもしれないな、トムクルーズみたいに。
356名無し三等兵:2006/08/31(木) 08:29:34 ID:Nr11AkWK
ジイさんの知り合いでも戦時中うまく徴兵逃れした人間もいたそうだ
文系だったら、繰上げ卒業で学徒出陣だけど 理系に入り直して学生生活続行
ほんの数年で終戦で、戦争行かずに済んで、戦後は理系やら英語できるとかでモテモテ
だいたい理系の学生は兵器製造で重宝されて、文系学生が本来理系向きのゼロ戦の操縦で特攻攻撃
英語学習も理系だと別に問題なかったらしい
当時から裏口入学とかのウワサもあって、バカ息子が6年制の医学部で行って徴兵逃れ
やれワイロで医者にウソの診断書書かせて、徴兵逃れとか裏道のあったらしい
やれ急に結核だと云って、地方の空気のきれいなところに疎開などで逃げれば
病院で適当に病人のフリしておれば、勉強も勤労奉仕もせずニートな生活
やれ非国民とか云われずに、適当に世渡りして、うまく戦争にも行かずに
戦後もうまく生活した金持ちの子供も多かったようだ
357:2006/08/31(木) 09:11:50 ID:TSd6b16N
大伯父(故人)は関東軍のソ満国境警備隊にいたそうだ。
ノモンハンで第23師団?が壊滅した際救援に行く事になったのだが、出撃数日前から病気に罹り残されたんだと。その後本国送還。

父方祖父(故人)は軍需工場経営のため徴兵はナシ。海外出張も多かったらしく、祖母曰く開戦時に日本の敗北を予想したらしい。

母方祖父(存命)は学徒兵。理系のため徴兵が遅れ命拾い。文系の友人数人はフィリピン方面で戦死。
決号作戦用で御前崎の野砲部隊にいたらしい(部隊名誰か教えてくれ)


こんなとこです
358名無し三等兵:2006/08/31(木) 10:33:04 ID:U8My0PIi
叔母の嫁ぎ先が松山空港の近くの旅館だったようで、特攻隊の人たちが
数日旅館を利用し、鹿児島に出発の時は必ず、旅館の上を旋回して行ったと
よく話しておりました。現在も空港近くの田圃には格納庫が点在しているの
で、とてもリアルに感じておりました。
359名無し三等兵:2006/08/31(木) 13:20:36 ID:donbrzXV
ドイツに住んでて、終戦間際は大変だったそうですよ。
360名無し三等兵:2006/08/31(木) 13:55:36 ID:kEItUnwM
ばあちゃんに話きいた
・B-29が飛んできたから弟おいて逃げた
・中国の中華鍋は汚い
361名無し三等兵:2006/08/31(木) 14:07:12 ID:hFNGfykV
昔から私立文系は三教科受験だったの?
362:2006/08/31(木) 14:13:41 ID:TSd6b16N
高校の頃だったが、家からかなり古い新聞紙が出てきた。何かをくるむのに使っていた。
色褪せてセピア色になってて、日付を見ると……昭和17年!!

第二次ソロモン海海戦の記事が載っていた!うろ覚えだが自軍の戦艦1隻駆逐艦2隻喪失とあったので、おそらく戦艦比叡が撃沈された際のと思う。

不思議と艦名までは書いてなかったが、戦果では敵戦艦撃破・巡洋艦数隻撃沈・敵機数十機撃墜みたいな……うろ覚えだが……

大戦中期の頃はまだ後期ほどフカシ発表はしてなかったようだ。自軍の損害も割と正確に近く伝えていたみたいだ。
363名無し三等兵:2006/08/31(木) 14:44:37 ID:???
前にも書かせてもらったスマトラ・陸軍測量士官のじいちゃん、
盆にかえったら酒を飲むのに銀箔だったか金箔を貼った杯を持ち出してきた。
なんでも恩給がもらえなかったが代わりにもらったものらしい。
スマトラは激戦地ではなかったので長い期間居ないと恩給がもらえないらしい。
従兄弟の人はビルマだったのでもらったらしいが…

その事を酒を飲んでブツブツいうと婆ちゃんに「激戦地に送られたら行きて帰れん!」と
怒られていたが。

ちなみに海軍の飛行機場の警備にもかりだされたらしく、そのさい海軍に食べ物をもらったが
「海軍は食べ物が全然違う。味噌ひとつとっても違う」と感動したらしい。

理系の変わり者だったのでさぞ部下の下士官と兵士は迷惑だったんだろうね…
364名無し三等兵:2006/08/31(木) 16:16:33 ID:vSOb7ikU
>>362
第三次ソロモン海戦ですね。
http://military.sakura.ne.jp/senki/soromon3.htm
真ん中より下に大本営発表がある。

自軍の艦船名は軍機ですので出ません。
敵艦のノースカロライナ級とアイダホ級は写真付きで出てます。
(墜落した●●の同型機、みたいなノリ)
365名無し三等兵:2006/08/31(木) 16:46:51 ID:???
高校で化学を教わった恩師は、大戦中に超高濃度の過酸化水素水を作らされてたそうだ
換気も十分でなく酸素が充満した室内はちょっとした火花でも大爆発し、
タンクに転落したら骨も残らないような危険な職場
理系は徴兵されないから楽だと言われたが、そんなことはなかったと言っていた

当時は分からなかったが、今考えると秋水のアウロル燃料だな・・・
366名無し三等兵:2006/08/31(木) 18:36:24 ID:???
うちのじーちゃんはB-17に乗ってた。まぁ、基本的には爆弾の装填員を地上で
やってたらしいのだが、たまに交代要員みたいな感じでイタリアのミラマー?か
どっかを爆撃しに行ってたらしい。
367名無し三等兵:2006/08/31(木) 19:36:13 ID:???
日系? でも日系は従軍できなかったんじゃないの?
368名無し三等兵:2006/08/31(木) 19:39:23 ID:???
じーちゃんは非日系アメリカ人なんじゃないの?
369名無し三等兵:2006/08/31(木) 19:40:30 ID:???
366
いやいや、100%のアメリカ人なので・・
370名無し三等兵:2006/08/31(木) 21:03:13 ID:F+jYRWLS
バアさんの田舎では戦時中の被害では、終戦末期にあった関西で2回あった地震
その後の戦後の台風での被害が甚大で、田舎の家が地震で崩壊したり
台風で、田畑に大被害が出て、かなりの天災だったので、村でも復員して来た人でも自殺者した人もいたらしい
実際、戦後にニューギニアとか南方の激戦地からよく生きて帰ってきたと思う人でも
田舎に帰って来て、しばらくしたら突然自殺したりとか、折角生きて帰ってきたのに
ふらっと自殺したりとか、今で云うPTSDの発作で急にパニックになったりとか
結構自然の豊かな田舎だったけど 結構コワイ戦後談が多い
371名無し三等兵:2006/08/31(木) 21:28:50 ID:???
去年、秋水の量産一号機の製作で現場の仕事をしていた人に会えたんだが、本当にびっくりした。
記憶がすばらしいくらいはっきりしていて、テスト飛行のときの様子も話してくれた。


ってかこの話詳しく聞きたい人いるかな?
372名無し三等兵:2006/08/31(木) 21:42:43 ID:RfVKomYG
ワッフルワッフル
373名無し三等兵:2006/08/31(木) 21:47:40 ID:???
>>283
>>285
>>286
>>288
>>289
>>291
>>302

これかウースン
ttp://ww1.m78.com/topix-2/%82%94%82%88%82%85%20battle%20of%20shanghai.html

そして俺はここのとそっくりな光景を最近見た記憶がある
映画館で
トムクルーズのMI3、上海で作戦するシーンはまさにこんな光景だった
トムクルーズが水路の上を走る走る
374:2006/08/31(木) 21:51:49 ID:TSd6b16N
秋水て、ドイツのMe163?だかをコピーしたのでしたっけ?驚異的な瞬発力を誇ったが驚異的な航続距離の短さで局地戦闘機になった機体ですか?

>>364全てうろ覚えなので申し訳ない。第三次でしたか。二次は空母戦でしたよね。参加兵力に戦艦2隻とあった気がしたので比叡撃沈の時だと思う。

社会科の先生(これがまた舛添要一にクリソツ)に見せたら驚いてたなあ。その新聞はその後行方不明になってしまった。無くしたのが悔やまれる。
375名無し三等兵:2006/08/31(木) 22:04:47 ID:Gnnh+mT2
家の場合、適齢期がちょうどいなくて、誰も戦争に行っていない。
祖父は、母方父方とも終戦時、それぞれ35〜40才ぐらいだが、
隣組か何かの班長してたそうな。
親父は3男、来年入営というところで終戦。 長兄は、予備士官学校入校中
次兄は、理系で兵役猶予だったらしい。
母方は、女系で長男は、未だ小学生だったそうな。


376名無し三等兵:2006/09/01(金) 00:28:04 ID:???
>>348
抗日運動をしていたいくつかのグループの指導者の「共有コテハン」って説もあるな。
金日成ではなく、金一成などと表記するという説もある。

いずれにしても戦後北朝鮮の指導者になった人とは全くの別人。
377名無し三等兵:2006/09/01(金) 06:09:15 ID:cV3lX+QS
私の祖父は沖縄で亡くなったと父から聞いた。沖縄が総決戦の時に、
島の北に配置されるか南かで生存率がかなり違っていたといっていた。
戦地から次男の父に宛てた手紙がいまでも額に入れて飾ってあるが
「○○君、元気で居られますか。」で始まる文章はすべて家のこと、兄弟の事を
気遣う文章で綴られていた。

その祖父の弟にあたる叔父は最近亡くなったが、一度戦争体験のことを聞いた事がある。
その内容はこんな感じだった。ざっくりと聞いたので詳しい事は分からないが
内容から、中国の国民軍と戦っていた模様。

中国で戦っていた。20センチくらいある大砲を支那の陣地めがけて撃っていた。
大砲はすごい衝撃で、撃った瞬間に相手の陣地が炸裂する。スピードが凄まじい、と言っていた。
塹壕の洞穴の照明に支那人の頭蓋骨を使っていたそうだ。燐が発光して明るいという。
支那人を処刑する時は、穴を掘って穴に向かってひざまずかせる。後ろから日本刀で斬首する。
これが難しいらしく、力が足りないと刀半分で死亡しないので痛がってかわいそう、といってスパッと切ってしまうと
首だけ穴に落ちるので始末が大変、喉もとの皮一枚残して斬首するそうだ。すると前にぶら下がった首の重みで
体も穴に落ちるという。かなりグロい話だし、人を殺めているのであまり人には喋らなかったそうだ。

378名無し三等兵:2006/09/01(金) 06:46:56 ID:???
父方のばあちゃんのじいさんは宮大工をしていて、皇居内の厩を造ることになり、図面を引く為に皇居の詳細な地図を貰ったが、結局じいさんの師匠が殺害されて厩の件は中止になった。
その後家には皇居の詳細な地図が有ったのだが大戦末期に特高がきて焼かされたそうだ。

また話は前後するが、昭和九年陸軍特別大演習では、連隊旗が家の前に止まり納屋が軍隊の休憩場所になったり、
李王垠殿下が家に来てお茶を飲んだとのこと。
家に帰ってきたばあちゃんは、持っていた荷物を若い私服警官に取られ、抗議をしたら駐在さんが来て理由を教えてくれたとのこと。
その時、若い私服警官の上司からばあちゃんの父親は大正天皇の馬関係の世話をまかされていたと聞かされたそうだ。

379名無し三等兵:2006/09/01(金) 07:08:06 ID:???
なぜ荷物をとられたの?
380名無し三等兵:2006/09/01(金) 08:44:25 ID:MVc+1zWH
昔から、広島は要塞都市とかで、バアさんとかが子供の頃修学旅行とかで広島市内を通過する時は
列車の窓に目隠し用のブラインドがあって、強制的に閉めさせられたらしい
また、ジイさんが、中国戦線から、船で帰国したけど 広島市内で帰国祝いで仲間の飲んで
広島湾の埠頭で、なんでもないようなところで記念写真撮ったら、いきなり憲兵が出てきて
写真機取り上げられて、フィルム抜かれたらしい なんでも背景に高射砲陣地が写る場所とか云ってけど
それらしいのは無く 近くで、デカイ船が停泊してたから、アレが戦艦大和だったかもとか云っていた
憲兵が軍曹で、ジイさんの方が、戦地帰りの尉官だったので、階級が上だったから、押し問答したらしいけど
当時の憲兵はやたらと威圧的で、スゴイ強気の広島ヤクザのようなので物凄く怖かったらしい
中国でも中国人のチンピラみたいなも見たけど それ以上だったとか
広島市内の戦前の写真とか少ないのも写真撮ってると広島ヤクザの憲兵が、言いがかりつけて妨害したかららしい
381名無し三等兵:2006/09/01(金) 11:46:41 ID:???
戦争体験じゃないが、爺さんの法事やってたら大叔父さんの日記や教科書が出てきた。
教科書の表紙には
「高等科整備術練習生 整備術(機体)教科書 横須賀海軍航空隊」
次ページには
「命令 本書ニ依リ整備術(機体)ヲ修得スベシ 昭和十七年三月三十日 横須賀海軍航空隊司令 上野敬三」
とある。
ちなみに内容はどう見ても航空力学の専門書。数式とグラフで大半を占めてる。
なお大叔父さんは南方で戦死したらしいのだが詳細は今日まで判らずじまい。南無。
382可愛い奥様:2006/09/01(金) 13:03:25 ID:???
本当に昔の日本は狂っていますね
中国や韓国の人たちに謝る気持ちを持つべきだと思います。
中国や韓国が怒るのも無理がない。彼らが怒ったとしても
私たちはただ頭をたれて謝るしかない。いや、そうするべきだと
このスレッドを見て思っています。
383名無し三等兵:2006/09/01(金) 15:54:30 ID:/vBqqJVl
中国も韓国も日本も低レベル
ってか政治家みんな低レベ

ってかこのスレに書くことか?

ドンマイ
384名無し三等兵:2006/09/01(金) 17:02:59 ID:???
>>382
戦争にどっちが悪いとかあんまり無いと思うよ。どっちとも開戦する前は色々と
思惑が有っただろうし、単純に日本が悪い、中国が悪いではすまないと思う。戦
中は戦中でどちらも敵国憎しで酷い事をお互いにしてた訳だし。

スレ違い申し訳ない。

385名無し三等兵:2006/09/01(金) 17:05:34 ID:???
おやじがガキの頃見たって話で横浜の空襲の後、近所の大人たちが
焼夷弾の不発の奴を学校のプールに沈めてながら分解して
生ゴム取り出したって言ってたけど・・・

正直スゲェ。
386名無し三等兵:2006/09/01(金) 17:09:10 ID:kHoj9oRM
祖父は病気で行かなかったけど祖父の弟が中国戦線からブーゲンビルに行った。無事に帰国し遺骨収拾団にも行ってる。子供の頃に亡くなったので話し聞けず残念
387名無し三等兵 :2006/09/01(金) 17:17:20 ID:???
>>384
あの当時は人命が安かったからねw
河辺だったか、敗戦後もなお
「全体主義の方が強い、作戦さえあれば良い
(=自分たちの作戦を邪魔する連中や情勢があったから負けた)、
作戦を完遂できれば、民主主義には負けない」
そうほざいていたそうだが。
石原の慎ちゃんも同じみたいだw
だから中国がアメより強いというし、
共産主義やイスラム原理主義をやたら怖がる
(脅威というのはしばしば憧れや嫉妬の裏返しだからな。

こういう戦争を知らない戦術屋どものおかげで
ウチの身内は当時は松林が埋め尽くしていた
松本盆地で松の根掘りやらされたり、
京都田辺の弾薬庫あたりで機銃掃射受けたりした訳だw
388名無し三等兵:2006/09/01(金) 18:00:40 ID:jiLvugJq
バアさんの親戚は、日赤看護師やってたけど 戦後はあの有名な「売血」の採血もやったらしい
戦後喰えない復員者が自分の血液売って、生計立てたのは、有名
日赤の歴史でも汚点になってるらしいけど 実際「売血」の採血など凄かったらしい
一応カンタンな健康診断はやるけど 今みたいなエイズや肝炎などの検査も無い
注射針の交換も無いし かなり不衛生な採血だったけど 「売血」でしか生きていけない人も多数
アメリカあたりでも「売血」はまだやってるらしいけど
輸血での感染事故が多いのも「売血」された血液からの感染源
389名無し三等兵:2006/09/01(金) 20:59:40 ID:???
>>388
だもんで、
俺なんか最近の『昭和三十年代』の持ち上げっぷりに笑っちゃいますよw
アンタその通りを右に曲がれば『血液銀行』があるんですよ、ってね。

・・・一本裏に入れば『赤線』もある。
390名無し三等兵:2006/09/01(金) 21:15:00 ID:???
街で傷病兵さんを見かけなくなって、はじめて、戦争の匂いが消えるのだろうか。
391名無し三等兵:2006/09/01(金) 22:23:50 ID:???
過去帳を見ていたら、曾祖母の項に大叔父が復員して帰郷する一ヶ月ほど前に死んだとの記述があった。
こういった経験は多くあったのだろうと思う。
392378:2006/09/01(金) 22:31:02 ID:???
>>379
荷物を取り上げられて調べられたそうだ。
危険物が入っていないか。
当時女学生だったばあちゃんは、裁縫道具を持っていたが、駐在さんが来て、やっと返してもらったとのこと。
393名無し三等兵:2006/09/01(金) 23:07:03 ID:???
>>390
この前、40歳代後半の『ノモンハンで受傷』の人見たけどな...
394名無し三等兵:2006/09/02(土) 00:23:47 ID:YnIoWFvt
誰か沖縄戦で軍人の経験知らない?
395名無し三等兵:2006/09/02(土) 00:49:39 ID:uEJZFh25
婆ちゃんの形見で桐のタンスから昭和17年の東京日日新聞が切り抜きでしまってある。じい様のいた部隊が写真付きで載っているが、うちのじい様、すげー笑ってる。
396名無し三等兵:2006/09/02(土) 02:40:31 ID:???
>>395

ちゃんとおじいさんに敬礼しろよ
397名無し三等兵:2006/09/02(土) 03:54:15 ID:???
婆ちゃんが大事にしてたもんなんだからおまえも孫に見せてあげれるくらい大事にしろよ。
彼女できないと思うけど。
398名無し三等兵:2006/09/02(土) 03:57:29 ID:???
>>392
サンキュー
返してもらったの一言あったらそれを想像できたんだけどさ。取り上げられたまんまかと…すまね
サンクス
399名無し三等兵:2006/09/02(土) 07:58:27 ID:6sSLMvY8
爺ちゃんが他界したから、家整理したら弾がゴロゴロ出てきた。火薬が入ってるか分からないしケーサツに届けたいけど、没収とかされんのかな?
400名無し三等兵:2006/09/02(土) 08:22:17 ID:ysilaFSD
↑火薬入っていれば没収でしょうね
401名無し三等兵:2006/09/02(土) 09:43:03 ID:???
>>399
法律に触れるのは、発射薬と雷管だから・・・
カートリッジを振ってみれば発射薬が入っているかどうかわかるよ。
あと、雷管がついているかどうか。
雷管がついていれば雷管に撃発した跡があるかどうか見てみれば。
402名無し三等兵:2006/09/02(土) 11:37:18 ID:4Rs9u894
ウチのじーちゃんは、騎馬隊として中国へ行ってたそうな。
詳しい軍歴とかは聞いてないけど、ガキの頃色々話してくれた。
・機関銃やピストルが支給されたけど、戦争末期には半分は稼動しないガラクタだった
 仕方ないので、並べて威嚇用のデコイとして使ったとか
・戦死した同胞を穴にまとめておいたら、燐が人魂のようだった
 あれを見てからあの世というのはこの世にあるんだと思ったとか

最後は肺癌で死んじゃったけど、もっと詳しく話しを聞いておけばよかったな・・・
ジーチャンと指した将棋ナツカシス(ノД`)
403名無し三等兵:2006/09/02(土) 15:18:08 ID:???
>機関銃やピストルが支給されたけど、戦争末期には半分は稼動しないガラクタだった
>仕方ないので、並べて威嚇用のデコイとして使ったとか

意味がよく分からない。弾が無かったのなら分かるが。
404名無し三等兵:2006/09/02(土) 15:19:50 ID:4Rs9u894
>>403
オレもうろ覚えだから自信は無いのだが・・・
作動しない銃も陣形を取って並べて、威嚇したってことジャマイカ?('A`)
405名無し三等兵:2006/09/02(土) 16:18:34 ID:???
陸軍の兵器管理状況から考えると、何らかの故障のまま
兵器を保管するとは思えないですね。

木製などの模造兵器を本物のように、見立てて敵を欺こう
としたのではないでしょうか?
飛行機や戦車などでは実例もありますし。
406名無し三等兵:2006/09/02(土) 17:05:47 ID:6sSLMvY8
399です!火薬は入っていないみたいです。親父の説明では弾頭?らしいです でも、爺ちゃんの生前の話によれば、陸軍は陛下に頂いた装備は陸軍の人は かなりの人が隠したりしていたみたいです。
407名無し三等兵:2006/09/02(土) 17:58:15 ID:q9OOnOE7
バアさんも戦時中は戦没者が遺族に遺骨箱に抱かれて、帰国する戦没者の慰霊の式典にもよく参加させられたらしい
今みたいに夏だけでなく、終戦末期は、毎週のように無言の帰国の儀式があったらしいけど
その度に学校が臨時休みになるので、「楽しかった」とか云ってた
ナンで楽しかったとか云うと、一応全員集合して、慰霊したけど その儀式後は、戦時中では貴重なものとなったお菓子とか
甘いものが参加者に配られて、若い子がお菓子目当てに参加してたらしい
甘いもので若い女性のサクラの慰霊参列者を呼び込んで、戦意高揚してたらしい
408名無し三等兵:2006/09/02(土) 22:42:54 ID:rtKGfxML
教育テレビおもしろいな。 しかし南方進出は実に失敗だな。満州にいくらでも資源なんかあったのに。
409名無し三等兵:2006/09/03(日) 00:29:58 ID:???
それどころか、樺太には油田が……

まあ、所詮は後知恵だけどな。
410名無し三等兵:2006/09/03(日) 01:40:21 ID:vcCBS4PQ
うちのじいちゃんは中国で砲兵として戦って金鵄勲章をもらったらしいが、
金鵄勲章ってどれくらいの戦果を挙げたらもらえるの?
411名無し三等兵:2006/09/03(日) 10:17:55 ID:LATxekOl
バアさんの住んでた家の近くに、終戦直前に、飛行場が出来て、特攻基地のようになって
なんと、樺太出身の早稲田大学卒の隊員が、下宿してたらしいけど
終戦と同時に、行方不明になったらしい 出身地もソ連に占領されて、帰れない人も多かったようだ
実際中国に家族置いて、仕事で日本に来てた日本人なども多数いて、音信不通
現地に捜しに行きたくても行けないような状態だったようだ
412名無し三等兵:2006/09/03(日) 15:05:48 ID:???
>>410
10人レイプもしくは5人虐殺で貰えます
413名無し三等兵:2006/09/03(日) 16:36:49 ID:f56QXNJ9
>>412
>>5人虐殺で貰えます
それが事実なら支那派遣軍の兵隊は金鵄勲章もらいまくりになりそうです。
ちなみに祖母の弟は戦時中に鉄砲を1発も撃たずに済んだので金鵄勲章に縁
が無いけど。
414名無し三等兵:2006/09/03(日) 17:53:48 ID:???
>>410
歴史群像2004年4No.64から抜粋

明治23年制定の勲章。明治27年に年金が足されるとともに制度改正によって戦死者にも年金
が入るようになった。(昭和16年に一時金に変更)
軍人が主に授与されたようで、この章の9割(250万人)が軍人。(各級がある。功一〜三)
戦後廃止になって他の章は復活(文化勲章など)したが、この章だけ復活してない。
主な受章者
乃木・児玉将軍・牛島・山下・南雲・山本長官などなど

貴方のおじい様は250万人の中に入った、誇れる人です。
415名無し三等兵:2006/09/03(日) 19:59:35 ID:???
父方の爺さん
満州で兵役。終戦後ソ連軍に投降せよと所属部隊の上官が指示。爺さんの班は上官の指示を無視し部隊から
逃走。鉄道の貨車に隠れて大連まで行き復員船で本土へ帰還。亡くなる前にシベリアに行かなくて良かった
と話してくれた。

母方の爺さん
海軍の飛行機整備士。内地からサイパンに転属が決った直後、盲腸に罹り入院。爺さんを置いて輸送船は出航
し敵潜水艦の攻撃で沈没。乗る船が無く内地で終戦。部隊解散時に大量のパラシュート生地を貰い(盗み?)
戦後はパラシュート生地(絹らしい)で服を仕立てて売り歩いたそうだ。
爺さんの弟は陸軍の戦闘機乗りで九州の芦屋基地から関門海峡に機雷を落としに来たB-29を迎撃する為に出撃
し帰還しなかったそうな。
416名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:10:39 ID:Ea0O+ku+
 1915年ー2003 享年87歳で亡くなったの祖父の話

 昭和11年の雪の日上官の命令で演習をした。その後実はそれが演習なんかではなくて、あとで自分が226事件の反乱軍に加担したことがわかったという。

 226事件の参加者は最前線に送られることが多く、そのために昭和天皇のことがきらいだったらしい。

 祖父は最前線に送られることはなかったようだ。

 その後南京陥落の一ヵ月後に南京に入った。入城したときに人骨があたりに散らばっていたという。若気の至りで、残虐行為があったか聞いてしまったが、見たことがないと言っていた。

 嘘をつくような人ではないので正直に話してくれたと思う。話していいことと悪いことを慎重に選んでいる気配はあったが。

 もしかしたら大正生まれの人々は、日本の歴史上で最も受難の多い時代に生まれたのかもしれませんね。

 
417名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:13:23 ID:???
>>416
非国民乙
418名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:20:30 ID:???
なんで非国民なんだよw 
419名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:26:32 ID:???
>>414
うちの大叔父も貰ってたな。金鵄勲章(功7)と旭日章(勲8)。
戦中は海軍の水兵だったらしく(階級も所属部隊も分からない)。そのままどこかで戦死。
詳しく調べられたら調べてみたいんだが・・・・。
420名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:30:18 ID:???
父方祖父→レイテ戦で戦死、オヤジはバーサンの腹の中だった
母方祖父→中国で日本兵相手に奮戦(国民党兵)

複雑よ
421名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:34:33 ID:???
チャンコロ乙
422名無し三等兵:2006/09/03(日) 21:39:09 ID:???
>>420
じいちゃんや達が命がけで殺しあうほど
いがみ合ってた時代を何とか乗り越えて

おまいのトーちゃんとカーちゃんが愛を育める
平和な時代が築かれたんだ。

素晴らしいことジャマイカ。

いっそ誇らしく思うべきだよ・・・。
423416:2006/09/03(日) 22:00:08 ID:kJYlaIm8
418さんありがとう。祖父を侮辱されて殺意を感じるほど悔しい思いをしていたのでその一言はうれしかったです。
424名無し三等兵:2006/09/03(日) 22:31:14 ID:???
>>415
全く関係ないが芦屋基地って俺の近所なんだよね
こんな近くから出撃して戦死した人がいるって改めて考えさせられたよ
425名無し三等兵:2006/09/03(日) 23:23:27 ID:iiX52GqH
戦時中は、空襲も怖かったけど 結核感染も怖かったらしく
毛布も虫干しとかも頻繁にやるとか 他人の咳払いにも注意してたらしい
結核患者の咳払いは独特の咳払いで、ヘンな咳払いしてるとお前結核かと云われたらしい
実際防空壕とかでも結核感染の集団感染もあったらしく
かなり今のエイズ感染のように不治の病だったから、かなり怖かったようだ
バアさんなど 春の花粉シーズンなどで街にマスクする人間が増えると必ず昔の結核感染の話する
最近では、小学校でも今はやらなくなった回虫の検査も昔は結構回虫飼って人間も多かったらしい
最近では東南アジア旅行とかでグルメなどやると、回虫入りの食事食べてしまうらしい
テレビで芸能人が美食ツアーとかで、中国で中華料理食べてるけど あれもかなり回虫入りも多いとか
426名無し三等兵:2006/09/03(日) 23:47:50 ID:???
>>419
>詳しく調べられたら調べてみたい
つ【 厚生労働省社会援護局業務課 tel:〇三-三五九五-二四六五 http://mobile.mhlw.go.jp/info/shakaiengo/gyoumuka.html
427名無し三等兵:2006/09/04(月) 03:09:26 ID:cXlQqv6a
>>425
終戦直後の話になるが父方の祖父は結核で亡くなった。
昭和23年の寒い冬の出来事。
知り合いから当時最新鋭の治療薬を飲んだが効果が
無かったようだ。
関東大震災で最初の妻と子供を亡くして大東亜戦争で
家を失ったので精神的に立ち直れなかったかもしれない。
あと2年生き延びれば朝鮮特需で助かったかもしれない。
428名無し三等兵:2006/09/04(月) 08:52:36 ID:???
うちのじ-さん、タイ国境のシャンで英軍に投降したがムドン収容所は結構
楽しかったらしい。
「スタンダーっって飯の時間よ〜」
なんて酔うとクダを巻いていたのがなつかしす。
429名無し三等兵:2006/09/04(月) 14:02:55 ID:???
>>387
ウチの母の知り合いがその松根油の研究をやっていたようだ。
その御仁は神奈川県だったか?にあった海軍の施設で仕事をしていた
らしい。あのエンジンをお釈迦にすることで有名なアレをなんとか
ものにすべく日夜努力奮闘したようだがもちろんダメだったようだ。

なぜそんな話を知っているかというとその人(階級は少佐ぐらい)
が自費出版した本を母がもらってきたからなのだが、肝心のその本
が行方不明になってorz 記憶があいまいなのはそのせいスマソ。
430名無し三等兵:2006/09/04(月) 15:57:37 ID:vosUyOH9
バアさんの姉に間違って、召集令状が来たことがあったらしい
詳しい間違いの経過はよく解らないけど
慌てて、役所に行ったら、トンダ間違いと判明したらしい
田舎の町役場でも結構都会から、集団疎開してきて 住民票の異動とか多くて
戸籍係も大チョンボやったらしい
431名無し三等兵:2006/09/04(月) 16:02:20 ID:pUibAo6+
戦死した祖父のこと何にも解らん…。亡くなった祖母は「富士山は見たくない」って言ってたらしいけど…。
ここから先どうやって調べたらいいのかだれか教えてほしい(´・ω・`)
432名無し三等兵:2006/09/04(月) 16:31:19 ID:4LRl7Ad9
もし満州に大油田があるってわかって全兵力を対中とソ連牽制に使ってシナ大陸の公用語が日本語になってたら今頃ここの書き込みはすごかったろうなwww
433名無し三等兵:2006/09/04(月) 17:32:34 ID:???
434名無し三等兵:2006/09/04(月) 22:58:16 ID:???
>>431
まず、御爺様の御墓に行って、そこの過去帖(キリスト教式墓地ではなんと言うのか?)でも見て、
陸軍だか海軍だか確定しましょう。
435名無し三等兵:2006/09/04(月) 23:35:36 ID:???
戸籍の死亡記載のとこ見ると陸軍か海軍かわかんねえか?
436名無し三等兵:2006/09/04(月) 23:47:36 ID:???
>>434-435
d!戸籍で解るんだ。実は祖父の子供(=親父)はその後養子に出されたんで、
あんまり情報が無くて困ってた。助かった。ありがとう。

なんつうか、ここで自分たちが祖父のこと忘れちゃったら、本当にこの世に祖父を知ってる人が
いなくなっちゃうような気がして(戦友のひととかは居たんだと思うけど)、危機感を覚えたんだ…。
戸籍上は他人だけど、親は親だもんな(`・ω・´)
437名無し三等兵:2006/09/05(火) 00:46:35 ID:TAHBon5B
祖父の軍歴って気軽に調べられる方法ないよな?めんどいからやめとくわ。
438名無し三等兵:2006/09/05(火) 01:25:35 ID:???
そうして>>437も自分の孫に忘れ去られるのであった・・・
439名無し三等兵:2006/09/05(火) 01:42:26 ID:???
無縁墓地決定の>>437テラカワイソス
440名無し三等兵:2006/09/05(火) 02:09:28 ID:???
自分で倉庫で台帳めくってこい、って言われんならともかく、
本籍と名前出せば調べてくれるんだから気軽もいいとこだ。
441名無し三等兵:2006/09/05(火) 08:01:52 ID:???
>436
ちょっとアドバイス
もし、調査の結果歴史的な資料や資料群が出てきたら近隣の郷土資料館へ
貸し出する(寄贈)ことをオススメする。

子孫の数は増える一方だけど、残存資料は減るばかり(形見分けとかで)
散逸する前に、まとめて付託したほうがいいよ?
(でないと子孫が資料を目にする機会は激減する)
442名無し三等兵:2006/09/05(火) 08:18:24 ID:???
>>441
あー、漏れも死んだじいちゃんの従軍記章や指揮刀、軍衣(九八式で上着しかなかった)を郷土資料館に寄贈したら喜ばれた、良かった。
443名無し三等兵:2006/09/05(火) 13:11:52 ID:???
寄贈しようと思っていたが
物の価値もわからん馬鹿親が全部捨てるか燃やしたとさ・・・
444名無し三等兵:2006/09/05(火) 15:34:40 ID:wOBJ76lj
祖父の兄弟の戦争体験。

【祖父兄弟の長男】
・駆逐艦の甲板将校だった。
・乗艦していた艦が何度も撃沈されて、その度に海面を漂流。
・仲間同士のふんどしとふんどしを繋ぎ、はぐれるのを防いだ。 

【祖父兄弟の次男】
・伏竜特攻隊で訓練中に終戦。

【祖父兄弟の長女】
・艦載機の機銃掃射の流れ弾が家の屋根に命中。
 戸棚をあけると機銃弾がちょこんと皿の上にのっかっていて
 腰を抜かしたらしい。

【祖父】
・まだ小学生だったが、ある日友達らと海水浴をしていると艦載機が飛来。
 急いで浜にあがろうと泳いでいたら、自分達がいるのとは
 見当はずれの沖合いを機銃掃射していった。
 過ぎ去りざまパイロットの顔が見えたらしいが、
 にやにや笑っていたらしい。
445名無し三等兵:2006/09/05(火) 16:16:58 ID:???
>>444
>・伏竜特攻隊で訓練中に終戦。
よくぞご無事で。

>・駆逐艦の甲板将校だった。
甲板士官です。
446名無し三等兵:2006/09/05(火) 16:36:43 ID:???
祖母の友人の家に昔はよく遊びに行ってたんだけど、
廊下の漆喰の壁に穴を塞いだような跡があったんだよ
その穴は直径10センチぐらいで、反対の壁にも少し小さな穴があった
好奇心でこれなに?と聞いて見たら、ロケット弾が当たった跡だって言われて驚いた
たまたま不発で助かったらしいが、目の前に弾が突っ込んできて腰を抜かしたそうだ
447名無し三等兵:2006/09/05(火) 16:46:38 ID:h2Ng04xX
【祖父】

昭和18年に召集
南支・中支・北支と転進
満州で終戦を迎えソ連軍の捕虜に…
シベリア抑留を経て昭和25年帰還

平成7年永眠


【父】

釜石艦砲射撃を2度経験
第2次艦砲射撃の際グラマンの機銃掃射を受けるも無傷
448名無し三等兵:2006/09/05(火) 17:23:03 ID:IOLUrl7/
祖父じゃないけど、祖父の兄が沖縄戦で戦死。
449名無し三等兵:2006/09/05(火) 18:51:19 ID:???
戦争中にもかかわらずどこぞの豪邸で
コンビーフを食べていた。父は軍人ですが、白い服を着ていて、
私は丸々と太っていた。
うちの祖母ちゃん談
450名無し三等兵:2006/09/05(火) 23:28:14 ID:EzpXp5wi
バアさんの兄貴が海軍兵学校で、武蔵とか長門に乗ってたそうだ
武蔵でも生き残りだったらしくて、週刊誌にも体験記を載せてた
実際艦と運命共にしようとしたら、沈没時の荒波に巻き込まれて
バタバタしてたら助かったらしい 但し沈没直前でも艦を少しでも浮かせるとかで
大事にしてた家宝の軍刀も海に沈めたりとかメチャクチャだったらしい
映画「タイタニック」にも出ていたように沈むときに、ものスゴイ渦もあったらしい
とにかく渦に巻き込まれないように遠泳したらしい
戦後何度か会って興味がてらに戦艦武蔵の話とかしてみたけど
眼光鋭く気軽に聴くには憚られるようなカンジ
やはり実際に修羅場をくぐって来た人はコワイ
451名無し三等兵:2006/09/06(水) 23:11:30 ID:???
>450
とりあえず、飛行機で内地帰還できただけでも良かったじゃん。
特務士官と下士官兵は帰還輸送船が撃沈されたり、
コレ妃ドールやクラーク、マニラの守備隊編入で地獄の底まで
452名無し三等兵:2006/09/07(木) 01:22:53 ID:???
うちの亡き祖父
陸奥に通信兵として乗組、上陸してるときに謎の爆沈。一命をとりとめる。 駆逐艦に乗り南方にて撃沈→漂流 漂流時は鮫よけに褌をのばしてたけど、船にいた床屋?がいくら説得しても稼いだ金を手放さず目の前で沈んでいったそうです。
453名無し三等兵:2006/09/07(木) 20:57:18 ID:nz06ToMg
ジイさんの部隊などに、所謂「華族」とか「皇族」の末裔にあたる人が将校でいて
やはり特別待遇で、なんかの行事でも特別にお言葉とかを述べることも多く
まさに「水戸黄門」のようなカンジで、皆どもに有難いお言葉の述べることもあったらしい
これと云って、戦功あげたうけでも無いけど勲章着けて、若いけど「御言葉」を述べて
戦意高揚とかの行事 終戦で華族とか制度も無くなって伯爵の息子もタダの人
「皇族」の末裔とか云っても、昭和天皇とはかなりの遠い親戚関係で
明治天皇の遠い親戚とかでも「皇族」とかで、結構スゴイ待遇だったけど
戦後は、皇族でも降格されて、今はどこにいったからわからないらしい
戦時中でも身分制度があったから、「皇族」や「華族」の末裔の人間でも、軍隊でもイイ思いしてたらしい
454名無し三等兵:2006/09/07(木) 21:02:26 ID:KWIfrp2K
詳しく聞かなかったのだが南方に送られていた。たぶん陸軍の方。
背中に弾のあとがあった。
455名無し三等兵:2006/09/07(木) 21:22:28 ID:???
皇族/華族はよかったが士族には何の特典もなかったなぁ。
家宝の刀も戦地で没収されたみたいだし。
銅田貫?だぜ?
今残ってればいくらになってるんだよ・・・。
456名無し三等兵:2006/09/07(木) 22:33:59 ID:???
ちょっと前に法事があり、親戚のじいさん達が集まると戦争の話を始めていた。
一人はインパール戦に参加、二人は南京攻略(機関銃兵と歩兵)、一人は飛行場の旗振り。
インパールに参加したじいさんが言っていた、英国兵は捕虜虐待が酷く、「なにが、紳士の国だ、ウソ吐け」と怒り捲っていた。
南京攻略参加した二人は南京虐殺の記事を見ると、「あんな事があつたのかー?」と不思議がっていた。
旗振りをしていたじいさんは、何時も他のじいさんから虐められていた、理由は10年旗を振り続けて一発の弾を撃たず、腰に軍刀をぶら下げていたから。
457名無し三等兵:2006/09/07(木) 23:19:15 ID:lryq3ybw
子供のころ田舎の実家の物置で遊んでたら、表紙に○○軍曹ってじいちゃんの名前が書いてある日記みたいなのが出てきた。
その時は興味なくて見なかったけど、今度探してじっくり見てみようと思う。
458名無し三等兵:2006/09/07(木) 23:22:20 ID:???
>>456
イギリスは上流階級の人は紳士だが、
それ以外はアメリカみたいなやんちゃなガキ。
459大佐:2006/09/07(木) 23:42:55 ID:rjpodMOi
じいちゃんは真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットでした。第一航空艦隊の主力空母赤城に配属されていてミッドウェーの悲劇まで無敵を誇っていましたがミッドウェーで怪我をしてそれからは本土防衛をしてぃたそうです
460大佐:2006/09/08(金) 00:30:44 ID:Cct6ogMg
さっきじいちゃんに聞いてぃたんですが地位は大佐で真珠湾第一次攻撃隊の第137航空隊で活躍したそぅです。本土防衛軍は即席で育てられた予科練ばかりで全く相手にならず最後は必ずじいちゃん1人になってしまったそうです
461名無し三等兵:2006/09/08(金) 00:49:24 ID:???
>第137航空隊

何、それ?
462名無し三等兵:2006/09/08(金) 00:51:09 ID:???
ああ、釣りの餌だったのか。つまんねー。
463名無し三等兵:2006/09/08(金) 00:52:13 ID:???
>>452
軍属な方ではないかと。
464452:2006/09/08(金) 02:23:08 ID:???
駆逐艦クラスでも軍属が乗り込んで艦内で床屋やれるほど乗組員いたんですね。その後陸戦するはめになり米軍陣地に殴りこみ物資を強奪してたらしいです。亡くなる数年前まで体の中に弾片やケロイド状の傷痕が残ってました。
465名無し三等兵:2006/09/08(金) 07:53:32 ID:Cct6ogMg
>>461
知りませんか?淵田中佐指揮の第一次攻撃隊なんですけど
466名無し三等兵:2006/09/08(金) 11:19:24 ID:???
海軍大佐ねぇ(苦笑)


もう少し詳しく書いてみようか??



あと、占守島の人みたいに質疑応答希望。
(占守島の人はガチで経験者だったからな)
467名無し三等兵:2006/09/08(金) 12:47:14 ID:XBx60RnX
大佐で出撃してるのなら、淵田隊長が指揮するのはおかしくね?          確か赤城は戦闘機の飛行隊長は板谷小佐?じゃなかったかな?違ったか?           それか、大佐じゃなく大尉?大佐なら参謀か艦長クラスだ!
468名無し三等兵:2006/09/08(金) 12:54:29 ID:???
終戦時の階級じゃまいか
469名無し三等兵:2006/09/08(金) 13:12:48 ID:???
本気にしてんの?w
470名無し三等兵:2006/09/08(金) 14:16:52 ID:???
おいらの祖父は戦時中父方・母方ともに静岡で学校の先生をやっていたので召集されなかった。
父方の祖母は、米軍が清水を艦砲射撃したときに、たまたま日本平にいたらしく、
その光景を見て、こりゃダメだ日本は負けると思ったそうな。
このじいさん、戦前は東京で私立学校の先生をしていたのだが、ある生徒から
教師が貧乏であることを馬鹿にされたため、引っ叩いてこっぴどくしかったそうな。
そしたらその子が陸軍の幹部の息子だったらしく、学長がびびってしまい、菓子折り持って
一緒に謝罪しに行こうと言われたが、断り辞表を叩きつけてきたという武勇伝?がある。
今その学校は私立大学になり、おいらはそこの卒業生だったりする。
471名無し三等兵:2006/09/08(金) 15:08:38 ID:???
>>464
大型艦艇には必ず軍属の床屋が乗り込んでいたそうな
大和の水上特攻の時も床屋が乗っていて、出撃前に降りろと言われたけど拒否、
死地に赴く乗組員の髪を切っていたとか聞いた

まぁその金を手放さず沈んだ床屋もそうだが
軍人でもないのに戦場についていくだけあってよほど肝の据わった連中だったんだろうな
472名無し三等兵:2006/09/08(金) 15:49:57 ID:Cct6ogMg
>>467
当時は大佐じゃなく確か中尉か大尉だったと思います。大佐は終戦前だったと思います。じぃちゃんは淵田少佐指揮って言ってましたけど…
473名無し三等兵:2006/09/08(金) 15:55:25 ID:???
>>471
「君には艦を降りてもらいたい。今までご苦労だった。」
「ちょっとまってくだせえ!大和の水兵さんが散切り頭で居たりしたら
 敵の奴らに笑われちまいます。そんなことしたら、おらぁ、先代に顔向けできなくなります。
 どうかお頼みします。最後の最後も仕事もきっちり果たさせてくだせえ」


こんな会話とかあるんかね。べらんめえ口調は気にしないでくれ
474名無し三等兵:2006/09/08(金) 16:29:57 ID:???
>473
普通に戦闘配置もあるし。
降りたくても降りられない&帝国海軍が降ろさないよ。
475名無し三等兵:2006/09/08(金) 17:38:44 ID:???
>472
まぁ、ガチで書いてるのかも試練が殆ど生き残りはいないぞ?
じいさんの(ちょっとした)見栄かもしれんぞな。

何か終戦時の防空体制について聞いてみてくれ。
南雲部隊系の話は広く広まってるが、終戦時の秘話系は当時いた人しか知らないからな。

漏れのじいさん(他界しているが)
ビルマの33軍勤務時、つじ-んに車を貸した(で反乱軍に襲われた)
ムドン収容所は結構楽しかった(らしい)
476名無し三等兵:2006/09/08(金) 17:54:00 ID:???
>472
まあ、外野は気にせずドンドン書いてほしいな。
漏れなんか以前二一型を二十一型って書いただけで
えらく叩かれたよ・・・その程度だから気にするな!
477名無し三等兵:2006/09/08(金) 18:03:51 ID:Cct6ogMg
>>475
防空体制?迎撃時の事ですよね?
478名無し三等兵:2006/09/08(金) 18:06:28 ID:Cct6ogMg
>>476
はぃ☆ありがとうございます♪何か聞きたい事ありますか?
479名無し三等兵:2006/09/08(金) 18:46:10 ID:???
>>478
お祖父さんはミッドウェーの時はどの艦に乗艦されていましたか?

>>476
それは軍板では叩かれて当然。
「斬減」と書くのと似たようなもんだ。
オマエはレスする前に最低限勉強することがあるだろうと。
480名無し三等兵:2006/09/08(金) 18:58:48 ID:???
>>479
オタじゃない人が萎縮して書きずらくなるじゃん
やさしく見守ってくらはい
481名無し三等兵:2006/09/08(金) 19:15:01 ID:???
>479
まあまあ、いいじゃないか。

終戦時大佐だった淵田美津雄が1902年(明治35年)生まれ。
おなじく大佐だった八原博通も、1902年生まれ。
「海上護衛戦」で有名な大井篤(最終階級大佐)もやっぱり1902年生まれ。
やはり大佐で、終戦後少将になった神重徳が1900年生まれ。

ちなみに、>478の爺ちゃんは何歳なの?
482名無し三等兵:2006/09/08(金) 19:59:21 ID:Cct6ogMg
>>479
確か赤城への艦載が間に合わず第3戦隊の瑞鶴に載せられていたと思います。
483名無し三等兵:2006/09/08(金) 20:01:17 ID:Cct6ogMg
>>481
96歳ですよ
484名無し三等兵:2006/09/08(金) 20:03:21 ID:???
>>482
ミッドウェーに瑞鶴は参加してないんだけど・・・
>>459と内容が矛盾していないかい?
485名無し三等兵:2006/09/08(金) 20:08:17 ID:???
>>484
真珠湾の時の話だろ。
486475:2006/09/08(金) 20:14:58 ID:???
>481
まあ、答えにくいような質問はやめとこうや。

まず、
*ミッドウェーの際の乗艦は?
*本土の防空システムについてどんな反省点があったか?
(どんな事で困ったか?)
(追加 大佐以上は通常なら機体へ搭乗しない。源田と大西は別だが)
487名無し三等兵:2006/09/08(金) 20:18:50 ID:Cct6ogMg
>>484
ぃえ瑞鶴は参加してますよ。翔鶴は確か修理で参加してませんが瑞鶴はしてるはずです。
488475:2006/09/08(金) 20:25:47 ID:???
>487
ちょっと不毛な流れになりつつあるな。
君のおじいさんとやらに質問することはできない?
あと、当事者しかしらない話をだせれば釣りの疑いも晴れると思うけど。

飛行要員むけの糧食の話なんかはどう?
メニューは当然一般兵士と違うんだが。
489名無し三等兵:2006/09/08(金) 20:33:03 ID:Cct6ogMg
聞いてみます。
490名無し三等兵:2006/09/08(金) 20:40:58 ID:???
爺さんが孫に話す物語って話半分に聞いておいたほうがいいよ。
491名無し三等兵:2006/09/08(金) 20:51:24 ID:DoZGOOZ+
俺の親父。
旧制中学のときにある飛行隊に行ったら飛燕がいたそうだ。
操縦士の真似して翼に足かけて乗ろうとしたら
ブチ怒られたそうだ。
492名無し三等兵:2006/09/08(金) 22:44:14 ID:???
軍事板シロウトの自分ですが、書かせてください。

十年以上前のこと。
死んだ祖父の遺品に、誰も空けたことのないトランクがあった。
鍵を壊してあけてみたら、満州出征時のことを記した手帳、
「歩兵全書」とか「歩兵第三十一聯体奮戦記」などの本、
満州事変を伝える当時の新聞が出てきた。

しかし祖父存命中、サヨだった俺は、祖父の話をほとんど聞けず。
生前一度だけ、サシでじっくり話す機会があって、
長城を越えたこと、帰還後に金鵄勲章をもらったことを、
ひかえめながら誇らしげに語ってくれた。

以下、祖父の手帳より。

 昭和八年二月二十四日(金)晴
 第一回目の戦闘日 益々敵に向って前進
 昼食を済ませて前進 ここからは??の各部隊集合せり
 二時半に到り敵発砲す 
 激戦三時間にわたり逐々敵退却す 負傷者多数ある見込
 生れて以来敵の弾丸の下をくぐったのは始てなり
 壮快な物なり

(「?」は判読不能の文字)

じーちゃん、話きいてやれなくてゴメン。
いつか分かってもらえる日を信じ、トランクに遺しておいてくれたんかな・・・
493名無し三等兵:2006/09/08(金) 22:51:16 ID:???
うちのじいちゃんにヒアリング。

陸軍第5飛行師団の飛行第64戦隊所属

ビルマ戦線であちこち転戦したらしいが、最後はインパール作戦に
参加し、命からがらタイに向かって敗走した後、ラオスで終戦。

敗走中にスピットファイアに機銃で撃たれた話とか、赤痢に罹患
して死にかけた話とか聞けた。

じいちゃんGJ。
494名無し三等兵:2006/09/08(金) 23:36:20 ID:???
酒の席で聞いた話だし、自分も飲んでてうろ覚えなので正確ではないかもしれないけど。

父方のじいちゃんの話。
建築関係の学科に通ってたじいちゃんは、学校の配属将校の熱心な勧めにより陸士を受験。
だけどいつまでたっても結果通知が来ないので志願で陸軍に入隊。
満州で臼砲(だったかな?)の観測員をやっていた。

川を挟んで向こう側がソ連領で、
時間がたつにつれて強化されていく敵の要塞を観測めがねで見ながら
「これはやばいかもしれんなぁ」と漠然と思ってたらしい。

あと、当事の満州にはよくノロ(狼)が出て、訓練をかねた狼退治をやってたらしいんだが、
それが深夜に抜き打ちでやられていたらしい。
だけどそのあたりはもう知ったもので、訓練をよくやる傾向にあった予備士官出の士官が当直将校の場合はゲートルを巻いて寝てたらしい(w
中央からの派遣士官はあんまりやらなかったんだとか。

兵隊いじめは当たり前のようにあり、自身もセミとかをやったらしい。

ちょっと続きます。
495475:2006/09/08(金) 23:37:08 ID:???
>493
えーと、その節は祖父がお世話に(ry

友軍の飛行機は3度だけ見たっていってたなぁ(機種不明)。
インパール後半からは機体がない/少ない機体を怒江作戦で更に消耗
したって聞いてるよ。
あと敗走中、特にラングーン陥落後は、意外と記録されてる文献って
少ないんだよね。敗走経路もじいさんと同じっぽい。
496494:2006/09/08(金) 23:37:23 ID:???

んで、満州に居るときに陸士の合格通知がやっときて、日本に帰ることになったんだけど、
班長、小隊長、中隊長、連隊長とあいさつ回りが大変だったとぼやいていた。
そんなわけでソ連には抑留されてない。日本に帰ったのが二十年の4月だからギリギリだったわけで。
日本海経由で新潟について、それでずっと学校行ってて終戦を迎えたらしい。

ちょっと酔った目で俺を見ながら、
「関東軍は最強だった。南方に部隊を割かれたから弱くなった」とか、
「松代大本営は陸士の学生のころ見に行った。戦後に会社の人を案内したこともある」とか、
「世が世ならお前は陸軍大将の孫だ。軍刀組になりたかったからな。」とか、笑いながら話してくれた。

だけど、
「終戦の玉音放送は東京じゃなくて松代からやった。
だから音が不明瞭だった」とか言ってたけど、ネットで調べてみてもそんな記述はないし、
どうなんだろう。


ちなみに戦後じいちゃんは建築関係の学校に入りなおして勉強した後、
土建屋の役員になって定年退職。
今は痛めた腰のリハビリをしながら静かに余生を送ってます。

しかし、玄関に土建屋やってたころ見つけた不発弾の外殻を飾っておくのはどうなんだ(w
497名無し三等兵:2006/09/08(金) 23:59:19 ID:???
大佐とかいう奴、火葬戦記を脳内でじいちゃんの
体験記にしてないか?
498名無し三等兵:2006/09/09(土) 00:14:04 ID:???
>>497
まぁ、あの文章では90超えた爺さんがいる年には見えないよな・・・
二代続いて晩婚だったのかも知れんけどw
499名無し三等兵:2006/09/09(土) 00:25:21 ID:???
え、俺のばあちゃん存命で93だが・・・
親父連れて満州引き上げ組。
しばらく八路軍の収容施設にいたそうだ。
戦後はハンセン氏病の施設で働いてたそうだが。
500493:2006/09/09(土) 00:42:24 ID:???
>>495

> あと敗走中、特にラングーン陥落後は、意外と記録されてる文献って
> 少ないんだよね。敗走経路もじいさんと同じっぽい。

ただでさえ大作戦失敗後の混乱期でしょうから、記録が少ないのも
仕方ないのかもですね。

そういう意味では案外貴重な体験談かも知れないから、今度帰省
した時にもっとヒアリングしておくかな・・・・。

しかし、残念なことに64戦隊長だった加藤建夫中佐のことは、
「あんまりよく覚えとらん・・・」
とのこと・・・。

じいちゃん、そこ興味津々なとこだから思い出して・・・・orz
501名無し三等兵:2006/09/09(土) 01:43:05 ID:???
>>485
日本語読めない馬鹿はすっこんでろ。
502名無し三等兵:2006/09/09(土) 06:07:11 ID:???
まぁ戦後60年たってるんだし
年寄りの法螺話の一つくらい笑って聞いてやろうぜ
そのじいちゃんだって悪気があって言ってるわけじゃないんだろうし
なんかそれでわだかまりを抱えたままお迎えが来たりしたらやるせないぞ(;´Д`)

うちの祖父は技術将校で、戦車を作ってたこともあるそうだ
(設計なのか工場なのかはよく分からない)
TVにチハたんが映ってた時、懐かしそうに話してくれたよ
503名無し三等兵:2006/09/09(土) 07:54:20 ID:98CBfXVH
オレの父方の爺ちゃんと戦友の写真を見せてもらった。          みんな何故かかっこいいんだよね。しかも、体がみんながっちりしてるし・・・          皆、笑顔で写って戦時中じゃないみたい。
504名無し三等兵:2006/09/09(土) 19:30:02 ID:???
是川って人知ってる?
505名無し三等兵:2006/09/09(土) 20:45:47 ID:yozLLQ3C
ジイさんは陸軍の将校だったらしいけど
終戦後会社勤めしても、会社内でも陸軍系と海軍系での軍閥みたいな派閥が出来たらしい
社員の教育とかでも軍により違うし、将校と下士官と兵隊ではそれぞれ気質が違う
また特攻隊とかにいた飛行機乗りもパイロットとかで、少しエリート意識あったらしい
戦後では、学校による学歴社会も出来たけど 復員して就職した会社でも海軍系の人間と陸軍系の人間の対立
戦後所謂「戦友会」とかも沢山出来たけど 色んな部隊にいた人など一人でいくつもの戦友会にも入って
結構戦後になったほうが友達増えたとか云う人も多かったらしい
但し、戦時中の嫌なことで、戦友会にも出ないような人も多かったらしい
506:2006/09/09(土) 23:08:02 ID:g8cAAPdH
>>493

第5飛行師団……部隊名「高」ですね。私の親戚がインパールに従軍(っても後方部隊)してたので、インパール作戦の書物は読みましたが、「高」は劣勢の中かなり奮戦されたようですね。

「高」の師団長はかの無駄愚痴に作戦の延期と、来襲した英空挺部隊の脅威を説いたそうですが、それが現実になったわけで、その活躍には尊敬をしています。

つかぬ事を伺いますがお祖父さまは、インパール作戦末期のビルマ北部ミッチナ救出作戦に参加されましたか?「高」が包囲されたミッチナを助けようと全力で支援したと記録にあります。

ミッチナは知られざる陸での玉砕悲劇の例ですので、話を聞ければと思います……
507名無し三等兵:2006/09/10(日) 00:39:43 ID:???
海軍飛行学校第十一期生、
南方で大艇搭乗員、今船の科学館?
そこにある実機!搭乗
敗戦の状況こいなか、本土防衛要員として厚木に帰還
陸上機に搭乗、銀河の後席
帝都防空任務でB-29邀撃任務につく
まだ生きてるぜ
話いっぱい聞けるぜ
写真もとんでもなく面白いのがある
508名無し三等兵:2006/09/10(日) 00:48:33 ID:???
私の父の体験
沖縄への特攻 グライダーで行ったやつ
本州から九州に飛んで
そこから沖縄突っ込んだんだけど
本州から行くのを見送ったそうだ
洗濯してたらしいんだが
兵舎の屋根に上がって
シーツを振ったそうだ
「グライダーがすごくゆっくり上がっていった」
それが今も忘れられないそうだ

509名無し三等兵:2006/09/10(日) 00:49:58 ID:???
>>507喉から手が出て足が出るくらい見たい
510名無し三等兵:2006/09/10(日) 01:05:21 ID:???
>>509
まじに筋金入りの軍人だよ
終戦の時自分たちだけでまだ戦うと
檄文を内地に残ってるパイロットたちに送ったんだから
その時のことは戦後の資料に詳しく残ってると思う
厚木の飛行隊長(名前は聞いたが忘れた、また聞いとく)
が首謀者で源田実(字があってるかどうかわからん)
なんかにハッパかけ続けたらしい
そのおかげで厚木の飛行隊長だけは
軍人恩給は剥奪されて一銭ももらってないらしぞ
床の間になんやら名前がいっぱい入った
怪しげなもんが飾ってあった
511名無し三等兵:2006/09/10(日) 01:44:33 ID:???
小園安名大佐ね。
そこらへんは色々書籍がすでに出ているから読んでみるといいよ。
ググってもいいし。
で、その上でお祖父さんに色々訊いてくれ。
質問する側が予備知識を持っていると細かく聞きだせるから。
512名無し三等兵:2006/09/10(日) 02:23:58 ID:JhLdZxLp
俺のおじい様は海軍パイロットで、攻撃機乗りだったらしい。
搭乗機の天山と、並んで撮った記念写真があるけど、かなりカッコ良かった。

生きてるうちに、もっと戦争の話を聞いておけば良かったな…
513名無し三等兵:2006/09/10(日) 03:45:39 ID:8SLb8fIi
俺の今年亡くなったおじいちゃんは、海軍の急降下爆撃機「彗星」のパイロットだった

急降下の最中にエンジンが突然火を吹き、操縦席が火の海になって、重傷を負った

顔に大火傷が残って、命は助かったが、ガキんちょの頃の俺は
「おじいちゃんは何で、顔が変なの?」と無神経に聞いた事がある

ニコニコしていたが、想像を絶する、体験していたんだよね・・・
514名無し三等兵:2006/09/10(日) 13:27:24 ID:???
福井新聞から一部抜粋 戦時中の体験 大野市
海軍軍人舞鶴局気付(セー弐〇壱)八分隊一等水兵。
セー弐〇壱とは利根の戦時中の名。
最期に利根は江田島湾の津久茂沖で沈没し九死に一生を得て帰ってきました。
利根にひつぎにした多くの戦友がおり、七月二十四日には必ず戦友の墓参りをします。
語りかけます、挽歌も忘れません。私たちにはそんな時代に生きる運命でした。
戦後六十一年、今も戦争体験を自分の心から消し去ることはできません。

だそうです。
515名無し三等兵:2006/09/10(日) 13:39:45 ID:???
急降下なんてしたら余計に火を上げそうだな。
516名無し三等兵:2006/09/10(日) 14:15:20 ID:???
普通出火したら急降下で消そうとするのでは?
517名無し三等兵:2006/09/10(日) 14:49:22 ID:???
>>516
火元に大量の酸素を送り込むことになって、かえって危険だから禁止。
WW2の頃はやってる人は多かったけど。
518名無し三等兵:2006/09/10(日) 15:08:59 ID:???
>516
>517が書いてるように基本的に禁止。やった人はほとんど戦死してるみたい。
ただし、助かった少数の例が部隊内の広まるため、やる人が跡を絶たなかったみたい。
なんかの本に書いてあったんだけど、書名忘れちゃったな。
519名無し三等兵:2006/09/10(日) 15:28:14 ID:???
うちのじいちゃん戦時中は工兵だったらしいんだけど、中国のゲリラって昼間は
味方のふりして橋を作ったりする作業を手伝うんだけど、夜になったら夜襲を掛けてきて
しかも橋も壊されたりしてたらしい。
あと、輸送されるときじいちゃんだけマラリアにかかって、バナナしか食べられないような状態になって
部隊においていかれたんだけど、その部隊は全滅したっていってた。
520493:2006/09/10(日) 19:24:40 ID:???
>>506

> つかぬ事を伺いますがお祖父さまは、インパール作戦末期のビルマ北部ミッチナ救出作戦に参加されましたか?「高」が包囲されたミッチナを助けようと全力で支援したと記録にあります。

残念ながらじいちゃんからミッチナという地名を聞いたことはありません。

随分あちこち転戦したみたいだから、あるいは参加していたのかも知れないけど
もう半分ボケかけてるしなぁ・・・。

今度帰省したら、もっと色々ヒアリングをしておかねばな・・・・。
521名無し三等兵:2006/09/10(日) 19:59:32 ID:???
>>507>>509
渡辺洋二氏が話を聞きたいだろうなあ。
302空の著書は愁眉だ。
522名無し三等兵:2006/09/10(日) 23:03:58 ID:???
>>504誰?
523名無し三等兵:2006/09/10(日) 23:07:02 ID:???
>521

白眉じゃないのかい?
524名無し三等兵:2006/09/10(日) 23:59:55 ID:???
>523
521は507ではない

船の科学館?にある大艇
えーと、たしかジーサン6号としきりに言ってたが
あれはすごくウンのいい機体だったらしい
何度もやばいのを乗り切ってきたらしい
あと厚木の隊長さん
斜め銃考えたのその人なのかな?
ジーサンはそう信じてたみたいだけど
私も初めて聞いたんだが
銀河のB-29への攻撃って
昼間と夜では違うんだってね
夜はサーチライトでスポットしながら追尾して
下から斜め銃で狙うらしい
昼は同高度まで上がるみたいなこと言ってたんだが
その辺詳しく聞いときます
面白かったのが
銀河で高高度まで駆け上がるのより
ショウキ(字が、、、不勉強ごめん)
などが上がるほうがすごく早かったって

大艇のパイロットなら広島空港にも1人いらしたような
もう20年前だから今はご健在かどうか、、、
その人はB-17と大艇で撃ち合ったと言ってた
525名無し三等兵:2006/09/11(月) 00:15:35 ID:???
>>504
まさか、下の名前は銀蔵じゃないだろうなw
526名無し三等兵:2006/09/11(月) 00:21:19 ID:Hr/dwNJ/
私のばあちゃんの兄二人が戦争にいったらしい。一人が近衛兵(階級軍曹)
もう一人陸軍(だったと思う)工兵さん。

近衛兵の軍曹は自分が実家で静養中に2・26事件に部下が関与して中国前線に跳ばされ、
トーチカ攻撃中軍刀を抜いて「突撃!」と命令後敵弾に当たって戦死。場所は上海らしい・・・

工兵さんはブーゲンヴィル島の工兵さんで現地人に優しくして父の話だと戦後も
「あの時はどうも」と何かしらくれてたらしい。

じーちゃんの兄貴は戦争には直接いってないが学徒動員でゼロ戦パイロットになって
沖縄に特攻する前に終戦。最終階級少尉。
4年前のじーちゃんの葬式に来ててなぜか野球のパームの投げ方を教わった。
あの時に聞いてればよかった・・・
527名無し三等兵:2006/09/11(月) 00:29:34 ID:FiTglZE5
うちの爺さんビルマに行っててそこの部隊で朝鮮人がいてよく喧嘩とか自分勝手してたらしい、でも戦友が死んだ時は誰よりも泣いて「絶対仇を取ってやる!」って良い意味でも悪い意味でも情に厚かったらしい。
528名無し三等兵:2006/09/11(月) 00:30:10 ID:???
524
今ググッってみたんだが
船の科学館には今大艇ないんだな
しかも6号なんかじゃなく31号らしい
こりゃージイサンに聞きなをさんといけんな
ボケてきたかな
529名無し三等兵:2006/09/11(月) 00:34:04 ID:???
2、3年前に鹿児島かどこかに移動させたんじゃなかったかな。
機体はトラックで輸送してたけど、東京湾を飛び立つ飛行艇を見たかった。
530名無し三等兵:2006/09/11(月) 00:37:34 ID:???
あまりに放置っぷりがひどくて見るに忍びない、ってんで
海自鹿屋基地の展示館かなんかが引き取ったんだろ。
531名無し三等兵:2006/09/11(月) 00:56:04 ID:???
>529
そういえばそうだったね。1度見に行ったけど、想像以上にでかかったんで驚いたよ。
まわりの観光客は、「あ、ゼロ戦だ!」って言ってた。まあ、お約束だけどw
532名無し三等兵:2006/09/11(月) 09:51:18 ID:Yxfy5XU6
ジイさんにある時に、よくミリタリー雑誌に出てる旧軍の軍服のレプリカの写真見せて
こんな服着てたの云ったら、少しイメージが違うらしい
終戦末期になると服地も粗末で、洗うと縮むし、色褪せるとか、ボタン取れたりの不良品も多かったりとか
サイズも合わないのも多かったとか 所謂「粗悪品」乱造で、結構オトコでも服の修理とかの針仕事もあったらしい
あんまり軍服とかにはイイ思い出は無いようだ
レプリカでも結構高い軍服も多いけど 所謂「軍装コレクター」もいるようだ
戦友会みたいなところで、その手の軍服とか余興で着てカラオケで軍歌とか歌ったような機会もあったらしいけど
あんまり、ジイさんたちは軍装とかにはあまり興味ないみたい
実際にレプリカでも帽子から、靴とかまで揃うようだけど10万以上するカンジ
最近の戦争ドラマとかで、陸軍の兵士の格好みては、あんな装備じゃないとか
将校でもあんな口の利き方しないとか あんな敬礼しないとか
内容より、小道具の軍装や軍人の立ち振る舞いに結構クレームつけて煩い
533名無し三等兵:2006/09/11(月) 10:17:44 ID:???
>532
地域の防衛隊(沖縄の鉄血勤皇隊みたいなものか?)に入隊した人の話で、
「軍服がないので私服だった。それだと階級が分からないので、星型に切った
ダンボールを縫い付けて区別した」って証言がある。
534名無し三等兵:2006/09/11(月) 11:28:33 ID:???
>532
予科練も金の七つボタンなんて言ってるけど
ジーサン着たことも見たこともないって言ってる
大戦のために生徒集めに作ったらしい
だから最初のほうの学生はそんなの着てないって言ってる
535名無し三等兵:2006/09/11(月) 13:06:11 ID:???
>>524
>あと厚木の隊長さん 斜め銃考えたのその人なのかな?

銀河夜戦分隊長、浜野喜作大尉ですね。
小園司令が思いつき、浜野大尉が具体化したのが斜銃です。
536名無し二等兵:2006/09/11(月) 13:52:00 ID:???
質問です。大東亜戦争前の陸軍軍服【赤襟・赤帽子】で
旭川第7師団に所属し、襟に26の金バッチは具体的にどこの所属ですか?
537名無し三等兵:2006/09/11(月) 17:32:26 ID:???
大艇は鹿屋に移転したね
あっちでも相変わらず野ざらし展示らしいが

小園司令は神懸かりなところがあって指揮官としては?な人だったが
とても真面目で部下に好かれてたらしいね
斜め銃を提案したときも「心を込めて撃てば必ず当たる」と言ったらしい
538名無し三等兵:2006/09/11(月) 17:42:47 ID:???
>524

意味、分かってねーだろ?
539名無し三等兵:2006/09/11(月) 21:13:27 ID:???
このスレ見ると泣ける・・・ 本当に戦争は駄目だよな
一生に一度の青春を戦争に使われるなんて・・・
胸が痛くなるぜ・・・
540名無し三等兵:2006/09/11(月) 21:19:43 ID:eKQ6vYLe
知り合いの方が軍刀を持っていた。
もちろん登録済。
刀の柄を分解して見せてくれたが、中にある糸?が赤黒く染まっていた。
人間の血であると聞かされてガクブルでした。
541名無し三等兵:2006/09/11(月) 21:46:35 ID:???
>493
64戦隊の鯨岡少尉殿てご存じないかきいてくだされんかの。
542たー:2006/09/11(月) 22:04:30 ID:+pXLtiQt
おいらのじいちゃん中国に戦争行ってた。写真は軍服姿で刀をついて写っる。背景が万里の長城なんだけど誰か進軍のルート分かる?じいちゃんまだ生きてるけど、なかなかオレからは聞けないんだょね。
543名無し三等兵:2006/09/11(月) 23:01:15 ID:???
>>536
普通に第七師団隷下の歩兵第二十六連隊だと思いますが。


>>542
ちょー能力霊視↓
『ずっと新京で事務、万里の長城は観光で行った、軍刀は写真屋の備品』
こんなんでましたけどw
544名無し三等兵:2006/09/11(月) 23:14:24 ID:???
そもそも万里の長城なんて無茶苦茶長大なんだからさ、写真でも見なきゃ特定できんだろ。

熱河作戦あたりかな?
545名無し三等兵:2006/09/11(月) 23:37:48 ID:???
>>525
知ってるのか?
546名無し三等兵:2006/09/11(月) 23:50:03 ID:???
厚木飛行隊のジーサンに聞いてきました
6号ではなく26号だと言ってます
資料では31号だぞって言ったんですが
絶対26号だと言い張ります
写真も見せてくれましたが
戦友たちと大艇の前で写っていました
どうも船の科学館に展示したときの記念式典みたい
えーと昨日の補足です
厚木飛行隊のB-29に対する攻撃ですが
昼間は敵機より高度をとり3号攻撃(ジーサンたちはそういっていたらしい)
空中爆弾での攻撃
夜は斜銃での下からの攻撃(ジーサン達の言葉で暗天の晴夜攻撃)
あと、小園隊長の情報を教えていただいて調べましたが
檄文を飛行機で北や南に手分けして撒いたそうですが
私が調べた限りでは載ってなかったのですが
北海道にも撒く予定で上空には入ったそうですが
霧雨や濃霧で撒くのをあきらめて厚木に帰ってきたそうです
長くなるので一度きります
547名無し三等兵:2006/09/11(月) 23:52:03 ID:???
>>546
航続距離の長い「銀河」で北海道に飛行させる計画だったのでしょうね。
548名無し三等兵:2006/09/11(月) 23:58:55 ID:???
航空ファン・イラストレイテッドbX6
「写真史三〇二空」 渡辺洋二

「銀河」の写真も多数ある。
549名無し三等兵:2006/09/12(火) 00:14:43 ID:???
厚木のジーサンが言ってました
終戦後生き残ってるパイロットをみたら
第一期生から第十五期生ぐらまでのパイロットが一番多かったって
私が、腕がよかったからかと訪ねたら
いいや、若いパイロットほど激戦の戦場に送られたからだと言っていました
つくづく皆狂っていたんだと思いましたね
大和沖縄特攻の時、索敵任務で飛んでいたのが同期の出雲さん(実名すみません)
らしい、最後は攻撃隊長の命令で
大和の最後を見とどけて必ず生きて本土まで帰れと送り出されたそうです
ジーサンと毎年逢われていましたが先ごろお亡くなりになりました
ジーサンがとってる予科練の小冊子(ユウシュンだったと思います??)
毎回第何期生のだれだれさんがお亡くなりみたいな連絡が載ってる
マジでやばいぞ!誰かが記録しないといけない
何時何処をどれぐらいの兵力で、、、なんてのは
国の頭のいい人たちに記録していただいて
その時を生きていたジーサン達の記録を書き留めないといけないぞ
このスレは私は大賛成だ
みんなもっとジーサンに聞いてくれ

550名無し三等兵:2006/09/12(火) 00:34:44 ID:U9loXm4B
俺の爺さん九七式艦攻で真珠湾第二次攻撃をしてる。真珠湾攻撃後はラバウル、ラエ、サラモア、マダン、アンボン、ポートダーウィン、ジャワ、コロンボで作戦に従う
その後休む暇なくミッドウェー作戦に参加するも米航空隊と交戦し戦死
551名無し三等兵:2006/09/12(火) 00:35:22 ID:Z4Qe9Fj7
ジイさんは、戦時中に通信関係の将校だったらしいけど
戦争末期には、通信兵の教育で苦労したらしい
モールス信号とか暗号文の使い分けとか、基本を教えていたけど
召集で東北地方出身で、方言のスゴイの田舎モンのヤツがいて
通信文に、東北弁の訛りの電文で送ったりとかで、トンでもないヤツがいたらしい
厳しく注意したけど 軍隊に入るまで、日頃標準語で会話したりとかしたことないような環境だったらしい
よく携帯電話のメールでもわざと方言とかで送るのもあるけど
軍隊同士のモールス通信でやったらしいけど 実際無線通信でも戦闘中だと
エライ将校でも興奮して、お国言葉の方言連発して、意味不明の通話とかもあったらしい
大阪の関西弁やら東北弁 九州あたりでも九州の人間でも鹿児島とか、沖縄あたりの方言はよく解らないらしい
当時は今みたいにテレビとかも無かったし、家庭のラジオも無い家庭も多かったし
学校もまとも行けなかったようなのも来てたから、
モールス信号教える前に、標準語覚えろ 部隊内での地方の方言禁止と小学校の国語教育みたいな
基本教育するのに苦労したらしい
552名無し三等兵:2006/09/12(火) 00:47:26 ID:???
長くなってごめん 厚木のジーサンの話です
小園安名大佐の話だけど、、、書き込んでいいのかどうかよくわからんのだが
マッカーサーが厚木に到着する日程が出てからも
小園安名大佐がおれないので、精神安定剤を軍医が注射
フラフラになった状態で連れて行かれたそうです
そのあと副官(名前は聞いてをきます)がジーサン達
搭乗員を集め「まだ戦うというなら私を殺してから行け」
そう言って皆を止めたそうです
すこしマニア的情報
斜銃、地上では振動が大きすぎて試射できなかったそうです
新しく搭載したら必ず空に上がって試射したそうです
それと私もビックリしたんですが
ゼロ戦に斜銃積んだパイロットもいたそうです
写真どなたか持ってないかなー????
553名無し三等兵:2006/09/12(火) 02:31:31 ID:???
あんたの話面白いよ
554名無し三等兵:2006/09/12(火) 03:44:12 ID:d953N1Xt
皆さんのお話に感銘を受け、
父方の大叔父のことをもっと知りたいと思うようになりました。

しかし、分かっているのは
職業軍人であった
パイロットであった
フィリピン沖で撃墜され戦死

これだけなんです。
何から調べはじめたらよいのか、もしご存知の方がいらっしゃったら
教えてくださいませんでしょうか。

父方は、元々人数が少ない上に、短命なものが多かったため、
この大叔父を直接知っているものはおりません。

今度靖国にお参りに行くときに、
調べたよって報告できたらいいなと。

よろしくお願いいたします。
555名無し三等兵:2006/09/12(火) 05:40:01 ID:o+PkGLoD
>551

暗号が解読されたり、無線が傍受されたりで作戦が筒抜けになっていたんで、
青森だかのマタギ言葉で作戦をやり取りした事例があったらしい。

基地と前線はそれでいいが、前線内ではどうやって伝えるんだろう
マタギ言葉をみんな解読できるのか?
556名無し三等兵:2006/09/12(火) 09:06:50 ID:Z4Qe9Fj7
ジイさんの知り合いで、満州にあった軍官学校出身の人がいて戦後弁護士になった人がいた
満州で現地の日本人の子弟とかを対象にして、士官学校のようなものだったらしい
満州国自体でも独自の軍人養成を目的に創設された学校で、開拓団の子供とか現地人が多かったらしい
戦後学校も消滅して、卒業生もバラバラになった
日本の士官学校の姉妹校みたいに、位置づけで国策で創設された学校だったけど
時期も短いし、卒業生もほんのわずかで廃校
満州や中国には、占領中に日本政府の肝いりで学校は沢山創設したけど すべて終戦で廃校
戦後満州や中国の学校卒業だと、学校も消滅してるから、卒業証明とか成績証明の資料も戦後の混乱で消滅
内地で学校に入り直すのに苦労したらしい
557名無し三等兵:2006/09/12(火) 12:13:02 ID:???
>>552
小園司令の精神錯乱は有名な話なので問題無いかと。

首都防衛302空〈上〉〈下〉渡辺洋二著
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4257172967/sr=1-16/qid=1158030478/ref=sr_1_16/250-4611966-7895448?ie=UTF8&s=books
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4257172975/sr=1-9/qid=1158030449/ref=sr_1_9/250-4611966-7895448?ie=UTF8&s=books

三〇二空に関する最も充実した著書ですが、残念ながら絶版。
斜銃狂いの小園司令が零戦と雷電にも装着させる顛末も出てきます。


重い飛行機雲―太平洋戦争日本空軍秘話
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167249081/ref=sr_11_1/250-4611966-7895448?ie=UTF8

終戦後の厚木事件の詳しい記述があります。
こちらはまだ入手可能ですね。
558名無し三等兵:2006/09/12(火) 16:54:28 ID:???
厚木のジーサンの話です
サイパンが落ちて本土空襲になるわけですが
米軍は富士に照準を合せて北上、厚木への警報は父島から入ったそうです
北上コースが二つあり、そのどちらを通過するかで厚木は防空体制についたそうです
電熱服
パイロットの皆さんがあまり有効ではなかった、、、
そんな記事を見た記憶があったんですが
ジーサンいわく、あれは「エーモンジャッタ」
部隊が解散した時、一着持って帰ってきています(残念ながらボロボロになり廃棄)
B-29ですが、昼間は密集隊形、夜は単独での縦列隊形で入ってきた
富士にブツカッテ右にコースを変えて侵入
厚木上空から追尾しながら迎撃したそうです
サーチライトは順番にバトンタッチしながら一機また一機と
帝都方向にリレーしていったそうです
斜銃
「弾が当たってもなかなか落ちなかった」
落ちろ落ちろと撃ち続けていると、ポッポッと火が出始めて
高度が落ちてきたそうです、
すぐに洋上を目指して高度を落としながら飛んでいき
パラシュートで脱出していくのが見えたそうです
ジーサン達の間では、日本の周りは米軍の潜水艦がいっぱいいて
パイロットを救助して連れて帰ると言われていたそうです
しかし、ジーサンは一回も潜水艦は見たことがなっかたと言ってます
559名無し三等兵:2006/09/12(火) 17:36:41 ID:aBLuc30p
>>558
現場の生の話は面白いサンクス!
560名無し三等兵:2006/09/12(火) 18:12:58 ID:VkRHkwkT
軍属だった知り合いの爺さんの話

長門が横須賀だかで空襲を受けた際、艦橋に爆撃を受け被弾したとこを見たそうだ。偽装してたけどバレたんだべなぁ〜…って話してた。
次いで、8月15日クーデタの際に、呼応した横須賀の航空部隊が決起失敗し、横須賀に戻ってきたと思ったら夕暮れのときに次々と海に突っ込んでいったそうです。
なんというか……圧巻だったと言ってました
561名無し三等兵:2006/09/12(火) 18:44:15 ID:???
父方の爺様
開戦時既に34歳。大工だったので艦艇の内装工事に従事。
2001年他界。

母方の爺様
開戦時点でまだ15歳。45年、18歳になると海軍に志願入隊。
呉で終戦を迎える。2003年他界。

二人とも戦地に赴くことなく、無事天寿を全うできたのは天佑というべきか。
562名無し三等兵:2006/09/12(火) 21:16:13 ID:???
なんか召集される。なんか帰って来た。家族に何も言ってないので不明。
563名無し三等兵:2006/09/12(火) 22:30:17 ID:???
母方の祖父(叔父から聞いた話)
呉海軍工廠の工長だった
大和の配管関係の作業などしたらしい
遺品を整理してたら従軍記章が出てきた
小学生だったので何処のだったかは覚えてない

あと呉空襲の写真を見た時(提督の決断ハンドブックw)
家が写っていたのが子供心にショックだった
564名無し三等兵:2006/09/13(水) 00:00:03 ID:???
厚木のジーサンの話、大艇搭乗のころの話
南方(場所はまた聞いときます)から、大艇の新品を受け取りに本土へ
搭乗員全員で島づたいに本土を目指していたそうです
何処たらの基地で兵舎の中にいるとき、米軍の来襲を受ける
爆弾を投下するとこまでは見えたそうです
気がついたらベッドの上だった、氷川丸?で内地に転送される
結果としてこれが運命の分かれ道だったらしい
内地で半年療養、元気になったときには南方は全部敵だらけ
厚木に配属になった、小園安名隊長に「何に乗っていた?」と聞かれたそうです
ジーサン「水上機ばかりでした」小園隊長「じゃーここでは銀河に乗れ」
これで銀河の後席決定!
ジーサンいわく、「まだこんなに日本に飛行機があったのか?」
飛行機の見本市だったそうです、パイロットの数より飛行機が多かったと言ってます
とにかくいろんな飛行機、見たこともないやつもいたそうです
東京大空襲は厚木の基地内にいたらしい、すごく悔しがっていた
マニアック情報
大艇はすごく癖があったそうです、性能は確かに世界一ですが
離水するのがすごくコツがいったそうです
搭載重量が増すと機首をふり、離水した後機首をガクンと下に突っ込むそうです
新米パイロットが何機も海に突っ込むのを見たと言っとります
時々物資を受け取りに行くんだそうですが
1人がウイスキーを30本まで積んで帰っても良かったそうです(さすが海軍)
その皆のウイスキーを、パイロットが「それはコッチ、この10本はそこ」
そんな感じですごく神経質に重量配分したそうです、

565名無し三等兵:2006/09/13(水) 00:42:35 ID:zF8JjUAf
ジイさんの親戚は、戦後自衛隊に入隊したらしいけど
戦時中同じような軍歴の人が、一足早く警察予備隊に入隊してたら
自衛隊の中でもなぜか特別扱いで、昇進も早かったらしい
警察予備隊も今の警察特殊部隊のSATとか、原発守備隊などのような特殊警備の部隊で
自衛隊以前は、アメリカの軍事顧問団の人間が訓練にも参加して
今のイラクの武装警察みたいに、アメリカ人の教官からの指導受けてたらしい
自衛隊になって、旧軍関係者も再就職して来て、なにかの旧軍のやりかたが復活して
警察予備隊から来た人でも不満があったらしい
今でも、アメリカ軍の基地警備やってるのは、機動隊だし 警察と自衛隊の仲悪いのも
実際テロ警備とかで被害でるのは、機動隊だし 自衛隊の出番はまず無い
過去に暴徒鎮圧でも機動隊がかなり威力あるけど
警察にしてみるとどうせテロ被害でも真っ先にやられるのは警官
自衛隊などイラクでも外国軍の保護されてる軍隊
警察から見ると、自衛隊は装備はスゴイけど 実際は役立たずと見てるようだ
566名無し三等兵:2006/09/13(水) 00:56:23 ID:???
ゴーストップ事件の頃から軍と警察は仲が悪い罠
567名無し三等兵:2006/09/13(水) 00:59:07 ID:Ow+CuUNu
歴史教科書問題のときに何故か関係者の末端でしかないうちに南京戦に参加したというおじいさんが「事ぃ〜実ぅ〜を〜つた〜え〜てくれ〜」と入れ歯ガタガタさせながら来たWW
568名無し三等兵:2006/09/13(水) 01:14:35 ID:xQz2SVW2
今から15年以上前に高校のアカ教師から南京大虐殺を
さんざん授業で聞かされたが南京戦に関する図書を読むと
大虐殺は嘘である事が分かった。
中国民間人を殺した部隊も存在したが当時の司令官が綱紀
粛清を徹底したので30万も大虐殺する事は無かった。
国民党か共産党のプロパガンダが大成功したから南京大虐殺
が日本中や世界中に蔓延したのだろう。
569名無し三等兵:2006/09/13(水) 01:29:00 ID:Y8b7UVsJ
>>564
厚木のお祖父さんに是非これを買ってあげてください

ハセガワ 1/48 航空機シリーズ(定番外) No.09543 スケール:1/48
 三菱 A6M5 零式艦上戦闘機 52型 「夜間戦闘機」
http://echo.ruru.ne.jp/msk/search.asp?id=9298

いや銀河や大艇の方が嬉しいでしょうかね。
570名無し三等兵:2006/09/13(水) 02:22:22 ID:???
母方のじいさんは、
通信機を使ったことがないのに、最前線にいたくないから無理やり通信兵に志願して助かったって言ってた。
571名無し三等兵:2006/09/13(水) 21:41:41 ID:???
>>564
>大艇はすごく癖があったそうです、性能は確かに世界一ですが
>離水するのがすごくコツがいったそうです

「ポーポイズ」というやつですね。
機首を上げたり下げたりを繰り返し、最後は海面に激突してしまう。
572名無し三等兵:2006/09/13(水) 21:57:46 ID:???
>>545はどうなった
573名無し三等兵:2006/09/14(木) 00:25:44 ID:???
父方の爺さまは、ラバウルに行ってたらしい。トラックで移動中に機銃掃射を浴びて逃げるためにマンゴ林に突っ込んだ。
肋骨二本と足首を骨折して気が付いたら台湾の兵隊に助けられてたらしい。そして昭和二十一年、呉に帰港。
574名無し三等兵:2006/09/14(木) 01:01:48 ID:DwJRmBqb
「私は常々、人間魚雷<回天>は非人道的な兵器どころか人道的な兵器であると公言しています。
 己の命を捨て、何千、何万の命を生かす、これぞまさしく人道ではないか。
 特攻は日本人をこの世に残したい、そのためには自分の命は投げ出してもよいと
 納得した上の捨て身です。
 そういう多くの人に尽くそうとした人を評価し、敬わなかったら、
 誰が人に尽くすようになりますか」小灘利春・元海軍大尉(第二回天隊)

『戦争廃墟』
今は廃墟となった軍事施設で実際に軍務へ就いていた特攻隊員達の生々しい新証言。
人間魚雷<回天>、水上特攻<震洋>、人間機雷<伏龍>、人間爆弾<桜花>生き残り特攻隊員。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/product-description/481302047X/ref=dp_proddesc_0/503-0334738-7568711?ie=UTF8&n=465392&s=books
575名無し三等兵:2006/09/14(木) 01:31:41 ID:QybOHE9S
アルバイト先の爺さん、斥候としてインパールの灯を見てきたって。
自分でもよく生きて帰れたといってる。
これって凄いこと?
576名無し三等兵:2006/09/14(木) 02:53:15 ID:???
>>575
バルバロッサ作戦で、クレムリンの尖塔の先端をみたと証言する元ドイツ兵みたいなものだと思う。
577名無し三等兵:2006/09/14(木) 05:51:36 ID:???
インパール作戦から生きて帰っただけで凄いことだ
578名無し三等兵:2006/09/14(木) 08:37:48 ID:???
行くも地獄
引くも地獄

うーむ
579名無し三等兵:2006/09/14(木) 09:27:00 ID:AT6tkBrB
ジイさんの知り合いで、所謂特攻機の直衛の護衛戦闘機の飛行機乗りがいたけど
ジイさんはあんまり、その人が好きでなく嫌ってた 自分は特攻せずに特攻機を援護して
特攻の成果などを確認したりする役目で、特攻隊の生き残り人とはまた違う話
実際特攻機を引き連れて、目標付近まで連れて行くけど
操縦がヘタなのが多くて、編隊飛行も出来ず、渡した地図でも航法とか云うのも正確な地図も無く
イラストのような地図に、おおまかな飛行予定コースとか速度 高度とか
かなりいい加減な内容だったらしい
また、途中引き返す特攻機も続出して、やれエンジントラブル、機銃不良、無線不良など
やはり最後まで死ぬのがコワかったらしく ウソついてるのがよく解ったらしい
一番ヒドイのは、ヒロポン中毒になった野郎で、やたらと騒ぐヤツで、危ないので飛行機に乗せないでいたら
戦後やっぱり特攻隊くずれとかで、事件起こしたらしい


580名無し三等兵:2006/09/14(木) 10:36:52 ID:???
>>456
心尽くしで出したキンピラ料理に、後になって「木の根」
を食わせたと難癖を付けるのがジョンブル精神だからね。
581名無し三等兵:2006/09/14(木) 12:29:09 ID:???
ラジオで巣鴨に居たじいさんが終戦時について語ってた。
終戦し家に帰ってきたら両親に、
「周りの人は戦死してるのに、お前は何故生きて帰ってきた!」
と泣きながら言われたらしい。
582名無し三等兵:2006/09/14(木) 15:11:12 ID:???
>579 581
世界中の人間が狂っていたんですね
583名無し三等兵:2006/09/14(木) 15:29:54 ID:???
>>581
必死に銃弾かい潜って帰って来た人間にそれはあんまりだな…
584名無し三等兵:2006/09/14(木) 15:32:34 ID:???
両親は世間体をおもんばかって心にもないことを言ってしまったのだよ。
585581:2006/09/14(木) 16:28:50 ID:???
両親の本心は喜びでいっぱいのように語って聞えたよ。
90いくつの人が語ると、少ない文章の1つ1つに重みがあるんだな。
586名無し三等兵:2006/09/14(木) 17:53:48 ID:yWsl+vF5
うちの爺様なんぞ、隊が解散した後の残務整理でしは゛らく足止めされてから復員。ようやく家に辿りついたのは婆様が人手無い中、三町歩の田植えをなんとか済ませた翌日。さっさと帰らず遊んでいたと死ぬまで言われてたな。
587名無し三等兵:2006/09/14(木) 18:37:22 ID:???
>581
治安維持法違反>転向宣言で執行猶予>実家に帰宅
で、父親から同じようなこと言われた人がいたな。たしか中野重治。
こっちはマジかもしれない。
588名無し三等兵:2006/09/14(木) 20:29:59 ID:???
うちのお爺ちゃんに似てるというか高校生の頃のうちの弟にそっくりな人が・・・
8分52秒あたりの右端
http://www.youtube.com/watch?v=xp7h8t1sRiA

父方の爺ちゃん
体があまり丈夫でなかったため戦地で病死したらしい。27歳だった。

母方の爺ちゃん
坊主だったので戦争には行ってない。
しかし寺は空襲で丸焼け。大きな釣鐘も鍋釜と一緒に接収。
戦後も長い間小さな鐘をコーンと叩いていたらしい。
589名無し三等兵:2006/09/15(金) 00:36:36 ID:LYnJDrXl
ジイさんは旧制中学から、陸軍士官学校の予科に入ったとかで
当時で優秀だったらしい 全国から、秀才が来てたけど
やはりまだ子供で、入学しても訓練とか厳しくて、ホームシックになるのもいて
同室の人間でもかなりの人間が、夜ごとに泣いてたらしい 同情して色々聞いてやったらしいけど
やはり頭は良かったけど 体育会系のシゴキには泣いたらしい 鉄拳制裁もよくあったらしいけど
中には、それが原因で士官学校を辞めるヤツもいたらしいけど 実際は志願制だったけど
今でいえば、頭脳明晰で、東大に入って、体育会系の教官に殴られて、辞めるようなもんだから、戦前のエリート幹部養成校でも教官の鉄拳制裁はヤリ玉に
挙がっていて、大問題だったらしい
旧軍での軍隊のイジメは酷かったのは有名だったけど 当時でも体罰に関しての批判はかなり煩かったらしい
戦後軍隊のイジメとかを旧軍の軍国主義とか 上官の命令は天皇陛下のご命令
天皇陛下バンザイばかり叫ぶ偉そうな顔した高級将校がテレビに再現されてるけど かなり誇張されてるらしい
実際最近の沖縄戦の再現ドラマ見ても、誇張されたウソばっかりとか云ってる
確かに皇居遥拝とか、やたらと天皇を立てていたけど
それも東条英機バンザイよりマシ 阿南大臣バンザイよりマシの世界だったらしい
やたらと靖国神社と昭和天皇の当時の関係とか聞くと、イヤがるジイさん
590名無し三等兵:2006/09/15(金) 00:43:36 ID:???
父方の爺ちゃん
 内地勤務で戦地に行かず、無事生き延びる。十五年前にガンで他界
 戦後は警察官になり、田舎の小さな警察署とはいえ署長にまでなる
 考え方は右寄りだったが、戦争について聞くと「仲の良かった友達が何人も戦死した、それだけで嫌だ」と言っていた

母方の爺ちゃん
 内地勤務で終戦を迎える。五年前に腎臓を悪くして他界。
 手先が器用だったためか、手の空いている時はずっと大工紛いの作業をさせられていたとのこと
 知り合いがたくさん戦死して、「日本にずっと居られた自分は運が良かった」と常々言っていた

父方の婆ちゃん
 まだ元気
 やっぱり千人針とかをやったらしい
 「戦争も人殺しも泥棒もバカがやることだ」とニュースで事件が報道される度に言う

母方の婆ちゃん
 十二年前に膵臓ガンで他界
 皇族が観戦したバレーボールの試合に出たと言っていた(本当かどうか不明)
 実家の京都から大阪の親戚の家に病気の看病の手伝いに行っている間に空襲にあう
 「死ぬときは死ぬんや」と腹をくくって目を瞑っていたとのこと(郊外で被弾は免れた)
 兄が中国大陸で斥候任務中に銃撃を喰らい戦死
591名無し三等兵:2006/09/15(金) 00:47:16 ID:???
>>589
592名無し三等兵:2006/09/15(金) 05:52:58 ID:???
甲種合格86歳祖父 身長163cmだが足のサイズが27cm
支給された靴では小さかったため、はじめは指をまげて履いていた。
しかし、金持ちだった祖父の祖父が、孫かわいさに、
支給された軍靴を靴屋に持ち込んで、同じデザインでサイズぴったりのものを特注。
ことなきをえる。

旧陸軍には27cmの靴がなかったんですかね。
593名無し三等兵:2006/09/15(金) 08:16:45 ID:???
ほぼオレと同じ体型スペックで…やだな、行軍しなきゃなのに靴小さいとかは
594名無し三等兵:2006/09/15(金) 10:11:49 ID:???
>592
きっと馬鹿の大足と散々言われて嫌な思いをしたことだろう。
身長168cmで、足が27.5cmの俺もよく言われる。
595名無し三等兵:2006/09/15(金) 11:35:13 ID:???
俺はその逆だ。
176cmの25cm。相撲とりの曾孫とは思えないほど痩せぎすです。
596名無し三等兵:2006/09/15(金) 11:39:11 ID:???
うちのばあちゃんが小さい頃の話なんだけど、なんでもばあちゃんのばあちゃんが小さい頃に
佐賀の乱を見たことがあって「通りで刀で切りあってたとよ〜」とよく聞かせてくれてたそうだ。
          一応、戦争の話ということで・・・
597名無し三等兵:2006/09/15(金) 15:56:00 ID:???
軍人は服に身体を合わせろとよく言うな

>>589
爺さんかなりデキる人だったか、あるいは軍人一族だったかだね

ちなみに予科士官学校(前身は陸軍幼年学校)はエリート養成機関だったんだけど
今の中学生くらいからずっと陸軍しか知らずに育つので
教育方針もあって視野の狭い軍人ばっかり量産したと言われてる
ヒデキも辻ーんもムタグチも幼年学校出身
598名無し三等兵:2006/09/15(金) 18:56:06 ID:???
>596

アンガのようだ
599名無し三等兵:2006/09/15(金) 22:24:23 ID:C25YhB3v
>>597
>>ヒデキも辻ーんもムタグチも幼年学校出身
予科士官学校は大日本帝国陸軍の3馬鹿を世に
送り出した最高に間抜けな学校だったんだね。
600名無し三等兵:2006/09/15(金) 22:38:03 ID:???
東条英機を馬鹿と呼ぶ人間は初めて見たな。
どれだけその三人が優秀であったかも知らないらしい。
無知って怖いねw
601名無し三等兵:2006/09/15(金) 23:00:54 ID:???
ヒデキも辻ーんもムタグチ


この3人で戦に負けたようなもの。

602名無し三等兵:2006/09/15(金) 23:09:04 ID:???
んなわけねーじゃん。

東條内閣が避戦のための内閣だということは常識レベル。
あの時点では誰が首相になろうと結果は変わらん。

ガ島戦は辻以外の誰が行こうが中佐レベルではあれ以上のことはできんだろ。
自身のできる範囲内で彼は十分にその職責をガ島戦では果していたといえる。

牟田口はあの基地外作戦を認可した人間にも問題があるな。
もっともあの時期では何をしようと負け戦には変わらないが。

この三人で戦に負けたというならその論理を説明してくれよ。
当然、この三人に任せなければ勝てたんでしょ?
603名無し三等兵:2006/09/15(金) 23:36:35 ID:???
>>602まあ八原とか他の参謀なら、勝てはしないがもうちょいマシになっただろうさ。
上等兵の替わりなら酒井縞次辺り。牟田口は替えられるなら宮崎繁三郎と言ったところか。
これ以上話すなら議論派生スレに行ってくれ。
604名無し三等兵:2006/09/15(金) 23:41:31 ID:DsBd1wZm
辻は「人口半分にするよ?」と言って本当に華僑を虐殺したし牟田口は……ね…。 東条にはいろんな意味で同情してしまう。不幸だったな。
605名無し三等兵:2006/09/15(金) 23:46:35 ID:poaDk4eq
うちの曾爺ちゃんは奉天会戦に参加してその父ちゃんは軍医として西南の役に従軍したそうな。
606名無し三等兵:2006/09/16(土) 01:26:04 ID:pby9N2Xi
俺の祖父ちゃんの兄貴は第1師団佐倉57連隊から福井部隊っていう旅団編成で上海へ出征。戦死広報が出るくらい
の 激戦で負傷しながら も生還。しばらく近衛第2連隊にいて当時麻布にあった祖父ちゃんの家から連隊へ通勤し
ていた らしい。 特別幹部候補生上がりの中尉だって聞いた。優秀な兵を他師団から選抜して近衛師団に配属
するっていう ことがあったみたい。
その後原隊復帰して満州へ。57連隊が満州からレイテへむかう船上でなぜだか伊豆半島防衛のための新編の部隊
に 転属命令が 出て結果的に命を拾った形らしい。(行ってたらレイテ戦記の中の人だったろう)
佐倉市の国立歴史博物館では今夏佐倉57連隊の展示をやっていてそれを見てきた親父が そんな話をしていた。
早速軍オタの俺も見てきたが期間限定の企画展だけど38歩兵銃の重さを手にとって体験できたり、 当時の兵隊
の 生活や部隊の戦史の展示があってけっこう面白かった。
57連隊はノモンハン、上海、中支、北支、グアム、レイテなど激戦地に部隊を送りまくった千葉県一円
を連隊区とする郷土連隊だったということだった。地元にも戦争の歴史があるんだとしみじみ感じた
2006年の夏。ちなみに祖父ちゃんは麻布で町医者やっていて家族で疎開みたいにして千葉の片田舎
に引っ込んでいたが終戦間際に召集されて軍医少尉で小倉に駐屯。8/9の小倉の空が晴れていたなら命はなか
った かも。何にしても強運の祖父ちゃん兄弟だったのだと今にして思う。
607名無し三等兵:2006/09/16(土) 01:32:58 ID:???
>>606
8/9の小倉って原爆投下予定地だったんだっけ?
だとしたらうちの祖父もそのとき小倉で働いてたからやばかったのか
でも代わりに長崎の人が被爆したんだから手放しで喜べんな…
608名無し三等兵:2006/09/16(土) 02:59:55 ID:???
俺のじいちゃんはまだ子供だったから、戦争には行かなかったけど爆弾に当たって体の中にいくつか破片が入ってるって言ってた
先月の葬式の時遺骨の中に何個か金属片が入ってたからそれだと思う
葬式の時、海部俊樹が来てたから何かと思ったら長い間演説とかのゴーストライターだったとばあちゃんがこっそり教えてくれたぜ

俺の曾爺ちゃんはものすごい偏平足で、行軍できないって理由で兵隊になれなかったって聞いた
でも地元で結構権力持ってたらしいから逃げたんじゃないかとも田舎のジジババが言ってた
なんかユダヤ人沢山受け入れた外交官とやらが俺の曾じいちゃんの従兄弟だったらしい
でも俺もものすごい偏平足で走るとばたばた言うから、曾爺ちゃんは逃げたわけじゃないと思うんだ

あとばあちゃん側の曾爺ちゃんは近衛兵だったらしい、でもなんでかロシアかどっかに行って、行方知れずになったらしい
609名無し三等兵:2006/09/16(土) 11:41:35 ID:GqtSdNXP
その昔今から20年位前、社内の飲み会とかあったとき年配の社員人らに
地方への集団学童疎開の経験者が数人いて、戦時中の食いもの話になったら
止まらないくらいのビンボウ自慢で、イモを喰う以外で、ほとんど無人島のサバイバル生活のようなカンジ
田舎に行っても初めのうちは、林間学校や修学旅行感覚だったらしいけど
だんだん喰えるモノが少なくなって、ゲテモノ喰いになったらしいけど
その人らに云わせるとよく旅番組で、山間部の秘湯巡りや地方の珍品料理とか食べる番組あるけど
地方の郷土料理とかで豪華な地場料理など、たまに食べるから旨いとか
川魚から、カエルやどじょうなどから、山菜でも喰えるモノ スズメとか野鳥
喰うために、あらゆるもの探して食べたらしい
地方に疎開しても、子供でも牛乳も飲めず 栄養も摂れなかった恨み節炸裂
よく戦時中の軍国少年などで、兵隊サンアリガトウとかのマンガやのらくろなどで
夢中な軍国少年とかが多かったように再現ドラマでは、云われているけど オトナはウソばかりついてると
皆その思ってらしい 今で云えば高校野球やってる少年は皆礼儀正しいとか
イイ子ばかりだと思ってるようなカンジだったらしい
610名無し三等兵:2006/09/16(土) 15:02:38 ID:DWAYlmtD
俺の爺は満州で戦っていたらしい。
戦争も負けこんできた頃、日本に帰る最後の船に乗るとき
友人が「俺はもうだめだから、おまえだけでもカエレ」
つったらしいけど友人を担いでいっしょに船で帰ったらしい。
俺がガキの頃爺から戦争の話を聞いて「俺も兵隊になる!」って
いうと、「なにぃ〜もっぺん言うてみぃ!許さんぞ!」って怒鳴られた
のを覚えている。そのときの爺の手は物凄く震えていた。
611名無し三等兵:2006/09/16(土) 15:31:04 ID:???
ベトナム戦争の帰還兵を思い出したな。「祖国のために命がけで戦ってきたのに帰国したら
「何人殺したんだ?」と言われた。あれほど悲しい気持ちになったことはない」
GHQ監視下の日本の教育現場では「無謀な戦争を起した日本」として卑下して教えられたからな・・
612名無し三等兵:2006/09/16(土) 15:31:28 ID:???
爺さんは重巡高雄で見張り員をしていたそうです。
子供の頃、ソロモンの夜戦やレイテの作戦をよく話してくれました。レイテの作戦で、魚雷が当たってから基地に辿りつくまでの緊張はすごかったと言ってました。夜戦は花火大会みたいだったけど、敵の船が見えた時は震えたそうです。
あと、高雄の模型を作ったら、何か違うな〜と言っました。
いろんな話をもっと聞いておけばよかったと後悔しています。
ちなみに、もう一人の爺さんは、空母蒼龍の整備員で、ミッドウェーで戦死したそうです。

駄文すいませんでした。
613名無し三等兵:2006/09/16(土) 19:44:14 ID:???
爺さんの兄は満州で憲兵大尉をやってたらしい
終戦後、部下を逃がして書類を焼却処分してたらソ連軍に捕まってシベリア送り…
いつ帰ってきたかは聞いてないが無事に日本へ帰れたらしい
ついでに爺さんは海軍で大和勤務が決まったんだけど
兄がそれを聞いて「大和は沈むからいかん!」とかなんとか言って即日異動させたらしい

駄文失礼
614名無し三等兵:2006/09/16(土) 20:53:48 ID:???
>613
大和の話、そんなわがまま利くもんなのか?
615名無し三等兵:2006/09/16(土) 21:09:52 ID:???
>>611
祖国アメリカのためにベトナムで戦ってきたと言われても、
アメリカに住んでいる人間には想像つきにくいだろうなぁ。
イラクも同じく。

予備士官学校を卒業した爺さんは、終戦まで小隊長として数十人ほどの部下を率いて
九州で飛行場の整備を担当していた。
竹で飛行機のようなものを作ってカバーをかけてみたり。
当然、敵を殺す経験はしなかった。
なにより幸せなことには、一人を除いて部下全員生きて終戦を迎えられた。
除いた一人も脱走しちゃっただけで、ちゃんと生きていたのだが、
爺さんは上司として責任をとることになった。
当時、新婚だった爺さんは、新妻のばあさんと二人、バスの中で
「重謹慎だと一カ月、家にいられるわね、楽しみ」とウキウキしながら話していた。
それを偶然聞いていたのが、飛行場の指揮官の副官のご母堂。
それでは、重謹慎や軽謹慎では罰にならないと、
結局、一歩まえにでてお叱りを受ける懲戒処分になったそうだ。
616名無し三等兵:2006/09/17(日) 05:17:32 ID:???
私の祖父は、第51師団でダンピール経由ニューギニアだったそうです。
ダンピールでやられた時は、大発を降ろそうとして大変だったと言っていました。
結局木材に掴まって漂流することになり、駆逐艦に救助されて、後送されたようです。
ラバウルへ戻ったときに見かけた重巡妙高は、格好よかったと。

ニューギニアでは、周囲がマラリアで苦しんだ中、幸運にも戦中は発症しなかったとか。
西部へ転進するときは、指揮官一行だけは大発で海上機動だったのがうらやましく見えたけど、
海上機動組は空襲でやられてしまって、後から思うと幸運だったと。
フィンシハーフェンなど、米軍にことごとく飛石で先回りされたのが、悔しかったようです。
米軍をひたすらジャングルの中で追いかけて、大変だったと。

実は、ダンピールの話はよく聞かされていたのですが、
ニューギニアに入ってからの話はほとんど聞かされず、
私も、だいたいの惨状は知っていましたから、大変だったのだろうと思って、聞けないでいました。
それが、死ぬ直前になって、急に話してくれました。
617名無し三等兵:2006/09/17(日) 19:13:19 ID:hjCZVo/7
俺のおじいちゃんは海軍の零戦パイロットで階級は一飛曹。開戦当初は無敵を誇ってた零戦航空隊だったけどミッドウェーで多数の熟練パイロットを失い(約100名)、1942年,8月から始まった南太平洋の航空消耗戦でも多数のパイロットを失う。
元々空母「翔鶴」の戦闘機搭乗員で、今も元気に生きてます
618名無し三等兵:2006/09/17(日) 22:04:18 ID:???
>>617
>空母「翔鶴」の戦闘機搭乗員
戻って来たら、被弾した翔鶴の甲板上で『着艦不可』の赤旗が振られるのを見て困った人ですね?w
是非、お話をうかがいたいものです
619名無し三等兵:2006/09/17(日) 23:33:16 ID:hjCZVo/7
>>618
そこまでは聞いてなかったけど海に運よく駆逐艦の近くで不時着して助かったとは言ってた
620名無し三等兵:2006/09/17(日) 23:34:13 ID:SLhS1u+p
父方の大叔父 → (陸軍)広東で戦死 [陸軍兵長]

父方の祖父  → (海軍)14空→高雄空→台南空(開戦)→251空
             →一航艦→105航空基地(終戦)
             →昭和21年5月 復員 [海軍上整曹]

母方の大叔父 → (海軍)一人は、航空輸送任務中に戦死
             一人は、予科練にて終戦

母方の祖父  → (海軍)駆逐艦「追風」乗艦→鎮海防備隊
             →第8連合特別陸戦隊(負傷)→内地還送(療養)
             →倉庫長(終戦) [海軍兵曹長]
             
621名無し三等兵:2006/09/17(日) 23:59:04 ID:uMvapsrD
やたら陸軍上等兵の墓が多いけど二等兵で戦死したのか?
622名無し三等兵:2006/09/18(月) 01:53:07 ID:3pX1tBkT
スレの主旨とはズレるが、じいちゃんの兄の(長男)話。
実家の仏壇の、一番近い場所に一番大きい位牌が祖父兄。
墓も戦前のまま。大きい。側面に、〜ニテ戦病死と彫られてる。
長文なのだが、経年劣化で判別不良。
墓の正面に、劣化に負けず明確に本人の名前の下に
「勲 七 等 功 八 級」
と刻まれている。敗戦前に軍神と顕彰されたらしい。

じいちゃんの話を信じてる前提で、長生きだった
ひいじいさんが死んだ時、親戚から墓を新しくしよう
という意見があったそうな。ところがじいちゃんは
頑として受け付けなかった。家長だからね。
墓は今も、そのまま。その理由を母から聞いた。
夢に祖父兄が、じいちゃんの夢枕に出てきたんだと。
この墓は倒れないんだと。
じいちゃんの判断を母は守ってる。俺もそうしないと…
今年、じいちゃんが死んじゃった。
じいちゃんの事は、またカキコします m(_ _)m
623名無し三等兵:2006/09/18(月) 02:02:24 ID:h1EUgUb9
無欲で戦ってくれた先人がいたから、
今の日本があるんだろうな・・。
今の日本を強く反省させられました。
624名無し三等兵:2006/09/18(月) 02:08:21 ID:???
>>623
戦っていた人達は無欲じゃないよ、人なんだから感情があるの。
皆々色々なことを考えながら戦っていたんんだよ。
625名無し三等兵:2006/09/18(月) 02:22:44 ID:h1EUgUb9
あああ。俺は軍ヲタだから良く解る。
先日のドラマの「正しい戦争などない」と言うコメントは
全く同感だな。むしろ軍ヲタだから戦争の悲惨さが良く解る。
626名無し三等兵:2006/09/18(月) 02:39:50 ID:HTYGgjUm
以前努めてた会社の社長が谷風に乗ってたそうです。その時期にはまったく興味がなかったので、聞き流してましたが、当時の話をよくしてました。軍ヲタの方には谷風はほとんど話題になってないようですね。結局最後は沈んだのでしょうか?詳しいかた教えてくださいませ
627名無し三等兵:2006/09/18(月) 02:45:45 ID:???
>>626
終戦の直前、有名な大和の水上特攻の護衛について、一緒に沈んでいますよ。
こちらのページの真ん中あたりを参照。

ttp://hush.gooside.com/Text/3T/31Ta/T1420aTani.html#anchor330462
628名無し三等兵:2006/09/18(月) 04:00:35 ID:???
軍神なんてそう何人もおらんかったはずだが・・・
だいたい戦病死で軍神なれるのか?
629名無し三等兵:2006/09/18(月) 04:56:53 ID:V5vWscLu
そこらに自生してる山芋掘ってたら機銃掃射されてその穴に潜って助かったとか、手榴弾を川に投げ込んで魚とったとか
630名無し三等兵:2006/09/18(月) 05:09:41 ID:???
>>626
陽炎型駆逐艦の谷風は1944年6月9日に戦没。
ミッドウェーで飛龍の捜索に出てB17の爆弾を何百発も回避した奮戦
の事を聞いてみるといいよ。

631名無し三等兵:2006/09/18(月) 05:39:48 ID:???
泣ける話ではないかもしれませんが… 私がホテル勤めをしていた頃の話。

ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。
披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。
自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。
自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を
掛けていると思う事。たとたどしくですが話されました。同僚達は
知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき
神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が
「何に乗っておられたのだ」と尋ねると、新郎は小声で「大和です」
それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。
おじいさんも見事な答礼を返されました。

私はその後は仕事になりませんでした。
そういえば、自らの国家や民族に固執する右翼系の若者が世界的に
増えているという事実も、多少気になるところでしたが。
632名無し三等兵:2006/09/18(月) 05:53:29 ID:???
ああ、ひさしぶりに見たなこの嘘コピペ
633名無し三等兵:2006/09/18(月) 06:06:41 ID:???
是川銀何とかじゃなくて、是川金時(これかわきんじ)知ってますか?
634名無し三等兵:2006/09/18(月) 06:41:51 ID:/75dPHK/
祖父は昭和17年正月8日に横須賀鎮守府武山海兵団へ入団。海兵団教育が
終わって、3ヶ月館山航空団勤務のあと横鎮所属第3号駆潜艇に乗り組み
終戦までズ〜と乗船勤務。
爆雷投下係だったとか、米軍艦載機や潜水艦と何度かヤリあったと。魚雷の
航跡が自艇へ真っ直ぐ突っ込んでくるのを見た時はタマがキュ〜と縮み上が
る感じがしたと。また何より怖かったのは、港を出るときと入るときに敵機
に上空から狙われることだったと。何故なら港には、敵の駆逐艦や魚雷艇そ
の他が殴り込みを掛けれないように味方専用の航路帯が設けてあり、それ以
外は全部機雷原にしてあるからだそうだ。つまり航路の中しか動けない、逃
げられないという訳。
それから、これはみなさんに情報をお聞きしたいのですが、祖父の乗ってい
た横鎮第3号駆潜艇は終戦を8月13日に作戦海域で連絡を受け、直ちに書類
その他の焼却をし8月15日に指定されたイギリス海軍基地に投降したとのこ
と。
8月13日にそんな指令がインドネシア・スラバヤ海域に発令されていたことが
信じられません。でも、祖父は脚色を言うような人間ではありません。どな
たかこの件につき情報をお持ちの方、お知らせ下さい。
祖父の階級は海軍二等兵曹です。
635名無し三等兵:2006/09/18(月) 08:24:02 ID:mKvH1Qcq
俺の爺の親父は陸軍中佐でした
636名無し三等兵:2006/09/18(月) 09:39:38 ID:lTtZ+UJw
作戦の神様の娘はサヨの親玉らすぃ 父親は強制連行で中佐になったと主張しているw
637622:2006/09/18(月) 10:02:00 ID:3pX1tBkT
>>628
書き方が悪かったですね。軍神として顕彰された
のは、あくまで地元であって広瀬・橘級の軍神
ではないです。平たく言えば、地元で軍神扱いされた、と。
祖父兄と同じ戦闘で死んだ人のお墓が、二つあります。
飴戦前の墓で、建立時にセレモニーがあった、と。
638名無し三等兵:2006/09/18(月) 10:14:12 ID:???
漏れのじぃちゃん、台湾の高雄に行ってた。
高砂族の人がバナナ売りに来たりして何か和気藹々な感じだったみたい。
高砂族の人には良くしてもらった、と生前、母に語っていたそうだから。
で、去年実家に帰った時、戦時中の写真が有ったのだが、何故かじぃちゃんは写ってない。
が、裏に「竹本隊 ○○○(←じぃちゃんの名前)」と書いて有ったので、多分じぃちゃんの戦友の
方々なんだろうな、と。
「台湾 高雄 竹本隊」でググッテもめぼしい記述が出てこないのでここにカキコしてみました。
今度、じぃちゃんとじぃちゃんの兄弟(南方で戦死。お骨上がらず)の本籍などを調べて
何処に出征していたのかなど、詳しく調べてみようと思う。
ちなみに、実家は「鬼の館砲」とかって言われた館山。
639名無し三等兵:2006/09/18(月) 11:23:11 ID:/KnxhZkD
自分の話ではないけど、友達の爺様がパラオにいて狙撃手だったと言ってた。
友達からの又聞きなので、曖昧だけど。
@群馬の高崎の連隊にいた。
A爆撃や砲撃でみんな死んでいき、「家に帰りたい」「お母ちゃん」とみんな言って死んでった。
B食べ物が無くなっていって、埋めておいた缶詰を掘り出して食い繋いだ。
C昼間は木に登っていて、夜は降りた。
D途中で部隊は何処かの島に行く事になり(撤退だか応援だからしい)船に乗っていく事になったが
自分だけ遅れてしまい、中隊長さんが待っていてくれたが、先に行った仲間達はみんなやられてしまって
自分と中隊長さんだけが助かった。

これは何の事なのだろうか?
640名無し三等兵:2006/09/18(月) 12:19:25 ID:???
>>639
内容はパラオ本島からペリリュー島への逆上陸部隊と思われる。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ku3n-kym/heiki6/pelileu/pelileu.html
>22日から23日には、パラオ本島から増援部隊が島の北部に逆上陸、守備隊と合流した。

第15連隊(高崎連隊)は、およそ1/3の第3大隊がペリリュー島に、残りの主力がパラオ本島に展開。
43年9月初旬ペリリューに米軍上陸があったため、残りの主力を増援部隊に送ることになり、
とりあえず1/3にあたる第2大隊1100人を、9月22日と23日の2回に分けて派遣。
これは移動途中に大損害を受けてしまい四散、それ以上の増援は中止となった。
かろうじて上陸に成功した兵員は、守備隊に合流して11月まで下旬まで組織的戦闘を続けた。
ttp://www.kaho.biz/main/taisen/pelileu.htmlに詳しい

増援部隊と、元からのペリリュー守備隊(第2連隊(水戸)を中核)、
それに隣接するアンガウル島守備隊を合計した総兵力9900人前後。生存者446人。

なお、守備隊2万5千がいたパラオ本島には上陸はなく、空襲などによる損害のみ。
641名無し三等兵:2006/09/18(月) 13:01:22 ID:/KnxhZkD
なるほど… パラオ本島にいた部隊に所属していたのは間違いなさそうだ。

Cのくだりはどうやら逆上陸部隊(支援部隊)の全滅の模様を伝えているのかもね。
ABCは…結局ペリリューに行って戦った時の話なのか
パラオ本島に残されて、空襲の被害でジリ貧になって行った時の事なのか…。

今でも、庭の手入れをしている時に、芋虫を見つけてはその場で食べて見せてくれる事もあるそうな。
「何でも喰ったらしい」とは友達談。
狙撃手の孫だけあって、その友達も視力は2,0ある。
642名無し三等兵:2006/09/18(月) 17:13:52 ID:???
小学生の頃に爺さんから聞いた話。
爺さんは「加賀」の機銃員だったらしい。
爺さんの話で覚えてるのは、

・真珠湾攻撃の話
・対空砲火の話
・爆弾で艦橋が無くなった
・消火の話
・加賀を駆逐艦が魚雷で沈めた話

これぐらい…。


爺さん戦争の話はしない人だったみたい。
一緒にいた婆さんも初めて聞いたようなことを言ってたような気がする。

「加賀」処分は爺さんの話によると、一向に沈まないし、火は消えないし、置いていくわけにもいかないから、処分になった様子。
みんなで泣きながら見てて、加賀は燃えながら沈んだとのこと。

いろんな本を見ると、「赤城」処分、「加賀」沈没と書いてあるけど、どういうことなんだろう?
分かる人いますか?
643名無し三等兵:2006/09/18(月) 18:48:47 ID:xjSHWoty
曽祖父は日露戦争で負傷し、村のヒーローに
祖父の3兄弟は全員、甲種合格し、村中に紅白の饅頭を配った。
祖父の兄は訓練中に死亡。
祖父は徴兵されなかったが、義勇兵として満州に行き、
20年7月に内地へ帰ってきて、高知の連隊で終戦。
身寄りの無い戦友と共に徳島駅前(そこで商売をしていた)に
帰ってみると焼け野原。
祖母の実家は食料品店で焼け残っており、駅前の闇市で食料品と
文房具を売り、大儲けし、土地を買いあさった。

我が家は終戦直後が一番景気が良かったそうだ。
644643:2006/09/18(月) 18:54:50 ID:xjSHWoty
母方の祖父は映画関係者で大変「水っぽい」人だった。
戦時中は南方の統治していたところに映画を配給する仕事を
軍の嘱託としてやっており、バンコク市内にプール、運転手、
専用のコックがいる豪邸を与えられて贅沢三昧だった。
とある少将と華僑の娘を巡って争い。祖父は娘を落とすために
シンガポールから飛行機を使い香水を運ばせたそうだ。
日本に残した妻子は一切無視し、送金もせずに
祖母は結核で昭和18年に死去、祖父は葬式にもこなかった。
身寄りの無い母たちは京都から東京の親戚の家に引き取られる途中
名古屋駅で艦砲射撃のため足止め。名古屋駅のホームで飯を炊いた
そうだ。
祖父は戦後一文無しになって愛人を連れて帰ってきた。
645名無し三等兵:2006/09/18(月) 20:29:37 ID:???
>>642
>どういうことなんだろう?
おじい様の記憶がこんがらがってるんだと思いますが。
(赤城は6/6に味方魚雷で『処分』、加賀は当日6/5に大破して燃えながら『沈没』)
646名無し三等兵:2006/09/18(月) 22:37:35 ID:???
亡くなった漏れの大叔父さんは戦争中の事を話すと必ず
新兵の時に空母に乗り込んで船酔いしたら吐いた物を食
わされた話をするのでガクブルでした。
647名無し三等兵:2006/09/18(月) 23:51:32 ID:???
>>631
コピペだって分かってるしガセかもしらんけど何度読んでも震える。
しかしこれは最後に腹が震えた。
648493:2006/09/19(火) 10:47:02 ID:???
>>541

超遅レスでアレですが、今度帰省した時にでも聞いてみたいと思います。
戦友会みたいなのがあって、名簿とか持ってたようなこと言ってた・・・・。
649名無し三等兵:2006/09/19(火) 13:36:17 ID:???
>>631を見ると、昔三菱重工関連の会社に勤めていたときの話を思い出す。

重工の社屋で仕事をしていたときの話。
重工の社員と雑談している時、結婚式の話になって、「お前んとこの課長の
結婚式のとき、○○さん(←重工の社員で戦中派、課長の友達)が余興で
 海ゆかば を朗々と歌って、場内が静まり返ったんだぞ」と笑いながら話してくれた。
俺はその話を聞いて受けたんだけど、そばにいた同年代の同僚は意味がわからず
「ポカーン」。一応「海ゆかば」がどうゆう曲かを説明してやったけど、それ
でもその曲を聞いたことがないので、「フーン」てな感じ。

家に帰って親父に話してやったら、親父は大受け。
「そりゃー、招待客もビックリしただろう。でも、なんでその社員披露宴で
 海ゆかば なんか歌ったんだ?」
「歌える曲がそれしかなかったんじゃ。でも、もしかしたら深い意味があった
のかもな。もしそうなら、その人すごいセンスしてるなぁ。」と二人で大笑いした。

スレ違いだね、ゴメン。
披露宴つながりということで勘弁してください。
650名無し三等兵:2006/09/19(火) 16:26:48 ID:???
>>638
高砂族は山岳部隊としてフィリピンとかに送られて大勢死んだけど、すごい親日的らしいよ
たまに日本人が訪問すると歓迎して君が代を歌ってくれたりするそうだ
651名無し三等兵:2006/09/19(火) 16:28:48 ID:???
>>649
大君=嫁
652名無し三等兵:2006/09/19(火) 17:15:13 ID:???
>>642
>>645
澤地久枝『滄海よ眠れ』第5章に加賀処分のことが少し書かれてる。



『……「加賀」も味方魚雷によって自沈したと生還者たちは語る。私もその言にしたがう……』

加賀処分を見たのは>>642の爺さんだけではないんだな。
生還者たちの証言の中に>>642の爺さんが含まれているのかは分からんが、澤地久枝が複数の元加賀乗組員に会って、加賀処分の話を聞いたのはたしかみたいだ。

戦闘記録には加賀処分の記述はないようだが、記録に残さない(残せない)何かがあったのかもしれないな。

>>642が聞いた話はもしかして貴重かもよ。
酷なようだが、もっとよく思い出せ!
653名無し三等兵:2006/09/19(火) 18:15:10 ID:???
残せない何かって言われると
また誰かと誰かが艦橋で抱き合って
キスしたまま沈んで逝ったとか
そういう話題かと思ってしまう
654名無し三等兵:2006/09/19(火) 21:41:47 ID:???
>>652
その辺り読んでみた。



「すでに「加賀」は沈んでいた。宇垣参謀長は、「加賀」「蒼龍」ともに、敵の攻撃で沈没したと考えている」

オレ的にはここが気になった。
澤地って人、暗に蒼龍も処分て言ってる。
加賀と蒼龍の沈没時間は10分ぐらいの差だし、赤城の処分要請もこの時間帯。
スレ違いになるから、これ以上書かないけど、もしかして…って感じするね。

>>642
詳しく知りたいなら、他のスレに行ったほうがいいよ
655名無し三等兵:2006/09/19(火) 23:06:43 ID:???
さらに『生還者の証言』で言うと、
被弾後翌6/6朝に味方魚雷で『処分』された筈の飛龍がそのまま浮かび続け(たしかに魚雷は当ったのだが)、
6/6夕になってようやく『沈没』した、という証言もあるのですよ。

ただその場合、あれほど感動的な別れを演じた山口多聞さんは何してたんだ、という疑問もわきます。
656名無し三等兵:2006/09/19(火) 23:09:07 ID:???
俺の父方の祖父は近衛兵、けど徴兵されたの大正の話だから、まぁのんびりしてたんだろな
ちなみに生きてりゃ110歳だが、身長170p強痩身の二枚目でしたわ、近衛兵はイケメンじゃなきゃダメ、はホントなんだねw
657名無し三等兵:2006/09/19(火) 23:36:46 ID:???
飛龍機関科の生存者が脱出したのが夕方前だったか・・。
658名無し三等兵:2006/09/20(水) 02:50:26 ID:???
身長160cm足のサイズ27cm小太りの祖父は昭和になってからの徴兵で、
近衛兵→前橋予備士官学校
品のいい顔をしているけれど、イケメン??
659名無し三等兵:2006/09/20(水) 16:33:04 ID:x+R8cfxM
身長162センチ74キロの俺なんか戦時中に行ったらいじめられて自決がいいとこだな。あぁデブニートでいられるのもじいさんばあさんのおかげだな(´ー`)
660名無し三等兵:2006/09/20(水) 17:47:51 ID:c2XUu9Th
訓練で絞られてイケメンになるかも知れんぞな。一年辛抱したら古兵殿になれるかも知れないし。
661名無し三等兵:2006/09/20(水) 18:20:21 ID:???
母方の祖父は満州でした。
なんでも任地は比較的田舎で戦時中でありながら、平和なお勤めだったという話。
内地と違って物資が豊富だったので色々仕送りをしてたそうです。

でも満州に赴任していた同期の幾人かはシベリアから帰ってこなかった・・・と、後に母に漏らしたそうです。
自分は運良く帰って来れたとも。
662通信兵:2006/09/20(水) 20:12:42 ID:Bc8x/4/W
最近亡くなった方なんですが、「終戦後」厚木基地からゼロ戦
に乗って実家のある名古屋まで帰ったといっていた人がいるのですが
これは何か命令で飛んでついでに帰ったということなのか?
それとも厚木のクーデター未遂と何か関係あるんでしょうか?
何かご存知の方教えてもらえないでしょうか。

身内では、父方の祖父が満州で通信兵をやっていて階級は一等兵、
終戦間際のソ連進行の際包囲され部隊で爆雷(対戦車地雷?)の
周りに集まり自決したものの祖父とほかの数人は怪我ですんだ。
祖父は左耳の聴力損失、右側がかろうじて聞こえる程度の負傷。
その後シベリアのチタでスズを掘っていたらしく、苦労話を良
く聞かせてくれましたが、一昨年他界しました。
部隊で生きて日本に帰れたのは祖父だけだそうです。

母方の曽祖父はバシー海峡で乗っていた輸送船を撃沈され戦死したそうです。
663名無し三等兵:2006/09/20(水) 20:28:30 ID:???
>>662
昔TVで水戸黄門やってた俳優の西村晃さん、戦争中は海軍飛行予備学生でしたが、
終戦時に基地に残っていた九七艦攻を見て、
「隊長、戦争も終わってアレ(九七艦攻)ももう要らんでしょう、乗って国に帰って良いですか?」
と言って操縦して帰ったそうです。
664名無し三等兵:2006/09/20(水) 21:00:57 ID:???
>>662-663
拝借した飛行機が落ちて亡くなった方も複数いますね。
665名無し三等兵:2006/09/20(水) 21:28:45 ID:???
家の近所の老夫婦の話なのだが、
お爺さんの兄弟は>>663 >>664
のように終戦直後、零戦?にのって家の真上にやってきて
何回か上を旋回したあと近くの山肌に激突して 自決 したらしい・・・
親父からこの話を聞いたとき思わず身震いがしたよ
家族に最後の別れをしに田舎までやってきて自決するなんて・・・
666名無し三等兵:2006/09/20(水) 22:10:08 ID:kcSNDORl
スレ違いですが相談があります。今教育実習中で、平和について小六に書いてもらうんだけど、具体的にどんなテーマがいいと思いますか?
『これから戦争が起こらないようにするためにはどうすればよいか』という案にしたら、先生に抽象的で子どもは書きづらいだろうと言われました。何かご意見お願いします。
667名無し三等兵:2006/09/20(水) 22:11:46 ID:kcSNDORl
スレ違いかもしれませんが相談があります。今教育実習中で、平和について小六に書いてもらうんだけど、具体的にどんなテーマがいいと思いますか?
『これから戦争が起こらないようにするためにはどうすればよいか』という案にしたら、先生に抽象的で子どもは書きづらいだろうと言われました。何かご意見お願いします。
668名無し三等兵:2006/09/20(水) 22:13:02 ID:???
重要性かなぜ戦争が起こるかでどうだ?
669名無し三等兵:2006/09/20(水) 22:20:28 ID:???
日教組の半日教育と戦争への理解・・・・と冗談はさておき
やっぱ教育実習中なら無難な奴がいいと思うよ。(当り障りの無いもの)
で教員になって初めて牙を剥く。
670名無し三等兵:2006/09/20(水) 22:24:07 ID:???
>>666
『あなたのひいおじいさん、ひいおばあさんの戦争体験を教えて』
671名無し三等兵:2006/09/20(水) 22:56:46 ID:???
>>670
おじいさん・おばあさんに戦時中の話を聞けは、やりましたよ。
小学生6年生くらいだったかな。
戦時中、実は食い物には困らなかったということが判明・・・
瀬戸内は豊かだった!
672667:2006/09/20(水) 23:01:52 ID:kcSNDORl
みなさんありがとうございます。参考にさせて頂きます。
673名無し三等兵:2006/09/20(水) 23:08:58 ID:???
>>671
>瀬戸内は豊か
しかし、その瀬戸内が輩出した多くの海員さんは帰ってきませんでした。
(軍人より死亡率が高い)

先日、某ポスター展で大阪商船の昔のポスターを見る機会を得ましたが、
そこに颯爽と描かれていた 志あとる丸・たこま丸・蓬莱丸、すべて海の底です。
674名無し三等兵:2006/09/21(木) 00:39:52 ID:???
>>666 平和についてかぁ…
俺が小6の頃、湾岸戦争中で、日教組の教師から
「ブッシュ大統領への手紙」というテーマで作文書かされた。
馬鹿だからホントに送るのかと思って一生懸命書いたな。
似たような話題で出せば平和について、に沿うかも。
675名無し三等兵:2006/09/21(木) 00:54:34 ID:fZ9bWHM8
日本人のくせに生意気だアメリカ人かわいそう日本人は反省しないなら死ねばいいって感じ。って書いた中学生の自分。じいさまが戦争話すると追い払うようにそう言って逃げた。高校から教養がつき始めたがすでにじいさまはこの世になかった。無知で純粋って本当にコワイ…
676名無し三等兵:2006/09/21(木) 02:30:28 ID:kELvXf+U
俺のじいちゃんは、戦艦榛名に乗っていたらしい。
677名無し三等兵:2006/09/21(木) 02:36:38 ID:???
>>675祖父孝行したい時には祖父は無し、反省しろよ。
俺なんかはガキの頃から爺様の話、半端に理解しながら聞いてたよ。
中学の頃辺りからWWUに興味持ち初めて、
爺様から戦争なんかに興味持つな、みたいに言われた。
でも聞きたい時には色々と話してくれるよ。
こんな爺様に感謝
678名無し三等兵:2006/09/21(木) 07:45:00 ID:fZ9bWHM8
>>677 だよね。…。おれ趣味で東南アジアとかサイパンとかいってたんだけどバアサンが「兵隊さんがたくさん死んだ所で遊んでるんだからいい時代だねぇ…」という一言が重かった
679名無し三等兵:2006/09/21(木) 09:45:12 ID:???
>>662
厚木のジーサンの話
部隊解散の日にちが決まった時
厚木の中はムチャクチャ(みんなテンデンバラバラ)
ジーサンも上官に、「おまえら、自分の好きにせー」
そんな風に言われたそうです
ジーサン達は金がなかったから
部隊内でなにか金になるものないか
みんな色んなものを持って帰ったそうです
前に書きましたがジーサンは電熱飛行服
(家に持って帰っても使えるわけないのに、バカだ)
リュックにいっぱい詰め込んでみんな解散したそうです
米軍が入るのが遅かったので実機を移動するのも簡単だったと思いますよ
実際、日本上空結構広いですから
小さい飛行機が飛んでも米軍には簡単にはみつからなっかたと思います
とにかく、あの混乱の中ですから、たぶん出来たと思います!
680名無し三等兵:2006/09/21(木) 12:02:13 ID:m954nybW
前、実習で行った老健のじーちゃんの話。

通信隊として満州をかけずり回ってたらしい。当時は有線部隊(各拠点にケーブルを引く)と無線部隊(隊に随伴して拠点もしくは本部に(と)通信してた)があり、その人は拠点で情報処理してたとの事。

で、隊長の馬の世話役もしてた。その馬はシュエイという名前で、利口でかわいかったらしい。


御歳85歳のおじいちゃんのお話ですた
681名無し三等兵:2006/09/21(木) 12:25:27 ID:???
うちのじいさん、中国で通信将校してて
終戦のだいぶ前に終戦情報知ってたって。
682名無し三等兵:2006/09/21(木) 12:36:15 ID:???
家のじいさんは若い頃から痔が持病で行進できないとかを理由に徴兵を免れ教師として働いていた。
ある日友達と出掛けた際低空の機銃掃射を受けた。
じいさんは必死に走った。そして土手を転下落ち上手く石橋の下に隠れた。
友達は木の後ろに隠れた。
暫くしてじいさんが友達を見に行くと……( ω)°°な展開
683名無し三等兵:2006/09/21(木) 13:17:18 ID:???
ワッフルワッフル
684名無し三等兵:2006/09/21(木) 16:47:50 ID:PRGfZ+W+
まだ小学セーだった爺さんの話。
空襲を受ける前の1945、7、20日。
俺のいる町にも模擬原爆が落とされた。
模擬原爆の構造はよく知らんが、中には信管と大量の爆薬が入っていたらしい。
市街地を外れ、畑に落ちたらしいが、そばで遊んでいた少年たちが・・・・
警報が解除され、見に行ったらしいが詳しくは分からなかったようだ。
少年たちは・・・・サイコロステーキみたくなっちまったんだと思う。
685名無し三等兵:2006/09/21(木) 17:15:44 ID:q7p14CZU
スレ違いで済まんが、家の近くで不発弾が見付かって         俺も一応避難したのね、危ないし       俺の90になる爺ちゃんは「おぉ、そりゃ大変だ、それじゃ避難するかね」とのんびり       戦争を体験してる人ってキモがすわっとると関心しました!
686てりー:2006/09/21(木) 17:32:18 ID:opyUc3DG
私の父親が駆逐艦「金剛」(違うような希ガス)に乗っていたときの話。

父の乗っていた船が魚雷攻撃を受け父の隣に座っていた人は魚雷の破片が直撃そのまま帰らぬ人に。
私の父はわき腹を魚雷の破片がかすり、怪我自体はそんなに深くなかったらしい。
父の乗っていた船はその時の攻撃で沈没。1度は船と共に海に沈んだ父でしたが、船内より漏れる空気の流れに偶然乗って無事、船外へと脱出する事が出来たとの事。
その船には「主砲」があり、訓練を隠れてサボっていたとき主砲を発射されて、目の前が真っ白、耳はしばらくはちゃんと聞こえなかった。と、言っていた。

艦種や艦名は本当かどうか今では父も他界したので確認の方法がありませんが、私が小学生のとき良く聞かされた話です。
687名無し三等兵:2006/09/21(木) 18:04:45 ID:???
金剛は戦艦
明治生まれの老嬢ながら日本戦艦の中では最も活躍した艦だよ
潜水艦の魚雷で沈んでるので証言とも一致するね
主砲は35.6cm、大和なんかに比べたら小さいが爆風はとんでもないものと思われ

>>684
いわゆるパンプキン爆弾だな
落下特性の検証のために投下されたんだっけ
688名無し三等兵:2006/09/21(木) 20:15:36 ID:???
>>684
もしかして新潟出身ですか?
689名無し三等兵:2006/09/21(木) 21:18:58 ID:???
さっきテレビに大和の生き残りの人のヒストリーやってた。
感動したよ。なんか大和の生き残りって現在は十数名だって。
690名無し三等兵:2006/09/21(木) 22:53:42 ID:???
>>688
鹿瀬町ならうちの爺さんの出身地だわ、昭和電工で働いてた・・・
何でも下手すれば学校に落ちそうになったとか何とか言ってたな。
691通信兵:2006/09/21(木) 23:17:33 ID:mZMtoCYi
又聞きで申し訳ないんですが、父の大学の先生が戦時中陸軍に納入する前に
大砲(種類、形式不明)の性能試験をする係りだったらしいんですが、大半
の大砲が弾が出ず、珍しく一発で飛んだと思ったら右へ行ったり左へ行った
りの欠陥品。でもそんな風に報告するわけに行かないので検査官様に余所見
していただいている間にみんなで、ヤスリとトンカチで、直したそうです。
それを体験したから戦後大学に入り工学博士になったそうです。

ちなみに親父の小学校の先生は末期に飛燕に乗っていたものの下手くそで
ラジエータを着陸のたびに落っことすからそのうち乗っけてもらえなきなっ
て結局生き残ったと言ってたそうなんですがあり得るんでしょうか?
692名無し三等兵:2006/09/21(木) 23:50:49 ID:???
>>691
飛燕のラジエーターは荒れた飛行場ではすぐに壊れました。
巻き上げる小石で簡単に破損してしまう。
それを「落とす」と言ったのでしょうか。
693名無し三等兵:2006/09/22(金) 00:14:42 ID:???
西村晃は白菊特攻隊
694名無し三等兵:2006/09/22(金) 01:15:25 ID:???
俺がガキの頃、カーチャンが新幹線車内で西村晃にナンパされたよw
小学生の俺がトイレから帰ってきたので「子連れだったかぁ」と気まずいふいんき・・・変換不能・・・を覚えてる。
美人じゃないが、巨乳な母であったw

俺?いま48才w
695名無し三等兵:2006/09/22(金) 18:07:19 ID:???
祖父が本日あちらへ行きました。
大正6年生まれ、出征3回。最後は台湾の陸軍病院付きでした。
衛生兵 兵長。
皆、送ってやってください。
696名無し三等兵:2006/09/22(金) 19:16:59 ID:???
>>695
敬礼!
大正6年生まれですかですか。出征3回とは・・・兵ですね。
697名無し三等兵:2006/09/22(金) 19:23:47 ID:???
>695
敬礼!
御冥福を祈る!
698695:2006/09/22(金) 19:28:31 ID:???
皆ノ御厚情深謝ス。
699名無し三等兵:2006/09/22(金) 19:54:30 ID:orDnmoyO
日本郵船、竜田丸のシェフだった父方の祖父は昭和18年2月8日、シンガポールに向かう海上にて戦死との記述が今日見つかりました。携帯でググっても詳しい情報がありません。
父がつい最近亡くなり疎開時の話は良く聞いたのですが。。

詳しい情報お持ちの方がいらっしゃいましたら何か教えてくれませんか?スレ違い失礼致しました。
700名無し三等兵:2006/09/22(金) 19:56:14 ID:???
sage忘れ度々失礼致しました。
701名無し三等兵:2006/09/22(金) 21:25:23 ID:???
>>699
スレ違いなどではありません。

 ・龍田丸
  総トン数:16,955トン・全長:170.69m・乗船定員数:839名を誇る超・豪華客船
  太平洋戦争に突入すると海軍に徴用され輸送船となる
  昭和十八年二月八日、御蔵島の東方にて損失(敵潜水艦の雷撃による)
  乗員と乗船の兵士1,283名全員戦死、生存者無

龍田丸は、日本郵船の花形航路・サンフランシスコ航路の超豪華客船でした。
そのシェフだなんて、とても凄い料理の腕前だったんでしょう。
戦争は、そんな有意義な人も簡単に殺します。

 こころから、合掌
702名無し三等兵:2006/09/22(金) 21:30:50 ID:EEVBWxUm
龍田丸に護衛艦はついていなかったのかのう…
703通信兵:2006/09/22(金) 21:41:06 ID:u0YJcjIR
>>692わざわざありがとうございます。
>>695ご冥福をお祈りします。
   黙祷。
704名無し三等兵:2006/09/22(金) 21:43:28 ID:???
>>702
朝潮級の『山雲』ただ一隻が護衛に付いていました。
大時化の中、あっという間に船尾から海中に消えていく龍田丸をなすすべもなく見ていただけでした。
(つまり、敵潜水艦を探知していなかった)

その山雲も、その八ヶ月後にスリガオの露と消えました。
(こちらも生存者無)
705名無し三等兵:2006/09/22(金) 21:48:25 ID:???
>>695
御祖父様の御霊の御冥福を心よりお祈りします
706名無し三等兵:2006/09/22(金) 23:33:23 ID:???
>>701さん、
詳しい情報、本当にありがとうございます。色々と勉強になりました。
祖父は横浜産まれのカトリック伝導士の子供でしたから、語学で重宝がられた可能性も有りかもです。
とにかく靖国に母と御参りしてきたいと思います。
龍田丸の写真や相手の潜水艦などもっと詳しく知りたいので参考文献探してみます。
>>703さん、>>704さんも補足情報ありがとうございました。
今さらながら沢山の命が奪われたことに心痛めつつ、心から戦争で亡くなったみなさんのご冥福をお祈りいたします。
707名無し三等兵:2006/09/22(金) 23:42:36 ID:SHFMhBRO
私の母方の祖父は、10年以上中国大陸(たぶん北部)で砲兵をしていました。
東北(会津)出身で、部隊は「熊部隊」という部隊だったそうですがどなたか詳しい師団名などわかる方はいらしゃいますか?

尚、祖父は、終戦後シベリアに抑留され、家族が「間違いなく戦死したんだろう。」とあきらめていたところ、ひょっこり帰ってきた人らしいです。
ちなみに、「シベリアではたくさん死んだ」と言っていました。

昔、祖父と取っ組み合いのけんかをした事があり、その際、きん○まを握られて、「簡単に殺せるんだぞ」とすごまれた事は、今となっては懐かしい記憶です。
708名無し三等兵:2006/09/22(金) 23:43:32 ID:???
>>706
沈めたのは、アメリカ海軍のシャーク級↓『ターポン(SS-175)』です。
ttp://military.sakura.ne.jp/navy3/us/s_tarpon.jpg


「私はあなた方を恨まない。私が任務を実行したように、あなた方も任務で行うのだから。」
 ・神戸を無差別爆撃した際に被撃墜・捕虜となり、斬首(!)される事となったアメリカ空軍パイロットの最後の言葉より
709名無し三等兵:2006/09/22(金) 23:52:28 ID:???
>>708さん、
写真、携帯から見れました。ご親切にどうもありがとうございます。どういう訳か色々と知りたくなってます。
あとアメリカ兵の最後の言葉、深く心に響きました。ホントに戦争ってなんなんだろうって考えさせられます。
710名無し三等兵:2006/09/23(土) 01:06:38 ID:???
>>709
興味があるなら「戦争論」クワウゼヴィッツ著を読んでみたらどうですか?
理解できるかも・・・
711名無し三等兵:2006/09/23(土) 02:47:24 ID:YO47ATAd
俺の祖父は横須賀で海軍の技術試験を担当していた。
敗色濃くなってきたころ、特攻攻撃をやる。ということになったときに
海軍の首脳部を横須賀に集めて公開試験をやったそうだ
米軍の空母の装甲甲板と同じ材質同じ厚さの鋼板を立てて
横須賀の港を見下ろす山の上からスロープを作ってレールを敷いて
カタパルトを作り戦闘機に250キロ爆弾を積んで、時速500キロで
鋼板に体当たりさせてみたそうだ。結果は鋼板にはかすり傷ひとつ付いて
いなくて、「特攻なんて成功しっこない、やる奴はバカかキチガイ」
という結論になったらしい。

俺の祖父はそのとき学校でたての19歳だったけど、
実験の結果は計算でもうすでにあきらかだったので
首脳部に特攻をあきらめさせるデモンストレーションとして
やったらしい。
712名無し三等兵:2006/09/23(土) 03:14:35 ID:???
( ゚д゚)・・・・・。

(゚д゚)・・・・・・・・。

( ゚д)・・・・・・・・・・・・・。

(゚д゚)・・・・・・・・・・・・・・・・・マジ?
713名無し三等兵:2006/09/23(土) 06:51:33 ID:JevCgbr5
陸さんでも廃船の甲板で爆弾爆発させてもフネは沈まない、水面下に穴開けなきゃ無理て実験して上から精神力がたりんとゴルァされた人達がいたね。
714名無し三等兵:2006/09/23(土) 08:00:45 ID:WW3121TK
カラスに高射砲打っても当たらないし、届かないもんだから、      うちの爺ちゃんも精神だか根性が足らないとかゴルァされてたみたい!  陸式の上官は皆アフォですか?
715名無し三等兵:2006/09/23(土) 08:58:31 ID:jRpIy+XK
既にテレビや新聞でも有名なってるらしいけど
2CHもまもなく閉鎖されるようだ
管理人も失踪して
年内にも破産宣告らしい
巨大ネット掲示板の2CHにも終戦の日が近づいているようだ
そのうち「あなたのおじい様の2CH体験を教えて」とか
数十年先にネット掲示板の書き込む日が来るようだ
とうとう2CHにも「終戦の日」が来るようだ
詳しくはZAKZAKなどの報道でみよう
2CH掲示板を最後の日まで見守ろう
716名無し三等兵:2006/09/23(土) 12:03:49 ID:PXP2OtVP
わが青春の2ちゃんよサラバ(*´Д`)=3実に残念だ
717名無し三等兵:2006/09/23(土) 12:35:47 ID:???
ひろゆき本人が失踪とコメントしている。
本人が言うのだからこれほど確かな
事はあるまい。
718名無し三等兵:2006/09/23(土) 15:20:06 ID:???
>>707

第7師団(だいななしだん)は大日本帝国陸軍の師団の一つ。
鎮台を基に編成されたそれまでの既存師団(第1〜第6師団)とは異なり、
第7師団は1885年(明治18年)に北海道の開拓と防衛を兼ねて設置された屯田兵を母体としている。
補充担任は旭川師団管区で、北海道内を旭川連隊区・札幌連隊区・函館連隊区・釧路連隊区と
4つに分けて徴募に当たり、建前としては北海道の兵士で構成されるわけだが北海道は
人口が希薄であった為1万の兵力は捻出できず、東北地方出身の兵も加えられた。
1896年(明治29年)5月に編成された第7師団は、1904年(明治37年)日露戦争に出征し、
旅順攻略戦・奉天会戦に参加する。1917年(大正6年)から2年間満州に駐屯し、
シベリア出兵に参加する。
その後も師団は1934年(昭和9年)・1936年(昭和11年)・1938年(昭和13年)と
満州に派遣され、ノモンハン事件で交戦する。

太平洋戦争が始まると1942年(昭和17年)所属の歩兵第28連隊を基幹に
一木支隊を編制しガダルカナル島に派遣するが、支隊長が戦死する程の被害を蒙る。
派遣時2500名の兵力も帰還できたのは僅か140名だった。
師団本体はそのまま北海道の防衛にあたり、終戦を迎える。

Wikipedia 第7師団(日本軍)より

719名無し三等兵:2006/09/24(日) 05:18:20 ID:???
>>666
同じ質問をされたらあなたは何と答えますか?
720名無し三等兵:2006/09/24(日) 07:47:10 ID:???
何社か新聞を読み比べて自分のアタマで考えたことを書いてみよう。
721名無し三等兵:2006/09/24(日) 07:56:48 ID:???
大名無し団
722名無し三等兵:2006/09/24(日) 22:44:33 ID:???
じいちゃんの話じゃないけどばあちゃんは結構いいとこのお嬢さんで
空き部屋を軍人さんの出張用(?)に使わせてあげたりしたらしい。
そんな中ひとりの陸軍少尉さんに淡い気持ちを持っていたらしく、
じいちゃんは海軍だったのに今でも陸軍さんひいきだ。

まあ、じいちゃんはじいちゃんで給料日の夜に貰ったお金を
一晩で呑みつくすような破壊神だったから
どうしてもそれより昔を美化してしまうのかもしれんけど。
723名無し三等兵:2006/09/25(月) 23:42:35 ID:fEefDn7d
俳優の丹波哲郎さんも死んでだんだん戦争映画で、帝国軍人役もやれる人も減ってきた
三船敏郎さんや鶴田浩二とか、実際に戦争行ったような人の軍人役もカッコいい
最近の役者だとやれ歌舞伎俳優だとかが、軍人役やってるけど
イマイチのカンジ
映画「203高地」の軍人役もカッコよかった
敗戦国の描く軍人像もなかなかカッコいい
映画「ヒットラーの最後の12日間」でもドイツ人の俳優の演じるドイツ兵もカッコいい
戦争の美化とかなんとかやたら騒ぐ人間も多いけど
ベルリン攻防戦での将軍たちの描き方や将兵に最後まで勲章授けて、志気鼓舞してたドイツ兵
彼らが必死に抵抗して、総統が死んでソ連軍に降伏しても更に、シベリア送りされて死んだけど
あの映画の中で一番心に残ったのはセリフも少しだけの総統本部の無線兵
ヒットラーやゲッペルスの自殺 将軍たちの集団自殺も見て、総統司令部でのドンチャン騒ぎも冷静に見て
途中拳銃に目をやるシーンもあるけど 今も存命中らしい
ナチドイツの生き残りでも普通の兵隊やって生き残ったあのドイツの無線兵もエライ
これと云って、ハデな戦闘もせず案外生き残ってる人間の語る戦争真実が、やたらと勇壮な武勇伝のような戦記より
冷静で、戦争の狂気がよく分かる
ドイツの戦争映画の俳優もナチ賛美せずに、演じるのも大変だろう
やはりやたらとCGとか多い最近の戦争映画より、性格俳優の演じる戦争映画が感動する
724名無し三等兵:2006/09/26(火) 00:14:42 ID:QFsWGbE6
うちの爺さん捕虜になったんだが、ものすごく待遇がよかったらしいよ。米兵の運転手やってたらしい。
んで捕虜時にチャリと万年筆もらってきたんだって。
725名無し三等兵:2006/09/26(火) 00:40:12 ID:FN7Rmkiy
人道的な米兵の下で勤務できて幸せだったね。
亡くなった祖母の知り合いはフィリピンで捕虜になった。
C級戦犯か何かの取調べの時、米兵から「お前は米兵捕虜
を虐待したのだろう」と強く言われた時に少しでも米兵
捕虜を虐待した事を認める表情をしたら処刑されたらしい。
米兵から罵声を浴びても米兵捕虜虐待を否定したから処刑
されずに済んだ。
その後、数年間フィリピンで捕虜生活を送ったが。
復員したら下駄屋の仕事をしながら鈴虫を祖母に届けてくれた。
修羅場を生き延びた人だったけど温暖な性格だったね・

726名無し三等兵:2006/09/26(火) 00:40:22 ID:UMoRPFSI
うちの家族は沖縄戦中、アメリカが来ると聞いて南の糸満まで逃げる事になったらしい、親戚20人と途中で一緒になった知らない人達、合わせて40人くらいで夜中に列になって歩いてて、東平風村に入った直後に左右から銃撃をうけて列の前にいた人達がパタパタと死んだそうだ
727名無し三等兵:2006/09/26(火) 00:48:19 ID:UMoRPFSI
道をはさんでアメリカ軍と日本軍が睨み合いをしてる真ん中を進んでしまったのだ、俺のじいちゃん(当時10歳)は早く進みたがって前の列に行きたがったらしいが、ひいじぃちゃんがなかなか知恵のある人だったらしく、うちの家族はみんな後ろを歩くように指示していたらしい、
728名無し三等兵:2006/09/26(火) 01:01:21 ID:UMoRPFSI
前を歩いていた人達の犠牲のおかげでその時は家族に一人も死人が出なかった、道を迂回してなんとか糸満のガマに入れたらしい。 前を歩いてた人達のおかげで自分が生まれて、彼らの子、孫達は生まれることが出来なかったと思うとなんか辛い
729名無し三等兵:2006/09/26(火) 01:07:33 ID:???
詳しい話を書いてくれて乙だが、
わざわざ分けなくとも1レスで十分じゃないのか?
730名無し三等兵:2006/09/26(火) 01:11:08 ID:UMoRPFSI
スマン、文章力が無いのでまとめきれん、携帯ってのもあるが・・・
731名無し三等兵:2006/09/26(火) 03:12:50 ID:AOmjN042
ここって、体制にとっては目の上のタソコブだったもんな・・。

我々は戦闘中である!!
732名無し三等兵:2006/09/26(火) 05:33:24 ID:???
>>695
亀で申し訳ないがご冥福をお祈りします。
733名無し三等兵:2006/09/26(火) 07:21:38 ID:eQTRgqT8
丹波さんの戦争体験談はおもしろかったなぁ
734名無し三等兵:2006/09/26(火) 07:38:11 ID:A9mKK9AP
丹波=小沢役はネ申
735名無し三等兵:2006/09/26(火) 19:24:25 ID:???
>>734
・・・ボソ・・・顔が黒い・・・そこだけ似てる・・・ボソボソ
736名無し三等兵:2006/09/27(水) 00:27:41 ID:rgdxOxx2
友達のじいちゃんWWU中にパプアニューギニアにいたらしいんだけど、そこは戦闘あったのかな?
737名無し三等兵:2006/09/27(水) 00:32:19 ID:???
>>736
ニューギニアって、太平洋戦線最大の激戦地の一つなんだが。
738名無し三等兵:2006/09/27(水) 00:36:50 ID:u1Q26ehH
地獄のパプアニューギニアから生還できたなら友人の祖父様は
凄い兵隊さんだったね。
アメリカ軍の猛攻撃や伝染病や補給物資が届かない戦場を
生き抜いただから。
戦友の方々が次々に戦死したので昔の辛い思い出を話したく
無いだろうけど機会があったらパプアニューギニアの話しを
聴いて記録に残す事をお勧めしたい。
739名無し三等兵:2006/09/27(水) 01:57:53 ID:???
718さんありがとうございます。

 以前、「熊部隊」で検索したところ、確かに7師団が出てきましたが、
東北出身者も含まれていたんですね。じいちゃんが亡くなる前に聞いておけば良かった。。
740名無し三等兵:2006/09/27(水) 07:04:20 ID:???
>>736
『ゆきゆきて、神軍』を見ると判ります
741名無し三等兵:2006/09/27(水) 09:04:21 ID:Bq75ceIl
>>723
>ゲッペルス
正しくは「ゲッベルス」な!
742736:2006/09/27(水) 11:15:55 ID:rgdxOxx2
>>737
>>738
知りませんでした…てっきり南国でマターリしてたのかと。ちなみに無傷で生還して恩賞たくさんもらったと聞きました。
>>740
機会があったら読んでみたいです。

答えてくださった方、ありがとうございます。
743名無し三等兵:2006/09/27(水) 11:17:33 ID:???
伯父貴は陸軍将校で一時、大陸勤務して
その後、自宅(横浜)近くで勤務してたらしい。
そんでもって当時の将校の自衛用拳銃は自腹で調達だったらしいけど・・・
伯父貴はブローニング.32口径だったらしい。
弾は支給されたのかな?やっぱ自腹?
終戦で差し出す時に親父に近所の広場で撃たせてくれたらしいw
744名無し三等兵:2006/09/27(水) 22:33:08 ID:???
>>743
将校さんは弾も自分で買いますよ。
・・・制式番号が付いている制式兵器な軍刀だって自腹で買うんですから。
745名無し三等兵:2006/09/28(木) 00:25:57 ID:???
外套なんかも自腹ではなかったかな?
おかげで将校なのに少尉ぐらいだと金が手元に残らないと戦記に書いてあったな。
746名無し三等兵:2006/09/28(木) 00:48:29 ID:J/uRC1FL
俺の母方のばぁちゃんの、祖父は日露戦争に従軍して生還。
体躯もあり、長生きしたとの事。立見師団兵。
ばぁちゃんは、その人から聞かされたのだろう、
日露戦争=立見師団で、「立見将軍」って言葉を連発します。
747名無し三等兵:2006/09/28(木) 01:16:27 ID:???
私の祖父は通信士でした。
同級生達が召集されているのに、祖父だけなかなか赤紙が来なかったそうです。
無線の資格を取ってすぐに召集されたそうですw
フィリピン方面で輸送船に乗っていたそうですが、撃沈され数人しか助からなかったそうです。
終戦直前、樺太に物資輸送で民間から接収した木造の輸送船に乗っていた時、アメリカの潜水艦に発見されたそうです。
その際、米兵は魚雷が勿体無かったのでしょうか、船を撃沈せずに潜水艦から出てきてライフルを乱射したそうです。
日本兵は10人以上殺されたそうですが、米兵には一発も当たらなかったそうです。
祖父はその時、腰と左手を負傷したそうです。
米兵は日本兵を殺すのが飽きたのか、笑いながら去って行ったそうです。
負傷した祖父は衛生兵に治療を受けたそうですが、そいつが素人で下手糞、さらに麻酔もなかったので大変痛かったと言っていました。
748名無し三等兵:2006/09/28(木) 02:17:50 ID:???
>>742
『ゆきゆきて、神軍』は映画だよ。
749名無し三等兵:2006/09/28(木) 02:41:26 ID:ozpHw7Zl
自分の出身の村で従軍史とかいうのが出てて、出征した人全ての顔写真や階級、従軍歴が載ってる。
数百人載ってるんだけどただ一人、戦犯にかけられた獣医の少佐さんがいる。
オランダ関係のB級戦犯って書いてあるんだけどこの少佐さんは何したのかな?
ちなみに死刑ではなくて懲役15年で途中で仮出所して亡くなられたそう。
750名無し三等兵:2006/09/28(木) 04:15:52 ID:???
「戦時国際法規違反」。たぶん捕虜虐待の指揮官なんて言いがかりをつけられたのではないか。
751名無し三等兵:2006/09/28(木) 07:02:25 ID:???
>>745
外套どころか、
九八式や三式の軍衣、中の襦袢、褌、それから各革帯、そこに付ける図嚢、ぜんぶ自費購入です。
752名無し三等兵:2006/09/28(木) 07:14:27 ID:???
獣医が戦犯になってるだけでもおかしな話だからな。
村の爺さんとかに話をきけないかな?

関係ないが
「ドキュメント太平洋戦争」のインパール編、現在のメイミョーのシーンで
青い時計台が出てくる。戦時中から市の中心部だったらしくじいさんは、
よくチャイを飲みに行ったらしい。映像を見て目を細めながら
「ここのチャイはうまかったなぁ。」
と言ってた。メイミョーは食料も豊富で結構楽しかったらしい。
その後、ウクルルまで行かされ死にかかったみたいだけど。
753名無し三等兵:2006/09/28(木) 08:19:18 ID:???
>>749
いいかげんな取り調べだし、オランダは当時反日感情プンプンだから案外無罪かもね。
754名無し三等兵:2006/09/28(木) 10:15:02 ID:meDQ335w
かなり前だけど、ジイさんのところに電話がかかってきて驚いてたけど
同じ部隊にいて、その後転属した人だったけど
てっきり戦死したと思ってたらしくビックリしてた
仕事が忙しくて、戦後の戦友会でもあんまり出て無くて、会報とかが送られてくる程度
戦友名簿も終戦時で、途中で異動した人はあんまり正確な情報なかったようだ
日本の場合は、防衛庁の戦史研究や厚生労働省あたりの資料でも紛失してる部隊も多いらしく
現地で急遽編成された部隊とか、小部隊などは、生き残りの証言でそういう部隊もあったらしい程度
アメリカ軍などは、結構ワッペン作成したりとか、軍服みればどこの部隊の兵科も判明
日本軍には軍旗とか連隊旗とかくらい
755名無し三等兵:2006/09/28(木) 10:57:22 ID:???
>>749
冤罪臭がぷんぷんするなぁ・・・

医者が足りずにかわりに治療行為をやっちゃって、捕虜虐待ってことになってたりして。
756名無し三等兵:2006/09/28(木) 11:58:12 ID:ozpHw7Zl
>>749です。
獣医の少佐さんは昭和の始めに京都の人の養子になったので、
村で知ってる人はほとんどいなさそう。
その人の兄弟も他県に住んでるみたいです。
ニューギニア方面獣医部長?っていう職を務めてたそうです。
757名無し三等兵:2006/09/28(木) 13:24:18 ID:DXmCWHwB
捕獲したあちらさんの馬の扱いが悪かったて罪だよ。
758名無し三等兵:2006/09/28(木) 13:48:41 ID:???
それじゃ戦犯でもしょうがねぇな
759名無し三等兵:2006/09/28(木) 14:03:25 ID:???
>>755説が濃厚だにゃ

あと、麻酔が無かったとか、手術器具が動物用だったとか
760名無し三等兵:2006/09/28(木) 15:06:17 ID:???
ゴボウ食わせたとか
761名無し三等兵:2006/09/28(木) 16:56:26 ID:0b58l3Xj
うちの爺さんは、中国で人を殺しまくったって言ってたな。
三光作戦って言って、焼きつくす、殺しつくす、盗みつくす。とかやってたみたい。
中国は寒い場所で、村狩りをして住居を燃やして暖をとるのが一番の楽しみだったとか。
女性の腟に酒の瓶突っ込んだとか笑いながら言ってた、変なジジイだった。
762名無し三等兵:2006/09/28(木) 17:15:54 ID:???
んー、犯罪自慢のDQNはどの世代にもいるって事だね
763名無し三等兵:2006/09/28(木) 17:17:11 ID:???
>>761
なんでその犯罪者を殺さなかったんだよ。
764名無し三等兵:2006/09/28(木) 17:24:42 ID:???
話を大きくして喜ぶ人や、やっても無い事を言って自分を大きく見せようとする人もいる。
765名無し三等兵:2006/09/28(木) 17:29:07 ID:???
定期的に三光作戦に参加したって話が出てくるな。クセェ
766名無し三等兵:2006/09/28(木) 17:54:38 ID:PNLymlEt
シナ工作員が必死の工作をしていると思うw。
ネット社会の発達で奴らの嘘がボロボロ出ているので
揉み消しが大変だなw。
767名無し三等兵:2006/09/28(木) 17:59:22 ID:???
>761
あんまり笑わせんなといいたいが、鼻でしか笑えん。
768名無し三等兵:2006/09/28(木) 18:46:49 ID:???
隼に乗って特攻に出撃するも、エンジン不調で帰還。
次の出撃命令が来る前に敗戦になった言ってたな・・・
769761:2006/09/28(木) 19:00:54 ID:0b58l3Xj
人のジジイの文句言ってんじゃねーよキモヲタ共。
つーかよ、お前らはいつも指令する側から戦争を語っているけど
実際に、お前らがあの時代に生きていたら歩兵の二等兵だろ。
それも勤まらずに、宿舎の便所で自殺したり逃げ出したりな。
舐めた事言ってんじゃねーよ。
770名無し三等兵:2006/09/28(木) 19:09:04 ID:???
この手の連中がいつも言ってることは
「チョンチャンは地上から消えろ」とかそんなんばっかなんだから
お前のじいちゃんの精神的直系だよ。

そう嫌ってやるな。
771名無し三等兵:2006/09/28(木) 20:40:44 ID:0j74t4Au
うちの爺ちゃんは海軍大佐で駆逐艦かなんかの艦長してて日本海海戦に参加した。
うちの父ちゃんは予科練で終戦。

俺は航空自衛隊で戦闘機整備員。

772名無し三等兵:2006/09/28(木) 21:01:52 ID:DTNg4P/j
>>769
ジジイの言ってる事が本当ならお前は犯罪者の孫だろ。
身内の犯罪自慢たぁ 見上げたもんだなw
773名無し三等兵:2006/09/28(木) 21:10:48 ID:NfySvJPO
>>761
本国名は? 出身はノムと同じっところ?
774名無し三等兵:2006/09/28(木) 21:12:25 ID:???
煽るなよ…
775名無し三等兵:2006/09/28(木) 21:13:33 ID:???
>>769
オマエモナー
776名無し三等兵:2006/09/28(木) 21:49:48 ID:???
シベリアの方に抑留されて強制労働させられた人のほとんどは共産党の教育受けてるの?
777名無し三等兵:2006/09/28(木) 22:30:17 ID:???
受けて優秀な共産党員にならないと反動のレッテル貼られていつまでも日本に帰れませんでした。
778名無し三等兵:2006/09/28(木) 22:58:25 ID:???
2年位抑留されて、復員後すぐに警視庁の警察官になった
曹長さんがいたんだけどソ連兵を上手く騙してたのかな。
779名無し三等兵:2006/09/28(木) 23:08:59 ID:HlxJtyXI
過酷な環境の元で洗脳教育を受けても感化されなかった曹長さん
に敬意を示したい。
共産党の思想や洗脳教育を実体験したので警察官になってから左翼
対策に役立ったかもしれないね。
780名無し三等兵:2006/09/28(木) 23:10:40 ID:???
実はスパイだったりしてなw
781名無し三等兵:2006/09/28(木) 23:20:45 ID:HlxJtyXI
復員したらソ連(当時)の悪口を散々言って周囲を油断させる。
そして警察官になって内部情報をソ連(当時)に送付する手が
無いとは言い切れないな。
782名無し三等兵:2006/09/29(金) 07:30:21 ID:TDVjALBl
じいさんはチョンは見下すけどチャンにはそういう感じはなかったなぁ。
783名無し三等兵:2006/09/29(金) 09:09:11 ID:k4Salq9w
今度の内閣で重要ポストについた世耕さん
あの方のお父さんは戦後「世耕機関」と云う世直し機関を設置して
戦後、ヤミ物資の横流しやら公務員の汚職とかの摘発をやった情報機関
以前、テレビでやっていたけどなんでも昭和天皇が天皇に即位した時に
黄金の王冠を製作したけど 戦後のドタバタで行方不明になり
行方を追っていた調査員も、行方不明になり、もっぱら消されたとの評判らしい
祖父が元A級戦犯の岸 信介の安倍センセイの右腕の世耕さん
前もオヤジさんが国家公安委員長だったけど 世襲の情報機関のエライ人
結構「世耕機関」とは、戦後の米軍統治下では、コワイ機関だったらしい
784名無し三等兵:2006/09/29(金) 11:16:55 ID:???
内の爺様は徴兵されたが、カメラ屋だったこともあり銃よりカメラの仕事が多かったそうな

私が幼い頃見せてもらったアルバムは、死体とかハードなのは無かったけど
戦場に居なければ撮れない写真や、日本兵の日常的な笑顔の兵隊さんが沢山写っていた。

私も大人になり写真にも興味が出だしたので、久々に爺様の家に行きあのアルバムまた見たいと言ってみた。

全部酔っ払った勢いで人にあげちゃったそうな。そうだ、爺様は酔うとなんでもあげる癖があったんだ。

危うくば私が飲ませてゲットしようと思ったけど、どうやら手遅れだったみたいだ。

785名無し三等兵:2006/09/29(金) 22:36:11 ID:+9FIN4ar
先週、俺の爺ちゃんが死んだ。
爺ちゃんは死ぬまでボケなくて俺に色々話してくれた。
 
病室で、死ぬ直前に古い懐中時計と一枚の写真をくれた。


それは飛行服姿の人達の白黒集合写真だった。裏には日付なのか「昭和16年鹿屋にて」
とあった。
786名無し三等兵:2006/09/29(金) 23:12:59 ID:wXsD+poc
>>785
うちの会長80歳だが、常日頃、慰霊祭がどうのこうの、
誰かと電話で話して、予科練出身だとか言っててたが、
とても信じられなくて、またホラ吹いてやがると思っていた。
ある日、だいぶ昔の社史を見つけ、若かりしころの会長の写真があった。
海軍2等飛曹、りりしかった。

787名無し三等兵:2006/09/30(土) 00:09:37 ID:???
戦前の凛々しい、というか緊迫感のある表情に比べて今の人がだらしないのはしょうがないよね。
同一人物で上海事変以前、以降のある少尉さんの顔を見比べたことがあるんだけれど、まったくの別人。

なんて言っていいか判らないが、一番ぴったりくるのが大魔神のァレ。
788名無し三等兵:2006/09/30(土) 00:33:53 ID:???
比留間さんの著書にもあったけど
軍人は私服でも一発で見分けがついたらしい
顔つきや目付きが異様に鋭いんだそうな
789名無し三等兵:2006/09/30(土) 09:02:12 ID:???
>>787
今の人がだらしなく見えるというのはカメラの性能が良くなったせいもある。
昔のカメラは露光に時間がかかったので、被写体は数秒間身構える必要があった。
790名無し三等兵:2006/09/30(土) 10:33:01 ID:???
にしても昨日再放送のの広島のアレは気合いがたらん。
運動会みたいに国旗捧げてだらだらと行進?
帝国陸軍軍人ではなくてシナ軍か敗残兵の集団だろ、ありゃ。
791名無し三等兵:2006/09/30(土) 11:41:04 ID:erSZEvxu
>>789

具体的になんのカメラのこと言ってるの?

明治維新の頃ならいざ知らず、昭和になってからの
カメラは今でも普通にちゃんと使えるくらい、基本的な
機能(シャッター・絞り)は現代のカメラとほとんど違わないよ。

792名無し三等兵:2006/09/30(土) 11:48:12 ID:???
>>791
昔のフィルムは感度低いから露光時間長かったんだよ。
晴天の屋外じゃないと動いているものを撮るなんてできなかった。
793名無し三等兵:2006/09/30(土) 11:53:46 ID:erSZEvxu
じゃあ、「カメラの性能」じゃないだろ。
794名無し三等兵:2006/09/30(土) 11:53:49 ID:CowWvaOt
映画「フルメタルジャケット」でも新人海兵隊員のイビリが出てたけど
どこの国でも新兵イビリはかなりあるようだ
映画の中で実戦経験のある人間のことを1000ミリ望遠レンズを見るような眼差しと云うセリフがあるけど
確かに、戦時中の話とかする人で実際人を殺したような人の目つきは違う
最近など警察潜入モノとかで、犯人逮捕とかでモザイク処理して、犯人の犯行時の顔とか
判別できないような映像ばかり出てるけど かなりの目つきしてるようだ
モザイク処理してるから、どういう目つきしてるヤツがホントの犯罪起こすか一般人にはよく解らない
人生経験積まないとそういう目つきの人間の行動やら立ち振る舞い、言動、挙動など
コイツはヘンだと解らない よくテレビドラマで犯人役とか悪役、悪徳政治家や帝国軍人ら演じてる役者などは
私生活ではやたらイイ人が多いらしい
最近の犯人でも周囲の人の評判やら学校、職場、やれ学校時代の卒業アルバムの写真まで出して
当時の同級生やら、担任の先生の評判まで聞いて廻る身辺調査でも
目立たないヤツとかおとなしい性格、イジメられてたとか、凶暴犯らしくないヤツも多い
実際ジイさん達の戦友会とかでも戦時中はやたらと威張ってたような帝国軍人が
戦後はボロボロになって、ホームレスのような生活してたりとか
イジメられてたような兵隊が、戦後事業起こして、創業者になって社長になったりとか
意外と、戦後社長とかになった人でそれなりの人で、右翼のようなスゴイ人でも
日本軍や自衛隊など軍隊については、昔は立場上結構イイ事云ってたようだけど
晩年の現役引退してからの今だから話すとかの回想録だと、かなりの反戦が多い
795名無し三等兵:2006/09/30(土) 11:58:47 ID:???
>>793
当時のカメラには400や1600対応の絞りなんかついてなかったから同じことだ。
796名無し三等兵:2006/09/30(土) 12:29:03 ID:???
みなさんは、おじい様の話を聞く事が出来てうらやましいですな。

俺の父方の祖父も、母方の祖父も、それぞれ硫黄島とサイパンで玉砕しております
797名無し三等兵:2006/09/30(土) 12:45:52 ID:erSZEvxu
>>795
>>当時のカメラには400や1600対応の絞り

どういう意味だ?
漏れの現代のカメラ用レンズも絞りは開放から16、22どまりで、
戦前のレンズと変わらないぞ。

現代の技術では、もっと絞りを小さくできるのだろうが、
画質が悪くなるからやらない。
だから最小絞りは戦前のレンズと変わらず16、22程度だ。

大体元発言の

>>被写体は数秒間身構える必要があった

の、「数秒間」がおかしい。
屋外で撮る記念撮影であれば、戦前のモノクロフィルムでも
そこまで感度は低くない。

798名無し三等兵:2006/09/30(土) 13:02:59 ID:???
「じっとしてー、はいっ!」な撮影は幕末〜明治中期の話やがな
それも銀板写真や湿板写真、乾板の極初期だけ

大正や昭和の頃になると感光剤の性能が格段に上がって
屋内では自然光を利用しても1/5秒程度のシャッターは切れたし
マグネシウム閃光器を使った肖像写真なら、今のストロボ利用と変わらん
799名無し三等兵:2006/09/30(土) 13:59:15 ID:???
>>795
昔のカメラには露出計は付いていませんよ。
800名無し三等兵:2006/09/30(土) 14:39:40 ID:???
まぁ実際修羅場を生き残ってきた人はふいんき(←なぜかry)が違うね。
母方の爺ちゃんは、英語話せたから内地で翻訳作業してたらしい。
父方は、中国の兵站部隊で地元の人と仲良く暮らしてたそうだ。
801名無し三等兵:2006/09/30(土) 14:46:07 ID:ePK7YuoD
私のじいちゃん戦艦沈められたけど
泳いで陸まで戻ってきたらしい。2回くらい。
802名無し三等兵:2006/09/30(土) 15:51:48 ID:78p5axCc
戦場では無いけど

警報が鳴って防空壕に慌てて逃げた際
親に顔面を思いっきり踏まれて鼻血が出た

ってじいちゃんが言ってたな
どういう状況で顔面踏まれたかは想像付かんが
803名無し三等兵:2006/09/30(土) 16:19:10 ID:3R3GcSzJ
爺さんは、先々月に86歳で亡くなりました。
お見舞いに行った時「退院したら大和ミュージアムに行こう」と誘うと、「呉の海軍工廠に勤めてて本物を見ているのでいい。」と言ってた。
大和作る現場にいたことが自慢の爺さんでした。
804名無し三等兵:2006/09/30(土) 16:29:32 ID:???
確か、大和を作るときの工程管理技術って
絶賛されたんだよね。
805名無し三等兵:2006/09/30(土) 16:46:26 ID:???
爺さんの年齢から考えてると、大和の建造時にはまだ10代。
詳しく聞いたことは無いけど、父を早くに亡くし弟妹3人を養う為に早くから働いてたそうだから学歴もないし、大和を作ったといっても現場にいただけ、なのだろう。
でも、その現場にいたことが本人にとっては自慢だったのかもしれない。
806名無し三等兵:2006/09/30(土) 20:53:55 ID:eyKOEB7q
>>805
その当時の人たちの技能が、戦後日本のものづくりをささえてきたんだよね。
NCでもできないスクリューの微妙な曲線、真球を作り出す溶接、研磨技術・・・
将に神業。
807名無し三等兵:2006/09/30(土) 22:02:41 ID:???
>>787
記念写真とかだと、昔は写真修正するのが普通ですよ。
(顔の皺とか塗り潰す、目鼻の輪郭をハッキリさせる等/手書きで修正)
一例:ttp://military-web.hp.infoseek.co.jp/koshashin/koshashin-50-cpl.htm

ちなみに、一例の軍刀の件は、
私は『写真屋さんの備品』だと推理してます。
808名無し三等兵:2006/09/30(土) 22:15:54 ID:6tlG2wyo
>>805の爺ちゃんネ申
809名無し三等兵:2006/09/30(土) 22:20:08 ID:???
>>625
超亀だが
軍オタは、戦争煽ってる奴となんら術策をもたない無抵抗主義には
生暖かい視線を向ける傾向があるな。

君が代反対、日の丸反対って叫びまくる連中も好かんが
愛国心、愛国主義連呼する奴も信用ならんよ。口に出していうもんじゃあないと俺は信じている
810名無し三等兵:2006/09/30(土) 22:22:42 ID:???
>>809
よし、今日から君も無防備マンの仲間
811名無し三等兵:2006/09/30(土) 23:57:52 ID:???
父方のおじいちゃんは俺が生まれる前に亡くなってた。
軍服着てる若い頃の写真は飾ってあった。多分、戦争へ行っていたのかな
両親にはそういうこと聞きにくいから、聞いていない
母方のおじいちゃんはシベリアで強制労働させられたって母親が行っていた。
ちなみに、今もまだ元気に生きておられます
812名無し三等兵:2006/10/01(日) 01:22:13 ID:???
〉〉805
お爺さま、年令から想像するに、十代の時とは言え一人前扱いされても可笑しくない時代。
大和の建造に携わったのは選ばれた優秀な人、下手すると身内に怪しい人間がいないかとか調べられてるかも
にもかかわらず選ばれてるのは本当に優秀だったか、上司に信頼されてたか、とにかく誇りに思っていいぞ!


以下は俺の婆ちゃん
昨日、本当に昨日永眠した祖母は戦中はまだ女学生で、戦後はバスガイド
武家の出で良いとこのお嬢様だった祖母は、家宝の刀や槍を価値も知らずに屑鉄としてお国に供出したそうだ。
お礼に飴玉やお菓子を貰ったそうだが家に帰るとしこたま叱られたそうだ。
何故叱られるのか意味がわからず、亡くなる最後まで悪いことはしてないのにね?と笑ってた。
天国で待ってる祖父は元海軍軍人、こちらは俺が跡を継いで頑張ってるが、生前海軍の話をすると驚くほど話が合った。
帽子の持ち方や格好の良い制服改造法・・・今でも通用する、と言うかまんま同じw
お嬢様な祖母、ちょい悪るな祖父、お似合いな夫婦だったのかな?
長文スマン
何となく書かずにはいれなかった。
813名無し三等兵:2006/10/01(日) 03:24:20 ID:???
>>812
かわいいおばあちゃんだこと。
そのじいちゃんがあってこそ永く生きてこれたのでしょうよ。
あっちでも仲睦まじくあることを願いましょう。

ってかどんどん語り部が旅立ってしまうなあ・・・・
ウチも昨年逝ってしまった・・・
みんな生きてるうちにガンガン聞いとけ!
814名無し三等兵:2006/10/01(日) 11:19:01 ID:???
>>812
>家宝の刀や槍を価値も知らずに屑鉄としてお国に供出
それに付いては、小沢 昭一さんも言っていたけど、
学校で煽られて子供同志のドス黒い競争心や見栄とかもあったんだってさ。
815名無し三等兵:2006/10/01(日) 12:28:36 ID:???
>>814
それを利用して、出しづらいものも効率よく徴収する作戦だったのでは?w
816名無し三等兵:2006/10/01(日) 13:37:21 ID:???
うちの婆様も先祖代々の弓、鉄砲、鎧兜をまとめて供出して
爺様が死ぬまで言うていた。

さすがに槍と刀は、本土決戦の時に使いますと出さなかったが。
817名無し三等兵:2006/10/01(日) 13:51:54 ID:QvfPNLxO
昔って刀とかを使った殺人多かったみたいね。昔も今もドキュソな事件はいくらでもあるのに昔は安全だったみたいな事がいわれてるよなww ちなみに日本では10分に1人のスピードで戦前を知る人がなくなってるそうだ。
818名無し三等兵:2006/10/01(日) 15:17:06 ID:???
恩給を貰っている人ももう10万人いないんじゃあなかったか?
819名無し三等兵:2006/10/01(日) 17:20:01 ID:???
>>815
そうですね、貴金属とかもその手口で集めたそうです。
形見の金の指輪とか・・・
820名無し三等兵:2006/10/01(日) 19:22:16 ID:6jxaflYt
ハチ公だって三越のライオンだって供出だもんな。
ハチ公は帰ってこなかったけど、ライオンは鋳つぶされる前に終戦を向かえ
無事だった。
821名無し三等兵:2006/10/01(日) 19:24:07 ID:???
ところで、供出された金属って何になったの?
鍋や薬缶で砲弾ができるとも思えんが。
822名無し三等兵:2006/10/01(日) 21:01:08 ID:???
>>818
まだ本人分だけで30万弱いるよ。
823名無し三等兵:2006/10/01(日) 21:11:49 ID:???
主として鋳造品かと。
うちのじいさんとこの事業所だと
船舶艤装部品と手榴弾。
824名無し三等兵:2006/10/01(日) 21:49:15 ID:???
中途半端にエライ人の懐へ入りました。
825名無し三等兵:2006/10/01(日) 23:00:38 ID:1w3ZQkym
終戦直後の混乱を悪用して供出された金属を売り払った
奴もいたかもしれんな。
826名無し三等兵:2006/10/01(日) 23:26:03 ID:nDcIcEzT
うちの爺さんは中国で100人レイプして100人殺したって自慢してた。
827名無し三等兵:2006/10/02(月) 00:01:59 ID:???
いい爺さんを持っているな。
さぞ嬉しかろう、中国人のキミはw
828名無し三等兵:2006/10/02(月) 00:03:32 ID:???
どの世代にもDQNっているのよね。
事実にしろ嘘にしろ。
829名無し三等兵:2006/10/02(月) 04:56:37 ID:p/zrMFac
>>826在日工作員乙
830名無し三等兵:2006/10/02(月) 05:18:59 ID:???
親戚のおじさんは、中国戦線にいたらしい。
酒に酔うと、「俺は変装した中国兵を20人は殺した。軍刀で切った首を腰にぶら下げて歩いた。俺よりすごい奴も居たが戦死した。」
などと親に自慢してたらしいです。
おじさんは既に亡くなっており確認する術はありませんが、個人的には事実とは考えたく有りません。
親は適当に聞き流してたそうです。
831名無し三等兵:2006/10/02(月) 07:47:30 ID:zVmt1BQE
その話でフルメタルジャケット思い出した。悲劇だけじゃなく狂気も描いた邦画の戦争映画みたいわ
832名無し三等兵:2006/10/02(月) 07:49:13 ID:???
>>830
人数の検証は置いておいて、
『変装した兵』というのは国際法上においても違反ですから、処刑してもかまいません。
(一応、軍律会議にかける必要はありますが)
『切った首を腰にぶら下げて』というのも戦国時代では普通のことでしたが。
乱世の武士の気分になって、ちょっとコスってみただけでしょう。
833名無し三等兵:2006/10/02(月) 07:50:12 ID:???
>>831
>狂気も描いた邦画の戦争映画
つ【 ゆきゆきて、神軍 】
834名無し三等兵:2006/10/02(月) 11:23:32 ID:???
今後、じいさんの残虐行為を自慢する香具師は、配属された戦線だけでなく
所属方面軍と従事作戦名を書くこと。
事実なら参考になるし、中国人なら備品系統の突っ込みまでは答えられまいて。

当時の八路軍の兵力を考えると実際に抗日戦に参戦した「老紅軍」やその子孫
は、あまりいないだろう。殆どの中国人のじいさん達は「侵略者」に抵抗も
せず、子孫が今になって騒いでるだけ。
(前に国民党軍の従軍手帳を前に出してる乞食に遭遇したが少しかわいそうだった)
835名無し三等兵:2006/10/02(月) 13:39:50 ID:aQq0yEkF
酔っ払いの自慢話で正確な史実を一度も聞いた事がありません。
特に数字(人数)などは99.99%誇張が入ります。

電車の中などで隣り合わせたオヤジの頭のニオイ嗅げますか?
それが何日何週間も洗髪してないのなら・・・・
それが死体なら
まあ、何十万人に1人くらいは変質者がいたのかもしれません。
836名無し三等兵:2006/10/02(月) 15:43:20 ID:???
私が学生の頃、祖父が亡くなった。頑固な祖父で、無口。

僕が小中学生の頃は褌をはいてた記憶がある。右のわき腹に

貫通銃創があった。それだけは教えてくれた。

亡くなりしばらくたったある日、家を建て直す事が決まり

放置されてた遺品をすべて片つけていた。そこにはまったく

知らない祖父のわかかりし面影があった。サイパンやテニアン

戦友会?だっけかな。大量の手紙があった。ちょっと読みずらい

文字ばかりだったが、いろいろな話が書いてあり夢中で読んだ。

祖父は満州にもいたらしい。なんか本当にびっくりした。

晩年は、祖父の口癖は早く死にたいだったそうだ。

満州鉄道の株券や医療器具メーカーの株券。重工業の

もあったかな。軍票は今も大量に残ってる。戦後中国に

行ったのもわかった。なんの為だったんだろう。慰霊なの

かも知れない。押入れの天井裏から錆錆になった。菊の御紋

の軍刀が出てきた。ずっと持っていたらしい。なんか涙が出た。
837名無し三等兵:2006/10/02(月) 17:19:53 ID:zVmt1BQE
>>833 どういう映画?
838名無し三等兵:2006/10/02(月) 17:46:38 ID:???
>>837
ニューギニア戦線で人肉食をするまでに追いつめられた
元日本兵が,当時の上官を捜し当てて,その責任を追及する
ドキュメンタリー映画。
「狂気」というのは,映画のテーマというよりも,老いた元上官
を殴りつける主演の奥崎謙三氏のキャラの方を指しているかも。

しれない。
839名無し三等兵:2006/10/02(月) 18:19:18 ID:???
先日祖母が亡くなったと書いたものですが、また一人親類が亡くなりました。
この方は戦艦日向に乗っていたそうですが、葬儀当日になってそれを知り、もっと早くにお会いして話を伺えていればと悔やまれます。
840名無し三等兵:2006/10/02(月) 18:56:48 ID:???
別に個人では支那人を何人斬って〜、ってのはありだと思うけどね。
敵を倒すのは当時としては誉れだし、
平時なら狂気殺人の犯罪者としてしょっ引かれる人間が
兵士としての立場を利用し、狼藉を働いたとしてもおかしくはない。
ただし、それが集団で、とか組織ぐるみで、となると話は全く別次元だが。
841名無し三等兵:2006/10/02(月) 19:14:15 ID:???
現在も元気な祖父は今年で93歳の元軍医です。
といっても、本土防衛の最後の部隊の軍医だったということで、本島を出る
ことはなく、空襲での負死傷者が主だったとか。

赤紙召集で家を出る時に実家の家宝の短刀を持って行けと言われたが、
自分は医者であるからメスが一本あれば良いと言ったそうだ。
そんな爺ちゃんは馬に乗れず、「軍医殿は馬に乗れないのですか・・?!」
と驚かれたとか。しかも徴兵検査で二回も落とされたらしい。

戦後はGHQ支部の医学顧問として勤めたりしてたらしいんだが、親戚にだけ
配った自伝は当時の事が凄く冷静に詳しく書いてあり、奢ることなく嘆くことなく
祖父の目で見た事実のみが淡々と綴られていて、今でもたまに読み返したりしています。
尊敬できる祖父です。
842名無し三等兵:2006/10/02(月) 22:03:04 ID:???
>>841
其のおじぃ様の自伝、読みたい!
843名無し三等兵:2006/10/02(月) 22:42:41 ID:???
私家本・自費出版本には面白いのが
数多くあるだろうなあ・・・
844名無し三等兵:2006/10/03(火) 10:24:24 ID:eHsHGDcp
ジイさんは終戦後残務処理したらしいけど
事務方はGHQとの交渉もあったけど とにかくデスクワークのやり方の違いに驚いたらしい
とにかくアメリカ軍は英文タイプ駆使して、指揮官のサインで文書出して
日本側は、それを翻訳するけど通訳も色々いて意訳もあるし、誤訳もある
それをまた清書して、日本側でも上官に報告
ガイジンなどは、日本側が翻訳するのをニタニタしながら、観察して様子窺うなど
英語圏は英文タイプでさっさと公式文書作成するけど すべて横文字
日本語では、和文タイプなどで公式文書をカンタンに作れないの知ってるから、米軍の矢継ぎ早の要求にドタバタ
やれ日本の役所仕事では、決裁に上司の印鑑とかの稟議制の固執
それも知ってるから、あれこれ云われてもどうせ時間かかるから、こういう文書渡すとかで
始めから、結果ありきの英文を渡して、あとは口頭での指示
以前テレビで日本の憲法草案をこれをやれと内閣に持ち込んだ様子を再現してたけど
あのままの様子で、英文タイプの英語訳して、日本側がなんかいってもすでに結果は折込済み
ただし彼らが驚いていたのは、日本のソロバンで、そんな板と球でよく計算できると関心してたらしい
結局日本の占領政策などは、英文タイプされた公式文書の内容と日本人のソロバン勘定の合作
今はカンタンに日本語の変換もカンタンだけど、英語圏は英文タイプで、文書作成して
タイプされてると、なんとなく「正式」「公式」のように見えるから、人間の心理も弱い
アメリカ軍は、戦前から、日本人の心理やら、文書作成の手間やらお役所仕事のクセも把握してたらしい
今の日本にいる外資系企業でも同じらしい


845名無し三等兵:2006/10/03(火) 10:40:55 ID:???
>>839
俺れが糞ガキだったころの教頭先生が戦中に戦艦日向に乗艦していたと
いう話を聞いた。  30年以上も前の話し

そのご親戚と、あの先生が同じ艦に乗艦していたと思うとなんか不思議
な感じだ・・・  ご冥福を祈りたい。
846名無し三等兵:2006/10/03(火) 14:11:47 ID:???
漏れの学校には、居合道部があったが学徒動員の際、還ってこなかった者が
多数。沖縄から生還した人が顧問をしていたんだがすげー怖かった。
847名無し三等兵:2006/10/03(火) 15:55:51 ID:9KsnYlcC
ゆきゆきて神軍 なんて映画レンタルビデオ屋でみたことないなぁ……どこならあるかな?
848名無し三等兵:2006/10/03(火) 16:11:18 ID:???
漏れの爺さん(10年ほど前に死んだが)は、日本無線の技師だった。
当時、工場と中島飛行機との間をしょっちゅう行き来していたそうだ。
849名無し三等兵:2006/10/03(火) 17:43:21 ID:2N3gzg+q
昨日のヒストリーチャンネル
「Ddayー1 波打ち際の死」で血わき肉おどらされている78歳。
プレステ2使ってオリが録画しておいたのを何度も鑑賞中。
850名無し三等兵:2006/10/03(火) 21:34:44 ID:???
〉〉845
ありがとございます。
不思議な縁ですね。
顔も知らない我々の近しい人が同じ艦に乗り、ひょっとしたら友人同士だったかもしれない。
皆どこかで繋がってるんでしょうね・・
851名無し三等兵:2006/10/04(水) 03:02:41 ID:6agDUpms
俺の祖父が金剛の機関士だったそうだ
攻撃受たときたまたま伝令で甲板に出て助かった
みんな一緒に沈んでいってしまった
自分一人も支えきれない板に戦友が掴まってきたので蹴飛ばして追いやったらしい
沈んでいく戦友を見ながら何回も泣きながらあやまったそうだ
生き残った10人くらいでサメ対策のため輪を作ったとか言ってた
他の船に助けられて内地に帰り病院直行
外傷はなかったが精神的にダメになったらしい
ここから信じられないんだが
なんと終戦まで病院だったらしい
この時代に心的外傷後ストレスが認められてたって事?


852名無し三等兵:2006/10/04(水) 06:46:38 ID:FRCMIqON
まぁ…きがふれた水兵は戦艦爆破したりするからな
853名無し三等兵:2006/10/04(水) 07:22:01 ID:IYiAcZik
沖縄の陸戦隊とかあったのになぁ。
854名無し三等兵:2006/10/04(水) 09:30:45 ID:???
爺さんではなくて、先祖の話になるけど。
日露戦争当時機雷除去の作業に志願して、たぶん死ぬという中で仲間といっしょに
生き延びたらしい。
そして、大層な勲章をもらったが本人は怒り狂ったらしい。
こんなもので命を掛けさせた仲間や部下に慰労などができるか!!

そこで無い知恵をしぼり(一族はみんなここを強調する)
その勲章をつけて、軍の食糧庫にはいり、トラック数台分の食糧を勝手に持ち出した。
そして、それを使って町で2日間どんちゃん騒ぎをしたらしい、

でも、どこからか話がもれ、その時点で営倉入りとなった
だが、高位の勲章をもらったものが、営倉入りで軍の食糧を持ち出したとは言えず
軍はもみ消しをはかったらしい。
そして、勲章は没収でなおかつ営倉もいれられたが、本人は大満足だったらしい。
(命を掛けさせた者たちになんとか慰労させることができたが一番重要だったらしい。)

瀬戸内海に住む、先祖代々頭が悪い一族の話だ(w
855名無し三等兵:2006/10/04(水) 16:31:15 ID:FRCMIqON
勲章欲しいなぁ。数年以内に戦争起きるのは確実だけど
856名無し三等兵:2006/10/04(水) 17:58:47 ID:+K39kt6c
ウチの曾祖父は天皇と内閣からの勅命で大陸で慰安婦用の無垢な少女を拉致してました
南京では大本営の指示を伝達し動くものを焼き尽くし奪い尽くし女は赤ん坊から老婆まで強姦するように指揮しました
朝鮮半島での女性を100万人は拉致しろと天皇からの勅命に従いました
南京では虐殺は指示のように実行しました
857名無し三等兵:2006/10/04(水) 18:04:36 ID:Fk7rTrwR
キムチの作り方についてでも話したいのか?
858名無し三等兵:2006/10/04(水) 18:09:34 ID:???
>>854
名よりも実をとる。
いいご先祖様ではないですか。
859名無し三等兵:2006/10/04(水) 18:11:07 ID:+K39kt6c
否定的ならスレを全否定してくださいね
一部を切り取り妄想と言うなら心温まる話をも否定しないと
都合によって取捨選択するのは一貫性が無い
860名無し三等兵:2006/10/04(水) 18:15:30 ID:???
>>859
何か勘違いしているようですが
あなたの御伽噺は全く史実と食い違う。
かといって史実を覆すほどの信憑性も絶無。

あなたの稚拙な妄想と心温まる話を同じにしないでください。
861通常の名無しさんの3倍:2006/10/04(水) 18:16:13 ID:xr167Tx8
日露戦争で曾爺さんが工兵で旅順にいって戦って
大東亜戦争で爺さんが速射砲部隊として
ニューギニアのニューブリテン島で戦って
生きて帰ってきてた。今考えれば俺は
凄い確立で生まれてきたんだなと
思う今日この頃
862名無し三等兵:2006/10/04(水) 19:18:13 ID:???
>>842 
>>841ですが、ほんの一部で申し訳ないですがどうぞ。
まもなく海軍のある幹部から召集を受けて、ある会議が開催された。
海軍航空隊では急降下爆撃の隊員を養成している。ところがその兵は特別の反射運動機能が
必要であるので、優秀な兵を養成するためには乳児のときからの訓練が大切であろう。
それでその訓練法を研究してもらいたいというのである。
20年計画の気の長い話であった。このときはまだ先次大戦は始まっていなかった。

昭和20年5月25日夜半、敵機B29は愛育会病院周辺を爆撃した。
病院は幸い消失はまのがれたが、周りの町はほとんど焼き尽くされた。その夜は筆者が
当直であったので、警報とともに屋上に上って見張りをしていたが、間もなく南の空から
敵機が現れた。
さて敵機が来たら、敵機に指をかざして、敵機を隠したとき、指の先から敵機が
出てきたら、真っ直ぐに自分の頭上に来るものと思え、と教えられていたので、早速
そのようにしてみたら、まさにその通りに、指の先から出てきた。
まもなく焼夷弾が落とされた。幸い病院には落ちて来なかったが、褒の看護婦寄宿舎に
落ちた。しかし看護婦たちが勇敢にも叩いて消し止めたのである。
ほどなくして外傷患者が大勢押しかけてきた。脚に信管の刺さった消防団員、火傷の
患者もたくさん来たが、地下室でローソクの火をたよりに治療するのは大変であった。

派手な話はなく、我が隊はなんの活躍もないまま解散したとありました。
863名無し三等兵:2006/10/04(水) 19:24:41 ID:???
>>862
>派手な話はなく
ご謙遜ご謙遜、
空襲に焼け残った病院(看護婦さん達が勇戦しなければ、寄宿舎の火災で延焼してたかも)、
そして
>地下室でローソクの火をたよりに
一生懸命治療してくれるお医者さん、
これほどありがたい話はなかったと思いますよ。
864名無し三等兵:2006/10/04(水) 19:32:52 ID:???
指先から機影が出てきたときの絶望感って凄いものがあったんだろうな。
865名無し三等兵:2006/10/04(水) 19:41:03 ID:+K39kt6c
脳内史実信じたくない史実は信じない
信じたい史実だけ信じる




一般的な日本人らしいね、日本人の全ては理論整然で偽証はせず逸脱もせず完璧な軍隊www
信じたいことしか信じない
866名無し三等兵:2006/10/04(水) 19:43:23 ID:???
昔の英文和訳作業が大変な苦労のある作業であったことが思い浮かぶが、
現代の俺も>>844の和訳に相当な労力を費やしたのは言うまでも無い。
867名無し三等兵:2006/10/04(水) 19:59:46 ID:???
まぁネタだと理解して、創作爺さん経験談を楽しめ無い厨には2chは難しいかな。
868名無し三等兵:2006/10/04(水) 20:12:42 ID:???
>信じたい史実だけ信じる
『2chは己を映す鏡である』とは、実に言い得て妙ですなw


♪これでもうおしまいかい とても哀れに見えるかい
 愛想がつきたろう 僕の名を吐き捨てろ

 失態を繰り返すこんな愚か者には
 去りゆく人をとめる力は もうまるで残っていない

 どこにも行くところはない 扉はもう閉められたよ
 Nowhere to go now
 嘘でもいい聞かせてくれ どこかでまだ待っていると
 信じるくらいいいだろう いいだろう
869名無し三等兵:2006/10/04(水) 20:18:13 ID:???
そもそも証言スレなんだから目くじらたてるなよ。
創作やフィクション扱いだってのを理解出来ていないのは一部なんだし。
870名無し三等兵:2006/10/04(水) 20:37:34 ID:???
>>834
抗日戦線で戦い抜いて生き抜いた奴も文化大革命でアボン
871名無し三等兵:2006/10/04(水) 20:40:39 ID:???
その前に>>865
の書き方が、日本人に見えるか?
一般的なとか、全ての とか言ってる段階で、日本人を客観視する立場の国民が書いてるって事。
872名無し三等兵:2006/10/04(水) 20:48:02 ID:???
>>871
まぁ認定に逃げれば楽だ罠w
んで、俺は何人認定?
君はこれ以上ないってくらいの厨のありようを体現してくれていますねw
873名無し三等兵:2006/10/04(水) 22:47:44 ID:tnUQt47t
チョソ認定にきまってるじゃまいか
874名無し三等兵:2006/10/04(水) 22:50:16 ID:???
君の厨房さには到底及ばないと思うけどね。
自分のレスにwをつけている時点で普通の人間なら気づくよ。
普通の人間なら、ね。
875名無し三等兵:2006/10/04(水) 22:50:22 ID:2jtYCwn2
戦争に行って,ほんとに女の人を犯す暇があるのだろうか?
876名無し三等兵:2006/10/04(水) 22:54:07 ID:???
>>875が戦争=戦闘という全く誤った戦争の認識をしている点について
877ラングーンのチャイ屋:2006/10/05(木) 00:28:16 ID:???
>865
>871
は、申し訳ないが大戦に従事された親族の部隊所属申告をお願いしたい。
仮に八路軍でも結構。(八路軍の証言は現地の戦記物をあさっても脚色
されたものが多いからね、ぜひとも聞いてみたい)

まさか、何の証言も持ち合わせてない、どちらにとっても非国民の子孫
ではありませんよね??
878名無し三等兵:2006/10/05(木) 00:41:05 ID:???
と言う訳で、これからここへ体験談を書き込む者は全員、証言者の部隊所属申告を
行う事。>877が調べてくれるそうだ。
当然ながら、いい話も悪い話もね。
879名無し三等兵:2006/10/05(木) 00:41:56 ID:???
いやつまり、韓国軍がベトナムで強姦したなんてのは嘘だと言いたいのでは。
なあ、>875よ。
880名無し三等兵:2006/10/05(木) 04:54:32 ID:HW2WjJPC
>>847
近所のビデオ屋で180円で売ってた
881ラングーンのチャイ屋:2006/10/05(木) 11:51:58 ID:???
結局、部隊申告は無しみたい。

(戦争の是非はともかく)
日本軍/連合軍問わず、軍が民間人を殺したことも十分わかっているし、
悪い話なら尚更、その話が本当か?当事者や子孫の証言から探ってみた
いもんだが。
(南京の虐殺記念館に8/15に行ったりもしたが閑散として欧米メディア以外、
誰もいなかった)

>878はどう思う?
(証言スレで中韓の教科書内容の書き込み/アジテートされても何の意味もな
いでしょ?)
882名無し三等兵:2006/10/05(木) 18:12:11 ID:???
何スレか前に、昭和二十年五月四日出撃の特攻隊・琴平水心隊(九四式水偵が主力)
で突入・散華(駆逐艦モリソン{DD-560}撃沈)されたおじさんの戦死状況を探している人がいて、
それに対する回答とか、質問者の再度のカキコとか、実にいい流れだった。
またあんな風にならんもんかな?
883砂漠狐達 ◆eVB09GorVw :2006/10/05(木) 23:30:37 ID:???
せっかくだから、父の体験談を。

私の祖父(上に書いた父の父ね)は、輸送船がコンソリデーデットに沈められたという。
これは、有名なカタリナ飛行艇だそうです。
戦後生まれた私の父は、父への嫌がらせでカタリナのプラモを作ったとさ。
その後は知らない、ちょっと聞いてくる。
884名無し三等兵:2006/10/06(金) 01:13:27 ID:???
 あー、私の親戚に、戦争中海軍のフネに乗っとったお爺さんがいますよ。

 軽巡大淀→軽巡矢矧→横須賀海兵団?で終戦。

 だいぶ年を取りましたが今でも御健在です。
885名無し三等兵:2006/10/06(金) 18:18:44 ID:???
お話を聞きたいですね。
886名無し三等兵:2006/10/08(日) 20:57:15 ID:???
そうですね
887名無し三等兵:2006/10/08(日) 21:13:22 ID:???
>884

つーことなので、何か聞けたら書き込みしてね。
気長に待ってるから。
888名無し三等兵:2006/10/09(月) 09:33:56 ID:???
まずは、部隊所属申告からですねw
889884:2006/10/10(火) 07:20:42 ID:???
 うわレス気付かなかった。
 箇条書きのとだらだら長いのと、どちらがお好み?
890名無し三等兵:2006/10/10(火) 08:42:41 ID:tAnmbNbw
亡くなった祖父は少尉でシベリア抑留されたのにアカにはならなかった。なぜか指が一本短かった。…戦時中は傷一つおわなかったみたいだが戦後に自宅のクーラーいじくってて挟んだらしいWWW
891名無し三等兵:2006/10/10(火) 09:47:06 ID:165aWEL/
顔面にひどい弾瘡があった。福島隊に属しており小西隊が放った銃弾で負傷したと言う。戦後の論功行賞で芸州小郡二百五十石を賜った。
892名無し三等兵:2006/10/10(火) 10:26:49 ID:hlK7hGLD
俺のじいさん(現在103歳)はラバウルで雑談をしているといきなり空襲
にあって、目の前に爆弾が落ち、しゃべっていた仲間が一瞬で吹き飛んだ
らしい。。。。
余談だがそのじんさんは、WWU前、独学で英語をやっていた。
今でもそのノートがある。しかも筆記体でw
あとチョコとココアが大好き
893名無し三等兵:2006/10/10(火) 10:33:55 ID:???
>>889
こういう話は、チョイと長くても苦にはしないよ。
894名無し三等兵:2006/10/10(火) 12:58:57 ID:sriRD8C1
あたしの爺さんの話。
昭和11年(?)静岡34聯隊に招集。昭和12年上海派遣軍静岡34聯隊重砲輜重兵として参戦。
南京、徐州攻略戦に参加。招集解除時上等兵。

*支那人が円札と銀貨を交換してくれた。偽物が多かったので、人差し指と親指でそっと
 つまんで、強く息を吹きかけ、すぐに耳元へ。本物ならチーンと音がする。
 (書き込み本人確認済み。小学生の頃。)
*徴発にはその銀貨を使った。銀貨一枚渡すと、何でも好きな物を持って行けと言われた。
*露営地には頻繁に物売りがやってきた。「プヨ、プヨ」(不要)と断るのに苦労した。
*物売りから、支那製のカミソリ(籐のような材質の細い柄がついた折り畳み式。刃は
 刃渡り5Cmくらい、高さが3Cmくらい。亡くなるまでそれで髭を剃っていた。現存。)を
 買った。25銭の円貨で払った。
*徴発した牛を屠殺するのに、38式で撃った。戦友に射撃のうまいのがいて、先台を木の
 枝に乗せ、一発で倒した。売った支那人が解体してくれた。手早くて驚いた。
 (ちなみに爺さんは漁師。)
*ある日、一軒家に隠れていた、八路(便衣)を捕らえた。家の住人が殺されていたので
 処刑することになった。中隊長付きの少尉(多分、特務少尉。未確認)が剣術の達人で、
 喉の皮一枚残して軍刀で首を落とした。こうしないと、体が後ろに倒れて、周囲一面が
 血の海になると後で少尉が教えてくれた。殺された家人は埋葬して墓碑を建てた。

続く。
895名無し三等兵:2006/10/10(火) 12:59:53 ID:sriRD8C1
>>894続き
*新任の大隊長(?)が、兵隊を集めて訓示した。軍刀を抜いて、「敵に後ろを見せるよう
 な者は、この俺がぶち斬る。」とやったそうだ。すでに一年近く戦地で戦っている兵隊
 から、「弾は前から飛んでくるだけじゃねぇぞ。」というヤジが飛ぶと、そそくさと
 演壇から降りた。
*ピー屋(慰安所)は前線には無かった。大行李(この場合は多分、物資集積所)の後ろに
 付いて来た。女衒もモギリも女も全部支那人だった。初めのうちはピー屋への出入りは
 禁止されていたらしい。その後、黙認されたらしい。
 (ピー屋の話は、ほとんどの場合、婆さんが側にいたので詳しい話はしなかった。)
*重砲輜重兵は前線の歩兵よりも、小戦闘は多かった。すぐに逃げてしまうので、兵隊なの
 か野盗なのか、判別はできなかった。
*徐州攻略の進撃中に、汚染された井戸水を飲んで赤痢になり、内地送還となる。入院中に
 召集解除となる。

これが76年に亡くなった、うちの爺さんの戦歴です。大叔父は大戦中に機関銃手として出征
してますが、詳細不明。父は徴用貨物船の機関長で、バリクパパン付近で魚雷攻撃を受け、
乗船が撃沈されていますが、生存しました。バシー海峡で敵戦闘機の銃撃を受けた話などが
ありますが、あまり詳しい話は聞いていません。(64年に海難で行方不明)
896名無し三等兵:2006/10/10(火) 13:19:11 ID:???
>894
34連隊で思い出したけど、八幡山の弾薬庫の殺人事件の話って知ってる?
897名無し三等兵:2006/10/10(火) 20:04:40 ID:???
なんか歴戦の勇士ばっかりだな。

うちのじいさんは金鵄勲章持ってた。台湾総督府で働いていた以外はわからん。
898名無し三等兵:2006/10/10(火) 22:19:08 ID:sriRD8C1
>>894
いや、そういう話は聞いてないと思う。

静岡県って言っても、一番外れだし、当時、(って今もそうだけど)静岡へ行くよりも
東京へ行く方がはるかに楽な町が本籍地だから知らないかも知れない。
それと、入隊は三島だけど、そのころ住んでたのは群馬県。家庭の事情で家を出ていた
らしい。長男ではあるけれど・・・・

もっともあたしが忘れてるのかも知れない。なにせこの話は昭和40年前後に聞いた話
から。
899名無し三等兵:2006/10/10(火) 22:20:10 ID:???
うちのじいさんは中国に行ったらしい
目が悪かったので直接戦闘はしなかったようだが
最終的には伍長になったとか

それと じいさんいたところでは物資が大量にあって
日本に帰ってきた時は5kg程太ってた と言ってた
900名無し三等兵:2006/10/10(火) 22:53:25 ID:tAnmbNbw
第二次大戦で視力のいい人が甲種合格で前線行きになって大勢戦死したから戦後の子供達の平均視力が落ちた。 っていう説をみんなは信じるか?
901名無し三等兵:2006/10/10(火) 22:59:54 ID:???
>898
そっか。静大の言語学かなんかの研究室が作った、地域の民話を集めた本に
書かれてたんだが、本当にあった話か裏が取れないんで聞いてみたんだが。

夜中に弾薬庫の警備をしていたら、女が近づいてくる。歩哨が誰何しても何も答えない。
3度聞いても何も答えないため、怖くなった歩哨が発砲してしまうって話なんだけどね。



後で調べたら、逢引しようとした歩哨がいて、その兵士が自分で呼び出してたから、
誰何されても冗談だと思って何も答えなかったらしい。
んじゃ、その逢引しようとした歩哨はどこにいたのか?腹痛で倒れ、弾薬庫の休憩室で寝てましたとさ。
902名無し三等兵:2006/10/10(火) 23:17:07 ID:???
>>900
たぶん栄養の問題だよ。
身長も戦後のすぐの子供は低くなってる。
903884:2006/10/11(水) 00:34:10 ID:???

 えー、お待たせしやした、今まで盆暮れ正月に聞いた話を総合すると以下の様です。

 東北出身で昭和18年6月現役召集(当初1月の予定がどういう訳か延期した)。だからぺーぺーの兵隊だった。
 徴兵検査は甲種合格で、当時は名誉な事だった。
 (どうも爺様が言うには、徴兵検査の時?に海軍の希望を出したようです。)

 そして横須賀海兵団に入団、教育を受ける。
(どうもこの頃に戦艦山城に乗った事だか見た事だかがあるらしく、あれはいいフネだった、古いフネなのに最後にもったいない事をしたもんだとしきりに言っていました。)

 その後竹浜海兵団?で航空機の整備兵の訓練を受ける。
 そこの基地にはパイロット?の士官候補生?達がいたが、みんないいところのおぼっちゃんなものだから、毎日の厳しい訓練に根をあげていてかわいそうだった。それに若いもんだからいつも腹を減らしていた様だった。
 そこで残った飯で馬鹿でかい握り飯をいくつか作り、夜こっそり持って行ってやるとまあたいへんな喜び様で、何の具も無いおにぎりで、茶も水も無いのにもかかわらずあっという間に平らげてしまった。

 そんな中ある時突然お偉方に呼ばれ、さて俺は何をやらかしたかなとびくびくして行ってみると、
 「実は欠員が生じたフネがある。身上調査票を見るとお前には弟がいるようだから家の後継ぎの心配は無いだろう。だから乗ってはくれないか」
 と言う。そこで思い切って承諾したところその後の2〜3日は部隊でちやほやされて天国だった。

続く
904884:2006/10/11(水) 00:47:12 ID:???

 そして軽巡大淀に乗り組み、水上機の整備をした。他に偉い人の世話(従兵?)をしたり給仕?をしたり、戦闘時には弾薬運びの手伝い(たぶん機銃弾)など雑用もいろいろとやった。

 乗り組んでしばらくはフネが揺れるもんで慣れなかった。でも若いもんだからすぐに艦内を跳んで歩けるようになった。

 帰還後排気や油で汚れた飛行機を拭くため翼の上面に上がるが、高い所に止めてあるもんだからフネが揺れる度に落ちそうで怖かった。
 またエンジンのオーバーホールをする時は、全部ばらして外した部品をガソリンで洗った。
 (水上機の機種は零式水偵のようです。)

 大淀のパイロットは皆偉い人(士官パイロット?)ばかりだった。かと思えば偵察に飛び立ったものの撃墜されるのを恐れて島影とかに隠れ、戦闘が終わってから帰って来た事もあった。
 (実際に目にしたのか伝聞かはわかりませんが、カタパルトで打ち出したもののエンジンの馬力が出ず、そのまま海面に落ちた事もあると言ってました。)

 偉い人の食事の用意をする時は、それはまあ丁寧なもので、茶碗に飯を盛ると箸で縁についた米粒を取ってから出した。
 偉い人方はまあ食べないもので、食べる物が沢山余った。余った物はみんな若い俺たちの腹に入る。おかげで軍隊ではいいものばかり食えた。

 (士官食の献立について聞いてみると)洋食はほとんどなくたいてい和食だった。

 自分は下戸だったので、サイダーやら何やら、甘い物は飲み放題食い放題みたいなもので飽きるほどだった。

続く
905名無し三等兵:2006/10/11(水) 15:49:44 ID:???
884殿の話、面白いですね。
906名無し三等兵:2006/10/11(水) 21:45:57 ID:???
精神棒とかウグイスのお話は・・・。
907名無し三等兵:2006/10/11(水) 23:18:37 ID:???
軍艦乗りの話も面白いね。
908884:2006/10/12(木) 06:53:31 ID:???

>>905 >>907
 こりゃどうも。がんばって続きを書きます。
>>906
 鉄拳制裁はあったみたいですが、精神(注入)棒の話は聞いた事がありません。
 ウグイスとはなんでしょうか?(→鳴く→?)

 ここで関連して、書こうかどうか迷いましたが、国士様が聞いたら激怒するお話をひとつ。
 爺
 「同郷から同期で海軍に行った4人の中に、自分の出世しか頭にない男がいた。
 上官にゴマばかりすってあまりにも部下につらくあたったので恨みをかった。
 んだもんである時数人がかりでスマキにされ、航行中に海に突き落とされた。
 だが戦死(事故死?)したという事になっている。
 たぶん家族はこの事を知らないだろう。」

 おそらく伝聞でしょうが、やっぱり世の中には知らない方が良い事もありますね。
 (まさか実行犯の一人ではないと思いますが、その辺は怖くて聞いてません・・・。)
909名無し三等兵:2006/10/12(木) 07:02:54 ID:???
> ま〜た出たよ大ほら吹きが
> あのなぁ嘘をつくならもっとマシな嘘をつけよ。いい加減飽きた。
>
> もし嘘じゃないと言うなら所属部隊名を教えろや。
> 爺さんから聞いたって事は年金貰ったりしてたんだろ。
> 厚生省とか役場に問い合わせれば判るはずだから。今度部隊名書き込めよ。
> どうせまあ釣りだろうけどさ
910名無し三等兵:2006/10/12(木) 12:11:53 ID:29q6yxse
↑ほら出た酷使さまだ
911名無し三等兵:2006/10/12(木) 12:37:40 ID:???
>>909
それ俺が別スレで書いたものじゃねーかw
912じんべえ ◆TAEPPSxEpw :2006/10/12(木) 21:20:02 ID:???
逆の事を聞きたいんだが、所属部隊名が不明で配属地域もよく分からない場合
本名や兵科、階級、召集年月日だけで詳細な記録を割り出すことってできるんだろうか

祖父は宮沢総理の書状と銀杯は貰ってるし、獣医科将校だった事は分かってるんだが
祖父本人が余り喋らなかった上に抑留・前の家族が外地で全滅で写真一枚すらない
913名無し三等兵:2006/10/12(木) 22:50:24 ID:???
軍歴が保管されてれば、本籍・氏名で出てくるよ。
海軍なら基本的に全部あるはずだし、陸軍も一部の府県を除いてはあるはず。
914名無し三等兵:2006/10/14(土) 07:04:34 ID:dPtzXzDk
戦争映画で、よくでてくるけど他国で、強姦したお爺さんはいますか?そんなことした人いるのかな?
915名無し三等兵:2006/10/14(土) 07:11:16 ID:???
>>914
※戦争に関する一番おおまかで一番重要な決まり事
 『味方は殺しちゃいけない、強姦や略奪はなるべくしない』
916ラングンーンのチャイ屋 ◆XfZJG8NJmQ :2006/10/14(土) 08:33:36 ID:???
仮に旧植民地出身でも戦争の時に何をしたのか?ぐらいは伝わって
るもんだが。
漏れの嫁さんの爺さんの話。

台湾の新竹出身。1925年金が無いので一山当てようと日本へ。
講道館で柔道を習いそのまま、松戸で整体師として生計を立てる。
東京大空襲の時は東京方面の空が赤く染まったのを覚えている。
戦局よりも景気が悪くなる事を心配していたらしい。
終戦時台湾に帰ることも考えたが商売が繁盛したので帰国せず
6年前他界。
(ただし、子供達は日本で生計を立てているので日本への帰化を
希望していた)
たまに、旧植民地出身と思しき書き込みがあるが、実際どんな経緯で
日本に来たのか?戦後はどのように生きたのか?現在でも、出身国
の親族と連絡が取れているのか?ちょっと聞いたみたい。
917名無し三等兵:2006/10/14(土) 15:13:05 ID:5jSU1Dhj
職場に下請けから人夫で派遣されてきていた爺さんの話
台湾から復員するときに、自分が持っていた日本軍の回転式の拳銃と将校から
捨てて置いてくれと言われたアメリカ製の自動式拳銃を持って帰った。
弾が勿体ないので一年に一度くらい山中で試射していたが、日本のは五年目く
らいで弾が湿気たのか撃てなくなった。アメリカのは二十年近く経っても弾が
出た。弾ひとつとっても違ったのぉと言っていた。弾が無くなったので拳銃は
川の中に放り込んで捨てたらしい。
918名無し三等兵:2006/10/14(土) 16:37:34 ID:???
俺の爺さんは、
インドネシアで敗戦を迎えましたが、
日本には帰らず、インドネシア独立のために、義勇兵として戦いを続け昭和22年に、オランダ軍との戦闘で戦死しました
919名無し三等兵:2006/10/14(土) 17:44:18 ID:???
ま〜た出たよ大ほら吹きが
あのなぁ嘘をつくならもっとマシな嘘をつけよ。いい加減飽きた。

もし嘘じゃないと言うなら所属部隊名を教えろや。
爺さんから聞いたって事は年金貰ったりしてたんだろ。
厚生省とか役場に問い合わせれば判るはずだから。今度部隊名書き込めよ。
どうせまあ釣りだろうけどさ
920名無し三等兵:2006/10/14(土) 17:52:28 ID:???
>>919人の書いた文章勝手に使うな!!
921名無し三等兵:2006/10/14(土) 19:37:41 ID:fhY6rcFF
>>917
ワシのゼロ戦捨てるなぁ!
922名無し三等兵:2006/10/15(日) 00:11:11 ID:???
今日小学校の同窓会で久しぶりに当時の担任に会ったんだが、
酔いの回った担任が珍しく戦争中の話をし始めた。
何気に聞いていたらうちの爺さんがやたらと言ってた単語が
出てきたんで、所属部隊聞いたらうちの爺さんと同じ。
試しにうちの爺さんの名前出したら途端に担任号泣。
うちの爺さんが応召の中隊長で、担任が現役の中隊員という関係だったそうだ。
それじゃあってことで、爺さんに電話して担任の名前出したら今度は爺さんまで号泣。
爺さんはお袋方だから俺とは姓が違うんで、担任もまさか俺が孫だとは
思わなかったそうだが。

レイテで散り散りになって以来60年ぶりなんだと。
とりあえず明日担任連れて爺さん家行く。
923名無し三等兵:2006/10/15(日) 00:15:37 ID:???
>>922
素晴らしい・・・(つд`)
924名無し三等兵:2006/10/15(日) 00:29:45 ID:???
>922
凄い偶然だな。
925名無し三等兵:2006/10/15(日) 00:32:01 ID:AejdwZYK
看護学生なので、実習の度に受け持つ患者さんがいるのですが
高齢の方が多く、そのために従軍経験のある方ばかりです。
なので戦争の時の話などを良く聞きましたが、私の祖父の話ではないので
ここではスレ違いになってしまいますか?
926名無し三等兵:2006/10/15(日) 01:04:42 ID:???
>>925
スレタイのおじい様とは、あなたの祖父の世代と心得られよ
927名無し三等兵:2006/10/15(日) 02:09:40 ID:gTcDJb3n
>>925
従軍慰安婦と、看護婦の違いについて、聞いてきてくれ。
928名無し三等兵:2006/10/15(日) 02:31:32 ID:???
高速戦艦に乗っていたオレの爺さんは、サマール沖で米空母追撃戦がたまらなく快感だったそうです!
929名無し三等兵:2006/10/15(日) 03:14:20 ID:S9JacY2J
近衛師団に所属していて、台湾に居たそうです。
てか台湾に近衛師団が駐屯してたの?
930名無し三等兵:2006/10/15(日) 03:44:46 ID:sW5FW+1D
俺の爺さんは近衛師団にいたらしい
俺が小さいころに肝臓で死んでしまったから
詳しいことはわからないけど
あと婆さんが爺さんと結婚する前に
一緒に暮らしていた人は軍のスパイだったとか。

931名無し三等兵:2006/10/15(日) 08:00:16 ID:K/6R6fv6
実家の蔵で古いアルバム見つけた。ある人の0歳児から成長の記録が写真でしっかり整理されてたんだ(9歳学校ノ遠足ニテ)みたいに。で何故かアルバムは半分くらいで終わってたから最後のページ見たら【上海ニテ戦死】とか書いてある紙がはさまってた。
932名無し三等兵:2006/10/15(日) 08:17:10 ID:???
>>922
ま〜た出たよ大ほら吹きが
あのなぁ嘘をつくならもっとマシな嘘をつけよ。いい加減飽きた。

もし嘘じゃないと言うなら所属部隊名を教えろや。
爺さんから聞いたって事は年金貰ったりしてたんだろ。
厚生省とか役場に問い合わせれば判るはずだから。今度部隊名書き込めよ。
どうせまあ釣りだろうけどさ
933名無し三等兵:2006/10/15(日) 08:24:22 ID:???
うちの爺さんは学生時代に肺に病気を患ったらしく、
生死をさまよい、学校も一年留年したらしい。
だが、そのせいで兵役で丙種合格となり戦争にはいかなかった。
死ぬかと思ったが、そのせいでまだ生きてる。
もう90の大台。関東大震災の時は横浜でボラ釣りをしてたらしい。
人生分からんとは本人の弁。

若い頃の爺さんはNHKのラジオ局に勤めていたん。
それと関係あるのか俺には分からんけど、空襲警報なんかもやったとか。
その日、何の祝いかは知らんけど、酒がふるまわれた。
――が、そこで空襲。
警報を出さなきゃいけない人を残して皆避難してしまった。
爺さんは逃げるわけにもいかず。(当番制? そもそも担当?)
「どうせ死ぬかも分からん」
と、爺さんとその友人で振る舞われた酒を全部飲み干して警報を出し続けたそうな。
東北の某都市なのだが、初期か末期か知らないけど、
酒がまだあったとは今こうして冷静に書いてると眉唾だと思った。
でも、まぁ、子供の頃、爺さんによく聞かされた話だ。
いい思い出なのでよしとする事にした。

こっちは夫婦そろって言っていたのだが。
近所の池に爆弾が落ち、浮いてきた鯉を、
消火に当たった人達が皆持って帰って喰ってしまったとか。
真実かそういう噂が当時流れたかは定かではない。
後、婆さんを語る時によく言ってたのが、
「飛行機が飛んでくると、伏せて隠れて、去っていくのをじっと待つ。
 走って逃げると追いかけてきて撃たれるからね。怖いんだよ〜」
実際に追いかけられた事があるのか、そう教えられたのか確認してないが、
何とも、『よく訓練されたジャップだフゥーハハハ!!』 だったようです。

何にせよ、二人とも生きていて本当に良かった。
934名無し三等兵:2006/10/15(日) 13:18:25 ID:???
>>933
酒があったからってのは眉唾の根拠としては
どうかと思いますが。
戦争中でも酒くらいはありましたよ。闇や密造も含めて。
935名無し三等兵:2006/10/15(日) 16:57:16 ID:ssc2QxaN
家土地接収されたのでかなり昭和天皇を恨んでた。
936名無し三等兵:2006/10/15(日) 18:23:13 ID:???
>>935
普通GGQじゃないか
恨む相手
937名無し三等兵:2006/10/15(日) 19:12:48 ID:???
>936
何そのバーべキューみたいな占領軍
938名無し三等兵:2006/10/15(日) 19:29:25 ID:???
本当に戦場での壮絶な体験をした人は、なかなか戦争の話はしたがらないよ。
辛い体験を思い出してしまうから。
俺の祖父は、フィリピンで戦った人だったけど、
酒を飲んで酔った時だけ、泣きながら話してくれた。
939名無し三等兵:2006/10/15(日) 19:45:57 ID:K/6R6fv6
日本の兵隊さんが一番多く死んだ戦線ってフィリピン戦線だもんなぁ。インパールと餓島を経験した人は餓島の方が怖かったと言っていたなぁ。ほんと南方は地獄だね…
940名無し三等兵:2006/10/15(日) 19:58:58 ID:K/6R6fv6
日本の兵隊さんが一番多く死んだ戦線ってフィリピン戦線だもんなぁ。インパールと餓島を経験した人は餓島の方が怖かったと言っていたなぁ。ほんと南方は地獄だね…
941名無し三等兵:2006/10/15(日) 21:07:57 ID:???
日本の兵隊さんが一番多く死んだ戦線ってフィリピン戦線だもんなぁ。インパールと餓島を経験した人は餓島の方が怖かったと言っていたなぁ。ほんと南方は地獄だね…
942名無し三等兵:2006/10/15(日) 21:08:12 ID:MbKTLl2+
日本の兵隊さんが一番多く死んだ戦線ってフィリピン戦線だもんなぁ。インパールと餓島を経験した人は餓島の方が怖かったと言っていたなぁ。ほんと南方は地獄だね…
943名無し三等兵:2006/10/15(日) 22:03:08 ID:nAQTeeyD
祖父が、
「昭和20年、鹿屋の海軍航空基地の周辺には、スパイがいたらしい。
特攻が出る日には、まるで分かっていたように空襲があった。
空襲前の夜に、山の上で光が点滅していた…という情報が
あって、その山の捜索や張り込みをしてみたのだが、結局分からなかった。
陸軍の知覧でも、そういう光を見た人がいるらしい。」
などと言っていた。
944名無し三等兵:2006/10/15(日) 22:09:37 ID:???
>>943
うーん、何ともいえんよなぁ
945名無し三等兵:2006/10/15(日) 22:20:12 ID:???
日本軍の暗号は陸軍の暗号の一部を除いてすべて米軍に解読されていたと言うことで、
戦争の中盤までは暗号を解読されていることに日本軍が気付かないように控えめに利用していたが、
戦争も終わりが見えて来ると、もうバレても大勢に影響はないと大胆に利用したそうなのので、
恐らく、特攻の命令や準備のための連絡を無線で行ったために解読された結果でしょう。
946名無し三等兵:2006/10/16(月) 00:01:18 ID:???
つーか出撃が近い基地は必然的に出す電波が多くなるわけで。
そういう公算に基づいて攻撃していたとも考えられると思うが。

不思議といえばなぜ仁科研究や陸海軍の試作機の情報まで得ていたか、という方が気になる。
947名無し三等兵:2006/10/16(月) 00:56:02 ID:???
国民党関係の人物が、佐官クラスの軍服を着用の上、海軍省などに
出入りして情報を取ったと聞いたことがあるよ。
当時は入省のチェックは、佐官クラスにはほとんど無かったらしい。
事実かどうかは俺には分からないけど。
948名無し三等兵:2006/10/16(月) 07:15:20 ID:???
>>947
故・坂井三郎さんが著書で書いてましたが、
「機密保持、俺達下っ端にはものすごく厳しかったが、当の山本五十六は妾に当てた手紙でミッドウエー作戦の事をベラベラ書いてやがった。
 横須賀行きの高級将校が乗る特等でもその将星さん達がベラベラベラベラ・・・スパイが聞きたい放題」
949名無し三等兵:2006/10/16(月) 08:06:39 ID:???
うちの祖父は早くに亡くなったので、戦争の話はあまり聞けなかったが、敵の銃弾が水筒に当って命拾いしたって事はよく語ってくれていた。
実物の水筒も見せてくれたが、確かに弾が当ったと思われるへこみがあった。
幼い頃は凄いなあとしか思っていなかったが、距離などによるだろうけど、弾当ってへこむだけで済む物なの?と今になるとちょっと疑問。
確かに重そうなテッチンの水筒だったが・・・。
田舎の成金のバカ息子だったので、戦場で一番辛かった事は、大好きなスキ焼きが食べられなかった事だったそうだ。
戦後はその反動でか、贅沢三昧の生活を送り、身代を潰してくれた素敵なじいさんでした。
950名無し三等兵:2006/10/16(月) 10:12:27 ID:HsTRMSYd
俺のじいさま、ノモンハンの生き残り。

野砲兵第13連隊にいたらしい。
指揮官の、伊勢高秀(大佐か)が自決したと嘆いてた。
その前の指揮官は、吉富なにがし大佐。
両名、知ってる人、情報宜しくね。

当時軍曹の爺さんは、命からがら逃げて助かったが、
先発隊が敵陣に方向に逃げて砲弾の雨だったらしい。
夜なのに昼間みたいに打ってきた。。。と

水がなく、ハルハ河に水汲みに行くのが命がけだった。
などなど。

オモロイ話で、ビデオに録画しました。
951名無し三等兵:2006/10/16(月) 13:34:34 ID:???
>>950
もっと聞かせてくだされ。
952名無し三等兵:2006/10/16(月) 13:45:04 ID:8kHeZYti
>>950
負け戦中の負け戦という話もあるし、ジューコフ元帥にもっとも困難な戦闘といわせた場所でもある。
本当は結構善戦したんだと信じたいねぇ
953名無し三等兵:2006/10/16(月) 17:48:25 ID:???
>950
「ハルハ河に水汲み」というフレーズで凍ってしまう俺
本当に命がけだったんだな。
954名無し三等兵:2006/10/16(月) 19:03:32 ID:???
秋田県にあった、
迫撃砲部隊について知ってる人いますか??
祖父が所属しておりました。
955島の人:2006/10/16(月) 20:06:52 ID:???
職場に来ている警備員さんから聞いた話
話は長いので箇条書きで気味にします
昭和19年16歳で海軍に志願
相之浦の第二海兵団で訓練を受ける
同じ隊に同郷(沖縄)の人が三人いた
(個人名なので本人をHさん その他をIさんとNさんとしておく)
隊は右舷組 左舷組と分けられその中で分隊で分けられてた
沖縄出身なので馬鹿にされた 特にNさんは気が弱く、なにかしらやられてたそうだ
ある日 このHさんらを小馬鹿する鹿児島出身の大柄な男(Hさんは小柄)がいた
Hさんは空手をやっており若かったから流石にキレてその男を殴り倒した
すると騒ぎで教官(鹿児島出身)が飛んできた、殴られると思ったら事情を聞くと
大柄な男を殴ってHさんはお咎めなし、後で聞くと教官が戦地にいた時
同じく沖縄出身の空手をやる人が隊にいて演舞等をしていたらしく沖縄出身者が好きな人だったそうだ
956名無し三等兵:2006/10/16(月) 20:18:14 ID:???
>>922

>レイテで散り散りになって以来60年ぶりなんだと。
そ、それマジですか。
同じ中隊の人が生き残ってたなんて奇跡ですよ。
そりゃ号泣だわ。

レイテ島投入兵力と戦没者(昭和43年厚生省発表)
投入兵力 84.006
戦没者 79.261
死亡率 94.4%
この他に輸送途上の海没者を厚生省は9.000名と見積もっている

大岡昇平『レイテ戦記』に、お爺さんの名前が登場してるかもしれませんよ。
957島の人:2006/10/16(月) 20:22:47 ID:???
続き

やっぱりケツバットはきつかったそうだ
ある日、空腹でHさんは蜜柑を盗んで喰ったのがバレて叩かれた
風呂に入る時、褌を取ろうとするとケツの皮が捲れて褌にくっついてたそうだ
よく言われたのは「貴様らはハガキ一枚で代わりがくる」
整備に回され整備の勉強と訓練で半年ほど相之浦にいたそうだ
ある日Nさんがいなくなり隊で探したら水タンクの脇で首を吊ってたそうだ
その後、Hさんは鹿屋 Iさんは大湊に勤務になったそうだ(戦後再会)
鹿屋に移動中、沖縄から九州に疎開してきていた一団と遭遇した
駅で疎開の一団を出迎えにきていた女性達(国防婦人会?)が沢山着物を持ってる
後で聞くと沖縄人は腰蓑しか着てないと思われてたそうだ
鹿屋に着任すると天山の整備兵になった
天山は始動させる際に後部に3、4人乗ってないと機体が前に倒れてプロペラが地面叩いたそうだ
958島の人:2006/10/16(月) 20:32:43 ID:???
続き
事故とかはあったらしく整備兵がプロペラでズタズタにされたりした
終戦時は玉音放送は聞かず停戦の通達だけ聞いたそうだ

いろいろ大変だっただろうが本人は明るく楽しそうに話してた
蛇足だが終戦後に沖縄に帰ると自分より年下が「俺は特攻隊帰りだ!」(もちろん徴兵はされてない)
とほらを吹いていたみんなをひびらせていた
「お前はいってないだろ」とみんなの前で言ったのでそれ以来ほらを吹かなくなった

本人はいまだに体を鍛えており元気一杯(二番目の奥さんに18の子までいるw)で働いている

長々と書いてすまん
終わり
959名無し三等兵:2006/10/16(月) 21:03:26 ID:???
>>955
サンクス。
貴重な話をご披露いただき、ありがとうございましたとHさんにお伝えください。
特に、沖縄出身のかたの軍隊生活の体験談は珍しく、興味深かった。
960名無し三等兵:2006/10/16(月) 21:06:54 ID:HsTRMSYd
950です。感想ありがとう。

広島の野砲第五連隊から、関東軍野砲第13連隊へ。
部隊では炊事、厩舎の担当。まあ雑用か。

水汲みにハルハ河にいった。大きな水ために溜めるのだが
なかなか一杯にならん。。夜、敵の攻撃の少ない時にいく。
ようやく溜まったら爆撃受ける。おけがこわれる。
底の水をようやくかき集めて、飯盒を炊く事に。

すると部下が「軍曹、今日は肉メシですかっ。」と喜んでいる。
「はて。。」と思ってよく見ると、爆撃で、死んだ部下の肉片が
水桶の中一杯に。。。

その残りの水を馬にやろうとしても、馬は飲もうとしない。。
「馬のほうが人間より賢い。。。」

その馬も、逃げる時、手綱を解いてホロンバイルにはなしてやった。
広島からつれていった大好きな馬で、悲しかった。。。

「戦争はいかん。平和がいい。」

もっともっと話はあるよ。なんかすごい話だよね。。。
ビデオとって良かった。。。
961島の人:2006/10/16(月) 22:35:43 ID:???
読み直したら忘れてた話もあったので追加するわ

相之浦にいた時は月一で酒保があり、煙草(誉)と酒(正宗ともう一銘柄)羊羹が配給された
Hさんは煙草はやらなかったので吸う人に挙げてた
羊羹は本当にうまかったそうだ、酒は班長に持っていった
女を覚えたのもその頃で遊廓に隊で古参の人が若いのを連れていった
ただ初体験は年増の婆さんだったのはご愛嬌
陸さんとはやっぱり仲が悪いらしく盛り場で何度かいざこざがあったらしい
鹿屋の頃 ひどいシラミで兵舎の側で上着を脱いだらシラミがポトポト落ちた
上着は振ってシラミを落としてると
そこにいきなり空襲でグラマンが機銃掃射をしてきた
慌てて半裸で逃げて助かった

>>759
わかりました

「天山?艦攻のですか?稼働率はどうでしたか?」とか「ケツバット?精神注入棒ですか?」
とちょっと厨みたいに聞いた俺に丁寧に答えてくれた

またなんか聞いたら投下します
962島の人:2006/10/16(月) 22:52:47 ID:???
>>961>>959にです
酔ってるんで前後不覚で文もめちゃくちゃですまない
963名無し三等兵:2006/10/17(火) 00:54:27 ID:???
>>962
貴公の投稿が十分このスレに貢献していることは衆目の一致するとこである。
大変に御苦労である。ぜひ、続けられたし。
964名無し三等兵:2006/10/17(火) 22:27:24 ID:???
>>960
反戦団体の口上よりもずっと重みがあるよな・・・・
965名無し三等兵:2006/10/19(木) 12:28:02 ID:???
第二次大戦末期、フィリピン・ミンダナオ島で、負傷兵の治療などに当たっていた
元上等衛生兵曹の牧野明さん(84)=大阪府枚方市=が、仕えていた軍医とともに
現地住民を生きたまま解剖したことがあると証言、その体験を基に、近く語り部活動を
始める。解剖は軍医が衛生兵の医療実習として個人裁量で行ったとみられる。戦時中の
生体解剖は旧満州(現中国東北部)の生物戦部隊「関東軍731部隊」が中国人に
行った例が知られているが、専門家によるとフィリピンに関する証言は初めてという。

牧野さんは海軍第33警備隊の医務隊に所属。1944年8月から同島西部のサンボアンガ
航空基地で負傷兵の治療などに当たった。医務隊は30代の軍医(大尉)を筆頭に、補佐役の
牧野さんら三十数人がいた。

牧野さんによると、解剖は同年12月から、米軍のスパイと疑われた住民(捕虜)に対し、
基地内の病院で行われた。軍医の指示を受けながら2人で執刀。麻酔をかけた上で、
10分〜3時間かけて、手足の切断や血管縫合、開腹手術などをした。解剖中は部下が
助手や見張りをした。

米軍上陸直前の45年2月まで3日〜2週間ごとに行われ、犠牲者は30〜50人に上るという。
遺体は部下が医務隊以外に知られないように運び出して埋めた。牧野さんの部下だった
80代の男性は「かわいそうで解剖には立ち会わなかったが、(何が行われていたかは)仲間に
聞いて知っていた。遺体も見た」と話している。

解剖が始まる2カ月前には、レイテ沖海戦で日本海軍が壊滅的な打撃を受け、サンボアンガも
空襲されるなど戦局は厳しさを増していた。軍医は牧野さんに「おれが死んだら、おまえが
治療を担当しなければならないから」と解剖の理由を説明したという。

45年3月に米軍が同島西部に上陸後、日本兵はジャングルを敗走。病気や飢えなどで
医務隊も大半が死亡し、軍医は自決したという。牧野さんは「命令に逆らえず、むごいことを
した。戦争体験者が減りつつある今、自分には戦争の真実を伝える責任がある」と話している。

http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20061019k0000m040119000c.html
966名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:13:21 ID:AW+FJLQU
ナトマから父島攻撃に飛びたったが撃墜されて死んだ。コルセアにはよく泣かされたよ。すぐパンクするし左に傾くからね。あそこの鉄屑はジャップの輸送船だよ。「(初対面の老人に)よぅ〇〇60年ぶりだな。お前も老けたなぁ」…以上がアメリカ人のガキの発言。
967名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:22:37 ID:???
>>966
それ何てイタコの口寄せ?
968名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:23:19 ID:???
>>966
アンビリーバボー乙
969名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:25:01 ID:???
>>966
http://en.wikipedia.org/wiki/USS_Natoma_Bay_(CVE-62)

というか武藤少尉の戦果かな。
970名無し三等兵:2006/10/19(木) 21:26:42 ID:???
今週の土日に硫黄島の特集がヒストリーチャンネルであるので慌てて契約した。
971名無し三等兵:2006/10/22(日) 18:04:12 ID:QtwOWhJh
昭和50年代で、中学生だったけど 産休で先生が臨時に来たのが二度
一度はジイサンで、大学生で学徒動員されて応召されたけど 
低学歴の軍曹あたりにブン殴れて、ヒドイ目にあったらしいけど
終戦決まって、その野郎も殺そうかと仲間と相談して、ホントに銃殺しようと考えたとか
殺し代わりに、ボコボコの半殺しのリンチのお礼参りはよくあったらしい
あと一人は戦後海外青年海外協力隊で現地入り、ニューギニアで学校の先生やったらしいけど
戦時中の日本語教育があったので、現地人とは日本語で話してたので英語はヘタだった
あちらに行くと日本と違って「ニューギニア時間」みたいなのがあって、セカセカしてない現地人
戦時中の話すると、現地人からは、日本人に感謝の言葉ばかりで
米軍は戦後「核実験」も何度も南方の海でやってるから、米軍はコワイと云ってたらしい
青年海外協力隊あたりで現地に行くと、日本の悪口云うような現地人はいないらしい
結構米軍の悪口が多いらしい 南方ではむしろ親日家が多いらしい
972名無し三等兵:2006/10/22(日) 18:28:31 ID:KWkeIpGP
俺の父方のじいさんは、身長がたりなくて兵隊にはいかなかったが、軍を批判して特高に捕まったと聞いた、母方のじいさんはボルネオへ行ったとか、詳しくはしらんが家には錆びた鉄兜とおそらく出征時の写真があった
973名無し三等兵:2006/10/22(日) 18:53:29 ID:jltP735i
身長で徴兵落ちるんだ。俺も落ちそうww 日露戦争の記録写真の日本兵って顔はこわいのに体が小学生みたいだよね(筋肉すごいけど)。
974名無し三等兵:2006/10/22(日) 19:14:22 ID:???
父方の爺さまは海軍航空隊だった
終戦の年、フィリピンのクラーク基地で戦死したと公報がきたそうな
もちろん遺骨なんか返ってこない
軍服姿のモノクロ写真でしか知らん……
975名無し三等兵:2006/10/22(日) 19:33:37 ID:PtQstIqi
うちの爺様は陸軍で沖縄戦に参加したと言っていた
アメリカ軍がきた時真っ先に白旗を掲げ降伏したらしい
ということは非国民になるのかな、でも名誉の戦死を遂げると
靖国神社の御英霊になっていた訳で、そうすると俺は生まれていない・・・・
なんか複雑
976名無し三等兵:2006/10/22(日) 20:23:49 ID:???
>>975
当時の基準でいくとそうだろうけど、今の基準で考えれば賢明だね
977名無し三等兵:2006/10/23(月) 00:07:48 ID:???
陸軍に騎兵部隊ってありました??
軍服着て、軍刀下げて馬に乗ってる祖父の写真があるんです
ちなみに祖父は中国大陸で戦死してます
978名無し三等兵:2006/10/23(月) 00:43:55 ID:???
>>977
騎兵は兵科の一つ。
だけど馬に乗ってるからって騎兵とは限らないよ。
979名無し三等兵:2006/10/23(月) 00:45:14 ID:???
輜重だって将校は騎馬本分だからな
980名無し三等兵:2006/10/23(月) 01:10:41 ID:???
大隊長から乗馬が許されるとか、そんなのもあったよね。
981名無し三等兵:2006/10/24(火) 09:16:07 ID:???
数年前、床屋で隣同士になった爺さんの話。
戦時中、核物質の研究を軍でやっていたそうな。
とある実験で、ある物質を耳かきほど大きな浴場に入れたら
インキンまみれの兵士が、どんどん治ったそうな。
982名無し三等兵:2006/10/24(火) 10:58:25 ID:???
ラドン温泉
983名無し三等兵:2006/10/24(火) 13:02:53 ID:???
漏れ試してみる!
984名無し三等兵:2006/10/24(火) 13:09:29 ID:???
放射線治療の発明でノーベル賞
985u:2006/10/24(火) 14:11:36 ID:z/LmakDf
>>977
乗馬本分はみな軍刀吊って乗馬。
乗馬本分とは参謀、副官、歩兵の佐官以上、騎兵、砲兵の士官准士官馭兵、
工兵の士官准士官、輜重兵(ただし輸卒を除く)、憲兵、軍医、獣医など乗馬が職務上必要とされる兵科兵種。
なので、おじいさんは騎兵とは限らないです。
986名無し三等兵:2006/10/24(火) 19:16:47 ID:pJ4CXw2u
消防のころ学校に戦争体験を語りに来てくれた近所のおもしろいおじいさんが亡くなりました。悲惨な話を小学生が怖がらないように精一杯明るく話してくれた姿は忘れられません。合掌。
987名無し三等兵:2006/10/25(水) 07:41:02 ID:7Dan7R1G
>>985
乗馬は陸式のお家芸みたいな?金メダル取るくらいだし
988名無し三等兵:2006/10/25(水) 19:48:47 ID:AtYoMTwp
うちの母方のいとこの爺様が職業軍人で最後の乗ってた艦が金剛だったと教えてくれました。
航海科勤務で艦を沈められてからは陸戦隊に配属になったそうで。
南雲忠一の下についてた時期が長かったみたいで
南雲さんにはよくタバコをもらったよとか、
すごく部下想いの人だったよって話を聞くと
遠くない時代の話なんだなあって考えさせられます。
989名無し三等兵:2006/10/26(木) 09:28:10 ID:qN7IVXpf
ある海自隊員(新郎)の結婚式での話
新郎の親父とお爺様も代々、海でした
お爺様が孫に対しての挨拶の中で、自分の過去も踏まえて、最近の自衛隊の複雑な情勢も絡めて話をしていたそうな
海自幹部や関係者が、その結婚式に多数集まっていてお爺様の話が終わった後に、一人の海自隊員が「お爺様は昔、どの艦な乗っていたのですか?」との質問にお爺様はボソッと「戦艦大和」ですと答えた
その瞬間、海自幹部や隊員達一同は全員起立して最敬礼をし、お爺様も見事な敬礼を交したそうな
他の出席者(特に女性)は何が起きたのか分からずキョトンとしていたとの事。
結婚式場関係者より
990u:2006/10/26(木) 11:19:57 ID:hbIg4CZU
>>987
自動車の無い時代は、移動手段としては馬が一番速かったのですね。
陸大には乗馬の練習課目があって、馬に乗ったことの無い歩き兵科の学生が絞られていたとか。
確かに歩兵の大尉までは背嚢背負って歩きだものね。
991名無し三等兵:2006/10/26(木) 11:50:55 ID:???
父方、母方ともに海軍。
ともに水兵。

父方の祖父(存命)は大和に乗る予定だったのが、寸前で輸送艦に振られたらしく
残念がっていたが、配属された輸送艦はギンバエし放題で陸の兵隊がやせ細る中
丸々と肥えていたそうな。
しかし、そんな食い放題の日々は長く続かず、米軍の潜水艦に撃沈されれしまって
海に何日か漂ってたら偶然帝國海軍の駆逐艦に拾ってもらったそうな。

母方の祖父(故人)はアッツ島の守備隊で、山本五十六の棺の輸送の任を命ぜられたらしく
選ばれた何人かとともに南方に配置換えになった。
その数日後にアッツ島玉砕。
命拾?%key
992名無し三等兵:2006/10/26(木) 13:15:41 ID:qN7IVXpf
>>991
命拾いだわ
ホント偶然の連続で繋がってるんだな
少し話はズレるが、現代日本人に近眼が多いのは、戦争中に近眼で徴兵されず、生き残った人々の子孫だからと言われている
徴兵論って言われてるよ
993名無し三等兵:2006/10/26(木) 18:14:20 ID:qN7IVXpf
俺の爺さん、インドネシアでの事
増援に来てくれるはずだった陸戦隊の船が沖で撃沈されたと聴いて近くの海岸に行ったら死体だらけだったという
終戦間近、米軍の来襲に応戦して捕虜を捕まえたそうな
その後、米軍の反撃で捕虜となり、帰国
最近亡くなったよ
俺思ったんだが老人ホームに行ったら戦時中の話聴けるんじゃね?
994名無し三等兵:2006/10/26(木) 18:46:49 ID:???
>>992
眼鏡をかけていた祖父も甲種で徴兵されたのですが、
徴兵されない近眼とはどの程度なのですか?
995名無し三等兵:2006/10/26(木) 20:08:05 ID:???
おばあちゃまは、勤労動員で三菱重工で青図焼きを一年あまりさせられ、
花の女学生時代なのに、勉強できずじまいだった。

だが、その職場には軍人ぽくないハンサムな配属青年将校がいた。
おかげで、青春時代に熱くときめく思い出ができ、悔いはないと。
同窓の女学生は大半がそう思っているだろうとのこと。
996名無し三等兵:2006/10/26(木) 21:07:46 ID:???
>おばあちゃま
品がいいすな。
あの頃は男も女も学生は工場なんかに駆り出されて勉強なんか出来んかったと
うちの親が言っとります。
997名無し三等兵:2006/10/26(木) 22:43:06 ID:???
うちの叔父は海兵予科行ったら勉強漬けでびっくりした言うていたな。
中学は工場動員で勉強も何も無し。
海兵は英語で講義だかか驚いた上に精神棒も無かったてね。
998名無し三等兵:2006/10/26(木) 23:07:01 ID:???
うちのじいちゃんは大正12年生まれでスマトラ島にいってた。
マンゴーや猿や豚を食べた話、トラックから落ちて腰を痛めた話を良く聞いた。
スマトラに行くまでの輸送船3隻のうち、周りを駆逐艦が走り回っていたが
他の2隻は潜水艦に沈められたそうだ。
因みにそれまでスマトラ島にいた部隊はビルマ戦線へ行ったらしい。
で、自分が高校生のとき、そのじいちゃんが実のじいちゃんでない事を聞かされた。
本当のじいちゃんは京城防空隊、除隊、再召集、広島に集結中に・・・
ばあちゃんはじいちゃんの弟と再婚したということだ。
田舎の農家にはよくある話らしい。
実家の近くの山の墓地をあるくと先が尖ったお墓がたくさんある。
横に回りこんで読むと、サイパン島で・・・、ルソン島で・・・などなど。
合掌。
999名無し三等兵:2006/10/26(木) 23:12:56 ID:???
ナムナム
1000名無し三等兵:2006/10/26(木) 23:22:33 ID:7kB7trJt
1000なら大東亜共栄圏復活
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