1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 13:35:06 ID:???
ニだ
3 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 13:36:38 ID:???
ミニョン様
4 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 13:37:10 ID:???
7.7ミリ鋼心弾は射程100メートルで20ミリ第T種装甲板貫徹可能
BT戦車にブスブス刺さっても全然おかしくないね
5 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 13:37:12 ID:???
戦車話禁止
旧日本軍弱小伝説サイトのお客様は専用スレへどうぞ
6 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 13:41:06 ID:???
戦車厨出入り禁止
戦車厨のレスはスルー
スルーできない莫迦は荒らし認定
7 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:11:21 ID:???
8 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:37:22 ID:hBR4SUUx
日本の軍用銃と言ったらやっぱし種子島から入るべきなのかな?
嘘か誠か解らないけど、たった2丁の火縄銃を元に離島の鍛冶屋がコピーを1年と経たず作り上げたのはすごいな。
でも構造的にはそれから数百年進歩していないって言うのもこれまたすごい話だ。
欧米人がよく言うように日本人はオリジナリティーが欠けてるのかな?
9 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:43:06 ID:???
日本の歩兵火器にしてほしかったorz
10 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:45:17 ID:???
>>8 いろいろ創意工夫はしているみたいだよ。
ガトリングガンみたいに多銃身の火縄銃とかもあったしw
雷管の技術の有無が発展に影響したといえるかな。
11 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:47:39 ID:hBR4SUUx
人力だけで行軍移動可能な物は対象の範囲としても良いのでわジャマイカ?
12 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:49:38 ID:???
それ下手すれば砲兵火器も入るぞ
13 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:50:22 ID:???
口径60mmまでにしよう
14 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:50:46 ID:???
警察や暴力団が使ってる拳銃はやっぱアウト?
15 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:51:29 ID:???
軍用だし
16 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:52:14 ID:???
突撃一番は?
17 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:52:29 ID:???
>>10 でもそれって既存技術の応用発展なんだよね。
やぱしフリントロック式が普及しなかったのと戦がなかったのが響いているのかな=雷管の発明
18 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:55:56 ID:???
旧軍とは定義違うが、20ミリ未満を基準にしよう
19 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:56:30 ID:???
>>17 まぁ、需要がなければ発展しないだろうな。
日本に限ったことじゃないだろうし、日本人はオリジナリティがないってのは、
一種の黄渦論じゃねーかな
20 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:56:55 ID:???
21 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 14:59:34 ID:hBR4SUUx
大口径は機関銃スレにまかせて、>>20ミリ未満を基準にしよう に1票
22 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 17:12:40 ID:???
20o自動砲はアリ?
砲という名だが現代の定義ではアンチマテリアルライフルに分類されるような気がするが
23 :
972:2006/06/17(土) 18:16:14 ID:BrgUa56s
「ノモンハン事件の真相と戦果〜ソ連軍撃破の記録〜」小田洋太郎・田端元著 有朋書院
これがソースな。砲塔正面ですら小銃弾で穴だらけにされてる写真が掲載されているよ。
24 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 18:23:46 ID:r1tyGtak
20o自動砲ってなんで自動砲にしたのかな?
ソ連見たく単発式で数そろえて、潜望鏡やキャタピラの破壊を狙うと言う発想は無かったのかな?
25 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 18:24:39 ID:???
前スレ
>>986 放列砲車重量ってどの状態なのかを教えてくれたら有り難い
26 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 18:31:57 ID:???
>>25 砲を射撃可能な状態にすえつけた時の重量。
運搬時は分解するとか、別に車輪が付いたりとか
弾薬車とか運搬補助の前車がセットされたりするので
また重量が変わってくる。
27 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 18:51:04 ID:???
28 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 19:05:33 ID:???
29 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 20:13:25 ID:???
銃と言っている以上、砲とつくものは除外すべき。
30 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 20:22:39 ID:???
20mm自動砲は軽量化されたセミオート機関砲と思え
31 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 20:54:18 ID:???
>>27 試製57mmの場合、繋駕用の尾輪が86kgあるだけなので移動重量ではないだろうな。
どうせどっかから孫引きしてる内に別の砲のデータと間違えたんだろ。
試製57mmはちゃんと一次資料がネットで読めるんだけどねえ・・・。
32 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:04:10 ID:???
>>24 ソ連だってPTRSはオートだべな。
20mmの反動吸収するために駐退器つけてるから
そうなると自動で良いんだろう。どうせ大して変わらんもん。
33 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:12:35 ID:???
『大砲入門』の諸元一覧では、試製機動57mm砲の放列砲車重量は1.540kgになってる。
「繋駕」って馬じゃない機械牽引でも使う言葉になるん?
34 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:14:07 ID:r1tyGtak
種子島に火縄銃が渡来して30年余りで長篠の戦いとなるわけだけど、長篠の3段撃ちは眉唾物にしても、「銃その物の性能や装具(弾込)は世界一だった」と聞いたことがあるけど本当なのかな?
35 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:14:48 ID:???
ここは“銃”スレだからそろそろ退場願いたい
36 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:16:04 ID:???
>>35は五十七ミリ砲の事を話題にしてる人に対して
37 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:16:30 ID:???
>>33 使う。試製57mmとか一式47mmの要目表にも使われてる。
38 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:22:49 ID:???
39 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:30:53 ID:???
40 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:31:22 ID:???
>>38 えっ!!種子島って元は猟銃なの?初めて知った。
ホンならザビエルは心の中では「獣が獣を狩ってる」と密かに思ってたんだろうな。
41 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:34:54 ID:???
42 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:37:16 ID:???
そもそもマラッカ製
つまり当時の技術レベルは
マレーシア>>>日本
と言ってみる
43 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:40:10 ID:r1tyGtak
>>39 ありがとう。
このあと日本の銃器は「前装式火縄銃」と言う基本形態を変えぬまま300年間日本独自の進化を続けるわけですな。
44 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:55:31 ID:???
45 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 21:58:12 ID:???
中国人から鳥銃と呼ばれてたな
46 :
名無し三等兵:2006/06/17(土) 22:14:55 ID:???
「倭人の鉄砲は鳥しか落とせない玩具、つまり鳥銃アルヨwww」と大言壮語していたら、朝鮮半島で日本軍に連戦連敗だったとさ
47 :
名無し三等兵:2006/06/18(日) 11:23:27 ID:???
48 :
名無し三等兵:2006/06/19(月) 00:44:05 ID:???
ヒストリーチャンネルだと「種子島は売ろうかと思ってましたが命中率が良くて
大会で優勝しちゃいましたよHAHAHA」といってた外人が出てきた
49 :
972:2006/06/21(水) 01:04:37 ID:???
前スレで言っていたカラー写真については俺の勘違いだった可能性が濃厚になりました。
今はもう一枚の写真の真偽を検討中。
50 :
名無し三等兵:2006/06/22(木) 23:45:05 ID:???
6.5mmなんかにしなけりゃな
命中精度重視ったって、結局狙撃銃には別の弱装弾使わせてるし
51 :
名無し三等兵:2006/06/23(金) 06:19:14 ID:KwhJ7jTw
コンセプトは命中精度よりも省エネ、必要にして十分な威力で少ない資源で弾をより多く量産出来る、貧乏な日本にはピッタリ
52 :
名無し三等兵:2006/06/23(金) 06:43:06 ID:???
そうかなあ、最初から7.7ミリに統一出来れば
それに越したことはなかったんじゃあないかな
弾の生産設備を増やせないのが一番の問題なんだから
53 :
名無し三等兵:2006/06/23(金) 07:40:32 ID:4uH0QPN/
反動が強いので当時の日本人には評判よくないですよ
銃は「ストレス無く」撃つ事がすごく大事なのです。
54 :
名無し三等兵:2006/06/23(金) 09:58:51 ID:???
当時の日本人男性の平均身長は150センチちょいで、
欧州人と20センチ近い差があった(現代では5センチ程度)。
7.7の反動の大きさは切実な問題だったわけだ。
55 :
名無し三等兵:2006/06/23(金) 12:36:30 ID:jz3lIBns
>倭人の鉄砲は鳥しか落とせない玩具
うんにゃ、よく「飛ぶ鳥も落とす勢い」とか言うけど、弓矢じゃ実際には鳥は
落とせない。ソレが出来る能力を表してる。
56 :
名無し三等兵:2006/06/23(金) 19:27:03 ID:???
>>52 明治30年に6.5mm化して、日本軍の弾はずっと6.5に統一されてる。
57 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 05:41:04 ID:???
>>50 「不殺生論」の影響が大きいみたいだよ6.5mm弾の採用。
日露戦争後、6.5mm弾では被弾兵の復帰率が高い(実際に調べたらしい)ので、8mm弾クラスに改変しようとしたが諸外国の弾丸も6.5mmクラスが大半であり立ち消えになったとか。
結果論だけど、米英相手であれば、下手に殺傷するより6.5mm弾で銃創を追わせる方が敵戦力を分散できたんだろうね。
58 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 05:41:17 ID:???
弱装弾にすれば・・・・
しかしそんなに違うものなの
59 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 05:46:44 ID:???
ただ単に日本独自の弾を制定したいための大げさな作り話のような気もするけど
60 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 05:50:56 ID:???
>>58 大雑把に言うと反動は運動量(弾重x初速)で
威力は基本的に運動エネルギーなので弾重x速度の二乗
だから軽量弾を高初速で打ち出すほうが
同じエネルギーの大口径大重量で低初速弾よりも反動が小さい。
また初速が高いほうが同距離でのドロップ量が小さいから照準しやすい。
つまり弱装大口径はそんなに利点が無い。
61 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 06:01:08 ID:???
自衛隊の64式も弱装弾ですが・・・
当時同盟国であったイギリスの303を採用しておけば
色々便利だったような気もするけど
303採用の38式なら世界中に売れたと思うし・・・
62 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 06:04:51 ID:???
つまりは日本の小銃用として6.5mmは別に問題の無い口径だったわけだ。
この6.5mmが問題になるのは、薬莢が弱めでリムドなので、自動銃に不向きなのと
歩兵戦術の進歩から機関銃で遠距離射撃することが一般的になったから。
だから重機関銃は九二式で7.7mm化するわけだが
これは明治30年の6.5mm制式から35年も後の時代の話。
当時は歩兵銃用としてのベストだけを考えてたんで
軽くて小柄な弾なら運搬負担も小さいし
大口径化にメリットは無かったんじゃないかな。
63 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 06:09:41 ID:???
>>61 いや、あの時代の歩兵銃は弾丸なんてどうとでもなるんだよ。
6.5のままでも世界中に売りさばいてるし
要望があれば7.7化した銃を開発したって良い。
実際7.92モーゼルに対応した改造型まで輸出されてる。
64 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 14:50:44 ID:???
どこのクニも大抵独自規格だからなあの頃
65 :
名無し三等兵:2006/06/24(土) 20:43:57 ID:???
>>61 つか、7.62mmNATOは突撃銃のタマとして威力過大反動過大。弱装弾程度でちょうどいい。
66 :
名無し三等兵 :2006/06/25(日) 14:07:02 ID:???
なんか内向きの理由が多いよな
7.62ミリ採用のロシアと撃ち合うのに
わざわざ弱装の6.5ミリを採用すると言うのは・・・
フルで撃つときは二脚使用だろう
単発で撃つなら弱装弾でなくてもいいような・・・
ただ単にNATO弾だとまともな小銃が作れないだけじゃあなかったのか
なんか最近、技術者の言うことが信じられなくなってる・・・・
67 :
名無し三等兵:2006/06/25(日) 20:27:50 ID:???
>>51 >コンセプトは命中精度よりも省エネ、必要にして十分な威力で少ない資源で弾をより多く量産出来る、貧乏な日本にはピッタリ
狙撃銃用の弱装弾なら装薬をより節約できるじゃんか
>>57 >外国の弾丸も6.5mmクラスが大半であり
んなこたーない
>>62 >だから重機関銃は九二式で7.7mm化するわけだが
>これは明治30年の6.5mm制式から35年も後の時代の話。
35年も経っといて、なぜまたセミリムドを採用したんだろうね?そこが不可解だ。
>当時は歩兵銃用としてのベストだけを考えてたんで
そのくせなんで狙撃銃には別の弾を使わせるのか?ってことなんだよ。
68 :
名無し三等兵:2006/06/25(日) 21:05:08 ID:???
初代のムラタタンは従軍経験有りで射撃の達人だったそうだけど
二代目のアリサカタンは
若年から近視になり、加えて体質が虚弱だった
しかも極端な会議嫌いで、砲兵会議議長と技術審査部長を通じての10年間
一回も会議を開かなかった
以上佐山二郎著 小銃拳銃機関銃入門より
つまりアリサカタンにとって日本人とは自分のことであり
自分では7.7ミリや7.9ミリのライフルは反動がきつくて撃てないが
6.5ミリなら何とかなる
日本の小銃は6.5ミリで決まり、誰にも邪魔させないニダ
と言うところでは無いだろうか・・・
69 :
名無し三等兵:2006/06/25(日) 21:17:26 ID:???
みんなで会議して全員の意見を採り入れた設計は皮肉な事にたいてい失敗に終わる。
例えばIETF設計のプロトコルがそうだ。OSIプロトコル然り、IPv6然り、IPSec然り。
逆に初期のHTTPのように独善的な設計でも結果オーライという事は多い。
最も良いのは市場に自由に競わせ、良さそうなのを追認してお墨つきを与える方式。
米軍の銃器の選定方法はたいていこれ。
暗号化アルゴリズムで大成功したAESもこれ。
70 :
名無し三等兵:2006/06/25(日) 23:00:58 ID:???
71 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 02:13:39 ID:???
>>67 同じ弾をヴィッカースの航空機銃のライセンス品にも使うツモリだったから
72 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 02:16:17 ID:???
>>67 あ、狙撃銃は九七式だから九二式重機よりもさらに5年後
つまり制式から40年後な。それまで専門の狙撃銃なんか無かった。
現代の小銃と狙撃銃で弾違うのが普通なように、要求性能が異なるだけのことだな。
73 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 08:00:27 ID:???
技術者にすべて任しちゃうとろくなことにならない
と言うことも有ると思うが・・・
兵頭さんはアリサカマンセーの人だからなあ・・・
当時はアリサカの理論に誰も異議を唱えられなかったのだろうけど
6.5ミリの性能は実用最低限のものであり
現場で撃ち合う人にとって見れば少々不安であったろうと思うよ
資源うんぬんにしても後付けの理屈なような気がするけど
生産能力にハッキリと上限が有ったオリジナルの弾よりも
いざとなったら同盟国から大量に輸入出来る弾の方が
有利で有ったのではないか
借金は増えるだろうけど・・・
弾道性能にしても結局は机上の理論で
照準を換えればいいだけの話
勝つためには相手より強力な兵器を持たせるのが一番だろう
74 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 08:39:53 ID:???
Arisaka Rifle is the best!
75 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 10:57:27 ID:???
>>73 その実戦で撃ち合う人たちに尋ねたのが
支那事変の近接戦闘研究委員会の実戦テストなんだが。
小銃に関しては別に不満がないというか
もっと軽く短くしろという意見に集約されたわけで・・・。
76 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 16:22:47 ID:???
日露戦争と支那事変を一緒にしちゃあマズイだろう
支那事変の時は7.7ミリの重機に軽機、擲弾筒、大隊・連隊砲と
歩兵連隊でも支援火器が豊富に有ったのに
日露戦争の時は小銃と6.5ミリのホチキスの支援だけで突っ込まなくてはならない
結構辛いと思うが・・・
平和な時であれば6.5ミリの採用は判るんだよ
でもロシアの脅威がまじかに迫っていた当時
相手よりも弱装の弾を採用するということが理解できない
77 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 18:07:55 ID:???
>>76 村田式連発銃が8mm、16g、600m/s、291kg/cm^2、MV9.6kg
30年式普通実包、6.5mm、11g、700m/s、275kg/cm^2、MV7.7kg
38式普通実包、6.5mm、9g、762m/s、267kg/cm^2、MV6.9kg
99式普通実包、7.7mm、11.34g、715m/s、296kg/cm^2、MV8.1kg
92式普通実包、7.7mm、11.34g、732m/s、311kg/cm^2、MV8.3kg
ナガン小銃、7.62mm、11.98g、770m/s、363kg/cm^2 MV9.2kg
口径、弾重、初速、初活力、MV=弾重x初速≒反動。
30年式の改良型である38式で反動抑えて威力落してるあたりも面白い。
また99式も反動問題で92式から弱装化してる。
またそれまでの村田連発銃は連射が遅く
3秒弱に1発しか撃てないという試験結果が出ている。
単発の村田銃で装填しながら撃ってるのとペース変わらない。
無照準で連射すると1発あたり1秒縮まるから反動も相当な問題らしい。
ここらの経験を考えると大口径大威力には躊躇があって当然だろうね。
78 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 21:15:32 ID:aVqQ1L3/
>日露戦争と支那事変を一緒にしちゃあマズイだろう
そう、日露戦争当時の的は「馬」と「人」だけなんだよ。ソレこそ大隊方陣をめがけて
2000mで使用しない限り120grで十分。
79 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 21:36:23 ID:???
銃だけは外国から買った方が良いような気がするんだが。
市場スケールが違い過ぎて勝負にならん。
80 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 21:45:01 ID:aVqQ1L3/
>銃だけは外国から買った方が良いような気がするんだが。
銃だけは国内で造っといた方が良いと思ってる国の方が多いのにか?。カナダで
すらAR-15のライセンス買って造ってるんだぞ。
81 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 22:26:07 ID:???
>>80 AR-18なら豊和工業で国産化したけどな
82 :
名無し三等兵:2006/06/26(月) 23:31:11 ID:???
NATO弾が撃てれば何でもいいよ。
83 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 07:01:42 ID:???
なぜ急に納豆弾の話に?
84 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 07:11:50 ID:???
>>77 この表は面白いですね
7.62*54Rの性能の良さにビックリ
これを1891年に制定出来るロシアの工業力と政治力に脱帽する
それに比べて日本の弾は重箱の隅を突付いているような・・・
比較のために7.62*51NATOも入れてもらえると嬉しいんですが・・・
>>78 理屈ではそうなのかもしれないけど
それではなぜ欧米列強は馬と人相手に7ミリクラスの弾を制定したのか
相手をやっけるためには必要だったからでしょう
日本の弾からはその辺が見えてこない・・・
85 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 07:22:02 ID:???
有効射程が2500bもありゃ充分過ぎるくらいでしょ。
86 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 07:33:18 ID:???
初めが肝心てこと
いったん決めてしまったら簡単には変えることが出来ないのだから
もう少し考えるべきだったのでは・・・・・
その後の日本の状態を考えると・・・・
ロシアは持たせすぎだとは思うけどw
87 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 08:57:47 ID:???
>>84 帝政ロシアはすごかったんだよ 文化の面でもな
88 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 09:11:19 ID:???
独軍歩兵60発、米軍歩兵80発、 日本歩兵120発。
弾をいっばい携帯出来るってのは有利でしょ、日本みたいな潤沢な補給が期待出来ない国では特に
89 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 09:32:22 ID:???
>>84 ただ、7.62X54は現代のですから、そのまま日露に適用しちゃ駄目
露7.62X54R、7.62mm、13.6g、600-630m/s、273kg/cm^2、MV8.6kg(1891年式)
独7.97x57、7.92mm、14.6g、639m/s、302kg/cm^2、MV9.3kg(1888年式)
独7.97x57、7.92mm、9.9g、878m/s、386kg/cm^2、MV8.7kg(1905年式)
米.30-06、7.62mm、9.72g、835m/s、343kg/cm^2、MV8.1kg
米.30NATO、7.62mm、9.75g、838m/s、347kg/cm^2、MV8.2kg
米.223NATO、5.56mm、3.63g、991m/s、181kg/cm^2、Mv3.6kg(初期の)
米.223NATO、5.56mm、4.02g、922m/s、173kg/cm^2、MV3.7kg(最近の)
日露戦争時だと弾丸威力では日本とロシアで差はない。
ナガンの弾は当初は500m/sぐらいで、無煙火薬化600超えたぐらいという弾
村田連発銃も開発時は黒色火薬で560ぐらいが無煙火薬で630ぐらいになった頃
ドイツの7.92も重たい弾で600ちょっとの速度と、この時代はこんな性能だったわけだ。
黒色火薬時代を引きずった旧式弾を想定すれば、30年式は同威力で
低反動軽量で沢山持てるし初速高いから射撃精度も上と、優れた武器。
同じ技術を使えば大口径には当然劣るわけだが
撃ち易く当て易く弾丸携行が楽という面は.223導入の米軍とも似ていて興味深いね。
90 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 09:40:09 ID:???
つまりは日露戦争時の各国の弾丸は
村田連発銃と比較すべきものだったわけです。
日本の村田連発銃は機構面でも問題が多く
当時最高の完成度を持っていたモーゼル式機構の新型銃は必須だったのと
ショットガンと同様の筒式弾倉向けの村田銃の弾は
そのまま新型銃には適用する利点は無いわけで
どうせ新型弾を開発するなら、最新技術トレンドの小口径高速弾に走るのも
村田銃の評判の悪さを考えれば当然の流れでしょう。
つまりは村田式連発銃が癌だったわけです。
もしも村田連発銃がモーゼル式等の機構だったら
反動の強さに文句を言いながらも日本は8mmのままだったかもしれない。
91 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 09:57:20 ID:JbFZf+wc
>それではなぜ欧米列強は馬と人相手に7ミリクラスの弾を制定したのか
>相手をやっけるためには必要だったからでしょう
例えば、アメリカは7.62mm弾を当初220gr(14.2g)で設計してるんだよ。
で、すぐに147gr(9.5g)に直してる。
で、そのくらいの弾重なら7mmなり6.5mmでも達成できる訳(実際、139gr
の弾も有る)で、弾が細い分、空気抵抗が少なくなって遠射性能が上がり、その分
を勘定すれば初速も小さくてOKってのが、その後の採用国で6.5mmが流行った
理由。
車が出てくるとそうも行かないんだけどね。
92 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 10:09:32 ID:JbFZf+wc
ごめん、38式も139grだな。弾の重量ではあんまり差が無い訳よ。他の国は黒色火薬
時代の規格だから弾の直径が必要以上に大きいってだけ。
必要な弾重とソレに対して最低限の弾径って考えれば308winは270winに成るってのと道
理は代わらんわけ。
93 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 10:14:42 ID:???
6.5mm自体は北欧やイタリア等珍しい訳ではない。
7mmモーゼルはラテンアメリカのスタンダードと言えるくらい普及していた。
7.5mm近傍はインチできりの良い7.62mmを中心に数多くの国が制式化したが各国ばらばら。
8mm(7.92mm)はモーゼルライフルと共にワールドスタンダード。
当時は10mm以上の単発銃から8mm前後の連発銃へ、そして無煙火薬によってより小口径高速化への変化が数十年のうちに劇的に進んでいた時代。
先進的な選択として6.5mmが選ばれたとしてもそんなに不自然な事ではない。
94 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 10:20:44 ID:???
うわ!詳しいのがもう書き込まれてた。
95 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 18:44:41 ID:???
>>90 二十二年式の機構の話は置いといて
8ミリの弾はそんなに酷いものなのだろうか
フランスのルベール銃に並ぶ威力が有ると書いてあるが・・・
実践的なムラタ派と理論的なアリサカ派の戦いか・・・
いきなり6.5ミリまで口径を落としちゃったので
後々議論を生むことに成っちゃった訳か・・・
96 :
名無し三等兵:2006/06/27(火) 20:17:11 ID:???
>>71 八九式実包のことかな?
コピーする時、なんでリムレスにしなかったんだろう?
これが結局、九ニ式実包のセミリムド化につながり、ひいては九九式実包との互換性の無さへと続くんだよな。
97 :
名無し三等兵:2006/06/28(水) 01:06:19 ID:???
>>95 別に議論読んでないと思うけど?
二十二年式村田銃のドングリ型の弾では、無煙火薬時代には対応できないことは明らか。
98 :
名無し三等兵:2006/06/28(水) 01:49:24 ID:???
>>96 九九と九二は互換性あるんだが?(九二重機は九九実包が使える)
99 :
名無し三等兵:2006/06/28(水) 05:51:02 ID:???
>>97 二十二年式は無煙火薬だし弾丸形状も三十年式とたいして変わりが無いが・・・
単発式の弾と勘違いしてないか?
不殺銃論争は決局口径の違いの問題だろう?
現状から考えて日本の組織が理屈だけで右から左に動くとは思えないんだが
>>98 「九二重機に小銃弾を使えるんですが、なんとしても焼きつきが多いんです
空薬莢が銃身に残ってしまう。
そうなると、いちいち分解して銃口から突き出さなければならない
大騒ぎでした・・・・補給されて来るのは・・・・九二実包で
軽機では撃てない・・・」
岩堂憲人著「機関銃・機関砲」より
>>97 二十二年式は筒状弾倉の為、弾等がいわゆるラウンドノーズです。
それと開発は黒色火薬で無煙火薬になったのは後からです。
また92と99の関係のその文、前後で矛盾してませんか?
92が補給されるなら重機に小銃弾使う必要は無いでしょ?
また陸軍の制式では92重機で99実包使えます
焼きつくのは92と99の問題ではなく、その弾丸の製造品質が悪かったんでしょう。
99から鉄薬莢化が始まっており、これがかなり問題起こしてます。
もちろん99軽機に92の弾は使えませんが
92実包は重機関銃部隊、99実包は歩兵部隊向けのものですから
戦闘機部隊に戦車砲弾が送られても使えないのと同じで
送る側の問題で、銃弾の規格の問題じゃないです。
三十年式もラウンドノーズでなかったか
尖頭になるのは三八式からだよ
それと確かに開発は黒色火薬だけど正式に制定されたのは無煙火薬
後半の部分ははしょりすぎたかな、前半は重機部隊の話で
その後、私は軽機だったが・・・・となる
あんた当時の参謀本部の将校みたいな考え方だねw
前の方のレスを良く見ていたら
二十二年式とモーゼルの初期のタイプは似かよった数値だね
アリサカが現れなければ日本の小銃は7.92ミリになっていたかも・・・
独逸を模範としていた帝国陸軍としては考えれないことではないね・・・
制式要綱から再確認再修整
89/92/97式、7.7mm、11g、800〜810m/s、360〜369kg/cm^2、MV8.8〜8.9
99式、7.7mm、11.8g、715〜735m/s、308〜326kg/cm^2、MV8.4〜8.7
ちなみに九九式小銃、短小銃、軽機関銃は九二式実包も使えることになってます。
徹甲や焼夷実包が九九式では存在しなかったので、九二式を使ったようです。
これが可能なのは、リムレスの九七式実包が九二式の名前で生産されてるからです。
つまり九九式シリーズの頃には旧九二式は存在しなかったようです
(八九式の名前で航空機部隊に回ってるようです)
また九九式実包は九二重機、九七車載重機での使用を前提とした設計です。
だから弱装化した九七式実包という位置づけになります。
九七式実包はZBのコピーである九七式車載重機にリムレス化した九二式実包で
九二重機でもそのまま使用できます。
ブレンや九六式軽機みたいに機銃をリムド対応にしなかったのは興味深いですね。
九二式実包は基本性能は八九式実包と同じで八九式から細かい改修をしたものです。
八九式固定機銃、旋回機銃、九二式重機で使えるようになってます。
八九式実包は7.7mmのセミリムド弾薬で
八九式固定機銃と旋回機銃の二種に対応させる為にセミリムド化したようです。
完全国産開発の八九式旋回機銃は色々と複雑な構造ですし
ビッカースのライセンス品である八九式固定はリムド前提ですから
恐らくそこらの辻褄の関係でしょう。
九七式から空陸の共有化は出来なくなりますが
空は九八式で7.92mmになるので、ここらの兼ね合いも興味を引きますね。
>>101 どこらが参謀将校なのか知らんが
鉄薬莢トラブルを九九式固有の問題としちゃうほうがヘンだし
軽機関銃に重機関銃の弾送る奴が問題にならないのはなぜ?
弾丸の規格に摩り替えるほうが本末転倒では?
ましてや制式では撃てないことも無いとされてるんだから
使えないと思い込んでいたという、教育体系の問題はないのか?
九二式実包は2種類あって九九では撃てない旧92式(実質89式)と
撃てる新92式(実質97式)が混入した可能性というラベリングの問題があるが
旧92は在庫殆ど残ってないはずで
切り替え時にはつき物の過渡期の問題以上じゃないよね。
ラベリング同じで違う弾なんてのは各国とも普通にあるわけだし。
>これが可能なのは、リムレスの九七式実包が九二式の名前で生産されてるからです。
>つまり九九式シリーズの頃には旧九二式は存在しなかったようです
>>102 >(八九式の名前で航空機部隊に回ってるようです)
>また九九式実包は九二重機、九七車載重機での使用を前提とした設計です。
>だから弱装化した九七式実包という位置づけになります。
>九七式実包はZBのコピーである九七式車載重機にリムレス化した九二式実包で
>九二重機でもそのまま使用できます。
これ本当なの?衝撃的な内容なので、きっちり確認しときたい。
これ本当なの?ソースは?
>>104 どのネタ?
九二式の名前で九七式を作ってるのは16〜17年の補給書面で確認できるよ。
戦車部隊宛に九七式車載重機用弾薬として九二式実包が送付されるようになってる
その少し前の時期に航空部隊の弾薬が九二式という名称が外され
また九二式弾の還納が始まってる。
九七式車載重機がセミリムドに対応しないのは制式時の概説で確認できる。
九七実包や九九実包が九二重機で使えるのは技術本部の議事録や制式要綱で確認できる。
国民を根こそぎ動員し、武器庫どころか国内に有る
兵器っぽいものはすべて駆り出して、巨大な軍隊を作り出したはいいが
あまりの巨大さに、恐れおののき
自分の机にしがみ付いて、やたら理屈を振りまわしていたのが
当時の参謀さまなのだよ
理想と現実を混同しちゃあいけない。
>>陸軍の制式では92重機で99実包使えます
>>送る側の問題で、銃弾の規格の問題じゃないです
>>ちなみに九九式小銃、短小銃、軽機関銃は九二式実包も使えることになってます
>>ましてや制式では撃てないことも無いとされてるんだから
なんか曖昧な表現だね・・・・・・・・
戦争遣っているのにそんなことではねえ・・・・・・・・
九二式重機では、九九実包が戦線に支給されるにつれ
この弾薬を使用した際の脱包不全が多発した・・・・・
大陸で泥沼の戦争していると言うのに
弾薬の規格を換えたり、小銃を総とっかえしようとしたり
なに考えてたんだか・・・・・
まあそれを認めちまった指導部に問題があるんだが・・・
>>107 うん、開発時から九二実包使うと反動が凄いので
小銃や軽機では辛い、当たらない、だから使いたくないとされてる。
戦後の自衛隊は30-06化して九九小銃使ってるから
我慢すれば耐えられる程度ではあると思うけど
それこそ戦争やってるから許容された問題らしい。
>>108 九九と九二は装薬量以外は同じ弾なんで
脱包不全は九九特有の問題では無かったんだな、これが。
陸戦兵器の全貌に原因と解決が出てるので読んでみると良いかもね。
また弾薬の規格は戦争前から変えたがってたからね。
事変の予算がついちゃったのが運の尽き。
ま、泥沼の長期戦になるとは考えてなかった甘さが問題だが
そもそも長期戦争なんか出来ない国力だから、こればかりはどうもな。
須川薫雄著、日本の軍用銃と装具に
従って九二式重機実包は小銃には使用できない
取扱書などに転用できると記されているものもあるが
抽筒子に縁が実際には入らない
と掛かれているけど、此れはどうなの・・・・
使えたとしても現場に混乱を引き起こしたのはまずかったろうね
そこまでしてリムレスにしなきゃあいけなかったのか疑問だけど・・・
九二式実包を九九式実包の代替として使うことはできないけど、
九九式実包を九二式実包の代わりとして九二式重機で使うことはできる。
ただし、一部部品の交換か装着か何かが必要だったと思う。
採用してみたかったんだろうなあ・・・・・・
九二式重機は何もしなくてもリムレスの九七式実包が使えて
ガスポンプの調整をすれば弱装九七式である九九式実包が使える。
九二式実包は昭和15年ぐらいの製造からリムレスの実質九七式実包化してる。
だからリムレスオンリーの九九シリーズは
実九七式実包である後期型九二式実包なら使える。
だけど旧九二だと、リムが引っかかるから使えない。
参謀様はえらいえらい、よく判ったよ・・・・・
判ったら判ったで、また落ち込む話だね
せっかくの苦労も戦局の悪化でパーになってしまったてことか
つまりは、99式の生産がはかどらない為に、外地の部隊に古い92式の弾をかまわず送ってしまったと言うことなのね
あと、火力重視ということから重機用の弾を優先的に送ったということもある。
上としては(セオリー通りに)部隊の火力を重視するため、
重機を優先して九二式実包を優先
↓
でも前線では重機なんてそんなにないし、
重機自体の消耗も激しい
↓
送られてきた弾は九二式ばかり
↓
('A`)
という手記をなんかで読んだ記憶がある。
それ岩堂さんの本だよ
ただその本には、上の方で出ていた
九二実包にはセミリムドとリムレスの二種類有ったって事が書いていなかったから
混乱しちゃったんだよね
ならば九ニ式重機は弾薬を保弾板からそのまま薬室へ押し込む構造に改修してもよかったよな。
>>116 この人もさ、都合によって視点をコロコロ変えるよな。
このスレをよく読んでから
佐山二郎著の小銃拳銃機関銃入門をよく読み返したら
必要なことはだいたい出ているのな
読解力の無さを痛感したよorz
筆者自身もよく判ってないみたいだけど・・・・
>>122 そのまま押し込んでなかったか?
>>九二式重機は何もしなくてもリムレスの九七式実包が使えて
この表現が混乱の元だよな
確かにそのままでも使えなくは無いが
薬莢起縁部径に0.6ミリもの違いがあったんじゃあ
なんかの拍子に外れる可能性が有る
実際には弾に合わせたボルトを支給していて
使い分けていたんだろう
それを知らない人間が扱えばトラブルよな・・・
それと38式装備の部隊にはボルトの支給が送れ
そんなところに97式の弾が届いたらたまらんよと・・・・・
92実包をリムレスにした理由も出ていた
どうも97式車載重機の弾倉が上手く作れなかったかららしい
リムレスの弾にすれば変な加工しなくていいもんな・・・
>>125 送れ→遅れorz
>どうも97式車載重機の弾倉が上手く作れなかったかららしい
九六式軽機の弾倉は普通に作れたのに?
本にはそう書いてある
ただの口実のような気もするけどね
技術屋がよく使う手だよ
九七式の仮制式んときの開発経緯をみると
不調原因は弾倉と思われたんだけど、実は半起縁薬莢にあったと。
薬莢輩出で引っかかるので、送弾も引っかかるという連鎖反応だったそうな。
それ可笑しいと思わない
97式の弾倉を見ると、戦後の64式の弾倉そっくりだよ
あれにセミリムドの弾を入れればトラブルに決まっているさ・・・・
>>130 それがね、一次試作と二次試作で弾倉が違うみたいんだよ。
一次試作は試製B号軽機関銃を改造したもので
このときには問題は無かったらしい。
たぶん九六式軽機の7.7化みたいなもんだろう。
ブレンや九六のバナナ型弾倉からストレート形状にしたら
そりゃトラブルのは当然だが
じゃあ、何故ストレートにしたのかが、新たな疑問として出てくるよね。
元々の開発要件に九二式普通実包を使うとしてたんだから
違う弾にしてみたかったというのは理由として弱い。
もしかして97式の弾倉ってZB26の弾倉を
そのままコピーしたんじゃあないだろうが
7.92ミリと7.7ミリなら問題は起きないだろうと考えて・・・
話は変わるんだけど
1894年に配備された国産の馬式機関銃は22年式の8ミリ弾を使用していたんだね
で、ダメダメだった
当時これを調査していた有坂成章は弾薬が強力すぎるために
各部が持たないと気が付いたんじゃあないだろうか
機関銃の国産化は重大な問題だから
これを解決するために
当時としては最小口径の6.5ミリを小銃に採用したんじゃあないだろうか・・・
弾薬が弱くなれば負担が減るからね
完全にオイラの妄想なんだけれど
あながち外れてないような気がする・・・・
マキシムは微妙な間隙等の調整が厄介で
工作技術がそもそも足りなくて国産がアレだったわけでな・・・。
それと反動式なので反動が弱くなったら却って難しくなるんだぞ。
本当にそうなのかな?
職人による精密部品加工は日本の得意とする分野だと思うんだが
日本が不得意としたのは
金質とコイルバネの耐久性だろう
弾薬を弱裝にすれば解決する問題だと思うんだが
目に見えないレベルの精密さで大量生産するには、いい工作機械と精緻な測定器揃えた生産ラインがいる。
一品もので使い捨てなロケットのノズルの話じゃないぜ、互換性維持した大量生産だ。
7.7mmの固定機銃は違うの?
>>135 いっとくがバネで反動吸収してるんじゃないからね。
バネと金質から来る問題を回避するには
反動を抑えるんじゃなくて射撃速度を抑えるのだ。
んで、マキシムはそれをショートリコイルの微妙な摩擦でやってるから
金質と工作精度が悪い時点でどうにもならないんだな。
反動抑えたって速度調整機構が甘かったら
射撃速度が上がって複座バネが耐え切れずに折れる。
>>137 おいおい、昭和の時代の話じゃ無くて明治26年頃の話なんだよ
当時の日本の事をよく考えてくれよ
>>138 理屈はそのとおりだと思う、これに反論する気は無いよ
だがさ、そんな事言っている場合じゃ無かったわけだろ
帝国ロシアが目に前に迫っていたわけだ
作れるか・作れないかではなく、作れ!これが国からの命令だった訳だ
貴殿がその場に居たとしたら、どうするよ・・・
>>137→136orz
何とかして機関銃を完成させるか
日本刀振りかざしてロシアの機関銃座に突撃するか
二つに一つだ、さあどうするw
つ「6.5ミリ採用後」
>>139 つかね、機関銃の製造能力獲得と弾丸規格はこの場合リンクしないのな。
日本は6.5mmのマキシムを作ってないんだから
マキシムを実用化するのに6.5mmが必要だったかという、それは否だと。
だから日本はガス圧式で比較的作りやすいホチキスに走ったわけだし
何しろ正規にホチキス社とライセンス結んで設計してもらった銃なんで
ホ社の技術なら8mmでも6.5mmでもちゃんと設計できるだろうし
正規ライセンスなんだから工員の教育も工作機械の手配もホ社に頼れる。
マキシムの違法コピーなんてやって無駄に時間つぶしちゃったねというだけのこと。
確かに絶妙なタイミングで保式機関銃が現れて
すっかり流れが変わってしまうけど
これは幸運な偶然で有って、陸軍の首脳部が画いていた未来ではないだろう
現れ無ければ6.5ミリの馬式機関銃を作るしかないわけで・・・
海軍みたいに英国から買っちゃうと言う手も有るが・・・
それと保式も初めは違法コピーなんだよな
上手く行かないのと時間切れでライセンス買っただけ
ホチキスは1871年
マキシムは1884年、登場時期はホチキスのほうが先。
大量に生産しなければ成らない小銃を6.5ミリ化してから
8ミリの馬式機関銃を6.5ミリ化すると言うのは
非常にお役所的で常識的なラインではないかい・・・
ついでにゆうと、単銃身機関銃がモノにならないなら
ノルデンフェルトなりガトリングなりを使うという後ろ向きの対策もありだ。
小口径化した6.5mmなら多銃身の重量も押さえられるだろうから
水冷でクソ重たいマキシムで故障に苦しむよりも意外とマシかもしれん。
つまりはマキシムに拘る必要性は最初から全然無いわけで
ましてや銃弾口径と機関銃の直接因果関係に引っ張るのは説得力無さすぎ。
おいおい、保式機関銃の登場は1896年だろう・・・
>>147 そうでもないんだな・・・・・
結局は陸軍もお役所な訳だ
大量に作っちまった8ミリの馬式機関銃をどうするんだいってこと
糞な機関銃を作ったとなれば担当者は腹でも切らねばならないだろう
陸軍の面子も潰れてしまうしさ・・・
>糞な機関銃を作ったとなれば担当者は腹でも切らねばならないだろう
じゃあ南部はいったい何度腹を切ったらよかったんだ?
南部閣下は腹の皮が厚かったんだろうw
ていうかさ、南部閣下は絶妙な時期に辞めて会社を興しているんだよ
民間会社ならそこまで責任を追及されまい・・・
>>104 遅レスだが
佐山二郎著「小銃拳銃機関銃入門」409ページに記述が有る
154 :
104:2006/07/03(月) 18:28:19 ID:???
>>153 サンクス!
ってゆうかそれ読んだことあるぞ・・・orz
国立公文書館にその文書があるな。
九二式重機関銃外1点弾薬中改正の件
レファレンスコード:C01001857200
又、話を戻すけどさw
6.5ミリ採用の理由に22年式小銃の不評ってのが有るだろう
しかしこれは前床式弾倉が問題なのであって
8ミリ弾のせいでは無いよな
反動が強いと言うのも、弾重を軽くして減装にすれば何とかなると思うし・・・
命中精度うんぬんも、2キロ先の騎兵部隊に弾幕射撃する分には
それほど問題には成らないだろう?
経済性もさ、ベトナム戦争時に7.62ミリから5.56ミリに換えた時
弾薬消費量が増大したのと同じ事が起こったんじゃああるまいか・・・
一番問題に成るのは、当時としては多額の税金を投入して作ったであろう
8ミリの銃身と弾の生産設備を10年も絶たずに廃棄しなければ成らない事だと思うんだが・・・
そこまでしなければ為らなかった理由とは?
「日露戦争までの機関銃は、敵の騎兵部隊の馬の接近を遠くにおいて阻止できれば
威力としては十分でした。そのための最低口径は、有坂成章の採用した6.5ミリ弾でした。」
兵頭二十八著「たんたんたたた」より
これがその理由なんだと思うんだが・・・
問題は有坂が考えていた機関銃とは保式では無く馬式だったと言う事・・・
どう?
>>157 銃と弾薬の製造工程を調べてみ。
ジグの一部を変更するだけだから生産設備の殆どが流用される。
ついでに言うと弾薬の製造は続いてたしね。
また馬式前提なら反動軽減は一理も無いというのは既に提示されてる。
逆に言うなら6.5mm化するので
元々苦労してるのが更に苦労しそうだから馬式を捨てたというのはあるだろう。
日本の職人をナメタラアカンゼヨ!
と、言ってみたいなあ・・・・・・・
よく考えたら戦争直前に弾薬を二系列にしているのね
話が又飛んじゃうけど
昭和の参謀たちは真似しただけなのね・・・つまり
「先の日露大戦で我が帝国陸軍が勝利しましたのは
ひとえに有坂閣下が直前に制定されました30年式小銃が有ればこそであります
我等も続かなくてはなりません
米英に勝つためには小銃の7.7ミリ化が・・・・・」
30年式マンセーは二十八っあんが元祖ではないかもね
大成功した前例が有れば反対しずらいし・・・
>>158 馬式の構造について詳しいサイトを襲えてもらえませんか
色々探したんだが見つけられないorz
あまり細かい事に拘ってもねえ・・・
結果的には同じ事だと思うが
弾薬の備蓄量考えずに弾を換えてしまったことに代わりはないし
馬式は作動原理ではなく実際の内部構造が知りたいんだよね
特にボルトの形状とか・・・
さすがにそういうサイトは無いねえ
当時の機関銃がそんなに精巧に作られていたとは思えないんだよね
量産は無理でも職人が手作りなら何とかなったんじゃないかと・・・
連射の出来ないものを要塞に配備したり海外に持って行きはしないだろう
しかし情報が無さスギ・・・
>>163 弾薬の備蓄がないほうが規格変えやすいんだけどな。
>>163 量産は無理というか、馬式は200丁もあったかどうかという世界じゃないのか?
保式は千を超える数はあったみたいだから、当時としては量産規模だろう。
国立公文書館に馬式の主要パーツの大半が改修整備対象として指定されてるし
取り扱いに必要な注意が延々と書いてあって
こんなの使いたくないだろうなと思わせる記述で埋まってるぞ。
・弾丸は古くなってないか確認すること。変形してないか確認すること。
・弾薬受領時に規格どおりのものかきちんと確認すること。
・発射時に薬莢が折れたり千切れることがあるので注意。
・装填時に弾頭や被甲が外れないか注意。
・撃ったら銃が変形してないか確認すること。
・布ベルトは油に漬けておくこと、汚れたり破けてないか確認すること。
初期マキシムは水冷ないから熱で壊れるんだろうし
かといって満州じゃ水問題も深刻だし、布ベルトの取り扱いも厄介だし
空冷で保弾板の保式に走るのも当然だろうね。
>>164 備蓄が無いと戦争に勝てません・・・
日露戦争で問題に成らなかったのはアメリカが講和の斡旋をしてくれただけだし
>>165 時間の流れをよく考えてほしい、保式が現れるまでは
馬式を何とかするしかなかった訳だろ・・・・
記述がそんなに有るということは、いかに当時の軍が
馬式を何とかしようとしていたと言うことだし
>>166 ネタとしては面白いだろうw
技術屋さんは現場の人間が何か言うと直ぐそうやって怒るんだよな・・・・・
そのくせトラブルが起こると何かと現場のせいにするしさ・・・・・・・・・・
>>発射時に薬莢が折れたり千切れることがあるので注意
これが一番問題だよな、現場ではどうにもならんし
無根拠な印象論を言わせてもらえばw
アリサカは薬莢の強度不足と考えたんじゃあないか?
それも形状ではなく材質から来る問題と・・・
解決策として軽を細くした・・・・・・・・・・・・・・・・・
小銃でも多発したんじゃあないかな
でも原因が判らなかった
実際には薬室の形状の問題なんだが
ライセンス買って教えてもらってやっと判った
コピーの限界か・・・
>>167 何とかも何も、だから10年もかけて200丁ぐらいしか作ってないわけで
だいたいあの時代の機関砲は野砲の榴霰弾の代用なんだから
なんとしてでも実用化なんて悲壮感ないし。最悪輸入すれば良いって程度のもんだろ。
悲壮感漂ってるのは主力たるべき野砲のほうだ。
用法すら確立してない機関砲は当時としては実験兵器でしかない。
ついでに言うと30年式の備蓄弾薬も関係ない。
22年式の弾薬製造も続いてるんだし日露戦役では
22年式使ってる後備歩兵に30年式弾の保式機関砲が弾丸と共に配属されてる。
歩兵と弾丸共通化が必ずしも必須ではないんだよ。管理上は「砲」なんだから。
要塞配備で1500発しか定数を持たない馬式の弾丸消費量なんて全体から見たら如何でもよいし
備蓄された古い弾丸は使うなという通達が出される馬式に備蓄もクソもないよな。
>>168 6.5mmでも起きてるので、機関銃というシステムと当時の弾薬製造技術の問題
ガトリング砲でも似たことが報告されてるけど、弾薬の製造工場によって異なるとか
ロットで異なるという報告が同時にあったりするわけで、主として製造の問題。
三年式や十一年式でも同様の薬莢トラブルは報告されてるんだから
6.5mm化で解消されたわけでもない。
あんたも強情だなw
とにかく順序だてて話をしよう
まず8ミリ弾使用の22年式小銃と馬式機関銃には色々問題が有った
馬式は結局諦めちまうんだが、200台と言うのは
当時の貧乏陸軍としては小さい数字では無いと思うよ・・・
だが小銃はそうはいかない、だから
「有坂成章と・・・はこれを改良するため中央弾倉式とし、口径は
7ミリ以下とする事に着目して・・・・試験の結果は6.5ミリがもっとも優れていた」
小銃拳銃機関銃入門より
で、小銃は何とか成った、最新の製造設備を導入したため
品質が安定したのかしたんだろう・・・
ここで、保式機関銃登場!!!!!
陸軍は早速サンプルを輸入して違法コピーを始めるw
しかし又、薬莢切れのトラブルが多発する
戦争直前になって焦った陸軍はライセンスを購入
ここで薬室の形状やヘッドスペースなんかの情報がもたらされる・・・
ところが問題発生、日本独自の弾を採用したために
先様も細かい数値までは教えられなかったんだろう
基礎研究には時間と金がかかるからねえ
で、色々試行錯誤して塗油装置を付けたり、無給油経始薬室を開発したりするんだが
これは後の話・・・・・・
まあ、機関銃と弾薬の品質が安定するのは戦後の話・・・・・
62式は当てはまらないかもしれないがw
あと備蓄に付いては勘違いしてるよ
資源が無い日本で、30年式小銃の生産が起動に乗ったんだから
8ミリの生産なんか止めて6.5ミリ一本に統一しろよと言う事
貧乏な日本にはなかなか出来ないんだけどね
又、出来ないならするな・・・これは昭和になってからのこと・・・
あと、
>>反動利用式機関銃はミクロン単位の精度が原則必要だ。
昭和になってからの航空機銃の事を考えてないか
馬式は基本的に19世紀の技術だよ・・・・
>>171-173 10年余りかけて200丁は明治陸軍でも小さい数字だよ。
戦争があったとはいえ保式が千以上を数年で作ってるんだから比較にもならない。
また弾丸の製造設備は共通なので6.5でも8でも製造品質は変わらない。
また22年式小銃が山のようにあるのに22年式8mm弾の生産が止まるわけないでしょ。
弾丸は何年も保存できないんだよ。せいぜい10年で使い切るのだ。
平時の使用量x平均的な保存期間分の備蓄弾薬なんてあるわけが無い。
またホチキスが薬莢千切れや詰まりを起こすのはWW1でも多発してる。
フランス軍でも大陸派遣アメリカ軍でも、またイタリア軍でも起きてる。
日本でも三年式まで手直しが必要だったし完全解消は遠かったわけで
別にホ社純正だから解消されるような話ではない。当時の技術としてはそんなもんだ。
馬式の数の話はやめようw
様は当時の技術で製作できたかという問いに
200台も作ったのだから出来たのだろうと言う話
備蓄の話も止めよう、これは関係無いから
薬莢切れの問題なんだけれど
理屈を知っているのと知らないのでは大きな違いが有ると思うんだよ
当時の日本はただ形を真似ている段階だと思うし・・・・
欧米列強のメーカーは薬莢を一から開発していてそれなりのノウハウが有ったと思う
特に8ミリ付近の口径についてはね
だが最新の流行の6.5ミリに関してはまだ未解明な部分が有ったんじゃあないかな・・・
だから列強は7ミリ台後半の弾薬を替えなかった
そこで日本も一から研究を始めなければいけなかった訳だし・・・・
フランスとイタリアが列強に入れなかつたのはその辺に原因が・・・・・
これは第一次世界大戦以前の話ね・・・・
>>175 薬莢問題もダウト
明治20年代の海軍の試験報告で
米国製ガトリング砲に米国製弾丸だと千切れるけど
何故か国産弾だと千切れないなんてのもあってな
日本は知らなかったけど外国では知ってたというわけでもない。
だからWW1で各国とも薬莢ちぎれに苦しんでるわけだし。
完全にネタ切れ・・・・
こうなると6.5ミリの採用は純軍事理由ではなくて政治的なものなのか・・・
馬式はジャーデン・マディソン=大倉組
保式は高田商会と色々と競争が激しかった様だし
伊藤と山縣は賄賂貰って一時失脚していたような・・・・
ヨーロッパ最新流行の6.5ミリ弾製造設備!
なんて如何にも商社が考えそうだなw
日本人は流行物に弱いから・・・・
馬式も保式も発表されて直ぐ買ってるし
22年式も、もうちょっと待てばモーゼルが出てたし・・・・
そういえばオリジナルの保式はルベルの8ミリ弾
22年式はルベルの連発銃のコピーで8ミリ
もしかして同じ弾なのか・・・・
なにやってるんだかorz
>>177 残念ながら製造設備は全然新しくなってない。
型が変わっても必要なのはゲージだけなんだよ。
22年式の時に無煙火薬とメタルジャケットが導入されたのが目新しいのだが
30年式は22年式が作れるなら特別な機材はこれっぽっちも要らない。
製造機能でいうなら99式まで全部対応できる。
やはりそうなると薬莢の強度不足が一番の問題のような気が・・・・
機関銃の話は横に置いといてw
>>弾丸は古くなってないか確認すること。変形してないか確認すること。
>>装填時に弾頭や被甲が外れないか注意。
22年式は前床弾倉式で一発ずつ弾を詰めていたから問題にならなかったけど
30年式になって挿弾子で一気に押し込む事になって
弾薬の変形が発生したのでは・・・・・
これを設備の変更無しに解決するため薬莢の径を細くした・・・・
どんなもんでしょう・・・・・
>>180 いや、別に8mmでも挿弾子で問題にならないよ
リムと薬莢しか挿弾子に接触しないんだから。
いやいや、挿弾子に5発並んだ弾を親指で押し込む訳で
戦場でテンパッた兵士が勢い良く押し込んでも変形しないだけの強度が必要だろう
これは設計段階で十分考慮されるべき問題で
実際に22年式の弾の強度を調べて不可となったのだろう
円筒は上下方向の力には強いが横方向は弱いし
少しでも歪めばボルトがロックしなくなる
これは重大な問題だよ・・・・(^Д^)
>>182 薬莢肉厚変わらないのになんで30年式じゃないと駄目なんだ?
ましてや強度不足なら肉厚変えれば良いでしょ?
南部サンはマドセンを知っていた。
そして三年式重機でサイトのオフセットも経験していた。
だが作ったのは11年式軽機だった。
なんでかな〜
そっち方面は専門外なんであまり詳しくないんだが
肉厚が一緒なら外形が小さい方が強度は出るだろう、特に円筒では・・・
強度計算と言うか数字が出てくると脳みそが沸騰してしまう・・・・
薬莢は一体成型のプレス加工の癖に
部位によって肉厚が違うとか熱処理が違うと言う複雑な形状なんだよ
設備を変更せずに肉厚を替えることが難しかったのではないかな
材料の問題も有るしね・・・・
>>185 一体成形たって数段プレスと切削だから
別にコンマ何ミリか肉厚変えるのはジグを変えるだけの事
材料規格は野砲とかと同じだし、設備も共用なんだが?
だから!何でも教科書どおりに行くなら誰も苦労せん訳よ
設備さえ揃えれば西洋並みの製品が出来るのかと言うこと・・・・
「1902年 大阪砲兵工廠内の火薬庫が爆発、100名死傷
(後に、外国の弾薬は乱暴に扱っても問題は生じないが、日本の
弾薬は金属が薄く、丁寧に扱っても不具合や爆発を起こす・・・」
たんたんたたた関連年表より
教科書無視して薄くしてたりしてな。
と言うより、悪い材料を無理やりプレスするので薄くなったんではないかい
戦鳥だと薬莢の肉厚を変えるのは大変な手間だって論調だよな
そもそも8mmだと薬莢が弱いという根拠はどこにあるんだ?
どこにも無い!
つーか、スレ読み返せよ。
8ミリ弾薬を6.5ミリに変更した理由を考えた結果出て来た答えだよ
プレミア物の日本製8ミリ弾の薬莢強度を調べるなんて
まず無理だろうから所詮、妄想でしかないが・・・・・
しかし、これを否定する資料も出てこないらしい( ̄ー ̄)
1883年(明治16年):英マキシム社で自動機関銃発明される
1890年(明治23年):馬式機関砲2門購入(村田連発銃弾薬をそのまま使用できるよう改正)
1895年(明治28年):フランスでホチキス機関銃が誕生する
1896年(明治29年):保式機関砲4門の購入を決定
1897年(明治30年):保式到着(技師ヘリングヘッドもやってくる)
1898年(明治31年):保式の試験をするが薬莢切れ続出、三十年実包を使用できるよう改正し、5門の試作をホ社に依頼
1902年(明治35年):保式機関砲制定
1907年(明治40年):三八式機関銃制定(油壷が付く)
1908年(明治41年):軽機関銃の試製が始まる(三八式ベースの甲・乙号)
1914年(大正3年):三年式機関銃制定
1917年(大正6年):各歩兵連隊に初めて機関銃隊を付属することになる
1922年(大正11年):11年式軽機関銃採用
1933年(昭和8年):九二式普通実包仮制式制定、三年式機関銃の改修を816丁実施
1934年(昭和9年):九二式重機関銃の新調を開始
1938年(昭和13年):九六式軽機関銃制定(仮制式?)、九七式車載重機関銃仮制式制定
1939年(昭和14年):九二式重機関銃制式制定、九九式軽機関銃仮制式を上申
1940年(昭和15年):チ式7.9mm軽機関銃準制式制定
1942年(昭和17年):一式重機関銃制式制定
1880年(明治13年):十三年式村田銃制定(口径11mm)
1885年(明治18年):十八年式村田銃制定、フランスでは無煙火薬が発明される
1889年(明治22年):二十二年式村田連発銃制定(無煙火薬式、口径8mm)
1898年(明治31年):三十年式歩兵銃制定(円頭弾、半起縁、口径6.5mm)
1906年(明治39年):三八式歩兵銃・騎銃制定(尖頭弾、半起縁、口径6.5mm)
1910年(明治43年):四四式騎銃制定
1934年(昭和9年):四四式騎銃制式改正(起剣時の弾着降下対策)
1936年(昭和11年):四四式騎銃再び改正
1939年(昭和14年):九九式長・短小銃制定(無起縁、口径7.7mm)、モ式小銃準制式(7.9mm智式機関銃弾薬試製九八式普通実包使用可)
1940年(昭和15年):イ式小銃準制式(三八式実包、三十年式銃剣使用)
1942年(昭和17年):二式小銃(挺身用)制定
1943年(昭和18年):九九式小銃(挺身用)制定
>>193 乙!
九二式重機の制式化が随分遅いんだな
こうして6.5ミリの口径は過小との結論に達し、戦後、技術審査部は入念な試験を
実施し、口径を7.7ミリに増大する事に決まった。
ところが欧州大戦の実験によると、小銃は遠距離戦闘をする必要は無い。
そして近距離では小口径でも殺傷力は十分であるから
携帯弾薬増加の必要上、口径はなるべく小さい方がよい。
そこで、6.5ミリが理想であるとの結論にまた戻ってしまったのである・・・
小銃拳銃機関銃入門より
第一次大戦では、飛行機や自動車、特に戦車が登場して
小銃にも、これに対する威力が必要だと思われていたのではないのか・・・・
7.7ミリの方が良いと判っていても換える事が出来なかった訳か・・・
実際に7.7ミリの弾薬製造が始まったのは1922年からだそうだが
品質がまともになったのは、89式実包が制定された昭和4年頃なんだろうな・・・・・
>>193 92式重機関銃の仮制式は89式実包のセミリムド弾で
本制式は97式実包のリムレス弾と考えていいのだろうか・・・
なぜ、初めからリムレスにしなかったんだろう?
>>196 八九式固定と共有したかったんだろ。
初期の航空機部隊は師団司令部の目の前に降りるから
たぶん師団倉庫から繋がってるわけで。
やはりそうなる訳ね・・・・
積年の恨みが97式の試作の時に噴出した訳だ・・・・
92式実包の取り扱いが可笑しいのもその辺の事情か・・・・
日本の組織では良くある話のような気がする。
航空部隊は、規格の変更も機関銃を改造する事も断固拒否
海軍と同じようにリムドのままで行く事を主張
技術本部は将来を考えてリムレスにする事を断固主張
どちらにも決められない指導部は折衷案としてセミリムドを提案
そのまま決まってしまった・・・・と言うところか・・・・
毎度の事ながら・・・・・orz
海軍が決めたのは陸軍より後の話みたいねorz
どちらにしても、航空部隊としてはリムドしか無かったという所か・・・
>>196 「小銃」が射撃戦じゃ役に立たないことがはっきりしたからだろう。
202 :
九九式小銃:2006/07/23(日) 04:33:30 ID:???
私を忘れないでください・・・
兵頭さんの本に出てくる
「緻密な計算とデータ収集に基づき、他のどの国とも異なるデザインの6.5ミリが
自信をもって選択されたものです。」
これがイマイチ信用できない
22年式の基になったルベルの8ミリ弾は8*50R、30年式は6.5*50
弾重が16gから11gと、ただ径を細くしただけにしか見えないし
津野瀬さんの本には
「30年式小銃のツイスト、つまり弾の回転度はどういう理由で決定されたのかを
調べると、単に欧米の軍用銃を真似たに過ぎないことが判った。」
つまり有坂は、野砲その他の事で忙しくて小銃の設計は手を抜いたんじゃあなかろうか・・・
津野瀬光男著「幻の機関銃」によると
30年式小銃は、射撃してみると反動が大きく、しかも命中が極めて悪い・・・
どのようにしても弾がひっくり返ってしまう・・・・
と、ダメダメだったらしい
つまり、現在の6.5ミリ弾の評価は、有坂閣下の30年式小銃ではなく
これを南部閣下が改良した38式小銃のものである訳で
じゃあなんで、有坂閣下は6.5ミリにしたのか・・・・・・・・
205 :
旧軍の亡霊:2006/07/27(木) 16:32:30 ID:ZsbTxsPR
腹切りage
なんか書き込みが止まっちゃったねえ・・・・
日露戦争で30年式の欠陥が表に出なかったのは
ロシアの弾も似たような性能だったからだろうか・・・・
長射程では狙って当てるなんて考えられなかったんだろうね
1903年から列強では軽量尖弾への移行が始まるけど
これがもう少し早ければ歴史は変わって居たかも知れないね・・・
30年式小銃の設計が結構いい加減で有るとなると
有坂閣下は22年式小銃の命中精度の悪さを、ただ反動が強いからで有るとして
口径を細くしたのか・・・・
参考に輸入したモーゼルも似たような性能だったのかも・・・
ところが、30年式小銃も命中精度が悪い
南部閣下に研究させたら、弾丸のバランスの悪さと弾の回転度が悪いからで有ると判った
まあ、ヨーロッパからの情報を確認しただけかも知れないが・・・
有坂閣下は自分のミスを隠すために7.7ミリに変更する事を妨害し
6.5ミリのままで行く事にさせた・・・・・
なんのことはない、始めの結論に戻っちゃったのね・・・・
チャンチャン!
☆村田連発銃弾薬筒
8×52.5R 円筒弾 弾重15.6g 装薬量2.2g
☆三十年式銃実包
6.5×50.7SR 円頭弾 弾重10.4g 装薬量2.11g
☆三八式銃実包
6.5×50.8SR 尖頭弾 弾重9.0g 装薬量2.15g
☆Gマーク付実包
6.5×50.8SR 尖頭弾 弾重9.0g 装薬量2.0g
九七式狙撃銃、11年式・96式機関銃に使用
☆九二式徹甲実包
6.5×50.8SR 尖頭弾 弾重7.0g 装薬量2.15g
☆303 British
7.7×56.1R 尖頭弾 弾重11.8g 装薬量
輸入した毘式固定機関銃に使用、八九式制定までは陸軍でも生産
☆八九式旋回機関銃実包
7.7×57.8SR 弾尾狭窄尖鋭弾 弾重13.2g 装薬量2.85g
毘式固定機関銃も改造して使用、九二式重機関銃実包と同じか?
☆九二式徹甲実包
7.7×57.8SR 弾尾狭窄尖鋭弾 弾重10.5g 装薬量3g
☆九七式車載重機関銃実包
7.7×57.8RL 弾尾狭窄尖鋭弾 弾重13.2g 装薬量2.85g
九二式重機関銃に使用するには包底面を改正した円筒に交換したのか?
鉄薬莢の場合、装薬量2.7g
☆九八式旋回機関銃実包
7.92×56.8RL 尖頭弾 弾重9.9g 装薬量
ZB26・モ式小銃と同じ物、機関銃はRB社のMG15のデットコピー
☆九九式銃実包
7.7×57.8RL 平底尖鋭弾 弾重11.8g 装薬量2.8g
鉄薬莢の場合、装薬量2.6g
口径×薬莢長 R=リムド SR=セミリムド RL=リムレス
303と7.92ミリ弾の装薬量が判らない・・・・
こうして比べて見ると、九九式実包は、303と7.92ミリ実包を
上手くミックスしているね
本来は7.92ミリ実包を採用したかったが、強力すぎるので
機関銃が作れないため、7.7ミリにして弱装にしたのか・・・・
小銃拳銃機関銃入門の400ページの写真にも
7.92ミリは出ているが7.7ミリは出てこないし・・・
>>209 九二式実包で軽機関銃は試作できてる。
てか九七式車載重機が構造的には九九式軽機と同系なわけで
弱装にする必要は特に無いのだが
小銃が反動がきついので何とかしろと文句来ちゃって以下略と。
http://jya.jp/jt/ ここの1363の写真を見るとDの八九式実包はCの303より
Fの7.92ミリ弾のほうを強く意識しているように見えるのだが・・・
>>九七式車載重機が構造的には九九式軽機と同系なわけで
これには異議を申し立てたいなw
九七式車載重機と九九式軽機の円筒の形や固定方法はまるきり違うし
九九式軽機のさんし(変換できない・・・)は弾の威力が増すと
簡単に破損しそうな気がするのだが・・・
>>小銃が反動がきついので何とかしろと文句来ちゃって
前線の部隊には九二式の弾を使った小銃は配備されていない訳で
技術本部が書いたことをそのまま信用するのは、いかがなものかと
九七式車載重機も、オリジナルのZB26が9キロ弱なのに
弱装の九七式実包で12キロ弱と・・・・
7.92ミリ弾で作ったら何キロになっていたのか
とても軽機は作れないと思うのだが・・・・
>>212 九九式軽機も開発時は12kgで
銃身の肉厚削って11kgにしたんだよ。
>>211 試作したら次に歩兵学校で実用試験でやって
そこで改修指示が来るのだ。
銃身削って軽量化というのは、決して誉められたものでは無いと思うが・・・
似たような重量なのに九七式を軽機としなかったのは
やや構造が複雑なので量産出来なかったからなのだろう
結局小銃や軽機関銃は、そこそこの性能でいいと言う事か
しかし重機関銃は相手の重機関銃と互角に戦えなければならない
そのためには6.5ミリではダメで、又7.7ミリの303でも少々力不足
本当は8ミリ・モーゼルの弾を採用したかった
もしかして八九式の制定の時、技術本部が主張したのは7.92ミリではなかったのか
しかし否定されてしまった、そして
戦闘機の毘式機関銃と互換性をえるために
7.7ミリのままで薬莢を長くして強装として、且つ弾重を重くした
九二式重機関銃の制定の時、実包がなかなか決まらなかったのも
そのへんの事情を蒸し返したためなのか・・・・
>>215 大正8年の時に既に7.7ミリ小銃を試作してる。
レファレンスコード:C01007115500
小銃審査の件
薬莢長58mm、弾重10.3g、弾長29.35mm、初速870m/s
図面を見る限りリムレスみたい。
かなり軽量高速な傾向だな、コレ。
これが色々と尾を引いているんじゃないかな。
217 :
名無し三等兵:2006/08/09(水) 20:17:25 ID:lzGO7T8t
だれか、一般的なボルトアクションライフルの
使用方法を教えてください、お願いします。
>>217 弾を装填して、構えて、狙って、撃つだ。
>>216 佐山さんの本に出てくる、三八式改造7.7ミリ小銃だよね
薬莢長58mmでリムレスなんだ・・・・・・・
やはり青島戦で独逸と撃ち合った影響なんだろうか
まだ第一次大戦の特需に沸いていた時期だから
一気に7.7ミリに移行しようと考えたが・・・・・・・・
デジタルアーカイブシステムなんて出来ていたんだね知らなかったよ
しかし、上手く使えないと言うかネットが止まってしまう
光に換えないとダメか・・・
221 :
名無し三等兵:2006/08/10(木) 08:46:12 ID:dnoJ9CFC
218・219さん、とても参考になりました。ありがとうございます。
それから219さん、お言葉に甘えて質問させていただきます。
動画を見る限りでは、一度弾をつっこんでボルトを元の位置に戻して、
そのまま放って置くと、中のバネのような物が弱くなってしまうような
気がするのですが、どうなんでしょうか。
教えていただけると幸いです。
>>221 バネがへたるというのは想定内で、その辺はちゃんと考えて丈夫に作ってあります。
ただ、入れっぱなしが良くないのは当たり前なので、使わない時は弾を抜きます。
弾倉のバネでは、むしろ強すぎて弾がスムーズに送り出されなく、そのため
2〜3発少なめにしとく、なんて例をよく聞きます。
223 :
名無し三等兵:2006/08/10(木) 17:14:19 ID:dnoJ9CFC
弾を抜いたら1度カラ撃ちするんですか。
>>223 激針も解放してあげたほうが吉です。
銃によりますが基本はカラ撃ちと思っていい。
旧軍では、これを忘れると古年兵にいじめられたそうです。
225 :
名無し三等兵:2006/08/10(木) 19:14:25 ID:dnoJ9CFC
ありがとうございます、とても参考になりました。
心より感謝いたします。
226 :
名無し三等兵:2006/08/10(木) 19:17:02 ID:91/L5eK2
漏れはあまり銃の子と知らんけど
ボルトアクションのストライカースプリングはコッキングしっぱなしでヘタるような事はないよ
レミントンM700のボルト、普段はコッキングしたまま放置してるけど全然問題ない。
又、妄想を書かせてもらうが
日本陸軍にとって小銃の7.7ミリ化は悲願であった訳だ
日露戦争前に制定した30年式小銃と31年式野砲は
満州の実戦で使用してみると威力が足りない事がハッキリしてしまった
慌てた指導部は、野砲を急遽ドイツのクルップ社から買い込んだように
小銃もイギリスの303をそっくり輸入しようとしたのではないのか
野砲の整備を優先させるため結局は取りやめになるが
諦めた訳では無かった
第一次大戦で独逸と撃ち合ったのを、いい機会として
303を強化した弾を造って小銃を7.7ミリ化しようとしたが
仮想敵の帝国ロシアが崩壊してしまって、又取りやめとなった
仕方ないので重機だけでも7.7ミリ化しようとして弾を開発したが
今度は航空部隊からリムドの規格を変更するのはダメだとクレームが付いた
困った指導部は7.7ミリのセミリムドなんて中途半端な弾を制定したために
3年式重機を改良した92式重機を借制定してお茶を濁した
ところが、ロシアから代わったソビエトが勢力を挽回して来たため
97式車載重機の開発の時トリックを使ってリムレスの弾を制定し
小銃や軽機関銃も変更して弾を統一しようとした
ノモンハン事件が最後の駄目押しとなったのではないか・・・
ところがところが、その後戦場は南方に移り次々と拡大してきたため
大量に動員されてくる兵士を武装させるため
あらゆる兵器を引っ張り出して与えたため、ぐちゃぐちゃになってしまった
こんなところか・・・・・・
>>229 いやWW1後にやろうとした7.7mmは、.303に似てないし・・・。
Kwsk
>>230 まあ、八九式実包だって7.7ミリと言う以外は別物だからね
結局、技術本部はロシアの7.62ミリと打ち合うには
.303でも力不足との結論に達したんではないかい
>>233 機関銃が揃い出すと小銃威力はどうでも良くなるからなあ。
>>233 技術本部は必要な威力とか性能の判定はしない。
7.62と撃ち合って勝てる弾が必要であると歩兵学校や参謀本部が主張したら
それに応じた弾を開発するのが技術本部の仕事になるのだ。
日露戦争と第一次大戦で6.5mmより7.7mm級のほうが
負傷からの回復が早いことが確認されたので
第一次大戦のような長期戦では回復性も無視できないとして
大口径化を試したのが第一次大戦後の試作小銃。
ロシアの7.62に対して射撃戦できる性能は38式で達成されてるし
別に参謀本部も歩兵学校も小銃としての38式に不満は述べてない。
>>235 そんな他人事みたいな事言ってるから戦争に勝てなくなっちまうんだ。
>>236 小銃弾が何であろうとも戦争にあんまし関係ないからな。
30年式は良い弾じゃないけど、日露戦争ではあれで一応勝ったし。
以降の戦争は別に銃弾規格が303だろうが7.92だろうが
どっちの陣営に付くかで勝敗決まってるわけでw
そうだな。
日本と負けず劣らずアレな小銃使ってたイタリアはWWIIでは戦勝国だしな。
>>235 >>小銃としての38式に不満は述べてない
つまり重機の性能に問題が有った訳だろう
そして、小銃・軽機関銃・重機関銃で弾の互換性をはかりたかった
参謀本部としても、生産と補給の問題でそれを望んだ
ただ指導力に問題が・・・・
>>237 それを言っちゃあいけねえよ
技術本部の人間がリストラされちまう・・
>>238 マンリカ・カルカーノなんか使っていないよ
>241 イ式小銃。
出先機関による謀略と独断専行、そして指導部の事後承認は当時の流行だから
技術本部よおまえもか、と言うところか・・・
やってる事は間違いではないけど、時期がねえ・・・・・・
指導部もクーデターの文字が頭に焼き付いちまってるし
結局、振り出しに戻るけど
6.5mmなんかにしなけりゃなあ・・・・・
Grendel厨が寄ってくるから
いや、最初から7.7ミリを採用していれば・・・
みんな貧乏が悪いんや
海軍が予算獲り過ぎだよな
と、泳げない俺が言ってみる
>>245 Grendel厨が寄ってくるから
そりゃあGrendelの600mでのエネルギーと6.5Arisakaをくらべたら、ね。
過去ログ倉庫に有る、92式重機関銃と99式軽機関銃を読んでいたら
肉薄の38式の実包、と言う書き込みが有ったよ
根拠は書いてなかったけど、認識はされていた訳だ・・・
国産ブローニング1919重機、と言う書き込みも有ったけど
これは、佐山さんの本に写真が有る
試製四式車載重機の事だろうか・・・・
ラインメタルの・・・、と言う記述が有るけど
見た感じは、ブローニングそのもののような気がする
何でMG15を7.7ミリ化して車載重機にしなかったのかなあ
やはりこちらの方が造りやすかったのか・・・
日露戦争で6.5mmが選ばれたのは、弾道低伸性において、当時はこの方法がもっともよかったから。
当時の小銃弾はボートテイル型じゃなくて、ピストルの弾みたいな形状で、重く空気抵抗も大きかった。
日露戦争後に、銃身内で尻振りを起こさないボートテイル弾が開発されるまで6.5mmはその点で優れていた。
253 :
名無し三等兵:2006/08/24(木) 12:43:31 ID:sJV0CTZ3
とりあえず保守
667ってww
つまり有坂閣下は、伝聞された目先の性能に惑わされて
当時十万丁以上有った二十二年式小銃との互換性を捨てたということか・・・
野砲の整備がはかどらないから小銃の性能を
少しでも上げようとした訳だ
野砲も輸入品を装備されそうになったのを反対したのは有坂閣下だし・・・
ところが、口径を細くして初速を上げても
あまり性能は良くならなかった訳だろう
結局、有坂閣下は小銃開発者としては並程度で有ったというとこか・・・
>>254 当時の同世代の小銃と比較しても性能はすごい高かった。
というか、
>>253の書き込みをちゃんと読んでれば、その事がよくわかると思うのだが。
銃身内での首振り問題が解決されたボートテイル弾前提の発展型の38式と、旧来の弾前提の30年式を比較したら30年式の方が劣るのは当たり前。
そもそも、だれが性能よくないと言い出したんだ
つ204
ボートテールの採用は射距離をかせぐためでなかったか
銃身内でどうやって尻振りを起こさせるんだw
>>258 銃弾と銃身が接触してるのはごく一部で
当時のライフル銃だと肩部だけだったりするから
意外と味噌擂りするらしいよ。
ここって、ひょっとして軍板きっての厨房スレ?
当時の時代の小銃しらべりゃ、首振り問題はすぐわかるだろう
横転弾の事を言っているのか
>>銃身内で尻振りを起こさないボートテイル弾
この表現は少々可笑しいだろうと言っているのだが・・・
無煙火薬の採用で初速が増大したため弾丸に被甲を施したが
腔綫とツイストの関係がシビアになっちまって
対策のため、細長い重量弾を採用したが結局失敗だった訳だ
問題は欧米の情報を鵜呑みにして小銃の口径を換えちまった事
じっくり研究している時間が無かったのかも知れないが・・・・
現実離れした要求を出してくる指導部のほうに問題が有るのか・・・
>>261 いや、だからな、当時は他の国の小銃弾も同じような形状だったんだよ。
その中で小口径化した30年式は弾道低伸性に優れていたんだ。
お前何が何でも6.5mm否定しようとしてるなw
なんか、6.5mm否定厨は
>>問題は欧米の情報を鵜呑みにして
こういう言葉を良く使っているな。
厨房はスレをちゃんとよく読まない
>>101ですでに言及されている
つい2レス前の文章すら読まずに
>>262みたいな事を言ってるシナ
ほかに面白いネタは無いのかw
劇作家はスーパーな人や兵器を主人公にして盛り上げるのが上手いからな・・・
>>259 252は腔綫の異常磨耗や弾丸のサイズ過小から来る横転弾と
ツイストの不適合から来る横転弾
対策としての弾尾圧開式なんかを理解してないような気がするんだが・・・
269 :
名無し三等兵:2006/08/27(日) 09:34:13 ID:cGyL5XdL
30年式だと、500m先で1.2m下がる
モシンナガンだと、500m先で1.5m下がる
270 :
名無し三等兵:2006/08/27(日) 09:35:31 ID:cGyL5XdL
しかし、30年式の6.5mmは横転するので、多くの弾はこの数値を下回ってであろう。
この世界全くの無知なんですが、質問させてください。
三八式歩兵銃ってなぜ、改良、もしくは引退しないまま使い続けられたのでしょう?
このスレ見つけて気になったもので・・・お願いします。
九九式で全部隊の装備を更新出来なかったから。
九九式が開発された当時はすでに日本はシナ事変中で、戦争の最中だった。
軍隊の規模でみても、一気に更新することもできないし、ライフルに限れば中国兵の7.92mmと対等に渡り合えたそうな。
んでもって、38式自体が当時の歩兵銃としては完成された物だったんで、改良する必要もなかった。
銃声が低く小さいので南方でも狙撃に都合が良かったんだっけ?38式は
274 :
名無し三等兵:2006/08/28(月) 11:02:17 ID:G+w19/ZN
>三八式歩兵銃ってなぜ、改良、もしくは引退しないまま使い続けられたのでしょう?
基本的なメカ自体、壊れるようなモンじゃないし、「引退」させる理由がない。
改良・・・・、といったって何処を直すって場所も無いしね。
無用にデカク重く、かなりの負担になったって聞きますが?
ドイツがKar98採用したように日本も三八式騎兵銃にすべきだったということですかな。
277 :
名無し三等兵:2006/08/28(月) 11:18:03 ID:G+w19/ZN
>無用にデカク重く、かなりの負担になったって聞きますが?
末期になると乙種合格の年寄りも徴兵されたからね。4kg切ってるん
だから軽い部類。長さに関しては短くしたのは何処の国でもWW1後だか
ら、99式で対応してる。
そうなんですか。
どこかに各国歩兵銃の比較一覧ないかなあ・・・・・・とオネダリしてみる^^
world.guns.ruにでも行って自分で一覧表作れ。
280 :
名無し三等兵:2006/08/28(月) 12:17:40 ID:G+w19/ZN
>>278 そうさな。
ドイツ
Kar98b 1250mm
Kar98k 1107mm 1935年採用
イタリア
カルカノM1891 1290mm
カルカノM1938 1020mm
ソ連
M1891 1308mm
M1891/30 1232mm
M1938 1016mm 騎兵用
イギリスとアメリカが短銃身では先駆けてるが、他はこんなもん。まだ使える小銃
が目の前にあるのに、「チョット便利」程度じゃ変えないよ。
「老朽化してきたから、次はこんなんで」ってのが普通の発想だろ。
情報ありがとございます。
俺、この世界無知なんで、「三八は重くてどうしようもない銃」ってウワサを鵜呑みにしてました。
なんでこんな評判たったのでしょうかねえ?
TVでも棒作家がアメリカ(?)のと三八のレプリカ(重量までも)を較べて、コレじゃ日本は負ける・・・と話してました。
小銃の性能だけで戦争に勝てるのなら、某作家とやらの言うことは正しい。
283 :
名無し三等兵:2006/08/28(月) 13:38:27 ID:G+w19/ZN
>TVでも棒作家がアメリカ(?)のと三八のレプリカ(重量までも)を較べて、
なぜか、話の引き合いに出てくるのがM1カービンなんだよな。
M1 Carbineと比較するんなら、一〇〇式短機か軍刀だよなぁwww
285 :
名無し三等兵:2006/08/28(月) 14:00:20 ID:qOfBCbgZ
河童じゃ〜!!河童の仕業じゃ〜!!
>>269 素人の質問です。「500m先で1.2m下がる」とか「500m先で1.5m下がる」との
ことですが、スコープなどで、十字の真ん中に目標を入れて撃った場合、そ
の1.2mや1.5m分の降下は、計算されていて、ちゃんと命中するということです
か。それとも降下分を考慮して、十字よりいくらか上に目標をもってくるんで
しょうか。射撃をやっておられる方にとっては馬鹿みたいな質問でしょうが。
287 :
286:2006/08/28(月) 18:30:07 ID:???
間違えました。「いくらか下に」と訂正します。
そ。普通は300メートル辺りで放物線の弾道と
直線の照準線が交差するようにしてある。そこが十字の真ん中。
だから300メートル先の標的なら十字の中央に入れて撃てば当たる。
それ以上またはそれ以下の距離なら、そのぶん上や下を狙うことになる。
まてまて、いものかっぱが子供達に見せて比較したのはM1トンプソンと38式だったぞw
うろおぼえだが、河童はアメリカはトンプソンで連射してきたのに日本はボルトアクションで1発1発弾を込めながら撃ったとかぬかしてた。
291 :
286:2006/08/28(月) 21:18:03 ID:???
>>288 ありがとうございました。このスレは勉強になることが多いです。
M1ライフルやM1カーバイン、トンプソンの他にBARまであるアメの贅沢さよ
バーカイン
ちなみに、河童は小銃としてM1トンプソンを出してた
295 :
名無し三等兵:2006/08/29(火) 21:24:16 ID:/swFlL63
>>290 まあ1発も5発も同じ様なものかもしれんが。
ぶっちゃけ、米兵が全員トンプソンだったら。日本も戦いようがあるんだけどね。
298 :
藻巫女:2006/08/30(水) 12:17:58 ID:BoYNV6oL
だまれ
299 :
藻巫女:2006/08/30(水) 12:25:48 ID:BoYNV6oL
ぽぽぽぽぽぽぽぽぽぽぼぼぼぼおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおbっぼぼ
300 :
名無し三等兵:2006/08/31(木) 01:27:36 ID:67o2HwWc
300
今ので300発撃ったの?
302 :
名無し三等兵:2006/08/31(木) 20:47:27 ID:nDJz/VB9
南部十四年式拳銃ってバレルとスライド部分が一体なんですか?
ひとつの鋼材から削ってるんですよね。
>>303 いや、どっちかなあと思って。実物がないのでよくわかんなくって。
写真で見ると一体になってるように見えるんで。
ヒント:日本軍に複雑な鋳造、切削の技術、余裕はなかった。
306 :
303:2006/09/01(金) 04:16:29 ID:???
自分の脳内をソースにするのは止めましょう。>>305
308 :
名無し三等兵:2006/09/01(金) 18:14:51 ID:2uO+sJYT
「【気長に】幻の銃【語りましょう】」
なんていうスレを立てました、もしよければいらっしゃってください。
アドレスはれよバカ
310 :
名無し三等兵:2006/09/01(金) 18:28:35 ID:2uO+sJYT
>>309 スマソ、モリタポ足りないんで無理でした
「」外して検索してくださると幸いです。
なにか急にこのスレ程度が下がっちゃいましたね。
まあ、しょうがないでしょう2chだし・・・
ところで、6.5ミリを否定したのは当時の技術審査部つまり有坂閣下自身だった訳だ
なぜ口径を7.7ミリに増大する事にしたのか・・・
焼夷弾や曳光弾は当時は無かったと思うし
機関銃も6.5ミリで造るのが精一杯の状態だった訳だし
で、軍医の報告から考えてみると
前線の兵士にとっては敵の負傷の具合より見方の負傷の方が問題だったろう
近くで敵弾に倒れる戦友を目撃し、自分も撃たれるるんじゃあないかと
恐怖に駆られる・・・
300メートルで狙って当てられるような性能ではない当時の小銃では
弾の威力こそが問題だった訳で
戦意を喪失した部隊に低伸性能だの空気抵抗だの教えても意味が無く
戦意を回復させる為には、相手より威力の有る小銃を欲しがった
指導部や技術審査部も無視出来なくなったんではないだろうか・・・
>>機関銃も6.5ミリで造るのが精一杯の状態だった訳だし
程度下げたのは貴様か
317 :
名無し三等兵:2006/09/03(日) 16:02:45 ID:FwvKlk4G
正解は
6.5mmでは威力不足だとする考え方が台頭してきた
6.5mm曳航弾を製造する技術が無かった
というのが主流
事前の弾道性能試験で6.5mmに次いで優秀だった7.7mmになった。
318 :
名無し三等兵:2006/09/03(日) 17:35:50 ID:AmkYWEOm
体内に入ると横転弾になるんだっけ?>6.5mm
だったら、対馬はともかく、対人では威力不足は問題ないよね。
機銃用として射程不足だったみたいだけど。
曳航弾っていうか、焼夷弾が撃てなくて、火災効果を期待できなかったのが、理由らしいね。
古今東西ほとんど全ての弾薬が体内に入ると横転します。
しないのは火縄銃の球状の弾くらい。
320 :
名無し三等兵:2006/09/03(日) 22:58:28 ID:He/UHHbX
>>317で十分な回答だと思うから蛇足だけど。
下記は言われ尽くされてるが・・・
6.5mmは弾道性もよいし、射撃時の反動が小さく当時の日本人の体躯にとって適していたりなど
諸々の良好な特性もあったけれど、要はやはり威力不足。
7.62mmであると車両(装甲車両を除く)をも打ち抜く威力もあり、これも無視できない攻撃力である
ということで、7.7mmの採用に至った。
サバゲでもやればすぐわかると思うが...
遮蔽物一つ貫通できるかどうかでぜんぜん違うぞ(たとえば土嚢)
横隊組んで平野で撃ち合うんじゃないんだから。
>>314 そんな高尚なスレだったのか、正装して正座しながら書き込まないといかんな
>>316 つ196 厨房はスレをちゃんとよく読まない ・・・そうだよw
>>317 なぜ、威力不足だと考えられたのか?
日露戦争の時に装甲車両は無かっただろう・・・
>>321 ロシアの陣地に歩兵の強襲を繰り返したのが日露戦争でなかったか・・・
たまにしか当たらないから弾って言うんだ
って小野田少尉も言ってたし、いっぱい携帯出来た方がいいんじゃね?
歩兵用の小銃は6.5mmでも良かったが、機関銃は7.7mmのほうがよかった。
じゃあ重機は7.7oで軽機は6.5oでいいじゃん。
>>325 軽機の6.5は弱装なんで、歩兵銃と共有できんのと
射程と威力が足りない、曳光弾も無いと、結構不便だったのだ。
頼む、流れを読んでくれ。
どんな流れ?
小は大を兼ねないからね・・・・
有坂閣下は実戦の経験が無いので、戦場における兵士の心理が解らなかったのか
技術的に問題が有ったのか・・・・・どちらか解らないが
弾道性は良いが威力の小さい6.5ミリ弾を選んでしまった
ところが戦場からの報告によって
もっと威力が必要であると悟ったのではないか・・・
対人に関しては現代のアサルトライフルの弾よりよほど威力はあるだろ。
つまり、軽機でも小銃でも問題なく撃てる6.5mm弾を開発すればいいのだ。
あるいは小銃弾でも問題ない軽機か。
軽機用の減装弾はそのまま狙撃用に使われてるわけで撃てない事は無いぞ。
ならば小銃弾として減装弾を常日頃使えばいいのだ。
そんな早く即レスされたら自演の濡れ衣着せられるぢゃないか
それはお前の問題だ。
俺には関係ない。
断っておくが、これは自演だ。
自演した上で指摘されてもムカつくのに濡れ衣は尚更ムカつくんだが
どっちにしても自演した証拠も無ければしてない証拠も無いから同じ事だが
>>330 いや、第二次大戦当時の弾はどれも現代のアサルトライフルの弾にはかなわない。
露助は今もモシナガンの弾を使ってるぢゃねーか。
ロシアは弱い弾を使うのが好きなんだろう
結果は出ている。
戦後、各国とも小口径化へ進んだ。
>>337 小銃弾はどれもこれも小口径高速弾よりMV高いよ
>>89のレスを読むと威力で差が無いはずなのに
銃創で差が出たのは、初速を上げたためにツイストとのバランスが崩れて
弾を上手く回転させれなかったから、体内に入って暴れなかったのだろう
それを理解できずに口径アップを決めたのか・・・・・
津野瀬光男著「幻の機関銃」に三八式の開発時の文献を読んだと
著者が書いているけど、これは残って無いのだろうか・・・
やはり都合の悪い物は終戦の時にみんな燃やされてしまったのか。
戦争中に大量に雇った職工の仕事を確保するために
口径を換えようとしたとも考えられるが・・・・
>>345 小銃以外の各種武器は満州事変あたりの影響もあって
殆ど新型に変わる事になったから職工は大忙し。
それに日華事変で動員が始まると武器在庫が払底して
結局旧式装備まで再生産に入ってるから、小銃の口径を変える必然性は無い。
まあ備蓄の武器弾薬も減るので
新型に切り替えても構わないという判断もあるんだけどね。
>>346 いやいや、345は日露戦争後の話・・・・
光人者の佐山さんの本に日露戦争後、小銃の威力を増すために
7.7ミリに変更しようとしたが結局取りやめになったと書いているのよ
昭和になってから7.7ミリに統一しようとしたのは
補給の問題と、やはり6.5ミリ7.7ミリ7.92ミリと三種類の弾薬を
製造するのは非効率的だから一番威力の小さい6.5ミリを
止めようとしたのではないかなあ・・・・
いや、シナ事変中に焼夷弾が使えないことや、機関銃の射程で7.7mmクラスにかなわなかったからだよ。
まあ直接の理由はそうだけれども
当時、何種類の小口径実包を作っていたのかを考えると
指導部で無くても何とかし様と考えるんではないか・・・・
特に海軍が弱装の.303を7.92ミリに変更したのは理解できるんだが
何で陸軍は九七式実包でMG15を作らなかったんだろう
それほど威力が違うとは思えないんだが・・・・
>>349 九七式実包の完成を待ってからMG15の国産化してたら
一〇〇式か一式になっちゃうからじゃね?
素直に重機類は全部7.92mmにしちゃえば良いのにな
>>350 確か八九式旋回機関銃の弾倉をMG15と同じ形にしたのが
一式旋回機関銃だったっけ・・・
結局両方使わなくてはならなくなるんだよな
MG15にセミリムドの組み合わせも面白かったかも
>>351 第一次大戦で独逸が勝っていたら・・・・
ところで、三八式の弾はボートテイルになっていないよなあ
弾尾圧開式を採用していたみたいだし・・・
それとも徹甲弾はボートテイルだったのか・・・・
ボートテイルだよ
中途半端な設計だし、事実上銃身内でガス圧により広げられちまう訳で
飛翔中に弾尾が狭窄されてない弾をボートテイルと呼ぶのは
無理が有るんでないかい
>>355が理解できなくてもボートテイルなんだよ。
いいかげん、幼稚なアンチ6.5mmはやめまちょうね
高等な研究者さまにはかないまちぇんからね・・・・
D弾の特徴をひとくくりにボートテイルと言われてもねえ・・・・
弾の形状としては平底弾だろう・・・
age
360 :
名無し三等兵:2006/09/17(日) 03:47:16 ID:DW4HnbHE
64式の100mでの集弾は存じませんが、300mで30~40cm、点射で60cm以内にまとまるとか
361 :
名無し三等兵:2006/09/17(日) 03:47:55 ID:DW4HnbHE
こうしてみると、AKの方がすごいことがよくわかりますね
アホか。
>>348 二十八によると、満州事変で、弾丸の飛んでいく音が怖くないので、いくら打っても相手が逃げない。
しかし、シナ兵が撃ってくる独規格の弾は、当たらなくても音が恐ろしく怖い。
>>359 俺はまだ64厨の頭の悪さと知識の無さをわかってなかったようだ。
高等な研究者さまは居なくなっちゃったかw
>>363 音だけなら結構慣れちゃうものらしいよ
それから満州事変ではなくて、確か第二次上海事変の時の話だったはずだけど
中国軍が逃げなかったのは、正規軍の後ろに国民党の督戦隊が
銃口をむけていて、彼らが逃げないと逃げられなかったらしい
映画「スターリングラード」の最初の所で
逃げてきた味方をマキシム機関銃で撃ち殺すのと同じこと・・・・
64ってAKに劣るの?
64の長所をAKは持っておらず、AKの長所を64は持っていません。
最終弾発射後には、弾倉の押上げ板(マガジンファーロア)により遊底(ボルト)が開放状態となる。
しかし、通常のミリタリーライフルのように独立したボルトストップではなく、押上げ板により直接遊底が停止させられているため、そのままの状態で弾倉を抜くと遊底は閉鎖してしまう。
このため、弾倉交換時には一度スライド(ボルトキャリア)を手で後方へ引き、尾筒部右側にあるボタン状のスライド止め(ボルトストップ)を押しスライド及び遊底を開放状態のまま固定する必要がある。
M16等はマガジンファーロアに連動したボルトストップを備えているため、このような手順を踏まず迅速な弾倉交換が行える。
64式小銃開発時には参考になるミリタリーライフルが多数存在したにも関わらず、このような構造になっていることも設計者の見識を疑わざるを得ない点である。
(ただし、AK47、H&K G3等独立したボルトストップを持たないミリタリーライフルも存在する)
wikiより転載
開発者の見識を疑うといった後に、同様の仕様の64と同年代のミリタリーライフルを示している。
>>367 64の長所って壊れやすいところ?www
64式は100mで3MOA、300mで10MOAの命中精度を誇る。
これは世界中のあらゆるアサルトライフルの中で最も高い数値である。
M16が世界最高史上最強でこれに比較できるライフルは無いって事だお
そういうこと書くとAK厨が癇癪を起こすからやめてね。
AKは中の下くらいのライフルだお
でもその下には64式が居るから心配ないお
韓国の自動小銃のほうが百倍優れてるお
AK厨という人種も絶滅危惧種だな。
執着する対象が変わっただけの事だろうが。
アンチ国産厨でまぁ合ってるけど、いわゆる、国産厨のなかに、極東板とかの国士様が居たりして、そっち方面と同根の人で、気になって気になって仕方ない人なんかも居る。
なんだチョンか。
6.5x50 Arisaka は非常に評価が高いですね。諸外国でも。
歩兵銃と騎銃は、短・中距離ではそれほど性能が違わず
軽い分、兵隊さんには好評だったらしいけど
歩兵課で採用されなかったのは、銃口炎のせいだろうか・・・
九七式狙撃銃でさえ、銃口炎の出ない減装弾を使わなければならなかった訳だし
当時の手記を読むと、光った所には敵弾が集中したらしいし
夜襲専門の帝国陸軍としては問題だったのだろう・・・・
382 :
名無し三等兵:2006/09/20(水) 11:44:21 ID:FK6bYZEA
>>381 明治38年の段階で、将来の戦場が南方のジャングルだって予見できてたら、騎兵銃になってたかもね
機関銃が普及したときから槓桿式小銃の火力なんてどうでもよくなってる。
>>381 「天明迄装填ヲ禁ズ」が帝国陸軍。
それと昼戦でも発砲炎は目標にされるから。
>>282を読むと確かに旧軍の機関銃は集弾性は良かったんだろうけど機関銃ってジャンルを考えると疑問ではあるな。
弾の広がらない散弾みたいなもんで
>>385 旧軍における軽機関銃のポジションの元で考えれば、別におかしくもない合理的な性能。
MG42のような弾をばら撒くだけが機関銃ではない。
アホライターは。旧軍の軽機運用法を知らんで
>>385みたいな事書いて金もらってる。
ほんと、日本の軍事ホビー誌のオタクライターは無責任に記事かいても金もらえて良いね。
読者もアホだからな。
確かに
>>383 WWIの欧州戦線で、長いGew98(98式歩兵銃)があんまりにも使いづらくて、戦後Kar98(98式騎兵銃)で更新したことも知らんのか?
>>390 陸軍が想定していた戦場が満州や中国などの広大な平野だったのを知らんのか?
>>390 戦後のkar98bがGewと同じ長さなのを知らんのか?
>>390 古い装備処分してたから再軍備の際に移行できたってのはあるね。
394 :
名無し三等兵:2006/09/21(木) 01:35:13 ID:JgP6lu4M
>>390 同じ長さだ。つーか、Gewのボルトハンドルをターンダウン型にして、背負える
ようにスリングを側面につける改造を施しただけ。
ドイツは再軍備の際に短縮型のKar98Kを採用したが、日本の場合、輜重兵は兎
も角、砲兵どころか、歩兵連隊ですら「小銃の定数が人数以下」って状況で、「使え
るモンを使わんでどうする」って感じだわな。
「一応は足りてる歩兵銃を足りない騎兵銃で更新しろ」ってのはどういう意見なん
だかね。
九九式短小銃は日本としては合理的な選択なんだよね
問題は、戦争のドサクサに紛れてしか採用できなかった
というか、出来ちゃったところか・・・
>>395 はい?なにとんちんかんなこと言いますかこのやろう
いつものことですが、なにか?
指導部は重機だけ7.7ミリにしてやるから、後は我慢しろという事だったが
いざ戦って見ると数が足らない
軽機も7.7ミリにしない兵が突撃を躊躇してしまう
軽機を換える為には小銃も換えないと都合が悪い
開戦に間に合わせるには大量に作らなければならない
どうせ小銃の火力など、たいして当てにしていないのだから
使いやすいように短くして統一してしまえ・・・・・
ほかの要素を考えなければ十分合理的だろう・・・
後は精神力で何とかするのが帝国陸軍。
どちらかと言うと脚本のほうが・・・
しかし、小火器の話は地味で暗いからなあ・・・・
>>反動利用式機関銃はミクロン単位の精度が原則必要だ。
これの、おおもとの情報はなんなのか・・・・
昭和になって採用された毘式航空固定機関銃は
マキシムのクランクの回転方向を逆にしてボディーを小型化して
軽くしている地上用と機関部は一緒だった見たいだし
明治の時代ならともかく、昭和になってからライセンスを買わねばならぬ程の
精密な作りでは無かったと思われる
問題は機首に積み込むために必要なオイルシンクロ装置が作れ無かったことだろう
油圧関係は、まさにミクロンオーダーで造らないと正確に作動しない
これに関する情報や、あるいは現物を欲しかったのだろうが
この辺から来ているのか・・・・・
>>401 兵頭二十八氏の本で、反動利用機関銃の精度の話は出てくるが。
薬室に微妙なテーパーをつけて薬莢の貼り付きを防止する話と、
機関部そのものの精度の話が混同されているような気がしなくもない。
>>402 「たんたんたたた」だよね
あの本には、あくまでも量産出来ないとしか書いてないんだけど
まるっきり作れないと解釈している人がいるような・・・・
部品を量産し、何の加工も無しにラインで組み付けていくなんて
戦後しばらくたたないと出来ないことなんだが
追加
大量生産と性能の両立って話ね
九九式小銃は部品の互換性と大量生産は達成できたけど
そのために性能が維持出来なくなったのではないのか
小銃の性能はそれでもいいやと言うところなんだろうね
有坂閣下はなんで三十年式小銃の実包をセミリムドにしたんだろうか・・・
軍用小銃弾でセミリムドを採用した国は無かった様だし
モーゼルタイプの箱型弾倉にはリムレスの方が都合が良いのは判っていただろうし
やはり出来ない技術的か政治的理由が有ったのだろうか・・・・
馬鹿だったんじゃねーの?
>>405 一般論で考えると…
薬莢の強度確保と確実な抽筒のためだと思うけど違うかな。
あと、ボルトの包底面がフラットなのは当時焦眉の急であった
量産配備にも効果があったかもしれない。
強度確保以外、(セミ)リムドはかさばる上に現代では
メリットも無いから廃れたけど、
何10発も押し上げるならともかく箱弾倉10発ぐらいなら
リムド+自動でも楽勝ですよ。
引き抜き式ならベルトリンクを使っても大丈夫なのはRPKが
現在でも証明中なのはご存知でしょう。
>>407 それならば二十二年式の薬莢をネックダウンして6.5ミリの弾丸を付ければ
一番簡単で安上がりだと思うのだが、しなかったのは何故か・・・
調査能力が乏しいんで判らないんだが
リムレスはモーゼルの特許だったんじゃあないだろうか
特許料を払うのをケチったのか・・・・
>>406 オイラならスペインが採用した7ミリのモーゼルを
そのままコピーして配備したと思うよ
なにせ単純でアホやから・・・・・・・・
追加
Gakkenの世界の銃パーフェクトバイブル2に
アメリカはモーゼル社に20万ドルものロイヤリティーを払ったと
書いてあったよ・・・・・
銃の構造だけでなく弾も特許が取って有ったのではないのか・・・・
結局、実包の量産性を最優先にしていたのか・・・
そしてモーゼルの特許に触れない様、サイズと形を少しずつ変えた
ベースとなったのはイタリアのカルカノ6.5ミリ弾なんだろうな・・・
ところが出来た小銃の性能がイマイチだったので南部閣下に改良させた
開戦までには、それなりの性能には成ったのだろうが
いざロシアと撃ち合ってみると相手の小銃より威力が小さい事が
兵隊の間に知れ渡ってしまった
相手より良い兵器を持たせるのが士気を高める一番の方法で有るから
ロシアの7.62ミリより大きい7.7ミリの口径へ変換するための
長い道のりが始まるのでした・・・・・・・・・・・
お話しにならない
↑そう言いながらも、このスレを見ている件について・・・
妄想は楽しいぞ、こっちに来ないかw
さて、日露の大戦を勝利に導いた優秀な三十年式小銃が有りながら
急遽三八式小銃を制式制定しなければならなかったのは何故か・・・
まだ戦争が終わらないうちに改良型を出すと言う事は
よっぽど慌てていたのでは無いのか・・・
戦争中に口径を変更する事は、ほとんど不可能だから
弾丸と機関部のみ改良して、現場をなだめようとしたのではないのか・・・・
全員が九七式狙撃銃を装備した狙撃兵小隊を作る。
そして射撃戦は一切行なわず、中・遠距離からの、二発以内の奇襲的な狙撃に徹する。
島内を徹底的に逃げ回りながら、地道に狙撃を続けていく。
一人、二人と米兵を道連れにすることで、自分一人の死によって、敵兵千人を屠れるなら、自分の死は割に合う、という感情を満たしていく。
こういう部隊を作ってほしかったなぁ
415 :
名無し三等兵:2006/10/12(木) 11:34:39 ID:PrWPjOwj
>>413 30年式で問題になった箇所の改良と使用弾薬の変化
技術的にはね・・・・
しかし、なぜ実質明治三十九年制定の物を三八式と呼んだのか
なぜ正式名称から年を取ったのか・・・
政治的配慮が働いたように思われるのだが・・・・・・
>>416 九七式中戦車だって、実質採用になったのは九八年だし。
戦争中に既成事実を作ってしまわなければならなかったのは何故か・・・・
戦後の仕事を確保したいとゆうのも有ると思うけどね
しかし悪い見本を作っち待った訳だ・・・・・・
>>418 日露戦争の戦費枠を活用するためだろ。
なんか理由つけてあの枠に割り込ませてしまえば
膨大な予算を好き勝手に使えるんだから。
確かにね、大量に雇っちまった職工の仕事を確保しなければならんし・・・
しかし軍としては野砲や野戦重砲の整備に重点を置いていた筈だし
小銃にはそれほど期待してなかったのではないのか・・・・・・
ところで昨日、土浦の武器学校に行って参りました
日本製の機関銃は見た目だけはかっこいい・・・・
あまりジロジロ見ていたので見張りの自衛官に変な目で見られてしまったがw
十一年式軽機関銃の作りがしっかりしているのと
一式連装旋回機関銃の程度が非常に良かった・・・・・・
ただもう少し展示方法を改善してくれればよいのだが・・・・・
日本の機関銃はやたらと凝った作りなのに
チェッコやブレンやBARな想像していた以上にスリムでシンプルなのよ
兵器としてどちらが良いのか・・・・・
性能は撃って見ないと判らんからね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・
BARは比較対照としては違うな。
見た目上は確かにシンプルだが、構造はどうだかな
そうかな・・・
弾倉を外した状態ではチェッコとBARは似たような雰囲気が有るよ
チェッコはBARを参考にして開発したのではないのかな
どちらも信頼性は抜群だし、作動原理も似たもんだし
BARにピストルグリップと脱着式銃身を取り付けて
弾倉を上に持って行けばチェッコに成りましたとさ・・・・・・
チェッコの20弾倉もBARのをそのまま真似たのだと思うけど・・・
当時の機関銃は最先端テクノロジーだもんな。
設計者の熱の入れようも、今の比じゃないだろう。
分隊支援火器で一番求められた事は何なのか・・・・・
戦時動員で膨れ上がった部隊に必要な数を供給する事ではないのか
当時のアメリカとしてはBAR以外の選択肢は無かったのではないか・・・
ロシアも結局、同じ結論に達したのでRPKを採用したのではないのか
話は変わるけど、九四式拳銃が予想していたより大きかった
十四年式とたいして変わらない
やはり生産性の向上が一番の問題ではなかったのか・・・・・
429 :
名無し三等兵:2006/10/21(土) 23:10:34 ID:OeLpxO0F
AGE
まあ、必要なものを必要なだけ作るのは
ある意味最先端のテクノロジーな訳だが・・・・・
>>428 BARにしろPPKにしろ改良したい箇所があって技術的にも十分に対応出来ても
結局、それをやれなかったのは改良する事で生産量が少しでも落ちるのを
嫌がったからだからね。
433 :
名無し三等兵:2006/10/22(日) 23:29:44 ID:aQjDfQSQ
まちがえた、
>>425だ
>>430 アメリカのBARに関して言えば、軽機を捨てて自動小銃に切り替えた点は、選択ミスだったとしかいえない。
200ヤード先での集弾性ゼロでは、軽機関銃の代替にはならなかったろう。
なるほどね・・・・・・
しかし、アメリカは軽機を捨てて自動小銃に切り替えたのか・・・・
M1919が分隊支援火器になり得なかったのは仕方が無いとして
チェッコの形式を採用しなかったのは何故か・・・・
分隊支援火器の存在理由は何か・・・・
分隊と常に行動できる事が一番重要ではないのか・・・
ニューギニアやビルマの奥地に入っていくのに
同じ弾を使うとしたら、九九式軽機とBARのどちらを持っていくよ?
火縄の話題も大丈夫でしょうか?
先週チラシを見て始めて知ったのですが、佐倉にある国立歴史民族博物館で企画展をやってるようです。
「歴史の中の鉄炮伝来―種子島から戊辰戦争まで―」って題で、
火縄銃伝来から鎖国を経て維新までの日本の主に戦争に使われる銃に関する色んな展示らしいです。
先週末の土曜日に日比谷の東商ホールでフォーラムがあったので行ってきたのですが、
鉄砲を発注したり納品を催促したりする手紙から配備状況を類推するとか、
戦場での医療記録を調べて鉄砲傷が占める割合から銃の普及度合いを類推するとか、
そういう学者さんらしい地道な研究の話がたくさんあって超面白かったのですけど
客席見てもご年配のかたばっかりで話が出来る人がいなくてさー
分隊のBARの携行弾数の方が問題じゃないかという気がするが。
弾倉8個だろ確か。
独の弾薬箱4つだとか英の弾倉2ダースに比べて明らかに貧弱。
規定無視して大量の弾倉持ち歩いた分隊もあったろうが。
スマソ。勘違いしてた。
WWIIでのバンダリアは共用だった。
ビルマの奥地なら99式だな。
分隊支援火器と軽機関銃の分別がつかない素人が居るスレはここですか?
今じゃMINIMIがPumaの同軸機銃になる時代、名称じゃ判断できない事もある。
SAWとLMGなんて運用上必要な発射弾数がGPMGやHMGの下位的存在だもの
ロスケはSAWもGPMGもPKMで統一?
AKにロングバレルと脚つけたようなのもあったが。
+ロングマガジン
ロシアではRPKをSAWとして運用している。
BARはどちらかといえばこの系統に属するだろう。
>>437 勘違いしてた。
それでも260発しか携行しないことになっているのか。
浸透時に弾足りなくならんのかな。
セミオートのガーランドのせいで分隊の消費も増えてるだろうに。
BARは分隊あたり2〜3丁装備してたから、分隊全体の弾数は独や英と大差ないよ
448 :
名無し三等兵:2006/10/23(月) 19:56:16 ID:DxtrHlEJ
歩兵師団の分隊火器
ライフル10、BAR1、M1903狙撃銃1
指揮官はトンプソンかM1カービンを装備していただろうから
SMGorカービン1,ライフル9,BAR1,M1903狙撃銃1
>>446 米軍の場合、全歩兵を自動小銃化できたので、MG42を有するドイツ軍小銃分隊と同程度の火力を有していたそうだよ。
逆に言えば、全歩兵を自動小銃化できたのに、まともな機関銃が無い事で、ボルトアクション+万能機関銃の組み合わせの独軍に対して優位を得られなかった。
FG42は弾帯に弾倉8個、160発だね
海外の銃の話になるとスレが伸びるなw
>>450 結果的に戦争に勝てれば、優位を得る必要は無いと判断したんだろう
帝国陸軍の仮想敵はあくまでもソビエトだから
満州の平原で戦う事を考えなくては成らない
航空支援も砲兵の支援も乏しく、機甲部隊も頼りにならない状況では
重機や軽機の狙撃的使用に頼らなければならないから
二脚使用で上部に弾倉があり伏せ撃ちで遠距離集弾性の良い
チェッコの形はうってつけだったろうが
最後の突撃の時使いずらい所が有ったので銃剣を付けたのだろう
アメリカ軍は突撃の時に十分な火力を発揮できれば良いと考えたのではないだろうか
後は支援部隊に任せればよかった訳だ
ヤンキーは合理的だからねw
>>452 銃剣の着用に関しては、本気で軽機で銃剣格闘をする事態は想定していなかったとおもうよ。
他国の場合、緊急時には軽機手は自衛用の拳銃を有していたけど、日本の場合は有していなかったからね。
その替わりで銃剣だったようだが、実際の運用では、軽機手が積極的に白兵を行う様にはしなかっただろう。
日本も、日露戦争を経験していて、軽機主義が存在したからね。
米軍の場合は、確かに勝てたが、ドイツ軍のMGと対峙して優位に立てなかった事や、実際の戦闘において充分な火力支援をいつでも得られる訳ではない状況を経験したことが、M60への開発に繋がったんじゃないかな。
>>453 いや米軍はM14というステキ兵器に走ったんだと思うがw
火器小隊のM1919チームは5人だから大量の弾薬携行できないし、歩兵中隊に弾薬班無いから補給はアパム。
中隊まで段列が来る独軍や師団直轄で補給が受けられる英軍、十数名のチームで大量の弾薬
を携行してさらに大隊の弾薬班から補給が受けられる日本軍と比べると米軍の自動火器による支援は弱い。
防御では無茶苦茶弾貯めこんで撃ってくるけどな。
>>453 M60になって改善されたのは分隊全員で弾運びするようになったことだと思うぞ。
>>455 いや、2次戦中のM1919はそもそも、軽機関銃って呼べるしろものじゃなかった。
ストックの付いたM1919A6は1943年から採用されていたけど、大戦中は僅かしか装備されていなかったそうだ。(米軍が軽機を重視していなかったのがわかるね)
重量はA6で16kgと重く、空冷式の為あまりバリバリと弾幕を張る事も出来ない。
そのくせ、集弾性能も高くない。
軽機のくせに、重機関銃的な運用しか出来ない、しかも水冷式の重機関銃バージョンよりも頑丈さで劣る。
また、全歩兵を自動小銃化しても、実際にドイツ軍と対峙してBARでは優位に立てなかった事や、M1919が旧態依然とした物だったことが、M60への開発へと繋がったと思う。
>>456 省略しすぎてわけわからんようになってしまった。
>>455は重機関銃のことね。ラフェッテ上のMG34やMG42、ヴィッカース重機関銃、九二式重機との
それぞれのサポート体制の比較。
分隊の上にどんな支援があるかということで。
結局8ミリクラスの小銃弾ではSAWは十分な物は作れないとの
結論に達したのだろうか・・・・・
小銃にフルオートの機構を付ければ何とかなるだろうと・・・
それを突き詰めたのが64式か・・・・
そういえば武器学校にヴィッカースMK1と名札が付いた機関銃が有ったが
どうもロシア製のマキシムみたいだったし
独逸のM1888がM98と為っていたり
海外の古い兵器には詳しくないらしい
それと非公開の火砲館にロシアのDShKMらしき重機が有ったが
あれはぜひ小火器コーナーに移して欲しい。
そうかな・・・・・
なぜ、FNモデルLARライトサポートポンやHK21マシンガン
が開発され、なぜあまり採用されなかったのか?
ソビエトはなぜRPDをRPKに切り替えたのか?
GPMGと言う構想は指導部にとっては非常に魅力的だが
最前線の分隊にとっては負担が大きかったのではないか
ベトナムでM16採用の裏には支援火力不足も有ったのではないか・・・
>>460 もうね、一つ一つ突っ込むのも疲れるんで一言
「初心者質問スレいってこい」
ヤダーーーーーWWW
アメリカが7.62ミリの強装弾に拘ったのは何故か・・・
人民解放軍の人海戦術の悪夢に魘されていたのではないか
中・長距離で相手の士気を挫かないとえらい事になると・・・
ところが次の戦場はベトナムのジャングルだった訳だ
満州でのソビエト相手に7.7ミリ弾を採用しながら
実際の戦場は南方だった帝国陸軍と同じことが起こったのか・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・
子供たちの脳が危ない!
どちらかと言うと老化が始まっているような気がするが・・・・
さて、小は大を兼ねない・・・
アメリカだけでなくNATOの唯一の小銃弾になる物に
7.62×39のような弱装弾はとても採用出来なかっただろう
突撃銃の必要性は認めつつもM14を採用したのも
ある意味、合理的というかクールな判断だったのではないか・・・・
まあ裏では5.56ミリ弾を開発していた訳だし
ソビエトのように二種類の弾薬、しかも片方はリムドを
認めさせる事は出来なかったという事だろう。
未だに7.62x54R使うロスケは偉いw
ロシアは未だに水冷のM1910を大量に保管しているんじゃああるまいか
拠点防御用としては必要十分な性能では有るし
なんと言っても失っても惜しくない兵器だしw
長大な国境を抱えるロシアにとって
兵器は幾ら有ってもいいだろうし
置く場所にも困らんだろうw
今月の丸は一式戦の特集だったが・・・・・
陸軍はせっかく大金はたいて導入した毘式機関銃をもっと活用できなかったものか
多連装化とか・・・・・旋回機関銃に使用とか・・・・・
やはり高コストが問題だったのだろうか・・・
特に陸軍の旋回機関銃の採用は迷走しているように見えるが・・・
丸の記事には、九八式固定機関銃がバネの不良でダメだったとか
一式連装旋回機関銃が7.92ミリだとか書いてあったが
陸軍の小口径航空機関銃には判らない事が多い・・・
旋回機関銃は国産で行くと言うのは、初めからの予定で有ったようだが
出来上がって来たのが八九式旋回機関銃と言う
すんばらしい物であったので混乱したのだろうか・・・
海軍みたいに留式を採用するのは技術本部の面子に掛けて出来なかったのか・・・
佐山二郎著「日本陸軍の傑作兵器駄作兵器」の中のMG15の記事には
昭和12年にイリス商会から陸軍省に採用検査を受けたいとの
申し出が有ったと書いてあるが、これは後ろに
八九式連装旋回機関銃の低性能に業を煮やした航空本部の
強い意向が有ったのではないだろうか・・・
そして、九八式固定機関銃が使われなかったのは
現場がイギリス原産の毘式機関銃に不満が無かったからで
それなのに、ほとんど威力の代わらない八九式実包を使わず
弾薬は外国製による、としているのは
銃を改造するには技術本部に依頼しなければ為らず、これを嫌ったのではないか
つまり技術本部と航空本部の間には、まったく信頼関係が無かったのではないか
これは八九式実包制定の時の問題からなのだろうか・・・・・・
なんで日本は7.7ミリ機銃を固定機銃と旋回機銃と別々の物にしたんだろ?
アメリカなんかは固定機銃も旋回機銃同じだったのに
貧乏が悪いのさ・・・・・
いつもの貧乏性の他に
技術本部にも仕事を回さなければならないと言う
政治的配慮が働いたのではないかい・・・
アメリカ人は頑丈だから、あの程度でも大丈夫だったんじゃないかね。
まあBAR撃つよりは楽だろうなw
水冷のヴィッカース一丁作る間に、ルイスなら六丁出来たそうなので
同調装置の要らない旋回機関銃はルイスでいいじゃん
と言うのがWWTでイギリスが出した答えで
それをそのまま真似したのが帝国海軍
ルイスでも高コストで有るとして八九式を開発したのが帝国陸軍
同じ物をたくさん作れば単価は下がるんだから
全部ブローニングでいいじゃん、と言うのがアメリカ流か・・・
金持ちは考える事が違うな・・・・・・
実際そびえ立つ糞の如く生産するからな>アメリカ
あちらの経済統制は凄いらしいからね
いちいち談合して分けあわないとうまく行かない日本とは・・・・・
まあ、ブローニングが有ったればこその話だけど
陸軍と海軍の間で対立が有ったように
陸軍の内部でも、技術本部と航空本部の間で対立が有ったのではないだろうか
7.7ミリ実包の制定の時は平和だったから指導部が指導力を発揮して
7.7ミリのセミリムド弾に統一出来たけれど
日中戦争のドサクサに紛れて
技術本部はリムレスに、航空本部は7.92ミリに
それぞれ変更しようとしたのではないか・・・・・・
九二式重機に九七式車載重機の弾がそのまま使えると言うのも
指導部に対する言い訳で、裏で隠れて部品を交換していたのではないか
ところが戦局の悪化でグチャグチャに為ってしまった
MG17が採用されなかったのも
同じ理由で現場から13ミリ機銃を要望され
これを無視出来なくなったからではないか・・・
昭和初期の陸軍内部は派閥抗争でグチャグチャだったからなあ・・・・・・・
武器学校に国産軽機関銃とだけ書かれた名札が着いた物が有ったが
一瞬見ただけで九八式旋回機関銃と判ったのに
自衛隊では何故判らないのか・・・
確かに刻印は無かったが・・・
それに握りの部分と筒尾が木で出来ていた
あれは試作品だったのだろうか・・・・・
>>482 武器学校はM1ガーランドとM1カービンの区別が付かないくらいだから無理も無い。
>>483 ガーランドとカービンの区別ぐらいさすがにつくだろ
そういえばM1カービン見た覚えが無いなあ・・・
現役の自衛官は古い銃など興味は無いだろうし
予算も無さそうだから・・・・・・
九八式旋回機関銃は最終的には素材も含めて国産できたんだろうか・・・
それとも大量に輸入した材料を使い果たしたら終わりだったのか
ベアリングなんかは同じ精度の物を作るのは難しかったろうなあ・・・
陸軍の一式旋回機関銃は7.92ミリだったのね
知らんかった・・・・・
八九式の元は十一年式だから6.5ミリから7.92ミリまで
バリエーション豊富ですな・・・・
やはり作りやすかったんだろうか・・・・・・・・・
日露大戦で使われた保式は本当に全て輸入品だったのか・・・・・
保守
保守
しかし数が揃わなくてはな
そろそろいいころあんばいかなw
さて、昭和に入って毘式は信頼出来る物が作れるようになったのに
なぜブローニングM2のコピーはもたついたんだろうか・・・
独逸の機関銃程の機械精度は要求されないだろうし
銃身も耐久性に多少目をつぶれば何とかなっただろう
毘式に無くてブローニングに有るものは何か・・・
オイルバッファーは毘式には付いて無いよなあ・・・
油圧式の衝撃吸収装置か・・・・
やはり油圧系統の部品の耐久性がネックになって居たのではないだろうか
飛行機の引き込み脚もよく故障した見たいだし・・・・・
>>492 ブローニングのコピーにもたついたのは
こまいパーツの加工工数の問題だったんだよん。
何度も切ったり削ったりして仕上げると
当然ばらつきは出るし、製造速度も落ちるわけでな。
日本の工場に見合った製造工程を編み出すのに手間取ったのだ。
だから一度モノにした後の20mm化は意外と手間取ってない。
そうなのか・・・・・・・
まあ、バッファーの部品の製造工程も大変だっただろうが・・・・
あの手の部品のオイル漏れとバルブのヘタリは
今でも完全には克服出来ていないからなあ・・・・
ところでアメリカのM60にもバッファーが使われているけど
アメリカ陸軍はその辺を嫌ってM240に変更したのだろうか・・・
あれは調整式では無いようだし・・・・
>>493 陸軍はその説明で納得出来るんだが
何で海軍はブローニングの開発にあんなに手間取ったのかが
今ひとつ疑問だなあ・・・・・・
陸・海の違いは弾薬の威力だろう
弱装のブレダ弾を選んだのは、やはりバッファーの負担を
減らすのが目的だったのではないのか・・・・・・
>>495 海軍は別に手間取ってないよ。
単純に放置してただけだから。
>495
×弱装のブレダ弾を選んだ
○陸軍で生産可能な12.7mm弾薬がブレダしか無かった
海軍は海軍でホチキスの13.2mmx99弾薬をそのまま使ってるな。
>>497 陸軍にもホチキス13.2x99はあったんだけどな。
陸軍の12.7mmは7.7mmの代換として開発されたからな。
13.2x99にしたら銃がデカくなって隼に積めないじゃん。
隼の兵装が終戦まで7.7mm2丁になっちゃう。
500 :
名無し三等兵:2006/12/14(木) 22:46:35 ID:/ziqYr4B
日本の軽機はストックの上に機関部が乗っかってるけどどういう意図でああいう構造なんですかね?
ストックって銃床のことか・・・
南部式軽機関銃の特徴は、ピンを一本抜くと尾筒底が取れて
内部の部品が後ろに引き出せるのよ
射撃中、故障しても直ぐに修理出来ます仕様な訳・・・
研修に行くと、まず修理の方法を教えられるそうだから
いかに故障が多かったかと言う所なんだろうな・・・・・・・
>>496 なぜ、放置されたのかが問題な訳なんだが・・・
>>497 12.7mm弾薬がブレダしか無かった・・・訳は無いだろう
弾の構造なんて皆一緒なんだから
陸軍より弱装の.303を使っていた海軍にとって
これの代替は結構重要な問題ではなかったのか・・・
7.7ミリと20ミリより、13ミリと20ミリの組み合わせのほうが良いだろう
>>502 13ミリ固定を7.7mm固定の代替にする気が無かったんだよ。
戦闘機の固定機銃は20mmにしちゃう気だったんだから。
旋回銃の13mm化は陸軍と共通でドイツのライセンスにしたわけで
13mm固定も欲しいとなるのはずっと後になってからだったんだなコレが。
>>501 「機関銃班に配属されたらまず『故障した時は』と教えられました
これではとても戦争には勝てんと(以下略)」
て奴だろ。
昔は軍隊に入るまで『メカ』を見たこと無い奴が殆どなんだから、
事故った時の深刻さを考えたらそれはそれで合理的な教育だった
ということは斟酌しなければなるまい。
銃の教育ってそもそもそういうものでは?
故障の直し方教えるのがそんなにおかしいかね…。
故障の直し方を教えるのはおかしくない。
頻繁に故障するのがおかしい。
資料ないの
>>504 ド素人なんだから、構造と撃ち方教えてから
修理の方法教えるのが普通なんだろうが
そんな余裕は無かったという事なのか・・・
>>507 命中精度が悪くても故障しなければBARの様に信頼されるし
チェッコが喜ばれたのも無故障って所だからねえ・・・
>>508 無い・・・・・・・
>>503 いまいち納得できないんだが、何が問題だったのだろう
少しでも重くなる事を嫌ったのか・・・
携行弾数が減るのを嫌ったのか・・・
それともブローニングの弾道性能の良さを知った上層部が
20ミリ不要論が出てくる事を恐れて政治的なストップを懸けたのだろうか・・・
どんなに性能が良くてもアメリカから買うわけには如何だろうから・・・
>>509 ど素人じゃないよ。
歩兵として最低限は教えられてから機関銃手になるんだから。
>>510 20mmが九九式で零戦が12試なように
日華事変に入る前から着手されたのが20mm主力化の方針だったんだよ。
次に日華事変が来て中国の米製機のブローニングに撃たれて
塩漬けしてた13mmの再検討と再評価が始まり
太平洋戦争に突入したら7.7mmなんか豆鉄砲なんでイラネというのが来て
零戦の7.7mmの代替として三式13mmの完成と搭載が始まるという流れ。
20mmとの比較なんか考えてないんだよ。
歩兵銃と機関銃ではかなり違うだろう
514 :
504:2006/12/16(土) 12:14:00 ID:???
>>509 証言者が詳細を語っていないし、単なる昔話のたぐいだから
あまり意味の無い議論と思うので最後にするが、
例えば。
教官
「これより実包射撃の訓練を行うが、万一作動不良を起こした場合は
慌てず、1分そのままの姿勢を保ったのち不発弾を排出すること。
では照準の要諦だが…」
この流れって何か変か?
十一年式だったらそんなもんじゃないだろう。
工場から出たての新品以外じゃ全弾撃ちきれない位動作不良が頻発したんだから。
チャーチルが初期不良を抱えて量産に入って、対処用のマニュアルを
配布されたのと似たようなケースだな。
>>509 いやいや分解整備結合を教えてから撃ち方だろう。
このときに故障排除の方法についてかなり強調してやったということだと思ったんだが。
517 :
名無し三等兵:2006/12/16(土) 14:45:12 ID:rvtVVOG7
>>512 20mmとの比較・・・ではなくて
昭和15年に試作が始まったのに、なんで実戦配備が19年なのかという事なんだが
エリコンの生産は大日本兵器、陸軍のホ103は中央工業だったか
やはり専業工場が無いとダメなのか・・・
エリコンの生産にはライセンスの購入から工場の建設に工作機械の購入など
膨大な予算が投入されているからなあ・・・・
>>518 だからその昭和15年試作は17年まで塩漬けというか
実質的に放棄されてたのだよ。
だから
>>496で放置と書いてるのだな。
そもそも13.2mmは中口径機銃試作の勝者じゃなかったんだよ。
負けたのに作られるわけが無いし、手直しもされないよな。
勝者となった14mmも大日本で作るしかないので中止になるんだが
敗者の13.2mmや12.7mmを復活させるほど切羽詰ってないから
中口径機銃計画そのものが放置され、開戦後に再検討という流れ。
仮に計画が停滞しなかったら17年度末には出てきたろうさ。
>>514 昔読んだ記憶では、新しい機関銃が出来たので研修に行ったら
いきなり故障修理を教えられた・・・・というものだったが
研修に行くのは最低でも下士官だろう・・・
だから、その放棄された理由と再開された理由が知りたいのよw
いつもの妄想を書かせて貰うが
エリコンの採用には山本五十六が強い影響力を持っていたらしいが
彼が放棄させたんじゃあ無いだろうか・・・
当時は次官だったか・・・出来ない事は無いよなあ
その後、誰も再開する事を言い出せなかった
源田実あたりは、弾が当たらないのはパイロットの腕が悪いからだと言いそうだし・・・
そして、18年4月に五十六が戦死した後、再開された・・・
実戦配備は19年の4月だから約一年・・・
話としては面白いかも・・・・・・
まあ、小は大を兼ねないし、戦力の集中は戦略の基本だから
間違いであるとは言えないがなあ・・・・・・・
>>521 20mmとかち合うからだろ。大日本でしか製造できないんだから
14mmを選ぶか20mmを選ぶかという話になる。
それに三式13mmは18年末には量産機銃が出てるんだから
五十六戦死から再開じゃ間に合わないよ。
再開は17年3月だったはずだから五十六戦死の1年前だ。
三式13mmは7.7mm代替としての道だったわけで
ここでコンセプトが違ってるわけだ。
7.7mm代替で12.7mm化しちゃうことと
大口径重武装の本命機銃をどうするかは別の問題ってことだね。
個人的にはMG151/15に引きずられたんじゃないかと思う。
駄目か・・・・・・・・
しかし陸・海軍ともに航空機銃は迷走してるな・・・・・
なんで二式旋回銃MG131の固定銃を作らなかったのだろう・・・
陸軍の98式固定銃のように同調させられなかったのか・・・
なんか陸海軍ともに独逸のメーカーと商社に
たぶらかされて居たような・・・・・
>>524 そう、同調できなかった。
まあ三式13mmも同調で使ったのは零戦52乙だけだが。
それよりも、生産性が悪いうえマトモに動かないらしくて
実際に積んだ機体でも「イラネ」「使えネ−」という報告ばっか。
三式13mmを旋回銃に使おうという動きもあったそうだから
昭和17年の三式の試作再開の裏には二式の開発製造が
最初から苦戦してたんではないかと勘繰ることもできるね。
二式旋回銃はオール国産化出来たのか・・・
MG15のように部品を輸入しなけりゃあ作れなかったのではないか
なんかねえ・・・ライセンスの購入に本体と部品の輸入と
商社の手数料が・・・・・・・
独逸の対日宣伝工作は凄かったらしいから・・・
陸軍はMG17で懲りて、その後は
まだ量産性の良さそうなブローニングに向かったけど
海軍はエリコンが有ったから、軽量で旋回銃としても使えそうな
MG131に夢を見てしまったのだろうか・・・・・
>量産性の良さそうなブローニング
ショートリコイル舐めんな。
それにバネの水準が圧倒的に劣る状態で
オリジナルと弾薬まで違うんだから(陸海共に)
別銃を一から設計したも同然。
>>528 それが一番の問題な訳だが・・・・・・・
ショートリコイルといっても
バネの性能がそのまま銃の性能に反映される独逸の機関銃と
オイルバッファ・・・つまりショックアブソーバーが
バネにかかる衝撃をある程度吸収してくれる
ブローニングとで、どちらが日本で生産しやすかったという話なんだが・・・
不思議なのは、なぜ海軍は13ミリ弾を二式旋回銃の13×64Bに
統一しなかったのだろう・・・・・・
陸軍のように弱装弾を使えばブローニンもコピーしやすかっただろうに・・・・・
>>529 いや、13x64Bの電気雷管の生産が出来なくて
衝撃雷管にしちゃったぐらいなんだから、13.2を捨てる事は出来んわな。
それと陸軍の12.7は別に弱装ではない(薬莢短いけどな)
あれはブレダそのものなんだよ(ヴィッカースの弾でもあるが)
そんで13.2は従来から使ってる九三式13.2mm機銃(対空機銃)だから
備蓄も生産ノウハウも断然豊富だったってわけ。
陸軍がブレダ12.7を選んだのは
イ式重爆で弾丸もいっぱい購入してて備蓄があったからで
実際開戦直後の隼には備蓄のブレダ製輸入弾も送られてる。
それと12.7ヴィッカースは海軍が昔から使っていて
弾ていうか薬莢のラインが民間(日本製鋼所あたりかな)にあったのだ。
どっちかというと何で13x64Bなんかに手を出したかねという世界。
書き方が悪かったかな・・・・・
全長の短い弾を使えば銃本体をコンパクトに作れるし
弾頭のみ13.2ミリという手も有ったと思うのだが・・・
どうも独逸製品はオリジナルと完全に一緒でなくては逝けないという
脅迫観念というか信仰が有ったように思えるな
MG15の弾薬を陸海軍で統一できたのもそのせいではないのか・・・
それとは別の話だが、海軍工廠内部でブローニング派とラインメタル派の
対立が有ったのではないだろうか・・・
組織の内部を統制出来ないのは日本の伝統みたいなもんだし
当時主流とは言えない13ミリ弾を2種類も採用しちゃうのは如何にもと思うのだが・・・・・
>>531 改変すると二度手間になるからな
高い金出してライセンスと図面買ってるのに、もったいないじゃん。
それとMG15の7.92は元々陸軍で作ってたからね
それをそのまま供給してもらうようにしただけ
じつは陸軍は海軍に以前から小口径弾大量に作って回してるのだ。
あと13ミリ弾を2種類採用したんじゃない、1種類(13x64)を採用しただけ
13.2ミリ弾はずっと前から存在してるんだよ。
なんか色々と複雑で訳がわからなくなるなあ・・・・・
良くこれで戦争出来たものだ・・・・・
まともな戦争が出来なかったから負けた気もひしひしするんだが。
確かに・・・
ところで、昭和13・14年に陸海軍が13ミリの航空機関銃の模索を始めたのは
ドイツがMG131を採用したのに影響されたのだろうか・・・
そうかなあ・・・イ式重爆の12.7ミリはあくまで旋回機銃だからね
昭和13年に独逸はスペイン内戦にMG131を試験的に投入し
その結果が良好で有ったため制式化したらしいのだが
仲の良かった陸軍に、その情報が流れてき来たのではないだろうか・・・
そして陸軍に見習って海軍も翌年の14年に試験も開始したのではないのか・・・・
>>537 欧州視察団が昭和10年
陸軍航空本部兵器研究方針改正が昭和12年
MG131が昭和13年。
全然因果関係が無い。
>>全然因果関係が無い
とは言い切れない気がするのだが・・・
イリス商会がラインメタルの採用検査を受けたのが昭和12年5月
陸軍はそれからMG17のコピーを始めた訳だろう
研究方針が13ミリなら可笑しい気がするのだが・・・
>>537 BR20の12.7mmは固定式がイタリア戦闘機にも積まれてるんで
これは既に知られていたのだね。
だから昭和14年の海軍の試作はイタリのブレダとイソッタ
それとブローニングコピー、エリコン小型化の4種が試されたわけ。
ここにMG131の影は無い(旋回銃にMG131として手を出すのは別の流れ)
そして陸軍もMG131には意識を向けず、ブレダとブローニングで進んでる。
MG15の国産化を頑張ってた陸軍が手を出してないのにも注意。
13ミリ級固定機関砲の嚆矢はイタリアだったんだよ。
CR32(1933年)で既に、この炸裂弾の12.7mm2門をつんでるんだ。
当時はドゥーエ理論もあってイタリアは航空先進国だったわけで
昭和10年の視察団も当然凄く意識してみて回ったろうし商談もあっただろうね。
ある意味MG131はブレダ、イソッタといったイタリア12.7mmの思想的模倣に近い。
その割にはブレダとイソッタ ともに評価が低いな
結局、金出して買えるのはそれしか無かっただけではないのか・・・
アメリカは売ってくれそうも無いし、独逸に期待しなかったとは
言えない気がするのだが・・・
「たんたんたたた」に、1938年にラインメタル13ミリ機銃の見取りを始めた
と書いてあるが、あれは出鱈目なのか・・・
まあ独逸でさえ制式化するのは1941年だから、いまいちなのは確かだが・・・
あとアメリカがカーチスP1に12.7ミリを積んだのは1923年だろう
1932年にはP26が出来ているし
>>13ミリ級固定機関砲の嚆矢はイタリアだったんだよ
これには納得できないな・・・・・
>>541 だってブローニングは炸裂弾じゃねえもんよ。
13ミリに炸裂弾が必要だったのかってことになるのか・・・
なんつってもアメリカは弾量で勝負だからな・・・・・・・・・・
>>ある意味MG131はブレダ、イソッタといったイタリア12.7mmの思想的模倣に近い。
ブローニングM2に刺激を受けたゲーリング閣下が直々に開発命令を出したと
どこかで読んだ記憶があるが・・・・
MG17に98式固定機関銃と正式名まだ付けながら
採用出来なかったのが、相当ショックだったのではないのか
意図的に情報が削除されているように思えるのだが・・・
MG131に陸軍が手を出さなかったのもそのせいだろう
>>544 ブローニングM2ていうかM1921は
ドイツのMG18TuFに影響されたものなので
ドイツがM2に刺激されたとしたら随分と情けない先祖がえりだ。
陸軍の13mm開発が決まるのは昭和14年だから
時期的にMG131を知る事は出来ただろうが
MG15で懲りたからやらなかったというのは可能性としてありそうだ。
だが面白いことに海軍も同時期の開発なのにMG131に見向きもしてない。
陸軍だけがMG131を知っていたってのはまず無い。
これは陸軍と海軍のどっちにも売り込みやってるし
駐在武官間も日本国内でもドイツから購入したものはお互い見せあってる。
つまり、この時期、まだ売り込まれて無いんだろう。
そして13mm級開発に失敗した海軍は、MG131を売り込まれて購入し
既にホ103に目処の立っていた陸軍は買わなかったってことではないかな。
ブローニングのいい所は、オイルバッファに調整バルブが付いていて
これの調整で発射速度を変えられたらしい・・・
つまりバネの精度にバラツキが有っても調整で誤魔化せた
陸軍の航空機関銃がブローニング一辺倒になるのはそのためだと思う
それをよく判っていなかった海軍上層部はMG131に飛びついてしまったのではないか
あのサイズは陸攻の防御火器や零戦の機首に積むのに丁度言いと思ったのだろう
そして陸軍と同じ状況に陥った、電気雷管のおまけまで付いて・・・
慌てた海軍はブローニングの開発を再開させ
二式と三式、二種類の13ミリを持つ事になってしまったのではないのか・・・・・・
>>546 二式は固定銃としては考慮されてないぞ。
13ミリは昭和15年以降は戦闘機の固定銃として考えてないんだ。
つまりは20ミリあるからイラネということな。
それが7.7ミリの代わりの戦闘機用に13ミリという頭になるのは17年。
その時には二式駄目じゃんというのが見えてるから
14年試作でやったブローニングの焼き直しで三式になるわけよ。
で、オイルバッファでの速度変更は確か日本ではやってない。
548 :
名無し三等兵:2007/01/01(月) 09:19:28 ID:khD9nbKj
艦艇の対空火器として多用されてた25mm機関砲は
海軍戦闘機用に転用できなかったのかな。
30mmを1から開発するより早かったはずだし
弾薬が共通なら補給上も都合がいいでしょ。
>>548 九六式は原型ホチキスが対戦車砲から流用してきた代物だから
かなり初速が高い強烈な弾使うんだよ(25x163)
ttp://www.quarry.nildram.co.uk/23-28.jpg 真ん中のボトルネックの太い奴。
二式は30x91でストレート五式でも30x122でそんな太くは無いんで
ホチキス25なんか使ったらもっとごつくて手間取る機銃になったろう。
30mmと同時期に25も計画されてるけど
これもホチキスをそのまま使う案ではなかったようだしね。
>>二式は固定銃としては考慮されてないぞ
これがイマイチ信じられないんだよね・・・・
海軍にとってMG131の固定銃はまさに理想の機関銃ではなかったのか
それとも初めからコピーは無理と悟っていたのか
始めは両方作る積りで買ったけど
現物が届いてみたら、すんばらしいメカなので
初めから旋回銃のみ作る予定だったという事にしたのではないのか・・・
オイルバッファでの速度変更・・では無くて
完成検査に合格させる手段としてオイルバッファのバルブを
いじっていたのではないかと言う事・・・・
当時の精度では組んで直ぐOKにはならないだろうと思ったのよ
>>550 いんや全然理想じゃないんだな。
戦闘機に13mmが欲しい病の根源は
長い射程(速い初速)だったんだもんよ。
だから高初速の14mmエリコンや
強威力のホチキス13.2mmになるんだよ。
結局、海軍の方が陸軍より統制されていなかったと言う事だろうか・・・
>>551 ホ103やホ5の製造やってた日立の社史では
そこは調整してなかったらしいよ。
バネとかボルトは弄ることがあったようだが。
>>554 調整してなかったのか・・・・・・それでよく同調させられたな・・・
その辺が生産性が悪い原因の一つなのか・・・
>>552 やはり昭和14年の13ミリ試作は、ある意味20ミリの対抗馬だったのではないか・・・・・
それが15年の零戦の大成功で消えてしまった・・・・
めげずに書くが・・・やはりMG131は7.7ミリの代替えとして考えていたのではないだろうか・・・・・
だからw其処が信じられないんだよ・・・・
旋回銃の為だけに、まるっきり未知の弾薬を採用するものだろうか・・・・
ブレダでもブローニングでも試作はしていたのだから、そちらを初めから使えばよかったのではないか
三式の開発再開は17年3月だそうだから二式はその前という事になる
まだイケイケドンドンの頃だから、それほどの焦りは無かっただろう
独逸から生産設備一式を輸入して大掛かりに作る積りだったのではないか・・・
ところが独ソ戦で入って来なくなり、電気雷管を作れなくなってしまった
その為に固定銃は諦め無ければならなくなり三式の開発再開に繋がるのではないか・・・・
>>557 固定銃よりも旋回銃のほうが量が多いのはしってるかい?
>>555 昭和13〜15年の性能標準の戦闘機の固定機銃は
13ミリ級は20ミリ対抗で、7.7対抗じゃないんだ。
ところが旋回機銃は13年時に既存の7.7の旋回銃から
連装化か13ミリ化を検討という形で出てきている。
つまり7.7対抗だったら、それは当初は旋回銃なんだ。
固定7.7が全然使えないという結論は開戦後に出てくる戦訓でね。
そりゃMG131国産化が大成功すれば
固定にもという話や目論見はゼロじゃないだろうが
国産化着手時点では、それは目的や目標にはならんのだ。
なんか矛盾している様な気がするのだが・・・
量が必要なら電気雷管が必要なMG131など採用する訳が無いと思うのだが・・・・
電気雷管はプロペラ同調にこそ必要なアイテムだった様な気がするのだが・・・・・
一式・二式・三式と混乱する原因は電気雷管に夢を見てしまったのではないのか・・・・・・
ところで、今更こんな事書くのは気が引けるのだが
ホ103はオイルバッファを使って無かったのではないか・・・・
軽量弾頭の採用はその為だったのではないか
小型にする為にはその方が簡単だったのでは・・・・・・・・・・・・・
>>560 電気雷管は明治時代から日本でも量産されてる普通の技術で
仕様聞いただけでは量産できないなんて夢にも思わんだろうさ。
日立の社史のホ5生産にはオイルバッファの組み込みが触れられてる。
てか、ハイドロのアジャスタて「調整しなくて良い」のが売りなんだぞ。
>>561 またまた矛盾していると思うのだが・・・・・
では何でMG131は衝撃雷管になったのか・・・・・
日本で量産されていたのは火砲の電気雷管ではないのか
機銃弾では聞いた事が無いのだが
小型化が一番の問題というか、結局生産ラインは外国製だろう・・・・・・・
「たんたんたたた」の関連年表に、独逸で買い付けたはいいが日本に送る事の出来ない
工作機械の滞貨の山についての報告、というのが出てくるが
この中に入っていたのでは・・・・・・・・
ホ5はさすがに組み込まないと作れなかったのだろう
>>ハイドロのアジャスタて「調整しなくて良い」のが売りなんだぞ。
この表現は可笑しくないか・・・・・・・・・・・・・・・
油圧調整機構は複雑で壊れやすいから大甘な仕様になっていたのだろう
>>562 そだよ火砲の電気雷管で経験積んでる。
だからそう難しく考えなかったんじゃないかね?
やってみてアウトだっただけじゃないか。DB601だって作れる気だったんだからw
で、ハイドロのアジャスタってまじでそゆもんなんだよ。
あれは調整しなくてもある範囲に収まるのが素晴らしいんで
そこを弄ったりして調整するなんて、今の技術でも難しい。
>>563 あたり。大甘でいいんだよ、ああいうものは。
公差は一定範囲で作ってることになってるから
仮におかしいようなら、オイルバッファそのものを交換しちゃうのさ。
あんなもん調整するはずが無いだろ?
そうなのか・・・・・・・・・
で、ホ103には付いて居たのか居ないのか判りますかねぇ・・・・・・・
陸軍の13ミリ機関銃への要望は7.7ミリ機銃の代替えで
隼その他の機首に無理なく詰める事が重要だっただろう
その為には全長を短くしたい、しかし
初速を下げたくないから銃身を短くするのは限界が有るし
実包の長さが決まれば周辺のサイズも決まってしまう
後、改造出来る所と言えばオイルバッファしかない
オイル容量を確保するためにある程度の大きさになってしまうから
これをFG42のようにバネだけのバッファに出来れば
短く出来たのでは・・・・・・
油圧調整機構は品質を保つのが難しいんだよ
当時の日本で重要部品を使い捨てにしていたのだろうか
公差内に入るようにある程度調整はしていたのでは・・・
オイルの粘度替えるだけでも調整にはなるし・・・・・
ブローニングM2の構造図見てて思ったのだが
九六式軽機関銃のボルトをロックする機構の素は
ブローニングを参考にしたのではないか・・・・・
あの構造がどこから来たのか疑問だったのだが
ゲーリング閣下が13ミリに刺激を受けたのが1933年・・・昭和8年頃だから
当然日本にも何がしかの情報が入ってきていたはずで
その頃からブローニングの構造を調査していたのでは・・・・・
>>567 ZB26にはそういう構造は無いのかね?
チェッコはボルトがチルトしてロックするけど
九六式はチルトしないよん・・・
いくら戦場における軽機関銃が貴重といっても、使った後の感想を是非聞きたいなwwwww
九六式のボルトは前後動するだけで
ピストンロッドの出っ張りに持ちあけられた
ロッキングピースがボルトをロックするので
チェッコのコピーとは言えないと思うのだが・・・
別に三八式のコンセプトは悪かないんだよな。
M1ガーランドで6.5oが実用化できなかったのが痛いだけで。
試製自動小銃はいかにも洗練されてないと言うか使い物にならなさそうと
言うか心なしか欠陥品に見えて量産してもロクな結果を生まないとしか
思えないだけで。それにしても九九式小銃は大失敗だったねホント
↑誤爆?
スマン、ネタ振りだったか・・・
問題は重機の弾薬の性能アップと小銃との互換性
そして小銃の大量生産・・・・・
夢です、皆で夢を見ていたのです・・・・・・・・・・・
>>574、576
ガーランドなんて別にどうでも良いんじゃない?
辛かったのは軽機関銃が6.5じゃマトモにならなかったことだろ。
精一杯頑張りました
故障が多かったのは薬莢の強度不足のせいです
ミンナ有坂閣下が悪いとです・・・
ロシアのモシン・ナガンの薬莢と二十二年式連発銃の薬莢のサイズは
口径を除けばほとんど一緒なんだよね
片や21世紀まで使われているのに、もう片方は直ぐに消えてしまった・・・
なんででしょう・・・・・・
あれリムカートリッジなのになw > 7.62x54R
SVDは装弾不良とか起こさないのかねえ
ドラグノフは弾倉の設計に一番苦労したらしい。
リムドでもクリップ使わない弾倉持ってるボルトアクション銃とか無かったん?
結局、指導部が強力ならリムの形状なんて問題にならなかったのか・・・
銃を完成させるか粛清されるかの二択だからねぇ・・・・・・・
日本も天皇の名のもとに弾を制定していればコロコロ替えることも無かったろうに・・・・・・
昔、二十二年式の薬莢の強度不足を弾薬変更の理由だと書いたのだが
どうも間違いみたいね・・・・・・
逆に強度が高過ぎたのではなかろうか・・・
三十年式と装薬量がほとんど変わらないのは肉厚が多かったからか
未知の無煙火薬を使うというので丈夫に作りすぎたのか
結局、生産性の悪さが原因なんでしょうか・・・・・・・・・
その反動で6.5ミリ弾は薄肉なのか・・・
>>582 意味が良く判らないのだが
筒型弾装ならいっぱい有るだろうが・・・
手で押し込む分にはリムの形状は何でも良いのだろう
小銃と軽機は6.5ミリのままで重機を12.7ミリにすると言う選択肢は無かったのだろうか・・・
九二式車載式十三ミリ機関砲をビッカースの12.7ミリ弾にしてもう少し軽量に作っていたら・・・
あの機関砲はアメリカがブローニングM1921を採用した事に
影響されているのだと思うが、所詮13ミリは対空用には中途半端な性能なんだから
陸海軍ともに中口径はビッカースの12.7ミリに統一すべきだったのでは・・・・
CSのヒストリーチャンネル「撃つためのデザイン」で日本軍の銃特集をやっていた。
11年式軽機関銃の実射シーンを初めて見た
>>585 対人13mmは第一次大戦後のベルサイユ絡みで難しい。
米陸軍の12.7も建前は対空対戦車用重火器で保式13mm機関砲と同じ
で、海軍も九三式13mm採用したから
日本は13mm級は保式と備式の両方が共有だったわけで
仮に完全一本化するなら保式だったんじゃね?
あと、ついでに言うと
九二式重装甲車の火器は既にあった保式13ミリの転用だから
「ほ」式13耗高射機関砲準制式制定の件
レファレンスコード C01001317200
ここに「ビ式も買ってテストしたけどクソだったんでホ式にした」と書いてある。
同時期に海軍もホチキス13mm採用してるから
ビッカースはあまり良くなかったんだろうな。
毘式の弾で保式を造ることは出来なかったのかねえ・・・
>>589 銃が駄目なだけじゃなく、弾道が悪いとされてるから
初速が低いことが対空射撃で問題になったんじゃないかな。
毘式の重機が評判悪いのは判るんだが
保式の13ミリもあまり良い評判を聞かないんだよな
弾道性能が良いとしても威力では20ミリや25ミリには勝てないし
人力で振り回すには重過ぎるし・・・・・
ブローニングM1921も同じような評価だったのだろうか・・・・
陸軍のホ-103の採用はある意味では英断だったのだろう・・・・
>>586 動画をアップして欲しい・・・・・・・
ホ103にビッカースの12.7ミリを使おうと考えたのは
中央工業の方だったのか・・・
面子が潰れた陸軍はそのため制式採用を遅らせたのではないだろうか・・・
>>592 ブレダの炸裂弾に飛びついたのが陸軍だお。
ブレダの規格がビッカースだったのはブレダの都合だから。
炸裂弾はこの場合関係ないような気がするのだが・・・
陸軍の主流派の考えでは7.92ミリの九八式固定銃、つまりMG17を採用する積りだったのだろう
ところが開発にもたついている内に反主流派が13ミリが良いかもしれないと言い出した
そこでブレダ・コマルツキ-・ブローニングをテストしてみたが
海軍と同じように大きくて重くて装弾数減るからイラネとなって
九八式に戻りかけたので、反主流派が中央工業と組んで
ブレダ弾を使ったコンパクトなブローニング、つまりホ103を作った
主流派はどうせ出来ないだろうと思っていたが
テストしてみたら上手く作動したのでそのまま採用する事になったが
九八式をすでに制定していたので、正式名はウヤムヤになってしまった
海軍にMG15の資材を提供したのも、固定銃用の分が余ったからではないのか・・・
ところでホ101もブレダ弾を使って作られたのだろうか・・・
なんかあの競争開発はホ103をテストするためだけに行われたような気がするのだが・・・
>>594 いや炸裂弾じゃないと駄目なんだよ。
航空本部の研究方針の「機関砲」に13mm級が追加されるのは14年なんだが
機関砲、機関砲弾の項目内容の改定は無かったんだ。
12年度
「なるべく1弾の命中により
飛行継続を不可能ならしむる如きものにつき研究す」
13年度
「榴弾および焼夷弾につき研究す」
これをそのまま引っ張っていくのだね。
15年度に機関銃・機関砲弾の区別が無くなって
「飛行機主要部の貫通、弾道表示、
可燃物に対する着火及び炸裂につき性能良好なるものを研究す」
ここでやっと機関銃弾と機関砲弾の区別がなくなったのだーよ。
だから14年度研究方針に基づくホ103は榴弾が使えることが条件になるのだ。
7.7mm級を前提としていた機関銃に13mm級を割り込ませるのは当然ありだよ。
実際にこの時期に車載13mmが「砲」じゃなくて「銃」に区分け変えられてるからね。
その場合はホ103にはならなくてテ103になっただろう。
13mm級を「ホ」で割り込ませるには炸裂弾が絶対に必要だったのだ。
また13mm級で炸裂しない場合は
12年度13年度の機関銃弾の項(15年度のから「炸裂」除外しただけ)にあるように
着火と貫徹性能を主張するしかないのだが
日本の場合7.7mm焼夷実包と13.2mm焼夷実包の着火性能は同じなんだ。
数発の命中で火が付く公算という弾なんで、手数の多いMG15が着火最強になっちゃう。
貫徹力では13mm級は優位だろうが、重さと弾数考えたら優位は微妙だろ。
13mm級は炸裂するから開発する意味があったんだ。
どうしても納得できないのだが
陸軍の初めの計画は三式戦がメインで、7.92ミリが二丁に20ミリモータ^カノン一丁
まるっきり独逸の真似だが、当然計画にある炸裂弾は20ミリの物だろう・・・
ところが独逸は7.92ミリの替わりに13ミリを開発するらしいというので
ホ103の開発に繋がるのではないか・・・・・
その場合13ミリに手数の掛かる炸裂弾は必要ないと思うのだが・・・
結局は、水冷エンジンの開発が遅れてモターカノンは消えてしまうし
急遽、隼を採用する事になって機首に12.7ミリ機銃を積む事になったが
普通弾だけでは対重爆戦に措いて不利だから炸裂弾も
と言う流れになるのではないか・・・・・・・・・・・
>>597 20mmモーターカノンはドイツじゃなくてフランスな。
ドボワチンD510を購入して模倣品まで作っててるの。
またドイツ以前にブレダ12.7mmは存在していて
日本に銃も弾も纏まった数があるのに
なんで今更MG131の影響を考えないといけないんだ?
確かにフランスから買っているが
陸軍がフランスの影響を受けたとは思えないのだが・・・
ビッカースもブレダも航空機関銃としては駄目だし為ている訳だし・・・
あと隼も飛燕も軽戦闘機だから砲は考慮外の機種だよ。
それと13mm装備機なんて姿かたちも見たことの無いドイツ機なんかネタにしなくとも
中国戦線でI-15やP-26/F2Bがいっぱい出てきてるんだけどな。
>>599 昭和10年にD.510を購入し、技術者招いてコピーのキ12作って
その翌年の研究方針にモーターカノン装備戦闘機を打ちたてて
どうしてそれがフランスの影響じゃないといえるんだ?
それにブレダの機関砲のメカが駄目であることと
13mm級炸裂弾という考え方は別の問題だ。
だからブレダ弾にブローニングのメカで日本は実現化したわけだろ?
メカとしてのフランス機が駄目である事と
20mm備えた高速戦闘機というコンセプトの凄さは別だよ。
Bf109すらフランスの真似というか影響だといえるんじゃないかね。
「あの装備方法はいけてるな」ぐらいの影響が無かったとは思えん。
過疎スレが急に熱くなったなw
イスパノの前身はエリコンだし、その前はベッカー砲と
常にドイツの影があるように思われるが・・・
それと、小口径を止めて中口径に換えるながれは
米に始まって、ドイツに渡り次が日本だろう
仏・英は考えて無かったような気がするのだが・・・
>>602 残念だが「モータカノン」という装備方法はフランス発明なんだ。
フランス的にはエリコンじゃ不満だったから
イスパノを開発したという流れはあるがね。
また中口径搭載の流れはもう上に出てるけど
米が一部機に重武装オプションで装備してる段階で
イタリアは全部12.7mmのCR32出してて、この両国が先陣だな。
その次はというとソ連じゃないかな。I-15で重武装オプションで積み出してる。
>>600で上げられてるように日本の場合
ブレダ12.7も、I-15もP-26もドイツ機よりも身近だったのは事実だろう。
航空禁止があったからドイツって航空後進国なんだよね。
これが払拭されるのは開戦後のことじゃないかと思うんだが。
携帯だったので省略しちゃったけど、ドイツ人技術者の影ね
エリコンもイスパノも基は銃器メーカーじゃあないしねえ
>>「モータカノン」という装備方法はフランス発明なんだ。
これも少々疑っているんだよね、ああゆう凝った兵器は独逸人が如何にも考えそうなんだがw
イスパノスイザも訳の解らん会社だし
独逸は負けた事で軍事産業は解体させられたけど技術を残すために色々しているよね
それと陸海軍共にCR32は輸入してないよね
フィアットの機体で輸入しているのはBR20だけなんじゃあないだろうか・・・
初めから期待して無いと言うか、関心が無かったのではないか
貧乏な帝国陸軍は一撃必殺で無いと駄目なのでは無かったか・・・
12.7ミリはあくまでもサブ兵器であり、メインは20ミリのモーターカノンを考えていたのではないか・・・
ただ独逸でもモーターカノンの開発には苦しんだ様だし
日本の場合、液冷エンジンの開発にも苦しんだから、どうにもならなかった
対米戦必至となって諦めて、ホ5の開発に向かうのではないか・・・・
>>604 そりゃあの時期に複葉輸入するわきゃないなw
>>605 だからその一撃必殺を12.7mm炸裂弾でやろうとしたんだよ。
サブ兵器は7.92mmのMG15やってるだろ?
MG15が駄目でも八九式7.7mmでも大して変わらないわけで
サブに12.7mmを入れる理由はなんだ?
>>606 大正から昭和にかけて英仏独米の機体は色々輸入しているけど
イタリアの機体はイ式重爆以外輸入してないのよ・・・
>>607 結果的にはそうなったけど、陸軍は海軍より早く20ミリの開発を始めている
表向きは旋回銃だけど、固定銃も当然研究していたのではないかな
つまりメインは20ミリであって、7.7も7.92も12.7ミリもサブと考えるべきではないか・・・
>>608 20mmを本命として機関砲開発はしてるんだけど
14年度にその「機関砲」の類に12.7mmが追加されてるのな。
ちゃんとサブ用途は「機関銃」で別枠が存在するのだと。
そして機関砲の機能に炸裂弾で一撃で以下略と記されてるの。
12.7より20が本命なのは当然だけど
それは7.7級がサブだというのとは別のもんなんだよ。
7.7級「機関銃」の上位は12.7ではなくて「機関砲」なんだから。
>>680 逆に言うなら、今まで一度も手を出してないのに
纏まった数を購入して実戦投入までしちゃったぐらいに
BR20とその装備は陸軍にすごい魅力と衝撃を与えたともいえるな。
>>609 その辺を魔矢瑕疵と感じるオイラは捻くれているのだろうか・・・
何で14年度に12.7ミリが追加されたのかと言う事だろう
1939年と言えば、支那事変は泥沼に嵌まり、ノモンハン事件が起き
対米戦は必至と考えられ始めた頃ではないか・・・・
20ミリを悠長に開発している時では無かったはずで
サブの12.7ミリに威力を求めるしかなかったのではないか・・・・
問題は当時使える戦闘機が九七式しか無かった事だろう
これに積めないとどうにもならない・・・・
機関銃枠は九八式旋回銃を指すのではないかね
>>610 支那事変中の日本に爆撃機を売ってくれるのはイタリアしか無かっただけだろう
一部のベテランパイロットを除いては
事故が多くて不評だったそうだが・・・・
>>611後段
米国はスーパーエレクトラやDC2やDC3を売ってる。
P-35、V-143といった戦闘機出してるのに爆撃機はが駄目ってこともない。
ドイツもハインケルの爆撃機や戦闘機を売ってるわけで
別にイタリアしか入手手段が無いわけでは無い。
>>611前段
14年度研究方針はノモンハンの「前」だ。
そしてホ103の完成は16年末だぞ。
対米戦必至になって悠長に2年も開発ですか?
12.7mmなら九七戦に乗るって17年度にもなってまだ九七戦?
そして完成時に20mm積んで出てきた屠龍は無視か?
微妙に時期と時間のズレを無視してると思うぞ。
軍隊は官僚機構でもあるんで
文書化しちゃったものって意外と準備期間が前にも後ろにもあるんだぜ。
それと機関銃枠はちゃんと固定/旋回両方について書かれてる。
国立公文書館のページで読めるんだから確認してみたら?
>>612 果たしてアメリカが戦略単位の85機もの爆撃機を売ってくれただろうか?
独逸も国内配備に手一杯でとても輸出なんて出来なかったのではないか・・・・
>>613 ノモンハンが偶発的に起きたとでも思っているのか
あれは起きるべきして起きたと思うんだが・・・
14年の時点では本命の戦闘機と見られていた液冷エンジン搭載戦闘機は完成が何時になるか判らないし
15年に急遽採用した一式戦も九七戦と同じように機首にしか機銃を積めないし
ホ103は開発に2年も掛かってやっと一式戦の片方に積めたけど
故障多発で部隊から文句言われているし
屠龍の配備は17年の末だし、どうにも首が回らないと言うのが当時の状況ではなかったのか
官僚の書いた文書ほど当てにならない物はないと思うのだが・・・・・・・
修正・・・
屠龍の配備は17年の初めだね
まあ20ミリと言ってもホ5は間に合わずホ3だし
何よりも戦闘機としては駄目だしされているからあまりかわらないが・・・
>>614 事件が偶然であろうが無かろうが
事件の戦訓は事件後にならないと出ないんだぞ。
だから15年度に研究方針が大幅改訂されたわけなんだが。
(この年の方針で「砲2」になってるんだがな)
対ソ戦自体は満州事変起こす前から既定の方針で
わざわざ14年度に戦端ギリギリって時期に改訂する理由にはならん。
それと50機以上の大型輸送機や戦闘機を売ってくれて
爆撃機は駄目だってのは米国って不思議な国なんだね。
なんというか最初に自分の中に答え作って
否定するものは絶対認めないぞって意識に凝り固まるのは判らんでも無いが
ちょっと時系列に対するワープ感が強いと思うね。
もちろん12.7mmなんて中途半端な武器が
あの時期に割り込まれたことに何らかの作為を感じるというのはわかるけどさ。
前に何処かのスレに書かれていたが
B17の売り込みもあったらしい
>>616 感情的になっているのはどちらかと思うのだが・・・
せっかく苦労して集めた資料を否定されれば嫌な気になるのは判るが
文官だろうが武官だろうが役人の書いた文書ほど信じられない物は無いのよ
一度事件や事故に巻き込まれて警察官や検事の書いた文書を読めば納得するよ
まあ作文の上手な事、その場で見ていたかのように書きやがる・・・・
とにかく都合の悪い事は隠して当り障り無い内容に書くのが役人さ・・・・
何事も疑って掛からないと真実は見えてこないと思うのだが・・・・・・・・・・・・
やはり長距離を攻撃できる重爆は特別だと思うのだが・・・・・
台湾に配備すれば直接仏領インドシナやフィリピンを攻撃出来るし
北部仏印に配備できればシンガポールも攻撃できる
今の日本がアメリカにB1やB2を売ってくれと言っても拒否されるだろうよ・・・・
>>618 いやいや苦労なんか全然してないよ。
こんなの国立公文書館で研究方針4つ見るだけだからさ。
文書そのものの信じたくないor胡散臭さいと思うのはわかる。
だがその気持ちを優先するあまり、時系列を無視しちゃだめだろ?
12.7が誰かの意思で割り込まされたのではと考えるのは面白いと思うし
それを色々な方面から推理してみるのは楽しいと思うけど
あまりにもタイトな上、微妙に時系列がワープしてるのは否めないでしょ?
一度関連しそうなネタの時系列を並べてごらん。
めんどいなw
既成事実をなぞった所で面白くないだろう所詮2ちゃんだしwww
それに、まさにタイトになってしまった時期だろう・・・・・・
さて、陸軍が液冷エンジンに拘ったのはモーターカノンに夢を見てしまったからだろうか・・・
威力は有るし、目標に当てやすいし、何よりも一機に一丁で済むというのは
連隊数減らして師団を増やそうとした参謀様にはうけが良かっただろう・・・
>>620 エンジンのスレじゃないんだが
本気でモーターカノンする気だったのかね?
軸内に火器通せる可変ピッチ機構買ってないんだが・・・。
開発側の優先順位は低かったと思うよ、現場から要求もされてないし
独逸で開発に成功したらサンプル輸入してコピーすれば良いじゃん程度ではないかな・・・
しかし液冷エンジンの開発を促進するためには重要だったのではないか
空冷エンジンには無い利点として技術オンチな参謀連中をだまくらかすにはもってこいだろう
そして参謀連中がその気になってしまったために
20ミリ機関砲の開発と配備が大幅に遅れたと考えればつじつまが合うと思うのだが・・・・
いつものように資料も時系列も無視した妄想だがねwww
モーターカノンをする気だったら20ミリの開発は進捗したんじゃないか?
佐山二郎著「日本陸軍の傑作兵器駄作兵器」99・100ページに
試製二十粍固定機関砲のことが書かれているんだが
著者は陸軍最初の翼内二十粍機関砲と書いているが
内容は、V型倒立の特種の発動機に固定され、プロペラの軸を通して
弾丸を射出する装置でございまして、「ハ十一」と称します本砲専用の発動機は
ほとんど完成の域にございます・・・・・
これは昭和十年のことらしい
日本軍てホントに研究熱心だなあ。大抵のことに手を出してるように見える
そういう問題じゃあ無いんだよ
陸軍が三式戦の試作機のキ-60の発動機であるハ-40
つまりMe190のエンジンの試作を命じたのは昭和15年2月なんだ
それなのに、ここにはV型倒立発動機が昭和10年には完成の域にあると書いてある
酷く矛盾していると思わないか
手持の本を調べてみたけどハ-11は載ってないんだよな
これはなんなんだか・・・・・・・
>>626 日本の場合エンジンと機関砲があっても
可変ピッチが無いからどうにもならんのだが・・・。
昭和十年に日本が単独で倒立の液冷エンジンを開発できたとは思えんのだが・・・
独逸のことはあまり詳しくないんがDB600系の実用化は昭和13年らしい
いつもの妄想だが、独逸はヒットラーの再軍備宣言の前から日本で戦闘機の
開発を行っていたのではないか、機関銃はスイスで、戦車はソビエトでしていたのだから
意外性を考えると無いとはいえないような気がするのだが
つまり、三式戦はMe190のコピーではなく独逸との共同開発だったのでは・・・
そう考えるとMG17の制式化とエリコンモーターカノンの試作
独逸の13ミリ機銃の開発に影響されたであろう12.7ミリ機銃の開発が
説明できると思うのだが・・・・・
ついでに書くと、昭和10年のドボアチ-ヌの購入とキ-12の試作は
独逸に情報を流すためだったのではないか・・・・・
それに気が付いたフランスは日本から技術者を撤退させたのでは・・・・・・・・・・・・
>>629 その頃の日本はイスパノをピーコしようと鋭意努力中です。
>>629 最初から軽戦闘機のキ61がどうしてモータカノンとかの話になるの?
それに日本には機関砲を通せるプロペラが無いんだ。
そしてそのライセンスも購入していない。
だからモーターカノンは可変ピッチ化の時代で途切れちゃってるんだ。
つまりキ61は最初から軸内砲は想定外の飛行機なんだな。
三式戦と書いたのが悪かったかな
キ-28の後継エンジンの話だと思うのだが、昭和10年の話だから
キ-12のイスパノ12Xcrsがなぜ国産出来なかったのか・・・
629ではDB600系と書いちゃったけどJumo210系の方が正しいかな
ユンカース社とBMW社は関係が有ったのだろうか・・・・
大修正・・・液冷発動機は川崎だと思い込んでいたんだが間違いだった見たい・・・
ユンカースと関係が有ったのは三菱だね、イスパノを造っていたのも三菱だし
つまりキ-28もキ-60も関係無い事になる・・・・・・・・・
そうなるとハ-11はキ-33となるはずだった機体に載る筈だったのか・・・・
キ-12の試作は中島がしているし・・・・
何でハ-9の次がハ-1甲乙になるんだろう・・・・・
もうワケワカメ・・・・・・・・・
>>633 キ33は九六艦戦の陸軍向け仕様だろ。
そして九六艦戦三号はイスパノ+モータカノンなのだ。
それとハ番号もキ番号も開発に着手した順番でつくから
大きい番号の、後から着手したものが先に完成することもある
既に存在していたBMWのライセンス生産よりも
初の本格国産エンジンの寿では完成時期が遅いってだけのこと。
九六戦のイスパノ+モータカノンは輸入したものを載せただけだろう
と言う事は、JumoでもDBでも載る訳だ・・・・・・・・・
初めから考え直してみたんだが、共同開発していたんなら何らかの成果が後になって
現れるはずなのに何も無いと言う事は共同開発では無かったと言う事なのか・・・・・・
当時の日本には液冷発動機の部品を精密に作る技術は無かっただろうし
部品はすべて独逸から持ち込んで、日本では組み立てただけだったのでは・・・・・
日本が開発したのは二十粍固定機関砲だけだったのでは・・・・・
天皇に説明した者は銃器の専門家で発動機と機体の話は聞いただけだったのか・・・・・
そして、三菱の技術者は、初めは技術を吸収してやろうと意気込んだが
ユンカースの超精密発動機をまじかに観察して驚愕し意気消沈してしまったのではないか
とても日本では量産する事は出来ないと
三菱の上層部は報告を受けて、液冷発動機の開発を断念し
今後は空冷発動機一筋に生きていこうと決断したのではないだろうか・・・・・
しかも日本が開発したモーターキャノンは故障の連続で使い物にならず
これがMe190にモーターキャノンが載るのが遅れた原因になったのではないか・・・・・
なんか情けない話になっちまったなあ・・・
ミステリーロマンのつもりだったのに出来たのは爆笑コメディだったと・・・・・・・・・・・・・・・・
で、実際にどうやったかと言うと、どうもキ-20九二式重爆撃機が怪しそう・・・
エリコンの開発もキ-20用だし、日本陸軍軍用機パーフェクトガイドを読むと
異様なほどの重警備で憲兵まで動員していたらしい
極秘のフィリピン攻撃用4発重爆と言う事らしいのだが
満州事変前の段階で陸軍にそんな余裕が有ったとは思えないし
写真を見ると正立V型12気筒にしてはエンジンカウルがスリムで
排気管がわざわざ真上にまで延ばしてある、正立ならそんな必要は無いだろう
キ-20は初めからJumo210をテストするための機体ではなかっただろうか
発動機をばらして運べば正立か倒立か直ぐには判断できないだろうし
何より日本国内なら米英仏の情報機関に感ずかれる可能性は低いと考えたのだろう
もしかしたら九六式艦戦にも積み込んでイスパノとの比較テストも遣ったのではないか・・・
その結果パワー不足と判断され、それがDB600の開発へと繋がるのではないか・・・・・・・・・・
もひとつ言うと、当時のドイツにはモーターカノン無いから。
エリコンは確かにドイツ系資本と技術なんだけど
Bf109EでDB601にモーターカノンで積もうとしたら
隙間が無くて入らなかったという結果だったように
別にドイツ空軍の仕様との擦り合わせは全然やってない。
仮にJumo210でテストしてたら
機銃とエンジンの辻褄あわせぐらいやってたんじゃないかね?
いつものごとく納得出来ないのだが・・・・・・
Jumo204もユンカースG38も民間用旅客機だろう
スウェーデンで改設計して有ったとしても、どうして工場まで新しく造って極秘で造らねばならんのだ
満州事変前の日本は世界的に孤立していた訳では無いから堂々とやれば良いだろう
ばれて困るのはベルサイユ条約で縛られていた独逸の方なのだから・・・・・
それとMe190の初めの指定エンジンはJumo210で有り
DB601が完成するのが1938年、面白い事に昭和13年にキ-20の機密が解除されてる
それと当時の独逸にはモーターキャノン無いから、日本で作ろうとしたのでは無いか・・・・
日本単独なら実績のあるイスパノスイザのモーターキャノンをコピーしたのではないかい
この話は、昭和10年に技術本部を訪れた天皇に技術本部長が説明した
内容が発端なんだが、もし出鱈目なら切腹ものだろうw
>>639 いやキ20は海軍との合意に基づく
フィリピン攻略用だったから極秘なんだよ。
まだ米と対立してない時期だったからこそ内緒にしないといけなかったんだ。
ウハッ!全然知らない話が出てきちゃたな
妄想もそろそろ限界か・・・
現政府の方針は再チャレンジと言う事で復活・・・
キ-20の失敗の原因の一つは航続距離だろう
だからヂーゼル発動機なんかに手をだしたのではないか・・・・・
つまり日独両国にとって新型発動機の開発は十分利害が一致するのではないか・・・・・・
日本側が使わなかったのはこちらの事情だろう・・・・・・・・・
>>643 ユンカースはソ連で会社作って
解禁後は同道とドイツに戻って民間機で開発してるのだよ。
それと、このJumo4/204はネイピアとリールでライセンスされてて
わざわざ極東の後進国と共同開発する必要は皆無なのだが・・・。
ドイツにとって何の利があるのかね?
他国と共同でやるなら英仏ソ相手でも良いし
こっそり軍用開発するならスウェーデンで良いのだぞ。
Jumo204は輸入して載せただけだろう
そして上手く行かなかったのでJumo210の共同開発をやらないかと持ちかけられたのではないか・・・
独逸はソビエトで空軍の再建をやっていたようだけど、これは方便だろう
近代戦での必須項目は石油の確保で、独逸としてはソビエト南部の油田を押さえるしか
方策が無かった、アラブの油田から持ってくるにはスエズ運河を通らねばならないからね
つまりソビエトは独逸の命運を握っていた訳だ、味方の内は良いけど
スターリンをヒットラーは信用していなかっただろう
自国の利益を最優先にするのが国家だろう
英仏ソスと共同開発をして、その発動機を積んだ爆撃機に攻撃されたら元も子もない
日独共同開発の独逸の利は、日本が高性能の爆撃機を配備しても
独逸を攻撃できない、つまり独逸の不利益にはならないと言う事だと思うのだが・・・・・・・・・
>>645 Jumo204の系統はそのままずっと続いてるんだよう
勝手に打ち切りスンナって。
ソ連でやってたのは1926年までね(民間航空解禁でドイツに戻る)
それとね、爆撃されたくなかったらエンジン売ったりしなければ良いのに
世界中に旅客機用として売ってるんだよ(Ju86は爆撃機になったな)
基礎工業力も揃ってない日本と共同するぐらいなら
ドイツ単独でも手間が掛からない分だけお徳でしょ?
どこにドイツの利点があるんだ?
そして何で共同でJumo210もちかけられて
日本は一切Jumo210をやってないんだろうね。
川崎に一生懸命売り込んでるのに陸軍も海軍も興味持ってないし
また共同だったら、絶対に日本ではムリなあのクランク構造はありえないだろ?
アイヤー!
発動機については降参です、面白かったがやはりやっつけ知識では無理があったようで・・・
しかし二十ミリのモーターキャノンに付いては間違いなく開発をやっていた訳で
7.92ミリの採用を合わせると独逸の影響と思えるから
13ミリの開発追加も独逸の影響と言えるのではないか・・・・・・・・
ただしホ-103については軍部の方針とは別に中央工業が独自に開発していて
その為、競争試作と言う形になったのではないか・・・・・・・・
>>647 航空用に限定してもブレダやイソッタの12.7mmを購入してて
ブローニングやUBも鹵獲してるのに
これらではなくMG131の影響というのは、強引では無いか?
MG131では無くて独逸の影響だよん
1938年に独逸が実用化させたのを受けて急遽昭和14年度研究方針に加えたのでは無いかい
7.92ミリから13ミリに変更すると言うのが大きかったと思うのだが・・・
スペイン内戦での教訓が独逸を通じて日本に入ってきたと考えれば可笑しくな無いと思うよん・・・・・
>>649 ではなんでブレダやイソッタを購入して
「実用化されたMG131」を購入しないんだ?
そしてドイツ軍は7.92mm機銃の強化として扱ってるのに
なぜ開発方針では「砲」としているのだ?
14年どころか15年の方針でも砲と一緒に銃も積むとしているんだから
陸軍の予定武装は7.7〜7.92+13〜20という武装になるのだが
これはドイツとは大分違うね。
ずいぶんブレダやイソッタに拘るねえ・・・・
陸海軍とも、まとまった数保有しているのに何で九七重爆や九六陸攻に積まなかったんだろう
どちらも防御火器では苦労しているのにねえ、一丁ぐらい積んでもいいのに
それをしなかったと言う事は、よっぽど使えなかったんだろうよ・・・・
MG131のサンプルは輸入しているはずだよ
ところが余りの精密加工と電気雷管の構造を見てあきらめたんじゃあないの
兵頭さんの本に出てくる1938年の海軍の見取りはそれを指すんじゃあないかな・・・・
MG131は炸裂弾も徹甲弾も有ったから分類の仕方の違いなんだろうよ
銃・砲の分類なんて所詮官僚の作文の為のものだろう
現場では有る物で積める物を積むしか無い訳で
当初の予定と違ったからと言って責める訳には如何だろうよ・・・・・・
>>651 当初の予定の時点でドイツと全然違うねとゆうてるのだが?
またブレダ、イソッタ、UB、ブローニングを入手してるのに
何でMG131の影響になるのだ? 他のものの影響は無いのか?
ドイツも日本も、世界的な13mm級流行の後追いなだけだろ?
13mm流行はメカニズムとしてのブローニングと
炸裂弾としてのブレダに行き着くわけで
ホ103はその流れの中の最良最大公約数的答えなわけで
方針もメカも掠りもしないMG131の影響をどこから見つけろというのだ?
MG131って7.92mm機銃のあったスペースに無理矢理押し込むために
弾薬の側を低威力化したシロモノ(13x64B 初速が12.7x81SRのブレダ以下)。
とりえは発射機が小さくて軽い事だけ。
何が悲しゅうてそんなもんのためだけに新しくライン引いて低威力の
13mm弾作らにゃならんのだ。
今年は暖かいねえ・・・・
日の当たらない家に住んでいる身としては嬉しいけど
さて、なぜ陸軍は昭和10年の時点で二十粍試製固定砲を完成させていたのだろうか・・・・
何の影響を受けていたのか・・・・・・
D-510の輸入は昭和10年になってからだし、積める発動機も無かった訳だし
何しろイスパノのモーターキャノンM404がカタログに載るのは1935年らしいし・・・・・・・・・・
>>654 準制式の九四式旋回砲がエリコンFFだから
それの固定版かFFLじゃね?
佐山二郎著「日本陸軍の傑作兵器駄作兵器」を読むと
九四式旋回砲はエリコンL型みたいだよ
試製二十粍固定砲も弾は同じみたいだからL型だろうね
海軍のエリコン導入についてはどの本も同じような内容なんだけど
陸軍の場合はなんかよく判らない・・・・・・・
上記の本によれば、昭和5年にF型の弾を模倣して試作してテストしているらしい
つまりそれ以前からエリコンが国内に有ったということなんだが
ところが、岩堂憲人著「機関銃・機関砲」によると
製品化を完了し販売ルートに載せ始めるのは1934年頃らしい
つまり開発段階で日本に入って来ているんだが
これは一体何の影響なんだろうね・・・・・・・・・・・・・・・
>653
発射機が小さくて軽い事は物凄いアドバンテージなんだがな。
ブローニングの12.7mmなんてエリコン20mmとカワンネージャンよ。
>>657 初速もたいして変わらないようだね、設計が新しい分弾頭の威力が有ったんではないだろうか・・・
まあ海軍は採用した訳だし・・・
>>655 なんでFFの話になったのかと思ったのだが、海軍の旋回銃と混同したのだろうか
陸軍はエリコンを実戦では一切使っていないんだよね、何故かと言う話になるのだが・・・
又いつもの与太話なんだが・・・・
陸軍の使っていたエリコンの機材は独逸のラインメタルを経由して入って来ていたのでは無いだろうか
陸軍にテストさせて情報を収集していたと考えられるのだが・・・
昭和10年にヒットラーの再軍備宣言で必要が無くなったのと
昭和9年にスイスのエリコン本社が乗り込んできて海軍と商談が始まったので問題になったのでは
エリコン本社は海軍を通して抗議してきたのでは無いじゃろうか・・・・・・
陸軍も海軍相手では喧嘩する訳には行かず、諦めたのでは・・・・・・
陸海軍の確執の原因が一つ増えた訳だ・・・・・・・・・・・・・・
>>656 国立公文書館に残ってる図面からは
どうみてもLには見えないんだが・・・。
>>658 なんでドイツ軍がわざわざ後進国の日本まで行って
手間と金をかけてデータを取らないといけないのだ?
エリコンのあるスイスや、伏在してたソ連や
軍用機開発拠点になったスウェーデンでで試験しないのは何故?
陸軍が東京造兵廠でエリコンのコピーに着手するのが昭和7年(完成は8年)
エリコン製のLが届いたのが昭和8年で
このエリコン製が試験の結果昭和9年に準制式として買い上げと。
残念ながら海軍の前の段階になる。
佐山さんの本に、F型は試作したけど輸入したL型のほうが性能が良いので
L型を採用したと書いて有るから混じっちゃったんじゃあないかねえ・・・・・
結局止めちゃった訳だから修正してないんじゃあないの。
独逸が欲しかったのは実際に戦闘機に積んで得たデータだと思うのだが
米英仏に絶対ばれずにテストする場所として日本は最適だったろうよ
戦闘機を自主開発する能力もあった訳だし
日本と独逸の思惑が一致したと言うところだろうよ・・・・・・
一番知りたいのは、陸軍がなぜエリコンを止めてしまったのかということ
これの答えを出してもらわないとねえ・・・・・・・・・・・・・・・・・
>662
対戦闘機戦に向かない潰しの利かない鉄砲だと思ったんじゃねーの。
そこで陸軍は九七式自動砲を爆撃機に積む訳だがな・・・・・・
>>662 米英仏の代理店が売り込み競争してて
戦前からスパイ天国と言われた日本で絶対ばれないって・・・。
で、エリコンはライセンスは大日本兵器が獲得しちゃったから
二重ライセンスで無駄する以外に続ける手立てが無いし
そもそも最初に違法コピーした東京造兵廠製のがコケてるんだから
法的にも技術的にも作れないということではないかと。
>>666 その為の憲兵まで動員した九二式重爆の極秘開発だと思うのだが・・・・・・
やっていたとすれば絶対ばれなかった訳だw
二重ライセンスは日本の得意技だろうwww
F型のコピーが上手く行かないからL型輸入して準制式化した訳だろう
使う気満々だと思われるが・・・・・・・・・・
航空本部は技術本部の技術力をまったく信用していなかったのではないか・・・
航空機関銃の分野では100%独逸の後を追っていたように思えるのだが
少なくとも昭和14年の8月までは・・・・・・
20ミリのモーターキャノンにMG15・17
それに14年度の13ミリの追加も完成を16年なんてしている所を見ると
MG131を買ってコピーする気だったのではないか・・・・・・・・
>>667 陸軍の国産エリコンが使えるレベルに無かったわけで
九四式旋回機関砲が準制式どまりなのも国産化できなかったってことだろ。
それに九二式の秘密処置にどうしてドイツの機関砲開発が関わるんだ?
たかが機関砲如き、秘密にする必要は無いんだよ。
何しろスイスのエリコン社でやってるんだから、何処の誰も文句は言えない。
そしてソ連と組んで色々飛行機に乗せてテストしてるのに
何でまた飛ばすだけでも大仰な秘密処置が必要な九二式重爆なんだ?
>>668 14年に着手したら16年度完成予定は普通だろ?
そしてMG131を導入する気だったなら
何でホ101、102、103を試作しないといけないんだろう?
そしてモーターカノンがドイツに登場したのはBf109Fからで
そして日本はモーターカノン用の可変ピッチ機構を入手してない。
可変ピッチ化が始まった時点でモーターカノン計画は事実上停止してる。
DB601導入もモーターカノンは無関係なんだ。
やるなら同時に同軸砲の可能な可変ピッチを導入しないといけない。
可変ピッチ化が始まるのが98〜99式あたりの飛行機からで
例えば隼は試作では固定ピッチだったから
昭和14年ぐらいで可変ピッチ化で同軸砲計画が頓挫したという部分の影響も考えないとね。
20ミリ同軸x1の放棄から13ミリx2というのは自然な対処だったともいえるわな。
制式と準制式の違いが良く判っていないような気がするのだが・・・
仮制式ならそのとおりだと思うんだよ
機関砲単体のテストならエリコンでも出来ただろうが問題は戦闘機に載せたときにどうなるかと言う事
特にMe109の当初の指定エンジンであるJumo210との相性だろう
昭和10年以前にJumo210は国外に出していないことになっていると思ったが
九二重爆の部品に紛れ込ませて日本国内に持ち込み
九二重爆に載せて飛ばしてテストしていたのではないか・・・・・・
Me109にモーターキャノンを取り付ける事は、開発当初からの念願でなかったか・・・
独逸は結局エリコンは見限ってMG151の開発に向かう訳だが
陸軍はそれの完成を期待して待っていたのではないか・・・・
ところが昭和14年8月にとんでもないことが起きる
ノモンハン事件の最中に独逸は日本の仇敵であるソビエトと不可侵条約を結んでしまう
日本は裏切られた訳で、不信感を持った陸軍は独自の道を進む事になったのではないか
まあ技術の独逸頼みは止められなかったようだがw
ホ-103は15年には事実上完成している、早過ぎないか・・・・・
>>671 仮制式はいずれ制式にするという前提のもので準制式とは違うよ。
例えば鹵獲兵器なんかは「準制式」で「仮制式」にならない。
ホ式13mm高射機関砲とか、九四式旋回機関砲が「準制式」なのは
最初から制式化は考えてない=国産着手はしないorできないてことだよ。
そして20mmを積める戦闘機なんて日本にはない。
そこらの旅客機や輸送機に積んだって同じテストがより簡単確実に出来るぞ。
ドイツはスウェーデンやソ連の出店で十分に可能なことでは無いのか?
そしてエリコンの同軸用であるFFSは普通に完成しているわけで
待つも何もサンプルは日本にも売られてる。
そしてFFSがあっても、同軸に対応した可変ピッチは日本には無い。
つまり日本はこの時代には同軸砲はできないのだ。
ちなみにBf109Eが同軸砲じゃないのは
DB601がエリコンを通せる隙間が無かったからで
ドイツはエリコン同軸の事前準備なんかしてないのだ。
微妙に矛盾してないか、九四式を準制式としながら何故実戦で使わなかったのか
国産化は止めて輸入したものをそのまま使う気でなかったのか・・・・・・
使うつもりが無いのに何故試製二十粍固定砲を開発したのか・・・・これが原点なのだが・・・・・・
それと待っていたのはMG151/20の方ね
三式戦には同軸ではなく機首に積んだ訳だから
発動機が開発出来ない時点で諦めたんだろうよ
>>673 例えば九五式重戦車なんかも実戦に出てないよね。
あれも準制式で、研究訓練機材で数両しか作ってないけど国産。
九五式練習機3型なんかも「準制式」で、これも普通は実戦には使わん。
つまりは「準制式」は幅が広いんだよ。
九四式機関砲は、とりあえず各種試験等で使う機関砲としては
この輸入したエリコンで暫く我慢しますることとするってことだろ。
つまり試験用機材としての採用で、だから準制式で実戦運用は無いわけだ。
それとMG151/20は日本では機首に積んでないから。
そしてBf109Fと同じDB601を導入してるのに「発動機開発できない時点で諦めた」はないだろ?
エンジン開発できないからライセンス購入したんじゃないのか?
イスパノもライセンス持ってるし、これも同軸砲をソ連やフランスでやってる。
日本はDBやJUMOやイスパノがあっても
MG151があっても、同軸砲を積んだ戦闘機が作れないんだよ。致命的なものが足りないんだ。
三式戦の機首に積んだのはホ-5の方だったね
参謀総長が直々に装備してくれと頼みに行っているようだが・・・・・・
昭和14年の8月以前と以後は分けるべきだと思うんだよ
だから開発できなかった発動機はDB601ではなくてハ-11の方・・・
なぜ機関砲は先に出来ているのに発動機はまだという状況が起きたのか
昭和10年時点での状況を見ればある程度予測は出来たはずなのに何故13年まで
陸軍はモーターキャノンに拘ったのか・・・・・
なぜ陸軍の方針に戦闘機にも重爆にも機関砲の項目が有るのに
エリコンは消えてしまって、しかも替わりの機関砲の影が無いのか・・・・・
この辺の説明か付かないと先に進めないんだが・・・・・・
>>675 なんでDB601は切り分け対象になるんだ?
ドイツの影響でモーターカノンだとかいうなら
DB601の入手はその一歩ではないのか? 言ってることが本末転倒だろ。
またモーターカノンは第二次大戦では米独仏ソがやった
大口径を積む最善の手段の一種なわけで
しかも30年代にもう成功機があるんだから、興味を持たないほうが不自然だ。
また代わりの機関砲はホ1とかホ3は無視ですか?
どっちも実戦投入されてる20mm機関砲だよ。
自衛隊技術者が潜水艦強度機密漏らす
防衛省元技官を書類送検へ 潜水艦技術資料持ち出し 2007年02月06日
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007020501000642.html 防衛省(旧防衛庁)技術研究本部(技本)の元幹部技官(64)が在職中の2000年、潜水艦関連の
技術資料を持ち出し、中国とつながりのある知人の貿易会社元社長(55)に渡したとされる
事件で、警視庁公安部は5日、窃盗の疑いで元技官を6日に書類送検する方針を固めた。
元技官はこれまでの調べに対し、持ち出した潜水艦技術に関する研究論文をコピーしたこ
とを認め「元社長に渡した」と説明。
元社長は要求したことを認めたが、受け取り時期などについてあいまいな話をしているた
め、公安部は自衛隊法(守秘義務)違反容疑での立件は見送り、論文を防衛省から盗んだと
する窃盗容疑で立件する。
調べでは、元技官は技本の第一研究所(東京都目黒区)の部長だった2000年3月下旬、潜水
艦の船体に使われる特殊鋼材について自分が書いた複数の研究論文を研究室から持ち出し
た疑い。
これらの論文は当時、防衛庁の内規で持ち出しが禁じられていた。
(共同)(2007年02月06日 02時03分)
--
> 潜水艦の船体に使われる特殊鋼材
本末転倒ねえ・・・・・・・・
70年前の陸軍航空本部の参謀様に言ってやれよ・・・・・・・・
結局、独逸にたぶらかされて居ただけかも知れんが・・・
発動機も無いのにモーターキャノン開発したり・・・
威力はたいして変わらないのに製造困難な機関銃採用したり・・・
Me109Eの翼に20ミリを積んだと判ったら、モターキャノン止めて翼内砲の研究を始め・・・・・
13ミリを開発したと判ると、とりあえず集めた物をテストしてみたり・・・
独逸が東に向かっていると判ると、ソビエト国境でいざこざ起こしたり・・・・
結局、独蘇不可侵条約結ばれて一個師団殲滅させられてしまった
さすがに現実を思い知ったが、対米戦を考えると小型で高出力の液冷発動機が欲しい・・・
モターキャノン採用は流石に考えてなかっただろうよ・・・・・・・・・・・・
ところでキ-60の翼には何を積むつもりだったのだろう・・・
ホ-3では無いような気がするが・・・・・・・・
>>679 DB601の購入時期って13年なんで独ソ不可侵の前だよ。
昭和16年だと誉の試験合格の前後だから
DB601みたいな低出力エンジンなんぞ時代遅れなのだがね。
あとキ60はホ3っぽい。
1938年と言うと独逸でも配備が始まったばかりだから
航空本部の独逸マンセーの証拠でも有るがな・・・・・・・・・・
高高度を飛んでくる重爆を迎撃するには液冷発動機がぜひ必要だと認識していたんだろう
どうも理解されて無いようだが
あくまでも航空本部の独逸航空機関銃マンセーの熱が冷めたのが
不可侵条約によってだろうと仮説をたてただけなんだが・・・・
空冷発動機や重爆の設計なんかはそれ以前からアメリカの影響を受けている見たいだし
航空本部全部が独逸の方向を見ていた訳ではないだろう
キ-60に翼内砲が付いた写真は見た事無いのだが
考慮はされたが結局載せなかったのではないのか・・・・・・・
キ-61に独逸から届いたマウザー砲を現地に改修班を送っただけで搭載出来たのは
初めからその様に作って有った訳で、キ-60もそうだったのではないか・・・・・・
ホ-3の弾はゾロターンの対戦車用の模倣のようだから
独逸の流れで有るといえなくも無いが・・・・・・・少々苦しいか・・・・・・・
>>681 高高度と液冷は無関係だよ。
それにMG151購入は独ソ不可侵後じゃないのか?
あと、キ60は図面残ってる(市販もされてるよね)
キ61の場合も桁の一部も交換してるから簡単な作業じゃないよ。
単純に改修キットだけ送って現地だけで作業させられなかったので
「改修班」という専門集団を派遣して、組み立てなおしをさせたわけ。
だから最初から交換前提で作ってたわけではないんだな。
他に選択肢が無かったんだろう
ホ-103では威力が足らないし、ホ-3は単発機には積めないし
ホ-5は故障多発と首が回らない状態で・・・・・・・・
それより独逸がよく渡したよなあ、とてもそんな余裕が有ったとは思えないんだが・・・
>>683 ドイツは43年まで国家総動員体制でなかったぐらいで
生産余力と国家の発注では前者が余ってたんで、金さえ出せば買えるのだ。
総動員体制と戦略爆撃の効果が出てくるとそうも言ってられなくなるけど
1941〜42だったらドイツ的には結構余裕。
もっと買えた訳だ・・・と言うか買いたかった・・・・
輸送方法がなあ・・・・・・
自前で潜水艦作り始める訳だ・・・・・・・・・・・
>>685 いや陸軍の潜水艦は欧州になんか航続力が足りなくて届かない。
あれは空襲回避できる舟艇なんで、全然無関係だよ。
ちなみに購入は2000門だったらしいから
40%の800ってのは、かなり割高だったろうな(元々高い値段つけてるし)
いやその・・・冗談なんだが・・・
ちなみに発注の時期は何時なんでしょう
結局ホ-5の開発がはかどらないので苦し紛れの発注だったのだろうなあ・・・
始めのシナリオでは15年に発注し開戦に間に合わせる予定だったのでは・・・
昭和10年にはエリコンのモーターキャノンが日本に有りテストしていた・・・
マウザーのMG151の開発が始まるのが、ちょうど10年頃らしい・・・
独ソ不可侵条約が14年で、ホ-5の開発が始まるのが15年・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スレ違いだが、いつもの妄想をば・・・
ノモンハン事件は独逸にそそのかされてポーランド侵攻の側面援護をしていたのだと思うのよ
独逸がポーランドを占領しフランスに侵攻した後、共にソビエトに攻め込むつもりだった
つまり始めの開戦のシナリオでは、海軍が真珠湾を攻撃すると同時に
関東軍がソビエトに攻め込む・・・その為の関特演だった・・・
ところがヒットラーは日本に不可侵条約について教えてなかったので
不信感を持った日本政府は南方進出に切り替え、関特演は囮作戦になってしまった・・・
ヒットラーの誤算は、日本には彼やスターリンに匹敵するような政治家がいなかった事だろう
日本のトップはコロコロ替わるために、政治に一貫性が無いからねえ・・・・
>>689 だからホ3の存在を無いものにするなよw
ホ3はイマイチでホ5が遅れてるから穴埋めにMG151が求められたんだよ。
輸入装備を中核にできないことは日清、日露、一次大戦で判ってるはず。
有るとしたらMG151の国産化だろうが、既にホ5に着手してるから否定されるな。
あと、妄想も何も、南進=対米戦なんだから
真珠湾攻撃と同時に南方押えないでどうするんだというか
南方攻略の為の支援作戦が真珠湾攻撃なんで、主役は南方攻略だぞ。
ありゃりゃ、投稿されて無い・・・・
どっかに誤爆してしまったかw
さて、ホ-3に拘っているようだけど対戦車自動砲用に作られた弾では
反動が強すぎて翼に積み込めなかったのだろうが、そんな事は開発段階で判っていただろうよ
しかしホ-5の開発が遅れている段階で、アメリカの重爆迎撃用に20粍が如何しても必要なので
二式複戦に積んだだけだろう、何せB25の東京初空襲には97戦が迎撃に上がっている始末だから
問題は昭和10年頃にエリコンの開発を止めてから15年にホ-5の開発を始める間
陸軍は何をしていたのかと言う事・・・MG151が出来るのをじっと待っていたのではないか・・・
MG151の国産化はやっていたみたいだよ
岩堂憲人著「機関銃・機関砲」によると、どうやっても上手く作動せず諦めたらしい
時期が何時頃なのか書いて無いんだが、16年に輸入したMe109に付いて来たと
書いているからその頃なんじゃあないだろうか・・・18年過ぎかも知れないが・・・
南進=対米戦では無いよ・・・・
日本が独逸と一緒に対ソ戦を始めてもアメリカは参戦してくると予想していたから
昭和3年から対フィリピン攻撃用の九二式重爆を開発していたのではないかい・・・
北進しても南進してもアメリカ参戦は必至だろうよ
その場合グアム・サイパン・フィリピンを占領しないとならないと言うのが日本の戦略だろう
>>691 だからエリコンからホ5の間に作ってたのがホ1/3なんだよ。
それがどうも良い感じに進まないからホ5に進んだだけ。
それと人が構えられる対戦車ライフルベースの
九七式自動砲と同じ弾の反動に耐えられないってなに?
もっと大威力のイスパノだって色んな飛行機が主翼に積んでるし
ヤワいといわれる零戦だって30mmを積んだ例がある。
ホ3を積めるように頑丈に作ることが不可能だとは思えないし
キ60はそういう要求で設計されてる。図面市販されてるんだから確認してみたら?
それと別に戦略方針のスレではないから簡単にするけど
南方の資源地帯押えたら、フィリピン確保しないと海上交通線が通らない。
だから対米戦=フィリピン攻略=南方資源地帯なんだよ。
逆に言うと対米戦するのに資源地帯押えないなんてあるわけないだろ?
あと、言っとくが
キ45改はキ43/44と連番な様に同時期の計画で
13年度開発方針の複座戦闘機の項に
「機関砲装備につき研究す」にあるように
最初から砲搭載も考慮されてる機種なんで
その機関砲がホ3なのは、それしかなかったから。
14年度に37mm砲も開発方針に加わってるから
その完成までの繋ぎだったんだろうというのはあるが。
常識的な答えだなw
歴史上の事実だからケチを付ける気はないが、はたして航空本部が国産の機関銃をどのくらい信用していたのか・・・
陸軍の中で舶来信仰が一番強い部所だからなw
>>694 そりゃあ国産の以下略な機関砲は嫌だったろうさ。
海軍の20mmやドイツ製が出回るころだと
実用レベルにも達してないホ5なんか泣けるほどに悲しかったんじゃない?
だけど方針は参本や技本も含めた会議で承認されないといけない。
どれだけ航本に舶来信仰が強くても
高価で届かないものを承認するほど参本以下はバカじゃないよ。
参謀本部は馬鹿ではないけど賢い集団ではないような気がするなw
個人個人は秀才なんだろうけど派閥が出来ると可笑しくなってしまう・・・
陸軍は昭和の初めから内紛と言うか内ゲバ・勢力争いをしていたし
東条陸軍次官は日中戦争が泥沼化しているのに対支対ソ二正面作戦なんて言い出している
始め聞いた時はナニ考えているんだと思ったんだが
もし日独の間に密約が有って共にソビエトに攻め込んでいたら歴史が変わったかも知れない・・・
石油も鉱物資源も幾らでも手に入るだろう・・・
特に陸軍にとって嬉しい事は補給路を海軍に依存しなくて良い事だろう・・・
所詮絵に描いた餅でしかないがな・・・・・・・・・・・・・・・
もし共に戦おうといていたのなら機関砲ぐらい幾らでも売ってくれたろうよw
>>696 東条さんは次官になる前は関東軍の参謀長だったんで
対ソ前提で話をするのは当たり前のことだぜ。
元々満州は対ソ戦の緩衝地帯として確保されたわけで
その満州を握ったことで支那と戦争になったって流れなんだから
対ソを念頭においた対支になるのは常識的な思考だ。
あと、ドイツには油ないんだが?
ソ連を完全占領すればソ連の資源は手に入るだろうけど
それが何年後になるのかね。それまでどうやって食いつなぐんだ?
だから絵に描いた餅なんだな・・・
アメリカに供給を止められた時どうするかが日本の課題だったろうが
そんな時に独逸が話を持ちかけて来たんじゃあないか・・・・
共同で占領して分け合おうと・・・
まあ独逸は日本に期待していた訳でなく、ただ参戦させれば極東のソビエト軍を
牽制できると考えたんだと思うが・・・・・
海軍も戦線を拡大せずにアメリカ艦隊を待ち構えられると賛成したのではないか・・・・
南方進出もシーレーンを確保できず負けた訳だから
どっちに転んでも負けた・・・・・・・究極の選択と言うところだろうよ・・・・
>>698 ソ連の油を得るにはソ連に勝たないといけないんだぜ。
その間の勝利して占領するまでの油は何処が出してくれるんだ?
そしてそれをどうやって届けるんだ?
究極もなにも成立の余地が無いだろ。
それにここは銃のスレだ。ヨタ戦略論は別のスレにしてくれよ。
兵器の開発について時代背景を考えなくてどうするのかとw
研究方針書や図面どんなに研究した所で出てこない事もある訳でwww
某情報担当参謀の手記に独逸駐日大使館は当時活発に活動していたそうだ
その中にゾルゲも居た訳だが・・・・・・・・・
独逸の宣伝は非常に上手かったからねえ
つまり液冷発動機や航空機関銃・砲は日本を釣る為の餌だった訳だ・・・
日本の技術者には作れない凄い物見せられて、その気になっちゃった参謀連中が
上層部を突付いて蘇満国境でドンパチやった挙句ノモンハンで潰されたということだろう・・・・
ところで、ホ-5の弾薬は何を元にして開発したんだろうねえ・・・
サイズ的にはMG151/20の弾を参考にしたと思えるんだが・・・・・・・・・・・
701 :
名無し三等兵:2007/02/14(水) 20:22:36 ID:PZutbG3Y
なんでお前らはそんな事に詳しいんだ?w
>>700 ノモンハン事変は、関東軍と参謀本部で180度態度違うんだぞ。
事変以前から対ソ連融和策を推進していた参謀本部と
中央にもソ連にも不信感バリバリな上、兵力を支那方面に抜かれて
不愉快な関東軍の対立という図式がノモンハン事変の裏にある訳だ。
次官に就任した東条さんの支那ソ連両面なんて話も
参謀本部と関東軍の和解を画策しようとする動きともいえる。
まあ相手を見ないで国内の政争の道具で戦争するあたり腐ってることこの上なしではあるが
これをドイツに萌える参本が以下略という風に結びつけるのはかなり難しい。
またこの参本の対ソ方針は支那戦やってるんだから面倒増やしたくないというのと
上手くすればソ連油を輸入したい(アメリカ依存からの脱却)という目論見から。
だからドイツとソ連の不可侵条約も、参本的には歓迎だったりするのさ。
どっちかというと、ポーランド侵攻以降の、戦争になって金の必要なドイツの立場から
一気にドイツ製品の購入熱が増加したと見るべきだったりする(商談は39年冬から盛り上がる)
703 :
元空士長:2007/02/14(水) 21:37:48 ID:???
スレ違いだと怒られそうだがw
参謀本部が完全に統制されていたかどうかの問題だろう
板垣陸相は最終的にノモンハンの攻勢を認めたんだから
当時の政府や外務省もどちらかというと独逸よりだったのではないか・・・
だから独ソ不可侵条約の衝撃で総辞職しているようだし・・・
陸軍としては最終的にソビエトの極東軍の力を見極めるつもりだったのかも知れないが
ケチョンケチョンにやられてしまった・・・
戦車も速射砲も重砲もアウトレンジで打ち負かされるし、空も対戦闘機は何とかなったが
対爆撃機には7.7ミリのみでは威力不足と認定されたわけだろう
独逸製品の購入熱が盛り上がるのも当然な気がするが・・・・・・・・・・・
ノモンハン事件は兵器の開発者にとって見れば悪夢だったろう
威力・射程共に劣っていて且つすぐに改善の見込みがなかった訳だ
陸軍としては国内開発に見切りをつけて独逸から製品を輸入してコピーすればと
考えても可笑しくはないと思うが・・・・・・・・
ところが航空機関砲については何故か国内開発の方向に進んでいる
いつもの妄想だが、ノモンハン事件の粛清人事で閑職に追いやられた連中が・・・
つまり対ソ戦推進者とラインメタル推進者が同じグループだったのでは・・・・
陸軍工廠で開発していただろうホ-3は翼には詰めなさそうだし
中央工業が独自?に開発していたブローニングのコピーに光が当たるようになったのではないか・・・・・
>>706 いや、だからノモンハンのスレ行けって。
それから、ホ3を翼に積むようになってるキ60の図面も見ろ。
あと、言っとくけどさホ3は日本特殊鋼だから。
結局積まなかった件について・・・・
人の批判はするが自分からはネタを振らない者が居る件について・・・・・・・・・
ネタ振りとして妄想したってしょうがないだろーw
まあ、地味に盛り上がって来ている訳だが・・・
妄想が駄目なら今度からは仮説と書く事にしようw
>>711 論拠になるべきものが無いのでは仮説にもならん。
あとさ、日本特殊鋼のホ3はネタ振りなんだが?
以降の陸軍の航空機関砲開発が中央工業主体になる流れとか
干された日本特殊鋼が海軍に近づいて(17試)五式30mm機銃を開発してしまい
19年に陸海共通試験をやって17試がホ155に勝利し
一時は陸海共通機関砲にしようという話に進むんだよね。
実は17試の量産工場の豊川海軍工廠って名古屋陸軍造兵廠の出店なんだよね。
ホ155の生産は千種と熱田で、これは名古屋の分工場。
何をやってるんだかなぁ・・・。
また中央工業は17年に日本特殊鋼の放り出したホ3を改造したホ4の試作をし
同時期、日本特殊鋼は海軍の九九式の改造をやってる。
どっちも弾倉式からベルト式への改造なんだけど、ここらも何か興味深いね。
ホ-3は情報が無さ過ぎて仮説も立てられない件について・・・
確かホ-1・3は九七式自動砲の改良型であると書かれているんだが
九七式を設計したと言われている銅金閣下と日特は仲が悪いんだよねえ・・・
そうなるとホ-3は日特独自に設計したものなのか・・・
中央工業は基本的に南部閣下の会社だし銅金閣下は元部下だから
陸軍の機関砲開発の主体が中央工業になるのは当然な流れなんだが
なんか泥々とした人間関係が見えてくるなw
日特には技術本部からも人が行っているんだが、反銅金派だったのか・・・・・
又戦後62式機関銃を開発した日特金属は日本特殊鋼の流れだし
64式小銃を開発した豊和工業の顧問には銅金閣下が就任していて
設計者は元部下だしと、こればかりはどうにもならんらしいw
津野瀬光男著「幻の機関銃」によると、陸軍航空研究所から
日特に20ミリと37ミリの機関砲の開発の依頼が来たのは昭和14年の4月らしい
なんで航研からなのか・・・それに文脈からすると日特が独自に開発した
37ミリ対空機関砲を航空機に積もうとしていたのでは・・・・
20ミリはついでと言うか37ミリが駄目な場合の保険だったのではないか・・・
14年度に37ミリが方針に追加されたのはこのためだったのでは・・・
やはりホ-1とホ-3は別物なのかねえ・・・構造が解らないとどうにもならん
ただエリコンのモーターキャノンの代わりに開発して居たのでは無いような気がするが・・・
>>714 ところが37mm砲のホ203は中央工業と小倉造兵廠なんだよな。
日本特殊鋼じゃないわけで。
ホ5と競争試作になったホ4はホ3改なのに、どっちも中央工業。
昭和14〜16年あたりで、急に日本特殊鋼が干されるのは何故だろうね。
あとホ1と3は事実上同じもので、ホチキス20mm高射機関砲のコピーらしい
高射機関砲をアレンジしたのが九七式自動砲ということなので
97の改良型ではなくて、97がホチキス及びホ1/3の改良型というのが位置づけ的には正しい。
津野瀬さんの本にはホ-203は日特が作っていたと書いて有るけどねえ・・・
まあ、あの人の本にはポカが多いことも確かだけど・・・・
14年に日特が完成させたのは機関砲では無くてただの砲のようだし・・・
>>97がホチキス及びホ1/3の改良型というのが位置づけ的には正しい
そら可笑しいだろう・・・登場時期が九七式自動砲の方が全然早いし
技術本部が航空研究所が発注した機関砲を何で真似しなきゃあならんのよ
日本の機関銃・砲は殆ど外国製のコピーだから
日特がホチキスを真似ただけだろう
>>716 そのとおりで、ホチキスのコピーなのはどちらも同じだけど
ホ1/3と九七式だと独自度っていうか原型への近さをいうと
ホ1/3のほうがホチキスそのものだってことね。
ところで日特の人間がホ-203を日特で作っていたと証言しているのに
なぜそうでないと言えるのか・・・その根拠は何なのか・・・・・・
ただ、よく読むと作っていたとは言っているが設計したとは言ってないんだよなァ・・・・・
そうなると日特は下請け的な状況だったのだろうか・・・
工場はホ-203の生産で手一杯だった様だから
設計部門は暇になってしまう・・・
そのために海軍の仕事をするようになったのでは・・・・・・・・・・
>>718 陸軍側が「陸戦兵器の全貌」でそう書いてる。
戦後直ぐに書かれたものだから記憶違いってことも無いだろう。
陸戦兵器総覧も陸戦兵器の全貌も未だに入手出来てないんで何とも言えないんだが
記憶違いが無くても思い違いは有りえるのでは・・・なにせ陸軍は巨大な組織だから・・・
昭和14年以降の航空機関砲の採用は皆競争試作だった見たいだから
競争に勝ち抜いた中央工業と小倉造兵廠設計のホ-203は当然そこで作っていたと思ったのでは・・・
ところが航空本部は余裕のある日特に生産させたのではないか・・・
中央工業と小倉造兵廠にはホ-103とホ-5を優先させて生産させるつもりだったのではないか・・・
ホ-105なんてのもでてくるしなァ・・・・・・・・
>>720 だから陸戦兵器の全貌には
試作参加したのは小倉と中央工業だと書いてあると言ってるの。
製造したからといって試作参加してないのは珍しくもないでしょ?
だから特殊鋼で量産したかどうかは、否定も肯定もしてないよ。
そして日本特殊鋼は陸軍管理工場で
航空本部はこの設計チームを飼い殺ししてたわけだが、それは何故だろう。
暇だから海軍の仕事をしたということは
陸軍は彼らに仕事を与えなかったってことだ。
そして、中央工業はホ103どころかホ5開発の初期まで、陸軍管理工場ではなかったらしい。
ここらも、面白いね。既に管理工場である日本特殊鋼から乗り換えたのは
航本が技本とは別の繋がりを模索した結果だったのかもしれない。
海軍が特殊鋼に近づいたの20mmに着手した時からだそうだから
海軍と陸軍の20mm砲に関するややこしい軋轢なんかも影響してるかもしれんな。
佐山二郎著「日本陸軍の傑作兵器駄作兵器」に日本特殊鋼の概歴が書いて有るけど
大正十年に海軍指定工場になってるし魚雷の燃焼室なんかも作っているから
あくまでも民間の会社と言う立場で有ったのだろう
17年以前は陸戦用の砲なんかを作っていたから
この工場にのみ陸軍が補助金を出していて陸軍の思うように動かせたのではないか・・・
結構大きい会社で本来は鋼製品が主力であり兵器課はほんの一部分でしかなかったようだよ
部に昇格したのは18年でこの後は海軍の5式機関砲の開発をしていた模様・・・
陸戦用と言うことは技術本部の管轄なんだが
軽機関銃や自動小銃の試作で駄目出しを受けて銅金閣下周辺と仲が悪くなり
航空本部に近ずいたがやはり陸軍と言うことで中央工業の立場が上で
結局は海軍に仕事を求めたのではないかい・・・
中央工業は南部閣下の政治力と商社が出してくれた資金が有ったから
補助金を受ける必要が無くそのためにある程度自由に研究が出来たのだと思うのだよ
つまりラインメタルマンセーだった陸軍に反してブローニングを研究していたのではと・・・・・
陸軍の火砲研究者の多くはフランス留学組なんだ。
だからラインメタル派閥ってのは実は技術本部には存在しない。
もちろん技本の専門家は実物見てその凄さに感心して
技術導入の必要性を感じてるし、コピーにも熱心だけど
ドイツものなら何でもオッケーというニュアンスじゃないんだよね。
彼らにあったのは自分達には無い技術に対する貪欲さであって
ブローニングだってオブコフだって同様に貪欲に吸収しようとしている。
だから、そういう意味ではラインメタルとブローニングは
どっちも真似であるという部分で同じノリなんじゃないかな。
帝国陸軍航空機用機関砲
☆12.7粍
ホ-101 瓦斯圧式
ホ-102 ブレダ12.7粍機関砲のコピー(12.7×81SR)
ホ-103 ブローニングのブレダ弾使用のコピー 中央工業
☆20粍
ホ-1 100式重爆の旋回機関砲
ホ-3 98式対空機関砲改?(20×125) 日本特殊鋼
ホ-4 ホ-3のベルト給弾使用 中央工業?
ホ-5 ブローニングの20粍使用(20×94) 中央工業
ホ-12 ブローニングのホ-1弾仕様?
MG151/20 独逸製
☆25粍
ホ-51 ホ-5の25粍仕様?
☆30粍
ホ-105 日本特殊鋼製?
ホ-115 ?
ホ-155T ブローニングの30粍仕様(30×114) 名古屋造兵廠
ホ-155U ブローニングの30粍仕様(30×114) 名古屋造兵廠
☆37粍
ホ-202 98式37粍機関砲?
ホー203 製造は日本特殊鋼?(37×112R)
ホー204 ブローニングの37粍仕様?
☆40粍
ホー301 エリコンの40粍仕様ケースレス弾(40×135) 中央工業?
☆57粍
ホー401 ホー203の57粍仕様(57×121R)?
日本特殊鋼はガス式、造兵廠はブローニング、中央工業は何でも・・・・
困ったときの中央工業と言ったところか・・・・・
名古屋造兵廠の機関砲工場って事実上中央工業の支店なんだけどね。
ホー203の構造が良く解らないなァ・・・
Webには反動式のロングリコイルとか書いている所が有るけど
あのサイズで収まる物なのだろうか・・・
日本特殊鋼で作っていたとなるとガス式だったのではないだろうか・・・・・・
>>727 特殊鋼で開発してないんだから関係ない。
砲身はヴィっカースのコピーで有る試製九四式三十七粍機関砲に似ているけど
機関部が小さいし砲身の下にガス管見たいのが見えるから
反動とガスの両方の方式を採用しているのでは・・・・・・・
どちらかと言うと九七式自動砲の流れなのか・・・
あと考えられるのはラインメタルの一式三十七粍対空機関砲改だけど
はたして国産出来ていたのか・・・・・
Gakkenの四式戦闘機疾風143ページの写真に写っているホ-3の弾は
九八式高射機関砲の弾ではないのか・・・
しかし、世界兵器図鑑の写真とは微妙に違うような気もするが・・・・・
この本の中に出てくる九七式自動砲の弾とも違うようだし・・・・・
結局、決め手は無いと言うことなのか・・・・・・・
世界兵器図鑑に出ている九七式の弾の写真はホ-5の弾なのね・・・
日本陸軍が輸入したMG151の薄殻榴弾はコピー出来なかったみたいだけど
他の弾丸はコピーできたのかな?
>>733 ところが薄殻榴弾は日本でも生産されているという事実・・・。
生産出来たのと実戦配備できたのかでは意味が違ってくるが・・・・
それより薄殻榴弾はB29相手に効果が有るのだろうか・・・
弾量は軽くなるから弾道性能は悪くなるような気がするし
肉迫しての射撃では数発しか当てられない訳だから
ある程度貫通してくれないと効果が出ないような気がするが・・・
結局は大口径化の方向に進むわけだから無理して作る必要は無かったのでは・・・・
>>737 ドイツ式の鉄薬莢用の工作機械が国産できるようになったので
薬莢製造以外にも回せるようになったってだけなんだがね。
この時点で陸軍の主力機関砲がホ5だったからそれ用だっただけで
30mmのホ155が主力になったら30mm弾に切り替えるのは難しいことでもない。
つうわけで、無理して作ったってわけではない。
必要ないと判断されたら薬莢作るのに回るだけだ。
いやさ、果たして使い物になったのかどうかが問題な訳で・・・
なんか情報があまり無い所を見るとどうなんだろうかと・・・・・・・
>>739 量産に入ったのが末期だから殆ど使ってないんじゃない?
どうせ30発必要なのが25発になったって実感無いだろうし。
ところで、DB601にエリコンの銃身を通す隙間が無かったと言うのは本当なんだろうか・・・
独逸はエリコンを初めからモーターキャノンとして使うつもりが無かったような気がするのだが
E型以前の型でもMG17はテストしててもエリコンは使っていなかったようだが・・・
ラインメタルとエリコンは裏で繋がっていたとしても、何か問題があったのではないか・・・・・・・
技術的に上手くいかないための言い訳でしかないと思うのだがね・・・
エリコンは連合国側に売りまくっているから
再軍備宣言後は結構ドライな関係ではなかったのか・・・
その辺が陸軍がエリコンを使うのをやめた原因だと再度言ってみる・・・・・
>>744 DBエンジンの写真でも見れば判ると思うが
無理やりカム駆動ギアを中空にして、そこに砲身を通してるんだよ。
カムは減速比と方向変換の都合があるから、極端なサイズは選びがたく
逆に位置は工夫できる(一つのギアで両バンク駆動を諦めれば)ので
最初から砲身通す気だったらカム駆動ギアをそんな場所に置かなければ
かなり太い砲身でも通せたはず(例えばイスパノ系を使ったソ連では45mm砲まで通した)
技術の問題ではなくて、エンジンの形が決まってから泥縄で対応したんだ。
戦闘機にモーターキャノン搭載するのは初めからの予定だと思ったから
DB搭載が想定外ということなのだろうか・・・・
DBは爆撃機用に開発されたのか・・・・
モアパワーはどこの国でも一緒なのね・・・・・
モーターカノン前提なら倒立にしないと思うけどねぇ・・・。
日本はモーターキャノン専用発動機として倒立V型16気筒のハ-11を作っていますが何か・・
時期的にはDBの開発が始まる前ですが何か・・
当時の日本では組み立て式クランク、オール転がり軸受け空冷なんて予想しますが何か・・
これは何処の影響なんでしょうか・・・・・・・・
まあモーターキャノン採用するのに正立も倒立もたいして違いは無いと思うけど
>>748 フランスだよ>影響
モーターカノンで厄介なのはV12だと60度になるってとこでね。
DBのカム駆動ギアをみれば判るように
90度で振り分けたいカム駆動ギアが、バンクの間に浮かび上がってしまうんだ。
V16気筒だと90度で作れるんで、この問題が無くなるんだな。
そして正立Vだとバンクの底近くにカム駆動ギアが来ても、その上に砲身を置いてしまっても構わない。
だけど倒立だと逆に地面側に砲身が近づいてしまうことになる。
砲身はペラ軸を通すから、ペラ軸が、正立では上に上げられるけど
倒立では下に下げないといけない。凄く不利なメカニズムになるのが判るかと思う。
つうわけで60度V12の倒立で軸内砲ってのは面倒が多いシステムなのだ。
フランスでもゲテモノ扱いではないか・・・特に軍用としては
ゲテモノ好きはお隣の国の方だと思うのだが・・・
なんで面倒が多いシステムを日本がやっていたのかが問題な訳だが
昭和10年以前に四発重爆作ったりモーターキャノンや倒立発動機作るのが
日本人の発想だとは思えないんだがね・・・・
川崎は独逸のメーカー一辺倒なのに何でファルマン系の発動機を作ろうとしたのかねぇ・・・
当時は解らない事が多いような気がするんだが・・・・・・・・・
何か資料が有ったのでしょうか
三菱で作っていたと言う記述は見つけられ無かったのだが・・・
唯一見つけたのは、ドイツにDB買い付けに行った人の文書に川崎でと書いて有った・・・
独逸としては敵国であるフランスの最新の技術は知りたいけど教えてくれるはずも無い・・・
その頃日本はフランスから技術者その他を招いて必死に勉強中だった
しかし裏では独逸と極秘で重爆を開発していた・・・
スイスと独逸のドス黒い関係なんて日本は言える立場ではないのかも・・・・・・・・
>>754 普通に英仏米のエンジンを購入して
ライセンス生産の契約も何種類もやってるのだが?
755はドイツの話な。
技術と国家戦略上の対立がイコールになるのは冷戦からで
それ以前はしょっちゅう組む相手だって変わったんだから
技術導入や交流は全く別の軸で動いてるんだよ。
独逸と日本が各国から技術を買い漁って軍事力を増強したため
それに懲りたアメリカは冷戦時に技術と国家戦略をイコールにしたのだと思うのだが・・・
特にアメリカが重爆の開発に乗り出したのも、迎撃用戦闘機を作リ始めたのも
日独共同開発の九二式重爆の情報が流れたためだと思うのだが・・・・・・・・
>>757 だから戦前と戦後では違うってことだよ。
それにアメリカ陸軍航空隊の戦闘機は基本的に全部「迎撃機」だ。
名前からしてパーシュータだろ。
だから何を迎撃するのかが問題な訳だ・・・
脅威がなければ必要ないだろう
>>759 全世界のあらゆる爆撃機だよ。
当時のアメリカは引きこもり戦略だったんだから
どこの国がどう強襲してきてもそれに対処するつもりだったのだ。
もちろんフィリピン防衛なんかが目的じゃない。
その証拠にフィリピンは開戦時旧式戦闘機の巣窟だったんだぜ。
果たしてアメリカに脅威を与える爆撃機が当時どれだけ有ったのか・・・
面白いことに日本の四発重爆開発を追うようにして重爆開発を始めている
まあ脅威を異様に拡大解釈して国内開発を督励するのは何時もの事みたいだが・・・・
迎撃用に20ミリを飛ばして37ミリを装備しようとしていたところを考えると
かなり本気であったのかもしれない、実際には12.7ミリの多連装で十分だった訳だし・・・
フィリピンは初めから棄て駒だった訳だろうよ・・・
アメリカの戦略は日本に先に撃たせろ、ヨーロッパ優先で太平洋はその次で有った訳だし・・・・
>>761 あのさ、ここは一応銃砲のスレなんでな。
戦略思想の是非を語り合う場ではないんだよ。
妄想したいならそういうスレに池
ところで99式短小銃なんだけどよ、この鉄砲の照準器の形が変なんだけどなんで?
ヘンってナニが?
なんかさ左右にバーが延びていているんだけど。
他の小銃にはそういうの見当たらないくてなんじゃろコレっと思ったのよ。
ほえぇー対空用かよぉ、凝り過ぎだぁ。
機関砲の話を書いてるつもりだがなw
さて、日本や独逸は重爆の迎撃用に20粍のモーターキャノンを選んだのに対し
唯一四発重爆を開発できたアメリカは37ミリのモーターキャノンを搭載したP39を開発した
高空を高速で飛ぶ重爆を射撃出来るチャンスは余り無いから
一発の威力を上げなければならない事は日独共に思い知る訳だが
その性能を良く把握していたからこその選択なのか・・・・・
P39の初飛行は1939年の11月だそうだから、それ以前に日本に情報が流れる
事は十分考えられるから昭和14年の研究方針に37粍が追加されたのは
アメリカの影響と考えるべきではないのか・・・・・
まあP39はこけちゃう訳だが、その必要が無いことが解ったからと考えれば可笑しくないような・・・・・
>>768 P-39は同軸砲だけどモータカノンじゃない。
また37mmは米軍でも1939年初飛行のP-39が先鞭ではない。
同じベル社のXFM-1(海軍機じゃないぞ、陸軍航空隊)が1937年に初飛行している。
当時としては画期的(というか奇想天外)な双発戦闘機で
キ45改屠龍等はこの影響(双発大馬力機に大口径)を見るべきだろう。
こいつの37mm砲はオランダのマドセンの開発したもので
それを自動車屋のオールズモービルでライセンスしてP-39やP-63に積んだ。
米国的には本命は同じマドセンの23mmだったらしいが
どうもこの機関砲は失敗作だったようで、多くの試作機の搭載予定にはあったんだが
結局モノにはならなくて、代わりに12.7mmを積んだり
イスパノ20mmを積んだりしたというのが真実だったりする・・・。
さらにドツボにはまるネタとしていうと
米軍期待のステキ戦闘機であるXFM-1は、双発長距離戦闘機で
その目的は同時期に開発したB-17の護衛用だったのだ。
つまり、37mm砲は爆撃機迎撃用ではなくて
敵迎撃機(戦闘機)を一撃粉砕するつもりで選ばれた武器だったりする。
少なくとも7.7mmよか射程は稼げるだろうからね。
つまり後世の目からみた「正解」である大口径による爆撃機迎撃は
米軍ではそれを第一目的とはしてなかったわけだ。
P39は護衛戦闘機ではないだろう・・・
あれの開発目的は何かと言う話なのだが・・・・
それに搭載機関砲はブローニングの37粍でなかったか・・・・・
>>771 P-39は汎用の戦闘機だよ
でも、その前に既に航空37mm砲はマドセンが各国に提示していて
米国はそれを購入して、まずは護衛戦闘機に積んだということだよ。
あとブローニングの37mmは陸軍の高射機関砲としては使われてるけど
飛行機に積んでいたのはオールズのマドセンライセンス品なのだ。
つうわけでな、ネタフリやるなら戦前10年分ぐらいの
各国のやってることを押えてから始めたほうが良いと思うぞ。
戦争中に実現化されたものの多くは、その時期に萌芽があるんだから。
双発多座の長距離護衛機の大失敗例として語り継がれてるな。>XFM-1
爆撃機を殺る目的で37mm積んでるのはXP-72とかのあたりかな。
37mm四連装で総搭載弾数果たして何発だったのやら。
微妙に論点がずれている件について・・・
まあマドセンの37ミリは知らなかった訳だが、大口径を対戦闘機用に搭載するとは思えんのだがね
P39はもともとは高高度用に過吸器を装備する予定ではなかったか・・・
仮想敵が何をやっているかと言うことは非常に気になることだと思うがね・・・・・・・・
>>774 XFM-1は試作初号機がクソだったのに
増加試作機が14機も追加発注されてるあたり
米的にはイケテル発想だったという面は無視できんぞ。
例えば一式陸攻や一〇〇式重爆の20mm砲だって対迎撃機用の自衛武装だろ?
大口径=対爆撃機という思い込みは必ずしも戦前の流行ではないのさ。
WW2前のトレンドだと空中戦艦みたいなのが良しとされたんだっけな。
で、主力機は大口径砲を搭載して迎撃機をアウトレンジで破壊するってやつで
米軍の37mmもその流れじゃないのかな?
帝国陸軍は九二式重爆に二十粍旋回機関砲を搭載したが
それと並行して二十粍固定機関砲を試作している・・・
攻撃兵器を作れば仮想敵も同じ物を作るだろうと考えるのは当然なことで
これを攻撃する兵器を配備するのも当然なことではないか・・・・
九二式重爆は失敗だったけどアメリカは成功して且つ迎撃用に37ミリを採用した・・・
こんな情報が入ってきたらどうするか・・・・
アメリカは四発重爆を撃墜するためには37粍が必要だと判断したと分析するのではないか
ようは腹の探り合いである訳だが、研究を始める動機には十分だろうよ・・・・
ホ-203が17年に配備出来た理由はその辺に有るのではないかと・・・・・・・・・・
重爆の護衛をどうするかは各国とも頭の痛い問題だから色々考えるだろうよ
日本は防御を無視して軽量の機体にドロップタンクを装備と
アメリカからすれば信じられない事をした訳だがな・・・・・・・・・・
>>777 んだから37mm砲はオランダ製で、世界中で知られてるんだよ。
そして爆撃機護衛用として日本が作ったのはJI1Nだ。
J1Nは海軍機として初の防弾を備えた重防御戦闘機だし
同様の思想で作られたキ45改は陸軍機だから当然防御している。
どこに防御を無視した機体でドロップタンクなんて話があるのかな?
37粍機関砲は一説では明治の頃から地上用としては開発していた訳だから
マドセンが有ったとしても影響を受けたとは思えんのだが・・・・
航空本部が驚いたのは単発機のモーターキャノンとして搭載されたことだろうよ
何せ日本は20粍でさえ配備出来ていなかったのだから・・・・
>>779 驚いたからなんだと? 趣旨を明確にしてくれよ。
P-39が存在していなかった昭和14年に37mm砲の計画が始まるわけで
日本の37mm砲と米軍機の影響を述べるならXFM-1しかないだろ?
そして37mmを実際に積んだキ45改を見れば、そっちのほうがまだ影響を論じれるだろ?
そしてP-39はモターカノンでは「無い」ということも理解してから話を進めてくれ。
まあ個人的には、まだしもJ1NのほうがXFM-1の思想面の影響が強く
キ45改はポテーズ630系の影響を見るべきだと思うが。
どっちにしてもP-39が日本に影響を与えるのは15年計画以降になるんだよ。
同軸砲とモータキャノンを別ける意味が解らんね・・・
そんなのは分類のための分類でしかないと思うが・・・・
アメリカの場合、完全に極秘ではなく仕様書位は出てくるんじゃあないのかねえ・・・
予算通すには議会の承認が必要な訳だし・・・特にアメリカは議会の力が強いから
アメリカだからこそ37粍採用は説得力があると思うのだが
欧米の最新の技術を確たる根拠も無く直ぐ取り入れようとするのは日本の性癖の一つだしw
まあ何時もの根拠の無い仮説だがねwww
>>781 モーターカノンは大重量のエンジンに砲をくくりつけることで
当時の貧弱な機体で大口径の反動を吸収しようという仕組みで
同軸砲とモーターカノンは求められるものが技術的に違ってくる。
単発戦闘機の機首に大口径を積むという戦術レベルでは同じだけど
技術開発としては全く違ってくるのだ。
そして、オランダが世界中に公開して売り込みをしてて
アメリカが購入して、1937年にはXFM-1が飛んでいるのに
P-39の仕様を見てから着手というのは、どうにも話が繋がらない。
37mm搭載でも、P-38やXFM-1方式なら日本でも真似できるが
P-39方式は技術的に真似するにはムリに近いわけだから
単発機に積んできたということや、それを可能とする技術に衝撃は受けても
既知の37mm砲になんの影響を受けるというのだ?
P-39の真似をしたいなら着手すべきは火砲だけでは足りないんだよ。
お詳しいですなw・・・・だが何時ものように論点がずれているような・・・・・・
37粍の研究は何のために始めたのか・・・・
対戦闘機や重爆の護衛のために37粍は必要ないだろう
P39の当初の目的は高高度を飛んで来る重爆の迎撃だろう
日本の陸海軍共に重爆の迎撃には20粍で十分だと思っていたのでは無いかねぇ・・・・・
だがアメリカは37粍を採用したようだとなれば不安に為るんじゃあないか・・・・・
四発重爆を正規に配備しそうなだけに説得力が有るだろうよ
14年には二十粍のモーターキャノンは諦めている見たいだし
二式複戦に三七粍搭載したのはただ単にそれしか積めなかったからだろう・・・・・・
>>783 対戦闘機戦に37mmが必要ないかどうかは、XFM-1作ったアメリカ陸軍に尋ねてくれ。
それにP-39やP-38の37mm砲が対爆撃機に役立つであろうという事は否定して無い。
大事なのは、何で日本軍がP-39以前に37mm砲に着手したのかということだろ?
これを海外の影響と見なすならば、オランダが宣伝して売り込んでるマドセンや
実際にソレを積んで飛んだXFM-1になるのが昭和14年までの情勢だろと。
また迎撃戦闘機に搭載して爆撃機を撃つのに使うという
戦術面の影響を時系列を無視して考えるなら
真似の出来無いシャフト駆動で搭載したP-39ではなく
双発機の機首に素直に積んだP-38の影響を見るべきだろう。
これらを全部すっ飛ばしてP-39が影響を与えていると考えるには
少し戦前に存在していた各種機材や理屈面を無視しすぎだよ。
そして、もう一つ。
P-39は米軍では3番目に37mmを積んだ戦闘機であるということも考えてみよう。
つまりXFM-1、P-38の次に積んだ機体だ。
XFM-1で飛行機に37mmを積むことが出来て、P-38で迎撃機に37mmを積んだわけで
P-39は、この先の2機種とは違う衝撃、つまりは単発機に積んだというのが凄いのだ。
だから37mm砲を爆撃機撃つのに使うという案の影響を論じるなら、P-38が齎したものになる。
逆にP-39では何もかも真似できないわけで
積む手段の無い機関砲を開発するほど日本は金持ちでは無いぞ。
キ45改の37mm搭載は「双発戦闘機の機首に対爆撃機で37mmを積む」というP-38の真似なのだ。
あ、今思ったんだが、もしかしてP-38が37mm積んでたこと知らなかった?
細かい事に拘るなぁwww
7.7ミリはイギリスだし、20ミリのモーターキャノンと7.92ミリは独逸とすれば
12.7ミリと37ミリはアメリカの影響と考えて可笑しくは無いのではないかねえ・・・・・
>>786 フランスやオランダが37mm砲を販売してて
12.7mmをイタリアが販売しているのに、なんでアメリカになるの?
ageますageます
失敗
結果的に見れば、ホ-103・ホ-204はM2の流れだし
ホ-203はM4を参考にしたのではないかねぇ・・・・
どちらも古くからある機関砲だし・・・・・
これをアメリカの影響と書いても間違いではないだろうよ
まあブローニングの設計が量産に適していたのが原因だろうが
>>790 技術と武装方針の流れは別だぞ。
仮にブレダやイソッタのコピーが上手く動いたら
(イタリア軍では使ってるんだから可能性は無いわけではない)
陸海軍の13mm級はイタリア機銃の亜流になったわけで
偶々ブローニングの技術が良かったというだけのことで
こういうのは「影響」とは言わない。
そして陸海軍が13mmに興味を示した理由に米軍機も影響しているが
英独ソの情報も陸攻や零戦の仕様策定会議で出ているように
米機だけを見ているわけではない(どっちかというとその他大勢の中に米軍機がある程度)
それに日本がM4に触れることが出来るのは
開戦後にP-39の残骸でも入手しないとムリだからホ203とは絡まない。
もちっと当時存在していたものを広く見てごらん。
米軍は仮想敵の一つでしかないんだからさ。
M4は対空用のブローニングでなかったか・・・・
>>792 オールズモービルM4/10はマドセンのライセンスだお。
ブローニングじゃないんだお。
てか見れば一発で判ると思うんだお。
ちなみにYP-38に搭載されたM9はブローニング。
M9はP-63Dにも積まれてたな。37x223SRでM4/M10の37x145Rとは互換性がない。
>>791 話が矛盾しているような気がするが・・・
マドセンが世界中に売り込んでいて、研究方針がその影響なら
当然日本お得意のサンプル輸入・コピーと言う流れになるような気がするが
そういう話は聞かれないねえ・・・・・
>>仮にブレダやイソッタのコピーが上手く動いたら
現実には動かなかった・・・と言うか、初めから上層部はイタリアの機関銃は眼中に無かったのではないか・・・
陸海軍共に独逸の方しか見ていなかったような気がするがね
13ミリはやはりスペイン内戦の影響だろうが、その後陸軍で作られた機関砲は
ほぼブローニング一色に為る訳だから
影響とは言わないと何故いえるのか不思議だねえ・・・・・・・・
>>796 マドセンのサンプル(資料)は日本でも集めているよ(購入予算は付かなかったみたいだが)
日本陸軍は結局ホ203でホチキスの37mmのコピーに走ったようだがね。
それにイタリア機銃は予算使って陸海で試作してるのに、見てないも何も無いだろ?
スペイン内戦の影響で13mmなら
そこで制式銃を大量運用したイタリア空軍の影響を
試作銃があったかどうかというドイツよりも軽く見る理由が判らん。
陸軍がブローニング一色って言っても
ブローニングのメカが優秀だったこととと、日本使えるノウハウが揃っただけで
これは優れた技術を活用しただけのことだろ?
飛行機はライト兄弟のパテントからだから、アメリカの影響だと言い張るようなもんだ。
技術と武装思想や運用構想は別なんだよ。
眼中にないどころか陸航空機銃の12.7mmはイタリアのもののコピーだが?
悪名高い保弾板方式の機関銃もイタリア譲りだ。
ホ203もWW1のヴィッカース37mm(37x123R)弾薬をそのまんま使ってるし、
ブローニング使ってるのは単に日本お得意の「発射機を弾薬に合わせた」
だけだろう。
そういえば、保弾板方式って、本とかだと悪評が多いけど、実際どうなんだろうね。
射撃の持続性が無いとかいう話を読んだことあるけど、記録映画とかの実写場面を見ていると、
装填手が、次から次へと射撃中の保弾板に新しい保弾板を引っ掛けるようにして弾を送っているから、
全然、射撃が途切れないし、ベルト方式に遜色ないように見える。
かえって、ベルト式のほうが装填に手間取るような気がする。
MG42みたいにガバっと上蓋が開いてベルトを噛ませるのなら、装填時間も対したことないだろうけど、
ブローニングM2とか、マキシム系みたいに機銃横の窓から、ベルトを差し込んで、
半装填・全装填なんてやるタイプのほうが余程、時間かかるような気がする。
また、ベルトリンクが一体式タイプや、布ベルト方式など撃ち終った部分のベルトが激しく邪魔になりそう。
他にも、戦場写真とか見ていると、ベルトに挿した弾丸の位置がずれて外れかけていたり、実際、外れて
いると思われるものも結構、目にするから、給弾不良とかも案外多そう。
現在、保弾板方式は無いから、総合でベルト式のほうが良いのだろうけど。
保弾板だと多装弾して振り回せないから対空射撃とかでは不利だろうし
20〜30発の装弾なら弾倉のほうが安心度としては上だから
ベルトと弾倉の中間ぐらいの位置づけとしては微妙に中途半端かと。
厳密には保弾板ではないけど、ボフォース40mmなんかは
途切れることなく弾丸供給することで威力を発揮してるように
弾倉よりは持続射撃に強いし、ベルトよりは扱いが容易ではあるから
嵩張る上に高額な弾倉や、製造や取り扱いに注意の要るベルトよりは
工業力が低くめでも良さそうだから、日本には向いていると思うけどね。
とうとう飛んじゃったかwww
802 :
名無し三等兵:2007/03/23(金) 20:51:51 ID:WNRx8I4f
38年式機関銃→3年式機関銃→92式重機関銃という一連の流れは無視か?
機関銃を語るなら最低限ホチキスとマキシムくらい知っとけ
>800
>製造や取り扱いに注意の要るベルトよりは
当時の保弾板は落として凹む程度のヤワな代物で、
そうなると装填不良が起こるから落とさないよう扱わなきゃならなかった、
てのは知ってるかい?
設計の未熟さ故にホチキスから余計な塗油装置も引き継いでるし。
落とさない何も弾薬箱に入れて重機で使うんだぞ。
突撃には参加せん
万年弾不足の帝国陸軍にとって、弾を小分けに出来るという事は
弾の保守・管理そして補給に便利だったのではないかねえ・・・・・・・・
アメリカ軍は銃身が加熱している時は弾を撃ち切ってから移動していたそうだが
たとえ銃が暴走しても保弾板一枚で済むし・・・・・
それ以前に、果たして暴走するほど弾を撃てたのか・・・・・・
欧米の軍隊では弾を撃ち尽くした後は降伏出来たが
捕虜になることの出来ない帝国陸軍では残弾を気にしながら
ちまちま撃つしかなかったのでは・・・・・・
貧乏はやだねぇ・・・・・・・・・
>>797 ホ-203がホチキスのコピーであると言うソースは?
ブレダ機関砲は纏まった数輸入してテストし且実戦で使ったのに
そのあと消えてしまったのは何故なんだろうねぇ・・・・・
評価の記述が無いのは同盟国ということに配慮したのだろうか・・・・・
>>805 欧米軍は弾が切れたら降伏できるなら
プラヴェートライアンでアパム君を必死で呼ぶ必要なかったよな。
>>806 図からはホチキスにしか見えんけどね。
>>806 ブレダ砲はイ式重爆にしか積んでいないから
搭載機がリタイヤしちゃったら消えちゃうのは当然だろ?
14年8月にイ式の予備部品と同時に100丁購入しようとしているんだが
どうも失敗に終わってるらしい。
映画かよ・・・
部品や本体の無断コピーはお得意でなかったか
RB20と一緒に機関砲も棄てちゃう訳だ・・・
>>809 無断コピーして失敗したのがホ102だべ
ホ-102に対する評価はあくまで固定機関砲としてではないのか
機能不良なのか同調不良なのか良く解らないけど
旋回機関砲としてはイ式重爆と共に実戦に投入されている訳だから
機体と一緒に棄てちゃう必要は無いだろう、海軍も使わなかったのだが
それは何故かということなのだが・・・・・・
結局ブレダでは敵戦闘機を撃墜できないと言う評価が出てしまったのではないか
7.7ミリのルイスやビッカースの方がまだ使えたと言うことだろう
イタリヤ物はマニアは好きだけど実用性は低いからなあ・・・・・
>>811 機関銃って寿命短いんだぞ。
千発も撃ったら銃身終わるものもあるが、実戦運用したら数度の交戦で到達する。
予備部品が尽きた時点で終わりなんだよ。
そしてブレダ銃が元々役立たずだったのなら
何で陸軍はホ102を試作したり、海軍までコピー品作ったり
そもそもイタリア軍はどうしてその銃を使い続けたんだろう?
よっぽどヘタリアが好きなんだなw
チンクチェント辺りを喜んで乗っているんじゃあないのかwww
図星だったかwww
さて、原則は何時も変わらない
つまり小は大をかねない訳だ・・・・・
帝国陸海軍にとって本命は二十粍であって十三粍は七粍七の代わりだった
だから小さくて軽くなくてはいけない
その為ブレダもブローニングも海軍のエリコン十四粍も駄目となった
陸軍は妥協してブレダの弾でブローニングを作ったが
海軍はMG131を採用して墓穴を掘ってしまったのではないだろうか・・・・・
人が振り回さねばならない旋回機銃は特にそうだったのではないか・・・・・・・
何時もの仮説だがね
海軍13mmの弾がどこの何だから調べてから言え。
>>813-814 スレの中身に関係ない話しだからスルーしてただけなんだけど・・・。
>>815 海軍の13mmは3種類あるからね。
12.7mmビッカース(ブレダも同じ)
13.2mmホチキス(対空用九三式や三式13mmはこれ)
13.0mmMG131(二式13mm)
陸軍はブレダ弾が先にあって、これを使える銃を開発し
技術の関係でメカ的にはブローニングのコピーになった。
そして海軍は旋回銃と固定銃は全く別ラインで開発した。
従来も固定は毘式7.7mmで旋回は留式7.7mmなように
メカ的に全く別のものを併用してたんだから自然な発想だろう。
また13mmが20mmより軽くなくてはいけないなんてドコに明記されてるんだ?
小手先で発射機を弾薬に合わせて改修する能力があるのに、
同程度のスペックを持った弾薬を統一するという概念がないのは
予算確保が目的なのか?
テスト
やっと規制が解けたか・・・
>>816 威力が同じでちゃんと機能するなら軽さは大きな要素となるだろうけどねえ・・・
機体はグラム単位で軽量化しているのに機銃はどうなっているんだと苦情が来たのではないか
しかしブレダは何であんなに重いんだろう、これは大いなる欠点だな
海軍が軽量のMG131に走った気持ちがわからなくも無いが
やはり初めは完成品を大量に輸入するつもりだったのか・・・・
独逸でも配備が遅れたようだから叶わなかったのか・・・・・
>>817 多数の組織を統制できないのが日本の欠点だからねえ
天皇が直接指示すれば何とか為ったのかも知れないが・・・
ただ銃に合わせて弾を開発すると言うのは昔からの方針だったようなので
物量のアメリカと戦うためには仕方なかったのかも知れない
>>817 陸軍の20mmだって
九八式高射機関砲、九七式自動砲、ホ1/3、ホ5は全部違う弾だな。
まあ、機関砲はメカの都合もあるから仕方がないだろう。
米軍だって20mmはエリコンを艦載し、イスパノを航空で使ってるし
戦後の航空用も空軍と海軍は全く別の20mmに走って弾も違う。
せめて航空機用は、ビッカースの7.7ミリ・ブレダの12.7ミリ・エリコンF型の20ミリに
統一しても実用上問題は無かったと思われるんだがねぇ・・・
政府や議会が軍に対して無力だからどうにもならない
取り合わないようにしたと言われても納得出来てしまうのが恐ろしい・・・・
まあ20mmだけで7種類も使ってたドイツ軍に比べたら大したことではない。
混乱の始まりは陸軍首脳部が七粍七を一種類に統一しようとしたのが
始まりみたいだからねぇ・・・・・・
当時は規格の概念が浸透していなかった見たいだし
何より理屈より感情が表に出やすい組織だった様だから
下手なことすると、より混乱したのではないのかねぇ・・・・・・・・・・
>>823 規格の概念はあるし、ちゃんと軍で規格は定めていた。
それが陸海民間で別々だったのが問題だが、
ライフルと戦艦じゃ求められるものは違うわけだから仕方がないだろう。
規格は最低限、国単位で統一しないと意味がないような気がするが・・・
これは明治以来の懸案だからなあ・・・
>>825 今だって実は統一されてないと知ったらどうする?
三菱がわるい
三菱潰せ
829 :
名無し三等兵:2007/04/14(土) 06:23:55 ID:t/zDYOPr
保守
sage
ネタが無いなぁ・・・
ナンダッテー
保守
835 :
名無し三等兵:2007/05/03(木) 08:12:50 ID:9jOOi0Ts
92式重機関銃はいかにも重機関銃らしいデザインがいいね
外国の水冷式はたんなる筒にしか見えない くわしい性能知ってる人いる?
ようつべで外人が撃ってる92式重機は銃口が随分と跳ね上がってるね
なんなんだあれは
旧軍の弾は不発が多くて使えないらしいから火薬を詰めなおしたのだろうから
今の火薬を詰めたことで威力が増えてしまったのではないかねえ・・・
確かノルマはセミリムドは作って無かったと思ったが
それとも中国製なのか・・・・
三八式の弾もフルメタルジャケットだったし・・・・
>>836 やはり弾を92式実包から違う実包をしているのでは?
例としては雑誌Gunの付属DVDにて、」九六式軽機関銃を所持している米国人が
三八式実包は生産数が少なく値段が高いため、数箇所を改造し、
安価のAK47の実包USSR M1943を使用してたりしてましたし
精度などに関してはあまり誤差は見られてないそうです。
>>837 九二式実包はセミリムドじゃなくてリムレスだて。
>>839 どちらも有るが正解だろう・・・・
あの映像からは判断できないが
>>838 九九式軽機の間違いではないのか・・・・
それとも銃身を改造したのか・・・
841 :
名無し三等兵:2007/05/04(金) 22:10:19 ID:Hv/nqKMY
十三年式村田銃って価値ある?
菊の紋章も付いてて良い感じなんだけど・・・
何個くらい作られて何個くらい現存してるんだろう??
>>842 その値段だと数もあって希少価値もあんまりなさそうですね・・・
ありがとうございました。
>>837 >>838 あの映像は俺も不思議だった。
26kgもある銃が、強装薬にしただけであんなに弾むかね?
>>840 間違いなく96式だった。
AKの弾倉が刺さってる姿にびっくり!
幾らなんでも6.5ミリの銃身から7.62ミリの弾は撃てないと思うが
九六式と九九式の銃身に互換性が有るのだろうか・・・
そう言えば、四四式騎兵銃に装填している弾もなんか弾頭が丸いから
別の弾を加工して使っているのでは・・・・・
旧軍の銃を撃つのは色々と大変そうだね・・・・
バレルは当然7.62×39チャンバーの新造
タマ代をケチる人間が銃身を新造したりするのだろうか・・・
AK辺りの銃身を加工して使っているのではないのかなぁ・・・・
少なくとも外観はちゃんとしてたよ。
アメリカならブランクバレルなんて安いもんだし
下手にカラシニコフのバレルを加工してちゃんと
使えるようにする手間を考えたら新造の方が楽そう。
アリサカ弾と安売りAK弾の値段差を考えたら
バリバリ撃つマシンガンフリークにとっては
新造バレルの値段くらいはすぐ元とれるだろう。
ホ一〇三12.7ミリ航空機銃は、本家(M2ブローニング)より
軽量で弱装な弾丸を発射するのに、本家にはない炸裂弾が
用意されていたそうだけど、これは日本人が頑張ったの?
それとも腔圧が低いなど、炸裂弾を使用可能にする条件があったの。
ホ103はイタリアの12.7mm弾薬をそのまま国産化して使っており、
この弾薬が炸裂弾も使える物だった。以上。
うーん、VT信管まで実用化していたアメリカが 12.7ミリ機銃の
炸裂弾を使わなかったのは、腔発事故を恐れたからかな?
日本機は炸裂弾なんか使わなくてもよく燃えるから
連中は炸裂弾使いたければまっとうな20mm持ってる品。
わざわざ苦労して12.7mmに仕込む必要がないんよ。
ブリテンの7.7mmには炸裂弾が標準だったことについて
着弾するとぱちぱちはぜるヤツ?
デ・ヴェルデだっけか
デ・ヴェルデと聞くと「完全なる結婚」しか出てこないダメな俺
>>852 炸裂弾じゃないけど焼夷弾は熱心に研究してる。
どうせ火をつけるのが目的の弾なんだから
信管要らない分だけ焼夷弾でも構わないってのはある。
>>854 まともな20mm級が無くて困ってたのがアメリカなんだけどな。
結局イスパノ20mmのライセンス生産(英国からの導入)をやったが
これの製造と信頼性で陸軍と海軍で不信感が募り
挙句の果てには戦後に陸海で全く別の20mmを開発するというグダグダぶり。
やっとこさ陸戦兵器総覧を読むことが出来たけど、銅金閣下の文書はいまいちだなあ・・・
問題を微妙にぼかしていると言うか、気配りし過ぎと言うか
まあ、だからこそ出世できたんだろうが・・・・・
ホ-203が中央工業と小倉造兵廠で設計されたなんて何処にも書いてないし・・・・・・
別々の構造の機関砲を作って二式複戦に積んだということは
競争試作のことを言っているんだと思うが、日特の事には触れてないし
銅金閣下と日特との仲が本当に悪かったんだなと再認識しただけだな・・・・
>>850 陸戦兵器総覧の中に13ミリ級の信管を世界で初めて作ったのは私だと言う自慢話が書いてあったけど
どうなんだろう・・・・まあイタリアも独逸も開発はしてたんだろうが・・・・
数丁しかないブレダの機関砲を壊してしまったと書いているから
イ式爆撃機を輸入する以前の話らしいが、何処まで信じて良いやら・・・
まあ、信管の開発と生産が出来たからこそホ-103の開発が出来たと言う事ではないのかねえ・・・・
アメリカはヨーロッパとアジアの両戦線に必要量の弾を供給することに集中したんだろう
ヤンキーは小細工は苦手だからw
結局、ブレダ(ビッカース)弾の採用は本体を小型・軽量化することが目的だったが
それが可能に成ったのは13粍級の信管の開発に成功したからか・・・・
もし失敗していれば無理やりにでも20粍機関砲を採用していたんでは・・・
果たしてどちらが良かったのか・・・・・・・・・
弾が先だっつーのを未だ理解しとらんのかこの阿呆は。
>>862 ブレダ弾が炸裂弾だったというのを無視して考えたいんだろ。
そもそも小型軽量を目指すならブローニングのメカ使ってどうするんだとw
ブレダ弾は格別に低圧でもないから、別に銃が特別弱く出来るわけでもない
同時期にエリコン14mmを海軍がやれてるんだから
国産13mm級信管が超高圧で駄目というわけでもない(信管は陸海で共通化してるのが多い)
単純に買える範囲にブレダがあったからその弾を選んだってだけだべ。
そしてその弾を撃てる銃を色々やってたら結局ブローニングメカが最高となっただけ。
それに20mm級ならホ1/3が同時期に存在してる。
話が噛み合わんなw
「常識を疑え!」と言う言葉は御嫌いらしい・・・
イ式重爆が入ってくる前に信管の試作に成功していたのなら
何もブレダの弾を使わずとも、弾も含めてブローニングをデットコピーした方が簡単ではないか・・・
そしてそれ用に炸裂弾を作ればいい訳だ・・・
泥沼の戦争中に小銃の口径は替えるは、規格は替えるは・・・
機関砲の新規採用と共に弾も替えてしまう帝国陸軍が
なんで13粍の時だけ弾の互換性を考えるのかと・・・・・・
ホ-3の大規模な採用を陸軍が嫌ったのは設計者が民間人の河村博士だったからかねえ・・・
ソビエトはガス式で成功している訳だから出来ないことは無かったと思うが
ホ-203を設計したらしい木元氏や大角氏は技本の出身だから問題に為らなかったのか・・・・
ブローニングを推進したのは南部閣下の中央工業だし・・・・
まだ国内は平和な時期だからドロドロとした人間関係が見えてくるがねえ・・・・・・
>>864 誰も弾の互換性なんか言ってないだろ。
国産13mm炸裂弾なんか「無かった」んだよってことさ。
また戦前の段階では重爆と双戦の数は単戦の総数に匹敵する数を予定してたわけで
ホ1/3の数はかなりの数になるし、歩兵用の九七式自動砲も同系だ。
民間設計だから大量配備に消極的というのは、当時の予定と真っ向から対立する。
単純にホ1/3がイマイチ性能が良く無いってだけだよ。
このあたりは工場で見ていったほうが判り易いんだが
中央工業は名古屋工廠と昵懇で、名古屋は元々陸軍の航空工場でもあって
もう一つの顔は歩兵用火器弾薬の最大工場でもあったのな。
そして特殊鋼は小倉や東京で委託生産するのが多い。
例えば自動砲なんか歩兵用なのに何故か小倉工廠で生産してる。
そして名古屋は試作以外でガス式作ったことがない。
名古屋に作らせることを前提にするならガス式は歓迎しがたいのさ。
お早いお答えでw
ブレダの炸裂弾は上手く作動したのかねえ・・・・・・
コピー生産すればいいのを独自で開発してるし
何より陸海軍共にブレダの評価が低いのは弾にも問題が有ったのではないかねえ・・・
>>866 イタリアからの輸入弾はトラブルが多かったそうだ。
イ式重爆は12年9月から日本で運用が始まってる。
陸戦兵器の全貌の記述に従うなら
東京造兵廠が航本から信管開発を依頼されたのは13年春(書面による正式依頼は9月)
もう既にそれなりの数の機関砲と弾丸が日本にあったわけだ。
またノモンハン中に銃と銃弾の追加購入が出来ないかイタリア駐在武官に打電してるが
この時期も東京造兵廠では試験中だから国産炸裂弾の製造は事実上無い。
イ式の前に国産弾は無かったんだな。
まあ、弾の製造は銃や機体の国産化が無くても着手されるのは当然で
一定の輸入在庫があり、国産準備も進む炸裂弾を
他の機体や機関砲にも使ってみようというのは、自然すぎる発想だろう。
あと、言うまでも無いだろうけど
初期の国産炸裂弾はどうせブレダのコピーだろ?
当時の軍人や技術者は自分の担当すること意外は何も教えてもらえないと
恨み言が結構書いてあったからねえ・・・・・・
開発者は13粍の信管は存在しないと書いているところを見ると
ブレダの弾のことは知らなかったのではないか・・・つまりコピーでは無いという事では
まあ、別の所で作っていたのかもしれないが・・・
書き方が悪かったせいか話が微妙にずれてしまったが
ホ-103の採用には国産の信管の開発が必要だったろうと言う事
ただ航空機関銃・砲の開発には弾も一緒に開発しているのに
何故ホ-103だけ他の銃の弾を流用しているのか・・・・・
薬莢の全長をもっと太く短く作ればより小型化出来ただろうに・・・・
これはホ-103の開発が陸軍主導では無いと言うことではないのか・・・
>>そもそも小型軽量を目指すならブローニングのメカ使ってどうするんだと
陸軍も同じ事を考えていたんではないかねえ・・・・
小型軽量で性能の良い機関砲となるとMG131に成る訳だが・・・・・・・・・
>>868 ブレダの国産化はイ式の輸入時から動いてるんだ。
つまり戦闘機用機関砲の計画とは別に
イ式の国産化計画が導入時、つまり昭和12年から進んでいる。
イ式のブレダ国産化に相乗りする形で始まってるんだから
弾丸どころか上手く行くなら国産ブレダで済ます気だったわけよ。
これにどうやってMG131を割り込ませるんだ?
それに機構面では反動式のブローニングもMG131も大差がある訳でもない
弾の威力が変わらなかったら銃の重さも大きさも大して変わらない。
MG131並に弱装にしてれば良かったと言いたいのか?
オイオイ・・・・・
ブローニングM2とMG131は10キロ以上重さが違うし
ホ-103と比べても6キロ近く違う、航空用としてどうなのかねえ・・・・・
イ式重爆も新会社を作って意気込んだけど、綺麗に消えちまった・・・・・
とにかく、陸海軍共に13粍級の機関砲を色々テストしたけど決定打が見つからなかったのではないかねえ・・・
そんな時に独逸からMG131の情報が届いたらどうなるか
カタログ性能は抜群だからねえ・・・
陸軍の中には熱烈なラインメタル信者が居た様だし・・・・・・
弱装と言うが12.7×81SRと13×64Bは数値的にそれほど違いは無いがねえ・・・・・・・・
国産ブレダが闇に葬り去られたのは歴史的事実だが
ブレダ信者には困ったもんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ブレダの12.7x81SRを生産する態勢が先にないとホ-103は成立せんのだがな。
>864の
>ブレダの弾を使わずとも、弾も含めてブローニングをデットコピー
とかいう妄言を見る限りだと、こいつは新規格の発射機を設計すれば
それに合う弾薬が湯水のごとく湧き出てくると考えてそうだ。
陸軍みたいな大口顧客の注文(しかも消耗品である弾薬)を満たすためには
何年前から準備しなけりゃならんと思ってやがる。
年単位で予算組んで生産し続けてる12.7x81SRを使わなきゃならないんだから、
13x64Bに最適化されたMG131なんざ最初から考慮の対象外だろうが。
>>870 M2:ホ103:MG151/15:三式13mmで(131を1.0とした場合)
エネルギー比 1.86:1.21:2.75:1.70
砲口運動量比 1.59:1.16:2.15:1.61
重量比 1.69:1.39:2.53:1.81
国産機銃は威力の割りに重めな傾向が見られるが
元々ブローニングに最適設計されてるものを移植してるのだから仕方がなかろう
仮にMG131のメカを流用しても
同様に威力の割りに重めつまりホ103と変わらない結果になるだろう。
そして反動利用の機銃は基本的に威力と重量が相関している。
仮にホ103が完全最適設計であったらMG131の1.2倍弱の重量になるだろうが
それは20kg弱ということで、ホ103の23kgと極端な差がある訳でもない。
ラインメタル信者が居たって数字は正直で
ブローニングと比べて特別な違いは無いんだよ。
数字で政治は動かんよw
ブレダは採用されなかった、と言う答えは出ている訳だから
後はその過程を考えていくしかない訳だが・・・・・・・
ノモンハンで尻に火が点いた陸軍は何故新規にブローニングのメカを採用したのか・・・
試作品はともかく、初期生産品はトラブル続きでまともに使えなかったのに
ブレダを少しでも軽量化して採用した方がよっぽど簡単だったのではないか・・・
九七重爆に意固地なほどブレダを積まなかったのは何故か・・・
戦争している訳だから無理にでも国産化して積めばいいのにねえ
結局はホ-103を積んだ訳だが弾は同じだから威力はそれほど変わらんだろう
12年から採用しているブレダが有るのに何故14年に研究を始めるのか・・・・
これらの答えは数字からは出てこないよなあ・・・・・
第一次大戦で荒廃した国土を再建するには外貨が欲しい
手っ取り早いのは余剰になった兵器を外国に売りつけることだろう
フランスは日本に目を付けて色々と売り込んで来た
敗戦国の独逸も其れに続いたが、野砲なんかはフランスに取られちゃったから
航空関係に力点を据えたんではないかねえ・・・
フランスは独逸の再軍備宣言後は段々と手を引いていくけど
その代わりにイタリアが入ってきた
独逸と手を組んでいた商社や軍人にとっては面白くないだろう
当然排除しようと動いたんじゃあないのかねえ・・・
まあイ式重爆を排除したかったのは国内の飛行機メーカーだろうけど
銃器に関しては独逸の物を採用させたかったのではないか・・・・
結局はノモンハン事件と独ソ不可侵条約で消えてしまい
慌てた陸軍は急遽ホ-103を採用したのではないかねえ・・・・・・・
海軍はどちらも関係ないからMG131を採用しちゃったのでは・・・・・・
何時もの仮説だがねw
>>873 ブレダは海軍でコピーしたのも失敗してるんだから
日本では実用レベルで製造できなかったのは確定だろ。
コピーしたって動かないんじゃホ103初期型以上に悪い。
しかもブレダSAFATは29kgでブローニングよりも重い。
コピー品が動かないのに、その性能向上型は無理だろう。
そして銃が輸入した機体にしか付いてないのに九七重爆に付けられるはずも無い。
なにしろノモンハン中に銃の予備部品を買いつけようと躍起になってるし
イ式装備飛行隊の弾丸消耗は7.7mmが圧倒的に多く
イ式から機種変換したときの弾の還納は12.7が多く、定数と消耗のバランスがおかしい。
つまり、既存のブレダ銃は稼動してないのが多かったってことだ。
これがブレダの出来が悪いからなのか
日本の使用環境が悪いのかは分からないが
理由はともかく日本ではブレダは使えない銃だったんだろう。
カタログ性能で飛びつい、使ったらどうもおかしいと、イタリア製らしいオチだな。
>>874 それは仮説ではなくて妄想だ。
ノモンハンで組み込まれたのは37mmで12.7mmではないんだ。
昭和14年度の計画なんだから発布は14年前半
中身は前年度までに協議検討されてるんだから
13年度に「今度はコレだろ」となってるわけで
13年中に弾丸の開発依頼を何とか通したのとタイミング的には殆ど変わらんな。
そしてイ式製造を担当する予定だった国際工業は日本航空工業と合併するんだが
そのとき斡旋したのが設立時に航空本部長だった東条英機だとさ。
面白いのは国際工業の設立が14年11月で、色々な意味で時機を失している。
イ式のリタイヤが始まってる時期の会社設立はなんか裏があると見るべきだろう。
合併相手の日本航空工業は川西から軍人色を嫌って抜けたメンバーで設立されて
軍の影響が小さく、実際逓信省の輸送機とかを受注してたりする民間機会社だった。
これに陸軍が目をつけて、合併斡旋で陸軍系に組み込むことを狙ったという考えも出来る。
この会社が持ってたラチエのライセンスも魅力だったろうしな。
ラチエって何?
缶詰製造ラインのメーカーだよ。
支那事変で膨れ上がった軍事予算に亡者が群がっていた時期だからねえ
色々有ったと思うんだが・・・・・・
>>875 ブレダのコピーは本当に上手く動かなかったのだろうか・・・・
地上では上手く作動したけど上空では駄目だったとか
重量過大だとか理由は書かれているけど、何処で試作していたのだろう・・・
その辺の問題も有ったのだろうか・・・
>>876 日特に37粍の開発依頼が来たのは14年の4月だそうだけどねえ
小倉と日特が仲が良いならホ-203が小倉で、ホ-204が中央工業なのか・・・・
37粍は資料が少ないんで困るな
14年11月と言うとノモンハンで尻に火が点いた時期だなあ・・・
兵站が上手く作動しなかったのも問題になったろうから
使える物は何でも取り込んでしまおうと言うことなのか・・・
>>879 海軍のブレダコピーは動く事は動いたそうだけどね。
開発は横須賀工廠。
陸軍のブレダは名古屋造兵廠で試作。
ちなみにホ103も中央工業と名古屋造兵廠の共同作業に近いし
ホ10という研究用12.7mmを名古屋は以前にブローニングでやってるから
ここらを見るに、最初から陸軍のは出来レースかもね。
イタリア製の機関砲や弾が駄目で有ったのなら
その弾を使って新しい機関砲を開発すると言う説明は可笑しいと為る訳だが・・・
やはりホ-103の開発の当初の目的は九七戦の火力向上ではなかったのか・・・
ノモンハンでソビエトは12.7ミリや20ミリを持ち出してきた様だし
爆撃機を迎撃するには7.7粍では無理と言う報告が現場からもたらされた為
急遽開発されたのでは・・・・・・
その場合、選択肢としてブレダ・ビッカースの12.7粍とホチキスの13.2粍が有ったが
ブレダを選んだのは九七戦の機首に積むためには小型軽量化の必要が有ったからではないのか・・・・・
陸軍でも次期主力戦闘機の武装は20粍がメインだったろうし
これが出来なかったのは、独逸から機関砲が来るのが遅れたためか
国内開発が遅れた為かのどちらかで有ったと言う事に為る訳だが・・・・・・・・・・・・・・
>>881 弾は問題ない。実績のあるヴィッカースの12.7規格なんだし。
そして敵爆撃機に7.7じゃ足りないというのは日華事変
ソ連製米国製戦闘機が12.7使ってきてるのも日華事変で経験してる
そして14年度計画は13年中に戦訓入って認識した結果なので
ノモンハンは因果関係に無い。ノモンハンの影響をいうなら15年計画。
つまり日華事変という近代航空戦を経験したことで
観念的だったものが実態となって一気に色々動き出し
その研究や試作結果の出る前にノモンハンになってるだけ。
だから12.7はノモンハンの影響じゃないんだ。
それと陸軍の12年ごろの時期主力戦闘機計画は20ミリだけど
フランスのモーターカノンをやるつもりだったわけで
この時期にはドイツ製機関砲も勿論モーターカノンも存在してないね。
イマイチ説得力が無いなあ・・・・・・
弾では無く信管なのだが・・・炸裂しないのでは話にならんだろう
日中戦争は終戦まで遣っていた訳だから別けて考えねば為らんのだが
14年以前だと九七戦どころか九五戦で間に合っていた時期ではないのか・・・・
対戦闘機なら7.7粍で十分だし、中国が重爆を運用していた何て聞かないのだが・・・・
当時問題に為っていたのは重爆の自衛火気と護衛の問題だろう
故障の多いブレダを追加発注しようとしたり、MG15に飛びつくのがその頃だ
ノモンハン以前に12.7粍の炸裂弾が必要になる場面は無い訳だが・・・・
>>883 重爆撃機の撃墜には20粍が必要と言うのはずっと続いている訳だが・・・
まあ対空機関砲や対戦車自動砲の開発が優先されて後回しにされていたのだろうが
問題はエリコン以外に真似る機関砲が無かったことだろう
つまり独逸の機関砲が出来るのを待っていたのではないのか・・・・・・
>>884 ブレダ弾は炸裂してる。
作動不良は信管じゃなくて装薬燃焼に起因する反動問題。
そして中国軍の使ったSBやB-10相手に苦戦して問題になってる。
ノモンハンの敵機は基本的に「おなじみ」のもので性能面での驚きは無いのだ。
7.7mmで双発爆撃機を食えないのが事変で証明されたんだよ。
逆に自軍の重爆は米製12.7mmに食われてるから
20mmじゃなくて12.7mmでもいけるんじゃないかという
ある意味美味しい安上がりな発想が通るきっかけにもなったわけだがね。
中国軍がSBやB-10を運用していたのは知らなかったなw
14年の4月に日特に20粍が発注されたのはその為だったのか・・・
しかしそうなると、いよいよ九七戦の火力向上が課題に為る訳だが
MG17の採用を諦めるのもその辺の事情が有ったのでは・・・・
スペック的にはMG131が最適なんだがねw小型軽量でさw
本家本元の独逸でさえ採用が遅れていたようだから買うことが出来なかったのか・・・
ブローニングを小型化して積もうと考えても可笑しくない訳だ・・・・・・・・
マーチンB-10が中国にいたのはかなり有名なんだが。
他人の言説に妄想だけでケチ付ける前に自分の無知を自覚した方がいいんでない?
延々やってるから釣りなのかもしれんけど。
ここは拳銃も含むのかな?
昔、学研のひみつシリーズに、
「陸軍中野学校で使われた、消音器付き十四年式拳銃」
なんて代物が掲載されてた。
今も、その銃に関する情報ってあるのかしら。
889 :
888:2007/05/27(日) 12:58:08 ID:???
む、学研じゃぁなかった。
>>886 手元に機関砲があるなら、それを九七戦に積めないか試すのアリだろうが
機関砲の開発から始めたら、完成する頃には九七戦自体が旧式機化してる。
この12〜14年度には、難航してるとは言え隼や鍾馗の試作機が動き出してるわけで。
16〜17年度に機関砲装備九七戦の新造をする気は陸軍にだって無いだろう。
>>887 だからwなんだがな・・・
>>890 爆撃機を撃墜するには12.7粍では少々力不足だろう
帝国陸軍だって、その位解るだろうと思うのだが・・・
だから一時期は20粍のモーターキャノンを作ろうとしていたのではないのか
そして二式戦や三式戦の翼に積むなら初めからホ-5を開発していたと思うのだがね・・・
一式戦も7.7×1・20×1なら何とか為ったと思うし・・・
九七戦や九六艦戦の設計はアメリカの戦闘機の影響を受けているみたいだから
武装も真似て7.7×1・12.7×1にする積りではなかったのかねえ・・・・
そうしなかったのは機関砲の開発が遅れたため・・・
つまり一式戦の為にホ-103が作られたかのような話は
開発の遅れをごまかす為だったような気がするのだよ・・・
役人は頭が良いからねえw
>>891 どうしてその時期に
ホ103をやらないでホ5をやるという発想が出てくるんだ?
結果としては成功作ではなかったがホ3がこの時期にあるわけで
ホ5が唯一の航空20mmってわけではないんだよ。
それに、機関銃に合わせて機体は設計するもので
機体に合わせて機関銃を設計するんじゃない。
キ44の主翼に20mm積みたいなら、キ44の主翼を交換したっていいんだ。
実際にキ61丙はMG151/20の為に主翼桁の交換やってるよね。
キ84は試作中に主翼が大小あったし、キ45→45改→96→102→107なんてのも面白変遷だ。
海軍機だけど一式陸攻はG4M1/2/3で主翼は翼型からして違うし
ドイツのBf109もEからFになるときに全然違う翼になったでしょ。
主翼の変更は別にタブーでもなんでもないんだ。
あとさ、ホ103はキ44の為だろ?
それは陸軍の研究方針でもわかるじゃないか。
最初から砲搭載を前提とするキ44と
積めるなら積めても良いというキ43で、どっちの為に機関砲を開発してるんだとw
>>あとさ、ホ103はキ44の為だろ?
本当にそうなのかね・・・
支那事変で爆撃機の撃墜が困難なら、初めから20粍で設計するんではないかねえ・・・
昭和12年の九七戦制式制定に関する審議の場で、単座戦闘機用機関砲は未だ試作中と有るんだが
九七戦に20粍を積めるとは思えんからねえ・・・
これが880に書かれているホ-10なのかホ-103なのではないかねえ・・・
軽戦に12.7粍を積むとなると重戦のキ44には、いったいどの機関砲を想定していたのか・・・
ホ-3は弾薬の選定に無理が有ると思うのよ、対戦車用の弾を流用している訳だろう
複戦にはともかく単戦には初めから無理が有ったのではないかねえ
本命は別に有ったのではないかと・・・・・
昭和12年からイリス商会は色々とセールスしているみたいだし・・・・・
>>894 九七戦と同級の九六艦戦には
九九式20ミリのテストベッドとしてゴンドラで20mm積んだのがあり
ホ3より強烈な威力を持つイスパノ20mmはスピットの薄い主翼にだって搭載している。
ゴンドラ式で40mmや37mmをハリケーンやJu87が積んでるように
反動も図体も対応不能ではない。
>>892で書いたように主翼の作り直しだってできる。
そしてホ3の完成は昭和15年、原形の爆撃機用旋回砲であるホ1が昭和14年かな
つまり昭和12年の時点で戦闘機用機関砲は試作中なのは当然じゃないのか?
そして九七戦の後継機がキ44であり、キ44の補助がキ43という位置づけで
場合によってはキ43は無くても良い飛行機(実際それで採用が危ぶまれたわけだが)
そんな採用しないかもしれない飛行機の為に
わざわざ新機関砲を開発できるほど日本は余裕のある国だったのか?
なんか訳解らん理屈だな・・・・
軽戦と重戦がごっちゃになってるし・・・・・
昭和12年の時点では機関砲は20粍でなかったか・・・・・・
日特に20粍の発注が有ったのは14年4月だし・・・・・・・
まあモーターキャノンが無理となった時点で12.7粍の試作を初めても可笑しくはないから
研究方針が現実の後追いに為ったと言うことなのだろうか・・・・・・・・・・・
>>896 日特のホ1/3以前から造兵廠で何種類か
航空機搭載機関砲の試作はやってるんだけどね。
あと重と軽をごっちゃにしてるのはそっちでしょ。
昭和13年度になって登場する重戦闘機と軽戦闘機の概念を
10年度に開発した九七戦に適用できるものではない。
能力的には九七戦は軽戦闘機に相当するっていうのは事実だが
九七戦は「単座戦闘機」であり、その単座戦闘機の研究方針が12年度は砲搭載で
13年度に砲搭載が重、銃搭載が軽と分かれていくんだから
九七戦つまり主力戦闘機の後継が単座戦闘機→重戦闘機なのは明らかでは?
12年度の砲1搭載の単座機はモーターキャノン搭載機だろうから
研究はしていたが実現出来なかったということだろう・・・・
つまり液冷エンジンが完成しそうもないので13年度では空冷エンジンで軽・重二つに別けた
だから九七戦の後継がキ-43、完成しなかった単座・重戦の後継がキ-44ではないのかねえ・・・
>>日特のホ1/3以前から造兵廠で何種類か
航空機搭載機関砲の試作はやってるんだけどね。
これについては一般には情報が殆ど無い訳だが・・・
知っているのなら是非教えてもらいたい
>>898 小倉と名古屋と東京の造兵廠の資料追ってくと出てくるよ。
結局エリコンになった九四式旋回機砲なんかもその一例だね。
>>898 それが出来ないから苦労している訳だが・・・
特にエリコン以後何を研究していたのかが問題な訳だ
さて、陸軍としては液冷発動機を積み、機銃×2・モーターキャノン×1の万能戦闘機が欲しかったのだろう
だが性能的に難しそうなので機銃のみの対戦闘機型と砲を積んだ対爆撃機型の
二種類を研究しようと言うのが12年の研究方針だと思うのだが・・・
13年になると機体そのものも特化させて開発しようと言うことに成ったのでは・・・
そして対戦闘機用の機銃が7.7粍では能力不足と考えられたので
14年に競争試作をやってホ-103が採用されたのだとすると
対爆撃機用の重戦である二式単戦がホ-103を積むことを前提に作られたと言うのは
少し可笑しい気がするのだが・・・・・・・・
もう少し威力の有る機関砲を積もうと考えるんじゃあないなねえ・・・・
現状で考えられるのはホ-10ぐらいなんだが、これはブローニングのフルコピーなんだろうか
翼に積むには小型化する必要は無いしねえ・・・・・
結局ホ-103に統一されたのは、大して変わりが無いと判断されたのか・・・
20粍を開発していたのなら話は別になるんだけど・・・・・・・・・・
>>900 軽戦闘機は昭和15年の研究方針でも「機銃x2」なんだよ。
実際に隼の試作機は7.7x2で作られてる。
隼の12.7装備は試作機の性能不足改修を色々やってる時に決まった話。
時期的には15年の後半だね。
完成の見えてきたホ103を積めるなら積めというだけで
実際には7.7と交換可能なようにするという仕組みにしてるあたり
ホ103が間に合わないなら7.7のままで出しちゃうつもり。
つまりはホ103と軽戦闘機計画はリンクしないんだよ。
>>900 で、重戦闘機なんだけど。
15年度の方針で砲x2にされ、しかも17年度には審査を終える予定
つまり制式化されるというスケジュールを組んでいる。
このタイミングで完成が期待できる機関砲はホ3かホ103しかない。
そもそもホ103だって14年に完成したわけではないしね。
中央工業は15年度には10門しか作ってないそうだから
完成は15年度後半以降と見るべきだろう。
つまり、13年まで研究方針はモーターキャノンだったが開発はやって無かった・・・
だから12年に試作していたのは12.7粍だが実際に機体に積めたのは16年だった・・・
12年に7.7粍の威力不足が指摘されていたが参謀連中は7.92粍にすればバッチリだと思っていた・・・
二式戦が主力戦闘機だったが、一式戦の機首に12.7粍積んだらこちらの方が
調子いいので主力戦闘機になった・・・・・・・
まあ出来ないものは積めない訳だから如何しようもないか・・・・・・・・・・
ゆうしゅうかんに保存…
まだ無いなら…
17年になっても九六式どころか十一年式まで作らなくては為らないと言う所が
当時の日本を象徴しているねえ・・・
さて、二式単戦の機関砲は本当に初めから12.7粍の予定だったのだろうか・・・
独逸からMG−FFでも買おうとしていたんじゃあないのかねえ・・・
ライセンスの都合で断られて、仕方なく海軍に頼んだけど
無理だと言われ、しょうがなく決まったような気がするがねえ・・・・
>>909 エリコン買うのにドイツ経由させる必要ないでしょ。
二式が計画された昭和13年当時では
海軍にライセンスを売っている訳だから、スイスの本社は売ってくれないだろうし
海軍は陸軍に売れるような状態では無いし・・・
独逸に頼むしか方法が無いのでは・・・・・・
結局、断られてMG151の完成を待つことに為ったのではなかろうかと思うのだが・・・・・・・・
エリコンFF以外に二式単戦の翼に積めるような20粍機関砲は無さそうだし・・・
>>911 ホ1/3をなんで無視するの?
二式単戦に積めないのは、積もうと設計して無いからで
ホ3を積む気なら、それが可能なように設計しただろ?
そもそも二式単戦はエリコンが入る構造になってないので
エリコンに色気残して設計されたわけでもないし
MG151の20mmはドイツとしてもイレギュラーで出たものだし(本命は15mmのほうだったわけで)
そのMG151/20も二式単戦には入らない構造だ
まあ、存在しないものに合わせて設計されるわけは無いから当然だが。
ホ3を想定していたキ60の構造転用のキ61は桁の一部を変えて入れられたけどね。
これらから考えると、二式戦は、少なくとも設計時点で
ホ3もMG151/20もエリコンも想定してないというのは明らかだろう。
ちなみに、二式戦の初期の模式図はブレダ/ホ102だ。これは隼もだけど。
13mmが急に出てきたというよりは、ホ103が急に出てきたというのが正しいんだな。
ブレダそのものは昭和12年末には国内にあったわけで
結局ブレダ砲はこけて、対抗馬としてホ103が完成という流れだが
ホ101/102/103/104と4種も同時にやってるあたり
どうしても絶対に13mmを完成させたかったという執念を感じさせるな。
刈谷さんの本に、ホ-3はとても単戦に装備出来るような代物では無かったと有るがねえ・・・
20粍が手に入りそうも無いから懸命に13粍作ったんだろうけど
それで良いとはさすがに思って無かっただろうよ・・・
同じ本に出て来る、16年の重単戦の研究機には二十粍固定機関砲×1と有るが
これはモーターキャノンではないのか・・・発動機は空冷だけどねw
まあ研究者と開発者の間には、かなり溝があったようだな・・・・
>>914 搭載を前提にしてない飛行機に積める様な代物では無いというものと
搭載を前提に設計製造する事は不可能というのは、だいぶ意味が違う。
後のホ155なんかはもっと強烈だけど、疾風に積んじゃったでしょ?
キ60のように、スペースと強度さえ確保すれば搭載の問題は無いんだよ。
ホ5すら入らなかった二式戦のスペース設計の問題でしかないんだよ。
そして、これは二式戦がでかい機関砲を想定しないで設計されたという事実を追認するだけのことだ。
つまり二式戦が設計された時点では20ミリは影も形も無かったと言うことだ・・・
研究方針はどうなっちまったんだろう・・・
>>916 陸軍の言う「砲」は別に20ミリと決まってるわけでは無いんだよ。
14年度に砲に12.7mmが加わったことで、砲の範囲は拡大したわけだ。
研究方針の重戦闘機の項は15年に改訂されて砲x2になって
しかも17年末にはこの飛行機が完成することになってる。
つまり15年度方針の確定する14年中に、二式戦の仕様が定まり
それは前年度方針から始まった13ミリ機銃開発を追ってるということだ。
まさに研究方針どおりということだ。
逆に言うならば、14年度の方針に13ミリが加わった時点で
20ミリは一時保留ないし優先順位が落とされたと読むのが良いのだろう。
保留もなにも影も形も無い訳だが・・・
>>918 20ミリの研究方針そのものは生きているぞ。
15年度のでみると、口径12.7、20、37粍級の3種類
12.7ミリは16年8月、20ミリは16年末
旋回37ミリは昭和18年3月を目処として審査完成に努めるとされている。
ずっと前から着手されている20ミリの目処が後にされているのに注目だ。
この15年度はホ4/5の開発着手年なので、色々考えるネタになるね。
ADSLが繋がらないorz困ったもんだ・・・
さて、研究方針は続いていても真似るべき機関砲が無い訳だから仕方がない
やはりMG151が完成するのを首を長くして待って居たのではないのか・・・
せめてホ-3の弾をもっと弱装にしてコンパクトに作っていればねえ・・・
二式複戦に対戦車攻撃でもさせるつもりだったのだろうか・・・
>>920 ドイツの機関砲を待ってたら昭和15年の方針は達成できないんだよ。
それにイスパノをスピットに積めるのに、ホ3が駄目なんてこともない。
ガス圧利用でボルトの軽量化を達成しているホ3は重量33kgで
これは反動利用のホ5の39kgより軽いのだ(海軍の九九式2号と同じぐらいの重量)
まあ6kgの重量差は大した意味も無いが、ホ3は決して無茶な重量サイズではないんだ。
てか図面や写真でも判る事だと思うんだが、まさか見てもいないのか?
そもそも機関砲の反動は射撃速度や
ボルト前進による振動等の総和で考えないといけない
砲口馬力ではMG151/20やホ5はホ3を上回るわけで
その強烈なエネルギーの反動はホ3よりも蓄積量では大だ。
ホ3が成功作になれなかったのは
ガス圧式は高空で動作が不安定になるという点に尽きる。
二式複戦で使えたのは、胴体内にガスシリンダーも内包できるので多少は冷却に強いことと
複座で故障排除を行う機会があったから(同系のホ1も銃手操作で対処できる)
それでも高高度迎撃のときは保温手段を色々工夫している。
単純な反動式のホ5に負けたのはそういう理由だし
直系子孫の五式30粍が反動+ガス圧式なんて愉快な構造なのも
ガス圧式の温度対応範囲の狭さへの対処例だったわけだ。
バネが微妙でガス圧式の設計も不得手ってのはきっついなあ。
ソ連の航空機関砲(軒並みガス圧式)みたいなアプローチはできなかったんかね?
>>923 ソ連の場合、高度上げても下げても「寒い」上
ソ連空軍が低空作戦ばかりだったというのが大きい思う。
シベリアの冬はもっと寒いぞ。
>>925 寒いのが問題じゃなくて
寒暖の差が大きいのが問題なんだよ。
ホ-3は本体は軽量でも対戦車用のでっかい弾をこれまたでっかい弾装に詰めて
機体に積まなければならないからねえ・・・
モーターキャノンなら容積も熱の問題も何とか為ったんだろうけど発動機が・・・・・
てかホ-3もホ-5も昭和14年以後、帝国陸軍の尻に火が点いてからの開発だろう
それ以前は何を研究していたのかと言うのが疑問点なんだが・・・
昭和8年に川崎に来ていたフォークト博士が本国からの帰国命令で帰った時に
土井技師も独逸に行っているんだが、この年に独逸空軍の新型戦闘機の開発命令が出ている
武装は20ミリモーターキャノン×1、7.92ミリ×2らしい・・・・・
そしてこの年に川崎はフランスのファルマン社から技師を招いてハ-11の開発を始めている
当然、エリコンベースの試製二十粍固定機関砲の開発もこの時からだろう
これが川崎単独で行われたとはとても思えない訳だが・・・・・・・
昭和8年には陸軍の航空機材研究方針が定められている
みんな8年な訳だw
何時もの仮説なんだがw陸軍の研究方針は独逸空軍の再建計画をそのまま真似したモノではないだろうか
まあその後は日本の国情に合わせて改ためられていくんだろうが・・・
そうなると独逸がエリコンを諦めて新しい機関砲を開発していると情報が入れば
wktkしながら待っていたと考えても可笑しくないようなきがするんだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>>927 ドイツじゃなくて主にフランスの丸コピ。
昭和8年に作りたかったのはドボワチン510だったのだーよ。
D510の初飛行は昭和9年で10年には日本に入って来ているからねえ・・・
陸軍としてはどうしても20粍モーターキャノンが欲しかったのだろうけどね
ただ実際の性能はたいしたこと無くてガッカリしたようだよねえ・・・
そして中島で機体を新しく作り、三菱で発動機をコピーしようとしたみたいだけど
上手くいかなかったようだね、まあ二社とも余りやる気が感じられない訳だが・・・・・
なぜ川崎は参加しなかったのだろう・・・
ハ-11と試製二十粍固定機関砲をキ-28に積むために必死になって居たのではないのかねえ・・・
つまりD510の輸入はハ-11の開発が上手くいってない為に
焦った陸軍が川崎以外のメーカーを使って取りあえず始めたと考えた方が自然な気がするんだが・・・・・
>>929 参加もなにもなあ・・・
川崎が一社特命で九二式戦闘機後継として液冷低翼単葉のキ5を開発
これが大失敗に終わり、時期主力戦闘機計画が狂ってしまい
急遽計画建て直しで中島も巻き込んだ競作が行われ
川崎は今度は保守的に複葉にしたキ10をつくり、これが採用され九五式戦闘機に
中島の対抗機は空冷低翼単葉のキ11で、キ5と同様にぱっとしない性能で落選。
そして同時に参考として登場したのがD510と、その国産化であるキ12
キ5-10-28の流れは、キ5が新型エンジンのハ9で低翼単葉にしたもので
エンジンだけなんとか目処が立ったので、手馴れた複葉で作ったのがキ10
更に機体を低翼単葉にしたのがキ28だから、キ5の完成形がキ28だったわけだ。
この流れは川崎BMWの開発の流れでもあるので
三菱イスパノは別の流れになるというだけのことだ。
あと、もう一つの意味として、陸軍の戦闘機は中島の九一式→九七式が本流で
九二式は川崎救済&育成の為に、お情けで採用された戦闘機だったという面がある。
D510がだめな飛行機にされるのは、西欧機に勝った国産機は安心ですよということの裏返し。
まあ、この時D510/キ12をやったことで、中島は得るものが大だったわけで
D510よりパワーありながら速度が同レベルのキ28の体たらくを見れば
キ27を作った中島の経験と技術蓄積はかなりのものだというのがわかる。
逆に言うなら、D510の国産化やモータカノンは
主力本流だったから二流メーカーの川崎を噛ませていないわけだし
国産D510自体は川崎機に対するかませ犬だから、中島はやる気が無いわけだ。
キ60/61も、上手く行けば儲けものって程度の計画だから川崎なんだな。
これは双軽や複戦でも同様の、育成を兼ねた施策だったと。
大事なことを忘れている訳だがなあ・・・・・・・
陸軍が欲しかったのは、ヨーロッパ最新のトレンドで敵爆撃機を炸裂弾で一撃の元に撃墜する
20ミリモーターキャノンではなかったのか・・・・・・・
対戦闘機戦なら九五式や九七式で何とかなるが、対重爆戦では火力が不足することは
当時の参謀でも簡単に気がつくだろうよ
だから対重爆戦用の戦闘機にハ-9や空冷発動機は使えない訳だ・・・
一番手っ取り早いのは三菱にイスパノのライセンスを買わせて生産しキ-28に積めばいいのだがね
それをしなかったのは、思ったほどの性能ではなかったのと
何よりもエリコンがモーターキャノンには使えないと解ったからではないのか・・・・・
だから陸軍は独逸のDB601とMG151の組み合わせが出来るのを待っていたが
支那事変が起きてドタバタしたため、海軍に先にDB601のライセンスを買われるという事態に
陥ったのではないかねえ・・・・・・・・
>>932 時系列をちゃんと押えようぜ。
陸軍が「砲必要」を公式に記すのは12年の方針から。
12年までの採用機つまり九七戦は、その方針に準拠してない戦闘機。
言い換えるならD510を入手したことで、次世代はこういう武装にしたいねというだけの話。
もちろん九五戦や九七戦といった既にある飛行機を、新方針準拠化できるならやるが
それは開発方針ではなくて戦力整備の話で、これは行政上まったく別の話。
それとキ28は川崎の仕事だ。
三菱のエンジン積んだら川崎の収益半分になっちゃうんだよ。
となると倍の数を発注しないと、川崎という会社を陸軍が維持できない。
また、エリコンのモーターカノン化は不都合は無い。
難しいのはDB、つまりエンジンの側の問題で
その為にドイツではMG151という新たな機関砲が必要になったし
完全な意味ではあれはモーターカノンではない。
そしてDB+MG151/20でも、日本ではモーターカノンできないし、解消の目処が無い。
メカニズムと歴史の両面をちゃんと検証しよう。
そもそもキ28はD510よりも大馬力のエンジンを積みながら
D510並みの速度の飛行機なわけで
ここでD510のエンジン積んだら更に遅くなる。
液冷で馬力も勝るのに空冷非力なキ27相手に僅差の勝負じゃ
いかに駄目な機体かわかるってもんだね。
またハ9よりも非力で発展限界に達していた12xを
新たにライセンス入手してまで作る意味も無いし
新しい12yですら、離昇900馬力級で、実はハ9と殆ど同レベル。
つまりはエンジン単体としてイスパノに魅力は無いのさ。
>>933 押さえてるつもりだがねえ・・・
都合の悪い情報を無かった事にするのは官僚が良く使う手だがね・・・
昭和10年に天皇に供覧された新兵器の中にエリコンベースの試製二十粍固定機関砲が有り
土井技師によると、この機関砲を付ける予定のファルマン系のハ-11は昭和8年に
開発が始まったようだよ・・・当然機関砲も8年に始まったのだろう
そしてキ-5の試作が川崎一社に発注されたのも8年だ・・・
フランスのイスパノスイザ社はモーターキャノンに使うためにエリコン社と提携したが
上手くいかないために独自でHS404を開発したが
ライセンス生産したイギリスは故障多発でかなり苦労したらしい・・・
独逸もエリコンはモーターキャノンを諦め翼に積んでいる
また土井技師によると、昭和8年に訪独したさいDB601のベンチテストが始まるので見に来ないかと
誘われたそうだが当時はまだBMW社と関係が有ったので断ったそうだ
それと発動機を決めるのは陸軍で有り、且当時の川崎は九五戦の採用で景気良かったようだがね・・・
>>934 ハ-9は馬力は有ったが色々問題が有ったようだがね・・・
キ-12の試作の時は金を払ってフランスから技師を呼んでるほどだし
あちらがOKすればライセンスを買っていたんではないかねえ・・・
とにかく信頼性の高い液冷発動機が欲しいと言うのが陸軍の本音ではなかったのかねえ・・・・・
>>935 昭和8年に着手した新型エンジンや機関砲が
昭和10〜12年ごろの飛行機に間に合うはず無いでしょw
川崎が主流ではなく、育成中の会社だってことにも注意。
九五戦で潤ったのは、潤うように陸軍が発注してくれたからに過ぎんのだ。
そもそもキ5は完成したばかりのハ9を積んで
そのハ9が出力不足で性能出なかったわけでな。
ハ9よりも後のエンジンが間に合うなら、それこそ九五戦やキ28の時に積んでくるわ。
キ27に滑り込みで間に合ったのがハ5なんだから、一から開発したら時間掛かるんだぞ。
佐山二郎著「日本陸軍の傑作兵器駄作兵器」に出て来る天皇への説明では
「本砲はV型倒立の特種の発動機に固定され、プロペラの軸を通して弾丸を射出する装置でござりまして、
「ハ-11」と称します本砲専用の発動機は殆ど完成の域にござります。
この発動機の完成とあいまって本砲を装備する特種の戦闘機もまた新たに製作せらるることと
為っているのでござります」
これを其のまま信じれば発動機は出来なかった訳だから戦闘機も無い事に為る訳だが
出来たときの為に準備は当然している訳で、それが川崎への一社特命の試作指示だったのではないかねえ・・・
キ-5・10・28どれでも発動機が出来たら積み込む積りだったのだろうよ
キ-12を中島にやらせたのは九五式を川崎に取られちゃって暇だったからではないのかねえ・・・
イスパノの発動機はその後三菱に試作させている見たいだし・・・
独逸がBMWに液冷を止めさせて空冷専門にさせたように、川崎と中島を別けたのだろう
まあ川崎も中島も共に育成中だった訳だしw
>>937 なんで昭和8年着手の新型発動機を
代替機を模索する時期の旧式戦闘機に積むんだよw
誉を隼や九七戦に積むつもりだったと言ってる様なもんだ。
そして九五式は川崎の為の計画なんだから、取るも何も無い。
また三菱は、この時期以降イスパノを一切やってない。
イスパノで得た経験をベースにした独自エンジンだ。
また中島は成長途上だけど、育成中ではない。
中島は陸軍が無理に発注しなくても生きていける(海軍や民間でも商売できる)
川崎は陸軍が発注しなかったら潰れる。全然意味が違うのだよ。
ファルマンやイスパノの発動機は何故上手くいかなかったのかねえ・・・
モーターキャノンが欲しい陸軍としては結構力を入れていたようだがねえ・・・
フランスから設備その他を輸入していればその後の状況は変わったかも知れないねえ・・・
結局、支那事変に驚いたフランスが手を引いたんではないのかねえ・・・
助けて貰わないと作れないとは言えないんだろうねえ・・・
>>939 エンジンのスレ行って聞いてきな。ここは軍用銃スレだ。
モーターキャノンの事を考えるには発動機の開発のことを知ることが必要なんだが・・・
なんか陸軍にやる気が感じられない訳だ・・・
九二式重爆の開発は対米戦を見越した海軍よりの依頼だったらしいが
そうなるとエリコンの開発も、二十粍固定機関砲を積んだ迎撃機の開発も
海軍よりの依頼だったのだろうか・・・・・
そして、幾ら待っても出来上がらないので痺れを切らした海軍は
独力で重爆たる陸攻の開発とエリコンのライセンス購入、そして局地戦闘機として
ハインケルHe112を購入し、性能がイマイチなのでDB601のライセンスを購入して載せかよう
ということに為ったのだろうか・・・・・・
陸軍の仮想敵はあくまでもソビエトだから対米戦には力が入らなかったと言う所か・・・・・
テンションの低い某研みたいなパターンだな。
とりあえず「人の話を聞け」。
依頼と言うのは少々可笑しいかな
対米戦に対する役割分担で陸軍は陸上から運用する重爆と対重爆用の迎撃機を担当したが
満州事変が勃発してそれどころでは無くなってしまった
仕方が無いので海軍が自分で開発する事にしたのだろう・・・
九五大攻の発注は満州事変翌年の昭和七年だし・・・
本来、艦戦に二十粍を積むのは過剰な装備で有ったが
別に迎撃機を開発する余裕が無かったので当分は艦戦と兼用させる積りだったのでは・・・
だから陸軍がエリコンを開発しているのを知りながら
スイスのエリコン本社とライセンス購入交渉を始めて成立させたのではないか・・・・
>>943 中攻や大攻や大艇が対艦攻撃を任務にしていて
しかもB-17は対艦攻撃機で、ノルデン照準器は米海軍開発だ。
この状況で艦隊防空用の艦戦が過剰武装なはずないだろ?
それと海軍が依頼してるのはフィリピン攻略であって
その攻略作戦に於ける戦い方に関しては、何にも要求してない。
陸軍は、攻略の障害になるコレヒドール要塞の天蓋を貫くのに
大型爆撃機を使おうと考えただけで、これは戦闘手段でしかない。
だから爆撃機が失敗しても困るのは陸軍で海軍じゃないのだ。
実際の攻略戦は24糎砲でやっちゃったわけで
機動力と射程と威力を併せ持った九六式24榴で
爆撃機開発の失敗は補えたということでもあるな。
大型機による水平爆撃では海上を走り回る艦船に命中させられないと言うのが結論でなかったか
だから海軍は大攻を止めて中攻による雷撃に向かう訳だろう・・・
中攻も実際には敵飛行場の撃滅に使われる方が多かった気がするが・・・
又、海軍の戦略は日本近海に於ける艦隊決戦で勝負しようと言うことではなかったか
そうなると艦戦の第一の目的は敵艦載機の撃墜で、これに20粍は過剰で有ろう
弾数も少ないしねえ・・・だからエリコンの14粍の開発なんてしたんだろう
しかし対米戦では色々とやらなくては為らないからねえ・・・小は大を兼ねないし
まあ昭和の初期の頃には陸軍も海軍と協力して行こうと考えたんだろうが
満州事変によってソ満国境の防衛が最優先になって手が回らなくなったと考えるのが良い気がするがねえ・・・
迎撃機の武装としては二十粍の筒内砲が軍の指導部にとって非常に魅力的だったのだろうが
これを艦載機化出来ればもっと魅力的に為っただろう
海軍も九六式艦戦にイスパノ乗っけてテストしているみたいだし
一丁減らした分の重量で防弾板取り付けることも出来ただろうし・・・
昭和13年に独逸がDB601とMG151の組み合わせを完成していたら
どんなに高くても関連技術を含めて買っていたことだろう
上手く作れるかは別として・・・・・・・・・・
>>945 水平爆撃が当たらないってのは戦争中に得た戦訓。
それに海軍は大攻を止めたわけではない。
開発に失敗しただけだし、大攻は雷撃機でもある。
日本近海たって、フィリピンからB-17は結構な範囲に来るぞ。
>>946 DB601とMG151は無くても日本は困らないんだよ。
モータカノンできなかった理由は其処に無いんだ。
そもそも13年に購入だと14年に試作着手になるから
14試局戦がDBを非力だからという理由で却下してるように。
燃料も積まないといけない日本軍機じゃ大した飛行機にならん。
機関砲1門と弾丸100発で100kgぐらいだから
雷電で100kg軽くして500馬力下げたら、そりゃ使いもんにならんわなw
雷電にモーターキャノンは積めないと思うが・・・
高い金出して買った発動機なのにねえ・・・ドイツの宣伝が効き過ぎていたのかねえ・・・
海軍はMG131にも手を出して失敗しているようだし・・・
>>948 別に雷電に積むといってるんじゃない。
DB搭載重戦闘機の計画はキ60と14試局戦で
どっちも仮にモータカノン化できて20mm1門削れても
全然馬力が足りなくて成立しないってことだよ。
まあ陸海軍を統制出来なかった時点でどうしようもないと言う訳だ・・・・・・・・
951 :
名無し三等兵:2007/07/10(火) 13:17:05 ID:SEaYzUQ4
保守
捕手