李舜臣は日本水軍を撃破し、京城までの海路を日本軍に許さなかった。
これは多いに評価出来る。
陸路は寸断され、京城から撤退した。
922 :
名無し三等兵:2006/01/05(木) 22:22:40 ID:NpyIi4nm
京城までの海路を日本軍に許すためには
慶尚、全羅、忠清、京畿の長大な沿岸全土を
制圧する必要があります。
センセ、史実以上の制圧面積が必要ですぜ。
923 :
名無し三等兵:2006/01/05(木) 22:28:56 ID:/DwBL46Q
秀吉は水軍に朝鮮水軍の撃破を命じたが、敗北したので水軍の戦略の変更を余儀なくされた。
日本軍の兵糧は、当初現地調達を基本としていたが、これは破綻した。
よって日本から釜山まで兵糧を輸送したが、京城への供給は不成功に終わった。
李舜臣のやったことは日本軍の補給戦をチマチマ襲撃して
多少ダメージを与えたってだけだしなあ。
ゲリラ戦以外では活躍した記録がないし。
大軍を率いるのは向かない、小規模部隊向きの指揮官だったんだよね。
まあ日本軍本体を撃滅させる事もできなかったし
補給戦を途絶えさせるまでの事も出来なかったが
茨のように手を引っ掻いた、という難儀な相手ではあったようだ。
チョンにしては善戦した方だし、分相応には名将と評価しても良いと思う。
926 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 06:55:13 ID:lPKsJ+kv
え?李舜臣が何処の補給線をチマチマ攻撃したの?
それと李舜臣が率いた艦隊は日本より大規模ですぜ。
927 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 08:13:02 ID:Pg2T/xGv
>>926 チマチマとしか行動してない日本船団を
チマチマと攻撃したわけだ。
李舜臣の活動経路と場所を冷静に見てごらん。
それと、
>>922 のようだけど、
海上輸送路が安泰という前提なら、
内陸もそれに呼応して有利に展開するわけで、
史実の程度に北上しているのだから
沿岸拠点を(木浦など)を確保して城を築いておけば京城への経路は随分楽になる。
928 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 08:17:44 ID:Pg2T/xGv
ものすごい数の李舜臣の船団が、
ものすごい数の日本船団の輸送物資満載を撃沈して
半島の日本軍は武器弾薬が補給できず食料も少なくて
みんなハラペコ。
という歴史漫画のようなイメージはそろそろ捨てましょう。
李舜臣の戦果は
朝鮮半島南岸の制海権の維持に成功したが一方、日本〜朝鮮間
の輸送路切断には失敗といったところ
この事は南岸より北に侵攻した遠征軍は陸路による補給に頼らな
ければならないからであり、陸路のコストが海路のそれより100倍
必要とする点を考えれば、日本軍を半島南部に逼塞させた彼の
功績は大したものだと思う
>>929 修正
李舜臣の戦果は
朝鮮半島南岸の一部以外の制海権の維持に成功したが一方、
日本〜朝鮮間の輸送路切断には失敗といったところ
この事は南岸より北に侵攻した遠征軍は陸路による補給に頼ら
なければならないという事であり、陸路のコストが海路のそれより
100倍必要とする点を考えれば、日本軍を半島南部に逼塞させた
彼の功績は大したものだと思う
931 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 14:01:41 ID:lPKsJ+kv
例え李舜臣がいなくても海路補給作戦なんか存在しないんだから陸路を使うしか選択肢はない。
陸路に頼るしかないって表現は変だよ。
932 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 14:08:32 ID:lPKsJ+kv
チマチマでもなかろう。
文禄の役で大まかに言って李舜臣の出撃はわずか四回だ。
制海権は当時の静水艦隊だけでは握れないから。
織田が水上水軍潰してなければなぁ・・・( ゚д゚)ポカーン・・・・
>>931 「海路補給作戦なんか存在しない」という根拠を聞きたい
936 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 18:46:10 ID:Y7fbtFsB
今日発売の歴史群像に文禄の役の記事がのっているよ
現地の奴隷(即ち一般朝鮮人)が日本軍を歓迎したらしい
938 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:07:15 ID:Pg2T/xGv
>海路補給作戦なんか存在しない
意味が良くわからない。
939 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:11:01 ID:lPKsJ+kv
すまん、言葉が足りなかったようだ。
無論、北九州からプサンへの輸送路は存在した。
ここで存在しなかったというのは李舜臣が日本に断念させたらしい架空の釜山から漢城までの西上海路補給作戦のこと。
以上、話の流れで省略した。
李舜臣の架空の手柄は小西が和平交渉で使った恫喝文句に「陸軍だけでなくまもなく海路から水軍も来るから和平しろ」と言ったのを柳成龍が抜擢した同派閥の李舜臣の勝利から勝手に日本の作戦を挫折させたと結び付けて記録に残したため。
緒戦久しく陸軍も水軍も釜山西方へ侵攻した大部隊はない。
940 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:25:08 ID:lPKsJ+kv
李舜臣の手柄をあげるとすれば。
釜山西方へ無防備な沿岸輸送が危険であること、
水軍同士の対決では朝鮮側が優位であること、
朝鮮水軍の襲撃を防御する為には海岸を制圧して軍勢を駐屯させる必要があること、
などを日本軍に認識させて侵攻軍のリソースにストレスを与えたことだと思う。
次いでそのための艦隊戦力と指揮権力を維持したこと。
直接戦闘で撃破した日本軍の被害などその次以下と評価するが如何?
941 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 21:26:00 ID:lPKsJ+kv
李舜臣の手柄をあげるとすれば。
釜山西方へ無防備な沿岸輸送が危険であること、
水軍同士の対決では朝鮮側が優位であること、
朝鮮水軍の襲撃を防御する為には海岸を制圧して軍勢を駐屯させる必要があること、
などを日本軍に認識させて侵攻軍のリソースにストレスを与えたことだと思う。
次いでそのための艦隊戦力と指揮権力を維持したこと。
直接戦闘で撃破した日本軍の被害などその次以下と評価するが如何?
>>939 洛東江(釜山のすぐ西に河口が開く川、慶尚道の真ん中を流れる)の確保も
できなかったからそれ以前の問題です
小西行長の順天城に最後に篭城した時(露梁津海戦)の兵数って分かる人います?
イージス艦使えばよかったのに
942>>洛東江河口の制海権が李舜臣に奪われていたというソースとその時期は?
この辺は日本軍が全期間に渡って確保していたんじゃないかな、危険があったのは加徳島から先じゃないか。
947 :
名無し三等兵:2006/01/06(金) 22:46:01 ID:lPKsJ+kv
ダメじゃん。
三成の書状も根拠にならないし。
日本軍が釜山から漢城までの補給を総て陸路で行うのは史実から
見ても不可能です。
そうなると海路で補給を行うのは当然ですし、元々明を攻める為です
から朝鮮半島西海岸の制海権を手に入れる事は必須だと思うのですが。
朝鮮水軍と日本水軍で後者の軍船が構造的に弱いのは前者が中国系のジャンク系
の船体構造を持っているのに対し後者は和船構造をしているためである。
この和船構造は幅の広い棚板と船梁で構成されるものであり外板と多数の隔壁で構成
されるジャンクに較べ建造が容易ではあるが構造的に脆い(といっても沿岸航行や遣明
船の様な臨時的な中国渡航は可能)ので、この点においても日本水軍は不利であった
951 :
名無し三等兵:2006/01/07(土) 02:53:25 ID:8p2rHe9Q
>>949 和船が東南アジアまで行ってたのに
遠洋航海に不向きなのかな?
>>951 末次船の様な朱印船の事を言ってるなら、あれの船体構造はジャンクです
>>942 河川航行と海上航行では
効率、安全面から全く別次元なものであることが分からないですか?
河川遡上など陸を行くのと同じ。
>>953 >河川遡上など陸を行くのと同じ。
これはありとあらゆる面で間違っているのであしからず
当時は、陸軍はともかく水軍はやっぱ弱くなってたのか?
956 :
名無し三等兵:2006/01/07(土) 20:34:04 ID:TTiG4X0j
日本軍側で末期まで積極的に協力して戦っていた
朝鮮の正規軍の一部が居たらしいが、本当なの?
>>949 朝鮮船はジャンク式じゃないって
ジャンクは竜骨構造だが、朝鮮船は竜骨構造じゃない。
そもそも和船の構造が弱いっていうのは俗説の類。
詳しくは、石井 謙治著・和船T、和船Uを嫁。
>>958 同じ石井 謙治の「日本の船を復元する」には1000石積級になると梁が長くなり
外板がの継ぎ目が弱くなるとある
後、ジャンクの特徴は竜骨ではなく隔壁構造にあるのでは?
>>959 >「日本の船を復元する」
その本読んで見たくなった。
後、竜造骨構と隔壁構造は別に矛盾しないし、両立すると思うけど。
つまり、竜造骨構の船を水密隔壁で仕切ったのがジャンク。
>>960 竜骨のあるジャンクもあるし、ないジャンクもある
はじめに亀船で突撃し、次に板屋船を進撃させ、地・玄字銃筒を連射し、更に砲丸、
矢石を雨雹と放てば、賊の気を奪うことは容易く、死ぬ暇もない。これが水戦の易勢である。
李舜臣
>>762 本当なの?と聞いているのだから、むしろそれを知りたいのでは?
倭城の構造に似た城って、
明や日本でも見受けられるの?
>>966 登り石垣なら彦根城、松山城、洲本城なんかにある
>>968 万里の長城のようなもの。
目的、用途は少し違うが。