96 :
名無し三等兵:2005/06/26(日) 19:32:35 ID:???
あああ宗主板様に飲み込まれていく・・・
148cmで素早さの高いチビ。しかも容貌も史実はきつそう。
東西アンジェリーク的世界観どころじゃない。
不気味な原住民。
98 :
名無し三等兵:2005/06/26(日) 23:39:03 ID:???
頼朝はカッコイイのにな
99 :
名無し三等兵:2005/06/26(日) 23:51:18 ID:???
義経は断じて美少女である
婦女子どもはわらひがリアルの江戸・明治の人間の男性、ファイターの生活レベル、
全体の技術レベルや制度、戦国時代のことなどを教えてあげたらわらひを次第に
ハミゴにします。たとえファンタジー世界だって、中世の欧州や室町日本のことから、
江戸期や大正時代のことも教えちゃいます。たいていのファンタジー世界は、明治日本の
レベルでも遠い先の高度な世界だってこと、ファンタジー物の生産に纏わるいろんな
製作・販売の現代史。何かのファンの婦女子の人たちは、そんなわらひをハミゴに。
腐女子というカテゴリのヤシらの中にも、牡の中の腐女子という概念の像に
合わせようとする馬鹿は居ますよ。
意外にファンタジー的消費の中にリアル史観もあるのかも。ただ、なぜ皆の
自己愛&群の動きではわらひは拒絶の対象になるのか。
というか
>>100はリアル史観はどの程度在った上でそう言うか。
平安時代に北米では西部劇が展開されていたと思っていても生活に支障が無い
ジャンルではあるけれど、皆のリアル史観はいったい。
WWUに日本軍が火縄銃使ってたと思ってるヤツ居りました。
義経は美少女だ。
米兵が見たらウホッとなるだろ。
九羅香タン(;´Д`)
義経は美形!!
水没して米軍全滅
>>101 14世紀イングランドにおける一般的な修道院の夕食メニューを教えて。
献立まではちょっと(−^;)。
一般的な、というのはそこまでは知識ないですよ。
ただ、香辛料は貴重だから副菜が肉だったら臭いが凄くて麦飯みたいな黒パンでも
主食に出来たでしょうね。葡萄とかも少しだし。1300年代なら小麦の生産は
復活しているから、肉の方が少ないような。肉メインで5000カロリー近く逝くのと
黒パン+小魚で1000カロリー余り、これは究極の選択。木の実や果実は貴族専用なので
司教とかしかメニューにないような。
今の白パンは乳製品や卵に至るまで小麦と一緒に使用されてるから、そのままでも
食べれるぐらいだけど、昔のは凄そう。
塩鮭は頼朝の時代からあんまり味変わって無いらしいですよ。
彼が美味しいといったのも頷けます。米兵も鮭は有り難がりそう。
1300年代といえば元寇の余波で黒氏病まっただなかですね。
確か昔の欧州人ってやぎのゲロがご馳走なんだってね?
まじでかよ
現代でも美女のゲロなら涙流しながら食すフェチもあるです
m9(`・ω・´)ビシッ
グリーンベレーが宇治川の合戦へ参戦
米軍といえば世界の南北朝に介入。
ここからは鎌倉時代末期と室町時代初期の軍VS米軍にはしませんか。
元・南宋・高麗とはわけが違う異国軍の出現。でも小規模&未曾有の戦力の
アンバランスが妙。醍醐味。
じゃ北イエメンと南イエメンに介入してくれ
そもそも、平安時代だと現代日本語もまともに通じないだろ。
いや、当時の日本人も何故か米語をしゃべるからいいのか。
全く未知の言語でも、1ヶ月程度あれば通訳できる人間が現れるだろ。
コルテスもアステカ攻略の際、原住民少女を「通訳」として使っていたシナ。
昼は通訳、夜は……うおおおおおー!!
夜用を業務でも使おうと思ったのではないでしょうか、コルテス。
>>120が面白いから、デスクトップの前で意味も無くパンスト一丁に
なってみたりしてます。ただ、キーボードを指以外で打つのは難しくて
うざいので指打ちです。
引かないで、みんな引かないでよぉ(寂)。
義経は美少女
某所で、大鎧を着て暴れてきた。
大鎧(自前ですよ! 撮影用のレプリカですけど)着て、橋の上でジャンプして、
薙刀の斬撃をかわす、というアホなことやったり。
やっぱ、当世具足に比べると、大鎧は大きくて体へのフィット感も少ないねェ。
この大きさと、身体と鎧の空間が、矢を食らったときの防御に役立つらしいけど。
でも、装甲の最小単位である小札は、威糸(“おどしいと”、装甲を綴っている紐)を通す為の穴が結構空いてるし、
防御力がどれだけあったのかは疑問だなあ。弓矢や太刀の斬撃には耐えるけど、槍の刺突には耐えられそうに無いね。
(小札同士の重ねは厚いから、受ける場所によっては大丈夫かな)
三枚打ち弓なんかの威力の高い複合弓の登場、槍の普及、兵員の増加により、より簡単な構造の伊予札や、板札になっていき、
当世具足になったのが良く分かるね。実際に色々いじくってみると。当世具足は動きやすいし。
>聖女殿
武士のメインウエポンは、戦国時代前は弓、それ以降は槍で、新撰組だって討ち入りのときは
槍がメインウエポン、とか、知られてないですよね。
甲冑着たまま刀で斬り合うなんて、あまりなかったんだろうな〜。甲冑着てたら、突き主体の長柄武器の方が
扱いやすいもの。あ、でも南北朝時代は野太刀が活躍してるな…。
メインウエポンは歴史ファンでも刀とか思ってる場合ありますものねー。
しかも新撰組の討ち入りの際には主武器が槍なのも初耳だし。
それはそうと、野太刀って長さから察するに、切れない両手剣だと思いますよ。
切れない両手剣は、杖術に近い用法をします。野太刀は槍系かとも思いますが。
野太刀のサイズだと、体の正面の部分ではまともに振るえないので、刀とは違う
用法があったと思います。利き腕じゃない方を斜め後ろに突き出す構えになりがちです、
野太刀の長さだと。振るうにも、刀の延長の気で居ると、碌に振るえないし、突きぐらいしか
できないです。わらひでも、グレートソードのつもりで少し構えただけで腰が痛くなるし。
野太刀=杖道の道具、これ恐らく真相。
野太刀は、おっしゃる通り、斬るというよりは突く、叩く、に近い用法の
武器のようですね。
扱いなれた人間なら、野太刀で袈裟斬り・逆袈裟での斬り上げができるのでしょうが(野太刀自顕流、凄すぎ)、
相当の鍛錬がいるらしいので、刀身の鍔元から物打ちの近くまで布や縄を巻いて、そこを持てるようにし、薙刀のように
使ったりもしたようです(これが長巻きの前身とされますが、長巻きのような小薙刀も鎌倉時代から既にあるようなので、区分けは
難しいところです)。
ちなみに、戦国期の剣術は、太刀でも打刀でも、今の素肌剣法のように
身体の中心線を軸に斬るような動作はあまりしないみたいです。
甲冑を完全着用してると、兜が邪魔なのと、篭手と袖によって腕の動きが制限される(万歳なんか
出来ません)ので、自然に身体の外側で振るような形になります。
対甲冑武者だと、そもそも斬撃より突きのほうが効果ありますし。
まあ、当時の数打ち物の刀なんか、刃がちょっとついた鉄の棒みたいなものですから、それでガンガン鎧の上から
殴ってダメージを与えることも十分可能で、そんな戦い方がメインだった可能性もかなりあります。
西洋のトゥーハンドソードみたいな柄追加をするのが前提になっているなら、
もうただの杖術と見て良さそうですね。剣というイメージがしませんよね。
ファイターが昔のドラクエみたいな重厚さだと、剣技も重厚なものになるのですね。
機能性が低い現象でも、鎧の圧倒的なオートガードが働いているゆえ、という
経緯なら無駄が省かれた重厚さを感じますね。
ただ、同じ2m弱でもチャイナ拳法や日本の打撃系みたいな棒術と違って三等法で
持って棒の両端も中央も満遍なく活用するとかできないですね。
グラディウスや素手の間合いで、ほぼ360°臨機応変に立ち回るには杖術型の両手剣だと
きつそうですね。昔の人は、この点はどうしていたのでしょうね。
わらひは剣は両手剣なら120cmの竹刀、片手なら1m弱のエペ、までが範囲内だと思います。
槍は2.5mからでしょう。2.5mぐらいより短い中で、竹刀やエペにならない長さの棒って、
中途半端な感じがします。槍に短しつるぎに長し、といった感じで。持つのは人間ですものね。
壇ノ浦は規模の大きさがキーですが、鎌倉時代初期ならまだまだ小集団の
散開する陣形で、米軍の近代兵器もそんなに決定的じゃなくなりますね。
ヘタに近世だと、戦国自衛隊廉価版9巻みたいな、旅順攻略まで度々発生していた
悲劇が起きますものね。近世と近代の衝突では、前出のコミックの団衛門や井澤みたいな
近世馬鹿がたくさんの足軽などの兵士を野外●肉加工工場みたいな采配で喪ってしまう、
という悲劇が史実にたくさんあります。西欧史でも、その手の悲劇は多いです。まじですよ。
米軍にはきっとリグヴェータ級の虎の子であろうデイジーカッターでさえも、直径で0.125里の範囲に
一族郎党を配置していなければ、ただの雑木林や山肌の荒地・更地化にするだけの機能しか無いです。
水城とか石塁は水陸両用車に破砕されてしまうでしょうが、そんなに圧倒的な相手ではなくなります。
何より、米兵も人間。源氏平氏も人間。
その上で、那須与一が歩兵装備+軽車輌の騎兵隊の6親等先の日系人で、
現代兵器の精度を平氏に知らしめて、壇ノ浦の戦いが早期決着した、または
壇ノ浦で源平の戦いに終止符を打った、という展開になったりすると楽しいなぁ、
とも思います。ファルージャばりの大いくさよりも、重厚な小銃の1発が宋の扇を
綴じりを打ち抜き扇が潮風に舞う、そんなイメージがこのスレの醍醐味ですよね。
聖女たん、喋りすぎ。
ハロゥコンピータ?
源平藤原皇族皆ごろしにして共和制日本が誕生!
134 :
名無し三等兵:2005/07/14(木) 04:48:57 ID:QHP0Jlgx
現状装備で自衛隊が韓国へ進行することは出来ますか。
進行はできるけど侵攻は無理じゃない?
>128
>>2.5mぐらいより短い中で、竹刀やエペにならない長さの棒って、
中途半端な感じがします。
ちょいと反論です。
馬上槍や用心槍(武士・侍が自分の家のすぐ取れる所に置いておく、緊急用の槍)は
長くて2.5m、戦国時代の偵察任務時に使う物見槍は2m前後、室内に討ち入るときに
使う槍も、2mを越えない長さですよ。
柳生心眼流杖術は6尺棒使いますし、江戸の与力・同心も捕り物のときには6尺棒を良く使った
ようです。
で、実際やってみると、この6尺程度の槍や棒って、身体や腕の延長線上にある感じでありながら
(片手剣や普通の長さの両手剣はもろにこれを感じますが)、十分に長い、つまり、小回りが効く上に、
通常の刀よりリーチがある、武器としては結構使いやすい長さです。
あの忠臣蔵で討ち入った浪士達も、実はメインウエポンは2m程度の手槍だったそうです。
武家屋敷って結構広いですし、刺突メインの槍のほうが、天井や梁、柱などに邪魔されないで相手を攻撃
できますし、刀より有利ですから。
今の薙刀も、6尺程度の長さですし、実は得物としてかなり有効な長さなのかな〜、と思います。
まあ、刀相手に楽に対抗しうる長さで、そう長くないもの、を考えると、6尺程度になった、ということかも知れません。
得物が長くても、人間が手に持って構えると、その人の手から先の分だけが
追加リーチになります。長い物ほど、柄を中央に近い部分にまで伸ばさないと、
構えることもおぼつきません。その例では、
「グラディウスや素手の間合いで、ほぼ360°臨機応変に立ち回るには」
適していたのでしょう。赤穂浪士の主戦場は大名屋敷の屋内や庭だし。
杖道は、身長が190cm台の人とかじゃない限り、物理的に六尺棒では
3尺以上のリーチはつくれません。3尺以上だと、突き出して保持しているだけで
何かのトレーニングになりそうです。応援団の旗うぷか何かみたいな。
西洋にも2mでもロングスピアの域に入るし、戦国時代の偵察の人は体格や経済力や
任務の性質の事情で、2mのスピアが最適な得物ではなかったのでしょうか。
侍の馬上槍や護身具が2.5mなのは、普通に最適な長さだからでしょう。
杖道の構え方の中には、刀身に充たる部分のリーチが140cmか110cmのものは
ありました。大人用竹刀よりも何十cmかは長いです。組手だと、何十cmかは
かなり違うので、リーチでも刀より有利な点も有りそうです。
でも正眼の構えをするのが、120cmぐらいの両手剣じゃないと難しそうですが、
そこはどうでしょうか?わらひが運動神経ないだけでしょうか。
聖女とやら。世界史板にでも逝ってくれ。
喪前だけのスレじゃねえんだ。
武道板で、適切なスレが御座いましたらお教えください。
なぎなたアゲ
142 :
NANA死さん:2005/07/22(金) 16:50:59 ID:ZX+ytT+m
>>138 我が二天一流から言わせて貰うとそいつぁ邪道だな。
いっくらリーチが長くても人には適正な得物がある。
それは長すぎても短すぎてもいけねぇんだ。
当然長くなれば重量もかさむ。動きが鈍くなる。
そうなっちまえばあんたの得物なぞ一発で叩き落せる。
一刀の元に切り捨ててくれるわい!
うお、
>>128も是非お読みくださいませ。
これのラスト3行が特に拝読どうぞ。
age
あげ