1 :
某研究者:
古代〜近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装に関して
議論或いは情報を提供して貰いたい訳だが
2 :
某研究者:2005/06/18(土) 06:06:47 ID:7/lQmPTX
3 :
名無し三等兵:2005/06/18(土) 06:07:22 ID:???
3なら柏原芳恵とセックスできる。
4 :
某研究者:2005/06/18(土) 06:13:41 ID:7/lQmPTX
5 :
某研究者:2005/06/18(土) 06:14:32 ID:7/lQmPTX
6 :
某研究者:2005/06/18(土) 06:15:15 ID:7/lQmPTX
7 :
某研究者:2005/06/18(土) 06:16:14 ID:7/lQmPTX
8 :
某研究者:2005/06/18(土) 07:03:43 ID:7/lQmPTX
9 :
某研究者:2005/06/18(土) 07:15:50 ID:7/lQmPTX
10 :
某研究者:2005/06/18(土) 07:43:39 ID:7/lQmPTX
11 :
某研究者:2005/06/18(土) 08:59:27 ID:7/lQmPTX
12 :
某研究者:2005/06/18(土) 09:04:56 ID:7/lQmPTX
13 :
名無し三等兵:2005/06/18(土) 22:48:22 ID:???
>ゲイカ
相変わらずのカチューシャ飽和攻撃乙でありますw
肌守りは自らの武運を左右するありがたいお守りですから
柴田勝家の兜の前立 黄金の御幣もその類でせう
14 :
某研究者:2005/06/22(水) 09:31:48 ID:WcslshZu
15 :
某研究者:2005/06/22(水) 09:36:51 ID:WcslshZu
16 :
某研究者:2005/06/22(水) 09:49:31 ID:WcslshZu
17 :
某研究者:2005/06/23(木) 02:05:26 ID:KaX4nAh/
18 :
某研究者:2005/06/23(木) 02:19:20 ID:KaX4nAh/
リチャードが船から飛び降りたと言う様な
記述も有るだろうが
兵は大型船から梯子を用いて降りて居たのか
或いは小型船に乗り換えて上陸していたのかだが
何れなのだろうか
(まあしかしこの時代の船はどの程度のサイズだったのだろうか)
騎士も斧を使うんですね
槍を構えて突撃するってイメージが強いんですけど・・・
(もっと後の時代ですけど)
軽装騎兵のイメージが強いイスラムの騎兵も斧を使うんですね
・・・以上です
決して荒らしではありません
太刀打ちできないんです
(文章も難解だし)
某研究者さん、続けてください
20 :
某研究者:2005/06/24(金) 05:28:09 ID:25O0lk4j
21 :
某研究者:2005/06/24(金) 05:28:36 ID:25O0lk4j
まあ歩兵に突撃する際は槍で馬がやられるケースも
多かったかも知れないが
槍襖が有れば槍を持ったとて
突撃は出来無いだろうし
杭も排除せねば駄目だろうが
射撃や歩兵や下馬騎士の攻撃等で
槍襖が崩壊し柵も杭も失った歩兵は
士気の問題で騎兵突撃を受ければ敗走し
剣を持つ騎士に後ろからやられていた例も
多かったのだろうか
まあ射撃で槍襖は兎も角杭や柵は壊せないだろうし
此れは歩兵が排除する必要も有るだろうが
壕が有れば騎士は下馬突撃するしか
無いだろうか
まあパイク兵も射撃を受けた場合
後列が前列の穴を埋めて
隊列を直ぐに回復出来ると言うし
パイク兵に対して歩兵が突撃しても
此れを撃退した後は即座に隊形を整えて
騎兵突撃を防ぐかも知れないし
パイク兵相手には騎兵も
下馬突撃するしか無いのかも知れないが
(まあシルトロンが射撃だけで壊滅したと言う例も有るだろうが
パイク兵は士気が高いので
余程弓兵がパイク兵に比べて多く無ければ
そう言う訳には行かないのかも知れぬし
パイク兵側が弓兵に近接する前に
果たして弓兵は此れを壊滅出来るのかだが)
22 :
某研究者:2005/06/24(金) 05:34:19 ID:25O0lk4j
弓兵は士気が低いので
大砲を受ければ
敗走しているだろうが
下馬騎士やパイク兵・精鋭歩兵は大砲を受けても
簡単には敗走しない場合も有る訳だろうか
(砲兵の士気に関しては
どうなのかだろうし
大砲等の射撃を受ければ敗走はしたのかだが)
精鋭歩兵や下馬騎士と言え共
隊列が崩れた状態で騎兵突撃を受ければ
敗走したのかも知れぬが
再度隊列を組み直す為に反撃をしたと言う可能性も
有る訳だろうか
23 :
某研究者:2005/06/24(金) 05:45:38 ID:25O0lk4j
>再度隊列を組み直す為に反撃をしたと言う可能性も
>有る訳だろうか
まあ退却する際も士気の高い兵は
出来るだけ隊列を保ちつつ退却をしようと
考える訳だろうか
>軽装騎兵のイメージが強いイスラムの騎兵も斧を使うんですね
>・・・以上です
イスラムの兵も鎖帷子の上に鱗鎧迄装備している兵も多いし
鎧の上から打撃を与える為に重い武器が
使用されて居る様だし
斧以外にメイスも有るだろうか
(まあバイキングが斧を使用するのも同様の理由だろうし
バイキングは全身用の鎖帷子を着て居る者も
多いだろうが
ローマ兵は全身鎧が無いので斧は使用しなかったのか
まあしかし全身鎧等着ないフランク族が投げ斧を使用していただろうが
此れは投げて盾を使用不能とする為の物かも知れぬし
近接戦ではスパタ(長剣)を使用して居ただろうか)
24 :
某研究者:2005/06/24(金) 06:21:16 ID:25O0lk4j
25 :
某研究者:2005/06/24(金) 07:13:01 ID:25O0lk4j
26 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 09:20:26 ID:???
古代マケドニア〜ローマの、重装歩兵+騎兵の攻囲戦術に対し
同時期の他地域の軍隊は対抗出来たのかを聞きたい。
雨あられと矢を降らす弩兵部隊がいれば負けないよと論陣を張る者がいるのだが、
戦略条件を騎兵の運用できる開けた地形で、拮抗出来る兵力に置くと、
機動力の騎馬部隊を集団運用する思想が無い軍隊には勝ち目が無いと思うのだが。
27 :
某研究者:2005/06/24(金) 10:56:10 ID:eN8xV6Oa
匈奴の騎兵を中国の弩が阻止したと言う様な
記述も有るだろうが
杭や柵・地形無しで阻止出来たのかだが
マケドニアの長槍歩兵以外は
柵や杭・地形無しで騎兵は阻止出来無かったのかだが
恐らく騎兵に包囲されれば撃破されるだろうか
>同時期の他地域の軍隊は対抗出来たのかを聞きたい。
まあ海軍力やヌミディア騎兵が無ければ
スキピオとてハンニバルに勝てたのかだが
28 :
某研究者:2005/06/24(金) 11:02:37 ID:eN8xV6Oa
中国の弓兵の前に
レギオンやファランクスは勝てるのかだろうし
騎兵を阻止出来る地形の有る状況では
ローマは中国に勝てるのかだが
(レギオンもケルトの戦術の真似だろうし
ローマも彼等の剣を扱う戦術に
負けたと言う事は有るだろうが
ローマ兵が投げ槍を投げると言うのはオリジナルなのか
此れもケルトやフランク等の戦術の
真似なのかだが
ギリシャ等の騎兵や軽装歩兵が投げ槍を投げていたから
この延長で槍を投げたに過ぎ無いのだろうか)
29 :
某研究者:2005/06/24(金) 11:05:42 ID:eN8xV6Oa
ローマの重装騎兵(カタフラクト)は
ササン朝ペルシャやパルティアの騎兵の模倣だろうし
ローマのオリジナルの戦術と言うのは
何処迄有るのかだろうし
負けた相手の戦術を模倣する柔軟性こそが
ローマの強さの本質と言う事なのだろうか
30 :
某研究者:2005/06/24(金) 11:13:48 ID:eN8xV6Oa
まあしかしマケドニアの長槍騎兵が廃れたのは
良く分からないし
マケドニアの長槍兵はレギオンには勝てないから
廃れたのかも知れぬが
マケドニアファランクスも正面からなら
レギオンに対して優勢だったと言う様な記述も有るだろうが
矢張り其の様な地形を選べるとは限らないから
ローマはレギオンを用いたのだろうか
31 :
某研究者:2005/06/24(金) 11:19:37 ID:eN8xV6Oa
>まあしかしマケドニアの長槍騎兵が廃れたのは
>良く分からないし
長槍を持ったカタフラクトの様な物が有れば
パルティアンショットを受ける様な
開けた地形では無い限り
最強だったのかも知れぬが
何故マケドニアの長槍騎兵は
廃れたのだろうか
32 :
某研究者:2005/06/24(金) 11:35:10 ID:eN8xV6Oa
>最強だったのかも知れぬが
無論騎兵を阻止出来る柵や杭・地形の有る状況では
騎兵は兎も角歩兵には勝てるのかだが
33 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 12:58:56 ID:6f4HeKdK
>研究者、文は推敲しろ。語尾が非常に読みづらいのかだか
34 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 13:34:44 ID:???
某研名物のこのスレが復活してたか。
またコサックスやりたくなったな。陣形組んでうろちょろしてるの眺めたい。
35 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 13:39:04 ID:???
Rome Total War萌え。
36 :
某研究者:2005/06/24(金) 14:01:45 ID:nYfKPIz/
まあ歩兵で柵や杭を排除し
ファランクスの槍襖を崩した後で
突入すれば
騎兵でもファランクスには勝てるだろうが
土塁が有れば乗馬突撃は無理だろうか
37 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 14:12:22 ID:???
相手が柵や杭を作れば、自分達も陣地を作って包囲してしまうのがローマっぽいけどな。
土木工事は得意技だし、経済力を背景に兵糧は絶やさないだろう。
38 :
某研究者:2005/06/24(金) 14:23:29 ID:4syV2cVT
まぁマケドニア騎兵が廃れたのは
生産性の低さと ファランクスに頼りすぎたのが原因なわけだろうが。
39 :
某研究者:2005/06/24(金) 17:37:55 ID:4Dqu2FS4
>相手が柵や杭を作れば、自分達も陣地を作って包囲してしまうのがローマっぽいけどな。
>土木工事は得意技だし、経済力を背景に兵糧は絶やさないだろう。
此れは損害を恐れて兵糧攻めとすると言う事なのかだが
城は兎も角陣地に対して
城が構築された例は有るのかだが
敵が城を造る前に突入して来る可能性も
有るのかも知れぬが
(ローマ側の兵力が優勢で有れ一点突破して逃げようと
考えるかも知れないが)
40 :
某研究者:2005/06/24(金) 18:02:47 ID:4Dqu2FS4
>まぁマケドニア騎兵が廃れたのは
>生産性の低さと ファランクスに頼りすぎたのが原因なわけだろうが。
確か槍は両手で構えていた様にも見えたが
まあ槍も構え乍らの突撃を行うのでは無く
三国志の中国の騎兵の様に
一端停止して両手で打ち合うと言う方向だろうが
此れにも技量は居る訳だろうか
或いはローマは騎兵を軽視していたから
この様な部隊は用いなかったと言う可能性も有るだろうが
ヌミディア騎兵の登場後は違うだろうが
マケドニア騎兵の様な物でヌミディア騎兵に
対抗する事は考え無かったのかだが
投げ槍の精度の問題等でヌミディア騎兵が
勝ったかも知れないが
41 :
某研究者:2005/06/24(金) 18:17:12 ID:4Dqu2FS4
まあローマもマケドニアと対決した事が
有っただろうが
この際にはコストの問題で長槍騎兵は廃れていたので
ローマも導入はしなかったのだろうか
42 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 21:37:35 ID:???
>>11 五月人形を資料にしてどうするんだよ!(W
「伊達政宗」って、本物の伊達政宗の鎧とは、全然違うじゃねーか(W
43 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 23:00:54 ID:6SzCU/jt
そこでシヴィライゼーション
44 :
名無し三等兵:2005/06/24(金) 23:46:38 ID:???
ずっと不思議だったんだけどさ。
あれって元々アメリカのゲームだよな。
なんでシヴィリゼーションでなくてシヴィライゼーションなんだろ。
昔AHが売ってたボードゲームの方は、オリジナルが英国のゲームだから
シヴィライゼーションでもわかるんだけど。
45 :
名無し三等兵:2005/06/25(土) 06:07:57 ID:???
マケドニア騎兵もヌミディア騎兵もガリア騎兵も、騎士みたいな打ち合いはしてないはずだが。
鐙が無いからそれには不向きだし、斥候と追撃が主任務。
それでも数を揃えれた場合は、迂回して側面・後方から敵をつつく。
集団歩兵同士の戦で、これは勝敗を決める決定的な戦術になった。
投擲用の短槍、これに短剣が主な装備。後は馬の突進で陣形は容易に崩せる。
現代の馬よりは小型だけど、400kgを越える騎兵が時速数十キロで突っ込んで来たらひとたまりも無い。
46 :
某研究者:2005/06/25(土) 07:27:14 ID:PcPl8iNC
47 :
某研究者:2005/06/25(土) 07:54:15 ID:PcPl8iNC
>マケドニア騎兵もヌミディア騎兵もガリア騎兵も、騎士みたいな打ち合いはしてないはずだが。
>鐙が無いからそれには不向きだし、斥候と追撃が主任務。
>それでも数を揃えれた場合は、迂回して側面・後方から敵をつつく。
>集団歩兵同士の戦で、これは勝敗を決める決定的な戦術になった。
まあ騎兵対騎兵の戦いで勝った方が
カンネーでもザマでも勝っているだろうし
勝った方の騎兵が歩兵の背後に突入すれば
大概は決着が付いているだろうが
騎兵対騎兵の戦いでは馬上での打ち合いと言うのは
矢張り行われた訳だろうか
まあ背後に回ったのは歩兵が正面で戦っていた所為であり
正面からの突撃でもマケドニアファランクス以外に対しては
杭や地形・柵の無い場合は
騎兵は歩兵を撃破出来た訳だろうか
48 :
某研究者:2005/06/25(土) 07:54:34 ID:PcPl8iNC
>投擲用の短槍、これに短剣が主な装備。後は馬の突進で陣形は容易に崩せる。
>現代の馬よりは小型だけど、400kgを越える騎兵が時速数十キロで突っ込んで来たらひとたまりも無い。
騎兵に対して投げ槍は消費して仕舞う例も
多かった訳だろうし
歩兵に対しては剣で切り込んだ例も
多かった訳だろうが
(無論投げるタイプでは無い短槍を持つ騎兵も
居た訳だろうが)
まあ槍騎兵もマケドニアファランクス・シルトロンやパイク兵に対しては
どうなのかだろうし
ヘースティングスでもノルマンの騎兵突撃が
歩兵の盾で防がれていただろうか
(まあ盾+槍だった可能性も
有るだろうが
サクソン側も斧を持つ兵も多かっただろうから
盾だけで防いだ可能性も有るのだろうか
ノルマンの騎士は体重を槍に掛けるタイプの
騎士では無い様だし
足を止めて打ち合っていた可能性も有るだろうが
後世の体重を槍に掛けるタイプの騎士だったら
盾は貫かれていたと言う可能性も有るのだろうか
故に盾ではこの種の騎士の突撃を防げぬから
槍で騎兵を阻止するシルトロンの様な物が出て来たと言う
事なのだろうか)
49 :
某研究者:2005/06/25(土) 08:06:12 ID:PcPl8iNC
ブレイブハートではシルトロンの兵は
確か盾を持っていただろうが
ヘースティングの時のサクソン歩兵は
射撃は盾で防いで居ただろうが
(まあ上と正面に同時に矢を打たれれば
亀甲隊形の様な物を使わねばどうだったのかだが)
シルトロンは何故防げなかったのかだが
片手用の槍で騎兵を阻止出来るのかだろうし
盾を構えずに両手用の槍を用いて居た可能性も
有るだろうか
(まあ或いは盾を構えていたが
弓の数がヘースティングスの時と比べ
圧倒的に多かったと言う可能性も有るだろうが
http://www.ff.iij4u.or.jp/~yeelen/hangmen/kings/planta.htm 上を見る限りシルトロンの槍は
12フィート(3.6m)は有った訳だろうし
恐らく片手用の槍では無いだろうか)
50 :
某研究者:2005/06/25(土) 08:18:45 ID:PcPl8iNC
シルトロン戦術は以後どうなったのかだが
スコットランドでは残ったのかも知れぬが
他には広まらなかったのだろうか
(此れがスイスの矛槍兵やパイク兵の
原型と成ったと言う可能性は
無いのかだが
スコットランドの兵が確か仏に居たかも知れぬし
其処辺りから大陸に広まったと言う事は
無いのかだが)
51 :
某研究者:2005/06/25(土) 08:31:59 ID:PcPl8iNC
まあ矢張り13世紀にスイスにハルバードが出て来たのは
偶然なのかだろうし
シルトロンの影響と言うのは
無いのかだが
52 :
某研究者:2005/06/25(土) 08:34:30 ID:PcPl8iNC
53 :
名無し三等兵:2005/06/25(土) 11:25:45 ID:???
ペルシア戦争でも騎兵は重装備のホプリタイに突撃はできなかった
陣形が崩れた時に襲撃を反復して投槍でダメージを与えるのが基本
54 :
某研究者:2005/06/25(土) 11:43:44 ID:PcPl8iNC
55 :
名無し三等兵:2005/06/25(土) 15:24:56 ID:r6PKjNdG
??
56 :
名無し三等兵:2005/06/25(土) 16:13:51 ID:Fx1I7sSv
ペルシャだとラクダや象とかイロモノもいるよ。
57 :
某研究者:2005/06/26(日) 06:49:00 ID:A0fo1MAj
象等投げ槍やバリスタで簡単に倒せ無いのかだが
アレクサンダーは確か軽装歩兵で
象を倒していたか
或いは象は無視して歩兵に対して
騎兵突撃をしたと言う方向だったかも知れぬが
この方法では味方の歩兵がやられる可能性は有るだろうか
(まあ騎兵単独で歩兵に突入して
歩兵は象から離れた所に待機すると言う
方向で良いだろうか)
58 :
某研究者:2005/06/26(日) 06:57:23 ID:A0fo1MAj
軽歩兵では象に対峙するだけの士気は
保てるのかだろうし
相手の歩兵の反撃にも
脆いかも知れないし
実際インドとの戦いでは可也損害は
出ていただろうか
59 :
某研究者:2005/06/27(月) 17:13:15 ID:FaNptMyi
http://ikebukuro.cool.ne.jp/ok20/oz/hu3.html >武士が戦でカブトをつけたとき、頭の蒸れを防ぐために髪をそったことから、逆気(さかいき)の転じたもの、という由来があります。
>平安後期から始まりました。もともとは戦のときだけ剃っていたのが、応仁の乱以降、常に剃るようになりました。
まあ義経で髪を剃って居ないのは
誤りと言う事なのだろうか
>鼻は低いほうが可愛いので、頬に紅を塗る。周囲を赤くすると、鼻のある中央部が低く見えるからです。
鼻を低く見せる為に頬を赤くしていた等と言うが
此れは一種のネオテニー化なのだろうか
(眉が無くなっているのも
同様の事なのだろうか)
>★白粉(おしろい)
> 692年に中国から伝来しました。奈良時代から国内でも作られるようになりましたが、ほとんどは輸入に頼ってたそうです。
> 原料は鉛で……じっ実は有毒です(汗)。
こんな物を塗っていたらどうなのかだが
害が有ったとの記述も無いし
皮膚からは余り吸収されなかったのだろうか
60 :
某研究者:2005/06/27(月) 17:20:35 ID:FaNptMyi
>庶民が使ってたのは、モチ米、キカラスウリ(天花粉)、葛粉、オシロイ花などなど。オシロイ花…知ってる人いるかなー。種の中に白い粉が入ってるんですよ。
まあ此れは有害では無いだろうし
庶民は害の有る薬や治療法を使う
医者に掛かっていなかったから
寿命が長かったと言う様な意見も有るが
栄養状態を考えればどうだったのかだが
>また顔の白さを際立たせるため、歯を黒く塗りました。
と言う事で
歯を黒く塗って居たのだろうか
(まあドラマ等では此れが行われて居る物は
余り無い様だが)
61 :
名無し三等兵:2005/06/27(月) 17:26:30 ID:???
>>26 それこそ匈奴とかの騎射可能な遊牧民軽騎兵集団なら勝てるんじゃね?
連中、会戦形式の包囲撃滅戦には引っかかり難いだろうし。
62 :
某研究者:2005/06/27(月) 17:33:07 ID:FaNptMyi
>・我らにおいては、爪を長くしてるのは不潔とされるが、日本人は、男も、また貴族の女性も、ときどきハヤブサのような爪をしている。
戦争時は爪と言うのは
切られていたのか
或いは貴族だけの風習なのだろうか
>・ヨーロッパの女性は、厚化粧は恥である。日本の女性は、厚塗りするほど優美なものとみなす。
欧州の女と言うのは化粧は
しなかったと言う事では無く
薄い物が多かっただけなのだろうか
>・われらにおいては、刀傷は醜悪なものと見なす。日本人は、それを誇り、よく治療しないのでいっそう醜さを増す。
まあ治療と言うのは具体的に
どの様な事が行われたのかだが
>と言う事で
>歯を黒く塗って居たのだろうか
>(まあドラマ等では此れが行われて居る物は
> 余り無い様だが)
錦絵等では歯の黒い女は
出て来ないが
江戸時代には廃れたのだろうか
63 :
名無し三等兵:2005/06/27(月) 17:42:52 ID:???
お歯黒は既婚女性のするもんだろ
64 :
某研究者:2005/06/27(月) 17:59:03 ID:FaNptMyi
>歯輪銃が発明されたのは16世紀半ば。火縄銃の完成形ができた、その直後です。
>しかし高価なわりに故障が多かったので、ヨーロッパでもあんまし普及しませんでした。
>日本に入ってきた時期は不明ですが、1591年、インドの副王から豊臣秀吉に献上されたという記録があります。しかし秀吉はそれに見向きもしてません。火縄銃のほうが使えるじゃんかよ、と思ってた証拠ではないかと。
一応日本にもホイールロック銃は入って居た様だが
使われなかったと言う事なのだろうか
>お歯黒は既婚女性のするもんだろ
眉の無い女は結構描かれて居るし
此れが既婚女性と言う事かも知れぬし
歯も黒かったかも知れないが
後でもう一度見る事にしたいが
65 :
某研究者:2005/06/27(月) 18:22:12 ID:FaNptMyi
http://ikebukuro.cool.ne.jp/ok20/oz/hu9.html >当時の日本はいろんな人種でにぎわっていました。都のメインストリートなど、金髪碧眼だの、褐色の肌の南方人だのがフツーに歩き回っていたそうです。
金髪と言うのは西欧の人間では無く
ペルシャ等の人間なのだろうか
>そんな「外人村」が、伊賀や甲賀の山間部にもありました。
> ここにはまず、芸人の皆さんが住みついてます。なぜわざわざ山に住んだのかというと、
>「平地は田畑を耕すための場所だからね。アンタらはちょっと遠慮してちょうだい」
忍者=ペルシャ人と言う事では無いだろうが
中国の人間だったのだろうか
山伏が忍者に変化したと言う事の様だが
http://fujibayashi.gozaru.jp/13-5kaki.html >水中松明
>通常の松明には用いない火薬を使用する事で、水や雨に濡れても消えないように工夫された松明。風雨松明、雨松明とも呼ばれる。火薬の配合は以下のとおり。
この様な物も有る様だが
66 :
某研究者:2005/06/27(月) 18:26:02 ID:FaNptMyi
67 :
某研究者:2005/06/27(月) 18:54:57 ID:FaNptMyi
>戦国期の有力大名は、だいたいほとんどが忍者を雇っていましたが、せいぜい1人〜数人が相場でした。それに比べると家康はケタ違い。しかも一流の精鋭集団です。
数人と言うのは余りに少ないし
偵察や撹乱・警護以外に
使えたのかだが
>ところが伊賀剣術は刀を振り上げたりしないんですね。常に刀身を、自分の腕の側面にぴったり引きつけるようにするんです。相手を斬る瞬間だけ、刀身を体から離すんですよ。
>こうすると枝に引っかからないし、刀を振り回すことがないので疲労度も少ないです。コンパクトな立ち回りが可能となるわけです。
まあ此れは室内でも使えるかも知れぬが
通常の平地では有効なのだろうか
(鎧の上からこの方法で
打撃は与えられるのかだが)
>あと敵に対して、なるべく正面を見せない。つねに体の側面だけを向けるようにする。こうすることで敵にさらす部分を少なくするんですよ。非常に独特の剣法です。
まあ通常の剣術でもこの様な考えが
取り入れられた物は有るのだろうか
68 :
某研究者:2005/06/27(月) 19:11:24 ID:FaNptMyi
>ところが伊賀剣術は刀を振り上げたりしないんですね。常に刀身を、自分の腕の側面にぴったり引きつけるようにするんです。相手を斬る瞬間だけ、刀身を体から離すんですよ。
攻撃は兎も角ディフェンスに問題が出る様な気もするが
どうだろうか
69 :
名無し三等兵:2005/06/27(月) 21:10:26 ID:???
流派は忘れましたが、昔TVで見た実戦用の剣術では
相手の手首、脇、首などの鎧の隙間を攻撃していました。
鎧の上から刀で切りつける人はいないんじゃないかな
まあ鉄の棒で叩けば、切れなくても打撃は与えられるでしょうが
同じ叩くのなら足を狙いますね。
70 :
某研究者:2005/06/27(月) 21:32:27 ID:n0BJkCRc
まあ大振りでは当たらず
コンパクトな打撃では鎧の上から
ダメージを与えるのは無理だろうし
隙間をコンパクトに突くか
或いは相手の攻撃を剣で受けるのでは無く
回避して大振りの打撃をカウンターで即座に与える様な
方向しか無いだろうか
>同じ叩くのなら足を狙いますね。
西欧の鎧も足には綿入れは無いだろうし
足を殴るか
(筋肉の無い部分を殴れば
可也ダメージは与えられるだろうか)
或いは綿入れが有る部分では腕の筋肉の無い部分を
狙うと言う方向だろうか
71 :
某研究者:2005/06/27(月) 21:33:37 ID:n0BJkCRc
72 :
名無し三等兵:2005/06/27(月) 22:37:56 ID:???
江戸時代後期ってのがポイントですね
無視していいけど、隆 慶一郎でも読みました?
73 :
某研究者:2005/06/28(火) 06:24:30 ID:XjGHtpSv
74 :
名無し三等兵:2005/06/28(火) 07:24:57 ID:???
川中島合戦図屏風 > 甲州流軍学書「甲陽軍鑑」に取材したもの
甲陽軍鑑 > 江戸時代の代表的な軍学書、
江戸時代初期の軍学者・小幡官勘兵衛景憲が作った物とわかり、
「甲陽軍鑑」の信憑性そのものが疑われている
どうやら江戸時代の絵のようで
75 :
名無し三等兵:2005/06/28(火) 07:32:58 ID:jYltgfNR
服部→はたおりべ→秦
で忍者の起源はチャイナだよ。
76 :
某研究者:2005/06/28(火) 14:23:30 ID:b3ZZ8OC5
>服部→はたおりべ→秦
>で忍者の起源はチャイナだよ。
まあ渡来人の服を作っていた一族が
服部を名乗ったと言う事の様だし
他の種類の職業を持つ渡来人達も
伊賀・甲賀には居た訳だろうか
77 :
某研究者:2005/06/28(火) 14:43:48 ID:b3ZZ8OC5
渡来人の軽業師等の技術も
伊賀・甲賀に残っていた様だが
実戦に此れは何処迄
生かせるのかだが
http://ikebukuro.cool.ne.jp/ok20/oz/hu11.html >かくして甥っ子忍者は、らくらくと情報を入手。代わりに叔父さんが失業しないよう、報告内容に「手ごころ」を加えます。
まあ血縁同士の忍者が殺しあう等と言うのは
実際は余り無かったのだろうか
(まあしかし幕府側も此れを読んでおり
血縁者は差し向けないと言う様な事は
しなかったのかだろうし
大名側に誰が仕えて居るか分からぬ場合も有るだろうが
忍者を複数用意して片方が裏切れば
始末すると言う様な方向が
取られた可能性も有るのだろうか)
>あとは伊賀組同心とか、甲賀与力という職名で警察もやってました。
忍者が警察迄やっていたと言うが
この時点では彼等の特殊能力等は残って居たのかだろうし
コストの掛かる其の様な連中を
警察に使うのはどうなのかだが
>とあり、見返りとして何と! 忍術秘伝書を将軍に献上しています。門外不出とされた忍術と引き換えに、生活保護を訴えないとアカンほど窮乏してたのですよ(涙)。
忍者が盗賊に成ったと言う例も
多いのだろうか
78 :
某研究者:2005/06/28(火) 14:52:08 ID:b3ZZ8OC5
> 「忍者の時代は終わった、もう必要ないんだ。だけどせめて、せめて忍術のノウハウを書き残しておきたい…」
まあ矢張り文献には残って居ない
失われた忍術と言うのも
可也多いだろうし
万川集海に口伝の全てが残せる訳も無いだろうか
>たとえば北条家に仕えた風魔忍者は、主家がほろびた後はただの盗賊になり下がり、処刑されて終わっています。
矢張り盗賊と成った忍者も
居た訳だろうか
>我欲のために忍術を使えば、必ず「忍者は社会の害毒だ」というレッテルを貼られ、迫害そして滅亡という末路をたどることになるわけですよ。その危険性があるから戒めたんです。
此れはファンタジーの盗賊や魔術師と同じと言う
事だろうか
79 :
某研究者:2005/06/28(火) 15:18:08 ID:b3ZZ8OC5
>あれだけの凄まじい能力を持っていたわけですから、その気になれば幕府や大名を操って、戦国時代に逆戻りさせることも可能だったんじゃないですかね? そうすれば再び忍者の黄金時代です。
まあ其れだけの能力が有るなら忍者をするより
商人にでも成った方が利益に成るとでも
考えたのかも知れぬが
忍者から商人に成った者は多いのだろうか
>でも政治的な野心を持ってはならないのが、忍者世界の掟であり、モラルでした。世の平和、領民の平和のためのものなのだと、徹底した教育を受けていたそうです。
この様な教育が成されたのかは怪しいが
漫画では良く有るだろうか
>忍者は任務を遂行する前に、集中力を高めたり、気を静めるために九字を切ったそうです。
忍術を使う為では
矢張り無いと言う事だろうが
この様な事の為に九字は切られていたと言うのは
正しいと言う事かも知れぬが
>織田信長の家臣に、滝川一益という大名がいます。彼はなんと、もとは甲賀忍家の出身でした。
>彼は突如歴史に登場し、みるまに頭角をあらわして出世。そして信長が甲賀攻めを企んだときも、進んでその総大将を務めようとしました。そのため甲賀忍者から「裏切り者!」と激しく憎まれ、家系からも名前を抹殺されています。
此れは忍者は力の有る者に結局従うとでも
考えたのかも知れぬが
此れはある意味正しいのかも知れぬが
信長が暗殺され力を失うと同時に
報復を受けたと言う事だろうか
80 :
某研究者:2005/06/28(火) 15:29:02 ID:b3ZZ8OC5
>2.柔和であって義理堅く、欲少なくして理学を重んじ、恩を受けたら忘れない人。
まあ此れは忍者として利用し易い人物を選べと言う事
>6.日頃、人と論争せず、善人との名が自他の在所にまで聞こえる人。
此れは自分を善人に見せて相手を信用させる事の出来る人間を
選べと言う事かも知れぬが
>半蔵は「鬼」と呼ばれるほどの豪傑で、彼の愛用した槍は、刃渡りだけでも約180センチもあったそうな。あまりの重さに普通の人間では持ち上げることすらままならないほどだったそうです。
忍者が屋内では使えない様な武器を
扱うのかだが
野戦用の物かも知れぬが
全長は何m有ったのかだが
精々4m程度なのだろうか
81 :
某研究者:2005/06/28(火) 15:29:24 ID:b3ZZ8OC5
>半蔵が、伊賀忍者からカリスマとして敬慕されていたのは、強さだけじゃなく優しさもあったから…ということが伺えます。
まあ此れは自分を善人に見せ掛けて
相手を信用させる為の演出では
無いのかだろうし
状況に拠っては可也卑怯な手も使っているだろうから
矢張りそう言う事なのかも
知れないが
(所謂ダークフォースに支配される
自分がコントロール出来なく成るのを避ける為に
善人で居て問題無い場合は善人で居ようとでも
考えたのかも知れぬし
相手を信用させる事も兼ねて
任務に影響が無ければ
出来るだけ善人で居ようと勤めたと言う事なのかも知れないし
人間の其の様な弱さが描かれて居る作品と言うのも
有っただろうか)
82 :
某研究者:2005/06/28(火) 15:35:27 ID:b3ZZ8OC5
ダークフォースに支配されず此れを利用する為に
善を利用すると言う様な人物が出て来ても
面白かったかも知れぬが
続編やドラマと言うのも考えられている様だが
まあ基本的に勧善懲悪の話しだし
此の様なキャラクタが出て来る可能性は
無いと言う事かも知れぬが
善等に拠らずにダークフォースを支配出来る強い人間と言うのも
居る訳だろうか
83 :
某研究者:2005/06/28(火) 15:41:09 ID:b3ZZ8OC5
>ダークフォースに支配されず此れを利用する為に
>善を利用すると言う様な人物が出て来ても
>面白かったかも知れぬが
まあルークもダースベイダーを倒す為に
ダークフォースを利用しただろうが
悪を成す為にダークフォースを利用したいが
単にダークフォースを利用しようとすれば
ダークフォースに支配され自己がコントロール出来なく
成る可能性も有るだろうから
ダークフォースをコントロールする為に
善の力を利用しようと考える者も
居る訳だろうか
84 :
某研究者:2005/06/28(火) 16:17:21 ID:b3ZZ8OC5
魔法戦士リウイのジーニやメリッサは
軽い武器は鎧を着た相手やモンスター等との
実戦では役に立たないから
重い武器を使用していると言うが
鎧の無い相手には軽い武器の方が
有用かも知れぬし
軽い武器も別に持つと言う方向も
有る訳だろうか
(鎧を着た相手に対しても軽い武器で
隙間を狙うと言う方向も有るだろうし
モンスター相手でも軽い武器で
急所を狙うと言う様な方向も有るかも知れぬが
重い武器を使うより効率は悪いのかも知れないが)
85 :
某研究者:2005/06/28(火) 16:26:23 ID:b3ZZ8OC5
重い武器は当てるのが難しいだろうし
相手の攻撃を受けるのでは無く
回避してから攻撃しないと
当てるのは難しいかも知れぬが
鎧の隙間や急所に軽い武器を当てるのと
何れが難しいだろうか
86 :
某研究者:2005/06/28(火) 17:18:11 ID:b3ZZ8OC5
87 :
某研究者:2005/06/28(火) 18:04:02 ID:b3ZZ8OC5
http://ikebukuro.cool.ne.jp/ok20/oz/hu14.html >ビスケットはたちまち長崎を中心に作られるようになり、室町末期ではフィリピンに輸出されるほどだったそうです。
>その量もハンパじゃない。1621年の記録では、およそ30トンにも達したそうです。
>南蛮菓子の中ではもっとも普及してて、日本人にとってはあんまし珍しいものではありませんでした。
>ただ、その割には食べる人は少なかったそうです。どうもバターの風味になじめなくって、日本人には受け入れられなかったようです。
まあ故に国内で作られたビスケットは輸出用だったと言う
事なのだろうか
>「卵白をあわ立てると、ふわっと柔らかい菓子が出来る」
>ということに初めて気づきます。
>この“発明”は、そらもー大変な菓子革命をもたらしました。たちまちヨーロッパ全土で色んなケーキが作り出され、食卓を華やかなものにしてゆきます。
ケーキと言うのは偶然出来たと言う
事なのだろうか
88 :
名無し三等兵:2005/06/28(火) 18:06:59 ID:lM5rrluc
>>1 傭兵の二千年史・菊池良生とか安くて判り易いけどな
89 :
名無し三等兵:2005/06/28(火) 21:36:41 ID:OnlwE0op
無事に食い物スレになったようなので小ネタ
がんもどきを関西では飛龍頭(ひりょうず、ひろうす)とよぶが
これはポルトガル語のFillos(小麦粉をこねて油で揚げたもの)が語源
という説がある。
また、あるお菓子の本には、肉・木の実を入れるところからミート・パイか
プディングのようなものが日本でがんもどきに変化したのではないかと
という説も載っていた。
つまり、お菓子が訛ってがんもどきになった可能性がある。
訛りすぎだよ
90 :
某研究者:2005/06/29(水) 06:19:54 ID:F8KKSc3u
http://ikebukuro.cool.ne.jp/ok20/oz/hu1.html >戦で雑兵たちが、寒さよけに足や尻に塗ってたんですよ。戦国前期、戦は冬にすることが多かった。というのも、雑兵のほとんどが農民だったためです。農閑期の冬じゃないと「田んぼが忙しい!」と集まってくれなかったからなんですねー。
まあしかし同種の原理で作られた
寒さ避けのスプレーの様な物と言うのは
有るのだろうか
>また足袋のつま先にトウガラシを入れると、ホッカイロにもなりました。
此れも現代に応用は
効かないのかだが
91 :
名無し三等兵:2005/06/29(水) 06:55:33 ID:???
効くがな。
ゴム長の先に唐辛子なんて、雪国なら今でもやる人はやる。
92 :
某研究者:2005/06/29(水) 07:04:45 ID:F8KKSc3u
> そうめんの先祖は、索餅(さくへい)。日本風に言えば麦縄(むぎなわ)。小麦粉や、米粉に塩水を混ぜ、引き延ばして縄のようにより合わせた麺で、今のうどんよりもちょっと太い。
>適当な大きさに切り分けて、たいがいは油で揚げてました。めんつゆで食べるということはしてなかったです。
最初は太い硬焼き蕎麦の様な物だったと言う
事なのだろうか
(まあ今作ってもそう悪くは無い代物かも知れぬが
油が多いだろうか)
>日本では3世紀、神功皇后が戦に行く途中、魚肉に塩を入れてすりつぶし、鉾(ほこ)にぐるりと塗りつけて、焼いて食べたのが始まりという伝説があります。
>…でもこの形、どう見ても「ちくわ」…。
>実は当時は、ちくわの形をしてたんです。だけど、その形がガマの穂に似ていることから、あるいは鉾につけて焼いたことから、「蒲の鉾」――蒲鉾になったんだそーです。
ちくわと言うのは鉾の廻りに魚肉を付けて
焼いていた物が原型故に
穴が空いていたと言う事なのだろうか
93 :
某研究者:2005/06/29(水) 07:21:35 ID:F8KKSc3u
>雑炊の味付けは、基本的に塩味か味噌でした。しょうゆ、カツオやコンブだしは、当時は高級品だったので、庶民が使うことはなかったそうです。具も野菜ばっかり。薬味にネギやミツバを入れてました。米も玄米だったそうです。
まあ此れはだしの無い味噌汁に
飯を入れたと言う様な
物なのだろうか
(肉は兎も角大豆等が無いと
蛋白質が足りないだろうが
実際には米は殆ど入っていなかっただろうが
粟等には蛋白質と言うのは
結構入っていたのだろうか)
94 :
某研究者:2005/06/29(水) 07:26:32 ID:F8KKSc3u
粟や稗の蛋白質は10gと
米(6g)よりは入っている様だし
矢張り米より栄養価は高いと言う事かも知れぬし
現代では人気の有る食品だろうが
米より高価だっただろうか
95 :
名無し三等兵:2005/06/29(水) 08:48:04 ID:???
このスレはこの某研の一人語りで続いてきたの?のかだが
非常に読み難い文章だと思うのかだが
最後は全部疑問形と言うことは書いてることに自信が無いということのかだが
96 :
某研究者:2005/06/29(水) 09:41:12 ID:JAL6TVT3
http://ikebukuro.cool.ne.jp/ok20/oz/hu2.html >当時の関東武士は、みんなの心をひとつにするため、指揮官も兵士も同じものを食べるのが良いとされていました(なので普段でも上級武士は質素なものを食べてます。ご飯に味噌だけとか。味噌汁をご飯にぶっかけただけとか)。
と言うのは
鎌倉時代だけの話なのだろうか
http://ikebukuro.cool.ne.jp/ok20/oz/hu13.html > 鎌倉時代では、月に3日やるパターンが多かったのですが。 室町中期になると利用者が増えて3日では足りなくなり、月6日が一般的になります。
>(三日市、四日市、五日市、六日市、七日市、八日市、十日市などの地名はこれに由来します)
十日市が一番豊かな場所と言う事では
無いと言う事なのだろうか
>売り子は職種によって男女差があり、魚や野菜などの生鮮食料、衣料などの日常品は女性が多かったそうです。
>建築道具、甲冑、刀剣類は男性が売りさばいてました。
女は建築道具や武具は
売らなかったと言う事なのだろうか
>戦国期になると、夏は農業して、冬の農閑期には刀を持って“戦場に出稼ぎ”するのはフツーのことでした。給料もなかなか良かったそうです。
農閑期にも備蓄された食糧等を
守る必要は有るだろうが
此れは残った女が戦っていたのでは無く
少数護衛を残していたと言う
事なのだろうか
97 :
某研究者:2005/06/29(水) 10:01:06 ID:JAL6TVT3
>★ぶりぶりぎっちょう(振々毬打)
> 28巻139Pで、乱太郎が泣きながら云ってた遊び。
> 木を削って作った毬(まり)と杖(つえ)で、互いに打ちあうホッケーのようなもので、中世の子供達のあいだで盛んに遊ばれていました。
> 中国から奈良時代に伝わり、もともとは宮廷で行われてました。馬に乗ってやる場合もあったそーです。平安後期からはだんだんと廃れてゆき、民間の子供達の遊びとして広まりました。
此れは所謂ポロを
下馬してやっていたと言う
事なのだろうか
(ホッケーはポロを下馬してやった物と言うから
ホッケーと似た様な競技は日本にも
有ったと言う事かも知れないが)
98 :
某研究者:2005/06/29(水) 10:48:15 ID:JAL6TVT3
99 :
某研究者:2005/06/29(水) 13:35:30 ID:JAL6TVT3
2chブラウザだとほとんどのスレがあぼ〜ん
このスレ、25レスしか読めない(w
103 :
某研究者:2005/06/30(木) 18:42:57 ID:IjS8eXc0
104 :
某研究者:2005/07/01(金) 07:15:24 ID:+X8PDnom
105 :
某研究者:2005/07/01(金) 15:53:56 ID:9whAg9O4
>大太刀を構えている様に見えるし
>この時点では未だ使われて居た武器だったと言う
>事だろうか
大太刀を持っているが矢も背中に
装備しているだろうが
従者が弓も持って居たと言う
事なのだろうか
106 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:19:10 ID:9whAg9O4
107 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:20:58 ID:9whAg9O4
108 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:21:32 ID:9whAg9O4
109 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:23:02 ID:9whAg9O4
110 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:23:48 ID:9whAg9O4
111 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:25:33 ID:9whAg9O4
112 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:27:11 ID:9whAg9O4
113 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:37:56 ID:OK1yhNuM
114 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:38:49 ID:OK1yhNuM
115 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:40:21 ID:OK1yhNuM
116 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:41:52 ID:OK1yhNuM
117 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:43:07 ID:OK1yhNuM
118 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:43:54 ID:OK1yhNuM
119 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:44:41 ID:OK1yhNuM
120 :
某研究者:2005/07/01(金) 17:50:18 ID:OK1yhNuM
121 :
某研究者:2005/07/02(土) 08:56:11 ID:y18iKRkY
122 :
某研究者:2005/07/02(土) 09:03:36 ID:y18iKRkY
123 :
某研究者:2005/07/02(土) 10:02:33 ID:y18iKRkY
124 :
某研究者:2005/07/02(土) 10:13:44 ID:y18iKRkY
125 :
某研究者:2005/07/02(土) 16:54:49 ID:y18iKRkY
温度が高い場合は
軽装の方が動きが鈍らずに
有利に戦えると言う事は
有るかも知れぬが
クリスタニアの様に砂漠で軽装の側が防御に徹して
重装の側が疲れた後に戦うと言う様な事は
実際に行われたのかだが
(イスラム側も重装騎兵が多いし
軽装の騎兵は弓は兎も角
剣は扱えたのかだろうし
騎士に対して防御に徹する等と言う事は
無理だった訳だろうか)
126 :
某研究者:2005/07/02(土) 20:19:27 ID:Kbb4GdFP
綿鎧でも可也熱いだろうし
マムルークの兵等は綿鎧さえ
着て居ない様な者も居ただろうが
砂漠の昼間では妥当な選択と言う
事かも知れないが
127 :
某研究者:2005/07/02(土) 20:28:16 ID:Kbb4GdFP
或いは皮でコートされたリングメイルの様な穴の開いた鎧を
服の上から着ると言うのが
良いのかも知れぬが
其の様な物は無い訳だろうか
128 :
某研究者:2005/07/03(日) 18:40:37 ID:emBZ73Fu
鎧の後方を空ければ
放熱と防御力を両立出来るかも知れぬし
後方もシコロの様にスペースが有る物なら
放熱上余り問題は無いだろうか
(鉢金にシコロの付いた様な物も
有る様だし
此れを装備すれば良い訳だろうか)
129 :
某研究者:2005/07/03(日) 18:42:48 ID:emBZ73Fu
西欧の鎧の場合綿鎧は着ずに
前だけのプレートを装備すると言う様な
方向だろうか
(鎧は加熱防止に綿や布を
被せると言う方向だろうか)
130 :
某研究者:2005/07/03(日) 23:34:57 ID:0M0yfc3r
>西欧の鎧の場合綿鎧は着ずに
皮の裏地の有る鎧と言うのも
有っただろうし
此の皮を分厚くすれば
衝撃は可也吸収は出来るだろうか
131 :
某研究者:2005/07/08(金) 13:29:03 ID:0Kz+N6n5
132 :
某研究者:2005/07/08(金) 13:30:16 ID:0Kz+N6n5
履物は足半なのか或いは草鞋なのかだが
乗馬している時は足半では落ちないのかだが
何も履いて居ないと言う可能性も有るのだろうか
133 :
某研究者:2005/07/08(金) 13:35:09 ID:0Kz+N6n5
刀も打刀なのか太刀なのかだが
イラストの場合は縄に打刀を天神差しとしたが
この時代の打刀と言うのは
可也短かっただろうか
(縄に太刀を取り付けて居たと言う可能性も
有る訳だろうか)
134 :
某研究者:2005/07/08(金) 13:36:17 ID:0Kz+N6n5
太刀を付けたとしても
縄に天神差しの様にしたのか
或いは縄に紐を固定して付けたと言う可能性も
有る訳だろうか
135 :
某研究者:2005/07/08(金) 13:49:30 ID:0Kz+N6n5
荒縄では無くしめ縄を巻いていたと言う様な
記述が有る場合も有るが
何れが正しいのだろうか
136 :
某研究者:2005/07/08(金) 14:10:53 ID:0Kz+N6n5
http://s-mizoe.hp.infoseek.co.jp/mm50.html >その時の服装が奇抜で虎と豹の革を四つ替りに縫った半袴、
>腰の廻りに火打ち袋、瓢、焼米やらいっぱいぶら下げて帯は縄おび、着物は浴衣ぞめのかたびらで、片肌ぬきで、見学した人は度肝を抜かれた。しかし、会見の場では、正装で来たものだから、二度びっくりした。
上の様な記述も有るが
>おまけに鉄砲100挺、三間の朱塗りの長槍500本を従えて来たから、道三は手も足も出なかった。
朱塗りの槍と言うのは武勇の有る者しか持て無いと言うが
此れは其れだけの実力の有る者を集めたのでは無く
飽く迄威嚇の為なのだろうか
137 :
某研究者:2005/07/08(金) 14:16:32 ID:0Kz+N6n5
今日も御機嫌麗しゅう、閣下
139 :
某研究者:2005/07/08(金) 14:37:07 ID:0Kz+N6n5
>朱塗りの槍と言うのは武勇の有る者しか持て無いと言うが
>此れは其れだけの実力の有る者を集めたのでは無く
>飽く迄威嚇の為なのだろうか
目立つ格好をするものは絶好の標的なのだからそれ相応の武勇があったと
見なさねばなるまい。
また準敵地に乗り込む以上分不相応の装備をさせ、簡単に戦死させてしまえば
織田の武威は地に墜つのだからやはり武勇あるものばかりを引き連れていたのではなかろうか
そのような者どもを引き連れていった目的は威嚇だろうが。
141 :
某研究者:2005/07/08(金) 14:49:38 ID:0Kz+N6n5
http://hima.que.ne.jp/reppu/koneta01.shtml >髪を緋・萌黄・緑といった派手な紐の茶筅髷に結び、
>襤褸襤褸な袖なしの浴衣、袴は虎と豹の皮の接ぎ合わせ、腰に瓢箪、
>朱塗りの太刀は地面に引き摺るほど長く、先に小さな車輪を付けていた。
>そんな格好で人に寄りかかって餅や瓜をかじりながら街中を歩いていたといわれている。
刀は太刀だったと言う事かも知れぬが
可也巨大な物だったのだろうか
(背負っていて車輪を付けると言うのも
何だろうし
腰に打刀の様に付けて居たのだろうか)
142 :
某研究者:2005/07/08(金) 15:12:15 ID:0Kz+N6n5
143 :
某研究者:2005/07/08(金) 15:18:54 ID:0Kz+N6n5
144 :
某研究者:2005/07/08(金) 15:37:48 ID:0Kz+N6n5
145 :
某研究者:2005/07/08(金) 15:46:04 ID:0Kz+N6n5
146 :
某研究者:2005/07/08(金) 17:13:54 ID:0Kz+N6n5
147 :
某研究者:2005/07/08(金) 18:39:58 ID:zM4oZD49
148 :
某研究者:2005/07/08(金) 19:00:09 ID:zM4oZD49
149 :
某研究者:2005/07/08(金) 19:58:11 ID:NLIviP3D
150 :
某研究者:2005/07/08(金) 20:35:08 ID:NLIviP3D
151 :
某研究者:2005/07/08(金) 20:44:48 ID:NLIviP3D
152 :
某研究者:2005/07/08(金) 20:51:22 ID:NLIviP3D
前田利家も奇抜な格好をして居たと言う様な
記述の何処かに有ったかも知れぬが
今の所詳細は見当たらないが
153 :
某研究者:2005/07/08(金) 20:56:32 ID:NLIviP3D
154 :
某研究者:2005/07/08(金) 20:59:22 ID:NLIviP3D
155 :
某研究者:2005/07/08(金) 21:03:07 ID:NLIviP3D
>赤い服を着て居たとは書いて居ないし
まあ赤い武者を従えて居たなら
自分も赤い服を着て居たと言う可能性は
有る訳だろうか
(まあ信長公記の他の部分に
未だ幼少時の信長の格好の記述は有るのかも知れないが)
156 :
某研究者:2005/07/08(金) 21:20:53 ID:NLIviP3D
157 :
某研究者:2005/07/09(土) 13:27:42 ID:L7Vj+73I
公記原典には
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_1.pdf >其の比の御形儀、明衣の袖をはずし、半袴、ひうち袋、色貼余多付けさせられ、御髪は
>ちやせんに、くれなゐ糸、もゑぎ糸にて巻き立て、ゆわせられ、大刀、朱ざやを
>ささせられ、
>其の時の信長公御仕立、長つかの大刀、わきざしを三五な
>わにてまかせられ、髪はちやせんに巻き立て、袴もめし侯はで、
>其の時、信長の御仕立、髪はちやせ
>んに遊ばし、もゑぎの平打にて、ちやせんの髪を巻き立て、ゆかたびらの袖をは
>づし、のし付の大刀、わきざし、二つながら、長つかに、みごなわにてまかせ、
>ふとき苧なわ、うでぬきにさせられ、御腰のまわりには、猿つかひの様に、火燧
>袋、ひようたん七ツ、八ツ付けさせられ、虎革、豹革四ツがわりの半袴をめし、
と有るが
158 :
某研究者:2005/07/09(土) 13:35:17 ID:L7Vj+73I
>町を御通りの時、人日をも御揮りなく、くり、柿
>は申すに及ぱず、瓜をかぶりくひになされ、町中にて、立ちながら餅をほおばり、
>人により懸かり、人の肩につらさがりてより外は、御ありきなく侯。其の比は、
>世間公道なる析節にて候間、大うつ気とより外に申さず候。
と言う様な記述も有る様だが
上の現代語訳は
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki-gendai_1.pdf >そのころの信長公の身なりは、胴衣の袖を外して(*9)半袴で、(*10)ひうち袋などいろいろ衣服に付けていた。髪型は(*11)ちゃせん髷で、(*12)紅や(*13)萌葱の糸で(*14)髷を結っていた。太刀は(*15)朱鞘にさし、
>ここに、見苦しいことを信長公がされた。町を通行中、人目をはばからず、栗や柿は言うまでもなく、瓜までも(*21)かぶりつき、
>町中で餅を立ち食いし、人に寄りかかったり、人の肩にぶら下がるような歩き方しかなされなかった。その頃の世間は地味だがしっかりした風潮であったので、信長公を「大うつけ」と言わない人は無かった。
>その時の信長公の身なりは、柄の長い太刀と脇差しをしめ縄で巻き、髪型は(*10)茶筅髷。袴もはかないで、仏前へお立ちになり、
>その時の信長公の身なりは、髪は茶筅髷、黄緑色の平打ち紐で(*4)髻を巻き、(*5)湯帷の袖を外して、(*6)のし付きの太刀。
>脇差しを、二つとも長い柄にわら縄を巻き、太い麻縄を腕輪にして、腰には火打ち袋、瓢箪を7、8付けられ、虎皮と豹皮を四色に染めた半袴を着用していた。
159 :
某研究者:2005/07/09(土) 13:50:46 ID:L7Vj+73I
>脇差しを、二つとも長い柄にわら縄を巻き、太い麻縄を腕輪にして、
柄にわら縄(みごなわ)を巻いていたと言う記述も有るが
腕に麻縄をどう巻いていたのかだが
麻縄では無く芋縄の間違いだろうか
>その時の信長公の身なりは、柄の長い太刀と脇差しをしめ縄で巻き、
しめ縄と言うのは原典では三五なわ=みごなわであり
しめ縄では無いかも知れないが
160 :
某研究者:2005/07/09(土) 15:28:53 ID:K4aM5G8K
161 :
某研究者:2005/07/09(土) 15:53:57 ID:K4aM5G8K
162 :
某研究者:2005/07/09(土) 16:46:33 ID:K4aM5G8K
163 :
某研究者:2005/07/09(土) 17:06:50 ID:K4aM5G8K
164 :
某研究者:2005/07/09(土) 17:14:35 ID:K4aM5G8K
165 :
某研究者:2005/07/09(土) 17:19:37 ID:K4aM5G8K
まあしかし信長が裸馬に乗っていたと言う記述は
今の所無い様だが
166 :
某研究者:2005/07/09(土) 18:36:58 ID:K4aM5G8K
167 :
某研究者:2005/07/09(土) 18:40:53 ID:K4aM5G8K
赤いマントと言うのは
上杉謙信が持っていた物の中に有っただろうが
襟の付いた物は西欧の絵を見ると
黒い物しか見当たらないし
長いマントと言うのも
16世紀には見ないだろうか
168 :
某研究者:2005/07/09(土) 21:30:51 ID:K4aM5G8K
, -'"´  ̄`丶、_
,.∩ `ヽ
〃∪'´ ̄`二二人\ ヽ
| ツ´ ̄ ̄ ̄ ̄´ ヾ ヽ. ',
|ハ ,ニ、 ,. - 、 | | | l |
| ハ ィハ ,二ヽ. | | | | | 同じ板にコピペするとそのままだけど、
| | | じ' |トJ〉 /)} l | 違う板にコピペすると鬼のような怖い顔
| ハ 、'_,  ̄,, 厶イ川| に変わる摩訶不思議な佳子様コピペ。
l l /\ .. イV\川 |
,' l l ,イ `l ̄´ / /ヽl l
l | l ハ `メ、 〃 ヽヽ、__ノ
l ∨ └‐イ「ト--ァ'´ ハヽ__ノ
ヽ/ } l」」 / / }`ー
〈_n| 八 / / /ノ
〈二二人 c /\/ / , イ
/ /厂 /\__>< {_
/ / / /ハ \\ ト--- 、
_/ // / ハ \\ \
, -‐ ''"´ / / / ̄\ `丶、 \ \ ヽ
/ '´ ̄ ̄ / / / \ \ \ ヽ \ ハ
| , -,--' / \ ヽ \ ヽ ∨
ヽ、 // / ヽ ____..--- 、 ハ
 ̄〈| | / ´ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/ /  ̄`ヽ}
しーヘ {__{__.... 、 / |
` ー─── ''"´ `ヽ、 | /
| ┌三同┐ 目 || | ̄ ̄ ̄|_.|
| /| ̄ ̄|| ̄フ二 ゝ ̄|| ̄ ̄|\
目| | ||. | | | | || | |目
V| |__||___.ゝ二∠_||__| |V
┌/ ̄ ̄ ̄ヽ―――――/!ニ!ニ!ニ!ヽ ̄ ̄\┐
/ ̄ ̄ ̄ ̄/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ヽ ̄ ̄ ̄ ヽ ヽ(^v^ )ノ
| ̄(Oo.) ̄||〇| & ☆ & |〇|| ̄(oO) ̄| ( ) ミ3
|____|  ̄ ̄ ̄ ̄戦車男 ̄ ̄ ̄ ̄|____| <└ ミ3
|ヾ二二ソ|――――――――――――|ヾ二二ソ|
|ヾ二二ソ|――――――――――――|ヾ二二ソ|
└――┘ └――┘
171 :
某研究者:2005/07/10(日) 17:06:36 ID:3T4KCay0
172 :
某研究者:2005/07/10(日) 18:45:25 ID:3T4KCay0
>すると信長公は、「信長が火起請を行う。無事遂げれば佐介を成敗する。そのように心得よ」と言って焼けた鉄をがっしと握り、そのまま三歩を歩いて鉄を柵際に置いた。
まあこんな事をしたら手が使えなく成る可能性も
否定は出来ぬだろうが
傷は使える範囲で収まったのだろうか
http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shincho3.html >。信長公はわずかな供回りを連れて船に乗り、水上に残った。やがて前方に追撃軍の先手の騎馬武者が現れ、
>そのなかの数騎が川端まで馬を寄せてきた。その時信長公が轟然と鉄砲を放った。この勢いに呑まれて追撃軍は渡河を躊躇し、
>追撃を打ち切った。信長公は悠然と退却した。
此れは信長自身が銃を放ったと言う
事なのだろうか
>弥七郎は矢をつがえ、振り返りざまに放った。矢は見事橋本の脇の下へ命中した。しかし橋本もすでに発射態勢を整えており、弥七郎へ向けて二発玉を発射した。これも命中し、弥七郎はもんどりうって倒れた。
銃を二発連続で発射する事等可能なのかだが
距離が有ったのか銃を2つ
使用したと言う事かも知れないが
173 :
某研究者:2005/07/10(日) 20:23:33 ID:3T4KCay0
174 :
某研究者:2005/07/11(月) 14:34:47 ID:50wrJfsk
175 :
某研究者:2005/07/11(月) 15:09:20 ID:50wrJfsk
176 :
某研究者:2005/07/11(月) 18:37:05 ID:50wrJfsk
177 :
某研究者:2005/07/11(月) 19:12:16 ID:50wrJfsk
178 :
某研究者:2005/07/11(月) 21:04:49 ID:50wrJfsk
179 :
某研究者:2005/07/11(月) 21:35:47 ID:50wrJfsk
180 :
某研究者:2005/07/11(月) 21:41:31 ID:50wrJfsk
某研乙。
何言ってるのか相変わらずよく分からんけど、
あんたスゲーわ。
182 :
某研究者:2005/07/12(火) 16:06:16 ID:GvQ1hHYV
183 :
某研究者:2005/07/12(火) 16:06:27 ID:GvQ1hHYV
>遠心力が加わり、非力な女性でも有効な打
>撃を与えられること、などの利点がその理由として挙げられよう
まあこの手の武器は相手の武器を受けてからでは
相手に当てられ無いだろうし
相手の槍を回避する必要は有るだろうが
此れは容易共思えぬが
槍も鎧の上から打撃を与える為には
大振りに成るだろうが
突きを鎖の部分等に出されれば
重い薙刀は防げるのかだが
>一方、海に弓を流した源
>義経は、敵に拾われて弱弓が知れることを恐れ、家来に止められるのを振りきって必
>に回収に向かう。
まあ此の様な場面は矢張り大河ドラマには無いだろうが(苦笑
義経も他者より腕力が無いから
戦術で勝負しようと考えたと言う事も
有るかも知れないが
184 :
某研究者:2005/07/12(火) 16:18:33 ID:GvQ1hHYV
>そこで考案されたのが早合(はやごう)と呼ばれる一
>種の薬莢だった。一発分の火薬を銃身に収まる形にして紙で包んだものである。火皿に
>導火用の火薬を入れる前に、導火孔に竹串のようなものを突き入れ、紙を破って点火で
>きるようにした。
>そして、早合を
>開発したのも、戦術の天才織田信長であった。
紙のカートリッジを使用するタイプと言うのが有るとは
知らなかったが
此れは信長が開発したのだろうか
>鉄砲一丁で九人もの足軽を一年間養
>えたのである。こ
刀・槍・鎧も結構高かっただろうし
此れ等は可也再利用されて居たのだろうか
>豊臣家を滅ぼした大筒が、鉄筋コンクリ
>ート製といえ、その居城っだった大阪城天守閣の前に置かれるとは皮肉である。
まあ此れは知らなかったし
大阪城天守閣を砲撃した大砲が残って居たとは驚きだが
後の戦争に此れは使用され無かったのだろうか
185 :
某研究者:2005/07/12(火) 16:28:51 ID:GvQ1hHYV
>三百目玉筒を抱えて撃つ豪の者がいたというのである。一貫目は千匁、1匁は3.75
>グラムだから、一貫目は3750グラム、四貫目は15キログラム。これに三百目の玉
>と三十目の火薬が加わる。撃った後の反動は押して知るべしである。術より腕力がもの
>を言ったのではなかろうか。
http://woodone3831.web.infoseek.co.jp/c-1-3-4-6-siro-a.html 此れより大型の九百目玉筒等は
上の様に撃つと言う事だろうか
(この手の大筒用の早合と言うのも
有ったのだろうか)
>当時の船いくさは、風向きと潮の流れによって勝敗が分かれる場合が多かった。壇ノ
>浦は潮の目が刻々と変わる所で、はじめのうちは潮に乗った平家が優勢であったが、
>潮となって源氏に敗退する。海流や風、海を知ることが船戦用法の要であった。
>。舟に藁を満載し、火を放って敵船へ押し流すのである。潮も風も敵に向かって
>いないと使えない戦法であった。
火を付けた藁を搭載した船を利用するから
風や潮の向きが重要と言う
事なのだろうか
186 :
某研究者:2005/07/12(火) 16:33:13 ID:GvQ1hHYV
187 :
某研究者:2005/07/12(火) 16:43:22 ID:GvQ1hHYV
188 :
某研究者:2005/07/12(火) 17:21:31 ID:GvQ1hHYV
189 :
某研究者:2005/07/12(火) 17:37:13 ID:GvQ1hHYV
まあしかし鉄甲船の3mmの装甲と言うのも
船に装備されて居る大筒よりは小型の
大鉄砲は止まるのかだが
小型艦は大鉄砲は
装備して居ないのだろうか
190 :
某研究者:2005/07/12(火) 17:46:24 ID:GvQ1hHYV
早合も無い導火線式・固定式の大砲と
早合を装備し火縄で発射出来
人間が照準可能な大筒や大鉄砲
何れが装甲を貫ける威力が有るなら
有利なのかだろうし
固定式・導火線式の大砲の射程と言うのも
揺れる船から撃てば大筒や大鉄砲より
有るのかだが
亀甲船も正面に大筒や大鉄砲を止められる重装甲を施して
体当たりすると言う様な戦術も
有るだろうが
この様な戦術は使われたのかだが
(装甲が無ければ縦射を受けて損害が可也
出るだろうか)
191 :
某研究者:2005/07/12(火) 17:47:27 ID:GvQ1hHYV
大砲も炸裂弾が有れば当たれば有効だろうが
射程に入る前に大筒や大鉄砲の攻撃で
可也ダメージは受けた可能性も
有るだろうか
192 :
某研究者:2005/07/12(火) 18:57:30 ID:GvQ1hHYV
炸裂弾では無く煙が出る弾を
先ず打ち込んで
(此れは砲弾では無く火矢でも良いだろうか)
内部の砲の操作を不能としてから
通常弾や炸裂弾を打ち込むと言う様な
方向も有るだろうが
この様な戦術が使われた例は
無い訳だろうか
193 :
某研究者:2005/07/12(火) 19:10:33 ID:GvQ1hHYV
相手の船を延焼させる為に
砲弾を加熱した焼き弾等も有る様だが
此れが命中すれば可也船内に煙は
発生するかも知れないが
船の外に捨てる事は
此れを装填出来るのなら
可能では有るだろうが
煙の出るタイプの火矢が命中した場合
此れを落とせるのだろうか
(上に人が出て棒か何かで
落とすのかも知れないが
上に人が乗れない亀甲船で此れは
可能なのかだが)
194 :
某研究者:2005/07/12(火) 19:30:16 ID:GvQ1hHYV
閃光弾や音響弾も忍者の武器には有るが
閉鎖されている船内の炸裂弾の音を考えれば
音響弾等果たして必要なのかだが
閃光弾も光を直接見なければ
効果は無いだろうから
煙の方が使えるかも知れないが
(船の手前で閃光弾を積んだ船や蛸でも
自爆させると言う様な方向も有るだろうか)
195 :
某研究者:2005/07/12(火) 19:41:29 ID:GvQ1hHYV
毒ガス弾等も有る様だが
此れの毒性はどうなのかだが
掴んで外に出されれば余り意味は無いかも
知れないが
火矢に付けられた場合は厄介かも
知れないが
196 :
某研究者:2005/07/12(火) 21:01:24 ID:GvQ1hHYV
>飛竜火に烙鏃火箭、乱棒火箭に弩火箭
弩火箭と言うのは弩を使用して射程を延ばした
火箭なのかも知れぬが
他の物は何なのだろうか
197 :
某研究者:2005/07/12(火) 21:52:54 ID:GvQ1hHYV
トロイの木馬を解説してくれよ。
199 :
某研究者:2005/07/12(火) 23:07:02 ID:aLIZiV2M
お・・なんか良さそうな本じゃん。
しかし、このスレ、ほとんどが某研殿の投稿ですな
201 :
某研究者:2005/07/13(水) 08:24:50 ID:KVyj63Jf
202 :
某研究者:2005/07/14(木) 20:54:34 ID:8D/7HiKB
203 :
某研究者:2005/07/14(木) 21:34:16 ID:8D/7HiKB
204 :
某研究者:2005/07/14(木) 21:56:42 ID:8D/7HiKB
面具は実際は使用して居ない等と言う記述が
何処かに有っただろうが
垂や紐を通す部分・汗を流す穴が
空いている以上は
矢張り実戦で使用されたと言う
事だろうか
205 :
某研究者:2005/07/14(木) 23:48:46 ID:8D/7HiKB
206 :
某研究者:2005/07/15(金) 02:38:36 ID:exq1GYRC
207 :
某研究者:2005/07/15(金) 03:52:37 ID:exq1GYRC
208 :
某研究者:2005/07/16(土) 02:23:17 ID:M0nEMs1p
209 :
某研究者:2005/07/16(土) 02:56:18 ID:M0nEMs1p
210 :
某研究者:2005/07/16(土) 03:05:37 ID:M0nEMs1p
211 :
某研究者:2005/07/16(土) 03:23:32 ID:M0nEMs1p
剣を持つ相手に踏み込まれる事等
足軽同士の戦いでは無いだろうし
槍は上下左右に振り回した方が良いだろうが
西欧には剣を持つ歩兵が居ただろうし
此れや下馬騎士に対処する場合は
槍は交差させた方が良いのかも知れないが
突きでは完全鎧を着た騎士相手には
ダメージは殆ど与えられないかも知れないが
西欧のパイク兵は槍を交差させて用いては
居たのかだが
パイクは交差させず攻撃も突きだけかも知れぬが
ハルバードも交差させないが突き+叩きが
恐らく有る訳だろうが
下馬騎士や剣を持つ兵に踏み込まれてやられる例も
多かったのかも知れないが
(パイク兵がハルバード兵に踏み込まれてやられる例も
有ったかも知れないが)
212 :
某研究者:2005/07/16(土) 03:28:11 ID:M0nEMs1p
>秀吉が考える迄は槍は
>突きしか無かったのかだが
歩兵の槍は兎も角騎馬武者の槍迄
突きしか無かったのかだが
歩兵が槍で叩く様に成った後は
騎馬武者も同様に槍で叩く様に成ったと言う事は
無いのかだが
213 :
某研究者:2005/07/16(土) 03:51:18 ID:M0nEMs1p
214 :
某研究者:2005/07/16(土) 21:09:59 ID:kkOTI6by
士気の高いパイク兵も
砲撃を受ければ敗走するという事は
有るかも知れぬし
テルシオがマウリッツ陣に敗れたのは
砲撃で混乱した所を突かれたのが原因であり
銃の装備率が低かったからでは無い可能性も
有るだろうか
(矢張り命中率の低い銃が多いだけでテルシオの大量のパイク兵に
勝てるのかだが)
215 :
某研究者:2005/07/20(水) 21:19:10 ID:qrNUUi3G
車が出る前は海上輸送の比重と言うのが
非常に大きかったと言うし
海や川・湖を抑えられれば
事実上アウトと言う事も
有るのかも知れないが
216 :
某研究者:2005/07/20(水) 21:26:52 ID:qrNUUi3G
伊勢水軍の亀甲船には
鉄砲は通用しなかったと言うが
大筒は装備して居たのかだが
(伊勢水軍の亀甲船は鉄甲船では無いだろうし
火矢で倒すと言う事は
信長は考えなかったのかだが
矢張り鉄砲に固執し過ぎたと言う事は
無いのかだが)
217 :
某研究者:2005/07/20(水) 21:52:46 ID:qrNUUi3G
信長の鉄甲船は指揮官の船を狙って
砲撃していたと言うが
仮にもう一度戦えば
指揮官の船は接近して来ないかも
知れぬし
負けていた可能性は無いのかだが
小型船も砲撃の前には
士気は保てなかったかも
知れないが
実際に、河を支配できたおかげで石高以上の収益を得ていた大名
なんかもいるわけで、水運の要所、海への出入り口や河川の合流点
は重要でしょう。
河から日本地図を眺めれば、その土地の勢力を逆算することも
できるのではないかと思います。
219 :
某研究者:2005/07/21(木) 02:37:13 ID:fcU0QXyA
まあ矢張りトラックや鉄道等の
重い物を運べる地上の輸送手段が無い訳だから
戦国時代は制海権が現代よりも重要である
訳だろうか
220 :
某研究者:2005/07/21(木) 03:18:43 ID:fcU0QXyA
http://www.kaho.biz/30/d.html >皇帝軍の死者は5000、捕虜は4500と報告された。逃走した皇帝軍では司令官レオポルト大公が敗北の責任を部下になすり付け、高級将校全員を斬首、下級将校を絞首刑、兵士の1割を銃殺にした。
まあ日本ではこんな事は
有ったのかだろうし
指揮官は兎も角兵士が此処迄
処罰されたのかだろうが
攻めに回ると弱い南宋軍も守りに守ればなかなか強かった。
モンケ可汗の四川親征も防ぎきったのは流石世界一の文明国というべきか。
あの時代のモンゴルに目を付けられたのが悲劇だったとしか言いようが無い。
(ただ外交政策が駄目駄目だったのがなんともいえないところか。
仮に金・高麗・大理・マムルーク朝と言ったモンゴル隣接各国を糾合して
当たることができたなら、はたしてどれだけ宋朝の寿命は延びただろう?)
222 :
某研究者:2005/07/24(日) 07:17:02 ID:80XWHWdV
>攻めに回ると弱い南宋軍も守りに守ればなかなか強かった。
>モンケ可汗の四川親征も防ぎきったのは流石世界一の文明国というべきか。
>あの時代のモンゴルに目を付けられたのが悲劇だったとしか言いようが無い。
此れは良く分からないが
水軍を利用した勝ったと言う事かも
知れないが
>(ただ外交政策が駄目駄目だったのがなんともいえないところか。
>仮に金・高麗・大理・マムルーク朝と言ったモンゴル隣接各国を糾合して
>当たることができたなら、はたしてどれだけ宋朝の寿命は延びただろう?)
十字軍とアラブが同盟して
モンゴルと戦った事は有る様だが
(此れは確か共同作戦と言うより
一時的な休戦をしただけだっただろうか)
上の様な大規模な同盟が組まれた事は
そう有るのかだが
欧州の様に宗教が同じ勢力となら
組み易いかも知れないが
223 :
某研究者:2005/07/24(日) 08:41:56 ID:80XWHWdV
サラディンが居らず十字軍に欧州が
支配されて居たら
欧州はモンゴルに滅ぼされていたと言う
事も有るかも知れぬし
マムルークで無ければ彼等に
勝てなかったと言う事は
有るのかも知れないが
>此れは良く分からないが
>水軍を利用した勝ったと言う事かも
>知れないが
まあそんな感じです。四川盆地は河川が多く、川と川の間に作られた要塞群と
南宋水軍部隊の連携により攻め入るモンゴル帝国軍を撃破しています。
基本的には水軍部隊は部隊の移動と補給に使われたのがほとんどでしたが、
末期(1270年代)になるとモンゴル帝国側にも水軍がそろい、これまでのような
自由な補給活動を封じられ、また襄陽要塞解囲軍の壊滅を持ってついに
モンゴル軍を追撃して中原に至ることはできず、南宋滅亡とほぼ同時期に
四川に残っていた諸城も降伏しています。
淮河を要塞線にして拠点防御を積み重ねて華南を守ろうという戦略は、
機動性が極めて乏しいものでした。つまりマジノ線みたいなものだったのですね。
敵兵が少なく、守将が優秀な人材で、将兵の士気が高い限りはこれでもなんとか防げていたのですが
金が滅び、より巨大な兵力を動員できるモンゴルを相手にしなければならなくなったのが
大宋帝國の運の尽きでした。
もっとも、馬を自給できていなかった南宋が、金やモンゴルといった狩猟・遊牧民族系の
国を相手に機動力を云々言ってもどうにもならないような気もします。
>十字軍とアラブが同盟して
>モンゴルと戦った事は有る様だが
>(此れは確か共同作戦と言うより
> 一時的な休戦をしただけだっただろうか)
>上の様な大規模な同盟が組まれた事は
>そう有るのかだが
>欧州の様に宗教が同じ勢力となら
>組み易いかも知れないが
ありませんでした。ヨーロッパでさえフリードリヒ二世の皇帝派とグレゴリウス、インノケンティウスらの
教皇派がイタリアで戦争を続け、どちらも対モンゴルのイニシアチブを取れていませんでした。
実際にバトゥの東征軍がアドリア海まで来てたのにこの体たらくでしたから
オゴタイ可汗が崩御してくれなかったらイタリア一体がモンゴル支配下になってたかもしれません
(フリードリヒ二世にはそっちの方がよかったかも知れませんが)
当時の欧州にフランス以外まともに動ける国はなく、そのフランスも結局は動かなかったのですから
自分で言っといてなんですが、モンゴル以外の勢力での同盟は多分不可能でしょう。
(ただ南宋の場合は豊富な財力で大理を取り込む、三別抄を支援する、モンゴルの抵抗勢力を支援する、
といったオプションがありそうなのに、それに取り組んだ様子が見当たらないのはやはり怠慢といえるのでは
ないでしょうか?)
>サラディンが居らず十字軍に欧州が
>支配されて居たら
>欧州はモンゴルに滅ぼされていたと言う
>事も有るかも知れぬし
>マムルークで無ければ彼等に
>勝てなかったと言う事は
>有るのかも知れないが
欧州じゃなくてエジプトのことだと思いますが、仮にサラディンがいなくても
アモーリー1世のエジプト遠征が失敗した時点で(その後のリチャードがいくら努力しても)
十字軍側の勝利は無かったのではないでしょうか?
サラディンの死後アイユーブ朝はエジプトとシリアで分裂してますし、
サラディンよりもマムルークを率いるバイバルスがいたというのが
モンゴル撃退の鍵のような気がします。
あと世界史板にて
217 :世界@名無史さん :2005/07/21(木) 21:54:01 0
バイバルスは西欧侵攻を目して大艦隊を建造していたらしい。
実際マムルーク艦隊でキプロス遠征を敢行している。
こんな書き込みを発見したんですが、真意の程はどんなもんなんでしょう?
某研さんなんか詳しいことは知りませんか?
それとマムルーク朝が滅びるまでラテン勢力側にキプロスがあったのは何でなんでしょうかね?
227 :
某研究者:2005/07/25(月) 01:44:45 ID:FRIXTk1W
228 :
某研究者:2005/07/25(月) 01:48:01 ID:FRIXTk1W
229 :
某研究者:2005/07/25(月) 01:57:27 ID:FRIXTk1W
>欧州じゃなくてエジプトのことだと思いますが、
エジプトが滅ぼされた後其の軍事力を以って
欧州に侵攻していた可能性も高いだろうし
十字軍は果たして此れに勝てたのかだが
まあリチャードも老衰死では無く
矢を受けて42歳で死んだ訳だから
エジプトを攻略する時間は本国で反乱が無いとすれば
十分過ぎる程有っただろうか
230 :
某研究者:2005/07/25(月) 02:02:28 ID:FRIXTk1W
>バイバルスは西欧侵攻を目して大艦隊を建造していたらしい。
>実際マムルーク艦隊でキプロス遠征を敢行している。
この情報は今の所無いが
バイバルスが死んだのは未だ49歳だっただろうし
ティムールの様に大帝国を築いて
西欧にも侵攻したかも知れないが
キプロスは落とせなかった訳だろうから
其れ程の能力は有るのだろうか
231 :
某研究者:2005/07/25(月) 02:05:17 ID:FRIXTk1W
>エジプトを攻略する時間は本国で反乱が無いとすれば
>十分過ぎる程有っただろうか
反乱が有っても矢を受けなければ
本国も平定されていたかも知れぬし
其の後再度エジプトを攻略する事も
可能だっただろうか
232 :
某研究者:2005/07/25(月) 02:15:54 ID:FRIXTk1W
まあ中央アジアの遊牧民でモンゴルに捕らわれ
恐らくモンゴルの戦法を
熟知していたバイバルスだから
モンゴルに勝てたと言う事も
有るのかも知れぬし
十字軍ではモンゴルを阻止出来無かった可能性も
有るだろうから
リチャード等の手で十字軍が中東を征服していたら
世界はモンゴルの手に落ちた可能性も
有るのかも知れないが
モンゴルは分裂が多いのでそうは行かないかも知れぬが
仮に分裂しても其の後
西欧が世界を支配出来たとは限らないだろうか
蒙古襲来の図に描かれている「てつはう」は後世の加筆だって話が、アカ日の夕刊に出てた。
>まあリチャードが本国の反乱で帰らなければ
>リチャードが勝っていた可能性も有るのかも知れぬが
>エジプト迄進行出来たかは
>分からないが
>まあリチャードも老衰死では無く
>矢を受けて42歳で死んだ訳だから
>エジプトを攻略する時間は本国で反乱が無いとすれば
>十分過ぎる程有っただろうか
第三回十字軍のことを調べていると、リチャードがエルサレム進撃を断念した最大の理由は
どうやら内陸部のエルサレムまで海岸からの補給が続かない(あの距離で!)とのことからなんですね。
アルスーフの戦いの後のサラディンはシリアを焦土化して、
十字軍相手にゲリラ戦を行って消耗させることを戦略に動いていました。
1192年にはサラディン軍の士気も大分落ちていたようですが、
それでもこの戦略は成功しており、やはりエジプト攻略は無理だったのではないかと思われます。
>反乱が有っても矢を受けなければ
>本国も平定されていたかも知れぬし
>其の後再度エジプトを攻略する事も
>可能だっただろうか
仏王フィリップ二世をどうにかしない限りは厳しいと思われます。
仮に長い年月をかけてフランスを併合できたとしても、
相当無茶言って捻出した十字軍の戦費やリチャードの身代金は
史実での次代のジョン王の治世を苦しめました。
リチャードが長生きしてたとして、はたしてアンジュー帝国の諸問題を解決できるかどうかは疑問です。
そして次の十字軍に行くまでにここまでやらなければいけないのですから彼が生きているうちに
もう一度エルサレムに行けるのでしょうか?
235 :
名無し三等兵:2005/07/26(火) 23:28:35 ID:zkMyW9Ik
>エジプトが滅ぼされた後其の軍事力を以って
>欧州に侵攻していた可能性も高いだろうし
>十字軍は果たして此れに勝てたのかだが
これについては全くわからないです。
イタリア港市国家の海軍力に果たしてモンゴルが勝てるかどうか?
ただ時期的にはどうしてもシュタウフェン朝滅亡の後になるんで、
教皇権の指導の下にフランス王権がヨーロッパをまとめて当たる、ということもできそうなので、
バトゥ征西の時よりも条件は良くなると思います。
>まあ中央アジアの遊牧民でモンゴルに捕らわれ恐らくモンゴルの戦法を
>熟知していたバイバルスだからモンゴルに勝てたと言う事も有るのかも知れぬし
>十字軍ではモンゴルを阻止出来無かった可能性も 有るだろうから
>リチャード等の手で十字軍が中東を征服していたら 世界はモンゴルの手に落ちた可能性も
>有るのかも知れないが
でしょうね。多分遊牧民出身のバイバルスじゃなければモンゴルは防ぎ切れなかったでしょう
>モンゴルは分裂が多いのでそうは行かないかも知れぬが
>仮に分裂しても其の後 西欧が世界を支配出来たとは限らないだろうか
仮に全てがモンゴルに都合よく進んで、全ヨーロッパがフレグ=ウルスのもとに統一されたとしたら、
(イル汗国がローマ汗国にでもなるんでしょうか?)
ヨーロッパがユーラシアの経済圏と結び付けられ、
史実のようにわざわざオスマン朝を迂回してインドまで行く必要がなくなると思うので、
西欧の一人勝ちにはならないんじゃないかと思います。
あくまで可能性の話ですけどね。
236 :
某研究者:2005/07/27(水) 09:28:22 ID:yf4kTEtd
>第三回十字軍のことを調べていると、リチャードがエルサレム進撃を断念した最大の理由は
>どうやら内陸部のエルサレムまで海岸からの補給が続かない(あの距離で!)とのことからなんですね。
まあエルサレム付近の海岸に上陸できる場所が
無かったと言う事でも無ければ
船を増産して焦土化されて居ない後方から補給すれば
補給は充足出来ただろうか
(陸上からの補給はサラディンのゲリラ攻撃で
無理だったのかだが
エルサレムを包囲するのではなく短期に攻略すると言う
方向は無理だったのかも知れぬが
制海権が有るならエルサレムへの補給に対して
サラディンの様にゲリラ攻撃をすれば
包囲せず共どうだったのかだが)
>仏王フィリップ二世をどうにかしない限りは厳しいと思われます。
>仮に長い年月をかけてフランスを併合できたとしても、
>相当無茶言って捻出した十字軍の戦費やリチャードの身代金は
>史実での次代のジョン王の治世を苦しめました。
まあ信頼出来る指導者が居れば
ジョンを倒した後フィリップを本国で牽制する事も
可能だったかも知れないが
237 :
某研究者:2005/07/27(水) 09:37:17 ID:yf4kTEtd
>イタリア港市国家の海軍力に果たしてモンゴルが勝てるかどうか?
まあ制海権が有っても地上からの侵攻が防げるのかと言う事は
有るだろうが
>西欧の一人勝ちにはならないんじゃないかと思います。
>あくまで可能性の話ですけどね。
科学技術の停滞と言うのも
モンゴルは兵器の開発・導入に熱心だから
無いかも知れないが
238 :
某研究者:2005/07/27(水) 09:39:22 ID:yf4kTEtd
>まあ制海権が有っても地上からの侵攻が防げるのかと言う事は
>有るだろうが
まあ矢張り英国に上陸出来るのかと言う事は
有るだろうが
モンゴルが大陸の海軍を手に入れた後は
英も勝てるのかだろうし
ハリケーンも少なく大陸から英の距離も短いなら
日本の様に成り続けるのかと言う
事だろうか
(;^Д^)・・・
アッティラとチンギスハーンって時代が1000年ぐらい違うけど戦術は似たような感じだよね。
装備もあまり変わらなかったのかな?
241 :
某研究者:2005/07/29(金) 11:54:34 ID:nIsbaDjx
まあフン族は鐙が無い以外さして装備は
変わらないかも知れないが
装備は基本的には変わらないと思う。でもやっぱり軍隊としてはチンギスハンの方が完成されてるかな。
フン族アッティラ・・・あぶみを早くから導入、ヨーロッパの弓より強力な合成弓を使う。
※アジア騎馬民族の合成弓:木や骨を層状に接着して小型かつ強力な威力を誇る。強靭な筋力と訓練が必要。
チンギスハーン・・・同じく合成弓。服属民族騎兵は甲冑装備だがモンゴル弓騎兵は甲冑は装備していなかった。
部隊単位は10人100人1000人10000人で、兵の帰属意識は1000人単位の部隊にある。
10000人は近代の師団、1000人は連隊に相当する。また、モンゴル兵は馬を1人あたり
5頭持っており、疲れた馬を次々に乗り換えて驚異的な進軍速度をものにした。
ちなみにモンゴル兵の退役は60歳。
遊牧国家全般がそうだろうけど、モンゴルは国家自体が軍隊を為していて、
部民は全て「千戸」を基本に纏められ、その長が千人隊の指揮官ともなる。
諸子諸弟への部民分与も千戸単位でなされている。
なおチンギス汗時代の千戸の数は130個程。
また行軍の話があるが、基本的に遊牧集団の移動という形になるから、
戦場に来ると後方支援部隊を分離して戦闘部隊のみが前に出る。
戦闘が終わると部隊は後方部隊の居る宿営地に戻って補給を受ける。
無論行軍中も斥候を頻繁に出す前衛の軽騎兵三個隊、側衛二個隊、
重騎兵の本隊の後ろに後方部隊と補給段列という隊形をとっていたそうな。
戦闘ではモンゴル軍は敵陣に精鋭の突撃部隊を突入させ、
これが囮となって敵を誘導、待ち伏せる本隊が取り囲んで矢の雨を降らせる
戦術が得意だったとか。
モンゴル軍が粉砕された事ってあんの?
孫の代になればあるよ
246 :
名無し三等兵:2005/07/31(日) 11:13:15 ID:tIXgnDj2
>まあエルサレム付近の海岸に上陸できる場所が〜
サラディン見くびりすぎですよ。
というか安全な後方がそもそもないので、船を増産〜なんてレベルじゃなくて、
海外線からあの距離でも補給はまかなえません。
>エルサレムを包囲するのではなく短期に攻略すると言う〜
当時の西欧の攻城技術じゃあちょっと・・・
これより百年前の話ですが、第一回十字軍もアンティオキア攻略に半年ほどかかってますし、
リチャードが帰って築くまで、西欧に総石造りの城ってなかったみたいですから・・・
>制海権が有るならエルサレムへの補給に対して〜
これは考えてませんでしたが、リチャードも時間がなかったし
悠長にゲリラ戦なんてやってられなかったんじゃないかと
>まあ信頼出来る指導者が居れば〜
仮に信頼できる指導者がいても、それが親族だったりすればジョンみたいに簒奪に走る可能性もあるでしょうし、
当王族以外の人間が政治をしようとしても、王から発する権威がないと厳しいです。
それにイングランドないにも反アンジュー派が沢山いるわけでして、
というか中世国家で国王が何年も本国を留守にするというのがもう常軌を逸してます。
知ってると思いますがとりあえずここでも
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/war/ac12/ac12ang2.htm
247 :
名無し三等兵:2005/07/31(日) 11:18:04 ID:tIXgnDj2
>まあ制海権が有っても地上からの侵攻が防げるのかと言う事は有るだろうが
キトブカがバイバルスに勝ってたとして、フレグ=ウルス(イル汗国)が成立後(1258以後)に
大遠征するとして、少しルートを想定してみますと、
まずは往年のウマイヤ朝軍のように
エジプト→モロッコ→(ジブラルタル海峡)→イベリア→フランス
と行くか、あるいは後世のオスマン朝軍のように
小アジア→(ダーダネルス海峡)→ギリシア→バルカン→ドイツ又はイタリア
ってルートなんですが、両方ともイタリア港市国家の活動圏で、
はたして騎馬軍団が安全に渡航できるかというと、もう全くわからないです。
つうか北のジョチ=ウルスと仲が悪いのにヨーロッパ侵攻なんてやってる暇があるんだろうか?
やっぱりバトゥの遠征以後じゃヨーロッパ征服は無理かもしれません。
>科学技術の停滞と言うのも〜
停滞はしなくてもローマ汗国(仮)のなかで、領域内の布教の自由や、関税の一定が保たれれば
わざわざボロ舟でインドやらアメリカに行く必要は無くなるので、
後の産業革命が起こり辛くなるのでは。
というか中国は宋元明で大きく科学技術が発展しましたが、結局産業革命を起こせなかったところに
注目すべきじゃないでしょうか?
248 :
某研究者:2005/08/01(月) 13:28:45 ID:QLcRq+zu
>サラディン見くびりすぎですよ。
>というか安全な後方がそもそもないので、船を増産〜なんてレベルじゃなくて、
>海外線からあの距離でも補給はまかなえません。
http://www.sol.dti.ne.jp/~kay/israel/diary.htm 確かに海岸から距離は結構有るし
海岸から続く川も無いなら陸上の補給線をゲリラ攻撃されて
アウトだろうか
(まあエジプトも含めたの沿岸や川・湖を全て押さえた後
時間を掛けて攻略すると言う方向も有るだろうが)
後はアラブの市民を虐殺して
海岸付近にサラディンをおびき出し
野戦で倒すと言う様な
方向も有るだろうか
(サラディン無しでゲリラ戦の指揮は出来るのかだろうし
野戦の敗北で城の兵力も減るかも知れないが)
249 :
某研究者:2005/08/01(月) 13:30:26 ID:QLcRq+zu
http://www1.neweb.ne.jp/wb/kaname/war/ac12/ac12ang2.htm >あげくに聖地で好き勝手放題遊びすぎてフランス王フィリップ・オーギュストやオーストリア公レオポルド、ビザンツ帝国を敵に回してしまう。
>1191年にフランス王は怒って帰ってしまい、
と言うのが無ければ
或いは
>1193年にリチャード一世は帰国途中にオーストリア公に捕まってしまい、
と言うのが無ければ
どうなのかだが
>リチャード一世の義理の父ナバラ王サンチョ六世賢明王の介入で鎮圧されてしまう。
仏の介入はリチャードが捕まらなければ彼が何とか
したかも知れないが
250 :
某研究者:2005/08/01(月) 13:34:52 ID:QLcRq+zu
仏を制圧しなく共
ジョンを追い出した後に
中東に戻り
本国はナバラ王に任せると言う方向も有っただろうか
(或いは本国に帰らず共ジョンはナバラ王が
何とかしたかも知れないが)
251 :
某研究者:2005/08/01(月) 13:40:03 ID:QLcRq+zu
>つうか北のジョチ=ウルスと仲が悪いのにヨーロッパ侵攻なんてやってる暇があるんだろうか?
>やっぱりバトゥの遠征以後じゃヨーロッパ征服は無理かもしれません。
彼と同盟を結んで黒海の北から陸続きで
攻めると言う様な方向も有るだろうが
欧州は水軍でモンゴルを何処迄阻止
出来るだろうか
>停滞はしなくてもローマ汗国(仮)のなかで、領域内の布教の自由や、関税の一定が保たれれば
>わざわざボロ舟でインドやらアメリカに行く必要は無くなるので、
>後の産業革命が起こり辛くなるのでは。
>というか中国は宋元明で大きく科学技術が発展しましたが、結局産業革命を起こせなかったところに
>注目すべきじゃないでしょうか?
中国よりモンゴルの方が兵器の開発には
熱心だから
欧州の技術者を用いて兵器を開発する過程で
技術は進歩したかも知れぬし
分裂で戦争も頻繁に起きる可能性は有るだろうか
252 :
某研究者:2005/08/08(月) 12:00:39 ID:b8riScJf
だが
254 :
某研究者:2005/08/08(月) 12:26:01 ID:b8riScJf
255 :
某研究者:2005/08/08(月) 12:36:37 ID:b8riScJf
勇者が千人いて勝手に戦うよりも、凡庸な能力の戦士が千人でもコンビネーションを組んで戦う方が強いに決まっている。
そのことを気づいた先人が戦術や用兵学を作り上げたわけだしな
そんでいま考えているのは、巨大隕石落下後で人類の99%が死滅した未来
わずかな食料を巡って戦う人たち
三十人から五十人単位の人間同士
武器は小銃の類が少々と、あとは原始的な弓や投石器それにせいぜい刀や槍くらいだ。
このような状況で用いられる戦術はどんなもんだろうかね?
手持ちの本には千人や万人単位の戦争についての記録はあっても、ここまで少人数の単位での戦争の記録はないからな。
規模から言ったら戦争というより、ヤクザの抗争レベルの戦闘だから無理ないけどさ。
何か良い記録はないか?
257 :
某研究者:2005/08/08(月) 21:12:16 ID:4WVr8Edi
>勇者が千人いて勝手に戦うよりも、凡庸な能力の戦士が千人でもコンビネーションを組んで戦う方が強いに決まっている。
まあとは言え西欧の下馬騎兵を
同数の鉾槍兵が阻止出来たかと言う事は
有るだろうか
スイスのパイク兵と言うのは鉾槍兵とパイク兵・
剣を持つ兵の組み合わせだろうし
鉾槍兵や剣を持つ兵の方が確か
格上だっただろうか
他の西欧の歩兵は短槍兵が雑兵であり
後は鉾槍兵・フットマンズフレイル・両手剣を持つ兵の順に
強かった訳だろうか
>256
戦術も何もないような
偵察重視の奇襲のみ、相手を追い払って食料を手にしたら即撤退
こちらにも被害がありうるから決戦なんか無し
どこぞの土人の戦争ですな。
259 :
某研究者:2005/08/19(金) 21:42:17 ID:BLNdT/sH
まあスイスのバスタードソード兵と
独等のツヴァイハンダー兵が戦ったら
何れが勝つのかだが
鉾槍兵より剣を持つ兵の方が
強いのかだが
円盾兵の様な盾と剣を持つ兵や
短いポールアームを持つ歩兵は
居ないのかだろうが
其の様な兵が存在するとしたら
両手剣を持つ兵より
格下だったのだろうか
260 :
名無し三等兵:2005/08/21(日) 00:23:32 ID:n89qP5M1
某研はお盆休み?
某研究者はなんで全部疑問系なのだろうか
結論を出さない事で責任転嫁を図ってはいなかっただろうか
とゆうかあらゆる条件に対して否定も肯定もしないのだが
結局どっちにも組しないように思えるのかだが
あるいは後出しじゃんけんで常に勝てるとの判断だったのだろうか
>>なんで全部疑問系なのだろうか
それが某研イズムだからだろうな〜
某研を知らない人がちらほらいるな・・・
265 :
某研究者:2005/08/29(月) 01:43:00 ID:+LDCkbkS
久々に軍事史スレを見てみた(1年ぶりぐらい?)某研が健在で感動した。
>円盾兵の様な盾と剣を持つ兵や
確かスペインに居なかったか?
某フィレンツェの書記官がローマの再来だ!感動した!とか書いてたと思うが。
でもやっぱここの兵の装備より陣でないかなぁ。
267 :
名無し三等兵:2005/09/01(木) 19:18:05 ID:zUo1E2R8
某研なにもの?有名人?
888GETみたいなもの?
>>218-219 兵糧を陸上輸送する場合でも、人夫や牛馬に食料を与えないといけない
訳だからねえ。
(漢の武帝による匈奴征伐の際は、前線に食料輸送するには、その10倍
の食料が必要だったという話がある)
水運が利用できれば、実質的に食料消費を減らす効果があったはず。
>>233 加筆の可能性は十分あると思う。
あの蒙古襲来絵巻は、同時代の西洋の記録なんかと比べても、かなり
リアルに描いてある。
絵師に(おそらく戦利品の)モンゴルの装備を実際に見せて、描かせた
のだろうな。
ただ、「てつはう」が実際に爆発する様子までは、絵師に見せる訳には
いかない。
後々、それが描ける(実際に見た事のある)絵の描ける武士ないし、
実戦を見た絵師を探して、加筆させたのではないかな?
270 :
某研究者:2005/09/08(木) 02:00:22 ID:kGallKkx
宋や高麗の兵は兎も角
モンゴル兵は鎧も何も着て居ない様にも
見えるし
矢張り陸上で射撃戦をしたら
どう成るのかだろうし
射撃戦でモンゴル兵が死んだ後宋や高麗の兵は
士気を保てたのかだが
271 :
某研究者:2005/09/08(木) 02:02:19 ID:kGallKkx
宋や高麗の兵も
綿甲が多いし
弓が止まる様な鎧は
着ているのかだろうし
盾を持つ兵も余り描かれては
居ないだろうが
明甲鎧は矢は止まったのかも知れぬが
桂甲は薄い鉄片の様な気もするし
矢は止まったのかだが
272 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 02:14:40 ID:7tw1tB1/
オスプレイ社のイラスト画像が見たいです。
リンクを貼りなさい!!!!
273 :
名無し三等兵:2005/09/08(木) 06:04:09 ID:7tw1tB1/
戦利品である女たちの分配を巡って引き起こされた
壮絶な内戦を潜り抜け、ついに貴族の女をゲット
したダーヴィニズムの勝利者たるオレサマ
>268
敵の1升(漢字が無いので升で代用)を食むものは10升を食むことだってのは比喩的表現じゃなくて実数だったのか!
1年半ぶりに2ch覗いて某研が健在いうか万古不易なのには感動したな。
数少ない、モノホンだ
兵器に関する質問ですが、
1、ボウガンとクロスボウは違うものですか?
2、歩兵銃のストックはいつごろ発明されたのでしょうか。
火縄銃にはストックがありませんが、重量と反動を腕力だけで支えていたのでしょうか。
1 一般的にはクロスボウ/アームブルスト、漢字なら弩/十字弓
(株)ボウガン社が製造したクロスボウがボウガン
2 不明、小銃の発明と同時では?
日本の火縄銃は頬を中心に、銃身を上に回転させて衝撃を逃がす
日本の火縄銃は原型が狩猟用の東南アジア製民生品だから。
ヨーロッパの軍用銃だと、早くから銃床やら支持架やらが付属してます。
279 :
某研究者:2005/09/17(土) 19:05:41 ID:zQ7vP0we
火縄銃の前のハンドキャノンの段階で
ストックは既に付いて居たかも
知れぬが
280 :
某研究者:2005/09/17(土) 19:10:27 ID:zQ7vP0we
282 :
4610:2005/09/17(土) 23:06:32 ID:???
フジテレビの日本の歴史。この番組の期待効果は何か。
その時々で、命をかけて戦った人たちの歴史を、
お笑いにして視聴率をあげるということか。
それとも、愛国心をもった企画者が、今時の若者に
何かを訴えようとしているのか。
それにしても、明治後半〜大東亜終了までの
現代にかなりの影響を及ぼしている時代をどのように描くのか。
283 :
4610:2005/09/17(土) 23:59:05 ID:???
日本の歴史を卑弥呼の時代からやってるんだ。
それで、血塗られた日本の歴史は昔から変わってない。
鎌倉幕府だって、室町幕府だって、戦国時代を経ての
江戸時代、そのときにだって、人間は戦い続けてきた。
明治以降は、確かにそれまでと比べると、時代の
相対的スピードが早く、戦争がターニングポイントになっている
のかもしれない。
しかしながら、歴史の上で、侍が戦い続けた時代と、現代の
違いは何だ。差異はない。近代の指導者達も、ツライ決心を
してきたのだ。日本という小さな島国のために。
それを否定するな。本番組は、受験生が歴史の点数を獲るが上で
(テスト対策で)効果的だとは思う。
しかし、いまもっとも認識しなければならない近代〜現代史、今
我々が直面している国際社会の中での日本を認識する重要性を
回避しようとしている。この認識を変えるためには、我々はまた、
黒船の来航を待たねばならないのだろうか。
>>282-283 「お兄ちゃんのえっちー!」
まで読んだ。
君のその主張はまったくもって正しいと思う。
285 :
某研究者:2005/09/18(日) 10:20:53 ID:wLLj65fG
関ヶ原に関しては
三成が小早川を家康より先に攻撃したり
使者を先に出したりすれば
結果は変わっていた可能性も
有る訳だろうか
287 :
某研究者:2005/09/18(日) 19:43:03 ID:RP2MYd5X
東軍の側面を小早川が突けば
東軍は混乱するかも知れぬし
戦況に拠っては毛利が裏切る可能性も
有るかも知れないが
288 :
某研究者:2005/09/18(日) 19:44:58 ID:RP2MYd5X
小早川に側面から突かれた上に
毛利に背後から攻撃されれば
徳川軍も壊滅は
免れ得ぬだろうか
289 :
某研究者:2005/09/18(日) 19:55:00 ID:RP2MYd5X
小早川の兵力なら井伊直政を撃破して
家康本陣迄突入は可能かも知れぬし
此れを見た場合毛利や脇坂等はどう
動くだろうか
(福島正則が家康本体の救援に戻ったら
宇喜多が背後から此れを突けば
恐らく福島正則は壊滅だろうか)
軍事的には東軍は西軍に半包囲されており
敗北すると言う布陣だろうし
小早川が西軍の側面を突けば
毛利や長宗我部が家康の側面を守らぬ限り
大勢は決するという所かも知れぬが
290 :
某研究者:2005/09/18(日) 20:01:37 ID:RP2MYd5X
ゲーム等で将軍の兵を
勝手に取り上げたり
増やしたりするのは
どうなのかだろうし
其の様な事は現実には将軍の同意が無ければ
無理だろうし
矢張り兵は領土に応じて配分すると言う事しか
出来ぬだろうし
然も無くば忠誠心が低下し
反乱が起きるかも知れぬが
291 :
某研究者:2005/09/18(日) 20:07:50 ID:RP2MYd5X
まあ矢張りゲームの様に
将軍に金を与えれば
忠誠心が高まるのかだろうし
力を持てば逆に反乱の危険が
高まる場合も有るだろうが
其の様な人物とそうで無い人物が
居る訳だろうか
292 :
名無し三等兵:2005/09/29(木) 01:16:52 ID:vpwt+E9K
「イゴシサ」は、種子島に鉄砲が伝来した年であり、日本史を勉強し始めた頃は
暗記するのに苦労したものである。云うまでもなく1543年でありポルトガル人が
持ってきた。この鉄砲が日本の戦さの仕方を根底から変える。織田信長は鉄砲
作戦の名手で武田勝頼との「長篠の戦」では三千挺の火縄銃で武勇を誇る騎馬
武者を次々に討ち取ったとされる
▼しかも鉄砲隊を三つにわけ第一陣が発射すると第二陣が続き、第三陣が打つ
という三段構えの戦法は信長発明と伝えられる。と、ここまではいいのだが、この
鉄砲を種子島に伝えたポルトガル人を乗せてきた船は、当然ながらポルトガルの
船だとばっかり思っていた。ところが、最近の高校生の教科書には「中国船」と
なっているのが多いそうだ
▼産経抄を35年も書いたコラムニスト・石井英夫氏がやっぱりポルトガル船派
である。「天文一二(一五四三)年にポルトガ船が種子島に漂着し、鉄砲を伝えた」
と産経抄に記したところ、抗議の電話や手紙があったという。「中国船」だという
主張であり、高校の教科書にも記載されているの趣旨で達意の文章で知られる
石井氏も往生したと小文に綴っている
(略)
http://www.nikkeyshimbun.com.br/050924-Column.html ________________________________________________________________________
「倭寇」は日本の海賊が多かったはずが、明や高麗の海賊が主体になり
これにポルトガル人が乗り込んで、ある日日本に流れ着いた
293 :
名無し三等兵:2005/09/29(木) 02:17:41 ID:3viMrna+
>>266 遅レスだが、ローデレロとかいう名前だったはず。
剣と胸当て、金属盾をかたから紐で肩から下げてる。
んでマスケット兵の後ろに配備されて混戦になった時にマスケット兵の前に出て斬りあう
294 :
某研究者:2005/09/29(木) 13:10:52 ID:vJsDTnPX
295 :
某研究者:2005/09/29(木) 13:12:44 ID:vJsDTnPX
296 :
某研究者:2005/09/29(木) 13:15:23 ID:vJsDTnPX
ローデレロも盾では足は守れないし
足をパイクや剣で狙われたら脆いかも
知れないが
(足を剣で守った場合は
頭は盾で防護せざる負えぬだろうし
頭を盾で守れば視界が奪われて
足等をやられる可能性は有るだろうか)
297 :
某研究者:2005/09/29(木) 13:19:35 ID:vJsDTnPX
集団戦では横から足を殴るのは
難しいかも知れぬし
脛当てが有れば十分防御は
可能なのかも知れないし
此れと盾・剣を持てば
どうなのかだが
盾毎相手を割ったり盾を越える様な武器も
有っただろうか
298 :
某研究者:2005/09/29(木) 14:34:55 ID:vJsDTnPX
膝や足先を上から殴ると言うのも
難しいだろうし
突きでは脛当に対しては
有効な打撃を与えられないだろうか
某研さんよ、集団戦での防御ならまずは投射兵器を第一に
考え次にポールウェポン対策を考えればいいじゃん。
投射兵器には盾と兜
ポールウェポンにはより長いリーチのポールウェポンによる槍衾で対応すればいい。
チェーンメイルのような防具は確かに絶大な防御力を発揮するが高価だし
金はあっったとしても産業革命前の工業力じゃ数を揃えるのも大変だ。
それに重い。職業軍人で頭数が揃うなら問題ないが
インスタント訓練した農民かき集めて軍団を編成するなら、重くて使えない。
防具について考えるならまず兵隊のレベルを考えた方がいい。
300 :
某研究者:2005/09/29(木) 15:50:09 ID:vJsDTnPX
投射兵器を防ぐ為の盾等
現実には完備されて居ないし
射撃に対しては信長が作った様な土塁や
城を利用すると言う所だろうし
ポールウエポンに対しては確かに雑兵相手なら
長い槍で対抗出来るだろうが
剣を持つ精鋭兵や完全鎧を着た下馬騎士等に果たして
対抗出来るのかだが
301 :
某研究者:2005/09/29(木) 15:56:40 ID:vJsDTnPX
>チェーンメイルのような防具は確かに絶大な防御力を発揮するが高価だし
>金はあっったとしても産業革命前の工業力じゃ数を揃えるのも大変だ。
>それに重い。職業軍人で頭数が揃うなら問題ないが
>インスタント訓練した農民かき集めて軍団を編成するなら、重くて使えない。
>防具について考えるならまず兵隊のレベルを考えた方がいい。
日本の場合は皮の胴丸を大量に揃えた様だし
プレート以外の鉄の鎧よりこちらの方が有利かも知れぬが
日本も西欧も雑兵は皮鎧さえ装備しては
居ないと言う事なのだろうか
302 :
某研究者:2005/09/29(木) 15:59:07 ID:vJsDTnPX
矢は皮鎧でも可也止まるだろうし
鎖よりはましだろうが
西欧の場合は雑兵の着る鉄製のブリガンダインは
板同士は固定されておらず動く様だし
板同士が固定されて居る日本の桶側胴と比べて
打撃に対する防御面で問題は出るだろうか
303 :
某研究者:2005/09/29(木) 16:00:12 ID:vJsDTnPX
鱗鎧も同様に板が固定されて居ないし
小さな札を鋲で固定した日本の鎧の様な物は
西欧は作らなかったのだろうか
304 :
某研究者:2005/09/29(木) 16:29:40 ID:vJsDTnPX
305 :
某研究者:2005/09/29(木) 16:31:59 ID:vJsDTnPX
306 :
某研究者:2005/09/29(木) 20:31:01 ID:7ma16kzP
307 :
某研究者:2005/09/29(木) 20:33:12 ID:7ma16kzP
まったく根拠はないが、短甲が廃れたのは動きにくかったからだと思う
馬に乗っているのならともかく、戦場を徒歩で移動するとしたら
筒状の鎧では背中を丸める前傾姿勢がとりにくかったのでは?
もし自分が短甲で戦場を歩いたら、身を縮めるたびに命がけの不便さに
嘆いたんじゃないかな
309 :
某研究者:2005/09/30(金) 01:31:15 ID:+zozHeET
西欧の歩兵も胴体にプレートを装備している者は居るし
後で板金を固定した桶川胴を装備した足軽が
登場している以上は
果たして動きの問題だったのかだろうし
矢張り中国の形式に倣った可能性が
高いのかも知れぬが
>射撃に対しては信長が作った様な土塁や
>城を利用すると言う所だろうし
陣地用の盾を忘れてもらっては困る。
>剣を持つ精鋭兵や完全鎧を着た下馬騎士等に果たして
>対抗出来るのかだが
剣ならばリーチの差と数の暴力で対抗できる。
農民兵を使うメリットとは数で圧倒出来る事だからな。
問題は日本刀のような良く切れる刀だ。
穂先を斬っちまうことが可能なので精鋭ならば槍衾を崩す事はできるかもしれん。
これには防御側も類似の近接戦闘部隊で対応したり、
投射兵器を集中運用して撃破するしかないか。
スーツアーマーを着込んだ騎士は絶大な防御力を誇る。
ただしその重さのため移動力は低く長時間活動はできない。
下馬した段階で戦術的価値は著しく下がる。
それはさておきそいつを始末するならばモールのようなヤツで倒し鎧通しで止めを刺すしかない。
>309
書き込んでからそれに気がついた
動きにくかった説はやめて、作るのが大変で高価だったから説に切り替えます。
312 :
某研究者:2005/09/30(金) 20:42:32 ID:wZfpBnow
>剣ならばリーチの差と数の暴力で対抗できる。
>農民兵を使うメリットとは数で圧倒出来る事だからな。
まあ数が有ろうと士気の問題が有るから
少数の騎兵や精鋭兵の突撃を
支えられる物なのかだろうし
此れは彼等を包囲してさえだろうか
(まあ只テルシオの様に周囲に味方の精鋭を置けば
彼等も逃げられるのかだが)
>問題は日本刀のような良く切れる刀だ。
>穂先を斬っちまうことが可能なので精鋭ならば槍衾を崩す事はできるかもしれん。
>これには防御側も類似の近接戦闘部隊で対応したり、
>投射兵器を集中運用して撃破するしかないか。
ツヴァイハンダーでも槍は折れるだろうが
雑兵は兎も角精鋭槍兵の槍等
簡単に折れるのかだろうし
包囲されれば槍を折ろうとして剣を振り回している間に
やられるだろうか
313 :
某研究者:2005/09/30(金) 20:59:24 ID:wZfpBnow
>スーツアーマーを着込んだ騎士は絶大な防御力を誇る。
>ただしその重さのため移動力は低く長時間活動はできない。
まあ完全鎧も第一次大戦の装備(50kg)
と比べたら軽く
体の各部に重量が分散されて居るから
動き易いと言う意見も有るし
集団戦では陣形を組むだけでも
何時間も掛かる訳だろうし
鎧を着て居ない兵でも簡単に下馬騎士から逃げる事は
可能なのかだが
>それはさておきそいつを始末するならばモールのようなヤツで倒し鎧通しで止めを刺すしかない。
只の槍でも殴れば可也のダメージを与えられると聞いたが
突きは隙間にしか通用しないだろうし
弓も隙間以外効果が無い様だが
314 :
某研究者:2005/09/30(金) 21:00:56 ID:wZfpBnow
五人張り等の強力な弓なら
プレートも貫けるかも知れぬし
バリスタでも同様だろうが
ジャベリンやピルムでは
貫けないのだろうか
315 :
某研究者:2005/09/30(金) 21:02:07 ID:wZfpBnow
棒から打ち出す様な割に大きな石が
鎧の上から当たった場合でも
可也ダメージには成る様な気もするが
盾等では止まるかも知れないが
316 :
某研究者:2005/09/30(金) 21:08:29 ID:wZfpBnow
>陣地用の盾を忘れてもらっては困る。
此れも全ての兵を守れる程
行き渡った例は無い訳だろうか
317 :
某研究者:2005/09/30(金) 22:05:44 ID:wZfpBnow
>>313 従者を従えた騎兵ならともかく、一般の歩兵は、野営の装備も携帯してるので、防御にだけ重量を割くわけに行かんでしょう。
また、歴史的に行軍可能な装備重量は30kgだと言われていますので、50kgと言うのは…
319 :
某研究者:2005/09/30(金) 22:31:05 ID:wZfpBnow
戦場付近迄は乗馬して移動し
戦場で下馬するなら30kgの鎧を装備しても
問題は無いかも知れぬが
アジャンクールでは下馬騎士も泥沼を1km移動して
歩兵にやられたが
泥沼で無ければどうだったのかだが
500m程度なら問題は無い可能性も有るだろうか
>>319 重装騎兵の下馬戦術は、戦術としてあったことは知られていますが、その多くが固定した状況で戦うものだったようです。
個人の戦闘力と、防御力がものを言う状況でなら、下馬しても強いのでしょう。
通常の野戦で、野戦組織を持つ歩兵と伍して戦闘力を維持できるかどうか、ちょっとわかりません。
321 :
某研究者:2005/09/30(金) 23:38:45 ID:wZfpBnow
完全鎧を着て居るし
剣の腕も雑兵よりは良いだろうが
多数のエリートの歩兵と対決したら
矢張り勝てるのかだが
>>321 フランス下馬騎士がたどり着いて、柵を壊して乗り込むとそこにはイングランドの下馬騎士が。という感じに陣を引いていたと思います。
まぁそれはともかく。下馬騎士は使い勝手が悪いように思う。装備に金がかかる上、集団で投入しようにも足が遅い。
百年戦争時にどの程度隊列を組んでいたのか今一分からないのだが、
確かイングランド軍は大陸行く前にスコットランドでスコットランドの槍兵相手に騎兵を見せつけ密集を強制した上で長弓で圧殺という戦術を取っていたように思う。
つまりこれは密集槍陣が突撃してきた場合に備えてある程度の防備を行った上での戦術と考えられるから
その応用である大陸の戦役でもまた下馬騎兵がイングランド陣地にたどり着いたとしてもお疲れ様でしたとなる可能性が高いのではないだろうか。
まぁ、下馬騎士突撃させるぐらいならスイス人やとって突っ込ませた方が効果は高い。(時代は違うが)
323 :
某研究者:2005/10/06(木) 18:00:58 ID:2l4ctPmy
ポワティエでエドワードが仏の下馬騎士に対して
騎兵突撃を掛けなかったら
英軍は仏の大量の下馬騎士の前に
敗れていた可能性も有るかも知れぬし
スイスのパイク兵はシルトロンや
マウリッツ陣にやられたテルシオの様に
銃や弓で撃破される可能性は有るかも知れないが
324 :
某研究者:2005/10/06(木) 18:06:48 ID:2l4ctPmy
完全鎧を着た騎士に対しては
弓や銃は効果は限定されるだろうが
シルトロンやテルシオのパイク兵に対しては
弓や銃は有効だろうか
325 :
某研究者:2005/10/06(木) 18:15:58 ID:2l4ctPmy
騎兵を止める為に弓兵に援護された
シルトロンやパイク兵を
散開させて突撃させれば
敵の射撃に対しても対抗出来る可能性は
有るだろうか
(まあ弓兵も柵が無いと騎兵を阻止出来無い等と言う
記述も有っただろうが
実際はどうなのだろうか
銃は兎も角ロングボウなら
足止めは不要かも知れないが
敵の下馬騎士が前進して来た後で
この下馬騎士を巻き込む様な形で敵が上方から
矢を打ち込んで来る可能性も有るのかも知れぬが
此れに対しては味方の弓兵の反撃も
可能だろうか)
326 :
名無し三等兵:2005/10/06(木) 18:28:17 ID:7qrrrSft
散開しての突撃は衝撃が弱い。弓兵や長槍兵、下馬騎士、騎乗騎士の突撃は信長・家康連合軍の鉄砲&弓兵に敗れてますよ。
>>326 >騎乗騎士の突撃
まだそんな与太話を信じてるのか?
328 :
某研究者:2005/10/07(金) 00:24:58 ID:VQn2Aqz4
まあ只織田・家康軍も可也の損害を受けて居るし
敵を足止め出来る柵や土塁・泥沼が
有っての勝利かも知れぬし
これ等の内一つが欠けて居たとしても
織田・家康軍は撃破されて居た可能性も
有るだろうか
つーか織田連合軍は最初から陣地で防衛するつもりだったんだから
各種の陣地構築を時間の許す限り行うじゃろ。
330 :
某研究者:2005/10/14(金) 02:21:12 ID:yii1C5VY
陣地を兵糧攻めにでもして
野外での消耗戦に持ち込めば
武田軍は勝てたのかだが
其処迄待たず共
泥沼が干上がるのを待ってから
前進して居たら
武田軍は勝てた可能性も
有るだろうか
(或いは逆に何処かの城に篭城して
補給線を敵が攻撃して来たら此れは野戦で
撃破すると言う様な方向も有っただろうか)
331 :
名無し三等兵:2005/10/14(金) 03:22:29 ID:H8d1Hap1
平原の野戦だと数と兵器の質で押されて武田が負ける。
332 :
某研究者:2005/10/14(金) 05:09:47 ID:yii1C5VY
まあ平地で戦えば兵の質の問題で武田が恐らく
勝つかも知れぬし
長篠の織田軍の損害を見ればだろうか
331 名前: 名無し三等兵 投稿日: 2005/10/14(金) 03:22:29 ID:H8d1Hap1
平原の野戦だと数と兵器の質で押されて武田が負ける。
笑止
334 :
某研究者:2005/10/14(金) 08:32:16 ID:yii1C5VY
織田軍も土塁や柵も無ければ
騎兵に蹂躙されて恐らく
終わりだろうし
槍歩兵も騎兵を阻止出来るのは
恐らく少数だろうし
織田軍騎兵では武田騎兵に
勝てないだろうか
>334
勝つ勝てないの前に両軍の兵種別の兵力と装備はどーなのよ?
336 :
某研究者:2005/10/15(土) 03:35:13 ID:DOiUoSRv
まあ35000と15000でも
兵の質の差が有れば
アレクサンダーがペルシャと戦った時の様な事が
起きる可能性は有るだろうか
>336
機動力は?
寡兵が勝つには機動力で優位に立たなきゃ難しい。
>>334 端から「武田軍の方が質が上」としているが、その根拠は?
武田氏の戦い方って、数で押し切る戦い方が殆ど。
数的劣勢を「質」で勝った戦歴はほとんどないよ。
事前工作・謀略で数的優勢を作り、それができなければ、決戦を
避ける。長篠は、もともと原則に反した無謀な戦。
>>336 はぁ?
ヘタイロイを中核とした斜傾陣による右翼突破・・・武田氏がそんな
戦術をとれると?そういう戦歴があるのか?
織田・徳川と武田の比較は、山岳戦では武田氏の方が慣れていること。
元来、武田氏は、中央アルプスの山麓・盆地に居住する山岳部族で、
山間部沿いに勢力を拡大してきた。
天正元年〜二年の明智城、足助城の攻防戦でも、それは見て取れる。
しかし、兵数がモノを言う平地での戦闘ではどうかな。
地図見てもらえば分かるが、設楽原って、けっして狭隘な地形では
ないよ。両軍とも横隊に近い形で対陣しているし、特に徳川と山県が
戦った正面は開闊している。
質の比較では、兵卒レベルはともかく、旗本を構成している直参クラス
ではむしろ織田・徳川の方が上の可能性が高い。ほぼ完全に兵農分離
して城下町に居住する戦争のプロだからな。桶狭間、天王寺、越前遠征と
直参クラスの精強ぶりを伝える戦歴は多数。
それに比べると、武田の直参クラスの戦歴はパッとせんね。
よって、局地的な一点突破を狙っても、質で勝るか疑わしい。
一般の長篠の戦の紹介では、鳶ヶ巣山の奪取が軽視されているものが
多い。設楽原の戦闘以前に、これで、ほぼ勝敗は決しているよ。
時間が経過すれば、別働隊が背後を脅かし、武田が壊滅するのは
時間の問題。長篠城の解囲も達成されている。
この辺の前後の経緯は、完全には解明されていないけど、武田氏の
突貫も、作戦レベルでの両軍の態勢では、最後のアガキとも言える。
織田・徳川は、酒井隊が後背に殺到するまで、戦線を維持できればいい。
長篠の戦の本質は、戦場全体では、織田・徳川の方が能動的に動いている。
「武田の攻勢を、織田・徳川が、陣地と火力を頼みに迎撃した」という見方は
戦場全体を見ていない卑小な見解だと思うね。
>>327 「騎乗戦闘が無かった」説は、極端すぎる。
戦国時代の最盛期は、30%以上が乗馬している軍隊もあった
んだぜ?<後北条氏の一部
装備の点でも馬鎧、馬面と騎乗戦闘を伺わせるものが残っている。
馬上弓や馬上鉄砲のような高度な戦闘様式の記録もある。<伊達・前田
だいたい、徒歩の「長柄」の存在が、逆説的に「乗馬突撃の脅威」を
証明していると思うね。歩兵同士の戦闘しか想定しないなら、長柄な
んて無用の長物。槍術をかじったことがある人なら同意してくれる
と思うが。
「槍」という武器は、見かけ以上に扱いが難しい。
短槍でも、致命傷を与えるのはかなりの修練がいる。
まして、長槍で徒歩兵相手に戦えるものか。
必要性があるのは、騎兵の突撃に直面している場合だけだ。
スイスの長槍兵が有名を馳せたのも、ハプスブルグの騎士団相手
だからね。
>>342 327じゃないが
>装備の点でも馬鎧、馬面
これは聞いた事が無い。
絵かなんか残ってるのか?
344 :
某研究者:2005/10/15(土) 22:14:00 ID:aERdsOPn
長篠での織田軍の損害を考えれば
何れの兵の質のほうが高いのかだろうし
包囲されて危険と見れば武田軍は後退は
出来たかも知れないが
>スイスの長槍兵が有名を馳せたのも、ハプスブルグの騎士団相手
>だからね。
まあマケドニアファランクスが対騎兵の物なのかだろうし
パイクは歩兵相手にも使えたかも知れぬが
剣を持つ精鋭歩兵や下馬騎士を阻止するのは
無理だろうか
345 :
某研究者:2005/10/15(土) 22:16:14 ID:aERdsOPn
>341
まったくそのとおり。けど、軍事板では作戦レベルはあまり話題にならないのよ。。。
戦略レベルだと扱う話題が広範囲すぐるし、戦術レベルだと限定される。
作戦レベルの議論が一番面白いんだけどねえ
馬鎧ってのは広く使われたの?
348 :
某研究者:2005/10/15(土) 22:38:29 ID:aERdsOPn
>騎馬武者が騎乗戦闘して居る鎌倉時代や戦国時代に描かれた絵も
>有るだろうか
まあ騎兵の突撃速度も敵の直前迄
低速で移動してから
全力で走れば
可也の速度は確保出来たと言う事は
無いのかだろうし
馬だけでは無く人間の大きさも小さいし
武器や鎧も西欧の物程重くは
無いだろうか
349 :
名無し三等兵:2005/10/16(日) 00:16:32 ID:YlfqNG1x
騎兵は西洋も日本も直前まではとろい。間合いを詰めたら一斉突撃。
350 :
某研究者:2005/10/16(日) 03:32:20 ID:74TYKzkB
完全鎧を着た下馬騎士が
多数の雑兵に包囲されたとて
負けるのかだろうし
雑兵が少数の精鋭兵に包囲された場合は
壊滅するだろうが
精鋭兵が精鋭兵に包囲された場合は
包囲される側が少数なら壊滅に迄は至らない場合も
多い訳だろうか
てすと
おおやっと書き込み出来る
長篠の合戦で武田方が勝利する方法を愚考してみる
防馬柵と三千丁(と言われている)の火縄銃が待ち構えている織徳連合を打ち破るには
別働隊を組織して織徳方の後方に周り糧道を断つに限る
当然糧道の確保に乗り出す織田方、武田方は高天神城に引き返す素振りを見せれば
糧道確保に更に躍起になる
陣形が馬防柵から離れた所に、武田全軍挙げて魚鱗の陣を作り突撃を仕掛け混乱させるに限る
数、火器とも優勢な鶴翼の陣を敷く織田方を破るにはこれしか無いのでは?
即ち三方ヶ原で父信玄公が家康を打ち破った、あの戦仕立てを手本とすべきだろう
方や前述の戦で戦訓を得た織徳連合は、勝つべくして勝ったと言うべきであろうか
勝頼が先代よりの重臣を遠ざけた時から武田の滅亡は約束されていたのだろうか?
人は城〜人は石垣・・・・
>>352 数的劣勢な武田が、さらに分遣隊を出すの?自殺行為だがやw。
長篠城の包囲網はどうする?維持しないのか?
>武田方は高天神城に引き返す素振りを見せれば
この戦いの武田氏の策源地は南信濃で、青崩峠から三河に南下してきた。
高天神城は、はるか遠く。全く関係ありません。地図見ろ。
>人は城〜人は石垣・・・・
これ、信玄が言ったかどうか疑問視されている。
なぜなら、信玄の築城は、「石垣」を使わないから。
石垣を使う築城は、織豊政権と、その後の江戸時代の築城の特徴でつ。
信玄の本拠地・躑躅アは、付近の要害城とのセットで考えるとかなり
強固な防御施設であり、信玄が本拠に築城しなかったというのは俗説。
信玄治世下でも、たびたび甲斐国内で内紛が起きて、家臣団を粛清している。
「人は・・」なんて、信玄が考えていたか、はなただ疑問。
親父を追放し、息子を殺し、家督相続時の重臣の大半を戦場で損耗し、
生き残りも粛清した。
354 :
名無し三等兵:2005/10/16(日) 10:34:42 ID:YlfqNG1x
重装騎士なら百年戦争でイングランド側の雑兵にボコられて身ぐるみ剥がされてますけど。とろいから弓や投石機で攻撃し転んだりぬかるみにはまったとこを四方から斧やこん棒で撲殺されてますな。
騎士の最大の利点は、徒歩兵に対して主導性を保持していることでしょ。
後方から前方に進出して、突撃をかける時期・場所の選択は、常に
騎士側が握っている。ロクな通信手段が無く、徒歩兵の布陣や陣形の
変換に長大な時間を必要とする古代〜中世において、これがどれほど脅威
だったか想像に難くない。
武器のリーチにしても、一般的には騎士に利があったと観るべきだと
思うね。長槍ってのは、馬のスピードが介在してこそ意味がある。
歩兵の武器としては、歪な武器でつ。叩くにしても、突くにしても
扱い辛い。これも、相手側に馬のスピードが生じるからこそ意味がある。
マケドニアのファランクスも、対歩兵戦闘ではあまり芳しい結果を
残していない。ペルシア側のギリシアの庸兵に対しては常に苦戦して
いるし、その後のローマの重装歩兵との戦闘では接近戦で完敗を喫している。
マケドニアの決戦兵力は、王直属のヘタイロイ(近衛騎兵)とヒュパ
スタイ(盾部隊)で、ファランクスは、敵戦力の拘束が主な機能。
>>344 >長篠での織田軍の損害を考えれば
>何れの兵の質のほうが高いのかだろうし
武田の将兵が敢闘したことは否定しないが、「精強さ」の証明としては
両軍の「キルレート」を見ないとね。
織田・徳川も甚大な損害が出たのは確かだが、一方の武田は、この一戦
で「決戦能力」を完全に喪失し、主力野戦軍が一万を切っている徳川に
対してさえ一度も野戦に応じることなく滅亡に至る。
ほとんど「全滅」したのが、この戦いの武田の損害の実相でしょ。
むしろ、織田・徳川の「追撃」の上手さが光る戦いだね。
これは、浅井氏の小谷城の救援に来た朝倉氏を追撃し、そのまま
越前に攻め込み滅亡に追いやった戦いでも顕著。情報収集能力と
機動力では、戦国時代の中でズバ抜けている。
対する武田は、三方原で徳川を破ったときも、致命傷は与えられなかった。
長篠の戦は、仮に武田が勝っても局地的勝利に留まり、敗れた場合は
戦略的敗北に直結する。いずれにしても武田に分のない戦いでつ。
そもそも武田氏の戦闘能力って、江戸時代初期の甲州崩れの軍学者の影響で
神格化されすぎているキライがある。
国内統治の中央集権化や、謀略の上手さでは周囲の勢力に対して一日の
長があったのは確かだけど、野外の大規模な遭遇戦では、わりと頻繁に
敗北を喫している。それも数的に劣勢な村上氏相手にね。
ターニングポイントでは、常に調略による敵勢力の内部分裂で状況を
打開する。越後・上杉氏との戦闘でも主力軍対峙の場面では守勢を基本と
して膠着状況を作り、調略と築城でジワジワと勢力を浸透させる。
山岳部族らしい堅実な戦い方でつ。ただし、戦国時代一般の中で、「精強」
であったかどうかは疑問。
戦国時代後期の代表的な野戦、山崎、賤ヶ岳、小牧・長久手あたりと
比べると、武田氏の合戦は、鉄砲という要素は除外しても、そもそもの
合戦の目的や方法論からしてマイナーリーグの域を出ないと思う。
ライバルの上杉や北条氏の方が、まだしもダイナミズムがある。
>>344 >まあマケドニアファランクスが対騎兵の物なのかだろうし
マケドニアのファランクスは、ほぼ「対騎兵」として発達したものでしょ。
マケドニアの主敵は、南方のイオニア系・ドーリア系ギリシア人よりも
北方のスキタイ系遊牧民族だからな。特にフィリッポス以前ではね。
同族内の戦闘でも、血族を中核とした騎兵集団相手の戦闘となる。
マケドニアがギリシアに対して優位に立てたのは、まず、中央集権による
軍の規模での優位、それに斜形陣の導入による戦闘力の集中と機動力を
活用した戦術、騎兵・弓兵・投石兵・重装歩兵を複合した編成。
それから、最新の科学技術を導入した攻城術。これらによる。
ファランクスが、ギリシアの重装歩兵に対して単純に優位であったから
ではないよ。
>>347 >馬鎧ってのは広く使われたの?
戦国時代の編成そのものが断片的な文献しかないのに、使用頻度まで
調べるのは、現段階では無理だろ。「馬の博物館」にも現物があるそうだ。
「騎乗突撃は無かった」論者は触れないが、太平記、川中島合戦屏風、
川角太平記等など、騎乗戦闘に触れた記述は多数ある。
さらに、最良の資料とされる「信長公記」で、長篠の戦を扱った記述の
中で騎乗突撃を描写した部分があるのに、これが軽視されているのは不思議。
「三番に西上野小幡一党、赤武者にて入れ替わり懸来る。関東衆馬上の
巧者にて、是又馬入れるべき行(てだて)にて推太鼓を打って懸かり来る」
(信長公記・第八巻:「歴史群像」10月号・検証「武田騎馬軍団不在説」)
・・・・・これを「下馬戦闘」の記述ととるかねぇ?
「騎乗突撃無かった→下馬戦闘主流」論者の中核資料は、「甲陽軍鑑」
「フロイス日本史」「三河物語」で、当時の風習を知るには貴重では
あるが、事実誤認多数であまり一級とは言えない資料が根拠。
戦場の実想を知らない人間、もしくは記憶があいまいなボケ老人が
書いた資料で、信長公記を覆そうというのは無謀ではないかな。
360 :
某研究者:2005/10/16(日) 17:09:34 ID:BVDt3Alp
>>360 「甫庵太閤記」?
話としては面白いんだが、資料的価値は低い。特に若年期のエピソード
はね。作者自身が公言しているからな。
「大田牛一の「信長公記」はエンターテイメント性が無い。もっと
ワシのようにフィクションを交えないと、物書きとしては失格
だ!」ってね。若年期のエピソードは、ほとんど甫庵の創作と
秀吉自身のホラ話に基づく。
ちなみに、秀吉の墨俣築城も、他の資料の裏づけがないから疑問視
されている。美濃攻略戦で偉功を上げて、侍大将クラスに出世したこと
自体は間違いないけどね。
長槍の「対歩兵」の効用としては、マケドニアとローマの対戦成績を
見れば十分だと思うがな。ほとんど一回も勝てず、滅亡まで追い込まれた。
緒戦は膠着するけど、接近戦に持ち込まれた段階でグラディウス
(スペイン剣)に切り刻まれて、一方的かつ凄まじい死傷者を出す。
ペルシアの弓兵・騎兵・戦車兵相手には不敗のファランクスも、
共和制末期のローマ歩兵に対しては、「凱旋式稼ぎ」の引き立て役。
>352
武田の目的は長篠城じゃないの?
武田としては織田、徳川の主力が出てくる前に、長篠を落とすのが目的。
織田、徳川としては長篠救援が目的。
武田が長篠を落とすのに手間取り、織田、徳川の主力が近づいたため、仕方がなく、
長篠包囲は別働隊に任せ、主力は織田、徳川の主力と対峙して長篠城を落とす時間稼ぎをする。
しかしながら、織田軍の別働隊が大きく迂回して、長篠城の包囲を打ち破り、さらに武田主力の背後に回りこむ。
そのため、武田としては退却する必要に追い込まれたわけだが、軍主力が対峙している中、その敵前で退却など
軍事的にもっとも困難。このため、武田としては、撤退前に攻撃し、織田、徳川軍の混乱を図ったが、
織田、徳川軍は有利な陣地にあり、混乱せず、攻撃は失敗。その後、武田の退却に対し、織田軍が追撃し
ほぼ武田軍は敗走状態になる・・・・・・。
武田の勝利の可能性は、主力が来る前に早く落とすこと。それが無理だったら、さっさと撤退すること。
これが、出来なかったのが、勝頼のミスというか、統制力の低下というか。まあ、戦う前に撤退つーのも、なかなか出来ん罠
364 :
某研究者:2005/10/17(月) 00:16:06 ID:rPHMr9Lc
まあ精鋭兵は兎も角短槍を持つ雑兵が
長槍の間合いの内側に踏み込む
勇気が何処迄有るのかだろうし
雑兵に対しては長槍は有効かも知れぬし
短槍でも精鋭兵に勝てないなら
雑兵は長槍で雑兵を牽制すると言う方向も有るだろうし
長槍を構えたとて雑兵が騎兵を阻止出来るかは
士気の問題で疑問も有るだろうし
精鋭兵なら剣や短槍でも騎兵を恐らく
阻止出来るだろうか
(まあシルトロンの兵は士気は高いが
技能が低かったので長槍での騎兵阻止が
必要だったのかも知れぬし
ヘースティングスでは盾で重装騎兵が
防がれていただろうか)
365 :
名無し三等兵:2005/10/17(月) 00:32:38 ID:2/gQ26Pv
ローマは短い槍でファランクスを敗ってますよ。短い槍は投げ槍に使用したりファランクスに投石機で攻撃したり油壷ぶん投げて崩壊させてますが…
367 :
某研究者:2005/10/17(月) 01:43:08 ID:rPHMr9Lc
>ローマは短い槍でファランクスを敗ってますよ。短い槍は投げ槍に使用したりファランクスに投石機で攻撃したり油壷ぶん投げて崩壊させてますが…
突入したのは剣と投げ槍を持つ精鋭歩兵だろうし
短槍を持つ雑兵では恐らく無いだろうか
>365
あれは武器というよりも、ローマの100隊長を中心とする柔軟な戦術が
マケドニアに優った気がする。
369 :
名無し三等兵:2005/10/17(月) 10:48:21 ID:2/gQ26Pv
その雑兵にローマは投げ槍、手槍、弓を装備させ散兵として使ってますよ。ちなみに散兵は投石も行ってます。それに優秀な指揮官が沢山いたことが勝利の要因でしょう。
南北戦争の話題もOK?
グラント将軍のポトマック軍や
リー将軍の北ヴァージニア軍の戦いはどれも凄い。
マサチューセッツ第54歩兵連隊とか伝説的な戦いも多い。
371 :
名無し三等兵:2005/10/19(水) 09:31:59 ID:AY/sjUJ9
なぜ単一兵科の比較だけで軍の優越を語りたがるのかわからない。
中途半端なPCゲームばかりやってるからか?
>371
語りやすいからねえ。
軍で一番求められるのは、指揮統制能力と兵站能力。この2点が敵軍よりも相対的に優っていれば、
決勝点に敵よりも多数の兵力を送り込める。
けど、指揮統制能力と兵站能力を語れって言われたって・・・・・無理
>372殿
戦争で一番地味な部分にして、最重要案件である兵站は、中世〜戦国期も
苦労したようですね。
いかに軍を集め、いかに紛争地域に送り込むか、食料、武器をどうするか、等。
中世〜戦国期は相次ぐ飢饉で恒常的に食料不足(要するに兵糧不足)であり、
兵糧の確保が難しかったようです。
戦国大名が軍隊を送る場合、食料の確保の方法としては、
1、各自持参、兵糧自弁
2、本拠地から送る(領域内での収穫物、買い付けた物、借米、等)
3、現地調達(現地で買い付ける、掠奪する)
4、前線基地(支城、及び同盟関係にある在地領主の城)の備蓄を使う
大きく分けてこれら4つの形態が、相互に補完しつつ行われると考えられます。
しかも、こられはまたそれぞれ規模の大小というものも含んでいます。
上級武士が自分の配下の下級武士・侍・雑兵の分を全て賄う形での“自弁”も、
侍や雑兵が自分で用意する“自弁”もあるし、買い付けにしても個人や武士とその
郎党レベルでの買い付けと、軍団としての大量の兵糧米の買い付け等が混在してたと
みるべきでしょう。
そのような中で、馬借や廻船業者などの商人がかなり力を持っていたようです。
このへんのことは、調べる(勉強する)と凄く面白そうですよね。
雑兵にまで自弁させてそれで頭数集まるのかね
現代でも賄いつきとそうでないアルバイトでどちらに人が集まるか
>>368 紀元前3世紀のエピロス王・ピュロスが侵攻してきたとき、ローマには
すでに百人隊はあった。さらに共和制華やかなりしころで百人隊長の
闘志も十分。投げ槍もサムニウム族との戦争以降、標準装備されていた。
それにも関わらず、ピュロスのファランクスに度々敗北した。何故だ?
スキピオ・アフリカヌスの改革で最も大きかったのは、両刃の
スペイン剣の採用と、それを活用した速攻戦術。
これ以降、ローマはヘレニズムの軍に対してワンサイド・ゲームを
演ずるようになる。
このころ、ローマの社会は、百人隊長の母体である中産階級の没落
が深刻化しはじめ、その質の低下が嘆かれるようになる。
さて、ローマ・レギオンのヘレニズム・ファランクスに対する最も
決定的な優位な要因は何だ?足し算と引き算で考よう。
>>372 大胆だねw。
このスレタイの年代で「シキトウセイノウリョク」ときたか?
「指揮」はともかく、この年代における「統制」って何だ?
具体的に説明してみろよ。
「指揮」にしても、20世紀の軍隊のように指揮系統自体、標準化
されたものではなく、命令を出したところで実行するとは限らない
のが近代以前の軍隊の実相。
「指揮能力」というよりも、兵士の戦いの動機、権力構造、宗教要素、
指揮官個人の資質を総合化したものが軍を動かしていた。
あえて命名するなら、「指導力」とでも言うべきではないか?
>>372 「兵站」もなぁ。
「軍の能力」というよりも「戦略的前提」だろ。
農業革命・産業革命以前では。
物質的に満たされ、「兵站」なる行為が両軍とも十分であれば
そもそも戦争自体、起きない場合がほとんどだろ。
食わんがために戦っていた連中の戦争に一番求められたのが
「兵站能力」ねぇ?
>>371 では、総合的な諸職種機能でこのスレタイにおける軍の優劣を
語ってみろよ。まぁ、フランス革命以降でないと無理だろ。
歩兵にせよ騎兵にせよ、古代〜中世では、兵科というよりも
社会的ステータス。その時代、時代をリードした社会層が
構成する主戦力が話題の中心になるのは当然ではないのか?
このスレタイで「兵科」なんて、語りだす香具師の方が、よほど
中途半端なPCゲームのやり過ぎだと思うね。
380 :
名無し三等兵:2005/10/21(金) 10:05:25 ID:ciapW9jm
>>377=388
能書きが多い割に何も語っていないw
お前が知らないからと言って誰もが知らない訳じゃない
>歩兵にせよ騎兵にせよ、古代〜中世では、兵科というよりも
>社会的ステータス。その時代、時代をリードした社会層が
>構成する主戦力が話題の中心になるのは当然ではないのか?
なんでもお前の都合のいいように一括りにされてもなw
>>375 >それにも関わらず、ピュロスのファランクスに度々敗北した。何故だ?
ピュロスの勝因は象の存在と騎兵戦力の差。もちろんピュロス自信の能力も大きいが。
ファランクス自体は何度かローマ軍の戦列を撃ち破っているが、
それと同じくらい反撃も受けている。
ヘラクレアではもうちょっとで崩壊しかかった。
>>375 アフリカヌス以降のローマ軍の変化でもう一つ大きいのが
騎兵戦力の増強と、以前からあった戦術教則を取り止め各部隊をより柔軟に運用するようになっている点だと思う。
例えばそれまで最終戦列のトリアリイは、戦況が(勝ち負けに関わらず)決定的な状況になるまで動かさない事になっていた。
>382
おれもピュロスの戦術的能力の高さと騎兵戦力を上げるな。
>376
命令を出したところで実行するとは限らない
それでは、古代〜近代における軍隊には命令とその命令を実行する軍隊は皆無だったかな?
もうすこし考えてみて
>>377 おまいの世界観は単純でよいなぁ
これもゆとり教育かw
386 :
名無し三等兵:2005/10/22(土) 21:42:59 ID:2RARg/qh
でも皮鎧も馬鹿にしたものでは無いと思う。
アイスクライミングにも対応できるクラスの重登山靴の堅さといったら。
387 :
某研究者:2005/10/23(日) 12:47:08 ID:9FHPgwwT
まあ可也切れ難いとは思うが
打撃を分散するのは無理だろうか
388 :
名無し三等兵:2005/10/23(日) 15:48:52 ID:8QqKeVDB
刀剣の斬撃はなんとか凌げそうだが槍や矢の刺突には無効そうなんだが
皮はお手入れが大変そう。
>389殿
これは日本の甲冑の場合ですが、
煮たり炙ったりした生皮をさらに叩いて硬く固めて造った練革に、さらに漆
をかけて固めたものを小札(鎧を構成する装甲板)として使用するので、
たいしたメンテナンスはいらなかったみたいですよ。
良く鍛えた練革は、重量のわりに結構な防御力を発揮したそうです。
391 :
某研究者:2005/10/27(木) 15:52:12 ID:8g42PQOG
http://www.k2.dion.ne.jp/~tactic/armada.html 直ぐにパルマ公が乗船していれば
停泊中に火焔攻撃を受ける事は無かったかも知れぬし
火焔攻撃でスペイン艦隊の陣形が崩れねば英艦隊も
此れを上陸前に阻止出来たのかだろうし
大陸のテルシオに英軍が果たして
勝てたのかは疑問も有るだろうか
(故にスペインがオランダを完全に支配しておれば
英はスペインの領土と成った可能性も
否定は出来ぬ訳だろうか)
或いは補給は1日以上掛かるなら
結局火焔攻撃を受けていたかも知れぬが
補給や援軍を乗せるタイミング次第では
英がスペイン軍の上陸を許した可能性と言うのは
無いのかだが
392 :
某研究者:2005/10/27(木) 15:53:42 ID:8g42PQOG
まあしかし焼き討ち船も攻撃して操船を不能とすれば
阻止は出来ただろうし
小型船等を利用して上手く操船を不能とする事は
出来なかったのかだが
後の専用の焼き討ち船のようにはいかんだろうけど、かなり最後まで乗員が操舵しつつ
火砲も撃ちつつ接近、ヤードを絡めて動けなくなったところで炎上だもんね。
この当時の急造の焼き討ち船でも阻止はそれなりに難しかったのでは?
394 :
某研究者:2005/10/27(木) 19:06:23 ID:8g42PQOG
焼き討ち船にそう沢山
兵員が居るのかだろうし
小型船でロープでも掛けて
襲撃すると言う訳には
行かなかったのかだが
マストを破壊しても潮流に乗って居ると言うから
乗員を始末するか舵を爆破でもしない限りは
阻止は無理だろうか
395 :
某研究者:2005/10/27(木) 19:46:46 ID:8g42PQOG
ドレイクも晩年は勝てなく成って居たし
この時点では焼き討ち船は阻止されて居た可能性も
有る訳だろうか
実際後年(といっても18〜9世紀)の焼き討ち船で戦果があったのは停泊中の艦隊とかだしね。
停泊してたという事実が重要でしょう。
実際燃え盛る船でも敵艦に接舷して四つ目鉤を引っ掛けてボートで逃げるなんてのも有ったようだし
意外と接触してから燃えて(で、燃えつつ砲を撃つのでなかなか近づけない)火薬なんかが爆発して
標的艦をしとめたみたいだしね。
この時代はどうやってたのかはわからんけどもね。
397 :
某研究者:2005/10/27(木) 21:41:45 ID:ZJfbwgLZ
最初英艦隊は無視してオランダに行き
パルマ公を乗せてから
英本土に上陸していたら
英はやられていた可能性も高いかも
知れないし
英蘭を排除して地中海・大西洋貿易をスペインが独占すれば
英に代わってスペインが世界帝国に成って居た
可能性も高いかも知れぬが
分裂等の要素は有り得た訳だろうか
398 :
某研究者:2005/10/28(金) 18:31:49 ID:A24Nptxm
まあスペイン艦隊の司令官が何故か素人だったと言う事も有るだろうし
人事次第では火焔攻撃に対処出来た可能性は
あるかも知れないが
399 :
某研究者:2005/10/28(金) 18:37:30 ID:A24Nptxm
400 :
某研究者:2005/10/28(金) 18:44:19 ID:A24Nptxm
無敵艦隊をレパントの時の指揮官に率いさせ
パルマ公にも大型の船を与えていればだろうし
英側から仕掛けて来た訳では無いのなら
此れ等の準備をする時間も
有った訳だろうか
401 :
某研究者:2005/10/28(金) 18:57:28 ID:A24Nptxm
まあしかしサンタクルス公でも
焼き討ち船の攻撃は阻止出来たのかだろうし
英艦隊を補給前に壊滅出来た可能性と言うのは
彼等の逃げ足が速い以上は
可能だったのかだが
402 :
某研究者:2005/10/28(金) 19:29:27 ID:A24Nptxm
http://kuni.milky-web.net/genkou29.html >スペイン側が当初英国艦隊が停泊するプリマスを攻める予定であった
>が、ぐずぐずしているうちに、敵は全鑑出航してしまった。
>そして深夜になって風下から襲撃してきた。
まあ仮に焼き討ち船が阻止出来ず
海上で英艦隊を殲滅出来ず共
この際に攻撃して居ればだろうが
サンタクルス公なら攻撃して居たのかだが
(英艦隊が攻撃を受けていたら
エリザベスの失態として
歴史に記録されて居た訳だろうが)
403 :
某研究者:2005/10/28(金) 19:55:04 ID:A24Nptxm
404 :
某研究者:2005/10/28(金) 19:56:51 ID:A24Nptxm
まあ矢張りサンタ・クルーズ公が
アルマダ海戦迄生きていたら
フェリペが無能であれ歴史は変わっていたと言う
事かも知れぬが
405 :
某研究者:2005/10/29(土) 10:32:22 ID:M8TGGxXN
http://www.gyao.jp/cinema/ 上の忍者武芸長に騎馬武者を乗せた馬より速く
走る忍者と言うのが出て来るが
此れは十分可能かも知れぬし
馬が鎧の無い人間を乗せた場合でも
同様かも知れないが
(まあ影丸が首と両手足を引っ張られて車裂されたと言う
場面も有るが
首迄引っ張ると言うのは余り
聞いた事は無いが)
406 :
某研究者:2005/10/29(土) 14:31:11 ID:cWzAFvGd
女忍者が触りもしない相手を
自分に塗った毒で倒していたが
自分を斬った刃の部分に毒が付いて
敵は此れに不用意に触れたと言う事かも知れぬが
服に毒を染み込ませて自分には触れない様に
して居たのだろうか
407 :
某研究者:2005/10/29(土) 17:02:52 ID:8H3MB77f
影丸の望み通り一揆軍が完全に勝利したとしても
次は内部対立が始まるだけかも知れぬし
宗教的な対立と言うのは多大な犠牲を
生み得たかも知れぬが
戦争で技術は進歩した可能性も
有る訳だろうか
408 :
某研究者:2005/10/29(土) 17:23:45 ID:8H3MB77f
409 :
某研究者:2005/10/29(土) 17:28:07 ID:8H3MB77f
410 :
某研究者:2005/10/29(土) 18:36:16 ID:3kwyzDVX
忍者武芸帳も鎖を装備した腕が切断される等と言う
場面も有っただろうし
此れはどうなのかだが
鎖等は
忍者は機動性を第一に重視するなら
実際には何処迄着たのかだが
矢張り偵察時は着ないかも知れぬが
襲撃時・護衛時には装備した例も
有った訳だろうか
411 :
少佐:2005/10/29(土) 18:43:29 ID:ZXWNS6wK
古代から近代までにおける兵士はその体力、気力、技などが今から見れば
超人であったとしか言いようがない。
412 :
少佐:2005/10/29(土) 18:45:57 ID:ZXWNS6wK
考えて欲しい。
古代ローマの兵士は盾、槍、短剣が武器なのだが、これで槍、弓矢、投石
の雨の中を突撃し、刀槍が折れるまで戦い、最後は石ころや素手で戦った
のである。
まさに「ターザン」であったとしか言いようがないではないか!
413 :
少佐:2005/10/29(土) 18:47:53 ID:ZXWNS6wK
ナポレオン時代の騎兵隊にしても、馬に乗って槍、サーベルを構えて、
鉄砲、大砲、手投げ弾、槍、銃剣、サーベルの雨と山に突撃チャージ
をしていたのである。
まさに生存確率1%の超人ではないか!
414 :
少佐:2005/10/29(土) 18:51:29 ID:ZXWNS6wK
第一次大戦の兵士になると、大砲、銃剣ライフル、拳銃、手投げ弾、機関銃
が待ち構える敵の塹壕に拳銃、銃剣、手投げ弾、サーベル、棍棒、スコップ
、刺殺ナイフで突撃したのである!
大砲、重機関銃にスコップや棍棒で戦いを挑む!
まさに映画ランボーそのものではないか!
415 :
少佐:2005/10/29(土) 18:55:06 ID:ZXWNS6wK
戦国時代の武士にしても、重たい鎧兜を着て、棍棒、槍、長刀、刀、小刀、
肉体、石ころ、弓矢、火縄銃などで戦ったのだから、これまたほとんど
その行為そのものが超人である。
火縄銃などはクソ重く、反動、火炎、煙、音も凄まじいように思うが、それで当ててたのだから
凄い職人芸だろう。
416 :
某研究者:2005/10/29(土) 19:10:28 ID:3kwyzDVX
417 :
少佐:2005/10/29(土) 19:14:28 ID:ZXWNS6wK
>>416 電車も何も無かった時代に歩いたり、走って移動というその時点で
凄まじい体力闘魂としか言いようがないだろう。
有名な豊臣秀吉の広島から大阪まで走って帰った話を見て欲しい。
今のような道路すら無く、靴は草鞋だった時代の話だぞ。
418 :
少佐:2005/10/29(土) 19:17:32 ID:ZXWNS6wK
太平洋戦争の話でも船が沈没したので、ふんどし一丁で24時間以上
泳ぎ捲り、ようやく島や仲間の船に辿り付いたという話はいくらでもある。
もう河童人間、半漁人じゃないのかと言いたい。
東南アジアのジャングルで薬も何も無く20年生き延びた小野田さんにしても
超人そのものじゃないか。
どうして赤痢やコレラで死ななかったのかという話だよ。
419 :
某研究者:2005/10/29(土) 19:20:36 ID:3kwyzDVX
子供の頃から重労働をして尚且つ
衛生状態の悪い環境で生き残って来た様な
人間の集まりであるなら
其の程度の事は可能と言う事かも
知れないが
420 :
少佐:2005/10/29(土) 19:28:50 ID:ZXWNS6wK
>>419 今から見れば衛生状態最悪、医学ゼロ、栄養失調みたいな環境で死なずに
育ってる人間はそれだけで超人だと言える。
赤痢、コレラなどに打ち勝つ免疫力がある訳だからね。
さらに槍、日本刀、体術などがそこそこ使えるなら、ある意味で最強兵士だろう。
421 :
少佐:2005/10/29(土) 19:36:00 ID:ZXWNS6wK
戦国時代でも相手はそれなりの鎧兜を着ていたのだろう。
その鎧兜の隙間、防御が弱い部分を絶妙なタイミングで電光石火で
槍、長刀、刀で攻撃するのはかなりの熟達した技、気力体力が必要
だったはずだ。
少なくとも裸の人間を切ったり、刺すのとは訳が違うだろう。
だいたい気力体力が無かったら、鎧兜を着て、槍を持って走る時点で体力
が尽き果てて倒れるではないか。
しかも相手だって槍、長刀、棍棒、刀、体術などを身に付けてる。
そこで戦って生き延びた人はあんたは偉いとしか言いようがないぞ。
422 :
少佐:2005/10/29(土) 19:40:06 ID:ZXWNS6wK
戦国時代には手裏剣も広く使われていたようだが、これだって達人になれば
10メートルくらいは狙って撃てるのだろうし、刺されば痛いし、障害者
にもなるだろう。
刺さる場所によっては死んでしまう。
マジで正確に10メートルくらい精密射撃ができ、おまけにスパスパ連射
してくる奴がいたとしたら、銃声こそしないが、リボルバーを撃たれまくる
ようなものなのではないか?
なんだこの展開は。
424 :
某研究者:2005/10/29(土) 20:28:44 ID:3kwyzDVX
まあ完全鎧等は西欧でも一部の兵だけだろうし
雑兵の鎧の無い部分を狙うのは容易かも知れぬし
雑兵等何処の国も皮や綿の部分鎧と鉄兜・
或いは鎧は何も無いと言う事が多いだろうか
425 :
少佐:2005/10/29(土) 20:38:25 ID:ZXWNS6wK
>>424 君は容易とか言うが、たかが日本刀でもかなり重いぞ。
槍、長刀、棍棒、斧なんかになるとさらに重い。
これで長時間の白兵戦をやるのは間違い無く気力体力が猛烈に必要だぞ。
それに勢い、技術、技、強運悪運などが無ければ弓矢、投石が当たって
その時点で激痛、恐怖の中で死亡だよ。
敵の日本刀にしても刺されば激痛だし、切られれば血が吹き出る。
上手くズバッと切られたら、腕でも骨ごと叩ききられるだろう。
現在の相撲、柔道、合気道なんかのルーツである昔の体術なんかでもまとも
に食らえば骨が折れ、激痛、失神、絶命だろう。
これは現在の総合格闘技のプライド、K-1を見れば明らかだろう。
それで戦って生きた奴はスーパーマンじゃないかと思うぞ。
426 :
某研究者:2005/10/29(土) 21:11:00 ID:3kwyzDVX
まあ日本刀も槍も突き主体で使えば
体力も消耗せぬだろうし
雑兵は鎧も10kg以下ならだろうが
正規の兵は槍は叩いて使用して居ただろうか
・゚・(つД`)・゚・
428 :
名無し三等兵:2005/10/30(日) 12:29:01 ID:UfkGC9E0
某研究者に少佐。
これこそ古き良き軍事板です。
16世紀の海戦ってさ、旗艦が相手の旗艦にくっついて攻撃するじゃん?
で、狙撃手に艦隊長やられたりしてるじゃん。
それより戦列艦やらフリゲート艦前に出しといて相手の旗艦攻撃して、
こっちの旗艦はひっこめといた方がよくね?
>429
バカ丸出しの見え見えの釣りはやめて頂こうか
この時代、旗艦が戦列の先頭に立たなくてどうやって指揮を執る?と釣られて見る
ここにもゆとり教育の影響が‥‥
432 :
某研究者:2005/10/31(月) 02:09:59 ID:hrdBt3tT
まあしかしトラファルガーの時は
仏の旗艦は縦隊の中央に居た筈だが
レパントの時は横隊の正面中央だっただろうか
433 :
名無し三等兵:2005/10/31(月) 03:29:14 ID:Pk9diP9O
刀剣を突き技のみでやるとしても刺してから抜く時に結構力を使う。
434 :
某研究者:2005/10/31(月) 11:04:13 ID:GWHc5vkm
まあ滅多に刺さらないだろうし
余り問題は無いかも
知れないし
浅い傷を多数付けて動きが鈍った所に
止めを刺すと言うパターンが
雑魚同士の戦いでは多いのかも
知れないが
435 :
少佐:2005/10/31(月) 11:19:13 ID:vfkrDuM7
刺すのは簡単とか書いてるが、槍や刀を降りまわす相手の心臓を
一突きにするのはそう簡単じゃないだろう。
一突きしたが、こちらも血まみれという事態も有り得るからだ。
436 :
少佐:2005/10/31(月) 11:23:08 ID:vfkrDuM7
近世ヨーロッパの騎士なんかはほとんどアルマジロサイボーグのように
全身を鉄の鎧で包み、トゲトゲの棍棒とか持っているのだが、あれとは
白兵戦をやりたくないと誰もが感じるだろう。
また昔のタイの兵士などは盾と刀を持ったうえにムエタイまで使って
戦ったとか言われるが、彼等の膝蹴りやキックは本当に痛そうなので
これも戦いたくない相手であろう。
437 :
少佐:2005/10/31(月) 11:27:09 ID:vfkrDuM7
結論として白兵戦もまた壮絶なる戦いであり、物凄い気力体力、技、強運
悪運を必要とするし、激痛、苦痛、恐怖は言語を絶する。
原爆で焼き殺されるのも、槍で突き殺されるのもそこに恐怖、絶望、激痛、
疲労、死があることには変わりはないだろう。
438 :
少佐:2005/10/31(月) 11:32:07 ID:vfkrDuM7
私の意見としてはただ突くだけの刀ならヨーロッパのレイピアとかいう
針みたいな剣が合理的だと思うし、切るのはアラブの曲刀や中国の蛮刀
が合理的だと思うぞ。
日本刀は先っぽで切ったり、突くにはいいかも知れないが、それ以外では
不便な形のように思うぞ。
切るなら長刀だろうし、突くなら槍がどう見ても便利な形じゃないか?
439 :
某研究者:2005/10/31(月) 11:54:01 ID:GWHc5vkm
まあ浅く突いて相手の動きが鈍った所で
止めを刺すと言う方向だろうし
雑兵は胴体や頭部は兎も角
手足に装甲は無いだろうから
此処を狙えば良い訳だろうか
まあ実戦では剣は余り使われて居ないだろうし
槍の性能を論じた方が良いのかも知れぬが
ハルバード等の重い槍は雑兵相手には
無用かも知れないし
槍でも殴れば可也ダメージを与えられると聞いたが
欧州にはツヴァイハンダーやバスタードソード等の剣を使う
精鋭兵も結構居た訳だろうが
彼等は槍に果たして
勝てたのかだが
ローマレギオンは剣で槍に
勝利して居ただろうか
(精鋭なら3/4鎧程度は装備しているかも知れぬし
剣でも槍兵に勝てる可能性は有るかも知れないが
槍兵に装甲を施すのと何れが強いのかだが
槍も間合いの内側に入られれば
脆いと言う事は無いのかだろうが
雑兵は長槍の間合いの内側に入る勇気は
無い訳だろうか)
440 :
某研究者:2005/10/31(月) 12:04:21 ID:GWHc5vkm
http://www1.kcn.ne.jp/~a7627/VHv2/koneta33.htm 上のトラファルガーの時の
ネルソンタッチと言う戦術が良く分からないのだが
仏艦隊も側面からの攻撃は予期していたと言うが
何故阻止出来無かったのかだが
大砲では勝てないのでマストに狙撃兵を多数置いていたと言うが
此れでは不十分だった訳だろうか
(ネルソンも銃撃を受けてから3時間指揮を取っていたと言うが
即死或いはもう少し速く銃撃を受けて死んで居たら
戦況は変わって居たと言う事は無いのかだが)
441 :
某研究者:2005/10/31(月) 12:07:20 ID:GWHc5vkm
まあしかし英艦隊の側面からの分断に対して
此れを阻止する為に縦隊の正面を向けると言う事は
出来なかったのかだが
英艦隊は2列の縦隊だっただろうし
1列縦隊の正面を敵正面に向けても
包囲されて撃破されて居た可能性も有るのかも知れないが
仏側も縦隊を2列に分けて居たらどうだったのだろうか
(まあ英の予備の部隊にやられて居たと言う可能性も有るかも知れぬし
仏側も予備の艦隊を用意する必要は
有ったかも知れないが)
少佐=剖検・・・・とかいうのも虚しいな
443 :
某研究者:2005/10/31(月) 13:16:36 ID:GWHc5vkm
444 :
名無し三等兵:2005/10/31(月) 13:53:46 ID:qHEP9WQA
フランスは繰艦技術が劣悪で団子のように混乱した体形でした。横腹を突かれた遅鈍な仏艦隊は一方的に砲撃をうけ次いで英国兵が船に飛び移り白兵戦を挑み。指揮官が降伏…副将は船ごと捕縛…こんな感じです。納得できましたか?
445 :
某研究者:2005/10/31(月) 15:15:32 ID:GWHc5vkm
横腹を突かれたのは英艦隊から逃げようとした故も
有るかも知れぬし
正面から両者が激突し且つ
ネルソンが早期に狙撃された場合は
どう成って居ただろうか
>430
後ろから指揮とればいいじゃん。横列のときは、
● ○ ● ○ ● (●=戦列艦、○=フリゲート艦、◎=旗艦)
○ ● ◎ ● ○
∧
ススメー
前の列の艦は、連絡将校が後ろ向いて乗ってりゃいい。
448 :
某研究者:2005/10/31(月) 22:39:46 ID:iwiNWdpy
まあ実際に其の様な指揮が
成されたのかだろうし
前方の旗艦に集中砲火を浴びればだろうし
トラファルガーの時に逃げた仏艦隊も
直ぐに横隊に切り替えられる様な隊形を取っていたから
縦隊の中央に旗艦が居たと言う事かも知れぬが
449 :
名無し三等兵:2005/11/01(火) 02:20:35 ID:sCYSQuQh
確かに後ろから指揮するのは良いな。スペイン艦隊の巨艦が問題…こいつらに艦隊運動を合わせなくちゃだから、どうあがいても横腹を突かれる。これが致命的→当時の大砲の射程が短いし威力もショボいから、日本海海戦のようにはいかない。…この説明でわかるかな(汗)
450 :
名無し三等兵:2005/11/01(火) 02:34:49 ID:sCYSQuQh
イギリスは大砲の発射間隔半分以下、点火装置も最先端で命中率高い。砲撃戦でもフランス連合艦隊不利かと。ただスペインのサンティシマは世界最大の巨艦、大砲数を考えると確かに良い勝負。
実際Rear-Admiralは後ろにいるからできたというか、そういう名前の由来があるわけで
452 :
某研究者:2005/11/01(火) 13:04:35 ID:XVNaTSHZ
まあ最初から逃げる気ならスペインの艦艇等
連れて来るべきでは
無かったかも知れないが
453 :
某研究者:2005/11/01(火) 16:49:24 ID:XVNaTSHZ
http://www.tabiken.com/history/doc/N/N143R200.HTM >フランス・スペイン側は,戦闘に参加した33隻のうち15隻を残すのみとなり,
7,000人が死傷し捕虜となった。しかも,当日夜の暴風雨のために,捕獲された数隻の艦船が難破し,
犠牲者数もさらに増加した。これに対してイギリス側は,戦死したネルソン提督も含めて約3,000人の死傷者を数えたものの,
沈没した艦船は1隻もなかった。
英も艦艇は兎も角人員は結構
やられていた訳だろうし
大陸封鎖に反発したロシアを叩くより
あれだけの物量が有るなら大艦隊を作って英を叩いた方が
未だ良かったのかも知れないが
60万のロシア侵攻軍が最後には
5000人程度に成っていた訳だろうし
英を攻略した場合は此処迄の死者は
出たのかだが
仏も兵が30万程度に成った時点でロシアから
撤退すると言う手も有ったのかも知れぬが
(撤退しても本国でロシアや英を迎え撃つなら勝算は十分
有った訳だろうし
彼等が油断して攻めて来るなら寧ろ
好都合だったかも知れないが)
ナポレオンは未だ勝算が有ると考えて居たのだろうか
454 :
某研究者:2005/11/01(火) 16:50:06 ID:XVNaTSHZ
>大陸封鎖に反発したロシアを叩くより
まあ大陸封鎖に反発したロシアを
無視して英を攻撃する訳にも行かないかも知れぬが
トラファルガー後にも英への攻撃を諦めずに
続けていれば
仮にロシアが大陸封鎖に反発したとしても
先ず英を落としてからロシアを叩こうと言う事には
成ったかも知れぬし
英が落ちればロシアも講和を申し出るしか
無かったかも知れぬし
ロシアと仏が激突する事も無く
仏軍は消耗しなかった可能性も有る訳だろうか
>トラファルガー後にも英への攻撃を諦めずに
>続けていれば
まあ英の装備や兵士は優秀だが
訓練に時間が掛かるかも知れぬし
生産コストも高い訳なら
仏が物量での艦隊攻撃を続ければ
何れは屈服して居た可能性も有るだろうし
矢張り60万の損害等が果たして
出たのかだが
英での地上戦を含めれば10−20万程度はやられた可能性も
有る訳だろうか
あと、基本的にRoyalNavyは砲弾を船体に向けるのに対して、フランスは基本的に索具を狙うてぇ
のもあるな。
というか何故未だに疑問形ばかり使うのだろうか?
456 :
某研究者:2005/11/01(火) 20:29:56 ID:8V4vapQj
まあ逃げるのが目的なら索具を狙う方が早いのかも知れぬが
英側も索具を狙って砲撃して来たら
移動不能と成った後は砲撃で一方的にやられる危険も有っただろうし
仏はガレー船に大砲を積んで英艦の索具を狙うと言う方向も
有ったのかも知れぬが
アルマダ海戦からスペインや仏の戦術は
変わっていなかったのかも知れぬが
エジプトで停泊中の仏艦隊が英にやられたのは
焼き討ち船に拠ってでは無いかも知れぬが
仏は英艦隊に勝てないので港に篭ったのかも知れぬが
地上からの砲撃等を利用しても英艦には
勝てなかったのかだが
457 :
某研究者:2005/11/01(火) 20:38:33 ID:8V4vapQj
アルマダ海戦で英艦隊に船体を砲撃されて
やられた教訓と言うのは
スペイン艦隊は生かせなかったと言う
事なのだろうか
世界最古からの最強武器、
それこそナイフ(刃物)だ!!
!!!!!!!!!!!!!!!!!!
空気よまずに書き込んでしまった!!
索具への攻撃の主眼は逃走ではなく、敵の移動力を奪うと同時に、(葡萄弾やら棒弾だので粉々
にされたヤードやらマストの)破片で敵の兵員の戦闘力を奪い、斬り込みをしやすくする方だと
思うぞ。
それから陸軍は概ね12pdだが、5等級以上の船なら18pdだの32pdなんて化け物も積んでる。
ただ、陸上の要塞(こういうのは港湾を見渡せる場所にある)に砲があると、焼いた砲弾を打ち込む
なんて怖い事もできる(これが当たれば当然火災。木造帆船では致命的な事もよくある)。
460 :
某研究者:2005/11/02(水) 13:37:00 ID:SU6aXo6/
まあ要塞で無く共地上からの砲撃でも
焼き弾は使えるだろうし
英を港湾施設に引き摺り込んで
地上からの焼き弾攻撃で殲滅すると言う
方向も有ったのかも知れないが
エジプトでは停泊中の仏艦隊が
英軍にやられていただろうが
最初から碇を上げて待機していれば
焼き討ち船は回避出来るかも知れぬし
焼き弾で燃やせば良い訳だろうし
通常艦艇も同様だろうか
シャープスカービンのカービンリングってあるけどどうやってスリングかますんだろ?
デニックスのシャープスをスペンサーと間違えちゃってなんとかシャープスをすきになろうと努力してるんだがこの銃の武勇伝なんかあるのかね?
聞いてばっかりもあれなんで。このまえ据え物切りで巻藁切ったんだが刃筋たてそこねるだけでぜんぜん切れないのな。腕くらいの太さの巻き藁だったんだが
462 :
名無し三等兵:2005/11/12(土) 01:59:34 ID:o7jtUezB
間違えて買っちゃって、だ
463 :
某研究者:2005/11/17(木) 14:48:48 ID:nTBnrSiv
>>463 ボディビルダーのような分厚い筋肉は、素早く動くのに不適当だ
465 :
某研究者:2005/11/17(木) 15:12:24 ID:nTBnrSiv
女が男より素早い訳でも無いだろうし
体脂肪率はスポーツマンでは男女差は無い訳だろうし
一番スピードが速く成る
適度な体格と筋肉量と言うのが
矢張り有る訳だろうか
466 :
少佐:2005/11/17(木) 16:22:10 ID:+SEvmVZ8
接近戦では中世の武士だろうが、古代のローマ軍だろうがまったくバカにできない。
弓矢、ボウガン、手裏剣、投石、円盤、投槍みたいな飛び道具も出てくるし、
槍、長刀、棍棒、刀なども白兵戦では威力を発揮するだろう。
ロボットみたいな中世の騎士の鎧も白兵戦ならば脅威だ。
また当時の人々の根性体力、武術、死生観なんかも白兵戦では脅威だ。
467 :
少佐:2005/11/17(木) 16:27:07 ID:+SEvmVZ8
ムエタイ、相撲、空手、気功、合気道、柔道、レスリングみたいな昔
から伝わる武術でも白兵戦では全然バカにできないだろ?
さらにそれで日本刀の腕があって真剣持ってたら馬鹿にできないぞオイ。
>8000万以上の人間が死んだと言う事に
年度によって死んだ奴隷の数は違うだろうし
毎年必ず10万人以上死んだとは言えないのでは。
>実際の剣闘士はフィギュアの様に筋肉質では
>無かったと言う事なのだろうか
>ボディビルダーのような分厚い筋肉は、素早く動くのに不適当だ
西洋の甲冑を見るに、中世当時の人間はこれを着て戦うには
ボディビルダーとはいかなくともK−1選手並みに鍛えていたらしい、
という記述をどこかで見た。
まあ騎兵と歩兵とでは甲冑の重さに差はあるから
どんなに鍛えても殆ど動けないくらい重い鎧は
絶対無理だったのだろうし。
脂肪をつけたと云っても相撲取りの様に霜降り状だったのかもしれないだろうかだし
>>461 >なんとかシャープスをすきになろうと努力してるんだがこの銃の武勇伝なんかあるのかね?
遅いけどレスしてみます。
確かアメリカフロンティア時代にハンクパパ・スー族の酋長が愛用していた銃だと記憶してます。
アンチフロンティアスピリット!
ドーピングもなにもなくビルダー並とか無理不可能
473 :
某研究者:2005/12/02(金) 10:32:52 ID:IY/kO9BP
完全鎧の肩や腰の部分の装甲は
細かく分かれて居るだろうし
この部分を攻撃されると
衝撃を分散出来ず脆いかも知れぬが
(まあ首の部分の装甲が細分されて居る物も
有っただろうか)
474 :
某研究者:2005/12/02(金) 20:44:45 ID:Gg9uNOK0
大鎧も20mで弓で貫かれると言うが
モンゴル軍の弓やクロスボウでは
更に遠距離からやられたかも知れぬが
モンゴル兵は装甲が余り無いので
更に遠距離から撃破されたと言う
事かも知れぬが
475 :
某研究者:2005/12/02(金) 20:50:23 ID:Gg9uNOK0
モンゴル軍は揺れている船上から弓を放ったから
日本に負けた等と言うが
揺れて居る船の兵に当てる事は
簡単なのかだろうし
狙いが付けられる程近距離で
果たして射撃戦をして居たのかだが
476 :
某研究者:2005/12/02(金) 20:55:45 ID:Gg9uNOK0
>この部分を攻撃されると
>衝撃を分散出来ず脆いかも知れぬが
まあ骨の露出する手首や脛の部分等も
脆いかも知れぬし
脛の部分はギャンベゾン(綿入れ)は入って
居ないかも知れないが
剣闘士の食事は意外なことに菜食中心だったって
ローマはもともと菜食中心じゃなかったか?
まあ剣闘士は肉食中心のガリアやゲルマン人が多かったかもしらんけど
478 :
某研究者:2005/12/21(水) 09:48:46 ID:Yetxgqqn
古代ローマの主食は麦。
ナポレオンの時代でさえ、庶民は毎日2Kg近くのパンを食べていた。
これは、麦は米と違って、炭水化物以外の栄養素が多いため。
あとは大豆など、豆を煮たスープに、牛乳やチーズなど。
480 :
某研究者:2005/12/22(木) 12:17:17 ID:ufaorEhO
まあ芋だけ食べている様な種族も
蛋白質が体内で製造されると言うし
鍛えれば蛋白質の少ない日本食でも
筋肉は付いた可能性は
有る訳だろうか
米と大麦2:1の五合六勺の場合、大麦でかなり改善されて蛋白質が30g超える。
だが一日の蛋白質所要量を70gとすると40g不足するから蛋白質を補う副食が必要。
小麦粉の蛋白質含量を12%とすると600g程度で一日の所要量を満たす計算になる。
482 :
某研究者:2005/12/23(金) 04:41:23 ID:3DZEjfXp
アミノ酸スコア等の問題も有るだろうし
小麦の場合は吸収されるのは4割程度だろうし
矢張り肉や大豆を食べない限り
体内で製造している分が
多い訳だろうか
緊急事態につき保守
最下層から緊急浮上
486 :
名無し三等兵:2006/01/21(土) 03:13:43 ID:iyxWQm8B
今ガリア戦記読んでるんだけど
カエサルの副将ラビエヌスってカエサル越えてね?
487 :
名無し三等兵:2006/01/21(土) 16:27:56 ID:nIaEJaAu
近世フランス軍の赤い派手な軍服の名称を知ってる人はいませんか?
>>486 YES。 だから、ファルサロスでカエサルかこいつに勝ったのは嘘です。
実はポンペイウスが以降カエサルを名乗っているのです。
489 :
名無し三等兵:2006/01/21(土) 20:57:56 ID:bzYE6Itl
まあ実際カエサル隷下で最強といわれた第十軍団はラビエーヌスが育てたようなもんだし
>>468 ガリアでの活躍を見れば確かにそういえるかもな
カエサルもおそらく「それでもラビエヌスなら…ラビエヌスならきっと何かしてくれる」
って思っていただろうし。
越えてているとするとファルサロス・タブソス・ムンダのどっかでカエサルを討ち果たしている筈だな。
ポンペイウス派は兵が素人・寄せ集めだったり諸侯の権限が曖昧だったりしたけどな
>487
パンタロンルージュ?
保守
493 :
名無し三等兵:2006/02/05(日) 20:48:31 ID:ieQZQU9g
手砲の撃ち方教えてくり。
>479
大豆は欧州では栽培できない
495 :
名無し三等兵:2006/02/16(木) 18:10:35 ID:dl/0OWTl
幕末で使われてたんだっけ?>スペンサー銃
497 :
名無し三等兵:2006/02/24(金) 18:00:46 ID:d93uTgyc
全く話がかわってすまないんだけど
スペインの軽装騎兵ヒネーテやヴェネチアのストラディオットが使った
投げ槍がそれぞれどのくらいの長さだったかご存知の方いませんか?
突き槍としても用いたらしいからそれなりの長さだと思うんだけど
499 :
497:2006/02/24(金) 23:05:50 ID:???
>498
おお、ありがとう。150cm弱とは思ったより短いな。
ストラディオットの槍はフランス語のwikiでは3mに達すると書いてあったが、
投げて使ったとは書いてないみたいだ。突き槍と投げ槍は別物だったのだろうか。
そいや、警察の機動隊の戦術がファランクスだって聞いた話があるけど、
それについて詳しく載ってる本か何か無いかな
似た装備である大盾を実際に使っているから、運用の仕方が
似ているだけじゃないかと思う。
機動隊の相手の装備は(今のところ)機動隊より劣っているわけで、
同等の殺傷力を持った相手と殺しあっていたファランクスとは
戦術、技術ともに違っていて当然だろう。
だいたい機動隊は長槍をもっていない はずだ
ファランクスについては歴史関連の本に記述があるんじゃなかろうか?
>>501 うーんやっぱそんな感じか。
何か参考にしたのかなーとか思ったんだけど。
とりあえず歴史本漁るか。
503 :
名無し三等兵:2006/02/26(日) 23:42:25 ID:hyVMIlnA
ファランクスは相手が重火器もって居ると危険極まりないよな。
爆弾投げ込まれたら即アウトだな。
504 :
名無し三等兵:2006/02/27(月) 07:00:58 ID:BkdrLPoi
機動隊がファランクスだとすると、市街地だと側面からの奇襲にめっぽう弱いな。
現代では側面、背後を守ってくれる騎兵がいない、
珍やDQNも歴史を覚えていたら、機動隊に対抗できただろうが
やつらがそんな本を読むことなんて万に一つも無いから、現代でもファランクスが有効なんだろうな。
ってことは珍やDQNのレベルは古代人より低いことになる。
>>504 ファランクスつってもマケドニアファランクスじゃなくてギリシアファランクスじゃね?
>>504 後詰めの部隊や機動力のある警備車輛もいるので、いわゆるファランクスとはいえないかと。
装備からするとローマのレギオンかと思われ
>>504 殉職者の出た東峰十字路事件のケースだと草むらに潜んで包囲&分断してたこ殴りだそうだ。
機動隊をカモるなんて、もうセミプロ軍隊ですわ。
510 :
名無し三等兵:2006/03/04(土) 20:01:19 ID:ujno0uu6
512 :
少佐:2006/03/04(土) 23:42:56 ID:SYCvvLzp
古代ローマ軍は投石器や大型の石弓、ボウガンも使ったとされるし、
原始的な毒ガスや火炎放射器も使ったとされる。
本当か嘘か知らないが、古代エジプトでは巨大なレンズを使って
敵の船を焼いたなんて話もある。
なにも刀や槍だけで戦ってた訳じゃない。
513 :
少佐:2006/03/04(土) 23:47:14 ID:SYCvvLzp
古代では象も兵器として使われている。
威嚇効果もあるし、最終的に象が死ぬとしても、象が死ぬまで
突撃したらそりゃ敵陣をかなり切り崩せるだろう。
少々の柵、門、櫓なんかも体当たりで壊せるだろうしね。
ヨーロッパの小麦収穫効率がローマ時代に並んだのは、19世紀。
偉大なりローマ。
木村尚三郎教授も13世紀頃のフランスの麦作の効率の悪さを述べていたな。
小麦か大麦か忘れたが、種麦1に対し収穫が0.9。播いただけも収穫できないw
こういう年がしばしばあったとか。非常に不安定だったらしい。
墓地を発掘して調べてみたら、平均寿命は30才ちょっと。
中世における抗争や戦争、政治がしばしば激情的で極端だったのは、
社会の担い手が20代の若者中心だった為ではとのこと。
連作不可ってのも痛い。
麦は米に比べると栄養価高いんだけどねー
519 :
某研究者:2006/03/12(日) 19:34:21 ID:qWJNRPih
520 :
某研究者:2006/03/12(日) 19:45:45 ID:qWJNRPih
521 :
某研究者:2006/03/12(日) 19:51:48 ID:qWJNRPih
>スウェーデン式大隊は、槍兵方陣の後方に銃兵方陣を置き、さらに後方に予備の銃兵方陣を置くというものである。三列目の銃兵は、いつでも両翼の支援に回ることができ、より効率的な火力の発揮が可能となった。
まあしかし銃兵が後方に下がった理由と言うのが
良く分からないのだが
敵の片翼のみに銃撃を集中させ
崩壊させる事等も
可能だった訳だろうか
>また、グスタフ・アドルフは背面行進以上に攻撃的な、漸進斉射戦術と呼ばれる戦術を編み出した。まず、前
カール12世等は装填等考えず
至近距離で一斉に射撃して突入と言う様な
方向だっただろうか
522 :
某研究者:2006/03/12(日) 20:06:22 ID:qWJNRPih
通常両翼に配置されて居る騎兵を
片側だけに配置して敵騎兵を各個撃破したと言う戦術が
何処かに有っただろうが
此れはアレクサンダー辺りが使った戦術だっただろうか
523 :
某研究者:2006/03/12(日) 20:14:23 ID:qWJNRPih
524 :
名無し三等兵:2006/03/12(日) 20:15:20 ID:riM/0L9L
なんとなくスレ開いたら
某研究者ここにもいるのかよ!
>銃兵が後方に下がった理由
オランダ式大隊の二つのタイプを一つの大隊でやろうとしたんじゃないかな
後方といっても区分のはなしで 前の銃兵・固定式 後ろの銃兵・左右に可動
程度の意味ではないかと根拠無く言ってみる。
本当に後方に下がったら射程に問題がありそうだし
526 :
某研究者:2006/03/14(火) 23:19:13 ID:zkyxl32y
527 :
某研究者:2006/03/14(火) 23:24:43 ID:zkyxl32y
>プロイセンは苦しい状況に立たされる。ここで大王は巧みな内戦作戦を実施。11月5日のロスバッハの戦いで名高い斜行戦術を駆使してフランス軍に勝利し、200km以上を機動して、12月5日のロイテンの戦いでも斜行戦術により優勢なオーストリア軍を撃破した。
内戦作戦と言うのは確か
自身を包囲して来る分散して居る敵を
少数の兵力で足止めしつつ
残りの兵力で各個撃破すると言う事だっただろうが
此れは足止めが失敗したり
敵の各個撃破に時間が掛かれば
包囲殲滅される訳だろうし
中々難しい事で有る訳だろうか
528 :
某研究者:2006/03/14(火) 23:40:51 ID:zkyxl32y
>1762年1月にロシアのエリザヴェータ女帝が急死。後を継いだピョートル3世はフリードリヒ大王の信奉者であったため、
>プロイセンとの戦争を中止した。
まあしかしピョートル三世は何故
フリードリヒを信奉して居たのかだが
プロイセンの工作の所為と言う事では
無いのかだが
529 :
某研究者:2006/03/15(水) 00:28:25 ID:jj+1VA+L
530 :
某研究者:2006/03/15(水) 06:39:56 ID:nyd5ux91
http://www.f5.dion.ne.jp/~mirage/hypams04/friedrich2.html >。大王が即位した1740年に著した「反マキャベリ論」権謀術策の政策侵略・戦争を痛烈に批判して
>いる。本来軍国主義を忌み嫌った大王がオーストリア継承戦争と七年戦争を起こした要因には、プロイセン建国
>過程におけるハプスブルク家がシュレージエンの一部をプロイセンに帰属させる約束を破った事、七年戦争では
>シュレージエン防衛のための国土防衛戦争で、大王は決して侵略戦争は行わなかった。
オーストリア継承戦争・7年戦争は侵略戦争では無いと言う意見も有るし
其の後戦争をして居ない事を考えれば
反マキャベリ論を最後迄実践して居たと言う
可能性も有る訳だろうか
>軍事学的にも、大王の偉業とその著述は多くの名将たちに影響を与えた。七年戦争後プロイセン軍に苦杯を飲ま
>されたフランスでは反動で盛んに大王の斜行戦術の研究が行なわれたが、厳格な規律と訓練を要する斜行戦術
>はフランスの国民性には合わないと結論付けた。逆にこの研究がフランスの国民性にあった独自のソフトウェア
>を生み出す事となるが、この盛んな研究こそが他国の軍事研究を一歩リードする事になり、ナポレオンの登場を
>もって完成することとなる。
仏では斜行戦術では無く
縦隊突撃が用いられたと言う事だろうし
斜行戦術は研究されて居たと言う部分も有るだろうが
訓練をしなければ此れを迎え撃つ事は
果たして容易な事なのかだが
531 :
某研究者:2006/03/15(水) 06:55:02 ID:nyd5ux91
>>516 たしか収穫率が1以下ってのはカラス麦じゃないか?
533 :
某研究者:2006/03/15(水) 07:22:38 ID:nyd5ux91
>一方ロシアでは、女帝エリザベータが逝去
>し後嗣者となったピョートル3世は軍を引き上げるとともにプロイセンへ経済的援助を行うに至る。
エリザベータが偶然この時期に死んだと言うのも
どうなのかだろうし
フリードリヒの信奉者で有る
ピョートル3世に暗殺されたと言う可能性も
有るのかも知れぬが
534 :
某研究者:2006/03/15(水) 07:24:09 ID:nyd5ux91
>大王は戦史上有名な「戦略退却戦」を行う。大王率いるプロイセン軍は
>突如分散して退却を開始したが、オーストリア軍はプロイセン軍の囮に誘導され遠くシュレージエンまで追撃を行
>うと、合流し態勢を立て直したプロイセン軍の反撃にあい、逆に猛追撃で戦果を拡大されてしまい潰走してしまう。
ナポレオンの内戦作戦も此れの模倣と言う事は
無いのかだが
外戦作戦を行う側は
敵を包囲すると見せ掛け分進合撃の様な
戦術を用いて
足止めに使う囮を各個撃破し
敵主力からは逃げると言う様な
方法を使われれば
内戦作戦を行う側は
次第に戦力が消耗して来ると言う事は
無いのかだが
535 :
某研究者:2006/03/15(水) 08:21:30 ID:nyd5ux91
まあ斜行戦術を研究される前に
短期で敵を壊滅させると言う様な
方向も有った訳だろうが
自国の領土外に出る事は
フリードリヒは嫌っていたと言う
事なのだろうか
536 :
某研究者:2006/03/15(水) 08:36:01 ID:nyd5ux91
>これは、鉄製の込め矢
>の採用で迅速な次弾装填が可能だった為である。
まあ此れはフリードリヒ以後の軍隊も
使用して居たのかどうかだが
537 :
某研究者:2006/03/15(水) 23:33:27 ID:pNN57JcS
538 :
某研究者:2006/03/16(木) 00:15:02 ID:XDLi4Qtb
フリードリヒ斜線陣に
ナポレオンの縦隊は勝てるのかだが
同数では錬度の差で恐らく
縦隊は負けるだろうか
まあしかし斜線陣も
カール12世の兵の槍兵の突撃と言うのに
対処は出来るのかだろうし
少数でも槍兵に突入されれば
銃撃は困難に成り
其の間に後方に居た槍兵にも突入されて
壊滅すると言う事は
無いのかだが
(まあ騎兵や砲兵で
槍兵が足止めされると言う事は
有るかも知れぬが
味方の騎兵や砲兵で此れ等に対処する事は
可能かも知れぬが)
539 :
某研究者:2006/03/18(土) 06:30:54 ID:/jcTJTEm
540 :
某研究者:2006/03/18(土) 06:32:29 ID:/jcTJTEm
>そんなフリードリヒは、やはり同時代の女性達にはウケが悪かったようで、かのマリア・テレジアはいつも彼を「悪者」と呼んでいたそうですし、ロシアのエリザヴェータ女帝やフランス国王・ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人などからも嫌われていたようです。
>ところが、逆に年下の男性の君主には彼に憧れる人もいました。ロシア皇帝ピョートル3世とオーストリア皇帝ヨーゼフ2世です。
ピョートルだけでは無く
同じ敵国オーストリアの人間である
ヨーゼフ2世迄彼に憧れて居たと言う
事なのだろうか
541 :
某研究者:2006/03/18(土) 06:36:01 ID:/jcTJTEm
542 :
某研究者:2006/03/18(土) 07:24:43 ID:/jcTJTEm
エリザベータの死も
タイミングが良すぎる様な気もするし
マリア・テレジアも
フリードリヒ大王の信奉者で有る
ヨーゼフ2世に
或いは暗殺されたと言う事は
無いのかだが
543 :
某研究者:2006/03/18(土) 07:31:05 ID:/jcTJTEm
仏の政治もポンバドゥール公爵夫人に
事実上支配されて居たと言うなら
フリードリヒ大王は3人の女の支配者
(エリザベータ・マリアテレジア・ポンバドゥール)と
戦って居たと言う事なのだろうか
544 :
某研究者:2006/03/18(土) 07:34:44 ID:/jcTJTEm
まあ仏と墺が手を結ぶ
外交革命が無ければ
米大陸等で仏が可也の権益を残せたと言う事は
無いのかだが
海軍力の差で何れ敗れて居たと言う事は
有るかも知れぬが
物量が有れば海軍の質の差は
克服出来なかったのかだが
545 :
某研究者:2006/03/18(土) 07:50:49 ID:/jcTJTEm
546 :
某研究者:2006/03/18(土) 07:56:27 ID:/jcTJTEm
547 :
某研究者:2006/03/18(土) 08:32:27 ID:/jcTJTEm
548 :
某研究者:2006/03/18(土) 14:47:29 ID:/jcTJTEm
549 :
某研究者:2006/03/18(土) 15:08:45 ID:/jcTJTEm
>だが、何にしても老近衛を投入するのが遅すぎた。必死になって部隊を立て直したウェリントン公爵はフランス軍から見えない尾根の反対側に予備隊(イギリス近衛兵)を伏せていた。老近衛がそこから50メートルの地点にまで進んだその時、
まあ此れの投入が早かったら
勝てたのかどうかだが
550 :
名無し三等兵:2006/03/18(土) 15:19:47 ID:NNIe3mgY
>>548 ワーテルローでは勝てたとしてもその後が続かんと思うぞ。
1814年のフランス戦役の二の舞だ。
551 :
某研究者:2006/03/19(日) 03:59:19 ID:5ifUIe/r
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/german/mydeutsch3/meindeut1974i.htm >またしても Gersdorff
>勝訴の判決を下したとき、この判決文の写
>しを読んだフリードリヒ大王は怒りに青ざ
>め、直ちに首席司法大臣と三名の高等裁判
>所判事を王宮に呼びつけて、はげしい叱責
>の言葉をあびせました。
>「進歩的」発言が見られます。「国王
>は、万人に対して、貴賤富貴を問わず迅速
>に裁判がおこなわれ、誰であろうと、身分
>にかかわりなく、すべての臣民に対し、首尾
>一貫した、偏りのない法律が適用されるこ
>とを望む」「けだし、もっとも賤しい農民、
>それどころか乞食でさえも、国王と同じく
>一個の人間であり」「法律の前では万人が
>平等であって、王侯が農民を訴えようと、
>農民が王侯を訴えようと...裁判所は身分
>の如何ににかかわらず、正義のみによって裁
>きを行うべきである。」
552 :
某研究者:2006/03/19(日) 04:00:52 ID:5ifUIe/r
>こうして、この劇的な事件は、首席司法
>大臣が即日罷免されたほか関係した判事た
>ちも相応の処分をうけ、Arnoldは目出度
>く水車小屋をとり戻し、郡長 Gersdorff の
>養鯉池はとりこわされるという形で落着し
>ました。
まあ大王が此処迄やっていたとは驚いたが
余り役に立たない様な貴族の力を弱めて
且つプロイセンは徴兵制で有るから
国民の士気を高めようと言う意図も
有った訳だろうか
553 :
某研究者:2006/03/19(日) 04:16:40 ID:5ifUIe/r
http://www1.doshisha.ac.jp/~ksuzuki/berlin/berlin.html >Friedrich Wilhelm II.
>フリードリヒ大王の次弟 August Wilhelm 王子の長男、母 Luise Amalie はブラウンシュヴァイク王女、大王の后の姉妹。軍事的にも政治的にも才能無し、とされる。
>フリードリヒ大王は「甥は国庫を浪費するだろう、軍隊は堕落させるだろう。女どもが支配するだろう、国は亡びるだろう」と言ったという。
>Lujo Bassermann: Die ungekroente Geliebte, 1967 (S.246-261)
まあ此れが分かって居たなら
始末すると言う様な方向は
無かったのかだが
554 :
某研究者:2006/03/19(日) 04:29:53 ID:5ifUIe/r
http://jp.historicgermany.com/3.html >、宮廷奏者に支払う金がないときには、大王みずから客のために奏者をつとめた。
矢張り戦費等で国庫が
枯渇して居た時期も有った訳だろうか
>テラスの東に大王の墓がある。王族のものとは思えないほど簡素なもので、地面の石板には墓の主と愛犬の名がきざまれているだけ。墓碑銘もない。
確かに以前紹介した写真の墓は妙に単純だったが
遺体は各地を転々として居たと言うし
本人の意向に拠る物なのかどうかだが
http://clinamen.ff.tku.ac.jp/Clausewitz/Machiaverri_1.html >[2] ヴォルテール(Francois Marie Arouet Voltaire, 1694-1778) フランス啓蒙思想の代表者のひとり。彼はフリードリヒ2世に招聘されたこともあるが、戦争に関する意見の違いがあって、フランスに戻った。
まあヴォルテールも戦争に関する意見の違いで
仏に戻ったと言うが
何が食い違って居たのかだが
防衛的な戦争さえも
ヴォルテールは否定して居たのかだが
555 :
某研究者:2006/03/19(日) 05:14:11 ID:5ifUIe/r
http://plus-ultra.cocolog-nifty.com/ultra/cat4088009/index.html >ロシア女帝エリザヴェータが甥で帝位継承者のピョートル3世の后選びをプロイセンのフリードリヒ大王に依頼し、大王がエカテリーナを選び、ロシアへ送り込んだのだった。
ピョートル3世の婿を
大王が選んで居たとは知らなかったが
矢張り7年戦争前の話しと言う
事だろうか
>エカテリーナの夫、ピョートル3世はピョートル大帝の孫にあたり、ピョートル大帝と女帝エカテリーナ1世の長女アンナの息子にあたる。このアンナ大公女がプロイセンのゴットルプ公に嫁いだために、ピョートル3世は当初はプロイセン人として育てられた。
>そのせいもあって、ピョートル3世は自分はプロイセン人であるとの意識があり、フリードリヒ大王に心酔していた。
矢張り此れがピョートル3世が
大王を崇拝した原因と言う
事な訳だろうか
(まあしかし同様に大王を崇拝して居たヨーゼフ2世は
プロイセンの影響は受けて
居たのかだが)
556 :
某研究者:2006/03/19(日) 05:55:31 ID:5ifUIe/r
http://rococana.peewee.jp/pompa/7guerre.html >フランスとオーストリアの同盟
>ポンパドゥール夫人自らの手になる銅版画。
成る物も有った様だが
テレジアがポンバドゥールにひれ伏して居る様にも
見えなくも無いだろうか
>フランスがオーストリアと同盟を結んだのは、今までの同盟国であるプロイセンがイギリスと手を結んだという理由以外に、ポンパドゥール夫人が個人的にフリードリヒに反感を抱いていたのも原因とか…。
まあ此れは実際
どうなのかだが
シュレジエンから撤退しても恐らく
やられて居たかも知れぬし
英との同盟を破棄でもして
仏を味方にする以外無かったのかも知れぬが
(仏も海外の植民地では英に可也苦戦して居たし
此れは無理な事だったのだろうか)
ポンパドゥールに大王が嫌われて居たなら
無理な事かも知れぬし
ピョートル3世を利用してエリザベータを追い落とす事を
考えると言う方向も有ったかも知れぬし
実際行われて居たと言う事は無いのかだが
557 :
某研究者:2006/03/19(日) 06:11:36 ID:5ifUIe/r
558 :
某研究者:2006/03/19(日) 06:20:19 ID:5ifUIe/r
>ワーテルローでは勝てたとしてもその後が続かんと思うぞ。
>1814年のフランス戦役の二の舞だ。
まあ将軍の質の問題さえカバー出来れば
縦隊突撃と言うのは雑兵主体の戦術であるし
或いはと言う事は無かったのかだが
騎兵や砲兵の質と言うのも
重要で有る訳だろうし
特に前者には歩兵の雑兵は対抗
困難かも知れぬが
騎兵や精鋭の擲弾兵が良ければ
何とか成ったかも知れぬが
559 :
某研究者:2006/03/19(日) 06:29:30 ID:5ifUIe/r
騎兵や精鋭の擲弾兵がそこそこの数集まり
敵を分断し各個撃破すれば
何とか成ったかも知れぬし
まあ矢張り時間を稼いで親ナポレオン勢力から
精鋭騎兵や擲弾兵をを引き抜ければだろうし
ワーテルローで勝利して居れば此れは容易と成った可能性は
有るだろうか
対ロシア戦で
瓶詰めを作らせたナポレオンが兵站を
軽視していたと言うのも不可解だが
大陸封鎖を破られた焦りと言うのも
有ったのだろうか
560 :
某研究者:2006/03/19(日) 06:55:27 ID:5ifUIe/r
561 :
某研究者:2006/03/20(月) 05:54:29 ID:JDZwjK1L
http://www.jmca.net/booky/watanabe/024.html >当時は三十年戦争(一六一八〜一六四八)という残酷な宗教戦争に対する反省から、あまり殺し合いをやらずに、軍隊の運用の上手下手で勝負が決まったことにし、
>また勝った方も敗者に過重な要求をしないのが普通になっていた。
故に白兵戦や槍兵での突撃等は
忌避されて居たと言う事かも知れぬし
敵を包囲したり側面を突いたら勝ちと言う様な
方向だったのだろうか
>この例のためか、昭和二十年頃、日本政府はソ連(ロシア)に頼んで大東亜戦争の幕を引こうとしていた。私は中学生だったが、その頃のラジオで、フリードリッヒ大王の七年戦争のことが、日本人を勇気付けようという意図で放送する番組を聞いたことを覚えている。
ロシアが米に日本が奪われるのを恐れて
同盟を考えると思ったと言う事かも知れぬが
上手く工作すれば此れは可能だったと言う事は
無いのかだが
>フリードリッヒは後に、第一次ポーランド分割に参加したりするが、晩年の約三十年間は戦争しなかった。またする必要もなかった。どの国もフリードリッヒと戦争するのを嫌がったからである。領土は倍になっていた。
30年戦争をしなかったのは
英の支援が打ち切られた状況では
国力回復を優先したのと言う事なのか
或いは最後迄啓蒙君主たらんとしたと言う
事なのだろうか
(まあプロイセン人のエカテリーナのロシアと組んで
オーストリアや仏・或いは英を叩くと言う事は
出来なかったのかだが
オーストリアの大王信奉者のヨーゼフとも同盟して
財政破綻で弱体化した仏を叩くと言うのが
正しい方向だったのかも知れぬが)
562 :
某研究者:2006/03/20(月) 05:56:32 ID:JDZwjK1L
仏を叩いた後は英を叩いて
オーストリアやロシアは内部から支配すると言う
方向も有っただろうか
563 :
某研究者:2006/03/20(月) 06:22:49 ID:JDZwjK1L
>七十四歳になった大王は自分の愛する軍隊が軍楽隊と共に行進するのを、椅子にすわって眺めつつ、静かに息を引き取った。ナポレオンはフリードリッヒを尊敬し、青年時代にその肖像画を部屋に飾っていたという。
軍隊の行進を見乍ら死んだと言う
事なのかも知れぬが
周囲の人間も直ぐには気付かなかったと言う事も
有るかも知れぬが
ナポレオンは最初は革命急進派の側に居た筈だが
フリードリヒを何時から
尊敬して居たのだろうか
(大王の啓蒙思想と革命精神は
反しないと考えて居た可能性も
有るだろうか)
http://www002.upp.so-net.ne.jp/mikuroom/germany.html >食料として見直されたのは7年戦争の時。プロイセンのフリードリヒ大王はジャガイモ栽培を奨励し、それを契機に栽培が本格派し、ドイツの主食の地位にまで上り詰めた。
7年戦争の前にはジャガイモは
観賞用だったのだろうか
http://www.yumenamusic.com/myfeel21-4.htm >大王が亡くなっていたという椅子の横に立ったとき、その王が今でもこの空間に
>いるのを感じた・・・ような気がした。
大王が死んだ時座って居たと言う椅子は
現存して居る訳だろうか
564 :
某研究者:2006/03/20(月) 08:29:05 ID:JDZwjK1L
565 :
某研究者:2006/03/20(月) 08:29:41 ID:JDZwjK1L
http://www2u.biglobe.ne.jp/~smacky/topics.east.htm >彼の逸話で面白いものを紹介。彼の死後、彼の遺言によれば、サンスーシ宮殿敷地内の愛犬の墓の隣に葬って欲しい、とのことだったが、
>さすがにプロイセンの王が犬の隣に眠っているのでは威厳も何もあったものじゃない。ということで別な場所に墓所を作ったとのことだが、第2次大戦中、
>彼の遺体もどこぞへ疎開するはめに。そして、各地を点々とした挙句、やはり彼の遺言を叶えようということとなり、30年ほどまえにようやく愛犬の隣に遺体は安置されたとのこと。なかなかかわいい側面があったのだ。
遺言通りに愛犬の隣には
埋葬されず
遺体は疎開の為に各地を転々として居た
訳だろうか
566 :
某研究者:2006/03/23(木) 08:57:21 ID:VAU3KqP5
567 :
某研究者:2006/03/23(木) 09:02:20 ID:VAU3KqP5
568 :
某研究者:2006/03/23(木) 09:02:54 ID:VAU3KqP5
569 :
某研究者:2006/03/23(木) 09:03:31 ID:VAU3KqP5
>これらの政策の目標は一にフランスを孤立させ、二にそれ以外の国との良好な関係を作り、三にそれらの国と一蓮托生と言った親密な関係を作らない事である。
>これによりヨーロッパに於いて軽い緊張状態を作り出し、どの国もうかつに動けない戦争の無い状態を作り出そうとした。これがいわゆるビスマルク体制である。
まあしかし仏の孤立化に拘り過ぎて
柔軟性を欠いたと言う事は無いのかだが
>ビスマルクを排除したヴィルヘルム2世は単純に力で植民地を奪い取ろうと3B政策を推進してイギリスと対立するようになり、
>独露再保障条約の更新を拒否してロシアとも対立し、三国協商を形成させ、三国同盟VS三国協商の対立関係を生み、
>ビスマルクが最も恐れていたドイツ包囲網を形作らせ、第一次世界大戦に於ける敗戦へと向かっていく事になる。
まあ此れは余りに
愚かな事だっただろうし
ビスマルクの全ての努力が無駄に成った訳だろうが
ビスマルクもウィルヘルム2世を何とか失脚させる事は
出来なかったのかだが
仮に失脚させても
ビスマルクの寿命の問題も有るだろうし
ビスマルクの様な外交戦術が
出来る人間は
他に居たのかと言う事だろうか
570 :
某研究者:2006/03/23(木) 09:04:02 ID:VAU3KqP5
http://www.tabiken.com/history/doc/P/P122C100.HTM >この講和を約したプラハ条約は,将来を考えてオーストリアに寛大であった。
仏相手でも最初は
同様の事をする予定だった訳だろうが
上手く世論や
大モルトケを抑えられなかったのかだが
>財政破綻で弱体化した仏を叩くと言うのが
>正しい方向だったのかも知れぬが)
まあテレジアの娘のアントワネットが仏に居る状況で
此れは無理かも知れぬし
フリードリヒも英国人の母親が死んだ後に
プロイセン・仏・露・墺の4国で英を攻略すると言う
方向も有っただろうか
571 :
某研究者:2006/03/23(木) 23:05:37 ID:hega3vAc
原爆体制迄ビスマルク体制が続いて居たら
世界大戦は起きなかった可能性も有るだろうが
ビスマルクの様な人材と言うのは
そう出て来る物では無い訳だろうか
572 :
某研究者:2006/03/24(金) 11:28:16 ID:+nJ5DGPY
573 :
某研究者:2006/03/25(土) 07:40:21 ID:U0D8Fiv2
http://www.i.dendai.ac.jp/~ishizuka/e139.html >最後の農民階級の保護についてみるなら、大王
>自身「農民階級は、国家にとりきわめて重要である。それは国家の土台をなし、それをに
>なうものである」という考えをもっていた。しかし実際のところ、次のように相反するこ
>とも考えた。「この嫌悪すべき制度(世襲隷農制――二本柳)も、これをいっきょに撤廃
>しようとするならば、それは、土地所有者の経済的地位を根底から破壊する結果を招くで
>あろう。したがってそれには、まず土地所有者である貴族のこうむるべき損害を補償する
>用意が必要である。」 こうして他方では、農民保護とは裏腹に王権=貴族層の絶対主義
>的傾向を強め、国家の中核を握る官僚=貴族の育成を促進する方向につながっていったの
>である。
西欧とは違い農業から工業にシフトして居ない段階で
農奴を解放すれば
国力を著しく弱めると
考えたと言う事なのだろうか
574 :
名無し三等兵:2006/03/25(土) 22:47:36 ID:IhuTtefN
なんですかこの某研猊下のワンマンショーは
1 :某研究者 :2005/06/18(土) 06:05:55 ID:7/lQmPTX
古代〜近代(19世紀)迄の戦術・兵器・軍装に関して
議論或いは情報を提供して貰いたい訳だが
つまり中世までならモンゴルの弓騎兵が最強って事ですね
577 :
某研究者:2006/03/26(日) 09:07:52 ID:E9yoPQ8b
モンゴル騎兵もハンガリー騎兵やバイバルスのマムルーク軍に
撃破されて居るし
日本にもやられて居るだろうし
他にも局地的に撃退された例は結構有るかも
知れぬが
サルマチア重装騎兵がスキタイ軽騎兵を
撃破したり
十字軍がイスラム軽騎兵を
撃破したり
カラコール騎兵をサーベル騎兵が
撃破している例も有るだろうし
弓騎兵が常に最強だったのか
どうかだが
(十字軍騎兵はクロスボウで軽騎兵を混乱させた後の
突入だったかも知れぬし
アドルフのサーベル騎兵や
アンリ3世の抜刀突撃を行った騎兵・近世の胸甲騎兵は割りに
軽装だろうし
サルマチア重騎兵も軽騎兵で
スキタイ軽騎兵を足止めをして居たかも知れぬが)
578 :
某研究者:2006/03/26(日) 09:14:34 ID:E9yoPQ8b
579 :
某研究者:2006/03/26(日) 09:32:47 ID:E9yoPQ8b
http://www005.upp.so-net.ne.jp/nobuta/essay/mongol.html >数の上では若干劣るマムルーク軍であったが、彼らは地の利を得ていた。
>また、良く鍛錬されたマムルークの騎馬軍団は、モンゴル兵と互角、あるいはそれ以上の強さであった。
>元来、馬の扱いにたけた遊牧民の子弟が、体格の良いアラブ馬にまたがり、最新技術の長弓で、馬上から敵をあやまたず射るよう訓練されているのである。
>見晴らしの良いくぼ地にあっては、モンゴル軍得意の陽動作戦も効果がない。激戦の末、モンゴル軍はほぼ壊滅、敵将キトブガは捕らえられた。クトゥズの前に引き立てられたキトブガは、首をはねられる前に、こう言い放った。
マムルーク騎兵も窪地を利用して
勝ったのか
或いは上に有る様に騎兵の能力の差と言うのも
有ったのだろうか
(まあ矢張り10倍以上の数の差を騎兵の能力だけで
カバー出来たとは到底思えないが)
580 :
某研究者:2006/03/26(日) 09:47:22 ID:E9yoPQ8b
581 :
某研究者:2006/03/26(日) 11:57:34 ID:E9yoPQ8b
モンゴルが強いのは騎兵の能力では無く
戦術の問題と言う意見も有るだろうが
軽装騎兵無しで陽動は
果たして出来るのかだろうし
軽装騎兵は矢張り必要と言う
事かも知れぬが
>>577 辺境に攻めたのは現地採用の下っ端
精鋭は大ハーンの元に居る
クビライの南宋効力とか
583 :
某研究者:2006/03/27(月) 18:32:47 ID:REyR+N1n
軽装騎兵も装甲の差は兎も角
乗っている人間のフィジカルの差は
有るだろうから
1対1ではマムルーク騎兵の方が
上かも知れぬし
重装騎兵も上手く投入されれば
モンゴル側は勝てないと言う事かも知れぬが
陽動戦術はアラブ側は
余り使って居ない訳だろうか
584 :
某研究者:2006/03/27(月) 19:22:35 ID:REyR+N1n
まあWW1の直前にビスマルクが居れば
独も米英仏露は各個撃破出来ただろうし
ロシア等は革命を煽れば
撃破する必要も無い訳だろうか
585 :
名無し三等兵:2006/03/27(月) 19:56:46 ID:8NhCaViX
昔っから思ってるけど、某研って、何やってる人なの?
多分みんなそう思ってるよ。
少しくらい教えて下さい。
てことで、某研より!
ひきこもりニート
>>583 だからモンゴルの最精鋭はモンゴル高原に居るんだってば
弓騎兵が毒矢の集中砲火
>>584 そもそもビスマルクは列強と張り合おうなんて考えてなかったんじゃないか?
589 :
某研究者:2006/03/28(火) 12:25:23 ID:zMgC3mOP
毒はイスラム側は用いて
居ないと言う事かも知れぬが
毒が無いとしても
矢が当たって戦闘可能共思えぬし
(まあ布の部分に掠めた程度でも毒が有れば
やられる危険は有るかも知れぬが)
近接戦に成れば
フィジカルの差が物を言う可能性も
有るだろうか
(重騎兵相手では盾で矢は
可也止められる訳だろうか)
590 :
某研究者:2006/03/28(火) 12:26:31 ID:zMgC3mOP
>そもそもビスマルクは列強と張り合おうなんて考えてなかったんじゃないか?
まあ仏を倒した後は独帝国の国力を付ける事を
優先したと言う事かも知れぬが
国力が付いた後は列強を各個撃破しようとは
考えて居なかったのかだが
591 :
某研究者:2006/03/28(火) 12:39:41 ID:zMgC3mOP
592 :
名無し三等兵:2006/03/28(火) 20:44:42 ID:qhKHgWjW
ナチとか日本軍の軍装ヲタは中田商店とかカンプバタリオンなんかあって安く入手できるからうらやましい。カッチュウのレプリカとか高いからなァ
593 :
名無し三等兵:2006/03/29(水) 00:25:59 ID:jsQLxhNo
う−ん、華麗にするーされたか。
少なくとも、五年前あたりでも見たおぼエガ・・・
教授?講師?
結構ファンだけどな
では
フン族と鐙について語ってください。
594 :
某研究者:2006/03/30(木) 16:15:24 ID:KcWtaQ3f
モンゴル騎兵とアラブ騎兵が平地で戦えば
モンゴル側は機動力の差で包囲され
殲滅されると言う可能性も有る訳だろうか
595 :
名無し三等兵:2006/03/30(木) 16:23:18 ID:R2o1uwz8
>>594 モンゴル騎兵はアラブ騎兵を圧倒しましたが…
596 :
某研究者:2006/03/30(木) 16:31:11 ID:KcWtaQ3f
まあマムルークには負けて居るだろうし
アラブ騎兵は機動力を生かす戦術等は
用いて居たのかだが
モンゴル騎兵に勝ったハンガリー騎兵は
馬は大型だったのだろうか
597 :
某研究者:2006/03/32(土) 00:08:14 ID:QPGnNZbv
http://www.uraken.net/rekishi/reki-eu56.html >こうして精力的に活動したビスマルクでしたが、新皇帝に就任したヴィルヘルム2世には「あいつは物事を慎重に進めすぎる」と嫌われてしまいました。
>さらに、一般大衆を相手に演説し、人気を勝ち取るような時代が訪れつつあり、次第にビスマルクのような手法は時代に合わなくなっていきます。
>1890年、ビスマルクは社会主義者鎮圧法を更新し、引き続き社会主義運動を力で押さえつけようとしましたが議会はこれを否決。そして宰相を解任され、自分の領地であるハンブルク近郊フリードリヒスルーに隠居。8年後に亡くなりました。
まあしかし何故ビスマルクは鎮圧法更新に
拘ったのかだが
革命に拠る国力減退等を
恐れたのだろうか
598 :
某研究者:2006/04/02(日) 02:07:02 ID:RXRf/QEn
599 :
某研究者:2006/04/02(日) 02:29:15 ID:RXRf/QEn
http://www.ohnichi.de/Doitsu/potsdam.htm >「大王」という名前を最初に使ったのはヴォルテールで、この名前は1745年、第二次シュレジア戦争でプロシャ軍が勝利すると国民の間でもポピュラーに使われるようになった。
まあこの様に呼んだ人間と2日で別れる等と言うのは
矢張り不可解かも知れぬが
>。父親の葬儀を飾った長身の衛兵も、その翌日には廃止し、
所謂巨人軍も
廃止されて居たと言う事かも知れぬが
兵士として訓練は受けて居た訳だろうし
其の侭使えば良かったと言う事は無いのかだが
600 :
名無し三等兵:2006/04/02(日) 03:27:26 ID:j/QbH0D3
600
601 :
某研究者:2006/04/03(月) 16:31:34 ID:584VIvNe
ナポレオン時代の軍隊編成を知りたいのですが
適当なホームページはありますか?
603 :
某研究者:2006/04/04(火) 21:53:11 ID:8GatmY+6
604 :
某研究者:2006/04/04(火) 22:03:40 ID:8GatmY+6
605 :
某研究者:2006/04/04(火) 22:04:40 ID:8GatmY+6
607 :
名無し三等兵:2006/04/07(金) 23:35:56 ID:mZPS/NgR
更新
ブリュッヒャーが保守しますた(`・ω・´)
ナポレオンも保守(゚Д゚)
610 :
素人ですが:2006/04/17(月) 21:06:17 ID:???
映画などでは中世ヨーロッパの戦争モノでもよく火矢が使われるけど
史実ではどうなんだろう。
火矢は普通の弓で放たれる描画がほとんどで、弩では使われてない。
しかしイングランド以外の中世ヨーロッパの軍は、普通の弓の部隊は少数なのでは?
あるいは、イングランドの長弓隊でも、もしかして火矢は使わなかったんでしょうか?
仮に火矢が使われなくなったとします。
当然、火矢に対する備え(火消し用の水とか)は無くなりますね
火矢がないなら警戒もそれだけ薄くなると
すると、火矢を使った場合の効果は逆に上昇することになります。
そのうち誰かが火矢のメリットを再発見して使用することになると思いますよ。
612 :
名無し三等兵:2006/04/20(木) 14:18:48 ID:ts8AH5Ng
コサック2 つまらんかった もっとうまいネットゲーだせ
車両要塞や野戦の防御陣地を火矢や火炎瓶、ギリシアの火で破ろうとはしなかったんだろうか。
十字軍が糞や死体を投石器で飛ばしてるのでそういう発想が無かったわけではないだろうけど、
うまくいかない理由があるのかな。(投石器のコストが高すぎるとか)
ディスカバリーの「古代の戦車」では、火をつけたたいまつを投げられるので、
車輪つきの攻城塔を海藻で覆っていたという話を紹介していたが…
大砲がでてきたら投石器は的になるだけかな?
それ以前でも、ヨーロッパは火計っていうのはあまり使わなかったのかなあ
615 :
某研究者:2006/04/21(金) 13:31:19 ID:g1NE+uHO
階層では無く生皮で覆って居た例も
一応有るのかも知れぬが
焼いた鉄等を流し込まれる等すれば
限度も有るだろうし
大量の油を掛けられれば
アウトだろうか
616 :
某研究者:2006/04/21(金) 13:33:34 ID:g1NE+uHO
コンスタンティノープル包囲でも大砲は
余り役にたたなかったと言うが
イタリアでは大砲で城が落ちたと言うし
イタリアでは役に立ったのだろうか
(まあコンスタンティノープルとの
城壁の耐久度の差と言うのも
有るかも知れぬが)
英の長弓兵を叩いたのは小型の砲だったかも知れぬし
野戦では発射速度の早い
小型の砲が有効だった訳だろうか
617 :
某研究者:2006/04/21(金) 15:14:52 ID:g1NE+uHO
618 :
某研究者:2006/04/21(金) 15:31:52 ID:g1NE+uHO
フルプレートアーマーの騎士どうしの戦いというとばら戦争か。
イタリアの鎧職人が大量受注で外国に代理店をもつくらい大儲けした記録もあるので
フルプレートアーマーが試合用のみだとか装飾品だったというような説は成り立たないと思う。
あと騎士の馬は現在のサラブレッドよりデカくて太い。
昔の馬がじつは貧相だった!というのは日本での話。
フランス騎士はロングボウに苦戦したので下馬戦をしたというのはあるが
それならスイス傭兵やとっとけばいいか、って感じになったのかも。
それでもフランスは騎馬へのこだわりを延々と持ちつづけているよね
秋山好古も、戦術はドイツ式を採っても馬術だけはフランス式を採用したそうだ
>右の鎧のスカート部分と言うのは
ドイツ傭兵の鎧でこんな感じのが三浦さんの西洋甲冑武器事典にでとります
ランツクネヒトはバラバラにドハデな格好をするのでそのうちの一つってことなんでしょうけど
「3/4甲冑と呼ばれていた」とあるので特例っていうものでもないんではと。
他のランツクネヒトのイラストでもこのスカート部(草ずり)が長いものを付けてる人が多いです。
>パイクの間から銃撃する様な事は
この写真のやりかたでは、槍ぶすまの密度が下がって隊列が突き崩されそうな感じがしますね
テルシオ隊形だとこうなるのかなあ?奇襲を受けたのでもなければ無いと思うけど。
622 :
某研究者:2006/04/21(金) 17:55:56 ID:TmQEoUbC
ピストル騎兵に完全鎧を着た重装騎兵は
16世紀中盤で駆逐されたと言うが
馬の鎧等が軽量化されても
完全鎧或いは完全鎧に近い物を装備した
重騎兵は一応仏等に少数は残って居た
訳だろうし
機動性がやや低いとは言え
カラコール騎兵に一方的にパルティアンショットを受け続けた共
思えないが
安いピストル騎兵を増やした方が
アドルフの時代迄は効率的と考えられてい居た訳だろうか
(まあ只流石にパルティアンショットを受け得るから
17世紀前半の重騎兵も
特に馬の鎧は軽量化された訳だろうが)
http://www.flickr.com/photos/gaz/3069587/in/set-76972/ 上の盾には銃が仕込まれて居る様にも見えるが
此れは鉄製の防弾盾なのだろうか
623 :
某研究者:2006/04/21(金) 18:02:23 ID:TmQEoUbC
>フルプレートアーマーの騎士どうしの戦いというとばら戦争か。
>フルプレートアーマーが試合用のみだとか装飾品だったというような説は成り立たないと思う。
まあブリガンダイン等を着て居た軽装騎士も
多かった様だが
>あと騎士の馬は現在のサラブレッドよりデカくて太い。
>昔の馬がじつは貧相だった!というのは日本での話。
まあ此れは知らなかったが
何処かに証拠や記述は有るのだろうか
>フランス騎士はロングボウに苦戦したので下馬戦をしたというのはあるが
>それならスイス傭兵やとっとけばいいか、って感じになったのかも。
パイク兵もシルトロン同様に射撃や銃撃には弱いだろうし
パイクマン鎧の装備でも限度は有るだろうし
パイクマン鎧を装備したパイク兵は一部だろうし
マウリッツ陣の軽量砲と銃撃で壊滅した訳だろうが
テルシオの機動性の低いパイク兵では無く
マウリッツ・グスタフやカール12世の機動性の高いパイク兵
(此れは陣が縦に薄い故だろうか)は
敵に素早く突撃出来可也役には立った様だが
最初のスイスのパイク兵やシルトロンのパイク兵は
陣形が厚過ぎて機動力は低いのだろうか
624 :
某研究者:2006/04/21(金) 18:04:35 ID:TmQEoUbC
>この写真のやりかたでは、槍ぶすまの密度が下がって隊列が突き崩されそうな感じがしますね
>テルシオ隊形だとこうなるのかなあ?奇襲を受けたのでもなければ無いと思うけど。
フロワサール年代記以前に描かれて居る様な
15世紀の騎士は余りランスは持たないが
16世紀の騎士の絵を見ると殆どランスを構えているし
此れは恐らくパイクに対抗しての物だろうが
果たして突入は出来たのかだが
スイスは兎も角ランツクネヒト等の士気の低いパイク兵には
ランスでの乗馬突撃は有効だった可能性も有るだろうか
625 :
某研究者:2006/04/21(金) 18:07:36 ID:TmQEoUbC
>それでもフランスは騎馬へのこだわりを延々と持ちつづけているよね
アドルフ騎兵のサーベル突撃と言うのは
仏の重装騎兵を参考にしたと言う意見も
有る様だし
仏の重装騎兵が無ければ思い付いた
戦術なのかどうかだが
626 :
某研究者:2006/04/21(金) 18:11:14 ID:TmQEoUbC
下馬突撃ならスイスのパイク兵に
重装騎兵は勝てたのかどうかだが
スイスには
バスタードソードを持つ最精鋭歩兵と言うのも居ただろうし
此れに果たして簡単に勝てるのかどうかだが
627 :
某研究者:2006/04/21(金) 18:25:08 ID:TmQEoUbC
>あと騎士の馬は現在のサラブレッドよりデカくて太い。
>昔の馬がじつは貧相だった!というのは日本での話。
初心者向けの資料で恐縮だが、オスプレイ戦史シリーズ2、イングランドの中世騎士の32pに記述あり
15世紀の馬用鎧はサラブレッドには大きすぎて、それより大きい現在のハンター種に合うとのこと。
日本の軍用馬を見た西洋人は「馬みたいな馬だ」と言ったらしい。それだけ軍馬は特別なんだろう。
629 :
某研究者:2006/04/21(金) 18:41:44 ID:TmQEoUbC
630 :
某研究者:2006/04/21(金) 19:17:20 ID:TmQEoUbC
諸説はありますが、アジャンクール当時はフランスの騎士は軍師の立てた作戦を無視して、
おのおのが敵の王(手柄)をめざして好き勝手に突撃していたという説があります
(このソースはディスカバリーチャンネルですが、研究者の論文にもとづいているようです。)
フランス騎士が弱いのは半分以上は軍制の事情や戦術のマズさのせいじゃないかと・・・
で、百年戦争末期は軍制を改革してフランスは反撃に転じるのですが、そのさいには騎士についても、
個々の重騎士にそれまでの従者にくわえて多くの兵種を随伴させるようになったそうです(そんだけ氏の受け売りですが)。
*それでも守りに入った槍隊列を直接破れる気はしないですねえ。
攻勢に出た歩兵を側面攻撃した場合などは騎士はえらい強いですが、そういう事例は少数ですよね。
アレキサンダーの騎兵運用のように狙って側面攻撃するような軍全体の連携は、権力が分散し、
常備軍が持てず一貫した訓練や統制のきかない中世欧州の軍にはなかなか難しい事だったのではないでしょうか。
632 :
某研究者:2006/04/21(金) 19:29:13 ID:TmQEoUbC
重装騎兵も士気・統制の低いランツクネヒトなら
乗馬突撃でも壊滅出来るかも知れぬが
スイスの歩兵相手では下馬突撃でさえ
厳しいと言う事なのだろうか
エドワードが仏下馬騎兵を背後から乗馬突撃せねば
ポワティエでは仏騎兵の下馬突撃の前に
英軍は壊滅していたと言う可能性は無いのかだが
633 :
某研究者:2006/04/21(金) 19:33:28 ID:TmQEoUbC
クレッシーで下馬突撃した騎士が
弓でやられたのはどう言う事なのかだが
(板金鎧はデータ上は長弓では貫けぬ筈だが)
完全鎧は当時は
余り無かった故と言う
事なのだろうか
(腰や首・腿の部分は鎖の者も多かった訳だろうし
後の時代同様軽装の騎士も
多かった訳だろうか)
634 :
某研究者:2006/04/21(金) 19:47:35 ID:TmQEoUbC
クレシーは1346年、そのころはまだ完全な全身板金鎧は無いんじゃないでしょうか
636 :
名無し三等兵:2006/04/21(金) 20:02:01 ID:mMP6Mco6
石弓にやられたんじゃ?
長柄武器の画像、いっぱいバリエーションあるなあ
やはり初期、あるいは農民戦争なんかは練度や人数の関係で
隊列に飛び込まれ、乱戦になる事が多かったのかも。
だから突くだけじゃなくいろんな用法ができる武器が必要だったのでは。
カッチリと隊列を組めるレベルの軍なら、武器の形を単純にすることで軽量化し、
その分竿を長くする方向にいくってトコかな・・・
ロングボウの矢じりには鎧通しというのがあって、鎖帷子のリングを抜けるよう、「かえし」の無い細〜いやつがあります。
クレシーではコレにやられたんじゃないですかね。
アジャンクールではフランス騎士は足元のぬかるみに金属鎧が沈んでしまった上に泥が絡んで動けなくなり、
そこをロングボウ兵は直接攻撃用の武器にもちかえて襲撃したとのことです。
ツイてないッスねえ。
弩兵は大盾持ってるんだし、英軍側はロングボウ以外の直接戦闘兵士(メンアットアームズ)は人数も少ないんだから、
もうすこし粘ってなんとかしとけよって思いますが、
飛び道具はダサい(法王サマも嫌ってるし、ジェノバ人の傭兵だし)っていうフランス騎士の美学が邪魔したのかもしれず。
ポワティエは1356年。この時点でも鎧はまだ完全ではなかったと思うんだけど、
↓wikiより
ジャン・フロワサールは、イングランド兵の放つ鏃はフランス騎士の鎧上を滑り、衝撃は緩和されフランス騎士を傷つけることはできなかったと書いている。
ともあれ、騎兵の鎧を貫くのは困難であったが、馬の鎧は側面、あるいは後背からの攻撃には弱かったため、長弓部隊はフランス軍の側面に回り込むようにして馬をねらい打ちにした。
結果、第1陣は壊滅的打撃を受けて潰走。
矢が効かなくても馬がやられたら逃げないと仕方ないんですかねえ
あるいは馬だけでなく、自分を守るべき従者がやられて戦意を失ったか?
641 :
某研究者:2006/04/21(金) 21:51:16 ID:TmQEoUbC
642 :
名無し三等兵:2006/04/21(金) 22:26:02 ID:7j81SBDE
質問なんですが、日本の戦国時代に投石機のようなものは使われ無かったんでしょうか?
644 :
某研究者:2006/04/21(金) 23:05:09 ID:f3KjdKkK
>騎兵の鎧を貫くのは困難であったが、馬の鎧は側面、あるいは後背からの攻撃には弱かったため、長弓部隊はフランス軍の側面に回り込むようにして馬をねらい打ちにした。
http://www.toride.com/~canossa/picture.htm 14世紀に書かれたフロワサールの年代記を見る限り
鎧を装備した馬は少数であり
装甲も頭部にしか無いなら
正面からでも打撃は与えられたかも知れぬし
弓に対抗する為に下馬戦闘した仏騎士を
背後から英の乗馬騎兵が突いて勝利したと言う
事だっただろうか
645 :
某研究者:2006/04/21(金) 23:10:12 ID:f3KjdKkK
完全鎧が有る場合でも
腰や腿の側面は装甲が無い場合も多いし
側面から矢を放たれれば
この部分に命中する可能性は有るだろうが
14世紀中盤で完全鎧は
何処迄有るのかだが
フットマンズフレイルを装備した
フランドル市民軍は泥濘を利用せねば
騎兵に撃破されて居たと言う事かも知れぬが
646 :
某研究者:2006/04/21(金) 23:14:06 ID:f3KjdKkK
>そこをロングボウ兵は直接攻撃用の武器にもちかえて襲撃したとのことです。
>ツイてないッスねえ。
>弩兵は大盾持ってるんだし、英軍側はロングボウ以外の直接戦闘兵士(メンアットアームズ)は人数も少ないんだから、
騎士の予備武器の斧(此れは所謂ポールアームだろうか)を弓兵が
利用したと言う事だっただろうが
英の騎士の数を考えれば
そう数を出せたのかと言う事だが
騎士も体力消耗した状態では
簡単に組み討ちに持ち込まれて
短剣でもやられて居た訳だろうか
所謂パビスは長弓兵も装備して居ないのかだが
無いとすればクロスボウ兵が一方的に
確かにやられるのかどうかだが
647 :
某研究者:2006/04/21(金) 23:28:00 ID:f3KjdKkK
648 :
某研究者:2006/04/21(金) 23:45:20 ID:f3KjdKkK
興味深い画像がいっぱい・・・ありがたいです。とくに傷のついた鎧は良いですね。
>パビス
ロングボウ隊が持ってたかどうかは分かりませんが、
“イングランドのリチャード獅子心王は、この大盾の横から顔を出して覗いたところを石弓で撃たれ、肩に致命傷を負った”
なんていう逸話もありました。攻城戦では必須だったろうと思います。(この話でクロスボウの禁止令が法王から出されたんでしたっけ?)
クロスボウは威力と命中精度が高いので、クレシーの失敗の教訓を生かして、
やぐらを立てるような事も試してほしかったですね。隠れながらの射撃なら、発射速度の不利はかなり補えるはず。
しかしフランス軍はそういう戦術にあまり真剣でなかったのかもしれません。
アジャンクールでは、つかまった騎士(貴族)がその場で殺された事にショックをうけ、パニックになったという話があり、
これはつまりフランス騎士は負けてもたいした事にはならないと思ってたフシがあります。
事実しきたりでは捕虜は殺さず身代金を要求するものでしたし、それゆえ騎士の鎧も命さえ助かるなら
落馬したあとはもう捕まってもかまわないような仕様になっているような。
それで作戦などについても、セコい事をして勝つよりは華々しく突撃したほうが良いと、無防備な正面突撃をえらび、
軍師がいろいろ作戦をたてても無視してしまう心理になってしまうんじゃないかと。
650 :
某研究者:2006/04/22(土) 06:23:46 ID:TmPr2Xcz
>興味深い画像がいっぱい・・・ありがたいです。とくに傷のついた鎧は良いですね。
今はちと時間が無いが
WEBや Flickr・ブログ等で検索すれば
更に有るだろうが
当面はFlickr内の画像を(此れは余り見て居ないので)
探索したいが
>“イングランドのリチャード獅子心王は、この大盾の横から顔を出して覗いたところを石弓で撃たれ、肩に致命傷を負った”
まあこの後無理に戦闘して傷が悪化したと言うが
戦闘しなければ果たして助かったのかどうかだが
確か鎧を着て居ない状態で盾の外に出たのが問題と言う
記述も有ったかも知れぬが
クロスボウの前には当時の鎖帷子は
役には立たぬ訳だろうか
>(この話でクロスボウの禁止令が法王から出されたんでしたっけ?)
其れは知らないが
後で調べて見るとしたいが
651 :
某研究者:2006/04/22(土) 06:32:54 ID:TmPr2Xcz
>しかしフランス軍はそういう戦術にあまり真剣でなかったのかもしれません。
>アジャンクールでは、つかまった騎士(貴族)がその場で殺された事にショックをうけ、パニックになったという話があり、
まあ弓兵は騎士は殺しては成らぬと言う事を
理解して居なかった故と言う
事だっただろうか
>クロスボウは威力と命中精度が高いので、クレシーの失敗の教訓を生かして、
>やぐらを立てるような事も試してほしかったですね。隠れながらの射撃なら、発射速度の不利はかなり補えるはず。
まあクレッシーでは側面の同時に2方から射撃を受けたが故に
亀甲隊形の様な物を組まないと
同時に2方からの矢には対応出来ず
駄目かも知れぬが
上手く回り込んで側面の弓兵を各個に撃破
出来なかったのかだが
652 :
某研究者:2006/04/22(土) 06:47:20 ID:TmPr2Xcz
653 :
某研究者:2006/04/22(土) 06:56:03 ID:TmPr2Xcz
654 :
某研究者:2006/04/22(土) 07:21:31 ID:TmPr2Xcz
655 :
某研究者:2006/04/22(土) 07:36:00 ID:TmPr2Xcz
>まあ弓兵は騎士は殺しては成らぬと言う事を
この時は捕虜を管理する余裕がなかったために王が命令したそうです。
イングランドの貴族は拒否しましたが、弓兵は躊躇無く殺して回ったとの事。
>火炎状の刃のアラブの短剣等
おそらくクリス・ナイフというやつですね、東南アジアからの伝播ではないかと。
フランベルグはシャルルマーニュ伝説の関連に出てくるリナルド(ルノー・ド・モンタルバン)が
用いた事で知られていますが、その剣の刃が炎状だったかどうかはわかりません。
現存するものは後世になって作り直されたものでしょうかね。
(もしかしたら十字軍遠征の戦利品を参考に作られたなんてこともあるかも?)
RPGなどの資料に使われるTruth In Fantasy の聖剣伝説での記述は
調査不足との指摘もあります。
ttp://w3.shinkigensha.co.jp/book_naiyo/4-88317-320-8p.html じつはリナルドの話はヨーロッパではわりと有名な聖人伝説の一つであるようで、日本では
「ハイモンの四人の子ら」という名前で本になっていて、けっこう面白かったです(資料価値は低い)。
658 :
某研究者:2006/04/22(土) 17:32:06 ID:RBJzcw3V
659 :
某研究者:2006/04/22(土) 18:27:51 ID:RBJzcw3V
ゴッツイ造りだけど、プレートメイルの鋼板の厚さってどのぐらいあるんだろ?
日本の戦国時代の南蛮造は2mmぐらいだそうだが。
661 :
某研究者:2006/04/22(土) 19:03:30 ID:RBJzcw3V
確か大体其の程度だろうが
トーナメントアーマーでは2重に成って居る部分も多いだろうし
4mm程度は有るのだろうか
(肩やスカート部分等の板が分かれて動く部分は
衝撃が分散出来ず打撃には弱いだろうか)
信号弾みたいなものはいつの時代からあったんですか?
663 :
某研究者:2006/04/23(日) 07:49:28 ID:/jtPiOTc
鏑矢なんてものもあるけど、信号弾みたいに使われたかどうかは不明
合戦前の挨拶がわりにには使ったみたいだけど
ジェット風船みたいなもんか?
665 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:01:51 ID:p6fkxLUJ
666 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:12:05 ID:p6fkxLUJ
テルシオの銃兵より
日本の鉄砲足軽の比率の方が多かったのかどうかだが
テルシオも1/10程度は銃は
有ったかも知れぬが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%AA >最初期の槍と銃の比率はおおよそ3:1(=槍:銃)であった。ここから重騎兵の脅威がいまだ大きく、槍兵の防御能力が重視されていたのが理解できる。
>時代が進み、火器の重要性が広く認識され、またピストル騎兵の台頭で重騎兵の脅威が減少するにつれて、この比率は大きく変化した。16世紀後半には2:1(=槍:銃)となり、
>16世紀末には1.5:1(=槍:銃)、17世紀初頭には1:1(=槍:銃)となっていた。
と有るから
火力はテルシオの方が圧倒的に上では無いのかだが
テルシオの遠距離からの銃撃は無意味と言う意見も有るだろうし
槍兵に敗れると言う可能性は無いのかだが
日本の槍兵の機動力はどうなのかだが
軽量砲を大量に装備するマウリッツ陣には
勝てるのかどうかだが
銃は連続射撃は有るが
カール12世の軍の様な
近距離からの射撃ではないので
此れは脅威では無いのかも知れぬが
軽量砲はどうなのだろうか
ピストル騎兵は西欧の方が多いだろうが
日本の騎馬武者の突撃で此れが
撃破されたと言う事は無いのかだが
667 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:16:48 ID:p6fkxLUJ
まあ故に戦国時代の鉄砲の総数は
欧州より日本が多かったが
兵力に対する比率は多く無いと言う
事な訳だろうか
668 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:25:31 ID:p6fkxLUJ
>そもそも日本における鉄砲の運用形態はヨーロッパに見られるような指揮官の指示のもと機械的に一斉射撃する弾幕方式ではなく、個々の銃手の判断による狙撃の積み重ねであったと考えられており、国産銃もそうした運用に適した機構のものであったのである
と有るから
テルシオやマウリッツ陣の銃とは異なり
近距離からの狙撃を重視しているなら
足軽の銃(或いは弓も)は(カール12世の軍の物同様に)
可也役には立ったと言う事は無いのかだが
669 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:31:49 ID:p6fkxLUJ
スウェーデンのカール12世の軍では
前の2列が至近距離で
同時に銃を発射したと言う事の様だが
日本の足軽の場合はどうだったのだろうか
670 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:33:14 ID:p6fkxLUJ
マスケット銃はハンマーの衝撃で
精度が低く成ると言うから
近距離での射撃しか意味は無いが
火縄銃の有効射程というのは
どの程度だったのかだが
(確か50m先の目標にもほぼ確実に当てられると言うが
雑兵でも此れは可能だったのかだが)
671 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:42:31 ID:p6fkxLUJ
672 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:46:32 ID:p6fkxLUJ
フリードリヒ斜線陣に
カール12世の軍が勝てるのかだが
側面から銃撃を受けたとしても
槍兵が素早く突入すればだろうが
精鋭槍兵も擲弾兵には簡単に勝てないと言う可能性も有るだろうし
側面から包囲殲滅される可能性も有るだろうか
ナポレオンオーダーミックス陣に
フリードリヒ斜線陣やカール12世の軍が勝てるのかどうかだが
雑兵を縦隊として戦力に出来る分
オーダーミクス陣の方が
(同じ金を掛けた軍なら)強いのかも知れぬが
数が3倍程度でも斜線陣の側面攻撃を受ければ
撃破され得ると言う事は無いのかだが
カール12世の軍の正面攻撃には
数が3倍程度なら或いは勝てるのだろうか
673 :
某研究者:2006/04/23(日) 19:58:48 ID:p6fkxLUJ
674 :
某研究者:2006/04/23(日) 20:15:46 ID:p6fkxLUJ
>「何故なら、ピストル騎兵は槍が届く前にピストルを射つとすぐに向きを変えるからだ
>双方が引き下がるまで延々と戦い続けるようなやり方はもうしないからだ」
>ピストルを捨て、剣を抜いて戦うスタイルはピストル騎兵の好みところではなかった
>装甲槍騎兵は、回避することも走って逃げることも突撃で打ち破ることも出来ない
>兵士が戦場に出現した時、もはや生き延びることができなかった
まあピストル騎兵にパルティアンショットの様な事をやられて
重装槍騎兵は負けていたと言うが
ピストル騎兵の馬は小さいと言うし
鎧を軽くすれば追撃出来たと言う
事かも知れぬが
(まあアドルフの軽装のサーベル騎兵なら
軽装のピストル騎兵に追い着けたのか
どうかだが)
675 :
某研究者:2006/04/23(日) 20:18:34 ID:p6fkxLUJ
>ラ・ヌーは、700〜800の装甲槍騎兵は、1万8000のアルケブス兵を相手に
>しても勝つと主張したが、もし歩兵のうち3分の1が槍兵だった場合、勝者は歩兵だろう
>と述べた
此れは騎兵が下馬戦闘をしても
同様なのだろうか
676 :
某研究者:2006/04/23(日) 20:25:38 ID:p6fkxLUJ
大型の馬で馬に鎧を付けず
3/4鎧を装備すれば
ピストル騎兵にも追随出来たと言う事は
無いのかだが
日本の騎馬武者では追随出来ぬ
訳だろうか
まあしかし大型の馬を使って鎧を着ない様な
ピストル騎兵には
追随出来たのかどうかだが
677 :
某研究者:2006/04/23(日) 20:44:15 ID:p6fkxLUJ
678 :
某研究者:2006/04/23(日) 21:01:41 ID:p6fkxLUJ
679 :
某研究者:2006/04/23(日) 23:04:40 ID:c6xnUBeJ
重装騎兵から逃げ乍ら
ピストルを6発連発した
ピストル騎兵も居たかも知れぬし
5m等の至近距離から6発も打てば
馬の首等の装甲の無い所に当たる確率は
可也高いと言う事かも知れぬが
馬の首が装甲された騎兵も居ただろうが
足が装甲されて居る騎兵と言うのは
何処かで見たが極少数と言う事かも
知れぬが
>(弾痕の有る西欧鎧と言うのは
> 見た事が無かったが)
三浦氏によると銃のある時代には鎧の防御力の証明のため試し撃ちをしてから納品していたそうです。
矢でも同じような事が行われていたという話もあります。
681 :
某研究者:2006/04/24(月) 14:07:00 ID:zhOP7wL0
まあしかし弾痕の無い様に見える
鎧も多いが
此れ等は実戦用では無いのだろうか
>681
推測で申し訳ないですが全部では無いんじゃないでしょうか
性能の証明のために銃やクロスボウでためし撃ちをよくやっていた事自体は
各種の資料から事実であると考えられます。
683 :
モーターマン:2006/04/25(火) 03:05:06 ID:xPL1z5iT
てつはう (鉄はう?)
684 :
名無し三等兵:2006/04/26(水) 22:06:20 ID:tjiVCLLB
すいません、いくつかこちらのスレの方達に質問をお願いしたいのですが、よろしいでしょうか?
他の板での話しなんですが、ナポレオン時代の歩兵・騎兵の話で少し荒れまして…
・選抜歩兵はナポレオン軍の中でどのような位置、運用をされていたのでしょうか?
(ただの散兵だよ派と今の特殊部隊みたいなものだよ派がいます)
・竜騎兵が錬度の低いならず者集団で、騎兵の中では最下位の位置だったというのは本当なのでしょうか?
・ドラグーンが当時の人々の間で銃装騎兵を指す一般的な言葉であり、男の子の間で人気だったというのは本当なのでしょうか?
・ドラグーンの起源はフリードリヒ大王が中型騎兵に名づけたものが起源だというのは正しいのでしょうか?
・「ユサール騎兵は訓練もあまり要らずもっとも安上がりの騎兵であった。」は正しいのでしょうか?
(反対の根拠は 「量産された猟騎兵連隊に比べて、ユサール連隊の数は少ない。」という意味の分からないものでした…)
長々と失礼しました・・
是非おねがいします
ユサール騎兵についてだけ
正直今の今まで知らなかった単語だったのでぐぐってくくみたが
1 普段の生活で馬に乗っていた遊牧民族以外は、まず馬を乗りこなすのに数年かかる
2 馬を乗りこなせても馬で戦闘するには、さらに数年かかる
嘘か本当かはわからないが、↑は馬に乗ったことのない人間には本当らしく思える。
嘘か本当かはわからないが、本当だとしたら軽装備なら「比較的に」安いだろう
しかし、通常維持する費用は大差ないと思われる
戦がなければ装備の破損も少ないだろうから、装備の軽・重の差は少なくなるだろうから
もちろん素人の戯言だから信じてはいけないね。
686 :
684:2006/04/27(木) 01:50:01 ID:???
すみません、アンカーレスだったので原文から色々と抜けてたみたいです
アンカーされたほうの原文を持ってきました
>ハンガリー風のスタイルを導入したユサール Hussardsという騎兵もあった。
>騎手の体重と装備・馬具を合わせて70キロ以下でなければならず兵士も小柄でなければならない。
>馬は100フラン程度で買える安価なもので、飼料も安い干草で済み、騎兵本来の用法に近いので訓練もあまり要らずもっとも安上がりの騎兵であった。
で、反論が
>これは間違い。誤り。
>量産された猟騎兵連隊に比べて、ユサール連隊の数は少ない。
つまり、話題の流れがこの時騎兵についてだったので、歩兵と比べて〜という意味ではないようです
せっかくレス頂いたのに申しわけありません
687 :
某研究者:2006/04/28(金) 05:36:11 ID:gA2qxS3N
688 :
某研究者:2006/04/28(金) 05:38:51 ID:gA2qxS3N
689 :
某研究者:2006/04/28(金) 05:40:57 ID:gA2qxS3N
>また、ドラグーンという名は、最初はフリードリヒ2世が中型騎兵に対する呼び方とされているが(ドイツ語:Dragoner)、18世紀末になって、連隊の通称となっている。
ドラグーンと言う名前を付けたのは
大王な訳だろうか
690 :
某研究者:2006/04/28(金) 05:43:13 ID:gA2qxS3N
ユサールは竜騎兵・猟騎兵と異なり
下馬して防御に仕様出来ぬから
偵察用・後方撹乱用として少数用いられたと言う
事かも知れぬが
691 :
某研究者:2006/04/28(金) 05:52:05 ID:gA2qxS3N
ユサールはコストが安くても
下馬して防御に使用出来ぬなら
正面戦力としては割高に
成ると言う事かも知れぬし
偵察用・追撃用に少数用いられたと言う
事かも知れぬが
>・選抜歩兵はナポレオン軍の中でどのような位置、運用をされていたのでしょうか?
>(ただの散兵だよ派と今の特殊部隊みたいなものだよ派がいます)
http://www.asahi-net.or.jp/~PH4M-TIRK/Fa-01.htm 選抜歩兵(Voltigeur:ボルティジュール)
擲弾兵とは反対に歩兵大隊の中でも小柄で狙撃の巧い者を集めて編成され、小銃兵が組んだ戦列の前に散兵として展開する。
装備は他の部隊と同じものを用いていた。これは英国陸軍のLight Infantryにあたる存在であるが、軽歩兵戦術の導入はフランス陸軍が先である。
692 :
某研究者:2006/04/28(金) 05:55:18 ID:gA2qxS3N
693 :
某研究者:2006/04/28(金) 05:56:24 ID:gA2qxS3N
>・選抜歩兵はナポレオン軍の中でどのような位置、運用をされていたのでしょうか?
>(ただの散兵だよ派と今の特殊部隊みたいなものだよ派がいます)
まあ矢張り狙撃の上手い者が只の散兵なのか
どうかだが
騎兵の画像ってないかな?〜
695 :
某研究者:2006/04/28(金) 16:33:10 ID:y3fs09RT
少数精鋭のフリードリヒ大王の兵なら
兵站には負担が掛からず
ロシアの焦土戦術にも対応出来たと言う事は無いのかだが
同じコストの兵なら
雑兵の大兵力で補給にも金を掛けた方が
良かったと言う事は無いのかだが
雑兵は戦闘参加率が1/3程度であり
余り役には立たぬと言う可能性も有る訳だろうか
古墳時代の日本人は鉄を得るために朝鮮半島に攻め込んだというが、
武器は何を使ったのだ?
半島人は鉄剣を使っても勝てないほどチョロかったのか。
697 :
名無し三等兵:2006/04/28(金) 18:45:08 ID:dBSNFGSK
>>696 当時の朝鮮半島の人間は今の朝鮮人とは別人種です。
>>696 当時の戦争では質より数のほうが重要だったのでは?
いくら青銅レベルの装備とはいえ、完全武装の軍隊に
海から奇襲喰らったら普通は負けるでしょ。
699 :
某研究者:2006/04/28(金) 21:26:58 ID:y3fs09RT
まあそもそも古墳時代も剣が主武器なのかだろうし
青銅の槍の鉄の槍の威力の差と言うのは
そう有るのかだが
鎧に関しては雑兵は装備して居ないだろうし
騎兵に行き渡る程度の鉄の槍や鎧なら有ったと言う事は
無いのかだが
古墳時代ごろの武器の優劣について妄想・・・。
おかしな点があったら突っ込んでください。
まず重要なのは「木製の盾」の存在です。数を用意することが比較的容易いこと、
飛び道具に対する防御策であることなどから、仮に盾が主力部隊に行き渡って
いたとすれば、軍全体の性能は飛躍的に向上したであろうと思われます。
次に飛び道具です。盾によって、投槍や弓(初期)など狩りの手段の
延長としての武器の威力はある程度減少しました。これにより、
勝利のためにはより大きな(多くの)威力が必要となり、投槍は
槍の補充や回収、規格化などの運用面が面倒です。また、古墳時代において、
弓本体や弦や矢を改良するには様々なものが不足していたと思われます。
すると、やはり製造のしやすさ、運用のしやすさなどから、
剣や槍などの飛び道具以外の武器が主に使われていたのではないでしょうか。
701 :
某研究者:2006/04/29(土) 19:47:45 ID:LkCBzNoX
まあ盾が雑兵の全員に装備されて居たとは
思えないし
鎧や武器も満足に無く
石を投げて居た様な兵も多かった訳だろうか
(戦国時代同様に雑兵は石が
主力武器だったと言う事は無いのかだが)
蝦夷征伐の頃の大和軍の装備ってどんな風だったんだ?
703 :
某研究者:2006/04/29(土) 21:43:37 ID:eOBdE/1N
704 :
某研究者:2006/04/29(土) 21:44:48 ID:eOBdE/1N
歩兵は兎も角騎兵は大陸軍と同等の装備は
有るのかどうかだが
弓の形状は異なっていたかも知れぬが
遺物等から察するに倭の半島進出初期の装備はまず弓、青銅の短剣、
青銅製の穂先を持った矛、防具は木製の盾、皮製の胴衣といったところ
ではないか?
半島のほうも倭より進んでいたとはいえ大して変わらなかったんじゃないか?
となると戦略や戦術が未熟な当時のこと、頭数と戦意が高いほう(倭)が優勢
だったのも驚くにあたらない。(倭は歩兵のみ、半島は騎兵もいたと思われるが
数が少なすぎて大して脅威にならなかったんじゃないかな)
首をチョン切れ
707 :
某研究者:2006/04/30(日) 14:46:29 ID:Lnp6vhm7
http://blog.mag2.com/m/log/0000012950/107219736 >「捕虜はみせしめのために、大勢の村人の見ている前で大砲の砲口にし
>ばりつけられて砲弾で吹き飛ばされた」(世界の歴史がわかる本 綿引弘
>知的生きかた文庫)
>「縛られたまま舟に乗せられて激流にながされた」(同上)
>「象に轢かれて身体を八つ裂きにされた」(同上)
>「イギリス兵のなかには、とろ火で捕虜を焼き、「炎のなかで肉がはじけて
>焦げるとき、肉の焼ける異様な臭いが立ちのぼり、あたりの大気に充満
>する」のを楽しむ者さえいた」(同上)
此れが英のインド捕虜の
扱いだった訳だろうか
(欧州の兵に対しては
果たしてどうだったのかだが
30年戦争辺り迄はこんな
感じだったのだろうか)
>>某研究者さん
丁寧に回答していただいて、色々とソースも貼っていただいて
ありがとうございましたm(_ _)m
709 :
684:2006/04/30(日) 16:54:19 ID:???
↑名無しのままでした
684です
710 :
某研究者:2006/04/30(日) 17:06:18 ID:ce0YSifF
まあしかし完全な回答は
得られて居ないかも知れぬが
>ドラグーンという名称は、彼らの装備するドラゴン(日本語では「竜騎銃」と訳されている)と呼ばれたカービン(ショートマスケット銃とも)が、
>発砲の際に大量な硝煙を吐き出すことから名づけられた。(また、銃床に龍の模様をかたどっていたことが起源という説もある)
ドラグーンの名称の由来に関しては
上の様な事も有った訳だろうし
竜騎兵のマスケットは短く共
火薬の量は恐らく通常のマスケットと同じだった故に
煙は可也出たと言う事だろうか
711 :
某研究者:2006/04/30(日) 18:51:37 ID:ce0YSifF
712 :
某研究者:2006/04/30(日) 18:57:50 ID:ce0YSifF
>北軍の兵士たちが塹壕を掘る前に攻撃しなければならないと考えた南軍のリー将軍は、部下のリチャード・ユーエル中将にセミタリー・ヒルの攻撃を命じますが、
>ユーエル中将は自軍の疲労と損害を過大に評価して、その日は攻撃を行いませんでした。
此処で攻撃をして居れば
或いはどうだったのかだが
防備が固められて居ず共
普通に戦えば火力の差で南軍は負けていたかも知れぬし
防備を固める以外
無かったかも知れぬが
713 :
某研究者:2006/04/30(日) 19:04:17 ID:ce0YSifF
>南軍がリトル・ラウンド・トップを占領すればセミタリー・リッジ全体が敵の射程内に入ってしまうことに気付いたウォーレン准将は、すぐに数隊の兵力を丘の頂上へ送ります。
或いは此処を占領していればだろうが
>たまたまこの丘の頂上にいた北軍の通信兵がいちはやく敵軍の動きを報告し、ちょうど偵察に来ていたウォーレン准将がこれを確認します。
此れは偶然だったのか
どうかだろうし
万一発見されなければ
どう成って居たのかだが
714 :
某研究者:2006/04/30(日) 19:06:37 ID:ce0YSifF
>南軍総司令官のリー将軍は、敵を北と南から同時にはさみ撃ちにしようと計画していたのですが、北軍の奇襲攻撃の成功でこの作戦は不可能になりました。
まあしかし北側の南軍部隊が撃退されては
勝てたのかだが
此れはリトル・ラウンド・トップを占領すれば
防げたと言う可能性は無いのかだが
715 :
某研究者:2006/04/30(日) 19:25:58 ID:ce0YSifF
http://civil-war.nu/civilwar/biography/csmedical.html >この不衛生事例を見ても分かるとおり、陸軍省医療部の最大のテーマは、実は病死だった。
>人的損失の内、戦死はおおむね1%、負傷は10%だったが、病死は何と25%に昇った。
>石鹸一個が平均的な兵隊の給与の10%していても不便を感じないという衛生感覚の欠如もあったが、
>それ以上に南軍は集団生活は始めてという田舎者が多く、こういう兵隊が一発の銃を撃つこともなく、
>赤痢、ジフテリヤ、お多福風邪、そして何とハシカで死んで行ったのだ。負傷は通常治癒可能か否かの識別が簡単につき、
>兵力分析という観点からは大きな問題はなかった。しかし病気は予測不可能。病気はあっと言う間に拡大し、
>原因はいつも分からず終いだった。
まあ病気の蔓延と言う要素も
有る訳だろうし
死なず共戦力に成らぬ兵は
病気に成らず共
雑兵では多い訳だろうし
衛生的では無く兵糧を食う雑兵の大兵力よりも
衛生的で兵糧は余り食わない
少数精鋭の兵力の方が
役に立ったと言う例も多い訳だろうか
(まあ作業用に雑兵は必要かも知れぬが
衛生的な対策は取るべきと言う
事かも知れぬし
精鋭部隊に迄病気が蔓延すれば
戦えぬ訳だろうが
近世は兎も角中世では
此れは限度が有ると言う事だろうか)
>1863年3月、ジョーンズは「毒ガスを開発して、海上では装甲艦に対抗する武器に使い、陸上では圧倒的な数の兵力で迫る北軍にぶち込むための野砲弾として使おう」という意見具申書を軍医総監に提出している。眉をしかめた軍医総監は彼を熱病研究者に当て込んだのだ。
まあ下手をすると毒ガスがこの時点で
使われて居たと言う事は無いのかだが
うぜーな糞爺
19世紀の軍隊って靴はどんなものを履いていたの?
特に士官が聞きたい
718 :
AIRSHIP:2006/05/01(月) 23:01:40 ID:yebfS4e9
>>717 地域や国によって、色々違いがあるが、乗馬する士官はストーブパイプやウェリントン
ブランデンバーグ、の様なハイ・ブーツ。
歩兵では、踝までのブーツや靴。 レギンスや巻脚絆を使っていた所も有るが、裸足や
布製の靴、草鞋等々千差万別です。
何処の国か、地域か言って貰えばもっと詳しく答えられます。
北欧やロシアの歩兵の足元はどんなもんだったんでしょう
とくに冬の装備が気になります。
南北戦争では南軍歩兵はほとんど裸足だったらしいね
「グローリー」では連隊長が裸足のニガー歩兵のために
「サノバビッチ!」って叫びながら補給士官こづいて
靴を出させてたね
721 :
某研究者:2006/05/02(火) 19:41:15 ID:wSN37tQa
靴の補給が大変だったと言う
話しは良く有るが
此れは南北戦争だけの事では
無いだろうし
割りに簡単に補修出来るであろう
草鞋の有る日本の軍隊の方が
靴には困らなかったと言う事かも知れぬが
722 :
某研究者:2006/05/02(火) 20:00:57 ID:wSN37tQa
夜襲と言うのはフリードリヒ大王の時代と言うのは
行われていた様だが
其れ以前には有ったのかだが
(アレキサンダーと戦ったペルシャ軍が
夜襲を恐れて兵を起こしていたと言うのも
有っただろうし
日本の船のモンゴル船襲撃も確か
夜襲だっただろうか)
723 :
名無し三等兵:2006/05/02(火) 23:29:34 ID:ZopZiVhy
19世紀の大砲の砲口の大きさを聞きたいのですが、どなたかご存じでしょうか?
19世紀の偏りなく全体を、知っている分だけ教えていただければ幸いです。
725 :
某研究者:2006/05/04(木) 04:06:11 ID:YejfsbJb
726 :
某研究者:2006/05/04(木) 04:09:23 ID:YejfsbJb
>徹底的な集中運用のため火砲装備率は割と低く、千名に3門の割合でした。
>携行弾薬は1門あたり200発、その4分の1は散弾、他は火道信管付のりゅう弾や実体弾でした。
>敵であるイギリス軍の砲兵は歩兵連隊の軽砲が主力で、有効射程6〜800メートル、フランス軍の射程(2千メートル足らず)よりもかなり劣っています。
>そのためイギリス軍の戦闘は小銃射撃に頼ることになり、技術的な工夫でフランス軍砲火を避けて、機動的戦闘により勝敗を決するよう努めていました。
まあしかしマウリッツやアドルフの様に軽量砲を大量に装備した方が
強いと言う事は無いのかだが
海戦ではどうなのかだが
近距離から発射するカロネードが有効だったと言うし
長距離砲は何処迄
役に立ったのかだろうし
トラファルガーも大砲の能力差で
仏は果たして負けたのかどうかだが
727 :
某研究者:2006/05/04(木) 08:30:42 ID:YejfsbJb
ナポレオン(1世)時代の仏軍の軍装を調べているのですが
どこか一覧で載っているサイトとかないでしょうか?
同時代の外の国の軍装も探してます
どなたかお願いします
「napoleon uniform」でイメージ検索はした?
731 :
728:2006/05/07(日) 20:52:31 ID:???
>>730 みつかりました
ありがとうございます
ただ、フランス語とか英語だと解説が読めなくてorz
プロイセンに黒服のガイコツ部隊がいるってのを知ったんですけど
あれはどういう部隊なんですか?
732 :
某研究者:2006/05/07(日) 21:14:08 ID:SiPko/fM
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%91%E9%AB%8F >フリードリヒ2世はプロイセン王国軍軽騎兵連隊「Regiment Nr.5」に対して黒地の制服にこの微章を付けるように指示した。この制服でオーストリア継承戦争や七年戦争において従軍させている。その後この微章は1808年頃まで採用されていたと言われている。
フリードリヒがプロイセン軽騎兵に骸骨を付ける様に支持したと言うが
近衛騎兵が最初に独自に此れを使ったのを見て
決めたと言う事は無いのかだが
733 :
某研究者:2006/05/07(日) 21:17:45 ID:SiPko/fM
734 :
某研究者:2006/05/07(日) 21:20:20 ID:SiPko/fM
まあしかし誰の指示で
近衛連隊が髑髏を
付けたのかだが
大王では無い可能性も有る訳だろうか
735 :
某研究者:2006/05/07(日) 21:23:17 ID:SiPko/fM
お姫様は世間知らずだ等と言う
描写も良く有るだろうが
テレジアやエカテリーナ等が
世間知らずなのかだろうし
テレジアは支配者としての教育を
可也受けていた訳だろうが
アントワネット等を見る限り
皆この様な教育を受けて居たのか
どうかだが
736 :
卵の名無しさん:2006/05/07(日) 21:23:40 ID:+forW4Y5
どくろマークは おまえを食ってやるぞ〜 という威嚇の意味なんです。
あ、これはニュージーランドの原住民たちの話。
737 :
卵の名無しさん:2006/05/07(日) 21:28:52 ID:+forW4Y5
テレジアは、愛子様と一緒で、将来帝位につくことも予想されていたのでわ?
真子様と愛子様では教育が違ってそうだ、、。なーんの根拠もないけどね。
738 :
名無し三等兵:2006/05/07(日) 21:30:30 ID:O9/3CrEK
AK-47ほどベトナム戦争で使える銃はあるか?
739 :
名無し三等兵:2006/05/07(日) 21:37:26 ID:fiNxB/67
マール社の武器事典を勝った俺は負け組ですか?
740 :
卵の名無しさん:2006/05/07(日) 21:41:46 ID:+forW4Y5
めめんともり
741 :
名無し三等兵:2006/05/07(日) 23:58:12 ID:O9/3CrEK
卵市ね
742 :
卵の名無しさん:2006/05/08(月) 00:07:19 ID:YuEcRIR1
なーんでー??
743 :
名無し三等兵:2006/05/08(月) 07:20:49 ID:Wp4eUSn2
>>739 ちょっと銃砲にページ割き過ぎだよな…火縄銃とか古式ライフルはツマンネ
でも他に手ごろな良い資料ないしな
744 :
某研究者:2006/05/14(日) 11:39:12 ID:lvMHgzAg
ドイツの様に英と戦うと見せ掛けて
兵力を増強し
此れで他国に奇襲を掛けると言う様な戦術は
他に例は有るのかどうかだが
>>744 十字軍による、コンスタンティノープル攻撃はそれに当たるんじゃないか
ベネツィアかどっかの商人に操られて攻撃したあれ?
747 :
某研究者:2006/05/17(水) 16:14:28 ID:DI4c+0j9
アルスラーン戦記でも似た様な物が
有っただろうが
何処を攻撃するかは明言して
居なかっただろうか
某研究者の文の読みにくさはマジでしゃれにならん、なんで池沼風の文を書くんだよ
文末がだろうか、だろうが、ばっかりじゃないか
最後の「か」と「が」の濁点の違いだけで文の意味が全然変わってくるからたまらん
自然現象相手に怒るなよw
750 :
某研究者:2006/06/05(月) 10:39:43 ID:VJBmHbVX
751 :
某研究者:2006/06/10(土) 09:24:07 ID:CzIBE5T2
少数の兵が動き廻り乍ら
囲まれない様に戦うと言うのは
集団戦では果たして可能なのかどうかだが
>>748 >なんで池沼風の文を書くんだよ
ここをもう少し考えると答えが出ると思うよ。
旧軍実物コスしてるやつら、英霊を侮辱するのはいい加減にやめろよ。
お前等のような、へタレ民間人や学生は、
自分が軍服が着れる身分とでも思ってるのか?
國を護ったことも、護る気もないやつらが、かつて國に殉じ、命をかけて戦った
人達の軍服を着るなんて、勘違いもいいところ。貴様ら、何様のつもりだ?
お前等みんな将校の服を着てるが、将校としての教育を受けたこともないのに、
将校の服を着て違和感を感じないのか? ほんとに笑止千万だよ。
だいたいお前等が、将校になれるとでも思っているのか?
お前等の身分じゃ、国民義勇軍がいいところなんだよ。
それにお前等は、やたら階級やら微章やら設定やらにこだわるが、
そんなことより中身にこだわろうとは思わないのか?
軍服着て、中身が民間人っていうのは、一番イタイ、考証の間違いだろ。
髪を切る度胸もない腰抜けのくせに、軍服なんか着るんじゃねぇ。
お前等が着て似合うのは、国民服だけだよ。
戦友会や遺族会がお前達に対して、どれほど頭にきているか知ってるか。
愛国的な一般国民も右翼も左翼もまた然り。ウザい、というかキモいと思っている。
旧軍コスやってる奴の中には、靖國に参拝してる奴もいるらしいが、不敬も甚だしい。
旧軍の服を遊びで着て英霊を侮辱している、不敬な國賊が、英霊を敬うだと!?
ふざけるな!
お前等は日本の歴史に泥を塗る、恥部だ。
考えを改めるか、この國から出ろ。
お前等がいるだけで、英霊が護ったこの日本が汚れるんだよ。
たとえいい事を言っていたとしても発言の場所を間違えては意味がない。
スレ違いだよ
ていうか、いいこと言ってるとも思えんw
狭量な自己正当化にいちいち死者を持ち出すなよ。それもまた冒涜。
>>750 象は戦場にあってはしばしば狂奔し、敵ばかりか味方をも傷つけたそうだが。
従順さと冷静さ(感情の制禦能力)において、象には難点がある。
動物の知能テストの評価で、霊長類やイヌ、イルカ等よりも象が
やや劣るのは激情性の為らしい。
ポーランドの背中に羽を着けた騎兵の画像を探してます。
>>755 訓練された兵相手に象は使っちゃいかんのよ
>>756 Winged Hussar でイメージ検索汁
>Winged Hussar
756ではないですが、カッコエェ〜〜
情報d
>>750 豚の鳴き声が嫌いだったとか。
>火をつけたブタを突進させ
ソースは曖昧(ゲーム)だがBeneventum(275BC)でローマ軍がピュロスの象相手に使ったとかなんとか。
おまいら今日はテレ東見るよな?
相性ってものがあるから象が豚を嫌っている可能性は否定できないが
アジアでは象と猪(豚の原型ね)は生活圏が重なっているわけで
”鳴き声を聞いただけで虫唾が走る”ってことはないんじゃないかと思う。
サバンナ生まれのアフリカゾウならありえるのかねぇ
763 :
756:2006/06/22(木) 19:26:59 ID:???
>>758 お礼が遅れました。
おかげで見たいものが見れたよ。ありがとう。
豚は別に苦手じゃないけど、昔からヨーロッパでそう信じられてたそうな。
本当に苦手なのは犬で、群れが激しく吠え回ると象がパニック起こすそうな。
凄ぇなこのスレ、某研のレスだけで半分埋まってるよ。
たしかローマの戦車あたりが戦闘用の軍用犬を使っていたはず
マスチフ系のでかいのに刃のついた首輪をつけて数匹で露払いをさせて
ダルメシアン系の細いのを両脇に走らせて護衛をさせていたような
ちょと質問なんだけど中世後期のヨーロッパには「一番槍」とか先陣が名誉である
とかの感覚があったの?
俺は漠然としたイメージとして
まず最初に飛び道具の応酬→次いで歩兵の突撃→敵の戦列が乱れたor敵が敗走したら騎兵突撃
みたいなものを持ってるんだけどこれだと一番槍・先陣は……。
教会が騎士は騎士らしく剣で戦えとか無茶言うんだよ。
言ってません
法皇がクリスチャンの騎士に対してクロスボウを使用することを禁止したことはある、もちろん誰も守りゃしないけど
騎士たちは飛び道具を卑劣と見下してはいたが侮ってはいなかったと思う
ただし戦績として下衆の弓隊を蹴散らしてもなんの自慢にもならないので、弓隊に横腹をさらしてでも
身分の高い敵を狙ってそこへ殺到する悪い癖があったとのことだ
貴族の感覚としては傭兵がなにをしようがあまり関係ないので、
戦端を切るのが弓隊であっても最初の貴族の突撃の価値、名誉はなんら損なわれないと思われる
クロスボウはむしろ庶民の武器なのよね。
素人でも照準をあわせやすくかつ保持できるから。
13〜14世紀頃は、旅人は武装せずには旅行も難しかったそうだ。
移動の障害でもあったヨーロッパ大原生林は、
一部地域を除いてこのころにはほぼ消滅したとされるが、
騎乗し武装した騎士でさえ、部下や従者なしでの一人旅は物騒だったとか。
沿道の農民たちが追い剥ぎ・強盗殺人魔と化して襲ってくるため。
剣にて生きるものは地獄に落ちるべし?
剣がダメならメイスで潰せば良いじゃない
騎士が卑怯な弓に負ける筈がないから、騎士は死なずにどこかへ逃亡してるに違いないニダー!
とファビョった司祭の書簡が残されてるそうな。
弓に負ける奴は騎士じゃなかったんだよ
騎士団によっては剣は血を出して残酷だからって理由で
メイスとか鈍器で武装してたみたいだね
鈍器で殴られると、刀で切られるよりも酷い傷になりそうだがw
剣で斬るとこっちの鎧が血で盛大に汚れるから。
鈍器で返り血が飛び散る程度なら水で流す。
781 :
某研究者:2006/07/03(月) 16:54:07 ID:nR6kNsAF
まあ旅人も武装していても
集団で居なければ
弓等で奇襲を受けてアウトかも知れぬし
少数で行くなら正規のルート外を
辿る以外無いだろうが
此れを読まれていたら
発見されてやられる可能性も
有る訳だろうか
比較的安全に旅が出来たのは、王侯を別とすれば巡礼者ぐらいかね。
裸同然の無銭旅行、中には自分を鞭打ちながら聖地を遍歴する者も。
こうした巡礼者への喜捨や宿の提供などもあったそうだ。
あと武装した強盗や反乱者などがある家に逃げ込み、
その家の主人が彼らを受け入れた場合、
公権力も手出しは出来なかったという説もある。
「家の庇からの雨垂れが地面を穿って作られた線より内側」は、
「特別平和」の対象とされ、公法は制約され、
原則として家の主人のみが統べる領域とされた。
今、アフガンやイラン等で起こっている事を彷佛とさせる。
すげぇなうらやましい
784 :
某研究者:2006/07/04(火) 21:34:19 ID:99j6Aij6
まあ道を迂回しようとしても
門等から追跡されて居たら
駄目だろうし
襲撃されぬ様な集団で行動しないなら
門とは別の何処かから
外に出る必要は有るかも知れぬが
785 :
某研究者:2006/07/04(火) 23:19:47 ID:99j6Aij6
いーや、砒素で毒殺されるところまでだね。
俺の脳内妄想では(ストーリーとしておいしすぎるだろ)。
宗教上の理由で鈍器を使うって話は、RPGゲームによる意味付けで、歴史的な背景は無いよ?
鈍器法廷でやってくれ
佐藤賢一の「赤目」に
「この時代、騎士でなければ軍隊には弓手しかいなかった」
って書いてあったんだけど本当?
この時代ってのは十四世紀中頃のフランスね。
792 :
某研究者:2006/07/18(火) 11:31:28 ID:SuJoMsVb
テルシオがオランダ式大隊と異なり
背後の防御に
何故固執したのかだが
敵である仏の騎兵が
強力だったからかも知れぬが
オランダの騎兵は良かったのかだろうし
背面の防御を捨てても
良かったのかも知れぬが
仮に正面の攻撃力を増そうと
錬度の問題でオランダ式大隊に勝てた訳では
無い訳だろうか
793 :
某研究者:2006/07/18(火) 11:35:23 ID:SuJoMsVb
スウェーデン騎兵が強力な以上は
神聖ローマ軍は背後の防御を固めねば成らなかった訳だろうが
オランダ式大隊にも背後の防御を固める陣形が
恐らく有るかも知れぬし
テルシオでは無くこちらを採用した方が
良かったかも知れぬが
794 :
某研究者:2006/07/19(水) 09:35:22 ID:oaWpDWAo
795 :
某研究者:2006/07/19(水) 09:37:36 ID:oaWpDWAo
>、その内訳は、士官と事務員132名、パイク兵1080名、コルスレット1110名、アルケブス銃兵448名、マスケット銃兵230名である
結構マスケット銃兵も比率は多いだろうし
重装騎兵もやられていたと言う事は
無いのかだが
西欧の銃兵は狙撃では無く
一斉射撃をして居たなら
チェリニョーラの様な至近距離での一斉射撃で無いと
命中は期待出来ぬのかも知れぬが
ピストル騎兵だけでは無く重小銃も
騎兵の軽装化の原因と成ったかも
知れぬが
ピストルで重装騎兵の装甲は打ち抜けるのかだろうが
馬に装甲を施した重装騎兵は
少数であるなら
ピストル騎兵に馬を狙われてやられたのが
重装騎兵衰退の原因であり
重小銃で無く共馬を狙えば
重装騎兵は倒せたのかも知れぬが
最前列の騎兵の馬だけでも装甲を施せば
ピストルは可也止まったかも知れぬし
装甲を無力にする重小銃が重装騎兵を衰退させた可能性も
有るのだろうか
796 :
某研究者:2006/07/19(水) 09:38:13 ID:oaWpDWAo
オランダ式大隊等では
重小銃は使用して居たのかだが
重装騎兵が廃れていたから
使用していなかったのかも知れぬが
(テルシオも銃の比率は増えたと言うが
重小銃は何処迄増えたのかだろうし
重装騎兵衰退後は
重小銃は消えたと言う事かも知れぬが)
装甲を装備した歩兵であるコルスレットの
鎧を貫こうとは考えなかったのかだが
この鎧は防弾効果は低いと言う
可能性も有るだろうか
797 :
某研究者:2006/07/19(水) 09:44:47 ID:oaWpDWAo
チェリニョーラでは仏騎兵は
歩兵等でパイク兵を崩してから突撃したのかだが
テルシオのパイク兵を侮って居たと言う事は
無いのかだが
パイク兵を崩しても残存している
マスケット兵の銃撃を受ければ
重騎兵も可也の打撃を受けたと言う
可能性も有る訳だろうか
798 :
某研究者:2006/07/19(水) 10:01:58 ID:oaWpDWAo
799 :
某研究者:2006/07/19(水) 10:04:58 ID:oaWpDWAo
テルシオのマスケット銃兵は精鋭であるなら
胸甲を装備していた可能性は
無いのかだが
800 :
某研究者:2006/07/19(水) 10:10:44 ID:oaWpDWAo
801 :
某研究者:2006/07/19(水) 11:14:47 ID:oaWpDWAo
胸甲兵を倒す為の
フリントロックで大型の銃と言うのは
有ったのかどうかだが
802 :
某研究者:2006/07/19(水) 19:21:19 ID:iNBJoUCY
マスケット銃は重く成った胸甲で
防げたのかも知れぬが
其の分他の部分の装甲が軽量化され
馬の装甲は消えたと言う
事なのだろうか
(馬に軽い装甲を施してピストルだけでも守ろうとは
考えなかったのかだが
安いピストル騎兵の物量には
勝てないと判断したのだろうか)
キングダム・オブ・ヘブンという映画を見た。エルサレムでの十字軍・サラディンの戦いなんだが
攻城兵器に興味があったので夜に火玉を一斉射撃するトレバシェットや攻城タワーの攻撃と
それに対する反撃はなかなか面白かった。
804 :
某研究者:2006/07/20(木) 09:16:25 ID:ybgV+BFa
重装槍騎兵にもピストルを持たせて
ピストル騎兵に対処しようとは
考えなかったのかだが
数で白兵戦に持ち込まれたら
負ける訳だろうか
805 :
某研究者:2006/07/20(木) 09:45:46 ID:ybgV+BFa
鎧も無いピストル騎兵等
重装騎兵の10倍程度は
同じコストで揃えられるのかも知れぬが
ピストル騎兵の士気は低いとすれば
白兵戦を恐れる必要は無いかも知れぬし
ピストルを重装騎士に持たせれば
ピストル騎兵等結構撃退出来たと言う可能性は
無いのかだろうし
砲撃や銃撃で隊形を崩せば
マスケット銃兵も叩けたと言う事は
無いのかだろうし
ピストル騎兵に対抗する為にピストルを止める程度の装甲を全体に
施すと言うのは
無意味だったのかだが
ピストルを持たせるだけでも
装甲の無いピストル騎兵は牽制出来るだろうが
兵に装甲の有るピストル騎兵と言うのも
居るだろうし
此れはピストルでは牽制不能だろうから
馬に装甲を施す必要は有る訳だろうか
806 :
某研究者:2006/07/20(木) 09:56:24 ID:ybgV+BFa
重騎兵も
重小銃の防御は諦めて
全体にピストルや騎兵銃を止められる程度の
装甲を施せば
良かったのかも知れぬし
歩兵の重小銃は砲撃や歩兵の銃撃等で
無力化すれば
良かったと言う事かも知れぬが
807 :
某研究者:2006/07/20(木) 09:58:09 ID:ybgV+BFa
尖った弾なら
騎兵銃やピストルでも
重装騎兵の装甲は
貫通した可能性も有るだろうが
此れが出て来たのは何時なのかだが
この時点では装甲を全体に施すのは
諦めざる負えぬと言う事かも知れぬし
歩兵は兎も角騎兵はこの種の弾を
多用して居た可能性は有るだろうか
808 :
某研究者:2006/07/20(木) 10:17:57 ID:ybgV+BFa
ライフル銃が大量に使用されたのは
フリードリヒ大王時代と言うが
威力は兎も角精度は余り
上がらなかった様だし
発射速度が落ちるデメリットの方が
大きかった訳だろうか
某研のレスはまるで詩のようだな。曲つけてあげたい
811 :
某研究者:2006/07/22(土) 07:39:22 ID:RXGLSvd/
812 :
某研究者:2006/07/22(土) 09:21:56 ID:RXGLSvd/
モームスのリボンの騎士は矢張り強引だったのであろうか(苦笑
晒し上げ