1 :
名無し三等兵 :
2005/05/23(月) 11:11:44 ID:srlxllQi 戦時の英雄達のその後の話を語るスレッドです。 彼らが戦後、どのように人生を送ったか。 ご存じの方、教えてください。
2 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:15:44 ID:XlFg7Tzv
2get!
3 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:16:00 ID:xM+yIx0h
阻止しないの?
4 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:18:14 ID:???
920 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/05/22(日) 22:56:02 ID:9WJqrXIQ
>>912 なるほど、別に無理して知りたいわけでもないので、ただカテゴリわけも結構難しいんだって事はわかりました。
んでは、次に、戦時の英雄が戦後なんの仕事してたのかっつーようなスレはありますか?
確か、坂井三郎が印刷業で、オットーカウリスが薬局だったような。
アドルフガランドは何やってたのかな?
947 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/22(日) 23:28:24 ID:???
>>920 ガラントは戦後クルト・タンクに誘われてアルゼンチンに密出国、1948年から現地で空軍の指導にあたった。
1955年ドイツに戻り軍需産業関連のコンサルタントとなり、これが彼の終生の職業となった。
その後ドイツの再軍備に伴い彼に空軍査察総監(空軍トップ)との声もあったが、密出国したことが問題となり実現しなかった。
(代わりに総監に就任したのが本土防空戦の指揮をとったカムフーバー)
私生活では同棲一回結婚を三回行い、三度目(最後)の結婚の時は式に最初の妻が出席した。
(その時仲間に「これがほんとの『始まりと終わり』(ガーランドの手記のタイトル)だな」と冷やかされたとのこと。)
1996年、83歳で死去、葬式には空軍の現職の戦闘航空団司令6名が棺に付き添った。
以上学研「ドイツ本土防空戦」より。
あと自分が知ってるところでは戦車エースのエルンスト・バルクマンSS曹長。
彼は戦後故郷に戻り、消防団長となった後町長となった。
確か今も健在でCDU(キリスト教民主同盟)の地方幹部となり、名誉町長の称号を受けている。
954 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/22(日) 23:39:12 ID:???
SSのヨーヘン・パイパーは車だかビールだかのセールスマンだったっけ?
フランスのテロリストに殺されてしまったが。
5 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:18:44 ID:???
954 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/22(日) 23:39:12 ID:???
SSのヨーヘン・パイパーは車だかビールだかのセールスマンだったっけ?
フランスのテロリストに殺されてしまったが。
962 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/22(日) 23:51:11 ID:???
>>954 ビールのセールスマンはクルト・マイヤー。
パイパーは自動車会社の技術文書の翻訳家となり、1975年に住んでいた南仏で左翼過激派に殺害された。
バルジ戦で第5装甲軍を率いたハッソー・フォン・マントイフェルは右派政党の党首。
その下で装甲教導師団を指揮したフリッツ・バイエルラインは絨毯屋
降下部隊を指揮したフォン・デア・ハイトは戦前の職業に戻り、大学の法学部教授となった。
966 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/22(日) 23:57:01 ID:???
>>962 おまいら面白いな。
撃破王とかがビールのセールス来たら買っちゃうだろうな。
戦後何やってたかって戦時中より面白いかも。
確か、牟田口廉也は東大の教授だっけ?(息子だっけ???)
968 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/22(日) 23:58:42 ID:???
辻正信は国会議員やったあとラオスで死亡
970 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/22(日) 23:59:36 ID:???
岸信介は言わずと知れた総理大臣
6 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:19:01 ID:???
972 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/23(月) 00:11:25 ID:???
>>920 インパール退却戦で活躍した宮崎繁三郎は焼物屋。
ラバウルに立て篭もった今村均は刑期を終えた後、軍人恩給だけの質素な生活を続ける傍ら、
厖大な回想録を出版し、その印税を全て戦死者や戦犯刑死者の遺族の為に使ったという。
976 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/23(月) 01:18:33 ID:???
>>920 第343航空隊司令兼352航空隊司令の源田実は
航空自衛隊に入って3代目の航空幕僚長。
更には参議院議員にもなっている。
977 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/23(月) 01:34:21 ID:???
ソロモンで自沈した戦艦比叡の艦長西田正雄大佐は製麺所の工場長となり、晩年まで比叡について沈黙を守った。
978 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2005/05/23(月) 01:40:59 ID:???
ダス・ライヒ師団長ハインツ・ランメルディングは戦後建設会社を興して実業家として成功。
もっともその資金の出所にはオラドゥール事件が関係してるという噂はあるが。
7 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:19:15 ID:???
8 :
1 :2005/05/23(月) 11:21:16 ID:???
9 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:23:28 ID:KiuLEq3n
成美たんも英語を子供に教えつつ質素な暮らしだっけ?
10 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:40:59 ID:???
ルーデルってさすがにもう死んだよね? 片足義足で登山家やってるって話は聞いたが……
11 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 11:58:00 ID:K46daQGX
ルーデルの葬式では上空を西ドイツ軍機がフライパス ナチを美化するのかと政治問題に。
12 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 12:05:55 ID:???
>>9 そそ
木村昌福-製塩業
ほかの前線指揮官で生き残った人たちはどうしたのかね
13 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 12:07:35 ID:???
戦後の一時期、人夫をしていた提督がいたけどだれだっけ?
14 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 12:18:51 ID:???
岸信介は戦時中なにやってた方?
15 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 12:24:54 ID:???
半藤氏とか秦氏の本読んでると大体わかる。
16 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 12:51:35 ID:???
児玉富士夫は東京スポーツのオーナーになりました。
17 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 14:24:19 ID:???
18 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 14:40:50 ID:???
誰でも知ってるようなの書いちゃうのって恐縮なんですけど... ヨハネス・シュタインホフ(Johannes Steinhoff) ・戦後西ドイツ空軍の再建に参画 ・西ドイツ空軍総監にまで出世 ・NATO軍事コミティーのチェアマン(1971-1974) ・1994/2/21 死去
19 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 16:06:30 ID:???
そーいやハルゼー提督は戦後どうなったんだろう。 ぐぐってみてもWW2までしかないからわからない。 話によると60だかになってからジェット機操縦資格を取って飛ばしていたとか聞いたが、さて?
20 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 16:38:42 ID:???
加藤亮一 元海軍中将 日本飛行機の初代社長。
21 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 17:10:16 ID:???
22 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 17:18:37 ID:???
23 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 17:50:13 ID:???
>>21 以前に草鹿元中将とバーク大将の交流の話をこの板のどこかで読んだが、
誰かコピペしてくれないかなぁ。
24 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 18:23:00 ID:???
アーレイバークの自伝に拠れば草鹿も気骨のある素晴らしい人間だと思う。 以下は抜粋。長文陳謝。 ・・・日本に進駐して半年も経った頃だろうか、同僚の一人が「クサカという アドミラルを知っているか?」と聞いてきた。もちろん知っている。 草鹿任一、ラバウルで私の同僚、部下を多数殺した憎い敵だ。 「彼は今、日雇いの労働者として道路工事などで日銭を稼いでいる。彼の妻も 野山で摘んだ花や野草を売って生計を立てているそうだ」 私は心中、快哉を叫んだ。しかしその後で少し考えが変わった。 仮にも彼は一国のアドミラルだった男だ。そんな人間が手のひらを返したように 悲惨な暮らしを送っているというのはやはりよろしくないことに思えた。 「そうか。それではアドミラル・クサカを飢えないようにしてやろう」 私は復員局に電話し、善処するよう指示した。 それから数日経った頃、居室でデスクワークをしているといきなりドアが勢いよく開き、 ボロをまとった小柄な初老の日本人が血相を変えて飛び込んできた。 あまりの剣幕に私はデスクの引き出しから拳銃を取り出したほどだった。 「あなたはなぜ私を侮辱するのか!?私は誰の施しも受けない!特にアメリカ人からは どんな情けも受けたくない!」 まくし立てると老人は分厚い封筒を床に叩きつけ、荒々しく部屋から出て行った。 私は激怒した。しかし落ち着いて考えてみると彼の行動は理解できるものであった。 私も彼の立場なら同じようにしただろうと考えた。 これがアドミラル・クサカと私の出会いだった。
25 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 18:26:33 ID:???
続き。 ・・・しばらくして、私は先日の非礼を詫び、改めてアドミラルを 夕食に招待した。果たして彼は来てくれた。 しばし歓談して気づいたが、彼は実に英語が堪能だった。 はじめはぎこちなかった雰囲気も次第にくつろいだものになってきた。そこで バーク少将は、 「ラバウルを攻略できていれば、私はこうして草鹿中将と夕食をともにするこ ともなかっただろう」(注:草鹿中将はラバウル方面海軍部隊の総指揮官) それに草鹿中将が答えて曰く、 「本日はこのような席にお招きいただき誠に感謝に耐えない。と同時に 私の能力が至らなかったことを神に感謝したい。 なぜなら私の能力が充分であったならばあなたがたはラバウルの海に 散っているはずで、であれば今宵のような素晴らしい夕食に出会うことは なかったであろうから」 このようなジョークの遣り取りで両者の間はうち解けた。こうしてバーク少将 と草鹿中将の間に親交が生まれた。 そして、この出来事以降、バーク少将は伝統ある日本海軍の復活、つまり海上 自衛隊の創設に際し、アメリカ側の最大の理解者、そして協力者となった。
26 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 18:34:13 ID:???
アーレイ・バークと野村ネタ 「私のように第2次世界大戦中必死で日本と戦った者が、どうして戦後の日本ネービー支持者になったか 不思議に思うかもしれない。率直に言うと、私は第二次世界大戦中死力を尽くして日本と戦ったし、クラス メートが多く戦死したので、戦中・戦後、日本を嫌悪していた。しかし朝鮮戦争が勃発、マッカーサー元帥 の指揮下の海軍作戦部長、シャーマン提督の直接の要請で、極東米海軍司令官のジョイ中将の特別補 佐官として日本に送りこまれた。海外勤務では、どこへ行ってもその国の文化を少しでも知る努力をする のが常だったので、Naval Academyでのクラスメートで、一生独身を続けた元海軍大佐で、厨子に住んで いた日本語士官に、日本の歴史と文化を教授してくれる人を紹介して欲しいと頼んだ。するとその米国海 軍大佐が、元海軍大将の野村吉三郎に引き合わせてくれた。野村提督は直ちに日本の歴史、特に日本 の朝鮮獲得、日本と朝鮮の関係、日本と中国との関係について講義を開始した。私は6ヶ月で野村の信 奉者になり、1年で日本の信奉者に変身していた。」
27 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 18:53:34 ID:???
>>24-25 うぉ、まさか書き込んですぐに反応があるなんて思わなかった、感謝。
改めて読むとええ話やねぇ。
28 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 19:21:17 ID:HkXg56H3
>>14 戦時中は東条内閣の時に商工大臣を務めたに過ぎない。
しかも穏健派重臣の東条内閣の倒閣に加担している。どっちかと言うと東条とは敵対関係。
ただ、革新閣僚の中でかなりの影響力持っていたことからGHQに睨まれ、戦犯指定。
29 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 20:14:00 ID:2hvltIf8
小澤治三郎も貧乏生活だったな、戦史編纂には協力したが自衛隊は断ったとか
30 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 20:19:32 ID:???
>>29 大変読書家だったが戦後はなぜか「朝日ジャーナル」を愛読していたらしい。
31 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 20:21:57 ID:???
>6 露津キー度から賄賂すれすれの利益供与貰って 04導入とか・・ありますなぁ。
32 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 20:22:48 ID:???
自軍の損害を考えると英雄とは呼べないかもしれない・・・ ゲオルギー・ジューコフ ・戦後人気が出すぎてスターリンに左遷される ・でもスターリン死後復帰してベリヤを処刑 ・フルシチョフと組んでソ連政権を掌握 ・でもフルシチョフと対立して政権から追放される (フルシチョフはジューコフがクーデターを企んでいたと回想録に記している) ・フルシチョフ失脚後名誉を回復、74年の国葬には100万人(!)の参列者 全くもって「不幸な事故」で消されなかったのが不思議でならない。
33 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 20:54:32 ID:???
>>6 宮崎中将と言ったら臨終の際間に発した言葉が有名か。
以下、泣ける話@軍事板第4章より転載
196 :岐阜県人:02/04/12 20:54
>>186 の続き
ある参謀は、宮崎中将の臨終に間に合った。
元師団長が死の床で発した最後の言葉は、「参謀、敵中突破でバラバラになった部隊を、確かに掌握したか」であった。
遂に死ぬまで、宮崎中将は師団長であり続けたのである。豪雨の中でのチンドウィン川渡河が、脳裏から離れなかったに違いない。
これが指揮官というものであろう。
34 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 20:57:13 ID:???
有名どころではオットー・スコルツェニーはスペインに亡命し、その地で技術系の商社を興して実業家として成功した。 海外に逃亡したナチ残党とも連絡を持ち、その伝手で米英の情報部とも関係があったとも言われているが、その「顧客」の中にはモサドもいた。
35 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:00:11 ID:???
お祭り(戦争)は数年で終わるけど、人生は数十年だからね。 こっちが本業と言っても過言ではないw 製麺所ワラタ
36 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:16:26 ID:2hvltIf8
三川軍一は93歳まで生きてたんだな(1981年死去かなり最近・・)
37 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:19:47 ID:???
ルドルフ・へスってずーっと刑務所?? そういえば東京裁判で終身禁固刑になって人もずーっと刑務所にいたの??
38 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:25:36 ID:???
>>37 ヘスは終身刑務所。彼は看守に殺されたという噂がある。
東京裁判受刑者は昭和30年に全員釈放。
39 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:26:30 ID:Cr9hb4La
40 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:33:25 ID:???
・・・地元の古書店の軍事関係の書棚にあった、辻正信が東西冷戦の世界情勢の近未来を論じた「1960年」とか、 (近未来ものにしてこの書名、というあたりに時代を感じて頂きたい・・・) あるいはビルマ戦線にて、天下のロイヤル・エアフォース将兵をして「魔のクロエ」と心胆を寒からしめた撃墜王・黒江保彦が、航空自衛隊のセイバー乗りとしての近況と、戦時中の追憶を往還しながら綴った自伝「わが大空」とか、 軍人が戦争の余韻あざやかなうちに著した本ってのは、なんか独特の重みが行間から伝わるんだよね。。。
剣付柏葉騎士十字章受賞者のエース、ヨーゼフ・プリラー大佐は 戦後ビール製造会社の令嬢と結婚。見事入り婿に。 さすが「バレル・ロール」が得意なことだけあるといわれたが、惜しくも 1961年に心臓発作で早世。
42 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:46:56 ID:???
>>41 プリラーって「史上最大の作戦」の製作に協力したけど、映画完成直前に亡くなっちゃったんだよな。
43 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:48:25 ID:???
牟田口廉也。言わずと知れたインパール作戦の大失敗の張本人。 彼は戦後、戦犯指定を受け、逮捕されるが不起訴で釈放。 戦後はかつての部下等からインパール作戦失敗の責任を問われるが、 牟田口は頑なに自説を曲げずに自己弁護に終始し、その為に自伝まで出した。 死の際にも、葬式で息子に弁明のビラを配らせたという。息子は必死で父の悪行を謝りつつたと言う。
44 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:53:24 ID:???
>>43 牟田口は英雄じゃないよー。
むしろ息子の方が。。。
45 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:54:40 ID:???
まぁ、ある意味英雄なのは間違いない
46 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:55:14 ID:Cr9hb4La
坂井三郎の「大空のサムライ」持ってるから後書きみたら、平成12年まで生きてたって。 なくなられる少し前に、出版社に来て、日本の憂うべき現状について語ったそうだ。 坂井三郎は、日本の不況とか、最近の若者の現状を語ったんだろうな。 WWUの撃墜王が日本の平成不況を語るか・・・・・・・・・・・・・・・凄い違和感
47 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:56:55 ID:???
>>39 淵田さんが戦後しばらくして、宣教師としてパールハーバーを「再訪」し、信仰と平和の誓いを新たにする筋立てのセミ・ドキュメント映画(アメリカのキリスト教団体が製作)が、少し昔の民放TVの終戦特集だかで紹介されてた記憶がある。
・・・そういえば、終戦直前に「桜花」の設計に携わり、戦後は新幹線開発に尽力した人で、終戦後に良心の咎めに悩んだ挙句キリスト教に入信した人の話もあったなあ。
48 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 21:57:26 ID:???
>>46 つか、坂井三郎は著作で他人の戦果横取りしたせいで零戦会からハバにされてたから
49 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 22:00:30 ID:???
キング,アーネスト・J。アメリカで艦隊司令長官と作戦部長の兼務した最初の提督。 実際に戦場には出てないが、太平洋戦争に最も貢献した海軍提督と言われている。 そんな英雄の彼であるが、酷薄無情な性格が災いし、戦局が決定的になると、 周囲から次第に煙たがれ、トルーマンだけでなく、ノックスやフォレスタルからも冷遇され、 1945年12月、自らその職を辞していった。 その後が更に悲惨で、長年の激務が祟り脳溢血で倒れ、ベセスダ海軍病院で10年あまり も寝たきりで過ごした。彼を見舞う者は海軍関係者でも殆どいなかったと言う。 そして、1956年6月25日に一人寂しく死んでいった。
50 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 22:01:42 ID:???
>>39 なんかキモイな。
そう言えば、秋山真之も変な宗教入ったね。時代違うけど。
51 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 22:02:07 ID:???
伊26潜水艦々長だった横田稔は戦後高校数学教師だった。ちなみに伊26艦長時代に空母サラトガへの雷撃を敢行している。
52 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 22:18:48 ID:???
昭和12年7月10日当時の北支河北省宛平県盧溝橋附近の戦闘において、弾薬運搬用 として購買し、爾後盧溝橋の戦闘および南苑の戦闘あるいは北京附近における数回の討 伐に参加し良く炎暑および酷寒に耐え泥濘なる悪路および嶮峻なる山岳地帯を巧みに行 動し弾薬運搬に従事したる功績偉大なり。 所属部隊 歩兵第一聯隊 牟田口部隊 種類 驢馬 名称 一文字 毛色 河原毛 年齢 四歳 以上 支那産軍用動物戦歴および功績調書 昭和13年11月1日調 寺内部隊獣医部 「動物と動物園」昭和39年2月号ロバの「一文字号」 の今むかし 遠藤 悟朗氏記事より転載 なお、「一文字」という名前は、北京郊外の演習地の名前です。日華事変 が始まってから、2年後、戦功をたてた動物13頭、「モウコウマ」1、「シナ ウマ」3、「ロバ」2(他の1頭は、井の頭で飼育され、昭和33年9月老衰で 死亡した「盧溝橋」)、「ラクダ」2、「イヌ」2計13頭が、14年1月3日東京芝 浦ふ頭に到着、東京上野、井の頭、大島に分散飼育された。「一文字号」は ずっと上野の馬舎でくらした。その後、子供ZOO開設、移りましたが、かなり のいたずら者(笑)でしたが、昭和38年には、その功績から、老体になり、歯 が抜けていたので、石上博士に入れ歯を制作してもらい、元気になる。同12 月には、牟田口氏と面会し、昭和40年3月23日腸ねん転で死亡するまで、子 供の友として活躍されました。享年31歳。
53 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 22:26:33 ID:???
>>37 >>38 イギリスの刑務所にいたルドルフ・ヘスは替え玉で、
本人はヒムラーに殺されたという説があるね。
54 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 22:30:04 ID:???
「入れ歯のロバくん」って、確か「所さんの笑ってコラえて」でエピソードが紹介されてた記憶があるよ。 その番組では「軍歴」まで触れてなかったから、そんなに波乱万丈なロバくんだったのは、今初めて知った。すごいなー。
55 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 22:30:54 ID:???
56 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 22:38:47 ID:???
奥崎謙三はバッテリー屋のオヤジ
57 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 23:54:20 ID:???
>桜花と新幹線 プロジェクトXでやってたみたいだな。 全く見ないので知らなかったが、再放送があったら見よう。
58 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 00:20:40 ID:???
戦中に決死不還の特攻機を造ってしまった男が、戦後は死亡事故ゼロの高速鉄道を造ったということに、償いのリターンマッチというか、技術屋としての男の清算というか、いろんなドラマを感じるよねえ。
59 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 01:05:41 ID:???
それに対してドイツのホルテン兄弟はアルゼンチンに渡ってこりもせず全翼機もどきを作ったりしてる。 ガーランドネタで出てきたクルト・タンクもアルゼンチンやインドで戦闘機(ぱっとしなかったけど)を設計してる。 多分彼らは全然反省なんかせず今度はもっとすげぇの作っちゃうぞって考えてたんだろうけど、それはそれで男らしい。
60 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 01:15:44 ID:hlMQPdEB
人生悲喜こもごもだね。 上は大臣とか新幹線設計とかから、下は薬屋とか製麺所とか土方とか、絨毯屋まで。 バルクマンが絨毯作ってたんだろうか? 非常に気になる。 そう言えばV2ロケットミサイルのフォンブラウンは、アポロ計画だったね。
61 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 01:20:35 ID:???
>クルト・タンク >ホルテン この辺は戦後もっと脚光を浴びても良さそうなもんだけどな
62 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 01:27:28 ID:???
>>61 アイデアはともかく、結局
ものになるブツが出なかったんじゃなあ。
まあ、当時の技術レベルなんてのも
考慮する必要はあるにしろ
自分の国の技術で作れる物を出せなかった点
トンデモ技術者の系譜に入るのはしょうがあんめえ。
63 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 01:37:09 ID:???
>>60 カリウスが下ってことはないだろう。
薬局という社会に貢献する仕事に付き、善良な一市民としての平穏な人生をおくっている。
それに彼の手記だって、その活躍を連邦軍の兵士たちに学ばせようということで出されたわけだし。
ちなみにカリウスの手記をベースにした「泥まみれの虎」に、毎朝迫撃砲弾が降る中ワーゲンで朝食を届けにきた補給部隊の下士官が出てくる。
確かこの人の勧めで戦後カリウスは勉強して薬剤師の資格をとったという話だ。
あとカリウスの部下で自身も100両の戦果を上げたケルシャー軍曹は戦後仕事が長続きせず、沢山の子供と奥さんをほっぽって飲んだくれていたそうだ。
ある日ケルシャーの家を訪ねたカリウスは奥さんからそのことを聞くと酒場に直行。
ケルシャーに説教した後、自分のコネで連邦軍に入隊させたそうだ。
心を入れ替えたケルシャーはその後まじめに軍務に励み、定年まで勤め上げたとか。
64 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 01:49:10 ID:???
ジャック・ノースロップの執念は彼の死後にようやくB-2として実を結んだな。
65 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 01:56:45 ID:???
日本には復員省ってあったよね。 ドイツとかにもあったのかな? 軍服着て大砲撃ってたり、戦闘機乗ってた人間が、私服に着替えてすぐ民間職業にも就けるとは思えないし。 職業訓練とかないときついと思う。 よくよく見ると、階級上な人ほど、民間に下っても成功してるね。 士官以下だと、ほとんどホワイトカラーの職についてないみたいな気がする。
66 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 02:01:10 ID:???
階級が上ってことは士官教育受けたエリートだからな 学歴が有れば潰しも利く罠
67 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 02:04:01 ID:???
>>64 たしか、死ぬ直前にB-2見せてもらって
大満足したとかしなかったとか
そういう話は聞いたことがあるなあ。
68 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 02:17:32 ID:???
>>34 スコルツェニーの興した商社の顧客にモサド。
これは笑うところですか?
もうわけわかんね。戦後って凄い。
69 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 02:22:23 ID:???
>>65 ヴァルター・ヴェンクは1947年に釈放後すぐに企業の顧問になっている。
その後新国軍の陸軍査察総監(上に出てきた空軍査察総監と同じく実質トップ)の候補にもなったが、条件が折り合わず実現せず。
その後いくつかの企業の役員を経験した後は引退生活を送り、1982年に81歳で亡くなっている。
終戦時にはドイツで最年少の大将だったし、マンシュタインの参謀を務めたこともある人物だからビジネスマンとしても優秀だったんだろうな。
ところで晩年のマンシュタインとヴェンク、ブッセのスリーショットがあったはずなので"manstein"でイメージ検索してみたら、
ttp://images.google.com/images?hl=ja&btnG=Google+%8C%9F%8D%F5&q=manstein 一番下の右から二つ目のDietmar J. Mansteinという分子生物学者とその横のマンシュタインの顔が・・・
これ、ひょっとするとひょっとするのかな。
70 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 02:32:25 ID:???
>>68 情報機関は目的のためには手段を選ばないだけだろ?
過去の怨恨よりも目先の任務達成
71 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 03:36:08 ID:???
クルト・タンク博士は、確か戦後に日本を訪れた事があったと思ったが。
72 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 03:44:44 ID:???
ウィリアム・フレデリック・ハルゼー William Frederrick Halsey Jr.(←彼はジュニア・ハルゼーなのだ。ハルゼー・シニアも海軍大佐) 終戦の年、1945年11月に艦隊勤務から海軍省付となり1947年退役。 その後は会社社長として1959年に77歳で亡くなるまで会社社長として穏やかな老後を過ごした。 どんな会社かまでは知りませんので、どなたか補足してくだされば。
73 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 03:56:04 ID:???
レイモンド・エイムス・スプルーアンス Raymond Ames Spruance (1886〜1969) 戦後、1945年に海軍作戦部長として転出したニミッツの後任として太平洋艦隊司令長官を短期間務めた後、 海軍大学校校長になり1948年退官、カリフォルニア州モントレーに引退した。 1952年から3年間フィリピン大使としてマグサイレイ政権の誕生を支援した後、再びモントレーへ帰り、 今はサンフランシスコ湾を望む海軍墓地にニミッツ提督と並んで眠っている。 太平洋戦争での米軍指揮官は戦後すぐに引退した人も多いみたいだ。
74 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 07:39:35 ID:???
>>73 >>太平洋戦争での米軍指揮官は戦後すぐに引退した人も多いみたいだ。
さすがにくったびれたんだろ。無理もない。
75 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 08:35:54 ID:???
>>72 インターナショナルテレコミュニケーション社って書いてあった。
>>73 戦争終わったら、戦時に拡大しすぎた軍をどこの国でも縮小するんですよ。
76 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 12:35:15 ID:???
77 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 14:06:35 ID:???
>>72 歴史群像太平洋戦史シリーズ9、内の記事スプルーアンスとハルゼーより
病弱の妻を抱えていたため、元帥の年俸だけでは苦しく、大企業の取締役や
大学の理事長などを務める。これはたんなる名義貸しで、実質的な仕事は期待されなかった。
三ヶ月ごとの取締役会に出席して、年俸と旅費を受け取るだけ。
『サタデー・イブニング・ポスト』に自伝を連載するが、「酒もタバコもやらない軍人を
信用したことがない」「空母エンタープライズに100ガロンのバーボンを積み込んだ」など
の記述が反響をよぶ。またこの自伝のなかで比島沖海戦での第7艦隊司令官キンケード
を批判した部分などがあった。
戦後の経歴についてはあんまり詳しくのってないなあ…
78 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 16:40:20 ID:???
カリウス自叙伝とか言う本が出て買ってみたら 戦時中の事がほとんど書かれてねー、なんてことになったら嫌だろう。 戦争で有名になった人は戦争中の事しか聞いてもらえない。 逆に戦後有名になった人は二等兵でも戦争体験を聞いてもらえる。 >桜花と新幹線 逆でもドラマになっただろうな。 戦前に電車を作ってた男が、徴収されて桜花を作らされるとか…
79 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 17:14:20 ID:???
ハルゼーが社長に就任したのは正確にはITTの子会社。 他の人も書いてるように名前だけだったらしいが。 亡くなったのは1959年8月16日。 この人らしい命日というか。 ハルゼーの部下でレイテで38.1任務群を率いたジョン・S・マケインは、ミズーリでの降伏調印式に出席した四日後の1945年9月6日に心臓発作で死去。 こちらは戦争の終わりと同時に生涯を終えている。 ちなみに、その息子のジョン・S・マケインJr.も海軍軍人で1968〜72年に太平洋軍司令官。 さらにその息子がヴェトナム戦争で5年半の捕虜生活に耐えて戦争英雄となった、ブッシュの政敵ジョン・S・マケイン三世上院議員。
80 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 18:13:41 ID:???
パパブッシュが小笠原を爆撃に来て撃墜されて部下二人を失ったというのは知っているんだけど。 年齢をごまかして入隊していたので海軍で最年少のパイロットだったというのは本当なんだろうか? あと、海軍での功績としてはどれほどのものだったのだろう。 知ってる方、情報求む。
81 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 18:29:31 ID:???
ちょっと最近の人も。 ランダル・H・カニンガム Randall H Cunningham (1941〜) 通称ランディ・“デューク”・カニンガム。 カニンガム大尉はベトナム戦争中MiG-21を1機、MiG-17を4機の撃墜記録を持つ米軍のベトナム戦争初のエース。 1987年に軍を退役、現在はサンディエゴ郡北部のカリフォルニア州第15下院議員選挙区選出の共和党議員として政治活動に当たっている。 院内で予算委員会・国家安全保障小委員会および諜報常設特別委員会それぞれの委員を兼任している。 どうも余りいい評判は無いようだが・・・
82 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 18:40:11 ID:???
83 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 18:42:02 ID:wehQ5Gfl
ロンメルの息子は歴史学者(近現代史専攻)だったっけ?
84 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 18:44:43 ID:???
>>82 ワロタ
てか、本当に本人が作ったと思う人がいるかもしれいから、ヤメロ
85 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 18:47:34 ID:???
カニンガムは自分の会社のホームページで、映画「トップ・ガン」のモデルは俺だ! とブチ上げてなかったか?
86 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 18:53:03 ID:???
>>80 「英雄」と呼ぶには少々ヒーロー成分が不足気味と思われ。
大統領になったから過去の軍歴がクローズアップされてるだけであって、
そこらのオッサンだったら誰も注目しないのでは
87 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 20:44:38 ID:u6eV6AqX
ムッソリニーと朴大統領は娘は共に野党だな
88 :
648 :2005/05/24(火) 21:00:40 ID:WigBGxRE
島田豊作中佐は戦後、館林高校で社会科の先生をしていた。 一個戦車中隊で三個旅団を殲滅した人の授業って興味深いな。
89 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 21:13:24 ID:???
>>59 しかしなんでホルテンはノースロップに
会わなかったんだろう?
ノースロップも全翼機を作っていたのに。
90 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 21:17:37 ID:???
>>78 ?
カリウス氏は自伝を執筆されてますが・・・
91 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 21:26:16 ID:???
92 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 21:53:21 ID:???
おまいら、イギリス軍を退官した人がでてきませんよ。
93 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 21:54:25 ID:???
J・F・ケネディは勲章をもらった英雄ではあるけど、 大統領になってなかったら戦勲も知られずに終わっただろうな。 キム・イルソンとか毛沢東は軍人としても結構な功績があるが その後の方が有名過ぎて逆に軍人時代の功績がかすれてるような気がする。
94 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 21:55:22 ID:???
95 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 21:57:04 ID:???
>>93 ケネディは魚雷艇の艦長だっけ?
確か日本の駆逐艦と衝突して、撃沈された記録があったような。
96 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 22:00:31 ID:???
>92 退官というわけではないけど、有名どころで、Louis Mountbattenか。 第二次大戦中の1943年から東南アジア連合軍最高司令官として対日戦を指揮、 46年に辞任後、47年から48年にかけて、インド最後の総督として、インドとパキス タンを分離独立に導く。 1952〜55年、英国地中海艦隊司令長官を経て、1959〜65年参謀総長。 最後は、IRAのテロにより暗殺される。
97 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 22:06:53 ID:???
悲劇的なのが、John Berling少佐。 彼はカナダのトップエースだったのだが、命令不服従、上官への反抗的態度などが 問題となり、1944年10月に退役となる。 以後は空軍に復帰できず、結婚も破局し、各地を流浪の後、イスラエル空軍に入隊 したものの、1948年5月28日、ローマで空輸予定のヌーアダインC-64をテスト中に 墜落、事故死した。
98 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 22:09:57 ID:u6eV6AqX
>>93 戦時中金パパは浦塩でヒッキーですが、なにか?
99 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 22:13:55 ID:???
キムとモウは軍人としての評価は分かれるだろうな。 最終的に勝者になったのは確かだが。
マウントバッテンはヴィクトリア女王の甥でしかも、インド副王でもあるからね。 大将とか元帥なんてレベルすら超えてる。
金日成の功績?
ジョン・A・フィッシャー John Arbuthnot Fisher(1841〜1920) 1904年に海軍第一本部長(1904-1911)に就任し、ドレットノートの建造や海軍の改革などを推し進めた後、 1911年、69歳で引退。 が 1914年、第一次大戦勃発後に海相チャーチルの懇望でフィッシャー提督は軍令部総長として復職、この時73歳。 約8ヵ月後、ガリポリ上陸作戦の責任をとって辞職。 その後はチトわからん、この人のことだから何か恐ろしいエピソードの1つや2つありそうだが。
山罰とか荒川とか、くだらない駄洒落を想起したのは私だけで良い。
>>102 秘密巡洋艦やM型潜水艦とか荒巻風味の火葬兵器をリアルで作った事を忘れてないか?
彼に勝てるのはヒトラーくらいだぞ、マジで。
>>104 功績かどうか非常に微妙、ってか老害なのであえて書かなかった。
まぁヴァンガードの主砲はこの爺様のせいで旧式砲に・・・
そういや自作自演の行方不明事件とか聞いたことがあるが。
フィッシャーは天才だからな。 天才が長生きした場合、天才のまま死ぬのは難しいという事だ。
その巨大桟橋が沈められる光景を見てみたいきがする まさに阿鼻叫喚
第一次世界大戦中に、46cm砲の軍艦・・・・・・・・・・・・ しかも軽巡・・・・・・・・・・・・
>>110 その軽巡洋艦は完成時には航空母としての機能も持っていたわけだが…
英国のP・バイアンとかH・H・ハーウッドあたりキボン
待て待て、フィッシャー提督はそれなりに功績も有った提督だぞ。 変人だったのは確からしいが・・・ 日本の山本権兵衛海相と親交があった、変人同士気が合ったのだろうか? Fisher,Sir John Arbuthnot 1841年1月25日生 1920(大正9)年7月10日没 セイロン出身 イギリス海軍軍人 男爵 1854年6月12日 海軍に入隊 1904(明治37)年〜1911(明治44)年 海軍軍令部総長 1914(大正3)年〜1915(大正4)年 海軍軍令部総長 戦艦「ドレッドノート」、巡洋戦艦「インヴィシブル」、空母「フューリアス」の建造に携わる 海軍機構改革を行う 海軍大学校を創設 兵科・機関科生徒の合同教育の実施 有事即応の予備艦制度を案出 「国中のあらゆる造船所が彼の自由になり、国庫の鍵もほとんど意のままになった」 (ウィンストン・チャーチル談、当時の海相)
リアル鋼鉄の咆哮
115 :
イナゾウ中佐 :2005/05/24(火) 23:29:34 ID:0m9loKT/
フィッシャーの発想に勝てるのは、 金田中佐の「50万トン戦艦」(全長700メートル、16インチ主砲100門) ぐらいしかありませんw。
116 :
イナゾウ中佐 :2005/05/24(火) 23:33:16 ID:0m9loKT/
ちなみに、「50万トン戦艦」は乗員1万2000人。中将が指揮。 実際に造ろうと計算してみたら、自重に耐えかねて「自壊する」ので 止めたそうです。
とりあえず、空想の(またはマジで作っちゃった)超兵器の話はこれくらいにしよう。 スレッドの趣旨からずれてきてる。
巨大桟橋作戦 だがフィッシャーは本気であった。その証拠に、巨砲で沿岸を制圧した後に行う上陸作戦の装備開発も進めていた。 そのため計画したのが強襲上陸用の特殊桟橋である。 この桟橋がまたすさまじい代物だった。全長200m、兵士一万人と戦車十数台を乗せる超大型桟橋である。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ この桟橋は実際に建造され、来るべきドイツ上陸の日に備えてイギリスの港に浮かべられていた。 ↑この桟橋の戦後を教えてください。 ずーっと係留されたままですかwww
ノルマンディーで見たという兵士の証言が・・・
今も浮かんでたりして
夕日を浴びて、港に浮かぶ一枚のドでかい板。 かなりシュールだ。
122 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 23:45:41 ID:B8A8REUv
ガダルカナルの総攻撃でへんだーそん飛行場の一角を占領した中尉だかが、 戦後、沖縄の海兵隊にむけて「火力と兵力に勝る敵部隊に対する接近戦闘」を教授した、というのは 誰なんですか?
じゃあ有名どころを一つ。 秋山好古(1859-1930) 日露戦争後、第一及び近衛師団長を経て大正5年大将となった。 朝鮮軍司令官、教育総監、軍事参議官と陸軍の要職を務めた。 その後,乞われて北予中学(現松山北高等学校)の校長となり、後進の育英に尽力する。
ルーデル情報追加(ウィキより) 戦後彼はアルゼンチンの独裁者、フアン・ペロンの親しい友人となった。 「彼は急降下爆撃」 の書名で本を出版したが、 それはナチスの政策の多くを支持していた。 死んだ日は1982年12月18日
スマソ、カギカッコが変な位置に・・・orz
引退後のマッカーサー将軍とか何してたんだ?
>>126 1952年に大統領選挙に出馬するも予備選で落選。
しかも、相手はかつての部下であるアイゼンハワー。
その後はレミントンランド社会長を務めた後
1964(昭和39)年4月5日にワシントンで死去
アメリカの将軍・提督系はみんな社長だね。
日本の旧軍関係者の本を読んでて気になるのは戦後に改名した人が結構いるのは何でだろ? それとも今ではほとんどないけど、軍人とか関係なく当時は結構やっていたんかな?
リピッシュは最後には米コンベアー社に勤めていたようだけど、ドイツ敗戦後はどうしていたのでしょうか。
>>127 thx!去るのみ、とか言いつつ全然去ってませんな。
>>130 そんな事実知らんかった。
将官レベルで改名してるの?
そうだとしたら、このスレで是非追跡せねば。
>>133 将官は知らんけど、当時の搭乗員リストから追跡調査していたら改名している事が
判明してようやくみつかったなんて話や、本の著者の経歴に載っていたり、
作中の登場人物が改名しているという解説など結構出てくる。
モデルアートとかオスプレイのエース関係の本なんか見てもらうとわかると思うけど。
フランク・J・フレッチャー 珊瑚海、ミッドウェー、ソロモンと幾度となく日本の前に立ちはだかり、大きな損害を受けつつも 決して日本の戦略目標を達成させず、開戦以来の勢いを挫いていった。 しかし、上司のキングからその恵まれた境遇や人望を疎まれ、戦意不足を理由に彼を 北部太平洋司令官へと左遷する。そして、彼は終戦までその職に就いた。 退役後はメリーランドの瀟洒な家で隠棲した。モリソンが海軍史を書くから手伝って欲しいと頼んできたが 丁重に断った。彼は言い訳や他人の悪口を言おうとしなかったのである。モリソンはその著書で戦後の データで「こうするべきであった」とフレッチャーを批判したが、彼は反論しようとしなかった。 1973年4月、ベゼスタ海軍病院で死去。88才。
>>134 長男が戦死した方のところに養子に入った、
または養子に出ていたが実家の長男が戦死した為に縁組を解いた、とかではないんですか?
Robert Edward Lee 1807-1870 1865年4月9日、降伏。 戦後は故郷ヴァージニア州のワシントン大学の学長を務めた。給料は年に1500ドルであった。 1870年10月12日、ワシントン大学のあるヴァージニア州レキシントンにて死去。 年収1500ドルって言うと、南北戦争時の歩兵の下級将校と同じか少し多いくらい。
>>118 スレ違いネタになんだが、メガフロートのある現代では普通に実現可能ぽいな
誰かつくれ。
>4 坂井三郎 オットー・カリウス アドルフ・ガランド エルンスト・バルクマン >5 ヨーヘン・パイパー クルト・マイヤー ハッソー・フォン・マントイフェル フリッツ・バイエルライン フォン・デア・ハイト 牟田口廉也 辻正信 岸信介 >6 宮崎繁三郎 今村均 源田実 西田正雄 ハインツ・ランメルディング >9 井上成美 >10-11 ルーデル >12 木村昌福 >16 児玉富士夫 >17 カーティス・エマーソン・ルメイ >18 ヨハネス・シュタインホフ >20 加藤亮一 >22 ハルゼー >24-25・26 アーレイ・バーク 草鹿任一 野村吉三郎
>29 小澤治三郎 >32 ゲオルギー・ジューコフ >33 宮崎繁三郎 >34 オットー・スコルツェニー >36 三川軍一 >37-38 ルドルフ・へス >39>47 淵田美津雄 >40 辻正信 黒江保彦 >41 ヨーゼフ・プリラー >43-45 牟田口廉也 >46>48 坂井三郎 >49 キング,アーネスト・J
しまった、簡単な紹介くらい付けておけばよかった・・・
赤城の青木艦長はどうしてたの? ミッドウェー後予備役編入とか記憶してるけど、艦長の責任じゃない。 司令部コンビはお咎めなしなのになぁ。
>>145 ま、誰かが責任取らんとイカン、となれば
当時の軍の風潮からして、現場の中間管理職に
責任が押しつけられた、ということか。
伝説のスナイパー、ヴァ シリ・ザイツェフは、戦後、どっかの工場長だったね。
148 :
名無し三等兵 :2005/05/25(水) 11:32:25 ID:oyltAyJw
零戦の改良型とか雷電の試験、開発で有名な小福田さんは、改名してたよね。
英雄ってわけじゃないけどさ、自衛隊を定年退職したあとのことも考えてほしい いくら仕事を斡旋してくれると言っても、元佐官クラスの人が用務員とかやってるんだぜ 他の国じゃ、こういうのは有り得るのか?
>>149 アメリカでは良くあることさ
特に雇用主が共和党と民主党どちらを指示しているかで
退役軍人の扱いは大きく変わった
151 :
名無し三等兵 :2005/05/25(水) 11:48:51 ID:uEBFTKPO
ハンデンクリフト少将は餓島の後はどうなったの?(初心者スレでこっちに誘導を受けた)
>>151 「屈服する事は、我が海兵隊の伝統には無い」
1946年5月5日、上院海軍委員会で陸軍が海兵隊を廃止すべしとの提案したのに対してのヴァンデグリフト海兵隊総司令官の発言。
1946年には海兵隊総司令官になっていた模様、その後は詳しい方の降臨を待って下さい。
153 :
名無し三等兵 :2005/05/25(水) 12:07:57 ID:oyltAyJw
「兵力でも火力でも補給も俺たちは十分にある、あいつら日本兵にあってヲマイラに足りないのはガッツだけだ!」 とガダルカナル島の海兵隊将兵を叱咤した司令官は?
初心者スレで質問があったカリウスの弟についてぐぐっていたらFeldgrau.netのフォーラムに List of surviving German panzer commanders?(存命の戦車指揮官のリスト)というスレがあった。 その最後の方にKarl Nicolussi-Leckという名がでてくる。 ニコルッシ=レックSS大尉はSS第五装甲師団「ヴィーキング」第5装甲連隊第8中隊長で、1944年騎士十字章を授章。 授与の対象となったコヴェリにおける戦闘の手記が「SS戦車隊」上巻に掲載されている。 上記のスレによればニコルッシ=レック氏は存命で、チロル地方にアートガーデン(美術館と庭園の複合施設)を所有とある。 そこでNicolussi-Leckで再度ぐぐってみると、同名のホテルや本人の最近の写真が出てきた。 どうやら実業家として成功し地域の教育センターの所長を務めるなど、地方の名士として穏やかな老後を送っているようだ。 写真だとド派手な紫のスカーフをネクタイ代わりにした長髪の爺様で、とても元SSの戦車エースには見えないけどね。 ちなみに第五装甲連隊長だったヨハネス・ミューレンカンプSS大佐も特に戦犯扱いされることもなく、戦後ドイツ連邦軍に入隊しているそうである。
>>151 1887年3月13日生まれ、1973年5月10日死亡。
最初の奥さんを52年に亡くしている。再婚したらしく、墓には本人、先妻、
後妻が一緒に葬られている。ちなみに先妻は一つ年下だが、後妻は16才年下。
また、海兵隊行っていた息子が硫黄島で重傷負って、1969年に先立たれている。
>>149 元佐官って言っても大学出て最短10年で佐官だからな。
民間企業の係長と変わらんよ。
俺が知ってる軍事板コテの佐官なんて・・・
昨日までは数百の将兵の上に立っていた佐官が、今日からは用務員って・・・ 会社で言えば部長クラスを勤めた人が用務員には中々ならないでしょ
>>151 餓島以降の戦中の経歴…。
1942年12月に第1海兵師団と共にガダルカナルより後退。
1943年7月に第1海兵水陸両用軍団の軍団長に任命。11月にソロモン諸島北部での
上陸作戦中に辞任。ワシントンに帰還。
1944年1月1日に中将に昇進して第18代海兵隊総司令官に任命。
1945年4月に海兵隊初の大将に昇進。1948年1月まで海兵隊総司令官を勤め、
1949年4月退役。
なお、ガダルカナルでの戦勲に対し海軍十字章と名誉勲章を受章。
長患いの後メリーランド州ベセスダの海軍病院で1973年5月8日86才で死去。
>>154 「SS戦車隊」著者のヴィル・フェイは2002年に亡くなられたようです。
159 :
名無し三等兵 :2005/05/25(水) 20:27:28 ID:YoL0mahh
今更でアレだが、
>>118 の桟橋ってマルベリーの誤解で合ってるよな?
>>158 そういやヴィル・フェイも戦後連邦軍の軍人になってますな。
パルチザンとかではなく戦車を主な相手とした戦車兵達は、武装SSであっても軍務に復帰しやすかったということなんでしょうかね。
碌な戦力もなしに戦わされたパーシバル中将って戦後どうしたの?
162 :
151 :2005/05/25(水) 20:48:53 ID:q0wu/UyH
フィンランド空軍のエース、ニルス・カタヤイネンはタクシードライバー
>>160 やはり騎士十字章が物を言ったんじゃないかなぁ…。
>>162 マッカーサーから降伏文書の調印に使われたペンを受け取った所までは把握してるんだけど
パーシバルの戦後がよくわからない。どうしたんだろう?
>>157 一つ言っておくが、民間で重要なのは
そいつがどの地位にいたかではなく、何をできるかだ。
佐官だろうが、金を稼ぐスキルがなければ
就職先が用務員だろうが清掃員だろうが当然のこと。
逆に1曹で退職しても、資産運用のスキルを持っていれば高給で雇われるし
士長で退職しても司法試験に受かれば弁護士になれる。
168 :
名無し三等兵 :2005/05/25(水) 21:19:53 ID:q0wu/UyH
スポーツ選手が潰しがきかないのと似てるな
>士長で退職しても司法試験に受かれば弁護士になれる。 何妄想言ってるんだ?
最近は大卒の陸・海・空士も多いらしいし、ありえなくはないかもな まあ司法試験受ける奴は最初から自衛隊には来ないと思うけど
>士長で退職しても司法試験に受かれば弁護士になれる。 これって実話が元だろ? 高卒だったか大卒だったかは忘れたが、貯金をするために自衛隊に入って 勉強しながら4年だか6年だかで除隊。貯金を使いながら2年で合格。 弁護士になったかどうかは知らないけどな。判事と検事もあるので。
スリムやオーキンレックって戦後どうなったんだ?
>>169 自分が知らないからって妄想とは限らないので
頭ごなしに否定するのはやめよう。
>>172 オーキンレックはここに伝記がある
ttp://www.spartacus.schoolnet.co.uk/2WWauchinleck.htm オーキンレックは中東軍司令官解任後、英領インド軍総司令官に就任。
1945年ナイト及び陸軍元帥。
戦後英領インド軍をインド及びパキスタン両軍に分割する任務につくが、パキスタンに肩入れしたということでインド総督マウントバッテンに辞職を強制される。
その後ロンドンに戻りいくつかの管理職を経て、1968年に退役しモロッコのマラケシュに隠退。
1981年、97歳で死去。
不遇で長い余生だったのな。
スリムはこちら
ttp://www.spartacus.schoolnet.co.uk/2WWslim.htm 戦後Imperial Defense College(陸軍大学?)校長を経た後、1948年にモンゴメリーの後を継いで陸軍参謀総長に就任。
退役後は回想録を書き、1953〜60年カナダ総督を務め、退任後の1960年には初代スリム子爵に叙される。
1970年12月、73歳で死去。
なんとも対照的なこと。
ところで、これらのデータが載ってるサイトはけっこう内容が充実してるから調べ物にはいいね。
>>163 >>165 1997年1月16日、78歳で死去されています。
残念ながら自伝は執筆されなかったようです。
合掌。
終戦当時は二十代だった戦闘機パイロットや戦車エース達も今や八十代後半だからな。 存命する最後のSS将官だったオットー・クムも昨年の3月23日に94歳で亡くなってるね。
南米辺りに逃げたナチの大物達はどんな最後を迎えたんだろうな
ジョン・ポール・ジョーンズ John Paul Jones (1747〜1792) アメリカ海軍史上最大の英雄として尊敬を受けている独立戦争時の海将。 スコットランド生まれで12歳でイギリス海軍の軍艦に乗り組み、さらに西インドの奴隷船に乗ったり、 俳優になったり商船の航海長をしていたりしたが、アメリカ「大陸海軍」創設の際に、 縁故による艦長への就任を軽蔑して一大尉として参加したのが頭角を現すきっかけになった。 大陸海軍旗艦「アルフレッド」の先任将校を務めた後、「レンジャー」の艦長となり、1777年英海軍スループ「ドレーク」を捕獲。 次いで1779年スループ「ポナム・リチャード」以下3隻の艦隊司令としてで英海軍「セラピス」以下戦闘艦2隻と44隻の船団からなる艦隊と戦闘。 この戦いで老朽化していた「ポナム・リチャード」は砲撃を受けて沈みかけたが、「降伏するか?」と呼びかけた英艦長に対し、 ジョーンズは「戦闘はこれからだ!」(I have not yet begum to fight!)と叫び返し、逆に英艦に切り込みを敢行。 そしてついに捕獲に成功、アメリカ海軍が始めて本格的な海戦で勝利を収めた戦闘の立役者となる。 そして海戦中に放った上記の一言がジョーンズをアメリカ海軍最大の英雄としたのである。 独立戦争が終り、1785年に大陸海軍が解体されるとロシアに渡ってロシア海軍少将となり、露土戦争でも功績があったが、 エカテリーナ女帝と反りが合わず出奔、1790年フランスに渡り、海軍と外交の職を知己に求めつづけたが、 1792年、孤独と困窮の内に気管支炎に罹りパリで死亡。 その直後、駐アルジェリア総領事に任命するワシントン大統領からの通知が届けられたが後の祭りであった。 1905年、時のフランス大使がパリのプロテスタント共同墓地でジョーンズのミイラを発見し、 彼の遺体は米海軍が派遣した巡洋艦で100年ぶりに帰米、アナポリスの海軍兵学校教会の地下に葬られ、ようやく安眠の地を得る。
180 :
名無し三等兵 :2005/05/26(木) 01:40:24 ID:tSPnkVh+
近年稀に見る良スレ
高名な武勲艦などのその後はスレ違いでしょうか? 記念艦として保存されている艦や兵器、武器の前歴なども知りたいのですが・・・
>>181 はっきりスレ違い。
個別の艦については初心者質問スレでよかろうし
そもそも、有名な艦であれば検索で出てこんか?
>>180 ageているところからして荒れろ、ということか。
荒れるほどのネタが無いのが現実。 書けば書くほどネタは減っていくからね。 湾岸戦争の英雄っていたかな? 第二次世界大戦だけだと厳しい。
>>184 パウエル参謀長ならご存知の通り。
シュワルツコフ司令官は引退かな?
カエサルとかの話になると 歴史板の守備範囲だしなあ。
>>182 艦歴を検索するとどうしても「戦没/除籍・解体」くらいしか出てこないので、
例えば上記に有ったような
「カレイジャス・グローリアスは空母に改装されたが、その際降ろした艦砲はヴァンガードの主砲として転用された」
ような事例が無いかと思いまして・・・
しかし確かにスレ違いですな、すみません。
>>187 ありがとうございます。
海軍軍人なら艦名になっているような人物(政治家を除き)は英雄と呼んでも差し支えないだろうか? O・H・ペリーとかスプルーアンスとかニミッツとか。
>189 スレタイは英雄となってるけど、戦時中に有名になった人とか要職にあった人なら誰でもOKだよ。 思う存分、語りまくってくれ。読むから。
>189 O.H.ぺりーは歴史板のほうに入りそうな予感 なにせ、日本にきたペリー提督のお兄さんだろ?
>>191 オリヴァー・ハザード・ペリー(1785〜1819)
大陸海軍の英雄
海運業の資産家クリストファー・レイモンド・ペリー(自身も海軍大佐で、4人の息子も全員海軍軍人)の長男で、
日本に開国を求めに来たマシュウ・カルブレイス・ペリーの兄。
1799年に海軍に入り、独立戦争時には27歳の若さでエリー湖の英艦隊に対抗する指揮官に命ぜられた。
1813年にトラファルガーの勇者、ロバート・バークレイ代将の指揮する英艦隊と交戦、これを激戦の末に降伏させる。
戦後の海軍縮小にあたって引退し、1819年南米ベネズエラのオリノコ河探検の途中に乗組員と共に黄熱病に罹り死亡。
この地を管轄するトリニダードの英総督は、かつての好敵手ペリーの勇戦に対する敬意と、捕虜の紳士的取り扱いを称え、彼を公葬で送った。
ちなみに弟でペリー家の三男、マシュウ・カルブレイス・ペリー(1794〜1858)は、日本との和親条約の締結後、 1854年9月に香港で戦隊を解散、ペリーは帰途オーストリアとオランダを訪問して単身帰国した。 その後、駐支公使への推薦を受けたが実現せず、日本遠航公式記録を完成させた後に引退。 そのわずか3ヵ月後、リューマチからきた心臓発作で生涯を終える。 マサチューセッツの州葬の礼をもってニューポートの墓地に一家と共に眠っている。
hushhush
古賀潤一郎大元帥のその後は。今何をしていますか?
J・P・ジョーンズって結構ミジメな目にあっているな オーキンレックも結構活躍したのに可愛そうだ・・・ 平凡に暮らせたのって将官クラスってあんまいないね
本人ではございませんが、栗林中将の娘さんは映画女優として活躍されました。
自衛官とかアメリカ軍の天下り先ってどんなのがあるんだろう? 自衛官はあんまりまともなのが無いみたいだな。 任期をしっかり勤め上げてて20代なら漁業や林業の仕事も取りやすいらしいが、天下りじゃないよな。 パチンコ店なんかに就職できる警察官の方がマシだな。
>>200 CR機とかプリペイド導入って警察の天下り先確保つー話もあるしなあ。
軍に残れた人はラッキーだよね。 戦勝国も、戦敗国も、戦争終われば、大概縮小されるからね。 維持費も馬鹿にならないし。
赤松貞明や岩本徹三って何で空自に入らなかったのだろう? 実績は十分なのに二人とも結構悲惨な生活してたらしいじゃん
>>203 岩本徹三は戦後すぐ病気になって、不遇の上で死んだってどっかで見た。
強いからと言っても、やっぱり軍に残るには、コネとかが必要だったんだろうと推測します。
縮小中っつーか刷新中だから枠だって狭いし、
ペーパーテストレベルがクリアできないと入隊できないような気がする。
>>203 220 名前:BLUE DRAGON ☆ :03/04/25 22:57 ID:KooRgbMI
>>219 「零戦撃墜王」P168「傷だらけの一匹狼」の章を参照。
1944年11月11日、ラバウル航空隊でいつものように邀撃線に出撃した岩本であったが、
エンジン不調のため本隊から遅れて一機だけ、単機で低空を飛行していた。
身の危険を感じてふと後方を振り返ると敵のF4U、4機がまさに射撃を開始する所であった。
敵弾の命中する音を感じながら、反転急ダイブに入り、ラダーを目いっぱい踏んで、
機体を回転させながら海面すれすれまで突っ込む。
敵機は岩本が墜落したものと思い、追尾をやめて引き上げていった。
岩本はこのあと、一方的にやられた悔しさに気持ちがおさまらず、弾痕だらけの機体を操り、
F4Uを2機、SBDを4機撃墜する。
むろん、お得意の帰投中の敵機を狙った攻撃である。(^^ゞ
基地着陸後、整備分隊士の報告によると、岩本機の弾痕は167発で、座席内に6発の弾があり、
そのうちの2発は岩本の装帯金具により辛くも、座席に止まっていたとのことである。
終戦後、診療ミスにより体調が悪化したとき、この弾傷も悪化して岩本は命をおとすことになる。
昨年BSの海外ニュースでフランス外人部隊退役兵用の養老院が紹介されてたが、元ドイツ空軍パイロットという人がいた。 家族を戦争で失ったので戦後部隊に入ったということで、若い頃の写真では騎士十字章をつけてたが名前が本名かどうかはわからなかった。 元武装SSも何人かホームにいるそうだが、彼らにとっての戦後はどうだったんだろうなあ。
WW2直後のフランス外人部隊にはかなりの数のドイツ兵がいたようだな。 ほとんどゼロからの立て直しだったので、佐官クラスも多かったようだ。 名前のあがる個人はいないが、数奇で皮肉な運命だよな。
>>200 PMC無いのがきついよな。<自衛官の天下り先
211 :
名無し三等兵 :2005/05/27(金) 16:40:53 ID:qa0O8dCJ
実際自衛官の士とかは悲惨みたいだ。 曹にも上がれなかった使えない奴ってレッテルが貼られるから一般の職につくのも難しい。 昔ならガテン系職業なり警備会社也が拾ってくれたわけだけれども、 そういうところも今じゃ就職氷河期で降りてきた素直な大卒採りたがるから。 実際駐屯地の周りにはガタイのいいフリーターさん多いよね・・・
空自でパイロットや整備なら民間航空にでもいけるんだけどね・・・ 海自なら航海士。 陸自が一番潰し効かないな・・・すぐなれるのはトラックの運ちゃんか危険物取り扱いかボイラーくらい?
そういやバイト先に元空挺だった人がいたなあ。 厳しい訓練をくぐり抜けて技術身につけてイベント 設営屋で日給1万足らずってもったいねえと思った。 まあ本人の選択だから他人では分からんけど。
航空科ならパイロットや整備、会計科なら会計士。 配属された部隊によるだろうが武器科なら車両整備 施設科なら重器の取り扱いが出来るし、警務科は得にスキル無いだろうけど 定年までいられる事が確定してる。 普通科や特科などの戦闘職種は悲惨だろうな。 衛生科はどうだろうね。救急救命士の資格が取れるらしいが看護士に比べると 活用の場は少ないと聞くし。
でも自衛隊って曹まで行けば定年まで勤め上げられたような記憶があるのだが。
217 :
名無し三等兵 :2005/05/27(金) 17:21:55 ID:IbqrFqNy
昔はいられたけど、最近は無理に近い。
ローマの昔から兵卒なんて失業者対策だもの。 任期の間に資格の一つでも取っとかないと。
自衛隊の士除隊者ほど使いづらいものは無いよ。 基本的に曹になれなかった士の残りカスな訳だから、やはり人間性に問題のある人が多い。 目下とみたものへのやたらと高圧的な態度や、傷害罪になるのにやたら拳を使いたがったりとか。 体力だけは一人前にあるから上司も扱いにこまってそいつを放任するから始末にを得ない。 「こいつは人を率いていけないから曹になれなかったんだな」というのを肌で実感させられる。
暴力系ならDQNな携帯製造会社に需要があるぞえ。 派遣が逃げないように寮に缶詰にしたり、 「反抗的」な奴を黙らせたり、 日勤教育したり。
自衛隊板では任期終わった後も士長のまま自衛隊にいる人間は 万年士長とか三十路士長と呼ばれてけなされてるね。 海自・空自にはまだいるらしい。
フィンランドNO1のエースパイロット、ユ-ティライネン →退職金として貰ったシュトルヒ1機から航空運輸会社を設立。 ドイツのエース(撃墜208機)、ヴァイセンベルガー →カーレーサー イギリスのエース(32機撃墜)、Adolph G.Malan →1946年空軍除隊で牧場経営 イギリスのエース(31機撃墜)、George F.Beurling →戦後、イスラエル空軍に入隊
そういえばミサイル部隊のやつがスイカ農家の手伝いに来てたな
陸自の余暇はほとんどパチスロで消えるらしいけどプロになったりはせんのかね? パチスロは努力さえすれば誰でも2,30万は稼げるようになるだろ。 キツイから長くやる人は少ないみたいだけど。 >ドイツのエース(撃墜208機)、ヴァイセンベルガー >→カーレーサー これはいかにもって感じだな。 生き方にスジが通ってる気がする。
225 :
名無し三等兵 :2005/05/28(土) 00:07:21 ID:t0VlZfWF
昔、ある大学のドイツ文化研究会の顧問をしていたドイツ人の講師。 コンパでビールを飲みながら「41年のモスクワは寒かったな」とポツリ。 「戦争へ行ってたんですか?」「ああ。わしの部隊はダス・ライヒだった」 するとなんだ、この先生はモスクワとハリコフとクルスクとノルマンディー とバルジと春の目覚め作戦を戦って生き残ったということか。
>>224 でも戦争を生き延びたヴァイセンベルガーはレース中の事故で1950年に36歳で死去。
「サン・トロンの幽霊」こと121機を撃墜した夜戦エースハインツ・ヴォルフガング・シュナウファー。
彼も戦争を生き延び戦後は家業のワイン商を手伝っていたが、1950年商用で訪れたフランスであっけなく交通事故死。
>>228 アメリカの軍関係者ってたくさん靖国参拝してるね。
ちょっと意外だね
カトリックの司教まで来てるんだな。
>>226 事故を起こしたのはかのニュルブルクリンク・ノルドシュライフェ(オールドニュル)
だそうですね。
終戦後わずか五年ですでにレースをドイツ国内で行えていたことがすごい。
いったいどんな車だったんだろう…。
バンド・オブ・ブラザーズで有名な101空挺師団のE中隊の人達の その後知ってる人いる?
>>233 公式サイトに出てると思うし、そもそも本編でインタビューされてなかったか?
>>228 昭和43年12月に参拝している「ドイツ連邦(西ドイツのこと)軍総監 ウイリッヒ・メズィエール陸軍大将」
覚えがある名前なので調べたら、大戦末期にOKHの参謀としてグデーリアンに仕えていたウルリッヒ・ド・メジエール(Ulrich de Maisiere)中佐だった。
(名前がフランス系なのは、18世紀に迫害を逃れてドイツに移住したユグノーの子孫だから)
236 :
名無し三等兵 :2005/05/28(土) 15:09:51 ID:y1kaFzU7
興味をそそられるのは辻政信かなぁ。死の真相知りたい。 で第七三一部隊 部隊長の石井四郎中将は戦後新宿で博愛医院を開業してたって 聞いたけど...。患者さんいっぱい来てたのかな?
>>236 辻はまだ生きているかも知れないぞ。
フィリッピンで日本将兵が50人近く見つかったことだし。
辻ーんは滅びんよ!何度でも蘇るさ!
あれが最後の辻ーんとは(以下略
辻政信なら、オーエンスタンレー山脈を越えられてた。 日本兵の根性こそ足りなかったのだ!
241 :
名無し三等兵 :2005/05/28(土) 17:07:48 ID:HtfvF1CY
近藤信竹はS28年没だが死ぬまでなにしてたの?
242 :
名無し三等兵 :2005/05/28(土) 18:21:37 ID:mQDgsIAJ
戦後のことだが、石井邸の近くに住んでいたお袋の話によると、 石井家では飼い犬に服を着せて、お手伝いさんに散歩させてたそうだ。
>>233 本編でその後を紹介されなかった人。
ゴードン・重傷を負い1945年に除隊。弁護士免許を取得。会社の顧問弁護士を務める。今も歩行にも障害がある。
トイ・重傷を負い1946年に除隊。鉄材の研磨工として働いた。
ガルニア・重傷を負い1945年に除隊。職を転々として今も元気に中隊の同窓会を開くのを楽しみにしている。
グラント・頭を撃たれて言語障害が残る。小さな煙草屋を営み1984年になくなった。中隊の同窓会にはいつも参加していた。
ハイリガー・誤射され1947年に除隊。コンサルタント兼サプライヤーとして活躍。今は趣味に没頭している。
ソベル・終戦後もE中隊に対して憎悪を抱いた。自殺を試みたが失敗。1988年に亡くなった。
ドラマ製作後に死んだ人。
オキーフ、リプトン、ランドルマン(ブル)、マーティン
>203 兵学校出てなかったんで募集対象にならなかったが正解。
245 :
名無し三等兵 :2005/05/28(土) 19:53:59 ID:S1unSTte
今日、テレ東で芙蓉部隊の番組を放送してたけど、美濃部少佐って空自の幹部になってたのはおもしろい。 しかし30分番組というのは短いな、他の局ならCMとタレントのお喋りでもっと減るだろうけど。
ヒンケルはドイツ兵なんだが
衛門将補(でよかったっけ?)ではない将官級ならけっこういい暮らししてるんじゃないかな? けっこう有名な人だとTV出演とか本を出しているから印税で儲け。 で、ゼミで先生を慕う学生がイパーイいるから気分はおじいちゃんと孫。 金銭の不安は無く、自分を慕う若者もいる。羨ましい晩年だ。 もっとも日本の機甲戦力の半分を握っていた時期がある御仁だから納得。 有能だからこそたどり着いた地位か。
×衛門 ○営門 ではないか
>>248 それって・・・・某大学の教授? あれなんかこんな夜中に訪問者のようだ・・応対してくる
オットー・カリウスがレオ2のお披露目の時に呼ばれて 実際に射撃をしたという話は本当なのかな? 新開発のFCSで外したんでカリウスが出てきて目視で当てたっていうはいかにも作り話くさいのだが…
本当だとしてもカリウスは車長であって砲手ではない罠
253 :
名無し三等兵 :2005/05/29(日) 11:48:43 ID:UL19SPd6
今、TVでソ連に抑留されて、帰ってきてから佃煮屋やってるオヤジがでてた。
つぶやきシローってどうなったの
>>251 カリウスの話は、まず一発試射してから二発目で当てるというやり方に、
「それは実戦では役に立たない、一発で当てる気構えじゃなきゃダメ」
と言って、一発で当てて見せたっていう話だったと思う。
(元ネタが書かれてたサイトが消滅したんでうろ覚えだが)
まあカリウスは他にも「戦車の乗員は五人じゃなきゃダメ」とか言っているんで、近所の頑固なお爺ちゃんをみるような暖かい気持ちで聞いといたほうが。
まぁティーガーみたいな信頼性の低い戦車で東部戦線を戦ってれば、マンパワーが必要と思うのは無理も無いような希ガス
そういやロジェストウェンスキは日露戦争後どうしたんだっけ? クロパトキンも気になる。
>>257 ロジェストヴェンスキーは負傷して人事不省だったので、艦隊降伏の責任なしとされて軍法会議では特にお咎めなし。
1906年に退役し、その後健康が悪化して1909年に病死。
彼に代わって士気をとったネボガトフ少将は艦隊を降伏させた罪で死刑宣告、後に懲役10年に減刑。
1909年に出所し、その後は行商人として貧しい生活を送っていたといわれるが革命後の1922年に死亡。
クロパトキンは日露戦後予備役に編入。
第一次大戦で1915年軍務に復帰し、軍団長、戦線司令官、トルキスタン軍管区総督などを歴任した後1917年に退役。
その後は故郷のプスコフで教師となり1925年死去。
マッケーンやミッチャーってどうなったんだ?ミッチャーは悲惨な人生になったとか聞いたが
モースブラッガーはどうなったっけ?バークと同じ勇猛な駆逐艦乗りだったが
>>262 カリウスさん、泥虎の写真からさらに老けたなあ。
まあ、あれが7年前で今月の27日で83歳になられたわけだから無理もないけど。
しかし、数年前に奥様に先立たれたと聞いていたので気落ちされてるかと思ったけど、お元気なようでなによりだなあ。
>>262 生きてるのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
英雄ではないが、前ディスカバリーで真珠湾をやった時 エリオットとタイラー中尉が健在だったのは驚いた あと昨日の東スポの男センはワラタ
267 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 15:17:24 ID:uh7XeWAo
機銃掃射をする時に、例えば船が目標なら ===船==== (=が弾の当たった線) ていう風に、ずいぶん手前から当てて目標の奥まで弾を飛ばすけど、何で最初から目標に当てようとしないのですか? 上の撃ち方は無駄弾が多いような気がします。
フライトシミュレーションゲームやってみれば解る
270 :
267 :2005/06/16(木) 18:09:53 ID:???
ごめん。もろ誤爆。
英雄じゃないけど確かヒトラーって実の兄弟がいたよね? どういう人生を送ったんだろう?
>>271 何処かのサイトで読んだが、
「ヒトラーに近い血を残してはいけない」
と言うことで合意して、子供を作らないまま全員死んだって話だ。
甥っ子がアメリカに移住していたのは事実。
>>272 なんつーか、ヒトラーが推進し、後に断罪された「優生学」の考え方そのものだな。
ヒトラーを否定するためヒトラーのした事を真似る。皮肉なもんだ。
どちらかといえば迷信の類じゃないかと思うけどな
275 :
クワァルド :2005/06/19(日) 12:41:24 ID:???
267よ、航空機で機銃掃射するのに無駄弾気にしてられるか、確実に目標に当てられるのは、目標手前から射撃開始してそのまま目標を通過するのが一番確率高いだろう。
活性化age
279 :
名無し三等兵 :2005/07/15(金) 15:55:02 ID:2ZxW4LiH
撃つ前の銃や砲身の温度が一定で無い(天候の条件で昔は予測出来ない歪みが出てる事が多かった) を撃つことで「ある程度一定」にするという効果。
280 :
人権擁護法案は創価・在日利権擁護法案 :2005/07/15(金) 15:58:38 ID:NVfWB1uu
___ . , ',,  ̄i ii ̄`ヽ ______ i ii i ll }} |/ フォースの韓国面を学べ そして | >--<|_|! ._ノi i| /'^´゚;`)}{(゚o;`,∧ 我らと共に創価帝国に来い、息子よ。 / <⌒,fniく⌒/ ∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ . 〈. Vi_ii_ii_iv{〉 〉 二>゚ヾ ̄/゚ノ<_ . //jj'7 ∧ー‐く `\ i /^ヽノ/゚/ / / ∧ ヾ ヽ ハ | i `V__/_/__/_△ \ | |/i rー─t>○、 ヽ. | |/i l≡[]iゝ-‐' }\} ! i i | { ̄`j |[][][]:K二..ノノ } ! i ! |
281 :
名無し三等兵 :2005/07/16(土) 15:10:08 ID:UwftcjfG
日本やアメリカの軍人たちのその後は出たけど、英国やドイツ、特に海軍の提督連中はどうなったんだろうね
サー・ハロルド・アレクザンダー(1891〜1969) 英国陸軍元帥。 1939年フランスに於いて英国陸軍第一師団を率い、ダンケルク撤退の際は後衛を指揮。 次いでビルマ派遣軍司令官として対日戦を指揮した後、アフリカ戦線で、ドイツ軍をチュニジアから駆逐。 後、近東方面軍司令官となり、1944年、陸軍元帥となる。 1946年から52年まで、英国人最後のカナダ総督に任命され、帰国後は1954年まで国防大臣を務める。
「黒い悪魔」 エーリッヒ=ハルトマン 352機撃墜のルフトバッフェのエース。 戦後は西ドイツ空軍の将官になったって話だが…
>>283 1955に西ドイツ空軍に入って70年退役だそうな
ハルトマンは新ドイツ空軍のF-104を採用に異論を唱えたために、爆撃機パイロット出身者が多かった上層部の怒りを買ってしまった。
(大戦中の流儀を通したために上官と折り合いが悪かったというのもあったようだが)
カムフーバーが空軍査察総監(実質的には参謀総長)だったころはかばってもらえたが、その後は何かと冷遇されたようだ。
1967年に8年もかかって大佐に昇進したが、そのころには空軍上層部に愛想をつかしたようだ。
将官に昇進した戦友たち(クルピンスキーやフラバク、ラルなど)の、せめて将官に昇進するまではという慰留を振り切って70年に退役。
その後は狭心症を患うなどしたが航空関係の仕事につき続けた。
1993年9月20日死去。
今はその3年後に亡くなった妻ウーシュと共に、岩の上にとまる鷲と鳩を象った墓に眠っている。
ttp://www.xs4all.nl/~ejnoomen/hartmann.html
>>24 ー26のバーク提督ネタに続いて、「若き将軍の朝鮮戦争」から韓国の白将軍と提督の会話
「日本の再軍備が始まり、海軍もつくることになりました。横須賀にあるフリゲートを日本にプレゼントしますよ」
「貴方は『31ノットのバーク』とまで言われ、日本海軍と激闘を演じられた。その人が日本海軍の復活をはかるとは…」
「そう言われると困るが、オーシャン・ネイビー(外洋海軍)を建設するには一世紀という長い時間がかかるものなのですよ。あそこまで建設された日本の海軍が滅びてしまうのは、海軍の軍人として、あまりにももったいないという気持ちがあるのです」
「そういうものですか。かつての日本海軍は巨大なものでしたね。無敵連合艦隊と言われておりました。それがどうしてあのような敗北の憂き目を見たのか…」
「日本海軍の敗因ですか…それはおおむね人事の問題に帰結するのではないでしょうか。人事が硬直していたと聞いておりますよ」
戦後しばらくたってるとはいえ、人事の欠陥がしっかりバレてるのが…
スレタイの切なさがイイので保守
>>273 正確には「ヒトラーも」で、ほかの連中は口を拭ってすまし顔。
289 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 03:51:54 ID:19+o2ed3
つーかヒトラーって最初はそんなに優生学に熱を上げてはいなかった印象が むしろ側近の一部が信者になってた希ガス
うん。 ヒトラーって自分の空想が何らかの形になること以外に関しては、 あんまり興味ない人間だったからね。
ヨハネス・バルダーについて教えてください
292 :
名無し三等兵 :2005/09/13(火) 20:40:36 ID:r3Lf0ey6
白人に黄色いサルが勝てるわけないってのも優生学?
293 :
名無し三等兵 :2005/09/13(火) 20:49:57 ID:3676Wz5b
>>283 西ドイツ空軍に加わる前に10年間シベリアに抑留された事をお忘れなく。
地獄のラーゲリにおいてもハルトマンは誇りを失わず、ドイツ兵抑留者たちの
リーダーとしてがんばった。
小野稔著の「骨董金側懐中時計」に書いてあったのだけど、 ミズーリ号上で日本降伏文書公式調印式に列席したイギリスのパーシバル将軍は その後マニラに赴き山下大将の降伏申し出を正式に受諾、 彼に手を差しのべて戦いの労をねぎらったといわれる。 パーシバル将軍から懐中時計を贈られた著者が、1960年にバーミンガムのパーシバルを訪れた時には 彼は亡くなっており、年老いた夫人が歓待してくれたという。 そのはなしによれば 「いったん戦いに敗れたものは、例え他の方が勝利に導いてくれても、再び栄光の座には戻れないのです。」 「主人はいつもこの椅子にもたれ、バイロンの詩集『シオンの虜囚』をよんでおりました。」 銭後鬱々とした生涯を過ごしたパーシバルの心をシオンの虜囚が物語っている。 ちなみに、懐中時計はウィリアムベンソン社製。あのチャーチルがヤルタ会談で しばしば懐中から取り出して議題を進めていく際の小道具に演出したものと同型である。
そんな書き方じゃグロにしかみえないわけだがw 見てないから分からんが・・・
いわゆる滝川クリステルジェネレータだ
いわゆる人気者の戦後ですね
英雄…かどうかは微妙なところだが、太平洋戦争での捕虜第一号となった、酒卷少尉。 彼は、捕虜生活中に、バトミントンやソフトボールを習得。 1946年に帰国後、暫くしてトヨタ自動車に入社し、バトミントンの選手や監督として、全国大会に出場した。 一方で、トヨタ自動車の輸出部次長を経て、トヨタのブラジル現地邦人の社長に就任。 現地の日系商工会議所専務理事も勤めた。 その後、1987年に退職するまで、トヨタ自動車の関連会社の社長に就任し、1999年死去。
小野田少尉と言い酒巻少尉といい、ブラジルに行っちゃいますな。日本にいづらいのかな?
301 :
名無し三等兵 :2005/11/04(金) 22:15:06 ID:oFJOSASC
そうかもね。
302 :
名無し三等兵 :2005/11/04(金) 22:16:50 ID:oFJOSASC
酒卷少尉でぐぐるとハングルのページしかひっかからない件について
村田だ。ガムくれ!
一枚ならな
>>300 小野田少尉は国から貰ったお金を靖国神社に寄付したら非難する奴が
いた事に嫌気がさしたからブラジルに移住したって聞いたけど、酒巻
少尉の場合は転勤ではないかな(トヨタの社員と言う立場だし)?
306 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 09:22:53 ID:csPZ1Hc7
やっぱり小野田少尉だよなあ。 今年の8月15日、靖国神社で直接声を聞いたけど何と言うか言葉の重みが違うのな。 エセ左翼や在日右翼の平和やら愛国やらとは質が違う。 「俺達は国の為、日本人の為に望んで戦地に行ったのだ。 靖国で会おうと言って死んだのだ。 それなのに、現代の人間が自分達の都合で靖国を語るとは何事か」 仰るとおりです。 あとageとく。
>「俺達は国の為、日本人の為に望んで戦地に行ったのだ。 >靖国で会おうと言って死んだのだ。 >それなのに、現代の人間が自分達の都合で靖国を語るとは何事か」 つまり 「お前らは何も考えずに俺達を賞賛してれば良い」 と言う訳ですな。
308 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 10:10:48 ID:Yxyih8Gh
あの戦争の是非は横に置いておくとしても英霊は称賛してしかるべき。 小野田さんは生存しているのだから自分自身の事を語っているわけではない。
酒巻さんはハワイでの真珠湾攻撃50周年のセレモニーに作戦に参加した他の将兵と共に招待されてスピーチを行なった時に 「私はこの戦争の捕虜第1号です」と語った時に会場から嘲笑が起きた。 酒巻さんの苦虫を噛み潰した様な顔が忘れられない、いくらかつての敵とはいえ来賓者に無礼極まりない。 奴らは酒巻さんを笑い者にする為に招待したのかな?奴らだって元軍人ならば武人のプライドを理解出来るだろうに
スレの趣旨とは違うかもしれないけどブッシュ(親父)は戦時中 艦爆(艦攻?)に乗ってて撃墜されて潜水艦に救助されたんだよな。 もしそのときに救助されなければ二人の大統領(都合3期)変わってたわけだ。 フセインや金正日からしてみればなぜそのときにとどめを(ry
艦戦(F4F辺り)でトンボ釣りじゃなかったか? 架空戦記だと落下戦車で撃墜とかで結構とどめ刺されててるよなw
>>310 ケネディにも似たような話があったな。
フルシチョフからしてみればなぜそのときにとどめを(ry
314 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 15:14:26 ID:Yxyih8Gh
>>312 そんなものは無い、俺が見た91年当時のニュース番組の特集。
酒巻さんを捕えた米兵もインタビューを受けていて「あまりに小柄なのでこれでも男なのか?と思った」という初対面の印象を語っていた。
>>307 読解力皆無だな。長文でもないのになあ・・・
>>314 つまり
14年前に見たテレビ番組
がソースですか。
帰れよ。
>>316 横レス失礼するが
君は何を求めているわけ?
318 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 16:39:01 ID:Yxyih8Gh
>>316 おまえ頭おかしいんじゃないか?
お前とは会話が成立しないから消えろ。
>317-318 人間の記憶とかそういったものはうつろいやすいから 確認可能なソースを寄越せという話では
320 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 17:09:43 ID:Yxyih8Gh
>>319 ソース、ソースってソース主義厳守してたら会話が成立せん。
顔も名前も知らんどっかの誰かが、
他人からしたら誰かも分からん自分の爺さんの伝聞の書き込みよりは確実性あるだろ、そんなスレもあるじゃないか。
いちいち野暮ったいんだよ。
321 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 17:13:39 ID:a1os3h1n
上で出ていた赤松さんは喫茶店を営んでいたらしい。 酒飲みの度が過ぎて酒に溺れた。それを見かねたかつての戦友が 赤松氏のために軽飛行機をプレゼントしてあげた。 しかしながら後日、酒のためにその飛行機を売っぱらってしまっ たために戦友との友情がなくなって喫茶店経営の主として孤独のうちに 死を迎える。 らしい。 「戦後派25年兵よもやま話(作者は昭和25年警察予備隊入隊)」 に書いてあったが、 戦後に警察予備隊に入った人は、真面目な人よりも作業も出ずに点数 稼ぎをしてた人が出世をする現状に嫌気がさして多くの優秀な旧軍人が 去っていったと書いてあった。また、空自パイロットも操縦の腕よりも 英語の方が重視されたために旧軍パイロットは苦労したとかもかいて あった。 こういうところもあって戦後の軍人は自衛隊に入らなかったのだろうな。
322 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 21:53:28 ID:yg33GQE+
TBSの報道特集じゃないか?この時、一緒に招待された人に、他にも坂井三郎や 確か、艦攻隊の隊長(名前忘れた)や蒼龍艦戦隊の藤田怡与蔵少佐もいたと思う。 笑われたのは、坂井だったと思う。1人ずつ旧日本軍人を紹介していって、 皆さん丁寧に挨拶をしていたら、坂井だけ「ハロー!」と気軽に言って 旧米軍人達に爆笑されていた。ただし、バカにした雰囲気では無く、 かつての敵味方を超えた戦友どうしという感じだった。 坂井は零戦の操縦席に座り操作方などを教えたりしていた。 スロットルに付いているレバーを握り締めて「コイツでバリバリっとやるんですよ」 と、説明したりしていた。坂井たちの周りには沢山人が集まっていたが、 酒巻は「私は他の人達と違って自慢できることが無いです・・・・」と 寂しそうに語っていた・・・・
>>310 もしその時父島の守備隊に捕まってたら、おいしくいただかれてしまっていたかもしれないわけで。
324 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 22:43:40 ID:Yxyih8Gh
>>322 >>309 では端折って書いたが正確に言うと酒巻さんが自らの著書を取り出して英語でスピーチ
「これは私の著作ですが、タイトルは捕虜第一号」
そこで嘲笑が起きた。
この少しあとに酒巻さんの半生を描いたドラマが製作され放送されたのでよく覚えている。
326 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 23:22:17 ID:Yxyih8Gh
>>325 テレビでは壇上に立つ酒巻さんしか映してなかったので会場の雰囲気まではわからん。
スピーチのあとに日本の取材班のインタビューを苦虫を噛み潰すような顔で受け
「来てくれと言うから来たんですが」
多くを語らなかったがそんな事を言っていた。
それじゃ、何とも言えんじゃん。
それが嘲笑だったら もっと皆に知られてるだろうよ
329 :
名無し三等兵 :2005/11/16(水) 23:56:33 ID:Yxyih8Gh
>>328 14年前に2chはありません。
だから爆笑問題の太田がラジオで何を言ったとか井筒監督がアサヒ芸能でどうこう言ったとかいうノリでニュー速あたりでスレが立つ事もありません。
オマエさんの情報ソースは2chしかないのか・・・
331 :
名無し三等兵 :2005/11/17(木) 00:20:07 ID:WZ+lXWLV
インディアナポリスを撃沈した、日本海軍の潜水艦の司令官は英雄? 唯一ヒロシマのかたきを取った日本人と聞いたことがあるか・・・。 撃沈後、日本本土に帰還してから終戦を迎えるまでの経緯については不明。 撃沈したインディアナポリスが原爆の部品を運搬したという事実について、当時の大本営は知っているだろうか?
>>331 橋本以行でぐぐれ
撃沈後の経緯から、英語版Google様なら裁判の詳細まで教えてくれるぞ。
そこまでしても出てこない事実とやらは妄想されたらいかがか?
>>328 俺もそれ見てた。
で、俺も嘲笑に近い笑いとして受け取った。
というか、わざわざ「第一号」と名乗ること自体に対して「アタマおかしーんじゃねーの?w」みたいな感じとも受け取れた。
捕虜に対する考え方が違う以上、第一号と名乗る背景は理解されていない。
そういう雰囲気だったよ。
334 :
名無し三等兵 :2005/11/17(木) 02:31:55 ID:xp+PRfsO
嘲笑だったのか、ジョークに答える為の笑いだったのかなんて判断できんだろ。 見る側の感じ方一つでどうとでも取れるんだから。 「俺はこれを見てこう思った」をソースにされちゃかなわんよ。 「朝鮮人は皆、奴隷の如く日本人に従った。なぜなら朝鮮人がそれを望んだからだ。 朝鮮人は自分達の手で国を売ったと俺は思う」 こんな俺ソースで君は納得できるのかね?
笑った、だけだったらね・・・
336 :
名無し三等兵 :2005/11/17(木) 10:44:13 ID:LLkrfkkU
笑っただけなら「ジョークが受けた」となるだろうが、その後に本人が 「来てくれと言うから来たんですがね・・」としているなら嘲笑と取るのが 普通じゃないかな?
なんか、観客の笑い方が空気が漏れるような笑い方だったしね。
338 :
名無し三等兵 :2005/11/17(木) 12:21:13 ID:LLkrfkkU
ただ、「来てくれと言うから来たんですがね・・」が講演が終わった 後の言葉だから、最初の笑いは悪気がなかったとしても講演中における 聴衆の雰囲気が良くなかったのかも。 例えば最初は真面目に聞いてなくても(この場合で言えば笑いの時) 途中で聴衆が熱心に聞き出したらこういう言葉は出てこないだろうし。 酒巻氏は捕虜となった時に「将校だから」と別待遇を受けると説明 されて軽作業だけをさせられた時もあれば、裸で檻に入れられてパーティー での戦債集めの見世物にされたりもしたらしいね(「海軍士官」を裸で 檻に入れて晒し者にする。野蛮だ・・)。
あの人は卑屈になりすぎなんで・・じゃないの。 あんなドラム缶みないなんでも任務を遂行したんだ。 おまえらにそんな度胸あるんか? これが陛下の海軍軍人だって胸はっていたら 全然違うていたと思われ。
>>339 もう少し落ち着いて書き込んでもらいたい。
>>331 「伊58潜帰投せり」橋本以行 朝日ソノラマ に
当時の日本軍潜水艦の状況、インディアナポリス号撃沈〜帰投、裁判の模様など、詳しく出ています
かなり優秀な艦長で、アメリカ滞在中の扱いも丁寧にされていたようです
命令に従い任務を遂行したこと自体は不問、漂流者の救助に関してどうだったか・・・でした
旧国防軍・武装SSの高級士官で、 東ドイツ軍に参加した例って存在するのかな?
>>342 スターリングラードで捕虜になった第24装甲師団長アルノ・フォン・レンスキー(Arno von Lenski)少将。
自由ドイツ委員会に参加してソ連軍の対独宣伝活動に協力、共産党に入党もしている。
戦後は東ドイツ軍の首脳となり、後には東ドイツ政府の政治局員にまで登りつめた。
この他にもスターリングラードで捕虜になった将校、下士官、兵卒でソ連に積極的に協力し、後年東ドイツ軍に入った者は何人もいる。
ゲシュタポからシュタージに入った人は、いっぱいいたみたいだけどねぇ
義足の撃墜王、ダグラス・ベーダー中佐。 義足になって退役後の1933年、彼はRoyal Dutch Shellに職を得た。 此処で1939年まで仕事をし、10月に軍隊に復帰した彼は、22機の敵機を単独撃墜した。 途中捕虜になったが、1945年4月に解放され、即座に極東戦線への転属を祈願したが、 捕虜時代の健康状態悪化により断念させられ、本土航空隊の部隊長に就任した。 大戦が終わると、彼は、大戦後初の勝利パレードの指揮役に任命され、1946年に退役。 退役後は、昔取った杵柄で、再びRoyal Dutch/Shellに職を得、出張時には、それを理由に 度々、社有機のMiles Geminiで欧州中を駆けめぐったとか。 1969年、彼はShellを引退し、民間航空会社の役員に就任。 1982年9月6日、妻と一緒に車内にいたところ、心臓発作に見舞われ、帰らぬ人となった。 享年82歳。
ちなみに、Shellでは、販売部長にまで上り詰めたんだとか。
航空機用ガソリンも販売していたのですかね、シェルは
>>81 あ、そういえばデューク氏、タイーホされたそうです・・・
まったく、何やってんだかw
>>349 カニンガムといえばアマンダ・ギャレットシリーズの翻訳新刊がもうすぐ出るみたいだが、作者もいい迷惑だな。
>348 そう言えば、あのドゥーリットルも、戦後、Royal Dutch/Shellで副社長になり、 1950年代末まで、社有機のB-25を操縦士続けたそうな。 流石に仕事が忙しくなって操縦は諦めたそうだが。
>>348 朝日新聞の神風号はライジング・サン(シェルの日本子会社)の協力であちこち給油してなかったっけ?
愛知時計電機の尾崎技師は、大学教授になった
ダグラス・ベーダー中佐? バーダーじゃなくてベーダーなのか?
保守
>>354 うん、ちょっと暗黒面のフォースにとらわれて改名したらしいよ
358 :
コヴァ :
2006/01/29(日) 21:01:32 ID:c1JDxm2U 以前、総火演で隣に座った元一空佐夫妻。京大出で、駐米武官まで勤めたそうだ。 陸軍学徒出陣組だと聞いたので「意外ですね、陸軍学徒兵からとは」と、折れ。 そうしたら、「いや、陸軍学徒兵出身の自衛官は、沢山いた」