1 :
名無し三等兵:
2 :
名無し三等兵:2005/04/27(水) 19:41:59 ID:???
一等自営業閣下代理、っと。
3 :
名無し三等兵:2005/04/27(水) 20:47:53 ID:???
特攻万歳!
不謹慎とか言っているやつは無能。
政府の陰謀を見抜いていない。
まあ、愚民だからしょうがないか・・・
戦争で100万人死ぬのに比べれば、この「事故」など屁でもない。
4 :
名無し三等兵:2005/04/27(水) 23:20:08 ID:Dz6DClSw
感度良好、感度良好
5 :
名無し三等兵:2005/04/28(木) 00:09:00 ID:J45fbm4p
スターリングラード包囲の前哨戦であるソ連軍のドン川攻勢「小さな土星」作戦で
ソ連軍に一発も撃たずに降伏したイタリア軍大隊はソ連軍の尋問官に対し
「何かの間違いかもしれないと思ったので抵抗しませんでした」と答えた。
6 :
名無し三等兵:2005/04/28(木) 01:07:37 ID:???
6でもない7の流れ
7 :
名無し三等兵:2005/04/28(木) 13:42:19 ID:???
>5
いい話だ。発砲すれば人が傷つく。そんな大事に至る前にまず確認を。
社会に出た大人の常識ある対応として、褒め称えるべきだな
8 :
名無し三等兵:2005/04/28(木) 21:27:24 ID:???
>>7 一発だけなら誤射というところもあるけどなw
9 :
名無し三等兵:2005/04/29(金) 15:12:12 ID:???
米海軍は1922年竣工のディケイター以降1934年のファラガットまで
実に12年間も駆逐艦を建造しなかった時期がある。
10 :
名無し三等兵:2005/04/29(金) 16:32:41 ID:???
>>9 「平甲板型」をあれだけ建造したんだからそりゃいらんだろう。
WW2後のように他の国にあげまくったわけでもなし・・・。
11 :
名無し三等兵:2005/04/29(金) 22:20:41 ID:???
どうやらモンゴル帝国は、高句麗の軍事力をすりつぶす為に
日本を侵攻させたらしい。 元寇のときの話。
さる軍事アナリスト兼仮想戦記作家の話。
12 :
名無し三等兵:2005/04/30(土) 00:15:22 ID:???
ナチスの首脳には健康法について妙なこだわりを持つものが多かった。
そのうちの一人、ヘスはヒトラー主催のお食事会にまで、自慢の健康食を持ち込み、
ヒトラーに「そんな気色悪い代物もってくんなヴォケ、お前の家にいる時だけ食ってろ」
と、かなり嫌がられたそうである。
・・・これが後の英国亡命につながると思うのは考えすぎだろうか。
食い物の恨みは怖い。
13 :
名無し三等兵:2005/04/30(土) 05:19:58 ID:???
ヘスの好物ってなんだろう? 後に英国に亡命するぐらいだから、ベジマイトとかマーマイトとか…
14 :
名無し三等兵:2005/04/30(土) 10:29:00 ID:???
亡命はしとらんけどな
本人 外交交渉
ドイツ 存在が無かった事に
イギリス 基地外キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ッ!!
15 :
名無し三等兵:2005/05/01(日) 13:56:15 ID:???
東郷平八郎はイギリスに留学していた時期があったことから日本海海戦の
勝利の後、イギリス海軍は「イギリス仕込み」の東郷だからあれだけ戦果
を挙げたのだと自慢していた。
16 :
名無し三等兵:2005/05/01(日) 13:59:41 ID:???
神風珍攻隊(略して珍攻)
太平洋戦争末期に組織された自爆テロ部隊。自己愛性の強い若者で構成され、「バンザーイ」などと叫び
ながら敵艦に体当たりをかますという程度の低い発想の攻撃に従事、日本の国際的地位を低下させる
ことに貢献した。現代においてもテロリストに自爆攻撃のヒントを与えるなどその影響力はなお健在である。
17 :
名無し三等兵:2005/05/01(日) 16:09:41 ID:???
18 :
名無し三等兵:2005/05/02(月) 14:51:00 ID:9ogSWM64
充実した航空装備を持つ巡洋艦として名高い利根級だが、最終状態では
艦尾の航空装備は全廃され、そのスペースは全て対空装備にあてられていた。
19 :
名無し三等兵:2005/05/02(月) 18:31:37 ID:???
20 :
名無し三等兵:2005/05/02(月) 21:32:36 ID:???
>>19 それよりもブッ掛けられてる猫耳メイド・・・
21 :
名無し三等兵:2005/05/03(火) 01:10:54 ID:???
>>20 そのサイトの人サバゲーで2分の1AFVで出撃したり対空機銃銃座で出撃したりで結構ぶっ飛んでる
大学祭の夜に完全装備で無稼動銃を改造した光線銃もって構内を駆け回ったり、キャンパス内の池で渡河作戦やってた
22 :
名無し三等兵:2005/05/04(水) 19:32:06 ID:???
実はドイツの3号戦車と4号戦車の車体には大きなサイズの違いはない。
両者の運命を分けたのはターレットリングの大きさで、3号戦車は最大で
5センチ砲搭載と定められていたために火力の増大に対応出来なかった。
23 :
12:2005/05/05(木) 23:36:46 ID:???
>亡命はしとらんけどな
ぐは、マジボケ(鬱死
で、では口直しに下世話ネタを
WW2当時、英兵の間で愛唱された、「ナチス首脳の身体的欠陥をあげつらう歌」
(クワイ河マーチのメロディでお楽しみください)
♪ヒットラー、金玉ひとつ
ヒムラー、小っちゃいのふたつ
ゲーリング、これも小っちゃいの、ふたつ
ゲッベルス、付いてない
ちなみにこの歌詞、このまま日本語でも歌える
それに気が付いた時から何かの拍子に、頭の中でエンドレス再生されてすごく辛い(w
ついでに「玉無し」と歌われてる、ゲッベルス氏の名誉のために言っとくと
付いてます。ちゃんと(w娘さんがいたのが何よりの証拠です
(・・・実は養子なんてオチはつかねぇだろうな)
24 :
名無し三等兵:2005/05/06(金) 19:13:16 ID:???
ゲッベルスは、女優大好き人間だったからな。
普通についてるだろ。
25 :
名無し三等兵:2005/05/06(金) 23:01:18 ID:???
ゲー博士に粉かけられても一向振り向かったのがたたって仕事干された
リーフェンシュタールは、そのせいでナチ党の一番アレな時期に居合わせず、
戦後戦犯追求食らわずに済んだのはよかったのやらなんなのやら。
タマなしも何も、当時のアーリア人産めよ増やせよ政策に忠実だったゲベルス夫妻は、
6人の子持ちです(ヘルガ♀、ヒルデ♀、ヘルムート♂、ホルデ♀、ヘッダ♀、ハイジ♀)。他に3人が夭折。
もっとも小男ゲベルスの外見は、ナチ政権が理想とした美男子像とは程遠かったんですが。
この子供たちは終戦が迫った1945年5月1日、両親の意を受けたスタンプフェーガーSS少将の手により、
青酸カリ・カプセルを以て全員が殺されています。
日本で始めて公式飛行をしたアンリ・ファルマンの購入価格は8,363円。
ちなみに当時の少尉月給は40円。
>>26 「ヒトラー最後の戦闘」ではマクダ夫人が子供達に手を下したとされていたけど、
やっぱり女手じゃ無理があったのですか。
長女の遺体には抵抗した痕があったようだし。
29 :
名無し三等兵:2005/05/08(日) 03:58:36 ID:???
湾岸危機勃発! の折、サウジアラビアに展開した米軍将兵には、二つのことが徹底された。
*飲用アルコール一切禁止。駐屯地内でも一切禁止。
*エロ娯楽不可。写真であっても女性の服装は長袖長ズボン丈長スカート以外不許可。
サウジはアラブ諸国の中でも特に戒律に厳しい国だからだが、これにより種類は一切
持ちこみ禁止食堂でも自販機でもビールなし、エロ本/ポルノグラビア/アダルトビデオ、
全て禁止の上所持が見つかったら没収,の措置が取られた。
・・・そして米軍の駐留が始まってしばらくすると、サウジ駐留将兵から本国の妻や
婚約者、恋人に対して、
「ハニー、この前海(プール)に行った時の写真を送ってくれないかな?」
という手紙が殺到した。
これは、イスラムの戒律に「妻もしくは結婚の誓いを立てた間柄のものであれば、必要に
応じて上着を脱いでいる服装を晒しても(見ても)構わない(真っ裸はX」という項目が
あるからで、中には「この前マイアミに行った時の写真、全部ネガごと送ってくれない?」
と彼女に頼んで、ネガから焼き増ししたプリントを部隊内で売りさばいて荒稼ぎしたバカ
もいた(呆
また、ちょっとでも「イカす」”妻または婚約者と海に行った時の写真”は時折持ち主に
無断で借用され、コピーが部隊内に出回ったという。お気に入りの写真が無くなったと嘆いて
いたら、何も知らない隊友に「落ちこむなよ、いい写真やるから」と自分の妻の水着写真を
貰った兵士がいたとか・・・(苦笑
>>28 私の方のソースは児島襄センセの「ヒトラーの戦い」です。
歯科医クンツ「軍医スタンプフェーガーが子供たちの口の中に青酸カプセルを挟んだペンチを突っ込み、押し潰した」
宣伝省次官ナウマン「スタンプフェーガーが子供たちの歯の間にカプセルを挟み、顎を押し上げた」
という証言があるようです。
さすがに女性の手には余るかも知れませんね。
31 :
名無し三等兵:2005/05/08(日) 15:23:56 ID:???
>29
ゲームボーイが流行るわけだな……。
32 :
名無し三等兵:2005/05/08(日) 19:08:02 ID:???
前がみえなくなるほどに燃料を積んで大西洋横断に挑んだリンドバーグ。
彼が自分用に積み込んだ燃料はサンドイッチが4個であった。
>>30 酔い止めの薬として、注射をした話を聞いたコトが……
どうだっけ?
>>33 歯科医クンツの証言に、
>>30 の前段階として、
「私が予防注射と称してモルヒネを打った」とありますので、そのことでは。
35 :
名無し三等兵:2005/05/09(月) 13:42:39 ID:???
36 :
名無し三等兵:2005/05/09(月) 17:50:27 ID:???
>35
艦番88は確かにカサブランカ級ケープ・エスペランス
日本語に訳せばサボ島沖夜戦だが
そこのデータを見る限り
1942年に竣工した物カサブランカ級はない
37 :
名無し三等兵:2005/05/09(月) 21:40:30 ID:???
>>35 リアルでプレイしてたころからあの空母は何なのか疑問だった。
カサブランカじゃ年代がずれてるし。
艦橋からレキシントンかヨークタウンだと思ってた。
38 :
名無し三等兵:2005/05/09(月) 23:26:16 ID:???
まあ、火葬的並行世界ちゅうことで。
いろいろと妄想すると面白い。
後のシリーズもよりそう言う色を増してるしね
39 :
名無し三等兵:2005/05/10(火) 14:15:02 ID:???
エジプトの所有するロメオ級潜水艦にはハープーンの発射能力がある。
40 :
名無し三等兵:2005/05/10(火) 22:47:59 ID:???
>>39 ヘェ
一体どういう経緯でそうなったんだろうな
41 :
名無し三等兵:2005/05/10(火) 23:12:01 ID:???
ロメオなんて骨董品にハープーン・・・
すごい魔改造だなオイ
っていうかそれは魚雷発射管からサブハープーン撃つんだよな?
まさかハープーン発射機が甲板にあいた穴からせり出してくるとかじゃないよな?
42 :
名無し三等兵:2005/05/11(水) 01:32:39 ID:???
まさかマストを改造してミサイル発射管にしたとかいうオチじゃないだろうな?
43 :
名無し三等兵:2005/05/11(水) 02:34:43 ID:iydk7YUO
ハープーンに「ろめお」って書いてあるだけだったら
2日間断食する。
44 :
名無し三等兵:2005/05/11(水) 11:06:41 ID:???
冷戦時代のエジプトは東西両陣営のどっちにもつかない二股外交をしていたが
軍事面ではイスラエルへの対抗上ソ連からの援助が多く、一時期ソ連海軍の基地
がエジプトに建設されていたぐらいだった。
ロメオ級潜水艦も80年代にその繋がりで獲得したものだったが、冷戦終結後の
エジプトは軍事面でもアメリカに接近し、今ではエジプト海軍の主力水上艦艇は
米海軍から購入したO・H・ペリー級やノックス級フリゲートで占められるよう
になり、潜水艦も発射管からハープーンが撃てるように改造されているんだよ。
45 :
名無し三等兵:2005/05/11(水) 18:52:03 ID:???
>>39 なんかラジカメぐらい無駄なカップリングだと思うのだが。
46 :
名無し三等兵:2005/05/11(水) 19:07:02 ID:???
一番の問題はエジプトにおけるロメオ級の存在意義。
47 :
名無し三等兵:2005/05/11(水) 19:09:43 ID:???
なせば(ry
48 :
名無し三等兵:2005/05/11(水) 20:53:08 ID:???
まあ、魚雷発射管の口径は万国共通みたいだから、
やってならないことも無いか・・・
49 :
名無し三等兵:2005/05/11(水) 21:57:07 ID:???
センチュリオン、チーフテン、コンカラー、チャレンジャー
と言うと一般にはイギリス戦車だが、実はシンガポール海軍の潜水艦の名前でもある。
50 :
名無し三等兵:2005/05/12(木) 11:27:55 ID:???
硫黄島の基地には八分の雉トラとパンダの猫が住んでいる。
51 :
名無し三等兵:2005/05/12(木) 15:38:00 ID:9ohlM9Ty
魚雷は実はでかい
ものすごくでかい
52 :
名無し三等兵:2005/05/12(木) 23:22:14 ID:???
E-2は、哨戒飛行中、ロートドームが常に水平になるよう、ほとんど機体を傾けないで旋回する。
53 :
名無し三等兵:2005/05/13(金) 01:39:48 ID:oX63qGYd
54 :
名無し三等兵:2005/05/13(金) 01:46:25 ID:???
F111は最高速度に達する前に前面ガラスが溶けるので、誰も本当の最高速度を知らない
55 :
名無し三等兵:2005/05/13(金) 08:27:50 ID:???
>>53 そう。
>>52 E-3は機体が傾いたときのデータ補正ができるようになったので、
普通(?)の曲がり方ができるようになった。
56 :
もふぁずさん:2005/05/13(金) 13:08:22 ID:??? BE:131942584-
南ヴェトナムで実権を握り、僧侶の焼身自殺を「バーベキュー」呼ばわりしたことで、
世界中からのブーイングを一身に浴びたゴ・ジン・ニュー夫人(チャン・レ・スアン)だが、
ヴェトナム戦争に批判的な報道を続けたジャーナリスト、デビッド・ハルバースタムに対しても、
「あの男をバーベキューにして食べてやりたい」と評している。
…好きなんだろうか、バーベキュー。
57 :
名無し三等兵:2005/05/13(金) 17:08:43 ID:???
58 :
名無し三等兵:2005/05/13(金) 19:31:33 ID:???
>>53 ロートドームの回転にブレーキを掛けたり加速したりすると
その反動で、機体がロールしないで向きが変わる。
んなわきゃーない
59 :
名無し三等兵:2005/05/13(金) 22:43:07 ID:???
レドーム繋がりで。ただし、何かで読んだだけなのでネタかも。
E3が配備されたばかりの頃、同機のレドームには渦巻きが描かれていた。
周知の通り、レドームは回転するわけで、当然ながら渦巻きがグルグル回って見える。
「目、回りません?」と誰かが言ったけども、「レドームの回転速度なんてたかが知れてるから大丈夫」という返答。
で、実際にE3を飛ばしたところ、護衛機から「目ぇ、廻るんじゃ( ゚Д゚)ゴルァ」と不評、渦巻き模様は消されたとさ。
60 :
名無し三等兵:2005/05/13(金) 23:22:31 ID:???
なんで、レドームに渦巻きなんか描いたんだろう?(w
61 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 00:10:45 ID:???
>>54 マニュアルに、キャノピーが溶け出したらそれが実用上の最高速度って書いてある飛行機は、
他にもあったような。
62 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 03:17:20 ID:???
>>60 いや、なんかわかるような気がするよ。俺だったら絶対描く(w
63 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 13:03:58 ID:N1wmqAvX
あれってぐるぐるまってんだ
64 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 13:17:29 ID:???
>>58 ものすご〜く重いレドームを積めばあるいは・・・・
65 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 13:39:47 ID:???
実は世界の主要海軍国の中で水上艦のステルスにおいて最も立ち後れているのはロシア。
66 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 18:28:51 ID:???
ある意味納得できる話ではあるよな。
67 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 18:33:52 ID:???
え〜と、艦隊自体が錆付いているので・・・
68 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 20:11:06 ID:???
ゲパルト級やネウストラシムィ級あたりはかなりステルス性を意識してるがな。
ちなみに世界で始めてRCSの低減を目的に構造物に傾斜をつけたのはキーロフ級。
信じたくないだろうが本当だ。
69 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 20:48:39 ID:???
ロシア(ソ連)の場合、ウダロイ級なんかを見ると80年代にしてはかなり
ステルス性が意識されているので、ある意味ステルス先進国だったし、今でも
輸出した艦艇(例えばインドのタルワー級など)を見るとステルス性にちゃん
と配慮されているんだけど、現在ではロシア海軍の保有する一番新しい駆逐艦
がそのウダロイ級(アドミラル・チャバネンコ)だと言う有様だからね。
70 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 20:51:54 ID:???
ウダロイは対潜重視だから、ステルスはあんまり関係ないと思われ。
71 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 20:58:35 ID:???
>>70 今は潜水艦からのミサイル攻撃に対処するのはあらゆる水上艦艇にとって
当然の事だから、ステルス性もそれなりに重要でしょう。
72 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 21:03:29 ID:???
>>71 探知回避に役立つかもしれないが、対艦ミサイル発射後はあんまり関係ないんじゃないかい?
だってほら、ミサイル内臓レーダーに映らないようになるとは思えないし、チャフばら撒けばステルスも糞もないし・・・
73 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 21:39:58 ID:???
艦船のステルスって、船が動いていれは、ウエーキ引くし、ウエーキは
レーダーに映るからあまり意味ないと思うんですけどね。
74 :
名無し三等兵:2005/05/14(土) 23:43:46 ID:???
ソビエトの水上艦の戦略って
戦争になったら、敵の通りそうなところに移動して衛星から情報もらって
敵艦隊をさっさと発見してミサイルをどかどか撃ちこんで
後はさっさと母港に帰るだけ、帰れなかったら、はいそれまで
だからステルスいらない ってことじゃなかった
75 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 00:10:15 ID:???
水上艦の場合さすがに航空機と比較すると桁外れにデカイので、ステルスも
敵に発見されない事は目的にしてない。
あくまでもRCSを下げて、自艦を小さく見せると共にミサイルをかわし
やすくするためのもの。
勿論、これまでのところ実戦を経ていないのでその効果は未知数であるため
高く評価する人物から果ては「ミサイルよけのおまじない」とまで言い切る
人物もいる。
76 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 00:17:30 ID:???
>>ミサイルよけのおまじない
お経を船全体に書き込めば良いんですよ!!111
77 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 00:38:40 ID:???
どうせ艦橋だけ書き忘れるんだろ
78 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 01:07:59 ID:???
とくに第三艦橋が書き忘れやすい
79 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 01:13:32 ID:???
実はトルコ海軍は結構強力。
EU諸国でトルコ以上の海軍力があるのはイギリスとフランスだけ。
80 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 03:07:59 ID:yBVoxbBH
81 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 03:13:18 ID:3ODImPcd
トルコってヘタリアやイスパニアより強いんだ。初めて知った。
82 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 04:23:24 ID:yBVoxbBH
>>81 俺が高校生だった頃は「トルコに行った」なんてヤツがいたら尊敬したもんだ。
トルコでどんなことがあったか聞くだけでうずくまったりしたぞ。
83 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 07:52:17 ID:???
上まあ、ケマル・パシャでも尊敬していたのであろうか(w
84 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 08:11:18 ID:???
ユセフ・トルコに会いに新日の会場に行ったんだよ
トルコ風呂のことじゃないの?
86 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 13:30:59 ID:???
坊や、みなそれを承知した上で、あえて外したレスをつけているんだけれど。
87 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 13:49:18 ID:???
最近のコテのレベル低下は著しい
呼んだ?
89 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 13:58:39 ID:???
ある大学で教授が女生徒に、
「適当な条件下で、大きさが通常の6倍になる体の器官を挙げてください。
その時の条件も言って下さい」と質問をした。
指名された女生徒は、顔を真っ赤にしながら冷ややかに
「これは適切な質問ではありません。この件は学校に告発します。」
と答えた。しかし教授は平然としたまま、別の生徒に同じ質問を繰り返した。
次の女生徒は落ち着いて答えた。
「目の中の瞳です。暗いと大きくなります」
「正解です。それからAさんには言いたいことが3つあります」と教授は続ける。
「1つ、授業は真面目に聞きなさい」
「2つ、あなたの心は汚れています」
「3つ、6倍になるなんて思っていたらいつの日か本当にがっかりする日が来ます」
90 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 14:49:09 ID:???
>82
海外旅行中の日本人女性はナンパ成功率が高いが
特にトルコのイスタンブールは凄い入れ食い状態らしい
イスラム圏で習慣が異なり、英語も通じにくいが
イスタンブールは知的気取りの女子大生が多く(医学部率が高い)
同じ日本人の男性が旅慣れた様を見せると、アッサリと旅の一夜を許してくれるとか
ってな話を信じるような奴は、ブラジル帰りの奴が言う
「日本でどんなにモテない奴でも、あっちじゃチソコの先の乾く暇の無い程ヤれるぜ」
って話も信じてしまう
91 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 21:26:56 ID:???
いつもしっとり湿ってる
私はそういう男になりたひ
92 :
名無し三等兵:2005/05/15(日) 21:59:25 ID:???
で く の ぼ う と呼ばれ
が抜けてるぜ
93 :
名無し三等兵:2005/05/16(月) 23:48:52 ID:???
ドイツの15cmSIG33式重歩兵砲搭載型のT号戦車は車高が2.8mに対して
車体幅は2m強しかなく、もの凄く不安定だった。
94 :
名無し三等兵:2005/05/17(火) 00:03:17 ID:???
江戸幕府に日本の開国を迫ったペリー提督だが、東京湾停泊中は不眠に悩まされていた。
時鐘を非常召集用の鐘と勘違いし、今にも幕府軍が攻めてくるかと思っていたそうな。
95 :
名無し三等兵:2005/05/17(火) 01:27:42 ID:???
ペリー記念館のペリーの手紙は意味がさっぱり分からない
96 :
名無し三等兵:2005/05/17(火) 03:15:29 ID:???
>>93 しかも砲架と車輪をそのままT号の車体に搭載している。
砲の高低角度を変えるには車軸の位置を変えないといけない構造だったからだが、
無茶するよな・・・。
97 :
名無し三等兵:2005/05/17(火) 23:42:35 ID:???
実に現実的な解決案だとも思う。
98 :
名無し三等兵:2005/05/19(木) 21:10:00 ID:???
アメリカ空軍は、ジェミニ宇宙船の後部に”有人実験室”を取り付けた
有人宇宙船の計画をやっていた。
実は偵察衛星のフィルムの節約を狙った物だったのだが、もしこの計画が実行された場合、
世界初の宇宙ステーションとなった可能性がある。
しかし、この計画が考えられていたのがベトナム戦争のころだったため、あえなく計画は中止。
ただ実験用のタイタンを1回打ち上げただけで終わった。
計画名称は”ブルー・ジェミニ”とか、”MOL"とか呼ばれていたようです。
99 :
名無し三等兵:2005/05/20(金) 00:11:01 ID:???
宇宙開発には金がかかるもんだが足掛け10年かかったアポロ計画全ての経費を合算すると約250億ドル、
当時の価値だと高さ110.64mのサターンVロケットを全て純金で作るぐらいのお金がかかった、
ちなみにアポロ11号が月に到達した1969年のアメリカの対南ベトナム援助および軍事関係費は288億ドル
マルタ島では、時々、蒙古斑を持った赤ん坊が生まれる。
第1次大戦中、同地に駐留していた大日本帝国海軍将兵と、
現地女性との間にできた子供の血を引いているらしい。
スペインにも時々、蒙古斑を持った赤ん坊が生まれる村がある。
その村には「ハポン」姓が存在し、記録では十六世紀に少年使節の従者の一部が
現地に定着した結果とのこと。
現在でも有名な”ナショナル・ジオグラフィックス”は、創刊当時から
世界中の未開の土地を調査して、地図なんかを作ってきたわけだが、
米国は太平洋戦争中、ナショナル・ジオグラフィックスが作った地図などを利用して
太平洋での日本軍との戦いを有利に進めていた。
ナショナルジオグラフィックスは、現在の東京の写真を撮りまくっていると言われている。
予想される大震災後の状況と比較するために。
実は米軍は最後まで五式戦の存在には気付いていなかった。
このため五式戦にはコードネームがなく、戦後に三式戦のコードネームを
そのまま流用してTony2と名付けられた。
>>104 それって5式戦の実体を正確に捉えてたって事では?w
>>105 その生まれた経移から「戦後になって」つけられた名前だろ?実態を捕らえる以前に押収文書などでまるわかりの事実やん
一般に知られている「五式戦闘機」という呼称は便宜的につけられたもので、
制式指示は出ておらず、日本陸軍には「五式戦闘機」なる戦闘機は正式には
存在しない。
>>107 「キー100」でいいのかこの場合<五式戦
米海軍にはウィストン・チャーチル(駆逐艦)のように外国の元首の名前を冠した艦がある。
駆逐艦かよw
標的艦「アドルフ・ヒトラー」マター?゙(AA略
駆逐艦ごときに『レーニン』と命名するソ連海軍乙〜
ウォルト・デズニィーと、マクドナルドの創始者、レイ・クロックはWWT中、
同じ衛生部隊に所属していた。
マクドナルドさんと違ったのか?
ヘーヘーヘーヘーヘー
>レイ・クロック
リチャードとモーリスのマクドナルド兄弟がやっていた「スピーディーサービスシステム」
を譲り受け、それを「マクドナルド」と云う形で発展させた人物だそうで、現在に続く企業
体としての「マクドナルド」の創始者、なそうだ、とな。
第一次大戦においてトルコが開戦直後コーサカス方面で行った攻勢では
ロクに戦闘もしていないのに三ヶ月後には10万人の兵力が1万2千人
にまで減少したが、その損害の最大原因は「凍死」だった。
・・・酷い話だ。
>>118 アーレイ・バーグ級駆逐艦だからニミッツやアイゼンハワーを守るのが任務です。
>98
その発展型ジェミニと軌道実験室をつなぐ通路は、ジェミニの耐熱シールドに開けた穴を通す構想だった。
121 :
98:2005/06/06(月) 21:02:45 ID:???
>>120 確かにその通り。
よくご存知で。
たった1回の試験飛行の時は、そういう設計でした。
しかし大気圏再突入の際の高温で、耐熱板周囲の隙間はしっかりと埋められて
問題は無かったと言う話。
ちなみに、改良型ジェミニと実験室をつなぐ方法の別の案として、
・膨張式のトンネルをつける
・船外活動で乗移る
・ジェミニにつけたドッキングハッチを、直接実験室にくっつける
などがあった様子。
田舎の鉄工所でもそんなやっつけ仕事はやらんだろうに.....
YSの翼にくさび叩き込んだのだってかなりなやっつけだろ。
しかしジェミニ宇宙船内の広さと言うと、フォルクスワーゲン・ビートルの
前の座席ぐらいと言う話だから、どうやって耐熱板に開けたドッキングトンネルに
入るのか、ふしぎ不思議。
>>124 重力の束縛というのは、普段地上にいる我々には想像もつかぬほど厳しいもので、
無重力状態では、かなり狭いスペースでも、意外なほど楽に動き回れるらしい。
たとえば重力のある空間では、頭上の天井までの空間は、移動にも物の置き場にも
使えない、単なるデッド・スペースでしかないものな。
でも、重力がなければ上下方向に利用の幅が広がるわけか・・
127 :
名無し三等兵:2005/06/08(水) 02:22:21 ID:GDejdpCk
腕や足で「支える」という必要がないのは楽かもね。
あっという間に使わない筋肉は衰えてしまう訳だが。
太平洋戦争中にアメリカ軍はウンコ臭を発して日本兵を追い払う兵器を開発しようとしていた
というのを高校の世界史の先生に聞いた気がする
>129
いや、ついこないだ非殺傷兵器で人道的に敵を制圧できるとか言う悪臭爆弾を開発してなかったか?
>129-130
あすこんちの「非殺傷兵器」は、ネタとして数年ごとに流行を迎えるみたいで、4,5年前には敵兵に
即時硬化性のウレタンフォームを吹き付けて行動不能にするシロモノが真剣に海兵隊で研究されて
たりしターヨ。
ゴキパオかYO!
つか、フォームの吹きつけ場所が悪かったりすると呼吸が出来なくて窒息死するから、それ全然
「非殺傷」ちゃうし。
>126
頭上のスペースを確保しる!(byプライベートライアン)
>131
粘着物発射銃はSFアニメ「無限のリヴァイアス」に出てきましたっけ。当時話題になってたのかしらん。
134 :
名無し三等兵:2005/06/08(水) 19:28:48 ID:GDejdpCk
>>129-131 悪臭にまいって帰還した兵士のほとんどが、そのニオイを思い出して
ものが食べられなくなってしまい餓死者続出。
↓
とんでもない非人道兵器に・・・(w
必殺「ジョーク爆弾」
>太平洋戦争中にアメリカ軍はウンコ臭を発して日本兵を追い払う兵器を開発しようとしていた
しかしお手軽なウンコ臭として硫化水素なんぞを使った日には
日本兵に「温泉でもあるのか?」と勘違いされ、逆に集まってきそうな気もするが(w
微妙なブレンドの違いで「ウム、今日の匂いは草津っぽいな」などという奴まで現れたりして
本土で「くさやの干物」で猛特訓を積む日本兵
>>137 その様をイワシ缶を手にニヤニヤしながら眺めるノルウェー兵
あの不自然に膨らんだ缶詰めか!
スウェーデンだったかも。
台湾で鯨が爆発した事件があったから、日本人が大好きな鯨をしかけて・・・
スゥエーデン
ちなみにシュールストレミングな
144 :
名無し三等兵:2005/06/09(木) 01:48:04 ID:pWK5jLZf
現地でも、シュールストレミングを食うときは御近所に挨拶しておくのが礼儀だとか。
>>145 礼儀じゃなくてたしか条例かなんかで決まってると記憶しているぞ
挨拶だの缶は屋外で開けるべしだの条例で規制せんとならん
缶詰めって凄いというかそこまでデンジャラスなもの食いつ
づけるのはなぜだ。
旨いから。
小池一夫の漫画によると、中国には鶏の頭を腐らせた缶詰があるとか
日本人の主役は黒社会のボスに腐鶏頭を食うように強要され
その場に居た西洋人達は缶を開けた途端、臭いに吐いたが
主役は糸引く鶏の頭をペロリとうまそうに食べた
「納豆って知ってるかい?」
沢庵でも普通に屁の臭いだからなあw
発酵食品は子供の頃からの慣れが有るからな。
鮎寿司なんか北欧の人でも辛いかも?
>147
漏れ達と同じく生魚を食う日本人が来たから と魚料理を供されて食えなかった人も居るそうだが。
油に漬け込んだ生魚の上に卵の黄身が乗っている.....
英国Union Castle Lineの商船、Pretoria Castleは、1939年10月に徴用されて仮装巡洋艦
として使用され、1942年7月から1943年4月に掛けて、護衛空母に改造された。
そして、練習空母に用いられ、戦後の1946年に返却されたのだが、1947〜1948年にかけて
再び原型通りの商船に戻され、1960年までUnion Castle Lineの南アフリカ航路の主力船と
して活躍していた。
実は帝政ドイツでは装甲巡洋艦と巡洋戦艦の艦種はどちらも「大型巡洋艦」だった。
結局のところ、どの国にも悪臭放つ美味ってのはあるんだよね
西洋なら小便の匂いのするキドニーパイや睾丸フライ、有名なベジマイト
どの国でも「ヨソモノにはわからない地元民だけのひそかな楽しみ」と思ってるから
地元の物を食わなきゃって不可解な義務感で涙目で食う日本人は滑稽に見えるらしい
欧米人旅行者が顔歪めながら納豆食ってたら「無理しないでマクド行っといで」と思うもん
ブタの回虫をブタの血で煮て食う、という肝試しか
我慢大会みたいなメニューがあるのは、イタリア
だったっけ?
2001年宇宙の旅やエイリアン2、∀ガンダムなど多くの名作のメカデザインで有名な
シド・ミードは、デザイナーになる前、沖縄駐留米軍兵士だった。
アメリカのレイヒ級やベルナップ級は当初フリゲイトに分類されていたが
後に巡洋艦へと艦種が変更された。
戦時中の金属回収令で、エレベータの蛇腹扉まで回収した日本。
また、金属と言うことで、寺の梵鐘も多く挑発された。
しかし、梵鐘は、金属の組成を調べてみると鋳つぶしても兵器用として使用に耐えうる
ものではなく、結果的に、大部分が使われずじまいで、戦後、民間に返還された。
ところが、何処から回収した梵鐘か、殆ど記録に取られていなかったため、隣町の寺の
梵鐘が、何故か町の半鐘として返ってきたり、全然別の町の寺に、無関係な梵鐘が送ら
れたりと、混乱を極めたという。
も一つ。
カナダ軍は、1933年、軍事予算が極端に削減され、陸軍は部隊維持がやっとの状態で、
新たな兵器を買うことが出来ず、空軍も20年代の戦闘機を騙し騙し飛ばし、海軍に至っては
解体論まで出る始末。
とりあえず、日本の脅威を強調して、海軍の解体は免れたが、駆逐艦数隻のレベルでは何も
出来なかったり。
ちなみに、1939年9月の時点で、陸軍にはブレン軽機関銃が3個師団に24丁しか配備されて
おらず、動員兵力には、軍靴の支給さえなかった。
また、訓練でも大砲を撃つことが出来ず、動員兵が砲声を聞いたのは、1940年も半ばだった
りする。
>訓練でも大砲を撃つことが出来ず
まるで自衛t(ry
>161
口でバーンとかズドーンて言いながら訓練した自衛隊に謝れ、謝れよう!!
隊員必死だなw
>>162 じつはあの英国海軍も一部ではそうらしい…>口でバーンとかズドーン
自衛隊「DADADADADA!」
英軍「GAGAGAGAGAGA!」
実戦でもやってくれないかな……。インパールの日英戦がそんなノリだったらあんなに犠牲者出なかったのに。
もっとも日本軍の補給が切れて餓死者続出で勝手に自滅しそうだが。
腹が減って声も出ません
>>160 そんな状態の後の1942年にディエップ上陸作戦やったカナダ軍って・・・
>>160 うちの田舎の村は金属回収令が出たので寺や家々の仏像を山奥の炭焼き小屋に隠匿して
九州の骨董品屋から大量購入した木像に摩り替えてとぼけたそうな。
刀や槍や猟銃も隠されて代々家で犬を飼う習慣があるので犬も交代で番をつけて隠匿。
寺の鐘はさすがにでかすぎて隠せないので持っていかれたけど、
戦後に商用で出向いた人が呉の近くで放置されているのを発見して無事に帰還。
>>170 なかなか非国民の村ですね。(w
まあ、それが正解だったけど。
>>160 スゲエなカナダ軍・・・・広大な国土に似合わない小規模っぷり
ところで駆逐艦数隻は太平洋方面なの? 当時はイギリスから購入した艦が8隻くらいあったはずだが
>172
A級準拠の2隻が東海岸、C級4隻が西海岸、で、開戦直前に4隻とも東海岸に回航し、英国からC級嚮導艦1隻を譲渡。
でもって、Tribal級を主力艦として発注したものの、決定が遅くて間に合わず、その後、4本煙突駆逐艦を7隻その他を英国から
受け取る。
ちなみに、開戦当初、志願兵は海軍にも殺到したが、例によって乗せるだけの艦が無い…訳では
なかった。
Tribal級の支払い代金として、カナダの造船所でFlower級コルベット64隻の大量建造を行い、英国
に引き渡そうとしたが、英国からは10隻以外受け取りを拒否され(ぉ、自国海軍に就役した。
しかし、これらのコルベットは、正規海軍とは別に、「コルベット海軍」と呼ばれ、海軍予備員しか配備
されなかった。
このため、正規海軍に志願したものは、1940年になるまで海を見たことがなかった。
兵員不足の話で、更に脱線すると。
1944年9月、カナダ陸軍では、歩兵の兵力不足が顕著になり、1945年春までに、20,000名が不足する、とされた。
と言うのも、陸軍に入隊した新兵は、大量に必要とされる歩兵に配属されるのが少なく、多くが砲兵、工兵、主計兵、
憲兵にされたのと、知識、覇気、教養に優れた人物を歩兵にしなかった。
その上、歩兵の損失数は、北アフリカでの英国軍の損失予測を元に補充計画を立てており、欧州地上戦での歩兵の
損失率75%だったのに、他の兵科での損失はそんなになく、例えば対空部隊では、空からの攻撃が殆ど無く、その数千
名の兵員は、殆ど何も戦闘に携わることは無かったのである。
海上自衛隊の護衛艦あさぎり級のうち1,2番艦「あさぎり」「やまぎり」の
2隻は練習艦に種別変更されたが、このとき「やまぎり」の方が先に練習艦
に改装されたので、練習艦「やまぎり」級とされ「あさぎり」はネームシップ
だがネームシップでないというややこしいことになっている。
ha
?
>175
船が量産されるとその1番艦の名前をとって〜型、〜級と呼ばれるので1番艦はネームシップと呼ばれる
だが、あさぎり型1番艦あさぎりと2番艦やまぎりが練習艦に種別変更されたときにやまぎりのほうが先だったので
練習艦やまぎり型という扱いになるので、あさぎり型ネームシップであるあさぎりも練習艦やまぎり型2番艦の扱いになってしまうというややこしい話
>174
どうでもいい話だが自衛隊では「級」ではなく「型」な
仙台伊達家のお城に勤めていた曾々婆さんが老衰で危ないので親族が集まった際に、
婆さんは突然、布団から起き上がった。
「死ぬ前にずーっと秘密にしていた事を話しておく」
(何だろう?遺言はすでに書いてあるし)
「まだ江戸の話。誰も信じてくれないだろうから黙っていたのだが、
夜中に旦那に会うために城を抜け出して山を越えていた時に」
(まさか伊達藩が隠し財宝を埋めているのを見たのか?)
「額に手裏剣が刺さった忍者が死んでいたんだよ!」
親族一同( ゚д゚)ぽかーん
そのまま眠るように仏様に。何が言いたかったんだ婆ちゃん・・・
>>177 ある意味機密情報ではあるはな>忍者が死んでいた
やっぱ幕府の忍者だったんだろうか?ひょっとして新政府軍?
忍者が死んでるような山道をおなごが夜中に歩いて大丈夫なのか
むしろそういう事を報告したら出歩いてるのがばれて咎められるだろうし
黙っていたんでないの?
私的制裁か何かだったんじゃない? 抜け忍か何かの。死に方があまりにもあからさまだし。
いや、よくは分からないけど。
現役の忍者が手裏剣投げあってたのか
なぜ忍者と分かったか
山道で忍び装束ってのも妙だな
外見にひと目で「よそ者」と見抜ける何かがあったのかもな。
そもそも、額に手裏剣は刺さるのだろうか…
私の知識では、額の骨は厚くて丈夫。だから頭付きが出来る
>>184 アレだ。自分も忍者だから見抜けたんだよ。
手裏剣といっても投げるとは限らない。
が額を狙うかなあ・・・
旦那に会うために山を越えるって凄いな
なんとも言えんな・・
棒手裏剣のたぐいには比較的大きくて貫通力のある
ものだってあっただろうし。
手裏剣のようなもので額を割られた身元不明の死体が発見されました
さらにバールのようなもので・・(ry
犯人は婆さん(の若い頃)
>177
おまいのばーちゃんもと忍者♪
忍者って死ぬ時は自爆するんだろ?
どこの山田? 太白山? 面白山?
ドイツの有名な88o対戦車砲について東部戦線では評価は高かったが
西部戦線では不評だった。
これは西部戦線では88oの射程を生かせる場面が少なく、より軽い
75o対戦車砲の方が好まれたから。
>>179 むしろ「城を抜け出し」「山を越えて」男に会いに行く時点で一般人ではないかとw
>>188 喉を狙う、ってのは聞いた事があるが…
>>198 ちょいと前の古武道ブームのとき時の人だった高野氏が手裏剣を使ってましたな。
氏の師匠が中国戦線で陣地に侵入してきた中国兵を、手裏剣で仕留めたというはなしをどこかで読んだ気がする。
こうなるとばあちゃんの画像うpするしかないね。
つか、幕末の頃にすでに物心ついてた曾々祖母を持つ
>>177って、いくつよ?
すでに40近い俺の曾々祖父母だって、明治生まれだぞ。
>201
漏れの曾祖母は明治19年生まれだし、曾祖父は明治10年代。
もう一代前が慶応とか文久とか逝っても不思議ではないわさ。
でもって、これだけでは何なので。
カナダ空軍の戦闘機部隊が初めて前線に展開したのは、Battle of Britainのころ。
そして、8月24日の初実戦の日に、初めて「敵機」を2機撃墜する戦果を挙げた。
しかし、その「敵機」は、味方のBlenheim爆撃機だったりする(ぉぃ。
ちなみに、この戦闘の経緯は長い間関係者の間で秘密にされ、本国の空軍司令部が
その事実を知ったのは、戦後の1947年のことであった。
じつは、会津のそれは、手裏剣というにはあまりにも大きく、分厚く、重くて
大雑把で、まさに鉄塊で、つまり投げれば人体のたいがいの部位に“刺さる”
ものだったのではないだろうか。
・・・鈍器じゃないのか
つバールのようなもの
馬鹿でかい手裏剣はサスケと「うしおととら」に出てきたな。
つ「ユフィ・キサラギ」
それをさり気なく懐に忍ばせるのが会津でのたしなみ
戊辰の敵は西南で取るように。
長州の犬は生きて還さぬように。それが会津でのたしなみ。
ウチの親父は山口出身、お袋は福島出身ですが何か?
ロミオとジュリエット?
直ちに会津民兵が
>>210 の家に向かいますた。
>>210 福島っても、浜通り、中通り、会津では、国が違うからね。
会津の人達は、自分たちは会津人であって福島県民とは別って
思ってるよ。
つまり、その「会津」とやらの人々は教育レベルが低い?
イタリア人みたいだな
なんか、福島県って珍走が多そうだね
チョン州や芋喰い共の方がよほど多そうだが
どれも過疎の地方なのに何を期待しているんだ?
>214
会津人の特徴は「我慢強くて変化を嫌って恨みをいつまでも忘れない」
・・・ま、よーするに田舎もんだ。
盆地で山奥だから閉鎖性が強くて、新しい文物もなかなか入ってこないから保守的で。
頑固者だから一度こうと決めたら絶対に方針を変えない。
会津では頑固であることを是とする風習があって、頑固者のことを「会津っぽ」って言うデスヨ。
「あの人は会津っぽだから」というのは誉め言葉になってるです。
まあそんなだから幕末の動乱期には外交の上手い他藩に出し抜かれて
気が付いたらいつのまにか朝敵に。京都守護職をマジメに務めてただけなのにー。
機を見るに敏なイタリヤ人なんかとは比べものにならんですよ。
まあ、そんなだから会津に行ったよそ者は閉鎖的なムラ社会に冷たくされて泣くんだ。
でも日を経るにつれて仲間だと認められるにつれて熱い人情にほだされて嬉しくて泣く。
で、会津を去るときになると別れが辛くてまた泣く、と。
これを俗に「会津の三泣き」と言っておるわけですな。これ試験に出ますよ。
>>219 まあ長州と薩摩も関ヶ原以来の恨みが大義名分としてはかなり幅利かせてたけどな、
山口の古本屋さんが言ってた話だが山口県内の旧家の整理とかで蔵にある古書を引き取りにいくと
出てくるのは論語とか読書き算盤の堅い本ばかりで踊りとか俳句とかの趣味の本はほとんど出てこないそうだ
関ヶ原の戦い以来幕府を見返すためにガリ勉しまくってたんだろうな。
鹿児島も毎年関ヶ原の戦いのあった旧暦9月15日の前夜に鹿児島市街と島津義弘の菩提寺である妙円寺
(伊集院町にある今の徳重神社)までの往復40kmの山路を鎧武者姿で歩いて参拝して士気を鼓舞する
妙円寺詣りなんてのもあるし250年以上もエネルギーを溜めていたらそりゃ討幕運動も苛烈になるわ。
殴った方は忘れても、殴られた方はなかなか忘れんもんです。
そういえば以前、新潟県の長岡駅前で
「坂本竜馬の銅像の修復資金のカンパ、おねがいしま〜す!」
とか抜かしていた香具師らが居たな。
誰にも相手にされず、坊主で帰ったみたいだが。
長岡駅のある所にはかつて長岡城があり、官軍によって落城し、
周囲は官軍によって焼け野原になった事を、香具師らは知らなかったらしい。
>221
そういえば長州は萩市からの「戊辰戦争120年を記念して和解して友好都市になろう」
って申し出を会津が「時期尚早」って断った事件もあったな。
まあ、浅野家と吉良家が仲直りするのに300年かかったんだから、尚早ってのは
わからない気がしないでもない(w
ちと無邪気すぎたな
時期尚早ってすげぇなw
今は何時代だ
少し勉強して来い小僧
228 :
元長岡人:2005/06/26(日) 23:39:34 ID:???
>長岡
単に誰も坂本竜馬に興味が無かっただけじゃないかなあ。
長岡人は地元の偉人(河井継之助とか山本五十六とか)以外には無関心。その
あたり田舎のメンタリティだな。
あの町は昭和20年にも焼けてるし、たぶんその前のことなどもう気にして
ない。少なくとも漏れは長州のちの字も聞いたことなかったぞ。
>>225 何言ってるんだ、身近に朝鮮出兵とかを持ち出す人たちがいるじゃないか!
前の戦争で……といったら、応仁の乱のことだった京都人もいたな。
>230
それうちのばーちゃんが言ってたっけ(ぉ。
と言うわけで、例によって小ネタ。
第二次大戦中、カナダ海軍の駆逐艦は貧弱な装備に苦しんだ。
また、激浪にも苦しめられたのだが、それは別の話。
さて、そんな海軍の駆逐艦に、Restigoucheと言う英国からの中古艦があった。
このRestigoucheは、船団護衛中に波浪で艦体が曲がるほどの損傷を受け、ドックに
入った。
この時、Restigoucheの艦長は、役に立つ装備はないかと、港中探し回った挙げ句、
HF/DF一式をリキュール一本で手に入れることに成功した。
ちなみに、新鋭艦が配備されるしばらくの間、Restigoucheはカナダ海軍で唯一、HF/DF
を装備した艦だったという。
カナダ海軍で思い出したのだが。
その昔、カナダ海軍に、フェルディナンド・ワルドー・デマーラという軍医がいた。
彼は、駆逐艦カユーガ(Cayuga)の乗組軍医として、艦上での大手術を行うなど、
数々の功績を挙げ、カユーガ乗組将兵からの信頼も厚かった。
しかし、デマーラの本職は詐欺師で、医師免許など持っておらず、
彼の医学知識はすべて独学で得たものだった。
デマーラはそのほか、大学教授、学校教師、修道士、
さらには刑務所副所長などになりすましている。
しかし、彼の人徳によるものか、被害者に恨まれることはほとんどなかった。
デマーラが逮捕された際、被害者たちは、彼の早期釈放を求める嘆願書を書いたという。
カユーガ乗組下士官から、デマーラに送られたクリスマスカードの文面。
「彼は大嘘つきだ。でも彼が好きだ。僕の友人だから」
>232
その話聞くとプリテンダー@TX思い出す
>彼の医学知識はすべて独学で得たものだった。
十分これでもすごいと思うが、
「その才能をもっと別なことに・・・」の典型みいだな。
一つの職業に縛られたくなくて、色々な人間でありたかったのでは。
んで完璧主義者だから、その仕事に何となくついた人間よりも遙かに「その人間」たろうと
するから人望がついてくるのですな。
オカマの方が女よりも女らしいって感じだろうか。
近藤勇みたいだな
>>231 >ちなみに、新鋭艦が配備されるしばらくの間、Restigoucheはカナダ海軍で唯一、HF/DF
>を装備した艦だったという。
ハフダフを積んでいる船が1隻だった場合、何かの役に立つのだろうか?
あれって確か、複数の船で電波源の方向を測定して、電波源の位置を
求めるという使い方でなかったかな?
違ったっけ?
>230
アメリカ人は、
以前は「戦争」といえば南北戦争、
現在はベトナム戦争をさす。
てな話をなにかで聞いたけど本当なんだろうか。
>>238 たしかそうだったかと。
HF/DFは、距離の測定まではできなかったはず。
複数の受信アンテナがないと、「敵がいる」という程度の情報しか判らない。
>>232 たけしとさんまの偉人伝で見た
IQ140の知能を持ちながら育ちの悪さ故に社会から弾かれた男の復讐
大学に入り込んでソツ無く授業をしたり、修道士として神の教えを説いたり
軍医時代も、その場で医学書を読みながら数々の処置をこなした
重罪である軍医なりすましの判決は「国外退去」事実上の無罪放免
乗組員総出の敬礼を背に船を降りた。
判明している彼の最後の職業は小学校教師、彼は授業で子供達に
「人間にとって大事な事は、自分にしたい事を追及し、周りの人に喜びを与える事だ
時にはウソをつくのもいい、けど絶対に人を傷つけてはいけないんだ」と言ったとか
その後彼は、ある子供に言われた「ボク、将来は先生みたいな人になるんだ」
子供達を騙し続けた偽教師デマーラはその後、姿を消した
ちなみにデマーラの生涯は、ロバート・マリガン監督、トニー・カーティス主演で、
「おとぼけ先生」(原題The Great Impostor)という映画になっている。
日本語版のDVDは出ていないようだ。
途方もない奴だな。
だがそこがいい。
>238 >240
少なくとも、その程度でも有るのと無いのとでは雲泥の差でありまして。
第一次大戦時の旧式な潜水艦探知機と、磁気コンパスしかなく、そこへ唯一艦なり
ともHF/DFを装備すると言うのは貴重な戦力になったのでありました。
レーダーに関しても、英国製271型は入手できず、国産のSW1Cを使ったのですが、
これは、Uボートの浮上を探知出来ない代物だったりしますです。
ちなみに、1945年4月、大戦の帰趨がはっきりした時点で、カナダ政府は故国の再建
を進めるため、太平洋戦域に出征する兵士は、全て志願兵とする方針を立てます。
で、英国海軍極東派遣艦隊に属して戦っていた、カナダ海軍の軽巡洋艦Ugandaは、
その戦域に止まるか否かを、乗組員の投票によって決めることとなり、投票によって、
Ugandaは7月に任務を終え、帰国の途に就いたのであったり…。
246 :
名無し三等兵:2005/07/02(土) 13:54:29 ID:kpgG4hE+
イタリアで戦艦と言えば辞書では「コラッザータ」で載っているがこれは本来は
「装甲艦」の意味で、軍では正式には「ナーヴェ・ダ・バッタリーア」と呼称して
いた。
247 :
名無し三等兵:2005/07/02(土) 15:08:51 ID:glF1etw4
連合軍は、ディエップに上陸を敢行し、完膚無きまでに叩かれて敗退したのだが…。
その主力となったカナダ陸軍の師団長は、当初、「ディエップ攻略は、ケーキひとかけらを扱うくらいに容易いことだ」
と言って、作戦に臨んだ。
敗退後、その撤退戦が勇敢であるとして、彼は殊勲十字章を得たが、実際の所、彼の作戦指揮には批判されるべき部分
が多数有り、その後の再編成時に於ける演習の成果が上がらなかったことを理由に、彼は師団長を解任された。
ちなみに、彼の下には、毎年、ディエップ上陸作戦の日になると決まって、腐りかけのケーキひとかけらが、各地から送ら
れてきたと言う。
「a piece of cake」=「朝飯前」
ですな(微苦笑
>250
Ouch!
すっかり、その言葉を忘れてたよ〜。
あ、いあいあ微苦笑しちゃったのは、a piece of cakeという大言壮語に対して
腐ったケーキひとかけを送る諧謔精神というか。
牟田口にむかって、ジンギスカンの鉄鍋送り続けたひとなんていないだろうし(笑)
白川郷の合掌造り家屋には、富士演習場で採れたカヤが使われている。
お、久しぶりの「しょうもない知識」w
自衛隊は災害派遣で発砲して射殺したことがある。
256 :
255:2005/07/04(月) 00:21:18 ID:???
あー、二つの話がごっちゃになったかも。
熊牧場から熊が逃げて、武装して災害派遣が掛かった事がある。
熊を射殺した自衛隊員がいる。
だなぁ…
戦力としては自衛隊しかいなかったのかなw
トド相手に対空機関砲かなんか持ち出したこともあったろう。
>>259 むしろ実弾管理に厳しいと言われている自衛隊で
クマに遭遇する可能性があったとはいえ実弾を持っていることにビックリなんだが。
得物も64式じゃなくガーランドかな?
海自でも、溺者救助のときにはフカ警戒で実弾もった兵隊用意するから、ましてや確実にクマがいる
地域での捜索活動なら護身用に実弾しょってくのは当然なのでは。
てっぽについては「連発で」と言ってるから64でしょ。
トド退治にはF-86も駆り出されているな。
ジェットの爆音に驚いて、すぐトドが逃げ出してしまうので、エンジンを切って
滑空で進入、銃撃後にエンジンを再始動して離脱という、実にアクロバティックな
戦術を余儀なくされたそうだ。
これ、リンク先にも書いてるけど、同じ日高山系で福岡大のワンゲル部員が3人食われた翌年なんだよね。
東京湾の入り口を防衛するために建設された海堡の中で浦賀水道のほぼ中央
に位置した第3海堡は起工(1892)から竣工(1921)まで実に29年
を要したが、関東大震災により僅か2年で除籍放棄された。
東京湾岸の「お台場」の名の由来は「砲台場」
砲台場って言い方あってるのか?
砲台を置く所を台場って言って、政府のものだったからお台場だけど
幕府のもの(将軍の)だから「御」がつく訳ね。
高島平は江戸時代に徳丸ヶ原と呼ばれていた。
天保年間に高島秋帆が西洋砲術の演習をしたのが名前の由来。
しかし正式の地名は演習後すぐ変わったわけではなく、
明治になっても「徳丸田んぼ」。
町名が「高島平」となったのは演習から100年以上たった昭和44年。
地元ではずっと「徳丸田んぼ」だったわけで、
団地を作るときに田んぼのイメージを払拭しようとして高島某を
無理矢理引っ張り出してきたような気がする。
高島センセイも、まさかゆかりの地が、将来「自殺の名所」と
呼ばれるようになるとは思わなかったろうな
団地建設に伴う名称変更
よくあるねぇ
前の名前に鬼の字がついてたり・・・
千葉県習志野市は明治天皇が乗馬を練習した場所であることに因む
「〜沼」とかも名称変更されるな
狢穴(マミアナ)、女化(オナバケ)
バブル期を通じて大規模な宅地開発に晒されたことがない
近所は、伝統的で変な地名が残りまくりw
だが、上町・下町というのは消えたな。
昔の身分による住み分け制度の名残であったようだ
>>273 しのはらに習え じゃなかったんだ・・・
>269
え?ホント?江戸っ子の間で「高島サンの平」って評判になったのではなくて?
>274
おかげで水害の発生する土地が地名からだけじゃわからなくなってるらしい。
希望が丘とか望が原とか、ダッサイ名前を良くつけるよなあ。
>>273 明治大帝が同地で陸軍演習を視察された折、篠原国幹少将の見事な部隊指揮を褒め称え、
「他のものも、篠原に習うように」
とのお言葉から習志野の名前が生まれたと聞いたが。
ちなみに篠原少将は、後に西郷隆盛らと共に西南戦争で反乱軍に属することになる。
登記みれば大抵わかるけどね
>>280 逆に危険かも。
川の流れが変わってたり、堤防の造られ具合が変わってたりで、
危険なトコと安全なトコがずれてる可能性が大いにある
戦いで男の格好をしていると悪霊の目に止まって命をさらわれる
という迷信があって女や子供のかっこうで戦っている地域がアフリカにある。
正規の政府軍なのに仮装行列にしか見えないw
>>284 しりあがり寿のマンガを思い出した。
「最近のレジスタンスは女装もするのか」
「武装だけじゃ物足りなくなっちまったんだよ!」
遅レスで申し訳ないが
>>17 ミスターKがストレンジラブ博士に見えた
>>159 シド・ミードは2001ではなく2010では?
コンゴ内戦でコレラ前首相派の民兵団はその名前を「ニンジャ」という。
>>288 得意スポーツはビーチバレーである……は笑心者ネタだな
とりあえず生き残ってることに感動した>お尻丸出し将軍
殴るより 心に響く 思いやり
自衛隊標語より。
アイゼンハワーが「歴史上最も忌まわしい日」と叫んだのは1942年の大陸上陸
スレッジハンマー作戦が無期延期になった時だった。
スコットランドのトバモリーには、英国海軍の船団護衛任務専門の訓練基地があった。
此処の司令、G.Stephenson准将は、船団護衛艦が生き残るために、一時も休まず訓練を行わせたのである。
例えば、通常の戦闘訓練、潜水艦相手の特別演習、さらには潜水工作員の襲撃や破壊活動者の乗り組みなど、ありとあらゆる
訓練を考え出し、遂には、「トバモリーの恐怖」と言う渾名を頂戴するに至った。
ある時、彼はコルヴェット艦に乗り込んできて自分の帽子をやおら脱ぐと甲板に投げ、当直の掌帆兵曹に向かって、帽子を指差し、
「これは焼夷弾だ。片付けてしまえ」
と、言った。
彼は、乗組員が右往左往するのを期待していたのだが、機転の利く若い乗組員が、その帽子を蹴飛ばし、海中に放り込んでしまった。
流石の「トバモリーの恐怖」も、この機転に対しては、雷を落とすことも出来ず、困った顔をしていたという。
それは機転なのかw
いや、対処としてはあってると思うがw
1993年12月21日、TGV北線のとある町の近郊で、18両編成のパリ発バランシエンヌ行TGV7150列車が、
300km/hで走行中に編成途中の5両が脱線し、約2km走って止まった。
幸いにして、10数名のけが人を出しただけで、大きな被害はなかったのだが…。
この事故が起きた原因は、線路の地盤沈下だった。
この付近、それはソンムという町の近くだが、此処は第一次大戦中の激戦地で、第一次大戦中の塹壕戦で
掘った地下壕が沢山存在しており、線路は正にその上に敷かれていた。
で、高速で重量のある動力車が日々行き交うので、地盤がその重さに耐えきれず沈下したものであった。
ちなみに、地下壕の数はフランス国鉄の予測を遙かに超え、調査仕切れていなかった部分があったらしい。
よく死者が出なかったな
http://ww1.m78.com/question/mineland.html >297
坑道爆破戦術の爆破しそこないの火薬が地中に残ってて、
>坑道爆破のうち最大のものは、1917年6月のメシヌ高地に
>仕掛けられたもので、サンアロワ(StEloi)一ヶ所で4万3300トンの
>TNT火薬に点火された。メシヌでは、この時の戦いの爆薬が
>依然地下で不発のまま、残留している。そのうちの一つは、
>1955年7月落雷の衝撃により爆発した。
なんだってさ。スゲーな・・・
300いただき
つうか、いくら地表よりは条件が安定しているとはいえ、地下水やら腐食やらがある地下で
100年近く経過しても爆発する爆薬っていったい(^_^;
TNTって、安定性が高いって話だから。
TNTじゃなかった様な…
こないだ、ディスカバリでやったばっかだが、忘れた。
確かコルダイトとかじゃなかったっけ。
ディスカバリーチャンネルでゴム引き袋に密封されている上に、
地下に埋まっている状態だから酸化が進まないって解説だった。
コルダイトって火砲の推進薬だっけ?
コルダイトは開発されたイギリスでは多用途に使われていたと記憶しているが。
綿火薬とニトログリセリンの混合物が主成分だから、爆薬としては充分な威力だろう。
TNT程の安定性は無いから、軍用爆薬としてはどうかと思うんだが。
トップヘビーというと友鶴事件が有名だが、米海軍も軍縮時代はトップヘビーに
悩まされ、特に駆逐艦はフレッチャー級まで解消されなかった。
今のパナマックスも見た目にも不安定そうだが
フレッチャー級は良かったが次のアレン・サムナー級やギアリング級は
重い連装砲塔を全部に背負い式に配置していたので凌波性が悪く悪天候
では艦隊に随伴することが困難だった為、評判は悪かった。
実のところ第二次大戦の米駆逐艦で前線部隊から高評価を下されたのは
フレッチャー級だけだったりする。
シチリア島上陸に際し、連合国の次の上陸目標を欺瞞するため、英国軍は、
死体に現役海軍士官の制服を着せ、次の侵攻作戦がバルカン半島であるとの
機密(偽)文書を携行させ、シチリアのスペイン海岸に打ち上げさせた。
この後、この現役士官は、ずっと、「決して実在しなかった男」と称せられた。
ちなみに、この謀略はほぼ上手くいったが、イタリアの要塞司令官、アルフレード・
グッツォーニ将軍だけは騙されず、防衛を強化しようとしていたという。
大戦末期になると、米海軍は”カミカゼ”を恐れて
艦に大量の対空火器を載せたためにトップヘビーとなり、
台風で何隻もの艦が転覆した、そうだ。
・・・しかし、いつの話かは忘れたorz
>311
そんなの知ってるよ。文永の役のときだろ。
蒙古襲来かよw
蒙古に米海軍はいないと思われ。
元寇の時の神風は、実は吹いていないという説もあるな。
転載
>1944年10月:アメリカ第三艦隊がフィリピン沖で台風の暴風に遭い、駆逐艦数隻が沈没、多数の艦載機が失われ、800人以上が死亡する大惨事となった。
>当時行われていた日本軍の神風特攻攻撃よりも遥かに甚大の損害を受けた本当の「カミカゼ」であった。
>317
ソノラマでありましたな。「神風、米艦隊撃滅」とかいうタイトルだったと思いましたが。
ちなみに上記の“ミンスミート作戦”同様、太平洋戦線でも英軍は欺瞞工作を仕掛けている。
シンガポール失陥後、ビルマを敗走する英軍の退却を援護するべく、名付けて“エラー作戦”が実行された。
イラワジ河アバ橋付近に、司令官専用車を放棄…したように見せかけて配置、
中に(偽)機密書類と司令官の私物を残しておくというもので、
書類には「インドに大規模な英軍部隊が集結中」と記載しておき、
これを見た日本軍が追撃の手を緩めてくれればという胸算用。
但し、これは全くの空振りに終わったそうな。
栄光ある帝国陸軍は、このような姑息な手段には引っかからないのです!
誰も英語が読めなかったんではとか情報伝達の途中でミスっったんじゃないかとか邪推は止めてください!!!
>>310 スペイン・ウェルバ州の海岸ですよ、師匠。
>319
何か最近、微妙に呆けている感じ…年かな。
1939年9月5日、英国海軍の潜水艦2隻は、味方のAnsonによって45kg爆弾の誤爆を受けた。
しかし、潜水状態だったので、ちょっとだけ振動しただけで、事なきを得た。
それから暫くした、1939年12月3日、またも英国海軍の潜水艦は、Ansonの45kg爆弾の誤爆を
受けた。
この時も電球6個が壊れただけで、沈まずに済んだ。
こうした不幸中の幸運な「実験」を経てから、英国空軍沿岸航空隊司令部は、爆弾の効果、特に
潜航中の潜水艦に45kg爆弾は無力であることを悟り、250kg爆弾の開発や100kg対潜爆弾(水面
下2mで爆発する)などの開発を行うようになったのである。
>>320 さすがジョンブル、転んでもただでは起きないな。
それより誤爆の対策はどうなった
>322
JaneDoe使え
いやまあ、確実に沈めてしまえば誤爆は無かった事に・・・・・
英国おそるべし
南米では交通事故の補償金が死亡罰金よりも高いから
歩行者を跳ねたらバックして轢くという話を思いだすた。
>>326 太ってから賠償金をせしめるためにせっせとハンバーガーを食うアメリカ人。
エイズに感染して謝罪と賠償を求めるためにせっせと売血する中国人。
金を払うだけ払って相手の人生まで買った気になって返り討ちに遭う日本人。
とかくこの世は生きづらい。
>>325 勝利のためには必要な犠牲ですよ。
最大多数の最大幸福。
>>326 日本でも、一生寝たきりの補償金の方が、死亡補償金より高いから、目撃者がいないととどめを刺してしまうことがあると聞いたが。
>326
日本だって死亡した場合の賠償金より半身不随とかで一生分治療費払い続ける方が高くつく上、
業務上過失致死の初犯だと大した罪にならないし、恒常的人手不足の交通課のおまわりさんは
死亡事故だと運転手の言い分だけ聞いて現場検証も目撃者探しもそこそこにしかやらんから、
バックで止めはわりとポピュラーなやり口でつ。
ポピュラーなのかYO!
>>329 実況見分・検死・解剖でどのあたりがどこにどの程度の強さであたったかって結構正確にわかるから
うまくやらないと業務上過失致死が殺人に切り替わる
ここがしょうもない知識を披露するスレでよかった。
もし生活に役立つ豆知識を披露するスレだったら……
Σ(゚Д゚;大変なことに!!!
まあ軍事板が「趣味」のカテゴリなのも
「実用だったらヤバいでしょ」というひろゆきの判断な訳だが
>>334 そりゃそーだ…日本の官憲は細かいからな
ドイツの駆逐戦車ヘッツァーの名前は有名だが、実はこの名称(「勢子」という意味)
はあくまでも愛称であって、正式には38式駆逐戦車という何のひねりも無い名前。
フォークランド紛争でのシェフェールド炎上沈没を受けてイギリス海軍は火災防止のために
高温の油を使うフィッシュ・アンド・チップスを航海中禁止にした
ライミーは虫の湧いたビスケットしか食えんとは可哀相に・・・
糖尿病の低カロリーな揚げ物調理法として、食用油を吹き付けてから
オーブンで焼く方法がある。
一度揚げてから冷凍した食材を同じように調理すれば火災の心配もなく
フライの食感がえられないかな
食い物のためにそんな努力はしないか。
1932年の英国空軍軍用機命名法
戦闘機…速度、活動および攻撃的なことを表す、一般的な言葉。
昼間爆撃機…猫科を除く動物。
直協機…古典に使われた言葉。
夜間爆撃機…大英帝国の内陸部の町あるいは、RAFに関係する町名
多用途機…英国の歴史的な名前
輸送機…大英帝国の普通の町名または港町の名前
飛行艇…大英帝国の沿岸の町又は港町名
海軍戦闘機…神話の名前
海軍戦闘偵察機…海鳥の名前
海軍雷撃機…大洋、海、河口の名前
海軍観測機…海の動物名
練習機…授業を表す言葉又は教育に関する地名
なお、第二次大戦に際して航空機生産の管轄が軍需省から航空機生産省に変わったため、命名基準が若干変わり、
爆撃機…大英帝国の内陸部の町あるいは英国史に関連した地名
多用途機、雷撃機、汎用偵察機…英国の歴史的な地名
練習機、標的曳航機…授業を表す言葉又は空軍の練習機基地を除く教育関係の地名
グライダー…歴史的な軍事指導者名
なお、海軍機については、命名権が海軍省に移っている。
戦闘機…速度、活動および攻撃的なことを表す、一般的な言葉。
スピットファイアって一般的な言葉だったのか。知らなんだ。
spit:ツバ、ツバを吐く
炎のツバを吐く→ギャーギャー喚き立てる→癇癪持ち、ヤキモチ焼き。
なるほど
> 海軍雷撃機…大洋、海、河口の名前
ソードフィシュ ってカジキマグロの事じゃないの?
どっかの海に付いてる名前なのか?
ソードフィッシュの後継機だって”アプルコア”だしな。
最後の行を読め。
>>347 ソードフィッシュってメカジキだったと思う
>>348 アルバコア、だべ?
Albacore、びんながまぐろ
>昼間爆撃機…猫科を除く動物。
なぜ猫を差別するw
アプルコアつーと、あれだ「アップルシード」の続編かなんか?
「びんちょうまぐろ」だと思ってた
>>354 辞書引くと、「びんちょう」でもいいらしい。
あと、「まぐろ」はつけないのが正式みたい。
ついでにソードフィッシュも調べてみた。
めかじきがswordfish、まかじきがbillfish又はspearfish、
「かじきまぐろ」はめかじきとまかじきの総称、だそうだ。
「ビンナガ」の「ビン」は「ビン付け油」のビン。
顔というか頭のすぐ後ろに生えてるヒレ(胸ビレ)が長いことから
ビンナガという名が付けられたとされている。
「ビン長」と書かれているのを「ビンチョウ」と誤読したとか、
「備長炭」の「ビンチョウ」と混同したとかいう説を聞いたことがある。
英国海軍の雷撃機アルバコアは、その性能の低さから
現場で使っている人たちからは
”アプルコア(りんごの芯)”
と呼ばれていたとかいないとか。
ちなみにソードフィッシュは、
ストリングバック(買い物袋)と呼ばれていたようである。
偶にはドイツネタ。
1944年秋のとある1ヶ月間に於けるドイツ軍高射砲の弾薬消費量。
20mm機関砲弾 11,628,440発(対英米機:9,954,220発、対ソ連機:1,683,220発)
37mm機関砲弾 1,038,470発(対英米機: 802,510発、対ソ連機: 235,960発)
88mm高射砲弾 3,175,400発(対英米機:2,948,800発、対ソ連機:226,600発)
105mm高射砲弾 255,030発(対英米機: 254,360発、対ソ連機: 680発)
128mm高射砲弾 102,450発(対英米機: 102,430発、対ソ連機: 20発)
ちなみに、1944年の重高射砲中隊(各中隊4〜5門の88〜128mm高射砲を持つ)は2,655個中隊、
中、軽高射砲中隊(各中隊12〜15門の20mm、37mm、57mm高射砲を持つ)は1,612個中隊、
照空中隊(各中隊16基の150cmまたは200cm照空灯を持つ)470個中隊。
嗚呼、東洋の同盟国はこの一ヶ月分の弾薬作るだけで何ヶ月かかるやら orz
>>362 砲弾1つすら製造が手作りに近かったんだな、これでよくヤンキーに喧嘩を吹っかけたもんだよ・・・今の北朝鮮政府が賢明に見える(w
なんと作ってる間に戦争が・・・
88mmスゴスwwwww
>>362 1年以上かかることは確実。
88ミリ以上だとひょっとしたら日本の全製造数よりも多いかもね。
大戦中の日本の75粍以上の砲弾の生産数が全部で7500万発前後だったはず。
高射砲弾限定ではちょっと分からない。
世界で一番効率的な戦争をした皇軍万歳!
orz
戦前の日本はGDPでは大体ドイツの8割はあったんだけど、軽工業が中心だったので
重工業では歴然と差があった。
例えば製鉄では日本が500万トンに対しドイツは2500万トン。
竹ひごに和紙貼って作った戦闘機とか、組木細工の戦車で戦争するようにすれば
他国とそれほど遜色ない工業力で戦える可能性があったのか。
戦車の装甲を鉄でなくセラミックで作っていればよかった。
先進的で良い。
ディーゼルエンジンを積んだチハは先進的でした
竹ひごと和紙で作った戦闘機が全金属製戦闘機と互角の性能を持てるくらいの技術力があれば
日本は勝っていた。
>361ネタの続き。
1939年と1945年に於ける、ドイツ高射砲の砲門数。
重高射砲(88mm/105mm/128mm):約2,600門 → 12,269門
中、軽高射砲(20mm/37mm/50mm):約6,700基 → 19,370基
探照灯(150cm/200cm):約3,000基
敗戦時の高射砲部隊人員数は将校以下821,300名。
ちなみに、アジアの東の果てのとある国に於ける、太平洋戦争勃発時の高射砲。
陸軍:500門、海軍:200門。
あれだろ、ドイツとは使ってる単位が違うんだ。きっとな。
orz
ドイツってどこの星の国?
>376
> ちなみに、アジアの東の果てのとある国に於ける、太平洋戦争勃発時の高射砲。
> 陸軍:500門、海軍:200門。
海軍は「高角砲」なのだ。
などとムダな抵抗をしてみるテスツ。
もう、久我山の15cmがどうのとか言うの恥ずかしいな。
そうか、東の最果ての島国は生えてきたばかりだったんだな。だからみんなに当り散らしてたんだ。
ぞんでドイツはボーボーと
そうか!!それならパイパンの方が人気があるから偉大だね・・・orz
落ちそうだからageようかと思ったけど膿と房がきているから一度落としたほうがいいな
航空機の一日あたりの生産重量比
米1:独0.81:日0.44(1941年)
歳を追うごとにこの比率は日独に対して不利に働き、
44年には
1:0.45:0.25、
45年には
米1:日0.17
となるのでした。
1939年8月、欧州には、日本の新進気鋭の物理学者である湯川秀樹博士や、理研の留学生、
朝永振一郎博士が居た。
湯川博士は、ドイツで開催される国際会議に出席するためだったが、同行した小児科の先生に、
「戦争になったら、帰国も難しいですね。私はドイツで「数学」の先生になりますから、あなたは医者
をしたら如何です?」
などと、のんきなことを言ってたとか。
9月、英国に封鎖される直前にドイツを出港した靖国丸で、彼らは帰国の途に就いたが、湯川秀樹は
途中で下船して米国に立ち寄り、朝永博士はそのまま帰国してしまった。
お陰で、仁科博士に絞られたラスィ。
>>384 落ちるのは最終書き込みから判断だからageは関係ないだろ?
夏厨だから知らないんだ
Normandy上陸作戦当時、ドイツ軍の88mmに簡単に撃破されるM4戦車を称して、
カナダや英国の兵士たちは、諧謔を込めて"Ronson"と読んでいたそうな。
その心は、「一発で着火する」から。
(Ronsonは世界で初めてワン・アクション着火のライターを実用化した)
まあまあ、そのぶんドイツは日本の数倍は爆撃機が飛んできたわけだし…orz
「ワンショットライター」の悪名で有名な一式陸攻だが実際に対戦した
米軍のベテランパイロットは結構撃たれ強い機体だという評価も多い。
12型以降、それなり強化する努力はされてるがな・・
太平洋戦争時の米艦隊司令長官アーネスト・キングは酒、女、ギャンブルが大好きで
特に美女に目が無く、美人と見れば人妻だろうが何だろうが平気で口説き、パーティ
などで隣の席に座ると遠慮無く足を触りに来るセクハラ野郎だった。
394 :
名無し三等兵:2005/08/10(水) 12:15:11 ID:ZxXaoOAl
キングの人物評価は酷薄を極めていてハルゼーは「度し難い愚か者」
ニミッツは「妥協を優先する腰抜け」と周囲に公言し、何人もの人間
がそのせいで将来を絶たれる事になった。
特にヒドイのがフレッチャーに対する扱いで珊瑚海、ミッドウェー、
第二次ソロモンと日本機動部隊相手に勝利を収めながら閑職に回される
いう悲惨なもの。
ちなみにキングは健康を害し海軍を引退しようとしたとき誰も引き止めてくれなかった。
健康を害して辞めるときに引き止められても困るだろ
つうかフレッチャーは閑職に回されて当然。
合戦したさに上陸途中の海兵隊見捨てて逃げ出すような奴に指揮官の資格無し。
海の人も閑そうだな
>>397 でもニミッツはフレッチャーの判断を支持してましたよ。
海のつまらない一言批評は何がしたいんだろ・・・
米海軍で元帥の階級が出来たのは1944年12月14日であり、そのほぼ一年後の
1945年12月にハルゼーが昇進していらい、元帥になった人間はいない。
実質的に第二次大戦の戦功ポストだったと言って差し支えはないだろう。
ドイツ陸軍の1936年度軍備計画では、常備軍は1942年10月1日、戦時軍の場合は1943年4月1日にその整備が完了する計画であった。
その規模は、野戦軍の兵員数を242万人を動員し、動員可能師団数は102個師団とするものであった。
しかし、自動車化部隊は1938年冬の時点で、まだ動員可能な状態になく、即時出動部隊の数は殆ど増えず、宿営地と訓練地の整備が
追いつかずに動員に支障を来し、兵器などの準備は1ヶ月分しか無く、補給は危殆に瀕しており、弾薬など消耗品の備蓄は、40戦闘日を
予定しているのに僅かに15日分しかなく、製造部門への動員より兵員の動員を優先しているので、備蓄の生産性が上がらず、要塞施設の
完成は1950年以前に見込むことは出来ない、としていた。
ちなみに、1939年9月の時点で、動員数は276万人に達し、師団数は103個師団に達して計画を前倒し達成した。
但し、装備と装具については、依然として計画を達成できず、薄氷を踏む思いで陸軍参謀本部はポーランド戦役に踏み出したのである。
1943年3月5日、戦時下のドイツで「ミュンヒハウゼン(=ほらふき男爵の冒険)」なる映画が公開された。
これはウーファ(独映画会社)創立25周年を記念して制作されたもので、宣伝相ゲッベルスの肝煎りのもと、
ドイツの映画技術の粋を注ぎ込んだ超大作で、当時としては珍しい総天然色の映画であった。
映画はカラー映像の素晴らしさ、トリック撮影の妙が評価され、
国内のみならず、海外でも上映され、大変な人気を博した。
が、実はこの映画の脚本を書いたベルトルト・ビュルガーなる人物の正体は、
「好ましからざる作家」として執筆禁止の処分を受けたエーリヒ・ケストナーであり、
このことが明るみに出たおかげで、帝国映画総監督ヒップラーは、その職をクビになってしまった。
映画ネタをもうひとつ。
1945年1月30日、もはや敗色濃厚となった第三帝國において、「コルベルク」なる映画が封切られた。
ナポレオンによって蹂躙された東プロイセンの小都市コルベルクにおける住民蜂起を描いたものだが、
内容自体は単なる国民煽動映画なので、とりあえずおく。
さて制作は1943年6月1日からスタートしたのだが、予算は映画としては破格の8500万マルクが注ぎ込まれ、
戦闘シーンの撮影には(前線から引っこ抜かれた)18万7000人の兵士と6000頭の馬が動員された。
まさに狂気の沙汰である。
余談だが、封切りの時点で、既にコルベルクは赤軍によって占領されていた。
さらに余談だが、封切り当日、ゲッベルス閣下の命で、
この映画のフィルムがフランス大西洋岸の街ラ・ロシェルで包囲され孤立する独軍陣地にパラシュートを付けて投下され、
兵士たちは銃を置いて、映画鑑賞をするはめになった。
トラック空襲で防空能力が崩壊し引き上げてしまったのに、
陸軍に提出された海軍の報告書にはトラック諸島の防空は万全と記されている・・・
実は戦前・戦中の書籍を読むと海上兵站戦の確保の重要性とその困難さ
について多くの頁を割いて、補給の必要性を繰り返し述べている事が多い。
・・・皮肉にも、だからアメリカは日本まで攻め込む事は出来ないと言う
結論が導き出されているのだが。
>>403 そう言えばゲッベルスはあからさまなな翼賛映画は非難してるよね。
>>406 分かっている連中はいるのに組織全体としては妙なことになる。
典型的な負けパターンだよね。
知らずにおこなった過ちよりも、知っているくせに無かったことにする方が
よっぽどたちが悪いということですね。
他にも戦時中の書籍を読むと熟練パイロットの重要さとか、陸軍の機械化とか
科学技術の発展がいかに戦争に大きな影響を与えるかとか、ちゃんと指摘して
あるんだよな。
結論が「だから日本は勝つ」なんだけどさ・・・
部品は揃ってるけど組み立てられないw
>>404 コルベルク市の陥落は1945年3月18日であり、封切り時点では赤軍の手に落ちていない。
補足すると雪のシーンを撮影するために南ドイツから岩塩を何本かの列車で東プロシアまで運び込んだ。
ドイツ軍の前線輸送力が限界のその中で。
東プロシアでの撮影終了時には、ソ連軍の砲声がロケ隊に聞こえるくらいの状況だったそう。
>404
話の本筋とは関係ないんだけど、オネアミスの翼のセリフで
8,500万ラデクだぞ、8,500万ラデク。なくすなよ、高いんだから。
というのは、もしかしてこれが元ネタなんだろか、などとおもターリ。
>>410 検閲ではねられないためのおまじないでしょう。>「だから日本は勝つ」
JSとか、KVとか、ソ連の戦車には、時々の実力者の名前が冠せされているものも
出てくるが、T34に搭載された85mm戦車砲にも、LB-1と言うものがあった。
LBとは、ロシア文字でЛБ、即ちЛаврентий Павлович Берия、
国家政治保安部長官、そして内務人民委員のベリヤその人のことである。
流石に性能的には、D-5など、当時、採用されていた同口径の戦車砲と変わることなく、
採用されることはなかったと言うが…。
採用されてたら、((;゜д゜)ガクガクブルブル。
処女膜を打ち破る専門の砲か?
可憐な娘さん以外には砲身がぴくりとも反応しない・・
海上自衛隊/米軍の厚木基地は、神奈川県厚木市ではなく、同県の綾瀬市と大和市にまたがっている。
自衛隊の基地名と実際の住所が違う例は他にもあるが、敷地の大部分は基地名の由来となっている場所にあり、
司令部の建物が隣の市町村の土地に建っているという例がほとんどである。
(例:東京都練馬区にある陸自朝霞駐屯地、埼玉県狭山市にある空自入間基地など)
基地の敷地内に、基地名の由来となっている土地が全く含まれていない例は珍しい。
なんだってまた、そんな世間を惑わすようなネーミングを・・
横田もそうだったっけ
今は亡き我が国の社会党とイラクのバース党は嘗て友好関係にあり、
飛鳥田一男が市長時代、横浜市がバグダッド市の再開発を請け負ったことがある。
手前のところのインフラ整備より、よその国のそれを優先させるとは、さすが(以下略
それはさておき、飛鳥田が約束をするだけして社会党委員長に就任してしまった為、
後任市長の細郷道一は頭を抱えることになった。
それでも約束は約束、変にフセインの機嫌を損ねて石油が入ってこなくなったら大変なので、
横浜市は東洋史の権威・岩村忍氏を団長とする調査団を派遣した。
調査団が帰国直後、イラン・イラク戦争が勃発し、この話は御破算となったのだが、
もっとも開戦を喜んだのは横浜市であったろうと囁かれているそうな。
>>412 調べたらコルベルクの陥落は確かに3月ですね…
ソースが間違ってたぽ。orz
>421
アラブ系住民が黒人系住民を虐殺してるスーダンのダルフールに行って視察した後、
日本政府を代表してるわけでもないのに勝手に日本による人道支援を、しかも虐殺
してる側のアラブ系政府要人に対して約束した民主党岡田代表も大概なもんだと
思います。
糞コテがハッスルしたがるネタだな・・・
じゃあ餌を撒いておくか
中国 韓国 北朝鮮 選挙 民主党
>>424 ∩___∩ /
| ノ ヽ /
/ > < |/ そんな餌パクッ
| //// ( _●_)/ミ
彡、 l⌒l ノ
/ __ \ \ヽ
. (___) \__)
. O| /
| /\ \
| / ) )
∪ ( \
\,,_)
冬籠もり前じゃ有るまいに、しけた餌に飛びつくなよw
つまりイライラ戦争の影に横浜市ありということですね!!1!1
>428
パースついてるだけだろ。
そうやって視覚的に面積が広く見えるようになるのを意図的にやってるんじゃないかって言ってるんじゃないの?
気になるレベルでも無いと思うんだが……
まあ、熱心に議論すればするほどしょーもないだけの話だよ。
いつものこと。
>428
二枚目の画像「こーしてる」はウソだな。円周が円じゃなくて楕円だもの。これは円が
斜めになってるだけ。
円グラフは多い順に時計回りに書くもんだからこうなるのは別に変でもなんでもないんじゃね
ま、そもそもこういう時に円グラフを立体にするのはおかしいけどな
円グラフの側面の部分にも色が付いてるから
確かに民主党が多く見える。
それに、中心点も上にズレ過ぎのような気もしないでもない。
が、今まで朝日がやってきた変更/歪曲に比べれば小さなものだと思う。
>>424 しけた餌どころか糞コテともども大漁だなw
イラクでは湾岸戦争を「第3次世界大戦」と呼んでいた。
439 :
名無し三等兵:2005/08/20(土) 13:04:12 ID:bLnUYwWy
なめとんな
イラン・イラク戦争ならともかく、
1国対世界中あちこちの国、という構図なら第2次大戦の末期とそう変わらん気もする。
中東の一地方しか戦場になっとらんのに
世界大戦とは烏滸がましいな。
ソウル大学食品化学分野教授のリュウ・イェンヌ教授(58)は、日本食は健康に悪い点だらけであると警鐘を鳴らした。
教授によると、日本食の代表食であり日本人にとってはポピュラーな納豆に対し
「所詮は腐った大豆。体に良い訳がない。納豆が体に良いと言うのは、日本食品が歪曲したものだ」と痛烈に批判をした。
また、日本の代表的な香辛料であるワサビとカラシに対しても
「普通の刺激より酷いもの。こんな物を摂っていては遺伝子構造自体にも欠陥が生じるのは目に見えてる」とした。
ワサビやカラシとは、我々朝鮮人の唐辛子よりも非常に刺激が強く、鼻や目に強烈な痛みを感じる香辛料である。
最後に教授は、
「そのような体に悪いものばかり摂り続けたばかりに日本人は遺伝子自体から歪曲されてしまった。
他国の領土を自国の領土だと言ったりするのは仕方ない事だ。」
と締めくくった。
http://japanese.joins.com/html/2005/0408/2005040815546616.html
>>442 いやスレ違いなのは自覚してるが一言言わせてくれ。
「お前が言うな」
いや、もう、何というか。
お見事。
>>442 >所詮は腐った大豆。体に良い訳がない。
チーズを食う欧米人も馬鹿にしてないか?
リュウ教授ですが大学の食品化学分野教授なのに科学的に話すことができません
ソウル大学、大丈夫か?
「日本人は先天的に遺伝欠陥があることが確認」
(ソウル:05/08/19)
医学博士キム・スンニ博士(47)はこの度、画期的な研究を発表して世界的な注目を受けている。
博士は日本人の侵略性や捏造体質は遺伝子に原因があることを突き止めたと17日に
南北統一医学研究学会で発表した。
この発表で、博士の研究チームが日本人の遺伝子を調査したところ、侵略性や捏造体質をおこす
遺伝子が日本人にはあることがわかり、世界中の遺伝子学界に大きな衝撃を与えている。
博士の研究により日本人の91%にこの二つの遺伝子を保有しており、99%はそのどちらかを
必ず保有していることを確認された。この二つの遺伝子は日本人以外にはないという。
医学的な常識でこれは遺伝的欠陥であると博士は言う。つまり日本人は先天的に遺伝子欠陥があり
精神異常であることの科学的な証明なのである。本来ならば精神病院に入れなければならないような
状態の人種が隣国に存在するために韓国の歴史は苦難に満ちたといえよう。
この研究は韓国のバイオテクノロジー技術が世界でもトップレベルにあることを証明しただけでなく、
韓国に対する日本の侵略や捏造の仕組みを解き明かすことになった歴史的な偉業である。
日本による侵略支配や獨島への侵略の問題がどこから来るのか、科学的に証明されたことにより
国際社会が日本の異常性を改めて認識するようになるのは確実である。
>南北統一医学研究学会
という、せいぜい国内学会程度のローカルなもので発表したものが
>世界的な注目を受けている
はどうかと思う。大学院にいった人間ならすぐに気づくぞ。
リンク先が404なところを見ると、それっぽく作った捏造じゃないの?
散々捏造国家云々って叩いて、自分も同じことやってるんだから救えんね。
「深淵を覗くもの、深淵に覗かれる」
つまり、日本人は古来から腐敗した大豆や刺激の強すぎる香辛料を摂取し続けたことにより
「侵略性」「捏造体質」の2つの遺伝子が突然変異的に発現し、偉大なる韓国様に迷惑をかけている、、
と、こういうこと?
と思ったら四月の記事なのね。なら削除されててもおかしくないかorz
>>451 俺、釣られてしまったかも。
困ったことに「彼らならこんなことを真面目に言い出しても不思議じゃない」という
土壌が醸成されてるからなー
半島人は、先天的に健忘症と誇大妄想に関わる遺伝子異常を
持っている。
と言うところですか。
捏造ですか……。
叩くにしてもきちんとした資料を元にしろと。
どうも先日の自衛隊員の握手写真以来、漏れの中での対韓感情が悪化してます。
ホントしょうもない、だな。Kの国のマスコミも日本の嫌韓厨も。
>>459 あの写真はコラじゃなかったんでしょ?
先日政府から韓国大使館に抗議しましたよ。
厨房が恥をさらすスレはこちらですか?
>>461 それは漏れのことを言っているのか? 失礼だなー。
>>461 残念ですが、恥じという概念は無いようです。
第二次大戦中のイタリア戦線におけるオルトナの戦いに於いて、カナダ軍はドイツ軍と、
家一軒、十字路一つを争う戦闘を繰り広げた。
ドイツ軍は、戦車を穴を掘って埋めて砲塔だけを出して小型の砦とし、機関銃は十字砲火を
浴びせるように配置され、家々はあらゆる武器で要塞化され、窓などの開口部には金網が
張られ、手榴弾防禦とした。
更に、ワインの瓶から聖書に至るまで、兵士の気を引くものが路上にばらまかれた。
これは当然、ブービートラップとなっていた。
カナダ軍は、これら家々に取り付き、ある者はブレン軽機銃で援護し、他の者は正面の扉を
蹴り倒して手榴弾を投げ込み、それが爆発するや否や、中に押し入って短機関銃を乱射する
ことで対抗したが、厚さ4フィートの壁は迫撃砲でも破壊しないことに着目し、新たに入手した
6ポンド砲を持ってきて、窓を破って砲身を中にぶち込み、発射する方法で中の人を殺傷する
と言う、効率の良い方法を見つけた。
また、目標の隣の建物の最上階の壁を壊し、中に押し入って、隣の建物を掃討すると言う
方法も採られた。
ちなみに、この戦いが起きていたのは、1943年のクリスマス。
その日までに教会を確保したカナダ軍は、戦闘が続いている最中も、その中庭に豪華な食事
を準備し、兵士達は代わる代わる前線から帰ってきては、クリスマスディナーと甘いデザートを
頬張って、再び出撃していった。
で、そのクリスマスディナーの光景は…。
「周囲の戦闘から生じる耳をつんざく大音響の合間にバグパイプの吹奏と兵士の歌うクリスマス・キャロルの
高らかな声が聞こえてきた。
煙幕の様な靄の向こうに、白いリネンで覆われたテーブルに着席する兵士達が見えた。
300ヤード前方では、敵軍が機関銃を果敢に撃ってきたり、迫撃砲弾や榴散弾が作り出す身の毛もよだつ
不協和音の中で、クリスマスの真の伝統に従って、若い少尉たちが冷静に詰め物や野菜を添えたカナダ産
七面鳥を配っていた。」
ちなみに、この戦いでは、カナダ陸軍歩兵第一師団の兵士のうち、実に2,339名が死傷、1,617名が戦闘による
極度な疲労を原因とする疾病のため、戦線から後送されたと言う。
英軍なみの意地っぱりだな
まぁ、英連邦の一員だものな。
まんま、モンティパイソンのネタにできそうなくらいのギリギリ感が凄い
…まあ軍事ネタではないのだが、時事ネタで。
1976年7月、エジプト。
ひとりの日本人女性が、自らのカイロ大学卒業を記念し、長らく夢見ていた計画を実行に移した。
彼女は後輩たちをアルバイトに雇い、荷物一式を運ばせ、ギーザのピラミッドまで来ると、
夜明け前からえっちらおっちらと登っていたのだが、途中、運悪く警邏中の警官に見つかってしまった。
「コラここは登っちゃいかん」という警官に対し、
「そこはそれ御代官様のお計らいで」
「5ポンド」「1ポンド」「じゃあ中を取って3ポンド」
「気を付けて行けよ!」
てっぺんにつくと、彼女は振り袖に着替え、作法に則り茶を点て、上りゆく朝日に献上した。
そして絶叫。「大学もピラミッドもやっつけたわよ!」
彼女の名前は小池百合子という。
漢だな、小池。
>>472 ここはジョークスレじゃないんだからさ・・。
>>473 そういうことではなくて、初出はジョークスレなんだつーの。
最初からジョークとわかってる人を対象につくったのに、
無転されて(それ自体は構わんが)、捏造扱いされるのは
職人が不憫でならぬ。
ただでさえ自殺者てんこ盛りのスレなのに、あんまりだ。
TPO考えなきゃただの捏造だろ。
>>474 コピペされたスレ全部を巡回するわけにはいかんだろ?
そのあたりは割り切るべし。
このスレの連中ってレベル低いな。ジョークも通じないなんて。
ハン板住人は嫌韓なんてレベルはとっくに卒業して笑韓にステップアップしているの。
低レベルな嫌韓厨風情といっしょにされると迷惑なんだけど。
ジョークも理解できないなんて半島クォリティーなみのオツムなんですか?
ジョークを隠れ蓑にしても所詮は嫌韓厨のメンタリティ
上まあ「信じられないが…」スレが崩壊して久しいわけであるし、
文句言ってるヤシはネタをふれ。
スレタイも読めない香具師がジョークについて語っている。
信じられ(ry
んじゃ、イタリアネタで。
Mussoliniは、1926年11月の国王勅令で、国家特別防衛法を発布し、公安警察が逮捕した反ファシスト活動家を、
イタリア周辺の島に流刑に処した。
例えば、シチリア近辺にあるウースティカ島もその一つ。
此処は、面積8km^2で、人口1,300人だが、うち600名は一般徒刑囚。
しかし、島内の散歩は自由、牢獄(と言えるかどうか)は、一軒家に三室の寝室があり、5人で用いていた。
此処には、後のイタリア共産党書記長グラムシが収容されていた。
また、同じくシチリア周辺のリーパリ島は、人口11,000名。
此処も、監獄タイプの家に寄宿し、夕暮れから翌朝まで鍵を掛けずに生活していた。
しかも、生活手段に事欠く者に対し、政府から1929年まで一日10リラ(以後は半減されるが)が支給された。
ただ、それだけでは生活が成り立たないので、グループ毎に共同の厨房、食堂を組織し、政治犯は、COOPや、学校、
図書室、職工作業所も作られた。
ちなみに、これらは流刑地の監督官の権限の下にあり、図書室には発禁本を置くことは出来なかったが、非公然の
「図書室」が流刑者たちの各政治組織にはあり、支援者から密かに送られてきた発禁本もあったという。
こうして、流刑地にもかかわらず、戦前には3000冊の本があったという。
ちなみに、Mussolini独裁政権誕生からその崩壊までに、国防省の特別法廷で裁かれた反ファシストは5,619名で、
うち、4,596名が有罪とされた。
しかし、死刑は42名だったりする。
また、懲役刑を喰らった人は、20万7,735名で、3,000名が審理中であった。
1991年3月3日、イラク南部のサフワン飛行場で、湾岸戦争における現地停戦協定が結ばれ、
多国籍軍側からは総司令官のシュワルツコッフ大将、
イラク側からは陸軍副参謀長のジャブリ中将(=イラク戦争時の国防相だ)、
第3軍団長のドゥガスタニ少将その他が出席した。
まず型どおり、ジャブリ中将がイラク側が収容している多国籍軍捕虜の数について細かく説明し、
続けて多国籍軍側のイラク人捕虜の数を質問した。
シュワルツコッフ「少なくとも5万8千人以上です(=実際は8万6千人余だった)」
ジャブリ中将は仰天し、脇のドゥガスタニ少将に、これは本当だろうかと尋ねると、
ドゥガスタニ「私にはよくわかりませんが、おおかたそんなものでしょう」
ジャブリ「('A`)」
続いてシュワルツコッフ大将が停戦ラインを提示し、イラク側の同意を求めた。
ジャブリ「停戦自体に異論はありませんが、なぜこの停戦ラインは我々の部隊より後ろに引いてあるのですか?」
シュワルツコッフ「そこが我が軍の最前線ですよ」
ジャブリ中将は驚いて、脇のドゥガスタニ少将に、これは本当だろうかと尋ねると、
ドゥガスタニ「私にはよくわかりませんが、おおかたそんなものでしょう」
ジャブリ「('A`)」
以後、イラク側は目に見えて従順な態度になったとペンタゴンの議会報告書は記している。
↑GJ!!
しかし、多国籍軍って言葉定着しちゃったなー
あれ、連合軍でしょほんとは?
まあ「連合国」を「国際連合」と言い換えてる国だし。
殺虫剤「ゴキジェット」の成分はケロシンで実際に本当のジェット燃料。
マジ?
ケロシンって灯油なのだが?
ジューコフは子供時代、教会付属小学校でその声を見込まれてコーラス隊で賛美歌を歌っていた。
450mlのゴキジェット持っているが、たしかに「ケロシン90ml」と書かれているな。
殺虫成分の溶媒とかかな?>ケロシン
ケロシン=灯油=一部のジェット燃料
でなかったかな?
>>487
>>491 ウチの親父、仕事が石油関係なもんだからダイハード2のラストシーン(ジェット燃料に火をつけて爆発)
で「あんなに燃えるかっ!」と熱くツッコミ入れまくりで困る。
>>493 いや、それはあまり軍オタも文句は言えない。w
激戦地ニューギニア島の幅2440kmは日本でいえば宗谷岬から奄美大島までの距離に匹敵する。
そんなだだっ広いところを第十八軍だけで守っていたんか・・・
英軍の心胆を寒からしめた宮崎繁三郎中将の最後の命令は、捕虜収容所にて
「英軍から一つ殴られたら、十発殴り返せ」
牛島満中将は第三十六旅団を率いて武漢へ向けて進撃中に、野ぐそに出た兵が
殺される事件が相次いだので、大便はよく見える安全なところでやれと命じた。
とはいえ、さすがに恥ずかしくて被害が一向に減らない。
そこで牛島旅団長は行軍中の部隊の横で堂々と、率先躬行大便をしてみせて
それ以来、野ぐその損害はやんだという。
>>497 その話読んだことがある。
月刊サムソンで…
愛読書が無くなって残念だったな。
オランダ陸軍には労働組合がある。
団交とかストとかやってたら面白いかも知れんな
牛島中将は沖縄で第三二軍を率いていた際、
砲爆撃が司令部壕に響く中、黙々とカツオ節を削っていた、というのは本当なんでしょうか。
牛島将軍は絶対に怒らない人という逸話があるなあ。
またサムソンに出てきそうなネタだけどw
山下泰文大将は酔って機嫌が良くなると、部下や若い士官を子供をあやすように
膝の上に乗せるという変な癖があった。
徴兵逃れのあれこれ
政友会総裁鈴木喜三郎は学生の頃に、父親がせっかく大学に出したのに
徴兵されるのはもったいないと鈴木姓の寺の養子に勝手にしてしまった。
本人も後になって知って大いに驚いたという。
嗣子は兵役免除の対象だったのでこれを利用したのだが、
約束のみで養子が実家にいる場合はこれの対象外なのだが・・・
伊藤博文の腹心末松謙澄は東京日日新聞の記者時代に
本当に兵務につきたいんですが、諸般の事情で徴兵逃れをどうしたら
できるだろうなどと、新聞でうそぶいていたが、いつのまにやら正院御用掛という
役職について、官吏は徴兵対象というのを利用して徴兵逃れをした。
明治初期の政治の中枢にいたおかげで伊藤博文と縁を持ち政治家への道を開いた。
日本芸術界の重鎮高村光雲は突然、徴兵されると知らされ、師匠の高村東雲が
自分の姉が独り者だから結婚しろといい、中島姓から高村姓になって徴兵を逃れた。
問題は師匠の姉エツというのが、その時いったい何歳だったのか、これは謎。
高潔な人格者として尊敬された無産運動で知られる安倍磯雄は
若い頃は滅茶苦茶な性格で、最初は岡村姓だったが、次男なので
徴兵逃れの為に竹内という33歳の女主人と結婚した。時に19歳。
ところが明治16年に徴兵制が改正され戸主も徴兵対象になったので、
慌てて竹内とは離婚。今度は戸主年齢60歳以上のものの嗣子という
条文を満たすために安倍姓の婦人に近づいて、この人の養子になって
徴兵を逃れたのである。
ところがこれは安倍の誤解で、改正された内容を誤解しており、
実際には戸主は徴兵の対象外であった。
明治を代表する文豪夏目漱石は学生は北海道に戸籍があるものは
徴兵対象がであるのを利用して徴兵年齢になる前に転籍した。
ところが二年後に日清戦争が勃発し、徴兵された彼の学友達は
ちょうど真っ先に最前線へと送られる立場で次々と戦死していった。
この件で自責の念にかられて思い悩んだが故に神経衰弱になったという説がある。
間違えた
×学生は北海道に戸籍があるものは
○学生時代に北海道に戸籍があるものは
>504
>約束のみで養子が実家にいる場合はこれの対象外なのだが・・・
うーん、同じ家に住んでいる祖父の養子になったらどうなるんだろ。
>>507 「実家」という概念について若干の誤解があるように思う。
たぶん504も誤解していると思うが、この場合の「実家にいる場合」というのは
旧民法の「家」の概念による「実家」。
だから「実家にいる場合」というのは今日的概念の「親と同居している場合」じゃなくて
「養子縁組が未届の場合」という意味になると思われる。
シンガポールのフォーミダブル級フリゲイトはフランス製。
英海軍伝統の名前がフランス製の艦艇に付けられるとは・・・
お仏蘭西製でも英語圏へ輸出するのは表示が英語になっているのかな?
>>510 いや名前を付けるのは輸出先の国だからね。
ドイツのリュッチェンス級駆逐艦もアメリカ製なのにナチスドイツ軍人の名前が
イヤミのようにつけられてるw
>>503 シベ超で山下大将をマイク水野がやってたが。
うーん、奥が深い。
ま、〈あきづき〉が米海軍軍籍に居たこともありますし。
>513
大日本帝国海軍駆逐艦の花月も米海軍籍(DD934)にいましたしね。
>>508 実家に法的な意味があったんだ。解説ありがと。
該当する条文は
「徴兵令 免役規則第十一条 養子。但約束のみにて未だ実家に在る者は此例にあらず」
元ネタは戦前の文芸春秋での鈴木喜三郎のインタビュー(孫引きだけど)
鈴木喜三郎や高村光雲のようなのは兵隊養子と呼んでいた。
徴兵逃れがややこしいのは、徴兵逃れのために逃亡しても、これといってに罰則規定が最初はなかった。
なぜそんな変なことになったのかといえば、徴兵されたものであれば軍法に照らして処罰できるが、
本人が入営していないので軍法が適用できないから。
さすがに明治22年になってようやく改定されたものの、ここで変な事態が起きている。
日本の徴兵制は選抜徴兵制であり、国民の中でも選抜されたエリートのはずだが、
徴兵忌諱者は刑罰を受けた後に「抽選の法に依らずして之を徴集」となぜか
徴兵を懲罰として課しており、国民のエリートたる徴兵対象者であることが罰となっている。
民俗学の説に近代になって記録を残しているサンカとは、この徴兵逃れのために山間部に逃亡して
コミュニティーを形成していたものが名乗っていた、という説があるけどどんなもんだろ。
民俗学はピンキリだからなんだけど・・・
>>514 ここで天皇陛下のスチュアート号の話をするのはスレ違いですか?
>516
どんなしょうもない知識でもかまわんからPlz
インパール作戦での佐藤師団長の抗命事件は有名だが、
陸軍史上の不祥事として師団長の抗命事件がもう一つが記録されている。
昭和19年11月の第百二師団長福栄真平中将の抗命事件である。
第百二師団はパネイ・ネグロス・セブなどの諸島警備が担当であったが、
レイテ決戦の為にレイテ島への移動を命ぜられ敵の猛攻の中にあった。
本来は師団全力が投入される予定であったが、輸送は困難を極め、
レイテに到着していたのは師団司令部部隊と三個大隊のみ。
残る部隊はレイテにいけずに諸島に取り残されたままであった。
福栄中将はピナ山で守備を固めていたが、すでに防衛困難と判断され、
レイテ到達兵力を残し、福栄中将だけ原駐地への帰還を命ぜられた。
福栄中将はレイテに残す部下が全滅するのを見過ごせなかったのか、
諸島守備に不安を感じたのか、永久交戦と言っておきながら、あちこちをたらい回しにする
第十四方面軍への怒りかは今となっては分からないが、無断で部下を引き連れて
レイテから引き上げてセブ島に帰ってしまった。
これが命令違反ということになったが、軍法会議は開かれず重謹慎30日の軽い処分で終わった。
なぜならセブ島とのやりとりもままならない状況で、事件をどうこうする以前に
第百二師団の眼前に敵が迫っていたからである。
その後、引き続き第百二師団を指揮し、20年3月26日にセブ島に上陸した米軍と交戦を開始、
抵抗を続けて8月28日に降伏に調印、21年4月27日チャンギーで戦犯として銃殺された。
罪状はマレー捕虜収容所長としての捕虜虐待だった。
既出かもしれないが。
指揮者、小澤征爾の名前の由来は、満州事変の立役者、板垣征四郎と石原完爾から1文字ずつを取ったもの。
>>519 こないだの朝日の夕刊1面の連載のネタじゃねぇか。
軍板住民がアカヒを購読し、あまつさえパクって来るとは何事か。
これは脳髄反射を起こす良い餌ですね
脊髄反射じゃなくて?
棘皮動物だから、神経節じゃないの?
実は戦後ドイツ軍が公式に編纂した戦史に「独ソ戦はソ連の侵攻に先手を打った」
と書かれた事がある。
中島飛行機の武蔵野製作所はB-29による執拗な攻撃で大損害を受けたが、
もう一方の陸軍発動機工場荻窪製作所は敷地面積は5万坪もありながら
焼夷弾が一発落ちただけで一人の損害も出ずに終戦を迎えた。
何故かというとB-29は武蔵野製作所を爆撃後、荻窪製作所を狙っていたため
両工場の距離が近すぎて照準が間に合わなかったからだった。
中島飛行機の機体系工場には綽名をつける習慣があり
多くの綽名は中島の名物パイロット青木與飛行士が勝手につけていたらしい。
小山悌 かんぱら 漢文に長じる家系なので「漢文の輩」がなまったらしいが青木飛行士は否定
井上真六 ごうばん 学生時代からの綽名で映画「第七天国」のゴーバンの風体に似ていたから
吉田孝雄 がま 由来がわかるとまずいので秘密らしいwちなみに吉田夫人は宋美齢
中村勝治 かっちん 名前の「かつはる」をもじったもの
西村節朗 おさだ お定事件から名前の「さだお」をもじったもの。
内藤子生 こんぶ 名前の「やすお」をもじったもの
逆に中島の発動機系工場には綽名をつける習慣が無く、
こちらはまじめに上司にはさんをつけ、部下には君をつけるのが一般的だった。
ただ堅苦しいというわけでなく、役職名をつけて呼ぶことはなかったという。
初代荻窪工場長の佐久間一郎には「佐久間ではなく悪魔」だと陰口をいい、
二代目の吉田四郎はこれとは好対照の好々爺で「おじやん」と呼んだ。
中島の実験室には変わった治療法があり、室内でカストル油を使って
モータリング実験を行うとカストル油の煙が充満し初心者は下痢に見舞われる。
そこで先輩は新品のカストル油で天麩羅を作って後輩に食べさせる。
翌日猛烈な下痢に襲われるが、不思議なことにそれからは下痢にならなくなったという。
このカストル油の芋の天麩羅を食べた人が言うには、けっこう上手いそうだ。
もう一つ食い物ネタ
明治36年、徳川慶喜は大阪造兵工廠の視察にやってきた。
鳥羽伏見の戦いで大阪城から遁走して以来の再訪である。
渋沢栄一によると、慶喜はこのとき製作中のアルミニウム製飯盒を見て、
これは不思議なものだと、使用法を詳しく聞いて1つ貰って帰った。
持ち帰った飯盒を使って自ら居間の火鉢で煮炊きをしてみると、
出される食事よりも美味いと大変気に入った。
造兵工廠長に慶喜から手紙が来て、当時はまだ珍しかったアルミニウムなので
人体への影響が無いかと問い合わせがあり、まだ使われるようになってから時間があまりたって
いないので銀のようなものなら大丈夫でしょうが、正確なデータがありませんと返答した。
すると後日、銀の塊が届いて特注で銀製飯盒を作って贈った。
この銀製飯盒は慶喜お気に入りの品になり、これで炊いたご飯は格別美味しいと、
ご飯は銀製飯盒で慶喜自ら炊いて食していたという。
>>527 そういえば漆職人が漆を飲むという話もあるな。
>528
単に、自分で飯を炊くと美味いって話な気もするな。
1914年7月下旬、皇帝ウィルヘルムII世が示唆した、オスマン・トルコ帝国との同盟について、
ドイツ帝国政府や参謀本部は、全く興味がなかった。
そして8月、ドイツ帝国の宰相ベートマン=ホルヴェーグは、駐土ドイツ大使に対し、ドイツ帝国と
オスマン・トルコ帝国との交渉に際して、ドイツ帝国が関心を示す様な手土産をトルコ側が提示
しないと、同盟の締結など不可能との見解を示していた。
しかし、その手土産は強力なもので、8月2日に秘密同盟が締結された。
その手土産とは、オスマン・トルコ帝国が竣工間近だった2隻の弩級艦をドイツ海軍に提供する
と言うもの…。
実は、英国で建造中だった2隻の戦艦は、実質上7月末までにChurchillの手によって、トルコから
「強奪」されたもので、その事実が公式に認定されたのは8月3日だったりする。
でもって、トルコ側は、交渉の時点で既にこの戦艦2隻が自国のものではないことを知って、平気
な顔で、ドイツに同盟と引き替えに実態のない戦艦を引き渡した。
つまり、ドイツはオスマン・トルコ帝国に一杯食わされたのだったり。
ついでに、この時点(英国が何処とも戦争していない状況下)での戦艦接収には、正当化するような
行政手続きも法的手続きも全くなく、本当に「強奪」と言うしかない状態であった。
>>530 飯盒は一種の圧力鍋なんで、結構うまく炊ける。
飯盒の醍醐味はおこげだ!
おこげに「ごはんですよ」ウマー
>>531 そういった行状を聞くと、なんだかんだ言ってもケマルもオスマン・トルコの子ですなあ
日本の近所にはいないのかねえ(嘆
ペルー海軍のアルミランテ・グラウ(旧蘭デ・ロイヤル)は6インチ砲連装4基を
搭載する、現在世界に現役で存在する唯一の条約型巡洋艦。
1923年以降の1920年代の陸軍工廠は関東大震災の影響で予算不足で兵器生産どころの状態ではなかった。
工廠の震災での被害額は当時の額で5000万円以上。震災の影響で諸物価が跳ね上がったために
高炉を稼動させるのも大変な状態であった。
戦前戦中、日本が武器を輸出していたことは知られているが、その予算不足の1920年代半ば以降の
工廠を支えていたのが暹羅(タイ)王国向けの六十六年式暹羅歩兵銃だった。
暹羅歩兵銃は25年には19800丁も輸出され、生産された24年〜28年の間に合計43300丁が輸出され
関東大震災前の1923年上半期には38式だけで13000丁も生産していたものが震災後には
38式・38式騎銃・44式騎銃を合計しても同時期に日本軍に納入された物は年間1500〜4000丁で、
陸軍工廠はタイ陸軍の下請工場のような状態だった。
2000年に名高い米軍特殊部隊SEALsの養成訓練で、なんとシンガポールの訓練生
が首席の栄誉を担った事がある。
あまり知られていないがシンガポールは国の総面積が淡路島より少し大きい程度
に過ぎないにも関わらず6万人の兵力を有しており、世界有数のハリネズミ国家
でもある。
その話で思い出したが、第二次世界大戦中スイスはドイツの侵攻に備えて最盛期には
全国民の20%を動員していたそうな。
現在、唯一現存しているコスフォード博物館のキ100。
日本側の証言によると福生で連合軍に接収された4機のうちの1機と思われる。
アメリカ本土には2機が持ち込まれたとアメリカの研究者が調査しているが、その最後は不明である。
日本の陸海軍機64機と航空部品がマレーシアのテブラウ基地に集積され、これを管理する
連合軍の技術調査部門ATAIU(技術航空情報部隊)東南アジア支部が飛行試験を行っていた。
この中から4機が博物館に陳列する目的でイギリス本国に向けて輸送された。
たった4機しか運ばなかったのはイギリスの船舶不足が原因と、すでに戦争が終結し
軍縮の中で枢軸軍機をテストする予算など無く、もはや調査などする余裕が無かったからである。
枢軸側の航空機が集積されるセント・アセン空軍基地に到着したのは1947年2月のことである。
さっそくコスフォート博物館に運ばれたのだが、
この時になってようやくこの機体はキ43IIIではなく、全く別の戦闘機キ100であることに気付いた。
戦後アメリカで調査された日本軍機は驚異的な性能を発揮し
日本軍機のファンは溜飲を下げているが、その調査の状況はかなりお寒い状態だった。
日本軍機の飛行試験は横須賀やテブラウで実施されたものがほとんどで、
アメリカも予算がないので、調査はさっさと切り上げられて1945年12月に
アメリカ本土へ輸送された。その目的はイギリス同様に調査ではなく
博物館展示が目的であった。TAIU-SWPAが管理する博物館展示を目的に
輸送されたのは73機の陸軍機と42機の海軍機、合計115機。
TAIUがすでに保有していた11機と合わせて126機がアメリカ本土に上陸した日本軍機であった。
とはいえ上陸した日本軍機の行く末は過酷であった。46機が博物館に引き渡し先が決定し、
結局アメリカ本国で飛行試験されたものは6機に過ぎず、陸軍機4機、海軍機2機だけであった。
多くはさっさと廃棄処分となり、しかもその最後が博物館に引き渡されたり、廃棄処分されたと
記録されたものなどはまだ良い方でキ100などは目録に2機あるだけで結局どうなったか不明である。
第一次大戦の英国陸相キッチナー元帥。
第一次大戦勃発時、彼は英国に帰ってきていたが、これは「ハルツゥームのキッチナー伯爵」に叙された
爵位授与式に臨むためであり、英国本国からとっととカイロ駐在英国政庁長官兼総領事の任務を続ける
つもりだった。
英国の宣戦布告の前日には、エジプトに向かうべく、ドーヴァーにいたのだが、彼は急遽呼び戻され、陸軍
大臣の任に就いた。
但し、アスキス首相は彼を顧問扱いにしたかったのだが、陸相でないと嫌だと駄々を捏ねた挙げ句だった。
陸相に任官したその日、彼は陸軍省の人間達に、「我が国に陸軍と呼べるものは存在しない」と言い、戦争
は短期には終わらず、何百万もの兵力を終戦までに投入する必要がある、と言う見通しを的確に述べ、しかも
この戦争は三年続き、勝敗を決するのは艦隊の決戦ではなく、欧州大陸を主戦場とする陸軍部隊の血みどろの
戦闘だと、閣議の場で各閣僚に言い放った。
ついでに、この大兵力をまかなうのに、徴兵制を施行しようとした政府に対し、大見得を切り、遂にはこの戦争を
志願兵のみで切り抜けたりする。
>>543 >戦争は短期には終わらず、何百万もの兵力を終戦までに投入する必要がある、と言う見通しを的確に述べ、
>しかもこの戦争は三年続き、勝敗を決するのは艦隊の決戦ではなく、欧州大陸を主戦場とする陸軍部隊の血みどろの
戦闘だと、
>閣議の場で各閣僚に言い放った。
なんというか未来を見てきたかのように的確すぎてぐうの音も出ないというか
一時大戦参戦国でここまで見通せた人って他にはいるの?
ムスタファ・ケマルあたりかね。
キッチナー元帥の最後は1916年6月5日装甲巡洋艦ハンプシャーに乗って
ロシアへ会談に向かったところでオークニー諸島沖で機雷に触れて同艦は沈没
685名の乗組員と運命を共にする。
なお現役の元帥の戦死は極めて珍しく、二度の世界大戦でキッチナー一人だけ
である(日本の山本五十六は戦死後の昇進)。
>544
ところがぎっちょん。
ご執心の中東情勢については、自身、カイロ駐在英国政庁長官の任にありながら、
全く役立たずな部下を信頼しすぎて、英国の中東政策を混乱に陥れたりしているのが、
人間らしいというか何というか。
つことで、本題。
戦前、軍によって「電波兵器」と称されたのは、狭義では電波警戒機、電波標定機、電波誘導機、
味方識別機、電波暗視機、電波高度計、電波探索機であり、最初の二者を、陸軍では「電波探知機」
と言い、海軍では「電波探信儀」と呼んでいた。
ちなみに、陸軍の「電波兵器」の定義は一応以下の通り。
「超短波又は極超短波を用い、自らこれを発射し、その反射波を受信して敵の飛行機、艦船等
移動目標の位置を検知するもの及び、これに付随する兵器」
ちなみに、陸軍の電波警戒機甲とその一統は日本電気で計200台、海軍の電探は同じく日本電気
で1号1型が4台試作された後、その発達型が309台生産された。
電波の話が出たので、戦前の電波の話を…
猶太人の世界的陰謀の発生は遠き古代に属し…猶太国滅亡の時に始まり古代中世期に
著々実行せられ、ほとんど全世界を通してその痕跡あるを見る…
その陰謀は猶太マッソン秘密結社によりて計画遂行せられるるものとす…
マッソンの行動計画次の如し
1 世界における経済的勢力および主権を追次掌握すること
2 現在の秩序を破壊し興論をマッソンが希望する方面に指導す…
…猶太人の擾乱せんとする第一の目標は君主国なり。即ち露、独、日は彼が仇敵とせるところなりしか。
今や露、独はその毒手にかかりて倒れ余す所日本帝国一つあるのみ…現欧州大戦の後残れる
唯一の帝国たる日本国を破滅に陥らしめん為、採らんとする手段は、すでににマッソン化しある
米国を利用するにあり…マッソンの魔手の為しつつある所にして米国陸海軍の大拡張如き
その対日政策のかかる排日的にして横暴なるが如き将来の対日戦争の準備というべし。
…支那国民を排日的に扇動し日支関係を険悪にし干戈的衝突を起せしめ、もって両国を
疲弊せしめ内政崩壊によりて全く両国を滅亡せしめんとすこれ計画…
以上、記述せるところは猶太人の企画せる陰謀の大要なり。
この「猶太人及び将に建設せられんとする猶太国」なるベタベタなユダヤ陰謀論は
よりにもよって陸軍参謀本部が編纂したもので、戦前の日本には反ユダヤ主義が
広く知られており、共産主義の黒幕はユダヤ人と右翼団体などを中心に信じられていた。
第一次大戦のドイツの敗戦が共産主義者が背後から刺したという分析から、
それを操っていたのはユダヤ人というナチス党拡大の要因になったあれが
陸軍に限らず時の政府には本気で心配の種だったようで、満鉄調査部や
外務省がまじめにユダヤ国際資本による世界支配を調査をしていたりする。
>548
我が戦争に負けた理由が嫌というほど分かる・・・
こんなんを参謀本部が本気でやってるならそらかてねーよ・・・ ´`,、´`,、(ノ∀`゚。)´`,、´`,、
陰謀っていうのは常に考えとくべきものだと思うぞ
ハナから馬鹿にするのはよくない
ま、英国も人のことはとやかく言えないわけで…。
青年トルコ党(CUP)は、サロニカで結成された。
その住民の半分はユダヤ人かドョンメ集団(17世紀にサバタイ派ユダヤ教からイスラームに改宗しながら、
なお、ユダヤ教の伝統を守り続けている集団)であり、其処にはフリーメイソン団の支部があった。
しかも、イタリアのフリーメイソン団の支部は、ユダヤ人弁護士が設立したのだが、そこでもCUPの秘密会合
を開催するのを認めていた。
なので、青年トルコ党(CUP)は、「ユダヤ人フリーメイソン団の国際的な陰謀組織」であり、CUPはユダヤ人の
統一と進歩委員会である、と本省に報告を送っている。
更に、ユダヤ人はフリーメイソン団ネットワークを手中に収め(東洋のユダヤ人はオカルト集団を操る術に長けて
いる)、それを通じてオスマン帝国を支配下に置いている。
その首謀者の一人は、Istanbul駐在米国大使で、その証明は、彼の兄弟がニューヨークの百貨店のオーナーだ
だから、と言うものであった。
ちなみに、これを書き送ったのは、Istanbul駐在英国大使と一等書記官。
この誤解のために、英国はトルコを枢軸側に追いやり、第一次大戦が1915年か1916年に終わるのを妨げ、引いて
は現在にまで禍根を残すことになったわけで。
WW2中の航空機搭載火器として実用化されたのは口径75ミリ程度のものが上限
だったが、ドイツでは88ミリ砲をJu88に搭載する計画があった。試作も
されたが結局実用には至らず。
この程度ならまだ普通だが、ゲレーテ104という口径35.56センチのトンデモな
サイズの航空機搭載無反動砲も試作された。1940年9月にDo17の胴体に乗せて
テストしたところ、発射の衝撃波が地面に反射して機体が大破。
空中で発射したら大丈夫じゃないかとの議論もあったが結局生産には至らず。
なおJu288にこれを搭載する計画があったが、もちろん実現せず。
>>553 ネタ元だと
zur Bek?mpfung von gepanzerten Seezielen
翻訳サイトにかけると
to the fight against armored surface targets
ということです。
微妙だなあ。surfaceは地上でも海上でも使うから。
でもわざわざarmoredと書いているということは対要塞ということかな?
>>552 ロケット推進つきの貫通爆弾を使うとか、そういうのムリだったのか
衝撃波が反射し墜落って凄い。
>>556 とりあえず地上で発射実験→衝撃波が地面に反射して機体大破って
事じゃね?
>>552 素直に36cm砲弾を徹甲爆弾に仕立てるとか、36cm砲弾にロケット推進装置つけるとかの
手法を選ばないところが実にドイツらしいな(笑
>552
確かその大砲のコードネームだか愛称は「ミュンヒハウゼン」だったはず。
>>559 もしかして、ハナから「ネタ狙い」だったのか?
ドイツ語がさっぱりなんで何ともいえないけど、英語でsurface targetsなら水上目標がが一般的。
副砲や大口径機関砲なんかで"for light surface targets"で対舟艇といった具合に。
>561
> 英語でsurface targetsなら水上目標がが一般的。
そんなバナナ。
17世紀末から19世紀初めにかけて、英国は、仏国と世界の覇権をかけて激しく戦っていた。
当然、軍艦は何隻あっても足りず、英国中の造船所では、常に軍艦の建造が行われていた。
当時の軍艦は木製なのだが、英国の船大工の間には、奇妙な迷信があった。
建造中の軍艦の木材を風雨にさらすと、洋上でどんな天候にあっても沈みにくくなるというのである。
そのため、長期間にわたり、建造中の軍艦が船台上で放置されることもあった。
実際にはこんなことが木材のためにいいはずがなく、英国軍艦のかなりの数は、
完成したときにはすでに船体が腐り始めていたという。
>>562 珍しく海の話に反応しているけど艦艇関連の書籍によく出る表現だよ。
>>562 今じゃSAMみたいに海上に限らず歩兵から地上設置やら含めてearth surface
という意味合いになる場合があるけど、現在でもsurface radarと使われるように
海軍が潜水艦を区別してsea surfaceのshipsという意味合いで使うものだべ。
picture of surface radar targetsなんてレーダー関連でよく見るでしょ。
世界史ネタかもしんないけど。
小惑星のネーミング基準。
1. 発音できる一語で、アルファベット16文字以内(原則)
2. 政治的、軍事的活動で知られる人名は、その人の死後100年以上経っていること
3. Troy群の小惑星はTroy戦争の英雄を記念する伝統を尊重すること。
つまり、RommelとかHitlerとかは、2040年代にならないと命名出来ない。
(ま、HitlerやらMussoliniなんぞは認められないかも知れないが)
ちなみに、木星の衛星にはZeusの愛人の名前を付ける暗黙のルールが、天王星の衛星
には、Shakespeareの作中の名前を付ける暗黙のルールがある。
なので、天王星の第16、17衛星を見つけた天文学者は、「衛星を発見したが為に、思いも
掛けずShakespeareを色々読む羽目になった」とぼやいていたりする。
更に脱線したり…。
(その1)
2000年を20世紀とするか21世紀とするか…。
2000年のオリンピック開催をシドニーと争った北京。
彼らは、「『21世紀』最初のオリンピックを北京で!」と言うキャンペーンを大々的に行った。
と言うこともあって、21世紀は2000年から始まると言う考えが中国国民の中に浸透してしまい、
中国天文学会までが、1996年に、「21世紀は2000年から始まる」という意見を発表してしまった。
これに対して、英国のGreenwich天文台、米国の海軍天文台が相次いで、「21世紀は2001年から」
と言う見解を発表。
結局、中国の天文学の本山である紫金山天文台が、「21世紀は2001年から始まる」という立場を表明し、
中国科学院がこれを確認し、中国科学技術部は政府見解で、「21世紀は2001年から始まる」として最終
決着を見た。
(その2)
日本の閏年の決定方法は、1898年の勅令で以下のように定められている。
「神武天皇即位紀元年数ノ4ヲ以テ整除シ得ヘキ年ヲ閏年トス
但シ紀元年数ヨリ六百六十ヲ減シテ百ヲ以テ整除シ得ヘキモノノ中更ニ四ヲ以テソノ商ヲ整除シ得サル年ハ平年トス」
以後、閏年の決定に関する国家の法律、政令は無く、1985年まで理科年表には神武天皇即位紀元が記載されていた。
ついでに、時刻表示についても、1872年の太政官達に遡る規定があるだけで、その後何も決められていない。
これによると、午前とは零時即午後十二時であり、午前十二時に終わる。
午後は一時から始まり、午後十二時に終わる。
従って、午前十二時から午後一時の間は、正確には、午前なのか午後なのか判らなかったりする。
あ、訂正。
>従って、午前十二時から午後一時の間は、正確には、午前なのか午後なのか判らなかったりする。
従って、午後十二時から午後一時の間は、正確には、午前なのか午後なのか判らなかったりする。
日本の兵器輸出スレでちょっと触った覚せい剤使用ルールについて。
まぁしかしdでもないルールだが、長期的に大きな利益をもたらす為に実によく考えられている。
<覚せい剤を安全に使用する為に>
1・使用限度を制限する事、覚せい剤に関するトラブルの総ては使い過ぎから生まれます。
覚せい剤のもたらす作用が好きならばリミットを定めましょう。
(例・例えば同じ種類の覚せい剤を2日連続で使用しない)
2・覚せい剤は目的を定めた上で使用しましょう、単に効果を楽しむだけではリミットが定まりません。
目的を持って使用すれば作業をやり遂げた時の満足感が効果が切れた時の疲労感を軽減します。
3・日常の機能を果たす助けとして覚せい剤は使用してはいけません。
頻繁な使用は目的と手段が入れ替わる可能性があります。
(例・朝起きた時の目覚ましに使用する。便秘解消に使用するなど)
4・覚せい剤は経口で使用する事。
覚せい剤をより直接的な方法で血流に乗せる事は効果時と非効果時の落差が際立ち、
それは身体への悪作用が起き易い連続的な使用へとあなたを促します、注意しましょう。
(例・鼻からの吸入、喫煙、静脈注射は控えましょう)
5・使用量の多い方は濃縮された製品より希釈された製品を選びましょう。
希釈された覚せい剤は、より楽に体に順応し、作用終了後の疲労感も穏やかです。
これら希釈製品は、あなたと覚せい剤の良好な関係を保ちやすくします。
6・食事、休息、運動の習慣を保ちましょう、覚せい剤は蓄積されたエネルギーの放出を促進します。
あなたの身体自体にエネルギーを補給する事も大事です。
7・覚せい剤を抑制剤などと一緒に使用する事はやめましょう。
それはあなたの体に悪作用と、悪作用の複雑化をもたらす可能性があります。
8・偽物や擬似薬品に注意しましょう。
その1や2や5が守れないから禁止されているんだろうが、と釣られてみる。
文句はアメリカの製薬会社と医者に言ってくれw
そういえばジョン・F・ケネディはちょくちょく使ってたらしいな。
カーター辺りまで米国の薬物規制は緩いもんだ。
アメリカの法律はアメリカの法律、日本の法律は日本の法律。
しかしアメリカはドラッグ規制緩いわ、アフガニスタンのケシ栽培を蔓延させるわ、
本当に麻薬対策きちんとする気あるのかね?
本当に規制する気ならコロンビアあたりに侵攻してるんジャマイカ。
最近は敬虔なキリスト教徒のブッシュ政権なので大麻でも取り締まるらしいが。
まぁ大統領候補が薬物使用経験があったりアル中だったりの国だからな・・・
フォード大統領の時だったかな?
ヘロイン中毒の治療薬を無料で配布するようにしたら、麻薬関連の犯罪が
がくんと減ったんだそうな。
しかし次の大統領になった時に、治療薬の無料配布も止めたもんだから、
麻薬関連の犯罪は元の数に戻ったんだとか。
ちなみにヘロインに治療薬はあるが、コカインに治療薬は無い。
少なくとも私の知る限り。
実は目、鼻、口、喉など、特定の部位の手術をする場合はコカインで麻酔をかける。
「The Seven Per Cent Solution」
という、シャーロック・ホームズのコカインに関する小説とその映画がある。
結構面白い。
麻薬をやると思考が短絡的で粗暴になるからなー。
ヤク中が大統領になった挙げ句「逆らうなら核戦争だー」などとご乱心召された日には
どうなることやら。
麻薬を広めている奴らはそのこと分かっているのかね。このまま放置していたら
まわりまわってみんな仲良く核戦争だぞ、と。
つ「ジョン・レノン」(LSD・大麻愛好者にして平和主義者)
麻薬とその他薬物は違う物だが、薬物問題はそうそう簡単な物でも無いと思うぞ。
ある程度流通している物を規制してしまうと密輸の横行を招き、
さらにそれはブラックマーケットの成長を助け、社会はより一層不安定になる場合もある。
禁酒法がそのいい例だな。
アンデス地方なんかは生きる為にコカが必要だろうし、必要が無い物とは言い切れない。
正直、身体以外の依存を起こす薬に嵌まる奴は、
薬以外の何にだって嵌まってしまう可能性があると思うぞ。
2ch中毒者とかw
まぁ、薬中とはお友達にはなりたくないがな。
薬物に依存されるくらいなら、他の物に依存された方がマシだよ。
2chでもネトゲーでも酒でも。
酒は怖いぞ。
冗談でも何でもなく、酒で身を滅ぼしたなんてのは数知れない。
それも別にアル中でも無いのにだ。
飲酒運転の犠牲になった、とか、関係の無い他人を巻き込んだりするし、
一番恐ろしいのは飲む奴等にはその認識がほぼ無い事だ。
麻薬の方が怖いよ。麻薬酔い運転の方がね。
アルコールについては検査が容易だけど麻薬はそうはいかない。
そいつの人生が破滅しようが何しようが知ったことじゃない。
問題は周囲にどれだけ悪影響を与えるか、また依存症の人間を
重要なセクションからドロップアウトさせるのがどれだけ容易かと
いうことだ。
どちらも等しく価値が無い
・・・ってハートマン軍曹が
別に酒だろうが麻薬だろうがそんなのに中毒起こしてる人間の価値を認めようなんて
漏れも思ってないよ。ただどちらの中毒に走られる方が社会としての損害が小さいかと
言うだけの話。
それは大間違いだな。
禁止薬物の依存とその他依存物質との間にあるのは小さな物。
部屋でビールを飲んでいて足りなくなったから自販機に買いに走るのも、
薬物が切れてバイヤーの元に走るのも、本質的には何も違わない。
価格以外は、だが。
依存物質の価格が高い事と依存者は入手の為に犯罪を引き起こす。
その供給ルートは犯罪組織に繋がっているので危険はより大きな物になる。
酒が問題とならないのは危険性の低さなどでは決して無く、ただ単に入手が容易だからに過ぎない。
「好きだから好きなことを繰り返し行う」
酒を何杯も飲む事と何グラムも薬物を使用する事も本質は同じ。
依存に伴う真の問題はそれが個人の自由を制限する事。
そもそも人間は空気、食物、水、基本的に何かに依存する。
依存とはその対象が多大な時間、金額、エネルギーを必要とし、
尚且つ後ろめたさや不安を招くようになって人生を左右するような物になった時に、
そこで始めて問題と化す。
実際、アラブ圏ではこの状況が逆転してるという場合が有る。
むぅ、気が付けばスレを荒らしてしまい申し訳無い。
ただ、ね、誰も好んで中毒になって行く訳ではなかろうと。
ようこそネット中毒の世界へ
ドイツからはるばるエリート参謀クレメンス・メッケル少佐がやってくるので
日本陸軍としては最高のもてなしをしようと参謀本部敷地内に専用宿舎の建設にとりかかった。
しかし、メッケル少佐は明治18年3月にやってくるので、とても完成が間に合わない。
そこで仮の宿にと外務省を拝み倒して満室だった鹿鳴館の一室を借り受けることに成功した。
このままではいつ完成するか見込みが立たないので陸軍は工兵局の進言により、
東京湾陸軍臨時建設署の建物を改装することにして、工兵第一方面を動員して突貫工を開始した。
追い出された東京湾陸軍臨時建設署は教導団第二軍楽隊営舎に移転することになり、
ここから追い出された教導団第二軍楽隊は旧備前屋敷に入ることになった。
しかし旧備前屋敷は陸軍の物資集積所として使われており、物資は松山藩邸跡地に移動し
よやく騒動は治まった。
メッケル少佐が夏の休暇を兼ねた視察を終えて東京に戻ってみるとメッケル邸が9月1日には完成していた。
一応、付け加えておくと、努力の甲斐あってメッケルの日記によると、
自分の為にドイツ式の邸宅を用意し、通訳官が常に清潔に保っており大変気に入ったとある。
またメッケルの日記に日本の米が非常にうまいとも書かれている。
>587
そう言えば、メッケルは酒好きだったんだっけ?
「日本に行ってくれないか?」と言われたとき、「返事は1日待ってください」と答えたメッケル。
翌日、日本行きを了承した際に「なんで即答出来なかったの?」と聞かれ、「好きな銘柄の
ワインが日本で手に入るか、代理店で調べていたんです」と答えたとか。
酒→泥酔すると身動き取れなくなる。周囲の被害はせいぜいゲロ。
麻薬→酔っぱらわれると何しでかすか分からない。自爆テロだってできるぜ。
そういう聞きかじりのデタラメは言わない事。
>>590 漏れはタチの悪い酔っ払いが大暴れするのを制圧したことがあるが、
通常の関節に対する極め技が全然効かなかった。
(合気道でいう3教って奴)
しょうがないので、投げ技で倒してから、全体重をかけて肘を極めたけど、
痛みに鈍感になってるんだろうね。
やってきたおまわりさんも、一人じゃ無理だよ、と笑ってたが。
金玉ひねってもダメだろか
>>592 俺もそれは聞いた事あるし、実際血まみれになるぐらい喧嘩してる奴を止めに入ったこともあったが、
飲んで興奮してると痛みに意識がいかんらしい。
あとから聞いたが、いっそあご殴って頭ゆらした方が早いんだとさ。
倒れてアタマでも打たれて死んだら責任はこっち持ちだけどな。
麻薬とか酒とかでラリパッパになってる奴を有効に抑え込む手段って無いかね?
アメリカ軍は、それで長らく45口径を使ってたぐらいだし。
>>595 でも、酔っ払いに絡まれて殴られて死んでも、
酔っ払い本人は心神喪失を理由に無罪になっちゃうんだろうけどな。
何か割りに合わないよね。
>>598 ん? 殺人でしょっぴかれた判例とかあったはずだよ。
あと、暴れているのを取り押さえようとして相手がケガした場合は緊急避難が適用されるからね。
相手が酔って暴れており、凶器を使っておらず、相手が泥酔したあまりにすっころんで頭を打って
お陀仏の場合は不可抗力&緊急避難でこれは多分不起訴(無罪)扱いになるでしょう。
そこらのシロートが頼まれもしないのに取り押さえようとしてぶん殴って死んだりしたら
緊急避難もクソもないような気もするが。
過剰避難だと思ふ
補充性も怪しい
誰かを助けるという名目があれば緊急避難に準ずる判断が下される
ってことは?
なんのこっちゃ。
明治の軍政史上、奇妙な一文が存在する。
「皇族自今海陸軍に従事すべく被仰出候条、為心得此旨相達候事。但年長之向は此限に在さる事」
これは明治5年の徴兵令案にあるものであるが、この時徴兵令は10年後の実施予定にも関わらず
この令達だけは即時実行されているのである。なぜ皇族の年長者を慌てて軍から遠ざけたのか。
賀陽宮朝彦親王は最初、中川宮を名乗り、後に久邇宮家を開き魔王宮と称された稀代の傑物である。
僧籍にあったが、経など唱えず槍を修行し武を愛し、五斗俵を持ち上げ剛毅、豪快、大声、大力の荒法師、
神社の巫女を孕ませるなど、神仏も恐れないとても皇族とは思えない豪胆豪放な人物であった。
孝明天皇の黒幕として宮中の実権を掌握し、安政の大獄によって追放されるも公武合体論を作り上げて
徳川家に近づいてすぐに復権し、その政治手腕の高さと行動から魔王宮と呼ばれるようになった。
孝明天皇の跡に明治天皇をつけた外祖父中山忠能らの新天皇一派にとっては賀陽宮朝彦親王の駆逐が
最大の懸案であり、それは明治新政府にとっても絶対の課題であった。
なぜなら孝明天皇は在命中、二度も賀陽宮朝彦親王に譲位をしようとしていたからで、天皇の側近と、
明治天皇を担ぐ新政府としてはその正当性を覆す魔王宮の排除は急務であったからである。
>神社の巫女を孕ませるなど
許しがたいな。
そこで徳川慶喜と連絡をとって陰謀を画策したとして反逆の罪で一庶民に落とし追放したのだが、
天皇親政を発布すると慣習から魔王宮の罪を減じて皇族に戻すしかないのである。
そして近代国家として徴兵制はあらゆる者が徴兵対象で皇族もその対象でなくてはならない。
しかも既に任じている皇族の階級から、年長の魔王宮を軍の最高位である大将にしなければ格に合わない。
権力を握り、近代国家を作ったら魔王を復活させ、自らの首を絞めることになるとは盲点であった。
何度追放しても舞い戻る正に魔王の名にふさわしい槍を振り回す怪物に軍の最高位を与えるなど
反乱を起こしてくれというようなもの。等しく徴兵するといいながら、ただこの魔王を恐れて
「但年長之向は此限に在さる事」の一文を加え、伊勢神宮祭主として名実共に中央から遠ざけたのである。
後の宮中某重大事件の背景には魔王の孫娘である久邇宮家の娘と将来の皇位継承者が婚姻すれば、
外戚として再び魔王宮が政治の中枢に入り込むのではないかと山縣らが恐れたためともいわれる程に、
明治政府を脅かす脅威でありつづけたが、復権することなくついに明治24年に薨去した。
明治天皇より始まる大日本帝国の幕引きをしたのが、戦後最初の首相にして唯一の皇族首相
東久邇宮稔彦王、魔王宮と恐れられた賀陽宮朝彦親王の子であった。
>神社の巫女を孕ませるなど
詳しく
おまいら巫女を孕ませたことにしか興味が無いのか?
>605
そこらへん詳しく
巫女さんはらましちゃうまくないでしょ。
神主さんから「謝罪と賠償」とか言われるかも。
巫女ってそもそも神殿売春婦だったわけだが・・・
まあロマンを壊すのはなんなので黙っておこう。
神様に仕えるメイドさん、てな話があったな>巫女さん
つまり、春はひさぐが、孕ませちゃいかん、ということですね?
ペルシャ湾にはキーシュ島なる凡そ90平方キロほどの小さな島が浮かんでいるが、
ここはイラン革命の前後を通じて一大リゾート地であり、ショッピング天国であり、
国を代表するアミューズメント・アイランドであった。
もちろん今もイラン人の善男善女や外国人観光客で溢れている。
ところで、この島をリゾート地として開発したのは、
かの悪名高きシャーの秘密警察SAVAK(Sazemane Ettala'at va Amniyate Keshvar)であったことはあまり知られていない。
当時のSAVAK長官バクチアル将軍が200万ドルで島を購入し、
支配階級の為の保養地として開発するため、1億ドル以上の巨費が投じられた。
…が、同地の夏は殺人的な暑さになるため、せっかく作った天国に近い島も、
一年の半分は冷房のガンガンに効いた部屋に引っ込んでいるしかなかったという。
オスマン・トルコ帝国軍が連合国に宣戦布告されて、まず攻撃対象に選んだのが、ロシア。
1914年12月6日、陸軍大臣エンヴェル・パシャは、第三軍の司令官に就任し、自らロシア攻撃の指揮を執った。
目標は豊かな実りのあるカフカス台地。
彼はロシアが冬であることを「考慮」し、砲兵を後方に残して歩兵のみで進撃した。
しかし、冬期装備はなく、テントもなく、零下40度近い酷寒の中、身一つで露営。
そうこうしているうちに、糧食は底を突き、チフスは蔓延、行く手は深い積雪、そして山岳地帯で道に迷い、てんで
バラバラに攻撃を掛けては、あえなくロシア軍に殲滅されてしまった。
その数、10万の将兵のうち、死者、行方不明者8万6千。
しかし、司令官は至って健康で、北が駄目なら南があるさとばかり、今度はスエズを攻撃、渡河してエジプトに進撃
しようと考えた。
1915年1月、何故か海軍大臣アフメト・ジェマル・パシャを司令官にした第四軍もまた、補給を考えずに戦闘をしよう
としたが、何とかドイツ軍工兵将校の顧問が、井戸だけは掘らせたので、乾きに死ぬことはなかった。
さて、部隊がスエズに辿り着いたとき、ドイツの工兵隊が本国から架橋用の鉄舟を運んできたのにも関わらず、実は
誰もこの使い方を知らなかった。
仕方ない(ぉので、海軍大臣は人力渡河をすべく攻撃命令を出したが、すぐに英軍の反撃を受けて総崩れとなり、
総兵力の10%に当たる2千人が戦死し、彼らは一目散にシリアに逃げ帰った。
ちなみに、この時、カイロ在住の英国人の間で流行ったジョーク。
「トルコ軍は、何千頭ものラクダを運河まで連れて来て、その体毛に火をつけることにしている。
すると、ラクダはよく知られている特有の知恵を働かせて、身体一面にくすぶる火を消そうと、
運河めがけて殺到する。
十分な数のラクダが運河を埋め尽くしたところで、トルコ軍はラクダの背を伝って対岸に渡る
ことになるのだ」
イギリス人にしては意地悪さがイマイチだな。
>総兵力の10%に当たる2千人が戦死し、彼らは一目散にシリアに逃げ帰った。
ちなみにこの敗北の責任をアラブ人に押しつけた結果アラブ人は激怒して
反乱を起こし、これがオスマントルコ帝国崩壊の一因となる。
>616
アスキス首相は、あっさり片付けていますからねぇ。
でもって、こういった大敗北の結果、オスマン・トルコ帝国は兵員が足りなくなり、兵士を増やすことになった。
まず、帝国全土の徴兵適格者に対し、三日分の食料を与えた上で、最寄りの徴兵事務所に、「直ちに」出頭する
様に通達が出された。
召集令状を受け取った徴兵適格者は、文字通り、「直ちに」徴兵事務所に向かった。
ところが、徴兵事務所では、殺到した徴兵適格者を捌ききれず、田舎からやってきた者は、持参の食料を食べ尽
くしてしまい、やむなく、食べ物を求めて散っていった。
すると、当局は彼らを脱走兵として扱うこととなり、処罰を恐れた者達は、今更徴兵事務所に出頭も出来ず、かと
言って、故郷にも帰れず、身分を隠してあてどなく彷徨う流浪の民となっていった。
故郷でも、その徴兵適格者、殆どが農村の働き手だったが、彼らが根こそぎ軍隊に徴兵され、しかも、戻ってこなく
なったので、豊作の作物を刈り取る人間がいなくなり、この年の収穫は大打撃を被った。
そうなると、以後、毎年飢饉に見舞われるようになり、戦争で家畜も挑発されたため、馬は平時の40%、牛や水牛は、
平時の15%しか市場に流れず、穀物の栽培面積は半減、綿花は8%の収穫しかなかったりする。
かくて、弱肉強食の社会が始まり、治安は悪化していくのである。
戦闘指揮は出来ないは、動員すら満足にできないは・・
ダメ杉ですねえ・・
牟田口がいっぱいだな、オスマン=トルコ・・・。
しかしイギリス軍側からは牟田口将軍は攻勢防御によって
マレー半島への攻勢計画を半年遅延せしめた勇将として認識されている。
>>621 遅延しているの?
何だかその後の反撃が逆に非常に楽になったんじゃないかという印象があるんだけど。
つ【イギリス人の誉め言葉を鵜呑みにするノータリン】
ノータリンはお前だ膿。
攻勢計画を進めていたところで襲撃を受けて、攻勢部隊を防衛にインパール・コヒマに
五月雨式に投入する羽目になり日本軍は寡兵でも有効に戦える山岳戦を優位に進め、
イギリス第14軍は日本軍の攻勢を撃退したものの死者15000人の損害を受けて
再編成する羽目になってるんだよ。
マレー攻略軍の英第14軍はインパール作戦時と盤作戦時じゃ配属部隊がほとんど総入れ替えになっているしな。
ウィンゲート部隊なんかは壊滅的な打撃を受けて使い物にならなくなったし。
へー……。
ただインパール攻略と言う主目的は失敗してるわけだし
マレー半島への攻勢計画の遅延というのも結果論
牟田口が優秀ってわけでなく現場の努力が90%以上と言う希ガス。
これで航空部隊が充実していて英軍の空輸補給路を締め上げてたらまた違ったんだろうけど。
まぁ帝国陸海軍厨の妄想は汲めども尽きぬ、浜の真砂のごとく
ということですわな。
ドイツ軍厨みたいに、いつまでも「我が帝国陸海軍は世界一」とか
わめきちらしていればいいわけで・・・隔離病棟から出てこないでね(苦笑
>>627 インパール作戦は攻勢作戦はなくて空挺部隊を投入して活動を開始した英軍のアラカン山系南への
侵入に対する防衛というのが目的だから、結果論じゃなくて、作戦目標としての帰結だべ。
総戦力で劣るビルマ方面軍としては平地のビルマ方防衛は困難と判断しての作戦なわけだし。
>>628 英公刊戦史に記載される英軍死傷者4万名も帝国陸海軍厨の妄想ですよね。
英第14軍が第17インド師団を除いて全て交代する羽目になったのも帝国陸海軍厨の妄想ですね。
漫画小説をソースに妄想する厨房は隔離病棟から出てこないでね(苦笑
ビルマ方面軍自体が執拗に繰り返される英軍の反攻に対して防衛を目的に設立されたなんて
攻撃しか能のない頭の悪い日本軍ではありえないことだから帝国陸海軍厨の妄想(苦笑
第一次アキャブ作戦で攻勢防御を実施して、アラカン山系をすり抜けた日本軍第五十五師団が
背後に回りこんで英軍第14インド師団を包囲殲滅し、険峻なアラカン山系で連合軍第一次攻勢を
頓挫させた前例があるなんて帝国陸海軍厨の妄想(苦笑
英軍側の資料では2月から開始された英軍の攻勢は日本軍の反撃で頓挫し、一連の戦いで
6月までにインド人12000名、連合軍兵士18000名の戦死傷行方不明者を出したなんてのも
帝国陸海軍厨の妄想(苦笑
>>618 そんな状態の国と軍を立て直し、連合軍を小アジアとトラキアから
追い出したのケマル・アタチュルク。
つ【鬱火病】
>>632 そんな状態だったからこそ危機意識をバネにそれまでバラバラだった国民を
まとめる事が出来たとも言える。
勿論、ケマルが非常に優秀な人間であった事は間違いないが。
インパールでのイギリス側の損害ってほとんど病気じゃないのか?
疫痢がひどくて一々ウンコしてると行軍不能になるからズボンの尻を丸く切り抜いて
垂れ流しで行軍したって、確かビルマに駐留してた部隊の話だったような。
>>635 イギリスの戦記を読んでいると、日本軍の急速な反撃を受けて隊伍が崩れた状態で
後退した為に落語兵が出たことや、補給途絶で飢えが広がって体力が落ちた兵に
赤痢やコレラが蔓延し、ボースの挙兵で浮き足立ったインド兵の逃亡が続出したり、
最も恐怖だったのが日本軍に協力する原住民の襲撃だったという話が出てくる。
基本的には白骨街道ほどは酷くはないけど、似たような状況がおきている。
ウィンゲート特殊部隊は銃弾が尽き、食料も医薬品もなく戦闘能力を失った状態で苦境にあったと
日本側の認識とは全く逆の状態で捉えているし。
インパール作戦で日本軍は補給を無視して、連合軍は補給がしっかりしてと対比して言われるけど、
インパール陣地への空中から救援はイギリスが補給計画が破綻して、アメリカに泣き付いたもので、
アメリカ本土のC-47飛行隊を引き抜いて第10戦闘輸送飛行隊として大急ぎで充当したものだった。
情報ではアラカン山系より北は制空権下ということで、安心してインパール陣地に入った途端に
高所を占拠した日本軍陣地から猛烈な対空砲火を受けて第一陣が全滅、
その後も多くの損害を受けながら作戦を続行し、インパールの飛行場は輸送機の墓場状態。
それでも傷病者と武器弾薬を運びつづけて、600名以上の負傷者の輸送に成功し最も
激戦を戦い抜いた連合軍の航空輸送部隊といわれている。
イギリス側も、相当苦労した戦場だったわけだ
日本よりはまだマシという程度で
638 :
名無し三等兵:2005/09/15(木) 23:56:25 ID:RrDZ9TCy
まあ良コテ諸氏のコンスタントなしょうもないネタ投入でスレの質を高く保っている現状を鑑みるに、
それこそしょうもない煽りで場を汚さないでいただきたく。
ネタがねえなら (・∀・)カエレ!
>>639 さして害にもならぬ一言に過剰反応する可燃物
WWIIのイギリス軍インド派遣部隊に死傷者が続出したことに対する批判として、
人種差別という説がある。主戦場のヨーロッパに白人兵が取られている為に、
インド派遣部隊はアフリカのイギリス植民地からかなりの量の黒人兵士で
穴埋めをしていたそうだ。
人種差別によって苛酷な環境で酷使されたり、白人指揮官に戦場で見捨てられたりで、
この方面の死傷者数がいまいち漠然としているのは、こういったインド兵やインド兵からも
差別を受ける黒人兵などの有色人種の扱いの悪さから来ているのではないかとしている。
つか何であんな土地を戦場にする気になったんだろう。
>628
膿、隔離病棟に入るのはお前だろ。
こういうのをマッチとポンプって言うんだねママン
太平洋戦争末期1年足らずの日本本土空襲でのB29及びP51の搭乗員の
犠牲は約3千人だった。
これは2年以上の独本土空襲での犠牲が約5千人であることと比較しても多く、
米軍にとって日本本土空襲は決して楽な戦いではなかった。
スレタイ、スレタイ
帆船での通商破壊作戦で名高いWWTのドイツ仮装巡洋艦ゼーアドラーだが
同艦の偽名イルマは艦長ルックナーが一目惚れした女性の名前であり、戦後
に祖国に帰還したルックナーは見事彼女と結婚している。
>>647 別スレでも見た記憶があるがまさにパーフェクトな人生だな。
ほんと〜に、しょうもない知識だが…。
1935〜37年に掛けて、とある政府から以下のようなスローガンが国民に提示された。
「たくさん食べると消化に悪い!」
「ちょっと食べたら食卓を離れよう!」
「最後の薬味は食欲である!」
「太りすぎは良くない!」
そして、第二次大戦、その国の41年の国民一人当たりの平均摂取エネルギーは、1010kcal。
42年のそれは950kcalに落ち、43年でも990kcalだった(ちなみに、ドイツは41年で1990kcal、42年1758kcal、43年1980kcal、
フランスは41年1365kcal、42年1115kcal、43年1080kcal)。
こんな状態だったので、その国の政府は以下のようなスローガンを出した。
「飢えることは、祖国を愛することと同じである!」
なお、「その国」とは、かのドゥーチェ率いるイタリア王国のことである。
>>649 それは……そこまで食糧事情が逼迫していたということなのか?
>650
農民が戦争に駆り出されて(1940〜43年にイタリアの人口4300万人のうち、徴兵6〜700万人となる)
働き手が少なくなった上、100万人近くの兵士の糧食まで供出されたので、小麦などの穀物、馬鈴薯、
野菜、肉類が不足した訳で。
だもんで、肉の代用品としてチーズ、豆を使った「自給自足の料理法」、「家庭菜園の勧め」が推奨され、
嗜好品のお茶、チョコレート、コーヒーと言った輸入品は国産品愛用運動と言うことで、それに置き換え
られ、代用品の方が味がよいと宣伝された。
1939年にオリーブ油備蓄キャンペーン開始、以後、小麦、米、玉蜀黍、乾燥種子、牛肉、豚肉、羊肉、
牛乳、油脂などの強制備蓄が開始されていく。
兵士の糧食については、場所や時代にも依るので、確実には言えないけど、1943年頃の東部戦線では、
戦闘地区への糧食補給も、ビスケット、コニャック、アニス酒など非常用携帯口糧だけ、更に予備役部隊
の場合は、補給が困難になると糧食は運任せとなったとか。
素
\/
贅沢は敵だ
654 :
名無し三等兵:2005/09/18(日) 21:11:00 ID:2bk6+9f3
>>651 肉は干し肉にしたとして・・・・牛乳の強制備蓄?脱脂粉乳にでもしたのかな?
戦時の物資不足はどこも同じものでアメリカといえども戦時には物資の不足は起きていた。
キニーネの原料は西南太平洋から入手していたが、日本軍が侵略してきたために
原料が枯渇し、マラリア対策のキニーネの不足が起きて米軍で大問題となった。
米軍は風邪薬などで対応していたが、戦線が各地に広がったために需要が急増し、
そこで南米の植物から作られるキニーネと同じ効用を持つ代用薬品を開発したのだが、
これが高温熱帯の土地では粘性を持つ特性があって、太平洋戦線の熱帯・亜熱帯地域や
中国派遣部隊で使い物にならず、と効果がなかった。
結局、アメリカは代用キニーネが国内の気候でなら使用は可能なので国内の薬局から
キニーネを買い上げて不足分をまかない、代わりに代用キニーネを国内に配布した。
日本からの戦前の主要取引品目であり、また軍用に需要が急増し民需の生産が
抑制されたために綿製品の不足が起きており、子供たちは新品の下着が入手が
できなくなったので下着なしで生活させられたりした。民需生産の抑制により
小売店の5%、30万件が倒産し、来客が減ったためにホテルや飲食店で過剰な
請求が起こって社会問題になった、ガソリンやタイヤの不足が起きたため
交通事故が減少し、1941年と1943年では38%も交通事故が減少した。
代用とはいえ美味しくなければ食べられない、ということで日本陸軍は代用食の
美味しい食べ方の研究を行っていた。米が大好き日本人らしく執念の美食研究の結果、
高粱は消化が悪く、味も悪く到底連食には向かないので飢えをしのぐ一時凌ぎにしかならないが、
高粱には小豆を混ぜて炊くと嗜好を増進し、米と混ぜて炊けば大いに嗜好が増進する。
団子やパンに高粱粉を用いる場合には小麦粉と配合しなければ食べられたものではない。
高粱飯はまず10分間煮沸して、水でよく洗って粘り気を取る。釜に米の13割の水を沸騰させ
約8分間沸騰させ、釜からおろして20分間蒸す。これで高粱固有の渋味がなく、色が白くなり
食欲が増す。米と混ぜるときは最初の高粱の煮沸を15分とし、白米5:高粱5は美味だが
同じ比率の挽割麦よりは劣る。白米3:高粱7は高粱の割合では高粱飯よりはよいが
白米を越えると嗜好を減退する。白米6:高粱4は著しく嗜好を増すが挽割麦には遠く及ばない。
粟は高粱よりも遥かに嗜好の面で優れており、米の1/3以上の配合であっても連食に適する。
団子やパンには高粱よりも向いており、小麦粉に1/2以上混和して携帯口糧に適当である。
高粱は15分、粟は10分煮沸してから、水でよく洗ってから13割の水で6分間煮沸して25分
蒸す。高粱5:粟5の味は高粱飯の味と変わらないが、高粱飯のほうが美味というものもいる。
玉蜀黍は消化不良のうえに不味いので兵食には向かない。団子などを作ったみたが
不味くて話にならない。大豆は独立して兵食には使えないが、米の2、3割を混ぜるとよい。
これは一部の要約だが栄養や携帯性、保存性ではなく美味いか不味いかを巡って
様々な比率で炊飯を炊いて判定している。その目的はいかに本物の白米に近い味にするかw
世界初の電気炊飯器を搭載した糧食車が有名だが、満州に陸軍は自前の巨大精米所を建設し、
現地でも精米して米や雑穀が食べられるようにと、車両で運搬可能な精米機を捜し求め、
分解して馬で輸送可能なものまで作り上げた日本陸軍というか日本人の米好きは底が知れない。
アメリカのアイスクリームとか、ロシアのウォッカとか、半島のキムチとか
傍から見てりゃバカみたいな努力しても供給しないと困るものってのがたいてい
の国にゃあんじゃまいか。グローバル化が進んだ今じゃそんなものは少ないだろうが。
>>636 インパール作戦の日本軍部隊が敵の空中補給物資を拾うという話があるけど
投下する連中も慌てていてきちんと目標を狙えなかったのが原因なのかな?
>>658 パラシュートつけて落とすんだから、風に流されるのはある意味当然かと。
空中物量投下の場合、それによる損失も考慮に入れて、必要量よりかなり多めにばらまいてたらしい。
>>657 主食に対する執心はどこもやはり一緒のようで、アメリカ人といえば松本零士の心の中の
第一級研究資料ではビフテキをアメリカ兵が飽きるほど食べているけど、陸軍の諜報資料によると
アメリカ本国では足りなかったのか、アメリカのメーカーが愛するビフテキのために、
代用ビフテキなるものを作っており、酵母や糖蜜などの粉末合成物でできたもので大変に美味しいとか。
ただし美味しいというのは開発メーカーの宣伝文句だけどw
実際にアメリカでも穀物不足が起きていて、予定の生産量が実現できずにいて、1944年からは
軍需工場の労働力を農業生産に転換して農業労働人口を870万人から1210万人に増加させる
農業生産計画が立てられていた。理由としては1943年〜1944年にかけての小麦の消費量が
平時の二倍になっていて、その原因は英国などへの援助とならんて、合成ゴムの原料として
飼料用の小麦を使ったのが原因だとか。資料不足で何ともいえないけど、飼料不足で家畜の
生産量が落ちていてビフテキ不足だったのかな?
日露戦争で原料のライ麦が栽培できなかったため、日本人の口には合わなくて見向きもされなかった
捕獲された黒パンを、俘囚の食事のためにこれをかき集めて各地の収容所に配布しているし、
アメリカ本土に送られた捕虜になった日本兵は移民した日本人から米を寄贈されて食べていたというし、
主食はどんなところにいても食べたいというのは万国共通なんだろうねえ。
そういえば、WW1欧州戦線に日本が陸軍を送らなかった理由の一つに、
「ヨーロッパでは和食の食材を手に入れるのが大変」
っていうのがあったな。
肉じゃが@東郷タンに習って「醤油とみりんと味噌さえあれば和食作れるですよ!!」と開き直って
派兵した場合、どんな日本料理が誕生していたか、と妄想することがある。
米があれだが。
戦場の兵隊さんは、食べ物くらいしか楽しみがないもんな・・
米ならイタリアでも栽培されているわけだが……日本人の口に合うんだろうか?
平成の米騒動の時のタイ米の評判、さんざんだったしな。
中国人民解放軍が全軍統一行動を取れない理由が言葉と食べ物。
>>665 宣戦布告したときはすでに連合国側じゃなかったっけ?
>>667 あー、そういえばそうですた。まったく欧州政治はワケワカですな。
というわけでインディカ米を美味しくする「和食」を発明さえすれば欧州派兵も(マテ
餃子が日本に定着したのも、日中戦争がきっかけだよね。
>>668 ピラフやパエリアが、大正の日本人の食卓に上っていたかもしれない。
>>670 明治38年に煉瓦亭が作ったチキンライス、エビライス、ビーフライスはピラフがモデルだよ。
>497
平時からそうやっている米軍のトイレってそんな合理的な理由があったとは。
>607
>伊勢神宮祭主
Σ( ̄□ ̄;)
>662
>肉じゃが@東郷タンに習って「醤油とみりんと味噌さえあれば和食作れるですよ!!」
ハゲモエス
実はWW2で日本の動員率は主要参戦国の中で最も低い部類である。
学徒動員後の1944年でも6%前後でこれはドイツの18%、ソ連の25%
はおろかアメリカの8%にも届かない数字。
太平洋戦争時、OSS(米戦略諜報局)は様々な珍作戦を考案したが、
その中に小麦粉爆薬というシロモノがあった。
これは文字通り小麦粉そっくりの粉末爆薬で、そのまま調理することも可能であり、
大便の成分スカトール(ウンコーヽ( ・∀・)ノ●の悪臭のもと)と反応すると爆発する。
麺類の好きな日本人、この爆薬を小麦粉として納入すれば、
翌朝のトイレでドカンドカンと…
>>673 動員できても装備もないしそもそも戦線まで満足に運べないというのが
日本の抱えたジレンマだし。
一番動員された1945年は本土決戦前提で実現できた罠。
>>674 それって、大便が生成される課程で爆発しません?
>676
でもって、この小麦粉爆薬、中国に送られたのだが、これは工作員に渡され、彼はとある橋の
たもとでラーメン屋の屋台を開いていた訳で。
其処へ、一人の日本兵がラーメンを食べにやってきて…。
OSSの報告書には、「彼の幸多からんことを」とか書いてあったそうな。
ちなみに、その爆薬、結局中国人には使い方を教えなかったらしく、橋を爆破するための
プラスチック爆弾みたいな形で使われたらしい。
児島襄さんの著書に、この手の話がワンサカ出てくるのがありましたね。
大便チューブとか・・・
>>647 ルックナー艦長のご先祖が、ラ・マルセイエーズの被献呈者であったことは、ルックナー本にも記されているが、
そのご先祖(ルックナー伯)の肖像画がベルサイユ宮殿に展示されている(いた)。
土産物コーナーの壁面が、当時の将軍達の肖像画で埋め尽くされていた中で確認しますた。
>>677 マジレスすると、そんな物でラーメンは作れん。
ラーメンとして違和感の無い程に少量を混ぜる事は出来るだろうが、そんな量で料理、消化後にも爆発するってんなら、今でも使われてるだろ。
そういえば、昔読んだ第2次大戦秘話みたいな本
(うろ覚えだが、原著が出たのは戦時中のアメリカで、山本五十六を「黄色いカポネ」とか呼んでいたような)
に、海水と反応して、軍艦の装甲を含むどんな鉄も溶かしてしまう特殊酸ってのが出てきたが、
今にして思えば作者の与太話だよなあ。
スターリンは息子の成績について担任の教師に「家でどんな教育をしているのか」と叱られ
「どうか息子を見捨てないでください」と泣きついた事がある。
>>678 「戦史ノート」(文藝春秋)ですね。
先日手に入れましたが、結構面白かったです。
>684
・・・でもドイツの捕虜になった息子見捨てちゃうんだよね、スターリンパパ
ろくでもない独裁者だが息子まで神格化した金日成に比べればまだ遙かにマシ
だったわけだな。
昭和18年、第一次ケベック会談が開かれ、ソ連の扱いを巡って連合国内部でも意見が分かれ、
対決する枢軸国も今後の大戦の行方に影響するために、スターリンが出席するかが注目の的だった。
英米政府は否定し、会談にスターリンの姿は無くスターリン騒動は治まったに見えたのだが、
そんな折、ケベックにスターリンが来ているというスクープ記事が掲載され、マスコミだけでなく
各国の政府や軍、情報機関で大騒ぎになり、大慌てでその分析に奔走する騒ぎになった。
ところがこの記事の出所は、ケベックの床屋の親父のホラ話だった。
取材に疲れた記者がたまたま入った床屋の親父と世間話をしていて、スターリンの消息が分からなくて
困っているんだというものだから、気を利かせたのか悪い冗談なのか床屋の親父が「スターリンなら
うちで散発をしたよ」とホラ話をし、これを真に受けた記者が記事にしたものだった。
結局、最終日になってもスターリンは姿を見せず、ようやくホラ話と気付いた次第である。
戦前の労働組合というと労働争議や政治弾圧と血なまぐさい歴史で知られるが、
戦前の国内最大の労働組合は海軍工廠の海軍労働組合連盟という7つの各工廠の組合を
束ねる組織で、唯一4万名を超える巨大労働組合だった。
内務省の評価は「我が国に於ても最も穏健なる労働組合」とされ、左翼組織とは交わらず、
労働環境の改善と労働立法を目指し、労働能力の自主的な増進に励み、その手法は陳情運動だけで
闘争的態度をとらない組織で、こういった組合は右翼労働組合なるものとして分類されていた。
このような右翼労働組合だけでなく、極右翼労働組合と内務省が呼ぶ組合組織もあり、国家社会主義を標榜し、
右翼団体と行動を共にし、反共主義であり、また資本家、政府の政治弾圧と争議を行ってでも鋭く対立する
戦う労働組合もあった。
1945年、ミズーリ艦上における降伏調印で
重光とマッカーサーが用いた万年筆はともに
アメリカ製(私物)
>>688 むしろ息子すら信じられなくなるほど猜疑心が強かったわけで。
>692
でも娘にはベタ甘だったような。
確か心理学を受講時に聞いた覚えがあるんだが、父親にとって息子はどっちかと
言うと競争者。娘は保護対象(妻とどちらが重要かはその人による)になるらしー
から、スターリンの娘に甘く、息子に厳しいのは理にかなってる…のか?
そりゃまー歴史をひもとけば息子に権力を奪われる親の例はあるわけだから…
つい最近だと橋本竜太郎が息子に取られてたな
ガリポリ上陸作戦が計画されたのは、トルコ軍の要塞の弾薬があと少ししかないと言うことが判明したから。
実際に一会戦分しか弾薬はなかった。
また、海軍の軍艦は1分間の射撃で弾薬が尽きる艦が多かった。
さて、2月19日、ダーダネルズ海峡には連合国艦隊が堂々たる姿を現し、艦砲射撃を開始した。
しかし、夜になって天候が急変し、その後5日間攻撃は中止された。
この間、屍肉に蠅がたかるように、ブルガリア、ルーマニア、ギリシャ、そしてイタリアが攻撃に参加する態度を密かに
表明していた。
ちなみに、戦後の分け前のうち、Istanbulと海峡部はロシアが領有する予定になっていたりする。
しかし、その後も天候は思わしくなく、掃海艇の機雷掃討は進まず(何しろ、掃海艇には民間の作業員を乗せているので、
無茶できない)、死傷者は皆無であるにも関わらず、3月に海軍の司令官は、内外のプレッシャーから精神に異常を来して
しまった。
後任に副司令官から昇格した者も不運だった。
フランス艦、英艦が相次いで触雷、沈没したのである。
ちなみに、その機雷敷設は不足によりたった一線しか敷設されていなかったのに、よりによって、そこに戦艦を突入させた
からだったり。
結局、この戦艦の損失が、自らの軍歴に傷を付けることと思いこんだ司令官は意気消沈。
艦隊を撤退させ、結局1915年の段階でトルコを同盟から陥落させることは叶わなかった。
太平洋戦争末期、すでに本土空襲が開始され倒れる寸前の日本であったが、
連合国軍はアジア要塞なるものを日本が建設していると思い込んでいた。
中国、満州、朝鮮半島、日本を結ぶ巨大要塞線で、これにより陸上に鉄壁の補給路を作り上げ、
日本の弱点である輸送力の弱さを一挙に挽回すると見られ、アジア要塞が完成した暁には
豊富な大陸の物資を背景にした万全の補給が可能な永久要塞によて難攻不落になると考えていた。
どうやら大陸打通をおおげさに捉えていたようだが、大戦末期の連合国の作戦に影響を及ぼし
このため早期にアジア要塞計画完成前に屈服すべく日本の補給路を早急に破壊するために
日本近海へ潜水艦隊の集中投入が行われ、アジア要塞の後方を攻撃すべくビルマ公路の再開の
二つが日本本土への戦略爆撃とならんで日本攻略の最優先の作戦になっていた。
>>697 ワロタ
としかいいようがない事態だな。orz
>>697 仮想戦記のネタにならんかな
「大逆転・日本列島要塞決戦」とか
でも、B-29が上空を飛び回っている以上 要塞なんか作っても・・・
ドイツでも同じ思い込みやってベルリン攻略回避してなかったか、米英は・・・
何かトラウマでもあるんだろうか?
>>696 イスタンブールとダーダネルス・ボスポラス両海峡のロシア領有って、ロシア黒海艦隊が自由に地中海に出てくる&黒海がロシア海軍の聖域と化すって事ですよね?
イギリスは何でそんな条件飲んだんですか?クリミア戦争の意義が纏めて吹っ飛ぶと思うんですが・・・
>701
当時の首相アスキス、外相グレイは、自由党です。
自由党は、元々が反トルコで、ロシアの願望に同情的。
しかも、1903年の帝国防衛委員会(この当時は保守党政権下)で、"Great Game"の終結を宣言しています。
ちなみに、1908年の段階で、グレイ外相はロシアとの密約を交わしています。
つまり、この両海峡を領有するのなら、これ以上、東欧とペルシャその他の地域で、ロシアが領土分割を迫る
ことはないと言う考えに基づくものです。
更に、ドイツに対するロシアの負けっぷりからして、ロシアが単独講和をするんじゃないかと言う疑心暗鬼を抱き、
ロシアへの譲歩をする訳でして…。
その代わりに、ペルシャにおいては、三分の一ずつ支配している英露の支配地の残り三分の一の中立地帯の
権益を英国の支配下に置くと言う密約が交わされていました。
>>693 でも、次男にはベタ甘だったんだけどなぁ〜
次男は戦闘機パイロットで、スターリングラード戦に参加。
敵機2機を撃墜している。
WWII中、ドイツとの戦いでイギリスは鋼材不足のために、レールを引っぺがして使用したり、飛行船格納庫の
支柱を使うなど苦労を強いられていた。戦後の日本と同様に沈没船を引き上げて再利用をしており、
鋼材の再利用を目的に引き上げられた船の中にマジェスティック号というものがある。
マジェスティック号はタイタニック号のライバルとして皇帝陛下も利用するドイツ最大の豪華客船を目指し
ドイツ・ハバク社が建造していたもので、ビスマルク号という名で建造されていたが、戦争により工事は中断し、
WWIの戦後賠償としてイギリスに譲渡され、これをホワイトスターライン社が買い取ってマジェスティック号と
改名して完成させ、1922年にタイタニック号沈没で打撃を受けたホワイトスターライン社の切り札として
イギリス最大の豪華客船として大西洋航路に就航し、大西洋の輸送記録を塗り替えた。
マジェスティック号はオリンピック号46000トン、同じくドイツからの賠償で得た旧コロンブス号/ホメロス号35000トン
と合わせてビッグ・スリーと呼ばれるイギリス豪華客船の頂点に君臨する56000トンの巨大豪華客船であったが、
性能はともかく海難事故史上最悪の事故を起こしたタイタニック号の後釜で、イギリス最大の豪華客船とはいえ
出身がドイツというのもあって人気がなく、不況もあってホワイトスターライン社はキュナード社に吸収された。
キュナード社はイギリス最大の豪華客船マジェスティック号を自社のシンボルにしたかったのだが、
1934年に76000トンのノルマンディー号が完成してイギリス最大の地位から転落し、続いてキュナード社は
クィーン・メアリー号とクィーン・エリザベス号を完成させたために、性能も内装もすでに時代遅れの老朽船の、
使い道に困り、1936年2月を最後の航海として廃棄物として売り出し、キュナード社の船のスクラップを
多く手がけるトーマス・ワードがこれを買取って、廃棄するのは惜しいと思い海軍に転売した。
海軍は受け取ってみたはいいが、ドイツ製で勝手が違う元豪華客船ではとくに使い道もなく、
1937年にHMSカレドニアと改名して士官候補生を養成する訓練艦として運用することにした。
カレドニアの名前は以前に英戦艦HMSニュージーランドを改名する時に予定していた名前だが、
ニュージーランド国民の猛反対によってつけられなかったという、いわく付きの名前である。
訓練艦といってもその実は係留して宿泊施設として使うだけである。係留先をロサイス港にしたのだが、
運び込むには高さがありすぎて煙突とマストが邪魔であるとして、サウサンプトン造船所でこれらを
断ち切り、エンジンが撤去され、船としての機能もない見るも無残な姿で運ばれていった。
やっとのことで到着したのだが、WWIIが勃発したために士官候補生は陸上での訓練に切り替わったために
使われることなく留め置かれ、エンジンもないので船舶不足になっても使い道がなかった。
そして1939年9月29日、生まれ故郷ドイツの爆撃機が襲来し爆撃の火災で係留具に火が回りそれを伝って
炎上。防火設備などない古い施設のために何の手も打ちようもないために火の手は全体に周り、
すでに鎮火作業など出来なくなって、巨大な炎の塊となってロサイス港の夜空を煌々と照らした。
しかし巨船はタイタニック号のようには簡単に沈むことなく燃えつづけ、世界一の豪華客船の名に恥じない
堅牢さ誇示して、ようやく翌日になって火災で溶け落ちた船腹の破口からの浸水で転覆して沈没した。
元船主のワードは修理不能なこの不幸な船を再び買い戻しもう一度役に立てようと、1943年に引き上げを行って
インバーキングの解体所に運んでマジェスティック号から4万トンの鋼材を再生産して、この鋼材は戦車や砲弾に
用いられてドイツとの戦いに使われ、RMSマジェスティックはイギリスの船としての務めを最後に果たした。
現在、マジェスティックの名を継いだキュナード社のマジェスティック・クィーン号が大西洋で活躍している。
。・゚・(ノД`)・゚・。
しかしこれだけの不幸な船の鋼材だと・・・・
鋼材を転用されたであろうイギリス戦車のアレっぷりは・・・。
>708
明らかな設計ミスが指摘されてるのに千台も生産した挙句実戦配備できずに
練習戦車にしてさらにソレもすぐやめちゃった挙句結局使われなかった某戦車のことかぁーーーー
>708
わが国の原子力事業にまつわる数々の不幸は陸奥鉄の呪いか・・・
むつって名前の付いた某原子力船だけでなく陸奥鉄を利用した原子力施設の数々の
事故の裏にはそんな曰くが・・・
原子力事業で思い出したんだが、現在の高炉は壁面の管理のために
微量の同位体が含まれているので製品にも僅かな同位体が含まれている。
これが原子力施設を造る時には問題になるんで、あえて古い鉄を電気炉で
溶かして器材を作るんだそうだ。
それから考えるに、陸奥鉄のせいではなく、元々のせっけ(ry
本当に金属の扱いって難しいな
そこでセメント船ですよと電波を飛ばしてみる。
海砂を使うとすぐに沈没だな
海砂だからすぐ海に帰りたがるんだよ
>>709 ラジエーターの配管が車内を通っている「悪魔のメカニック」ことカビナンダーだなw
>>714 セメント運搬船ですね。とボケてみる。
そのセメント船だが、数年前に「セメント製の船(太平洋戦争末期)」の同人誌が
出たと聞いたのが最初なのだが、使えるのかよーわからん。
某架空戦記ページではなんだか活躍していたよーだが。
新造してすぐは使えるかもしれないけどメンテが大変そう。
2〜3年持てば御の字?
>>720 ありがとうございます。けっこう頑丈で便利そうだな。
でもコレはある程度安全な海でないと怖いなぁ。機雷や銃撃に強いのは心強
いけど魚雷はどうなのかわからない事と、足が遅いのがなぁ。
…火葬戦記で「コンクリ製の輸送船と、それを護衛するコンクリ製護衛駆逐艦
のコンクリート船団奮戦記」なるものを書く奴がいたらおもしろそーだなと考え
てみたり。
当然、最初は造船所設営と物資調達で紙面のかなりを占めて、肝心の護衛
は下巻から。
いや、実ははコンクリ製の駆逐艦・巡洋艦・戦艦・空母・潜水艦のコンクリート
艦隊!なる常識がどっかに逝ったものを思いついたのは内緒だ。
セメント製の船のヒントは、
日本神話に出てくる天の岩舟だった、とか。
>721
だから、氷山空母ハボクック(ry。
ま、冗談抜きで、セメント船は焦眉の急に役立てるものであって、耐用年数は期待してません。
開発目的にもしっかり書かれています。
そんなに作るの安いの?
船型のセメント型にそのまま流し込んでおしまい、とか?
基本的には鉄筋コンクリートの家作るのと変わらんからなぁ。
コンクリ船
磁気機雷:船体がコンクリなので普通の船より磁気が弱く、ほとんど無効?
水圧機雷:こればかりは反応するが、衝撃波には強いので普通の船よりまし?
…掃海艇に使えるじゃないか。どーせ内海や沿岸部とかでしか使わないから足が遅いのは
気にならないし、掃海途中で起爆しても強いし。2−3年も使えば十分釣りがくるでしょ
>>726 コンクリって衝撃に強いの?
船体がねじ曲がらない分、圧力受けたら衝撃がまともにつたわる上に
ポッキリ折れてしまいそうだけど。
>>727 一応鉄筋入ってるけど、衝撃にはあまり強くないだろうね。
では、竹筋コンクリートなら完璧。
日本海軍の艦船修理設備が貧弱だったとはよく言われる事だが、実は第二次大戦
では英海軍の方がより深刻だった。
これは第一次大戦後の経費節減により世界中に点在する設備の拡充が思うに任せず
シンガポールなど一部を除き旧式な設備の使用を余儀なくされたからである。
コンクリートは圧縮しようとする力にはべらぼうに
つよいが、曲げようとする力、切断しようとする力
にはテラヨワスでございます。
だから鉄筋を入れて補強するのさー
>723
でも、造船所ではなく手抜きのゼネコンが建造するんでしょ?
進水式でそのまま沈没と言う公算も有るね。
浸水式でアボーン。
そういえば、コンクリートって船を作るために発明されたものだよな。
>>734 そうなの? どこでどんな発想でそうなるんだろう……。
ちなみに鉄筋コンクリートは植木鉢を作るために発明された。
どっちもフランス人の発明らしいが……。
ますます発想の経緯がよく分からないのだけど……。植木鉢?
大型のプランターのことではないか?
テトラポットも御仏蘭西だね。
仏蘭西の官報に載った特許を見た香具師が日本で特許を取っちゃったので、海岸線の長い日本へは売れなかったw
1853年 アメリカ、ハイアット(Hyatt)は、鉄筋コンクリートに関する
理論を初めて打ち立て、橋の桁に補強のための鉄筋を入れることを提案。
1854年 ジョセフ・ランボー(Joseph Louis Lambot)がパリの万国博覧会
に細い鉄棒を金網状にして埋め込んだコンクリート製のボートを出品。
1861年 フランソワ・コワネー(Francois Coignet)が鉄棒を組み合わせて
補強された様々なコンクリート部品で特許をとる。
1867年 造園家ジョセフ・モニエ(Joseph Monier)は、彼がつくった
シュロを植えるための植木鉢で特許をとる。ベルサイユで大変な評判を得る。
1875年 初めての鉄筋コンクリートの橋がかけられる(フランス)
>>739 テトラポッドの特許を取ったわけではない。
当時の建設省では「外国技術研究」と称して外国雑誌から面白そうな(もちろん技術的に)記事を
解説を付けて回覧していた。
テトラポッドが簡単な説明付きで広告として載っていて、記事が役所内で回覧し終わった頃に
発明者が日本での特許を申請してきた。
それで「すでに公知の技術である」として特許を認めず、最終的にそうとう低い値段でライセンスを
することで妥協したらしい。
ひでェ・・w
それが原因かは分からんが必要以上にテトラポッドを使うという弊害も見られるね。
韓国のガンダム裁判をバカにできたもんじゃないな日本も。
>744
この場合広告出す前に特許申請しない奴が間抜け
日本向けに出版されたわけではない海外の雑誌の、しかも本人の出した広告を
役所内で見たことをもって「日本では公知」というのは、やはりムチャだと思われ・・
まあ、昔の日本は今の韓国と似たり寄ったりの国だったからな。
コンクリートはセメントに砂や砂利、水を混ぜたもので土砂などをセメントで固めたもの。
コンクリートの歴史=セメントの歴史みたいなもので一応、軍事に関わるので小話として。
セメント自体の歴史は古く、新石器時代には現在ほど洗練されていないけど既に利用されており、
石膏を焼いて粉状にしたものを水で練ったものが硬化することは知っていたようで
最古のものは9000年前の遺跡から発掘されている。
ギリシャやエジプトなどでも使われているが、セメントを利用したコンクリートが本格的に利用され始めたのは
ローマ時代で、火山灰と石灰を混ぜると強固で耐水性にすぐれたセメントが作れることを発見し、
橋梁や水道にブロック状のコンクリートが頻繁に使われ、以来鉄筋コンクリートが普及するまでは
主にレンガの一種としてコンクリートは使用された。セメントという名前はローマ人がつけたもので、
ローマがその起源といえるかもしれないが、世界中でかなり知られた技術といえる。
18世紀中頃、イギリスのスミートンが粘土と石灰を混ぜたものが水硬性をもつセメントになるのを発見し、
やがてこれを高温度で焼くと水硬性の強いセメントになることが分かり、ローマセメントと呼ばれ広く普及し、
現在、我々が目にする水中でも固まるポルトランド・セメントは1824年、イギリスのレンガ職人アスプディンが
開発したもので、似たようなものは同時期にいくつか存在しており、誰が現代コンクリートを開発したかというのは
微妙なところだが、日本だと空母として建造された世界で「最初に完成した」空母鳳翔みたいな感じで、
フランスとイギリスで異なるが、アスプディンが考案した粘土を細かくし、石灰と混ぜて熱するという製法がもっとも優れた
性質であったために現在まで生き残ったといえ、現代セメントを開発したのはアスプディンといって問題はないと思う。
漆喰もセメントの一種なので古墳時代から使われている遺構があり、古来から広く普及していたといえるが、
西洋的なコンクリート利用法は、江戸時代に湿地帯であった江戸の開発に基礎工事に使用されているのが
発掘されており、秩父の石灰と関東ローム層を混ぜたもので、意外と古くからこの技術はあったのかもしれない。
ようやく軍事に関連した話になり、コンクリートが初めて利用されたことが記録されるのは、慶応3年の横須賀製鉄所、
後の海軍工廠で、これのドッグ建設する際にフランス人技術者がベトンを使用したと記録されている。
14000平方メートルのドッグを建造するために用いられており、日本でも容易に入手可能な砂利、石灰、火山灰を
混ぜたものが使用されたようである。
ポルトランド・セメントの生産は日本の近代化で重要な位置にあり、横須賀造船所のドック建造のために
コストの点から国産化が急がれ、明治5年に深川製作寮出張所という官営工場が建設され、明治8年に
ポルトランド・セメントの焼成に成功したが、初期のものは精度が悪く問題になり、アメリカでセメント技術を学んだ
宇都宮三郎が工場を一から作り直し深川工作分局と新たに名が変わり、明治10年に稼動を開始した。
ベトンという言葉はこの幕府に雇用されたフランス人技術者が伝え、ドイツ式兵学の導入もあってか
明治期あたりまでは軍ではベトンという呼び方がよく使われていたが次第に廃れ、昭和期になると忘れられたが、
ベトンという言葉が復活したのは戦後のことで、日露戦争を舞台とする小説で当時の文献にあるベトンという言葉が
コンクリート要塞よりも強固な旅順要塞の鉄壁を表すのに語感が仰々しくてよいとあって文学的表現として復活した。
>748-749
ちっともしょうもなくないまじめな知識じゃねーかと思ってたら
>語感が仰々しくてよいとあって文学的表現として復活した。
ちゃんとしょうもないオチがついてワラタ
>748-749
ローマ時代のコンクリート(セメント)でまだ完全に固まってないものが有る。
以前NHKで建築関係の放送でやっていた。
コンクリで船作ったらどれぐらい早くできるのやら。まぁ船の大きさにもよるけど
確かコンクリは型に入れてそれから水和反応を起こしてからしばらく養生させない
といけないらしいからなぁ。
でも普通に作るよりはましか。
鉄板を所用の大きさへ切断し、曲げて、鋲接なり溶接なりで
一枚づつ組み上げて行く事を考えたら、とても工数は少ないでしょ
それに戦略物資である鉄の使用量が極端に少なくできるしね。
ぶっちゃけ半分の日数でできてもおかしくないのかな?
建築か造船か・・・そっちで聞こうかと思ったが、こんなイロモノな質問に回答が出るかどうか・・・
>>754 設計にもよるけど、小型の粗製濫造と揶揄されながらも松型改駆逐艦などは
かなり早いペースで建造されている。
いわゆる「フネ」の形にしようとすると、工程とか補強の入れ方(竜骨構造)が
大変そうだけど、ごくごく単純に、それこそビルを横倒しにして浮かべるような
乱暴な「箱船」型であれば、建築の技術が応用できるのでは。
>>756 後で成形するのが大変そう……。
多少のデコボコは気にしないというのならできると思うけど。
いきなり潜水艦に襲われても文句が出ないような奴。
フラワー級のコルベットだったかは、それまでのきちんとした「フネ」の形に
するのをやめて、鉄板を2枚つなぎ合わせて溶接するような単純な手抜きで
作るようにしたら、むしろ航行性能が良くなった、とかいう話もありましたな(笑)
>757
成形というか、波切り部は別途三角形に作った塊をつないで
▲
■
■
みたいなかんじでどだ?
これならフネの長さは自由自在(^_^;
>>759 漏れは造形はそこまで詳しくないから何とも言えないけど……。
もしもできるとなったらものすごいことになりそうな悪寒。
船体そのもので強度を稼いでいるからこそ急速建造が出来るんじゃないか?
艦首や艦尾の構造も、その辺のマンション建築でも結構複雑な事をしているから、
少なくとも形状に関しては型枠だけでも結構な線までいけるだろう。
船体はつくれるかもしれないからいーとして、動力は…「2-3年だけ使えりゃ
いいと開き直ってエンジンなしの曳航船で行くか。あえてエンジンつけるか。
あるいは斜め上に行って外輪船(藁
…波が荒い所では運用したくないなぁ。でもモノによっては大西洋横断してる
な。あーでも使用する所を限定すりゃいいか。
沿岸航路とか、波が荒くないところとか。間違っても冬の日本海では使っちゃ
いけないな。
>751
セメントの固化は水が乾燥してる訳でなく化学反応なのだが、この反応は何故か
糖分があると極めて進行が遅くなる。
ローマ人の誰かがそのセメントに砂糖でも放り込んだんだろうか。
糖尿のけのある人が(ry
1984年11月16日、リビアのジャマヒリヤ通信(JANA)は、
エジプトのカイロ市で、反体制組織リビア解放機構(LLO)のリーダーであり、リビア王国最後の首相、
アブドル・ハミード・バックーシュ氏をリビアの特殊部隊が暗殺することに成功したと高らかに報じた。
が、実はこれ、エジプトによる欺瞞工作にリビアがまんまと引っかかったもので、
実際には、リビアが放った刺客たちはエジプト情報部の手により空港で全員がとっ捕まるという大失態。
直後にエジプトが事実を公表したことで、カダフィ大佐は大恥をかくことになったとさ。
>753
武智丸(800総トン)製作に要した材料。
鋼材(船体用)135t(針金1t、溶接棒1t、厚板9t、形鋼3t、薄板13t、棒鋼108t)
木材(艤装用)237石、型枠用1,200石
セメント170t、川砂255t、砂利510t
コンクリートの混合比は、セメント:砂:砂利=1:1.5:3(比重2.35)
外板の厚さ:110mm
同程度の鋼材船に比べ、鋼材使用量はコンクリ船135tに対し、鋼船350tと少ないが、
木材については、型枠用の間接材が、鋼船350石に対し、コンクリ船1,400石と二倍以上となった。
ちなみに、コンクリ船建造の研究については、実船建造後に学術振興会の造船部門で研究が行われたが、
その研究は、実船が建造され、運航されている時点で、漸く基礎研究が開始され、急ぐから、「3年」くらいで
研究を終了させようと言う暢気な話が残っている。
どっちゃにしろ、乾燥のためには温暖で、天気が安定した地域でないと建造できなかったりする。
>>764 古代ローマに糖尿病なんてぜいたくな病気の人がいたんだろうか……と
思わずマジレス。
>>768 古代ローマの上流階級は、美食と飲み過ぎがたたって、痛風患者が珍しくなかったそうだ。
当然糖尿病患者も相当数いたはずだ。
もっとも、建築現場で働くような下層階級は、それほどいいもんは喰ってなかったと思うが。
>>769 へー、そうなんだ……。ちょっとトリビアな気分。
>769
当時からフォアグラも食っていたという話し出しナ。
あとNHKで当時の食い物を再現していたが上手そうだったぞ。
まあ兵隊はおかゆをかきこんでいたそうだが。
ローマ帝国滅亡の一因として、
「権力者の大半が生活習慣病患者で、統治機構がまともに機能していなかった」
ことを指摘する歴史学者もいる。
くっちゃ吐き、くっちゃ吐きだったから、きっとゲロが混じって固まらなくなったんだな。うん。
てか帝政を始めた人物ですら
寝たい時に寝るために籠を使い
食いたいときに食ってるから
「ごめ〜んおやつ食べてお腹いっぱいだからあなたが招待してくれた食事食べられないの」
会戦中に腹を下して寝込むなんぞしょっちゅう
などとんでもない人物の癖に歴代皇帝で長生きしている方に入る化け物だしなぁ。
核爆発から生じた全エネルギーの35%は熱線、50%は爆風、15%は放射線として
放出される。
米軍は原子爆弾投下による、熱線や放射能の強烈な被害を知って驚いたらしい。
MacArthurの日本進駐の時、厚木から横浜に移動する際に用意した車の数。
乗用車250台、バス(15人乗り以上)75台、トラック(積載量2tのカーゴ型)500台。
このほか、連合国軍の要求には、クレーン車、道路清掃車、ブルドーザーもあったが、
これらは日本に無いので諦めて貰った。
でもって、これらの自動車類は東京で片端から調達したのだが、厚木に回送途中で、
半分の自動車が途中でエンコして修理に大わらわだったとか。
またその頃、連合国軍の先遣隊が進駐したが、駐車していたガソリン車の殆ど、木炭車
の一部は、夜のうちに先遣隊の兵士によって盗まれ、基地内を乗り回された。
結局、日本側が先遣隊の指揮官に抗議し、翌日朝にはきちっと元の場所に返っていたとか。
ちなみに、その中には、陸軍大臣、海軍大臣、外務大臣専用車があったという。
>>775 その彼がスペインにて下痢で青い顔しながら必死で行軍についていく最中、その姿を見たカエサルが
「責任感甚だ大なり」として自らの後継者に指名したというのだから世の中わからないものである。
あまーいワイン造るために鉛の鍋でシロップと共に煮詰めてたから
不能者が続出で衰退って話なら聞いたことがある
糖尿病自体、「美食病」というわけではありません。念のため。
1型糖尿病、でぐぐってみてください。
いや、友達が入院しましてね…
>>780 普通に、鉛のグラスとかデキャンター使ってたよ。
煮詰めたら只のぶどうジュースになるとおも。
鉛の鍋で酸っぱいワインを煮詰めると、サパと呼ばれる
ローマ帝国で普通に使われた甘味料ができあがる。
ちなみに"サパ"の主成分は酢酸鉛、鉛糖ともよばれ
スッキリとした甘みでこれを加えたワインは腐りにくいとか。
そして慢性鉛中毒か。長生き出来る訳がないな。
水道管にも鉛管が使われてたんじゃなかったかな。
これもローマ人の健康に影響したという説がある。
水道に鉛管など現代の日本でも普通に使われているが。
>786
すぐ水道局に電話して交換してもらえ。
>>786 20年以上も前から、新規施設には使われていない。
現在各自治体の水道局が、交換作業中。
水道管なら酸化皮膜ができるから問題ない。
皮膜が不安定な埋設初期なら危ないかもしれないが。
鉛パイプは古ければ古いほど安定する。
使い方次第。
おしろいとかベビーパウダーに使うのとでは体内に入るリスクは違う。
水道水よりカニやエビ、海産物によって体内に入るリスクのほうが高いからなぁ。
一昔前なら自動車の排ガスか。
添加剤に使ってたから。
今リスクが高いといったら化粧品周り
微量金属入れると使い勝手がいい
彼女をなめて甘かったら要注意w
水道管には熱湯とか果汁(酸)とか流れませんから
今時おしろいに"鉛白"なんか使っているのだろうか?
>>792 国産とか、欧米先進国で作られたものならまず大丈夫。
たまに訳の判らないメーカーの作った奴だと、ヤバい重金属が使われてたりすることもあるらしい。
>>789 長期間使ってないと、水道管内にたまってた水に、かなりの量の鉛が溶け出してることもある。
引っ越した直後とか、長期の旅行から帰ったあとは、水道の栓をしばらく全開にして、
中の水を入れ替えるのが吉。
>>789 それ、ちゃうぜ。どっかの自治体が計測して住民に勧告してた話じゃ、
朝、最初に水使うときも、溜まってる水をいい加減垂れ流してから、使え。
って話だったぜ。
>>794 みたく、長期の留守とかじゃなく、毎朝の話。
まぁ、自治体としては責任をかぶる以上は、平気とは言えんわな
797 :
名無し三等兵:2005/10/02(日) 10:00:22 ID:Ch9tlQAK
ラドン温泉も最終的に鉛になるから体に悪いって聞いたけどどうだろう
日本では特に規制は無いが、欧米では年間で入っていい回数が規定されている。
それ以上入るのなら自己責任でって事で。
>>797 ラドンはむしろ、崩壊によって生じるC14がヤバい。
ラドンそのものは気体だから、呼吸で体内に取り込まれ、
そこで崩壊して、肺に貼り付いたまま悪さをする。
800 :
名無し三等兵:2005/10/02(日) 10:39:24 ID:Ch9tlQAK
>>798 欧米の規制の具体的な内容ってわかる?
近くにラドン7倍の温泉があるんだが入っていいかどうか迷ってる
>>799 C14ってなに?
>>800 炭素14。放射性炭素。
普通に自然界に存在するのだが、ラドン濃度の高い地域では、
炭素14の存在比率も高く、肺ガンの発生率も高いという研究がある。
放射性元素が多いと言うことは、死んで葬られた後に1万年
くらいたって発掘されると年代が大きく狂って超古代人とかに
されてしまうんだろうか。
>>803 炭素14法の最大の問題点がそれ。
もともとの放射性炭素と、非放射性炭素の存在比が判らないと、正確な数字は出せない。
通常は、同じ地域にある、その他の方法で絶対年代が確定されている有機物と比較する。
当時から現在まで残っている樹木があればそれをくりぬいて調べることも。
>>803 つか、放射性炭素が多いってことは、年代が新しいってことじゃないのか?
>805
しまつた
>804
あ゛〜、そういえば比較検討もなしで、いきなりブツの炭素14だけ測定して
これは超古代の!とかいうトリックが、オーパーツと称するインチキもので
良く用いられてますよね(^_^;
>>778関連で
陸軍大臣の専用車は宇垣軍縮で出来た陸軍自動車学校に研究目的で購入させた
高級外車を転用したものだった。
昭和14年に自動車学校長に着任した武内俊二郎少将は
「国内自動車産業の振興のためにも陸相閣下の車を国産車に改めるべき」と
陸軍省に申し入れたが「陸相は陛下のお供をするので、万が一車列内で故障や事故が起きては
畏れ多いので(信頼性の低い)国産車ではなく今までどおり外国車とする。」と返答された。
第二次大戦中の米陸軍。
M10駆逐戦車大隊に配属された新兵に対して行われる儀式。
1. 新兵たちを、M10のエンジンデッキに上らせる。
2. そのM10の燃料タンクに燃料がどれくらい詰まっているかを確認させる。
3. 燃料タンク内部は暗くてよく見えないから、新兵は、こう報告する。
「暗くてなにも見えません!」
4. 「よく見えるようにしようか」と言って、彼の上官はおもむろにマッチを擦って
給油口に投げつける。
5. 新兵は、「瞬時に火災になる!」と思って、なりふり構わず、エンジン・デッキ
から転がり落ちる。
6. その様を見て、見物人は大喜び(ぉ
…ちなみに、M10駆逐戦車はM4の大部分と違って、ディーゼル・エンジンを主機
としている。
明治初期の日本陸軍はフランス仕込みの軍隊で、教官はフランス人。なんでもフランス流で進められた。
当時のフランスといえば自由と平等まっさかり、というわけで練兵場も士官学校もおおらかだった。
フランスの軍律が翻訳されて参考にされており、上のものは下のものに粗暴な言葉を使うな、体罰は厳禁など
相互の尊敬を基本とする上下関係を基調としており、教えるフランス人顧問団もまたそれを実践していたために
内務班のイビリだのビンタだのなど全くなく、練兵時間以外は出入り自由で給料はたっぷり、土曜は半日、日曜は全休。
陸軍士官学校は洋食を食べ、号令もフランス語、計算もフランス語、おまけに地理・歴史の授業が
何故かフランスの授業をそのままにやるという徹底ぶり。大変なことは完全武装での移動ぐらいといわれた。
竹橋事件は陸軍最大の不祥事だが、その背景にはこのフランス的自由主義が関係している可能性があり、
内山定吾少尉が「革命は可なり」と演説しており、当然このような事態は見過ごせるわけもなかった。
陸軍では自由主義者をご法度になり、新軍律制定では相互の尊敬を基本とする自由主義の精神は消えてなくなり、
日本にはドイツがあっていると山縣有朋や伊藤博文を中心にドイツ式へと移行していった。
>>809 地理・歴史の授業がフランスそのままってフランスの地理・歴史をやってたの?
>810
やりかねないな。
しらんけど
やはりここはいたりあしきで
>>809 幼年学校でも完全にフランス語漬けで、柴五郎は後年「(フランス語ならいいが)日本語が不自由だ」と言ってたくらい。
しかし、そのフランス式を続けていたら、日本陸軍はどんな軍隊になっていたんだろうか?
>812
>809の記述を読んだからと言うわけじゃないけど、おそらく、えらく自由主義的な
力がある奴が、力を振るうのは当然
的な、ものすげーヤなかんじの、史実の帝国陸軍以上の暴徒になったんでは。
気に入らなければ武装蜂起、とか政府が気に入らないからクーデターとか
手のつけらんない有様だったと思われ。
>>814 やっぱ、どこまでも実力あるものが嫌いつうルサンチマンからくる感情は消せないのね・・・
>>814 力のないヤツが力を振るうってのも、どうかと思うぞ。
それに、「気に入らなければ武装蜂起、とか政府が気に入らないからクーデター」って
帝国陸軍の現実とあまり変わらないじゃないか。(w
>>810 そうとおりで、フランスの歴史・地理の授業が大真面目に行われていた。
カイロ会談で対日戦の勝利は戦略爆撃で決せられるとして対日戦略爆撃作戦マッターホルンが決定した。
協議の結果、作戦は米航空総軍司令官アーノルド大将の中部太平洋案は否決され、重慶からの作戦が
英中の強い支持により決定した。カイロ会談の前に統合兵站調査委員会は地形・気候から、戦略爆撃に
必要な補給がインド・重慶間で行えないと報告していたが、米英中首脳に黙殺された。
アーノルド大将はハンプ越えを考慮すると、兵站を確保するにはB-24を改造した2000機の輸送機が
新たに必要と警告し、戦略爆撃の総責任者陸軍参謀総長マーシャル大将も物理的に不可能と
大統領に述べたが無駄だった。英中が重慶からの実施に固執したのは、我こそが対日戦勝利の
立役者と名乗りたいという政治的な理由によるものからだった。
東南アジア方面の担当はイギリスで、東南アジア方面総司令官マウントバッテン大将は、
米戦略爆撃部隊はカルカッタに拠点をおくのを理由に、ストラッテメイヤー少将指揮下のB-29は
東南アジア方面航空総司令官パース中将のものであり、マッターホルン作戦は英軍指揮下の
B-29部隊により実施されるイギリスが指導する作戦であると主張した。
これに対し蒋介石総統は中国方面の最高指揮権は自分にあるとして、中国方面の
米軍最高司令官スチルウェル大将は、国民党軍にも在籍する指揮官であるからして、
中国の指揮官による、中国から実施される、中国が指導する作戦と主張した。
このため命令系統が滅茶苦茶になり、B-29にネジを一本届けるにも米陸軍参謀総長の
サインをもらわなければ何も出来ないという状態で、ただでさえ悲惨な兵站がさらに悪化した。
パキスタンのアルカイダは、呪の歌を流してから爆発する時限爆弾を使うのだそうな…
>>818 それは歌が流れ出したら聞こえてくる方向と逆に逃げれば助かるって事?
どんな歌か知らないと意味ないけどさ…。
>>812 陸軍だけじゃないんだけどね。
住友財閥の建て直しにはフランス人の鉱山技師が一役買ってるが、
そのルイ・ラロックのレポートって、当然全部フランス語。
当時の経営者達は、それを読みこなしていたってことなんだろうなあ。
>819
死ね死ね死んじまえ〜♪
とかなら一発でわかるんだがな……
Liberty船は、2712隻建造された。
その最短進水記録は4日と15時間、完成まで7日しか掛からなかった。
その第一船の船名は"Patrick Henry"。
この船名の元になったのは、米国の政治家で、"Give me liberty or give me death!"の演説で有名になった人。
こうして、建国以来のヒーローとかリーダーの名前が使われたが、何しろ、2712隻。
建国僅か170年程度の国にそんなに歴史上の人物が居たわけでもなく、ネタが尽きると、著名な作家、作曲家、俳優など芸術家から、
実業界の代表者や社長、冒険家、スポーツマン、果てはボーイスカウト、ガールスカウトのリーダーに至るまで、手当たり次第に採用
したが、これも、ネタが尽きた。
そこで、各国の人で、米国に貢献した人を選んで名前を付け、それが尽きると、戦死した商船の乗組員まで使用された。
とうとうネタが尽きたら、本人の同意を得た上で、生存している勇敢な商船の乗組員を船名に採用した。
ちなみに、その中には、フォスター、アメリア・エアハート、ベル、アメリゴ・ヴェスプッチ、ジョージ・スチーブンスン、ベンジャミン・
フランクリン、リンカーン、ニコラ・テスラー、ブリガム・ヤング、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、オー・ヘンリー、アニー・オークレー、
ワイアット・アープ、フランシス・ドレークに至るまで、ありとあらゆる人の名前が船名に付いている。
>>821 賑わうバザールの喫茶店の片隅で、あるいは米英関連施設前に
路駐された車のカーラジオから、
突如流れ始める「死ね死ね団」のテーマ・ウルドゥー語バージョン!!
(作詞はO.ビンラディン)
巫女巫女ナースとかであqwせdrftgyふじこ
>822
そこまでして、人名にこだわらなくてもと思うのだが・・・
歴史がないあの国には、人間しかないから
2700通りの名前ってたいへんだぞ。
例えば、気象・天象なら、
「だうんばあすと」「べれろふおん」とかマイナーな名称のオンパレードになること請け合い。
大戦中のアメリカでオーストラリア駐留の米軍兵士が現地女性に大人気と報道され、
ルーズベルト大統領夫人はこの件について質問されたので、
「それはオーストラリア男のあれがアメリカ男にかなわないからでしょ」
と答えたために、戦時中だというのにオーストラリア娘は尻軽じゃない、
いや大統領夫人の言う通りだとどうでもいい論争になった。
>>827 いや、ベレロフォンはエゲレス戦艦にあるし。
イギリスの艦名もたまに変なものがあるなぁ
命名基準が独特なだけだけど。
イギリスは色々ネタに使うからなぁ。種族とか河とか花とか。
年次計画艦でさえ頭文字を揃えるって理由で変な名前があるし。
ベレロフォンは、そもそもギリシャ神話の英雄の名前。
>831
・・・うちの国がもこだわりは相当なもんだけどな
「〜かぜ」「〜つき」「〜しお」って作りすぎて誰も知らないような名前の気象名引っ張り出してくるし・・・
>>832 「俺は英雄だ〜」とペガサスで天に駆け上ろうとしたら、怒ったゼウスが
アブにペガサスの鼻をささせてびっくりしたペガサスに振り落とされたん
だよな。
ベレロフォンに限らずギリシャ神話の英雄は真っ当な最後を迎える方が
少ない。
>>833 帝國海軍の2等駆逐艦も結構間抜けだよな。
柿だの桃だのとても戦闘艦の名前だとは思えん。
「雑木林型」でがいしゅつ
日本海軍は見張り員の能力の向上のために医療、機械、数学、気象など
多くの専門家の意見を集め、科学的に最高の条件を調査して研究書をまとめた。
偵察機材の理論や人間の網膜の構造、疲労の蓄積などなど表やグラフや数式を使って
科学的な説明が続くが、研究所に記される最後は言葉は
「頑張ル努力」之ナリ
しかし、フランスと同盟して戦争やろうって時に、エジンコートという名前を付けるってのは
さすがイギリス人は根性が悪いな。
>>836 通称「雑木林型」は二等駆逐艦ではないと思われるが。
>>838 アメリカから購入した駆逐艦にリュッチェンス、メルダース、ロンメルと付ける
ドイツ人もかなり根性が悪いw
帝国海軍はどうかわかんないけど、海自で「雑木林」というと
「かや」とか「しい」とか「けやき」とかつけられてたPFのことですな。
第2次世界大戦の緒戦期まで、合衆国艦隊司令長官(Commander in Chief, United StatesFleet)の略称は、
CINCUSだった。
しかし開戦後まもなく、略称はCOMINCH変更になる。
理由は、CINCUSは、Sink usに似ており、縁起が悪いため。
ちなみに、現在の米国太平洋艦隊司令官の略称は
CINCPAC
……えー、真空パック、ということにしておこう。
戦後、どのくらいからCINCに戻ったのか、面白そうですね(笑)
中途半端にイタリアなまりが入って「チンカス」とか・・・ > CINCUS
>>834 まっとうな最後を迎えちゃ英雄とは言えん。
良い英雄とは死んだ英雄の事だ。
1915年、第一次大戦の同盟国軍は、英国の勢力圏内にあったAfghanistanに部隊を派遣した。
4つの遠征部隊のうち、3つはドイツ軍とトルコ軍、また、ドイツ軍将校同志の反目によって撤退してしまい、
1つしか辿り着かなかったが…。
ともあれ、辿り着いた部隊は、その後半年Kabulに止まり、国王ハビーブッラーに対し、同盟国側に立って
英国と戦争することを説いたが、同盟国軍の部隊展開と継続的な補給がネックになって、結局、これらの
遠征は無駄になった。
一方、Persiaでは、首相と同盟国側は秘密同盟を締結し、スウェーデン将校率いる憲兵隊7000名を同盟国
側で起つことが確認され、各部族への働きかけも行っていた。
これに連合国側が気がついたのはやっと1915年の秋。
11月にロシア軍が、ロシア人将校率いるペルシア・コサック部隊8000名で首都を含むPersia北部を制圧、
shahを支配下に置き、親独派の政治家はクムに逃れ、次いでケールマーンシャーに逃れて、傀儡政権を
樹立し、同盟国側の庇護を受けた。
南部でも、ドイツの工作員によるPersia軍の蜂起が相次ぎ、1916年、インド政府軍のサイクス准将率いる
英国部隊と、11000名の現地人部隊、南ペルシャ・ライフル部隊によって、ようよう鎮圧に成功したが、国内
は、北部にペルシャ・コサック部隊、南部に南ペルシャ・ライフル部隊、メソポタミアとの国境線に憲兵の残存
部隊と、ドイツが支援する部族連合部隊が割拠し、北部のAzerbaijan地方では、トルコ軍とロシア軍が激戦を
繰り広げていた。
秋月型の花月なんてのも、新造当初から演芸関係かってからかわれてたらしいし。
護衛艦「ごろつき」「ふだつき」潜水艦「あじしお」なんてパロもあったね。
「初月」と「新月」は「ハネムーンなのはどっちだ」とネタにされていた。
>>850 筒井康隆だったかな?
もう30年以上前の話になるのか・・・
「はつしお」 糧食はお赤飯のみ、っていうネタもあったな。
「はつしお」の娘のために〜えんやこら〜 なんて冗談もあったり
トヨタが防衛庁に献納した
ハイブリッドシステム搭載の大型潜水艦
「せるしお」ってのも、ジョークであったような。
どこかの潜水艦の隊指令が、
公用車は「せるしお」級にしてほしいといって予算を申請したような
でも、クラウン級でしか予算が下りなかったとか。
やっぱり、海自はクレスタには乗らなかったのかな?
役所のヒエラルキーってのは結構厳しいんだぞ。
公用車に乗れる立場になっても最初は共用のバンから始まってクラウンになるんだが、
偉くなると車そのものが良くなるんじゃなくて車種のグレードが良くなるんだよ。
官僚の場合は一番上の事務次官でクラウンのロイヤルサルーンじゃなかったか。
隊指令クラスだと恐らくクラウン・スーパーデラックスまでしか予算がつかないだろう。
ついでにネタ。確か2代前の話だったと思うが、
トヨタがクラウンのフルモデルチェンジ時に5ナンバー枠を一度は廃止したのだが、
上のような理由で官公庁とタクシー業界から苦情が殺到し、次のマイナーチェンジで
タクシー向けにクラウンの名がついたほぼ別な車(クラウンコンフォート)を造り、
その後にそれをベースにほぼ官公庁向けと言える5ナンバークラウンを復活させた。
どうでもいいけど、職名としては隊指令ではなく、隊司令ね。
2佐の司令だったりすると、一応黒塗りのクラウンでも、内装はビニール、オーディオはAMラジオのみ、
とどめにウィンドウが手動式だったりする。
せめてFMラジオは付けてやれよ…
つか、プリウスとかレンタルの燃料電池車乗れよ、と思う。
どっかのラーメン頭が「公用車はハイブリッド車に」とか適当なこと言っちゃったから
トヨタがクラウンに申し訳程度のハイブリッドシステム乗っけたの作ったんだろ。
>>862 でもまあ、一番ハイブリッド車とか、エコカーに向く環境ではある罠。
整備は万全、遠出はめったにしない、飛ばさない、プロが運転する。
野球と戦争のしょうもない話
日本海軍では訓練として様々なスポーツを行っていたが、野球とテニスだけは何故か自腹だった。
真珠湾作戦に参加した伊22潜には暇つぶしとして娯楽用品が贈呈されて積まれており、
運動具としてキャッチボール用にボールとミットとグローブなどの球技はまあいいとして、
どこでやるのか砲丸や円盤、竹ヤリも積まれていた。
昭和14年、野球の聖地甲子園で時局国民精神高揚戦車への認識を深めるために戦車大展覧会が開かれ、
八九式中戦車などの国産車両だけでなく、ルノーFT、T-26など外国製戦車に混じって
一部では有名なドイツI号戦車が展示され、甲子園の土はドイツ戦車に蹂躙された。
マッカーサー大将は大リーグ選手の前線将兵慰問巡業を斡旋し、オーストラリアに来たときには
大喜びして自ら迎えて観戦する熱狂ぶりだった。GHQの総司令官になっても野球好きは変わらず、
1949年に日本にマイナーリーーグのチームを招聘して日米親善野球を開催したり、
戦後の日本プロ野球の復興に力を貸している。
WWIIのアメリカでは65種の職業が有事というのにけしからん職業に指定され、
軍か工場に入れるように政府から奨励された。その中にダンス教師、床屋、
ナイトクラブ経営者、お抱え運転手などと共にプロ野球選手もあった。
>>850 漏れは「芸者の置屋か」と不機嫌になったと聞いた。>花月
「待合いかYO!」って陰口叩かれたのは「月」クラス全般のはず(苦笑
>>864 真珠湾攻撃が半年早かったら、ディマジオの56試合連続ヒットは生まれなかったのか。(w
>>864 高度成長期日本の労働省が男女別効率が悪い職業を提示しその職業に関しては機械化、
あるいはその職についている人は転職を薦めると言う計画があった。
男性は忘れたが女性の職業には電話交換手などがあってこれらは確かに今日消えているが
女性部門「効率が悪い職業」でトップだったエレベーターガールはしっかり残っていたりする。
869 :
名無し三等兵:2005/10/10(月) 23:49:30 ID:zWRchZ/2
>>864 円盤砲丸竹やりは昔戦争で物投げるのの
訓練みたいな感じのがスポーツ化された見たいだから
爆弾が当たらなかったらこの砲丸ぶつけてしずめろって
言うことなんじゃないだろうか
>>867 ジョー・ディ・マジオは徴兵されて年収5万ドルから月収35ドルになっている。
当時の5万ドルって今で言うとどれくらい?
>>871 確かP51Dの納入価格が5万ドルぐらいだったはず。
>>871 連邦銀行のサイトで貨幣価値換算ができるんだが、
それによると今の66万ドル。
>>872 最新鋭戦闘機1機分の値段だとすると、実際の感覚としては66万ドルよりずっと多そうだな。
>874
多分インフレ率だけで貨幣価値を計算しているのでは?
と言うか、戦闘機が当時と比べても超高額製品になってしまったのでそう思う訳で。
民主社会党(1994年解散)の春日一幸委員長がモスクワを訪問した時、あちらの女性と一夜を共にして、
それをネタにKGBに脅されたことがあった。
同衾している写真を見せられて協力者になるよう脅迫されたのだが、委員長は動じるどころか、
「この写真を見れば、支援者も俺が元気だということが分かるだろう。どんどん公表してくれ」
と言い切ってKGBを呆然とさせたという。
最終的にこの件は、春日委員長が自分で公表したそうだ。漢だねえ。
>875
WW2当時のアメリカでは、戦闘機と高級スポーツカーの値段が、ほぼ同額だった。
なんて話を読んだことがあるな。
今の自動車の価値と当時の自動車の価値が同じとは思えないけど、
ある程度の目安にはなると思う。
英雄色を好むってヤツかw
1940-1945においてアメリカ人の平均寿命は4年以上延びている。
アリエナス・・・
ナチス政権の人種理論の中心人物で知られるアルフレート・ローゼンベルクによると
日本には黄色生存圏という思想があり、満州に侵攻した日本軍はいずれモンゴルを席巻し
トルコにまで勢力圏を拡大し、エチオピア王家と連携するまで拡大してアジアを支配するのだそうだ。
>>879 ……昭和20年の日本人男性の平均寿命は20代後半だったというのに……
ちなみに、正確な数字は、まともに統計が取れる時代ではなかったので不明、だそうだ。
>>880 エチオピアとは皇族との婚姻まで話が進んでいたからあながちありえない話でもないのが
なんとも・・・。
話だけなら、ハワイ、朝鮮、タイとも皇族との婚姻は検討されてたんだっけ。
現皇太子がブルック・シールズをいたくお気に入りで、結婚相手と目される相手に
次々と逃げられていた時期には外の血を入れる意味でもシールズを・・・なんて
冗談半分の説もありましたっけ。
>885
ちなみにブルック・シールズはギアヌ・リーブスと共演した映画で"怪獣役"として出演してたりする。
アルフレート・ローゼンベルク曰く「黄色生存圏は一見すると幻想的に見えるが現実的な政策である」
日本の玩具メーカーが販売したヒトラー人形がドイツ大使館からの抗議で回収されたことがある。
といってもナチス関連でやかましくなった戦後のことではなく昭和13年の話。
この人形は小さな木製玩具メーカーでわずか60個を製作され、1個90銭で47個が
北はカルルス温泉から南は大宰府まで各地の土産物屋に数個単位で卸されていた。
回収できたのは在庫の13個と、小売店から回収できた20個。27個は回収できなかった。
こんなマイナーな玩具に総統とドイツへの侮辱だと激怒したというぐらいだから
デザインが気になるところだが、肝心のその点がまったく警察の調書に載っていない。
製作者は訪日した「イタリア」経済使節団への熱狂的歓迎を見て、両国の友好と
元首への尊敬の念から製作したものということで罪はとくに問われなかった。
>>888 (州)[ M ]
G\[・ム・ ] !?
\<▼>吉\
「ムー○ア○で温度ムラをリアルタイムで判断」と宣伝している某社のエアコンだが、
このムー○ア○、実はAAMミサイルの誘導技術(赤外線探知)からのスピンオフである。
>>888 原型師はきっと、ヒトラーではなくチャップリンの写真を参考にしたに違いない。
きっと写真が裏焼きで、ハーケンクロイツが卍になってたに違いない。
ヒトデヒットラーって抗議とか来なかったんだろうか。
漫画でもヒトラーが生きていたネタだって無数にあるのにそりゃないだろ。
ドイツ軍オタの間では名高いゲルリヒ砲だが、実践ではタングステンを使用する
砲弾の生産がごく少数しか出来ず1942年には砲弾が無くなり、殆どがスクラップ
にされている。
>>895 それも有るけど、その構造上、通常の対戦車砲にたいして砲身寿命が極めて短いってのも有ったような気がする。
>>888 日独伊三国同盟に調印したイタリアのガレッツォ・チアノ外相が訪日した際の、某新聞社の取材記事。
よく知られてるように彼はベニト・ムッソリーニの女婿にあたる人なのだが、
「義父の人気は日本でもすごいようですね。列車が駅に着くたびベニトー、ベニトーと叫ぶ声が聞こえ」
…実はその部分完全に創作ネタで、大使館より抗議される羽目に。
日本語で「中東」を表す、"Middle East"は、インドと欧州の間の地区を表す言葉として、
1902年に米国のAlfred T. Mahanによって作られた。
ちなみに、それまで、この地域は"Near East"と呼ばれていたが、1916年にSir Mark Sykes
が講演で"Middle East"を多用したため人口に膾炙し、以来、"Near East"は脇に置かれ、
"Middle East"が用いられるようになった。
>>898 ……もしかして「極東」の“Far East”は、“Near East”の対義語として
作られたのだろうか。
本当は「中近東」の対義語に近いので「遠東」とでもするのが正しいのだろうけど
日本語を使う当事者として「遠」というのは抵抗があるということで「極東」と
訳されたのではないかと。
まあいずれにしても欧州発祥の言葉だなあと思う。どうでもいいけど。
鋼(はがね)の語源は、日本刀の刃の部分に使う鉄を「刃金(はがね)」と呼んだことから。
米軍が戦時急増で文字通りばら撒いたリベレーター拳銃の話。
米軍が想定していたこの銃の使用方法は以下の通り。
(1)一人でいる敵に対して、
(2)無害を装って近づき、
(3)この銃で倒して、そいつの武器を奪え。
無責任な話である。
かといってM1カービンあたりをばら撒いてパクラレテもつらいしなぁ
あれは敵に対してどこで狙われるか分からないという
心理的効果も狙っているから、バラ撒く事が重要なんだよ。
にして、もう少しなあ・・
本当に試射くらいしてみたのかオマエラと
失敗したら一方的に追いまくられるレジスタンスの身になれよと
どうせ死ぬのは仏蘭西人だしw
リバレーターは殆どヨーロッパでは使われていない。
生産数の殆どが日本の占領地に撒かれている。
リバレーターなんてパチ物ならそうかもね。ヤレヤレ
一般的戦時規約の一番最初のものは、1863年に制定された米国北軍の「リーバー・コード」、
正式名称を「陸戦の法規慣例に基づく軍隊の守るべき規則(陸軍一般命令第一〇〇号)」という。
総合的成文戦時国際法制定の協議を提唱したのは、ロシアのアレクサンドルII世皇帝で1874年のこと。
ロシアは、その時纏められたものを基に、露土戦争では、「露国捕虜取扱規則」を定めた。
更に、1899年に開催された、万国平和会議。
その主唱者も、ロシアのニコライII世皇帝だったりする。
で、この時活躍したのが、世界最高の国際法の権威である、フョードル・F・マルテンス教授。
彼もロシア人で、日露戦争時には、俘虜情報局の局長を務めたため、日本の捕虜取扱にも深い影響を及ぼした。
特に、明治期の日本軍の軍隊手牒には、Geneva条約を中心とする戦時国際法の内容がきちんと説明されているし、
これに先立つ1886年、日本がGeneva条約への加盟を認められたときには、翌年の陸軍省訓令で、当時の大山巌陸軍
大臣は、そのポケット版解説書を発行し、将兵に持たせ、その熟読恪守を求めた。
× 遠島
○ 遠東
吊ってくる……。
まあ、「えんとう」って変換すれば「円筒」か「遠投」か「遠島」だろうなw
・・・つか、よく考えたらやっぱ「円筒」か「遠投」じゃないか?
「遠島」なんて普通使うか?
歴史関係の人なんじゃないの?
エロ関係の漏れは第一置換候補にエロ用語が来るのがデフォ。
しかもやたら造語が多い。
1億年後くらいに漏れのPCが発掘されて当時の日本人の言語は……とか
やられたら嫌だなあ。
米国カンザスシティはカンザス州とミズーリ州の境界線上にあり、どちらかと言うとミズーリ州にある。
大阪府大阪市が実は和歌山県にあった、と言われているようでなんだか落ち着きが悪い。
>>918 大阪には大阪府尼崎市という伝説があるのだよ。
尼崎市の市内局番は06。
自由の女神が立っている土地は、実はニュージャージー州
というのと似ている(住所はニューヨーク州が与えられてる)
品川駅は東京都品川区に無く、神田古本屋街は神田駅には無かったりするしな…
神田の場合はいいんだ。旧神田区の範囲にあるから。
神田区+麹町区=千代田区。
ちなみに、神保町の正式町名は「神田神保町」。
ちと話題ずれるが、インド・バングラディッシュ国境クチビハール地方には、
飛び地の中の飛び地の中の飛び地があるらしい。
>922
神田の町名に「神田〜〜町」とつくのは合併の際、町名が消えるのを住民が嫌がったため。
同じことは日本橋区にも言える。
横田基地の中はカリフォルニア州だっけか
>>928 見つけられない……。何番のところ?
ウォーリーを探せでもやってる気分……。
>>926 市ヶ谷も町名は「市ヶ谷〜」。こちらは旧牛込区であり、本来の旧町名が残っている。
ちなみに、防衛庁の住所は新宿区市谷本村町(住居表示ではヶが省略される)。
軍板的なオチがついて安堵している小官であります。
>>931 飛び地の中の飛び地まではわかったけど、飛び地の中の飛び地の中の飛び地が分からない……。
まあ具体的な地域が分かってもしょうもなさに拍車がかかるだけなんだけど。
9パラの初速は音速を超えるけど、
マグは超えない。
>>932 多分右下にある矢印付きの説明文の事だと思う。
51inside19inside47て奴。
「バングラディッシュ領内にあるインドの飛び地47の中にあるバングラディッシュの飛び地19の中にあるインド領51」
>>934 アリガトン。やっと分かったよ。
これでまた一つ賢くなった。
一般社会でこんな知識を振りまいても「( ´_ゝ`)フーン」で済まされそうだけどな。w
軍ネタじゃなくても興味の無い話を延々とされたらフーンつーよりウザがられるもんだべ・・・
そういえば今回の地震の被災地、両国の紛争地帯だよね
インドが越境してパキスタン国内の国民の支援をしてます。
パキスタンには国境地帯の救援までおこなっている余力が無いようですから。
インドはパキスタンとの宥和政策を進めたいという意向なのかもしれません。
アメリカから何かつつかれているという事情もあるでしょうし、中国とパキスタンに
挟み撃ちにされてはたまらないという考えもあるでしょうし。
そういえば今回の地震、中国領カシミールは被害出なかったのかな?
>>940 中国領カシミールはもともと無人地帯。
軍が駐留してる可能性はあるけど…
パキスタンがあっさり救援目的での越境を認めたのは、
面子や大義名分にこだわるような状況では無いって事だよな。
未確定の国境線のせいで、
犠牲者の数が増えていない事を望む。
昨年から災害が相次いでいて、先進国にも余力が無いからね
インドの宥和政策で被害が少しでも減るなら、それを支持するに如くは無い
取りあえず、イスラム強硬派も災害支援を優先してるみたいだし
ここで騒動起こして勢力拡大なんか図ったら
両方から袋叩きになるんじゃないかな。
日本陸軍輜重部隊に於いて、古参兵の重要な役割の一つに補充されるトラックの受取り
と言うものがあった。
彼らが先ず狙うのは、Ford、Chevroletの新車。
それがなければ、徴発されてきた外車の中古車。
最後に、仕方なく、国産車を受け取った。
ちなみに、トラックもご多分に漏れず、戦時生産型になると簡易工作品となっていき、
まず、荷台の底に貼られた鉄板が省略され、次いで、荷台のあおりの部分に張って
あった鉄板が省略され、前フェンダーの先端を30cmほど切り詰め、リアフェンダーは
省略され、更にキャビンは木製化された。
1943年8月の軍需省から出された、「戦時規格型貨物自動車緊急措置決定事項」では、
これが更に徹底され、ボンネットやフェンダーの薄板はブリキ板に近い粗悪で薄っぺらい
ものとなり、前照灯は1灯、停止灯、尾灯、腕木式方向指示器は省略、バックミラー省略、
燃料計省略、エンジンルームの底板省略、ラジエーターの枠省略、前部サスペンション
省略、前部ブレーキ省略、後輪のタイヤは各1本充て、末期にはスペアタイヤすら省略
された。
つまり、
トラックはさほど速度を出さない
→ じゃぁ真っ暗闇の中で走るんだったら1灯でいいじゃん
→ じゃぁ尾灯もストップランプも外しちゃえ
→ そうだ!速度でないんだったら、フロントブレーキもいらないじゃん。外しちゃえ
と言う発想。
また、内装も省略され、シートの座面は藁を詰めた座布団みたいに薄く、背もたれは、
肩の少し下の辺りに、薄い枕のようなものがあるだけ、ドア硝子は付いているけれど、
その上げ下げは、硝子の下の部分に取り付けられた布製のベルトを引き上げたり、
緩めたりして行うと言うものだった。
これで、浮いた鉄の量は、10台分のトラックで3tに上った。
なんの資源節約の為に、蒸気機関車を一部木製にしたことと比べれば・・・
ドアガラスが上下できるだけ2CVよりましじゃん、とか考えたらいかんのやな
1980年くらいまで作ってたらしいけど
ドアにガラスなんかいらんだろ、とはならなかったのか。
どうにかして寒天をガラスの代用品に出来んものかと試験してたらしいがな>日本
おぉ。それって、色んな意味で結構凄いな。
非常食にもなるし一石二鳥だな
片っ端から寒天を盗まれる事件続出の悪寒。
>>946 大胆に鋼材を節約しすぎたせいで、車重が異様に軽くなり、
肝心の牽引力が不足したので、コンクリートを積み込んで
帳尻を合わせたD52のことか!
そんなのでも戦後復興の主力、資源小国は悲しいのう。
列車はあるていど自重がないと商売にならんのだねえ・・
いつも乗ってる大江戸線がリニア鉄道というのを今日初めて知った・・・
タイヤあるし透明なパイプを走ってないじゃん・・・
>>956 それが現実の21世紀だよ・・・
ガキの頃想像してた21世紀は何だったんだろう。
とりあえずリニアモーターカーとか、空を飛べるランドセルみたいなユニットはデフォかな。
人によっては不老不死の薬とか?
リニアモーターカーはもちろんチューブの中を走る超音速の奴ね。
銀色のつなぎみたいな服を着てるんじゃなかったのか。
ドーナツを浮かべたタワーみたいなビルが乱立してるはずだ。
ニューヨークや東京をそんな風に再開発するよりも、
中国の奥地とかに新しくそんな都市を作ったほうが金がかからずにすむんだろうな。
21世紀は中国の時代って、そういう意味だったのか。
いつの間にか、皆でレトロフューチャーを懐かしむスレになってしまった。
イルカが攻めてくる!
「栄養が濃縮された加工食料を少数食べるようになる」
こんな未来世紀が堂々と記載されていた本を読んでいた漏れはまだ大学生
80年代終わりに書かれた筈の本、著者は本気でそう信じていたのだろうか(;´Д`)
結局そういうのは体に悪いと判明したからね。
咀嚼とか、結構人体の健康に影響してるし。
……でも80年代末もそういう知識はあったはずなんだけどなあ。(--;
969 :
名無し三等兵:2005/10/25(火) 22:07:18 ID:joAWyIp+
70年代の少年マガジンによれば、今頃は氷河期になっているはずだったんだ
けど。
>>970 人生の氷河期が来ました・・・・(⊃д`)
972 :
名無し三等兵:2005/10/26(水) 14:08:20 ID:ff/7geZb
おばあちゃんの豆知識なスレはここでつか
大本営陸軍部の看板は二枚ある。
初代はひびが入り不吉ということで外され、防衛庁移転の際に倉庫の棚板と
なっていたのを発見された。
二枚目は終戦直後、近所のおじさんが米軍に取られては大変と、自宅に持ち帰って
隠し持っていた。
現在は二枚とも市ヶ谷記念館に展示されている。
1916年末、ドイツ帝国宰相は米国に和平の仲介の労を執って貰おうとしてたりするが、
国務長官と連合国によって、それは断念させられた。
これに不信感を抱いた大統領は、第一次大戦の米国参戦に当たって、議会に対独宣戦
を要請する時、Wilsonは、米国は独自の戦争目的を希求することとすることを表明し、
宣戦布告はドイツにだけ行われた。
ちなみに、二重帝国に対しては、二重帝国が米国に戦争を仕掛けていないから、こちらから戦争を
以て対抗しないとして、宣戦布告をするのは実際に戦闘行為が発生したは1917年も末になってから
のことで、ブルガリア、そして、外交関係を断絶したオスマン・トルコ帝国に対しては遂に宣戦を布告
することはなかった。
そんな米国の立場は、俗に言われる「連合国」ではなく、「提携国」となることを選び、英仏伊露と共に
闘いながら、連合国であることを拒否し、ドイツと戦いながら、その同盟国と戦うことを拒否する、奇妙な
態度を取ったりする。
>>966 カロリーメイトと栄養ドリンクで深夜残業してる人間には
あながち外れていないようにも・・・