1 :
名無し三等兵 :
2005/03/29(火) 03:48:23 ID:0GQeuhqo 泣ける話とはちょっと違うが、第一次大戦中にドイツ軍とイギリス軍が
「クリスマス休戦」して、お互いの塹壕を訪問し合ったばかりか、誰かが
「サッカーしようぜ!」と言って本当にやってしまった話ならあるよ。
その時の写真には、ドイツ・イギリス両軍の将校が笑って写ってるものもある。
サッカーボールが鉄条網に突き刺さってしまい、試合の決着は
付かなかったそうだけど。
ただ、この出来事を聞いた司令官がカンカンになって怒り、
次の年の クリスマスからは、逆に砲撃頻度を上げたらしい。
関連スレッド:
戦時中・戦場での泣ける話
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1104558911/
2 :
名無し三等兵 :2005/03/29(火) 03:59:42 ID:???
坂井編隊の敵基地上空での編隊宙返りとか
3 :
名無し三等兵 :2005/03/29(火) 09:47:22 ID:???
西南戦争の熊本城攻防戦のこと。 城の一角の段山陣地では、鎮台兵と薩兵が互いの顔を見れるほど接近して塹壕を掘り、戦況が膠着すると、しばしば双方の将兵が罵倒合戦に及ぶこともあった。 「ドン百姓のクソ鎮どもが、菜っ葉ばかり食うて屁まで緑色かあ」 「やかましいわ芋侍が、おのれらが撃つんは芋食った屁の空砲ばっかりやないか」 ・・・などと怒鳴り合う中、一人の鎮台兵が敵に向けて尻をまくり、「賊徒どもが、屁でも嗅げや」と言ってブゥーと一発。 これに激高した薩兵も尻をからげて屁を返し、いっとき双方の陣地からブー、ブー、と怪音が飛び交う珍事となった。 ・・・後に、この珍事は「段山ん屁戦(屁いっさ)」と呼ばれることになったという。。。
4 :
名無し三等兵 :2005/03/29(火) 11:31:08 ID:???
マンゴスチン
5 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 21:29:29 ID:rZK8NVPK
6 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 22:06:38 ID:???
うちのひいじいさん、陸軍に招集されて南方戦線に従軍。 空腹に耐えかねて猿を射殺してみんなで鍋にして喰ったらウマかったって実に愉快そうに話すんだが こうして活字にしてみると悲壮感がある話だな。
7 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 03:30:45 ID:???
8 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 17:57:01 ID:3aZfXagZ
日露戦争でバルチック艦隊を倒した東郷。 東郷はその後、傷を負って佐世保の海軍病院に入院したバルチック艦隊の 司令長官、ロジェスト=ウェンスキーを見舞いに行った。 その時東郷は長官に、「あなた方は不幸にも敗れたが、祖国のために命をかけて 戦ったお互いは、何の恨みもない友情で結ばれているのだ」と語った。 その時長官は、眼に涙を浮かべて感謝の意を伝えたとされる。
9 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 18:11:32 ID:m9nKi4AI
第一次世界対戦で日本軍の捕虜となったドイツ兵と収容所の置かれた、高知の人々との交流も心温まるエピソードでつな
10 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 18:13:29 ID:???
うちにあるノモンハン事変の写真にソ連戦車の乗員が白いハンカチ振りながら投降してくるのある なんか笑顔だったけどどうしてだろう
11 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 18:14:05 ID:???
ちなみにシベリア抑留中の日本軍将兵にも心あたたまるエピソードが 少しだけある。ほんとに少しだけ。
12 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 18:25:22 ID:u53ZE9o9
13 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 19:19:12 ID:5LEaskxc
11じゃないがひとつ 医学部出身のある将兵はドイツ語ができるので翻訳などをして信頼を得た そしてソ連兵にこういった 「日本人は過労が蓄積するとお多福風邪をひく、それが西洋人に感染すると無精子症になる」 と言った びっくりしたソ連兵はその部隊の労働を軽くした
14 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 19:24:35 ID:???
>>13 一歩間違えれば全員白樺の根元に埋められてたな・・・
15 :
名無し三等兵 :2005/04/05(火) 08:18:24 ID:tY7GXHM1
日露戦争では両国ともハーグ条約の規定を順守して捕虜を手厚く扱い、世界から称賛され た。浜寺に収容されたロシア人捕虜は比較的自由に街を散歩し海水浴も楽しんだことや、収 容所内では日本語教室が大人気だったことなどが、収容所の研究活動を続けている中野生 穂さんによって紹介された。近くの泉大津市内の墓地には収容所で亡くなった八十九人の捕 虜の墓があり、今も地元の人たちが焼香、献花を続けている。 約千八百人の日本兵を収容した捕虜収容所があったロシア北西部メドベージ村のロゴジン 村長は「村には十九人の日本人捕虜の墓があったが、第二次大戦でのドイツ軍の侵攻時に 破壊されてしまった。しかし、近年、七基の墓石が発見された。さらに発掘を続け、村に慰霊 公園を造りたい」と語り、同村を訪れたことがある中山元外相は「村の博物館には、日本人捕 虜が作った三味線や尺八などが保存されていた。手厚く扱われたことがうかがえた」と説明した。
16 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 21:05:25 ID:???
>>15 第二次世界大戦時にも似たような話しあったな、確か
17 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 21:46:13 ID:t29vjqMW
シベリアに抑留された、人の話 日本兵を必死に世話してくれるロシア人看護婦がいた 理由を聞くと父親が日本の捕虜収容所(松山だったかな?)にいたと言う 「父親に日本人はみんないい人と聞かされた、父親の恩返しがしたい」と言ったそうな
18 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 22:04:32 ID:tXV9ivg1
硫黄島上空での事 坂井三郎氏は単機でF6F十数機と交戦し、そして氏の技術の全てを尽くして 戦域から脱出した。 戦後、太平洋戦争を日米のパイロットが集まる会合がアメリカで行なわれ坂井氏も出席した。 坂井氏は席上で、「あの時のパイロットはいないか?」と呼びかけた 一人のアメリカ人が、 「俺はその時にいたよ」と名乗りを上げた その瞬間、「下手くそ! 何でその時落せなかったんだ!」 と野次が飛び、会場は大爆笑の渦に包まれた。 坂井氏も大爆笑していたのは言うまでもない。 これは有名すぎる話かな? でもいい話だとは思う。
19 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 22:07:36 ID:???
>>18 俺は初めて知った春厨だがいい話だ。
なんか映画のワンシーンみたいだな。
20 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 22:10:28 ID:???
>>18 かなり危うい野次だね
爆笑にしてジョークにしてしまった
出席者の機転はさすがだ。
21 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 22:14:20 ID:tXV9ivg1
>>20 うーん そうじゃなくて、それがジョークとして通じる雰囲気が
その時にはあったと思う
敵味方として命懸けで戦いあったからこそ言えるジョーク
なんじゃないかな?
22 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 22:18:42 ID:???
>>18 その集まりの中には本土の一般市民を半笑いで機銃掃射しまくってた
奴もいたんだろうな。
23 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 22:20:17 ID:???
>>21 その通りだと思うし、もっと言えばそれはジョークであり同時に坂井氏への
元パイロットらしい最高級の敬意を払ったともいえると思う
24 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 22:52:38 ID:t29vjqMW
アメリカ本土空襲の藤田氏もアメリカに呼ばれて称讚されたそうな
25 :
実名攻撃大好きKIMU :2005/04/06(水) 22:56:27 ID:Tnft6YYo
なんでもっとそういう美談を公にしないのだろう?
26 :
名無し三等兵 :2005/04/06(水) 23:03:51 ID:???
>>25 だってアカピとかなら人殺し同士が仲間褒めしてるようにしか見えないんじゃん。
27 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 00:01:12 ID:???
>>24 日本だって本土空襲のルメイに最高級の勲章あげたぞ
28 :
名無し三等兵 :2005/04/07(木) 00:17:39 ID:???
ハルはノーベル賞だしな
29 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 06:59:15 ID:???
ロシアの満州占領に続く長い紛争によって、アメリカ人の同情―何よりも大統領自身の 同情―は日本側に傾いていた。ルーズベルトの計画はすべて満州におけるロシアの勢力 を弱めるという点に集中されていた。ヘイもロックヒル(支那に関する権威として非公式 ながら政府に仕えていた)も、既に朝鮮は日本の統治に委ねるべきであると考えていた のである。親日派でない朝鮮駐剳のアメリカ公使ですら、(1904年)1月4日 ロックヒルへ手紙を書き、「朝鮮は古代における征服の歴史及び伝統から判断しても、 日本に属すべきものである。わが政府がなお日本に向かって朝鮮の独立を押し付けようと するならば、誤謬を犯すことになろう」と述べている。ロックヒルもまたこれに同意した。 ロックヒルは、朝鮮併合こそ、西へ伸びる日本帝国の大きなそして最終的な段階で、 それは絶対的な目標である。もしそれが実現すれば、朝鮮の民衆にとっても極東の 平和のためにも、好結果が生まれると考えていたのである。通牒(日露開戦に当たり 米国が日露両国へ送った)が発せられる二日前の2月8日、駐日米国公使グリスコムも 東京からヘイに同様な忠告を送ってきた。・・・・・(米国は)長らくその独立を維持 してきたが、今や、英国の例に倣って、それを日本の手に委ねる準備を開始したのである。 A・W・グリスウォルド(米外交史学者) ダイヤモンド社『米国極東政策史』より
30 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 07:49:06 ID:???
>>25 そういうのを美談とは言わないと思うんだが。
31 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 11:07:16 ID:???
32 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 13:13:08 ID:???
さて、時は日中戦争。 その頃、蒋介石は困り果てていた。 攻めども攻めども日本軍を倒せず、部下は尻をまいて逃げ出すばかり。 国府軍には盗賊上がり(土匪)やルンペン(流民、棄民)が多数混ざっていて士気が全然上がらなかった のである。 そこで蒋介石は次のように部下に訓示した。 「朝起きて冷水で顔を洗い、冷や飯をかき込み、突撃を開始する日本軍と、 まずお湯を沸かして顔を洗い、朝食を作り始める中国軍のどちらが強いかは、 言わずとも明らかである。日本軍を見習え」
33 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 13:27:07 ID:EbJFT6hm
南京で辻ぃーんが 蒋介石の御母堂の墓を整備して日本と中国の要人や 市民を招いて盛大な追善供養をして、そのニュースを聞いた 蒋介石が 泪を浮かべた、て本当?
34 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 15:27:43 ID:???
朝鮮戦争にて 韓国軍を援護射撃していたイギリス軍。 ある時間になるとピタッと砲撃をやめてしまった。 何事かと思って様子を見に行く白将軍。 なんとティータイムをとるために攻撃を中止したという。 イギリス軍曰く「伝統だから」 戦争中にティータイム。 なんと優雅でエレガントな軍隊ではありませぬか。
35 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 15:46:15 ID:???
帝国陸海軍もおやつの時間を設定して戦闘中止すべきであったとしみじみ思う
36 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:12:15 ID:???
国際法規で戦争の週休二日制と 兵士の人権を重視して作戦従事時間を8時間までにすることを 定めるべき
37 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:16:21 ID:EbJFT6hm
財務省のお役人様、退役自衛艦の一部の艦については固定資産税とか、減価償却など 無しにして、保存艦、記念艦として残して展示できるようにはからってください。 そろそろ自衛艦も歴史記念物がでてきてますがな。
38 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:17:59 ID:???
>>36 日本が最強の軍隊になるな。
得意のサービス残業突撃で連戦連勝
39 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:19:00 ID:???
>>37 訓練しか経験したことのない自衛艦に何の歴史的価値があるの?
40 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:21:41 ID:???
>33 辻ーんかどうかは忘れたけどその話は本当 関連ネタとして玄奘三蔵法師の墓のエピソードもあるな。 荒れ放題だった三蔵法師の墓を探し出して整備しなおし分骨して日本で祀ったのだが、 敗戦後返還運動がおきたのを蒋介石がかえさんでもええよと言ったという話
41 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:28:40 ID:???
>37 記念艦宗谷を忘れるなんて酷い人ですねあなたは!!!!1!1 宗谷だって海上自衛隊艦艇だったんだから間違いじゃないよな・・・ウン
42 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:32:32 ID:???
蒋介石って実は良い人なの?
43 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:46:09 ID:???
>>42 徳を以て恨みに報いる
って言ったらしいが。
44 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 16:52:45 ID:???
45 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 17:11:08 ID:???
まあ毛沢東よりは人間的だわな アメリカ参戦を促したのも国を思えばこそ 台湾人から見たらどうかしらんが
46 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 17:15:18 ID:???
まあ「いい人」かどうかなんて主観だから見る人次第だし どこを見るかによるのだが。 日本の陸軍に留学していたこともあるから知日派だとは思う。
47 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 17:43:15 ID:???
ほのぼのとした話しがないぞェ
48 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 17:46:29 ID:???
少なくとも近衛よりは格上といえる
49 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 18:34:54 ID:???
「国民政府を相手とせず」こそ全ての不幸の元凶。
50 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 19:19:54 ID:???
相手にされてなかったのは近衛だと判り、本人愕然
51 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 20:41:57 ID:pjh6EFVB
まあ日本軍に逆さ感状を出したりしてるし >獎介石 詳しくは泣ける話軍事版
52 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 21:11:31 ID:EbJFT6hm
昭和20年、鈴木寛太郎首相が米国民に向かってルーズベルトの死に深甚なる哀悼の意を顕わした、とか
53 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 21:35:47 ID:???
でも蒋介石がいなければ米国が参戦しなかったかもしれないし そう考えると大日本帝国はこのオッサンに負けたのかと
54 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 21:46:50 ID:???
日露戦争の頃の話。 どこかで長期対陣となり、日露両軍のちょうど真ん中辺りに、占領して保持す るまでもない所だがそのまま放置するのもどうか、という微妙な丘があった。 はじめに日本軍が占領した。夜になってその部隊が麓に降りると、どこからと もなくロシア軍が丘の頂上に陣取る。夜があけると日本軍の部隊がまたやって くる。すると頂上にいたロシア軍は戦闘もしないで明け渡す。別に示し合わせ たわけではないが、いつのまにかそんな習慣?ができてしまった。 とある日の明け方、日本軍は少し早めに頂上に来てしまった。するとロシア軍 がまだそこに居る。当たり前だが銃撃戦となり、ロシア軍は慌てて下山した。 翌日の明け方、今度は時刻通りに日本軍が頂上に着くと、そこにはロシア軍の 置き手紙があったという。 「昨日の部隊の指揮官は誰だ。まったくせっかちな奴がいるものだな」
55 :
名無し三等兵 :2005/04/08(金) 23:55:54 ID:???
南京大虐殺をでっちあげ 台湾で白色テロで恐怖政治を行う いい人蒋介石
56 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 05:10:59 ID:???
>>55 「台湾論」キタ*・゜゚・*:.。..。.:*・゜(゚∀゚)゚・*:.。. .。.:*・゜゚・*!!!!
57 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 11:29:00 ID:???
>>55 「蒋介石はいい人」って断定したレスあったか?
58 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 13:31:46 ID:???
202 名前:日出づる処の名無し 投稿日:05/03/06 21:49:33 Y2Mw/FID 父方の祖父はシベリア抑留に行ってた。 凍傷寸前みたいなこともよくあったそうだ。 ずいぶん前に聞いた話なのであいまいだが、火だかお湯だかであたためようとした時、 ロシア人が「それだとなまにえ(?)になってかえって悪くなる。 こうやってしばらく暖めてからにしたほうがいいぞ。」みたいな事を言って、 毛布で祖父の手をしばらくこすってくれたらしい。 乾布摩擦のような感じなんだろうな。 ほんとに大変だったらしいけど、 幸いにも祖父のいた所は他に比べればましだったらしいです。 父方の祖母は長崎にいたそうだが、 原爆投下一週間前に地元に帰ってきていたので 難を逃れたと言ってた。 じいちゃんばあちゃん、二人とも生き残ってくれてほんとにありがとう。
59 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 20:34:29 ID:icOQ8CDu
> 蒋介石はいい人 彼は、いい意味での中国の古典教養をマスターした最後のインテリなんだろう。
60 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 20:51:43 ID:???
>蒋介石はいい人 打通さんが聞いたらファビョってチハで攻めて来るぞ。
61 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 20:55:29 ID:???
少佐や打通は誤解されてるよな 他から来たやつは字面しか読めないのか
62 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 22:53:51 ID:???
大戦中、ウチの祖父はマレーにいて敗戦時イギリスの捕虜収容所に入ったんだそうです。で、いよいよ日本に引き揚げる時 になって、イギリス軍が「(支給した)レーションは日本に持ち帰ってはならない。この場で食べるのはよろしい」って通達 出してきた。祖父達は英軍の期限切れれーションを支給されていたそうで、これがまたおいしかったらしくて。で、その場で 食べるふりして懐や鞄にこっそりレーションを詰め込み、いざ船へ向けて出発って段階になって身体検査があった。 ウチのじいさん、列から引っ張り出されてイギリス兵に鞄の中改められたらしいんだが、そのイギリス兵レーションを見ても 見ぬふりして見逃してくれたんだそうです。大事に日本へ持って帰ってきたレーションは、ウチの父親や親戚一同にたいそう 喜ばれたそうです。
63 :
名無し三等兵 :2005/04/10(日) 00:16:01 ID:???
> 蒋介石はいい人 中国人のうち、優良な人たちは現在台湾にすんでいると言う意味ですね
64 :
名無し三等兵 :2005/04/18(月) 01:33:02 ID:???
ほのぼのとした話しってのは少ないのかなぁ
65 :
名無し三等兵 :2005/04/18(月) 03:11:36 ID:qkZ4JVFF
ベトナムで捕虜にされた旧日本軍が 『侵略戦争はいけない!』って説教されただけで釈放してもらったって話はチョット感動したな。
66 :
名無し三等兵 :2005/04/18(月) 16:27:37 ID:???
イギリスの、しかもレーションってうまいのか……? なんか泣ける話になってきてるw
67 :
名無し三等兵 :2005/04/18(月) 21:50:49 ID:4sTW+/ln
68 :
名無し三等兵 :2005/04/18(月) 22:19:01 ID:idVABApV
>>66 英軍レーションは案外うまいらしいぞ(初心者スレにそんな話題があった)
69 :
名無し三等兵 :2005/04/22(金) 23:09:13 ID:???
>>46 中正先生はソ連赤軍にも留学してたが
共産主義を警戒しなからソ連を民族主義のスポンサーにする
手腕をきちんと発揮している
彼の終生のライバル・毛沢東は、モスクワの南京・重慶びいきに何度も歯噛みしている
70 :
名無し三等兵 :2005/04/29(金) 00:08:48 ID:OuXkiQIU
独ソ戦後半でほのぼの話を期待するのは、無理でしょうか?
71 :
名無し三等兵 :2005/04/29(金) 00:24:22 ID:???
配属された大隊で自分の配属された中隊とは別だが中隊長に知り合いが いたのをいい事に、わしゃ訓練が無いところがええの。とのたまい、輜重兵 としてトラック転がしていた、アメリカ生まれの俺のジイサン。 てっぽーうったことないのぅって・・・あんたねw。
72 :
名無し三等兵 :2005/04/29(金) 00:30:37 ID:???
輜重でもトラック運転する為には「自動車運転心得」とやらを完璧に暗証しなければならなかったはず それすらもどうにかしてスルーしたんだろうけど・・・ 意味の無い精神主義で非効率なことばっかやってるから自動車化がすすまねえんだよ、阿呆か帝国陸軍 自動車化したところで動かす燃料と整備を満足にする資源と量産する工業力がないとか言うのは無視の方針で
73 :
名無し三等兵 :2005/05/06(金) 18:12:50 ID:???
スレ違いだが、いまだに精神論で電車を運転させてるからまた戦争したらカミカゼしちゃうかもね・・・ 俺は犬死は嫌だなぁ、仲間や故郷のためならとは思ってるけどさ あと、政治家の掃き溜めの連中の命令で死にたくないなぁ、陛下に命を欲しいといわれたら・・・特攻できるかもな
74 :
名無し三等兵 :2005/05/06(金) 19:51:49 ID:???
その政治家はあなたが選んだのだ。
75 :
名無し三等兵 :2005/05/20(金) 01:20:43 ID:???
76 :
名無し三等兵 :2005/05/21(土) 01:38:20 ID:???
「善良な大多数の国民を欺瞞した政治家たちだけは、今も心にくい気がします。 併し私は国体を信じ愛し美しいものと思うが故に、政治家や統帥の輔弼者たちの命を奉じます。」 特攻隊員 山口輝夫少尉
77 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 23:32:42 ID:???
>>75 でも投票するに値する奴がいなかったらどうすればいいわけ?
投票しなかったら、しない奴が悪いってなるし
しょうがなく妥協で投票した奴が余計なことしたら
やっぱり投票した奴のせいになるわけ?
どーも、投票者に責任を押付けすぎでないかな。
選挙前にすべての行動を予測するなんて不可能なんだし。
78 :
名無し三等兵 :2005/05/23(月) 23:35:44 ID:???
>>77 おれは、白票を投じている。
投票率には貢献する。
79 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 01:07:34 ID:???
>>77 選挙民が責任取らなかったら誰が責任とるんだね
政治家が阿呆なのは選挙民が阿呆だからだ
当選者を出させないように無効票運動でもしろよ
80 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 02:34:20 ID:???
あまりにトンチキな候補ばかりだったんで ”該当者無し” と書いて投票した事が有ります
81 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 06:18:37 ID:???
白票ならいいのかよ。 白票投票しても結局は組織票で誰かが通ってしまい 結局は選挙民が阿呆とか言われるのであって、どうにもならないと思うが。 無効票運動ねぇ・・・成功の見込みがあればやってもいいね。 責任はまず行為者である政治家に問うべきだ。
82 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 07:47:24 ID:???
>77 選挙に限らず、たいてい世の中で重要な選択を求められる場合、 選べるのはどうしようもないような糞な選択肢しかない。 その糞な選択肢の中で少しでもよりマシなものを選び、また選んだ以上その選択の結果が より良いなものになるように努力、協力するのが大人というものではないかな。
83 :
名無し三等兵 :2005/05/24(火) 07:52:40 ID:???
>80 (・∀・)人(・∀・)ナカーマ
84 :
名無し三等兵 :2005/05/25(水) 04:16:21 ID:???
戦場ではないけれど数年前のビッグレスキュー東京。 某公園で近所の小学生のグループにとても優しく相手をしてあげていた隊員さん。 すごくほのぼのしていて(´∇`)な微笑ましい光景だったけど・・・ 警戒配置に着いている最中だったのがなんとなく複雑・・・ あれほど微笑ましく、でも素直に良いと言い切れるかどうか判らない光景 は未だに他でみた事が無い・・・
85 :
名無し三等兵 :2005/05/26(木) 19:11:19 ID:???
ほのぼの〜
86 :
名無し三等兵 :2005/05/26(木) 20:24:28 ID:???
>>79 日本国憲法第十五条
【公務員の選定罷免権、公務員の性質、普通選挙と秘密投票の保障】
4
すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。
選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。
87 :
名無し三等兵 :2005/05/26(木) 22:37:45 ID:???
警察予備隊が創設されたばかりの時の話、集められた隊員の訓練をアメリカ軍の将校が担当する事になった。 日本語が話せる将校はほとんどいないので通訳が付いたのだが、ある将校が 「アイズ、ライト!」 と号令をかけたところ日本人通訳が 「まなこ、右!」 と翻訳してしまい、それを聞いた隊員達が眼だけをぎょろりと右へ向けた、、、なんて事があったそうだ。
88 :
名無し三等兵 :2005/05/27(金) 17:28:37 ID:???
89 :
名無し三等兵 :2005/05/27(金) 22:43:17 ID:???
終戦も知らずに、60年間東南アジアの島で暮らしてたって人の話なら知っているが。
>89 詳しく
91 :
名無し三等兵 :2005/06/09(木) 17:13:49 ID:hdhtG6ER
ビルマに行ってたじいちゃんの話しなんだが。 食料が少なくなってきたので、米を籾殻ごとたべたそうなんだけど みんなうんこつまっちゃったんだって・・・ で、お尻を出し合って木の枝とかでほじったんだと。分隊で輪になって・・・・ うほっ
ルソン島で日本兵と米兵が一緒にテントで寝た話ならあるよ。最終的には、米兵が寝ている間に日本兵が米兵を殺したらしい・・・
93 :
名無し三等兵 :2005/06/09(木) 17:28:19 ID:hdhtG6ER
もうひとつ じいちゃんは斥候にでててはぐれて、とりあえず川岸にでて飯盒に 水汲んでたら 敵兵と遭遇! ピンチだっ!! どうやらむこうも一人らしい・・・ しばらくきまずい空気の中でお互い固まってたらしい。 と、二人同時に猛ダッシュで逃げたんだと。 あとは、砂糖の工場だか集積場での戦闘のときに どうやら土嚢より砂糖の袋のほうが弾を通さないらしいというのに 誰かが気づいて、砂糖で陣地構築したじいちゃんの部隊。 ここまではいいアイデアだ。 しかし、ここはビルマ、雨が降るということを忘れてた と気づいたときには遅かった。 鉄帽からしたたる雨は飴の味がしたって。
94 :
名無し三等兵 :2005/06/09(木) 22:06:56 ID:MrcVwXlt
ウチの母方の一家は戦前、台湾に渡って祖父は長く台南市立病院の医師を していたが、終戦後、病院を台湾人に引き渡して日本に帰ることになった。 日本への引き上げ者は持ち帰れる荷物と現金の額が厳重に制限されていたので 台湾人の医師と職員は「最後のお別れに満干全席を振る舞いたい」と申し出た。 母はまだ幼かったが三日間つぎから次へと食事がでてきて、お腹いっぱいで 祖母の膝の上で寝ていたが目を覚ますたびに違う料理が卓に並んでいた、と 回想していた。
95 :
名無し三等兵 :2005/06/09(木) 23:53:26 ID:???
>>86 うまく説明できないが、79の言う責任と、そこに書かれている責任は性質の違うものだと思う。
その条文に書かれている「責任」はあくまで法律的な意味であって、ある政治家に投票したことで
損害賠償を請求されたりしない。という意味だと思う。
96 :
名無し三等兵 :2005/06/10(金) 12:32:56 ID:???
>>95 どん底の経済に希望を見出せる優れた政治家としてヒトラーに投票し、その結果ドイツは滅んだ
日本は最後まで議会政治を維持したが、結局間違った政策によって泥沼の戦争に突入し、国土が焼け野原になった
>>79 の言う「選挙民が取らねばならない責任」というのはそういうものだと思う
もしくは土木事業ばっかやって要りもしない空港とか新幹線駅とか誰も使わないスタジアムとか作りまくって
赤字をものすごい勢いで膨らましてる土建屋知事を選出し続ける阿呆県民が将来的に払わねばならない借金の額みたいなもの
97 :
名無し三等兵 :2005/06/12(日) 01:03:09 ID:???
独ソ戦の後半。ウクライナの戦いで吹雪の中あまりにも寒いので独ソ両軍兵士たちが 一緒にねぐらを探し小屋の藁の中で少し離れて一緒に寝た。翌朝、いずれともなく 目を覚まして、そっと小屋から出て行き、両方の陣地から何事もなかったように また撃ち合ったという話がある。
98 :
名無し三等兵 :2005/06/13(月) 10:02:04 ID:3LKloOIr
99 :
名無し三等兵 :2005/06/13(月) 10:43:23 ID:AO0qQJai
潜水艦搭載の零式小型水上偵察機は、「零潜」(ゼロセン)と呼ばれていたそうだ。 部外者には、よく戦闘機と間違えられて困ったことが多かったと。 (海軍飛行予備学生史)
>99
戦時の話じゃないからスレ違いになるが、この話思い出した。
ネーミングセンスの良い・悪い兵器スレ
ttp://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1111906158/579 579 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/06/04(土) 18:15:55 ID:UJOwpv6k
スペイン駆逐艦:パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・バウラ・ファン・
ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・サンティシ
マ・トリニダート・ルイス・イ・ピカソ。
1隻の名前なのだが、艦隊と勘違いする人続出で改名を検討中。
カキコするだけで疲れた・・・・(o__)oバタッ・・・・
>>81 スレ違いでゴメソだけど・・・
政治的に無気力で棄権するのと、わざわざ投票所まで出向いて白票を投じられるのとでは、
込められた意志の強さが段違いでそ?
たぶん政治家って、棄権票を相当に舐めてるよ。
棄権する”無党派層”なんて、恐らく鼻にも掛けてない。
拒否ではなく、政治的無気力ゆえの棄権だと判断し、だからどんな好き放題やったって、
どうせ前回棄権したものは、次回も棄権するとたかをくくっている。
そこら辺に、”わざわざ日曜日に投票所まで足を運んだ”白紙投票の価値があると思うんだ。
その白票は、全ての立候補者の人格や政策に対する拒絶である訳だけど、白票投票の場合、
棄権票とは違い、有権者のニーズに合致さえすれば、その白票は雪崩を打って自陣営へと
転がり込む訳なんだから。
これが棄権票のような”冷えた票”だと、そうはいかない。
だから無党派層の中の人も、「今回は該当者無し」なら、白紙投票マジお薦め。
各党とも白票獲得合戦のために、国民のニーズに沿った政策を打ち出し、実績を残そうと
鎬を削り合うようになる・・・・・・と良いなあ・・・・・・(´・ω・)
・・・・・・チラシの裏マジスマソ。これにて撤収しまふ。
>100 祖国の美術史上最大の巨人の名を冠しただけなのにね…w
103 :
名無し三等兵 :2005/06/13(月) 20:27:16 ID:AO0qQJai
>>100 その昔、世界の海を制覇し、無敵艦隊を誇ったスペイン。
現代では、それを象徴するのが、駆逐艦か…
その昔は海戦で船が沈没して助けられたら敵の船でも敵も見方も一緒になって操船をしたそうだ。
105 :
名無し三等兵 :2005/06/13(月) 22:15:46 ID:AO0qQJai
将棋の駒も、取られちゃったら、相手の戦力として寝返るのだ。
>>105-106 中国古来(?)の中将棋や大将棋なんかは、駒を取ったとしても、
もう使えないんじゃなかったっけ。
日本は裏切りの文化というわけですか
女性を前線に出すチェスよりは文化的です。
ドコモの携帯持ってるやついるか?フレメのグループ名「中田ヒデ」で、パスワードが「0000」だから
数年前金沢の歴史博物館で慰問の手紙の展示をしてた。 金沢には器量も気立てもいい娘がいっぱいいるから ぜひお嫁さんにどうぞ,みたいな内容なんだが 「兵隊サンニ告グ。今カラデモ遅クナイカラ…」って まんま例のビラのパロディだったよ。 ちょっとほのぼの?
112 :
名無し三等兵 :2005/06/14(火) 22:20:59 ID:/gtH9Fs5
>>111 さすが文化のまち、金沢。粋人が居たんだね。
当時の日本の人口では、金沢23位・富山38位・福井48位。
アメリカ軍の戦略では、概ね大都市順に空襲したはず。
富山、福井が空襲されたのに、なぜか同じ北陸の金沢は免れた…
114 :
名無し三等兵 :2005/06/15(水) 23:42:12 ID:Lmi5JH53
京都は、当初、原爆投下の第一目標になっていたらしいね。 都市の規模や地形が、爆発威力を見定めるのに最適だったと。 で、原爆が完成するまで爆撃を控えておいたら、 京都を訪れて歴史や文化に詳しい上層部から横やりが入ったとか。 金沢も、文化的価値で空襲を除外されたのなら素晴らしいこと。 もしかすると、単に気まぐれだったりして。 豊田(旧・挙母市)も爆撃は受けていない。 航空機生産の中心だった愛知県は、東京に次ぐ空襲頻度だったのだが。
単に地形なんかの条件じゃないかなー。 当時の米国人にとっては日本の文化財なんぞ原始人の石器と変わらんだろ。 ただ占領統治を考えて京都はやらなかっただけじゃないの。
パキスタンがタージマハル(インドの霊廟ね)を攻撃目標からはずしたって話があったね。 国際世論の反発を恐れたという事情があったそうだが, いずれにせよそういうもんはぶっ壊さないで欲しいもんだな。
117 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 00:21:52 ID:YPxmHSfH
話は飛んで中世パレスチナ。 十字軍の総大将リチャード一世の愛馬が、合戦で矢傷を受けて倒れた時、敵軍のイスラム側から使者が現れ、見事なアラブの駿馬を一頭送り届けて来た。 イスラム側の総大将、サラディンの送った使いである。 「我等が将よりのことづてです。 “わたしの最上の持ち馬を貴殿に贈ります。明日こそはこれをもって、互いに存分の勝負をいたしましょうぞ・・・”」
118 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 00:56:54 ID:Bdq8rVDj
>>117 イイナ
バトルオブブリテンで、ドイツのガーランドにスピットファイアを送るような話。
>117 しかし、これで困ったのがリチャード一世。 いい馬なのは一目でわかるが、実は本人乗馬が苦手。 「この俺に、本当に乗りこなせるのだろうか・・・。」 少し悩むが、部下の目もある。ここで乗らないわけにはいかんだろう。 で、合戦当日に案の定落馬。部下に担がれ退却するリチャード一世。 その報告を聞きながら、「しめしめ、上手くいった」とほくそ笑むサラディンであった。 とかだったら笑うよな。
武田信玄の家来に岩間某というものが居た この岩間という男、武士のクセに戦が嫌いで 戦場に行くたびに「死にたくない」泣き叫んでおったそうな。 岩間の余りの不甲斐なさにみかねた他の家来は 性根叩き直すためにヤキ入れてやろうとしたが 武田信玄は「こんな奴でも何時かは役に立つだろう」と それを止めさせた。 そして次の合戦の時岩間は居留守役を命じられた で、信玄たちが戦から帰ってくると城は隅から隅まで 綺麗に掃除されていた、留守番のものにわけを聞くと 居留守役を仰せつかった岩間がやったという
122 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 20:09:48 ID:Bdq8rVDj
当方も掃除は大嫌いだが、戦いに駆り出されるのはもっといやだ。 たとえ臆病者とよばれようと、他の仕事に振り替えてもらえるなら、 便所掃除でも、ボランティアでも、なんでも進んでやります。
123 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 23:08:21 ID:i2VlxkpD
>>117 イェルサレムが見事サラディンによって奪還された後の事。
当時の習慣に従って、イェルサレムのキリスト教徒たちは全員奴隷とされた。
(もっとも、十字軍側が勝った時のイスラム教徒はみんな惨殺されたわけだが・・・)
ただし、金持ってるヤツは、自分で自分を買い取って自由となる事が許された。
さらに、残った貧乏人達を前に、サラディンは前イェルサレム王に対し、彼らを買い取って
開放する事を要求し、前イェルサレム王は、財産(普通なら没収されているはずのもの)を
はたいて、かなりな人数を買い取った。
それでもまだ沢山のキリスト教徒が残ったが、そこにサラディンの弟がやって来て、
彼らを自分に褒美としてよこせ、と要求した。
サラディンが
「こんなに沢山の奴隷をどうするつもりだ?」と聞くと、
「オレの好きにするつもりだ。」と答える。
で、要求どおりに引き渡した所、彼は全員を連れて町を出て、天に向かって両手を
差し挙げると
「汝らを全て、偉大なるアッラーへの供物とする!」と宣言して、そのまま開放した。
124 :
名無し三等兵 :2005/06/16(木) 23:13:09 ID:i2VlxkpD
まあサラディンは美化されている点もあるだろうが、 それはそれとしていい話だな。にくいね。
うーん、リブロポート社刊”アラブが見た十字軍”では サラディン自身が買い取って、解放したとなってるな どちらにしろ、美談だと思うけど。
127 :
名無し三等兵 :2005/06/17(金) 11:20:53 ID:Py7cGviJ
知人の兄さんが、子供の頃の体験談。 昭和20年の夏、名古屋の庄内川河口で泳いでいたら、 P-51マスタングの編隊が低空で目の前に現れた。 びっくりして、仲間と必死に水に潜って、数分間… 息が続かなくなって水面に出たら、P-51が頭上を旋回しており、 ちびってしまったとのこと。 また、あわてて水中へ!こんなことを数回繰り返していたら、 攻撃もされず、バンクしながら去って行ったとのこと。 パイロットの顔が見え、笑っていたようだと。
ビビらそうという嫌がらせだったら根性の曲がったパイロットだな。
>125 「獅子心王には勇気があった、サラディンには知恵があった」と賞賛されてるわけですし。 やっぱ洋の東西問わず、心躍らせる物語には 超える価値のある敵役が必要だということなのでしょー。 その結果、世界史上もっとも有名なクルド人になっちゃいましたが。
タージマハルってイスラム教徒が立てたもんだし敷地内にモスクもあるし
131 :
名無し三等兵 :2005/06/19(日) 20:14:07 ID:ZZ9HM/nx
ラバウルで衛生兵をしていた人の話。 隊舎付近の草むらで人の気配がするので誰何したら、 俺だ!と立ち上がったのは、上官の軍医だった。 その手には鎌。害虫の発生を防ぐため草を刈っていたとのこと。 部下にやらせればよいのに、皆疲れているからと、ご自身で…。
132 :
名無し三等兵 :2005/06/19(日) 21:49:42 ID:rE1gZz+1
海軍にいたうちのじいちゃんが言ってたんだが、シンガポールから佐世保に向かってた時に、 乗艦が潜水艦に雷撃され艦尾が吹っ飛んでしまい浮いてるのがやっとになって、味方艦が救助に来てくれるのを まってたら、数隻の漁船が艦の周囲を味方艦が来るまでの間ずっと守ってくれたらしい。
133 :
名無し三等兵 :2005/06/19(日) 21:51:19 ID:DdXKWkaD
>>127 その話と同じ話を亡父から聞いたことがある。
時と場所は同じ。
P51は「艦載機」と言っていたように思うが、内容はほとんど同じだ。
「初めてヤンキーの顔を見た。びびった。」
「そのせいで持っていた冬瓜が割れてしまった。」(なぜだか不明)
とも言っていた。
その時、亡父も一緒に遊んでいたのかもしれないね。
あるドイツパイロットが戦闘でボロボロになスピットを見逃したら、後日ドイツパイロットも同じ状況で見逃されたんだと、相手は見逃したスピット、騎士道には騎士道で返そうと言ったらしい。
135 :
名無し三等兵 :2005/06/20(月) 08:22:36 ID:aqu1Pt/8
>>132 民間の漁船が自主的に護ってくれたのなら素晴らしいけど、任務だった可能性も。
漁船まで徴用して、船団護衛や哨戒などの大役に投入したビンボー国家だから。
136 :
名無し三等兵 :2005/06/21(火) 00:20:04 ID:1RoMTu2W
>>133 奇遇ですね。
>>127 の知人の兄さんは、中根という名字です。
すでに15年ほど昔に病気で亡くなられたが、
年が大きく離れていたので、今も存命なら70歳前後のはず。
飛び去る機体のきれいな後ろ姿を眺めて、子供心に日本は勝てないと思ったとか。
真っ黒に日焼けした元気で純真な子供達が、敵機の攻撃に遭わなくてなにより。
137 :
133 :2005/06/21(火) 01:36:33 ID:efPIiGY6
私事を書き込むのをお許しいただいて。
>>136 亡父は昭和9年生まれですから、存命なら70歳のはずです。
姓は近藤です。平成11年に亡くなりました。
B29以外の小型機は全部、「艦載機」扱いでしたから、あなたのお知り合いの
兄さんと同じ場所で同じ「空襲」に遭ったような気がします。
>飛び去る機体のきれいな後ろ姿を眺めて、子供心に日本は勝てないと思ったとか。
似たようなことも言っていました。
いや、奇遇ですね。ますます、同じ場所に居合わせたのではとの確信が深まりました。
>敵機の攻撃に遭わなくてなにより。
そうですね。そこで機銃掃射でもされていたら少なくとも今の私はないわけですw
なんか運命を感じましたよ。
>>131 ラバウルの今村均司令官はラバウルが孤立する事を予め読み、自給自足体制を作る事に決めた。
皆が畑仕事などしている場合ではないと愚痴っていたが
次の日の早朝、今村司令官は一人鍬を持ち畑を耕していた。
そして皆文句を言わず黙々と畑を耕し始めた。
日本軍の貧しさは涙ぐましいな。
「川に溺れている子供を助けたらラーメンをおごって貰った」 去年事故で入院したときに、同じ病室に居た 昔、中国の方に出兵していたお爺さんの話しです
141 :
名無し三等兵 :2005/06/22(水) 06:25:24 ID:one0FmtL
終戦直後、上陸してきたアメリカ兵が軒先にかけてあった赤い布に目をつけた。 エキゾチックな風合いが気に入ったらしく、頭に巻いて仲間で大はしゃぎ。 家の中に向かって「ハウマッチ?」と大声で訪ねたが、家人は息を殺し隠れていた。 やがて赤い布は元通りに戻され、アメリカ兵は去って行った。 で、無事だった赤い布なんですが、それは、お婆さんの腰巻きだったのでした…
>141 ペタワロス
143 :
名無し三等兵 :2005/06/22(水) 19:03:18 ID:one0FmtL
>>141 の追伸ですが、一緒にあった白褌は無視されたとのこと。
今日の当方IDは、 one0F と、一式戦と零戦を足したような勇ましさ…
144 :
名無し三等兵 :2005/06/22(水) 20:15:00 ID:ovOwbbM9
>>104 遅レスだが戦艦乗りや潜水艦乗りは敵艦を沈めるのが仕事で敵を殺すことが仕事ではない とかいう考えだったらしいす
ガダルカナルの海兵隊員が戦利品のふんどしをタオルと勘違いして使っていた。 ふんどしのヒモ部分を首に結んでいたそうな(しかもご丁寧に写真まで残っている)
146 :
名無し三等兵 :2005/06/24(金) 08:10:10 ID:PliMM+/g
日本本土に連行された連合軍捕虜の食事は貧しいものだった。 ある日の食事などは、おかずが木の根っこだったので憤慨した。 だが空腹には耐えられず口に入れたら、意外と美味で好物になった。 帰国後もその味が忘れられず、日本料理店で注文しているのは、きんぴらごぼう…
一方イギリス兵は捕虜虐待だとして日本兵を処刑した
ごぼうは栄養状態がよくない捕虜に精をつけさせる為に善意で 苦労して調達して食べさせたんだよ。それを「戦犯」扱いだからな。 無茶苦茶だよ。少しは日本人側の言い分も聞けってんだ。
149 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 11:34:50 ID:bT4fkW2U
NHKは海外向け謀略放送の宣伝ドラマに連合軍捕虜を出演させていた。 連れてこられた中には、演劇志望の若くてハンサムな米兵がおり、 局内の女子職員の間でファンクラブのような組織ができたと。
戦時ではないのだが・・・ 割と有名な話を一つ。 2000年7月4日、20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、 世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集結した。 翌日の5日に英国の豪華客船「QEU」が入港してきたのだが、 折悪しくも2ノット半の急流となっていたハドソン河の流れに押された巨大な客船は、 あれよあれよと言う間もなく係留中の海上自衛隊「かしま」の艦首部分に接触してしまったのである。 着岸した「QEU」からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と一等航海士が謝罪にやってきた。 相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えた。 「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」 これが何千人もの船乗りたちの間で大評判になり、ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって 「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし、 日本のネイバル・オフィサーのユーモアのセンスを評価する声が高かったそうである。
まあ牛蒡事件で処刑っつーのはデマで 捕虜収容所の責任者は別の容疑で逮捕拘留され数年で釈放されてるわけだが
>>112 家のじいちゃんは金沢の近くに住んでたんだが、富山の空襲を屋根の上から
眺めていたらしい。
嘘か本当かしらないが、後から「あれは金沢と間違えて富山を空襲したらしい」
という話を聞いたそうだ。
>>151 ごぼうを食わせた人は有罪になった。ごぼうを食わせた件も
「木の根を食わせた」とされて「罪」の一つだったのは事実。
154 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 17:23:23 ID:bT4fkW2U
フランスの捕虜になった日本兵は、カタツムリを食わされたと憤慨すべきだ。
捕虜になるとエスカルゴ食えるのか?
イタリアの捕虜になったら豪勢なものが食えそうだ。
157 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 19:14:53 ID:nCq7sE8E
落語家の林家さん平師匠が演習でうっかり銃を埋めてしまった。 で、上官に銃を持たずに戦場に行く軍人がおるか!と怒られて一言。 「大将は鉄砲など持たずに戦場に行くであります!」 当然、ボコボコに殴られたそうだ・・・・
158 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 20:06:05 ID:zFzNEtmF
第一次大戦の折りにイギリス軍が、ヨーロッパ大陸派遣部隊の将兵に配布した手引書の一節。 「・・・まず最初に留意すべきことは、大陸においては全ての車輌が、間違った車線を走行していることである・・・」
>>157 林家さん平師匠は何を思って銃を埋めたんだろう? うっかり・・・・??
>>159 タコツボ堀の時に、掘った土を「うっかり」銃を置いていた上に積み上げたんじゃないのか?
161 :
名無し三等兵 :2005/07/01(金) 18:21:56 ID:yklMN9wO
戦時中ヒコーキ少年だった大先輩に聞いた話。 昭和18年か19年に、岐阜の各務ケ原飛行場で、 「航空ページェント」なる一般人向けイベントが開催された。 木曽川上流から飛来した一式陸攻の急上昇や零戦の曲技飛行が観られたとのこと。 当然ながら写真撮影は禁止だったが、服に隠して数枚撮影したとのこと。 なんともウラヤマシイ…
>>160 陸自の教育隊でもよく教官に言われてた。 「埋めるなよ」と
蛸壺なんて掘るのに3時間 埋めるのさえ30分以上かかるから、間違っても埋めるとスンゴイ面倒。
「エンピだろ、小銃、弾倉、銃剣、鎌、鉄帽、上着、水筒・・・ 全部あるよな?」
案外埋める方が気を使った。
「エンピだろ、小銃、弾倉、銃剣、鎌、鉄帽、上着、水筒・・・あれっ?教官?どこ行ったのかな?」
教官を植える奴があるかゴルァ
そして根を張り葉を繁らす教官一人。
山ゆかば草むす屍・・・
中村埋めちゃったんですけどどうしましょうか?
すまん中村、お国のためだ
169 :
名無し三等兵 :2005/07/13(水) 22:59:18 ID:VpJgNiqK
>>108 × 将棋=戦争ゲーム
○ 将棋=経済ゲーム
*将棋のコマを【会社】と思えば良く判る
>>169 経済よりも、経営と捉えた方が、より一層。
将棋は軍国化の象徴だから違法
軍国化だから違法と言うのはファシズムだからドイツでは違法
174 :
名無し三等兵 :2005/07/21(木) 14:39:15 ID:TDrqRQKh
うちの爺ちゃんは沖縄で戦って捕虜になったんだが・・・・。 つかまった時は2日くらいなにも食わずに隠れてた状態だったらしく腹ペコだったらしい。 臨時の捕虜収容所につれていかれる途中に若い米兵が腹が減っているのに気がついたらしくコンビーフの缶詰をくれたらしい。 もちろん補給劣悪、肉なんてなかなか・・・。という状態だった爺ちゃんはコンビーフのあまりの旨さに卒倒しそうになったそーな。 これだけだったらよくある話なんだが・・・・。 続く
175 :
名無し三等兵 :2005/07/21(木) 14:49:32 ID:TDrqRQKh
爺ちゃんは料理人だったんだわ。かなりの腕の。沖縄戦が終わって捕虜がたくさん集まるようになると、米兵さんがあまっているコンビーフとかパンとかをたまに供給とは別に投げ入れてくれるよーになったそーな(さすが持てる国は違いますな) んで、どこから見つけてきたかは不明だけれど米俵を運んできてくれたりもしたそーな。ただ生米なんてくえないので、飯ごう返してといったらなんでかフライパンをつけて返してくれたそーです。(アメリカ人は米を料理するのにフライパンが必要だとでも思ったのか?) それで油と米とコンビーフや、他の米軍の食材がそろったので、爺ちゃんは当然、料理を始めたらしい。 まぁ、コンビーフ入りのチャーハンを作ったらしいです。これが捕虜達の間では好評でかなり感謝されたらしいんですが、こっからが米軍の本領発揮でした・・・。
176 :
名無し三等兵 :2005/07/21(木) 14:55:43 ID:t0o6CjnR
淡谷のり子が南方に戦地慰問行った時、 地方出身の兵隊ばかりで、ブルースの良さをわかってくれない。 しかしステージ後方から喝采。米軍捕虜からの拍手歓声だった。 それで後向きに歌ったそうな。
177 :
名無し三等兵 :2005/07/21(木) 14:58:04 ID:TDrqRQKh
日本の収容所の一つからおいしそうな匂いがただよってくるのを感じ取った見張りの米兵さんが、米を炒めた妙な料理(当時米国でも中華料理店はあったんでしょうがいまよりはずっと少ない。チャーハンをみたことない米兵も多かったのでしょう。) を見てね我慢できなくなったか、身振りで「ちょっと食わせろや」みたいなことをしたので、機嫌をそこねたら大変だと思った爺ちゃんはいそいで作ってもっていったそうです。 一口食べた米兵は驚いた顔をして、サンキューといったあと交代時間にどうやらおいしかったことを仲間に伝えたようなのです。 次の日、さらに米をもって米兵達がやってきて通訳までつれて「もっと作ってくれ。」と言われたそうです。 初めは小隊できていた米兵さんが中隊になり大隊にまでなり、どんどん食材をもってきてチャーハンや他の中華料理を作らせれたそうで、かなり偉い少佐さんまで食べにきたそうです・・・。 どうやら軍隊の飯はまずいらしく爺ちゃんの中華料理が気に入ったようでした。 のちに爺ちゃんは本土に帰って食堂を続けたそうですが、その時に仲良くなった何人かの米兵さんはまた来てくれたらしいです。 爺ちゃんはその時の経験から米兵を決して悪くはいいませんな。ほのぼのしすぎっていうか、捕虜のとこまで飯くいにくるなよ米兵・・・。
>>177 コリン・パウエル閣下も「始めは慣れなかったけれど、今では時々食べないと調子が出ないよ」と漏らしているそうです。
また、炊いたお米のようにモチモチしたものよりパサパサのお米のほうが米国の人には食べやすいようです。
・・・ハワイので売ってるおにぎりを一度食べるとよくわかるかも。食感はチャーハンをおにぎりにした感じです
179 :
名無し三等兵 :2005/07/21(木) 15:36:28 ID:TDrqRQKh
パウエル閣下もお米ファンか!!!!
180 :
名無し三等兵 :2005/07/21(木) 17:18:07 ID:nFHoyIqZ
>>177 爺ちゃんエライ!沖縄戦は、食文化で圧勝だね。
それにしても、気のいい米兵達にも敬意。
旨い飯を愉しめる平和が一番。
181 :
名無し三等兵 :2005/07/21(木) 17:42:29 ID:TDrqRQKh
>>177 ですが。
爺ちゃんはつかまった時絶対殺されると思っていたようで米兵がコンビーフをくれた時は信じられなかったそうです。
爺ちゃんは間違いなく米兵を何人かは殺したのに、扱いがそれなりに丁寧だったことには驚いたそうですが。
米兵は持てる者の余裕とはいえ、冗談を楽しんだり、物をくれたり、明るいエピソードが多いですな。
ちなみに最後のほうは毎日30人くらいやってきたので、捕虜の人達と協力してほとんど屋台状態だったらしいです。
・・・・。米兵の飯はそんなに不味いのか・・・。
ご飯作ったお礼にアイスクリームを持ってきてもらったり、タバコをもらったり、結構気楽だったようです。
昭和20年の春、 祖父と祖母は多摩川の土手で摘んだタンポポを乾燥させて作ったタンポポ茶を飲んでいたそうだ。
183 :
名無し三等兵 :2005/07/22(金) 17:20:25 ID:wbeLMxIg
フィリピンのビガンという16世紀のスペイン様式が残された美しい町に駐留した日本軍のエピソード。 ハンサムな守備隊長と、現地の美しい娘が恋に落ちたが、 やがて米軍上陸で平和な町にも戦雲が迫り、二人に離別の時がやってきた。 上からは、「町を破壊して撤退せよ」との命令。 だが、隊長は「俺が責任をとる」となにも手を付けずに撤退。 激しい戦闘のなかでも、奇跡的に戦火を逃れて美しい町が残った。 「戦跡を歩く」(牧野弘道著)より。
パワーハラスメントで無いことを祈ってます ほのぼのというより ドキッ
185 :
名無し三等兵 :2005/07/28(木) 14:11:22 ID:0RX7velI
日本には三蔵法師のお骨がある、それはね、、、、と説明すると十中八九 「日本が強奪したんだよね」と聞いた人は答える。 「おいおい、日本軍は出土品のすべてを中国政府に返還したぞ。向こうから譲りたいと言い出したんだよ」 と説明しても 「それは傀儡政権なんだから、要求しなくても日本がもらったらそれは強奪なんだよ!」 と言う。 どうして若い人はなにもかも日本が悪い事にしたがるのか、分かるような気がした。
誰相手に言ったんだ?日本人の若者?
187 :
名無し三等兵 :2005/07/28(木) 15:20:11 ID:0RX7velI
>>186 近代中国史を専攻している大学講師に話ました。
共産中国とか蒋介石とか軍閥とか満州国とか傀儡政府を相対視できない先生だったかも。
188 :
名無し三等兵 :2005/07/28(木) 16:09:00 ID:xeVi+LyF
スペインから英領ジブラルタルに外国人が出国する場合、 スペイン側の規定では、1日に2回しか出国を許可しないことになっている。 日本の某テレビ局特派員が、プライベートの家族旅行でスペインからジブラルタルに入国、 2回目にスペインに出たところで、ホテルに忘れ物をしたことに気がついた。 帰りの便は予約してあり、明日、ジブラルタルに入ったのでは遅い。 スペイン側の国境警備隊員に、泣きつかんばかりに事情を訴えたところ、 出てきたのは将校。 「あ〜、キミたちが、だ」(1回目の出国スタンプをボールペンでサッサッと消し) 「これからジブラルタルに入ったら、だねえ」(新しいスタンプを押して) 「3回目は入れないからね、わかったかね?」(ニヤリと笑ってウインク) 将校の粋なはからいとスマートな振る舞いで、楽しい思い出が出来たとか。
そういう将校に、私はなりたい 民間人ですが
190 :
実体験 :2005/07/29(金) 06:35:31 ID:???
とある外国の軍隊に突撃 ↓ 案内してくれる軍人さんに日本土産のカンパン、センスをあげる ↓ その後説明を聞きつつ基地の中をブラブラ ↓ 壊される予定の家へ ↓ 壁に貼ってる新隊員募集ポスターに目が行く ↓ ニヤニヤ笑った軍人さん『これもってけ』 その他にコップとペンもらいますた
漏れのじーちゃんの話 ご飯なくなっておなかすいて、隊と一緒に山の中でうろうろしてたんだって。 そうしたら向こうからアメリカ軍がやってきた。 隊パニック。腹減ってるのもあったのか、大混乱。 「うわぁぁぁぎゃぁぁカーチャーン」「騒ぐなうたれrftgyふじk!」「天皇陛下バンザイぃぃ」 それを見たアメリカ軍。 「なななななんだぁぁ!?(本当は偵察にきただけだったらしい・・・)」 「上官、上官、変な人たちがいます!」 「馬鹿!あれは日本軍だろ!」 アメリカ軍の一人が、銃を構えて、じいちゃんの隊を撃とうとした。 だけどあまりにもガクガクブルブル((((;⊃Δ⊂))))ヒイイモウオシマイダーする彼らに、なんだか戦意喪失。 それでいいのかアメリカ軍。とりあえず見なかったことにして、帰ったとのこと。 戦争って、案外そういうほのぼのとした話が埋もれてるような気がする。 こういう話を本にしたりとか、しないのかなぁ。。。
つ[戦争における人殺しの心理学] 後半は鬱になるけど
>191 いや、少しもほのぼのとしてないだろその話。 >192 1年くらい前の書評スレで話題になってた本だよな。 あの本に載ってたのは、霧の中で突然出会った両軍の部隊が 両方ともガクブルで逃げたって話だっけ?
中国大陸で従軍してたある将校、敵情視察で森の中を歩いてたら 大蛇が出てきたが、音をだすわけにも行かず軍刀でズンバラリン 視察を終えて陣地に戻り、「いやーデカイ蛇がいてさぁ・・・」と部下達に話すと 部下は大喜びで蛇を回収しに行っちゃった。 「蛇なんてどうすんの?」「うちらの故郷じゃ蛇はご馳走なんですよ、懐かしいなぁ」 「・・・本当かよ」 という事でその夜のメインとして蛇登場 「ささ、隊長からまずどうぞ」と蛇料理の入った飯ごうを差し出され こうなっては食べぬわけにも行かず、恐る恐るモグモグ・・・ 「隊長の故郷の名物のドジョウは汚い泥の中に居ますが 蛇は朝露で身を洗うきれい好きなんです。絶対こっちの方がいいです」 「そんなもんかねぇ〜」モグモグ「あ、御代わりいかがですか?」 「うん、もっともらおうか」「本当にいいですか?(・∀・)ニヤニヤ」 「え?」「うまいでしょう?(・∀・)ニヤニヤ」 「・・・あ、忘れてた」次の瞬間みんな大爆笑。楽しい晩餐となったという。
ボーイスカウトの話をネットでたまたま読んだ。 瀕死の米兵が、スカウトのサインしたから、助けてやったそうな。 もしかして有名な話しかな。
中国系の海兵隊員が家族からの手紙を落としてしまった それを見た他の隊員、日本兵の暗号と間違えて基地中大騒ぎに
197 :
名無し三等兵 :2005/08/18(木) 20:57:07 ID:vhWVUjm5
age
>>152 俺の親父はその富山出身。
市内に居たはずなんだが、空襲の時には山から町が炎上していくのを見ていたとか。
焼夷弾って、綺麗だなあ、と子供心に思ったそうだ。
まあ、10歳くらいの頃のことだから、許してやってくれ。
で、富山は食料も豊富だったようで、食糧難とか、そういう経験はないらしい。
ずっと前に他界した婆さんも、食糧難のことを聞いたら、米騒動、って答えてた。
>198 越中女房一揆ですな。 ある意味そっちの方も貴重な体験・・・。
200 :
名無し三等兵 :2005/09/03(土) 00:39:09 ID:YHl+JC17
漏れのじいちゃん、徴兵されたが身体が弱く、 上官も呆れるほどで、部隊は出征したが、じいちゃんは内地師団司令部の警備任務に残された。 師団司令部からじいちゃんばあちゃんの実家までは、現在ならクルマで30分ぐらい、 終戦になるやいなや、じいちゃんは武器を投げ出し、国鉄に飛び乗った。 同じころ、働き手がいなくなって、ばあちゃんはとうちゃんと兄弟を連れて街に働きに出ていたのだが、 そこを見舞ったのがB29の空襲。 ばあちゃんはとうちゃん以下兄弟の手を引いて地獄の中を逃げ延び、実家にたどりついていた。 そこで幼いとうちゃんの仕事は、兄弟の分も含めての食料調達。 田んぼの中を走り回り、ドジョウを捕まえて鍋の材料を確保していたのだが、 その田んぼの脇をとぼとぼと歩いていたのがじいちゃん。 「ああ、戦争に負けたのだなあ、あんな小汚いガキがドジョウ採りをやっているとは」、 ・・・で、家に着くと、くだんの「小汚いガキ」が「とうちゃん、お帰りなさい」。 まあ、終戦翌日の晩御飯の食卓を、一家で囲めたというだけで無上の幸せであろうか。 ・・・ちなみにここまでの「わが家の戦史」の聞き取り調査において、 「じいちゃんはな、兵隊さんがそれはそれは辛くって」 「何を言うやら、ワタシがどれだけ苦労をしたか」 「とうちゃんはな、じいちゃんとばあちゃんを助けた、そりゃあ孝行息子でなあ」 ・・・証言者の証言に微妙な食い違いがあり、戦記作家の苦労が少しだけわかったのは言うまでもない。
201 :
名無し三等兵 :2005/09/05(月) 17:29:38 ID:cIMaYKaE
名古屋の愛知航空へ勤労動員された上司は、焼入れ炉の片隅で 持参した芋を焼いて食べるのが楽しみだったそうな。 だが、終戦間際の空襲で、大勢の仲間を亡くしてしまったと。
202 :
名無し三等兵 :2005/09/14(水) 11:53:45 ID:kmgSovyd
>>201 工場の電気炉は、焼き芋など調理に絶好とか。
源平の屋島の戦いの話は「ほのぼの」か?
204 :
名無し三等兵 :2005/09/14(水) 20:51:05 ID:xarrmEWF
>203 戦場でのチョイいい話
うちのおじいちゃんのお話をしてみませう 当時海軍軍医だったおじいちゃんは中国、海南島(だったかな?)に派遣されていました そこでは宣撫工作のため、現地の人たちにも治療していたそうです 内地では効かなくなった薬でも耐性がないためか、驚くほど効果が現れたとのこと 評判は評判を呼び、奥地からでも治療を受けに来るようになりしばらくしてのお話です ある日、いつものように診療していると、家族に付き添われた女性がやってきました 家族いわく、「この子は病を抱えている。どうか治してやってくれないか」といいます とりあえず患部を見せなさいというと女性は服を脱ぎ始め…… おじいちゃんの目は(|| w ) 0 0 となったそうです なんと女性は真性の半陰陽、俗にいうふたなりさんだったのです さすがのおじいちゃんも治療はできず、丁寧に断ったとのこと ……余談だが孫の漏れが重度のふたなり好きなのはその時のショックが隔世遺伝したせうわなにをするやめぇdrftgyふじこlp;
・・その時、舟艇の米兵が、坂本兵長の水筒を指さし、よこせと手まねで言いました。 炎天下に立っていたので水筒はさわると熱いほどになっています。 「どうせこの水も飲めまい、記念にほしいのならくれてやろう」 水筒を渡すと米兵は船内に姿を消し、しばらくすると戻ってきて、 さっきの水筒を返してくれました。さわってみると、冷たい、こおりつくような水が いっぱいに入っています。おどろいた坂本兵長が感謝をこめた眼でだまって頭を下げると、 米兵はニコッと笑って船室に入って行きました。 きのうまでの敵だった、 米兵の何気ない好意に感激して、坂本兵長はその水をぐっと飲みました。 うまい水でした。雨水でない、本物の水でした。このことは、坂本兵長の、生涯忘れられないひとコマになりました。 そして島はどんどん遠ざかり、視界から消えていきました。
ふたたび奥さんが出て来た。何やら手に小さな紙包み二個を持って言葉をかけてきた。 言葉はよく分からないが、折角美人の若奥さんのお出ましでもあるので、ふたりは揃って手を休めた。 すると彼女は持ってきた紙包みを、さも気恥しそうに一つづつ私たちの手に渡してくれた。 足元に山積みになっている薪の分量に満足顔で、「スパシーボ」と礼をいって戻っていった。 早速貰った紙包みを開いて見ると、それは大豆の煎り豆であった。 彼女が気恥しそうに手渡してくれた意味が分かった。この辺地で食糧不足の中、 彼女が我々の労働になしえた精一杯の心遣いであっただろうと思った。 彼女のおかれている立場からすれば、なにも我々俘虜に対し、 こうまで気遣いをする必要もない筈であるのに、 気恥しい思いまでもしてもてなす心遣いが、私らにとってはなんとも言えないほど嬉しかった。 そこには国境を越えた人情をかいまみることができた。
・・・その後の記憶は、私たち4人が岸壁でその船の入港を待っているところだ。 甲板に海兵が整列して敬礼している。アメリカの青年たちだ。船が着岸する。 一人が私を見てニッと微笑んだ。私と同じセーラー服を着ているアメリカ兵。 私を見て手を振ったことが、とても深く印象に残っている。船名は「ゆきかぜ」。 米軍に接収されていたのだろう。米兵しか乗っていない。父が一人タラップを昇って行く。 米海兵と話をしている。父が振り向く。許可が下りたのだ。私たち三人もタラップを昇っていく。 そして「ゆきかぜ」という米軍の軍艦の中に入った。
・・終戦後小澤は敗戦の将としての責任を取って世に出る事を拒み清貧の中でその生涯を終える。 元来寡黙なこの元提督は、太平洋戦争に関して口を一切開かなかったため、国民からもその存在は次第に忘れ去れていった。 しかし小澤が全身全霊を賭けて戦ったアメリカでは、小澤の名は名将としてその武功や人間性がアメリカの子供達の間でも知られるところとなった。 そして多くのアメリカの子供達が敵味方を越えたヒーローとして小澤に手紙を送った。 小澤は「英雄でも何でもないが、自分の仕事が子供達に評価されるのはうれしいことだ。」と語り、 子供達の手紙には全て返事を書き、これが小澤の晩年の楽しみだったという。 小澤は昭和四十一年に八十歳の生涯を終えるが、子供達の手紙の返事は病で動けなくなるまで、 書き続けたという。
…ほのぼのっつーか、泣ける… 敵味方という立場が無くなると、そこには大きな友情が芽生えるものかもしれないね
それじゃぁ、俺の地元徳島の話。
WWTで、日本は青島のドイツ居留地を占領し、
ドイツ兵を捕虜にした。ドイツ兵達は、日本中の捕虜収容所にちらばったが、
現在の徳島県鳴門市の板東捕虜収容所にも収容された。
このころの捕虜収容所というのは自由が多く、
ドイツ人は捕虜収容所どころか、収容所の外に出る自由も与えられ、
食事も十分に与えられていた。中には、日本人女性との間に子どもを作った捕虜もいたそうだ。
ドイツ語新聞を作ったり、街の人々と交流をしたりしていたが、
やっぱり故郷ドイツが恋しくなる。
そこで、黒パンを作ったり、楽器を作って演奏して、気分を紛らわすことにしたそうだ。
そこで演奏されたのが、ベートーベンの第九。
現在でも、鳴門市では、黒パンが好まれており、年末になると第九が演奏されている。
ちなみに、このエピソードは来年映画化される。
http://www.cinematopics.com/cinema/works/output2.php?oid=6244 なぜか、主演松平健な
221 :
名無し三等兵 :2005/10/15(土) 18:52:34 ID:4u/Wxk8O
徳島は、ビールやソーセージも本場仕込みなのだろうか。
>>221 ソーセージの作り方は、ここ鳴門の交流から広まった(本当)。
WWIまでは紳士だったんだなー(涙
終戦間際に徴兵された親戚のおじさんは、航空燃料用の油を取る為に山で松の根っこを掘ってるうちに戦争が終わってしまった。 と言う話を母から聞いたことがある。又聞きだから真偽の程はわからん。
226 :
名無し三等兵 :2005/10/16(日) 00:50:55 ID:e9Y0xLOF
日本陸軍の某捕虜収容所での話。 米軍捕虜は捕虜になる前の階級に従って分隊、小隊、中隊に分けられ、 分隊には分隊指揮官の軍曹が任命されていたのだが、 あるとき、捕虜監視に当たっていた日本陸軍の軍曹に、米陸軍軍曹が話をつけに来た。 「煙草はないか?いや、俺が吸うんじゃない、部下が欲しがっているんだ」。 捕虜に余分な物を与えることは禁止されていたのみならず、 捕虜が処遇に物申せば反抗とみなしてその場で銃殺も許可されていたのだが、 お互い「軍曹」、部下を可愛がる気持ちは痛いほどわかる。 日本陸軍の軍曹、その場では申し出を一蹴したのだが、 その夜、米陸軍軍曹を呼びつけ、ひそかに「誉」を渡した。 やがて捕虜収容所が移転することになり、捕虜も移送されることになった。 だらしなく歩く他の捕虜。 しかし「カシラーナカ、ホッチョートレー!」 聞きかじった日本軍式の号令に合わせ、一糸乱れぬ分隊整列で行進する捕虜1個分隊があり、 その先頭をゆくのはくだんの軍曹。 「xx軍曹どのに対し、敬礼!」 米兵分隊からの、捕虜の身でできる精一杯のお礼に対し、 日本陸軍の某軍曹、同じく精一杯の敬礼で応えたという。
227 :
名無し三等兵 :2005/10/16(日) 21:58:35 ID:8i6DKSKm
いい話だ…。感動したよ。
228 :
名無し三等兵 :2005/10/16(日) 23:04:25 ID:JTtsYCcl
田宮模型の取材チームが、スミソニアン航空博物館を訪問した時の話。 「日本からの取材か、ちょうどよかった。 今、日本軍機のレストアをやっているんだが、外板の裏に日本語が書いてあるんだ。 日本軍のマニュアルにもない言葉なんだが、ちょっと読んでみてくれないか?」 早速、田宮模型の取材チームが読んでみたところ、 「八重ちゃん、愛している。オレ、やける」。 航空機工場の若い工員か勤労奉仕の学生が、 同じく勤労奉仕で航空機工場に来ていた、女子挺身隊のひとりを見初めたのだろう。 しかし、戦時中の航空機工場で、思いのたけを告げるわけにもいかず、 それでもあふれんばかりの思いを、誰の目にも触れないところに、思わず書き付けたにちがいない。 書いた主や「八重ちゃん」が誰なのか、今となっては確かめる術はないが、 本土空襲、とりわけ航空機工場空襲をも生き抜き、幸せになっていて欲しいと、 田宮模型の取材チームは思ったという。
229 :
名無し三等兵 :2005/10/16(日) 23:23:47 ID:JTtsYCcl
231 :
名無し三等兵 :2005/10/17(月) 01:33:31 ID:y+4VfDRz
<<228 おれやけるって焼けて死ぬって意味?
ほのぼのじゃなくて泣けるスレになってるなw でもみんな良い話しだ
233 :
名無し三等兵 :2005/10/17(月) 07:54:42 ID:4ahP9yWo
航空機工場で、勤労動員の工員が持参した芋を焼いたという話が多い。 電気炉でとても美味く焼けるので、八重ちゃんに献上して ハートを射止めようと思ったのでは…
234 :
90式 :2005/10/17(月) 11:15:20 ID:???
235 :
阿南中将 :2005/10/17(月) 11:29:49 ID:HNKOONHM
WW2のときソ連軍は積雪していることを理由に 兵士をパラシュート無しで降下さあどうなったでしょう?
着地は出来たんじゃね?
237 :
名無し三等兵 :2005/10/17(月) 12:22:36 ID:y+4VfDRz
どうなったの?
238 :
名無し三等兵 :2005/10/17(月) 12:44:15 ID:HaY8ualn
全員殉職したがな
240 :
名無し三等兵 :2005/10/17(月) 13:07:06 ID:9ZecT0b+
関西のベテラン漫才師のいとしこいし師匠(お兄さんはお亡くなりになったが)の弟さんがテレビで語っていたのだが。戦時中この方は重機関銃中隊で重機を扱っていたらしいのだがその時のエピソード 「米軍機から機銃掃射を浴びたのだが、その短い時間の間でこの小さい鉄帽にどうやったら体全体を隠せるか真剣に考えた」 本人は真剣だったのだろうが激しくワロタw「迎撃といっても正面から撃つのは怖いから通り過ぎてから後ろから撃つのが常だった」とも語っていた。 広島で被爆し軍服がボロボロになったので死体からはぎとって着たとも語っていた
ある日、真珠湾の海軍基地の一室で、当時海軍長官だったフォレスタルが 演説の草稿をタイプしていると、一人の若い少尉が入ってきた。 「お前がタイプライターの修理にやってきた間抜けか。お前がいじってるのは 故障した奴じゃないぜ」 「申し訳ないが、私は修理屋ではないんだ」 「じゃあ、一体お前は何者なんだ」 「フォレスタル海軍長官だ」 この気の毒な少尉は、軍法会議にかけられると思い込み、壁際に倒れ込んだという。
>>231 イケメン工員や、地位に物言わす軍人と「八重ちゃん」が仲良くしているのを見て、
外板リベット「連射男」がジェラシーにさいなまれ「やけるぜ、バーロー!」だったのでは?
高橋孟「海軍めしたき総決算」にある話だが、
主計科の兵員、モテようと思ってギンバエしてきた砂糖を水筒に詰め、航空隊から持ち出しても、
やはりモテるのは航空機搭乗員で、主計科は贈り物の効果も空しく、指をくわえて見ているしかなかったとか。
243 :
名無し三等兵 :2005/10/18(火) 00:19:30 ID:h11q50AQ
>>243 漂流英兵救助の話は有名かと
最近よく見かけるなあ
チラシの裏
そこのブログ、えらく自民党を敵視していらっしゃるけど、
じゃあ自民党以外のどの党に投票すりゃあ良かったんだよw
民主や共産に入れろとでも言うか
>>244 与党の中に野党を作って反旧自民層をも取り込んだ
小泉の戦略が良かった、って事だよなぁ。
極東板っぽくてなんだかなぁ
247 :
名無し三等兵 :2005/10/20(木) 16:23:32 ID:03npVi4f
ガダルカナルの戦場にて。 ある時に日本軍の狙撃兵が米軍基地に接近し星条旗が掲揚されているポールを狙撃し狙撃し星条旗を撃ち落とした。 すると日本軍の基地で翌朝見ると仕返しとばかりに日章旗を掲揚するポールが狙撃され日章旗が撃ち落とされていた。 意地になった両軍はしばらく国旗落としの応酬を繰り返したという
248 :
名無し三等兵 :2005/10/20(木) 20:54:34 ID:irdmtl6F
中国に進出した鉱山でホワイトカラーやっていたじいちゃんからの言い伝え 会社に医療スタッフを抱えていたが、現地の中国人を無料で診療することにした。 そうしたら、中には本当に診療が必要な人もいるが、医者の存在にありがたがっ て健康な人々で行列ができた。特に聴診がありがたかったらしく、せがまれる例 もあったとか。 しまいには先生は疲れてしまい、健康そうな人には適当に聴診器を額にあてた りして「無問題!!」、と。
249 :
248 :2005/10/20(木) 21:01:34 ID:irdmtl6F
中国の鉱山でのじいちゃんの体験談 揚子江の港で鉱石を船に積みこむ。満載になって出港準備をするころあいになると、 米軍機が飛来する。 爆撃と機銃掃射で川に飛沫のすだれができて、船が見えなくなる。 で、飛沫のすだれが消えると、隠れていた船の姿も一緒に無くなっている。 港から離れた事務所から眺めていたが、「こりゃ勝てないなぁ」と毎度痛感した、と。 ------------------ 俺が厨房のころ、社会の夏休みの宿題で祖父母親戚の戦争体験を聞取ってこいと言う のがあった。そういうのを書いたら先生に怒られた。
「無問題」じゃなくて「没問題」じゃないか?
251 :
名無し三等兵 :2005/10/20(木) 21:20:24 ID:z5WqdUuO
・・・河野守宏という人の本に書いてあった、戦時厨房の危険なお遊び。 米軍戦闘機空襲! ↓ 防空壕の土盛りの上で、仁王立ちになって手拭いを頭上で振り回し、 「オーイ、こっちこっち」 と、敵機を挑発。 ↓ それを見て、アメちゃん早速ダイブ。 ↓ 敵機がバリバリと機銃掃射してくるのをギリギリまで踏みこらえ、間一髪のところで防空壕の入り口に頭から飛込んで弾を避ける。 ↓ 敵機が頭上を飛び去ると、防空壕から再び這い出して小躍りしながら、 「ヤーイ、外れだぞ、この下手糞が!」 ・・・これを繰り返して、一番近くまで敵を引き寄せた奴が、仲間内で英雄認定されたという。。。
馬鹿じゃないのとしか言えない
うちの爺さんの隊の隊長だった少佐は 「慌てるな、下手に動くとかえって当たる。人間のような小さな目標にそうそうあたるものではない。」 とかいって悠然と構えていたそうだが。
254 :
名無し三等兵 :2005/10/20(木) 22:09:20 ID:03npVi4f
小野田さんも木を遮蔽物にしてあまり伏せなかったと言ってたな。 曰く「タマにしか当たらん弾と言うんです」
255 :
霊式 :2005/10/20(木) 22:35:16 ID:g4iTPnfS
中国への96陸攻による渡洋爆撃のコストを計算すると、 60キロ爆弾1発を落すのに2千円の経費がかかるのとのこと。 敵側は、その爆弾による穴を日当50銭の苦力を雇ってすぐ埋めていた。 こんな大経費の消耗戦が続くようでは、日本はとてもやっていけないと、 主計役人が溜め息を付いていたのが、昭和15年の頃…
>>255 飯田房太海軍大尉では?
「零戦特攻」角田和夫著に出てきます。
>>253 うちの親父も似たようなこと言ってた。
戦争映画とかで、仁王立ちになって軽機なんかで向かってくる飛行機撃つ奴がいるけど
「不思議とああいう奴には当たんないだ」って。
ブラックホークダウンでも、コンボイの指揮官が乗降時に安全確認も 待避もしないで悠々と歩き回ってる姿が印象的だったなあ。 車列の陰から周りを撃ってる兵隊はどんどん被弾してるのに、指揮官 にはカスリもしない(笑)。避けようが伏せようが当たるヤツには当たる。
259 :
名無し三等兵 :2005/10/21(金) 09:19:33 ID:t4tmgWrI
でもまあ当時の戦闘と今では弾幕の桁が違うだろうし、RPG-7かグレネードで吹き飛されそうな気がする。 当時を基準にしたらアサルトライフルが普通になった今は全員が軽機を持ってる様なもんだもんな。
漏れの爺ちゃんが大陸に従軍中はどこぞで守備隊をしてたそうだ。 ある日現地の農民が子供を連れて駆け込んできた。 下痢が止まらないというのだがおそらく食あたりの類。 正露丸数粒を半分に切って与えて返した。 そして数日後、全快した子供と一緒に籠一杯の卵を持って御礼に来てくれたそうだ。 他にも国民党捕虜時代にドーナツ作った話とか爺ちゃんの話は大抵ほのぼのしてるのだが… 深夜に隊からはぐれてさまよい、喉がカラカラのとき川を発見。 丸太がごろごろしていたので最後の力で何とかどかす。 すぐさま跪くとむさぼるように水を飲んだ。 力尽きてそこで寝てしまい、翌朝見ると…丸太と思っていたのは全部死体だったそうだ。 (けどそれで病気になったとかは聞いてない)
>>253 どうも、顔の見える人間を撃つって言うのはしんどいらしい。
相手が「人間」なんだってもろに分かるから。
マリンコ「横浜から東京までどんくらいかかるん?」 戦闘機乗り「(わいらの飛行機で)5分くらいやのう」 マリンコ「そんな距離やの、ほな歩いて行くわ」 戦闘機糊「きいつけや」 てくてく・・・ マリンコ「どこが五分やって!全然つかへんで!」
パイロットハンターを思い出す
硫黄島上陸第1波に従軍取材した、米海兵隊カメラマン。 日本軍の砲撃に、とりあえず身を隠すところは、と、手近な窪地に飛び込むと、 そこは日本軍が物資の集積所に使っていたところで、 日本軍が放棄した、大量のアサヒビールが残されていた。 しめしめ・・・と、ポケットにビールビンを押し込み、手には持てるだけ持って前線に引き返したカメラマン、 伏せながら射撃する海兵隊員に声をかけた。 「ビールは要らないか?」「お前、アタマおかしいんじゃねーのか、こんなところに・・・」「これ、これ!」 ニヤリと笑った海兵隊員、歯で栓をこじ開け、伏せたまま口の端でグビグビとやって、にっこり。 ・・・この調子でくだんのカメラマン、海兵隊員にアサヒビールを配って回ったという。
酒飲んだヤンキーさん達は「フゥハハハーハァー」状態になったのかな?
軍規には違反しないのだろうかと一瞬考え 戦場に居る時点で戦闘状態と非戦闘状態の区別が困難だと思い直し しかし現在進行形で砲撃を受けて応戦している時に飲むのはこれ如何に? とまた疑問に思い 思考のスパイラルを彷徨う始末 誰か俺を救い出してくれ
↑ しかし欲望に負ける
ここは地獄だ、と思えるような場所で飲むビールは さぞかし旨いんではなかろうか。 天国に一番近い味とでも称そうか
270 :
267 :2005/10/22(土) 22:13:36 ID:???
救世主など所詮幻想の産物か
もともとは俺たちのビールで景気つけてんじゃねーよおまいら!
なんか、水と一緒にビールを硫黄島で捧げたくなってきた。
>267 バンドオブブラザーズでもニュウネン攻撃前に納屋から拝借したお酒を煽ってた奴らがいたな。
275 :
名無し三等兵 :2005/10/24(月) 17:33:37 ID:zZeNVGbX
消防のころの武蔵野市立某小学校の用務員さんのお話し 若かった頃、中島に動員されて働いていた。 末期には1トン爆弾とか落されるようになったため、空襲警報が発せられると、工場から遠く離れて避難 することになった。 あたりは、もともと陸稲とかの畑だったりするようなところのうえ、度々の爆撃で何もなくなっていた。 とにかく逃げる際には、何も無い野原に人間が蟻の行列のようになっていた。 空から見たことはないけれど、中央線のあたりに来た時に振り返ると、やはり蟻の行列のようだった。
>274 死体は硬直するから感触は似たような感じだよ。 以前車のトランクに押し込んだときは鉈で小分けに したけど、薪割をしてる気分だったよ。
運び屋乙
二日は正午から開城談判だというのに、この日の夜明けから、 ロシア軍陣地からぞろぞろとロシア兵が出てきた。 「狂うがごとくに、この開城(厳密にはまだ開城ではない)をよろこんだ」 と、兵站将校だった佐藤清勝という人が書いている。事実、ロシア兵は 堡塁上に全身をあらわし、ただいに抱き合って踊っているかと思うと、 一部の戦線にあっては、日本兵も壕から出てたがいにさしまねき、 両軍の兵士が抱き合って踊るという風景もみられた。 なかには、日本兵が、ロシア兵の堡塁までのぼってゆき、酒を汲みかわしたりした。 更には酔ったいきおいで日露両兵が肩を抱き合いながら敵地であるはずの旅順市街地まで 出かけてゆき、町の酒場へ入ってまた飲むという光景さえ見られた。 (中略) 「よくまあ喧嘩沙汰がなくて済んだものだ」 と、あとになって両軍の関係者がこの「非公認休戦」の半日をかえりみて、 ふしぎにおもったほどであった。
欧米人は白人至上主義だから、アジア人は下等な者だと思ってるよ いい生まれの奴程そう思っていて 知識階級である俺らは下等なアジア人に救済の手を差し伸べるべきだ、って感じで アジア人に優しくしてる ここに書いてある物を鵜呑みにして、あんまり幻想をいだかない方がいいよ
>>280 スレ違い、っつーか板違い
どっか余所でお願いします
この捕虜作業をしている私達に中国の婆さん達が毎日食物を恵んでくれた。
私らは食事が少なかったので昼の分まで朝食べてしまって殆ど空の飯盒を持って作業に出掛けた。
昼食の時に空の飯盒をつついて居る私らを見て、
婆さん達は二三人ずつ自宅に連れて行って何かを食べさしてくれた。
昼休みに魚釣台(或いは釣魚台)と言う警察署の中庭に入れられて表に出られなかった時、
お婆さん達が巡査と揉み合いまでして私らを連れ出して食べさして呉れた。
夕方引き上げるときには天秤に饅頭や漬物を下げてくれた。
宿舎に戻って夜皆でこれを分けて食べるのが何よりの楽しみだった。
本当に有り難う御座いました。
ttp://www2.ocn.ne.jp/~sukagawa/
283 :
名無し三等兵 :2005/10/28(金) 02:49:21 ID:N0Ys9l7w
シュナイダー大尉
米軍の将校についてはこんな逸話もある。
投降して収容所にいた我々の前に一人の将校が現れ、日本語で話しかけてきた。
それも流暢な東京弁でいきなり、「お前達、ヤンキーに負けたな」と話しかけてきた。
面食らっている我々に彼は親しげに話しかけた。彼はシュナイダー大尉と言い、
東京で生まれ、東京で育ち、東京の大学まで出ていると言う。道理で日本語が達者なはずだ。
彼は終始暖かく我々に接してくれたのだが、ある日彼に難問が降り掛かった。B29の機長として東京を空襲せよという。
彼はその命令を拒否してしまった。自分が生まれ育った街を自分の手で焼き払うのは彼には出来ることではなかった。
米軍では命令に逆らうと階級を下げられ、給料も下げられてしまい、彼も二階級下げられ少尉になってしまったが
甘んじてそれを享け容れたのである。米軍の将校の給料で二階級下げられると云えば相当な金額で
しかもアメリカでは給料が下がるとすぐ奥さんに離婚されてしまうと言う話だが、シュナイダー大尉はただ笑っているだけだった。
アメリカの軍人にも偉い人がいるものだと今更乍ら考えさせられた。
ttp://www.wheap.com/tenian.htm
918 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 01:56:14 ID:MYPxmg0O ありがとうございます、では投下します。 トリップは仮のものなのでご了承ください。 前回の飲み会以来仲良くなった私とSさんは、今日も今日とて例の小料理屋に繰り出します。 …というか、Sさん、仕事中に私の携帯に「またチキンとオサケ食べに行きませんか!」って 私用電話を入れてくるのはどうかと思うのですがorz でも、今回は割り勘でなくて、Sさんのおごりだというのでホイホイついて行ってしまった私も どうかと思いますけどね。 さて、店主にまた「インド人連れて行きますよ」って話したところ、親父さんもノリノリ。 店主/おお、またあのインド人のひとがくるなら、歓迎しますよ 私 /すみません、毎回ご面倒かけて 店主/いえいえ、今日は見てもらいたいものもありますから 私 /なんですか? 店主/ははは、久々に若い頃に戻ったつもりで、料理も力入れますから! 私 /えーと、お手柔らかに(汗 というわけで、待ち合わせしてSさんと合流しました。Sさんは今日もびしっとスーツで決めています。 …暑くないのかな。
926 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 02:23:30 ID:MYPxmg0O まず、店主が出してきたのは…カレーでした orzコノムシアツイノニ それも、市販のルーで作ったとろりとしたカレーじゃなくて、チキン(地鶏)の入った本場物の スープみたいな、あまり辛くないカレー。もちろん、ご飯じゃなくてナンがついていました。 突き出し代わりでにカレーかよ! と突っ込みたくなる私でしたが。 S /OH! ベリーグッド!(むさぼるように食う!食う!食う! 店主/これはね、チャンドラ・ボースやインド国民軍のマハネスンって大尉にも食べてもらったんですよ(遠い目 私 /そういえば、親父さんはチャンドラ・ボースに会ったことがあるって言ってましたね? 店主/ええ。むかし、軍隊にいた頃にね(遠い目 店主曰く。店主は、北陸のほうの小さな温泉で代々料理人をしている家に生まれたそうです。 そして、出世のために士官学校に入った後、南方に送られて、そこで上官の中村大尉という人から、 前線で兵士に美味いモノを食べさせるにはどうしたらいいか(現地の食料や、自生している植物で 日本人の口に合う料理を作る方法)研究するように言われていろいろ研究していたそうです。 正式な料理担当ではないそうですが。
929 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 02:28:22 ID:MYPxmg0O チャンドラ・ボースと出会ったのは、マレーへ攻め込んだ後だそうです。 出会ったのは、ボースと中村大尉から、今後インド独立支援のために、イギリス軍に支配されている インド兵を組織する。その一環として、言葉による説得だけでなく、彼らにインド料理を食べさせて、 自分たちを味方だと認めさせるための作戦に従事するよう命じられた時だそうです。そして、本格的な インド料理の作り方を学ぶように命じられたそうです。 店主は、日本の戦争遂行のために無辜の民を胃袋から支配するのはどうか、と抗議したそうです。 ですが、ボースからも 「支配されるのではなく、白人と戦う同志として手を取って戦うためには、同じ釜の飯を食うことが 何よりも大事だ」 と説得され、ボースの見つけてきたインド人の協力者から、部下共々インド料理や、インドの食事の際の 風習を一生懸命に学んだそうです。 マレーでイギリス軍を追い払った後、多数のインド人を捕虜として確保し、彼らを組織するために、 インド人の指導者として信頼されていた、マハンスン大尉という人と会談する時に、その料理の腕をふるい、 大いに感銘を与えたのだそうです。 …一部には、皇軍の士官とあろうものが料理を手づかみで食うなどと、って声もあったそうですが、 「郷に入っては郷に従え」という中村大尉の一言で黙ったそうです。 そうそう、マハネスン大尉、って人はインド国民軍の偉い人なんでしょうか? グーグルで調べてみたけど、見つからなかったんですけど。 ご存じの方がいらっしゃったら、教えて頂けると嬉しいです。
942 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 02:57:55 ID:MYPxmg0O その後、店主はインド人を訓練する任務に従っていたのだそうですが、訓練中の怪我がもとで 病気(破傷風か?)になって本国へ送られ、インパール作戦には従事しなかったそうです。 そして療養中に終戦を迎え、結局南方に戻ることはなかったそうです。戦後、ボースが飛行機事故で 死んだことを聞いた時は男泣きに泣いたとか… 店主/このカレーを作ったのは、戦後初めてですよ。残してきた上官や戦友と、私の料理を食べながら ウマイ、ウマイってカタコトの日本語で喜んで、にこにこして食べてくれたインドの兵隊のことを 思い出してしまって…(涙 S /アリガトウ、英雄のトモダチの話を聞けて、ワタシは嬉しいです(涙 私 /(泣きました、マジで 店主/すみません、昔話ばかりしてしまって(涙 S /NO! ボースもきっとアナタのことを誇りに思っているでしょう!(涙 というわけで、今回の飲み会は、店主の意外な過去の話がメインになりました。 その後、店主の古いアルバムを見せてもらったり、Sさんのインドの歌を聴かせてもらったり、 店主とSさんが古い軍歌を歌うのを聞いたり。 店主の持ってきたアルバムの、セピア色の写真の中でいつもむっつりしている店主が浅黒い肌のインド人や 真面目そうな兵隊さんの間で誇らしげに笑っている写真や、厨房(といっても、掘っ立て小屋みたいな建物)で 巨大な鍋の中身をかき回している写真を見せてもらって、また涙したりしました。 …そういえば、Sさんはどこで軍歌なんか覚えたんだろう…?
978 名前:インド人の知り合い ◆tSscf1zzqc 投稿日:2005/07/02(土) 03:54:14 ID:MYPxmg0O
以上、ちょっとしたお話でした。
943>モハンシン大尉、という方は見つけた。つ
ttp://www.nipponkaigi.org/Indian%20Booklet2.htm 945>Wikipedia→モハン・シン(Mohan Singh)大尉 訛って、マハンスン大尉 になったのか。
960>中村大尉って……確か児島襄の「指揮官」という本の中にあるチャンドラ・ボースの章に名前が出てきたような気が……。
諸兄、ソースありがとうございます。モハンシン大尉、ですか。
私の聞き間違いで「マハネスン」と聞こえたのかもしれません。というか、店主のじいさまは
インド語しゃべれるようですから、その発音に私がついて行けなかったせいかも。
中村大尉という日本人の上官は多分聞き間違えていないと思いますので、店主の言っているのは
文字通り歴史上の事実のかけらなんでしょうね。
なんだか、今更ながら感動がこみ上げてきました。
http://snow.kakiko.com/korea02/k_select6/k5509.html
289 :
名無し三等兵 :2005/10/28(金) 12:26:24 ID:7HtXYGx2
>>220 遅レスだけど、その時のドイツ人捕虜の中にバームクーヘンを日本へ伝えたユーハイムさんもいましたな。
捕虜収容所の中でバームクーヘン作ってたそーな。
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。 その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。 少女「あんたら地元の人間か?」 団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」 少女「で、何しにきたんや?」 団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」 少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」 団体「・・・・?」 少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。 寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて 夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。 私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。 あんたらにわかるか? 消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。 でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」 最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。 あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。 団体は撤退。 彼女が門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
ある披露宴、新郎が海自の方でした。同僚上司達は制服で出席。 披露宴も御披楽喜に近づき、新郎のおじいさんの挨拶がありました。 一通りの祝いの言葉の後に、 自分が海軍にいた事。孫が艦に乗っている事を誇りに思う事。 自分達の世代の不甲斐なさのせいで今の海上勤務の方達には苦労を 掛けていると思う事。 たとたどしくですが話されました。 同僚達は知らなかったらしく酔っ払っていたのが、段々背筋が伸びていき 神妙に聞き入っていました。挨拶が終わり高砂の席の一人が「何に乗っておられたのだ」 と尋ねると、新郎は小声で「大和です」 それを聞いた海自組一同すっ転ぶような勢いで立ち上がり直立不動で敬礼を送りました。 おじいさんも見事な答礼を返されました。 私はその後は仕事になりませんでした。 ウェイトレスの女の子達は不思議そうな顔をしておりましたが。
使い古されたコピペはいらないよ。
293 :
名無し三等兵 :2005/10/30(日) 13:53:19 ID:Nsx4kkaz
うちのじいちゃんは日立か東芝だかに徴用されていってたんだが、 通勤し始めて一月ぐらいで空襲で罹災して、それ以降行ってなっかたんですが、 今でもちゃっかり年金を月に千円か二千円かもらってるらしいです。 そんなじいちゃんは終戦後、16歳で大黒柱で八百屋開いて、今じゃ親族一の金持ちです。 こういうのを才覚というんでしょうね。
294 :
名無し三等兵 :2005/10/30(日) 13:55:53 ID:Nsx4kkaz
ところで、ほのぼのした話ってのはむずいですね。 線引きも難しいし。 泣ける話なんかは結構人から聞きますけど・・
295 :
戦湯 :2005/10/30(日) 18:10:29 ID:q/WrdBAe
海軍の整備員で、プロペラ修復の名人だった人の談話。 ワシがプロペラを直さなかったら、特攻に飛び立って死ぬ人も減ったかもと、職務に励んだ事を後悔。 特攻出撃にはなるべく良い機体を用意したが、隊員の中にはポンコツを希望し出撃した者もいると。 東海テレビ制作「いくさのかけら」
我が国にも2種類のドイツがあるように、日本にも2種類の日本がある。
一つが資本主義的、親英的日本。
もう一つは、「日出づる国」、
「サムライの国」としての日本だ。
日本海軍は後者の具現化だ。
人間が自分自身の本質に一番近いものを
見出すのは海の男の中なのだ
(1942.1.5)
日本の宗教は何よりも英雄崇拝を旨とし、
英雄達は母国の栄光と安寧のためなら
命を投げ出すことも厭わないのである。
それに対してキリスト教徒は聖者を尊ぶ風習がある。
聖者とは片足で何年も立っていたり、
乙女の微笑みに答えるより刺だらけのベッドに寝る方を好む…。
ドイツでは30年もの間
どんな聖餐式を行うかで骨肉相食む争いを繰り返した。
これほど低次元の宗教も無い。
この点、日本人が羨ましい。
日本人の宗教は非常にシンプルで自然との関わりを大切にする。
彼らはキリスト教徒をさえ上手く取り込んで、
インテリ層にも受け入れられるような形に変えてしまったのだ。
(1941.12.13)
日本を崇拝する ドイツ
http://tmp5.2ch.net/test/read.cgi/asia/1128776905/
キスカ撤収作戦の時、海防艦国後が軽巡阿武隈に衝突した。 この時、烹水所に国後の艦首がぶつかったのだが、この後、水雷長の作った狂歌が 阿武隈の黒板に書かれていた。 「銀蠅に 舌鼓うつ主計長 あっと驚く 国後のバウ」 主計長は夜食の準備に忙しく走り回っていたので、そんなことをする暇は無かったのだが。 この水雷長、他にも、キスカの湾内で敵艦が来たという第一分隊長の報告を聞き、とっさの判 断で魚雷を発射したのだが、霧が晴れてみると、実は小キスカ島北端の岬を敵艦と誤認した ことが判明したときにも、 「一番が 敵艦(ふね)だ敵艦(ふね)だと騒ぎ立て さっと撃ち出す二十万円」 と詠んだりしている。
かの大スター、マレーネ・ディートリッヒ。 連合軍によって解放されたパリにいち早く入り、 到着した夜、ナチス占領前の思い出がいっぱいの街に繰り出した。 だが、パリの市街はまだ厳重な警戒下にあり、あちこちに米軍の歩哨が立っていた。 「止まれ!」と、銃を向けられたマレーネ・ディートリッヒ。 「私よ、マレーネ・ディートリッヒよ」従軍看護婦の制服を着ていたディートリッヒはとてもではないがスターには見えず、 「!?・・・あ、そう、おれはアイゼンハワーだ、よろしくな・・・ちょっとこっちへ来い!」 疑いが晴れたあと、ディートリッヒは当直が明けた歩哨の兵士と兵士の仲間を開いていたバーに誘い、 「本物よ、わかってくれた?」 本物のスターとわかって大はしゃぎの兵士たちと、大いに盛り上がったとか。
300 :
名無し三等兵 :2005/11/03(木) 11:25:29 ID:HkLD58PH
私の爺さんは、ラングーンに駐屯してたらしい。50周年記念のNHKスペ でラングーンが出たとき、画面に青い時計台付きの建物が写った。 そこで「生まれて初めてミルクティー(チャイ?)をのんだが、 うまくてね」なんて言ってた。 で、ある日部隊に持ち帰って紅茶を作ろうとしたが茶葉が足りない。 しかたがなく、その辺の野草を入れてごまかしたそうな。
>>299 実家に残してきた猫に思いを馳せているのかしら
何にせよほのぼのだ
冷戦時代のソ連・フィンランド国境。 クルマで国境を越えることもできたが、その場合、ソ連側では厳重なチェックがあり、 日本の某放送局の特派員が乗っていた、ソ連製「モスクビッチ」は、 車内やトランクはむろんのこと、ガソリンタンクの中まで棒を突っ込んで検査された。 長い間かかって検査を終え、フィンランド側の国境に着くと、そこではほとんど検査がない。 「検査はしないのか?」と、特派員がフィンランド国境警備隊員に訊くと、 「むこうでたっぷりやったろう?(ニヤリ)」。 ・・・ちなみに、ソ連では飲めないような高級酒もフィンランドではたっぷり飲めたため、 ソ連での特権階級層は「週末はフィンランドに行っていい酒飲もう」を楽しんでいたとか。
おいらのじいちゃんは若い頃、日本から赴任した台湾総督府の役人だった。 台北市の総督府で勤務のかたわら、見初めたのがのちのばあちゃん。 「台北女学院」台北ではお嬢様学校の女学生だったのだが、卒業してすぐにじいちゃんと結婚した。 戦後、日本に引き揚げてからは苦労の連続だったじいちゃんとばあちゃん。 じいちゃんが先にこの世を去ると、ばあちゃんの思い出話も多くなる。 ばあちゃんにとっては台北女学院時代とそれに続く新婚時代が人生で一番楽しかったとかで、 遺言で「私が死んだら台湾と日本の間の海に散骨してくれ」。 ・・・散骨を終えた親族一同、「台北女学院」を訪ねてみることにした。 台北女学院の卒業式の写真、制服を着たばあちゃんが写っている写真の複製を持って。 現在「台北女学院」は「台北第1高等学校」台湾でも有数の進学校になっている。 外から校舎を見ていると、先生が出てきて「何か御用ですか?」 ・・・事情を話すと「これは失礼致しました、それでは校内を案内してあげましょう」。 「残念ながら校舎は新しく建て替えたのですが、この木はその時代からある木なのですよ」。 校庭にある大きな木の下で、親族一同と先生に、先生が呼んできた教え子の女学生、 全員が並んで記念写真を撮った。 ・・・帰国してからばあちゃんのお墓に写真を供え、旅の報告をしたのは言うまでもない。
>>303 ほのぼのしない・・・
だけど、泣けた。
。・゚・(ノД`)・゚・。
305 :
名無し三等兵 :2005/11/04(金) 23:47:53 ID:j1QmZlDK
素子は私の顔を見てよく笑いましたよ。私の腕の中で眠りもしたし一緒にお風呂に 入ったこともありました。素子が大きくなって私のことが知りたい時はお前のお母さんか 叔母様に私のことを聞きなさい。写真帖もお前のために残してあります。 お前が大きくなって父に逢いたいときには九段にいらっしゃい。そして心に深く念ずれば 必ずお父さんの姿が心の中に浮かびますよ。 ・・・父は常に素子の身辺を守っております。素直な、人に可愛がられる人になって下さい。 海軍少尉 植村真久 レイテ沖にて護衛空母スワニーに突入戦死。 植村素子さんは父と同じ立教大学を卒業した後、日舞の名取となり、靖国神社に日本舞踊を奉納している。 父の魂を慰めるため、母と叔母、父の戦友が見守る中で踊り終えた素子さんは 「お父様との約束を果たせてうれしい」と語った。 その言葉に父の戦友たちは顔を見合わせ微笑んだ後、みな声を噛み殺して男泣きに泣いた。
306 :
名無し三等兵 :2005/11/05(土) 02:56:33 ID:Ru9NMtrA
>>305 ビデオ「特別攻撃隊〜遺書」監修:白鴎遺族会(予科練)。日本クラウン発売。
のラストにも収録されている植村少尉の名文ですね。
「素子の人形は、おとうさんが飛行機のマスコットに貰っていきました。
だから、素子はいつもおとうさんと一緒なんですよ。」
愛娘の人形の先に、敵艦を見たんでしょうね。嗚呼・・・・
散っていった戦友たちを思い出して泣いた
随分前に鬼籍に入った爺さんの話。 爺さんは砲兵で、一応将校だったらしい。 中国で終戦を迎えたらしいが、部隊は指揮系統も滅茶苦茶になってしまい、 結局爺さんの部隊は、自力で帰国する羽目に。 部隊に豆腐屋がいたので、部隊総出で豆腐を作り、中国の人に売って帰ってきたとか。 台湾生まれだったので多少は中国語も話せた、といってたが、これはかなり怪しい。 この話を聞いたのは漏れが小学生の頃だったから、脚色も入っているようだけど 実際は、こんなのんびりした話じゃなかったんだろうなあ。
徴兵で陸軍に入隊した祖父を面会に、祖母とまだ小さかった伯父が訪ねた話です。 夏の暑い盛り、一時間以上電車を乗り継いで行ったとか。 食糧難の折、差し入れにぼた餅を持って行ったが、結局渡せずじまい。 自分達で食べようにも、痛んでたんで仕方なく近くの田んぼに捨てたそうです。 お相伴にあずかれなかった伯父は、相当根に持っていたらしく、未だに親戚内での話のネタに。 還暦を越えた本人に聞いても苦笑するばかりですが・・・。
312 :
名無し三等兵 :2005/11/10(木) 19:19:44 ID:rvUZMsnA
中国で終戦を迎えた話 私の祖父は、中国に進出した鉱山で経理の責任者だった。 終戦となったとき、中国の軍だか政府だかに呼ばれ、経理上の説明を求められた。 大鉱山の膨大な経費は、全て軍票で決済していた。つまり、そのときただの紙屑で。 祖父は、「一生日本に帰れないな」と観念した。 しかし、その席の中国の責任者曰く 「戦争は国と国の戦いであり、私たちとあなた達は人として憎み合っているわけではない。 この鉱山の経費も国の責任であり、あなた達に責任はない。 あとはなにも言いません日本にお帰りください。」 祖父は手を取って涙を流し感謝しました。
蒋介石は、論語の「怨みを報いるに徳を持ってす」を 日本への戦争賠償請求を放棄した時に引用したほどだからね。
別のところできっちりそれ以上の物は取ってるけどね。
それは中共。
317 :
名無し三等兵 :2005/11/10(木) 22:47:13 ID:M9UhezWe
コンクリート駆逐艦で海戦に行った人の話 何故か我が艦は無傷で帰国出来た
>>314 蒋介石の台湾統治方法は凄かったな。
略奪重税虐殺なんでもあり。
ある二国の国境線。そこには小さい小屋が二つ。国境のゲートをはさんで向かい合わせに建っていました。 片方の小屋には初老の軍曹。もう片方の小屋には着任したばかりの若い少年兵が居ました。国境とはいえ山奥の一本道。 半月に1度、両国の町を往復する商人が通るほかは小動物がうろつくだけの淋しい場所でした。 初老の軍曹は昔の戦争で、沢山の殊勲を貰った猛者。今はのんびり田舎で国境の歩哨として暮らしていました。 ある日隣国の歩哨の兵士が交替する事を知りました。交替に来たのはまだあどけなさの残る若い15〜16才の少年兵。 右も左も解らぬまま、辺鄙なこの国境へ投げ出され少し動揺し憔悴しているように見えました。 軍曹は言いました。「ボウズ、こっちにきて暖かい食事でも喰うか?」すると少年兵はいいました「この線から向こう側は軍曹殿の国家の領土です、入れば私は処罰されます。」 軍曹は少し考えてから言いました。 「やらないか?」 少年兵は言いました 「ウホッ!良い男!」 そして毎晩毎晩精液まみれになりながら、二人は幸せに肉欲の日々を送ったとさ。 アヒャ(゚∀゚)
ある二国の国境線。そこには小さい小屋が二つ。国境のゲートをはさんで向かい合わせに建っていました。 片方の小屋には初老の軍曹。もう片方の小屋には着任したばかりの若い少年兵が居ました。国境とはいえ山奥の一本道。 半月に1度、両国の町を往復する商人が通るほかは小動物がうろつくだけの淋しい場所でした。 初老の軍曹は昔の戦争で、沢山の殊勲を貰った猛者。今はのんびり田舎で国境の歩哨として暮らしていました。 ある日隣国の歩哨の兵士が交替する事を知りました。交替に来たのはまだあどけなさの残る若い15〜16才の少年兵。 右も左も解らぬまま、辺鄙なこの国境へ投げ出され少し動揺し憔悴しているように見えました。 軍曹は言いました。「ボウズ、こっちにきて暖かい食事でも喰うか?」すると少年兵はいいました「この線から向こう側は軍曹殿の国家の領土です、入れば私は処罰されます。」 軍曹は少し考えてから言いました。 「バラライカ?」 少年兵は言いました 「ウホッ!良いPPSH」 アヒャ(゚∀゚) アヒャ(゚∀゚)
321 :
名無し三等兵 :2005/11/12(土) 12:20:53 ID:8c7S6GSM
シモネタごときでほのぼのするな若者よ。しかもダブルで。
322 :
名無し三等兵 :2005/11/12(土) 15:05:59 ID:eOTH8JhR
友達のじいさんの話だが、戦闘機乗りだったその人はある日、敵機の中にポパイのペイントがされた戦闘機を見つけたらしい。 で、じいさんはその戦闘機に対抗して、自分の機体にのらくろの絵を描いて出撃したらしい。 ・・・・・・・本当かどうかは知ラネ。
「フクちゃん」なら描いていた機体がありますが・・・ 「のらくろ」はどうかな・・・
フクちゃんは鹵獲B17だったような・・・
325 :
名無し三等兵 :2005/11/12(土) 21:37:03 ID:zAHVuc97
>>299 猫と兵隊のほのぼの画像、ww2でもあったような
SSの腕章つけた若い兵士が、子猫とじゃれて笑ってる奴
久しぶりに見たいが見つからん。誰かUPキボン
地・・・いや、なんでもない。
328 :
名無し三等兵 :2005/11/13(日) 14:57:23 ID:cr8Gw6h4
>>325 それ持ってたけどこの前HDDごと逝きました
メキシコ人の漁師が小さな網に魚をとってきた。その魚はなんとも生きがいい。 それを見たアメリカ人旅行者は、「すばらしい魚だね。どれくらいの時間、漁をしていたいの」と尋ねた。 すると漁師は「そんなに長い時間じゃないよ」と答えた。 旅行者が「もっと漁をしていたら、もっと魚が獲れたんだろうね。おしいなあ」と言うと、 漁師は、自分と自分の家族が食べるにはこれで十分だと言った。 「それじゃぁ、あまった時間でいったい何をするの」と旅行者が聞くと、 漁師は、「日が高くなるまでゆっくり寝て、それから漁に出る。 戻ってきたら子どもと遊んで、女房とシェスタ(昼寝)して。 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたって・・・・・ああ、これでもう一日終わりだね」 すると旅行者はまじめな顔で漁師に向かってこう言った。 「ハーバード・ビジネス・スクールでMBAを取得した人間として、きみにアドバイスしよう。 いいかい、きみは毎日、もっと長い時間、漁をするべきだ。それであまった魚は売る。 お金が貯まったら大きな漁船を買う。 そうすると漁獲高は上がり、儲けも増える。 その儲けで漁船を二隻、三隻と増やしていくんだ。やがて大漁船団ができるまでね。 そうしたら仲介人に魚を売るのはやめだ。自前の水産加工工場を建てて、そこに魚を入れる。 そのころにはきみはこのちっぽけな村を出てメキシコシティーに引越し、 それからロサンゼルス、さらにはニューヨークへと進出していくだろう。 きみはマンハッタンのオフィスビルから企業の指揮をとるんだ」 漁師は尋ねた。 「そうなるまでにどれくらいかかるのかね」 「20年、いやおそらく25年でそこまでいくね」 「それからどうなるの」 「それから?そのときは本当にすごいことになるよ」と旅行者はにんまりと笑い、 「今度は株を売却して、きみは億万長者になるのさ」 「それで?」 「そうしたら引退して、海岸近くの小さな村に住んで、日が高くなるまでゆっくり寝て、 日中は釣りをしたり、子どもと遊んだり、奥さんとシェスタして過ごして、 夜になったら友達と一杯やって、ギターを弾いて、歌をうたってすごすんだ。どうだい。すばらしいだろう」
>>329 前回アップされた時はエストニア第一と判定されてましたね。
彼らの運命や如何に・・・
333 :
325 :2005/11/13(日) 21:11:13 ID:39EOIgFB
>>331 タマゴ型のやつだね
Eierhandgranate 39
>329
奥の上等兵って、シールド章つけてる?
そうなったら猫を遠くへ投げるしかないな
オイオイ、猫を投げてどうする。 猫だけ助かるってか。
戦地部隊で飼った愛玩動物といえば犬が多いが、猫もいたのだろうか。
>>338 犬に比べて猫の方が小さいし飼い易いしね。
愛玩動物と言えば、南方である皇軍部隊がサルをマスコットってのはよく聞く逸話だなあ。
上衣のポケットに入れてたらそのまま小便されたとか。
>>339 いや待て、猫は繋いでおくのが難しいし
小さいからこそ色んなとこに潜り込んで大変だと思うぞ
犬はある程度歳を取ると大人しくなるが、猫は何かの拍子に物凄くやんちゃになるし
子ネコや子犬を人質(?)に取られたら、正直人間を人質として取られるよりキツイ
食料難のラバウルでは、空襲のドサクサがあるごとに愛玩犬が消えた。 まもなく近隣の部隊から、いい匂いが漂ってきたと…
>>342 人間は、石器時代もそうやって生き延びてきたんだと思うよ。
ドイツ週間ニュースで東部戦線に到着した兵士たちが、 果物食ったりして休憩している映像の中に、子猫2匹が じゃれあっているのをみんなで囲んで眺めているのがあったな。 にゃんこは生き延びれたのかな・・・
>>345 WW2のSAS分隊を描いたチェコ製のFPS+TPSゲームのエンディングで当時の終戦直後の白黒映像が流れるんだが。
その映像で連合軍解放地?で猫がお気楽に寛いでいるシーンがあったのを思い出した。
H&D2だろ。俺も思った
シガレット 米軍による所持品や身体検査がありました。 ある兵隊が、シャツのボタンをはずしておけとの指示を無視していると、 米兵が自分の手でボタンをはずし、検査がおわるとまたかけてくれました。 また、物入れから出てきた空のタバコ入れに、米兵が自分のポケットからシガレット(キャメル)を 2、3本取り出して入れてくれ、ウインクしながらしまってくれたこともありました。 子供たちを見かけるとチョコレートやガムをくれたり、のびっぱなしのツメを切ってくれたりもしたのです。 このような場面を見た人たちは異口同音に、立場が逆なら、そんな態度はとれなかったろうと話し合ったそうです。 降服調印後も書類上の捕虜となっただけで、カリフォルニア米やコンビーフ、 オイルサーディンなどが支給され、異例のおだやかなあつかいぶりでした。
>>347 さすが軍板
あの動画だけ抽出したいもんだ。
クオリティ高かったし。
翌日からはげしい猛訓練がはじまる。出撃後の訓練はほとんど予告なしで行われた。 「訓練、敵船発見右四十度距離二万、非番直員女装容易」。 海軍はじまって以来の珍号令がスピーカーから飛び出す。 ものの五分もすると甲板や遊歩デッキを、着飾った麗人たちが シャナリシャナリと散策をはじめた。セーラー服の女学生、アッパッパ姿、 羽根つき婦人帽、ネッカチーフを巻いたもの、色とりどりである。 非戦闘員の主計科、電信科の非番直員が白粉代用の水にとかしたメリケン粉を 顔一面にぬりたくって、敵船に向かってなつかしげに手を振り投げキッスをする・・・。 いやはや大変な訓練が海軍にあったものだ。 砲員は身をひそめ、号令一下満を持す、といったら聞こえはいいが、真っ黒な毛ずね、 ところどころメリケン粉のはげ落ちたヒゲ面が、ゾッとするような笑みを浮かべて腰をふる 仕草を見ては、笑い出さずにいられない。 とたんに頭上から一喝「コラッ、○○番砲真面目にやれ」。 砲術長のドラ声だ。 ――――――――報国丸の訓練風景より
彼女や家族を守るからって、死んでも守るとか言う男とかきもい。マジきもいです。 死んでまで守って欲しくないし、自分のことゎ自分で守るんでほっといて欲しい。 死んで守るとか言っても、自分死んだら終わりじゃん?無意味だよ! あと、自分死んだあとゎどーなんの?超無責任だし。 死んで守るくらいならそうなる前に頭使えって! うちのバカカレがドラマ見て洗脳されてんだけど、私ゎはっきり言って、 私を守るために死ねる男マジきもいんで、男なら頭つかえと言いたいです。 生意気言わせてもらうと、ナル男やDV男や差別男ゎ かっこつけで戦争したきゃどんどん戦争で死んで、 自然淘汰?されちゃえって、マジうざいんで自業自得。 けどこいつらが戦争はじめたら迷惑なの自分らだし、戦争だと相手もたくさん死ぬし、 相手の彼女も家族も子供も死ぬんで、やっぱ「平和の為に戦争」あり得ない。 兵隊さんなんていっても実ゎ凶悪殺人犯の集まりと同じだよね。 彼氏に凶悪殺人犯になれとゎ言えないっしょ。 ところでうちのバカカレが感動したきもいTVドラマとゎ特攻の話なんですけど、 別のドラマとかこれからあるんです?きもいドラマもうやつにゎ出入り禁止にしたいんで。 テロゎ迷惑だけど神風ゎある意味笑えるほどきもいです。 かんちがいして死ぬのはバカですよ、マジあんな日本はサイテーでした。 頭使えよ昔の日本人って感じでした。 テロリストも神風も洗脳されて死ぬなんて、 なんで生まれて来たのか考えればわかるじゃん。 バ〜カ!
コピぺ?
ベトナム戦争報道カメラマン、沢田教一がピュリツァー賞を受賞した写真が「安全への逃避」。 小川を渡って銃撃戦から逃げるベトナム農民の家族を撮ったもので、 その後、沢田教一はUPIスタッフの協力を得て、その家族の「その後」を追ったことがある。 家族は無事に戦火を逃げ延び、村に落ち着いていた。 沢田教一はピュリツァー賞の賞金の一部を、家族に贈ろうとしたのだが、 村の村長に反対された。 「あなたの贈ろうとしている金額はベトナム人が一生かかっても稼げない金額だ。 そんな大金を贈ったら必ず、あとでいざこざが起きる、やめた方がいい」。 そこで沢田教一とUPIのスタッフは考えた末、家族にミシンを贈ることにした。 お金なら使ってしまえば終わりだが、ミシンならそれを元手に内職をして食べていけるだろう、と。 出直した沢田教一とUPIのスタッフに、村長、家族の間で、ささやかながらミシンの贈呈式が行われた。 その折、沢田教一は、手札判にプリントした「安全への逃避」を家族のもとに置いてくるのを忘れなかった。 のちにカンボジア内戦で沢田教一はゲリラの凶弾に倒れ、 「安全への逃避」に撮られた家族がどうなったか、ミシンを元手にささやかな平和を築くことができたか、 追跡調査はなされていない。
>>355 沢田さんも偉いが、村長もなかなか立派な人だな
>354 子供はアメリカに移住して幸せにくらしておるそうな。
>>355 ミシンネタ。
某ミシンメーカーがキャンペーンを行ったことがあり、
「発展途上国にミシンを贈ろう!
ついては、わが社のミシンならどんな古いものでも下取り致します」。
実際のところ、家庭用ミシンの古いものは二束三文にすらもならないのだが、
有利に下取りしてもらえるとあって、結構な台数が集まった。
下取りした旧式の家庭用ミシンは、本社工場の修理部門に集められ、
修理やオーバーホールが施されて、発展途上国への援助に充てられることになった。
だがここで、本社の営業部門から、ひそかに修理部門に指示があった。
「すぐに壊れるように適当に直せ、壊れたら買い替えにわが社のミシンを考えてくれるはずだ」。
「そんなことができるか、適当に直せと言われればできないことではないが、
そもそも買い替えもできない国のひとたちに贈るものではないのか。
わが社の名誉にかけても、しっかりと使えるように直してやる」と、
立ち上がったのは本社修理部門の、ミシン職人集団だった。
新品同様に修理されたミシンはコンテナに詰められ、
あるものは東南アジアへ、あるものはアフリカに出荷されていった。
「おかしい、故障したという報告が全くない」、
首を傾げる営業部門からの報告を聞いて、職人集団はひそやかに喜んでいたという。
摩耶に乗ってたサルの話しとかもほのぼのに入るかな
とりあえずプリーズ
>>355 沢田夫人が現地に行ったことがあります。
写真では子供だった人が立派な大人になっていた。
商社に勤めていた、とうちゃんの思い出話。 ヨーロッパのバイヤーからの商談がまとまり、日本から製品を輸出することになった。 だが、製品の生産スケジュールが遅れ、納期に間に合わない日程になった。 社内ではいっそ、商談をご破算にして知らん顔をした方が損害が少ない、という判断もあったが、 とうちゃんの最終判断で「納期は遅れるが、とにかく船に積め!」 どのみち納期遅れ、値引きか、最悪の場合はキャンセルか、 自分のクビでどこまでケリがつけられるか・・・と思っていたら、 勃発したのがスエズ動乱、スエズ運河の全面封鎖、貨物船の足止め。 商品を積んだ貨物船はいましもスエズ運河に入るべく航行中で、 「頼む、スエズ動乱が長引いてくれ、貨物船を足止めしてくれ、それで言い訳ができる!」 商品を積んだ貨物船はかなり長い間、スエズ運河を通れず足止めになり、 結果、ヨーロッパのバイヤーも事情を斟酌してくれて、値引きなしの満額回収になったんだが、 「あとにも先にも、よその国のこととはいえ、戦争を願ったのはあの時だけだ。 商売にはなったけれど、今から考えたらひととして恥ずかしい・・・」と、定年になって久しい今、言っている。
摩耶に乗っていた小猿の話し 航空機作業甲板は後檣(こうしょう)に接し、両舷に射出機をそなえているが、 午前八時の軍艦旗揚げ方と日没時の降し方とに、当直将校が衛兵隊を指揮して 嚠喨たるラッパとともに捧げ銃の礼をとる場所でもある。 軍艦隊の掲揚降下は、非直の者も上甲板にでて軍艦旗を仰いで敬礼をする緊張の ひとときであるが、一週間ほどで小猿はこれを覚えた。 鎖を一杯にのばして作業甲板にはいあがり、さすがに挙手はできないが、 両腕を腰にあて、ガニ股ながら不動の体制をとり、ラッパ吹奏中くずさない。 本艦の厳正たる軍紀は猿にまでおよんだ、と甲板士官・堀江一間中尉はご満悦であった。 赤道直下の炎熱にあえいで、世話係の搭乗員になけなしの清水でからだを洗って もらったりしているこの小猿は、兵隊の位を識別するに長じていた。 若い搭乗員からメシをもらっている時でも、先任下士官が通りかかると、たちまち むきを変えてお愛想をふりまき、そこへ中尉があらわれると先任に尻をむけて敬意を表する。 防暑服の階級章が読めるわけでなし、雰囲気から察するのであろうが、とにかく 位階勲等に敏感な猿で、そばでこのヤローとばかり横目で小猿の横顔をにらみつけている その搭乗員の表情は、何度もガンルーム(士官次室)の笑いのタネとなった。 …その猿は、「あ号作戦」に敗退し、マリアナを去った後、陸上基地へと移送されたそうである。 熾烈な戦闘の犠牲にするわけにはいかないと、搭乗員たちの心配りであった。 錨地で繋留中の摩耶の舷梯をはなれて、逸見の波止場にむかう内火艇の船室に腰をおろし、 抱きかかえた小猿の頭を黙々と撫でていた搭乗員の心根を想うと、私は言葉を失う。 ――――――重巡・摩耶艦上に小猿一匹
366 :
名無し三等兵 :2005/12/22(木) 16:24:03 ID:Mit6EJHQ
ある班長殿の話 彼は台湾出身で終戦の混乱期、帰郷するところもなく長い間の苦労の後、大阪 で立派に成功している。彼のことばをしばらく聞いていただきたい。 「日本の映画、テレビは軍隊の悪い所を大げさに取扱い、良い所は少しも取り 上げない。確かに悪い下士官、将校も居たが良い人も多勢いたのだから、たま には良い方も取り上げてもらい度いものだ。」 少飛の試験に合格し、台湾を出発するとき、母が胃散の薬の罐に砂糖を入れてく れて「日本では冬、雪が降るから雪と一緒に喰べると美味しいよ。」といって 荷物の中に忍ばせてくれた。入隊以来、私物の中に大事にしまって置いたとこ ろ、私物検査で班長に見つかり、「貴様!砂糖をかくし持って居るとは何事だ」 と叱られ「実は母親が雪にまぜて・・・・・」と前記のお袋のいったことを班長に 話しをすると、班長は胃散の罐を没収して、下士官室に引上げてしまった。何か 月か過ぎた或る日「下士官室へ出頭せよ」との命令があった。
当時、呼出しがある時は怒られる時が多く、何で叱られるのかとビクビクして 下士官室に入ったところ、班長が「窓から外を見ろ」といった。そういわれな くても、今日は日本に来て初めて見る雪景色を班内より充分堪能して居たとこ ろだった。窓より班長の前にもどると、「腹をこわすな」といって小さな罐を 机の上にポンと置いた。良く見ると見覚えのある胃散の罐だ。演習、学課等忙 しくもうすっかり忘れていたあの胃散の罐である。班長は私の言葉をおぼえて 居てくれて、雪の降る今日迄大事に保管して置いてくれたのである。 外に出て砂糖と雪を一緒に口にほおばった。たしかにうまい。二口目を口にし たとき、お袋の事、班長の気持が頭の中に交錯し胸一杯になり涙がとめどもな く流れてきた。 三十年前のことであるが彼は昨日のことのように目頭に涙をためて話してくれた。
(367のつづき) 私が隈之庄教育隊にいた時、先輩の十期長島伍長に十日程飛行訓練を受けたこ とがあった。いつものように緑川上空に高度を取り垂直旋回を始めた。機体を 水平線に垂直に倒す、操縦桿をぐっと引く、方向舵で調整しながら水平線を切 って行く、左垂直旋回を始める、一回でうまく行った。長島伍長の「よーし」 の声、操縦はいささか得意であった。 続いて右垂直旋回を行った。機体を右に倒す、左と同じである。左の時は水平 線を直線に切れたのに今度は水平線が上になり、足で調節すると下になり鋸切 り型なってしまう。助教が「俺がもう一度やる。良くおぼえろ」見事に水平線 が切れる。「判ったか」「はい」伝声管を通して大きな返事をしたが、何回や っても機首がかすかではあるが地平線を上下する。助教の「もう一度やって見 ろ」「まだだめか。もう一度やって見ろ」声が涙声である。私も思わず涙が出 て来た。
それからしばらく二人とも泣きながら操縦桿を握り必死になって練習をした。 気持ちが一つになった様な気がした。やっと何とか出来る様になり飛行場にも どった。予定より十分以上飛行時間が遅くなって居た。 昭和十九年六月頃、長島伍長は前線へ飛び立っていった。其の後、戦死との報 を耳にし、がっかりしてしまった。戦後ぜひお墓参りをしたいと思い、色々と 人に尋ねたが判らず、やっと昨年、長島伍長の同期である松川氏に会い住所を 聞くことができ、埼玉県比企郡嵐山町大字○○のお宅へ訪ねることができた。 ご両親もすでに亡く、お兄さんがお墓を守り、心よく近くのお墓に案内してく ださって、いろいろお話しを聞くことができた。 長島伍長は言葉に時々静岡なまりがあったので静岡の出身と思っていたが「隈 之庄に行く前に天竜の飛行場に居たので、時々なまりが出たのでしょう」との 事であった。 墓標に故陸軍曹長、長島四郎の墓「浄空院天忠孝道居士」昭和十九年十月十八 日アンヘレス上空に散る。 三十一年振りに念願が叶い感無量であった。 (菅谷編集委員)
>>299 どの国の兵隊さんでどこで取った写真だろう? 銃はM16A2に見える。めるメットには迷彩カバーが付いているが、服と防弾チョッキに迷彩模様はなく緑単色。うーん。
IDF
>>371 「めるメット」にほのぼのしてしまったではないか
久しぶりに仄暗を見た
375 :
名無し三等兵 :2006/01/11(水) 19:34:57 ID:Sr2lEekF
めるメット
戦友がドイツ製のちっちゃな戦車のオモチャをお土産にすると言っていました。いいなぁ。
一号戦車?ゴリアテ?
戦争初期に捕虜になったアメリカ兵が、NHKの海外謀略放送への出演を拒否したため、 設備の整った東京の収容所から、山奥の工事現場の収容所へ飛ばされた。 だが、山村の収容所は人情豊かで住民との交流もあり、 遠方からの客人扱いをされて食料に困る事もなく、 東京の収容所で困窮した捕虜仲間より、はるかに良い思い出になったとか。
いい話しだな。。スレ違いかもしれないけど、敵が日本軍を評価した話し無い?特攻隊のはなしとか。いいところ聞いてみたい
381 :
名無し三等兵 :2006/01/14(土) 01:16:43 ID:kFiW51XZ
余りにも有名だが、WW1の青島ドイツ兵捕虜とかかねえ。 (バルトの楽園が待ち遠しい) WW2になるとそんな情なんぞ世界から消え去ったが。
383 :
名無し三等兵 :2006/01/14(土) 05:23:28 ID:E2siwCya
384 :
名無し三等兵 :2006/01/14(土) 05:35:53 ID:/J39+MMD
>>382 紛れも無く日本国内が戦地になってたからな、
遊び半分に女子供を機銃掃射する奴等の仲間を住民感情として快く思う筈もない。
385 :
名無し三等兵 :2006/01/14(土) 13:27:26 ID:9rY95Um3
>379 イタリア軍捕虜
>>379 1942年特殊潜航艇「甲標的」によるシドニー湾攻撃が行われた。
作戦は失敗し2隻が自沈。
しかし、豪海軍は4人の遺体と潜航艇を引き上げ彼らを海軍葬に。
そのときのシドニー軍管区司令官G・ムアヘッドグールド少将の言葉。
「日本の勇士の葬儀を海軍葬でおこなうことにつき、ある程度の批判があるが、かかる潜行艇で攻撃するのは最大の勇気である。
本職自身は、平時でも同艇でシドニー湾を横断するのは好まない。勇気はいずれの国の独占物でもない。
だが、われわれの中の幾人がこれら日本の勇士たちが払った犠牲の千分の一を払う覚悟、最高の愛国心を持っているであろうか。」
その後、遺骨は日章旗で覆われ戦時交換船で日本に。
甲標的はキャンベラの戦争記念館に「この勇気を見よ」との注釈つきで保存されている。
戦後、乗組員の母親が訪豪し感謝を述べた際には海軍から大変な歓迎をうけたそうな。
美味しんぼじゃ出鱈目書いてたが。
>美味しんぼじゃ出鱈目書いてたが。 雁屋はアカでバカですから でも知らないヤシは本気にするんだろうな(´・ω・`)
どんな事書いてたの?
まー中華料理が化学調味料満載である理由を、 「中華街にメシを食いにきている日本人が何も言わないからだ」と 堂々と真面目に書くようなウンコ垂れですからな スレ違いなので終了
>>390 酷いなあ・・・
雁屋は死ぬまでこんな事ばっかりやっているんだろうな。
みんな知ってるかもしれんが 時は第二次世界大戦のアフリカ イタリア軍の捕虜になってしまったイギリス軍の将校が 「あー 俺ももう終わりかのぅ 腹減った」と思いながら牢屋でごろごろしていると 丁度夕食の時間になった 出てきた料理はワインまでついてるイギリス軍では考えられない豪華なものだったそうで 「俺ももう終わりやぁ 明日処刑するから最後の晩餐なんやぁ」と思わず思ったそうな 翌日起きてしばらくするとイタリア軍将校がやってきた (きっと処刑の事告げるんだろうなぁ)と思いながら対応すると 「昨晩は将校である貴君に此方の兵のミスで間違って兵士用の食事を出してしまった。彼も大いに反省しているので私の顔に免じて許してやって頂けないものか」 とのたまわったそうな 流石イタリア軍! どんなときでも飯も旨いぜ! イギリス兵だったから余計に効果あったんだろうなぁw
395 :
名無し三等兵 :2006/01/21(土) 23:10:32 ID:Uh43PtlM
落語家の桂才賀が海上自衛官だった頃、上官は後のペルシャ湾掃海部隊指揮官の 落合将補(当時1尉)だった。 当時から落語家志望だった才賀は夜中の当直で誰もいないのをいいことにソナー室で 落語を聴いていた。そのままトイレに行き、帰ってきたらデスクには 「このテープを持ち込んだ者、士官室へ」のメモが。 戦々恐々で士官室に出頭した師匠をにらみつけて落合1尉は 「このテープを持ち込んだのは貴様か!?」 「は、はい!」 「一歩前へ!」 殴られる!と思い、体を硬くした刹那、落合1尉はそっと耳元で 「すまんが、このテープ、俺にも1本ダビングしてくれ」 以後、才賀が熱烈な落合ファンになったことは言うまでもない。
こういう話は良いよなあw落語ってのもww
関東軍→近衛侍衛の祖父談。 初めて皇居内の門衛に立った時、陛下が脱帽して帽子を後ろ手にぶらぶら歩いて来たので、 思わず捧げ筒してしまったらしい。すると陛下、一瞬こちらの顔をしげしげと見てから着帽 ・敬礼なさって通過。 数分後、侍従官が来て「最前の侍衛はアナタですか」。怒られるのかと思ったら、 「陛下より『鯉の餌呉れは公務ではないので、自今捧げ筒には及ばぬ』との仰せがありました」。 「次の御通過時、陛下はこちらを見てクスリというか、ニコリというか、笑みを含まれていた。 非常に御丁寧で御謹直な御方であった」と祖父談。
399 :
名無し三等兵 :2006/01/22(日) 03:23:31 ID:0ThGhegg
>>397 昭和天皇ってそういうエピソード多いな。
お人柄を感じるよ。
ほんとほんと
戦争責任も人柄でごまかそうとして失敗w
馬鹿はほっときませう。
>404 おまけに偉い学者様だぜ?何処の完璧超人だ!?
たらふく食っているしw
海外では完璧な戦争犯罪人
学者として一流と呼べる程の業績は残しちゃいないがなw 王侯貴族の学問は結局「デモシカ」学問。
戦争中にその名において国民をミジンコ以下の扱いで戦争に駆り立てた人
おお、ありがたやぬこ様じゃ〜
413 :
名無し三等兵 :2006/01/22(日) 19:01:28 ID:RMQo+Q+o
ペルシャ湾掃海部隊の帰還式典の席上、派遣部隊司令の落合o1佐(当時)は 部隊解散の辞の最後で 「・・・・本日ただいまをもって、ペルシャ湾掃海派遣部隊を解散する。 横須賀、呉への安全なる航海を祈ると共に、ご家族の方々によろしく伝えて欲しい」 と結んだあと、 「誇り高き掃海部隊員諸君、諸君らの技量と努力に心からの敬意を表して敬礼する!」 と、声を震わせ挙手の礼をした。普通、司令は下級者からの敬礼に答礼するのが礼式である。 敬礼された隊員達はあまりのことに一瞬、あっけに取られた後、あわてて敬礼した。 ところが今度は誰も敬礼の手を下ろさない。落合司令が下ろさないからだ。 そこで司令は照れ笑いを浮かべて言った。 「諸君、そろそろ手を下ろしてもらえまいか?でないと私も手を下ろせない」 満座、爆笑の渦となり、部隊は晴れやかに解散し、日本全国の港に帰っていった。
落合氏は先の沖縄戦で「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別の 御高配を賜らんことを」と打電して散華した太田実海軍中将のご子息。 戦後の困窮から親類筋の落合家に養子に出されたのち、父親の跡を追うように 防大→海自と進み、以後は沖縄と掃海部隊を行ったり来たりという、およそ 中央のエリートコースとは一線を画した軍人生活を送った。
>>414 実兄は沖縄で教師。
平和運動に一身を捧げている。
二人が会うと激論となるのが常。
が、互いに尊敬し合っている仲の良い兄弟だ。
416 :
名無し三等兵 :2006/01/23(月) 14:36:34 ID:FD/raQ7z
>>413 この落合oって人、沖縄本土返還後、最初に自衛隊員募集で沖縄へ行った人だね。
沖縄県民に愛されている故・太田実海軍中将の子息と聞けば、
県民の反自衛隊ムードが和らぐかと思ったら、息子なのに、
どうしてまた人殺しの自衛隊員募集に来るのかと反発の方が大きかったとか。
あの人の子か… ごめん何故か泣けてきた
>>416 そりゃヤマトンチュー思考でしかモノを考えてないから。あんたを含めて。
ウチナーンチュ的思考で言うと、太田実とは
「ヤマトンチューでありながらウチナーンチュのことを考えてくれた大恩人」である。
基地優先行政からの解放を求めて本土復帰を志向したのに
霞ヶ関は米軍基地優先行政を変えることなく名目だけの「復帰」となり、
その上さらなる「県民の要求よりも優先される施設」を設けられたんじゃたまらん、
ましてその集団のトップが「ウチナーンチュのことを考えてくれた人の子」だなんて!……と、まぁそういう理屈になっちゃうのさ。
あの土地はある意味日本ではないのよ。 東京の文脈で理解しようとしても相互不信が広がるだけ。
あそこはなあ・・・基地に依存しすぎるような奇形な社会になってしまっているからなあ・・・それがなおらんやウチなんだやマトンだっていつまで経っても喧嘩だがな・・・・
今の沖縄を見て、大田實中将は何を思われるか・・・
戦後史見たらあきれ返るだろうし、
自分の墓所が観光地化されてることに対していい顔はしないだろう。
>>419 愛媛生まれの沖縄育ちだよ。
ま、その墓所で金稼いで喰ってるのも沖縄なわけだが 基地がなければ沖縄は違った形で発展するかも知れんが、基地があるおかげで飯が喰えるのもまた事実 生きる為にキレイ事は言ってられないし、キレイ事ばかり言う奴は土地に生きる者の生活は考えていない そのあたりが難しいところであるとともにスレ違いであることにはごめんする
沖縄に旅行に行って、そこのバスガイドさんが俺ら内地の観光客に言っていた言葉なんだが、 「確かに米軍基地は元来無い方が良いし、反対活動をしている人も数多く居る、 しかし、その米軍基地のお陰でご飯を食べている人もごまんと居る。」 だから難しいんだよな。 冷戦時は防共の要、今では軍拡を推し進める中国や北鮮、シナ海の警備もあるし。
沖縄って常に軍と縁があるんだな
沖縄が日本に属するか否かが日清戦争の原因の一つでもあったんだから
427 :
名無し三等兵 :2006/01/24(火) 22:00:56 ID:7P1GJ5SU
>413 >414 二人ともサムライだ。血は争えない。
沖縄の基地を対馬に全面移転とかいったら米国は受けるかな?
429 :
名無し三等兵 :2006/01/26(木) 12:19:42 ID:GHjX2EDl
沖縄と対馬に米軍基地があれば安全保障上かなり有効かもね 名案だ
430 :
名無し三等兵 :2006/01/26(木) 14:01:49 ID:l5LMp0jJ
二二二二二二二二二二二二二|| // ‖ //ヾ::::::::ノ| / ‖ / ヾ::.:::ソ| ∧_∧ ‖ // |三| " , 、 ミ 遠い所までよく / /■\ワショーイ! ノ::i::i:;;ヽゝ∀ く いらっしゃったわわね〜 ( ´∀`∩/ ∧_∧:::ノ::::i;;;;/ ノ ̄ヾ i 二二 (つ ノ二 ( ´∀`)~~~~~し旦旦とノ __ ヽ ( ノ (つ つ | _ノミ |\ ̄(_)し' ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\|___/| \ \ \ | |
竹島に配備してもらえばいいんじゃ?
433 :
名無し三等兵 :2006/01/26(木) 16:20:42 ID:l5LMp0jJ
434 :
名無し三等兵 :2006/01/26(木) 17:40:49 ID:PeNFWJ5B
気にするな、俺もだ。orz
陸軍じゃなくて海兵隊のほうが現実的。
437 :
名無し三等兵 :2006/01/26(木) 23:15:52 ID:l5LMp0jJ
ジェンキンス氏が佐渡で防衛の任についてるような気がしてきた。
ペルシャ湾掃海作戦は相当辛い作戦だったようで・・・ 触雷したら一撃で吹き飛ぶ艦首見張りを先任伍長をはじめとする先任海曹たちが 黙々と務める。マスターチーフである彼らは普段は決して当直に立つことはない。 そうかと思えば若い海士が安全な後部見張りなどを担当している。 不思議に思った艦長が「なんでこんな変則的なワッチ(当直割)なのか?」 と尋ねたところ、先任伍長は淡々と 「我々CPOはもう40を越えた者ばかりです。もう十分生きました。若いやつらには 少なくとも我々の年までは生きる権利があると思いますので・・」 答える先任伍長の顔は炎天下のため日焼けとばい煙で真っ黒に汚れていた。 「そうか、ご苦労」と答えながらも艦長はこみ上げるものを抑えるのに必死だったという。
本音は若い奴にまかせたらどんなミスしでかすかわからん。 俺ら家族持ちはこんなところでシンで嫁さん子供泣かすワケにはいかん。
>>440 ,440
足して2で割れば完全に隊員の気持ちだろうな
40やそこらで長生きてどこのクニの話だがや。
お若い人には40越えた男の心映えなんぞわからんのです。
掃海部隊って、未だに唯一の実戦部隊なんだよね。 危険と隣り合わせのお仕事御苦労様。
落合ネタなら掃いて捨てるほどある。 もし、戦争となれば現役復帰して指揮執って欲しい一人。 漏れの先輩がペルシャ湾に参加して、掃海母艦「はやせ」に乗っていた時の事。 今日も1日ご苦労さんと皆、浴室でシャワーを浴びていた。 するとガチャリとドアが開き 「おっ!みんな元気か!異常ないか?」 何と落合司令が浴室に顔を出している。 皆唖然としたそうだ。 何しろ自分で調理室に行き、残飯の量まで調べている人だったからねぇ。
なにその東条 カーターだっけ?トイレの紙の一回あたり使用長決めてたの
ストレスで食い物をうけつけなくなった香具師は居ないかと 調べていたって事じゃないのか?
ミミ ヽヽヽヽリリノノノ ミu ,,、,、,、,、,、,、,、、 彡 l u iiiii u u u|||i | 」|||u ⌒' '⌒u| ,r-/||||||<・> < ・> | l |||u u ノ( 、_, )ヽ u| ー' u ノ、__!!_,.、 | ∧ u ヽニニソ l \ヽ u u / ヽ `ー--一' ノ/ヽ
450 :
名無し三等兵 :2006/02/04(土) 00:01:00 ID:??? BE:248157476-
第一次大戦中、日本海軍が地中海で船団護衛をしていた時のこと。 便乗者として、日本海軍の駆逐艦に英国海軍のお偉いさんが数人乗っていた。 その駆逐艦長は、飯くらい英語喋らずにゆっくり食べたいんじゃ、ヽ(*`Д´)ノゴルァ、と 言う訳で、彼等と食事をせず、時間をずらせて一人で食べていた。 ある日、晩飯を食べようと席に着いた瞬間、偶々、その英国人将校が士官室に 入ってきた。 彼は、食事を取ろうとしている艦長に向かって、「何で一緒に食べないんだ?」と、 聞いたところ、艦長はこの問いに、「我が輩の食事時間はGreenwich標準時で 設定されている!!!111」と答え、相手を煙に巻いたという。
ヨコ飯が駄目なのは昔っからだなあ・・・
452 :
名無し三等兵 :2006/02/06(月) 00:31:21 ID:VQuP4CzS
>>447 おまいみたいな奴が軍事板にいるとは・・落合提督伝説を知らんか?
もっとも提督のような方が海上幕僚長どころか艦隊の司令になれない海上自衛隊こそ
その器を問われなければいけないんだろうがな。
君に勧める本がある。阿川尚之著「海の友情」と碇義明著「ペルシャ湾の軍艦旗」
そして田村洋三著「沖縄県民カク戦ヘリ」だ。
これらを読んで、なおかつ落合氏に
「リトル東条(東条英機氏個人の人格と無関係)」と言うならばその後、再び反論
することにしよう。
>452 モチツケ ジャガイモ野郎といわなかっただけ幾分マシだ・…と思う
沖縄戦での弁ヶ岳の口合戦の話は既出? 30メートルくらいの至近で野次の飛ばし合いになったらしいが
旧陸軍パイロットから聞いた話。 1式戦とP40で、弾切れ同士で空中戦やったんだと。 身振り手振りで「今俺死んだ」みたいなやりとりして「もう一回やる?」 みたいな感じで3回戦。 で、2勝1敗だったと。
>>455 スポーツっていうか、もう遊びの領域だなw
そういう話が空中戦には多かったのかもしれんなぁ。
>>457 哨戒機同士ではわりと聞きますね。
天山とカタリナ
零式三座水偵とドーントレス2機
一式陸攻とB17
遭遇して撃ち合ったり、ただハンカチ振り合ったり。
>>455 そういう話を知ると
「戦争っていいなあ」って一瞬バカな考えが頭にうかぶ・・・orz
最高のエンターテイメントですよ! 死ななければ
確かに巻き込まれなきゃ最高のエンターテインメントなんだよな 巻き込まれなきゃな
462 :
名無し三等兵 :2006/02/08(水) 21:07:31 ID:PjDY4aRH
東京在住だったが、癪なので疎開せず、空襲でひどくやられる東京を見届けてやろうと思った。 いよいよ自分の家が空襲で焼かれる時、わずかに酒が残った一升瓶と買っていたメジロを もって逃げた。
なんかエライ風流な・・・文学者かい?
POW、レパルス沈没地点に弔い花を放り投げたって聞いたけど本当?
>>464 壱岐晴喜大尉だったかな?陸攻隊の人
歴史群像の太平洋戦史シリーズ2の壱岐大尉の記事のところに載ってたよ
本人のインタビューを読んだ事があるが、 海底に沈んでいる船体が透けて見えるほど澄んだ海だったと。 由緒ある戦艦なのだから、引き揚げれば話題になるかも。
467 :
名無し三等兵 :2006/02/09(木) 12:39:15 ID:M4Qwupj8
>>464 戦時中の小学校の教科書に掲載されたそうだ。
468 :
名無し三等兵 :2006/02/09(木) 12:43:12 ID:M4Qwupj8
>466 どこぞのスクラップ屋が引き上げ用に払い下げ申請して Japの癖になにをいうゴルァになった。 ちなみにそれいらい、英連邦の国立墓地にして現役軍艦扱いだそうな。
>>464 POWかレパルスかどちらかの英国軍艦旗ホワイトエンサインは
毎年新しいものに交換されています。
471 :
名無し三等兵 :2006/02/10(金) 08:07:58 ID:MH+N1UKK
井上成美少将(当時:軍令部局長)は西洋音楽好き。 上海駐在中に市中の映画館で観た映画音楽が気に入ると、 軍楽隊員全員で鑑賞するようにポケットマネーを渡したそうな。
>>464 >>465 壱岐大尉ですな。
独断か、許可有りか分からんが、
司令部とかからお咎めはなかったんだろうか。
474 :
その1 :2006/02/11(土) 02:47:15 ID:Fi4P+M0I
>>235 えー話や。
オレのじいちゃんの話。
戦時中徴兵されて、東京のどっかで疎開解体作業(空襲による火災の延焼を防ぐ為、建物解体して空き地を作る)をしていた。
建物の2階で柱を切ってると、
「おい、なんか揺れねーか?」
「なんか変だな」
「てーへんだっ!早く逃げろっ!」
既に1階で解体してたそうで、じいちゃんと戦友は助かったが何人か大けがしたそうだ。
476 :
その1 :2006/02/11(土) 02:58:11 ID:Fi4P+M0I
つまんなくてスマソ・・・。
おれのじいちゃん、兄弟で一番のおっちょこちょいなので、軍隊での話もそんなのばっかり。
>>235 スマソ、間違った。とっても笑えない。
>476 気にするな 最近いろんなスレでこういう無味乾燥な1行レスしやがる阿呆が居るだけだ でも工程管理しないでそういう間抜けなことやる会社って現代でもあるよね…
478 :
名無し三等兵 :2006/02/11(土) 08:01:27 ID:lcTVP99s
戦時中は士官は俸給が強制的に戦時貯蓄として天引きされていた。 唯一例外として軍刀購入目的ならば、戦時貯蓄を引き出すことができた。 で、たびたび軍刀購入の名目で貯蓄を引き出すので、上官から 軍刀コレクターではと揶揄された家族持ちが結構いるとか。
>183 超遅レス。 現在世界遺産になってる。
(´;ω;`)ウッ…
>>183 タイでソレをネタにしたTVドラマがあった
483 :
476/その1 :2006/02/13(月) 06:49:54 ID:QFtBCElI
>>475 さんキビシーッ!反省します。
>>477 さん
ありがとうございます。以後気を付けます。
オイラの行く県立体育館、建設時にそれのせいで下請けの人死んだ(新聞TV報道)。
使うの怖い・・・。
イタリアでは駐在武官へ軍事資料を届けに来る兵隊にもチップを渡さねばならん。 しかも、資料が2部にわたるときは、1部ずつ持ってきてチップを2回貰うと。
485 :
名無し三等兵 :2006/02/16(木) 13:47:34 ID:RTOz8azP
うちのジーチャン戦時中は関東軍で満州にいて、よく凍った川(ジーチャンは黒龍江と言い張ってる…)で上官の子供とスケートしてたってさ。 あと売春宿で性病うつされて帰ってきてバアチャンに怒られたとか…ww 結局、敵兵はおろか悲惨な体験はまったくせずに帰ってきたんだと(´ー`)
>>486 >>484 は、イタリア人のセコイ性格が現れていて、ほのぼのしないかな。
ラテンの人って、やっぱ戦争には向いていない国民性…
>>487 戦時中とも戦場ともほのぼのとも関係無いだろ
>>459 戦争には、黙して立ち向かう勇気、それを称える暖かさ、
ノーサイドという和解がありました。男たちのマツリでもあったのです。
第一次世界大戦、日露戦争…百年前までは、それが生きていました。
しかし、人を圧倒する兵器と、文化を知らない愚昧なチンピラと、
愚かな教条主義者が、戦争を下品で、残虐で、愚劣なものに
変えていったのです。
人がいる限り戦争はなくならないといいますが、ならばせめて、
我々は戦争の文化の美しさを取り戻すべきだと思うのです。
>>489 ああ、なんかそれってすごい共感する
中世ヨーロッパの戦争なんて、傭兵vs傭兵なもんで、命かけるのが
バカバカしくなって、途中からスポーツ化していた、という笑えるようで
戦争当事者には笑えない話まであるからなぁ
そんなアホらしさを、また戦争で
アフリカの独伊共同戦線で、イタリア軍が弱く戦線突破されるのに辟易した ドイツ軍がイタリア軍担当戦線に護衛部隊を送ったという。
492 :
名無し三等兵 :2006/02/17(金) 08:38:45 ID:c2UlED/I
護衛というより督戦隊の意味合いが強そうだな。
>>489 そんな手抜きをやりながら戦争するくらいだったら
戦争しない解決策を選ぶのがいまの人類の文化。
戦場の感傷をいかにも高尚な戦争の文化などという言葉にすりかえて、
それでほんとうに傷つくのは誰なのかをよく考えてくださいな。
かつての戦争と違い、今の戦争は、
敗者には現在だけでなく過去も未来も奪われる運命を押し付けるものなのです。
と、メルヘンな方がおっしゃってます。
とりあえず
>>493 が勝手な勘違いを他人に押し付ける人なのがわかった
と、メルヘンな方がおっしゃってます。
ここはみんなほのぼのするメルヘンな発言溢れるインターネットですね。
ほのぼので 意見沸騰 滅入変と
500
それじゃあ、ここらでいっちょ貼っときますよ、チャーチルのアレ。 「戦争から煌きと魔術的な美がついに奪い取られてしまった。 アレキサンダーやシーザーやナポレオンが兵士たちと危険を分かち合いながら馬で戦場を駆け巡り、 帝国の運命を決する。そんなことはもう無くなった。 これからの英雄は安全で静かで物憂い事務室にいて書記官たちにとり囲まれて座る。 一方何千という兵士たちが電話一本で機械の力によって殺され、息の根を止められる。 これから先に起こる戦争は女性や子供や一般市民全体を殺すことになるだろう。 やがてそれぞれの国には、大規模で限界の無い一度発動されたら制御不可能となるような 破壊のためのシステムを生み出すことになる。 人類は初めて自分たちを絶滅させることができる道具を手に入れた。 これこそが人類の栄光と苦労の全てが最後に到達した運命である。」
言葉より、外見の方がほのぼのしちゃうチャーチル。
>>490 それ、よく言われる話だけどそんな暢気なのは騎士身分だけで
歩兵や従者には結構死者出てる。
>>502 敵軍の塹壕に間違えて飛び込んじゃう行動もほのぼの型だ
505 :
名無し三等兵 :2006/02/18(土) 12:11:42 ID:??? BE:330876678-
1914年、青島で武運拙く敗れたドイツ帝国軍。 その捕虜達が日本に移送されるとき、一人の将校が妙に胴の長い、足の短い犬を二匹連れてきていた。 日本軍の将校が彼に対し、犬を置いていくように指導するが、彼は、 「この犬は…」(此処で背をピンと伸ばし、カチンと踵を付け)「畏れ多くも皇帝陛下から拝領の犬である!」 こうして、その犬、ダックスフントは、日本への便船に乗船することを許され、その将校と共に生活する ことになったのである。
チャーチルはドジっ子なんでしょう(笑
>>505 棟田博 著 「日本人とドイツ人」だな。
>>505 犬を置いていくように指導したんじゃなくて
「貴官は犬など伴ってゆくのか」と聞いた。
呑気すぎるのではないかと、まぁ日本流に咎めたんだね。
ワンダフルな話だ。
誰がうまいことを言えと言った
511 :
名無し三等兵 :2006/02/18(土) 19:05:10 ID:/htv+1D4
捕虜の後、ドイツに帰らずお菓子屋やったりして話を映画かTVドラマに希望!
既にバルトの楽園映画制作中 WW1青島捕虜、松山だな。 伊東四郎氏が日本側軍人として主演だったか。
>>512 これ大東亜戦争で日本軍の捕虜になったアメリカ人とか
気分悪いだろうな
WW1のドイツ人との待遇の違いに
なに向こうもそれなりの扱いをしてる。 おまけに民間人を収容所送りにしてるからな。
ナショジオにも取り上げられていたな、WW1のドイツ捕虜
カール・ユーハイムのためのスレはここですか?
>>513 こう言うのもアレだが、徳島の収容所がその寛容さで取り上げられる背景には
他の収容所の環境が劣悪だったって事がある訳で・・・そこもまた忘れてはならない歴史だと思うぞ。
という訳で、国家を上げて捕虜を優遇した日露戦争当時のマツヤマを舞台にした感動巨編
雲の下の坂(秋山好古少将の部隊にマツヤママツヤマと連呼しながら投降する所から始まる)をキボンヌとか言ってみる。
>>517 ちょっと他には例のないほどの厚遇ぶりだったようだね、松山の収容所。
松ケ枝町の遊廓へあがったり、梅津寺へ海水浴へ行ったり。
そんな俘虜収容所なら、おれも収容されたいわ。
>>517 まぁ一次大戦での他の諸国の収容所はひどかったからな。
捕虜自身が回想してる。
520 :
名無し三等兵 :2006/02/19(日) 23:08:28 ID:PnsLeT6p
>>484 井上成美の伊太利駐在武官当時のエピソードだね。
宴席の葉巻も全部持ち帰ってしまうし、
伊太利人って乞食根性が染みついてると、
三国同盟に強行に反対した根源にもなってるらしい。
ドイツのラッキー13 仲間内からお人よしの馬鹿扱いされていることは内緒だ
522 :
名無し三等兵 :2006/02/20(月) 09:20:07 ID:LJJWvNd6
ドイツ戦艦ティルピッツには、グランドピアノが載せられていた。 ピアノの名手の士官が演奏して乗員の人気を博していた。
まさに戦場/船上のピアニスト
>>513 WW1とWW2とを一緒にすんな
駆逐艦にはハーモニカ 瓦礫の下からチェンバロ シュトゥーカにはサイレン ほんと音楽好きだよな
>瓦礫の下からチェンバロ 瓦礫の下のチェンバレンに見えた、もう駄目かもしれん
ほのぼのとはある意味縁遠いが、投下。 父(大正11年生まれ)の従兄弟(生年不明、父より年上)はイワラジ河会戦参加者で、 話を聞くと、事実上、挺進戦指定を受けた部隊の生き残りの一人だそうな (正式に指定を受けたとかではなく、部隊の実績からそういう立場になったらしい)。 さて、終戦後はイギリス軍の捕虜となったのだが、 旧制松本高校卒(「おねてぃ」の舞台になった高校、ね)で英語が堪能だったその人は 結局、イギリス軍との交渉担当者になってしまったそうな。 で、イギリス軍側の担当者将校がサンドハースト出のオーストラリアの農家出身。 共に貧乏百姓の出ということで変な感じで意気投合。 本人はもちろん、いろいろと便宜を図ってもらったそうな。 以上、去年の夏、うんこのように暑い日に酒飲みながら聞いた話。 兄の納骨関係で長野に逝った時の話なんで、微妙なネタは聞けなかった。 既に80代後半なのだが、趣味の蜂の巣取りの為に 長野の山の急斜面をリュックと鉈担いでスコップ持って駆け上るのはマジにビビッた。
>>526 いや、十分ほのぼの というか素晴らしいバイタリティですな☆
長野で蜂の巣取りということは・・・ 蜂の子かな
・・・やはり語学力があるのは身を助けるかなぁ
>>526 いい話ですなぁ
幸か不幸か、私のところは、父方も母方もじいちゃんが病弱で徴兵で落とされたから、従軍経験者いないです
結局父方のじいちゃんは、従軍どころか病気で終戦直前に死んでしまったらしいけど・・・
昔は中学を出たヤツというので通信兵とか多いからな。 まあ、今は学歴のインフレ時代だから英語くらいなら結構喋るやついるしな。 やはり、これからのトレンドは中国語、朝鮮語だろうか いや、アラビア語、ペルシャ語もホットだし。
昔と今では英語教育って違うのか?
昔の旧制高校の外国語はドイツ語とフランス語がメインで、 英語はその次ぐらいの扱いだったにょろ。
同居してるうちの爺様は戦時中、軍の観測所に勤めてたって話を聞いた。 体がでかくて体力もあったから徴兵検査で甲種合格だったらしい。 だけど観測所勤務だったこともあって赤紙は終戦間際まで来なかったみたい。 それで仲間と「おれに赤紙が来るようになったら負けるな。」と話してたようです。 実際に終戦のほぼ一ヶ月前に赤紙が来て「負けたな。」と確信したとかしなかったとか。 他の兄弟も甲種合格だったらしくてうちの家系はみんな化け物みたいに体が丈夫な人ばかりです。
捕虜収容所の話が出てるな
松山→日露戦争のロシア兵
徳島→WW1の青島のドイツ兵
だったかね。
>>511 ユーハイムか
>>533 日露戦争時にロシア兵が
「マツヤマ マツヤマー!」
ってまるでサイタマサイタマしながら降伏してきたってやつか?
>>532 俺のじいさんも大学で柔道やってて4段だったそうだ。
しかも尉官だった。
いまは歩行速度が世界最速のナメクジ程度だw
便乗ネタ。 うちのひいじいちゃんは海軍の基地勤務の一番下っ端の兵隊だったんだけど、 向学心があって英語を独学で勉強してた。 教科書は英語の小説で、分からない時は若い士官に聞くと、 けっこう丁寧に教えてくれたらしい。 ある時ジョークらしいんだけど難解で若い士官連中でも分からない部分があって、 「ちょっと預かるぞ」と士官が英語小説を持ってどっかに行って、 やがて呼ばれて行った先に・・・ ごめん小さい頃聞いたんで肝心な名前を忘れてしまったんだけど、 とにかくその世代の人なら誰でも知ってる級の大物将官がいて、 気持ちよくその難解な部分を教えてもらったらしい。 巷では英語なんか発したら非国民呼ばわりの頃のことだそうな。
>>536 詳細な時代や所属の基地が分かったらその將官も特定し易いんだけどなあ。
ちょっと預かるぞって事はその基地や部隊関連だろうし。
何にしょう良い話だ、(´∀`)
>英語
兵学校でも英語教えてたし、イギリス式だからなあ。
オフィサーやカッターなんて用語は普通に使われてたし。
陸軍だってそんな感じだったらしいし、士官学校でも(内地内務班とかはまた違ったりするんだろうけど)。
加藤部隊歌でも一番のハナっから「エンジンの音轟々と〜♪」と歌われてる。
そういうのに五月蝿かったのは政府や自治体、愛國婦人会みたいな民間団体の方だしな。
昭和19年8月6日、学徒出陣を送る壮行大音楽会が 東京帝国大学法学部緑会の自主開催で挙行された。 日本交響楽団を招きベートーベンの第九を演奏したが、 真夏の暑さと体力不足で倒れる楽団員もいたとのこと。 会場の25番教室は各方面から詰めかけた人々で満員。 娯楽に飢えた若者達は、ひととき戦争を忘れ音楽に酔ったと。
俳優の藤岡 琢也さんだったと思うけど、 戦時中、ジャズのレコードを聞きたくて、小指の爪の先を尖らせて レコードの溝に、親指は耳に当てて聞いていたそうだ。
>>536 俺の叔父(故人)は海軍主計課で、あの浮沈空母総理に英語の
わからないところを教えてもらったり、調べてもらったりしたことが
あるそうだ。
本をいっぱい持ってて、うらやましかったそうだ。
過去最悪レベルの海自国家機密ネット上に流失。 ほのぼの。
暗号解読されてミッドウェイ惨敗、山本長官戦死 ほのぼの。
543 :
名無し三等兵 :2006/02/23(木) 17:31:29 ID:ybtjHawr
近所に老夫婦が住んでいるんだが、先日、おじいちゃんの「もう少し酒を飲ませてくれ」と言う言葉にお婆ちゃん激怒 ばあちゃんが「だれのおかげで、今まで生きてこれたと思っているんだ!!!」と激怒。 知り合ったきっかけは、沖縄の野戦病院で、じいちゃんが病院を守るために、撃たれ重傷を負い、その軍医が音を上げた瀕死の重傷だったじいちゃんを看護したことだそうです。 開いた頚動脈を、ばあちゃんの髪の毛で、縫い合わせたそうです。 傷口を見せてもらった時、じいちゃんが「こいつの縫い方が、下手糞だったんで、傷口が残った!!」とふざけて言ったら、ばあちゃんが「命を救ってんだから、感謝しろよ!!」と蹴飛ばしていました。
まじかよ?
546 :
名無し三等兵 :2006/02/23(木) 19:45:16 ID:cARU/DzH
これで帝国海上自衛隊も米様の下請けになるワケか?
549 :
名無し三等兵 :2006/02/24(金) 10:14:53 ID:Shk9FXhu
>>521 ラッキー13とは
ゲオルグ・ペーター・エダーの事か?
そうだね・・・・武士道で言えば 死に掛かってる飛行機は一発で息の根止めてあげるのが 情けというものなのに わざわざ苦痛をアジ合わせてる極悪人
イタリア空軍は全期間において計器飛行の訓練を 全くしていなかったらしい。 ある戦闘飛行機の初期型は密閉式風防であったが。現場からの「風が感じられない」 という苦情で開放式に戻した。 そのために、折角の高速戦闘機が台無し。
まさに風の息づかい
553 :
551 :2006/02/25(土) 22:11:09 ID:???
554 :
選手宣誓 :2006/02/25(土) 23:30:13 ID:???
>>446 落合さん萌えFCスレ作って、ご人徳を延々語って下さい。
555 :
名無し三等兵 :2006/02/26(日) 15:04:20 ID:f4tcnQp5
あいすみません、泣ける話のスレはもう無いのですか?
556 :
名無し三等兵 :2006/02/26(日) 19:10:51 ID:WromWbZt
涙も枯れはてた…
>>551 最高200ノットくらいの飛行機なら、開放式のほうが圧倒的にいいもん。視界だけでも天地の違いがあるし
(オープントップのワゴンとウィンドウ全部開けたオープンカーくらいの差がある)
ましてや三次元を動く飛行機、それも上下左右に動き回って格闘する戦闘機なら尚の事。
わけのわからん密閉式に軍から無理矢理押し込められて、納得いかない負けを食らって死ぬのなんて、
そりゃパイロットは納得しませんわ。
うちのばあちゃんがGI相手に売春してたが フェラチオはアメリカ人がわりと持ち込んだらしい
>>558 当時の日本人としたらありえねーよな
フェラチオとかきんもっ〜☆って感じじゃね?
おばあさんかわいそうです><
庶民の端々に至るまで普及してたかどうかはわからんが 昭和初期の春画の四十八手にはすでに載ってるから それ以前からあったんだと思うよ。>フェラチオ って、早朝からなにを書いてるんだか>俺 ほのぼのしてねーし
フェラなんて人類の歴史と共にだろ。
>>560 庶民レベルでは普及していなかっただろうね。
ただ、遊郭の女性の技術としてはあったと思う。
江戸期の春画にもあったような気がする。
平安時代の日本霊異記にすでに近親相姦フェラの話もあるしな。 咥え、咥えさせるのは特に意外でもない当然の発想だろう。
クレオパトラがフェラの名人だったらしい
たしか、WW2の時は、それまでピューリタニズムの影響が強かったおかげで性に厳格なしつけ 受けてフェラ、後背位すらタブーだったアメリカ兵がヨーロッパ戦線で「こっちの女はすごい!」 と開眼してそれが米本土にも持ち込まれたとかいうのが性意識の研究であったと思う。 *ミッショナリー(宣教師)ポジション(正常位のこと)のみOK バックは動物のやり方だから。 子供を作るためにするのだから快楽を求めるのはdでもないことだった。
エロゲーでパイズリのことをもみじ合わせと知った俺がいる
パイズリはルイ15世の愛人が始めたらしいな。
顔射ってのはいつ頃から始まったんだろ。
>>572 このあいだちらっと読んだ雑誌に載ってた。
村西とおるの話にあったな。
574 :
名無し三等兵 :2006/02/28(火) 00:06:01 ID:OfQkflHR
>526 亀だが、俺の爺さんもイラワジ河会戦参加者だよ? シャン高原を敗走中に終戦→タイを目前にマンダレーまで引き返す →ムドン収容所に入れられる。ということらしい。 辻ーんの部下だった事を自慢げに語ってたっけ。 (爺さんは尉官だったけど辻中佐は雲の上の人だったらしい)
フェラは日本語で吸茎だということを知ってから「休憩!」と 言われると微妙な気分になってしまう駄目な俺。orz
そういやうちのババ様も女給上がりなので 占領軍の相手もしてたっぽいな。 コネをアレでつかんで軍の横流し品を大量にゲットしてたので 今のうちは割と裕福だ。 うちのババサマのフェラテクは偉大だったのだろうか・・・・今となってはなぞだ
フェラは576を救う
まさしく女の又に力と書いて努力だな。 家庭円満のためにも学校保健体育でフェラ講義をしましょう
ほのぼの話してけろ
うちの祖父の話 第二次大戦の時に,騎兵隊の中尉で中国で戦っていたとき 捕虜の中国人を新兵の度胸試しに,首を日本刀で切らせていたらしい へたくそなのとびびっていたのとで,頭やら背中やらが切れて うまく首を落とせないものがほとんどだったらしい 南京とかいってたな
はいはいクマー(AA略)
>>580 その「騎兵隊」の隊長はカスターさんですか?
相手してあげてる
>>581 ,582に、ほのぼのした。
日露戦争時に「銃口蓋」という言葉を覚えられずに何度教えても「テッポのシャッポであります」としか言わなかった兵隊がいた(以下シャッポ氏)。 さてそのシャッポ氏が所属していた部隊がある陣地を攻略するとき鉄条網を破壊し突破するある作戦を計画した。 その作戦とは綱引きの綱を鉄条網にくくりつけてみんなで引っ張って破壊するというようなものだったとか。 しかし誰がその綱をくくりつけに行くのか?ネコの首に鈴を付けに行くネズミのようなもので誰も名乗り出ない。 このとき名乗り出たのがこのシャッポ氏でさっそく綱を持って敵陣に向かった。 シャッポ氏はのそのそと敵陣に向かって一人歩き出したがその歩き方はあまりにもゆったりしていた。 そのためか敵方も一体何がはじまるのかと呆気にとられていたのか全く発砲しない。 やがてシャッポ氏が鉄条網にたどり着いたあたりで敵サンもシャッポ氏が何をしようとしてるか分かり始めたらしい。 そして本格的な射撃が始まった頃にはシャッポ氏は一通りの作業を終えて味方の塹壕に戻り着いており無事に難を逃れた。 この作戦が成功したのかどうかまでは聞いていなかった。 以上比留間弘の「脱線陸軍よもやま物語」より、うろ覚えもあるけど大体こんな感じだったと思う。 よもやま関連は珍談、奇談のオンパレードなのでぜひおすすめ。
586 :
名無し三等兵 :2006/03/01(水) 13:25:01 ID:wctyTGOj
今後の参考にするからどこがおかしいか教えてくれるかな?ん?
日露戦争時にある部隊が陣地攻略のため鉄条網を破壊することになった。 綱引きの綱を鉄条網にくくりつけてみんなで引っ張って破壊する作戦を計画したが 危険なため綱をくくりつけに行く者がいない。 しかし1人の兵士が名乗り出た。ゆったりとした歩みで敵陣に向かうその兵士に呆気にとられたのか 敵の本格的な射撃が始まったのは、すでに作業を終え自陣地に戻ったころだった。 この作戦が成功したかどうかは知らない。 以上比留間弘の「脱線陸軍よもやま物語」より抜粋。 よもやま関連は珍談、奇談のオンパレードなのでぜひおすすめ。 このくらいでいいんじゃない?
>>586 どこがおかしいレベルじゃなくて全部が悪文。
参考が欲しいなら、いろんな本や文章を読むといいよ。
589 :
戦湯 :2006/03/01(水) 18:53:03 ID:???
日露戦争時のこと。 鉄条網破壊の綱くくり任務に名乗り出たのは、平素から心身共鈍い兵士だった。 ゆったりした姿に呆気にとられたのか、敵の射撃は作業を終え戻った頃だった。 この作戦の成否は不詳。 短く情況説明はできるが、臨場感やシャッポ氏の人間性は浮かんで来ないね。
>>589 そのバランスをどう取るかが、文章の面白さだよな。
>>584 は冗長すぎるし、
>>587 は簡潔すぎる。
まあ自分で要約する気が無い俺がいうのもなんだが・・・。
ん。なるほどよく分かりました。ありがとうございました。
おっとりした奴の事をおっとりした奴が話してるみたいで 割と面白く感じましたよ。
某板で投下した第二次上海事変時の津田部隊の第三大隊第十二中隊のある上等兵の談話 誤字など若干手直しして再投下。 「大場鎮攻撃の最中、自分は炊事方をひきうけた。幸い米はあったが、おかずがない。戦場に捨野犬がうろつ いて敵味方の死骸を食い荒している。なんとか、栄養たっぷりな、元気のつく食物をと考えていたところへや って来たのが皮膚病で毛もはげちょろけた一匹の野犬。死骸の御馳走で、からだだけはまるまると太っている から、こいつを撃ち殺して皮をはぎ、肉をこまかにきざんだ。ごぼうをむいて肉とまぜ合せ、粉醤油で味をつ けると肉飯ができ上った。皮膚病の犬でも、肉の味には変りがないから、いかにもうまそうな匂いがする。し かし、これを遅ぶ容器がないので、砲弾に崩れ残った中国学屋へ入って捜し回ると、うるし塗りの立派な桶が 見つかった。中まで、朱できれいに塗りあげてあるから (・∀・)コレダ!! というのでこれへ詰めた。 さっそく部隊の進撃の後を追尾したが、行けども行けども追いつかない。自分の部隊に行き当らないのだ。 ひょっとしたら自分が見落したかな?と思ってたら、もう上海の入口。 続く
(引返してみようか)とさまよっていたところへ『おい、貴様なにをしている!』と呼びかけたのが、同じ 大隊の上等兵です。『飯を運んで来たんだ』というと『そりゃァ有難い。こっちだこっちだ』と、部隊が 小休止している場所に案内する。『飯キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!』というんで、みんな駆け 寄った。 『おい、肉がはいってるぞ(*゚∀゚)=3 貴様、一体なんの肉だ?どうも牛ではないな?』 『なんでもいい じゃないか(・∀・)ニヤニヤ 食ってみればわかる』 『牛でないとすると馬か?馬なら上等だ』と、兵たちが飯を 鷲づかみにしてパクついているところへ、連絡兵が帰って来た。『おい、俺にも食わせろ!』と、パクついて いる兵隊の中へ割りこんで、二口三口夢中で食ったが『( ゚д゚)アレレ?』と言いだした。『どうした?』 『貴様、この飯を、それに入れて連んで来たのか?』と、うるし塗りの容器を指す『ああ、立派なものだろう? 中まで塗ってある』と、自分が自慢すると『( ゚д゚)・∵.ゲェ!!』といってその兵、手にもった握りめしを放り 出すと『貴様、それがなんだか知っているのか?(゚Д゚)ゴルァ!!』と叫んだ。自分が『さァ?なんだろうな? 随分、立派なものじゃァないか。多分、骨董品かなんかだろう?』というと『馬鹿野郎、そりゃァ、中国人が 寝室へもちこむ便器だ!(゚Д゚)ゴルァ!!』とたんに『ΩΩΩナンダッテー!!』とみんな『ゲェゲェorz』やりだしたが、 腹の中へ入ったものは、どうにもならない。すると『この肉もあやしいぞ?!』となった。 『実は犬だ(・∀・)ニヤニヤ』と白状すると『畜生ッ!やったな!』と、またしても『ゲェゲェ』が始まる。」 おしまい
ほのぼのした楽しい話だね
596 :
名無し三等兵 :2006/03/01(水) 22:44:57 ID:N3MRTwTX
胸クソ悪いわボケ
>>594 マジワロタwww
こう言うオチがあるのが一番面白いと思う。
ご当地ならではの笑い話じゃないかw
まあ、死体溢れる川の水で炊飯する戦場ですからね
600 :
ぽんこつ :2006/03/02(木) 02:26:55 ID:xroDg+gV
>>599 徳川家康は関が原の直後に家臣が「雨なので飯が炊けない。いかにすべきか」ということを訊いたので
「川の水に米をつけておけ」といった。
そのとうりにやると、戦死者の血で真っ赤に染まった米になったそうな。
それパロだろ
それは火が燃え盛らないのなら、とりあえず水に漬けておけというようにも聞こえる。 で、家康→脱糞からであるが、イラク占領軍の兵士は何も発見できなかった民家で脱糞をしてはコーラン でそれを拭き、壁 になすりつけていくというなんともノンビリした話が左派のサイトで見うけられる。
>602 大変だなぁ
インパール作戦時に前線で戦ってる将兵が餓えや敵と必死で戦ってるとき、後方でのんびり芸者遊びに精を出している軍司令官がいましたとさ。 ほのぼのしてるねえ〜後方の軍司令官殿はw
おまるに飯を盛った話は結構聞くね きれいな器だったので中隊長の食事を入れて持って行った話は丸で読んだし、うちの爺様も初年兵時代に班長の飯を持って行ってドヤされたらしいしw
>>605 ( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` )
ロンメル将軍が家族によく語っていた逸話 イタリア軍に前方の英軍に対して攻撃するよう命じた。 彼らは武器を持って進んでいった。 すると見よ、彼らは武器を投げ出してこちらへ逃げてくるではないか。 何事が起きたのかと問いただしてみると、彼らはこう言った。 「話が違う! あいつらはオーストラリア軍だ」
タウイタウイに進駐した日本軍は住民宣撫の一環として医療活動を実施した。 担当するのは軍医ではなく、素人の主計員。 薬もキニーネ、仁丹、バファリンの3種類だけだったが、 効果てきめんで主計員はドクトルと崇められたと。
つか一点集中の効果的な薬品ばっかじゃないか?w
マラリア対策、下痢止め、解熱鎮痛剤か。 三つだけ薬持ってジャングルや無人島へ行け、と言われたら その三つを持ってく人が多いだろうなw それ以上の病気の治療となったらちゃんとした設備と医療が 必要になるから、素人薬剤師に持たせるにはベストな選択。
現代でも実際にこっち(日本)じゃ薬局で手に入る薬も手に入らずに死んでいく人が途上国にゴマンと居るからなあ。
613 :
名無し三等兵 :2006/03/08(水) 17:16:10 ID:fedE6st+
キニーネもかなり強い解熱作用があるよ。あと「仁丹」より「征露丸」のほうがいいと思うぞ。
ジャングルならキノホルム最高。無敵の腸内殺菌剤だ。 今手に入る剤型ならスモン病にはならないから安心しろ。
>>611 >それ以上の病気の治療となったらちゃんとした設備と医療が
その通りで、主計員の手に負えない症状は、宿営地内の軍医へ送って対応した。
しかし現住民たちは、主計員こそドクトルであり、軍医は単なる手下と信じていたと。
本末転倒だなw
奥地だと、病原菌も攻勢物質の耐性が無いので劇的に効くらしい。
チョコレートを箱ごとくれたおれいに 不発弾入りの箱をプレゼントと称してあげた事があるそうな沖縄県民のオレのじい様。 県民の恨みは深い
うひぃ、なまなましいな。
戦時中、近所のオッサンが長い竹を切って来たから 「そんなもんどうするんだ?」と尋ねたところ 「グラマンが低く飛んで来たらコレで叩き落としてやるんだ」と言われた と、家のジイチャンから聞いたことがある 昔の人は考えることが大胆だ
一年くらい前の話 友人と川で釣りをして帰る途中 福生市内で踏切で待ってたら右肩をトントンと誰かに叩かれた。 周りは雑木林と家がぽつぽつとあるくらいで、人も数人しかいなかった。 で、右後ろ向いたら誰もいない。気のせいかと思ったらまたトントンと・・・ で、怖くなって後ろ向かなかった。で、次にトントンとやられておもわず ビクッとしちゃってサッと振り向くと白人が数人で必死で笑いをこらえてた。 で「釣れたか?」とか聞いてきて「全然。てかなんかよう?」 と言うと「ぼくお魚大好きですw」とか言ってきて思わず爆笑しちまった。 話を聞くと横田の軍人さんでした。 踏切待ってる間だけで仲良くなっちゃうような ああいう国民性見習うべきなのかもなと思った。 スレ汚しスマソ。 関係ない話スマソ。
>>621 何で白人は振り向いたときいなかったの?
光学迷彩かッ!!!
>>615 南方のほうで偉い人というのは「気前良く物を配る人」なので、
現地の人からは「主計員>軍医」になるのは当然じゃないかな
何でもその次に偉いのが、絵描きなどの芸術家だなそうな
中国で鉄道の小警備隊を任せられた若い班長。 任務を無事果たすには付近の村民と仲よくなるのが第一と、 井戸端で洗濯するおばさん達へ、酒保で石鹸を自費で買ってプレゼントした。 おかげですぐ打ち解けて、駐屯生活の事まで話がはずんだ。 数日後、駐屯地へ村の方から大勢の女性が訪ねてきた。おばさん達である。 何事かと驚いていると、兵士達の洗濯をしてあげるために来たという。 男ばかり6名の溜まった洗濯物は、付近の川で心を込めて洗濯された。 中国で日本兵は東洋鬼子(トンヤンキー)と恐れられ忌み嫌われていたが、 心が通じると、互いに良い事もあったらしい。
漢民族も一枚板じゃないからなぁ。毛沢東も蒋介石も嫌いな連中も居たわけだしな。
>>623 多分左側に立って、右肩を叩いたんだろ。
右側から後ろを向くから左側に立ってる人は見えない。
子供の頃やらなかった?
>>626 のつづき
班長が警備担当していた鉄道路線だが、二度にわたり夜間爆破されたことがあった。
なぜか爆破場所は、二度とも受け持ち区域から40メートルほど離れた線路で、
他師団の警備受け持ち区域だった。
班長の責任にならずに胸をなでおろしたが、あまりにも都合のよい場所が続いたので、
親しくしていた村長に訊ねたところ、実は夜間に共産軍が来て強要されたとのこと。
やむを得ず爆破の手引きをしたが、班長の受け持ち区域は迷惑をかけないように外したらしい。
やはり人の繋がりは大切にしておかねばと…
631 :
名無し三等兵 :2006/03/11(土) 05:34:34 ID:gvdxt/er
母方の祖父が満州に警察官?として行ってました。 現地の人達と仲良くしていたそうです。 そのおかげかどうか分かりませんが敗戦後無事に引き揚げてこれたそうです。 満州での素行によっては私はこの世に生まれていなかったのかもしれません。
ほのぼのしてないかも知れないけれど、うちの祖父が民間の船に乗ってて(スラバヤ沖海戦とかを傍観したらしい) 2回も沈められて(1回目はバシー海峡での潜水艦、2回目はスービック湾近くでの飛行機)いっつも生存者は5人以下だったらしい んで、今回レスつけるのはね 「海軍って大変なとこだ。自分は輸送船でタイやビルマから米を運んでたけど 海軍では、桟橋で新兵が30キロくらいあるズタ袋を持ってて、それを上に上げるらしいんだけれど 上げれない兵隊でも棒(精神棒?)をお尻にたたくと、たたくごとに上がる」って なんかスレ違いっぽい・・・ ごめんなさい
633 :
名無し三等兵 :2006/03/11(土) 13:11:34 ID:7oo4P3yw
何かの書物に載ってたんですが 旧海軍の精神棒って海軍創設初期に海外視察に行った際 英海軍が植民地水兵を棒で殴ってたのを見て 「こりゃいいや」と感心して導入されたと書いてありました。 英軍は植民地兵を人間と思ってなかったから棒で殴ってたのであって、 それを自国の兵隊にそのまんま適用してどーする、と嘆いてありましたが これって本当の話なんでしょうか?
>>626 >中国で日本兵は東洋鬼子(トンヤンキー)と恐れられ忌み嫌われていた
日本が米兵をヤンキー呼んでたのは洋鬼だったのだなぁ
物をくれれば誰でもフレンド。 逆に貧しい兵隊はどこも嫌われ者がこの世界の常識。 ゆえに物くれるときのアメリカ人が一番好かれている
>>633 ・・・帆船時代以降19世紀まで、英国海軍の水兵の体罰はえらいもんでしたが
帆船の乗組員なんて半分囚人みたいなもんだろ
酒場でくだまいて寝ちゃうと気づいたら軍艦の蚕棚・・・・
虫まみれの食事食わされてよく航海する気になるな よほど非遠国でひどいクラシしてるんだろうな
酷い環境に逆らおうとすると警備の海兵隊にやられてしまうのか
つ【強制徴募時代】 帆船のディティールは、映画マスター&コマンダーが結構金掛かっててよかた。 でも、まだ毛も生えてなさそうなガキまで乗ってるのな。 ありゃヤられるダロ。つーかヤる、ヤりたい。ウホッw
ミャンマー独立の父と言われる鈴木少将(南機関長当時大佐)の話 鈴木少将が、ビルマの伝説の人、『ボーモージョー』となったいきさつも、 「別にどうということはない。いつだったか、オンサンたちが日本へ亡命して 間もなく、将来ビルマへ進撃する時の夢物語をやっていた。その時、我々が のりこんだら、ビルマ人はびっくりするだろうなということになり、ビルマに 行くならビルマ風の名をつけなければならない。日本では怖いものを、 『地震、かみなり、火事、親爺』 としている。地震や火事や親爺でも妙だから『かみなり』がいい。雷は ビルマ語でなんというのだと、オンサンにきくと、 『ボーモージョーだ』 と、いう。 『ボーモージョーか。そりゃアいい。雷将軍だ』 とその時は冗談で言った。それが進軍の時、みんな変名を用いることになって から、ひょいと頭に浮かんできた。それに、装備が(日本の)正規軍より劣っ ているのだから、少々芝居ッ気を出してやれというので、ビルマ服を着て 白馬にまたがるという演出をやった。まさかビルマに 『英帝国に滅ぼされた最後の王子が、いつの日にか白馬にまたがって、太陽を 背にして東からビルマ人の苦難を救いにくる』 なんて伝説があるとは、私もその時は知らなかった。ところがこれが、偶然の 一致で『ビルマの救世主ボーモージョー』にまつりあげられてしまった訳だ。 もちろんビルマ義勇軍の幹部連は、私が日本人であることも知っていたが、 なにせ色はこの通り真っ黒だし、顔も南方系にできているから、ビルマの 大衆にはそれが解らない。 『ボーモージョー来る』 で敵は逃げるし、行く先々で住民はこぞって貢ぎ物をする。とんだ儲け物を した訳だ。」 と鈴木少将は語った。
なお、この鈴木少将は昭和42年9月に自宅で亡くなられたが、ちょうどこの日、 佐藤栄作首相がビルマを訪問したが、ビルマの新聞の第1面トップを飾った のは、佐藤首相の来緬の記事ではなく、 『ボーモージョー急逝す』 の鈴木少将の死と、黒枠付きのビルマ服をまとった往年の『雷将軍』の、 彼の写真であった。さらに、社会面では彼の経歴とビルマ独立に尽くした 功績が数段にわたってしるされたのである。 なお、余談であるが、この日、日本の新聞で彼の死を伝えたものは、 読売新聞ただ一紙のみ。(ただし内容は普通のお知らせ程度の記事) 南機関について知らない方はぐぐって下さい。
645 :
386 :2006/03/14(火) 18:06:19 ID:???
ぐぐったよ。涙でモニターが見えん。どうしてくれるんだよ。うわーん。
ぐはっ。名前が残っていたよ。うわーん。
647 :
名無し三等兵 :2006/03/16(木) 03:02:08 ID:CVCF5I3A
中国で、ある輜重兵が自分の担当の馬が脚をくじいたので 処置しろと命じられたけれど、かわいそうで殺せなくて置き去りにした。 それから数週間して、たまたま別の部隊とある村で行き合わせたところ、 その部隊の中から一頭の馬がノコノコ件の兵のところへ隊列をはなれて寄ってきて、甘えた。 あの、置き去りにした馬だったんだ。一生けん命交渉して馬を返してもらった。 その兵のうれしさにほのぼのしないかい? 伊藤圭一の本のうろ覚え。キシュツかな?
やっぱ動物系は和むね。
649 :
名無し三等兵 :2006/03/16(木) 08:03:56 ID:1p+JLohj
ほのぼのというか面白いビールのCM第一次大戦編。 フランスのパイロットだと思うが、ドイツ軍に撃墜されて不時着。 ドイツ軍のカッコイイ将校と兵は逃げる彼を追う。 パイロットは近くにあった酒場に逃げ込んで「ドイツ軍がっ・・・」と言いかけて 気を失う。客は慌てて彼を木箱の中に隠すが、床にはゴーグルが! それを見つけた酒場の店主は急いで駆けて、ゴーグルをどこかに蹴り飛ばす。 直後ドイツ軍が入ってきて銃を向けられ「ヤツはどこだ!!!」と。 主人はその時開けっ放しのサーバーに気付き、止めなきゃヤバイと思いつつも銃を 向けられて動けない。 兵士の隠蔽よりもビールを取った主人は「その中!!その中!!!」と言って サーバーを間一髪で止める。パイロットは主人に「なんで?」という視線を送りながら 連行され、主人の娘も「パパ・・・」と呟く。それに対して「しかたなかった」 という表情を浮かべる主人だが、ビールがない!! なんとドイツ軍の兵士が全部飲み干し「ダンケ」と空のジョッキを主人に渡し、 肩をぽんぽんと叩いて出て行く。 というCM。前編白黒でなかなか情緒あふれてておもしろいです。
日本むかし話の強欲ばあさん系だの
>>651 うーむちょくちょく目にするCMなのだが名前が思い出せない。
CMはフランスかスペインっぽいのばかりなのだが。
ちょっと調べておく。
ビールのCM書いてるうちに他のも思い出してきた。 これはハイネケンのCM。日本で放送されてるかはわからない。 歴史はよくわからないが、アメリカとギクシャクしていた時のメキシコでの話。 トラックに荷物を満載させて、ラテン系の音楽を流しながら運転する若者。 国境に到達しそうになると、そこにはガラの悪いメキシコ兵数名がいる。 若者は音楽を切って、トラックを止める。軍曹のような人が「降りろ」と。 若者を降りて、書類を見せる。軍曹は怪しげに若者の顔をチラチラ見ながら 書類を改める。部下は荷物を洗いざらい調べて、荷台の一番奥にあるビールの ドラム缶(?)を見つける。しかしそれはまずいメーカーのもののようで、 全員で舌打ちやらため息やらを漏らし若者を解放。 国境を越え、町に着いた若者を待ちわびていた酒場の亭主。若者は荷台に乗り、 ビールを見せる。しかしやはりメーカーがダメなのか店主は「アア〜」とため息。 しかし若者はそのメーカーのラベルをはがすとハイネケンのラベルが!! ラテン系の音楽がボリュームアップしてみんなでハイになる。 というCMもあったな。
堀栄三氏の「大本営参謀の情報戦記」より 昭和9年10月の堀さんの隊の初年兵教育での話。検閲の中で度々重視される 内務教育。集団長の検分の時、兵達は決められた時間に自分の寝台の前に 立つと、やがて大きな勲章をつけた集団長がやってきて一人一人の顔を覗き込む様に 通過する。一番緊張するときだ。 時々集団長は立ち止まって質問をするため。各隊では質問例をつくり予行を行っていた。 「集団長の官姓名は?」という質問が必ずあるので、半紙にふと筆で書き、 色々な場所にはりつけて覚えさせたが、中には字もやっと書ける程度の者もいた。 岡野二等兵もその中にいた。 どうか岡野の前で止まりませんように!と願ったが 集団長は岡野の前で止まり「どうだ?集団長の官姓名は」と聞いた。 動転した岡野は目を白黒させながらやっと口を開き 「あ、あなたが集団長さんではないか。」と指を指して喋ってしまった。 集団長は「そうだ、分かっておればよい」と通りすぎたと言う話。 俺こういうのに弱い。
655 :
649および653 :2006/03/16(木) 23:41:49 ID:d5pSOYxn
656 :
649および653 :2006/03/16(木) 23:46:39 ID:d5pSOYxn
一応歩兵編の解説をしておきますね。 第一次大戦で負傷し、故郷に戦友と帰ってきた酒場の主人の息子。 とりあえずお祝いということで、主人はワインを出しますが、 息子は「そんなのよりステラアルトア(ビール名)くれよ」と。 主人は喜んで息子に差し出て、息子の戦友にはワインを勧めますが 「僕もステラアルトアで」と言われ「え?あ、あぁいいよ・・・。」と 焦り気味でサーバーに手をかけると同時にサーバーにビールを届ける 管を足で踏んで、品切れに見せかけ飲ませない。 という感じでしょうか。
649および653の熱意に乾杯
660 :
名無し三等兵 :2006/03/17(金) 09:54:00 ID:27APDc6q
日本海軍の上層部の会議でこんなやりとりがあった。 某高官:「わが軍のレーダーは米軍のレーダーより制度が劣っているのは明白だ」 某参謀:「しかしそれは戦局を決める決定的なことではありませんよ」 某高官:「しかし現に敵索能力の差が原因で負けた戦闘は多数だ」 某参謀:「私に考えがあります。なにしろ物量には限界があっても精神力は無限ですからね」 某高官:「ほう、では期待しておるぞ。無限の大和魂を見せてくれ」 後日、帝國海軍の艦橋には望遠鏡が増設され、多くの水兵が配置された。 彼らの視力は2.0だった事は言うまでもない。
661 :
名無し三等兵 :2006/03/17(金) 10:26:10 ID:nD1JQPPZ
それでも本気の米海軍には勝てそうにありません。 善戦はできそうですが。(ウソ)
昔読んだ零戦の名パイロットの戦歴・逸話を集めた本に載っていた話。 戦隊長まで務めた中佐が戦後レコード会社のビクターに入り、海外版の版権や輸入の 交渉を担当した。ある時交渉先のイギリスの担当重役が手ごわく、交渉が難航してい るとの報告が入る。直接会って話すと最初から日本人を見下している様子。曰く、自 分は大英帝国陸軍少佐で高射砲部隊の指揮官をしており、日本人を何度も撃退したと の事。話を詳しく聞くとなんと自分が編隊長として何度も攻撃したところの防空指揮 官だった。自分は海軍中佐でその時の編隊長だが、そっちの弾なんて全く当たらなか ったという話をしたら、その時の話で非常に盛り上がり、相手の態度が一気に軟化し て商談も成立したとの事。 この人は確かビクターの副社長までやったはず。
二人ともさわやかスポーツ紳士だな。
>>662 キングレコードの鈴木實氏ですね。
相手は英国デッカ極東支配人クープランド氏。
クープランド少佐が高射砲部隊隊長をしていたビルマ・アキャブに
鈴木中佐率いる202空零戦隊が一式陸攻を援護して空襲をかけました。
>>665 で、実際に高射砲があんまり当たらなかったのでせうか?
>>666 あの時はあんたか?爆弾は一発も当たらなかったぞ!
何を言う、貴様の高射砲も全然当たらなかったじゃあないか!!
と、意気投合。
あまり当たらなかったんじゃあないかと。
>>666 少なくとも鈴木氏の乗った機体にはちっとも当たらなかったってことでいいでしょ。
同じ場所に居たっていうのが親しみわくんだよね。命かかってたら尚更だろうね。 水木しげる先生は飯盛りの時にとろくて、いらだった炊事係の兵隊に しゃもじや柄杓で叩かれたそうだが、杓文字だと原立たないけど 柄杓で叩かれると何故かムカッとしたって言ってるのがノンビリしてて良いと思った。
しかしちょっと待って欲しい。ノンビリしてて良いと主張するには早計に過ぎないか。 なぜなら水木センセは世の中が自分中心で回ってしかるべきだと30半ばまで考えていたそうなのでw
671 :
名無し三等兵 :2006/03/18(土) 09:42:16 ID:Q1MLaa4u
が、しかし、水木先生はその後、敵の空襲により被弾、片腕を切断したんじゃないの?
672 :
名無し三等兵 :2006/03/18(土) 10:44:14 ID:Xia6GJqr
被弾して、何ヶ月もして腕が何倍にもふくれあがり、ウジが何百匹も 沸いてきたから麻酔無しで「刀」あるいわ「銃剣」のようなもので 切断したと言ってましたな。
んで、左腕が治ってきたら赤ん坊のにおいがしたらしいですな。
674 :
名無し三等兵 :2006/03/18(土) 12:05:46 ID:23YPfBAE
その切断手術をした軍医は、目医者。
それでも医学を修めた人間に対応してもらえただけマシ。 うちのじーさまの部隊はニューギニアで、原住民の祈祷師に 病気治癒の祈祷の押し売りに来られて、困ったらしい。 断って原住民との関係こじらせるわけにも行かないんで、 本当は健康な兵を病人と偽って儀式してもらったそうだ。 時間はかかるは騒がしいは絶対病人なら悪化させると思ったって。
>>675 そこまで原住民に気を遣ってたのか…
°゚(;つд⊂)゚°
というか皮一枚でもつながっていたら骨を切られてもまたくっつくというのは 本当かね?
649=653にNVA功労賞を
切断面による、切口が鋭利な刃物での切断ならかなりの確率で繋がる まぁ医者の腕と切断してからの時間にもよるがな。
680 :
名無し三等兵 :2006/03/18(土) 22:04:03 ID:sbk1L88P
自分の会社のお客さんに94歳のじいさんがいます。年齢はいってますが 言動はしっかりしていて、貴重な話をしてくださる方です。 その人は戦前は徴兵で海軍にいて、上海事変収まった頃に 上海に行ったとの事です。 当時の中国人は戦争に負けて食べるものがなくなってて 揚子江に捨てた日本軍乗員の残飯を、中国人が手コキボート 使って拾い集めて食べるのをしばしば目撃したみたいです。 じいさんはその光景を惨めな目で見ていたとの事ですが 今度は日本が戦争に負けて食料がなくてどうしようも なくなった時友人と一緒に米軍管轄の 工場で働き、帰りには米軍の残飯を水と一緒にドラム缶で煮て それをすすって食べたという話をしていました。 そのじいさんは、よく口癖で「戦争に負けると惨めだ」っていうんですが 誰が言うよりも納得できました。
国乱れると惨めだ。
うちのじいちゃんは中国で憲兵中佐だったので しこたま中国人の財産持ち逃げして恐ろしく自堕落な生活してました。
683 :
名無し三等兵 :2006/03/19(日) 00:06:19 ID:GAS8RzwI
対馬に米軍配備まだー?
>>679 そうか。じゃあ交通事故だったら絶望的なんだな。 事故見てからバイク乗れなくなっちまったんだよ・・・
台湾着いたらそのまま脱走ですか。
行軍中、側面から機関銃の射撃を受け、先頭の兵が倒れた。腹部盲貫。 部隊は射すくめられ、頭もあげられない。 声を出すと撃たれる。 腹を撃たれた兵はひどく苦しいはずなのに一声も漏らさない。 一緒に伏せていた軍属のおじさんが急に泣きだしてしまった。 「ああ、日本の兵隊さんは強いなあ、強いなあ!」 まわりの兵隊さんは必死になって彼の口をふさいだけれど、おじさんはずっとすすり泣いていた。 以上、戦車マガジンのコラムからのうろ覚えだけど、これ読んで泣きながら、軍属のおじさんの人のよさにほのぼのしたんだよ。
中学の頃、社会のセンセが言ってた又聞きの又聞きエピソード。 関西の方で戦時中若者二人が「こんなのたまんないよな」と ぶつぶつ文句を言っていたところ、 どういう訳か憲兵隊(か、特高か?)にその話が伝わって 三日間出頭するように命令された。 ガクブルで出頭すると一日目は部屋で一日中待ち惚け。 昼にはお茶をもった係の者がやってきて弁当を 食べるように指示される。 二日目は野外に連れていかれて今度こそ終わりと思ったら 畑で一日働けと指示。 三日目も同じ。 三日目の夕方に偉い人がきて 「おまえらみたいなアホはひどい目にあわせたところで どうにもならんから帰ってよろしい。 ただし他の人に聞かれたときは『ひどい目に遭った』と答えるように。 答えなかったら、わかっているな。」といわれておとなしく帰宅。 口裏をあわせて恐ろしい目に遭ったと触れ回ったらしい。
なんかこう、落語の二番煎じのネタを髣髴とさせるような話だね
まあ、笑い話になっただけで良いニダ
ゲーリングが親善試合で無理してサッカーして周囲の笑いものになった話なら知ってる
「ププー!肉が揺れてる」 「プププ、丸すぎ!お前がボールか?」
BOBの真っ最中にドイツ宣伝省が 「ゲーリング閣下がJu88に搭乗して空襲中のロンドン上空にいる」 とラジオ放送したら、英独双方から 「嘘つけー! (あのデブがJu88の狭い昇降ハッチをくぐれるかー!)」 と総突っ込みが入ったと言う話なら読んだことがある。
ゲーリングのさ、第一次大戦の超イケメンスマートの軍人時代の写真とさ 第二次大戦時の肉団子の写真をさ並べてさ、薬物乱用の恐ろしさを アピールするのはどうだろうか?ドイツってけっこう薬中多いみたいだしさ。
零戦3機が敵基地上空で編隊宙返りを繰り返して帰った後、一機の敵機が日本の基地に一通の果たし状を落として飛び去った 内容は「先日の宙返りは気に入った。今度来るときは、緑色のマフラーをしてこられたし。大いに歓迎する。」 と言うものだったとさ
本当は対空銃座に人がいなくて間に合わなかったというのが真相らしい
ほのぼのとした怠慢だな。
プニプニ ゲーリング
ガリガリゲッペルス
1945年4月1日の沖縄上陸作戦決行を記念し、61年ぶりの同窓会を企画した アメリカ海兵隊員は、未だパーティを始められず困惑している。
あぼーん
>>684 まぁ車の事故でも運転席に挟まれて両足切断というのはよくあるけどな。
あ、もしかしてエイプリルフールだから3/32なんだね?
戦争に飛行機が使われ始めた当初、ただ敵の基地を偵察するくらいしか意味ない物だったから、 敵の飛行機と擦れ違う時は手振って挨拶するのが普通だったらしい。 でも(何時どこの軍が、は忘れたけど)基地見るついでに、テキトーに手で爆弾を落として擦れ違い様に敵パイロットに向かって銃を乱射したんだとさ。 その日を境に戦闘機が開発されて行ったんだと。 初めて敵飛行機に攻撃されたパイロットは、ショックだっただろうね。。。
悲しいけどこれ戦争なのよね
伊江島で飛行場整備に動員されていた女学生達に、 もうすぐ演習が始まるから滑走路脇に出る指示があった。 やがて戦闘機が上空を乱舞し始めたので、みんなで腰を下ろして眺めていた。 そのうち隣の女学生がもたれかかってくるので、 どうしたの?しっかり観なさいと言ったら、こと切れていた。 上空を舞う戦闘機はグラマンだった…。
ずいぶんほのぼのとした話だな
鬼畜だな
>>712 こわいです><
女学生さんを助けてあげてください><
かわいそうです><
作り話っぽいな、M2重機で掃射食らったらもたれかかるどころの騒ぎじゃないぞ。 それこそスプラッタな光景になるます。
>>716 連合軍の戦闘機はきっと見ただけで魂が抜かれてしまうんだよ!!
頭から血を流れてるつーか、頭が無くなるだろ。
破片が当たったんでねーの?
721 :
名無し三等兵 :2006/04/11(火) 23:49:08 ID:AryZLbvr
フランスを列車で移動中に一度ならずP-47に襲われたうちのじー様によれば、 50口径なんぞ体にもろ当たろうもんなら「水風船のように破裂」するらしいが、 体のすぐそばを銃弾が掠めただけでも失神は当たり前。ショック死する人間も少なくなかったと。
ラバウルでP-38の12.7mmで掃射された先輩の経験談によれば、一発で 人間の胴体が千切れたとか、椰子の木が倒れるぐらいの威力はあったらしい。 だが、山本五十六さんは胸部への貫通銃創なのにきれいなままの状態だったようだ。
>>722 五十六さんはぐちゃぐちゃのネギトロ状態になりますた
なんて発表したら戦意低下につながるからじゃね?
>>722 五十六さんの検死結果はアーーーーッ!!
サンダーボルト2の30ミリを食らった人は(
肉片さえ残してくれないかもね てっ、このどこが戦場でのほのぼのとした話何だよ(;´Д`)
727 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 12:32:54 ID:Gw/U7j1v
イラク戦争でのアパッチの30o機関砲の掃射の動画では、いた筈の人間が土埃が巻き上がったあと消滅してたな。 実にほのぼの
728 :
名無し三等兵 :2006/04/12(水) 12:52:26 ID:Gw/U7j1v
ヘイ!あそこにイラ公共がうろついてるぜ。 よっしゃ30o喰らわせてやれ! OK! ファイヤ! ドドドドドドトドドドド! てじニャーニャ!
>>724 山本五十六第一発見者の話によると、
搭乗員の1人に、機外へ担ぎ出された状態で絶命していた模様。
もちろん、担ぎ出した搭乗員も絶命していたわけだが。
それほどひどい損傷は無かった模様。
なんかのはへんかなあ・・・
長官が無傷で死んだんじゃ体裁悪いから 回収に来た参謀か軍医が拳銃で遺体損傷とかじゃ。
>>712 しかし、その指示を出した奴は誰なんだ。口封じ?口減らし?
>>734 昭和19年10月の初空襲の出来事だから、訓練と空襲が偶然重なったか、
あるいは本物の空襲警報なのに訓練/演習と思い込んでしまったとか。
>>734 そこの指揮官自体も勘違いしていたんじゃ
韓国経済が近いうちに破綻するだろうという米国の予想に対し 「韓国は驚くべき方法でこの問題を解決する準備がある」と語っていたが・・・ 拉致問題解決の協力の見返りに日本からお金を借りましたとさ。 驚くべき方法とは横田恵さんの夫のチョンを利用することでしたーw いい加減自立しろよw 実にほのぼのだね。
>>738 そんな苦虫噛み潰したようなツラで「実にほのぼのだね。」なんて言っても説得力なし。
何事も洗練が第一といった海軍精神スマートネスについての講義中のこと。 熱心な講義の目を盗んで、机下で新聞を読んでいた予備学生が咎められた。 「オイ貴様!何を見ていたか!」と激しく詰問する講師。だがその生徒は、 「今述べられたスマートネスとは、芭蕉の言う軽みに通じることだと感心しその新聞に目を通しました。」 と答えたので、何も罰を受けることなく済んだ。 返答を受けた講師のほうも、まんざら悪い気はしなかったのではなかろうかと。
>>738 どの辺が軍事なんだ?
いい加減漢字くらい読めるようになれ、ぐんじとよむんだよ。
そしてここはぐんじについたかたるばしょなんだ。
ぐんじとはせんそうとかへいたいさんのことなんだ、あたまのわるいこにもひらがなならわかったかな?
国士様の嫌韓レスに一々反応するなって スルースルー
へーたいさん!へーやいさん!
宇垣纏は、傲岸不遜で人を人と思わない増上慢であり、 相手がお辞儀をしても、イナバウアーで返したそうな。
ダミーの砲にダミーの爆弾落としたドイツ機の話をみたことがあるんだが。。 何で読んだんだったかな
総理大臣を務めた宮澤喜一は、戦争直前の昭和15年の日米学生会議で渡米した時、 派遣女学生の一人であった伊地知庸子と仲良しになり、昭和18年に結婚した。 日米親善よりも、日日親善に誠心誠意努力したのである。
ネットバカウヨどもはカタワの麻生を拝んでたようだが、中露の実力のまえには、
所詮小ネズミでしかなかったな。
思い知ったか >バカウヨ
これが中露の実力なんじゃ。
これからは心を入れ替えて、現実を受け入れるんだなwww
【国連分担金】日本案の試算見送り 負担増となる中国、ロシアなどが同調しなかった
1 :バッファロー炊飯器φ ★ :2006/04/07(金) 07:26:16 ID:???0
★国連分担金、日本案の試算見送り
金田勝年外務副大臣は6日の記者会見で、国連総会第5委員会で審議中の
国連分担金比率に下限を設ける日本提案について「一部の国が提案に反対し続け、
(各国負担額を試算する)分担金委員会への送付が事実上不可能になった」と
明らかにした。負担増となる中国、ロシアなどが同調しなかった。
日経新聞
http://www.nikkei.co.jp/news/seiji/20060407AT3S0600Y06042006.html >カタワの負け犬クズ外相カタワ麻生カスゴミカタワへ
(^^^^^Д^^^^^)プギャギャギャギャギャギャギャギャギャ━
小うるさいハエが巨象に踏み潰されましたな。
半年もぎゃーぎゃーブーたれててもも、中露がマジになった瞬間このザマ。
一瞬であぼーん。
最近の宮沢喜一は日々、スターウォーズのヨーダの域に近づいている。 信じられないが本当だ
749 :
名無し三等兵 :2006/04/15(土) 13:22:41 ID:cClTqxt5
彼はなんか病気みないな風貌になったよね ガンとか
>>747 > ネットバカウヨどもはカタワの麻生を拝んでたようだが、中露の実力のまえには、
> 所詮小ネズミでしかなかったな。
コピペになんだが、だから軍板では小ネズミというのはモイゼといって(ry
カタワってなに?
麻生ってカタワなの?
754 :
名無し三等兵 :2006/04/15(土) 19:37:58 ID:D2o979DM
分担金を滞納したら、何か制裁措置が取られるのかな? まあ、国連など所詮田舎の信用組合みたいなものだし。
755 :
名無し三等兵 :2006/04/15(土) 19:43:12 ID:D2o979DM
>>558 江戸時代からフェラチオは、あったよ。春画が残っている。
しかも男がやってたんだよね 前歯が無いのがその証拠 満月の夜、元服した男子は長老の魔羅を加えさせられ 血を啜りながら男汁を受けるという 長老としてみればショタっ子にねぶられるわけであって それを羨ましがる村の者は彼の座に付くべく男を磨き 或いは屈辱的な儀式に復讐を誓った少年は森を開き土を耕し その圧倒的生産力をもってして過去の忌わしき記憶を封ずる為に しまいには元の村を滅ぼしてしまうという恐ろしい儀式
>>758 縄文時代ですか?
中国にも凄いのがある。「盲妹」という。
10歳くらいの美しい女の子を買ってくる。
目を潰し、ひたすらフェラのみを仕込む。
今でもあるかな。
人間って、ホント恐ろしい獣だよな。 実に野蛮だ・・・
抜歯が成人への通過儀礼なのはよくあること。
平安の頃にも、笛裸千代と。
それなんて民明書房?
アタシ、カッタワ!
うちの地元では 大陸で数万の女子供を強姦したり虐殺したってのが 復員した人間の土産話だったそうだ
>>766 犯罪自慢のDQNみたいのが、その世代にもいるって事だねぇ
どうせホラだろう・・・
>>767 被害者が被害を訴えて
直接の加害者が犯罪を認めてますね
何故ホラになるんだよ(w
旧軍は規律やモラルが行き届いているから 絶対に市民には危害をくわえるようなことはなかった チョンかシナか知らないがもっと勉強してからこい
771 :
こぴぺ :2006/04/19(水) 10:56:07 ID:???
ロシアにはOMOHという秘密警察のような部隊がある。(西側でいう海兵隊の特種部隊的な物) しかし、この部隊は、行き過ぎた行動をするのでモスクワの政治家からも好かれていなかった。 その行き過ぎた行動の一つに、こんな話がある。 イスラム過激派の武装集団がロシア人を人質に取り 、モスクワに身代金を要求すると言うテロ事件が発生した。 モスクワの政治家達は、テロに屈せず軍を動かすか、身代金を払うかで慎重に会議を重ねて行った。 しかし一方でOMOHが独自に動き、テロリストの身元を洗っていった。 そしてある行動に出る。。。 彼らはテロリストの立て籠もる場所を突き止め、荷物を届けた。中身は爆弾などではない。。。 テロリスト達は中身を見て絶句したであろう。。。 中にはテロリストの妻や子供達が、バラバラの姿で詰め込まれていたのである。 結局、ロシアは人質を助ける事が出来ず、人質ごと、戦車で街を砲撃するという暴挙に出ることになる。。。
ほのぼのはどこへ行ってしまったんだ……
>>771 かっこいいなあ
僕もテロリストの家族ばらばらにして箱詰めしたい
アメリカ映画の連続殺人鬼みたいでカッコイイ
>>771 オモン?
あそこは対テロ部隊だからその手の武勇伝が多いらしいけど、、、(よく知らん
>西側でいう海兵隊の特種部隊的な物 う〜ん、なんか違うぞ。 OMONは内務省の部隊だ。 ロシアの治安部隊は裏で色々やってるとか・・・
776 :
名無し三等兵 :2006/04/19(水) 14:41:38 ID:Ope6I+X7
ちなみにヨーロッパ旅行いって友人がドイツ語ペラペラだから、戦中の爺さんともあえたのでいろいろ笑え る話きいてきた。 ちなみにいてきたのはイタリアとスイスだけどね。 まずイタリアで聞いた話。 北アフリカに派遣されていたイタリア兵の爺ちゃんがいってた話。 アメリカ軍が参戦してきてどんどん北アフリカ戦線の状況が悪くなっていたころ。 イタリア兵の爺ちゃんたちが一戦終わって野営していた時、見張りの兵士がなにかを見つけたらしく、みん なに報告。 見張りの兵士が双眼鏡で見ている方向には不振人物が!!!! どうやら軍服からはアメリカ兵。どこぞでハグレタのか一人だけ。 イタリア兵の野営しているところに乗り込んできたのか?と思いながらみんなで観察していたらしい。 距離はそれなりに離れていたのでまだアメリカ兵はまだ見張られていることにきがついていない。 たった一人で、服もボロボロ。銃ももっていないようにみえる。 ちなみにアメリカ兵ははなれたテントでなにをあさっている(そのテントにはいろいろいらないものが積み 重なっていたらしい。もちろん爺ちゃんの部隊のテント。誰もいなかったらしいけど。) テントからでてきたアメリカ兵らしき人物はイタリア軍の服に着替えてこちらに向ってくる。 爺ちゃんは隊長に、 「まぬけなアメリカ兵がイタリア兵に化けてこちらに向ってきますよ。」 と報告。ちょーど夜ご飯を食べていた部隊長は、一言、 「ならもう一人分パスタつくらなければいかんな。もう一人分こさえてくれ。」 といってご飯をもう一人分用意して、なんとなけなしのワインまで準備。
777 :
名無し三等兵 :2006/04/19(水) 14:42:48 ID:Ope6I+X7
なにもしらないアメリカ兵はイタリア兵の前までくるとかなり流暢なイタリア語で(かなり上手でなまりは あるものの地方出といえば通じるレベルだったらしい。) 「すまない部隊からはぐれて・・・・。」 みたいな言い訳をはじめた。みんな彼がアメリカ兵なのを知ってるので笑いをこらえながら、 「そりゃ大変だったな。飯でも食ってけ。」 とご飯をすすめた。アメリカ兵はすごいいきおいで食べまくると、ワインも飲みきって、 「西はどちらかなぁ。原隊にもどらなきゃ・・・・。」 みたいなことをいっていこごちが悪そう(笑)すると部隊長はニヤリと笑って言った。 「今年の野球はどこのチームが優勢なんだい?」 アメリカ人は真っ青になってへたり込んでしまったそーな。 それでも捕虜かかえてもその時はめんどくさかっただけらしく、水と食料を渡して、コンパスまで渡して、 次の日命令によってその陣地を撤退することになったから、逃がしてやったらしい。 最後まで何度も何度もワインとご飯のお礼を言ってたようでいい青年だったそーな。 いい話だが、イタリア人はこれだから戦争に勝てないんだと思う。
北アフリカに派遣されていたイタリア兵の爺ちゃんがいってた話。 アメリカ軍が参戦
↑もしや、北アフリカには英軍と米軍と独軍しか居なかったと言いたいのか?
とりあえず OMOH を逆さから読んでネタだと確信した
嘘のようなネタでも、文頭に「イタリア軍」を付けると本当のような話になるから不思議
モーホ部隊
786 :
sage :2006/04/19(水) 20:35:14 ID:MqFNvAaN
WWU時の南米移民の話 イタリア敗戦 伊系移民 やっとイヤな戦争が終わったとドンちゃん騒ぎした ドイツ敗戦 独系移民 仕事を休み半旗を掲げ悲しんだ 日本敗戦 日系移民 泣きながら畑を耕した
('(゚∀゚∩_ おいらをどこかのスレに送って! /ヽ 〈/\ お別れの時にはお土産を持たせてね! /| ̄ ̄ ̄|.\/ | .モツ煮..|/  ̄ ̄ ̄ 現在の所持品:たばこ・ライター・コーヒー・ブラックブラック・枕・ケータイ電話 睡眠薬・聖教新聞 ・ダッチワイフ・外付けSCSI340MHDD・ネットランナー4月号 TYG02・小嶋進社長・ゲルトモ・ディプスファンタジア・抵抗1kΩ(黄紫橙金)・媚薬 バーボン・メシマズ嫁のお手製弁当・吉牛の割引券・木刀・アバンテ・クレイモア M24SWS・カレー ・納豆チャーハン・ウッドベース ・重力子放射線射出装置 V2ガンダムAB・ZGMF-X20A・ADFX-01・敦兼の北の方・F-35B・ニカノール
ロシア特殊部隊ネタ。 冷戦直後のスペツナズには「西側各国の後方に潜入して霍乱する」仕事がなく、 いわば失業状態。 これに目をつけたのが、ロシア軍を観光ネタにしようとした政府当局で、 「スペツナズがお相手する、サバイバルゲーム・ツアー」が、 日本のJTBとタイアップして企画された。 この他、JTBが企画した「ロシア軍ものツアー」には、 「原潜で行く北極点ツアー」 「厳寒のシベリアで軍事キャンプツアー」 「ミグ29戦闘機体験搭乗ツアー」があり、 このうち「ミグ29体験搭乗」には安全性確認のため、JTBのモスクワ駐在員が実際に搭乗している。 これらのツアーが実施されなかったのは、某カルト教団がロシアで軍事訓練をやっていたことが明るみに出て、 日本国内の旅行業者内で、軍事に関連するツアーの自粛申し合わせが出たためだった。
なお、このときミグ29に体験搭乗したJTBの社員が、 月刊誌「Bart」(廃刊)に寄稿していたが、 離陸すると機内インカムで、パイロットがのべつまくなしに話しかけてくる、 この時、日本語だろうが悲鳴だろうがとにかく答えなければならず、 何も答えがないとなると、気絶したとみなされ、即、基地に帰投するものだったとか。
>>782 この部隊の防弾チョッキ、背中に大きく「OMOH」と書いてあるんだが、
鏡に映った姿はちょっとかわいそう。
>>740 そんなとんちごっこやって悦に入ってたなんて・・・馬鹿みたい・・・
芭蕉のどこがどう通じるのか説明が聞いてみたいもんだ
そんな事ばっか言ってるとばらばr(
>>788 mig21〜29に乗るツアーって今もなかったっけ。
最近、HP見たよ。
Su25とかにも乗れた記憶が。
かなり高いみたいだけどね。
機種によって違うが、40万〜70万って「金持ちの物好きなら払うかも?」 って観光飛行レベルから、200万円スタートで内容によっては500万とか かかる体験飛行まであるね→ロシア 要するに「訓練用の燃料確保にすら事欠く空軍が、観光客を乗せること で、複座機を飛行可能状態に保ってる」って状態がソ連崩壊後に有った。 アラート任務の迎撃機以外はマジで燃料がナイ。となるとスクランブル 待機のパイロットすら、必要な訓練時間を消化する燃料代がナイ。 だから観光ツアーでミグ飛ばすパイロット、皆さん現役のファイター乗りw 趣味者には贅沢な話、軍人には涙無しに語れぬ赤貧のお話。 ちなみに一番高いツアーはMig31で成層圏まで上がって、自由落下の0G を体験しながら下りてくるって奴。ごついシールド付きのヘルメットが重い 上に、後部座席は視界が狭くて不評とか。 AB炊いて上昇限度のちょい下まで上がるので、燃料代が高くつく。 さすがに今はやってないと思うが……やってないよね?
>>793 プリンセス・テンコーが乗ったのはMIG31のやつかな。
>>793 mig fly spaceで検索したら、一杯業者らしきページがあったから、今でもやってると思う。
カスタム・オーダーであれやりたい、これやりたいといった要望にも応えているらしいし。
冷戦考えりゃ、軍人がつらい時代が平和ってのがよく判るよな。
ライトスタッフ体験ツアーかw>A/B炊いて成層圏
>>770 日清の頃は行軍中兵隊さんが勝手に農作業を手伝ってモノを貰ったり、
現地調達の食料はちゃんとお金を支払ったりと、
一般に軍紀は良かったしどこかほのぼの。
その後、戦争のたびにどんどん堕落していったと
日清〜シベリアを戦った歴戦の士官が嘆いていた。
>>795 大正〜昭和恐慌の頃らしいが、陸軍の巨魁・荒木貞夫とか
当時の師団・聯隊の幹部が真面目に論じていたのが、
「肉の共同購入をすることになった。」
「服を特約で安く仕立てられる契約を結んだ」
などなど生活防衛に関する話題。
やっとこ大尉とか言われて軍人がビンボと戦っていた時代。
でも、ある意味ではほのぼのだったな・・・・
>>791 切り返しの速さというのも重要らしい
石原が陸士だったか陸大だったか失念したが入校する時に
教官が
「これまで上った階段は何段か」との問いに
「800段です」と答えた
「800段もないだろう」と教官は言ったところ
「はい、嘘800です」と答えた
という話を聞いたらしい
とんちで切り返して悦に入ってるわけでなく
結構こういう切り返しが重要だったんだろう
頭が回るならそれでいいや、という考え方もあるな。
800 :
名無し三等兵 :2006/04/20(木) 20:45:23 ID:43zUU9G0
第一次大戦後に太平洋島嶼の旧ドイツ領が日本の委任統治領となった。 そこでは、永続的な防衛施設の建設を全面的に禁止する国際連盟の条項があった。 ワシントン海軍軍縮条約でも、日本の委任統治領の防備強化はしないことにされていた。 開戦まで帝国海軍はこの条約の義務を守っていた。そして、開戦となっても要塞化しなかった。 律義ですね。
開戦後は、輸送船の関係で無理だった。
802 :
名無し三等兵 :2006/04/20(木) 21:00:04 ID:a1G8RRFH
国士様、軍板をよごすな
まあ、普通に考えれば、 主に肉体的頑健さを基準に20歳そこそこの若造を何十、何百万と集めておいて 戦争なんて野蛮な行為の中に放り込んでおきながら、 一方で紳士的な行動を期待する、っていうのは相当無茶だ罠。
実際そうでもない 戦場に征くことは兵士にとって殺しに行くことというより 死にに行くことって気持ちが強いし。
>>806 死にに行くと思ったら余計じゃないか?
どうせ死んじまうんだし、って。
今も昔も色々な奴がいるって事でいいんじゃね?
当たり前のことだけどね
軍事板なのにピュアなやつが多いな。 おいら恥ずかしくなってしまうよ。 でも>808-809に同意する心優しき小官
昔のほうが変なやつは目立つ
812 :
名無し三等兵 :2006/04/24(月) 03:41:23 ID:M/oh/QGP
将来の独立時に国を背負って立つ青年を養成するため、陸軍中野学校の工作により インドネシアに青年学校が設立された。休暇で青年達を一時故郷に帰すと、「いったいどんな教育 をしているのか知らないが、親孝行で見違えるような立派な青年になった。大変あり難い」 といった母親達からの手紙が殺到した。 「陸軍諜報員柳川中尉」より
>>811 今は全員が厨房化しつつあるから目立たないだけw
迫力あるネ申が降臨して欲しいのがホンネ
水木しげるは、ラバウルで休日にいつも土人部落へ遊びに行って仲良しになっていた。
815 :
名無し三等兵 :2006/04/25(火) 18:18:59 ID:j9xDZjsX
昔の人は信念があるのか情報が少なかったから振り回されずに済んだだけなのか知らんが 主張に自身満々に揺るぎない物があるね、純粋培養とも言えるし芯が通ってるとも言えるし、それが良いのか悪いのかは別にして
技師をやっていたという爺さんの話。 爆弾を作ってたそうなんだが、ある時「こいつを魚捕りに使えないものか」と思い立ち、 こっそり一個をちょろまかして海へ行った。そのまま海中でドカンと一発、 しばらくして浮いてきた魚を喜んで取ろうとしたら、海底で生き残っていたカニに足を挟まれ、 驚いて逃げ帰ったという…よく処罰されんで済んだなあ。
817 :
名無し三等兵 :2006/04/26(水) 11:07:01 ID:RAUMcrxe
>>1 のエピソード、映画化されるみたいね、題目は「戦場のアリア」
フランス映画らしい。
818 :
名無し三等兵 :2006/04/26(水) 11:16:04 ID:RAUMcrxe
史実ではイギリス軍とドイツ軍では無く1914年にフランス北部の前線で対峙していたドイツ、フランス両軍の話らしい。
>>817 青島捕虜の話の映画も日本で6月に公開されるし、
こういう話が映画になるってのは良いね。
>816 俗にいうダイナマイト漁の変形バージョンだな、そりゃw まあ、戦時中その手の話しはゴマンとある。あと海軍の爆雷演習の後、急いで現場に戻って気絶した魚をかき集めて その日の食卓に上ったっていうのもあるなwww 今では一部南洋の国で行われていたりもする。日本では漁場を荒らすから現在は禁止されているはず。 爺さんも一人でやろうと思わずに連れ立ってやればよかったのにw
戦場でも、手榴弾使って食料を確保したとかなんとか聞いた事あるな。 アフリカ戦線だったか
日本軍の敵地でモラルに関する、ほのぼのとした話は、他にありませんか? 話は、変わるけど、軍事板にはじめて来て、このスレ読んで良かったよ。 AAが1レスもないってちょっとビックリ。
ウズウズ
824 :
名無し三等兵 :2006/04/26(水) 19:05:41 ID:iP9EUjgO
トラック島にて カツオ等を漁獲していた漁船群が沈められ、タンパク質の供給が無くなった。 米軍の空襲も攻撃目標が無くなった後は、時々適当に爆弾を落しに来る様になった。 岸近くの海に爆弾が落ちると、船が無くなって出漁できない漁師戦隊が 急いで海に飛び込み、爆破で浮き上がった魚を回収していた。 早くしないと魚が沈むので、爆撃と同時に出漁する。
ほのぼのって言うよりも、はらはらって感じだな。
アフガンの民兵がRPGを湖か川に撃ち込んで魚を採ってたな。
終戦直前の日本陸軍、九州某歩兵連隊。 いよいよ本土決戦か、沖縄の次は九州か、と、本土決戦に備えてさまざまな作戦が練られたが、 ある優男の兵に命令が下った作戦は、 「女装してすけべえな米兵を待ち構え、刺殺せよ」。 しかし、優男ではあっても九州男児、 「隊長、帝国陸軍の兵として戦で死ぬなら本望でありますが、女装して戦死するのはいやであります!」 隊長もこの上申には深く頷き、 「うん、おいもこがん作戦は好かんやった、それはもっともぞ」。 かくして帝国陸軍「女装特攻作戦」は実施されずに終わったのである。
車板のコピペスレに貼ってあったんだが 618 名前:名無しさん@そうだドライブへ行こう[sage] 投稿日:2006/04/26(水) 20:08:32 ID:FVxYwQvL0 44 :本当にあった怖い名無し :2006/04/25(火) 16:44:29 ID:59Q4xkEtO 大好きだった祖父のお葬式。気持ちの整理つかなくて、ずっと泣いてた。 そんな私を含め、その場にいた人が思わず吹いた戦友の人の弔辞。 戦争の時の思い出話を語ってくれて、初めて聞く話も多くて「おじいちゃん頑張ってたんだ・・・」ってしみじみしてた矢先、 「○○○さん(祖父)はずっと真面目で、慰安婦にお世話になる事もなく、日本へ帰るその年までずっと童貞でした!!」 って言葉にお葬式の場と童貞って言葉があまりに不釣り合いで笑ってしまったw その後おじいちゃんの脱童貞時期について花が咲いてました。 人柄が偲ばれる。
ガチンコ漁とビリと発破漁は切羽詰まった感があるのにほのぼのしてしまう
名古屋在住、知り合いのおじいちゃん。 飛行機工場で働いていたという話を聞いたので、 「熱田空襲は大丈夫でしたか?」と話を振ってみたら、 「おれは99艦爆の操縦席に座ったことがあるんだ。 工場で作っててな、内緒で座ってみたんだ。」 と、空襲の話はそっちのけで、よくわからない自慢話。 軍オタ御用達な99艦爆の本を見せられたり。 真珠湾の戦果の話しで応じたら、大喜び。周りの家族 に自慢してた。 軍国少年って、きっとこんなノリだったんだろうな〜
>816 の話のキモは発破漁ではなく、このヘタレなとこでは無いか? >海底で生き残っていたカニに足を挟まれ、驚いて逃げ帰ったという…
今は亡き、わがじいちゃんの思い出話。 終戦を帝国陸軍上等兵として内地の某師団司令部、弾薬庫歩哨中に迎えたじいちゃん、 内地のこととて復員も早い。 ばあちゃんと子供が疎開していた、田舎の道をとぼとぼと歩いていると、 田んぼの中で泥だらけになったガキンコが、何やら必死で捕っているのを見て、 「嗚呼、戦争に負けるもんやない、あんな小汚い子供が泥の中で食い物を漁っているなんてなあ」。 ・・・で、疎開先の家にたどり着くと、くだんの小汚いガキンコが、 「あ、おとーちゃんお帰り〜、ごちそうやで、どじょうやで〜」。 「お前なあ、じいちゃんは自分の息子つかまえてえらいボロカスに言うとったけど、 あの頃ホンマに食いモンなかったし、 どじょうって鍋にしたら美味かったんやぞ」と、いまだにとーちゃんは言っている。
関西の方は柳川鍋ってポピュラーじゃないのかね? どぜうはうめーぞ
じいちゃんの話。 俺のじいちゃんは職業軍人だったので昇進試験の話をしてくれた。 昇進試験の中に作文があり、その時のお題は「花」 じいちゃん含めて、普通の兵隊は 「花といえば桜、桜こそ武人の心であり…云々…」 と書いて提出したが、同期の天然さんは 「花といえばチューリップ、チューリップといえばオランダ…云々…」 と書いて提出して、あとで上官に怒られていたとのこと。
職業軍人ってことは、士官学校は出たのであろうに、 なんつーか、すごい天然だな。
士官学校を出た軍曹やら上等兵やらがいたのか、 なんつーか、すごい軍隊だな。
>835 チューリップでどうやって話を広げたんだろ?まとめも気になるw
オランダの球根バブルに話題を振って そこから経済と戦争の話に持っていくとか。
840 :
名無し三等兵 :2006/04/28(金) 18:36:03 ID:uskiD9EZ
もし俺がなんとなくチューリップ・・・オランダ・・・とやってしまったら、 スンビン号云々でいこうかな
841 :
835 :2006/04/28(金) 19:02:39 ID:???
じいちゃんは志願兵で軍隊入りして、終戦時には軍曹くらいだったらしい。 チューリップの話のほかにも 失敗続きのソ満国境付近の密林調査探検を成功させて褒められたとか、 連隊対抗射撃大会で優勝して連隊長からブローニングをプレゼントされたとか 100式司偵の偵察員で飛行中にエンジン故障で墜落して無人島でサバイバルとか ポツポツ話してくれました。
ある外地警察(外務省管轄)での話。 川沿いで変死体が発見された。片腕が水に入ってた。 その発見した状況の報告書が提出されると 「左腕が水中でわやわやと揺れていたものである」 と書いてあった。 わやわや!? わやわやってどんな状態だ? 方言か? でもなんとなく分かるぞ! と署内で評判になったそうだ。
もやもや病という病気もある
「わや」っつーと西日本方言で「滅茶苦茶」の事だなw
おりはゆらゆらと揺れている様をさうざうした関東人
848 :
名無し三等兵 :2006/04/28(金) 23:11:07 ID:gSgu15/7
>>247 超遅レスですまん、米国国歌「星条旗を永遠なれ」は英軍艦船に捕虜と
なった、若い米国の医師が、英艦船に捕虜となりながらも、度重なる英軍の砲撃にもめげず、砲撃が終わったら
ぼろズタになった米国旗を根限り、掲揚し続ける自軍の防壁守備隊への
賛歌として、作詩された、彼は、敵側から自軍の勇敢さを褒め称えたのです。
勘違いしてるヤツがすごく多いが、米国国歌は「星条旗」。 「星条旗よ永遠なれ」はスーザ作曲のマーチで別の曲。 三拍子の「星条旗」のかわりに行進に使われ、ほとんど第二国歌として扱われている。
日本の連合軍捕虜に赤十字から救恤品が送られて来ていたが、 検査を名目とした品物の抜き取りが問題となったため通達がでた。 「検査とはいえ試食は厳に慎むべし。ただし捕虜側から提供された場合を除く」 ちゃんと逃げ道を作っておくところなど、やっぱ食いもんの誘惑は大きかったようだ。
852 :
sage :2006/05/03(水) 14:51:38 ID:UjZ8iqvl
うちのじいさんは召集されて大陸に渡った 塹壕で訓練どおり銃を構えたところ、「何やってんだ、死んじまうぞ」「こうやるんだ」 銃だけ塹壕から出して、頭は決して出さない。敵のいる方向に適当に銃を撃つ正しい方法を教わったそうだ
>>851 第一次湾岸戦争の時に人質になった人たちに仕送りをする係をやってたけど、後で聞いたら薬や食べ物は抜かれてることが多かった、って言ってたなあ
そういうときは豚関係の物を送るに限る。 あいつらぶたに関わるものはさわるのもいやがるからな。
ガダルカナル撤退命令で海岸に集まった兵士達。 駆逐艦が迎えに来るまで、集積所の残米を自由に食べてよいとの指示がでた。 飢餓状態だった兵士達は大喜びで米を口にしたが、 胃袋が小さくなっているのに米飯を詰め込んだため、 食い過ぎ状態で死んでしまった者が結構いた。本望・・・・
読売新聞「戦争の飢えを日本軍が救った」中国の作家が異色ルポ」
日中戦争さなかの1942年、大干ばつに見舞われた河南省の人々を救ったのは、なんと日本軍だった――。
そんな史実を描いた、中国人作家のルポルタージュが日本語に翻訳され、注目を集めている。主題は日本軍の「美談」ではなく、
人間の「生きる」という営為は政治や戦争の善悪を超えるということ。人々の生活こそが歴史を作るとの作者の主張は、
政治対立に翻弄(ほんろう)される日中関係に新たな視点を提供している。この作品は北京在住の人気作家、
劉震雲氏(47)が発表した「温故一九四二(1942年を訪ねる)」。邦訳はこのほど竹内実監修・劉燕子訳で中国書店から刊行された。
1942年、河南省など華北一帯は激しい干ばつに襲われ、同省では約300万人が餓死。
同省の農村出身の劉氏は郷里を取材して歩き、資料を調査して、当時の飢餓地獄の惨状をルポルタージュにまとめた。
作品が異色なのは、飢えた人々を助けたのは国民党政府ではなく、「侵略者」である日本軍が放出した軍糧だった、
という史実を明らかにし、「敵の食糧」を食べて生き延びた人々の選択を肯定した点。中国では、日本軍は「絶対的な悪」であり、
国民は売国奴であってはならないとの認識が強いため、作品は批判も含めて論争を引き起こした。
そんな国内事情を承知しつつも、劉氏があえてノンフィクションの形で作品を世に問うたのは、
「人々にとって政治とか戦争とかは小問題であり、『食べる』ことこそが大問題だ」という根源的な真理を訴えたかったからだ。
政治がどうあれ、人々は飯を食べ、生きていかなければならない。そうした人間の営みが歴史の源流だ。
政治や戦争が歴史の主役であるかのように見えるが、実は歴史を動かすのは人々の生活だ――。
劉氏の作家としての基本的視点はそこにある。
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060503i314.htm
ちょうど新聞で読んだな
858 :
名無し三等兵 :2006/05/06(土) 15:26:21 ID:B/CtK584
>>855 救助現場では脱水症状の遭難者に水を与えた途端に安心して緊張感が抜けて死んじまうってのは結構あるみたいだ。
なんでだかかね?体がびっくりしちゃうのかな
重度の脱水なら真水を与えたらマジで死んじゃうかも。 ですのでスポドリをあげてくださいな。
スポドリで思い出したけれども酒を飲みすぎてグッタリした友人はポカリを飲まされて 急性アル中で死に掛けたらしいんで飲みすぎの時はスポドリは止めた方が良いでしょう
吸収がいいポカリとかと酒一緒に飲むと、一緒に吸収されちゃうから 酔いやすくなるって聞いたことがある。
アクエリアスとカロリーメイトで2週間ぐらい生活したあと、 ケンタッキーのチキンが胃に受け付けてもらえなかった事がありました。
しかし、飲み過ぎた翌日のスポドリはいい。 頭イテェ、胃がぁ、とかって時に飲むと「ああ、なんか身体が今必要としているモノが 入ってくる」という実感がわく。 それが味わいたくて深酒するような変態ではないつもりだが。
864 :
名無し三等兵 :2006/05/07(日) 23:18:09 ID:VOf3W83I
少しくスレ違いかもしれんが。三島が印南さんの本の序文に書いている 3点、戦後自衛隊でも門衛が敬礼する時の視線は馬上を見ている、 シベリアで兵の待遇改善に尽くした印南さんは将校なのに労務に つかされた、軍歴中一度だけ兵を殴った(居眠りしていた歩哨を。 軍法会議行きにならないように)は好きだ。 最初のロス五輪の時の城戸さんと久軍の話、そしてアメリカ市民が その記念碑を建てたという話も好きだ。 騎兵ネタばかりだな。
865 :
名無し三等兵 :2006/05/07(日) 23:23:08 ID:01a8Bl5x
>>855 ナチスの強制収容所を解放したとき、囚人に食料を与えたら
ショック死者が続出したらしい。
866 :
名無し三等兵 :2006/05/07(日) 23:32:47 ID:01a8Bl5x
太平洋の戦場で、日本軍は沿線気分を煽ろうとヌード写真やセックス画を 大量にばら撒いたが、米兵はそれを慰問品として待ちわび目の保養に していた。 また、米軍も同じようにヌード写真をばら撒いていたが、日本兵 もそれを慰問品とし目の保養。 あまり、効果はなかったようだ。
>>855 逆に、消化器系がむちゃくちゃにやられていておかゆようなものしか受け付けなかった、
本当にかわいそうだった。
とかあった気がする。
数日程度の断食でも、通常の食事に戻る前には まず白湯から胃に入れないと調子悪くなるっていうからな。
869 :
名無し三等兵 :2006/05/08(月) 08:01:52 ID:HICAzCsR
ガダルカナルの元兵士によると極端な飢餓状態になると服さえ重く感じるらしいからな。 実際、褌一丁でガリガリに痩せた日本兵の遺体写真が結構残ってる
ガダルカナルでは、敵弾に当たって戦死した兵士は「不幸中の幸い」とされた。
そういえば日本兵は壊れてない腕時計を捨てちゃう理由が「おもいから」 だったな・・・ 英霊に敬礼!!
>>865 長期の飢餓状態から満腹中枢が麻痺してしまい、
胃袋が破裂するまで食べ続けたのだとか・・・
をい!いつ飢餓話がほのぼのとした話になったんだYO!
戦争映画や当時の写真とかで野戦食事中の兵達を見るけど、何か凄い美味しそうに感じるんだよな。
875 :
名無し三等兵 :2006/05/09(火) 00:19:02 ID:DuM4zVkT
飢餓絡みだが、シベリアで強制労働させられている日本兵に日露戦争の 捕虜だったという老人が、食べ物を差し入れてくれたという話がある。 概出かな?
マツヤマー
>>875 シベリ抑留(ソ連の捕虜)で、そこの収容所の若いソ連人の娘が献身的に治療してくれていて
「何故そこまでしてくれるのだ?」と日本兵が尋ねたら
「私の父は日露戦争で日本の捕虜になりましたが、
それは大変丁寧に対応して戴いたのでそのお返しです。
いつも父から聞かされていましたので。」
と返答されてその日本兵は感極まって泣いたとかそんな感じの話なら聞いた事があるが。
>>191 米軍にも納入されているという非常食はまずいまずい。
自衛隊に納入されている非常食はけっこういける。
>>878 MREは非常食じゃないだろ。
訓練中に自衛隊とMREを交換して「こんなうまいものと不味いMREを交換して悪かった」
と後で謝りに来たって話は結構あるな。
…それはそれとして、MREを食った事あるが別に不味くはなかったんだが(とくに美味いわけでもないが)。
本を読んでも「不味くて喰えたものではないが、編集の某氏は普通に食べていた」なんつう話もあるし、
不味く感じるかどうかってのは何が差なんだろうね?
881 :
名無し三等兵 :2006/05/09(火) 15:49:07 ID:ahTlk7nl
黄色のシミのついたふんどしをタオルだと、勘違いして顔を 吹いていた米兵の話は、前の方にあったと思ったが、 今でも、記念に所有しているのか?
882 :
名無し三等兵 :2006/05/09(火) 17:31:15 ID:Oj37eQmD
>>779 たまに食うだけなら不味くはないだろうが、それを一ヶ月間でも常食としてみろ。
>>880 実際に、知り合いの陸上自衛隊員からもらって食ったら美味かった。
その隊員いわく、冗談半分だと思うが、
「カンメシの中じゃたくあん缶、いちばんカネがかかってるらしいからネ」。
軍用の携行食ってのは、ほどほどに不味く作ってあるらしい。 3日分の食料を一食でぺろりと平らげられても、あとの2日困るから。 同じ理由でカロリーメイトなんかも、ほどほどに不味く作ってある。
886 :
名無し三等兵 :2006/05/09(火) 21:25:35 ID:USV4QZs6
>>885 カロリーメイトは普通にお菓子の味がする。
軍用チョコレートはまずくしたらしいが。すぐみんな食べちゃうから。
887 :
名無し三等兵 :2006/05/09(火) 21:33:31 ID:vMSIXnTO
スイス軍のパンは、メチャクチャ不味いらしい。何かの本に書いて あったけど。 美食に慣れては、長期戦は戦えないということかな?
>887 まあ戦闘糧食は栄養補給の観点から見るべきものであって、美食目的でないのは明白だからな。 美味いからって食いすぎて兵站が追いつかない、なんてのは根本的にナンセンスな訳で・・・・・・・・ ヘタリア軍はどうも昔から美味さを追及していたみたいだが、肝心の戦争が疎かになっていた次第でwww
889 :
KE−86 :2006/05/09(火) 22:01:11 ID:???
海上自衛隊某航空基地祭で、 対潜ヘリの救命ボートに積んである非常食が展示されていました。 見た目と寸法は銀色の金属箔に包まれた、小ぶりの羊羹そっくり。 私「これ、美味いんですか?」 隊員「いや〜、お世辞にも美味いとは・・・」 ・・・で、不味いわけを聞くと、やはり一度で食べ切ってしまわないためと、 高カロリーの材料をこれでもかと使っているため、美味くなりようがないんだとか。
>>879 >不味く感じるかどうかってのは何が差なんだろうね?
好みにもよるし、連食すればどんなものでもまずく感じるし、
そもそも同じ品質のレーションが来てるとは限らない。
たとえば自衛隊の缶メシは暖めた状態で支給されるが、
余ったやつは回収されて保管され、次の機会にまた暖めて出される。
暖めて冷ますのを4,5回くらい繰り返した缶メシというのもある。
891 :
名無し三等兵 :2006/05/10(水) 06:48:45 ID:m3rksSGs
そういや戦国時代の携帯食を再現した奴を見た事ある、きな粉と胡麻と蜂蜜とアンコを丸め固めて乾燥させた物。 ガキが作る砂場の団子みたいで明らかに不味そうだったけど日持ちして少量で高カロリーなので非常食としては利に適ってるという話だった。
892 :
名無し三等兵 :2006/05/10(水) 09:26:56 ID:pGHvJBZR
第二次大戦終了後。降伏した日本軍の司令官と武装解除を担当した 豪軍の司令官の話。 日本軍司令官は、第一次世界大戦時は、地中海でUボートに撃沈されて 漂流中の連合軍兵士の救助にあたった駆逐艦の乗組員。 そして、豪軍司令官は、その駆逐艦に助けられた人物。 両者が話し合って、これは奇遇だということになり、そのあと 事はすべてスムーズに運んだとか。
スイスは、備蓄義務?の終わった穀物からパンを作るからな。 日本で言うと、古々米みたいなものだ。 観光客相手には、普通の新しい麦のパンを出すけど。
895 :
名無し三等兵 :2006/05/10(水) 18:14:05 ID:BX+IMCrt
トラック等にて、 補給がなくなり食糧自給をせざるをえなくなった初めの頃、 椰子の木のてっぺんの成長点近くが筍のようにやわらかく、煮た味も筍に似ているため、 それを椰子筍(やしだけ)と称して切りとって食べた。 しかし、椰子は枝が出ずにてっぺんの成長点だけで伸びるので、椰子筍を取ってしまうと一生のおわり。 それの枝葉は残っているが、もはや実は着かない。こうして、無惨に頭をつまれた椰子林が残った。
>>893 そういや、アメリカで50年代から60年代にかけて建設されたシェルターで、非常用として服やら缶詰やの日用
品が大量に備蓄されてたまんまというのを10年くらい前のCBSで見た。
古物屋とかには宝の山なんだろうな。
さすがにワインは出てこないか。
>896 ジーンズのバイヤーが、本当に掘り出し物が欲しい時は アフリカの市場に行くって話を聞いたことがある。 たま〜にだけど、援助物資の中古がまだ残ってたりするらしい。 リーバイスって言っても通じないから、現地の読み方を勉強していくそうな。
899 :
895 :2006/05/10(水) 22:28:16 ID:???
等→トラック島の誤り
900 :
名無し三等兵 :2006/05/11(木) 05:44:37 ID:6mpVgnDp
900
901 :
名無し三等兵 :2006/05/11(木) 06:39:23 ID:blCWcG99
>>895 滝沢聖峰の漫画では不味くて吐きだされてたが、そんなに貴重だったのかww
男ならチンチン食われるようなものか…いたた
味噌もレーションよん
糞味噌レーションと申したか
906 :
名無し三等兵 :2006/05/11(木) 21:02:36 ID:72YHcZK7
食い物に最も金をかけているのはアメリカ軍かな?ベトナム戦争のとき 兵隊に食わすアイスクリームを作るためにバターを買い占めたために、 米軍基地周辺では、バターがなくなってしまったそうだ。 アメリカのような他民族国家では、イスラム教徒用の食事など 別途作っていそうだ。
軍用ハンバーガーとかないのかね
>>906 WW2での「Cレーション」にはイスラム教徒向けのものがあり、
パッケージにそれを示す三日月のマークが入っていた。
その当時ならムスリムよりユダヤ教徒向けだろ
今はベジタリアン向けがあるな。
エホバの証人の信者の兵士が輸血が必要になったらどうするの?
そもそも他人と争うのがダメなんじゃなかったか? なのに兵士に志願すんのか?
>>912 イスラエル、ユダヤ教のネトゥレイ・カータ派のように、
国が「宗教上の良心的兵役拒否」を認めている宗派もあるね。
資格が欲しい、学費の為等で他人と戦うつもりが全く無い志願兵もいる。 イラク戦争のときも「軍に入ったのは学費の為で戦争をするためじゃない」と良心的兵役拒否を主張した女性兵士がいたが、 「とりあえず審査結果が出るまで部隊といっしょに行動しなさい」という上官の命令を無視して逃亡、不名誉除隊処分になった。
>>914 米軍の女性兵士で問題になっているのが「結婚しても出産、産休のために除隊しない」。
民間の病院で出産すると多額の医療費がかかる上、民間企業では産休も取れるとは限らないのだが、
米軍の場合は軍病院で、全くの無料で出産でき、産休も保証されている。
・・・そうなると後方では、部隊によっては3分の1の女性兵士が入院、または産休中で、
部隊として機能しなくなるケースも発生。
軍当局としてはひとたび始めた優遇策の撤回もできず、頭の痛いところだという。
>913 確かその宗派、「生めよ増やせよ地に満ちよ」という神の教えをもっとも忠実に守っている 一派でもあるので、「このまま行けば将来イスラエル人は全員兵役に付かずラビになるから パレスチナ人は労せずしてイスラエル人を武力制圧できる」という冗談が囁かれてるとか。
愛国心は多くの志願兵が持ってるだろうが、某映画の登場人物みたいに狂ってる奴となると極少数か
918 :
戦湯 :2006/05/12(金) 12:25:33 ID:???
日本で捕虜運動会を開催したら、彼らは赤組を熱烈希望した。 その理由を訊ねると、もう白旗を振るのはイヤだからと。 戦時中の漫画の一コマ。
919 :
名無し三等兵 :2006/05/12(金) 16:32:25 ID:oQg6xUgS
あまり聞かないが、各国の兵士の性処理ってどうやっているんだろう? ベトナム戦争時、慰問のため訪れた劇団の女優が、非公式に兵士の相手をした という話はきいたことがある。兵士同士の性交渉など問題が多々ありそうだ。 昔の戦記ものを読むと、女の話が一番盛り上がり、数少ない慰めになったというのが 万国共通だろう。 今は、エイズ問題が深刻だから、野放図に売春婦買わせるわけにはいかないだろうし、 かといってストレスの溜まる軍務では、どこかでガス抜きが必要だし、難しい 問題だ。 フランス軍は、専用の慰安婦を抱えて、軍医が健康を管理しているそうだ。
>>919 日本軍は、ほっといても娼婦が舞台の後をついてきてたんで
しょうがなく軍医が性病チェックとかしてたとも聞くが。
イタリア軍あたりだったら、ほっといても兵士が自分で女を探しに行くんだろうな。
そして病気もらってきちゃって部隊ごとあぼーんとかwww
むしろイタリア軍は兵士が帰って来ないような……。
兵士「上官殿、それでは行って来ます。お楽しみを有難うございます」 上官「おk。楽しんで来い」 ・・・・ 上官「(゚д゚)」
>>920 大真面目に、アフリカに派遣されたキューバ軍事顧問団では、
部隊によっては50%以上の将兵がエイズに感染している。
マキャベリは、ある土地を完全に支配下におきたいなら 植民政策が重要だといった。 イタリア兵はそれを各個人で実施しているにすぎない。
各自が全裸にSTABOハーネスで銃剣を(スレ違い
日本国内の収容所の捕虜達は、終戦後間もなく開放されたが、 すぐに遊廓に出かけた強者も結構いた。 お代は食料や衣料、酒タバコなどで。
従軍看護婦の募集でいったら従軍慰安婦だったといってたうちのばあさま 一応客の相手したらしいがわりと兵隊さんにかわいがられて優遇されたそうな
釣れますか?
>>927 のつづき
欧米の捕虜が開放された時、日本の風習で奇異に感じていた、
女性が公共施設に入るとき、警官や憲兵にお辞儀をする風習を
すぐ廃止するように関係先へ訴えたそうな。
捕虜の解放って、町中でやるもんなのか? 鮭の放流みたいに「ほら、君たちは自由だよ〜どこに行ってもいいんだよ〜」 なんて捕虜を解放するもんなのか? そしてなんで捕虜が、普通の市民の習慣を細かく知ってるんだ? 「関係先に訴えた」って、日本人の習慣に口出しする関係先ってどこだ?
常に人の国の文化を見下すよね。 欧米かっ!
知り合いの爺の話 本土防衛の航空パイロットになって初めて自分の家の上を飛んだ時 家族に勇姿を見せたくて(その日に上空を飛ぶと知らせていた)超低空飛行で飛んでいたら 木に当たってタイヤを脚ごと1つ吹っ飛ばしてしまった(脚収納しろよw) その後その木の周辺で軍人10人で数時間に渡る脚部品探しが行われた どうやら自衛隊の薬莢拾いの歴史のルーツは古いようだ
このスレに限った話でも無いが、ピー屋で働いてたとか虐殺した体験を孫に話す老人というのは相当ブッ飛んでる。 いたとしたらまともな人間では無い
虐殺の定義
935 :
名無し三等兵 :2006/05/13(土) 20:36:08 ID:IPgn6CXv
>>933 少しばかりお酒を飲みすぎたんだよキッと
赦してあげてね!
936 :
名無し三等兵 :2006/05/13(土) 20:54:39 ID:NoIe6zUn
>>930 日露戦争から第一次世界大戦まで、捕虜は結構自由だったからね。
温泉入ったり、女郎小屋通いしたり。のどかな時代だったんだな。
大東亜戦争時も街中で労働とかしたりしたらしいから。
今の恥知らずな援交少女だって親に出会い系で知り合ったオッサンにマンコをレンタルして稼いだ金でプラダのバック買ったなんて言わない。 貞操観念の強い昔の人なら尚更、孫にそんな事知られたか無いだろ。 大抵はどんな悪人でも自分の家族にだけは善良な人間だと思われたいと思うけどな
938 :
名無し三等兵 :2006/05/13(土) 23:31:24 ID:fUkpAjXa
>>937 だからぁ〜 お婆さんは酒を飲みすぎて武勇伝のつもりで孫にベラベラ話したダケだぉ〜
武士の情けで見逃してヤレよ!
939 :
名無し三等兵 :2006/05/13(土) 23:34:44 ID:Z00Snll2
>>932 超低空飛行なら脚降ろすのは当たり前だから許してやれ。
バンドオブブラザースを見てて一番勃起したシーンは アウシュビッツで女どもが乳丸出しで生活してたところ
>939 郷土訪問飛行は事故が多いので 「自分の操縦」でわ、よほどのコトが亡い限り禁止されておったはずだが・・。
942 :
戦湯 :2006/05/14(日) 00:35:22 ID:???
うちの爺さん、海軍でサイダー飲みすぎて虫歯になりました。(下戸) 未成年のうちから煙草吸いまくりでした。(未成年の喫煙、軍隊では当たり前?) 従兵やって偉い人のおこぼれ貰いました・・・。(なんか肉とか・・・)
今だってそんな奴はいくらでもおるじゃん。 まぁ昔の方が寛容だったろうけど
軍隊でタバコの味を覚えた、ってのは日本に限らずドイツ初め世界中の常だぜ。
退役後も止められないから税収もUP!
948 :
名無し三等兵 :2006/05/14(日) 10:20:46 ID:6ffEtxYv
広島で原爆が投下されたとき、アメリカ軍の捕虜は生き残った市民に なぶり殺しにされたが、長崎にいた捕虜は、一緒に後片付けを したりしている。この差は、どうしてだ?
戦時中、俺の親戚の人が満州に出征していた。ソ連が押し寄せてきた時に、一緒に隠れていた人に 「私が何とかするのであなたは逃げなさい」(という趣旨の内容)を言った。 その後、俺の親戚の人はソ連人の前へいって通訳に軍人ではないと嘘を言って助かったそうだ。 終戦後、帰ってきたその親戚の人は尋ね人のラジオ放送で助けた人を探し出し涙の抱擁をしたそうだ。 残念な事にその親戚の人は俺が小学生の時に亡くなった。
>>943 一応日本には、明治時代から未成年の喫煙を禁止する
法律はありました。
罰則の無い禁止規定なんてザル法もいいとこだ。
>>951 自衛隊でも未成年の喫煙は黙認だとか。
隠れて吸って火事にならないようにだそうです。
まあ今の日本も、芸能人等、公共の場にいるような人間は兎も角として、高校を卒業した時点で酒も煙草も回りから 別に何も言われなくなるのが普通だからな。 大学の新歓コンパなんて、未成年がうじゃうじゃじゃんw 大抵そこで酒の洗礼を受ける人間が大半だ。後はもう既に高校生の内に終えているか、社会人の歓迎会で洗礼を受ける。 マージャンでも賭けが当たり前なのに、公共の面前では途端に違法行為となるのも一緒。 それらを摘発したなら、一体日本のマージャン愛好家達で潔白な奴がどれだけいることだろうか? 本音と建前の国なのかもしれんな。いっその事18歳を境に成人と定義し直した方がいいのかもしれん。
飲酒、喫煙の年齢制限は未成年者飲酒禁止法及び未成年者喫煙禁止法に よって個別に制限されており、民法上の成人の定義とは(制限年齢は同一の 満20歳ではあるが)独立している。
>955 だからその個別に制定されている飲酒と喫煙の法律も民法上の成人の定義と合わせたらいいのと違うか? 江戸の昔なんて喫煙は兎も角として、16歳で元服して一人前扱いだったんだし。酒も飲み放題だw 健康上の観点からというのもあるが、実社会で罰則を受けたなんて公人を除き、殆ど無きが如しだしな。
ちっともほのぼのしないし軍板的でもない・・・
自衛隊では有事の際、18歳以上でないと 出陣できないのだろうか?
960 :
名無し三等兵 :2006/05/14(日) 21:33:38 ID:lKhj2KIW
日露戦争までは、両軍の戦闘時間も定められ 休戦時間には両軍の兵士同士の交流みたいなのもあったそうだな
962 :
名無し三等兵 :2006/05/14(日) 23:46:43 ID:EmLayt+v
>>948 広島の捕虜は護送中のB29搭乗員だったから
それなりに詳しく、画家の丸木夫妻がこの話を広めていて、人権の教科書にものってた
人権の教科書… 相当クソな雑誌なんだろうな
映画にもなった小説にあったな 東京を爆撃に行って、撃墜されたB29の乗組員が北海道まで逃げようとする話が その小説をいま読んでいるのだけど、殺人とか犯したりけっこうアレだよ まあ、現実問題としてこれは不可能に限りなく近いがな 日本は極めて人口密度が高い国だから海岸沿いを歩いて人目につかないことは難しい 何より日本では白人は目立つからな。 どんなに頑張っても逃げられないだろう。可能性があったとしたら、山中にひっそり隠れるくらいだな
きわめて計画的に町を焼いて非戦闘員を大量に焼き殺してるんだから 爆撃機の搭乗員には余り同情できんのが本音だ。
焼夷弾って、火事にする気満々だしな わざわざ専用設計しやがって
沖縄戦で戦闘機のパイロット三人が撃墜され、日本軍の捕虜となって処刑された事件があった。 その三人の慰霊碑を最近立てられたことをTBSで筑紫が紹介していたけどね 勘弁してくれってのが正直な感想だった 処刑した日本兵は戦後は戦犯として処刑されている。 何より、捕虜を確保する余裕が無い状況では、現場指揮官の判断で処刑する権限が戦時国際法でも認められているのだよ 問題とされるのは殺す際の残虐行為くらいだ。 それなのに処刑そのものを問題として戦犯とするなど、公正とは言い難い それを仮にも日本のテレビがあのような報道するとは無いだろうと思った
え?TBSと筑紫って日本のテレビだったの?
警察学校の卒業式後に飲み会いった例を聞いたことがある 18歳で入って半年から1年で卒業だったと思うが...結構いただろうな 必ずしも18歳で入るわけではないから全員ではないだろうがね
>>970 大多数が1、2類(大学、短大卒)だから無問題。
>>964 第二次大戦航空史話に載ってた話に
空母ハンコック所属のヘルダイバーが、北海道を攻撃した際に山中に激突。
生き残った偵察員が、米や野菜を盗んで終戦まで生き延びた。
てはあったな
厳密には戦時ではないのだが。 昨年ホームステイ先で聞いた、ある親子2代のパイロットの話。 父は多分F102か106乗り、息子の乗機は不明。 退役した父が、息子の所属部隊の基地に招かれた。 父の前で見事な着陸を決めた息子を見て、父の目が潤む。 そこへ息子の上官(かつて父の部下だった人)横から一言。 「あれはあなたの着陸ですよ。デルタとは機の特性が違うけれども、 着陸時の敵襲を意識して、ぎりぎりまで速度を保っている。 あなたが現役だった頃は、まだ彼は小さくて、見たことはあっても 理屈などわからなかったでしょうに。やはり”血”なんでしょうね」
>何より、捕虜を確保する余裕が無い状況では、現場指揮官の判断で処刑する権限が戦時国際法でも認められているのだよ そんな国際法聞いたことないぞ どこにかいてあった?
>974 いったん捕虜とした以上処刑なぞすることは出来ないのが国際法だね。 ほのぼのとした扱いをするのが国際法上正しいが、自軍の平坦すらままならない 状況では.... 放免することすら難しい訳だが。
ふつうにボート載せて海流しにしたらレスキューが来て拾っていくだろう。
何処のサンダーバードが来るんだよ…
映画「Das boot」でも撃沈した英輸送船の乗組員(軍属?)を見捨てるシーンがあったな。 勿論、憎いとかそういう意味でじゃなくて作戦行動中の為余裕が無いから仕方なくだけど。 本来は護衛の戦闘艦が救助している筈のをしていなかったりで、「親父」達も怒ってたり泣いたりしてたけど。
>>979 ちと違う。
映画「Uボート」の舞台背景となった時期、ドイツ海軍司令部からは、
「撃沈した艦艇の生存者を救助するな」という命令が出ていたから。
Uボートの損耗率が異様なほど高まっていた時期でもあり、
「戦果の確認さえできれば、救助活動をやっている暇があればとっととズラかれ」という意味の命令だった。
あの時期、もうでてたっけ? ありゃ、救助活動してたUボートが撃沈されちゃったんで、でたんだよな。 全然ほのぼのしてねぇ・・