1 :
名無し三等兵 :
05/02/16 06:38:42 ID:2T5Ty2QR
私たち二人一緒じゃダメですか?
>1 乙 パンツァーフォー
乙
モツカレー
7 :
1 :05/02/17 05:30:37 ID:???
>>5 わー、悪い。スマソ。
前スレでも謝ったがここでもお詫び。
とりあえず懲罰大隊逝って来まつ。
前スレ終了age
そうそう マンシュタイン信者は書き込まないでね。 荒れる元になるからさ。
マンシュタインは世界史に残る名将。
>9 >11 モラルを持てば何信者でも良し 衣食足りたる者として発言しましょう
マンシュタインは東部戦線が主体なのが貧乏くじだったな。 それにひきかえ、ロンメルは米英に高く評価され、 むしろ敵からのひいきがひいきの引き倒し的。 『将軍アイク』や『パットン戦車軍団』なんか見れば首を傾げたくなる。 米国人はホントにロンメルがすきなんだということがよくわかるよ。 そのあおりでモンティは・・・・・・
ロンメルもクルーゲと一緒に反乱起こせば良かったのに
>>13 > 『将軍アイク』や『パットン戦車軍団』なんか見れば首を傾げたくなる。
> 米国人はホントにロンメルがすきなんだということがよくわかるよ。
> そのあおりでモンティは・・・・・・
ロンメル以前に、パットンの異常行動を、無理矢理正当化してるのが、甚だしく
最後には神の御加護で全てかたずけるメンタリティには付いてゆけぬ。
ブッラドレイは無能で、パットンは精神異常者。
それでも勝てるぐらい戦力差があっただけっしょ
16 :
名無し三等兵 :05/02/18 22:42:24 ID:wwsaRAj3
クルーゲは名将か、否か? グデーリアンとは仲が悪かったようだが
17 :
名無し三等兵 :05/02/18 22:59:19 ID:7t1e38s0
ハインツ最高!
>>15 >>それでも勝てるぐらい戦力差があっただけっしょ
精神がアレかつ有能ってことじゃないんかのぅ。
破綻してる「だけ」の凡人には勤まらん。
ブラッドレーは知らんケド
マッカーサーがヨーロッパで戦っていたらどんな評価を受けたんだろうか?
アブない原爆オヤジだって>>マッカーサー インチョン上陸作戦も大バクチだしな。
ヴェーラーとか微妙な所を出してみるテスト
パンヴィッツとかさらに美乳なところも出してみるテスト
>>21 パットンて当時中将なのに、
元帥であるマッカーサーにライバル意識があったらしいから、
思いっきり足をひっぱるだろうね。
やっぱアイゼンハワーじゃなきゃ、パットンを使いこなせないでしょう。
WWU前後ならぜークトは絶対に外せんだろう。 作戦屋や良くて軍事レベルの戦略家までの香具師が大半の独逸の将星 の中じゃ珍しい例外。
フィーテングホフ将軍とか
マンシュタイン信者キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!
30 :
26 :05/02/21 12:40:03 ID:???
>28 ハァ?「黒い共和国軍」としてワイマール共和国軍10万人をWW2 を戦えるまでの独逸国防軍に育てる種として育成し、しかも「戦争が 政治の一形態である公理と同様に戦争が政治の破産である」という所 まで透徹した、ぜークトの単なる軍事レベルを超えた戦略家としての 側面を漏れは押しているのだ。 マンシュタインなんて到底そんなレベルには思えませんな。彼の理解 し得る範囲はせいぜい純粋に軍事のレベルでの戦略までだろ? WWUである程度それに近いのは政治と不可分な「建艦政策」という 形で軍事以上の戦略を常に意識せざるをえない海軍のデーニッツとか レーダーくらいじゃないかと思うね。
ゼークトって、たしか片眼鏡をかけてた香具師かな。 ほんとかどうかはわからんが、ヒトラーに追放されて、 中国の蒋介石政権に仕えてたとか。
>30 まとめるとマンシュタインの方が軍人と してはるかに優れている ということですな。
>>26 つか、ドイツの高級軍人(特に陸軍)は
意図的に政治と距離を置こうとした形跡があるんだがな。
いわゆる「古き良きプロシア陸軍の伝統」ってやつ?
ま、おかげでヒトラーの跳梁跋扈を
許した、という側面も否定はしがたいわけだが。
>>33 「(マンシュタインは)天才的な戦略家だ。
私は彼を尊敬している。しかし彼は幻想家だ」-ロンメル元帥談
ライヘナウのあだ名・・・・事務屋 パウルスのあだ名・・・・事務屋 デスクワークは得意なのか。
ドイツ軍の将官は事務屋とそうでないものの二つに分かれるのだろうか。
レーダーのあだ名も事務屋だって。 設計士かとおもったが。
機動戦の魔術師 マンシュタイン
41 :
名無し三等兵 :05/03/02 19:27:32 ID:dd5vzwZn
一つ質問だけど、ロンメルはD-Dayの日には奥さんが誕生日だったので、ノルマンディにはおらず、 ドイツ、ヘルリンゲンの自宅に帰っていましたよね。あれって、連合軍はその日を狙って上陸作戦を決行した のでしょうか?それとも、単なる偶然だったのでしょうか?「水際殲滅作戦」を提唱していたロンメルが、あの日、 ノルマンディにいたらドイツの全機甲師団は最前線に出動しており、歴史は変わっていた、という説すらあるんですが。 単なる偶然だったとしたら、連合軍には本当にツキがあったというワケですね。
狙うもなにも悪天候で日にちがずれているのに あと第二戦線は作らなくてもソ連が潰すだろうよ
まあ、確かにあのロンメルが現地にいたら、 どうなっていたかわからないね。
偶然。そもそもD-Day自体が前日延期されて6月6日に結構された。
>>30 ゼークトに言及されている部分に対しては、特に異論はない。
しかし、ゼークトとマンシュタインとの比較において、そのようにマンシュタインを断じる事はできないだろうね。
置かれた状況と立場が違うから。
比較すること自体ナンセンス(もっともそれはあなたの方から言い出した事ではなかったようだけどね)。
>>41 水際殲滅作戦を提唱はしたが容れられていない。
従って、「ドイツの全機甲師団は最前線に出動」
しているわけがない。
ちなみに編成上、西方軍の装甲部隊は
ロンメルの指揮下にはなかったからな。
西方装甲集団とB軍集団は同格で並列していた。
ま、詳しくは1944年7月3日付けの
ロンメルの日次報告でも読んでみ。
アーヴィングの「狐の足跡」とか「ヒトラーの戦争」では ロンメルは水際殲滅作戦なんて提唱してないってことになってるよね。 まあアーヴィングという人間を信じられるかどうかがそもそも大問題だが。
48 :
46 :05/03/07 03:28:50 ID:???
ルーゲの「ノルマンディのロンメル」は まだ手に入るのかな。無理だろうなあ。
49 :
名無し三等兵 :2005/03/21(月) 21:50:26 ID:q9TyLchL
>>1 あなたはこのスレッドを立てた時、どれだけのレスがつくと思っていましたか? 500?それとも1000?
今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います!
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限りレス100も突破することなく、数々の駄スレと同じ運命をたどって
奥深く埋もれていくことは確実でしょう!
「俺が立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」 きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう!ですが、客観的に見てあなたのスレッドは、
残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません!
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです!
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた!
そんなあなたが気の毒でなりません!人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・!
だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました!
私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、そして私のこのレスによるageが、
スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、こんなにうれしいことはありません!
2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった 不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・!
50 :
名無し三等兵 :2005/03/22(火) 20:29:22 ID:EpgaMV18
下痢上げ
51 :
名無し三等兵 :2005/03/22(火) 21:05:53 ID:???
52 :
名無し三等兵 :2005/03/23(水) 21:27:26 ID:???
ビオフェルミンじゃダメかい?
53 :
名無し三等兵 :2005/03/23(水) 22:51:21 ID:???
ていうかロンメルスレいらねーし。 こんなアホなことすると、 マンシュタイン信者が勘違いするだろ? ロンメルのスレがあるならってさw
54 :
名無し三等兵 :2005/03/24(木) 23:11:14 ID:???
ライヘナウはヒトラー主義者ということで悪く言われがちだが 軍人としては有能だと思ふ
55 :
名無し三等兵 :2005/03/26(土) 14:18:59 ID:U6CkMmeX
クルーゲってとんでもなく役立たずな気がするんだけど 実際、何か役に立ったの?
56 :
名無し三等兵 :2005/03/26(土) 16:18:15 ID:???
57 :
名無し三等兵 :2005/03/27(日) 08:27:49 ID:???
58 :
名無し三等兵 :2005/03/27(日) 11:47:23 ID:???
59 :
名無し三等兵 :2005/03/27(日) 18:17:58 ID:???
>>58 >グデーリアンの装甲戦理論を
でも実戦に生かしてるとは言えないわな。
>キエフ包囲戦
他の奴がやっても勝てる戦を持ち出されても・・・
>南方軍集団建て直し
解任されたルントシュテットに倣ってロストフ放棄しただけ。
(総統閣下にそれを認めさせる政治力はあったんだよな)
60 :
名無し三等兵 :2005/03/28(月) 03:00:07 ID:???
クルーゲはロンメルと一緒にクーデター起こしてれば もっと歴史から評価されたのにな
61 :
名無し三等兵 :2005/03/28(月) 13:56:37 ID:???
>>60 それでもマンシュタインにはかなわないよ。
62 :
名無し三等兵 :2005/03/28(月) 18:47:44 ID:???
>>59 >でも実戦に生かしてるとは言えないわな。
なぜ?ポーランドでもフランスでも軍司令官として戦功を挙げてるが
>他の奴がやっても勝てる戦を持ち出されても・・・
「勝てる戦に勝つべくして勝つ」のが有能とは評価されないのか?
63 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 14:31:47 ID:???
>>62 ダメダメ。
ドイツならもっと有能なのがいるからその程度だと「ライヘナウごとき」で終わっちゃう。
もっと評価できるとこ説明してよ。
64 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 21:37:26 ID:rW0hTHnO
もまいら 三度にわたり方面軍総司令官に任命されたルントシュテット元帥閣下を忘れてはいませんか?
65 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 21:39:01 ID:???
ルントシュテットくらい仕事をしないヤシも珍しいって当時いわれてたんだぞ。 だから中々将官になれなかった。
66 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 21:45:49 ID:rW0hTHnO
でも、クルーゲ総司令官の時にズタズタになった西部方面軍全体を 立て直した手腕は見事だと思うが
67 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 21:55:07 ID:???
ま動かざること山のごとしってことだろ。
68 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 21:59:28 ID:???
ノルマンディ上陸の時、ノルマンディには第21・SS12・Panzer Lehrの装甲師団 があったけど、これらが属してたのはシュベペンブルクの西方装甲軍(装甲集団)? それともドルマンの第7軍? シュベペンブルクの評価とあわせてご教授ねがいます。 彼は1940年の対仏戦から大将のままで、昇進していないようなので・・・
69 :
名無し三等兵 :2005/03/30(水) 22:06:01 ID:???
70 :
名無し三等兵 :2005/03/31(木) 01:04:58 ID:???
そうやってオイシイところだけを喰うのがお前の悪いクセだ
71 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 06:46:26 ID:???
>>68 ここらの部隊は編成上
西方装甲集団の隷下だけど
指揮系統がややこしすぎてよくワカラン。
戦闘開始となれば
B軍集団とかG軍集団に編入されるのは
明白だったにも関わらず
準備段階では前線部隊に指揮権がなかった、と。
まあ、おかげでノルマンディ上陸が
うまくいった、ともいえるんだがな。
72 :
71 :皇紀2665/04/01(金) 06:52:29 ID:???
ちなみにシュヴェッペンブルグに関しては 独ソ戦初期、師団長クラスとしては そこそこ有能だったが ノルマンディ防衛にあたって ロンメルの建策を採らなかった点等 西側連合軍の実力を見抜けなかったということで 評価を下げている、と見ておるわけだが。
73 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 15:09:44 ID:???
じゃあ、見ておれ。
74 :
名無し三等兵 :皇紀2665/04/01(金) 15:36:23 ID:kgwFoWAb
>>71 西部方面戦車軍(呼び方は色々w)はOKW直轄でなかった?
75 :
71 :2005/04/02(土) 04:02:26 ID:???
>>74 西方装甲集団(漏れはこう呼んでる)は
ルントシュテットの西方軍直属だったはず、たしか。
12SSとか教導師団あたりは
戦術的指揮権に関してOKW直轄だったように
記憶しておるわけだが、まあ
>指揮系統がややこしすぎてよくワカラン
つーのがやっぱり本音。
76 :
68 :2005/04/03(日) 02:02:58 ID:???
>>71 ありがとうございます。
シュベペンブルクの名前はグデーリアンの伝記によくでてきますね。
カレルの「彼らは来た」ではあんまいい書かれかたをされてなかった気がする
77 :
名無し三等兵 :2005/04/09(土) 22:45:49 ID:???
語られることの少ない、北方軍集団三人衆 レープ元帥 キュヒラー元帥 ブッシュ元帥 について語って下さい。
78 :
名無し三等兵 :2005/04/10(日) 06:48:01 ID:???
>>77 そこらの連中って語るに足るような
面白いネタが少ないからなあ。
全体として、可もなく不可もなく
淡々と軍務を遂行したって印象が強い。
ま、それが本来の軍人のあるべき姿なんだろうけどな。
79 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 02:11:19 ID:???
>>77 > レープ元帥
強姦魔
> キュヒラー元帥
独裁者
> ブッシュ元帥
親の七光り
80 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 15:28:56 ID:???
81 :
名無し三等兵 :2005/04/11(月) 22:54:03 ID:???
レイプとか子ブッシュと掛けてるんじゃ・・・
82 :
名無し三等兵 :2005/04/12(火) 05:44:21 ID:???
>>81 つーことはキュヒラー→ヒトラーの連想か?
だとすると、
>>79 は死ぬほど寒いし
ネタをネタと見抜けなかった
>>80 も悲しいものがあるなあ。
83 :
名無し三等兵 :2005/04/12(火) 08:38:41 ID:???
エルンスト・ブッシュ 1885年7月6日、エッセン=シュテーレに生まれる。大リヒターフェルデ士官学校で学ん だ後、1904年、ドイツ帝国軍に入隊。第一次大戦中は西部戦線で果敢に戦い、その軍功 により、1918年にプール・ル・メリート勲章受章。 その後も軍に残り、1930年には中佐として第9歩兵大隊長。彼は熱狂的なナチ信奉者で あったため、1933年にヒトラーが首相に就任してからはとんとん拍子に昇進を重ねる。 1935年に少将、1937年に中将、1938年には歩兵軍大将に任ぜられる。同じくナチ信奉者 だったライヒェナウとともに、チェコスロヴァキア侵攻をヒトラーに熱心に進言した のも彼である。 ポーランド侵攻の際にはリストの指揮下で戦い、その後、第16軍司令官として西部戦線 を転戦。1940年には騎士十字章を授与され、同年、上級大将となる。 バルバロッサ作戦では、赤軍の反攻に対し、ストラヤ〜オスタシュコフ間の前線を死守 し、この功により1943年、元帥に任ぜられる。1943年にはクルーゲにかわって中央軍集 団司令官となるが、1944年にはブッシュにかわってモーデルがこの地位についた。 1945年には北西軍集団司令官として復帰し、第一空挺軍とともにモンゴメリーの侵攻を 食い止めようとしたが、北方軍集団司令官に転じた翌日の5月3日にイギリス軍に捕えら れる。7月17日、拘留中に心臓発作にて死去。
84 :
名無し三等兵 :2005/04/14(木) 02:21:02 ID:???
85 :
名無し三等兵 :2005/04/21(木) 21:56:52 ID:9tvXLhW5
86 :
名無し三等兵 :2005/04/21(木) 22:15:07 ID:???
クルーゲではないような気がするが
87 :
名無し三等兵 :2005/04/21(木) 22:33:18 ID:Qfz4pEbh
>>85 あたりつけてぐぐったらすぐわかったよ。
中央はモーデル、右はネーリング。
88 :
名無し三等兵 :2005/04/21(木) 22:54:28 ID:???
89 :
名無し三等兵 :2005/04/23(土) 01:31:21 ID:???
>>1 あなたはこのスレッドを立てた時、どれだけのレスがつくと思っていましたか? 500?それとも1000?
今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います!
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限りレス100も突破することなく、数々の駄スレと同じ運命をたどって
奥深く埋もれていくことは確実でしょう!
「俺が立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」 きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう!ですが、客観的に見てあなたのスレッドは、
残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません!
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです!
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた!
そんなあなたが気の毒でなりません!人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・!
だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました!
私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、そして私のこのレスによるageが、
スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、こんなにうれしいことはありません!
2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった 不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・!
90 :
名無し三等兵 :2005/04/23(土) 01:33:25 ID:3IL6dIxg
>>1 あなたはこのスレッドを立てた時、どれだけのレスがつくと思っていましたか? 500?それとも1000?
今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います!
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限りレス100も突破することなく、数々の駄スレと同じ運命をたどって
奥深く埋もれていくことは確実でしょう!
「俺が立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」 きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう!ですが、客観的に見てあなたのスレッドは、
残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません!
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです!
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた!
そんなあなたが気の毒でなりません!人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・!
だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました!
私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、そして私のこのレスによるageが、
スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、こんなにうれしいことはありません!
2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった 不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・!
91 :
名無し三等兵 :2005/04/23(土) 01:38:24 ID:???
>>1 あなたはこのスレッドを立てた時、どれだけのレスがつくと思っていましたか? 500?それとも1000?
今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います!
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限りレス100も突破することなく、数々の駄スレと同じ運命をたどって
奥深く埋もれていくことは確実でしょう!
「俺が立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」 きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう!ですが、客観的に見てあなたのスレッドは、
残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません!
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです!
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた!
そんなあなたが気の毒でなりません!人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・!
だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました!
私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、そして私のこのレスによるageが、
スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、こんなにうれしいことはありません!
2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった 不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・!
92 :
名無し三等兵 :2005/04/23(土) 01:43:08 ID:???
>>1 あなたはこのスレッドを立てた時、どれだけのレスがつくと思っていましたか? 500?それとも1000?
今現在、モニターの前でどきどきしながらリロードを繰り返していることと思います!
でも残念ながらこのままのペースでは、自作自演でもしない限りレス100も突破することなく、数々の駄スレと同じ運命をたどって
奥深く埋もれていくことは確実でしょう!
「俺が立てたスレは他の奴らが立てた”駄スレ”とは一味違う!」 きっとあなたはそんなふうに思っているのでしょう!ですが、客観的に見てあなたのスレッドは、
残念ながら「低レベル」と言わざるを得ません!
あなたが立てた「一味違うスレッド」というものは、普段あなたが一笑に付し軽蔑している「駄スレ」の正にそれなのです!
ちょっとした勘違いから生まれたスレッドによって、深く傷つくあなた!
そんなあなたが気の毒でなりません!人は誰しも幸せになれるはずなのに・・・!
だからあなたにこのレスを書きました。sageも入れないでおきました!
私のこのレスが「レス100突破」に微力ながら貢献できるのならば、そして私のこのレスによるageが、
スレッド再燃に微力ながら貢献できるのならば、こんなにうれしいことはありません!
2ちゃんねるという場所ですら、周りと噛み合うことができなかった 不器用なあなたに、両手いっぱいの幸せが訪れますように・・・!
93 :
名無し三等兵 :2005/04/23(土) 06:23:03 ID:???
>>47 あーう゛ぃんぐは少なくともユダヤ人問題で起訴された始まった裁判に、すべて出廷し、自ら証言・弁論を行うだけの根性がある椰子だと言うことは認めてやってくれ。
(だいたいあの裁判の一応原告のリプシュタットとかいう学者がかったことになっているわけだが、
なぜかしらんが英国の裁判所はほんらい敗訴者が負担し勝訴者に支払うべき裁判費用を得る権利を彼女に認めていない・・・)
94 :
名無し三等兵 :2005/04/23(土) 06:34:12 ID:???
イイカラアッチイケヨ(;−д−)σ)Д´>
95 :
名無し三等兵 :2005/04/26(火) 20:12:22 ID:???
ロンメルの凄いところはインパール作戦ばりにDQNな戦略構想を大マジで成功させた事だと思う。 山下や今村や本間なら心労でぶっ倒れて辻、牟田口コンビがやって来る気がする
96 :
名無し三等兵 :2005/04/26(火) 22:10:27 ID:???
>>95 ヒーさん
なに?
アフリカでロンメルが倒れた?
よろしい、私が直接指揮しよう。
97 :
名無し三等兵 :2005/04/27(水) 23:57:15 ID:???
>>96 アフリカ戦車軍参謀長から問い合わせ
「小官の任務はどのようなものになるのか?」
98 :
名無し三等兵 :2005/05/04(水) 20:36:49 ID:???
>>85 のサイトかっこいいカラー写真いっぱいあるな!
GJ!!!
99 :
名無し三等兵 :2005/05/08(日) 05:32:35 ID:???
>>77-79 はじめて名前を聞いた時、人前で口に出せないなと思ってたが
綴りはLeebだからGoebbelsやRibbentropみたいなもんなんだね。
>>83 中央軍集団の壊滅にブッシュ号泣
100なら柏原芳恵とセックスできる。
102 :
名無し三等兵 :2005/05/10(火) 23:44:14 ID:z80WgJIi
ルフトヴァッフェのエースパイロット、ヴァルター・シュックってまだ存命なのでしょうか? 戦争生き抜いてますし、最近のものであろうカラー写真もあります。 知ってる人いますか? 206機撃墜で、かなりのイケメンです
105 :
102 :2005/05/11(水) 23:06:54 ID:udCdcs6s
マインシュタインはあけすけな言動で 同僚や上官に無茶苦茶評判が悪かった。 ルントシュテットの参謀になるまでは冷や飯食わされてた。 脚光を浴びれたのはルントシュテットの引立てがあったから。
またマ イ ンシュタインか
109 :
名無し三等兵 :2005/05/26(木) 10:11:10 ID:eg/UiqXo
>>106 マンシュタインは、当時最強の総力戦理論家ベックの信任も厚い、
ドイツ参謀本部超主流派と思っていたけど。
だからこそ、ベックがヒトラーとぶつかって主流派が後退していく過程で、
一時的に冷や飯を食わされたんじゃなかったっけ。
110 :
名無し三等兵 :2005/05/27(金) 21:54:53 ID:BozYDhov
マンシュタイン信者 ウゼー!
111 :
名無し三等兵 :2005/05/27(金) 22:23:02 ID:40WhjrIB
ロンメル将軍に関する小説(内外を問わず)読みたいのですが、紹介して下さい。
112 :
109 :2005/05/27(金) 22:47:39 ID:???
>>110 なぜに信者と?
ベックをほめたところで突っこまれるならわかるが。
ほっとけ。前からアンチドイツの辻ーん信者が、マンシュタインを叩いてるw
ヘルマン・ホトについては既出ですか? 誰か語って下さい
117 :
名無し三等兵 :2005/05/28(土) 15:57:45 ID:jRd1zJN1
お前らクライストを忘れてるぞ。クルーゲを出すならクライストも出さんと。
>>109 漏れも主流だと思う。陸大出てないけど。
フリッチュの罷免で抗議運動やって歩兵師団長に左遷だったっけな?
まあ、グーの逆で軍の中では生き上手だった気がする。
ベックは一次大戦終結後の参謀総長(隊務局長)
としてはゼークトの次に当たりだと思う。
漏れは東部戦線よりイタリア戦線で戦いたい。 ケッセルリンク空軍元帥マンセー
ゲーリングの田舎者め!
エヴァルト・フォン・クライスト騎兵大将
Vorwarts mit unserem Rommel! ズシン!ズシン! Vorwarts mit unserem Rommel! ズシン!
124 :
109 :2005/05/28(土) 23:27:42 ID:???
>>118 レスありがとう。
マンシュタインは確かに生き上手かもね。
あと、運もいい。
ルントシュテットの司令部にいたとき、
マンシュタインの部下にヘニング・フォン・トレスコウがいたのは、
極めつけの幸運だった。
トレスコウはマンシュタインを信頼してくれて、
その上、優秀でマンシュタインの構想を理解できるだけでなく、
上層部に無茶顔が利いた。
おかげでマンシュタイン計画がヒトラーに採用された。
トレスコウの存在がマンシュタインに出世の道を開いたといえるかもね。
トレスコウはボックの時の中央軍集団参謀長だったな
>>124 いあいあとんでもない。
マンシュタイン計画を通したのってトレスコウだったのか。
トレスコウが反ナチに向かうのはもう少し後だったのか。
「回想の第三帝国」って案外当てにならないのかもなぁ。
127 :
109 :2005/05/30(月) 11:44:45 ID:???
>>126 たびたびありがとうございます。
「回想の第三帝国」はいい本ですよ。
ただ、西方戦役のときのトレスコウとマンシュタインのことは、
直接関係していないから書いていないのです。
体験したことしか書いていないのは、
シュタールベルク本自体の記述の信頼性を高めてもいます。
執拗な抵抗運動へのマンシュタイン勧誘にしても、
トレスコウ、ベックとマンシュタインの特殊関係があって、
はじめて考えられるわけで。
逆にいうと、鼻っ柱の強いマンシュタインが、
ある程度、頭を下げなければいけなかった、
例外的な存在である参謀将校が、トレスコウとベックだったのでしょう。
(他にルントシュテットかな)
そして師匠のベックと同志トレスコウは信念に殉じて自決、
マンシュタインは生きのこりました。
これにはマンシュタイン自身、苦しんでいるようなところがあります。
128 :
名無し三等兵 :2005/05/30(月) 20:19:49 ID:NB0OaUcq
ドイツにはHenning von Treskow Strasse(ヘニング・フォン・トレスコウ通り)というのがたくさんある。 でも、ベック通り、マンシュタイン通りというのはない。ベック通りはよく探せばどっかにあるかもしれない。 マンシュタイン通りはないだろう。トレスコウ、ベックは7月20日事件の首謀者だったのが評価されている から、反ナチ運動の英雄扱いなのだ。
>>128 検索したら、かなりルートヴィッヒ・ベック・シュトラーセもあるみたい。
国防省があるところは、
シュタウフェンベルク・シュトラーセになっているけど、
かれは将官でないから、sage。
>>127 いえ、面白いから続けておりますので御気遣い無く。
知識的に何時までついて行けるか分からないですが。
記憶で書いておりますので間違っていたらすみません。
あの本にはトレスコウはナチスに対して当初より批判的であった旨
が書かれていたと思います。
(上巻のパレードを見ているシーンだったか、狩猟会だったかな?)
私はてっきりこの時にすでに件の能動的な反ナチスのグループの
近くにいたかと思っていたのですが、ご存知の通り
マンシュタイン計画の頃には既にヒトラーの排除、暗殺、クーデター計画も
練られ、実行されかかっておりますし連合国への情報漏洩や接触も
行われていました。
ですが、トレスコウはフランス侵攻がより上手くいくような計画
を上層部に推して通してしまっている。
こりゃいったいどういうことだ、反ナチとトレスコウとの距離は
戦前にイギリスに行ってしまっているシュタールベルク氏より遠いのか?
と思った訳です。
情報部は確かフランス侵攻の計画、意図を流していたと思います。
しかしながら、あの本はマンシュタインをはじめ、コルティッツ、
ブッシュ、ボックといった将軍連の人間像が分かって面白かったです。
個人的に一番ツボにきたのはフェルギーベルでしたが。
>>130 反ヒトラーは個人の意見だが、自分は参謀の仕事で国民から給料もらってる、給料分は働かねばならない、て事では?
(参謀の仕事つーのは、「最小限の損害」(←損害=兵士の命)で最大の戦果をもたらすべく肝脳を絞りつくすって事で)
h
しかしマンシュタインって凄い実績だな。 ヒトラーは口出しせずにこいつにまかせておけば独ソ戦勝てたのにな。
134 :
名無し三等兵 :2005/06/07(火) 02:39:08 ID:+7hOShDf
>>133 そりゃ無理だろ。
誰が戦争指導しても資源が増えるわけじゃないからな。
マンシュタイン自身、自分が戦争指導やれば
引き分け=対ソ講和くらいには持ち込める、という
見通しを持ってた形跡はあるが。
136 :
名無し三等兵 :2005/06/07(火) 05:13:04 ID:C8k52oCZ
マンシュタインを参謀総長にする案もあったのにね
イイ将が多かったの事実だろうが元帥の安売りはイクナイな、
元帥の上に上級元帥を作ればよかったのに・・・
三等元帥とか二等元帥とか
軍曹元帥、伍長元帥、少尉元帥とかいっぱい作れるよ。
うほっ!元帥だらけの水泳大会
朝鮮人民軍には元帥の次という意味で次帥という階級があるらしいね
戦争がないと戦死がなくて将官インフレになるから、階級を増やさないと大変だね。
小元帥、中元帥、大元帥、天竺大元帥、大大元帥、摩訶大大元帥、無明摩訶大元帥、泰元帥、大局元帥
大元帥、元帥長、上級元帥、元帥、元帥補
ここは画期的な元帥号を語るスレとなりましたw
最上級元帥 国会最高元帥
ギター元帥
元帥長 元帥副長
153 :
名無し三等兵 :2005/06/10(金) 20:09:00 ID:I7aF9tRI
>>138 なぜ、やたらと元帥が多かった理由を知っているか?プロシア陸軍以来、「元帥は降伏できない」という
伝統があったからだ。モーデルは45年にルール地方で包囲された時に、「元帥の降伏は不名誉だ」と
言って拳銃自殺をした。パウルスがスターリングラードで包囲された後に、急に、元帥に昇格させられた
のは、この伝統を使って第6軍の降伏をヒトラーが防ごうとしたからだ。
つまり、元帥の安売りというのは、「お前等は日本軍のように降伏は禁止されているのだ」ということを、
ナチス党の政治家が国防軍に強制しようとしたから。
154 :
名無し三等兵 :2005/06/10(金) 20:25:11 ID:y5IUxELc
1945年 シュレーズィエンの州都であるブレスラウの防衛戦闘は戦史に残る戦い ではないだろうか。ヘアマン ニーホフ将軍以下の将兵が死兵と化して戦ったこの防衛戦闘で 多大な赤軍将兵の血をブレスラウで流されたのだ。
>>153 1940年のフランス戦後も、急に元帥が増えてる。
この時期の元帥の大量生産は1943年以降の「降伏するなよヴォケ」という目的ではなく、
陸軍の将軍達をヒトラーに手なづけるためだったそうだ。
あと、元帥は「降伏できない」のではなく、「それまで降伏した元帥はいない」んじゃなかったっけ?
そうだよパウルスより前に降伏した元帥は・・・・・ アレ?一次戦のときコンピエーニュで降伏文書にサインしたのはバイエルン公レオポルド元帥じゃなかったっけ?
国家元帥というのはかなり誤訳に近いんだよな。 Reichsmarschallって言うのは、 神聖ローマ帝国時代のReichの軍司令官の長と言う意味だから、 本来、帝国元帥とか、帝国大元帥と称すべきもんなんだよな。 だって、対比すべき軍人というのは、オイゲン公とかなんだから。
>156 フリードリヒ大王の元で一人いますぜ
159 :
名無し三等兵 :2005/06/17(金) 08:40:28 ID:8SnkmUys
ヘプナー保守
シュティルプナーゲル保守
おりこうハンス保守
家のじいさん、時間に厳格で顔が怖く見えて、でもブラウヒッチェの如く 色々とフォローしてくれるのでハルダー参謀総長みたいだよ。 そんな自分は爺将軍系が好きなようだ・・・ カール・ルドルフ・ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥が一番好きだし・・・
俺、グデーリアンが好き
パウルスが元帥で、グーデリアンが上級大将って理不尽な気がする。
そういえば何でグデーリアンって元帥にならなかったんだろう? ミルヒやカイテルなどと比べるとちょっと冷遇されてる印象を受けるんだけど。
グデーリアンは総統に反抗的だったからかもしれないけど、 ルントシュテットやマンシュタインも反抗して罷免されてるし、何でだろうね?
グデーリアンに関して知られてる話は自伝がほとんどだからな。 ほんとに反抗的だったかどうか。 ブルメントリットの証言だとけっこう嫌なオヤジ。
要するに総統と馬が合わなかったのかな。 それともカイテルやヨードルに嫌われてたとか…
いや単に本当はヘタレだっただけ。
上級大将から元帥にするだけの功績があったかどうか 意外になかったんじゃないかと思う。 ロンメルは目立ったし宣伝のためもあっただろう。 パウルスは景気づけ。 クライストはコーカサスからの撤退をうまくやったということで昇進。
あと、やっぱり周囲との折り合いが悪すぎたのかも知れん
あ、わかった。グデ親父はヒトラーにわりと忠実だったから元帥に昇進させて歓心を買う必要がなかったんだ。
参謀総長になってからぶち切れまくりじゃなかった?
有能だけど、周囲が白い目で見ちゃう位に機会主義者だったんだと思う。
個人的にはあんまり好きではない。ごめんね
>>163 の人。
175 :
名無し三等兵 :2005/06/20(月) 23:39:53 ID:xFTBiwWZ
★今月21日火曜日、テレビ東京の午後のロードショー『風とライオン』はすごいぞ!! ドイツ・アフリカ派遣軍登場!! 監督ジョン・ミリアス、主演ショーン・コネリー、キャンディス・バーゲン
グデーリアンが元帥になれなかったのは、 ただ単に上級大将→元帥のタイミングで必要な武勲が無かったからでは? その一度解任され、装甲総監になってからは前線部隊の如く華々しく功績を 上げられる立場に無かったしね。
>>176 >>177 無知なのはお前らの方だ。この映画20世紀初めのモロッコが舞台だぞ
そんなところにDAKがいるか?www
180 :
名無し三等兵 :2005/06/21(火) 17:39:30 ID:3JksSZQ4
素朴な質問すいません、第二次大戦時ドイツの軍隊は国防軍と親衛隊「武装SS」で二つに分かれていたんですが、全盛期にそれぞれ何万人ぐらいいたんですか? あと元帥の数が連合軍よりかなり多いと聞いたんですが何人ぐらいいたのでしょうか?
元帥は18人?
>>180 武装SSで「師団」を名乗ったものが40近くあったらしい
…と加登川幸太郎が書いている。
国防軍の人数はどれくらいなんだろうな。たぶん1942年頃が全盛期かな?
>>180 それは初心者質問スレで聞いたほうが早いかも。
ちなみに武装SSは最大で約80万人。
うち
帝国ドイツ人約40万人(ドイツ本国及びオーストリア人)
民族ドイツ人約18万5千人(東欧など国外のドイツ系住民)
西欧諸国国民約13万人(北欧、ベルギー、オランダ、フランスなど)
東欧諸国国民約20万人(ユーゴ、ウクライナ、ロシア、バルト諸国など)
184 :
名無し三等兵 :2005/06/21(火) 20:01:47 ID:3JksSZQ4
40個師団といっても半数は実質的に連隊かそれ以下だったらしい。
レープ元帥怖い モーデル元帥の顔イイ(・∀・) マンシュタイン元帥が昭和天皇になんか似てる。別の写真ではもっと謀将っぽい顔してたな。
>>187 目つきが悪くなったのは眼の手術のせいだお
白内障手術だったっけ
目が悪いから挨拶されても気付かず 相手に悪い印象与えたりしたらしいね>万シュタイン
パウルスだけ勲章つけてないんだね
>>190 パウルスは1942年に騎士十字章、スターリングラード降伏直前の1943年1月に柏葉付を授与されている。
写真はそれ以前、もしくはソ連の捕虜になってからのものかも。
まだ出てない? ゴットハルト・ハインリーツィ上級大将。 「彼は空気が鉛になってから撤退する。それも熟慮の上でだ」
>>186 で見比べると
クルーゲが一番かっこいいな
次はロンメル そして微妙なコンビになってしまったw
>>192 「詳解独ソ戦全史」によれば、最近ハインリーツィの独ソ戦に関する手記が発見されて出版準備が進んでいるそうだが。
日本じゃまず出ないだろうな。
195 :
名無し三等兵 :2005/06/22(水) 08:27:26 ID:LgGfRMc3
バルバロッサ作戦では3方面に出撃したと書いてあるのですがその時、三人の指揮官にベックとクリューゲの名前がないのは?なぜですか!
クルーゲは中部方面軍第4軍司令官。 ベックは何してたんだろうな。
元帥の歳の差はどれくらいあるの?
>>195 >>196 ベックってLudwig Beckのこと? 1939年にチェコ併合に反対して辞任してます。
(戦争勃発の場合は反ヒトラークーデタを計画していたのは有名な話)その後は
軍籍も離れ、7月20日事件を起こしたグループのメンバーとなって抵抗運動やります。
>>186 のリストに載ってるのはボック元帥Fedor von Bockですが、こちらは
バルバロッサ作戦当時はご存じ中央軍集団司令官ですね。その後南方軍集団
およびB軍集団の司令官となってブラウ作戦を指揮したのち予備役に編入されます。
終戦直前に英軍機の低空攻撃で受けた負傷が元で死去。
ロンメルにせよボックにせよ、ドイツは元帥をちゃんと警備しろと 航空機にやられすぎだろ
飛行機が落ちたって話も多いような気がする
戦闘機総監メルダース大佐が墜落事故だったな、将官じゃないけど。
ライヘナウも空輸中に墜落死してるね
第1装甲軍の司令官フーベ上級大将Hans-Valentin Hubeも墜落死。 総統本営でヒトラーに講和を要求して大激論になった(と言われる)直後、 前線に戻る途中だった。 ま、これはSSに消された可能性があるな。
これなんかも飛行機がらみなんだろうけど、第11軍司令官ショーベルト上級大将。 シュトルヒ連絡機でロシア軍地雷原に不時着して戦死(1941年9月12日)。 後任はマンシュタイン。
武装SSのテオドール・アイケもシュトルヒで戦場視察中に撃墜されて戦死。 ただ彼の場合は終戦まで生き延びたとしても、ダッハウの所長だったという過去があるから戦犯として裁かれたのは間違いないけど
独軍は防空を軽視しすぎだったな
第20山岳軍のディートルも墜死だけど 『回想の第三帝国』で直前に総統大本営でやりあったのが原因かみたいな 当時の噂の話があったな
貴様ら海軍大将が撃墜された国の国民が えらそうな事言ってはいけませんよ。
>>208 海軍大将がジャングルで遭難死してる国家
それが日本クオリティ
空軍上級大将が墜死してる国家
それがドイツクオリティ
空軍元帥が自軍の対空砲火で墜死してる国家
それがイタリアクオリティ
訂正 空軍上級大将が墜死してる国家 ↓ 空軍上級大将がRAFの攻撃で墜死してる国家
GF長官はともかく9F長官の遠藤喜一大将はマジで遭難死だお
213 :
名無し三等兵 :2005/06/23(木) 00:10:05 ID:g3Mv+kmE
ユダヤ人虐殺の段取りをしたアイヒマンと名前忘れたけど、レジスタンスに負傷させられてそれが原因で亡くなった人の親衛隊での地位はなんでしたっけ?
215 :
名無し三等兵 :2005/06/23(木) 00:19:08 ID:g3Mv+kmE
ごめんごめんハイドリッヒだったかなー?
>>213 > レジスタンスに負傷させられてそれが原因で亡くなった人の親衛隊での地位はなんでしたっけ?
ラインハルト・ハイドリヒ(Reinhard Tristan Eugen Heydrich)・SS大将
217 :
名無し三等兵 :2005/06/23(木) 01:10:59 ID:LK6YaNey
上級部隊指揮官とかそーゆー階級?
218 :
名無し三等兵 :2005/06/23(木) 01:45:34 ID:vEOslxmK
ハイドリヒの最終階級はSS大将兼警察大将 SS-Obergruppenfuehrer und General der Polizei
>>212 古賀峯一も遭難だよな
GF長官も大変だな
アイヒマンはたしかSS少佐Obersturmbannf?hrerどまりだった。 そういや古賀大将ってドイツから騎士十字章もらってたんだってね。
ハイドリヒって空軍の少将もいなかったっけ?
>>221 リヒャルト・ハイドリヒって降下兵中将がいる
>>221 ミヒャエル・ハイドリヒっていう国防軍軍曹もいたよ。
けっこういる名前なんだな・・・・・ハイドリヒ
そりゃ名字だからな、いたっておかしくないw
>>207 ディートル大将って墜落死だったのか
知らなかった
作戦「北極光」を成功させた将軍だよな
あとドイツ軍での驚きは、戦争中に自殺しちゃう将官がいること。 ロンメルやクルーゲはヒトラーに殺されるところだったからまあ仕方ないとして、 空軍のウーデットとかイエショネクとか。 日本軍で乗艦沈没や玉砕、終戦の時以外で自殺しちゃった将官ているのだろうか?
モーデル元帥の最期も悲惨だったような。 B軍集団の降伏後、森の中を部下数人とさまよって歩き疲れた所で拳銃自殺、だっけ。
オランダで脱出しようとしたが諦めて自殺だったような。 「元帥は決して捕虜にはならぬ。そのような事態はあり得ぬ」 モーデルさんってさ、1939年のポーランド戦の時は「南方軍集団第10軍第4軍団参謀長」だったそうだが、 その後ルール地方で包囲されるまでずっと戦場で働いてたんだな。モーデル偉いよモーデル
あり得ぬつーてもとっくにパウルスが捕虜になってたのでは。 モーデル要領悪いよモーデル。
>>230 まあ、モーデルはヒトラーのお気に入りだった、ってことで
他の将軍連中にはウケが良くないみたいだがな。
他の人だったら、解任とか、ヘタすりゃタイーホされるような
ヒトラーに楯突くマネしても
「モーデルが言うなら間違いない」で許されたりとかな。
伍長:「アレしてコレせよ」
モーデル:「不可能です」
伍長:「そうか。じゃ、しかたがない」
スレ違いかもしれんが、ヘス副総統は長生きしたんだよね。 死因については諸説あるけど。
当時の生き残りってまだ結構いるんだよな。エバ・ブラウンの姪とか、ロンメルの子供とか。 レニー・リーフェンシュタールは最近亡くなってしまったが。
漏れの先祖は豊臣秀吉ですが何か?
それは凄いですね ぜひ半島にも出かけて自慢してみてはいかがですか
ロンメルも伍長のお気に入りだったが、 後には意見もあまり聞いてもらえず、 挙句あんな事になってしまったが…。 モーデルとの差は何だったのだろう。
>>237 攻勢得意と守勢得意の相違
大戦後半は守勢得意の将軍が重んじられたからだろ
それに、モーデルは伍長にほとんど逆らってない
>>237 ヒトラー暗殺計画が失敗に終わった際に、東部戦線から真っ先にヒトラーに対する
忠誠を誓う電報を打ったのはモーデルだそうですよ。
マンシュタインは「プロイセンの元帥は謀反はせぬ」と言って7月20日事件グループへの 関与を拒否したそうだね。クルーゲも土壇場でためらうし。 冷静で頭脳優秀なはずの将軍・高級将校たちが明らかな負け戦を放棄しようとしなかった のはどうしてなのかな。
>>241 軍人はただ勝つ事だけを本務と考えるからだろ
軍人として戦いを放棄することは自己矛盾だからな
自分だけ放棄してもしょうがないじゃないか
・敗勢下とはいえ、国民はヒトラーを支持している ・ヒトラー怖いよヒトラー ・戦争に負けても処刑されるとは限らないが、クーデターに失敗したら間違いなくあぼーん ・クーデターを成功させても戦争が終結するとは限らない。特にソ連が大人しく講和するかどうか?
ゼークト将軍のドクトリンも大きかったんじゃねえ? しかし軍人が政治に介入しまくって滅びた国の事もあることだしな…。
>>245 どこの国のことを言いたいかは見当が付くが、WWIのドイツが正に軍人の政治介入でこけた訳で。最高司令部体制って奴だ。
まあだからこそ、軍人の政治不介入、ってことで
>>241 に対する回答になるわけで。
ロンメルなんかは西側との講和を画策してたという
節もあるらしいが。
大体負け戦だからっても放棄するより
少しでも手強しという印象を与えといた方が
多少なりとも有利な条件で手打ちできそうだが。
ゼークト介入しまくりだよゼークト ロンメルシュパイデルの回想録のせいで講和論者にされちゃったよロンメル
シュパイデル狡賢いよシュパイデル
俺の印象ではシュパイデル中将って、ヒトラー暗殺未遂事件への関り(知っているのに通報しなかった)を、 ロンメルに押し付けて、自分は巧妙に生き延びたという印象があるんだけど。この人本当に哲学者なのか??
7月20日事件の連中はたしかにヒトラーを排除した後の西側連合国との 講和を画策していた。しかし保守派を中心としたグループだったため、 彼らの以前からの主張を反映して、 ・あくまでソ連との戦争は続行、 ・ヒトラーを排除する見返りとして、WWI以前の国境と海外植民地の回復 (つまりベルサイユ条約の破棄)、 といった条件を掲げており、すでにカサブランカ会談で無条件降伏を要求 していた連合国に受け入れられたかどうかはきわめて怪しい。
シュパイデルっていやあB軍集団参謀長の地位を利用していろいろ細工してたってホント? ノルマンディー上陸の時、第21戦車師団に出撃命令を出さなかったり、カレー海岸に第二次上陸の 可能性ありって偽情報を過大評価して予備軍をノルマンディーに送らずに控置しつづけたり、すべ ては連合軍に橋頭堡を作らせて、味方の徹底抗戦派を説得する材料にするためだったとか。 第116戦車師団などパリ周辺に待機してた予備軍はクーデタ決行時の実行部隊の予定だったともいうし。
漫画家のいしいひさいちはシュパイデルのファンだとかで4コマに登場させたりしてる。
シュパイデル一味に加担してたかはともかく、 ロンメルが西側との講和論者で 講和の計画をある程度は画策したのは確かなんじゃないの? まあうまくいったかどうかは別にしても。
ロンメルの海軍副官だったルーゲ代将の回想記によると、アフリカ戦以来ヒトラーに失望し、 戦争の行く末を案じていたロンメルではあったが、ヒトラー政権打倒に暗殺という手段までとる ことには非常に懐疑的だった。それをシュパイデルやルーゲたちが何度も対話を重ねた末に 説得して、なんとか黙認に近いところまで持ち込んだという。のちに自殺強要の理由となったような、 クーデタ政権において主導的地位に就くことをロンメルが実際に受諾していたのかどうかは疑問。
>253 (゜д゜)ポカーン
258 :
253 :2005/06/26(日) 00:49:01 ID:???
ホントなんだって!
>>241 それがマンシュタインの幻想家たる所以で、
例の「回想の第三帝国」によると、比較的最後のほうまで、
自分の手腕をもってすれば、
赤軍と引き分けに持ち込めると信じていたようだ。
本来はマンシュタインこそ、参謀本部正統派直系の軍人として、
また、抵抗運動の原動力トレスコウ少将の親友として、
ベック上級大将に協力しなければならないところなんだけど。
シュタウフェンベルクも最初はスターリンを打倒して、
勝利のあとで、ゆっくりヒトラーを排除するつもりだったらしい。
そのためのシュタウフェンベルク・プランであったわけで。
伍長閣下の妨害で勝てないとわかってから、
順番を逆にして、ヒトラーを先に暗殺することにした.。
プロイセンの元帥で謀反を起こした者はいない、っていうのもウソで、 ナポレオン戦争中の1813年に当時フランスとともにロシアと戦っていた プロイセン軍の司令官だったヨルク将軍が麾下部隊ごと寝返ってロシア側に ついた例がある。この結果プロイセン政府はティルジット条約を破棄して対露講和・ 対仏開戦を決意し、これがナポレオンの決定的な没落につながった(解放戦争)ので、 ヨルクの判断は結果的に是認された。 トレスコウやシュタウフェンベルクはこの「タウロッゲン」(ヨルクによる対露単独講和 協定の結ばれた地名)の事績を持ち出して、引き分けなんて夢みたいなこと言わずに 大局を見て行動してくれ、とマンシュタインを説得したが、うまくいかなかった。
つまんない指摘だけど、ヨルクはタウロッゲン協定の折は少将 まあ謀反の後に元帥になったということで
シュパイデルは戦後西独軍の高官になってる シュパイデル自分だけ狡いよシュパイデル
>>253 「…だがそれは止めてくれ」「お寺のマークですが」 か?
264 :
名無し三等兵 :2005/06/26(日) 21:09:26 ID:4ehJPFd/
?
265 :
くら ◆mlSturmRPg :2005/06/26(日) 22:03:44 ID:uJzUBfry
ノルマンディーの時に散々ペムゼルを梃子摺らせたハンス・シュパイデル”ロンメル” 参謀長閣下か。哲学者かなんか知らんが、学位も持ってるの?博士フランツ・ベーケ みたいに。
あ〜ドイツでは町の薬屋なんかでもDRを自称しちゃうので要注意。
ドクトル・オットー・カリウスなのか? 将官じゃなかった。
「今は亡きシュパイデル閣下もさぞお喜びに(泣」 「誰だ、それ」「さー」
将軍じゃないけど降下猟兵のフォン・デア・ハイテは法学博士。 戦後は大学で教鞭をとっている。 法学博士といえば、未成年とセックルして博士号を剥奪されたディル(ry
>>271 先を越されたが、でぃるれのおっちゃんは政治学博士だ。
(ちなみに破廉恥行為の数々で博士号はあぼーん)
帝政ドイツ軍よりはましとはいえ、将官ともなると国防軍でも貴族出身者や 大学教育を受けた教養市民層出身者が目立つね。 逆に労働者階級や手工業者出身の将軍提督なんていないのかな。 すぐ思い出すのはSSだが肉屋だったゼップ・ディートリヒなんだが。
ヒトラーを含めて、ナチスという組織がそういう下層階級のひとたちが成り上がるための 手助けの役割をして、彼らに夢と希望を与えていたように思われる。 あれ…ヒトラー自身はお金持ちだったんだっけ。
>>274 ウィーン時代だったっけ、炊き出しのお世話になったり、ホームレスの人用の
ドヤに泊まってたりしてたらしいけど。なんかこれ社会の底辺から這い上がった
ドイツの救世主を演出するための物語だったとか。お母さんの遺産もあったみたい
だし。何かで読んだけど切手に肖像画が使われるようになってからは意匠権?肖像権?
で莫大な金が定期的に懐へ。
ウィーン時代ってWWI前だろ? そんな時代からネタの仕込みをやってたとも思えないんだが。 WWIがあったからこそ成り上がれた訳だし。
>>277 後に政治活動するようになってからそういう過去がありましたよって話をでっちあげたって意味じゃないの?成功者によくある話でさ。
違ってたらごめん。>275 >277
>>278 その可能性高いと思う。国家社会主義ドイツ労働者党の票田は生活が苦しい庶民だったわけだし。
>>280 あの、275がでっち上げたんじゃなくてフューラーや宣伝員がそういう宣撫工作をしたという意味のレスじゃないの?って意味で書いたので275氏自身にイチャモンつけてるわけじゃないんですが
映画の『オペレーション・ワルキューレ』ツタヤで借りて見た。 反乱を起こした連中って何したいのかよくわからん。 実働部隊の指揮官レマー少佐が実はナチスってなんだよ。 ヴィッツレーベン元帥は来たと思ったらすぐ帰っちゃうし。 べック大将が演説しても誰からも相手にされてないし。 しかも捕らえたはずのフロム大将が逆に士官を率いてあっさり鎮圧しちゃうし。
>>281 うん、わかってる。言いたかったのはウィーン時代のヒトラーは本当に貧しくて、
反ユダヤ主義者でもなくて(氾ゲルマン主義には共感してたらしいけど)、別に
政治的でもなかったということ。だからこそ第1次大戦での前線体験とその後の
ミュンヘンでの活動が、ヒトラーの思想形成という点で重要になってくるわけだが、
これについては実態はまだよくわかってない、というのが現状。
>>282 レーマーって史実では在ベルリンのグロス・ドイッチュラント警備連隊の指揮官じゃなかったっけ。
まあ映画では面白くするためにその辺作り話を混ぜてあるんでしょう。
>>282 ヴァルキューレ作戦は、
当時の状況ではあれしか考えられない巧妙な作戦ではあるけれど、
それでも成功の見込みは低かったというのが、
現在の軍事史家の評価だと思います。
つまり、反乱が起こったと全軍をだまして、国内の部隊を国内軍司令部の指揮下に置き、
その力でドイツを支配してしまおうというのです。
でも、国内軍司令官のフロムが信用できない上に、
国内軍参謀長シュタウフェンベルクが総統大本営における暗殺の実行役と、
ベルリンの国内軍司令部における実質的な現場指揮官の役割を兼ねなければならない。
しかもベルリンに反乱派の信頼できる実働部隊がいないのが弱点でした。
もし、しばらく騙しとおすことができれば、
中央軍集団所属「騎兵」旅団をベルリンに送る予定だったと思います。
騎兵は貴族が多く、従って、反ナチスが多いので。
だから、反乱という虚構をナチを含む全員に信じさせるためにも、
最初にヒトラーを殺しておく必要があったわけです。
>>280 たしかに、労働者の組織はなかなか頑強です。
ちなみに、シュタウフェンベルク大佐やベック上級大将は、
ナチ統治下でも労働者をある程度は掌握していた社会主義者と協力関係にありました。
こうした社会主義者は、ナチ以前のの社会民主党指導者であっただけでなく、
第一次世界大戦で叩き上げの下級将校・下士官として、
特にきわだった戦功をあげた実戦の英雄であり、
革命以後も部下を掌握して奮戦して個人的に前皇帝の感状を受けるなどした、
おもしろい経歴の持ち主たちでした。
ここにプロイセンの将校団に属するものとして、
エリート参謀将校たちとの信頼関係を作る余地があったわけです。
>>294 レーマー&大ドイツ警備連隊は史実でも実働部隊として利用されてるお
2.26の際の宮城警護の近衛部隊みたいなもんで、
きちんと仲間に組み込んでたわけではなかったのであっさり失敗したけど
社会民主党の指導者はたいがい亡命していたんじゃなかったっけ。 さもなくば強制収容所送り。 そりゃ少数は地下に潜伏して残ってただろうけど、ドイツの労働者の 大部分は強制的同質化をくらってナチス労働戦線に組み込まれていたはず。 しかも軍拡で結構いい思いをしてたので、少なくとも労働者階級はクーデタの 際の戦力として当てにできる存在ではなかったと思う。 むしろ国外の前線軍(西方軍)が国内が混乱しているうちに勝手に西側同盟国と休戦を 結んでしまう、っていう第二のシナリオのほうが重要だったんじゃないかな。 そのためにシュパイデルとかシュチュルプナーゲルとかが仲間になっているわけだし。 これもロンメルの負傷とクルーゲが日和見ったために失敗したのだが、 少なくともパリでは戒厳令とSSの全員逮捕はおこなわれているわけだし。
38年にやっておけばヘープナーの戦車師団があったのになぁ。
>>288 パリには信頼できる実戦部隊がいたからね。
それに対して、戦後になってもネオ・ナチをやっているような、
一番不適切な奴が指揮する部隊しか使えなかった、ベルリンの状況はもうどうしようもない。
歩兵第九連隊や中央軍集団騎兵旅団のような、反ナチ派の部隊は、
精鋭であるが故に前線に投入されている。
ただ、西部の状況も必ずしもいいとはいえない。
カサブランカ方式の無条件降伏を主張していた西側連合国が、
簡単に、東部で戦争を継続しながら、西側で和平というシナリオにのってくる可能性は少ない。
もちろん、東側との単独和平もオプションとして考えていたが、
これにスターリンが乗ってくる可能性も多くはない。
一時的にでも戦争継続を視野に入れて臨時政府を作るとなると、どうしても政治家の協力がいる。
社会民主党指導部の一部強硬派は、国内に残ってSDのエージェントになって、
一般状況を報告することで、戦時下にも国内旅行できる特権を得ていた。
いわばSDを隠れ蓑にしてヒトラー暗殺のあとの政治勢力を組織したわけで、
実は、これは親衛隊の大失態だった。
>>289 ヴィトリッヒのような親衛隊の高級指揮官でも、
エーリッヒ・ヘープナーのことは装甲部隊指揮官として尊敬していた。
こういったひとが、1944年に実戦部隊を率いていれば、
情勢は変わったかもしれない。
レーマーって黒い礼拝堂一味を捕まえた後は、うなぎ上りに将官まで出世した人?
>>291 エルンスト・レーマーは少佐から少将にまで昇進しているみたいですね。
で、なんでフロム大将は処刑されちゃったんだ? どう考えても奴は無実だろ。 ひょっとして裁いたのはフライスラーか? それなら納得だが。
>>293 フロムが処刑されたのは、
卑怯だった、つまり、二またをかけていたと見なされたから。
しかし、共謀した人々をみんな逮捕してしまうと、
最良の参謀将校がいなくなってしまうので、戦線維持そのものが困難になる罠。
シュパイデルですら、モーデルの干渉ですぐは逮捕できなかった。
ヴィトリッヒは事件後もヘープナーへの尊敬の念を隠さなかったけど、
ヒムラーは懲戒すらできなかった。
事件の影響で最悪なのは、
ベックと参謀本部のシンパが多かった日本などの同盟国が、
7月20日以降、
ドイツの勝利をまったく信頼しなくなってしまったこと。
とにかくヒトラー暗殺の最大の目的はドイツを破滅から救うことにあったのだから、 いかにクーデタとはいえその結果本国が内乱状態になってしまっては、かえって連合国に 乗じるスキを与えることになってしまう。 当時は1918年のドイツ革命を実際体験した人が多く、また革命のせいで第一次世界大戦に 敗けたのだと信じられていたから、よけいクーデタによってドイツ国内の秩序が失われる可能性 への警戒心が強かったのだろう。 それが陰謀グループに共感しつつ参加に二の足を踏む者が多かった理由だろう。
>事件の影響で最悪なのは、ベックと参謀本部のシンパが多かった日本などの同盟国が、 7月20日以降、ドイツの勝利をまったく信頼しなくなってしまったこと。 この事件の影響としては、むしろ、ドイツ人の多くに、もう他の選択肢はあり得ない、とりあえずヒトラーを担いで 最後まで戦うしかないと覚悟を決めさせちゃった、ということの方が大きいと思う。 また国内軍も解体されてSSに実権が集中するようになってしまったし、軍の敬礼ですらナチ式に改められてしまった。 また陰謀グループ以外の、これまで目こぼしされていたり投獄されていたりした反体制勢力の要人も片っ端から処刑 されてしまった。 こうしてドイツは最終戦へとまっしぐらに進んでいくことになる。
元帥クラスの人間まで死刑だもんなぁ 馬鹿なことするよ。ヒーさんも
個人的には7月20日事件自体より その後国防軍に配属されるようになったとかいう政治指導将校とかいうのが気になります。 高級党員でもトラバーユさせたのかしら
児島の『ヒトラーの戦い』では、 黒い礼拝堂が本格的に動き出したのは、 スターリングラードの敗戦がきっかけになってる。 つまりフランス占領まではしぶしぶ協調が可能だったってことか。
300
301 :
ヒムラー :2005/06/30(木) 13:56:42 ID:???
ヒムラーです・・ 毒飲んじゃったとです・・
>>298 どうなんでしょう。よく知らないのですが、前線で戦っている部隊の場合、戦友
意識ができてしまっているところによそから部外者を送り込んでもうまくいかない
ことくらい予測できたでしょうから、すでにナチス党員になっている国防軍将校に
を選んで所属部隊のなかでそういう任務を兼ねさせたのかもね。
>>299 フランス占領でヒトラーの権威は最高潮、しかも国防軍幹部に昇進や勲章の大盤振る舞いをしているので、
関係も上々。
それ以上に、そもそも国防軍はソ連と一戦を交えるという考えにあんまり反対じゃなかった。
(ソ連攻撃の準備命令は早くも1940年6月20日に出ている)
これは「民族生存空間」を東方に獲得するという考えが軍部の中にも根付いていたためだろう。
>>303 独ソ不可侵条約もスターリン体制もドイツ国防軍内部で人気がなかった。
だから、対ソ戦を必然・聖戦と見る将校は多かった。
一種の神秘主義と、合理的な参謀本部の伝統の両方に影響を受けた、
若い参謀将校たちにこの傾向は強かったようです(日本の石原に似ていますね)
しかし広大なロシアをすべて軍事的に占領することは困難だから、
内部から崩壊させる努力が必要ということになる。
陸軍参謀本部組織課やゲーレン機関が、スターリン体制を自壊させる作戦に乗り出す。
ロシア人志願補助員100万人のドイツ軍への採用は、この計画の一環だけれど、
それだけでは限界がある。
すると、独立自由新ロシアの設立と自由ロシア軍の建設するという計画が、
陸軍参謀本部内部で持ちあがる。
しかし、こうなってくると、ドイツの公式イデオロギーである民族生存空間と矛盾してきてしまう。
イデオロギー的に、ナチ党(要するに総統)が同意できない。
というわけで、参謀本部の諜報・総力戦専門家がもくろんだ対ソ戦勝利ができなくなる。
この状況で、若手参謀将校たちがヒトラー暗殺を、
スターリン体制打倒より先行させることを考え出したということのようです。
最終的には、この計画を親衛隊が拾い上げるのですが、遅すぎました。
しかしヒトラーでさえ7月20日はあるし、敗戦間近になると側近にも次々 裏切られたというのに、スターリンのほうは一時モスクワまで攻め込まれて 絶望的状況になっていながら、軍部も党内部でも誰も謀反を起こさなかった ってのは、さすがスターリンというべきか、大粛清の効果抜群というべきか。
そういえばそうだな。あの大粛清は意味あったのか。
>>306 ムッソリーニ、ヒトラーとも、戦争末期には、
スターリン体制と日本の体制にあこがれちゃってしかたなかった。
ちなみに、ムッソリーニは晩年ヒトラーが大嫌いで、
日本だけを頼りにしていたそうな。
ヒトラーの場合は、ドイツを焦土としろとか、
最後のほうは、邪悪でわけのわからない命令を出すので、
誰もついていけなくなった、ということもあるだろう。
終戦後、レーマー少将のような例外を別として、
ドイツにはほとんどヒトラー崇拝者が残っていなかった。
武装親衛隊ですら、
国防軍「第4の軍」だったとまで主張するようになった。
武装SSで際だった戦績を残した将軍っていないよね? 強いて言えばP.ハウサーSS大将ぐらいか
>>308 ヘルベルト・ギレ武装SS中将「ヴィーキング」師団長
クムとかマイヤーとかをどのように認識しとるのかね?
SSで有名な奴といえばハイドリヒだけど、 この人、戦場にでたことあるのかな。 軍人出身だから、まったくの素人ではないと思うのだが・・・
Heydrich also served briefly in the war as a Luftwaffe pilot and won several decorations for bravery: Iron Cross 1st and 2nd Class, the Front-Line Combat Badge, and the Wound Badge. His flying career came to an abrupt end when he was shot down by Russian AA fire in late 1941, and he had to swim across a river to safety. This was too much for Himmler and he was grounded.
>>308 デミヤンスク包囲陣でのアイケ
チェルカッスイでのギレ
マーケット・ガーデン作戦でのビットリッヒ
(まさか勝ち戦だけを戦績と思っちゃいないだろうな・・・)
>>313 ハイドリッヒはSS少将であった1939年9月12日に、Bruno Loerzer空軍大将(のち上級大将)に頼み込み、
空軍予備役少佐としてKG(爆撃航空団)55の銃座手という初の空軍任務に着いている。
その後もノルウェー戦線等でMe109による単独飛行を行ったり、Me110での偵察任務なども行っている。
ハイドリッヒの勲章類で注目する点は、一級・二級鉄十字章もさることながらパイロット兼観測員章および
昼間戦闘徽章銀章を佩用していることであろう。
SS高官で唯一、ヒトラーの周囲の人々でもゲーリングか空軍の人間しか持ってないパイロット資格を有していることは、
彼の高邁な自尊心を大いに満足させたと推測される。
ヒムラーに「チミはなんでシコーキなんて乗ってあまつさえ戦闘なんてしてんの?」と聞かれて、 ハイドリヒは「軍人としての模範を示しているだけですがなにか?全国指導者同志」と答えたという。
わあいちょー水面下の権力闘争っぽーい
>>315 マイアーもいれてやって。あと、シュタイナーとか。
戦車マイアーがSS旅団指揮官(=少将相当)になったのは捕虜になってからだけどな。
ゲットー掃討作戦を大成功に導いたシュトロープはー?w
323 :
くら ◆mlSturmRPg :2005/07/02(土) 12:29:59 ID:GcayBfFg
>>320 ということは、第12SSの指揮を執っていたときは連隊指揮官だったのか。
324 :
名無し三等兵 :2005/07/02(土) 13:26:33 ID:ZbSMFDtK
>>320 前任の師団長が戦死してから繰上げで師団長になってる。
>>323 師団長時はSS-Oberfuhrer(SS上級指揮官=SS准将)。
SS-Standartenfuhrer(SS連隊指揮官=SS大佐)とSS-Brigadefuhrer(SS旅団指揮官=SS少将)の間にある階級。
マーケット=ガーデン作戦のときのSSホーエンシュタウフェン師団長ハルツァーも 階級は連隊指揮官だった。 国防軍でも大佐の師団長というのは他にもあったんじゃなかったっけ。
開戦前のグデおやじも大佐で師団長だったような。 で、2階級昇進して中将で第19自動車化軍団長へ。
>>326 学研の武装SS全史1によればマーケットガーデンの時、師団参謀だったヴァルター・ハルツァSS中佐は師団長代理としてホーエンシュタウフェンを指揮している。
この他にも第1〜12師団の歴代師団長には大佐や中佐が数ヶ月師団長を勤めている場合がやたら多い。
将官も同じ名前が頻繁に出てくる(しかも任期が短い)ので、少ない将官をやりくりして指揮をさせてるようだ。
武装SSは十年足らずの歴史しかないので、ハウサーやギレのような元陸軍軍人を除くとSS生え抜きの将官が少ない。
そこヘきて44年以降の大量な師団増設で人手不足がますます深刻となった。
そのため佐官や、マイヤーのように野戦昇進で急遽准将にして師団の指揮を取らせているのではないかと思う。
ハイドリッヒが飛行機乗ってたというのは結構有名だが、 他にも戦闘機に乗ったり爆撃機に乗ったりしたSSっているのだろうか。 なんかSSというと戦車乗ったり歩兵だったりという イメージしかないのだが。
降下猟兵ならあるけど。
>>328 国防軍もベルサイユ体制下の10万人軍隊から一気に大拡張したわけで、
高級将校、とくに参謀将校の不足は問題になっているけどね。
師団長や各種指揮官がやたら短期に交代していることがある、という点だが、
これは国防軍が独特の総統予備Fuehrerreserveという制度をもっていることを
考える必要があるだろう。
国防軍は大戦中かなりの頻度で前線兵士に休暇を出しているが、指揮官クラスで
それが可能だったのは、すぐに実戦部隊の指揮がとれる経験のある将軍・将校が
つねに総統予備としてプールされている体制になっているからだ。
>>329 同感。
SSで戦闘機のエースパイロットとか、
SSでUボートの艦長とかいたら萌えるのにな。
SSは総統の身辺警護が本来の任務だし むしろ国防軍との軋轢を生じさせたSSを空海にも広げるのは如何なものかと
334 :
名無し三等兵 :2005/07/04(月) 12:22:44 ID:i9Ve+RR+
映画の話題ではないのですが、広大な強制収容所の所長や責任者に少尉クラスの人間が就いていたらしいが…このスレに出てくる人物は雲の上の存在っていう事でよろしいですか?
だろねえ つーか一般SSやら党関係みたいな軍事以外になると 漏れは正直さっぱり
SS(武装SS、一般SSともに)に付いて深く掘り下げようと思ったら、 突撃隊はおろか、鉄兜団などの義勇軍まで調べなくちゃならない。 これはこれで、結構骨が折れるよ。
337 :
名無し三等兵 :2005/07/04(月) 13:23:18 ID:i9Ve+RR+
お兄ちゃん…ダメだよぅ…こんなとこでぇ…
やはりSSで戦闘機乗ったり船に乗ったりした人は あんまりいないのか…。 まあ別にいて欲しいわけじゃないが、 SS=陸戦という俺のイメージは 本当に正しいのか?と思ったもんで。
340 :
名無し三等兵 :2005/07/04(月) 19:32:35 ID:ocOwsqlG
シェレンベルクてどうなのよ。
>>339 武装SSを治安警察(国内外を問わず)の実行部隊と見做す向きもあるから、
陸上部隊以外を設置するのは現実的じゃなかったと思われ。
国防軍の兵力不足、もしくは政治的信頼性を補う為に、常備軍化しただけ
とも言える。
LAH師団(アドルフ・ヒトラー親衛連隊)なんかは、元々ヒトラーの私的警護
隊でしかないわけだし、髑髏師団に至っては、強制収容所の看守部隊が転
じたもの。
私的には、武装SSの治安部隊としての性格を如実に現しているのは、警察
師団だと思うけど、異論のある人も多いだろうね。
ルフトヴァッフェのトップにアレがいる限り、SSが軍用機を運用するのは不可能かと。
>>340 アインザッツ・グルッペの指揮官にされそうになったときうまく逃げたりしてるんで。先を見る目はあったかも。
おかげでSSの幹部だったのに戦犯としては大した罪には問われなかったし。
ただハイドリッヒの直属の部下だったくせに回想録ではクソミソにけなしてたり、本の中では自分の功績をかなり膨らませてるらしい。
ってことで個人としてはかなりやな奴だったのでは。
艦載の水偵とかも空軍がやってたんだっけ
あれもパイロットは所属は空軍で、任務中は海軍に出向のかたちだったっけ? でもたしか、本職は艦載偵察機のパイロットでその後Uボートの艦長になったって人もいたはず。
通説では、われこそは真のエリートと考えていた国防軍正規将校たちは そもそもSSはじめ成り上がり者のナチ党そのものを毛嫌いしていたといわれる。 しかしこれも「国防軍神話」の一種であることが現在ではわかっている。 国防軍からSSに転属した将校はかなり多数いるし、ナチスの党籍をもっていた 国防軍メンバーも多い。 また占領地、とくにバルカンでのパルチザン作戦やユダヤ人狩りでは 両者が緊密に協力していた例なども報告されている。
>>346 人と場合によるだろう。
国防軍も巨大な組織だし、将校といっても、ピンからキリまでかぎりなくいる。
巨大な軍拡をしたというのは、将校団の等質性を維持できなくなるということでもある。
反対に、武装親衛隊でも高級将校が国防軍になびいてしまって、
ハウサーだけでなく、シュタイナーやヴィトリッヒのような武装親衛隊の花形軍人すら、
親衛隊の統率を離れていったというのも事実。
それはそうとして「国防軍神話」といういいまわしはちょっと食傷気味。
ドイツでも、国防軍を告発するのはある時期とても流行したが、
例の「国防軍の犯罪展」の大失態以来、告発者のほうも信用を失いつつあるのに、
日本では、まだ「国防軍神話」の崩壊なんて得意げにいう知識人がいる。
>>347 使った史料に関して明白な間違いが告発者(ハンブルク社会史研究所)に
あったのも事実だが、きちんと問題をクリアした新しい展覧会を組織しているし、
その一方で国防軍展がナチス研究の新局面を切り開く起爆剤になったのは間違いない。
その研究の結果国防軍の一部がホロコーストに積極的に関与していたというのは
歴史研究の内部ではすでに確定した事実として定着している。
日本ではいまだに未だにこうした汚れた側面に目を向けずに「SSかっこいい、
国防軍かっこいい」と全肯定してウキウキする若者が多い。嘆かわしいことだ。
もちろん、だからといって、これも90年代後半にドイツでさんざん議論された
ように国防軍やSSの全員が蛮行に加わったわけではない。ピンからキリまでいた
というのは
>>347 の言うとおりだ。
無能といわれたRSHA長官カルテンブルンナーSS大将はどうでしょうか?
昨日ロンメル軍団を叩けと言う映画を見たが、 映画の中ではロンメルは切手ヲタということになっていた。 実際のロンメルも切手ヲタだったのだろうか。
切手・バイクヲタ
完全にバラバラにしたバイクをひとりでもう一度組み立てたんだっけ?
ルントシュテットはカール・マイ(ドイツの大衆小説作家)の西部劇小説の大ファン。 人が来たらすぐ隠せるように、いつも机の引き出しを開けっ放しにして読んでいた。 ハイドリヒはイギリスのスパイ小説が好きで、SDを組織する時参考にしていた。 命令書にはわざわざ作らせた「Cこれを承認す」などのスタンプを押したり「C」とサインするなどしていた. CはChefまたはCheifのCで、これもスパイ小説からのぱくり。
将軍達はクラウゼヴィッツを読んだことはあっても カール・マイを読んだことは無いらしい By ヒーさん
ロンメルといえば有名なのはカメラ。
ゲーリングといえば有名なのは肥腹
ロンメル軍団を叩けでは ロンメルは珍しい切手をゲーリングに見せてもらったとか言ってたが、 切手集めは当時の上流人士の共通の趣味だったんだろうか。
マンシュタインといえばSS式敬礼をしたら、 右手をチョイと挙げるようにしつけられた 飼い犬のダックスフンド。
それはマンシュタインが飼い犬にナチ式敬礼を 仕込んだっつーことかね? なんか信じられん…。
>>359 「右手をチョイと挙げる」つーのは
例の伍長閣下のことだよ。
マンシュタインは
伍長閣下を犬と同一視していた、という
皮肉を込めた逸話、つか
まあ、作り話なんだろうがな。
>>357 ロンメルが文句つけたらプレゼントとして珍しいコレクションを
送ってきたんじゃなかったっけ。
それもユダヤ人から没収したもんだったとか・・・
>>359 写真が残ってるよ。まあ仕込んだのは副官とか従兵だろうけど。
将官ではないのでスレ違いかもしらんけど、総統閣下の趣味は何だろう。 絵描きと演説以外に何かあったのかな。
菜食とか言いたいところだが、ずばり妄想というのが一番ベストな解答かな。
>362 ワーグナーの鑑賞、建物の設計等々 >363 ワロスw
>>356 ゲーリングといえば美術品の蒐集と狩猟だろ。
なんせ帝国狩猟長官閣下だし。
>>366 「魔王」つー映画にその辺りが細々と描写されとりゃしたな……
まさかあれが本当だとは思わんけど
総統官邸の地下壕にまでリンツの都市計画の模型を持ち込んで 自殺直前まで戦争勝利後の計画を練っていたらしいけど、 それはもはや完全にイカレチャッテルとしかいいようがないよな>ヒトラー
>>368 試験の前夜にいきなり大長編RPGをはじめちゃうようなもんじゃないか?
帝国元帥ヘルマン・ゲーリングは所持していた称号の多さもさることながら、 略奪を主たる目的はとする数多くの組織を管理下に抱えていた。たとえば 東部信託公社Haupttreuhandstelle Ostや四カ年計画局利子保全部 Devisenschutzkommandoである。彼はERR(帝国指導者ローゼンベルク作戦本部 Einsatzstab Reichsleiter Rosenberg)にも影響力を持ち、ここを通じて700以上の 芸術作品を無償で入手している。ゲーリングの芸術作品取得の主要なルートは 彼の個人的な芸術監督であるヴァルター・アンドレアス・ホーファーとそのスタッフ を通じるものであった。ホーファーは名の通った美術商であり、1939年から 「帝国元帥の芸術コレクション監督」の称号を用いている。ホーファーと彼のチームは ゲーリングの莫大な資産を活用して、パリ、ブリュッセルなどの西ヨーロッパ都市で 美術品を購入した。またときには帝国元帥の直接の管理下にあった略奪機関の 援助を受けることもあった。
>>369 むしろ試験科目や日程発表の日から
ずっと現実逃避しててもらった方が
ありがたかったんじゃねえか?
>>371 なまじ妄想が現実になると大変ということですな
>>373 第一次世界大戦の従軍歴もない、国防軍にいたわけでもない。
ただSSの高官だっただけで大将つっても軍人じゃない。
軍板じゃ無視されて当然だろw
そういえばゼップって第一次大戦では少佐だったと聞いたが、 だとすればど素人でもなんでもなく、 ちゃんとした軍事の専門知識はあったわけだよな。 なのにあんなにお茶目なのはどうしてだ?
>>375 終戦時に少佐だったのはパウル・ハウサー。
ゼップ・ディートリッヒは退役時は曹長。
労働者の息子で小学校卒業後は職業を転々とし、徴兵されるまで正規の軍事教育は受けていない。
下士官ではあったが、同じ武装SS創設期からの幹部でも上記のハウサーや中尉だったシュタイナーと違って士官(指揮官)として戦争を体験していない。
この差はかなり大きいよな。
>>375 士官じゃないお。
貧農から肉屋の徒弟を経てバイエルン王国軍に入営、終戦時軍曹。
WW1後はオーバーラント義勇軍で暴れてた後SAとナチ党に加入してるから
まともな軍事的教育は受けてない
Vize-wachtmeisterってどう訳したもんなんだろうか 厳密に合致することはないんだろうけど
帝政ドイツ陸軍の階級一覧。日本語は試訳です。おかしかったらテキトーに直して 兵卒:F?silier, Grenadier, J?ger, Musketier, Dragoner, Husar, K?rassier, Ulan, Kanonier usw.(兵種により呼び方が違う) 一年志願兵:Einj?hrig-Freiwilliger 志願兵:Kapitulant 上等兵:Gefreiter 兵長:Obergefreiter(砲兵のみ) 下士官 (帯剣なしohne Portepee) 伍長:Unteroffizier 下級見習士官:F?hnrich 下級軍曹:Sergeant 下士官:Unteroffiziere (帯剣ありmit Portepee) 上級軍曹:Vizefeldwebel bzw. Vizewachtmeister 上級見習士官:Portepee-F?hnrich 曹長:Etatm??iger Feldwebel bzw. Wachtmeister 上級曹長:Unteroffizierstellvertreter
つづき 下級士官:Subalternoffiziere 准尉:Feldwebelleutnant 少尉:Leutnant 中尉:Oberleutnant 中級士官:Hauptleute 大尉:Hauptmann 佐官:Stabsoffiziere 少佐:Major 中佐:Oberstleutnant 大佐:Oberst 将官:Generaele 少将: Generalmajor 中将: Generalleutnant 大将: General der Infanterie/ Kavallerie/ Artillerie(兵種をつける) 上級大将:Generaloberst 元帥位を有する上級大将:Generaloberst mit dem Rang eines Generalfeldmarschalls 元帥:Generalfeldmarschall
俺の読んだ本だと少佐だったんだが、 ゼップが元肉屋でろくすっぽ軍事教育受けてないってのは 他でも聞いたことあったんで、 少佐なのにどうして?と思ってたんだが、 これで謎が解けたよ。 どうやらハウサーとごっちゃになってたみたいだな…。 つうかその本、他にも結構変な間違いとか 妙な説明不足あったりして、おかしいなあとは思ってたんだが。 みなさんダンケです。
ゼップて 「人柄は良いし人望もあるんだけどねえ…」な人だっけ?
戦況地図が読めなかったとか聞いたな>ゼップ しかし幕僚の手前、読めるふりはしていたらしい。 で、近眼なんで地図の細部がよく見えないと地図の上に飛び乗ってくる 戦況地図は色鉛筆で書き込んでいるので、上にゼップのような大男が 飛び乗るとこすれてせっかくの書き込みが読めなくなってしまうんで司令部はみんな困ってたらしい。
読めないってそっちかよw
あ、よく見えない、ってのは彼の言い訳ね。
>困ってたらしい。 困るどころの騒ぎではないのでは・・・(;´Д`)
>>388 それでも軍オタだったわりには軍事的センスが皆無で、部下の兵士達が必死になって戦ってる時でも夜は早寝していたヒムラーよりはまし。
ヴァイクセル軍集団司令官の職も最後はインフルエンザを理由にほとんど投げ出してたし。
参謀長だったランメルディングが、視察にきたグデーリアンに「閣下、あの司令官を何とかしてください」と泣きつくくらいだったしね。
でもヒムラーって実戦には出てないもののWWIでは少尉候補生だったんでしょ
ゼップといえばヒトラーマンセーだったというが、 その割には死守命令なんかあっさり無視してたりして、 どういうつもりだったんだろう。 そのことであとで処分されなかったのだろうか。 ハウサーも死守命令無視したことがあったけど、 その後どうなったんだろう。 まあその後も戦線に立ってる様だから 酷い処分されたわけでもないんだろうが。
>>391 まあ、独裁者と個人的に親しければ
多少のワガママは許されるのが
独裁国家のいいところだからなあ。
モーデルとかヴォロシーロフとか。
独裁者と敵対してれば、ささいなミスでも地獄逝き ヘプナー、フロム・・・
>>393 しかし、自分と敵対する将軍を全部排除したら、
有能な指揮官・参謀が激減してしまった罠。
若手を登用しようにも、
新世代の最高の軍事的才能といわれたシュタウフェンベルクまで裏切ったわけで。
数少ない自分と仲の良い有能な将校(シェルナーとかモーデル)は、
もう捨てられません。
困ったときは中立のルントシュテットに泣きつき、
大失敗をやらかしたブッシュですら、また拾いあげなければいけない悲劇。
参謀長にトレスコウを欲しがったマンシュタインに、
陸軍中枢は「貴官には、これほどに有能な参謀長は不要だろう」と、
奇妙な理由で断りをいれたのだが、
これも優秀な将校がどんどん欠乏する状況では、傑出した参謀将校は分散して配備したいわけで、
ある程度現実味のある話だったかも。
>>394 マンシュタインが司令官でトレスコウが参謀長か。
その組み合わせ、見たかったな。
モスクワ攻略に失敗したときに大量の将軍をクビにしたはいいんだが、 代わりに年配の大佐をどっさり将軍に昇進させたんで、結果的に 現役将官の平均年齢は上がってしまったんだそうだ。
アホだ…って今更言うまでもないか…
シュタウフェンブルクって軍事的才能あったんだ しらなかった・・・
俺は能吏タイプの人物かと思ってたよ
ベルリンの大ドイツ軍事博物館の館長も将軍ですが何か?
1943年初め頃、陸軍参謀総長だったツァイツラー大将がマンシュタイン元帥に、シュタウフェンベルク(当時少佐で陸軍最高司令部付)は、 いまの陸軍の若手参謀将校の中で、最高といわないまでもベストの一人だと思う、と話している。 「自分はシュタウフェンベルクをできるだけ支援するつもりでいるが、元帥閣下も彼の人物について評価して欲しい」と。 このときのシュタウフェンベルクは、スターリングラードで第6軍が包囲されたために大穴があいた戦線を繕うために、ロシア補助兵からなる 部隊を編成する仕事をしていた。軍事的才能っていっても組織の才の方じゃないのか。
>>401 そうですね。まあ、組織ができれば優秀な参謀ですから。
作戦を論じるものは多くても、組織と総力戦をできる将校は少ないので。
ドイツ陸軍大学校は当時、第一次世界大戦の教訓から、
総力戦と全体としての国家総動員を掘りさげて研究していましたが、
これは当時としては世界的に見てまったくの異端でした。
マンシュタインの評価もシュタウフェンベルクは「卓越した人物」だったと思います。
このあと第10装甲師団の参謀長として、シュタウフェンベルクはアフリカに行くわけです。
アフリカで瀕死の重傷を負ったために、デスク・ワークに戻ったわけで。
報告のために総統と会い、参謀本部の将校たちに不満を持っていた、
ヒトラーに目をかけられます(優秀な参謀というだけでなく、前線の勇士でもあると)。
組織の才が最上位の軍事的才能でなくて何であろう。
伍長もアレだが OKHも中々アレよね
405 :
名無し三等兵 :2005/07/11(月) 15:15:40 ID:3wYHlroL
シュタウフェンベルグってアフリカ戦線で隻眼片腕になったんだっけ?
ハッソー、フォン、マントイフェル
最年少で元帥に昇進した順位で2位が50歳のロンメルだそうだが、 1位の48歳で元帥に昇進したミルヒってどんな功績をあげたんだろう。 スターリングラード戦の空中からの補給でヒトラーがゲーリングに、 「この仕事は貴官にできないから、ミルヒにやらせるのだ」 って台詞があるわけだから有能だとは思うが。
俺もよう知らんが、 ロンメルみたいな野戦の将軍と違って 武功はないんじゃない? BOBの頃によく出てくる名前だが、 戦後はどうなったんだろう。
>>407 武勲ではなく空軍の軍備拡張に功績のあった人だな。
元はルフトハンザの経営者、WWTではパイロットだったかと。
ミルヒってユダヤ人だけどね。
>>410 本人は違うと言って否定してたという話もあるぞ。
で、8代前か何代前かに遡った家系図まで持ってきたとか
(捏造かも知れんが)
だが、上司のゲーリングは全然意にも介せず、
誰がユダヤ人かは俺が決める、などと豪快なことを言ってたとか。
改宗ユダヤ人(名誉アーリアン)か
ムキになって否定するところがあやすぃ
ほとんど後方勤務だけで最年少の元帥になったのか。ミルヒ凄いよミルヒ
シュペーアは仲良かったのかミルヒに結構好意的
>>412 キリスト教に改宗しただけじゃ名誉アーリア人にはしてもらえないよ。
キリスト教徒とケコーンしていてもダメ。それくらいじゃナチには許してもらえない。
ヒトラーや側近の直々の「この人はユーデだけどアーリアンということにします」
という書き付けが必要。
そういやハイドリヒも実はユダヤ人だ、つー噂を立てられてたらしいな。 まあなまじっか実力があると、敵をいろんなところに作ってしまうから 陰でそう言うこといわれちゃうんだろうな。ミルヒもやり手だったみたいだし。
まあ、それを言い始めれば ヒ ト ラ ー ユ ダ ヤ 人 説
>>418 エロイ教授の学説で否定されてたけど、なんか怪しいなw
民族大移動を経た人々に純粋性を求めるのがまず無理なのでは?隔離された島国だって他国からの来訪者との混血があるんだし。
そもそもチョビ髭2号以外の誰が 純粋性などを真面目に信じていたのだろう。
マンシュタインも先祖さかのぼっていけばラビだそうだし。 これは本当みたい。
グデーリアンの先祖はポーランドに住んでいたアルメニア人という説がある。 マンシュタインの実家のレヴィンスキー家の先祖はワルシャワのユダヤ人ラビと本人は述懐。 他にもユグノーが先祖のフランス系の名前の軍人は多いし、オーストリア出身の軍人にもスラブ系の姓の者もいる。 まあヒトラー自身ユダヤ系説はほぼ否定されてるが、姓は昔ヒドラールもしくはヒドラルチェクというチェコ系だったという説がある。 第一次大戦の時はロシアの将軍にはドイツ系が多くて、プロイセンの軍人はスラブ系がいたりするからなあ。
つまりみんなグチャグチャに混ざっているので、人種の議論はナンセンスということか。
>>424 まあ、億単位の人間を分類しようとしたら、どうしたってグレーゾーンができる罠。
ドイツ人(アーリア人)にしたってユダヤ人にしたって、いちおう誰がどこから見ても、
てゆうコアな部分と、かなり怪しい周縁部分があったわけで。
むかし海外のドキュメンタリーで見たんだけど、ドイツ人と見かけ上ほとんど差がない
ユダヤ人というのがいたわけで、英軍には戦前にドイツからイギリスに亡命したユダヤ人
のうち、そうした人たちで編成されたたコマンド部隊があったそうだ。
ドイツ軍の軍服を着て、ドイツ軍後方を攪乱する秘密部隊で、ロンメルがナイル川に迫った
1942年夏から秋の時期の北アフリカで特に活躍したということだった。
生き残りだとか言う老人が番組に出てきたが、当時覚えたとか言う「戦車隊の歌(いわゆる
パンツァー・リート)」をカメラの前で歌ってみせてた。
敵の軍服を着ていて捕まったら即銃殺が相場。そうでなくてもユダヤ人だし。すごい度胸だと思った。
んー当時のユダヤ人の定義って人種的なものだったん? なんかでユダヤ教徒=ユダヤ人みたいなの読んだ希ガス や、とってもうるおぼえなんだが
ニュルンベルク法では、3代さかのぼって4分の3ユダヤ人がいればユダヤ人と見なされた。 つまり祖父母4人のうち3人が「ユダヤ人」ならその人は完全ユダヤ人Volljude 二人なら第1種混血=半分ユダヤ人Halbjude 一人なら第2種混血=4分の1ユダヤ人Vierteljude この場合の「祖父母がユダヤ人」てのは、ユダヤ教を信じていて、信徒共同体に入っているということ。 ずいぶんいい加減なようだが、1935年当時25才だったとして、3代前ということはすべて親が25歳の時に 生まれたと仮定すると祖父母は1860年生まれ。ドイツでユダヤ人の法的な解放が最終的に実現したのは 1871年のドイツ帝国成立時だから、それ以前の時点でのユダヤ教徒という意味だね。 文化的な基準こそ明確な線引きはできない。スレ違いスマソ
まあユダヤだというだけなら、ロンメルなら見逃してくれたかもしれない。 だが敵の軍服着てるのはいかんですな。 映画のロンメル軍団を叩け!もドイツ軍に化けたた英軍コマンドの話だが、 あんな国際法違反の作戦を堂々とヒロイックに描いていいのか?
勝てばいいんです勝てば
>>428 でも同じことをスコルツェニーがアルデンヌでやってるしね。
戦後スコルツェニーはそれで戦犯法廷にかけられたけど、英コマンド部隊指揮官が「でもこっちも同じ事やってたし」と証言してくれたおかげで罪には問われなかった。
ところでちょっと面白い記事を見つけた。
ttp://hnn.us/roundup/entries/11325.html 例の映画「Untergang」について、イギリスの歴史学者による批判がカナダの新聞に掲載されたというもの。
ヴィルヘルム・モーンケSS少将が国民突撃隊を赤軍との勝ち目のない戦いにおくりこむ事を止め、彼ら民間人を退避させろとゲッベルスに嘆願するシーンがあるそうだ。
それに対して、ノルマンディなどでカナダ人やイギリス人の捕虜殺害を命じたモーンケが人間的に描かれすぎていると批判したとのこと。
それに対してヒルシュビーゲル監督は
「彼の捕虜処刑は実証されておらず、映画中の出来事や人物描写はリサーチや戦争末期のナチ体制の内部崩壊に関する研究に基づいている」
と反論したとのこと。
まあ事の真実はさておき、当然といえばそうなんだがモーンケも出てくるんだね。
1)自軍の軍服を着た上に敵の軍服を着る。 2)潜入に成功したのち、戦闘開始前に敵軍の軍服を脱ぐ こうすれば国際法違反にならないらしいお
いっそ敵国とそっくりの制服を正式採用した特殊部隊だったら問題なんじゃないか?
それやっちゃうと敵軍にもメリットが(ry
435 :
名無し三等兵 :2005/07/14(木) 00:01:13 ID:lgSUzbl4
>>431 それって「鷲は舞い降りた」であったなー
砂漠戦ではちょっときつそう
>>430 >彼の捕虜処刑は実証されておらず
モーンケってバルジの戦いでのマルメディの虐殺の時のLSSAH師団長として
責任を取らされたのかと思ったが、ノルマンディでもなんかやってたのか。
1955年までずっとソ連の捕虜だったから米英軍の裁判には出られなかったんだろうね。
437 :
433 :2005/07/14(木) 00:29:46 ID:???
>>434 そうか。俺は「問題ないんじゃないか」と書こうとしてたのかと思った
>>436 リンク先の記事によればD-Day当日にカナダ兵捕虜35名の処刑に関与、さらにその後彼の権限により投降兵3名に対する機関銃掃射を含めて30名以上を殺害。
1944年ベルギーで72名の武装解除された米兵の殺害(マルメディ事件か?)、および1940年のフランスにおける英兵80名殺害を命令。
以上の嫌疑がかけられたとのこと。
ノルマンディではカナダ軍と武装SSは血みどろの殺し合いをやってるからなあ。
まあこういう記事が出るのも無理はない。
>>437 気持ちは痛いほどわかるが。
ただ、いくら日本語的に意味が通じるからといって
脳内で勝手に補完するのは
>>432 に対して失礼であろう。
>>438 >D-Day当日にカナダ兵捕虜35名の処刑に関与
LSSAHは6月6日にはカレー海岸後方(だっけ?)にいてノルマンディーには
いなかったはずだから、少なくともその件に関しては冤罪くさい。
東部戦線では最初から絶滅戦争をやっていたドイツ軍だが、
西部戦線では基本的に戦時法規遵守の姿勢であったと思う。
しかし米英軍のほうはドイツ憎しの態度で凝り固まっていたので、
独軍のほうも売り言葉に買い言葉で、野蛮なことをするようになった、という印象だ。
>>441 まあ、東部でやりたい放題やってた連中が
西部戦線に移動したからって
急に紳士的な振舞いができるはずもないわな。
>>442 オラドゥール村の虐殺なんて完全にロシアでの感覚でやっているとしか思えないもんな。
>>443 そして、つかまえたところ、犯人の兵士中にフランス人がいたという罠。
まあ、当時の武装親衛隊ではあたりまえか。
>>444 ドイツに併合されたドイツ系アルザス出身者ね。
しかも虐殺された住民の中には追放された同郷人がいて、未だにアルザス地方では感情的対立が残っているらしい。
446 :
エアリスマスター :2005/07/14(木) 19:33:31 ID:JLzHFF+K
>>446 ナチ板じゃなくて、軍事板ってことすっぽかしてるからやめろよいい加減
センス悪いし
つーか色んなスレにマルチしててウザス
軍板としてあの辺りのドイツを使うなら伍長じゃなくて 何時の日かの復活の為に牙を研ぎつづける隊務局だよな。
>>446 拡張子をBMPからjpgにすることは覚えたんだなw
>>446 字が全板的に見にくい。
どんなソフト使ってるんだ?
それと糞レスはsageてね♪
あまり目くじらを立てたくないが「兵士たちを鼓舞させる総統の怒号」とか 明らかに日本語がおかしいのはまずいと思う あと「ドイツ国民の90%が゙ナチス支持」というのは史実に反している
ま、このスレ的にはバナーにするにふさわしいドイツ軍将官を挙げていくのも面白いかも。 陸海空からひとりずつ挙げるなら、マンシュタイン、リュッチェンス、ガランドてなあたりかな。
個人的にはモーデル、デーニッツ、ケッセルリンク
>>438 考えてみれば、捕虜にした高級将校を戦車に縛り付けて、
盾にして殺したカナダ軍部隊のほうの責任も大きい希ガス。
こんなことやられたら、
相手側も次に捕虜を捕まえたとき、容赦なく殺すだろうよ。
どちらが先にはじめたかは知らないけれど。
カイテル レーダー ゲーリング ついでにボルマンとかヒムラーとか
>>457 ボルマンとヒムラーは将官ではないな。
カイテルは国防軍最高司令部の所属だから、陸軍の代表としてはどうかなあ。
陸はブラウヒッチュとかがよいのでは。
素人受けならロンメル、ルーデル、デーニッツだろうな
陸:へスラー大佐 海:シュトルベルク艦長、またはトムセン艦長 空とSSは知らん。
空:シュタイナ中佐 でどうだ?
SSは女所長イルサ
>>458 ヒムラーは国防軍で言うところの元帥でなかた?
陸:シュタイナー軍曹
>>460 ヘスラー大佐激ワロス
>>462 ブーヘンヴァルトの所長の妻ならイルゼ・コッホだが、彼女のこと?
>>463 ライヒスフューラーSS=SS長官、階級としては元帥に相当。
一応形ばかりの軍集団司令官もやっているし(騎士十字章が
目当てだったらしいが、不手際のせいでもちろんもらえずじまい)、
微妙なところだな。
>>465 多分ナチ物オ下劣映画の事だと思われ>女所長イルサ
やっぱ陸はハゲなのにかっちょいいケーニッヒ少佐。
>>467 あのラストだけいやに不用心になる狙撃兵だよね
じゃ、
プロパガンダでまつりあげられた系ドイツ軍人でいくなら
陸:エルヴィン・ロンメル元帥(「砂漠の狐」)
空:ハンス=ヨアヒム・マルセイユ大尉(「アフリカの星」)
海:ギュンター・プリーン少佐(「スカパ・フローの雄牛」)
SS:オットー・スコルツェニーSS中佐(「ヨーロッパでもっとも危険な男」)
ゼークト、ベック、レーダー、カナリス辺りを挙げる。 空軍は仮死状態が長いのとゲーリングの影響が強いからあまり。
ベーケ博士
とりあえずスターリンはお約束だろう。
>>470 あんまり詳しくないんだけど
夜戦の防空システムを作った人だったかな?
ドイツ将官といえば、マンシュタインの本名は フリッツ・エーリッヒ・フォン・レヴィンスキー(以下ry だが、 エーリッヒ・フォン・マンシュタインと呼ばれることが多いよな。 でもどうして一番頭のフリッツって名前で呼ばれないんだろう。 同じことはルントシュテットにも言えるが。 ロンメルなんかは一番頭のエルウィンで呼ばれるのに。 どうして?
ふむ。軍板よりもドイツ史に詳しい人がいる場所で聞いたほうがいいかも
>>474 単に気に入らなかったとか、同名の人が一族にいたとか、両親がミドルネームで呼ぶのを好んだとか、いろいろ理由は考えられるわけで。
ちなみに湾岸戦争の時の米軍司令官シュワルツコフのフルネームはH・ノーマン・シュワルツコフ。
本来はハーバート・ノーマンだったのだが、気に入らなかったらしくてファーストネームを頭文字のHだけに改名してしまったそうだ。
478 :
名無し三等兵 :2005/07/16(土) 22:49:49 ID:zqf5127V
>>474 ドイツでは、貴族であると否に関わらず、ファーストネームの他にミドルネームを
つけるのが普通です。たとえば貴族ではないロンメルだって、正式にはエルヴィン・ヨハンネス・
オイゲン・ロンメルErwin Johannes Eugen Rommelです。
このファーストないしミドルネームの中から、通称名を選ぶことになります。
貴族以外の出自の人では一番最初のファーストネームで呼ぶのが一般的で、
現代ではこれが普通になっています。
かつての貴族の場合は、一族が大きかったために、ファーストネームで呼んだのでは
同名が多すぎて個人が識別不能でした。それでセカンドネームで呼ぶことが自然に定着したようです。
ただ、かつてのヴァイツゼッカー独大統領はファーストネーム(Richard Karl Freiherr von Weizsaecker)
で呼ばれています。またファースト・セカンドネームを両方連続して呼ぶ場合もあります。その家庭によって違うようです。
試験の時、名前書くの大変だなあ
ルントシュテットは仕事しないので有名という話を聞いたが 書類に自分の名前をサインするのがめどかったのに違いない。
司令官がサボっても、部隊は進む G.ルントシュテット
指揮官とは有能だが怠惰な者がなるものらしいし
日本軍では命令は参謀が全部起案して、それを司令官は「よかろう」と承認 するだけだったと聞いたが、ドイツ軍の場合はどうだったの? ロンメル伝とかを読むと、攻撃計画などかなり具体的なところまでロンメルが指示していて、 それを参謀たちが正式の命令書にする、というふうで、司令官の役割の比重が日本軍より 高そうに見える。 日本軍では軍司令官と軍参謀長はたいていともに中将だが、ドイツ軍の場合、軍集団の参謀長でも 大佐クラスだったりするので、やはりドイツの前線軍では参謀はあまり重責ではなかったのでしょうか。
>>483 >>指示していて、それを参謀たちが正式の命令書にする
それが大変な作業だから、そのために参謀がいる。
ドイツの有名どころの将軍はほとんどが参謀経験者だよ。
たとえばブッセやヴェンクはマンシュタインの参謀をやっていた。
つか半神とまで言われた連中が重責じゃないわけないだろ
>>483 参謀の仕事って作戦を立てるだけじゃなくて
偵察や捕虜の尋問から敵情を分析し
麾下の部隊の状況を集計して把握し
それに基づいた補給計画を立て
指揮官の構想に基づいた作戦計画を麾下の部隊ごとに立て
etcという作業を毎日毎日休むことなくやらなければならない。
敵情の分析一つをとっても、下の部隊から上がってくる膨大な情報を取捨選択して正確な情報を掴まなくてはならない。
無能で怠惰な人間には絶対に勤まらない。
>>483 日本軍の場合、参謀が口出し過ぎたおかげで
辻〜んのような疫病神が生まれる素地を作っちまったがな。
>>483 ロンメルの参謀は大変ですよ。
当人は参謀の苦労を理解せず、細かいところまで指示出してきますし、
突然ふらっといなくなったりしますから。
>>487 「おまいらやるだけやってみろ!心配するな責任は漏れが取る!」
的な統率法は薩摩閥流れなのかしらん?
それとも南国外様共通の大将観だったんかなあ
司馬遼太郎は忘れろ
まあ発想がアニヲタと変わらんかなあ。
ドイツの指揮システムそのものが、 現場指揮官にに自由裁量の余地を与えなければならない、 というのを基本にしているので、 あまり細かいことを書いてはいけないのです。 (フランス式との大きな違い) そのかわり、同じように有能で、同じような方向で思考する、 等質の優秀な参謀将校を各所に配備しているわけで。
ロンメルは参謀嫌いだったそうだからな。 だから何でも自分でやるのかも。 ルントシュテットは安心して 小説なんか読んでる様だが。
>>493 参謀本部のエリートコースじゃなかったからな。
冷や飯喰わしてくれた連中に好意的になれないのもしかたあるまい。
ミルヒは降伏した際に、そのアメリカ軍の部隊がユダヤ人強制収容所を解放したばかりだったので 兵隊にその元帥杖が折れるまで頭をぶん殴られた運の悪い人。
パンツァーグラ―フ(戦車伯爵)の異名を持つシュトラハヴィッツ伯爵予備役少将のフルネームは Hyazinth Graf Strachwitz von Gross-Zauche und Camminetz (ヒヤツィント・グラーフ・シュトラハヴィッツ・フォン・グロースツァウヒェ・ウント・カミネッツ) 長い上に発音しにくい名前だが、ファーストネームが英語でいえばヒヤシンスというのは・・・ 由来がギリシャ神話の美少年ヒュアキントスというのはオシャレと言えば言えるんだが、親は息子が歳を取った時のことは考えなかったんだろうか。 ちなみに当代のシュトラハヴィッツ伯爵は企業コンサルタントみたいなことをしているようだ。
グデーリアンは漫才師として有名だそうだが、 彼の漫才について知りたければ、やはり「電撃戦」なんでしょうか?
関西弁なグデーリアンを想像しそうになったので却下
フォン・メレンティンが自著でやたら誉めているけどヘルマン・バルクってどうよ?
昨日見たミリタリー系の雑誌にグデーリアンの事が買いてあったよ。 ここの人達にとっては既出かもしれないけど、 色々再検証されているんだなーと。 まぁ全面的には信じないけど。
>>501 そのサイトの記述はメレンティンの本がソースになっていると思われる。
しかしほかの本を見てもあんまり悪口が書いてない。
それに、第48装甲軍団の司令官職はクノーベルスドルフの後任で、
第4装甲軍の司令官職はラウスとネーリングの後任、G軍集団では
ブラスコヴィッツの後任というように、それぞれ有名な人物と前後して
指揮官職に就いているわりには知名度が低い。
もっと知られてしかるべきドイツ将官のひとりだと思う。
503 :
名無し三等兵 :2005/07/26(火) 09:34:17 ID:Alb48FKQ
エーベルバッハage
504 :
名無し三等兵 :2005/07/26(火) 16:24:33 ID:z4He3zz3
ハインリーチage
パウルスの犬 死守命令を出すと(ry
最後には降参しちゃうんだな。
507 :
名無し三等兵 :2005/07/26(火) 21:54:11 ID:v4O4o1/0
シュヴェッペンベルグage
モーデルsage
ホトsage
ケッセルリンクsage
陸海空から西ドイツ護衛艦の名前に選ばれた ロンメル リッツェンス メルダース この人選てどうよ? みんななら?
ロマンチックな名前はSSが使ってたからなあ
シュティルプナーゲルage
ホーエンシュタインとかフルンベルグとかな。 ロンメル リッツェンス メルダース リッツェンスってひとは生きて終戦迎えたの? HIAG関連だとまずいんだろな。
あれ?リュッチェンスってビスマルク艦長じゃなかったっけ?
>514 ビスマルクと運命を共にしてますが・・
>>515 艦長じゃなくて、ライン演習作戦の艦隊司令官だよ
前線指揮をして勇戦したと言うことで マンシュタイン リュッチェンス ガーランド こんなんで、どう?
戦車戦の権威、グデーリアンとホトは無視ですかそうですか
グーさんは途中から装甲統監だの参謀総長だの忙しいからなぁ
女性器みたいな名前の陸軍大将ハァハァ(*´Д`)
>>514 >ホーエンシュタイン
Hohenstaufen
>フルンベルグ
Frundsberg
重箱の隅だけど訂正したい
ドイツ人じゃないから感覚は分からんが イメージ的に意外に使える名前がないような気がする。
>>524 Erhard Raus の“Raus”という姓は、どうしても“die Laus”(しらみ)を
連想してしまうんだが、ドイツ人にはどう響くんだろう・・・
子供のころ「しらみ」とかあだ名を付けられてたんじゃないかと心配。
戦勝国ならハルゼー程度でも使えるんだがw
ではここら辺でお約束の ・スターリン
戦車にはなってるのに船にはなってないね、スターリン。 原子力砕氷艦にレーニンがあったのに。
原子力潜水艦「プーチン」
原子力潜水艦「クルスク」 (つД`) (-人-)
トハチェフスキーは使われないのかなぁ
実はほんとにクーデター起こそうとしてた、みたいな話は聞くな だからかしら?
あと300年ぐらいしたら使われるかも
トロツキーは使われない気がする
>>525 RとLは日本人にはいざ知らずドイツ人にはまったく別の音ですからご懸念は無用ですよ。
それよりRausというだけで「出てけ」という意味になるのでそっちのほうが気がかりですが。
まあ攻撃精神旺盛そうに聞こえるので軍人向きの名字かも知れません。
将軍ではないですが建設機関のトップでシュペーアの前の軍需大臣だったフリッツ・トット(トート)は
もとはTodというスペルでしたが、それだと「死」を意味してしまい縁起がよくないので
うしろにtをつけてTodtにしたそうです(発音はそのまま)。ほんとかどうか知りませんが。
英語なら”Tod”は珍しい姓ではない、彼は英系?
>>536 トッドは名前で姓ではないし、綴りもToddなんで関係はないと思う。
ドイツの将軍で変わった姓といえば、ハッソー・フォン・マントイフェル
Manteuffelという綴りはMann・Teufel(人・悪魔)にごく近い。
まさか「悪魔」のつく姓をわざわざつけるとも思えないので語源は違うと思うが。
マントイフェル家は代々プロイセン王国に仕えた名家です。 先祖でもっとも有名なのはエドヴィン・フォン・マントイフェル(1809-85)でしょう。 3次のドイツ統一戦争(対デンマーク・オーストリア・フランス)にすべて参加して 赫赫たる武功を揚げ元帥に昇進しています。外交官としてはクリミア戦争前後に活躍し、 また政治家としては1850年代末に軍事内局長として軍制改革を推進、のちの プロイセン軍の勝利に大いに貢献します。 またプロイセン議会の自由主義派の伸長に対して徹底した対立路線をとり、 軍事クーデタさえ画策しました。これは内政の混乱を招きますが(プロイセン 憲法紛争)、結果的にビスマルクの登場とその統一推進路線を準備したこと になりました。 あと名家といえば、降下猟兵のフォン・デア・ハイトもそうですね。
>>538 名家といえば、他にもフォン・クライスト、フォン・ザイトリッツなんかもプロイセン史には度々名前が出てくるな。
ホト親父じゃないの?
ホト?女性器? うーんわからんw
意味を知らんのならわかるわけないわな ほと 【▽陰】 (1)女性の陰部。女陰。 「此の子を生みしに因りて、み―炙(や)かえて、病み臥(こや)せり/古事記(上)」 (2)山の間のくぼんだ所。 「御陵は畝火山のみ―に在り/古事記(中)」 三省堂提供「大辞林 第二版」より
前スレで似たような話をした希ガス
おおやま とうごう なぐも なんか今一だな?
ヘル「マン」・「ホト」上級大将 いやーん
ホート、またはホスと表記する場合もあるようですが
Hothだからね。
ホートはちょいちょいみかけるが ホスは見たことないなあ。
フリッツ・Tod(t)の率いる組織は軍事関連本だと大体、トート機関と書かれるけど ナチ軍政下のパリで犯罪捜査をするゲシュタポ独人&フランス警官のコンビもの ミステリシリーズ(文春文庫)だと「トッド機関」と表記されてる。 トートってエジプト発祥のトート神(=ヘルメス 知識を司る)のことかと昔は思ってた。
そういや大日本絵画の本、クルトやベルクをクアトやベアクのように原音に近い表記にしてるけど違和感バリバリなんだよなあ。 Panzer Divisionは戦車師団よりも装甲師団のほうが個人的にはしっくりするし。
ドイツ軍=装甲(軍、軍団、師団・・・) ソ連軍=戦車(軍、軍団・・・) 米英軍=機甲(師団・・・) ってのが多いね
>>552 (独) Panzer Division = 機械化装甲(機甲)師団
(英米)Armored Division = 装甲師団
(日蘇)Tank Division = 戦車師団
最初にこう訳しておけば良かったんだが、Armored Division を機甲師団にしちまったんで全体がおかしくなってるな。
本来、機甲はPanzerの翻訳語の筈で、「戦前の」Panzerは機械化装甲全般の枕詞だったんだし。Panzershiffe とか Panzerzug とか。
Panzerは「鎧」「防具」「装甲」の意味と「戦車」の意味とあるけど、 ドイツが1935年に最初のPanzerdivisionを編成したときは、一個師団あたり 300両以上の戦車を装備しているので、あきらかに「戦車師団」という意味 だったと思う。 しかし、むかしどっかの雑誌の座談会で誰かが同じようなこと言ってた記憶があるけど、 大戦後半以降のドイツPanzerdivisionは、戦車の装備数がひどく少なくなるし (一個大隊程度)、それよか各種の装甲車両を装備した諸兵種合同型の 混成機動部隊の色彩が強くなるので、そうなると「装甲師団」「機甲師団」のほうが 現実にあっているような希ガス。
ヘルマン・バルクage
↑上がってなかったorz
フリードリヒ・パウルスsage
おりこうハンスsage
ドイツが誇るタンネンベルクの英雄、 ヒンデンブルク&ルーデンドルフというゴールデンコンビがあと数年長生きしていたら、 ドイツが負けることは無かったであろう。
戦争そのものが当時とはだいぶ変化しているので無理ぽ。WW2は機動戦の時代。 フランスは老人ばかり高級指揮官に据えてものすごいスピードで負けたではないか
>>560 そもそも二人とも第1次大戦後は軍務についてないだろ。
ルーデンドルフなんか最後は新興宗教にはしっちゃったみたいだし。
>>561 それにしても、なんで、ガムランはあんなへまをしたんだろう。
by ルートヴィヒ・ベック(弟子マンシュタインの勝利を知って)
ディートリヒ・フォン・ザウケンたん(;´Д`)ハァハァ
ヒンデンブルクが大統領で長生きしてたら そもそもヒトラーは戦争をおこせなかった。
いやゼークトがもっと長生きすればヒトラーそのものが(ry
いやいや、 事実としてヒトラーはヒンデンブルクに、 ヒンデンブルクの下で兵士だった(本人談)という尊敬と 大統領選挙で一騎討ちの末に負けたという敗北感を持ってるので、 首相にすぎないヒトラーは戦争をおこす事は不可能。
>>563 ガムランは脳梅毒を患っていたって本当かねぇ。
>>569 ただ、それならペタンでもだれでもいいから、
かわりの将帥を任命すればいいだけで。
あきらかにおかしい総司令官を解任しないなんて、
フランスの戦争指導はどうなっていたのかと。
実際、フランス軍が旋回軸のアンデルヌ付近を守らないで、
右翼をがら空きにしてベルギー・オランダ方面に突進して、
自分から包囲陣にはまりこんでいくなんて、
あまりにも愚かで、ベックには信じられなかったようだ。
>>570 マジノ線がある以上、右翼方面は安泰って信じてたんじゃないの?
おまけにアルデンヌは戦車隊の突破不能な森林地帯って思われていたんだし。
>>572 でも、包囲殲滅をしようと左翼を突進させるとき、
マジノ線との間に空隙を作って、猪突猛進する必要はないわけで。
>>573 たしかに。まあアルデンヌからのドイツ軍戦車部隊の突進力を
過小評価してたんでしょうな。ミューズ川渡河のときなど、ドイツ側も
文字通り相当危ない橋を渡っているし、背後を断たれて孤立する
可能性だってあったわけだ。
>>571 アナスタシア事件では謀殺説のある人ですね
生きてれば有能な軍幹部として辣腕をふるったかもしれませんが、
ヒトラーとは合わない性格だったかも・・・
576 :
名無し三等兵 :2005/08/09(火) 04:25:03 ID:tgIaj8j5
フーベage
ここでは、グデリアンやマンシュタインは名将としてのイメージが強いが、 両者ともにナチ政権に近い立場でうまく立ち回った人物というイメージが強い。 グデリアンというと、どうしても7月20日事件の裁判のときのことが思い浮かぶ。 マンシュタインだって、参謀としてのトレスコウのキャリアを終わらせたようなもんだしな。 名将としてのマンシュタインという像自体が、ナチの宣伝なんだし、 二人の書いたものは、自己弁護のために書いたようにしか読めなくなってしまった。 この二人は国防軍というよりも、ナチ体制に完全に順応した軍人っていうのが本質じゃないか?
>>577 グデリアンはベックなど参謀本部本流が嫌いだった。
というのも、ベックが戦車にあまり好意的でなかったから。
この点ではグデリアンのほうが正しい。
しかし、ベックは冷静に総力戦理論から大戦略を検討して、
ドイツに勝算なしという結論を出したわけで、
戦略家としてはベックの業績は動かない。
さすが、ドイツ最高の戦略家といわれた男だけのことはある。
ユンカー出身でないベックは、有名な技術者の息子で、
民間を巻きこんだ総力戦に理解があった。
その参謀本部正統派の嫡流がマンシュタインなわけで、回想録をみるとわかるけれど、
かれは参謀将校のなかでも、特殊なエリート集団の一員だった。
だからトレスコウは、マンシュタインを反ヒトラーに引きこみたかった。
本当はベック・マンシュタイン・トレスコウ・シュタウフェンベルクと続いていく、
参謀本部主流派の流れがあったわけ。
そこに、ヒトラー暗殺に冷淡なマンシュタインへの不満がうまれた背景はあった。
もっとも中央軍集団の作戦立案はずっとトレスコウがやっていたわけで、
かれは最後まで、参謀将校としていつも高く評価されていたはず。
だから、マンシュタインによってキャリアを断たれたとはいえない。
というか、当時のドイツは戦況不利で、トレスコウほどの才能を冷遇する余裕などない。
580 :
577 :2005/08/10(水) 00:03:44 ID:???
>579 グデリアンは、先進的な技術を戦術面に反映させたという意味では評価できると思うが、 それは戦術面の狭い領域におけるRMAでしょう。当時の戦争の本質、つまり総力戦体制全般の中で勝利を収める戦略の問題として、 論じられるべきではなかったんじゃないか。 でも、グデリアンは最終的にそのことに気がつかなかったし、あくまでテクノクラートにとどまった。 にもかかわらず、陸軍参謀総長の地位に立ち、七月二十日以後ナチズムへの忠誠を全参謀へと誓約させたのは、 評価としては大きなマイナスでしょう。 また、マンシュタインは、トレスコウの度重なるヒトラー打倒の呼びかけに辟易して、 マンシュタインの参謀を望んでいた彼の願いを妨害するために、 「トレスコウの参謀としての能力が高いこととは疑いないが、彼は国家(民)社会主義に対する忠誠が足りない」と、 当時の将校の立場にとっては、致命的な報告を行っているよ。 これは彼にとってキャリアを断たれたに等しいんじゃない? グデリアンもマンシュタインも両方に共通して言えることは、 彼らが持っていたのは、プロイセン・ドイツの参謀将校として必要な批判的な理性的認識ではなくて、 軍事技術的な専門知識か、戦術的に優れた手法のみであったんじゃないか?
>>580 マンシュタインとトレスコウの関係については明らかな誤解だと思う。
中央軍集団の作戦参謀、第2軍の参謀長というのは、
決戦正面の作戦を一手に握る地位で、作戦家として本望でしょう。
つまり、トレスコウのキャリアは最後まで断たれなかったわけで。
第2軍はトレスコウの作戦指導のもと、中央軍集団の崩壊を切りぬけたとあるから、
その世代で最高の作戦家とされた参謀将校の経歴において、
撤退の成功は掉尾を飾ったわけで。
だから、マンシュタインの言葉というのも、
誤解か不確かな伝聞の産物で、事実ではないんじゃないかと推測している。
問題はトレスコウが南方軍集団の参謀長になれなかったことだが、
自分で作戦を立案・指導できるマンシュタインのもとに、
もうひとりの天才参謀将校をおくっても、人材の無駄遣いになるわけで。
実際、中央軍集団では、参謀長に等しい仕事を、トレスコウはしていたわけだから。
このあたり、例の『回想の第3帝国』が参考になるのでは。
ちなみに、トレスコウはヒトラーの高級副官シュムントの親友なので、
総統周辺の覚えはむしろめでたく、だから、それを利用して、
マンシュタイン計画の採用にまでこぎつけたわけで。
もちろん、トレスコウは、この立場を実はヒトラー打倒のために利用していたわけだが。
ところで、おれは人間としてはグデリアンが嫌いなので、そちらは弁護する気がない。
だれかほかの人、グデリアンの弁護キボンヌ
国防軍の幹部には参謀、前線を問わずナチスへの忠誠心のほどが疑わしい人物はゴマンといた。 だからマンシュタインがとりたててトレスコウのみを問題にしたというのは考えにくい。 それに、マンシュタイン元帥の副官の回想を読むと、マンシュタインが政治の問題に関しては かなり割り切って考えていたことがわかる。 副官の昇進を推薦するときも、身上書に、副官が7月20日グループに近い関係が あったことを知っていながら、当然のように、政治的信条の欄に「国民社会主義者」、 と書き込んで副官に文句を言われている。 こういう一種の無邪気さが、かえって誰にも利用されず、また予備役編入後も、 利用されることを警戒してナチスに危害を加えられることがなかった理由のひとつではないか。 グデーリアンに関しては、彼の機甲戦略・戦術が大々的に採用されるようになったのは 明らかにヒトラーの支持のおかげだから、マンシュタインよりもスタンスがぐんとナチスよりに なったのは無理もないね。それから彼の正式な役職は参謀総長代理ね。
>>581 そうですね。
マンシュタイン司令部では、作戦主任のシュルツェ・ビュトガー、後方参謀のフィンク、
副官のシュタールベルクなど、積極的な反ナチス派がうじゃうじゃいたわけで。
それから、マンシュタインの師匠ベックは抵抗運動の精神的支柱であり、
親友フェギーベルもトレスコウも確信ある反ナチス抵抗運動の指導者だったという罠。
人間的に、マンシュタインがナチスより、反ナチが好きだったことは事実でしょう。
ただ、この作戦技術の流派からいっても、人間関係からいっても、
抵抗運動の実戦司令官をつとめなければいけないはずのマンシュタインが、
政治に関係しない態度を決め込んだのが、
抵抗派にとってはどうしようもない苦痛だったんだろう。
モーデルやシェルナーがナチスなのはわかるにしても、
マンシュタインのようなナチスでない元帥が、
なぜに自分たちに味方しないのかわからなかったということだと思う。
>>583 自分にレスしてどうする。582さんへのレスです。
マンシュタインの周りに反ナチ派が多かったことは事実だが、 それをマンシュタインの態度と同一視するべきではないと思う。 たとえば、582さんが挙げているように、「国民社会主義者」であるか否かが、 当時どういう意味を持っていたかについてマンシュタインは非常によく知っていたはず。 確かに国防軍内部の反ナチ派はいたろうが、7月20日のときに行動した将校はさておき、 多くの将校は本当に「反」ナチだったのかは疑う必要があるんじゃないか? 戦後書かれたものは、みんな自分のことを積極的なナチではなかったと書いていて、 反ナチについては当てにはならないし。 マンシュタインもクルーゲのように「日和見」だったのかもしれない。 政治に関係しない軍人というのは、ワイマールからナチ期にかけての神話だけれど、 少なくとも、プロイセン・ドイツ軍の精神的基盤であるシャルンホルスト、グナイゼナウ、 クラウゼヴィッツ、ヨルク・フォン・ヴァルテンベルクといったものの伝統から、 かけ離れた人物として評価せざるを得ないと思うのだが。
586 :
583 :2005/08/10(水) 18:46:30 ID:???
>>585 私が名前をあげた将校は、信念のために抵抗に参加して、
ヒトラー暗殺計画の中心となり、シュタールベルク以外の全員がナチスに殺害されました。
従って、かれらが反ナチスであったかどうかを疑う必要はまったくないと思います。
他の反ナチを自称する将校については、本当にナチスに反対した人も、そうでない人もいるでしょう。
ちなみに、トレスコウ、シュタウフェンベルク、ベック、フェギーベルの決意を、
マンシュタインは知っていたわけで、これをナチスに密告しなかったのは、
ナチス統治下では死に値する重罪でした(フロム大将はこの罪で死刑になっています)。
したがって、マンシュタインが臆病者とも、実はナチスに共感していたともいえないと思います。
マンシュタインについては、本当の意味で、政治に興味がなかったのだと思います。
ただ、このような状況であえて行動したベック、ヘープナーなどの高級軍人の勇気と決意は、
たしかに敬意に値すると思います。
シャルンホルスト、グナイゼナウ、ボイエン、ヨルクの伝統を引き継ぐような将校は、
彼らのことだと思います。
要は反ナチの基準をどこにおくかだと思います。 反体制グループに参加して実際に行動していたかとか、不法行為に手を貸さなかったり やめさせようとした、という基準にすれば、そこまでやった人物はもちろん限られてくるでしょう。 しかしあるいは、日頃からナチスを毛嫌いしていたとか、党幹部とは距離を置いていた, という程度でも反ナチだったとする見方もあり得ると思います。 これはプロイセン=ドイツ陸軍の伝統が数百年におよぶのに対し、ナチス政権が所詮10数年の歴史しかなく、 国防軍人を完全にナチ体制に同化することができていなかったため不可避的に生じた、個人の態度の相違で あると言えるでしょう。 軍人は忠誠をもって本分とすべしという考えは、このドイツ軍人の伝統の中核にあり、 しかしその忠誠の対象が非道な行いをし、また倫に背く命令を出したりする場合は、 これに抵抗する事が許される、というのは「市民的勇気」の思想だと思います。その 淵源は啓蒙主義あたりに求められるべきではないでしょうか。 多くのドイツ人が戦後、ナチスがそんな悪い奴らだったとは「知らなかった」と言いました。 これは例の「ヒトラー最後の12日間」の原作者でもあるヨアヒム・フェストのテーゼなのですが、 「知らなかったnicht wissen」と言うのは、本当に「知ることが不可能だったnicht wissen koennen」と 言うことなのか、じつは「知ろうとしなかったnicht wissen wollen」だけではなかったのか、という 問題があると思います。マンシュタインの弁疏はある程度の説得力がありますが、この後者の方では なかったかと私は考えています。
588 :
585 :2005/08/11(木) 00:41:02 ID:???
>586 まったくおっしゃるとおりです。 あなたが挙げられた将校は反ナチということは疑う必要はないと思います。 実際上の行動で示していますしね。 私がマンシュタインをここでしつこく取り上げたのは、彼が政治に興味がないという姿勢で、 最後まで乗り切ったからです。彼は間違いなく優秀な軍人でしたが、 それと同時に彼の良心を凍結してでも、ナチにとって都合のいい将校であり続けた面があることは否定できないと思います。 特に東部戦線のセバストポリ、レニングラード、スターリングラード、ハリコフ、クルスクといった戦場で、 彼がいつも主役であったのは、政権首脳部がマンシュタインにかなり後押ししていたこともあると思います。 その意味では、マンシュタイン信仰はある程度疑問を持って見直す必要があるでしょう。 もちろん、戦術家としてのマンシュタインの評価は別ですけどね。 それと、ベック、ヘープナーについての評価はまったく同意します。
反ナチと非ナチを分けて考えてみても良いかもな
>>581 だから、マンシュタインの言葉というのも、
誤解か不確かな伝聞の産物で、事実ではないんじゃないかと推測している。
推測かよw
マンシュタイン信者ってすごいなw
都合の悪いことはなかったことか。
まるでどっかの国みたい。
よく恥ずかしくないな。
591 :
583 :2005/08/11(木) 16:46:12 ID:???
>>590 じゃあ、トレスコウのキャリアが断たれなかったことはどう説明する?
592 :
585 :2005/08/11(木) 17:28:48 ID:???
確かに、第2軍の参謀長というのは、当時の経歴としては十分なものであったろうけど、 問題は今後さらに昇進することを考えた場合に、 一部隊の一参謀としてではない上層部との関係だろう。 将校にとって、反ナチの立場を公的文書に残されると非常に厳しい。 特にトレスコウは、今まさに反ヒトラー運動の実際の行動、 あるいは同士の中でも精神的に指導的役割を果たしていた人物なのだから、より致命的。 マンシュタインの報告は1943年末から44年初旬にかけてのものだから、 戦況の悪化で、前線の優秀な人材を引き抜くことはできなかったろうし、 人事に影響するにはもう少し時間がかかったろうが、 マンシュタインの報告は、 少なくともトレスコウにとって望ましいものではなかっただろう。 決戦正面の作戦を一手に握る地位で、作戦家として本望でしょう。 つまり、トレスコウのキャリアは最後まで断たれなかったわけで。 第2軍はトレスコウの作戦指導のもと、中央軍集団の崩壊を切りぬけたとあるから、 その世代で最高の作戦家とされた参謀将校の経歴において、 撤退の成功は掉尾を飾ったわけで。 だから、マンシュタインの言葉というのも、 誤解か不確かな伝聞の産物で、事実ではないんじゃないかと推測している。
593 :
585 :2005/08/11(木) 17:30:16 ID:???
下七行はコピーミスです。申し訳ない。
594 :
583 :2005/08/11(木) 18:11:53 ID:???
>>592 私はトレスコウが順調に出世して、別に逮捕もされなかったところをみると、
マンシュタインの密告そのものがなかったと思います。
この話はもともとシュラープレンドルフの回想にあり、
ホイーラー・ベネットの研究は、これを鵜呑みにしていますが、
かれはこれを「トレスコウに対する死刑判決」とまでいうのに、
その後で、トレスコウ少将は第2軍参謀長、少将昇進と順調に出世しているわけで、
その矛盾はどうしても説明できないからです。
もともとヒトラーとの関係は、
マンシュタインよりも、トレスコウ、シュタウフェンベルクなどのほうが良好です。
トレスコウはヒトラーが個人的に最も信用する陸軍軍人シュムント少将の親友で、
総統大本営と特別なつてがありました。
シュタウフェンベルクは前線の勇士として、いかにもヒトラー好みの将校でした。
彼らは見事に偽装していたわけで。
だから、トレスコウ少将の死は、最初は英雄的な戦死と報道されたわけです。
>>593 気になさらずに。
595 :
585 :2005/08/13(土) 08:14:59 ID:???
>594 確かになかなか説得力があるように思えますが、 マンシュタインの報告がなかったことの証明というには十分ではないと思います。 国民社会主義への忠誠心を疑われるということが公文書に書かれる際には、 直ぐに逮捕されたり、昇進に影響するのではなく、 何か起こった際に調査され、その際に問題となるものでしょう。 直接的なナチ体制に対する「密告」としてよりも、積極的に反ナチ運動を行おうとしていた、 トレスコウにとっては、決して望むべきものではなかった、というべきでしょうか。 ただ、同じ史料に依拠しているでしょうから、 結局のところ、回想録に依拠し、マンシュタインに好意的に捉えるか、ナチ体制との親和性を重視し、 否定的に捉えるかの解釈になるでしょう。 ナチ体制にとっては、確かにトレスコウ、シュタウフェンベルクといった若手の貴族将校が、 接近してくることは非常に喜ばれていたようですし、事実トレスコウが積極的に活動できたのは、 おっしゃるとおりだと思います。ナチ体制による厚遇に対しても、自己の信念を曲げずに、 戦った「個人的な」勇気は賞賛されてしかるべきと思いますね。
596 :
583 :2005/08/13(土) 09:32:44 ID:???
>>595 議論におつきあいいただき、ありがとうございます。
たしかに、おっしゃるとおりで完全な証明は難しいですね。
ですから、どちらがよりありそうなことか、を考えるしかないでしょう。
私は、この話の元ネタである、
シュラープレンドルフの「ヒトラーと戦った将校」(たぶん翻訳なし)は未見で、
それを引用したホイーラー・ベネット「権力のネメシス」から論じているのですが、
考えてみるとマンシュタインが陸軍人事局に伝えた話を、
シュラープレンドルフが知っているというのは不思議な話だと思います。
(シュラープレンドルフの本は研究書ではなく回想録です)。
ヒトラー暗殺計画に関して最も権威あるホフマンの文献をみると、
私のとぼしいドイツ語の力で読むかぎりでは、
1943年8月に、マンシュタイン、クルーゲ、キュヒラーが行動を決意していて、
ハウサー、ゼップ・ディートリッヒの両SS将軍も協力の用意があると、
トレスコウ自身が語っていますね。
ホフマンは、トレスコウの言葉が過度に楽観的でないかを疑っているようですが。
厳しい状況のなかで、将校たちの心もかなり激しく揺れていた、というのが結論かもしれません。
従ってマンシュタインについても、単純な評価はできないでしょう。
ナチスよりの将校も多く、軍事専門家に徹した将校もいたけれど、
将校団の一部には、モラルと軍事を結びつけたプロイセン改革期の伝統を、
たしかに引き継いだ将校もいた、というところが、
585さんと私がともに同意できる結論でしょうか。
597 :
名無し三等兵 :2005/08/15(月) 03:17:56 ID:2lwWuX3x
アルニムage
レベルの高いスッドレですね。
そしてマンシュタインを擁護するようなレスをすると
必ず沸いてくる
>>590 =辻ーん信者
オーキンレック大将について語って下さい
>599 スレタイ読んで出直して
601 :
くら ◆mlSturmRPg :2005/08/16(火) 00:13:59 ID:Qo8mSdLI
ヘルマン・ブライト第三装甲師団長(ベルリンの熊の親分)→第三装甲軍団長
フォン・ヴァイクス(確か青作戦のころの第二軍司令官)っていかにして元帥になったの、 あまり大活躍した印象はないのだけど?
国防軍将校は田舎貴族崩れの敗北主義者のオカマの集まり。 兵・下士官層も粗野で無知無能な水呑百姓集団。 独ソ開戦前に国防軍を全軍粛軍して親衛隊と空軍と海軍だけで戦争してれば勝てた。
ヒ総統ですか!?ジークハイル!
SA将校は階級をもってるんでしょうか? SA師団とかはないのでしょうか?
>>603 ひむらーたん、こんにちわ。
ヴァイクセル軍集団の指揮どうなっていますか。
風邪をひいたそうですね。
でも、戦況がちっともよくならないので、総統閣下がおこっています。
はいんりき君がそちらに行くので、かわりにベルリンに帰ってきてね。
ぼるまん
118の漏れとしては583氏にベック関連のネタ本をいくらか紹介していただきたい。 ネメシスも随分前に読んだけど(ドロドロしてて楽しかった)、 あれは抵抗者(及び陸軍権益代表)としてのベックの話であって 戦略家としての側面にはそこまで詳しくなかったような記憶があります。 確かドイツ語の伝記が一冊あったのは覚えているけれど、 あれは語学力不足で読めなかった orz 是非とも参考文献を教授願いたい。
609 :
名無し三等兵 :2005/08/16(火) 23:11:28 ID:ylI9+ymb
●本日、午後11時からNHKでBBC制作『アウシュビッツ』全5回を放送。
出てきた将官はハイドリヒだけか・・・ それよりスロバキアの二人の頭目の映像。 司教ティソじゃない方のやつ。 すごいいかれた、というかマンガにでてきそうな奴だった。
611 :
585 :2005/08/17(水) 09:23:29 ID:???
>608 翻訳で読める最良の文献は、ピーター・パレット編『現代戦略思想の系譜』に収められている、 マイケル・ガイヤー「機械化戦争時代」という論文でしょう。 第一次大戦から、ナチ時代にかけての全時期に関する戦略の問題を、 体系的に論じ、また極めて批判的に捉えているという意味でも必読かと。 ベックについての研究は、クラウス=ユルゲン・ミュラーのものが評価が高いですし、 ご覧になったのはこれではないかと。 General Ludwig Beck : Studien und Dokumente zur politisch-militarischen Vorstellungswelt und Tatigkeit des Generalstabschefs des deutschen Heeres 1933-1938. 現ハンブルク大の教授で抵抗運動の研究で有名ですね。
612 :
583 :2005/08/17(水) 11:35:03 ID:???
>>611 いつも、ありがとうございます。
いえ、私が読んでいるのはどちらかというと日本語中心ですよ(汗)
クラウス-ユルゲン・ミュラーのような70年代後半以降のドイツ現代史家は、
ドイツ語が異常に難しくて読んでいても苦しむので、あんまりフォローしていません。
ゲアハルト・リッターは偉かった(遠い目)。
>>608 ベック将軍については、
夭折した歴史家である寺阪精二の「ナチス・ドイツ軍事史研究」が役にたちます。
入手困難ですが、大きな図書館に行けばなんとかなるはずです。
不遇の天才である中澤護人先生による研究を、どこかが出版しておいてくれればよかったのに。
というか、いまからでも遅くはないので、出版してほしい。
ちなみに中澤護人で検索してみたら、Web上に、彼の伝記があることがわかりました。
ベック将軍についても興味深いことが書いてあります。御参照ください。
割り込みスマソ。 70年代後半以降のドイツ現代史研究家の文献は英語訳があるんじゃないでしょうか。 軍事史ではありませんが、ナチス研究では多くのドイツ人学者が同時に英語版も書いていて、 たいてい学者本人にとっても外国語である英語版の方が平易な読みやすい文章になっています。
みなさん、ありがとうございます。
>>611 『現代戦略思想の系譜』
時折この板では目にしておりましたが。
今度探して見ます。
ドイツ語の方は大学にあったもので
ここまでちゃんとしたものでは無かったと思いますわ。
>>613 リッター、寺阪精二、なつかしい。読みました。
リッターの本(翻訳)は妙に勢いがあった記憶があります。
寺坂さんの本を読むまでヘープナーが抵抗側だとは知らなかった。
ちゃんとコピーなりノートなりとって置けばよかった orz
中澤さんという方は未知ですので調べて読んでみたいと思います。
ベネットの本も寺坂さんの本も古本で検索すると結構しますね。
>>613 英語訳のがまだどうにか読めますよね。
探す時に参考にさせてもらいます。
615 :
585 :2005/08/18(木) 00:19:18 ID:???
『現代戦略思想の系譜』は、論文によって結構良し悪しがはっきりしていますが、 ガイヤーのものはきわめてレベルが高く、また、「戦略」というものの認識が変わる、 極めて優れた論文です。 個人的には、邦文で読める戦史の文献すべてをあわせたよりも、この50ページほどの、 論文を読むほうが価値があると思います。 『ナチス・ドイツ軍事史研究』もそうですけど、1〜2万ぐらいしますね。 一般書に比べると難しいし、売れないんでしょうね。 リッターは、『ドイツのミリタリズム』のほうでしょうか。 『国政術と戦争手法』なら、英語版もありましたね。 近年、欧米で軍事史研究は盛んのようですが、 軍人個人に焦点を当てた研究が流行らないせいか、 あんまり新しい研究を聞かないような気がしますね。 未見ですが、グイド・クノップの『ヒトラーの戦士たち』は、どうでしょう。 ジャーナリスティックとは思いますが、何か新しいことが言及されていたりするんでしょうか。
616 :
名無し三等兵 :2005/08/18(木) 01:39:34 ID:IM9Q3jd4
夏休みの休暇に、ベルリンのインバリデン・フリードホフを訪れた。 メルダース、ウーデット、シュリーフェン、ゼークト、シャルンホルスト等等、ドイツ軍マニア垂涎の お墓がたくさんあった。面白かったのは、メルダースとウーデットのお墓が背面がくっつくように 配置されていたこと。 あと、シュッツトガルト近郊のヴァイル・イン・シェーンブッフというど田舎町にある、ハルトマンのお墓 にも行った。シェーンブッフの町役場で、「ハルトマン元少佐のお墓はどこですか?」と尋ねたら、 町役場の職員は、「君はハルトマンの墓を見るために、わざわざ日本から来たのか。すごいね。 私はハルトマンに会って、話をしたことがあるんだ。個人情報を与えるのは禁止されているが、恐らく、 古い方の町の墓場にあるだろう。君が迷わないように、町の地図をあげよう」と、親切に教えてくれた。 おかげで、ハルトマンのお墓を見つけることができた。 ゴスラーにも行って、グデーリアンのお墓も見てきた。 でも、多くのドイツ人は、第二次大戦当時のドイツ軍将官がどこに眠っているかということは、知らないし、 興味もないようだった。
> 君はハルトマンの墓を見るために、わざわざ日本から来たのか。すごいね。 俺も素朴にすごいと思うw
>>616 すごいね。
ドイツって、11月が日本で言うところの「お盆」に相当する季節じゃない?
ドイツにいたとき、その時期におじさんの墓参りに行ったんだけど、
墓場の門に募金筒持った正装の連邦共和国軍兵士が二人いて、募金集めてた。
募金したら、バッジをくれた。第二次大戦の戦没軍人の墓の維持と整備に使うんだって。
こんな馬鹿なこと聞いていいのかな。 ヒトラーの墓ってちゃんとドイツにあるよな?
>>619 無い。
ナチスの残党に祭り上げられるのを防ぐため、戦後に自殺もしくは刑死したナチ幹部の墓は
一切作られていない。
寿命を全うした連中(ヘス・シュペーア等)の墓はある。
ということはナチ幹部の遺体(が残存しているもの)は日本で言う所の無縁墓地みたいな所に葬られていると?
ドイツ兵の無縁墓地みたいなのはドイツのどこの霊園(?)にもあるけど、 刑死したナチス幹部の遺体は焼かれて粉々にされて骨は川に流されたらしい。 オーストリアの彼の故郷にヒットラー家の墓というのがあって、 地域の若者が見に来たりネオナチっぽい人たちが集まったりしたらしいけど、 本人の遺体は入ってないと思う。
焼いて川に流してしまうってのが徹底してるな…… 流石絞首刑にふされただけある。 まあ、流した川がわかればそこにネオナチがこぞって集いそうな気もするけどw スレ違いなのに教えてくれてありがとう
>>622 >>623 日本のA級戦犯も同じことをしたのだが、
途中で遺灰を盗んだ奴がいて、だからかれらには墓がある。
ヒトラーの遺体はソ連軍によって回収され、検死が行われたがソ連政府はその存在を極秘とした。 その後遺体は埋葬と移動を繰り返されたが、最終的には1970年代に焼却され灰は廃棄された。 頭蓋骨のかけらがモスクワ公文書館に保存されており、ソ連崩壊後にその所在が明らかにされた。
>>623 ゲーリングは自殺した次の日には火葬にされて、ミュンヘンのコンヴェンツ川に
他の何人かの米兵の遺灰にまぎれて撒かれました。
米兵の遺灰とするための偽名は「ジョージ・マンガー」
ヒムラーの遺体はしばらく放置された上で、米ソの士官によって検死が行われ、
死後三日目に無名の遺体としてリューネブルク近くのどこかの森に埋められたようです。
みんなNHKの「アウシュビッツ」見てる? SSの将官はあんまり登場しないね
あれだけヒムラーが出てるじゃないの 階級は不明だが おそらく元帥?
ヒムラーは Reichsfuhrer-ss SS帝国指導者
630 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 09:20:35 ID:3m8RQQjf
アイヒマンは中佐、アウシュビッツ所長のルドルフヘスの階級は?アウシュビッツで働いてた親衛隊8千人!一体SSは全部で何人いたのだろうか‥
>>630 外人部隊を含めたら100万人規模だったらしいよ
多くは武装SSだけど
632 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 11:25:31 ID:UXMdw66W
ライヘナウとかどうよ?
634 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 16:23:02 ID:4wpptbkT
635 :
名無し三等兵 :2005/08/20(土) 16:29:15 ID:pRe4K+q2
初心者質問スレで解答がつかなかった質問をここでしてもよろしいでしょうか? ドイツ軍将官に関する質問で当該スレの前々スレでのものです。
>>635 あそこで解答がつかないものが、ここでわかるかどうか疑問もあるけど、
一応書いてみたらいいのでは。
看守部隊のアイケと 囚人部隊のディルレワンガーは どういう関係なのでしょうか? やはり因縁浅からぬ関係なのかと思いまして。
638 :
635 :2005/08/20(土) 17:33:25 ID:???
降伏文書の調印の際にモノクルをかけたドイツの将軍を 見たいとのソ連側の要望に応えたのは誰でしたっけ? 確かカイテルかヨードルだったような…。 というものです。 調印ではなくその前の会談かあるいは使者に発った時かもしれませんが。
>>635 ランスで無条件降伏の文章に署名したのはヨードルですね。
ただ、そのモノクルの逸話は知らない。
確かソ連に二度降伏文書にサインしてるからカイテルじゃないの。 モノクルしてる写真有名だし。
アイゼンハワー元帥がそんな馬鹿げた要求をヨードルにするわけがない。 カイテルでしょう。
アイゼンハワーの司令部で降伏文書に署名したのはヨードル ベルリンでジューコフ含む全連合軍代表に対して降伏署名したのは、カイテル (副書はフリーデブルクと空軍の大将だった気がする)
あ、ヨードルが降伏署名した後、西側連合国軍から48時間だけ西方脱出の猶予時間を与えられて、 多くの独軍部隊が米英軍に降伏出来たのは有名な話ですね
参考にならん。
>>642 >アイゼンハワーの司令部で降伏文書に署名したのはヨードル
>ベルリンでジューコフ含む全連合軍代表に対して降伏署名したのは、カイテル
で、結局どっちの降伏が有効なんでしょう。
ドラマや映画でも、
『将軍アイク』ならヨードルが降伏。
『ヨーロッパの開放』ならカイテルが降伏。
『ヨーロッパの開放』に出てくるソ連の将軍や兵士はすごい紳士的だったなあ。
>>646 ヨードルの降伏は”軍降伏”の色合いが強い、米英軍に隣接した軍を主に降伏させた訳ですから
(実際に降伏発行まで48時間の猶予時間を与えられているので)
これと比べてカイテルのは国家として全連合国に降伏批准したので、
公式には後者が有効なのではないでしょうか?
4月28日にイタリアのドイツ軍降伏、5月2日午後1時にベルリン防衛司令官ヴァイドリングが ベルリンの守備隊に停戦命令。5月4日に南西軍集団降伏。 おなじ5月4日にオランダ、デンマーク、北西ドイツのドイツ軍がモンゴメリー麾下の英軍に降伏。 これらが、西側に先に降伏して、できるだけ東部での戦闘(と撤退)を引き延ばそうという デーニッツ新政権のもくろみとされる部分降伏。 5月7日、ランスのアイゼンハワーの総司令部での降伏調印は、ドイツ全体の降伏に関するもので、 (ドイツ側はひきのばそうとしたがアイゼンハワーが応じなかった) ヨードルとフリーデブルク(海軍大将)が署名し、翌8日午後11時1分発効。 ここで署名されたのはすでに1944年7月に連合国が準備していた 降伏文書の簡略版であったので、スターリンがごねて 結局ベルリンのカールスホルストのソ連軍司令部でもう一度正式な 降伏文書に調印することになった。 これにドイツ側代表カイテル以下が署名したのが5月9日午前0時16分。 しかし文書の日付は8日とされ、降伏発効も8日午後11時1分になっている。
649 :
名無し三等兵 :2005/08/26(金) 15:25:06 ID:My+PFVYa
すんません、突然話変わりますが。 ワイマール参謀ゼークト氏の言葉として有名なこれ… >有能な怠け者は司令官、有能な働き者は参謀。 >無能な怠け者は兵卒、 無能な働き者は処刑せよ。 てのが、この人の発言としてしっかり書かれてる文献とか資料とか ありますか? ネット上じゃなくて何らかの本として。 あと、できれば原文を知りたいんです。
ゼークトに関する文献には何冊か目を通したけど、 すくなくとも見た限りでは、こうした表現を見たことはないね。 『一軍人の回想』とか、『モルトケ』とかを読めばわかると思うけど、 相当な教養の持ち主であったゼークトがこんな卑俗な表現をするとは信じがたいし、 もしかすると誰かの創作かもね。 そもそも出展未詳でしょう?
有能な怠け者は参謀にしろとか前線指揮官にしろとか変種があるし 確かに出どころがどこなのか知りたい。 > 無能な働き者は処刑せよ。 このオチが受けたんだろうなあw
たしかに文献でも見たことはあるけどゼークトの言とされてたかどうかは 覚えてないなあ。適当に単語入れてドイツ語サイトも検索したけどヒットしなかった。 元ネタは「ゼークトの組織論」なんて怪しいビジネス書みたいだから、 やっぱ創作なんじゃないの?
654 :
副総統ヘス :2005/08/29(月) 23:38:15 ID:DPDsc9dq
ルドルフヘスはNHKアウシュビッツの最終回では47年に絞首刑という事ですが、ナチス関係のどの資料を見ても87年92歳刑務所内で死亡となっています。どっちが正しいんでしょうか?副総統のヘスが収容所所長などをやるものでしょうか? 番組内ではヒムラーより下の階級のように出てきたんですが。同姓同名?の人物がいたんでしょうか?気になって眠れません。どなたかご存知ないでしょうか?
655 :
名無し三等兵 :2005/08/29(月) 23:39:35 ID:OjefHHLV
>>649 それは初心者スレの今年のどこかに入ってたはず。
初心者スレで聞いたりしないで探してね。
>>654 Rudolf Walter Richard Heß (1894-1987)
Rudolf Franz Ferdinand Höß (1900-1947)
へえ、発音違ったのか・・・
659 :
副総統ヘス :2005/08/29(月) 23:48:11 ID:DPDsc9dq
紛らわしいですねぇ。ありがとうございました。これで眠れます。
いや聞くと同じだよ。 表記上ルドルフ・ヘスが副総統でルドルプ・ヘスがアウシュビッツの所長。
名字のウムラウトのことだよ。
>>655 あったけ?
つか、結局確かな出自はあるんでしょうか、ただの創作が
あたかもゼークトの言であるかのように広まってひとり歩きしちまってるんでしょうか。
それだけ知りたい…
>>655 これのこと?
●初心者歓迎 スレを立てる前に此処で質問を 194
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1120508432/ | 7 名前:前スレ791[] 投稿日:2005/07/05(火) 09:28:47 ID:lFyF/cfV
| 「軍人は有能か無能か、そして働き者か怠け者か、これらによって4種に分類できる」
| で始まる、フォン・ゼークトの組織論について質問です
| この文章は、ゼークトがいつ・どこで・誰に対していった言葉なんでしょうか
| (小林源文氏の劇画以外で)出典等ご存知の方が居られたら教えて下さい
|
| 前スレではググってリンクを調べろとのみレスを貰いましたが、
| 出典等の情報は見当たりませんでしたので、よろしくお願いします
|
| 8 名前:名無し三等兵[] 投稿日:2005/07/05(火) 09:40:43 ID:ZW9Ajluq
| >7
|
| ああ、「組織論」ってのを一般名詞だと思った訳ね。ゼークトの著書の名前
| だよ。出典はソコから。「言った」わけじゃないの。
しかしゼークトに『組織論』という著作があるのだろうか・・・
ググっても、ゼークトの著作というとこれくらいしか見つからなかった。(´・ω・`)
Gedanken eines Soldaten (1929)
Zukunft des Reiches (1929)
Moltke, ein Vorbild (1931)
Deutschland zwischen Ost und West (1933)
Die Reichswehr (1933)
Aus meinem Leben (1938)
664 :
名無し三等兵 :2005/08/30(火) 11:09:01 ID:vj658xKZ
●今日午後1時30分からテレビ東京「午後のロードショー」で『戦略大作戦』を放送!! 主演:クリント・イーストウッド ◆M4シャーマンVSタイガー戦車!!◆
じゃあ、普仏戦争後のモルトケが、絶賛を受けながら 「自分はまだ退却戦を指揮したことがないから一人前ではない」 みたいなことを言ったというのは本当なの?
>663 さまざまな文献解題で調べ、 ドイツの国会図書館のOPACで確認したが、やはり該当する著書はない。 まず間違いなく、創作(捏造?)だろう。 >665 確かその逸話は、士官学校での講演の際に、 士官学校の校長がモルトケの統一戦争での業績を、 ナポレオンや古今東西の名将以上の業績であると賞賛したことに対して、 モルトケが謙遜して言った言葉として伝わっているはず。 邦書で引用されているのを読んだことあるが、 「解放戦争のときの、シャルンホルストやグナイゼナウの困難に比べれば、 たいしたことはない」ではなかったかな。 後、同じような例として、「もしこの比類を超えた成功が我々の事業に恵まれなかったら、 どんなことになったろうか。これらの賞賛は、多くの無理解な批判、非難とならなかっただろうか」 というように、度重なる賞賛に飽き飽きしていたみたいだから、いくつかの表現の違いがあると思われる。
>667 別段日本が嫌いだから、国民党軍に行ったわけではない。 中国側で、軍事顧問を必要としていた際に、フォッシュとゼークトが挙げられた際に、 ゼークトが決まって行っていたと言う話。 国防軍の親中派路線は、ゼークトに限ったことではなく、 後任のファルケンハウゼンも同様だし、 歴史的にも、ドイツ軍は日本以上に中国を重視し、重要な将校を中国に派遣している (参謀総長経験者であるヴァルダーゼー、ファルケンハイン等々)。 ドイツにとって必要な天然資源を物々交換で入手可能な、 中国との関係を重視するのはある意味当然かと。
国防軍と外務省は親中だったのに ナチ党のリッペントロープ機関が、両者への対抗意識もあって 親日に傾いたんだよね
>>669 それから、ドイツ海軍も伝統的に親日です。
戦時中は、フォレスター提督がドイツ独日協会会長になったりしていますね。
あと、大島大使のドイツ国内に食いこむ力というのは、
常軌を逸したものがあるので。
>>670 自己レス。カナリス提督も日独提携論者ですね。
カナリスめ、そんなことやってる暇があったら スペインを枢軸に引きずり込めと。
>>667 元帥のシュリーフェンより上級大将のゼークトのほうがお墓が立派なんですね。(・ω・)
>>673 >
>>667 > 元帥のシュリーフェンより上級大将のゼークトのほうがお墓が立派なんですね。(・ω・)
たいがい、軍人のお墓というのは質素なものが多いよ。日本の東郷、乃木、橘、広瀬神社というのは、
あきらかに異常。ゼークトのお墓が少し豪華なものになっているのは、恐らく、ナチス党が墓の作成、
葬式などに関わったからなのでは?
>>674 > たいがい、軍人のお墓というのは質素なものが多いよ。日本の東郷、乃木、橘、広瀬神社というのは、
> あきらかに異常。
単に墓という概念で捉えるのもどうかと思うが。
>>675 ヨーロッパ的に例えて言えば
高級軍人が列聖されて記念教会を建てられるようなもんか?
聖マンシュタイン記念教会とか。
まあ、これを異常と見るかどうかは
各国の宗教観に関わってくることだからなあ。
↑小さな街(ドイツ)行くと その街の教会にでーんと「出征兵士の記念塔」「○○さん(地元出身の偉い軍人)の記念像」とかあるけど、 さすがに聖人とかにはなってないよね。
>>678 HPの人、軍憲章??(Heeresverfassungの訳語何??)にカントの精神を取り入れるって
一体どんなのができたのか・・・
厨房でスマソ
>>680 それはVerfassungといっても成文化されたものではなく、「軍制」というのが
一番ぴったりするだろうね。具体的には1814年の国防法Wehrgesetzを指している
らしい。
カントの精神というのは要するに後期啓蒙主義のこと。フリードリヒ2世以来の時代遅れの
絶対主義的な制度を改革したってことでしょう。
>>681 ありがとうございます。
近代国家にふさわしい軍制を・・・ということだったんですね。
「以後、プロイセン将兵は科学的思考の主体として・・・」
とか言い出したらどうしようかと思ってました。んなわけないですね。
それにしてもカントの講義を聴いた人が後の国防大臣なんて、さすがですね。
同時代人なんですね。
教材がこんなのだったらドイツ語をもっと真面目にやったかもなあw
この頃のプロイセンの改革をやった人々には有名なシュタインや ハルデンベルクをはじめカントの影響を受けた人が多い。 ボイエンのサイト中に出てくる郷土防衛隊Landwehrの創設なんてのも、 啓蒙主義的な国民の抵抗権の思想とつながりがあると思う。 (有事に国民に武装することを許可することで、暴君や外国の侵略と戦う手段を与える) まあそのなれの果てがナチス末期の国民突撃隊Volkssturmなんだから 総力戦の前には啓蒙思想の力も地に墜ちたというべきか。
>>684 そうだったんですか。Landwehrは名前からして対ナポレオンの延長で、
もっとナショナリズムチックで反動的な考えに基づいてるのかと思ってました。
だからVolkssturmに成り下がった経緯もなんとなくわかるような気がしてました。
創設者の当初の思想とか意図とか、後の強烈な歴史のせいでかすんでるというか、ゆがんで見えてる。
ドイツ国歌の一番を、最初から民族主義的な野蛮な歌詞だったって多くの人が思ってるのに似てますね。
>>683 大学とかの日曜学校で「軍ヲタ向けドイツ語講座」とかやったら人集まるかな。
686 :
667 :2005/09/01(木) 20:26:33 ID:7srl1VXL
実は言うと、自分はハノーバーのHOTELに滞在していて、そこから日帰りでベルリンに行き、インヴァリデン
墓地に行ったのですが、「ベルリンに2、3泊するべきだ」と強く後悔しました。インヴァリデンに行ってみて、
本当に多くのプロイセン・ドイツの将軍がここの墓地に眠っていることにびっくりしました。自分はドイツ語が
少ししゃべれるので、ドイツ歴史博物館(ウンター・デン・リンデンにある)にでも行って、インヴァリデン墓地に
詳しい方の話でも聞こうかな、と思ったのでした。インヴァリデン墓地の研究だけで2日ぐらいはかかりますね。
この墓地には、WWUのルフトヴァッフェの将軍、メルダース、ウーデットのお墓もあったのですが、この2人
については次のような説明があります。詳しくは↓のサイトを見てください。
http://www.xs4all.nl/~ejnoomen/moelders.html つまり、「リヒトホーヒェンのお墓はインヴァリデンにあったのだが、東ドイツ政府がベルリンの壁を作る際に
これを撤去してしまった」ということなのです。残念・・・・・。
a,so
ハノーファーから日帰りでベルリンへ!? それはまた強行軍ですね。ベルリン、一週間はいると思われ・・・ >ドイツ歴史博物館にでも行って、インヴァリデン墓地に詳しい方の話でも・・・ そういう方がいるんですか?
>>685 ま、学生の頃はこう簡単に資料とか見られなかったし、そういう面ではいい時代になったもんですw
>>689 現地でドイツ語覚えたんだけど、大家さんがかなりヘビーな軍ヲタだったよ。
それでこそ男だ
鉄オタとかもいるだろ。 この板的には軍オタでグー。
>>685 為政者にしてみれば、自分の言いなりになる常備軍か傭兵軍だけにして、
国民には一切武器を渡さない方が、革命防止のためには都合が良いのです。
しかしこれでは敵に攻められたときに、常備軍が撃破されてしまえば、もうそれ
以上の抵抗ができません。
そしてフランス革命戦争により、愛国心に燃えて戦う徴兵制の国民軍に、
常備軍では勝てないことが明らかになりました。
そこで戦後プロイセンも一般義務兵役を導入し国民軍を創設することになり、
さらに兵役を終えた兵士たちを予備役に編成することになりました。それで
作られたのが後備役Landwehrです。(後備役だけで独立した部隊を編成しているわけでは
ないです)
これは国民の方から見れば、つねに予備役軍人が大量に社会に存在していることになり、
武器さえあれば暴君の圧政に対しいつでも立ち上がれることを意味します。
政府にとってプラスばかりとは言えないわけです。
>>693 690だけど、それ、知ってます。購読したことはないけど、リンクになってた
Militaer(スマソ、ウムラオト出せないんで) und Geschichteのほうはたしか
大家さんがためてたよ。
あのころはまだそれほど興味津々ではなかったので、
目にしても「ふ〜ん」程度にしか思ってなくて、ページもめくってなかったけど(惜しいことしたな)
確かに、これを教材にして軍ヲタ用ドイツ語講座やったら楽しそう。
けど、ドイツの本屋やキオスクには必ず「軍関係」の雑誌コーナーがずらーっとあったから、
もっといろいろありそう。・・・当時ほとんど素通りしてたもんなorz
ところで、der Landser読んでるんですか?
>>694 Landwehrはそういうことだったんですね!すごく勉強になりました。
そういえば、東ドイツの暴動では、先頭に立って戦車に立ち向かっていったのは
兵役経験者の市民たちだったそうですね。
「彼らは訓練されたとおりに反撃してきた」といわれてるのを何かで見ました。
>>693 いやいや、わたしも昔ドイツにいたことがあるんで、その頃なんかのときに駅のキオスクか
どっかで見つけて何じゃこりゃーっ!てなって、ときどき立ち読みしてた程度です。
まあ中身は「丸」の最後に載っている長編戦記といい勝負の浪花節的従軍話ですね。
>>696 ご参考までにプロイセン軍(第1次大戦まで)の兵役について、資料をのっけときます
年齢
20〜22才 現役 aktiv
22〜27才 予備役 reserve
27〜32才 第1後備役 Landwehr, 1. Aufgebot
32〜39才 第2後備役 Landwehr, 2. Aufgebot
39〜45才 第2国民兵役 Landsturm, 2. Aufgebot
これは正規の兵役(徴兵検査に合格し現役で招集された場合)です。
正規軍は現役・予備役で構成されます。
予備役は期間中、8週間の訓練に2度参加します。
第1後備役は期間中8〜14日間の訓練を2度受けます。
17〜20才までに入隊したもの(志願兵)は第1国民兵役という扱いになります。
兵役経験者が強力な反政府暴動を行った例というと、韓国の光洲事件なんかもそうですね。
イスラエルのこの前の入植者の強制排除の時の抵抗も、国民皆兵の国ならではだと思いました。
>>697 そうですか。der Landser、絵がステキだ・・・。
ドイツの男の人って、30歳以上だとたいていマニアとまではいかなくても
軍事詳しい・・そもそも軍ヲタ人口高い・・・とドイツにいたとき
思いませんでした?
>>699 まあ今でも兵役ありますからね。テレビでも結構頻繁に戦争物の
映画やドキュメンタリーをやってますね。
私の周りでは、大学生だったせいか左よりの人が多く、兵役に行った
という人はほとんど居ませんでした。Landserなんて読んでんのが友人に
バレたら議論ふっかけられそうで、いつもコソーリと立ち読みしてましたよ。
>>700 大学生はそうですよね。主観なのであてになりませんが、
旧東出身の人はマジメに兵役行ってる人多いかと・・・・。
わたしの友人のうち二人は徴兵で機甲師団、空挺師団にいたそうですが、
それぞれケムニッツ、エアフルト出身です。あと、単なる知り合いですが、
五人ほど、東出身の人がみんな兵役経験者でした。
たしかに、Landser読んでて友達にみつかったら・・・コワイですね。
自宅でZDFの戦争ドキュメンタリー見てたら泊まりに来てた友人にテレビ消されますた。
>>701 そうですね。言われてみればたしかに旧東のヒトOstlerには兵役経験者の
割合が高いと思います。知り合いにも一人いるんですが、兵役期間中は
東独も末期だったので士気の低下と規律のゆるみが著しく、夜の歩哨勤務なんか
さぼり放題で、点呼の時にはトイレに隠れ、便器の上で三角座りをして息を
殺していれば良かったそうです(ドアの下に隙間があいているため普通に座ってると
足が見えてしまう)。歩兵だったのでしょう、訓練でいやと言うほど歩かされたと言ってました。
国家人民軍NVAも最後は形無しですね。
>>698 ありがとうございます。わたしは予備役reserveですか・・・。
プロイセン国民は軍事漬けですね。
国民皆兵の国というと、国民が政府の言いなりになってそうなイメージありましたが、
そんな啓蒙主義思想が隠れていたなんて、目から鱗です。
>>703 合衆国憲法修正第二条とスイスの兵役制度を調べる事をお勧めします。
>>702 ワロタwwwwwすごいですね、そのやる気のなさ。
どこかの高校の体育の授業のような・・・その歩兵タンは壁崩壊後どうしたんでしょうか。
わたしの友人たちはみんな壁崩壊後に兵役だったので、NVAの話は初めてききました。
こんどドイツ行くとき、Landserのような雑誌をチェキしてこようかな。
>>703 この
>>698 の表だけ見るとたしかに軍隊漬けなんですが、こういう目に遭うのは徴兵検査で合格し、
なおかつ実際に招集された人だけです。平時の軍隊には定員がありますので、徴兵検査合格者を
全員入営させるわけにはいかないです。詳しい数字は覚えていないのですが、当時のドイツ帝国で
年度ごとの徴兵年齢に達した人数に対して実際の入隊者が占める割合は、あれと思うほど低いものでした。
徴兵検査合格者で実際に入営しない者は、補充役Ersatzということになります。これは20〜32歳まで、
合計3回の教育訓練(それぞれ10,6,4週間)を受けます。そのあとは第2後備役か国民兵役になります。
東独末期、高校に置いてあった朝日新聞か何かで読んだが、 東独軍消滅が決まってから、志願入隊した平和運動家がいて、 軍隊の消滅に寄与するのは、平和運動家にとって誇り高い事だ、だと。やる気なんてレベルぶっ千切ってるな。
1871年のドイツ帝国憲法はその第60条で、ドイツ帝国陸軍の平時常備兵力を 1867年のドイツ帝国人口の1%にあたる人数とする、と定めています。これは約40万1千人 にあたります。これは段階的に引き上げられて1913年には67万5千人となっています。 ちなみに、1910年の時点で満20歳になった男性の数は55万人ほども居ました。 常備軍が20歳から27歳までの人間だけで構成されていると仮定して生まれ年ごとにそれぞれ 約8万5千人いる計算になりますから、現役・予備役として実際に軍隊に入る率は15%どまりに 過ぎません。
>>707 その歩兵の知り合いの話ではNVA内部には同性愛が結構あったそうですから
その平和運動家も、そんな下心を持って入隊したのでは
さぞかし痛い目に遭わされたのではないでしょうか。
それはさておき、東独の若者には、無理なからぬことに西に出たがる傾向が
ありまして、私の件の知り合いも除隊後はご多分に漏れず旧西独のある小さな
街の大学に進み、私もそこに偶然通っていたというわけです。
そういえばあの大学は旧東出身者がやけに多かったような。大学の裏の駐車場では
トラヴィをよく見ましたよ。まあ大都市の人気大学は学籍を採りにくいし生活費も
高いので、東出身者はどうしても小さい街の大学に集中しちゃったんでしょうね。
SS系統出身者のはありませんか? 確か、ヒトラーの警護隊長だったラッテンフーバーがNVAの将官になってるって、 「冷戦に憑かれた亡者たち」で読んだ覚えがあるんですが。
たしかにスレ違いだった・・・すんませんorz
けど
>>709 さん、いろいろ話しできて楽しかったです。
よかったらメルしませんか?・・・ってこういうのもスレ違いか・・・
>>667 ラスカンの掲示板で訪問記書いてたの、やっぱり君だったんだな。
同じ話題だったんで多分そうじゃないかと思ってたんだが。
うらやましいなあ。
>>709 それは・・・バイエルンのヴュルツブルクですか?
>>711 Johann Rattenhuberのことでしょうか。その話は初耳です。
東独はナチス関係者を片っ端から追放したことを大いに誇っていましたからね。
>>712 私は別に良いですが、9月からは仕事が忙しくなりまして、
きちんとお話しできるかどうかチト心許ないのですが、それでもよろしければ
ステアド晒してくださいです。あと私はドイツ滞在中は軍ヲタとしての自分は
できるだけ封印しておりましたので、どの程度お役に立てるかどうか・・・
>>714 残念ながら違います。ヴュルツブルクなら立派なもんとちがいますか。
バイエルンはアビトゥーアがドイツ一難しい州だと言いますし。
ヴュルツブルク大はでかいし伝統もあります。医学部なんか最先端でしょう。
あるんですよ、西ドイツの僻地には法学部も医学部もない弱小大学がいくつか。
高度なお話の最中にどうでもいい話題だが、 軍板FAQサイトによると、西ドイツ空軍将官のエリッヒ・ハルトマン氏は 組織人としては最低、みたいなことが書いてあったんだが どんな風に組織人として駄目だったんだろう。 ハルトマン氏の伝記を読めばわかるとも書いてあるが、 金がなくて買えんし…。
>>711 調べたらラッテンフ―バーの墓はミュンヘンにあった。
東ドイツの将官になった人物が西側に墓を作るとも思えんしなあ。
(統一後に墓を作ったんなら別だが)
>>717 旧軍時代の塗装を指揮下の部隊に施して上官に叱られたり、営舎内にバーを作ってやっぱり上官に廃止させられたりと空気読めない行動が多かったところかな。
あとソ連捕虜時代の仲間が素行不良で度々問題をおこしているのに、処罰や上官への報告を拒否したこととか。
(その男はハルトマンに好意を持っていなかったので、えこひいきというわけではないようだが)
旧軍時代の流儀を押し通そうとしたのと、組織人としては非情さに欠け上官に反抗的だったっていうところだろう。
そのせいで、とうとう将官に昇進しないままで退役している。
ナチス時のドイツ空軍でのエースの扱いなんて他じゃありえん。 そりゃ、馴染めないだろな。
>>717 サンクスです。
っていうか、将官にはなってないのか…。
なんかの勘違をしていたようだ。
>>720 10年以上もソ連の捕虜収容所にいたせいで、爆撃機乗りが主導権を握った新ルフトヴァッッフェの変化についていけなかったってのもあるだろう。
伝記では収容所でソ連に逆らい続けたために、頭ごなしの命令には反抗せずにはいられなくなったと好意的に書いているが。
カムフーバー将軍が空軍査察総監(当時の空軍総司令官)だったころはなにかと庇ってくれていたが、彼が退役した後は風当たりが強くなったようだ。
大佐への昇進が8年も差し止められたために愛想をつかし、将官になっていたラルやフラバク、クルピンスキーが説得したが将官への昇進を待たずに退役したという。
722 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 14:40:11 ID:+7gcnzMs
アダルベルト・シュルツage
723 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2005/09/11(日) 18:05:59 ID:j70KDrU6
エヴァルト・フォン・クライストage
ジーザス・クライスト・スーパースター
725 :
くら ◆mlSturmRPg :2005/09/11(日) 21:19:52 ID:ASErk5ay
並木さん翻訳のクレッチマーの本読んだけど、俺の会社にもデーニッツみたいな 仕事が出来て、部下のことを親身になって考えてくれそうな人間がいたらなと思う。
そんなヤツばかりだと世の中なりたたねえよ。
デーニッツは潜水艦屋にしかやさしくないからなぁ
ま、世の中ソンなモンだ。
729 :
名無し三等兵 :2005/09/12(月) 21:11:45 ID:5c8ylBhE
フェドール・フォン・ボックage
>725 あの本有名なの?訳者による本文の訂正満載で、 はじめは親切かつ良心的な本だと思ったが、ああも 多いと、逆に翻訳する理由がわからなくなった。
731 :
名無し三等兵 :2005/09/13(火) 07:25:11 ID:LBQD9OPR
ヴィダーズィンノシ
ゲオルギー・ジューコフage
733 :
名無し三等兵 :2005/09/17(土) 08:46:25 ID:Ao+Y8ZHv
ブレスラウ要塞を最後まで死守、ソ連軍の度重なる猛攻撃を撃退しドイツ軍の意地と勇気を 示した。指揮官のヘアマン ニーホフはどうなったかな。
734 :
名無し三等兵 :2005/09/17(土) 12:41:42 ID:BJGjZTmN
ホイジンガー将軍の国防軍時代と西独軍時代の経歴と業績を教えて下さい。 この人は日本で言えば、誰にあたる役割を果たしたんでしょうか?
>>733 1955 年まで戦争捕虜としてソ連抑留、1980年死去。
ソ連の捕虜となった将兵の生存者のほとんどは、西独のアデナウアー首相とソ連政府の交渉により1955年以降に大量釈放されている。
737 :
エアリスマスター :2005/09/17(土) 20:26:00 ID:6vTYUzta
738 :
名無し三等兵 :2005/09/17(土) 20:53:50 ID:fKHnkjLq
736さん ダンケです。so weit die fusse tragen. のフォレル中尉のように収容所を脱走したドイツ兵はいたのかな。
ルーデンドルフ ヒンデンブルク ルプレヒト王子 アルビレヒト公 クルック ビューロー マッケンゼン
740 :
名無し三等兵 :2005/09/17(土) 22:04:00 ID:q+uIGmBb
>>734 ホイジンカーって漫画「アドルフに告ぐ」では反乱一味として逮捕されてるよね
史実と違うのにと思った
741 :
名無し三等兵 :2005/09/21(水) 08:04:33 ID:AHGz5HKM
ウィーゼンタール氏か
743 :
名無し三等兵 :2005/09/21(水) 11:25:10 ID:wxSip46T
●今日のテレビ東京「午後のロードショー」で、『ハイランダー』を放送!! 主演:クリストファー・ランバート、ショーン・コネリー、 音楽:クィーン ■中世スコットランド。高地民族のある戦士が、首を切り落とされない限り不老不死として生き続ける体を手にした。第二次世界大戦など様々な歴史の中を彷徨い、現代においてついにダークサイド騎士と戦う。■
744 :
名無し三等兵 :2005/09/25(日) 21:10:10 ID:gDvfVw5y
総統司令部…狼の巣、鷲の巣、岩の巣、狼の谷、人狼のそれぞれの司令官は誰でした?
745 :
名無し三等兵 :2005/09/25(日) 23:06:21 ID:uCVraLdS
総統司令部といえば、今公開しているヒトラー最後の12日間って映画 始めから終わりまで、ずーと総統司令部だけだったよ。でもおもしろ かったよ
746 :
名無し三等兵 :2005/10/01(土) 01:08:46 ID:dVoOloRA
ヴァイクスage
>>745 その映画、いっしょに見に行った友達が寝てた・・・
748 :
名無し三等兵 :2005/10/01(土) 15:16:17 ID:+rSD6kN2
シュヴェッペンベルグage
>>745 >>747 ヒトラー最後の12日間だけど、ヴァイトリンク将軍が一命をとりとめた
ヒトラーの御前での戦況報告シーンが描かれてなくてチト残念
誰か、戦間期のドイツ海軍の将官の資料を教えて下さい。
>>751 戦況報告そのもののシーンはなくて、その直後にヨードルか誰かが出てきて
「ヨカータな。総統は貴官の報告に感銘を受けられ、貴官をベルリン防衛司令官に
任命された」
ヴァイトリンク「んじゃ銃殺された方がマシダータヨ」
というやりとりになる。
あと、降伏後の廃墟でスピーカーいっぱい付けた宣伝カーから流されていたのは
ヴァイトリンクの発したベルリン守備隊宛の有名な降伏命令。
ここらへんの脈絡が何の説明もなく次々出てくるから、そりゃ寝る香具師がいても
おかしくないと思うぞ、この映画。
ロンメル語録を読破中 総統護衛の儀仗隊が武装SS以外にもある事知ったよ 総統護衛は第一SS親衛旗の特権だとオモタ
754 :
:2005/10/19(水) 11:07:56 ID:???
電撃戦読んでたら虚しくなった 戦争という非常時なのに、ウチのバイト先のゴタゴタと たいしてかわらん問題続出 なんか愛国とか国防とかそーゆーものを通り越して 非常に日常的だ
755 :
名無し三等兵 :2005/10/22(土) 00:54:22 ID:TjNR0b+v
>750 そーいや、マメ戦艦の乗組員達は無事に帰国できたの? マメ戦艦自体がスクラップとしてアルゼンチンに売却された のって本当なの?
756 :
名無し三等兵 :2005/10/22(土) 01:04:39 ID:R/grVyEa
ゲ ー ム は 「 ロ ー グ ギ ャ ラ ク シ ー 」 で 、 映 画 を 超 え る 。 世 界 最 高 ゲ ー ム 、「 ロ ー グ ギ ャ ラ ク シ ー 」 かつてゲームは、何度も映画というものを目指した。 しかし、それは実際には、映画を真似ただけの「映画以下」のものでしかなかった。 だが、ついにゲームが、映画をも超える時が来たと確信する。 このレベル5の最新作が、そのすべての答えを握っている。 あらゆるエンターテインメントの頂点に、1本ゲームが降り立つのである。 日野烈士筆頭に究極のスタッフによって完成されつつある。 プレイステーション2という現行機でありながら、次世代機のような輝きのあるリアルグラフィック。 フルオーケストラのすばらしい音楽に、心が振るえ、体が熱くなることだろう。 まちがいなくこのゲームは、史上最高のゲーム・・いや、至高のエンターテインメントになるだろう。 SFシネマティックRPGローグギャラクシー ――――――さ ぁ ふ る え る が い い
ヴァイトリングがどうとか 第9軍がどうとか第12軍がどうとか そこらへんはドイツさんにとってはもう常識で 説明も必要ないところなんだろう。
759 :
名無し三等兵 :2005/10/28(金) 17:18:14 ID:+RNPTpup
760 :
名無し三等兵 :2005/10/28(金) 17:23:36 ID:+RNPTpup
と言う訳で348がまだ見てるなら「国防軍がホロコーストに加担した」の証拠を出して貰おう。 まあそもそもホロコースト自体が無かったんだから無理だろうが。
こんな過疎スレで何を?
762 :
名無し三等兵 :2005/10/28(金) 18:02:17 ID:+RNPTpup
過疎スレだろうが無かろうがホロコーストに関する妄想を言う奴がいれば突っ込むだけだ。
ホロコーストはありました
>>762 そういうのを2ちゃんではスレ違いのレスを連発する荒らしという。
アウシュヴィッツ専門スレもあるわけだし、そこで話していればいいだろうが。
他でも見たが、内容以前に、否定論者は他スレ住民の迷惑を顧みない傾向が強いぞ。
ともかく、自スレに戻って議論していろよ。
348がまだ見ていて、議論に加わりたければそちらにいくだろう。
>>760 クリストファー・ブラウニング「普通の人びと」 じゃ駄目かね。
読んでてぞっとしたもんだが…俺ならやってるな、虐殺。
>>765 ブラウニングはツンデル裁判でロイヒター報告等によって論破され逃亡したからソースにはならない。
>>765 ここで議論すると際限もなく続いて収拾つかなくなる。
専門スレにお任せするのが利口だと思うぞ。
768 :
名無し三等兵 :2005/10/28(金) 23:15:30 ID:ipitWIuQ
いやはや、所構わずだなw
>>769 ホロコーストに関する妄想があればすぐに訂正する。
それだけの話だ。
で、お前は正史派か、懐疑派か?
>>769 だから、やめろって。
>>770 すぐに挑発にのるのは否定派の悪い癖だぞ。
自らすすんで評判を落とす必要はない。
772 :
名無し三等兵 :2005/10/29(土) 13:59:47 ID:fECx23wk
荒らし目的でホロコーストの話題を書き込む ↓ 770のようなのが来る 実に単純明快な攻略法だな。
この場合の防衛はどうすべきかね、マンシュタイン君
ここは一旦守勢に転じ、敵の攻勢が伸びきった所で反撃に転じるべきかと
>>775 相手にわざと先手をとらせ、後手から撃ちます。
それは許さんぞ。マンシュタイン君。 一旦退けば同盟国の動向も予断を許さん。 一刻も早く反転攻勢に転じたまえ。
しかし我が総統閣下、それではまたアウシュビッツネタを繰り返すことに・・・ それでは装甲戦力(スレ)の無駄遣いです。
780 :
名無し三等兵 :2005/11/04(金) 10:02:06 ID:in4Nk6RW
PS2の第三帝国興亡記2を 買った人いますか?
懲罰大隊といえばツタヤで『懲罰大隊』のDVDがレンタルされてたのを見てみた。 ソ連軍てひどいな。地雷原があるとわかってて味方を突っ込ませるだなんて。
そりゃドイツ軍のもだいたい似たようなモンだが。
ソ連軍は前線に配備されること自体が懲罰かもしれない気がする。
785 :
名無し三等兵 :2005/11/05(土) 21:41:19 ID:EGlTQW/Y
しかし 1944年ころになると ドイツの将軍様は犬コロみたいに 戦死、捕虜、行方不明になってね 特に東部戦線・・・・
貴様ら全員銃殺だ!
ロンメルさえ東部戦線にいれば・・・
マンシュタイン信者が暴れだすから そんなことは書いちゃいけないことになってるの
〃〃∩ _, ,_ ⊂⌒( `Д´) < ヤダヤダ! `ヽ_つ__つ ロンメルが東部戦線にいなきゃヤダ! _, ,_ (`Д´ ∩ < ドイツアフリカ軍団は世界一チィィィィィィィィィィ!! ⊂ ( ヽ∩ つ ジタバタ 〃〃 ∩ ⊂⌒( _, ,_) `ヽ_つ ⊂ノ グスッ・・・
マンシュタイン信者マンセー!
ロンメル主義者vsマンシュタイン信者の 不毛な罵り合いキボンヌ
792 :
名無し三等兵 :2005/11/06(日) 03:24:42 ID:0NGbvAg8
オレは今までにロンメル、グデーリアンのお墓参りをしたことがある。だが、マンシュタインのお墓は辺ぴな所に あるので断念した。オレの場合は車ではなくジャーマン・レイルパスを使って鉄道での移動だった。 鉄道で行った場合のお墓参りのしやすさ。 グデーリアン>ロンメル>>>>>マンシュタイン グデーリアンのは、世界遺産にもなっているゴスラーの街の駅のすぐ近くにあるので訪れやすい。 ロンメルのは、ウルムからローカル線に乗って約10分のヘルリンゲンの駅のすぐ近くにある。 マンシュタインのは、ハノーバーとハンブルクの間のリューネブルガー平原の中心にある田舎町、ドルフマルクという所にある。 だが、ここは列車が週末にしか来ないという辺ぴな所。車ならアウトバーンで行けるだろうけど。 いずれのお墓を訪れるにしても、町役場の職員、地元のお年寄りぐらいしか大戦の英雄が自分達の町に永遠に眠っていることを 知らないので、当然、ある程度ドイツ語がしゃべれないと話にならないけど。
793 :
名無し三等兵 :2005/11/06(日) 08:31:03 ID:zLlDavn8
フーべは無視ですか、そうですか
ゴスラーもウルムも逝ったことあるが将軍たちの墓参りしようなんて考えつきもしなかった。 駅のそばならいっときゃよかったかな。 そういやロンメルもゴスラー駐屯の部隊にいたことあったよね。
日本人も 山本や山下の墓の在り処なんて知らないし
796 :
名無し三等兵 :2005/11/07(月) 20:01:56 ID:toPVzX0T
>>795 五十六さんのは、長岡に行けば山本五十六記念館があるからすぐにわかる。山下もググればすぐにわかる。
日本の将軍、提督の場合は多磨墓地、青山霊園に行けば、かなりたくさんまとまって葬られているのでとても簡単。
東京近郊の人なら二十四時間以内にかなりの数のお墓に御参りできるだろう。
ただし、「ドイツ四天王」の一人、クライストなどはシベリア抑留で死亡したためお墓がない、というようなケースもある。
ドイツ四天王って誰?
>>797 グデーリアン、ロンメル、マンシュタイン、クライストというのが通説。他説もあるだろうけど。
ホトは! モーデルは! ケッセリンは!
大戦初頭に限ればヘプナーを入れてもいいような気がするな。 あとラインハルトとか。
801 :
イルティス :2005/11/08(火) 00:36:25 ID:E10Tyq/S
このスレ陸軍や空軍の将官はよく出てくるけど海軍の将官はほとんど出てこないぞ!せめてデーニッツ位は出てきてもいいと思うぞよ。
潜水艦親父
803 :
イルティス :2005/11/08(火) 22:39:49 ID:E10Tyq/S
ほかにもA.G.シュペー艦長ハンス.ラングスドルフ大佐やベルリン作戦のリュツェンス提督も居るで。
東プロイセンを砲撃した重巡はオイゲンだっけ?
805 :
イルティス :2005/11/10(木) 21:18:27 ID:+U5rZ/uh
確かそうだと思う。以前ドイツ週間ニュースで見たけど資料が見つからん…スマソ m(__)m
空軍の将官って大佐とかが飛行隊長だと 航空軍団〜航空軍〜航空艦隊の司令官?
>>806 まあ、中将で中隊規模の飛行隊長やってたヒトもいるけどな。
>>804 リュッツオウやシェーアも参加してなかったか?
そのころはポケット戦艦も重巡に類別されてたはず。
なんかよく分からないんだけど リュッツオウってソ連に渡された重巡と ドイッチュラント級の一番艦ドイッチュラントの改名版とあるの?
811 :
イルティス :2005/11/11(金) 21:15:38 ID:I/IUnJtm
先月か先々月のスカパーでドイツUボート戦のTV番組やっていたけど、内容がTV朝日的サヨな番組構成でデーニッツ提督のことをぼろくそに描かれていたのにはムカついたな。
812 :
名無し三等兵 :2005/11/11(金) 21:22:37 ID:I/IUnJtm
続き 後日放送した北アフリカ戦に関してはさすがにロンメル将軍については悪くは描かれていなかったけど、ロンメル信者にとっては充分ムカついた内容かな?ついでにその番組に極東の某雑誌に戦後の消息不明と書かれていたギュンターハルム氏が出演していました。
デーニッツのどこが批判されてたの? ナチナチなとこ?損害無視したUボートの投入?海軍陸戦隊?
815 :
イルティス :2005/11/12(土) 00:12:17 ID:C8VMGWUd
日がたっているのでうろ覚えだが、ナチなところと総統のイエスマン的な描写ete…あそこまでにデニ親父を落としめることはないぞ。
デーニッツが「総統の前に出ると自分はソーセージになったような気がする」 と言ったというのは本当でつか?
817 :
イルティス :2005/11/13(日) 01:51:09 ID:KZFpfAJR
初耳ッス!今日図書館に行って読んでくるかな(^.^)しかし開戦時のクリーグス・マリーネがソ連並の潜水艦所有していたらもう少し有利になっていたと思うが?
空軍と海軍でソーセージが二つ さすがはソーセージの国ドイッチュラント
同じ刑務所に居たシュペーアにその尊大さと傲慢さを嫌われていたそうだが >デーニッツ
>>819 海軍軍人ではあるけれど、
鉄石の意志を持つプロイセン将校のイメージに、デーニッツは一番近い感じがする。
まあ、シュペーアも変な奴だからなあ。
良心的というより、偽善的に思われる。
821 :
イルティス :2005/11/13(日) 21:27:48 ID:KZFpfAJR
819 確かにドイツ海軍提督に多かったタイプだね。リュツェンス提督とかO.チリアックス提督もそうだし。チリアックスなんか、その尊大さで水兵からありがたくないあだ名頂戴された位だから、さぞかし取っ付きにくい連中だったと思うね。
『ニュルンベルク裁判・上巻』の最初のほうにいい話があった。 裁判の為に収監されていたデーニッツ達の世話をする人物が元ドイツ兵なんだけど、 デーニッツが降伏時に頑張ってくれたおかげでソ連の捕虜にならずにすんだ人がでてくる。 そのことで感謝していたんだけどデーニッツは常に威厳を保って人を近づける雰囲気ではないので、 とうとう感謝の意を伝えるのに話しかけることさえできなかった、という話。
要するに戦犯になってからでさえ従卒ですらロクに面と向かって 口をきけないほど威張っていたということか
>>823 元帥で一時は国家元首ですらあった人間が、戦犯として収容された刑務所でへらへら迎合していたら、
あまりにも情けないだろう。
それに、プロイセンの元帥に気さくないい人をもとめるのは、そもそも無理なことかと。
>>824 第1次大戦の時、Uボートの艦長やってて捕虜になったデーニッツだが、
その後捕虜収容所で発狂したふりをずっと続けてイギリス軍医をだまし、
無事本国送還をゲットするなど、目標のためには手段を選ばない人に見える。
潜水艦部隊指揮官として海軍上層部の介入にあくまで反対を貫いたりした頑固さ、
しかしその一方で
>>816 が書いているようにヒトラーへの阿諛追従ぶりも有名だったし、
そういうところから見て権威に対しては反骨だが権力に対しては弱い、という性格の人だったのではないか。
>>824 伝統的「プロイセンの元帥」的ステレオタイプの人物ならば、
そもそも近代技術の粋たる潜水艦に傾倒したりしないだろう。
海軍でのそうした人物の代表株としてはむしろレーダー元帥のほうが適当かと。
>>824 迎合と人当たりの良さは違うだろう。
今村大将を見よ。
>>824 シュペーアの回想録では出所後に軍に復帰し、またドイツの大統領に推挙されると思っていたそう >デーニッツ
>権威に対しては反骨だが権力に対しては弱い
出所後は提督の恩給が認められなかったので、国に対して裁判を起こしている。
828 :
イルティス :2005/11/14(月) 23:22:02 ID:4eWsq8Zw
そりゃ出所後、軍人以外能のない人が仕事就こうと思ってもムリな話。頼りの年金が出ないとそりゃ困るわ。
829 :
イルティス :2005/11/15(火) 00:49:22 ID:KA44/IMQ
デニ親父その後…みたいな話なっちゃったけどまぁ初耳話しも観れたしよしとしよう m(__)mところでレーダー提督の「地中海戦略」とデーニッツの「通商破壊戦略」とどちらが有効だっただろうか?後者は現実に行なっているけど。
どっちにしろ所詮自力勝利は不可能。 「勇敢に戦って死ぬことをわきまえていることを示す以外なにもできない」byレーダー これはまさしくその通りだったと思う。
これのことかな? www.wehrmacht-awards.com/forums/archive/index.php/t-25576.html this special pattern of the SS-FM stick pin was awarded to members of the public who gave money to help support the SS during the "kampfzeit", the era before the Nazis came to power. I believe that these should be maker marked, I think for Deschler und Sohn as well as being serial numbered and marked for silver content. I think that you will find yours is a reproduction, as Gary mentioned copies of these are very common. The pics are not great but the quaility of this stickpin looks to be lacking. Hope this helps you? オクに出てるのはナンバリングがないからレプリカくさいな。
ゴメンよく見たらナンバー打ってあったね。ほんものじゃん
クリミア戦で一兵卒に降格され、そのご処刑されたフォン・シュポネック将軍。 以前彼とおもわれる将軍が塹壕掘りに従事させられている写真をみたが、クリミア戦後、彼がどのような戦場で従軍したかしっている方、いらっしゃいましたらご教授おねがいします。
水上艦好きの漏れは、デーニッツは好きじゃないけど、 出撃する潜水艦の艦長とわざわざ会いに行くあたりは、 ちょっと毛色が違うんじゃないかと思う。
837 :
イルティス :2005/11/17(木) 00:53:30 ID:Mj59FQYa
開戦時におけるレーダー提督の言葉だと思った。しかし、1940年時点だと空軍のみにおけるイギリスを屈服させる方策よりは妥当だと思うが。色々思考してみるとIFの要素が多くてゼロとはいかなくても厳しいかな?
>>836 あと、デーニッツの子息2人もまたともに海軍将校で戦死したんでしょ。
たしかひとりはUボート乗員だったか。
どんな激戦の最中にもデーニッツは子供を前線から下げなかったそうで、それで結局戦死。
これを依怙贔屓しないといって評価するか、親子の情すら知らない冷酷非情な人物と見るか。
おまけにデーニッツの娘はUボート艦長に嫁いだんじゃなかったっけ?
840 :
名無し三等兵 :2005/11/17(木) 17:51:24 ID:MWGmPU67
>838 無論のこと前者だ。 戦地に行かないお偉いさんとその家族なんて非難があるように、 親子の情を優先しながら部下に死ねと命ずる指揮官に部下の信望が 集まると思うか? パットンはWW2の末期に娘婿の囚われてる収容所を無理に攻撃して 多大な損害を出し、その声望を大いに落とした。
乃木家…
842 :
名無し三等兵 :2005/11/17(木) 20:44:53 ID:bvoByOpk
デーニッツの墓はけっこうお参りしやすい。ハンブルクに行き、そこからSバーンの2号線に乗り換える。終点のアウミューレに デーニッツの墓がある。つづりは(Aumuehle.uはウムラウト)。 デーニッツは1980年のクリスマスイブに89才で亡くなっている。つまり、映画「Uボート」撮影中にはまだ生きていたのか? レーダーの方はキール市内の墓地に墓がある。いずれの場合も、市庁舎などに行って情報を集めないといけないので、 ドイツ語がある程度しゃべれる必要がある。
あ、俺はデーニッツの孫と知り合いなんだよ。 日本にホームステイしてたことがってこれだけが唯一の自慢。
凄え! と言いそうな奴が日本にたくさんいる件について孫はどう思っているのだろう
トルコに言った時、苗字が乃木だったり リトアニアやイスラエルに行ったとき苗字が杉原 だったりすると握手求められるね。間違いなく
水上艦好きの漏れとしては、海軍総司令官にならないで、 潜水艦隊司令官で終わっておけば良かったと思う。 海軍総司令官になってからの行動がちょっと目に付く。
847 :
イルティス :2005/11/17(木) 22:43:08 ID:Mj59FQYa
漏れも思わずスゲーと思った。
>>843 おお、それは凄い縁だ。
やっぱり容姿とか、語り伝えられている人柄とかが似ているのかなぁ!?
>>846 でも、レーダーの後任がデーニッツじゃなかったら、あっさりヒトラーの言うとおり
大型水上艦全部スクラップにされてしまったんじゃないの?
そうやってデーニッツが命を救ってやった大型艦が戦争末期のバルト海で大活躍して、
多くの避難民が安全圏にたどり着くことを可能にしたわけで、
デーニッツと大型艦、この両者の間にはなかなか宿縁めいたものがあると感じる。
大活躍、したかあ? 大型艦役に立ったか? ソ連の艦船乗組員はバルト海も黒海も、 海軍歩兵として投入されちゃってるし。
>>850 ドイツ海軍の大型艦が末期のバルト海でやったのは、避難民の脱出を援護するための艦砲射撃。
正に、国軍の本分ここにありって活躍だろう。水上砲戦だけが大型艦の活躍じゃない。最後に「水上部隊の栄光」を飾ろうとしたどこぞの軍令部とは志が違うorz
…そもそも独ソ戦自体どうなのよ、とは言うなw
>>851 難民の海上脱出擁護を必死にやったことで、
何があろうがデーニッツの国民的人気は変わらないんだよな。
しかし、第3帝国2代目総統を連邦共和国が認めるわけにはいかない。
>>852 細かいことだが、ヒトラーがデーニッツを指名したのは「大統領」としてであって、
「総統」としてではないよ。
ヒトラーは大統領兼首相として総統を名乗っていた。首相職はクローズィクに譲られた。
>>851 まあドイツ海軍も第1次世界大戦の時は敗戦前にいちかばちか最後の一戦を挑もうとしたわけで、
しかし首脳部が下した自殺的出撃命令が仇になって水兵反乱がおこり、
結局革命になっちゃったからな。
この前例がある限りせいぜい土壇場での自沈命令(「虹」)くらいが限度だろう。
それにソ連軍からの民間人脱出作戦なんて、このうえなく働きがいのある任務だ。
ドイツ海軍はじゅうぶんすぎる「死に所」を与えられたわけだ。
>>853 教えてくれてありがとう。
そのあたりは第3帝国末期でも、ドイツ的に律儀にやったんだね。
>853 >ヒトラーは大統領兼首相として総統を名乗っていた。 良く言われることだけど、これは正しくないらしい。「総統」はナチ党党首の 肩書きで、ヒトラーが首相になる前から使っていたし、なってからもしばらくは 「総統兼首相」としていた。(「総統」が先に来ているところが意図的だが。) で、ヒンデンブルグの死の直前にできた、「ドイツの国家元首に関する法律」 で、「大統領の官職は首相の官職に統合される。これにより大統領の従来の権限 は、総統兼首相アドルフ・ヒトラーに移譲される」と規定されているとか。
>>852 ところが冷戦期にアメリカ人ジャーナリストがこの功績を掘り出すまでの間の
デーニッツはほとんどドイツ国民から無視されているのココロよ。
好き嫌いの激しい強引な性格だったために潜水艦部隊以外の旧ドイツ海軍の
幹部からシカトされていたし、ヒトラー暗殺計画の際に真っ先に忠誠を表明した
のが祟ってナチ党員呼ばわりされて蟄居していたんだな。
というと、フリーデブルグ提督とかティーレ提督に日が当たってたんだろうか
どうしても題名を思い出せないが、ずいぶん前に大戦末期のドイツ海軍を描いた映画を見たことがある。 バルト海の小艦艇の話で、終戦間近、クーアラントから孤立した友軍部隊を撤退させる命令を受けるというストーリー。 しかし明日にも停戦が発効して英軍が母港を接収に突入してこようかという情勢で、すでに同種の任務で疲れ切っていた 乗組員の士気は最低。 しかもバルト海はすでに赤軍空軍の制空権下にあり、メーメルより先にはとてもじゃないが進めない状況。 ファナティックなナチスの艇長はそれでも命令を実行しようと艇を出撃させるが、乗組員の一部が 謀反を起こし、艇長の指揮権を解いて途中で引き返してきてしまう。 そこで彼らは逮捕され、まだ機能していた軍法会議によって命令不服従のかどで副長以下が銃殺刑になる、 という暗〜い物語だった。あくまで責任を果たすか、それとも無駄死を拒否するかの二者択一がどちらも若者に 犠牲を強いたというお話し。 こういう映画が作られていたところを見るとドイツでは大戦末期の海軍の活躍も手放しで賞賛されていたようではなさそうだね。長文スマソ
>>856 ようするにヒンデンブルクの死後、首相ヒトラーが大統領を兼ねたことで
それまでは党のリーダーという意味でしかなかった総統という名称が
正式に国家の役職になったということだろ。
それからこのルールはヒトラー一代限りしか有効ではなかったから、
彼の死後、再び大統領と首相の職が分離されたのは当然といえる。
>860 「総統」の役職自体は、それよりも前に公的な役職になっていたらしい。 以前、Netnewsで読んだ中身の孫引きですが、 > 1933年12月に制定された「党および国家の統一を確保するための法律」 > を見ますと、その第1条では「国家と不可分に結合している」ナチ党を > 公的法人にすると規定されており、第8条には「首相は、国民社会主義 > ドイツ労働者党{ナチ党}総統 兼 突撃隊最高指導者として」という一 > 節がありますので、 だそうな。いずれにせよ、「総統兼首相」が大統領の権限を委譲されると いう時点で、「総統」が「大統領兼首相でない」のは間違いないですね。
ハウザーだっけ?未来ある若者を死なせるわけにはいかないみたいに言ったのは 感動して涙腺が潤んだ
>>839 ギュンター・ヘスラーだね。11万トン撃沈のエースになったので、
BdUの作戦参謀になってる。
864 :
名無し三等兵 :2005/12/07(水) 14:28:59 ID:3IdE2+Hf
ディートリヒ・ザウケン将軍の事、誰かご存知ない? 最後はドイツ第2軍の司令官だったらしいけど
865 :
名無し三等兵 :2005/12/07(水) 14:29:01 ID:oawrcPTM
そういえばペナンに拠点設けてインド洋で通商破壊にしていたUボート部隊あったけどエース級の人いたのかな?誰か教えてm(__)m
866 :
名無し三等兵 :2005/12/07(水) 14:44:20 ID:3IdE2+Hf
オーストリア併合後、国防軍で活躍したオーストリア軍将校とか誰か知ってる? レンドリックもそうだったのかなぁ。 ブラウナウ出身って聞いた事あるけど・・
1年くらい前の自分のレスをかちゅの書き込みログから持ってきてみた
>
>>625 >オーストリア軍出身者でドイツ軍移籍後昇進した連中
>(カッコ内1938/5移籍時の階級、ポスト)
>
>アレクサンダー・レール上級大将(空軍少将、空軍司令官)
>ローター・レンドリック上級大将(階級ド忘れ、退役中)
>マクシミリアン・ド・アンゲリス砲兵大将(陸軍大佐、国防省次官)
>ヴァレンティン・フォイアシュタイン山岳兵大将(陸軍少将、第3師団司令官)
>カール・エグルゼーア山岳兵大将(陸軍大佐、第6師団司令官)
>アルフレット・リッター・フォン・フービッキ機甲兵大将(陸軍大佐、快速師団司令官)
>ユリウス・リンゲル山岳兵大将(陸軍中佐、第5山岳兵旅団作戦参謀)
>カール・アイベル歩兵大将(陸軍少佐、陸軍歩兵火器学校教官)
>シュテファン・フレーリッヒ航空兵大将(空軍少佐、詳細不明)
>カミロ・ルッジェーラ高射砲兵大将(空軍少将、1934年退役)
>
>トラップのような退役軍人たちも二重帝国軍の元帥だったフォン・ベーム=エルモーリ男爵を
>はじめとして、ドイツ軍でも階級を与えられていたり、それなりに上手くいってる模様
>個々人の感情まで計る手段は無いが。
>
>やっぱり山岳兵が多いのね
有名って話だと、レンドリック以外にも F軍集団司令官になったレール 第2軍司令官だったド・アンゲリス 山岳部隊指揮官として活躍したリンゲル アフリカで最初に航空部隊を指揮してたフレーリッヒなんかは有名かも。
869 :
名無し三等兵 :2005/12/08(木) 01:05:36 ID:t54wVpHt
>>867 教えて頂きありがとうございます。
レンドリック以外殆んど知らない将官ばっかり、でもよくご存知でしたね。
出典先は何処?
870 :
名無し三等兵 :2005/12/08(木) 02:54:18 ID:t54wVpHt
ドイツに占領された国(スロバキア、ユーゴ等)で登用された将官っていますか? スロバキアの頭目ティソは政治家ですよね。
>870 ティソは僧侶だったような希瓦斯 んでハムを丸ごと食べる大食漢だったとおもわれ
872 :
名無し三等兵 :2005/12/08(木) 15:16:04 ID:t54wVpHt
ティソは確か新婦でしたな。 その他の将官については?
どうしてグーデリアンは元帥にしてもらえなかったの? やっぱりヒトラーに口答えしたから? ドイツはあんなにいっぱい元帥がいるのに。
>>873 まあ、一度予備役に編入されたあとは
後方勤務だったからなあ。
前線で手柄立ててなきゃ昇進も難しかろうて。
しかも、独ソ戦中期以降は
負け戦のオンパレードだから
作戦立案の功績で昇進させるわけにもいかん。
参謀総長は上級大将クラスがなるんだね
876 :
名無し三等兵 :2005/12/09(金) 11:35:42 ID:x4Fkytr3
しかもグーデリアンは暗殺未遂事件後の急遽登板だから 辞令も正式の参謀総長じゃなくてその代理扱いでしょ。 モスクワ占領できていたら間違いなく元帥だったろうけど。
>>875 必ずしも、そうでもない。
例えば、ベックやハルダーは中将で総長に就任し、その後、上級大将まで昇進した。
ツァイツラーも普通の大将のうちに総長になったんではなかったかな。
手元に今、ソースがないのでスンマソだが。
878 :
名無し三等兵 :2005/12/09(金) 19:57:19 ID:mSsigPB2
国防軍最高司令部(OKW)と陸軍総司令部(OKH)と陸軍参謀本部の仕事の違いや相互関係ってわかります? ヨードル元帥が長の国防軍最高司令部作戦部が全般的な作戦立案・統括を行い、陸軍総司令部(OKH)が主に東部戦線を担当していたという理解でよろしいんですかね? グーデリアンが就いた陸軍参謀総長(事務取扱・代行)とかいう肩書きもよく分からない。
>>878 OKWと陸海空三軍の関係は下記参照。
http://mltr.e-city.tv/faq08a03b.html#00281 陸軍参謀本部は組織的には名前どおりOKHの下だったが、実際には全戦線の作戦立案その他を担当。
国防軍最高司令官兼陸軍総司令官ヒトラー総統があそこに部隊を配置しろ、ここで反攻せよと無茶を言い、
国防軍統帥部長のヨードルがその威光を盾に命令を立案・伝達し、
参謀総長(事務取扱い)のグデーリアンが、内心ではむかつきながらもそれに基づいた作戦計画や補給計画を立てる、つうかんじか。
で、ゼップ親父やマンシュタインあたりが現実に合わせてなんとか骨抜きに・・
ヨードルって最近読んだ仮想戦記で叩かれてたけど、実際は有能なんでしょ? あと、ハルダーもいまいちイメージが湧かないな ソ連舐めてたってだけ
883 :
名無し三等兵 :2005/12/10(土) 09:28:21 ID:Dbui9fVB
確かにハルダーもソ連の兵力を過少に見積もってたしね。 ヨーロッパ西部を短期間で石鹸したんで有頂天になってたんじゃ・・!? あとイタリアに使える将官いなかったの?ガリボルディにしてもグラツィアーニにしても やる気無いし。
>>883 ハルダーはマンシュタインの対仏侵攻計画を握りつぶして左遷した上に、そっちのほうがいいと気づいたとたんに「いや、最初からこれも考えてました」ってしゃあしゃあと同じ案を出してたりするからな。
末期のヒトラーのように自分の考えに固執するよりはましだが、上司としてはどうかと。
まさに”軍官僚”と言ったところですな。 ところで、「第2次大戦中のドイツ軍の首脳部は、砲兵科出身の将軍が異様に多かった」というのをどこかの本で読んだんですが(確かジェイムズ・F・ダニガンの本だったような)、これは本当ですかね? もし、そうだとすれば、何の要因でそうなったんでしょう? 砲兵科は勲章や昇進に結びつくような活躍はしにくいと思うんですが。
886 :
名無し三等兵 :2005/12/10(土) 17:02:08 ID:Dbui9fVB
ハルダーはマンシュタインを左遷した張本人ですね。 アルデンヌ突破プランも確かに黙殺してるし。 また保身術にすごく長けてたらしくダッハウからも生還し、ニュルンベルクにも証人として出廷、上手く連合国間を立ち回ってる。 部下には非常に慇懃に接した由
つーかなんでダッハウに?
888 :
名無し三等兵 :2005/12/10(土) 19:24:47 ID:Dbui9fVB
ヒトラー暗殺に関与の疑いにより御用!です。 実際どの位関与してたかは知らないですけど・・・
ひとつき前から夏以来欲しかった「権力のネメシス」を入手して
少しづつ読んでいたり。他もこれからちまちまと買っていこう。
>>888 ベックの後のクーデター計画での首謀者だったけど、
結局発動せず、次第に距離を置いて傍観派になった。
逮捕の理由となった720事件には直接関与していない。
で良かったと思いますがどうでしょう?
855氏へ 確か第一次世界大戦で砲兵が確固たる地位を獲得しその恩恵を 預かった砲兵出身の将校が戦後砲兵閥なるものを形成したからとヴァルター・ゲルリッツの 「ドイツ参謀本部興亡史」に書いて有りました。
891 :
名無し三等兵 :2005/12/10(土) 21:23:39 ID:Dbui9fVB
チェコのズデーテン割譲の時でしたか。 4ヶ国協議でチェンバレンらが譲歩した為に、発動時期を逸した。 ハルダーはのちの720には関与してなかったんですね。 最初の計画はバレなかったんですかね?
アレクサンダー・レール上級大将 このひと ユーゴの監獄でめちゃひどい目にあつて なぶり殺し状態で処刑・・・・ ハルダー 私は 独ソ戦の初期の作戦失敗はこのひとの優柔不断さ 日和見主義とおもてる 特に青作戦
DAK相手にも日和見んぐを決め込んでたからなあ>ハルダー なんとなく優柔不断で日和見でしょっぱい人だ
894 :
名無し三等兵 :2005/12/11(日) 01:32:30 ID:vRG/FhMC
って言うか、モスクワ担当の中央軍集団の一部を南方に割いたのが痛かったな。 ボヘミア伍長は直感に頼りすぎて、部下の進言あまり聴かないから・・・ モスクワを陥落させてたら政治的にかなり有利な状況になったろうに・・
>885 >890に補足。 WW1前には騎兵が軍の花形だったが、基本的に小さいころからプライベートで 乗馬の練習が出来て馬具等も自弁できる階層以外には進路が閉ざされていた。 そこで金が無いけど能力のある香具師等が、とにかく馬に乗れる砲兵を目指した。 そして「砲兵の戦争」であったWW1でエーリトとしての評価が確立した ・・・・てなことをどこかで読んだ気がするが、出典は思い出せない。
ハルダーはあの強制収容所で終戦まで生き抜いた点が凄い。
898 :
ポン :2005/12/11(日) 15:07:41 ID:ZIsFi1Xy
>>894 <モスクワ担当の中央軍集団の一部を南方に割いたのが痛かったな。>
確か昔のスレであったが「キエフで敵を殲滅しる!」と言ったのは軍の
方でヒトラーはあくまでもモスクワ短期攻略を支持していた。
結局グーデリアンが突出しすぎて南側面が気になりだし、逆に南方軍集団
の進撃にリズムが出てきたのでキエフ包囲戦のアイデアが現実化してきた。
それをやらないとモスクワ攻略も覚束無い状態になりつつあったのだ。
>>896 俺もそれ、どこかで読んだ希ガス。
でも出典が思い出せない・・・(´・ω・`)
いやじつは 独ソ戦前 バルカン半島に兵力を裂いたのが一番痛い・・・ (ユーゴの政変を含む) これにより 1ヶ月以上おくれ 南方軍集団の機甲兵力も(AHSS師団 第5・9装甲師団)最初の攻撃に参加できなくなった バルカン半島に手を出した時点でドイツの運命は 決まったともいえる・・・
901 :
名無し三等兵 :2005/12/11(日) 15:44:00 ID:kfdcpTY4
>>900 つまりイタ公氏ねということでよろしいか
902 :
名無し三等兵 :2005/12/11(日) 16:42:56 ID:vRG/FhMC
>>898 成る程、よく分かりました。 あと仮にですが中央軍集団だけでモスクワ陥とせたでしょうか?
>>900 確かにそこが一番痛いですよね。 あとクーデターを起こしたシモヴィッチ将軍はどうなりました?
>>892 レールはどんなことされたの?詳細キボン
904 :
名無し三等兵 :2005/12/11(日) 18:42:24 ID:MHff7wi3
>>899 フォン・ルンドシュテット元帥も騎兵科に行きたかった
けど個人装備品が自前で揃えられなくて、仕方なし
に砲兵科に行ったみたい。貴族とは言え家が貧乏
だったという事で。
フォン・オッペルン=ブロニコフスキーは騎兵将校から装甲科に移ってるな。 本人はベルリンオリンピックの乗馬競技でメダルを獲ってるし、晩年は東京オリンピックに出場したカナダチームのコーチを勤めている。
ちなみに、陸軍元帥の兵科別人数の内訳は、 砲兵 7 歩兵 6 総工兵 3 騎兵 2 山岳兵 1 となってます。
>>906 ごめん('A`)
× 総工兵
○ 装甲兵
908 :
くら ◆mlSturmRPg :2005/12/11(日) 21:29:09 ID:n0JsH674
>>896 うん。更に補足すれば帝国貴族やユンカーで無いものが将校団に加えてもらう
には砲兵などのエンジニアしかなかった18世紀、被占領地出身のナポレオンや平
民出身のシャルンホルストは砲兵として将校になり身を立てた。それが更に下って
幕僚任務が出来ないお殿様を排斥したエンジニアの集団が、自分達の出自を代表
する独自の将校団を結成したところ、とうぜんのごとく構成員が参謀本部の幕僚
と重なったため、砲兵閥を形成したと中公新書の「ドイツ参謀本部」に書いてあ
ったような希ガス。
909 :
名無し三等兵 :2005/12/11(日) 21:57:47 ID:kfdcpTY4
>>908 なんで日本陸軍はドイツに範を取ったのに歩兵閥一辺倒になったのかね?
将校より国自体が貧乏だったから?
911 :
名無し三等兵 :2005/12/11(日) 22:03:15 ID:kfdcpTY4
>>910 まあ貧乏だから砲なんてぜいたく品はあてにするなってことか。
海軍もそうだが、WWTをまともに経験しなかった悲しさか。
>>909 社会の構造が原因なのに上澄みを真似しただけで同じになるわけないだろ。
913 :
名無し三等兵 :2005/12/11(日) 22:07:15 ID:MLYhc933
ルフトヴァッフェならミッキーマウスのガーランドが最高ですよね。 ドイツ人っぽくないよい意味でのアバウトさをもった人物だと思う。 結構長生きして死んだのも10年くらい前ですよね。 ドイツ人ならこの人とマルセイユとノヴォトニーが陽性でいい感じ。
>>911 >海軍もそうだが、WWTをまともに経験しなかった悲しさか。
研究してるからこそ第二次上海事変があるわけだが。
できることとできないことがある。
海軍というのはUボートの話か?
915 :
名無し三等兵 :2005/12/11(日) 22:14:49 ID:vRG/FhMC
フィンランドのマンネルハイム元帥は日本に来たことあるってよ。 確かロシア陸軍在職中だったかな。
>>913 ガランドの先祖はフランス系。迫害を受けた
ユグノー教徒だったらしいです。
スペイン内乱の後に戦闘機に搭乗するのを禁止
されそうになって、それを避けるために医者に偽
の診断書書かせたり、JG27司令の時にゲーリ
ングに「スピットファイア1個中隊よこせ」なんて
言ってみたりかなりアウトローの人だったみたい
。
>>917 まあ、おかげで中将にして中隊規模部隊の指揮官、なんて
伝説も作れたわけだがな。
919 :
名無し三等兵 :2005/12/12(月) 18:26:58 ID:ePoE1NhR
>>918 自分の専用機のコックピットに灰皿付けさせたのもこの人だっけ?
920 :
名無し三等兵 :2005/12/12(月) 18:52:04 ID:0Jmhr8De
第一次大戦を経験する、というのは軍事的に研究するだけではなくって、社会が総力戦というものを経験する、つーことだ、といいたいんじゃないか、
>>911 は。
そしてそれは
>>912 とか
>>916 みたいな発言にも関連してくるのかな。
>>919 あんまり煙草スパスパふかすものだから
喫煙の習慣を嫌っていたヒトラーから「煙
草を咥えた状態で写真撮られたらダメぽ
」って怒られたんだよな。
922 :
名無し三等兵 :2005/12/12(月) 19:17:02 ID:/xjEU5Md
>890 塹壕戦での歩兵科将校と砲兵科将校の戦死率の違いにも言及されていなかったかな?
捕虜になった時、歩兵科将校よりも砲兵科将校の方がヒドイめにあわされるって話は本当の話なの?
>>923 確かにWW1は塹壕などの防御施設と機関銃の組み合わせが大量の人命をうばったが、
死傷者の数は、それでも砲撃によるものの方が多かったやに思われ。
>917 >ガランドの先祖はフランス系。迫害を受けた >ユグノー教徒だったらしいです。 ほーそれはしらんかった。 苗字からするとマルセイユもフランス系なんかな?
926 :
ポン :2005/12/12(月) 20:14:45 ID:3Z7Em0cZ
>>902 これも軍スレの記憶モード
中央軍集団だけでの突進案は補給能力と歩兵戦力の不足からダメダメ
では?との書き込みを見た事がある。
バルバロッサ作戦の成功の一番の条件は対英・対米講和が欠かせない
との書き込みも見た。
927 :
922 :2005/12/12(月) 20:30:14 ID:/xjEU5Md
>924 アンカーミス? 歩兵将校→無茶な突撃+砲撃で激しく損耗で将来の高級将校も戦死 砲兵将校→砲撃で運の悪い者だけ損耗 で,結果として大戦後に生き残った将校の兵科バランスが偏ったと 書かれていた気がしたが? すまん.出典が思い出せない.
928 :
名無し三等兵 :2005/12/12(月) 21:43:12 ID:Pn+VVpk4
確か、ガランドの為にスペシャルBf109F-2作られたそうな。標準型より武装が強化されたやつ。MG131×2,MG151/20と翼内MGFF20追加した2機あったそうな。
929 :
名無し三等兵 :2005/12/12(月) 21:51:57 ID:ST2rbPPJ
> 925 > ほーそれはしらんかった。 > 苗字からするとマルセイユもフランス系なんかな? そう、フリードリッヒ大王が積極的にユグノーの亡命をを受入れていたので プロイセンにはフランス系の名字のドイツ人が多い。あとアルザス・ロレーヌあたりも。 ついでにWW1のUボート艦長に ロタール・フォン・アーノルト・ド・ラ・ペリエールという人物がいた。
>>925 1685年にナントの勅令が廃止されたことにより、フランスの新教徒(ユグノー)はそれまで享受していた人身保護や財産などの権利を奪われた。
そのため多くのユグノーは新教徒の国であるドイツ諸国、なかでもプロイセンに移住した。
商工業に従事していたユグノーが去っていったことがフランスの産業の遅れをもたらし、フランス革命の遠因になったという説もある。
プロイセンに移住したユグノーの多くはベルリンに住み、一時はベルリンにフランス人街があったそうだ。
彼らの子孫にはプロイセン軍に入ったものも多く、ガラントやマルセイユもそう。
他にも第二次大戦中のドイツの軍人の中にはフランス系の者が何人もいる。
自分が知っているのは大戦末期の参謀本部にいたド・メジエール大佐。
プロイセンの軍人には騎士団領時代に西部から移住したドイツ人、領土を併合したポーランドから帰化したスラブ系、ユグノーと様々な先祖を持つ人々がいた。
オーストリアだとハンガリー、チェコ等スラブ系、チロルのイタリア系とさらにバリエーションが増える。
そういやグデーリアンも、先祖はポーランド西部に居住していたアルメニア商人という説もあるそうだ。
931 :
929 :2005/12/12(月) 22:05:21 ID:???
ごめんフリードリッヒ大王じゃなくてフリードリッヒ・ヴィルヘルムだった 訂正
そう言えば以前佐藤賢一というフランスの歴史を題材にする作家の「カルチェ ラタン」 という本を読んでいて「ガーランド通り」という記述が出てましたよ。
厳密に言えばドイツ軍人じゃないけど、武装SS装甲部隊総監だったヨハンネス・ミューレンカンプ。戦後ちゃっかりドイツ連邦軍に入ってる。他の旧SSや武装SS隊員が戦後ひどい差別に遭ったのになんで彼だけ特別あつかいだったんだろ。
934 :
くら ◆mlSturmRPg :2005/12/12(月) 22:55:14 ID:30wV+113
>>930 そのユグノーの末裔の代表格がハインツ・グデリアン。スペルは違うけどほぼ
同じ発音のグデリアンさんがいるそうな。(ドイツ装甲部隊全史TのP93より)
最近スレの内容がハイレベルっす><
>>930 マンシュタインの出自が
ワルシャワのラビの家系らしい、って話もあったな。
937 :
名無し三等兵 :2005/12/13(火) 01:46:00 ID:gDmytO5I
>>926 先鋒の斥候隊はモスクワ市外縁部まで到達してたのにね。
あとモスクワ占領まで英米との講和は望めないとして、トルコ・スペインの参戦の条件・可能性
はどうだったんでしょうね?
>>936 マンシュタインの副官だったアレクサンダー・シュタールベルクの回想録「回想の第三帝国」に出てくる話ね。
ホロコーストを信じようとしないマンシュタインに「でもあなたは以前、自分の実家のレヴィンスキー家の先祖は〜」って形で出てくる。
ちなみにシュタールベルク家はシュタウフェンベルク家やクライスト家とも姻戚関係にある名家。
この本を読んだ限りでは、プロイセンのユンカー達はたいていつながりがあるみたいだな。
あとマンシュタインの部下だったブッセ(末期の第九軍司令官)の妻が、総統副官で降伏直前に自殺したブルクドルフの妹だったという記述もある。
(ちょっとうろ覚えなので間違いかもしれないが、義理の兄弟だったと思う)
そのためマンシュタインの言動が総統に筒抜けになるというので、シュタールベルクはブッセに好意を持っていなかったようだ。
あと最近立ち読みした本で知ったのだが、19世紀のロマン派詩人のハインリッヒ・フォン・クライストはクライスト家の一人だったそうだ。
クライスト家はプロイセンでも有数の名家なんで、一族の者がやたらと多いらしい。
>>938 同じくロマン派の詩人、ルートヴィヒ・アヒム・フォン・アルニムは、やはり
ハンス=ユルゲン・フォン・アルニム上級大将となにか関係あるんでしょうか?
前々から気になっていたんですが、ググってもそれらしい情報が出てきません。(´・ω・`)
>>930 まるで日本の中の在日コリアンみたいだ。
帰化して日本のグデーリアンと呼ばれるようにがんばるよ。
この国の未来は俺たちにまかせといてくれ。
フォン、VON、五月蝿い。実家の部屋住みが国家の部屋住みになっただけのくせに偉そうに・・・ でもErich von Manstein(;´Д`)ハァハァ
>>ホロコーストを信じようとしないマンシュタイン 賢明だな。
またユダヤの死体から沸いたホロコースト否定蛆虫が
>>925 メルダースもだよな。「フランス系ばっかじゃん」と総統閣下もお嘆き。
キーワードだけ拾って反応するロボットが巡回しとるな
>>939 それ漏れも気になっていた。教えてエロ胃人
ゴータ年鑑でも見れば載ってるのかな。
ゴータ年鑑 和訳、せめて英訳、って売ってるのかな?
949 :
名無し三等兵 :2005/12/13(火) 18:40:48 ID:pp3/N06T
945 では、エーリッヒ、ハルトマンが来たときは偉く喜んだのかな?当時の受賞記録フィルム見ると総統閣下がなんかおどおどしてるように見えるけど。あとブサヨが徘徊してるみたいな。
>>939 調べてみたら詩人のフォン・アルニムはベルリンの生まれ。
将軍の方のフォン・アルニムはシュレージエン地方の生まれ。
どちらもプロイセンの領土だったから、血縁関係があることはほぼ確実だろうな。
そういや前にフォン・ヴァイクスでぐぐったら、日本でも著作が出ている女性ビジネスコンサルタントが出てきた。
あとMansteinでぐぐるとリュディガー・マンシュタインという生化学者がでてくるんだが、この人マンシュタイン御大に似てるんだよな。
(一番特徴が出るという耳の形が特に)
ひょっとしたらこの人は・・・なんてことも考えてしまう。
>>937 >あとモスクワ占領まで英米との講和は望めないとして、トルコ・スペインの参戦の条件・可能性
はどうだったんでしょうね?
アプヴェーアの長だったヴィルヘルム・カナリス提督が、スペインに対してはちゃんと裏工作していたから可能性はほとんどなかったんでない?
間違ってもドイツ側について参戦なんかしちゃダメってな。
>>954 スペインは内線の後始末で参戦どころの話じゃなかったんじゃないかい。
トルコも参戦のメリットがないでしょ、むしろ英国地中海艦隊に海上封鎖されたらお手上げするしかないでしょう。
結局ムッソリーニが余計な事しなければ、もうちぃと独軍も余裕ができただろうにと思う今日この頃。
956 :
939 :2005/12/13(火) 23:17:14 ID:???
957 :
954 :2005/12/14(水) 00:19:15 ID:???
>>955 確かにそうでしょうね。ただアプヴェーアといい、あるいはハイゼンベルクの下で原爆の開発に従事していた科学者たちといいみずからの良心と信念に基づいて行動した人達が居たという事は感動する。たとえ一時祖国にたいする裏切り行為だったとしても。
ドイツが北アフリカから英軍を追い出して完全に掌握下においておけばヘタリアに悩まされなくてすんだかも。
958 :
名無し三等兵 :2005/12/14(水) 01:29:11 ID:TnznrS1f
先日スカパーの「ナチス親衛隊」観ていたらゲストにオットー・スコルツォルニーの娘?さんが出ていて、ヘェ〜と観ていた。娘さんの目から観てもちょっとヤバい雰囲気持っていた希ガス。
959 :
名無し三等兵 :2005/12/14(水) 01:38:51 ID:EmRP6Pln
>>955 >トルコも参戦のメリットがないでしょ、むしろ英国地中海艦隊に海上封鎖されたらお手上げするしかないでしょう。
確かにトルコにはメリット無いすね、それにトルコ海軍では到底・・・でもトルコにロシアの側面突かせたかったな。
>>957 >あるいはハイゼンベルクの下で原爆の開発に従事していた科学者たちといい
みずからの良心と信念に基づいて行動した人達が居たという事は感動する。たとえ一時祖国にたいする裏切り行為だったとしても。
どうせドイツは臨界方知らなかったんじゃない? 重水の供給も阻止されてたし。
結局、重水は僅かしか手に入らなかったんだっけ
961 :
名無し三等兵 :2005/12/14(水) 02:23:39 ID:EmRP6Pln
有名なところではノルウェーのノルスク水ハイドロゲン工場です。 重水はわずかしか採れないのに、トミーの爆撃・奇襲や地下抵抗運動の連中の妨害により 操業を阻止されています。 カイザーウィルヘルム研究所に送ろうとした分も輸送船もろとも沈められてます。それでも シュツットガルト南部の戦意向上に纏まった量を秘匿していたそうです。
962 :
名無し三等兵 :2005/12/14(水) 02:29:52 ID:EmRP6Pln
ドイツに従属した枢軸国の将官を教えて! (スロバキア・ルーマニア・ユーゴ等) 国防軍に吸収されて、活躍したオーストリア軍将官は教えて貰ったけど・・
ルーマニアか・・・ イオン・アントネスク元帥、ペトレ・ドゥミトレスク大将ぐらいしか 知らない。それも名前を聞いたことがある、という程度・・・(´・ω・`)
>945 ルフトバッフェからメルダース、ガーラント、マルセイユ抜いたら かなりイメージ変わるよなw
965 :
名無し三等兵 :2005/12/14(水) 08:57:06 ID:4vVK4KBJ
ハルトマンもバルクホルンも東部一筋のせいか華やかさにかけるよな 俺は見越しのラルと13番のベーアが好き
966 :
名無し三等兵 :2005/12/14(水) 10:40:04 ID:qliKbqyB
ヒムラーは?
>>959 確実なのは、ヴェルナー・ハイゼンベルクが原爆投下の報道の直後に、
原爆製造の技術的難関をすべて解決でき、製造方法をすべて説明できたことだけ。
ハイゼンベルクでも数日間で原爆製造の技術的難関をすべて解決するのは無理なので、
かれが原爆製造の方法をすべて独力で頭脳の中だけで解決したあげく黙っていたという説が有力。
ただ、ハイゼンベルクほどの超絶天才ならば数日間で、
とぼしい情報からでも原爆製造法をあみだせるという説もないわけではない。
どちらにしても、ボーア、フェルミを含む大人数のチームを使って、膨大な期間をついやした研究を、
ハイゼンベルクは理論だけを武器に独力で解決できたことになる。
>>967 スレ違い回避のために書くと、ハイゼンベルクはベックの友達。
>>921 遅レスだがそのときガーランドは「本官は総統のお言葉が理解できません」とくわえ煙草でニャニヤ笑みを浮かべて
その場を立ち去ったのでゲーリングがすごく怒られたそうだ。大人だな。
待て待て、大人なのは総統?代りに起こられた国家元帥?
...折れはガランドだとおもう。
ガランドは例のBOBのときの「スピットファイアを1個中隊いただきたい」発言にしても 回想録では「スピットファイアの よ う な 戦 闘 機」をよこせと言ったのだ、 と弁解しているね。 それと自分の前に発言したメルダースがゲーリンクに迎合した答えをしたのも 気に入らなかったからだとか何とか。 まあ本当かどうかはわからんが。
ガーランドは戦後に映画「空軍大戦略」のドイツ側アドバイザーをしたが、さんざん 「これは事実と違う」「あれはナチ式では無い」と監督の演出にケチをつけたあげく、 途中から撮影現場に来なくなったそうだ。人付き合い的にはちょっとDQNな人かもね。
頑固な人なのだねぇ
ノルマンディで戦死したクリスチャン・タイクゼンSS中佐のことをぐぐっていたら、大戦中の米軍にアンドリュー・クリスチャン・タイクゼン准将という人物がいたことを知った。 タイクゼン家はシュレスヴィヒ・ホルシュタイン地方の出で元々はデンマーク系、代々神学者や聖職者を出した由緒ある家柄のようだ。 一族の中にはアメリカに行った者もいるようなので、おそらくこの二人は血縁関係があるんだろう。 ドイツ系の軍人は多かったので、欧州戦線では互いにそれと知らずに戦った者もいたんだろうな。 ちなみにアメリカは実はWASPよりもドイツ系の人が多いそうだ。
976 :
名無し三等兵 :2005/12/15(木) 14:25:56 ID:Iz9iOmPZ
ミクローシュ・ホルティ(ハンガリー摂政)、アント・パヴェリク(クロアチア指導者)、カール・フォン・マンネルハイム(フィンランド国家元帥・大統領) あたりはうまく訴追されずに逃れてますね。 これくらいの処世術を身につけたいもんです。
バカがマンネルハイムは救国の英雄だろがよ。
>>977 ソ連側にとっては、侵略者の仲間だろうが。
ま、最後の最後に枢軸見限ってソ連についたわけだが。
その辺のバランス感覚は非常に健全だと思うけどね
>>976 大国に対して小国が生き残るにはやむを得ないでしょ、彼らの苦衷を察してやりなよ。
980 :
名無し三等兵 :2005/12/15(木) 16:16:10 ID:Iz9iOmPZ
>>979 はい、分かってます。 大国の論理に振り回される小国の悲しい運命・・
実際、小国を守りきるほうが難しいですから。 冬戦争、継続戦争、その後も
赤化を乗りきったマンネルハイム。
しかし西側なのに極めてソ連よりのことを「フィンランド化」というのはマンネルヘイムのような日和見主義者のことを言うのだよ。
しかし、フィンランドも餓死者など100万をだしたレニングラード包囲に 荷担していたりするんだよな。
,へ \/ ヽ ( ) _/*+*`、 ( ) <_______フ ) 从  ̄ >ノ 〜 /゙゙゙lll`y─┛ ノ. ノノ | . `〜rrrrー そろそろ次スレかな・・・ . |_i|_(_
ガーランドがフランス系なのは知っていたが、メルダース、マルセイユもフランス系か
マルセイユは読んで字のごとくだと思うが。
>>981 なんか・・・なあ・・・まあ・・・いいや・・・
中曽根を思い出すな
988 :
名無し三等兵 :2005/12/15(木) 21:01:00 ID:Iz9iOmPZ
夜間戦闘機隊にいた2人の王族エース ザイン・ ヴィトケンスタイン少佐と リッペ・ヴァイセンフェルト少佐の家系誰か知ってらっしゃいますか?
>>987 中曽根はゼップ・ディートリッヒだ。
頭が。
ど〜も〜ヴァイトリンクどぇ〜っす
じゃあ折れはロンメルだ!
マンシュタインです
プリキュアでーす。
994 :
名無し三等兵 :2005/12/15(木) 21:57:22 ID:Iz9iOmPZ
2 :桜月キラ・ユラ :05/02/16 06:41:57 ID:??? 私たち二人一緒じゃダメですか?
ロンネル
>>988 ザイン・ヴィトゲンシュタイン家のHP
ttp://www.sayn.de/ あと"sayn wittgenstein"でぐぐれば家系が載ってるサイトがいくつか見つかる。
たとえばこれ
ttp://pages.prodigy.net/ptheroff/gotha/sayn.html ただ構成がわかりにくい上にWolfgangだのHeinrichだのとやたら同じファーストネームやミドルネームの人物が多いので見つけるだけでも大変だが。
本人の正しい名前はHeinrich Alexander Ludwig Peterだし。
ザイン・ヴィトゲンシュタイン家からは他に二人が東部戦線やドイツ国内で戦死もしくは行方不明になっている。
手元に本がないんでうろ覚えだが、続ラスカンのドイツ陸軍騎兵師団の章にも一人出てきたと思う。
わしが男塾塾長江田島平八であるっ!!
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私が男爵ディーノでございます。
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