1 :
名無し三等兵:
日露戦争と並ぶ明治時代の対外軍事行動である日清戦争。
陸海の戦闘、指揮官、国際情勢を含めて幅広く語りましょう。
<略年表>
1894(明治27)年
朝鮮半島で大規模な農民反乱(甲午農民戦争=東学党の乱)、
朝鮮は清に出兵要請、日本も影響力確保のため出兵、緊張高まる
7月25日 豊島沖海戦
8月1日 宣戦布告
9月 平壌で清軍撃破
9月17日 黄海海戦、連合艦隊勝利、黄海制海権確立
11月 旅順攻略、遼東半島制圧
1895(明治28)年
1月 威海衛攻撃、清国北洋艦隊全滅
4月17日 下関条約
4月23日 露独仏の三国干渉、遼東半島返還、日露戦争の伏線に
2だったら
3Get
日露に比べると地味かもしれないが、小国日本が大国清に
完勝した衝撃はすごかった。それが三国干渉という形にあらわれた。
5 :
名無し三等兵:04/07/29 23:32 ID:176gxUZu
日露戦争より圧勝だったんじゃないか。
まあ相手の国力が疲弊しててボロボロだったこともあるが。
「あの国のあの法則」を明治の元勲たちが知っていたら・・・
半島に手を出しただろうか?
しかし、衰退していたとはいえ大帝国清に挑みかかるとは、
日本、恐るべき強気だな。まさに新興帝国。
江口の漫画は嫌い。
9 :
名無し三等兵:04/07/30 23:35 ID:fd1NMuzU
しかし、この頃の連合艦隊は黎明期って感じだな。
清のボロ艦を捕獲して戦力にしたり。
10 :
名無し三等兵:04/07/31 01:11 ID:yKUmHoev
>>4 日露戦争ほど影響があったとは思えないが。
日露の時はネールなどアジアの民族運動家が熱狂し、
ドイツ皇帝も「これからは黄色人種が怖い。黄禍だ」とか
わけのわからないこと言ってるし。日清では
「眠れる獅子(清)の正体がバレた」と列強が中国を分割した。
11 :
名無し三等兵:04/07/31 02:46 ID:UB3QGU05
獅子は起きる前に死んでしまった分けでつね
寝たきりで床擦れだらけだったのだよ獅子タンは
だから元気な小学生には勝てなかったんだよ
まぁその小学生は高校生になったらヤンキーになっちまって
思わずドンフライに背後からドロップキックかましたら
もうボッコボコのキッチョンキッチョンに・・・
うんちく・・・日清戦争時に清軍の捕虜になった日本兵は公式には一名のみ。
清は捕虜にした日本兵を片っ端から虐殺したため、らしい。
うわっ!マジで?最悪だなぁ・・・
日清戦争で日本軍が初めて遭遇した清兵は卑怯にして残虐極まりない軍隊だった。
清兵の捕虜になると、四肢を分断され、生きながら火炙りにされ、磔にされ、
屍に対しても首を斬り、面皮を剥ぎ、性器を切り取り、胸を裂いて石を積めたりした。
清には国際法を守る、という観念がなかったし兵もそういう教育を受けていなかった。
一方日本は宣戦布告文書にもあるとおり国際法を遵守するという方針があったため、捕虜になった清軍兵士は
現在から見てもかなりの厚遇をうけたらしい。
後の東郷提督が英国輸送船を撃沈して「国際法上、正当かどうか?」と揉めた事はあったがナー
>>17 太平洋戦争当時の日本と同じ国とは思えん。
>>19 日露戦争のときのドイツ兵も待遇は良かった。
明治の日本軍は立派だった。
黄海海戦の指揮官・伊東祐亨(すけゆき)って軍ヲタ以外には
あまり知られてないのかな。最後は元帥、伯爵までまでなったのに。
>20
ドイツ兵→ロシア兵?
>>22 間違えました、スマソ
第一次世界大戦の青島攻撃の際の独兵捕虜の
徳島収容所の話です。
松島じゃなかったっけ?
26 :
名無し三等兵:04/07/31 20:40 ID:SICz2C32
陸軍では誰が活躍したんだ?日露の時より旅順ははやく落ちたようだが。
遼東半島まで制圧とは北京・天津に近いし、清も恐怖だったろうな。
日清戦争前の日本人は中国人に対して尊敬する気持ちがあった
しかし戦後は中国人を見下す傾向にあったようだ
http://imperialarmy.hp.infoseek.co.jp/war/nisshin2.html 〜旅順余話〜
本文中の松樹山火薬庫爆発については、村上兵衛氏の『桜と剣〜わが三代のグルメット』
にこういうエピソードが載っている。
このとき、ひとりの少尉が、キラリと剣を抜いた。そして一個小隊をひきいて、
斜前の松樹山砲台にむかって、猛然と突貫して行く姿が見えた。聳え立つ大堡塁に
対して、たかだか一個小隊の兵力では、まさにトウロウの斧の感があった。
ところが、思いがけない猛襲に、敵の守兵はあわてふためき、火薬庫に火を投じ
自爆し、なんら抵抗を試みることなく、逃げ出してしまったのである。
この少尉こそ二十四連隊第一中隊小隊長武藤信義(後の元帥陸軍大将、村上氏の
母上の叔父)であった。武藤少尉はその戦功により、大山軍司令官の手によって、
即日、中尉に進級した。松樹山は第一師団の戦闘区域であり、この行動はいわば
独断専行である。この独断専行は、現代では旧軍の代表的悪徳として語られることが
多いが、日清、日露の勝利には、絶対に欠かせない要因であった。
>>28 独断専行は陸軍の伝統だったのかな。
日清、日露の成功が太平洋の地獄につながってしまった。
>>26 山縣有朋、大山巌といったところかな。いずれにせよ清が弱すぎて
相手にならなかった。300年続いた大帝国も内乱と欧米列強の進出でガタガタ。
農民の生活は困窮を極め、戦意もゼロ。訓練らしい訓練も受けていなかった。
それでも明治維新からわずか30年足らずでここまで強くなった日本はすごい。
陸軍で活躍したといえば、豊辺新作かな。
平時においては、愚図でつかいものにならず整理される寸前だったそうだ。
後は戦下手の桂を輔佐して難しい状況を乗りきった木越安綱参謀長、
大迫尚敏、大島久直両旅団長とか。
大山さんは、日露より日清のほうがしんどかったと述懐してる。
しかし、朝鮮王宮襲撃・大院君擁立とか、軍ヲタの俺でもやりすぎの
ところもあったと思うが。まあ時代が時代だが。
35 :
名無し三等兵:04/08/01 13:24 ID:pvpFyt4T
陸上で大きな会戦はなかったのか?
平壌では比較的大規模な戦闘があったようだが。
清兵はろくな装備も持たず、訓練も受けていないし、
辮髪で何か文字の書いた旗を持って、あわれな感じがしてくる。
>>35 日本は各所で何度も苦戦してますが何か?
あと、辮髪はほっといてやれ。
日清戦争より少し前に清と紛争した時には、日本だって陣笠の
「官軍スタイル」な部隊が前線で衝突してたんだから。
富国強兵、殖産興業の真っ盛りの時代だもんな。
まさに上り調子の日本。
38 :
名無し三等兵:04/08/01 22:32 ID:YcjcRbII
日露戦争では旅順攻略にあれほど多くの犠牲と時間を
費やしたのに、日清戦争では一日で落ちたらしい。
守りやすく、攻めにくいアジア最強の要塞だというのに。
>>28にもあるように、清の弱体ぶりがあらわれてるな。
おはん、日清戦争時の旅順要塞と日露戦争時の旅順要塞は
まったく別物だぞ。
中国の歴史教科書みると、黄海海戦は清艦隊の勝利としている
まあ、
清国の海軍と日本の海軍のカタログデータから見れば、
戦前の下馬評は、清国相当有利だったわけだが。
>>23 待遇が良いので、ドイツに帰りたくないと言った捕虜もいたようだね。
中途からは捕虜の限定的な外出許可も出ている。
43 :
名無し三等兵:04/08/03 18:40 ID:4oiIzspy
>>41 練度と士気がどれだけ重要かが分かりやすいですね。
日本お得意の死の猛特訓の成果だろう。
それもあるが、一番効いたのはやはり日露戦争・大東亜戦争にも連なる火力の集中使用だろう。
45 :
名無し三等兵:04/08/04 21:03 ID:XtO8HKAd
清はすでに欧米列強に蹂躙され、国力もボロボロだった。
アヘン戦争以降半植民地化され、洋務運動など改革も試みたが、
日本に敗れ頓挫した。その後さらに変法自強運動を起こそうとしたが、
守旧派におさえられ、滅亡へ向かっていった。
遼東半島を制圧され、清もあせっただろうな。
北京や天津もやばくなる。
◯ _______
// ____/ ,,;|||||||||!!"\___
// |\_____/ |||||| ,||||" ,,;;|||||||!" ,,,;;;||/
// │ `||||||、 `|||、 ||||| ,||||" ,,;|||||||" ,,,;;;||||||/
// │ `|||||、 |||| |||| ,|||" ,,;;|||||" ,,,,,;;;|||||||||||(
// │||ii、 `!||||、 `|||,,,||||,,,|||" ,,;||||" ,,,,,;;||||||||||||!!!!"" )
// │!!|||||||ii、 `|||,,;||||||||||||||||||||" ,,,,;;;;||||||!!!"" /
// │ ""''!!!||i;:|||||||||||||||||||||||||;ii|||!!!"" |
// /,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,|||||||||||||||||||||||||||||||,,,,,,,,,,,,,,;;;;;iiiiiiiiiiiii|||||||||i
// /||||||||||!!!!!!""|||||||||||||||||||||||||||||||"!!!!!!!!!!||||||||||||||||||||||i
// / ,,,,,,,;;iiii|||||||||||||||||||||||||||||iiii,,,,,, """""|
// / ,,,;;iii||||||!!!"" ||||||||||||||||||||||||| `!!!!|||||||iii,,,,, |
// /|||||||||||!"" ,;i|||!"`|||"|||!!!|||: `|||l、 `!!!!||||||||||||iiii、 /
// /||||||||!!" ,,;;|||||!" ,i|||' |||| `|||、 `|||||、 `'!!!!!|||||||||||||(
//<|||||||||" ,,;;i|||||!' ,||||" |||| ||||、 `!!|||||i `!!!!|||||||||\
// \__ ,,,;;i|||||||" ,;|||||" ,|||||__|||||、__`||||||||i、/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
すがすがしい絵だ
49 :
名無し三等兵:04/08/07 00:35 ID:MHc7F7CG
清は19世紀半ば以降、清仏戦争で負け、アヘン戦争で負け、
アロー戦争で負け、日清戦争で負け、義和団事件で失敗し、
どうしようもない状態だった。国が滅ぶ前ってこうなのかな。
>49
そんだけ負け続けてなお国を保っているってのはある意味すごいと思われ。
1回負けたくらいで国が滅びかねないような余裕のない日本とは違う。
つーかもう義和団事件以降は国としての体はなしていないんだけどな。
威海衛攻撃について詳しく知りたいよ。艦砲射撃でもやったのかな。
ぐぐったけどなかなか見つからなくて。
53 :
名無し三等兵:04/08/07 20:38 ID:Ya+e55aG
済遠という清国の巡洋艦なんか、主要な海戦でいつも戦場から逃げてたらしい。
これって、単に臆病風に吹かれたのか、それともサボタージュなのか?
わかる香具師いない?
威海衛は清軍が放棄し日本軍の総攻撃前に撤退したため無血占領している
>>45 なんか、改革、改革、と連呼しながら必死にあがいてる感じがするな。
57 :
犬:04/08/14 17:31 ID:Vb7HgzCM
清国の戦艦は、当時の日本にとって、とても手の出ない高価な物だったようです。
被弾しまくって、ボロボロとはいえ、日本にとって
念願の初 ”戦艦”だったのでは?
清国の国力の元は、貿易による収入のようです。(紅茶、絹、陶磁器など)
基本的に、塩税以外に税金がない(農民が貧乏すぎて、税金が取れない)ので
貿易関税によって、世界の銀が流れ込んでいたようです。
日清戦争や、この後の義和団事件による多額の賠償金支払いもひいひい言いながら決済してるし、まとまった
外貨(銀)は持ってたみたいだね。
59 :
犬:04/08/15 22:23 ID:FlEfPZhS
当時の清国は完全な輸出大国で、銀の保有量は相当なものらしいです。
その後、義和団事件などで、外国資本が離れはじめて、清国は滅亡したのでは?
欧米列強に蹂躙されたと言うのも、どうでしょうか?
アヘン戦争後もやはり、清国は完全輸出国で、世界の富が流れ込んでいます。
アヘン戦争にしても、アヘンの不道徳のため、没収して起こしたわけではありません。
戦争前も、戦争後も、アヘンの栽培は国内で盛んでした。
関税(清国の税収のかなりの部分がこれ)が減るのを防ぐために没収したのでは?
関税自主権ないのにそんなにもうけていたとは
61 :
名無し三等兵:04/08/16 22:42 ID:y8viRQ8o
>>57 日清戦争には間に合わなかったが
戦艦富士及び八島は定遠,鎮遠対策だろ
間に合っていれば 一方的にボコれたのに
貧国強兵
63 :
犬:04/08/17 00:14 ID:ia2yQ7te
日清戦争前、鎮遠、定遠は日本にも来ていて、日本側に相当なプレッシャーだったらしいです。
当時、沖縄の帰属をめぐり、日清間は険悪な状態だったらしい。
しっかり、砲艦外交してます。
ただ、鎮遠、定遠は古いタイプの戦艦なので、富士、八島級とは勝負にならないですね。
鎮遠のあの砲塔の配置はどういう利点があるのですか?
64 :
名無し三等兵:04/08/17 01:48 ID:XrYrzD7y
君が望む定遠
>>63 幅の広い船体中央部に積むため、大口径砲を安定して運用できます。
>>57 初代「扶桑」もお忘れなく。
あれでも戦艦に類別されてます。
>>63 前方へ火力を集中できること、両舷側にも火力を集中できること、装甲部分を短くできること、といった利点があります。
当時「装甲艦は砲撃では沈まない」という戦訓があり、衝角による体当たり戦法が重視されていました。
そのため、主砲を前方へ向けて撃ちまくりながら突進する、という戦法が有力視され、艦首方向に火力を集中する必要性がありました。
装甲は砲郭と機関部を中心に張りますが、装甲部分が短くなればより厚く堅固な装甲となります。
ついでに船体を短くできるため、「格闘戦」に有利(小回りが利く)です。
しかし1880年代には主砲が長くなり、定遠のような配置では主砲の旋回ができなくなります。
そのため、艦首に1基だけ連装砲塔を備えた戦艦が作られますが、まもなく艦尾にも砲塔を積むようになります。
フランスではこの時期単装砲塔を艦首、艦尾と両舷側に1基づつ配置する方法がとられたこともあります。
>>66 初代「扶桑」好きですw「戦艦」というより「装甲コルベット」という艦種名がぴったり
68 :
犬:04/08/17 21:13 ID:ia2yQ7te
67さんへ
なるほど、納得しました。 ありがとうございます。
リッサ海戦以来、大規模海戦が無かったらしく、あの時代の教訓が生き続けていた
のですね。
初代扶桑は戦艦だったのですね、知りませんでした。
あの頃の戦艦は嵐に弱そうですが、清国艦は問題なかったのでしょうか?
あの時期の百鬼夜行みたいな珍艦群大好き
70 :
名無し三等兵:04/08/29 17:58 ID:ylXLusaZ
戦前の予想では清有利だったのかな。
敗北で「眠れる獅子」の正体がバレてしまった。
>>63 >砲艦外交
確か、清国のフネが長崎に寄港して、街で略奪した事件がなかったっけ?
ラーメン戦争
73 :
名無し三等兵:04/09/29 20:58:59 ID:irWUF25M
日露ほどは目立たないが、日本が国際社会での地位を向上させる
重要な過程の戦争。もっと取り上げるべきなんだろうが、やはり
遠慮してるのかな。
遠慮も何も、目立ってないだけだろ。
75 :
名無し三等兵:04/10/01 21:31:35 ID:xujdAidO
台湾出兵とか、初期の日本軍の行動にももっと注目すべき。
黎明期だから痛い失敗も多いが…
>>59 当時、清国は鎖国政策を布いていたので貿易黒字は殆どないよ。
(だからそれまで中国から輸入していた陶磁器が輸入できなくなって日本で陶磁器が発達した)
銀の産出量が増えたからです。
もっとも銀のほとんどは日本から輸入していたのだが。
77 :
元帥:04/10/02 23:01:59 ID:yb4Lg6Dg
この中で64のネタが解った香具師はいるか?本当は「君が望む永遠」という
○ロゲだぞ。
…寒すぎて誰も突っ込まなかっただけだよ…
79 :
モンゴル国防板153:04/10/03 01:56:54 ID:OTOcJ4qS
>>59 ネタですか?
清国=お茶の大産地 →英国のお茶好き
清国=絹製品の大産地←ゴワゴワ羊毛売りたい英国
絹の肌触りに慣れていると、羊毛はチト辛い。
売るもの無いから、“ヤク”でも売りつけるか。
ぬぁに!この大鼻子が。ゴラ〜 でしょ。
モンゴル国防板なんてあるのか流石、2chだな。
>>79 禿同
清はイギリスの工業製品には目もくれなかった。
このままではヤバイと感じたイギリスがヤクを売りつけた。
まったくひどい話だ。
>>759 えーと、国防”スレ”にした方がいいかと。
あと一等自営業氏って誰なのか、初心者スレあたりで聞いてみることをお勧めします、本当に。
清軍の旧式化と士気のなさは明らかだった。
やはり、300年にわたる満州族支配の限界が来てたんだろうな。
あの頃の戦艦もまがまがしくていいけど
地上部隊の武器もいいと思うなあ
両国の服装等の違いを見ても興味深い
開戦前、列強の観戦武官のうち、英国の中の人のみが日本の勝利を
確信してたそうですが、その根拠って分かりますか?
以前目にしたことがあったのですが、細かい所を覚えていないもの
ですから。
水兵の規律と練度じゃなかったかな。
87 :
名無し三等兵:04/10/05 19:54:24 ID:CzKvkFSl
日本軍艦が清のように洗濯物を艦上で干していなかったのを見てそう判断したんじゃないの。
>>83 当時の日本に比べればはるかに国力はあったわけで、
資金を生かして、
海軍(水軍)の艦艇は新式だったし、
ガトリングガンとか、欧州各国の新小銃とかの新式装備の導入も
相当していたんですがね。
形式をそろえる必要性に対する無理解とか、
練度とかモラルに問題が会ったわけで。
黄海海戦でもT字戦法のような作戦はあったのだろうか。
単純に勝負がついたのか?
91 :
名無し三等兵:04/10/17 01:40:59 ID:L8gI9Jq8
清艦は艦名に「〜遠」と付いてるが、どういう意味?
鎮遠は遠きを鎮める。定遠は遠きを定める。
つまり、つおいって事だ。
>>79,81
ネタでもなんでもないらしい。
まじめな話らしいぞ。
漏れも初めて知った。
別宮サイトに載ってた。
>>92 なるほど…ありがとうございました。
>>93 信じられないな。
清末は何もかもガタガタ、というイメージしかないから。
>>94 「南京木綿の抵抗」とか「南京木綿の壁」でぐぐるよろし。
要は英国製の機械織綿布より地元の綿布が安くて誰も買わなかったと。
来年、定遠と致遠が復元されるぞ。完成予定10月らしい。
こっちも何か復元するか。
98 :
名無し三等兵:04/10/19 22:49:51 ID:2BpVw1i9
>89
19世紀末1866年のリッサ海戦(オーストリア艦隊25隻、イタリア艦隊35隻)以来
大規模な海戦はヨーロッパには無く、蒸気船時代の艦隊運動について明確な指針も無く、
砲、衝角、水雷の使用法をめぐって論争があった。
1887年、日本海軍は英国海軍ジョン・イングルス(John Ingles)大佐を雇い、海軍大学で海軍戦術の
講義をした。イングルス大佐は艦隊の機動力を重視し、機関科士官の育成、速射砲の採用、艦隊の単縦陣
の有効性を提言している。海軍も実際の演習で単縦陣と単梯陣の両方を試し、単縦陣のほうが陣形を維持
しやすいと結論している。
なお、当時でも単縦陣から一斉回頭による単梯陣への艦隊運動の研究も行われていたが、黄海海戦では
用いられていない。
一方、北洋水師では艦首砲と衝角の威力を重視し、単梯陣を採用しドイツ人洋員ハネッケン(Hanneken)の
李鴻章への報告によれば、
一、形式同一の諸艦は協同動作して互に援助することを努むべし。
二、終始、敵に艦首を向け、位置するを以って基本戦術と為すべし。
三、諸艦は及ぶべき限り、旗艦の運動に従うべし。
との戦闘訓令を各艦長に渡したという。
黄海海戦時、北洋水師は日本艦隊を発見し二列縦陣から単梯陣へと切替え、敵艦隊右方へと突入していった。
海戦では、北洋水師右翼は日本艦隊第一遊撃隊の縦砲火に揚威、超勇が被弾し、左翼が日本艦隊本隊末尾の
比叡、扶桑、赤城を狙い、単梯陣が崩れてしまった。
当時の赤城航海長、佐藤鉄太郎の回想によると
赤城が、来遠、致遠、広甲に迫ってきたが、3隻とも赤城よりも速力があるにもかかわらず
梯陣を維持したまま追尾してきたので撃沈をまぬがれたとある。
また、「戦略的に価値の小さい砲艦赤城に敵左翼の来遠、致遠、広甲が50分も追撃していたのは
黄海海戦敗因の大きな1つである。右翼の2隻を失い、左翼の3隻が赤城にかかわり、済遠が戦線離脱をして
残り4隻で日本艦隊本隊、第一遊撃隊と戦わなければならなかった。」とのべている。
99 :
名無し三等兵:04/10/19 22:52:02 ID:2BpVw1i9
>86
>水兵の規律と練度じゃなかったかな。
英国観戦武官ではなく、上記の佐藤鉄太郎の回想だが
日清戦争開戦直前に北洋水師が李鴻章の視察による演習をおこない日本海軍も見学が許可されたので
赤城を派遣した。
北洋水師の整然とした艦隊運動や艦砲射撃を見て、「こりゃ我が軍に勝ち目は無いな。」と思った。
しかし次に大連で陸上教練を見学してみると、見事な一斉射撃をおこなっていたが、
よく見ると水兵達は斉射の合図に振り下ろしていた旗を見ていて正面の照準線をみつめていない。
「なんだ、見た目は良いが、基本がなってないじゃないか。艦内でも似たような手抜きをしているなら、
こりゃ我が軍にも勝ち目があるかもしれないな。」と思ったそうである。
100
101 :
名無し三等兵:04/10/22 04:57:12 ID:2XuUaZrA
あの頃の軍人は優秀だよ。昭和期に比べて
102 :
名無し三等兵:04/10/24 00:06:28 ID:kkW5gCYa
黄海の勝因は、やはり中口径速射砲による手数ってことになるのだろうね。
定・鎮両艦の重装甲を射抜くことはできなかったけど、戦闘能力を喪失させることはできたし、
巡洋艦には大打撃を与えて勝利を得た。
もっとも、吉野を筆頭とする高速艦の存在も大きかったけど。
…で、約半世紀後の第三次ソロモンで今度は比叡が同じように巡洋艦に袋叩きに遭ったんだなw
103 :
名無し三等兵:04/10/24 00:25:43 ID:LL9bHXn4
蒼穹の昴読んだ人いる??あれででている王逸って人は本当に平壌で指揮をとってたの?
104 :
名無し三等兵:04/10/24 00:36:35 ID:/AHuENy3
>>71 定遠、鎮遠という大戦艦をバックに、怖い者無しの清水兵は
日本(たしか東京湾)に来航した際、傍若無人の振る舞いをし、
日本警察と衝突、双方に死傷者が出る事件があった。
その後、清との話し合いで、日本警察は帯刀を禁じられるという
屈辱的な不平等条約を呑ませられるに至る。
それからというもの、日本人は食う者もロクに食わず、三景艦を揃えた。
それでも個艦でみれば、排水量は定遠、鎮遠のほうがずっと上。
だが、その士気の高さと機動性で、清海軍を葬った。
105 :
ホタルイカ <二:彡 @光学迷彩 ◆Optic4oz5g :04/10/24 09:45:28 ID:LcjtiupR
在日米軍基地の実戦部隊は日本政府から言質(げんち)を
とった後に日本列島から撤収させるという意味のことを
リチャード・ルーガー米上院外交委員長(米国共和党)が言った。
| ̄ ̄| ♪
_|__|_♪
| ´`( / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
| ∀ )< テロとの戦いで在日米軍は必要ない。
♪ /∪ | つ | 六カ国協議で中国と関係が深まった。
( | .|| \________
) ) \|| ルーガー米上院外交委員長
♪ (___) \_ つ,, ♪
「だがアメリカ軍がすべて引き上げてしまったら日本はこう言うだろう。
『そんなことは考えていなかった。少々の変化を希望しただけだ。』
ハッハッハ、だがアメリカは(日本政府から兵力削減要請の言質を取ったあと)
この(在日米軍全面撤収の)方向へ向かうことになるだろう。」
リチャード・ルーガー米上院外交委員長(共和党)
彼は米国上院外交委員会で米国外交政策を
最終決定しているアメリカ政界の重鎮だ。ちなみに彼は
「我々(米国)は長い間、孤立主義を保ち国際関係に立ち入らなかった。」
と第二次世界大戦前まで引きこもりをつらぬき続けていた
米国伝統お家芸のモンロー主義復活再興をにおわせていた。
・冷戦が終わり、世界のアメリカ軍基地の再編成をしなければならなくなっている。
同盟国と相談の上、来年(2005年)、最終的な決定を行うことになるだろう。
・アメリカ軍はすべての有事の際に、アメリカ国内の基地から出動すべきだという考え方もある。
・沖縄の海兵隊をグアム島へ移す計画については日本と相談することが重要だ。
(日高義樹のワシントンリポート第109回2004年10月17日放送
ワシントン インターフェイス・スタジオ 2004年10月4日テレビ収録)
106 :
名無し三等兵:04/10/28 04:32:16 ID:rqiPZtz8
まだ歴史も浅いわけで、特務士官とかいたのかな。
>>103 指揮するとは、どのレベルで?読んでないので、よく分かりませんが平壌戦の指揮官は、下記の通りです。
李鴻章が指揮官として、任命しようとしたのは、劉銘伝でしたが断られました。
その為、当初は、四将軍の協議制です。
1、盛字軍 (6,000名) 衛汝貴将軍
2、毅字軍 (2,000名) 馬玉崑将軍
3、奉軍 (3,500名) 左宝貴将軍
4、盛字練軍(1,500名) 豊陞阿将軍
その後、はるばる牙山から、逃げ帰った直隷提督葉志超が、総指揮官に任命されました。
平壌戦では文官でなく武官が、劉銘伝がばっくれた為、清軍にとって珍しいことに総指揮官になったそうです。
108 :
名無し三等兵:04/10/31 12:59:34 ID:4u5Q35iX
李鴻章ってかわいそうだよな。滅び行く清を必死に何とかしようとするが、
時代の流れには勝てない。屈辱的な敗北、不平等条約を何回も味わって。
嫌な役回りをやらされたんだな。
110 :
名無し三等兵:04/11/03 21:51:21 ID:ybOm+/yY
日清戦争は日本軍にとっての初の大規模な対外軍事行動といえるが、
すでに西南戦争、台湾出兵等である程度の経験は積んでいた。
もっとも、相手が違いすぎるけど。
>>70 イギリスのロイズが対日戦時保険を発行してる。
勝手も負けても支払われるワケだが。
>>110 台湾の高砂族は、かなり精強だったらしいですね。
清国軍は、本当にダメだったみたい。
高砂vsグルカ
不敗神話
1874 台湾出兵
1875 江華島事件
1877 西南戦争
1994〜95 日清戦争
1900 義和団事件
1904〜05 日露戦争
1914〜19 第一次世界大戦
>訂正
1894〜95 日清戦争
おい、西南戦争て内戦混ぜてどうする
大和民族VS熊襲
↑冗談です。
120 :
名無し三等兵:04/11/16 14:57:06 ID:sGypdRzC
不敗神話
1874 台湾出兵
1875 江華島事件
1894〜95 日清戦争
1900 義和団事件
1904〜05 日露戦争
1914〜19 第一次世界大戦(南洋諸島・青島攻略)
軍装は基本的に日露戦争の時と大差なかったのかな。
昭和のカーキ色の軍服より、明治期の紺の方が好きなのだが。
大きな銃剣もいかにも「19世紀の軍隊」という雰囲気を出している。
ここまで読んで川上操六の名が出ていないことにびっくり。
混成旅団と言う事で伊藤総理を、騙くらかしているからな・・・
まさか宮様が、ズルした訳じゃないよね。
彼の一番の功績は、大っぴらには言えんだろ。
しかし戦時の兵站総監としての功績はかなりのものだと思うんだがなあ。
兵站を軽視したその後の日本陸軍とは一線を画すよ。
功績に関しては、誰も文句は無いでしょ。宮様達の後で、参謀総長になっているしね。
長生きしてたら、「歴史」が変わっているんじゃない。妄想になるけど、日本軍の圧勝で日露戦争中にロマノフ王朝が崩壊してたりして。
東学党の乱での、川上操六参謀次長の命令が凄かった。「コトコトク殺戮スヘシ」だもんね。漢だね。
ところで、川上家が戦前に爵位(子爵)を返上しているけど、何があったの?
>>125 まあ政略的なことはわからないけど、戦略的にはずいぶん変わっていただろうと思う。
日露の開戦時期が早まり、開戦と同時に旅順、金州あたりを同時占領くらいしそうな予感。
127 :
名無し三等兵:04/11/30 20:41:32 ID:TcOLPDa6
青銅砲age
128 :
名無し三等兵:04/12/01 23:27:19 ID:51t/TZl3
天弾age
質問やけど、北京入城は考えてなかったの?
まぁ補給線の問題とかやばそうだけど。
130 :
名無し三等兵:04/12/11 23:51:40 ID:0E+XNDW5
>129
>北京入城は考えてなかったの?
戦況が上手くいったので、「北京へ行って皇帝に降伏をせまろう。」と陸軍の一部が言い出したけど。
「朝鮮問題の解決が大義名分なのに、北京まで攻め込んだら、他国が干渉して来る。
遼東半島、威海衛、台湾と賠償金でガマンしとき。」とのこと。
>>130 サンクス。やはりあることはあったのか>北京攻略
他国=ロシアか。でも我慢しても干渉してきた罠ww
日清、日露、WWTと10年おきに戦争してるよな。
よく国が持つよな。
133 :
名無し三等兵:04/12/29 12:20:40 ID:pNWdsjCm
日露に比べてどうして地味なんだろう。海戦もあったし、
大規模な国際紛争だったんだが。国際的な意味も大きかった。
それ以後の清・中国の歴史に見るべきモノがないからだろうよ。
日清戦争前の日本がどれほど清を恐れていたか、
またその当時のアジア情勢において
どれほど日本が小国で、どれほど清が強大だったかということは
今から学ぼうと思ったらけっこう真面目に勉強しないと無理だからなー。
「日清・日露と日本は大陸侵略の計画を進めつづけていた」なんていう
トンデモ史観が今でもまかり通っている現状では、
「日本の最初の獲物」っていう認識しか出てこず注目されないのも仕方ない。
日清戦争に関しては教科書に書いてある程度の知識しかない私には、当時の日本が清を
恐れていたというのが意外。
日清戦争は日の出の勢いの日本が、崩壊寸前の清相手に一方的な勝利を収めた
イメージしか無かったです。
明治の高官が刃物を舐めながら「おう、とりあえず清を血祭りに揚げてやるぜ。HAHAHAHAHA」
みたいな。
勉強になるなあ。
定遠ショック一つとっても、日本がどれだけ清を恐れていたのか、冷静に考えればわかるはずなんだけどなぁ。
それともうひとつ。
日の出の勢いだろうが崩壊寸前だろうが、日清の間に絶対的とも言えるほどの額面上の戦力差があったことも事実。
間違っても「血祭りに揚げてやる」なんて認識は出るはずがない。
そもそも欧米列強ですら清国の内実を正確には把握していなかったのに、
日本が知っていたというのも考えられない。
日本が勝ったからこそ、一気に清の半植民地化は進んだのだよ。
>>136 同意。
列強は清を「眠れる獅子」として潜在的な力を認識していた。
それが近代化開始からわずか30年足らずの極東の小国に完敗したことで
正体がバレてしまった。以後列強の中国分割が急速に進んでいくことになる。
>>136 歴史に全く興味のない者にすれば分からなくても当然だよ。
俺の姉貴は国立でてるけど、歴史に関しては五流大を出てる俺から言わせても
教科書に載ってる程度の知識しかないし。
冷静に考えたってその国の歴史をしってなきゃわかるはずもないだろ。
どっちにしても歴史教育の怠慢ってとこですな。
明けまして 御目出度う御座います
>>139 あまり詳しくやると、日帝36年の植民地支配が、必然だった事が分かり、都合が悪いからでしょう。
@ソウルにある独立門は、日清戦争で日本が清国を朝鮮の支配を諦めさせた記念碑です。其れまでは、
中国の一地域。日清戦争の殆どの戦闘地域は、朝鮮です。朝鮮人は自分達で、勝手に小中華とほざいていた。
Aその後満州を狙っていた露西亜が、思いっきり南下してきました。日露戦争の最後の大開戦は、露西亜でなく
奉天つまり満州で行われました。
B日清・日露のどちらか一つでも、日本が勝っていなかったら、
今頃満州及び朝鮮は旧ソ連邦の1地域になっていたでしょう。
C朝鮮人は、感謝の気持ちは一切ありません。(殖民地政策の為、日本人の血税を湯水のごとく使い、インフラを
整備しました。伊藤博文候は、植民地化に大反対。教育制度の完備{ハングルを始めて学校で教えた、其れまでは
漢字以外は、ちゃんとした教育機関で教えていなかった}・鉄道の整備・発電所の整備等で、全て持ち出し日本の
敗戦まで、回収出来なかった。)
>全て持ち出し日本の敗戦まで、回収出来なかった。
これだと日本の敗戦で回収できたように読めるぞ。
正しくは、「〜全て持ち出し。日本の敗戦まで続いたが、回収出来なかった。」だな。
言ってることは正しいと思うのだが、全体的に改行と句読点を見直したほうが
良いと思われ。
142 :
名無し三等兵:05/01/15 14:17:47 ID:vtBznq5y
当時の清国艦隊(北洋艦隊)は実際強大だったんだな。
洋務運動(近代化改革)の結果生まれた艦隊だったが、
文明開化の日本には負けたということか。
143 :
名無し三等兵:05/01/21 20:38:16 ID:BeJu5Lvi
辮髪に変な服装がかわいそうだ。もともと中国人はああいう格好はしない。
満州族の服装を強制されていた。近代化された洋式装備の日本軍と比べて
見た目ですでに負けてるような。
>140
トンデモ説乙。Mr.ちょんが御説明しましょうw
>其れまでは、 中国の一地域。
冊封についてお勉強しましょうね?
はっきり言って論外な主張です。
>今頃満州及び朝鮮は旧ソ連邦の1地域になっていたでしょう。
仮にロシアの領土になったとしてもロシア帝国崩壊時に独立する可能性もありますな。
>殖民地政策の為、日本人の血税を湯水のごとく使い、インフラを 整備しました。
すべては大日本帝国のため天皇のためです。
朝鮮総督府の人事・権限等を見ればわかるが朝鮮は天皇陛下の直轄領です。
陛下の領土なので陛下のために大日本帝国の血税を湯水のように使うのは大日本帝国の臣民として当然の責務です。
陛下が感謝する事はあっても朝鮮人が感謝するのは理論上ありえません。
>伊藤博文候は、植民地化に大反対。
全く違います。伊藤は大日本政府の閣議決定に従い着々と併合の準備を整えました。
彼が主張したのは併合スケジュールを少し遅くする事であって、併合を反対した事実はありません。
>鉄道の整備・発電所の整備等で、全て持ち出し日本の 敗戦まで、回収出来なかった
鉄道の整備は大陸に展開する大日本帝国軍の兵站のためです。
発電所の建設は朝鮮半島で軍需物資を生産するための投資です。
そしてそれは世界大戦中充分に機能しました。
従って、大日本帝国は充分に投資した恩恵を被っていますので貴方の主張は的外れですな。
軍板でそんな主張したら兵站を理解できない厨扱いされますよwww
日清戦争の賠償金、銀二億両は今の価値に換算してどれぐらいになるのでしょう。
あの賠償金が八幡製鉄所になったり、英仏独伊から購入した戦艦や装甲巡になった
のでしたね。
1890年の日本国家予算が約8000万両くらいに相当するらしい
147 :
名無し三等兵:05/01/21 23:33:19 ID:hoYe8gGW
プロレスラーみたいにデブでマッチョな清国兵がベルセルクのガッツが使ってるような大剣を担いでる写真を
見たことがある。あのデブマッチョはどうなったんだろう。
148 :
名無し三等兵:05/01/22 00:26:02 ID:bj5k8wGs
何箇所か目に付いたので釣られてみる。
>>今頃満州及び朝鮮は旧ソ連邦の1地域になっていたでしょう。
>仮にロシアの領土になったとしてもロシア帝国崩壊時に独立する可能性もありますな。
たしかに可能性はありますね。可能性は。
まぁ、他の列強国の保護国になる可能性のほうが遥かに高そうですが。
>朝鮮総督府の人事・権限等を見ればわかるが朝鮮は天皇陛下の直轄領です。
>陛下の領土なので陛下のために大日本帝国の血税を湯水のように使うのは大日本帝国の臣民として当然の責務です。
本土も含めて陛下の領土ですが何か?
>発電所の建設は朝鮮半島で軍需物資を生産するための投資です。
鉄道は同意だが、軍需物資は別に朝鮮半島で生産する必要ないんだけどな〜。
本土だって発展途上なんだから、普通はそっちで生産力増やすよな〜。
>従って、大日本帝国は充分に投資した恩恵を被っていますので貴方の主張は的外れですな。
収支結果はマイナスですがね。
そういえば沿海州はもともと清の領土で後にロシアが割譲させたが、
住民はロシア系(あるいはツングース系?)だったのか、中国文明圏の
影響はあったのだろうか。今では完全にロシア文化圏だが。
沿海州は民族的に漢化が完了した模様、ロシアの漢化は
このままのペースだとあと20年くらいか、、結局産んだもん勝ちなんだよな
日本の国家予算3年分の賠償金を支払えるあたり清ってすごいな
>>154 当時の日本の国力がそんなもんだったという見方もできる(むしろその方が良いと思う)
それだけの国力差で勝利をもぎとったことの方がすごいかも。
>>144 >冊封についてお勉強しましょうね?
>はっきり言って論外な主張です。
最近、ニュースみた?“中国社会科学院傘下の歴史研究組織が高句麗の歴史を「中国の地方史」と位置付ける
大掛かりな「東北工程(プロジェクト)」を推進していることが韓国に伝わり大騒ぎとなった。”(産経新聞)って知ってた?
俺じゃなく、中国社会科学院の先生たちに言ってやって。
>仮にロシアの領土になったとしてもロシア帝国崩壊時に独立する可能性もありますな。
仮定の嵐で悪いが、日本に負けてなくて、露西亜が満州も朝鮮もキープしていたら、
あんな形で露西亜帝国が崩壊してたでしょうか?
>彼が主張したのは併合スケジュールを少し遅くする事であって、併合を反対した事実はありません。
失礼しました、勇み足です。
>鉄道の整備は大陸に展開する大日本帝国軍の兵站のためです。
大陸に展開する為の兵站の拠点は、大連港じゃなかったんですか?勉強になります。
>>144 あれっ?君のレスは、全般的に可笑しくない?ネタにマジレスしちゃった。(
>>156)
恥ずかしい。
上げ
159 :
名無し三等兵:05/02/19 04:01:33 ID:f+xjb/NV
黄海海戦は艦隊決戦のようだが、戦術的に特筆すべき点は?
T字戦法とかあったのだろうか。
>>157 >大連港じゃなかったんですか?
まぁ大連港だけじゃない。つかもともと朝鮮半島からの兵站線が引かれている。
朝鮮半島にいた4000万もの人の資産を発展させることが日本の国益にも繋がったの
だから仕方ないでしょ。台湾も同じように統治したのだし。
現在における、中国からの輸入によって日本は他の製品を作ることができるのと
同じ状況。右翼は大陸人を使うのを嫌う割りには大陸の経済を欲しがる。
経済というものがどういうものか理解できてない香具師が多い。
161 :
名無し三等兵:05/02/19 05:27:29 ID:EPh7Ca8B
>>136 ハッタリ番長が、クラスのザコに蹴り一発で昇天してしまったのかな
>>157 さん
>仮定の嵐で悪いが、日本に負けてなくて、露西亜が満州も朝鮮もキープしていたら、
あんな形で露西亜帝国が崩壊してたでしょうか?
んー、その後の日露戦争の敗北だけが帝国崩壊の原因って訳じゃないから、革命は起きてた可能性が大きいのでは?(さらに仮定を積み重ねてですみません)
164 :
名無し三等兵:05/03/04 13:44:48 ID:ojD0hcy7
ボロボロの老大国に新興の維新国家が勝った、ということ。
日本が軍事帝国への道を突っ走る契機だったな。
伊藤は確かに最終的には小村が提案した韓国併合を了承しているが、それまで併合を目的として統治していたわけではない。
伊藤の目的はあくまでも保護国のまま、甲午政権時の改革を継続させる事にあった。
だが、韓国は日本の援助を受けてさえ、中央銀行一つまともにつくれる状況ではなかった(韓国銀行、すなわち後の朝鮮銀行は、第一銀行京城支店が前身)
併合の際は、伊藤の下で政務総監だった文官の曾根が更迭され、武官の寺内が初代総督になっている。
(曾根は伊藤が併合を了承していた事を知らなかったらしい)
これに対して日清戦争前に朝鮮に赴任していた袁世凱は、朝鮮が清の了承なしに外国と条約を締結していた(つまり、独立国だった)にも関わらず、宗主権を主張しようと画策していた。
朝貢関係は、形式的なものだったのにも関わらず、名実共に属国の地位に朝鮮を落とそうとしていた。
朝鮮人が、伊藤を非難し日清戦争を「日本の侵略戦争」と位置付ける理由が未だに分からん。
だな。当時の大日本帝国「ごとき」に併合されちまう国が、あそこにある事そのものが関係者一同にとって大迷惑な訳で。
反日だろうが何だろうが、大韓民国は一応独立を保つ能力を持ってるみたいだからいいけど。
まぁ、延焼を防ぐためにまだ火のついてない隣家をぶち壊したようなもんだろ。
当時しては文句は言えない。
それにしても既出だが、当時の士官が着てたフロッグ(日本語でなんて書くのかな)
付の軍服、カコイイね。
168 :
名無し三等兵:05/03/15 20:58:10 ID:AqJhxWhn
当時中国を分割し半植民地化していた欧米列強も中国の潜在的パワーを
警戒し、「眠れる獅子」と考えていた。しかしアジアの新興帝国日本に
敗れた結果正体がバレてしまい、それからは遠慮なしに収奪を繰り広げた。
下関条約では朝鮮は独立国であると取り決められているが
その前は独立国ではなかったということだよな
>>169 ちょと違う。
清国が宗主国としての立場を主張したことが戦争の根本原因。
日本は朝鮮が「どの国も庇護下にもない」独立国であるとの立場を清国に認めさせたのが下関条約。
171 :
名無し三等兵:2005/03/21(月) 14:49:20 ID:cZHwGCRN
「一等国」というフレーズはこの戦争で生まれたのか?
172 :
名無し三等兵:2005/03/21(月) 15:10:41 ID:ol8ir6Na
江戸の太平の300年間、本格的な対外戦争皆無だったのに、僅か30年で、大国と戦争なんて凄いよな。
300年戦争無ければ平和ボケしてそうなものだが・・・
ということはだよ?今の日本は60年平和ボケだけど、序の口ということだな。
174 :
名無し三等兵:2005/03/23(水) 01:44:25 ID:ORJuozDA
175 :
名無し三等兵:2005/03/27(日) 01:47:24 ID:skRYTGVs
日露戦争ばかり話題になるが、日清戦争も重要だ。
軍ヲタの我々で宣伝に使えるようなエピソードを出し合おうじゃないか。
>172
江戸時代は、勤勉と奉公を尊重する意識は保持されつづけてた。
今は・・・・・・
>>176 「今」ならまだ大丈夫だ
30年後ぐらいがヤバイ
>>170 韓国の歴史教育ではそのへんが見事に抹消されていて笑える。
日清両国の侵略を自力ではねのけ、民衆の力で大韓帝国を成立させたそうな。
>>172 江戸幕府は軍事政権だしなあ。
鎖国後も情報収集と戦争準備は怠っていなかったはず。
>>178 幕末まで火縄銃を使い、大英帝国の時代に既に没落していたオランダを
世界一の大国と認識してたのに?維新が奇跡と言われるのは、一気に
近代化したからだ。
イギリス大航海時代
ライムを大量に積み込み、更に紅茶にそれを浮かべて飲む事で
壊血病を防いだ。それまで壊血病予防のため定期的に寄港して
陸の食物を取る必要があったが、必要な食物を特定できた事で
予防の寄港を減らしてより早く荷物を運搬でき、貿易競争に勝った
オランダ大航海時代
船員の不満抑圧のため、定期的に寄港して港の女を(ry
オランダはこれを(ry
>180
激しくワロタ
182 :
名無し三等兵:2005/04/15(金) 10:35:17 ID:Use5XS0D
age
183 :
名無し三等兵:2005/04/15(金) 10:47:23 ID:UGpvTLWz
まあアメリカも南北戦争では南軍がマスケットを使ってたからな。日本も維新で幕府側のガトリング砲にてこずったのになんで明治政府らガトリング砲を大量配備しなかったんだ。
幕府側が大量配備しなかったのと同じ理由だろ
日本・清・朝鮮が三カ国連合して白人の侵略に立ち向かうって言う話は所詮空論だな
清が軍備を整えて真っ先に圧力かけた場所
長崎事件などのアホっぽくすら思える軋轢
これじゃダメポ
186 :
名無し三等兵:2005/05/04(水) 19:35:58 ID:IKrYhaLW
保守。
日清戦争の重要な点は銀本位制から金本位制への移行期に、
賠償として多額の金を日本が手に入れることができた事。
続きは次の保守で。
>187
このスレの速度だと、近いうちに続きを見れそうだな・・・
189 :
名無し三等兵:2005/05/12(木) 02:29:52 ID:eJgWq1PC
最大の陸戦は平壌攻略戦か?日露でいう奉天会戦みたいな
規模の戦闘はなかったのだろうか。
>142
南洋海軍も新型巡洋艦を配備していたようだ。四海軍を統合して全力で戦っていたら
日清戦争は日本の敗北だったかも(北と南がイギリスとフランス並に仲が悪かったために助かった
>>179 >大英帝国の時代に既に没落していたオランダを
>世界一の大国と認識してたのに?
してない、してないw 所謂開国前からオランダを通して、
イギリスがアジアに覇権を拡大してきた事くらい分かっていたし、
ロシアからの脅威も感じていた。一気に近代化出来たのは、
日本に元々それなりの素地が備わっていたから。旧式とはいえ
幕藩体制下で軍事、政治、経済学の素養と倫理を代々叩き
込まれてきた優秀な元武士の存在があってこそ。
何事も一朝一夕には事は運ばない。いくら物的援助しても
なかなか立ち行かない後進国を見よ。
3rd Sino-Japanese warきぼんぬ
またボコボコにして自尊心を傷つけたい。
今度はボコボコにされるのは日本だべな・・・
このままだとマジでやばいのになんで軍縮なんてするんだか・・・
日露戦争物語はどうよ?
ジパングのかいじよりは1万倍猛勉強していると思う。
正直、江口を少し見直した。
いやーフランス艦が故障しやすいと言うのを鵜呑みにしている今週号は捨ててきた
197 :
名無し三等兵:2005/05/29(日) 18:17:52 ID:/vs1kau9
>>191 それぐらい分かる。戦後、中東と異なり速やかに民主主義が広がったのも
自由民権運動や大正デモクラシーの素地があったからだ。焼け野原の
日本でも潜在的な工業力は認められていた。ただ、幕末〜明治の維新は
まさに奇跡といえる発展だった。
198 :
名無し三等兵:2005/05/29(日) 21:40:19 ID:x9txn0sZ
日本海軍が勝った理由は、
砲撃の差以上に操船と艦隊運動の差が凄かったからだろ。
>>197 >速やかに民主主義が広がった
ダウト。元から議会制民主主義国家。
>>197 明治維新は革命だったと思う。
よく新政府は薩長のクーデタ政権で正当性がない云々って言う人がいるけどさあ、
仮に大政奉還後の幕府新体制が上手く行ったとして、
その後の四民平等、廃藩置県が出来たかというと甚だ疑問。
大体鳥羽伏見で勝てない幕府軍が不平士族の乱を鎮圧できるんだろうか?
やっぱり体制内での変革は難しかったと思うよ。
宋考えてみると仮に太平天国の内部がもっとマトモで、易姓革命が成功して
大清帝国に置き換わることができたら中国も近代化できたんだろうか?
>>199 立憲君主制じゃなかった?民主化がある程度進んだだけの
主権は天皇にあるって建前だし
>>201 現代ヨーロッパによくある、王制国家の主権は誰にある?
そして、それらの国は、「民主化がある程度進んだだけ」の
政治態勢なのかい?
君主制を嫌悪し、「国民」よりも「人民」が好きな学者等により、
デモクラシーの定義として、
government of the peopl, by the people, for the people
がしばしば引用され、
君主制と民主制は反するものと思いこんでいる人が多いけど、
government of the king, by the people, for the people
や
government of the emperor, by the people, for the people
も、十分以上に民主的だと思うが。
>203
啓蒙専制君主が「民主制」だと主張するのと変わらんぞ、君の言い草。
>>204 啓蒙専制君主下の国家運営が、
by the people,
によってなされていると、貴官は主張されるのでしょうか?
まあ、
啓蒙専制君主は、
government of the king, by the king, for the people
だわな。建前上は。
(英文法上、ここでのkingに、theをつけるのが正しいのかは疑問だが。)
>>199 俺はサヨクじゃないが、確かに政治制度としては議会制民主主義国家だが、
1931年の満州事変、32年の犬養首相暗殺あたりから機能しなくなったのは事実。
その後戦時総動員体制に突き進んでいった。敗戦直後にアメリカ製民主主義を
すんなり受け入れたのは自由民権運動・大正デモクラシーで民主主義を体験して
いたから。国家の歴史上一度も経験がなければ、難しかった。
斎藤隆夫代議士が、昭和15年2月2日、衆議院で
いわゆる「粛軍演説」「反軍演説」(支那事変処理に関する質問演説)を行い、
結果、議会により懲罰委員会が開かれ、除名されたことは有名だ。
この除名された斎藤隆夫が、
昭和17年(1942)の総選挙(いわゆる翼賛選挙)で
妨害をうけながら当選、議員に返り咲いたことも、
ある程度知られている。
が、この議員定員466人の選挙で、斎藤隆夫のような
大政翼賛会非推薦の議員が、妨害の中85名当選していることは
無視されることが多い。
この、除名、選挙時の妨害から見ても、
戦時中の議会が完全に機能していなかったことは明らかだが、
対立者の存在すら許さないナチス下のドイツ、
将軍様マンセーの北朝鮮や、一党独裁のソ連や中国とは、
当時の日本が全く次元が違う社会であったことも確かだ。
>>207 ダウト。戦時総動員体制など存在しない。
国家方針の支離滅裂を招いたのは、一元化の対極にあったからである。
210 :
名無し三等兵:2005/06/06(月) 20:02:06 ID:NvHIXHCi
>>199 >>209 俺はサヨクじゃないが、あなたの意見は多数派ではないね。
「戦前から議会制民主主義」「戦時総動員体制はなかった」
かなり無理があるな。
>>208 対米開戦反対して翼賛会除名された赤尾敏とか
戦時総動員体制を「個々の官庁・機関がばらばらに」実施しようとして支離滅裂になったとは言えるな…だめじゃん。
黄海海戦では砲撃では清艦は沈まなかったと聞いたが、本当?
>>172 戦国時代あたりから日本の方が中身は進んでたからねぇ。
中国の歴史にに日本や西欧の近世に当たる時代はねえよ?連中はあるといいはってるみたいだけど(笑
大国つーても図体だけでかいだけの名ばかりになってたから、別に清に勝ったからってスゲー訳じゃねえと思うよ
対外的に与えた印象は大きかったろうけどな。
なんつーか、虚栄をはってのハッタリ交渉ってのはチャンコロの上常套手段だし
張りぼてをみてスゲースゲーいわねえほうがいいぞ。
現在のチャンコロも同じような行動とって、しまいには身分わきまえねえで勘違いしやがるからウゼエし
まぁ、清を凄いと言うことにしておく方が勝った価値があがって箔が付くかもしれねえが(笑
216 :
砂漠の狐達:2005/06/07(火) 21:11:57 ID:???
>>214 ある意味では本当。
正確には、「装甲艦は砲撃では沈められなかった」
鎮遠・定遠だけの事です。
それ以外の非装甲の巡洋艦?は、砲撃できちんと沈める事ができました。
>>216 なるほど。だから世界の海軍で、体当たりではなく艦砲による攻撃や装甲の強化が
定着したのは日本海海戦を待たねばならなかったのか。
三角の陣笠をかぶって、辮髪で変な服を着せられ、漢字の書いた旗を持った
清兵が哀れに見えてくる。大胆な近代化に成功した維新国家・新興帝国と、
前近代的な老大国。勝負ははじめから見えていたな。
戦力比とか国家予算の額の違いとかを考えてますか?
勝算があったとはいえ、普通はしない戦争だと思いますよ
>>215 >中国の歴史にに日本や西欧の近世に当たる時代はねえよ?
(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?(゚Д゚)ハァ?
本気で言ってるの?宮崎市貞先生も知らないのか?
南宋は中国が史上初めて他国と条約(に近いもの)を結んだ国なんだが。
冊封でも朝貢でも羈縻でもないぞ、条約だぞ。
中華主義を否定され、宋を中心に政治的、経済的に緩やかに結びついた東アジア分立体制
(大宋・大金・大夏・大越・大理・高麗・日本)
が成立して、科学的にもそれまでの時代から大きな発展があったわけなんだが。
その他にも、言論を理由に死刑にしなかった、夜間外出が認められた、貨幣経済が農村にまで展開した、
(比較的)学問の自由があった、全体的に中国人が清潔で行儀よかった、
文化傾向として、幽玄、精神的な物を重んずる思潮(モンゴル以降の汚いハデハデ文化じゃない)
など近世と言ってもおかしくないような証拠が沢山あるわけだが、君は何を根拠にそんなこと言ってるわけ?
支那は大宋を発展のピークにして上昇をやめ、モンゴル支配下、明代に過去の遺産を食い潰し続けながら退行し、
清代、現代に至って人が沢山住んでいるだけの完全に駄目な国になってしまった。
もう二度と支那の地に栄光が戻る事は無いだろうが、それは中国が死んでしまった
文明だからだということは覚えておいて欲しい。
中国は涯山の沖に陸秀夫ら五万人と一緒に沈んでしまったんだ。
ちょっと感情的になってしまった。スマソ
222 :
名無し三等兵:2005/06/11(土) 14:54:09 ID:Z75QsYVk
>>220 發達した古代國家の間違いだな。
古代→中世→近世→近代→現代
是が日本や西欧の歴史。
古代→古代→古代→近代→挫折
是がシナの歴史。
>>219 普通は戦争せず、朝鮮を清に明け渡すというのか?
ゲームじゃないんだから、実戦では戦力比や国家予算より兵器の質、練度や士気が
重要になってくる。当然日本の勝ちは見えていた。
局所的に兵力密度差を作って大量投入、その部分を潰して離脱とか
器用に出来るなら勝ち目もちょっとずつ出てくる
しかし密度差作って大量投入したら、取り囲まれて一気に潰される危険もある
清軍にはまともな情報網も無かったのか?
>>223 >ゲームじゃないんだから、実戦では戦力比や国家予算より兵器の質、練度や士気が
重要になってくる。当然日本の勝ちは見えていた。
兵器の質の面で、当時、日本の方が優れていると見なされたものはなんですか?
清国の方が優れていると見なされていたものはなんですか?
あ、
練度や士気って、見えるんだ。
>支那は大宋を発展のピークにして上昇をやめ、モンゴル支配下、明代に過去の遺産を食い潰し続けながら退行し、
>清代、現代に至って人が沢山住んでいるだけの完全に駄目な国になってしまった。
>もう二度と支那の地に栄光が戻る事は無いだろうが、それは中国が死んでしまった
>文明だからだということは覚えておいて欲しい。
やっぱ、過去に発展して他事気があっただけで、日本や西欧に当たる近代はないじゃん。
>>225 軍艦や大砲の運用、歩兵の作戦において日本が優れていた。
清国北洋艦隊は確かに強力だったが、練度が低く砲撃も艦隊行動もさっぱりだった。
士気においても国民生活が苦しく異民族である満州族支配への反発も高まっていた
清末であり、富国強兵・文明開化で意気さかんな日本とは対照的。
あと「見える」という言葉には目視できるという意味だけでなく、
「分かる」とか「思われる」という使い方をする時もある。
例「あの会社は先が見えている」
もう少し日本語を学ぼう。
>歩兵の作戦において日本が優れていた
西南の役その他で、一応実戦を積んでいたお陰か?
この時、日本人の体からなんば走法が消えたとか何とか。
誰でも素早く動ける手足逆振りを訓練の行進の段階から取入れたとか云々
>>227 なんつーしょうもないツッコミをしてるんだか・・・
どう見たって君が言う「わかる」で使ってるようにしか見えんやんけ。
で、な。
優れていた、と言って、それを彼我、特に我が十分に理解していなければ積極的な決断に影響を及ぼすはずもない。
十分に、というのは、「彼の2に対して我は1で対抗できる」といった、何らかの指標を表示できるレベルの話だ。
彼について、「練度が低く砲撃も艦隊行動もさっぱりだった」って、それを当時の日本が知っていたのか?
知っていたとしてどの程度だ?
昭和の日本海軍はアメリカ海軍主力艦の主砲命中率をかなり正確に弾き出していたぞ。
同じ事を当時の日本が実行できていたのか?
最後に当時の清を欧米列強がどう評価していたか?
「眠れる獅子」だ。
国内の乱れは確かに表面化していたが、いざ本気を出せば日本など鎧袖一触、というのが列強の判断だったわけだぞ。
その風評を覆せるほどの情報と自信を、本当に当時の日本は有していたのか?
>>229 日本が無謀な戦いをした、という方向に持って行きたくて仕方ないようだな。
昭和の戦争とごっちゃにしない方がいい。
しかしこれを区別する事で、張子の虎と
実質的な大国を厳密に判断する事が可能なのではないか
よく、「第二次大戦での日本は補給がダメだった」というが、
清軍の補給線は前線の需要をまともに満たし得ていたのか?
サボタージュや補給員の横領だらけのイメージを一瞬持ってしまうのだが
>>230 そういう貴官も、
日清戦争開戦時にあった、
日本敗北への不安を無視していないか?
貴官の考えでは、日清開戦を危惧した当時の日本人は、
みな物事が見えない愚か者か、
単なる臆病者なのか?
>230
>国内の乱れは確かに表面化していたが、いざ本気を出せば日本など鎧袖一触、というのが列強の判断だったわけだぞ。
>その風評を覆せるほどの情報と自信を、本当に当時の日本は有していたのか?
だめだと思うなら、日本は譲歩してたんではないの?
直接日本の国土が脅かされていた訳ではなく、朝鮮を巡っての争いだったんだから。
とうぜん、勝算があったからこそ、開戦に踏み切ったんでしょう。
まあ、
日清戦争も、太平洋戦争も、どちらも、当事者にとって見れば、
外交上、もう、ゆずれない、
もう、日本が立ちゆかなくなる、といった危機感から
「やむを得ず」始めた戦いではないかという気が。
ただ、日清時は、戦争前に、
結果的に何とか勝てる軍備と国内態勢を整備していたが、
対米戦時は、
チャイナ相手に膨大な国力を消耗し、
敵国の輿論を「反日」に一本化させてしまい、etc
>>233 >直接日本の国土が脅かされていた訳ではなく、朝鮮を巡っての争いだったんだから。
交渉相手が、こちらが引いたら、
それで納得して譲ってくれる相手かどうかという問題があるわけで、、、
(尖閣諸島や東シナ海ガス田は日本の本土ではありませんが、、、)
そして、
日本本土が戦場になってからは遅い。
沖縄、樺太、、、
国土が戦場になる悲惨さは、あなたも軍オタなら、わかるでしょう。
しかも、やってくるのはチャイナの兵隊だ。
明治の元勲や軍の有力者達は、
長州征伐やら薩英戦争やら、戊辰戦争やらで、
国土を戦場にする悲惨さを経験済みだった。
専守防衛は、
自国民の犠牲の下に成立するって事ですか。
「利益線」という思想が確立したのもこの頃。
大陸に足場をつくろうとした根拠もロシア南下の脅威を防ぐためだった。
本当に頭が悪いみたいだな
士気や錬度なんて目に見えないもの信じてるなんて、頭に蛆がわいてるんじゃないのか
運用方法や作戦が日本のほうが優れていたなんて戦ってみなければわからないことだし
そもそも、はじめる前から先が見えている戦争なんて無いだろ
戦争しなければ、どうにもならないところに追い込まれて、ぎりぎりの勝算にかけてはじめた戦争だろ
239 :
220:2005/06/12(日) 21:39:39 ID:???
>>222 論拠がわかわかんないです。東漢までが古代、
六朝唐代が中世、宋代が近世、あとは現在まで古代だと思いますが。
発達した古代国家の典型は元代が一番か。
>>226 215に近世って書いてあるでしょう。
近代と近世は別物。(近世はearly modern agesつまりmodernまでの発達過程上にある時代のこと)
ヘーゲルの「人間の歴史は自由の意識の進歩を意味する」を頭に置くなら、
宋代は間違いなく近世です。
>>238 知識人階級は開戦前夜頃には絶対負けるって悲嘆してましたからね。
実際大清があそこまで腐ってるなんて、マトモな人なら誰も考えてなかったでしょう。
一番大事な大清のいろんなレヴェルの指導者達がマトモじゃなかったのがアレだったけど。
そういやこの戦争での勝利でやっと官軍がバカにされる対象から、尊敬される対象になりましたね。
明治26年4月から3ヶ月ほど、川上操六参謀次長が朝鮮・清国視察をおこなったが、
いくつかの記録によると帰国後、「清国、畏るるに足らざることを確信した」とか
上海で林総領事に「支那と何か事が起こったら、やっつける目途がついた。」などの
発言があったと記されている。
もちろん、軍部にも開戦への不安はあり、特に軍需品供給は不十分であるとみなされ、
海軍側に「兵器補充の途なかりしを以って若し交戦永引くに於いては我が海軍は終に
兵器の供給不可能の窮状に陥る。」黄海海戦の勝利でやっと不安が無くなったといわれる。
川上次長の発言も清国の実状を見ながら「短期決戦に持ち込めば勝ちだ。」との判断だろうし
そう考えると、日本の開戦への決断も日清、日露、太平洋戦争と変っていない気がする。
>>240 まあ、日清・日露に際は、
政府上層部が、戦争のやめ方をちゃんと知っていて実行できたことが、
支那事変、対英米戦との差なんでしょうね。
太平洋戦争は「短期決戦に持ち込めば勝ち」なんて誰一人思っちゃいませんでしたが……
大東亞聖戰は、「うちてしやまん」の拐~で完遂するのだヨ。
明治・大正の軍人は立派だった。昭和に入ると別人のように狂ってしまった。
金融恐慌による社会不安が暴走に至ったそもそものはじまりと思うのだが。
「出口の見えないこの不況を打開するには海外進出しかない」が原動力。
日清戦争は何と言っても伊藤が偉かった。
直隷平野での決戦を望む軍を抑えて威海衛作戦を主張した。
支那事変ではまるで逆に、参謀本部が嫌がってるにもかかわらず、
政府が強硬論をぶって事変を拡大していった。
249 :
名無し三等兵:2005/06/19(日) 00:52:48 ID:KT9YQt1/
>>245 それだけ言われてもどうしようもない。
学生か何かのあなたと違って、仕事が忙しくゆっくり歴史書を読む時間も
ないのでかいつまんで解説していただきたい。
>>249 ネットをする暇があるなら、少しずつでも読まれては。
>>250 人に本を薦めるなら、何故その本を読む必要があるのか?
と、どのような内容の本なのか?を説明する必要があるだろ。
その説明もなしに、「この本を読んでないやつとは議論しない」という態度ではまったく会話にならない。
>>251 >245 が示したリンク先のアマゾンのページを見れば、
どのような本なのかの判断つきませんか?
検索で調べて、各種評判や著者の傾向を調べても良い。
その本を読む必要があるかどうかは、そういった情報資料をもとに、
貴方が判断するべき事でしょう?
どこに「この本を読んでないやつとは議論しない」などと書いてあります?
こんなにダラダラ記述するのに概要も語らない……。
無意味なレスポンスだなあ。
>>252 じゃあ読まないよ。理由もいわないのなら。
じゃあ横からかいつまんで解説。大学の授業で読んだから。
ざっと言えば旧帝国軍の創設から1945年の解体までを追った歴史ダイジェスト本。
明治時代において、国民の間に近代をもたらす旗手であった「軍隊」が、
大正デモクラシー以後国民に蔓延した軍人差別の風潮への対抗、
一次大戦で露呈した「総力戦」に日本は対応できないという焦り、などの要因から
政府にはもはや任せておけない、と暴走していくのを描いている。
旧日本軍が「時代錯誤的」と叩かれてる事象の多くが、
「封建体制から一足飛びに国民国家へと変貌するための『手段』」とか
「相対的に貧しい国家が国際社会のメインプレイヤーであり続けるための無理」という観点から
極めて合理的に説明できちゃう、ってことから
「逆説の軍隊」というタイトルがつけられてる。
戸部さんなら「日本陸軍と中国」「ピースフィーラー」も良い
259 :
255:2005/06/19(日) 23:56:59 ID:???
>258
正直に言わせてもらう。 >255書いたことほんとに後悔してます。
清軍には戦車もジェット機もなかったんでしょ?
勝てるわけないよね。
__
 ̄ ̄ ̄二二ニ=- / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
'''''""" ̄ ̄ | もう、だめだね・・・。
-=ニニニニ=- \
 ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧∧ _,,-''"
_ ,(ュ゚ /^),-''"; ;, '
/ ,_O_,,-''"'; ', :' ;; ;, ''
(.゙ー'''", ;,; ' ; ;; ': , '
_,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :'
_,,-','", ;: ' ; :, ': ,: :'
>260
排水量4000トン級の巡洋艦ならば自製できるくらいの工業力はあったけどね(w
当時の日本にあったかな?
>>263 >自製できるくらいの工業力
三景艦って、自製か?
開戦前の日本では世論や議会の説得に「文明開化の維新国家・日本と朝鮮の共同内政改革を
拒否した遅れた王朝国家・清」という構図をつくりあげていたようだ。利益線や国防の視点より
こちらの方が宣伝しやすく、新聞もさかんに論説を出していた。
福沢諭吉ですら進んだ日本が遅れた清に勝つのは当然、という姿勢だった。
>266
そーいう、所謂「大アジア主義」の論説がむしろ当時は一般的。
戦後日本の如く「これは日本の帝国主義だ!」とか言っても
当時の事情を知る当時の人間にとっては「ハァ?」にしかなりませぬ。
文明國vs未開國の圖式→大日本帝國が大東亞を征服し、其の文明を與える。
從ってインフラとかに頑張ったのですね。
與える。
↑
読めません
>>269 「あたえる」と読むらしい。意味も「与える」。
当時の人間の発想ではないですね。
272 :
名無し三等兵:2005/06/22(水) 23:26:23 ID:wFLyfkEK
民間でも征韓論以来の大アジア主義は続いていたからな。
実際「悪い清をやっつけて日本がアジアを支配すべき」という義勇兵みたいなのが
続出して政府も抑えにかかっている。
日清戦争でも日露戦争でも日本=文明開化vs.敵国=野蛮・旧体制の構図だった。
当時の超一流の思想家(お札になってる人)なんか、清は遅れた国で日本は世界の文明進歩の
ために勝たねばならない、清国兵を殺すのはあわれだがそんな腐敗政府の清に生まれた自分の
運命を嘆くしかない、とか言ってる。すごいね(w
>>273 当時の西欧が自分たちが世界を支配することを正当化した論説そのままだよね。
276 :
名無し三等兵:2005/06/26(日) 15:52:06 ID:8U7vuv06
日本は朝鮮半島を安全保障上の重要地域とし、朝鮮の農民戦争への介入で清の影響力が
強まるのを恐れて派兵した。しかし鎮圧後は大義名分を失い、さらに朝鮮の内政改革を提案
したが清に「日本は朝鮮が独立国といってたのに内政干渉じゃないか」と言われ論理的に
苦しくなっていた。
そこで日本は「遅れた王朝国家・清が朝鮮改革を拒絶した」という構図をつくって
「朝鮮独立のため清への従属状態を排除する」と結びつけた。
このイメージは知識人、新聞のみならず国民一般まで急速に浸透し、開戦への流れを強くした。
現在と異なり、上手い、ズルい日本外交が際立っている。もっとも、動機が不純なので
ほめられたものではないが。
277 :
名無し三等兵:2005/06/26(日) 15:56:40 ID:hXa6Jp/U
しかし今の日本外交もそれに倣ってほしいですな
まあ食うか食われるか、の時代だし。
279 :
名無し三等兵:2005/07/03(日) 18:26:51 ID:tPoOQ2WV
そ、そうだったのか…ウマいな、大日本帝国。
悪者にされた清は哀れ。まー日本がやらなくても欧米列強が
食い物にしていたから同じかな。
280 :
名無し三等兵:2005/07/09(土) 18:17:37 ID:66P1yO3q
「文明と野蛮の戦い」という構図と明示していたが、実際は朝鮮をめぐる帝国主義戦争の一つだった。
陸奥宗光外相自身が回想で「日清両国が朝鮮における権力競争の結果」と述べている。まあ当時の
世界史的情勢からすればやむをえないが。
カップ麺
日本の外交は日露戦争の頃までは上手かったよね
米英の同意を取り付けた上で韓国を併合したりとか
現実の国際関係の中で摩擦を避けながら上手く植民地を獲得してる
つまり政党政治は日本に馴染まなかった?
現在も小泉一党の集団指導体制で切り盛りしてるしぃ。
政党政治とかんけーないし。
>>283 今の政治体制で上手くいってる、というのは面白い意見だ。
ではなぜ財政赤字は増え続け、選挙のたびに苦戦するのだろう。
まるで10年前のが良かったみたいな言草だな。
287 :
名無し三等兵:2005/07/19(火) 00:27:09 ID:8rQP0Tyl
昭和に入ってバカな軍部が暴走して、何もかも失って破滅したのが悔しい。
大正期の政党政治・護憲政治の英米協調路線とやってれば、いまも「大日本帝国」であり、
戦勝国として堂々としてたのに。さすがに植民地は手放しているだろうが、ミクロネシア
(旧南洋庁)の一部ぐらいは領有してるかもしれない。
日本は無資源国家だから、あそこで大陸進出とかして資源確保に踏み切らずにいたら、
仮に今も「大日本」だったとしても結局資源は欧米に依存しきりの状態だろう。
そうなれば日本の運運命は欧米の意のままって事になるのでは?
そうなったらどちらにせよドンパチ始まってたさ
289 :
名無し三等兵:
>>288 世界貿易が発展して、現在のように資源を輸入して発展できたかもしれない。
そのためには工業技術の向上が必要だったわけだが、戦前の日本も重化学工業が
発達しつつあった。いずれにせよ、敗戦の破滅は歴史の必然だったのだが。