【戊辰戦争】明治維新総合スレ【西南戦争】

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1名無し三等兵
薩英戦争、馬関戦争、第二次長州征伐、鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争、西南戦争などなど。

近代日本黎明期の戦乱を軍事版的に語ってください。
2名無し三等兵:04/01/22 03:04 ID:???
2だコンチクショウ!
3名無し三等兵:04/01/22 03:09 ID:???
とりあえず、佐賀藩は軍事ヲタク。
4名無し三等兵:04/01/22 03:21 ID:0lgMKOxm
はぁ?
5名無し三等兵:04/01/22 03:26 ID:???
>>4
軍事ヲタクだろー、あんな、はなわにバカにされるようなちっこい藩なのにじゃかじゃか新技術導入して。
6名無し三等兵:04/01/22 08:30 ID:???
明治維新ではない。あれは「明治維古」だろ!
腐った薩長ではなく、共和国体制をめざす旧幕府側が勝つべきだった。
7名無し三等兵:04/01/22 10:00 ID:0AC8PTTK
>>6
第二次長州征伐での幕府のヘタレっぷりを知ってそんな事を言ってるのか?(笑)
8名無し三等兵:04/01/22 11:21 ID:???
スレタイは明治維新なのに西南戦争まで入れてしまうとは……。
9名無し三等兵:04/01/22 11:36 ID:???
某ハリウッド映画についてもここで語っていいですか?
10名無し三等兵:04/01/22 12:09 ID:???
>>6
傭兵主体の軍隊では近代戦には対応できません。
11名無し三等兵:04/01/22 12:17 ID:Ai4x2ZdS
>>8
明治維新は西南戦争での士族壊滅に終わると見るのが適切では?
12名無し三等兵:04/01/22 12:22 ID:???
挙藩一致で指揮系統が統一された農民主体の長州洋式軍隊が藩兵主体の幕府軍を破った第二次長州征伐こそ、いずれが革新勢力かを何物より雄弁に物語っている。
大村・高杉マンセー!
13名無し三等兵:04/01/22 12:48 ID:???
>>12
どこが革新なんだ?薩長はみんな「天皇マンセー!」なんだよ。
「天皇中心の政治」をめざす奴らのどこがいいのか・・・・
幕府側は市民主体の共和政治も考えていたというのに。
それに幕府軍だって決して古い軍隊では無い。フランス製最新式銃の
シャスポーを鳥羽・伏見の戦いで3千挺も持っていた。
小栗忠政、榎本武揚マンセー!大久保逝ってよし!
14名無し三等兵:04/01/22 12:57 ID:???
>>13
新政府には大久保の独裁でゴリゴリと日本を近代化させられるシステムがあった。あるいは大久保は無理を押し通す腕力があった。
逆に幕府じゃ小栗や榎本の足を引っ張るヘタレがイパーイいたじゃねーか。
政治家としては圧倒的に「大久保>>>>>>>>>>>>>>>>小栗」だよ。
第一幕府の軍隊の志気の引くさ、指揮系統の滅茶苦茶さはなんだよ。鉄砲揃えてハードだけなんとかしてもソフトは全然じゃんか。
幕府主導の近代化はハード面ばかりでソフト面には殆ど手が付けられていない。清の洋務運動と変法運動の顛末をしらんわけではあるめぇ?
そこが幕府の限界じゃろうが。今の小泉内閣に仮に一人二人優秀な学者や官僚がいた所で、日本の抜本的な改革は不可能だよ。
それに幕府じゃ市民主体の共和政治どころか、武士の解体さえ無理だったんじゃねーか? 長州一藩すら潰せない幕府に何ができる。
15名無し三等兵:04/01/22 13:08 ID:???
幕府擁護論者は単なる天皇アレルギー

実際のところ当時の薩長がどうで幕府がどうだったなんか知りやしない
16名無し三等兵:04/01/22 14:46 ID:???
「幕府=共和=善」「薩長=天皇=悪」みたいに自分の持つイメージだけで歴史を語ってるだけだな。
17名無し三等兵:04/01/22 18:43 ID:???
つかもうちょっと軍事的な話しないかい?
18名無し三等兵:04/01/22 20:10 ID:J/EgC+SN
>>14>>15>>16
禿げ同

>>6、>>13
幕府側の人非人共は自分たちが長州を死の寸前まで追い込もうとしたくせにそれに
失敗した上に逆の立場になると被害者面かよ!
負けたからといって逆恨みすな!東DQN度もが!
周防大島じゃあ、幕府歩兵というならず者が住民を虐殺したんだぞ!
薩長の非をあげつらうのならこのことにも触れて何か言ってみろ!ヴォケが!
19名無し三等兵:04/01/22 20:19 ID:J/EgC+SN
会津士魂=逆恨み
20名無し三等兵:04/01/22 20:22 ID:???
とりあえず、第二次長州征伐あたりから語ろうか?
幕府軍が二十分の一の長州軍に敗北し、その無能を白日の元に曝したというアレ。
頑張ったのは我が肥後藩だけという……。
21名無し三等兵:04/01/22 21:40 ID:???
>>15
おまいらこそ、金食い虫の天皇なんて存在しないで良い、と思わんか?
22名無し三等兵:04/01/22 21:47 ID:???
>>21
もっと金食い虫で、しかも(日本の宗教的権威という価値はある天皇とは違い)クソの役にもたたない旗本八万騎もリストラできない幕府ってどーよ。
23名無し三等兵:04/01/22 23:55 ID:???
恐れ多くもお上のご意志が自分の意にそぐわなければ殺して、幼帝を利用する。
皇国史上まれにみる不忠の極みである。明治大帝も長じては伊藤なんかの腐れ
ぶりにはあきれはてておられたではないか。

錦の御旗を勝手に掲げる不忠者どもに比べればその御旗を見て身をひいた武士の
方が勤皇である。更に、開国して近代化を始めたのは徳川幕府。それに盾突いて
テロやって(しかもお上のお膝元で)”攘夷”とかわめいてたくせに自分達が
天下を分捕ったら国民を洗脳して”幕府は石頭”とぬかす。こんなでたらめな
連中が日本を牛耳ったのがそもそもの間違い。藩閥政治で有能な人材を活かせな
かったのがどれほど近代化の課程で足かせになったか。日本を立ち直らせるためには
ここしばらくは薩長出身者は政府の要職に就くのは禁止すべき。
24名無し三等兵:04/01/23 08:41 ID:???
「役立たずの金食い虫」を近代化の為に有効に利用してやっただけで何が悪いんだ?

そもそも無勅許で開国した幕府が薩長の掲げた錦の御旗を批判することは出来ないし。
更に薩長側はそれぞれ倒幕決意前の下関・薩英戦争で攘夷思想を捨ててるし。

藩閥といっても有能な人物は多く居たし、それによって日本は大いに近代化した。
結果的に見れば大きな間違いなど見当たらないね。
むしろそのような“大国日本”を潰したのは東條等の賊藩出身者どもだね。

>薩長出身者は政府の要職に就くのは禁止すべき。
したらどうなる?藩閥よりも卑劣な手法だって分かってるのかね?
幕府擁護・薩長批判なんて所詮は感情論に過ぎないってことだな。
25名無し三等兵:04/01/23 11:35 ID:???
近代化なんて誰が天下を取ろうと出来た。そもそも所謂開国も幕府がやったん
だし。薩長政府は近代化どころか敵兵の遺体を弔うことさえ禁じたり、廃仏
なんてそれまでの日本では考えられないほどの残虐性と偏狭さを見せた。
その腐敗振りも凄まじいものがあって、薩摩人ではあっても良心を残していた
西郷はしっかりとケジメをつけて見事散った。それを政府は逆賊呼ばわり
したが、明治帝は最後まで彼を慕いつづけた。薩長が日本を牛耳った本当の
弊害は連中の道徳観とか道義の低さで国威を発揮しきれなかった所にある。

東条がたまたま薩長人じゃなかったとしても、明治以来政府や軍の要人は
薩長人の比率が大きかったのは事実だ。戦後も最近の例で言えば、政治腐敗
を伊東正義ならなんとか出来た可能性が高く、国民からも周囲からも期待
されていたのに伊東は首相就任を固辞した。これも自分が会津人である事、
会津が自らの意思ではなかったにしても、逆賊となってしまった歴史を
背負っての決意だったと思う。周りが頼みもしないのに私利私欲の為に
少しでも高い地位を望む"オレが、オレが"の薩長人には理解できない
心境であろう。

感情論、結構である。大東亜戦争で皇室を存亡の危機まで追い詰め、国民に
未曾有の犠牲を強いた血も涙もない強権近代国家よりも、幾らかの感情をもった
国の方が国民も救われるし周囲からも尊敬されるだろう。
26名無し三等兵:04/01/23 16:12 ID:T4m5so9v
>>25みたいのはスルーしろ。日本史版でも粘着して新政府を叩くアホ。

それよりここ軍事版だろ? 日本史版で何百回もやったループをくり返すなよ。
とりあえず第二次長州征伐での幕府のヘタレっぷりあたりから語ろうぜ。軍事版的、大村・高杉評でもいいけど。
27名無し三等兵:04/01/23 16:23 ID:/QpLi/XV
つうかペリー来航あたりまで
ホントに日本には火縄銃しか
なかったん?
28名無し三等兵:04/01/23 17:21 ID:Ep7ZzT7t
>>27
火縄銃云々以前に、300年平和が続いたせいで武士それ自体が全く戦う能力を失っていたような感じがする。
各範は勝つ事より自分の藩が傷付くのを必死で回避しようとするし、司令官は敵前逃亡するし、将軍も敵前逃亡するし、旗本は戦に出たがらないし、もう滅茶苦茶。
日本人が戦う事を完全に忘れ切っていたって感じが凄いするんだよね、幕末って。新選組なんかは非常に特殊な集団と行った感じがする。
29名無し三等兵 :04/01/23 17:25 ID:???
>>28
そりゃそうだよ。その辺の公務員を集めて、軍隊を編成するようなもんだよ。
30名無し三等兵:04/01/23 17:29 ID:???
>>29
下から上迄首尾一貫して腰抜けじゃん幕府。
下から上迄首尾一貫して特攻隊みたいな長州にはとても勝てん。
31名無し三等兵 :04/01/23 17:32 ID:???
>>30
腰抜けもなにも役人なんだから(w
むしろ薩摩、長州が希少な例なんでしょう。
32名無し三等兵:04/01/23 17:35 ID:???
>>31
その腰抜け役人どもをスパッとリストラしてアームストロング砲を大量に導入するとかできんかったの?
明治政府がやった事だが。
33名無し三等兵 :04/01/23 17:40 ID:???
>>32
>スパッとリストラ
当時は世襲でし。祖先の功績を子孫が享受する仕組みであり身分制度の基礎。
リストラは現体制の否定になる。
>明治政府がやった事だが。
西南戦争で国庫が真っ赤(w

むしろ西郷の武士→軍人がよい政策だった・・・
34名無し三等兵:04/01/23 17:50 ID:???
>>33
んでも、武士はいずれ消去せにゃならんかったろう。多少の反発にびびってたら、今の小泉じゃねーが何もできねーよ。
それに実績として、農民出身の奇兵隊の活躍や新選組の奮闘ぶりもあったわけだし。旗本八万騎を養ってる幕府じゃ軍の近代化は無理だよ。だから薩長に負けた。
35名無し三等兵:04/01/23 17:52 ID:???
>>26
そんなことより北越戦争での河井継之介(←漢字が違うかも)率いる
奥羽列藩同盟軍の活躍を語りたいな。
36名無し三等兵:04/01/23 17:56 ID:???
>>33
それが現実となっていれば日本がどれほど変わったことか('A`)マンドクセ
37名無し三等兵 :04/01/23 17:57 ID:???
>>34
因みに奇兵隊もリストラされたんだが。
それと武士は軍の中枢には残ったよ。陸士に入れるのは基本的には士族だよ。
リストラ対象は下級ぼ武士だよ。下級武士にはやる気も能力もある人間が幕府側にも多かったよ。
幕府は上級や中級がもうひとつだったから負けた。
明治政府が下級武士をリストラしたのは近代軍というより、外征軍に向かないから。
38名無し三等兵:04/01/23 17:59 ID:???
長州征伐で無惨な負け方をしたとしても、その後の鳥羽伏見、北越、会津、
函館とそれなりに激戦になった。恭順の機会があってもイケイケの
主戦論でいわば西軍を挑発するような言動さえとって藩を滅亡させちゃった
家老なんかもいる訳で、別に全部が全部腰抜けだった訳ではない。
旗本だっていざ江戸が戦場になれば気骨を見せる者もあっただろう。
生涯行った事さえない地域に派兵されるのと、自分の生活圏を犯されるの
では士気なんかまるで違って当然だ。形の上ではあっても幼い頃から
武士としての生き方を叩き込まれて、心身も鍛えられている者もいた
んだし。

>>26
すぐ罵倒に走るところが所謂新政府狂信者の共通の特徴だな。
”スルーしようぜ”などと必死になる時点で全然”スルー”してないじゃん。
39名無し三等兵:04/01/23 18:01 ID:???
>>37
奇兵隊はリストラされたが、こいつらが近代日本陸軍のベースになった事は間違いあるめぇ?
あと、長州や薩摩だって結果的に藩を指導したのは下級武士出身者だ。そいつらを能力で登用するシステムがあったから薩長が勝ったんじゃね?
4039:04/01/23 18:03 ID:???
牢屋の中の高杉を引っ張り出して、四国艦隊との公証にあたらせたり。
41名無し三等兵:04/01/23 18:06 ID:???
なんか凄い勢いでレスがついてるね、このスレ
42名無し三等兵 :04/01/23 18:07 ID:???
>>39
>指導したのは下級武士出身者だ。そいつらを能力で登用

実質、下克上に近い(w

>近代日本陸軍のベース

は徴兵制度。奇兵隊は志願兵でしょ。

>薩長が勝ったんじゃね?

薩長が勝ったのは実戦経験が豊富だったから。幕府はあらゆる段階で未経験だった。
戦術的に強くなければ、大村益次郎の能力が高くてもどうにもならない。
43名無し三等兵:04/01/23 18:09 ID:???
とにかく幕府は金庫が空っぽだったわけで、武器の優劣が勝敗を決める近代戦を戦うにはどこからか資金を捻出するしかなかった。
薩摩はそれが出来たが幕府はできなかった。それが全てじゃね?
44名無し三等兵:04/01/23 18:12 ID:???
>>42
功山寺挙兵をやる位気合いの入った奴は幕府にはいなかったの?W
45名無し三等兵 :04/01/23 18:14 ID:???
>>43
フランスに借款を断られたからね。
薩摩は密貿易と偽金を作って資金を賄えた(w
ただ、軍板的な話にすれば、幕府の軍事体制の構築は遅きに失した。
46名無し三等兵:04/01/23 18:15 ID:???
>>43
小栗忠政が江戸での徹底抗戦に備え、大量の軍資金を用意してた。
大体、主戦派のいう通りに優秀な幕府艦隊をもって箱根付近で
連中を殲滅する作戦なら大村が指揮官でも負け戦になっただろう。
47名無し三等兵 :04/01/23 18:15 ID:???
>>44
高杉晋作って現代人からみても、ぶっ飛んでるとおもうよ(w
48名無し三等兵:04/01/23 18:16 ID:???
>>45
そういえば幕府は天領だけを開港して貿易を独占してたわけだけど(薩摩は密貿易してたが)、その儲けはどこに消えたの?
49名無し三等兵 :04/01/23 18:16 ID:???
>>46
おひおひ。征討軍の主力は中仙道だよ。
50名無し三等兵 :04/01/23 18:18 ID:???
>>48
商人への借金の支払い。幕府はすでに財政的には破綻状態。
51名無し三等兵:04/01/23 18:20 ID:???
>>50
そういえば薩摩は実質借金踏み倒したっけ。何百年かけて払うとかなんとか。
52名無し三等兵 :04/01/23 18:30 ID:???
>>51
他藩も同様。仙台藩も歴代赤字財政だった。一度だけ完済したことがあるとか。
因みに仙台藩に金を貸した商人はみんな没落(w
53名無し三等兵:04/01/23 18:59 ID:eOEs8HDv
金のない幕府は金のある薩摩に負けたって事でファイナルアンサー?
54名無し三等兵 :04/01/23 19:02 ID:???
>>53
金があってもダメだっただろう。
戦力も、
金も、なかったということだ。
55名無し三等兵:04/01/23 19:06 ID:???
>>54
因に幕府の責任者になって幕府を守ろうと思うならまずどこに手を付ける?
やっぱ旗本八万騎のリストラ?
56名無し三等兵:04/01/23 19:22 ID:eOEs8HDv
高杉の軍板的な評価はどうなの? ゲリラ戦の天才? 運がいいだけのただのバカ?
57名無し三等兵:04/01/23 19:24 ID:???
このスレ軍板的な会話がなされていないけどな
58名無し三等兵:04/01/23 19:29 ID:???
>>57
一人か二人でやってるみたいだね。板の意見が一枚板なわけもないし。
59名無し三等兵:04/01/23 19:29 ID:???
>>56
キチンと国民軍の概念を吸収して、奇兵隊の立ち上げまで持っていっただけでも、
ただもんじゃないと思うが。
60名無し三等兵:04/01/23 19:31 ID:eOEs8HDv
>>58
最悪3人はいる。4人いるかはちと自信ない
61名無し三等兵:04/01/23 19:37 ID:???
>>59
そかそか。幕府には無かったよなぁ、国民軍。
長州はプロパガンダにも力を入れてたし、寺子屋の運営にも藩が介入してたし。
幕府のは腰抜け旗本と傭兵だけ?
62名無し三等兵:04/01/23 19:39 ID:???
>>61
いや、そんなに見下したもんでもないと思うぞ<幕府陸軍

ただ、上層部に戦争やる気ねえんだもん。
覚悟決めて戦った、奥羽越列藩同盟が気の毒。
63名無し三等兵:04/01/23 19:41 ID:???
>55
納税を金銭納付に改める
64名無し三等兵:04/01/23 19:42 ID:???
>>63
それ、何度かやろうとしたけどその度失敗してなかったっけ?
65名無し三等兵 :04/01/23 19:43 ID:???
>>62
やる気だけでは戦争はできない。
薩長軍は確立された戦術があった。
66名無し三等兵 :04/01/23 19:46 ID:???
>>55
そんなことしているヒマはない。
指揮系統と確立と戦力の組織化と戦術の習熟が急務だ。
67名無し三等兵:04/01/23 19:50 ID:???
結局、幕府上層部が腰抜けで情勢に流されてばかりで受け身受け身の対応しかとれなかったのが最大の問題か。
だから少し抵抗されたら改革も挫折する、黒船が来たら右往左往して墓穴を掘る、鳥羽伏見でも第二次長州征伐でも総大将が敵前逃亡する……と。
300年の平和ボケは深刻だなァ……。
68名無し三等兵 :04/01/23 19:51 ID:???
>>67
つーか、現在ともかぶって見えるが(w
69名無し三等兵:04/01/23 19:55 ID:???
>>55
一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可
一、私ノ闘争ヲ不許
右条々相ヒ背候者ハ切腹申シ付クベク候也。

取りあえず、ここから始めよう。
70名無し三等兵:04/01/23 20:00 ID:???
>>69
幕府軍、総新鮮組化かよ!w
71名無し三等兵 :04/01/23 20:07 ID:???
>>69
当時の本物の武士は金策しないと生きていけなかった(ボソ
72名無し三等兵:04/01/23 20:37 ID:76goNMVX
>>70
いや、あの腰抜けどもをマトモに戦わせるにはこれしかない。土方は正しかったのだ。
とはいえ、こいつを末端の兵士から征夷大将軍まで徹底させる事ができるかは知らないけど(笑)
73名無し三等兵:04/01/23 20:59 ID:76goNMVX
そういや幕末ではよくアームストロング砲って出てくるけど、アームストロング砲って何が凄かったの?
74名無し三等兵:04/01/23 21:04 ID:???
>>73
世界初の後装砲。
75名無し三等兵:04/01/23 21:06 ID:???
>>74
そりは知ってる。速射性が高いとか射程距離が長いとか破壊力があるとか命中精度が高いとか、そういうのはあんの?
76名無し三等兵:04/01/23 21:09 ID:???
奥羽列藩同盟の活躍とは・・・・
しいて言えば会津蕃 長岡蕃 二本松蕃 庄内蕃が必死に戦ったくらい
米沢蕃はふぬけでした・・・仙台蕃は白石で官軍の司令官を暗殺に成功
そして秋田は東北最大の裏切り者として後世に語りつがれる事になった。
ぶっちゃけ会津や庄内の人は秋田は薩摩長州なみに嫌いです。
77名無し三等兵 :04/01/23 21:11 ID:???
>>76
裏切り・・・といっても佐竹家ですから。徳川家には260年来の怨みが(w
78名無し三等兵 :04/01/23 21:12 ID:???
>>73
アームストロング砲スレが他にあるよ。参照すべし(w
7973:04/01/23 21:15 ID:???
>>78
あ、ホントだ。サンクス
80名無し三等兵 :04/01/23 21:18 ID:???
>>77
そういえば、毛利、島津も徳川には怨みが・・・
81名無し三等兵:04/01/23 21:19 ID:???
二本松蕃 二本松少年隊全員死亡(玉砕)
会津蕃  白虎隊2番隊 2名を除き死亡(自害)
長岡蕃  不明
庄内蕃  不明

子供も殺すとは慈悲もねーな薩長は・・・・
まー二本松の場合は司令官が暗殺された奴だからしょうがないけど
殺されて当たり前の奴だったって話だし
82名無し三等兵:04/01/23 21:21 ID:???
>>80
徳川に恨みのある奴は徹底して恨みをはらしているのに、恩のある奴は軒並み風見鶏。
人間てのはアレだねー(笑)
83名無し三等兵:04/01/23 21:22 ID:???
>土方は正しかったのだ。

土方くーん、伊東甲子太郎のときのように内ゲバしまくってばかりじゃないかね。
そんなことだから土壇場で斉藤一にすら離反されるんだよ。
84名無し三等兵 :04/01/23 21:24 ID:???
>>82
仙台藩は人材、財力共にからきし無いので、スンマソン。
85名無し三等兵 :04/01/23 21:25 ID:???
>>83
つーか、伊東甲子太郎は乗っ取り屋(w
86名無し三等兵:04/01/23 21:27 ID:???
>85
近藤が連れて来たんじゃなかった?
87名無し三等兵:04/01/23 21:27 ID:???
突然だが、佐賀藩最強でファイナルアンサー?
88名無し三等兵 :04/01/23 21:30 ID:???
>>86
人づてじゃなかったかな?
89名無し三等兵:04/01/23 21:31 ID:???
>>87
長岡藩は?
90名無し三等兵:04/01/23 21:31 ID:???
会津の松平君は真面目過ぎたのが仇になったな?
家老の西郷君の言う事を聞いてれば取り合えず朝敵にはならんかった罠
91名無し三等兵 :04/01/23 21:32 ID:???
>>90
そりゃ、藩祖が世話になったからねぇ・・・
92名無し三等兵:04/01/23 21:33 ID:???
佐賀藩の科学力は日本一ィィィィィィィ!
93名無し三等兵:04/01/23 21:35 ID:???
>>92
アームストロング砲は実は輸入品で、国産化には失敗しているという説もある。
94名無し三等兵:04/01/23 21:36 ID:???
>>89
ガトリング2門じゃ佐賀のアームストロングとは……。
95名無し三等兵:04/01/23 21:37 ID:???
>>94
接近戦になれば、発射速度の高いガトリングの方が有利だ!
96名無し三等兵:04/01/23 21:38 ID:???
>>92
試作はしたけど実用には耐えなかったのが真相らしいな。
しかしどっちにしろ、佐賀の科学が日本一ィイイだったのは間違い無い(笑)
97名無し三等兵:04/01/23 21:38 ID:???
二本松少年隊って小学校高学年か中学1年くらいだよな?
白虎隊のドラマ見た時はマジでかわいそうと思ったな
全員銃殺だぜ!そんで死体の側を通過する官軍に中で止まって手を合わせたには
どっかの部隊長だけだもんな、やっぱ農民兵には慈悲の心も無かったんかな
98名無し三等兵 :04/01/23 21:40 ID:???
>>97
戦闘中の兵士に慈悲心を期待するのは、軍板ではむなしい(w
99名無し三等兵:04/01/23 21:42 ID:???
>97
そんな部隊を作ったほうを責めろ。

もっとも、江戸時代の感覚では15-6歳なら初陣に加わってもおかしくない年だが。
100名無し三等兵:04/01/23 21:42 ID:???
ガトリングの銃座の前に鉄板でも這って砲手を守るようにしといたら少しは結果違ったかね?
101名無し三等兵:04/01/23 21:44 ID:???
>100
弾薬運搬係が撃たれて終わり。
102名無し三等兵:04/01/23 21:44 ID:???
>>97
ゲリラ(農民兵含む)に人権が無いのは昔からだったんだな。
103名無し三等兵:04/01/23 21:46 ID:???
長岡藩のガトリング砲は、実は実戦では使われていないって説もあるね。
104名無し三等兵:04/01/23 21:46 ID:???
>>101
塹壕掘ろう(笑)
105名無し三等兵:04/01/23 21:47 ID:???
どーでもいいけど、佐賀藩は例によってガトリングの自作には挑戦しなかったのかね?
106名無し三等兵:04/01/23 21:48 ID:???
問題は、長岡藩にどのくらいの弾薬備蓄量があったかだな。
107名無し三等兵:04/01/23 21:48 ID:???
官軍さんは大事なアームストロング砲を幕府軍に盗まれたね
母成峠のふもとで幕府軍の別働隊に
108名無し三等兵 :04/01/23 21:48 ID:???
>>100
薩長の戦術は側面迂回機動を行い、敵側面を圧迫して、防御側を退却に追い込むので、
いかに高火力でも機動性が高くないと効果的には戦えない・・・
109名無し三等兵:04/01/23 21:49 ID:???
正直、関東人が一番ふぬけだったんでつね?
110名無し三等兵:04/01/23 21:49 ID:???
>105
藩主命令により、V2ロケット製作が優先されておりますた。
111名無し三等兵:04/01/23 21:52 ID:???
>>108
正面から薩摩軍が突っ込んで側面から佐賀軍が大砲をぶっぱなすというパターンが多く無い?

>>109
一応、上野で戦ってる。大村にボコられたけど。
112名無し三等兵:04/01/23 21:57 ID:???
アームストロングはいいとして、ガトリングは当時欧米では重要な兵器になりつつあったの?
なんか機関銃が本格的に戦場を席巻するのは日露戦争〜第一次戦位な気がするが……。
113名無し三等兵 :04/01/23 22:00 ID:???
>>111
>正面から薩摩軍が突っ込んで側面から佐賀軍が大砲をぶっぱなすというパターン

それは上野だけ。二本松、母成り峠、長岡・・・正面から攻撃し、別働隊が側面機動する作戦が多い。
114名無し三等兵:04/01/23 22:01 ID:???
薩摩軍もなぜか知らんが、函館で土方軍には手を焼いた
つーか土方軍が撤退するまで落とせなかった罠
115名無し三等兵 :04/01/23 22:02 ID:???
>>109
ふぬけ、というより近代戦に転換しきれなかった。
116名無し三等兵 :04/01/23 22:03 ID:???
>>114
函館までの戦闘で土方は戦闘法を理解したとおもわれ。
117名無し三等兵:04/01/23 22:05 ID:???
>>112
んとね、騎士道精神に反するって理由で、忌避されてたらしい。
118名無し三等兵:04/01/23 22:05 ID:???
>>114
やっぱ死物狂い度の問題じゃね? 第二次長州征伐の例もあるが。
幕府軍はどーも首尾一貫して「負けても命があればいーや」って雰囲気がプンプンする。
119名無し三等兵:04/01/23 22:06 ID:???
>>109
土方さんがいるだろ!
請西藩の林忠親とか。
120名無し三等兵 :04/01/23 22:12 ID:???
戦争の勝敗は、
すでに幕末の段階で「死物狂い」ならなんとかなる、という段階ではなくなっていた。
121名無し三等兵:04/01/23 22:13 ID:???
>>119
富農や下級武士出身が勇敢なのは薩長も同じ。薩長はそいつらが主導権を握ったから勇敢だった。
てゆーか高杉みたいなDQNがボスの長州なんて……。
幕府は腰抜けのヘタレが最後迄上の方に居座ってしまった。十五代将軍なんか、その象徴w
122名無し三等兵:04/01/23 22:16 ID:???
>>117
騎士道はともかく(笑)
ガトリングの客観的な威力はどうなの? どーも費用対効率が悪いイメージがあるんだが。
123名無し三等兵:04/01/23 22:17 ID:???
機関銃が本格的に大暴れするようになるのは19世紀後半のアジアやアフリカでですね
機関銃の普及を阻害していたのは機械的信頼性と弾薬代です
124名無し三等兵 :04/01/23 22:20 ID:???
>>122
日本に輸入されたのはマガジン給弾で装弾数はあまり多くない。
陣地に固定しても、側面を迂回されると孤立してしまう。
城に据えるのか良い。
125名無し三等兵:04/01/23 22:20 ID:???
棚倉藩    六万四千石
秋田藩    二十万五千石 (氏ねや
八戸藩    二万石
三春藩    五万石 (愛姫タンの故郷
二本松藩   十万七千石 (結構持ってるな
米沢藩    十五万石  (持ってるなら戦えよ!
下手渡藩   一万石
盛岡藩    二十万石
相馬藩    六万石
仙台藩    六十二万五千石(圧倒的だな
弘前藩    十万石
新発田藩   十万石(ここも激戦地だっけか?
上ノ山藩   三万石
山形藩    五万石
天童藩    二万石
長岡藩    七万四千石
新庄藩    六万八千石




126名無し三等兵:04/01/23 22:21 ID:???
ふむ。仮に佐賀藩あたりが量産に成功してもあまり意味はなかったらしいな。
127名無し三等兵:04/01/23 22:22 ID:???
>>122
「実験」での威力は充分。
ただ、当時の保守的な軍人からはほとんど評価されなかったから、「実戦」での
使用例は少なく、客観的な評価は難しい。

ただ、現代でも改良型が多くの国で使われてるし、基本設計が優れていたことだけは
間違いない。
128名無し三等兵:04/01/23 22:27 ID:???
>>127
因に技術的な難易度は? 図面を見た佐賀藩がコピーできるレベル?
129名無し三等兵:04/01/23 22:27 ID:???
ガトリングガンはその外観からも察せられるように、南北戦争では野砲として用いられています
手回しクランク式で不発が多く、兵器としての評価は余り高くありませんでした
130名無し三等兵:04/01/23 22:36 ID:i7R55rDY
西南戦争の時の熊本城にでもすえとけば威力を発揮したかな(笑)
131名無し三等兵:04/01/23 22:36 ID:???
>>128
機械的な精度とか結構シビアだから、原理が判っても、
正確、確実に作動するものを作るのは難しいのではないかと。
132名無し三等兵 :04/01/23 22:38 ID:???
>>130
菊地川だったけ?の戦闘では西郷軍の渡河を阻止したね。
133名無し三等兵:04/01/23 22:42 ID:???
ふむぅ、やはり役立たずか。好きなのに<ガトリング
134名無し三等兵:04/01/23 22:43 ID:???
ちなみにガトリングガンを含む初期の機関銃については、
「機関銃の社会史」
ジョン・エリス著、越智道雄訳、平凡社
がお勧め。

データ的なものはほとんど載っていないから、そういうのを期待するとあれだけど、
機関銃の登場が社会にどんな影響を及ぼしたかの説明が興味深い。
135名無し三等兵:04/01/23 22:44 ID:???
>>133
1960年代以降は大活躍。
当時の工業レベルが、設計の優秀さについて行けなかったのでは?
136名無し三等兵:04/01/23 22:46 ID:???
もしガトリングが大量に使われ、しかも役にたったら戦線が膠着して内戦が長引いて酷い事になったろう
137名無し三等兵:04/01/23 22:47 ID:???
>>135
スゲー最近ッスね(笑)
138名無し三等兵:04/01/23 22:48 ID:???
設計の優秀さと言うより、クランクを一定のペースで長時間回し続けられる動力の登場では?
139名無し三等兵 :04/01/23 22:48 ID:???
ぶっちゃけ。ほとんどの藩主は廃藩置県で、藩の借金の責任から逃れて、ホッとしていた(ボソ
140名無し三等兵:04/01/23 22:50 ID:???
>>139
例外は黒字だった薩摩だけだっけ(笑)
キレて花火打ち上げまくり。
141名無し三等兵:04/01/23 22:51 ID:???
>>138
いっそ、日本人お得意の「機械より精密な手回し」とかできん?(笑)
142名無し三等兵 :04/01/23 22:51 ID:???
>>140
自分が天下に号令を下せると思っていたから(w
143名無し三等兵:04/01/23 22:53 ID:???
>>141
やってみれば?
144名無し三等兵:04/01/23 22:54 ID:???
「『島津宰相』、うーん、いい響きだねえ」とか?
145名無し三等兵:04/01/23 22:55 ID:???
>>142
島津の旦那だけじゃなくて、薩長の武士って騙されて戦わされた気がしね?
攘夷の一件もそうだし。
146名無し三等兵 :04/01/23 22:56 ID:???
>>144
兄を超えたかったんだろう・・・
147名無し三等兵 :04/01/23 22:57 ID:???
>>145
あと、土佐の山内も(w
148名無し三等兵:04/01/23 22:59 ID:???
>>136 同志だ!
みんな旧幕府軍に勝ち目ないといっているが、もし旧幕府側が
優秀な海軍で薩摩や萩を砲撃し海上封鎖する一方、陸軍は大阪城に
立てこもり続けていたらより開明的な(天皇制廃止だけでなく旗本も解雇する
予定だった。小栗などの強力な官僚ならできたはず)旧幕府側が
勝っていたと思う。なにしろ戊辰戦争って双方とも投入した兵力
少なすぎだもん。
149名無し三等兵 :04/01/23 23:03 ID:???
>>145
思いっきりだまされたよ。武士身分がなくなるんだから(w
150名無し三等兵:04/01/23 23:08 ID:???
>>148
旗本解雇と金銭による徴税、さっさとやれよ。
そんでその資金でアームストロング砲をしこたま買って、軍の指揮系統を統一して近代戦術を叩き込めや。
それができんかったからコロッと負けたんやないか。
小栗の近代陸軍構想なんか、結局フランスの借款だのみで挫折してるじゃんか。
151名無し三等兵 :04/01/23 23:08 ID:???
>>149
だから西郷は武士の雇用を守るため、必死だったね。
152名無し三等兵 :04/01/23 23:10 ID:???
>>150
>アームストロング砲をしこたま買って、軍の指揮系統を統一して近代戦術を叩き込め

そんな短期間には無理だなや。意味わかっとんのか?
153名無し三等兵:04/01/23 23:12 ID:???
>>152
佐賀藩の大砲部隊や長州の奇兵隊みたいのさえ、幕府軍には無かったなァ。
黒船来航から桜田門まででさえ、9年もあったんだぜ?
154名無し三等兵 :04/01/23 23:17 ID:???
>>153
実戦経験に勝るものなし。
155名無し三等兵:04/01/23 23:17 ID:???
>>152
新政府は廃藩置県迄3年、徴兵令まで5年だで? 幕府の速度は遅すぎる。
156名無し三等兵:04/01/23 23:17 ID:???
フランス式の教練を受けた歩兵隊は結構ありましたが何か?
157名無し三等兵:04/01/23 23:20 ID:???
もし幕府が藩を廃止して徴兵令を発布しようとしたら
それを口実に薩長が天皇を担ぎ出して(以下略
158名無し三等兵 :04/01/23 23:20 ID:???
>>155
新政府でさえ西南戦争では試行錯誤だったが。幕府が遅すぎるのは同意。
権力者側の対応が遅いのは現在も同じ(w
159名無し三等兵:04/01/23 23:21 ID:???
>>157
新政府は西南戦争を軽々と鎮圧しましたが何か。
160名無し三等兵:04/01/23 23:22 ID:???
>>159
状況が違いすぎる
161名無し三等兵 :04/01/23 23:22 ID:???
>>159
軽々ねぇ。国庫真っ赤かだがね。
162名無し三等兵 :04/01/23 23:23 ID:???
「西郷君・・・もうええじゃろ・・・」
163名無し三等兵:04/01/23 23:25 ID:???
>>159
封建軍制から中央集権軍制への転換は容易ではない
洋式の兵器を揃えたり戦術をマスターすれば解決できるような単純な問題ではない
164名無し三等兵:04/01/23 23:26 ID:???
>>160
指揮系統が統一され、優れた工業力と武器を背景にし、徴兵令で動員された近代的な軍隊。
同じ物を幕府が作れれば長州ごとき軽く粉砕できた筈だが何か?
165名無し三等兵 :04/01/23 23:26 ID:???
>>163
禿同。竹橋事件とか、騒乱がありましたからね。
166名無し三等兵:04/01/23 23:27 ID:???
>>164
火葬戦記の読み過ぎですね
167名無し三等兵 :04/01/23 23:27 ID:???
>>164
薩長は外国軍との実戦経験があるが、幕府には無い。
168名無し三等兵:04/01/23 23:28 ID:???
>>157
なんで天皇担ぎ出すの?あんな小僧になんの意味も無い。
軍事力で幕府倒せると思ってんなら、余計なお荷物抱え込むなよ。
その結果が1945年の敗戦であり、今の日本だ。
169名無し三等兵 :04/01/23 23:29 ID:???
>>168はチョソ(w
170名無し三等兵:04/01/23 23:31 ID:???
>>157
薩長はそうだろうが、他の藩はどうだよ。借金から逃げたかったんじゃね?
それに徳川400万石の中だけでも金銭による徴税やら軍政改革やらできる筈だ。
長州の集権軍みたいなのをスゲースケールアップさせてさ。
171名無し三等兵:04/01/23 23:33 ID:???
>>156
まっ先に逃げ出したじゃんか。やはり、

一、士道ニ背キ間敷事
一、局ヲ脱スルヲ不許
一、勝手ニ金策致不可
一、勝手ニ訴訟取扱不可
一、私ノ闘争ヲ不許
右条々相ヒ背候者ハ切腹申シ付クベク候也。

から入るベきだよw
172名無し三等兵 :04/01/23 23:35 ID:???
>>170
薩長は下克上で下級武士が実権をにぎり、実戦の経験も生かせたのに対し、
徳川800万石は行政もやらなけらばならい官僚集団であり、
戦闘をしたこともないのに、軍政改革なんて短期間では無理。
173名無し三等兵:04/01/23 23:35 ID:???
>>170
あなたは出来る筈だと連呼しているようですが、
具体的にどのようにすればよいのか一言も言ってませんねw

新政府は武力革命の過程で掌握した強力な軍事大権を背景に
廃藩置県と武士という軍事階層の無力化、徴兵制を強行して中央集権軍隊を確立しました
幕府とは状況が全然違います
174名無し三等兵 :04/01/23 23:38 ID:???
>>171
奥羽列藩同盟の総司令官に土方が選ばれそうになったとき、
土方は仙台藩にそれを言ったらしい。
「敵前逃亡は藩主でも切る」とか。
かなり白けられたとか。
175名無し三等兵:04/01/23 23:39 ID:???
>>172
そ。だから幕府の肥大化し硬直化した官僚組織がある限り幕府主体による抜本的な改革は難しいと思う。
今の日本と一緒さ。
薩長による軍事クーデターが日本を抜本的に改革する為の最短でコストも安くすむ方法だったと思う。
176名無し三等兵:04/01/23 23:40 ID:???
函館まで戦い続けた仏式伝習隊もいたんだけどね。
177名無し三等兵:04/01/23 23:41 ID:???
>>174
幕府の高官にこそ必要な人材だよな(笑)<土方
178名無し三等兵:04/01/23 23:41 ID:???
幕府側は、前線指揮官クラスより下にはそれなりの人材はいた。
ただ、トップがあまりにもヘタレ。
179名無し三等兵:04/01/23 23:42 ID:???
総司令官が敵前逃亡だからな
180175:04/01/23 23:42 ID:???
小栗なんかには気の毒な状況だったといわざるをえないけど。
181名無し三等兵:04/01/23 23:45 ID:???
開陽が座礁せず、甲鉄艦や富士を薩長側にむざむざわたすような真似を
しないでいれば、いずれ本国奪回のときまで蝦夷共和国が
力を蓄え続けられたと思う。・・・うん、こっちのシナリオの方が
現実味あるな。
182名無し三等兵 :04/01/23 23:48 ID:???
>>177
禿同。でも口に出して言っちゃいかん。空気は読まんと(w
183名無し三等兵:04/01/23 23:48 ID:???
>>178
そいつらが長州の高杉よろしくクーデター起こすしかなかったかね、やはり。
184名無し三等兵 :04/01/23 23:51 ID:???
>>181
うーん。榎本が戦略眼なさすぎ。新潟港を押さえるべきであった。
185名無し三等兵:04/01/23 23:52 ID:???
幕府は血を流すことに対する免疫が無さ過ぎた。それが全てか。
武士道とは死ぬ事と見つけたり、が聞いて呆れる。
186名無し三等兵 :04/01/23 23:55 ID:???
>>185
>武士道とは死ぬ事と見つけたり

それはSAGA佐賀藩。牟田口中将もSAGA、切腹してねぇ♪(w
187名無し三等兵:04/01/23 23:56 ID:???
>>186
知ってるかはなわ。佐賀の科学力は日本一だったんだぞ!
188名無し三等兵:04/01/23 23:57 ID:???
>>185
「葉隠」は鍋島藩の秘伝。幕府とはあまり関係ない。
189名無し三等兵:04/01/23 23:58 ID:???
>>184
江戸から新潟に海路で行くにはですね青森通過するか下関を通過するか
しないと無理
190名無し三等兵:04/01/23 23:59 ID:???
幕府軍の督戦隊となり、軍規に違反した者を容赦なくバッサバッサと斬りまくる非情の軍団新選組。
あ、これはこれで萌えるw
191名無し三等兵 :04/01/24 00:00 ID:???
>>189
将軍の沙汰を待たないで出航すれば間に合ったのだが・・・
192名無し三等兵 :04/01/24 00:01 ID:???
将軍に対する沙汰でした。
193名無し三等兵:04/01/24 00:01 ID:TTDJT0B6
>>184
新潟港押さえたとしても新発田藩は新政府側
194181:04/01/24 00:02 ID:???
>>184
>うーん。榎本が戦略眼なさすぎ。新潟港を押さえるべきであった。
まったくその通りだよ。そもそも彼に(周りの幹部達にも)きちんと
した長期戦略が無かったからこうなったんだよ。あくまでifだから・・・
河井継之助への援護は必須事項だな。それ以前に大阪で慶喜なんか
監禁しちまった方がよかったね。
195名無し三等兵:04/01/24 00:02 ID:???
>>188
む、あれ鍋島が元ネタだったの?
西の奴らって何時からこんな殺伐とした集団になったんだ?
源平の頃は東国の方が非情だったのに……。
196名無し三等兵 :04/01/24 00:05 ID:???
>>195
「葉隠れ」は「武士道とは死ぬ事と見つけたり」が有名だが、
内容は処世術がほとんどだよ。
197名無し三等兵 :04/01/24 00:11 ID:???
>>194
慶喜は榎本を置き去りにして開陽丸で帰ってしまったからなぁ。嫌がる容保公も連れて行って(w
198名無し三等兵:04/01/24 00:18 ID:gtmQ0Cdu
幕府艦隊、下関あたりに張り付いて薩摩と佐賀の軍を九州に封じ込める……なんて事はできんかったの?
199名無し三等兵 :04/01/24 00:20 ID:???
>>198
夜間に小船で抜けられるよ。
200名無し三等兵:04/01/24 00:22 ID:???
>>199
ああ、高杉が大島口で使った手があったか。
201名無し三等兵:04/01/24 00:24 ID:???
竜馬暗殺命令を出したのは西郷どんです!
その証拠に西郷どんの部下が竜馬を暗殺しました。
しかし八雲に殺されます
202名無し三等兵 :04/01/24 00:26 ID:???
>>201
そのネタ、分からん(w
203名無し三等兵 :04/01/24 00:33 ID:???
>>193
政府軍の海上輸送を阻止するだけでも効果があるのだが。
204名無し三等兵:04/01/24 01:28 ID:MI3ZqcDH
そういえば西南戦争の時、官軍の標準装備がスペンサー銃でなくてスナイドル銃やエンフィールド銃だったのはなんで?
連発式のスペンサー銃はやはりコストがたかかったり故障率が高かったりしたの?
205名無し三等兵:04/01/24 01:52 ID:???
>>204
スペンサー銃みたいなレバーアクション銃は、原理的に、あまり強力な弾丸を使用出来ないので、
軍用には不向き。
206名無し三等兵:04/01/24 01:59 ID:???
>>205
佐賀藩は使ってて結構戦果もあげてるみたいだけど
207名無し三等兵:04/01/24 02:04 ID:???
>>206
「不向き」って書いたでしょ。発射速度が高いのは確かだから、状況によってはそれなりに役に立つ。
ただ、長距離射撃とか、遮蔽物に隠れた兵の制圧には向かない。
208名無し三等兵:04/01/24 02:08 ID:???
>>207
了解。敵中に突撃したりする局面では役に立ちそう。そういえば騎兵は装備してたんだっけ。
209名無し三等兵:04/01/24 02:09 ID:???
チューブ式の7連発で、再装填に時間がかかるから、しまいにゃ単発と
同じで、いわれるほど評判よくなかったらしい。
210 :04/01/24 03:41 ID:???
上のほうで葉隠れの話が出てるけど、なんか微妙に勘違いしてる香具師がいるな。
「武士道とは死ぬ事と・・・。」ってのは死を恐れるな、とか命を投げ出せという意味じゃなくて、
死ぬ覚悟をもった上で一所懸命奉公しろってな感じの意味だぞ。
211名無し三等兵:04/01/24 04:49 ID:???
幕末というと歩兵と砲兵と海軍の話しばかりだけど、騎兵は全く無かったの?
秋山好古以前は全くの白紙?
212名無し三等兵:04/01/24 08:31 ID:EtWBf3pa
ていうか、それまでの戦って兵種が分かれてなかったような。
上士一騎として、その陪臣の足軽徒士が何人とかいう計算じゃなかったっけ。
禄高ごとに供出する兵力が決められ、かつ甲冑や武具食糧全部自弁だったから、当然恩賞のない長年の太平の世に馴れた武士の戦意は上がらんような気が。
幕府の伝習隊は活躍したのかな?
213名無し三等兵:04/01/24 10:03 ID:???
映画ラストサムライで近代武装した政府軍がサムライ軍にボロ負けしました
最後の戦いではガトリング砲のおかげで勝利出来ましたが
武士の戦闘力も侮れないものがあります。
214名無し三等兵:04/01/24 10:19 ID:???
>>213
うぁぁぁ!さりげなくネタバレするなよ。やっぱりトムさん達負けるのね・・・。
215名無し三等兵:04/01/24 10:55 ID:???
実際の西南戦争では剣客対策には剣客を送り込んで勝ったんだろ?
216名無し三等兵:04/01/24 11:05 ID:???
つーか敵の待ち構えてる正面に何の工夫も無しに突っ込めばああなるのは当たり前
あれは突撃ではなく集団自殺
217名無し三等兵:04/01/24 11:19 ID:EtWBf3pa
後の戦争でもやっちまったんだが、帝国陸軍。
刀が銃剣に替わっても自殺行為で物量に消し飛ばされる・・・
日本人は、本当に個や帰属集団の武の確立には精魂を傾けるが、国家単位として軍を運営するのは本当にダメだあ・・・
日露戦争は、つくづく奇跡だった。
218名無し三等兵:04/01/24 11:35 ID:???
>>216
ネタが変わるがそれでも弾薬尽きたサイパン島守備隊最後の攻撃で
米軍を一時的に包囲できた。
・・・ってもちろん漏れは陸軍マンセーじゃないよ。西南戦争では
薩軍はなんとしても熊本城を抑えるべきだった。
219名無し三等兵:04/01/24 11:51 ID:???
>>217
旅順・・・・乃木・・・・
220名無し三等兵:04/01/24 14:06 ID:???
>西の奴らって何時からこんな殺伐とした集団になったんだ?
>源平の頃は東国の方が非情だったのに……。

ちうか、東国の武士が各地に散って上層の武士団におさまったのでは。
で、入植先の辺地の方が上方の気風にに染まらずかつての気風を温存した。

薩摩も元々は平家の支配地域で隼人と共存してたが、
後に島津をはじめ東国の武士が大量に入植してきた地だ。
221名無し三等兵:04/01/24 14:17 ID:Z2sjkPM+
とにかく幕軍のほうが西軍より勤皇の志を持っていたことは事実。
薩摩、長州は大逆賊だ!!
222名無し三等兵:04/01/24 14:41 ID:???
>>220
九州へは元寇対策でたくさん東国武士が移住したよね。

東北と九州に美人が多いのは関連性があった!と言ってみる
223名無し三等兵:04/01/24 14:46 ID:???
薩摩隼人は古代では非日本民族じゃなかったっけ?
こいつらの血や伝統は鹿児島にどん位残されてだよ?
224名無し三等兵:04/01/24 15:12 ID:???
>>213
戊辰戦争や西南戦争の頃は鉄砲は単発式だし、前装式の銃は相当多数だったし、刀を使った切り合いも少なく無かった。
特に山がちで道が曲がりくねってる日本では出合頭に切り合いになる事が多かった。田原坂なんかそうだし。
もし維新頃の日本にあんな大きな馬がいたら、刀槍による突撃もかなりの戦力になっていた筈。
しかし現実としては、日本の馬はポニーだった……。
225名無し三等兵:04/01/24 15:57 ID:???
>>224
時代劇とは全く違いフル武装の鎧武者が乗ったら機動戦は無理じゃないかと思える体格だった
明治政府は日清戦争や北進事変で焦って馬の品種改良を推進した
226名無し三等兵:04/01/24 17:38 ID:Grex/EmP
新型銃の導入開発やアームストロング砲、海軍の創設なんかは急ピッチで進行してるけど、騎兵は大陸に乗り込むだんになってから始めた感じがするね。
例のごとく佐賀鍋島藩あたりがヨーロッパの馬を買って繁殖させてても悪くはなかろうに。
火縄銃とスナイドル銃程には、和洋の軍馬の差は注目されなかったんだろうか。それとも騎兵による戦略機動という概念は中々日本人には理解できなかった?
情報収集や補給線の破壊が騎兵の本業だけど、どっちも日本人は軽視するもんねー(笑)
227名無し三等兵:04/01/24 21:19 ID:???
>>226
体格は小さいが日本馬は結構頑丈、荷物は多く積めるし泥濘の多い日本国内においては戦略機動に問題は無かった、かえって有利なくらい
隊伍を組んで整然と移動といった西洋風の軍用馬術の概念が無かったせいかと。
見栄えの問題も多分にあったでしょうけどw
228名無し三等兵:04/01/24 21:34 ID:HVkhhH/4
>>227
むしろ騎兵の戦略機動を活用し、補給線への奇襲や情報収集・偵察等に運用しようという発想が無かったのが目立たない理由かな?
229名無し三等兵:04/01/24 21:36 ID:???
偵察には使ってただろ
補給線への攻撃は、まあ日本の地理的特性を考えればなあ・・・・
230名無し三等兵:04/01/24 21:40 ID:???
山道が圧倒的に多くて騎兵の戦略機動的な発想しにくかったんじゃないすか?
あと信長を英雄の典型と考える人が今より物凄く多かったと何かで見たな
無意識でウマは鉄砲で皆殺しと思ってたかも知れませんね。
231名無し三等兵:04/01/24 21:42 ID:???
>>230
西南戦争の抜刀隊のような例もあるし、運用次第ではかなりの威力を発揮した気がするけどねぇ。
232名無し三等兵:04/01/24 21:45 ID:???
>>204 連発で威力の高いボルトアクションライフルを国産して、武器統一を図らないとやばいから、中古で我慢してたの。
東郷隆の「狙うて候」って小説読むといい。詳しいよ。
233名無し三等兵:04/01/24 21:48 ID:???
山道が多いから攻撃できる箇所が限定され、しかも地形的に防御側が非常に有利になってしまう。
日本の戦闘はそういうのが特徴かな。田原坂がそうだし、第二次長州征伐なんかもそうか?
確かに戦略機動は生かしにくい……か。

ただ、日本の物流は海運が中心だったから、幕府側はもうちと海軍を上手く運用できんかったかなァ。
234名無し三等兵:04/01/24 21:58 ID:HVkhhH/4
>>232
欧米には威力のあるボルトアクションライフルはあった?
235名無し三等兵:04/01/24 22:00 ID:???
>>233
そうなんすよねぇ
せまーい山間の一本道を騎馬で突撃したら目も当てられない
迂回するにも同じような山道じゃまたまちぶせされたら同じ事だし
鉄砲あるなら交通路と盆地標的の高地のまちぶせが圧倒的に有利になっちゃう。
236名無し三等兵:04/01/24 22:03 ID:???
>>234 というか、ボルトアクションで更新した後のポンコツが、欧州から日本にたくさん来てたんだよ。
237名無し三等兵:04/01/24 22:07 ID:???
>>236
なるほど。スナイドルは中古品か。どうりで多様な銃が幕末に氾濫してるわけだ。
で、列強に買い占められているボトルアクションを装備するには国産するしか無いけど当時の工業力じゃ全軍それで統一するのは難しい。
というわけでつね?
238名無し三等兵:04/01/25 00:18 ID:???
1880年には国産化してるけどね。十八年式村田銃。全軍を更新するのにはしばらくかかったけど。
西南戦争の頃も、ナポレオン三世からもらったシャスポーや、ドライゼといったボルトアクションは一応あったんだが、士官学校とか教導団(下士官学校)に優先して配備されてる。
239名無し三等兵:04/01/25 00:19 ID:???
>>237
ミニエー銃が開発されたため日本にゲベールを売った
南北戦争が勃発したらエンフィールドを南北両米国に売った
戦争中両国共多数のミニエー銃を生産した
戦争が終わって100万挺の余剰銃が出来た
そこで日本の各藩に売りつけた。とても安かった
幕府はオランダや英国から新品を買ったので高く買った
シャスポー銃が出来たのでフランスは幕府に試供品を贈った
幕府はシャスポー銃を買った。でも弾丸が足りなかった
戦争が始まると薩長にスナイドルが販売された
薩長はスナイドルを買った
貧乏になった会津はしかたないのでゲベールを格安で買った
幕府側は多種多様な銃が入り乱れた
薩長はスナイドルとミニエーで統一された
240名無し三等兵:04/01/25 00:25 ID:???
>>239
薩長には一貫した戦略があったが、幕府は行き当たりばったりだったのがよく判るなァ
241名無し三等兵:04/01/25 00:43 ID:???
>>240
小栗とか榎本とか中下級レベルにはいい人材が揃っていたが
総司令官クラスがねぇ・・・。ただ坂本竜馬が生きていれば戊辰戦争は起きず
(あるいは小規模)、新政府側が強権政治を行なうことも無かったかもね。
そう考えて行くと竜馬を暗殺したのは新政府側の誰か、という線が有力だな。
戦略が無かったのは新政府側も一緒。あそこまで快進撃するとは思わず、
体制作りに時間をかけられくて、天皇を利用するしかなかった。
やはり竜馬が暗殺されたのが幕末の日本の悲劇の一つだな。
242名無し三等兵:04/01/25 00:46 ID:???
幕府側にも庄内藩みたいに、中古とはいえそこそこの銃で統一してたとこもあったんだけどね。
火縄銃の秋田藩をボコボコに叩いて、三分の二まで占領してた。
243名無し三等兵:04/01/25 00:47 ID:???
おいおい竜馬を殺したのは見廻り組だろ?
それに一介の浪人を評価し杉w
244名無し三等兵:04/01/25 00:51 ID:???
>>241
薩長は中下級クラスの有能なのがクーデター起こしてたからね。佐賀はトップが頭よかった珍しいケース。
それと、明治政府の教権政治は結果的には良かったと思われ。明治初頭の大改革は強肩政治と民権運動の微妙なバランスがあって始めて成立した。
245名無し三等兵:04/01/25 00:53 ID:???
>>243
見廻組犯行説は、もっとも有力な説ではあるが、確定しているわけではない。
今井信郎の「自供」には、不自然な点があると指摘する研究家は多い。
246名無し三等兵:04/01/25 00:53 ID:???
>>243
犯人わかってるの?
247名無し三等兵:04/01/25 00:55 ID:???
どうも幕末史フリークスは坂本竜馬殺しを故意にミステリーに仕立てたがる傾向にあるな。
248名無し三等兵:04/01/25 00:57 ID:???
>竜馬を暗殺したのは新政府側の誰か、という線が有力だな。

>見廻組犯行説は、もっとも有力な説ではあるが、

言ってることが矛盾してるんですが。
249名無し三等兵:04/01/25 00:57 ID:???
>>246
明治になってから、元見廻組のメンバーが、龍馬暗殺を「自供」している。
ただ、自供の内容には現場の状況と合わない点があるなど、疑問点もまだ多い。
250245:04/01/25 00:58 ID:???
>>248
俺、>>241とは別人だけど?
251名無し三等兵:04/01/25 01:02 ID:???
幕府の保護下で航海技術を修得しておきながら、
第2次長州征伐では長州を支援し更には薩摩と長州の連絡役を務めて私腹を肥やし、
挙げ句に紀州藩に喧嘩を売って金をせびる
やってることはゴロと変わらん
殺されて当然だったと言える
252241:04/01/25 01:08 ID:???
>>249
申し訳ない、見廻組ってなに?その書き方からすると幕府側の連中のようだが。
それになぜ幕府側が公武合体派の竜馬を殺すの?あ、長州で幕府撃ってたな。
でも竜馬より殺すべき奴もっといたのに・・・山形有朋とか高杉晋作とか。
253名無し三等兵:04/01/25 01:12 ID:???
>>252
竜馬は佐幕派にも倒幕派にも完全には組みしていない、自分の理想とする日本の為だけに動いた(ように見える)から人気があるんだろ。
しかしそれは、薩長主導で強権的に日本の改革をやりたい大久保らにとっては邪魔だし、薩長同盟の為に行動した事を恨む幕府側から見ても鬱陶しい男、という事になる。
両陣営から恨まれる要素があるので、ミステリー仕立てにしたがるやしがおおいわけさ。
逆に孝明天皇暗殺疑惑は、ミステリーの要素はあまりない罠。
254名無し三等兵:04/01/25 01:15 ID:???
>>252
「京都見廻組」でググんなさい。

要するに、尊攘浪士の取り締まりに当たってた、幕府方の警察組織。
新撰組みたいなものだけど、百姓・町人主体の新撰組と違い、旗本の次男坊以下で編成。
255名無し三等兵:04/01/25 01:15 ID:???
>>253
ともみちゃんがやりますた。勘違いするなよ。ただの糞おやじだから。
256名無し三等兵:04/01/25 01:16 ID:???
>>255
500円の人ですね?
257名無し三等兵:04/01/25 01:17 ID:???
>>255
動機と容疑者が判り過ぎで面白くもなんとも無い罠<ともみちゃん
258名無し三等兵:04/01/25 01:31 ID:???
>>243
その武力の無い一介の浪人ながら
見識と弁舌による交渉で戦略的な目標を達したから凄いんじゃないかな?と思う
まぁ彼は戦略家とかじゃないけど、政治家を計るのものさしの一つは説得力であり
異なる利害の多数の勢力の間を説得力のみで泳いだ姿はやはり凄いと思うよ
259名無し三等兵:04/01/25 01:33 ID:???
>>258
女を口説かせたら凄かったろうな(笑)
260名無し三等兵:04/01/25 01:37 ID:???
>>259
優れた政治家は間違いなく
そっちも凄いと言うねw
261名無し三等兵:04/01/25 01:45 ID:???
まぁ、維新志士で女を口説かせたら一番な気がするのは高杉かな。センスが違い過ぎる。
ま、土方や桂みたくルックスで押す方が結局は強い気もするが……。
262名無し三等兵:04/01/25 01:50 ID:???
>>211
>>212
幕府は文久2年(1862)、従来の軍役を廃止し、歩騎砲3兵を創設した。
このときの計画では、重騎兵6エスカドロン(96*6=576騎)、軽騎兵2エスカドロン(192騎)を配備する予定であった。
が、歩、砲、と違って予定どおりに編制が進まず、たとえば鳥羽伏見には各方面にたった3騎ずつしか配備されなかった。連絡、偵察等の任務に当てられたのだろう。
なぜ騎兵が本格的に組織、配備されなかったのかは、訓練とか以前に軍馬を調達して維持することが困難だったためと思われる。
263佐賀藩士:04/01/25 02:00 ID:3W7ysGM8
武力
最強佐賀>>>へたれ薩摩>>ふぬけ長州>>あったか土佐>>農民新鮮組
264名無し三等兵:04/01/25 02:01 ID:???
>>262
軍馬の暢達……。
欧米産のはともかく、日本の馬ならそこそこいたんでね?
過去レスで小さいが頑丈で悪路に強く日本国内でなら結構使えるってのがあるが。
265名無し三等兵:04/01/25 02:03 ID:???
>>264
違うな。
ヲタク佐賀>腹黒薩摩>DQN長州>あったか土佐>腰抜け幕府
だ。
266名無し三等兵:04/01/25 02:06 ID:???
>>264
徳川慶喜がサラブレットに乗ってる写真あるけど物凄く高かったみたいだよ
多分フランスの商人が「てっへっへ将軍様、馬はサラブレットしか使えまへんぜ」
とか言って儲けようとしたんじゃないか?
267名無し三等兵:04/01/25 02:14 ID:???
>>252
高杉はもう死んでるし山県はまだ小者
つか最近の坂本信者は見廻り組も知らんのか・・・
268名無し三等兵:04/01/25 02:15 ID:???
>>265
おまいら大事なものわすれてるぞ。
ガトリング砲付き最強長岡藩>>>>(越えられない壁)>>>>ヲタク佐賀
>腹黒薩摩>DQN長州>あったか土佐>腰抜け幕府
269名無し三等兵:04/01/25 02:23 ID:???
長岡は負け組だからなぁ。
「ガトリングおじさん」というとこー、風船おじさんのような一抹の侘びしさが……。
270名無し三等兵:04/01/25 02:25 ID:v+mW/cfS

榎本旧幕府軍(函館軍団)>>>ガトリング砲付き最強長岡藩>>
>>(越えられない壁)>>>>ヲタク佐賀
>腹黒薩摩>DQN長州>あったか土佐>腰抜け幕府
271名無し三等兵:04/01/25 02:35 ID:???
>>262
そういえば、日露戦争の頃秋山が率いてた騎兵隊はもう大型化が完成してたんだっけ。
それとも結構在来馬が混じってたの? 混血?
272名無し三等兵:04/01/25 03:17 ID:???
>>264
騎兵の打撃力は衝力が主だから体格が良くて、スピードがないとだめだと思うのだが。
明治以降、馬匹の改良に日本陸軍がいかに心血を注いだかをみれば227の主張にはあまり根拠はないと思う。たとえば、ばんえい競馬の競走馬が外来馬であることを考えれば、馬匹の改良といった概念がなかった日本の在来馬と外来種の違いが明らかだと思う。

>>271
上のような考えで当然のように外来種が基本だと思う。ばん馬とかには在来種や在来種を改良したものが多数使われていたと思うが(予算上の関係とかで)。この辺は正確な所は分からないので調べてみようと思う。
273名無し三等兵 :04/01/25 03:23 ID:???
日露戦争スレよりのコピペ

戦国時代は乗馬での戦闘はほとんどしなかった。
敗走する敵を追撃するときに行た。
日露戦争後、外国の馬と交配して軍馬を生産する。
競馬の本来の目的は軍馬の調達が目的だったそうな。
274名無し三等兵 :04/01/25 03:24 ID:???
貧弱なだけでなく、
去勢という技術が無かったため、発情期には暴れまくり、
制御がきわめて困難、集団行動不可能な状態となっていた。

>>254
競馬の「天皇賞」は、その名残ですな。

ヨーロッパの競馬も、元々は、
騎士階級の子孫である王侯貴族が、
国・社会の輸送力・生産力の根元であり、
戦時の重要な戦力たる馬に関する鑑定眼を養い、
良い馬を育てるという意味合いを長年持っていた。

いまでも、本場のダービー等の有名レースを
王族が見に来るのはその名残。


256 名無し三等兵 sage 03/12/02 21:34 ID:???
実際、英国王室は世界でも有数の馬主だしな。
ちょっとした国家予算規模の配当金&売買収益があるそうな。
日本も明治初期、英国王室から良血の牝馬を5〜10頭購入している。
1頭あたり戦艦1隻分のお値段だったとか。窓口(商社)は三菱が担当し
千葉の御料牧場と、岩崎家の牧場で飼育されることになる。
後者はのちの「小岩井牧場」だ。
上記レスにあるとおり、良血馬はその国の「宝」だったわけだから、
いくら日英同盟があったとはいえ、10頭前後もの牝馬を分けてくれる
というのは外交上、異例中の異例だったろう
275名無し三等兵:04/01/25 03:25 ID:???
>>266
 ・1867(慶応3)6月仏国皇帝ルイ・ナポレオン3世が15代将軍徳川慶喜にフランス産アラブ馬26頭(牡馬11頭 、牝馬15頭)贈呈する。←その内の1頭が高砂(牝/アラブ馬)でこの血は現在まで続いている。
http://keiba.four-friends.com/history/JapanHistory/japan_history.htm
276275:04/01/25 03:34 ID:???
>>266
サラブレッドは軍用にはならないのでは。詳しい人解説お願い。
乗用ではアラブが最高といわれている(アングロアラブじゃないよ)
恐らく軍用もアラブが基本では?
詳しい人解説お願い。
277名無し三等兵:04/01/25 03:40 ID:???
なんか勉強になるなぁw
278名無し三等兵:04/01/25 04:32 ID:???
>>276
サラブレッドは気が荒すぎて使い勝手が悪いらしい。よく故障もするしね。
その点アラブは比較的温厚だ……ってのは聞いた事があるよ。

なるほど。確かに小さくて瞬発力も無い日本の在来種じゃ衝力は期待できんわな。
アームストロング砲を引っ張る位しか用途は無さそうだ……。
279名無し三等兵:04/01/25 04:36 ID:???
南北戦争でいらなくなった馬を千頭ばかり回してもらったとしたら。、はたして幾らくらいかかったかな(笑)
280名無し三等兵:04/01/25 05:03 ID:???
>>274
>去勢という技術が無かったため、発情期には暴れまくり、
>制御がきわめて困難、集団行動不可能な状態となっていた。

北進事変ではこの日本馬の欠点がモロに出て「日本軍馬は猛獣の如し」と評されたりした
281名無し三等兵:04/01/25 07:37 ID:QtGGRs7I
日本の場合20世紀に入りお役御免になった騎兵隊の兵員がそのまま戦車隊になったというの本当ですか?
282名無し三等兵:04/01/25 07:43 ID:???
>去勢という技術が無かったため、発情期には暴れまくり、
>制御がきわめて困難、集団行動不可能な状態となっていた。

知ってる人には常識かも知れんけど目からウロコだよ
なんでまた。学校はこういう授業が面白くなるような事教えないんだかな
幕末の歴史を真剣に学ぶ奴が一人でも増えるだろーに
283名無し三等兵:04/01/25 07:45 ID:???
>>281
たいていの国はそうだけど。
ただ、日本の場合、騎兵は捜索隊になり、戦車は歩兵の1セクションとしてスタート。
284名無し三等兵:04/01/25 12:00 ID:+p6p0S/F
ちなみに我が国の競馬協会は、優良な国産軍馬の生産奨励及び品種改良のため作られたそうで。
府中の馬の銅像は、たしかハヤノボリだった。
285名無し三等兵:04/01/25 12:01 ID:+p6p0S/F
ちなみに我が国の競馬協会は、優良な国産軍馬の生産奨励及び品種改良のため作られたそうで。
府中の馬の銅像は、たしかヒンドスタンかハヤノボリだった。
286名無し三等兵:04/01/25 15:26 ID:???
騎兵隊ってゆーと、オレのイメージとしては戦車よりむしろ空挺部隊のイメージなんだよなぁ。
偵察と潜入、奇襲、破壊工作とかが。しっかり防御体制を整えた敵陣に突っ込んだら全滅必至な所も似てるかも(笑)
そこ行くと、戦車隊=歩兵、戦術空軍=砲兵、かな?
287名無し三等兵:04/01/25 20:15 ID:???
馬の話が出てますな。
武市銀次郎「富国強馬」(講談社選書メチエ)がよくまとまったます。未読なら読んどきなさい。
・・・読んでて激しく鬱入ったけど。日本の「機甲」部隊は最初からコレだったのかよ・・・
288名無し三等兵:04/01/25 23:34 ID:X7ZZwtds
刀の切り合い、西南戦争では目立つけど戊辰戦争ではどうだったの? こっちは逆に全く聞かない。新撰組もやられてるし。
戊辰戦争の時は戦術が未熟で、西南戦争はその経験を踏まえて……だったとか?
289名無し三等兵:04/01/25 23:40 ID:???
>288
マジレスするけど、幕府にはやる気がなく、とても刀同士の切りあいなど・・・
だが幕府側も決して弱くは無く、それが証拠に会津藩出身の抜刀隊は
薩摩の士族軍と互角以上に渡り合っていた。西南戦争では薩軍は
近衛兵やら警察官などで多数の優秀な兵士を東京に
送り出してしまったのが敗因の一つ。
290名無し三等兵:04/01/26 00:58 ID:???
やる気があった新撰組でも、土方が「もう刀の時代じゃない」って言ってるからねえ。
西南戦争では田原坂で戦線が固着して、相手の隙をうかがう事が出来たからってのもあるのかな。
(田原坂以外では聞かないしなあ)
291名無し三等兵:04/01/26 01:44 ID:???
Dr.佐賀藩
「こんなこともあろうかと、我が藩では密かに蒸気装甲車を開発しておいたのだよ」
292名無し三等兵:04/01/26 05:20 ID:???
>>291
うぁ、絶対道路はしれなさそー
293名無し三等兵:04/01/26 08:21 ID:???
>>288
戊辰の仇!
294名無し三等兵:04/01/26 08:21 ID:???
>>290
新撰組も確か洋式調練してたんじゃなかったっけ?
京都にいたときとか
295名無し三等兵:04/01/26 10:33 ID:???
>>288
幕府の主力である歩兵隊は町のあぶれ者で作った傭兵組織(現代風に言うと
歌舞伎町や渋谷センター街にたむろする10代、20代のフリーターがバイト
で機動隊に入った)でした。
これをいざ実戦投入してみたら…カスだった
幹部は財源確保に奔騰し、戦闘すれば傭兵は逃げる…哀しい軍隊だったのです。
一方東北諸藩は先述の通り旧式ヘッポコ銃が大勢を占めたので…銃撃戦で敗北

西南戦争はヘッポコ兵では勝てないから会津の抜刀隊で斬り込んだ
296名無し三等兵:04/01/26 13:57 ID:???
>292
後年のボーア戦争では実戦配備されていたと聞くが、当時の日本の道路状況は、
南アフリカよりも更に遅れていたのか?
297名無し三等兵:04/01/26 14:24 ID:???
>>296
国道がいっぱしの先進国並になったのが戦後なことを考えると・・・。
雨が降ったらグチャグチャということもあるでしょうが
298名無し三等兵:04/01/26 16:47 ID:I3RFAv/b
>>295
長州の奇兵隊をはじめとする諸隊もサムライではない軍隊だが、その勇猛さは有名……。
この差はなんだったんだろうね。まぁ、庶民が自発的に立ち上がった軍隊だったってのは知ってるが、長州は何故そのような挙藩一致体制を作れたのか。
299名無し三等兵:04/01/26 16:57 ID:???
>>295
>幕府の主力である歩兵隊は町のあぶれ者で作った傭兵組織(現代風に言うと
>歌舞伎町や渋谷センター街にたむろする10代、20代のフリーターがバイト
>で機動隊に入った)でした。

これ、新撰組もそうでしょ? なんであいつらだけ勇敢だったんだ?
300名無し三等兵:04/01/26 17:03 ID:???
>>298
将兵の覚悟とちゃうんかね。

一番の激戦であろう北越戦争なんかは、
奇兵隊、薩摩兵と、長岡、会津、桑名の各藩兵がいい勝負をしているように思える。
一時は、長岡、会津、桑名の各藩兵が優位に立つ戦況でさえあった。
実戦経験でそんなに差があろうはずがない。
特に、長岡藩兵は、装備は比較的近代化され、訓練されていたとは言え、
全て初陣といってよい状態だった。

とすれば、後は、上から下までの「戦う意志」が問題になるだろう。
301名無し三等兵:04/01/26 17:07 ID:???
結局幕末の戦争の話は志気の問題に終始するなぁ。
302名無し三等兵 :04/01/26 17:12 ID:???
>長岡藩兵は、装備は比較的近代化され、訓練されていたとは言え、
>全て初陣といってよい状態だった。

これが一番のネックだろう。
自分達が何をしているのか、どういう状態なのか理解できない。
303名無し三等兵:04/01/26 17:13 ID:???
長州が討たれ幕藩体制が続いていたならば
十中八九、列強に植民地化されていただろう。
304名無し三等兵:04/01/26 17:18 ID:???
ペリーの開国要求を蹴り、侵攻してきたアメリカ海兵隊相手にゲリラ戦を展開する
日本武士団萌え。
305名無し三等兵:04/01/26 17:22 ID:???
>>302
ところが、北越戦争緒戦の戦いでは、
霧中、歴戦の薩摩兵や奇兵隊を、
長岡藩兵が駆逐してるから、さあ大変…。
306名無し三等兵:04/01/26 17:26 ID:???
>>304
ラストサムライみたいになるわけか

最期は
307名無し三等兵:04/01/26 17:30 ID:???
>>306
沿岸部は制圧できても内陸部は無理
308名無し三等兵:04/01/26 17:35 ID:???
>>514
切れたぞ
くそ
309名無し三等兵 :04/01/26 17:36 ID:???
>>305
実戦経験のある部隊は立ち直りが速い。
地の利を生かして城を奪還してりしているが、結局維持できなくなった。
310名無し三等兵:04/01/26 17:37 ID:???
>>299
そこで「局中法度」でしょ。
311名無し三等兵:04/01/26 17:44 ID:???
>>309
つか、数的劣勢もある。

長岡藩単独では所詮は7万石の小藩。
桑名藩兵は、地元との連絡は切れてしまった義勇兵。
会津藩は何だかんだでやはり遠く…。

数的劣勢のカバー(もしくは数的劣勢に陥った場合のリカバー)ができる戦略的条件が整っていない。
「戦う意志」ってのは、結局は戦術的要素。
312名無し三等兵:04/01/26 17:51 ID:???
戦術的勝利は戦略的勝利に結びつかない
313名無し三等兵:04/01/26 18:04 ID:eb4f/Gwl
>>312
幕府軍は戦略的レベルで戦う意志がねぇぞ!
314名無し三等兵:04/01/26 18:22 ID:eb4f/Gwl
>>307
幕府のヘタレっぷりじゃ不安だなァ。いいように蹴散らされる悪寒。
ただ、奇兵隊を何倍も勇敢で大規模にした攘夷組織が日本中にボコボコできて、そいつらが欧米勢力を撃退するかな?
その後、そいつらが日本の主導権を握って強権的に欧化政策を断行……。結局明治維新と殆ど同じシナリオになったりしてね(笑)
315名無し三等兵:04/01/26 18:42 ID:???
その場合天皇制が成立せず共和国になるかも。
したら・・・1930年代に正真正銘のファシズムが日本を席捲、か? 北輝二郎総統萌え。
316名無し三等兵:04/01/26 18:52 ID:???
>>298
当時の長州藩は寺子屋の数は全国2位、私塾の数も100校以上あり全国4位で教育水準が高かった
そしてその指導者の大半が武士でいわゆる「読み書きそろばん」に止まらず政治思想まで言及していて
郷校に入れない下級武士や農民の門弟にまでこれらが浸透していた。
(上級武士で藩校明倫館への入校資格がありながら松下村塾に入った高杉などは例外)

幕末になると郷校(官学)で「挙藩一致」が語られてそこで学んだ武士が私学の指導者になり
その門弟の下級武士や有力農民、商人が寺子屋で教え同郷の友人知人をオルグして…という感じで
ネズミ算式に増えてゆき教育指導者やその有力な門弟が私塾での教育を実践という形で立つと
それに集まるという形が多かった。奇兵隊をはじめ諸隊の結成はこれらによるところが大きい。
317名無し三等兵:04/01/26 18:54 ID:???
>>299
幕府歩兵と新撰組には大きな違いがある
新撰組は傭兵ではなく志願兵。サムライとして戦う事を望み志願した。戦闘OK
幕府歩兵は傭兵。お金が欲しいから就職した。なんで殺し合いしなきゃいけないの?
318名無し三等兵:04/01/26 18:55 ID:???
>>316
維新後の義務教育と徴兵令の機能を先取りしてたわけね。なるほど。
319名無し三等兵:04/01/26 19:06 ID:???
>>317
欧州中世の傭兵たちも互いに申し合わせてたっていうくらいだからな・・・
320名無し三等兵:04/01/26 20:13 ID:P1teAirN
>>317
幕府歩兵はやくざやならず者の集まり。
こやつらが四境の役のとき周防大島で住民を虐殺した!
321名無し三等兵:04/01/26 21:49 ID:yKibExPh
幕府の為に必死で戦った奴はいないのか? 天領800万石の民は何をしてたんだ?
東北の幾つかの藩と新撰組、つまり部外者だけかよ
322名無し三等兵 :04/01/26 21:50 ID:???
>>321
戦い方を知らないからどうしようもないよ(w
323名無し三等兵:04/01/26 21:55 ID:???
腰抜け旗本八万騎とごろつき傭兵だけ……。悲惨すぎる。
旗本はむろんの事、江戸や天領の民は300年クソ安い年貢で美味しい思いしてたのに。
324名無し三等兵:04/01/26 21:56 ID:???
>>322
幕府も海軍伝習所や番所調所(陸軍育成所)をつくっていたのですが。
フランス人軍事顧問もいましたし。まぁ、なんだかんだ言っても
旧幕府側が負けた事実は変わりませんね。
325名無し三等兵:04/01/26 22:39 ID:???
>>304
下手に勝っちゃったお隣の国の末路を考えると
やっぱり歴史的決断だったと
棚倉などという流刑地に流された方や
ドキュソに城門付近で暗殺された方他、
幕閣の皆様には感謝しております。
326名無し三等兵:04/01/26 22:42 ID:???
>>323
何故50石取りの拙者が、二駄二人斑のヤツの後ろに立たねばならんのか?
これでは一番槍が取れんではないか!
更に何故に毛唐の真似をせねばならんのか

こんな連中ですから…旗本八万騎
327名無し三等兵:04/01/26 22:44 ID:5XoAKyDU
>>325
お隣には攘夷派は攘夷派でも松陰みたく欧米へ感心を寄せた奴はいなかったのかね。
それと中国の太平天国も攘夷派の暴動だったが、あいつらには欧米のシステムを模倣しようって発想ないよねぇ……。

松陰みたいな人材は日本だけの特異性?
328名無し三等兵:04/01/26 22:45 ID:???
>>321
錦旗には逆らえません。逆賊になる趣味はございません。by250藩の藩主
329名無し三等兵:04/01/26 22:47 ID:???
>>323に追加。天領の連中は外様諸般の血税で工業事業ウマー! だったな。
情けねェ。
330名無し三等兵:04/01/26 22:48 ID:???
>>328
じゃあせめて長州征伐の時位真面目に戦ってよ。
331名無し三等兵:04/01/26 22:55 ID:???
>>330
1時間も戦うと息が上がるの〜一休み、一…グーグー…
332名無し三等兵:04/01/26 23:12 ID:wwtTJNNG
333名無し三等兵:04/01/26 23:19 ID:???
錦旗=アメリカでつか?
334名無し三等兵:04/01/26 23:46 ID:wwtTJNNG
↓の板ダメダメです。
軍事板の方々で懲らしめて下さい!
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1074121125/l50
335名無し三等兵:04/01/27 00:32 ID:JJzCo32S
長州の藩主って薩摩と佐賀と違って全然名前が出てこないなァどうでもいいけど。

まぁそれはともかく、幕末の勝因・敗因は、薩摩と長州は挙藩一致で農民や商人に至まで死ぬきで戦おうという覚悟があったのに対し、幕府は旗本も歩兵隊も戦意がまるでなかった事(そういうシステムが作れなかった事)
長州と薩摩は急進派の下級武士が政権をクーデターまがいのやり方で乗っ取ってたため軍政改革がスムーズだったのに対し、幕府はそういう機動性が欠けていた。一時が万事行き当たりばったりで優柔不断。
幕府は既に破綻状態で借金まみれで軍の近代化が容易でなかったのに対し、長州・薩摩・佐賀は改革に成功してて、装備を近代するのが比較的容易だった。
って事でファイナルアンサー?
336名無し三等兵:04/01/27 00:35 ID:???
改行しろ。
337名無し三等兵:04/01/27 00:36 ID:???
幕府単体なら装備の質は薩長を勝ってたんじゃないか?
338名無し三等兵:04/01/27 00:37 ID:???
>>336
すまんねぇMacだと気にならないんで<改行
339鉄砲奉行:04/01/27 00:38 ID:3vs4dd3x
幕府の西洋軍は、旗本御家人に兵員及び経費負担が課せられ、五百石で一人、三千石で十人、知行地なしなら百俵につき三両出さなけりゃならないが、財政破綻で手当が出ないから兵たちが市中で乱暴狼藉。
しかも、腹をすかせた兵はこんな落首。
調練をするのが嫌でもなけれども 腹が減るのをなんと西洋
340名無し三等兵:04/01/27 00:39 ID:???
>>337
幕府軍のアームストロングってあまり聞かないよな。
それと、天領が400万石もあるのに規模が小さくない?
341名無し三等兵:04/01/27 00:41 ID:???
>>339
そりゃ志気も上がらん罠
342名無し三等兵:04/01/27 01:06 ID:???
装備の西洋化の点では幕府のほうが薩長より上だろ
それに函館まで戦い抜いてる連中もいたんだし将兵の戦意の点でも
薩長に比べてそれほど低かったとは思えないが
343名無し三等兵:04/01/27 01:09 ID:???
アームストロングって従来の前装砲とは比べものにならないくらい強力だった訳ではない
幕府にアームストロングがなかったことが装備で劣っていることの根拠にはならないと思われ
344名無し三等兵:04/01/27 01:22 ID:???
>>335
>長州の藩主って薩摩と佐賀と違って全然名前が出てこないなァどうでもいいけど。

13代藩主毛利敬親。実力がありながら自らリーダーシップを取るわけでもなく
自己主張しない事が自己主張という人物で

村田清風の藩政改革に対しては「そうせい」
尊王攘夷派が主導権を握り攘夷決行の時も「そうせい」
第一次長州征討や馬関戦争の処理についても「そうせい」
その反動で保守派が佐幕に梶をきっても「そうせい」
それを高杉らがクーデターで政権を奪取し軍政改革に乗り出したときも「そうせい」
続く第二次長州征伐で一気に倒幕に突き進むときも「そうせい」で
付いた渾名が「そうせい候」

決して主体性が無く流されっぱなしというわけではなく藩主というトップの立場で常に超然としていたので
藩の主導権が二転三転してもバランスを失わなかったという意味で重要な人物と思われ。
345名無し三等兵:04/01/27 05:39 ID:Tl6mpTij
>>342
函館まで戦い抜いたのは土方他、やはり少数の例外じゃないか?
体勢は勝や慶喜にくっついてとっとと白旗を上げたと思われ。長州のように挙藩一致とはいくめー?
346名無し三等兵:04/01/27 08:51 ID:???
慶喜さんは平時なら大明君だったと思われ。
347名無し三等兵:04/01/27 08:55 ID:???
野辺地戦争
348名無し三等兵:04/01/27 08:57 ID:???
海の薩摩、陸の長州
349名無し三等兵:04/01/27 10:19 ID:???
>>342
なら何故負けた?
350名無し三等兵:04/01/27 12:42 ID:???
>>349
中堅ばかりが頑張ってトップと多数下っ端がやる気ナッシングだったから
351名無し三等兵:04/01/27 17:21 ID:???
開戦時に開陽が6隻あれば勝てた!
352名無し三等兵:04/01/27 19:04 ID:IRXa707c
>>346
あんな腰抜け、幾ら頭が良くても守旧派の抵抗にびびってろくな改革もできず、当たり障りない政策で終始してたと思われ。
幕府が勝にはやはり、中堅どころがクーデター起こして政権を乗っ取るしかなかったと思うなァ。まぁそれだと、薩長がやった事と大差ないんだが。
353名無し三等兵:04/01/27 19:06 ID:???
ガッチリ甲鉄を確保していたら
354名無し三等兵:04/01/27 19:13 ID:9bOHCUV3
>>352
勝対小栗か
三国志の周愉対諸葛孔明に
匹敵するかも
355名無し三等兵:04/01/27 21:21 ID:???
>>354
松平容保がうまく小栗と組んで動ければ・・・・
それと榎本が慶喜の行動にこだわっていなければ・・・
356名無し三等兵:04/01/27 21:31 ID:???
>>355
なんでそんなに左幕に拘るのかね?
英仏による分断植民地化のほうが良かったってか。
357355:04/01/27 21:55 ID:???
>>356
むしろそうなった方がよい。そうすれば第一次世界大戦が終わる頃にゃ、
日本独立戦争でソ連の支援の下、勝利を勝ち取り、まともな民主主義国家に
なってたろうよ。まぁ、その後ソ連の影響力を排除するためにまた
一波乱あるわけだが・・・でもそんなことしてたらとても周りの国々を
侵略する暇もなく、太平洋戦争も起きず、もっといい日本に・・・・
358名無し三等兵:04/01/27 22:00 ID:???
>>357
ソ連の支援で独立? 最悪のシナリオじゃん!
359名無し三等兵:04/01/27 22:19 ID:???
>>357
>日本独立戦争でソ連の支援の下、勝利を勝ち取り、
>まともな民主主義国家に なってたろうよ。

教官!ここ苦笑するところですか!?
360名無し三等兵:04/01/27 22:32 ID:???
>>357
いまごろフィリピンだっただろうね。アフリカ諸国のように植民地化以降代々、欧米の文化教養の薫陶を受けた
黄色い白人が独立後も支配層にいて、貧富の格差が激しく、産業といえば農業と軽工業のみで
しかも雀の涙のように少ないアガリを宗主国の大企業とその走狗である一握りの日本人支配層に搾取される。
361名無し三等兵:04/01/28 11:23 ID:???
>>355
その前にソ連が成立しないよ
明石工作のお金はシリヤスクとレーニンの手に渡りフィンランド独立戦争と
ロシア革命の資金源になっている。
つまり明治政府が成立し、日露戦争が無ければロシア革命が起きない。
362名無し三等兵:04/01/28 11:25 ID:JvmNFIZF
>>356
×左幕
○佐幕
363名無し三等兵:04/01/28 11:30 ID:???
よくよく考えたら辛亥革命も起きないな。
364名無し三等兵:04/01/28 12:01 ID:???
悪の枢軸・テロリスト薩長土肥が天下を握ったから、
後に太平洋戦争という大バクチにボロ負けして日本は占領され、
日本本土に多数のアメリカ軍基地が租借・建設され、日本はアメリカの半植民地。
アメリカ兵・ソ連兵に、下は女学生から、上は主婦まで、レイプされまくって、
多数の混血児が生まれた。
 日米混血児・日露混血児の人は、これで良かったと思ってるんじゃないのかな?
そして薩長土肥のバカ共は知らんぷり。


徳川政府が存続したとしても植民地にはならなかった。
800万石の徳川幕府は、貿易も独占していた為、
洋式軍隊の、幕府陸軍・幕府海軍は、他藩を圧倒的にりょうがし、ヨーロッパの二流国並のレベルだった。
さらに、これに佐幕派諸藩・西国諸藩が加わる。

島国である日本に上陸して、これらを殲滅するのは、当時の段階ではリスクが大きすぎる。
下手すりゃ自国が衰退して、他国の植民地になる。
365名無し三等兵:04/01/28 12:17 ID:???
薩長土肥・明治新政府(=後の大日本帝国≒現政府)は何をもたらしたか。

・敗戦により、異国に占領される。
・敗戦により、アメリカ軍の基地が日本本土に租借・建設され、日本はアメリカの半植民地となる。
・敗戦後つくられた新憲法は、連合軍総司令部(GHQ)の民生局の職員が1週間で、にわかに、つくった、まがいものとなった。
日本国憲法の原文は英文でMade in USA。
・敗戦により、国軍が持てなくなる。
・太平洋戦争末期、アメリカ兵・ソ連兵に、下は女学生から、上は主婦まで、レイプされまくって、多数の混血児が生まれた。
・戦災により、歴史的文化財が数多く破壊。
・敗戦により異国の属国となり、祖先を敬わない若者が急増。
・あわや天皇が戦犯として処刑される事態に。
・処刑は免れたが、今でも欧米ではヒトラー・ムッソリーニ・ヒロヒトは3大汚物、人類の敵。
・朝鮮を併合してしまい、朝鮮人が大量に本土に流れ込む。
・朝鮮と深く関わりすぎ、今でもつきまとわれる結果に。
・中国と深く関わりすぎ、今でもつきまとわれる結果に。
・敗戦により建国された北朝鮮が、日本人拉致事件を起こす。
・肥前佐賀藩出身・大隈重信によってつくられた早稲田大学のサークルが、性犯罪史上最悪の連続集団強姦事件を起こした。

よって諸悪の根源は薩摩・長州・土佐・肥前佐賀の存在そのものに起因し、
薩長土肥人が何かやると日本にとって、ろくな結果にならないということになる。
366名無し三等兵:04/01/28 12:41 ID:kxwXCmc2
ここでも早大叩きか。どこの板にも出てるな。
肥前なんか明治政府にはさほど影響力ないだろ?
せいぜい反射炉くらいで、人材と云えば斬首になった江藤新平、薩長に追随して追放された大風呂敷の大隈、後は保守派の副島と大木、佐野、島くらいか。
実際吝嗇で有名な佐賀人は、先人たちをどう思っているんだろう。
367名無し三等兵:04/01/28 13:11 ID:???
>装備の西洋化の点では幕府のほうが薩長より上だろ
>それに函館まで戦い抜いてる連中もいたんだし将兵の戦意の点でも
>薩長に比べてそれほど低かったとは思えないが

北越戦争・会津戦争の敗因は、榎本の旧幕府海軍が全く動かなかったから。奥羽越列藩同盟側は海軍を持っていなかった為、
薩長海軍による新潟港上陸・占領→長岡侵攻→会津侵攻と、
ひらかた?上陸→会津侵攻で、それまで互角に戦っていた奥羽越列藩同盟の陸軍は総崩れになった。

旧幕府海軍>>>>>越えられない壁>>>>>薩長海軍
だった事は間違いない。

陸軍は、東軍(奥羽越列藩同盟軍)より、西軍(薩長軍)の方がやや勝っていたが、勝てない相手ではなかった。

西軍の戦局不利が続いていたら、土佐藩・肥前佐賀藩・日和見の西国諸藩は、西軍から離脱し、
その後は薩摩藩と長州藩だけで戦うはめとなっていた。
368名無し三等兵:04/01/28 13:30 ID:???
洋式陸軍も
幕府陸軍>薩長陸軍
だな。

ただ大部分は江戸城無血開城前後に解散してしまったので、東北・越後の戦いには3000人程度しか参戦していない。

函館の戦いには、1000人程度が参戦。


http://page.freett.com/sukechika/bakuhu/bakuhu03.html
369名無し三等兵:04/01/28 14:52 ID:???
>>368
洋式部隊はあっても幕府と薩長互いの総兵力の中での割合を加味しないと
やる気があって数でも主力だった会津藩とかは戦国さながらの鎧兜だったわけだし。
370名無し三等兵:04/01/28 15:25 ID:???
榎本艦隊が動かなかったことについて、会津藩は後に、

     「榎本氏は海軍の技術にこそ長じたるならんも、天下の大勢を見るに迂愚も亦甚し。
     東軍の越後方面に於て最も苦しみしは、西軍の助ありし一事なり。
     如し榎本氏にして大勢を見るの明ありしならんには、我が公の請を入れ率いる所の軍艦二、三を割
     き、越後に遣し、西軍の海軍を破砕したらんには新潟陥らざるべく、新発田の反覆も亦なかりしなら
     ん。
     此の大切なる時機に於て戦の勝敗に関係なき主家の成行を見届くるを名として、悠々として品川に
     碇泊せし其の心理情態、実に知る可からず、奥羽連合存在してこそ榎本艦隊も重きを為すなれ、越
     後の戦敗れ会津も陥り、従て連合も瓦解せんには、其の艦隊何をか為し得べき。
     然るに時機に臨んで連合軍を援助せず、奥羽鎮定の後に至り始めて蝦夷地を計略せしは愚の至り
     と云うべし。」(『会津戊辰戦史』)

   と厳しく批判しています。
371名無し三等兵:04/01/28 16:00 ID:???
>>370
榎本は開陽丸をはじめ艦隊は純粋な戦力じゃなく抑止力として見てたからでしょ。
戦えば勝てるんだろうけど榎本にはこれしかないわけだから虎の子の艦隊を失えば
もう後がない、それなら戦闘力を誇示して新政府と交渉するという方策に出たほうが
賢いやり方だしエゾ共和国構想もこれに根ざしていた。
実際開陽が沈没しちゃうとあっという間にこの構想も崩壊したわけだし。

交渉のための抑止力として核ミサイルを後生大事に持っていたものの
地震で弾頭ごとオシャカになってしまってうわーどうしようみたいなものでしょうか。
372名無し三等兵 :04/01/28 16:06 ID:???
>>371
いや、むしろ幕臣としては将軍家の処分を見届けるまでは動けない、ということだろう。
373名無し三等兵:04/01/28 16:07 ID:???
>>371
理性的な判断ならば、確かにその通りと思うよ。

しかしまあ、榎本がそう考えていたとしても、
その考え方が、あまねく伝わっているわけではない。

そして激戦を繰り広げている奥羽越の列藩から見ればねえ。
見捨てられたという心情にもなろうし、
榎本は臆病だともいたくなろうし、
後知恵で何かと言いたくなっても、しょうがないというのはあるだろ。
374名無し三等兵 :04/01/28 16:12 ID:???
>>373
臆病という訳ではないだろうが、遅きに失したよねぇ・・・
375遠藤昭 ◆Z5fNknQ2qM :04/01/28 20:44 ID:???
>351
開陽丸は完成時には時代遅れの旧式艦?
376東行:04/01/28 20:49 ID:8lnm3eRX
オテントサマ号に追い払われた幕府艦隊なんて……。
377名無し三等兵:04/01/28 20:55 ID:???
qarsar1999が必死だな(w
378名無し三等兵:04/01/28 21:28 ID:???
>>365
そちらの考えとほぼ同じだが、天皇はいらん。むしろ戦犯として処刑されても
良かったんだが。天皇処罰による1億総蜂起もありえないし、一部の過激
右翼ぐらいだ、切れるのは。
>>356
日本を植民地にしようなんて国ありますかね?資源もその頃から
枯渇気味だったのに・・・・
379名無し三等兵:04/01/28 21:31 ID:???
>>378
世界最大の金鉱と有数のマンガン・石油保有国ですが…何か?
380名無し三等兵:04/01/28 22:05 ID:???
>>375
2,817tで幕末期では日本最大、武装もクルップ12サンチ砲26門など桁違いで甲鉄艦がようやく互角ぐらい。
整備能力の問題から木造だがこれ一隻の存在だけで戦力バランスを左右する力があった。
381名無し三等兵:04/01/28 23:01 ID:???
>>366
ヤバイ。佐賀ヤバイ。皇道派の温床。
382名無し三等兵:04/01/28 23:06 ID:???
おいおい神風連の乱が1番燃えるのに話題が出てないとはどういうことだ、、
鎧に刀で熊本城に特攻だぞ
383名無し三等兵:04/01/28 23:15 ID:???
イギリスは、巨大な海軍力と各地にある植民地を背景に世界中を駆けめぐっていた。
日本語に堪能な外交官を養成するなどして、日本の国内事情を詳しく探っていたが、
イギリスのインド、中国への侵略の凶悪な手口を見た幕府はイギリスに強い警戒感を持っていた。
また、イギリスの方も、貿易を独占している幕府よりは、外国貿易に関心を持つ諸藩に目を向けていた。

古くからイギリスと対抗してきたフランスは、
1852年にナポレオン3世が皇帝になって以後、積極的な対外進出政策を採るようになっていた。
日本にも、植民地政策に通じたロッシュを行使として送り込んできている。
当時欧州では疫病のために生糸の生産が壊滅状態となっていたために、
フランスは幕府に肩入れして日本の上質生糸独占をもくろみ、
世界最大の絹織物生産国としての地位を確立しようと画策していた。

英仏両国の真の意図は、強圧を隠した交易独占であり、
隙あらば日本が植民地化される危険が存在したことは事実
384実学党支持者:04/01/28 23:22 ID:kNoqaA8Q
>>382
んな一日で鎮圧されたDQNどもの暴動を言われても……。
あ、どうでもいいけど幕末維新で最も活躍した日本古来の兵器って熊本城だよねw
385名無し三等兵:04/01/28 23:31 ID:???
長州ヤバいだろ。健介に去られてWJどうするんだ?
386藩校助教:04/01/28 23:41 ID:kxwXCmc2
ウム、熊本城というとアレだろアレ、天守閣が変形して櫓と合体して、薩軍の西郷ロボと戦ったアレだろ。
熊鎮の谷司令官が操縦したらしい。
387名無し三等兵:04/01/28 23:50 ID:+UhZczKA
>>385
日本刀があるじゃろが
どの戦いでも抜刀戦があった
388名無し三等兵:04/01/29 00:12 ID:???
>>379
えっ?
389名無し三等兵:04/01/29 00:31 ID:???
>>387
プロレスでは滅多に抜刀戦はないぞ
390名無し三等兵:04/01/29 00:47 ID:VlNMpexP
>>389
幕末の殆どの戦いでは
391名無し三等兵:04/01/29 00:52 ID:???
蒸気船とか洋式軍隊とかかっこいい思う人だめ!
蒸気船は人殺し、シャスポー銃は悪魔の道具!こんなの攘夷しなきゃだめ!
悪魔に取り付かれるよ!井伊直弼は悪魔の手先!
こんな幕府つぶさなきゃだめ!
392オマエら馬鹿すぎw:04/01/29 00:57 ID:2YddsTnV
だからあれだ、リングに上がった熊本城ロボと長州力が田原坂で日本の石油資源を巡って抜刀プロレス
393名無し三等兵:04/01/29 00:59 ID:???
熊本城ロボ、記者会見にて
「泣き虫連れてこい!」
394名無し三等兵:04/01/29 01:02 ID:VlNMpexP
>>393
泣き虫が来たら
アメリカから黒船がw
395名無し三等兵:04/01/29 02:44 ID:???
某研「矢張りアームストロング砲だろうか」
396名無し三等兵:04/01/29 03:27 ID:???
>>381
佐賀藩の菩提寺が2.26事件関係者葬ってんだよね。
何気に明治から始まる長州と佐賀の対立は近代にとってデカい。
397名無し三等兵:04/01/29 03:46 ID:DBaEEbyF
刀はどのくらい持つ?
398名無し三等兵:04/01/29 10:19 ID:???
>>396
河野大尉は佐賀出身で、ご尊父は日露戦争時の旅順港司令官を務めた。
ちなみにそのお寺には神風連事件で戦死したと思われる中佐の墓がある。
明治7年没で、裏に何やら細かく文字が書かれている。
399名無し三等兵:04/01/29 14:32 ID:???
>>398
明治7年だったら神風連の乱(明治9年)じゃなくて佐賀の乱だと思われ。
400名無し三等兵:04/01/29 18:18 ID:WVZ87w8o
400
401名無し三等兵:04/01/29 19:14 ID:zYyIdZqs
幕末の日本、幕府は軍事教練のため、海外から多数の外国人を招いた。
しかし時流は新政府軍にあり、幕府に雇われた外国人の大半は帰国の途に着く。
ところが本国からの引き上げ命令に反し、榎本率いる幕軍と行動を共にした人たちがいた。
フランス人のブリューネ大尉とカズヌーブ伍長である。
むろん幕軍には外国人と共に戦うことを好ましく思わない者もいた。そんな彼らに
ブリューネ大尉はこう言った。
「あなた上野で負けましたが、弱くありません。これから私、蝦夷行きます。わらびの根、食べます。
開陽、大変良い船です。負けません。来年3月、(ここに)帰ります。その時、あなた、上野、花見ます。
楽しみますか。酒呑みますか。喜びますか。私、思いません。あなた、泣きます」
これを聞いた面々は、感激に言葉を詰まらせたという。
402名無し三等兵:04/01/30 00:06 ID:vbViJAid
ブリュネー大尉って、
函館で敗戦した後本国に帰って逃亡罪で禁固刑くらってる。
彼のほかにも幕府側にたって戦ったフランス人は多いけど、
なんで雇われ顧問団に過ぎない彼等が滅びることが確定した幕府のために、
本国の方針すら無視して戦ったんだろう?
403名無し三等兵:04/01/30 00:08 ID:???
↑それでも最後は少将になったよ。ちゃんと資料嫁。
404名無し三等兵:04/01/30 00:12 ID:???
>>402
サムライだったから。
405名無し三等兵:04/01/30 00:14 ID:???
>滅びることが確定した幕府のために

あの時点で滅亡が確定してた訳でもあるまいに
406402:04/01/30 00:20 ID:???
え、少将なの?大将って書いてる資料もあったけど。
最後は国会議員になったとか。
407名無し三等兵:04/01/30 00:28 ID:???
ブリュネー大尉は幕府を守ろうとしたのではなく、日本の民主化を
守ろうとしたのかも。なにしろ薩長は天皇マンセー!だもんね。
ちなみにその頃はもう幕府無いよ。大政奉還したんだぞ。
いっておくが旗本八万騎なんていないよ。御家人とあわせても約二万。
408名無し三等兵:04/01/30 00:35 ID:???
>>407
御家人や旗本の家来を全部合わせると八万人。
元武田家臣団も多くて、それで家康は信玄を真似て鎧を赤く塗ったりしてたんだってね。
409名無し三等兵:04/01/30 00:35 ID:???
>>405
ブリューネが江戸を脱出したときは、江戸城が開場した後だろ。
徳川は日本を代表する座から滑り落ちてる。
フランス政府も幕府よりの公使ロッシュを解任してるし。
徳川幕府は滅びる運命って言ってしまってもいいんじゃない?
410名無し三等兵:04/01/30 01:36 ID:???
トムにネタを与える為
411名無し三等兵:04/01/30 04:59 ID:07fgfGLk
佐賀藩VS長州藩
明治6年の政変 江藤VS長州(山縣伊藤井上)
佐賀の乱 
大隈の下野 大隈VS伊藤
2・26事件 皇道派(肥前)VS統制派(長州)
412名無し三等兵:04/01/30 05:08 ID:???
他にもいろいろなところで肥長の争いは見られる。
たとえば些細なところでは大隈の下野による早稲田大設立を薩摩の私学校のような反政府組織
の設立と見た政府(長州の山田)はこれを骨抜きにするため英吉利法律学校の設立を後押し
したと言われる。これにより早稲田の法科は壊滅的打撃を受け中央大法科の全盛を迎える。
413名無し三等兵:04/01/30 05:34 ID:???
しかしあれだな、板垣が言論に走って江藤が武力に走るのが歴史の不思議なとこだな、普通逆だろうに。
てか士族反乱やるならもそんなばらばらにやってないで一斉放棄しろってんだよ、
薩長土肥の士族が頭に前参議伴って東下し始めたらまた日本が2つに割れただろうし勝ち目もあったはず、
バラバラに蜂起させた新政府を誉めるべきかもしれんがやり方が下手。
414名無し三等兵:04/01/30 09:15 ID:???
仙台に第二高等学校、宮城師範学校、東北帝大
盛岡に高等農林学校
米沢に高等工業学校
新潟に新潟師範学校、新潟医科大

明治に設置された東北の官立学校って結構あるのね
415名無し三等兵:04/01/30 14:06 ID:hDQIua43
>>414
新潟は東北じゃーない ない ない
416名無し三等兵:04/01/30 14:11 ID:???
移動が不自由な時代だからな。
現代ほどに、地域間の人口格差がなかった時代だ。

それに、教育制度の確立は国民形成に大いに寄与することでもあるから、
さほど、地域間格差を設けなかったのだと思われるんだよね。

普通のインフラの整備は確かに、新潟及び東北は遅れてるんだがな。
417名無し三等兵:04/01/30 15:09 ID:???
板垣は鳥羽・伏見で藩主の了解取らずに勝手に薩長側についた。
418名無し三等兵:04/01/30 17:47 ID:???
>>417
板垣は日光東照宮に退却してた旧幕軍との戦闘の際
「文化財を壊してはいけない」ということで戦場変えたんだよな、ウホッ、(・∀・)イイ!! 男
419名無し三等兵:04/01/30 20:57 ID:???
>>418
それだけ新政府側が余裕だったってことだな。会津を徹底的に破壊したのとは
違うところだね。
420名無し三等兵:04/01/30 21:16 ID:???
>>416
 東北や新潟など日本海側は豪雪などの気候や地形とかの要因もあったからね
あと鉄道とか交通インフラに関しては当時人や物の移動の最大の運搬手段は船舶で
難所の多い陸路はもちろん鉄道という妖しげなものには風当たりが強かった。
 最初から国営だった東海道本線とは違い大半の鉄道は民間主導だったから
一番力の強かった船会社や走る地域の宿場などに大反対にあう話はざらにあったし。
 鉄道が便利で儲かりしかも利権になる事に気付いて国の手でインフラ整備が加速するのは日清・日露戦争後。
421名無し三等兵:04/01/31 13:28 ID:3XL2p4eU
>>418
それで、東照宮の入口に板垣の銅像が立っていたのか。
同じ場所に立っている天海僧正の像より位置がより高く、あたかも徳川の象徴を明治政府が踏みつけてその優位を示威しているように見えたがな。
422遠藤昭 ◆Z5fNknQ2qM :04/02/08 20:20 ID:???
>385
富士山の大砲の方が高級で近代的との意見はありませんか
423名無し三等兵:04/02/19 19:28 ID:kPRdDhFS
西南戦争時に下野した板垣を新政府の象徴というのはムリがあるだろ。

しかし板垣は自由民権運動のイメージがあるんでそれほど戦争強いイメージはないが
軍才に関してはヘタすっとトップクラスだな。西南戦争んときに板垣が西郷軍に
加わってたらそれなりに頑張ったんではないだろうか

>>414
第二高等学校→東北帝大だし。
加えて師範学校は、どこの県庁所在地にも一校はある。
これらが戦後国立の駅弁大学に進化する。
424名無し三等兵:04/02/26 09:45 ID:???
>>423
まあ、板垣の場合、民権運動では、神輿にならざるを得なかったという事情もある。
本来、民権運動を引っ張っていたのは、元司法卿の江藤淳だった。
江藤が、佐賀の乱を停めに行った筈が首謀者に祭り上げられ、
敗北の上、処刑などという憂き目に会わなければ、板垣が前に出る余地は少なかった。
425名無し三等兵:04/03/17 03:03 ID:z1/i0rOV
age
426名無し三等兵:04/03/19 18:19 ID:???
>>401
あの『新撰組』でその役は誰がやるのですか?
セインが仏系だからいいと思うんですが。
427名無し二等兵:04/03/19 18:26 ID:xAxRk4QY
>>406 俺が読んだ本では中将だった、その後国会議員を三期勤めたらしい。
>426 ジョン川平のが良いと思う。
428名無し三等兵:04/03/23 15:43 ID:HxZXsA9x
>>424
江藤淳ではなく江藤新平。
板垣は幕末まで乾姓。たしか先祖は武田家の家臣。
429名無し三等兵:04/03/28 08:37 ID:???
慶応四年正月 小栗作戦が実行された場合の日本の近代史。

1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。
     近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
     桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
     薩長の乱がおこる。(〜68) 鎖国回帰を主張する
     復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の
     建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 薩摩藩・長州藩の起こした薩英戦争・馬関戦争により、関税率が下がる。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。
     軍制改革がすすむ。
1868 徳川慶喜氏が大君(=大棟梁=大統領)に就任する。小栗らと連携し
     反乱鎮圧と近代化に尽力。
     政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および
     政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が
     解消される。
     廃藩置県が実施される。
1869 四民平等になる。鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。すでに日本は世界屈指の
     平和国家にして民主主義国家に。
430名無し三等兵:04/03/28 09:46 ID:???
>>429
英仏による分断植民地化と独立後の内戦と飢餓が抜けてるよ。
431名無し三等兵:04/03/30 22:12 ID:???
>>403>>406>>427
当時のフランス軍は大将中将少将の違いあったっけ?
432名無し三等兵:04/04/08 13:16 ID:???
>427
また土方が「おまえ日本人だろ!」いうのか、、、
433名無し三等兵:04/04/11 00:06 ID:H1QZ6Bvz
>>285
遅レスですが
府中競馬場の銅像はトキノミノルですね。
ちなみに中山にはハイセイコーが佇んでいますよ。
あとシンザンのオヤジであるヒンドスタンは我が地元の
浦河で剥製になっておりますのでぜひ今度見に来て下さい。
オカンのハヤノボリの銅像とか剥製とかは聞いたこと無いですな。
434名無し三等兵:04/04/11 00:07 ID:???
>>432
ワロタw
435名無し三等兵:04/04/11 00:22 ID:???
ガンズブレイズ
436名無し三等兵:04/04/11 01:05 ID:wXIk67Pe
西郷軍の熊本城攻撃を聞いた板垣曰く、
「西郷兵を知らず」
437名無し三等兵:04/04/12 11:19 ID:???
>181
そうだね。
>184
それよりも軍艦を引き渡す前に彰義隊を側面援助
して欲しかった。
438名無し三等兵:04/05/07 23:48 ID:???
指揮官として見所のあったのは?

板垣山田立見?
439名無し三等兵:04/05/08 02:21 ID:RGW6clhl
野津兄弟、村田経芳、山川浩、土方はどうでしょう
大鳥は…どうなんだろう

#栃木県立博物館で四斤山砲見学記念あげ
440名無し三等兵:04/05/08 08:39 ID:???
>>439
大鳥は連戦連敗。ただ、兵士からの人気だけは不思議とあったらしい。
441名無し三等兵:04/06/02 10:08 ID:???
河合継之介は?
442名無し三等兵:04/06/07 02:51 ID:iZma9nt3
あげ
443名無し三等兵:04/06/07 07:46 ID:???
葉隠、武士道とは死ぬことと見つけたり。
「死ぬ気ですかー! 死ぬ気があれば何でもできる」
444名無し三等兵:04/06/14 09:22 ID:???
西南の役って西郷と大久保の共謀の色が濃い気がするんだけどどうよ?
当時日本最強の薩摩軍団を中核とした勢力で倒幕に成功し新政府を樹立したものの、基本的に薩摩軍団は西郷の命令しか聞かない。
国民国家の建設を目指す大久保としてはそんな連中を新しい軍の中核に据えるわけにはいかない。
また、その武力を背景とした西郷の発言力は、彼の望むと望まざるに関わらず近代日本の統一に邪魔になる。そう大久保は冷静に判断したのだと思う。
更に西郷は川路利良や山本権平、西郷従道などの優秀な人材は東京に残し、薩摩に連れて帰った男達(桐野利秋、別府晋介、篠原国幹など)は大久保のような能吏タイプには到底使いこなせないような荒武者ばかりだった。
西郷は恐らくこう考えたのだろう。「こいつらはおいにしか使いこなせない。ロシア相手の戦で戦死させるにはふさわしい男達だが、このまま東京においていたら騒ぎを起こすだけだ」と。
猛将ばかりで優秀なスタッフのいなかった西郷軍の敗北の影には、こうした冷酷なまでの西郷の決意が働いていたのは間違いない。
これは、あえて西郷と薩摩軍団を潰した大久保の決意と、表と裏でぴったり一致する。
445名無し三等兵:04/06/19 19:42 ID:???
暴発しそうな連中を西郷が鹿児島に引き取ったまでは同意できるけど。
結局、西郷ですら抑えが効かなくなって、破れかぶれに挙兵する羽目になったんでしょ。

西郷自身は、この連中を対外戦(朝鮮問題で清国? あるいはロシア?)に使おうと思ってたんじゃないかな。
446名無し三等兵:04/06/22 19:08 ID:RG19TSGd
>>433
競馬板住人だが、ヒンドスタン、見たよ。
不気味としか言いようがない。

あんた浦河市民かね?
ならいっとくが、あのキモイ馬事資料館なんとかしとくれ。
クマや鹿のの剥製はかび臭くて、館内は薄暗いし、
まるでオバケ屋敷じゃないか。
もうすこし明るく健全な雰囲気にしないと客呼べないよ。
447名無し三等兵:04/06/22 20:12 ID:???
>>444
参加者の内、死傷者の内訳を見ると
上級士族と下層の連中が少ない。
で、中堅層に異常にそれらが多いので
やはり「土地と財産の問題」だと思う。
一番割を食った連中が参加して、それ以外は傍観という面白い構図が見える。
448名無し三等兵:04/06/22 20:14 ID:???
>>445
その「破れかぶれ」になるのも西郷の計算のうちだったと思うんだが。
そもそも暴発しそうな連中ばかり集めておいて、それでなにも起こらないという方がありえないからな。
449乃木少佐:04/06/22 20:14 ID:0gCIt/xj
部下が聯隊旗を紛失してしまいますた・・・゚・(つД`)・゚。

聯隊長心得の身としてはやはり切腹でせうか?
450名無し三等兵:04/06/22 21:08 ID:My/ErgH7
>>449
その時腹切ってれば203高地で英霊があんなにでることも・・・
451名無し三等兵:04/06/22 21:24 ID:???
そんとき乃木さんが死んでたら、マジな話、28年後に旅順を落とすことは日本軍には不可能だったかもしれんな。
上原元帥の談話参照。
452名無し三等兵:04/06/22 21:40 ID:???
>>451
つーかあんだけ堅固に固められた近代の要塞をほんとに短時間で落としてるんだよな。護国の鬼は山ほど生まれたが。
453名無し三等兵:04/06/22 22:29 ID:???
旅順要塞攻防戦(日露戦争)             ロシア軍死傷者1万8千人 日本軍死傷者6万人

セヴァストーポリ要塞攻防戦(クリミア戦争)    ロシア軍死傷者 11万人 英仏他連合軍死傷者6万人
ベルダン要塞攻防戦(第一次大戦)         フランス軍死傷者54万人 ドイツ軍死傷者43万人

日本軍は短時間で落としてるとはいえヨーロッパはスケールが違うな・・・。
454名無し三等兵:04/06/22 23:06 ID:Sf0tkDg1
旅順は旧式でヨーロッパの基準からすると
たいした要塞ではないらしいな。
455名無し三等兵:04/06/22 23:26 ID:???
旅順要塞のロシア兵は旧幕府軍のごとく、装備は優良ながら
ただでさえ士気が低いのに祖国からも離れていて、全くやる気なし。
精神論は重視しすぎると最悪だが、無視することも出来ないぞ。
456名無し三等兵:04/06/23 22:20 ID:???
>455
そりゃ攻防戦末期の頃は死傷続出するわ病気が流行るわ糧秣弾薬は尽きかけるわで士気阻喪していたようだが、
少なくとも第3次総攻撃の頃まではやる気満々だったんじゃないのか?
士気が低くて全くヤル気が無い軍隊が、大損害出しながら何度も逆襲を仕掛けたりするか?
むしろ、「東洋のサルなんぞに負けるくらいなら死んだ方がマシだ」と必死になっていた印象を受ける。
457名無し三等兵:04/06/23 23:06 ID:???
つか、たしかに日本人の規準から見るとだらしないが、だからと言って義務や任務を軽んじたりしない。
つう話がロシア海軍関連であった希ガス。
いまさらロシア人低士気論か?と言う肝酢。
458名無し三等兵:04/06/24 00:56 ID:TPX120XQ
>>449
切腹なんか考えちゃダメだ。
そんな事考えてたら親友の児玉君に叱責されて
サーベルを取り上げられてしまうぞ。
459名無し三等兵:04/07/04 14:33 ID:WXOnruiN
なんで最初から203高地を占領しなかったのか不思議なんだが。
460名無し三等兵:04/07/04 14:35 ID:???
>>453
あの時点の日本軍であれ以上のスケールでやったら

弾薬人員予算尽き果ててそれこそ悲惨なことになるべ

国には見合った戦争のサイズがあるということ
461名無し三等兵:04/07/04 14:41 ID:???
西南戦争関連でおすすめの本ないですか?
462名無し三等兵:04/07/04 16:14 ID:6D16leSx
「翔ぶがごとく」というと司馬厨とか言われそうだが、西南戦争の全体像をつかむ
にはいいと思う。戦闘、戦術までとなるとやや苦しいが、、、、
463461:04/07/04 17:13 ID:???
>>462
有難うごさいます。m(_ _)m
あまり西南戦争前後の時代を知らないので丁度いいです。
早速読んでみます。
464名無し三等兵:04/07/04 17:39 ID:???
「狙うて候」も面白い

ただこっちは戊辰戦争がメインっぽいのと、前線の描写が主だが
465461:04/07/04 17:49 ID:???
464さんも有難うございます。
466名無し三等兵:04/07/04 20:30 ID:???
>>461 入手難だと思うが、橋本昌樹「田原坂」(中公文庫)が読みやすい戦史としてはベストだと思う。終盤は書いてないが。
時代背景については、小島慶三「戊辰戦争から西南戦争へ―明治維新を考える」(中公新書)がいい。
467461:04/07/04 23:10 ID:???
>>466
有難うございます。
468名無し三等兵:04/07/04 23:48 ID:???
「日本はなぜ敗れるのか―敗因21ヵ条」
角川oneテーマ21
山本 七平 (著)

ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4047041572/qid=1088952327/sr=1-9/ref=sr_1_10_9/250-7140693-6504225

部分的に西南戦争と、
「大東亜戦争」との類似点という見地から、
一時資料を引用した西南戦争描写がある。
当時の人間の見方を知る上で参考になる。
469名無し三等兵:04/07/05 00:57 ID:???
>468
なんか書いてる香具師がベンダサンで怪しいんですが、内容は大丈夫でつか?
470名無し三等兵:04/07/05 02:00 ID:???
>>469

引用箇所の原文に当たったわけではないが大丈夫とおもう。

ちなみに、私は、ヘンダサンの行為は、
2チャンネルのネタ・釣りスレ的行為の元祖として評価する意見に
賛成している。。

2チャンネル程度には価値があろう。
471名無し三等兵:04/07/05 20:25 ID:???
>>469 山本七平の日本軍ものはいい、というか他のもん読んでないんだが。
472名無し三等兵:04/07/05 20:33 ID:???
「西南紀伝」はどう?読み応えがあって面白いよ。辺見が脱走兵を庇ったエピソードなんかは泣ける。
473生粋の女だけど
最近、パクチソンが無性に好きになってきた。。。
正直、ヤりたぃ・・・