第二次上海事変を語るスレ

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1名無し三等兵
激烈の呉淞上陸作戦!上海での市街戦、そして南京陥落。
日露戦争後最大の激戦第二次上海事変を語りましょう。
2名無し三等兵:03/10/31 10:48 ID:???
陸戦隊阻止
3名無し三等兵:03/10/31 10:48 ID:???
    ∧_∧
  ∧( ´∀`)
 ( ⊂    ⊃
 ( つ ノ ノ
 |(__)_)
 (__)_)
4名無し三等兵:03/10/31 10:49 ID:???
機関短銃大活躍
5名無し三等兵:03/10/31 14:16 ID:???
米船 プレジデントフーバー損傷
6名無し三等兵:03/10/31 14:21 ID:???
戦後すぐ(1950年ごろ)の開戦から敗北までを扱った毎日グラフには
中国軍が爆撃してきたことが載ってるのに、いまじゃ
「日中戦争」「上海」「空襲」といえば
        ↓
日本海軍の爆撃機が大規模な無差別爆撃をしました。
になっちまう。

鬱だ
7名無し三等兵:03/10/31 19:38 ID:???
両スレの予感
ベタ藤原あたりを償還すべし
8他力本願:03/10/31 20:03 ID:???
>>7
しかし一歩間違えれば泥沼のコヴァスレになってしまう予感・・・
良質のネタ提供を期待しよう。
9名無し三等兵:03/11/01 00:01 ID:tbCNs+kU
age
10ナナシ:03/11/01 00:01 ID:tbCNs+kU
age
11名無し三等兵:03/11/01 00:04 ID:tbCNs+kU
12名無し三等兵:03/11/01 00:14 ID:tbCNs+kU
名古屋第三師団の呉淞上陸作戦は壮絶だったようだ。
誰か詳しい情報求む!
http://www.bekkoame.ne.jp/~bandaru/deta02u8.htm
13名無し三等兵:03/11/01 01:27 ID:B6Xl3rTX
『歩兵第三十四連隊史』に、103連隊の話が出てる。
夜襲の際に大隊長と2、3名が突入したが、後が続かなかったとか・・・。
しかも、この大隊長は敵の逆襲をくらって戦死。部下は翌日までその事を知らなかった。

なんだか鬱だな。
14名無し三等兵:03/11/01 01:43 ID:???
コレヒドール攻略のほうがもっと凄惨
15名無し三等兵:03/11/01 23:40 ID:r0jN9Dgy
平木渥(第9師団)の証言(秦 郁彦 南京事件 中公新書1986から)
「一弾は自分より二人前の中隊長殿の右大腿部を貫通、
他の三人もやられた・・・地形に精しい敵は暗夜の逆
襲を常套手段としているが、わたしは一発も盲射せず
着剣して待ち構えたが、とうとう壕の中までは突撃し
て来なかった。しかし敵弾は凄まじく、壕の上面をそ
りはぎ、文字通りの雨あられで、誰かが素早く銃をあ
げて撃とうとした瞬間に指を射抜かれたり、銃口に命
中弾を受けたのを目撃したが、横なぐりの弾幕その無
益な物量に驚くばかりである。」

支那国民党軍の小火器や山砲はドイツ式だった。
ヘルメットもフリッツタイプでドイツ軍に酷似していた。
16名無し:03/11/01 23:40 ID:r0jN9Dgy
age
17名無し三等兵:03/11/01 23:41 ID:r0jN9Dgy
age
18名無し三等兵:03/11/02 14:31 ID:???
第3師団歩兵第34連隊(静岡)は、8月14日動員下令、23日動員完結、
連隊の戦時編成約3800名、26日静岡駅から盛大な歓呼の声に送られ征途についた。
送るものも送られるものも短期決勝、速戦速決を信じていた。
9月5日上海北側に上陸、直ちに敵陣地攻撃の命令を受け、10日から凄惨な陣地戦に
突入することになった。
この9月中旬から中国軍が総退却を始める11月11日までの約2ヶ月の戦闘で、
静岡の補充隊から1800名の補充を受けたが、
その間、連隊は中隊長7名を含む戦死1248名、負傷2146名、
戦病死(コレラ)62名の死傷者を出した。
当初出征した人員の殆どが死傷した勘定になるが、この膨大な死傷者に静岡の人達は、
動員下令後、赴任してきた連隊長の指揮が悪いからだと、その怒りをその地で留守している
連隊長夫人に向けた。毎夜家に石が投げられ門前に憲兵が立つようになった。
遺骨の出迎え、葬儀、慰霊祭に夫に代わって出席して露骨な悪罵に耐えていた連隊長夫人も
ついに、翌年4月自らの命を絶った。
この事件は陸軍部内にはショックで、戦地の連隊長に任命されても、
その家族はその原駐屯地に居を移すことはなくなった。

19名無し三等兵:03/11/02 23:02 ID:qhn9Agv4
呉淞上陸作戦にしても上海東部戦線の突破にしても日本の戦史に残るほど
激烈な戦闘だし二〜三万近い死傷者が出たのになんでこんなにマイナーな
んだろう。
20名無し三等兵:03/11/02 23:12 ID:???
上海戦の後って南京占領で、南京事件とかあったりして口が重いうえ、
そっちばっかり注目されるし、陸軍の証拠隠滅作戦でそのあたりの
ことは伏せられたりしたし、その前は前で「盧溝橋事件で俺が
発砲して開戦になったぞ」みたいな自慢する奴はいるし、ってあたりでは?
21名無し三等兵:03/11/02 23:13 ID:qhn9Agv4
第二次上海事変後の上海の映像を見たことがあるが市街地北部の
建造物はほとんど破壊されていた。相当激烈な市街戦だったんだろう。
上海南京間の戦闘体験記は相当出てると聞いたが誰か知ってる人いないかな。
22名無し三等兵:03/11/03 00:50 ID:IlofUxWV
20>
確かに南京事件の有無ばかり注目されて上海戦は無視されている感がある。
防衛庁の戦史でも大して問題にされていないみたいだし
23名無し三等兵:03/11/04 06:58 ID:tdqngv6s
>21 俺の知ってる限りで・・・・

小説だが、中公文庫で『呉松クリーク/野戦病院』ってのが今年の8月に出た。
1939年の『中央公論』に掲載されてたやつだ。

作者の日比野士朗は、林芙美子みたいな「従軍作家」ではなく、ただの小説家志望の人だったらしい。
34歳で召集、101師団の一員として上海戦に参加。一番激しい戦闘が行われる数日前に負傷して病院送りになり、
その後内地に戻ってからこの作品を書き上げたようだ。

薄い本で、あんまり期待してなかったんだが、結構面白かったぞ。たんたんとした描写が印象的。

書評スレでは触れられていないが、最近の中公文庫は、従軍作家の作品をいろいろ出してる。
読書の秋なんだし、たまにはこういうのもいかが?
24名無し三等兵:03/11/04 07:08 ID:tdqngv6s
↑すまん。『呉淞クリーク/野戦病院』だ。

 「松」じゃなくて、「淞」ね。
25名無し三等兵:03/11/04 12:41 ID:o7wHUJNX
101師団って東京の下町出身者で作られた予備部隊だっけ?
確か予想以上の活躍だったはず、最後の大場鎮(だいじょうちん)
での決戦に参加した師団では
26南京戦を指揮した英雄は何故か干された プ!:03/11/04 15:37 ID:T80BagvH
太平洋戦争なんかだと真珠湾攻撃とかだけで
一つの本が出来て、艦の位置や攻撃の順序がわかるのに
上海戦はあまりない...戦史叢書も期待外れだったし
27名無し三等兵
>>25

第1師団に所属していた予備役を召集した部隊ですね。

死んだうちの爺様(埼玉県)はこの部隊の東京1連隊予備役中心の第101連隊
に所属(2度目の召集)して上海戦に参加しました。
 で、>23 の上海周辺のクリーク戦で所属中隊全力の敵前強襲渡河に参加
して中隊全滅の憂き目にあいました。無事は爺様の機関銃座の4人のみとい
う文字どおりの全滅です。この中隊は爺様が退役するまでに4人の中隊長を
失うという呪われたような部隊でした。