現在の戦争を理解するためには中世以前の古代の戦争を理解することも必要です。
例えば桶狭間で圧勝すると思われた今川義元は、何故、新興勢力の織田信長に敗れたのか?
古代中国で、武勇と知略の全てに長じた項羽が、全てに劣った劉邦に何故破れたか?
名将ハンニバルは、何故、ローマに破れたか?
これらの問題を考えてみましょう
阻止
桶狭間は古代戦なんか?おい?
>>4 中世以前と書いているでしょう。
中世の戦争も含まれています。
「中世以前の古代の戦争」と書いてるぞ
桶狭間の戦いでは、今川軍は信長軍をなめてかかっていたのだな。
信長の砦を二つ一度に落とそうと、軍を本隊を含めて三つに分け
しかも不利な窪地の桶狭間に本隊の陣を張った。
戦争では高いとこに陣がある方が圧倒的に優位と、孫子の時代からの定説だろう
そのため総力では圧倒的に優位でありながら、本隊はあっさりと信長軍に破れた。
天下統一と戦乱の終焉のせっかくの機会が失われたのは残念なことだが、
信長の勝利は今川の慢心の結果としか言いようがない
8 :
今川義元:03/05/26 17:38 ID:???
>7よ。一応は1000名位の前衛隊は居ったのじゃ。
ただこやつらがヘタレじゃったばっかりに・・・・
9 :
名無し三等兵:03/05/26 17:47 ID:cK1mWTa6
>>7 桶狭間「山」ね
信長公記を読みましょう
大体、敵地でわざわざ奇襲を受けやすい窪地に陣を張りますか?
10 :
今川義元:03/05/26 17:48 ID:???
>9
そのとうりじゃ
三戦板でやれよ。
日本史板とか世界史板でやった方が・・・
>>12 戦争や軍事に限るので、軍事の板の方が適切かと思いますが。。
いや、ぶっちゃけこっちの板ではその手の時代に詳しい人は少ないと思うよ?
板またぎの住人もいるからなんとも言えんだろうけど。
某研がカキコすれば大丈夫。
16 :
名無し三等兵:03/05/27 10:13 ID:nL5BVL8L
某研究者召還コマンド発動!
上、上、下、下、右、左、右、左、A、B 弾無限
小波コマンドかよっ
>>14 古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しいと思いますけど?
どこの士官学校でも、ハンニバルの時代の戦争だって教えます。
それだけ古代よりの兵法は、現在の兵法にも関連があるものですから
>>19 >>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しいと思いますけど?
詳しく理由を教えてくれ。
ハンニバル戦争については、2つの視点から学ぶべき点があるだろう。
恐らくね、あの時代における2つのRMAの戦いだったんだ。あの戦争は。
一つ目のRMAは、カンナエの戦いに代表される、ハンニバルによる機動戦力としての騎兵の存分な活用。
騎兵…というか機動兵力の集団的運用によって、二重包囲〜包囲殲滅を実行したというのは、当時としては画期的な戦術的革新に違いない。
二つ目のRMAは、事実上の国民国家的なローマの将兵の育成・動員システム。
経験豊富な政治指導者が即、軍事指導者に転用でき、かつ、有産市民のかなりの割合を経験豊富な兵として動員できるという、限定的ではあるにせよ、国民国家的システムを持つことによって、ローマはハンニバル戦争を戦いぬけた。
ハンニバルの将才によってもたらされた新しい戦術システム。
それに対して共和制ローマが歴史の流れの中で培った優秀な戦略システム。
その相克であったというふうに見なすことができる。
そして、そのどちらもが、その時代、他の国にはなかったものだ。
いや、優秀な将、優秀な兵、優秀な騎兵はいても、軍事システムとしては成立していなかった。
……とこう書いてみて思うのは…
>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しい
ではなくて、古戦にも詳しければ、いろんな豊かな語り口を持ちうるということだな…。
22 :
山崎渉:03/05/28 15:54 ID:???
∧_∧
ピュ.ー ( ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
=〔~∪ ̄ ̄〕
= ◎――◎ 山崎渉
>>20 古戦も現在の戦争とは切っても切れないものです。
孫子の兵法は現在でも通じる兵法であり。
ハンニバルの戦法も、敵の意表を突く戦法の真価がそこにある。
日本の戦争の革命の一つは元寇だな。
従来の一騎打ちによる騎馬戦から、大陸では当たり前の集団戦へ移行した。
さらに戦国時代には信長という型破りの人物が、鉄砲を使った新しい戦法を編み出した
一説には欧州の戦争を宣教士から学んだと言われるが、
これらの兵法の革命はなかなか興味深いものです
>>24 まあ、その前に、公地公民制度の骨抜きということがあるわけだが…。
開墾地の私有が認められたことによって、
開墾地を守るために武装する自作農民がまず生まれた。
相続の関係で土地をもてなくなった連中…
借金等で開墾地を失った連中が、荘園を武装して守る小作農になった。
これらの武装する自作農、小作農の組織化と序列化が進んだ…。
組織化された集団は、貴族の一部や臣籍降下した皇族を向かい入れて、
棟梁とした。
日本で始めて大規模な恒常的に武装する者からなる社会階級が誕生した。
武士だ。
そして、この武士が貴族から権力の実質を奪い取り、武士のための土地所有制度を作るために幕府を作った。
鎌倉幕府の成立は、ある意味で革命だった。
そして、平安期の蝦夷征伐の終了以降、初めて常備軍が誕生した軍事革命でもあった。
26 :
じんべえ:03/05/28 22:18 ID:vPH3lfFz
>>20 ペルシャは騎兵を集団運用していたわけですし。
カンネーはRMAとは言えない気がする。
むしろ相手の意表を付いたという点で評価がされているのでしょうか?
ローマのシステムが優れていたのは言うまでもないが、スパルタでも有産市民の男子は兵士であったわけですし。
>>古戦を詳しく無い人間が軍事を語るのは難しい
>ではなくて、古戦にも詳しければ、いろんな豊かな語り口を持ちうるということだな…。
賛同。古代の有名な兵法などは普遍的なものを持っているかも知れないが。
高度に情報化が進みつつある現代戦にどこまで通用するのかと言えば。
言われているほどではないと思います。
>>24 確かに元寇が集団戦闘へと移行する完全なキッカケとなったのかも知れないが、ひよどりごえを始めたあたりから日本でもかつての戦闘の慣習を打ち破る基礎は出来上がっていたと思う。
>>戦国時代には信長という型破りの人物が、鉄砲を使った新しい戦法を編み出した
信長の鉄砲装備率は他の大名に比べても低いわけだし。
一人に一丁鉄砲を持たせようとした島津、長宗我部の方が鉄砲を有効に活用したのではないか?
むしろ信長が長けていたのは戦闘ではなく多少無理な方法でも人材を上手く使う事であったと思う。
>>24 よく考えたら日本は元寇の時、一騎討ちで集団戦法に負けたのに第二次世界大戦で同じ負け方をしてるのね。
偶然?
>>28 >>第二次世界大戦で同じ負け方をしてるのね。
???
日本は航空機による集団運用を行わなかったの?
勿論行ってますが何か?
航空機による一騎打ち、一次大戦レベルだな。
>>27 しかし武田の騎馬隊を鉄砲隊でうち破ったのは見事でしたよ。
以前から三段構えの方策と言われるが、アレは鉄砲隊を三人並べて順次撃つのでは
なく、平地に騎馬の突入を防ぐ砦を作り。鉄砲隊で叩く。
そんなものだったとの説を聞いたことがありますが、信長の勝利は騎馬隊による密集
戦法を時代遅れにしてしまったでしょう。
36 :
名無し三等兵:03/05/29 03:16 ID:8agIYfOf
>賛同。古代の有名な兵法などは普遍的なものを持っているかも知れないが。
>高度に情報化が進みつつある現代戦にどこまで通用するのかと言えば。
>言われているほどではないと思います。
もちろん古代の戦法が、現在でもそのまま通じることはあり得ないが、それでもその古代の戦法が
何故、その当時、通用したのか、それを理解しないと戦法の本質を解すことなど出来ません。
何より、軍事思想も兵法も現実には古代の兵法書に全て出し尽くされています。
第二次大戦に行われた戦略爆撃も、策源地の機能喪失として古典の時代からある。
近年になって行われたRMA構想も、高度に発達した通信機器やITなど、その時代の技術水準に
応じて小道具は変わって来ていますが、それらの重要性や戦法への指摘は古典の時代にすでにある。
だからこそ歴史上の戦法も兵法も現在でも光のです。
>>34 石原完爾が世界最終戦論で良いことを言っていたね。
戦争の最小指揮単位は逐次小さくなり、やがて個人になる。
彼は現在の戦争のあり方を予見していたのだろうか?
39 :
_:03/05/29 03:37 ID:???
>>25 豪族も元もとは武装を行っていましたよ。
古代は小国が乱立する時代だった。その小国の連合体が大和朝廷だったわけです。
やがて豪族は貴族となり。王朝時代へ移り
さらに封建時代に移った。
北東アジアでは封建時代があるのは、日本だけなのだよね。
この辺がどうしてか興味深いですよ。
>>35 >>しかし武田の騎馬隊を鉄砲隊でうち破ったのは見事でしたよ。
80年代で思考が停止している予感!!
>>37 別に煽りとかではなく。
古代の戦争を知らないと現代戦がうまく語れないという具体例が欲しいのだが。
桶狭間の戦いは今川義元上洛の為の戦いでなく
尾張の覇権確立の為の戦いであった、というのは
キシュツ?
44 :
じんべえ:03/05/29 16:49 ID:S/wwTSy0
>>43 そうらしいね。
今川が上洛をしようとしたという記述は見当たらないんだったっけ?
>>41 横槍だけど。
武田は騎馬軍など使っておらんよ。
騎馬を使うときも日本の場合は密集突撃なんか出来ない。
馬の数が少ないからだ。
むしろ鉄砲を上手く使ったのは雑賀であって、信長は痛い思いをしている。
>>38 むしろ現代はいかに大人数を効率よく動かすか?
にかかっていると思うが・・・
46 :
名無し三等兵:03/05/29 20:39 ID:IpouA5nK
信長は戦争があまり上手くなく、その上、尾張兵は相当なへたれだった。
この欠点を克服するために信長がとった戦法は徹底した「物量戦」
この「物量戦」を行うためためには当然、相当な経済力が必要だったが
当時、信長が支配していた領国、とりわけ尾張、美濃、南近江の石高は
相当なものだっため、「物量戦」が可能だった。
さらに、信長の持つ過激な性格からか、織田軍は日本史上、稀にみる徹底した
「殲滅戦」を行った。一向宗や延暦寺に対してとった措置をみれば明らかだろう
織田軍が強かったのは「物量戦」と「殲滅戦」を行ったからである。
…って大学の先生が言ってました。つーか、軍版で話す内容じゃないか…
一向宗のたぐいは最後の最後まで徹底抗戦するし、言葉で話してもわかるような連中ではない。
よってそのような作戦を取るしかないのだ。
>>46 かなり古い通説ですにょ。
武田の騎馬の割合が実は北条より低かったのと同様
つっこみ所だれけですにょ。
49 :
さくら:03/05/29 21:07 ID:???
>>49 もっと詳しい人がいくらでもいるが
・尾張兵は別に弱兵ではない
・物量戦は他の大名でも可能
・経済力も他に優れた大名はいる
・殲滅戦は織田軍だけではない(ただしあまり例はない)
信長が強かったのは、ただ単に京に近くて
将軍やら朝廷の権威を利用しまくったからかもしれませんね。
要するに、政治家として一流だったと
尾張の信長と言えば、破天荒な人物で有名だよね
乱世は、漢の劉邦と言い。かならず型破りの人物が台頭でき
それだけに面白い時代だ
>>40 板違い気味でしが、律令制から承久の変ぐらいまでを探るのも一興かと。
中国との比較で言えば、かの国では科挙試験で官僚層を積極的に育成し、
貴族層(=封建制の核となりやすい)を意図的に排除・衰退させたのが大きかったような。
同じ中央集権・律令制度とはいえ、
>>25さんがすでにご指摘の通り、日本のそれは経済的基盤を持てない親王(3世、4世以降の王たち)が地方に下り、
やがては武力/経済力、そして権威で中央を脅かすという制度的欠陥も秘めてましたし。
対して中国にはかなりの親王領があり、皇子らに捨て扶持与えて地方勢力や不満分子が貴種を担ぐ事態を抑止。皇帝と科挙官僚の権力は安定。
自分はこういう観点(1つの仮説でしが)から、平将門や尼将軍北条政子などに注目してます。
>>53 三国志の曹操の起こした魏では、皇族に権限を持たせれば皇族同士の争乱を招くと
皇帝以外の皇族には出来るだけ権力を持たせないようにしたそうだ。
しかしその結果、家臣の中に力を付けたものが出ると、皇帝を守れる皇族がいない
であっさりと滅ぼされた。
魏の後を継いだ司馬氏は、それを反面教師に皇族に強力な権限を持たせ
皇帝を守れる体制を取ろうとしたが、今度は曹操の懸念の通り皇族同士が覇権争い
を初めて収集がつかなくなった。。
要するに唐王朝の律令はそうした課程を経験して確立されたものであり。
簡単に日本がマネできるものではないでしょう。
天智天皇あたりは、それを強引にやろうとして地方豪族の恨みを買いまくり。
結局、その息子の代で壬申の乱が起こり。弟・大海人皇子を担いだ中小の地方豪族達
に倒されたし
>>47 宗教や民族が絡めば、戦争というのは必ず陰湿なものになる。
それは歴史が証明しているよ。。
十字軍の遠征なんて見てみなさいな。アラブ圏では十字軍は虐殺と略奪の象徴では
ないかね
偉大なるカルタゴの名将・ハンニバル
無謀とも思えるアルプス越えを行い。ローマ帝国を震撼させた。。
しかしカルタゴの運命は哀れとしか言いようがないな。
最後には、ローマに対抗する力を完全に失い。農業国として存続していたのに
ローマによって徹底的な攻撃を受け。破壊された。。
現在のローマ帝国アメリカの姿と重ねてカルタゴの姿が哀れに思える。
そのローマもアジアの遊牧民達に逐われたゲルマン民族によって滅ぼされた
日本の歴史は、戦争の歴史だからね。
徳川時代の安定期を除き。常に大小の戦乱があった。
小規模だが記録に残らないものも多いが、詳しく調べてみると対馬への半島からの
侵入や九州への大陸の海賊の襲来。
その他諸々。。
一部の政党や平和主義者が唱えるような、日本は自分から戦争仕掛けない限り。
戦争が起こることが無いなんてあり得ない。
それを平然と機関誌に書いている連中とそれを真に受ける連中がおおすぎやしない
かね?
刀伊とか元寇以上の襲撃だしなぁ。 歴史の授業じゃ、1行か2行程度。
ところで、MS-IMEで倭寇は一発変換されるのに元寇は一発変換できないのは
なぜなんだろう。
刀伊の襲撃なんて、日本人でも知らないのが多いのが現状だ
ATOKでは、元寇も一発で変換出来るよ。
IMEは馬鹿だから駄目なのでしょ。
実際にIMEからATOKに移った人はいても、その逆はまずないし
MS-IMEは使えないのはわかってるんだが、
日本じゃ馴染みの無い檀君は一発で変換できるし
金大中(きむでじゅん)盧泰愚(のてう)とかも一発変換できるのが
なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんか気になるんだな。
日本史(の授業)のなかで、
刀伊の襲来の扱いが少ないのは、
某方面に対する配慮からですか?
考えすぎ?
>>63 単に一過性の局地戦だからと違うか?
元寇みたいに全国的な動員がかかったわけじゃないし。
>>62 歴史の授業っていうと、明治時代を教わり始める頃に学年が終わってしまうものだ。
第二次大戦後の第三国人の横暴や土地泥棒をもっと教えるべきだ!
>>62 単なる海賊の襲来だからね。教科書に記述するまでも無いと判断した可能性は否定しないが。。
しかしそのワリには、日本の倭寇に関しては、必ず記述があるな。
日本の海賊行為には詳しく記しながら、こっちの被害には記すことはないってのもおかしな話だ
単純に倭寇の方が大規模だったからじゃない?
後期倭寇が朝鮮人だったこともあるし。
しかし面白いのは倭寇は朝鮮でも中国でも日本からって見方が多いってことだ。
韓国の教科書には、王の倭寇の征伐が記されているが、詳細を読んでみると倭寇の
長はどう見ても日本人ではなく中国人の名前だが、日本の倭寇を撃退したかのよう
な感じで記している。
だいたい海賊なんてものは、ほとんどが武装商船だ。
交易のついでに他の地域で一暴れするか、交易の交渉が拗れたら実力行使に出たり
あるいは逆に襲われるのを防いだりするために武装するのが普通。
有名なバイキングも、彼らの船旅で得る利益の大半は交易で得たものであり。
海賊行為で得たものの方が少なかったくらいだよ。
当然、その海賊行為には朝鮮や中国に東南アジア系の交易船も含まれていただろう。
そのことを論じないのもおかしなものだよ
村上水軍などの海賊は、地方領主って位置づけだ。
交易船から通行税を勝手に取って、それに応じなければ武力で奪い取る。
村上水軍の戦術は詳しくは知らないが、バイキングの戦術は単純極まる
平地での戦いは丘のような高い場所に盾を持って一列に並び。敵を迎え撃つ。
敵が遠距離の場合は、弓で至近距離に近づいたら斧や槍を使う。
海の場合も似たようなもので、意外に防御を重視した戦法だったらしい
>42
戦術、作戦に関しては技術の進歩によってさまざまに変化してきたが
戦略やリーダーシップなどに関しては過去の例が参考になるからだよ。
たとえば、イラク戦に関してもアメリカ軍が行ったのは
よく訓練されて高度な指揮、通信能力を持ち、さらに機動力のある
部隊を多方面から首都に向かって進撃している。
また、湾岸戦争以降イラクの経済封鎖、武器の破壊、外交的な孤立を図って
実に10年の歳月をかけて万全の準備をして戦争を行っている。
そしてこれらはアメリカ軍が考案したのではなく、太古の昔から
軍、そして国家が戦争を行うにあたり可能な限り希求していたもの。
モンゴル軍やナポレオン、信長やハンニバルなど過去の戦争指導者達が
どのように考え、行動しそしてなぜ勝利し、または敗れ去ったのか?
これら過去のについて学ばなければ、イラク戦においてアメリカがなぜ
フランス、ドイツ、トルコに手厳しくなったのか?
パウエルとラムズフェルドがなぜ対立しているのか?
アメリカ軍はイラクに対してどうしてあの作戦で侵攻したのか?などなど
まったく理解できません。
逆に過去の歴史を正しく理解し、一定の情報と判断力、推測力を持てば
ある程度の理解はできるようになるでしょう。
>>70 >>42の指摘は具体的な例を述べろと言うものであり。あなたの意見とは違うと思い
ますけど。。
具体的な例を述べれば、孫子の兵法書を読み。ドイツ皇帝が感銘を受けたとか
抽象的な例は幾らもありますけど、近代にぴったり古代の戦法がそのまま当てはま
る例はなかなか見あたりません。
それはあなた。時代によって思想も戦略も技術も違うのですから、大雑把なものは
当てはまっても細部まで全てそのまま当てはめることは出来ません。
だからこそ歴史上の例をよく学び。そうした知識の中から推測や判断出来る能力が
必要とあなたは指摘したいのでしょうが。
>>71 ちょっとまてよ、いくらなんでも読みにくすぎるぞ(いろんな所が
第一、「具体的な例を述べれば・・・」述べてないだろ
わざとか?
>71
例として今回のイラク戦争を挙げたつもりだったけど分かりにくかったか・・・。
まあ、我ながらまとまっている文とはいえないわな。
では簡潔に
90年〜91年の湾岸戦争によってアメリカ軍は第7および第18軍をもって
後方への機動による包囲殲滅戦を狙ったと推測される。
なぜ、推測できるかというと古代のハンニバル、シュリーフェンが行ったまたは行おうとした
側面運動に類似しているからである。
うーん、今度は簡潔すぎていろいろ突っ込まれそうだw
>74
まあ、これはあくまで一番分かりやすい例を挙げたので
そういわれるとミもふたもないが、
それでも、知らなくても本当に推測できるかどうかもう一度考えてみては?
>>75 俺は湾岸の時はハンニバルもシュリーフェンも知らなかったが。
包囲くらいはわかったぞ。
まあ包囲戦術という言葉があるのはハンニバルのおかげかもしれないが。
ハンニバルを知らなくても包囲という言葉自体は一般人も知っているわけで。
ぶっちゃけ現代戦は変わりすぎてたんだよ。
過去の戦訓が生かせる時代なんてもう終わるかもしれない。
特に陸軍系の戦術は航空優勢の前では無意味ですからな。
まあ毛沢東、チェ・ゲバラは今でも役に立つかもしれないが。
正規戦における兵法は役に立たたない気がする。
さらに相手の動きをどう読むか?というのが古代から近代の戦争では重要であったわけだが。
現代戦では下手をすれば相手の動きなど筒抜け状態ですからな。
>>78 根っこの部分は古代も現代戦も大して変化はありませんよ
補給の重要性などは孫子の時代から唱えられていることですし
まあ。技術変化に伴って戦術の変化はあり得ることですが、あくまで戦術レベルの
変化であり。それは弓が兵器の主力だった時代から銃が主力となった時代
モールス信号など電波の発見で通信が重要になった時代などの変化もありましたけ
ど、戦争論や孫子など古い兵法書が今でも読まれているように思想自体には変化は
ありません。
そもそも装備の変化によって戦術が変化して行ったことを理解しなければ、新しい
兵器の登場がどのように戦術を変化させるものかを理解することは難しい。
毛沢東やチェ・ゲバラの戦術は確かゲリラ戦を指摘したものでしょう
それでもゲリラ戦を理解しなければゲリラ戦に対抗することは出来ませんよ
>さらに相手の動きをどう読むか?というのが古代から近代の戦争では重要であったわけだが。
>現代戦では下手をすれば相手の動きなど筒抜け状態ですからな。
アメリカは南北戦争の勝利で「策源地の破壊」と「後方重視」が基本戦略となりました。
狩猟を重視したアングルサクソンの伝統が、通信諜報活動重視になりました。
要するに現在の戦術も民族や国家の古代よりの教訓があって初めて成り立つものであり。
それを抜きにして敵と味方の戦術や戦略を理解することは出来ません
>>79 補給の重要性などは別に古代戦を研究するまでもなく常識だ。
わざわざ何かの書を読まずとも良い。
ようするに戦術の基本となる部分などは。
軍ヲタやってれば普通に知っているものであって。
別に古代〜近代戦を研究しなければならない理由にはならない。
>>80 歴史は繰り返すと言いますけど、これは正しくない
しかし同じようなパターンをたどることはよくありますよ。
そもそも歴史を知らずしていまを語ることなど出来ない。。
○古代戦の戦略思想などは現代戦にも通じる物がある
×古代戦の戦略思想を理解しなければ現代戦も理解できない
だと思うがどうよ?
というか2次大戦をそれなりに研究すれば古代の戦闘など研究せずとも良いだろう。
>76
ハンニバルもシュリーフェンも
その他の過去の戦い会戦もなんにもしらずに
包囲がわかったのか。
それはすごい。君はきっと軍事に関して天性の素質があるのだろう。
そして、包囲作戦だけでなくさまざまな作戦もその
天性の素質で理解できるのでしょう。
私は一番初めはアメリカ軍は包囲殲滅ではなく
陽動部隊を敵後方に侵攻させ後方連絡線を遮断又は
それを図ることによってイラク軍を退却させるのかと
思ってました。なぜならあの時点ではアメリカ軍の目的は
クウェートの解放でしたし、犠牲が多く生じる可能性があり
また、兵站的にもかなり辛い本格的な機動軍を砂漠の
真ん中を踏破するにはかなりの指揮統制能力と
兵站システムが必要とされるからです。
実際シュリーフェンプランも兵站上に問題があって
そのプランどうりには発動されなかったし。
まあ、実際はアメリカ軍の指揮統制能力と
兵站能力が想像を遥かに超えて素晴らしかったわけですが
ま、素質の無い私は過去の戦争を学び戦いを学び組織学や
人間の行動、軍制や兵站、指揮統合について勉強します。
しかし、案の定いろいろ突っ込まれたな。
>>84 何わけのわかんねぇことかいてるんだコイツは?
湾岸での米軍の動向など過去の戦闘なんか学んでもわかるわけねぇだろ。
素質もクソもない。
>実際シュリーフェンプランも兵站上に問題があって
>そのプランどうりには発動されなかったし。
あの当時と現代をごっちゃにしてるんじゃないか?
はっきりいって機械化のレベルが違うだろ。
湾岸の例でシュリーフェンを出すなんて正直信じられぬ。
86 :
名無し三等兵:03/06/02 20:05 ID:oymSaBiP
>>84 てか湾岸なら普通は2次大戦以降の戦闘の例を出すだろ。
古代の戦闘とどのように絡めるのだ。
87 :
名無し三等兵:03/06/02 20:07 ID:QD+lCk7W
「源平合戦」をドウ思う、君たち?
>>1 正直漏れは。
歴史的な戦闘なんかよりも。
現代の戦闘を学んだ方が良いと思います。
89 :
名無し三等兵:03/06/02 20:10 ID:Pvdbrcfr
90 :
名無し三等兵:03/06/02 20:11 ID:QD+lCk7W
>>88 確かに近代兵器の用法とかはね。
でも現代戦も勝敗を決するのは人間だしね
古代戦や近代戦の戦訓からも学ぶものは多いよ。
>>87 どうせ、それは全く源平合戦を理解してないとか言って鬼の首を取りたいんでしょ?
自分の意見を先に言おう。
92 :
名無し三等兵:03/06/02 20:14 ID:mZNvEBxU
半島には喧嘩のとき雪合戦のごとく「ウンコを投げつけあう」習慣がある
93 :
名無し三等兵:03/06/02 20:16 ID:QD+lCk7W
>>91 だってこれも古代戦だろ?
おれは教科書に載ってるくらいしか知らないからね
みんなで語ってくれって意味。そんなに深く読まなくてもいいよ。
>>90 おっ初めて俺と同じ意見の人が出た。
>>現代戦も勝敗を決するのは人間だしね
そう。人が勝敗を決める限り。
戦争とは不確定極まるもの。
だからこそ古代の戦闘から学べるものがあると俺は思う。
だから兵法書がビジネスに使えるというのもそこにあると思ふ。
96 :
名無し三等兵:03/06/02 20:19 ID:QD+lCk7W
>78
言わんとしていることは理解できる。
けど、それでは制空権を取っただけで本当に
戦争に勝てるのか?やっぱり勝てなかったなんて言い訳は
少なくとも税金を払っている人や戦死者の家族にはいえないでしょう。
現在戦にはいるかどうかは人によるけど
朝鮮戦争、ベトナム戦争とアメリカ軍は制空権を取りながら
戦争に勝つことはできなかった。
局地的な勝利を掴むだけなら古代の戦争を学ばなくても良いかも
知れないが、戦争、戦役を勝利に導くためには
古代の戦いも参考になると思う。
そしてなにより、軍事が好きな人だったら古代戦も面白い
>>96 別にその戦争の意義自体を語っても良いのでは?
>>97 朝鮮戦争は詳しく調べてないからわからんが。
航空機の与える損害が中国軍の戦力回復力に劣っていたと言う事でしょう。
しかし現代のアメリカやロシアが保有する爆弾の殺傷力なら中国の回復力すら上回るのだと思う。
ベトナムはゲリラ戦だからな
>>78が毛沢東を上げたのはそういう意味があるのではなかろうか。
>>そしてなにより、軍事が好きな人だったら古代戦も面白い
賛同。
現代との関連など考えずに古代戦について話すのは楽しい。
だから俺は世界史板によく行く。
>>99 >>そしてなにより、軍事が好きな人だったら古代戦も面白い
これが結論な気がするな。
軍事板に今は古代戦のスレないし。
>>1さんはどうよ?あんましごたく並べてもしゃあないし。
いろんな考えがあると思うし。
>>96 一言だけだな…
軍事的天才は、非常に重要な役割を果たす。
101 :
名無し三等兵:03/06/02 20:38 ID:QD+lCk7W
>>99 まあね、古代戦は近代戦とは違った醍醐味があるしね。なにより面白い。
みんな、世界史板では出てこないような、軍事板ならではの話を頼むよ。
>>100 天才というか当時で言えば掟破りに近かったのでは?
まあそういう意味ではナポレオンもそうだが・・・
103 :
名無し三等兵:03/06/02 20:42 ID:QD+lCk7W
>>102 常識を覆す発想で敵を襲撃する
一歩間違えたらただの基地外だが...
それで勝利に導くのが天才なのだな?
>>102 騎兵の集団運用が実際にどうかはともかくとしてね。
確かに起きて破りには、違いないんだよね。
常識を超えた部隊展開。
非戦闘員を巻き込んだ戦闘の実行。
類まれな、戦機を読む勘。
ナポレオンと違うのは、政治的な革新と結びつかないこと。
それが政治的リーダーシップおよび政治的天才の頼朝と袂を分かつ原因であり、
袂を別った後の末路に繋がってる。
>>103 常識というか。
あの当時では触れてはいけないものに触れたという感じではないかな?
あの時代に奇襲はしてはなりません。
とか文章に書かれて条約になっていたのかは全く知らないが。
今細菌兵器を使うに等しい行為だったのではないか。
>>104 >>政治的な革新
完全なる武士政権を作ったという点ではどうか?
>>106 それは、軍板の扱う事項から外れてしまうのでは?
また、「合戦」の「戦闘」を語るという注文とも違う。
しかし、頼朝〜北条氏のラインが狙った完全なる武士政権をというビジョンの完成に繋がったということでは、日本史上稀に見る軍事革命だと思いますが…。
108 :
107:03/06/02 21:19 ID:???
>>107 上補足…
軍事革命=軍事を生業にする人たちによる革命ね。
RMAではない(苦笑)
>>83 それはどうですか?
プロイセンが巨大な陸軍力を発達させたのは、当時の最新技術のモールス信号を利用した。
効率的なピラミット型軍隊を作り上げたからです。
しかし現在ではそれが次第に否定され初めています。
迅速さが求められる現代の戦闘では、中央の指示を待っていたら対応出来ないと。
一兵士でも司令官の決断を求めるようになって来ている。
これは考え方によれば、中世の騎士制度の復活と見なすことが出来るでしょう。
やはり古代から現代まで一貫した軍事の知識の蓄積が、新しい戦法を生み出す知恵を与えるのではないでしょうか?
110 :
名無し三等兵:03/06/02 22:18 ID:xR8PkV9g
歴史的といえばカエサルのガリア遠征。
内と外から敵に攻められても勝ったアレシアの戦い?だっけ。
兵法関係無しといった感じ。
>>109 >>迅速さが求められる現代の戦闘では、中央の指示を待っていたら対応出来ないと。
世界一の軍事大国のアメリカは基本的にそういうスタイルは以前からとってないが・・・
>>中世の騎士制度の復活と見なすことが出来るでしょう。
すまんが言っている意味がわからない。
113 :
名無し三等兵:03/06/02 22:26 ID:v9qeGS1Z
ぼくらの七日間戦争!
>>109 というか参謀システム自体、米英は一次大戦以前から疑問視していたが。
ドイツですら(というか失敗したからこそ)二次大戦では現場重視だ。
中世の騎士制度と絡めたのは。
中世の騎士制は王(中央)ではなく諸侯(現場)の支持で戦っていると言う事を言いたいから?
115 :
名無し三等兵:03/06/02 22:36 ID:oymSaBiP
古代の名言で今のところ唯一保たれているものそれは
海 戦 は 陸 に 近 い と こ ろ で お き る
byアレキサンダー
116 :
名無し三等兵:03/06/02 22:40 ID:QD+lCk7W
>>115 海戦てのは大抵陸戦に関連して起こるから。
>>115 今のところはアメリカ相手に大規模な海戦が起きてないから何も言えないが。
相手の位置を把握できる現代ではそれは崩れてもおかしくない。
119 :
名無し三等兵:03/06/02 22:46 ID:/26+FJz2
師のアリストテレスからの学問,教えをよく学んだが
ただ1つ、異民族を家畜のように扱えとの教えには従わなかった
アレキサンダー。
英雄ですな。
RMAの1つでもある”徴兵制”の前と後では
戦争の形態もだいぶ違ってくると思うんだが
だいたい名将というのは独学で学んでいる傾向がある。
アレキサンダーが軍事についてフィリッポス2世から学んだ時期も短かったらしい。
>>120 徴兵制を本格的に行ったフランスはイギリスから何まで相手に強かったね。
123 :
system:03/06/02 23:02 ID:Rz7D7E2k
>>119 アレキサンダーを見ても、ハンニバルを見ても、ローマ帝国を見ても
異民族、あるいは被征服民を真の味方に付けなければ発展はない、
というのは古今不変の真理でしょう。アメリカがそこからなにかを
学んでくれていると良いのですが。つまり征服される事で利益を
得るような征服、統治される事で幸福になるような統治、の必要性
ですね。
>>123 アメリカはうまくやってる(きた)と思うけど。
おそらくイラクもアメリカ万歳になる日は近いと思うけど。
・・・思うという程度でしか言えないが・・・
実例が身近にあるではないか。
>統治される事で幸福になるような統治
>>125 悔しいけど賛同。
しかも、正直言って悪い気はしない。
アラー
>>121 名将というより天才は、と言った方が良いのでないか?
すばらしい閃きをもった人もたしかにいて、従来の枠に捕らわれない発想か
ら、頭角を現す人も確かにいるけど。
一方でそうとばかりは言えない人も幾らもいる。
だいたいにおいて戦争とは、正攻法を忠実に守った方が勝つものだ。
敵よりもより強力な戦力を用意し、より政略戦略的に優位に立つ。
フランス革命後、ナポレオンが頭角を現したのは、ナポレオンが砲術士官と
して士官学校に通った経験があったから、革命派の中では数少ない軍事の知
識の豊かな人間だったからだよ。
ない
日本海海戦での勝利は、日本海海戦や旅順攻防の起死回生の一撃ばかり問わ
れるが、それが効果を発揮したのも裏側で当時の日本の強かな外交戦略があ
てこそだよ。戦費の不足を補えたのは、ロシア国内で迫害を受けるユダヤ人
達の不満を吸収し米国のユダヤ資本の援助を得られたからであり。
日本海海戦で勝利を得たのは、ロシアバスチック艦隊が日英同盟の日本が二
カ国以上と戦う場合は、自動的にイギリスも参戦する。
その規定を恐れてロシア艦隊の寄港をどこの国も拒否し、艦隊は地球を半周
する大航海を無寄港でする必要に迫られ、艦艇も将兵も疲労していたからだ。
何よりロシアが余力を残しながら講和に応じたのは、結局のところ。米英の
支援を受けたこと、国内の革命派が起こす争乱の鎮圧にロシアは戦争どころで
はなくなったため。
こうした面を無視して、奇跡の勝利という目に見えやすい戦術レベルにばかり
捕らわれることは非常に危ない
でもあまり勉強熱心じゃなかったらしいよ。ナポレオン。
131 :
名無し三等兵:03/06/02 23:20 ID:/26+FJz2
>>123 ローマは征服した側出身者から最高司令官(執政官)を
選出したくらいだから繁栄が長かったのか。
>>99 >>1ですけど、偉そうなご託を語らず。
ただ。古代の戦争を語るのも面白いからこのスレに参加する。
それでも充分ですよ。結局のとこ、この板自体が軍事ヨタの掲示板ですし。。
>>128 >>一方でそうとばかりは言えない人も幾らもいる。
小沢治三郎とかね
まあナポレオンはそれまでのものをブチ壊した人間であって。
ある程度、過去の事を教えるような士官学校よりも自分で考えた部分が大きいのではないだろうか
>>130 え、そうなの?
本による知識は満たされないが空腹は水さえあれば満たされる
とか言ってなかったっけ?
>>125 民族の誇りやら愛国やらより。市民が一番に欲するのはパン(食料)と
サーカス(娯楽)だよ。それが満たされると現状に不満があろうとも、
一応の我慢はするものです。
日本の朝鮮統治が36年間の間、一時期を除けば非常に上手く行ったのも
結局のところ。それが出来る余裕があったからですよ。
136 :
名無し三等兵:03/06/02 23:27 ID:/26+FJz2
小沢は歴史初の空母機動艦隊 創始者との認識でよいのか?
137 :
名無し三士:03/06/02 23:28 ID:yg5QcohN
すごく勉強してるみたいね。
バルチック艦隊の一件はそういう偶然の産物という見方もあるわけね。
初めて知りました。しかし、それを聞いて日本がなるべくしてなった過程
がわかるような気がします。
それとはちがくて、”わが闘争”読んだ派?私は読んでないので、読もうと思う派。
>>133 過去の知識を蓄えるだけなら、それはデーターベースにした方がずっとマシ
そうした知識をもとに現状に即した発想が出来る人間が本当の天才でしょう。
小沢は航空機の有効性を説いていたがいまいちスペックヲタ的な判断をする人だと思った。
>>134 軍事の勉強という意味だよ(w
むしろ他の軍人より読書家ですよ。
ナポレオンは軍事よりも政治面のほうがすごいと思うのは俺だけか?
あの時代の名将はやはりタヴーだろう。
タヴーについて書いてある本を紹介してくれる人は頼もう。
偉そうな事を言ってもイマイチ断片的にしか知らない。
>名将はやはりタヴー
そりゃそうだ。負けたこと無いもん。
>>137 いや。偶然の産物ではなくて、日本海海戦で勝利を収めることが出来たのは
政略戦略面で当時の日本がロシアと互角以上の立場を得ることに成功してい
たから、そうゆう必然の面もあるって言いたいのです。
もちろん東郷平八郎の丁字戦法という常識破りの奇策があって勝利を収めた。
本人が認めていた通り。奇跡と呼べる面もありますが、その奇跡だの、奇策
だの戦術の勝利ばかりで語っては駄目ってことが言いたいわけです
ちなみに私は「我が闘争」は読んでいません。
どんなことが書いてあるかは興味がありますけど、それよりチャーチルの回顧
録を先に読みたいです
小沢は自由な発想をしろとよく騒いでいたらしいが。
正直現実を超えた妄想はイクナイ!と思う。
我が闘争は本当にオナニーだよ。
まあ読めばわかる。
しかも全部読めたら相当の精神力の持ち主だ!!
>>145 それは小沢より亀人に言ってやるべきだと思う。
>>147 それはあの当時の日本のトップ全員に言えた事だと思う(w
他の手段が無かったんだよ。小沢・・・
150 :
名無し三等兵:03/06/02 23:40 ID:/26+FJz2
>>145 燃料切れで飛行機が落ちていったアウトレンジ戦法のこと?
マリアナは戦闘機の割合をもうちょっと増やすべきだったのではないか?
アメリカが攻撃機:戦闘機=1:1であるに対して日本は2:1の割合ではないのか?
あとは乗員の錬度をアウトレンジしてしまってはどうしようもない。
>>145の言う事がなんとなくわかる。
>>138の言うように現状にそくしてないとダメなんだよな。
タヴー記念age
ナポレオンは良く勉強してるとおもうけどなー
ガリア戦記とか研究してなかったっけ?
>121
期間はどうかは知らないけど、フィリポスが行ってきた諸兵科統合
徹底的に活用したことを見ると理解はきちんとしていたんでは?
>>151 マリアナ海戦当時では、日本側が200機 米国側が350機くらいだったか
しかも日本側の戦闘機は、当時、世代遅れになっていた。
そんで一方的に叩かれたわけだが。。
F1支援戦闘機に乗った空自幹部が、こんなの乗せて実戦に出したら
マリアナ海戦の再来だ。大事な部下をそんな目に合わせるわけにはいかない
そんなことを言っていたのが懐かしく思える。。
F2支援戦闘機でそんな感想が漏れないことを願うだけだ
>>148 当時の日本海軍に限らず。日本の中枢の悪癖として、似たようなタイプの
人間ばかりがトップに立った。
その状況で自由な発想など出来るわけがない
160 :
DVD:03/06/03 10:52 ID:W5Z60PRi
162 :
名無し三等兵:03/06/03 17:49 ID:VRohpWoP
>>159 天山や彗星はすばらしかったのだよ。
あとは搭乗員がよければ、ね・・・
163 :
動画直リン:03/06/03 17:53 ID:GY3QD9xM
急降下爆撃機はよかったね
戦争は二次元から飛行機の出現で三次元になる。
誰が言ったのだっけ?
いしわらかんじ
じゃないの
>>162 その搭乗員たちに育つチャンスを与えられなかったのが問題。
もちろん上層部の責任。
今も同じだ罠。バブルの失敗をした連中が、自分たちは「失敗学」とやらを唱えて安泰。
2ちゃん世代はリストラ失業に怯えるw
>>167 チャンスを与えるも何も。どうしようもなかったと思われ。
>>167 戦局の悪化で充分な訓練期間も与えることが出来ずに出兵させたのも問題でしょう。
>>168 そんな状況にしちまったのは誰だ?って話になる、官僚(軍人)と政治屋の責任だよ。
いわんや今の五十代の連中も…
>>170 ジジイどもが上にふんぞり返り、自分たちの年代は人が多く競争過多…
あの年代の人が多いのは、連中自体のせいではないんだがな。
そんな状況で、焦りがあったんだよ<今の五十代の連中
企業社会の中で先が見えてきてなおさらな。
だから、景気が過熱だろうがなんだろうが、自分の業績を上げること/上げさせることに血道をあげちまった。
しかし、あの連中は、経済全体をミスリードした。
その結果が今の惨憺たる経済状況だ。
その罪は罪。
五十代以上の自殺が増えようが何だろうが、全然同情しないが。
愚痴は他所行ってやってくれ
日本史上の天王山、日本海海戦!
次の沖縄決戦とか色々あるけど、イマイチ萌萌にならないな。
556 名前:世界@名無史さん 投稿日:03/05/31 09:33
日本は朝鮮出兵の重要な敗因の一つである補給線の失敗を研究しなかった。
太平洋戦争の重要な敗因の一つである補給戦の失敗を研究してなかった。
つまり400年近く日本は同じミスをしていると個人的に思う。
しかも自衛隊は日本本土で戦うものだから余計にそういう研究はしない。
557 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 09:48
まあ中世の軍の補給は現地調達が基本だろうが
補給線の防護と言う概念が出来たのは何時頃なのだろうか
(現地調達が困難な弾薬等が切れた場合は
其れをどの様に調達していたのかだろうが
一旦拠点迄後退していたのか
或いは別の軍に輸送させていたのだろうか)
朝鮮の場合は補給線がやられたと言うより
海上を移動する軍自体がやられたと言う事ではないのか
(兵站線を防護しなかったと言うより
海軍力自体を敵の海上での襲撃に備えて
最大限増強しなかったと言うのが正解だろうか)
558 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 09:52
三国志でも物資は軍と共に移動して
物資単独で輸送を行ったと言うのは記憶に無いし
兵糧はある程度は携行されるだろうが其れが切れれば現地調達
・矢が切れたら別の軍に運ばせるか
或いは軍を自軍の拠点に後退させると言う方向だっただろうか
秀吉が小田原を攻略する際には兵糧を海上輸送したが
これは現地調達では足りないと見ての事でだろうか
(敵の襲撃の可能性が有れば
海上の輸送船に護衛は付けたのだろうか)
559 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:00
>太平洋戦争の重要な敗因の一つである補給戦の失敗を研究してなかった。
まあ只米の潜水艦を利用しての通商破壊が始まったのは
(Uボートにやられていたにも拘わらず米の戦略ミスで)かなり後期からだろうし
其の段階では物量の差で護衛艦や哨戒機等配置しても
敵の正面戦力に排除されるので補給線を守る事等無理だっただろうが
通商破壊の防護以外にも補給のミスは目立っただろうか
(其れでも伊−201で米の補給線を突けば
独のU−21等の投入も有るなら講和に持ち込めた可能性は
有るとの意見も有るだろうか)
176 :
直リン:03/06/06 15:52 ID:iyBzWN/5
560 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:07
まあそもそも補給線への攻撃と言う概念が出来たのは
何時からなのかと言う事だろうが
補給線では無く敵の兵糧を焼き払うと言う事なら
三国志でも行われただろうか
敵の食料庫ではなく補給線への攻撃と言うのは
事実上Uボート等での通商破壊が最初なのか
或いは英国のドレーク等の敵国商船への海賊行為迄
補給線への攻撃に含めるべきなのだろうか
561 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:14
まあそもそも補給線と言う概念が出来たのは
何時なのかと言う事だろうし
Uボートや通商破壊艦等が登場したWW1以前には
存在したのかと言う事だが
海上では無く陸上の補給線を最初に叩いたのは
WW2のアフリカ戦線の英軍辺りだったろうか
562 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:21
米英も初期にはUボートは防げておらぬし
何れにせよ米英の様に正面戦力が無いと護衛艦や哨戒機を配置しても
撃破されるだけだろうか
563 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:35
兎も角中世に日本以外の国には
海賊対策は兎も角補給線の防御と言う概念が有ったと言うのは
恐らく幻想だろうし
秀吉の小田原攻めでの大部隊を長期に前線で維持する為の
海上からの大量の物資の補給は
他国では行われていたのかだろうが
中国にも細い山道を通って補給物資を輸送する為の
一輪車の様な物は有っただろうが
他に補給能力を増す様な工夫は西欧諸国等には
有ったのだろうか
564 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 10:42
まあしかし日本がWW2の初戦から潜水艦を用いて通商破壊をしておれば
米の迎撃体制が整う迄時間は稼げたかも知れぬが
これはどの程度だろうか
565 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 12:02
>朝鮮の場合は補給線がやられたと言うより
>海上を移動する軍自体がやられたと言う事ではないのか
まあこれに対して如何成る対策が出来たのかと言う事だろうし
日本船の大砲装備率を増すか
或いは海上の兵力は出来るだけ纏まって行動させると言う方向なのだろうか
(まあ只日本の船全てを集めてこれを一斉に行動させたとしても
かなりの損害は出ただろうし
囮等を使うのでも無ければ纏まって行動した上で大砲装備率を増すしか無かっただろうか
或いは朝鮮水軍の迎撃も彼等が隠れていそうな場所を迂回する等すれば
逃れられた可能性は有るのだろうか
海上での戦いは避けて地上戦に勝利し続ければ勝てたかも知れぬが
確か朝鮮側が港への攻撃を掛けていたかも知れぬが
別に港で無く共兵力は陸揚げ出来ただろうし
港以外の場所から兵力を陸揚げすれば良かっただろうか)
566 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 12:23
まあしかし10万単位の兵を動かすのに
食料が現地調達のみで足りたかと言う事だが
兵力を分散配置するか
一点に集中して略奪して移動を繰り返せば
食料も現地調達のみで済んだ可能性は有るだろうか
(小田原攻めの様に前線に食料を大量に輸送しようと言う計画は
有ったのだろうかと言う事だろうし
弾薬は現地調達は不能だろうか)
567 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 12:52
兵力を2手に分けて
片方は食料を略奪し城に持ち込む事を繰り返し
片方は城内の食料を守る為に篭城すると言う事をすれば
弾薬等無く共かなり持久戦は
可能だっただろうか
568 名前:某研究者 ◆NITkxmpUgI 投稿日:03/05/31 13:06
15万を2隊に分けて
片方は城に篭らせ
(まあ城の方の兵力は敵を支えられる程度に少なくても構わないだろうが)
片方は城の外に出て食料を奪わて城に帰還する事を繰り返せば
良いだろうか
(城に5万・外に10万程度の兵なら
外で兵が襲撃されても恐らく保つだろうか)
個人的に結構面白い話だと思ったので張ってみました。
日清日露も比較的に防衛的な要素の強い戦争だった。
それ以前の戦争は秀吉の半島出兵以外は国内に留まるものがほとんどだったし。
どちらも朝鮮半島を巡る戦いと言っても、それぞれ補給路はあったからね。
しかし太平洋戦争は、大東亜戦争と呼ばれる通り。
地球のほぼ半分にまたがる広大な範囲で争われた。
これでは従来の補給の構想で何とかなるわけがないってことだ。
人間ってのは実際に教訓が無いと反省は無いモノで、欧米の場合は植民地時代も長く
ナポレオンの遠征など長距離の遠征の教訓があったからそれが出来たのではないか?
183 :
某研究者:03/06/06 18:33 ID:4AypKMzn
シーレーン防衛と言うより主力艦隊の対潜能力が
無いのが戦争前半では問題だろうし
後期には制空権も無い状態であるなら
シーレーン防衛等護衛艦や哨戒機を配置してさえ不能だろうか
>182
そもそも戦略構想とかの時点で狂っていたけどね。
短期決戦を目指しながら、長期持久の体制を建設するとかいってるし。
しかし、いつも不思議に思うのは陸軍、海軍とあんなに優秀な人材を
集めてどうして、補給の軽視、攻勢限界点の無視といった
基本的なミスを犯すのだろうか?
>>184 官僚機構という歪曲時空が問題だよ。
この特殊な領域においては、偏差値70超&人格円満な人間でも、2ちゃんDQNと同程度の知力と人格しか発揮出来ない。
官僚や軍隊が学歴、順位にこだわるのは、それ故だ。我々凡俗ではあそこに一歩踏み入れた瞬間、能力は白痴レベルに低下する。
官僚の世界に東大卒が優先される学閥がある以上は仕方がない。。
しかし東大卒だからと言っても実務が出来るとは限らないのは、民間企業の中枢にいるのは東大出
ばかりではないことでも明らかだが
>>184 >いつも不思議に思うのは陸軍、海軍とあんなに優秀な人材を
集めてどうして、補給の軽視、攻勢限界点の無視といった
>基本的なミスを犯すのだろうか?
それは結果論ではないかな。
今でこそなんでそんな事が・・・
と思うわけだが。あの当時の日本では本格的な遠征はした事がないわけだし。
>>184 集団心理ってヤツでね。周囲がそれに騒げばなかなか反対意見なんて言えないものだよ。
石原完爾や山本五十六を初め。名だたる名将の多くが反対していのだから、それに従えば良いものをってのは結果論。
そもそも優秀な人材を集めていても、教育制度がよろしくなかった。
陸士学校などで教えるのは、精神論が中心。戦術も日本海海戦で東郷がやったような奇策を中心に教えていた。
いまの防衛大学校ではその反省から科学など理系を中心に教えているが
これも誕生と同時に清露米英など、自国より遙かに国力のある国と対峙しないといけない宿命にあった帝国海軍の悲劇
と言えるが、正攻法をお座なりにしたのはどう考えても不味かった。
だから真珠湾攻略の時も二次攻撃は断念したし、ソロモン海戦でも不可解な反転を行った。
その裏事情に当時の海軍も海士学校での教育は、奇策のたぐいばかり重視したことがあったようだ
奇策を海軍で教えようとしたのなんて。
小沢の馬鹿くらいだろ。
それ以外はある程度当時としては常識的なことを教えていたのでは?
小沢が馬鹿?
どこが?
戦争になれば補給も考えずにただ前進
南方戦線全体が奇襲みたいなものだったが
ケケ・・・。
軍事板的には塩野七生ってどうよ?
世界史板では叩かれてるけど・・・
しょうがないよ。七生タソだもん。
軍事的にはいまいち。
やはり、有坂純とかのほうが・・・・・
塩野七生?
知らない名前だ
199 :
名無し三等兵:03/06/08 22:57 ID:XBWOgy/f
とりあえず200ゲット
200get
ナポレオンの天敵のネルソン提督。。
彼の遺髪が東郷平八郎、山本五十六と共にあるって話だが。
203 :
直リン:03/06/09 03:53 ID:wc4FfJRB
ハンニバルは映画のハンニバルではなく
ローマ帝国と戦ったカルタゴのハンニバルだよね
アルプス越えは有名だけど
>>204 いや…まあ、なんつーかな…
確かに、今や、ハンニバルといえば、ハンニバル・レクター博士の方が有名かもしれないがな…。
それと、必ずしも、軍オタであることが、世界史的教養の深まりとは直結しないのかもしれないがな…。
塩婆の著作でいいから、いっぺん、本当のハンニバルの事績には、触れておいた方がいいぞ。
「アルプス越え」だけじゃないから、有名なのは…。
ハンニバルとハンニバルと争ったローマのスキピオを評して、塩婆は、
「古代史上の名将を五人あげろと言えば、二人とも必ず入り、
現代までの名将を十人あげろと言っても、入る可能性が高い」
と評価している。彼女の著作は色々問題もあるが、この言は正しかろう。
因みに塩婆とは塩野七、読むべき著作は『ハンニバル戦記』(ローマ人の物語というシリーズものの第2巻)
ハンニバル戦記は(・∀・)イイ!!
>>205 ハンニバルが使った象さんは、いまは絶滅しているペルシャ象だったな。
人間の戦争に巻き込まれた挙げ句殺されるなんて可愛そうだ罠
漢人部隊である黒旗軍はすごい!最強の名にふさわしい。
列強がアジアを植民化していた時代、仏軍の司令官二名を敗死させ壊滅させた強力な軍である。
日本が日露戦争で列強の一つ露西亜を負かした以前のことである。
中国は日本より優れていた証である。
日本人は奢らずこの事実を厳粛に受け止めなければならない。
>中国は日本より優れていた証である。
極論
>>211 入ると思うぞ。
スキピオの場合、単にハンニバルを破ったってだけじゃない。
武具の改良、そして、軍団の戦列の運用方式を一新して、柔軟な展開が可能な戦術革新をもたらしていると思うが。
ザマの会戦における勝利は、従来からの三戦列方式を基礎にしながらも、何度も戦列歩兵の展開を変化させ、三方向からの半包囲態勢を作り上げて、最後のとどめに騎兵が背後から襲い掛かったというもの。
騎兵戦力の優越が切り札にはなっているが、ハンニバルよりも寡兵をもって、そうした状況に持っていったというのは、そうした戦術革新がベースにあったからと思うが。
さらには、不名誉な失脚に至るまで、ローマの外交方針を元老院の第一人者として長きに渡りリードし、大過なくローマの覇業を確定させたという点から、戦略家としても一級と思うが。
>>208 まあ。中国が欧米を敗退させたケースは確かにあるが
よく戦国時代の軍隊は当時の世界最先端の戦闘集団だったとか聞くけど実際はどう?
他の国には補給専門の将軍とか部隊って本当になかったの?
ハンニバル、アレキサンダー大王、スピキオ
カエサル、ポンペイウス?
うーんローマに偏っているな・・・・・。
ザマの戦いは兵力に関しては確かにハンニバルの
ほうが多かったようだが、寄せ集めもいいとこで
信頼できる部隊はイタリアからつれてきた部隊のみ
それに対してスピキオは自ら訓練して実戦を経験させた
精鋭、さらに騎兵戦力も優越していて・・・・・。
やっぱ名将ですな
ハンニバルが負けたのはローマとカルタゴの海軍力の差。
ポエニ戦争に対する両国の認識の違いが大きかったと思う。
現代までの名将10人と言った場合、漏れもスキピオは入れられないと思う。
スキピオはハンニバルの影響を受けて戦術を変えた面がある。
古代の名将と言えば入れられるが現代まで入れるとスキピオを入れるスペースはなくなると思う。
古代5人・・・そもそも古代っていつまでなんだろう。
>>216 スキピオは、イタリア本土やスペインに配置された精鋭部隊を連れて行くことはできず、
シチリアで自ら募兵する羽目になった。
シチリアでスキピオのまず配下になったのは、カンネの敗兵たちで、シチリアでの戦勝を経験してベテランぞろいの強兵となったものの、数は数千。
後は、スキピオのクリエンテスに連なる者や義勇兵同然で、戦意過大、戦闘経験過少の兵ばかり。
それを、訓練して、ほとんど実戦経験もないまま、カルタゴ本土に渡っている。
騎兵の優越はあったにせよ、戦列歩兵がロクでもない状況だったら、どうにもならない。
強兵を仕立て上げる…なるほど、やっぱり名将だ。
アレキサンダー、ハンニバル、カエサル、ベリサリウス、チンギス汗、サラディン、グスタフ=アドルフ、ルイ14世、フリードリヒ、ナポレオン
これで10人超えちまったよ。
中国の将軍、現代の将軍入れたら何人くらいになるんだ。
ナポレオンとフレデリックを同列に並べるのはどうかとおもうが・・・。
ザマ戦ではローマ、カルタゴともに同数の兵力だが。
カルタゴは傭兵が多かった。
なんだかんだで正規軍主力のローマの方が強い。
騎兵が補充できなかったハンニバル。
これじゃどうしようもないだろ。
新たな戦闘教義を生み出したハンニバルだが、それをスキピオに真似されるような形ではどうしようもない。
象が暴れちゃってどうしようもなかったらしいな>ザマのハンニバル
策士、策に溺れるとはこのことか?
とりあえずお前らが思う10人を上げてください。
もちろん李舜臣は入るニダよね?
226 :
名無し三等兵:03/06/10 09:59 ID:Mscgw21s
何を基準に名将とするかだ、問題は。
それ以降の戦争を変えてしまうような戦い方を開発した人を選ぶのか
それともその使い方がうまい人を選ぶのか。
ルイ14世、フリードリヒ、はちょっときついかもなあ。
グスタフ=アドルフも個人的には入れたいのだが
他の面子がすごすぎる
228 :
名無し三等兵:03/06/10 11:46 ID:san9m2+Q
>>226 戦術の革命ってのは、日本の場合はやはり元寇だな
他にも戦車から騎兵を中心とした戦闘に移った騎馬民族の侵攻
戦術の革命が始まるのは異民族の侵攻がきっかけの場合もあれば
新しい兵器によるものもある。
名将一人がどうのとは必ずしも言えないと思いますが。。
まあ、山本五十六あたりは航空戦術の優位性を確立した意味で、戦術に革命をもたらせた名将と言えるかもしれないが
それにしても欧州戦線での前例があったからことのことだ
>>228 いや、古代日本にとっては白村江の大敗は、特筆すべき。
一説には、古代日本の歩兵戦術が、大陸の騎馬戦術に大敗したうえ、海戦も大負けして、戦略的力を失ったらしいが。
>>220 >中国の将軍
あげなかったのは、漢字出すのが面倒になったからか?(w
中国の名将っていったらだれだろうね
孫武ははいると思うけど。
孫鬢
233 :
名無し三等兵:03/06/10 13:49 ID:PbhN1t27
>>231 >>232 孫武は有名な孫子の作者であり。孫鬢の先祖だ。
それだけに知名度は高いが、実際に何をやったかとなれば、逸話が一つ二つ残っているだけだよ。
孫鬢の方も孫鬢兵法書を残しているが、近年遺跡から発見されるまで失われており
歴史的にほどんど影響を与えていない。
もっとも中国も戦乱の歴史だから、その時代その時代に記載のある名将がいるが。
衛青と、キョカクヘイ(ごめん、漢字を忘れてしまった)
「戦果」という点で、ドンパチだけが「将軍」の能力ではないと考えれば、コンキスタドール達
も忘れるわけにはいかないのでわ。
>>231 楽毅(がっき)
祖国・中山の滅亡に際し、寡兵で超大国に徹底抗戦し王を守りぬき、
斉に痛めつけられた燕に迎えられてからは、燕王に報いるために、斉を滅亡寸前までに侵攻した名将。
諸葛孔明の尊敬する一人。
孫ピンは後世の「軍師」に相当する。 孫子の2人とも、自身の手による兵法書をのこしていない。
兵法書として残っているのは、門下の弟子や、後世の曹操などの研究家によるもの。
特に孫ピンの功績として挙げられるのは、2000年以上前に「戦争」「戦闘」論から迷信を排除し、
科学的・軍事的要素のみで理論化・体系化したこと。
さらに、斉の軍政や兵器・戦闘を改革し、対秦連合の核とならしめるほどの基礎を築いた功績は大きい。
また、楽毅の燕軍による大侵攻から巻き返しを図った田単も孫子の門弟の一人。
>>237 >特に孫ピンの功績として挙げられるのは、2000年以上前に「戦争」「戦闘」論から迷信を排除し、
>科学的・軍事的要素のみで理論化・体系化したこと。
その意味では、中世ヨーロッパの方が、遅れているのかもしれないな。
迷信とまではいかないが、少なくとも「表向き」は宗教的倫理から自由にはなれなかった。
明け透けに倫理・道徳抜きで、軍事・政治を論ずるには、マキャベリの著作をまたなきゃならなかった。
239 :
名無し三等兵:03/06/10 19:06 ID:MF7wl5oZ
霍去病は、漢の武帝の時代にキョウド討伐の名将として鳴らせた人物だが。。
実際のところ。武帝は皇妃の血族である霍去病に対して精鋭部隊を与えたので、必然的に功績を立てただけ。
それが本当のとこらしい。
まあ。それでも精強な部隊を与えられながら、まったく功績を立てなかった将軍もいたのだから
それなりの能力がないと功績も得られなかったでしょうが。
霍去病の能力に関しては、割り引いて考えた方が良いな。
衛青と霍去病
どちらも名将だが霍去病がいなくても
対匈奴ではさほど影響が無い気がするが
逆に衛青がいないと下手をすると大敗
してた気がする・・・・。
241 :
漣:03/06/10 22:27 ID:o5e79X/0
ハンニバルが負けたのは、アルプスを越えてから約十年も戦い続けてから。
最初30代だった兵隊もカルタゴに戻った時には40代。体力とスタミナは
若い者に劣り始めている罠。・・・・と、がっこの先生が言ってました。
所で、ローマからカルタゴに戻るのを拒んだ(反対した)兵士を
結構かなり、処刑したらしいと聞いたんだけどホント?
太平洋戦争でもアメリカは捕虜は取らないと、かなりの日本兵を殺害した。
明かに戦時国際法違反だが、戦勝国の側はそれを処罰し
敗戦国は何も言えない。これが現実
カクキョヘイか、すまん。回線で首つってくる。
>>241 >>243のいうように、逆でね…
船のキャパとかもあって、4万くらいの兵のうち、
1万5千のベテラン中のベテランだけ、連れ帰ったんだよ。
ガリアやハンニバルに転んだイタリア半島内での徴募兵を中心に、
置き去りにすることにした。
というか、置き去りにせざるを得なかったんだな。
で、ハンニバルとベテランたちが船に乗って出航しようとする。
置き去りにされる方はたまったもんじゃない。
ハンニバルがいるから、ローマ軍とも戦えて来たわけだし、
復讐心にたぎるローマ軍の中に取り残されたら、もうお終いだと思うわな。
で、残されることになった兵隊たちは、海に飛び込み、
船にしがみつき、舷側を這い登ろうとするものさえ続出した。
船のバランスも崩れかねないので、
ハンニバルはそれらの兵隊たちを射殺すように命じた。
夜釣りだろ
超遅レスの上にスレ違いだが、
>>36、一体どうやったらそれがハングルに見えるのかと小1時間(ry
>>227 確かに。ルイ14世とフリードリッヒはゲームの達人という感じなんだよね。
それに対してグスタフ=アドルフはそれ以降、野戦軍に対して大砲を運用するという考えを普及させたからな。
>>228 >>名将一人がどうのとは必ずしも言えないと思いますが
時に奇抜な考えを持ちそれ以降の戦争を変えてしまう人間は存在すると思う。
異民族の使っている戦法、新兵器の運用法、それらを受け入れ、体系化出来る人間は少ない。
このスレは世界の歴史的な戦争を語るスレらしいが。
世界的な名作戦として打通作戦は欠かす事が出来ないだろう。
グスタフアドルフね
惜しむらくは戦場で散るのが早すぎた。
生きていれば、もっと多くの会戦で勝利を掴んだだろう
ただ、あのまま生きてても30年戦争に勝ったかどうかは疑問。
そういう意味ではハンニバルに似ているかも・・・・・・
>>252 自国を戦場とせず、国威を伸ばしたという点では、フランス。
あと、独立を獲得したということで、ネーデルランドとスイス。
神聖ローマ帝国は、この戦争で一気に破局への道を進み始める。
ドイツ諸侯は、自治権を大幅に伸ばしたとはいえ、戦争のダメージが大きく、勝者とは断じ切れない。
他の参加国は、痛みわけ…つーとこ?
>>253 フランスは普仏戦争以来、常に負け続けている
それでもおいしい思いをしているのだから。
あの外交センスには負ける
>254
そのくせ、ナポレオンがいたときは
外交が全然だめだったんだよなあ。
やっぱ、何事もほどほどがいいんですかね
フランスが全ヨーロッパを席巻したのは、近代ではナポレオンの時代くらいかね?
他の時代では、ドイツやイギリスに常に小突かれまくっている
日本の歴史上の戦争では、もっとも劇的なのは関ヶ原の戦いでしょうな。
あの戦いは、戦術的に見れば、石田三成の側が圧倒していてもおかしくはない
高地に陣を取り。戦力も拮抗していたのだから。
しかし徳川側の圧勝だった。これは石田側大名の裏切りによるものだ。
もちろん偶然ではなく徳川側が、石田側の大名を密かに切り崩していた裏工作が功を奏したものだ。
戦争の勝敗を決めるのは、戦場だけではないって良い証だな
258 :
名無し三等兵:03/06/16 13:51 ID:iOoVbEPA
.....
>>257 しかし、あの戦い、小早川の内応と、吉川による毛利全体の抑え込みが上手くいってたから良かったというシロモノでもあった。
家康は、秀忠に花を持たせるつもりで、徳川家の譜代の将のほとんどをつけて、中仙道に送り出した。
障害になりそうなのは真田家だけ。豊臣恩顧の大名が転ぶ危険性があった東海道よりも、安全かつ迅速に、
岐阜〜近江の主戦場に展開できる可能性があったからだ。
ところが東海道の豊臣恩顧の大名は上げて、豊臣家の君側の奸を除くという態度をとった。
一方、秀忠は、真田昌幸・幸村親子の篭城にてこずって、戦場に大遅刻。
結局、西軍を叩いた家康の主力は、黒田、福島ら、豊臣恩顧の戦場経験豊富な将の部隊だった。
また、毛利家の万一の攻撃に備えたのは、豊臣家の親類筋で旧五奉行の浅野。
さらには、九州での黒田如水、加藤清正の大活躍…。
そして、彼らがその後、秀頼の後見に回った結果、彼らの発言権を何らかの形で封ずるまで、一気に豊臣の取り潰しに動けなくなってしまった。
そして、家康は、一連の大阪の陣まで、豊臣の排除は遅れに遅れ、ああいうなにふり構わないという手段をとらされる羽目になった。
勝ててよかったが、という戦いでもあったわけだ。
しかし家康方に内通していたのは、吉川広家だけではなかった。
小早川秀秋など家康に寝返ったし。
中枢を担った大名の大部分が、家康と通じていたと言っても過言ではない
これは秀吉の正室、ねねを家康が説き伏せたことも大きい。
実際に西軍で戦った兵士は半分程度、残りは戦況を傍観したり
最初から寝返ったりのどっちかだ。
これは老獪な秀吉に対して、もともと文官肌で軍人肌の他の大名とはそりの合わない光成。
人望の差の面も大きいだろう。
名目上の総大将 毛利
副将 宇喜多
実際の総指揮官 石田三成
とこんなに複雑な指揮系統じゃ
たとえ関が原で勝利しても最終的な勝利は不安。
前田利家、秀長のどちらかが長生きしてくれていれば・・・・・・。
実際には家康は大坂の陣で討死してるんだけどね。
>>262 そういう伝説はあるね。。
まあ。実証のしようがない永遠の伝説だが
>>261 しかもそれに淀君や豊臣秀頼も加わっている。
指揮命令系統を一本化出来なかったことも関ヶ原の戦いの敗因の一つ
そのことは確かに以前から称えられている
>>240 霍去病は、若いだけにかなり傲慢な気性だったようだ。
霍去病は、母親の姓を名乗っていることで分かる通り。奴卑の生まれだが、
彼が成長した頃には、武帝の姉の踊り子だった叔母は後宮に入り
皇后になっていたから、彼は最上級の貴族としての生活を行っていた。
それだけに戦場でも、横暴な態度が目立った。
戦地で兵士を酷使したし、武帝に対してもぞんざいな口を利いた。
皮肉なことだが、それだけに武帝は彼を気骨のある青年と評価したようだ。
266 :
_:03/06/17 06:13 ID:???
>>263 いや伝説じゃなく、研究でも認められてきているよ。
大坂の陣後の家康の変わりようとかから確認されてきている。
しかしそれでは大阪夏の陣以降も、家康が大御所として実権を握っていたことの説明が出来ない。
確かに影武者が成り代わったとの説もあり。
その説に基づく小説もあるけど、私は否定しています
>>268 いや、実権とっても陣後で変わっている。
まあ、あの時点で家康が死んでても生きてても
あまり影響は無いような気がする。
すでに、秀忠がいるしね。
もし、秀忠が死んでたら・・・・
江戸幕府が長く続いたのは、幕府という組織がしっかり出来ていたためです。
それ以前の指導者は、信長にしても秀吉にしても、個人の才覚によるとこが大きかった。
それだから彼らの死後は、簡単に倒れたのです。
江戸幕府が長く続いたのは、幕府という組織がしっかり出来ていたためです。
それ以前の指導者は、信長にしても秀吉にしても、個人の才覚によるとこが大きかった。
それだから彼らの死後は、簡単に倒れたのです。
しかし家康は違っていた。組織の確立に成功したから江戸幕府は260年も続いた。
これだけしっかりと安定した政権があった時代は、日本の歴史上、江戸時代しかなかったからね。
それ以前は、天皇家にしてもお飾りの形になって、実権はコロコロと代わっていたからな。
>>272 あと、信長→秀吉と続いた検地と刀狩りによる兵農分離路線の完成も大きい。
戦国時代中から徐々に進められてきたわけだが、
それまでは、武士の大半=足軽は武装し、土地を与えられる農民だった。
信長の時代から検地が進められ、それに秀吉の太閤検地でそれが全国化し、
これに秀吉の刀狩が重なって、武士階級と農民階級の完璧な峻別が可能になった。
社会階層の安定化は、秩序維持に役に立つ。
さらに、本当の意味での農民は武装するチャンスを完全に失った。
一揆は起こるにしても、それはより容易に鎮圧可能なものになった。
農民反乱は、社会を根こそぎ転覆させる可能性を持つ。
少なからず大名の支配領域くらいは引っくり返し得る。
それが極小化した。
深刻な飢饉が起こる中期まで、大きく統治機構をいじる必要がなかったというのは大きい。
>>273 つか、刀狩、検地、そして法度による統治を、近世の始まりと見るらしいぞ。
それまで、地域地域の経済力に応じて、相応の軍事力と政治発言力をもった集団が、討伐したりされたり、合従連衡したり、連盟連合支配されたりしたのが、中世体制の最終末期=戦国だったらしい。
それが、卓越した軍事集団によって、その権威を否定されたと見ていいらしい。
以後、外国と自力通商が再開した幕末まで、地方は独自の能力で、全国体制に歯向かえなかったわけだ。
中国で長期安定政権だった時代、秦漢と隋唐。
二つの政権をくっつけて呼ぶことが多い。
これらの特徴として、前政権が必要なことを全てやってくれていた。
だから次の政権は長期安定政権を作ることが出来た。
秦がやった改革は、何れにしても必要なことだったが、秦は無理に無理を重ねて続けた結果。
民衆の恨みを買い滅亡。その後で続いた漢が、長期安定政権を作った。
隋唐も同じで隋がやるべきことを全てやってくれていたから、唐が長期安定政権を作れた。
豊臣政権と徳川政権にも同様の論理が成り立つ可能性は否定できない罠
>>275 まあそのとおりだろう。
ゆえに(?)徳川は豊臣を滅亡させる必要があったのだろうか
>>267 >いや伝説じゃなく、研究でも認められてきているよ。
研究で認められてきてるんなら、興味あるんで、レポとか、研究書とか読んで
みたいんだけど、タイトルとか、研究者の名前とか教えてくれない?
家康夏の陣死亡説は、その時死んだとされる家康を葬った墓もあるし
かなり以前から称えられていた異説ではある罠。。
しかし決定的な証拠ってのがないので、歴史学者のほとんどは無視していたはず
まっとうな歴史家なら無視するわな。
お話としては面白いけど。
ただ、家康ってあの年であんなに有利な状態でも
戦死する可能性がある場所に陣を張っていたのだから
戦人だよなあ。
>>280 まあ、家康って老獪な政治家ってイメージが先行しちゃうけど、
元々、若い頃は、今川配下で勲功抜群の戦術指揮官だったわけで。
それにプラスするところの三河家中の結束の強さ・士気の高さも手伝って、
小牧・長久手の戦いを見るように、「海道一の弓取り」「戦上手」だったわけで。
その辺、激戦となりそうな戦場で、どうすれば人が動くか、
つぼを心得てるってことでしょうなあ。
家康は幼くして織田や今川の人質となり。そこで冷遇され続けた。
かなりの苦労人だからな。
多分、人の顔色を見て育ったのでしょう。
それだけ用心深かったのだとは思うよ。
三河家中の結束の強さに関しては、どっちかと言うと後世に言われ出したことだ。
一向宗の争乱など、家康の家臣達の内紛はけっこうあったからね。
>>283 言われたのは後世かもしれんが、内紛・粛清(嫡男信秀の粛清など)を経て
>>281の小牧・長久手あたりは、ピークだったと思われるが……
あ、秀吉との和解直後、重臣の石川数正の出奔とかもあったか…(w
人生五十年、下天のうちに比ぶれば、夢幻のごとくなり。。
ちなみに下天ってのは、天上界の中では地上界のすぐ上の一番下の天のことだよ。
そこでも一日は地上の五十年とされている
カルタゴが滅び
ローマが滅んだ。
大蒙古帝国も消え去った。
永遠に続く世界帝国など存在しない。アメリカもいつの日か滅びるだろう。
しかしその時は、世界を支えていた柱が失われ大動乱になる。。
覇権国家なくして世界の安定が図られたことは、歴史上、一度もないのだから。。
果たしてアメリカの衰退の時までに覇権国家なくして世界が安定する時代が来るだろうか?
人々がなんらかの「帝国」=「秩序維持の名誉と利益と、そしてリスクとを負うもの」を欲すると思われ。
そして築くだろうと思われる。
それが近代以来今日までの主権国家・国民国家となるかどうかは不明。
288 :
:03/06/21 02:12 ID:uRU7Gzlo
>>246 あれ?事実でなかったっけ?
「誰にも書けなかった戦争の真実」をよんでみて。
日本兵の遺体を損傷する米兵があまりに多いため云々という話が出てるよ。
アメリカ兵の残虐行為もけっこうあったみたいです。
勝者はそれを抹殺できるんですがね。
事実です。リンドバーグ従軍記を読めば良い。
アメリカ本土でも、米国兵が犯した戦争犯罪は、ほとんど問題にされないが
実際のところ。日本軍の占領地より強引なことが行われたそうです
勝てば官軍・・・
>太平洋戦争でもアメリカは捕虜は取らないと、かなりの日本兵を殺害した。
「日本兵捕虜は何を喋ったか」文春新書がお勧め〜
あと「カラーで見る第二次世界大戦」(ビデオ)もな。
「カラーで〜」の方では、日本軍の水兵服を着て照れるアメリカ兵士。ふんどしを
締めてご満悦なアメリカ兵士と云う映像を見れるよん……
で、この映像のバックにアメリカ兵が、国の彼女かなんだかに送った手紙が読み
上げられるんだが「ジャップの歯」と云うのが、一個1ドルで売られてたらしいよ。
沖縄戦では、逃げまどう民間人
多くの子供や老人を米国兵が面白半分に狙撃する姿が目撃され
わざわざ日本兵の死体を探して、その口に放尿した兵士もいたとか。
ブッシュ大統領は、国際刑事裁判所発足に合わせて、同裁判所条約の批准に拒否したばかりか。
各国に個別に圧力を掛けて、米国兵が訴追されないようにした。
米国も、見て見ぬ振りをしているが戦争犯罪が、国際法廷で裁かれるようなことになると、一番に被告が多いのはどこの国か?
それをよく知っているってことですよ
アメリカの待遇の良さに感動して日本捕虜が秘密を全部喋ったってのは嘘だったのか。(藁
後方のちゃんとした捕虜収容所に送られた後の扱いは全般に良かったらしいよ。
前線は殺気だってるからね
>>293 嘘ではないが、真実でも無いな。
アメリカだって捕虜を皆殺しにしたなら、捕虜として捕らえられた日本兵が、いまも生き残っているわけはない。
捕虜収容所に送られた幸運な方々は、ジュネーブ条約に則った処置を約束された人もいるでしょう。
アフガンの捕虜の扱いを見ると、それも少数のような気もしますが。
>>293-295 日本兵は将校も含めて軍事情報を敵に教えたらイカンという教育をされてなかったので
知ってることは気軽にしゃべった
>>296 捕虜のなった以上、日本には帰れない。
↓
帰れないなら、日本以外……アメリカで生きて行くしかない。
↓
アメリカ人に心象を良くする為、知ってる事は率先して話した。
ってこともあったみたいね。
日本軍は戦陣訓で、捕虜になることを禁止した。
捕虜になれば、国中から非難されて生きては行けなかったからな。
捕虜になった途端、死ぬか開き直るしか道はなかった
>>298 戦陣訓って投降禁止の強制力あったの?
問題の一節は「名を惜しむな」が題目なんだが・・・
自軍は投降せず、しかし敵の捕虜はとる・・・
というのは矛盾してないかい
>>299 強制力はない。戦陣訓に罰則規定はないからね。
むしろ戦闘哲学の教育物みたいな位置づけ。
つうかそこまでドキュソな組織でもあんめ。
んまあ、間接的には思考をしばったといえると思うけどね。
>>299 国に帰れば捕虜は、その家族まで裏切り者とされたそうだ
当時の民間人の考え方を明文化しただけともいわれているね。
戦陣訓は「中国での戦局が思わしくないのは前線の将兵にやる気がないのが原因」と思った
陸軍上層部が作成した。実戦経験皆無の人間が造った戦陣訓は戦術的に日本軍を不利にした。
「生きて虜囚の辱めは受けず」ってのはどっちかっていうと民間で強く言われてたと聞く
国民が「敵国語禁止」と金切り声を上げていても、軍に入れば英語は溢れてたし、士官は英語必修
ルパング島の小野田さんは、
戦地に送り出す家族からの「虜に囚われる前に自害せよ」の言葉と
中野学校で習った「どんなに生き恥をさらしても、生きて戦いを継続せよ」って教えで
板挟みになって悩んだらしい
305 :
名無し三等兵:03/06/22 12:31 ID:EpIaHa9T
てかソ連でも捕虜になった奴はイジメラレタらしいな。
日本の歴史的な戦争=日露戦争
日清戦争を忘れるな!
日露戦争当時、軍は捕虜に対して罰則は与えなかったが
兵士の故郷の人たちが、捕虜となった兵士を白目で見て不遇の扱いを与えたそうだ。
捕虜に日本軍が悪いことをしたと左の人たちは言っているけど。
実際のとこ。軍より民間がやったことだな
ああ、社会の問題か・・・
こういう倫理観がないと実際硫黄島みたいに文字通り死ぬまで戦えないかもな。
海外だと捕虜はヒーロー扱いだといわれるけど、実際どうだか。
アメリカは捕虜に与える勲章があるからね。。
>>289 リンドバーグって親ナチだろ。
っつーかリンドバーグは真珠湾攻撃直後に退役した筈だが。
小野田さんは、非正規戦を担当する。ナカノ学校び卒業生だったからな。
もとより友軍の再上陸までの敵陣の混乱を任務としていた。。
>>308 日露戦争では政略的な狙いで、国際法・国際慣習が遵守されたからな。
諸国民の同情と支援を得るべくヨーロッパ・アメリカ流の戦場作法に徹しようとした。
兵士たちの手帳には「我々は文明国として戦争を行っている」旨が書かれていたそうだ。
しかしエリート指導層と一般民衆との隔絶が問題だった訳で。
その後も歪みを正そうとしなかった指導層にも問題はあるし、悪ノリした昭和の軍部はもっと問題w
>>313 話の腰を折るようで悪いが、国際法と云う概念が確立したのは、第一次大戦後であり。
日露戦争当時は、まだ国際法そのものが存在しなかった。
日露戦争で日本軍が文明国に徹しようとしたのは、日本人らしくこれが文明国だ。
そんな幻想に追われて、それを守ろうとした結果でしょう。
>314
幕末のころ、万国公法とかなかったかな?
国際問題に関しては、西欧の国際慣習で結論を下そうとする考えはあったでしょうが。
戦時国際法などなかったよ
317 :
名無し三等兵:03/06/23 18:45 ID:3sDxKGI9
何やこれ?
ふぉふぉふぉ
320 :
名無し三等兵:03/06/24 08:32 ID:osIsMivn
>>220 ルイ14世は勘弁してくれ。こいつは実際に軍を指揮して戦った経験がない。
二次大戦最高の名将は?と聞かれて、ルーズベルトって答えるようなもんだ。
この時代のフランスからなら、ヴォーバンを選ぶべきかと。
>>220 どれもクセの多い司令官ばかりだ。こんな連中を集めたらまとまるものも、まとまらないような気がするが
>>321 まず、誰がトップになるかっていう権力闘争で半分はあぼーんだな。
で、その後も主導権争いがあり、あるいは、敵に分裂につけこまれて、
あと4人もあぼーん。
最後に残った一人が、絶望的な戦況の中で芸術的戦術を見せるが、
最終的に衆寡敵せず、壊滅させられるって具合になるんじゃないかな。
軍人のトップも色々あるが、マッカサーのような職業軍人で上流階級の出身ってのは、やはり傲慢なものだ。
まあ。職業軍人はどしても敵味方で物事を判断するクセがあるようだし
一般の国民とは考えが違ってくるな
>>306 >>307 日清・日露両戦争当時の日本は、対戦相手より明かに国力が劣っていた。
太平洋戦争中の日米が1対10とするなら、日露は1対100ではないかとさえ言われる。
それでも勝てた。
当時の清国やロシアは、国内が乱れてどちらも崩壊寸前だったからだ。
そして太平洋戦争当時の日本は、日本の方が軍閥や官僚制度が硬直化して手の施しようがない状態であり、アメリカの方は繁栄の絶頂だった。。
この差が大きいね。
ほれ。昔から「敵を知り己を知れば百戦危うからず」って言うでしょ。。
誠に至言だ。
>>324 つか、当時の技術水準での輸送力に、限りがあって、国力をうまく使えなかったからと思われ。
>>325 まあ。バスチック艦隊は、地球を半周する大航海にかなり四苦八苦したみたいやな
付け加えるとしたら当事のロシア兵の半数(75パーセント説も有)が文盲
日本では兵卒の中でも文盲は数えるほど、世界でも類を見ない高水準の教育レベルだった
>>327 日本語は50音しかないからね。
文字は漢字を別とすれば憶えやすい
その反面、同音異句が多くなり、馴れないと言葉がやりにくい。
一方で英語のようにスペルを多数、憶える必要がある言語は、日本語ほど簡単に文章が出来ないものさ
>>327 司馬遼太郎が学徒動員で軍隊に入って
大学生だからってんで、現役&第二乙の新兵に
軍人勅諭&戦陣訓の講義をさせられたときに
「徳川家康を知っている新兵が一人もいなかった」と、驚いたそうな。
昭和40年代に二等陸士として自衛隊に入隊した浅田次郎も
小隊内には「読み書きの出来ない仲間がいた」。と書いている。
つまり「識字率」とか「お勉強が出来るか否か」で
兵の優劣を決めることは出来ないってこった。
もって生まれた知能の程度はホモサピエンス同士である以上、互角!
>>326 バルト艦隊だけじゃない。
シベリア鉄道の苦労も忘れんなよ。
332 :
名無し三等兵:03/06/27 10:59 ID:HTxBhjXf
>>324 >日露は1対100
日本が100個でやっと対等だったの?そんなに差が?
日清はどれくらい?
家畜と奴隷の管理方法のノウハウがあるから将校未満は字が読めなくても、数が10まで数えられなくても大丈夫。
さらに、条件反射による家畜訓練の方法もとり入れているので、言葉が通じなくて何とかなる。
>>333 日本は農業で国を支えていたので、また家族を単位していたので、ここの人材の頭のよさが、それなりに重要だ。と、いってみる。
まあ、ひとを家畜扱いするような認識の香具師に言っても無駄だとは思うが。
>>328 >一方で英語のようにスペルを多数、憶える必要がある言語は、日本語ほど簡単に文章が出来ないものさ
識字率に影響を与えるほど難易度に差があるとは到底思えんが、
それを置いても教育をどれだけ受けているかどうか、ってのが本質だろ。
>>329 >つまり「識字率」とか「お勉強が出来るか否か」で
>兵の優劣を決めることは出来ないってこった。
ボクシングなんかじゃ教育の有無は関係ないだろうが、
戦争じゃ大有りだろ。基礎教育すらちゃんと受けてないような
DQN連中、統率取るだけで莫大なエネルギーを必要とするぞ。
白村江は範囲外??
>>337 白村江も入れても良いが、しかし詳細な戦史に関する記録があったか?
日本書紀に記されているくらいしかないと思うが?
平将門の乱で、将門はあっさり討たれたよね。
その理由として、将門が人望を失っていたことが上げられる。
そもそも一族内の争いだったのが、朝廷が東西で乱が起こる。
そのような予言を信じて、将門を追いつめたものだから、どうにもならなくなって
将門も王権をうち立てるようになった面があるようだけど
>>329 国家総力戦の前提に義務教育の普及があることを知らんのか?
>>340 国民の学力がある程度高くないと、なかなか思うような動きが出来ないのは事実でしょう。
>>329 ウソかホントかは知らないが。
二次大戦中のソ連が分隊、小隊単位の戦闘で単純な行動しか取れなかったのは。
部下であるアジア人と指揮官であるスラブ人との間にうまくコミュニケーションがとれなかったかららしい。
同じ日本人同士、言葉が通じても文字が読めなければ行動にそれなりの支障が出るものと思われ。
>>342 同一の民族ならば文化や価値観が、自ずと似てくる。
その点が、諸外国の軍隊に比べてほぼ単一民族で構成された。
日本軍では連携が上手く行ったのは事実でしょう。
言語に関しては、テレビやラジオが普及する以前は、地方の「なまり」が酷かったからな。。
地方出身者同士で、まったく言語が通じなかったこともしばしばあったでしょう。
それでも異国の言語よりはマシだけど、必ずしも日本人同士言葉が通じたと考えるのはどうかと思いますけど
>>342 そのための郷土連隊です。村の評判というシバリも利用できますし。
三方原の戦いで、家康が勝つ方法は無かったのか?
>>346 武田信玄は野戦の天才だ。
野戦で家康が勝つのは難しい
初めから城に籠もっての攻城戦にもつれ込んだ方が優位だったろう。
攻城戦では、精強な騎馬隊の能力も十分に生かすことが出来ないし
家康に勝つことは無理でも、負けないようにするのは可能だったろう
348 :
_:03/06/30 12:16 ID:???
>>347 家康だって野戦上手であるわけだが…。
まあ、経験の差が大きかった上に、信玄の方が2万超の軍勢。
一方、家康の方は、1万足らず。これに信長からの援兵が3千。
これで死なずに済んだわけだから、それでも家康は大健闘したとも言える。
確か、家康は信長に対して信義を見せるために篭城を止め、出撃したんじゃな
かったっけな?
それを見越して、信玄もワザと城を攻めなかったんじゃなかったけかな〜?
有力な説としては、武田軍を放っておくと、三河一帯の地侍等が武田に臣従してしまうので、
一撃を加えて帰城するはずが、失敗して(信玄の作戦)しまったというのがありますな。
>>351 鶴翼に構えて信玄の後陣を叩くはずが、
信玄はそれを十分に予期しており、魚鱗の陣形で待ち構えておりましたな、確か。
魚鱗の陣形で、後陣→先鋒にあたるところに小山田、山県ら老練の将を配して。
ところが、先鋒だけでけりがつくはずが、ほとんど全軍投入という羽目になったはず。
そのあたりが家康の健闘を表していたと。
>352
というか日本史の軍記物で出てくる「鶴翼」だ「魚鱗」だ、っていう陣構えには
フィクション以上の意味ってあるの?
354 :
352:03/07/01 13:23 ID:???
>>353 多分………合理的意味は、ほとんどないと思う(w
あ〜ただ、欧州の斜線陣でも言われてる思うが、陣形で接触〜攻撃のタイミングやバランスを調整していたってのは、多少は日本でもあるんだろうなあ、とは思うんだけどね。
鶴翼…両翼から戦端を開き、間をおかず全線で攻撃…
魚燐…中央突破を指向しつつ、適宜に後続部隊の投入を図る…
みたく…。こういうことが軍記もので、正しく認識・描写されてるかつーとはなはだ疑問だが。
>354
あ、なるほど〜、そういう風に実体を読み解いていけばいいのねん
「どうせ構成の造り事じゃん」とか、さっくり否定していただよ、さんくす:-)
あげ
357 :
SL:03/07/02 19:23 ID:???
>354
>適宜に後続部隊の投入を図る…
>軍記もので、正しく認識・描写されてるかつーとはなはだ疑問だが。
このへんは「車懸かりの陣」に混同されて描写されたりしてますな。軍記もの。
日本の戦国時代にはヨーロッパで言う、鉄砲隊と歩兵が混在した形での陣形『テ
ルシオ陣形』とかに相当するようなモノはあったんだろうか?
359 :
SL:03/07/02 23:01 ID:???
混在はしているが、『テルシオ陣形』(隊形か)のように機能を重視した訳ではなく、
兵制の都合によるものですね。
>>358 戦国時代の日本の軍備を見れば、西欧型の重装甲に比べれば、機動性を重視したものが中心だな。
西欧に見られるような重装甲の兵士による密集陣形よりも、機動性を生かした戦法が中心だ。
これも西欧と違い。起伏に富み。森林の多い地形が理由だろう。
日本刀一つとっても、西欧の刀は、その重さで叩き付けたり、鎧の隙間から剣を突き立てるものだが
日本刀は斬るためのものだ。
それが可能だったのも、鎧が西欧のものと違い。軽武装だったからだろう。
>>360 日本刀は馬上刀として発達したという定説は?
それ以外にもあるぞ。
槍の発達でクリアできるし。
逆に>360の論理を適用すれば、槍が発達しないことになってしまう。
洋の東西を問わず、装甲の敷衍は、火力に対する防御だろう
>>362 洋の東西を問わず。白兵戦時代の戦争の主役は、刀より槍だ罠
戦国時代には、乱戦では、主力は刀よりも槍やった。
基本的に遠距離の相手には、弓を使い
近づくと槍での乱戦が主流のスタイルや
365 :
名無し三等兵:03/07/03 19:38 ID:j/kZQ8g3
槍に太刀打ちするには3倍の力が必要とか。
弓にもいろいろあるみたいで。
でも、昔のヨーロッパだか分からないけど、
棍棒をつかってたんでしょ?痛いだろうね。
なんで鉄砲があんなに強かったのに戦国時代は槍兵もいたんですか?
銃剣とかなんでつけなかったの?
367 :
SL:03/07/03 21:47 ID:???
戦国時代はまだ環つきの銃剣がなかったから。
1680年頃ヨーロッパで環つきの銃剣ができて、
パイク兵に取って代わった。