あなたのおじい様の戦争体験を教えて

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1岡康
戦後60年近くになろうとしていますが太平洋戦争に
参加したおじい様とおばあ様の体験を語り合い交流
しませんか?
2名無し三等兵:03/05/21 19:36 ID:muj2cXby
2?
3名無し三等兵:03/05/21 19:37 ID:???
既出
4ななし:03/05/21 19:41 ID:r8pvQaLE
やっと復旧したか!でもタイトルがよくないぞ。

ちなみにウリの祖父は中国の広東省での作戦に従事した
一般の兵士だ。地元での物資調達作業のときに村人
から現地妻を進められたが、「キリスト教徒」なので
いらないと言ったら、泣いて感謝されたという。

それだけ現地では風紀が乱れていたのだと改めて思う。
除隊後は某大手鉱山会社の仕事に戻り、松代大本営建設
のため、人員の派遣を手配していた。
5名無し三等兵:03/05/21 19:41 ID:G/+YwGfO
1046014943 お前らのジーちゃんの戦争体験 その3

鯖飛び前のデータ
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=../dat9/1046014943&ls=50
6名無し三等兵:03/05/21 20:37 ID:8+/8KfvO
台湾で従事していて米軍に空爆され倉庫みたいなところに軟禁されて
最期は戦艦に乗って帰国したそうだ
7名無し三等兵:03/05/21 20:41 ID:mULMmNbE
日露戦争で戦死した
8名無し三等兵:03/05/21 20:45 ID:65UsjhJp
半島で羽振りが良かった。
終戦後、本土に引き上げて唖然とした口。
9名無し三等兵:03/05/21 20:53 ID:7TKAPDmS
731部隊で細菌兵器つくってました
10名無し三等兵:03/05/21 20:57 ID:GVCL/qgv
えーっと理研で原爆作ってました
11名無し三等兵:03/05/21 21:03 ID:???
伊52の乗員で戦死した。
12名無し三等兵:03/05/21 21:03 ID:???
某研究所で研究してたらしい。独り言が多かったってさ。
13名無し三等兵:03/05/21 21:06 ID:???
タイガー戦車に乗っていました
14名無し三等兵:03/05/21 21:13 ID:???
>>1
自身の体験でもいいのかね?
15名無し三等兵:03/05/21 21:19 ID:???
>>14
声に出して読め
「あなたのおじい様の戦争体験を教えて 」
16名無し三等兵:03/05/21 21:30 ID:XLkRNir5
>15
戦争体験のある人のおじいさんってぇと西南戦争あたりか?
17名無し三等兵:03/05/21 21:33 ID:???
そういうことになるかな。
18名無し三等兵:03/05/21 21:40 ID:???
俺の爺さん(故)は川崎五式で米軍機100機撃墜したんだぜ!











なわけねーだろ、川崎重工の戦闘機の整備士だよ・・。
19名無し三等兵:03/05/21 21:41 ID:???
漏れの爺さんは西南戦争に従軍していてね、
なんでも連隊旗を腹に巻いたまま戦死したそうだと。
20名無し三等兵:03/05/21 22:01 ID:???
じいさんは、結核にかかっていたので、徴兵を免れました。
21名無し三等兵:03/05/21 22:03 ID:???
終戦時には結核にかかってても徴兵されたんだぞ
22名無し三等兵:03/05/21 22:34 ID:???
全部が全部じゃねーよ厨房が。
23名無し三等兵:03/05/21 23:26 ID:???
漏れのじーさんは戦争には行ってません
料理人でコック長をやってたようで
ただ天皇陛下に料理を出したのが誇りだそうです
でも張り切ってい料理を準備していたが
陛下にカレーを注文されて(´・ω・`)ショボーン としてたそうな
24山崎渉:03/05/22 00:59 ID:???
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―
25名無し三等兵:03/05/22 16:42 ID:9dBlI/KJ
わりと日本近海で沈んだ空母ってなんなんだろう?
ウチの爺ちゃんそれに乗ってたらしいんですよ
26名無し三等兵:03/05/22 17:23 ID:???
日本近海で作戦行動中(回航中)に沈んだ空母といえば信濃。
27名無し三等兵:03/05/22 18:11 ID:GEQ058rk
2030年に勃発した日朝戦争でチョソのT−62戦車を携帯用ビーム兵器で撃破したらしいですよ
28名無し三等兵:03/05/22 18:18 ID:???
マジレスすると千代田に乗ってて撃沈されますた
29名無し三等兵:03/05/22 18:22 ID:dUP5syX1
陸軍航空隊の整備兵だったうちのじいちゃんは、墜落した敵機の部品の精度と自分がいじっている日本機の部品の精度を比較して、「この戦争は負ける」と思っていたそうだ。
3025:03/05/22 18:22 ID:???
>>26
レスありがとうございます
爺ちゃんは自分が中学生の時に他界してしまったんで
空母の話しはうろ憶えだったんですがたしかそんな名前だったような気がします
静岡県の遠州灘沖という所で沈んだというような話しを聞いた気が…
31名無し三等兵:03/05/22 20:53 ID:???
まあ、日本の一番近くで沈んだ空母といえば天城であろう。
32眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/05/22 21:50 ID:???
>31
海鷹ではないのか。
あれは擱座か。
33名無し三等兵:03/05/22 22:03 ID:???
ウチの父方の爺様は近衛で戦車に乗ってたそうで。
80近い今でも大型特殊免許保持して、
現役バリバリの会社員やってる元気なヒトです。
この間遊びに行ったら、東名を120キロでかっ飛ばして
あっちこっち案内してくれました……コワカッタ
34名無し三等兵:03/05/22 22:12 ID:???
オレの母方のじーさんはニューギニアだかラバウルだかで憲兵まがいの任務についていた。
わざわざ自分で縄をこさえて規律違反者を取り締まってたらしい。
ある日、日本は負ける、死にたくねえとかいって上官に呼び出された。
上手くごまかしたそうだ。なんとが復員できたからいいけど。
35名無し三等兵:03/05/23 01:25 ID:f5foA3OL
↑意味が判らないんですけど…
36名無し三等兵:03/05/23 03:21 ID:bvk4Zzld
うちの爺さんの弟は満州で師団の参謀をしていたそうです。
ソ連の侵攻の後、捕虜となり、暫くシベリアに抑留されていたのですが、なんとか帰国出来ました。
爺さんたち家族は、士官はまず処刑されているだろうと、弟の帰国は全く予想していなかったので、
帰ったときはみんなで泣いて喜んだらしいです。
爺さんの弟は、ソ連では赤化教育を散々されたが、「あなたがたの言ってることはもっともです」
と適当に返事をしていたと言っていました(w
37名無し三等兵:03/05/23 03:44 ID:???
うちの爺さんは、ソ連に捕まってシベリヤ抑留だったというが、露西亜女抱いたりして
命からがら日本に帰国出来たそうな。

捕虜だったそうですが。
38名無し三等兵:03/05/23 04:35 ID:vQlvl1JG
2回徴収された母方の爺さんの話
同じ部隊の知障の兵隊に少し離れた建物を指して
「あの建物の灯りがつくのが先か、お前が着くのが先か。賭けよう」
といって走らせ、着く直前に灯りをつけては
「惜しかったな。もう1回やってみな」
と繰り返し何度も走らせたそうです。ひ、ひでえ。
39名無し三等兵:03/05/23 18:15 ID:70IjdJ0b
うちの死んだじいさんは昭和18年にドイツへ他の陸軍将校とともに軍事オブザーバー
として派遣され、ドイツ降伏まで在留。場所は忘れたがベルリンの近く
の士官学校だか兵器学校だかにいて、ロシア軍が接近したので、陸軍省の命令で他の日本人将校
と北方の港湾に逃れようとしたが(英米軍への降伏は論外だったため)、途中ロスケに包囲されて、
そのまま降伏。しかし当時ロシアとは日本は交戦していなかったので、ひと悶着ありながらもその後
モスクワ経由で満州へ放流される。しかし、その満州で再び侵攻してきたロスケにつかまり、運悪く
シベリアに。三年ほどの拘留を経て帰国。ドイツでのロスケの残虐行為を目の当たりにし、
抑留中に散々いじめられたじいちゃん、はっきり言って死ぬまでロシア人を憎悪してました。

40名無し三等兵:03/05/23 19:02 ID:???
家の死んだ祖父様は、駆逐艦「若月」に乗ってたそうだ。
波を蹴立てて航行しているセピア色の写真をよく見せて貰っていたのだが
乗っているのに何故.....?
僚艦に乗っていて勘違いしてたのだろうか?
41世界に広がるFAの輪:03/05/23 20:39 ID:???
25歳。
去年まで飛行機に興味無し君だったけど、Fighter Aceで
フライトシムはじめた。一度やってみなよ。
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http://game.2ch.net/test/read.cgi/fly/1053577223/
42名無し三等兵:03/05/23 22:32 ID:ZAl5C/Vu
俺のじいちゃんは関ヶ原で徳川軍に突っ込んだそうだ。
43名無し三等兵:03/05/23 22:33 ID:???
うそくせー
44名無し三等兵:03/05/23 23:08 ID:???
家に軍隊手帳があるんだが、字が汚くて読めない。
なんか赤字で勅諭みたいな軍人精神を書き記してあるんだが、大意もわからん。
こーいうのは古典の分野だろうか・・。
45名無し三等兵:03/05/23 23:22 ID:???
うちの母方のばーちゃん、
終戦時に国後から引き揚げてきて別海に住んでたんだそうだけど、
戦後かなり長い間、千島との間の海峡では日本の領海なんぞあってなきが如しで、
夜な夜なソ連の哨戒艇や駆逐艦が沿岸数百メートルまで接近しては
陸上の港湾施設や集落を探照灯で照射して歩いてたとか。
「人狩りに遭うぞ!」つって、地元民は夜の間は決して家の外に出なかったそうだ。
46名無し三等兵:03/05/24 00:02 ID:???
>>40
自分で撮った写真とは限らんでしょう
元々は実家へのお土産用だったのかも
47名無し三等兵:03/05/24 08:41 ID:GhDGvLdJ
おれのじいさんはなんだかかわいそうだ・・

無口な人で、長くは喋ったことがないけど、
ばあさんによると、戦前はうるさいほどに喋って、元気だったそうだが
最近はだいぶ治まってきたそうだけど、
ひどいと週に1回は食事も取らずに、
「俺は捕虜を殺した、俺は捕虜を殺した・・」って魘されてるんだって

ハゥ
48槍乃会:03/05/24 08:59 ID:???
昭和以前からキリンビールを飲んでいたんですね
若い人のちょびヒゲが沢山います
49名無し三等兵:03/05/24 09:36 ID:hSEVbFPJ
俺のオヤジは、生まれて初めて書いた手紙が同郷の兵隊さんあての
慰問袋なんだって。その返事がきたそうだ。
それで、それから程なくしてその人が戦死したという知らせが。

未だにトラウマらしいよ。
50名無し三等兵:03/05/24 10:07 ID:GSrEqwL8
おー、復活したか、うれしいな。
このスレ好きなんだ。
オイラ、前スレ、前々スレで語り尽くしちゃったから、小話。

この前、叔母一同と食事をする機会があったのだが、
かぼちゃだけ残していた。
曰く、戦後すぐは食料が無く、玄関にでかいかぼちゃが
ゴロゴロと転がっていてそれだけを毎日、毎日たべたので
それがトラウマで未だにかぼちゃが嫌いなんだって。
そうしたら、伯母一同がそろって、
「あれは辛かった・・・。」と言っていた。

戦時中は文句が無くて、戦後に文句があるという事は、
やはり戦後の混乱期が一番食糧難だったみたい。

ちなみに母は戦後混乱期生まれだが、やはり栄養失調で
ちょうどはだしのゲンの妹がなっていたように、湿疹が出来ていたって。
伯母は、「あの頃は、どの赤ちゃんも栄養失調で、できものがあった」と言っていた。
こんな所みたいです。
ちなみに、場所は家のある東京の話です。
51名無し三等兵:03/05/24 11:04 ID:???
うちの母方の爺さまは陸軍歩兵で中国で戦っていたそうな。
一番、進んだときで柳州までいったんだって。
桂林の戦いで水筒を撃ち抜かれてしまって戦闘後に困っていたら
その時の師団長が自分の水筒をくれたらしく今でもそれを大切に使ってる。
長生きして欲しいよ、爺ちゃん。
52世界に広がるFAの輪:03/05/24 11:22 ID:???
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53名無し三等兵:03/05/25 00:33 ID:NPUU8VI9
55 名前:名無し三等兵 投稿日:03/05/24 17:24 ID:B1TJEM3y

シベリアに抑留された日本人は、厳しい寒さのなか強制労働に従事し、栄養失調や過酷な重労働から6万2000人が死亡した。
http://www.remus.dti.ne.jp/~froggy/siberia3.html
50年代に社会党左派議員団が、ソ連の収容所に抑留者を訪問した。収容所側は面会の条件として捕虜が政治問題については発言するのは禁止していた。
面会の席上、尾崎清正元中尉が意を決して立ち上がり、自分たちの救出のために国論国策を曲げることは断じて避けて頂きたいこと、われわれは祖国のためなら甘んじてシベリアの土となる決意であることを表明した。
そして、「日本の青年へ」と題して同様の趣旨の嘆願書を手渡した。ところが、この議員団は手紙を握りつぶし、「”戦犯”たちの待遇は決して悪くないという印象を受けた」などと記者会見を行ったのである。

・野溝勝【左派社会党参議院議員】ら訪ソ議員団
「『戦犯』たちの待遇は決して悪くはないと言う印象をうけた。一日8時間労働で日曜は休日となっている。
食糧は一日300gとパンが配給されており、肉、野菜、魚などの副食物も適当に配給されているようで、栄養の点は気がくばられているようだった。」
出典元:1955年10月6日『朝日新聞』より
【踊る埴輪より】この発言が問題なのは、彼らがソ連側の説明を信じきってそのように言ったのではなく、実情を分かっていながら国民を欺くためにあえて嘘をついたことにあります。
また、この訪ソ団はシベリア抑留者が国会・国民宛に出した嘆願書を揉み消したことでも有名です。
http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/
54名無し三等兵:03/05/25 06:02 ID:???
>>53
うおっ、ちょうど向こうのスレにそれに対してレスつけたや。

☆信じられないが、本当だ Part5.1
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1053521646/76

一つ、小話。

前スレに書いた、バイト先で会った、
戦車の整備兵をやっていた人から聞いた話。

戦後、その人は自動車整備工をやっていたのだが、
その中でエンジンを開けてびっくり!!
車のカムの軸受けに、削ったブリキを入れて隙間をあわせてあった。

曰く、戦争中、後は部品が調達出来なかったので、
カムが削れてもかわりの部品が無い。
そこで、苦肉の策として、隙間にブリキを入れて調整していたというのだ。
すでに擦り切れてぺらぺらになっていたそうだが、
それで相当な距離を動いていたらしい。
「日本の技術は、こういう現場の人の努力から来るかもしれない」
と言っていました。

多分、こういう腕の良い整備士がいたからこそ、日本の飛行機も
そこそこの稼働率を誇れたのだと思う。
戦争末期に稼働率が下がったのは、こういう人達が徴兵されたのも
一因かも知れないと、今思った。
55名無し三等兵:03/05/25 15:27 ID:???
おいらのじーちゃん、もう死んじゃったので詳しい話を聞けない
のが本当に残念なだけど、小さい頃聞いた話で覚えているのが
じいちゃんは海軍に入っていて(たぶん偉くはなかった感じ)
船だか潜水艦だかに乗っていたんだけど、1回目に乗った船が
撃沈され、その後乗った船も撃沈されたのに2回とも生き残ったって話。
(とんでもなく漠然としていてスマン)今思うと2回も撃沈されて
生きてたって本当の話?って思っちゃうよ。

じいちゃんの話は、それでお前が産まれたのは本当に運のいいこと
なのだから命を大事にしる!とか絶対に戦争は起こしてはならねぇ!
とか人はいつ死ぬかわからないのだから親や仲間を大事にしる!
とかいう説教で終わるパターンだった…。でも小さい頃の記憶だから
いつの戦争のことなのかとか全然分からないんだよね。

マジで2回とも生き残ったのかなあ?そういうのってあり得る話?
おいら戦争のこと全然分からなくて未だ半信半疑なんだよね…。
56名無し三等兵:03/05/25 17:06 ID:nfsTtfaJ
>>54
ウホッ!いい男・・・
57じんべえ:03/05/25 17:26 ID:3GXPmFj7
いとこのじいちゃん
元海軍少尉で(特務)ラバウル航空戦に上飛曹として参加していたときのこと
語呂がいいので「波平行安」の刀を座席の後ろにつっこんで出撃していた。
ある日、空戦中に敵の放った弾丸が風防を突き破り、軍刀の切先三寸のところに
命中し、頭からわずかに弾道がそれ、助かった。
今でも弾痕のついたままの刀を宝物として持っている。
58名無し三等兵:03/05/25 18:31 ID:Vl31Nnow
>>55
うちのじいちゃんは正確に言うと沈没1回だけど、1回目はミッドウェーで最上に乗ってて、
三隈にぶち当てられた近辺にいたから、危うく・・・
で、勤務所が飛行甲板になったから駆逐艦に移ったら、ほどなく潜水艦に雷撃されて沈没。
10時間くらい海に浸かって漂流したって。
そういやぁピカドンの時は呉に居て、きのこ雲が良く見えたって言ってたな。
>>57
良い話やね。さすが武士の魂日本刀。当時から大切にしていたから守ってくれたのかも。
59名無し三等兵:03/05/25 19:07 ID:zhnMQq56
漏れのじいさんは上海事変のとき上海市にあった大世界というレジャービル(今でもあるよーーーーー)にはまり、あへん中毒になった。
60名無し三等兵:03/05/25 19:24 ID:???
中国の飛行機に繰り返し攻撃を受けて
後ろをみたらみんな死んでいた。
平原で襲撃されると危険らしい。
61名無し三等兵:03/05/25 20:51 ID:Okm1cQUI
>>58
うちのばあちゃんも呉在住。しかもその日は家の前の海で家族で泳いでたのでよく見えたらしい。
うちの爺さんはビルマ戦線に砲兵として従軍したけどイギリス軍の捕虜になってたらしい。
ビルマへの慰霊ツアーのさそいがあるたびに「現地の人間にあれだけひどいことをしていながら、どのつらさげてビルマにいくつもりか。」って激怒していた。
62名無し三等兵:03/05/26 05:20 ID:???
>>58
おや、そちらもビルマ戦線で砲兵ですか。

うちの爺さんは野戦重砲兵第3連隊(三島)でインパール作戦に参加していたそうです。
もう随分記憶が薄れてしまって、大した事は聞き出せていないんですけれど。
野戦重砲三連隊は当時珍しい牽引車装備の機械化砲兵で、それが自慢だったのか
「うちの連隊は挽馬(ばんば)じゃないんだ」を何度も聞きました。

「火炎放射でやられた砲陣地に入ったら、みんな砲の傍で死んでいた。
分隊長は砲身にまたがったままで焼け死んでいた」という話も聞いたことがあります。
中隊の生き残りが11人というから、きっと地獄を見てきたんでしょう。

以前三島大社まで連れて行った時、50年ぶりということで本当に懐かしそうでした。

小話一つ。
開戦の日。役所に勤めていた祖母は女性職員たちと
「勝てるわけないじゃないねぇ」などとお昼の雑談を楽しんでいたご様子。
そんな祖母は「グラマン(F6F)」の機銃掃射を受けた経験のせいか
飛行機はぜんぜん乗らず、先日はじめて「プロペラが無い飛行機がある」と知りました・・・。
63名無し三等兵:03/05/26 23:19 ID:G+l1lc7n
うちの母方の祖父は戦艦金剛の砲術担当で
ガダルカナル砲撃にも参加したそうだ。
で、金剛と書かれた写真や記念絵葉書とか
持ってるんだが、これがどう見ても榛名なんですわ…
64名無し三等兵:03/05/26 23:56 ID:???
>>63
なんか、いいね、その話。
吹き出してしまったです。
65じんべえ:03/05/27 02:29 ID:UlC+l3BB
いいなあこのページ
じいちゃんらと話してるみたいで
ほっとするよ
66名無し三等兵:03/05/27 02:39 ID:???
ある意味、羨ましいよ。俺は生まれてきた時は
2人ともジーちゃんはいなかったし。
67名無し三等兵:03/05/27 04:32 ID:N8KVcZQR
68名無し三等兵:03/05/27 10:19 ID:???
>>63 うちの他界した父も金剛乗り組みでした。ガダルカナル砲撃の頃までは
乗ってたんですが、その後地上勤務で中国に送られ、親日中国政府の海軍の
教官をしていたと聞きました。良く話してたのは初陣のマレー沖で、英国艦隊
と刺し違える覚悟だったそうです。機関担当の下士官だったそうで、海軍工機
学校を首席で卒業し、その時頂いた銀の懐中時計があったのですが、まだ父が
死ぬ前に見つからなくなってしまったのです。見つかったら家宝として大事に
保管してくれと父に頼まれていたのですが、死後16年経つ今も見つかりません。
69名無し三等兵:03/05/27 11:37 ID:???
>>68
>銀の懐中時計

そういう貴重な資料が失われるのは、悲しいことですね。
見つかったら、画像UPキボンヌです!!
7045:03/05/27 14:22 ID:???
母方のじーちゃんの弟が赤城乗り組みの一飛曹だったんだけど、
ミッドウェイで生き残った後一度も内地を踏まずにラバウルに送られて、
ガダルカナルの航空戦で戦死してしまったそうだ。
最後に戦地から送られてきた手紙、今でもじーちゃんの家の神棚に収められてるよ……

ちなみに、当のじーちゃんは国後で高射砲を撃ってたそうだ。
沖縄に送られる予定で釧路まで移動したら、
乗り換え予定の輸送船が二隻続けて潜水艦に撃沈されて、
三隻目の船を待ってる間に終戦になったとか。
「俺は船運がいい」って口癖みたいに言ってる。
71名無し三等兵:03/05/27 14:26 ID:???
父方のじーさんは徴兵されるも体が弱く
舞鶴で事務員をしていたらしい。
鈴鹿に出張させられて、帰ってきた次の日に
鈴鹿が大空襲を受けたとか。

母方のじーさんは昭和天皇と同い年=戦中は40前後。
さすがに徴兵されなかったが、従軍記者として満州へ。
シベリア送りにされたが、どうにか帰ってこれた。
やっと家に帰った際、満州に行く前に作った末娘=私の母に
「おじさん、いつ帰るの?」と聞かれ
ものすごくヘコんだそうな。
72名無し三等兵:03/05/27 17:12 ID:???
家の爺さんは師範学校でてマッタリ生きといりましたが、召集され、
ジャワ島の戦いの中爆弾落とされてあぼーんされてしまいました。・゚・(ノД`)・゚・
なんでも富士山と同じくらいの高さの山を登って敵軍を討つという戦術でしたが、
富士山って・・・そりゃ駄目だろうと・・・・(ノД`)・゚・゚
73名無し三等兵:03/05/27 17:28 ID:???
ウチの祖父じゃないが、友人の先日他界されたお祖父様は戦艦比叡機関兵曹で、
第三次ソロモン海戦にも参加し、機関部配置ながら九死に一生を得たそうな。
総員上甲板で上がったら艦橋が半ば消滅し、何処もかしこも遺体だらけ、
しかも途中で重傷を負った兵が、「水をくれ」としきりに叫んでいるのを横目で見てしまったんだそうな。
色々お世話になったのに、お礼を言う前に他界されてしまった。
今度墓参りくらいには行かないとな・・・・。
74age:03/05/28 04:44 ID:???
age
75_:03/05/28 04:45 ID:???
76名無し三等兵:03/05/28 06:33 ID:v3NEVk8P
うちのじいちゃんは中国いってたけど
テストうけて少佐に昇進して日本に帰ってきて生き残った
とかいってたけどテストとかあるんですか
どんなテストかしら……

もうかたっぽは「かっこよかったから国内パレードしかしなかった」とか
さらに胡散臭い事言ってまちた……
77名無し三等兵:03/05/28 09:53 ID:???
>>76
それはじいちゃんは階級をサバ読みするの法則に
当てはまりそうですな。
7876:03/05/28 13:29 ID:???
胡散臭さ炸裂
79山崎渉:03/05/28 15:47 ID:???
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉
80ななし:03/05/29 01:37 ID:UJNSv8qX
たのむ、日本女子大や東京女子大の英文科出身で戦争中に
日本軍の軍務に従事していた人を知っている人はいないか?
81age:03/05/29 01:55 ID:???
age
82名無し三等兵:03/05/29 02:09 ID:2eQuF5ey
ウチノオトウサンハセンシシタアメリカヘイノシタイヲヒキズリマワシテヨロコンデイマシタ
83名無し三等兵:03/05/29 02:16 ID:???
>>80
そんな限定された人について聞かれても、難しいと思うよ。
論文か何かだっけ?
それだったら、足で調べないと。
直接学校に電話して、
卒業者の会か何かを問い合わせるのが良いと思います。
8498:03/05/29 02:25 ID:???
家のじいちゃんは東京の香取神宮近くの宿で会計をしていたそうな
戦車に地雷を仕掛ける訓練をしたらすぃ、終戦の知らせを聞いたとき
は、これで田舎に帰れる♪みたいな気持ちだったそうな、
周りの人間もそんな感じだったそうな。
85名無し三等兵:03/05/29 16:15 ID:???
昔、婆様は、言葉の意味も分からない俺によく「テーシンタイ」の頃の話をした。
東京の空襲の時にはそっちの空が真昼みたいに明るく見えたとか、
同僚が妊娠しちゃって、やむなく出産したけど赤ん坊は死んだとか。
でも「辛いばかりだったけど、テーシンタイでかっこいいショーイさんと結構青春してたりもしてたよ」
とも語っていた。大きくなってからそれらの言葉の意味を知って、
女はたくましいなと思った。

と、ここまで書いて気が付いたんだけど、確か俺の爺様は少尉だった筈。
孫にのろけてたのか?
86名無し三等兵:03/05/29 20:19 ID:???
>>85
ええい、ババアはいい、ジイジの話を聞かせろ!!





失礼、言ってみたかっただけです・・・。
87名無し三等兵:03/05/30 05:19 ID:???
>>86
爺様はあまり自分から語ろうとはしなかったなぁ…。
教師やってて召集されて満州に行き、弾にも当たらず帰って来たのに、
最初に寄った大阪?の焼け跡で、不発の焼夷弾踏んで大火傷で入院した。
という話は聞いた記憶がある。
ついでにまた婆話で悪いんですが…「低空で飛んで来たアメリカの飛行機に、
機銃掃射を受けたとき、パイロットのニヤッと笑った歯まで見えた」
と婆様は言っていたんだけど、そんなことって実際あるんですかね。
誇張だと思ってたけど。漏れは軍事の知識はありません。この板の方々ならどう思われます?
88名無し三等兵:03/05/30 05:46 ID:???
充分ありえると思う。
俺の叔父は幼児のころ畠で機銃掃射を受けたが、そばに居たその姉(うまりおれの母)が
同じく笑いながら赤ん坊を狙って撃ってる米兵を見たと言ってる。
ジジババ話で無いのでsage
89名無し三等兵:03/05/30 11:21 ID:???
>ついでにまた婆話で悪いんですが…「低空で飛んで来たアメリカの飛行機に、
>機銃掃射を受けたとき、パイロットのニヤッと笑った歯まで見えた」

これはみんな言いますね。
あやふやな記憶と恐怖とかがあいまって、
こう見えたと思っているのかもしれないですね。
けど、機銃掃射くらい低空まで来るのならば
パイロットが見えてもおかしくないけど、
映画の同じようなシーンを見ても、
パイロットが見えるかどうか微妙だと思う。
90名無し三等兵:03/05/30 21:52 ID:???
書きたいけど本人特定されそうだからやめた。
91名無し三等兵:03/05/31 23:43 ID:YZ3lcDlo
バーさんの話なんだけど
「アメリカの飛行機はゆーっくり落ちてくるけど、
日本の飛行機はパーッとすぐ落ちちゃう。」って行ってたな。
B29のことなんだろうけど。一般人が見られるほどよく落ちたのかね。

あと、こんなことも言ってた
「防空壕に入ってると、プスプス焼夷弾の破片が刺さる音が聞こえる。」
結構怖いのかも。
92名無し三等兵:03/06/01 00:43 ID:ArbDp1I0
>>91
確かB29の損耗率は20%行ったんじゃなかったっけ?
エンジントラブルとかも含めて

と思ったら
↓こんなのがあった
59 名前:名無し三等兵 投稿日:02/08/02 22:19 ID:Yzjc1mmv
>>48
B29の損失機数は約450機。(含対戦闘以外の不時着等)

述べ出撃数は約33、000機で損失率は1.36%
米陸軍航空隊が受領した機数が2、132機この機数が実戦配備数とすると。
損失率は21.1%になる。米軍も楽な戦いではない。
93名無し三等兵:03/06/01 01:40 ID:???
>>91
>「アメリカの飛行機はゆーっくり落ちてくるけど、
>日本の飛行機はパーッとすぐ落ちちゃう。」って行ってたな。

これはただ単に飛行高度の違いかもしれませんね。
B−29は高いところにいるから、落ちてくるのに時間がかかる。
日本の飛行機は低いところにいるから、すぐ落ちてくると。
94名無し三等兵:03/06/01 03:31 ID:CSDM8Sq+
>B−29は高いところにいるから、落ちてくるのに時間がかかる。
>日本の飛行機は低いところにいるから、すぐ落ちてくると。
そうすると周りに米機がいないのに日本機が落ちたと?
たぶん日本機はすぐ火を吹いたり、エンジンが止まって操縦不能になるのに対して
アメリカ機は被弾しても出力が低下して徐々に降りてくるということでは?
95名無し三等兵:03/06/01 04:02 ID:Hn12u0Iz
前に別板でも書いたけど、うちの母親の話。
まだ小さかった母親をじいちゃんが抱っこしながら
「いよいよ大和が出る。これで日本は勝つぞ」
って言ってたらしい。
大戦中、大和はその存在を知られてなかったとか聞くけど、あれは間違いだね。
96名無し三等兵:03/06/01 16:17 ID:???
>>95
>大戦中、大和はその存在を知られてなかったとか聞くけど、
>あれは間違いだね。

あれは完全に間違いみたいですね。
軍の広報で、「長門を超える新型戦艦が就航している」というような
文が一般に公開されていました。
これは信じられないが本当だスレよりです。
9791:03/06/01 17:41 ID:???
>>92-94
いや、多分大きいからふらふら落ちてくるんだと思うよ
空気抵抗で。
一応そのときの話では、火を噴いてるって話だったから。

高射砲が全然あたんないって言ってたけど。


そういえば、近くの都立大学(今は都営マンション)が爆撃目標で、
爆弾が落ちたあと行ってみたら、コンクリートの貯水槽が吹き飛んでいたらしい。
98名無し三等兵:03/06/01 22:19 ID:???
>95
親戚のおじいさん(故人)が、輸送船の銃手やってて、
大きな戦艦とすれ違ったけど、戦後しばらくしてから
大和か武蔵だとわかった…てな話してました。

ちなみに、そのおじいさんの乗っていた輸送船は米軍機の空襲にあい、
直撃弾こそなかったものの、至近弾をもらいすぎて沈んだそうです。
「飛行機落とせたの?」ときいたら、
「さっぱり当たらんかった。」といっていました。

ついでに、そのおじいさんのいとこは夜間戦闘機月光の斜銃手だったそうですが、
出撃してもほんとに真っ暗でなにも(敵も味方も)わからんかったそうです。
あれではどうにもならんというようなことをおっしゃっていました。
99名無し三等兵:03/06/02 00:07 ID:???
>>98
なんか、すっげー良い話。
実際はそんなもんでしょうね。
船の機関銃は、とりあえず鼻先に向けて撃って
爆撃コースからそらせるためのもので、
実際に当てるようなものではないと言うような話をきいたことがあります。
100名無し三等兵:03/06/02 17:01 ID:???
100get
101名無し三等兵:03/06/02 21:12 ID:DT46zLS/
「我が海軍には新鋭戦艦あり」という報道の後、
大本営ニュース映画に利根が最大戦速で航行するニュース映画が流れた。
ちまたでは「この前の広報映画に出てきた新鋭艦がその新戦艦だ!」という噂がたった。

大本営海軍部は「大本営ニュース映画で映された艦は新鋭戦艦ではない」と釈明する声明を出した。
102名無し三等兵:03/06/02 21:18 ID:QD+lCk7W
>>91
日本機は空中爆発で翼がもげるから、空気抵抗が減って早く堕ちるのだ、多分...
103名無し三等兵:03/06/02 21:19 ID:wmcLdBJ1
玉音放送があった翌日には、近所の陸軍の飛行場に忍び込んで盗みをやっていたそう。

この間のイラクと状況は変わらないみたい。
104名無し三等兵:03/06/02 21:25 ID:C2mOAI5N
>>98
戦争経験者がいてよかったですね・・・・
自分は周りにそういう人いないので・・・・
いい話だと思います
105名無し三等兵:03/06/02 21:30 ID:QD+lCk7W
>>104
そうだな
みんな、80超えたじいさまは大切にしてやれ。
そういう人は減るばっかなんだからさ。
106名無し三等兵:03/06/02 21:47 ID:???
>>103
>玉音放送があった翌日には、
>近所の陸軍の飛行場に忍び込んで盗みをやっていたそう。

基本だろ!!
ウチのじいちやんは年食いすぎで戦争はいかなかったけど、
戦後の焼け野原でくず鉄拾い(電線とか)やってえらい羽振りが良かったらしい。
ただし、羽振りが良すぎて、通報されて、
場偉大な賠償金を負わされた。
が、それまで儲けたお金で一括で払ったんだって。
それ位、クズ鉄拾いは儲かったらしい。
母曰く、「同時で誰でもやっていたのに、ウチだけ摘発された!!」
と言っていた。
ママン・・・。


107名無し三等兵:03/06/02 21:53 ID:???
親戚のじいさん(既に他界)は憲兵少尉、
メチャクチャ兵隊をぶん殴った事があるそうな。
不条理なことをしたと悔やんでいた。
その息子は現在陸上自衛隊の二尉。

別のじいさん(これまた他界)は海軍の爆撃機パイロットで
フィリピンで敵戦闘機の機銃弾を受け右腕を吹っ飛ばされた、
一緒に風呂に入り腕のない右肩をさすりながら
「戦争はやっちゃいかん」と諭された、非常に説得力があった。
108名無し三等兵:03/06/02 21:55 ID:???
うちのヒイジーさん(かな?)確か日本海海戦にでたらしいとジーちゃんに
聞いた・・・
109名無し三等兵:03/06/02 22:29 ID:???
毋方のじーちゃん、右手の手首から先が無かった。
小さいときに聞いたら、「昔、戦場で敵が投げてきた
手榴弾投げ返そうとしてなぁ…」当時、意味は分から
なかったが、葬式の時戦友だった人がフィリピン戦で
味方を庇おうとした時の事だったそうな。
110名無し三等兵:03/06/02 22:35 ID:???
109です。文見たら言葉がおかしいので訂正させてください。
葬式の時に戦友だった人が教えてくれたのですが、です。
お馬鹿な文かいてしまってスマン。
111名無し三等兵:03/06/02 22:47 ID:???
一人に付き何人自慰さんがいるんだか( ´,_ゝ`)プッ
112名無し三等兵:03/06/02 23:18 ID:???
>>111
定期的に来る馬鹿だな。
2chなんて、初期の頃から比べれば
何倍、何十倍にも利用者が増えているよ。
これを考えれば、簡単にわかるだろうにさ。
このスレだって、過去にレスが止まった事もあるよ、ネタ切れで。
106のじいさんは過去ログで数回登場しているよ。
113名無し三等兵:03/06/03 10:13 ID:???
いや〜オレも>>111に同意。
誇張や捏造や誰かの経験談の無断転載も紛れていると思って読んでる
114名無し三等兵:03/06/03 11:23 ID:Tdf8pTC2
>>108
そーだよな。あの頃の若い人は日露戦争の英雄の話を聞いてたんだよな。
うちの爺さんも今年96だが日中戦争の話よりも日露戦争の話ばかりしてくれた。
日露戦争の話が好きで戦前よく調べていたらしい。軍ヲタ?
115名無し三等兵:03/06/03 11:28 ID:???
俺が生まれる前の話だが、5年前に死んだうちの爺さんは
戦争中に中国の村で略奪してきた鍋や釜を「戦利品だ」と言って家族に自慢したらしい。
当時極左過激派学生だった俺の親父は、
それを聞いて激怒しすごい親子喧嘩になったそうだ。
116名無し三等兵:03/06/03 11:50 ID:AU1vK2Hy
インパール作戦の数少ない生き残りでつ・・
117直リン:03/06/03 11:52 ID:GY3QD9xM
118名無し三等兵:03/06/03 12:01 ID:202QFb/o
うちのじじ様(既に他界)は陸軍の教官パイロットしてて、
潜水艦でドイツに行くのはいいが、帰りはロシア経由になるだろうって
ロシア語も練習してたそうな。
日本語、英語、ロシア語、あとドイツ語も話せたらしい。
でも、神風号と一緒に写ってるじじ様の学生時代の写真見ると、
眼鏡かけてる。



119名無し三等兵:03/06/03 15:21 ID:???
父方の祖父は千島列島で船ごとしずんだらしい。s19.10.20〜25
船種は不明。唯一知るばあさんが少しボケてしまったのから。

母方の祖父は病弱で徴兵を免除された。彼の弟は、s19.10.22
フィリピンにてマラリアに冒され死亡。
120名無し三等兵:03/06/03 16:36 ID:???
>>113
そういう場合は、読んだ話だがと一言いれて欲しいですね。
確かに、過去にどこかのホームページから転載というのもありました。
もしかして、ホームページを作った人かもしれませんが。
121名無し三等兵:03/06/03 17:40 ID:VRohpWoP
>>114
軍歴がある年寄りってそんなもんだって。
122hg:03/06/03 17:41 ID:NP0YMvub

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123名無し三等兵:03/06/03 19:18 ID:???
だいぶ前にも同じようなことを書いたような気がするが再び。
陸軍だったらしい。大尉だったらしい。
満州に行ってたんだがどっかの陸軍士官学校に呼ばれてすぐ日本へ戻った。
しかしその直後、祖父の中隊は全員グァム島で玉砕。
そのときのことを話すときはなんだかすごく悲しそう。
満州で電車に乗っていてゲリラの襲撃を受けたこともあるとか
124名無し三等兵:03/06/03 20:41 ID:???
ひいじいさんは近衛兵ですた
125名無し三等兵:03/06/03 21:17 ID:???
漏れのじいさん、もうそろそろ90なんだけど戦時中は
飛行機の整備やってたんだって。
あまり詳しくは話してはくれないんだけど、これから特攻に出撃する
飛行兵が、笑顔で「今日も空がきれいだ」って飛び立ったんだって。
それが印象的だったらしくその話はよくしてくれた。
また別の日は明日出撃する飛行兵が基地の隅で泣いてるのを見かけたらしいよ。なんの言葉もかけられなかったって。
最近元気がなくなってきたようなんだけど、もっと話が聞きたいなあと思うね。
126名無し三等兵:03/06/04 09:47 ID:???
うちのじいちゃんは、長崎の三菱の熟練工だったし年も食ってたので
教育徴兵?とかで久留米の連隊にちょっと逝って帰ってこられた。
でもその結果被爆・・・。
127名無し三等兵:03/06/04 20:49 ID:yVCfSeiM
 以前、他のスレにも俺のじーちゃんの事書いたんだが、
また新しく事実が判明しました。俺のじーちゃんは南方のフィリピンへ
行ったんだが、レイテ島に行ったかと思ってたら
驚いたことに、ルソン島南部で住民を虐殺した部隊にいたんだわ。
 俺がまだ9歳位のときに、じーちゃんは「わしは戦争でお前くらいの
子供も殺した」って言ってたの思い出したよ・・・。本当だったんだ・・・。
かなりショックだ・・・。
 ルソン島南部のりパって町で住民を家の中へ連れ込み、銃剣で刺し殺した後は
その家に放火して死体ごと焼き払ってた部隊だわ・・・。
 同じ部隊の生き残りが証言している話では、家の前で刺されて瀕死の子供も見たって
いうから、それは俺のじーちゃんがやったのかもな・・・。
 また、カンルーバン捕虜収容所ってとこに終戦直後いたみたい。

 誰か、俺のほかにじーちゃんが、通称「藤兵団」にいたって人いませんか?
ただ、この藤兵団「○○飛行場大隊」にいた人は必ずといっていいほど
虐殺のタブーを隠して話さないらしいから、なかなか居ないか・・・。
 
 いずれにせよ、これでじーちゃんの戦争時の謎がやっと解けた。
虐殺の体験者の話では、一度虐殺すると、一生夢でうなされるらしい。
 自分が殺した相手に殺される夢を毎日のように見るらしい。

 続く
128127:03/06/04 21:09 ID:yVCfSeiM
 俺のじーちゃんも、よくうなされてたよ。
すごく苦しそうにして、「やめろっ」て言いながらうなされてた。
 実は俺も何度かうなされた事があって、内容を話すと
夢の中で真っ暗な場所に死体の山があって、みんな苦しそうに
うめきながら、「殺してやる、殺してやる」って俺に言うんだよ。
 その時はすごく苦しくて、夢から目が覚めても冷や汗がすごいんだ。
この悪い夢を何度も見たし、その場面というのは、
 じーちゃんの部隊が住民を銃剣で殺して、放火した後の死体の山と
同じような場面じゃないかと思う。
 孫まで呪われるような悪事だと思っています。
 
 また、フィリピンで虐殺のあった場所では、夜中に幽霊というか、
誰もいないはずなのに、すすり泣く声が聞こえたり、人影が見えるらしい。
 
 実は俺の家でも、昔よく夜中に外から、それも人が入れない、家と家の間から
うめき声とか人影が見える事がよくあって、
俺も正直慣れちゃってて「うるせえな」ってくらいにしか思わなかった。

じーちゃんの死後、そういった事はピタリとやんだから、
 あれはきっと虐殺された人たちの怨念だったんだと思います。
129127:03/06/04 21:27 ID:yVCfSeiM
 また、この部隊は赤ん坊やその母親まで平気で殺しまくった部隊で、
無数の死体が転がる建物を放火して、その火を笑いながら見ていたそうです。

 いくら戦争でも、人間としてやってはいけない事をした最悪の部隊だと
思います。それでも、俺にとっては大事なじーちゃんがいた部隊です。

 あれだけ優しかったじーちゃんが、まさか20歳半ばでそんなことを
していたとは、すごいショックだし、ここまで人間を変える戦争は怖いと
心底思います。 

 殺されたフィリピン人があまりにも可哀想なので、
俺はその虐殺被害者(生き残りもたくさんいる)に何かしてあげたい。
 少しフィリピン語を覚えてきたし、何か犠牲者に力になってあげたい。

 終わり 
130名無し三等兵:03/06/04 21:41 ID:???
>>ID:yVCfSeiM
捏造ご苦労さん、わざわざageで書くあたりが汚らしいチョンらしいな。
「旧日本軍の残虐行為」のほとんどが朝鮮人志願兵の仕業なんだよ。
131名無し三等兵:03/06/04 21:54 ID:???
俺がいく耳鼻科に元軍人が3人いる・・・・
1人は便衣兵に酷い目に合わされて
1人は明石の乗組員(途中で輸送船に転属)
1人はラバウルにいた・・・
どれも大変いい話でした・・・
132_:03/06/04 21:55 ID:???
133名無し三等兵:03/06/04 21:58 ID:???
いくらなんでも「日本軍の悪行」とされる事件を全部朝鮮兵の仕業にするのはあんまりだろ。
134じんべえ ◆2kK64Yc21o :03/06/04 22:03 ID:so957uFa
>>133
それはいえる
日本兵だって程度がいいやつばかりじゃないし
根こそぎ動員だから
酒鬼薔薇聖斗みたいなのや変態、サディストも混じっていただろうし
135名無し三等兵:03/06/04 22:06 ID:???
イギリス兵捕虜をクビチョンパした日本海軍軍人もいたしな。
136名無し三等兵:03/06/04 22:07 ID:HlLYqcQO
130晒しage
137名無し三等兵:03/06/04 22:08 ID:???
>>130
悲しくないか?何もかも信じられないって・・・何もかも疑うって・・・
もしウソでも騙されてやるって言うのもアリだと思うぞ。

そんなことばっかり言ってるとそのうち自分が信じてもらえなくなるよ。

なんてね、すれ違いスマソ
138預言者:03/06/04 22:11 ID:???
139名無し三等兵:03/06/04 22:44 ID:???
母方のじーちゃんは陸軍の戦闘機パイロット
中国戦線で呑龍の護衛をやって、部隊が南方に転進になるときに病気で内地に送還
回復後は二式複戦に乗って本土防空戦に参加、B-29一機撃墜不確実
終戦の数ヶ月前からは憲兵をやっていたそうな

照空灯に照らされたB-29に後下方から忍び寄って
斜め20ミリをエンジンに向かってぶっ放したら
火を吹いて高度を下げていったそうだ
危うくB-29と激突しそうになったので左急旋回で避けて降下して
見上げたらもうB-29は見えなくなっていたらしい

唯一じーちゃんから直接聞いた戦争の話
もうそのじーちゃんも他界してしまいました
140名無し三等兵:03/06/04 23:10 ID:???
母方の爺様は満鉄で働いていたらしい。
去年同窓会みたいなのがあって、その時の写真を見せてくれた。
戦争体験は、終戦のときに銃を埋めてきたことぐらいしか聞いてない。

あと、うちの墓は機銃掃射をうけて割れていた。
今年の正月に帰ったら新しくなってたけど。

141_:03/06/04 23:47 ID:???
142名無し三等兵:03/06/05 00:52 ID:???
>>137
うーん、130じゃないけど、
127−129はじいちゃんの話というよりは、
噂話をじいちゃんにつなげただけでしょ。
じいちゃんから直接聞いたわけではなくて、
憶測をじいちゃんにつなげているだけだから。
アサヒ新聞そのままの手口だよね。
ちょっと意図が見え見えでイヤな感じがしたよ。

127さんが書いている事実は、
・じいさんがルソン島南部にいた
・戦後は捕虜収容所
・じいさんが寝ていてうなされる。
これだけだからね。

このスレでは、本当にルソン戦記に名前も出てきた人の御孫さんも
書き込んでいるわけで、そういう憶測の情報だけで、
そういった人たちを犯罪者扱いするのはすごい侮辱だと思う。
143_:03/06/05 01:28 ID:???
144名無し三等兵:03/06/05 01:38 ID:???
>>142に援護射撃
127氏のいう「カンルーバン捕虜収容所」という
言い方は戦時中はまずしない。戦後の呼び方。
同名の本も出版されてる。
当時の一般兵士なら「カランバン捕虜収容所」
あるいはカンルパンといったはず。
祖父からの聞き取りである可能性はきわめて低いと思う。
モンテンルパと並んでその筋では有名な収容所だから、
ボロがでたんだね。
ゲリラの戡定作戦で過剰なことをしたこの事件は、確かに
処罰されるべきだけど、戦後、取調べの段階から露骨な報復が
行われたことも知っとかなきゃね。
145名無し三等兵:03/06/05 01:57 ID:GTHBDm0X
>>139
すみません軍事には素人ですので純粋な疑問なのですが、パイロットから
憲兵に転属になるってことは実際あるのですか?
146127:03/06/05 02:54 ID:nQJFzino
>>130
イタタタタタタタタタタタタw 
 厨房すぎ。w自分にとって都合のいい話のみ信じる、ある意味幸せな坊や。
信じる信じないは自由だからね〜 僕ちゃんには10年早いお話だね^^
「ゴー宣・戦争論」でも読んで鵜呑みにしておねんねしようね〜。(保母さん風)

>>142
 推測じゃないです。もし推測だけで書いてたら、どえらい妄想家ですよ。
それに戦争時の中国とフィリピンは違いますよ。フィリピンは被害者の
家族や、実際に日本兵に襲われて負傷した人がたくさんいます。
ソースは「ルソンの谷間」「ワラン・ヒヤ 日本軍によるフィリピン住民
虐殺の記録」「殺した・殺された 元日本兵とフィリピン人200人の証言」
という本です。なお信じるかどうかはご自由ですが。

>>144
 捕虜収容所にいた話はじーちゃんから直接聞きました。
モンテンルパは昭和28年に捕虜釈放、
カンルーバンは昭和21年8月に捕虜釈放。
 俺の伯母(父の姉ね)は昭和22年生まれです。そうなると
カンルーバンのほうだなと。
147名無し三等兵:03/06/05 03:11 ID:???
>>146
ん、いやさ、一番聞きたいのはおじいさんから直接聞いた生の話な訳さ。
それをちゃんと書いた上で、
その後にあなたが後から仕入れた感想や憶測を書くのはいいけど、
ごっちゃに書いているでしょ。
君は書き方がものすごく不味かった訳だね。

その場合、あなたのおじいさんがルソン島にいらして、
戦後、捕虜収容所に抑留されていた。
が、後から本を読んだら、この部隊は戦犯の疑いがある。
もしかして、そういう事があったのかな、
小さい頃に聞いた話が本当だったのかな
と思うくらいに書けば問題無しです。

しかし、真実が判明したら、都合よくソースが出てくるね。
148115:03/06/05 03:21 ID:Pb0gePrg
爺さんの話ではないのだが、
うちの親父の経営する会社の先代社長は陸軍中野学校出身で
戦時中は大陸で情報収集活動をしていたそうだ。
ある時陸軍の部隊に随伴して占領した町に入ったところ、
焦土作戦で町は廃墟と化していた。
現地調達を考えていたらしく部隊の食料は既に底を尽いていたのだが、
町にはもちろん食料など残されていない。
井戸水にも毒が入っている。
しかし唯一ぶどう畑にだけはたくさんのぶどうが実っており、
彼はそれから補給が来るまでの一ヶ月の間ひたすらぶどうだけを食べ続けたという。
当時の日本人にはぶどうなどそうそう口にできるものではなかったのだが、
最後には見るのも嫌になって終戦後もしばらくはぶどうが食べられなかったそうだ。
149127:03/06/05 03:25 ID:nQJFzino
 ごめ。たしかにわかりにくい部分もあるかな。
実は俺フィリピン人に知り合いがいて、その人が俺のじーちゃんの
名前知ってたのよ。
 同姓同名はちょっとありえない名前だし、他にある特徴も一致しててね、
間違いなく俺のじーちゃんを知っててびっくりしたよ。
 もし俺がそのじーちゃんの孫だとばれたら袋叩きに会う所でした。
すごく悪いことをした人だと聞かされて、その人に聞いた話と
これら資料が一致するので、ひどくへこんだんです。
 
150>>149:03/06/05 08:29 ID:epahSgNc
スバラシイほど都合のいい話ですね
151名無し三等兵:03/06/05 09:17 ID:???
  |  (゚∀゚)ノ キテネー! http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1054763051/l50
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  |  (゚∀゚)ノキュンキュン!
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152名無し三等兵:03/06/05 13:27 ID:Wlw5bsLk
私は127氏ではないが、もうひとつ、都合の良い祖父の戦争体験話をしてみよう。

私の祖父は京城帝大卒業後はとある郵船会社に入社し、主に総務系の仕事をしていた。
太平洋戦争が始まると、軍属として海軍に徴用された祖父は、海軍省勤務を
へて大井篤著「海上護衛戦」でおなじみの海上護衛総隊に配属された。
そこでの祖父の仕事は、最初は配船業務にかかわる郵船会社・統制会・
逓信省等とのリエゾン業務だった。しかし祖父は自称「英語使い」だったためか、
通信傍受に関係する業務を行うようになった。
正確な業務内容と所属は本人の記憶があいまいでわからない部分が大きい。
しかし英文電文和訳が主な仕事であったこことは間違いないようだ。
けれどもこの配置転換は祖父の「英語使い」としての技量が認められたからではないだろう。

裕福な家に生まれた祖父は、よく言えば天真爛漫、悪く言えば怠け者の放蕩者。
そもそも民間企業はもとより役所仕事に向いている人物ではない。
祖父の配置転換は実際には左遷のようなモノだったらしく、仕事は暇であったそうだ。
旧司法省ビルの一室に机を与えられたそうだが、いつも退庁は午後六時前。
しばしば余暇を利用しては府内某所で遊び仲間とテニス・トランプに
興じ、勤務中も隠れて講談本を読む始末(通信傍受と講談本は切っても切り離せないモノなのだろうか?)。
また女遊びのすさまじさは未だに我が家の伝説となっている。
見かねた上司から嫌味を言われたというぐらいだから本当に暇だったのだろう。
あるいは仕事を与えられなかった、「使えなかった」ということだろう。
153152:03/06/05 13:28 ID:Wlw5bsLk
有力なコネがあったとはいえ、このような人物を飼っておくとは
まあ当時の海軍には相当の度量と余裕があったということなのだろうか。
(私はよく生前の祖父に太平洋戦争中の体験を話すようにせがんだが、
いつも話してくれたのは「海軍省高等官食堂のメシはまあまあだったが、
やはり飽きがきた。それに物資が払底してくると
やはり不味くなった。そこでたまに帝国ホテルで内緒のメニューを
食べていた」なんてハナシばかり。
くどいようだが本当に仕事をしていなかったようだ。)

それはともかく、そんな祖父にもようやく海軍の役に立つ時がきた。
ただしそれは、終戦後のことであった。
終戦後、祖父は進駐してきた米軍との通訳業務のためにしばしの間忙しい時期を送り、
横浜、横須賀、厚木とあちらこちらに派遣されて業務にあたった。
(しかし祖父がたちいって話してくれたのは「グランドホテルのメシもなかなかで
見事な玉突台があった・・・・云々」といったハナシばかり。)

海軍省が廃止され二復が設置されるのを機に、祖父は海軍省を免官となった。
普通の戦争体験であれば、これでハナシはオシマイとなる。
しかし海軍廃止をもって、祖父の「戦争」体験は終わらなかった。

海軍をやめた祖父は、日本郵船には復帰できなかったものの、
昔のツテと若干のコネを利用して、なんとか海運関連の仕事につくことができた。
しかし新しいようやく生活になれるはじめた頃、祖父は突然地元の警察署に呼び出された。
待っていたのは米陸軍将校とMP。祖父はその場で身柄を拘束された。

つい長々と書きすぎた。続きは夜に。
154名無し三等兵:03/06/05 13:51 ID:???
わざとらしい(プッ
155名無し三等兵:03/06/05 17:39 ID:tJYOTUD3
うちのじーさん(故人)は足が悪かったからか、長男だったからかで戦争には行かなかった。
で、当時は網元をやっててデカい船を持ってたから、輸送船としてその船を国に徴収?されたらしい。
県でも2隻しか徴収されなかったらしくて、その話をじーさんから聞いた親父が今でもたまに自慢げに語る。

じーさんの弟ではシベリア抑留にあった人もいるし(次男)、ノモンハン事変で通信兵として奇跡的に
生き残った人もいる(三男)。四男だけはブーゲンビルで戦死したらしい。

じーさんたちは既に全員他界してるけど、歴史を理解できるようになった今では国・家族・未来の為に
戦ってくれたことをありがたく思います。
156名無し三等兵:03/06/05 17:49 ID:AyqGsO2d
あんまし関係ないかもしれんが
戦没者の墓石って先端が四角錐なのでわかりやすい。
墓地で見かけると、墓石の裏にまわって彫られてるいる戦没地・
年令・階級を読み、手をあわせることにしている。
157名無し三等兵:03/06/05 17:52 ID:0L5OXL80
158みるとん:03/06/05 18:03 ID:???
うちのじーちゃんは、どうやら中国の旧満州に出兵しとったみたいです。
はなしによると、あそこらへんは冬になるとめちゃくちゃ冷えて川が凍って
戦車でも渡れるようになるらしいです。じーちゃんがどうも配置換えか何かで内地に
行かされたらしばらくして戦争が終わったそうです。ホント運よかったんだなーじいちゃんて。
159名無し三等兵:03/06/05 18:38 ID:aY1D4ffF
  |  (゚∀゚)ノ ラッキ-ダタネー!
 / ̄ノ( ヘヘ  ̄ ̄
160名無し三等兵:03/06/05 19:05 ID:???
やれやれ、軍隊には大なり小なり虐殺は付いて回るのに
なぜ日本兵が行ったという事例だけ狂ったように否定したがるんだろうね。
その他の”じいちゃんの話”は疑うことなくスルーしてるのにね(藁
161リアル厨房:03/06/05 19:08 ID:d6ZgKMFT
俺の爺ちゃんはフィリピンにいったそうです。
バタバタ仲間がやられて
「ああ!もう全滅したか!」
っていうときはだいたい3分の1ぐらいしか死んでないんだそうです。
斥候にも出たそうですが生きた心地がしなかったとか。
「もうなぁ。死ぬかと思ったぞ」
って言いながら腰を浮かして屁をこいてた爺ちゃんがなつかすぃ。('A`)
162名無し三等兵:03/06/05 19:47 ID:???
>>161
勇ましくないけど、実際に自分が戦争に出たら
そんな感じだろうね。
へっぽこなじいさんだけど、立派ですよ。
163名無し三等兵:03/06/05 19:50 ID:???
>>149
おーう、前スレの弟さんの仇討ちじいさんの話の方ですかな?
それが本当だとしたら、それはそれですごい事実ですなぁ。
それ位有名だったら、フィリピンの資料を調べてみると良いですよ。
あと、戦後にゲリラとして戦っていたと言う話なので、
いつ収容所に入ったか名度の時列系を調べてみると良いです。
何か、話が二転していて、
どこまでが確認できた事実なのか解らないです。
164名無し三等兵:03/06/05 19:58 ID:???
藤兵団はすぐに出てきますね。
そこのどの部隊の、何処の部署でどういう階級だったのか、
どんな仕事をしていたのかを調べると良いですよ。
つか、かなり研究されている事柄に見えますが・・・。

http://www.google.co.jp/search?q=%E8%97%A4%E5%85%B5%E5%9B%A3&ie=UTF-8&oe=UTF-8&hl=ja&lr=
165名無し三等兵:03/06/05 20:15 ID:???
お前等論争は他所でやれ
166名無し三等兵:03/06/06 01:09 ID:???
127氏はどうも、書き方に疑いたくなるような箇所が多くて、
どうしても釣りか煽りに見えてしまうなあ。

本当でも嘘でもかまわないけど、127氏はどうしても自分の話を信じさせたいと
躍起になっている節も見受けられる。

本当の話、とするにはちょっと信じがたい。
本当の話だとしても、憶測や脚色が結構入り混じってるしね。

特に、127氏まで悪夢にうなされる部分(激しく藁)
167名無し三等兵:03/06/06 01:09 ID:???
戦艦長門に乗った友人のお爺さんの一言。
「でぇっかいフネだなぁ〜」


戦争体験じゃないか。
168名無し三等兵:03/06/06 01:21 ID:1awsxhtq
うちは15歳で陸軍特別幹部候補生(船舶)に志願して
小豆島で「マルレ」という小型船の訓練を受けたらしい。
169名無し三等兵:03/06/06 01:24 ID:???
そーいや、戦犯で思い出したが、
免許の書き換え時に話を聞いたじいさんで、
台湾で偵察機に乗っていたが、
帰ってきて、さて大学に行こうと思ったら
自分のいた部隊が戦犯の疑いを受けていて、
大学に入れなかった。
「台湾で誰か悪さしたんでしょ」と言っていた。

実際に同じ部隊にいてもこんなもんらしい。
これって、もしかして前に書いたかもしれんな。
あのじいさんの話はもっと聞いておけばよかった・・・。
170名無し三等兵:03/06/06 02:52 ID:???
>160

文句は本多勝一にでも向けてください。
なお、軍板においては「コヴァは犬扱い」であることをご理解ください。
171名無し三等兵:03/06/06 03:04 ID:???
かーーーー、つまらんな、つまらんぞ、もっと刺激的な話がイパーイあるだろ

支那でクーニャ狩りに性を出したとか、南方で土人部落を襲撃して無料の慰安所
を作ったとか、占領地で女という女は手当たり次第にはらましてきたとかさ〜

何を格好つけてるんだよ〜
172名無し三等兵:03/06/06 03:09 ID:???
うちのじいさん予科練でめちゃくちゃ虐められたらしい
173名無し三等兵:03/06/06 03:37 ID:???
>>171
174名無し三等兵:03/06/06 04:03 ID:???
>>171
当然、現実はこんなものだよ。
軍隊といっても、憲兵っていう警察システムがあって、
違法行為は取り締まられていたんだからね。
更にわざわざうらみを買うような事はしないだろ。
何のために、慰安婦システムがあるんだか。

>支那でクーニャ狩りに性を出したとか、南方で土人部落を襲撃して無料の慰安所
>を作ったとか、占領地で女という女は手当たり次第にはらましてきたとかさ〜

けど、このあたりは水木しげるの戦記ものの中で読んだ気がする。
南方の土人に日本兵がもてて、水木しげるも誘惑されたとか何とか。
175名無し三等兵:03/06/06 06:16 ID:???
>171
そんなやつはいねえって。

妄想しすぎだお前。
176名無し三等兵:03/06/06 09:44 ID:odoL+DAI
俺の爺ちゃんの葬式の時に隣の爺ちゃんがいっていた話。
その爺ちゃんは駆逐姦だか水雷艇の魚雷係だったんだが、
武蔵にくっついてレイテに向かう途中、
このまま行ったらおれら絶対死ぬなー、と思った爺ちゃん達は、
みんなで一生懸命魚雷発射装置を壊した。
なんでも、魚雷を発射管に充填するやつが壊しやすくて、ほかは壊れなかった。
その甲斐あって、船は母港へユーターン、爺ちゃんは長生きできたが、そのまま武蔵に随伴した香具師らはあぼーん…
どこまで本当かは知らない。
177霊界から。:03/06/06 10:46 ID:???
>>176
ああ!!オマエのじいさんか!!
俺は駆逐艦か船長だったけど、
死に場所を探して武蔵にくっついていこうとしたけれど、
魚雷の発射管がぶち壊れて、死にそこなった。






おかげで戦後まで生き残れました。
178名無し三等兵:03/06/06 11:07 ID:6wj4mVWl
うちの曾じいちゃんの話。

どうも詳しい所属はわからないのだが、大陸に行っていたとのこと。
そこで案内として雇っていた中国人にある日「病気になったので薬をくれ」
と言われたらしいが、もちろんそんなものは持っていない
困ったじいちゃんは持っていた歯磨き粉をその中国人に渡したそうだ。
後日、そいつは「お前のおかげで治った、ありがとう」
と言って食料をたくさん持ってきたそうな

曾じいさんいわく「シナ人、ありゃー丈夫な奴らだ」とのこと。
179名無し三等兵:03/06/06 11:10 ID:???
>>178
ひでえ!!

いや、ひいじいちゃんは、
プラシーボだか、プラシーボ効果ってヤツを狙っていたのか!?
180127:03/06/06 18:21 ID:WVrEbi54
 127です。上の方の、俺への批判みてため息でますわ。

 はあ・・・。なんか哀れというかなんと言うか・・・。
あのな、軍隊にも「いい軍隊」と「悪い軍隊」がいたの。
兵隊にも、いい人悪い人がいたの。それぐらいのこともわからんのか?

 フィリピンで虐殺があった証拠・証人はいっくらでもあるのに、
いきなり捏造だの朝日だのと左翼扱い。アホか。しかし朝日って言われたのは
ワラタ。
 中 国 じ ゃ な い の。 フ ィ リ ピ ン な の 。
 
 必死になって旧日本軍の悪い部分をごまかす厨房。
お前ら、ガキの使い以下だな。
181名無し三等兵:03/06/06 18:39 ID:???
>>180
>ワラタ
楽しかったかい?よかったね。

>フィリピンなの
そうか左翼系新聞はアジアでの蛮行とやらは一切触れないのか
いやあ、
ち ゃ ん と 新 聞 読 ん で る 人 に は か な わ な い な あ。

>証拠証人はいくらでもいる
おまえのじいちゃんが脳内妄想の産物でなけりゃ戦犯になってるはずだがねえ。
証拠証人があるくせに戦犯でもない、でも伝聞情報によれば、戦犯に違いない
いやあ、どういう頭脳の持ち主なのかねぇ?
信じたいと思うことを信じればいいが、さっさとそれ系の掲示板へいってくんないかね。
うざいから。
182名無し三等兵:03/06/06 18:40 ID:???
>>176-177
ちょっといい話じゃねぇか。

>>178
ほぼ同じような話をばあちゃんから聞いたぞ!?
183名無し三等兵:03/06/06 18:42 ID:???
>>180
ちゃんとレス読んだ?全部嘘だと決め付けてる人ばっかりじゃないのに・・・
そんな書き方をしたらまともな議論にならないでしょう特に最後の文
184127:03/06/06 18:48 ID:WVrEbi54
 先日、俺のじーちゃんの生家へ20年ぶりに行ってきました。
理由はひとつ。戦争で、何があったか。
 フィリピン・ルソン島で虐殺した部隊だから、藤兵団だろうと決めて
かかっていたんですが、驚いたことにじーちゃん、山下兵団だって。
 それも山下大将の直属部隊?だったそうな。

 開戦初期、マレーシアに行っていたそうで、なんととあの有名な
銀輪部隊にいたそうです。
 そして戦争末期。フィリピンの資料を見ていくと、ルソン島にて
藤兵団以外に山下兵団も虐殺を行っていました。 
それも皆殺しに近い虐殺を。
 これ以上詳しく書くと個人が特定されてしまいますのでここまでに
します。
 
 最後に、個人的に意見を言わせていただくと、
やっぱり旧日本軍には当然ながら、いい部分、悪い部分があって、
いい部分は真珠湾の活躍、アッツ島にて玉砕した部隊、そして硫黄島の
戦い、インド独立など。
 悪い部分は各国で行われた虐殺です。
 
 我々、孫の世代としては、旧日本軍のいい部分は賛否し勇気を称え、
虐殺という悪い部分は恥じて反省し、また悪事を認めようともしない
同世代の低脳な厨房(こいつらは悪を認める勇気がない、ただのガキ。)
がいることも大いに恥じ、戦争の本当の姿を正しく理解し、
 後の世代に伝えていくべきだと思います。
185127:03/06/06 18:57 ID:WVrEbi54
>>181

 あんたかわいそうだよ。
ちゃんとフィリピンでの戦争資料等読みなよ。
 虐殺して戦犯になって処刑された人もいるし、戦犯にならなかった
人もいる。つまり、虐殺したけど戦後日本に帰ってきた人は
たくさんいるよ。そんなことも知らないの?
 もちろんフィリピンだけじゃなく、他の国でもそうだよ。
人にソース求める前に、自分で正しい予備知識もたほうがいいよ。

 まあ、厨房には何をいっても無駄だろうけどさ。
俺の文章は全部、良識ある大人が読むものだから、難しかったら
スルーしちゃえばいいよ。
 君がいつか、俺の話を真剣に聞けるようになってくれるといいんだが。

 以上。厨房にはもうレスしません。レスしても無駄ですからね。
186名無し三等兵:03/06/06 18:58 ID:Z1QZGcIe
>>184
アメリカ軍のもっとすさまじい虐殺にも触れろ
B-29であんなことやこんなこと 無差別空襲や原爆でぎゃ・・・(以下略)
ベトナムであんなことやこんなこと・・・(以下略)
187名無し三等兵:03/06/06 19:03 ID:???
うちのじいちゃんは岐阜の山奥で工場に勤めてたみたいです。
技術職だったんで戦争に行かなくてすんだとか。
終戦間近は空爆が激しくで焼けた馬とか食ったそうな。
でもって、終戦後は資料処分で大変だったらしい。
なんか、アメリカまで行って帰ってこれる爆撃機の図面を引いたらしい。
燃やしたらいいけど・・・

もう死んじゃって詳しいことは聞けないのが残念。
188127:03/06/06 19:11 ID:WVrEbi54
>>186

 もちろんアメリカは悪の権化ですよ。
あの戦争だって全部アメリカが悪いし、アメリカがやってきた虐殺は
永久に許されないものだと思います。
 ましてやアメリカの虐殺と比べたら日本軍の虐殺は微々たるものですよ。
これはみんなわかってる事ですのであえて書かなかったんですよ。
189名無し三等兵:03/06/06 19:35 ID:???
爺さんは教師だったので出征せず。
8月14日、勤労奉仕先の工場の監督官から
「明日は来なくてよろしい」と言われ
15日は生徒を川で遊ばせていたそうな。
正午過ぎに川べりで近くの住民から
「戦争に負けた」事を聞いたとか。
よく晴れた、蒸し暑い日だった、と。
190名無し三等兵:03/06/06 19:46 ID:???
>>186
なら日本の戦争犯罪は全て見逃していいと?
なんか言ってる事が、「俺は万引きしたが強盗をする奴もいる。俺を責めるのは止せ」って感じだ。
191名無し三等兵:03/06/06 19:46 ID:Z1QZGcIe
死んだじいちゃんは満州で官吏(保健関係)をやっていた
昭和20年7月に獣医科見習士官として入隊 が
すぐにソ連軍が攻めてきた 
獣医科なのに人員不足で歩兵中隊を指揮 手榴弾を喰らって負傷した
収容所に行っても、獣医でしかも将校だったので他より扱いがずいぶんよかったらしい
しかし家宝の刀を没収され、しかも帰国途上に妻子全員を失った
このことを話すじいちゃんはいつも涙ぐんでいた
192名無し三等兵:03/06/06 19:47 ID:Z1QZGcIe
>>190
日本だけじゃなくアメリカのことも責めろ、と言いたかった
193名無し三等兵:03/06/06 19:48 ID:???
>188
まぁ一応言っておく、
貴方も解ってると思うから誤解しないでくれよ?

何と比べたって虐殺は虐殺、「比べて良い物じゃ無い。」
194名無し三等兵:03/06/06 19:50 ID:???
ばばあとじじいさっさと死ね、糞ムカツク、半分キチガイのゴキブリどもが。
195直リン:03/06/06 19:53 ID:iyBzWN/5
196名無し三等兵:03/06/06 19:53 ID:6wj4mVWl
>>182
もしかして親族かも知れませんな、かなり多いし。
197190:03/06/06 20:00 ID:???
>>192
納得
198名無し三等兵:03/06/06 20:18 ID:???
うるせー馬鹿共、俺もお前も日本もアメリカも、世界人類すべからくキチガイの集まりだ。
199名無し三等兵:03/06/06 20:24 ID:???
>>198
言えてる、そもそも心という物自体異常。
200名無し三等兵:03/06/06 20:26 ID:Z1QZGcIe
>>198
君はまだアメリカのキチガイさに達していないな
201名無し三等兵:03/06/06 20:29 ID:???
>>200
実はみんなアメリカ嫌いということにブッシュはきずいていない
202名無し三等兵:03/06/06 20:32 ID:???
アメリカがキチガイに思えるのはお前の気がおかしいからさ
俺もお前もみんなキチガイ
キチガイが怖くて直立歩行が出来るか
203名無し三等兵:03/06/06 20:32 ID:???
あああああああああああああああああっsっっっっっっっd
204名無し三等兵:03/06/06 20:33 ID:Z4Gn0KwR
このサイトおすすめ♪
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205名無し三等兵:03/06/06 20:35 ID:???
狂うのが怖くて生きていけるか!!・・・話を元に戻そう
206名無し三等兵:03/06/06 20:36 ID:???
フィリッピン戦線で飴公を5〜6人ほど撃ち殺して勲章をもらいますた。
207名無し三等兵:03/06/06 20:37 ID:???
勝利宣言で逃亡したへたれのいるスレはここですか?
208名無し三等兵:03/06/06 20:37 ID:PSg+1onX
じいさんは海軍の主計にいた。
国内の鎮守府で物資の調達がかり。
おかげで、戦争が終わるまで、自分の金で買い物をしたことがなかったそうだ。ばーさんの買い物も常に業者がはらっていたとのこと。
敗戦になって、物資をだいぶ自宅に運び込んだようだ。
しかし、戦後になって業者の態度ががらりと変わってしまい、生活は大変だったらしい。
209名無し三等兵:03/06/06 20:37 ID:???
戦争で人を殺せば英雄、日常で人を殺せばキチガイ。
210名無し三等兵:03/06/06 20:38 ID:???
>>208
典型的な恩給欠格者ですね。
211名無し三等兵:03/06/06 20:39 ID:???
>>209
おまいは生活保護欠格者だ!働け!
212名無し三等兵:03/06/06 20:40 ID:???
>>211
はあ?
213名無し三等兵:03/06/06 20:42 ID:Z1QZGcIe
荒れるなよ
214名無し三等兵:03/06/06 20:43 ID:???
禿げるなよ
215名無し三等兵:03/06/06 20:48 ID:???
禿げてます
216名無し三等兵:03/06/06 21:01 ID:???
217名無し三等兵:03/06/06 21:25 ID:???
>>178,182
>ほぼ同じような話をばあちゃんから聞いたぞ!?

むむ、これは
「実は支那事変は実はワシがおこしたんだ・・・。」系の話ですな。
それはそれで興味深いですな。
218名無し三等兵:03/06/06 21:27 ID:???
>>191
ああ、ご愁傷様です。
自分も前スレと前々スレに書きましたが、
じいちゃん・ばあちゃん・父・叔父と満州からの帰還組です。
話を聞くと、本当に生きて変えれたのが不思議なくらいだった様子ですね。
219名無し三等兵:03/06/06 21:32 ID:???
>>127
うーん・・・。
検索結果とか出して、
いろいろとおじいさんに関して
調べられるようにしてあげたんだけどね・・・。
君がそういう態度ならば、このスレには来てほしくないなぁ・・・。

君の態度はおじいさんの体験を伝えたいのではなくて、
ただたんに虐殺をやっていたという話をしたいだけに見えますよ。
別に虐殺の話でもいいんですよ、実際にあっただろうしね。
ただ、そうやって、はじめは弟の仇討ちで、次はルソン島、
それで山下兵団とコロコロ話しが変わって、
それについての根拠の説明も無ければ、
周りを納得させることはできませんよ。
220名無し三等兵:03/06/06 21:42 ID:???
あっ、今思い出した。
これは戦争のはじまる前の話だけど、せっかくなので書かせてください。

これって、半分笑い話なんだけど、
じいさん、ばあさんが満州に行くときに、
同じ村の満州開拓団の全員が菩提寺に髪の毛を残していったそうです。
こんなこと、本人達はずーっと忘れていたのですが、
お寺さんが掃除した時にこの開拓団の髪の毛が出てきて、
遺族に配られたそうです。
その中に、じいさん・ばあさんの髪の毛もあったそうです。

預けてから、50年近く経っていた時でしたが、じいさんもボケてなくて、
ばあさんも元気な状態だったので、笑い話で済みました。
ちなみに、ばあちゃんは今も元気です。じいさんは年で大往生でした。
221名無し三等兵:03/06/07 00:48 ID:???
真の愛国者なら、お前らの祖先は虐殺した云々とケチをつけられても、
優雅に煙草を吹かしつつ

「しましたが何か?もしかして足りませんでしたか?」

と返すもんだ。
222名無し三等兵:03/06/07 02:03 ID:???
>127
そもそもてめえが厨房だ。
223名無し三等兵:03/06/07 02:42 ID:???
とりあえず127氏。
このスレではやってほしくないが、言い合い隔離スレあたりで
「南京大虐殺は無かった!」とコヴァを装ってカキコしてみれば、軍板住人が
日本軍の虐殺行為を全否定する立場を無条件に取るものでないこと、
ここではコヴァはボウフラ以下の扱いを受けていることを実感できるでしょう。
224152:03/06/07 04:34 ID:GBOJ9lrs
>>152 >>153のつづき
さて米軍に拘束された祖父だったが、何事もなく三日ほどで帰ってきた。
戦犯狩が横行する中、家族親族はひどく心配していたが、本人によれば
待遇はよく、「砂糖・クリーム入りのコーヒーが飲み放題」で、
「海軍時代の話」をいろいろ聞かれただけだったそうだ。
しかも仕事の話はさほど多くなく、気があった担当将校と
ゴルフやメシや音楽のハナシばかりしていたそうだから、祖父らしい。
しかも帰るときはオミヤゲがついた。
なにやらくだん担当の将校と仲良くなり米軍関係の仕事を斡旋されたのだ。

仕事は二種類。日本語文献の翻訳と港湾荷役作業の監督である。
前者は問題がなかった。入間かどこかのキャンプにいって仕事をするだけの
九時五時の仕事だ。
しかし港湾荷役作業のほうはそうはいかない。
不定期のうえ、六ヶ月ほどのあいだ北海道や沖縄などに行かなければならない。
半年も家族と別れるのは厳しいが、給料は良く、しかも米ドルで支払われる。
祖父も悩んだであろうことは、想像にやすい。
ただ叔母のハナシによると、当時の祖父は家族の心配をする必要があまりなかったそうだ。

終戦直前に祖母、つまり祖父の妻が亡くなったのだが、その後祖母の実家は
娘たち(母と叔母)を引き取って育てたいと申し出ていた。
男でひとつで娘たちを育てるのは大変であろう、という配慮もあったのだろう。
だが叔母によれば、祖父と祖母の関係が極めて悪化していた関係上、祖父と祖母の実家の仲が
ややこじれていたという事情もあったようだ。
結局祖父は娘たちを、妻の実家に預けたうえ、仕事を引き受けた。

海軍時代と同じで「仕事はひじょうは楽だった」と生前の祖父は面白可笑しく話してくれた。
かなりのホラを交えていたはずだが、それらは以下のようなハナシだった。
沖縄での港湾荷役の仕事は、主に出稼ぎフィリピン人と現地住民の混成部隊を監督する
仕事で、日本語も英語もイマイチ通じなかった。
225152:03/06/07 04:36 ID:???
どこでもメシは栄養満点だが最低だったので、PXで缶詰などを買って自炊した。
輸送中の「司令官用トレーラ」を勝手に「行方不明」にして、ここに仲間と一緒に住み着いた。
北海道はえらく寒いトコロで、宿舎のシャワーがよく故障して往生した。
韓国ではもぬけの殻になった女学校に居住区があったが、「日本人とバレるリンチされる」ので
敷地の外には一歩もでられなかった。
しかし朝鮮戦争中だったので戦時ボーナスがもらえた。
台湾では旧帝国海軍航空隊出身の台湾人パイロットが、航空会社のパイロット活躍していて
いろいろ便宜をはかってもらった。また満州航空や大日本航空の元パイトッとたちもいたので
あまり寂しくもなく、ペイも良かったので面白可笑しくすごすことができた。
輸送機や旅客機のキャビンはかなり寒く、いつも布団を被っていたが
ベッドがある点、今のジェット旅客機よりも快適だった。
台湾では外出が自由だったので、散々お大尽の生活をした。

詳細は省くが、祖父の弁によれば彼はアチコチで荷役関連の仕事をしていたらしい。
朝鮮・台湾といった外地を訪れたは、占領期の日本人にしては珍しいことであろう。
祖父はこうした暮らしを1950年代中旬まで続けたが、「根無し草生活」に飽きたそうで
ようやく祖国に定住することにした。
その後はいくつかの職を転々とした後、創設間もないとある航空会社に就職した
普通のサラリーマン生活を続けた。

私が知っている祖父の物語はこれで終わりだが、ハナシはまだ終わらない。
ここからは私の物語である。
亡くなる数年前から祖父は私の家で暮らしていた。そこで少年時代の私はよく祖父の話相手
をするトコロとなったのだが、老いても祖父は話し好きの話し上手で、
私の祖父のハナシをいつも楽しんでいた。もちろん少年ながらも祖父の語る物語を、
老人にありがちな罪のない愉快なホラ話として受け止めていたことは、言うまでもない。
上のハナシは基本的には生前の祖父から私が直接聞いた話である。
むろん周囲の親族から聴取した事柄や私の感想で、いくぶん行間を補ってはいるが。
226152:03/06/07 04:39 ID:???
ところで数年前滅多にないことだが親族会があった。
そこで叔母と話した私は、二つほどショッキングな事実を知った。
まずは英語。「お爺さんは英語が得意なモダンボーイ(?)でしたねえ。」
「アラヤダ、お父様は英語は全然ダメよ。そりゃ船会社にいたのだから少しはできたでしょうよ。」
「エ?でも英語が堪能で、それでアメリカ軍に雇われてたんでしょ?」
「ナニ言ってるの?あなたのお爺様がお得意だったのはロシア語と朝鮮語よ
お爺様の育ちは京城。ロシア語は独学みたいだったけど、私が小さいころのお父様は
いっつもロシア語の本を読んでおられたわ」

私は驚愕した。
「じゃあなんで米軍関連の仕事をしてたのかな?」
「さあ、わからないわ。でもお父様と一緒にいたアメリカ人はみんな日本語が話せたわよ。
みんな二世のひとだったけど。英語を使う必要がなかったのじゃない?」
帰り道、私は冷静になって考えてみた。
そんなみんな日本語が話せて二世ばかりいる部隊とはどんな部隊だろうか?
語学要員を抱えているのは主に軍政と情報関連しかないだろう。
「祖父は単なるスチャラカ根無し草ではなかったのではないか?」
そんな子供じみた期待感をこめて、色々考え、また探してはみたが成果はほとんどなかった。

しかし近年SIGINTについて調べていたとき、偶然ひとつの事実を発見した。
祖父は昭和26〜27年の大半を朝鮮での「港湾荷役」に費やしたことはほぼ確認されている。
またその前後、祖父がジョンソン基地で「翻訳」の仕事をしていたこともわかっている。
母はツテで招かれたジョンソン基地でのクリスマスパーティについてよく記憶していた。
そして同時期の1950年から米空軍通信保全軍団(USAFSS)は、朝鮮半島で大規模な通信傍受作戦を
実施していた。
翌1951年9月,第6920保安群がジョンソン空軍基地(現空自入間基地)で編成され
朝鮮半島と日本をまたぐ形での活動を開始した。
部隊のなかでも空中通信傍受を専門とする第1無線機動大隊は、太平洋戦
(当時は陸軍航空軍所属)から活動していた部隊で占領後からジョンソン基地に進駐し、
日系二世語学要員を大量に要していた。
227152:03/06/07 04:42 ID:???
同部隊の活動はいまだ不明な点が多いが、朝鮮当時は朝鮮・中国空軍の戦闘機部隊の無線傍受を
空中で行う活動を行っており、空中COMINTの草分け的であった。
ところで朝鮮戦争勃発後、同部隊は朝鮮語・中国語・ロシア語(いわゆる露華鮮)を
専門とする傍受要員不足に悩んでいた。そこで目をつけられたのが、旧軍の情報関係者だった。

旧軍の情報関係者とG2、キャノン機関などとの関係は現在ではよく知られている。
終戦後、米情報機関は旧軍情報関係者の一部を保護し、彼らの有するロシア・中国関係情報を活用した。
またごく少数の日本人が、日本国内および大陸での現地人工作要員として活動したこともしられている。
ところでこれは最近明らかになりつつあることだけれども、第1無線機動大隊は、
朝鮮戦争中に、ロシア語・中国語・朝鮮語旧軍関係者を傍受要員としてひそかに活用していた。
この部隊は1951年の一時期、ソウル近郊の某女子高跡に駐留していたが、そこでは
日本人傍受要員によるロシア語・中国語傍受情報の書き起こし翻訳が行われていた。
彼らの存在は部隊外には極秘とされ、ペリメータの外には一歩もでられなかった。
ものの本によれば日本人要員の存在は、のちにリッジウェイ国連軍最高司令官の知るところとなり、
朝鮮半島から退去させられるところとなる。
これは共産側のプロパガンダに利用される懸念があったからである。
228152:03/06/07 04:43 ID:???
子供じみた期待感をこめて言わせていただければ、一見スチャラカだった私の祖父は
実は語学要員として、戦中戦後をとおして通信傍受任務の一端を担っていたのではなかろうか?
戦中は海軍、戦後は米軍にリクルートされたのであろう。
状況証拠とはいえ、期間やジョンソン基地、二世など符合する点がいくつかある。
また沖縄などでの港湾荷役監督は、実際には決して給料の良い仕事ではなかったし
祖父が述懐するほど、待遇の良い仕事ではなかった。
それに思い起こしてみれば、海軍省にせよ朝鮮にせよ、祖父はいつも「仕事は楽で閑だった」といって
立ち入ったハナシを不思議なほど一切しなかった。
また台湾についていえば、CIAが彼の地で大陸に対する偵察・工作員侵入のための
航空作戦を行っていたことは有名だし
これに旧満州航空関係者、旧大日本航空関係者が徴募されていたことは、よく知られている。
かつて『文芸春秋』に掲載された初代某空港長の物語はあまりに有名であろう。
彼らと付き合っていたという祖父の証言は、なんとも示唆的だ。

もちろんまったくの偶然かもしれないし、ハナシ自体、すべて祖父のホラだったことも
考えられる。寂しい人間がホラを飛ばすことはよくあることだし、「翻訳」の仕事も
じつは米軍基地での単純労働を言いつくろうウソだったのかもしれない。
しかしそれにしては、親族が思い起こす祖父の生活は、あまりに派手だった。
相変わらずホテルでメシを食い、将校クラブでメシを食い、服もお洒落で遊び人だった。
いやいや、これらも困窮者ならではの見栄だったのかもしれない。
それでも私は祖父が単なる根無し草のスチャラカではなかったのではないかと
思いたい。これ以上の調査はあえてやめておくことにはしているが。
229152:03/06/07 04:50 ID:???
なお米軍の空中SGINT活動や日本人要員については
Larry Tart,Robert Keefe
"The Price Of Vigilance
Attacks of Amercan Surveillance Floghts"
をとりわけ参照している。
祖父の話は別にしても大変面白い本なので、SIGINTに関心のある方には
ご購読をお勧めする。
つまらんハナシで申し訳ない。
しかし私個人としては、これで心がナンだかス〜としたよ。
230名無し三等兵:03/06/07 04:53 ID:???
なるほど。
231名無し三等兵:03/06/07 09:51 ID:A1XhEDPR
内のじーさん、技術将校で日本にいた。戦時中も、芸者遊びだったとのこと。
敗戦時、全ての書類を焼いたとのこと。現在は軍人恩給と年金でのんびりやってます。
232名無し三等兵:03/06/07 10:05 ID:???
爺ちゃん(故)は中島飛行場で働いていたそうだ
東京か兵庫かどちらかは聞いていないが
恐らく東京で働いていたと思われる
そんなある日、爺ちゃんはうっかり機械に指一本挟んでしまって
半分程無くなった(まぁ、指一本で済んだので安いものだろう)
爺ちゃんが何故、徴兵されなかったのは謎だ
体力が無かったのか、何か病気か・・また、よほど機械整備の評価が良かったのか・・
手先も器用で、良く自作の戦闘機や船とか作ってた
生きていたら、戦闘機とかに、ついてイロイロ話し合ってみたかったのに・・
残念です。
233_:03/06/07 10:06 ID:???
234名無し三等兵:03/06/07 10:11 ID:???
↑自作の戦闘機や船はもちろん模型だよね?(汗
235 :03/06/07 11:14 ID:???
>>232
>>爺ちゃんが何故、徴兵されなかったのは謎だ

うちの父方のGさんですが、かなりの年齢なのに赤紙がきた。
町の人達に送られて入営したものの、身体検査でテイ種不合格…
小柄で痩せすぎで、年くってたからというのが理由らしい。
つーか赤紙出す前にわからないのかって話しだが。

B-ちゃん曰く「恥ずかしくってはずかしくって、こっそり夜に家に帰ってきてもらった」そうな。

で、その漆職人のG-さんは戦時下の人手不足を補うべく、刑務所の刑務官をやってたそうな。
236名無し三等兵:03/06/07 14:10 ID:???
 父方の曾祖父は身長「六尺」、父は170cm台、漏れも185cmという
ほぼ甲種合格の家系だというのに、何故か祖父だけは150cm弱で乙種?合格。
輜重兵として満州事変に行った。
 馬に乗って移動していたところ、その馬が地雷を踏んでしまい、両脇にいた
部下ともども即死。自分だけ馬の胴体の陰になり無傷だったといい、(祖母の
話に拠れば)ずっとそれを苦にしていた。
 最終階級は伍長。

 その祖父が10年前に死んだあと遺品の整理をしていたら、戦地から家族に
宛てた絵葉書が出てきた。その本文が
「○○子、○○(子供の名前)元氣ニ シテイマスカ。
 オ父サンハ マイニチ元氣デ シナノ兵タイヲ 殺シテイマス」
 もちろん上官の検閲印付きだが、そこに名前を書かれた伯母たちは、
「こんな手紙を小さい子供に出すのが変じゃない時代だったんだよネェ」と、
茶飲み話にケラケラ笑ってました。
237名無し三等兵:03/06/07 14:18 ID:???
>>152
面白い!!
じいさんがホラ吹きでも、スパイでもなんでもいい!!
ありがと!!
238名無し三等兵:03/06/07 14:20 ID:???
>>236
>「こんな手紙を小さい子供に出すのが変じゃない時代だったんだよネェ」と、

これは、それっぽいなぁ・・・。
手紙
出すにも、検閲が入るから、
こういう事を書くほうが届きやすいとか聞きますしね。
239名無し三等兵:03/06/07 14:21 ID:???
うちのじいさまは鈴鹿の軍教に逝ったあとに南方派遣要員として向かったらしいが奇跡的に撃沈されることなくビルマだかどこだかに到着。
話はあんまり聞いてないが当時の写真を見るからに整備要員だったようだ。つうか鈴鹿っていうじてんで航空軍なんだっけか。
そんなじいさまも去年畑でトラクターの下敷きになって天に召されました。合掌。
240名無し三等兵:03/06/07 17:15 ID:???
戦場に行く汽車に乗ったが、途中で汽車を仲間と共に間違えて戻ってきた。 そしてその後すぐ終戦。 おかげで今の私の姿があります。 ありがとう。
241名無し三等兵:03/06/07 17:15 ID:???
戦場に行く汽車に乗ったが、途中で汽車を仲間と共に間違えて戻ってきた。
そしてその後すぐ終戦。
おかげで今の私の姿があります。
ありがとう。
242名無し三等兵:03/06/07 19:54 ID:???
今BSで太平洋戦争従軍記やっているよ
243名無し三等兵:03/06/07 21:46 ID:???
このスレを見てたらすごいじいちゃんに会いたくなってきた。
昔は軍とか戦争の知識なんてぜんぜん無かったから、じいちゃんが嬉しそうに戦友
の話とか戦争中の話してるのもあんまり興味無く聞いてたしなあ・・・

そういえば、補給が来ないんで飯盒に雑草を入れて鍋をつくったときに、妙に美味いと
おもったら中に野ネズミが入ってた・・・っていう話もあったな・・・。

いつも重たい背嚢を背負って走り回ってたっていってたっけ・・・


いまはもういないけど、おれはじいちゃんを誇りに思うよ
244名無し三等兵:03/06/07 21:49 ID:aEIjGIOb
内のジーサン、知り合いの軍上層部にお願いして、国内の倉庫勤務にしてもらったらしい。資材の調達担当だったので、敗戦直後までモノには不自由しなかったとのこと。周囲も尊敬のまなざしでみてくれたので良かったとのこと。
今の自衛隊は尊敬されずかわいそうとのこと。
245名無し三等兵:03/06/07 22:27 ID:???
何でもバーさんが芸者かなんかで少将クラスの人相手したらしい
246名無し三等兵:03/06/07 23:37 ID:???
>>239
整備兵士さんとかの話が出てこないから、貴重ですね。

>そんなじいさまも去年畑でトラクターの下敷きになって天に召されました。合掌。

これは・・・、合掌です。
しかし、ボケて家族に迷惑かけるより、良い死に方だったかもですね。

>>244
>今の自衛隊は尊敬されずかわいそうとのこと。

それは、いざ、有事が起これば尊敬されるようになると思われ。
247名無し三等兵:03/06/07 23:40 ID:???
>>246
したり顔して「良い死に方だったかもですね」とか言ってんじゃねぇよクソが
248名無し三等兵:03/06/07 23:54 ID:avW3R8g7
>246
よくないだろ
ボケても生きている方が嬉しい
249名無し三等兵:03/06/07 23:55 ID:???
>>168
うちの義理の伯父が○レの設計メンバーだったよ。
幹候に工兵科ができたときの一期生で、暁(船舶工兵)の
中隊長やった次の任地が大阪造兵廠で、新兵器の電気系統の設計を
担当したとの事。で、そのあと神戸の○レを製作する軍需工場で監督官に
なったと。ベニヤ板製のローテク兵器で、エンジニアとして、生涯
最大の恥だと言ってた。
当時の日本の工業水準が欧米とかけ離れていた一例として、
工作機械がアメリカ製で、消耗部品の調達に困ったこと、
銅線が紙巻で耐性に欠けること、
兵器の電源電圧が完全には安定できないこと
などのことを聞いた。
そのほか、中支時代のこととか結構聞いたんだけども、伯父は
母とは親子ほど年齢が離れてて、もうすぐ90歳になるんで半ボケ気味。
数年前までは頭もしっかりしてたんだけどね。
250名無し三等兵:03/06/07 23:57 ID:???
>>246
つーかボケると決まったわけでもなし。
煽りだろ。煽りだと言ってくれ246
251名無し三等兵:03/06/08 00:03 ID:???
>>247,248,250
ああ、ゴメン、気分悪くしたね。
実際に、ウチのじいさんがボケて、7年かな?寝たきりだったのよ。
それはもう大変だったよ。
ばあさんだけでは面倒は見られないし、お金はかかるしで。
それで、十分に長生きして、
このケースだと80前後だったでしょ、おじいさん。
家族に迷惑かけず、ポックリいけるならば、
幸せだと、羨ましいとおもったんよ。
252名無し三等兵:03/06/08 00:21 ID:jCok9C5O
>251
私の祖父は結婚3年目でフィリピンに出征、洞窟に立てこもって
最期は火炎放射器で焼き殺されたそうな。部隊はほぼ全滅で、数
少ない生き残りの方からの伝聞で詳細はわからない。
先日、祖母が亡くなった。
で、祖母の病床の枕もとから包みが一つ出てきた。
何かと思ったら祖父との手紙を全部残していたんだわ。
それを読みながら涙が止まらなかったよ。
253名無し三等兵:03/06/08 00:45 ID:???
>>252
いいおじいさんだったんだろうね・・・。
こっちまで涙がでて来る・・・。
254名無し三等兵:03/06/08 00:55 ID:BmFo5DG7
満州にて野砲隊?の隊長をしていたそうです。その為馬に乗っていたそうです。
実家には、マントを羽織った祖父が馬に乗っている写真があります。
昔は軍刀や鉄兜があったんですが、今はどこへいったやら。
負傷して、弾がまだ体にあると聞いていましたが、亡くなってお骨の中に金属片があるのを見つけた時、なぜか涙がでて止まりませんでした。


255名無し三等兵:03/06/08 01:05 ID:RJdeyIs2

サイパンにて
飛行場整備。
空襲され防空壕に非難。
苦しそうにしている人がいたので
場所を代わってあげた直後、(おそらく爆撃により)
今までいた位置が崩れる。代わった人はもちろん死亡
人がつぶれる音というやつを聞いたそうである。

脚を負傷、長野の陸軍病院にて終戦。

※小学校で平和教育(南京とかの生々しいやつ)のあと
俺は祖父のこと嫌ってしまった
・・・中国で悪いことをできるわけでもないのに・・。

256名無し三等兵:03/06/08 01:06 ID:???
曽祖父は日露戦争で(当時陸軍中尉)旅順攻略戦に参加した。
自分の中隊を指揮して敵陣地に踊りこみ、愛刀で斬りまくった。
12人目までは覚えていたそうだ。
切っ先が飛び、刃が鋸みたいになるような激戦で
自身も3発被弾し動けなくなったので、敵陣地の中で「死んだフリ」
をして捕虜にならずに済んだ。
257255:03/06/08 01:06 ID:RJdeyIs2

孫に嫌われたまま
死んでしまって取り返しがつかない。。
わるいことをした 。
258名無し三等兵:03/06/08 01:08 ID:???
>>257
明日でいいから仏壇かお墓に謝ってあげたら?
孫に嫌われてひどく落ち込んでるから
259名無し三等兵:03/06/08 02:17 ID:???
>>256
ネタもほどほどにしろ
260名無し三等兵:03/06/08 03:00 ID:???
西南戦争でもよかですかのう・・・
261名無し三等兵:03/06/08 07:01 ID:???
曽祖父は日露戦争で(当時元只のプログラマー)旅順攻略戦に参加した。
自分の中隊を指揮して敵陣地に踊りこみ、バレットタイムで撃ちまくった。
機関銃150発目まではエビゾリでよけていたそうだ。
ビルからビルへ飛び、ワイヤーがすり減るような激戦で
自身が救世主である事を自覚したので、ロスケの群れを相手に棍棒一本で「百人斬り」
をしてザイオンが破られずに済んだ。
262256:03/06/08 16:29 ID:4xSIdHMv
戦死者収容の休戦時に味方にみつけてもらったそうな。
263>>256:03/06/08 18:24 ID:uKfD1wMQ
そのスーパー日本刀を拝めさせてください!!
12人も殺せる日本刀!!
>>256さん、あなたは神ですねwww
ネタなら>>261の方がまだマシです
264_:03/06/08 18:24 ID:???
265名無し三等兵:03/06/08 18:28 ID:???
>>263
どっかの小説家がつくった嘘を信じちゃいかんよ
日本刀は(刀にもよるが)そのぐらいは斬れるもんだYO
266名無し三等兵:03/06/08 18:31 ID:???
>>263
同田貫上野介だったそうです
残念ながら残ってませんが
267名無し三等兵:03/06/08 18:53 ID:???
>>263は日本刀より青龍刀が好きなシナ人。
268名無し三等兵:03/06/08 19:21 ID:???
まあクリスティーズでは日本刀より青龍刀のほうが高額で落札されているわけだが。
269名無し三等兵:03/06/08 19:49 ID:???
>>268
うそ、それじゃあ日本刀買いに行かないと!
外人には日本刀のよさは分からんのかねえ、サムライソードってだけで。
270名無し三等兵:03/06/08 20:12 ID:???
日本刀は実際には血糊で鈍っても多少は切れたりする。
切れなくなっても叩けば鋼鉄なのですげー凶悪だし、
突けば刺し殺せる。

よって12人も殺せるのもあながち嘘じゃないんだよねえ。
ただ軍刀サーベルは駄目。 ありゃ日本刀じゃない。
ろくに切れやしないし下手すると簡単に折れるんだよ…
271名無し三等兵:03/06/08 21:15 ID:???
いきなり話をもとに戻すみたいで悪いが、漏れのじいちゃんは高射砲第十六連隊ってとこにいて、パレンバンっていうインドネシアのどこかにいたらしい。

話が漠然としすぎてて良くわからない。
何か知ってるひと、情報キンボヌ
272名無し三等兵:03/06/08 21:32 ID:???
>>271
パレンバンは有名な落下傘降下作戦が行われた場所、精油所(油田だっけ?)がある
たぶんその精油所の防空にあたった部隊だと思われる
273名無し三等兵:03/06/08 21:58 ID:???
>>271
このページなんてどうですかね?
まだご存命ですから、疑問点は直接聞いてみるとよいと思います。

http://www.nsknet.or.jp/~yamabuki/komata.html
274名無し三等兵:03/06/08 22:51 ID:???
>>271
16高砲隊は中国だろ。南京とか上海とか。
275名無し三等兵:03/06/08 22:55 ID:???
>>274
当時よくあった部隊の一部派遣かなんかじゃない?
276名無し三等兵:03/06/08 22:56 ID:qY5k9U9W
ひいじいちゃんの話なんですが…

ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです
ドイツの戦艦に乗っていてイギリスの北のほうの大きな港に攻めに(?)行ったときに港の中で戦艦が沈んで亡くなったそうです

ちなみにその直後に戦争は終わったそうです
ドイツ人のひいばあちゃんは「泳げないのに水兵にされちゃって運が悪かった」と言っていたそうです

何分まだ生きてる証言者が母親しかいないので曖昧な部分が多いのですが、おそらく第一次世界大戦の時の話なんじゃないかと思います
277名無し三等兵:03/06/08 23:00 ID:y3dNzijE
どうたぬきっていやぁ、確か実戦刀の中でも耐久性がずば抜けていたと以前聞いた事が。
あながちネタとも言えないのでは?

278271:03/06/08 23:08 ID:???
おお、みなさんサンクスです。
自分でも資料さがしてみたら、連隊歌の歌詞が出てきました。

聖戦の下見よここに 大陸の空制覇して
溌刺の士気厳然と 首都南京に団結す
高砲十六祖国の前衛

勅諭深く畏れみて 軍紀正しく武技を練り
柴金山上なお遥か 長江千里守備に恃す
高砲十六中支の護り

敵翼いくつ襲うとも 撃墜々々又撃墜
第一線に躍進し 武威は赫たり高射砲
高砲十六我等の戦史

東亜の空の朝みどり 雲らす仇をうち懲し
我が騎隊の征くところ 天に輝け日章旗
高砲十六祖国の希望

・・・そうやら本当に中国みたいですね。じいちゃんもこれ歌ってたのか・・・
279名無し三等兵:03/06/08 23:17 ID:???
>>276
ロシア人とドイツ人の血を引く方ですか?
280名無し三等兵:03/06/08 23:24 ID:???
>>276
それは漠然としすぎていて、なんともですね・・・。
第一次世界大戦かな?
これは、普通にありえます。
昔から、流通がありますから。
>ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです

日本以外だと情報がわからないので、このスレでどんな場所か、
どんな船だったのか聞いてみると良いです。

第一次世界大戦Part2【フーチェル戦術】
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1054350344/

落ちちゃったけど、このスレに詳しい方がいました。

【塹壕】第一次世界大戦Part1【機関銃】
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1048778035/

また、世界史板にも詳しい方がいらっしゃいます。
ここでも聞いてみると良いですね。

第一次世界大戦の起源を詳しく教えて!
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1027259599/
281 :03/06/09 00:12 ID:xjb4adFI
>>ロシア人だったんですが、何故かドイツ海軍で水兵だったそうです

第2次の時だったら、ロシア人の武装親衛隊の部隊があったけどね。
「ロア」とかなんとか言って、反共ロシア人の集まりだけど。
282名無し三等兵:03/06/09 00:13 ID:???
>>279>>280

4分の1ドイツ人だと思っていたら母に8分の1だと訂正されたことで初めてしりました

どういう事情でロシア人がドイツで水兵になったのかはさっぱりわかりません
確実なのはばあちゃんがドイツに来た日本人と結婚して、太平洋戦争が終わってから日本に来たと言う事だけです
ちなみにじいちゃんは軍人ではありません。 商売でドイツに来ていたようです
「もう戦争終わりだったのに…ツイてない!」みたいなことをよく聞いたそうです
283名無し三等兵:03/06/09 01:38 ID:???
>>282
なんだとー!!
という事は、君のじいちゃん、ばあちゃんは
ヨーロッパ戦線にいたことになる。

12日までに、レポートに2000文字以上にして提出するように。
284名無し三等兵:03/06/09 01:52 ID:???
>>274
高射砲16連隊は南京編成だけど、
パレンバン派遣後防空101連隊に改編されて、
更に高射砲第101連隊に改編されてるよ。
285名無し三等兵:03/06/09 16:43 ID:m7ebpYHk
私のおじいちゃんは陸軍の特務機関にいたそうです。
私が小学校の時亡くなりましたが、その後、左翼思想に染まり
おじいちゃんの戦争体験を聞かずに今まできました。
洗脳がとけた今、改めていろいろ聞いとけばよかったと
後悔しています。おじいちゃんにとても申し訳ない。
だから少しでもおじいちゃんについて調べたいと思っています。
所属していたところが特務機関というところなのでなかなか
わからないのですが、何か資料や書籍などあるでしょうか。
286名無し三等兵:03/06/09 18:48 ID:???
>>285
おじいさんの軌跡をたどるのは、良い供養になりますね。
特務機関員についてはとりあえず、検索だけしてみると良いですよ。
例えば、273のページにも特務機関員が出てきますね。
(もしかしてこの人?はないだろうね。)

勤務地や、出身地、軍籍があったのかなど、
できるだけ詳しく書いてくれれば、アドバイスできると思います。
287名無し三等兵:03/06/09 20:16 ID:m7ebpYHk
>286
ありがとうございます。満州や吉林省、後半は日本各地で
勤務していたようです。地道に探してみようと思います。ちょくちょく
ここものぞかせていただきます。
288名無し三等兵:03/06/09 21:12 ID:???
>>287
満州だと、満鉄の特務機関が有名だね。
ただ、いろいろと動いているから、ちがうかな。

特務機関員って、ちゃんとした軍属じゃない人もいるし、
スパイなので隠すことが多いから、
なかなか追跡が難しいですね。
ガンガッテ、探してみると良いですよ。
289名無し三等兵:03/06/09 21:14 ID:o22ksAPD
内のじいさん、戦争中、アメリカにいて、米軍に参加。
今でも日本に勝ててよかったといってます。今は日本人です。
290名無し三等兵:03/06/09 21:48 ID:???
>>289
パープルハートの人かな?
ヨーロッパ戦線?それとも、太平洋戦線?
もし、よかったら詳しく書いてください。
291名無し三等兵:03/06/09 21:50 ID:m7ebpYHk
>288
がんばります。

話は違いますが、父と母におじいちゃんの話を聞く過程で
空襲の話になりました。
父と母は鹿児島にいたのですが、鹿児島も空襲がひどかった
ようです。しかし、人間とはたくましく、空襲があるのに鹿児島湾で
頭まで海につかり手だけ出して釣り竿で魚を釣ろうとしていた人が
いたそうです。
本当かなぁ・・・と思いつつ、不謹慎ながら笑ってしまいました。
292名無し三等兵:03/06/09 21:55 ID:???
>>289
日系?
293           :03/06/09 22:40 ID:GrMA7bxl
ウチのじいさんは
徴兵検査で身長が170cm
だから甲種合格だったが
視力が0.6程度だった為射撃が
水準以下w。よって第一補充兵となる。
昭和19年1月佐倉連隊で北シナへいく、都内だがw
初年兵だったため往復ビンタは300回程度食らうw
昭和20年勤めていた日本無線三鷹工場の要請で
帰国。原隊復帰する前に正月だからという理由で
自宅に帰るw。自宅で飯食った後、武装返還。
受付の人に、脱走だぞヲイ
という突っ込みをうけ下関から40時間かかった
と嘘をついて難を逃れる。大正五年生まれ88歳
存命です。
294名無し三等兵:03/06/09 23:01 ID:x+U2HqHB
父方のじーさんは、開戦当時ヤンマーでエンジンを作っていた為、
召集はなかったと言ってました。
母方のじーさんは海軍大尉。舞鶴にいたそうですが、すでに
亡くなっているため詳細は不明。過去に立派な日本刀と二種軍装を
見せてもらいました。
295名無し三等兵:03/06/09 23:01 ID:???
なんかwの入れ方が??だけど元気でナニよりだね
296名無し三等兵:03/06/11 00:09 ID:???
>>295
おじいちゃん本人が書きこんでるんだから仕方ない
297名無し三等兵:03/06/11 15:43 ID:???
漏れのじいちゃんじゃないけど、体験談があるサイト。

ttp://homepage1.nifty.com/zpe60314/
298ちっとん:03/06/11 19:44 ID:0jDmSv4v
わしの叔父が二人戦争にかかわったが、はなししていいか?
299名無し三等兵:03/06/11 19:45 ID:???
ぜひ
300名無し三等兵:03/06/11 19:54 ID:???
300GET
301名無し三等兵:03/06/11 20:47 ID:???
>>297
まだ途中までしか読んでないけどサヨっぽいな。
中帰連か?
302名無し三等兵:03/06/11 21:09 ID:???
>>301の脳内では初年兵苛めや日本軍の出鱈目さを身を持って体験した人がその事を書いたら「サヨク」なんだそうです。
( ´,_ゝ`)プッ
303名無し三等兵:03/06/11 21:21 ID:???
>>302
土井たか子
304名無し三等兵:03/06/11 21:52 ID:???
>>301
そういういぢわる、言わないの!!

人の考え方はそれぞれだし、伝えたい事もそれぞれ。
実際に体験された方の御話なんだから、
思想は置いといて、感謝して読むべし。

ここなんて、当時の緊迫感が伝わって、貴重な話だと思うよ。
やはり、戦後すぐに線がひかれたみたいですね。
http://homepage1.nifty.com/zpe60314/se49.htm
305名無し三等兵:03/06/11 22:59 ID:???
306298ちっとん:03/06/12 06:04 ID:???
一番上のおじさんは戦死。
陸軍仕官学校出身のバリバリの軍人。一族の誇りだった。
隼に乗って大平洋各地へ転戦。最後の出撃はレイテ戦だった。
つづきはこんどね。
307名無し三等兵:03/06/12 06:34 ID:WKkSsQgU
パトリオットが ガシュガシュガシュガシュゥゥいうて巡航ミサイルがゴォォォいうてドカーンいうてたらしいですはい。
308名無し三等兵:03/06/12 06:36 ID:???
うちの祖父は、戦時中糖尿病で病死しました。

母の小さい時、印象的だったのは森永のキャラメルの大箱があった事です。
309名無し三等兵:03/06/12 06:36 ID:???
>>307
(・∀・)カエレ!!
310名無し三等兵:03/06/12 07:56 ID:???
>>307
(・∀・)ニヤニヤ
311名無し三等兵:03/06/12 08:15 ID:???
>>310
(・∀・)カエレ!!
312名無し三等兵:03/06/12 09:27 ID:???
>>283
母に色々と聞いてみたけど
「じいちゃん、ばあちゃんはフランクフルトで空襲に会って大変だったらしい」
とか
「戦争が終わって日本に避難してきたけど避難する先を間違えた」
なんて程度のことしか聞けませんでした

競馬のHP見てて思い出したのですか、ひいじいちゃんのドイツ戦艦が沈んだとこはスカパフロウって港だったと思います
313名無し三等兵:03/06/12 11:18 ID:???
スカパフローで自沈したのならWW1の時の奴だけど自沈したの一杯居たはず
314名無し三等兵:03/06/12 11:42 ID:???
俺のじいちゃん…

やめた。書くのがめんどくさい
315名無し三等兵:03/06/12 12:55 ID:???
>>314
(・∀・)ヲ?チュウボウコエーヨ!
316名無し三等兵:03/06/12 15:41 ID:???
うちの近くにいつも孫らしき子供と遊んでいるおじいちゃんが
いるのですが、話をするのにはどうしたらいいでしょう?
今日はじめてこんにちはと言ったら向こうも返してくれました。
317名無し三等兵:03/06/12 15:51 ID:n50Asi9y
>>316
挨拶→天気の話し→近所の話題→自分の話し
を経てから相手の話しに入った方がいいんじゃない?
聞きたいのはやはり戦争体験なのかい?
318名無し三等兵:03/06/12 16:00 ID:???
>317
やはり聞かないほうがいいのでしょうか?
319名無し三等兵:03/06/12 16:06 ID:???
ひいじいちゃんは戦時中かなハワイでシェフやってた
かなり信頼されてたらしく
日本人ではじめて議員だかになったって

95歳くらいで死んだけど
320名無し三等兵:03/06/12 16:13 ID:???
父方の祖父は部落出身で米軍が捨てたドラム缶が
空から落っこちてきて当たりそうになったと言っていた

ごめん、戦争とはあんま関係ないワラ
321名無し三等兵:03/06/12 16:14 ID:???
俺のじいちゃんは軍医だったらしいけど、戦争の話になると機嫌が悪くなってどこかに行ってしまう。

戦争の体験を聞いておくべきなのかな。
怖いけど
322名無し三等兵:03/06/12 16:23 ID:???
>>321
きっとすげー情けない事したんだよ
恥ずかしくいて行っちゃうんだって
323名無し三等兵:03/06/12 17:03 ID:???
>>321
ミドリ十字の関係者?
と聞いてみる。((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブル
324名無し三等兵:03/06/12 17:49 ID:???
「オガライト」って言うおがくずベースの燃料があるんだけど、
それが子供の頃に見た焼夷弾にあまりに似てたんで、最初に見たときは漏らしちまったそうだ

ちなみに叔父さんの話なわけだが(歳がバレるな…)
子供の頃に焼夷弾の不発弾を拾って遊んでいるうちに発火し、子供2人が焼死。
叔父さん自身も大火傷したらしい
325298ちっとん:03/06/12 22:50 ID:???
>>306
つづき。
レイテ戦時、飛行場に大量のグラマンが来襲。隊長だった叔父は「みんな、おれにつづけ!」と、わずかな機数で迎撃にむかい、そして、帰ってこなかった。もちろん遺骨もなく、あるのは出撃前に残した遺髪だけ。
うちの祖父は訃報を聞いても戦後まで信じなかったという。
上記の話をしてくれたのは、レイテで生き残った整備士が田舎まできて話してくれたという。

もう一人の叔父のはなしはまた今度。
326名無し三等兵:03/06/13 01:20 ID:E+xObtjE
うちのじいさんはフィリピンで陸軍の曹長をやっていたらしい.
米軍が上陸してきて,機関銃で足を砕かれて復員できたらしい.
327名無し三等兵:03/06/13 01:41 ID:???
じいさんじゃなくて父親の話ですが、戦争末期に三十半ばにして徴兵にとられた。
詳しいことは知らないが、九州の飛行場で雑用みたいなことやってたときに、艦載機
艦載機に掃射され、左腕を根元から切断するはめになった。
私も疎開中にお寺の境内で艦載機に機銃掃射されてすごく怖かった思いがある。
当時、私達の地方(東海地方)は、小型機は全部「艦載機」、B29は「ビーニクー」と
呼んでましたが、他の地方ではどうだったのでしょうか。
本を読んでもB29を「ビーニクー」と呼んでいたという記述を見たことがないのですが。
328名無し三等兵:03/06/13 02:15 ID:???
おれんちも東海地方(やや関西より)で空襲でメタメタにやられてて、
親戚なんかが集まったとき空襲の話、聞くけど、フツーにビーニジュウク
って言ってますよ。
艦載機に襲われた話も聞いたことないな。

つか、>>327おいくつですか?
329名無し三等兵:03/06/13 10:47 ID:???
戦艦武蔵でコックやってたって聞いた
330ななし:03/06/13 14:49 ID:80I7onBD
290さんへ
もしかして日系アメリカ人ですか?
詳細きぼんぬ。
331 :03/06/13 15:15 ID:???
うちのおじいちゃんは早稲田大学生でした。
サイパンに送られる輸送船が沈没。
サメのいる海で数時間浮いてから救助され、戻ってからは
怪我をしたので終戦まで病院にいました。
もし沈没していなくてそのまま行っていたら死んでただろうと
のことです。
332名無し三等兵:03/06/13 15:39 ID:???
>>329
小型潜水艇で戦艦武蔵に忍び込んだ米軍の戦闘員と両手に百式構えて戦うわけですね。


沈  黙  の  戦  艦
333名無し三等兵:03/06/14 12:56 ID:???
俺は沖縄が大好きで何度も観光旅行に行きます
仲良くなった年配のタクシー運転手さんに戦争
の体験を聞かせてもらったけど、印象的だったのは
「戦争は怖かったけど兵隊さんは皆優しかった」
と諭すようにしみじみ語ってた事です。当時
小学校4年生の運転手さんは兵隊が珍しく頻繁に兵舎
をこっそり覗きに行ってたらしい、ある日兵隊に
見つかり怒られるのかと思ったら「坊主!男だったら
コソコソ見るな!堂々と見ろ!」と兵舎に招いてくれて
夕食をご馳走になった、無骨な顔に囲まれて怖かったそうだが
残さず食べて「坊主もっと食え!」と褒められたそうだ
「また来い」、「勉強しろよ」、「父ちゃん母ちゃんを大事にしろよ」
と頭を撫でられて乾パンや金平糖をお土産にもらい帰ってきたそうだ
金平糖をかじりながらブラブラ夜道を歩いて帰ったあの日の事を
「金平糖がおいしかった事を今でも思い出すねぇ」って笑っておられた
「後で父ちゃんに大目玉を喰らった」そうだ。
また来年もお元気であればあの運転手さんに会いにいこうと思ってます。

334名無し三等兵:03/06/14 13:42 ID:???
>>191
ひょっとしたらうちのじいさんの恩人かもしれません。
うちの爺さんは奉天の獣疫研究所で細菌研究をしていましたが
獣医として入隊、しかしその後獣医免許がないことがわかり
40過ぎで二等兵、そのままシベリアのバレイに抑留され終戦を迎えました。

詳しくは聞いておりませんので、誤りがあるかもしれませんが
上官に教え子か後輩かどちらかがいて、そのおかげで爺さんは
割とすぐに前線からはずされて、今にしてみれば命だけは
助かったということを婆さんが言っておりました。

終戦後一人叔父が生まれまして、爺さんにとってのひ孫も
3人おります。もしその上官があなたのおじいさんだと
したら一族に代わり是非この場にて失礼ではありますが
御礼の気持ちをお伝え申し上げます。
335名無し三等兵:03/06/14 13:44 ID:???
失礼、変な敬語表現になってしまいました。

厚く御礼を申し上げます。
336名無し三等兵:03/06/14 14:03 ID:???
>>334
ヤバイそのおじいちゃんヤバイよ。(苦笑
337名無し三等兵:03/06/14 15:41 ID:???
>>336
すぐに人体実験と結びつけるけど、
彼らの研究は、風土病などのまじめな医療が主任務だよ。
生物兵器などの研究は、その中の一つですがな。
338名無し三等兵:03/06/14 17:30 ID:???
父方の祖父は、中国へ向かう途中に船から落下。
目の辺りの傷が治らず、ばい菌にやられて失明。程なく帰還。
何故か仕事が来ないまま終戦。
339334:03/06/14 18:36 ID:???
>>334-335

うちのじいさんがいた奉天の獣疫研究所は満鉄所属でしたから
731部隊や生物兵器とは基本的に関係はありません。
炭疽菌や鼻疽菌、豚コレラなどは満州の風土病でしたから
当然研究はしていました。それは事実です。

ですがじいさんやじいさんの同僚の名誉にかけて
生物兵器の研究や人体実験は行っていなかったと断言させて
いただきます。
340名無し三等兵:03/06/14 18:49 ID:???
うちのじいさんは南の島の方へ(何処だかは聞いてたけど忘れた)行って終戦間際に熱病にかかったそうです。
で、引き上げの際に病気で帰れず、帰ってきたのは自分の葬式も終わって墓も立った後だったそうです。
つうか一緒に墓参りに行くと墓に爺さんの名前と命日(戦時中の適当な日にちらしい)が彫ってあって。
見るたびに本人(存命ですよ)苦笑してます。
341ちっとん:03/06/14 19:44 ID:???
仕事で、市内の住民の中から戦争体験者のルポを聞き取ったことがある。
5人くらい聞いたかなあ。
342名無し三等兵:03/06/14 19:48 ID:???
俺の大叔父(父方ばあさんの弟)は桐型駆逐艦の艦長やってたんだけど、
艦橋に米戦闘機の機銃掃射を受けて、頬の横をかすめたとか。
343名無し三等兵:03/06/14 20:43 ID:???
>>340
>で、引き上げの際に病気で帰れず、帰ってきたのは自分の葬式も終わって墓も立った後だったそうです。
>つうか一緒に墓参りに行くと墓に爺さんの名前と命日(戦時中の適当な日にちらしい)が彫ってあって。
>見るたびに本人(存命ですよ)苦笑してます。

まさに幽霊。
つか、墓石立て替えろよ!!
笑い事で済んでよかったですな。
344名無し三等兵:03/06/14 23:14 ID:Pk1V7Kac
うちのじいちゃんはよく分からん。
年は忘れたが今80過ぎでソ連へ戦いに行ったらしい。
医者に医学を教えてたとか医者やってたとか、曖昧な事しか聞いてない。

酒飲みで新しい物好きで借金してでも新製品を購入するような人らしい。

今はニタニタ笑って酒飲んでタバコすって暮らしてる。。。
345名無し三等兵:03/06/14 23:17 ID:???
このスレは本当に面白い。
ブクマクして毎日大爆笑しています。
346名無し三等兵:03/06/14 23:22 ID:???
>>345
隔離病棟からの書き込みご苦労様。
347345:03/06/14 23:39 ID:???
>>1-346

激しくワラタ!
348名無し三等兵:03/06/14 23:57 ID:GjRoiO9f
大東亜共同宣言


 抑(そもそ)も世界各国が各(おのおの)其の所を得相倚(あひよ)り相扶(あひたす)けて万邦共栄の楽を偕(とも)にするは世界平和確立の根本要義なり
 然(しか)るに米英は自国の繁栄の為には他国家他民族を抑圧し特に大東亜に対しては飽くなき侵略搾取を行ひ大東亜隷属化の野望を逞(たくま)しうし遂には大東亜の安定を根底より覆(くつがへ)さんとせり
 大東亜戦争の原因茲に存す
 大東亜各国は提携して大東亜戦争を完遂し大東亜を米英の桎梏より解放して其の自存自衛を全(まつた)うし左(*原文のまま)の綱領に基づき大東亜を建設し以て世界平和の確立に寄与せんことを期す。
 一、大東亜各国は協同して大東亜の安定を確立し道義に基づく共存共栄の秩序を建設す
 一、大東亜各国は相互に自主独立を尊重し互助敦睦の実を挙げ大東亜の親和を確立す
 一、大東亜各国は相互に其の伝統を尊重し各民族の創造性を伸張し大東亜の文化を昂揚す
 一、大東亜各国は互恵の下緊密に提携し其の経済発展を図り大東亜の繁栄を増進す
 一、大東亜各国は万邦との交誼を篤(あつ)うし人種差別を撤廃し普(あまね)く文化を交流し進んで資源を開放し以て世界の進運に貢献す

349名無し三等兵:03/06/16 01:27 ID:???
>>340
生きて帰ってこれてよかったね。うちの大叔父は、ニューギニア
からの復員船のなかで衰弱死しますたです。
350名無し三等兵:03/06/16 13:16 ID:B5oiAytu
私の祖父(すでに亡くなっている)は戦争末期頃に南方戦線に行くことになったそうだ。
しかし、その移送の途中に米軍に攻撃されて船は沈没。
祖父は何とか木片をつかみ、台湾やら中国に漂着したそうだ。
そこで飛行機の整備兵をやってるうちに終戦を迎えた。

その船に乗って生き残っていたのは10人ぐらいだったらしい。
船が撃沈しなくても南方に行く予定だったんだし、
なんと言う奇跡なんだろうと子供心に残りました。
351名無し三等兵:03/06/16 14:05 ID:???
私の祖父 中学校?位で満州に行きました
その後 重歩兵に配属
敗戦後 戦犯で、シベリア抑留
5年後 舞鶴港から帰国

数十年後 孫の私に武勇伝の数々を語る
数年後 孫の私に現地の芸者とのハメ撮り写真を発見される

現在 存命  おじいちゃん長生きしてね
352名無し三等兵:03/06/16 14:43 ID:H7FfFIgC
 最近、母方の祖母の葬儀で田舎へ行って遺品の整理をしていたら、祖母が大事にしていた物の詰まった戸棚から、祖母より先に無くなった祖父の遺品が出てきました。
 「海軍兵長○○」と書かれたアルマイト食器が数個、駆逐艦クラスとおぼしき軍艦の前での乗員集合写真、祖父が出征時に、祖母や幼い母と写した記念写真。
 ありきたりながら、歴史の彼方の戦争が、一気に身近に感じた瞬間でした・・・。
353名無し三等兵:03/06/16 15:54 ID:???
私の祖父ではないのだが、一回だけの取引をしたある個人商店主が凄かった。
初見で「お元気でつねぇ」といったら、米寿超のご高齢で現役。
MT車を駆りながら、異常にテンションが高い。
車内でなぜか戦争の話となったら、
爺「わたしゃねぇ!インパール逝ったんですよっ」
漏「えええ よく帰れましたねぇ」
爺「そりゃねぇ、わたしゃ○○町(県内でも有数の山奥の町)のねぇ、
 炭焼きの家なんですよっ。いってみりゃ山岳民族ですから!
 だから生き残ったんですねぇっ」(←この通りのテンションの高さ)
漏「大変だったでしょ」
爺「大変でしたねぇっ、町の出身の人はだいたい死んじゃったからっ!」
時間が短かったので、これくらいしか聞けなかったけれど、
『八甲田山死の彷徨』でも山奥の徴兵が生き残ったのを思い出しますた。
354名無し三等兵:03/06/16 21:05 ID:???
>>353
すんげえ貴重な話だ!!

>『八甲田山死の彷徨』でも山奥の徴兵が生き残ったのを思い出しますた。

この部分、台湾の高砂族(台湾の少数民族)のいる部隊は
生還率が高かったそうです。
それは、南方の山の中でも食料を見つけられるから。
だから、高砂族の兵士さんは可愛がられたと言っていました。
高砂族は部族が違うと、違う言語なので、
今でも長老達の共通語は日本語だと言っていました。
日本に来たら、やはり靖国神社にお参りに来ていました。
「自分は日本人として育って、日本人として戦ったが、
 敗戦で中国人にされてしまった。
 それでも、少数民族なので、自分が中国人という実感が無い。
 やはり自分の祖国は靖国神社と日本なのでは?という感覚が今でもある」
と言っておりました。

これ、読売新聞からです。
355名無し三等兵:03/06/16 21:35 ID:???
父方の祖父は南の島で飛行機の整備兵だったそうです。
現地でマラリアを患い、帰国してからは自転車や自動車を扱う個人商店をやっておりましたが、
50を過ぎて肝硬変を患い、後に肝臓ガンになり、東京への転院・長期入院を含めて15年ほどの
闘病の末に亡くなりました。

20年近く前に亡くなった時は、私は10歳だったので、戦争に関する話を聞く機会は
ほとんどありませんでしたが、「戦争なんかしちゃいけない」
「自民党に入れとけば良い。社会党なんかに入れたら何をするか解らない」と言っていた事だけは、
何故か覚えています。
(当時はロッキード裁判などゴタゴタあって、マスコミでは自民党バッシングがされていました)
356名無し三等兵:03/06/16 23:51 ID:???
俺のじいさんではないが。

バイト先の現場にいた鉄骨か鉄筋の溶接の親方。
80過ぎてさすがに現場は息子に任せていたが、元気そのもの。
南方でインパール?作戦に参加して中隊で7人しか生き残らなかったそうな。
その話を始めると、周りの職人が「また始まった」と笑ってた。

それで、印象に残ってるのは戦場の話ではなくて・・・

「(鉄筋を眺めながら)どんどん入れる鉄筋が多くなってくるなあ・・・おいボウズ(俺)、なんでこんなに鉄筋入れるか知ってるか?」

俺:「え?やっぱり地震とか・・・」

「馬鹿、違うよ・・・」(急に声を潜めて)

(てっきり業界の裏話とか癒着とかそんな話かなあなんて思ってたら)

「前の戦争じゃ、鉄がなくて負けたんだ、だから今のうちに建物に鉄をいっぱい仕込んでんだよ・・」


じいさん、戦争に負けたのは鉄が無かったからじゃないよ。
それにビルから鉄筋を引っこ抜いて戦車を作るような戦争をもう一回したいのか。

と言いたくなったが、きっとじいさん一流のジョークだったのだろう・・・
357名無し三等兵:03/06/17 00:16 ID:???
>>356
戦争を実体験なさった世代の言葉は重いですね。

鉄の話、視点は俺には面白い。その人、結構戦略的視野に長けている人かも。
感心した。(実際鉄が無かったのが敗因の一つなのも事実だし。)

今の国民に、長期的視野で戦略を(例え鉄という一面からだけだとしても)
見つめることの出来る人が何人いるだろうか。
358名無し三等兵:03/06/17 00:17 ID:???
>>327の方は一体お幾つなのか気になって仕方が無いのだが・・・
359名無し三等兵:03/06/17 01:55 ID:gx2XSNta
うちの母方の祖父は徴兵されたのち東部戦線に従軍してソ連軍の捕虜となった。が
ラーゲリから脱走してシベリア鉄道沿いに?ドイツまで歩いて帰ったとか。
(それ以上のことは全く語らずに5年前他界・・・)
49年に母親が生まれたわけだから少なくとも48年中にはひそかに帰還していたことになるが
まあよく捕まらずに帰って来れたものだとしか云いようがない。
昼間どこかに隠れて夜中のうちに移動したのだとは思うけど
食糧調達などはどうしたのだろうかとても疑問。
今となってはその詳細を知ろう由もないのは残念・・・
360名無し三等兵:03/06/17 02:12 ID:GBJFjoMG
>>357

ぢゃ、硬貨にはジャンジャンとレアメタルを素材にして発行してもらおう。
361名無し三等兵:03/06/17 02:16 ID:???
>357
タングステンの500円硬貨、劣化ウランの10円硬貨とかか?
362名無し三等兵:03/06/17 02:37 ID:o+1B3hgf

>劣化ウランの10円硬貨とかか?

や め て く れ
363名無し三等兵:03/06/17 02:46 ID:GBJFjoMG
ニッケル、コバルト、バナジウム、白金、モリブデン、チタン、ニオブあたりか?

100円、50円が銅75%、ニッケル25%の白銅なのは、やはり戦略物資を備蓄するためだろう。
364名無し三等兵:03/06/17 03:00 ID:gx2XSNta
>>363
戦前のコインにニッケルを使った物があったのは
やはり戦略物資確保のためだったようだ
(参考文献:「お金と切手のひみつ」学研まんがひみつシリーズ<1979年?>
幻の 一 銭 陶 貨 には笑った覚えがある)

「のらくろ」にもニッケルの腕時計を買ったとみせびらかすシーンがあったのも
そんな時代のあらわれだったのか・・・

さすがに劣化ウランとコバルトのような放射性物質をコインに使うのは問題ありと思われ。
365名無し三等兵:03/06/17 03:47 ID:GBJFjoMG
一昔前の100円硬貨は銀だった(w
366名無し三等兵:03/06/17 04:22 ID:E8JbdthG
俺のじーちゃん朝鮮行ったっていってたな
367名無し三等兵:03/06/17 05:06 ID:bBhoLODV
 敗戦後に、パチンコがまたたく間に全国に広まっていった時期、
「パチンコ玉は、復讐戦に備えて、兵器に使うベアリングのボールを
作り溜めしているのだ。」
という噂が流れたそうです。
368名無し三等兵:03/06/17 06:25 ID:???
ワイの知り合いの爺さんは、陸軍の輸送船に乗っといて、輸送船が魚雷にやられて撃沈されたよ。
そんでその爺さんは、片足が吹っ飛ばされて、めでたく除隊。。
おかげで南方戦線にいながら、戦後も生き延びることが出来た。。
もしあのまま、南方にいたら、十中八九戦没者の列に加わとったやろな。

その爺さんは、前皇后陛下、つまり御隠れになされた皇太后陛下より下賜された義足を見ながら、そんなこと言っとったわ。
369名無し三等兵:03/06/17 06:28 ID:???
そういえば、海軍におった爺さんも、ワイの知り合いにおるが。
その爺さんは、駆逐艦に乗っ取ったそうや。
その駆逐艦は撃沈され死にかけたそうやが、その後は本土に戻され。
生きながらえることが出来た。

その爺さんの戦場での思い出話の中に、戦闘があって海で爆発があれば、その後で必ず魚がぎょうさん浮いてくるから。
それを取りに行くのが楽しみだった。そんなことを言うていたな
370名無し三等兵:03/06/17 07:58 ID:Di24bdXJ
>>127とか、孫のバイアスがかかってる体験談はどうも。
あと、前スレなどで良くあった、俺のじいちゃんはXXにん頃しますた!ブルブル
ってゆうのも・・・無邪気な法螺話を鵜呑みにしないで検証してみてほしいかなと。
その法螺話の積み重ねが凶悪日本軍伝説になったのだから。
現に東京裁判では犠牲者まで・・・
漏れはじいちゃんや戦友さんに食い下がり、嫌がられましたがw
371名無し三等兵:03/06/17 08:00 ID:Di24bdXJ
だって輜重兵なのにシナ兵五人切り!なんていうもんですから。
馬鹿だよ、俺の爺!
372名無し三等兵:03/06/17 18:25 ID:???
>>371
非戦闘兵でも戦闘に参加することがあったのであながち嘘でも・・・
輜重兵は伍長から軍刀が吊れるわけだし
ちなみに俺のじいちゃんも>>191で書いたとうり。
373名無し三等兵:03/06/17 18:49 ID:???
インパールに行って、まだ「やる気マンマン」ってのも困ったもんだ。
「前の戦争」ってなあ


やっぱりジョークでしょう(汗
374名無し三等兵:03/06/17 19:09 ID:3+Z+34BF
>>370
かわいそうだから年寄りの話くらい素直に聞いてやれよ
375名無し三等兵:03/06/17 19:09 ID:GeYOSFPU
>>367

ポンポンバラバラに跳ねるような無茶苦茶な真円度のたまは
ベアリングには使えないっすよね(^^ゞ
376名無し三等兵:03/06/17 19:09 ID:???
>373は>356へのレス
377名無し三等兵:03/06/17 19:27 ID:???
>>350です。
撃沈された船がどの船であったか、
戦場で戦う兵士として徴用されたのに整備兵になることがあるのかとずーっと気になってました。

本当に生き残った兵士が10人ぐらいだったら相当な事件として残っていると思うんですが
こういうのってどのように調べたらいいのか皆目分かりません。
全く知識のない私めにお教えいただけないでしょうか。
378ウー壱○五:03/06/17 19:42 ID:???
>>350
おじいさんの名前のほかにどんなことを知ってます?
まず、本籍地は分かるよね。陸海軍のどちらかも分かると。
兵籍番号は分かりませんよね。恩給の資料とか多分ないよね。
だったら、
最初に、お爺さまの所属した部隊を特定し、部隊の行動記録を
調べればいいんですけど。ところで、都内在住ですか。それとも
地方?都内だとかなり調べるのが楽なんだけど。
379名無し三等兵:03/06/17 19:59 ID:???
>>370>>374
いいや、ホラ吹き爺さんにはどんどんツッコミ入れた方がいいって。
裏路地でDQNをぶっ飛ばす青春のいい思い出とはワケが違うんだからな
380名無し三等兵:03/06/17 20:49 ID:???
>>356
前も書きましたが、祖父が戦前に青森で灌漑工事していたら、
竹を支給されて、これで土手作れと。
「日本はこんな所に使う鉄材も不足しているのか!?」と思ったそうです。
そして、どうやって強度計算を出すのか苦労したそうです。

この話、いま思うと、鉄の不足ではなくて
予算不足のだけだったようなきもしますが・・・。
381名無し三等兵:03/06/17 20:54 ID:???
>>369
どっかの戦記ものの小説に、
爆雷を訓練で爆発させるときに、新兵を甲板に並べて見せる。
ドゴーン!!とものすごい水柱があがるので、
これならば潜水艦でも破壊できるな、いいもの見せてもらったと思ったら、
浮いてきた魚をとれと神兵に命令。
その爆雷で気絶した魚を取るための要員として、見学させられたのか?
と書いてありました。
けど、その日の夕食は新鮮な魚が腹いっぱい食べられたので、
以後の爆雷の訓練は楽しみだったとか。
382名無し三等兵:03/06/17 21:01 ID:???
最近ばぁちゃんが恩給&年金で年収600万以上だって事を知りました…
じいちゃんは終戦時大尉です

ばぁちゃん大事にしよ…
383名無し三等兵:03/06/17 21:24 ID:???
動機はともかく年寄りを大事にするのはいいことだ・・・
384名無し三等兵:03/06/17 21:52 ID:???
>>383
そのとうり 80歳の老人作るには80年かかるわけだし
年寄りは大事にね
385名無し三等兵:03/06/17 21:52 ID:???
>>382
>最近ばぁちゃんが恩給&年金で年収600万以上だって事を知りました…

どんなばあちゃんだ!?
それだと、じいちゃんは相当な役職にいた人で、
戦後は公務員か何かだよね。
詳しく聞くべし。
386名無し三等兵:03/06/17 21:54 ID:???
>>384
うん、まさにそうのとうりですよね。
その80歳の老人を作るのに、
0歳の赤ちゃんが100人以上必要なわけですから。
387名無し三等兵:03/06/18 01:36 ID:chMjLVk+
>>380
旧国鉄の陸前原ノ町駅の駅舎はたしか昭和18年製で
鉄材不足から鉄筋ならぬ竹筋コンクリートになったとか・・・

(参考文献:コロタン文庫43 国鉄全百科)
388名無し三等兵:03/06/18 02:12 ID:???
>>387
わおっ!!
情報ありがとうございます。
じゃ、それは全国的に行われていたことなんだ!!
けど、その時期ならわかるけど、戦前の話だから、
昭和10年代の話だと思います。

けど、じいさんのリアクションが、
「竹で強度をどう出すか?」と考えたという事なので
当時からすでに非常識なことだったみたいです。
389名無し三等兵:03/06/18 13:35 ID:oaWSSJ0v
>>388
将来の鉄(を筆頭とする資材)の不足がすでに懸念されていたのでは?
当時はなんと屑鉄を米国から輸入していたらしく
昭和16年ごろにはその屑鉄すら禁輸されていたとのことです

390名無し三等兵:03/06/18 15:20 ID:???
>>389
>当時はなんと屑鉄を米国から輸入していたらしく

クズ鉄を馬鹿にするな!!
チハたんの材料だぞ!!

つか、クズ鉄って実は良い材料なんですよね。
鉄鉱石から製鉄と言うと、これまた製鉄の技術が必要で、
さまざまなプロセスが必要ですが、クズ鉄ならば
溶かして成分調整だけでそこそこな材料が出来てしまうという訳です。
従って、一種の班加工製品みたいな感じなのです。

という訳で、やっぱりチハたんは偉いのだ。
391名無し三等兵:03/06/18 19:38 ID:???
>>389
そんな事いったら原子炉の隔壁だって屑鉄だ

うう・・陸奥ちゃん・・・
392名無し三等兵:03/06/20 01:31 ID:???
うちの亡き父親は農家の次男だったので
徴兵されました。
そしてラバウルに行きました。
結果、捕虜になりました。


393139:03/06/20 02:49 ID:???
>>145
恐ろしく亀レスですまん
レスがつくとは思ってなかったからスレ覗いてなかった。

俺もよくは知らないんだが昭和20年に入ると他の兵科から兵科に異動する
というのがけっこうあったとか。
それは軍からの命令であったり、志願であったりしたらしい。
詳しくなくてすまん。
394名無し三等兵:03/06/20 18:42 ID:BIJTUBAm
定期あげ
395名無し三等兵:03/06/20 19:02 ID:ZNtyjQKQ
東京タワーの鋼材の原料は米軍戦車由来の屑鉄です
396名無し三等兵:03/06/20 19:29 ID:oq/errPk
亡くなった私の祖父は、白銀重二と言う人の航空部隊の曹長としてノモンハン事件、蘆溝橋事件に従事したそうです。
その後、満州のチチハルという所に駐屯し、終戦前に帰国し千葉県で戦闘機操縦の教官をして、出撃直前で終戦を迎えたそうです。
397名無し三等兵:03/06/20 19:54 ID:3tyzOLPY
私の祖父は、得撫島守備隊で少尉だったそうです。
終戦によりソ連軍進駐、局地的停戦条約(?)締結に
立ち会ったとか。内容は
「日本軍は武装解除の後本国帰還を許す。ただし
一部の捕虜は免れない」とかで、祖父の小隊が
得撫に残された。
貧乏籤を引いたと思ったらしいが、後に知ったところでは
帰国したはずの方々は「シベリア送り」だったらしい。。。
祖父は得撫から樺太へ。S23帰国。
その後、GHQから呼び出しを受け、何事かと思ったら
情報提供を求められたらしい。
398まりも:03/06/21 13:46 ID:dtJYQlVU
うちの爺さん、満州で股間を撃たれて帰国。 ケツの肉を引っ張ってきて縫い合わせたらしく、凄い傷跡。
399名無し三等兵:03/06/21 14:19 ID:???
>>398
助かって良かったですね。
満州からは生きて帰れない人もおおいので、
じいさんの運の強さに感謝すべきかと。
400まりも:03/06/21 15:26 ID:EHj8NfBL
本当に運のイイ爺さんです。しかしどういった状況だったのか、一切語ってくれないんですよ。謎です。
401名無し三等兵:03/06/21 15:27 ID:l44DZG2s
特攻隊志願、終戦2日後には出撃予定、中尉だったらしい。
402名無し三等兵:03/06/21 15:34 ID:???
みんなすごいなぁ。ウチのじいさんはろくな話ないよ。

片方は陸軍士官学校60期かなんかで教官の兼松隊長とか言うのがルソン島に引っ張られちまって逝っちまったっていう話だけだし。


もう片っ方は技術仕官で広島の山でなんか建設作業してたら原爆のきのこ雲が見えたって言うのと。
あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら(よく意味がわからないが)隊長にばれてボコボコにされたっていう話。

どっちも戦地に言ってないからダメポ。
403名無し三等兵:03/06/21 15:34 ID:???
>>400

ウソだったんだよ。

じじいなんてそんなもん。
404名無し三等兵:03/06/21 15:37 ID:l44DZG2s
川にダイナマイトってのは多分その音で失神した
魚を手当たりしだい拾うという現在禁止されてる漁の仕方のこと
ではないだろうか?
405名無し三等兵:03/06/21 17:02 ID:???
>>400
辛い経験だったのかも。
話したくないならば、そっとしておいてあげて。
406397:03/06/21 17:04 ID:dgQZYo82
>>402
>>404
多分そう。
うちの祖父も、手榴弾川に放り込んで魚取ったと言っていた。
407名無し三等兵:03/06/21 17:05 ID:???
>>402
>あとは川にダイナマイト投げて魚を採ってたら

水中で爆発が起こると、水は振動を伝えて、魚が死んでしまう。
んで、その魚をとると。
しかし、この漁法は404さんの言うとおりに禁止されている。
なぜかと言うと、釣りや漁と違って根こそぎ破壊してしまうから。
だから、上官に地元民もつかっている川で
そんな事をするなと怒られたのかも。
408名無し三等兵:03/06/21 17:10 ID:???
>>407
つまり底引き上げ漁業を更に手荒くしたものか・・・・実際対馬海峡なんか、漁獲量がなあ。

そう言えばうちの祖父さんが「軍事教練をまともに受けた最後の世代なので、
装備は一通り扱えたからあれやこれや便利に使われたよ」と苦笑していた事があったけど、
小中学生に対する軍事教練って、戦争直前は無かったのかな。
それとも軍需物資や人員が前線部隊へ集中され、軍事教練が簡略化されたとか?
409眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/21 17:13 ID:???
>>408
兵士が足りなくなって、工員、農業労働者が足りなくなって、勤労奉仕の方が
学業よりもメインになって、そう言う余分な物に時間を掛けていられなくなったとか。
410ダイナマイト漁は危険:03/06/21 17:46 ID:???
>>402
夏場なんかは、魚と小学生が一緒に浮かんでくる可能性もあるわけで。
411名無し三等兵:03/06/21 18:36 ID:???
お魚はもういい。
412名無し三等兵:03/06/21 20:08 ID:???
>247、248
亀スマソ

お前ら!
家帰って居間でTV見てたら
爺ちゃんに
「人様の家に勝手に上がりこむとは、どういう躾をされたんだ!?出ていかんかぁ!!!」
っていわれた事があっても同じ事言えるんだろうな!?



・・・(ノд-。)マァシナレテモカナシイワケダガ
413名無し三等兵:03/06/21 20:32 ID:???
>>412
それは悲しいな・・・。
414名無し三等兵:03/06/21 21:46 ID:???
NHKアーカイブスなんかで、40年代の戦争ドキュメンタリーを見てると、
戦争経験者が若い・・・・

年寄りが喋ってるよりなんか生々しいんだよね。記憶も確かだし。
415名無し三等兵:03/06/21 22:44 ID:???
うちのジーちゃん・・・憲兵だったけど終戦後も何故かピンピンして帰ってきたらしい
温厚な性格で兵士から人気あったらしい・・・
416名無し三等兵:03/06/21 22:45 ID:???
っていうかTVに出ている老人の殆どはDQNばっか
417名無し三等兵:03/06/21 22:52 ID:???
うちのじいさんもTVにこそ出てないがDQNっていうか、
日本軍嫌いの右翼マニアそして歴史マニア。
広島県に住んでおきながら解放同盟に公然とけんかを売って、
家を囲まれたという武勇伝(?)がある。
418名無し三等兵:03/06/22 01:07 ID:???
漏れのジーさん、潜水艦乗りとか言ってたけど陸軍にいたとか言ってたなぁ。
あのときはもうぼけたから海軍と陸軍ごっちゃになってたのか、今になってはもう効くことができないけど、、、
419名無し三等兵:03/06/22 01:53 ID:???
>418
日本陸軍には潜水艦部隊が実在したそうで。
ttp://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=ijawrtop
420名無し三等兵:03/06/22 02:36 ID:???
陸軍は輸送船も建造していた。官僚主義もここに極まれり。
421名無し三等兵:03/06/22 03:05 ID:1+cDxrjs
空母や魚雷も開発してた、、>帝国陸軍
422名無し三等兵:03/06/22 04:15 ID:???
漏れの爺さん、海兵出の将校。
以前「丸」に手記載せてた。
零戦に乗ってたが、戦闘機を打ち落としたことはないらしい(w
二回か三回撃墜されてそれでも生き残った。同期はほとんどあぼん。
撃墜されてパラシュートで脱出したとき大火傷を負い、落下しながら八百万の神に
「助けてください。おながいします。」とひたすら祈ったそうだ。
その欲張り&小心な爺ちゃんのおかげで今の漏れがいる(w
423>>139:03/06/22 06:23 ID:???
>>393
お答えサンクス。そういうことがあったんですね。
本土防空戦で命懸けでB29と戦った139さんのおじいさんに、日本人
として感謝します。


424名無し三等兵:03/06/22 19:27 ID:???
>>421
毎度腐すのもアレだがある意味泣ける話だ・・・。
海軍が戦車造ったことぐらいは知ってたけど。
425名無し三等兵:03/06/24 13:03 ID:MBQrOFv7
うちのじいちゃん
      樽生達人
426名無し三等兵:03/06/24 14:41 ID:burQu15m
日本で最初に戦略渡洋爆撃を行ったのは「海軍陸攻」
つうか、海軍が戦略都市爆撃おこなうなよ(w
427名無し三等兵:03/06/25 00:41 ID:???
>>426

「海軍の陸攻」もしくは「96陸攻」のほうがいいかと。
428名無し三等兵:03/06/25 11:08 ID:4EfCbeT7
うちのジジイはアメリカ移民の子供。戦争はじまる前に帰ってきて何年か
日本で過ごした後、徴兵されて満州へ。

配属先の中隊長が知り合いで、”お前なにがやりたい?”と聞かれて、”
わしゃ、訓練がないところがええの。”と答えたツワモノです。

軍隊ではトラック運転したりご飯作ったりしてたらしい(w

”兵隊が米ばっか喰う、米が足りないと恨まれるから、軍曹が倉庫の番
してる奴と話して、気を引いてる隙に、他所の隊の米まで積んでくる”
とか、
”カレー粉が余って仕方がなかったけど、捨てると怒られるので、隠れて
捨ててた。”
とか、
”戦争には行ったけど、鉄砲一回も撃った事ない。”
とか、勇ましい話は一切無しでした。

アメリカ時代の写真を見る限り、結構な暮らしだったみたいなんで、鬼畜
米英とか言われても、ハァ?とかそんな感じだった見たいでつ。

ちなみに寝たきりになってからは、しきりに”アメリカに行きたいなあ。”
と言いながら、他界。棺おけには合衆国の地図を入れて焼きました。

429ななし:03/06/25 11:40 ID:UAfdyZh2
428さんへ 
え、おじい様は日系米国人だったんですか?
詳細を希望.
430428:03/06/25 11:56 ID:???
曽祖父が移民船でカリフォルニアに渡ったという話。詳しくは俺も良く知らないのです。
ただ、当時の写真がいくつか残ってて、親戚の経営する雑貨店で一族が移ってる奴
とか、ピクニックに行ったときにとったらしい自動車を背景にした奴とか、

あと見たことはあるけど、父の実家のどこかに埋もれちゃったらしくて発見できない
白人ばっかりのなかに、日本人が2、3人まぎれてる小学校の時の写真とか見る限り
かなり不自由のない生活してたっぽい。

意外と資料としては貴重なんだろうか?そういう写真とかって。

ちなみに、満州は一番良いときに行って、帰ってきたあと、再召集は無かった模様で
す。そのご某財閥系造船に勤務して、それなりの生活してたので困窮するようなこと
は無かった模様。

婿養子に行った時に、肉を食いたいのに、曾祖母が肉を食うのをえらく嫌うので外で
七輪で焼いた話とかしてますた。
431名無し三等兵:03/06/25 12:50 ID:NA+sUn/u
私の大叔父は、満州に送られて金日成と戦っていたよ。
もっとも北朝鮮の偉大な建国者として崇められている金日成とは、別物だろうが。。

当時は複数の金日成がいたそうだし。
432名無し三等兵:03/06/25 14:44 ID:???
>>431
今のキムはもともと別人だったそうです
名前もキムイルソンじゃなかったそうで
433名無し三等兵:03/06/25 16:51 ID:???
伝書鳩を扱う部隊ってどうゆう部隊なんでしょうね
434名無し三等兵:03/06/25 17:04 ID:???
>>433
前線にいる部隊
435名無し三等兵:03/06/25 18:14 ID:???
うちのじいさんは重巡洋艦妙高に乗って、エンジニアとして
インドネシアに行ってたそうです。
ガキの頃はいろいろと話聞きました。
まあ、今は家庭内の事情で会うことができませんが・・・。
436名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs :03/06/25 18:57 ID:???
3年前に逝ったうちのじいちゃんの話、聞きたい人いる?
階級は憲兵少尉だったそうでつ
437名無し三等兵:03/06/25 19:06 ID:???
>>436
聞きたい
438名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs :03/06/25 22:00 ID:???
んじゃあまず、昇進具合から書きます。

昭和5年1月10日 第八大隊第一中隊に入隊 二等兵
     10月1日 一等兵
     12月1日 上等兵
   6年11月23日 帰休除隊
   7年3月11日 憲兵 上等兵
   10年2月2日 伍長
   11年4月21日 軍曹
   13年7月22日 曹長
   15年2月 陸軍中野学校配属
      12月 常州分遺隊長歴任
   16年8月1日 准尉
      10月7日 勲六等、端賽章受勲を受ける
   19年4月 少尉
                     杭州憲兵隊本部附
第二軍司令官、西大将の護衛(北支済南)
          東久?宮中将身辺護衛
陸軍大臣板垣大将身辺護衛兼副官として任に当たる
(斉南、青島、旅順、京城、福岡、東京空路に同行)

だそうでつ、私はあまり詳しくないので分かる人がいたら
補足よろ、第八大隊とか中野学校、端賽章等など・・・。
439名無し三等兵 ◆qp6.sNtkjs :03/06/25 22:08 ID:???
ちなみに上海市街戦や万里の長城の警護
にも当たっていたそうでつ。
440名無し三等兵:03/06/25 22:13 ID:???
5年前になくなったうちのじーさまは、戦時中横須賀で40サンチ砲弾
造ってました。腕の良い旋盤工だったのを買われて、だったそうです。
441名無し三等兵:03/06/25 23:26 ID:???
4月に死んだばあ様が旅順で陸奥に乗ったことがあるそうな。
442名無し三等兵:03/06/25 23:34 ID:NiQvOTAb
>>432
スターリンに拾われる前は、日本軍に追われてハバロフスクまで逃げてきた。
反日パルチザンで本名は金成柱。
せいぜい小隊長くらいしか勤まらなかったチンピラだよ。
だからこそ。無謀な朝鮮戦争を起こしたのだけどね
443名無し三等兵:03/06/25 23:51 ID:???
 近衛師団で陸軍軍曹やってたそうです。
 で、九段の本部で、新兵の招集やってたもんだから、敗戦後カンペキな
戦犯扱いで、一時は絞殺刑も覚悟したって言ってました。
 
444名無し三等兵:03/06/25 23:52 ID:???
絞首刑の間違いでつた。
445名無し三等兵:03/06/26 00:58 ID:???
>>435
私の祖父も妙高に乗っていました。
446名無し三等兵:03/06/26 02:43 ID:???
>>429
パープルハートの話で、映画かな?
こんな話をきいたことがあります。
日本人アメリカ移民って、教育だけは日本で受けさせる人が多くて、
兄はアメリカ軍に参加。
弟は、日本に滞在中に戦争がはじまって、日本軍で参加。
兄は日本人を助けるために、色々と苦労して日本人に投降を呼びかける。
その中で、弟を知らないか、知らないかと探し回る話がありました。
447名無し三等兵:03/06/26 02:46 ID:???
>>432
現在、金日成とされている、金正日の父は、
戦時中はソ連の中国人部隊を率いて、
大尉として主に満州でゲリラ活動していました。
朝鮮には、二度ほど進入した記録があるだけです。
ですから、431の御爺さんが戦っていたのは、
もしかして後の北朝鮮国家主席だったかもしれませんね。

すると、じいさん、なんで殺さなかったの!?と言う話になります。
448名無し三等兵:03/06/26 02:48 ID:???
>>438
>補足よろ、第八大隊とか中野学校、端賽章等など・・・。

もっと聞きたい!!
補足よろじゃなくて、父か母にも聞き込みして!!
良い供養になりますよ。
449名無し三等兵:03/06/26 03:16 ID:???
>>446
山崎豊子の著作で「二つの祖国」というのがそれですね。
NHKの大河ドラマで「山河燃ゆ」と改題されて放映されました。
20年位前の話。
450428:03/06/26 09:34 ID:???
今日、大阪環状線で血色はいいけど年はかなりいってそうなお年寄りが
乗ってきて、出入り口の直ぐ近くに立っておられました。

座っていた若い女の子が”次降りますからどうぞ。”と席をゆずろうとした
ら、

”私も次に降りますから。”と断り、そのままその女の子に話し掛けておら
れました。

聞くとはなしに聞いてたら、”おじいちゃん、今年86だけど、戦争でガダル
カナルから生きて帰ってくるくらいだから、丈夫なんだ、お嬢ちゃんガダル
カナルって知ってるかい?、1000人行って、一人しか帰ってこなかった
んだよ”と・・・。

まあ当然そうきかれたお嬢さんはガダルカナルが何処にあるかも知らな
かったのですが、”知りません。”と答えず、”勉強しておきます。”と答え
てました。

もう10年もしたら、戦争に行った人たちはほんとに居なくなるなと思った
次第。
451名無し三等兵:03/06/27 00:24 ID:???
>>450
ほんのりええ話や・・・。
452東雲 ◆m6tridVkuU :03/06/27 17:37 ID:???
伯父はビルマ戦線でした。
志願兵だったため、早くから戦線に出ていたそうです。
補給が来なくてきつかったと言ってました。

食料を調達するのが命がけだった、と、酒を飲む
度によく言います。明け方にジャングルをコソーリ
移動して、落ちている果物を拾い集めたそうです。

倒した英兵がいい物食ってるのが皆に解り、
嫉妬も絡んで余計に勇猛になったそうです。
戦闘については余り話したがらないので、
話題は食べ物ばっかり。
完熟マンゴーはうまかっただの、英兵の非常食は
ビクーリするほどうまかった、など。

ただ、戦友がいっぱい死んだ、あんな思いは
もう勘弁だな、と最後は呟くようにいいます。
今春、春の叙勲の栄誉に輝いた時に靖国神社に
一緒に行きました。伯父は今まで戦友に逢わせる顔が
無いと、上京しても決して行きませんでした。
しかし、もう80を超え、伯父の中で何かが
変わったのかもしれません。

戦友の名を探し、見つける度に何かを嬉しそうに
呟いていました。一緒に行った漏れはなぜか
涙がこぼれました。

長文スマソ
453名無し三等兵:03/06/28 00:02 ID:s+Y38Hnv
>>450
実際は3人行って2人帰ってこなかったぐらい?

硫黄島は20人言って19人帰ってこなかったぐらい

レイテ島は100人言って97人帰ってこなかったぐらい

だっけ?
454名無し三等兵:03/06/28 00:17 ID:09DUQNJ1
京都伏見の16師団はレイテ島で1944年10月に全滅したが
実は帰還してきた兵士が620人くらいいたらしい
全滅といっても実際には一兵卒残らず皆無になったわけでなく
部隊の建制が維持できなくなり組織的戦闘不能になる寸前に
大本営やら師団司令部への連絡のために内地に帰した軍人がいたようだ
帰還してきたほとんどがこれについてきた便乗組だったとか

それでも戦時の師団編制20000人程度とすると620人といっても
100人に対して約3人・・・確かに100人行って97人は帰って来なかったという勘定になるな
455名無し三等兵:03/06/28 00:31 ID:???
よく死ぬ間際には「天皇陛下万歳」ではなくて「おかあさーん」と言って
死んでいったと言われますが、祖父の体験ではそうともいえないらしいです。
いくら死にそう、死ぬからといってもやはり「天皇陛下万歳」と言って死ん
でいったそうです。名誉ある戦死だったと伝えてもらうにはそう言いながら
死ぬことが必要だったそうです。
456名無し三等兵:03/06/28 00:44 ID:yA6KXf4i
こんなスレがあったんだね。

ウチはオヤジが超晩婚だったので、オヤジの話。

ウチのオヤジは中国の大連に渡って、専門学校(今の工業大学)
を卒業して、製鉄所に勤務していたのだが、昭和18年に招集され
て、訓練だけしてその後戻されたそうだ。衛生兵だったんだと。
実戦には全く参加していない。

訓練はかなり厳しく、起床ラッパが鳴るたびに鬱になったって言ってた。
衛生兵にされたが、訓練では38式を撃ったとのこと。「かなりよく当たる
銃」だったらしい。

オヤジの兄貴はノモンハンに送られて、ソ連軍の銃弾を肩に食らった。
5年前、ウチの実家に来た時、もの凄く怖かったと言ってた。

母方の兄弟も男が三人いて、一人はテニアン島で戦死。他の二人は
国内のどこかの師団にいて、双方とも衛生兵だったらしい。

また、オヤジが昔会社やってた時の部長が、陸軍特攻振武隊の少尉
だったと・・・。

以上がウチの一族の戦争体験。今年の夏、実家に帰ったらもうちょっと
詳しく聞いてみようと思います。


457名無し三等兵:03/06/28 00:56 ID:oTYbQwhG
うちの爺ちゃんは終戦の日に徴兵され大阪の訓練施設に
いったそうです。到着と同時に爆撃されてお前は通信兵だ、と渡された
通信機と司令官が吹っ飛とぶが、一週間訓練し家に帰ったらしい。
458名無し三等兵:03/06/28 01:07 ID:???
>>457
なんかワラタw
459名無し三等兵:03/06/28 01:23 ID:???
俺のじいさん穴堀りしかしてないって・゚・(ノД`)・゚・。
460名無し三等兵:03/06/28 01:33 ID:???
>>459
それでいいんですよ。
生きているのがなにより。
461459:03/06/28 01:36 ID:???
>>460

ありがとう。
462名無し三等兵:03/06/28 10:52 ID:???
じーさんは陸奥に乗っていた水兵だったようだけど…
爆沈の生き残り組だったのかな?心筋梗塞で逝って
しまわれたから闇の中だが。
463名無し三等兵:03/06/28 11:46 ID:s+Y38Hnv
>>454
レイテは全部で8万人いたわけだからね
海軍入れたらえらいことに・・・
464名無し三等兵:03/06/28 14:09 ID:???
うちの大伯父は、徴兵で末次信正連合艦隊司令長官の従兵やってたそーだ。
訓練など随分無茶やった長官だったが、従兵には非常に優しく、海軍の
古きよき時代を満喫した兵隊時代だったらしい。
465名無し三等兵:03/06/28 16:11 ID:PC+vxbLF
うちの爺さんは、満州の重砲連隊にいたそうです。よく
三角法の話を交えながら、大砲の打ち方を聞かされます。
 この間聞いた話は、大砲を馬ではなく13トンの牽引車で
引っ張っていったとのことで、当時としては珍しいことだったと
いっています。
466名無し三等兵:03/06/28 16:56 ID:hN2bk0sm
大学病院で隣のベッドにいたお爺さんから聞いた話。
徴兵されたとき、海軍でロシア近くの海を守る部隊に配属されたそうだ。
ご存知のように、あのあたりの海は落ちたら心臓麻痺で死んでしまう。
南方みたいに物につかまって何時間も漂流できない。
死ぬことを覚悟したそうだ。ところが実際には運良く(?)南方へ送られた人は
皆、アメリカ軍に"ボカチン"(沈没?)され生きて帰ってこなかったそうだ。

467名無し三等兵:03/06/28 17:15 ID:???
中国戦線に出てたらしい。
んで、終戦の報告が来たら「日本が勝った」と思ったらしい。
・・・中国では勝ち戦が続いていたんだなあ、と思った。
468名無し三等兵:03/06/28 17:16 ID:5eV8hH3j
うちのとーちゃんは、兵科士官にもかかわらず、事務畑に紛れ込んで適当にやっていました。
戦争中は、死ぬなんて考えたことなかったけど、戦後、戦犯容疑で進駐軍に引っ張られて「死ぬ!」と思ったそうです。
469名無し三等兵:03/06/28 17:26 ID:JDVZeaQG
俺の母方の爺さんは、戦時中は会津城の守備隊だったと言ってたな。
あ、父方の爺さんは親父と一緒に室蘭で艦砲射撃を喰らったらしい。
親父の実家には大叔父だか曾爺さんだかの遺影(陸軍)があったな。
嫁さんの父方の爺さんは満州にいて、シベリアに抑留されていたそうだ。

もうほとんど戦中を体験した人は残っていないな。
470469:03/06/28 17:36 ID:JDVZeaQG
追加
たった今思い出した。
末期に予科練に入っていた学校の先生がいた。
千歳基地に配属されていて、何でも全機体のエンジン音を聞き分けられたそうで、
ある日異音に驚き飛び出したら「富嶽」だったんだそうだ。

撃墜した米軍機の燃料タンクに12.7mm機関砲を何発か打ち込んでみても全然漏れが無く、
日本の燃料タンクは拳銃で撃ったらチョーっと漏れが出て嫌になったそうだ。

もう少し戦争が長引いていたら確実に特攻隊に行く事が決まっており、
上官から「お前なら確実に敵艦に当たる」と褒められる位飛行が上手だったそうだ。
471名無し三等兵:03/06/28 18:28 ID:GrPtK2Iq
>>438
異常に早い昇進速度だな。入隊前の前歴は?11ヶ月弱で二等兵から上等兵に進級
するのは通常ではありえない。前職が重要になる。上等兵で憲兵に合格する学力
からして、高等教育を受けているようだが、除隊後に憲兵試験を受けたのか?現役
以外で憲兵任用していた証拠にもなるし、非常に興味深い履歴であることは間違いない。
472ぴーす:03/06/28 19:24 ID:6JuHtDiZ
俺とは多分他人だけど台湾総督府営林所の履歴書を公開します。

(位動爵 博士) 陸軍歩兵少尉正八位 (氏名) 北川均 (府県族籍) 石川県士族

明治三九年生

(経歴) 昭和四年 台湾総督府台北高等商業学校卒業
昭和四年 台湾総督府営林所勤務、月俸八五円、宿舎料二十円給わる
昭和八年 陸軍歩兵少尉に任ぜられる

故人だから名前出してOKですよね?
473名無し三等兵:03/06/28 19:26 ID:???
>>470
>ある日異音に驚き飛び出したら「富嶽」だったんだそうだ。

なんでやねん。
4746:03/06/28 19:26 ID:T8bOppgf

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475名無し三等兵:03/06/28 22:41 ID:KtLxOqO/
うちは父方、母方とも実家は北海道です。
うちの母方の祖父は大戦末期に徴兵され、陸路で函館まで移動しました。
しかし輸送船の手配がつかないため本州に渡れず、仕方なくそこで援農作業に
従事しているうちに終戦を迎えました。あのままあと3ヶ月ほど戦争が長引いたら
多分南方戦線に送られ戦死していただろうと言っていました。

うちの父の一番上の兄は、釧路で高射砲部隊に所属していました。B−29との
交戦経験もあるそうで、正月に親戚が集まった時など、1機撃墜したぞとよく自慢
していました。しかし当時の高射砲の性能を考えると、いまいちエンジントラブルとかで
落ちた可能性の方が高いような気がするのですが。そもそも飛行時間や建造物
密集度の都合上、北海道はB−29の戦略爆撃ではなく、もっぱら艦載機主体による
ピンポイント攻撃だったということを後日知りました。しかしそれを言うと伯父が気を
悪くするので撃墜したことにしています。

父の2番目の兄は少年兵だったとか。たまたま南方戦線志願者を募った時、伯父は
志願しなかったのですが(ヘタレとか言うな)、その時志願した連中は全員戦死したそうです。

しかし今考えてみると、ウチって父方母方ともあの戦争で誰も死んでいないな。戦死者は
もとより空襲で死んだ人もいないし。
476名無し三等兵:03/06/28 22:47 ID:Raem8loj
漏れのじいちゃん、内地で終戦を迎えた上等兵だったんだが、
何か軍需物資を持って帰るのが当り前だったのに、
何にも持って帰らなかったため、ばあちゃんにさんざコケにされたそうな。

「嫁は選ばにゃいかんぞ」と、孫の漏れにしみじみ・・・。
477名無し三等兵:03/06/28 23:03 ID:???
母方の親戚
終戦後、近所の谷田部航空隊に手ぶらで出かけていき
碇のマークつきっぱなしの軍用トラックに、物資山ほど積んで帰ってきた
中には拳銃・機関銃や弾薬、飛行機の部品まで混じってたそうな
478名無し三等兵:03/06/28 23:12 ID:xvmy8Ntf
うちのじいさんは歩兵第28連隊で現役でノモンハン事変に参加。
大東亜戦争中は桶川にて防衛任務に当たる。
当方実家北海道、東京在住
479名無し三等兵:03/06/28 23:21 ID:0CBwLjeh
うちのじーちゃんは砲兵でシナにおったと言ってます。
馬に乗って大砲引っ張ってたらしいでつ
480名無し三等兵:03/06/29 00:19 ID:IZQTkS6G
亡くなった祖母の話
終戦の前の年の夏、製鉄所を狙いに来たB29に日本の飛行機が体当たり、
おまけに後のB29にも当たって、2機共墜落したのを見て地上で大騒ぎ、
防空壕の上で隣組の人達と万歳・万歳の連呼したそう。銀色のはねが
キラキラ舞い落ちてすごく綺麗だったそうです。
うちのばあちゃん、奇しくも飛行第4戦隊野辺軍曹機・折尾上空体当たり
の目撃者。しかし、万歳って・・20人程の命が失われた瞬間なんだぞ・・
まぁ・・当時はそんなもんかな・・・
481名無し三等兵:03/06/29 01:48 ID:wmQL5BVu
Hなサイトを発見したでつよ。ここ、すごい。
http://plaza16.mbn.or.jp/~satchel/omanko_marumie/
美少女のワレメ…(*´∀`*)ハァハァ
美人お姉さんのオマ○コ…(*´Д`*)ハァハァ
482名無し三等兵:03/06/29 01:55 ID:???
>>480
万歳連呼ってのは人命が失われたことを考えれば不謹慎に思えるけども、もしその
パイロットがそうしなければそれ以上の人間が死んでいたかもしれない、しかもそれは
自分だったかもしれない、ってことを考えれば、一命と引き換えに助けてくれた
相手に対し、とにかく何かの行動をしたかった、という気持はうなずけるものがある。
483名無し三等兵:03/06/29 02:26 ID:???
>>447
それ本当に金正日の父親の金日成かなあ?
「金日成」ってのは、朝鮮族出身の活動家達のリーダーが、代々襲名
してきた名前だという話。
昔から金正日の父親の功績とされてきた事も、新事実として後から
わかったとされる事も、みんな金日成を名乗った複数の人間がやった事
というのが、事実らしいぞ。
484名無し三等兵:03/06/29 02:34 ID:???
シベリアに抑留された人の中にはロスケに媚うった事を孫に自慢するバカもいるんだな
そんな奴からいったいどんなバカな孫が出来ることやら…
485:03/06/29 02:58 ID:0lBTB7wr
おっさんなので、父の話。
父は鉄道省の学生だったが、卒業を一年繰り上げされて召集された。
よく、モウ一年若ければ学徒動員だったな、と言っていた。
出兵先はニューギニア。 学卒だが下士官は辞退したと言っていたので、
えらくは無かったと思います。 なぜ辞退?と聞いたら「兵隊になる為に高専出たわけじゃない」
といっていました。
 そのニューギニアでの話。 あんまり腹が減ったので、仲間2人と共謀して現地人の畑から
芋を盗み出して食べちゃったのです。 すると翌日、現地の村長が隊長さんに抗議に
やってきて、怒られてしまったそうです。
 父曰く、「しかし不思議だ。なぜ俺たちが盗んだとばれたのだろう? あいつら夜目がきくのか?」
すると母が、「あなた、芋を煮て食べたのでしょう? そりゃあ、匂いでばれますわよ」
40年ぶりに謎がとけた、と当時の父は喜んでおりました。
 しかし、40年も悩む問題じゃないぜ、おとうさん。
486名無し三等兵:03/06/29 05:22 ID:???
祖父じゃなくて曽祖父の話はどうかな?
もちろん直接逢った事はないんだが。
砲兵第八連隊所属で、奉天会戦、第一次旅順砲撃、第二次旅順砲撃、二〇三高地砲撃に
参加したと記された従軍記が実家にあるです。
うちの地元(当時の村)で発行した当村出身の兵の出征時の記念写真集も出てきました。
全員明治一九年制定の紺絨服着用です。
487469:03/06/29 07:32 ID:hWGFqcSD
>>473
んー、聞きなれないエンジン音が響いてきて、
機種確認の為に外に飛び出した、と言ってた。
と記憶している。
488名無し三等兵:03/06/29 08:33 ID:CEDoEUsq
>>477 うちの奴らもやったらしい。イラクのこと笑えんなと思った。
489名無し三等兵:03/06/29 09:15 ID:???
うおー、今日は大漁ですね。
みなさん、良い話をありがとうございます。

>>483
447に書いた中国系ソ連兵士を率いていたのは、
国家主席の金日成ですよ。
ペレストロイカで公開になった資料からです。
まさか、北朝鮮が金日成がソ連軍大尉だったとは教えないでしょ。
これが今のところ、一番信憑性の高い金日成の出身ですね。
490名無し三等兵:03/06/29 12:14 ID:5lZLbcBy
>>489
金日成は、朝鮮に帰還?した際には、年齢は30そこそこだった。
おまけに朝鮮語がへたくそでロクに話せなかったそうだ。
戦前から軍を率いていたなら、幾らなんでも20代の若造がやるのも限度がある。
31独立運動の指導者、金日成を扮するには、少なくとも40や50は越えてないと無理。

満州で戦った金日成を北朝鮮の元首領金日成のことだと言うには、少々無理があるが
もっとも朝鮮に帰還した際も、朝鮮人民から口々に偽物と呼ばれたから。
もともと無理があったが
491名無し三等兵:03/06/29 13:02 ID:???
>>490
>満州で戦った金日成を北朝鮮の元首領金日成のことだと言うには、
>少々無理があるが

いや、簡単ですよ。ぜんぜん無理は無いです。
ソ連がソ連軍人の金日成にソ連正規軍を率いて、
満州国内でゲリラ活動せよと指示したのですよ。
この指示されたのが後の金日成と。
ここまでは証言がある様子です。

んで、ここは憶測だけど、
後の金日成は非合法活動をしていたので
「俺はソ連軍人だ」とは言えない。
従って、独立の闘志の金日成と名乗ったのではないでしょうか。
従って、満州で独立運動をしていたのが金日成というのは
何処にも無理は無いですよね?
こんな感じです。

このあたりの説ですね。
http://www.google.co.jp/search?q=cache:0xUpkoysn2oJ:www.kakyonet.com/daido.information.5.htm+%E9%87%91%E6%97%A5%E6%88%90%E3%80%80%E3%82%BD%E9%80%A3%E3%80%80%E6%BA%80%E5%B7%9E&hl=ja&ie=UTF-8
492名無し三等兵:03/06/29 14:40 ID:7SFT3Xhl
>>486
8連隊って旅順にいたの?
第4師団は第2軍じゃなかった?

後備第8連隊は第3軍みたいだけど
493名無し三等兵:03/06/30 03:32 ID:???
俺のじいさんは弱視で徴兵されなかったそうです。
発明家だったらしく、自転車にエンジン積んだりしてたそうな。
(あまり人の役に立つ発明(?)はしなかったらしい)
奇人として名を馳せたが、津波にさらわれてアボン
494名無し三等兵:03/06/30 04:24 ID:???
>>493
>津波にさらわれてアボン

うーむ、津波ですか・・・。
御気の毒に。
ちなみに、エジソンも電球を開発するまではただの変人でしたよ。
いい年ぶっこいて、納屋に篭って、家族に食わせてもらっていたそうです。
現に、エジソンの特許は4000だか、4万だかに及びますが、
そのほとんどの発明は意味無いものだそうです。
ですから、おじいさんが特に発明家として
おかしかったと言う訳では無いです。

そういえば、イギリスの知り合いが、
サイドカー付きバイクを改造して、サイドカーから操縦出来るようにして、
無人バイクを作っていました。
アホですけど、発明家ってこんなものです。
495名無し三等兵:03/06/30 22:16 ID:xEAwUPxu
私の祖父は造船工でね。
木造船を作っていた。
戦時中は物資の輸送手段が船しかなかったからな
(ほとんどがアメリカに撃沈されたけど)
その関係で徴兵は免除されたよ。
496名無し三等兵:03/07/01 11:31 ID:4+9iWFSo
自分の祖父は、近衛兵だったらしいが、インパール作戦に参加したそうな。
よくわからないのだが、近衛兵って前線にいくものなのだろうか。
誰か詳しいことを教えてください。
祖父は生きて帰ってきたけど戦争の話はしたがらなかったので。
497名無し三等兵:03/07/01 11:39 ID:XnTYooHF
洩れの婆ちゃんの爺ちゃんは浦賀まで黒船見物に行ったらしい
沖でドカンドカン大砲ぶっ放していて(威嚇射撃?)その音にめちゃめちゃ
びびって、この国はヤバイって心配になったってさ。

洩れは婆ちゃんからこの話を聞きますた
ちなみに婆ちゃんはペリーを『ぺるりん』って呼んでいますた
498名無し三等兵:03/07/01 11:47 ID:???
うちの爺さんは瑞鶴のゼロ戦の整備兵で
珊瑚海海戦のときのはしを小さいころ聞いたことがある

翔鶴隊の飛行機もきたために収容しきれず
ほんの少しの破損があるだけの飛行機でも「すてろーー!」って叫びながら
海中投棄したてみたい

当時はふーんと思っていたが
歴史的な珊瑚海海戦に自分の祖父が参加していたと思うだけで興奮する・・・
499名無し三等兵:03/07/01 11:54 ID:eXgWv1T6
>>493
数奇な人生でつね
500名無し三等兵:03/07/01 18:18 ID:???
うちの爺さんは戦地で自分の上官を「敵前逃亡罪」で撃ち殺したらしい
一等自営業先生の「某佐藤」に似た外見だったらしい
「こういう厳つくて、部下を部下と思ってない奴に限ってろくな死にかたをしない
もんだよ
 ヒャハハハハハハ」
と、死ぬ前にいってた
501名無し三等兵:03/07/01 20:14 ID:2AgeyNcg
うちの死んだ爺さん。横鎮に兵隊にとられました。
訓練後に鴻に信号兵で配属。揚子江で頑張ってたらしい。
あっちの戦闘機、太陽の中から逆落としに突っ込んできて
機銃掃射をするので怖かった、という話をききました。

その後、駆逐艦に乗ってミッドウェイへ。大負けして帰ってきて
体を壊して静養。復帰後、水雷学校?の教官だったらしい。

駆逐艦時代は、信号兵の分際で駆逐隊指令と仕事の上の
ことで散々やりあってたそうで。それでも殴られたことは一度も
なかったとか。ほんとかねぇ。
502名無し三等兵:03/07/01 21:58 ID:K2KVAvZr
>>501
駆逐艦は所帯が狭いからのんびりしていて
殴られることもあんまりなかったと聞いたことがある
すぐ沈むから一心同体という気がするし


鬼の山城蛇の長門いっそ赤木で首をくくろうかというようなのが
呉佐世保横須賀ごとに別の艦であったらしいからね
503名無し三等兵:03/07/01 22:06 ID:RMqBZp9D
じいちゃんの兄貴が支那事変で戦死 所属とかは今度きいてみまつ
じいちゃん自体は横須賀あたりの海軍で訓練中に終戦
東京大空襲で遺体処理の応援にいった話よくしてくれます・・・
504名無し三等兵:03/07/01 22:23 ID:SF/Rk6sH
巡洋艦に乗ってレイテ沖海戦に参加しますた。
505名無し三等兵:03/07/01 22:32 ID:UwsLBDaP
うちの爺さまは遺品の写真や手帳を見ると輜重兵だったらしい。
輜重兵って評価が低いと聞いたことがあるけどどうだったの?
506名無し三等兵:03/07/01 22:39 ID:???
うちの祖父は昭和20年5月頃、ルソン島サンタフェで戦死したらしいです。
祖母によるとそういう知らせだけで、遺骨は戻らなかったとのこと。
墓碑には「陸軍伍長」とありますが、戦死後に特進したものなのでしょうか。
507名無し三等兵:03/07/01 23:12 ID:???
ウチの爺さん、戦争の事は聞いても一切語らない人だった。
高知の方に行ってすぐに終戦になり帰ってきたらしいが、
多分何かあったんだろうな・・・。
508名無し三等兵:03/07/01 23:30 ID:UwsLBDaP
親戚の爺さん、朝鮮鉄道で機関助士してた。
軍用の貨物列車は、馬賊に狙われて危険だったらしい。
半島の荒野は広く3、4時間走っても景色が変わらなかったそうだ。
俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。
509名無し三等兵:03/07/01 23:40 ID:???
>>502
>すぐ沈むから一心同体という気がするし

この理由が泣けます・・・・。
510名無し三等兵:03/07/01 23:41 ID:???
>>508
>俺が私鉄の運転士になったとき当時使ってた点検ハンマーをくれたよ。

ええもん貰ったね。
511名無し三等兵:03/07/02 00:31 ID:???
>>507
高知出身なんだけど住吉海岸ってとこに当時震洋の基地が在って
終戦間際に謎の爆発事故で多くの隊員が亡くなってる。
もしやそれと何か関係が…

しかし、みんな貴重な体験談ばっかりだな・・
うちのじぃちゃんはラッパの意味の覚え方や、うんこ我慢する方法とか
あと食い物関係の話ばっかりだw
512506:03/07/02 00:44 ID:???
うちも高知です。と言っても
戦死した祖父は善通寺に配属されていたらしいですが。
513名無し三等兵:03/07/02 01:00 ID:???
うちの爺ちゃんは軍需工場の事故で片目潰して、おかげで戦地には行かなかったが。
人間万事塞翁が馬っての?

何を作ってたかは聞かなかったなあ。
514名無し三等兵:03/07/02 13:16 ID:???
怖くて苦手だったマイジーちゃん。
死後、親(満州生まれ)からジーさんの満州でやっていたことを聞いた。

満鉄の職員で、整備などをやっていたらしい。
戦後帰国の混乱の中で、馬賊狩りをしたり、されたり。
なんて話も聞いた。

戦中は、兄弟で近所のロシア人の家にボルシチの作り方習ったり、
中国人の家で餃子の作り方習ったり。
なんてほのぼのとした生活をしてたそうで、ギャップが激しいなぁと思ったのを覚えてる。

もっと話しきいときゃよかったなぁと、いまは後悔している。
515名無し三等兵:03/07/02 19:09 ID:???
うちの爺ちゃんも満鉄職員だったよ。
でも、爺ちゃんはあんまり戦争中のことは話そうとしないので、婆ちゃんに聞いた話。

満州から引き揚げるときの話。
満鉄職員とその家族が優先的に乗車できる引き揚げ用列車があるということで、
住んでいるところから遠い町にある駅まで行くことになった。

まだ若かった婆ちゃんは髪を切り、男装をして爺ちゃんと一緒に歩いていったそうだ。
ソ連兵は女と見るや……と言われていたからね。

で、駅に向かう途中、二人は運が悪いことに、
「ダワイ!」と、二人組みのソ連兵に呼び止められてしまった。

「ああ、乱暴される」と婆ちゃんは思ったそうだが、
なんと、そのソ連兵たちは婆ちゃんには見向きもせず、爺ちゃんを連行していってしまった。
「もうこれで今生の別れ」と思ったが、どうしようもない。婆ちゃんは駅へと向かった。

駅へついたが、列車はまだ来ていない。
仕方なく、そこで夜を明かし、そして翌日。

なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!

話を聞いたところ、ソ連兵の兵舎へ連れて行かれ、彼らの服の『洗濯』をさせられたのだという。
しかも、それが終わると二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
釈放されたのだと言うことです。

ソ連兵よ、洗濯ぐらい自分で出来なかったのかね?
以来、爺ちゃんは自分で洗濯したことが無いそうです。
516名無し三等兵:03/07/02 20:44 ID:???
>なんと爺ちゃんが両手にバケツを提げて、生きて駅へとやってきた!
何かワラタ
517名無し三等兵:03/07/02 21:01 ID:???
>>515
少々不謹慎な想像ですが、もしやそのソ連兵は男色家だったのでは。
いくら変装したところで、お婆さまが女性であることは見破られてたような気がします。
(本当に変装が気付かれてなくて男手が必要なのであれば、二人とも連れて行かれたでしょうし)
お爺さまは洗濯もさせられたのかもしれませんが、別なこともさせられたのかもしれません。
それ故、以後、それを思い出すような洗濯を二度としたくなかったのかもしれません。
518508:03/07/02 22:24 ID:0z3GVzV3
>>510
>ええもん貰ったね。

うん、ほんとにそう思うよ。
いまの運転士は打音検査はしないのでハンマーは使わんのだけど
なんか鉄道員としてのスピリッツを貰った気がする。
ちょっとスレちがいかも、スマソ。
519名無し三等兵:03/07/02 22:27 ID:???
>>517
深読みしすぎだろう。
520名無し4等兵:03/07/02 22:29 ID:i4oDJn1g
神風特攻隊になって突っ込もうとしたのだが
あまりにも燃料が少なくて海に墜落→生還。
521名無し三等兵:03/07/02 22:37 ID:???
>>517
俺もそう思ったw 回教徒は自由だもんね。
きっとソ連兵の体のいろいろな所を洗濯させられ、かつお返しに自分も
トラウマになるほどいろいろ洗濯されたんでしょうな。

>二つの大きなバケツに一杯のバターを入れたものを貰って、
ものすごいテクだったようだw
522名無し三等兵:03/07/02 22:40 ID:???
>>517.521
オマエラ、深読みしすぎ。
そこらへんの事をつっこむと疑心暗鬼になるから止めてくれ。
そういう経験をした人もいるかもしれんが、
そんな話聞いても嫌な気持ちしかせんからね。

・・・と、けど、そんな事が本当にあったなら話さないか。
523名無し三等兵:03/07/02 22:45 ID:???
>>514
自分の父方も満州帰りですが、
話ではほのぼのに聞こえるかもしれないが、
当時も結構大変だったみたいだよ。
確かに、父の話す、ロシア人の子供と石のなげっこしていたと言う話や、
ロシアの女の子はそこらへんで小便する話などを聞くと
ほのぼのした感じだけど、
ばあさんが腸チブスで死にかかって、死ぬのを待っていた話や、
(腸チブスは死病で、かかったらほぼ助からない)
じいさんは3回ロシア人の強盗に入られた話などを聞くと、
やはり死と隣合わせと言う部分があったと思う。
524名無し三等兵:03/07/02 22:45 ID:???
ちなみに、523はハルピンでの話です。
525名無し三等兵:03/07/02 23:12 ID:QOHPiBOn
>>505
有名な歌で
輜重兵が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち

推してしるべし
526名無し三等兵:03/07/02 23:51 ID:sp1SuCnB
俺の親父、所沢で戦闘機の整備兵をやってた。
あまりに腹が減るので近くの畑から芋を盗んで、航空燃料で炊いて食べたとか。
落花生は畑に手を突っ込んで、生のまま食べたそうだ。皆は下痢を
したが自分は平気だったとか。お百姓さんにはよく軍に怒鳴りこまれたそうだ。
それでも腹が減ったときは、農家の前にただ立ってたら、芋とかを
めぐんでくれたそうだ。
東京大空襲の時は地平線が真っ赤だったそうだ。これで戦争も終わると
思ってほっとしたそうだ。
おばあさんは、近くの町が綺麗にひかったので綺麗な花火だと思ったそうだ。
お爺さんに"たわけ あれは空襲じゃ"と諭されたとか。
今も昔も米軍は強すぎる。イラクの人々も当時の日本人と同じ気持ちであったに
違いない。ただ日本人はすぐにアメリカ万歳だったけど、あそこは
"目には目を"の国だからなあ・・・
527名無し三等兵:03/07/03 00:01 ID:rBgo9mW6
>>525
結局その考えが国の命取りになった。

528名無し三等兵:03/07/03 00:18 ID:???
>>526
ウチの場合は百姓なので逆。
兵隊さんに食事をもてなしたことがある、
とお婆ちゃんが言ってた。
529526:03/07/03 00:31 ID:7oZ2RkAe
親父、訪ねていってお礼をしたいと生前よく言ってたな。
530名無し三等兵:03/07/03 00:34 ID:rBgo9mW6
うちの親戚は兵庫県で歯科医だった。
戦時中(まだ初期のころ)、兵隊さんご苦労さん、と言うことで無料で治療してあげたら
船に呼んでカレーご馳走してくれたそうだ。
531名無し三等兵:03/07/03 00:38 ID:???
>>505
引率役なら外見は騎兵と同じだし、馬に乗っての行軍だからお徳な兵科ですよ。
ただし馬の世話が大変。川辺で歩兵が死んだように休息をとっている傍らで
水を布バケツに汲んできて飲ませ、脚をさすってやらなければいけません。
行軍演習で、行き倒れている歩兵を自動車で拾ってあげるのも仕事ですね。

本当に評価の低いのは輸卒のほう、馬に乗らない随伴の人達のことで
背が低いとか、能力的にちょっと劣る人達が回されたそうです。
532名無し三等兵:03/07/03 00:54 ID:Kric+3Kb
世界がここの住民みたいなヤシだったらな・・。
533名無し三等兵:03/07/03 02:53 ID:???
>>531
>行軍演習で、行き倒れている歩兵を自動車で拾ってあげるのも仕事ですね。

ああ!!どっかのホームページで見た
じいちゃんの戦争体験話で、落伍した人が自動車に乗っていたというのは、
このことでしたか!!
いや、一人で納得です。ありがとうございました。

534名無し三等兵:03/07/08 23:08 ID:VfO//7R8
うちのじーさんが言ってたけど毎日のように風船爆弾が飛んでたのをを見てたって言ってた。
その風船爆弾がいくつ飛んだか数えるとスパイとみなされるらしい。

だれか風船爆弾のネタない?
535名無し三等兵:03/07/08 23:25 ID:???
うちのじいちゃんは、武蔵でおにぎり握ってました。
536名無し三等兵:03/07/09 00:05 ID:EWMihsDS
じいちゃんの知り合いはノモンハンで戦っていた 聞いたところでは日本の対戦車砲は役に立たず 反対に同じ口径のドイツ製のは非常に役に立ったとか じいちゃん自身は訓練中に終戦 家に帰るときにくれた本がノモンハンの夏 よっぽど気にしてたんだろう 
537名無し三等兵:03/07/09 00:06 ID:EWMihsDS
続き またじいちゃんの話じゃ戦後ウランをつんだドイツの潜水艦と接触しようとしたが失敗 これが成功したら日本も原爆ができたという噂を戦後まもないころ聞いたそうな
538名無し三等兵:03/07/09 00:08 ID:EWMihsDS
 訂正 続き またじいちゃんの話じゃ戦争中ウランをつんだドイツの潜水艦と接触しようとしたが失敗 これが成功したら日本も原爆ができたという噂を戦後まもないころ聞いたそうな


539名無し三等兵:03/07/09 00:14 ID:???
うちのじいちゃんは中国にいて、
血で染まった川の水で米を炊いて、真っ赤なご飯を食べたそうです。
540名無し三等兵:03/07/09 12:19 ID:OvXi55E/
>>539
ある意味赤飯だな。


534 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 13:31 ID:???
うちのじい様は満州で衛生兵をしていたそうな、弟が橋から落ちて
怪我をしたときも落ち着いて淡々と手当てをしていた。
戦闘では敵の弾が頭に当たったがその弾が縦に回転しながら当たったため
メットを貫通せず失神ですんだとか、終戦になって「戦争が終わったのに
こんな重いものをいつまでも担いでられるか!」と銃も荷物も川に投げ捨てて
しまったと笑いながら語ってくれた。

酒で酔ったときの口癖は
「霧が降りるように銃を構えるんだ」


535 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 18:30 ID:???
>>534
「霜」じゃないかなぁ?


536 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 20:41 ID:???
>「霧が降りるように銃を構えるんだ」
>「霜」じゃないかなぁ?

これって、どういう意味ですかね?


537 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 20:50 ID:???
「引き金は霜の降る如く」引くと言う格言


538 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 21:18 ID:???
>>537
おお、それは知りませんでした。
サンクスです。
すると、静かに確実に引けと言うような意味でしょうか?



539 :名無し三等兵 :2003/07/05(土) 21:34 ID:???
>>538
要するに「ガク引き」するなということでしょう。
漏れは「暁に霜が降りるが如く…」と記憶している。

− − −
手持ち分は以上です。
543名無し三等兵:03/07/10 00:26 ID:???
うちの爺さん、海軍信号兵。
国からの支給品である紋付き時計を持って、主に時間を知らせる役割。他にも色々。
で、その時計は紋が付いてるおかげで、何があっても上官から時間について
文句を言われる事がなかった。そこで、爺さんのした事。
○気に入らない上官の休み時間を減らす。
○気に入らない奴の起床時間を30分遅く知らせる(遅刻で上官から大目玉)
○仲間の休み時間を増やす。

せこい。下らない上に、せこすぎる…・゚・(ノД`)・゚・
ってか、お前は本当に戦争に行ったのかと疑いたくなるような馬鹿話まで
何時間にも及び話してくれた。全てにおいて…呆れた…

そんな爺さん、とりあえずビックリした事は一緒の船に乗った高知の兵士。
「酒を呑む量が凄いんだよ…ついていけない。宴会の夜は見張り台に逃げた。」
544名無し三等兵:03/07/10 01:18 ID:???
>>543
そ、そんな役職があったんですね・・・。
知らなかった。
ある意味、貴重な話でした。
ありがとうございます。
545名無し三等兵:03/07/10 21:52 ID:???
うちのじーちゃん、二次大戦では百式短機の射手だったって言ってたなぁ。
あと、額に敵弾食らったけど、鉄兜の内側をクルっと廻って出ていったおかげで、傷1つ無かったとか。
よっぽど浅い角度で当たったんだろうけど、それで穴が開く鉄兜ってのもなぁ。
一次大戦も、何やったか知らんけど、出兵したらしいし。
ま、死んじゃったし、どこまでほんとだか判りませんが。
546名無し三等兵:03/07/10 23:10 ID:???
うちの母方のじいさん、部隊は聞いてないが海軍陸戦隊で終戦までスマトラにいたみたいで12mm?機銃の弾込めとかやってそうで英軍機一機落としたとか。なんでも4発ずつ装填したとか言ってたがどの機銃だろうか?
547名無し三等兵:03/07/10 23:21 ID:???
ちなみに戦後英軍の捕虜になった後の方が飯とかいろいろ大変だったとかで収容所?の倉庫の歩哨に金(軍票?)渡して盗みに行くのを見て見ないフリしてもらったとか。
548名無し三等兵:03/07/10 23:40 ID:???
>>547
連合軍の捕虜になった後のほうが大変だったという話は珍しいですね。
549名無し三等兵:03/07/10 23:43 ID:???
普通に憲兵隊で憲兵してた。憲兵とは名ばかりで、外見はよわっちいので
いつも小突かれたりしてバカにされてたらしい。ある日、お前は背が低いなw
と、言われ大激怒。軍刀振り回しながら追っかけたらしい。他では、死ぬか生きるかの
戦場でギリギリの状態で生きてるのに、こんな事してたんだな・・・。当時の精工舎の懐中時計
を今でも使ってるが、「俺が死んだらお前にやる。ただし、売ったりするなよ!」時計、いらないからもっと長生きしてくれよじいちゃん!!
550名無し三等兵:03/07/11 01:07 ID:???
>548
配給が少なくてその日の飯がビスケット?少しだけと言うのが結構あったと、なんかシンガポ−ルで始めて中華を喰った飯の話など戦時中は一切その手の心配はなかったと言ってました。単に恵まれてただけかもしれんが…
551名無し三等兵:03/07/11 06:34 ID:???
>>548
スマトラだっけな?
連合軍にスルーされた場所で、自給が出来る場所は
日本軍でも待遇が良かったみたいです。
定期的に爆撃が来るだけで、両方とも本気に戦わないから、
悲惨なことが無く、南方で残された物資も豊富だから、
戦争だかなんだか解らないような部隊もあったみたいです。


552名無し三等兵:03/07/11 12:12 ID:???
>>546
>なんでも4発ずつ装填したとか
25mm対空機関砲ではないでしょうか。弾装は5発用ですが1発抜いて4発装填でないと調子悪かったそうです。
553名無し三等兵:03/07/11 21:11 ID:P3MeTEgA
祖父ではないのですが、祖父の弟さんの話。
何でも千葉のほうの部隊にいたのだが、敗戦の当日、休暇?をもらって実家に帰っていた。
そこに玉音放送があり、慌てて原隊に帰ったら、部隊の将兵たちは勝手に帰郷してしまい、
兵舎はもぬけの殻。部隊の倉庫には、新品の毛布その他多数の資材があったのだが、
それらは先に帰った兵隊たちがみな持ち帰ってしまい、全く無し。仕方なく、僅かに残った
ヨレヨレの毛布を手土産に家路に着いたそうだ。私の親父は子供の頃、その星のマーク
のついた毛布を使って寝たと教えてくれた。
554名無し三等兵:03/07/11 21:35 ID:???
おれのじーさんはぁー
ノモンハンでモンゴル人に捕まってー
ロシア兵の弾除けになってー
そいでドイツ兵の捕虜から戦車兵になってー
最後はカレー屋…(PAM!)
555名無し三等兵:03/07/11 22:07 ID:???
>>525
俺が聞いたのは

輜重輸卒が兵隊ならば 蝶々蜻蛉も鳥のうち

たいして変わらんか
556名無し三等兵:03/07/11 22:56 ID:???
自分の祖父は満州でアメリカ軍の捕虜になったそうです
ミルク粥の味もそこで覚えたとか言ってました
祖母は原爆のキノコグモと陸奥の爆発炎を見たそうです
557名無し三等兵:03/07/11 23:01 ID:6KA2b8U5
うちのじいちゃんは比島に出征していたそうです.
戦争が始まって召集され,二等兵から軍曹まで出世したらしいです.
終戦間近のとき米軍との交戦で足を撃ちに抜かれ,
復員したとのこと.いまも健在ですが,当時の粗悪な手術のため
いまでも足が痛いと言ってました.
558534 :03/07/11 23:46 ID:W9yLP+MP
>>553
歩兵第五十七連隊?
ひいじいさんがそこだった。
千葉って言ってもたくさんの連隊があるのかな。
歩兵第五十七連隊は佐倉にあったらしいですが。

ちなみにうちのひいじいさんは千葉県のどっかで竹槍を教えてたらしい(w
559553:03/07/12 15:39 ID:V+pUHJ8z
>>558
申し訳ないがどこの部隊かまでは・・・一口に千葉といってもたくさんありますしね。
ご本人に伺えればいいのでしょうが、話題的に気軽に聞ける話でもないし。
560名無し三等兵:03/07/12 19:40 ID:xjN8ubpY
祖父でも祖母でもなくてスマヌが、漏れの母方の伯母は、中島飛行機の大宮製作所に
動員されていた事があると言ってた。
ついでに言うと漏れの母親は、姉に背負われて防空壕へ飛び込んだ事がある。
終戦当時四歳なのだが、母に言わせると、「夜空を飛ぶ銀色のB29の姿を
はっきり覚えている」のだそうだ。
561名無し三等兵:03/07/12 21:20 ID:???
漏れの婆ちゃんも「銀色でピカピカな飛行機が名古屋の方へ飛んで行ったのを覚えとる」と言ってますた。
やっぱり結構目立つものなんですね。
562名無し三等兵:03/07/12 23:53 ID:qNgdEfQw
うちのじいさまは,満州でかなり羽振りがよかったそうです。
でも,徴兵で穴掘る仕事(工兵?)やらされてました。
終戦の時,ソ連に連行される途中,逃げたそうです,後ろから機関銃で撃ちまくられたそうですが何とか逃げました。
でも,捜索が執拗だったらしいです。
そのときかくまってくれたのが羽振りのよかった頃に雇ってた従業員の中国の方々。
うちのばあさまが面倒見がよくてそれに恩を感じていた人たちがかくまってくれて無事逃れました。
終戦の時に中国人が日本人に対して・・・なんてのはよく聞きますがそれだけじゃないと思いました。
普段,ちゃんとした関係をもっとけば中国の人もしっかりとわかってくれると言うことだと思います。
じいさまは,7年前の終戦の日に大往生しました。
563名無し三等兵:03/07/13 04:45 ID:???
>>562
なんか、うちのじいさんの話とまったく一緒だ。
羽振りがよかったと言うところを除いて。

よろしかったら、前々スレと前前々スレに詳しく書いたので
見てみてください。
役所に勤めていて、土木工事の監督をしていたじいさんです。
564名無し三等兵:03/07/13 21:02 ID:rlrVDlYV
>>563
申し訳ない。前々スレと前前々スレの見方教えて。
お仕事がちょっと違いますね。建設会社を経営してました。
ちなみに吉林でした。
565名無し三等兵:03/07/13 21:07 ID:DAoEnCwP
うちの爺さんは上海事変に逝ったと婆ちゃんに聞いたことがある
勲章があるからたぶん本当だと思う
何日も川の中?にいて大変だったと逝っていた
566名無し三等兵:03/07/13 21:11 ID:z5Sq9a0G
>>562
中国人といっても民族思想色々だから。
避難民の日本人の子供を預かって立派に育てた
人達が大勢いるじゃないか。
567名無し三等兵:03/07/13 21:13 ID:???
>>566
まぁ日本人でも自分の子供殺す香具師もいれば
他人の子供でも引き取って育てる香具師もいるしな
568名無し三等兵:03/07/13 21:42 ID:rlrVDlYV
>>566
そうですね。
逆の話もいろいろ聞かされたもんで・・・表現がちょっと悪かったかな?
あの人たちのおかげで今の自分もあるんだと,母親からもよく言われました。
569名無し三等兵:03/07/13 21:43 ID:???
>>562-568
ソコ「あかはた」が喜びそうな話だな。
570名無し三等兵:03/07/13 21:47 ID:rlrVDlYV
>>562
なんだおまえ?
やめとけよ,そう言う話じゃないだろ。
いちいちそんなくだらないレスつけんな。
571名無し三等兵:03/07/13 21:48 ID:z5Sq9a0G
>>569
思想とは関係のない人間としての話です。
572569:03/07/13 21:52 ID:???
俺は感動したよ、本当に良い話だとおもう。
モニターの前でいま涙が止まらない。

だから「あかはた」と「運命のダダダダーン」に投稿しますた。
採用されたらみんなで鍋でも食おう。
573名無し三等兵:03/07/13 22:12 ID:???
最後に来るのは人、なんだろうね。
574名無し三等兵:03/07/13 22:39 ID:???
>>569
まぁ中国人でも自分の子供殺して食う香具師もいれば
敵民族の子供でも育てる香具師もいる支那
575名無し三等兵:03/07/13 23:03 ID:???
>>574
だから〜敵民族じゃないだろ。民族問題と国家問題とは別だよ。
576名無し三等兵:03/07/13 23:25 ID:???
日本、中国。之同志的亜細亜民族。ok?
577名無し三等兵:03/07/14 03:28 ID:???
>>564
ちょっと待ってくださいね。
時間があるときに探しますです。
ウチはどこかの開拓団で、
戦後はハルピンで帰還までの間暮らしたそうです。
じいさんは役人でしたが、本土の三倍稼げたそうです。
しかし、ばあちゃんが本土に送金せずに、そのお金は没収となりましたが。
578名無し三等兵:03/07/14 20:06 ID:???
知り合いの父の話ですが・・・
その人は海兵出身の中尉で、陸戦隊に所属し
メレヨン島で終戦を迎え、終戦後直ぐに救援船が来て復員されたそうです。
メレヨンって米軍の飛び石作戦の為、上陸は無く飢餓の島だったそうです。
579名無し三等兵:03/07/14 21:38 ID:aVpTwFaA
うちの爺さんは中国戦線に出征。戦争末期食うものに困って連隊長だか大隊長の
馬を仲間と食ってしまったらしい。でも上の人も理解していてくれたらしくばれ
てもなにも言われなかったらしい。

ところでどっかで、徴兵されたら特技は「算盤」若しくは「書道」と答えろとい
うのを聞いたことがある。
580名無し三等兵:03/07/14 21:45 ID:rQj30vTp
http://my.dk-net.to/?id=propellant
日韓基本条約で、俺、日本が賠償しているもんだと思ってた・・・ヤバイ・・・
581名無し三等兵:03/07/14 22:28 ID:???
賠償って言葉は戦争しないと発生しないよ。
しかも、日本は韓国に残した残留財産があまりにも多いので
賠償ってことになると、日本が韓国にしてもらわないとならなくなる。
582名無し三等兵:03/07/14 22:33 ID:???
>>579
>ところでどっかで、徴兵されたら特技は「算盤」若しくは「書道」と答えろとい

これって、会計係りになれるから、前線に出なくて済むと言う事では?
うーん、醤油一リットル飲めば
徴兵検査に落ちるとかそういう類のものでしょう。
やはり、戦争に行きたいやつなんていないと言う事ですか。
583名無し三等兵:03/07/15 10:45 ID:du8d9Dlo
>>582
日中戦争の頃まで、徴兵よけの神仏祈願があったらしいしね
584名無し三等兵:03/07/15 19:48 ID:???
優良スレサルベージ
585名無し三等兵:03/07/15 21:25 ID:???
>>582
うちの祖父の兄は前線から早く帰りたくて醤油はガブ飲みするわベッドの下の埃は吸うわ
ありとあらゆる手段を使ったが全く病気にならずに終戦まで南方にいた

それに対し祖父は戦争で生き残る気は全くなかった生粋の職業軍人で陸軍の戦闘機パイロットだったけど
南方に進出したと同時にあっさり病気になって内地送還

人の運命はわからんもんだね
586名無し三等兵:03/07/16 02:06 ID:2Y+38hU4
うちのお爺さんはたしか30人くらいの部隊で軍曹だったらしい。
フィリピンの山で作戦活動中アメリカ軍の迫撃砲の破片が太ももに刺さった。
週週間すると太ももの傷が膿んできて歩けなくなった。
戦友に肩かしてもらいながら命からがらさまよっていたが、
ある日、数百人をいうアメリカ兵にばったり遭遇
そして捕虜になった。でもアメリカの軍医が太ももの傷の手術してくれた。
アメリカ兵の日本捕虜の扱いは日本兵のアメリカ兵捕虜の扱いより良かったらしい。

でもノルマンディーなどで降伏したドイツ兵捕虜は数十万人に対しては
機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?


587名無し三等兵:03/07/16 02:49 ID:???
刀の研ぎや写真が特技だと、連隊本部付になれることが多かった
588名無し三等兵:03/07/16 05:06 ID:???
>>586
それは運が良かったね。

>機関銃で殺し処分した・・・なぜだろう?

その話の真偽はしりませんが、戦争ってそういうものですよ。
日本人が殺されたケースもあれますし、
日本がアメリカ人を殺したケースもあります。
589名無し三等兵:03/07/16 12:31 ID:???
祖父さんじゃないけど、親父の知り合いの爺さんが敗戦後満州から
逃げてきた時に、母ちゃんがロシア兵に連れて行かれて、妹と2人きり
になって、そのまま妹を中国人に売り渡して自分だけ日本に逃げて来た
って人がいる。 その爺さんTVで残留孤児の話題が出る度にいたたまれ
なくて、TV消して布団に潜り込んじゃうらしい・・・・ 
590名無し三等兵:03/07/16 12:46 ID:???
>>589

涙涙涙・・・

591名無し三等兵:03/07/16 16:02 ID:???
父方のじい様は、中国出兵。
通信部隊でケーブル張ってたそうな。
後方部隊なんで、安全かと思ったらしいが、
主力が移動した後の空白地域で周囲を囲まれて一晩動けず。
翌朝移動してきた戦車隊に救われた。
南京にも入って、写真を撮ったらしいが、曾爺さまが燃しちゃったらしい。
その後帰国。
南方に行く事になってたらしいが、病気で行けんかったらしい。
じい様曰く、一緒に行くはずだった部隊は、南方で全滅。
「俺は運が良かった」と親父に言ってたとそうな。
592名無し三等兵:03/07/17 01:40 ID:???
>>589
今聞くと、ひでえ姉だと思えるけど、
当時はそれが一番生き残る確率の大きかった事かも知れませんね。

ちなみに親父はハルピンで、
ばあさんがチブスで死にかかっていて、
じいさんは仕事中でいなくてどこかをフラフラ歩いていたら、
親切なロシア人の家に孤児と間違えられて泊められたそうです。
じいさんが迎えに行って、中国残留孤児にならずに済んだそうです。
そのときに、映画で見るようなバスタブに入れられた事を
うっすら覚えているそうです。
が、じいさんの手記には、ロシア人の家にいたのは叔父だと書いてありました。
どちらの記憶が間違っているかは解りません。

ちなみに、ばあさんは今も元気です。
593伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo :03/07/17 02:29 ID:qK1Nxjbl
以前書き込んだものですが・・・
うちの爺さんは輜重兵です。
でも、大陸に行って戦闘もやったそうですし(ちょっとだけ・・・)、
銃も撃ったことがあるそうです(捕獲兵器ですけど・・・)。

>531,505
うちの爺さんは、馬に乗って移動したって言ってたから引率役なのかな・・・
でも、上官の「前に行くか?」の問いには、「結構です」と答えたらしい。
しかもその意見が取り入れられて、そのときは前には行かなかったらしい。

でも、揚行鎭か、大揚鎭だったと思うけど、守備しているとき(?)に
銃弾が飛んできて、一緒にいた兵士の股の間を弾が通過したとき、
その兵士が腰が抜けてしまって、動けなくなったという話を聞いたことがある・・・

>562
穴掘りは、八丈島でうちの爺さんもやってました。
工兵に限った仕事じゃないと思いますよ。

以下軍隊手帳より・・・

所管 近衛師団宇都宮 〓〓〓〓〓〓
部隊號 近衛輜重兵大隊第二中隊
兵科 輜
官等級 輜 特 上等兵 陸軍兵長(特・上等兵については線で消されている…)
本貫族籍 栃木縣
氏名 戸主***甥 ***
誕生 明治四拾四年拾月弐拾八日生
身長 一米五七糎九粍
特業住所 栃木縣下都賀郡***村大字******番地ノ*
594伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo :03/07/17 02:30 ID:qK1Nxjbl

戰時著装被服大小區分
帽 六號
衣袴 四號
外套 四號
靴 十文七分

服務年期
二年 自六年十二月一日至七年十一月三十日
實役 自七年十月一日至七年十一月二十五日

善行證書
昭和二十年十一月十五日附典

履歴
昭和七年十一月一日現役兵トシテ近衛輜重兵大隊第二中隊ニ入管
十一月二十五日〓休退管
昭和九年簡閲點呼濟
昭和十一年簡閲點呼濟
昭和十五年簡閲點呼濟
595伍長☆ ◆JGSDF.Z0zo :03/07/17 02:31 ID:qK1Nxjbl
出戰務
昭和十二年八月十四日動員下令
(長男で近衛兵になって、出征は無いと思っていたところへの赤紙だったそうだ)
昭和十二年八月二十一〓充員召〓ノ〓近衛師〓渡河材料中隊ニ〓召
昭和十二年八月廿六日近工出発
同月廿八日宇品港出発
九月四日呉淑波止場上陸
同月九日迄〓家宅ニ器材ノ運搬
同日第三師團長ノ令化ニ入ル
(普通はもとから師団について行くそうだが、近衛師団自体は戦争に行かないそうで
三師団に配属になったそうだ。三師団は九州の部隊だったらしい)
自九月九日至同月十二日揚行鎭附近ノ戦闘参加
(敵は準備万端で待ち受けていたらしく、味方の航空爆撃があったそうだ
このときの航空機は、複葉機だったとのこと)
自同月三日至十月二日劉定行及〓家宅附近戦闘参加
自同月三日至同月廿七日大揚鎭附近戦闘参加
(この時には単葉機になっていたらしい。そういう話するところを見ると
航空機の攻撃が多大な戦果を上げていたのだろうか…
この戦いの勝利のあと、国内では提灯行列などがあったとかどうとか…)
自同月廿八日至十一月十一日蘇州〓附近ノ戦闘参加
自同月十二日至同月十六日南翔嘉定附近ノ進撃戦闘参加
自同月十七日至十二月一日常(熱)(無)(金易)附近ノ水上機動戦闘参加
(水上機動戦闘って何って聞いたら、あまりよくわからない返事が返ってきたので
敵が対岸から攻撃してくるのに、無理やり仲間を船で渡すの?
と聞いたら、そんなようなもんだ。といっていた
舟には、銃弾の穴があき味方の血も結構付いていたそうで
最初は気持ち悪いと思ったらしいが、すぐ慣れたといっていた
戦場じゃ気持ち悪いなんて言っていられないとのこと)
自同月二日至同月廿五日鎭江附近ノ渡河並ニ江北追撃戦斗参加
596名無し三等兵:03/07/17 03:13 ID:???
戦争はDQNもしくは鬼や悪魔になってしまうか、ならなくちゃいけ
ないのだろうか・・・
597名無し三等兵:03/07/17 03:36 ID:p5LfBd7F
>善行證書
>昭和二十年十一月十五日附典
8/15以降の記録があるのってどうして?
598名無し三等兵:03/07/17 03:39 ID:???
陸海軍省が廃止されたのは1945年12月1日だから
それまでは省務が続いてますの。

ポツダム昇進なんかもその時期のこと
599名無し三等兵:03/07/17 03:57 ID:???
>>598
そうでしたか、ありがとうございます。
600名無し三等兵:03/07/17 05:40 ID:???
>>593-595
乙でーす。
うーむ、貴重な資料ありがとうございます。
じいさん、末期徴兵と、戦後の混乱でそんなもの持ってないや・・・。
あっ、持っていたら、シベリア送りだから、処分したんだろうな。
601名無し三等兵:03/07/17 11:07 ID:???
うちの近所ジジイが「ワシは宇宙人と戦った!」ってぬかすんで
ボケたかと思ったけど、留学で行ったアメリカでも「私は○▲星人
と戦っている。」って老人がいたんだよ。
やっぱりいるんだよ、宇宙人。
602名無し三等兵:03/07/17 18:56 ID:Mpk3fMNX
第三師団って九州じゃなくて名古屋じゃない?
603名無し三等兵:03/07/18 14:30 ID:???
大陸か台湾で銀輪部隊だったそうな。
604名無し三等兵:03/07/18 14:31 ID:???
>>603
あなたのおじい様の戦争体験を教えて
605名無し三等兵:03/07/23 05:42 ID:hjQVxde4
親戚のじいちゃん(個人)は、銃弾が飛び交う音が一番怖かったって言ってたな。
離れた銃弾は口笛のような高い音で、近い銃弾はスズメバチのような音らしい。
606名無し三等兵:03/07/23 05:44 ID:???
あれれ?また消えた?
補完しておきまする。

606 名前:名無し三等兵 投稿日:03/07/20 19:37 ID:???
戦争体験?

終戦後マッカーサーから青リンゴ2個もらった。


607 名前:名無し三等兵 投稿日:03/07/20 19:49 ID:???
>>606
それ違う板で読んだよ。
607名無し三等兵:03/07/23 05:45 ID:???
>>605
>近い銃弾はスズメバチのような音らしい。

これがどんな音だかよく解らんけど、
じいちゃんの時代には一杯いたんでしょうね。
608名無し三等兵:03/07/23 05:54 ID:nRYFhEyO
☆貴方が見たい娘がイッパイ(^0^)☆
http://endou.kir.jp/yuminet/link.html
http://endou.kir.jp/marimo/link.html
609名無し三等兵:03/07/23 08:58 ID:KJ8ZyQly
祖父じゃなくて伯父ですが。
戦時中に海難事故で死んだ伯父が
士官予備校に在籍していたそうです。

どなたかご存知の方、「士官予備校」が
どんなものか教えていただけませんか。

どうやら、とても優秀な伯父だったようですが、
彼の事故の話そのものが未だに父の世代の
タブーなようで詳しい話をあまり聞いていないのです。
610名無し三等兵:03/07/23 09:53 ID:???
>>609
士官予備校じゃなくて、仕官学校ではないかな?
仕官になる為の教育を受ける学校です。

予科連なんてのも、仕官学校になるかな?
ここにいたいじいちゃんに直接話しを聞いたことあるや。
戦争末期にどうせ徴兵されるならと、予科連に入った。
繰り返しじいさんが言っていたのは、
同期がちょうど下痢をしている時にシゴキを受けて、
それが原因で死んだにもかかわらず、
戦病死扱いになっていたと言う事。
ものすごい怒っていたよ。
この方と言う事は無いですよね?

http://www.st.rim.or.jp/~k-kawano/yokaren/wyokaren.html
611名無し三等兵:03/07/23 14:47 ID:KJ8ZyQly
>610
お返事有難う御座います。
でも、間違いなく士官予備校です。
陸軍には間違いなく有ったようなのですが、
海か陸かは聞いていません。
難易度がとても高かったらしく、また、
士官学校ほど大人数はいなかったようです。

また、ご指摘の方は伯父では有りません。
伯父は海難事故において他の方を助けている
うちに亡くなった、と聞いています。
612名無し三等兵:03/07/23 18:02 ID:???
>>610
予科練は士官養成学校じゃなくて搭乗員養成学校。しかも海軍だし。
>>611
陸軍幼年学校のことを言ってるのか?
あと、甲幹が入る予備士官学校というのもあるが。
613名無し三等兵:03/07/23 22:46 ID:???
>>612
ありがとうございます。
予科連は仕官学校に含みませんか。
海難だから、海軍かなぁと思いました。
614名無し三等兵:03/07/23 23:47 ID:???
>>613
おそらく『海軍予備学生』でしょう。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/yobi-his.htm
615名無し三等兵:03/07/24 01:33 ID:???
皆様、有難う御座います。
伯父が亡くなった時の年齢から行くと(確か10代と聞いています)
幼年学校が該当するのかと思います。何しろ、祖母が「士官予備校」
としか言っていなかったものですから私としてもそれ以上は
判りませんでした。

あと、混乱させてしまいました海難事故の件ですが、
一応ご参考までにかいつまんでご説明します。
当時私の一族(曽祖父、その長男、次男(私の祖父)及びその妻子)
は本土から釜山に移っておりました。そこで祖父は
農水省の地方官僚をしており、なくなった伯父はその長男でした。
(私の父が末子です)本土で件の「学校」で教練を受けておりました
伯父が、曽祖父の葬式のために釜山へ戻り、その帰りの貨物船が
時化で事故を起こした訳です。伯父は泳ぎが達者な人だったので、
泳いで沈みかけている人を引っ張っては船に連れて行く事を
何度か繰り返していた訳ですが、そのうちのおぼれた人が
伯父の後ろからしがみつき、伯父はついにその人に海に引き込まれる
形で日本海に沈んだそうです。
その後の終戦に伴い、私の一族は本土に戻りましたが、
ご多分に漏れず全てを失った上での引き上げになったそうです。

将来を嘱望されていた人間の事故だっただけに、未だに私の家では
この話はあまり語られません。一族の没落の象徴のような事件
でも有るようです。
616名無し三等兵:03/07/24 18:42 ID:GpGxEkNz
浮上させておく
617名無し三等兵:03/07/25 04:57 ID:lXrF9hqn
うちのじさまは史上初の空母対空母の戦闘となった珊瑚海海戦にいたよ。

と言ってもじさまは海軍じゃなく陸軍でポートモレスビー攻略部隊の輸送船
に乗ってた。
ラバウル出港後暫らくして掩護艦隊と合流。遠くから4隻の重巡が近づいて
来るのを見た時は非常に頼もしくて、戦艦が来たと思ったそうだ。

敵艦隊出現の報で輸送船団は一時退避することになり直衛の空母祥鳳は目の前
を飛行機を発艦させながら敵に向っていったそうだ。甲板を蹴った飛行機が
いったん海面近くまで落ちてから何とか飛んでいくのを「ああ、落ちる!」って
ハラハラしながら皆で見送ってたそうだ。

しばらくしてから遠くのほうで雷のような音が聞こえ「雷鳴か?海戦がいよいよ
始ったんだろか?」と話していたそうだが、これが祥鳳の最期だったんだね。

祥鳳はあまり目に見える戦果も上げず最初に撃沈された日本空母となったが
輸送船団を護り抜くという護衛の役目は完全に果たしたことを俺は感謝してる
なにせ祥鳳が犠牲にならずに輸送船団がもし攻撃されてたら、じさまも恐らく
は殺られてたろうし、俺もこの世にいないわけだからな・・・

618348:03/07/25 20:22 ID:???
家のじっちゃまの戦時中の詳しい経歴がみつかりますた。
結構長くなりますが、見たい人いますか?
619438:03/07/25 20:23 ID:???
↑ハンドル間違えた。吊ってくる・・・
620名無し三等兵:03/07/25 20:33 ID:???
ウチの祖父(88)は「海軍士官学校卒」ってが自慢だが鉄板で嘘なのか・・・・
621名無し三等兵:03/07/25 20:45 ID:???
沖縄戦で曹長として参加。戦死・・・
昭和42年に日本国天皇は〜勲八等に・・・とかいう賞状がきた。
勲八等ってなんですか??
622名無し三等兵:03/07/25 20:53 ID:???
勲記でしょ。
勲功が認められて勲八等に召されたのですよ。
623名無し三等兵:03/07/25 20:57 ID:???
>>622
召された→×

叙された→○
624名無し三等兵:03/07/25 21:21 ID:???
うちの爺ちゃんは曹長で重巡洋艦「摩耶」にのってレイテ沖海戦に参加した。
潜水艦に沈められて「武蔵」に救助された。
でも今年死んじゃった。

まだ爺ちゃんが生きてる人は話をしとけ!!
孝行したいときには何とやらだぞ。
おれもしとけばよかった。
625名無し三等兵:03/07/25 21:51 ID:???
>>624
>まだ爺ちゃんが生きてる人は話をしとけ!!
ウチの爺ちゃんの体の中には12,7mmの弾頭がずっとめり込んだまんまだったらしい。
爺ちゃんが死んじゃったちょっと後にオヤジから聞いた。

 早 く 言 え よ 、 火 葬 場 で 御 骨 拾 う 時 に 探 し た の に ! 

しょうがないので、その代わりに箪笥の奥から出てきた下士官用刀帯と図嚢を形見代わりに大切に使っている。
(下士官用刀帯と図嚢・バイク乗るとき便利だよ)

626名無し三等兵:03/07/25 22:24 ID:???
>618
吊る前におじい様の経歴のUPだけはやって置いてください。
きっと資料としても貴重ですから。
627621:03/07/25 22:43 ID:???
>>622
ありがとうございました。
たいした事なさそうですね・・・
628名無し三等兵:03/07/26 02:03 ID:???
>>627
たいした事はなさそうかもしれないが
ここの人間の何人が勲八もらえるかということを考えると
やはり大したもんだと思うぞ。
629名無し三等兵:03/07/26 04:41 ID:???
>>620
海軍兵学校ならネットで全卒業者の名簿が見れますよ
http://www2b.biglobe.ne.jp/~yorozu/hyoushi.html
あったら本物だね 五省は言えるのかな?
630名無し三等兵:03/07/26 11:03 ID:???
40度の熱を出して病院に担ぎ込まれ、入院。
入院四日目ようやく回復の兆しが見えたんで相部屋に移されたときのこと。
その相部屋には80過ぎのご老人がいて、自分と同性だった。
「Tですか? 珍しい苗字なのに偶然ですね」
と私が尋ねると、この苗字は大分県では珍しいが大阪あたりだと結構多いと教えてくれた。
で、そのご老人、朝になると欠かさず体操をするんだけど、背伸びの運動とかしてると何か違和感がある。
両腕の長さがあっていない。片方の腕が短かった。
「中国で憲兵やっちょったとき、迫撃砲くろうてちょん切れたんよ。
軍医にくっつくかわからんがつなげてみようかっち聞かれたけえ、頷いてから気ぃ失うての。
起きたらこげえなっちょった」
とこともなげに教えてくれた。
こんな話よく平気でできるな、と思ってたら、おじいちゃんに面会の人がきた。
なにやら怖そうなじいちゃん方(元ケンペーのじいちゃんよりは若かった)だった。
後でほかのじいちゃんに聞いたところ、ケンペーじいちゃんはここらへんでは有名な「や」のつく自営業の人だった。
私が怖がっていると、
「大丈夫じゃ。本物のヤ○ザは一般人には優しいもんじゃけえ」

……ちょっとスレ違いっぽいけど実体験なんで。
631名無し三等兵:03/07/27 01:00 ID:???
以前ここに書いた(移転の際に消えた)台湾の南に駐屯していた祖父に今日話を訊いてみました。
祖父は名古屋の連隊で、戦友たちが餓島やサイパンに送られるなか運良く台湾に送られたようです。
ご存知の通り台湾では戦闘も無く、バナナの早食いをしたり現地人と話したりしていたようですが、
戦局が悪化すると特攻ボート(震洋?)の隊員になったようです。
敵が上陸してきたら爆雷を積んで突っ込むつもりだったそうですが、おそらくその前に機銃掃射を受けてバラバラになるだろう、と言ってました。
あと38式はよく当たるが、99式は当たらない、ピストルは全然、軍刀は全く切れないことはないが生木は切れない、と言ってました。
最終階級は軍曹だったようです。
あと、祖母(ボケてる)の兄についても話を聞いたのですが、その兄は体当たりでB29を落とし、琵琶湖の辺りに墜落したそうです。
戦死後二階級特進して少佐になったそうで、その碑がそこにあるそうですが、詳しい地名を言われたのですがは覚えてません、、
詳細ご存知の方ご教授下さい、、、
632名無し三等兵:03/07/27 02:53 ID:???
>>630
う、いい話かな???
ちょっと、うらやましい体験ですな。
633名無し三等兵:03/07/27 02:55 ID:???
>>631
それは名前を出せば一発でわかりそうですね。
ただ、ここで出すのはイヤでしょ?
検索を書ければ出で来ると思うし、
該当場所の市役所等に問い合わせれば、教えてくれると思います。
634名無し三等兵:03/07/27 10:24 ID:???
>>631
軍から支給される軍刀は大量生産ものだからなまくらだったというのはよく聞きますね。
家に業物がある人はそれを軍刀に作り直した事も多いそうですが、貰った軍刀の柄とか
付け替えても許されたんですかね?
635名無し三等兵:03/07/27 10:31 ID:???
>>634
いや、専門の刀装具職人のところで特注だよ、そういうのは
636名無し三等兵:03/07/27 10:36 ID:???
>>628
うん勲位階も今年で廃止だしねえ。
637名無し三等兵:03/07/27 17:40 ID:???
>>635
じゃ、式典とかで礼装するときはやっぱり貰った軍刀佩くのか。
638名無し三等兵:03/07/27 17:43 ID:???
>>637
式典の時は指揮刀佩くんじゃないですかね?二環目の足金具付けて。
639名無し三等兵:03/07/27 18:49 ID:???
>>638
いや、それは平時だけ
640名無し三等兵:03/07/27 22:03 ID:???
うちのジーさま終戦ちょっと前の陸軍次官だった。
生きてりゃどれだけ面白い話が聞けたことか・・・
俺が産まれる10年以上前に死んじまったよ。
641名無し三等兵:03/07/27 22:18 ID:???
うちの爺さんなんて戦後すぐに逝ってしまったから、父ですらほとんど記憶がない・・・
642438:03/07/28 00:00 ID:???
では書いてみます。

昭和5年1月10日 第八大隊第一中隊に入隊(重輜兵として)
昭和6年11月23日 帰休除隊
昭和7年3月10日 弘前憲兵隊山形憲兵分隊に編入を命じられる。
昭和8年 一〇七討伐隊配属解除、同年15日帰隊。
昭和9年4月2日 関東軍憲兵隊編成要員として増加配属。
           同日下関出発(旧満州国へ)。
     4月13日 国境新義州通過
       16日 吉林省県境を通過、同17日着隊。
     4月17日より昭和10年10月30日迄、関東省江精県延吉にて満州事変勤務従事。
昭和10年2月2日 延吉憲兵隊附、12月6日秋草討伐隊坂口部隊に配属命ぜられる。
      12月12日 延吉隊着。
昭和11年4月21日 編成改制により延吉憲兵隊附。
昭和12年5月10日 竜井憲兵隊分遺附を命ぜられ、同、16日着隊。
昭和13年4月7日 北支那派遺の命を受け、同日間島省延吉を出発北支へ。
      4月10日 黄河の大鉄橋爆破事件起きる。鉄舟仮橋を渡り済南に着く。
            北京古宮博物館。万里の長城の警備に当たる。

まだ続きが在りますが、疲れたのでとりあえずここまで書きました。
はあ、吊るのは大分先になりそうだ・・・。
643名無し三等兵:03/07/28 17:35 ID:???
父方:満鉄の職員?電気技師だった。
引揚者が貰えるという勲章を大事にしてた。
祖母がよく満州時代の羽振りのよさと戦後の苦労を話してた。

近所のじいさん:酔っ払って他人の家に土足で上がりこみ、大声を出す。
頻繁だったが、戦争がえりという理由で大目にみられてた。
644名無し三等兵:03/07/28 18:20 ID:???
うちの祖父が以前
「俺は餓島に行くはずだったんだが、途中で船が引き返したので行かなくてすんだ。
言ったらたぶん戦死していた。」
というようなことを言っていたのですが、こういう部隊は実在したのでしょうか?
陸軍の衛生兵で、他にはラバウルにも行ったことがあると語っており終戦はビルマだったかと思います。
祖父は宮城県の出身です。
645名無し三等兵:03/07/28 20:48 ID:Cc0xdWvn
船団組んでた隣の船が撃沈された、という話なら聞いた事あるなあ。
その話をしてくれたのは、ゼミの先生だった渡辺洋三東大名誉教授。(専門は民法)
その船に乗っていた学友は、皆波間に消えていったそうだ。先生が学徒出陣された時の話。
646名無し三等兵:03/07/28 20:54 ID:???
現在、靖国神社の近くの日本料理店でアルバイトしてるのだが昨日開催された
戦友会のジーサマどもが、
「関東軍の参謀将校で731部隊に関わっていて終戦真際にルバング島
の小野田少尉に機密作戦を支持した」
と、宣っていた。
領収書は戦友会のハズなのに「第××期満州青年開拓団」にしてくれっていわれた。
647名無し三等兵:03/07/28 22:14 ID:0QGL18zG
俺のじいさんは85歳。よくは聞いてないけど上海あたりに行ったらしいよ。
5人くらいの部下と一緒に見張りをしてたら夜襲を食らって、じいさん以外全員
戦死だったって。じいさんの指の間を弾丸がすり抜けたらしく、今もすり傷がケロイド。
じいさん、戦争の話は終戦の日の番組とか見てると「この戦車がまた凄いんだ!」とか
言って饒舌になるけど、戦争映画は見れないみたい。プライベートライアンは序盤の
銃撃戦でリタイヤ、ブラックホークダウンも見れなかったな。やっぱり目の前で仲間が
撃ち殺されたりしたら相当のトラウマだろうね。。。。

ばあさんは、米英の上陸に備えて薙刀の訓練を大マジにやってたってさ。今考えると
大笑いだと言ってる。また、横浜大空襲を経験してるんだけど、最初は「うわ!人が死ん
でる!」とキャーキャー言いながら逃げてたらしいけど、3時間もすると死体を踏んでも
「あ、人間だったんだ」としか思わなくなってたって。
ちょっと前、北朝鮮がテポドン撃って来た時は「戦争は嫌だ、絶対嫌だ!」って本気で怯えて
たよ。切なかったな。
648名無し三等兵:03/07/28 22:49 ID:???
>>644
宮城なら第二師団ですかね?
第二師団を増援としてガ島に送ろうとして、米軍との間に『サボ島沖夜戦』が勃発しているので、
一部の部隊を乗せた輸送船は退避しており、おそらくその退避した部隊ではないでしょうか?
649名無し三等兵:03/07/29 09:07 ID:???
>644
で、そのガダルカナルで生き残ったのが
中内功前ダイエーグループ会長だったりする訳だが。
飢餓に苦しんだ末に見た幻影が
”家族ですき焼きを食べている光景”
だったそうな。

その後の異常なまでの企業拡張への執念や、
アジア進出への執着や、
食品業へのこだわりは
この辺に原動力がある、と俺は見ている。
650名無し三等兵:03/07/29 10:20 ID:???
伯父の話。
中国にいた伯父たちに突然ソ連軍が襲いかかってきた。
目の前では炸裂音が続き、生きたここちはしなかったそうだ。
伯父の隣にいた戦友が「もう、だめかもしれんなあ」と、云った瞬間、すぐそばで爆発があった。
砂埃をはらって隣を見ると、さっきまで話をしていた戦友の首がなかったそうだ。
その後、伯父はシベリアに抑留された。
651名無し三等兵:03/07/29 14:01 ID:b5Xoga16
うちのひいじいちゃん
明治41年生まれ。
東京帝大でて内務省へ。戦前に警察の業務で
ナチス時代のドイツへ視察団の下っ端として
参加したらしい。
当時のドイツ警察の大物と会合を持ったらしいから
もしかしたらヒムラーとかハイドリヒとかと
会ってるかもしれない
今度聴いてみようと思うが、寝たきりだし目も耳もダメになってる
から何も聴けないかも
652名無し三等兵:03/07/29 21:11 ID:RgFFxY0v
俺の父方の大叔父は特攻志願したが、まもなく終戦→自殺
俺の母方の曾爺さんは、半島に渡るときに輸送艦を撃沈されて死亡
653名無し三等兵:03/07/29 21:19 ID:???
>>651
ソッとしておいて揚げなよ。
寝たきりはかわいそうだぽ。
654名無し三等兵:03/07/29 21:49 ID:ti5zT61Y
>653
意外に喜ぶかも。
ただ、耳も駄目だったらちょっと辛いか。
655名無し三等兵:03/07/29 22:14 ID:???
>>651
低音でゆっくりしゃべればOKだと思う。
656名無し三等兵:03/07/29 22:42 ID:???
去年、ヤマトの航海士(当時少尉)だった方の講演を聞いた。
録音しとけばよかったな〜。
大和について書かれた誰だったかの著作に、自分の名前が出てきて、
「生意気な海兵出身の少尉」などと書かれており、少し気を悪くしたとか言ってた。
657名無し三等兵:03/07/30 01:04 ID:???
戦地体験ではありませんが・・・

うちの祖父は陸軍に徴兵されたものの、終戦時二十一歳で内地にいました。
本気で天皇陛下の為に戦って死にたかったらしい。流石は最強(最狂?)の軍国少年世代。
戦地に行きたかったが、上官に言っても行かせてもらえなかったそうな。
優秀な成績だったらしくて、内地で後進を教育する為に残された(と上官に説明された)と本人は言っておりました。
上官は何か思うところがあったのでしょうか。

軍部として戦地に行かせなかったのは、本土決戦の為と、祖父の次兄が戦死していて長男は家を出ているので、
実家の農業を継ぐ人間を残す為に内地に残した可能性を私は考えています。
658名無し三等兵:03/07/30 01:12 ID:???
もう一つ。友人から聞いた友人の祖父の話。

以前何処だったかで、兵隊の数を数える時、掛け算も知らない
ソ連兵に負けたことを知った日本兵の驚きの話がありました。
んでそいつの祖父さんは、シベリアに抑留されたとき、凄く重いものを
動かすのに「てこ」の原理を利用したらしい。それを見たソ連兵は驚いたと言う。
そんで調子にのって「これだから露助は〜ピー」みたいなことを言ったら、
投獄されたと言う。

それでも寒さで死ななかったのは、運もあるけど、
仲間が毛布などを差し入れしてくれたからだそうな。ええ話や。

信憑性は謎。又聞きの話ですまんね。
659名無し三等兵:03/07/30 02:03 ID:???
>>657,658

おじいさんは運が良かったね。
あまり神様は信じないが、きっと、某かの加護があったのかもね。

>ソ連兵に負けたことを知った日本兵の驚きの話がありました。

これと逆の話で、アーロン収容所にて日本人捕虜が所内新聞を
発行しようとして人数分の紙を収容所側に要求した。
が、収容所側はそんなに紙は要らないだろう、字が読めないだろうという。
そこで、捕虜を集めたときに「この中で字の読めるものは挙手しろ」と言ったら、
全員手を上げて驚いていたという話を読みました。
日本は当時から世界でもかなりの教育先進国だったみたいです。
ある大学の教授さんが、GHQから戦後に識字率検査を受けて
また、読み・書きのテストを無造作に選んだ国民に受けさせたところ、
何回か実施して、一人のおばあさんだけしか、
読み書きの能力の無い人はいなかったと聞きました。
これにはGHQもびっくりして、
テストを改ざんしたのではないかと散々疑われたそうです。
あまり関係無くなってしまいましたが、失礼。
660 名無し三等兵:03/07/30 03:11 ID:???
昔、父達から聞いた話なんだけどウチの祖父は
戦闘機の特攻隊(当事18才位)だったそうな。
いざ出撃という時にお腹壊してトイレに行ってるウチに
終戦、となったらしいんだけど。
「自分だけが生き残った負い目があるから
お酒ばっか飲むんだろうね」と父達が言ってました。
>>125
の話を読んでたら当事の集合写真の若い隊員達の顔を
見たのを思い出して、何か無性に悲しくなりました。

661名無し三等兵:03/07/30 04:07 ID:3u0Uhn69
うちの爺さんは昭和一五年21歳で満州に
行ってその後カンボジア、ベトナムにて機銃で
足をやられるもその後ビルマ、タイと
転戦し昭和二二年に復員。

七年ぶりに故郷沖縄に帰ってきたら五人いた
兄弟も自分一人だけになっていた爺さんは
五人兄弟の次男で長男は馬車に引かれて
死亡、三,四男は防衛隊として沖縄戦を戦い
五男は空襲でやられた、そんな爺さんは
プライベートライアンを観てそれを自分に重ねて
泣いてました、最近数十年ぶりに検診につれて
いきレントゲンを撮ったところ右の太もも以外に
頭の中にも銃弾か砲弾の破片がみつかりました。
662名無し三等兵:03/07/30 08:44 ID:spSP7F4T
私の祖父は朝鮮と台湾で憲兵をやってました。
最初朝鮮での任務に就いてその後
フィリピンに出撃するために台湾に移動したとか。
朝鮮から台湾に移動するために船に乗ったんですが
その船の貨物室に乗せられてとても狭かったそうです。
そこで寝ていたときに事故が起こって寝るための棚が落ちて
一番下で寝ていた人が下敷きになって死んでしまった。
それで海に流して水葬?をしたそうです。
遺族には事故と言うのはかっこがつかないということで
戦死にしたとのことです。
それで結局出撃することはなく台湾で終戦を向かえたのですが
終戦間もなくは混乱があって倉庫などで略奪をしていた人などを
取り締まっていたそうです。
台湾に配属されなかったらシベリア送りになっていたとも話していました。
最近入院したので不安です。
663名無し三等兵:03/07/30 18:07 ID:I9TVHmPC
10年くらい前かな。
近所に住んでるアル中気味のじいさんがいて、
近く通るといちいち絡んでくるんで頭きたからナイフちらつかせて
カツアゲでもしてやろうと思ったんだけど、そのじいさん
俺のナイフ見てもちっとも動じないでやんの。
それで急に語り始めてやがった。
「昔、若い頃にインパール行ってきたよ。」って。
それだけを何度も何度もうなずきながら繰り返すんだよね。
でも気味悪かったな。あのじいさんの目。
遠くを見るような感じで。
664名無し三等兵:03/07/30 18:11 ID:???
>>663
ほんとの戦争経験者にゃつうじねーだろーなー。
お前のちんけな十徳ナイフじゃ。(ry
665名無し三等兵:03/07/30 18:12 ID:???
>>663
死ね
666名無し三等兵:03/07/30 19:31 ID:???
戦争の話じゃないけどうちの親戚のひいじいさんはシベリアに行ったけど
上官だったから結構楽な生活してたらしい
シベリア送りになった人でもえらい人は結構楽してたみたいだね
667名無し三等兵:03/07/30 19:53 ID:???
>>663
(・∀・)カエレ!
668名無し三等兵:03/07/30 22:00 ID:???
>>666
なんか、どこかのホームページでシベリヤでの捕虜生活を
おじいさんと息子さんかお孫さんで紹介しているのを読みましたが、
それなりになれなりの待遇はされていたような感じですね。
ただ、決定的に、周りのロシア人も死んでいくような場所・時なので
どうしようもなかった様な印象を受けました。
場所にもよるでしょうが、今まで受けた印象とまったく違うので
不思議に思った記憶があります。
669名無し三等兵:03/07/30 22:06 ID:???
>>668
共産主義を受け入れて「アクティブ運動(?)」とかやって
『日本でも共産主義革命を!米帝に死を!!』
とか模範回答をしたりして露助さんに気に入っていただけると待遇が良くなるそうです。
670名無し三等兵:03/07/30 22:36 ID:???
>>669
わはは、それもあるだろうね。
考えてみれば、当時のソ連なんか、
民間人もパコパコ収容所で死んでいた時期だからね。
可愛そうなのが、復員後にも警察に後つけられたり、
就職できなかったりと言う事があったと言う事でしょうか。
671名無し三等兵:03/07/30 22:55 ID:???
もう亡くなって10年になるが、俺の爺さんは武専出身で仕官として中国に行ってた。
手榴弾を地面に叩いてから投げつけるって、言ってたのは覚えてる。
あんまり戦時中の話はしてなかったな。
部下が何人も戦死してるから、話したくなかったのかもしれない。

あと、抑留された爺さんの友達は「露助は嘘つきだ」と言ってた。
672ななし:03/07/31 12:52 ID:lvP6WPPk
妻の祖父がなくなったのですが、妻の祖父の足跡を
たどりたく、情報提供を求めます。

@昭和18年〜20年にかけて、海軍岩国基地に勤務されていた人
A岩国基地空襲で、陛下の写真を入れた社が焼失したのですが
 その社の再建式に立ち会った人
B飛行機の風防ガラスで煙草入れについてご存知の人
673名無し三等兵:03/07/31 14:14 ID:???
>>672
日本語がおかしいですね
674ななし:03/07/31 14:43 ID:d6IfC9Ou
673へ

672です、失礼しました。書き直しをします。
妻の祖父が最近84歳で天寿を全うしました。
親戚の方から祖父の思いで話を聞いていたら、
太平洋戦争中、海軍で航空機の整備兵をしていて
特技の彫り物技術を上官に認められて、空襲で焼失した
陛下の写真を入れた社の再建にかかわったそうです。

祖父の足跡をたどりたいと考えています。
そこで次のことについてお知りの方がいたら、御情報ください。
















675ななし:03/07/31 14:43 ID:d6IfC9Ou
674の続き

@昭和18年〜20年にかけて、海軍岩国基地に勤務されていた人で岩国基地空襲で、
 焼失した陛下の写真を入れた社の再建式に立ち会った人。またその経緯についてご存知の方。

A陛下の写真を入れた社についてご存知の方、岩国にあつたというその社についてご存知の方。

よろしくお願いします。


676名無し三等兵:03/07/31 21:40 ID:jFQJIMW8
自分の祖父の話。。。ですが祖父は自分が小さい頃に亡くなってしまったので生前の祖母に聞いた話。
祖父は一時ラバウルにいたそうです(終戦時は海軍省らしい)。その時の写真を見ると、
当時珍しかったバナナ(着色済み)の前で、格好つけて記念写真撮ってるものなどがありました。
ある日上官に同行しなきゃならん任務があったそうですが、急用があって基地に残ったそうです。
そしたらその上官の乗機はアメリカ軍航空機の攻撃を受け撃墜。祖父は命拾いし、今日の自分があります。
その上官の方は有名な方ですが、この話を祖母から聞いてから、とても親近感を覚えます。
677名無し三等兵:03/07/31 21:46 ID:???
>>673
それは良い供養になるでしょうね。
戦友会とかは当たってみましたか?
岩国基地に直接問い合わせるのも手です。

http://www.google.co.jp/search?q=%8AC%8CR%81@%8A%E2%8D%91%81@%8A%EE%92n&hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS


678名無し三等兵:03/08/01 12:40 ID:???
私の知り合いだったご老人では、大東亜戦争中はシナ大陸で憲兵中尉だったそうです。
尤も、復員した直後に占領軍の粛清を警戒して軍服だの身分証明だの
は全て処分してしまったと仰っていました。
案の定、他の方達は証拠品を残していたおかげで
みんな戦争裁判の対象にされたそうです。
679名無し三等兵:03/08/01 14:57 ID:???
うちの祖父は、樺太に配属されたそうだ。
新兵教育も樺太で受けたらしい。
「大砲を引っ張る馬も、気性の荒いのがいてね。
 蹄の掃除してる時に蹴られて死んだ初年兵もいた。」

終戦後、シベリアに連れてかれて、シベリア鉄道に関わったそうな。
伐採の時に木の倒れる方向に逃げて死んだ人もいたって
話してくれた。
復員は昭和24年の夏。舞鶴に着いた高津丸に乗ってたらしい。

上敷香と言っていたので…歩兵第25連隊?
680ぼるじょあ ◆ySd1dMH5Gk :03/08/02 04:11 ID:???
     ∧_∧  ∧_∧
ピュ.ー (  ・3・) (  ^^ ) <これからも僕たちを応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄ ̄∪ ̄ ̄〕
  = ◎――――――◎                      山崎渉&ぼるじょあ
681j:03/08/02 14:20 ID:7f8JzBxD
>>676
>>その上官の方は有名な方ですが
 山本五十六?
682名無し三等兵:03/08/02 14:26 ID:???
>>679
俺のじいちゃんは獣医少尉で、北満で軍馬の世話をしてた
馬のうしろ脚って2メートルも伸びるそうで、それで腹を蹴られて負傷した
じいちゃんがしみじみ言ってた
「馬の後ろには絶対立つな ありゃ死ぬぞ」
683名無し三等兵:03/08/02 16:17 ID:oweu5JNR
自分の身内ではないが1991年の八月末、ハワイに行った時にオプショナルツアーで真珠湾に行った時の事。
同乗していたお爺さんが手を上げてガイドさんに質問したんだ。
「私は此処を空襲した時に参加しておりましたが(港の)皆さんは我々を恨んでいますか?」
と聞いた。ガイドさんは笑顔で
「そんなことはありませんよ。尊敬の対象としてみておられる方が多いです。」
と返答していた。車内が静かになった中、そのお爺さんはさらに続けた。
「私は、赤城に乗り込み爆撃をしたんです。」
684名無し三等兵:03/08/02 16:28 ID:fkDAxlnH
続き
「今まで恐ろしくて来ることを躊躇って来ましたが、せめて死ぬ前に亡くなった方々にお詫びを申し上げに来ました。」
と言っていた。私は、その後気になってアリゾナメモリアルで注視していると戦没者名簿の前で直立し、敬礼をしていた。
まるで映画のワンシーンの様な光景だった。
いまでもこの時期になるとこの事を思い出す。あのお爺さんは御存命だろうか。
685676:03/08/03 18:41 ID:???
>>681
らしいです。
686名無し三等兵:03/08/03 21:05 ID:???
こないだ靖国神社で、じい様が彗星に向かって土下座して手を合わせてた
孫(たぶん)の若い女の人が少々困惑してた

見ててなんだか涙が・・・
687第142騎兵旅団:03/08/03 21:50 ID:U0R/Ch+5
今、スレ読んで思い出したが、学校(リア厨)の
歴史の授業で、自分の爺さんは空軍だって言ってた香具師がいた
「日本軍には、空軍はない!!」と 言いたかったが止めた

 ちなみに俺の祖父は、中国戦線で、山砲隊だった
この頃、祖母の家から、祖父が大雪山での重装備行軍訓練の
写真が、見つかった。
 でも、祖父は俺が5歳の時死んだ
 それから、祖父は、シベリアに抑留されて 重労働させられたらしい
私の祖父は、あまり体格が良い方では、無かったらしいです
688名無し三等兵:03/08/03 22:39 ID:zainBG4O
>>687
じいちゃんの「わしは航空隊(飛行兵)今で言う空軍だな」
という空軍だけを覚えちゃったんだろうね
でもおじいちゃんの言葉をちゃんと聴いてるだけでも偉いかも
689名無し三等兵:03/08/03 23:01 ID:???
じいちゃん何度も言わすなヨ
「ソ連」はもう無い「ロシア」だ!!
もう百遍逝った!
690名無し三等兵:03/08/03 23:23 ID:???
俺のGさんは憲兵だったらしい。んでその後ソ連に連れて行かれて肉体労働。

でも今じゃ「紙おむつ」を「かしわ餅」と聞き間違えるぐらい耳が遠い
691名無し三等兵:03/08/03 23:27 ID:???
>>689
ああ、わかっとるわかっとる!!

ところでソ連の総書記サンはいまはエリチンじゃったの?
692名無し三等兵:03/08/04 00:16 ID:???
おれのじいちゃん、戦時中は炭鉱で石炭ほじくってたそうな。
693名無し三等兵:03/08/04 01:11 ID:6p2jnNCp
母方も父方も既に他界しているが

母方のじい様は山形の農家の7人目。さっくり徴兵されて硫黄島に送られるために
広島まで貨車で移動したが肝心の船がもう無くて帰ってきた。
その後山形で本土決戦だとかなんとか言われてるウチに終戦と話してたな。

父方のじい様は神奈川の藤沢で電話技師。満州から支那方面に電話線
引きまくりの日々。「点と点を結ぶ占領だったから」やたらと電話線切られて
その都度ゲリラに怯えながら復旧工事してたって。

オマケに近所のじい様。
横須賀基地でロケットエンジンやジェットエンジンの付いた飛行機のテストしてた
って言うけどホントかな?
ロケットはダメだったとかジェットはドイツからの図面を必死でトレースしたとか。
軍オタじゃ無いのでよく分からん。横須賀でそんなことしてたのか。
694名無し三等兵:03/08/04 08:52 ID:xPRv4zhh
うちのじいちゃん
双方他界したのだが

父方
零戦工場で働いてて特に逸話なし。

母方
シンガポールに派遣された陸助
現地のねーちゃん孕ませまくってたらすぃ
シンガポールの従兄弟にあってみたいもんじゃて。
でも、気が狂いそうで自分で意識を保つため刺青してたらしいから
想像を絶する恐怖があったんだろな。

関係ないが昔フリマで軍服売ってたじいちゃんが居たね。
将校用の軍服@サーベル付き売ってたんだが「買う」と言ったら
「思い出が多くて軽軽しく売れん」とかぬかしやがった
売りにきたんじゃねぇのかYOw
695名無し三等兵:03/08/04 09:33 ID:???
>>693
横須賀基地、というより追浜飛行場では、日本初のロケット戦闘機
「秋水」の飛行試験が行われているよ。
696名無し三等兵:03/08/04 10:29 ID:???
>>694
頭の軽そうなキモオタには売りたくないんだろうよ
697名無し三等兵:03/08/04 10:36 ID:???
>>696
へーへー
どうせ女性社員と昼飯食った後にフラッとよっただけのキモオタですよw
698名無し三等兵:03/08/04 20:27 ID:???
>>694
花園神社で勲三等旭日勲章売ってた乞食ジジイも
「勲章は金で買うもんじゃねえ!」
とかフザケたことを抜かしてた。
699名無し三等兵:03/08/04 21:22 ID:EC6lNOYM
私の祖父は戦争中、兵士になるはずだったが、徴兵検査で引っかかったらしくて
徴兵を逃れられたらしいです。
私の祖父はまだご存命です。

友達が「俺の祖父は、戦争中に勲章をたくさんもらったことがある。」と言ってた事があります。
700名無し三等兵:03/08/04 21:32 ID:???
「現地の子供を銃剣で刺し殺したよ」 みたいな話は無いのかな。
701名無し三等兵:03/08/04 22:06 ID:Ek+mt6Us
このスレ見てるとおじい様 おばあ様の世代の苦労がよく分かる。
その苦労があって今の日本の繁栄がある事を我々は忘れてはならない。( i_i)\(^-^ )
702名無し三等兵:03/08/05 00:48 ID:22KzmU0q
祖父の一周忌に来てくれた戦友と言う人に聞いた話。
戦争中の経歴は聞けませんでしたが、最後は特攻隊員として出撃。
しかし特攻中に撃墜されてそのまま海に。
漂流しているところを通りかかった漁船(現地民?)に助けられたらしいです。
終戦後、復員してきたその方は一足先に帰って来ていた祖父を見て、
「てっきり死んだと思ってたのに、復員してきたら駅まで迎えに来ててなぁ、
幽霊かと思ったぞ。」と言って笑ってました。




703名無し三等兵:03/08/05 01:21 ID:???
>>702
ちょっとほっとするいい話ですな。
704名無し三等兵:03/08/05 05:08 ID:???
>>697
女性社員とメシ食ったくらいがステータスな憐れなキモヲタ
私が同僚なら会社の昼休みに軍刀買おうとするアホは敬遠します
705名無し三等兵:03/08/05 05:24 ID:???
ニューギニアで食料にするために野豚を日本刀(軍刀じゃないよ)で斬りまくってた話なら聞いたことある。
パラオででっかいカタツムリを見て「フランスではこれを食べるんだ」と言って自分で調理して、腹こわして
氏んだ同僚がいたとかいう話も聞いた。
>>700
他にじーさんの同級生の話だが、中国人捕虜に解放してやるといって、真冬の夜中に水をぶっかけて
から外に出していたそうな。捕虜は喜んで外に出ていくが。。。
絶対死ぬにもかかわらず、そんなことつゆ知らずに捕虜が喜んで外に出て行く姿を見るのが面白くて
何回もやってたそうな。
あー、俺の思い込みかもしれんが、この捕虜って、731かなんかで生体実験にされるために
集められてたんだったかも。
706名無し三等兵:03/08/05 07:24 ID:???
>>698
そう思うのももっともなことだが、
戦争で活躍して生き延びても、平和な時代を生き延びるために苦労、屈辱を味わわなければ
ならないという業を、そのじいさんの葛藤の中に見出せるような気がして少し切ないね。
単なる売り手と買い手という立場の違い以上に深い断層が横たわっているのだ、たぶん。
誇りや嫉妬や悲しみ、
自分が自分であることの、最後に残った証を「あちら側の人間」に手放さなければならない口惜しさ。
「金で買うもんじゃねえ!」という啖呵には、そういうものが込められているのではないだろうか。

707名無し三等兵:03/08/05 07:46 ID:???
>>705
その手の話は意図的に法螺を吹いている場合が多いから気をつけたほうが良い。
多分中国での捕虜生活において「そうやった」と教えこまれている可能性もあるし。
実際には、同じ部隊の他の人にも聞いて実地調査しないとわかりませんからねえ。
708名無し三等兵:03/08/05 11:43 ID:???
>>705
>パラオででっかいカタツムリを見て「フランスではこれを食べるんだ」と言って自分で調理して、腹こわして

これと似たような話で、南方で整備兵士が仕官の為に
ご馳走を用意したら、トロロ芋とそっくりな電気芋と呼ばれる
猛毒のイモを食べてなくなった人もいたと読んだことが有る。
その仕官と自分は慕われていて、部下が用意してくれたらしいが、
その筆者は腹を壊していて、泣く泣く食べられなかったので助かったとか。

>>707
同感です。
人間って、例えどんなに悪いやつでも、多少の交流があると
罪の意識無く殺せないと思います。
実は捕虜と付き合う機会が少ない人間が虐待をするの事が多いように感じます。
じいさんも、地元民と付き合いが深かったから、助けたり、助けられたりしていました。
709名無し三等兵:03/08/05 12:37 ID:???
>>日本刀(軍刀じゃないよ)
なぜ区別するんだ?
昭和刀や造兵刀の類の粗悪品と区別するんならわかるが
「昭和刀じゃないよ」のほうがよいかと
710名無し三等兵:03/08/05 22:46 ID:PFMvAYkq
夏休みに実家に帰ったので聞いてみた。
昔、ぽつぽつきいてたが、海軍だったくらいしか知らなかったが、
昨日聞いてみると、
・18で、徴兵されて海軍に。そして、三ヶ月の訓練。
・軍属っていってた。
・駆逐艦に乗って日本を出て、一度上海に行きその後、南京(?)に行き沖縄に。
・沖縄戦だか、終戦だかの数日前まで、沖縄の近くで、作戦についていた。
・その仕事は、どうやら、特攻隊の護衛(?)らしい。
・終戦後、上海か、台湾に艦船を置いてきた。
・その駆逐艦は「比叡」と、言っていた。(祖父は)

・・・余り、戦史とか詳しくないんですけど、事実と違う気が・・・。
(とりあえず、比叡は戦艦では?同名艦があるんですかね?)
個々の艦の行動は、本じゃないと分からないですかね?
誰か、詳しい方が居たら少し教えて下さい。
711名無し三等兵:03/08/05 22:50 ID:???
>>710
比叡に似た発音で終戦まで残ってた駆逐艦・・・
難しいな
712名無し三等兵:03/08/05 23:17 ID:Hrg6RPNl
>>672
岩国は終戦の前日に空襲受けたんですよね。
713名無し三等兵:03/08/05 23:51 ID:???
>>710
『軍属』でいらっしゃった、と言う事ですから、民間の輸送船/調査船/漁船などを乗組員ごと徴用する
゛特設艦船(軍属艦船とも)"
の乗組員でいらっしゃったのではないでしょうか?
元民間船なら比叡という船名も有り得るかも。
714710:03/08/06 16:28 ID:zhnboTSO
>>711
>>713
皆さん色々ありがとうございます。
祖父に聞いた話では、少し聞き取りにくい発音だった上に、
用事が有って少し急いでいたので、聞けなかった部分が、
有ったのかもしれません。
・・・なんか、気になってきたので、
今日の夜にでも、もう一回艦名と、階級を聞きたいです。
あと、少しで実家から帰ってしまうのでそれまでにははっきりさせたいです。
715名無し三等兵:03/08/06 16:39 ID:???
祖母ですが戦争中に満州の奉天で仕立屋(洋服じゃなくて和装)をしてたのだが
敗戦後も帰国時期が決まらず2年くらい現地に留まっていたそうだ。ある日、
ソ連軍の将校が祖母の店に土足で侵入し軍服の修繕を命令。肩章の片方が無くな
っていて新しく作れ、と。ところが階級章と同じ赤い生地が無い。随分迷った
が祖母は自分の腰巻きを刻んで肩章を作った、ソ連軍の将校は御機嫌で缶詰めを
沢山くれたそうだ。
716名無し三等兵:03/08/06 17:49 ID:U10wb2g0
ロスケって不潔で臭い乞食みたいなイメージしかないな
717山口多聞 ◆b3549jSUig :03/08/06 18:01 ID:cLvjCn03
今、海底で2ちゃんやってます。
718名無し三等兵:03/08/06 18:02 ID:???
じーちゃんによるとニューギニアで共食いする馬鹿を引っ捕らえてたってさ。
三八式小銃でジュングル戦は勘弁してくれと。
後、ニューギニアの土人の子供をお供に狩りに行ったんだって。
719710:03/08/06 18:46 ID:???
何か、祖父がすでに寝てしまいそうだったので、急いで聞いてみた。
・「比叡」→祖父の知り合いが乗っていた。自分は、
 駆逐艦で、終戦3日前まで沖縄の近くで作戦についていた。
・その作戦は、輸送船の護衛。米の潜水艦で沈められた乗組員の話などを聞いた。
・祖父は、元軍属でその後海軍に。
・船の名前を聞くと、思い出せずに、「宇治・・・じゃなかったなぁ」と。

話をしていたら、戦時中のアルバムが。中には、祖父の知り合いの人が、
陸軍や、海軍と満州国軍の兵装の写真がたくさん。
昔の人たちは、何かカッコイイなぁ、と思いました。
その中に横須賀で船の上での集合写真が。
「昔は、みんなここで写真を撮っていた。」と。
どうやら、名所になっていた所らしいが・・・。
誰か、知っている方とかはいますかね?
720名無し三等兵:03/08/06 19:00 ID:???
戦艦三笠だな
721名無し三等兵:03/08/06 21:18 ID:???
>>719
>その中に横須賀で船の上での集合写真が。

三笠?
722名無し三等兵:03/08/06 21:21 ID:???
うーん、宇治で調べてみたら、日本海海戦に参加していますね。
これじゃないよね???

http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/data/nihonkai.html
723710:03/08/06 21:53 ID:???
どうも、皆さん親切に。
やはり、六十年以上前の事ですので祖父の記憶も曖昧なようです。
明日にでも、図書館で調べて祖父に教えようかなと思います。

一応、ここは「おじい様の戦争体験」スレなので、体験談をひとつ。
輸送船の護衛で着いていったときに、輸送船が潜水艦に雷撃されたときは、
そこでは、救助出来なかったので、丸太を落として「後で助ける」と言って
そのまま行ったそうです。「ほとんど助からなかった」と、言ってましたが。
ただ、一週間も掴まりっぱなしで助かった人もいた、とのことです。
一週間も掴まるなんて・・・出来るんですかね?
724名無し三等兵:03/08/07 01:10 ID:???
流れに関係なくて悪いが、うちのじいさんは九十七式重爆に乗ってた。
「九七式重爆隊空戦記」と言う本を出してたんだが、それを見ると航空機乗りの悲惨さがよく分かる
725名無し三等兵:03/08/07 03:51 ID:???
>>719
恐らくこの宇治のことではないかと。下から2番目。

ttp://hush.gooside.com/name/u/Uji.html#anchor529299
726名無し三等兵:03/08/07 12:34 ID:???
>>725
わ、すごい藻前様アリガd、勉強になったYO!
なお、同型艦の橋立なら写真があった↓。
ttp://www103.sakura.ne.jp/~key/navy/o_hasida.htm
727名無し三等兵:03/08/07 15:49 ID:pECmYsMO
うちの爺ちゃんは近衛師団の第三連隊所属
だったらしいが、戦局の悪化の為、結局一度も
皇居を拝む事無く南方へ、そこで爺ちゃんは
盲腸を患ってしまったらしく、またその夜に
間の悪い事に、アメの空襲があったらしいんだわ。
その中で爺ちゃんは麻酔も満足な器具も無く、真っ暗な
中、爆撃の轟音が迫りくる中で軍医の手術を受けたらしい。

……と言うのを親父から聞いた。爺ちゃんは俺が1歳の時に
肝の臓を患って亡くなってしまった。
だから直接体験談を聞ける事の出来た人が凄く羨ましい。
728名無し三等兵:03/08/07 21:10 ID:???
>>725
うわっ、と言う事は対馬丸事件の時の護衛艦ではないですか!!
対馬丸事件関連を調べると、出てくると思われ。
729621:03/08/07 22:08 ID:???
>>716
俺の沖縄で戦死したじいちゃん(漏れも)樋江井(ひえい)・・・
場所があってる・・・字が違うが・・・
しかし、こんな珍しい名字は・・・だが日本は広いから別人か?いやだが・・・
730名無し三等兵:03/08/07 22:23 ID:f1cnl9+v
漏れのじいさんは戦艦「陸奥」乗ってて、爆破事故で沈没して4kmぐらい泳いでたら漁船に助けられて、一回トラック諸島に行ってそこで2ヶ月ぐらい滞在してから戦艦「長門」
に乗って副砲の砲弾の係をやってたそうだ。
で、もう一人は満州に行って、ロシア辺りに部隊を進めてる時、バカな事に銃剣が足に刺さってそのまま病院送り。
でも、その時は戦争終期あたりだったらしく、自分に所属していた部隊が、露助にやられて全滅だそうだ。
ある意味、運がよかったのかな・・・
731名無し三等兵:03/08/07 22:34 ID:???
ウチのじじいは原爆食らって死んだピョーン
732名無し三等兵:03/08/07 22:38 ID:???
>>730
陸奥の生き残りとは、運が良いですな・・・。
詳しくお話が聞きたいです。
聞いてきてください。
733名無し三等兵:03/08/07 22:39 ID:???
折れのじじいは南京で100人斬りしたぞ。                
734名無し三等兵:03/08/07 22:40 ID:???
>>733
通報しますた
735名無し三等兵:03/08/08 00:15 ID:???
俺のじい様はおばあ様に殺られますた。
736名無し三等兵:03/08/08 01:30 ID:CU4trWrs
漏れのじいさんは、「陸奥」に乗ってた時も副砲の弾を扱っていたそうだ。で、スパイ工作による爆破事故があったらしく。その時は甲板にいてその時は助かったそうだ。弾薬庫から爆発したらしく、結構みんな吹っ飛んだらしいよ!

737名無し三等兵:03/08/08 01:32 ID:CU4trWrs
周りの者は手足がないとか〜爆発炎上で焼死とか見たそうだ。で、沈没したのだが、重油が漏れだしていて大人数は陸奥と一緒に沈んだが、やはり目の前で重油まみれで溺れて死んでいった者もいたらしい。


738名無し三等兵:03/08/08 01:32 ID:CU4trWrs
で、泳いで漁船に助けられて、その後は死体回収。みんなドザエモンだったんだって!そこから長門に乗ってトラック諸島に行き、現地の村長に偉く気にいられたらしく村長の娘と縁談の話もあったそうだ。


739名無し三等兵:03/08/08 01:33 ID:CU4trWrs
で、長門が日本に帰港して その後は退役だそうだ。


740名無し三等兵:03/08/08 02:35 ID:???
>>730>>736の爺さんは戦友か!
741名無し三等兵:03/08/08 02:48 ID:RInLjm8j
俺のジイさんは海軍将校で長年台湾にいたのだが、
終戦と同時に軍隊のことはキッパリ捨てて家族にも何も話さなかった。

普段は遠く離れて住んでいる孫の俺がたまたま行ったときに聞いたのが、
船に乗ったことは無いというのと、中曽根君は総理大臣になってもおかしくない人材だったという2つだけ。

戦後の話は沢山聞いたんだが、いったい軍隊で何をしてたのやら今も気になる。
742名無し三等兵:03/08/08 02:59 ID:mN53/oTq
福島県出身のじいちゃんが存命中に聞けた話は
フィリピンに出征、部隊内で選抜試験があって
それに合格して司令部付きの通信か暗号の部隊に居た事だけ。
ばあちゃんが言うには戦闘らしい戦闘はなかったと言うんだが、
その後「ルソンの谷間」を読んでしまって鬱・・・。

743名無し三等兵:03/08/08 11:57 ID:PdWr0r9/
大学4年の20年前、バイト先で一緒だった爺さんに聞いた話。
その人は、外地へ戦争に出た経験はなかったそうだ。
しかし、訓練で冬の大雪山で行軍をやらされた。一晩歩いたら
戦友の三人が死んでしまったそうだ。
"戦争にいって死んだんならあきらめもつくんだろうけど、訓練で死ぬんだから無茶苦茶だ"
といって怒ってた。人の死が紙よりも軽かった時代でした。
リンチ上等兵のアメリカ軍とはえらい違いだ。
744名無し三等兵:03/08/08 12:34 ID:Jy/LKq5j
すいません、日露戦争時の三笠の搭乗員名簿って有りませんか?
745名無し三等兵:03/08/08 12:37 ID:???
>>744
難しいな
負傷者戦死者名簿なら手元にあるが(当時の速報誌の日露戦争実記)
746名無し三等兵:03/08/08 12:41 ID:Jy/LKq5j
>>745
大友すえじ(漢字はわかんないです)って言う人居ますかね?
曾お爺さんが乗っていたと(親が)言うんですけど。
747名無し三等兵:03/08/08 12:54 ID:???
日本海海戦における三笠の死傷者
戦死
一等兵曹太田正太郎  二等兵曹岡本喜代八  一等水兵中井初之助  一等水兵星川高吉
三等水兵松澤利吉   三等水兵穴山謙治
負傷後28日死亡
三等兵曹吉田菊次郎  二等水兵福岡直蔵
重傷
少佐菅野勇七     大尉村越八郎
少尉安野康      兵曹長境吉次郎
軽傷
中佐松村龍雄     少佐飯田久恒   大尉清河純一
748名無し三等兵:03/08/08 12:55 ID:???
日本海海戦の戦死傷者のなかにはいなかった
749名無し三等兵:03/08/08 13:12 ID:???
>>748
ありがとうございました

負傷者の中にいるかもと思ったんですけど、意外に負傷者少ないですね。
少々複雑な心境です(苦笑)
750名無し三等兵:03/08/08 13:36 ID:dGtu0QD/
>640 :名無し三等兵 :03/07/27 22:03 ID:???
>うちのジーさま終戦ちょっと前の陸軍次官だった。

おいおい、誰も突っ込んでねえじゃねえか。
陸軍次官だぞ。
終戦ちょっと前ってことだから柴山兼四郎か?
その前の富永恭次だったらぜひ話がしたい。
富永恭次はフィリピンで特攻隊を指揮しながらもマッカーサー上陸を前に台湾に敵前逃亡した有名な人。
751名無し三等兵:03/08/08 14:27 ID:???
かなり前に聞いた話なんで間違っているところもあるかもしれんが・・・

最近ボケはじめちゃってる父方のじーちゃん。
大学卒業の直前に真珠湾が起きたので3ヶ月ばかり早く卒業し、そのまま徴兵されて
予備士官学校(?)へ。
卒業後は石川県の部隊に配属後、戦争中のほとんどは内地にいたため難を逃れるも、
終戦直前に北方領土付近の小島(長さ2km、幅50mぐらいだったとか)の守備隊長に
なり、そのまま終戦。周りの部隊がどんどん引き上げる中最後まで残って、結局
ソ連の捕虜になりシベリア送り。
シベリアでは部下の半分が死んだとかでそうとう苦労したらしいが、指揮官は労働
しなくて良かったとかで、元々体が丈夫なのもあって2年半ほどで無事帰国。
最終階級は少尉ですた。
当時の思い出は「とにかく威張れた(笑)」そうな

ところで”予備士官学校”なんてほんとにあったんでつか?
たしかそう言ってたきがするんですが・・
752名無し三等兵:03/08/08 14:50 ID:???
>>751
あるよ。ぐぐってみな。
753名無し三等兵:03/08/08 16:40 ID:???
おれのひいじいさんの話。
日新戦争・日露戦争と連チャンで出兵し、もう戦争は無いだろう
と安心していたら、第一次世界大戦勃発。
ひいじいさんは、「もう俺は戦争したくね〜」と泣き叫んだそうだ。
大変な時代だったんだな。
754名無し三等兵:03/08/08 16:41 ID:KKruNdW9

×:日新
○:日清
すまん
755名無し三等兵:03/08/08 22:04 ID:64r5MO9w
>>753
日清日露間には10年あるけど
30代で戦争行ったの?
職業軍人だったのかな?
756名無し三等兵:03/08/08 22:12 ID:???
うちの父親のおじさんの話はだめかな?
スレタイはよんだんだけど、最近その話を聞いてびっくりしたもんで
757名無し三等兵:03/08/08 22:19 ID:???
>>756
いや、ぜんぜんオッケーです。
聞かせて、聞かせて。
758名無し三等兵:03/08/08 22:38 ID:???
>>757
ありがとん
嘘か本当かわからないけど
そのおじさんは八甲田山の生き残りらしいです
眉唾もんなんですが、「片足の松」とよばれてたそうですが
うーん期待に備えずにスマソ
759名無し三等兵:03/08/08 23:12 ID:???
>>758
ええっ!?
それが本当なら、かなりの事まで割り出せますよ。
何処のご出身ですか?
つか、そのままズバリがこの寿松さんでは???
足切断と言うのも一致しますね。

http://homepage2.nifty.com/abem/hisamatu.htm
760名無し三等兵:03/08/08 23:24 ID:4hLUiDza
なんか漏れの爺さんは第六師団の砲兵だったらしい
九〇式野砲でM4シャーマンをやったとかいってた。
761名無し三等兵:03/08/08 23:55 ID:+gKgdqWG
じーさんではないが、亡き父は学徒出陣で中国沿岸部に配属。
とりあえず、地域の住民とうまくいっている部隊だったので、余り戦闘はなかったと言っていた。
(あったとしても、両方とも相手を殺す気がないので、明後日の方向に撃ってたらしい)
なので、終戦後は部隊の殆どの人間(将校兵隊の区別なく)一ヶ月程度で引き揚げ船で帰国。

良く、言っていたことが上海はきれいな町で食い物も上手かった。特に肉饅頭が上手くて、
でも今は共産党なので、町はむちゃくちゃだろうなぁ。。。
でした。


あと、たまーに共産軍がくると本当の激戦になり、白兵戦もしたらしい。(詳しくは話してくれなかった)

で、将来お前が兵隊になったら、これだけ覚えておけと言われたことがある。
白兵戦の時は、銃は横向きにして撃て(反動が上下ではなく、左右になるから押さえ込み易い)
狙う場所は腹を狙え。
銃剣でさしたら、足で蹴ってすぐに抜け、抜けないようなら一発撃てばその反動で抜ける。
生き残りたければ古参兵や、下士官の言うことは良く聞け。

今、思えば余り戦闘(戦争ではなく)の話をしなかったのは余りにもの経験があったからかもしれない。
762名無し三等兵:03/08/09 00:24 ID:???
>>759
まちがいありません
いまびっくりして父に電話できいてみました
おじさんではなくけっこう遠縁のようですが、父の祖父の葬式に
菊の御門の入った手押し車で来たそうです。名前をあげていいかわかりませんが
 「阿部とくえもん」という当時盛岡教育長の親戚らしいです
自分の出身は岩手で父の話では当時その方はひこべというとこにすんでたらしいです
763名無し三等兵:03/08/09 00:25 ID:???
すいません興奮して訳わからない文かいてしまいました
764名無し三等兵:03/08/09 01:38 ID:???
>>762
759ですが、
うおっ、間違い無かったんですか!?
こっちもびっくりです。

両手・両足切断とあったので、間違いかなーと思って、
他の生存者の方を探していました。
こんなんです。
写真はこっちの方が大きいかな。

http://toshi-joe.tsukaeru.jp/hakkouda_kiroku.html

その759のリンクの場所には、掲示板もあるので、
実際にご親戚の方と連絡が取れるかもしれませんね。
良いご供養になると思います。
765名無し三等兵:03/08/09 05:25 ID:???
行き付けの玩具店の店主のお父様のお話ですが
インパール攻略で先頭の部隊にいたという事でした。

野ブタを捕まえるのに、38式歩兵銃でぶっ叩いたら折れたという事で
英軍からブン取った自動小銃を持って 逃げてきたと、昔お聞きしました。

10年ぐらい前にお亡くなりになったのですが
もっとお話を聞いていればよかったなぁ。
766名無し三等兵:03/08/09 07:03 ID:j/pxdD5o
スレッドタイトルには「・・おじい様・・」とありますが皆さんの年齢からいって当然ですよね。
しかし、その中で私は当年89才になった父の事を書きます。

父は陸士4x期卒ですがその後不思議?に生き延びたようで、玉砕したアッツ島に行く
はずがひょんな理由で行かずにすみ、その後も前線には配属されず終戦時には千葉で
本土決戦の準備をしていたそうです。しかし、同期は終戦までに半数が戦死しました。
(ちなみに軍の隊編成では半数が戦死という事は負傷者を考えると全滅と認定される
そうです)。ただし、これはまだ良いほうで50期以降の将校はちょうど小/中隊長クラス
だったため戦死率は7割に達した由。
幸いまだ元気ですが、「優秀なやつはみんな死んじまった」、「安達二十三中将は偉い人」
等といっておりました。また、言葉で聞いた事はないですが自分は生き残ったという事に
相当負い目を感じているようで、この気持ちは「生き残った」人たちに共通しているんで
しょうか。とりとめのない話しで失礼致しました。

http://www.kamou.co.jp/senki/SENKI6.html
767名無し三等兵:03/08/09 17:55 ID:???
ここまで露骨に宣伝されると削除依頼出し難いなあ
768名無し三等兵:03/08/09 18:57 ID:???
>>764
あちで書き込ませていただきます
本当にありがとうございます
>>767
失礼しました
これで消えますので
769名無し三等兵:03/08/10 06:33 ID:???
ここ、今読んでたけど「青春の悲劇」と言うネーミングが良い。
短いけど、多数の人の話が書いてあります。
主に中国方面みたいです。
自分の父も満州生まれなので。
時間がある方はどうぞ。

http://ww32.tiki.ne.jp/~yamikato1952/seisyun.html
770名無し三等兵:03/08/10 11:16 ID:???
何時からこのスレは「自分のブックマークを晒すスレ」になったんだろうか。
771名無し三等兵:03/08/10 12:52 ID:AtXJqqIj
なんか爺さんが何人かで小銃を一斉に撃ってグラマンを
落としたとか言ってるんですけどできるんでしょうか
うちのじっちゃんは陸軍でな、
バイカル湖あたりでいっぺん捕虜になってたらしい
773名無し三等兵:03/08/10 12:57 ID:???
>>771
可能
774名無し三等兵:03/08/10 13:04 ID:???
>>772
ずいぶん北方まで逝ったんだなあ
>>774
逝ったって言わないで(藁
一応まだ生きてます
776甲種幹部候補生:03/08/10 13:54 ID:JQT6Zxal
効果の程は當てになりませんが、可能です
ですから我が九九式小銃には對空照尺が付いてゐました
後年の越南戦争でも鉄砲で最新鋭ジェット機を撃墜した例が少からず有りました
精神一到何事か成らざらん
777名無し三等兵:03/08/10 14:49 ID:???
>>771
これは「集束弾道効果」といい侮れない効果があります。特に6.5mmではなく
7.7mm小銃の10人〜20人単位の一斉射撃が集束した場合致命的な打撃を
与える事ができます。あなたのお爺さんは嘘つきではありません。
778名無し三等兵:03/08/10 15:27 ID:???
でも飛んでる飛行機に20人ぐらいで一斉射撃しても
5、6発ぐらい当たればいいところじゃあないのですか?
779名無し三等兵:03/08/10 15:30 ID:???
>>778
5、6発で飛行機は無事なのか?
780名無し三等兵:03/08/10 15:33 ID:???
>>779
当たり所が悪ければ、その程度の銃弾でも飛行機は落ちる。
781名無し三等兵:03/08/10 18:31 ID:???
>>778
もちろんあくまで「集束した場合」です。(極端な事をいえばたとえ一発でも操縦士に
当たれば撃墜できるでしょうがそれは本題と関係ないと思うのでナシとして。)

ですから実際に撃墜できる確率はかなり低いとは思います。しかし、10発の銃弾が
ちょうど焦点があたるようにほぼ一点に集中した場合、翼内の燃料タンクを破るのに
十分な威力があります。
782名無し三等兵:03/08/10 20:36 ID:+UxrxylT
中2の頃の文化祭で、隣のクラスが太平洋戦争特集やったんだけどさ、
その時、展示見ていた俺に一人の老紳士が話しかけてきたんだ。
「私は昔、疾風に乗っていたんだ」
でも俺そのとき海軍マンセー(というより坂井三郎マンセー)で、
全然話に食い付かなかったんだよ!!
むしろ、疾風?なにそれ?隼しか知らん!てなくらいバカだったわけで・・・・・・
今思えば陸軍、それも疾風のパイロットの体験談が生で聞けたわけで・・・・・
悔やんでも悔やみきれません。
ちなみに、うちの爺ちゃんは中国戦線に二度行って二度帰って来たらしいのですが、
俺が生まれる前にアボーンしてしまっているの、詳しい事はもうわかりません。
783名無し三等兵:03/08/10 20:41 ID:???
たしか38式で航空機を撃墜したって例が2つあった
784名無し三等兵:03/08/10 20:45 ID:???
>>770
あかまり深く話すつもりは無いが、昔からだね。
過去ログを読んでみるといいよ。
何故、ネット上にある体験談を集めるようになったかも理解できると思う。
785名無し三等兵:03/08/10 20:46 ID:???
>>782
うわー、惜しい、惜しすぎる!
でも結構ありますよね、そういう事・・・
786 :03/08/10 20:48 ID:AtXJqqIj
>>771です皆さんありがとうございます
違う話ですが私の爺さんは砲兵だったようで九〇式野砲
を使っていたそうです、しかし一日五発までと決められていたようです
皆さんそういう終戦間際のジリ貧のお話はありませんか?
787名無し三等兵:03/08/10 20:49 ID:hrTjW41g
お盆だよー! アダルトDVDが激安販売中
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788_:03/08/10 20:50 ID:???
789名無し三等兵:03/08/10 20:51 ID:???
>>787
うわ・・・よりにもよってこのスレでこの広告文かよ!
>お盆だよー!
ここは爺さんたちにお参りして偲ぶ連中しかいねえよ バカ
790名無し三等兵:03/08/10 21:31 ID:???
近所のお爺さんに(今年7月逝去)にリアル厨房のとき宿題のために聞いた話だけど、

記憶が凄く曖昧だけど、彼はどうやら徴兵で静岡34連隊に取られて
新設の203連隊(だったかな?)に配属されてすぐ中国に送られたらしい。

まず始めに、どっかの平原みたいな所でドンパチやったらしい。
弾が近くに通るとき、ちょうど虫が耳の近くを通り過ぎたときみたいな音がするらしい。
皆同じ体勢で匍匐してるのに何故か、彼には当たらず周りの仲間ばかりに当たって
仲間がばたばた死んでいくところを見たそうだ。

その後、転戦して上海攻略戦だかに参加して・・・


ここから俺の記憶が飛んで


それから(確か)スマトラから、ガダルカナル島に行ったそうだ。
「ガ島じゃ、『兵隊は飯も食えずに飢え死にした』ってのが通説らしいけど、
俺たち隊は潜水艦で運んできた食料なんかを夜に浜に引き上げて、
少ないけど手のひら一杯の白飯を一週間でチビチビ食べていた。」とか何とか言ってたっけ。


そんなこと言っていたお爺さんも、今年お亡くなりになりました。
これから、戦争経験を語れる人たちがどんどん居なくなってしまうわけか・・・
791名無し三等兵:03/08/10 21:45 ID:???
>>786
そのものズバリをネットで読んだ記憶があります。
ここの、85才のホームページか、軍隊まんだらだっけ?
どれかです。
ゴメン、忘れちゃった。
中国戦線で、砲兵をしていて、信管を紛失してしまって、
ああ、どうしようってな話とかが書かれていました。
興味があるなら、探してみてくださいです。

http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/
792782:03/08/10 22:42 ID:???
>>785
本当に惜しいことをしました。
ちなみに、俺の婆ちゃん(鬼籍)のお姉さんは、
東京大空襲を体験していて、死体だらけの中を逃げ惑ったっと言っておりました。
もっと詳しく聞きたかったのですが、涙ぐんでその先は話してくれませんでした。
もう、それだけで悲惨さが伝わってきて、それ以上は聞けませんでした・・・・・・
793名無し三等兵:03/08/11 03:39 ID:???
重複スレにも書いたんだがうちの爺ちゃんは第六三四飛行隊の玄海基地に居たらしい
794名無し三等兵:03/08/11 03:41 ID:???
↑失礼、航空隊だった
795名無し三等兵:03/08/12 01:19 ID:nnh6uTyg
うちのじいさんの話も。

 父方のじいさんですが、>>790さんの御祖父さんが入った歩兵三十四連隊のホームベース
静岡に住んでいたのに、何故か豊橋の連隊に取られたらしいです。しかも薬屋の番頭てだけで
岐阜の陸軍病院に衛生兵で送られたらしい。
 現役と応召の二回中国に行ったらしいけど、そこそこあこぎで気楽な後方生活のような事を
話してました。匪賊のでる島に用事で行って、夜が怖いんで上官おいて帰って来ちゃったり、
自分たちは高梁しか食えないのに軍用犬は肉を喰ってるんで世話係の時、餌を盗んで喰ったり。
 でも、手榴弾の投げ方を実演してくれたり戦地へ踏み込んだ話もしていたんで、戦場経験は
あるみたい。実際に重度の栄養失調で帰ってきたそうですし。
 じいさんが最後に所属したのはマツリ部隊で、インパールへ行く途中、輸送船が撃沈されて
全滅したそうです。ただじいさんは先に病気で倒れて内地送還になったんで助かった。あとで
調べたところ、正式には祭兵団(サイヘイダン)と言うらしいですな。

796名無し三等兵:03/08/12 01:20 ID:nnh6uTyg
ついでに母方のじいさんの話も。

 こちらは日本軍の人材無駄遣いの見本みたいな戦歴。
 実家が浜松なので航空部隊のお膝元。そこで戦場にでなくても良いように陸空飛行1連隊
(重爆)の付属学校へ行って整備のお勉強。無事修了して召集を待っていたら、来たのは
何故か三島の重砲2連隊への配属。現役を勤め上げ、熱河作戦にも従軍して帰ってきて、
今度は飛行機の風洞実験なんかやる会社へ勤めた。技術者なら取られないだろう、てわけだが、
再度の赤紙は三島の重砲3連隊。現役召集の戦歴を考慮したんだろうか……。
 海軍で教育受けて陸軍に取られたと違いますよ? ちゃんと九三重爆ばらして磨いてたのに
兵隊になったら馬に乗って無線機担いで、主隊の前で弾着観測ですよ? 正規の教育受けた
人間なんて戦前日本じゃいくらいても足りなかったのに。
 終戦時は九十九里浜で米軍の本土上陸に備えてました。戦争が終わって三島に帰る前、
どうせ米軍に押収されるとなけなしの缶詰や毛布を皆で分けて静岡まで担いで帰ったらしい。

 やっぱり辛かったのかどちらも細かい話はしませんね。ただ漏れ聞く話だと、
妻子を田舎の実家に避難させて自分は爆撃されてる都市部でそのまま働いてたとか、
生きていくためにアイデア捻って闇物資をかき集めてきたとか、どうも静かに黙って
座っている今の姿からは想像できないんですよねえ……。
797asagiri:03/08/12 03:31 ID:???
嘘か本当かわからないがうちの爺さんは大和に乗っていたらしい。
798名無し三等兵:03/08/12 03:49 ID:???
>>797
乗艦者名簿をあたればわかるだろ
799名無し三等兵:03/08/12 11:42 ID:???
儀装の為に乗った作業員だったかも
800名無し三等兵:03/08/12 18:30 ID:???
親父が子供(戦時中)の頃、現金収入&男手が無かったので、どっかでヤギを買って
きて、ヤギの乳を売って暮らしてた。
乳が出なくなると今度は、首ひねって殺して肉を売ったらしい。

田舎だったから空襲は無かったけど、本土決戦になったら皆で入水自殺しようと言
ってた時に玉音放送が入ったていってたけど、ここら辺はフィクションかw

戦場の話じゃなくでゴメンよぅ
801名無し三等兵:03/08/12 20:14 ID:???
>>800
リアリティに溢れた良レスありがとうございます。
802名無し三等兵:03/08/13 11:55 ID:???
玉音放送の内容でどうして敗戦って判断できたんだろう
803名無し三等兵:03/08/13 17:44 ID:???
うちの爺さんは広島の兵錬所にいたそうだが、
7月の終わりに農業指導員というので帰ってきたそうだ。
上官や仲間に羨ましがられてボコられたおかげで、
顔を倍に腫らして帰って、親父たちを驚かせた。
その入れ替わりに無二の親友であった人が交代で
広島に入ったのだが、その日が8月6日。
仕事とはいえ自分があの日帰ってこなければ…
と死ぬまで悔やんでいたらしい。

戦争体験じゃなくて申し訳ない。
804:03/08/13 20:21 ID:i78jClqP
リアリティに溢れた良レスありがとうございます。
805803:03/08/13 20:26 ID:???
いえいえどういたしまして。
806名無し三等兵:03/08/13 21:02 ID:gI6azsWx
807名無し三等兵:03/08/13 21:42 ID:bMBFkKLx
米兵がにやけながら機銃掃射してたって話があったけど、
カーチャンの知り合いが、当時子供で機銃掃射してきた米航空兵と目が合ったんだって。
そしたら、その飛行機は引き返していったって。
808名無し三等兵:03/08/13 23:10 ID:???
>>807
2.3日前のNHK,BSの記録映像では、戦闘機から民家とか漁船に
ゲーム感覚で撃ちまくってたよ
809名無し三等兵:03/08/13 23:14 ID:???
その辺は今も昔も変わってない。
810名無し三等兵:03/08/13 23:26 ID:???
>>808
俺もついやってしまいそうだ。
811名無し三等兵:03/08/14 01:04 ID:???
>>810
でも現実になったら、殆どの人が
民家でちじこまってる方の人になるんだよね
812名無し三等兵:03/08/14 05:40 ID:???
>>802
よく聞くのが、雑音だらけの内容でぜんぜん解らなかったけど、
周りが泣いているから敗戦だと知ったというのがありますね。
実は前日の夕刊に全文がのっていたという話も聞きました。
813名無し三等兵:03/08/14 13:35 ID:MFcFFTeB
俺のじいさん、やはり思い出したくないのか戦争のことはほとんど話してくれなかったけど
「南京なんかの入城映像を撮る前にガラクタを掃除するのが大変だった」とか
「夜、歩哨に立つのは怖かった」なんてポツリポツリと漏らしていました。

ずっと足が悪くて、その理由が乗っていた輸送船が沈められた時に怪我をしたらしい。
亡くなって随分経つけど色々思い出したらなんかこう・・・

そういえばじいさんの従兄弟?は長門に乗っていたという自慢話しをしてくれました。
感状もあったので間違いないです。
福田康夫官房長官は14日付で、官房長官談話を発表した

(´-`).『「理論的には日本は核武装可能ですが,
    戦没者の尊い犠牲に思いを致し、
    全国民が深く追悼の誠をささげるとともに、
    恒久平和の確立への誓いを新たにする』
815名無し三等兵:03/08/14 19:23 ID:Q+prdpDW
うちのじーちゃんの話じゃないんだけど、5年くらい前に上京する高速バスで
あるおじいちゃんと同席になった。
そしたらそのおじいちゃん、バスが高速道路に乗り始めてどんどん速度をあげていたら
「私ね、こんな速度どうってことないの。戦争中戦闘機乗ってたから」
って突然私に話し掛けてきた。おじいちゃん「ゲルマン機、何個も落としたよ〜」とかちょっと自慢してた。
復員してからの話もしてたんだけど「娘がスチュワーデスで」とか、やっぱり自慢話。
「よかったら遊びにきて」って名刺渡された。有名な窯元の卸やってる社長さんだった。
私はうちのじーちゃんからはその手の話は全然聞いたことなかったんで新鮮だったよ。
もっと突っ込んであのおじいちゃんの戦争中の話聞いときゃよかった。
816名無し三等兵:03/08/14 19:39 ID:???
うちのじいちゃんは神風特攻隊だったけど、特攻する前日に戦争終了で
一命を取り留めたらしい。180cmオーバーの、当時にしてはかなりの長身で
90ちょっとまで生きてました。

で、そのじいちゃんの長男は残念ながら戦争でお亡くなりになられたんだけど、
墓石には
海軍機関士 昭和20年3月24日 沖縄にて戦死
ってある。はたして船舶に乗ってたのか、潜水艦に乗ってたのか。または
陸戦してたのかどうかさっぱりわからないけど、時期的に米軍沖縄上陸に近いから
結構壮絶な死に様だったんであろうか・・・


合掌。
817名無し三等兵:03/08/14 19:42 ID:T7SHcUiD
夜戦で、敵艦の兵士の顔が見えるくらいの距離で撃ち合い。
あたりは照明弾と火災で昼のように明るい。
その巡洋艦が沈みはじめ、海に飛び込む何百ものアメリカ兵を25ミリで撃ちまくったら
海水が真っ赤になったらしい。さすがに上官に制止されたと聞いた。
818名無し三等兵:03/08/14 19:58 ID:???
神風特別攻撃隊にいたそうです。
出撃する前に終戦を迎えたそうです。
819名無し三等兵:03/08/14 19:59 ID:???
爺さんの話って自慢話と作り話が混じるから判断がむつかしいよね
820名無し三等兵:03/08/14 20:05 ID:???
元戦車兵の爺さんが野戦でピストル百発撃ったとかね(藁

821名無し三等兵:03/08/14 20:33 ID:???
>>819
うん、そこがまたいいんだけどね。
このスレにも何度も出で来たけど、
「実はシナ事変の原因はワシだった・・・」とか、
「どこそこでドイツの飛行機を見たor助けてくれた」とか。
この手の話は嘘だなと瞬時に解るようになったら、
このスレの玄人です。
822名無し三等兵:03/08/14 20:38 ID:???
嘘を嘘を見抜けないと爺さんの利用は難しい
823名無し三等兵:03/08/14 22:28 ID:ENQZ8oyJ
>>821
「実はシナ事変の原因はワシだった・・・」
は見抜けない奴はいない

盧溝橋事件で下痢をしてた人だけだろう
本当にいるかは知らないけど
824名無し三等兵:03/08/14 23:29 ID:???
爺さんは陸軍省に勤務していた。

それしか知らない
825水兵:03/08/14 23:57 ID:BJ0MTOQy
うちの婆さんの兄は、戦艦山城に乗っていた。
826名無し三等兵:03/08/15 00:19 ID:???
小さい頃、爺ちゃんと一緒にお風呂入ってたら、爺ちゃんの
左側のおしりとふとももの境目のところが、直径2cm(記憶あいまい)ぐらい
丸くボコッて陥没していた。
で、これは何かと聞いたら、「鉄砲の玉の跡」だと教えてくれた。
その時はあまりに幼くて、( ´_ゝ`)フーンと聞き流してしまったが、
今考えるとそれってものすごい事じゃないか!!と自分に突っ込み。
爺ちゃーん。゚(゚´Д`゚)゚。
827名無し三等兵:03/08/15 00:35 ID:XxrUPxvM
うちの爺ちゃんは頭に鉄砲の玉の跡あったなあ。
銃弾が血の跡つきで保管してあって子供の頃見て泣いちゃった。

今日は爺ちゃんの弟がいる靖国へ初めて行きます。
飛行機乗りでギニアで亡くなったということしかわからない…。
林檎になって帰ってきたそうです。
828名無し三等兵:03/08/15 01:38 ID:???
>>827
何処の部隊かここに書いていただければ、
可能な限りは調べますよ。
良ければ聞いてみてください。
良い供養になると思います。
829名無し三等兵:03/08/15 01:54 ID:???
とりあえずわかるのはギニアではなくニューギニアだということだが
830名無し三等兵:03/08/15 02:24 ID:???
爺様は比島への輸送部隊にいたらしい。ふと振り返ると後続の船が魚雷で沈んでいたそうだ。
もう一人の爺ちゃんは年がいっていたので種子島で炊事兵だったそうな。
親戚で空襲で8月14日に亡くなった人がいてやるせない。
831名無し三等兵:03/08/15 02:32 ID:???
ちょっとスレ違いだが親父は原爆投下半年前に防火対策で強制立ち退きになり疎開。
おかげで俺がいると思うと運命ってすごい。
戦後広島に帰ったら国民学校の友達はほとんどいなかったそうだ。
『(・∀・)全然知りませんでスタ』
833 :03/08/15 10:44 ID:Cj/6sVDw
なんか生き残って船で帰ってくる途中日本が見えたとき嬉しくて
気が狂って海に飛び込んで死んだ奴がいたと聞いた
834名無し三等兵:03/08/15 14:39 ID:???
>>833
大阪の人だろうね
835名無し三等兵:03/08/15 15:53 ID:KNDk+jmR
戦争体験のある
2ちゃんねらーはおらんか?
836名無し三等兵:03/08/15 16:14 ID:skTEv9jS
郵便局やってたおかげで戦地にいかずに済んで生き残った。
階級は少尉、一応士官だ。
戦後公職追放されるが、後に復帰。
在郷軍人会の役員を務める。
以上。
837名無し三等兵:03/08/15 18:22 ID:???
本当に「天皇陛下万歳!」って死んだんだろうか
死ぬ時ぐらい個人的な事考えるよね、普通
838名無し三等兵:03/08/15 18:39 ID:xHRch5qI
>>837
死ぬときにもやせ我慢する奴はいる
生きてるときでもやせ我慢もできない人もいる

人それぞれ
839名無し三等兵:03/08/15 19:00 ID:dsTzpmfx
数年前に死んだ知り合いのじいちゃん。

零戦のパイロット(曹長って聞いた)で重慶爆撃やアッツ?攻略作戦などに出撃したそうな。
2回ほどマシントラブルで不時着。長江と、海。長江では陸軍部隊、海では輸送艦に助けられたらしい。
あと瑞鶴にも乗ってたって聞いたな。終盤は教官をやってた。

そんなじいちゃんでも車で単独事故をおこしってしまった。
やはり年には勝てなかったということか。それ以来車の操縦はやめてました。
840名無し三等兵:03/08/15 19:03 ID:???
>>839
海軍の場合「曹長」ではなく「兵曹長」(陸軍の准尉に相当)
搭乗員だから「飛行兵曹長」
841名無し三等兵:03/08/15 19:18 ID:???
>>835
全板の中で1人くらいは居るかも。
842山崎教徒:03/08/15 19:23 ID:???
    (^^)<山崎マンセ
  ,,.-‐''""""'''ー-.、
     ,ィ"          \
      /             `、
     ,i              i
   r'-=ニ;'_ー-、___,,.ィ‐‐-,,_ __|
    | r,i   ~`'ー-l;l : : : `l-r'"メ、
   ヾ、       `ー‐'": i!_,l_ノ`
    |         ,:(,..、 ;:|/
    |        ,,,..;:;:;:;,/
    /  `::;;.   '"`ニ二ノ なめたらイカンぜよ!
  /7    ゙゙:`-、;:;:;;;:;:;:;;/
,,.ィ"`:、        "/;:`ー-:、.._ fdgsdfgsd
gs
gsfdsfd

fgdsfっっっっっっっっっっっっg
っっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっg
843山崎 渉:03/08/15 19:58 ID:???
    (⌒V⌒)
   │ ^ ^ │<これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  ⊂|    |つ
   (_)(_)                      山崎パン
844名無し三等兵:03/08/15 20:10 ID:???
バイトにいった農家のじいちゃん(陸軍)の話

レイテの後、当時アメリカ軍が戦意喪失のためやってた日本語放送で
  『 ・・・今日、日本帝国海軍が地球上から消滅しました・・・ 』
というのを聞いたそうだ。

あと、疾風のことは「ハチヨン」と呼んでたらしい。 
845839:03/08/15 20:11 ID:dsTzpmfx
>>840
俺にとってはどうでもいい事だが親切にどうも。
846名無し三等兵:03/08/15 20:32 ID:???
>>834
劇ワラ。
ものすごいブラックジョークだね。
847第1騎兵旅団長:03/08/15 23:40 ID:???
俺のじいちゃんの兄サンは戦死(死に様は知らん)。
じいちゃんはまだ16歳くらいで、赤とんぼと言う訓練機に乗ってた。
出征することなく終戦、残された兄嫁には子供がまだいなかったこともあり
帰還したじいちゃんと結婚して、俺のママンが生まれた

友達のじいちゃんは中国兵に包囲されピストルで自決したそーな
848名無し三等兵:03/08/15 23:50 ID:???
帰省して母方の祖父の話を聞いてきた。
祖父は当時のことを物凄く鮮明に覚えていてビックリした。

15歳で徴用。昭和17年、水上機母艦千代田に乗ってキスカへ。
同行していた、あるぜんちな丸の話もしていたなあ。
そこで雨あられと続く飛行場と港への艦砲射撃を山中から眺めていたという。
山の中腹に対空砲が設置されていたため、低空飛行の米軍飛行機には
役に立たなかったそうだ。もちろん地上にも機銃は設置されていたが、
真っ先に狙われあっさり操者は死んでしまったという。
だから、折角の機銃にも危なくって誰も近寄れなかった(らせなかった)らしい。
849827:03/08/16 00:40 ID:???
>>828
レスありがとうございます。今日、靖国神社に参拝してきました。
昇殿参拝は緊張しましたが、行ってよかったです。
爺ちゃんの弟に関してはもう少し調べてみまつ。
爺ちゃんもう死んでしまっていて…わかる人がいないんです。
実家帰ったら仏壇調べてみようかと。もし部隊とかわかったら軍事板の方に
質問させていただいてもよろしいでしょうか?
小さい頃から「お前は○○(大伯父)に似ている」と言われていてずっと気になってたので…。
…もっと早く気付いていろいろ聞きたかった…爺ちゃんの話も…「満州で冬の夜
小便したら凍るんだぞ!」とかそんな話ばっかりだったねジイチャン…。


850名無し三等兵:03/08/16 02:01 ID:???
>>836
ひょっとして、>>835へのレス?
戦争体験のあるおじいちゃんの2ちゃんねら
なのですか?
851名無し三等兵:03/08/16 02:05 ID:???
ずっと過去ログ見てきたけど…
戦争体験のあるじーちゃん達って、死ぬ間際にその頃のことを思い出す人多いよね。
よほど辛かったんだろうと思う。
うちのじーちゃんもグアムだかサイパン行って無事に帰ってきたけど
後年ボケて「天皇陛下万歳!」とか「俺なんてグアム(サイパン)で死んじゃえば良かったんだ!」とか
凄かったらしいよ。まぁ、ボケてたからそうなっちゃったのかもしれないけど。
でも実際そんなじーちゃん見てたら切なかっただろうなぁ。
病気して入院してからボケちゃったみたいで、お見舞いに行きたいって言ったんだけど母に何度も止められた。
「あんな酷い状態のじーちゃん見せられない」って。
私にとってはじーちゃんはカリスマ的な存在だったので、そんな話を聞くだけでもショックだった。
結局会えたのは亡くなってからで、それは未だに凄く後悔してる。
でも「戦争に行く」ってすごいことなんだろうなって、そのじーちゃんの話を思い出すたびに実感するよ。
なんだかじーちゃん追悼になっちゃった。スレ違いになってゴメンネ。
852名無し三等兵:03/08/16 03:06 ID:???
>>851
いや、良い話ですね。
それもまた、戦争体験の一つだと思いますです。

853名無し三等兵:03/08/16 17:17 ID:???
これは本で読んだ話だけど、
元陸軍中将・宮崎繁三郎が臨終の際、最後に呟いた言葉は、
「参謀、敵中突破で、分離した部隊は間違いなく掌握したか?」
だったらしい。
854名無し三等兵:03/08/16 17:56 ID:w1JQJ9Ta
うちのおじいちゃんには戦争の話は聞かなかったけど、
最近おじいちゃんんが亡くなって遺品を整理していたら、
戦争に行ってる最中の日記が出てきたよー。
855名無し三等兵:03/08/16 18:55 ID:???
もなか
856名無し三等兵:03/08/16 19:09 ID:???
>>854
エピソードを紹介してください!
っていいたいけど、それは故人に対して失礼にあたるのかな・・・。
857名無し三等兵:03/08/16 19:53 ID:???
>>856
日記は後日、誰かに読まれる為に書かれている。
と、何かの本に書いてあったような。
>>854さん
私も是非知りたいです。
お祖父さんの生前の人格とよく相談して、
あなたが発表しても良いと判断したら教えてください。
また、故人に不利になったり、個人を特定できるようなエピソードは
割愛してくださっても結構ですよ。
858名無し三等兵:03/08/16 20:21 ID:???
>>856
うーん、孫がじいちゃんの軌跡をたどるって、
良い供養になるし、じいちゃんの生き様を伝えるのも、
また良い供養になると思います。
けど、やはり、じいちゃんによるかな。
854さん自信が判断する事ですよね。
自分は本音は聞きたいです。
859 :03/08/17 21:04 ID:???
うちの爺様は満州事変に出征してた。そのときの記念品?御猪口がいっぱいある。
男一人の家だったから、志願していったそうだ。なんでも給金がよかったらしいが。
こん時は帰ってこれたんだが、大戦末期に徴兵され、富山丸で沖縄に輸送中に船ごと沈んだ。
鹿児島から出てった次の日に両親が面会に来たって近所の爺様が言ってた。
もう一人のじいさんも男一人だったから、徴兵は遅く、鹿児島で芋ばっかり作ってたとか。
脳卒中でぶっ倒れるまで、辛い事ばっかりだったけど、
もう一度行きたい、もう一度行きたい、と言ってた。
連れて行ってやれなかったのが残念だ。

近所の軍人さんのお墓に
南京攻略直前に腹に銃創受けて他の人に笑いながら死にますと言って、
天皇陛下万歳と叫んで逝かれた方のお墓があります。
860名無し三等兵:03/08/20 11:55 ID:???
うちの爺さんは戦争の話はしたがらないなぁー。
終戦後、食べ物無くて半日歩いて海まで塩やシャコを取り
に行ったりした話とかはしてくれるけどやっぱり思い出したく
ないのかな。
861名無し三等兵:03/08/20 12:11 ID:ponRpxhA
ウチの祖父さんは、セレベス島とかいうところに居たらしい。
シナにも居たとか居ないとか。

鬼軍曹だったらしく、部下にかなり酷い事をしたらしい。
原住民の酋長の娘と結婚する話もあったようだ。

俺が生まれる前に死んだから詳しい事は分からないんだけど、
部隊名とか、戦歴とか教えて欲しいです。
862大和搭乗員:03/08/20 12:22 ID:3JKNM4A2
うちのおじいちゃんは呉の軍港で働いていて大和を見たそうです。
B29の爆劇にも奇跡的に助かりいまもげんきです。
863山崎教徒:03/08/20 13:12 ID:???
   ∧_∧  / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
  ( ´∀`)< うほっいいやまざき!
  (    )  \_____
  | | |
  (__)_)
864名無し三等兵:03/08/20 23:47 ID:InbW3xZy
>>862
呉の空襲の話は結構泣ける
最後煙が入ってきて
海ゆかばを歌いながらばたばた倒れていくあたり
865名無し三等兵:03/08/20 23:54 ID:G8rA61U4
うちの爺ちゃんも海軍に行っていて、油送船の「第二極東丸」に乗船してました。
シンガポールかどっかで大和を見たそうです。
上陸してる間に船が沈められて内地には帰れず、1年間イギリス軍の
捕虜収容所にいました。
なんでも天皇陛下の玉音放送を別の船の通信室で傍受して、そこにいた
一般兵の中で一番最初に終戦を知ったそうです。
866名無し三等兵:03/08/21 01:24 ID:DCNHTlBw
予科練甲種を不合格(体重が足りないのと親が両方死んで他の兄弟も病死してたから?)
       ↓    
    半年近くブラブラ(弁当持って釣りに行ったり、将棋うってた)
       ↓
地元の町内会長みたいのがとてもうるさいので金沢までいってブラブラ
       ↓
   金沢大学の教務助手のアルバイトにありつく
        ↓
   その参ヶ月後予科練乙種合格
        ↓
九州で教練をうける。モールス信号ばっかりやってた。
        ↓
       終戦
        ↓
        大工
        ↓
       自衛隊
867名無し三等兵:03/08/21 02:08 ID:m3qd/pAT
みんなの爺ちゃんスゴイな。
もう20年以上前、俺が消防の頃、戦争の話を2つ聞いた覚えがある。
1.
俺 「爺ちゃん、戦争いったと?」
爺 「うん」
俺 「鉄砲持っとうと?」
爺 「捨てたと」
俺 「もったいなか〜」

2.
俺 「爺ちゃんもやっぱ、戦争したと?」
爺 「うん、南の島でくさ、大きなヒマワリが現地の人ばいじめとったけん、
   爺ちゃんがそのヒマワリば退治してやったとよ」
俺 「ふーん」

こんだけ。w  俺がガキだったんで真面目な話はしてもらえなかったよ。
今から思えば、戦前や戦中、戦後の話を聞いておけばよかった。 (;´Д`) 
868名無し三等兵:03/08/21 02:29 ID:???
>>867
なんか、いいじいちゃんだね。
869名無し三等兵:03/08/21 13:50 ID:???
婆さんは「ガルガワ(北海道・札幌市手稲方面)にB29が飛んできて」って話をします。
北海道空襲は艦載機のはずだよ、と突っ込んでも
「そんなもんじゃない。アメリカの飛行機はデカかった」と話しています。

870名無し三等兵:03/08/21 15:34 ID:eeKYiG96
うちの死んだ婆様の話。終戦直後、家の縁側に醤油の一升瓶を置いてたら、進駐軍の黒人兵が
コーヒーと間違えて売ってくれと英語で話してきた。ちんぶんかんぷんなので近所の新聞記者
やってる人に通訳してもらったらしい。そのとき黒人兵はサブマシンガンをぶら下げていたそ
うだ。
871名無し三等兵:03/08/21 15:54 ID:???
>>869
老人の話は後で聞いた話やテレビで観た事も体験談になってるから判断が難しい
872名無し三等兵:03/08/21 16:07 ID:???
>>870
わはは、なんか良い話だね。
匂い嗅がせたらわかるような気もするけど。
873名無し三等兵:03/08/21 19:02 ID:rzsJWYuL
鳥海乗組です
874名無し三等兵:03/08/21 19:38 ID:???
すんません。
>>867のおじいちゃんのいう「大きなヒマワリ」って何のことだろう・・・?
わかった人、いる?
875867:03/08/21 19:47 ID:Dm5zAmnr
>>874
深い意味はないと思います。
俺が小学生の頃の会話ですので、爺ちゃんも適当な自慢話をしたと思います。
大きなキツネでも、大きなヤカンでも何でも良かったんだと思いますよ。w

爺ちゃんは北九州の生まれなので、多分、菊師団か龍師団だったと想像してます。
ビルマで戦ったのかな。 なんか想像できん。w
876名無し三等兵:03/08/21 20:17 ID:???
874です。
>>867さん、わざわざありがとうございます。
なるほど、小さなお孫さん相手のたとえ話のようなものでしたか。失礼しました。
・・・大きなヒマワリ、と聞いてリングワールドを連想してしまっていた小生は
SF板に逝ってまいります・・・
877名無し三等兵:03/08/21 20:59 ID:TudVZFRB
>>869
北海道上空にもB29が飛来していたという記述
を見たことがあります 道東だけど
8781:03/08/21 21:05 ID:Spm967U/
>>877
B29かどうかあいまいだけど
とにかく爆撃機が道南に爆撃に来てて
撃墜された。
879名無し三等兵:03/08/21 21:07 ID:???
>>860
参考にどうぞ。

『水木氏は戦場で地獄をみてきた人です。このような人たちは決して
勇ましい戦場の武勇伝などを語ろうとはしません。例え初期の頃の
「勝ち戦」を経験していたとしても。あのころ軍に入った人たちは誰でも
「戦死」は覚悟していたでしょうが、「餓死」する事になるとは夢にも
思っていなかったでしょう。この責任は完全に上にあります。
水木氏はこの事に関してはらわたが煮えくりかえっているでしょうが、
この人のすごいところはそれを直接描かない事です。「たまたま生き
残ってしまった」者として死んだ戦友に対する目は限りなくやさしく、』

あなたのお爺さんもきっとつらい事があったんでしょう。
880名無し三等兵:03/08/21 21:17 ID:???
>>878
北海道は昭和20年7月に結構あちこち叩かれてるけど、ほとんどが艦載機によるもの。
一部は艦砲射撃、それも白昼堂々。
B-29が来てたって話は聞かない。
手元の第20・21爆撃兵団のどちらの記録を見ても、北海道の地名は載ってないです。
881名無し三等兵:03/08/21 22:27 ID:???
祖父の兄はノモンハンで戦死したらしい
祖父に聞いても詳しい事は分かんなさそうだから
戦記もので良いのないものか…

>>875-876
大きなヤカンで、"笑うやかん"を連想したので
しばしレゲー板で頭冷やしてくる
882名無し三等兵:03/08/21 22:30 ID:r+p3Wqpv
航法を間違えて北海道に迷いこんだのでは?
883名無し三等兵:03/08/21 22:32 ID:???
>>881
朝日新聞社から出てる、A. D. クックスの「ノモンハン」(文庫版で全4巻)
を嫁。
軍板的には不評な版元だが、良い本だぞ。
作者の人がアメリカ人だから、両軍をわりと公平な目で見ていると思う。
884名無し三等兵:03/08/21 22:36 ID:???
漏れのばあちゃん、畑仕事してる時にB-29に機銃掃射されたそうな
搭乗員の顔がはっきり見えるくらいの超低空で、舐めるように銃撃してきたんだと
ばあちゃんは溝に飛び込んで助かったが、近くにいた近所のおじさんは、飼い犬諸共肉片になって葉っぱにくっついていたそうな

B-29っていうのは多分F4UかF6Fの間違いだと思うんだが
885名無し三等兵:03/08/21 22:43 ID:???
漏れの伯母さん。
学校帰り、畑のあぜ道を歩いていたら艦載機? の機銃掃射にあって。
あわてて友達と一緒に畑の中に隠れたそうな。
艦載機が去った後、友達を見たら、既に事切れていたとか。
886名無し三等兵:03/08/21 22:51 ID:gl5pjuTl
戦場、そして空襲や機銃掃射で知り合いが死んだ、と言う話が
当たり前の経験として語られる祖父母の世代は、
やっぱ戦争を知らずに〜、の世代とは大きな隔たりを感じるなあ。

母方の祖母の話では、大戦末期、狙うものが無くて牛を撃ち殺していたと言う。
887886:03/08/21 22:54 ID:???
日本語おかしい。ごめん。

修正。
アメリカの飛行機は昼間の機銃掃射で
牛を撃ち殺していたという。
888名無し三等兵:03/08/21 23:00 ID:???
>874
毛唐のことと思うが?
ちがったらすまそっ!
889名無し三等兵:03/08/21 23:18 ID:???
確かリア消防だったか、もう少し前。
爺さんと一緒に風呂に入ったことがあった。腹に一か所、紫色の斑点があった。
漏れ「おじいちゃん、これなあに」
爺 「これか? 鉄砲で撃たれた跡だよ」
漏れ「嘘だあ。鉄砲で撃たれたら死んじゃうんだよ」

それからまもなく、爺さんは呆けてしまい、戦争の話を聞くことはなかった。
銃で撃たれても助かることはあるというのを知ったのは、ずいぶん後のことだ。
他の親戚に聞いた話では、爺さんは戦時中、ずっと大陸にいたらしい。
負傷の話は誰も知らないそうだ。
890名無し三等兵:03/08/21 23:30 ID:1lKP3CRe
名古屋にいた母方のおじいさんの話。
おじいさんは年齢が40歳を越えていたので徴兵はされていなかったの
ですが、空襲でなくなりました。
空襲警報が解除されたので、家に戻っていったらまだ上空に2、3機いて、
それに空襲され、家とともに亡くなったらしいです。
名古屋は東京のつぎに空襲の回数が多くて全部で68回空襲され、
そのうち、大規模なのが18回だそうです。
891名無し三等兵:03/08/21 23:50 ID:???
>>884
年寄りにとって敵機は全部B-29なんだろうな
892名無し三等兵:03/08/22 00:18 ID:OHOcmYSI
>>891
戦闘機は全部グラマン
爆弾落とすのは全部B-29
893名無し三等兵:03/08/22 00:25 ID:???
>>891
銃後の年寄りにとっては、だろ?

昔、忘年会やったときに、偶然隣がどこぞの戦友会で。
「○○さん、確か1式戦の3型乗ってたんだよね」
「いや、1型と2型だけ。その後は……」
みたいな会話が漏れ聞こえてきて、すげー、と思ったことがある。
894名無し三等兵:03/08/22 13:06 ID:YddSrVEB
家のばあさんは、戦前戦中に台湾で暮らしていて、一度、重巡高雄を見学したことがあるそうな。
895名無し三等兵:03/08/22 13:34 ID:Or2gjd5k
うちのひーじーちゃんは近衛兵デスタ。
896名無し三等兵:03/08/22 13:36 ID:+wNw1D13

http://www.takamin.com/oekakichat/user/oekakichat3.php?userid=10046

お絵書きチャットで在日がハングルで暴れてます。
だれか来て!加勢たのむ。
祭り!


897名無し三等兵:03/08/22 14:40 ID:???
 うちの曽祖父の弟が青島攻略のとき、伝令兵であったらしく
移動中トーチカから機関銃で撃たれて亡くなったそうです。
 母方の亡くなった祖父は満州に配属されて軽機持たされていた
そうです。ソ連が侵入してくる前に満期除隊、無事帰還。
898名無し三等兵:03/08/22 15:07 ID:lCR1u/MO
>>890
旧軍の医療体制で腹撃たれて助かったのは相当運がいいよ。
899名無し三等兵:03/08/22 16:13 ID:AR9r9RCV
父方の祖父はウエーキ島だったんだけど、先日母から聞いた話では上
海の基地にずっといたと勘違いしていた母方の祖父がタラワにいたら
しい。
良く二人とも生きていたもんだ・・・。
で、子供の頃に良く聞いた、餓死しかけてゴキブリを食べたっていう
話は何故か同じ話を両方から聞いた記憶があったんだけど、両方の祖
父から聞いていたんだと、やっと先日になって分かって納得した。
食べ物を粗末にするなっていう戒めの意味もあるんだろうけど、もし
かしたらゴキブリを食べたっていうのは、そうした戒めのために流行
った話だったのかもしれない。

900山崎教徒:03/08/22 17:34 ID:wvrH0BZx
おまえらに戦争の苦しみはわからない、赤紙を貰い、家族や友人やを残して、不安だがうれしい、そしてみんなから見送られ、勇ましく戦場へ行って人を殺し、苦しんで死ぬ仲間や、即死する仲間の死体を見て、空中から迫撃砲や
500ポンド爆弾が飛んできて、戦車に追われ、攻撃機に機銃掃射から逃げ、一面血の海を見て何のためにやっているのかわからなくなり、女、子どもが暴行され、無惨で死んでいき、その上で町を占領し、国のために
戦って、死んで、けがをして、捕虜になり拷問を受け、仲間に助け
られる、家族に手紙をだし、飢えて雑草を食べて、子どもや妻、親、友
人、隊長、将軍の事を思っ
て生死の境をさまよい、殺した人間のことで眠れなくなり終わりのな
い戦争のことを考え
狂って地獄を見て、戦争が終わり、嬉しさと負けた悲しさで、涙がかれる
まで無き、この後どうや
って生きていけばいいのかとゆ
う不安、戦友の墓に線香を上げ、泣き崩れ、家に向かってみれば家は跡形もなくなっていて、家族を捜す、その見つかった喜び、見つからな
かった、悲しみ、上官に逆らえば、殺される、それで、抵抗できない敵兵を殺して、進駐
軍に捕まり、C休戦版になり、不当な裁判を受け、絞首刑となり、死ぬまで
の時間を待つ、いつ殺されるかわからないのに、俺は悪くないのに・・・助かるかもしれないという希望を持っていたが、それも
無駄だった・・・・・そんな、地獄を見てない奴は戦争を語る資格は
ない
lpgw5おk6い9−00−い6w−w360いおwきすとらにますきてゆいえゆなかゆてい

基地化の邸よ
901名無し三等兵:03/08/22 18:58 ID:KlKxdvLa
>>890
>名古屋は東京のつぎに空襲の回数が多くて全部で68回空襲され、
>そのうち、大規模なのが18回だそうです。

名古屋に対する空襲は六十三回です。ソースは中日新聞協力・ニュースペーパー「ローズ」
揚げ足レス スマソ
902名無し三等兵:03/08/22 19:10 ID:???
今過去帳調べたら、俺んちの分家で爺ちゃんの弟に当たる人が海軍にいたことが判明
海軍上等機関兵曹 武野仁一
昭和20年3月9日 ラバウル基地において空襲の際、直撃弾により戦死

過去帳には何枚かの写真と、部下の大野上等水兵っていう人が戦死の模様を伝えたメモが挟まってた
分家のばあちゃんは10年前に死んで、家が途絶えて詳細は分からずじまい
903名無し三等兵:03/08/22 21:51 ID:???
>>902
諦めるな、今はネットという便利なものがあるよ。
検索しただけで、これだけ出てくるよ。
水木しげるさんもラバウルだったような???
もしかしたら、何か見つかるかもね。

http://www.google.co.jp/search?q=%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%80%80%E6%88%A6%E8%A8%98&hl=ja&lr=&ie=UTF-8&inlang=ja&start=10&sa=N
904名無し三等兵:03/08/22 21:53 ID:???
>>902
その大野さんは見つかるかも。
この検索のトップに、大野と言う海軍の人が出てくるね。

http://www.google.co.jp/search?hl=ja&inlang=ja&ie=Shift_JIS&q=%91%E5%96%EC%81@%8F%E3%93%99%90%85%95%BA&lr=
905881:03/08/23 01:08 ID:???
>>883
Thx!
さっそく探してみます。

一式戦が参加したくらいしか知らない…ダメだな俺。
906名無し三等兵:03/08/23 11:25 ID:???
俺のおじいちゃん、中学生時代に彼女がいたらしい。
一緒に手を繋いで歩いていたら、突然空襲ボパーツ。
夢中で逃げて、逃げて、防空壕に隠れて、ふと見たら
その彼女の腕から先がナカッタ・・・。
指がピクンって動いたそうな。でも不思議と泣かなかったんだって。
俺も彼女がいるんだが、もしもそんなことになったら俺どーゆう顔してるんだろう・・・
907名無し三等兵:03/08/23 12:35 ID:???
>>906
なんと残酷な・・・
908名無し三等兵:03/08/23 14:29 ID:???
>>906
悲しすぎる・・・自分の好きなコがそうなったら俺は発狂するだろうな。
909名無し三等兵:03/08/23 14:43 ID:???
ガ━━━━━━(゚д゚lll)━━━━━━ン    こんな顔
910名無し三等兵:03/08/23 16:56 ID:???
>>906
吐き気してきた・・・
911名無し三等兵:03/08/24 00:30 ID:???
クラシックカメラクラブで、この前会員の83歳の人から聞いた話
「僕はね、ソ満国境にいたんですよ」
「アブみたいな飛行機にダダダダーッと銃撃を受けましてね、味方が大分やられたんですよ」
「本当に怖いのは迫撃砲弾ですよ 大砲の弾は家の影に隠れてれば大丈夫ですが、あれは上から降ってくるんです」
「なんせ頭上の木の枝で爆発して、気絶して気がついたら周りの皆がやられてるんです」
「僕はね、駆逐艦「雪風」で復員したんですよ いや、実にきれいな軍艦でした」
「こう、甲板の脇にベニヤ板が何枚も張り出してありましてね、そこで用を足すんです 館内の便所は少なくてね」

雑談だったので詳しくは聞けなかったが、やっぱりこういう証言は貴重だと思う
912名無し三等兵:03/08/24 00:38 ID:9/HFM35K
お盆に来た住職が
自分が学徒出陣で海軍に入って海防艦が潜水艦に沈められて漂った話とか
特攻隊に行った友達の話しをずっとしていて
漏れは面白く聞いていたのだが
一族みんな興味なくさっさと追い返してしまった。
軍オタだとばれるのがいやで何もできなかったがかなりもったいないことをした。
913名無し三等兵:03/08/24 01:41 ID:AfurYHrW
この前、NHKでやってた「関東軍は何を検閲していたのか」という番組で、
高齢の日本人女性が証言してて、朝鮮と満州の国境の難民収容所にいて、
半分以上(数千人)が死亡したと言ってたけど、何という町だった?
914名無し三等兵:03/08/24 03:56 ID:???
>>912
うちが檀家に入ってる寺の住職さんも戦争体験者のおじいさん。
長身で二枚目のせいか近衛兵?だったらしい。
大陸に渡って、馬に乗っていたとか話してくれた。
荒野の夜は月が出ないと本当に真っ暗で、すぐ前を進んでいる馬も見えなかったそうだ。
そういうときは、馬の蹄が地面の石を踏んで散らす小さな火花だけが前の騎馬の
目印だったとか。ゲリラみたいな中国の兵士に時々襲撃されたという話もしてくれた。
戦争の終わりごろ、ようやくおんぼろの輸送機で仲間と、他の兵士たちと一緒に
日本に帰ることができたらしい。
その時も、離陸した輸送機が高度を稼ぐ?ため、飛行場の回りをぐるぐる、鈍足で
旋回していたとのこと。その時敵機につかまったら、全員、一巻の終わりだと思った
とのこと。
80すぎの住職さんですが、昔の二枚目ぶりを偲ばせる元気でピシッとしたおじいさんです。
これからも、法事の時とかにいろいろ聞いてみるつもり。
915名無し三等兵:03/08/24 07:27 ID:J+FxJtKn
私の母方の祖父は軍人の家系でした。本人は帝大に行きたかったらしいですが、
曾祖父の死と兄の戦死によって幼年学校に行かされたらしいです。
幼年学校時代、その同期の生徒の妹が祖父に一目惚れになり、付き合い始めたのが
私の祖母らしいです。
 祖父方の曾祖父は陸大首席で最終は中将で退役しております。
日露戦争時には左官参謀をやってました。色々な本に名前が残っているほどなので
詳細は述べませんが、パリパリの軍人だったらしいです。
主婦の友 昭和6年11月号にも曾祖父母が出てきてましたな。
その曾祖母が霊能力者だったという触れ込みらしく、軍人の妻で霊能力者というのは
今で言うと、芸能人が霊を見れるというのと同じくらいの感覚だったのかもしれません。
軍人というのは今の芸能人以上に一般の人から注目を浴びていたらしいですね。

 祖母方の曾祖父はどうもMTシップ(神州丸)に携わっていたようです。
(M田 T中の頭文字を取ってMTシップ)この辺りの資料はほとんどなく、
真偽の程は確かではありません。

 お互い高級軍人の家庭らしく、人の目が厳しかったらしいです。
特に幼年学校時代にはあの辻正信に彼女からの手紙を没収された経緯もあり、非常に
腹立たしい奴と2.3年前に仰ってました。
 ただ、祖母は私の母を昭和16年に生んだ後、昭和20年頃には亡くなってます。
 祖父は太平洋戦争時、陸軍航空 情報技術参謀という役職だったらしいですが、
一人しか配置されなかったそうです。かなり疎まれていたらしいと
戦後上官より述べられた所から、かなり技術的、資金的な事でやいのやいの言いあったの
でしょうなぁ。
 東京芝浦電気に赴き、航空よりリアルタイムの画像受像等の戦術研究をしていたようです。
湾岸戦争の映像を見て、戦争ってのは50年も経っているのに変わらないものだという
一言が心に残ってます。
916名無し三等兵:03/08/24 14:28 ID:???
うちの祖母は三部屋しかない家に焼夷弾が四つも落ちてきたと言ってました。
でも、水で濡らしたモップみたいなので叩くとすぐ火が消えるので
特に被害はなかったらしいです。
当時は物資不足で火の消えた焼夷弾の筒(鉄製70〜100cm)は
くず鉄として高く売れるが、警察に捕まるので売ったらだめだったようです。
婦人会とかがリアカーを引いて焼夷弾を集めて周り、
警察署に持っていったと言ってました。

長崎に住んでいたので戦艦武蔵建造中は
「三菱で化け物ば作りよる」という噂が流れていたそうです。
造船所の工員がくず鉄屋に売るために工場から太い銅線を腹に巻いて
盗み出そうとしたけど、造船所からの連絡船から桟橋に飛び移るときに
重くて海に落ちてしまい沈んでいったと笑いながら語ってくれました。
917  :03/08/24 15:23 ID:u9krLGji
うちの婆様は戦艦陸奥の改装前だけど小学校の行事で見学をしたそうな
終わったらおはぎをくれたらしい
918名無し三等兵:03/08/24 15:46 ID:ArMT+wRJ
919名無し三等兵:03/08/24 15:48 ID:???
うちの婆ちゃんは機銃掃射をうけたそうだ
もし死んでいたら俺はこの世に・・
920名無し三等兵:03/08/25 01:12 ID:???
うちの父母は、戦時中のことを聞いても
婆さん「うちは漁師だったから、家族が多くても食料には困らんかったよ」
爺さん「うちは農家だったから、食いモンは幾らでもあった。」
ということばかり。爆撃されたことも殆どないらしい。

・・・( ´∀`)田舎だなあ
921名無し三等兵:03/08/25 09:16 ID:???
>>920 いや、それが一番だよ・・・
922 :03/08/25 10:05 ID:???
うちの親戚もお金はなくて貧乏だったが、食べるものはあったと言っていた。
田舎のほうだとこれが普通なのではないだろうか。

都会だとどうだったんでしょう。話し聞いたことがない。
誰か教えて。
923眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/08/25 22:56 ID:???
>922
うちは少し都会@阪神間だったけど、家の周りの空き地という空き地を畑にして、甘藷植えて
それを主食にしてたらしい。
後、水団は絶対欠かさなかったとか。
他には農家に出向いて、反物と交換に米とかを分けて貰っていたらしい。

戦後の混乱期が一番苦しくて、曾祖父は(まぁ元々贅沢者だったが)それが元で栄養不良となり、
結核になって死んでしまった。

ちなみに、その畑を取潰すときに、市との間に境界争いが起きて、すったもんだの挙げ句、市に土
地を取られたと、ずっと曾祖母がこぼしていたそうな。
924名無し三等兵:03/08/25 23:49 ID:???
うちは田舎もド田舎だけど、親父が20年に戦争から復員してすぐの秋に
伯母(父の姉)に子供ができて乳母車を祝いに送ろうと
名古屋まで買いに行ったら、「この一番いい奴は金では売れない。米一斗なら・・・・」
と言われ「うちは百姓だから米はいくらでもあるわ」って喜んですぐに家に引き返し
一斗缶を自転車に乗せて乳母車と交換してきたそう。
しかし片道50kmほどもあるのによく1日で二往復もしてきたもんだよ(笑)
昔の人の足腰は今の若い香具師とは比べ物にならないほど丈夫だ。
925名無し三等兵:03/08/26 02:58 ID:???
母方の祖父は昭和16年に招集されて17年から終戦まで
中支戦線の独立歩兵大隊(だったかな?)にいたそうです。
前線交代で移動中に終戦になったんだけど、復員するまで10ヶ月支那に足止め。
移動でも武漢から上海まで揚子江を船で1週間かかったって聞ききました。
結局、故郷に復員できたのは昭和21年の冬だったそうです。
その頃の話を色々聞いたんだけど、部隊内でのしごきがあってキツかったらしい。
蝉のまねとか自転車を漕ぐまねをさせられたりしたって聞きました。
戦闘の話はあまりしなかったけど、銃を撃ってくる敵は蒋介石軍ばかりで
共産党軍とはあまり戦わなかったらしく、むしろ、共産党軍がゲリラ化して村に略奪行為を
したりしていたので村長などから共産ゲリラの退治を依頼されたりしたらしいです。
前線での戦闘で左肩に銃弾を受けて、40日間野戦病院に入院。
肩の前面から弾が入り、後ろから弾を取り出して今でもその傷が残っています。
あと20cmほどずれて胸か頭に当たってたらと思うとぞっとします。
生きて帰って来られなければ、自分はいなかったと思うと怖い感じです。
926北斗星:03/08/26 13:59 ID:Un8lFt/n
>村長などから共産ゲリラの退治を依頼されたりしたらしいです

 そういう話は良く聞きますが、細部が判然としない伝聞が多く残念に思ってゐました
 祖父上の所属部隊、時期、場所等々、具体的事情をどうぞお教へください
927hirosima:03/08/26 14:15 ID:m6UonKGb
うちの祖母さん広島市内からは少し離れたとこにすんでた。
原爆落ちたとき窓ガラスがゆれたって言ってた。当然何が起こったかはわかってない。
それから2日後くらいに市内に買い物に行こうとしたら、知っての通りとんでもないことになってて
なにも買わずに急いで帰ったらしい・・・あたりまえだが・・・
928名無し三等兵:03/08/26 16:27 ID:zvG/amIm
戦争ではないが…
うちの母の兄は海上保安庁に勤めていて
昭和29年か30年頃、舞鶴の海で「戦死」したそうだ。享年27か28。
(このようなケースでも靖国は祀るようですね?)

母いわく、「あの頃は今の北朝鮮みたいだったと思う」って。。
おぃおぃ。。
929928:03/08/26 16:29 ID:zvG/amIm
↑母は昭和15年生まれなので
洗脳教育を受けてきたと思われます。
930名無し三等兵:03/08/26 17:45 ID:???
漏れの爺ちゃんは、輸送船「邦栄丸」の軍属の通信員だったそうだ
明治40年生まれ、開戦の時点で既に34歳だったから赤紙は来なかったらしい
海軍は軍属に対し、将校と同扱いしてくれて実に快適だったと言ってた

フィリッピン沖で輸送船が魚雷3本を受けて沈没、そのときに左腕と家宝の刀を失った
「自分の腕は仕方がないが、家宝を失ったのは痛恨極まりない」と
明治生まれはやっぱり精神が強いと思う(実は96歳でまだ元気)
931名無し三等兵:03/08/26 18:10 ID:???
うちの義母は熊本県八代に住んでいたのだが、子供の頃8月の朝ドンという
空気が震える音がしたので炊事の手を止め外を見ると有明海の向こうの
普賢岳の右か左にもくもくとキノコ雲が立ち上がってこれはただ事では無い
と思ったそうだ。長崎の原爆投下の朝だった。
932  :03/08/26 18:39 ID:YbgIfDLm
>>931うちの婆様も熊本にいた確かに原爆のキノコ雲が見えたといっていた
奇遇だなあ
933名無し三等兵:03/08/26 22:40 ID:BAnXPMcI
父方の祖父の話ですが、当時満鉄の技術者をしていたそうで、
家族で満州(大連)へ移動。
終戦時にソビエトの強制収容所(シベリア?)に抑留されたが、仲間と脱走し
徒歩などで半年かけて中国領内へ移動。その後引き上げ船にて無事帰国。
おいおい1000キロ以上逃げてきたのかよ!

祖母は、ソビエト軍は進行してきたおり大連の自宅にいたところ、ソビエトの
少年兵みたいなのが家に押し入ってきてラジオやらナベやらを一切合切持って
いったそうだ。そのソビエト兵の両腕には略奪した腕時計を何本はめてたそうだ。
未だにバーちゃんは「ロスケ」ってゆーよなー

戦争体験でなくてスマソ
934名無し三等兵:03/08/26 23:08 ID:irjUIOV6
露助め、許せん!
935名無し三等兵:03/08/26 23:13 ID:???
>928
あのね・・・きみのお母さんの言ってることは、ある意味正しいんです。
戦後発足された海上保安庁は、昭和20年以降、戦争で殉職者という名の
「戦死者」を出している、戦後日本で唯一の公的機関なんです。

昭和29〜30年頃というと、ちょうど朝鮮戦争のまっただ中。
仁川への上陸作戦を企図していた国連軍は、北東アジアに存在する掃海艇の
総力を挙げて、事前に仁川港周辺部に沈設された北鮮軍の機雷を除去する
作戦を実行したのです。

ところが、アメリカ海軍が当時極東に保有していた掃海艇は、
そのほとんどが内海型で外洋航行能力のないものでした。
そこで国連軍司令部は、日本の沿岸部で太平洋戦争時の機雷の除去作業に
携わっていた海上保安庁の掃海艇隊に目を付けます。
GHQ司令部を間に挟んだ要請によって、舞鶴を母港とする第8管区
海上保安本部所属の特別掃海艇隊が、仁川をはじめとする朝鮮半島沿岸の
敵前掃海作業を開始したのはそれからまもなくの事です。

派遣中、機雷の誘爆や沿岸からの砲撃により、海保特別掃海隊のこうむった
損害は、戦死79名、重軽傷者28名(磁気機雷に引っかからないよう
掃海艇は木製のため、被雷するとバラバラとなる。重軽傷者が少ないのは
このため)にものぼりました。

戦後30年間、この件は政権内部および海上保安庁における
トップシークレットとして封印されてきましたが、1979年に
当時の海保長官の手記が発刊されることにより公のものとなりました。
時期的に見て、あなたのご親戚は間違いなくこの「日本特別掃海隊」
に所属していたものと思われます。

936名無し三等兵:03/08/26 23:54 ID:uqvLKHhP
>>928
母親を疑う前に自分の無知を恥じてこれからは親孝行しろよ。
937名無し三等兵:03/08/27 00:04 ID:PvysIxq6
ジイチャンは海軍で戦艦の武蔵の
駆逐艦に乗ってたっていってたなぁ。船の名前はわからない。
呉だっけ?基地があるの。そこから出航した。
魚雷とかが命中して損傷して戦力にならないから
途中で帰ってきてそのまま終戦。そう聞いた。
もうジイチャン死んじゃったから訊き出せないけどな。
その船の名前知ってたら教えてね。
938名無し三等兵:03/08/27 00:13 ID:ZRoY63/k
家の爺さんは、衛生兵だったらしいが 戦争後期あたりに
スマトラの薬品工場の工場長の任に就くために、
輸送船4隻中の一隻にのり、駆逐艦1隻に護衛されながら向かったらしいが
途中 敵国の潜水艦に輸送船3隻を撃沈されたらしい・・・
そのときに、運良く残りの一隻に乗っていたことを 
自分に話してくれたな・・・・
939名無し三等兵:03/08/27 00:14 ID:???
>>937
意味がよく判らないのだが。
戦艦武蔵の護衛をしていた駆逐艦に乗っていたということ?

レイテ沖海戦の時に最後まで武蔵に付き添っていたのは浜風と清霜だけど、
どっちも終戦までに沈んでるし。

もう少し詳しいこと、判りませんでしょうか?
940名無し三等兵:03/08/27 00:21 ID:???
>937
知障?
941名無し三等兵:03/08/27 00:21 ID:nrZbQhPN
大和の事では?
大和沖縄出撃のときに第二艦隊の駆逐艦に途中で被雷して
帰還した駆逐艦があったそうだ。
942名無し三等兵:03/08/27 00:22 ID:nrZbQhPN
↑すまん、文おかしかったな。
943名無し三等兵:03/08/27 00:23 ID:PvysIxq6
とりあえず戦艦武蔵の護衛艦だったことは確実です。
あとセブ島とかいう島にもよってたらふくバナナ食ったことぐらいしか。。。。
もうジイチャン死んじゃったんで詳しく分かりません。ごめんなさい
944名無し三等兵:03/08/27 00:25 ID:PvysIxq6
>>942
ありがとう、
でも沖縄には行ったことが無いみたいです。
あと武蔵といってました。
945名無し三等兵:03/08/27 00:46 ID:???
>ジイチャンは海軍で戦艦の武蔵の
>駆逐艦に乗ってた
もうこの一文だけで非常に作為的なものを感じますが(w
すこし検証してみましょう。

途中で帰ってきてそのまま終戦、ということは、ニュアンス的に
終戦まで間がないということだから、昭和20年と仮定。
また、呉を出港ということは、昭和20年4月の菊水作戦における
第二艦隊の沖縄突入か。
つまりは「ジイチャン」は大和を武蔵と誤認していたか、
あるいは長い年月のために記憶が曖昧となったか。

さて、第二艦隊に所属する駆逐艦は冬月、涼月、磯風、雪風、
浜風、朝霜、霞、初霜の、計8隻。
このうち、帰還したのは冬月、涼月、雪風、初霜の4隻。

ここでもう一度「そのまま終戦」というニュアンスを考える。
この4隻は大なり小なり損害を受けて帰還したが、この内
「そのまま終戦」になってしまうような大損害を受けた艦は
・・・・・・涼月のみ。涼月は終戦までにドックから出ることが
出来ましたが、それは浮き砲台として出渠したにすぎず、
航海科その他の乗員配置は菊水作戦以降は解かれているのです。

「ジイチャン」の乗っていらした艦は、涼月かと思われます。



946hirosima:03/08/27 00:48 ID:mVzLfRIn
>>944
駆逐艦ではなく巡洋艦かも・・・
うちのじいさんの兄は巡洋艦摩耶に乗ってた
フィリピンのレイテ沖での海戦前に第四戦隊として巡洋艦高雄、摩耶、
愛宕、鳥海とかで米艦を攻撃する予定だったが、
出撃直後に米潜水艦の魚雷を受けて高雄と鳥海以外の艦は撃沈された
摩耶に乗ってたじいさんの兄は戦死。
高雄も魚雷を受けたが自力で帰投、鳥海は無傷だったらしい。
レイテ沖海戦には武蔵も参加してるよ。
947名無し三等兵:03/08/27 01:39 ID:???
>>945
すげえ、見事な推理ですな。
いや、検証か?
948名無し三等兵:03/08/27 03:01 ID:???
うちのじいちゃんは、Ta152のテスト機に乗って
二機のP-51の追跡を振り切って帰還したよ!
949935:03/08/27 03:07 ID:???
945ですが。
いやいや、自分で言うのも何ですが、大ハズレですね。
武蔵の護衛は確実と書いてありますし。涼月は昭和19年10月に
敵潜水艦の雷撃を受けて大破しており、ドック入渠中に武蔵の沈んだ
捷一号作戦が行われています。武蔵の護衛が確実なら、過去にも
武蔵護衛の事実がありませんし、まず間違いなく「ジイチャン」の
乗っていた艦は涼月ではないでしょうね。

問題は、武蔵を護衛したのがいつのことなのか。捷一号作戦のときに
武蔵を護衛したというのなら、必然的に第一遊撃部隊所属艦のうちの
どれか、ということになるのですが、この時第一遊撃部隊はブルネイを
出撃地としていて、呉を出撃した事実はない。

呉を出撃した、という証言を重視するなら、今度は志摩提督率いる
第二遊撃部隊が候補にのぼるのですが(所属艦艇の一部が作戦直前に急遽
呉より合流してきたため)、この艦隊の所属艦は捷一号作戦当時、武蔵を
護衛した事実はない。もし乗っていたのがこの艦隊の所属艦だったのなら、
捷一号作戦より以前に武蔵の護衛任務に就いたことがある、ということ
なんでしょうね。

950名無し三等兵:03/08/27 06:57 ID:???
レイテ沖海戦で、「武蔵の護衛についた」と言えるのは、第1遊撃部隊の
第1部隊と第2部隊に所属する駆逐艦ですが、これは全部で15隻。
1隻を除き、すべて終戦までに沈没しています。
で、生き残った1隻は、かの有名な雪風。
これは終戦時行動可能だったので、>>937さんのお祖父さまが乗っていた
艦ということは無いと思います。

それから、>>935さんが示唆しておられる第2遊撃部隊所属艦の可能性で
すが、こちらで唯一終戦まで健在だったのが潮。
こちらはレイテ作戦終了後の11月13日に空襲で損傷、内地回航には成功し
たものの、行動不能のまま終戦を迎えています。
可能性としてはこちらの方が高いですね。

ただ、武蔵護衛時と、終戦時に乗っていた艦が違う可能性もあるわけで、
そうなると涼月の可能性も出てくると思います。
951名無し三等兵:03/08/27 14:39 ID:???
そろそろ新スレ立ててよろしい?
952名無し三等兵:03/08/27 14:55 ID:???
>>951
よろ
953名無し三等兵:03/08/27 15:23 ID:???
954937:03/08/27 16:12 ID:???
今日調べにじいちゃん家いってきた。お参りもしてきた。
船の写真が額に入って飾ってた。。
こういうのは全員にもらえるのかな?賞状とかもあった。
船の名前はやっぱり書かれて無かった。後のほうにクレーンみたいなの?があって前に大砲があった。
ただ海軍にいた話と、昔ジイチャンが家に遊びにきたときに話してくれた内容は
自分自身の体験じゃないのも入っててあまり関連が無い話だったのかもしれません。
かなりちぐはぐ。バナナ食ってきたのは本当。
ほんとは沖縄にも行ったのかもしれませんね。
955937:03/08/27 16:18 ID:???
http://www.ttmy.ne.jp/~katsunaga/takao.htm
こういう船に、似てるなぁ。>>946のお爺さんと会ってたかもね。
でも、もっと小さかったかな。
ネットで調べたら日本の艦船ってほとんど残ってないんだね。
普通ならとっくに逝ってた可能性が大きかったんだ。。。。。
じいちゃんスゲー
損傷して生きていた船は潮と高尾と涼月あたりに絞られるんですね。たぶんそのどれか。
十分収穫でした。。回答どうもありがとうございます。

それにしても>>945>>949>>950の方って何の仕事をしてらっしゃるんですか??
よく知ってますね
956名無し三等兵:03/08/27 16:42 ID:???
>>955
>よく知ってますね

軍事板に来ておいて何を言うねんと小一時間。
957937:03/08/27 16:45 ID:???
ハングルとかニュー速系の人たちが多いと思ってたもので。。。。
958名無し三等兵:03/08/27 18:55 ID:???
>>957
・・・偏見?
959名無し三等兵:03/08/27 19:42 ID:???
>>958
軍事=世界情勢と思い込んでた人なのかもよ。
960名無し三等兵:03/08/27 20:19 ID:???
>>954
その写真、うpしたら、艦名判るかも知れませんよ。
あと、賞状の送り主の名前とかも手がかりになるかもです。
961937:03/08/27 20:51 ID:???
あ、賞状は
貴方は先の大戦で云々、、、とかかかれてた海部総理の賞状です(w
まぁ、生きて無事で帰ってきて俺がいるのだし、あまり詮索するのもやめたほうがいいかな。
なんかありそうだし(^^;;

俺、もともと叩かれやすい性格なもので、これで。。
962935:03/08/28 04:13 ID:???
>937さん
お役に立てずすいません。

ですが、954での貴方の書かれた「クレーン」の存在により、
「ジイチャン」の乗っておられた艦は高雄か、あるいは妙高のどちらかでは
ないかと私は結論します。写真に映るくらい大きなクレーンは、
水上機揚収用デリック以外に考えられず、必然的に駆逐艦ではなく
軽巡洋艦以上のクラスと断定されるわけです。

加えて捷一号作戦当時、武蔵の属する第一遊撃部隊で、被弾により
艦隊から落伍し引き返した巡洋艦は高雄、妙高の2隻です。
どちらもシンガポール港に係留され、そのまま終戦を迎えております。

以上、ご報告までに。それから、先の文で
>もうこの一文だけで非常に作為的なものを感じますが(w
と書いてしまったのは、私の全くの勘違いです。
ここに心よりお詫び申し上げます。
963名無し三等兵:03/08/28 05:20 ID:???
滑走路作ってたそうな
964名無し三等兵:03/08/28 11:12 ID:b2qaYcna
設営隊は(朝鮮)半島人が多かった
965名無し三等兵:03/08/28 11:27 ID:???
>>935・936
偉そうなことぬかすな!!ただの薄汚い軍オ他のくせに!!!
966名無し三等兵:03/08/28 12:27 ID:b2qaYcna
おまいたいどわるいぞ
967名無し三等兵:03/08/28 12:39 ID:???
藻前様方、移行よろしこ。
あなたのおじい様の戦争体験をおしえて その2
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1061964556/
968名無し三等兵:03/08/28 20:12 ID:???
ではこちらは埋め立てでよろしい?
969名無し三等兵:03/08/28 23:10 ID:???
埋め立てというと…


お〜い、誰か梅さんの行方を知らんか?


だね?
970名無し三等兵:03/08/30 03:54 ID:7WRpHlOH
       / /        ./      ,,-" / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ____/ /_____./     ,,-"   | ・・・まもなく新スレ行き列車が参ります。
      / /       /     ,,-"      | 白線の内側までお下がり下さい。
 ───/ /────./    ,,-"       \_______________
 ──. / /─── /    ,,-"      ,, - "       Turrrrrr......
 二二/.「 二二二/   ,,-"     ,, - "       ,,,, -
 三 .//.| |三三/   ,,-"    ,, - "     ,,,, -- ""
 ≡// | |≡/  ,,-"  ,, - "    ,,,, -- "         ______
  .//  .| |/  ,,-" ,, - "  ,,,, -- ""            |______
 //   | | ,,-"- ",,,, -- ""                         | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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      (    )               "''- ,,         "''''-、,,,__
      /    i ≡≡≡ヽ     ゙-、≡≡≡≡ "''- ,,
      i _   U\三三三三ヽ     ゙-、三三三三三 "'' - ,,_
       し'〃⌒ヽ \ニニニニニニニヽ     ゙-、ニニニニニニニニ   "''
       (___)  \二二二二二ヽ     ゙-、二二二二二二二
あなたのおじい様の戦争体験をおしえて その2
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1061964556/
971 ◆Vtc4h5ikVw :03/08/30 04:39 ID:sBPApLwR
おじいさんちゃうけど
おじさんは大阪に出稼ぎにいってたんだがなにげに大阪大空襲遭遇、
ホウホウの体で軌道沿いに岡山まで逃げてきた、

するとなにげに岡山大空襲遭遇、

なんとか生き残って実家に帰ったときには痩せこけてたそうな。
972名無し三等兵:03/08/30 06:09 ID:GPmDyNTP
2004年1月1日00:00分、北朝鮮は日本国に対して宣戦布告を行った
その時すでにテポドンが東京へ向け発射されていた



後宜しく
973名無し三等兵:03/08/30 09:45 ID:???
>>970
すげー
974名無し三等兵:03/09/03 11:42 ID:gZxb2XqT
>972
・・・悲しきかな、テポドンの性能ではピンポイントでの攻撃は不可能で有った。
テポドンは野島崎沖15キロの海上に落下した。

もちろん、弾頭が核であったらそれでも致命的である、しかし弾頭に詰まっていた其れは
核廃棄物であった。

きんしょうにちなりに計算を働かせた結果で有った。
--実際の核兵器を使用しては、米軍からの核攻撃の口実になる。
しかし、近隣諸国--特に金づるの日本には舐められたくない。
そして、核開発が虚言でない事を証明したい---

そのような計算の上での、ぎりぎりの判断で有った。



しかし、事態の進展は彼の事情を考慮などしてくれなかった。




以下続く(誰かによって・・・W)
975名無し三等兵:03/09/03 14:02 ID:???
手歩ドンの精度は山手線の内側くらいの範囲、と聞いたが・・・
976名無し三等兵:03/09/03 20:33 ID:???
その制度は将軍様に報告された精度であり、
実際は野島崎沖15キロに落ちた。
この事件の後日談として、
金日成記念開発局(北朝鮮の核兵器の核ハツ施設の秘匿名)の
チャ・ヘンピ主任が粛清された事実が後にわかり、
北朝鮮は日本本土を攻撃するはずだった事が解明されている。

北はこれを
「侵略国・日本に対する当然に報復。
 過去と現在に対する賠償として、2億ドルの経済援助をしない限り、
 北朝鮮は侵害された正当な権利の回復をする。」と宣伝した。

北の思惑は、停滞した経済を回復させるために、
アメリカとの戦争と核無くして軍事的威圧を高めようとしたが、
思惑から外れて、アメリカは在日・在韓国米軍を増強し始めた・・・。
977名無し三等兵:03/09/03 23:16 ID:Re7l31Bn
本人は面白いと思って書いてるんだろうけど・・・

なんというかなあ・・・
978名無し初年兵:03/09/03 23:36 ID:???
>>972,974,976
まったくのスレ違いです奈。面白味もないし。
ご自分を粛清してくだちい。
979978:03/09/04 00:20 ID:???
ああ。
しまった、旧スレの埋め立てでしたか。
誠に申し訳ない。首釣って氏んできます。

ナニヤッテンダヲレハ・・・
980名無し三等兵:03/09/04 00:45 ID:???
うちの爺ちゃん。

何万人も行って何十人しか帰って来なかったあの白骨街道の生き残り。
生還できた理由は戦車部隊だったから。
食料をこっそり車内隠していたので、飢え死にせずにすんだ。
何でも味方の基地に到着した時にはもう動けなくて、
物凄く飢えていたのに重湯くらいしか口にできなかったらしい。



↓おまけの恐ろしい戦争話。



さて、殺しても死なない奴ってのはいるもので、
部隊に一人凄く元気な奴がいた。そいつはへろへろの爺ちゃん達尻目にがんがん飯食って、


それが原因で死んだ。

981980:03/09/04 00:51 ID:???
追記。

戦後爺ちゃんは鍛冶屋になった。
戦中からずっと薬莢だの鉄板だのを曲げたりして、
小物とか作ってたから。

爺ちゃん自作のマジ薬莢製おしゃれキーホルダーや
マジ戦車装甲製お弁当箱は探せば実家にあるはず。
982名無し初年兵:03/09/04 01:05 ID:???
>マジ戦車装甲製お弁当箱

正面装甲でつか?
いや後部・側面の切り出しだとしても、弁当箱にしては、ぶ厚くて重そうな・・・。
983名無し三等兵
>>982
多分、加工しやすいエンジンカバーとかどこかでしょう。
流石にかなりの器具が無いと加工できない外板装甲は、
選ばないでしょう。

そういえば、どこかの収容所で米兵相手に手先の器用な兵士が
煙草入れを作って、それを普通では手に入らない、
酒や何かと交換してもらっていて、非常に感謝されたと言うのを
読んだ記憶があります。
もしかしたら、981さんのおじいさんの話かもね。