1 :
名無し三等兵:
山本五十六は逆立ちが得意
>>1 その話、よく聞くけど実はそうでもないらしいよ。
4 :
名無し三等兵:02/09/20 19:00 ID:aGksTpgD
バロン西はオリンピックメダリスト
米太平洋艦隊随一の知将として知られる、スプルアンスは
同時に、太平洋艦隊随一の怠け者としても知られる。
多聞少将は酔ったら踊りだすそうだ
「ブル」とあだ名される程の猛将ハルゼーも、アイスクリームを買うときは
ちゃんと規律を守って、自分で並んで買っていた。
8 :
名無し三等兵:02/09/20 19:28 ID:1DqQiS23
このての人物雑話スレにはけっこう期待する。
パットンのあの厳しい表情は作り
剛直清楚の印象が強い乃木希典も、若い頃は放蕩三昧の遊び人だった。
マッカーサーはマザコンだった
と、信じられないが本当だスレにありました。
13 :
名無し三等兵:02/09/20 21:29 ID:cUrDo50q
牛島満大将の陸軍大学校卒業席次はビリから2番目。
パットンの親は地方の名士。
妻は大富豪の娘。
パットンは、オリンピックに出場していた…… とか?
>7
あの「ブル」ハルゼー提督がアイスクリームを買う時点で既に意外な一面と言えるような気が
>>16 アメリカ人、アイスクリーム好きだから……
潜水艦にも付いてるんだぜ<アイスクリーム製造機
>>15 パットン将軍は1912年ストックホルム大会で
近代五種(射撃、フェンシング、水泳、馬術、クロスカントリー)に出場
5位に入賞したが、一番成績が悪かったのが射撃だった。
一説によれば、射撃の審判が低く採点したことに、脅迫まがいの抗議をして
さらに成績を下げられたとか・・・
ついでにこれもパットン
士官学校に入るまでは
無邪気で遊びとお話が大好きな人だった
士官学校を優秀な成績で卒業したのは
親父のジョージ=スミス=パットン二世
20 :
名無し三等兵:02/09/20 23:09 ID:9NGzjxBd
ヒトラーは演説を印象付ける為にオペラ歌手のレッスンを受けた
21 :
名無し三等兵:02/09/20 23:46 ID:ILQp9Sc/
A級戦犯として処刑された武藤章中将は対米開戦間近のころ、軍務局で日米交渉成功のために奔走し
「ヲマエラはそんなに戦争が好きか!?ヲレは戦争が大嫌いだ!」と叫んで、開戦派の将校と殴り合いの喧嘩をした。
ヒトラーがベジタリアンになったのは姪が自殺したから
23 :
父から聞いた話だが:02/09/20 23:51 ID:Z94+bDp1
寡黙なイメージのある東郷は若い頃、おしゃべりだったらしい。
それを西郷隆盛に注意されて、口を慎むようになったとか。
24 :
:02/09/20 23:55 ID:cIng2KdJ
我らが第三帝国総統閣下による、芸術展での女性裸体を書いた画家に対する評価
「ドイツが欧州を征服したあかつきには、
彼には女体がどういう形態をしているか私が教えてあげよう」
25 :
名無し三等兵:02/09/20 23:58 ID:cfCAkrFI
伍長閣下の学生時代のセリフ
「母よ、貴方はモナリザのように美しい」
27 :
名無し三等兵:02/09/21 00:53 ID:CnL1JPEf
民間人殺し作戦で、戦略爆撃機搭乗員達からも忌み嫌われた鬼畜ルメイ。
飛行訓練で事故死が発生しても、それを目の当たりにして口にする台詞は「次!」。
さすがに文句を言われて応じた台詞は「今は訓練が先だ。死んだ学生のことは夜考える」。
その夜は悲しみの涙で枕を濡らしたのであろうか?(んなわきゃ無ぇ)
28 :
名無し三等兵:02/09/21 01:04 ID:8NpWqqed
>27
それは意外でもなんでもなくイメージ通りですな。
29 :
名無し三等兵:02/09/21 01:27 ID:uEQQUF1x
名将かどうかわからんが乃木希典は若い頃、ティムポで障子を
突き破ってご満悦だったそうな。
名ブツだね
31 :
名無し三等兵:02/09/21 04:31 ID:/K/7lWxj
山本五十六は油揚げの入った味噌汁が好物だった。
田中角栄が逮捕されて最初に出された食事の味噌汁の具はキャベツだった
きよし師匠には子供が三人居た
山下画伯は結構キレやすい性格だったそうだ。
グデーリアンはヒトラーに戦車中心の新しい戦術理論が気に入られて、新生ドイツ軍の
中心幹部になったので、ヒトラーと頻繁に会って話をしていたように思われているかも
しれないけど、ドイツのムンスター戦車博物館の公式資料によると、1933年からの
8年間の間にたったの16回しかヒトラーと会談をしたことがなかった。
ロンメルは少年時代、グライダーオタクで技術者志望だった。
…そんな彼は後年、部下が止めるのも聞かずに
嵐の吹き荒れる前線でグライダーに乗りまくることとなる。
たぶん好きで乗っていたに違いない。
グライダーじゃなくてシュトルヒでは?
宮崎駿が軍オタなのは一般人には知られていない
40 :
名無し三等兵:02/09/22 10:32 ID:BoiPd4eZ
杉野兵曹長の長男は戦艦長門の最後の艦長...なんてのは常識かな。
あぼーん
42 :
名無し三等兵:02/09/22 13:28 ID:/2R3arL3
乃木希典は、日露戦争で両手を失った兵隊達のために
義手を創りそれを自費で配ったそうな。
43 :
名無し三等兵:02/09/22 18:00 ID:Jy7Z3pc0
井上成美は日独防共協定には賛成していた。
井上成美伝記刊行会『井上成美』210ページ。
44 :
名無し三等兵:02/09/22 19:33 ID:xIne3LK0
猛将のイメージのパットンは実は
読書家で古代ローマ史が好きだった、とかは?
45 :
名無し三等兵:02/09/22 19:42 ID:380etdqd
我らが昭和天皇大元帥は皇太子であらせられたおり、欧州諸国を歴訪した。
鉄道の発祥地英国で地下鉄に乗ったが降りるとき改札口で駅員に呼び止められた。
「切符を返してくれ」、とのこと。皇太子のたっての希望でその手に握りしめられた
切符はお土産として日本に持ち帰られた。
マッカーサー元帥は子供の頃、貴族流の育児法を施された。
学校に上がるまではスカートをはかされていたのだ。
47 :
へまむし入道:02/09/22 19:51 ID:w+/m2CRX
秋山真之は霊的なものに関心が強く、大正5年に、後に政府によって弾圧される
オカルトな方には超有名な古神道教団「大本教」信者となる。
ところがあるとき神憑りとなり、教団の最高権力者の出口王仁三郎(有名)の制止
も聞かず、大正15年6月26日に東京大震災があると政府高官にふれまわり、それ
が外れると、大本教を罵倒してまわったという。
48 :
名無し三等兵:02/09/22 19:54 ID:jkBwq7yq
>>44 だいたいにおいて、欧米エリートは日本のそれに比べて幅広い教養を身につけて
いると言われるね。
軍人であれ、政治家であれ、ビジネスマンであれ、仕事の現場では鬼神のごとく、
だが食事やパーティーの席では古典の詩を暗誦し、音楽やワインの薀蓄を語り、
そして美しい女性を見ればロマンティックに口説く・・・
まあ、誇張はあろうけど、そういう男がカッコいいと思われている。
昔この話をしてくれた恩師は、「しかるに日本のエリートには専門書以外は
漫画しか読まないような奴らばかりだ・・・」と嘆いていた。
そういえば、塚原二四三って爆弾の弾片で右手がちぎれそうだったとき
自分で腕をもいで、振り回しながら敵の爆撃機に「おぼえてろ」と叫んだらしい
その後、倒れたらしいけど・・・
ロンメルはチビだった!
東郷平八郎もチビ。
52 :
名無し三等兵:02/09/22 23:48 ID:Fr7rMD98
世界の戦闘気乗りで、エースと呼ばれる連中はそれほど運動神経がいいのは多くなく、
体調不良を訴えたり、年中青い顔をしている連中が多かったそうだ。
坂井三郎さんの手記から。
俺の友人のF4乗りは、目は非常によかったが極めて縁起を担ぐ奴で、魔女の宅急便をはじめ
黒猫の絵を見たら飛ぶのを異様に嫌がった。(今も嫌がっているが)
名将ではないが、名パイロットということで勘弁。
ナポレオンはメシャムのパイプがお気に入りで、
色艶を出すために一日中部下に吸わせてたらしい。
が、それってパイプに悪いのでは?
誰だったか忘れたんだけど、WWIIの頃のドイツのある将軍はイギリス推理小説の
マニアだったらしい。執務室でこっそり読むのが楽しみで、だれかが部屋に
入ってくるとあわてて本を隠したんだとか。
55 :
名無し三等兵:02/09/23 00:41 ID:VN0KiaAA
ドイツの誇るエースパイロット、ハンス・ルーデルは世界一の被撃墜王でもある
被撃墜回数30回
56 :
名無し三等兵:02/09/23 00:54 ID:0vgB7tPE
陸軍中野学校のゲリラ戦エリート小野田大尉は
戦前は上海の民間商社勤めで夜な夜な遊び回っていた
>>54 ルントシュテットだったと思う
やたら頑迷などと非難される宇垣纏中将だが、
軍令部第1部長時代は日米戦争に発展するとして三国同盟に反対した。
「駐在国が駐在者の母国であるような素振りをする」とよく揶揄された中、
彼が駐独武官だったという点が面白いかも
58 :
名無し三等兵:02/09/23 01:09 ID:gzXUwS/f
「海軍メイド事件」で宇垣だけドイツ爆乳メイド娘に籠絡されなかったのか?>57
59 :
:02/09/23 01:14 ID:cWi3eEW5
爆乳メイドごときでは宇垣クラスになると辛いだろう
魔乳メイド娘キヴォンヌ
(;゚∀゚)=3
63 :
59:02/09/23 01:20 ID:???
今調べてきたw
あのスレの突然の盛り上がりが好きだ。
ほんじゃ、三国軍事同盟にイタ公が参加できたのは、実は…と妄想してみる
65 :
57:02/09/23 01:43 ID:???
>>58 幸い駐在がナチス政権前
しかしその後の武官たちはバタバタと毒牙に・・・(苦笑)
>64
110?!
ハァハァする前に驚愕しちまったよ・・・
こち亀のキャラみたいだな・・・
まさしく魔乳・・・
>>59 かなり前にこの板で話題になっていたぞ。
漏れが見た時は、すでに過去ログだったからもうないだろう。スレタイも忘れたし。
俺、でか乳は嫌い。持田真樹並でいい。こっちが上品。
70 :
津奈木侍:02/09/23 18:03 ID:???
も・・・揉ま・・・
遠慮しておく。
ナポレオンは田虫が疼きだすと
石柱に抱きついたり、裸になって石畳に寝転がって
痒さを凌いだ
出所あやふやですみません
チャーチルの趣味はレンガ積み。
あるとき、公邸のレンガ塀が崩れたのでここぞとばかりに補修しようとしたら、
レンガ工組合からクレームがついた。
曰く「レンガ工事を施工できるのはレンガ工組合員だけです。あなたがイギリス連邦の
首相であってもこの規定には従ってもらわねばなりません」
チャーチルはその日のうちに自らレンガ工組合へ組合員加入届けを出しに行った。
>>72 ほんと?
いやー、チャーチルにもかわいらしい一面があったもんだ…。
ところで連合艦隊の黒島亀人参謀は、月に一回しか風呂に入らなかったというのは本当だろうか…。
ソースは中島親孝元参謀の書いた本。
ヴィシー政権のペダン元帥は戦前はヒューマニストで知られた
>5関連
アメリカの知将で知られるスプールアンス提督は非常なものぐさで、たとえ
艦隊勤務中でも午後8時になると「定時だ」と云って自室に帰ってしまった。
チャーチルは油絵が得意だったが裏技だった。
投影機でキャンバスに風景を写し、そのまま油絵でなぞった。
また人間は一切描かなかった。
理由は「文句を言われたら困るじゃないか」
でも文才は優れていたが・・・・ラテン語はすさまじく悪かった。
宿題はラテン語が得意な同級生と交換して書いていた。
何かチャーチルって人間味溢れてていいね
78 :
名無し三等兵:02/09/24 18:52 ID:tOQwRldG
>>77 レイシストでしかも性格悪いけど
見てて面白いよな。
気質的には何か伍長閣下と似ている気がする。チャーチル戦車ごり押しのくだりとかねー
80 :
名無し三等兵:02/09/24 19:06 ID:ihS2B68f
猛将・角田覚治は宴会芸の「ドジョウすくい」が上手かった。
始めは歌を歌うつもりだったが、家でレコードをかけて練習中に
娘から「お父さん、お願いだから止めて」と懇願されるぐらい音痴だった。
81 :
七誌参謀:02/09/24 19:26 ID:???
若かりし頃の昭和帝、実は怒りだすと手がつけられない暴れん坊だった
と、自称宮城付き武官だったジジが言っていた
とくに226の時はそりゃーすごかったと
「馬鹿どもが!!、私の大事な部下を殺すとは(以下略」
と相当、怒ってたらしい。
「朕自ら近衛を率いて」
ってものすごく穏やかに言ってるけど
実際は皆殺しぐらい言ってたかもしれないな
先帝陛下は独り言が多かった。
84 :
名無し三等兵:02/09/24 21:10 ID:wvobYWPt
レイテ沖海戦における爆装零戦による米空母攻撃の経緯を上奏されて
「そこまでせねばならなかったのか、しかしよくやった」
前の句は臣民を信頼し統治者である「天皇」として、後半の句は将兵を統帥する「大元帥」として、一人で二つの人格を兼ねた人間の苦悩が察することが出来る
>>84 思っていても、口が割けても、立場上は「統帥の外道だ」とは言えんのだろうなぁ…
もっとも、言ったとしたら、歴史が大きく変わったろうが…。
阿川本にあるが海軍の艦隊派、条約派の対立の根底は
退官後の恩給のあまりの少なさにあった。
87 :
名無し三等兵:02/09/25 01:33 ID:D/19e//T
東条英機は感情がわかりやすい人で
戦果の報告を受けた時にはしばらくの間、小躍りするほど喜び
損害の報告を受けた時には傍から見ていても気の毒になるくらいに落ち込む人だった
>>80 へえ、あの厳しい人にもそんなお茶目な一面が(w
89 :
名無し三等兵:02/09/25 02:50 ID:d40br5zg
>>83 先帝陛下は優秀で在らせられたが
周りにはバカが多かったからな。
マッカーサーは陸軍士官学校時代、自分の寄宿舎の前に母親が住んでいた。
母親は常にマッカーサーを監視し、夜自習室の電気が他の誰よりも早く消えてないかを
見張っていた。
なお、前回の大統領選挙で落選したゴア元副大統領にも同じようなエピソードがある。
山本五十六は博打が大変強かった。
モナコかどこかで勝ちすぎて出入り禁止になったほど。
真珠湾計画をはじめて聞かされた昭和天皇は、うまくいくか
心配していたが、五十六の指揮だと聞いて安心したという。
>84
>そこまでせねばならなかったのか、
その次に「遺憾である」が入っていたという説もあり。事の真偽を知る者は
敢えて秘したまま棺桶に入るのであろうが。
93 :
名無し三等兵:02/09/25 05:11 ID:6ReUUA2w
鬱の酷かったころのチャーチルは自殺願望にとらわれ、
駅のホームで電車が来ると飛び込みたくなる衝動を抑えるため
必死にホームの柱にしがみついていたそうな。
94 :
名無し三等兵:02/09/25 12:42 ID:6R84sAcS
>>75 スプルアンスは書類仕事が大嫌いで、サイン以上のことをしようとはしなかった。
そのため、ムーア参謀長はスプルアンスの口頭命令を文書にまとめなければならず、
大変な苦労をする羽目になった。
>>91 1行目:強かった→好きだった
2行目:山本のホラ
3行目:バクチとは無関係
96 :
名無し三等兵:02/09/25 19:06 ID:W7eSjr+T
五十六くんは重度の甘党で好物は「水まんじゅう」と「みつ豆」。
山本56くんは実際甘党と言うより、酒がほとんど飲めなかった。
日本酒1合飲んだ後、気分が悪くなって帰ったこともある。(それが限界だった)
ただ、何事もばくちの対象らしくて、米内には結構諫言されたらしい。
先帝陛下が24時間テレビが放送されている時に一言
「その様なツマラン番組より、徹子の部屋が見たい」
,.:ニ二三ニニニニ二:、
. ix:::三彡=-ー'''゙゙゙ヾ、_ヽ
iX:::::xノ" __ __ ミiii、
|彡;"  ̄ iiiij
,=彡 -=='' '' ==、 ijij
i 、i|: .ミ-○。i、○= ii|'
'; ' :: ー'" , i,゙'ー ,l
ーi:::::i. ' iiiiiii"" :j / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|::::: i' ,==-、) ノ < その様な番組より
〉::::: ゙二 ̄ ノ | 徹子の部屋が見たい
,,..ィ'゙|、 ー- ー ノ \_________
''" | ';\  ̄ jヽ、
| '; \_____ ノ.| ヽ、
| \/゙(__)\,| i |
> ヽ. ハ | ||
■ 昭和天皇(1901〜1989) ■
100 :
名無し三等兵:02/09/26 10:40 ID:f2g1bikh
>98-99
良い国になったもんだ。
陛下はそのような事をおっしゃられていたのか…。
たしかに24時間テレビはツマラソ。
昭和天皇がそんなことをねえ。
確かにあんなつまらん番組もないな。仰る通りだ。
徹子の部屋もt
カチャ
;y=ー( ゚д゚)・∵. ターン
\/| |)
山本五十六元帥といえば、日露戦争、日本海海戦で負傷し指を何本か無くされているが
海軍省に勤務していた時代、着流しでタクシーに乗り、海軍省の手前で止めさせ、「おう、オレはこれだ
」と指の無いほうの手を運ちゃんに見せ付け、ヤクザの振りをして運賃を踏み倒すという
こまった遊びが好きだったそうな。あとで従兵が運賃届けていたらしいが
>>106 ユーモアとウィットに満ちた人間と言えw
まあ、悪趣味だがなww
>>107 裏事情板あたりの「DQNな客〜」スレで晒しものになりそうだw
先帝陛下がつまらんと言ったのは手塚治虫アニメを24時間テレビで
やらなくなった為と思われ
110 :
名無し三等兵:02/09/26 15:30 ID:PAePM0UG
>>109 昭和天皇が崩御したのが
十何年前だか知ってて言ってるのですか?
先帝陛下は、海外の要人とご歓談されるさい、
「あ、そう」と相槌をお打たれになられたとのこと。
確かに、a so = 「そのように、そんな感じで?」ってな意味にはなるが・・・。
>>105 いま公務員がそんなことやったら社会面で叩かれて左遷間違いなしだな(w
>>111 ならないってば。I seeというように誰かが助言すればよかったのに。
114 :
名無し三等兵:02/09/26 16:05 ID:ZnFu4H0l
>>111 つーか、アメリカ人より流暢な英語(キングス・イングリッシュ)喋れるのに何故に日本語で相槌?
英語が上手いのは吉田茂とかあたりじゃ?
117 :
名無し三等兵:02/09/26 16:40 ID:VEJS/9VC
>>91 博打好きにチップにされた可哀想な日本・・・
118 :
五十六:02/09/26 17:54 ID:n+QTvoXi
草鹿任一だったと思うが、戦後に一人で歩いていると蕎麦配達のカブに跳ねられ骨折したが、
一緒に転倒したカブの運転手に手を貸して起こしたそうな。
>>118 まぁ言った通り「少しの間」
だけど太平洋を暴れ回ってくれたからOKw
戦前、ゲッペルスはヒトラーの誕生日プレゼントに当時は観ることすら禁じられていた
ディズニーアニメを渡すとヒトラーは大変喜んだ。
そして一通り観終わったヒトラーはゲッペルスにこう言った。
「ゲッペルスよ、何故我がドイツでこのようなものを作れないのだ?」
ネタはゲッペルスの日記。
ガイシュツかもしれんけど、北の将軍様は
ルパン三世が大好きらすぃ。
123 :
名無し三等兵:02/09/26 18:43 ID:GqDvKsdG
じゃあ悦び組とルパンと不二子ちゃんゴッコとかしてるのか!?
ヒトラーが従姉妹のゲリと愛人関係だったというのは有名ですか?
>>123 そこまでは知らんけど、ワルサーP38を構える首領様
のお写真が何年か前のPXマガジンに載ってた記憶がある。
>>110 24時間テレビのアニメがやらなくなったのは崩御より先です。
>>121 ドイツでもアニメ作ってましたな。
127 :
名無し三等兵:02/09/26 20:48 ID:uwNtMR+6
>>54,57
ルントシュテットだったと思う
そうそう。レン・デイトンの『電撃戦』にかいてあった。
たしかシャーロック・ホームズが好きで机の下に隠して
読んでたらしい。
ロンメルのカメラ好きも有名だな。ゲッベルスからライカの
カメラもらってるし。
128 :
名無し三等兵:02/09/26 22:21 ID:MDGel2l6
>>115 流暢だったみたいよ、昭和帝。つーか、大正帝から皇族は皆、英国留学&英国教師に学んでる。詳しくは本でも見て。
>>116 あのオッサンは英語喋れるくせに米国に条約締結に行ったとき、通訳を介して交渉したへそ曲がり。
その時の通訳が宮沢喜一。
>>122 無類の特撮ヲタ。ちなみに親父は「とらさんヲタ」。
>>128 いやぁね。昭和天皇の英語はうまかった「ことになってる」のだが、実際に奴の英語が
何回か報道で流れたが、聞けたものじゃないよ…。竹下登よりはうまかった(w
130 :
名無し三等兵:02/09/26 22:50 ID:QGC+AnEQ
>通訳を介して交渉したへそ曲がり。
そっちの方が楽だからだろ。
流暢に話せてもうっかり間違えたら大問題だろうし
つーか、英語を喋れないと思わせといたほうが何かと便利だからな
日米協同演習でも日本語がわかるくせに喋れないふりをして
自衛隊側の会話を盗み聞きするってのが結構ある
>>130 というか国家間のトップ交渉ではどたとえ自分が英語をしゃべれたとしても通訳をおくのが
常識。英語圏同士なら話は別だけね。
これには2つの理由があり、
1、下手な事を言ってしまわないように。万が一まずい事言っても通訳が防いでくれる
2、国と国の交渉なので相手の言葉に合わせるというのは独立国として云々という意味でも
まずい。
だから、某宮沢さんが首相になってからも本人は公式会談でも事前原稿がないかぎりは
英語では発言しなかった。ただし彼は相手が発言したら通訳が英語から日本語に翻訳する
のを待たずに「日本語」で返答を返していたらしい。
あと、パーティやら非公式折衝のときは当然、英語でしゃべるけどね。
(そういうときにも英語をしゃべらないのがフランス人…)
133 :
名無し三等兵:02/09/26 23:21 ID:Ri4KfoYa
大正天皇はハングル語を勉強して日常の簡単な会話ぐらいなら話せたし書くこともできた。
これは日韓併合後に大韓帝国王族を日本の皇族と同等に遇するためにも必要だった。
野茂は喋れるが
最初マスコミに叩かれたせいで絶対通訳を置くようになった
135 :
名無し三等兵:02/09/27 03:21 ID:zJzLDX5B
阿南惟幾大将は陸軍大学校受験の際、3年続けて面接で落ちた。(有名?)
石原莞爾中将は陸軍大学校を主席で卒業するはずだったのが
あんなのを御前講義に出したら何を言い出すか分からんという事で
席次をひとつ下げられた。(そう意外でもないか)
今村均大将は陸軍大学校在学中、講義中に居眠りばかりしていた。
(ただしこれは病気によるもの)
136 :
追加:02/09/27 03:29 ID:???
牛島満大将は陸軍大学校在学中、講義中に居眠りばかりしていた。
(これは病気ではない)
知将として知られる秋山参謀は
場所を構わず大音響で屁をかました
139 :
名無し三等兵:02/09/27 15:37 ID:yBJLdyfX
140 :
名無し三等兵:02/09/27 15:46 ID:l0d+HhaE
141 :
名無し三等兵:02/09/27 16:04 ID:qaiU9PDH
吉田茂が英語ペラペラなのに通訳の宮沢喜一を介して条約締結したのは
米国(連合国)側がどこも日本語の通訳を置いてなかったからヘソを曲げたんだよ。
142 :
名無し三等兵:02/09/27 16:21 ID:Y2/Hlqq+
ゲッベルスにはプレゼントを贈っては相手の反応を楽しむ趣味があった。
某研究者は本当は研究が心底嫌いであった。
>>138 三人称単数の代名詞「奴」を使う事にどんな問題が?ここは2chだぞ?
「ここは2chだぞ?」
カコイイ
>>144 ごちゃごちゃゆうて誤魔化すんうまいのうにーちゃん。
そんなばればれな本心とは思えん理由つかんでもええやないけ
148 :
147:02/09/28 03:17 ID:???
よく考えたら、忠心→衷心でしたな…
ちょっと時代はアレだが。
プロイセンの宰相ビスマルクはけっこう小心者だった。
皇帝がウィルヘルムに代わった時、しっくりいかなかった。
で、鬱になって、自分の執務室から飛び下り自殺して、皇帝への当てつけにしようかと考えていたそうだ。
まぁ、黄渦論なんてモンを本気で考え付いて発表するような皇帝じゃあなぁ・・・。
平手政秀よろしく実行していれば、皇帝も心を入れ替えて
織田信長のような英明な君主になっていたかも知れぬぞ。
152 :
名無し三等兵:02/09/29 00:17 ID:JqG+1eT3
>>58 亀レスだが、海軍メイドさん事件は「はじめてのおいしゃさん」に
ネタとして取り上げられている。
>>147 俺もその画像見たとき驚いた。或る意味「あの名将の意外な一面」。
東郷といえば、艦内のトイレの汚れを爪で擦って落としてたとか・・・
石原莞爾
座禅を組んで空中に浮いたらしい
しょ−こーさんですか
もっと聞きたいなage
>>154 黒岩亀人だったか?
こいつが戦艦大和の中で、ふんどし一枚で座禅組んでて作戦考えていたそうだが、
馬鹿作戦ばかりだったそうだ。あだ名が仙人参謀。(先任参謀とかけたらしい)
154の話聞いてて思い出した。
黒島亀人はDQNとみた
戦艦長門の中だったりする。
あの艦には冷房装置がなかったもので。
>>156 追加すると、
舷窓を締め切って香を焚き染め、暗闇に蝋燭を灯して瞑想にふけってたそうな…
それは、本当に作戦を立てていたのか・・・?
あと、そのまんまの格好で艦内うろついてたとか、
うろつきながら奇声を発していたとか… (((;゚Д゚)))
そんなのを一番大事にされてたら
流石の黄金仮面も怒るわな。。。
一月に一度しか風呂に入らず、寝衣は垢だらけ。仕方なく従兵が下着を買いに走る。
そしてついた渾名は変人参謀・・・まんまだ。
163 :
名無し三等兵:02/10/04 00:52 ID:7cUIpCBy
変人参謀1号は秋山だろ。
食事も自分勝手にやっちゃうし、豆食って屁ばっかりこいてたんだから。
164 :
:02/10/04 00:54 ID:oJX0roEL
>>163 勝てる作戦をたれられる奇人→天才
勝てる作戦をたてられない奇人→基地外
>>163 天才参謀は奇行もやむなし、という妙な前例をつくってしまった。
166 :
名無し三等兵:02/10/04 03:37 ID:QnTNpHLD
山本五十六はジャックダニエル好き。
黒亀→ADHD これ定説
秋山参謀は名案が思いつくとかじっていた入り豆を甲板に吐き捨てる。
秋山真之→ADHD
ナポレオン→ADHD
源九郎義経→ADHD
エジソン→ADHD
坂本竜馬→ADHD
♪牟田口閣下のお好きなものは
壱にクンショー(勲章)
弐にメーマ(ビルマ語で女の意)
参に新聞ジャーナリスト♪
>>170 チョト笑ったが、
名将でもなければ以外でもないね・・・
今までの話、殆どそうかもしれないが。
黒島は変人参謀の頃は将官じゃないのでは?
将官としてはDQNです。
ドイツがなんか兵器を開発したとか抜かしていた。
参謀としてもDQNか・・・。
保守age
ネタが尽きてきたか?
174 :
名無し三等兵:02/10/06 20:20 ID:q0S6oSeN
ロンメルはカメラ好きであるが
ゲッペルスはそんなロンメルにドイツ軍のプロパガンダ映画の監督の座をプレゼントした
なお映画の出来は異常に良かったそうです
175 :
名無し三等兵:02/10/06 21:20 ID:/3QQrpkB
南雲提督は、戦艦「山城」の艦長時代、艦長室で
鰯だか秋刀魚を焦がして懲罰を受けたことがある。
176 :
名無し三等兵:02/10/06 21:33 ID:1HRjutKe
井上と牛島は、仲良かったらしい
って、まさか兵学校長と士官学校長?
そりゃとてつもなく意外だ。
ラインハルト・ハイドリッヒは西部劇好き。
いつも助手席にショットガンを持った部下を乗せていたとか。
179 :
鈴木義二:02/10/07 07:37 ID:Z51d4gNY
おざわじざぶろーは柔道が強かった・・・
そんだけ
180 :
名無し三等兵:02/10/07 12:26 ID:HJoISULO
友人が言っていたのだが、
「ロンメルは有給休暇を必ず全部使った」
ってホント?
日中戦争・ビルマ戦の指揮官、桜井徳太郎は歩兵第65連隊長に着任の際、
中国人の使用人に大佐の制服、自らは使用人の服を着て連隊本部に乗り込んだ。
将兵は「大佐」に敬礼し、桜井が連隊長とは無論気づかなかった。
また、酒席で酔うとやたら人の頭に噛み付いた。
桜井のビルマでの上司で傍若無人の典型で知られる花谷正だが、片倉衷が天敵だった。
片倉が満州事変の立案の際自分をハブったことを詰問すると(花谷は奉天機関員、片倉は関東軍参謀)、
腰砕けになって平謝りしたとか。
西竹一は幼年学校で外交官の息子ながらフランス語で落第点を取り、
陸士入校は同期生たちより一期遅れることになった。
「今に俺は貴様らより早く有名になってやるぞ」と負け惜しみを言った
西はロス五輪馬術で優勝、一躍世界の有名人となった。
「軍人たちの昭和史」「人物陸大物語」より。ネタ切れになってきたらネタ本開陳もいいかも。
183 :
名無し三等兵:02/10/07 15:10 ID:PXExGORt
184 :
名無し三等兵:02/10/07 18:12 ID:/m6yXV2x
185 :
名無し三等兵:02/10/07 23:02 ID:xiR0fW2E
戦艦武蔵最後の艦長であった猪口敏平少将が
遺品として部下に渡したかばんの中には虎屋の羊羹が7本も入っていたそうです…
(戦艦武蔵ノートより)
チョコビン…好きだったのかな、ヨーカン…
187 :
:02/10/08 01:36 ID:???
>>174 なんか、グライダーやら、有給休暇やら、ロンメルの逸話は多いね。
人間としても面白い人だったのかな…。
188 :
名無し三等兵:02/10/08 01:42 ID:7azh7qiv
>>187 奥さんの誕生日には必ず年休を取って夫婦でお祝いをしたそうだ。ちなみに奥さんの誕生日は6月6日。
D−DAY当日ロンメルが留守だった理由もこれ。
じゃもうちょっとマシなので、上レスにあった今村&牛島の居眠りがらみを・・・
今村均は自らの居眠り癖を克服するため、講義に赤唐辛子を持参して
それを噛んで眠気を覚まそうとした。
しかし唐辛子を口に入れたところを教官に見つかり、つまみ食いと誤解された。
原因(耳の炎症の後遺症とか)を知られると今村の居眠りは容認されることになった。
かくして居眠り克服には失敗し、陸大卒業後も今村の居眠り癖は続いた。
後に「鬼将軍」の異名をとった牛島はやはり居眠り癖があり、
授業中抜き打ちで教官から指名されると、居眠りのせいでで
わけがわからないため、必ず無難な「退却いたします」と回答を返した。
お陰で陸士恩賜組だった成績は陸大卒業時はドンケツだった。
>必ず無難な「退却いたします」と回答を返した。
なんとなく、なんとなくだけど、
居眠り云々じゃなくてその回答のせいで成績下げられたような気がする……(w
>>190 攻撃あるのみです! だったら多少はマシだったんだろうか。
マシだったんだろうなぁ。
192 :
名無し三等兵:02/10/08 15:58 ID:rr+lLdvD
何かの記事で読んだのだが、今の皇太子が高木惣吉を知ってたこと。
あの世代では普通知らないだろ。皇太子って阿川とか吉田とかの旧軍もの
なんか読むのかね?
えっ皇太子が何で名将かって?そりゃ世が世なら末は大元帥陛下にあらせられる方
ですからな。
193 :
名無し三等兵:02/10/08 16:12 ID:7ysTiQ2b
>>192 今上天皇が皇太子時代に知ってたんでしょ。
阿川の文庫で読んだな。
どこぞの霊園に巡幸した折り、高木少将の墓があると聞いて、「あ、高木提督」と即答したとかなんとか。
東郷なんかいいから、終戦努力した高木や米内をもっと国民に知らしめるべきだとかかんとか。
皇太子様ってやっぱ軍オタなのかな
195 :
名無し三等兵:02/10/08 16:56 ID:PuQsfAii
高木&米内は最悪の売国奴
お前等、福田和也の著作ぐらい読め
>7
ハルゼイ提督のアイスクリーム話はもう少し前後がある。
日本の軍艦には大抵ラムネ製造機が設置されていたように、アメリカの軍艦にはアイスクリームの機械が設置されていたらしい。
ある暑い日、アイスクリームの行列に水兵たちが行列していたら、不心得な若い士官が列に割り込んだ。
水兵たちは立場上文句が言えないのだが、次の瞬間その若い士官は何者かに殴り飛ばされた。
おとなしく列に並んでいたハルゼイの怒りの鉄拳だったそうな。もちろん水兵たちは大喝采。
197 :
:02/10/08 17:37 ID:???
>>196 そんなハルゼイが、ちょっと可愛らしく思えてきますた。
>196
殴ったかどうかはともかく、ネット上で拾った話はこう。
あるとき第3艦隊旗艦ニュージャージーの新任少尉二人が、ゲダンク(アイスクリーム)バーの途切れない列をにいらだち、上官優先といいながら列の先頭につこうとした。
列の中から不満の声があがるなか、それをかき消すぐらいの大声で「自分の定位置に戻れ」と怒鳴り声が響いた。
二人が怒鳴った水兵を叱りつけようとすると、怒鳴った男が前に進み出た。
第3艦隊司令官のハルゼー提督であった。ハルゼー提督は辛抱強く自分の番を待っていたのであった。
まあハルゼーのことだからその後殴った確率は高そう。
>196-198
ああ、やっぱりハルゼイはそうでなくちゃ……
"kill the Jap,kill the Jap,kill the more Jap"
とか言いながらアイスクリーム製造機の前に
きちんと並ぶハルゼー萌え。
>198
牟田口の場合、率先して割り込むだろうな。
202 :
名無し三等兵:02/10/08 19:35 ID:rr+lLdvD
ありゃ、今上天皇が皇太子の時の話でしたか。記憶違いですみません。
今上天皇ならそりゃ知ってるわな・・・
203 :
名無し三等兵:02/10/08 19:54 ID:2rT+A5Px
昔、アメリカから貸与されたフリゲート艦にはアイスクリーム製造機があった。
どうでいいことだけど、200の英語、ちと、おかしいが。
204 :
名無し三等兵:02/10/08 19:54 ID:rr+lLdvD
205 :
名無しさんだよもん:02/10/08 20:02 ID:+WBG36zC
>>176 その割、井上は海兵生徒に陸士生徒との文通を禁じてたそうだが。
>>189 確か野中五郎少佐にも居眠りネタの挿話があったような気が。
>>174 スマン、その映画タイトル教えてくれる?元宣伝相勤務の士官をブン殴ったって話は聞いたことあるけど。
>>178 ハイドリヒは愛銃はゲーリングからもらったコルトSAAだけど使ったことは一度もなかったそうだ。
>>180 フィンランドのマンネルハイム元帥も冬戦争中にキッチリ夏休みでスイスでハンティングしてる。
>>205 野中少佐の場合は「はい、忘れました」と返答してまた居眠りという具合だったそうで。
上二人はうっかりですが、野中の場合は反抗の居眠りだったようです。
牛島は陸大の成績に関しては酒癖のせいだと言い訳していたとか。
>>206 ぶん殴ったとは。宣伝省作のロンメル紹介が不満で着任した宣伝省職員を
なじったという話は聞きますが。
>>207 ロンメルは単純に「宣伝相勤務」>ナチ党員>で、ストレス発散にブン殴ったそうです。
ロンメルの宣伝の才能っつーか演出の才能はなかなかのもので、
砂漠の熱さを表現するために「ボンネットで目玉焼きを作る」という演出は
彼が考え出したものだそうです。
>ロンメルぶん殴り
ナチ党機関紙がロンメルのことを
「労働者の息子でナチ党員」とウソの紹介をしたとき、
彼が激怒して抗議したという話なら残っています。
210 :
名無し三等兵:02/10/08 21:29 ID:DEth1xMn
木村は戦後ブラジル逝きをのぞんだそして塩田をやっていた
>>209 ボンネットで目玉焼きの元祖はGMのコマーシャルフィルムっスよ。
軍事と関係ナイっス。
212 :
名無し三等兵:02/10/08 22:09 ID:ztpRwnqV
“変人参謀”黒島亀人の晩年。
尋ねて来た旧友に対して一言。
「今、俺は宇宙、人間、生命の研究をしているのだ。最近ついに『零の研究』をして、悟ったよ」
そんな黒島の遺言は、「南の島に飛行機が行く」。
そんなんが遺言でいいのかぁぁ〜〜〜〜〜!!!!????
福田和子?
>>213 いや、らしくていい(?)と思う。
自分の父親がそんな遺言を残して逝ったら困るだろうけど。
黒島はやはり「逝っちゃって」たのかな。
そんな奴を参謀に使うなよ!五十六さん。
黒島少将が生きてたら、間違いなくオカ板の住民ですね(w
219 :
名無し三等兵:02/10/10 02:12 ID:IJ8i2kFl
えらい黒島の人気が高いね。
黒島の瞑想は「トラ・トラ・トラ」でも1シーンあったからね。
>>198 たしかハルゼイがアイスクリームの行列に並んでた話は
ダニガンの「第二次世界大戦あんな話こんな話」かなにかに
載っていたように思う。記憶違いならスマソ
221 :
名無し三等兵:02/10/10 07:17 ID:MCFNBoEk
黒島は自分の失策が記述されている宇垣纏の「戦藻録」s18/1/1〜4/2の部分を
電車の中で紛失したと称し、この世から消し去った(これは、東京裁判証人として
出廷の際の証拠資料として遺族から預かったもの)。
何かと評判の悪い南雲提督だが、水雷屋あがりだけあって操艦の腕は大したものだったらしい。
ミッドウェーのとき、自ら回避運動を指揮して敵の雷撃を全て回避してみせ、口の悪い源田もそのことだけは誉めている。
しかし艦隊長官が旗艦とはいえ艦の回避指揮をするというのは越権行為ではなかろうか。
続黒島伝
戦前知人の娘が早逝した時、黒島は弔問に訪れると知人に
「また産め」と言い残しそそくさと退席した。
戦後ガンの発症を告げられたが、手術を拒否し
「医学会では認められていないが、血清でガンを直す方法が、自分はこの方法で治療する」
と語った。
前出の「ゼロの概念」は・・・それについてサイト作ってたらネトヲチ板か電波板に晒されそう
困窮していた故山本元帥の妻を社長に据えた会社を設立したことくらいかな、黒島のいい話って。
224 :
名無し三等兵:02/10/10 17:01 ID:7Wgvo5+4
ハルゼイは軍艦への持込が禁止されている酒を没収したが水兵達を
上陸前に呼びつけて酒を返し「飲んでも良い場所で飲め」と水兵達をたしなめた
こういった酒は上物がほとんどなので水兵達は感激した
亀人コワー(((゜Д゜;)))
226 :
名無し三等兵:02/10/10 18:56 ID:mokTiYIg
レイテで小沢艦隊の囮に引っ掛かりクリ太艦隊を取り逃がし遅れて到着した
ハルゼーは沈没艦乗組員にあたって逃げ遅れた駆逐艦「野分」を発見すると
戦艦2隻を含む13隻で猛攻を加え撃沈。ハルゼーは生れて初めての砲戦に興奮
「やれー、やっつけろ」と叫び続け、目標は駆逐艦だとの報告を受けても「いや
アタゴ(愛宕)級重巡、あるいは軽巡だ」と頑張った。
227 :
↑:02/10/10 19:15 ID:mokTiYIg
ハルゼーは沈没艦乗組員救出にあたって逃げ遅れた
228 :
名無し三等兵:02/10/10 22:05 ID:1f17fKIT
山本と今村は仲良かったそれはギャンブルで知り合ったから
229 :
名無し三等兵:02/10/10 22:17 ID:UXJ0qfY8
【アーネスト・J・キング】(1878〜1956)
WW2時、米国海軍作戦部長・合衆国艦隊司令長官兼務。仇名は「ニトログリセリン」。
自分以外の誰も評価せず、理解しない。趣味もユーモアも無く、笑う事も無かった。
強情・傲慢・尊大で我慢知らず。自分の考えを否定されると相手が誰でも怒り狂うので敵が多かった。
大の日本人・英国人嫌い。チャーチルの欧州戦線への兵力増勢申請に断固反対し続けた。
ハルゼーを「救い難い馬鹿者」、ニミッツを「義務の貫徹より周囲との妥協を大事にする官僚主義者」と公言。
彼が“いくらかは”信用していた部下は、スプルーアンスとシャーマンだけだった。
酒・女・ギャンブルが大好きで、浴びるように酒を飲み、美人を見ると速攻で手を出した。
彼のパーティーに出席する女性達は、彼がテーブルの下で触ってくるので彼の隣に座るのを嫌がった。
>228
彼の日本人嫌いって遠洋航海で日本に来た時に
財布をすられた挙句に、駅員に邪険にあつかわれたため
って聞いたような。
232 :
名無し三等兵:02/10/10 23:49 ID:7Wgvo5+4
アイスクリームの順番待ちしてるときに水兵との会話でだしたハルゼイのジョークで
「日本軍によって被った被害のうち一番深刻だったのは
この艦のアイスクリーム製造機を壊された事だった」というのがあるが
もしかしてハルゼイの本音だったのでしょうか?
>229
フレッチャーが左遷されたのは、キングが艦長をやっていた事のあるレキシントンを沈められたからとか・・・
234 :
名無し三等兵:02/10/11 00:56 ID:tRDtjVvU
>229
どれ一つとっても壮絶なドキュソだが、能力だけはすごいんだよな…
>>234 性格も仕事もDQNな奴よりはましだけど・・・友達にはなりたくないタイプだな
能力さえあればこんなクソDQNでも高位に上れる米軍の凄さを……とか言おうと思ったが、
や っ ぱ や め と き ま す
多少弱くてもいいからもうちょっとまともなヒトを上司にしたい。
DQNでかつ無能な者でも高位に上れる
どこかの海軍・・・・・
>>236戦争中に栗田みたいな腰抜けDQNを上司にしたくない
(自己保身で部下見捨てて自分だけ逃げる上司は嫌だ。)
どうせ死ぬなら南雲中将の方が100倍ましだ
239 :
名無し三等兵:02/10/11 01:45 ID:CWvz+eSb
源田大佐の部下になるのは果たして幸福か?
今村均大将の部下が一番いいのでは?
>>239紫電改に乗れるなら運悪く死んでも十分幸福さ。
タダの兵隊ならラバウルで今村均大将の
部下やってた方が遥かに楽ですな
水木しげるも今村の部隊にいたから生き残れたようなもんだしなあ。
>>238 そりはむしろ富永ではといってみるテスト
243 :
T-72MP:02/10/11 02:17 ID:GF+MyvAp
731の石井四郎軍医中将はたいそう炉理がお好きで、
芸者置屋に13歳くらいの娘が入ったと聞くと、
高額の水揚げ代を払って若い肉体を貪ったらしい。
苦痛に歪む少女の顔を見ながら悦に入ったという。
挿入する際には必ず相手の陰部を消毒液で消毒するので、
芸者達からは気味悪がられていたという。
244 :
名無し三等兵:02/10/11 02:20 ID:YAg/oqFW
無能でも元帥になれる陸軍の象徴みたいにいわれている杉山元元帥。
戦後処理を終えた後、副官に自決用の拳銃を用意してもらい自室へ入る。
むせび泣く副官。すると「弾が出ないよ?」といってのんびり出てくる元帥。
ビックリする副官に安全装置を外させた後苦笑しながら部屋へ戻っていった。
このエピソードだけ聞くとなんか憎めない人・・・
245 :
名無し三等兵:02/10/11 02:21 ID:mWRIpuB0
それは意外ではなくて、まんまマッドドクター。
246 :
245:02/10/11 02:23 ID:8FMA2DZV
247 :
T-72MP:02/10/11 02:32 ID:GF+MyvAp
でも軍医で中将まで登りつめた人って、
禁欲的なイメージがあるのは折れだけですか?
248 :
名無し三等兵:02/10/11 02:35 ID:OOVrEGCb
キング提督の晩年。その性格から余りにも廻りに敵が多かった為、戦争終結と共に
元帥の終身俸給と共に追い出されるように現役を退き、2年後の1947年に脳出血で倒れ、
残りの人生をベッドの上で半ば廃人として過ごした。1956年6月25日、死亡。
>>239 忘れてる人、多いですよね。源田実の仇名=キチガイ源田(w
>>241 水木しげるに関しては今村大将関係なし。ラバウルで周りの環境が珍しく観察ばかりして
毎日毎日、上官から怒られていた水木二等兵。やがて上官達の間でこんな事が言われ始めた。
「水木二等兵は気が狂っているんじゃないのか?」。毎日殴られているのに全然めげなかったのが原因らしい(w
以下、水木氏本人談話。
「ある夜、あんまり星が綺麗なので、私は森の中を散歩していたんです。もちろん、勝手に出掛けたんですけど(笑)。
そうして隊に戻ってきたら、私の親しかった砂原勝巳さんという軍医と口うるさい衛生大尉が大声で口論している。
どうしたのかなと思って物影から見ていたら、どうも自分が原因らしい(笑)。衛生大尉が盛んに、水木二等兵は
気が狂っているから重営倉に入れるべきだと息巻き、砂原軍医がいや、あれはちょっと変わっているだけだ、と。
結局、重営倉には入れられずに済んだんだけど、もともと重営倉といったって、そういう建物があるわけじゃない。
穴を掘るだけなんだ(笑)。
>>243 単なるサディストだったわけだ。そんな人間を人体実験の担当者にするなよ…。
絵描きだから電波はしょうがないな
でも水木しげるってかなり頭いいよ
兵隊時代に描いたデッサンは知的で異様に巧いし
『怪奇死人帳』なんか読むと社会風刺が超辛辣だったりする。
だいたい、水木しげるの所属がアメリカかドイツだったら
そんなにキチガイ扱いされなかっただろ。
アメリカ軍⇒絵と原住民が好きな少々変わった奴。手軽な食料調達にちょうど良い
ドイツ軍⇒絵の巧さをと観察力を生かした偵察要員
ってとこなんじゃねぇの?
252 :
T-72MP:02/10/11 03:20 ID:GF+MyvAp
石井 四郎
1892(明治25)年6月25日生
1959(昭和34)年10月9日没
千葉県出身
陸軍軍医 医学博士
妻は荒木寅三郎の娘
1921(大正10)年 京都帝國大學医學部首席卒
学生時代はボート部に所属
陸軍軍医となる
1924(大正13)年〜1926(大正15)年 京大で細菌学・衛生学・病理学を研究
この間に博士号を取得
1928(昭和3)年〜1930(昭和5)年 ヨーロッパに派遣される
軍医学校教官
1931(昭和6)年 細菌戦部隊創設を提唱
1932(昭和7)年 兵器本廠付
1933(昭和8)年 軍医学校部員
陸軍軍医学校に防疫研究室を創設・主宰
1933(昭和8)年 ハルピン近郊に加茂部隊を設置
1936(昭和11)年 関東軍防疫部長
1940(昭和15)年 関東軍防疫給水部長
第731部隊長
「石井式濾水器」を発明し、これを用いて給水活動を行う
自ら隊員たちの前で自分の小便をこの濾過器で濾してきれいな水に変え、それを飲んでみせたと伝えられる
1942(昭和17)年 軍医学校付
1945(昭和20)年3月 軍医中将に昇進
5月 第731部隊長に再度就任
8月 ソ連軍の侵攻でハルピンを脱出 帰国
新宿区若松町で陸軍が使用していた建物を利用して旅館を経営
極東国際軍事裁判(東京裁判)開廷に当たって戦犯容疑を受けるが訴追を免れる
1959(昭和34)年10月9日 喉頭癌のため死去
253 :
名無し三等兵:02/10/11 08:05 ID:s4Qehoz5
ハルゼー語録集
「ジャップを殺せ、ヤツらはネズミだ」(Kill Jap・・・)「日本語というものが
日本でしか、通用しないようにしてやる」「黄色いネズミ、バカなサル」「ちっぽけな国の
形容しがたいほどのちっぽけな代表団11人が、チンパンジーが服を着た格好で調印した」(9/2)
「宮城に爆弾落とすときは白馬を殺すな、おれが分捕って乗るんだから」(パイロットへの指示)
本国から「暴言慎むように」との電報に「それには、私自身の人間改造が必要です、それでも
私はあのチッポケなバカ者どもの出っ歯を蹴り上げてやりたい」 処置なしですわ。
>>253 軍人としてはそれで良いのかもしれないね。
255 :
253:02/10/11 08:34 ID:s4Qehoz5
日本でしか⇒地獄でしか
米国人が喜ぶのは、当たり前だけど、日本人が彼を評価するには抵抗がある。
戦後、日本政府がカーチス・ルメイに勲章を授与した事は反米ウヨの間でもあまり知られていないようだが、授与当時は騒ぎにならなかったのだろうか?
257 :
名無し三等兵:02/10/11 08:41 ID:g1QyAhZa
>チッポケなバカ者共の出っ歯を(略
想像して禿しくワラタ
ハルゼーってウィンチェスターの水平ニ連が凄く似合いそうだ
ハルゼー提督のイメージとパットン将軍のイメージが重なるのは
私だけでしょうか?
260 :
名無し三等兵:02/10/11 10:33 ID:4oLATnfk
>259
ハルゼーはいかにも叩き上げの水兵というか、レッドネックみたいな感じだけど、パットンは南部の田舎の大地主的キャラという印象がします。
勘違い貴族趣味だし。
261 :
名無し三等兵:02/10/11 10:45 ID:s4Qehoz5
関係ないが、昨夜のBS−2「海の勇者・ホンブロワー」の登場人物で
フランス王統派の伯爵(少佐)がオレ的には理想的人物に見える。
262 :
>256:02/10/11 11:06 ID:XDJZpWJf
当時、国会でも問題になってるし、昭和天皇のちょっと気にしていた。
>>253 やっぱアメ公なんざ碌なモンじゃねぇな
国家体制はまずかったがドイツ軍の方が遥かにマシ
264 :
【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:37 ID:xW3on237
◆誕生編
1906年11月、オハイオ州コロンバス生まれ。米国では小数派のフランス系。
19世紀初めにカナダへ移住したフランス人が先祖。
父は鉄道工事や便利大工をしながら米国中西部を放浪する人だった。疲れを知らぬ
頑丈な身体を持った無口な人だった。
母は英国系で、小柄だが休む間がないほどの働き者で陽気だった。正式な教育は
受けていなかったが結婚前は独学で小学校の教師をしていた。
父はオハイオ川に沿った村での農業を営んでいたが、貧乏から抜け出すため鉄道工事の
仕事を求めてコロンバスに移り、ここで結婚した。ルメイは6人兄弟の長男である。
ルメイはこの両親から疲れを知らぬ体力と父の強い意志、無口な正確を受け継いだ。
265 :
【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:38 ID:xW3on237
◆青春編
ルメイの特徴のひとつは、目標を定めると、その目標に向かって進む、意視力の強さだ。
少年時代は自転車を買うために新聞売りをした。二部ごとに1セントの手数料を貯め自転車を買った。
高校時代は自動車が欲しくて、ほとんど動かない自動車を安く買い、何年もかけて動くようにした。
少年時代から飛行機に憧れていたルメイは飛行機乗りになる目標をたてた。
当時、一級の飛行学校は軍関係以外にはなかった。ウエストポイントに入りたかったが駄目だった。
ウエストポイント入学には連邦議員の推薦がいる。ルメイ一族には、このコネがなかった。
ウエストポイントが駄目となれば、地元のオハイオ州立大に入って予備士官となる道がある。
学資はない。製鉄会社で一週六日間、午後二時から深夜三時までの九時間の重労働で35ドル稼ぎ、
これを学資とした。深夜の重労働のため早朝の授業はほとんど出られなかった。
卒業できなかったが予備士官コースは全て習得し、予備士官となることができた。
予備士官よりも、国境警備隊に入ったほうが陸軍の飛行学校に入学しやすいと聞くと、ためらわずに
大学を中退して国境警備隊に入り、ここから飛行学校の学生を希望して、運よくすべり込んだ。
ルメイのすぐ下の弟ロイドも、高校を出ずに陸軍へ一兵卒として入り、陸軍大佐になっている。
266 :
【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:38 ID:xW3on237
◆軍隊編
1940年1月当時、ルメイは一陸軍大尉で、飛行隊どころか飛行小隊を指揮したこともなかった。
1929年10月にパイロット資格を取得したのち、平凡な飛行隊勤務を続けた。
1936年、戦争では戦闘機より爆撃機がより決定的な力を持つと考えるようになり、爆撃隊を志望して許された。
1937年、第305爆撃隊に着任する。当時のルメイは小規模の陸軍航空隊のなかで、新型爆撃機B17による
長距離飛行の航法術に強いという評判があるくらいの目立たぬ士官だった。
1942年5月、中佐に進級して第305爆撃隊長となって以降、ルメイの活躍ぶりが明らかになった。
精力絶倫のルメイ中佐は、昼夜の区別なく部下を鍛え上げる。音を上げた部下たちは、ルメイに
「鉄のロバ」の名称を進呈した。
1942年秋、爆撃隊を引き連れて英国に渡り、ドイツ爆撃作戦に新戦術を編み出す。
翌年には大佐、さらに准将に昇進。
1944年8月には38歳で少将に進級。第20爆撃集団司令官となり、B29による重慶からの
日本本土爆撃にたずさわった。
1945年1月にはグァム島に司令部を置く第21爆撃集団司令官となって、日本全土の主要都市を
焼き払った。3月には死者10万におよぶ大空襲、8月には広島、長崎に原爆を投下した。
267 :
【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:39 ID:xW3on237
◆ルメイの実像
アゴの張った大きないかつい顔で、いつも葉巻をくわえている。ニコリともしないし、
口も殆んど聞かない。部下や大衆に受けるようなゼスチャーはまったくできない。
ぶっきら棒で、妥協しない。単純一徹で意志がきわめて強い。彼をよく知る友人は
皮肉の意味を込めて、ルメイを「外交官」と呼んだ。
彼の風貌からくるイメージで見過ごされがちな点が二つある。
ひとつはルメイが大変な戦術家で、次のような新戦術を次々と編み出したことだ。
爆撃機のかすがい型編隊飛行、長時間同方向飛行による爆撃法の導入。夜間、低空爆撃戦術(日本本土空襲)。
戦後、ベルリン危機に際しての空輸作戦(当時、ルメイは欧州派遣米空軍司令官)。
核のカサによる防衛戦術(戦略空軍司令官として)。
もうひとつは、彼が部下統御に心を砕いていたことだ。これは彼の次のような三原則によく現れている。
1.部下にはどんな小さな仕事でも、その重要性を理解させること。
2.指揮官は目標をはっきりさせること。また、部下の高いモラル維持するには、モラル維持のための
なにごとでも、少しずつ改善させること。
3.部下の誰が任務をやり遂げたかについて、指揮官は常に真剣に見守り、これをはっきり公示すること。
この三原則を実行すれば部下はちゃんと仕事をする、というのだ。
268 :
【カーチス・E・ルメイ】:02/10/11 15:39 ID:xW3on237
◆ルメイ、その後
戦後、1947年に40歳で空軍中将となり、翌年のベルリン危機当時は欧州派遣米空軍司令官。
1950年の朝鮮戦争勃発に際してはソ連軍との全面戦争の危機が深刻化し、戦略空軍司令部が
設置されてその司令官となる。1951年、米軍史上最年少(44歳)の大将に昇進し、のちに
空軍参謀総長(1961〜65年)。ベトナム戦争では米空軍を指導し、「北ベトナムを石器時代に
戻してやる」と公言した。1965年退役。
◆大都市爆撃に関する公言
「私は、日本の民間人を殺したのではない。日本の軍需工場を破壊していたのだ。日本の都市の家屋は、
すべてこれ軍需工場だった。スズキ家がボルトを作れば、隣のコンドウ家はナットを作り、向かいの
タナカ家はワッシャを作るといったぐあいに。・・・東京や名古屋の木と紙で出来た家屋の一軒一軒が
すべて我々を攻撃する武器の製造工場になっていたのだ。これをやっつけてなにが悪いことがあろう。
日本では、女も、子供までが軍需産業に携わっていたことは以上のとおりだが、残虐さは戦争そのものに
帰せられるべきである」
「君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まされたとしよう。そんなときはきっと、
何トンもの瓦礫がベッドに眠る子供の上に崩れてきたとか、身体中を火に包まれた子供の
泣き叫ぶことを思い浮かべるに違いない。正気を保ち、国家が君に希望する任務を全うしたいなら、
そんなものは忘れることだ」
―――カーチス・E・ルメイ少将
(第21爆撃集団司令官、日本本土の都市空襲に参加する爆撃機搭乗員への発言)
269 :
名無し三等兵:02/10/11 16:49 ID:mpZW+Xtn
>>268 さすがアメリカ空軍が誇る鬼畜。
感動した!!
なかなかの人物だ.。
やはりただものではなかったな。
辻とは鬼畜としての格が違う。
ルメイ流石だ。
>267
はっきり言えばめちゃくちゃ有能な人間じゃないか。
敵の将軍だからという理由で、こちらに武器を向けたからという理由で、
彼を悪し様に罵るような知能程度の人間が闊歩してるかぎり、
日本人はま彼のような優秀な外国人によって再び殺戮される運命から逃れられまい。
273 :
名無し三等兵:02/10/11 18:28 ID:6AfRt5zx
ルメイは正規の士官学校でなくROTC(予備役士官訓練隊)を出て将官に
なった希な人物。正規学校を出た軍人が嫌がるような汚れ役を引き受けて
のし上がったハングリー精神旺盛な性格とみるべきだと思う。
>271
ゴルァ。辻タンは鬼畜ではない。
アフォだ。
>>272 ルメイ、航空隊の隊員からはかなり嫌われてたらしいね。
自国の兵士からすらも敬遠され、
極論すれば『日本人は家畜も同然。勝つためなら女子供も皆殺し』という
思想の持ち主をも客観的に評価できるとは・・・・・・・
戦後日本人は実に異常なまでに寛大なり!
そういう奴が南京大虐殺がどうのとか言ってるから、余計笑えるんだが。
>>275 おまえ、全然
>>268の文章読めてないな。極論と言うよりキミの思想が見え隠れしてるよ。
「日本では、女も、子供までが軍需産業に携わっていたことは以上のとおりだが、
残虐さは戦争そのものに帰せられるべきである」って言ってるじゃん。
277 :
名無し三等兵:02/10/11 19:22 ID:Eh4Nd6b1
>>233 フレッチャーをかばったニミッツはクソミソに面罵されたそうです。
>>275 仕事をきっちりとこなすという意味での客観的な優秀さと、日本人として憎い香具師という感情を
混同しちゃぁだめだよ。
279 :
名無し三等兵:02/10/11 19:44 ID:HEP9NZCa
栗林はアメリカ戦に反対してた
源田は重戦嫌い
古賀は88艦隊に反対してた
>278
石井四郎軍医中将やヨセフ・メンゲレ博士もきっちり仕事してましたな
客観的な立場に立って見れば彼らも優秀だったといえるでしょうね
281 :
名無し三等兵:02/10/11 19:48 ID:XDJZpWJf
石井の開発した野戦用飲水浄化装置は広く使用されたからやはり画期的な発明だったのでは?
282 :
名無し三等兵:02/10/11 19:49 ID:TmCh+htF
>>278 日本人嫌いという意味は上記の文章からは読み取れないね。
アメリカの慣習になった感の有る無差別空爆の先駆者のようには
感じるが。
283 :
名無し三等兵:02/10/11 19:50 ID:zSGgyJYF
そこまで思い切れるのは大したものだと皮肉抜きで感激すらするが(ルメイのこと)
逆バイアスかかって兎に角ルメイを好評価するのは客観的なことなんだと
思い込んでる気もするよ。
284 :
名無し三等兵:02/10/11 20:04 ID:Y715ejy7
自分の成すべき事を知り、任務を確実にこなす人間こそが
真に優秀で偉大な軍人と言えるのだろう。
たとえその使命が老若男女の別無く殺戮し焼き尽くせというものであっても、
対象が敵性人間で、かつそれが効率的な作戦であるならば、
それは無条件かつ絶対的に許される。
核の使用が許されないのは道徳的な問題からではない。核の使用による
戦果とその代償に支払わなければならない代価が釣り合わないだけの事であって、
たとえば、核を保有するのが自国のみであるならば、その使用すら
無制限に許されるのだ。これは真理である。
こんな事を一々説明せにゃならんとは
戦後の日本人はホント軟弱になったよな・・・・・
>>280 ディルレワンガーはどうだろうか?
彼もヒムラーの占領政策を忠実にこなしていたと思うが
戦前の人間がいるな
287 :
名無し三等兵:02/10/11 20:26 ID:rrr/mLkP
足元の穴に気づけ。
善悪を軍事的合理性に替えることは出来ないことは周知なのに
どうして軍事的合理性を善悪に替えることには無防備なのだ。
善悪と言うのが胡散臭いかもしれんが、リアルな世界は軍事的合理性
以外のファクタ(政治的、民族的、経済的云々)も込みで動いてるし、
評価はそれらを含めて為される。
>268
>「君が爆弾を投下し、そのことで何かの思いに責め苛まされたとしよう。
その罪は私が被る、とでも言ってくれたら、感動ものなんだが・・・。
>287
リアルな世界の人間はもうちょっと分かりやすい言葉で話すものですよ。
>288
和風ヒーロー像ですな。
まあ、あちらでは「人間の罪をかぶる」のはキリストさまのお仕事ですから(w
290 :
名無し三等兵:02/10/11 20:56 ID:W1A6cvuW
結論
優秀な軍人は概してキチガイである。
優秀でなくてもキチガイである(特に日本)
>>291 そこは、
「しかしキチガイな軍人は概して優秀である、というわけではない。(特に日本)」
と書くべきところと思われ
グーデリアンは音痴だった…。
聖歌隊で一回歌ったきりでダメだしされたらしい…。
嘘のようなホントの意外な話…。
一回でダメ出しとは哀れな (´Д⊂。
音痴でかつ大声とかいうタイプだったんでしょうかね。
295 :
名無し三等兵:02/10/11 21:26 ID:Bfwyqz1E
ジミー・カーターは最強の暗殺者。
296 :
名無し三等兵:02/10/11 21:32 ID:H4jImU5S
言っとくがルメイだけに限った事じゃ無いからな、大都市の無差別爆撃。
◆大都市爆撃に関する公言
「手加減することはない。戦争とはもとより破壊的で、非人道的かつ無慈悲なものなんだ」
―――ヘンリー・H・アーノルド大将
(米国陸軍航空隊司令官、ドレスデン大空襲の報告書の余白にて)
「よくやった。今度の任務は貴下の部下たちが何事に対しても勇気をもってやったことを示している」
―――ヘンリー・H・アーノルド大将
(東京大空襲成功の報告に対し送ったルメイ宛の電報、1945年1月17日フロリダの空軍病院にて)
「次の戦争での空からの攻撃は、日本を襲った大地震(関東大震災)の災害よりもすさまじいものになるでしょう」
「攻撃は敵の領土中枢部の都市、工場、武器製造地帯、水道、ガス、電気関連施設に向けられます」
―――ウィリアム“ビリー”・ミッチェム
(米国陸軍航空隊の父、1925年11月のラジオ放送にて)
「いかなる都市でも大航空部隊の空襲にあえば、大損害をこうむるのはまぬがれ得ないが、
とくに日本の都市や産業中心地の多数が空襲をこうむりやすいのは事実である。
日本人の住宅は一般にマッチ箱に等しいから、一度爆撃を受けたが最後、たちまち焦土と化してしまうだろう」
「ここに日本を屈伏させる最適の戦法がある」
―――スターリング少将(ニューヨーク海軍工廠責任者)
>296
さすがにルメイに限らんことはみんな知ってるだろう。
大都市に限らず各地の主な都市は空襲うけてんだし。
ただの反米コヴァか。
299 :
296:02/10/12 01:06 ID:4iIK8f98
>>298 俺の事を言ってんなら違うよ。俺は日米英枢軸同盟マンセーだから(w
300 :
:02/10/12 02:09 ID:???
まぁまぁ、マターリいきましょう。
せっかくの名スレなんだから。
ところで世界史板的になってしまって申し訳ないんだが。
オスマン・トルコのスレイマーン大王は、フランス国王と文通していた。
今でいうメル友みたいなもんと思うと、なんか可愛らしくて、つい書いてしまった。
ま、スレイマーンも「名将」ってことで。
301 :
名無し三等兵:02/10/12 02:28 ID:ATGwdZhk
>298
漏れもコヴァの作品はいろいろ読んでるけど、頷く所もあれば同意できないところもあるなぁ。
盲信はいかんってことやね。
漏れとしては
ルメイの生き方や仕事振りは大変立派で、大いに参照すべし。
でも大嫌い。理由は日本人を大勢殺させたから、これで十分だろ。
ってとこだな。
302 :
名無し三等兵:02/10/12 03:25 ID:67OeLDI9
昭和天皇陛下にも、英名の愛称があった。(ヒロヒトとかじゃねーぞ)
>302
ハイロヒト?
チャーリー
キングコング
306 :
名無し三等兵:02/10/12 14:54 ID:DBop2ar9
>>301 ルメイっつーより、そんな命令を出したルーズヴェルト大統領を嫌えよ。
まあ、ルメイがやらなくても他の誰かがやったでしょうな。
308 :
名無し三等兵:02/10/12 19:22 ID:juRk/kgY
東条は週に1回子供のためにすき焼きしてたそうだ
タイ進駐軍指令は仏といわれしたわれた
ヒロヒトラー
東條英機 子供を怒鳴りつけた事はなかった
311 :
名無し三等兵:02/10/12 20:21 ID:q5CzLV2C
東条英機の甥の陸軍士官が東条家のお手伝いさんをからかった所、
それを見た東条英機は男、軍人としてあるまじき事として鉄拳制裁した。
東條は「メモ魔」と呼ばれた。
メモを山のように取り、それを家に帰って別のメモ帳に清書するから凄い。
313 :
名無し三等兵:02/10/12 20:26 ID:q5CzLV2C
東条英機が兵団を率いて支那大陸で作戦行動中、共産ゲリラに補給路を絶たれ
食料難に陥った。参謀たちは東条だけでも白米を食わそうと兵隊達が少しづつ貯めていた
白米を徴用し東条に出したが、東条は「兵食を持てぃ!」と激怒。一兵卒と同じ稗・粟を食した。
314 :
名無し三等兵:02/10/12 20:37 ID:oIBXS9Sq
>311
それだけではない、サイパンへ飛ばす手続きをホントウにやった。
何かの事情で行かなくて済んだが。(手を握ったのでなかったかな?)
315 :
名無し三等兵:02/10/12 21:04 ID:PhWAhm5R
東条英機が東京裁判であれも自分がやったこれも自分がやったと罪をすべてかぶろうと
したために、連合側は少しでも多くの戦犯を出すために東条がやっていない部分の罪では
東条の無罪を立証しなければいけなかった
東條英機の満州時代の呑み友達は石原莞爾と板垣征四郎。
酒もタバコも呑まない石原はひたすら豚のスキヤキを喰ったので太ってしまった。
317 :
名無し三等兵:02/10/12 21:15 ID:ge6hFeaC
>>308-316 東条英機は善人であった
しかしながら、一国の宰相として適格な人物ではなかった
小学校の教師でもやっていれば、幸せな一生を送ったかも知れぬ。
板垣征四郎の弟は楽できるので陸軍志願だったが海軍に入れられて井上成美にいぢめられたのであった。
満映総長、甘粕正彦は満映改編にあたり内地から左翼系の服役囚を多数引き抜いて
役員や監督に抜擢した。それまでは、あからさまな宣伝映画ばかりで満映の作品は
つまらなかったのである。
>>309 無知で書いたのなら許されるが……
不敬とかの理由ではない。
>>320 通称ミスターヒトって元プロレスラーのレフリーのリングネームはミスターヒロヒト。
大仁田厚のアメリカ修行時代のリングネームはリトル・トージョー。
自称、東條英機の孫。
ジャイアント馬場のアメリカ修行時代のリングネームはリトル・トーゴー。
自称、東郷元帥の孫で米海軍の捕虜からプロレスラーになったという肩書きだった。
なにも考えてないなアメリカ人は。
力道山のアメリカ修行時代のキングネームはヤマシタキッドでフィリピンから
父親を処刑したアメリカ兵を探しに来たってエピソードもあるぞ。
オマエら名将を語ってください。
326 :
名無し三等兵:02/10/13 00:45 ID:3AokTWDk
>>317 つーか、米国との戦争に突入させたの東条じゃなくて近衛の阿呆なんだがな。
近衛が首相の時に日米交渉してた訳なんだが、優柔不断な近衛が途中で
交渉を投げ出さないようにクギを指していたのは東条。
近衛がルーズヴェルトとのトップ会談を決めた時に東条は以下の条件を近衛につけた。
1.ルーズヴェルトではなく、ハル国務長官が会談の相手をするのでは困る。
2.会談が失敗しても内閣を投げ出さない。対米戦争を先頭にたってやるぐらいの気構えを持つ事。
近衛はこれまでに何か思いついては、難しいと解ると引っ込めてしまう、悪い性癖があった。
そのことに東条は釘をさしたのだが、こんどは体を張ってやると断言した。
彼は内大臣の木戸幸一と連絡を取り、「どんな譲歩をしても必ず交渉を纏める。
米国から電報を打ちますから、陛下に上奏し、陛下がこれで良いとおっしゃれば陛下の御命令で
支那から軍隊を撤兵致します」と伝えた。
「東条のヤツ!飯を残してタバコを吸ってやがる・・!」
328 :
名無し三等兵:02/10/13 17:12 ID:PKKVJZqf
>>327 一番末の娘に「お父さん、お口臭い」ってな事を言われて一時期禁煙してたんだろ、東条英機って。
329 :
名無し三等兵:02/10/13 17:26 ID:VkefWsVp
「心配するな。日本軍は、勝ったと思ったら引き揚げていく。追撃はしてこない」
上はハルゼーのセリフだけど、ハルゼーにさえ見破られる日本海軍の習性。
330 :
名無し三等兵:02/10/13 17:36 ID:L72IGEef
昭和天皇が杉山と東条に、酒と煙草どっちを嗜む?って御下問したときに、
東条は、「猿は酒は飲むが、煙草は吸わない。私は万物の霊長たる人間
ですから、煙草をたしなみます。」って答えたそうです。
いちいち理屈っぽいんだよ。このヒトは。
>330
東条って、案外石田三成に似ているのかもしれない・・・。
332 :
名無し三等兵:02/10/13 18:09 ID:uJmuhkQo
>>223 >困窮していた故山本元帥の妻を社長に据えた会社を設立したことくらいかな、黒島のいい話って。
自分を認めてくれた山本に心酔してたのは知ってたけど、
その妻にまで気が回る人だとは思わなかったな。チョト以外。
防衛庁戦史室の調書にも協力的ではなかったらしいけど、
山本について話すときは姿勢を正して、敬語を欠かさなかったそうな。
宇垣の日記を焼いたのも、やっぱり山本絡みなのかな…
333 :
名無し三等兵:02/10/13 18:39 ID:VkefWsVp
↑ 黒島自身の失敗を隠したという説もあるが、山本絡みの疑いの方が強い。
334 :
名無し三等兵:02/10/13 19:53 ID:L32+XUaG
>>332 しかし宇垣の「戦藻録」も、奥さんの事書いてたり、飼い犬が死んで悲しいとか書いてるからな(w
>>334 前線で手に入れた砂糖を艦隊内に配らずに内地の子供達にわけてやれとか書いてるよね。
傲慢なイメージあるけど、至極マトモな人間に思えるよ。
ある意味、常識人だったから山本から敬遠されたんだろうね。
東条英樹は、倫理的には立派な人物だったのだな…。
罪をかぶって自害までしようとしてたよね。
ところで硫黄島で戦車連隊を率いていた西竹一大佐は、アメリカ時代もふくめて、浮気はものすごかったらしい。
それでも奥さんは許していた。
「最後には必ず私のところに帰ってくるから」だって。
でも硫黄島に出撃した時は、二度と帰らなかった…。
あの「ウラヌス」号が死んだのはやはり偶然か、それとも主人の死を知って殉じたのか。
謎です。
338 :
名無し三等兵:02/10/13 22:56 ID:EGw9PgDA
何かと批判される栗田健男中将。レイテ沖での彼の行動に唯一、理解を示していたのは
敵であった大英帝国宰相、ウィンストン・チャーチルだった。
「この戦場と同様の試練を経験した者だけが、栗田を審判することができる」
―――ウィンストン・チャーチル(『第二次大戦回顧録』より)
339 :
名無し三等兵:02/10/13 23:23 ID:MLb62WY/
「東條さんは、『君を巻添えに会わして気の毒だ。まさか君を死刑にするとは思わなかった』と云う。
松井さんは、『俺は長生きしすぎた』とも云う。隣室の方から話し声が聞こえる。嶋田さんの嬉しそうな高笑いが耳につく」
―――武藤章中将(自著『比島から巣鴨へ』より)
>>334 宇垣って「超」がつくくらいの愛妻家じゃなかったっけ?
341 :
名無し三等兵:02/10/13 23:58 ID:05EvaEpO
武藤章って死刑になるほど酷いことしたっけ?
木村兵太郎もそうだよな。
開戦時の次官だった以外になんかあったっけ?
>341-342
東京裁判は「日本の高官たちが共同謀議で大戦を引き起こした」という架空のシナリオに基づいて行われてる裁判だから、
開戦当時に次官なんかやってたらそりゃあ死刑になってもおかしくないわけで。
>共同謀議で大戦を引き起こした
一応、論議した上で戦争をやることに決めたんでしょ?
それに日本が負けたことの責任は彼らが取らないと示しがつかない。
何の責任も問われずに、戦後のうのうと出世していたら、そっちのほうが問題じゃなかろうか。
>>344 内容自体には、同意だけど、そういうことは国内で行うべきで、
他国の関知するところではないわな。
346 :
名無し三等兵:02/10/14 12:34 ID:hZc407oB
>>341 武藤章は開戦前は対米戦反対論者で、田中新一は強硬論者で、武藤達を「腰抜け」呼ばわりしていた。
しかし終戦後、裁判によって死刑宣告されたのは武藤。田中ら、対米強硬論者は罪に問われなかった。
>>342 ビルマ方面軍司令官だったので、「ビルマにおける残虐行為」も理由になってたかと。
ビルマで思い出したが、方面軍参謀長時代の田中新一は軍司令部を
ラングーンから撤退するという決裁書に同意せず、置いてけぼりを食らった。
(木村以下幕僚はモールメンに空路脱出)
蛇足だがこの脱出計画は大雑把で、居留民は元より傀儡のビルマ首相
バー・モウ一家すら放置というあたりがあんまりにもお粗末さ
ビルマ大使の石射猪太郎の回想より
>>345 たとえとして適切かどうか知らないが、
破綻した、あるいは破綻しかけた銀行はたくさんある。
この中で外圧、つまり財務省の査察・指導・監督なしで、自力で自社内を浄化できたところは
ただの一行もない。
現在安全とされている銀行もしかり。
組織の内部で、傷をなめ合いながら自らを裁くなんて、できるわけがない。
特に、組織自体がそっくりそのまま残っていたあの時代ではね。
まあその辺が、現時点のまともな学者による
東京裁判に対する評価の別れ目なのだろうさ。
>348
国家と企業を同列にとらえるのはかなりどうかと思われ。
コーポレートガバナンスの思考からすれば、その場合の例えは「国家」と「企業+株主」にしなくちゃならんわけで……
石原莞治が立命館大学で教鞭を取ったてのは、「ジパング」で知られるようになった。
(「青き波濤」でもチラっと)大学にとっては触れられたくない事項のようだが。
>348
東京裁判やら政財界追放で、古い血が抜けて、
当時の若い世代が動けるようになったのも、
復興にはプラスだったかモナー。
352 :
名無し三等兵:02/10/16 11:21 ID:Voka6JAI
>>348 実際は戦争遂行してた連中、又は煽って追い込んだ連中(マスコミ・国民・官僚(政・軍)が
負けた途端、上層部の連中と部下たちに責任押し付けて自分たちは米国に取り入ったんだがな。
肩から参謀肩章吊ってた連中が未だに生きているのがその証拠だろ。辻なんて戦後、国会議員だしな。
辻タンを悪く言っちゃぁいけない。
354 :
名無し三等兵:02/10/16 20:49 ID:bvpjREwL
杉野孫七兵曹長の長男・修一氏は
太平洋戦争中「球磨」「大鷹」の艦長となり
2度とも撃沈されるも、本人は無事生還。
(のちに「長門」の最後の艦長になったのは有名かな)
ちなみに弟の健次氏も1期下で海軍大佐。
あぼーん
356 :
名無し三等兵:02/10/16 21:38 ID:TiO2eMIm
武藤章って方面軍司令官だったの?
師団長じゃなかったっけ。
武藤の中将以降の軍歴は軍務局長→近衛第2師団長→第14方面軍参謀長
木村と誤解されましたか
358 :
名無し三等兵:02/10/16 22:59 ID:TiO2eMIm
やっぱり師団長でしたか。
武藤章が残虐行為の責任って
なんか納得いかないなぁ。
そんなこと黙認するような
人物じゃないような気がする。
359 :
名無し三等兵:02/10/17 01:40 ID:E3d+l8Vz
只単に米国側の意にそぐわない連中を軒並み有罪にしただけの話。
死刑にならなかった連中は米国に尻尾振ったか無能か無害認定されただけかと。
360 :
名無し三等兵:02/10/17 05:49 ID:8oRU8exy
武藤章は比島の山下大将の参謀長だったが、この方は無罪。東京裁判で48の訴因で
起訴されたが裁判で確定した訴因数は7個で、@共同謀議(?)A満州事変以後の対中華民国
戦争遂行B米国に対する大東亜戦争遂行(これは明らかにウソ)、その他戦争法規違反など。
彼が積極的だったのは支那事変時における事変拡大派だったこと。対米戦は反対した。
武藤は石原の真似をして中国戦線拡大させたわけで
この1点だけで国賊
東京裁判ではなく、自国で裁きたかった。
362 :
名無し三等兵:02/10/17 22:04 ID:TUJTFa6H
>>361 まぁ、その支那戦線拡大も共産軍がそうなるように仕組んだんだがな。
もしそんな策を執られたとして、それに引っ掛かったのだとしたら、指揮官として二重に無能という事になりますなぁ。
364 :
名無し三等兵:02/10/17 23:50 ID:6rDGaxwI
それにしても、このスレッドの趣旨に合った書き込みが
いままで30もあったかしら?
ここはあくまでも「意外」な「一面」を語るスレッド...。
365 :
名無し三等兵:02/10/17 23:52 ID:jLxrIjA3
二次大戦中、アメリカの太平洋艦隊には大抵日系二世が乗艦して通信等での諜報任務についていた
わけだがその兵士を「我が艦隊のジャップ」呼ばわりした士官をハルゼイはいきなりぶん殴り
「貴様の脳味噌は善良なアメリカ市民とクソッタレなジャップの区別もできんのか?!」と怒った
古い話だが、平清盛は今の神戸港を造るとき、
知らんところで人柱として連れてこられた旅人を釈放して、
代わりにお経を書いた石盤を沈めさせたとか。
寒い日に警備の者に布団持っていってやったとか。
死に際に高熱出して水がお湯になった話の方が有名だけどね。
368 :
名無し三等兵:02/10/18 00:41 ID:EDRRmr/W
上杉謙信の死因ってウンコきばってる時、忍者に後ろからヤリで肛門を
突かれて死んだらしい
(消防の時聞いた話)
369 :
名無し三等兵:02/10/18 00:50 ID:SnJEHS1O
ポルシェ博士の運転はお世辞にも上手いと呼べるものではなかった。
370 :
>367:02/10/18 00:59 ID:Zk1IQWpZ
「平家物語」では平清盛は大悪人で地獄に堕ちたことに
なっているが、平家物語の記述でも同時代の別の記録を
みても平清盛が実際に大悪人だという証拠は見あたらない。
>370
それは、日本庶民の歴史観政治観というやつ。
偉くなった人間=悪いことをしていないはずがない。
というやつ。
庶民に受ける話をしないと、琵琶法師、食えないからねー
平清盛は決して悪人ではないぞよ。
策略家ではあったが、実際に清盛がやった悪事をあげろと言われれば・・・・・
うーん、挙がらん。敵対者に対する処罰も甘すぎるし。
おそらく平氏が隆盛を極めたために、当時の上流階級の嫉妬を一身に集めて
悪く描かれたのであろう。
むしろ源氏の連中に比べて
清盛は近代的なセンスの持ち主だったのではないか。交易も得意だし。
373 :
名無し三等兵:02/10/18 01:17 ID:Zk1IQWpZ
それを言ったら「吉良上野介」は尾張では善政を敷き領民から尊敬され慕われており、
高家として幕府に仕え、つねに清廉潔白有職故実で悪いところは一つもない、、、、。
「高家」なんで太平記の高師直の悪いイメージがかぶっていたらしい。
>>373 てことは、一方的な赤穂浪士善玉説は、後世の誇張なんれすかね?
ちょっと目からウロコでございます。
>>373 「吉良上野介」の領地は、尾張でなく、
三河の一角。
吉良町。
>374
赤穂浪士善玉説ってのは意味不明。
彼らは単に主従のならいに従った(とされている)だけの話で、
その倫理ってのは相手が名君だからという理由で適用除外される類のものじゃない。
>>368 そいつは俗説で、
厠できばっているところは間違いないのだが、
脳溢血を発症したのではないか?
(元々のんべい、その日も飲んでいた、しかも、えらく寒い日で…
などの要因が積み重なって…)
…というのが、妥当な見解とされたいたと思うが
まあ、入道していて、女人不犯、それで、義に厚い男、芸術的な戦術家…
そんなストイックなイメージのあるやつが、
「死因の脳溢血の原因は、大酒飲み」…というのは、意外な一面ではあろうが(w
378 :
名無し三等兵:02/10/18 11:34 ID:EqN4Huuw
オランダは今村を死刑にしようとしたでもマッカーサー庇ったらしい何でだ
でもマッカーサーは本間と山下を記者の反対にもかかわらず殺した相当恨んでたんだなあ、自分の経歴潰されて
樋口が殺されなっかた理由ユダヤ人が、議会に揺さぶりかけたらしいソラァ議会の金は大体ユダヤが握っているし
イスラエルのなんかの碑に樋口について云々かいてた
379 :
:02/10/18 12:20 ID:???
東條家では父親愛用のパイプを「べっぴんさん」と呼んでいた。それを娘さんが
学校の作文で「お父さんの好きなことは家でべっぴんさんをなでることです」と
書いたものだから教師がびっくりして急遽家庭訪問となった…。
380 :
:02/10/18 12:46 ID:???
4式戦無敵説=俺様の創作
山本五十六英雄伝説=仮装疝気
>378
山下に関しては、
英国の要求がおおきかったのでは?
オランダの要求は断れても、英国は難しかろうか。
山下が降伏するその場にパーシパルを呼んで同席させたぐらいだから、
そうとう恨んでたかと。
386 :
名無し三等兵:02/10/18 18:53 ID:Zk1IQWpZ
「I shall return」をスローガンにしたマッカーサー将軍は終戦までに比島全島を解放できなかったから、
そりゃ山下を恨むだろ。予定ではリンガエン湾上陸後、2−3ヶ月でサクラサク峠を抜いて
カガヤン街道を真北に打通するはずだったんだし。
パーシバル将軍は回顧録では山下将軍の統率や人格を褒めていたよ。
387 :
名無し三等兵:02/10/18 19:51 ID:nONF0y9C
米内さんが帽子をかぶらないのは、泥酔してだばだばーと吐いたゲロを帽子で受けててんこ盛りにしたのがトラウマだとか。
>>387 違うよ、トミーズ雅並に頭が大きかったんだよ。当時はそんな大きなサイズはなかったんだとよ。
東郷平八郎は何ぞの折に食したビーフシチューをいたく気に入った。
そして料理人に曰く
「ビーフシチューを食いたい」
「私は洋食に疎いのですが、それはどのようにして作るものなのでしょうか?」
「うむ、肉とジャガイモとタマネギを出汁で煮込んだものだ」
かくして和食料理人の悪戦苦闘の果てに肉じゃがが生まれたという。
東郷さん、大ざっぱすぎ(笑)。
ちなみに、海軍のレシピでは牛肉なので、豚肉を使う関東人は似非らしい。
まあ、うまけりゃどっちでもいいと開発者自らが証明したのではあるが。
>389
で、呉と舞鶴はどっちが元祖でどっちが本家なのでしょうか(藁
東郷提督が「デミグラスソース」という言葉を知らなかったおかげで
日本の食文化がまたひとつ豊かになったわけか。
>389
それって真実なんですか?
>392
ホントなんじゃないの。ちなみに東郷元帥の大好物はラッキョとウコン茶。
>>367 むしろ高熱出したのはそのせいではないかといってみるテスト>石でごまかした
>>389 当時って、まだジャガイモと玉ねぎは一般的に普及してないんじゃなかったっけ?
カレーも当初は白ネギしか具がなかったんだぜ?
東郷が訪問先の英国の船乗りが食べているビーフシチューを日本でも取り入れようと工夫して
入手困難な赤ワインの替わりに醤油と砂糖、酒で煮込んだのが始まりって聞いた
397 :
名無し三等兵:02/10/19 15:02 ID:ve+buq1q
ビーフシチューは、そんなに昔からある料理じゃ無い、と言ってみる(w
ロシア料理(ウクライナだったっけか?)のボルシチは大昔からある料理だけどね。
398 :
名無し募集中。。。 :02/10/19 15:05 ID:Xj88K/gR
>>331 いい例えだね。内閣だったら内閣官房副長官あたりが適任かも
東郷さんは薩摩隼人らしく脂っこい中華ダイスキとか、
子母澤寛の本で読んだなあ。トンポウロウとか
ビーフシチュー確かに気に入りそう
東郷さんは神戸でカレーとか食ったのかねぇ?
401 :
389:02/10/19 23:28 ID:???
ウチの学食はただ今イタリアンフェアを実施中。
期間限定メニューの一つ:肉じゃがイタリアン風味
醤油の代わりにトマトスープで味付けした肉じゃが…味は半ばビーフシチュー。
おい生協、これは確信犯なのか、天然なのか?
403 :
名無し三等兵:02/10/20 04:23 ID:r+9uh0Tf
調理師が仕事着のままパソコンの前に座ってカキコしてるとか
>401
大阪の大学でつか?
405 :
名無し三等兵:02/10/20 13:38 ID:8NkpGiJ5
トマトで味付けされると総てイタリアンだと思ってる
>>401って(w
406 :
名無し三等兵:02/10/20 13:47 ID:3BERpzZ/
今、フジTVで瀬島がしゃべってるぞ
407 :
宮崎繁三郎:02/10/20 14:09 ID:OmOye1lv
僕の事しらないのかな?チンカスども
東郷さんといえば大好物はナマコじゃなかったっけ?
日本海海戦出撃前夜、7杯お代わりしたって聞いた記憶があるんだが
>>408 気になるんですが、一杯につき何匹入ってたんでしょうか?
410 :
栗林忠道:02/10/20 22:36 ID:WNpviU41
僕の事しらないのかな?マンカスども
海軍の情報参謀、中島氏の回想によると、中島氏が盲腸炎をわずらったことがあった。
で、当時の連合艦隊司令は医師に「手術するのと、おさえるのとどっちが仕事できるか?」
と問い、けっきょく、薬でおさえることに決定。
中島氏は、ベッドの上で仕事したとか。
この司令が誰かは想像にお任せする(笑
今村均将軍が朝鮮に神童が居ると聞きつけて満州国の士官学校
に留学させた青年がのちの朴正熙元大統領
でこの朴正熙元大統領
韓国憲法制定をアメリカ日本の横槍で
内容を変えなくてはいけなくなったとき
「 骨 抜 き か 」
と日本語で嘆いた
福田訪韓の際の歓迎レセプションで
随行の当時のとある大臣に
ワイングラスの持ち方が違うとケチをつけられて
「私は軍人上がりなものでマナーが解りません
よろしくご教授お願いいたします」
と丁寧に答えた
でも、護衛から撃たれて死亡。
金大中もどうなるかね。
で暗殺された時に
韓国情報部や警察から犯人は日本人の誰々と言われたときに
「私はここに居ますが?」
とテレビに出てきたからおかしな事になった
416 :
名無し三等兵:02/10/21 20:11 ID:O+aK/7KC
ノテウ元大統領は旧軍時代の友人とバーに行くとカラヲケで日本軍歌ばかり唄ったとか。
ケ小平って陸士出身だったっけ?
金日成も日本語ペラペラだし。
そんな事実があるということは東亜新秩序とか五族協和とか大東亜共栄圏とか
まったくやる気が無かったわけでもないんだろうな。
きっと今の不良債権処理とか官僚の綱紀粛正とか財政再建と同じくらいには
やるきがあったのだろうなぁ。
>>419 その喩えだと、普通やる気全然なしって言わないか?
421 :
419:02/10/22 11:33 ID:???
>>420 マジレスされるとは…まぁそうなんだけどね。
多分あと50年くらい経って振り返ったら同じ歴史上のネタ扱い。
「ま た 日 本 人 は」みたいなカキコで。
微妙にキムチ臭いんだが・・・・419
423 :
_:02/10/22 12:34 ID:NKnDuVEH
、 l ,サイタマサイタマ !
- (゚∀゚) -
' l `∧∧
∧∧ ヽ(゚∀゚)/ サイタマサイタマサイタマ !
サイタマ〜 ! ヽ(゚∀゚)/ | |
vv W
424 :
419:02/10/22 12:35 ID:???
確かにキムチは好きだが、何か?
溥儀も日本語上手だったそうだ。
426 :
名無し三等兵:02/10/22 15:44 ID:MD2vo3z1
あっそう
ドゴールも日本語うまかったそうだな。
>>427 フランス人が日本語を話すのがどうにも想像つかない罠。
429 :
名無し三等兵:02/10/22 16:21 ID:MC8HE9wN
>>428 駄映画WASABIでは日本人がフランス語を話してますが違和感ありまくり。
きっと逆も真なんだろう。
>>428 ネズミの鳴き声みたいな日本語なんて・・・
と思っていそう。
個人的にはドゴールが名将かというと、激しく疑問なわけだが
おれはマキャベリすきなので名政治家なら当確だが。
431 :
名無し三等兵:02/10/22 16:24 ID:nGUL7Cda
るせーッフランス野郎!
ホワホワホワホワうるせぇんだよ!!
432 :
427:02/10/22 16:26 ID:???
ドゴールは誠実な人柄が気に入って使用人は日本人だったそうですよ。
だから戦後アメリカに媚を売る姿を見て情けなかったそうだす。
433 :
名無し三等兵:02/10/22 17:42 ID:nGUL7Cda
ドゴールなんざ唯のハッタリ野郎だろ
文句あんならEUもNATOも脱退してから言えっつーの。
右腕ならともかく、使用人が日本人って、それ嬉かねぇよ
日本人はお偉いさんの雑用ボーイじゃねぇつーの。
ドゴールの時代にEUは。。。
435 :
名無し三等兵:02/10/22 18:11 ID:RvoQC8XW
ド・ゴールは現役時は機甲部隊集中機動主義で、フランス陸軍内部では
異端者だった。時代の流れや物の本質を見抜く力は相当なもので、また
その個性から、敵国ドイツ以外にフランス国内だけでなく連合国首脳にも
敵がいたのは、有名な話。
マキャベリストと言うよりは、フランス第一主義で、超現実主義のリアリ
スト。フランスがアメリカと組めば得すると判断すればアメリカと、ソ連
と組めば有利と判断すれば、ソ連と。今のフランス政府も同じ。
私生活では極めて静かで、質素な人物、汚職の「お」の字もなかった潔癖
な人物であった。
436 :
名無し三等兵:02/10/22 18:17 ID:RvoQC8XW
ヨーロッパでは、使用人は何時主人の寝首をかく刺客に変わるかも
しれないし、秘密事項についても、一切他人には漏らさない人物で
ないと、雇わない。
むしろ家族以上に信頼できる人間。
日本のお手伝いさんの感覚とは違う。
>>436 市原悦子なんてもってのほかだな
日本人だけど
438 :
名無し三等兵:02/10/22 18:44 ID:MD2vo3z1
>>437 ナイスツッコミ!!思わず笑ってしまった。
>>436 そういえば海軍さんはドイツの魔乳にやられましたね。
ウチの海軍さんの下がユルいのか、それともメイドさんが刺客として優秀だったのか?
あれこれ興味は尽きませんが、
小国民に愛想振りまいて人心の掌握に努めた東条英機は嫌いじゃないです。
しかし乗馬して登庁したってのは、毎日そうだったってことなんだろうか?
440 :
名無し三等兵:02/10/22 21:13 ID:4J46JoOy
>>439 海軍メイドさん事件はいつかネタにしたい。
参考までに、当時その辺の仕事をしそうな名将を挙げていただけると
ありがたいのですが。
ハイドリッヒとかかなぁ?
東條は生真面目だったんでしょう。
宰相の器で無かっただけで。
441 :
:02/10/22 23:34 ID:rZQsfv5q
陸海軍の航空兵力の統合をはかるべきとか、ゼロ戦が通じるのは1年程度だとか
南洋の孤島で日露戦争方式の包囲殲滅戦なんてできるわけねえだろゴルァとか
結構いいことも言っているんだよね>東条
442 :
名無し三等兵:02/10/22 23:52 ID:4J46JoOy
陸軍の意見としては真っ当だね、東條。
バカじゃないんだろう陸大出てるんだし。
憲兵隊を使って弾圧したと貶されるのは、
懲罰徴集とかあったことを考えるとまぁ無実とも言い切れないが
ヒトラーとナチスに全ての罪を押し付けるのと同じだろう。
443 :
名無し三等兵:02/10/23 00:06 ID:0ccJ5SMx
とりあえず「近衛が悪い!」と言ってみる
test
でもある意味尻拭いだよな
パットンは読書障害で教科書などを読めない(読み難い)為
すべて暗記しなければならなかった
446 :
名無し三等兵:02/10/23 01:34 ID:x8n3yOhF
>>439-440 ドイツの魔乳ってなんなんですか?
時折この板で見かけるんだけど何のことかさっぱりです。
教えてくれないでしょうか?
>>446 たしかドイツと連合を組む事を反対していた海軍士官が
ドイツからメイド名義で来たスパイに懐柔されて
親独に鞍替えした事件だったかな?
>446
簡単に言うと・・・
日本から来たドイツ駐在武官に美人メイド娘(夜のお世話も)をあてがって
親独色に染め上げたという歴史的事実
>>446 【海軍メイドさん事件】
「はじめてのおいしゃさん」というゲームで勉強してください(w
>>449 前から思っているんだが、たまに見る「エロゲライターやっている軍事板住人」って
はじいしゃのライターなのではなかろうか?
当時ゆっくりと広まったとはいえ、
>>450のスレははじいしゃ作者はたぶん見ている
だろうし。
>>451 オレは半藤氏の著作でそれを知ったのだが、「海軍メイドさん事件」って
命名したのはそのスレの60が世界初だと思う。
453 :
名無し三等兵:02/10/23 14:41 ID:mTieY7Wj
木村を鈴谷の艦長に抜擢したのは草加、木村が艦長や司令官だと運がすごい
ガダルカナルでも鈴谷は無傷で帰った
キスカでは自分で舵とった
レイテでは日本最後の作戦成功をおさめた
運よすぎ、戦後、塩田作らずに、会社設立したら凄そう
今村は博打好き
>>451 かもな。
はじいしゃの軍事板ネタはメイドさん事件だけじゃないし。
しかし実際には山本五十六が複数の愛人を囲っていた事を新聞に叩かれたりしたけど
「英雄、色を好む」って理屈で片付く如何にも純日本的な時代だったからな、当時は。
今453見て思ったんだけど、駆逐艦「雪風」が運が良かったのか、それとも指揮官が
強運だったのかどうなんだろ。
457 :
名無し三等兵:02/10/23 21:58 ID:ldWunRrR
今村均日本陸軍将軍は山本五十六日本海軍提督と仲が良かったらしい
ですが本当ですか?あと亀レスとは思いますが、その山本提督は凄く感が
良かった。
>>457 今村将軍とツーカーだったのは小沢治三郎。
459 :
コヴァ:02/10/23 22:11 ID:EHTabMDp
>>457 五十六さんとも、ラバウルで結構仲良くポーカーとかをやっていた。
前線視察に行くと聞いて、今村さんは自分が米軍機にやられかけた時のことを説明して止めたらしい。
戦後、今村さんは小沢さんと家が近くで、親しくしていた。
なお、今村さんの姪の一人は、秋山好古の子孫と結婚している。で、結婚相手もその子供も、陸自である。
460 :
名無し三等兵:02/10/23 22:29 ID:0ccJ5SMx
今村均将軍は零式3座水偵で目立たないようにラバウルからブイン、ブーゲンビルを視察して回っていた。
大げさな見送りはさせず、水偵の乗員にもただの連絡将校のように思わせて防諜を徹底していた。
>>460 今村さんって陸軍の人だよね。
零式3座水偵って陸軍でも運用されてたの?
「飛竜」とか新司偵の逆みたいな感じかな。
462 :
名無し三等兵:02/10/23 22:52 ID:0ccJ5SMx
ただの便乗です。
陸軍の航空隊所属機で視察にいくと万事大げさになって、暗号連絡など飛び交うと
それだけ待ち伏せ攻撃などの危険が増します。
ははあ。なるほど、サンクスです。
海軍メイドさん事件を聞くたびに思うんだが、
親独派の神重徳はメイド萌えなんだろうかw
いや、巨乳萌えだったんじゃねえか?(w
466 :
名無し三等兵:02/10/24 13:57 ID:bUy9h8fE
戦意高揚のための山下の「イエスかノー」あれって実は「司令官のやることか」と1部の新聞社とか国民に叩かれ
上層部にも叩かれ、帰国したらまずそれ弁明からしなきゃいけなかったらしい
>>466 しかも、「イエスかノーか」は、マスコミの捏造
468 :
名無し三等兵:02/10/24 15:13 ID:032OWYND
「結局、降伏するのかしないのか、モゴモゴ言ってはっきりしないので、分かるように明確に言って欲しい」
と通訳を介して告げた、そうですね。
469 :
名無し三等兵:02/10/24 17:28 ID:X1V0Hhzl
小学校にあった左プロバガンダの漫画では目細めて机叩いてましたが(藁
470 :
名無し三等兵:02/10/24 19:11 ID:032OWYND
戸川幸夫「昭南島物語」によると文化や科学、文物に理解があって
シンガポールの施政に適切で柔軟な対応をしていたと見えるが>山下将軍
471 :
名無し三等兵:02/10/24 19:15 ID:NsQe8Ac9
シンガポールの軍政の方針を巡って大本営と意見対立し、本国に
召還させられた。とも聞く。
山下大将のやり方は手緩いとの批判が大本営にあったそうだ。
472 :
名無し三等兵:02/10/24 19:16 ID:cb/dQXax
いつのまにか俺の命名がスタンダードになってて驚愕。
475 :
名無し三等兵:02/10/25 06:05 ID:3ZQoY3E2
>>419 朴や盧泰愚が日本語ぺらぺらなことと、五族協和思想とはあまり関係ないよ。
当時の朝鮮は日本国の一部であり、彼等は「日本国民」だったの。
たしか、当時の朝鮮人のうち、20パーセントは問題なく日本語は話せると思った。
だから、彼らが日本語ぺらぺらなのは、或る意味であたりまえなことなんだよ。
さらに言えば、あの当時の日本語は、アジア圏で最も重要な言語。
西洋の思想・文学・科学が一通り翻訳されてからね。
同じ山下大将でも清の足下にもおよばネーな。
山下清大将はノーマネーの虎と呼ばれ恐れられていた
花王ファミリー劇場にもなった偉大過ぎる将軍
477 :
名無し三等兵:02/10/25 08:14 ID:v4giwUG7
報道班員として、身近で山下奉文を見た作家・今日出海は、「見た目は西郷
に似た体躯、風貌で大人物を思わせるが生身の山下は勇将でも名将でもない
狭量で癇癪持ちのつまらん人物で、存外、気の小さいところもある・・・」
でも、彼の最後には同情的。オレも山下大将が米軍に降伏した時の映像で
彼がペコペコ頭下げているの見てイメージ変わった記憶ある。
478 :
名無し三等兵:02/10/25 13:25 ID:kvNvs1GS
>>477 あのボウズよかよほどマシだよな
狭量で癇癪持ちのつまらん彼にも叩かれた
例のボウズ
479 :
>477:02/10/25 13:31 ID:Ih+1IbsL
敗戦後、「比島に残る日本軍将兵全員を無事に日本本土に復員させるのが自分の最後のご奉公だ。」
と言っていたから、それも考慮してあげて。
この報道班員もよほどのひねくれ者のように見えるが。
481 :
名無し三等兵:02/10/25 13:38 ID:o+fzh4ZN
山下は虎とよばれるのを嫌ったらしいなんでも虎は卑怯と思っているらしいから
482 :
名無し三等兵:02/10/25 14:01 ID:0dcjT7y1
>>477 そりゃ英雄について間違ったイメージから書かれてるよ。
例えば、アレクサンドロスだって、ものすごく狭量で、傲慢な奴だったようだし。
人格と能力は別。
483 :
名無し三等兵:02/10/25 16:41 ID:VaffG012
山下は226事件のとき昭和天皇から「軽率」と言われ落ち込みました。
484 :
名無し三等兵:02/10/25 18:18 ID:aIXFCI2u
高校1の時日本完全悪、韓国、南アジア、中国、正義という当たり前の漫画があった
内容が最悪、捏造だらけで切れて叩き付けた
火葬の敵方ってキャラ作りいい加減だなとこのスレを見てつくづく。
ルメイやハルゼーは薄いし、キングなんかそんな物じゃないって感じだし。
しかし、キングって良いキャラしてるな。
ジパングの黒島もかなりまともだしな。
基本的に仮想の外人はいい加減よ、
ドイツ軍人とかになると猫も杓子もカイテルすらプロイセン式の古武人になっちゃうし
>452
いや、(今は別の方向に行っているけど)
当時佐藤大輔作品とエロゲーの融合を図っていた2次創作サイトの
掲示板でも、ほぼ同時期に見かけた。
厳密にどっちが早かったかは、今となっては検証しがたい。
489 :
名無し三等兵:02/10/25 20:28 ID:sPRAMCPI
485
帝国大海戦の時のキング、ハルゼー以上に凄いから・・・・
490 :
名無し三等兵:02/10/26 05:00 ID:bwlUBI9G
>>98 その話は嘘だ!
24時間テレビは土日に放送。
哲子の部屋は平日放送。
この番組らが重なることはない!
でも天皇のことだからそんなことまで気にしてなかったのかなぁ
>>477 近所のおっちゃんは山下は絞首刑執行時堂々たる振る舞いで
米兵を震え上がらせたと熱く語ってたが・・・・
492 :
名無し三等兵:02/10/26 11:24 ID:JEoq5x9X
>490
別に重なる必要もないではないか。
24時間テレビの下らなさを強調したかったのと同時に
そのテレビ局を貶めないようにという、君主らしい配慮であろう。
493 :
名無し三等兵:02/10/26 11:40 ID:qrPCHX3Q
>>492 天皇陛下もTVを見るということ自体が驚いた。
御家族の一人が同人にどっぷり漬かっているというのは
聞いた事があったが…
494 :
名無し三等兵:02/10/26 11:45 ID:cH66izYo
495 :
名無し三等兵:02/10/26 17:17 ID:wCWrfLbs
>>493 相撲中継は大好きだったらしいよ。皇后さまと時々チャンネル争いしてたとも聞く
496 :
名無し三等兵:02/10/26 17:22 ID:sNl2Q1Gj
現皇太子は「暴れん坊将軍」よく見ているという話を数年前に聞いた。
>495
昭和帝は大の相撲マニアだと聞いていた
今上陛下が皇太子時代に『チャタレイ婦人の恋人』を献上して
問題になった従事がいたとかいないとか・・・
名将じゃないんでさげ
>495-497
なんかほのぼのしていていいなあ。
>>498 あ、それ系のはなし聞いたことある。
現皇太子がまだ大学生だった頃、同級生がいかがわしくも官能的な冊子を
進呈してご学友でなくなってしまったって話。
「宮さま、宮さま〜〜 ほぉら見てごらん(w」
今上天皇陛下のお好きなTV番組は「渡辺篤史の建もの探訪」。
天皇がマッカーサーと会って「自分はどうなってもいい」
と言ったのは嘘だったね。
サーヤ様!801本はおやめくだされ。
もはや三十(略)・・・・。
504 :
名無し三等兵:02/10/27 12:30 ID:VVhzomQS
タイ国王の娘は「聖闘士星矢」が好きだったとか・・・
505 :
名無し三等兵:02/10/27 17:16 ID:UbX5W2Q7
朝鮮人将軍の洪思ヨク中将も同じ刑場で淡々と処刑台に向かったらしい。
山本七平でしか知らないけど、この人は古風な「武人」って感じでけっこう好き。
506 :
505:02/10/27 17:17 ID:UbX5W2Q7
あれ?サンリオのキャラクターの大ファンじゃなかったっけ?
確かキャラクターの作者がタイ国王の娘に直筆画集を献上したと聞きましたが、さて?
何かもの凄く嬉しい事があったらしく
「やったぜベイビー」と現皇太子が小学生時代に言ったところ
昭和天皇が「それってどういう意味?」と真顔で聞いてきたそうな
名将じゃないが、
名無し艦長はロリコンらしい(藁
>>502 それに付いては諸説プンプンなんだけど、マッカーサー回顧録にも
出ており、そのような発言があったといわれているのが一般的。
>>510 この間公開された日本語記録にはそういったことはなかったとの
ニュースが流れてるが
マッカーサーの通訳がそういう風に訳してたんだったりして。
そう考えるとすべて謎は解ける!てありがちか。
512 :
名無し三等兵:02/10/28 09:14 ID:iYjEo8d5
マックの回顧録にはウソが多いというのは定説。
外務省文書には無かったってやつね
ま、この論争は宮内庁側の資料が出てくればはっきりするらしいので
公開されるのを待つのが一番だと思いますが如何?
>>513 朝日新聞が宮内庁側の資料の公開請求を行ない、開示されたものの、内容は外務省の
それとまったく同じだったという事。速記簿が出てこないかぎり真相は不明のまま。
>>514 宮内庁の情報開示度合いって、どんな感じなんだろ?
あんまりつつくと怖そうな気もするけど。
>>515 古墳の発掘調査1つにも難色を示すことから推して知るべし。
なんの本かは忘れたけど昭和天皇の日記があるらしいけどね。
宮内庁はイロイロと貴重な資料もってそう。
>>515 家系図とかは宮内庁行って、きちんと手続き踏めば一般市民でも見れるよ。原本をコピーした奴だけど。
面白そうだ・・・けど、名前が記録されてマークされるのはいやだな。
520 :
名無し三等兵:02/10/29 01:00 ID:GxCOG5OH
>>493 宮内庁が侍トルーパーをしこたま買っていたというのは本当ですか?
あと現皇太子が学習院時代のときに伝統ということで池に
放り込まれたという話を聞いた事がある
皇族がいけに放り込まれるという伝統なのか
学生皆がやる伝統にたまたま皇太子がいただけなのか?
522 :
sage:02/10/29 01:11 ID:GxCOG5OH
あの、名将から皇族方にずれてるんでそろそろ軌道修正しません?w
まぁそういいつつネタを一つ
サーヤさま謹製の同人誌がヤフオクに出品されたけど速攻で削除されたって
噂を聞きましたが真相や如何にw
それはヲタ同人誌でふか?
まさかヤヲイ?
サーヤ様アニメ雑誌にご投稿のご経験がおありとのお噂。
だれかあのAA貼れ。あるいは523の穏当な提案をききいれ
話題を変えれ
三方が原の戦いで徳川家康は武田のあまりの強さにションベン漏らして逃げ帰ってきた。
もはや手段がないので、ヤケで正門開けっ放しにしたら、罠だと思った武田勢は攻撃を避けた。
御三家の水戸藩を造るとき、主な家臣は武田家ゆかりの武将を集めたそうな。
糞も、もらしてなかったっけ?
家来が「なんか臭うぞ」って騒いでたら、原因は家康だったっていう
>>528が正解。
信玄に負けて、逃げ帰った時に書かれた肖像画が、あの苦虫噛み潰した顔の画ね。
>>528 遠慮の無い家臣が、「殿は糞を漏らしてござるか」と指摘すると、
「兵糧のミソがこぼれて付いた」と、言い訳したそうだ。
>531
それを笑いながら言い合えるのならば、家中の空気は凄く良かったんだろうけど
>>531 言った家臣はお咎めはなし。
旗本・譜代の重臣だったかもしれない。
まあ、状況(ほうほうの体での敗走直後)からして笑いながらではないだろうが、
そういうことが言い合えるだけ、やはり、家中の空気は良かったんだろうと思う。
>521
アレは確か部活だったかの伝統で、新入生を池に放り込む恒例の儀式だそーで。
で、さすがに殿下を放り込むのはまずいだろうという話でした。が、殿下が特別
扱いされるのを嫌がり、そのまま池へ。
後日、その事を知った学校のお偉いさんたちが真っ青になって宮内庁に誤りに行
ったら侍従長さんから「特別扱いしなくてありがとう」と逆に誉められたそーです
>>527 教師からその徳川家康版門を開け放ったエピソードを聞いたが
友人はその話を三国志のしょかつりょうこうめいの話だと言った。
後に「世界不思議発見」で
しょかつりょうこうめいのは空城の計だか空門の計とかいう計略で
徳川家康もその計略をしたのだ。とか言ってた。
536 :
名無し三等兵:02/10/30 12:33 ID:PjC9Rons
>>535 >>530の肖像画見りゃ解ると思うが(w
本人(家康)は恐怖のあまり脱糞までしてるんだから自棄だろ。
537 :
名無し三等兵:02/10/30 12:34 ID:PjC9Rons
>>527 旧・武田家家臣の重用は水戸家より、徳川四天王の井伊直正の方が先。所謂、「井伊の赤揃え」ね。
538 :
名無し三等兵:02/10/30 13:28 ID:iNDZ5ij9
「空城の計」なら『孫子』にあったはず。
家康ほどの人物が読んでいなかったとは思われぬ。
信玄も当然分かってはいたのだろうが、あえて上洛を急いだのではないかと。
名将じゃないけど、沖田総司は色黒のブ男だったらしい
>534
話がさらに逸れるが、そこで学校の偉いさん達も
「これが我が校の伝統だ。文句あるなら部員ではなく私たちを処分しろ!」
と啖呵切ってくれたら、完璧(?)だったのに。
541 :
名無し三等兵:02/10/30 15:41 ID:2wA1CudH
お得意様に誉められてるのに喧嘩を売る事はなかろう>540
542 :
名無し三等兵:02/10/30 15:58 ID:P6kRp58n
皇太子殿下だが御学友に時々タバコ代等を借りられてたそうだが殿下には「小銭」という概念がないのでそのまま忘れ去られてしまうこと多し。
学友達はこれを「直接税」と呼んで怖れていたとか。
弟君の方だったかもしれないがある時弁当を食べておられたので「誰が作ったの?」と聞くと「ん?お母さん。」
…ってはっ!!美智子妃殿下!?
ある時皇太子殿下が学食で一人食事をしておられた。茶目っ気をおこした御学友の一人「だ〜れだ?」とやったところ…
気がついたらSPに地べたに押さえつけられてた。どこにいたのかまったく判らなかったらしい。
伊賀出身の俺からいわせてもらうと。ああ、先輩たち仕事頑張ってるんだなあ、と。
そのお母さんの美智子さん。結婚して名字がなくなっちゃった。
大学時代の恩師になにかのお礼の電話を掛けたのはいいが、恩師の奥様が出て困ったらしい。
「美智子でございますが、**先生はご在宅でしょうか?」
「どちらの美智子さんですか?」
「・・・・・」
って、全然名将じゃねー!皇室ネタ禁止!でも面白いから許可!どっちだ。
最後の将軍、徳川慶喜は退位後、軍の工廠を視察した際に目にした飯盒をいたく気に入り
貰って帰った。
慶喜は自室でそれでご飯を炊いて楽しんだそうである。曰く
「どんなご馳走よりも美味である」
しかし、それがアルミ合金の飯盒だったので慶喜は気になって
「アルミは体に害があるのではないか?」と工廠に問い合わせた。
「まだ使い始めて日が浅いのでよくわかりません。ただ、銀ならば
問題ないでしょう」と答えられたので、後日銀塊を送って
銀製の飯盒を作らせたそうである。
545 :
名無し三等兵:02/10/31 10:16 ID:CZQCdKo1
久々(?)になる軍事ネタを一つ
マレーの虎で知られる、山下奉文中将。
一見強面で、超攻撃的な性格とは裏腹に、
彼には、激戦の翌日、
早起きをして、森にはいると、
一人さめざめと、死んだ奴らの為に泣く習慣があったらしい。
その姿は、たまたま見付けたものすら、涙を流さずにはいられなかったとか…
昭和天皇が226事件の時、自ら外の警察に電話したけど
一人称が「朕」だから、はじめいたずらと思われたらしい。
なんかジョークにやたら絡むヤツがいるな。
>>547 DQN陸軍がまともな情報をくれないので痺れを切らして自ら電話されたとか。
自ら近衛を率いて出陣する天皇を見たかったなぁ。
>>549 同意。
彼の采配はいかほどのものか…?
豊臣秀吉が二番目に仕えた松平?家はその後没落してたが、
後に出世した秀吉によって救済されたらしい。
>>550 立憲君主であろうとした昭和天皇は結局は出陣しなかった。
米国との戦争に立憲君主として最後まで抵抗しようとしたが結局政府の決定に従い開戦。
でも最後は「聖断」という形で絶対権力を行使してしまったわけで、天皇の苦悩は相当深かったろう。
もっと専制君主として権力を行使すれば、世界史に名を残す名将であり名君だったかもしれない。
553 :
名無し三等兵:02/11/02 01:12 ID:J8aWa09W
>>552 始めたのは自分じゃないが終わらせたのは自分だ!というわけで
まあずいぶん都合が良い話ではありますな。
>始めたのは自分じゃないが終わらせたのは自分だ!というわけで
>まあずいぶん都合が良い話ではありますな。
アホ、上層部が誰も責任を取りたがらないから
聖断が下ったんだろうが
555 :
名無し三等兵:02/11/02 01:20 ID:pI52o+/s
小沢治三郎提督 身長180a超
なんだ。あの頃の日本人にもデカいのがいたじゃないか!
>>554 立憲君主であるのであれば、誰も責任をとらない状態でも「英断」を下すべきではなかったし
(それをするのは国民が選んだ政治家の仕事)、逆に立憲君主を曲げてでも国を救うべきだ
と考えるのであれば、開戦の判断の時点で反対すべきだったな。
責任者は責任をとるためにいるんだよ。責任をとらずに良いところだけつまみ食いするのが
立憲君主なのであれば立憲君主とはずいぶんと君主に都合の良い制度だな
>もっと専制君主として権力を行使すれば、世界史に名を残す名将であり名君だったかもしれない
あ、そう。
どう見てもお公家さんだけどなあ。白馬にまたがる姿、無理してるっぽい。
えらい方ではあるけど、軍の事はわからねーでしょう。
>556
仕方ないから最後の最後で自分の信念まげて「聖断」を下したわけでね。
そこらへんの勘所ってのが判らずに杓子定規に物事考えてるようじゃ、実際の政治は出来ませんぜ。
しかし、226のときはめちゃくちゃ怒ってたのは確か。
朕が股肱の忠臣を・・・なんだっけ?
560 :
名無し三等兵:02/11/02 01:56 ID:SXmXdBi8
明治天皇崩御に伴う乃木夫妻の殉死は、当時の警察が現場検証した結果、実際は
死の覚悟がまだ出来てなかった夫人を巻き込んだ無理心中に近い物だった事を
宮竹外骨の「滑稽新聞」にスッパ抜かれた。
>559
「朕が股肱の老臣を殺戮す、かくの如き凶暴の将校ら、その精神においても、何の恕すべきものありや」
本庄侍従武官長の
「反乱部隊の統帥権干犯の罪は許せないが、その精神は君国を思うところからきたもので必ずしも咎められない」
なる趣旨の奏上に対するコメントね。
終戦時の問題といっしょくたにするには次元が違いすぎる話だと思うぞ、これ。
「戦争は天皇のせいで起きた」っていう低能、まだまだいそうだね。
軍板で見かけるのは珍しいが。
563 :
名無し三等兵:02/11/02 03:22 ID:jPvolRTP
>>547 前から不思議だったんだが、なんで途中で「本物」だって気がついたんだろうね?
そんなすごい人が直接電話してくるなんて思わないだろ普通は。
北の御国のあの方も政変、戦争が起きればDQN行為の責任ナシってことで
立憲君主、象徴として収まり、後に国内マスコミのオモチャになるのかな?
565 :
名無し三等兵:02/11/02 07:19 ID:FKyxxAqD
>>564 生きるも殺すもGHQ次第
ヤンキー共和党政権では起訴?
カーターがいる民主党政権では恩赦?
まあ聖断は鈴木首相が「漏れは決められないから陛下の意見きぼんぬ」と陛下に上奏してから
天皇陛下が法的拘束力の無い「意見」を述べ、それを「参考に」鈴木首相が自分の決定にしただけの話だ。
影響力を利用されたという部分はあるが決して決定権を握った訳ではない。
聖断の声が小さかったのと
鈴木首相が耳が悪かった事が重なって
鈴木首相がハルクホーガンのパフォーマンスみたいな姿勢で
は ぁ ?
と情けない声を出したので
みんな笑うのを堪えたらしい
>>562 じゃなくて天皇に対してだけダブルスタンダードで褒め称える奴がいるから変なことに
なるんだろうが。
>>568 少なくとも軍板ではそんな奴はあまり見かけないが。
ダブルスタンダードと言っても
何に対してのダブルスタンダードなのかもよくわからないし。
ま、仮に、君がヒトラーや金正日のようなのと比較して
同等のものであると考えているのなら、
政治機構に対する理解が足りないというよりない。
イタリア国王などと比較するのなら、まあわからないでもない。
それでもギリギリだが。
572 :
名無し三等兵:02/11/03 00:43 ID:o7EoJuDU
井上成美大将は「比叡」艦長のとき
夜中、従兵が半裸で寝ているベッドに入り込んだことがある。
それで、目が覚めて、逃げようとする従兵に
「朝までここにいろ」
573 :
名無し三等兵:02/11/03 00:44 ID:o7EoJuDU
↑ ちなみに出典は阿川。
栗田健男中将は「金剛」艦長のとき
私室のベッドに排便されていることに気づいた。
泥酔した士官の犯行だとわかると
「それなら、仕方がなーい!」と絶叫して不問とした。
以降その士官は栗田に心酔したとのこと
>>576 心酔する前に、やるべき事がいくつか有るような気がするのですガ。
578 :
名無し三等兵:02/11/03 03:46 ID:N9D8Gk9K
鮫島具重中将は「摩耶」艦長のとき
酔っ払って帰艦したところ、ひとりの中尉にぶん殴られた。
その中尉は当然免官の所、艦長の配慮で転勤で済んだ。
十数年後、潜水艦長となったその中尉は
孤島で奮戦する鮫島中将のもとへ補給物資を...。
って、ちょっと有名すぎたかしら。あまり意外でもないし。
>>576 取り敢えずツッコミいれとくか・・・
栗 田 が 名 将 か よ ! ?
お粗末様でした
JFKは若い頃に魚雷艇の艦長をやっいたが
日本海軍の駆逐艦に体当たりされて魚雷艇を沈められた。
小回り命の魚雷艇が駆逐艦にぶつけられるのは
そうとう下手クソな証拠らしい。
またブッシュ(父)も戦争中は空軍パイロットで
小笠原諸島父島付近で日本軍の高射砲に撃墜されている。
…がいしゅつ?
ってか名将じゃない。
581 :
名無し三等兵:02/11/03 05:39 ID:o+djJF0b
名将ってわけじゃないけど・・・。
吉田茂首相が、戦後、アメリカの武官と口論になった時、
「さっさとアメリカに帰れよ。おまえらGHQって、Go Home Quicklyって意味だろ。」
また、とあるアジアの代表が、吉田に、どうしたら日本のように金持ちになれるのか?
と聞くと、、吉田は、
「アメリカと戦争したからじゃ。」と答えたそうな。
ちょっとおもろくない?
まあ、今やったら、マスコミに揚げ足とられそうやけど。
>>574 リスナーかよ・・・・
一緒にラジオ板に帰ろうや(w
583 :
ホーチミン:02/11/03 09:15 ID:lKfn+QcF
584 :
名無し三等兵:02/11/03 09:54 ID:FYau96N8
>>583 勝ったから貧乏になったんじゃ。
>>581 今のアフガンもアメリカに負けたおかげで内乱を止める事が出来ましたね。
585 :
名無し三等兵:02/11/03 10:04 ID:C8O4k+hM
山本五十六元帥は「赤城」艦長のとき
着艦に失敗して、海に落ちそうになった飛行機に駆け寄ってしがみつき
なんとかぎりぎりのところでくい止めた。
まあ海軍のやくざ、任侠道の面目躍如といえないこともないが。
586 :
名無し三等兵:02/11/03 22:24 ID:w2GXcx1u
>>555 ゾロ目オメ
米内光政も180以上あったって良く聞く…
晩年、同期の友人と一緒に写ってる写真を見たことがあるんだが、
遠近感が狂ったかと思った。
>>585 >>まあ海軍のやくざ、任侠道の面目躍如といえないこともないが
言いえて妙 激しくワロタ
588 :
名無し三等兵:02/11/04 00:26 ID:6b95LTbI
牟田口クン家の廉也さんは
報道関係者にはとても優しかったそうです。
589 :
サムソン・フォード:02/11/04 01:53 ID:nTG6hejM
>>585に補足します。
山本五十六がしがみついてもなお飛行機の動きが止まらないので、
その場にいた将兵も次々と飛行機(または山本五十六)にしがみつきました。
その中に、赤城を訪ねていた山口多聞もいました。
>>589 そうだよね…慎重160cm足らずの山本五十六がしがみついて止まったら、
それは別の意味で凄い話しだな…
>>586 宇垣纏たんも180くらいなかったっけ?
592 :
名無し三等兵:02/11/04 03:10 ID:MaEfv6DN
結構身長高い人いたんだね。
艦長室に潜入
↓
やわらかそうなベッドハケーン
↓
つい潜り込み、そのままグッナイ
↓
朝起き、妙に窮屈なので隣を見れば・・・
↓
睡眠中の艦長(成美タン)ハケーン((((;゚д゚))))ガクガク
↓
艦長目が覚めて「朝までここにいろ」
てな感じでしたよね?
>>593 朝になってから成美タンと一緒に寝てることに気付いたんだったら
「朝までここにいろ」はオカシイ
596 :
名無し三等兵:02/11/04 22:52 ID:d8AoWNkw
↑くだらないこといってんな
597 :
名無し三等兵:02/11/06 00:12 ID:nHsVajc6
山本五十六大将は米国にいたとき
喫茶店で出されたコーヒーに砂糖をどっさり入れた。
友人があっけにとられていると
「悔しいが、米国には資源が日本よりも豊富にある。
だからせめて、少しでもたくさん砂糖を使ってやるんだ」
学研から出ていた、檜山良昭センセイ執筆の
子供向けの歴史の本に載っていた話。(今から思えばすごい名著だ)
昭和天皇はチョココロネがお好き
先帝陛下はディズニーの腕時計をお召しになられていた。
600 :
名無し三等兵:02/11/09 03:50 ID:5ghYbr01
大西瀧治郎は月見草が好きだった。
縁日で買って来た鉢植えを庭に植えて、
縁側から下りては花が開いてゆくのを眺めていたとか。
何だかメルヒェン…すっごく意外だ。
601 :
:02/11/09 08:39 ID:t8pG5McB
名将とはも違うかもしんないけど
関東のどっかのド田舎に農道を造るんで、そこに広大な土地持っていた本田宗一郎に
県の役人が用地買収の為に会って計画案を見せたそうな、すると、
「こんなせこい道路作っているから俺たちがいい車作っても性能を発揮できないんだ!」と一喝、
・・・・・・しばらくして軽トラックとトラクターくらいしか走らんその道には
道路幅をたっぷりと取ったサーキットのような立派な道ができあがりましたとさ。
602 :
名無し三等兵:02/11/09 09:40 ID:FD8w0VcM
>597
そのエピソード、阿川の「山本五十六」に載ってるじゃん。
山本五十六は酒が飲めない上に甘党だったからな。
糖尿になるぞ>>山本五十六
605 :
名無し三等兵:02/11/09 11:39 ID:23WGTbQw
山本五十六大将は、ギャンブル好きで、将棋が強かったらしい。
606 :
名無し三等兵:02/11/09 11:39 ID:32vC6+aP
山本五十六大将は、ギャンブル好きで、将棋が強かったらしい。
607 :
名無し三等兵:02/11/09 12:14 ID:hb0h95dr
>600
可愛すぎる・・・
ageますageます
610 :
名無し三等兵:02/11/11 20:14 ID:+UI/6m1E
587 ワイン届けて (たばこの)パイプをもらった話?
611 :
↑:02/11/11 20:16 ID:+UI/6m1E
すまん 誤爆 578だ
宇宙一の名将、皇帝ラインハルトは逆立ちが好きだった。
信者はライトノベル板へお帰り!
東郷平八郎は、艦上で陸軍のお偉いさんと話しているときに、
「邪魔だからどけ」
と掃除中の兵に言われ、おとなしくどいたらしい。
>>614 「ちょっとどいてください」って兵に言われ、提督も「はいはい、ホイヨ」ってどいたんじゃなかったっけ。
それを見ていた陸軍側が肝をつぶしたと…
葉巻愛好家で知られるチャーチルは喫煙
が下手で葉巻の灰でスーツをよく焦がしていた
617 :
名無し三等兵:02/11/14 20:01 ID:Kn5SolNg
チャーチルの葉巻には針金が仕込んである。
いつ灰が落ちるのか話し相手が注目するが、なかなか落ちない。
自分に注目させるためのアイテムだったわけだ。
東郷タン可愛すぎだな
619 :
:02/11/14 23:28 ID:e3/2+iEh
>>614 陸軍の場合を妄想してみますた
東条・・どいてくれるがその後「掃除のしかたがなっとらん!」と説教1時間
石原・・妄想に夢中でそもそも掃除していることに気がついてくれない
山下・・とりあえずどいてくれるのだが、どきながら凄い目でにらまれる
田中・・言い終わる前に鉄拳制裁、その後舎弟の辻&服部にリンチ
>619
バカヤロー、思いっきり笑っちゃったじゃないか(w
特に上二つ。
622 :
名無し三等兵:02/11/16 06:11 ID:Nec3lv6V
俺もワラタ
東条タン最高。
ハルゼーの裏事情についてもっと語ってください。
625 :
名無し三等兵:02/11/16 19:34 ID:NXbauKkB
三川軍一は以外と部下思い、米内が第2艦隊司令の時、精神棒を無くせの命令に
賛成してた{ソン時は鳥海の艦長}
日本語が非常におかしい人がいるのはこのスレですか?
>>619 東條には、メモ帳を出しながら説教してもらいたい
628 :
名無し三等兵:02/11/22 03:13 ID:XajrYBav
さすがにネタ切れらしいw
629 :
名無し三等兵:02/11/22 03:34 ID:BR8Ce2Yb
631 :
名無し三等兵:02/11/25 04:07 ID:yeNYdsQf
>>563 漏れ的には、駐在所の電話番號はどうやって調べたんだろうか…と。
635 :
名無し三等兵:02/11/30 00:22 ID:D+pgrUN/
石破防衛庁長官は、モー娘。を歌って踊れる。
ロンドン海軍軍縮会議の海軍次席随員だった山本五十六は、
親友の堀悌吉が海軍省軍務局長として何とか条約締結に漕ぎ着けようとしていたのに、
現地の強硬派リーダーとして全権の若槻、財部らを激しく突き上げていた。
638 :
名無し三等兵:02/11/30 21:40 ID:yZIEfT3J
>>637 まあそうはいっても日本に古来「名将」と称するに値する人物がどれほどいたかということもあるので....
640 :
名無し三等兵:02/11/30 23:00 ID:qDfYwPeo
塚原が中国戦線のさい、SB-3の爆撃をうけ、片手無くした時
「今に見てろゴルァ」と完全に切れてたらしい
641 :
名無し三等兵:02/11/30 23:00 ID:s7R1LUU1
>>185 7本・・・鞄に他のもの入ってたのかな?
石原莞爾は小刀で割礼したと深夜ラジオで聞いたが信じられん・・・・
643 :
名無し三等兵:02/12/01 00:02 ID:6V1TXMsj
織田家の誰か忘れた
京の朝廷から使者としてやってきた公家のしゃちこばった態度が気に入らず
おはぎだか餅だかを振舞う段になった時おもむろに横になり陰嚢を取り出して
ヒタヒタと叩きながら
「当家のは一個これくらいの大きさであるがいくつ位召し上がられるか」
とやって度肝を抜いたらしい
それを聞いた信長は爆笑しただけで特になんのお咎めもなかったらしい
他家であればまあ切腹は免れ得ないところ。
織田家ってイカス
石田光成は「珍が小さい」のを気にして木刀で毎日「珍」を殴って鍛えたそうだ。
645 :
名無し三等兵:02/12/01 13:55 ID:9qBEEJEp
>>643 それ講談だったか落語だったかの話。元々中国の話だよ。
646 :
名無し三等兵:02/12/01 14:35 ID:ymQ35twW
石原莞爾って学生時代、美術の試験で自分のポコチン写生して
「わが宝を写す」って言って提出したんだろ?
石原莞爾といえば難関、陸軍大学の卒業論文を白紙で提出したので次席卒業だったとか。
後にも先にも白紙の論文はなかったそうだが。
ミッチャーもアナポリスをビリで出たんだっけ。
石原とは違うけど。
>>647 石原将軍は白紙で出さなくても妬まれて主席卒業はなかったダローネ
650 :
名無し三等兵:02/12/02 07:46 ID:WUDmwo68
めーん・たんく・ぶろー
651 :
名無し伍長:02/12/02 12:53 ID:An58Pwmy
>407
上官が悪いと名前が出にくいのかなぁ。
652 :
紫暗号:02/12/02 14:42 ID:k6EFDz71
東郷平八郎、連合艦隊長官に選ばれた理由「あの男は運がいい男です」by山本権兵衛
653 :
名無し三等兵:02/12/02 16:06 ID:H4vNpCvD
山口多聞は、あの体形で武芸百般に通じ、水泳・馬術・弓術は大得意。
軍人ではないけどコーデル・ハル。1945年ノーベル平和賞受賞。
軍人でないついでに江橋慎四郎。出陣学徒壮行会で勇ましい挨拶をした男。
陸軍に入隊するも、疑惑の多い状況で即日除隊。
(もっとも本人は終戦まで飛行機関係の仕事をしていたと云っている)
のち東大教育学部長、鹿屋体育大学初代学長などを歴任。
どの面下げて赴任したのやら。
マスコミに対しては終始沈黙を通すも(「わたつみ会」にも不参加)
ある時、記者の前で「私は貝になりたい」と口走ったとか何とか。
疑惑って何?
ググったけどわかりません。
亜科?
文部省か何処かが、除隊になるよう手を回していたらしい。
有馬正文の末っ子と初孫は同い年。
なお、有馬の長女の百合子さんの媒酌人をやったのは高木惣吉。
>>658 高木惣吉が西田幾多郎を知ったのは有馬正文の紹介。
保守もかねて
有馬正文提督
意外かどうかは知らないが、糞まじめで海軍中に名をとどろかせ
酒、タバコ、女、博打といったことを一切したことが無いらしい。
というわけで、お見合いで結婚した奥さん以外に女を知らないとの噂がある。
661 :
名無し三等兵:02/12/11 00:44 ID:JxpAf0li
軍艦総長「平賀譲」
いまわの際に「蕎麦が喰いたい」と言ったので、物不足が厳しい折
息子の嫁が神田の老舗蕎麦屋「藪」に頼みに逝った。
「東大総長の為ならとっておきのイイそば粉で腕によりをかけて打ちます!」と
蕎麦を持っていったが、平賀はむせ返って飲み込めなかった。
いよいよ癌が進行して臨終の縁をさまよているとき「ウイスキーが飲みたい」と言い、
息子が綿に湿らせて口に吸わせようとしたが、やはりむせ返って飲めなかった。
好物を口にしたいとはいえ、病人に無理は禁物。
有馬正文って下士官兵にも敬語を使ってたって言うけど、
攻撃の時なんかも、
「皆さん、かかりませう!!」
なんて言ってたんだろうか?
ベートーヴェンにも似たような話があったな。
モーゼル・ワインのとびきり上等なのが飲みたいと、さんざん催促していたのに
届いたころには病状が悪化しすぎて飲めず
瓶を枕もとにならべて「ウーン残念...」とうなるばかりであったとか。
あと臨終の際にカッと目を見開き、拳を上に突き上げて事切れたとか何とか。
いや、私は交響曲3番のいう「英雄」は、ナポレオンでもギリシャ神話の神々でもなく
ベートーヴェン自身であったと思っておりますもので。
>>660 あんまり物腰が丁寧なんで、気の荒い航空兵からはUZAがられていたらしい。
有馬は嫁取りのいきさつがまた凄い。
夫婦仲はもう「ごちそうさま〜」ってくらい良かったそうだが。
石原莞爾は上官と話をするのが嫌で
上官を見つけると馬で疾走し逃げていたり
演習中だと突然「連隊長戦死〜!」と叫び
バタリと倒れ死んだマネをしていた。 藁!
知将石原莞爾
いまわの際でも死んだマネをして傍らの弟子達が
号泣する中「まだのようですね」と目を開けておどけて言ってみせた
東条英機きぼんぬ。
石原カワイイ(・∀・)!!
672 :
名無し三等兵:02/12/13 23:57 ID:jhmOEdR/
有馬さんの伝記読んだことあるけど、ネタになりそうなエピソードがごっそり…
ついでにその伝記の著者が有馬さんに萌え萌えで、何だか微笑ましかった。
673 :
名無し三等兵:02/12/13 23:59 ID:f0CavXVc
山下大将は、気が向くとパンツ一枚でフラーリと気ままな旅に出た。
674 :
666:02/12/14 00:10 ID:???
>>669 有馬夫人曰く「一種の略奪婚ですね」
有馬叔母:「正文さんもお年頃ねえ、あちらのお宅に
丁度お似合いそうなお嬢さんがいらっしゃるんだけど」
この時点で有馬家と有馬夫人実家との接点は無いも同然。
↓(数日)
有馬母:(有馬夫人の実家を訪問して)
「はじめまして(←ここ重要)、有馬と申します。
初対面に不躾ではございますけど、宅の息子の嫁に
そちらさまの一番上のお嬢様を頂けませんでしょうか?」
有馬夫人(予定)とそのご両親、ポカーン
↓(数日)
有馬正文:(有馬夫人の実家をアポ無し訪問して)「私は有馬正文と申しますが」
有馬夫人(予定):「有馬……え、あ、はいぃっ?」
有馬と有馬夫人(予定)初顔合わせ。
↓(数日)
有馬妹(か母君か忘れた):(有馬夫人の実家を訪問して)
「正文が明日には任地へ戻ってしまいますので、急ではございますが
お嬢さんとお母様に一緒にうちへ来て頂きたいのですが」
有馬夫人(予定)とご母堂、有馬宅へ。挨拶かなにかだと思ったら
床の間のある部屋へ通され、さくっと仮祝言。
この時点で正式な婚約は(確か)成立していない。
有馬夫人ご母堂、一人で帰宅。有馬夫人父君に
「あの子は有馬さんの家の人になりました」と報告。
有馬夫人ご両親、夫婦で一晩泣く。
以上「提督 有馬正文」より要約。長文スマソ
ちょっとうろ覚えなんで間違ってましたら補足訂正ヨロシコ
>674
叔母さん!おかしいよ、叔母さん!!
昔の殿様みたいな結婚の仕方だな(w
>>676 昔の殿様のほうが、マシだと思われ。
少なくとも、相手の実家が嫁ぐ先の事を知ってる。
これで「うちのお父様は世界一のお父様」と惚気てるんだよね、有馬さんの奥さん。
愛か!?愛なのか!!??
スーパーサイヤ人な下半身なのかも
ワロタ!
いいのかよ!?
おかしいですよ、有馬さん!!
嫁さん拉致っちゃたのかよ!w
終わりよければすべてよしとはいうがなあ(w
ま、辻タンも嫁以外に女を知らなかったワケなんだが…
名将じゃないしsage。
685 :
名無し三等兵:02/12/16 19:26 ID:NgzGlHJJ
>673
これって終戦後マニラで裁判受けている時のことではないですか?
ところで山下将軍って妻の妹を愛していたらしいですね。。。
有馬さん、叔母さんのお陰でいきなり株が上昇(?)
カテ公もびっくりだぁw
カテ公って、カテジナさんですか?(笑)
688 :
名無し三等兵:02/12/16 19:34 ID:NgzGlHJJ
林銑十郎は陸軍大学校校長になったときに、学生に対する訓示で
「諸君はわたしのような貧弱な者を迎えて誠に心細いと思いますが」などといったとか。
校長時に毎日つっていた参謀飾緒の金モールがはげたものを平気でしていたので
他の教官たちが、みなで醵金して買ってやろうではないかとか話していた。
出典:宮村三郎『林銑十郎 上』原書房
このような人が陸軍大臣や総理大臣になってしまうのだから不思議。
さすが闘将有馬だな。
戦後、ポルシェ博士が講演で言った台詞
「この中にドイツ戦車に乗っておられた方がいたなら謝っておきます。
実はあなた方の尻が痛い思いしたのは其処まで気が回らなかった私のミスです。」
それ以前の問題のような…
大祖国戦争時、ソ連の戦車兵にはハンマーが支給されていた
これは入りにくいギアをハンマーでぶっ叩いてギアチェンジするための物
ちなみにハンマー支給の指示を出したのは戦車師団を視察した直後のスターリン
ソ連の軍隊ってなんかちょっと変・・・・
ずーっと疑問だったが、どういう風にギアを叩くの?
後輪駆動だよね?
>>695 ギアレバーのほうと思われ。レバーがかなり重いので木槌でガコン!と動かすわけですな。
>>696 ポッキリ逝くようなことはないのだろうか・・・
698 :
名無し三等兵:02/12/19 01:10 ID:Xi0zRysl
駆動系が後ろにある当時のソ連戦車は操縦席から長いロッドで変速機まで
繋がっているためギヤレバーは凄く重い。
同じ様な理由で半クラッチ走行も足に感覚が掴めず難しかった。
東条は奥さんできる前はナンパ野郎だったが、妻が出来るとそれを辞めた
何処の誰かと全然違うな
700 :
名無し三等兵:02/12/19 10:55 ID:utQQdBSe
吉田茂といえば、その語学力がよく話の種に上りますが、「吉田の日本語は英語に似ている」
とか言われていて、さほど上手ではなかったらしい。(今の政治家とは比べ物にならんが)
戦前の政治家の語学力評価は、某所だと・・・
1高橋是清、幣原喜重郎
2加藤高明
3伊藤博文
4大隈重信、吉田茂
原、西園寺、芦田は仏語がネイティブ並だったそうだが。
それから加瀬英明氏によると、終戦後の首相在任者の英語力ランクはこうなるそうな。
1 幣原
2 宮沢、羽田
3 中曽根、細川、小泉
4 佐藤、三木、福田、大平
5 橋本、小渕
森
社民党の英雄、村山元総理は?英語力ゼロですか?
>>701 竹下と同じぐらいなんじゃないの?
ちなみに幣原、宮沢以外は英語を仕事に使えるレベルじゃないぞ。
ヒトラーはパンター戦車の主砲照準機に
ワイパーをつけろ!とひつこく要求して
開発チームの足を引っ張っていたそうだ
>吉田の日本語は英語に似ている
ちょっとわかりづらいですが、「日本語しゃべってると思ったら英語だったのかよw」
ということらしいです。
しかし、信じられないが・・スレと中身がかぶってんなw
森さんもクリントンに凄いことを言ってのけたそうな。
「ハウアーユー?」とやるところを「フーアーユー?」と失言し、
それをジョークだと思ったクリントンが「私はヒラリーの夫です。」
と返すと「ミートゥー」と言ってしまったのだとか。
706 :
名無し三等兵:02/12/21 12:21 ID:Hm6YXY+2
>>705 さすがにそれはデマ。金大中も同じこと言われていたかな?
よくあるジョークのはずが、信じ込まれてしまったということです。
>>206 元々はフィリピンかどこかの大統領を登場させた、昔から定番のジョークと聞いてますが
ただ、それを実話と思わせてしまう実力を持った人でしたな>森元首相
ブレジネフのジョークじゃなかった?
スプルーアンスは現役時代、軍服以外で人前に姿を見せる事は殆ど無く、パーティなど
の誘いに載ることも希で、出席したときも顔だけ出してすぐに帰っていた。
>>709 意外と言うかあの御仁ならそうするだろうなあ、って感じだね。
>>710 ハルゼーが元帥になれたのにスプルーアンスがなれなかったのは、この異常な社交嫌い
のせいで軍以外の人気が全くなかったのも理由らしい。
712 :
名無し三等兵:02/12/25 03:53 ID:3IG2+zqC
そう言えばスプルーアンスは退役後フィリピン大使を勤めたんだっけ。
大の社交嫌いの御仁には軍務よりツライ仕事だったのではないだろうか?
713 :
名無し三等兵:02/12/25 19:07 ID:nff+ocod
>>708 ソ連の書記長が英語で返答したりせんだろう。
英語で返すということは、米傘下の国でのジョークだったのかな?
学の無い奴が学のある所を見せようとして大恥を知らずにかいてた
ちゅうジョークだから誰だろうと構わんのだ
神重徳の実家は焼酎醸造元。現在もいい仕事をしています。
塩沢 幸一海軍大将の実家は・・・(以下略)
717 :
名無し三等兵:02/12/30 12:24 ID:IU2VdHfA
>716
そのわりには現役で病死(略
あぼーん
720 :
名無し三等兵:03/01/08 19:38 ID:MdWb6Z0H
養命酒age
源田は三菱に怒鳴り込んで烈風の開発を遅らせた
>721
意外でもなんでもないが?
723 :
山崎渉:03/01/12 21:16 ID:???
(^^)
724 :
名無し三等兵 :03/01/14 13:09 ID:vCTiQooJ
>>716 ぐぐってみた。ホントに養命酒だったんだ。
725 :
名無し三等兵:03/01/14 21:24 ID:ymlxyOyt
養命酒製造の本家の息子が、比較的若くに病死したのが不謹慎だが笑える
726 :
名無し三等兵:03/01/18 22:54 ID:K5wvHsAt
地図が反対から読めなくて机の上に寝そべって見てたのはパットンだっけ?
728 :
名無し三等兵:03/01/18 23:28 ID:HFYs67Af
>726
パットンは12歳くらいまで鏡文字を綴ってた、らしいです。
729 :
名無し三等兵:03/01/19 00:17 ID:lnRU/E3E
578>>摩耶艦長ではなく最上ではなかったか?記憶違いならスマソ
731 :
名無し三等兵:03/01/19 18:20 ID:bbUtA5YU
ナポレオンは猫が大嫌いだった
>>731 おひょ!猫かわいいのに・・・。
も1つナポレオンネタ。
彼は軍のバター不足にマーガリンを開発させたが
自分は大嫌いで食べなかったそうだ。
ナポレオン
田虫が疼くと、宮殿の冷たい部分に転がったり抱きついたりしていた。
ナポレオンは携帯缶詰を作るよう指示した第一人者
735 :
:03/01/19 21:56 ID:???
>>702 下のほうに来ている大平元総理だが、
亡くなったとき、本人の好きな言葉ってのが
「Eternal Now」だったとか紹介されていて、
凄く意外に思ったのを覚えている。
パットンは学習障害で本や文章が普通の人みたいに読めなくて
教科書とか戦闘教範は暗記でやってた
辞令とかどうしてたんだろ?人に読ませてたのかな
737 :
名無し三等兵:03/01/19 22:58 ID:Bm4L2twt
大戦前のソ連では多砲塔やら連装やら4連装やらの戦車が設計・試作され、
スターリンから「なぜ、戦車を百貨店にする?」とか「必要なのは強力な砲1門だ」
と突っ込みを入れられていた。
スターリンが珍しく正論を言っていた例。
ついでに言うと技術者たちも、何度言われても結構しつこかったらしい。
>>737 帝政ロシアのアカデミー以来、変な兵器が多かったからね。
伝説の馬鹿戦車ツァーリとかスターリンが開発止めさせてなかったら・・・・
スターリンに分る事が技術者の誰にも分らなかったってのは・・・・(w
しかし同じ大砲スキーの総統は何故ああも間違った方向にリビドーを…
741 :
山崎渉:03/01/22 11:21 ID:???
(^^;
742 :
名無し三等兵 :03/01/23 13:09 ID:bQdlXk3I
眼鏡をかけた陸軍大将兼総理大臣兼参謀総長のお話
1.彼は父親が陸大1期恩賜組であるにもかかわらず長州閥の為に中将で予備役
にされたと思い込み終生長州を嫌った
2.彼は永田軍務局長が暗殺されたその夜、軍務局長室で永田少将の外套を羽織り
終夜泣きつづけた
3.彼の愛用していたパイプのあだ名は「べっぴんさん」。彼の娘が小学校で書いた
作文。「父の趣味 私のお父さんの趣味はべっぴんさんをなでることです。」
この作文の為に東條家は臨時の家庭訪問を受けることになった。
4.彼の息子さんがお見合いをしたとき、相手の方は結核を患ったことがあるため
お嫁に行っては申し訳ないと申し出たものの、彼はそのようなことは関係ない
是非息子の嫁にきてくださいと暖かい言葉をかけた。彼女とその両親は終生彼
を尊敬したそうです。
ユリウス・カエサルの2番目の妻との離婚原因は
妻を寝取られたこと。
745 :
名無し三等兵:03/01/27 18:34 ID:Jh7g/ZLP
>742
陸軍大将兼総理大臣兼参謀総長も予備役少尉?の国民学校訓導には
やはりというか当然のごとく至極真面目に対応したんでしょうな
用賀の家の玄関脇の応接室かな。
やはり次官に「娘の担任の先生の家庭訪問があるので」と手帳を見ながら
説明して早退したのだろうか?
七三一部隊長、石井四郎中将は永田鉄山の命日にはおはぎを全隊員に配ったそうだ。
もうすぐハイビジョン放映だが、戦艦ビスマルク号と運命を共にしたリュッチェンス提督。
晩婚だったのは「男は十分な経済力を得られるまでは、家庭など持つべきでない。
ひどい無責任だ。」というお考えの為だったそうで・・・。
安月給なのに出費も多くて「やりくり少尉の、やっとこ大尉」と自嘲しつつ、
お嫁さんはちゃんと貰っていた我らが帝国海軍士官たちの立場は?
晩婚つっても秋山兄弟みたいに
家族に苦労ばっかりかけてた人も多いいけどね…
749 :
名無し三等兵:03/01/28 22:25 ID:L+V4HxhY
またもや ナポレオンの話
乗馬中の絵が多いのは背が低いのを
ごまかすためだとか
ナポレオンはチビとハゲをとても気にしていたよね。
帽子と乗馬姿・・・アルプス越えの絵画なんて最たるものです。
>>415 朴正熙を射殺したKCIA幹部は元日本陸軍兵士。
>>748 ゆーてはならんことを(藁
島村速雄夫妻の年の差は22歳。
奥さんが「写真を一緒に撮りましょう」とおねだりしたのを、
年の差を気にしてか断ったことがある。撮っとけ、な?
753 :
名無し三等兵:03/02/01 13:23 ID:XNmvLFXM
赤穂浪士関連で一筆、
良質の塩作りで名をなす隣藩赤穂領主浅野に吉良が「よい塩が欲しい…」といったのを浅野は真に受けて塩の樽を山積み送った。
しかしこれはそもそも「塩田の操業法を伝えよ」という意味で、吉良大呆れ。
更に元々浅野の袖の下(当時は歴とした社会的常識であり、悪徳ではなかった)が少なく、朝廷接待役のサポートを十分してもらえなかった浅野が殿中での不可侵を犯したのは元来の浅はかさ故。
浅野の“逆ギレ”が松の廊下の顛末、という説もあるらしい。ちなみに討ち入り自体は、食いっぱぐれた浪人達の再就職先探しの一大デモンストレーションともいえるらしい。
大名家は江戸屋敷に食客としてこぞって浪士達の沙汰が下るまで厚遇したとか。まぁ吉良氏は名君であったらしいね。
316>東條と石原はありえない。犬猿の仲。
319>わしの昔の知り合いが、甘粕氏直近の方からじかに聞いた話によると、彼はアナーキスト大杉栄を殺害した事を満州での自決直前まで相当(ノイローゼ状態)苛まれていたらしい。まじばな。
456>タクシーの運転手で下の名前で「雪風」という人が居た。
「日本海軍、最強運艦です」と教えたら「私の父が乗っていました」だって!!
何でも機関部の部員だったとか。歴代艦長は皆怪我一つもせず転任していき、大和の特攻に随伴するも、生還した船だよね。
457>天皇より「餓島を救ってくれ」と直接言葉をかけられてラバウル司令官に赴任。
トラックの山本長官と「東京急行」の実施にあたったらしいから、友達感覚というより信用のおける同僚だったのだろうね。
643>貴族にとっちゃある意味「武力を笠に着た横暴」とも思えたかも(^^;
>ちなみに討ち入り自体は、食いっぱぐれた浪人達の再就職先探しの一大デモンストレーションともいえるらしい。
でも切腹を命じられちゃったって事は、彼らの目論見は大ハズレということでしか?
まぁ後世に名は残ったけど。
755 :
名無し三等兵:03/02/01 14:53 ID:XNmvLFXM
754>そうよ(笑) 助命同情の声もあったらしいけど幕府はご禁制の討ち入り(仇討ちだったかな?)を認めないことで仁義よりも体制の盤石を図ったんだろうね。
つーか、そもそも御公儀の決定に異を唱えて、私怨を理由に徒党を組ん
で旗本の屋敷に押し込んで殺害するんだから、これは重大な武家諸法度
違反なわけだし、武士扱いしてもらえない浪人が将軍のお膝元で騒乱を
起こすわけだから、当然死罪の可能性が高いことは討ち入る前からわか
っていたと思う(切腹どころか武士扱いされない斬首の可能性の方が高
い)。
だから討ち入った当人達は再就職どころではなかったと思うんだけど。
まあ、討ち入った後、切腹の沙汰が下るまでに浪士受け入れ先の細川家
をはじめとした大名家が召し抱えたいという意向を出していたのは確か
だし、放免になるという楽観的観測もあったから浪士も人の子、心は希
望的観測に傾いていただろうが。
757 :
316:03/02/01 20:53 ID:???
>>753 人物往来社の本にも出てる話なのですが。
酒宴で石原と東條がケンカを始めると止めるのは板垣の役目だった。
>>756 綱吉が名君として名を残していたら、史上空前の暴挙として語り継がれたかもね。
759 :
名無し三等兵:03/02/02 16:29 ID:imMxEvfP
名将って名将軍のことを語るスレか?
将軍はtycoonかgeneralか。
穏やかで丁寧な物言いをする紳士で知られたニミッツは、
病気のときはその正反対だったそうだ。
762 :
名無し三等兵:03/02/08 14:27 ID:G5XjFMjy
「あの名将の意外な一面」のスレを読んでとても面白かったのですが、
こういった逸話をまとめて読めるものはあるのでしょうか?
因みに、この板を覗くようになってまだ日も浅い、軍事知識もほとんどない者です。
>>763 今気が付いた…誤爆しちゃったよ…(つД`)ウワーン
(・∀・)ヤッテクレル!
東条って性格破綻者じゃなかったのか・・・
>>766軍人としても政治家としても限りなく下の3流で
素晴らしいのは人脈だけと言うとても無能な人です。
前任の近衛も最低の政治家なので大して変わり栄えしませんが
>>766 小役人としてなら、糞真面目でそこそこ有能だったと思うよ。
打通でおなじみ岡村寧次は野球が好き
>>769 沢村が死んだらさぞ悲しかっただろう・・・
って岡村の伝記ってある?
舩木 繁「支那派遣軍総司令官 岡村寧次大将」 河出書房
772 :
名無し三等兵:03/02/12 14:19 ID:83iqRULJ
第一航空艦隊がインド洋でハーミスをなぶり殺しにしている頃、
角田覚治は空母龍驤に座乗してベンガル湾で通商破壊を行っていた。
最初のうちは爆撃機で沈めていたのだが、そのうちめんどくさくなったのか、大砲屋の血が騒ぎ出したのか、
自艦隊のそばで敵輸送船を見つけたとき、こともあろうに龍驤で直接追いついて、
高角砲をぶっぱなして沈めてしまった。
彼が南太平洋海戦で勇名を馳せる、少し前の話である。
773 :
名無し三等兵:03/02/12 14:22 ID:83iqRULJ
石原莞爾が、極東軍事裁判の証人として呼び出された。
その時、石原は着流しに戦闘帽をかぶり、リヤカーに乗って裁判所に乗り付けた。
で、裁判が始まる。
判事「ゼネラル石原は英語は話せるか?」
石原「日本語ならチョッピリ話せる(山形弁で)」
判事「これからの質問にイエスかノーかで答えよ」
石原「・・・・・・」
判事「満州事変で日本側の被害はどれほどだったか?」
石原「被害の程度を話すのにイエスかノーかという言葉はない!」
判事「満州事変の際、日本の兵力は20対1だったが、それでも勝ったのか?」
石原「勝った。勝敗は必ずしも数によって決まらぬ」
判事「そんな兵力で大鉄槌を下したのか?」
石原「いや、中鉄槌を下した!」
判事「ゼネラルは東条と意見が対立していたというが?」
石原「東条には意見も思想も無い。私は意見を持っている。意見の無い者と意見の対立は無い!」
石原「日本の犯した罪はいつまで遡って追求するのか?」
判事「諸悪の根元は大陸侵略をはじめた日清・日露戦争にあるだろう」
石原「ならペリーを呼んでこい!黒船で来て大砲で脅して開国させたのはアメリカではないか、
自ら侵略の手本を見せたから、我が国もアメリカを手本として侵略を習ったのだ!」
どっちかというと、「やっぱりそうか」な話だな・・・・
774 :
名無し三等兵:03/02/12 18:00 ID:SJDvvelq
乃木希典は戦術に関しては無能かもしれないが
感受性の非常に高い人間で、名前も知らない部下でも
戦死するたびに毎晩、枕を濡らしていた
775 :
名無し三等兵 :03/02/12 18:33 ID:29NjB115
>>773 笑っちゃいけないんだろうけど、こりゃ、もうコントだね。
777 :
772:03/02/13 14:27 ID:iBObMC8F
仲が悪い事で知られる日本陸海軍だが、必ずしも全員が全員そうであったわけではない。
開戦直後、南遣艦隊長官小沢治三郎は、今村均の第16軍の直談判を受け、貴下の艦隊の一部を独断で支援に派遣した。
これに生涯感謝していた今村は、戦後も小沢の近くに住み、生涯その友情は変わらなかったという。
ただし、その時派遣されたのが栗田健男(笑)率いる第七戦隊だったため、今村の乗る龍城丸には何故か重巡最上の魚雷が命中、
哀れ龍城丸は横転、今村は海に放り出され、大正天皇から賜った短刀を海に沈める羽目になった。
小沢の足を栗田が引っ張ったのは、レイテが最初で最後ではないのだ。
小沢が独断で支援したのは知ってたけど、今村さんのエピソードは知らなかった。
ってか、何故味方に誤射を!?栗田の存在意義って一体(笑)
小沢ネタだが、761ではなかったか(藁
>>778 誤射というか、敵艦隊に向けて発射した魚雷が走力失って潮流に流された
先が上陸地点だった罠。
古来より運の良い将軍を皇帝が求めてきた理由がわかるな
でも長生きはできたよな(笑)>栗田
かえすがえす不幸な人だな、栗田さんは。
上層部の思いつきみたいな作戦ばかり任せられ、
自分ではどうしようもない局面にばかり遭遇し、
良かれと思った判断は却下されるか結果論で批難され、
亡くなった後までスケープゴートにされる。
帝国海軍史上最も運の無い提督かも知れない。
783 :
772:03/02/14 12:26 ID:xlu3nvkS
山本の指の話
1
やくざの真似して、タクシーの代金を踏み倒してた頃から数年後。さすがの山本も、立場上そんなバカな事は出来なくなっていた。
が、その頃の山本がやっていた常套手段に、タクシーの運ちゃんに、
「おい、悪いがコレで!」
と言って白手袋をした手を見せる(=5円で頼む・・の意)。
運ちゃんも、相手が軍人だし、それほど法外な値引きでも無いので納得し、出発。
そして、いざ目的地に着くと、山本はゆっくりと白手袋を外し、
「これでOKって言ったよね?」
と、笑いながら3円を手渡したという。
2
山本が最後の出撃をする直前、山下源太郎大将の墓参りをしてから、山下の実家も尋ねた。
その時、山下の孫が「魚の小骨が咽喉に刺さった!」と泣いていた。
すると山本は「○○ちゃん、戦争で食べたけど大丈夫だったよ」と言って、指の足りない手を見せたという。
おそらく慰めるつもりだったのだろうが、逆にトラウマになりそうな気が・・・・
784 :
772:03/02/14 12:28 ID:xlu3nvkS
日清戦争時の連合艦隊司令長官、伊藤祐亨はどちらかというと慎重な人であり、
突撃バカの軍令部総長、樺山資紀からは「もどかしい奴」と思われていた。
そして樺山は、事もあろうに黄海海戦に「観戦」と称し、仮装巡洋艦でついてきてしまった。
乗艦が乗艦なので、最初はおとなしく戦場外で観戦していたのだが、近くにボコられた清国艦艇が近付いてきたらもう駄目。
「あのガキ沈めろやゴルァ!」
と、突撃してしまった。
そして案の定集中攻撃され、艦はスクラップに。
よく生きて帰れたな・・・・
こんなのが元帥なんですよ。日本海軍。
785 :
772:03/02/14 12:30 ID:xlu3nvkS
海軍軍人でありながら、「陸戦のプロフェッショナル」と称されていた武田勇少将。
上海事変では陸戦隊主席参謀を務め、戦中は孤立したブーゲンビルで孤軍奮闘していた。
その彼、実は亡くなる直前に黄綬褒章を貰っているが、これは海軍時代の功績ではなく、
戦後に港の水先案内人となって、7711隻連続無事故誘導という記録を打ち立てたからである。
・・・しかし、なんで陸戦屋が水先案内人に?
>>785 >・・・しかし、なんで陸戦屋が水先案内人に?
水先案内人は外航船の船長の退職後のお仕事ですから。
788 :
772:03/02/14 16:34 ID:???
日露戦争は、中国東北部だけで行われたと思いがちだが、実はロシア本土に上陸した日本兵も存在した。
彼の名は郡司成忠予備役大尉。言うまでもなく、カッターで千島を目指した冒険家であり、軍人である。
彼は冒険後、千島で入植していたのだが、日露開戦後仲間を募り、再びカッターでロシアへと漕ぎ出した。
で、明治37年夏にカムチャッカ上陸、付近の部落(一般人)を襲撃し、占領を宣言する。
もっとも、数日後にはロシア軍の反撃を受け、郡司を含む大半が捕虜になった。
その時、彼らの装備は小銃数丁のみだったという。
何しに行ったんだろう?もしかして戦争!?
789 :
772:03/02/14 16:35 ID:???
大正7年、片岡七郎大将を予備役とすることが決定された。
人物が人物であるため、海軍大臣・加藤友三郎自ら使者となり、片岡邸に赴く。
加藤は「後進に道を譲ってほしい」言って、引退を願った。この文句が効いたのか、片岡は加藤にしぶしぶ了承の意を伝えた。
そして翌日、片岡は海軍省に現われた。
思わぬ来客だったが、加藤は省内を案内し、若い才能の萌芽を片岡に紹介する。
が、当の片岡大将は、つまらなそうな顔でその若い軍人たちを睥睨して一言。
「・・・・で、後進とは誰の事かね?」
790 :
772:03/02/14 16:38 ID:???
若い頃の小沢治三郎は喧嘩っ早い事で有名だった。
ある時、彼は因縁を付けた相手をボコボコにした挙げ句、下駄で顔を踏みつけて帰っていった。
余談になるが、この半殺しにあった青年は、のちに柔道で十段位を送られている。
791 :
772:03/02/14 16:40 ID:???
東郷平八郎が清水次郎長と親交があった・・というのは小笠原長生中将のデッチアゲらしい。
が、日本海軍には、その次郎長に本気で弟子入りを志願しようとしていたバカがいた。
いうまでもないが、維新後の次郎長はヤクザでもなんでもない。
その男の名前は永野修身という。
792 :
772:03/02/14 16:42 ID:???
巡洋艦「松島」が爆沈の際、海軍の慣例(救援道具を揃え、確認してから救援に向かう)を破って、真っ先にボートを下ろすことを指示し、
沈み行く松島から多くの生存者を救出した「橋立」乗り組みの大尉がいた。
この時、「橋立」以外の艦は慣例に沿って救援隊を送りだしたため、
ボートが水に付く頃には「松島」は海に沈み、生存者は「橋立」の救援隊に救われ終わった頃だった。
ちなみに、この大尉の名前は開戦時の軍令部総長と同名だが、
執務室でいつも居眠りぶっこいてたゴリラと結びつかないので、おそらく他人だろう。
多分他人だろう。
他人だと思うよ。
他人だといってくれ!!
793 :
名無し三等兵:03/02/14 20:12 ID:QlYS2OHe
>>792
開戦時の軍令部総長って…修身?
裕仁は日本人唯一の英国陸軍将官であった。
>>790 柔道で十段位って・・一人しかいないよね?w
>>794 ちゃんと敬称付けな。そういうのが荒れるもとだぜ。
嵐を呼ぶ男797が、794に呼ばれて今降臨。
どうでもいいよ。ていうかイラン。
何かと話題の多い小沢治三郎さんは二つあった縁談のうちどちらにするのか決めかねて、棒倒しで奥さんを決めたそうだ。
…それはどうよ…
800 :
名無し三等兵:03/02/15 14:19 ID:eqmk4QDh
>>795 その人と同人物かどうかはわからないが、
某柔道十段と井上成美は同じ中学校出身の同窓。
年が六歳違うから直接の面識があるかどうかは不明だが。
801 :
772:03/02/17 11:28 ID:???
小沢が、「その後十段になる人」とケンカしたのは成城中学校時代の話です。
ついでに言えば、少年時代の小沢は非常にキレやすく、校長夫人の乗った人力車をひっくり返したり、日本刀を振り回したりして退学処分。
そのあとに成城中学に転入した、その時の話になります。
それから小沢は第七高等学校に入学し、その後兵学校に編入しました。
言い忘れましたが、その十段の名前は三船久蔵という人だとか。
802 :
772:03/02/17 11:32 ID:???
角田覚治は大砲屋の例に漏れず、若い頃は相当な大艦巨砲主義者だった。
彼が兵学校教頭時代、生徒の前で源田実(当時少佐)が航空重視戦術を説いた事があった。
しかし、源田の話が終わるや、角田は源田を押しのけるように教壇に立ち、
「我々は飛行機なぞ無くとも闘わねばならぬ!」
と、源田の言を全否定するような反論をした。
後に源田は角田を指して「頭の堅いわからず屋の鉄砲屋!」とこぼしていたとか。
ただし、角田の偉いところは、しかるべき立場におけば、相応の努力をする事だった。
昭和14年、彼は何故か第三航空戦隊の司令として龍驤に着任する。
すると、それまでの主張はどこへやら・・・即、航空関係の猛勉強を始めたという。
その頃、同戦隊の航空参謀だった淵田美津雄は、「うちの司令官(角田)はよく航空のことを勉強した」と証言している。
もっとも、その後も龍驤で(笑)対艦砲撃をしているわけだけど・・・
803 :
772:03/02/17 12:20 ID:???
目の前で海戦が行なわれているのに、部下だけ送って自分は戦場の外で見てたとか、
しかも向かわせた部下が、敵じゃなくて味方の船を沈めてしまったとか、
傷付いた味方を見捨てて逃亡し、見捨てた重巡が沈んでしまったとか、
東の戦場から逃げてくるはずなのに、逃げすぎて西から集合地点に現われたとか、
もちろん忘れちゃいけない「栗田ターン」などで知られる栗田健男中将。
戦後も後輩から「兵学校の校長程度で納まってりゃよかった」とか
「あの人は第一段階で既に前に出ようとしない。その時にはもう評判が悪かった」
「水雷戦隊で突っ走ってるから、中央では頼りになるように見えたのだろうけど・・・」
「酒飲んで突っ走ってるだけじゃ、頭が出来るはずが無い」
「彼を教育する機会が無かったのが、そもそもの原因」
などとボロクソに言われている栗田健男中将。そんな彼の、少しだけフォローが出来るエピソード。
この人は何故か太平洋戦争のキーになる場所に必ず出現するのだが、
戦艦利用法のコロンブスの卵である「対陸艦砲射撃」の第一号であるガダルカナル砲撃の時も、
任された金剛&榛名の所属する第三戦隊の司令は、運命の悪戯か(笑)栗田健男だった。
栗田が例によって「そんなこと出来ません!」と拒絶しようとしたら、
山本五十六が「じゃあ、俺が大和で行ってくる!」と言い出したため、やむなく了承。
ここまでは、みごとなまでに通説どおりの栗田像だが、問題はこの後。
栗田は決心を決めると、司令部に「では、陸戦用の武器を用意していただきたい」と言ったという。
万が一、金剛が帰還不能な状況になれば、陸に乗り上げて砲台となり、戦おうとしていたのだ。
なお、この当時は「艦と陸砲が戦った場合、沈むぶん艦が不利」という考えが一般的だったことを追記しておく。
804 :
772:03/02/17 12:23 ID:???
海軍省の3階にあった軍令部総長室は、日当たりが良すぎる部屋であったため、
他の部屋より2.3度は室温が高く、夏場はとても居続けられる部屋ではなかったそうだ。
そんな部屋でも上着を一切脱がず、執務を行なっていたのが伏見宮博恭王。
そんな部屋で仕事もろくにせず、平気で居眠りしていたのが永野修身。
805 :
名無し三等兵:03/02/19 00:51 ID:STiXAk/h
スレの主旨をもう一度確認しろ。あの”名将”の意外な一面だぞ。
栗田中将の何処が名将なんだ?
>805
悲しいことにネタ切れだから・・・
ネタを提供できるものであればしたいが、ないものは出せないのです。
なので、栗田中将だろうが大牟田中将だろうがとにかく
何か意外な、もしくは面白いエピソードを持っている人物の話題にまでターゲットを
広げざるを得ないと思うわけです。それにそれもそれで面白いと思いませんか。
まあ、私はネタを持ち合わせていないのですが。
>>805 そんなこと云ったらこのスレの7割はすれ違いだと思う。
間違えた。すれ→スレ違い、と。
あとこれだけじゃなんだから小ネタ。
戦後、ラジオを聞きながら昼食を取っていた小沢夫妻。
(うろ覚え。ラジオじゃなくてテレビだったかも?でも労働拒否してた小沢がテレビ持ってるとは思えない)
ラジオから自衛隊の航空機が事故を起こしたと云うニュースが流れた途端、
「ゲッ!八郎のバカヤロー!」
叫ぶ小沢。
事故を起こしたパイロット二人の片方は、小沢の親戚だった。
「八郎の奴、戦争中に生き恥を晒しおって、今ごろ事故を起こしやがった!」
それを受けて、石蕗夫人、
「あなただってそうじゃありませんか」
>>783は山本の逸話でしが、山下家絡みなのでそっちの方を…。
大正6年2月9日、山下源太郎佐鎮長官の令息・四郎君(10歳)が殺害されたでし。
下校のため学校の正門を出た途端、制服の士官からグサッと…。
犯人は即刻横須賀に移送され、以後消息不明。
離任にあたって山下は、殺害現場の土地を買い取って佐世保市に寄贈。
後日、有志によって「児童遊園」の石碑が建ったでし。
頑固一徹ぽくて近寄りがたそうな山下さんも、一介のおとーたんなのでし。合掌
810 :
772:03/02/19 14:35 ID:???
>>809 その犯人てのが、恨みがある仲間が寝てるときに、
耳から硫酸流し込んで復讐したことがあるような奴だったそうです。
それで軍から追放されることになったとき、上司である山下を逆恨みして凶行に走ったようです。
本来ならこの事件は、佐鎮長官である山下自身が裁く立場にあったのですが、
「私では冷静に判決を下すことができない」といって横須賀に送ったとか。
811 :
772:03/02/19 14:37 ID:???
日露戦争の裏側で、日本がロシア国内の革命分子を密かに援助していたのは余り知られていないが、
その援助されたグループの中には、のちにロシア革命を果たすレーニンの姿もあった。
そのころ、その工作活動を行なっていた明石元二郎が日本に送った書面には、
レーニンの事を「冷人」と書いている。
そして、明石が始めてレーニンと会ったとき、
レーニンは明石の差し出した高級品の煙草を断り、労働者用の安い煙草を吸った。
それ以後、明石はレーニンの事を「冷忍」と書くようになった。
その後、レーニンが日本の援助を受けいれると明石に言ったとき、
明石は「私がロシアに生まれていたら、貴方と同じ活動をしたでしょう」と言って誉めた。
しかしレーニンは「しかし、私が貴方の国に生まれても、軍人になったかはわかりません」と言った。
それ以後、明石はレーニンの事を「礼仁」と書くようになった。
実際にはこれほどうまく行ってないと思うけど、
寝言みたいな理想ばかり言う、自称社会主義者とは全然違うと感じていたのは確からしい。
812 :
772:03/02/19 14:38 ID:???
統制派のボスであったゆえ、惨殺された永田鉄山。
彼は当時、満州国の経済指導まで介入していた関東軍を排除するため、
将来的な満州国の自立を見据えて「顧問部」と称する経済政策の最高指導部を設置しようとしていた。
が、永田がその顧問部のトップに据えようとしていたのは、
こともあろうに、満州事変を「帝国主義的侵略戦争!」と罵っていた左翼的財政学者の大内兵衛(当時東大助教授)だった。
あと、意外に知られていないが、永田は日産自動車の設立にも尽力しているなど、
日本の馬鹿陸軍の姿からはとても信じられないほど、優れた経済観念を持った人物だった。
同じヒゲメガネでも、どうしてここまで誰かさんと頭の中身が違うのだろうか?
813 :
772:03/02/19 14:39 ID:???
昭和20年初頭のある記者会見。海軍次官、井上成美が姿を見せた。
当然日本の敗色は相当濃くなっている頃だ。記者の質問も自然、厳しくなる。
「次官、日本海軍はこの戦争をどうするおつもりですか?」
すると井上、即座にこう答えた。
「それは和平です!」
「・・・・・」
絶句する記者団。
もっとも、井上の身を思って、だれもこの事は記事にしなかったそうだが。
>>812 満州事変の立て役者である石原を参本に呼び戻したのも永田だったな。
石原の参本着任の日が、斬殺事件の当日だとは皮肉なもんだが…。
永田が健在で、石原がその片腕になっていたら、日支事変はなかったんじゃないかって妄想することしばしば…。
ソ連名将伝
コーニェフ元帥は酒を飲まなかった。
読書家で、プーシキンとかの本をいれた小さな書庫を戦場に携行した。
戦場視察するときにはコートで階級章を常に隠したが、
敵への秘匿だけではなく、味方部隊に余分な負担をかけないためだった。
ジューコフ元帥は徹夜で作戦計画を作るときは、ウォトカではなくコニャックを飲みながら徹夜した。
ウォトカは眠くなるそうである。
>812
東條英機は永田鉄山が暗殺された夜、軍務局長室で故人の外套を肩に掛けて一晩中慟哭していたそうだよ。
>>812 しかし、大内兵衛でマトモな経済政策が立案できたんだろうか?
当時は一部の経済官僚で密かに、ソヴィエトの統制経済と重工業化の成功が高く評価されていたんだよ。
819 :
名無し三等兵:03/02/20 00:18 ID:wefOfsWa
池田純久は東京帝大の経済学部に通ってた
>>813 本人は「何で記事にしてくれないんだ」と思っていたに1000ナルミ
821 :
ネルソン:03/02/20 12:28 ID:J53DvwAH
石原と東条の仲の悪さは有名。関東軍時代、訪ねて来た大川周明に対し、「ああ、東条二等兵殿はあちらの部屋におられます!」と、デカイ声で石原は言った。東条はブチ切れ。
>821
でも酒飲友達でもあったらしい。
よくわからん関係だな。
823 :
ネルソン:03/02/20 14:05 ID:4w44RpBN
>>822→ナニ!?それは知らなかったぜ。ただ一方的に東条が敵意というかライバル視してただけで、石原の方は「ハイハイ…。」って程度だったとか読んだ事ある。ちなみに石原は東京裁判で「一番の戦犯はトルーマンだ。」と発言した。
825 :
名無し三等兵:03/02/20 14:46 ID:bHxeSgxx
俺もあやふやなのだが。。。
>821 「東条上等兵」じゃなかったっけ?
>823 「東京裁判で」じゃなくて東京の病院に入院してたときに取材にきた記者に対してでわ?
826 :
j:03/02/20 14:46 ID:+gt83rTj
827 :
772:03/02/20 15:21 ID:???
>>813 で、本気で大内を据えようと決意した永田だったが、
その時、秘密裏に大内への使者として遣わされたのが片倉哀(当時中佐)である。
さすがの大内も、この時ばかりは「何でこの私が軍の顧問に!」と絶句したとか。
ちなみに永田は、進歩的な財界人とか、革新派の官僚と仲が良かった事は知られているが、
同時に、親友の岩波茂雄に紹介され、寺田寅彦、和辻哲郎、三木清、安倍能成といった連中とも交遊を結んでいる。
おそらくそういった人からの入れ知恵と思われる。
828 :
772:03/02/20 15:22 ID:???
山口多聞の私生活は、夫人の言葉を借りれば「無芸大食・平々凡々」だったらしい。
中でも「大食」はみごとなもので、夕食の前に饅頭か大福を二つほど食べてから酒を飲みはじめ、
酒を楽しみながらしっかりとご飯を二膳ほど平らげ、さらに食後にはケーキと果物をしっかり食べたそうである。
ついでに言えば、酔った山口は、何故か「ズイズイズッコロバッシ・・・」と始めるのが常だったらしい。
もう一つついでに言うと、山口のいびきは二階から階下まで届くほどうるさかったそうだ。
829 :
772:03/02/20 15:24 ID:???
度重なる直言で最後には米内にもうるさがられ、子供や孫にも厳格一筋だった直情の男・井上成美。
その彼は兵学校時代、ジョークが上手い事で知られていた。
井上成美は嶋田繁太郎から「艦隊長官は不適当、兵学校校長程度が妥当」と酷評されていたが、
井上本人は、「私は用兵は下手だと思っていない。むしろ教育の方が不得手であった」と言い残している。
ついでに、井上自身が述べた珊瑚海海戦の言い訳。
「機動戦はサッと行ってサッと引き返すもんだ。だいたい後方に何があるか分からないではないか。
そもそも、当時出された連合艦隊の命令自体が無茶なものだったと、今日でも甚だ不満である!」
830 :
名無し三等兵:03/02/20 17:05 ID:RQzJ5Z9C
そういえば、帝国海軍最後の大将も井上成美だね。
梅津は若いころ男前で、三宅坂のバス停には
梅津目当ての女子学生が列を成してたとか
>>822 で、その喧嘩を止めるのが板垣の仕事だったと。
井上成美は戦後、私塾を開いて英語を教えていた。
でやって来る子供たちをどう喜ばせるか考えた末
持ち前の器用さからクッキーを焼いておやつとして出していた。
ついでに教材は全部自分で作ってこんにゃく版で印刷
834 :
772:03/02/21 14:42 ID:???
井上成美の母は伊達家に連なる一門の出身のお姫様で、その生涯一度も「お金」に触った事が無かったらしい。
835 :
772:03/02/21 14:44 ID:???
米内光政と山本五十六が砲術学校の教官だった頃、校内のゴミ箱が再三破壊されるという事件が勃発した。
ところが、調べてみたら、なんと犯人は米内と山本だった。
そのころ二人は手裏剣投げにはまっていて、ゴミ箱を的として使っていたのだという。
が、おもちゃの手裏剣ごときでゴミ箱が破壊されるはずが無い。
スリルが欲しかった二人は、最後の頃は短刀を投げて楽しんでいたのだった。
二人がきつーいお仕置きをされたのは言うまでもない。
>>835 餓鬼のころ殿様から親父が拝領した短筒を
ぶっ放していた米内なら、やりかねんな。
注、近藤隆太ではありません。
>>834 >伊達家に連なる一門
確か、角田邑主石川義光の娘だったかと。
838 :
772:03/02/24 12:48 ID:???
沖縄戦で第三十二軍参謀長を務めた長勇少将(死後中将)。
豪放磊落、傍若無人とか言われ、その豪傑笑いや堂々とした歩き方は、陸軍内でもモノマネのレパートリーとなっていた男である。
その彼が少尉時代、師団長に「貴様は将来何をやりたいのか?」と聞かれたときの返答。
「ハイ、浄瑠璃を習いたいであります!」
839 :
772:03/02/24 12:50 ID:???
インパール作戦で撤退の殿を見事務めた宮崎繁三郎。彼はこの戦場に一匹の子猿を連れてきていた。
その猿は「チビ」と名付けられて、常に宮崎の肩に乗って愛嬌を振りまいていたという。
その「チビ」、進軍中に突然奇声を上げる事があった。すると宮崎は、即座に「伏せろ!」と叫ぶ。
すると数瞬後、彼らの居た場所を凄まじい銃弾の嵐が通り過ぎていった。
そしてコヒマ撤退直前、「チビ」は宮崎をかばうように負傷するが、それでも宮崎や兵隊達に愛嬌を振りまき続けた。
彼らはその姿に自らも元気付けられ、見事帰還に成功したという。
猿でさえこんなに懸命なのに、牟田口は(略
ちなみに、宮崎繁三郎の戦後の職業は「瀬戸物屋」。
840 :
772:03/02/24 12:51 ID:???
大西瀧治郎は酒癖が悪い事で知られている。
一番有名なのは、海大受験前日に料亭で豪遊し、酔ってきたら芸者にサービスが悪いと因縁を付け、挙げ句ぶん殴った事件。
で、警察まで呼ばれて見事な新聞沙汰。彼の海大受験は当然停止されてしまった。
ついでに、英国留学中も酔っぱらってイギリス人をぶん殴るという事件を起こしている。
841 :
772:03/02/24 12:52 ID:???
アッツ島玉砕の直前、東京にアッツの守備兵から訣別電が送られた。
杉山参謀総長からその話を聞いた昭和帝。涙をこらえながら
「部隊の将兵は最後まで良くやった。この事を伝えよ!」
と御下命。が、杉山は
「あのー・・守備隊は既に無線機を破壊しているので、陛下のお言葉を伝える事は出来ません・・」
などとボケた応えをする。
もちろん、「玉砕した」と報告を受けている以上、守備隊が全滅した事は昭和帝だってわかってる。
死んだから関係無い・・という杉山に怒りを込めながら、昭和帝はキッと睨みつけ、
「それでもよいから電波をだしてやれ!」
と強く言ったという。
瀬島龍三の回想より
842 :
772:03/02/24 12:54 ID:???
海軍随一の勇将、吉川潔中佐(死後少将)。
彼の素顔は小柄で華奢、話しても凡庸としか思えない人物だったので、兵学校も最初の受験は不合格、二回目でギリギリ合格だったそうだ。
で、その一回目の受験は学科OKも体格で不合格。そこで吉川が肉体改造のために選んだバイト先は、なんと陸軍被服廠だった。
・・・本当にネタが無くなってきたな。
ネタが無いなら、牟田口の「意外ではない」一面でもヨイ。
844 :
772:03/02/27 13:45 ID:???
陸軍の名パイロット加藤建夫は、射撃の名手としても知られていた。
彼が明野飛行学校の教官だった頃、吹き流しを目標として射撃訓練をした。
その時、加藤の持ち弾は30発だったのに、吹き流しの弾痕は何故か63個空いていたという。
ちなみに、この怪現象の原因は簡単。波打った吹き流しを二重に打ち抜いたから。
845 :
772:03/02/27 13:46 ID:???
終戦後、今村均大将はバタビアで裁判にかけられた。
その時今村は、「日本がインドネシアで住民に対して行われた残虐行為の責任者」として、死刑を求刑された。
同じ頃、インドネシア独立の父であるスカルノとその一党は、
「インドネシアに自由と平和をもたらした貢献者」として、獄中の今村を救うための計画を練っていた。
結局今村は「部下を見捨てられない」と言って断ったらしいが。
846 :
772:03/02/27 13:48 ID:???
岡田啓介海軍大将に大命が下った日。
彼はまず、宮中参内のため身を清めようとしたが、面倒くさいうえに腹が減っていたので、
白い豆腐を近所から買ってきて、それを冷奴のまま食べることで良しとした。
ついでに、
当時の彼はその地位に見合わぬビンボー暮らしで、その日も書記官長の迫水久常からシルクハットを借りて宮中に向かった。
が、岡田は小柄、迫水は大柄であったため、いざ被ろうとしたら首まで入ってしまった。
やむなく岡田は、ハットを被らず、ずーっと手で持ったまま宮中に入っていった。
彼がまわりから不審の目で見られたのは言うまでもない。
847 :
772:03/02/27 13:49 ID:???
斉藤実海軍大将の本名は、実は「斉藤実」ではない。
斉藤富五郎というのがそれ。だが、その響きが町のチンピラか何かみたいで嫌っていた。
しかし、せっかく親が付けた名前。そう簡単には改名するような真似は出来ない。
が、兵学校時代に、たまたま同姓同名の水平と出くわし、
「将来大成すべき人物が、一水兵ごときと同じであって良い訳が無い!」
などと強引な理由を付け、ようやく「実」と改名したのである。
848 :
772:03/02/27 13:51 ID:???
第一艦隊司令長官を務めた事もある吉松茂太郎大将。彼は「健康のため」と称し、真冬でも冷水摩擦に凝っていた。
が・・・それが原因で肺炎を併発し入院。それが直接の原因になったか知らないが、直後に没している。
>>847四行目 水平→水兵 ね。
名前といえば、大井成元は、元の名前を菊太郎といったが、
中将になったとき、元帥に成りたいという思いで「成元」と改名した。
長閥の恩恵を受けてた人だけに、陰ではナリゲンと呼んで
馬鹿にする人もいたそうだ。
大正7年、東京衛戍総督となった柴五郎の後を襲って第十二師団長になった。
その直後に、第十二師団のシベリア出兵が決まったため、世間では、
長閥の大井に、武功を立てさせるための人事として騒がれた。