平賀譲氏はほんとに天才造船家?

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324名無し三等兵:02/03/03 20:55
そうなのか?しかし潜水艦の建造に溶接技術が重要なのは当時から自明
の理だったし、大型艦で言えば蒼龍、最上の失敗後飛龍が鋲打に戻って
その次が大和だから猜疑心を持っても不思議ではないと思うが。平賀が
どんなに騒ぎ立てても、潜水艦部門の研究や民間における進歩は止めら
れないと思うが。どちらにしても海軍は自己の組織に相当問題を抱えて
いたんだろうな。
325名無し三等兵:02/03/03 21:08
>324
いや、本当に理性的に考えたらそうなるはずなんだが、
ところが平賀は艦政本部における溶接研究を一時期
ストップさせてしまっているんだよ。
で、構造材への溶接採用を完全にストップさせて、水密
区画への使用すら制限している。潜水艦も内殻すら鋲接
でつくる羽目になったのは、これのせいだとは、当時の
潜水艦技術者が婉曲に批判しているのを読んだ記憶が
ある。
信じられないが、平賀は本当に日本の建艦技術を5年は
押しとどめる事をやらかしたんだ。
326名無し三等兵:02/03/03 21:11
>>325
成る程、しかも誰もそれを止められなかったのか。
327名無し三等兵:02/03/03 21:17
>326
あの当時、八八艦隊計画で戦艦設計を担当した、という最古参の技官で、
しかも友鶴事件と第四艦隊事件を(素人目には)鮮やかに解決してみせた、
って経歴と実績を元に、艦政本部内ですごい派閥を持っていたそうだ。
だから、それこそ平賀が気に食わない技官、例えば江崎岩吉氏なんかは、
敗戦直前の昭和19年くらいまで冷や飯を喰わされていたしね。
ちなみに、江崎岩吉氏は藤本喜久雄氏の愛弟子で、平賀が藤本氏を
それこ粘着ヒッキーなまでに嫌って嫌がらせをしまくっていたのは、海軍
内じゃ知らない人がいない事実だったそうだ。
328戦艦乞食:02/03/03 21:39
過去に何人の方も言ってるけど、平賀譲氏の
後ろ盾は軍令部総長伏見宮博恭王。
宮様で軍令部総長にして元帥閣下・・・
誰か逆らえますか?
329名無し三等兵:02/03/03 22:28
平賀はゴミで屑の保守的カス造船家で
藤本はそれに潰された天才というのがこのスレの結論だな。
330名無し三等兵:02/03/04 00:24
藤本の「NO」と言えない性格もお断りだな。
331名無し三等兵:02/03/04 02:07
1970年になるまで、彼の特型駆逐艦で実施した船型に蓋をした平賀はだめだめ。
藤本は出来ない事は出来ない、と突っぱねていたし、
技術的に出来ると考えた事には躊躇無く挑戦していった。
新技術の発展はこの姿勢をのみ是とする。
>>330は馬鹿、チョン、あほう、まぬけ、くず、かす、ふぬけ、DQN・・・
他に地上で考えられるすべての罵詈雑言が当てはまる。


332名無し三等兵:02/03/04 20:42
>325
日本の潜水艦がくそやかましいってのは、
その鋲接構造にも理由の一端があるのでしょうか?
333レオパルド ◆SwXOGd5U :02/03/04 23:34
333ゲット
334名無し三等兵:02/03/05 01:08
329の前半は知らんが、後半は首肯できんな。「藤本理論」なり「藤本方針」
ならわかるが。
自分の設計したものが原因であれだけの死人を出しておいて、主任技術者が
無傷という事はあり得ない。
有名な旧タコマ橋なんて、人は死んでないが、設計者はキャリアに大きな傷
をうけてるし、もし人が死んでいたら、カムバックなど考えられない。

それにしても、考えるほどにモイセイフと図式は似ているな。
新しい設計理論を引っさげ、従来の設計の限界を打ち破ったものを生み出し
たものの、思わぬところに技術上の落とし穴があった、と。
二人とも、事故を起こしたのは新設計での最初の作品ではなく、確認しつつ
適用を進めていたはずが、違う所での限界を越えていた点も同じ。

違うのは、事故の後始末がすんだ後での、周囲の長期的な対応だと思う。
原因を究明し対策をたてた上で、有用な理論を生かす努力をするか、それと
も、あっさりと捨て去ってしまうかの違いは、あまりにも大きい。
335名無し三等兵:02/03/05 01:19
平賀を賛美する気なんか全然無いけど、藤本もあの「遠藤昭」が擁護してる点が
なんか嫌。
336名無し三等兵:02/03/09 21:25
>>309
です。じいさんの日記から・・・・
溶接乞食のたぐいの意見はうんぬん・・・・
発言者は某技官とだけ記されてる。平賀?
337名無し三等兵:02/03/10 13:23
やはり天才「設計者」は難しいだろう。
物が大きくなればどうしても一人の力では設計しきることが出来ないのでは?
それにしても平賀にせよ藤本にせよ、「天才」なのかな。
日本海軍伝説のひとつで、優れていはいても他国の設計者と隔絶していたとは思えないが。
近海で、迎撃撃滅戦に使う(条約違反の)、国民批判の無い軍の、軍艦設計という特別の条件下での「天才」では?
338名無し三等兵:02/03/10 23:49
日本の軍艦の場合は造船官の名前がよく出てくるけど、アメリカの場合はそう言う話が
俎上に上る事は少ないですね。
これは単に日本にまでアメリカの造船官の話が伝わっていないだけなのか、それとも設計部門の
体制が日本と異なるからでしょうか?
339名無し三等兵:02/03/12 01:40
>>338
軍が要求仕様だけ作って、後はメーカー主導だったりして。
航空機みたいな作り方だが、案外アメリカっぽいかも?

実際、日本海軍でも「占守」級みたいな小型艦艇にはこう言う作り方の艦がいたし。
340338:02/03/12 07:59
>>339
じっくり調べてみると面白い題材かも知れませんね
341名無し三等兵:02/03/12 12:52
気象制御をする神風コントロール艦が欲しかった
342第五艦隊:02/03/12 13:20
平賀譲の天才神話は,昭和初期(ひとけた台or大正デモクラシー)に当時のマスコミに

よって広められたもの.(昭和10年代に映画も公開されているから)

まず,巡洋艦「夕張」と「古鷹」が,ジェーン海軍年鑑によって評価されたことからはじまる.

福井静夫,堀元美らの造船官による戦後(大東亜戦争)の資料公開の評価

できれば,実際に乗艦した人の評価による情報が欲しい
(といっても,生存しているとしても80歳をこえているので.....)

(1)夕張はなぜ1隻だけなのか,さらに乗り組み員の評価は,

(2)海軍の評価,実際の運用

英国で有名な造船技官「平賀譲」は,日本ではどんな評価をされていたのか?

いまはなき,日本海軍の軍艦を例に評価するべきでは,ないのかな!!


343名無し三等兵:02/03/12 23:06
>>341
神風はちゃんと吹いたんだがそれでも駄目ダターヨ
344名無し三等兵:02/03/13 04:08
ttp://www.j-aircraft.com/faq/naval_books.htm から。
"Axis Battleships of WW Two"という本の書評。

>個人的に、私は、13番、最高の大和、平賀およびFujimoto設計のような
>異常な日本の戦艦のその多くの絵画およびB-65巡洋戦艦が好きです。

…余計なお世話だ馬鹿野郎。
345戦艦乞食:02/03/13 04:51
>>342 第五艦隊さん
福井静夫さんらは平賀万歳時代に育った造船官ですから
公平な判断を彼らに仰ぐのは無理じゃないでしょうか?
特に福井さんの著作物で平賀氏を批判したものは読んだ
覚えがありません。
その点もう少し上の世代の牧野茂さんは平賀の愛弟子で
したが、晩年間近の「日米戦艦比較論」ではほんの少し
の平賀批判と藤本氏を肯定する意見を書いていらっしゃ
いました。彼の立場から言って精一杯の告白だったよう
な気がします。

346戦艦乞食:02/03/13 05:18
>>342
日本では軽巡を水雷戦隊旗艦として運用する方針なの
に夕張には戦隊司令部を設置する余裕がありませんで
した。
平賀批判の一つ、きめ細かすぎる施工要求のせいで重
量が一割も超過し速力低下、航続距離は計画値の7割
をきり旧式艦天竜の7割未満になってしまいました。
もちろん後年における改装による性能向上のための
余裕も全く無かったのです。

イギリスはジェーン軍艦年鑑で大絶賛、これを受け
諸外国(小国)でも同様な設計艦が増えました。
しかしてイギリスの真意は
1.遠方から見てシルエットだけで進行方向が判別可能
2.上部構造物が集中されていて格好の標的面積
で、かかる軍艦が他国に増えれば戦闘時に
対処しやすくなると言う認識でした。

その後もイギリスは平賀を最大限利用し、英国造船
学会からの金杯授与、失敗作戦艦ネルソンの設計図
を「友情の証」として平賀にコピーさせその後の日
本戦艦設計方針を決定付けました。
金剛代艦平賀私案はもとより、金剛代艦艦政本部案
(藤本案)、後年の大和に到るまでネルソンの影響
が大きく影を落としています。過大な装甲集中防御
による非常に偏った設計がそれです。
347アルザス:02/03/13 13:53
>346
>失敗作戦艦ネルソンの設計図
>過大な装甲集中防御による
>非常に偏った設計がそれです
 ネルソンも金剛級代艦も大和級も、「制限下での最大限の能力を引き出す」設計で
失敗作ではないと思うよ?
 
348戦艦乞食:02/03/13 14:30
>>347 アルザスさん
失敗作は言い過ぎでしたね。
とは言え、ネルソンの場合はあの後英国が同じ形式を二度と
採用どころか検討もしなかった所を見ると失敗作と思っていた
のは確かではないでしょうか?
「制限下での最大限の能力を引き出す」にはかなり有効な方法
であったにも関わらず・・・
爆風問題、射界制限、傾斜式装甲の是非などネルソンは重量
軽減と言う意味においては大成功でしたが欠点が多過ぎました。

もちろんこれは艦首砲塔集中形式の敗北を意味しません。
リシュリューや利根などの成功作が立派に存在するのですから。

金剛代艦藤本案は詳細が残されていないので勇み足でした。
しかし平賀私案は失敗作と断じて良いかと思われます。
大和の弱点はここから発生したものですから弁解の余地
はありません。大和は多数の関係者の手を経たために、金剛
代艦平賀私案よりずっとマトモな戦艦として完成されたのが救
いでした。

共にフランス海軍を愛する大先輩に非常に失礼な発言
すみませんでした。

349アルザス:02/03/13 14:49
>戦艦乞食さん
>非常に失礼な発言すみませんでした。
 いえいえ、こちらこそスレROMの分際で出すぎた感が有りましたので
350戦艦乞食:02/03/13 14:56
>>349 アルザスさん
もったいないお言葉!
どこかでリシュリューのお話など是非とも
お聞きしたいくらいです。

スレ違いの話ですが、リシュリューは欠点も含め
私の最愛の戦艦なのです。
私が兵器の欠点を指摘しようが、そんな不憫な所
も含め好きだったりするのです・・・
351アルザス:02/03/13 15:39
>戦艦乞食さん
>スレ違いの話ですが、リシュリューは欠点も含め
>私の最愛の戦艦なのです。
>私が兵器の欠点を指摘しようが、そんな不憫な所
>も含め好きだったりするのです・・・
 私も、戦艦やメカは「欠点を把握して、それから好きになる」という変わった嗜好
を持っているため、私に好かれる戦艦は何かしら欠点を持っているわけです。
(だから「大和」「ビスマルク」「V・ヴェネト」「ガングート」)
 戦果では乏しいにしても、フランス戦艦は周辺各国への良いスパイスであったと私は思います。
352戦艦乞食:02/03/13 16:05
>>351 アルザスさん
おお、御同様のお考えだったとは!

日本は三景艦で仏式に見切りを付けてしまったのが
なんとも・・・
ただ世界に先駆けて巨砲を搭載すると言う日本海軍
の主方針はここに淵源があると言うべきで、エミール
・ベルタンには敬意を表すべきです。
沿岸防御志向の仏式が主流となっていたら、米海軍
との衝突は無かったかもしれないですし(飛躍し過ぎ)

とにかくアイデアでは各時代ともに仏式はかなり先端
をいっていたと思います。
353名無し三等兵:02/03/14 06:16
茶々入れるようでスマンが、連中にそれを使いこなすだけの技量があったのかな。
いや、別にフランス海軍を見下してるわけじゃなく、何かしらの新機軸ってのは
どこでも習熟には時間がかかるものだから、危急の戦争に備えた戦備という点では
ちょっとずれてる気がする(ナチスドイツみたいなヤヴァイのがいるときにはね)。
特にジョッフル。あれはちょっと。
激しく好きなフネ(お尻についたクレーンがイカス!)だが、
あの時代の普通のパイロットにはかなり面倒な着艦方法じゃないだろうか。
いろいろ利点もあるけど、飛行甲板が短いのもつらいと思うし。

こういうわけで新技術と「使える」戦備のバランスってのはどこでも苦労してるな、
としみじみ思ったりするのです。
354第五艦隊:02/03/14 13:26
◎すいません,平賀譲さんにこだわっています.

彼は新しい技術の導入には,あまり前向きではなかったようです.

 ア)溶接の導入には,第四艦隊事件の対策で艦艇への使用を限定したこと.

 イ)艦船用ディーゼルエンジンの可能性についても否定的だったこと.

あまりに,クラッシクな既存技術に依拠したことと,技術者として考えると

これでは,頑固な部長ポストの管理職の役割を果たしていたといえるでしょう.

(戦後でいえば,本田宗一郎の空冷エンジンに対するこだわりに近いような)

夕張にしても,艦船用タービンの小型化に関して,

日本が恵まれた時期に(英仏伊米は従来の改造だからスペースにゆとりがある)

●というわけで,

新しく艦艇を設計したため無駄のない機関配置と船体を構成できたのではないかと....

日本海軍が自力で艦艇を設計して造る能力を持ったのは,

大正年代の後半のようです.(海軍工廠と民間造船所の技術レベル)

つまり,夕張→古鷹→吹雪級駆逐艦→妙高→高雄

の順に昭和初期に完成しています.

軍艦の設計者はどの程度の詳細設計をしているのか?

造船所に渡す図面に工法の指示はどの程度あれば,

異なる造船所に発注しても,同じ艦艇ができあがるのか

基本設計と実際の加工現場の実力は,このころどのような

レベルにあったかということに関心があります.

平賀天才伝説は,どこからでてきたのか,

確立しているものに,疑問を提示してみようということです.
355戦艦乞食:02/03/15 17:54
>>353さん
いや、反論の余地があまりありません・・・
個々のアイデアはおもしろいのですが
やはり陸軍国、運用するノウハウでは他国に
劣っていた事認めざる負えません・・・(泣)

>>354 第五艦隊さん
脱線して申し訳ありません、アルザスさんと初対面
だったのでちょっと舞い上がってしまいました・・・

貴方の仰る方向で話を進めるべきですね。
ただ、戦後の建艦史は一部を除いて、こぞって平賀
氏に肩入れしていますし。第一、平賀氏にとって都合
の悪い資料は彼が権力握った時点でほとんど焼却
処分されているようですから難しい話です・・・
356名無し三等兵:02/03/22 18:59
age
357名無し三等兵 :02/03/22 20:32
サクラ大戦に出てくるロボット兵士は平賀氏が設計したものです。
358名無し三等兵:02/03/22 21:48
ソースは?
359名無し三等兵:02/03/22 22:03
戦艦乞食氏がチラと書いているが、平賀のバックには伏見宮がいたんだよね?
還暦過ぎたじーさん連中が雑誌上壮絶なバトルを繰り広げることになった裏には、
戦後生まれの人間には完全には理解しがたい皇族へのタブーがあるように思えて
ならない。

戦史叢書の海軍軍戦備1に掲載されている丸二計画辺りの軍令部側の原案を見てみれば、
その後に「何か」があったことは明白に思える。
そして、その「何か」に直結する議論を封殺したかった人間が、戦後たくさんいたように
思えてならない。
遠藤昭氏はその「何か」に触れてしまった。だから、ああいう扱いをされているように
思える。
360戦艦乞食:02/03/22 22:56
>>359
アナタの仰るとおりのようですが・・・
これからはアナタもお気をつけないと。
ほら、アナタの後ろに!!!

まぁ冗談はこの位にして・・・
ネットも2ちゃんも無かったころの「世界の艦船」誌
読者投稿欄はそれはそれは濃い艦船マニアの意見交換
の場だったようです。私も遠藤氏に興味を持った20年
近く前、とある書店でバックナンバーの読者投稿欄を
読みふけりました(立ち読み)。遠藤氏の投稿に対す
る艦船マニアのみならず、旧軍関係者、造艦関係者の
バッシングは凄まじいものがありました。当時は定説
派だった私も「なんでここまで?」とかえって疑問に
思いましたね。
361359:02/03/23 00:32
>>360
これに気づいた時に、本当にどよ〜んとした気分になりましたよ。
362359:02/03/23 01:17
さらに告白すると遠藤氏の示唆が無ければ、これほど早く気がつくこともなかった
と思う。
日本の艦船関係のライターでこの事に気づいていて、それを薄々ながらも書いてる
ヤツってだれかご存知?
363戦艦乞食:02/03/23 01:37
>>359
世界の艦船編集長石渡幸二氏は勘付かれていた様な・・・
別件で遠藤氏と福井静夫氏が読者欄でやりあった時
「なんでこんなヤツ(遠藤氏)の投書とりあげるんだ」
と云う編集長攻撃がありました。
また、石渡氏の著作にも定説からはずれた記述があった
ような?
福井氏は戦時中ペイペイですし、遠藤氏の仰るとおり
単なるカメラ小僧だったような(でも意外と・・・)。
牧野氏は確信犯くさいですね。晩年になってようやく
平賀氏の呪縛が解けかかっていたのでは?
364359:02/03/23 02:13
>>363
けど、遠藤昭氏っていまだに「世界の艦船」に出入り禁止でしょ?
石渡氏の意向じゃないんですかね? 福井静夫氏無き今、出入り禁止が
解けない理由は何なんでしょう?

まぁ、何にせよ平賀論藤本論の影には伏見宮のタブーがあることを忘れては
いけないと思います。
山本五十六を愚将と断じた元海軍の作家でさえ、昭和天皇という伏見宮以上
の権威を持ち出さなければ批判本を書けなかったくらいだから、旧海軍軍人
の皇族(と最高位の先輩)に対するタブー意識は相当のものなんでしょうね。

365戦艦乞食:02/03/23 02:45
>>364
う〜ん、私も確信や確証持って発言してる訳じゃ
ないので・・・
359さんや2ちゃんの皆さんにも一緒に考えて
いただきたい問題ですね。
結局、非常に微妙な事ですし私なんざでは
解けない謎ですね・・・

戦艦マニアのカイザー・ヴィルヘルム二世と
ティルピッツ海相、第二帝政ドイツ海軍の
関係だってもっと単純なんでしょうに・・・
366359:02/03/23 17:06
>>365
帝政の倒れた国ですから…。

日本もそろそろ「戦後」を終らせたいものです。
そのためには若い艦船ファンの冷静な目と柔軟な頭が必要でしょう。
367359:02/03/31 02:11
なんか、水をさしちゃったみたいですみませんでした。
368戦艦乞食:02/03/31 02:42
>>367
いや、別にあなたは何も悪くないのでは?
実はこれ以上、平賀氏とその周辺事情は考えて
もわからない事が多すぎるので煮詰まってしまった
だけなのでは・・・

素人が首突っ込むには資料も無さ過ぎますし・・・
369名無し三等兵:02/03/31 02:47
>>348
ネルソン級の設計はジェトランドの反省とワシントン条約の足枷が重なった状
況下ではやむ得ないのでは?
370戦艦乞食:02/03/31 03:14
>>369
やむ負えない。全くそうだと思います。
が、当の英国海軍もあそこまで不具合がでるとは
思っていなかったでしょう。
35000t制限なのに、砲力、装甲ともに欲張り
過ぎました。
その反省のクィーンエリザベス代艦計画ではだいぶ
おとなしい設計になってますね。
これの原案に参考用としてか、たった一つだけ
ネルソンと同じ砲配置の案がありますが、他は全部
QEと同じ砲配置です。
371名無し三等兵:02/03/31 03:31
>>364
「史稿」を読めば、遠藤昭が未だに「世艦」で嫌われてるのは理解できる、という
ことらしいけど。
372名無し三等兵:02/03/31 11:14
伏見宮ほどの大物じゃなくても、戦後に封殺されちゃった議論って
艦船以外にもたくさんあるような気がする。
戦闘機や戦車、機関銃、野砲…。

航空機関係は、戦後の事故調査委員会にまで引きずっている感じ。
平賀論と直接関係無い話でスマン。
373平多新作
★時流の宣伝で祭りあげられた技術官僚では?
 まず,時代の背景として,
シーメンス事件で評判が悪かった海軍が,
平和時の軍備増強のため八八艦隊隊のための予算を通すために,
帝国海軍の広報戦略として平賀譲をキャンペーンに利用したのでは....
「世界のトップレベルの造艦技術をもつ海軍」→大日本帝国もトップレベル
いわば海軍を造艦オリンピックに模した広報の成果ではないかと...
北朝鮮ではないのだから,国家予算の半分を超える軍備予算というのは....
大日本帝国はすごかった.天皇という名のもとの軍部独裁予算ではないのかと.....

○天才説のもとになるマスコミ情報
昭和7(1932)年に平田晋作著「我等の陸海軍」という少年向けの本が講談社から出版されたが,
この本では平賀譲を「軍艦設計の神様」としていた.

さらに昭和19年夏に公開された映画「怒りの海」は,
平賀譲・東大総長を主題としもので大河内伝次郎が主演した.
これらの大衆宣伝による情報宣伝による戦後の効果

もう戦後57年になるのか>>>>
  いや戦前とするための,法整備が......

○技術官僚として一時代を築いた
英国留学(1906年〜グリニッチにある海軍大学校)によって,
戦艦ドレッドノートの設計情報を持ち帰り,
1916年から1923年まで帝国海軍艦政本部で,
戦艦(長門,陸奥),巡洋戦艦で構成する八八艦隊の基本計画を担当した.
1920年には計画主任となり,高速戦艦「紀伊」「尾張」などを計画した.
しかしワシントン軍縮条約が1922年に成立したため,長門,陸奥以外は建造が中止された.
補助艦に関しては量的な制限がなかったため,
二等巡洋艦「夕張」,一等巡洋艦「古鷹」級4隻を計画主任として手掛けた.
1923年には「条約型巡洋艦」として「妙高」型4隻も手掛けたが,途中で外遊に出かける.
1925年6月,海軍技術研究所に造船研究部長として就任,12月より所長.
1931年3月,予備役.
頑固な大艦巨砲主義派の造船官.

○軍艦は乗組員が評価する
平賀譲計画による軍艦は,乗組員の居住性を犠牲にして,
兵装と速度を実現しているため,部屋の天井が低く,
空間に余裕がないため,新しい装置を追加増設するときに苦労したという.
重巡「足柄」をロンドンへ派遣したときに,
インド洋を航海中に艦内に熱気がこもり,乗員は熟睡できなかったそうだ.



結論として,平賀譲氏は優秀な技術官僚では,あったが天才ではない.
巡洋艦「夕張」は,駆逐艦の船体に主砲を中心線上に配置したのは,
弩級戦艦の形式を補助艦に適用したもの.
設計者と考えると重量が10%も超過したのは,現場の技術レベルを把握できていないためであろう.

○新しい技術動向についていけない,権力をもった技術官僚
そのため,日本の溶接技術は35年米国に遅れていると1950年ころいわれた.