読み安くて面白かったんだけど、知っての通り秦教授から盗作とか言われて
ましたね。二人の論争は前にざっと読んだんですけど結局分かった事は
@所収の写真はゲルリッツの本から取った
A資料として一番利用してる
って事ぐらいでホントに盗作なの?秦教授の「昭和史の謎を追う」の文庫版
では「大幅借用した」って表現に改められてた様な。
この前でたゲルリッツの訳本はパラパラっと立ち読みしたぐらいでまだ完全に読んでません。
この事に触れられてるかと思って後書きとかも読んだんだけど書いてなかった。
訳者はなんで触れなかったんだろ?一応先行資料なのに。
渡部教授は巻末でゲルリッツの本は「もっとも便利な」資料として上げてるので
完全な盗作とは言えないと思うんですが。
この辺の事情と軍事史に詳しい人のレス希望。
なお渡部教授の話題ある所必ず「ロッキード裁判では」「血友病で」と言ったレスで
荒れまくるんで関係無い話は止めといて。
↑
大丈夫だよ。
@軍事と言えばドイツ+ドイツ軍オタ多し。
Aドイツ参謀本部関係の本はよく売れてる。
B渡部スレは必ずと言っていいほど荒れる=駄レスの応酬=書評総合スレッドでは足りないor関係無い本までとばっちり。
↓
単独スレッドとして十分成り立つ+その資格あり
ま、戦争論も中公文庫ビブロスで再発売されたしね
結局のところただの教えて君。
読んだ覚えがあるが、中学生の時だったから・・・・あんま覚えてない(苦笑)。
倒錯騒ぎがあったというのも、今始めて知った。
俺も教えてクン二号です、age
どんな号なんだろう(w
痛てぇー!
一二三四五
ナニヌネノ
・・・・・(泪)
いやわかってたけどね(ワラ
11 :
名無し三等兵:02/01/23 00:31
「ギブ・ミ・ファイブ!」
「ワン・サージャント、ツー・サージャント、スリー・サージャント・・・」
12 :
近代戦の地図の問題:02/01/23 00:34
シミュレーションゲームの起源は、もちろん図上演習(クリーク・シュピール?シュピーゲル?ドイツ語わかりません)。
図上演習を発明したのはドイツ参謀本部のマイゼンバッハいうのは本当ですか?
本当です。マイゼンバッハは1796年以来、兵站総監部で国土測量と兵携帯用地図の
作成をおこなっています。
ヨーロッパ大陸において道路網がすべて調査され、戦略家や将軍が知識として使えるようになったのは
1780年代です。
この時代、オーストリア・ハプスブルグ家の領土をすべて網羅したヨゼフィーネ測量調査、
カッシーニによるフランス国内の全測量調査が終了しています。これは画期的なことです。
これ以前の7年戦争では、地図がなく、軍隊が道に迷い戦闘が混乱に陥いる事態が多発しています
漏れは測量業界(士補)にいたが、なにげに測量と軍事って密接ってゆーか、
そもそも昔は軍事機密だったらしーYO!
伊能地図も国家機密だったし、WW2も航空測量で敵地偵察?してたし。
民間企業がやるようになったのは戦後。
すれ違いsageスマソ
いいなあ。おれ、地図製作の仕事って憧れてたから羨ましいよ
16 :
名無し三等兵:02/01/23 22:44
>15
ん?やる気があるなら簡単です。
専門学校は、最近の国の雇用対策で金だしてくれるらしーYO!
漏れは一足早くて自腹だったけど(TT)
業種が業種だけに平均年齢高いし。
製図専門でもよし、測量科なら卒業と同時に測量士補になれる。
17 :
名無し三等兵:02/01/24 08:45
地図が軍事機密って話で思い出しましたが、中国で発行されてる
地図って、等高線がきちんと入ってるのがあまりないんだよね。
ていうか、管見の及ぶ限り、等高線の入っている地図を見たことないです。
18 :
名無し三等兵:02/01/24 09:49
この件に関して渡部が反論している。去年か一昨年出た、新書じゃない方には反論が全部のってる。
@は、渡部の「ドイツ参謀本部」には写真が一点も載っていない。秦は本当に読んだのか疑問。
Aは、秦がどこを借用したのかくわしく指摘してくれないとなんともいえない(w アジってるだけでしょ。
秦教授は「盗作」なんて書いてないだろ?
20 :
名無し三等兵:02/01/24 11:16
秦教授がいってるのは間違いが多いということ。
確か文春文庫のどれかで、具体的にどの箇所が
どう間違っているか指摘している。
21 :
名無し三等兵:02/01/24 14:35
>>18 写真が載ってない?どういう事?
俺の持って忠孝文庫版では主な登場人物の顔全部載ってるよ。
18が言ってるのはクレスト社のやつだろ。
それには載ってないだろうけどもともとは載ってたんだよ。
渡部が旗の指摘を気にしてクレスト社版では削ったんじゃないの。
図書館で文庫版か新書版を探してみろよ。
文庫版のは白黒で写り悪くてたぶん原本から拡大コピーしたやつだと思うぜ。
歴史の出来事は不変で、ある程度重複するだろうから別に盗作とは思わんよ。
そもそもそれまでは参謀本部の簡単な通史も無かったんだろ。
渡部の本も意義も売れた理由もその辺にあったんだと思う。
でも渡部もそういう細かい部分に手を入れたり、ちょっとせこい所ないか(w
訂正
×俺の持って
○俺の持ってる
23 :
名無し三等兵:02/01/28 15:11
間違いがあるってどのぐらい?
単なる細かい突込みじゃねえの?
24 :
名無し三等兵:02/01/28 15:12
>>14 この業界で測量士補ってひょっとしてS戸さん?
そうだったらご無沙汰してます。
ありゃ?もう見てないかな?
残念ながら違いますな。
てゆーか、測量士『補』は星の数ほどいますよ?
測量士は年5%ぐらいの合格率なのでけっこームズイ
26 :
名無し三等兵:02/01/30 21:13
age
27 :
名無し三等兵:02/01/30 23:56
まあ誰かデンマーク戦争におけるデュッペル保塁奪取について詳しいという人もいるかもしれん。
だから保全あげ。
ハプスブルグの傘から逃れてドイツ統一に至った過程は、世界史板においてナチス関連スレッドで必ずや
誰しも「近代ドイツとは何か?」の問題に思い至って到着する疑問点だし、そこにドイツ参謀本部もゲルリッツの本で語られる以上に
関わる。
ああ。おれがあの日、ジョルダーノ・ブルーノでなくセバスチャン・ヘフナーでパブロフ二等兵を誕生させとけば
いい参考資料検索装置ができたであろうか(苦笑)
28 :
名無し三等兵:02/02/05 15:55
29 :
名無し三等兵:02/02/05 16:52
a
あっごめん二度あげしちゃった。ミス。
31 :
ソルジャー陸介:02/02/06 01:05
ヨーロッパでは20世紀初頭、WWT前夜になっても、全域の正確な地図は存在しなかった(実話)。
おまけに地図、特に軍用は定期的に測量し直さないと使えない。地形は、刻々と代って行くから。だから、地図の作成は重要な参謀本部の仕事になる。
我が国にも昔は「参謀本部陸地測量部」と各軍に「測量隊」、今は「中央地理隊」(旧101測量大隊)がある。
「ドイツ参謀本部」は本職にも分り易くて良い参考図書だが、少し古い軍事史書を読むと、同じ記述があったりする。
そういえば「測量艦」っていう艦種もあったなあ。
ていうかゲルリッツ読めよ
34 :
名無し三等兵:02/02/06 12:45
第一次世界大戦まで
時は17世紀、フランス海軍には明確な政治目標と、軍事的対象脅威、制海権を争うべき目標(イギリス海軍)が存在し、また、財政的支援も充分にあった。
この時期、フランス海軍はイギリス海軍と並ぶ一流の存在であり、有能な指揮官、活力ある乗員、優れた艦船を保有していた。
しかし、18世紀末のフランス革命において貴族を中心とする士官が大量に粛正され、人的面において大打撃を被る。
これに加え、ナポレオン時代のトラファルガー海戦においてネルソン艦隊により撃破され、フランス海軍はシーパワーを失うことになる。
さらに、ウィーン会議によりフランスの海外領土は縮小し、海外植民地とその貿易を失った。その結果、制海権争奪の意識を失うこととなる。
1818年、フランス海軍卿ポルタルは士官の縮小、艦隊整備、海軍省の改組といった海軍の再建に着手した。再建後10年ほどして、艦隊としての行動が可能になり、
これをもって地中海の海賊掃討の共同作戦をイギリス海軍と行った。
これを契機に、北アフリカのアラブ諸国はフランス植民地と化した。
7月革命や2月革命の影響を受けながらも、海軍は徐々に復活していった。
ナポレオン三世は、クリミア戦争、イタリア統一支援に成功し、その余勢を駆ってインドシナの植民地化に取りかかった。
また、この時期のフランス海軍勢力はイギリス海軍に追いつこうとしていた。また、この時期に装甲艦が生まれた。しかし、普仏戦争によるナポレオン三世の失脚にともない、
フランスは共和制へ移行、海軍に対する意識も変化してきた。
第三共和制の中で、青年学派という考え方が海軍・政界に浸透しつつあった。
「不十分な予算の中での海防は、戦艦などの大型艦よりも機雷や水雷艇を多数整備する方が有効である」という考え方であり、外洋艦隊から沿岸艦隊への移行を志向するものである。
これは海外植民地などを保護すべき外洋作戦を必要としていたフランス海軍に矛盾するものであった。しかし、プロシア・イタリアといった新興国の脅威、それによるイギリスとの敵対心の低下、
小政党による短命政権の海軍政策・予算の不十分さ、
こういったことが海軍に対する政治的関心を薄めさせた。この結果、フランス海軍は小型化していくことになる。
1890年頃に、チュニジア・アルジェリアの植民地化に成功し、その植民地の維持、海上交通の保護のために地中海西岸の制海権を維持する必要が生じ、
青年学派的な考え方は時代に適さなくなり、再び戦艦を含むバランスのとれた艦隊を必要とするようになった。
これには、イタリアの隆盛が大きく影響している。その結果、1890年から戦艦・装甲艦を基幹とする長期建艦計画の実現にとりかかった。
また、新鋭艦はイタリアの脅威に対抗すべく、地中海に配備された。
35 :
名無し三等兵:
もうちょっとまでネタもつだろage