我が日本陸軍、まともな対戦車兵器ともいえる一式47ミリ
速射砲、硫黄島や沖縄戦ではまちぶせ攻撃で結構戦果を
あげているが。たしかイタリア陸軍も47ミリの対戦車砲を
もっていたが性能は日本のほうがよさそうだが??
弾頭の重量が分からんとどうもならんなあ。初速が790m/secとか、810m/secと
か諸説あります。
徹甲弾の品質が割とひどかったようで…。弾頭が軽いので初速はカタログ
データ上は良かったようですが、威力的には独の37mm対戦車砲とおっつがっつ
か、少しましな程度のようです。
イタリアも事情は似たようなものですが、単純に性能比較すると、L40/47mm
砲の方が性能は良かったみたいですね。
チハ車の正面装甲が、距離500mから自国の37mm速射砲に耐えられるように、と
いうことで25mmにおちついたが、ドイツ製37mm砲で撃ったら見事に貫通してし
まい、せめて30mm欲しかった、という愚痴と共に、日本製速射砲の威力に疑問
が呈せられたようです。
レス付けといてなんですが、質問スレで聞いたた方が良かったかも。
47mmじゃなくて、同じ中途半端でも57mmの方がまだ良かったな。(試製100式だっけな)
>5
試製57mm対戦車砲は、47mm砲のスケールアップなんで、これ無しでは成り立ち
ません。たしか、昭和18年くらいに完成したと思いますが。
駐退機や駐鋤など、周辺の部品はそのまま持ってきてますし。
これで飛行機を狙撃して落としたりシャーマンの照準孔を狙撃したり
した日本兵がいるらしい。
ゴルゴの先祖に違いない。
20mm対戦車ライフル(97式自動砲)は、カタログには載っているが
実際はほとんど配備されていなかったらしい。
対戦車戦に熱心でなかった証拠の一つとしてよく挙げられるが、
37mm砲でもぎりぎりの戦闘をしていたことを考えると、まあ、賢明
だと言える。
チハ車が歩兵直協戦車であることは、日本軍も良く承知していたよ
うなので、対戦車戦闘は実際には95式軽戦車の独壇場だったといえる。
1式装甲兵車に1式速射砲を搭載した即席自走砲なども確認されており、
取り扱いの簡単な、いい火砲だったと思われる。
結局、ライバルがM3軽戦車どまりだったら、これでも十分いけたのだと
しかいいようがない。
>>7 同感。
1000MでM3の最厚部(51ミリ)を貫通できたそうなので・・・。
10 :
名無し三等兵:01/12/04 01:18
97式改の47ミリ砲は48口径で1式速射砲は54口径となっている・・・ということは
同一ではなく速射砲の47ミリの方が多少威力が上ということだろうか・・・。
11 :
名無し三等兵:01/12/04 01:21
速射砲の47ミリよりもさらにフトン爆弾による対戦車体当たり
集団爆砕人間突撃破甲部隊のほうがずっと威力は上だ。
12 :
名無し三等兵:01/12/04 01:24
九四式三十七粍速射砲ってのが、どうにも無力な対戦車砲だけど、
九五式軽戦車に車載の戦車砲は、さらに威力が劣る。
というアホな話。
13 :
名無し三等兵:01/12/04 01:26
>10
初速790m/secは新砲塔チハのデータにあるので、1式速射砲の
初速が810m/secであったとすると、ちょうど符合しますね。
短砲身化は後座長を短くするための工夫だったのでしょうか。
なんか、巡航戦車コメットの短砲身17ポンド砲みたいに、本末転倒
しているような気もしますが。
14 :
名無し三等兵:01/12/04 01:27
だからフトン爆弾による対戦車体当たり集団爆砕人間突撃破甲部隊
こそが日本陸軍最強の対戦車兵器であったのだ。
>>13 短砲身化は後座長を短くするための工夫
なるほど納得しました。サンクスです。
ただでさえ威力不足なのに・・・
>12
九五式軽戦車の主砲は、後に高初速の98式37mm戦車砲に
換装された。まあ五十歩百歩だが。
17 :
名無し三等兵:01/12/04 01:47
フトン爆弾による対戦車体当たり集団爆砕人間突撃破甲部隊
さえ大量生産できれば,日本陸軍に対戦車砲なぞ一切必要無い。
18 :
名無し三等兵:01/12/04 02:23
>>16 九八式戦車砲てのは何が変わってるの?
三十七粍戦車砲の進化型として、
・九八式軽戦車の一〇〇式戦車砲(初速700m)
・二式軽戦車の一式戦車砲(初速800m)
というのがあるけれど、両者合わせて百数十両程度の生産台数しかない。
19 :
名無しの三等兵:01/12/04 20:59
>10.13
一式47ミリ速射砲も
一式47ミリ戦車砲も
試製97式47ミリ速射砲がもとになってます。
一式速射砲は53.6口径、初速833m/秒
一式戦車砲は48口径、初速810m/秒
貫通能力は速射砲は1000mで50ミリ強、
至近距離(距離不明)で最大70ミリ
一式戦車砲は1000mで45ミリ(30〜35ミリとも)
至近距離(100mくらい)で55ミリとなってます。
試製97式は初速730m/秒
あまり37ミリと変わりばえしなかったので、さらに研究
され、機動一式になったそうです。
試製57ミリ速射砲は16年開発開始、18年完了で
49口径(49.5口径とも)初速870m/秒
目標の800mで60ミリ以上貫通を達成したとのこと。
これは試作中戦車チトの一次試作車の主砲にもなってます。
機動一式47ミリは重量700〜800キロあり、日本軍
では重く、試製57ミリ速射砲は砲列放車1500キロで
運用は難しかったようです。配備しても、輸送、移動、運用
に問題がでたはず。それなら接近しての機動一式速射砲の
運用でよしと軍部は考えたのでしょう。
20 :
名無しの三等兵:01/12/04 21:02
>18
九四式戦車砲と九八式は
基本的には同じで、各部
の堪抗力が増したとのこと
丁寧で正確な解説、ありがとうございます。>19
22 :
名無しの三等兵:01/12/04 21:12
>21
どういたしまして
23 :
ナウダークヘイノワールイマヤメタゲイトマトボムドクビックナマハエタマゴリロ:01/12/04 21:20
しかし、エネルギーで言えば、90式、97式57ミリ戦車砲より94式37_戦車砲
のほうが強いのに、なぜチハは弱い短砲身57ミリを採用したのだろう。軽戦車
も中戦車も同じ戦車砲にすればコストも浮いただろうに。日本の37_ほうは
軽戦車としてはけっこうな重装備だと思うし。
24 :
名無し三等兵:01/12/04 21:26
チハは歩兵支援のための戦車なんだから、
砲弾の炸薬量が多い57mmの方が採用されたのに
不思議は無いと思うが
25 :
名無し三等兵:01/12/04 21:28
チェコはスコダの47mm戦車砲と比べるとどうでしょうか?
チハ車の主砲は、試製1号戦車の57mm砲〜(ビッカースMk.C中戦車
の57mm砲)〜89式中戦車の90式戦車砲と発展してきたもので、当時
の中戦車の主砲としては大型かつ重武装の部類です。
対戦車砲の発達が著しかったこのころ、機械的信頼性を獲得でき
ないでいた戦車は、対戦車砲のいいカモだと思われていました。
戦車に対戦車戦闘を要求しなかった時代の産物です。
>チェコの47mm戦車砲
先進武器開発国のチェコと同じ事を日本が簡単に出来たとは思え
ません。短砲身57mm砲は、火砲製造能力の低い日本でも取り得た
選択として有効だったのでは。
27 :
名無し三等兵:01/12/04 22:17
>23
チハ車の設計段階では長砲身47mm砲の搭載を可能なように設計
してありました。これについては要求性能決定の段階で戦車学
校側から対戦車戦闘を想定して38式75mm野砲の搭載が求められ
ていましたが、参謀本部に
「戦車砲は敵歩兵陣地に突入してから威力を発揮すればよい」
と押し切られて決定されました。
これについては予算を抑えようとする意志もあったようです
が、歩兵閥と騎兵閥の間の争いの結果決まったという側面もあ
ると思われます。
28 :
名無し三等兵:01/12/04 22:34
結局残ったのは大径ターレットリングだけ、でしたね>重武装チハ車
競合試作車チニ車の華奢なスタイルを見ていると、ポーランドあた
りの軽戦車と性能的には似たり寄ったりか、と思えます。そのよう
な中での、対戦車戦闘を主眼とする戦車はかなり野心的な案だった
のでしょう。戦車屋には未来が見えていたのでしょうが、同じよう
に騎兵も歩兵も工兵も装甲戦闘車両を欲しがる、と。
今から考えると、97式軽装甲車なんて何で作ったんだろう、と思い
ますが。
チト車が完成するまでの苦闘を見ていると、75mm砲搭載車が仕上がるには超えなければいけないハードルがまだ沢山あった様な気もし
ます。
亀レスですがワタシも、
>>19 さんたいへんサンクスです。参考になりました。
しっかし日本軍の火砲でゴムタイヤの付いたのは90式野砲と1式速射砲のみの
ような感じが・・・。
個人的にはカッコ良い!と思ってる92式10センチ加農砲もゴムタイヤ
なら最大限カッコ良かった・・・と思う。
30 :
名無し三等兵:01/12/04 23:09
31 :
名無し三等兵:01/12/04 23:28
47ミリで70M以内に接近して(たぶん初期型)M4を撃破した例もあるそうだけど、
これも戦車砲の47ミリではなく速射砲の47ミリに違いないと思ってしまった・・・。
32 :
名無し三等兵:01/12/04 23:59
カッコいいし、タミヤさん35分の1で出してほしいジョ〜。
なんで旧軍ものが極端に少ないんだヨヲ〜。
関係ないけどスターリン2Mもきぼ〜ん。
33 :
名無しの三等兵:01/12/05 22:06
アメリカ、イギリスの57ミリ
対戦車砲はゴッツイけど、日本の
57ミリは47ミリのようにスマート
で低姿勢だ。
>>2 一式47ミリの弾重は2.7kgじゃなかったですか。
>>34 自己レス。
それと確認できる資料が手元に無かった……。すみません、撤回します。
36 :
ナウダークヘイノワールイマヤメタゲイトマトボムドクビックナマハエタマゴリロ :01/12/05 22:25
>>27 サンクス。所詮は歩兵協力用の戦車だったみたいだしなぁ。ビルマじゃ英軍のM3軽戦車に
さえボコボコだったんだろ?
でも1式47_は(・∀・)カコイイ!1930年代にデビューしとけば間違いなく世界でもトップクラスの
歩兵用対戦車砲になり得たはずなのに。94式37_じゃ中国の戦車にしか効果ないじゃん(ワラ。
>>32 旧軍ものをタミヤに期待するな…
ファインモールドならともかく…
38 :
名無しの三等兵:01/12/06 01:20
>34
一式47ミリは1.5kg
57ミリは2.7kg
そういやライフのWW2写真集モノの硫黄島がでてくる巻で、
「47mmでも至近距離から戦車(シャーマン?)にあたると
なかの搭乗員はまるでゼリーのようになる」
とかいてあった。
40 :
名無し算34:01/12/06 01:29
>>24 九二式歩兵砲を流用した方が歩兵支援には役にたったのでは?
もっともそんな小型の砲なら九五式軽戦車にも積めたと思うけど。
末期はHEATで対戦車戦闘(←妄想)
42 :
名無し三等兵:01/12/06 05:40
>>39 >なかの搭乗員はまるでゼリーのようになる」
シャーマンが38mm厚の側面を打ち抜かれて、誘爆した場合ですね。目撃者した記者の話だと
高温高圧で乗員の遺体はドロドロに熔けて、なにかゼリーの様な物が下の方に溜まってたとか。
43 :
名無し三等兵:01/12/06 06:40
ポンニチの平気は採用されるのに時間がかかったね。
44 :
名無し三等兵:01/12/06 06:53
94式37速射砲でもノモンハンでは有効だった・・・。
45 :
名無し三等兵:01/12/07 03:35
大戦後半、日本軍が対戦車砲を真に必要としたのは中国軍
相手の大陸の戦いではなくて、米軍相手の南方の戦場。
ここでは地形を利用した陣地に拠る防衛戦が主であって、
47mm級の砲でも接近する戦車を近距離から狙い打って
撃破することができた。
そんなわけで増口径に不熱心であってもなんとか凌げたし、
むしろ軽量さが利点でもあった。
無くても間に合わせられる物なら、無いままで済ませてしまう
日本軍の体質、というか貧しさが一式の後継砲が誕生しなかった
理由だけどね。
>>42 サンクスコ!
パンツァーファウスト装備して欲しかった・・・。
どうしても否定的な意見に支配されちゃうね。
でも全部同意しちゃう。
>45
その場合最も必要とされるのは歩兵でも携帯可能な軽量対戦車火器。
たとえロタ砲でも、配備されていれば米軍の損害は多少なりとも増えたのではないか。
ジャングルで日本兵が携帯対戦車兵器を持ってたら悪夢だよ。
50 :
名無し三等兵:01/12/07 21:20
いや、フトン爆弾による対戦車体当たり集団爆砕人間破甲肉迫突撃隊が一番有効!
別冊歴史読本・太平洋戦争戦闘地図P182 日本軍、ビルマからの敗走
第三十三軍司令部もメイクテーラ近傍のサジに進出して両師団を指揮しつつ
奪還を図った。と言っても、爆弾を抱えて体当たりする肉薄攻撃が中心である。
それでも十四輛で攻撃してくれば五輛を破壊して撃退し(十九日)、斬込隊を突入
させて二輛擱座させ(二十一日)、七輛の戦車が突進してきても六輛を擱座させる。
(二十二日)、という玉砕戦法で戦い続けた。第十八師団だけで三月十八日までに
戦車炎上二十輛、擱座三十ニ輛の戦果をあげたが、戦死五百八十名・戦傷四百
二十六名・行方不明五百六十三名の損害を出していたのである。
>49
吸着爆雷防止用に樫の板を張ってるシャーマンが、そのことを
如実に語っているね。
日本軍の吸着爆雷は、亀の甲型をしていて、一基で25mm、二基で35mm
程度の破壊力があったそうだが、忍び寄って側面に投擲されたらやは
り恐かったのだろう。
できればロタ砲が欲しかったのはもちろんなのだが、完成したのは例
によって試製五式で、本土決戦用だったからな。
>>50 布団爆弾でその戦果だろ。
パンツァーファウストがあったらどうなってたことやら。
53 :
名無し三等兵:01/12/07 23:11
パンツァーファウストよりもフトン爆弾のほうが強かった?
フトン爆弾の有用性を主張している馬鹿は身をもって威力を示してみろ。
新聞に載ったら考えてやる。
火炎瓶はつかわんかったんか?
56 :
名無し三等兵:01/12/08 09:55
>>55 ビルマで英第7旅団と戦ったときの主力(^^;兵器のひとつです。
× 英第7旅団
○ 英第7機甲旅団
58 :
名無し三等兵:01/12/08 10:03
フトン爆弾による対戦車体当たり集団爆砕人間消滅破甲突撃隊が
もっと大量生産できたなら、他の対戦車兵器は不要になったはず。
60 :
名無しの三等兵:01/12/08 10:43
フトン爆弾はジャングルなど
遮蔽物があり、接近できる場合
にある程度、効果がある。しかも、
人的被害は甚大・・・
やはり、投擲方の成型榴弾か
吸着地雷が必要・・・・
沖縄戦はフトン爆弾では10台しか
戦車を破壊できなかった。速射砲
は150台以上。
61 :
名無し三等兵:01/12/08 10:50
対戦車用ライフルグレネードは研究されていなかったのかな?
威力不足は承知だが有るのと無いのとでは随分違うと思う
62 :
名無し三等兵:01/12/08 10:55
>沖縄戦はフトン爆弾では10台しか戦車を破壊できなかった。
それはフトン爆弾による対戦車体当たり集団爆砕人間消滅破甲突撃隊
の生産が絶望的に不足していたからだ。もっと量産されていたなら。
63 :
名無し三等兵:01/12/08 12:39
>61
三八式や九九式にオプション装着する二式擲弾があった筈。
使われた記録を殆ど見ないのでやっぱり数が少なかったんでしょう。
あと九七式自動砲や九四式速射砲に装着する巨大な物もあった筈。
>集団爆砕人間消滅破甲突撃隊
あんた一年近く同じ事繰り返してないか?
その癖未だに単語が毎回のように違ってるが。
刺突地雷ってどの程度の効果があったの?
肉薄攻撃用だから接近する前に掃射されそうだけど、
仮に運良く肉薄できた場合、それなりの効果はあったの?
66 :
名無し三等兵:01/12/08 12:48
>>61 >>63 2式対戦車小銃擲弾については、ドイツから贈られた30mm、40mm
2種の成形炸薬弾をもとにつくられ、40mmが1型、30mmが3型と呼
ばれ、発射器もそれぞれ2式1型、3型として制式化されました。
擲弾発射器自体は他にも91式とか100式、3式もありますが、タ弾
を使用できるのは2式だけのようです。戦歴は不明。
97式自動砲用には「試製ジテ弾」が開発されました。
20mmタ弾では威力が小さいので、直径18mの対戦車地雷を砲口
から発射できる方式にして、発射には弾頭を除いた20mm空包が
使用された、とあります。
結局は20mm空包では初速不足で射程が短く、戦場で活躍すること
なく終戦を迎えたとのことです。
>直径18mの対戦車地雷
そんなデカイ地雷あるか!
18mmの間違いです。
逝ってきます。
>>63 >>66 ありがとうございます。ちゃんと正式化されてたんですね。
しかも結構熱心だったみたい・・・それでも駄目だったとは。
18m超対戦車重地雷(;´Д`)ハァハァ・・・
ホノルルの陸軍博物館前にもあるよ
>>70 「18m超対戦車重地雷」に決まってる(w
72 :
名無しの三等兵:01/12/08 20:48
40ミリの小銃擲弾は
ニューギニアかどこかで
オーストラリアのマチルダU
に使用し、砲塔を貫通してます。
それで、80ミリの貫通力と
いわれてるが、側面なら50〜60
ミリくらいのはず。
>67
18m超対戦車重地雷・・・・・・イィ!!凄くイィ!!!
何だかすごく萌える。
74 :
名無し三等兵:01/12/08 22:15
実戦で使用されていたとは知りませんでした>タ弾
大口径のタ弾があれば、歩兵砲でも対戦車火器になり得たでしょうに。
結局刺突爆雷にされそうではありますが。
75 :
名無し三等兵:01/12/08 22:27
「夕弾」てなんて読むの?「ゆうだん」?「ただん」?なんの略?
「ただん」と読んでください。対戦車の「タ」です。
77 :
名無し三等兵:01/12/08 22:31
78 :
名無し三等兵:01/12/08 22:34
>>76 レスサンクス。「対戦車特殊砲弾」というところなのでしょうか。
てっこう弾とは違うの?
79 :
名無し三等兵:01/12/08 22:45
「タ弾」はよーするに「成形炸薬弾」です。原理はバズーカ等と
同じ、モンロー効果を利用した熱ジェット噴流で装甲を焼き切る
榴弾です。
低速の短砲身砲でも対戦車戦闘が出来るということで、ドイツか
ら割と早い時期に技術導入がされ、小銃擲弾などが作られました
が、浅学にして実戦での活躍はあまり知りませんでした。
我が国でも有効な対戦車戦闘が出来る手段だと思われますが、な
ぜか量産もされたとは聞いておりません。
あと、上の方で「47mm砲に撃たれると穴からどろどろに溶けた鉄
が出てきた」というのはもしやタ弾による攻撃だったのか、とも
思いましたが、このサイズのタ弾があったということなのでしょ
うか。
80 :
名無し三等兵:01/12/08 22:58
>>79 なるほど。テッコウ弾では破れないんですね。
81 :
名無し三等兵:01/12/08 23:00
82 :
名無し三等兵:01/12/08 23:03
>>80 「47mm徹甲弾でM4の側面装甲を破れないか」ということなら
通常は「破れる」と言われてきました。信頼できる戦歴もあ
ります。47mm破甲榴弾(という呼び方の方が正式かも)があ
ったとは、まして配備されたとは聞いたことがなかったので、
推測が当たっていたとしたら驚きです。
成形炸薬弾ならご存知の通り、口径の1.5倍〜2倍程度の装甲は
貫徹できますが。
83 :
名無し三等兵:01/12/08 23:04
>>79 日本版パンツァーファウストを作ればよかったのに。
84 :
名無し三等兵:01/12/08 23:04
スレから少し外れてスマソだけど、手榴弾5〜6個束ねて
M4の上部(?)を狙って炎上させる戦法もあったみたいです。
85 :
名無し三等兵:01/12/08 23:05
>>81 それは知りませんでした。ありがとうございます。
>83
「試製五式対戦車弾発射筒」だかなんだかいうのがあります。
今手元に資料がなくて、名前がよく分かりません。
これが上の方で出ている「ロタ砲」です。
87 :
名無し三等兵:01/12/08 23:08
>>70 ワイキキの陸軍博物館の前に95式軽戦車と並んで置いてあるよ。
あとグアムの戦争博物館にはワイキキより程度の良い1式47ミリ速射砲がある。
オマケにいうと99式小銃の脚付きもあった。
88 :
名無し三等兵:01/12/08 23:10
木俣滋郎さんの「世界戦車戦史」では47ミリ砲で距離数百MでM4の
側面を次々と撃破していった記述がある(沖縄戦)
47ミリ速射砲は1000で50ミリ強の垂直装甲を撃破できたから
あまり傾斜のないM4側面撃破は中距離以下で充分可能だったでしょう。
89 :
名無し三等兵:01/12/08 23:29
タミヤの35/1シリーズのM3・リー中戦車の解説では1942年以降
主戦場を太平洋に移したって書いていた・・・。
M3は最大装甲・傾斜ともシャーマンに劣るので近距離では47ミリ砲で
前面撃破できたかな?
>89
車体正面で50mmそこそこなので、なんとかなったでしょう。
マレー・シンガポール戦線で早くも登場していますが、
苦戦したという話もあまり残っておりません。
最も、95式軽戦車やそれ以下の戦車ではかなりの強敵だと
思います。
75mm砲の射界は限られていますが、長砲身の37mm戦車砲は
同クラスでも1、2を争う威力ですから。
91 :
名無し三等兵:01/12/09 20:00
1式速射砲ってデザインが(・∀・)カコイイ!とおもうが。94式はダサイ。
92 :
名無し三等兵:01/12/10 00:35
>>90 47ミリ砲でM3は数台破壊したが、M4ははじきかえされた・・・という戦記を見た記憶があります。
木俣滋郎はチェコの35t戦車を重量35tっていう記述が
あって余り信用してはいない。
>93
ワラタ 俺も昔間違えてた
>タミヤの35/1シリーズ
揚げ足取るようでスマソが、思いっきりワロタ。
それはデカい。
96 :
名無しの三等兵:01/12/12 00:37
マイナーなところで、ゲルリッヒ砲も
2門試作したとか・・・砲身のみ・・・
成型榴弾が完成して、中止・・・
97 :
名無し三等兵:01/12/12 16:51
>>96 ゲルリっヒ砲ってナに?
あと、90式機動野砲や38式野砲なんかの対戦車バージョンも思索されたらしいね。
98 :
名無しの三等兵:01/12/12 19:16
>97
暫減砲(だったかな)といい、
装填時、砲尾で75ミリ砲弾が、序々
に絞り込まれ、砲口から出る時は57
ミリになる・・・弾芯はタングステンで
外側は銅製でやわらかく、圧力で絞り込
まれ、高初速をえる。
ただし、砲身の寿命が短い。
90式と38式の対戦車バージョン・・・
38式か95式の砲床がありました。
砲を載せ、ターンテーブルのように
左右に振ることができ、目標の動きに
対応するようになってました。
99 :
名無し三等兵:01/12/12 22:09
25ポンド砲の回転砲座のようなものでしょうか?
あっちは、移動に便利なように折り畳み式の回転砲座を
作ったりしたようですが
100 :
名無し三等兵:01/12/12 23:21
>79
わりと最近解ったらしいけど、「熱で焼き切る」んじゃなくて、吹き付ける液化した金属(メタルジェット)の「圧力で打ち破る」が正しいとか。
陸自の人の話によると、自衛隊の教本ではまだ「焼き切る」になってるそうな。
>88
ルソンで線路を越えて傾斜面を降りてきたM4の正面が垂直になった所を狙って貫通、という事例もあり。
101 :
名無しの三等兵:01/12/13 00:10
>99
そんな感じでした・・・折りたたみ
のようでした。
47ミリのくせに有用とはふてえ野郎だ
103 :
名無し三等兵:01/12/22 05:06
age
>>100 遅レスですが、
ご教示ありがとうございます。なるほど、力が加わるための質量
がどこから来るか考えると、その方が正しいですね。
105 :
名無しの三等兵:01/12/22 12:21
「歴史群像」34 戦車と砲戦車
「カト」「ホリ」搭載用の
105ミリ砲の写真が出てた・・・
駐退・復座器の形状が95式軽戦車の
94式戦車砲みたいだが、改修後は
丸みがあり、ドイツのザウコップを
連想する。
106 :
名無し三等兵:01/12/22 17:21
>>105 美麗なCG絵だけでも買う価値有り。
五式中戦車、あんがいカコイイ!
107 :
名無し三等兵:01/12/22 17:25
速射砲などの砲関係ってのは弾の性能は考慮されないのでしょうか?
108 :
五十嵐美由姫:01/12/22 17:27
>>98 94式山砲用のタ弾もあったようですね。
>>97 っていうかノモソハソ事変のとき、BT戦車を38式野砲で撃てば破壊できたような
気がするんですがね。BTは装甲も薄いし、38式野砲は大多数が装備されたいたはず。
やっぱり速射に劣るからるかわなかったのかな?
109 :
ヘルウイング:01/12/22 18:03
戦車と違ってこっちからちかづけないから、零距離射撃
のチャンスなんてそうそうないじゃないのかな?対戦車砲や野戦高射砲
見たいな弾道性能がないとさ。いや速射砲も有効射程しょぼいけど手早く配置転換
できるようになってるから。
タ弾をもっと作れれば的意見には賛成です。もっとも37MM程度の
弾頭サイズだとロケットランチャー(ロタ)や、ばね式(ピアッツァ等)
肉弾(神国万歳)の方が威力高?てやつですかね〜
やはり火砲にとって成型炸薬弾は最後の手段以上のものではないの
でしょうな、あたっても角度などの条件がきついし歩兵に配った
ほうが・・・ですよね。ヒトラーの戦車砲を成型炸薬仕様にしろ発言
も相手にされなかったし
<速射砲などの砲関係ってのは弾の性能は考慮されないのでしょうか?
日本の徹甲弾は弾頭被鉄に軟鉄が使われてないとか、タングステンのような
レアメタルを使えないとかでちょと劣る
110 :
五十嵐美由姫:01/12/22 18:17
>>109 やっぱりそうですか〜。しかし零距離じゃなくても75_砲ならBT程度なら
撃破できたと思うのですが。一番(・∀・)イイ!!のは、沖縄戦の様に88式野戦高射砲
の水平射撃で戦車を撃つ方法ですかね。88式は昭和3年モノだから、ノモソハソ事変の
時には満州には沢山あったとおもうし。とにかく、対戦車砲の不足を通常火砲で撃つ
というアイデアが浮かばなかったのが不思議。火砲で戦車を撃つ訓練をしていれば太平洋戦争でも
役だったのではないかと思う。
現在、タングステン生産は中国が50%を占めている。日本は中国からタングステンを輸入していたし、
占領地からの徴収買収も出来たわけですから、制海権、制空権があった大戦初期ならば
使えなかったわけじゃないのでは?
>>110 日本の徹甲弾って単純な硬化した鋼製弾体のものか、その中に炸薬を
しこんだ徹甲榴弾しかないです。
>>109さんのおっしゃるように被帽
付き徹甲弾もないし、むろん鋼芯徹甲弾もありません。
融点も硬度も高いタングステンの成形、合金作成は非常に難しいので、
粉末にしたタングステンと合金材料を均等に混和して、高温、高圧下
で高電圧を掛け、融着させて成型する位しかありません。
大変な施設と電気を必要とするので、量産できる設備がなかったので
はないでしょうか。一般に粉末冶金など材料関係の技術は、かなり立
ち後れていたようです。
接点や電線は当時もあったんだろうが、弾芯などの大ものを作るのは難しかった
ということか。
113 :
名無し三等兵:01/12/23 14:51
>>111
そうだったのかー!!
>111
悲しいな。なぜ旧軍の話をすると最後は必ず「貧乏だった」ってオチになるんだ。
悲しすぎるよ。
>>114 貧乏でなきゃ、だれが戦争なんかするか。
37mm対戦車砲のタングステン弾芯の徹甲弾は確か潜水艦で日本に持ち込まれ
て研究されているが、コピーもされていない。
当時既に、敵は37mm徹甲弾如きで倒せるものではなくなっていたし、開戦以
前(というかM4が現れる1943年以前)には、逆に必要なかった。
39年当時を俯瞰してみると分かるが、37mm速射砲の徹甲弾を戦闘距離(500m以下としようか)ではじき返せる戦車は鈍足の重戦車くらいだ。対戦車砲でしと
めなくても、方法は沢山ある。
貴重なタングステンやクロムを、いつ使うかも分からない小口径の徹甲弾に
ぼかすか使える余裕はなかったと思う。戦車がいまのように普遍的な陸戦兵
器ではなく、工兵機材のように歩兵を助けるものだった時代の話だ。
この頃は既に物資も配給制になっているし、大陸戦線は膠着したまま動かな
いし、経済は大不況この方ぼろぼろだった頃だ。
チハ車や1式速射砲あたりまでやれたのは、事変とはいえ戦時だったからに
他ならない。
いくさは全然しておらず、無条約時代に突入している海軍に予算面で圧迫さ
れ続けていた陸軍では、航空機開発の方が盛んなくらいで、戦車を持ってい
るだけで大したものだったという事はあるのではないか。
戦時であったにもかかわらず、その開発ペースは、「平時としてみれば、熱
心な部類」だったと言えるだろう。機械化工兵機材などもいち早く持ってい
たりするから、関心がなかったわけではないのだ。
結局、そのあたりで開発能力が限界に達しているのだ。
その後の陸戦兵器の革新的な新技術って、溶接装甲、噴進弾、15センチ高
射砲くらいじゃないだろうか。あとは、従来のものを何とか拡大しているだ
け。
116 :
名無し三等兵:01/12/24 13:37
勉強になったage
117 :
パブロフ二等兵:01/12/24 13:40
日本は島国で資源が取れず、技術以前に弾が絶望的に不足か。
ならばなおのこと、日本はソ連を重視すべきであったことは疑いない。
ファシスト・ドイツの奇襲攻撃で四国同盟が空中分解したのがいけない。
118 :
パブロフ二等兵:01/12/24 13:45
また技術が疎かった、ドイツ陸軍に学ぶべきだった、というのなら、
そのドイツ陸軍を破ってベルリン陥落・東欧支配を確立した
ソ連邦の技術はもっともっと凄かったと断定できよう。
いずれにせよ日本が最優先で大事にすべきはソ連邦であった。
>117-118
そういったレベルの問題じゃないだろ。
どこを読んだらそんな結論が出るんだ?
日本はまず本格的な戦車戦を学ぶべきだった。
とはいえ、戦車が未だにヨチヨチ歩き程度のレベルだったのでこれは無理な話でもある。
あの当時の日本では戦車なんて、作れるレベルでも無かったけどね、
だが、それ以前にまともな速射砲もマシな弾も無かったんだから
<115 方法はたくさんあったって随伴歩兵の頭越しに撃破できるのは
砲ぐらいだし
よく大口径高初速砲の生産設備は高射砲生産にいっぱいいっぱいで
前線部隊にまで行き渡るか!てようなことさんざんいわれてるけど
具体的にどうなんだろ
当時陸軍の砲の生産設備というと、大阪造兵工廠しかないかと。
何度かでている話だが、開戦直後の担当者レベルの会議で、火砲の生産
能力の低さが問題になり、検討の結果、陸軍の必要とする量を到底まか
ないきれないと分かったという。
やむなく、構造の簡単な迫撃砲を量産してこれに代える、ということに
なったが、その席上、技術開発担当責任者であった銅金大佐が、あまり
のことに、「戦争は負けちゃならんのだ!」と叫んでしまった、という
エピソードがある。
結局、ぎりぎりまで対ソ中立を保ったため、意に反して南洋の島嶼戦が
主体になってしまい、運搬の困難な長砲身大口径野砲より、大口径迫撃
砲や噴進弾のほうが運用が容易だったのではないかと思われるが、いずれ
にせよ、前線にたどり着く前に輸送船が撃沈されてしまっている。
どうしても海上護衛戦に取り組んでくれない海軍に業を煮やした陸軍は、
ついに潜水艦や対潜空母、駆潜艇、爆雷などまで準備した。
海外の研究者からは珍奇なものとして関心の的となっていることはご存知
の通りだ。また、昭和19年になると、大口径迫撃砲よりも噴進弾のほうが効率がよい、
とされて、自走砲として完成していた12センチ重迫撃砲も生産中止となり、
以後は噴進弾が主力となっている。
それほどまでに砲の製造能力は落ち込んでいた、ということだ。
>>120 原乙末生中将について少しは知っておくれ。
チハ車の試案の中には、75mm野砲搭載の対戦車戦用戦車(早口言葉みたいだ;)も入っている。
実現しなかったのは、対戦車戦に特化すると、歩兵支援がおろそかになるので
はないか、という歩兵部隊の意見と、野砲を機甲化するのであれば砲兵の職域
に触れる、という砲兵科からの横槍と、機動戦は本来騎兵の領分、という騎兵
科からの苦情があったからだ。
これは後に、部内雑誌、「機甲」の筆禍事件として、一部機甲科士官の処分と
いう結末さえ迎えている。
グデーリアンもドゴールもフラーやリデル・ハートも同じ様な妨害にあってい
ることを考えると、結局、新しい兵科を起こすときの苦労は用の東西を問わな
かった、ということらしい。で、予算が乏しく、今まさに中国で戦争ををやっていた我が陸軍としては、当
座の役に立つ以上の豪華な戦車を、理論に基づいて装備するまでの余裕はな
かったということだ。
124 :
名無し三等兵:01/12/25 13:12
125 :
名無し三等兵:01/12/25 13:20
126 :
名無し三等兵:01/12/25 13:46
戦車なんていらないから、
せめて性能のいい対戦車砲が欲しかったところだ。
127 :
名無し三等兵:01/12/25 13:57
1式47ミリが「重」対戦車砲ってことに注意。
性能の良い対戦車砲は、結局人や馬では機動できなくなるサイズになっちゃうから
牽引車両が必要になる。米軍の砲爆撃を避けようとすると陣地構築が必要
だし、陣地転換も考えなくちゃいけない。
こうなると結局、戦車や自走砲にならざるを得ないような気がします。
つか、その方がトータルコストが安いような気がする。
対戦車砲→牽引・機動能力がない
戦車・自走砲→運搬能力がない
というのが日本帝国の実力
>123
日本にヒトラーはいなかった、というわけか。
フィリピン戦の前に陸軍で、ドイツから送られた
パンツァーファウストの実験が行われていたはずです。
間に合わなかったのか無視されたのかは分かりませんが
>>128 1式速射砲があるような部隊なら、牽引車、装甲兵車もあったと思うが。
98式牽引車などは高速牽引が可能で高価だが、配備数も少なくない。
もちろん、戦場となる南洋の島嶼に陸揚げできたかどうかは別だ。
>>130 試製5式対戦車噴進弾が作成されています。パンツァーファウストというより
ラケッテンパンツァーブクセかバズーカの様なスタイルで、発射機構は撃発式
でした。終戦時にはまだまだ未完成で、試作型のそれぞれでいくらかスタイル
が違います。
実戦でタ弾が使われた記録がいくつか確認できます。日本の連隊砲で発射でき
る対戦車兵器としては有望だったのかも知れませんが、空包で投擲するタイプ
であったものか、射程が極端に短く、(90m程度という説あり)戦果を挙げる
には難しかったようです。
133 :
名無し三等兵:01/12/27 00:26
「破れ狼」って本読むと、ビルマのメイクテーラで山砲でタ弾を使って
少なくとも戦車2両を撃破した場面が出てくる。
この時、戦場に先行していたチームと本隊との打ち合わせで、野砲では
敵戦車を撃破してもすぐに修理されて戦場に復帰してくるので、山砲の
タ弾で炎上させるのが良い、という結論になったそうな。
134 :
名無し三等兵:01/12/27 00:29
47mm用のタングステン弾芯高速徹甲弾を、開発・配備したほうがヨカッタかも。
>>123 41式山砲のタ弾による戦果はなんだかで見ておりました。
×戦果を挙げるには難しかった
○戦果を挙げるには大変だった
のほうが良かったです。すいません。
>>134 無理でしょう。弾丸の質が劣悪なことは、当事者である軍も
よく理解していたと思います。そして、それを補う高性能弾
丸を開発できないことも。
出来ていたら、してたとおもいます。
対ソ戦を目指して開発されていたチト車が、優先順位をはず
されて開発がスローダウン、太平洋戦線でM4に叩きのめされ、
対策が叫ばれていた時期は、ほんの1年ちょっとなのです。
それ以降になると、沖縄戦か、本土決戦しかチャンスがあり
ません。開発に時間や資材の掛かる新兵器は、外されてもし
かたがないです。
タ弾もどうやら、無関心であったと言うよりは、単に間に合
わなかったようです。
ていうか、うまく踊らせてますね
>>134 まあ、良いですけど;;
138 :
名無し三等兵:01/12/30 21:58
せめて性能のいい対戦車砲が欲しかったところだ。
138に256万ユーロ。
140 :
加山(砲を語る):01/12/30 22:14
せめて ノモンハンくらいまでに このくらいのクラスのもんは
欲しかったね・・・。
日本の砲生産力は月産100未満いくかいかないか・・
米国 1000以上 (しかも楽に)
スマソ このへん 少しうろおぼえ・・
141 :
名無しの三等兵:02/01/01 22:59
速射砲は
昭和18〜19年で年間
700門程度・・・月産
60門くらい・・・
その他は91式榴弾砲、
90式野砲、94式山砲
でそれぞれ年100、80
200門程度・・・
迫撃砲はそれより多いが
弾が生産追いつかない・・
143 :
名無し三等兵:02/01/05 10:09
日本の高射砲は対戦車戦で活躍しなかったのだろうか?
75mmは水平撃ちすると壊れると聞いたがドイツのをパクった88mm
はどうだったんでしょう。重すぎで機動力に欠けますが。
榴弾砲は水平撃ちすると壊れるという話は聞いたことあったけど。
>>143 徹甲弾がないので、基本的には対戦車戦闘に使うものではないです。
が、水平射撃で水陸両用戦車をしとめたことはあります。
榴弾砲の集中射で装甲を割る、という戦術は正式に定められていた
ようです。
146 :
名無しの三等兵:02/01/05 11:26
>143
サイパンで88式75ミリ
高射砲でシャーマン6台を
破壊したと聞いたことある。
147 :
名無し三等兵:02/01/05 14:14
>143
日本本土決戦でフトン爆弾による対戦車体当たり集団爆砕人間消滅破甲突撃隊
でシャーマン6000台を破壊したと聞いている。
148 :
名無し三等兵:02/01/05 14:22
松代決戦で竹やりによる上高地女子挺身隊がパーシング100000台
破壊したと聞いている。
149 :
加山(雪国):02/01/05 14:36
戦車砲ではないが、
満州で150mmでT34/85を十数両ほど撃破したそうな
しかも水平撃ちで
150 :
名無し三等兵:02/01/07 22:37
>>149 15センチカノンは迂回されてろくに戦果を挙げられなかったと聞いたが
>>148 実は女子挺身隊が使用した武器は竹槍ではありません。
特殊鋼で出来た饅頭形の対戦車地雷を二個つないだ軸にひもを巻きつけ
このひもの先端を持って相手の戦車に投げつけ、それにより与えられた
高速回転で敵戦車の装甲を削ぎ落とし内部に侵入して敵戦車を爆砕した
のです。
現在では玩具として生まれ変わり「ヨーヨー」の名前で知られています。
国書刊行会刊の「日本の戦車」上下巻は有名になったが、
同じ本を合本にしたものが原書房から出版されていたと思うのだが…。
あっちの方が新しいのに、知っている人は少ない。残念だ。
出版協同社刊の『日本の戦車』(竹内昭著・原乙未生監修)
の上下巻や、新装版はよく聞くが、
国書刊行会や原書房からもでてたの?
上下合本の新装版って原書房でなかったですか?
表紙が74式、裏表紙が61式の正面図の奴。
1式47_とは少しずれた話をしますが日本軍に長砲身の試製57ミリ対戦車
砲がありましたよね。これってなんで没になったんですか。やっぱり馬匹
人力搬送ができなかったからですか?
私の勝手な意見ですが日本軍にとって最良の対戦車火器として揃えるべき
だったのははタ弾付き連隊砲と94式山砲ではなかったかと考えてます。
これだったら貧弱な輸送力でも陣地転換しつつ闘いえたとおもっているのですが。
たしか山砲のタ弾の装甲の貫通能力は90ミリぐらいあったはずだしM4中戦車
とでも十分とおもいます。
ところで88式高射砲の水平射撃の話がでていますがすでに指摘された
壊れやすいだけでなく俯角がとれない、(稜線が利用できない)姿勢が高く
露見しやすいことも問題かと。
>>132 >空包で投擲するタイプであったものか、射程が極端に短く、
(90m程度という説あり)戦果を挙げるには難しかったようです。
二式対戦車擲弾のことですね。ニューギニアでマルチダをほうむったようで。
こいつの欠陥は射程の短さよりも曲射弾道で命中しえないそうです。
156 :
名無しの三等兵:02/01/10 20:16
>155
試製57ミリ速射砲は800メートルで
貫通能力60ミリで、
一式47ミリ速射砲は1000メートルで
50ミリと10ミリ程度しか差が無かったが
57ミリは重量1500キロ、47ミリは
700キロと運用にも問題があった。
それと、M4の正面は75ミリで57ミリでは
不十分でより強力な75ミリ、105ミリ
対戦車砲の開発、整備が進められた。
一式47ミリ速射砲?
あぁ、大阪砲兵工廠謹製ドアノッカーのことですね
ドアノッカー・・・・帝国陸軍御用達の・・・悲惨だ・・
そうそう、57mmにかんしては少々小耳に挟んだ所では・・・、
それでは何の意味も無くもっと大きいものを造った方がマシだとか・・・
すぐ威力不足になることは明白だ・・・とかいわれたそうな・・。
それと4式戦車の主砲も最初は57mm長砲身を試験的に装備していたのもあった。
昭和18年試作完了ですからね…すでに南洋諸島ではM4が猛威を振るい始めた
頃。ニューギニアやフィリピンなど、あればいくらかましだっただろう、とは
思いますが、間に合ったとしても戦局の大勢に影響は無かったでしょう。
当初は、チト車の主砲が長砲身57mm砲、チリ車の主砲が自動装填装置付きの
ボフォース75mm高射砲のコピー、だったのですが、独ソ戦の実態が伝わると同時に、75mm速射砲は新設計鋳造砲塔と共にチト車にシフト、チリ車は105mm砲
戦車の車台へと計画がシフトした、というのが最新の調査結果のようで。
160 :
名無し三等兵:02/01/16 23:14
ちりは105mmか、世界の流行を先取りだな(w
たった1門の10センチ戦車砲より、破甲爆雷や噴進弾のほうが効率的
だったな。まあ、橘花があったように、ホリ車があった、ということ
か。