1 :
出土地不明 :
2010/05/23(日) 19:13:59 ID:FnQXFBDM
2 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 21:02:40 ID:t0nKtlSu
―┼‐ ノ / | --ヒ_/ / \ヽヽ ー―''7 `」 ┼, 二Z二 レ / /´レ' \ ―7 ̄} | ー-、 / (__ (|フ) (__ノ _ノ ∨` ノ / / _ノ \_ ─┼- / | ‐┼- | ー|― ─┼─ | \ レ /  ̄Tー / ノ -─ (二フヽ \/ _ノ (二フ\ ヽ_ノ / 、__ i';i /__Y ||鬼|| /⌒彡 _ ||殺|| /⌒\ /冫、 ) \ ||.し|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\ `./⌒ i ` /ゝ _,,..,,,,_ ||\`~~´ (<二:彡) \( > ('\\ ./ ,' 3 `ヽーっ ||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄\`つ ⌒ _) l ⊃ ⌒_つ .|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| `'ー---‐ <⌒/ヽ___ <_/____/
3 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 21:21:58 ID:YMRpRX43
消防署のほうから来ました
4 :
テンプレ :2010/05/23(日) 22:14:25 ID:sMa2TAR6
1.35000年前±α D2南方旧石器人 スンダランド → フィリピン・台湾 → 日本列島 40% 2.18000年前±α C1貝文人 スンダランド → (黒潮ルート) → 日本列島 05% 3.BC4000±α〜 O3越人 華南沿岸部 → (黒潮ルート) → 日本列島 15% 4.BC1000±α〜 O2b東夷族 湖南・江西 → 安徽・江蘇 → 日本列島 30%
5 :
テンプレ :2010/05/23(日) 22:15:06 ID:sMa2TAR6
Indonesians (Han-Jun Jin et al. 2003): 6/36 = 16.7% O2b*(xO2b1) 1/36 = 2.8% O2b1 7/36 = 19.4% O2b total Indonesia, West (Hammer et al. 2005): 2/25 = 8.0% O2b*-P49(xO2b1-47z) 2/25 = 8.0% O2b1-47z 4/25 = 16.0% O2b total Micronesia (Hammer et al. 2005): 1/17 = 5.9% O2b*-P49(xO2b1-47z) Tai-Kadai: Thais (Han-Jun Jin et al. 2003): 1/55 = 1.8% O2b*(xO2b1) 2/55 = 3.6% O2b1 3/55 = 5.5% O2b total
6 :
テンプレ :2010/05/23(日) 22:15:47 ID:sMa2TAR6
━ 白馬青牛の特徴 ━ ━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━ A 脳内ソースを持ち出し. ┃B 得意技は悪魔の証明 根拠の無いことをわめく ┃ 「ほうじゃ無かった根拠を提示せえや」 ∧_∧..... ┃ │ | │彡 <#`Д´>O Y染色体は ┃ │ .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ Oー、 //| 父系遺伝しない! ┃ │ | │ ビリビリ\ (;;V;;)/ ┃ │ └― ┘ ━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━ C なぜか右翼の話しをする i.┃D 理屈で反論できなくなると 从_从人_从_从人_ ┃ レッテル貼りか人格攻撃 从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/, ┃ ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス ウヨクタバレ∧__∧ 从_从人__.... ┃ <♯`Д┌―――┐ ⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃ / . | i ̄ ̄i | 从_从( | | )⌒WW⌒⌒Y..┃ jm==== | i :: i | ━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━ E ムキになって駄文荒らし .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す ((((( )))))) ┃ + ∧_∧ .. ' ,:'. | | .┃ ,:'.< `∀´> ,:' ∧__∧ 从_从人__....┃+ , ..⊂ つ + ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃ ' ,:'ノ つ ノ + 。 , .. . + ヾ ノ WW⌒⌒Y ┃ レ レ 〜 幸せ回路作動中 〜 ━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
7 :
出土地不明 :2010/05/23(日) 22:22:52 ID:53DPnrUx
8 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 00:09:15 ID:9bEAQ3wK
>>4 3.BC4000±α〜 O3越人 華南沿岸部 → (黒潮ルート) → 日本列島 15%
4.BC1000±α〜 O2b東夷族 湖南・江西 → 安徽・江蘇 → 日本列島 30%
こんな必死の捏造でO3の出自をごまかす理由があるわけだね
9 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 00:42:48 ID:2zwz+Guq
なんだ ID:sMa2TAR6 ってのもアレか どうしようもねぇな
10 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 01:24:12 ID:NxNr+fxG
では、本当の出自とは?
11 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 01:33:53 ID:lXLxIR0p
12 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 01:43:31 ID:9bEAQ3wK
>>10 AC645±α〜 O3唐・新羅人 密入国 → 日本列島
13 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/24(月) 01:48:18 ID:+v0k7hOx
14 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 01:52:04 ID:2zwz+Guq
「ID:sMa2TAR6 ってのも」 心配しなくても、この「〜も」の中には白馬青牛も入ってるよ。 ID:sMa2TAR6 とは別の類いだけど、結局のところあまり変わらない
15 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 02:03:50 ID:2zwz+Guq
>つまり政治思想中毒患者が関係無い考古学板に乗り込んで、江南攘夷思想 >喧伝活動でも、したいんでしょう。 思想云々のとこ変えれば、自分のことじゃん。「関係の無い考古板に 乗り込んで」武士の話やら、近現代史やら、軍事やら、勝手に喚いて るわけで
16 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/24(月) 02:06:01 ID:+v0k7hOx
前回の
>>856 で日本は儒教国家じゃ無いようなことを云われとったが、
日本は中国、朝鮮同様の儒教国家じゃし、特にネット右翼は、
儒教朱子学教徒たる、攘夷思想じゃけんのう。
313 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :09/11/11 01:20:32 ID:n3HO17ZU
>>86-93 司馬遼太郎氏、陳瞬臣氏、金達寿氏の鼎談『歴史の交差点』がネット検索
でも出ております。
http://outdoor.geocities.jp/esnosent/kosaro.html 悠久の歴史のなかで 大家族制「寄親・寄子」の司馬氏の西日本南方社会論
には年齢階梯制から反論したいけど、風土と習俗 〔薩摩藩の特殊性〕や
近代の足どり 〔サービス精神の源流は茶道〕で、薩摩が朱子学王国で
あったことや、金達寿氏の云われるよう、九州人と韓国の慶尚道との気質の
近さを指摘されます。。〔トップにいくほど悪くなる〕で、日中韓の
上層部が無能であった共通性、特に司馬氏のストーリー教授の引用で、
「日本人というのは位が高くなるほどボンクラ」「よく働いているのは、
兵隊・下士官ばかり」と、日本云うかアジア人の、上に立つと尊大に
威張りたがる特質は残念ながら事実です。
司馬氏は戦国武将は違うように云われるんですが、豊臣秀吉の企画の
文禄・慶長の役なんか、自軍兵士に飢えと殲滅を発想しか無い、先の大戦と
同様でしたから、一部を除き戦国武将の多くは、無能な昭和の軍人と
同レベルと云えるでしょう。特に為政者やその取り巻きは。
昭和初期の上層部に織田信長がおっても戦犯で処刑される程度の
人物ですし、太閤秀吉は実際に対外戦争の視野に欠けた愚物に
なりました。特に権力の座につくと周りが見えんようになる日本人の
典型ですわ。その点家康の方が賢かったかも知れませんね。
17 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/24(月) 02:12:52 ID:+v0k7hOx
>>14-15 おいおい、江南朱子学攘夷狂信者と一緒にすなや。
わしゃあ、近現代でも思想じゃのうて事実を書きよるんで。
しかも考古学者と云う思想性の強い人種についても、最初に
史観ありきを笑うとるんに。生物学者もそのたぐいじゃし、
ネオナチみたいなもんじゃ。
18 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 02:13:16 ID:9bEAQ3wK
>>16 薩摩なんて「特殊な地域」に日本を代表させんな
19 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 02:14:18 ID:QB3R2iCo
>>12 ベトナムや琉球のO3も同じ?
O3系統
0% アイヌ
15% 青森
14% 東京
20% 静岡
21% 徳島
26% 九州
16% 沖縄(北琉球)
66% 漢族(華北)
33% チベット
38% 朝鮮
38% 満州
0% オロチョン
2% ブリアート
23% ハルハ・モンゴル(モンゴル)
33% 漢族(華南)
71% ミャオ
52% ヤオ
16% チワン(タイ・カダイ系)
31% マレー
41% ベトナム
20 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 02:17:40 ID:9bEAQ3wK
21 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 02:56:25 ID:QB3R2iCo
ベトナムや琉球のO3 BC4000±α〜 O3越人 日本 AC645±α〜 O3唐・新羅人 密入国 → 日本列島
22 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 03:02:00 ID:2zwz+Guq
>>17 自分が見えてない人間ってのはコワいな。
おまえは道化師として、笑われてる方だろ。
テンプレ読んだのか?
「考古学者と云う思想性の強い人種」
↑
最初に史観ありきで人を判断するのを旨とする人間が言っていい
言葉じゃないな。事実だの思想だの史観だの、おまえの口から
吐き出された途端にそら寒くなるわ
23 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 03:28:09 ID:9bEAQ3wK
>>21 あのな〜
ベトナムのO3は中国に支配されてた時代にいくらでも入る
琉球だって後からだよ
24 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 04:59:34 ID:m7B20JJq
>>16 戦争は地勢で決定する。
まず、水。それに伴う食料の自給率。ここでほとんど決まる。
そしてそれをいかに前線に運ぶか。それが近代以前の戦争のほとんど。
日本は、北日本以外どこに行っても水と水田があるから、戦争の根幹事業たる兵站と言う概念が育たなかった。
どんなに飢えても、海や山に行けば食べ物があり、一年後には米が穫れる。
本国や中継基地から食料を運ばねば全軍餓死するヨーロッパや中国とは違う。
つまり恵まれた環境ゆえの欠点であり、儒教や人種には関係がない。
そして儒教は礼典の学問であり、いわば平時に使われるもの。
戦争の役には立たないし、ましてや戦国時代という儒教思想の根本から真逆の発想が必要な時代には
儒教は無用どころか有害でしかなかった。
そのただ中で育った信長や秀吉を儒教の範であるとくくるのは乱暴過ぎる。
25 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 12:46:45 ID:b6rHdUH8
>>16 私は支那と日本は一般庶民の倫理観・価値基準は儒だと考えてますが、
同時に権力者たちは法家であると認識してます。さきにおっしゃられたような
「権力の座に座ると尊大になる」のは法家思想に則った振る舞いなのでしょう。
現代の支那・南北朝鮮は共産主義や資本主義と主張してますが、根底に流れている
のは法家の価値観であり、だからこそ自分たちが勝手に「こいつは下だ」と
看做した勢力には信じられないほど傲慢な態度を取る。彼らは朱子の思想というより
法家の悪いところばかりに影響された勘違い法家国家、といったところでしょう。
かつての日本も恐らくそうで、太政大臣なり征夷大将軍なりになる前は合理的な
考え方で戦略をとりますが、いざその座にすわると途端に挑戦者を粛清する法家の
やり方を取り出す。江戸時代は朱子学といいますが、私は徳川以外の支配を認めない
法家がその国家思想だったと思ってます。そして現代は何が何だかわけのわからない、
八百万思想wあちらこちらで矛盾が生じても気にせず、政治を一切せずに
国内が荒廃していくところは平安時代に先祖がえりしたかのようですね。仏教カルトが
蔓延してますしね。
26 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 12:53:00 ID:b6rHdUH8
>>24 クラウゼウィツの説は孫子の足元にも及びませんよ。孫氏一冊読めば
戦争理解は十分。さらに儒教が支那の国教になったのは匈奴との相次ぐ戦争、
そしていまだ治まりそうにない内乱のときになされたものです。支那がやや
まとまり、大きく統一されたとき、つまり平時に使われるのは儒教じゃなくて
法家です。儒は今で言えばサヨクの理論に近く、ものすごく君主に対して
反抗的です。お上より家族を大切にするような思想なのですよ。それに対して
法家ならお上絶対です。平和なときに絶大な威力を発揮する。そしてそれを
覆すのが儒的な倫理観(あるいは口実)です。いわば法と庶民の二重構造になってる、という
風にもいえますね。現代もそうです。個人の自由などといいながら厳然と
法の支配がある。サヨクたちがデモを起こしながら、それを鎮圧する機動部隊がいる。
どこも言ってることとやってることが矛盾してるのは、古今東西変わらないもの
なのですよ。
27 :
LUNAMASK :2010/05/24(月) 16:28:23 ID:LPqVFduN
中国の地方と省 東北 黒竜江 吉林 遼寧 ---------------------------------- 華北 内蒙 河北 山西 -------------------------------- 華東 山東 江蘇 安徽 浙江 江西 -------------------------------- 華南 福建 広西 広東 海南 ----------------------------- 華中 河南 湖南 湖北 ----------------------- 西北 新疆 青海 甘粛 陝西 ---------------------------- 西南 西蔵 雲南 四川 貴州
28 :
LUNAMASK :2010/05/24(月) 16:34:21 ID:LPqVFduN
>>24 孔子の儒教と、宋代に成立した朱子学はかなり違う変容をとげているので
論点がズレているんじゃないかな?と思う。
>>16 に現れる用語は、儒教国家〜攘夷思想であり、示しているのは儒教朱子学のことだと
考えるのが自然ですか。
30 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 22:39:41 ID:tLk/MDNh
儒教ネタはスレ違い
31 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/24(月) 22:48:57 ID:+v0k7hOx
>>24 また、架空の日本特殊論か。日本が飢饉が無かったとでも、
思うとるんかね。日本が小氷期入る十五世紀からなんか、
戦争と飢饉の時代じゃった。寛正の大飢饉で農業災害が相次ぎ、
洛中の死者八万四千、遺棄死体の山で加茂川の流れが塞がれたと
されとるんに。まあ、平安期は温暖化した東日本は兎も角、
西日本は飢饉の時代じゃし、江戸後期の飢饉が多発した。
日本も飢えん為に必死じゃったよ。戦国時代でも云うか
鎌倉末、南北朝期から朱子学の影響は強かったよ。南朝は朱子学
イデオロギーじゃないか。戦国期でも肥後や薩摩は、儒教
朱子学王国じゃし、儒教朱子学も日本人の精神の拠り所の
一つじゃ。
32 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 22:54:27 ID:tLk/MDNh
33 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 23:36:37 ID:nhs8GuZ+
わお〜わぉ〜わお〜わぉ〜 ドレミ民が
34 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/24(月) 23:40:31 ID:+v0k7hOx
>>25-26 そうですね。米国人のドナルド・キーン博士が、日本の庶民の
義理人情云うんも儒教の価値観と云われるよう、日本も儒教の
精神を受け継いでますし、仏教でも、仏壇に置かれる位牌は、
元来、儒教の神主ですし、年忌法要も儒教から借用した
ものですからね。
ほいから、法家の思考は司馬遷が『史記』で指摘したよう、
元来黄老思想でしょう。
http://www.kokin.rr-livelife.net/goi/goi_ko/goi_ko_4.html ここにある、「無為」なんか、共産主義の「歴史の必然」に、
似ておるように思います。共産主義のユートピア思想が
科学唯物論で理論武装したよう、老子のユートピアを、
韓非は法によって実行したとも云えるでしょう。
ですから、儒教よりも、黄老、法家系統の方が、左翼共産主義の
思想に近いと思えるんですよ。老子は南方の楚の思想ですから、
朱子学の江南思想に近いでしょう。華北、北方の世界は、
もっと現実的思考ですからね。江南華南へ行くと理想論
ファンタジー世界になります。
35 :
出土地不明 :2010/05/24(月) 23:42:16 ID:nhs8GuZ+
36 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 00:18:19 ID:2lviM0dN
へー江南華南は土人なのに理想論ファンタジー世界なんだ。へー どんどん自滅して馬脚をさらして下さいね
37 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/25(火) 00:22:17 ID:pyLklmNX
>>25-26 続き。日本では、縄文文明派電波にして縄文、長江、日本の東北地方好きな
梅原猛氏が関西の批評家、東北の詩人と分類されてますが、この言は
結構真っ当なことを云われる。個々は別として概ね関西を含め西日本は
現実的思考で、東日本、特に東北は安藤昌益のようなユートピアを
唱える思想家や詩人タイプのファンタジー家が多いですね。日本では
外来文化は西〜東へですから、西は外来文化に揉まれ、東に古い物が残る。
中国は古代・中世と外来文化は西北から来ましたからね。
伝統的な古い文化は南方に残る。気候的には照葉樹林の西日本の方が
江南・華南に似てますが、ところが文化気質では、西日本は北方的で
日本列島では南北逆転現象なんです。
かつて他板でも云いましたがクラウゼヴッツは戦利、戦略のパーツで見る
ゆえ全体的視野に乏しいゆえ、孫子の方が余程上ですね。
>>27-28 中国の風土を大雑把に二分すると、淮河以北の麦作地域と以南の稲作地域
でしょう。江蘇省の北部の徐州は麦作地域ゆえ、江南の江蘇中南部とは
違いますね。まあ、そのことを踏まえて、面白い各省の性格が出てます。
http://www.china7.jp/blog/piao/291 一般的に北方人が気が荒いと云われますけど、南方人でも、山地の楚の
故地である湖南省や倭寇征伐に有名な狼兵と知られ、戦前、他省の余所者を
殺害する習俗を持ち、兵士は獰猛な広西軍と怖れられた広西省は、荒い
ですよ。
38 :
LUNAMASK :2010/05/25(火) 09:12:18 ID:Z9N5tZSv
>>37 >中国の風土を大雑把に二分すると、淮河以北の麦作地域と以南の稲作地域
>でしょう。江蘇省の北部の徐州は麦作地域ゆえ、江南の江蘇中南部とは
>違いますね。まあ、そのことを踏まえて、面白い各省の性格が出てます。
http://www.china7.jp/blog/piao/291 -------------------------------
このブログ、よく簡潔にまとめた各省の寸評ですね。感心しました。
39 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 09:17:57 ID:2lviM0dN
一人二役だったんだwww
40 :
LUNAMASK :2010/05/25(火) 11:13:34 ID:Z9N5tZSv
このスレの冒頭にふさわしい言葉。 「前400年日本に到来し、その語現代日本語に進化した朝鮮語は現代朝鮮語に進化し た新羅語とは全く異なったものであったのではないかと私は思う。だから、現代の 日本人と韓国人の風貌が言語以上に似通っていることは驚くに値しないのだ。 日韓相互不信・軽蔑には十分な歴史的根拠があり、両国民共に彼らの密接な関係を 立証する結論を好まない。日韓はアラブとユダヤのように伝統的な敵意で固められ た血縁で結ばれている。しかし、極東であれ、中東であれ、敵意は相互に破壊を招く。 日韓両国民が共に認めたがらないことなのにもかかわらず、彼らは同じ環境で形成 された双子の兄弟に似ている。極東政治の将来は彼らがこうした古の絆を再発見で きるか否かに大きく依存している。」 ジャレド・ダイアモンド 中国wiliではJared Diamondが前400年にブリャートが南下して扶余になると言っ ているとしている。
41 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 14:16:17 ID:2lviM0dN
日韓の伝統的な敵意?いや〜意外と最近みたいだよ。 日本と大韓民国は、夫余・匈奴・百越といった祖先を共有してる。 もういい加減に、両者に向けられてきた「伝統的な悪意」に気づくべきなんだ。 中国“wili”で夫余になると言っているとしている? なかなか信憑性が低いですねw
42 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 16:04:25 ID:T/3S89se
>>31 飢饉という、いわば災害の時期があったという事と、
伝統的に供給ポテンシャルが低い事は全く別の問題だぞ。
だからヨーロッパは飢饉が起るとその災害レベルは日本の比ではなかった。
その程度事も判らずに語るなよ。
43 :
LUNAMASK :2010/05/25(火) 16:23:26 ID:Z9N5tZSv
44 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 17:27:21 ID:gb4YHuN2
☆重要事項☆
専用ブラウザの最適設定
LIVE2ch
http://www8.plala.or.jp/uro/live2ch/ ・下のほうにインストーラー付きのやつがあります。
・ダウンロード・インストールしたら主画面の上にある「設定」をクリック・さらに「オプション」をクリック
・なんか画面がでてくるので真ん中にあるNGワードをクリック
・すると本文、やらメールやらでてきます ここにNGワードにしたい言葉(白馬青牛)を打ち込みます
・最後に主画面のキターの顔文字のやつクリックして再読込すればおk(あぼーんの種類、透明、あぼーん等各々お好きなように)
Jane doe style
http://janestyle.s11.xrea.com/ @まずダウンロード・インストールしてください
A主画面の上、右から2番目の「ツール」をクリック・さらに一番下の設定をクリック
Bなんか出てきますので、左にある項目群の真ん中らへんにある、「あぼーん」をクリック
C上にタブが10個くらいでてきます。左から3番目にある「NGword」をクリック
D「追加」でNGワードにしたい言葉(白馬青牛)入力します →で「OK」
EまたCまで進んでください。
Fそしたら上のタブの一番右「option」をクリック
G「NGをあぼーん」をチェックし「OK」
Hすでにスレッドを開いてしまっている方は一旦主画面真ん中の右から2番目にあるゴミ箱をクリックして、ログをしましょう。
I再読込するとあら不思議。きれいさっぱり荒らしの方がいません。
すごいめんどくさい手順かもしれませんが、自分はこれでやっています。ご参考までに
他にも専用ブラウザーがありますので、上記2つが何か気に入らなかったら「ギコナビ」等試してみるのもいいかもです。
どちらも無料です。
45 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 18:10:43 ID:F3fNHMAu
日本と朝鮮はどちらが上でも下でもない。文化レベル的に見てみたら大差は無い。必ず 優劣を付けたがる人間がどちらの国にも居るが一度そう言った考えを捨てて考えるべきだ。 馬韓も倭国も、百済も日本もレベル的にはそう変わらん、対等の立場だ。 後に百済が新羅との戦いで押されて日本に頼りっぱなしになるのは別の問題。 人質を日本に送るほど切迫した状況だったのだろう。
46 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 18:20:33 ID:zZtGd5/o
>>34 賛同ありがとうございます。ですが私は老子が桃源郷を説いていたとは
考えてません。彼はもっと科学的な人で「これこれこうなればそうなる」という
風に過程と結果を暗示しているに過ぎません。そのような状態が善きものか悪しきものかについての
価値判断には言及しないのです。これに対して文明を去り無為自然から生じる世界が
理想郷であるとしたのは荘子(あるいは漢代の黄老思想)で、メソポタミアの
アダムとイブの知恵の実にまつわる逸話(知恵が幸福をもたらすか否か)と同じことを
言ってます。このいわゆる道教の自然世界を参考にした現象、つまり自然科学を人の統治・支配・
心理・栄枯盛衰の法則に当てはめ、その無為(弱肉強食の自然世界)の世界から後、
みなが最高の倫理とする最高規定を見出し、それによって人を支配することが大切なのだと
韓非子は説いたのだと思います。彼の師である荀子の社会論と同じですね。
47 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 18:29:36 ID:zZtGd5/o
でもその中で「その土地の風土と人々の気質が直接民族的なものとなって
その思想につながり、その後日本列島もその民族の影響を受けたものである」
という話は思いに至りませんでした。たしかにそういった気候風土的なものも
考え方に大きな影響を与えるのかもしれませんね。そして文明の流れが一方的に
西側から東側に来る、というのは少し言いすぎだと思います。司馬遷は前も
言いましたが逆のことを主張しています「東から生まれた産物が西で成熟し
東に帰ってくる」と。近代科学、あるいは現代でさえ必要な産物である火薬の爆発に
よる圧倒的な武力、紙、紙幣、試験による官僚登用試験、方位磁石といった話は東から
西に行ったものでした。世界は欧米化しているのではなく、実は支那化しているのです。
そして当然より巨視的な立場に立てば「文明・文化は一方通行ではなく循環している」
という現象(法則)を見出せます。これに「東西優劣」をつけたがるのはちょっと
白馬さんにしては朱子的(華夷秩序)でしょう。
>>45 そうですよね。むしろ陶磁器だの印刷機だので朝鮮半島の文明は時代によって大きく
倭を引き離していたし、ずっと険悪だった、なんて聞いたことがない。これは第二次大戦後に
よって戦勝国連中がやりだした「分断統治」が招いた不幸な結果でしょう。もちろん
それ以前に朝鮮人などを二級国民などといってバカにしていた報いでもあるのですが・・。
48 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 18:31:44 ID:LyitpB1k
>>45 いやーやっぱりイロイロと日本が上だと思う。
いち早く文明に目覚めたD2遺伝子の優秀さなめんな。
でも、エンターテインメント分野では韓国の思い切りのよさがうらやましい。
韓国映画、実際面白いしさ。
北朝鮮?早く解体しようよ
中国も漢民族は詐欺の能力しかないことに気づくべき
少数民族扱いしてる人達の力を生かさないと未来はないよ
だって、日本は東夷・西戎・北狄・南蛮が集って発展した国なんだから
49 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 19:24:04 ID:F3fNHMAu
>>47 険悪だったのは新羅時代。白村江の戦いの後、日本は唐とはすぐ和解したが新羅とは民間レベルの交流はともかく
国家としては断絶状態。後は秀吉の頃が最悪だったぐらいかな?
後はまあ百済もそうだが伝統的に友好国であった。
ある分野では日本が優れていたしある分野では朝鮮が優れていて切磋琢磨していったのであって
文明的に優れた百済が野蛮で未開な日本人に文化を教えてやったわけでも、軍事的に日本が半島を支配して従えていたわけでもない
(任那になる前の弁韓時代は倭国と同一の国だったから任那に倭人が居るのは当たり前のこと元々同じ民族なんだからさ)
まあ百済は末期は日本が支えてやってどうにか新羅の侵攻を防いでいた状態だったから日本が半島を支配していたと言う考えが出たんだけどね。
50 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 19:37:47 ID:F3fNHMAu
任那は別に倭国が植民地にしたわけではなく。さりとて任那が倭国に文化を伝えたわけでもない。 同時に誕生した二卵性双生児だ。任那の前の弁韓と倭国は完全に同一人種による同一国家だったからね。 両方とも同じ文化圏に属する倭人です。弁韓を北倭国、列島を南倭国とすれば分かりやすい。繰り返すが 倭国が弁韓に攻め入って植民地にしたわけでも弁韓から列島に民族が列島に移住してきて倭国を植民地にしたわけでもない。生まれたのは同時なのだ。 列島と弁韓に居た縄文人と越人が混血して倭人が生まれその倭人が列島と弁韓に同時に文化圏を造ったに過ぎない。 だからどちらが先とか後とか言うのは意味が無い。 倭国は文化的に劣っていたから弁韓には来れず、弁韓の方が優れていたから一方的に列島に渡る一方通行だったという意見を聞いたことがあるがそのような事はない。 半島南部と列島は同じ文化圏なのだから半島南部から列島に来れるなら列島から半島に行くのも同じ事なのだ。両方が互いに行き来していたわけだ。
51 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 21:35:06 ID:B8ag6f9Y
>>49-50 さん、私が言いたかったことを代弁してくれたかのような正確な
史観で、すばらしいと思います。朝鮮人も日本人もよく似てますよ。ある
日本人の歴史家は敗戦後のこの両者の罵り合いを「鏡に映った自分の姿に
吠えている犬」と例えました。彼らは自分自身がそっくりであることに
気づかないんですね。非常に愚かしく残念だと思います。
52 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 21:40:33 ID:B8ag6f9Y
当時先進国で大国だった支那から見て、 大きくは朝鮮半島と日本列島周辺は単に「倭」とか「東夷の一種」だと 考えられていました。他に仙人の住む島という認識もあったかもしれないが、 それが日本列島だったとは断定できないし、結局同じ分類をされる民族だったんですね。 それなのに支那のときの皇帝に会うときに席順をめぐって争っている。どんぐりの 背比べとはこのことです。翻って現代を見てみましょう。同じく先進国で 大国の米国にいかに歓心を買ってもらうかで媚を売り、互いに罵倒している。 イニシエとまったく変わってないんですね。この両者が同じ種類だと認識できたとき、 日本の本当の独立が出来るのかもしれませんね。
53 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 22:00:54 ID:W0bH3VOP
最初に史観ありきを笑うとるんに。生物学者もそのたぐいじゃし、 ネオナチみたいなもんじゃ。
54 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 22:09:47 ID:F3fNHMAu
>>51 >>52 おおむねそうでしょうな。日本と朝鮮が別離し始めたのは新羅による半島統一からですからね。
あの時に国交断絶状態に陥り交流が減少した事がお互いを誤解する結果と成ったと思います。日本は百済と友好国でしたから
新羅に圧倒されて日本に泣きついて結果、日本は今の在韓米軍や在日米軍みたいな形で百済と共に新羅と戦ったが残念ながら唐を呼び込んだ
新羅に破れてしまい百済は滅んでしまった。人民解放軍を呼び寄せた北朝鮮みたいですね新羅って。
百済人は日本人の事を対等な存在と見なしていた、末期は在韓米軍ならぬ在百済日本軍に助けを求めて人質まで差し出した。そこまで状況は切迫
していたのでしょう。
半島の人が「日本人は我らより劣った蛮族」と言う考えが生じたのは新羅と日本の間の300年ほどの断絶が発端でしょうね。ほとんど交流が無くなり
相手の実態が掴めないし、何より新羅統一の歴史は任那を新羅が滅ぼして以来倭国を不倶戴天の敵と見なしそれを歴史として伝えてしまった。
日本の方は任那を所有していた事から「半島は元々我々の植民地だった」と言う考えが生じてやっぱり相手を見下している。秀吉もそういう考えだったのでしょう。
現行の時に高麗人が日本に攻める事に積極的だったのも同じく。
55 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 22:13:31 ID:q1/b5SAG
わぉ〜わぉ〜、新スレおめでとうございます!!
>>50 >縄文人と越人が混血して倭人が生まれ
その倭人が列島と弁韓に同時に文化圏を造ったに過ぎない
↑
ここまで良しとしても、前スレまではその倭人文化圏が古墳期に
南下した北方騎馬民族に支配されたかどうかが問題になってるんだお〜(^-^)/
そして、高句麗など支配されたのが半島で、支配されなかったのが列島なので
半島vs半島の構図が残っていると考える人もおるわけです!!
56 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 22:13:52 ID:W0bH3VOP
57 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 22:14:53 ID:q1/b5SAG
58 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 22:17:02 ID:F3fNHMAu
>>54 現行=元寇ね
日本は白村江の後に唐とはすぐに国交回復したが新羅とは国交断絶状態に長いことなってしまった。
遣唐使もわざわざ新羅を避けるコースを取らざるを得なくなった。実際に新羅の海賊が出没してたから
仕方ないんだけどね。この時の断絶が全てだろうね。まあ新羅は白村江の後に唐軍に戦いを挑んで
漢人勢力を追い払ったので唐との関係も悪化してしまって少し日本に遅れを取る事にもなってしまった。
59 :
出土地不明 :2010/05/25(火) 22:26:01 ID:F3fNHMAu
>>55 騎馬民族征服説はトンデモ説だと思うよ。戦前の皇国史観を100%信じて神話も全て歴史上の事実と考えるぐらいのトンデモだ。
戦後の行き過ぎた神話否定の一つがその騎馬民族征服説とか日本が百済の植民地だったとか言うトンデモ説だからね。
何事も行き過ぎはいけない。確かに皇国史観は問題だと思うけど50%の否定に留めて置けばよかったのに、戦後はそれを100%
否定してしまった。神武天皇は架空かもしれないが全く何も無かったとは思えない。何がしかのモデルとなる歴史上の事実はあったはずだからね。
騎馬民族征服説なんて言うけど百済人は馬に乗らないし、戦乱や苦役を逃れてきた漢人に征服欲は無いし。高句麗人が大勢日本に来たのは高句麗滅亡後だし。
そもそも新羅人は半島の勝者だから日本にほとんど来ていないし
騎馬民族は日本に来れませんよ。文化は伝わったかもしれないが征服は無理。
大体どこの国がそれをやってのけると言うのかと。半島は分裂国家で列島に大軍を送る余力なんてとても無い。
白村江の後の唐でさえ日本本土占領は考えていなかったぐらいだしね。
60 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 00:05:55 ID:MVlx8vce
61 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 00:25:09 ID:+A99ONmB
>>59 なんせウマという単語そのものがシナ語でその他牧畜用語など日本語に何もないしな。
62 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 00:26:00 ID:YjE2PkGx
63 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/26(水) 00:26:04 ID:QnuTxx2p
64 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 00:29:38 ID:+A99ONmB
>>60 ロシア語のダーはドイツ語ではヤーになることが分かる。
65 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 00:35:08 ID:+A99ONmB
>>60 漢字でも蛇がダ、ジャと両方ある。蛇蝎(ダカツ)、大蛇(ダイジャ)。
邪馬台国の邪はヤ、ジャの二音あるし。ただの方言差だ。
66 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 00:39:02 ID:+A99ONmB
>>60 JAPANは英語でジャパン、ドイツ語でヤーパンだ。
呉音と漢音程度の差だろう。
67 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 00:43:10 ID:+A99ONmB
>>54 >>百済人は日本人の事を対等な存在と見なしていた
・・・シナの史書には百済・新羅ともに日本を大国として仰ぎ見ているという記録があるがな。
68 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 00:45:25 ID:YjE2PkGx
中国人って四文字熟語好きだよね 月光仮面とか白馬芋虫とか
69 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/26(水) 01:03:07 ID:QnuTxx2p
70 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/26(水) 01:16:53 ID:QnuTxx2p
>>60 西日本は江戸期から、「じゃ」が主体で江戸末期、明治初期に
近畿から「ゃ」が広まったんじゃないかね。
山口県は西部へ行くほど「や」を使うけぇ、地図のような
杓子定規なもんじゃないけど。
>>61 以前云うたよう、モンゴル語もツングース語も馬はM音。
>>67 土地が広いゆえ、大国じゃろう。
71 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 01:43:31 ID:YjE2PkGx
>>60 奈良の「だ」区域は十津川村ですね
DNAハプロタイプと合わせ技とか誰かしないかな
そういう学問分野がなければしないか・・
ちなみにトルコ語では、現在形の助動詞が「〜よる」
関西弁っぽい。顔つきが似てるってスレもあったねどっかに
72 :
LUNAMASK :2010/05/26(水) 09:17:49 ID:eNygLmc8
>>63 ミノ・モンタなら、道民性、カミングアウトてーとこですか ↓
1.咸鏡道―泥田斗犬 何時までもしつこい。執念深く、喧嘩好き。
2.黄海道―石田耕牛 辛抱強く痩せた地を耕す。報われること少ない。
3.平安道―猛虎出林 一旦怒らせると手に負えない。触らぬ神。(頭突きは有名)
4.京畿道―鏡面美人 見かけのみ、自分自身にウットリ。中身がない。
5.江原道―岩下老仏 運命に逆らわない、焦らない。諦観の境地。
6.忠清道―清風名月 見かけを大事にする。 画餅好き。(ヤンバン気取り)
7.慶尚道―泥田耕牛 コツコツと汗水をたらす働き者。
8.全羅道―風前細柳 風の向くまま右左、アテにならない風見鳥。無責任。
73 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 09:38:37 ID:EKJYhNwr
>>67 明らかに一目置いていたのは間違いあるまい。百済人が日本を作ったと言うのは言いすぎ。
百済人の功績は確かに素晴らしい物だ。
あと楽浪郡から直接漢人も日本に来ているので彼らの功績も忘れてはならない。
韓国人学者の本を読んだが楽浪郡や大陸から直接やって来た漢人の功績も全部百済人のおかげにされていて
漢人の存在を完全に無視していたのはいただけないと思った。
彼らは基本的に日本に来ていた漢人の事に全く触れない。
74 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 09:45:17 ID:EKJYhNwr
百済と日本は対等。しかし、後に百済と新羅は激しい消耗戦になり国力が衰えてしまい 百済は日本に助けを求めた。敵対していた新羅も日本の事を脅威に思った。 日本は彼らにとっと無視できない大国でしょう。 在韓米軍見たいな存在になったのが在百済倭軍。百済一国では新羅には対抗できない苦肉の策。 もちろん軍隊を派遣した日本にも見返りはある。百済は人質を送ったしね。 政治にも口出しするし。最初は完全に対等だったけど末期の百済滅亡寸前は日本の存在なくして 百済は存在し得ないぐらいに弱体化してしまった。言い方悪いが末期は属国状態でしょうね。 でもこれは対新羅戦の疲弊が原因であり、百済人が日本に助けを求めた結果。
75 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 11:19:44 ID:+A99ONmB
>>73 日本書記編纂にネイティブスピーカーの唐人捕虜二名が参加しているのに百済人が編纂したとか、ぬかしているしな。
76 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 12:01:48 ID:qbPFXa8D
韓国人の本貫累計人口 1位 (駕洛) 始祖、金首露。金官伽耶(駕洛国)王首露王の末裔(伽耶王族) 4,124,934 O2b 中国系渡来人 2位 密陽朴氏 新羅初代王朴赫居世の後裔、景明王の息子朴彦沈を始祖とする。 3,031,478 O2b 中国系渡来人 19位 海州呉氏 高麗に宋から984年渡来した呉仁裕の末裔(高麗貴族) 422,735 O3 中国系渡来人 22位 南陽洪氏 始祖高麗の功臣・洪殷悦(旧唐城洪氏。伝では善徳女王時代の唐から渡来) 379,708 C1 北方系渡来人 25位 水原白氏 最古の族譜がある。新羅太宗期に唐から渡来した白宇経を祖とする 316,535 C1 北方系渡来人 26位 漢陽趙氏 高麗時代の趙之寿。中国からの渡来人。(趙光祖などを排出)(高麗貴族) 307,746 O3 中国系渡来人 31位 咸安趙氏 始祖趙鼎。高麗建国の功臣。大将軍。五代十国の後唐から新羅に渡来と称する。 259,196 O3 中国系渡来人 33位 昌原黄氏 始祖、黄石奇。伝では後漢・光武帝期の黄洛の末裔を称し、建武4年(AD28年)に新羅に渡来する。 252,814 O3 中国系渡来人 41位 (友鹿) 始祖、金忠善(沙也可)、文禄・慶長の役の時の日本の降将沙也可の末裔。 199,544 O2b 中国系日本人 48位 丹陽禹氏 始祖、禹玄。中国から高麗に渡来し、1014年の科挙に合格する。 162,479 O3 中国系渡来人 54位 長水黄氏 始祖、黄瓊。伝では後漢・光武帝期の黄洛の末裔を称し、建武4年(AD28年)に新羅に渡来する。 146,575 O3 中国系渡来人 56位 驪興閔氏 孔子の弟子の閔損の子孫と称する。京畿道驪州に土着し、李氏朝鮮の王后多数を排出。 O3 中国系渡来人 70位 寧越嚴氏 始祖、嚴林義。新羅35代景徳王の中国からの渡来人を称し霊山・寧越辛氏始祖と一緒に来たとする。 124,697 O3 中国系渡来人 82位 羅州羅氏 始祖、羅富。中国豫章から高麗に渡来し、正義大夫、監門衛上将軍を歴任し、羅州に住む。 108,139 O3 中国系渡来人 霊山辛氏(寧越辛氏) 新羅35代景徳王の中国からの渡来人辛鏡。寧越嚴氏の始祖と一緒に渡来したと言われている。霊山 83,798 越寧67,489 O3 中国系渡来人
77 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 13:08:35 ID:EKJYhNwr
>>75 別に百済人や高句麗人の功績を日本人学者は否定せずむしろ肯定的にとらえているのに。韓国人学者の
漢人系渡来人の完全無視はどうかと思ったよ。まるで一人たりとも存在しなかったような書き方だしね。
その唐人も「実は百済系だったニダ」と半島人認定してるんじゃないかな?韓国では。
100%半島の人間だけが日本に文化を伝えた。漢人なんてどうでもいいと言うのが韓国学者の言いたい事だ。
何も中国の肩を持つわけではないが明らかに漢人系なのに「それも全部百済だ」としてしまうのはいかがな物かと。
78 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 13:28:45 ID:EKJYhNwr
騎馬民族の征服なんて無理無理。馬韓・弁韓・辰韓なんて魏志倭人伝の倭国大乱時のごとく 数十カ国が分裂状態で各種民族が入り乱れた混乱状態。列島に攻め込む余裕なんて無い。 もしそんな事しようものなら兵力が希薄になって隣国に攻め滅ぼされるよ。 遠く離れた列島をどうこうする前に陸続きの隣国をどうするかの方が重要だ。 馬韓は百済と違って分裂国家だし、辰韓も新羅と違って分裂国家だ。列島を征服する余裕なんて無い。 馬韓は馬韓であって百済ではない、辰韓は辰韓であって新羅ではない。 なのに完全に同一の物として考えている人が多すぎる。百済や新羅は統一国家だがそれ以前の三韓時代は 完全なる分裂国家。とてもではないが外征なんて出来る状態じゃない。 そして、百済や新羅が建国された時には既に倭国に大和王権が誕生していたのだ。
79 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 14:52:09 ID:CKZfszu4
どうしても彼らが日本の影響を認めたくないのは捻じ曲がった法家思想を持ってるからですよ。 それと戦勝国連合の旧日本帝国分断統治のために、あえて半島と列島を敵対させて支配するという話。
80 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 15:12:44 ID:qbPFXa8D
王子を人質に出した国 新羅、百済、高麗 王子を人質に取った国 倭、元 属国 宗主国 新羅 → 倭 百済 → 倭 高麗 → 元
81 :
LUNAMASK :2010/05/26(水) 16:09:12 ID:eNygLmc8
2003年中堀他YDNA朝鮮人二重起源第2表より
東アジア中日本・朝鮮YDNA分布(人数)・(%)
・・・・・・・・・・・・・・右以外・・・C-M130・・D-YAP・K*-M9・・O*-M175・・O-LINE1・・O2b・・・・・O2b1・・・・O2a
日本(108)・・・・・・0・・・・・・・・10(9.3)・・・37(34.3)・2(1.9)・・28(25.9)・・・2(1.9)・・・・7(6.5)・・・・21(19.4)・・1(0.9)
朝鮮(160)・・・・・・1(0.6)・・・・・24(15.0)・4(2.5)・・・12(7.5)・・68(42.5)・・20(12.5)・・22(13.8)・・・9(5.6)・・・・0
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1263883002/menu34
82 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 16:11:05 ID:EKJYhNwr
>>80 新羅は事大主義だから高句麗が優勢な時は高句麗にも王子を人質に出している。
倭国が優勢になると倭国に人質を出している。ふらふらしていて強国に従属しつつ
別の強国が強大になるとそっちへ付くを繰り返して最後には半島を統一してしまった。
倭国も高句麗も新羅の風見鶏的行動にいつも振り回されていた。
83 :
LUNAMASK :2010/05/26(水) 16:23:51 ID:eNygLmc8
2005年尾本・埴原・宝来他日本人二重起源:
O3a3c-M134 10.4%
O3-M122* 6.6%
計 17%・・・これが
>>81 O*-M175 25.9%に相当すると考えられる。
84 :
LUNAMASK :2010/05/26(水) 16:27:35 ID:eNygLmc8
85 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 17:45:20 ID:+A99ONmB
>>76 モンゴル系、エベンキ系渡来人をあげていないのはおかしいな。
北方系といってごまかしているのか。
86 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 21:56:30 ID:CKZfszu4
>>82 強国にはさまれた国で利口な者が外交を担当してれば自ずとそうなる。
もともと史記にも「晋(中原のど真ん中に位置する国)の人は散じやすく、
外交的に寝返りと同盟を繰り返す」とある。常識的に見てもこれが一番合理的な
戦略だからだ。自分の四方八方に強大な敵がいるのに、独立路線なんてありえない。
外交を軽視したあげく資源や軍用補給路を封じられて終わり。現在の大国である
アメリカだって事大外交をすることがある。それが失敗するとブッシュみたいな
状況になる。外交は事大とか服従とかそんな話じゃない。
87 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 22:20:56 ID:YjE2PkGx
つーかな 中国人とか朝鮮人がどこから来たかなんてどうでもいいんだ 国へ帰れ 中国人もな
88 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/26(水) 22:43:11 ID:QnuTxx2p
89 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/26(水) 23:22:45 ID:QnuTxx2p
90 :
出土地不明 :2010/05/26(水) 23:55:08 ID:cSjrCIB7
北朝漢化の胡族は、どの勢力でも漢語を使っていた。
北朝の仏教経典の殆どは漢訳だから、それが漢語を使えてた証拠。
>>85 モンゴル人は元や明にならないと蒙古という集団になっていない。
そのモンゴル人も、明王朝が漢姓を名乗ることを禁止する法律を何回も
出しているので、漢人に化けてたのでは?
あと、韓国や北朝鮮でも、探せば粛慎の本貫があると思う。
91 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/27(木) 00:04:21 ID:+U8Q/cJ3
92 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 00:16:43 ID:Q5NbahKV
島根の最古“級”の石器は7〜13万年前って先頃のニュースあったな。 で、教えて!最近ネアンデルタールと20万年前にミトコンドリアイブ って言われてる現生人類の共通祖先が東アフリカから出て中東付近で先住 のネアンデルタールと少なからず混血しながらユーラシアに広がった、アメリカ の大学教授は20%のDNAが受け継がれてるって言ってるらしいって。 で、その島根で石器つくったのは、絶滅人種か、ネアンデルタールか、中東混血現生人 か、知られていない源日本人かどうなのさ!人類学者は個のスレにいるんかい?教えて!
93 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 00:25:25 ID:N132gqnF
王子を人質に出した国 新羅、百済、高麗 李氏朝鮮 王子を人質に取った国 倭、元 清 属国 宗主国 新羅 → 倭 百済 → 倭 高麗 → 元 李氏朝鮮 → 清 三国史記 新羅本紀 ・倭国と好誼を通じ、奈勿王の子未斯欣を人質とした。 ・均貞に大阿滄を授け、仮に王子として倭国に人質として送ろうとした。 三国史記 百済本紀 ・(阿宰)王は、倭国と好誼を結び、太子の腆支を人質とした。 ・太子であった扶余豊は、かつて倭国に人質となっていた。
94 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/27(木) 00:51:20 ID:+U8Q/cJ3
また間違えた。
>>91 の下の方は
>>80-82 じゃった。
>>90 北朝胡族は、トルコ系、モンゴル系、ツングース系、チベット系の他種族の
北方民族が支配したゆえ、共通語として漢語を使うたんじゃない。
しかも北方胡族の漢語は、二重子音が消失したんは、アルタイ語系で
二重子音が無いことから、従来の漢語から胡族のアルタイ語化した言語に
なったとされとるね。従来の漢族は、黄巾の乱以降人口減少で江南へ
移住した者も多く、岡田英弘氏流に云うと古い漢族の事実上の絶滅。
日本列島でも、黄巾の乱と同時期の倭国大乱から古墳期にかけて、
戦乱と飢饉で相当人口を減らしたろう。古墳期に北方民族が渡来して、
疫病をもたらし、事実上倭人と縄文人の絶滅に近いダメージを与えたん
じゃないかね。同時代的世界的気候現象と北方民族の南下によって。
モンゴル人は、明が勃興したらモンゴル高原に帰った者が大半じゃった
けえ、漢姓を貰い漢人になった者が少なく目立たんけぇのう。
その点トルコ系の方が、西方オアシス文化に接触して、定住して
都市農耕文明の甘い汁を吸うた経験から、遊牧スタイルに戻れん者が
多かったんじゃないかね。
本貫なんか自己申告で、李朝の支配者となった李氏も女真人の可能性が
強いけど、本貫を全羅道の李氏したもんね。為政者の家系捏造は
日本だけじゃ無い良い例じゃね。
95 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/27(木) 01:09:31 ID:+U8Q/cJ3
>>93 三国史記自体、百済や新羅の建国が馬韓、辰韓、弁韓時代になる
という、日本の記紀の架空の神武天皇同様の夢物語なんよ。
高麗期でも倭は朝鮮の被差別民ら沿岸部の人間も含む概念じゃし、
伽耶=倭国の上代概念の伝承に過ぎんのよ。
>>89 の上の方の伽耶は、百済、新羅よりも騎馬文化の流入が
早かった。なにしろ鉄利権の為北方民族にとって抑えたい
地域じゃった。経済力が伽耶が当初高かった事例に過ぎんので。
それを日本国が朝鮮半島から人質を取ったじゃの電波話になるんは、
夜郎自大の鎖国史観解釈たるゆえじゃ。
96 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 02:02:02 ID:Luw84sPf
>騎馬民族説も4世紀前後の世界的北方民族の南下と >国家形成の普遍現象ですよ。この時期に東アジアでは、華北、朝鮮、 >日本も北方民族が征服し国家が形成されたんですよ。 まるで話に具体性が無いので、いくつか質問させてほしい その古墳時代に列島に渡来して在来系集団を征服し、国家形成したという 「北方民族」の文物が、列島内において前時代からの連続的変遷を追うこ とができる文物よりも質・量ともに多く発見されているのだろうか。 その場合、その文物の「北方民族」の故地での形態変遷と列島に 入ってからの形態変遷を示す図式を提示されたい。あわせて、持ち 込まれた文物は「北方民族」の故地で製造されたものだろうから、 その材料についての理化学的分析データも また、渡来した「北方民族」の第一集団は故地の墓制・墓の構造・祭式、ある いは当人自身が形質やmtDNAをよく保持しているのだろうから、彼らの墓域 を発掘調査した際に得られた具体的なデータなど、判断の根拠となる資料を 具体的に提示して欲しい また、根本的なこととして、その「北方民族」とは具体的に何者(現世の 「民族」集団の何につながるもの)で、どのような文物をもって(あるい は持たずに)、いつごろ列島に渡来したと言っているのか。さらにその 第一集団あるいはその子孫の居域や墓は具体的にどのような遺跡( 「●●古墳」?)に比定されると考えるのか、具体名を挙げて欲しい
97 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 02:59:59 ID:etDpR/f2
騎馬民族が直接来て征服ってちょっといくらなんでも無理があると思いますよ。 騎馬民族と日本と、その緩衝地帯に居る人たちが騎馬民族の文明をもって来日したんじゃないでしょうか。
98 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 10:49:36 ID:M5QkS/+o
魏志倭人伝に出てくる倭国の官職名と奈良時代のものに連続性が認められる点で騎馬民族征服説など成り立たんだろう。 征服があったのなら日本には言語の違う多民族国家になっていたはずだが、そんな形跡はゼロだ。
99 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 13:47:57 ID:dQKORh6J
そもそも馬韓や弁韓といった分裂国家がどうやって征服するの?国内の統一さえままならない段階で 征服戦争やろうと思う馬鹿は居ない。大体この時半島はろんな民族が入り乱れていて百済・新羅時代と異なり 強力な統一国家が存在しなかった。こんな時に列島に攻め込んだらフルボッコされて追い出されるし 隣国に本国を占領される。
100 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 13:49:19 ID:dQKORh6J
辰韓と新羅は違うし、馬韓も百済とは違う。これをもう少し認識しないといけない。
101 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 15:18:00 ID:dQKORh6J
優れた文明国家の朝鮮半島が存在し馬韓も・辰韓も・弁韓も統一国家であり 当時の先進国であった。百済・新羅はただ単に名前を変えただけで馬韓も辰韓も分裂などしていなかった。 その頃日本は腰蓑を巻いて槍を振り回して熊を追いかけて「アウ・アウ」言っているだけの原始人しか居なかった。 その「野蛮な原始人どもに文明を授けてやった中国に並ぶ先進国であった半島の朝鮮人」という図式しか頭に無いから 騎馬民族が列島に攻めてきて占領したと言う発想が生まれるわけだ。
102 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 15:19:47 ID:dQKORh6J
全く事実に反するんだけどね。その当時に半島に統一国家は無かったしそんなに優れた文明も無かった。 そして、列島の人間は未開で野蛮な原始人などでは無かった。
103 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 17:01:55 ID:M5QkS/+o
未開の野蛮人が面積世界一の古墳など作れるわけがないしな。
104 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 17:35:40 ID:dQKORh6J
>>103 紀元後一世紀半ばの奴国時点でもう後漢光武帝に使者を送り込んで外交関係を樹立するぐらいですからね。
さすがに庶民は漢字使えなかったけど外交官は漢字使えたから大した物だ。
熊を追いかけてただけの原始人にそんな真似は出来ないよ。
後漢まで直接船で行ったんだからな奴国の役人は。
万が一だけど騎馬民族が攻めてきたら「漢倭奴国王」の金印を印籠みたいに見せたら
ビビッて逃げ帰るぞもしその騎馬民族とやらが攻めてきたとしたらだ。
どうやるのかは知らないが半島勢力全部結集して列島に攻めようとしたら
後漢から成敗されるぞ。
105 :
LUNAMASK :2010/05/27(木) 18:41:51 ID:Y8/+FStd
アウトライン 縄文時代 C1-M8 5.4% 縄文 D2-P37.1* 3.9% 縄文 D2a-M116.1 16.6% 縄文 D2a1-M125* 12.0% 縄文 D2a1a-P42 2.3% 縄文 ----------------------------------------------------- 弥生時代 農耕民の渡来 O3-M122* 6.6% 第一次 ミレット 華北 O2b-SRY 7.7% 第二次 陸稲雑穀 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 Ob21-47z 22.0% 第二次 陸稲雑穀 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 O2a-M95* 1.9% 第三次 水稲 華南 O3a3-LINE1 3.1% 第三次 水稲 苗族 華東 ------------------------------------------------------ 古墳時代 騎馬文化等関連産業人として渡来 C3-217* 1.9% アルタイ・匈奴(オルドス) C3c-M86 1.2% バイカル・扶余・鮮卑 バイカル石板墓文化 N1c1-M178 0.4% 穢 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 N1-LLY22g* 1.2% 貊・突厥 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 NO-M214* 2.3% 古羌 ---------------------------------- O3a3c-M134 10.4% 秦氏他 ↓月氏(アンドローノヴォ文化)系 Q-P36 0.4% タタール R-M207 0.4% コーカソイド・月氏 I-P19 0.4% コーカソイド・トカラ人
106 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 19:53:25 ID:M5QkS/+o
>>102 朝鮮半島には楽浪郡の先進文化はあっただろうが、それは朝鮮文化でなく漢人のシナ、インド、ペルシャ文化だったしな。
奈良時代になっても漢語、梵語の文化用語は入ってきたが、朝鮮語など一語も入っていない。
107 :
出土地不明 :2010/05/27(木) 20:26:07 ID:6rI6mk5o
そもそも、古代朝鮮語については分からないことが多い
>>94 >北方胡族の漢語は、二重子音が消失したんは
一方、二重子音が残っているのは、苗族(Hmong)の言語です。
しかも、タイ系や広東語のように閉音節は多くなく、開音節中心です。
ところが、アルタイ語系には、閉音節が残ります。
北方の漢語は、閉音節はngとnだけで二重子音が消失になっています。
(厳密にいうと、閉音節については、入声の消滅や軽声の話になりますが、省略。)
チベット語のうちアムド方言は、珍しいことに、二重子音が残り・閉音節も残り・声調なしと
いった変わった特徴を持ちます。(他のチベット語の方言は、二重子音なし・閉音節が残る・声調ありの傾向です。)
アルタイ語系は声調なしが基本で、アクセントによる同音意義語の区別は、あまりしません。
苗族(Hmong)やタイ系は、漢語と同じく声調ありで、アクセントによる同音意義語の区別をします。
>従来の漢族は、黄巾の乱以降人口減少で江南へ移住
楚の末裔とされる苗族(Hmong)の動きからすると、かなり妥当な説です。
客家も伝承からたどると、同じように北→南の動きです。
109 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/28(金) 00:31:09 ID:+ewD7/FC
110 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/28(金) 01:02:17 ID:+ewD7/FC
>>98 魏志倭人伝の官職名の大率なんか、朝鮮と共通性が強いでしょうに。
http://www.k3.dion.ne.jp/~kodaira/sono101.htm まあ、魏志倭人伝の頃の言語すら解明されて無い云うか文献すら無い
のに、奈良期と共通性がある云うても、妄想に過ぎませんね。
>>99-100 及び
>>101 馬韓や弁韓のような、世界的民族移動期以前の韓人が国家形成出来る
わけ無いでしょう。国化形成の得意な北方民族が南下し、百済、新羅、
伽耶、日本列島を支配して王朝を築いただけですよ。漢人に奴隷を
献上した軟弱な漢の属州の列島倭人に武力なんか無いでしょうに。
半島の朝鮮にも中国に対抗出来る文化なんぞ四世紀以前には、
ありません。四世紀以降のスキタイ文化支配者の国になってこそ、
対抗出来たんですよ。朝鮮も日本も文化的に。
>>102 文明に優れたとか、劣ったとかの定義は何か?レイシストじゃあるまいし。
文化文明に優劣なんか無いよ。あなたは中華文明による華夷思想に
拘っておるようじゃけど。古墳期以前の弥生期は中華奴隷で当然華夷でも
夷じゃし、しかも隷属奴隷民じゃったよ。
>>103 古墳を作ったら文明になるじゃの笑い話じゃ。人数を集めたら出来る
もんを。じゃが中華隷属者は、文明的脆弱さを崇拝しとるようじゃ。
じゃけぇ、弱いんよ。「文明は野蛮によって滅ぼされる。」つまり
負け組でおりたい云う自虐意識が強いんじゃのう。
111 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 01:03:14 ID:9MHTfpJm
>北方民族の文物云うたら、角杯なんか、その一例。
角杯は世界各地に似たようなものがある。元々は牛、水牛、サイなどの角で
作られていたものだが、土器、金属、ガラスなどでこれを模したものが世界
各地で知られている。東南アジアとかアフリカの自然「民族」は、これを
水筒として使用していた(る)。古代ギリシャではリュトンと言って、これ
で酒を飲んだ。これは新石器時代まで遡る文物。
白馬青牛は、形態的類似を安易に持説に結びつける傾向があるのだろうか。
古墳の形についての言及にしてもそう。極めて短絡的な思考と言わざる
を得ない。
で、その角杯はどこから持ち込まれたものなのか?故地での形態の変化と列
島での形態の変化を絡めて述べよ。
ところで
列島にも角形銅器というのがある。騎馬民族との関係を言いたいならこちら
を引用すべき。ただ、こうした古墳の副葬品をもって騎馬民族の渡来を想定
する考え方は、成り立たない。そして、この話題の応答で和歌山の6世紀初
頭(古墳時代末)の古墳について引用する神経が理解できない。
6世紀初頭、紀伊半島に「北方民族」が襲来したということでいいの
だろうか?
ついでに研究者へのレッテル貼り、罵詈雑言は自らの品性を貶めるだけで、
余り意味の無い行為だとそろそろ学ぶべき。
>>109 は具体的内容よりも
そちらの方が目立っている。
112 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 01:13:44 ID:9MHTfpJm
それから
>>110 で引用している高松塚古墳は7世紀末〜8世紀初頭の藤原京
期に建設された終末期古墳だが、4世紀の話をするのにどうしてこれを持
ち出しているのか。「北方民族」の渡来はこの時期なのか?
113 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/28(金) 01:26:36 ID:+ewD7/FC
>>104 弥生期の列島の倭は、漢に奴隷(生口)を献上した、朝貢属州で
現代の外交概念と違うよ。まだ韓の方が勇猛で楽浪支配に逆らう
だけましと云う処。日本人の奴隷根性は弥生期の奴隷時代の
影響かね。魏志倭人伝の道路すら出来て無い国が中華思想を
気取って文明国じゃの笑い話になるよ。
中華の権威を利用して騎馬民族退治?その中華自身も、
世界的民族移動期に五胡(トルコ系・モンゴル系・ツングース系・
イラン系・チベット系)らの北方民族に支配されたのう。
列島倭人のバックが北方胡族に支配されたんに、
頼っても鼻で笑われるだけじゃ。
>>106 奈良の記紀以前の日本語なんか解らんのに、どうして「お花畑」の
「幸せ回路」の解釈するんやら、妄想が激しいのう。
>>108 チベット系の青海に多いアムド語に二重子音が残っておるとは、
初耳です。北方五胡として漢人を支配したテイ族や羌族は
二重子音があったかどうかご存知ですか。
114 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/28(金) 01:37:36 ID:+ewD7/FC
>>111 角杯は、漢や胡漢文化の高句麗、百済地域すら出土例が
少ない。新羅・伽耶・日本の角杯を東南アジアに
結びつけるほど全体的・複合的根拠はあるんかね?
新羅なんか、ローマン・グラスや黄金文化と複合的に
ローマ・西アジア・スキタイ文化と云えるよ。
伽耶・日本も同様で異論があるんなら複合的に云わにゃあ。
>>112 四世紀以降の民族移動から記紀の時代までは古墳期じゃないか。
その時代の一貫として高松塚を排除出来まあ。
115 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 02:36:56 ID:N3RsvfLg
まず、「日本の角杯を東南アジアに結びつける」という言はいただけない。
はて
>>111 のどこにそう書いてあるかね?そもそも現世の自然「民族」の角杯
が古墳時代の角杯にどのような影響を与えられるのだろう?
>角杯は、漢や胡漢文化の高句麗、百済地域すら出土例が少ない。
さて本当だろうか。漢では玉製のものの出土がかなりある。ついでに言えば、
列島における発掘調査件数と、大陸や半島におけるそれとを同一的に論じる
ことは乱暴である。列島の毎年の調査件数、およびその累積件数を考えるべき。
また、具体的にどの数字をもって少ないと言うのだろう。
角杯(土器)は列島で出土事例が10ほどあるが、これは多いのか少ないのか?
そしてこの文物が「北方民族」の大量渡来を根拠付けてくれるのかね。どうも
列島のものは、年代的に6〜7世紀の一時期に収まりそうだが。
>>114 の意味は
4世紀から8世紀初頭まで「北方民族」の大量渡来があったと言うことなの
だろうか。
関連して
>新羅なんか、ローマン・グラスや黄金文化と複合的にローマ・西アジア・
>スキタイ文化と云えるよ。
モノの伝来とヒトの渡来を直接的に結びつけて論じるだけの根拠を示せて
いないようだが。半島の土なら人骨が残るだろう。それだけ大勢のスキ
タイ人(?)が渡来して彼の地でも王朝を立てたと言うのならば、在来の
人間と異なる形質なり遺伝子なりのデータを示す方が話が早いのではないか。
また日常の什器や生活様式、墓制そのほかの文化的な変化を言わねばなるまい。
116 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 03:15:42 ID:tYHELd7T
117 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 10:36:00 ID:i+TeOQgb
118 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 10:45:41 ID:i+TeOQgb
双方が持つ、列島蔑視と半島蔑視を克服しないと真実は見えてこない。
119 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 14:06:05 ID:0+76yBa9
朝鮮は元に蹂躙されているよな 王族も元出身になってるし
120 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 14:14:26 ID:ORKiywbi
116 :起源の捏造 1/2:2010/05/27(木) 02:20:21 0 例えば 『形而上学』の原文、ギリシャ古註、中世ラテン訳と 近代訳を幾つか比べてみれば 近現代のある時期まであった、ギリシャ起源を無理にでっち上げようとする傾向が 簡単に、具体的に分かるんだけどね ■アリストテレス 原文の文脈は『形而上学』第一巻第一章冒頭の有名な 「すべての人間は生まれつき知ることを欲する」に続く一連の話 ある意味で知識社会学的な記述 人間にとって重要な二種類の知についての記述が続く ・ひとつは個別なものに付いての知であり、習慣に基づいた経験empeiria ・もうひとつは原因の知に基づく、普遍的な知である技芸知 techne(ars) 後者は原因を知る知であるがゆえに、他者にも伝達しうる学問的知識である つまり、技芸知とは学問的知識epistemeであり、単なる経験ではない ところで、技芸知にも、必要を満たすものと、そうではないもの(=純粋な学問的探求としての技芸知)がある 後者の方が、より叡智的なものである 後者は、有用性のための技芸知が一通り完成して、人々が余暇を有する(esckolasan)に至った土地でうまれた 「そうしたわけで、エジプトにおいて、最初にproton数学の諸技芸知hai mathematikai technaiが起こったのである。 というのも、そこでは僧侶階級に余暇を持つことskholazeinが許されていたからである」
121 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 14:20:27 ID:ORKiywbi
■トリコ訳(1953年) このアリストテレスの文章に対し 例えばトリコは20世紀の半ばに 「ギリシャが絶対的な起源であるという視点は、近年の研究に基づき捨てる必要がある」と述べた後で 「しかし、東方で生まれた学問は、有用性と経験に基づくものに過ぎなかった(!)のであり、 理論的抽象的知識になったのは、ギリシャにおいてであると言うことも可能かも知れない(!)」と アリストテレスの記述を完全にねじ曲げる注をつけ さらにアリストテレスの文章を次のようにバイアスのかかった形で翻訳する 「たとえば、エジプトは数学の諸技芸知の揺りかごberceauであった。というのも(…)」 つまり、アリストテレスは、はっきりと「最初にエジプトにおいて、有用性から切り離された、 普遍的なものに関わる学問的知識と技芸知が形成された」という話をしていたのに それは、揺りかごに過ぎなかったというニュアンスの文章へとねじまげられる これに対して、例えば2003年のツェクル訳は、エジプトに学問の起源がある、と、アリストテレスを素直に訳す ■古註、中世ラテン訳 ちなみに古註(アリストテレスへの古い時代の註釈)として、たとえばアフロディシアスのアレクサンドロス(2〜3世紀)は 同箇所への註釈で、エジプトに置いてhai mathematikai epistemai(もろもろの数学の学問的知識)がうまれたとした上で 単なる空の観察から天文学が、実用的な測量などから幾何学が「学問的知識として」「エジプトで」生まれたという過程を記述している 中世のメルベケのギョームによる改訂ラテン訳は Vnde circa Egyptum mathematice artes primum constiteruntと素直に訳してますな
122 :
ドレミ :2010/05/28(金) 17:30:38 ID:xnhhXxZT
>>113 今朝resしても何かダメだったので、出先からresします。
チベット語のアムド方言とラサ方言はもともと蔵語支で近縁です。
(アムド方言は、それほど情報が転がってませんが、知っている範囲で)
その綴り字は共通で、アムド方言は声調を持たない代わりに二重子音があり、
ラサ方言は声調が4つあり二重子音の前方が黙字化します。(人名の例 Wylie式の sgrolma = Dolma)
つまり、二重子音と声調はトレードオフ関係です。ラサ方言のほうが声調言語化が強いです。
二重子音←→声調
アムド方言は、漢字での音写は漢字の半切り(母音無効化で子音だけ取り出す)が必要なので
漢字との相性が非常に悪い。音声的には偶然ながらクメール語に似ていることになります。
アムドとラサには、「何か先住民は漢蔵語派と違う言語だったのか」という仮説が立つ余地があります。
(実際、東晋の時代に發族が侵入してその後の吐番王朝になったので、違う古語層があって当然)
なんか、そのチベット語も、昔の古文書から昔の発音を復元するのが大変らしく、定説があるのかどうか・・・
(つづく)
123 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 17:34:13 ID:cKf42+K2
>>110 大率の一例より爾支>ニニギ、禰宜、彌彌>ミミ、彌彌那利>ミミダリ、耳成(山)、卑弥呼(日の巫女)など日本古語との類似は多い。
朝鮮にこういう例はあるのか?また倭の諸国名はすべて開音節語で明らかに古代日本語で、朝鮮語ではない。
征服があったのなら、諸国名にも非日本語国名を付けるはずだが、どの国名がそれに当たるんだ?
124 :
ドレミ :2010/05/28(金) 17:36:06 ID:xnhhXxZT
(つづき) 古羌族は、漢字音写のため漢字の古い地方の音が不明なので、正確なのがわかりません。 漢代の「白狼王歌」の解析も、かなりの労力を掛けての解読だと思います。 ロロ(彝)文字も場合でも、規範彝文の明以降のでないと、古代文字解読になります。 西夏語で少し古い形をみると・・・西夏学の成果では、声調が2つ・二重子音の必要性なし だそうです。 声調2つというのは、蔵語支のカム語も同じです。カム語は漢字音写が用いられることがあります。 (カムパが發族の末裔っぽいとの説を出している人いますね。昔の王族・・・その割には蛮族扱い!? このへんも定説があるのかどうかわかりません) テイ族は、末裔民族が土家族と比定すると、声調を持っていることになります。テイの末裔候補の白馬蔵族は資料ないです。 古羌族の末裔にあたる現代の彝緬語支や羌語支の言語は、声調がだいたい4つあります。 ピンインだと歯茎音等の綴りが特殊だったり、巻舌音の区別で二重子音っぽく見えますが、 苗語とかクメール語の二重子音とは別次元です。 (つづく)
125 :
ドレミ :2010/05/28(金) 17:38:54 ID:xnhhXxZT
(つづき) 楚の言語には、二重子音と声調の両方があることになり、短時間に多くの情報が載せられます。 熟語化して単語の識別をする必要性が低く、「楚辞」の韻をふませた簡潔なリズムはこの特性に よるものです。 苗語の声調は8つで、二重子音も多く残り、楚の文字を失った後に再興できなくなり 文字なき民になったと推論する人もいます。 一般に南方の漢語やタイ・カダイ語族の言語は、声調が6以上あるのがザラで広東語は9チワン語は8です。 ですが、今の広東語やチワン語に二重子音はないみたいです。 ただし、南方の漢語でも客家語には二重子音や入声の痕跡があります。 現代の苗語には、タイ・カダイ語族のように閉音節が多いのか?というと、 ngとn限定なので、消失してしまった可能性もあります。 このあたりは、東周時代の秦とか楚の祖先の言語がどうなのかわからないとお手上げです。 乱暴な結論を出せば、北方の漢語は、楚系民族のよりも古羌族のに近いことになります。 (とはいえ、古羌族の末裔の一派である現代の彝緬語支は、語順の自由度が低めです。) 北方の漢語は、さらにアルタイ諸語の影響が加わった形になっていますが、閉音節の持込はngとn限定です。 ちょっと、ざーと見た感じなので、精査してみないとresに自信が持てないです。 以上
126 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 17:57:35 ID:cKf42+K2
>>110 倭国と大和朝廷の連続性の最適例は邪馬台国=ヤマトがある。
征服王朝ならこういう連続性があるはずがないだろう。
127 :
ドレミ :2010/05/28(金) 18:03:14 ID:xnhhXxZT
>>123 >開音節語で明らかに古代日本語
あの〜 とても切り出しにくいんですが
開音節語って、トルコ系・モンゴル系・ツングース系が消えるだけで
開音節語で重畳語って、白馬先生のいう五胡のチベット系(ただしテイ族や羌族)の可能性がありますよ。
イラン系については、ペルシャ語の古語のことも調べないとわかりませんね。ソグド人は時代的に漢姓をまだ名乗ってないはずです。
開音節語だからといって、安心しないほうがいいです。
白馬先生がイラン系にまで話題を振ってるからなぁ。
古典ペルシャ語、誰か得意な人いないかな・・・
128 :
ドレミ :2010/05/28(金) 18:11:03 ID:xnhhXxZT
まだ、系統がわかっていないけど、雲南テン王国は怖いなー
129 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 18:26:10 ID:cKf42+K2
>>126 >>開音節語で重畳語って、白馬先生のいう五胡のチベット系(ただし)の可能性がありますよ。
・・・それならそのテイ族や羌族の言語で倭人語を解説してみればいいだろう。
できるのか?
130 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 18:54:07 ID:pW3c2ZCp
わぉ〜わぉ〜
>>127 ドレミたん、言語学的にはチベット系のテイ族や羌族と邪馬台国がつながっているかもしれないんですね
雲南テン王国が南方系天孫族の正体かもしれないでつね!!
131 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 20:31:03 ID:ORKiywbi
ドレミさんの話は抽象的過ぎて素人には分からんわ。
132 :
出土地不明 :2010/05/28(金) 20:58:18 ID:WkgtpuoX
★小6教科書に「縄文時代」復活、10年ぶり
・日本の歴史を扱う小学6年生の社会科の教科書から消えていた縄文時代が、
来年度の教科書から10年ぶりに復活する。
東京都江東区の教科書研究センターで公開された4社の教科書の見本には、
縄文土器や土偶の写真、三内丸山遺跡(青森市)や加曽利(かそり)貝塚(千葉市)の
写真や想像復元図などが載り、当時の暮らしが記述されている。
小6社会の教科書は「ゆとり教育」に伴い、1998年の学習指導要領改訂で、
最も古い時代の記述について「農耕の始まり、古墳について調べ、大和朝廷による
国土の統一の様子が分かること」と規定。2002年度以降の教科書からは、
農耕が始まったとされる弥生時代から記述が始まり、旧石器時代と縄文時代は
原則として消えた。
これに対して日本考古学協会は強く反発、記述の復活を求めてきたが、08年の
学習指導要領で授業時間が増加したため、「狩猟・採集や農耕生活の始まり、
古墳について調べ」などと改訂。検定を経て、縄文時代の記述が復活した。
ただし、旧石器時代をくわしく取り上げた教科書はなかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100528-00000755-yom-soci
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/05/28(金) 21:23:31 ID:UH+ldZ/w
で、聞くけど最近出た島根の最古石器作ったのは誰なんだ?後から来た縄文人 や弥生人に虐殺されたんかい?
134 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/28(金) 23:08:45 ID:+ewD7/FC
135 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/29(土) 00:04:45 ID:heEmqqEp
>>117 わしも書いとるのう。まあ、衛生がどうじゃ、こうじゃ云う嫌韓厨の
中華朱子学派の方が、華夷思想の妄想しとるスレじゃ。
>>122-124 及び
>>125-127 チベット系言語に詳しいですね。ほいで西夏語を考察された西田龍雄氏は、
(
>>123 氏の云うたことにも関わりますが、「ビルマ系の言語は、
いわゆる閉音節を非常に豊富にもっているタイプです。しかし、ロロ系の
言語のほうは、実際二種類あるわけですが、いわゆるロロ・プロパーと
考えられるような、中国では彜語とよんでいるんですが、その彜語と
よんでいるグループはまったく開音節であります。その中間に、
たとえば音節末尾にNとMだけをもつ言語があるわけです。これらの言語群に
代表される三つの段階が考えられる。たとえば、末尾音として、NGに
終わるのと、Nで終わるのとMで終わるのと、その三つのタイプが
もとは対立していたのが、それがNとNGだけに変わってしまうとか、
NとMのみに変わります。次の段階では全然そういう末尾子音がなくなって
しまう。そうすると古代日本語の音節タイプはその最終段階にあたると
いうように考えわれるわけです。」と、閉音節から開音節へになる現象
の仮定出来るとされてますね。
136 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/29(土) 00:37:19 ID:heEmqqEp
137 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 01:05:27 ID:RW8yLznh
>漢代の角杯は、中央アジアから伝わり、漢式に玉製としただけで、 その伝播は出土遺物を基にした形態の変遷から、確たる裏付けがあ ると? >新羅のように非漢的西方文化影響を主体とする文化と同一視しても >全体的に違うよ。学問における根拠たぁ全体的視野からの考察なんよ。 「全体的に違う」、「全体的視野」とは具体的にどういうことでしょう。 まるで見えてきません。考古遺物の形態変遷からの論証は「全体的視野」 からの考察には当たらない? >しかも形質人類学的にも、渡来系の大量渡来は、古墳期の北方新モン >ゴロイド化で明らかなこと。 さて「北方民族」の渡来は4世紀から8世紀まで続いたと(確かそうです よね)「古墳期の北方モンゴロイド化」はとはいつのことですか?この 古墳の被葬者、この遺跡からの出土人骨、そういう具体的なものを挙げ てもらわないといけませんね。 それから、それは汎列島的なのか、そ れとも地域によって偏りがあるのか、この際はっきり言明して欲しい。 敢えて指摘しないが、どうも、発言がぶれてきている気がする。
138 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 01:06:30 ID:RW8yLznh
>あんたは、新羅のスキタイ文化人をイラン系コーカソイドの >人たちと勘違いしとるんじゃないか? してませんが。どこからそのように判断したのか?
139 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 01:12:11 ID:RW8yLznh
>ほいから、新羅の古墳からの形質人類学じゃの遺伝子の調査が少ない >けぇ、云うか韓国自体のデータは揃い難いが、比較的に伽耶地方に揃う >とる程度じゃろう。 ほんとですか、韓国のデータが無い? >伽耶には北方から南下した新モンゴロイド系と >土着の古モンゴロイド系の両者がおったね。 >殉葬されたと見られる伽耶の10代少女は、広顔、低顔で、 >中国南部の越人や縄文人に似て、高顔の北方系じゃ無いね。 >つまり土着の韓人、倭人の可能性が強い。 ここから何を言いたいわけで?主体部の人骨はどういう形質です?
140 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 02:17:03 ID:w6t2DacE
ドレミがいみふでも、月面と牛とわお〜はクロだから。 ちゃんと分かってる人なら、素人にも分かること書けるはずだよ
141 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 03:09:45 ID:E/7wl5qc
>ほいから、新羅の古墳からの形質人類学じゃの遺伝子の調査が少ない >けぇ、云うか韓国自体のデータは揃い難いが 少し突っ込ませてもらいます。たとえば慶州邑南古墳群から出土した 人骨の形質、副葬品、あるいは墓制、構造などについて説明すれば 事足りるでしょう。朝鮮総督府時代からの膨大なデータの蓄積が あります。もちろん韓国人の研究者も掘っていますし、「北方 民族」の大量渡来を主張するあなたも当然知っているはずでしょう。
142 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 18:21:29 ID:pPVw8HgK
日本人のルーツは朝鮮民族ですね
143 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 18:32:48 ID:HXTp66TN
>>142 違う
日本人のルーツは、5割が中国人と中国系朝鮮人、5割が縄文人
朝鮮人のルーツは、9割が中国人、1割がモンゴル人
144 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 19:29:01 ID:FEGLIi8z
↑ハッカクくせえ台湾褐色広鼻ゴリラ 正解は、日本人のルーツは、5割が沿海州内陸人、5割が縄文人 縄文末に沿海州南岸から海路を使って朝鮮経由でやって来た 僅かな渡来人の遺伝子が数千年のうちに拡散増大してきただけ。
145 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 20:50:58 ID:XBokORGB
各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値(+は弥生側、−は縄文側) 畿 内 +2.12 南近畿 +1.47 四 国 +1.08 東中国・西近畿 +0.76 東北九州・西中国 +0.70 関東・東北南部 +0.51 北陸 +0.40 西南九州 −0.87
146 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 21:05:16 ID:HXTp66TN
>>144 沿海州内陸人のルーツは、中国人なんだよ
147 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 21:11:14 ID:9xFDLjv+
>>145 ちゃんと数字の指標が明記されるかソースがないと
そんな数字に意味はない
あとは調査した数だね、精度を3桁出すには1万体ぐらい調査が必要だろう
馬鹿な研究者は数字の持つ意味を知らないから
そんな数字を平気で恥ずかし気も無くで出すんだろうな
148 :
出土地不明 :2010/05/29(土) 21:42:07 ID:Tawh11Wu
>>146 なわきゃねーだろが死ねよこの醜悪極まる東南アジア台湾ベトナム顔土人!
氏ねじゃなくて死ね!
149 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/29(土) 23:34:46 ID:heEmqqEp
>>137 中央アジア経由の角杯の流入とするか、漢の玉文化における
角杯を受け入れたとするか、視点の問題じゃし、あんたの裏付けたぁ
抽象的な問いですのう。
全体的考察たぁ、総合的にどうか云うことで、形態変遷じゃの、
論証など個人の主観に過ぎませんよ。一部分に論点を絞ると
百あれば百通りの解釈が出来ますし、論理妄想に陥るでしょう。
北方民族の渡来は、弥生期からもありましたが、大量渡来は、
世界的民族移動期でもある古墳期でしょう。
http://pdf.lookchem.com/pdf/22/d482d1c7-898d-4669-b310-3002e0d21133.pdf 8ページ9ページの 古墳時代 に、「人骨データからみると、
古墳時代に大陸から渡来した集団の大部分は北アジア系であり、
東日本と西日本の差は弥生時代以上に明瞭となった。」
もっとも、8世紀には、渡来形質の東日本に広がっとるけど、
地域差は列島の西と東であったんですよ
ほいから、「古墳時代の特徴の一つは、弥生時代に比較して
渡来集団が急増したことである。」と、埴原和郎氏の見識は、
世界的民族移動期と合致します。発言はぶれとらんですよ。
150 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/29(土) 23:56:39 ID:heEmqqEp
151 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/30(日) 00:09:06 ID:WjI4Chy2
>>142 朝鮮民族なんて、統一新羅以前には成立しとらんでしょう。
>>143 縄文系が5割なんか多過ぎでしょう。本土日本人は縄文直系の
アイヌ人や琉球人とは、違います。中国人とは、曖昧で
華北の中国人と華南の中国人は人種が違うでしょうに。
>>144 まあ、本土日本人に縄文系は、多く見積もって2〜3割か、
数%程度じゃろう。本土日本の縄文系はほぼ絶滅に近いよ。
152 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 00:34:25 ID:pHydgb1j
チョッパリの妄言には世界中が呆れている
153 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 01:24:08 ID:ru/+ckIk
>>151 相変わらず馬鹿だなあんた。
その論理で行くと弥生系だってほぼ全滅に近いだろうが。
日本人種は両者のハイブリッドなんだから。
ただ遺伝子的な構成割合はやっぱ半々らしいぜ。
一重と二重の割合もそのくらいらしいがな。
154 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/30(日) 01:56:27 ID:WjI4Chy2
>>153 前にも云うたよう、弥生系も疫病でほぼ絶滅じゃったことは
否定しとらんよ。遺伝子的に半々云うんは、Yカルトの妄想よ。
遺伝子なら多数の遺伝子型の複合根拠から総合的解釈が必要じゃ
ろうに。そう云うたら、Y染色体よりも精度の高いmtDNAは過去の
人物の単一ながら遺伝子型を知ることも出来るね。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/44294512.html http://kousyoublog.jp/?eid=1465 渡来系秦氏系の狩野養信のハプロタイプは、A5じゃった。
A5は朝鮮半島経由で日本に来たタイプ。もっとも秦氏全体を
表したものじゃないし、秦氏も多数の様々のハプロタイプの
遺伝子を持っておったろう。不倫密通で、父系の系統は断絶するが
母系は母体から出るけぇ系統としては、父系より信憑性があるけど、
それでも、多数の遺伝型や形質も調べんと、判断出来ん問題で
あることに違い無い。
秦氏自体も複合的に多くの渡来集団で構成されたし、秦氏の系統も
個人的なもので判断出来ず、多数のサンプルが必要じゃ。
155 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 02:55:28 ID:BFfUgujd
絶滅とか大量渡来とか遺跡数・密度の増減の裏づけのある話 なのかね? まさか地球の寒冷化とかの一般論から引き出した妄想かな?
156 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 03:21:51 ID:AYJqPsSC
>韓国データ云々は、形質人類学的にどうか云うとるんですよ。
ですから、
>>141 慶州邑南古墳群のデータを具体的に分析してみてください
>ほいから、主体部の人骨は北方渡来系ですよ。
>例えば日本へ渡来したと考えられる、継体王朝と関連が深い、
>鴨稲荷山古墳の被葬者も伽耶・新羅文化で形質的には、高顔の
>北方形質でしょうに。
紛らわしいので正確に書いてください。リンクを貼ってあるのは「打下古墳」
から出土した人骨、被葬者は身長150cm 40歳前後の男性とのこと。同じ地域
の古墳ですが、年代は5世紀中頃とされています。鴨稲荷山は6世紀の前半と
されています。継体の話といい誘導気味ですね。
>鴨稲荷山古墳の被葬者も伽耶・新羅文化で形質的には、高顔の
>北方形質でしょうに。
さて、これはどういうことでしょうか、歯は残っていましたが形質のわかる
ような保存状態のいい被葬者の遺骸が出ている?
ちょっとこちらにも突っ込んでおきます。
>全体的考察たぁ、総合的にどうか云うことで、形態変遷じゃの、論証など
>個人の主観に過ぎませんよ。
http://shigakuorc.nc.otemae.ac.jp/st_chamber/shiga/takasima/takashima/kamoinariyama1.pdf ここに鴨稲荷山の遺物が出てます。「総合的にどうか」ですか?それならば、
その「主観的」と断じる文物の形態変化について語ることも避けて通れませんね。
というか、あなたの根拠とされているものが何かといろいろ訊いているが、どれも
中途半端にはぐらかされているような感じです。ここいらで、これら文物の変遷を
ひとつひとつ組み立てて行って説明してみてください。魚佩の変化なんか
どうでしょう。東周の青銅製のものと、慶州金冠塚の金銀製のもの、鴨稲荷山の
金銅製のものを分析してみてください。もちろん、石室・鏡・杏葉・轡・鞍でも
構いません
157 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 17:39:11 ID:OVxj6NeL
日本の縄文人(といっても一万年ほどもあるけど)は イラン系コーカソイドだというような説があるけど本当かな? だとしたらどうやって日本列島まで来たんだろ?カザフスタン、 モンゴル平原、中原、オホーツク海、日本海を渡るのは非常に大変だと思うけど。
158 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 19:13:23 ID:BK6R/Ht+
>>157 縄文文化は八丈島まで伝わっているので
縄文人が黒潮を横断できる外洋航海技術を持っていたのは間違いない
それから見れば日本海を渡るなんて楽過ぎる
それゆえ大陸系と言われると?が付く
広範囲な交易も日本海を使えば楽だ、縄文人に取って日本海は庭みたいなものかも
海流に乗って日本海沿岸を北上し、帰りは大陸側沿岸を来れば
季節によってはほとんど漕がなくて良い。
スタートとゴールは出雲辺りになる
159 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 20:39:18 ID:0sGhEiou
>>154 あんたホント脳にウジが涌いてねえか?
誰が疫病の話なんかしたんだよ?
俺が言いたいのは、3000年も前に来た弥生の完全無欠な純血種が
今も日本に存在するのかって事が言いたいだけなんだよ。
どの弥生も大なり小なり縄文と混成してるだろうが。
だいたい日本人種の4割方に縄文の名残のYAP+があるし、
あの北方アジア抜きのインチキデータでお笑い種になったアホ宝来の
mDNAtデータにしたって本土のものは渡来系と土着系が半々くらいだっただろうが。
それにだ、日本人種に頻繁に見られる北方モンゴロイド的な容貌
を持つ人たちが秦氏によってもたらされたものなら、何で朝鮮人には
そういう北方モンゴロイド的な容貌の人々がもっと頻繁に見られんのだ?
日本人に良く見られる北方モンゴロイドそのもの顔が朝鮮人には
極めて少ないのをどう説明するんだよ?
160 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 20:56:09 ID:OVxj6NeL
千年単位じゃさほど混血しないと人類板で言ってたで。 アメリカ大陸の人種変換は多くは 疫病で、そして異人種は絶滅させるという当時の白人がいたから 可能だったわけで。
161 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 21:13:21 ID:pyQP0TwF
いや、本州で弥生と縄文の混血が完了したのが平安期頃との事。
162 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/30(日) 22:50:18 ID:WjI4Chy2
また、アク禁か。転送出来ん。
163 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/30(日) 22:54:21 ID:WjI4Chy2
>>153-155 前にも云うたが、縄文系も弥生倭人も絶滅に近い人口減少となった
ろう。縄文文明派、長江文明派の安田善憲氏も専門の気候寒冷化と
北方民族の世界的南下現象から、否定されとらんね。
黄巾の乱以降の漢人の人口減少で漢人の人口が10分の1に文献上
減ったとして、漢人に比べ家畜免疫の薄い列島原住民が、
安田氏のように崇神期「半数の国民が死ぬ」では少な過ぎるよ。
ほいから、世界的現象は「人は彼の時代の先祖に似るよりも
彼の時代に似ている」「自分のところだけは特別であり、比較を
絶しているというような例はめったにない。」と、云うことよ。
それをあんたら左翼マルクス史観は、自民族発展段階説で、
世界の普遍性から自国を離すけぇ、妄想鎖国主義なんじゃ。
コピーを貼らんかったら、送信出来るんかのう?
164 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/30(日) 23:17:27 ID:WjI4Chy2
何でか、ブログをコピーしたら送信出来んのう。
>>156 鴨稲荷山古墳も「打下古墳」も同地域の滋賀高島郡ですよ。
その地域は継体王朝の基盤でしょうが。どこを誘導しとるんですか?
あなたの文こそ、文物の変遷を提示せず、誘導に終始しとるんじゃ
ないですか。
>>157 縄文系は古モンゴロドでコーカソイドじゃありません。
>>158 黒潮は漂流ルートで民族移動たりえません。縄文人が黒潮を
横断出来る技術を持っておったら、中世人以降になって仕舞うよ。
まあ、日本だけが特殊とする左翼史観の電波かね。
>>159 また精度の低いY染色体カルトか。Y染色体を信奉するんなら、
日本は何故か中東やアフリカ黒人が東アジアの母系mtDNAを強姦して
父系を増やした云う珍説でも唱えとるんか?
宝来氏でも6〜7割は渡来系とされとるじゃろうに。
ほいから、日本人も朝鮮人も北方系新モンゴロイドで、
中央蒙古人種じゃ。日本に北方のバイカル・エヴェンキ型の
北方蒙古人種は少数派じゃ前にも云うたじゃないか。
165 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 23:32:23 ID:66Hq656M
だから、そんなウダウダタラタラと講釈垂れる前に古墳期に騎馬民族が やって来たという確証を出せばイイんですよ。 とっとと騎馬民族がやって来たという確証を出しなさい。 出してみんなを驚かせなさいよ。 あんたが出すものはぜーんぶぜんぶ半島との交流交易で伝わるもの ばーっかりじゃねえか。 「世界的寒冷化で世界的に北方民族の南下が起こったゆえ、 日本だけはこの例外ではない。」 というのは何の確証にもならんよ。
166 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 23:33:58 ID:syU+Ly47
>縄文系も弥生倭人も絶滅に近い人口減少となったろう。 文物からは否定されます。例えば畿内第X様式から古式土師器に至る あいだの土器の変遷にどれほどの断絶があるのでしょう。韓式系の土器 が入ってきますが、これが在来系を圧倒するわけではない。関東の弥生 町式から御領式に至る土器の変遷も前代の伝統に新たな要素が加わる かたちです。 在来系の集団がどこでも「絶滅に近い人口減少」となっているのだと したら、日常用途で用いられる器物は全く別物になっているのでは ないですか?「北方民族」がやってきて、絶滅した在来系集団の土器 を態々模倣して使っていたという話が成り立つのなら別ですが、 そのへんについてはどうですか?
167 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 23:42:20 ID:syU+Ly47
>鴨稲荷山古墳も「打下古墳」も同地域の滋賀高島郡ですよ。
>その地域は継体王朝の基盤でしょうが。どこを誘導しとるんですか?
そんなことはよく知っていますよ。
>>150 で疑問なのは
1.鴨稲荷山古墳と打下古墳は同時期ですか?
2.鴨稲荷山からは保存のよい人骨が出ていますか?
3.あの流れの中で、継体天皇はどうして持ちだされたのですか?
4.あとは、私の疑問にちゃんと答えてください。
>あなたの文こそ、文物の変遷を提示せず、誘導に終始しとるんじゃ
>ないですか。
誘導とは?こちらはご教示下さいとお願いしているわけです。でも
表面的なことに、水が向けられていて、まったく全体的でない。
そしてひとつも答えてもらえない。かなしいことですなぁ
168 :
出土地不明 :2010/05/30(日) 23:43:26 ID:66Hq656M
>>164 確かに朝鮮人は中央蒙古人種に分類されるが、日本人は中央蒙古人種
に分類された事など一度たりともありませんから。
日本人は独立した人種群としてちゃんと分類されてますんでね。
あんまり調子こいてテメエ勝手な脳内妄想を無知なギャラリーに
押し付けてんじゃねえぞこのキチガイジジイ!
169 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 00:00:44 ID:qnjlK9/J
>>166 に関連して。
文物からみて、縄文時代晩期の終わりごろの南関東あたりでは絶滅に近い
人口の減少が想定されます。この在地系の土器は極めて少ないのですが、
弥生時代に入ると、この地域の縄文土器(在来系)の形態変化からは
生じ得ない弥生式土器が別の地域から渡来します。どこからやってきたの
かは、型式学や胎土分析などからだいたい分かっています。
なお、
>>166 の「御領」は×、「五領」が○です。あと、近畿と関東を挙
げましたが列島の他の地域でも、文物からは「絶滅」という現象はだいたい
否定されるでしょう。「絶滅」がいつ頃、どの地域で起きたのかを言明し
てもらえれば、いいんですが。
170 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 00:06:42 ID:wND/D0MC
171 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 10:38:56 ID:ZmdFKQzr
>>169 朝鮮半島や中国でも土器が変化した時に
旧民族は絶滅に近い状況になったのでしょうか?
元は過酷なまで朝鮮人を殺しましたが、絶滅まではしてないでしょう
それ以上の事が、朝鮮や日本であったと言う主張でしょうか?
172 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 11:14:44 ID:ZmdFKQzr
確かに4200年ぐらい前に縄文人口は激減してますが これは晩期の終りとは言え無いし またこの時期に長江文明が廃れ黄河文明に移行しているが 世界的に変動が大きいので寒冷化が原因と思われてる
173 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 15:10:46 ID:axk8PXmZ
ナショナルジオグラフィックが去年、脱アフリカの人類移動と交流を テレビとネットで特集して、アメリカのヒストリーチャンネルで見て 面白かったですね。テレビに登場した人達の中に韓国系アメリカンが居て、 民族主義者で人種差別主義者の代表選手扱いされててワロタ。混血を 拒否する人種差別主義者、遅れた人達としてヒスパニックの若者に ボロコメントされてた。ナショナルジオの研究に限らず、人類移動の 歴史を研究するのにY遺伝子の研究は必須。それをカルト等と呼んで 否定する馬鹿は、やっぱコリアン位でしょうね。
174 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 17:57:59 ID:a6H1875T
>>171 「絶滅」というのは誤解を生む言い方で拙かったです。
白馬青牛の言をそのまま使ってしまった。その点はお詫びします。
土器=「民族」の反映ではないし、土器の変化=「民族」の絶滅では
ありません。「民族」というのも曖昧さの残る概念なので、ここで
言うのは日常会話で出てくるような一般的な意味と考えてください。
>>169 で言っているのは、南関東在地の縄文晩期の土器から形態変化
して弥生前期の土器が生じたわけではない、両方の土器のあいだに断絶
があると言うことです。
文物からは元々、人口が少なくなっていた、人が住まなくなっていた
地域に新たな技術伝統を持った集団が別の地域から入ってきたという
ことが一応言えると思います。ただこれは、南関東についてであって、
東北ではややずれます。これを少し一般化すると、既に縄文時代から
列島では西に人口が少なく、東に多いということがありますから、
弥生時代に渡来集団が入ってきた状況も、これとやや似たところが
あると思います。
ところで「虐殺」とかそういう血なまぐさいことは言っていません。
縄文時代に個人的な殺し合いはあったにせよ、虐殺や戦争なるものは
なかったと思います。世界的に見れば、エジプトのGebel Sahabaで発見された
人骨の状態などから、集団的な殺戮の可能性を示す証拠があります。
これは列島でいうと後期旧石器時代から縄文時代草創期に相当する時期です
が、列島ではそういうのは無い。人骨が残らない土壌であるということも
あるでしょうが、弥生時代の人骨には、そういう証拠もありますし、利器
からもそれは担保できるでしょう。
175 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 17:58:51 ID:a6H1875T
>>172 縄文時代の人口減少は何度か想定されています。これは、人骨ではなく日常
什器や住居が前後の時期にくらべ相対的に少なくなることを主な根拠として
います。人口減少の理由は基本的にあなたの言うように気候の寒冷化に伴な
って生じた環境の変化、食料の枯渇などが原因しているのでしょう。ただし、
私は「長江文明」の話はよく分かりません。それについてはまだよく分から
ないことが多すぎるので。あまり一般化して縄文と絡めるのはどうかと思います。
まだまだ、縄文時代の列島と大陸とを西暦や実年代上で比較するのは
難しいので、安易に世界的な変動との関連を言うことは難しいのです。
「4200年前」ですか?それだと一般的には中期の終わりごろを言うの
ではないでしょうか。このときも人口は減っていますが、私の言っている晩期
の終わりというのは、一般的にはいまから二千数百年前ではないでしょうか。
ただ「晩期の終わり」というのはまとめすぎたかもしれません。南関東では
3d以降の土器が少なくなる、と訂正しておきます。
176 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 20:35:38 ID:ZmdFKQzr
>>174-175 大変詳しい説明恐れ入ります
>南関東では 3d以降の土器が少なくなる、と訂正しておきます。
これは確かにそうですが、関東だけ見るのではなく全国的に見るべきだと思います
縄文時代の人口についてはこんなデータが有ります、遺跡より推測したデータです
http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2008/03/000477.html 縄文後期に関東が衰退したと見られる同時期に隣接地域も衰退しています。
西日本はほんの少し増えてますが1桁少ない勢力に過ぎません。
これは戦争と言うより気象変動の可能性が高いと思います
そして弥生時代になると西日本の人口が激増し関東も増大します。
これは水田の生産力と技術伝播と考えると納得できます。
東北は遅いですしね。
つまり弥生時代に水田が拡大した頃にすでに関東は十分力をつけていた事になり
大和朝廷の勢力が関東まで中々到達しなかった事を裏付けます
また、私の考えでは日本では過去に大きな民族移動は無かったと思ってます。
日本では有史以来、戦国時代でも大規模な民衆移動は発生しませんでした。
言語的にも大規模な移動を窺わせる物は無いと思います
ただ九州から畿内への移動は有ったと考えています、これは言語的に飛び地化した出雲弁と
畿内と交流の深い北陸とかが関西弁化してる事から推測できます
あと朝廷(天皇の先祖)は何処から来たかと言うと、またややこしい問題になります
177 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 21:33:16 ID:VtP8Wn/2
ちと参考までに。 (相対年代、絶対年代、理化学的年代云々が面倒で、 大雑把な年代さえ把握できれば良いという方に) 土器編年を指標として(指標として) ・縄文草創期(1万3000年〜9000年前) ・縄文早期(9000年〜6000年前) ・縄文前期(6000年〜5000年前) ・縄文中期(5000年〜4000年前) ・縄文後期(4000年〜3000年前) ・縄文晩期(3000年〜2300年前) 『史跡で読む日本の歴史1』 列島文化のはじまり ---玉田芳英編を参照
178 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/31(月) 22:21:46 ID:ppSroJY4
>>166 文物から否定云うことは、中国の黄巾の乱以降の人口減少に
ついて、文物から説明して下さいや。まあ文物云う単一根拠
では否定できませんが参考として。
在地とするなら、埴輪も在来的云うことになるわけで、
しかも胡服、筒袖の北方習俗さえ、埴輪を造るんは在地系に
なるでしょう。じゃが埴輪の習俗は在来系や南方系じゃと
思いますか?北方渡来系じゃと思いますか?
あなたの文物の在来系模倣に還元する「誘導」レトリックも
意味をなしません。
土器ほ作る職人は拉致すれば、ええわけです。朝鮮の役てでも
朝鮮の職人を拉致したんと同じですよ。
埴輪は征服民の服装を描いた云うことです。
打下古墳が5世紀頃で鴨稲荷山は6世紀頃とされますが、
後者の人骨は出とらんでしょう。しかも当地は、
継体王朝の基盤じゃったわけですよ。
あなたこそ、
>>156 の文物変化について回答がありません。
じゃけど、あなたはええ加減コテ名でも付けたらどうですか。
過去スレから番号付けてもコテ名を付けたことが無いでしょう。
「歴博広瀬信者」とか、「隠れYカルト信者の縄文南方主義者」とか、
あなにに相応しいコテ名で書いたらどうですか?
179 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/31(月) 22:36:09 ID:ppSroJY4
>>168 日本人種こそ妄想で、日本人は北亜細亜人種のように平坦な顔を
しとらんよ。
>>171-172 新大陸じゃあ、現地民は絶滅に近いダメージですよ。しかもモンゴル帝国
時代は、世界的民族移動期じゃ無いですし。
長江に文明?それが黄河に移行?おとぎ話ですか。
>>174 文物土器にしゃべる口はありませんよ。後世の人間が勝手に推測しとる
だけで。
180 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 22:37:12 ID:1sgbuFVU
>土器=「民族」の反映ではないし、 いや、生活最密着型文物である土器は文物の中でも その集団を最も的確に反映する文物の王様。 今も世界的に渡来人の故郷特定で最終決断を下す時に使われるのは やはり土器文化である。 確かに渡来人あればその渡来人たちの故郷の土器文化は渡来した地域に確実に 伝達されるであろうが、渡来人が無くても代表的な器種くらいは伝わる 事もある。 ただし、この場合、何らかの形でその土器文化集団と接触があったか、 その土器文化とは異なる別地域に宝器として伝わっていたものが 間接的に伝えられる事が想定されるが。
181 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 22:41:46 ID:VtP8Wn/2
>>176 >ただ九州から畿内への移動は有ったと考えています、これは言語的に飛び地化した出雲弁と
>畿内と交流の深い北陸とかが関西弁化してる事から推測できます
えっと、横レス失礼。あくまで一見解ということで参考までに、置いときますね。
『以上のように、日本語の問題の検討からわかることは次の三点にまとめられる。第一に、縄文人
が近隣のアジアの古代人とは似ていないのと同様に、日本語の系統をアジアの近隣の言語のなか
に求めることは今になっては非常にむずかしい。第二に、稲作渡来民が日本語の形成に与えた影響
についていろいろな議論があったが、結局のところ、日本列島で使われている言語は縄文時代から
根本的には変化していない。ただ母音が現在の東北方言に似たものから変わり、無アクセントから、
関西方言のようにアクセントに敏感な方言などが分化した。この後の変化には渡来人の「声調」が
影響したとみられる。第三に、日本語は漢語に日本語のよみから(訓)をあてて、その豊富な語彙や
概念を導入し、文明を支える言語に発展した。』
---「稲作渡来民」 池橋宏著より一部抜粋
182 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/05/31(月) 22:45:06 ID:ppSroJY4
>>176 小山氏のは、黄巾の乱と同時期の弥生倭国大乱期の人口少を
計算に入れておられませんね。しかし古墳期を通じて、
大量人口増は古墳期の大量渡来によるものですよ。
言語的にも云うて、上代日本語は記紀の時代が最初でしょう。
まさか、あなたは、タイム・フリップしたんか、古代人と話しを
したことでもあるんですか(笑)?
183 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 22:46:24 ID:SZsbOyOv
>>180 >土器=「民族」の反映ではないし、
>>いや、生活最密着型文物である土器は文物の中でも
>>その集団を最も的確に反映する文物の王様。
基本的に同意します。私は土器=「民族」の反映というところに
ひっかかりがあるわけで、なんらかの集団のなにものかの反映という
ことについては異論のないところです。
184 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 22:54:20 ID:1sgbuFVU
>>179 >日本人種こそ妄想で、
だから、これは学会の分類なんだからしょうがねえだろがこの我が儘ジジイ!
オメエ一人のクセエ脳内分泌物を知的弱者に押し付けんじゃねえよ。
いい歳こいて自分の脳内分泌物に合わないものは全部妄想か?
とっとと死ねよこの我が儘キチガイ!
185 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 23:04:58 ID:SZsbOyOv
>>178 「黄巾の乱」?、なぜそれを私が説明する必要があるのか分かりません。「縄
文系も弥生倭人も絶滅に近い人口減少となったろう」というあなたの言に対す
る反論のために列島の状態について文物から言った訳ですから。それともあな
たの上の発言は大陸を想定して言っていた訳ですか?
「在地」とはどういうことでしょう?それよりなにより、あなたは埴輪につい
てよく分かってらっしゃらないようですね。どうも武人埴輪しか頭に無いよう
です。埴輪の種類と変遷についてくらいなら、詳しく言うことが出来ますか?
武人埴輪の出現はいつ頃で、その前にどのような埴輪があったかということ
あたりからはじめて見てください。それから、系統を述べる前に、あなたの
想定する「北方民族」は故地で武人埴輪を作っていたのでしょうか?
>あなたの文物の在来系模倣に還元する「誘導」レトリックも意味をなしません。
文章の意味がよく分かりません。
>土器ほ作る職人は拉致すれば、ええわけです。朝鮮の役てでも朝鮮の職人を拉致
>したんと同じですよ。埴輪は征服民の服装を描いた云うことです。
「拉致」?「北方民族」が故地で職人を拉致して列島に連れて来て、自分たち
「北方民族」の姿を描かせたということですか?回りくどい話ですね。
埴輪を作っていたのは、普通に半島から渡来した集団あるいはその子孫だと思いますが。
>あなたこそ、
>>156 の文物変化について回答がありません。
たぶん水掛け論よりひどいものが出来上がるでしょう。だから自重します。逃げたと
いうことで構いませんよ
コテですか。私はあなたのように目立ちたがり屋じゃないし、道楽であなたと遊んで
いるだけなので、別にいいでしょう。それともなんとかもみじ民とかいうコテを私に
くれます?
186 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 23:06:48 ID:1sgbuFVU
>>183 なるほど。
土器=「民族」の反映というより、
土器=その集団の反映と言った方が正しいでしょう。
同じ縄文土器文化であっても、多くの異なる縄文人集団が
集まって大まかな土器文化を形成してるに過ぎない訳ですんでね。
187 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 23:27:11 ID:ZmdFKQzr
188 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 23:34:18 ID:ZmdFKQzr
水田 縄文人が、中国南部や朝鮮から技術導入した 弥生人 難民が勝手に押し寄せた 弥生土器 中国や朝鮮の土器をまねた 実は全部バラバラだった可能性が有る
189 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 23:44:51 ID:VtP8Wn/2
>>187 >水田の普及と、弥生人の拡散と、弥生土器の伝播は、すべて別であろう
うーんと、それは私もそのように考えますよ。参考までに「縄文土器の件の視点」でちと引用してみます。
『縄文土器の場合、生産と消費の分離がきわめて困難で、しかも、生産者と生産地の区別をすることが
むずかしいので、問題が複雑になるが、共通の土器生産伝統という生産上の局面の把握が編年研究
の基本である点は共通するはずである。』
---『縄文時代の考古学2』 「歴史のものさし」より一部抜粋
190 :
出土地不明 :2010/05/31(月) 23:49:34 ID:FpLmVWUe
191 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 00:06:55 ID:Uaer+Ces
>水田 縄文人が、中国南部や朝鮮から技術導入した 最古水田の土器文化は弥生土器文化。 最初の弥生土器文化である刻目突帯文土器文化。 >弥生人 難民が勝手に押し寄せた 海賊集団だろうね。 もとは沿海州内陸部にいたものが沿海州南岸でヴァイキング化したもの。 朝鮮東岸経由してくる最中に朝鮮稲作を知って九州北部上陸と。 >弥生土器 中国や朝鮮の土器をまねた まねているのは沿海州南西部の土器。 朝鮮土器は影響を強く受けているものの、そのものを生産していない。 中国土器は何の影響も見られない。
192 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 01:06:19 ID:AzoUvrM/
>>173 アジア系は男系子孫がいないからじゃね?w世界の殆どの人種には
白人男系(Y遺伝子)があるw
193 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 02:17:54 ID:i+jI8rFJ
上のリンク映像のどこかにあった「殺人祭りの土器」を見てふと思ったのですが 日本も農耕神は一度死んで股間から稲が生えたとかそんな話でしたよね。 こういうのは中国の外周の国には多い気はするけど、中原にも似た話はあるんでしょうか?
194 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 06:25:46 ID:P+xoH8yo
195 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 06:26:44 ID:P+xoH8yo
196 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 07:27:07 ID:Ea7cqg3S
http://www.rekihaku.ac.jp/events/p070703.html >弥生時代の新しい年代観はまた、弥生文化の新しい解釈を迫るものです。「東西交流」をテーマとした展示では、
>西日本の弥生文化と東日本の縄文文化とが互いに交流を持っていたことを示します。
>九州北部には弥生系の人々の土器である板付(いたづけ)系土器、東北には縄文系の人々の土器である
>亀ヶ岡(かめがおか)式土器が分布しています。
>九州の縄文や韓国には今のところルーツを求めることができない弥生土器の文様は、
>亀ヶ岡式の影響を受けていると考えられます。
>日本列島における縄文文化から弥生文化への移行は、弥生早期・前期を合わせ
>400年から600年にもわたる長期の過程でした。展示では、弥生文化が、渡来系の人々や
>縄文系の人々、また東と西の交流により、各地で多様に展開していったことを紹介します。
縄文から弥生への変化は、500年かけゆっくりと日本中で交流しながら行われた。
土器の分布からそれは明らかになりつつある
197 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 09:29:02 ID:Pory87em
「2005年尾本・埴原・宝来他-日本人YDNA二重起源」による の日本人ルーツ仕分け 縄文時代 C1-M8 5.4% 縄文 D2-P37.1* 3.9% 縄文 D2a-M116.1 16.6% 縄文 D2a1-M125* 12.0% 縄文 D2a1a-P42 2.3% 縄文 ----------------------------------------------------- 弥生時代 農耕民の渡来 O3-M122* 6.6% 第一次 ミレット 華北 O2b-SRY 7.7% 第二次 陸稲雑穀 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 Ob21-47z 22.0% 第二次 陸稲雑穀 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 O2a-M95* 1.9% 第三次 水稲 華南 O3a3-LINE1 3.1% 第三次 水稲 苗族 華東 ------------------------------------------------------ 古墳時代 騎馬文化等関連産業人として渡来 C3-217* 1.9% アルタイ・匈奴(オルドス) C3c-M86 1.2% バイカル・扶余・鮮卑 バイカル石板墓文化 N1c1-M178 0.4% 穢 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 N1-LLY22g* 1.2% 貊・突厥 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 NO-M214* 2.3% 古羌 ---------------------------------- O3a3c-M134 10.4% 秦氏他 ↓月氏(アンドローノヴォ文化)系 Q-P36 0.4% タタール R-M207 0.4% コーカソイド・月氏 I-P19 0.4% コーカソイド・トカラ人
198 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 09:37:59 ID:Pory87em
「騎馬民族征服王朝」が成立するのは欧州、中央アジアが中心で、本来農業専制への移行よりはノマド牧畜が主力である地域。 この地域にも東アジア農耕民族は進出していた。気候等の環境変動に伴い遊牧ノマドも、農耕民族も農業に効率の良い黄河、 遼河、漢江、洛東江、そして九州北部へと移動を余儀なくされた。この移動に伴い本来モンゴリア等中央アジア時代に持っていた 騎馬民族征服神話が継承され、農耕民族本来の神話に組み込まれた。
199 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 11:35:28 ID:d6V5fgsV
あんまり日本の神話に騎馬民族特有の物が無いんだよね、熊が先祖だったとかさ、あと檀君神話もアリランも一切伝わってないし。海洋民族の神話は多いんだけど・・・・
200 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 12:21:13 ID:ZQNpZu5y
日本人は騎馬民族でなくてカメに乗る民族だな。
201 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 12:45:11 ID:Pory87em
202 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 12:47:05 ID:Ea7cqg3S
平安時代の貴族の乗り物が牛車だしな 牛だぞ、うしw 大和朝廷の貴族が馬に乗らんで誰が乗ったと言うのか さらに日本では馬車がほとんど発達していない 馬車は古墳時代にはすでに知られていたから 道が悪く狭いのが原因かも ちなみに韓国にも馬車は定着していない
203 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 12:56:58 ID:Pory87em
アレクサンダーの植民地バクトリア・ソグディアナは大月支国となり、その文化は新羅に達し、ローマ文化を新羅・大和に仲介 している。これは既に鉄器時代の話。従い青銅器時代と鉄器時代の2つの時代にギリシャと共通する文化、ギリシャ文化の 影響を受けたことになる。
204 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 13:13:08 ID:Pory87em
現在のブリャート共和国にはセイマトゥルビノ時代、グラスコフ文化と 言うのがあり、突帯文土器、ネフライト(玉)、水辺埋葬等の特徴を持っ ており、人種的にはモンゴロイドであった。 その後、殷・周時代にこの地方は西方のコーカソイド民族の圧迫により、 イルクーツク近辺に四隅突出型墳丘墓、ウランウデ方面に前方後方墳を 含む石板墓文化が出現。これは冒頓単于の活動時代、扶余の南下と共に 高句麗、百済に南下する。この時一部は北九州経由出雲に入り、後に吉備 でホタテガ貝型古墳、前方後円墳を築いた。大和朝廷はこの古墳形式を 採用している。
205 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 13:18:35 ID:Pory87em
最近、朝青竜のウランバートル以前の出身地、モンゴル中南部でロシア 調査団が四隅突出型古墳を発見している。
206 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 13:25:12 ID:Pory87em
邪馬台国の卑弥呼は銅鏡フェティシズムとシャーマニズムももった女王のようで あるが、モンゴル西北に接するトゥヴァ共和国において内行花文鏡、神獣鏡のような 漢鏡を含む銅鏡が大量に出土しているとされている。
207 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 13:33:13 ID:Pory87em
ブリャート・モンゴル・満州国境地帯のブリャート領内には「クダラ」と言う地名 が多く、クダラ郡と言うのもある。その意味は抜き足で、忍び足で、こっそりとという 意味であり、落人部落といった意味のようである。おそらく百済、信濃(忍野)という のはこうした語源であろうと考えられる。ブリャート共和国のクダラ頓単于に追われ た扶余族が一時避難していた場所と言う意味であろう。
208 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 14:23:22 ID:ZJkYfMxD
わぉ〜わぉ〜、月光たん(^-^)/
>>206 チベット仏教(オークネフ密教)の信仰率9割のトゥヴァ共和国のあたりが
邪馬台国の故地ですか〜
209 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 14:28:47 ID:ZJkYfMxD
210 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 14:37:39 ID:ZJkYfMxD
わぉ〜わぉ〜わぉ〜 LUNAMASK:2010/03/08(月) 16:52:18 ID:G3t8qnrY >弥生期の沃沮系に続いて >三輪王朝=東胡 >マトリックス的にしか見えないが↓ >応神・継体王朝/白鳳・奈良=トゥヴァ・ハカス/月氏 初期の邪馬台国もトゥヴァ・ハカス/月氏王朝ということかな!?
211 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 14:43:13 ID:8Ui6MXWa
高句麗って騎馬民族だったんだろうか?
212 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 14:43:39 ID:ZJkYfMxD
@少名彦系(天孫) 支石墓・前方後円墳・南方(西方)系・メソポタミア・カラスク・イ族・稲作民 太陽信仰・ゾロアスター(拝火)教・修験道・松明祭り・鳥・犬 邪馬台国・神武・神功皇后・雄略・天武・後醍醐・飛鳥文化 蘇我氏・秦氏・鴨氏・吉備氏・橘氏・紀氏 A素盞嗚系(地祇) 前方後方墳・四隅突出型・北方系・ブリアート・バイカル・高句麗・牧畜民 大地信仰・星辰信仰・鹿・猿 崇神・天智・藤原氏・物部氏
213 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 14:45:49 ID:ZJkYfMxD
214 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 15:38:05 ID:Pory87em
>>210-213 基本的には九州のオシホミミに代わって伽耶・吉備のニニギ系が東遷し、
ヤマト王朝を築いたということでしょうね。
215 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 16:40:49 ID:R5GsNW9C
210=帰化鮮人はスルーで
216 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 18:41:32 ID:LlBfU/q9
基本的にコテの鮮人が言ってることは事実の逆だと思って間違いないよ 驚くほどしっくりくるよ
217 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 19:04:53 ID:ZJkYfMxD
わぉ〜わぉ〜
>>216 月光たんは鮮人じゃなくて、ギリシャ人なんだお〜(^-^)/
218 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 19:14:55 ID:Pory87em
219 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 19:24:05 ID:Pory87em
220 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 20:11:08 ID:Ea7cqg3S
221 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 20:50:05 ID:PV8Wq2Fk
>>193 『古事記』の大気都比売神に相当する中原の神話は、后稷か神農・炎帝だと思う。
后稷は、農業神として『史記』にも記述がある。
神農は、毒草の食べすぎでストーリー上死ぬ。
神農は炎帝と習合したり蚩尤と習合したりしているが、
三皇五帝の位置づけが書物によって違うので、けっこうブレがある。
成立した王朝は黄帝を名乗り、倒された王朝は蚩尤になるので、紀記と違い各々の書物に整合性はない。
他にも、農業神はいろいろいるので、后稷・神農・炎帝などを手がかりにして
神話を調べるといいと思う。神話の詳細はよく知らん。
222 :
LUNAMASK :2010/06/01(火) 21:21:31 ID:Pory87em
223 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/01(火) 22:05:36 ID:PuGea+pU
>>185 黄巾の乱以降、人口減少となった漢人の文物は五胡が征服した後にも
出とりますから、あなたの文物珍説から、漢も人口減少が無かった
云いたいんですか?
ほいから、埴輪は朝鮮半島に無いでしょう。じゃけぇ渡来系が日本で
職人を拉致し作らせた可能性が強いんですよ。
コテ名を付けん逃げ道ですか。わしのコテを真似ても意味が無いで
しょう。コテ付けるんならトリップ付けんさいや。
>>191 古墳期なら、ツングース水軍日本征服説は成り立つけど、中華奴隷の
弥生期に軟弱列島倭人海賊じゃの、弱い海賊じゃのう(笑)。
>>202 牛車は、北方騎馬民族の乗り物じゃないか(笑)。逆に農耕民族の漢人や
西洋人は馬車をよ利用するのう。まあ、騎馬民族でも西方の連中は
馬車も使うが、概ね騎馬民族にとって馬は騎乗用で、車に乗せた住まいを
押すんは牛ど。ほんま、無知な者は可笑しげなことを云うわい(笑)。
224 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 22:20:11 ID:Ea7cqg3S
>>211 高句麗は建国神話に馬が出てくるので可能性は有る
百済は建国神話に船が出てくるのでたぶん騎馬民族では無い
日本の建国神話にも船が出てくる
ただ高句麗と百済を滅ぼしたのは新羅
新羅ははっきりとは分からないが
土着の勢力がまとまって国になったらしい
つまり高句麗と百済は別の渡来系の勢力と言う事になる
高句麗は大陸から、百済は天孫と同様に船でやってきた勢力であろう(出身地不明)
日本では出雲VS天孫だったけど、朝鮮ではもう一つ増えて
新羅VS百済VS高句麗になった。これに更に中国とモンゴルが絡む
225 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 22:45:17 ID:30JUDnHP
>>223 >黄巾の乱以降、人口減少となった漢人の文物は五胡が征服した後にも
>出とりますから、
それで何か問題でも?これはひとつには「縄文系も弥生倭人も絶滅に近い人
口減少となったろう」の「絶滅に近い人口減少」という言の認識と理解に関
する問題じゃないんですかね。絶滅というのは強い言葉だということです。
絶滅したら、当然もうこの世には出てこられないわけです。ドードーみたいな
もんです。あとは、あなたが縄文系や弥生倭人なるものを低く見積もりすぎ
だと言うことです。ただ、私は別にあなたの意見として個人的にそういうこ
とを主張するのは、一向に構わないと思います。根拠が伴なわなければ、相
手にされないわけだし。
>あなたの文物珍説から、漢も人口減少が無かった云いたいんですか?
文物の研究が考古学の基本としてあることは理解されていますか?流石に
そこから説き起こすほど私も暇ではありません。また、漢の人口減少が無かったと
は、私には言えない。おそらく減ったでしょう。ただ、それも資料・史料から確認
されるべきことです。
>渡来系が日本で人を拉致し作らせた可能性が強いんですよ。
「渡来系が日本で人を」?これが、ちょっと文章の意味が分からない。それに
この文章だと時期も名称も地域も書いてないですよね。渡来系というのはあな
たの場合、「北方民族」、具体的には扶余ですか?
コテもトリップもつける気はないです。理由は付ける意味が無いからです。
それに2chのコテの末路って悲惨じゃないですか
226 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/01(火) 22:46:42 ID:PuGea+pU
227 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 22:53:59 ID:Ea7cqg3S
>>223 牛車は東南アジアにもいっぱい有るぞ
その主張だとタイやベトナムも騎馬民族w
228 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 23:17:28 ID:30JUDnHP
それからですね、あなたの姿勢はちょっと意固地過ぎやしませんかね。
>>174 の「文物土器にしゃべる口はありませんよ。後世の人間が勝手に推測しとる
だけで。」みたいな意見ですが、その直後
>>178 での、あなたの見解、私にはよく意味が分かりませんが、それは
さておき、こういう理解も文物を曲がりなりにも観察して出たもの
じゃないんですか、違いますか?
>在地とするなら、埴輪も在来的云うことになるわけで、
>しかも胡服、筒袖の北方習俗さえ、埴輪を造るんは在地系に
>なるでしょう。じゃが埴輪の習俗は在来系や南方系じゃと
>思いますか?北方渡来系じゃと思いますか?
229 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 23:30:18 ID:30JUDnHP
>>228 の「
>>174 の「文物土器にしゃべる口はありませんよ。後世の人間が勝手に
推測しとる だけで。」みたいな意見」というのは白馬青牛の
>>179 での発言
でした。それから、「その直後」というのは「直前」の誤りです
230 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/01(火) 23:35:13 ID:PuGea+pU
>>225-227 大量人口減少は、現地人にとって絶滅に近いでしょうに。
ほいで、渡来系の大量移民は古墳期じゃ云うとるはずですよ。
北方系は北朝系もおったでしょうし、扶余系に限定しとるわけも
無いでしょうに。
ほいじゃあ、埴輪の胡服、筒袖の服装を騎馬民族系じゃと
思いますか?農耕民じゃと思いますか?云うことですよ。
>>224-226 烏孫や突厥の建国神話に馬が出て来るんかねぇ?
騎馬民族系でも必ずしも馬が出て来るたぁ、限らんよ。
ほいから、新羅は朴氏の神話に馬が出てくるど。
ほいから、日本の牛車は二輪の高句麗様式でぇ。
231 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 23:38:40 ID:7q7n5ZWN
朝鮮は、一輪式の猫車
232 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/01(火) 23:39:42 ID:PuGea+pU
233 :
出土地不明 :2010/06/01(火) 23:48:45 ID:7KmVVj4L
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■ @まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて 自家発電でもって正義の味方を装う。 (朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる) Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、 長江江南人が渡来したと狂言しまくる。 (バカ、ダマサれ信じ込む) Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を 働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。 Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
234 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 00:16:06 ID:Gb/X+UVc
>大量人口減少は、現地人にとって絶滅に近いでしょうに。 認識の違いということです。私は「絶滅に近い」というのは無いだろうと思います。 ただ、お互いに確然とした具体的数字は出せないでしょう。そもそも、小山の縄文 時代の人口試算、あれはその当時までに発見された竪穴の数と関野の方程式 あるいは民族例などから導いたひとつの仮定ですから、その程度に理解する 必要がある。 >ほいで、渡来系の大量移民は古墳期じゃ云うとるはずですよ。 >北方系は北朝系もおったでしょうし、扶余系に限定しとるわけも >無いでしょうに。 あなたの渡来系というのは「北方民族」が主ということではないんですか? 一般的に言われている渡来系集団の移民という話であるならば、古墳時代に 多くの人が来ているというのは、埴原なども認めているところです。ただ、 あなたは明確に「北方民族が大量渡来」したと言っていたと思いますが、 その「北方民族」の具体的な名前が出てきません。 扶余でない?江上のお話とは違うんですね。そこは気がつきませんでした。 ただ、あれですか、もともとの遊牧騎馬民族が、次第に農耕民の中に 入って列島の来るころには、もう遊牧的なものは失くして、ある意味 で同化していると、そういう理解ですか? >ほいじゃあ、埴輪の胡服、筒袖の服装を騎馬民族系じゃと思いますか?農耕民 >じゃと思いますか?云うことですよ。 典型的な武人埴輪の姿や馬具そのほかの文物に、いわゆる騎馬民族的なものを 認めない人はいないでしょう。ただ、それがあなたの主張「北方民族」、騎馬 民族の大量渡来に即合致するものだとは思われませんね。 そもそも埴輪がどの ようにして出てきたか、人物埴輪は最初じゃない。埴輪の変化そのほかはあな たに質問しているることなので、多くを述べませんが
235 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 00:21:45 ID:09XJgpkc
「アレクサンドロス三世率いる軍隊がアジアに文明の灯をともした」と
考える月光仮面さん、
>>120-121 はどう思いますか?
236 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 00:33:17 ID:VxS6LAro
月光仮面はホモ
237 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 00:48:21 ID:lamy7oFg
238 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/02(水) 00:58:16 ID:PlnGD58y
>>234 小山氏の古墳期の大量移住を表す数字は無視ですか?
弥生期の59万から土師期の53万と10倍以上に増えとりますのう。
まあ、弥生期の倭国大乱は中国の黄巾の乱と同時期ゆえ、
中国と同様、弥生期の人口減少から小山氏の弥生期の人口は
多過ぎると思いますけどね。
北方民族云うても、世界的民族移動期ですから、一部族だけ
渡来するわけ無いでしょうに。江上氏は征服王朝を創ったのが
扶余じゃとされてますけど、渡来系が全て扶余じゃと一言も
云うておわれんですよ。遊牧民的生活様式を日本だけじゃ
のうて、朝鮮半島でも無理ですよ。じゃが習俗や神話に
北方から南下した痕跡を残しております。
北方民族が大量渡来したんは、形質人類学からも否定出来んで
しょうに。じゃけぇ埴輪の服装は、列島倭人のポンチョじゃ無い
んですよ。土着民の可能性は限りのう低い云うとるんですわ。
239 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 01:50:18 ID:5q/yLGaF
>小山氏の古墳期の大量移住を表す数字は無視ですか?
はて、小山試算の問題については、
>>234 に少し書いておいたつもりですが。
それから時間の区切りが粗いですね。たとえば「弥生期の人口減少」それで
は時間の目盛りが粗いんです。弥生のどの時期、どの地域でしょう?
江上は、のれんみたいなところがありますからね。あなたもそうですかね
>北方民族が大量渡来したんは、形質人類学からも否定出来んでしょうに。
これはよく分かりませんね。あなたは当然4世紀から8世紀(ですか)の
「北方民族」にはどのようなものが居たのか勉強しているはずですよね。
複数の集団であるにしても、それらのうちのどれかが主導的であり、
「大量渡来」しているというお話でしょう?どうして具体名を挙げられないのか。
それをちゃんと挙げて、複数渡来したという「北方民族」のあいだの形質的な
違いをしっかり説明して、それから列島にある「北方民族」のお墓、遺跡の具
体例を示し、そこから出ている人骨と故地の人骨の形質的な分析をする。また、
墓制、墓のつくりや副葬品そのほかについて詳細に比較するのが筋でしょう。
>じゃけぇ埴輪の服装は、列島倭人のポンチョじゃ無いんですよ。土着民の可能性
は限りのう低い云うとるんですわ。
ここの「じゃけぇ」からの話の流れは相変わらずよく分かりませんね。主語も無いし
登場人物を整理して話してもらえませんか。あの拉致云々の話からです。上の話といい
ちょっと急ぎすぎじゃないですか。ところで、埴輪にはいろいろな種類があることぐ
らいは理解できましたか?
240 :
家電.com :2010/06/02(水) 02:01:25 ID:ZVllJ/fk
241 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 08:36:55 ID:FCUk8TN5
>>235 「アレクサンドロス三世率いる軍隊がアジアに文明の灯をともした」と
考える月光仮面さん、
>>120-121 はどう思いますか?
-------------------------------------------------
日本古墳時代を下支えした出雲族、その四隅突出型墳丘墓を持つ出雲族
はイルクーツク・グラスコフ文化の担架者として西方、セイマトゥルビノ文化圏
に対し、ネフライト・玉製品を輸出していた。当時、後にミケーネに入る
コーカソイド・グレコ-アルメニア語集団はカザフスタン北東において
グラスコフ文化人と接触し、太陽信仰・鹿トーテム価値観を吸収し、
グラスコフ文化人を称賛し、極北人伝説を残した。・・・それだけのことですよ。
242 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 08:46:04 ID:FCUk8TN5
承前 グラスコフ文化人もセイマトゥルビノ文化の青銅斧・剣等機能的な青銅利器鋳造技術 は継承し、これは後に粛慎・邑婁・ポリツェの鍛鉄鉄斧へと発展したが、細型銅剣鋳造 技術は後に朝鮮半島北東部経由日本にも入ってきた。この軌跡は百済に入る扶余 と重なります。
243 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 08:50:57 ID:FCUk8TN5
承前 但し、こうしたセイマトゥルビノ技術の実用化は殷・西周併行の石板墓文化時代 に入ってからトランス・バイカルにもたらされた。同時に墓制面においても 四隅突出型墳丘墓、前方後方墳、方形石籬墓地が発達した。
244 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 09:04:34 ID:FCUk8TN5
高句麗は高地性・句麗(朝陽鹿)族と言う意味ですが、その建国は: [サヤン・アルタイチュルク語民族固有宗教神話] 宇宙論的神話として、宇宙は天、地、地底世界(又、太陽と月がうっすらと照らし、 自体の天を持ったり、持たなかったり、海、川、地底世界のある特別な異界に言及 するんぽのもある)天は穹窿で地を覆い、常に地の縁と接している。地底世界への 入り口は西方にある。その枝に人間・動物の胎児が乗っている世界樹が三界 を結ぶ。あるいは山頂が天に届く山が天を支えているとする。 ----------------------------------------------------------------- 原初には巨大な水面があり、二羽の鴨が泳いでいた。一羽が水泥で大地を作る 決意をする。二羽目が水底の潜り、くちばしに水泥を咥えて浮上する。最初の 一羽がそれを水面に撒くことをはじめ、ついには大地が誕生する。二羽目が 陸上に上がり、そこに石を撒き始め、このために山ができた。シャーマン神話 では一番目の鴨を天界の王ウルゲンとし、二番目の鴨を地底の王イェルリク とする。彼らを兄弟とする神話もある。 -------------------------------------------------------------------------- 上記の第二の鴨、上鴨から来る。日本の葛城の高・尾張の高とか、 高地性集落、高良大社等がこれである。 地祇族、出雲族とは一番目の大地を作る下鴨であり、御柱の4本の柱、 地鎮祭の4本の柱、土俵の柱、四隅突出型墳丘墓は同じルーツ。この 神様がオオナムチ、大国主命である。
245 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 09:21:51 ID:FCUk8TN5
246 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 09:43:59 ID:6V0K9qhq
古代朝鮮の人口てどれぐらい?
247 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 12:20:04 ID:/DuQ/fPh
在日が入ると何でも妄想スレに成るんだな。
248 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 12:34:12 ID:3sFQPoHs
>>241 セイマトゥルビノ文化って何ですか? 例えば以下のように元の綴りがわかると幸いです。
グラスコフ文化−Glazkov culture−Глазков(Глазковская культура)
ヤクート(サハ)−Yakuts(Sakha)−Якуты(Caxa)
ケット−Ket−Кеты
スキタイ−Scythians−Скифы−斯基泰
オクネフ−Okunev−Окунев−奥庫涅夫
タリム−Tarim−Тарим−塔里木
カラスク−Karasuk−Карасук−●拉蘇克 (●=上下 カラOKのka)
トカラ−Tocharian−Тохар−吐火羅 (→ Centum-Satem ケントゥム-サテム)
トゥヴァ−Tuva−Тыва−図瓦
オルドス−Ordos−Ордос−鄂爾多斯
249 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 12:54:36 ID:FCUk8TN5
250 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 12:56:45 ID:FCUk8TN5
251 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 12:57:34 ID:3sFQPoHs
>>249 どうもです。スパシーバ。
これに触れている日本語の文献が殆どないんですよ。
252 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 14:29:06 ID:FCUk8TN5
>>249 セイマートゥルビノ(トランスカルチャー)現象というのは、フィンランドからモンゴルに
広がる広大なユーラシア森林ステップにおいて大量に出土する埋葬遺跡において
発見された特徴的金属製品を指す用語。武器・器具の形状、骨製小札甲冑、
ネフライト装身具等、それまでにほとんどのユーラシア北部諸文化において見られ
なかったものばかりである。実際上主要なセイマトゥルビノ・墓場遺跡は全て
大河水系及び大型河川河口に集まっているが、これらの墓場遺跡に関係する
金属加工能力を有し、騎兵隊、二輪戦車を使用する遊牧民戦士の集落については
現在のところなにもわかっていない。この文化現象は、(アルタイステップ、
森林ステップ、山麓の)「アルタイ」冶金・馬畜産部族と豊富な石製・骨製器具、
ネフライト装身具を持ち、イェニセイ河からバイカル湖にかけて居住した機動性
のあるタイガ狩猟・漁労の「タイガ」民族が主要構成部分として形成されたようである。
この文化の担架者は、その当時の、たとえば、中央アジアの発展した青銅器文化に
襲いかかるのに十分な力はなかったようである。以前の「セイマ・トゥルビノ文化」と
呼ばれたが、セイマ・トゥルビノ青銅製品は全く異なった考古学文化諸文化の
存在する広範な地域を一時点で網羅し、急速に消滅しており、それら諸文化は
その後も継続していることから、そうした呼び方は不適当とみなされたもの。
253 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 14:32:35 ID:FCUk8TN5
>>251 どうやら玉造集団・出雲族はセイマトルビノ現象の一部分であった可能性が
高いですね。そもそもネフライト玉の価値観は東洋人のもの。
254 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 15:26:44 ID:FCUk8TN5
>>250 セイマトゥルビノとはフィンランドからモンゴルにかけてのユーラシア北部の
前1500年頃の埋葬サイトを指す。被葬者は騎乗乃至は二輪戦車で旅する
遊牧民戦士と金属加工者。彼らははアルタイ山地出自のノマド。ずっと後の時代
のモンゴル来襲の先駆者ではあるが、これらグループは青銅器時代の重要
な社会のサイトを攻撃できるほど強力ではなかった。
255 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 15:31:25 ID:FCUk8TN5
256 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 15:51:33 ID:FCUk8TN5
257 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 15:58:14 ID:IoH1X2VC
まあ何でもかんでも朝鮮半島起源と言わなければ問題ないと思うよ。 別に朝鮮半島の文化が日本に来なかったわけではなくそれはそれで否定はしない。 でも中国南部や他の南方地域から伝わった文化を完全に否定して100%半島から伝わったと考えるのがおかしな話だ。 それに列島から半島に伝わった文化だってあるんだしね。 ようするに 「その当時の倭人は未開で野蛮だったから船に乗って南方に出かける技術どころか半島に逆に来る事すら出来なかった。 猪を槍で追いかけてた野蛮人にそんなことが出来るわけが無い。半島から文化が伝わるまで列島の倭人は洞窟でアフリカ人同然の 生活してたんだからな」と頭から決め付けているからそういう考えが生まれる。
258 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 16:05:37 ID:FCUk8TN5
実際問題、弥生の主役は地域別に多様化し、シェアーを拡大したD2による 農業経済への移行であって、畑作・稲作のO2bもこれにはかなわない。
259 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 16:09:56 ID:6V0K9qhq
260 :
LUNAMASK :2010/06/02(水) 18:00:56 ID:FCUk8TN5
261 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 22:20:23 ID:whT7gUjL
>>257 >>「その当時の倭人は未開で野蛮だったから船に乗って南方に出かける技術どころか半島に逆に来る事すら出来なかった。
・・・魏志倭人伝に対馬島民が南北にシテキしていたという記事があるが、半島人が列島に来ているという記事はないしな。
倭の諸国にも朝鮮地名など一箇所も見当たらない。
262 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 22:38:21 ID:s4jEz97e
朝鮮経由というのは俺もよく使うけど、朝鮮半島起源なんて誰が言ってるの? 単にウンコくせえ江南ベトナム顔ロイドの台湾ウンコ土人のおまえ自身で そういう誰も相手にしてないデムパをわざわざ2chまで引っ張ってきて 勝手に炊きつけて自分自身で叩いて自家発電してるだけだろが。 だが、確かに100%半島から伝わったと考えるのは全く以っておかしな話だな。 朝鮮半島 + 日本海対岸のアムール沿海州沿岸部 = 100% なんだから。 で、中国南部や他の南方地域から伝わった文化って何? ぜひ教えてよ江南ハッカク褐色広鼻ロイドの台湾ウンコ顔類人猿くんwwww
263 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/02(水) 23:37:38 ID:PlnGD58y
>>239 小山氏は、時代の点では弥生の時期を特定されて無いけど、
地域別に人口変動を書いておられますよ。例えば九州なら弥生期、10
万から土師期71万、近畿は、弥生期10万から土師期123万とされてます。
江上波夫氏がのれん云うてどういう意味ですか?
江上氏は歴史を総合的に捉える、日本の学者の中では少数派の真っ当な
見識を持つ学者でしょう。江上氏が「日本の学者は、非常に狭いね。
驚くほど狭い。これは歴史家に向きませんよ。」と云われるのも、
江上氏の師匠浜田青陵氏が師匠のセース氏から、「毎日二時間勉強すると
ボケる。一週間に二時間ぐらいで充分だ。あとはほかのことで広く経験
したり、見聞しろ」と、云われた。江上氏は、「実際英国人は悠々と勉強
している。とにかくセースは朝から晩まで魚釣って、お茶ばっかり飲んで
いたって言われる。(専門馬車馬的に刻苦勉学する)日本にはそれが
ないんですよ。
お茶ばっかり飲んで、あの連中の方がやっぱり贅沢を、何が価値があるかと
いうことを知ってる。やっぽり自分でものを考えるというやり方を
知ってるわけですね。」と。
日本では、特に東日本では、専門分析に徹することが、学者と考えられる
職人気質じゃが、全体的、総合的視野に欠ける。
歴史とは、総合的視野に他ならん。見聞を広め、経験を自分で再生産して、
学問化せにゃあいけん。「歴史とは、論理でなく経験による見識である。」
云うことよ。
264 :
出土地不明 :2010/06/02(水) 23:49:21 ID:BdzGdBrT
>>262 >他の南方地域から伝わった文化って何?
・先ナイフ形石器文化(4万〜3万5000年前)の過半は、朝鮮半島地域を経由していないと推測される。
尚、↑上記には、ナイフ形石器に含まれないナイフ状石器も含まれる。
・ナイフ形石器文化T(3万5000年〜2万7000年前)も朝鮮半島地域を経由だけでなく、他地域経由
の石器文化があると推測される。
・ナイフ形石器文化U(2万7000〜1万7000年前)の一部は沖縄までだが、南方地域から波及
している。そして、南方地域からではないが、朝鮮半島地域ではない樺太地域経由で日本列島北部
に波及しているナイフ形石器文化Uがある。
・細石刃(器)文化(1万7000〜1万2000年前)も朝鮮半島地域経由ではない、樺太地域経由で
関東地域まで波及している細石器文化がある。
以上、『新しい旧石器研究の出発点』 小田静夫著を参照。
265 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 00:10:20 ID:KCo0e98q
>>263 よく理解されてないようですから繰り返し言いますが、あれは当時発見されていた
遺跡の、発掘された住居跡と推定されるものから、試算したものです。さて列島に
は、まだどれ程の遺跡が眠っているでしょうか。また、発掘された遺跡というのは、
基本的に開発のある場所です。
つまり、小山が扱ったデータは地域的にも地点的にも偏りがあるということです。
それをどこまでも一般化してはいけない。小山試算はあくまでもひとつの案です。
大まかなところでは、合っているでしょうが、事実でもないし、それほどの正確
性もない。資料が増えた現在では変わっているところもあるでしょう。
のれんというのは「腕押し」のことです。あなたの引用した言については、私も
基本的には賛成です。江上はそういう意味では優れた学者だと思います。ただ、
想像力に走り、また経験にものを言わせる傾向がある。懐が深くヌルヌルして
いるので、なかなか四つには組めないということです。
A.H.Sayceは、アッシリアや古典古代について考古学する人で、どちらかという
と言語学系、美術史系の方でした。あなたも、Sayceを引き合いに出すだけでな
くて、Petrieについても学んだほうが、その総合的視野というものが、より醸
成されるんじゃないですかね。
東日本がどうとかいうことは私にはよく分かりません。何千人もの東日本出身
の研究者と親密な見聞を広められてきたとお見受けするあなたのような方で無
いと、とても恥ずかしくって言えないと思います。
ちなみに「歴史とは、論理でなく経験による見識である」っていうのは、誰の
言葉ですか?
266 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/03(木) 00:15:25 ID:K/sBL0AW
>>239 続き。軍隊でも、戦闘となると自然と各分隊間の間隔が狭くなるのは、
人間の孤独を恐れる本能ですが、指揮官は全体的視野で間隔を開ける
ように指揮するんがゼネラルでしょう。それと同じように、
総合ゼネラルたる歴史家は、専門スペシャリストになると、
視点を狭め、墓穴を掘るんと一緒ですよ。江上波夫氏が「浜田先生が
われわれに教えたのは、学者は絶対に広くなくちゃあいけないって
言うんだ。常に横に広がる。それが学者なんだ。(専門的に)下に
掘ることはないって言うんだ。下に狭く深く掘るのは
職人(スペシャリスト)だ。広く掘ったほうが穴としちゃあ大事なんだ。
みんな入れる広い器をつくってやらなきゃダメじゃないか、それが
学者だって言うんだ。」と、歴史家は幅広い知識が無いと駄目なんですよ。
ほいから、わしの渡来系が複数の集団で扶余や北朝胡族等、具体的に
北東アジアの集団と云うとるんですよ。まさかあなたは、扶余集団と
北朝胡族の各集団に形質的差異があったとお考えですか?
まあ、羯のようにコーカソイド集団もおったでしょうが、
北東アジアの新モンゴロイドのトルコ・モンゴル・ツングース・
チベット羌等が主流でした。むしろ日本の原住民の古モンゴロイドが
違いますよ。
267 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 00:22:07 ID:R63yZ2Tj
>>241 それとアレクサンドロスが何の関係があるんで?彼がアジア全部を征服する
以前、カザフスタン周辺に人は住んでいなかったのでしょうか?
268 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 00:22:28 ID:Sv+jvB3s
韓国の歴史ファンタジーとかでイメージされる時代考証に合わない服装をした 半島の人間(8世紀ぐらいの漢服着た文明人っぽい)が列島のワラで作った腰蓑巻いて槍を持った 原始人に文化を教えてやったと本気で思っている韓国の学者が居る。 文化の往来は一方通行的なものじゃないんだ。倭人=原始人、半島人=列島に文明をもたらした文明人 と言う図式をまず捨てないといけない。 「半島の人間が文化を伝えなかったら倭人はいつまでたっても原始人だったんだぞ」この上から目線を何とかしないと 本質は見えてこないよ。半島も列島も文化レベルではどんぐりの背比べに過ぎない。倭人が洞窟で狩猟生活している時は 半島も同じく狩猟採集の生活で洞窟で暮らしてたんだから。 どちらが上でも下でもない。
269 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 00:36:48 ID:MnIdcQ0e
270 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/03(木) 00:40:43 ID:K/sBL0AW
>>239 続き。「じゃけぇ」云うんは「ですから」云うことですよ。文脈の流れから
主語が必要ですか?あなたは、鴨稲荷古墳の時でも変遷云う抽象観念論で
具体的明言を避けておられるじゃないですか(笑)。整理して聞きたいんは、
こっちの方ですよ。あなたが埴輪の種類が云いたいんなら、
具体的に埴輪の種類を提示して、あなたの好きな変遷でも云うたらええで
しょうに。
>>257 中国南部から、日本列島へ弥生、古墳期を通じて直接伝わった文化なんか
思いつかんけど、具体的に何かのう?
あんたアフリカ人同然と、アフリカ人に対する文化優越感でも持っ
とるんか?Y染色体の時は、アフリカ人と同族で、文化は違うんか?
可笑しげなことをゆうのう。
>>261 魏志倭人伝でも倭は日本列島だけを表す表現なんか一言も無いけど(笑)。
>>264 華北、朝鮮軽油の細石刃は、無視か。
271 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 00:52:58 ID:KCo0e98q
>>266 であなたが言っていることと関連してですが「北方民族が大量渡来したんは、
形質人類学からも否定出来んでしょうに。」
これは具体的にどういうことなんでしょう。列島において形質的にどこが、
「北方民族の大量渡来」以前と以後で違ってくる?
272 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 01:03:13 ID:sJpoiJ4F
>>270 ・先ナイフ形石器文化(4万〜3万5000年前)の過半は南方地域からの波及と推測される。
過半は、朝鮮半島地域を経由していないと推測される。
尚、↑上記には、ナイフ形石器に含まれないナイフ状石器も含まれる。
・ナイフ形石器文化T(3万5000年〜2万7000年前)も朝鮮半島地域を経由だけでなく、
南方他地域経由の石器文化"も"波及したと推測される。
・ナイフ形石器文化U(2万7000〜1万7000年前)の一部は沖縄までだが、南方地域から波及
している。そして、南方地域からではないが、朝鮮半島地域ではない樺太地域経由で日本列島北部
に波及しているナイフ形石器文化U"も"ある。
・細石刃(器)文化(1万7000〜1万2000年前)も朝鮮半島地域経由ではない、樺太地域経由で
関東地域まで波及している細石器文化"も"ある。
以上、『新しい旧石器研究の出発点』 小田静夫著を参照。
対話するつもりはない。が、一応文章表現を訂正しとくわ。
で、横レスするなら、レスの流れをよく読むことですなw
273 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 01:09:50 ID:KCo0e98q
>>270 >「じゃけぇ」云うんは「ですから」云うことですよ。
そこじゃなくて「「じゃけぇから(先の)の話の流れ」が分からないんです。
>文脈の流れから主語が必要ですか?
ええ、ちゃんとした説明が必要です。誤解・曲解されないようこの際
ちゃんと書いといたほうがいいのではないでしょうか。
>あなたは、鴨稲荷古墳の時でも変遷云う抽象観念論で具体的明言を
避けておられるじゃないですか(笑)。
「観念論」とは大仰な。だって、「文物は口を利かん」みたいなことを
いう方に、文物の変遷を話しても仕方ないでしょう?
>整理して聞きたいんは、こっちの方ですよ。あなたが埴輪の種類が云いたいんなら、
具体的に埴輪の種類を提示して、あなたの好きな変遷でも云うたらええでしょうに。
じゃあちょっと訊きますね。だいたい埴輪は動物・人物・家形・器財・円筒に分けられ
ます。このうちもっとも早く出現するのは何でしょうか?と考えたんですが、どうも
これWikipediaに載ってますね。これじゃ勉強熱心なあなたには「愚問」でしょうから、
この話も終わりですね。ところでこの変遷うまくつかえば、あなたの持説にとって有利に
なったと思いますよ
274 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 01:10:04 ID:EYXd7CAc
古墳時代人に列島外にルーツがあると思う奴は勝手に思っていれば ええわい。 約一名除いてこのスレの住人は弥生人のルーツに関心があるんだろ?
275 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/03(木) 01:31:40 ID:K/sBL0AW
>>265 列島に限らず、朝鮮半島でも、大陸の中国やモンゴル等でも
発見されとらん遺跡は眠ってますよ。文献記録や出土品なんか、
一部分しか残りませんから、専門の井戸を掘っても、根拠に
乏しいでしょう。てすから、他分野の学問と多元的に考察する以外に
無いんですよ。文献や出土品はサンプルであって正確性なんか
求められるもんじゃ無いんですよ。あなたの地域的、地点的にも
偏りがあるとは、具体的にどこの地域で、どこの地点ですか?
余りに抽象的観念論で、具体性が無いじゃないですか。
セース氏とペトリー氏については、江上氏と佐原氏の対談にも、
出とりますけど、あなたは文はその引用ですかね。
東日本の学者の専門、分析に徹する傾向については鈴木秀夫氏の
引用ですよ。逆に西日本人は、梅棹忠夫氏、今西錦司等、
仮説を大胆に唱える人が目立ちますね。
「歴史とは、論理でなく経験による見識である」は、
誰の言葉か出典は解りません。ただわしが感銘した言葉ゆえ、
メモに書いておっただけです。以前云うた「人は彼の先祖に
似るよりも彼の時代に似ている」の出典は、飯塚浩ニ氏が
アラビアの諺として同時代現象を捉えた表現として使われて
おったのを、思いだしましたわ。
276 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 01:51:32 ID:nxnR0n5n
>>1 倭国人が呉の太伯の末裔と証言しているんだから、呉から来たんだろう。
1800年前の古代人が言っていることを現代人がくつがえせるのか。
277 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 02:16:17 ID:M8Um5Xy9
>文献記録や出土品なんか、一部分しか残りませんから、専門の井戸を >掘っても、根拠に乏しいでしょう。 それはあなたの固陋な考え方なので持説を固持されたら宜しい。しかし、「他分野 の学問と多元的に考察する」ことができるのも文献記録や出土品を基にした「専門 の井戸」による研究がはじめにあるからです。この前後が逆転すると考えるなら、 もはやお話になりません。 >偏りがあるとは、具体的にどこの地域で、どこの地点ですか? そういう話になると、まず小山がデータとした遺跡の情報全てが必要になりますが 具体的に言うと摂津三島の芝生と郡遺跡のあいだにどのような遺跡があるのかとか 比恵遺跡の井戸がどこまで続くのかとか、そういう話になりますが、小山のデータ がない、あるいはあっても示せない以上、ここに記すことに意味があるとは思われ ませんね。 >セース氏とペトリー氏については、江上氏と佐原氏の対談にも、 >出とりますけど、あなたは文はその引用ですかね。 いいえ。一般人なら普通に知っていることです。あの対談本にセイスやピートリ の綴りは出てましたか?ちなみにあなたの二時間云々は新装版では45ページあた りに書いてありますから確認してみてください。 どうも日本人ってのは(別に他意はないです)自分の考えた意見と他人の考えた 意見を分けない傾向があるみたいですね。あなたの話を聞いてるとそういう ところがあるようだ。あとから追記するのはまだ良心的なんでしょうかね。 これはどこで聞いたか読んだか忘れましたわ。江上だったかな
278 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 03:43:55 ID:aHuUV1YE
279 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 03:51:38 ID:aHuUV1YE
アイヌや琉球人とて、南の海から船で渡った来た海神族なので、アイヌや琉球の人間に渡来系とバカにされる謂われは無い。 日本を制したのは、知識と技術と数に勝った、本土の人間だっただけの事。 己の成り立ちを把握せずバカにする、敗者の奴らは、知能と人間を疑うよ。
280 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 08:27:44 ID:4jz8f04I
長江の先にチベットが有り アムール川の先にブリヤートが有る そして沖縄や日本列島、つまり黒潮や環日本海沿いに縄文人がいる 全ては舟で繋がる 縄文人は海の民である
281 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 08:55:30 ID:4jz8f04I
弥生人は戦乱の果てに長江にいかだで逃れた難民だったと考えられる 長江を下り海に流れ、海流に乗り日本や朝鮮南部に流れ着いた 女子供が多く力はなく地元勢力に簡単に吸収された 特異な点は日本において、難民弥生系が全土に分散移住させられたと思われる事である これは遺伝子調査の分布から推測できるが、 古代日本で意思統一が出来ていたと言う事であり、大和以前の国家のような物の存在を窺わせる
282 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 09:20:53 ID:Sv+jvB3s
「倭人は類人猿に等しい存在で船に乗ることも船を作ることも出来なかった」だから 南方や半島に倭人が来れるわけが無い。だから南方から何も文化は伝わってない。 半島にも列島の文化は伝わってない。日本人ごときに海を渡る技術は無い。 と頭から決め付けて日本人を蔑視しているからこう言う考えが生まれる。
283 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 09:36:39 ID:nxnR0n5n
>>282 縄文土器に船の模型があるし、古墳には船にのった南方系らしい人物の壁画もあるしな。
284 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 09:39:55 ID:nxnR0n5n
だいたいシナは南船北馬なので船で来たのは大部分が南シナからとしか考えられない。
285 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 09:54:13 ID:4jz8f04I
>>284 ところが、縄文人の渡来の時期によってはそうも言えない
最終氷期では東シナ海の大陸棚が全て陸地だった
長江河口はおそらく男女群島あたりだろうと考えられる
縄文人がスンダランドや大陸棚から逃げてきたと考えると
そこは南シナでは無いw
大陸棚沿岸から南シナに逃げたのと日本に逃げたのが居た、つう話になるw
286 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 09:58:24 ID:MZUhj+uM
長江、アムール川は、3000年前ぐらいから後の話。 黒潮とか貝紋人とか12000年前の話の地形が違う時代。 旧石器とかはもう30000年も前の話。 地図も読めなければ、時計も読めないのかよ。┐(´〜`;)┌ 韓国とは出土物の成果を利用させてもらい、小中華思想は排除。 みえみえの矛盾のある韓国プロパガンダとは論争する必要もないよ。 韓国も漢服着た文明人に征服された程度でパイプラインの役目しかしてない。 古墳時代だと、一旦漢の時代に統一されているので、南の文物が入ってきても 南から直接来たとはいえないよ。
287 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 10:03:06 ID:cDIzV4bC
>>285 それ縄文人っていうか旧石器人じゃないか
288 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 10:19:14 ID:NmfVai2x
>>241 それとアレクサンドロスが何の関係があるんで?彼がアジア全部を征服する
以前、カザフスタン周辺に人は住んでいなかったのでしょうか?
--------------------------------------------------------------------
別段の考古学的反証のない限り、本朝の臣籍に下ったと考えられる渡来人の勢力
範囲としては:
ニジェール・ナイル・メソポタミア・インダス・・・秦氏系
バルト海・バイカル湖・日本海・・・・・・・・・・鴨氏系
アマゾン・ボリビア・・・・・・・・・・・・・・・青石からみて秦氏系
ダビデ・菊花文と言うのはユダヤ人が草原文化より導入したもので、聖書において
ホームレスであったアブラハムはヒッタイト人の不動産屋から妻の洞窟霊園を購入
する金策に苦しんでいたとあります。どうもヒッタイト人と言うのは形質的にタタール
のようで、ヒクソスはモンゴロイドですねー。こうした観点からカザフスタンの先史
時代を考えるとどちらかと言えば秦氏系の領域と言えるのではないでしょうか。
289 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 10:31:17 ID:NmfVai2x
承前
「日本のイザナギとイザナミの神話においても、オルフェウス的要素というもの
見られるが、これは、驚くべきことにオルフェウスとエウリュディケのような神話
類型が東アジアにも浸透していったことを物語っている。それはほぼ間違いなく、金
属器時代への移行期、おそらく前1千年紀の中ごろか後半ごろに起こったものと
考えられる。東南アジアや日本において何世紀も後に、それも特に古墳時代に
現れた非常に特徴のある葬祭建造物持ち送り式あるいはヴォールト式の天井が
あり、壁には夫婦の宴の様子が、そして天井には星座が描かれ、不死の象徴とし
てとてつもなく大きな鍵穴状のトゥムルスが上部を覆う−は、まさにトラキアと
同じ小宇宙の主要な特徴、精神を表わしており、数千年の時を超えた独特かつ
普遍的な思想を体現しているのである。 (訳:松田 陽)(ブルガリア科学アカ
デミー考古学研究所)Diana Gergova 」
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000Afterlife/04/0401.html 伊邪那岐 ・伊邪那美・はたまた伏羲・女過までも草原文化に還元されるのか。
或いは太古の仰韶時代からの彩陶文化西進の結果なのか。
290 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 10:46:26 ID:NmfVai2x
承前 ヴォールト式(穹窿)持ち送り(石室)墓が日本で盛行するのは継体朝あたりから で、九州・熊本を起点に近畿地方に広まります。アルタイ・モンゴリア西部では 前2世紀ごろから発生しています。日本に至るまでの地域では考古学調査が 十分であるとは言い切れない点もあるが、なんだか、日本に直行しているのが 不思議ですね。
291 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 11:02:00 ID:NmfVai2x
292 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 11:24:46 ID:NmfVai2x
293 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 11:40:17 ID:NmfVai2x
酒豪で知られる黒田氏の武士に殿様が酒を勧め、見事飲み干してしまい、褒美に 殿様自慢の槍を貰うという「黒田節」。殷の婦好のようなスキタイ系戦士・祭祀 女王は魔法の大きな酒杯(モンゴルでは銀杯)を持ち、あるものを別のものに 変身さす能力を持つとされるそうです。 黒田節は長槍戦術伝世に伴う古代の呪法と考えられます。賤学ハムニダ。
294 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 12:21:15 ID:NmfVai2x
>>288 ヒクソスが羊飼いであり、アマルナ朝にエジプトに入寇する犬戎から見て
エジプトに一神教改革をもたらしたのはツングースとか、秦氏のような
シナチベット語族ではなく、羌語を話す古羌族であった可能性が強い。
295 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 13:09:04 ID:NmfVai2x
296 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 13:15:22 ID:NmfVai2x
↑この図案に神武、雄略が吉野、葛城の山にのぼる意義が示されている。 天皇とは太陽神の化身なのだ。
297 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 14:58:41 ID:NmfVai2x
298 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 16:15:18 ID:/wJ9x7BZ
わぉ〜わぉ〜、月光たん!!
>>242 L群細型銅剣鋳造技術を朝鮮半島北東部経由日本にもたらしたのが扶余族なら
>>245 のA群琵琶型銅剣をもたらした山戎人(すなわち銅鐸・支石墓文化人)は
扶余族ではないんじゃね!?
>>296 吉野、葛城の山にのぼる神武、雄略は
>>244 のオオナムチ系地祇族ではなく
少彦名系天孫族だお〜(^o^)/
299 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 16:22:18 ID:/wJ9x7BZ
@少名彦系(天孫) 支石墓・前方後円墳・南方(西方)系・メソポタミア・カラスク・イ族・稲作民 太陽信仰・ゾロアスター(拝火)教・修験道・松明祭り・鳥・犬 邪馬台国・神武・神功皇后・応神・継体王朝/白鳳・奈良=トゥヴァ・ハカス/月氏 雄略・天武・後醍醐・飛鳥文化 蘇我氏・秦氏・鴨氏・吉備氏・橘氏・紀氏 A素盞嗚(オオナムチ)系(地祇) 前方後方墳・四隅突出型・北方系・ブリアート・バイカル・高句麗・牧畜民 大地信仰・星辰信仰・鹿・猿 三輪王朝・崇神・天智・藤原氏・物部氏
300 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 16:41:59 ID:Sv+jvB3s
日本人は未開で野蛮人で何の文明も無かった。半島から騎馬民族が征服するために列島にやって来て 未開で野蛮人な倭人はそれを神様のようにあがめたてまつりようやく人間らしい生活が出来るようになった・・・・ と言いたいのでしょうな。当時の倭国には何の文明も無かったと見下して日本人を馬鹿にしているから おかしな考えが生まれる。そういう「倭国は未開で野蛮な〜」と言うステレオタイプの考えを捨てないといけないよ。 あんまりそうやって古代の日本人を馬鹿にするのはいただけない。 騎馬民族は海を渡るのはあまり上手じゃないと言う事も理解しないといけない。騎馬民族は文字通り馬に乗るのが 得意な民族。それに対して海の民は船に乗るのが得意で馬に乗るのは得意じゃない。 何の為に不得手な海をわざわざ渡って騎馬民族がやってくるのか? 彼らにとって列島など狭くて魅力的でもなんでもない。モンゴル高原とかもっと魅力的な広大な土地はいくらでもある。 他に魅力的な土地が一杯あるのに何の為に狭い列島に来る必要があると言うのだろうか? 来る理由が無い。騎馬の文化は伝わっただろうけどな。
301 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 16:57:57 ID:Sv+jvB3s
騎馬民族に必要なのは広い台地と馬に食べさせる為の草原が必要だ。列島は狭いし 山が多いし森も多い。仮に騎馬民族が海を渡ってきた所で何の価値も見出すことは出来まい。 さっさと帰るでしょう、こんな魅力の無い土地なんか捨てて。
302 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 20:38:12 ID:xR2mRcH+
>>301 朝鮮も日本より狭い山だらけの国だから騎馬民族にとって何の魅力もない土地だっただろうな。
そんな朝鮮を通過して日本征服を目指すなどというのは元寇の例を古代に投影しただけの妄想だろう。
303 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 21:22:49 ID:TC13UPU9
>>300-302 江上の言ってるのはそういう単純なことでもない。もう少し「騎馬民族征服王朝説」を勉強たほうがいい
と思う。私はどちらかというとあの説に否定的だけど、
>>300 みたいなのはちょっといただけない。
304 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 21:38:24 ID:aUhgVl60
>>294 動物トーテムで結びつけるのは、無理すぎますよ。
305 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 21:50:14 ID:NmfVai2x
>>298 わぉ〜わぉ〜、月光たん!!
>>242 L群細型銅剣鋳造技術を朝鮮半島北東部経由日本にもたらしたのが扶余族なら
>>245 のA群琵琶型銅剣をもたらした山戎人(すなわち銅鐸・支石墓文化人)は
扶余族ではないんじゃね!?
-------------------------------------------------------------------
その通り、支配層が扶余族C3cではなく、現在の朝青龍とか、モンゴル人C3だと
思うんですよ。
アカガネのヤソタケルなんかはN1c1-M178辺りでしょうかね。
-------------------------------------------------------------------
>>296 吉野、葛城の山にのぼる神武、雄略は
>>244 のオオナムチ系地祇族ではなく
少彦名系天孫族だお〜(^o^)/
---------------------------------------------------------------------
だから、葛城は基本的にC3が強く、他にも西域系がいたのではと考えているんです。
尾張・狗奴国は明らかにC3匈奴でしょうね。
神武はC1でないのかなー。
306 :
鈴木栄 :2010/06/03(木) 21:52:30 ID:GB1dl+oT
なんだっていいじゃん。 百人いれば百通りの解釈があって当然だと思います。
307 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 21:53:57 ID:NmfVai2x
>>304 羊と言うのは食糧なんですね。武器がカンガル犬乃至は軍用犬のような
犬ですね。
308 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 21:58:11 ID:NmfVai2x
>>305 天孫地祇というのはあくまでも天皇制神話上のタテマエなので、実際に出雲族に
何らかのハンディーがあったかと言うとそうではなく、彼らは堂々と東国に展開
してますね。
309 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 22:02:32 ID:NmfVai2x
310 :
LUNAMASK :2010/06/03(木) 22:17:40 ID:NmfVai2x
>>305 崇神(イニエ)は豚肉を神に祀る人と言う意味なんで、沖縄に多いブリャート系、
扶余人でしょう。崇神政権は扶余の四道将軍制をとっていた。
311 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 23:32:53 ID:3gEFKoMC
月光仮面さん、いつも面白い話、ありがとう。 日本列島のどの地方にどの人種が渡来したかを 年代順に並べて頂きたいなあと希望します。
312 :
出土地不明 :2010/06/03(木) 23:36:53 ID:4jz8f04I
>>286 12000年前は長江とアムール川が無かったと言いたいのか?
海も無かったとw
その地図を出して見ろよw
313 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/03(木) 23:52:20 ID:K/sBL0AW
>>273-277 誤解・曲解は、あなたがしよるわけでしょう。わしが整理して聞きたいに
対し、あなたは、じゃあちょっと訊きますね。こりゃあ言葉遊びでしょう。
文献や出土品も一部ですから、一部で全体を解ったように云う方が詐欺で
しょうに。本末転倒しとるんはあなたでしょう。ここに記すことが意味が
ないとは答える気が無い云うことですか(笑)。自分の意見に共感する部分が
あれば、共感するし、違う思うたら違うだけですよ。それを意見を同化に
還元する工作をするんですかいのう。江上氏は論理云う言葉は使われん
でしょう。
>>280-281 長江の上流にチベットがあっても、チベット系は長江の川下りした根拠は
無いね。黒潮は死の海で民族移動ルートじゃ無いし、縄文人が
海の民なんは、沿岸部の縄文人だけで、列島から他へ民族移動は出来んじゃ
ろうに。古代日本で大和以前の国家じゃの妄想してものう。
>>284 南船北馬云うとるが、「南船」たぁ、水郷クリークの移動の為船で、外洋に
乗り出すことじゃないんど。
314 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/04(金) 00:02:20 ID:jMPEZcx0
>>300-301 女真は騎馬民族でもあり、海賊でもあるど。あんたの妄想で来るはずが無い
じゃの可笑しげなのう。
>>310 沖縄にブリヤート何か来ておりませんし、扶余人も本土日本人に比べた
極めて少数派でしょうね。
315 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 00:08:39 ID:ejPX1VuV
>>314 女真が歴史に表れたのは10世紀だけど
何を言いたいの?
>ほんま、無知な者は可笑しげなことを云うわい(笑)。
316 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 00:24:12 ID:1Z/76fPg
>>313 まとめるの下手ですね。重要じゃないところを挙げて、最終的に自分の意見の正当
性を主張する方向に持っていくわけですか。言葉遊びって言ってますが、あなたの
文章はクセが強くて理解の及ばないところがある。誤解曲解を生むことを嫌うのな
らば、ちゃんと他人に分かるように書くべきです、と繰り返し言ってるわけですが。
自説に耽溺してる人間には何言っても聞こえないんですね。
>文献や出土品も一部ですから、一部で全体を解ったように云う方が詐欺で
>しょうに。本末転倒しとるんはあなたでしょう。
こういうのも何も分かっていないということを自白してるわけで。
>自分の意見に共感する部分があれば、共感するし、違う思うたら違うだけですよ。
>それを意見を同化に還元する工作をするんですかいのう。江上氏は論理云う言葉は使われん
>でしょう。
自分で言って自分で納得なら世話無いですな。「工作」ってなんですか?●●の一つ覚えみた
いに聞こえます。白馬青牛は昂ぶってくるとレッテルを貼ったり、ああだこうだ喚きだす傾向
が強いわけですが、そろそろ来るのかな。そしたら退散します。
ところで
>>271 はどうです
317 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/04(金) 01:14:01 ID:jMPEZcx0
>>315 女真以前の渤海水軍が山東を襲うたことや、ユウロウが海賊集団じゃった
こたぁ前にも云うたじゃろうが。満州は湿潤地域じゃし、東アジアの海賊の
本場じゃけんのう。
>>316 重要が無いじゃの、あなたの主観論で個々人によって重要視する処は
違うことを無視して、あんたぁ言葉遊びに還元しよるじゃないですか。
何言っても聞こえないは、相対的なことで、あなた自身の問題でもある
認識すら無いようですのう(笑)。
また抽象的言ですのう。わしのどこが何もわかってないことを自白と
思うたんか具体的言がのうて、レッテル貼りしよるんは、あなたでしょう。
>>271 北方形質の新モンゴイド系渡来人が本土日本人の主流ですが、
あなたは、違う云うんなら、その根拠を提示すりゃあええでしょうに。
318 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 01:25:41 ID:xkxao8mt
>>317 そこじゃなくて、渡来系弥生人と古墳時代人、「大量渡来した北方民族」の
関係について、
>>238 「北方民族が大量渡来したんは、形質人類学からも否定出来んで
しょうに。」と
>>266 「わしの渡来系が複数の集団で扶余や北朝胡族等、具体的に
北東アジアの集団と云うとるんですよ。まさかあなたは、扶余集団と
北朝胡族の各集団に形質的差異があったとお考えですか?
まあ、羯のようにコーカソイド集団もおったでしょうが、
北東アジアの新モンゴロイドのトルコ・モンゴル・ツングース・
チベット羌等が主流でした。」と絡めてお願いします。
319 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 01:27:07 ID:xkxao8mt
↑形質の違いについてね
320 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 01:39:34 ID:xkxao8mt
>>317 >>277 の「他分野の学問と多元的に考察する」ことができるのも文献記録や出土品を基にした
「専門の井戸」による研究がはじめにあるからです。この前後が逆転すると考えるなら、
もはやお話になりません。
にまともに答えず、
>>313 「文献や出土品も一部ですから、一部で全体を解った
ように云う方が詐欺でしょうに。本末転倒しとるんはあなたでしょう。」みた
いな陳腐な一般論、「一部で全体を分かったように云う」?これも(相対的な
ことで、あなた自身の問題でもある認識すら無いようですのう(笑)という箴言
が響きますな) を持ち出して話をずらしているところなんか、不心得者そのもの
じゃないんですかね。ホントにわかってないのかな
321 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 02:33:15 ID:I1vuMDwc
>>288 あんた本当にアレクサンドロス三世がインド北西部を制圧したと
思ってるんですか?それで仏教も仏像も古代ギリシャ起源だと。それで
それが日本まできてギリシャ神話が広がった?あなた頭おかしいよ。
白人至上主義者の世界史みたいですね。
322 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 03:14:14 ID:3EjY15Ta
>>321 仏像に関してはエジプトの吉村はそう言ってたな。
真偽は知らん。
323 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 03:27:16 ID:ibUVYEks
>>321 横やりすまんが
仏教がギリシャの影響を受けているのは正しい。
もともと仏教はヒンドゥの一分派にすぎず偶像は禁止されていたのが
ギリシャの影響で系統立てられ、仏像が制作されるようになって大乗仏教が生まれ、日本にまで来た。
インドの神の多くはギリシャと根を同じにしてるから(両方ともアーリア人が支配した国だから)
仏教の遠祖はギリシャ、というのは昔からある有力説の一つだよ。
ブッタ自体がマハラジャの王子だからアーリア人であった可能性も高いしな。
324 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 03:48:52 ID:MY0dqXfy
天皇陛下は朝鮮人
325 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 05:33:07 ID:I1vuMDwc
なるほど、ナチスもびっくりですな。アジアの起源は古代ギリシャの 白人だった!始皇帝も古代ギリシャ人だったとか。
326 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 08:06:33 ID:cHGHh1Uz
>>325 いや、そうじゃなく、ギリシャの先祖が日本人の先祖に弟子入りして太陽神、
鹿飼育、青銅器・玉精密加工技術を吸収した後にバルカン半島に侵入した
と言うのが真実だと思いますね。
327 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 08:13:15 ID:cHGHh1Uz
>>321 アレクサンダーのバクトリア制圧は事実だと思います。はんぱじゃなく、制圧では
なく引き分けていどだとは思うが。仏教の起源はほとんどがインドイラン系統。
しかし、密教はアルタイ起源と考えてます。しかし、そのインドイランが太古にうは
アジアの影響を受けていたことは考えられる。ギリシャ神話は出雲神話を基に
している可能性がある。ただ大国主・甲賀三郎等は穹窿石室墳時代に大月支国
経由入ってきたといいうこともあり得る。
328 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 08:19:43 ID:cHGHh1Uz
>>314 >>310 沖縄にブリヤート何か来ておりませんし、扶余人も本土日本人に比べた
極めて少数派でしょうね。
----------------------------------------------------------------
女性遺伝子mtDNAの研究によると沖縄女性はブリャートに最も近いそうです。
沖縄・ポーランドでは馬の首を前にさげて行列しますが、欧州を席巻した
タタールの慣習だと考えられます。台湾・沖縄・西九州の亀甲墓とか、首里城の門
は妙にギリシャ・トラキアに近い。
329 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 08:33:06 ID:cHGHh1Uz
>>323 >仏教の遠祖はギリシャ、というのは昔からある有力説の一つだよ。
シェークスピアでさらっと出てくる無常感とか、ギリシャの万物は流れるの思想。
確かに仏教と通ずるところはありますね。
330 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 09:23:17 ID:I1vuMDwc
ギリシャってストローでしょ、古代エジプトの。あの「自らの尾を食む 蛇」という逆説の象徴だって古代ギリシャじゃなくてエジプト起源なのだし。 古代ギリシャは古代世界の「書き換え・翻訳」を行い、それを力ずくで すべての起源にしてるだけ。そしてそれをしたのは人種差別に凝ってる 白人。
331 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 09:35:55 ID:ZrNK6byX
ギリシャはエジプト文明の影響大。 エーゲ文明が紀元前2600年ごろで文字の発生が2000年ごろ。エジプト文明は紀元前3800年ごろ 文字は3400年ごろの発生。まあ影響を与えたのは間違いあるまい。
332 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 10:02:03 ID:ZrNK6byX
焼肉文化の二里頭文化圏(夏?)と肉煮込み文化の殷。日本人は焼肉文化圏だから 日本文化の源流はそっちだと思う。 夏?の焼肉文化自体が西方起源だから日本文化も西方起源かもしれない。 まあ肉の話だけじゃないんだけどね厳密には。
333 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 10:02:18 ID:ibUVYEks
つまり全ての始まりはエジプトだったんだよっ! フリーメーソンが異常にエジプトに拘るのはそのためか・・・
334 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 10:24:42 ID:ZrNK6byX
焼肉文化は遊牧民の文化。肉煮込みは文化は遊牧民の文化ではないはず。 カラスク=西戎→夏→日本と言うルートが考えられる。
335 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 10:43:22 ID:vNMJyAyz
七輪・金網 焼き魚・煮魚論 食文化でやられると、判り易過ぎて思考停止しちゃうよw 串うちした羊肉や日本の焼き鳥。西戎や一部の北狄と発想がそっくりだよww いままで、このスレで、でてこなかったよ。>食文化論
336 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 11:01:31 ID:cHGHh1Uz
337 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 11:07:13 ID:cHGHh1Uz
承前 豪族関係は 葛城豪族>C3匈奴・平安道気質 オオヤマト豪族>C3c東胡・咸鏡道気質 こんなところですね。但し、皇統についてかなりもめているので 純国産のC1を求めたことも十分に考えられますね。
338 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 11:33:52 ID:cHGHh1Uz
余談 八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を・・・正しい解釈は↓ 八神が天にそびえる出雲の八重垣・田和山 投馬(万騎)を一重垣として八重垣 を作る それらを併せた軍勢を一重垣として更に作る (繰り返し)大国主命の国土・軍勢よ永遠に広がらむ こうだったんじゃないですけね。恋歌でもいいけどね。
339 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 13:42:37 ID:cHGHh1Uz
340 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 13:58:30 ID:cHGHh1Uz
341 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 14:14:18 ID:cHGHh1Uz
342 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 14:15:28 ID:hsmwltcG
>>336 >N1c1-M178 0.4% 穢 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 九州・近畿
>N1-LLY22g* 1.2% 貊・突厥 バイカル-モンゴル-満州-朝鮮半島 九州・近畿
まだやってるんだね。
N系統はフィンランドの多数派。
朝鮮系ってのは無理だよ。起源説捏造失敗。
343 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 14:29:02 ID:cHGHh1Uz
344 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 14:32:03 ID:cHGHh1Uz
北欧のmtDNAはコーカソイド系じゃないかな。
345 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 14:39:23 ID:cHGHh1Uz
徳島の忌部というのは玉造的なところがあり、四隅突出型墳丘墓と関連している のかも。古墳的には全く裏付けられないけどね。
346 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 14:39:33 ID:hsmwltcG
347 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 14:50:58 ID:cHGHh1Uz
348 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 14:55:40 ID:hsmwltcG
韓国にもN系統はかなりいるだろうね。 特に、百済があった全羅道にね。
349 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 15:02:24 ID:cHGHh1Uz
350 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 15:16:19 ID:cHGHh1Uz
>>346 N1は北海道・済州島・飛鳥等に猿石を残した突厥で、粛慎(みしはせ)乃至は蝦夷
として俘虜となり、青森から飛鳥、阿波等にながされたサエギではないかと。
351 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 15:26:47 ID:hsmwltcG
>>350 しつこいなあ
飛鳥?流刑地だったの?
たぶん、N系統は近畿の中心部に多く検出されるはず。
(崎谷満氏の本に、本州中心部に特異なヒト集団が見られる、とある)
そしてC3が山城南部で多く出るはずだよ。
ハヤトが移住させられた土地だからね。
352 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 15:31:58 ID:cHGHh1Uz
↑隼人は彝族、犬戎と言う説があり、全く同感なんだけど。で、彝族っていうのは N系だね。
353 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 15:36:37 ID:hsmwltcG
彝族ってイ族か。 >隼人は彝族、犬戎と言う説があり、 じゃあこれは全く不正解。 イ族、D1も入ってませんか。資料があれば教えて下さい。
354 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 15:42:25 ID:hsmwltcG
355 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 15:54:52 ID:cHGHh1Uz
>>353-354 九州の地下式横穴墓関連のウェブ情報だったんだが。残念ながらHDにないねー。
Yi族なんてのは日本人同様スケールがでかいので一意的に定義付けは無理だね。
まー、隼人、barkmanは比島にもあるが、非常に古い、広域的な文化だと思う。
356 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 16:20:01 ID:hsmwltcG
>>354 の、C3の分布を見ると
アイヌ13、青森0、東京2、静岡2、徳島3、九州8、北琉球0、南琉球0
この九州で8%というのは一見、単独の県で8%よりも「うすい」ように見える。
でもとんでもない、統計のワナ。
九州7県全てが等しく8%ということはあり得ない。
偏りがあると考えた方が自然。
広域的に分布しているなら、徳島3%は少ない。
仮に、7県の人口が全て等しいとする。
6県が7%と仮定した場合、残り1県が14%
6県が6%と仮定した場合、残り1県は20%
6県が5%と仮定した場合、残り1県は26%
6県が4%と仮定した場合、残り1県は32%
6県が、徳島と同じ3%と仮定した場合、残り1県は38%に上る。
九州で他の地域とはちがう民族が住んでいたとされる場所、それは鹿児島に他ならない。
C3がハヤトです。
357 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 16:44:00 ID:cHGHh1Uz
358 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 17:08:35 ID:dm40MTdS
>>356 C3はハヤトじゃ無く島津系に混じってたやつだろ。
南にまるっきり無いっつう事は。
359 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 19:53:00 ID:AqFIZzrB
>>358 ハヤトは自然に広まったのではなく、あるとき船で渡来した一派なんだよ。
日本神話の「山幸彦」がハヤトらしいんだよね
そして「海幸彦」が神武天皇だとさ。そっちがイ族かもね・・
360 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 20:42:36 ID:cHGHh1Uz
361 :
LUNAMASK :2010/06/04(金) 20:46:22 ID:cHGHh1Uz
神武は倭国最大の港、博多湾に入れなかった。このことに意味は大きい。
>>294 参考までにどうぞ
あくまでも音声的な特徴で系統わけ。語族語派は文法や語彙による学説
【西戎系】 ≒古羌族 声調は4まで テイ・羌・彝のグループ
シナチベット語族>シナ語派>北方漢語 (あくまでも音声的な特徴です)
シナチベット語族>チベットビルマ語派>ロロ・ビルマ語支>彝(イ)語,白語,ハニ語
シナチベット語族>チベットビルマ語派>ナシ語
シナチベット語族>チベットビルマ語派>チアン語支>羌(チアン)語
シナチベット語族>チベットビルマ語派>ギャロン語
? > ? >テイ語古語 → 後継民族については土家族と白馬蔵族が有力視
シナチベット語族>チベットビルマ語派>蔵(チベット)語 (閉音節が多く残る。アムド方言は無声調・二重子音)
【漢楚系】 声調は6〜8まで 二重子音の名残
シナチベット語族>シナ語派>客家漢語
? >ミャオヤオ語派>苗(ミャオ)語
【越系、タイ系】 声調は4〜9まで
シナチベット語族>シナ語派>南方漢語 湖南・江西・広東・福建
タイカダイ語族>タイ語,チワン語
【ベトナム系】
オーストロアジア語族>ベトナム語派>ベトナム語
古羌族のうち、突厥やモンゴル帝国に合流したグループに言語変更があったかもしれませんが
セムハム語族のヒクソスというのは、無理がありますね。
363 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 21:19:38 ID:AqFIZzrB
ドレミ民さん、もうちょっと分かりやすくまとめてくれる?
364 :
311 :2010/06/04(金) 21:23:26 ID:STRSHmDc
月光仮面さん、ありがとう。よくわかりました。
365 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 21:24:58 ID:AqFIZzrB
工作員が次から次へとようやるわ
>>355 Yi族は、漢化する前は沢山の部族がいたはず。今は6部族ほどが少数民族認定。
ロロ人の羅は、新羅の羅という説(レス)もどこかで見ました。
考古学板でも、竜山文化の丁公陶文(山東)=イ族言語というのを見かけます。
中原のどこにいても不思議ではないし、鮮卑族に合流しているかもしれません。
Qiang族も、漢化する前は沢山の部族がいたはず。今は日麦部族だけが少数民族認定。
今の分布は、蛮族として中原に出撃していく根拠地なんだと思います。
満洲族も、蛮族として中原に出撃していく根拠地が東北だったわけです。
Yi族は、よく人さらいをしたので、清朝に「涼山やるから、出てくるな」されただけです。
>>363 中国の言語って、100以上もあるし、系統が係争中のが残っていて、簡単じゃないです。
とりあえず、56民族全部について、説明していって、その内訳の部族ごとに説明していくなど
しないと、腑に落ちないかもしれません。
いちおう、言語のことは、コテの人が言及したら、補足するスタンスにしてます。
367 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 21:38:23 ID:AqFIZzrB
>>366 コテっていうと、月面・青牛、わおーですか?
つまり、工作員だと認めるわけでっすね?
368 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 21:42:25 ID:AqFIZzrB
>満洲族も、蛮族として中原に出撃していく根拠地が東北だったわけです。 「東北」と言う言葉を、中国東北部という意味で使う感覚は、 日本に生まれ育った者には馴染みがないです。
>>368 じゃあ、今後は、黒龍江・吉林省・遼寧と書きます。
満洲は民族名や言語名で使っているので、文脈上は東北のほうがわかりやすいのです。
中国台湾ウォッチャーは、日本でも「東北」は普通に使ってますよ。
370 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 21:53:34 ID:AqFIZzrB
>>369 >じゃあ、今後は、黒龍江・吉林省・遼寧と書きます。
そんな細かい呼び名もヘンです。
中国東北部、もしくは満州でよくないですか。
371 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 22:10:52 ID:AqFIZzrB
だいたい、 >満洲族も、蛮族として中原に出撃していく根拠地が東北だったわけです。 ~~~~~~~~~~~~~ 誰視点ですか? 満州族が「やぁやぁ我こそは蛮族なり」とか言いもって出撃するんですか? たいがいにせえよ創価学会
372 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 22:12:49 ID:AqFIZzrB
あ、ズレたわぁ >満洲族も、蛮族として中原に出撃していく根拠地が東北だったわけです。 ~~~~~~~~~~~
白馬氏の蛮族は、最高の褒め言葉ですが。
374 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 22:17:17 ID:AqFIZzrB
>>373 ほうほう、それではあなたが蛮族を定義してください、DNA的に。
青牛氏はY遺伝子否定派だそうですので。
375 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/04(金) 22:53:25 ID:jMPEZcx0
>>318-319 及び
>>320 日本の渡来系は、北東アジアの新モンゴロイドでも、バイイカル型の高顔、
広顔タイプよりも、高顔、狭顔の南満州、長城地帯、チベットのラインの
タイプが多かったでしょう。トルコ、モンゴル、ツングースの南地域に多い
タイプのことですよ。
ほいから、陳腐な抽象観念論しよるんは、あんたでしょう。
わしが話をずらしよるように印象工作しても意味が無いですよ。
あなたは、わしの問いには答えず毎度質問にすり替えよるんですから。
わしの文矛盾点がないかと文脈見よって本質をずらしよるんもあんた
ですわい。
>>328 そのDNA研究者とは、誰でしょうか?沖縄は形質的にも古モンゴロイド
要素が強く、耳垢も北東アジアの新モンゴロイドとは、違うんですよ。
376 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 22:59:25 ID:AqFIZzrB
あーあ沸いて出たよ 月面・青牛のパペットマペット始まり始まり〜
377 :
出土地不明 :2010/06/04(金) 23:04:52 ID:iNDqHqb8
耳垢なんて関係ないだろ、中国南部は7割、タイですら6割が乾型なのに
378 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/04(金) 23:29:53 ID:jMPEZcx0
>>332-334 及び
>>335 日本は肉を焼いたり煮たりするけど、すき焼きなんか、西日本は焼くけど、
東日本は牛鍋のように基本的に煮るスタイルじゃない。
焼肉文化は遊牧民云うより狩猟民スタイルじゃと思えるけど。
モンゴルには、現代は別として戦前肉は煮るもんで、焼肉は血が垂れて、
火の神を汚すとして、肉を煮る文化じゃったよ。中世のモンゴル人は、
『元朝秘史』の焼肉(シロンガ)を食べたようじゃが、モンゴル部族は
そもそもモンゴル高原の草原の民では無く、シルカ河、北満州の
室韋ですから森林狩猟・漁労の民。その森林の民が草原地方を支配した
ゆえ、焼肉は狩猟時代の名残とも考えられる。
梅棹忠夫氏は、「日本で「ジギスカン」という名前ではやっている
焼き肉料理、あれは蒙古族ではやらない。満州族の料理ですな。
だからジンギスカン料理というよりむしろヌルハチ料理かな。(笑)」と。
まあ、「貊炙、羌煮」と云われたよう、狩猟要素の強い南ツングースの
貊、高句麗系で焼肉、純牧畜民要素が強いチベット羌系では、
肉を煮る料理が代表的じゃったよ。まあ、チベット系は反生肉も食べる
けえ、それを気持ち悪がるモンゴル人ほどに、血の穢れのタブーは
少ないようじゃけど。
379 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 00:02:19 ID:BTphnLm6
それにしても、言われたら必ず言い返しますね。負けず嫌いな人だ。鸚鵡返しで
抽象観念論というような大仰なものを持ち出してどうするんですかね。適当にス
ルーすれば早く終わるのに。←ここまではレス要りません。
>>318 を読んでますか?「日本の渡来系」とは、それこそ抽象的ですね。
渡来系弥生人と古墳時代人、「大量渡来した北方民族」の関係について、
あなた↑を分けて考えてますよね?細かくみればさらに分けられるでしょうが、一般に
弥生時代以降は在来系弥生・古墳人(縄文系)、渡来系弥生・古墳人が列島に居住
していると考えられています。そしてこれが基本的に現代日本人に繋がると。これは
埴原の二重構造論ですが、あなたの意見では、これとは違うのですか?
先に、渡来系弥生人も在来系弥生人も、「北方民族」の大量渡来によって「絶滅に近い」
状態となり、人が置き換わる、とそのようなことを言っていたと思いますが、違っていた
ら指摘してください。そういう細かいこと、それぞれの集団の消長について
>>318 で引用し
たあなたの自身のことばを踏まえて、説明してもらえますか。
380 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/05(土) 00:08:58 ID:aYCOCNT+
>>336 尾本氏の「中国東北部の少数民族に関する集団遺伝学的研究」
http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/02041024 バイカルから南下したエヴェンキ族、オロチョン族の身体特徴「丸顔、
細い目、貧毛」で特徴つけられるバイカル型と契丹の子孫と名乗る
ダウール族「ダウール族はエヴェンキやオロチョンと異なり、それほど
ほほ骨は張っていず、かなり系統の異なる集団であるとの印象を受けた。」
ほいから、遺伝距離比較で「中国の少数民族6集団および日本の
3集団(アイヌ、和人、沖縄人)である。日本人(和人)に最も近縁なのは
朝鮮人であり、ついでダウール族およびモンゴル族がこれに続く。
このことは、日本人(和人)の形成に際し朝鮮からの渡来人の影響が大で
あったことを物語る。」エヴェンキ、オロチョンの「両集団共日本の3
集団とはかなり遠い関係にあることが明らかになった。」と、云う
ことです。
>>318 氏や嫌韓厨は嫌がるじゃろう尾本氏の見識ですわ(笑)。
381 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 00:21:23 ID:tJBHXud0
>>380 文章になってないのでよく分かりませんが。私が嫌がる?どうして?「日本人
(和人)の形成に際し朝鮮からの渡来人の影響が大であった」なんて、それこそ
形質人類学でも、DNAでも遺物でも、否定のしようが無いでしょう。影響の
大きさをどのくらいで捉えるかと言うところに議論はあるでしょうがね。
それにしても、こういう風に「あのひとはこうだからこうだろう」的な思考は
怖いですね。関東大震災のときに謂れのない風評を撒き散らしたのもこういう
思考の人たちなんでしょうかね。歴史に学ばない愚かな人だ。
382 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 00:28:16 ID:4yg7akZX
383 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 00:29:03 ID:tJBHXud0
白馬青牛は、本当に書いてる内容がテンプレの通りだから笑えます
384 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 00:29:49 ID:dAPN23gv
相手にしてやったら 思うツボよ、 その中国牛
385 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 00:31:22 ID:iEKlPEqx
>>380 それが発表されてる20年前はそういう研究結果多かったね
最近は中国南部が定説だけど
386 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/05(土) 00:42:55 ID:aYCOCNT+
>>346 ウラル系のフィンランドはトルコ系とされるフン族と違うよ。
だいち、フン族はウラル系のハンガリーには行っておるけど、
フィンランドに行っとらんよ。
>>377 また、北東アジアの集団の耳垢の分布と比較せずに云うなや。
>>379 わしに粘着しとるんは、あんたでしょうに(笑)。抽象観念論云うんは
あんたのことですよ。
ほいから、埴原和郎氏は弥生期に新モンゴロイド型が現れることから、
弥生期から古墳期云られとるんですよ。埴原氏自身、渡来系が
多かったのは古墳期とされとるでしょうに(笑)。しかも埴原氏は
「渡来系」を「弥生人」とする言葉は、一言も云われませんね。最近の
人類学者の安易な「弥生人」用語は、誤解を招きます。
わしが埴原氏と違う処は、寒冷化、戦乱、飢饉で弥生の渡来系も在来縄文
系弥生人も人口を減少させた云う点ですよ。ましてや中橋氏の弥生人口が
増えたじゃの、世界史を無視したお花畑論ですわい。
わしゃあ、江上氏とも、埴原氏とも見解が多少違うんじゃに、同意見と
する人たちが、ようけおりますけんのう。日本の原住民は渡来系に同化、
混血せん限り、ほぼ絶滅でしょう。それが日本史ですから。
387 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/05(土) 00:58:17 ID:aYCOCNT+
388 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 00:59:08 ID:s/eaKCPV
さてと、過去レスでも貼っとくか。 『埴原推計は、あくまでも縄文末以降の1000年間の日本全体を考えたものであり、今問題にしている 初期渡来人の数を直接問題にした話ではない。また、この研究結果が公表されたとき、考古学者の間 ではその算定数の大きさを批判する声が強かったが、埴原はこれに答えて、このシミュレーションは 渡来人の影響が無視できる規模のものではないことを示すために行ったもので、数値そのものにこだ わるつもりはない、とも述べている。しかし、ここでやはり問題になるのは、弥生〜古墳時代に起きた 人口急増の原因として、これほど大量の渡来人の流入を想定する必要があるのかどうかという点である 少なくとも初期渡来人の主な受け入れ口になった北部九州では、これまでの発掘で明らかになった考古 学情報で見る限り、弥生時代の初めから古墳時代にかけての時期に土着住民を圧倒するような規模の 渡来を想起させる事実はなにも報告されていない。』 ---「日本人{起源」古人骨からルーツを探る 中橋孝博著より一部抜粋 >この研究結果が公表されたとき、考古学者の間ではその算定数の大きさを批判する声が強かったが、 >埴原はこれに答えて、このシミュレーションは渡来人の影響が無視できる規模のものではないことを >示すために行ったもので、数値そのものにこだわるつもりはない、とも述べている。 >考古学情報で見る限り、弥生時代の初めから古墳時代にかけての時期に土着住民を >圧倒するような規模の渡来を想起させる事実はなにも報告されていない。
389 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 01:02:41 ID:EBiFY5OY
>>387 >長崎県の高校生の調べた調査じゃあ
お前アホなの?
390 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 01:05:20 ID:tJBHXud0
>埴原和郎氏は弥生期に新モンゴロイド型が現れることから、 >弥生期から古墳期云られとるんですよ。 ?文章の意味がよく分かりません >埴原氏自身、渡来系が多かったのは古墳期とされとるでしょうに(笑)。 それはそうです。 >しかも埴原氏は「渡来系」を「弥生人」とする言葉は、一言も云われ >ませんね。最近の人類学者の安易な「弥生人」用語は、誤解を招きます。 「このような意味で、古墳時代は日本人集団の形成にとって重要な時期であり、 またいうまでもなく、日本の国家形成の前夜という意味でも画期的な時期であっ た。これを人骨の面からみると、古墳時代に渡来した集団も、渡来系弥生人と 同様に北アジア系の特徴を持っていた。」埴原和郎『日本人の成り立ち』 248-249頁(1995 人文書院)、同じ本の164頁の人骨写真の説明でも 「渡来系弥生人」と説明があります。 >わしが埴原氏と違う処は、寒冷化、戦乱、飢饉で弥生の渡来系も在来縄文 >系弥生人も人口を減少させた云う点ですよ。ましてや中橋氏の弥生人口が >増えたじゃの、世界史を無視したお花畑論ですわい。 弥生時代の説明で「人類学の観点からいうと、この時代で重要なことの一つは 人口の急激な増加である」、「弥生時代になってから西日本の人口は急激に増加 して、(縄文時代には西より人口の多かった)東日本をはるかに凌駕するに いたった」「人骨の出土状況からみると、渡来人の数は弥生時代になって急速 に増加した」埴原 同、157頁。縄文人口などについて、埴原は小山の研究に 負っています。疲れた。もっと引用しましょうか? >わしゃあ、江上氏とも、埴原氏とも見解が多少違うんじゃに、同意見と >する人たちが、ようけおりますけんのう。日本の原住民は渡来系に同化、 >混血せん限り、ほぼ絶滅でしょう。それが日本史ですから。 ほう。混血というのは特に否定する理由もありません。ただ、絶滅してい たら混血もできないわけですよね。
391 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 01:08:32 ID:tJBHXud0
連投してすいませんが、
>>379 にもしっかり答えてくださいね
392 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 01:10:57 ID:8uSQH7EQ
393 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 01:16:55 ID:s/eaKCPV
>>388 ちと、訂正。
×---「日本人{起源」古人骨からルーツを探る
○---「日本人の起源」古人骨からルーツを探る
追記。
で、>388で強調したいことはw
>このシミュレーションは
>このシミュレーションは
>このシミュレーションは
394 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 01:31:54 ID:sw1QbP3a
今、糞牛が一生懸命サイトを漁ってます
395 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 01:50:21 ID:QL7Xh2cQ
素直に無い袖は振れん、この辺りはよくわからんといっておけば済むのに。
396 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 02:42:51 ID:HPg3mydB
頑張れ。 この過疎板で当スレが唯一活況なのは牛さんの功績だぜ。
397 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/05(土) 02:52:23 ID:aYCOCNT+
火病ヒステリーが勃発じゃのう(笑)。
>>388 「考古学情報で見る限り」じゃの人骨情報を文物の主観的妄想に
置き変える中橋氏のお花畑論でした。云うことよ。
>>389 高校生ならデータを捏造する云いたいんか?学者が如く、
政治思想や記紀に合せる詐欺行為をせんだけ
398 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/05(土) 02:59:40 ID:aYCOCNT+
>>389 >>397 の途中で、飛んだのう。つまり、高校生の方が良心的じゃ
ろうに。
>>390 埴原氏は、弥生人を「渡来系弥生人」と「在来縄文系弥生人」と
分けておられるんを、あたかも弥生人=渡来人とするんは、
あんたの捏造。ええ加減詐欺行為はすなや。
399 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/05(土) 03:09:20 ID:aYCOCNT+
>>392 華中のデータは無いじゃないか。華北は戦前の調査の腋臭率も
少ないけぇ、北方系じゃし、モンゴルより少ないことは、
中部の新モンゴロイドの方が北部の新モンゴロイドよりも
乾型が多かった云うことも考えられよう。
新大陸はシベリアからの移住ゆえ、既に乾型タイプになった
者がおった云うだけのこと。全体的に北東アジア集団の
類似こそ近縁性を物語るもんじゃ。
400 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 03:44:03 ID:x8rPFJqq
>埴原氏は、弥生人を「渡来系弥生人」と「在来縄文系弥生人」と
>分けておられるんを、あたかも弥生人=渡来人とするんは、
>あんたの捏造。ええ加減詐欺行為はすなや。
?意味が分からないんですけど。私は
>>379 で弥生人に渡来系と在来系がいる
ことを説明してますし、そこは理解して書いているわけです。そんな「あたか
も弥生人=渡来人とする」みたいな下らないことをする必要も全くないと思い
ますけれど。それに、単純に私の文章はほとんど埴原の引用ですからね
>埴原氏自身、渡来系が多かったのは古墳期とされとるでしょうに(笑)。
>しかも埴原氏は「渡来系」を「弥生人」とする言葉は、一言も云われ
>ませんね。
↑って具体的にどういうこと言ってるつもりなんですかね。誤解がある
というのなら、ちゃんと指摘してもらわないと。
401 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 03:50:03 ID:x8rPFJqq
それから肝腎なことなので、
>>379 にちゃんと答えてください
先に、渡来系弥生人も在来系弥生人も、「北方民族」の大量渡来によって「絶滅に近い」
状態となり、人が置き換わる、とそのようなことを言っていたと思いますが、違っていた
ら指摘してください。そういう細かいこと、それぞれの集団の消長について
>>318 で引用し
たあなたの自身のことばを踏まえて、説明してもらえますか。
402 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 09:27:23 ID:G7Rp28Ay
>>375 >>328 >そのDNA研究者とは、誰でしょうか?沖縄は形質的にも古モンゴロイド
>要素が強く、耳垢も北東アジアの新モンゴロイドとは、違うんですよ。
--------------------------------------------------------------
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC524407/?tool=pubmed >そのDNA研究者とは、誰でしょうか?
Masashi Tanaka,1,15 Vicente M. Cabrera,2 Ana M. Gonzalez,2
Jose M. Larruga,2 Takeshi Takeyasu,1,3 Noriyuki Fuku,1,4 Li-Jun Guo,1,3
Raita Hirose,1 Yasunori Fujita,1 Miyuki Kurata,1 Ken-ichi Shinoda,5
Kazuo Umetsu,6 Yoshiji Yamada,7,1 Yoshiharu Oshida,3 Yuzo Sato,3
Nobutaka Hattori,8 Yoshikuni Mizuno,8 Yasumichi Arai,10
Nobuyoshi Hirose,10 Shigeo Ohta,11 Osamu Ogawa,9 Yasushi Tanaka,9
Ryuzo Kawamori,9 Masayo Shamoto-Nagai,1,4,12 Wakako Maruyama,12
Hiroshi Shimokata,13 Ryota Suzuki,14 and Hidetoshi Shimodaira14
1 Department of Gene Therapy, Gifu International Institute of Biotechnology, Kakamigahara, Gifu 504-0838, Japan
2 Department of Genetics, Faculty of Biology, University of La Laguna,
Tenerife 38271, Spain
3 Department of Sports Medicine, Graduate School of Medicine,
Nagoya University, Nagoya 464-8601, Japan
4 Japan Science and Technology Agency,
Kawaguchi, Saitama 332-0012, Japan
5 Department of Anthropology, National Science Museum,
Tokyo 169-0073, Japan
6 Department of Forensic Medicine, Yamagata University School of Medicine,
Yamagata 990-9585, Japan
7 Department of Human Functional Genomics, Life Science Research Center, Mie University, Tu-shi, Mie 514-8507, Japan
8 Department of Neurology, Metabolism and Endocrinology, Juntendo University
School of Medicine, Tokyo 113-8421, Japan
9 Department of Medicine, Metabolism and Endocrinology, Juntendo University
School of Medicine, Tokyo 113-8421, Japan
10 Department of Geriatric Medicine, Keio University School of Medicine, Tokyo
160-8582, Japan
11 Department of Biochemistry and Cell Biology, Institute of Gerontology,
Nihon Medical School, Kawasaki 211-8533, Japan
12 Laboratory of Biochemistry and Metabolism, Department of Basic Gerontology, National Institute for Longevity Sciences, Obu 474-8522, Japan
13 Department of Epidemiology, National Institute for Longevity Sciences,
Obu 474-8522, Japan
14 Department of Mathematical and Computing Sciences, Tokyo Institute of
Technology, Tokyo 152-8552, Japan
15Corresponding author.E-MAIL
[email protected] ; FAX 81-583-71-4412.
Received December 17, 2003; Revised June 14, 2004
This article has been cited by other articles in PMC. Other Sections▼
AbstractRESULTSDISCUSSIONMETHODSReferencesWEB SITE REFERENCES
403 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 09:48:55 ID:x5HxeGtB
白馬青牛は、4世紀に列島に居住人種が絶滅したと前にも書いている。 しかし、YAP分布では、O2もD2も、しっかりと残存している。 ∴Y遺伝子は、白馬青牛に都合が悪いので、認めない。
404 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 12:10:53 ID:G7Rp28Ay
405 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 12:40:44 ID:G7Rp28Ay
406 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 12:54:06 ID:G7Rp28Ay
407 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 13:18:12 ID:G7Rp28Ay
408 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 13:53:03 ID:G7Rp28Ay
409 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 15:30:58 ID:HPg3mydB
このスレに象徴される図式 牛=伝統的知識累積断定型&物知りおっさん VS LUNAMASK =先端科学データ分析考察型一派 だな。 上はいろんな可能性を多くの物証で狭めて結論に達するやり方で 下は一つの切り口から可能性を広げていくやり方。 まあ、乱暴に言えば旧タイプと現行トレンドタイプの戦いの縮図だよな。 もっとやれ。
410 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 15:41:58 ID:G7Rp28Ay
411 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 16:13:56 ID:G7Rp28Ay
「Dの共通祖先D*
この大グループは印度洋アンダマン諸島で高頻度に発見され、インド東北地方の
部族では0%-65%にも達する。
アルタイ人においては(D1-M15, D2-P37, D3a-P47を含まない)D-M174(つまりD*)が
発見されている。
ハルコフ他は南アルタイ各地で6.3% (6/96)の(D1-M15を含まない)D-M174(つまりD*)
を採取し、そのうち
Kulada地域では5/46 = 10.9%、Kosh-Agach地区では1/7 = 14%であったが、これらが
D2であったか
D3であったについての検証はできていない。
ハルコフ他は南アルタイBeshpeltir地区において(D*及びEの共通祖先祖先である)(D-M174ではない)
Y-DNA DE-M1を検出したと報告している。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D_ (Y-DNA)
Dは弥生、早くても、縄文後期にアルタイからチベット、雲南、朝鮮半島、日本
へと拡散した可能性がある。
412 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 16:37:56 ID:G7Rp28Ay
413 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 16:43:48 ID:G7Rp28Ay
人類でアフリカ出自でないものはないので、岡田ジャパンにのみ有利かどうかは 分からないが、何でもいいから頑張れ。
414 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 17:04:57 ID:G7Rp28Ay
承前
然し、不思議なことはバントゥー族の拡大はセイマトゥルビノ現象の後で起こっている
ことだ。彼らの起源がアルタイにあるのかもしれない。
「現在判明している考古学的、言語学的、遺伝学的な証拠の全てが、バントゥー系民族
の拡大は人類の移民の歴史において最も重要な出来事の一つであることと、
このような文化的変質が過去のわずか数千年のうちに生じたことを裏付けている。
およそ5000年前と推測されているバントゥー系民族の拡大開始時期は、正確には
はっきりしない。 3500年前(紀元前1500年)に 、南(西)バントゥー族のコミュニティが
中央アフリカの大熱帯雨林へ到達し、2500年前(紀元前500年)には先駆的な
グループが現在のコンゴ民主共和国、アンゴラ、ザンビアに位置していたサバンナ
の南方に出現している。 もう一方の東バントゥー族は、3000年前(紀元前1000年)に、
アフリカ大湖沼の近くに大規模な新居留区を造った。この地の恵まれた生活環境に
よって、人口密度が高い状況下での生活が支えられた。初期の移住者たちが
湖沿岸部や川のそばに広範囲に渡って定住したため、水から遠い地域では農業を
行うことが相当に困難な状況となったので、小集団によるアフリカ大湖沼から南東
方面への移住がより急速に増えていった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E7%B3%BB%E6%B0%91%E6%97%8F
415 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 17:15:52 ID:G7Rp28Ay
416 :
LUNAMASK :2010/06/05(土) 17:33:08 ID:G7Rp28Ay
承前 ロシアの天文学及び暗号解読情報によって、ノセイマトゥルビノ現象併行のオークネフ 文化遺跡においてMagna Materの像をとりまく数値記録が解読されたが、オークネフ 社会のエリートの極めて高度なレベルの天文学、暦学、演算技術が判明している。 ドゴンに流れたのはおそらくこの知識であろう。
417 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 20:36:46 ID:sayIRruV
>>409 違うよ
工作員の一人芝居だよ
死ねばいいのに
418 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 20:56:15 ID:HPg3mydB
>工作員の一人芝居だよ えっマジで?w そりゃまたすげえ暇人だな! この過疎スレで何の意味があるんだそれw
419 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 20:57:40 ID:HPg3mydB
ごめん過疎板。 もういくね
420 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 21:07:28 ID:x5HxeGtB
, -、,- 、 / `゚`ii´゚`∩ 明日も書くけえのう ( _ ⊂⊃,,) / ( \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ::::::::::::: も う 戻 っ て く る な よ ー ! , ── / ヽ , ── 、 | | / ヽ (\ /) ∩/)ヽ | | m 〜〜〜〜〜〜〜〜 ヽ、\へ/ノ/ /〜〜〜〜〜〜〜(ヽ /、 m 〜〜〜〜〜 __∩ ! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 l──l/\/〜/  ̄ ̄ ̄` \ / !\,へ/\) ノ 〜〜〜 /vv、 `ヽノ /  ̄ ̄ ヽ/ / ヽ ∨_l二二l/ヽ/ 」\ /ヽ | i /ヽ| | i | / | | / \ \ (⊃ ||) | ⊂ /| ─ |. | l/ヽ.| |. /\ \. |─┐ \__ ! /// |  ̄ ̄ ̄| ヽ / /───ヽ __o/ヽノ > \ヽ、 _____| |___| ◯ヽ /◯/ \\_-´||) / /⌒ヽ── ヽ | | | | \ `━━━━━ /  ̄|. ̄| ̄| ̄ / l 、/ / | __|─| ヽ/\ | |′ | | | ∩  ̄/二二l / \ / | ( =|_| ヽ/⌒ヽ | o | _|─||─| 三 | ̄ ) | / / | \_ ) | |─| | ┬ .| ( |_||_|、  ̄ ̄Τ | / | ゙ー ′ (  ̄ ̄ )( ̄ ̄ ) \_ノ、_ノケ
421 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 21:39:15 ID:sayIRruV
>>418 まっとうな議論をさせない。
場を占領し、過疎らせる。
「嘘も何度も言えば本当になる」
422 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 22:39:17 ID:y4Y8vn7A
ちと暇なので、
>>388 の続き。
まず、シミュレーションである埴原推計の渡来人数算出のために利用した、小山修三氏の人口推計への疑義。
↓以下参考までに、過去レスより。
『さて山内が「正気の沙汰ではない。」と述べた方法を敢行したのが小山修三である(略)、かれは文化庁
編纂の「全国遺跡地図」における遺跡地名表を地域ごとに早期・前期・中期・後期・晩期・弥生・土師器
の時代別に数え、それに簡単な手直しを加えてグラフに示し(略)、地域ごとの人口変化だという(略)。
山内がいった遺跡調査の過密や移動の問題は無視する。一遺跡に複数土器型式が多いという問題も
無視する。「遺跡」には土器が少し採集されただけの小規模なものから多数の竪穴住居が群集する大規模
なものまであるが、その違いも無視する。小山が自分のグラフを、「これまでに知られている日本各地の
時代別遺跡数」とよぶなら何の問題もない。ところが氏はこれを「日本列島先史古代の人口の変化」と
いう看板で売り出したのである。』
---『縄文時代の考古学10』"人と社会"「縄文時代の人口動態」 今村啓爾著より一部抜粋
次に、埴原推計の重要なパラメータである人口増加率についての疑義。↓以下参考までに、過去レスより。
『埴原は世界の前近代の歴史文献から読み取られた人口増加率の大きなものを、人間の生物学的に
可能な最大人口増加力とみなし、この値と弥生時代以後日本列島にあったという小山の推定値の差
を、列島外からの移住者とみなし、数百万規模の渡来人があったというのである。--(略)--さまざまな
要因の複合した結果として残された歴史時代の人口増加率を人間の生物学的に可能な最大人口増加
率とみなす埴原の発想には根本的な誤りがある。』
---『縄文時代の考古学10』"人と社会"「縄文時代の人口動態」 今村啓爾著より一部抜粋
>埴原の発想には根本的な誤りがある
>埴原の発想には根本的な誤りがある
次レスに続く。↓
423 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 22:47:18 ID:y4Y8vn7A
人口増加率が0.1%なら約300万人。0.2%なら約150万人。0.3%なら約61万人。が渡来人になるというのが
埴原推計なのである。人口増加率のパラメータ、さらに、人口推計さえ定かでないにも関わらず、それをあたかも
「蓋然性」が高いシミュレーションとして、古墳期の「大量渡来」による列島内の民族的置換に当てはめるのは
困難である。取りあえず、現時点で「蓋然性が高い」と思われる見解を。↓以下過去レスより。
■弥生人の人口増加■
渡来人の数は本当に大量だったのか。その問題を解くカギは、弥生人の人口増加の実態にある。大量渡来説が考える
ように、年間の人口増加率は0.1%程度だったのか、それともそれを上回ったのか。
考古学では、弥生時代の始まりからしばらくたった前期後半〜末の時期に、各地で遺跡の「爆発的増加」があった
ことを明らかにしている。したがって、その増加が、年間増加率で表すとどのくらいになるのかがわかれば、比較
をすることができる。遺跡が増加した地域の例として、丘陵のほとんど全てを調査した小郡市の一角を対象にして
段階ごとに表したのが図であるが、弥生時代の始まりの時期に7ヶ所であった遺跡が、前期後半には15ヶ所、前期末
〜中期初頭には34ヶ所に増えている。この遺跡数をもとに計算すると、前期後半までが0.762%、それから前期末
までが0.818%となり、弥生開始期から前期末までが0.790%となって、いずれも高い増加率を示す。また、図のよ
うに遺跡の面積・規模は、前期後半から大きくなっており、実際には1.00%をもこえる高い人口増加率であった。
したがって、わが国における人口増加を渡来人によると考えるのではなく、稲作農耕の定着とともにおこった人口
の急激な増加によると考える方が自然であろう。(田中良之)
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/165.html ■墓数の変化から見た人口増加率■
通常、毎年の死者の数は、その母集団の人口規模に比例する。そこで、墓の数が正確にわかり、しかも年代区分も
可能な甕棺墓の数の変化を追跡して、その墓を残した弥生人集団の人口変化を探ってみた。
まず、福岡県下では最大規模の埋葬遺跡である筑紫野市の隈・西小田遺跡で計算すると、弥生時代中期前半には、
年率1%前後で人口が増えていたことが明らかになった。検証の地域を広げてみても同様の高い人口増加率が算出
された。弥生中期前半に新たな大量渡来があった証拠は無く、この増加は国内での渡来人集団の自然増と解釈する
のが合理的であろう。
こうした高い人口増加率からすれば、弥生〜古墳期の急激な人口増加も十分説明可能であり、大量の渡来人を
想定する必要はないと考える。(中橋孝博)
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/164.html
424 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/05(土) 23:10:02 ID:aYCOCNT+
>>400-401 あたかも弥生時代に多くの渡来系が多く、古墳期の渡来系が少ないような
印象を与えとるんは、埴原和郎氏の見識と違うじゃないですか。
埴原氏は古墳期が一番多く渡来系が拡散したとされとるんですよ。
古墳期の北方系大量渡来によって、日本人は北東アジア人の集団に属する
ようになったんですよ。在来系が主流でも無いし、新大陸の西洋人
渡来系と現地民ネイティブの関係と同様です。現地民は絶滅に等しい
ダメージを受けたゆえ、絶滅と表現してどこに問題があるんですか?
>>403 精度の低い単一遺伝標識のYだけで、人種を決めるなんかカルトそのもの
じゃないか。学問は複合的産物ど。
>>380 の尾本恵市氏のように、
多数の遺伝子型から考察せにゃあ、根拠にならんよ。
しかもY染色体じゃあ、古人骨からDNAを抽出出来んし、千年以上前から
父系の遺伝型は不変じゃと云う根拠も全く無いのに、空想ファンタジー
で継続されとるはず云う幸せ回路じゃつまらんよ。
425 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 23:16:15 ID:y4Y8vn7A
あれ?耳垢のデータって、古人骨から抽出したデータだっけ?ww
426 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/05(土) 23:39:33 ID:aYCOCNT+
>>402-404 及び
>>407 日本人の引用でしょう。しかもブリアート概念なんか、松本秀雄氏のGM型
遺伝子のブリヤート概念の亡霊です。現代のブリヤートはバイカルの
原住民でも無いわけですし。
http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/04208206 「ブリヤートが同地域のバイカル新石器時代人ではなく、東アジアの
集団に類似することは、ブリヤートは後の時代に南から入った集団で
あったことを推定させる。」まあ、バイカル湖地域は、先史時代から
「モンゴロイドとコーカソイドの境界領域であったひこと」から、
多くの集団が混じった地域でもありましたけど。
ほいで、沖縄からブリヤートへじゃの、日本からチベットへは、
ファンタジーでしょう。ブリヤートの住む地域やチベットは、
新モンゴロイドで、沖縄や日本の縄文系のような古モンゴロイドが多い
地域じゃ無いんですよ。沖縄とブリヤート、縄文とチベットじゃあ、
人種が違い過ぎますよ。
尾本氏が極道の妻を見に行った話は知りませんでしたね。
427 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 23:51:54 ID:Z3ODYjvW
>あたかも弥生時代に多くの渡来系が多く、古墳期の渡来系が少ないような
>印象を与えとるんは、埴原和郎氏の見識と違うじゃないですか。
↑のように感じるのはあなたの読み方の問題なんじゃないですか。私は相対的多寡
の話はしているつもりはありません。また、ひとつお断りしておきますが、埴原の
二重構造論については、あなたと話すために引用している訳であって、彼の説明を
私がそのまま信じているということではないです。
ただ、埴原の文章を正確に引用しようと努めているつもりです。
>>390 でもあなたの(笑)
に答えているじゃないですか。埴原の説明では、古墳時代に渡来人の数が急激に増加、
方々へ拡散したとされます。また、これは朝廷の政策と関連すると述べています。
ここは上田正昭に多くを負うのでしょう。原文を読めば分かるような嘘や「工作」などは、
私の嫌うところです。
さて、埴原は自分の専門から、古墳時代の渡来集団を「これを人骨の面からみると、古墳
時代に渡来した集団も、渡来系弥生人と同様に北アジア系の特徴を持っていた。」埴原和郎
『日本人の成り立ち』 248-249頁(1995 人文書院)と記しています。これも
>>390 で
引用しました。
また、その後で、「古墳人骨のデータを全国的に比較すると」特に東日本で「縄文的色彩
が強い」集団がおり、また「西日本では、一般に渡来系集団(北アジア系集団)の影響が
濃厚である。ただし南部九州ではこの傾向がほとんどみられず、縄文人的特徴が強い」と
しています。ちなみに、埴原の想定している在来系縄文人とは東南アジア系です。私は
この説については否定も肯定もしません。
ここで、埴原は在来系縄文人の形質が後々までかなり受け継がれていると言っているわけ
です。そしてこれには地方差がある。さらに弥生時代の渡来集団と古墳時代の渡来集団を
ほぼ連続的に見ている。
428 :
出土地不明 :2010/06/05(土) 23:53:04 ID:Z3ODYjvW
そこでこれですね。↓
>>375 「日本の渡来系は、北東アジアの新モンゴロイドでも、バイイカル型の高顔、
広顔タイプよりも、高顔、狭顔の南満州、長城地帯、チベットのラインの
タイプが多かったでしょう。トルコ、モンゴル、ツングースの南地域に多い
タイプのことですよ。」
ここであなたは「日本の渡来系」と言っている。また「弥生時代に多くの渡来系
が多く、古墳期の渡来系が少ない」このような「渡来系」というあなたの使い方
がよく分からないところがあるわけです。要するにあいまいなんです
>古墳期の北方系大量渡来によって、日本人は北東アジア人の集団に属する
>ようになったんですよ。在来系が主流でも無いし、
そういうことと関連して、
>>379 (で引用したあなたの文章も踏まえてです)
にしっかりと答えてくださいと繰り返し言っている訳ですが、もしかして答える
気持ちは無いのですか?上の説を唱えるには端折りすぎじゃないんでしょうか
それから「絶滅」というのは「絶え滅びること」でしょう。言葉が強すぎやしませんか?
あなたがぜひにとも使いたいと言うなら、これ以上何も言うつもりはありませんが、
きっと多くの誤解を生むことでしょう。
429 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/06(日) 00:12:12 ID:sJlO7+bt
>>422-423 及び
>>424 埴原和郎氏は、人口増加率で「紀元後1000年間のさまざまな農耕民族の
人口成長、マッケビティとジョーンズの数値に基づく」から、
全世界平均で、年増加率0.04%から推定したもので、江南派の中橋氏の
ような紀元1000年〜近代の後世の人口増加率から算出する詐欺行為と
違うよ。しかも米を主食としたら脚気で人口も増えまいに(笑)。
あんたのような東日本の米食いは、可笑しげなのう(笑)。
ほいから、江南派中橋氏らは、黄巾の乱以降の中国の人口減少と
同時代現象として、弥生期の人口減少を無視するたあ、鎖国史観、
幸せ回路ゆえよ(笑)。
430 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 00:37:22 ID:lvG2FHGQ
>>429 真性の馬鹿
玄米食えば脚気は無い
月光はたまに面白いが牛は最初から最後までゴミ
431 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 00:38:15 ID:SF4LDfEv
さてと、
>>422 の
>数百万規模の渡来人があったというのである。--(略)--さまざまな要因の複合した
>結果として残された歴史時代の人口増加率を人間の生物学的に可能な最大人口増加率
>とみなす埴原の発想には根本的な誤りがある。
上記の(略)を記載してみましょう。
『ところが、私のグラフにおける縄文中期前半の人口増加率は、前近代の歴史記録に残されたいかなる
増加率をも上回っている。渡来人の考えられないこの時期の増加率は人間の生物学的に可能な増加率
の範囲内にあったはずであるから、埴原の採用する採用する生物学的に可能な増加率は過小といわな
ければならない。』
---『縄文時代の考古学10』"人と社会"「縄文時代の人口動態」 今村啓爾著より一部抜粋
432 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/06(日) 00:54:13 ID:sJlO7+bt
>>427-428 埴原氏は、形質的に北アジア系の渡来新モンゴロイドと形質的に南方系の
土着古モンゴロイド云う図式で見ておられます。渡来系弥生人も北方形質
ゆえ、弥生期は、北九州、山口に、古墳期は西日本を中心に全国的に、
現代は南九州まで渡来系に分布図に描いておられます。東日本は
中間型で北海道と沖縄は縄文系と。(埴原氏は弥生期にも関東でも
渡来系人骨があり、尖兵的な存在の細部はあります。)。
ほいから、埴原氏は雛人形の顔つきで「京びな」は公家顔の渡来系、
「関東びな」は庶民顔の縄文系と、西日本と東日本の地域差、
社会階級で分けておられるんですよ。まあ、東日本は中間型としても。
どうも、「絶滅」用語に敏感ですのう。新大陸にもインデオが少数民族と
して暮らしておるし、北米に比べ南米はインデオとの混血も多いんも
事実ですが、新大陸がインデオの国と云う人はおらんでしょう。
日本も同じことですよ。渡来系が大多数の西日本が北米、東日本が
南米に当て嵌めても、インデオは民族として居住区に住む少数派で
しょう。大部分は西洋渡来人に奪われて、民族集団として国家を持って
おりません。絶滅に等しいと思いませんか?
433 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 01:00:43 ID:SF4LDfEv
>>431 えーっ、ちと訂正。
×埴原の採用する採用する
○埴原の採用する
えっと、それから一言。
古墳期に「遺跡・遺構・遺物が短期期間に劇的な変化があった」と
いう考古学情報を多数提示した上でのシミュレーションであれば、
「蓋然性が高い」ので断定的な表現を用いても違和感はないが、その
考古学情報がないにも関わらず、「断定的な表現」を用いても、何ら
説得力がない。
434 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 01:01:02 ID:Nbmm4xF+
>>432 なにか埴原について説明をしていますが...。肝腎なことは全くです。
そうですか、何度も同じ質問を繰り返ししましたが、どうやら
>>427-428 の質問にはまともに答えられない、ということで宜しいんですね?
よく分かりました。
435 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 01:02:26 ID:Nbmm4xF+
それからついでに、あんまり言っていることがひどいので
>>429 に関連して横レスします。
スルーしてもらっても構いません。
白馬青牛の言は誤解を招きますね。あなたは「弥生期の人口減少」をどうやって計算する
つもりなんでしょうか。その数字を具体的に出せないから中橋は隈・西小田遺跡の墓域に
おける甕棺数の時間的推移を追っているわけでしょう。人口減少を無視というわけではな
い。無視というのは「人口減少なんかなかったよ」と全く抹消して平気な顔で振舞うこと
ではないでしょうか。
そうではないでしょう?中橋の説明のほうが「弥生期の人口減少」というようなあいま
いな時間の目盛りでは無いわけだし、実際、隈では弥生中期のVaで甕棺の数が急激に増
加している。一定の水準で人口が増加していたと仮定したら、この甕棺数(死亡数)は
目立ちます。それ以降の考察でも中橋は様々な可能性について考えている。ただ、列島
全体における「弥生期の人口減少」の比率を正確に出せない以上、そこに踏み込まないの
は現実的な研究方針でしょうよ。「弥生期の人口減少」を任意に仮定して、分析していっ
たら大変な誤解が生じかねないではないですか。あなた自身が決して示せないところを敢
えて衝いて、そのことをもって、中橋の研究は幸せ回路だとは、あまりにもひどい話だ。
436 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 01:44:23 ID:QX/xHEMt
何か最近の牛おかしくねえ? いや、おかしいのは以前からだが、ここしばらくは特にめちゃくちゃな気がする。 言ってる事にほんの僅かも頷けないレスがやたら多い。 ・・・・中の人が入れ替わったのか?
437 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 08:21:07 ID:ZkAWiKGG
まあ牛さんは一人で答えてるのがすごいと思うね。 俺もよく突かれてコテつけろ!っていわれるけど、 そうすんとあちこちから揚げ足取り&知識の羅列が 始まって、議論なんてとても出来る状態じゃなくなるのに。
438 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 10:15:18 ID:4nC/lQiN
439 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 10:26:52 ID:4nC/lQiN
440 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 10:41:34 ID:4nC/lQiN
承前 凡例 ハプログループ・サンプル分布と中国国内移住ルート仮説 中国民族分類◇チベット、○華北、△西部、▽南部、☆主たる漢族、 ハプログループ 黒 D、青 C、黄 O1、赤 O*、緑 L/P 矢印は仮説による原初移動ルート
441 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 10:58:13 ID:4nC/lQiN
442 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 11:04:26 ID:ZkAWiKGG
月光仮面さん、人種の中で一番Y遺伝子を他の人種に多く遺せたのってどの人種ですかね?
443 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 11:58:35 ID:4nC/lQiN
承前 トゥヴァ大アバエフ教授はチベットのGar族=高麗=兀良哈、チベット・タングートの 石塔はサヤン・アルタイのSve(参考:志波・諏訪)、チベットの石積ピラミッドはサヤン・ アルタイの礼拝施設オボーそのもの。国名TibetとToba(Tuva)は同じもの、土方、 鮮卑拓跋も同じものとしています。私は宇治土公氏を神主とする椿大社も これと同じと考えています。最近のアルタイにおけるYDNA Dの祖形の発見と こうしたことを加味して日本のYDNAの年代別渡来を再構築する必要があると 考えています。
444 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 12:23:52 ID:4nC/lQiN
>>442 わかりませんね。インドが欧州系、北欧がアジア系、アフリカがアジア系
の影響を受けているとかですかね。
445 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 12:41:30 ID:4nC/lQiN
446 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 12:42:21 ID:FTXiefS+
朝鮮民族の末裔 それが今のジャップ
447 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 13:14:30 ID:4nC/lQiN
>>76 韓国人の本貫累計人口で、Dは出てきませんか?
448 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 15:09:57 ID:4nC/lQiN
449 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 15:47:19 ID:NWY66o3c
月光仮面さん、縄文人の渡来経路はどうなんですか? @大陸から樺太経由? A半島経由? B揚子江から沖縄経由?
450 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 15:58:54 ID:4nC/lQiN
451 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 16:02:18 ID:4nC/lQiN
452 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 16:03:59 ID:4nC/lQiN
KYA キロ・年、つまり、1000年です。
453 :
449 :2010/06/06(日) 19:44:16 ID:NWY66o3c
月光仮面さん、ありがとう。
454 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 19:50:57 ID:ZkAWiKGG
月光仮面さん、中原にコーカソイドが先に到達してたって可能性はないですか?
455 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 20:05:53 ID:Q8nEoe2l
456 :
LUNAMASK :2010/06/06(日) 21:10:46 ID:4nC/lQiN
457 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 22:23:42 ID:lu5H7CAS
さてと、最新の自然人類学的見解でも引用してみるか。
【現代日本人形成過程のシナリオ再構築の試み】
2010.5.20 更新より
4)弥生時代枠組み変化の日本人起源仮説への影響の検討
・弥生開始期の年代は500年程度遡らせるべきだ、との見解に従って計算機シミュレーション的に再分析を行なうと、
渡来系の人々は、これまで以上に緩やかな増加率で土着縄文人を圧倒し、人口比の逆転現象を起こし得ることが示された
( 中橋・飯塚、2008; 中橋・飯塚、2010)。
・弥生時代の人口増加を発掘住居数を用いて解析する数理的方法を検討した。
・南九州と沖縄の縄文・弥生遺跡出土人骨から試料を収集し、DNA分析を行なった。
http://research.kahaku.go.jp/department/anth/s-hp/index.html 付、HPの中ぐらい(図あり)には、日本列島への現生人類の拡散について、溝口優司氏の見解もある。
>>272 、と過去レス↓を参考にして考察すると面白かもw
「最近では多数の分析グループ(立教大、東京学芸大、京都大、お茶の水女子大、パリノ・サーヴェイ、国立工業高専)
が、この地方の黒曜石分析を行うようになっている。その成果の一つのとして、神津島系の黒曜石が約35,000年前頃
に東京の旧石器遺跡(武蔵台X層文化)から確認され、旧石器人が世界に先がけて海上航海を行っていたことが判明
している(小田 1997)。」
http://ao.jpn.org/kuroshio/kenkyudoko.htm 『ニューブリテン島にはラピタ期に周辺の島々へ大量の黒曜石を供給したタラセア原産地がある。2万年前にはこの
タラセア産黒曜石が海峡を隔てたニューアイルランド島で出土し、また本来の生息限界がニューギニアにあるクスクス
の骨が認められるようになることから、印東道子は「メラネシアの旧石器集団が往復航海を行う渡海能力をもち、水上
運搬によって動物や黒曜石を異なった産地から入手」していると評価する。2万年を遡る黒曜石の海上運搬は確認され
ていないが、いずれ旧石器人のメラネシア渡航の時期まで接近していくものと思われる。
「サフール大陸」で旧石器時代の遺跡が急激に増加するのは約3万数千年前であり、それとほぼ同時期に海を越え
メラネシアへの進出が果たされている点は、日本の後期旧石器時代と共通する部分があり興味深い。』
---「黒曜石考古学」 池谷信之著より一部抜粋
尚、神津島(静岡県南部の島)系の黒曜石は、「神津島黒曜石は、旧石器時代以降、縄文時代、さらに一部では弥生時代
中期に至るまで貴重な石器の材料として使われつづけた。」---『黒潮を渡った黒曜石』池谷信之著より一部抜粋。
ということで個人的には、旧石器時代に「南方からやってきた」神津島系黒曜石集団の列島内での人口増に伴い、
縄文時代の主流の一部なった集団こそが、Y染色体のD2集団の主流であるのではないかと考えている。
458 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 22:46:21 ID:Q8nEoe2l
>>457 神津島から本土までは
船舶が限定近海資格ではなく沿海資格でOKだ
海流の横断が必要ないのでまったく海洋民族の証明にならんぞw
459 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 22:53:23 ID:lu5H7CAS
>>458 何いってんの?
私のレスに「海洋民族」に言及しているところがどこにある?
黒曜石の利用が考古学的根拠になるのではないですか
ということに言及してるだけ。
460 :
449 :2010/06/06(日) 23:01:31 ID:NWY66o3c
黒曜石の流通は、どのように行われたのでしょうか? 物々交換?
461 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 23:02:25 ID:Q8nEoe2l
「南方からやってきた」というのは神津島三宅島では説明できとらんよ 古代の北方系の渡海能力でも行ける場所だからな! 限定近海資格必須の八丈島だったらほほうーだけどw 八丈島は晴れている日でも島づたいに行けないし海流の横断が必要よ
462 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 23:25:23 ID:lu5H7CAS
>>460 威信財としての交流に用いられたと考えます。
>>461 ちと、引用。
加藤晋平氏は中国沿岸部や台湾等で発達した「不定形剥片石器文化」が二万年以上前に
琉球列島へ北上したことを指摘し、小田静夫は種子島・立切遺跡にみられるような「重量石器」
を特徴とする「南方系旧石器文化」が関東地域まで北上して列島後石器文化の寄与したことを
強調した。---『講座日本の考古学』「旧石器時代 」より一部抜粋
>八丈島は晴れている日でも島づたいに行けないし海流の横断が必要よ
『黒潮を渡った黒曜石』池谷信之著でも読んでみたらw
463 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 23:32:59 ID:Q8nEoe2l
>>462 なんかそういうのって海事考証を欠いているような気がするYO
室町時代にならんと代官が派遣されなかった八丈島についての考察がないと
海事考証で覆る空論っぽい気がしてならんのよ!
464 :
449 :2010/06/06(日) 23:44:20 ID:NWY66o3c
★丸木舟は古久里浜湾を走る
対岸の吉井城山遺跡や茅山遺跡からは、
夏島貝塚から出土した釣針の倍近い大きさの釣針が見つかっています。
数十人規模となった集落人口を養うためには、より大型の魚を採る必要があり、
三浦半島では、人類最初の交通手段としての舟が発達していきました。
三浦半島の縄文人は、早くから丸木舟を造り、
当時衣笠付近まで入り込んでいた古久里浜湾内を縦横に舟で行き来し、
湾内で魚を取っていのでしょう。
大型の丸木舟は三浦半島ではまだ発見されてませんが、
この時期は、4〜5人乗りの大型の丸木舟も造られ、
大型魚の群を追いかけて、外洋に漕ぎ出していたと想像しています。
三浦半島にいた縄文人は、いち早く外海に進出を始め、
徐々に、太平洋岸の地域や伊豆諸島と海を越えての交流を活発に行うようになります。
★丸木舟は太平洋の荒海を超えたのか?
縄文早期中葉の時代にすでに神津島産の黒曜石が
三浦半島の複数の遺跡から発見されています。
縄文早期後半になると、
対岸に位置していた茅山遺跡から出土した「茅山式土器」
(植物繊維を含む粗雑な粘土を使い、多くの条痕がある)が、
大島、新島のはるか南に浮かぶ三浦半島から150キロも離れた御蔵島へ
運ばれていたことが確認されています。
縄文人の海に対する強い思いは、我々の想像を遙かに超えていたのです。
http://members2.jcom.home.ne.jp/umi-kaze/sub0-6.htm
465 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 23:45:13 ID:lu5H7CAS
>>463 では、↓過去レスより
『地質年代上の氷河期にあたる旧石器時代には、現在よりも最大で140メートル近くも海面が低下し恩馳島と神津島本島
は地続きになっていた。しかし、伊豆と神津島の間にはそれでもなお約40キロメートルの海峡が横たわり、神津島黒曜石
の本土側での出土は、旧石器時代の舟の存在を間接的に証明することになる。旧石器時代の海上渡航を示す事例は世界
を見渡してもほとんど例がなく、神津島という黒曜石の原産地とその流通は、今や国外の旧石器研究者からも注目を集める
ようになっている。』
『神津島と伊豆の間には黒潮分流が相模湾に向け北上している。その平均的な速度は時速4キロメートル、
丸木舟の巡航速度は5キロメートル前後であるから、神津島からの帰路はかなり北に向かって流されながら
の航海となる。--(中略)--それでは実際に神津島・見高段間間の航海にはどれたけの時間がかかったのだ
うか。島根県と日本海を隔てた隠岐にも黒曜石の原産地がある。1982年に松江市内の小学校の先生たち
が隠岐黒曜石の本土側への流通を実証するために、島後久見の黒曜石を載せた手作りの丸木舟で本土
まで漕ぎ渡った。最終日の島前郡港・島根半島七類港間の実漕渡距離は56キロメートル、所用時間は12
時間43分、平均速度4.4キロメートルであった。舟を日常の足にしている縄文人ならば、もう少し速い5キロ
メートル程度を巡航速度としてもいいだろう。神津島・見高段間遺跡間の直線距離は約60キロメートルで
あるから、丸木舟の巡航速度である時速5キロメートルで単純に割ると12時間になる。しかし実際には北側
に多少カーブしたコースが予想されるし、海が荒れてくれば波を乗り越えるだけでも漕ぐ距離は増えていく。
一日の航海としては限界に近い距離であり、この点からも航海に適した季節は日の長い夏場であったものと
考えられる。』---以上「黒潮を渡った黒曜石」 池谷信之著より一部抜粋
※旧石器時代、見高段間遺跡は伊豆半島中程の東岸にあり、 神津島からは約60キロメートル。
伊豆半島南岸は神津島から約40キロメートル。 キーワード:見高段間遺跡
尚、現在、恩馳島は神津島本島から約6キロメートル南西の沖合に浮かぶ小島。
466 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/06(日) 23:52:49 ID:sJlO7+bt
>>430 玄米を主食とした民族なんか知らんど。今の健康ブームじゃあるまいし。
江南でも脚気になったじゃないか(笑)。
>>431-433 弥生期を遡って長うしたい歴博シンパの今村啓爾氏の妄想を羅列じゃあ、
考古学情報も主観的検証者の神の手よのう。
人口増加が年0.1%を越えるんは、ここ400年の現象じゃろう。
>>434-435 あんたの結論は最初から質問にまともに答えてない。云う前提条件から
始まるんじゃけぇ、わしがどがぁな回答しても、意味があるまあ。
わしゃあ、
>>427-428 にも、
>>432 で答えとるど。毎度回答せずっと
質問を繰り返すあんた自身を幼稚な思うたことは無いか?
ほいから、甕棺の数の増加は弥生期の飢饉による戦乱で死者が増えた
云う例にも使えるわけじゃし、文献や出土品は、検証する個人の主観に
過ぎんし、断定的な正確な数字なんか、出るわけあるまあが。
じゃけぇ、視野を広げて世界的現象として対象とする時代を捉える意識が
中橋氏にゃあ欠けとる云うことよ。日本的鎖国主義の幸せ回路云うて
どこが悪りいんかいの。
>>436 つまらん、他者向けの喧伝工作しても意味があるまあ。
467 :
出土地不明 :2010/06/06(日) 23:54:25 ID:Q8nEoe2l
そういうのって津軽海峡を筏で横断みたいに 実際に現代において再現してやってみたのかなー 北方からたどり着けるところではなくて 南方系の証明として欲しいのは八丈島のことなんだよw
468 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 00:03:27 ID:LB5SQLQD
>>467 知らんがな。
だったら、その前に北方系からたどり着けることを再現した実験内容を
提示してしてよ。
469 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 00:11:45 ID:knUey/E9
>>466 日本人は米を煮て食う、せいろはほとんど使わない
これは玄米食に適した調理法である
出来上がりはおかゆに近い感じで意外と美味しい
煮る前に玄米は1日ぐらい水に浸けてく事、試してみw
470 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/07(月) 00:20:10 ID:XItuIhu0
>>437 >>435 氏の文脈揚げ足取りは、過去スレからじゃし、わしも可哀想じゃけぇ
相手にしてやっとるだけですわ。まあ議論自体、云うか論理は机上の空論で
現実とは違うもんですけんのう。
>>438-439 発生源なんか一元的解釈論でしょう。事実形質容貌からチベット人と
中国南部人、アイヌ人は似ておらん云う現実認識の方が大切じゃと
思うんですけどね。ほいから昭和44年に他界されたソ連の学者の論文
云うて誰のことですか?
ブリヤートの名前がドルベン云うトバァ集団にあったと仮定しても、
モンゴル集団として構成された限り、北上したモンゴル集団としての
ブリヤートは無視出来んでしょう。月光仮面さんは、歴史的考察が
無さ過ぎですよ。先史時代の民族が、現代その土地の民族では
無いわけですから。
>>457 旧石器捏造を煽った歴博の宣伝マンの弥生期繰り上げ運動開始か(笑)。
471 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 00:37:59 ID:MZWNHVYd
>>466 質問の意味を理解してなかったんですね。分かりました。
「先に、渡来系弥生人も在来系弥生人も、「北方民族」の大量渡来によって「絶滅に近い」
状態となり、人が置き換わる、とそのようなことを言っていたと思いますが、違っていた
ら指摘してください。そういう細かいこと、それぞれの集団の消長について
>>318 で引用し
たあなたの自身のことばを踏まえて、説明してもらえますか。 」
あなたは4世紀に「北方民族」(具体的には北東アジアの集団で北東アジアの新モンゴロイ
ドのトルコ・モンゴル・ツングース・ チベット羌等が主流としている、という)が大量
渡来して、在来系・渡来系弥生人は、コロンブスの新大陸到着以降に起きた現地住民の
人口減少を引き合いに出して、それまで列島に居た在来系の集団は絶滅に近い状態だった
という。また、この「北方民族」の渡来は8世紀まで続くという。
そして、「北方民族が大量渡来したんは、形質人類学からも否定出来んでしょうに」
と強弁するわけですが、具体的にどういうことなのか説明を求めても要領を得ない。
「日本の渡来系は、北東アジアの新モンゴロイドでも、バイイカル型の高顔、
広顔タイプよりも、高顔、狭顔の南満州、長城地帯、チベットのラインの
タイプが多かったでしょう。トルコ、モンゴル、ツングースの南地域に多い
タイプのことですよ。」
というようなことを言っているが、「日本の渡来系」の意味が分からないと訊いても
答えないことを決め込んでいる。あるいは答えたという。
472 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 00:39:44 ID:LB5SQLQD
>>449 さんへ
ちと、補足として過去レスを置いときますね。
縄文時代の関東・中部地域における黒曜石の交易・流通について、引用してみます。↓
『前期における黒曜石の流通は、交換連鎖から仲介者のレベルまで段階的な発展をする。
そのピークにあたる前期末葉では、流通システムは縄文社会のレベルを超越したかのような
発展を遂げるのである。この時期の黒曜石は威信財としての価値も高いので、黒曜石専用
ルートとしての意味をもったものと考えられる。この「ストーンロード」は長蛇の如く各地
へ延びていったのである。--(略)--妖艶な輝きを放つ黒曜石には威信財としての意味が付加
され、人々を幻惑させたのであろう。--(略)--前期末葉はまさに「黒曜石狂時代」だったの
である。--(中略)--後・晩期における黒曜石の流通は、前期とはまったく異なった様相を示
している。流通システムが継承されず、一度フォーマットされてしまい、威信財としての
価値が大きく低下したのである。--(略)--それは、後・晩期にさまざまな威信財が流通する
ようになったためであろう。ふたたび「黒曜石狂時代」が出現することはなかったのである。』
---縄文時代の考古学6"ものづくり"「黒曜石交易システム」 大工原豊著より一部抜粋
※尚、上記の「前期、前期末葉、後・晩期」はいずれも「縄文時代」のことである。
威信財として、その時代の価値の高低よって、他の「もの」と交換する時の対価がある
程度決まっていたのでしょうね。やはり、基軸通貨的な役割があったと考えられますね。
でも、「黄金狂時代」ならぬ黒曜石の妖艶な輝きに魅せられた「黒曜石狂時代」が訪れて
いたとはw 相当な労力を費やし、神津島と本土間の流通システムが構築されていた理由
が、ここから窺えますね。
473 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 00:39:46 ID:MZWNHVYd
そもそも「北方民族」は4世紀以降、列島の在来系集団(渡来系・在来系弥生人)の 征服者として想定されているわけですから、相応の規模の墓域を持つのでしょう。 その初期の墓域、及び人骨を具体的に挙げて説明してみればいいじゃないですか 、とこちらは丁寧に説明しているが、その度にはぐらかされる。 ところで、古墳時代の人骨の多くは5・6世紀以降の中・小古墳や横穴墓で検出され たものが大多数です。もちろん、これらの人骨についても、4世紀以前の列島の在来 系集団と異なる「北方民族」の形質(高顔、狭顔の南満州、長城地帯、チベットの ラインのタイプ、ですか?)が明瞭に現れているのであれば、それを具体例を挙げて 説明すればいいだけのことです。 その際、あなたは「まさかあなたは、扶余集団と北朝胡族の各集団に形質的差異が あったとお考えですか?」とも言っているが、埴原が同じ北アジア系の集団である と想定する、また、多くの専門的研究を行なっている形質人類学者が、連続的に考え ている「渡来系弥生人」と「古墳時代の渡来人」の形質的な差を、「北方民族」の渡来 をあなたはどのように説明するのでしょうか。
474 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 00:45:00 ID:MZWNHVYd
>
>>435 氏の文脈揚げ足取りは、過去スレからじゃし、わしも可哀想じゃけぇ
>相手にしてやっとるだけですわ。まあ議論自体、云うか論理は机上の空論で
>現実とは違うもんですけんのう。
じゃあ、他人に分かるような文章を書かないといけないんじゃないですかね。
レッテル貼りと強弁だけうまくなっても仕方ないでしょう。もう手遅れかな。
私もあなたに対しては慈善活動のような気持ちで望んでいます
475 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 01:13:14 ID:3J7gWCHW
476 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/07(月) 02:34:18 ID:XItuIhu0
>>471->473及び
>>474 質問の意味を理解しないじゃの、分かりましたじゃと、あんたの
禅問答で自分でわしのレッテル貼り印象工作に還元しとる。
ほいじゃあ、鴨稲荷山古墳以来わしの質問に回答せんあんたぁ
何様なんか?
新モンゴロイドの集団が現代日本人の主流になっとることから、
明らかな結果に、あんたが観念論でケチ付けても現実認識か
空理空論かのあんた自身の問題でしかない。
人口増加を墓域に還元出来る根拠も書かず、誘導する仕掛けも
見え過ぎとるのう。あんた、あらゆる限り、レトリックを
使いよるわい。古墳期の新モンゴロイドは池田次郎氏が云われる
よう、弥生期の渡来系より短頭化した連中が多かった。
まあ、短頭、長頭は環境風土の変化によって変わるが、
短期間の変化は、渡来者の多かったことを物語るじゃろう。
あんたこそ、他人に分かる文じゃ無いど。少のうてもわしにゃあ、
抽象観念ばっかしで解らんのう。単純明快に書いたらええのに。
慈善活動以前にコテ名すら書かずに、わしにカバチ垂れる自体、
逃げ口上の言い訳を想定してのことか?
477 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 02:47:51 ID:Y54CHT7x
>>476 具体性を求められて、それに応じられない君の方が観念論じゃなかろうか。
具体性と観念論とは相容れない。
478 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 03:24:32 ID:knUey/E9
>>476 弥生早期期の新モンゴロイドの形質の分布を調べろ
こういうのは得意だろ
すでに中国南部に到達してる
つまり弥生系日本人の形質から弥生期の到達ルート決定する事は出来ない
別の証拠が必要
479 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 12:52:10 ID:uMoo2Dw4
480 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 13:03:39 ID:uMoo2Dw4
>>470 >発生源なんか一元的解釈論でしょう。
系統論というのは一元である発生源を求める学問なんですよ。
おっしゃる通り理想論ですよね。現実にそんなことはあり得ない。
しかし、その辺が面白いんですね。科捜研の女のようなもんですよ。
481 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 13:17:46 ID:uMoo2Dw4
承前 ですから 韓国人の本貫累計人口 1位 (駕洛) 始祖、金首露。金官伽耶(駕洛国)王首露王の末裔(伽耶王族) 4,124,934 O2b 中国系渡来人 2位 密陽朴氏 新羅初代王朴赫居世の後裔、景明王の息子朴彦沈を始祖とする。 3,031,478 O2b 中国系渡来人 これらの人は弥生人、ブリャート人となんら変わらないということなんですね。
482 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 13:22:21 ID:4LVmvA7W
起源がどうであれ、日本人が日本語で統一され、朝鮮人が朝鮮語で統一されたあとは完全な異民族になったのでどうでもいいことだ。 日朝が同系だったと仮定しても分離は7000年以上前のことだしな。そのことはモンゴル、満州などとも区別はなかっただろう。
483 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 13:26:29 ID:uMoo2Dw4
ロッテであれ、楽天であれ、巨人であれ、どうっつーこたーねーんだよ。
484 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 13:32:30 ID:uMoo2Dw4
でも、松井でも、イチローでも、国旗・国歌の拒否はしないよなー。 北朝鮮にしてもそうじゃないかね。
485 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 15:59:11 ID:uMoo2Dw4
>>481 しかし、2003年中堀他YDNA朝鮮人二重起源第2表によれば朝鮮人は
ーーー サンプル人数(%)
1 O*-M175 68(42.5) 櫛目文時代東アジア農耕民
2 C-M130 24(15.0) モンゴル系
3 O2b 22(13.8) シニア・無文系
4 O-LINE1 20(12.5) 山東省中国系
5 K*-M9 12(7.5) 古アジア系 これだけは日本人の調査に出てこない
6 O2b1 9(5.6) ジュニア・無文系
7 D1 4(2.5) 日本のD2とは異なる
8 その他 1(0.6)
こうなるはずなんだから、
>>481 は無文系O2bのオッズが高いことを意味する
と考えられる。
486 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 16:47:22 ID:uMoo2Dw4
>>485 >C-M130 24(15.0) モンゴル系
失礼ハムニダ。これはモンゴルではなくミクロネシア・インド・レバノン・中央アジア
突厥等に見られるものでした。
日本のは満州/愛新覺羅・覺昌安皇統 C3-217*
モンゴル/成吉思汗皇統 C3-217*
と言う典型的な皇帝クラスのものしかありません。しかし、おかしいよなー、
日本は鎌倉幕府が撃退したはずなのに。おそらく日本のはもっと古いものでしょう。
487 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 16:53:30 ID:uMoo2Dw4
承前 また間違えた。日本では正しくは モンゴル/成吉思汗皇統 C3-217* 1.9% 葛城系か 満州/愛新覺羅・覺昌安皇統 C3c-M86 1.2% オオヤマト系か
488 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 17:30:45 ID:nCTaIRms
欧州大陸(特にゲルマン人が拡散した地域)に モンゴロイドが先に到達してたことはないでしょうか?
489 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 18:45:31 ID:uMoo2Dw4
>>488 あの辺はネアンデルタール、クロマニヨン等という地域ですよ。
490 :
LUNAMASK :2010/06/07(月) 18:49:39 ID:uMoo2Dw4
>>486 韓国のC*、本当にそうなら細石刃が北海道経由で入るのがおかしくなるんじゃ
ないか・・・白馬青牛さんのおっしゃる通りYDNAはさっぱりわからんってところ
がありますね。
491 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 21:51:16 ID:knUey/E9
492 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 21:55:57 ID:JZLIAl5K
>甕棺の数の増加は弥生期の飢饉による戦乱で死者が増えた云う例にも使えるわけじゃし、
ええ勿論使えますよ。私は、あるいは中橋はVa期において甕棺が増加しているという
事実を述べているわけで、確たる根拠があれば、そこから「戦乱で死者が増えた」という
「個人の主観的解釈」(でしたっけ?)を導くことも可能です。そこは排除していない。
ところで、
>>435 での私の発言は、中橋は「弥生期の人口減少」について無視していない、
考えてるじゃないですか、ってことを述べたわけですけど、散々レッテルを貼っていた
あなたが食いついた場所は、あんまり関係のないところですね。これが有名な「揚げ足取
り」ってやつか
「人口増加を墓域に還元出来る根拠」、当時の状況を完全に復原できるわけではありません
が、Va期の集団は成人も小児も概ね甕棺墓に葬られているのです。墓域が発掘された地点の
他にあるかもしれないし、不幸にも埋葬されなかった遺体があるかも知れません。しかし、
Va期、30年くらいの期間(議論はあるでしょう)に400近い人が死んで、埋葬されている
という事実がある。また、普通「死者の数は母集団の人口規模に匹敵する」のです。
さらに、中橋はこの周辺のほかの遺跡での検証も試みているし、Va期に大陸を含め他地域
から集落に急激に人が流入した可能性も考慮している。しかし、別の集団の大量流入は認
められなかったわけです。(中橋孝博『日本人の起源』(講談社、2005)214頁ほか)
493 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 22:18:25 ID:ng2kaAk+
>>492 もとが遊牧民の民族には、墓なんか作らない民族があるよ。
鳥に死体食わせて、残った骨をハンマーで砕いて、川に流すとか外国民族は当時の日本とは感覚が違って当然。
中国の古いとされる陵墓なんか、出てくる出土物が宋とか明の文物だったなんてザラ。人骨なんか全然出てこない。
渡来人が日本列島に来て、最初から墓を作ったとは限らないよ。
494 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/07(月) 22:31:59 ID:XItuIhu0
>>477 わしゃあ、具体的に話しとるよ。だいたい空論たる論理自体、観念論で
現実認識たぁ違うんど。
>>478 中国南部云うても、長江下流域の一部しか新モンゴロイド化しとらんよ。
日本の弥生期自体、ごく一部の地域を除いて新モンゴロイド化しとらん。
>>479 ブリヤート人はサハ共和国では少ないでしょう。ブリヤートやモンゴル高原
のハルハ人より、モンゴル東南部のホロンバイルの方が日本人に似た顔が
多いんじゃないですか。朝鮮人は確かにオホークツ文化人に類縁なニブヒ
に似た容貌がおりますね。
http://www.asahi-net.or.jp/~xc8m-mmy/kaiky201.htm シロコゴルフ氏も、朝鮮人には、ニブヒ族の形質を含んでいると
書いておられる。
495 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 22:34:29 ID:JZLIAl5K
>>493 弥生中期、Va期、福岡県筑紫野市の隈・西小田遺跡周辺に居住する集団の墓制
は基本的に甕棺墓。ただし隈・西小田遺跡でも前段階のUa期あたりまでと、後の
Vb期以降では甕棺墓以外の土壙墓なども混在する。だから地域と時期を限定して
述べているわけ。墓を作らないという可能性を排除しているわけではないけれ
ども、もし骨を川に流すようなことをやっていた場合、全くその痕跡が残らな
いものを考古学から説明するのは極めて困難。
496 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 22:57:05 ID:JZLIAl5K
>古墳期の新モンゴロイドは池田次郎氏が云われるよう、弥生期の渡来系より短頭化 >した連中が多かった。まあ、短頭、長頭は環境風土の変化によって変わるが、 >短期間の変化は、渡来者の多かったことを物語るじゃろう。 ここでの「渡来者」は「具体的には北東アジアの集団で北東アジアの新モンゴロイド のトルコ・モンゴル・ツングース・ チベット羌等が主流」ということで宜しい? 池田の説明を引用しておきます。池田の説明では弥生から古墳時代にかけての 渡来集団は連続的に捉えられています。また、縄文人の形質を残す集団もいます。 なお、池田の扱っている古墳時代の人骨の多くが5世紀以降のもの。 「大ざっぱにいうと、大半の古墳人は、渡来系弥生人と古墳時代以後の日本人に類似 する特徴を多かれ少なかれ持っている。たとえば、古墳人の頭蓋・四肢骨の計測値は 、ほとんどすべて縄文人と現代人の中間に入るが、鼻根湾曲示数・歯槽側面角・大腿骨 の中央横断示数・身長などでは縄文人より現代人、さらにはそれ以上に渡来系弥生人 に類似する。また古墳人の顔面平坦度示数は縄文人・現代日本人より小さく、北方 モンゴロイド(ナナイ・ニヴフなど)や渡来系弥生人に近い。」 池田次郎『日本人のきた道』(朝日新聞社、1998)278頁から) なお上の説明は石田肇・百々幸雄、1990を受けたもの。 さらに池田は、頭蓋計測値を基に列島を9地域に分けて、その地域性を述べる。 その際、古墳人の集団を三群にわけている。第一群は畿内古墳人で「高顔と平坦性が 古墳人のなかでもっともいちじるしく、身長ももっとも高いなど、渡来系古墳人の なかでも渡来形質がとくにきわだっている」また「短頭性がもっとも強いが、この 頭形は弥生時代に出現し、古墳時代をへて現在までうけ継がれている畿内人の地域 的特性」している。 第三群のうち「東北九州・西中国古墳人」は「頭蓋・四肢骨すべての特徴で、北部九州 ・山口の渡来系弥生人にもっとも近い。」また、南九州・西九州古墳人は「縄文人的 特徴への傾斜を示す」などなど。
497 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 23:12:03 ID:CgYYBZRR
私は477氏ではないが、477氏が述べていることは、全体的に「具体的に話している」 ことを問題にしているのではなく、質問に対する局面で「具体的に答えているような感じ に見せかけて話を逸らしている」ということを云わんとしているのだと思う。 尚、「具体的にそのレスを、その箇所を示せ」と言う返レスが返ってくると思うが、 過疎ながら、このスレを見ている読解力のある方であれば、「いわずもがな」 であると思う。
498 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/07(月) 23:13:08 ID:XItuIhu0
>>481 金官伽耶も新羅も支配層は北方木槨墓人ですから、漢人とは違いますよ。
>>482 日本と朝鮮の民族的分離は、せいぜい千三百年ぐらい前じゃろう。
>>486 鎌倉幕府の派遣された関東の武士は後方におって、前線で死闘したんは、
九州や瀬戸内の水軍武士団ですよ。
>>492 中橋氏の検証云うとるが、検証たぁ個人の神の手たるレトリック主観論で
客観性なんぞ無いど。データに入れる内容に数値は変化するけんのう。
しかも、弥生期の戦乱の時代に人口が増えたんなら、世界的に
戦乱で人口が増えた例を提示すりゃええのに。
ほいから、片山一道氏は、違う見識を持っておられる。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/tetudy03922kouen.htm 下の方に「学会の主流は弥生時代に大量に朝鮮半島から渡ってきて
日本民族ができたという説を展開しています。高校の日本史の教科書にも
単なる仮説を書いています。しかし神戸のシンコウ遺跡、近畿地方の
弥生時代の遺跡の骨を調べた限り、そうではないのではないか。
弥生時代は朝鮮半島経由で文化が輸入されましたが実際には人間は
そんなに来てない。山口県の土井ヶ浜、北部九州は渡来人は大きな影響を
持ったことは確かです。国家というものが形成される前後あたりに影響は
強くあったのではないか。そういう意味で国家形成期、騎馬民族はやって
きたという私なりのレトリックで書いています。渡来人は日本の歴史に
大きな影響をもたらしたと思いますが、弥生時代の始まりではなく、
国家が始まる頃、古墳時代に影響があったのではないかというのが
私自身の仮説です。」
499 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 23:33:48 ID:JZLIAl5K
>中橋氏の検証云うとるが、検証たぁ個人の神の手たるレトリック主観論で >客観性なんぞ無いど。 そうらしいですね。つまり、あなた自身も検証できないわけだ。だとしたら あなたのやっていることは何です?つまらない話ですなぁ。あなたは観念論 やレトリック云々と言っておきながら、自らその泥沼にはまろうとしている ようだ。いったい何やってるんですか 私は、弥生から古墳時代にかけて渡来系の集団が次第に多くなっていった、 ということは否定するつもりはないです。ただ、あなたの言う「北方民族 の大量渡来」と「在来系集団の絶滅と集団の置換」、それから形質人類学 からみて上のような現象が起きたことは明らかであると言うにも拘わらず たいした根拠も挙げずに、強弁と煽りは律儀に行う、あなたの発言と行為 を疑っているわけです。 「こういうひとだからこうである」。あなた流の思考方法でしょう?
500 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 23:35:27 ID:ng2kaAk+
>>498 神戸って新方(シンポウ)遺跡?
新方遺跡の年代が、いつかなのか書かれたものが少なくて扱いが難しいです。
確かに、弥生時代初期と書かれてるのが多いですね。
501 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 23:49:19 ID:3J7gWCHW
>>499 縄文時代の交易が発展して、縄文末期(弥生の始め)に
朝鮮南部や九州北部に拠点ができていたんだと思います。
(志賀島やミナマなどの)
そして、文物交換にとどまらずに、人の交流も生じて、
しだいに多くの人が列島に移住したんだと思う。
古墳時代に朝鮮を騎馬民族が支配したという記録もないのに、
日本だけが、騎馬民族に支配されたという、可能性は少ないと思います。
502 :
出土地不明 :2010/06/07(月) 23:55:12 ID:CSFleIo5
>>498 木槨墓人は漢人だと思う。
帯方郡が設置され、中国大陸の文化がもたらされるようになる。
このため、上位支配者層の墳墓は、厚葬の大型木槨墓になり、
副葬品も大陸からもたらされた漢式遺物が多くなる。
不思議なことに、このような文化的な伝播は普通時間をおいて普及するものだが、
木槨墓の採用については、両地域でほぼ連動して起きていたのである。
つまり、紀元前1世紀頃にはすでに墳墓形式の伝播経路として
漢→楽浪郡→三韓(朝鮮南部)・倭(日本)という経路出来上がっていた可能性が高いのである。
http://kanrin.co.uk/history/kouko2.html
503 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/08(火) 00:06:12 ID:o4Ek0FSw
>>496 池田次郎氏は、「兵庫県龍野市の白鷺山、明神山の≪弥生後期≫の
墳墓」から出た人骨が短頭で高顔であったことから、土井ヶ浜弥生人
よりも現代近畿人に近いとされ「わずかニ例の観察から判断する
のは危険ではあるが、北九州に上陸した一団とは体質的に異なる
大陸集団が、≪弥生中期≫までに近畿に到来していたという推論は、
あながち否定できない。」(『日本人の起源』P166)と、池田氏の
レトリックじゃが、≪≫で示したように、弥生後期の遺跡の例が
中期までに到来と推論出来るんじゃろうかね(笑)。
ほいから「西日本古墳人」たぁ渡来形質と縄文形質の混血特徴を
持つ人骨のことよ。その中でも縄文系の特色の強いんは、
「広島県の四―五世紀の古墳人骨が、縄文人に匹敵するほど
低顔性をもちあわせた」こと、「関東古墳人は顔面がきわめて低い
広島古墳人によく似ているが、そのうえ低く広い鼻もっているので、
広島古墳人よりさらに縄文的といえる。」(P188)と、
広島県は文献的には、帰化蝦夷佐伯部の居留地じゃけえ、西日本の
中でも渡来人化が遅れた。現代の広島県人は渡来形質が多いゆえ、
古墳期広島人は現代の広島人との人種の違いがあるよ。
504 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 00:20:33 ID:ZFztFlCq
>>503 折角書いてもらったんですが、何が言いたいのかサッパリ分かりません。
文章の意味が分からないということです。
後半はなんとなく分かりますが、広島のことなど訊いていませんよ。縄文系の集団
は例の大量渡来で絶滅に近い状態と言っていましたけど、あなたの言は自説と矛盾
しませんか。ついでに言っておくと「人種の違い」などありません。
505 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/08(火) 00:25:25 ID:o4Ek0FSw
>>499 池田次郎氏の書かれてたもんでも、どの部分をどう捉えるかの問題じゃ
けんのう。まあ、検証者は「神の手」を持つもんじゃ。個人の論文なんか
オナニーに過ぎんもん。19世紀の実証史学用語の「検証」じゃの、
「実証」じゃの、同じ19世紀史学の左翼マルクス史観の「科学的」じゃの
装飾用語を並べた詐欺よ。近代たる装飾語を使うて喧伝手段とする他者を
説得云うより洗脳させるレトリックに過ぎんよ。
>>501 朝鮮を支配したんは、扶余・高句麗、種族は特定出来んが北方木槨墓人で、
韓人や倭人は征服された被支配層なんは、明らかなことよ。高句麗と
百済だけ文献上に出とるだけで、外は違う云う根拠の方が乏しい。
>>502 三韓の時代の楽浪木槨墓から、4世紀前後、北方木槨墓に変化したんじゃ。
支配者が北方から南下した連中によって。
506 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 00:40:55 ID:ZFztFlCq
>>505 はいはい、どうぞご勝手に。
池田を引用したのは、あなたの中途半端な引用が誤解を招くことを案じただけ
のことです。あなた、引用=賛成みたいな図式で捉えてませんか?そうでなけ
ればいいんですがね。
>>505 もテンプレに加えといたらいいでしょう。意味の
無い繰言もひとつ減って気持ちもすっきりするでしょうよ。
507 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/08(火) 00:47:25 ID:o4Ek0FSw
>>504 都合が悪りいと解らん云うとりゃあ、楽なのう。池田氏のレトリックを
説明してあげたんに。
在来縄文系は、混血する以外種を残せんかったけぇ絶滅じゃないか。
しかも古墳期より現代人の方がより渡来系で特に西日本では、縄文系は、
ほとんど残っとらんよ。人種が変わってしもうたんじゃ。
ほいから百々幸雄氏のんでも挙げとくか。
http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/01643006 形態小変異では、「北中国人は渡来系の弥生人以上に古墳時代以降の
日本人に近いことが判明した。」と、まあ中国も、弥生期と同時代に
人口減少となり、世界的民族移動期の4世紀前後の五胡北朝で北方民族が
征服した。日本も朝鮮も同様。世界的視野から見ても、渡来系弥生人より
古墳人の方が五胡系統の華北人に近いんも可能性が強いけんのう。
508 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 01:17:24 ID:FMvsK2mp
日本古墳時代の北中国人と今の北中国人は違うでしょうね
509 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 01:18:08 ID:4ehSSRr4
在来縄文系は、混血したからこそ、在来縄文系の遺伝子が現代日本人に反映 しているとも表現できるw
510 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 01:28:59 ID:OqoQbDyu
アメリカ:黒人の血が一滴でも入っていたら黒人 韓国:韓国人の血が一滴でも入っていたら韓国人 渡来人の血がが一滴でも入っていたらそれは縄文人ではなく渡来人 だから縄文人は絶滅した
511 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 01:41:34 ID:FMvsK2mp
512 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 01:45:26 ID:6jfypFc9
韓国人の半分は高麗時代に中国から来た渡来人だからな 済州島出身者は元の頃のモンゴル人だああ
513 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 01:50:55 ID:Ec+FdzK7
寝言とお国話聞かされても、「説明」したことにはならないですよ。 「種」とか「人種」とか言っている時点でハナシにならないわけですが、 固陋ですからねぇ、そこは我慢してやりましょう。 >在来縄文系は、混血する以外種を残せんかったけぇ絶滅じゃないか。 ほう、笑えますね。あなたは自分専用の言葉を使っているんですか。 そうすると古墳時代の渡来系も絶滅と。それ以前に、列島に渡った「北方民族」 が江上のいうような方針をとる人たちだったとしたら、彼らも早々に故地で絶滅 したことになりますね。あなたは暗に純血の集団を想定し、「北方民族」にそれ を仮託しているんですか。 >しかも古墳期より現代人の方がより渡来系で特に西日本では、縄文系は、 >ほとんど残っとらんよ。人種が変わってしもうたんじゃ。 「古墳期より現代人のほうが渡来系で」...揚げ足をとりますがね、こういう文章 の意味も私が推し量っていかないといけないわけですか。他人に分かるように自分の 頭の中でまず文章を推敲なさいな。 百々さんのは引用になってませんよ。最低でも原文を挙げてください。いつの時代の どの地域の「北中国人」ですか?それに「弥生期と同時代」に人口減少って、だいぶ 長い話だ。あなたは時間や地域ということに関してぞんざい過ぎます。 それからあなたは「世界的民族移動期だから列島もこうだ」という論理でしょう。 そのように想定して分析することは自由ですよ。そこにちゃんとした根拠があるなら 話もききます。けれど、やっぱりあなたの説明は「想定」が先にたっていて、根拠が 薄弱と言わざるをえません。繰り返ししている質問に対するあなたの言動はそれを よく示していると思います。いろんな人類学者の意見やら関係のない話を投げつけ ながら、ヌルヌルと逃げ回っていて、私の質問にはまともに答えられていませんね。 いつになったら正面を向くんですか?
514 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 01:53:38 ID:HteIMjyy
>>510 その理屈だと新羅人も漢民族も絶滅したってことだな。
515 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/08(火) 23:11:43 ID:o4Ek0FSw
>>506-513 池田次郎氏の思惑まで読まず、引用して寝言云うとるんはあんたど。
「人種」以外に適当な言葉は無いけぇ使うとるだけよ。
個々人の形質の差は民族差より個人差云う点じゃ、人種概念は
望ましゅう無いが、全体的に見て差異がある場合便宜上使わにゃあ、
かえって混乱するけぇのう。
現代に繋がる古墳期の渡来系が絶滅じゃと誰が云うたんなら。
ロジックの言葉遊びで誤魔化すなや。そがぁな抽象的言葉
遊びを「観念論」云うんで。故地で絶滅したじゃの誰も
云うとらんのに、勝手に自分の答えを出して、誤魔化しの詭弁に
終始すなや。まあ、あんた揚げ足取りしか出来まあ。
他人に解るかどうかを考えよらんのは、抽象観念論を繰り返す
あんたど。問題は単純明快で古墳期に大量渡来があったか、
弥生期は人口減少したかのことでぇ。
しかもあんた、「想定」と「根拠」を対立関係に還元して
前提条件にする自体、低脳としか云いようが無い。
世界的民族移動期の視点から視るんは総合的視野であって、
「分析」云う狭い範囲のもんじゃ無いし、わしゃあ、「論理」云う
抽象観念に還元しとらん。わしの質問に答えず、わしへ質問云う
ことで逃げよる姑息な醜態を晒しるあんたの幼稚さに問題が
あろう。
ほいで、百々幸雄氏の北中国だけじゃのうてモンゴル、朝鮮に
ついても、いつの時代か記しておられんよ。
『モンゴロイドの道』のP177の「モンゴロイド近縁図」にしても、
『日本人のなりたち』第3章のP152「頭骨の形態小変異10項目に
基づく古墳人の距離関係」にしても、日本人は時代別に載せて
あるが、周辺民族の時代別は無い。じゃが、北中国、朝鮮人、
古墳、江戸期、現代日本人が極めて似た集団であること、
縄文人とは距離があることを表しておることじゃ。
大局的に観たら云うことよ。
516 :
出土地不明 :2010/06/08(火) 23:19:15 ID:/crwLetO
弥生人や中国人の元になったモンゴロイドが北方系なのはほぼ確実 とすれば縄文人がブリヤート起源だという説は 弥生系と縄文系という特徴の違う人種が、同じ北方シベリアで発生した事になり不自然 よって縄文系は南方系だろう 新モンゴロイド、古モンゴロイドと言う表現が有るがいまいちだな たぶんどっちも古い、最初に縄文系が東アジアに広まりその後に弥生系が東アジアを支配した しかし、同じ北方でも北海道には弥生系は来ていない。 よって弥生系の南下は大陸のみで起きた。つまり海や水が苦手だったと推測できる
517 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 00:01:18 ID:/6dPxYFA
2万年前に、一番最初の渡来人は、C1のツングースが海岸沿いにやってきた。 1万年前、縄文人D2が渡来した。陸続きの日本湖の南北を通じてだろう。 2500年前から、朝鮮半島からO2bの農耕民族が徐々に渡来した。 2000年前には、漢1に朝貢した志賀島の豪族が漢の倭国の印をもらった。 1800年前に、卑弥呼が魏に朝貢した。 だいたい、そんなところだろう。
518 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 00:18:42 ID:gZZcElD7
519 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/09(水) 00:31:24 ID:2vifqJrN
>>516 弥生人云うて渡来系弥生人か在来縄文系弥生人か
解らんようなるんに。北海道は後にオホーツク文化人が
入植したじゃないか。
海岸沿いの民族で海が苦手な民族なんかおるんかね。
海賊的色合いならツングース系じゃし。
520 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 00:45:22 ID:3CzKHtfX
20番目に新しいスレですら3日半前とは閑古鳥が鳴くにも程があるぞ 299 名前:出土地不明 :2010/06/05(土) 12:43:29 ID:/cUuY5T6
521 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 01:19:01 ID:2g4Xd2zm
あれこれ喚いていますが、結論としては単純であって、
>>471 ・473の質問には答えられ
ないということですね。
522 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 01:40:04 ID:2g4Xd2zm
白馬青牛が論点をずらして、関係の無いことや罵詈雑言を連ねて逃げ回るもん ですから大人気なく、何度も同じ質問を繰り返さなければならなかった訳ですが 、何のことは無いですね。ほとんど何も変わってない。相変わらず喚いてる >百々幸雄氏の北中国だけじゃのうてモンゴル、朝鮮についても、いつの時代 >か記しておられんよ。 こういうのは何と言うんですかね。ロジックの言葉遊びで誤魔化すなや、ですかね。 原文を出せ→原文ってどれだ・そもそもあるのか→原文があればそこにデータ提供 先が出ているだろう、ってことです。他の民族については原文が出てきてからの話 であって、それが無い状態で持ち出す話ではない。以下同じ。 「混血する以外種を残せんかったけぇ絶滅」という妄言は残念ながら永久に残ります。 それにしても白馬青牛は、レスを重ねるごとに言っていることが低劣になっていきます ね(個人の感想です)。揚げ足取りも会得しつつある。どうせこういう煽りには過敏に 反応してくるんでしょうけど、彼はサンドバックとしては上等な部類かもしれないなぁ と思います。
523 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 01:46:07 ID:hvupaWlc
初期段階の肝心な問いをはぐらかし、大量の駄文を連発し、忘却させ、混乱させる。 これぞまさしく、大衆向け、散乱術的手法の対話法である。
524 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/09(水) 02:31:54 ID:2vifqJrN
>>522 論点云う自体、自己の前提条件に誘導するレトリック手法で、
現実認識たぁ関係無あど。罵詈雑言はあんたがわしに毎度レスする時
付け加えよるじゃろうに。
原文は『日本人のなりたち』P151に山口敏氏の考察じゃと出とるよ。
「山口は通常の頭骨計測項目に、顔面の平坦度を表す項目四つを
加えた計十六項目に基づいて、古墳人と他の五集団との相互距離を
計算した。(中略)山口は、頭骨の形態小変異とよばれる、
非計測的特徴一〇項目の出現頻度を指標にして、古墳人と他の
集団との相互距離を算出したが、古墳人は縄文人から遠く離れて
おり、日本人、中国人、朝鮮人といったモンゴロイド系の人びとに
近くなっている。」「これらの研究結果は古墳人に関するわれわれの
常識を覆すものであり、しかも山口が分析したのは東日本の古墳人で
あったから、古墳時代にはすでに大陸系の移住者の影響が東日本に
まで及んでいたことを示すものとして、学界で大きな反響を
よんだ。」と。
ほいじゃが、原文があるか無いか関係あるまあ。文物も文献も
研究者の主観じゃし、あんたも原文を出した学者を「信じて」
おるに過ぎんのじゃ。学問云う曖昧な世界を複合的、総合的に
捉えるか、一元的学説に依存するかの問題じゃ。
岡田英弘氏が黄巾の乱以降人口減少で、古い漢民族が「絶滅」し、
五胡の北方民族が新漢民族となったことは、「漢民族の絶滅」と
表現したんと同様、日本人も古い原住民から渡来人が主流に
なったけぇ「絶滅」になろうが。あんたぁ、サンドバックどころか、
一発頭突きされてうずくまり、次は、道具で頭をぶち割られて
ノックアウト状態じゃ。
525 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 09:12:04 ID:PynCsYQP
>>517 ちょっと違うわよ。2万年前、縄文人がシベリアから南下した説は、
最新の分子遺伝学の成果の前に惨敗。むかあ〜し日本人が言ってたと言う、
ご先祖様達は南の海からヤシの実の様に流れて来た海上の道説、
あの直感の方がやっぱ正しかった。アフリカを6万年前に出て、
インド洋の海岸端を回り、スンダランド到着。日本列島へは3万5千年前、
カツオと一緒に流れて来た。流れてっても、ちゃんと漁をしながら
北上したんだからね。遺伝子Y−D2の縄文漁師さん達。列島で猛烈に
子孫繁栄して現代日本人男子の約半分が縄文パパなのだ。
National Geographic の地図見る?↓ヒトのブログから引っ張って来て
ブログ主さん、御免ね。
http://ao.jpn.org/kuroshio/kaijo.htm 縄文漁師の伯父さん達が使ってた石器の種類と具体的なルートは以下よ。
http://taatanniji.blog99.fc2.com/
526 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 09:24:54 ID:DbXj+J0D
>>490 RE: 朝鮮半島のYDNA C
--------------------
2003年中堀豊他「YDNAが語るコレアンの南北ニ元起源」がC M130/RPS4Y711=C*
を日本人 9.3% 朝鮮人 15.0%としているのは、おそらく、当時としての分析技術の限界に
よるもので、これが2005年尾本・埴原・宝来他、日本人の二元起源:狩猟採集民族と
農耕民族のY染色体遺伝子の共有基盤においては、日本人の場合、更に、
C1(日本限定)、C3(モンゴル)、C3c(満州)とされたのは分析能力の向上によるもの
と解釈すると、そもそも朝鮮にはC*が存在したとは言えず、単なる分析能力の欠如
によるもので、他方、日本のC1は固有であり、細石刃導入時代時代より既に存在して
いたものと解釈できる。そして、朝鮮におけるCの大量の存在と平安道、咸鏡道の
騎馬民族的気質を考慮するとこの方面が夫々モンゴルC3、満州族C3cとの
インターフェースであったことが考えられる。
527 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 09:29:28 ID:PynCsYQP
>>526 騎馬民族気質って何?
倭人の童女を拉致する事?
528 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 11:18:38 ID:DbXj+J0D
>>527 1.咸鏡道―泥田斗犬 何時までもしつこい。執念深く、喧嘩好き。
2.黄海道―石田耕牛 辛抱強く痩せた地を耕す。報われること少ない。
3.平安道―猛虎出林 一旦怒らせると手に負えない。触らぬ神。(頭突きは有名)
4.京畿道―鏡面美人 見かけのみ、自分自身にウットリ。中身がない。
5.江原道―岩下老仏 運命に逆らわない、焦らない。諦観の境地。
6.忠清道―清風名月 見かけを大事にする。 画餅好き。(ヤンバン気取り)
7.慶尚道―泥田耕牛 コツコツと汗水をたらす働き者。
529 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 11:26:32 ID:DbXj+J0D
530 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 12:11:53 ID:PynCsYQP
>>528 ありがとう。頭突きの起源は平安道だったのか。
騎馬民族はバードフルー系チキン、サナダ虫系豚肉、勾虫系犬肉、
狂牛病系牛肉馬肉を食べてて、きっと民族的に神経系統が影響されてたな。
>>529 ありがとう。でも血清ガンマグロブリンなんか人類移動史の研究にはダミよ〜。
免疫抗体は性遺伝子に比較して変遷し易く、不安定だからね。
強いて言えば、Y−C3系Bryatの方がY−D2縄文人より、ずっとずっと後の世に
列島へ来たので、今だに血清ガンマグロブリンで故郷を追跡出来ます、って事。
でも混血すれば、南のスンダランドから来た人にも免疫抗体は受け継がれる。
免疫学を勉強した事ないから、ハズレてても知らんぞ。
531 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 12:51:09 ID:ewqP7JLN
ワールドカップ出場選手を見ればよく分かる 韓国代表のチョン、パクあたりが典型的な朝鮮人 日本代表の本田、長友あたりが典型的な日本人 全く人種が異なるのは明白
532 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 12:58:24 ID:wHtjK4o/
でもどう考えてもインド人がモンゴロイドに変化ってありえねえよな・・ 途中どういう化学変化が起こったらあんな変身をとげるんだよ?昆虫の変態じゃあるめえし・・。
533 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 13:08:12 ID:DbXj+J0D
534 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 15:34:12 ID:DbXj+J0D
石板墓文化の前身、グラスコフ文化 グラスコフ文化とは前18-13世紀青銅器時代にバイカル湖地域に広がっていた 古ツングース・モンゴロイド人種民族の考古学文化のこと。グラスコフ・ツングース人 は南方からシベリアに北上し、ユカギル族を駆逐した。グラスコフ人と言うのは 前2000年紀、グラスコフ時代にアンガラ川水源流域に居住していた古ツングース 民族の仮称である。グラスコフ文化と言うのは最初にイルクーツク市近郊グラスコフ で発見されたことからそのように命名された。 続く
535 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 16:00:44 ID:DbXj+J0D
承前 前2000年紀、南シベリアには同時に独立した2つの考古学文化があり、東にはグラス コフ、西にはアンドロンーノヴォ文化であった。グラスコフ文化とアムール上流、北満、 塞外モンゴリア、オルドスの諸文化とは非常に近い。おそらくは関連した民族語を話して いたであろう、文化的に関連した、新石器、初期青銅器狩猟漁労民族がこの広大な地 域に居住していたものと思われる。後に、グラスコフ文化の南部の民族は匈奴の祖先と 合流し、混合した。前18世紀アンドローノヴォ人はミヌシンスク盆地を占領し、イェニセイ 河においてグラスコフ人に遭遇するまでになりかけた。前2000年紀の南シベリアではグ ラスコフ人もアンドローノヴォ人も二次的役割を演じた。サヤンアルタイ山岳、ミヌシンス ク盆地及びトゥヴァは丁霊が占拠していた。丁霊の属性は中背であるが、高身長がかな り多く、頑丈な体格で、長い顔、顔は白く、頬は赤く、毛髪はブロンドで、真っすぐで高い 鼻、かなり鷲鼻、目は明色であった。グラスコフ時代グラスコフ人も、アンドローノヴォ人 もこの南シベリア原住民の丁霊と重なり合っていた。 続く
536 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 16:20:42 ID:DbXj+J0D
騒然 グラスコフ時代はカラスク時代の匈奴の侵入によって終わりをつげた。考古学者は 匈奴(フン)が前12世紀に帝国を築いていたこと発見している。当時匈奴は河北から バルクル湖までの草原を占拠し、既に中国攻撃を始めていた。漢籍にば「彼らは家を 持たず、土地を耕さず、天幕で寝る。彼らは年長者を敬い、行事を準備するために決 まった時に集合する。」という民族学的記述がある。彼らは砂漠を横断し、グラスコフ人 、アンドローノヴォ人を支配した。この匈奴の侵攻は気候変化に原因がある。この 前12世紀の匈奴ノマド牧畜は非常に発達しており、家畜のけん引力を駆使して、匈奴 は牧草地を求めて北に移動した。匈奴の祖先が、馬では力不足で様にならないため、 牛にひかせ、「砂の海」を乗り切った幌馬車の「船」が岩絵に記録されている。 続く
537 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 16:37:02 ID:DbXj+J0D
承前
前2000年紀の終わりの気候変動で植生が変わり、気候は寒冷で、湿ったものとなり、
これは前1000年の中ごろまで得続き、ゴビ砂漠の境界を変えた。「針葉樹林海」はに
南に広がり、森林ステップは濃密な茂みに変わり、シベリア住民の経済基盤を脅かし
たのだが、その南のノマドには幸いした。前3世紀、匈奴はゴビからシベリア針葉樹林
に至る全草原地帯を既に席巻していた。イェニセイ河、アバカン川の川岸においては
グラスコフ人のログハウスの隣にノマドの丸いテントが出現した。文化と共に人種も
混交し、カラスク時代の墳墓には華北細面モンゴロイドと南方起源短頭コーカソイド
が出現する。
http://en.wikipedia.org/wiki/Glazkov_culture 続く
また明日!
538 :
LUNAMASK :2010/06/09(水) 18:02:27 ID:DbXj+J0D
文化 グラスコフ文化の物的なものはステッチされた白樺樹皮製のボート、白樺樹皮製の わっぱ食器、木製の可搬ゆりかご、木製の笈、複合弓、槍先が長大で全長は短い 強力な槍、三枚の布を縫い合わせた炉端で着脱の容易な上衣がある。グラスコフ ツングース人は銅製小刀、青銅製釣り針、土器を作っていた。 続く
539 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 18:41:13 ID:wHtjK4o/
それらは全部古代ギリシャ起源です
540 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 19:17:40 ID:+2WE1eX8
>>524 関係ないことをべらべら喋る人だ。
問題はあなたの言う「古墳期における北方民族、遊牧民族の大量渡来」の根拠
ですよ。「北方民族が大量渡来したんは、形質人類学からも否定出来んでしょうに」
という強弁について、
>>471 ・473の質問をよく読んで説明すればいいんです。
>>524 みたいな、↑の質問からずれた戯れ言については、あとでひとつひとつ
反論してあげますわ。
541 :
517 :2010/06/09(水) 19:35:18 ID:gZZcElD7
タミル語の語彙が、日本語の語彙と似ているとか昔聞いたことがあり、 インドから、東南アジア経由で縄文人が来たというのも、現実的ですね。 私は、チベットから揚子江経由で陸路をとって今の日本に来たと思ってます。 そして、たぶん先住民族のC1の人と混血したんだと思いますよ。 (絶滅させたのではありません。W) 名も知らぬ遠き島より、流れ寄る椰子の実一つ 汝(なれはそも 波に幾月
542 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 21:01:41 ID:Mhr5HYtP
543 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 21:29:06 ID:zPYZMne0
544 :
出土地不明 :2010/06/09(水) 21:29:35 ID:gZZcElD7
↑馬牛の脳。
545 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/09(水) 23:34:35 ID:2vifqJrN
>>527-530 鮮卑が倭人を拉致したことを云いたいんか。騎馬民族に限らずどの
民族でも拉致・人身売買はするよ。東南アジアの稲作民族も山地の
野人狩りして、中国へ献上したし、列島倭人が生口(奴隷)を中国へ
献上したんも同じ。日本は戦前まで「からゆきさん」として、
同じ日本人女性を拉致して売りさばいたし、中国人の農夫を拉致して
強制連行して日本の工場で働かせ今も裁判になっとるじゃないか。
頭突きは、日本でも相撲のぶちかましにしても、頭から突っ込むし、
日本軍の喧嘩でも使う戦闘の基本じゃけんのう。
まあ、北朝鮮北部の連中の頭突きは戦前から有名で満州でも、ロシア人も
中国人も恐れたけんのう。
牛肉、馬肉、豚肉、犬肉も、日本人は江戸時代も食うとったけぇ、
日本人も民族的に神経系統が影響されとるんか?
あんた、ヘカ(牛肉鋤)食いや、蹴とばし屋(馬肉店)へは、行かんらしい。
犬肉も、昭和30年代まで食いよった日本人もけっこうおったろうに。
日本軍じゃあ戦記から、「犬料理は一白、ニ赤、三半黒といって、味は
白犬が最高とされる。私はさっそく三八銃で、ズドンと一発。白犬を殺して
料理した。」と、牛、豚、鶏が手に入らん時は、犬肉を食うよ。
546 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/09(水) 23:58:06 ID:2vifqJrN
547 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 00:09:32 ID:YrzGzFW9
>>546 言葉を代えましょうかね。「質問からはずれる」ではなくて、あなたは質問の意味
を理解していない。
「北方渡来系の高顔」がどうかしたんですか?北部九州・山口の渡来系弥生人は
高顔ですよ。で、それが「古墳期における北方民族、遊牧民族の大量渡来」と
どう結びついていくんです?
質問は
>>471 ・473あたりですのでお間違いのないように。
548 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 00:28:04 ID:Trp5DdcZ
>>546 そのサイト10年前に更新が止まってるね
なんで止まったんだろう?研究が進んでgdgdになっちゃったのかな
549 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 00:58:27 ID:YrzGzFW9
あなたが意味も分からず引用したものについて説明しておき
ましょうかね。
>>507 >ほいから百々幸雄氏のんでも挙げとくか。
http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/01643006 >形態小変異では、「北中国人は渡来系の弥生人以上に古墳時代以降の日本人に近い
>ことが判明した。
拡散集団の起源・系統(自然人類学):1989年度、代表者百々幸雄
1.北中国人頭骨171例につき20項目の形態小変異の出現頻度を調査した。統計的分析
により、北中国人は渡来系の弥生人以上に古墳時代以降の日本人に近いことが判明
した。日本人の起源問題を解明するためには、弥生人の動向を詳細に研究する必要
があるという結論を得た(百々)。
↑は科学研究費でおこなった研究の概要を要約したもんです。その成果報告(百々の
原文)はどこにありますか?と訊いたのに、
>>524 「原文は『日本人のなりたち』P151
に山口敏氏の考察じゃと出とるよ。」とは。あなたが原文だと、引用したのは百々が
自分の研究成果を補足するために引用した山口敏の「形態小変異」観察結果です。
理解できますか?
原文を挙げられないのなら、むしろ『日本人のなりたち』において百々自身が
観察した成果ぐらい挙げるべきでしょう。p161以降から引用したらどうですか。
特にp164「これまでに調査が終了したのは、東アジア、北アメリカおよびオセアニアの
22集団の頭骨資料で、頭骨の総数は3704例にのぼる。」これを百々は自ら観察したと
言っている。当然、「北中国人人骨171例」もここに入っているわけです。
それから話がどんどんずれてしまいますが、山口の原文は『東京科学博物館紀要』Anthropology.Vol.11と13(1985・1987)に載っています。
550 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 01:05:49 ID:YrzGzFW9
『モンゴロイドの地球 日本人のなりたち』図17(p152)のオリジナルは↑です。 さらに、その表のデータを分析する際に、日本人の各時代資料(人骨)の観察成果 を提供したのは百々であり、KoreaとNorth ChinaのRecentを資料(1940年代までの もの)を提供したのは大西雅郎という人です。この人は京城帝大の人。 これはあなたがかつて罵詈雑言を並べて、散々扱き下ろしていた戦時中の 旧植民地調査の成果にあたるでしょう。 Onishi,M.,1941.Anthropologische Untersuchungen der einzelnen Abschnitte der Schadeln von den Mongolen,Chinesen und Koreanern『人類学叢刊』3, pp.1〜102 ですからどうぞ探して読んでみてください。 百々は頭骨の「形態小変異」の有無を自ら観察して、それについて研究を 進める研究者なんですよ。原文を挙げられないなら、せめて百々の「形態小変異」分析 を引用なさい。「骨からみた日本列島の人類史」『モンゴロイドの地球3』 162〜、あるいは「頭骨が語る日本人成立史」『科学』Vol.62.No.4(1992、岩波書店) あたりで充分です。 百々は観察者が異なることで生じる誤差を当然考慮に入れている(p247)。 従って、自らの観測結果を脇から支えるために山口による「形態小変異」の有無 の観察に言及したのです。 百々自身の小変異観察から導き出されたのは、「本州日本人のルーツは、 金隈弥生人に代表される北部九州の渡来系の弥生人に求めざるを得ない」 (科学、p249)ということ。また、土井が浜弥生人は、金隈とは違う集団の 可能性が高く、弥生時代においても複数の系統の異なる集団の渡来が想定される という。しかし近畿地方では北部九州のように多くの弥生人骨が得られて いないため、云々できないという。 あなたは、私が古くから言われてきた小進化説や移行説に依拠していると レッテル思考で思い込んでいるのかもしれないが、それは違いますよ。 それに、あなたが書き付けていることは、私の質問とは余り関係のない 内容です。今ここに説明したことも、もともとの質問内容からすれば あまり関係が無いことだ。好い加減そういう見っとも無い逃げはやめる べきだと思います。 私が問題としているのは、、「北方民族が大量渡来したんは、形質人類学か らも否定出来んでしょうに」というところに象徴されているわけです。 あなたの持説である「古墳期における北方民族、遊牧民族の大量渡来」 の根拠はどこにあるのかということです。
551 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/10(木) 02:17:36 ID:KspIVRFu
>>549-550 『日本人のなりたち』(東京大学出版会)のP164じゃのうて、
P166じゃろうに。北中国たぁ書いて無いけぇ、断言は出来んよ。
図27の形態小変異では、金隅弥生と九州現代が近く、北中国と
現代東日本が近く、土井ヶ浜はやや離れてモンゴルに近い。
あんた、現代九州云うて、具体的どこの地域のデータか
判断出来るんか?日本の古墳、鎌倉、室町は金隅寄りで、
江戸は北中国、関東寄りじゃが、歴史時代の日本人の骨の
地域は何処かも、提示されて無いのう。ほいから百々氏が、
金隅弥生人を本州古墳時代以降の日本人に近いとするレトリックも
金隅の一集団だけが拡散するはずも無いし、土井ヶ浜に比べて
云うことじゃろう。ほいで百々氏が青谷の人骨について書いた
ものをあんた知っとるか?青谷のデータものう、渡来系弥生人の
ニ種だけじゃあ、回答は出まあ。
まあ、百々氏にしても、池田氏にしても、弥生渡来人の拡散論者じゃ
けんのう。その前提論をあんたが盲信しとるだけで、埴原氏は
古墳渡来系大量移住派じゃ。どっちが信憑性があるか云うたら、
黄巾の乱の人口減少、世界的民族移動期と、日本は弥生期、古墳期
に相当するゆえ、埴原氏の見識が正しいと考えるよ。
日本列島だけ例外云う鎖国史観に立っとるけぇのう。日本の学界は。
じゃけぇ中橋氏のように、近代の人口増加を弥生期に当て嵌める、
詐欺レトリックまで使うんじゃ。
552 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 03:17:51 ID:0kn+86wI
>図27の形態小変異では、金隅弥生と九州現代が近く、北中国と
>現代東日本が近く、土井ヶ浜はやや離れてモンゴルに近い。
「頭骨が語る日本人成立史」『科学』Vol.62.No.4(1992、岩波書店)
は読んでないようですね。正確に引用しておきましょう。
その論文の図2(p247)は基本的に『モンゴロイドの地球』図27と
同じものですが、そこに載っていない集団が記載されています。
沖縄・奄美の集団です。あなたは「土井ヶ浜はやや離れてモンゴルに近い」
と言うが、全く正確ではない。MMDによれば、小変異から見ると大きく
@縄文・アイヌ、A日本列島・大陸という2つのクラスターに分かれる。
@は現代本州人などからもっとも遠い集団となります。
一方のAはさらに大きく2つに分かれる。Aが沖縄・奄美・土井ヶ浜弥生。
このうちもっとも近接しているのは土井ヶ浜弥生と奄美。
Bは、モンゴル・北中国・現代本州・古墳・金隈弥生。Bはさらに2つに
分かれて、a.モンゴル・北中国が最も近接するグループを構成し、
b.現代本州・古墳・金隈弥生がグループを構成する。
b.のうち最も近接しているのは金隈弥生と古墳。そこから
>>550 の
百々の結論につながる。
同様の発言はp171「奄美と沖縄の人びとはどちらも、縄文人とアイヌから
遠く隔たっており、むしろ土井ヶ浜や金隈の渡来系弥生人、古墳人、
現代本州人、北中国人、モンゴル人といった典型的モンゴロイドに近い
」にもあるでしょう。
553 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 03:27:50 ID:0kn+86wI
>あんた、現代九州云うて、具体的どこの地域のデータか判断出来るんか?
中部九州、旧国名で言えば肥後です。原文は松本実義、1956年のものですね。
で、何が知りたいのか、言いたいのか理解に苦しみますが、他のも教えてあ
げればいいんですかね。逃げ回るのいいかげんにしたらどうですか。
>百々氏にしても、池田氏にしても、弥生渡来人の拡散論者じゃけんのう。その前提論を
>あんたが盲信しとるだけで、埴原氏は古墳渡来系大量移住派じゃ。
また始まった。池田にしても百々にしてもそして埴原も、あなたが中途半端な引用を始めた
のがきっかけだったことを忘れたんですか?あなたどうして持説と関係ないのに「弥生渡来
人の拡散論者」の説明を引用したんでしょうね。鴨稲荷と打下レベルの話ですか?都合が悪く
なると「あの人はこうだから」って、そんなの幾らなんでも蟲が好すぎるでしょう。
で、埴原はあなたからすると何主義者なんですか?彼は「人口増加モデル」に
だいたい1/10になったとされる「黄巾の乱の人口減少、世界的民族移動期」の
データを加味してるのかしら?
そうそう、こういうデータもありますね。
>>466 人口増加が年0.1%を越えるんは、ここ400年の現象じゃろう。
岡田英弘(「郡国史」『後漢書』成立は5世紀)の人口に関する
統計記録に拠れば、西暦57〜105年までの人口増加率は年約2%である。
ついでながらこの直前の中国における人口変動をみると、王莽の新王
朝において西暦17年からの全国的な叛乱の結果、23年の王莽の敗死ま
での8年間に戦乱と飢餓のため、中国の人口は6000万から半減、さら
に後漢の再統一までに半減(1500万)したという。この記録を妥当と
するならば、20年間で人口が75%も激減したことになる。
「東アジア大陸における民族」『漢民族と中国社会』p83
(山川出版社1983)
「文物も文献も研究者の主観じゃし、あんたも原文を出した学者を
「信じて」 おるに過ぎんのじゃ。こういう発言もありましたが、よく
わからない引用をしてみたり、そんなこと忘れて変なレッテル貼って
みたり、白馬青牛は自己矛盾から永久に抜け出せないですね。
554 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 03:33:32 ID:0kn+86wI
白馬青牛さん、逃げ続けて鬼籍に入られる前にぜひ質問にお答え下さい。
私が問題としているのは、、「北方民族が大量渡来したんは、形質人類学か
らも否定出来んでしょうに」というところに象徴されているわけです。
あなたの持説である「古墳期における北方民族、遊牧民族の大量渡来」
の根拠はどこにあるのかということです。
>>553 とかは、関係ない話しなので別に答えなくてもいいですよ。
質問は
>>471 ・473あたりですのでお間違いのないように
555 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 08:42:32 ID:onRraa+B
>>538 承前
死者埋葬
グラスコフの埋葬は新形式をもたらし、死者は地理的方位ではなく川の方向に蹲った
姿勢で埋葬され、故意に割られた出土品を伴うが、これは死者がもたらす危険から
生存者を保護する意図と見られる。グラスコフ時代はトゥヴァ及びモンゴル北西部
からバイカル湖東南部への民族流入によって終焉を迎えこれら民族は石籬囲いの
石積みクルガンという明確に区別される文化を持ち込み、この結果として中央アジア
ステップにおける石板墓文化が形成され、この石板墓文化は広大なユーラシアノマド
世界の東の一翼を担うこととなり、そのノマド世界こそ前1000年紀の初頭にスキタイ・
シベリア世界として名高い、輝かしい文明を築いたものであった。このトゥヴァ及
びモンゴル北西部からの新参の民族はコーカソイドであった。
関連文化
グラスコフ文化には明確な変種があり、バイカル地域における民族文化状況に関する
多くの仮説を生んだが、全ての仮説はこの文化の民族が牧畜民であるということに
おいては一致している。
これらの変種文化はダウール、石板墓、前方後方(神殿型)墳であり、石板墓文化
最早期のものと見られている。
グラスコフ経済 狩猟、漁労、採集 以上で終わり
http://en.wikipedia.org/wiki/Glazkov_culture ダウールと言うのが四隅突出型墳丘墓と見られる。石板墓と言うのは墓域を
方形の外向き楯並型石板立石石籬でかこったという意味で、概念的には
方形周溝墓に似ている。
556 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 08:46:51 ID:onRraa+B
557 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 08:59:36 ID:onRraa+B
承前 唐松というのはホムタ同様アフラ・マツダのモンゴル語、ホルムスタであり、 神功皇后が七支刀による百済との対高句麗軍事同盟結果、高句麗の沿海州からの 攻撃に備え秋田物部を出羽の防衛に任じた結果とすると唐松神社由緒に合致する。
558 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 11:06:56 ID:onRraa+B
>>533 モンゴル人類学分類情報と日本YDNA分類情報を統合すると
モンゴル人類学クラスタ分類と日本人のYDNAハプログループ
|-------------------------------------------------------------|
|モンゴル新石器時代クラスタ併行...............................|
|-------------------------------------------------------------|
|モンゴル新石器時代第一クラスタ...............................|
|-------------------------------------------------------------|
|C1-M8....................| 5.4% |...........................|
|-------------------------|-------|---------------------------|
|D2-P37.1*................| 3.9% |...........................|
|-------------------------|-------|---------------------------|
|D2a-M116.1...............| 16.6% |...........................|
|-------------------------|-------|---------------------------|
|D2a1-M125*...............| 12.0% |...........................|
|-------------------------|-------|---------------------------|
|D2a1a-P42................| 2.3% |...........................|
|-------------------------------------------------------------|
|モンゴル新石器時代第二クラスタ...............................|
|-------------------------------------------------------------|
|O3-M122*.................| 6.6% |...........................|
|-------------------------------------------------------------|
|モンゴル青銅器・鉄器時代クラスタ併行.........................|
|-------------------------------------------------------------|
|モンゴル青銅器・鉄器時代第一クラスタ.........................|
|-------------------------------------------------------------|
|O2b-SRY..................| 7.7% | ブリャート・高麗.........|
|-------------------------|-------|---------------------------|
|Ob21-47z.................| 22.0%| 三韓・倭.................|
|-------------------------------------------------------------|
|モンゴル青銅器・鉄器時代第二クラスタ.........................|
|-------------------------------------------------------------|
|C3-217*..................| 1.9%| 華北・平安道.............|
|-------------------------------------------------------------|
|
559 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 11:08:08 ID:onRraa+B
モンゴル青銅器・鉄器時代第三クラスタ.........................| |-------------------------------------------------------------| |R-M207...................| 0.4%| 月氏.....................| |-------------------------|-------|---------------------------| |I-P19....................| 0.4%| スキタイ.................| |-------------------------------------------------------------| |モンゴル青銅器・鉄器時代第四クラスタ.........................| |-------------------------------------------------------------| |C3c-M86..................| 1.2%| 東胡・咸鏡道.............| |-------------------------------------------------------------|
560 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 11:10:06 ID:onRraa+B
|モンゴル青銅器・鉄器時代第五クラスタ.........................| |-------------------------------------------------------------| |Q-P36....................| 0.4%| オクネフ族...............| |-------------------------|-------|---------------------------| |NO-M214*.................| 2.3%| 古羌.....................| |-------------------------|-------|---------------------------| |N1-LLY22g*...............| 1.2%| 突厥.....................| |-------------------------|-------|---------------------------| |N1c1-M178................| 0.4%| アルタイ.................| |-------------------------------------------------------------| |モンゴル青銅器・鉄器時代併行黄海沿岸クラスタ.................| |-------------------------------------------------------------| |O3a3-LINE1...............| 3.1% | 苗・華東.................| |-------------------------|-------|---------------------------| |O2a-M95*.................| 1.9% | 華南.....................| |-------------------------|-------|---------------------------| |O3a3c-M134...............| 10.4%| 華人・秦氏...............| |-------------------------------------------------------------|
561 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 11:38:14 ID:DA00DxVj
魏の年号の入った鏡(景初三年、正始元年)と呉の年号の入った鏡(赤烏元年、赤烏七年)が 発掘されている。魏の鏡は景初三年(西暦239年)に卑弥呼が魏に朝貢した年でもある。 しかし、呉の鏡が出土するのは不可解である。 明らかに南方ルートがあった証拠に他ならない。
562 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 11:55:34 ID:a8IMWJz7
わぉ〜わぉ〜月光たん!!
>>557 神功皇后の統治した倭・三韓連合vs高句麗は
ゴビアルタイ出身日馬富士vsモンゴル出身朝青龍の宿命の対決なんじゃね!?
>>443 日馬富士とギャロンチベット族のアランちゃんの容姿は
古モンゴロイドのY−Dの祖形じゃないかな(^0^)/
563 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 12:45:00 ID:onRraa+B
>>562 >>557 >神功皇后の統治した倭・三韓連合vs高句麗は
>ゴビアルタイ出身日馬富士vsモンゴル出身朝青龍の宿命の対決なんじゃね!?
朝青竜は成吉思汗同様C3で、冒頓単于もそうでしょうね。日本では卑弥呼時代の
葛城とか、狗奴国がそうじゃないでしょうか。日馬富士はO2bでしょうね。高句麗も
倭国同様、多民族国家だったのでは。
>>443 >日馬富士とギャロンチベット族のアランちゃんの容姿は
>古モンゴロイドのY−Dの祖形じゃないかな(^0^)/
チベットとターリム盆地・天山山脈を通してアルタイ・興安嶺地域の連勝複式
・マトリックスのような関係があるのでしょうね。
http://www.youtube.com/watch?v=DBqQOOaT4io
564 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 12:55:56 ID:onRraa+B
>>561 参考まで
●魏の年号が記された鏡
方格規矩四神鏡 青龍三年(235年) 大田南5号墳 京都府弥生町
方格規矩四神鏡 青龍三年(235年) 安萬宮山古墳 大阪府高槻市
三角縁神獣鏡 景初三年(239年) 神原神社古墳 島根県加茂町
平縁神獣鏡 景初三年(239年) 黄金塚古墳 大阪府和泉市
三角縁盤龍鏡 景初四年(240年) 広峰15号墳 京都府福知山市
三角縁盤龍鏡 景初四年(240年) 持田古墳群? 伝・宮崎県
三角縁神獣鏡 正始元年(240年) 蟹沢古墳 群馬県高崎市
三角縁神獣鏡 正始元年(240年) 森尾古墳 兵庫県豊岡市
三角縁神獣鏡 正始元年(240年) 御家老屋敷古墳 山口県新南陽市
平縁神獣鏡 (晋の元康年間291年〜) 上狛古墳 京都府山城町?
●呉の年号が記された鏡
平縁神獣鏡 赤烏元年(238年) 狐塚古墳 山梨県三珠町
平縁神獣鏡 赤烏七年(244年) 安倉高塚古墳 兵庫県宝塚市
565 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 13:36:16 ID:epLgfDka
566 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 14:07:57 ID:onRraa+B
>>557 (息長帯日売命)
この御酒は わが御酒ならず 酒の司 常世に坐す 石たたず 少名御神の
神壽き 壽き狂おし 豊壽き 壽き廻し 獻りこし御酒ぞ 乾さず食せ ささ
この酒は我が国の酒にあらず。酒の神、はるかかなたの国で、巨石を立たす
小童神が、祝福し、歌い、踊り、祀ってきた酒なるぞ。あさずほせ。ささ。
(建内宿禰)
御子の為に詠った歌
この御酒を 醸みけむひとは その鼓 臼に立てて 歌いつつ 醸みけれかも
舞いつつ醸みけれかも この御酒の 御酒の あやにうた楽し ささ
この酒を醸造した人々は羯鼓を打つ手で臼を立てて、歌いながら、踊りながら
醸造したのでしょう。この酒はあやにうた楽しい酒です。ささ。
御子の名をササン朝王室に右へならえでホムタ<ホルムスタ(モンゴル語)
<ホルミズド(ササン朝)<アフラマヅダ、としたのは伽耶木槨墳(サカ族)
の影響抜きには考えられない。
567 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 14:16:32 ID:a8IMWJz7
わぉ〜わぉ〜
>>563 葛城王とか、狗奴国は後の犬養氏であり橘氏だお!!
すなわち犬戒であり、アルタイ出身のチベット羌族(Y-D)の流れなんじゃないかな!?
568 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 14:20:13 ID:onRraa+B
>>558-559 ただ、応神朝と伽耶サカ族の関係はモンゴル青銅器・鉄器時代に第一クラスタ、
第三クラスタ間に存在した関係なので騎馬民族の征服とか、三韓征伐とかとは
程遠い、常世の時空を隔てたつながりであったのではなかろうか。
569 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 14:23:18 ID:onRraa+B
>>567 お稲荷さん、狛犬さんのあるところは全てこの流れでしょうね。現在では
はっきりしないのでは。
570 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 14:31:36 ID:a8IMWJz7
@少彦名系(天孫) 支石墓・前方後円墳・南方(西方)系・メソポタミア・カラスク・イ族・稲作民 太陽信仰・ゾロアスター(拝火)教・修験道・松明祭り・鳥・犬 邪馬台国・神武・神功皇后・応神・継体王朝/白鳳・奈良=トゥヴァ・ハカス/月氏 雄略・天武・後醍醐・飛鳥文化 蘇我氏・秦氏・鴨氏・吉備氏・橘氏・紀氏 A素盞嗚(オオナムチ)系(地祇) 前方後方墳・四隅突出型・北方系・ブリアート・バイカル・高句麗・牧畜民 大地信仰・星辰信仰・鹿・猿 三輪王朝・崇神・天智・藤原氏・物部氏
571 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 14:37:54 ID:a8IMWJz7
LUNAMASK:2010/05/19(水) 14:37:41 ID:fyWcEHzw 応神天皇・ホムダワケのホムダ、善光寺、本田善光のホンダはアフラ・マツダを意味する モンゴル語ホルムスタから来る。ゾロアスターの神は九州→難波→信州と移動した。 大日如来はこの神を仏教の下で表現したものであり、ブリャート族国土神オオナムチの 世界を胎蔵界曼陀羅、支石墓天神の世界を金剛界曼陀羅とすると、 大仏開眼の毘盧遮那仏はこの両部を統一したものとなり、そのイベントの意味するのは 金剛山・葛城系とオオヤマト・オオナムチ系の統合であり、藤原時代の夜明けを告げるものであったのだろう。
572 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 14:42:29 ID:onRraa+B
573 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 15:08:43 ID:a8IMWJz7
わぉ〜わぉ〜
>>572 >>556 おいら偶然にも秋田唐松物部神社に行ったことあるけど
社が乗っかっているのはグラスコフ方墳でなくて円墳だったお〜(^0^)/
すでに物部氏は円墳系(少彦名系)に従属していたということかな!?
574 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 15:32:33 ID:onRraa+B
>>573 いい質問ですねー。実はそこなんですよ。グラスコフの子孫、石板墓
文化、この内容は(1)石籬囲い方形墓地、(2)前方後方墳、(3)四隅突出型墳丘墓
であり、地祇系、オオナムチ系なんですが、ヘレクスル(ヘレクスル、ヒリグスウル)
と言うのは円墳なんです。そして、唐松山がまさにヘレクスルなんです。この起源は
遠くウラルにあり、インドイラン系とされています。インドイラン系で有名なのが、
スキタイのサカ族、その葬制はパジリク木槨墳です。起源はボルガ河からドニエプル
河に至る草原地帯にあります。ヘレクスルはその石積みの礼拝施設です。
ヘレクスル文化がグラスコフ文化をスキタイ化して石板墓文化を生み、これが
日本の古墳文化を生みだすわけです。コーカソイド系の文化であり、石板墓
文化に対峙してこの文化を保持するのはコーカソイドである証拠となります。
575 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 15:35:17 ID:onRraa+B
承前 秋田物部・膽咋連と言うのは伽耶の木槨墳文化人で、コーカソイドであった可能性が 強いといいうことです。
576 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 15:39:04 ID:onRraa+B
承前 ついでながら、宮崎・熊本の山間部に広がる地下式横穴墓は典型的な コーカソイドの葬制です。ダッグアウト型、カタコーム(羨道付)型に分かれますが。
577 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 15:50:29 ID:onRraa+B
承前 ヘレクスルと言うのは三輪山、ミモロ山というか、三重丸の石積塚で、おそらく 息津、中津、辺津という三つの宇宙の結界を示すものです。息長というのは 氏族名ではあるものの、息津・中津の2つの世界をタラシで結ぶシャーマンと いう意味もあったはずです。
578 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 16:22:32 ID:a8IMWJz7
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>571 ちなみに本家本元の善光寺の縁起をみると、本尊の阿弥陀如来像は
インドから百済を経由して日本に来訪し、蘇我氏の寺院に安置されるが
廃仏派の物部氏によって捨てられちゃった仏像です〜
物部氏とは因縁の関係でつね〜
579 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 16:40:11 ID:onRraa+B
>>578 そうでしたか。飛鳥の石舞台近辺の荒れ模様を見るにつけ世の無常を感じますね。
580 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 16:42:00 ID:a8IMWJz7
>>575 てか、三韓・倭を統治した神功皇后すなわち応仁朝が
伽耶の木槨墳文化人のコーカソイドだったんじゃね!?
これがインド・イラン・メソポタミア出身の@少彦名系天孫族の正体でつね!!
そしてA扶余系の三輪王朝を神やらいして、同じくA扶余系の高句麗と宿命の対決になる〜
581 :
LUNAMASK :2010/06/10(木) 17:00:25 ID:onRraa+B
>>580 天皇陵が保全されている限りその辺は謎ですね。悩ましいが状況証拠的な
アプローチしかできない。しかし、あれほどの贈り物をした魏の使節でも卑弥呼の
顔は拝ませて貰えなかったことを思えば、いたしかたのないことかも。
582 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 17:08:56 ID:a8IMWJz7
わぉ〜わぉ〜わぉ〜、月光たん(^-^)/
>>577 なるほど、すると日本の前方後円墳の後円部は、チベット仏教(ギャロン族のボン教)の
聖地カイラス山と同じ三層構造になっているかも知れませんね!!
>ボン教は宇宙を三層に分けている。層ごとに三種の異なった有形、無形のものと
法力で掌握されるものがあり、つまり天神、人、魔鬼三者の間の一つのもの、
三者の間の関係は非常に密接、相互依頼また相互矛盾がある。
誰もがみな絶対犯すことのできないものがあり、そうでないと禍、凶、災の報復がある。
>宇宙は上界、中界、下界に分けられる。
583 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 18:57:41 ID:a8IMWJz7
584 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 22:04:21 ID:POTNP28s
585 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/10(木) 22:52:07 ID:KspIVRFu
>>552 「頭骨が語る日本人成立史」は読んどらんが、モンゴロイドの地球の
図26、「モンゴロイドの道」P183にも載っとるこれじゃろう。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/132.html じゃが、「モンゴロイドの道」で百々氏は、P182で、「ただこの結果は、
これまでの歯や計測などから系統関係を調べた結果とかなり異なって
いるので、現段階では、ひとつの問題提起としておきたい。」と、云われる
のう。実際 あんた沖縄・奄美の人たちの顔を見て、アイヌ人よりも、
本土日本人、華北人、モンゴル人の方が似とる思うんか?
サンプル坊やのあんたぁ、どう思うとるんかのう。形態小変異だけの
サンプルじゃあ、形質の単一根拠で全体を示したことんならんよ。
586 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 23:14:31 ID:qQHQ0qbG
↑ 必死だな 他人を否定することが目的でそのためのネタを節操無くかき集める 生きがいなんだな ちっぽけな人格だな
587 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 23:28:22 ID:NarJJa1w
┐(´-`)┌
>図26、「モンゴロイドの道」P183にも載っとるこれじゃろう。
それとは違いますね。近隣結合法の類縁図は同じですがね。
私は、白馬青牛先生のように1000人を超える奄美の人たち、またモンゴルの人たちとも
間近に接して顔を見ながら語らったことがないので分からないですね。
それにしてもレベルの低い話だ。もっと他に言うべきことがあるでしょう。私は
あなたの持ち出した私の質問(
>>471 ・473)と関係のない話に対して、あなたの中
途半端な引用を補訂してあげてるだけですから。
588 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/10(木) 23:42:06 ID:KspIVRFu
>>553-554 ほう、中部九州だけじゃあ、九州全体を差したことにならんのう。
ほいじゃあ、サンプルマニアのあんたに聞くが、鎌倉、室町、江戸は、
どこの地域の人骨データか示しとらんが、どこの地域かのう。小出しに
せずっと全部書いたらえかろう。
わしが書いたらさっそく、「漢民族と中国社会」を読んだんか。
わしゃあ、岡田氏の文献による人口統計は、文献たる白髪三千丈で細かい
数字は信用しとらん。人口が増えたか減ったかの事実を表しておる
だけじゃ。P84の一行目の人口増加ほぼニ%ものう。人口減少期にしても、
戸籍なんか流民は調査の対象外じゃろう。じゃが、本質は全体的に
人口減少を表しとる云うことじゃ。わしゃあ、岡田英弘氏の文献
実証主義に批判的じゃに、岡田信者と勘違いするたぁ、可笑しげなことを
云う。わしゃあ、実証じゃの証拠じゃの検証じゃの古びた19世紀史学の
帝国主義時代の概念を妄想じゃ云うとることから解ろうに。
しかもわしゃあ、引用した学者の説の一部分は妥当としても、全面的に
信奉したこたぁ無いで。つまらんレッテル貼んなや。
逃げよるんは、考古学界の体質批判に話をそらすあんたじゃろう。
まあ、わしがイブン・ハルドゥーンを挙げた時、本を買うたんか知らんが
わしにレスを返す、ーあんたの一語一句の文脈揚げ足はつまらんが。ー
わしに対する執念は、相当のもんじゃのう。今度はわしが挙げた、
江上氏や梅棹氏の書いたもんを読んでレスする日も近いんか、
既に購入したんか?まあ、話を戻して古墳期の大量渡来は、世界的民族
移動期であること、古墳期に全国的に渡来形質が増えたこと、
逆に弥生時代に人口増大した根拠が薄いことじゃの確率的にどっちか
云う単純明快な問題よ。
589 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/10(木) 23:57:12 ID:KspIVRFu
>>587 人骨の欠点は、骨だけしか残らんけぇ、実際に現地へ行って
骨に残らん眼や耳、口の現実の形状を視る。干したスルメじゃ
のうて、生きとるイカの姿を視ることが大切じゃ。そうじゃ
無かったら、研究室に通うスルメ標本マニアになってしまうで。
現実認識として低レベルの話じゃ無いど。研究室に引き籠り
机上の論理抽象論の作成を重ねても、空理空論で現実とかけ離れた
ファンタジーを生むだけよ。
590 :
出土地不明 :2010/06/10(木) 23:59:45 ID:NarJJa1w
くどい人だ。どこの地域か聞いてどうするんです?それを聞いて話が真っ当な方向に 行くは思えないけど。だいたいあなた、そういう言葉遣いは人に物を訊ねる態度です か。それに中途半端な引用をちゃんと原文対照して直してもらったんだから、御礼 くらい言われてもいいと思いますけどね。あと、誇●妄●症にかかっておられるの かな。だいたいあなたの引用するようなものは読んでるってことですよ。読んでな いと、本のタイトルも頁数もまともに表記していない(最近は少し改善が見られま すが)誤記だらけの、あなたの文章にすぐピンとくることなどないでしょう。 あなた自分を買いかぶりすぎだ。江上・梅棹についてですか、どうでしょうね 好い加減レベルが低くてつまらなくなってきているんですよ。何度も同じこと 言わせますし。もういいんじゃないですかね。 一番下の3行が私への回答ですか?あれほど泳がせて勉強する時間をあげたのに 何してたんです?まったく説明になっていないなぁ。もう限界なのかな。
591 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 00:02:44 ID:iYLI2YqW
>>589 何の話かな。新婚さんに向けたお言葉ですか?さすがに数千人の奄美・
モンゴルの方と実際に交わってきた方は違いますね。御見それしました。
めでたしめでたし。
592 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/11(金) 01:59:18 ID:yuhXsOo5
>>590 あんたサンプルマニアじゃけぇ、鎌倉、室町、江戸の地域まで
調べてわしの質問に用意周到に答えるもんじゃと思うとったが、
都合が悪りいんか、わしに対する罵倒へ転嫁する回答たぁのう。
江上氏や梅棹氏のものを読んだら低レベルになるんか?
どの辺が低レベルなんか具体的に云わにゃあ。
あんた、わしを泳がせよる以前に、自分自身がカナズチに
なりよるど。
593 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 02:17:04 ID:n5fhuS22
>>592 すまんが簡潔に1行でまとめてくれ
俺がまとめたら0行だった
594 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 02:27:43 ID:ctqKWRCL
サンプルマニアって何?
595 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 06:19:00 ID:hYEzIC0F
白馬鹿牛はテンプレのまんまだなw 理屈で反論できなくなるとレッテル貼りか人格攻撃 ムキになって駄文荒らし
596 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 09:10:56 ID:Njk1kAhh
597 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 09:20:25 ID:Njk1kAhh
598 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 09:29:58 ID:Njk1kAhh
599 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 10:57:58 ID:Njk1kAhh
600 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 11:09:07 ID:Njk1kAhh
601 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 11:14:19 ID:Njk1kAhh
>>599 古墳勃興に先駆ける高地性集落の東進こそ日本語がアルタイ語化する時代で
あったのではなかろうか。言語と言うのは経を、バイブルを読み聞かす宗教行為
がないことには普及しにくい。
602 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 11:22:46 ID:Njk1kAhh
>>597 出羽に残る民話、下北半島恐山のイタコ、この地がそうした日本語をアルタイ語に変えた
アルタイ伝道師たちの終焉の地であったのではなかろうか。
603 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 12:19:46 ID:Njk1kAhh
>>555 狩猟、漁労、採集のグラスコフ文化が騎馬民族スキタイ文化の洗礼を受けて夏家店
上層併行期に古墳文化の原型である石板墓文化に変質し、扶余・沃沮として満州、
朝鮮、日本列島に南下する。この過程においてツングース語のアルタイ語への変化が
生じる。アルタイ語化した渡来人は列島において原住民縄文人との言語共通化の必要
が発生する。九州においては支石墓文化を通してある程度の共通化が進んではい
たが、本州においては支石墓建設に類似する社会的行事が必要となる。高地性集落、
古墳とはこうしたけ英財発展による広域統合の必要性によって生まれたものとも言え
よう。
604 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 13:15:58 ID:RAUh/IU4
>>575 伽耶の木槨墳文化人でコーカソイドって、Y-hapでいうと何になるん?
605 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 13:19:32 ID:Njk1kAhh
>>604 YDNA R イラン、サカ、パジリク等
606 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 13:27:27 ID:RAUh/IU4
>>605 これが月光仮面の月氏かえ?
モンゴル青銅器・鉄器時代第三クラスタ.........................|
|-------------------------------------------------------------|
|R-M207...................| 0.4%| 月氏.....................|
|-------------------------|-------|---------------------------|
|I-P19....................| 0.4%| スキタイ.................|
607 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 13:30:03 ID:Njk1kAhh
608 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 13:31:23 ID:Njk1kAhh
609 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 13:43:03 ID:Njk1kAhh
>>607 諏訪には縄文黒曜石の女神、黒姫もちゃんと残っており、決して縄文文化を征服する
といったものではなかったことがうかがえる。御神渡りは年に一度の神様カップルの
デートであるとされる。
610 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 13:46:45 ID:Njk1kAhh
重要なことは御神渡り、御柱(四本柱)、四隅突出型墳丘墓が全てブリャート人の 居住しているイェニセイ河流域の慣習であるということ。
611 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 13:48:24 ID:RAUh/IU4
>>608 その月氏はどういうルートで日本に来たん?
日本までかなり遠いが。。
612 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 13:53:52 ID:Njk1kAhh
>>611 武帝・霍去病によって渾邪王・月氏胡に流れた巨億の資産が前秦から新羅・バクトリア
に流れたものと考えられる。秦氏もその新羅を経て渡来。
613 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 13:55:03 ID:Njk1kAhh
くやかんこくじゃろね。
614 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 14:04:46 ID:Njk1kAhh
卑弥呼の父孝霊ヒコ・フトニの時代に出雲に月氏ヒコ・ハニ王が来週したとある。 出雲の神主が一人で撃退してしまったことにはなっているが、どうも名前が 似すぎているね。崇神の時代にタケハニヤスが反乱をおこす。
615 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 14:07:06 ID:Njk1kAhh
本当に水際で防戦に成功したのなら、王の名前までよくわかったもんだね。
616 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 14:26:32 ID:Njk1kAhh
617 :
LUNAMASK :2010/06/11(金) 14:43:11 ID:Njk1kAhh
参考まで 突帯文土器に関し以前投稿したもの
イェニセイ河ハカス共和国オクネフ文化
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AF%E3%83%8D%E3%83%95%E6%96%87%E5%8C%96 これと同時期のBC1800年頃沿バイカル・グラスコフ文化、松嫩・小拉哈文化、沿海州・
ザイサノフカ(鶯歌嶺下層)文化では刻目突帯文土器が始まるが、これが海岱(黄淮)
から北上したO2bで、BC1300年頃には朝鮮半島に南下して無文土器、BC1000年頃
から日本に入り、弥生土器をもたらすものと考える。
ロシアのデレヴャンコは「古代の道は現代に至る」↓で、
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000041/st008.shtml 「バイカル湖Bolshaya Chana湾から南行すると湖岸はかなりの湾によって分断されて
いる。特に興味のあるのはKurla岬からSeverobaykalsk市109°18'60.00"
E 55°37'60.00"N に至る広大な湖岸平地である。距離にして15-20kmではあるが、
この辺では古代集落遺跡が多く発見されている。 われわれは、ここで新石器時代
仮泊地及び鉄器時代早期集落と共に、複雑な層をもつ2ヶ所の遺跡発見 に成功した。
この2つの遺跡間の距離は小さかった。第一の遺跡はバイカル湖岸の高い段丘にあるMalaya Kurla川の河口から300m上ったMalaya Kurla谷で発見された。芝の下の
褐色砂交じり粘土層で水で磨耗 した川石の上に、表面が円滑であり、紐の痕の付
いた、刷毛及びスタンプで押して刻まれた文様を持つ、容器及び土器の砕片が集まって
いた。容器表面は円滑であり、基本的には2つの形状があって、弱輪郭、厚手ズン胴
平底甕で、表面には分断貼り付け突帯があり、突帯表面に装飾があるものと、薄手で
胴が膨らんでいて、口縁に斜めの刻目があり、その下に貼り付け突帯があり、その
下には紐で押した痕がはっ きり付いているものとかあった。一つの容器は形状も装飾も
バイカル湖周辺グラスコフ文化埋葬遺跡から出土する容器と瓜二つであった。この
時代はバイカル湖、アンガラ川峡谷に住み着いていた民族が銅製 品の使用を開始した
時期に相当する。」 ・・・このように述べている。
618 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 17:04:05 ID:Njk1kAhh
619 :
出土地不明 :2010/06/11(金) 20:40:55 ID:kAhsCAqR
620 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/11(金) 23:42:21 ID:yuhXsOo5
621 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 00:03:07 ID:VKPSKajE
■弥生人の人口増加■
渡来人の数は本当に大量だったのか。
その問題を解くカギは、弥生人の人口増加の実態にある。
大量渡来説が考えるように、年間の人口増加率は0.1%程度だったのか、
それともそれを上回ったのか。
考古学では、弥生時代の始まりからしばらくたった前期後半〜末の時期に、
各地で遺跡の「爆発的増加」があったことを明らかにしている。
したがって、その増加が、年間増加率で表すとどのくらいになるのかが
わかれば、比較をすることができる。
遺跡が増加した地域の例として、丘陵のほとんど全てを調査した
小郡市の一角を対象にして段階ごとに表したのが図であるが、
弥生時代の始まりの時期に7ヶ所であった遺跡が、前期後半には15ヶ所、
前期末〜中期初頭には34ヶ所に増えている。この遺跡数をもとに計算すると、
前期後半までが0.762%、それから前期末までが0.818%となり、
弥生開始期から前期末までが0.790%となって、いずれも高い増加率を示す。
また、図のように遺跡の面積・規模は、前期後半から大きくなっており、
実際には1.00%をもこえる高い人口増加率であった。
したがって、わが国における人口増加を渡来人によると考えるのではなく、
稲作農耕の定着とともにおこった人口の急激な増加によると考える方が
自然であろう。 (田中良之)
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/165.html
622 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 00:03:23 ID:VKPSKajE
■弥生人の人口増加■
渡来人の数は本当に大量だったのか。
その問題を解くカギは、弥生人の人口増加の実態にある。
大量渡来説が考えるように、年間の人口増加率は0.1%程度だったのか、
それともそれを上回ったのか。
考古学では、弥生時代の始まりからしばらくたった前期後半〜末の時期に、
各地で遺跡の「爆発的増加」があったことを明らかにしている。
したがって、その増加が、年間増加率で表すとどのくらいになるのかが
わかれば、比較をすることができる。
遺跡が増加した地域の例として、丘陵のほとんど全てを調査した
小郡市の一角を対象にして段階ごとに表したのが図であるが、
弥生時代の始まりの時期に7ヶ所であった遺跡が、前期後半には15ヶ所、
前期末〜中期初頭には34ヶ所に増えている。この遺跡数をもとに計算すると、
前期後半までが0.762%、それから前期末までが0.818%となり、
弥生開始期から前期末までが0.790%となって、いずれも高い増加率を示す。
また、図のように遺跡の面積・規模は、前期後半から大きくなっており、
実際には1.00%をもこえる高い人口増加率であった。
したがって、わが国における人口増加を渡来人によると考えるのではなく、
稲作農耕の定着とともにおこった人口の急激な増加によると考える方が
自然であろう。 (田中良之)
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/165.html
623 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/12(土) 00:12:15 ID:G32FUkKh
>>621-622 紀元後1000年間の世界のさまざまな農耕民族の増加率で
全世界平均年、0.04%で、日本列島だけ特殊な地域とする
鎖国史観全開じゃのう。文物たぁ戦争と飢饉の時代に人口が
減ることがあっても、増える可能性はほとんど無いんが現実よ。
じゃけぇ、中橋氏は近代の人口増加率を弥生期に無理やり
当て嵌めるレトリックを使うたんじゃろうね。(笑)
624 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 09:12:45 ID:oH/I7ZdN
>>.622
無文中期/松菊里、弥生中期/夜臼IIb-板付IIcの人口拡大は縄文人D2が無文中期
松菊里の農業革新を取り入れて発展ししたものだが、弥生中期/城ノ越/須玖I-IIには
無文後期水石里、勅島文化から青銅器文化を伴う渡来人の渡来があった。彼らは
アルタイ・バイカル・牡丹江経由で渡来した。これはグラスコフ文化の系統のO2b。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/165.html 彼らの粘土帯土器と前1000年頃カザフスタンで盛行する突帯文土器文化に併行する
無文早期の突帯文土器とは区別されるべきであろう。
625 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 09:28:13 ID:oH/I7ZdN
626 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 09:37:20 ID:oH/I7ZdN
>>624 無文早期、山東半島から石包丁、稲作、大麦を耕作する農耕民が遼東半島へ
上陸、そこで入植し、松菊里方面に拡大する。この時オルドスの青銅器文化も
この遼東に到来、支石墓が始まり、遼寧青銅器が開始される。無文早期の
突帯文とはこの時オルドス方面からもたらされたのではないかと考えられる。
なお、松菊里の環濠集落の祖形は夏家店地区に新石器時代開始時代から
存在する。
627 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 09:43:16 ID:oH/I7ZdN
韓国考古学学会は水石里、勅島粘土帯土器を遼東文化の模倣ではないかとしている。 豪州学者も粘土帯土器の起源を華中と見ている。そもそも、バイカルのグラスコフ人は 北上してきたものだからこうした考えは否定できない。
628 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 09:44:24 ID:Cr54l45j
629 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 10:38:23 ID:oH/I7ZdN
>>627 グラスコフ文化の前身として考えられる松嫩平原白金宝・小拉哈文化
「前2000年頃の小拉哈III期(漢書上層)、ツールセットに劇的変化が見られる。狩猟、
漁労具が夫々約30%増加した。木材切削具も30%以上増加したが、採集具は15%
以下に減少した。漢書上層文化に含まれると見られるこの時期のPingyang埋葬遺跡に
おいては、犬、馬、牛、豚、羊等の家畜が100頭以上出土していることから、狩猟具の
増加は牧畜の発展を反映するものと見られる。これらの家畜はこの時期に牧畜経済が
発展したことを示している。この牧畜経済は多分既に白金宝文化において開始されて
いたのであろう。狩猟及び漁猟具の増加は松嫩平原の経済スタイルが穀物栽培主導型
から多少の狩猟漁猟を含む牧畜主導型に移行したことを示す。ハイレベルの木材
加工具はおそらく牧畜経済における木材加工産業に伴う活動の多様化を意味するもの
であろう。」
「中国東北における漁猟採集から農業への移行」 (Peter) Wei Ming JIA 2005年
http://ses.library.usyd.edu.au/handle/2123/653
630 :
唐松山 ◆V0F34EbmQA :2010/06/12(土) 10:50:56 ID:TO3YH5cd
http://kusegakunoto.progoo.com/bbs/kusegakunoto_topic_pr_218.html 馬韓百済建国と北方系渡来人
3月, 夫余の 流民30戸がまた 来降した. 夫余と 倭が 相通(上通)したら, 毎年その民たちを
受けて, 都邑と田舍に 散置させた.←注@、
倭の臣下 熊彦(千熊長彦)はハンサムだ言葉がお上手で, 阿□(子供)と 相通(上通)したら, 彼の言葉
にたくさん従った. それで 国人(平州住民)らは 異反(離反)して, あるいは私たちに, あるいは
高句麗に帰属した。
323年東晋は、洛陽奪回を断念する。平州方面は切り捨てと云うことだ。
この当時の東夷校尉は、遼東に居留地を構えていたから、そこに東夷軍は居たと思う。
東夷軍は任地を離れるにあたり住民に説明をする。
軍の居なくなった市街地は、盗賊の跋扈する処となることを。そこで住民は自分たちの
行く末を考え、残るか、どこへ行くかを決意する。
そして多くが千熊長彦に従い、倭国へ渡来する事となる。
百済に残る人々の為に、半島の小国家群を再編成し、その領土を百済に分与する。
注@、馬韓百済の始まりであろう。そして遼西にも進出か。
326年 七支刀がもたらされる。
日本に北方系の遺跡が多いのはこの為である。
当然これ以前の渡来を否定するものでは無い。
631 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 10:57:23 ID:oH/I7ZdN
>>629 失礼、グラスコフの前身ではなく後継。前2000年ではなく、BP2000年の大きな間違い。
この時代グラスコフ文化は奥州にまで達していたはず。
632 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 11:15:39 ID:YRN9dlUz
日本は東の果ての行き止まりみたな国だから、いろんな人が流れ着いて交配したんじゃないかと 南方からやってきた人たちのことを軽視しがちな傾向が不思議 南方系の顔立ちの人も多いと思うけどな
633 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 11:23:14 ID:oH/I7ZdN
グラスコフ文化の前身を言うなら
「更に、中国北東部BP4000年(前2000年)頃の青銅器時代、土器の一般的特徴は
装飾がより少なくなることで、通常は無文とか、例外的に、意図的な装飾と言うのでは
なく通常の土器製作プロセスの一環としての、縄文とかであった。約4000年BP
(前2000年)の小拉哈II期文化においては無文土器が主要な特徴であった。」
「中国東北における漁猟採集から農業への移行」 (Peter) Wei Ming JIA 2005年
http://ses.library.usyd.edu.au/handle/2123/653
634 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 11:35:04 ID:oH/I7ZdN
>>632 韓国での調査でも南方系が多く出てくるが、台湾、フィリピンとかの海洋からでは
なく、中国沿岸沿いに北からとなる。つまり、台湾-沖縄間の海峡が大きなハードル
として働いていたことは韓国の調査からも言えること。
635 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 11:50:45 ID:oH/I7ZdN
>>629 出雲に神やらいされたスサノオの描いた経済政策は松嫩平原白金宝文化の
ような穢人文化であったのだろう。スサノオの末裔は諏訪湖でかろうじて狩猟
に甘んじることができたのであろう。時は移り、彼らの子孫は関東平野の開発に
向かったのであろう。
636 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 11:54:33 ID:pby8CGPG
637 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 12:25:27 ID:oH/I7ZdN
暦博 藤尾慎一郎「水稲農耕と突帯文土器」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko.html において藤尾氏は「後藤直は「弥生社会が自らの要求に基ずき、自らの中から交渉担
当者を選んで彼地へ派遣し、また無文土器社会からのいわば「使節」を受け入れること
によって成り立つ関係であった」と表現し、それ以前の無文土器社会から弥生社会へ
という一方的な関係からの脱却をはかるまで成長した弥生社会の姿を指摘した〔後藤,
1980〕。」としている。
ボーダーレスな松菊里時代が終わり、先進的なクロウノフカ・団結文化人を選択的に
受け入れすることが可能になった日本は勅島に在外公館を置き、ビザを発給し始めた
ということらしい。スサノオも保護観察におかれていたのだろうか。
638 :
LUNAMASK :2010/06/12(土) 12:40:58 ID:oH/I7ZdN
「また徐福をして海に入り神に異物を求めしむ。還りて偽辭をなして曰く:『臣海中に大神
と見える。言いて曰わく: 「汝は西皇の使か」と。臣答えて曰く: 「然り」 「汝何を求むや」
曰く: 「願わくは延年益壽藥を請う。」 神曰く:「汝秦王の禮薄し、觀るを得るも取るを
得ず。」即ち從いて臣東南蓬莱山に至り、芝成宮闕を見る、使者あり銅色にして龍形、
光上って天を照らす。是において臣再拜して問いて曰く:「宜く何を以って獻に資すべ
きや」 海神曰く:「令名男子若しくは振女と百工之事を以てせば、即ち之を得ん。」』
秦の皇帝大に説び、振男女三千人を遣わし、之に五穀の種、種百工を資して行かし
む。徐福平原廣澤を得、止りて王となりて來らず。」・・・ODAを狙う途上国の姿か。
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-34.html
639 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 17:37:34 ID:VKPSKajE
月光仮面さん、馬(モンゴル種)についての質問していいですか? @渡来時期 A経路 B運搬方法 C使用目的
640 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 18:42:54 ID:qAiBje7a
>>460 名前:出土地不明 :2010/06/10(木) 11:59:28 ID:DA00DxVj
「呉書」で西暦280年に2万の軍隊を乗せた船が出港したきり帰ってこなかった話が載っている。
行き先は不明で台湾かもしれないし日本かもしれないし沖縄かもしれないし海南島かもしれないし
行き先はようとして知れない。
ここから呉軍の倭国到来説が生まれた。
↑他スレからだけど、こんな説もあるみたいです。
641 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 20:01:28 ID:OGzVI1w+
呉の年号の入った呉鏡が出土しているからなんらかの関係はあったでしょうね。 魏の鏡が出るのは魏志倭人伝どおりだが・・・・
642 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 20:39:36 ID:rVt0Bz2z
>>640 日本にも琉球にもシナ語を話す集団などどこにもいないから日本・琉球でないことは確実だな。
643 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 21:09:20 ID:OGzVI1w+
644 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 21:12:56 ID:OGzVI1w+
日本語に漢音と唐音もかなり残っているがなぜ呉音???と言うのが昔からの疑問だった。 漢や唐と違い呉とは直接交流無かったはずなんだが・・・・
645 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 22:31:01 ID:L7Cko2QE
>>644 ヒント:倭の五王時代に南朝と交流があった
646 :
出土地不明 :2010/06/12(土) 23:46:38 ID:ijmD67DE
>>644 呉から漂流すると、自然と北九州や対馬や南部朝鮮に流れ着く
難民が長江に逃れれば自然と海に出る
647 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/12(土) 23:50:47 ID:G32FUkKh
>>632 南方系顔立ちの人は、縄文形質の人に残っとる云うこと。
縄文人の遺伝子たぁ、別問題で形質的に南方系じゃけんのう。
じゃが椿宏治氏は、唇の薄いアイヌ系は北方系で、日本人の中で子鼻が
張って唇の厚いタイプは南方系と区別される。「南方系要素の顕著な
地方は、北関東から福島にかけてと、鹿児島以南。」とされとるね。
まあ、唇なんか古人骨に残らんし、写真のある近代か現代人でしか
考察出来んよ。まあ、古人骨がスルメの標本で、唇の形状なんかは、
現実として生きたイカの姿じゃけぇ、地域、民族の比較考察する手段に
なるけど、椿氏以外の学者は、どうも専門分野に固執して、あんまし
採り上げんけぇのう。学者の現実逃避で空論に走る傾向も問題じゃのう。
648 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/12(土) 23:58:19 ID:G32FUkKh
>>646 漂流は種を残せんよ。長江から難民が出ても陸地を南下する以外に無い。
越人云うかビン人が台湾へ移住した最初の時期が宋代で、明末から清の
時代に移住者が増えたことからも、海を越えて東の島へ渡ることが、
如何に困難じゃったか現実として解ろうに。
自然に海へ出て、漂流した場合死ぬ可能性の方が遥かに高いね。
649 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 00:11:46 ID:NgNwDAfu
大陸から台湾に渡るのが困難でも、騎馬民辱は朝鮮海峡も玄界灘も 渡れるんだ?
650 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 00:27:48 ID:hJVY12Ry
651 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/13(日) 01:51:39 ID:Zn8dGHGh
>>649 朝鮮半島から対馬はごく近いし、対馬からも島伝いに目的地が確認
出来る。
>>650 エラの張りと四角顔の低顔は、土着の韓人、倭人の南方形質云うか
縄文形質の残存じゃろう。
652 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 02:26:00 ID:b9msoqTH
>>648 世界地図を見れば解るけど、
日本は長江流域、台湾から、
まるで飛び石を踏むように、島で繋がってるんだよね。
朝鮮半島経由なんて、このルートを見ると、相当迂回路だし、
当時はかなり田舎だったから、不自然だってわかる。
海流を考えても、日本は華南地方とかなり距離感が近い。
言語的な違いを考えても、
朝鮮経由の文化はかなり少なかったと見てる。
653 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 02:33:09 ID:hJVY12Ry
654 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 09:53:01 ID:c63xBPBJ
半島は通過路、ターミナルは日本列島。 ターミナルが文化的にも、経済的にも栄える。 それだけのこと
655 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 10:20:16 ID:MZOQ6fWN
通過路でもなんでもいいが、大和民族はその方向しか選択肢は無い。 南の選択肢は不可だ。
656 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 10:20:53 ID:AG0ThwD+
, -、,- 、 / `゚`ii´゚`∩ 明日も書くけえのう ( _ ⊂⊃,,) / ( \  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ::::::::::::: 白馬さん・・・もう戻ってこないでください。 , ── / ヽ , ── 、 | | / ヽ (\ /) ∩/)ヽ | | m 〜〜〜〜〜〜〜〜 ヽ、\へ/ノ/ /〜〜〜〜〜〜〜(ヽ /、 m 〜〜〜〜〜 __∩ ! 〜〜〜〜〜〜〜〜〜 l──l/\/〜/  ̄ ̄ ̄` \ / !\,へ/\) ノ 〜〜〜 /vv、 `ヽノ /  ̄ ̄ ヽ/ / ヽ ∨_l二二l/ヽ/ 」\ /ヽ | i /ヽ| | i | / | | / \ \ (⊃ ||) | ⊂ /| ─ |. | l/ヽ.| |. /\ \. |─┐ \__ ! /// |  ̄ ̄ ̄| ヽ / /───ヽ __o/ヽノ > \ヽ、 _____| |___| ◯ヽ /◯/ \\_-´||) / /⌒ヽ── ヽ | | | | \ `━━━━━ /  ̄|. ̄| ̄| ̄ / l 、/ / | __|─| ヽ/\ | |′ | | | ∩  ̄/二二l / \ / | ( =|_| ヽ/⌒ヽ | o | _|─||─| 三 | ̄ ) | / / | \_ ) | |─| | ┬ .| ( |_||_|、  ̄ ̄Τ | / | ゙ー ′ (  ̄ ̄ )( ̄ ̄ ) \_ノ、_ノケ
657 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 10:25:28 ID:pWxOOyhu
タラコ唇は南方系だったのか。わしはタラコ唇で小鼻がはっているが、一重瞼なので南北混血だな。 スネの毛も濃いからアイヌも入っているのか。
658 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 11:10:52 ID:8Wb47UVf
659 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 11:33:20 ID:8Wb47UVf
承前 木曽馬同様の山岳系としては遼寧省/高句麗で、東夷伝では「その馬皆小、登山に便」 とあり、ひよどり越えで活躍するのがこれ。 狗奴国と言うのは高句麗からの移民と考えられます。他にも対馬・南西諸島/豊後 水道、沖縄・鹿児島・宮崎・愛媛等ブリャート系の分布したところに馬も来ているよう です。日本の古墳文化はブリャート東南部の方形石籬、前方後方墳、西北部の四隅 突出型墳丘墓文化ですから、いわゆる石板墓文化人はまず吉林省の扶余地区 (四平)に入り扶余となり、そこから高句麗、穢/沃沮、倭となって南下したのでしょう。
660 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 11:41:44 ID:8Wb47UVf
承前 B運搬方法としては、種を付けた雌馬を船団が護送する筏の上に結博あるいは、 万一荒天に遭遇した場合は自力で泳がせるなどしてプサン-対馬の荒海を乗り切った のではないでしょうか。もちろん仔馬を輸送する方法もありますが、授乳などの問題が 残ります。
661 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 11:49:47 ID:c63xBPBJ
>>658 ありがとうございます。
モンゴル系の馬を
オホーツク樺太北海道の陸続きの経路で運んだことは、
考えられますか?
662 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 11:49:49 ID:8Wb47UVf
畜産 アマテラスが馬の畜産業者であるスサノオを神やらいする話にせよ、銅鐸時代 よりも新しい時代ですから、おそらく3世紀初頭でしょう。この頃は、箸墓から 世界最古の部類の鐙が出土していることもあるが、政権は馬にさほど興味が なかったが4世紀末の対高句麗緊張時代を迎え軍拡の一環として軍馬と 裾野産業の導入に積極的になったと考えられます。
663 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 11:54:47 ID:8Wb47UVf
>>661 基本的に北海道開拓が盛んになるのは明治以降で、それ以前にも騎馬民族の
突厥系の遺跡が北海道にあります。冬場の流氷原を移動することもあり得るで
しょうが、樺太での馬畜産は季節・気象の制限があり難しいのではないかと思い
ます。ツンドラがあるので牧草代わりになるとは思うのですが。
664 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 12:25:01 ID:c63xBPBJ
月光仮面さん、ありがとうございます。 1.経路 グラスコフ文化ー>カラスク文化ー>吉林省ー>朝鮮半島ー> 対馬−>九州ー>本州 2.渡来時期 4世紀(高句麗対策)? それ以前にも納入実績? 3.運搬方法 島伝いでの近距離を 種づけされた雌馬を船に乗せる。(効果最大、リスク最小) 4.目的 畜産業の導入
665 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 12:27:41 ID:s3X04Mv8
北海道はアイヌ 最近まで弥生系との交わりは無かった
666 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 12:58:11 ID:8Wb47UVf
>>664 グラスコフ文化ー>カラスク文化ー>吉林省
-------------------------------------------------
これは↓
夏家店下層併行沿バイカル湖・グラスコフ文化->夏家店下層併行
沿バイカル湖・石板墓文化->吉林省扶余文化(老河深(泡子沿) 文化)
と言う風に言った方が正確ですね。
667 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 12:59:39 ID:8Wb47UVf
失礼 夏家店下層併行沿バイカル湖・グラスコフ文化->夏家店上層併行 沿バイカル湖・石板墓文化->吉林省扶余文化(老河深(泡子沿) 文化)
668 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 13:55:21 ID:zUOvLCqS
O2bの種類が日本と韓国は逆である理由を説明出来てる人はいる?
669 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 15:24:21 ID:8Wb47UVf
>>668 韓国 O2b 13.8% O2b1 5.6%
日本 O2b 6.5% O2b1 19.4%
WIKIでは韓国方面から日本に流れたからこうなると言った考え。
670 :
LUNAMASK :2010/06/13(日) 15:29:40 ID:8Wb47UVf
>>629 白金宝文化のBP2000年頃の急速な牧畜化は移動してきた扶余文化
(老河深(泡子沿) 文化) の影響によるものであろう。
671 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/13(日) 22:58:31 ID:Zn8dGHGh
>>652 長江地域じゃあ、日本列島は見えんし東シナ海は、荒海じゃけぇ、
無理じゃ。あんた船で韓国と中国の両方へ行ったこと無いじゃろう。
ましてや台湾から死の海の黒潮に乗ると太平洋へ難破して終わりよ。
だいち、日本と江南や台湾は言語が違う。朝鮮なら同じアルタイ系
文法を使うとるけぇ近い言語じゃけど。
>>653 韓国人よりも、沖縄人、アイヌ人、中国の越系の方がエラが張っとるよ。
>>657 タラコ唇と小鼻が張った容貌となると、南中国の越人に近い。
越系も一重瞼が少ないだけで、皆無じゃ無いね。毛の濃さはアイヌ系か、
中国なら、南部の両広地域は毛が濃い傾向にある。
>>659 木曽馬は、体格からは蒙古中型馬で、高句麗の果下馬は、体格としては、
日本の西南諸島の小型馬になりますけど、体格の違いだけでは、
近縁関係を判断出来ませんね。韓国の済州島も、モンゴル統治時代に
馬牧場に蒙古馬を放したようですが、何故か体格が小型化します。
島で飼うと小型化するのか、高句麗のよう南満州の山岳地域で飼うと
小型化するのか、それでは木曽馬は小型化しておらんのは何故か?と、
わしもよう解りませんね。
672 :
白馬青牛 ◆cjIySZ2iYw :2010/06/13(日) 23:33:46 ID:Zn8dGHGh
>>661 オホーツク文化人は、北海道へ移住した時、豚飼育をしてましたが、
今の処馬飼育は遺物根拠は無いんが現状です。しかし、沿海州からアイヌの
伝説には馬の話が出ます。近現代の沿海州の民族は馬はおろか、かつての
豚飼育はしていませんが、中世の初期ぐらいまで飼っておったんです。
『今昔物語』でも、陸奥の安部頼時が船に乗って海の北へ行って騎馬集団
の一群に出会った話があるよう、沿海州、樺太経由の馬文化も否定は
出来ませんね。
>>663 北海道のオホーツク文化人の礼文島の婦人像は、突厥の婦人像はみな手に
入れ物を持つモチーフまで似てますね。
673 :
出土地不明 :2010/06/13(日) 23:53:08 ID:hJVY12Ry
674 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 00:16:31 ID:YCfJdKsw
>>671 日本語と朝鮮語は、言語系統が違うよ。
語彙が全く一致しないし、文法も違う。
日本語は江南やビルマ語と同じピッチアクセント言語だけど、
朝鮮語は、モンゴル語やツングース語と同じ無アクセント言語だし、
一致点が少ない。
675 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 00:36:24 ID:70+DH/K4
>>674 日本語は発音からみるとインドネシア語、文法はトルコ語に近いな。
ニギ・ハヤヒ、ヒコ・ホホデミという語順も南方系だ。
676 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 00:42:00 ID:wj7DK/Ia
677 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/14(月) 01:21:57 ID:b/105/ws
678 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 01:31:58 ID:uJTpl7t0
>>677 どこにも沖縄やタイが韓国人よりエラが張ってると書いてない
沖縄が韓国よりエラが張っているという証拠を出せ
679 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 02:07:46 ID:70+DH/K4
>>677 日本語と朝鮮語は語順はだいたい同じだが、朝鮮語に動詞の四段活用はなく形容詞が動詞と異なる活用をするというような文法はない。
助動詞が活用することも朝鮮語ではないだろう。こんな差が2000年程度で発生するとは思えない。
朝鮮語と日本語の文法が同じならモンゴル語、トルコ語、ビルマ語まで同じことになる。
680 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 02:08:05 ID:xlD594wg
>>677 そんなブログまでを貼って自分の賛同者にしないと語れないの?
情けないマネやめなよ
「沖縄の人とタイの人の顔はほんとによく似てない。」って書いてるブログも探せばあるんじゃないの
681 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 09:47:46 ID:fNKo2IMn
>>674 朝鮮語は日本語とも中国語とも似ていない。でもモンゴル語とは似ているな。
モンゴル語と発音とかが似ている。全く一緒じゃないけど日本語や中国語よりは
モンゴル語は近い存在だろうな。
682 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 10:10:02 ID:uDZGHCa6
朝鮮語と言っても方言が酷いんで 北方はモンゴル 南方は日本に似てるんじゃないかと 済州島は日本語そっくり
683 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 10:19:55 ID:8sNyT6Qv
>済州島は日本語そっくり 耽羅の言語なんて解ってない
684 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 10:35:29 ID:Iwc15PQ6
C1系統
685 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 10:37:44 ID:bEV4dUKq
>>671 >>659 三国志魏書/東夷伝では高句麗「その馬皆小、登山に便」、穢「また果下馬あり。漢桓
の時これを献ず」とあり、更に高句麗は「国人気力あり、戦闘に習(な)れ、沃沮・東[シ
歳]皆これに属す」とされており、おっしゃる通り、果下馬は高句麗起源かもしれません。
他方、穢を含む沃沮(沿海州では豚の牙ペンダントが出土してはいるものの、馬出土の
報告はなし)は既に前4-3世紀に吉林省・沿海州から江原道まで南下していますが、
扶余・高句麗等は、扶余文化に隣接する松嫩・白金宝文化の牧畜経済化が前1世紀末
に起こるため、穢・沃沮よりも後になってホロンバイル方面から松嫩平原に入るのでは
ないでしょうか。
686 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 11:28:59 ID:bEV4dUKq
>>672 間宮海峡は馬でも渡れるほど浅く、近く、樺太でも牧草を確保できれば越冬も
可能でしょう。冬場の結氷とか、潮の流れを利用すれば何らかの可能性が
あったのかも。
687 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 11:57:56 ID:bEV4dUKq
688 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 12:05:56 ID:70+DH/K4
>>681 モンゴル語は朝鮮語、シナ語にある有気音、無気音の区別などないぞ。
689 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 15:16:31 ID:Sr/1HOOi
わぉ〜わぉ〜わぉ〜(^-^)/
>>687 月光たんのこの説でいくと、スサノオ系の扶余族を出雲に隔離して
吉備から監視したアマテラス系は何族なんでつか?
>>614 >卑弥呼の父孝霊ヒコ・フトニの時代に出雲に月氏ヒコ・ハニ王が来週したとある。
卑弥呼の前政権から天孫族の月氏は邪馬台国に参入していたかもしれないですね〜
これが吉備から監視したアマテラス系の正体でつね!!
690 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 15:26:39 ID:Sr/1HOOi
わぉ〜わぉ〜わぉ〜(^-^)/ @少彦名・アマテラス系(天孫) 支石墓・前方後円墳・南方(西方)系・メソポタミア・カラスク・イ族・稲作民 太陽信仰・ゾロアスター(拝火)教・修験道・松明祭り・鳥・犬 邪馬台国・神武・神功皇后・応神・継体王朝/白鳳・奈良=トゥヴァ・ハカス/月氏 雄略・天武・後醍醐・飛鳥文化 蘇我氏・秦氏・鴨氏・吉備氏・橘氏・紀氏 A素盞嗚(オオナムチ)系(地祇) 前方後方墳・四隅突出型・北方系・ブリアート・バイカル・高句麗・牧畜民 大地信仰・星辰信仰・鹿・猿 三輪王朝・崇神・天智・藤原氏・物部氏
691 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 15:40:51 ID:bEV4dUKq
>>689 >>687 >月光たんのこの説でいくと、スサノオ系の扶余族を出雲に隔離して
>吉備から監視したアマテラス系は何族なんでつか?
ウガヤフキアエズというのが勅島のことで、アマテラス系とは伽耶・筑紫の先進的
縄文人原住民ではないかと。
692 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 15:43:08 ID:Sr/1HOOi
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>659 >日本の古墳文化はブリャート東南部の方形石籬、前方後方墳、西北部の四隅
突出型墳丘墓文化ですから、いわゆる石板墓文化人はまず吉林省の扶余地区
(四平)に入り扶余となり、そこから高句麗、穢/沃沮、倭となって南下したのでしょう。
ということは、支石墓、前方後円墳は扶余族とは別の族の文化とうことでつか!?
これが吉備から監視したアマテラス系の正体でつね!!
693 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 15:50:28 ID:bEV4dUKq
>>689 >>614 >卑弥呼の父孝霊ヒコ・フトニの時代に出雲に月氏ヒコ・ハニ王が来週したとある。
>卑弥呼の前政権から天孫族の月氏は邪馬台国に参入していたかもしれないですね〜
>これが吉備から監視したアマテラス系の正体でつね!!
------------------------------------------------
月氏というのは木槨墳だと思います。邪馬台国時代にはまだ伽耶にまで南下せず、
公孫楽浪辺りではないでしょうかね。機動性があるので孝霊時代に飛び込んで
いたのかもしれませんが。このへんはぼやかしておきましょう。
694 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 15:53:39 ID:bEV4dUKq
>>692 支石墓、前方後円墳は夫与じゃないですよ。アマテラス系ですよ。
695 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 15:55:40 ID:Sr/1HOOi
わぉ〜わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>691 するとアマテラス直系の神功皇后は、伽耶でスキタイ・シルクロード文化を
摂取した先進的縄文人原住民かもしれませんね〜(^0^)/
696 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 15:56:58 ID:bEV4dUKq
697 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 16:00:53 ID:bEV4dUKq
>>695 なんたって仲哀天皇の皇后にまでなった人ですからね。それに、もともと
拝火教なんかにかぶれていたのならその後も多少聖徳太子時代の
雰囲気があったはずなんだが、そんなことはないですね。
698 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 16:09:22 ID:bEV4dUKq
>>696 所以,我門似乎有理由相信,奥庫涅夫(オークネフ)的人形石雕、鹿石以及石板墓
中的墓前立石板,都反映出了早期蒙古人種中存在的薩満(シャーマン)意識。
而奥庫涅夫文化(オークネフ)、“鹿石文化”以及石板木文化很可能存在着前后
相続的関係。
墓前立石板 善光寺前立本尊・回向柱のこと
699 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 16:12:23 ID:bEV4dUKq
>>697 拝火教かぶれは勘注系図。アフラマツダ→アーリマン(村雲)
700 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 16:28:16 ID:bEV4dUKq
701 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 16:30:38 ID:Sr/1HOOi
わぉ〜、わぉ〜、月光たん!!
>>699 拝火教、スキタイ三層思想を持っていたのは、グラスコフ扶余方墳文化ではなく
アマテラス吉備円墳文化の方じゃね!?
LUNAMASK:2010/05/19(水) 14:37:41 ID:fyWcEHzw
応神天皇・ホムダワケのホムダ、善光寺、本田善光のホンダはアフラ・マツダを意味する
モンゴル語ホルムスタから来る。ゾロアスターの神は九州→難波→信州と移動した。
702 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 16:42:01 ID:bEV4dUKq
>>701 三輪山・ヘレクスルはコーカソイド起源ですよ。それが似て非なるモンゴロイド
の石板墓を生んだ。それが日本の古墳になり、円墳部分に三輪山・ヘレクスルが
復活した。それだけの話。
ところで、古墳というガス抜きをせず、出雲族が田和山の出雲八重垣万騎籠みにと
ばかりの軍国主義最優先に突っ走っていたとすれば、日本は誕生前に流産し、
日本のD2はアイヌ同様になり、黒又山や将軍塚だらけの国になっていたんじゃない
ですかね。
703 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 17:00:05 ID:Sr/1HOOi
>>702 >それが日本の古墳になり、円墳部分に三輪山・ヘレクスルが復活した。
>>694 支石墓、前方後円墳は夫与じゃなくて、アマテラス系なんだから
円墳部分に三輪山・ヘレクスルを復活させたのもアマテラス系なんじゃね!?
>>701 すなわち、拝火教、スキタイ三層思想を持っていたのは、グラスコフ扶余方墳文化ではなく
アマテラス吉備円墳文化の方じゃね!?
>>702 >日本のD2はアイヌ同様になり、黒又山や将軍塚だらけの国になっていた。
これが青牛たん説の正体でつね!!
704 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 17:15:58 ID:Sr/1HOOi
わぉ〜わぉ〜
>>694 ということは最古級の前方後円墳である箸墓古墳の被葬者・卑弥呼すなわちヤマトモモソヒメは
扶余系じゃなくてアマテラス系なんじゃね!?
そして扶余系の崇神に三輪山の三層思想の殉教者にされて
扶余系のオオタタネコ変えられたのかも〜
705 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 17:41:51 ID:Sr/1HOOi
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>702 つまり三輪王朝の次の、倭・三韓を統治した神功皇后の時代は
列島を半島同様に支配しようとした扶余系をアマテラス系の先進的縄文人が
追い返した反動で生まれたのではないでしょうか!?
青牛たん説では、寒冷化で北方民族が倭人や縄文人を支配したことになっていますが
縄文人が先進化して南方からの稲作を列島に定着させ、また月氏や秦氏の支援で
政治・思想的統率力を強化して、北方民族に対する抵抗力を養えたのかもしれませね〜(^0^)/
706 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 18:15:57 ID:bEV4dUKq
>>703 それが施主・天孫の意にかなったわけですね。
707 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 18:19:08 ID:bEV4dUKq
>>704 卑弥呼はアマテラス系です。崇神・オオタタネコは夫与系でしょう。
708 :
LUNAMASK :2010/06/14(月) 18:21:06 ID:bEV4dUKq
>>705 基本政策が南朝朝貢ですね。日本が独自色を出し始めたんでは。
709 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 20:03:39 ID:nfES3VEM
>>688 >有気音、無気音の区別などないぞ。
蒙古語には有気音/無気音の区別があるよ! ホロンバイル市やオルドス市の蒙古語には存在する。
キリル文字のモンゴル語には無いだけで、縦書き蒙古文字にはhの字母がある。
いえるのは、中世元朝のフビライ政府の文書には、文字上に有気音/無気音の区別が無いこと。
ユウロウ族やワイ族の末裔だとされるオロチョン族にもないぞ〜。よって原日本人はユウロウ族・みしはせに近縁だ。
朝鮮人よりも日本人のほうが、ユウロウ族・みしはせにはより近いといえる。
満州語最終形に有気音/無気音の区別があるが、オロチョン語に無い現象は、
外モンゴル←→内蒙古の関係と似ている。
理由はよくわからんので、シナ・チベット系に詳しい人にも聞いてやれ。
710 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 20:08:07 ID:nfES3VEM
>>678 朝青龍系の容貌だとはっきり書かないから、シャープな答えが貰えないんだよ。
沖縄とか中国南部の両広地域とか、話がそっちへ振られてしまうのだ。
711 :
出土地不明 :2010/06/14(月) 22:33:49 ID:uJTpl7t0
712 :
ハイハイ、両広地域お待たせー :2010/06/14(月) 22:54:16 ID:ih97yltD
713 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/15(火) 00:22:23 ID:p795fLBc
>>678-680 韓国人よりエラが張ると書いて無かったら、韓国人の方がエラが
張っとることになるんか。馬鹿たれじゃのう。低い顔の方が顔の上下を
押し潰した顔になるけぇ、韓国人より沖縄人、タイ人の方がエラが張った
顔になるんは当然のこと。あんた韓国へ行ったことあるんか?
どう視ても、沖縄人よりエラが張っとらんど。ちいと現実を認識せえ。
>>679 ビルマ語やチベット語、羌語は、日本語や朝鮮語と文法が
多少違うよ。「高い山」とか短い文章なら、チベット・ビルマ語系なら
「山高い」となる。
>>681-682 日本語とモンゴル語と発音は似て無い思うけど、ズーズー弁は、
満州、北朝鮮、出雲、東北じゃね。江上氏は北朝鮮の言葉をまるで
モンゴル語に聞こえて、韓国と違うとされるけど。
>>685-686 扶余は、満州平原で馬産地でしたから、他国へ売れる中型馬を持っていたと
思います。モンゴル部族の先祖室韋よりも、騎馬民的要素が強いでしょう。
高句麗が重装騎兵で中型馬を使うたんは、扶余を打倒して満州平原部に
勢力を広げたことも考えられますね。扶余は、豆莫婁と近いようで、
ホロンバイル・モンゴル系に近いですね。
ほいから、馬自体を樺太から渡らせることは苦労せんかったでしょう。
馬に眼隠しして、運べはええわけです。
サッカーでは、今の処日本が1点取ってますね。対カメルーン戦の
相性の良さから実例として有利なんですが、勝負は隙一つで流れが
変わりますから、油断は禁物です。
714 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/15(火) 00:45:29 ID:p795fLBc
>>687 まあ、天つ罪は遊牧民的、国つ罪は遊牧民的部分と農耕民的部分も
混じってますね。人を呪うマジック呪術は農耕民的と云えますね。
お隣の半島の国の恨の精神も農耕民的です。ほいじゃが、吉備自体、
伽耶系ですよ。
>>712 広西省は、タイ系壮族の地じゃけぇ、低顔でエラが張ったタイ系の顔に
近いね。
715 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/15(火) 00:54:21 ID:p795fLBc
716 :
出土地不明 :2010/06/15(火) 01:08:45 ID:+DI1YZEz
白馬さん「近代化」について一言!
717 :
出土地不明 :2010/06/15(火) 01:23:28 ID:yE5jFZim
718 :
出土地不明 :2010/06/15(火) 05:11:13 ID:+DI1YZEz
モンゴロイドはさ、 「顔の側面が前にせりあがった」のか 「顔の前面が削られて顔全体の位置が後退した」のか どっちなんだろ?
719 :
LUNAMASK :2010/06/15(火) 08:52:18 ID:g8KIJMvP
>>713 >>685-686 んじゃー、崇神はイニエ(豚奉り)ですから、夫与ではなく沃沮にしておきましょう。
宮殿の裏には沖縄のウガンジョのような大神神社があり、ハツセ川には沖縄と
よくにたヨナバリという地名があります。御製をみるにのめのめで沖縄人気質ですね。
>>714 >>687 んじゃー、吉備、紀氏などは伽耶人にしましょう。
>>715 >>713 岡田ジャパンおめでとう。ハヤブサ帰還おめでとう
720 :
LUNAMASK :2010/06/15(火) 11:00:48 ID:g8KIJMvP
>>697 太陽神・天照大神を奉じる卑弥呼と対立した狗奴国の宗教は天火明命を奉じるオー
クネフ・マグナマーテル・ズルヴァン教であったが、崇神は、出雲のオオナムチ・
大国主教を考慮し、ヘレクスル・三輪山をオオナムチの魂のこもる国土中心とする
することで邪馬台国・狗奴国・出雲の面子を立てたもの。筑紫において仲哀を失い
窮地に立たされた神功を救ったのは旧狗奴国の海部・尾張勢力であったのではな
かろうか。
---------------------------------------------------------------
オークネフ・マグナマーテル・ズルヴァン教
トルクメニスタン・ゴヌル・デペ四隅突出型拝火教遺跡
神功皇后
秋田・唐松神社
丹後・籠神社
大和・天香具山
竹取物語
721 :
LUNAMASK :2010/06/15(火) 14:03:59 ID:g8KIJMvP
承前 3世紀初頭、神武の御宇において出雲の勢力圏であった畿内銅鐸圏は西日本 天孫・鏡勢力(伊都国・奴国から始まったもので、伽耶から吉備に帰還したもの が主力となっていた)によって制圧されたが、丹波・大和天香具山から三河・遠州 を支配した三遠銅鐸文化圏は卑弥呼の代になって反乱を開始した。これは 卑弥呼の次の代の崇神によって平定された。この際一部宗教的指導者は出羽・ 陸奥方面に逃れたのではなかろうか。
722 :
LUNAMASK :2010/06/15(火) 16:48:45 ID:g8KIJMvP
723 :
出土地不明 :2010/06/15(火) 22:19:40 ID:iTE+BSza
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
月光たん説を整理するよ〜(^-^)/
>>707 卑弥呼→アマテラス系
崇神→夫与系(沃沮系)
>>571 支石墓天神→金剛界曼陀羅
ブリャート族国土神オオナムチ→胎蔵界曼陀羅
>>694 支石墓、前方後円墳→アマテラス系
前方後方墳、四隅突出型墳丘墓→ブリャート系
>>700 籠神社→拝火教
出雲大社・鹿島神宮・春日大社→オークネフ及び夫与
724 :
出土地不明 :2010/06/15(火) 22:24:27 ID:iTE+BSza
そんでもって
>>720 太陽神・天照大神を奉じる卑弥呼と対立した狗奴国の宗教は
天火明命を奉じるオークネフ・マグナマーテル・ズルヴァン教
725 :
出土地不明 :2010/06/15(火) 23:46:46 ID:ilUV0HJn
わぉ〜わぉ〜、月光たん!!
>>724 海部氏は拝火教の籠神社の宮司で、天照大神の前身の天火明命を奉じているから
秦氏と同族のメソポタミア(シュメール)天孫族なんじゃね!?
だから高尾張・葛城王も天孫族なんじゃね!?
726 :
LUNAMASK :2010/06/16(水) 10:36:45 ID:iHu+wLE/
>>723 >>707 >卑弥呼→アマテラス系
>崇神→夫与系(沃沮系)
----------------------------
崇神は神器の銅鏡・アマテラスと娘を荒野に追い出さざるを得なかった。忍耐強い
天孫であったか、あるいは豚飼いの沃沮であったかでしょう。御製は「宮殿は朝日
の陰になる三輪じゃ、今宵はとことん飲んで明日はゆっくり日の出を拝もうぞ」とい
った趣旨。
---------------------------------------------------------
>>723 >>571 >支石墓天神→金剛界曼陀羅
>ブリャート族国土神オオナムチ→胎蔵界曼陀羅
-----------------------------------------
少彦名(神農)・韓神vsオオナムチ・園神 、モンゴリア高原における天孫地祇対立、
これが
仏教に反映されたものでしょう。
-------------------------------------------
>>723 >>694 支石墓、前方後円墳→アマテラス系
前方後方墳、四隅突出型墳丘墓→ブリャート系
------------------------------------------
北方支石墓→ユーラシアドルメン・箱式石棺墓文化
南方支石墓→黄淮石棚墓
前方後円墳→吉備帆立貝古墳に四隅突出型墳丘墓技法が入った天孫用古墳
(吉備帆立貝古墳には黄淮土敦墓が影響している可能性がある)
四隅突出型墳丘墓→(オークネフ文化の影響を受けた)西石板墓
------------------------------------------------------------
>>723 >>700 >籠神社→拝火教
>出雲大社・鹿島神宮・春日大社→オークネフ及び夫与
-------------------------------------------------
籠神社→本来海部氏天孫パンテオン。
出雲大社→石板墓文化総合神社
鹿島神宮・春日大社→東石板墓鹿石文化
----------------------------------------------
>>724 >>720 >太陽神・天照大神を奉じる卑弥呼と対立した狗奴国の宗教は
>天火明命を奉じるオークネフ・マグナマーテル・ズルヴァン教
-------------------------------------------------------
天香具山・香具土<オークネフ・マグナマーテル・ズルヴァン教
・・・海部氏天孫パンテオン
韓神・少彦名教<神農(秦・羌・斉/呉系)
・・・秦氏天孫パンテオンとしましょう。
--------------------------------------------------------
>>725 >>724 >海部氏は拝火教の籠神社の宮司で、天照大神の前身の天火明命を奉じているから
>秦氏と同族のメソポタミア(シュメール)天孫族なんじゃね!?
------------------------------------------------------------
天火明命・天香具山等は海部氏天孫パンテオン。
-----------------------------------------------------------------
>だから高尾張・葛城王も天孫族なんじゃね!?
--------------------------------------------
高尾張・葛城王も海部氏パンテオンであり、地祇ではなく天孫。
727 :
LUNAMASK :2010/06/16(水) 10:47:08 ID:iHu+wLE/
卑弥呼の死体発見現場では陰部に刺さった箸、蛇が残されていたようですが、 武埴安残党の放った「サグメ」のようなプロの刺客の手口がしますね。
728 :
LUNAMASK :2010/06/16(水) 11:00:12 ID:iHu+wLE/
729 :
LUNAMASK :2010/06/16(水) 11:08:50 ID:iHu+wLE/
>>727 ただ、日本人がお箸を使用するのは聖徳太子の頃。卑弥呼の頃は呪具的な
ものでなかったかとする説もあり。
730 :
LUNAMASK :2010/06/16(水) 11:44:50 ID:iHu+wLE/
>>727 卑弥呼宮殿はこうした刺客対策のためか厳重な女人禁制の中で給仕男性のみが
立ち入りを許される環境下でそうした暗殺を女性が実行するためには大奥上層部
への食い込みと男性への変身が必要となるが、どうなってたんでしょうね。
731 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 12:01:05 ID:tr/7X8mT
わぉ〜わぉ〜わぉ〜、月光たん丁寧な解説ありがとうございます〜(^-^)/
>>726 シュメール(ゾロアスター)化されたオクネフ密教(チベット仏教)
すなわち天香具山・香具土・オークネフ・マグナマーテル・ズルヴァン教
が日本神道および修験道の正体でつね!!
732 :
LUNAMASK :2010/06/16(水) 14:01:55 ID:iHu+wLE/
>>731 「オークネフ文化人の宗教を概括するなら、それは明らかにアストラルであり、
ズルヴァニズムに近い形態をしており、最高位の神としては「時」を表す
マグナ・マーテルが置かれるものであった。」
Institut arheologii i jetnografii SO RAN, g. Novosibirsk
V.E.Larichev
Magna Mater i Vremja
(k probleme astral'nogo haraktera bogov okunevskoj kul'tury)
つまり、大和の天香具山神社に月の誕生石と言うのがありますが、本来は
「時の誕生」に係ると言ったホーキング等の理論物理学、天体物理学の世界と
関連する極めて現代的な宗教でり、コンピューター言語のような天文学数値
で女神像を描くものなんです。これがかなりの時代を経てイラン社会に入り、
ゾロアスター教となるものと考えられます。日本に入ったのはこの原始的な
オークネフ教であったものが、後にイラン社会と石板墓文化圏の接触に
よってゾロアスター教風に俗化されたものと考えられるのです。
733 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 14:20:19 ID:iHu+wLE/
>>731 >日本神道および修験道の正体
エジプトアマルナ一神教改革とか、ギリシャ神話、アブラハム教、ヒンドゥー教、
仏教、道教等を生んだもので、日本神道、修験道もその例外ではなかったと
言った方がいいのかも。
734 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 14:32:01 ID:tr/7X8mT
>>575 イラン・インド(シュメール)系天孫族の伽耶の木槨墳文化人が秦氏・月氏で
応神期に渡来したとすると
それ以前の弥生期(紀元前4世紀)からゾロアスター教的文化要素は
同じくイラン・インド系天孫族で犬戎の海部氏・息長氏によるものかな〜!?
>ゾロアスター教では犬はアフラ・マズダー神が人間を助ける為に作り出した聖なる動物だとされる
735 :
LUNAMASK :2010/06/16(水) 16:13:28 ID:iHu+wLE/
>>734 秦氏渡来の応神朝以前の日本にゾロアスター教的とか、修験道的なものはなく、
おそらくは役小角以降では。
736 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 17:49:53 ID:tr/7X8mT
わぉ〜わぉ〜
>>735 それは丹後→元伊勢→東海と移動した海部氏の渡来経路と時期にかかわりますね〜(^-^)/
737 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 17:52:00 ID:tr/7X8mT
LUNAMASK:2010/03/25(木) 12:51:12 ID:WNZduykI 承前 この稲作文化をもつ海神族というのが海部であり、久留米の方から、ニギハヤヒ、 ホアカリ等を奉じて丹後半島に上陸濃尾平野に入るというコースをとったんでしょう。
738 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 17:54:15 ID:tr/7X8mT
739 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 18:00:27 ID:tr/7X8mT
わぉ〜わぉ〜わぉ〜 そんでもって(^-^)/ LUNAMASK:2010/03/25(木) 13:03:10 ID:WNZduykI 承前 ハビリ-カリブ-ハルクィはアマルナ文書で別称サガスというが、サはクルド語、サクはイラン語で犬を意味する。 これはこの農耕犬族が、シンタシタ・アルカイム遺跡で見られ、日本の伊勢遺跡、大和姫巡幸、式年遷宮等で見られる 都市焼き払い神事を行っていたのではないかと考えてます。
740 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 18:25:55 ID:tr/7X8mT
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>738 海部氏は、稲作文化をもつ海神族の農耕犬族(彝族)であり
呉越稲作民(O2a/O3a)と一緒に渡来したということでつね!!
これ(海部氏)が日本の伊勢神道を勃興させた南方系稲作民天孫族の正体でつね!!
741 :
LUNAMASK :2010/06/16(水) 19:14:49 ID:iHu+wLE/
742 :
出土地不明 :2010/06/16(水) 20:02:22 ID:tr/7X8mT
743 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/16(水) 23:40:00 ID:S8irsMsv
744 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 08:35:35 ID:i+PBcjZL
745 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 08:38:36 ID:i+PBcjZL
746 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 08:41:21 ID:i+PBcjZL
>>739 このサガスと言うのがイラン系犬戎サカ族の祖先ではないでしょうか。
747 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 08:46:18 ID:i+PBcjZL
>>740 O2aはおそらく華南・呉から北上してきたものかと。
O2aはアフリカ・マダガスカル、インドに分布していますが、アマルナ王朝時の
サハラはDの兄弟分Eのバントゥーが拡大していた頃かと。
748 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 09:29:12 ID:jUbtAtZI
歌垣 >歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。 >現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシア >などでも類似の風習が見られる。古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』 >などによりうかがうことができる。 wikipediaより 中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布している!
749 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 10:14:19 ID:i+PBcjZL
750 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 10:17:38 ID:i+PBcjZL
中国新疆ウルムチ南西75kmにカンチャシメンチ浮き彫り岩絵があり、 これが抜けていた。
751 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 11:26:42 ID:MUx4J0gj
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>744-755 八咫烏すなわちアジスキタカヒコネ神(賀茂大御神)は火鳥(火の鳥)であり
インド・イラン(シュメール)系の神さまだお〜(^-^)/
三脚はギャロン族のポン教と同じカイラス山の三層構造をあらわしているんじゃね!?
>>744 まさか月光たんはこの「稲作文化をもつ海神族」すなわち海部氏が
扶余系の高句麗渡来だと思ってるわけではないでつよね??
752 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 11:32:08 ID:MUx4J0gj
753 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 11:46:58 ID:MUx4J0gj
754 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 13:11:47 ID:i+PBcjZL
>>751-753 弥生中期朝鮮半島青銅器文化は日本に流入を開始する。その最先端が三遠式
銅鐸。その文化を担った工人は極北人・オークネフ星神・妙見信仰をともなう
天香具山・海部パンテオンを持ち、大和天香具山・丹後籠神社を中心としていた。
これは出雲を中心とする投馬国に対して狗奴国と呼ばれるものであった。一方神武は
河内に勢力を伸ばしてきた投馬国を撃破、狗奴国の聖山、天香具山も奪い、熊野・
吉野において太陽神の化身、アイベクス・建角身、三足烏・八咫烏の山岳行進儀式の
デモンストレーションを行い、大和朝廷初代天皇の身分を天下に示した。アイベクス・
三足烏の思想は中央アジア・外バイカルの共通認識であり、高句麗もこれを共有して
いたものと考えられます。日本・朝鮮への稲作文化は華東から山東省岳石文化の時代
に遼東半島に入り南下するものです。これに付随する江南地方の風俗習慣も伝来し
ましたが、朝鮮半島、日本列島の金属文化時代と国家形成に伴い、中央アジア牧畜
文化圏の思想が組織管理上採用されるにいたったものと考えられます。
755 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 15:16:13 ID:MUx4J0gj
756 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 15:36:55 ID:i+PBcjZL
>>755 末房さんの図案研究から見て石寨山文化は基本的に日本に来ていないことが
はっきりします。しかし、石寨山文化圏の周辺にあったものが来ている可能性は
あります。朝鮮無文土器時代の有名な防牌形銅器がそれですが、日本には
来ていない。この頃の天下のすう勢は当時としては世界最先端の呉の鋳鉄
製造技術で、すでに、可鍛鋳鉄製造の段階に達する程度であったらしい。
これが燕経由朝鮮半島に流れるわけで、この呉の製鉄技術が伽耶・新羅
の中核産業だったんでしょう。卑弥呼の没後、垂仁の頃、天日槍が渡来しますが、
このおかげで近江を中心に製鉄関連技術が入ってきているようです。
757 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 15:50:27 ID:i+PBcjZL
758 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 15:52:25 ID:MUx4J0gj
759 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 16:06:14 ID:i+PBcjZL
760 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 16:12:06 ID:i+PBcjZL
古代の内モンゴルの人は太陽が天に昇れるのは鹿が押し上げるからだと考えた。 西モンゴルの人は山羊が太陽を押しあげるのだと考えた。そこから太陽は山羊だ、 鹿だ、いや、丸だということになった。おそらく印欧語のクル、日本語のクル共に ○と言う意味があり、これが太陽を表したのでしょう。ゲルマン、ケルト、ギリシャ 等のGRも同様。
761 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 16:19:14 ID:MUx4J0gj
762 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 16:34:02 ID:i+PBcjZL
でなく、彼が手に掲げているもの。
763 :
LUNAMASK :2010/06/17(木) 16:36:08 ID:i+PBcjZL
ちょっと外出します。ではまたあした。
764 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 16:43:02 ID:MUx4J0gj
わぉ〜わぉ〜
>>760 >太陽が天に昇れるのは鹿が押し上げるから
というのは、太陽が大地の一部と考える鹿トーテムの大地崇拝の考え方
太陽崇拝の鳥トーテム、犬トーテムは、太陽や火の使いで憑依すると考える
765 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 19:09:38 ID:QiOthADc
766 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 19:15:03 ID:8420QZgN
767 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 20:56:42 ID:MUx4J0gj
768 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 21:06:18 ID:rPOuG1r/
tes
769 :
出土地不明 :2010/06/17(木) 21:10:08 ID:op2n7ijg
>>740 >>357 を見ると、古代イ族の民族移動の一つに、2600年前の青海→四川→雲南の流れがある
新しい史料提示しないと、また馬牛氏からいびせえ雲南殺人祭りの話が出るおー
770 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/18(金) 00:19:29 ID:TPTSuSMe
771 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/18(金) 01:05:54 ID:TPTSuSMe
772 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/18(金) 01:38:08 ID:TPTSuSMe
今日は元来民族対立を云うつもりじゃった。キルギス南部の キルギスとウズベクの抗争で150人〜800人の犠牲者が出たそうな。 キルギスとウズベクは同じトルコ系語使用民族であるが、 ウズベクは、同言語のキルギスよりも、風俗、習慣を同じくする イラン系タジク族と婚姻関係も強い。 そうすると、言語による民族概念は崩れるけんのう。 遊牧的キルギスをオアシス系ウズベクが嫌うんを生活様式としても、 パミール高原遊牧民のイラン系タジク族は言語が違うが、 言語がトルコ語化したウズベク人にとっては、イラン系の方が 民族的に近い関族係云うことで、言語は民族の成立に関与する 要素は薄いと云えよう。モンゴル帝国時代は、トルコ系の モンゴル語化が起こったように。ここのスレの言語民族同一論に 可笑しな解釈をする連中に云うとこう。民族は言語集団と 一致せんよ。
773 :
LUNAMASK :2010/06/18(金) 09:49:27 ID:8pZJnL8g
774 :
LUNAMASK :2010/06/18(金) 10:12:50 ID:8pZJnL8g
>>767 茶臼山古墳といいうのは時代、場所的に崇神に近いが、玄室内壁が石板墓
に特徴的な板石の横積であり、支石墓系統とは全く違っています。また、崇神の
名前が豚奉りであり、ハツセ川には猪飼のヨナバリという地名もあり、どうも崇神
は石板墓文化に関係する感じがします。神武はどちらかと言えば箱式石棺墓系か。
775 :
LUNAMASK :2010/06/18(金) 10:22:21 ID:8pZJnL8g
>>773 建角身というのはタケ(山岳)+ツヌミ(有角神)と考えられる。
776 :
LUNAMASK :2010/06/18(金) 10:31:41 ID:8pZJnL8g
>>767 高鴨神社とオークネフ天文系・秩父神社のパンテオン構造が上天男性神、下天女性神
という点で一致しています。高鴨神社はおいそれと時代のすう勢に合わせてパンテオン
を変更することもできなかったが、アジスキタカヒコネと言うのはイランの竜神アジダハカと
スクナヒコナの合成でしょう。
777 :
LUNAMASK :2010/06/18(金) 10:41:26 ID:8pZJnL8g
778 :
出土地不明 :2010/06/18(金) 11:09:56 ID:rwOG+awP
779 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 00:03:38 ID:6vkUMwvj
わぉ〜わぉ〜、月光たん(^-^)/
>>774 茶臼山古墳に比定される崇神は石板墓文化で、少彦名系の支石墓系統とは全く違うのですね〜
>>776 逆に高鴨神社のアジスキタカヒコネはやっぱりインド・イラン系で少彦名と関係あるんでつね!!
780 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 00:08:51 ID:6vkUMwvj
わぉ〜わぉ〜わぉ〜 @少彦名・アマテラス(ホアカリ)系(天孫) 支石墓・前方後円墳・南方(西方)系・メソポタミア・カラスク・イ族・稲作民 太陽信仰・ゾロアスター(拝火)教・修験道・松明祭り・鳥・犬 邪馬台国・神武・葛城王朝・神功皇后・応神・継体王朝/白鳳・奈良=トゥヴァ・ハカス/月氏 雄略・天武・後醍醐・飛鳥文化 海部氏(鴨氏・橘氏)・蘇我氏・秦氏・吉備氏・紀氏 A素盞嗚(オオナムチ)系(地祇) 前方後方墳・四隅突出型・北方系・ブリアート・バイカル・高句麗・牧畜民 大地信仰・星辰信仰・鹿・猿 三輪王朝・崇神・天智・藤原氏(・物部氏)
781 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 00:22:05 ID:6vkUMwvj
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>777 アジスキタカヒコネは火龍が日本では火鳥・八咫烏になったんですね!!
那智の火祭りで、火龍が水龍(飛龍権現)を先導するというのは
とってもインド・イラン(ゾロアスター)的でつね〜(^-^)/
782 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 00:39:48 ID:6vkUMwvj
わぉ〜わぉ〜
>>769 たん
青海→四川→雲南は茶馬古道の、南方系天孫族の移動ルートですね〜
青海→四川→雲南→呉越→伽耶→日本列島と
古代イ族が海部氏・鴨氏となって日本に渡来し、伊勢神道や修験道を興したわけでつね!!
783 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 00:51:39 ID:6vkUMwvj
>>782 ただ
>>739 の月光たん説のように、どこかで農耕犬族が西進・南進しないと
インド・イラン(メソポタミア)化しないでつね〜
784 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/19(土) 01:31:27 ID:kKSakoWh
785 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 09:47:19 ID:hYrzt/GR
>>779 >>774 その通り。
>>779 >>776 名前だけはそうですね。
>>780 おおむねそうなんですが、時系列、空間的に相互作用していますね。
メソポタミアなんかはあまりにも漠然としすぎます。牧畜民も本来的に@ですね。
>>781 >>777 そうだったんですか。天が地の前を進む・・・劇的ですね。ゾロアスターよりももっと
歴史があるのでは。
>>782 朝鮮半島南西部と背振山系周辺に展開される支石墓・甕棺文化には華東・海岱の
影響が強いということで、その一部に彝族が入っていた可能性があるといいうこと
ですね。
>>783 青銅器時代の犬戎は鉄器時代にはほとんど騎馬民族化し、牧羊犬文化がが転じて
軍用犬となるのは夫与等特殊ケースであったのではと思われます。スキタイ・サカ族
はおそらく前身が犬戎でしょうね。
786 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 10:49:41 ID:hYrzt/GR
787 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 11:02:09 ID:hYrzt/GR
承前 アリストテレスはアレクサンダーの家庭教師で、アレクサンダーは月支国に来ていたの だから、月支国に近い秦氏がギリシャ情報を持っていても全くおかしくはない。
788 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 14:20:35 ID:hYrzt/GR
789 :
韓国人 :2010/06/19(土) 14:25:45 ID:pMZBOfi6
天皇陛下は朝鮮人。日本人の祖先はアイヌ民族。
790 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 14:36:34 ID:hYrzt/GR
>>788 秦氏以外に考えられることはプラトンに通じていたギリシャ系メーソン、石工、造園師が
渡来し、技術と共にこうした知識を伝えたということ。パルテノン宮殿のエンタシスも
伝わっている。
791 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 14:56:27 ID:hYrzt/GR
>>773 天孫 三足烏 アイベクスといったキーワードで神武の故郷をプロファイリングすると↓
「東胡系統のトーテムは不明だが、烏丸の名や烏丸・鮮卑の大人に烏氏(鮮卑の烏倫
は率衆王に封ぜられた)があったことからして、鳥トーテムに関係があったのではなか
ろうか。『魏書』蠕蠕伝に東胡の子孫と記される蠕蠕(柔然)に関して、その西移した一枝
が六世紀中葉にヨーロッパに侵入しドナウ河流域を中心に勢力圏を築いたアヴァール
族だったとみる説(内田吟風氏)がある。アヴァールはそののち九世紀末頃に、東方の
ウラル山脈中・南部方面からやって来たマジャール族に併わされてハンガリーとな
るが、この建国神話にも鳥が活躍する。マジャール族が族長アールパートに率いられて
南ロシアからハンガリーへ進入したとき、この軍が疲れ果てていたところ、鳥(鵄または
鷹の一種)が現れて勇気づけられ、その先導でハンガリーの地に到り建国を果たした
ので、この鳥は国家的民族的象徴となったという。これは、神武の八咫烏・金鵄の
伝承にもつながるが、紀伊の熊野大社には八咫烏神事(宝印神事)があり、熊野神の
使いとされた熊野烏の姿を印刷する熊野牛王神符を調製する。このように、王朝創業者
と鳥との密接な関連をもつ伝承は、蒙古諸族・トルコ諸族・ウラル諸族に分布していると
いわれる。アヴァールは烏丸の古音Awanに通じて、アヴァールと烏丸とは同名とみる説
もあり、これはおそらく妥当か。マジャールのほうも西戎・東夷系の種族であろう。
『後漢書』では、烏丸の男子は弓矢鞍等を作り、金鉄を鍛えて兵器を作ることができた
(烏丸伝)、鮮卑は良質の金や鉄を皆保有し、武器の鋭利さは匈奴を凌ぐ(鮮卑伝)、という記述があって、これらにも留意される。」宝賀寿男氏
に落ち着く
792 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 15:03:41 ID:hYrzt/GR
承前 ただ時代的に神武が故土を出るのは烏孫であったのではなかろうか。烏孫は コーカソイド説もあり、初代天皇がコーカソイドということにもなりかねないが。
793 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 15:13:55 ID:hYrzt/GR
>>791 音読みにすると烏丸は和邇、丸となる。和邇氏は天皇家との姻戚関係が強い。
794 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 17:30:20 ID:hYrzt/GR
795 :
LUNAMASK :2010/06/19(土) 17:57:59 ID:hYrzt/GR
796 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 23:22:02 ID:q9/gTnqw
797 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 23:32:05 ID:haILn9v+
日本民族源自中國,乃徐福東渡之後裔
798 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 23:33:10 ID:haILn9v+
日本民族=漢族
799 :
出土地不明 :2010/06/19(土) 23:33:56 ID:haILn9v+
大和民族=漢族
800 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/19(土) 23:55:44 ID:kKSakoWh
>>785-791 弥生期に直接チベット・ビルマ系の人たちが列島に移民した可能性は
低いでしょう。
ほいから、アバール柔然説は人気を得てますが、モンゴル帝国が西方遠征に
中央アジアのトルコ系が多かったよう、西洋を侵攻したアバールは、
西方トルコ系の割合が多かったと思います。
>>789 古墳期にゃあ、日本人朝鮮人も民族として成立しとらんよ。
天皇家は、渡来系の確率が強いとしても、朝鮮人にゃあならんよ。
朝鮮土着民も南ツングースに支配された構図は日本と変わらんわけじゃし。
天皇家一族は、不義密通不倫社会の貴族文化で父系家系は辿れんに
しても、明らかに、文化的に日本人じゃし、明らかに日本人じゃ。
アイヌ人は縄文人が先祖にしても、渡来系が主流を占める日本人の
直接祖先じゃのうて傍流なんよ。
801 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/20(日) 00:05:53 ID:l+RgGeXU
802 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 00:44:16 ID:06JbVmcZ
日本の弥生人は当然儒教以前(孔子が生まれるより前)で北方系との混血よりも古い時代に 長江流域から渡来している種族であるわけだな。 日本での江戸時代の儒学とかっていうのは、後世の文化的な影響でしかなく血統とは関係ない。 白馬青牛が繰り返し印象づけようとする日本人と朝鮮人の顕著な共通点は実のところ DNA的には日本人よりも少ないが朝鮮人もO2b系統が一定の割合を占めていることの一点だけになる。 それでこの朝鮮人の少数派DNAのO2bの方は日本の弥生人と違って、 北方系と混血した儒教バリバリの漢民族そのものが入ってきたものになる。 それでも一応O2bの血はある程度入っているはずなんだが、長江流域の中国人や 弥生人の影響が多めと言われる西日本の日本人とは皮膚の色以外はほとんど似ていない。 これは漢人として黄河系のO3(日本人のO3は越人系。)と一緒に楽浪郡などから入ったO2bは 完全な支配階級だったのでY染色体にのみ痕跡を残して、実際の血統的には 朝鮮人の基層のツングース人(C3、O3系統)の血が遥かに濃いと考えるのが自然ですね。
803 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 02:13:02 ID:HxNVVxbK
朝鮮人は漢民族に支配された歴史を無視する 朝鮮人 何度も漢民族に支配された 日本人 一度も漢民族に支配されなかった 長期間漢民族に支配され漢民族系が主流になったのが朝鮮人
804 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 08:35:31 ID:2S3RstVi
>>800 東胡系烏桓が烏孫を制圧し、その文化をもって日本に来たと言うこともあるわけで
神武がコーカソイド等と断定することはできないということですね。
805 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 09:14:30 ID:2S3RstVi
806 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 09:26:10 ID:2S3RstVi
>>794 モーセ、秦始皇帝、神武、雄略、天武等が山にのぼるのは大嘗祭と言うより政治力
のデモンストレーションの目的が強いのかもしれない。初代天皇にヒツギの儀式は
なかったはずで、こうしたデモンストレーションそれ自体が大嘗祭と言えるかもしれ
ないが。
807 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 09:37:10 ID:2S3RstVi
808 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 10:11:37 ID:2S3RstVi
809 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 11:06:31 ID:2S3RstVi
>>802 The peopling of Japan and Korea 日韓民族起源
(遺伝子学会の国際的認識だが、韓国についての説明は少ない)
要約
「狩猟採集民はC3アイヌ、樺太、カムチャトカ、日本にはC3の先祖であるC3* もいる。
C1は南方起源。縄文人は D 、アイヌにも見られる。Dはチベット、日本と言う風に離れ
て分布しているが、これは新しい時代の別のグループの拡大によって古い時代の
グループが離れ離れになったということ。前4000-前2000年から弥生時代、代表的な
のがO2b1。日本では弥生系が52%、40%となる。縄文系はこの先祖型O2b は韓国の方
が高率。O2aは稲作文化と共に韓国から日本に入る。Oは北海道にない。DはOの
いない北海道・沖縄にいる。」
http://www.genebase.com/tutorial/item.php?tuId=22
810 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 11:08:51 ID:2S3RstVi
訂正 縄文系はこの先祖型O2b →弥生系はこの先祖型O2b
あぼーん
812 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 12:22:16 ID:HxNVVxbK
>>802 >朝鮮人の基層のツングース人(C3、O3系統)
ツングースはC3系統
O3系統は漢民族
03
66% 漢民族(華北)
40% 朝鮮
38% 満州
23% ハルハ(モンゴル)
C3
91% オロチョン
84% ブリヤート
68% エヴェンキ
27% 満州
13% 朝鮮
5% 漢民族(華北)
崎谷満の分析によるY染色体のDNA型の比率
813 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 12:28:09 ID:HxNVVxbK
モンゴル人や満州族、朝鮮人に存在するO3系統は漢民族の移動によるもの
>>812 追加
03
66% 漢民族(華北)
40% 朝鮮
38% 満州
23% ハルハ(モンゴル)
2% ブリヤート
0% オロチョン
C3
91% オロチョン
84% ブリヤート
68% エヴェンキ
52% ハルハ(モンゴル)
27% 満州
13% 朝鮮
5% 漢民族(華北)
崎谷満の分析によるY染色体のDNA型の比率
814 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 12:33:47 ID:3dym3pI6
>>802 日本人は、漢民族成立前から存在してる民族でしょ。
夏や周は、漢族以前に成立してる、中原地域で最も正統な種族だというのは
誰もが認める事だと思うけど、
日本人は多分その人たちと親戚ですから。遺跡とかDNAでも証明されつつあるし、
言語的にもそうだと思います。
815 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 13:23:29 ID:FlwNieu2
朝鮮民族の弟 日本民族
816 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 13:37:57 ID:2S3RstVi
日本人の遺伝子の一部には朝鮮人に多い遺伝子が進化したものがあるが、 それは逆に朝鮮人には少ないということ。日本人は日本酒、朝鮮人はマツコリ 見たいなもの。九州人の焼酎は多少似ているがジンロとは違う。
817 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 13:40:33 ID:2S3RstVi
日本の方に価格競争力がないのかもしれないが、味となるとまた違うからね。
818 :
LUNAMASK :2010/06/20(日) 14:11:37 ID:2S3RstVi
>>781 アマテラスはDV的疑惑をもたれたパートナー・スサノオを左遷して太陽神になった
ような神であったものの、伊勢神社を祀る地域では女神はせせらぎの神で火の神
の下にあるものとされ、真夏の夜に会うといった慣習があり、これを統合することに
問題があった。
籠(香具)神社を本拠とする狗奴国と鏡による倭国統合を標榜する邪馬台国
卑弥呼はこの点で紛争の種を抱えたが、この問題は伊勢神宮と熊野、
瀬織津姫の問題として後、後まであとを引くことになった。・・・こんなことでしょうか。
819 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 20:19:34 ID:Dda13B3g
820 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 21:24:43 ID:LzPymz1P
中国人が日本人の起源であるという説は、 朝鮮と一緒にされるよりましという一点だけで、 盲目的に支持されているように思える。 択一的に極論を選ぶより、木馬石牛先生が、 盛んに唱える、北方民族渡来説というのも、なかなか良いじゃないか?
821 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 23:27:32 ID:iEhvrUmq
いやいや 日本には大きな移住が3度あると考えられる 出アフリカをしたグループが到達した4万年前 縄文系が到達した1万3千年前 弥生系が到達した2千500年ぐらい前 その他、少数の渡来は多数 だから日本人単一起源説は最初から話にならない
822 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/20(日) 23:46:09 ID:l+RgGeXU
>>802 渡来系弥生人が、長江からじゃの根拠が無い。日本人を江南に結びつける
思想は後世のあんたのような朱子学派じゃのう。
また、精度の低いY染色体の単一遺伝標識に還元か。つまらん。
http://www2.cc22.ne.jp/hiro_ko/9-0roots.html ここの、【試行私考 日本人解剖】第3章 ルーツ 座談会(3)遺伝子は語る
の、≪遺伝子の解釈≫で、海部「系統解析に用いているmtDNAやY染色体
DNAと、顔立を決める遺伝子は別だ。mtDNAやY染色体はあくまでも
ヒトゲノム(遺伝子セット)のごく一部で、系統解析に利用し易いから
使っているに過ぎず、これらから個人の遺伝的特徴が全部わかるわけでは
ない。」
このことをYカルト論者は無視するのう。尾本氏のように、「多数の
マーカーを使うことにサンプリングエラーの影響を除外できる。」
云う複合的な根拠が無いといけんよ。他に形質人類学の多面的サンプルも
考察し、更にスルメのサンプル収集だけじゃのうて、人骨に残らん眼や耳、
口の形状の生きたイカたる現代人の考察から多面的に判断するんが
学問じゃろうに。Yカルトは、その認識すら無い狂信者の集団よのう。
823 :
出土地不明 :2010/06/20(日) 23:54:32 ID:42fFlyYv
>>821 単一起源の民族なんてアフリカ以外にいないでしょw
824 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/21(月) 00:35:52 ID:YpRFKhlH
>>803 弥生期の倭人の邪馬台国も奴国も、漢に奴隷を献上した、漢の属州に
すぎんよ。漢民族と朝鮮民族は言語、習俗を異とする。新羅時代、
唐軍を撃退したおかげで独立を保った要因が大きいのう。
>>804 東胡系烏垣が西方の烏孫を制圧したこともありませんし、制圧したら西方へ
移住するでしょう。わざわざ方向転換して日本へ来る必要も無いし、
日本にコーカソイドなんかそもそもほとんどおらんのんですよ。
しかも神武は想像上の人物ですし。
>>812-813 >>822 でも指摘したよう、単一遺伝標識Yカルトの妄想。
>>814 漢民族の成立も周代の旧漢民族とするか、五胡の侵入国家形成時とするか
と意見が分かれるのう。日本や朝鮮は、統一国家、民族形成が7〜8世紀
と、西洋西北部の蛮族と一致するけど。中国北部やローマじゃの
古い帝国は、今の住民が古代帝国の子孫か云う疑問に答えられんじゃ
ろうに。古代中原の民族はアルタイ系文法を使うて無いけえ、
言語的に日本たぁ関連が薄いよ。
>>816 日本人と朝鮮人は、単一標識じゃのうて総合的に遺伝子からも同族と
云えるわけですけど、風土、文化、歴史的経験が異なるんですよ。
まあ、にごり酒を薄めたようなマッコリも、甲類焼酎のジンロも
わしの口にゃあ合いませんね。その点からは、東日本の東夷民族の酒の方が
(もちろん西日本大和民族からの影響ですが、)、口に合います。
酒を別とすれば、東日本の味が濃い食事より、韓国の食事の方が、
口に合うんですけど。食文化も微妙に違います。(東日本の連中が
海外へ出て、不味い云うとるが、東日本人は美味い物なんか
食うたことあるまあ。)云う優越感が西日本人にゃあ、強いですけぇ。
825 :
出土地不明 :2010/06/21(月) 00:36:56 ID:P4nxgTyX
大半の朝鮮人は父の父の父の・・・と遡った父系の先祖が漢民族(O3) 大半の中国人は父の父の父の・・・と遡った父系の先祖が漢民族(O3) 大半の日本人は父の父の父の・・・と遡った父系の先祖が縄文人(D2)
826 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/21(月) 00:39:03 ID:YpRFKhlH
>>821 日本に大きな移住なら、世界的民族移動期の古墳期しかあるまあに。
827 :
出土地不明 :2010/06/21(月) 00:54:03 ID:4yO7JGZ4
828 :
LUNAMASK :2010/06/21(月) 10:14:37 ID:4MeLYCrM
829 :
LUNAMASK :2010/06/21(月) 10:22:49 ID:4MeLYCrM
>>816 >酒を別とすれば、東日本の味が濃い食事より、韓国の食事の方が、
>口に合うんですけど。
そりゃ東日本が保存食依存だからですよ。
>(東日本の連中が海外へ出て、不味い云うとるが、東日本人は美味い物なんか
>食うたことあるまあ。)云う優越感が西日本人にゃあ、強いですけぇ。
そりゃグルメの広島人は特にそうですね。
830 :
LUNAMASK :2010/06/21(月) 12:00:38 ID:4MeLYCrM
>>828 D181年(辛酉)を卑弥呼1世共立、神武元年とし、下記纒向1期を約30年とすると
纒向1期
1.神武天皇 - 神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)
2.綏靖天皇 - 神渟名川耳天皇(かむぬなかわみみのすめらみこと)
3.安寧天皇 - 磯城津彦玉手看天皇(しきつひこたまてみのすめらみこと)
4.懿徳天皇 - 大日本彦耜友天皇(おおやまとひこすきとものすめらみこと)
纒向2期
5.孝昭天皇 - 観松彦香殖稲天皇(みまつひこかえしねのすめらみこと)
6.孝安天皇 - 日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
纒向3期
7.孝霊天皇 - 大日本根子彦太瓊天皇(おおやまとねこひこふとにのすめらみこと)
8.孝元天皇 - 大日本根子彦国牽天皇(おおやまとねこひこくにくるのすめらみこと)
9.開化天皇 - 稚日本根子彦大日日天皇(わかやまとねこひこおおびびのすめらみこと)
10.崇神天皇 - 御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらのみこと)
これは、記紀と倭人伝を統合したもので、
----------------------------------------------------
崇神天皇10年(正始八年(247年))9月、大彦命を北陸道に、武渟川別を東海道に、
吉備津彦を西道に、丹波道主命を丹波(山陰道)に将軍として遣わし、従わないものを
討伐させた(四道将軍)。しかし、大彦命だけは異変を察知して和珥坂(わにのさか、
奈良県天理市)から引き返し、倭迹迹日百襲姫命の予言から武埴安彦(たけはにやす
びこ、孝元天皇の皇子)の叛意を知ることとなる。武埴安彦は山背から、その妻吾田媛
は大坂からともに都を襲撃しようとしたが、天皇は五十狭芹彦命(吉備津彦命)の軍を
遣わして吾田媛勢を迎え討ち、一方の安彦勢には、大彦命と彦国葺(ひこくにぶく、
和珥氏の祖)を差し向かわせ、これを打ち破った。10月、畿内は平穏となり、四道将軍
が再び出発。
-----------------------------------
倭人伝
正始八年(247年) - 倭は載斯、烏越らを帯方郡に派遣、援を請う。難升米に詔書、
黄旗を授与。
正始八年(247年)、またはその直後
卑弥呼が死に、墓が作られた。(『梁書』では正始年間(240年 - 249年)に卑弥呼死亡)
男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。
卑弥呼の宗女「壹與」を十三歳で王に立てると国中が遂に鎮定した。
女王位についた壹與は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に
向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。
--------------------------------
これらを同時期とする。
831 :
LUNAMASK :2010/06/21(月) 14:10:28 ID:4MeLYCrM
>>821 日本には大きな移住が3度あると考えられる
出アフリカをしたグループが到達した4万年前
縄文系が到達した1万3千年前
弥生系が到達した2千500年ぐらい前
その他、少数の渡来は多数
-----------------------------------------
この通り。
832 :
出土地不明 :2010/06/21(月) 14:22:10 ID:Sete5uRT
C3
833 :
出土地不明 :2010/06/21(月) 18:42:40 ID:P4nxgTyX
>>831 D2 出アフリカをしたグループが到達した4万年前
C3 2万年前
C1 1万年前
O2 3000年〜2500年ぐらい前
O3 2200年〜1500年ぐらい前
その他、少数の渡来は多数
834 :
出土地不明 :2010/06/21(月) 19:47:00 ID:RVotpqgZ
>>833 単一ハプログループなんてどこの「アフリカ土人族」だよw
バッカじゃねーのww
途中でマジェマジェしてアジアに来ているはずだよwww
835 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/21(月) 22:59:33 ID:YpRFKhlH
>>828-829 及び
>>830-831 AD181年に、日本に国家なんかありませんし、日本の記紀なんか
三国史記と同様の捏造妄想ですよ。
東日本云うか、日本海側に多い保存食も食加工の一つの文化です
からね。東日本人が主張する広島人が美味しい云うもんは、
素材に恵まれ、食文化のそのものではない。原始人でも出来る
ことで味付けの加工段階こそ文化じゃ云う見方もあるわけです。
加工すれば、するほど素材の味が原型から外れるんですけどね。(笑)
弥生期は、世界的民族移動期じゃないですし、渡来者は少なかった
でしょう。やっぱし、世界的民族移動期の古墳期になるわけです。
836 :
出土地不明 :2010/06/21(月) 23:55:01 ID:MWqvHRfF
837 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 00:02:16 ID:nJvpbPkL
もういいよ、同じことばかり…。 なぜ自分の想像が他人に受け入れられないか自省してみなよ。
838 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 10:09:22 ID:Y5yYGrmu
>>835 >AD181年に、日本に国家なんかありませんし、日本の記紀なんか
>三国史記と同様の捏造妄想ですよ。
「元々は男子を王として70 - 80年を経たが、倭国全体で長期間にわたる騒乱が起こった(いわゆる「倭国大乱」と考えられている)。そこで、卑弥呼と言う一人の少女を女王に共立することによってようやく混乱を鎮めた。」←これは捏造妄想じゃないですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D >弥生期は、世界的民族移動期じゃないですし、渡来者は少なかった
>でしょう。やっぱし、世界的民族移動期の古墳期になるわけです。
中国サイトは下記ロシア沿海州の研究を引用しています。
海洋適応と農業適応によるポピュレーション間相互作用。
沿海州及び近隣地域ポピュレーション文化発展転換点と考えられる以下の4時期を
検討した。
1. - 5400-5200 BP;
2. - 4700-4300 BP;
3. - 3600-3300 BP;
4. - 2500-2200 BP.
これら時期は気候寒冷化、海面低下と関係し、新形態文化の台頭と適応に符合する。
これら期間間の古地理学的事象は類似している。
第一と第四期は沿海州への農業浸透の2つの段階である。
こうしたデータにより以下のような臨海地域への農業拡大モデルを描くことができる
●農業は、臨海地域の人口減少をもたらす若干の環境ストレスの結果として、新しく
臨海地域に拡大した。
●開放地域への農業拡大は急速であり、波状的であった。
●農業の台頭は新しい文化集団の出現と関係している。VOSTRETSOV, Yuri (Russia).
http://www.kaogu.cn/en/detail.asp?ProductID=1668
839 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 10:18:39 ID:Y5yYGrmu
承前 私の仮説なんですが↓ 3. - 3600-3300 BP; O2bは満州から外バイカルに入りグラスコフ文化を形成。 4. - 2500-2200 BP. 外バイカルにおいて石板墓文化に入っていたO2bは 吉林省→朝鮮半島日本海沿岸経由、日本列島東シナ海、 日本海沿岸に拡大する。
840 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 10:26:38 ID:iSvq84uN
841 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 10:30:44 ID:iSvq84uN
842 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 11:04:31 ID:Y5yYGrmu
>>840-841 四川・雲南型は日本ではマイノリティーであり、文化的影響はほとんどなかった
んじゃないでしょうか。東冶会稽と似た刺青をして水に潜るもの多しとされますが。
縄文人であったのかも。
|---------------------|-----{----------------|
|O2b-SRY | 7.7% | 満蒙 |
|-------------------------|-----------------|
|Ob21-47z | 22.0%| 日韓 |
|-------------------------------------------|
|O3a3c-M134 | 10.4%| 中原 |
|-------------------------------------------|
|O3-M122* | 6.6% | 東アジア・大洋州 |
|-------------------------------------------|
|O2a-M95* | 1.9% | 四川・雲南多い |
------------------------------------------
843 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 11:14:50 ID:Y5yYGrmu
844 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 11:25:38 ID:Y5yYGrmu
承前 スサノオはモンゴルではヤーマとされる牛頭天王、閻魔、鴨神話はウラル、これらも アルタイから来るもの。
845 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 11:32:15 ID:iSvq84uN
わぉ〜わぉ〜、月光たん!!
>>842 日本文化の真髄である太陽信仰・伊勢神道を籠(香具)神社にもたらした海部氏は
マイノリティーではないんじゃね!?
846 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 11:36:21 ID:iSvq84uN
わぉ〜わぉ〜わぉ〜 この中国の古代建築物の専門家、楊鴻[員力](ヤン・ホンシュン)教授の言葉は 相当重たいでつね!! >この建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べた。 >この建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べた。 >この建物を「古蜀大社」と名付け、日本の神社の原型だと述べた。
847 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 11:46:44 ID:iSvq84uN
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>843 ちなみに熊野神社のケツミコ(家津御子大神)の「ケ」は穀霊を表し
定説では農業神で、牧畜の神ではないでつよ!!
848 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 12:04:04 ID:DOhE0J8z
>>842 けっこう秦嶺山脈のあたりは西戎侵入が早いのと違いますかねー
O2a-M95&O2a1-M88は百濮族であって西戎族ちゃいますよ
河南・安徽・江蘇
(旧漢民族) O3-M122 − A1
陝西・山西・山東
(西戎侵入) O3a3c-M134, K-M9(N1-LLY22g) − D4
貴州
(楚人侵入) O3a3b-M7/O3a3-LINE1, O3-M122 − A1
(農奴化) O1a-M119(越), O2a1-M88(濮) − B4(越), M7b(濮)
四川・雲南
(西戎侵入) O3a3c-M134, D1-M15, K-M9(N1-LLY22g,NO-M214) − A1, D4
(農奴化) O2a1-M88(濮) − M7b(濮)
青海
O3a3c-M134, D3a-P47 − A1, D4
西蔵
(青海より侵入) O3a3c1-M117, D3a-P47 − D4
(四川より侵入) O3a3c-M134, D1-M15, K-M9(N1-LLY22g) − A1, D4
(農奴化)? − M9
>>846 それ,西戎族がとりいれたスキタイ文明と違いますか〜? 金属の神像とかさー
849 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 12:09:45 ID:Y5yYGrmu
850 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 12:18:17 ID:Y5yYGrmu
>>.848 殷の母体となったのは龍山文化でしょうが、殷はある程度遊牧文化の影響を うけた様ですね。これに反して三星堆は全く独自の文化を持っていた。 殷にしても、三星堆にしても青銅器文化は彼らの文明における素材の変遷 に過ぎなかったようなところがありますね。
851 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 13:07:35 ID:iSvq84uN
わぉ〜わぉ〜
>>848 ドレミたん??
>西戎族がとりいれたスキタイ文明
三星堆・金沙文明は西戎族がとりいれたスキタイ文明なんですね〜
これが
>>782-783 のインド・イラン(メソポタミア)化の正体でつね!!
852 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 14:17:58 ID:iSvq84uN
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>846 「古蜀大社」すなわち「古代イ族の大社」でつね!!!
853 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 15:46:16 ID:Y5yYGrmu
>>848 これに合わせて日本のも整理すると↓
-------------------------------------------------------------
|N1c1-M178 | 0.4%| 突厥(外バイカル) |
|-------------------------------------------------------------|
|C3-217* | 1.9%| 匈奴(外バイカル) |
|-------------------------------------------------------------|
|C3c-M86 | 1.2%| 東胡(外バイカル) |
|-------------------------------------------------------------|
|Q-P36 | 0.4%| 羯族 (アルタイ) |
|-------------------------------------------------------------|
|R-M207 | 0.4%| 月氏(アルタイ) |
|-------------------------------------------------------------|
|I-P19 | 0.4%| スキタイ(アルタイ) |
|-------------------------------------------------------------|
|O2b-SRY | 7.7% | 満蒙(外バイカル) |
|-------------------------------------------------------------|
|Ob21-47z | 22.0%| 日韓(朝鮮半島) |
|-------------------------------------------------------------|
|O3a3c-M134 | 10.4%| 西戎(斉) |
|-------------------------------------------------------------|
|O3a3-LINE1 | 3.1%| 楚人(斉) |
|-------------------------------------------------------------|
|O3-M122* | 6.6%| 旧漢民族(燕) |
|-------------------------------------------------------------|
|O2a-M95* | 1.9%| 濮(斉) |
|-------------------------------------------------------------|
|NO-M214* | 2.3%| 西戎(斉) |
|-------------------------------------------------------------|
|N1-LLY22g* | 1.2%| 西戎(斉) |
|-------------------------------------------------------------|
854 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 15:54:31 ID:Y5yYGrmu
>>852 >>853 の西戎の持っていた技術が蜀の方向と斉の方向に分列行進した
可能性がありますね。と同時に松明祭りの風習も伝わった。
855 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 16:02:14 ID:iSvq84uN
わぉ〜わぉ〜、月光たん(^-^)/
>>853 西戎すなわち古代イ族が主体となった燕・斉経由の海部氏・秦氏は
25.5%の大勢力と言えますね!!
856 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 16:12:03 ID:Y5yYGrmu
>>855 オール天孫ですね。しかし、塞外オール地祇には及ばない。オール天孫ってなんだか
自民党見たいですね。
857 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 16:17:36 ID:iSvq84uN
>>856 オール天孫にはアルタイ系QRIも加わりますよね〜(^-^)/
これは極右政党かしらん
858 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 16:20:30 ID:Y5yYGrmu
しかし、海部っていうのは銅鐸と言う線では地祇族、天孫党を脱党したやつらかな。 そういえば海部さんってどっちだったんだろう。
859 :
LUNAMASK :2010/06/22(火) 16:23:54 ID:Y5yYGrmu
860 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 16:24:52 ID:iSvq84uN
わぉ〜わぉ〜
>>858 愛知・海部さんはやっぱり自民党、新進党を脱党してるお〜
861 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 16:46:36 ID:iSvq84uN
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>854 ところで古代イ族はもともとアルタイのオクネフ(四方)密教をもって
南下したんじゃね!?
そしてどこでスキタイ天孫太陽信仰を吸収し、カイラス三貴神(天地人)構造を
確立したかが問題でつね!!
それが古蜀の地で巴族の合流によるものなら、三星堆・金沙・呉越経由で
古代イ族すなわち海部氏が日本に渡来しているんじゃね!?
862 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 18:34:40 ID:wMo6g5rF
>>853 >>848 >>813 でいう華北
>>27 の河北・内蒙古は
古漢族と同じ (Y-hap)O3-M122 − (mt-Hap)A1が多いんだぜ。
チベット羌系の (Y-hap)O3a3c-M134 − (mt-Hap) D4ではなく
アルタイ系のO3は、O3-M122で(mt-Hap)A1以外にもA4とかA5とかも入ってくる。
河北・内蒙古のほかでも満州やハルハモンゴルもO3-M122。
モンゴルや南のツングースは、単一ハプロの土人民族なんかじゃねーよ。
ハプロタイプでは、南ツングースと旧漢族の見分けなんかつかないんだわな。
こういうの
>>543 >>357 の中身読んでみるとものすごく分類が細かいにゃー。
古墳期の4〜5世紀時点で匈奴=C3・ツングース=C3cみたいな
土人ハプロ構造ではなくなってるんじゃないの?
山戎とかが燕人に追われて匈奴になったり宇文鮮卑になったりなりすましに忙しい。
米中の研究の凄いところは、チベット羌系が百濮系を拘束してアパルトヘイト政策を
やったとか・・・血なまぐさいのがタブーじゃないじゃん。
雲南殺人祭り ド━━━(゜ロ゜;)━━ン!!
追放・農奴化・餓死・虐殺オンパレードだぜ。
嶋谷みたいにお花畑仮説でごまかしたりしてないよ。
>>856 アルタイ系のがきっといる。O3-M122で相方がA系のがきっといる。
段鮮卑とか募容鮮卑か何かで日本にも入ってきているよ。
863 :
出土地不明 :2010/06/22(火) 20:43:47 ID:druM3+1r
>>840 >三星堆文明は殷に滅ぼされずに
『周書』に出てくるから滅んでませんが? 4月頃に周武王の話で出てたような記憶あり。
そこで、自分は『周書』の引用してたです。
そのころの蜀族ってどの辺に住んでたか『周書』には書いてないですが。
865 :
862 :2010/06/23(水) 00:18:13 ID:WRzwI08E
>>81 >>485 朝鮮半島南半分のデータは粗い。
K*-M9 ・・・ N1-LLY22g, NO-M214, N1c1-M178
O*-M175 ・・・ O1a-M119,
O3-M122, O3a3b-M7=O3a3-LINE1, O3a3c-M134, O3a3c1-M117
O2a ・・・ O2a-M95, O2a1-M88, O2a1a-PK4
鮮卑?匈奴?旧漢民族?東胡?西戎?濮?越?蒙古?室韋? おいおいw
O2b ・・・ O2b-SRY465
O2b1 ・・・ O2b1-47z
C-M130 ・・・ C1-M8, C3-217, C3c-M86
鮮卑?匈奴?東胡?蒙古?室韋? おいおいw
やはり、ヨーロッパ土人とは違って、アジアは複雑なので文化も高いのだろう。
江南誘致、三国史記妄想、記紀妄想なんでもあり!
866 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 00:53:52 ID:EzUnXLvz
数字と記号に麻痺させられたアタマにはナショナリズムが心地よく響く らしい。けれども、そういうダンスはアタマの中だけにしといたほうがいい。 現実にはうまく踊れやしない
867 :
LUNAMASK :2010/06/23(水) 08:54:38 ID:+Ph4PPSL
>>861 ウワー、そいつは現地でも頭が及ばない問題。しかし、オークネフ文化と
オーラのような太陽神岩絵を残すカラコル文化との間には何らかの関係が
ありそうな気もする。古代イ族は馬と関係しないのかなー。蜀に入るのと
斉・朝鮮に入るのとは違うのでは。神社建設と高氏と関係するのでは。
868 :
LUNAMASK :2010/06/23(水) 10:16:17 ID:+Ph4PPSL
>>862 O3-M122、これが無文、遠賀川土器に先行する突帯文土器文化を持った農作民と言う
可能性がある。朝鮮突帯文土器と同時期にカザフスタンで強力な突帯文土器文化が
起こる。
>>533 モンゴル青銅・鉄器第二クラスタをこれとしてみよう。モンゴル青銅・
鉄器第一クラスタをO2bとする。
>>838 Vostretsov沿海州モデル第3期と第4期の中間に、半島、列島突帯文土器時代
直前に移住が行われたと想定したい。
869 :
LUNAMASK :2010/06/23(水) 10:33:31 ID:+Ph4PPSL
>>867 >>861 斉・朝鮮・日本に入るのは二里岡併行朱開溝文化で犬の骨が増加する時点を
経過しているのではないでしょうか。その後太公望と共に斉に入るのか。
870 :
LUNAMASK :2010/06/23(水) 15:10:55 ID:+Ph4PPSL
>>868 >>533 一般的にモンゴリアの先史時代は西モンゴルはコーカソイド、
中央・東モンゴルはモンゴロイドだが、青銅器時代の西モンゴルはモンゴロイド
であり、これ青銅器時代初期に東モンゴルから西モンゴルにモンゴロイドが移動し
、コーカソイド・モンゴロイドの混合が行われたということ。新石器、青銅器、
鉄器時代のモンゴリア、北東アジア民族比較研究の結果、モンゴリアは2つ
のクラスタに分かれる。
第一クラスタ 東・中央モンゴリア
第二クラスタ 西モンゴリア
新石器時代のアジアは二大クラスタに分かれる。
新石器アジア
1a バイカル、東シベリア、アムール河 日本列島
1b 西モンゴル アルタイ
新石器アジア
2a 中国大陸 朝鮮半島
2b 東モンゴル 沿海州
青銅器・早期鉄器時代の満州を除くアジアは五大クラスタに分かれる。
第一クラスタ 西モンゴル、アルタイ山地、南シベリア、朝鮮半島、日本列島
(第一クラスタは3つのサブクラスタに分かれる。)
第二クラスタは内モンゴル、中央中国、北西中国
第三クラスタ アルタイ(アファナシエヴォ文化)、カザフスタン北部(烏孫文化)、
南シベリア(ミヌシンスク文化)
第四クラスタ 東モンゴル石板墓文化、中央トゥヴァ・カラスク文化
第五クラスタ 内バイカル(石板墓)、ミヌシンスク(オクネフ文化)、西モンゴル
(副葬品欠如墳墓文化)
北東アジア青銅器文化時代のクラスタ・サブクラスタ分類により、この時期に
大きなコーカソイド・モンゴロイドの混合が存在したことが分かる。
871 :
LUNAMASK :2010/06/23(水) 15:16:26 ID:+Ph4PPSL
承前 青銅器・早期鉄器時代の満州を除くアジアは五大クラスタに分かれる。 第四クラスタ 東モンゴル石板墓文化、中央トゥヴァ・カラスク文化 これは前方後方墳として、 第五クラスタ 内バイカル(石板墓)、ミヌシンスク(オクネフ文化)、西モンゴル (副葬品欠如墳墓文化) これは四隅突出型墳丘墓として文化が渡来しているが、担架者としては 第四がC3c、第五がC3とでもすべきか
872 :
LUNAMASK :2010/06/23(水) 16:56:41 ID:+Ph4PPSL
>>867 「黄帝の時代、黄帝の家臣の高元が家屋建築を考案したとされ、高辛氏帝?や高陽氏
の後裔も高姓を名乗ったという。ただし、四千年前の伝承なので確証はない。中国の
学会では高夷を高句麗の祖とする。」
「高夷氏は山東省に登場する最古の部族で、大地に鵠(おおはくちょう)のトーテムを
祀り、東夷族の中原進入に従って、商時代には河南省北部に進入していった。やがて
中原から東北地方に移住した高夷氏は、後に高句麗と名乗った。」
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kozoku/kozoku1-koui.htm 日本には「高麗神社羊門」もあり。
この高夷がアルタイ・クマンディン族の祖先で、熊野神社系の神社を建設したんじゃ
ないでしょうか。
873 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 19:09:23 ID:bIn4ZJ+Z
二里頭文化圏(夏王朝?)は竜神信仰なのに対して殷は鳥信仰。夏人は農耕定住民だが 殷人と周人は遊牧民(後に定住)
874 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 20:10:40 ID:EWMvxQrQ
875 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 20:51:10 ID:G1o5JoL0
C3は東北、沖縄に皆無
876 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 21:40:06 ID:EWMvxQrQ
877 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 21:42:36 ID:EWMvxQrQ
878 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 22:23:50 ID:o1R/7543
戦前は高句麗はツングース系と言われていたが現在は違う 高句麗は高床式倉庫を作ったり南方系の要素が強い
879 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/23(水) 22:44:25 ID:pnvnOhmv
>>838 実際に歴史的に世界的民族移動期から外れる時代に多くの人間が渡来しと
らんでしょう。しかも中国の黄巾の乱と同時期の列島は、人口減少の
可能性の方が高いでしょうに。(笑)しかも邪馬台国、奴国にしろ、
列島倭国なんか、漢の直属奴隷地域ですよ。
>>876-877 卵生神話は、南ツングース満州族、中国華北に分布しとるんに
南方誘致しても意味が無いよ。
>>878 文化的にも高句麗は南ツングースなんよ。高床式なんかシベリアにも
あるわけじゃし、南方誘致する必要も無いね。
880 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 22:52:55 ID:o1R/7543
>>877 『山海経』の海内西経、めちゃくちゃ古い時代です。
高夷ってその後の『魏史』や『晋書』だと楽浪郡・玄菟郡で、後の高句麗ですか・・・
粛慎も發も『晋書』にも出てきますね。
けっこう山海経に登場する民族グループはその後も神出鬼没。
>>443 なんかの根拠もそれ。
Ovoo(Обо, 鄂博)=石積ピラミッドが内蒙古や青海省にもあり、
中原の河南省を通らない東西のバイパスがあったんでしょうか? オルドス経由か大同経由の経路がバイパスに相当。
>>878 一つは、シロコゴロフの北上説で以前から存在。LUNAさんが鄂族がそれだと3月に仮説立て。
もう一つちらっと思いつくのが、
>>867 の秦嶺ジャンクションから非呉越系のが南方系が逆流。
今のところは、説得力が低いけど今後に期待かな?
882 :
出土地不明 :2010/06/23(水) 23:39:05 ID:8x9PWncR
>>838 漢の倭国王金印、少なくとも、2世紀には列島には国家があった。
これも、否定するの?
883 :
882 :2010/06/23(水) 23:43:24 ID:8x9PWncR
884 :
出土地不明 :2010/06/24(木) 00:25:27 ID:YKmwPODs
>>882 分かれて百余国。奴国とか漢書に載ってますね。
885 :
出土地不明 :2010/06/24(木) 00:43:21 ID:yTjarXwy
>>878 高句麗のは日本のよりかなり新しいけどな
886 :
出土地不明 :2010/06/24(木) 00:44:45 ID:qj/9oqDn
> 列島倭国なんか、漢の直属奴隷地域ですよ。 楽浪郡などの朝鮮半島の北西部のことですね。 白馬青牛は朝鮮半島の歴史的事実はできるだけ日本に投影、 日本列島の歴史的事実は、「そんなもん朝鮮半島にも云々」で朝鮮に投影。 これの合わせ技で両者を近く見せる虚偽の印象操作を図る。本当に卑怯な奴だ。 皮肉なことに朝鮮半島この日本から最も離れた地域(平壌・黄海道地域)のみ やや(稀にだが)日本人に良く似た容貌・形質の人が見つかるようである。 O2bの父系遺伝子は、この地域から支配階級の古代漢人の影響で広がった。 長江系の種族の北上した一部が影響し、支配層のマーカーが顕著に現れる父系DNAのみで 弥生系と同系のO2b遺伝子が一定の比率で残ったに過ぎないのだが。 実際に典型的過短頭地域の朝鮮半島で、唯一例外的に中頭に近いのが 古代中国人の影響を強く受けた楽浪郡のあった平壌・黄海道地域に限定される。 白馬の妄想通り古代漢人が半島を経由して日本を支配したのであれば、 このような「形質」の分布にはならない。 王仁博士は確かに楽浪郡から日本に移住した古代漢人かもしれないが・・・。
887 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/24(木) 01:11:09 ID:AZwxmphk
>>882 倭国の金印にゃあ、「漢」の字が最初にきとる。
つまり、漢直属の隷属地域であって、漢の奴隷殖民地たる所以じゃ。
雲南のスキタイ文化のテン国は、「漢」の字の無い独立国とも
云えるけどね。まあ、軟弱列島倭人に軍事力なんぞ無いよ。
888 :
出土地不明 :2010/06/24(木) 01:14:43 ID:+dw1xdNx
高句麗の神話は華南のものと通じると三品彰英氏が指摘しているね。 魏志東夷伝によれば、3世紀に満洲から半島にかけて、6種族いたとあり 「夫余、高句麗、沃沮、穢」の4種族は似た言葉を話していたが、 「邑婁」はそれらと異なる言語だったとあり、 「辰韓、弁韓」は中国語の一種を話していたとある。 「邑婁」はツングース(後の女真族やオロチョン族)なので、 「夫余、高句麗、沃沮、穢」の言語はツングース語ではないことになる。
889 :
白馬青牛 ◆8mr41B7alChB :2010/06/24(木) 01:20:55 ID:AZwxmphk
>>886 その楽浪を通じてしか、漢へ行けん列島倭国なんか奴隷中の奴隷
よのう。また精度の低い単一遺伝標識に還元するしか手段が
無いたぁ、つまらんのう。実際は平安道、咸鏡道は女真族との
混血が強く、漢人との関わりが深いよ。短頭と中頭の時代で変わる
形質の一現象に還元すなや。わしゃあ、古代の漢人が弥生期は
兎も角、古墳期に日本を支配したじゃの一言も云うとらんど。
王仁氏は、河内の騎馬文化から胡漢文化の北方胡族との関わりが
強いじゃろうに。
890 :
886 :2010/06/24(木) 02:52:02 ID:qj/9oqDn
>>889 だから「黄海道・平壌地域」(ここらはO2b系が主導権をとった王朝の可能性が高い漢の植民地だった穀倉地帯)と書いて、
ツングース系の血が濃い満州に隣接した山岳地帯の「平安北道、咸鏡道」とは書いていない。
そして日本のO2bの「血統」はもっと早い弥生時代に、水田栽培技術とともに江蘇あたりから渡来した種族。
後世に文化的な交流路として中国が支配した楽浪郡と、日本が支配した任那の間で交流があったのは別の話。
王仁博士のような極少数はこの時代に帰化したかもしれないが。
891 :
出土地不明 :2010/06/24(木) 03:55:14 ID:OFtn2A9w
漢王朝なんて、匈奴か楚人のどちらかと同祖だろw 秦王朝は、西戎。 唐王朝は、鮮卑。 >水田栽培技術とともに江蘇あたり 趙氏宋朝か何かと勘違いしてねーか??? 地図も時計も読めないのかよwwwwww
892 :
出土地不明 :2010/06/24(木) 04:08:14 ID:zSDCcFBU
白馬青牛って人、相変わらず、倭が植民地だとか妄想してるけど、 さすがに朝鮮からだけ文化が伝わってきたという論調から、 漢が関係あるという所まで、認めざるを得なくなってきた感じで、 少しは進歩してるんじゃないの?
893 :
LUNAMASK :2010/06/24(木) 08:46:02 ID:FHbv/QvZ
>>872 >神武を先導←賀茂氏が神武封禅を按配したということでは。
>瀬織津姫 インドのサラスヴァーティー等になった中央アジア起源の川の女神。
>>876-877 高夷=高彝でないでしょうか
894 :
LUNAMASK :2010/06/24(木) 08:48:09 ID:FHbv/QvZ
>>879 漢のプレゼンスは委奴国金印と奴国・伊都国の漢鏡程度ですよ。
公孫を見て下さいよ。漢のガバナンスなんてないですよ。
895 :
LUNAMASK :2010/06/24(木) 08:49:18 ID:FHbv/QvZ
>>877 >Ovoo(Обо, 鄂博)=石積ピラミッド もろに、ヒクソス起源でしょうね。
>バイパス オルドスの西、黄河が北上する流域から秦嶺にかけてでしょうね。
896 :
LUNAMASK :2010/06/24(木) 09:07:11 ID:FHbv/QvZ
>>861 わぉ〜さん(倭王賛・・・にしますか?)
-------------------------------------------
わぉ〜わぉ〜わぉ〜
>>854 >ところで古代イ族はもともとアルタイのオクネフ(四方)密教をもって
>南下したんじゃね!?
------------------------------
私はアルタイのオクネフ(四方)密教を持った集団が南下してトルクメニスタン・ゴヌル・
デペ遺跡を作ったと見ています。
------------------------------
>そしてどこでスキタイ天孫太陽信仰を吸収し、カイラス三貴神(天地人)構造を
>確立したかが問題でつね!!
------------------------
オクネフ集団の一派はカラコルムからインダスに降りているようです。これがカイラス
に入った可能性はあります。
--------------------------------
>それが古蜀の地で巴族の合流によるものなら、三星堆・金沙・呉越経由で
>古代イ族すなわち海部氏が日本に渡来しているんじゃね!?
----------------------------------
海部氏の地元豊川稲荷はエジプトのアヌピスを狛犬にしています。アマルナ王朝の
犬戎に間違いないでしょう。中央アジアに残る黒犬ダビデ集団伝説から考えて黒彝族
であったものと見られます。
897 :
LUNAMASK :2010/06/24(木) 09:48:32 ID:FHbv/QvZ
>>896 シベリアで熱帯形質人骨発見の報もありますが、ごく少量でオークネフ文化人は
北方針葉樹林帯と関係しているようなんでうまくつながるのかどうか。
898 :
LUNAMASK :2010/06/24(木) 10:21:44 ID:FHbv/QvZ
899 :
LUNAMASK :
2010/06/24(木) 10:27:49 ID:FHbv/QvZ 承前 玉垂宮鬼夜で若衆が火の神の人身御供となるシーンが演じられるが、これは 銅鐸破壊儀式と同様再生復活の神事と見られる。これも彝族。