1 :
出土地不明:
扶余族について知りたい。どこから来たのか。どこに行ったのか。どんな言葉を喋ったのか。
我々の本当のルーツが知りたい。
2 :
出土地不明:2007/08/10(金) 13:49:09 ID:i6vCA21s
扶余(ふよ、プヨ、〔朝:buyeo〕、扶余〔中:fu'yu'〕)は、中国三国時代に満州に住んでいた民族で、
万里の長城より北、南は高句麗(こうくり)に、東は?婁(ゆうろう)に、西は鮮卑(せんぴ)接する、
方約二千里(三国時代の一里は、約450m)の範囲に住んでいた。
夫余、扶餘、夫餘とも表記される(「餘」は「余」の旧字体)。
穀物は余り良く育たない土地に定住したが、好戦的であり、歌舞飲酒を好み、風俗は淫乱であったと記録される。
元々前漢の玄菟郡に属し、その後、三国時代に入ると遼東半島の公孫氏の配下に入った。
しばしば鮮卑の攻撃を受けて衰亡し、最後はツングース系の勿吉によって滅ぼされた。
この扶余族には、沃沮(よくそ)・?(わい)・高句麗なども含まれ、朝鮮半島北部を中心に広く分布していた。
他に百済王家も扶余系とみられ、南扶余と国号を自称していた時代がある。
また、百済王の姓も扶余または余と名乗っている。
3 :
出土地不明:2007/08/10(金) 13:58:39 ID:i6vCA21s
大韓民国忠清南道の郡、扶余郡(プヨぐん、ふよぐん)は、百済最後の都があった。
面積634.9平方キロ、総人口82,546人(2005年4月現在)。過疎化で若干減少気味となっている。
1邑(町)15面(村)からなる。郡庁所在地は扶余邑。(Wikipedia)
百済の始祖温祚王というのは、まだ原始部族国家のひとだが、韓民族ではなく、朝鮮の歴代の王朝の始祖が
つねにそうであるように北方の満州あたりから南下してきた扶余族の出身であった。
扶余族というのは南満州や鴨緑江の山谷を駆けまわって狩猟していた連中であり、
やがては北朝鮮を中心に高句麗国をつくり、南朝鮮諸国を圧迫した。
その一派が南朝鮮の韓民族地帯に入って征服王となり百済国をつくったのであろう。
従って、百済の始祖温祚王というのは、背が高く、目に蒙古襞をもち、
ほお骨の秀でた北朝鮮型の容姿をもっていたであろう。頭はまわりを剃って髪の一部をながくのばし、
それを編んでいわゆる辮髪であったにちがいなく、
その服装は北方騎馬民族の特徴であるズボンをはいていたに相違ない。(司馬遼太郎)
実在する最古の天皇14代応神の墓、誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した国宝の「金銅製透彫鞍金具」は
中国遼寧省喇嘛洞UM101号墓で最近出土した鮮卑族の鞍と細部に至るまでほとんどまったく同一。
4 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:02:13 ID:i6vCA21s
5 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:08:58 ID:W/bg5Kkm
扶余族は解体後女真や日本に吸収されたのですか?
そして、朝鮮半島は完全に韓化したと。
6 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:17:59 ID:i6vCA21s
ちなみに奈良県明日香村は扶余郡と姉妹都市。
7 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:29:59 ID:i6vCA21s
>>5 詳しくないですが、
百済王が扶余または余と名乗っており昭和期まで自分の事を「余は〜」という言い回しが残っていた事。
江戸時代までの「ちょんまげ」は、辮髪の一種だと思われる事。
等からも、私たち日本人が扶余族の末裔である事を実感するのですが。
8 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:31:49 ID:W/bg5Kkm
>>7 扶余系日本人はごく一部じゃないのですか?
ただ、百済からの避難民が優遇され上流階級だったから文化がたくさん取り入れられただけで。
9 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:38:12 ID:i6vCA21s
今、URLが手元に無いですけど、
九州の吉野ヶ里遺跡から出土したものと、韓国の扶余博物館の展示物がほとんど同一である事などから、
百済建国や、大和朝廷(ヤマト王権)樹立前から、扶余族は日本に進出していたのではないでしょうか?
10 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:46:00 ID:W/bg5Kkm
扶余博物館の展示物のルーツが扶余(北満州)から伝わったものではない可能性もありますよ。
たとえば、原朝鮮人やワイ族の文化を扶余国家に広まっていても不思議ではないはずでは
11 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:47:39 ID:W/bg5Kkm
ワイ族の文化を→ワイ族の文化が
12 :
出土地不明:2007/08/10(金) 14:59:52 ID:i6vCA21s
「原朝鮮人やワイ族の文化を扶余国家に広まっていても不思議ではないはず」
そう思います。進出に従って行く先々の影響を受ける事はあると思います。
ただ、古代中国人の言う「倭人」が古代日本人のみならず朝鮮半島人も指し示していたようですし、
朝鮮半島南部と九州北部の文化がほぼ同じだという事は「倭人」≒「扶余族」だったのでは無いでしょうか。
ちなみに実在最古の天皇といわれる14代応神は、現在の福岡県東区香椎に住し奈良県へ移動したようです。
朝鮮半島>対馬>壱岐>福岡沿岸(香椎)と進出していった可能性は否定出来ないと思います。
ワイ族、原朝鮮人については知識不足です。
13 :
出土地不明:2007/08/11(土) 14:16:45 ID:mizdRcqR
扶余族とワイ族の違いは?
14 :
出土地不明:2007/08/11(土) 14:33:30 ID:leAGu+9Q
15 :
出土地不明:2007/08/12(日) 21:05:03 ID:PD/bnyrh
>>7 つまり、17世紀以後に日本に扶余族が大量にやってきたと言うことですね(笑笑笑)
16 :
出土地不明:2007/08/12(日) 23:26:08 ID:55z1ybgh
>>7 >江戸時代までの「ちょんまげ」は、辮髪の一種だと思われる事。
>江戸時代までの「ちょんまげ」は、辮髪の一種だと思われる事。
>江戸時代までの「ちょんまげ」は、辮髪の一種だと思われる事。
>江戸時代までの「ちょんまげ」は、辮髪の一種だと思われる事。
17 :
出土地不明:2007/08/13(月) 00:01:11 ID:uX4CC3XS
>>7-9 広開土王碑などにより彼等の入植は4世紀〜7世紀だと思う。余は〜と使い始めたのはいつ頃から?彼等が入って来た事で何が変わったのか。私は何も変わらなかったと思うし、天皇は朕、又は吾と言っていたのではないかと思ってる
18 :
出土地不明:2007/08/13(月) 00:04:26 ID:iilVspmm
19 :
出土地不明:2007/08/13(月) 00:54:16 ID:uX4CC3XS
>>18 大幅はね。でも4世紀からは本格的に移住し始めてたんじゃ?で、なんで、さげなの?
20 :
出土地不明:2007/08/13(月) 01:46:23 ID:iilVspmm
>>19 専ブラだから。
で、4世紀から「本格的に」移住し始めてたというソースは?
21 :
出土地不明:2007/08/13(月) 03:49:00 ID:uX4CC3XS
≫20
ソースらしいものはない。広開土王碑やら紀やらを読んでの判断。
高句麗は扶余の一族だと思う。だけど同胞の百済を倭の侵攻の時に取られてしまった。
倭が連れ帰っていてもおかしくはないし、自主的に渡ってくる可能性も。
また4世紀には阿智岐、王仁等漢人も移住してきている。この時期任那の事もあるので「本格的」な入植があっても不思議じゃない。
(戦後の国内における半島の人みたいなもん)
22 :
出土地不明:2007/08/13(月) 05:37:59 ID:6hVmxS89
23 :
出土地不明:2007/08/13(月) 10:15:31 ID:yHl2qrQh
九州北部の吉野ヶ里遺跡、山口県日本海沿岸の土居が浜遺跡なんかは明らかに朝鮮半島渡来人(必ずしも朝鮮人とは
限らず、中国人なんかも居たと思う)の特徴があるみたい。土井が浜遺跡の埋葬された人は故郷?の方を向いているとか。
また縄文人の文化風習とは明らかに異なる特徴があると。
遺伝子的にも、縄文人はYAP-、弥生人はYAP+が多い事が明らかになって渡来人である事を裏付けていると思います。
そのYAP+はモンゴル、満州あたりに起源を持つようです。それは日本語のルーツとも重なります。
扶余族はその頃、となりに住む中国西部の鮮卑族等の攻撃で、かの地から南下し始めます。これが中国三国時代(3世紀)
ですから、4世紀頃、本格的に日本に渡ってきたのではないでしょうか?ちなみに鮮卑族の遺跡から2003年(?)発掘された
鞍が、実在が確認される最古の天皇、14代応神の墳墓の国宝と細部まで全く同じである事もこれらを裏付けていると思います。
扶余族には、沃沮(よくそ)・ワイ族・高句麗なども含まれる様です。扶余族は東扶余という国を高句麗以前に建国して
いたと言われ「天の神の子孫が国を創る」という日本神話と全く同一の神話があります。実在の東扶余は吉林省だそうですが。
百済建国は4世紀、日本の応神天皇在位も4世紀、大化の改新は7世紀。南扶余建国は6世紀。百済滅亡は7世紀。
遺伝子、言語、文化、遺物、まさに、我々現代日本人のルーツは扶余族だと思う根拠です。
24 :
出土地不明:2007/08/13(月) 10:55:48 ID:yHl2qrQh
余談ですが、それらを踏まえ、日本国の創生期を推論してみました。
実在が確認される最古の天皇、14代応神は、扶余王族子孫で、朝鮮半島から4世紀に現在の福岡県東区香椎に移住した。
(牧畜騎馬民族である)扶余王族の証として現在国宝に指定されている「金銅製透彫鞍金具」を所持していた。
以後、九州制圧、熊襲と呼ばれた日本原住民を制圧、支配下に置いた。さらに大分県にあった邪馬台国を滅亡させた。
(後、鎮魂の為に宇佐神宮を建立。)更に、北上して奈良に落ち着き、大和朝廷を成立。
大化の改新後、大和朝廷の権威の象徴として、東扶余建国神話同様の、天照の大身神から始まる神話を創作した。
(古事記日本書紀)
東北から北は、坂ノ上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷と呼ばれた東北日本原住民を制圧、支配下に置いた。
後、歴代将軍(征夷大将軍)が実質政権掌握、徳川将軍の大政奉還まで続き明治時代へ。
こんな感じではないでしょうか?
25 :
出土地不明:2007/08/13(月) 16:28:12 ID:uX4CC3XS
>>23 遺伝子の件ですが、大和があった近畿地方にどれだけ分布していますか?
紀で読む限り、移住者の居住地区は限定されたみたいですけど。
日本の歴史は統一はしていないとはいえ、応神以前にも遡れますよね。後に渡って来たグループをもってルーツにするには、彼等がどのくらい大和に入り込んだのか、知る必要があるかと。
「天の神の子孫」の伝承は世界各地にあります。ただ太陽神が女性なのは、日本だけだったかな?ほかにもあれば教えてください。扶余は男性でしたっけ?
中国の史書を読めば、大和の文化は半島文化を混ぜた物です。
呼称は倭人と扶余人は区別されていますが、百済は高句麗の扶余と同族と記載されています。
26 :
出土地不明:2007/08/13(月) 20:56:33 ID:uX4CC3XS
後一つ。文化が違うことは中国の史書を見ればいいとして、言語ですが、当時の倭とは違う可能性もありますね。
紀によれば外国人と話しているのは帰化人で、通訳の役割をしていたようです。
27 :
出土地不明:2007/08/14(火) 10:40:26 ID:bXRSBHYq
「大和があった近畿地方にどれだけ分布していますか? 」
調べたけど、判りませんでした。研究されている方ヘルプ。(゚∀゚,,)
明日香村あたりは間違いないところでしょうね。大化の改新で滅ぼされた蘇我氏も朝鮮系だったとはどこかで知りました。
「漢倭奴國王」金印が一世紀半ば作成(同じ工房で作成されたと思われるものが中国で出土してます、それが57年作成)
ですから、応神前にも往来はあったでしょうが邪馬台国の消滅など激変するのは応神頃だと思います。
「天の神の子孫」の伝承、いわゆるシャーマニズムですかね?どこにでもある原始信仰ですね。
ただ、扶余の「天の神の子孫が『国を創る』」部分は非常に似通っている気がします。宮崎高千穂の霊験地や、
大分の宇佐神宮を鑑みると、女神、天照の大身神は、卑弥呼にちなんだものかも知れないですね。
ただ、日本書紀に全く記載が無い所を見ると滅ぼされたのではないかと推測する次第です。
土着の原始日本人(縄文人)は、大陸と陸続きだった頃に日本に至ったのではないでしょうか?弥生人とは、
縄文人と渡来人の混血だと思います。専門家によれば明らかに劇的な変化が認められるとの事、又、朝鮮半島の
国家乱立時期とも重なる事等から「応神前後に大挙して渡来し征服し、国家を樹立した」と見てほぼ間違いないと確信します。
言語、日本語の文法と朝鮮の文法は同じで、双方とも漢字を借用して表記した事、数字の数え方にモンゴル地方との近似が
指摘されているとか、満州、モンゴルに居た「扶余」が朝鮮半島から九州近畿にかけて征服していったあたりから、
現代に続く言語も形成されたのではないでしょうか?
私が推測するのに大和朝廷樹立に至ったのは、645年大化の改新の、ほんの2-300年前の間の事ではないかと思います。
いずれにしろ私は専門家ではありません。ただ非常に興味がある部分なので、いろいろ勉強し教えを請いていきたいと思います。
宜しくお願いします。
28 :
出土地不明:2007/08/14(火) 13:56:58 ID:idOANdRj
29 :
出土地不明:2007/08/14(火) 14:36:25 ID:H5MRty4t
間違いです。ご指摘有り難うございます。
30 :
出土地不明:2007/08/14(火) 23:02:25 ID:E23FRhZn
俺は夫餘族という言葉自体が気に入らんな。
正確には夫餘国、主体の構成族がシ歳族だと見ている。<シ歳王の印だったかな
このシ歳族は殷の避難民か、またはその影響を受けた地元民で、部族単位だった
のが征服王朝によって夫餘国が建てられた。としているのが古書の大筋だね。
ここで伝えられる征服王朝だが、西のフン族と同じく、
匈奴(最盛期後)の一部とすると、シ歳族の民族移動が理解しやすいかもしれん。
高句麗の支配地であった半島北南東部の東沃俎、シ歳国などがその主な移住地で
帯方郡との戦いで滅んで拡散、そして辰韓が新羅になった原動力を持つ。
この匈奴の王族系を夫餘(王)族としてみても良いかもしれん、それが高句麗、百済
王朝の伝えになるのだが、これはかなり怪しい。高句麗がシ歳族支配のために夫餘
王朝伝説を利用した可能性が高い。なぜなら5千の母丘の騎馬軍勢にあっさり蹴散
らされまた戻っている。所謂、「祖先の地」であり、定住地なんだな。
支那書の高句麗県の記載と良く合う。つまり高句麗、百済は原住民系狛族と見た方
が良いだろう。これを夫餘族と信じ込みたかった理由は、それじゃ対外的にまずかっ
たという事で、相当な差別感が当時半島にあったと思われる。
まぁ、日本の朝鮮族、朝鮮の倭、マツカツ侮蔑差別と似たようなものか w
板的には、このシ歳人の今洲利(イマスリ)という人が、5世紀に鏡を作り金文字を彫り
込んでいる。高麗でも百済でもなくシ歳人として銘を打ち朝廷に献じている。
31 :
出土地不明:2007/08/14(火) 23:24:06 ID:idOANdRj
まあ、ワイも扶余も高句麗も同一民族だわな
32 :
出土地不明:2007/08/15(水) 03:42:20 ID:7Kl/dSXg
まず、何を推論の根拠とするか。ここをハッキリする必要があると思います。
@DNA
A物証(遺跡遺品)
B歴史書
C言語の類似
Dその他、文化の類似
プライオリティーの高さはこの順では無いかもしれませんが大まかには、これらで一貫性のある事象が揃えば、
ほぼ断定しても良いのではないでしょうか?
21世紀になってからも中国の遺跡から古代日本にとって非常に重要な遺物が出土しています。
例えば、中国遼寧省から出土した鮮卑族の鞍と細部に至るまでほとんどまったく同一の、
応神天皇陵、誉田山古墳の国宝「金銅製透彫鞍金具」。これは中国出土以前には、古代日本の技術の高さとして
教育/流布されていたと思いますが、中国から全く同一ものものが出土した事、これをどう解釈されますか?
33 :
出土地不明:2007/08/15(水) 11:28:30 ID:XTA2W3nS
大雑把に、
ワイ族>現代朝鮮民族に色濃い。
扶余族>現代日本民族に色濃い。
混血は双方にあるでしょうが、こんな感じで捉えてますが違いますか?
あと、現在でもモンゴルで日本の国技、相撲の原点が見出される事も興味深いですが、
現代モンゴル人は、扶余族の末裔もしくは混血では無いでしょうか?
ちょっと、観点が大きくなってしまいますが、モンゴル>エスキモー>カナダのエスキモー>
アメリカンネイティブインディアン>ペルー人と、我々と共通した骨格があり(歯とか)、
「あやとり」という遊びも南米最南端まで共通した「モンゴロイド」みたいですね。
モンゴロイドという観点からは日本も中国も朝鮮も同じといえば同じでしょうね。
34 :
出土地不明:2007/08/15(水) 14:16:04 ID:22J53CfX
>>33 アフォか!
どんなに扶余族が日本民族に色濃かろうとその割合は1割にも満たんわ!
まさかお前は弥生から古墳時代にかけての文明はすべて扶余族のものと言うのか?
まあもっとも、相撲は北方系にしか出来ない競技だから扶余族などの朝鮮を経由した大陸系がもたらしたと考えて妥当だが、
北満州で発生した扶余が相撲も同時に生み出し、西のモンゴルと東の日本にそれを教えたというのは飛躍しすぎでは?
むしろモンゴル相撲が扶余にも伝わってそれが変形しつつ日本に渡ったと考えるべきでは?
35 :
出土地不明:2007/08/15(水) 17:29:42 ID:aMJmN6rp
文化は多種多様に流入し形成されたと思いますが、大和朝廷を樹立したのは扶余が先頭に立ったのでは無いでしょうか。
36 :
出土地不明:2007/08/15(水) 19:38:09 ID:KyyqUNcn
37 :
出土地不明:2007/08/17(金) 09:43:57 ID:HBrrLe5Z
「大和朝廷を樹立したのは扶余が先頭に立って行った。」
4世紀頃、扶余族が、と思う根拠は、
3世紀には明らかに存在したであろう邪馬台国の滅亡や諸国の衰退と同時期に顕著になる大和朝廷の存在だと思います。
それが、主に扶余族による朝鮮半島の国家乱立と時期を同じくし、遺品もそれを裏付けるものが出土している。
弥生時代開始前後から半島からの流入はもちろんあって縄文時代と区別出来る弥生時代が形成されたでしょう。
それは、同じ事がDNAからも断定出来るようです。2〜3世紀には倭国大乱等、国家の原型が乱立するほど人口も増え、
漢や魏に国家としての証明を求めています。その頃に大和朝廷はまだ存在しなかったのではないでしょうか。
宮内庁がやっかいですね。考古学的追究をさせない。当然記紀神話、天皇制、何より自らの権益を守る為でしょう。
しかし、あらゆる研究、物証、傍証が「日本民族は渡来人と土着縄文人の混血による」「大和朝廷は扶余族」という事を
示唆しているのではないでしょうか。
特に都市開発著しい2000年以降の中国で次々に発見される遺跡遺品の数々が日本古代史にも大きな意味を持つ
ものが出て来ていると思います。
私は物好きなただの素人なんで、間違いがあったらご指摘頂ければ幸いです。
38 :
出土地不明:2007/08/17(金) 14:26:28 ID:a3UomEW4
>>34 相撲が北方系な昔から引っかかる点だが、なぜハヤト血統が相撲
をとらなならんのか、大いに謎だw
39 :
出土地不明:2007/08/17(金) 15:08:46 ID:HY93zhRr
3−4世紀に鮮卑、女真などの圧迫を受けて満州モンゴルの地から逃れ日本列島に至った扶余直系の日本天皇家が、
20世紀に、124代天皇’日本陸海軍大元帥)裕仁の時に、実質支配下に置いたという史実は因縁を感じさせますね。
40 :
出土地不明:2007/08/17(金) 16:06:37 ID:9vlfN3V+
41 :
出土地不明:2007/08/18(土) 08:14:54 ID:YN+QEc40
天皇家は扶余族の子孫ですか?
42 :
石川:2007/08/18(土) 11:12:54 ID:r0ZK41eJ
扶余-卒本扶余-高句麗-温祖百済-(百済聖王)南扶余-?
43 :
出土地不明:2007/08/18(土) 12:44:25 ID:humJ6sMC
「扶余とはツングース語の鹿を意味する「プヨ」を漢字にあてたもの」
-奈良の鹿は、扶余の象徴でしょうか。
「高句麗系の史書『朝鮮史』より抜粋」
「依慮王、鮮卑(センピ)の為に敗れ、逃れて海に入りて還らず。子弟走りて、北沃沮を保つ。明年、子の依羅立つ。
自後、慕容?、また復(フタタ)び国人を掃掠す。依羅、衆数千を率い、海を越え、遂に倭人を定めて王と為る。」
-依羅が倭国に渡来したのが3世紀後半285年前後だそうです。
44 :
出土地不明:2007/08/25(土) 08:26:48 ID:8Fbi4HsP
>7 江戸時代の頭を剃るちょんまげじゃなくて古代から安土桃山時代くらいまでの支配層のちょんまげだろ?
天皇はじめ,武士階級の後ろで結わえて真上に上げる,あのやり方は今でも中国北東部のなんとかって遊牧民
同じようにやってるよ。騎馬民族特有の髪型じゃないかな。
自分の妻に鎧を着せて一緒に戦場で戦うとか,姉が死んだらその妹を嫁にするとかって風習も同様。
45 :
出土地不明:2007/08/26(日) 10:02:19 ID:kFrbvAZU
>>44 へーえ。
いわゆる「ちょんまげ」(月代=さかやき)は、「応仁の乱以後武士が常に冑(かぶと)を付けたとき、
頭ののぼせを防ぐために髪をそったことから、逆気(さかいき)の転じたもの」だそうです。
聖徳太子みたいのは「冠下の髻」(かんむりしたのもとどり)もしくは、「頭上一髻」(ずじょういっきつ)というらしいです。
武士の時代になっても将軍なんかはこれだそうです。確かに徳川慶喜のこんな写真があったような気がします。
それ以前の邪馬台国っぽい(?)のは、「美豆良」(みずら)だそうで。
ttp://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html 「中国北東部のなんとかって遊牧民同じようにやってる」
写真で見て見たいですね〜。
あと言語で極めて日本語に近いってのは無いのでしょうか。一度中国少数民族(どの辺だったかは覚えてない)
の数の数え方が驚くほど日本語の発音に似ていたのをテレビで観た事があります。
46 :
出土地不明:2007/08/26(日) 21:50:33 ID:T3KgfJzh
天皇家のY遺伝子を調べればおもしろいと思うが、無理か。
47 :
出土地不明:2007/08/26(日) 22:39:53 ID:re6Jb6v2
48 :
出土地不明:2007/08/26(日) 23:03:04 ID:OSfm8Ao9
>45 邪馬台国は現在の俺達とは何の関係もない。侵入してきた加羅人に滅ぼされてるので。
弥生時代の国っていうだけでヤマト朝廷とは関係なし。
49 :
出土地不明:2007/08/27(月) 00:08:39 ID:WDWIwsNF
大和朝廷は近畿の勢力。
邪馬台国は九州の勢力。
そもそもが違う
50 :
出土地不明:2007/08/27(月) 00:42:14 ID:ReuIE6oe
邪馬台国九州説は強まったのでしょうか?私はそう確信しますが。
大和朝廷は、やはり朝鮮半島>対馬>壱岐>博多>下関>奈良と北上していったと見た方が自然ではないでしょうか?
51 :
出土地不明:2007/08/27(月) 00:56:59 ID:WDWIwsNF
52 :
出土地不明:2007/08/27(月) 02:05:42 ID:ReuIE6oe
考古学的最古の天皇を名乗ったと推定される、応神が香椎に住み、北上して奈良に落ち着いた事という故事逸話。
彼の墓に納められた(本来は扶余の地位を象徴していたと思われる)国宝に指定されている馬具。
記紀神話に暗示される九州原住民の征伐。
同時期に突如として消滅した邪馬台国。
宇佐神宮の存在。
魏志倭人伝に出て来る地名の九州各地名の類似。
同時期の朝鮮半島の情勢変動。
言語的な類似。
遺伝学的な類似と日本内での変化。
文化的な類似。
素人の私が思いつく限りを挙げてみました。
そもそも縄文〜弥生中期に「馬」が存在したのでしょうか?薄学なのでご教授お願いしたいところです。
53 :
出土地不明:2007/08/27(月) 09:57:56 ID:brOS1TQm
54 :
出土地不明:2007/08/27(月) 15:27:05 ID:miAgEUfB
55 :
出土地不明:2007/08/27(月) 15:51:07 ID:WDWIwsNF
>>54 やっぱり負4が日本をつくっったのじゃなかったな
56 :
出土地不明:2007/08/28(火) 23:02:38 ID:Gb3ZriV+
万世一系とは言うが現在まで簒奪なく血筋が保たれているかは不明。
往時の皇家に扶余の血は入っていたかもしれないが。
また、仮にこの国の支配層がそうであったとしても庶民の
>>1の家系には関係ないこと
57 :
出土地不明:2007/08/30(木) 10:07:48 ID:TwAkhD1c
58 :
出土地不明:2007/08/31(金) 23:43:53 ID:Ntp7QAWl
>50 ヤマト朝廷って名はもう少し後に付けられたと思うよ。
現在の佐賀県の吉野ヶ里にあった邪馬台国が侵入してきた加羅人によって滅ぼされた
侵入してきた加羅人達は瀬戸内海を通って巻向に王都を建設。
朝鮮半島南部の金官加羅国の首都金海から巻向へ遷都。
朝鮮半島南部から日本列島関東までの加羅人によるゆるやかな連合王国が成立。
首都は大阪。
これが古墳時代前期の日本。
ここから日本の歴史が始まる。
59 :
出土地不明:2007/09/01(土) 02:56:03 ID:sk9FOUqO
>>58 あんたらはどうしても日本の古代王朝成立の過程で朝鮮系勢力が中心的存在だったと主張したいようだが、
すでに日本には土着の豪族が五万とあった中、朝鮮系が中心的役割を演じたことはありえるとしても、
朝鮮系が権力構造の上層部におけるマジョリティで、土着豪族はマイノリティであり、かつ古代の支配階層が朝鮮系としての証拠がここまで希薄というのは考えられないと思うんだが
60 :
出土地不明:2007/09/01(土) 22:54:07 ID:63Pjr22Q
<丶`∀´>←こいつが書き込みしてんだろ
61 :
出土地不明:2007/09/01(土) 23:26:39 ID:6fgrO9kX
<丶`∀´>←不要族
62 :
出土地不明:2007/09/02(日) 11:17:32 ID:L/HjYBu4
加羅は百済と戦争していたみたいですから、ちょっと違うのでは?
吉野ヶ里が邪馬台国だと確定するには至らないと思いますが北部九州のどこかでしょうね。
「朝鮮系が権力構造の上層部におけるマジョリティで、土着豪族はマイノリティであり、かつ古代の支配階層が
朝鮮系としての証拠がここまで希薄」
実際の所、滅ぼされた土着豪族のクニも多かったでしょうが、連合した豪族も居たでしょう。
多分、九州麻生氏は代表的な豪族ではなかったかと。
63 :
出土地不明:2007/09/02(日) 11:35:00 ID:L/HjYBu4
あと宗像氏は明らかに古代九州の土着豪族ですね。麻生氏とは敵対したり連合したりしていた様子です。
64 :
出土地不明:2007/09/02(日) 17:15:33 ID:rRFyHU0x
台湾人を叩く奴は全部チョン
悪い事は全部チョンのせい
李登輝を日本の総理大臣にしよう
日本人は台湾人が大好き
日本人は台湾が好き!朝鮮嫌い!
日本に来る台湾人歓迎!朝鮮人出て行け!
台湾人はマジでかわいい
ヴィック・チョウは日本女性に大人気
日本人種は在日チョン用語
金美齢は絶世の美女
65 :
出土地不明:2007/09/06(木) 02:01:16 ID:vCjCkl/v
「4世紀」というのは日本古代史で空白と言われている様ですが、大陸では大激変の時代だった様です。
匈奴と漢の軍事衝突がお互いの疲弊を招き内紛・分裂に至る。その結果、
北匈奴が西へ移動、玉突き状態でフン族がロシア側へ、ゲルマン民族が大移動を始め、ローマ帝国の地中海支配を
解体に追い込む。
東側では後漢の支配が崩れ南匈奴は紛争の真っ只中に立ち、モンゴル高原で鮮卑族が五胡十六国の騒乱を起こす。
西側のゲルマン民族の大移動同様に、それらは鮮卑族と対立していた扶余族等を圧迫し朝鮮半島を南下させ
高句麗や百済、新羅等の国を興し、瞬く間に日本の北部九州に至り、農耕民族であった日本原住民の邪馬台国を
滅亡させ大和朝廷の成立へ至ったのではないでしょうか。
要点は、大陸で覇権を握ったのは遊牧騎馬民族で、定住農耕民族は征服、被支配されていった事、
当時、まさに騎馬技術は人類史を塗り替える革命であった事です。
日本に馬が伝わったのは早くとも4世紀とされている事とも合致します。
それまで定住農耕海産物狩猟民族であった日本原住民は全く歯が立たなかったであろう事は容易に類推出来ます。
66 :
出土地不明:2007/09/17(月) 08:58:48 ID:VpGl9lgr
ちなみにスペインがインカ帝国を侵略滅亡させた時も「初めて馬を見た」という証言がありました。
インカ帝国は南米原住民の国でモンゴロイドです。
67 :
出土地不明:2007/09/27(木) 01:15:53 ID:/crnuM7I
>>66 インカはちょっとはずれすぎじゃないか。
馬に驚いてたのは最初だけだったはず。
いまじゃ天然痘の流行で誰もいなくなったのが原因というのが主流だったはず。
航海技術や造船技術が低い時代に、日本みたいな島国に
本当に戦闘集団として可能な騎馬軍団が入ってこれたとは思えない。
もし、入ってきていたら、なんらかの、伝説、伝承が残っているとはずだけど、そんなのあるのか?
ヤマト政権が騎馬民族の継承者なら、もっと馬にまつわる伝承とかあると思うんだけど。
天照やヤマトタケルが名前の着いた馬に乗って活躍したとかになるんじゃないの。
そんな話になってないのが不思議だ。
68 :
出土地不明:2007/09/27(木) 08:34:23 ID:FMzz2DAQ
仰る通り、馬にまつわる話と言うのは特に読んだ事無いですね。
ただ15代応神天皇陵墓、誉田山古墳の陪塚丸山古墳から出土した国宝の「金銅製透彫鞍金具」の存在は大きいのでは?
「馬」が「渡来」したのは4世紀末とされてますが応神天皇陵墓の国宝と時期も同じだと思います。
埴輪の馬はどの時期に作成されたのでしょうか?
69 :
出土地不明:2007/09/27(木) 18:56:02 ID:hWvqMI5R
国立博物館に埴輪のコピーがうってるが、馬もあったな
鞍はついていたが、鐙も轡もなかった気がする
70 :
出土地不明:2007/09/27(木) 22:36:45 ID:xgCv14Vq
>>67 記紀では馬と牛は同等でウケモチの神の死体から生まれている。
ついでに、粟、稗、蚕、稲、麦、大豆、小豆も一緒に生まれているな。
どう見ても農耕民族の伝承だわい。
魏志倭人伝では牛馬無しだから、微妙に文化が違うようだな。
71 :
出土地不明:2007/10/10(水) 21:33:03 ID:3a2233Ou
72 :
出土地不明:2007/10/11(木) 02:26:42 ID:Sf4D44D3
>>71 そんなのに反応するほど考古学板の住人は甘くはないぞ!!
73 :
出土地不明:2007/10/30(火) 09:28:39 ID:ERlwPgYS
74 :
出土地不明:2007/10/30(火) 10:31:59 ID:piN/VASh
>>73 ハングル文字自体が新しい文字。
ただ、ハングル文字を作る時に参考にした古代朝鮮文字があるので、それと古代日本文字が似通っている事には
否定はしない。
75 :
出土地不明:2007/10/31(水) 02:23:47 ID:UC6Wz2Vi
ハングルはパスパ文字・チベット文字等の北インド文字を参考にして作られた文字。
「訓民正音」で舌や口の形がどうこう言ってるのはただのこじつけ。
古代朝鮮文字があったという説もあるが、それも蒙古統治時代より先にはさかのぼれない所から見ても、
パスパ文字が起源である事は明らか。
日本の神代文字はハングルをパクったものもあれば単音に分割できない
カナと同じ原理で創造された音節文字もあるが、信憑性のあるものは一つも無い。
古くとも江戸時代より前には遡れない。
76 :
出土地不明:2007/11/02(金) 10:58:30 ID:ErmUjI1I
パスパ文字も漢字も原始日本人が作った超古代日本文字が起源だというのを
否定する証拠ってあるんでしょうか?
77 :
出土地不明:2007/11/02(金) 20:18:18 ID:6wuJ6GRq
>>76 超古代日本文字っていうと痛いから「ヲシテ文字」って言おうね^^
78 :
出土地不明:2007/11/02(金) 21:00:10 ID:z1WVjoCu
ヲシテ文字も典型的な神代文字。存在自体痛い。
漢字渡来以前に文字を持たなかった事をむしろ誇るぐらいの知性はないのか。
文化人類学でも学んで無文字文明の豊かさを知れ。
79 :
出土地不明:2007/11/03(土) 08:25:00 ID:eOewDj2I
>>77 ヲシテ文字以前に文字がなかった事を見てきたような発言だな。
証明できるのか?
80 :
出土地不明:2007/11/03(土) 10:37:12 ID:PRv1wIhU
>>79 超古代におけるヲシテ文字の存在を証明するのが先だろ?
ぐぐったけど偽造丸わかりの擬古文じゃん。
なにあの無駄な画数の多さ。
常用された表音文字ならもっとシンプルだろう。
漢字以前に文字が無かったことを悔しがる心性こそが恥ずかしいものだって気付けよ。
文字文明の早さで争うことは敵の土俵に乗ったも同然なんだってば。
後世に影響を与えるような、現代人をハッとさせるような、
あるいは国際的に注目されるような、ろくな文献も無いだろう?
そこを貶されたら同じじゃん。お前中国のスパイかよw
そうでなかったら川田順造でもレヴィ=ストロースでもいいからさっさと読め。
81 :
出土地不明:2007/11/08(木) 14:49:43 ID:mCLmOex5
ヲシテ文字が実在したとしても、ヲシテ文字なんかより古い文字もあったでしょう。
漢字や古代文字が突然現れる訳もなく、それ以前にいくらでも文字はあった。
ただ現存してないだけでしょう。
82 :
出土地不明:2007/11/08(木) 16:35:58 ID:LaoBn950
数詞対照表の最新版 (娜々志娑无氏提供) 2007/10/25
古代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語
1 Φi1to2 −− hっtっn hっtっn hΛnah hana
(一等) (河屯)
2 Φuta −− tu¨pっ¨l tuβっr tulh tu:l
(二尸) (途孛)
3 mi1 mil siet sei s∂ih se:s
(密) (悉) (洒)
4 'jo2 −− −− nei n∂ih ne:s
(廼)
5 'itu 'utsu −− ta∫us tasΛs tasっs
(于次) (打戍)
6 mu −− −− 'jul∫us 'jっsΛs 'jっsっs
(逸戍)
7 nana nanun −− 'ilkup nilgub 'ilgob
(難隠) (一急)
8 'ja −− −− 'jultap 'jっdщlp 'jっdっl
(逸答)
9 ko2ko2no2 −− −− 'ahop 'ahob 'ahob
(鴉好)
10 to2'wo t∂k −− 'jっl 'jっlh 'jっ:l
(徳) (噎)
※古代日本語の[i1]はイ列甲類、[o2]はオ列乙類。[っ]は母音[?]の代用。
高句麗語の数詞「5」については村山説を挙げたが、李基文や板橋義三は
再構語形を[uc]としている。
83 :
出土地不明:2007/11/10(土) 13:35:25 ID:+mbxBBrR
日本語と高句麗語ってその他にも「似てる」と思える語が30個ぐらいあるんだよね。
でも「似てる」ってだけで印欧語みたいにきれいな音韻法則がない。
語形の再建が難しいのかもしれないが… それ以前に使える語が少な過ぎる。
日本語がフヨ系の言語と関係があるかどうかはやはり何とも言えない。
84 :
出土地不明:2007/11/10(土) 18:13:02 ID:RKA90H3x
途中に漢語が介在しているせいで、類似は指摘できるわけだし、
音韻法則の証明が困難だというだけで、
法則自体が成立しないと断言できるわけでもないんだよな。
85 :
出土地不明:2007/11/10(土) 18:30:37 ID:YfpX6WVb
モンゴル語→満州語→扶余語→高句麗語→百済語→日本語
だいたいこういう流れなんじゃないのかな?
86 :
出土地不明:2007/11/10(土) 23:46:51 ID:xflAuHDX
トヨクニ文字って、いつ頃のもの?
87 :
出土地不明:2007/11/11(日) 02:32:14 ID:fNEJM5uV
88 :
出土地不明:2007/11/11(日) 05:50:06 ID:fNEJM5uV
29 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日: 2007/10/31(水) 20:35:20 0
朝鮮語とアイヌ語の数詞に似たものがあるのは、
いわゆる縄文vs弥生みたいなとらえ方だけでは
割り切れないものを感じさせられるんだよな。
そこで夫余系vs新羅という対立軸が生きてくる。
高句麗・百済・任那の夫余系諸言語はアルタイ諸言語に近いが、
朝鮮語はアイヌ語その他の古アジア諸語の一角を占めていたと考えるべきだろう。
35 名前: 名無し象は鼻がウナギだ! 投稿日: 2007/11/01(木) 02:32:36 0
1 2 3 4
アイヌ語 sine-p, tu-p, re-p, ine-p
朝鮮語 han-a, tu-l, sei-s, nei-s
hとs、sとrなどは比較言語学でよく対応例に出される組み合わせ。
似てるだろ?
89 :
出土地不明:2007/11/11(日) 12:05:31 ID:rW4Ful/X
>>87 日本語にたどり着く部分だけを書いたからだろw
90 :
出土地不明:2007/11/11(日) 14:25:52 ID:fNEJM5uV
だから、樹形図っていう発想はないのか?
時代順も変だしな。
91 :
出土地不明:2007/11/11(日) 14:58:27 ID:SG4gD07D
>88を書いたやつは分かってるようで分かってないな。
hとs、sとrがよく対応例で出されるって、どういうつもりで書いてるんだろうな。
sがhやrに変化する例はたくさんあるが、
普通はたくさんの語の音が規則的に対応してるもんだ。
でも>88の例だとアイヌ語のsが朝鮮語のhに、
朝鮮語のsがアイヌ語でrになってる。
どっちが変化の元になってるか考えて言ってるのか?
しかも母音の対応がバラバラだ。
「偶然似てる場合もあるんですね」って言ってるようなもんだ。
北東アジアのSVO言語で膠着語なやつが
昔は大雑把にアルタイ系だって言われてたんだが、
フヨ系諸語がアルタイ諸言語に近いってトートロジーじゃねえか。
そもそもアルタイ諸語って何のつもりで言ってるのか分からない。
ついでに言うと、アイヌ語は膠着的ってよりかなり抱合的な言語で、
>88の書き手が言いたいアルタイ語とやらとは別物だな。
92 :
出土地不明:2007/11/11(日) 18:43:10 ID:fNEJM5uV
>>91を書いたやつはわかっているようでわかっていないな
>>88は沢山の対応例が出る前に対応の可能性を指摘してるわけだろ?
同系の言語A:言語Bで、s:hとh:rが対応するなんてフツーだろ。
もっとデータを集めて音韻変化の条件を探す必要はあると思うけどね。
「どっちが変化の元」だなんて、比較言語学の基礎も知らないようだね。
こういう時は共通の祖語形を設定するんだよ。
「ヒトがサルから進化した」式の言い方をダーウィンはしてないだろ?
ウィリアム・ジョーンズだって「サンスクリットからヨーロッパの諸言語が生まれた」
とは言っていない。
実際子音ではサンスクリットが保守的だったが母音は全滅で、
ギリシア語がむしろよく母音を保存した。
記録された特定の言語が祖語そのものなんて事はまずない。
夫余系諸言語がアルタイ諸言語の一部だったっていう手がかりは、
史書に残された単語だけだから、当然センテンスも形態論もわからない罠。
だったら膠着語だっていう証拠だってないわけさ。
あと、同系の言語でも古典的類型論の帰属を異にすることはザラ。
系統論と類型論をごっちゃにするなよw
現代のインド諸言語はもはや屈折語とは呼べず膠着語だし、
英語は孤立語への道をひた走り、すでに孤立語そのものの変種を生んでいる。
Tok Pisinはれっきとした印欧語だが、まさか屈折語だとは言わないよな?
トゥングース諸語のうち、はっきりと膠着語だと言えるのなんて満洲語くらいだよ。
93 :
出土地不明:2007/11/13(火) 17:09:59 ID:67Cl25KB
>>92 >
>>88は沢山の対応例が出る前に対応の可能性を指摘してるわけだろ?
>同系の言語A:言語Bで、s:hとh:rが対応するなんてフツーだろ。
それじゃ例を挙げる意味がないな…
これじゃどんな言語でも「対応する可能性あるよ!」って言えちゃうもんね。
>夫余系諸言語がアルタイ諸言語の一部だったっていう手がかりは、
>史書に残された単語だけだから、当然センテンスも形態論もわからない罠。
>だったら膠着語だっていう証拠だってないわけさ。
なるほど。「アルタイ諸言語」なるものがあったってのを
絶対的な前提として出発しちゃってるわけか。
>もっとデータを集めて音韻変化の条件を探す必要はあると思うけどね。
まあこれが全てだね。っていうか、これ以上の資料が集まるのか。
集まると思ってるからこれだけ力説してるんだと思うが…
朝鮮語とアイヌ語が同系統だってのはこの人にとって神聖不可侵な事実か。
そりゃしょうがない、口答えはやめておこう
要するに、
>>88のコピペを見せられても
なんとなく似てるのもあるんだ、としか言いようがない
昔の「万葉集は朝鮮語で読める」みたいなもんで
94 :
出土地不明:2007/12/04(火) 21:04:29 ID:/TUvjTU7
そもそもアルタイ系言語ってのは、類型論的に似てるってだけで
語族扱いされた経緯があったから、「○○はアルタイ諸言語だった」って
主張する根拠自体が部外者には不明だと思った。
それと
>
>>88は沢山の対応例が出る前に対応の可能性を指摘してるわけだろ?
> 同系の言語A:言語Bで、s:hとh:rが対応するなんてフツーだろ。
> もっとデータを集めて音韻変化の条件を探す必要はあると思うけどね。
つまり、証拠はまだないけどこれから見つけるから問題ないって言いたいのか。
言語学って難しいな。
95 :
出土地不明:2008/04/16(水) 08:40:38 ID:efU6vcDT
日本最古の寺院とされる飛鳥寺(奈良県明日香村)のモデルが韓国の王興寺ではないかとの見方が強まってきた。
王興寺は6〜7世紀に百済の都だった扶余(プヨ)にあった寺で、朝鮮の歴史書では600年以降の創建とされていた。
ところが、国立扶余文化財研究所の調査で昨年10月、金・銀・青銅の舎利容器が出土、そこに刻まれた文字から
百済王の発願で577年2月に創建されたことが判明した。
日本書紀によると、飛鳥寺は、577年11月に百済王から技術者が日本に送られ、588年に仏舎利が届いて造営を
開始、596年に仏塔が完成したとされる。今回の出土で二つの寺を結ぶ深い関連が浮かび上がってきた。
今月初めに遺跡を確認した大橋一章・早稲田大教授(仏教美術史)は、両方の寺に同じ系統の技術者がかかわった
のは間違いないとみる。「先行する王興寺を追いかけるように飛鳥寺の計画が進められたのだろう。百済は仏像や
お経を日本に贈ったが仏教は広まらず、寺を造らなくてはとの思いだったのではないか」
現地を訪ねた研究者の間では塔の構造や出土品、瓦の文様などもよく似ていると見る声が強い。飛鳥寺の別名が
法興寺、元興寺というのも王興寺との類似性が指摘される。
仏教は6世紀半ばまでに日本に伝わったとされる。本格的に受容されるのは飛鳥寺の段階からだが、建物は鎌倉
時代に焼失、仏舎利の行方もわからない。「飛鳥寺の舎利容器も王興寺の出土品と同じようなものだったはずだ。
なぞだった飛鳥仏教の具体的な姿が見えてきた」と大橋教授。調査は00年に始まり、今後10年は続く見通し。
ソース
asahi.com
http://www.asahi.com/culture/update/0415/TKY200804150318.html 2 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2008/04/16(水) 07:31:42 ID:Aka2S7Xz
96 :
出土地不明:2008/04/18(金) 09:28:24 ID:NfYlmZUx
>>95 瓦と塔の構造は百済に類似するものがあり、
伽藍配置(建物の配置)は、百済の敵である新羅又は高句麗に類似するものがある
建築のマスタープランともいうべき伽藍配置を軽視するなど、笑止。
大橋一章教授、あんたも素人じゃないんだから、・・・。
正しい考え方は、
日本側が飛鳥寺のプロデュースを進め、その建設の過程の中で、半島の工人をこき使った。
半島の工人には、百済の者も新羅や高句麗の者もいた。
なお、日本書紀の崇峻元年(588)には、百済が仏舎利や工人を「献じた」とあり、個人名まで明記されている。そして飛鳥寺(法興寺)を「作り始めた」とある。
つまり、百済の工人の主要メンバーは百済からの貢物。(百済は実質日本の属国)
それ以外の工人の多くは、出稼ぎ労働者
又は半島を嫌って日本を慕い、半島人であることをおぞましく思い日本人になろうと日本へやってきた人々。
97 :
出土地不明:2008/04/19(土) 10:24:18 ID:SpwjpWU8
私が考えるに 言葉の意味から言うと、扶余とは日本国の余り。
つまり日本の国の別名が扶桑国であるので その余り、日本から来た者たちという意味だと
思うわけです。
古代、日本が遅れていて、中国から広まった文明が辺境であるはずの日本へ、韓
間違えとしか思えなくなってきた。 今までの常識は逆ではないかと思うわけ
です。
当時 日本の力がそこまで到達していて 多くの日本の民がそちらへ行っていたと考えたら矛盾があるのかどうか。
付与国の風俗習慣というのを書いてある所をみたが古代の日本だとしても矛盾がないように思えた。
98 :
出土地不明:2008/04/19(土) 13:55:40 ID:qmEt6G5m
>>97 昔、満州に開拓移民として移住した人達の中に、親祖国派と反祖国派に
わかれて争った人達がいたらしいけど、親祖国派とは正に扶余グループで
反祖国派とは白頭山に逃げた高句麗グループ、そこで倭人軍部は親祖国派
を集めて皇帝溥儀、擁する「満州国」のような傀儡政権「百済、新羅」
を樹立、まるで張作霖の日中合作の様な、倭・楽浪郡合作って所か道理で
半島北部には倭人語、数詞が残ってる訳だ満州では北に馬賊、南白頭山に
山賊が出没した。
倭王「帥升」などは、しきりに楽浪郡へ生口(奴婢)数百人を送り出してた
からな、満州建国史と古代半島史は良くにてる。
99 :
出土地不明:2008/05/08(木) 18:10:13 ID:szsZktBe
知り合いの店がここ3ヶ月で3つ潰れました。うちだけが悪いのかと思っていたけどそうじゃない。。。
100 :
出土地不明:2008/05/15(木) 15:35:28 ID:64qBSNEj
アイヌ民族、先住民族認定へ 今国会決議 サミット前政府声明(05/15 06:41)
自民、民主、公明、共産などの各党は十四日、アイヌ民族を先住民族として認め、権利の確立を求める国会決議を今国会中に行う方針を固めた。国会決議を踏まえ、政府も七月の北海道洞爺湖サミット前に、
アイヌ民族を先住民族と認める声明を正式に発表する方向で調整に入った。
三月に発足した超党派の北海道関係国会議員による「アイヌ民族の権利確立を考える議員の会」(代表・今津寛自民党道連会長)が、政府や各党と水面下で調整をしてきた。
「議員の会」は十五日に各党代表による世話人会を開き、決議案の文案調整に着手する。決議案は、《1》先住民族として認める《2》名誉や尊厳、権利の確立を図る《3》政府にも先住民族の認定を働きかける−ことが軸になる。
二十二日にはアイヌ民族の代表が官邸を訪れ、福田康夫首相や町村信孝官房長官らに権利の確立を要請する。政府は国会決議後に、首相自らによる声明文か、官房長官談話の発表を検討している。
国連は昨年九月の総会で「先住民族の権利に関する宣言」を採択した。しかし、政府は「アイヌ民族の権利を認めると財政措置が必要になる」(首相周辺)などの理由から、国内での適用に難色を示していた。
ttp://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/92785.html
101 :
出土地不明:2008/05/15(木) 15:38:23 ID:64qBSNEj
後住の民族は・・・
102 :
出土地不明:2008/06/20(金) 13:17:29 ID:a9nYiOjP
103 :
出土地不明:2008/06/21(土) 13:08:49 ID:ckIa2srr
■『新羅文化』は日本文化よりも遅れていた
現代の韓国人は、「古代日本人に対して古代韓国人が先進文化を教えてあげた」だの、
「古代韓国文化が、古代日本文化に大きな影響を与えた」だの、「日本仏教は新羅仏教の影響を受けた」だのと、
デタラメな話を主張する。
古代韓国などという国は存在しなかったし、古代韓国文化も存在しないのである。カラ(韓)は韓国ではない。
新羅と日本の間で、『文化交流』は無かった。外交関係はあったが、それは友好関係ではなかった。
両者の合意の上で、使節団を派遣し合い、相互スパイ活動(相手国の内情を探る活動)をしていただけだ。
半島の新羅時代は、日本の平安時代と重なるが、新羅文化の日本文化に対する影響はゼロである。
日本文化に影響を与えられるわけがない。なぜなら、5世紀〜9世紀にかけての時代に存在した東アジアの国で、
新羅は文化的にもっとも遅れた国だったからだ。日本文化の足下にも及ばないほど、新羅文化は後進的だったのだ。
その証拠は、新羅文化が現在の韓国にカケラも残っていないことである。同時代に存在した日本の平安文化は、
現代の日本にも伝えられている。平安文化が、平安時代、鎌倉時代、室町時代、そして江戸時代、明治時代、
大正・昭和・平成時代と受け継がれてきたのは、それだけの価値がある文化だからだ。平安文化が各時代の日本人から
愛されたからである。
もし新羅文化が、日本の平安文化に匹敵するほどの成熟した文化、洗練された文化であったならば、
とうぜん高麗時代にも受け継がれたはずであり、現代にも残っているはずだ。しかし実際には残っていない。
これは、新羅文化が『狩猟文化』を基本とする原始的文化だったからであり、後世に伝えるほどの価値が無かったからだ。
新羅には仏教文化は無かった。古代の半島において仏教が盛んだったのは、西北部(旧帯方郡)と西南部(クタラ)
であって、新羅本領(現在の慶尚道)ではないのだ。
新羅の仏教文化ウンヌンという伝説は、高麗時代に「創作」された話にすぎない。統一新羅の仏教文化は百済文化であり、
帯方郡文化なのである。新羅文化ではない。
日本の平安文化に匹敵する「成熟した文化」「華麗な文化」は、新羅には無かった。平安日本のほうが先進国だった。
これが歴史の真実である。韓国人にとっては認めたくない真実であろうが、真実は真実なのだ。
★『承香院・平安文化研究会』ホームページ
http://web1.nazca.co.jp/hp/jyoukouin/
104 :
出土地不明:2008/09/17(水) 02:00:33 ID:Ub6QTKNk
>>28 >縄文はYAP+、弥生はYAP-ですが?
これ言う人多いけど、明らかに間違い。
縄文もYAP+で、弥生人もYAP+を持つ別民族。
YAP-は単なる百済高句麗からの渡来人。
なんで征服した側のはずで、実際弥生語話してる現代日本人の大半が実際YAP+なのに
それが弥生由来で無いと考えてしまうのだろう。
弥生人がYAP-ってことは、アイヌチベット同祖論だけど、むしろ弥生チベット同祖でしょう。
最もYAP+が多い雲南のプミ族というミッシングリンク(もちろん弥生っぽい)も居るわけで。
縄文人は被征服者側なのに、すぐ置き換わるY遺伝子なのに、なぜ現代日本人がその形質が多数派なのだよ。
弥生人こそがチベット人と同根の民族でYAP+である。それしかありえない。
ここを見誤ると、古代史全部変な読み方してしまうよ。
105 :
出土地不明:2008/09/23(火) 21:58:45 ID:fZ+kh4Jz
ま、扶余族が日本に来たのは間違いない。
106 :
出土地不明:2008/09/25(木) 00:27:52 ID:8v6qF9V9
>>104 そんなデムパ、今どき、どこの知恵遅れが食うの?w
107 :
出土地不明:2008/09/25(木) 00:54:23 ID:5mXQiy+E
5世紀初め、轡や鐙などの馬具が出土し始めますが、
これを扶余族なり騎馬民族と関連付ける人がいます。
が意味ありません。
これらはあくまで日本に乗馬習慣が入ったと解釈するべきです。
なぜならその頃の日本に騎馬用甲冑(桂甲)が出土しませんから。
日本が桂甲を採用し始めるのは実質6世紀です。
5世紀の河内王朝は騎馬には向かない短甲の王朝です。
ここでも例に出てる丸山古墳の国宝「金銅製透彫鞍金具」は大陸からの白菜品でしょう。
殺牛祭祀を持ち川べりに住む皮革の民・扶余族の痕跡を日本で探すとすれば、
被差別民にしか見出せないでしょう。
108 :
出土地不明:2008/09/25(木) 00:55:48 ID:5mXQiy+E
×白菜品
○舶載品
109 :
出土地不明:2008/09/25(木) 21:48:24 ID:s9N5y4RR
日本には馬を去勢する習慣がなかったから騎馬民族は来なかったと言う、
騎馬民族説に興味を持つ人間なら誰でも知ってる有名な批判があるが、
騎馬民族が馬を去勢するのは売り物や騎馬戦初心者用の馬の場合であって、
自分達が乗る場合は去勢はしない。
去勢馬より、去勢しない馬の方が長く走れるからね。
又、上の批判の流れで「騎馬民族が来たなら馬の埴輪にオチンチンがついてるのはおかしい」
と言う批判もあるが、
埴輪になるような特別な馬は傷つけないのが普通。
こういうようなことが江上波夫「江上波夫の日本古代史」の最後の方に乗ってるので、
興味のある奴は見てみ。
110 :
出土地不明:2008/09/26(金) 01:22:48 ID:VFuBIWiB
騎馬民族の定義を「騎馬戦術を有する事」とすれば、
それぞれの民族がいつ騎馬民族になったのか?という話になる。
乗馬習慣があるだけでは騎馬民族とは言えないのだ。
で、大陸の扶余も高句麗も、それぞれ「騎馬民族になった時期」があるわけだ。
よく知らないが3世紀あたりかな?
じゃ日本の「騎馬民族になった時期」はいつなのかと言えば6世紀だな。
埴輪の習俗から分かるわけだ。
111 :
出土地不明:2008/09/26(金) 17:15:23 ID:5yUWcbSg
>>104 >なんで征服した側のはずで、実際弥生語話してる現代日本人の大半が実際YAP+なのに
>それが弥生由来で無いと考えてしまうのだろう。
征服したのは弥生化した縄文人
征服されたのは弥生化しなかった縄文人
弥生時代、古墳時代の豪族は縄文系 当然天皇も源平藤橘も縄文系
支配者層 縄文人 YAP+
被支配者層 渡来人 YAP-
112 :
出土地不明:2008/10/02(木) 22:29:57 ID:9A1prlOj
113 :
月光仮面:2008/10/11(土) 13:36:19 ID:B1b35XWh
鹿(扶余)族だが、中国では歴史的に鳥、龍等いろいろなトーテムで民族分類を行う。鹿というのは
内モンゴル趙宝溝から始まり、満州、朝鮮の扶余、日本のシカカイ(志賀島)、男鹿半島、牡鹿半島、
鹿島神宮、鹿取神宮、春日大社、藤原氏等によく出てくるが中原に鹿を逐うとされる方面では龍に呑
まれたのか、出てこない。鹿石は西域にも、東北にも分布している。日本では志賀島のシカカイ神社に
鹿の角が大量に保管されており、後漢からの金印も出土しており、男鹿半島のナマハゲで有名な
五社堂神社では前漢の武帝の手のものが渡来してきたと伝わっておるし、鹿角などと言う地名も多い。
伝承では鹿島様は塩釜から常陸に向かう。また、鹿踊りなどと言う勇壮な踊りもある。前漢の武帝とい
うのはバイアグラまがいのものを使用していたといわれる。漢四郡を設置したことでも有名。これらは
何か関係があるのではなかろうか。
114 :
月光仮面:2008/10/11(土) 14:01:26 ID:B1b35XWh
115 :
月光仮面:2008/10/11(土) 15:00:52 ID:B1b35XWh
参考資料 2008 ISOGG treeによるYDNA Haplogroup D下部構造、決定変異 :
......D (M174, 021355)
.........D* アンダマン島民
.........D1 (M15) チベット、東アジア全般
............D1*
............D1a (N1)
.........D2 (M55, M57, M64.1, M179, M359.1 [P41.1], P37.1, P190, 12f2.2)アイヌ、日本、琉球
............D2*
............D2a (M116.1)
...............D2a*
...............D2a1 (M125)
..................D2a1*
..................D2a1a (P42)
.....................D2a1a*
.....................D2a1a1 (P12)
..................D2a1b (022457)
..................D2a1b*
..................D2a1b1 (旧D2a1b) (P53.2)
............D2a2 (M151)
............D2a3 (P120)
.........D3 (P99)
......D3*
......D3a (旧D3) (P47) チベット、南中央アジア
116 :
月光仮面:2008/10/11(土) 15:12:52 ID:B1b35XWh
エジプトのヒクソス、バビロニアのカッシート、欧州、中国各地から満蒙、朝鮮のどこかで何千年もの
間に分岐したこともありえる。一番深いD2a1a* D2a1a1 (P12) あたりの分岐が遼東方面でないかとも
思うが。これならO-SRY+465.、O-47zと似通ったテンポになる。日本において分岐するようなエベント、
環境は考えられない。
117 :
月光仮面:2008/10/11(土) 15:29:10 ID:B1b35XWh
118 :
月光仮面:2008/10/11(土) 15:33:39 ID:B1b35XWh
日本にはオリンピックの入場のようではなく、夕月(半月旗文化圏)の民、白山の民、豚肉愛好の民、と
いった風にまとまって入ってきたのであろう。
119 :
出土地不明:2008/10/12(日) 01:59:22 ID:nSLbsNIL
がいやまんくんは何でもかんでも渡来人にしてしまう妄想癖があるな。
実際はそんなに渡来人なんてやって来れないんだよ。
120 :
月光仮面:2008/10/12(日) 07:52:00 ID:63gAttgM
日本はアフリカなんかと違ってもともと海底だからなー。渡来人じゃない人はいないんだよ。ユーラシア
ですらホモサピエンスはいなかったんだもんね。大体欧州なんかは氷河の下で草木もなかった。日本
から持ち帰ったりしているんだ。下北半島まで北上した日本猿等は偉いもんだなー。
121 :
月光仮面:2008/10/12(日) 08:41:37 ID:63gAttgM
遺伝学者のデータというのは妄想に近いというのはわかる。
http://www.eva.mpg.de/genetics/pdf/Japan.pdf ここにあるアイヌとか、特定県民のデータ等が
そうだ。
.........................................N D-P37.1 O-P31 O-M122 C-M8 C-M217 N... Others
Ainu (AIN), this study .....4 75.0...... 0.0...... 0.0....... 0.0....25.0...... 0.0. 0.0
Ainu (Tajima et al. 2004) 16 87.5..... 0.0.......0.0....... 0.0... 12.5...... 0.0.. 0.0
Aomori (AOM).................26 38.5... 30.8..... 15.4.......7.7...... 0.0..... 7.7.. 0.0
Shizuoka (SHI)............... 61 32.8... 36.1..... 19.7.......4.9...... 1.6..... 1.6.. 3.3
Tokushima (TOK) ...........70 25.7....32.9..... 21.4..... 10.0..... 2.8......7.1.. 0.1
Kyushu (KYU) .................53 26.4....35.8 .....26.4....... 0.0..... 7.5..... 3.8.. 0.0
Okinawa (OKI)................. 45 55.6... 22.2..... 15.6....... 4.4 .....0.0..... 0.0.. 2.2
All a................................259 34.7... 31.7..... 20.1....... 5.4..... 3.1..... 3.9 ..1.1
特に↓このデータでアイヌをD-P37.1と決め付けたんだろうが、
.........................................N D-P37.1 O-P31 O-M122 C-M8 C-M217 N... Others
Ainu (AIN), this study .....4 75.0...... 0.0...... 0.0....... 0.0....25.0...... 0.0. 0.0
Ainu (Tajima et al. 2004) 16 87.5..... 0.0.......0.0....... 0.0... 12.5...... 0.0.. 0.0
そうではなく、アイヌはC-M217と見るべきだろう。サンプル人数Nを見ても、アイヌは総計で二万人
そこそこだ。一億分のNと、259人分のNでは比較にならない。
122 :
月光仮面:2008/10/12(日) 08:53:56 ID:63gAttgM
私はこれらの遺伝子のうちシェアーの大きなものが弥生時代の恩恵を受けたものと考える。
すると上位3株D-P37.1 O-P31 O-M122が抜群であるので、これを弥生渡来人とする。更に
そのうち朝鮮データにより弥生時代朝鮮経由とされるO-P31 O-M122を稲作農民、D-P37.1を
畑作農民と考える。
123 :
月光仮面:2008/10/12(日) 08:59:06 ID:63gAttgM
で、D-P37.1 が朝鮮でいられなかったのは前漢・後漢時代に顕著な殷・胡系統に対する政治圧力
にあったと見る。既に秦始皇帝は「秦を滅ぼすのは胡なり」とする託宣を信じ万里の長城で対抗して
いる。漢・三国も最後には北方からの圧力で瓦解する。
124 :
月光仮面:2008/10/12(日) 09:07:10 ID:63gAttgM
歴博の白石さんのデータでは銅鐸は殷の文化と見える。九州・関西の銅戈と言うのも殷の時代からの
武器だ。殷の要素であるとか、ペルシャ文化などとのつながりの深い秦氏というのもある。
125 :
月光仮面:2008/10/12(日) 10:15:00 ID:63gAttgM
実際に渡来人が来たという遺跡は、例えば箱式石棺墓の臨海地方での出土の傾向などを除けば
ほとんどないが、弥生初期においては数においては極めて少なく、渡来人遺伝子のシェアーは
日本国内で稲作を中心とする農業が普及するに従って増加したものであり、日本国内による膨張
が渡来人遺伝子シェアー拡大の原因。ただ、裏日本には月支王の侵攻であるとか、渡来人の
漂着であるとかの伝承は多い。
126 :
月光仮面:2008/10/12(日) 11:34:31 ID:63gAttgM
127 :
月光仮面:2008/10/12(日) 12:08:29 ID:63gAttgM
http://kamnavi.jp/mn/mnikutama.gif 田とは漢字ではなく、四方を濠、溝、大海に囲まれた大地、環濠集落、墓地を意味する符号であり、
大地よりそそり立つケクルは大地の生命力の現れ、であったたが、墓域、結界を守る立石、石板、
スラブを防衛に立たすとイースター島、モアイ像、日本の天狗、鹿島様そしてこの古墳時代の
田の神像となる。これは縄文の石棒文化とバイカルのスラブ墳文化の神学的解釈が具現したこと
を表す。鬼は外、福は内で、ウズメも生まれる。信州を中心に広がる男女の道祖神、賽神という、クナド
神思想はこうした縄文と百済方面から渡来する大陸思想の習合によるものであろう。
128 :
月光仮面:2008/10/12(日) 12:22:20 ID:63gAttgM
鹿石とはこうしたメンヒルの頭部にトナカイの頭を刻んだものである。年毎に成長するトナカイ・鹿
のシンボルは、そのメンヒルの領域の排他的使用を保障する境界石としての役割を果たしたようで
根底にあるのは平面的スペースを確保するクナド神の思想であり、後には英雄的戦士、首長をシンボ
ライズする方向に発展する。そして日本でも岩戸山とか、飛鳥猿石等に出現している。カッシートも
クドゥルと言う境界石でバビロニアを統治している。
129 :
月光仮面:2008/10/12(日) 12:28:47 ID:63gAttgM
カッシートの統治のように日本において王権の平面的拡大を担当したのが椿神社、猿田彦、土公氏で
ある。ここに周の初め中国西方に蟠踞した鬼方・土方が日本の宗教界に流れ込んでいることが現れて
いる。
130 :
出土地不明:2008/10/12(日) 15:21:27 ID:khvW1ZGq
■古代カラ半島における『民族戦争』の歴史
西暦313年に、高句麗が楽浪郡に侵攻して滅ぼした。翌314年には楽浪郡南部の帯方郡を滅ぼした。
この時、楽浪郡に居住していた漢人および倭人が難民化し、半島の南部−任那(西韓)に流入した。
任那を支配していた任那日本府(大和朝廷が半島南部の沿岸地区に設置した総督府。大宰府の協力機関)は、
これらの難民を保護し、彼らの一部を日本に移住させ、残りの漢人・倭人を任那北部(現在の忠清道地方)で
軍事組織化し、高句麗軍と戦わせた。
そして346年、旧帯方郡地方(今の韓国・京幾道)を高句麗から奪還すると、その地を彼らに与え、国を建てさせた。
これが『百済』(バイヂェ)の始まりである。
つまり、百済は楽浪郡の難民たちが、大和朝廷の政治的・軍事的支援を受けて建てた国なのである。
百済建国時に、半島中部の倭人たちが任那(西韓。百済領は後世、この地に移動する)に逃げてきた事実からも
明らかなように、全羅道(古代においては任那)は半島の倭人勢力の避難場所だったのである。
任那へ避難したのは半島中部の倭人だけではない。西暦200年代初頭に、ケリン(現在の江原道南部にあった国)が
シラキ(知ら城。現在の韓国・慶尚道地方にあった倭人国)を侵略した際にも、シラキの倭人たちは西韓(任那)へ
避難したのである。
西暦200年代から800年代にかけて、半島中部および東南部の倭人勢力は、高句麗や新羅(ケリン)の侵略によって、
半島南西部へ押し込められたのである。この半島南西部こそが今の全羅道なのだ。
新羅(ケリン)を建国し、7世紀に半島を統一したワイ族は、古代から半島南西部を「倭人の地」と見なし、
敵視してきた。
これが、韓国において全羅道人が他の地方出身者から敵視され、憎悪を受けている理由なのである。
つまり、古代ワイ族の倭人に対する憎悪が、中世にも受け継がれ、さらに現代にまで受け継がれているのである。
もちろん、全羅道の住民を、「ワイ族ではない」と言っているわけではない。現在の半島人は全羅道人を含めて、
全員がワイ族の子孫である。ただ全羅道の住民は、韓国の他の地方の韓国人と比べて、倭人の血が濃いのは事実である。
全羅道人は、その事実をまったく自覚していないようであるが。
現代の韓国人はワイ族の子孫であるが故に、古代ワイ族の倭人に対する「敵意」を受け継いでいるのであり、
これが、韓国における全羅道人差別と反日主義の原因なのである。
ようするに、韓国社会の中に定着している『全羅道人差別』と『反日主義』は、実は同根なのだ。
131 :
出土地不明:2008/10/13(月) 14:10:18 ID:faFeglMR
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132 :
出土地不明:2008/11/18(火) 05:31:17 ID:ts9pxv7b
133 :
出土地不明:2008/11/18(火) 06:07:33 ID:ts9pxv7b
134 :
出土地不明:2008/11/18(火) 06:53:05 ID:ts9pxv7b
135 :
出土地不明:2008/11/18(火) 09:17:28 ID:pCk/kMvU
シベリア・満蒙・朝鮮・日本、巴蜀は戦国時代のエニセイ上流から始まるスキタイ文化の影響下に入る。
このためにこれらの地域内には新羅・日本の古墳時代のような文化が流れた。が、地域の民族的特性、
例えば巴蜀ならばテン国石寨山青銅器文化等も生まれている。
136 :
出土地不明:2008/11/18(火) 09:34:09 ID:pCk/kMvU
高句麗を討伐した魏であったが、倭国は極めて重要視し、女王の好みに合わせ、つまり、その
政策に合わせて神獣鏡を送っているが、これは女王国が銅鐸から神獣鏡に国内統治体制を
改編しつつあったことによるもの。女王国の要求に応じてOEMで商品を提供する下請けのような
形なのである。
137 :
出土地不明:2008/11/18(火) 10:26:04 ID:1rIu3J1f
138 :
出土地不明:2008/11/18(火) 11:30:33 ID:pCk/kMvU
特定民族の多民族に比しての優秀性を強調する次元の話は考古学板に相応しくはない。ただ、日本と
いうのは、勿論、中韓も同様であるが、遺伝子的には多様性を持っている。卑弥呼の時代はまだ埴輪の
時代であり、既に兵馬俑、殷の青銅器に見るが如き高度の文化水準にあった国からすれば現代人が
アマゾンの裸族を見るような視点もありえるのであるが、倭国に魏からもたらされた銅鏡をはじめとする
文物の内容、倭国の内乱に檄、とか錦の御旗のようなものを出そうとするジェスチャーからは魏のかなりの
思い入れが伺える。
139 :
出土地不明:2008/11/18(火) 12:54:52 ID:kHdr8xzc
在日中華人口が今や在日韓国人口とほぼ同数もいる!
在日台湾人を筆頭とする在日中華人口が在日韓国人の陰でドーンドン増えている!
中国 (台湾) 76万0,322人 ( 〃 16.4%)
中 国 27万6,297人 ( 〃 6.0%)
中国 (香港) 16万0,426人 ( 〃 3.5%)
英国 (香港) 9万3,914人 ( 〃 2.0%)
合 計 129万0959人 (構成比 27.9%)
◆国籍(出身地)別新規入
韓 国 129万3,809人 (構成比 27.9%)
中国 (台湾) 76万0,322人 ( 〃 16.4%)←注目!!!!!!
米 国 59万6,494人 ( 〃 12.9%)
中 国 27万6,297人 ( 〃 6.0%)←注目!!!!!!
英 国 17万6,940人 ( 〃 3.8%)
中国 (香港) 16万0,426人 ( 〃 3.5%)←注目!!!!!!
オーストラリア 15万6,418人 ( 〃 3.4%)
フ ィ リ ピ ン 13万1,834人 ( 〃 2.8%)
カ ナ ダ 11万2,744人 ( 〃 2.4%)
英国 (香港) 9万3,914人 ( 〃 2.0%)←注目!!!!!!
そ の 他 87万4,694人 ( 〃 18.9%)
合 計 463万3,892人 ( 〃 100.0%)
140 :
出土地不明:2008/11/18(火) 15:13:44 ID:pCk/kMvU
銅鐸と神獣鏡は村の祭りから首長墳副葬品へと、その環境、目的が異なるが、動物を象徴する
ものを大地に埋葬し、死者の現世から冥界への旅に随伴し、冥界において使者の周辺に生まれ変わり、
死者を葬送したものには魔力を付与するという考えは、バイカルから中国東北(満州)に伝わり、やが
ては半島南部での青銅器埋納儀式につながり、それは、銅剣銅矛・銅鐸青銅器の埋納として列島で
開花する
141 :
出土地不明:2008/11/18(火) 15:26:40 ID:pCk/kMvU
満州にあった農耕民族・文化が無文土器として半島に南下する以前、その文化はバイカルの遊牧・
牧畜文化と共通する動物埋納儀式を持っていた。それが満州においては青銅器文化の影響の下に
象徴的青銅器埋納にと変化した。銅鐸は単なる埋納物であった無文小銅鐸をハードとしてそれに
宇宙観等を袈裟襷文、結界を連続S:字帯等で表す有文の祭器として、鹿石の前身であるエニセイ
オークネフの三眼神像(これはアーリアが仏教に入るようにチベット・アフガニスタンを経由ヒンドゥー
文化に入り、その移動の後はパキスタンのチラスに残る)と関係する。
142 :
出土地不明:2008/11/18(火) 15:35:13 ID:pCk/kMvU
オークネフ文化は高地性集落、山城建設、青銅器、馬を持つ文化であり、ユーラシアの三界宇宙観、
第三の目に表される観自在菩薩の基となる思想と天体観測により前後数万年の天体位置を計算し、
画像化して表現する能力を持っていた。銅鐸のソフトウェアーとして袈裟襷文様の中に描かれる
内容はオークネフメンヒル、鹿石から続くもので現在も地蔵、馬頭観音、賽の神として生き続けている。
143 :
出土地不明:2009/01/10(土) 12:38:44 ID:ON1Mlmbc
邪馬台国の本当の呼び方はヤマトコク。
邪馬台国=大和国
中国では完全に同一であると言われている。邪馬台国は滅ぼされたのではなく
大和に発展しただけ。
144 :
出土地不明:2009/05/31(日) 05:01:37 ID:TLqB4pVp
古代の名称は地名もですが、
「音」でみるのが常識だと思いますが?
唐人が押し付けた字面で区別しても意味ないですよ
145 :
出土地不明:2009/05/31(日) 21:32:17 ID:3z3fbYSO
弥生人は犬を好んで食べたそうだね
146 :
出土地不明:2009/06/01(月) 06:06:29 ID:S+95daXl
扶余族のルーツはユダヤの失われた10士族だったな。
147 :
出土地不明:2009/06/01(月) 07:30:22 ID:S+95daXl
148 :
出土地不明:2009/06/24(水) 22:22:13 ID:Dx6FIpKE
>>この関連性はなんだ?
歴代君主―(春秋.呉クレ、句麗に音が近い)司馬遷の史記「呉太伯世家」
1,寿夢――(第19代、寿夢じゅぼう王、扶余系、高句麗、始祖,朱蒙に音が近い)
2,諸樊
3,余祭――(百済の王姓余と関連か?王子.余豊璋)
4,余昧――(百済の王姓余と関連か?)
5,僚
6,闔閭――(コウリョ、高麗、句麗、に音が近い)
闔閭の弟、夫概の後裔夫余を氏の説有り
風俗通に[呉公子夫概奔楚、余子在呉者、因以為氏焉]
7,夫差――(夫概、夫余氏と関連か?)
149 :
出土地不明:2009/06/24(水) 22:23:13 ID:Dx6FIpKE
司馬遷の史記「呉太伯世家」(紀元前585年頃 − 紀元前473年)【天皇紀2600年に近い?】
[魏略]の逸文注1)の【その旧語を聞くに、自ら太伯のすえという】
晋朝注2)の史書[晋書][梁書]の倭人伝中の【自ら太伯の後と謂う】
呉は西暦前473年に滅亡。越は呉の後を追い都を山東半島の根本の琅邪(徐福の出地)
に移します。しかしこの越も西暦前334年に楚に滅ぼされます。
*この頃より九州北部「吉武高木遺跡」に三種の神器を持った王が現る。
*始皇帝本紀には「楚国、越国を滅ぼす」、始皇帝の『越絶書』には
「外越と内越がある」と書いてある。内越とは中国大陸にいる越で、
外越は会稽の東海の彼方にいる越で、交流を絶つべしと命ずる。
150 :
出土地不明:2009/09/02(水) 05:36:53 ID:UboGEoDp
崎谷満先生の父系Y染色体による系統分析、の要約と補足
「日本人の出自から見たDNAの平均値 」
約38% D2型、日本にしか残されていないシベリア経由で入ってきた縄文人の血
約34% O2b型、ジャポニカ米と共に揚子江から海路渡ってきた弥生人(長江文明人、百越人)の血
約18% O3型、山東半島〜朝鮮半島〜日本と渡って来た漢族の血
約 5% C1型、インド経由、南方系海人族の血
約 1% N型、フィリピンに顕著に残り、ツングースも保有する血筋
約 1% C3型、樺太から北海道に、アイヌに残るバイカル湖経由のツングース系の血
朝鮮半島から九州に、扶余の血? ルート違いのバイカル湖経由のツングース系の血
その他 1%以下、D1、D3型、チベットに残るテュルク系?の血
O1型、台湾経由の大陸系の血
O2a型、渡来時期、ルートの異なる長江文明人の血
(出身地域により特定血筋を多く持つ者も、全く持たない者もいます)
(アイヌより縄文人のほうが渡来が早いとの説もあります)
(扶余の祖、東胡も民族系列は謎、ツングースか、テュルクとの混血ともいわれます)
(扶余が天皇家とは限りません。蘇我氏説もあります。皇統断絶説、二回説もありますしね)
(朝鮮人はO2b型5割、O3型4割、C3型1割、O1型数%です)
(日本人は10種類もの血筋が入り混じった稀有な民族なんだそうです。負け犬の吹き溜まりとも、冒険野郎の終着点ともいえるでしょう)
151 :
150:2009/09/02(水) 06:00:59 ID:UboGEoDp
百済→王族は扶余族、大和朝廷と親戚 、民衆は長江文明遺臣の倭人(弥生人、百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに大和出自伝説あり、民衆は倭人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
任那→王族は扶余族、大和の直轄地、民衆風俗は新羅に似る
東胡→ツングース系? テュルクと混血とも、BC200年頃、匈奴に破れ四散
オロチョン→もっともツングースDNAが濃い。>ブリヤート>エヴェンキ>蒙古>満州>北朝鮮人>韓国人>日本人
扶余→東胡の末、穢族から分岐(日本に相撲、胡服を伝えた?)
穢族→(ワイ族、さんずいでカイ族とも)、東胡の末、穢四族(高句麗、扶余、沃沮、穢)に分裂
高句麗→コリョ族(高麗族、大和呼称はコマ族)、 東胡の末、穢族から分岐
高麗→高句麗は便宜上の呼称、高句麗が前高麗、高麗が後高麗、どちらもコリョ族
渤海→東胡の末、建国時高句麗遺臣も参画
蒙古→東胡の末、東胡→室韋(しつい)→蒙古
鮮卑→東胡の末
契丹→東胡の末
柔然→東胡の末
女真→東胡の末、満州族のこと、コリョ、渤海に近いともいう
突厥→テュルク系といわれる
匈奴→??人 、フン族説強し(民族大移動)、東胡を四散させた。
152 :
出土地不明:2009/09/02(水) 12:35:23 ID:XG4Fkugw
>>このササン朝で「エフタル,(白いフン)フヨーン」って扶余の事じゃないの!
2006-03-09 - 枕流亭ブログエフタルは、インドで「シュヴェータ・フーナ(白いフン)」
ササン朝で「スペード・フヨーン(白いフン)」だそうだ。呼称からフン族や匈奴と結び
つけるのも短絡か。 5.大月氏の後裔説. 『北史』巻97列伝85西域「??國,大月氏之種類也」。 ...
d.hatena.ne.jp/nagaichi/20060309 - キャッシュ - 類似ページ
フヨ≒北匈奴≒フン
154 :
出土地不明:2009/09/02(水) 19:28:14 ID:wCmxtjt1
寄多羅(キダーラ)・・久多羅クダラ?月氏国?仏教?同形金冠出土地?卑弥呼と同じ金印?
百済がペルシャに見える?匈奴フンからの圧迫? 気になるね!
5世紀にバクトリア、ガンダーラ方面を支配した王朝の建設者、及びその王朝名。北史
(魏書)西域伝には、大月氏および小月氏と記す。キダーラはクシャン王と称したので
、おそらくクシャン王朝の一族か、クシャン民族の有力者であったと思われる。
5世紀前半、ササン朝の支配から独立して、ヒンドゥー、クシュ山脈地方を占領して
バクトリアに都し、さらに山脈を越えてガンダーラ地方に進出、ペシャワルに、この
方面を支配する拠点をおいた。5世紀の中ごろエフタル民族に攻められて、まず
バクトリアを放棄したが、ガンダーラには少なくとも477年まで拠っていた
形跡が在る。しかしこの方面もまもなくエフタル民族に占領された。
遊牧民族エフタルが侵入してクシャーナ朝(キダーラ朝)は完全に滅亡した。
クシャーナ朝が誕生させたガンダーラ美術は、大乗仏教が伝播した地域を中心に
深く普及した。
155 :
出土地不明:2009/09/03(木) 14:58:51 ID:EP5a28M+
確かにフヨとかクダラには中央アジアの匂いがするね
何かモンゴロイドの匂いがしないんだよな、誠実な信仰者の様で
高句麗壁画には明らかにコーカソイド系の人物が描かれてるし。
百済は斉の人間がいくつも国を作ったから百済なんだよ
コーカソイド無関係
フヨは当事の人種分布から純粋に考えてもコーカソイドは含まれてただろうな
157 :
出土地不明:2009/09/06(日) 23:43:42 ID:P0jH0JTS
158 :
出土地不明:2009/09/06(日) 23:44:54 ID:P0jH0JTS
159 :
出土地不明:2009/09/06(日) 23:45:36 ID:m3UlSK5K
160 :
出土地不明:2009/09/08(火) 06:43:20 ID:yDMpODXb
>>159 炭化米からどうやってDNAを採るんですか?
どうして韓国が調査しないんですか?
161 :
出土地不明:2009/09/08(火) 06:45:10 ID:yDMpODXb
162 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:09:21 ID:gd+yW8yz
韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、 いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたワイ族。
百済人、高句麗人は古代の満州地方に住んでいた遊牧民族=フヨ族。
ウィキペディア-朝鮮民族
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%B0%91%E6%97%8F 歴史
朝鮮半島では4世紀頃までに高句麗、新羅、百済の三国が興り三国時代と呼ばれるが、7世紀に中国の唐が新羅と結んで高句麗、百済を相次いで滅ぼし、さらに新羅が唐の勢力を追放して朝鮮半島を統一した。
高句麗や百済の支配層は扶余系とみられ、韓系である新羅人とは別系統の言語を話した。
一般的に現在の朝鮮語の祖語は新羅語とされている。このことから言語をもって民族の基準とすると、朝鮮民族を形成していった主流は新羅人であると考えられる。
ウィキペディア-新羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85 脚註
^ なお韓国では、高句麗の滅亡後にその遺民が靺鞨族と共同して満州に建国した渤海を高句麗の後継国家と見なし、新羅・渤海をあわせて南北国時代と呼び、朝鮮民族史の及ぶ地理的範囲を朝鮮半島から満洲・沿海州を含めた領域としている。
しかしながら、言語的観点から現代の韓国・北朝鮮の祖とされる新羅と、高句麗・渤海とでは、民族的・言語的に隔たりがあり(金芳漢著・大林直樹訳『韓国語の系統』)、
高句麗・渤海を現在の韓国・北朝鮮へ連続する国家と見なす十全な根拠がないため、高句麗・渤海の故地を領土に含み、また高句麗・渤海と民族的に同系である満州族を国民として多数抱える中国との間に軋轢が生じている(→東北工程)。
163 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:10:31 ID:gd+yW8yz
高句麗=扶余系=満州系なんだわな。
高句麗の発祥地は中国の東北地方で、高句麗の数百年の歴史のうちの最初からの半分以上が中国東北地方にしか版図がなく、朝鮮半島には存在はしてなかった。
そして、彼らが滅亡した後は、ほとんど満州の部族に移行している。つまり、どう考えても、高句麗は中国東北系の国なんだわな。
高句麗と朝鮮の関係って大日本帝国の朝鮮と似たようなもんでしょ。
朝鮮に日本家屋があることを理由に、朝鮮人が江戸文明を作ったとかぬかすくらいあつかましい主張でしょ。
何しろ、文明が継承されてないんだもの。
満州人はきっちり高句麗文明を継承してるけど朝鮮は100年前は土人文明だもの。
高句麗はシナと新羅(朝鮮)が連合して消滅させた異民族の古代国家にすぎない。
百済も、高句麗の後継国家、渤海も同じ。
164 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:13:00 ID:gd+yW8yz
165 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:16:08 ID:gd+yW8yz
朝鮮人(高麗族、コリョ族)は中国東北部起源の北の蛮族
「楽浪半島、もしくは東シナ半島」の歴史(中国と日本の歴史)
前1000年頃 殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられる?(周の属国)その後、周の凋落で王を称す?
戦国期 編纂されはじめていた地理書「山海経」に「楽浪の南に、燕に朝貢する倭がある」旨、記される。 辰国(半島南部、百越人の国)は倭そのものか? 百越人(弥生人)とは、失われた長江文明の担い手。現在そのDNAは半島、日本、ベトナム以南にしか残されていない。
前195年 秦に滅ぼされた燕からの亡命武将、衛満(中国人)が箕氏楽浪を乗っ取る。 このころから辰国は三韓に分かれはじめる。 馬韓(後の百済)は百越人の国。秦韓(辰韓、後の新羅)は始皇帝から逃れてきた秦民の国。弁韓(後の任那)も秦韓に似る。
前108年 中国皇帝の武帝が衛氏を滅ぼし楽浪郡を設置、植民地とする。
前37年 東胡を祖とするコリョ族(高麗族)が中国東北部に高句麗(前高麗)を建国。
2世紀 遼東太守、公孫度が扶余族(穢族からコリョ族と分岐)の王、尉仇台に嫁を与え馬韓(後の百済) の王とする。先から三韓の王族は全て扶余族となっていた? 倭王も同族? 新羅三王家のふたつに倭出自伝説が残されている。
3世紀初 公孫康 、曹操の許可を得て楽浪郡南部を帯方郡(後の百済)として設置。
4世紀 晋の八王の乱の混乱に乗じて、高句麗が楽浪郡を不当占拠。百済、新羅が建国。日本を大国と崇め、人質を送る。任那も併せ三韓は日本の勢力下にあった。
7世紀 任那、百済と順に滅亡、遣隋使と合わせて日本は半島から手を引く。新羅、高句麗を征伐。統一新羅は中国の属国となり、独自の名前と年号を捨て、中国式の名前と年号を使い出す。
918年 新羅滅亡、高麗(後高麗)建国。新羅内に雌伏していたコリョ族が国を乗っ取った。
ここまでは、朝鮮人の歴史ではない。
166 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:18:47 ID:gd+yW8yz
朝鮮人とは朝鮮半島の南側に住んでた原住民で、三韓(馬韓、弁韓、辰韓)人だろ?
それに対して高句麗(※)も百済も朝鮮人を支配してた扶余(ツングース)民族だな
※
広辞苑より
【扶余】前一世紀から五世紀まで、中国東北地方北部に活動した民族。
また、その建てた国。ツングース族の一。一〜三世紀中頃が全盛期、もと百済の別称。
【高句麗】紀元前後、ツングース族の扶余の朱蒙(東明王)の建国という。
中国東北地方の南東部から朝鮮北部にわたり、四世紀広開土王の時に全盛。
都は二○九年より丸都城、四二七年以来平壌。唐の高宗に滅ぼされた。高麗(コマ)。
【渤海】八〜一○世紀、中国東北地方の東部および朝鮮半島北部のあたりに起った国。
靺鞨(マツカツ)族の首長大祚栄が建国。唐の文化を模倣し高句麗(コウクリ)の旧領地を
併せて栄え、七二七年以来しばしばわが国と通交。一五代で契丹に滅ぼされた。
【靺鞨】(マツカツ)ツングース族の一。有力な部族が七部あり、その一である
粟末(ゾクマツ)靺鞨の首長大祚栄は渤海国を起し、また黒水靺鞨は後に女真と称した。
【女真】中国東北地方の東北部から沿海州方面に住したツングース系の民族。
五代の頃より女真と称し1115年完顔(ワンヤン)部の首長阿骨打(アクダ)が金を
建国し宋に対抗。後に清朝を興した満州族も同一民族である。
一方朝鮮人は、朝鮮半島の原住民の事です。
馬韓、弁韓、辰韓の民族ですね。
なので
百済≒高句麗≒渤海 ≠ 三韓=朝鮮民族
167 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:19:51 ID:gd+yW8yz
168 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:20:56 ID:gd+yW8yz
169 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:22:15 ID:yCHqPH94
【質問】『「我々韓国人は高句麗人(フヨ族)の子孫だ。高句麗は韓国人が建国した国だ」と主張していますが、 これは事実でしょうか?』
【回答】 完全なウソです。韓国人の作り話です。韓国人と高句麗人はまったく別種の民族です。高句麗人は
古代の満州地方に住んでいた 遊牧民族=フヨ族の一派ですが、韓国人=朝鮮人の先祖は、古代半島の東北部、
いわゆる中国領・楽浪郡の東部地方(日本海沿岸地方)に 住んでいたユウロウ族です。狩猟民族=ユウロウ族の子孫が
現在の韓国人です。このユウロウ族はシベリア奥地の山岳部から半島東北部に移住してきた民族です。
満州地方に住んでいた遊牧民である高句麗人(フヨ族)とは何の関係もありません。強いて関連付けるならば、
一時期、フヨ族がワイ族を 支配化に置いていたこと、くらいです。
では、高句麗人の子孫にあたる民族とはどのような民族なのか。それは女真族(満州族)です。
高句麗が唐によって滅ぼされた後、高句麗人(フヨ族)は彼らの故郷である『満州』に逃げました。
高句麗人はこの地において契丹族や鮮卑族、モンゴル族と混血しました。それによって誕生したのが
女真族(満州族)なのです。 この女真族が、1115年に満州地方から中国北部にまで版図を有する
『金国』を建国しました。金国が滅びた後、1616年に、 同じく女真族の国である第2次金国=後金国が建てられ、
この『後金国』が清国へと発展していきます。
170 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:23:12 ID:yCHqPH94
高句麗人(フヨ族)の歴史を図にすると、下記のような流れになります。
〔フヨ国→ 高句麗→ 金国→ 後金国=清国 (高句麗滅亡後に建国された渤海国も『高句麗人の国』という説がある) 〕
見ての通り、高句麗と韓国人は何の関係もありません。高句麗人の末裔と呼ぶべき民族は満州族であり、
韓国人=朝鮮人ではないのです。 韓国人は高句麗人の子孫ではないだけでなく、高句麗人の歴史を受け継ぐ
満州族(女真族)のことを『オランケ』と呼び、蔑んでいました。 オランケとは韓国語で「野蛮人」の意味です。
韓国人は、「我々は高句麗人の子孫だ」と自称する一方で、本物の『高句麗人の子孫』である満州族のことを、
野蛮人呼ばわりして 見下しているのです。
ところが最近の韓国人は、時と場所によって「満州族と韓国人は兄弟民族だ」と言ったり、「満州族はオランケであり、
韓国人と違う民族だ」と、 言ったりしています。まさに『ご都合主義』です。自分たちの都合により、歴史を捏造し
歪曲しているのです。 日本人は倭人の子孫である。一方、朝鮮人はユウロウ族の子孫である。この2つの民族は
最初から別種なのだ。
171 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:24:24 ID:yCHqPH94
172 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:25:27 ID:yCHqPH94
中央日報 2004.09.27 スペイン紙「韓国4228年間、中国の属国」
スペインの有力紙「エル・ムンド」のウェブ版(www.elmundo.es)が
「韓国は4228年間にわたって中国の植民地だった」と紹介した。
「エル・ムンド」は「韓半島は長い歴史のなかで数多くの侵略を受けてきた。中国に1895年まで属していた(略)
「▽韓国が元々中国植民地だったと伝えた米CNNテレビ▽平壌を中国植民地だと紹介したヒストリーチャンネル−−などのケースと同じ脈絡のもの」(略)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=56213 http://blog.goo.ne.jp/think_pod/e/0b306f901f4daf3e42a18ba5e2664129 世界の教科書
◎ ドイツの教科書
「日本が大陸に最初の足がかりを築いたのは4世紀の事だった。その後300年、
日本は朝鮮半島を支配する地位にあったが、唐との戦争に敗れ、17世紀になるまで待たなくてはならなかった」
◎ フィリピンの教科書
「朝鮮は、その歴史の大部分中国の属国であり、その支配は19世紀に日本に引き継がれた。
日本は自由な新しい秩序を樹立する事によって、朝鮮に平和と安全をもたらそうとした」
◎ インドネシアの教科書
朝鮮を中国の属国として記した。
「朝鮮の文化と芸術は中国・モンゴル・日本文化の影響を受けた」
「朝鮮は言論・宗教の自由が制約を受ける国」
「北部はロシアが、南部はアメリカが占領している」
◎ タイの教科書
「朝鮮は中国の支配下に入り、これが19世紀まで続いた」
◎ ポーランドの教科書
「AD1世紀以来、日本と中国は朝鮮半島の領有権を巡って衝突した」
◎ アメリカの教科書
「朝鮮は中国の従属国」
◎ カナダの教科書
「朝鮮は、数百年間中国の属国」
「日本は<中略>朝鮮に鉄道・道路・港を建設し、産業を発達させて教育の機会を拡大させようと努力した」
◎ イギリスの教科書
「西暦366年から562年まで、日本が朝鮮半島を支配した」
173 :
出土地不明:2009/09/13(日) 18:26:37 ID:yCHqPH94
日清戦争後に建てられた「独立門」、なぜ独立なのかは、清から独立したからです。
で、その前にある石柱が残っているでしょ?
それが何の建物の跡かと言うと・・・・・
迎恩門
清皇帝から受けた恩に、感謝して迎えるために作った門
ここで朝鮮王は、9回頭を地面に叩きつけて、ひれ伏し、清の使者を迎えました
http://photo.jijisama.org/dependency.html 韓国の捏造教科書。そのほんの一例
http://nandakorea.sakura.ne.jp/html/netsuzo_text.html . ゝl!i!li!lil!il!ili!lil!i!li!lil!il!ili!lil!i!li!lil!il!ili!lil!i!li!lil!il!ili!イ
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三.─≡-=.| ..:::::| | .:.::::|=
=─.-==.-| ..:::::| ガンガン!! ガンガンッツ! . | .:.::::|─-
三.─≡-=.| ..:::::| ゴメンチャイニダ サーセンニダ | .:.::::|─=-
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三.─≡-=.| ..:::::|(,⌒) |lll|lll|l )) (( l|lll|lll| (⌒,). | .:.::::|-==-_─三
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174 :
出土地不明:2009/09/14(月) 15:37:24 ID:btonONQJ
朝鮮の歴史は半万年ではなく千百年弱
「朝鮮、属国史」の始まり
918年 高麗建国
10世紀 宋に朝貢、契丹(東胡の末)に朝貢。
12世紀 金(女真族、東胡の末)に朝貢。
13世紀 高麗はモンゴルの属国となる。劣等感から、一然という僧が檀君神話を捏造し、忠烈王がモンゴルに日本侵略を唆す。(コリョ族もモンゴル族も同祖、東胡が匈奴に破れ四散したのは2200年前、ゆえに彼らの歴史も最長2200年)
14世紀 高麗滅亡、李朝建国。李朝は最初から明の冊封国で、国名も中国に決めてもらった。
17世紀 清(女真満州族)に服属、三跪九叩頭の礼に甘んじる。
19世紀 日本が日清戦争で中国を破り、属国の李朝は独立させてもらう。(日本の保護国)
1910年 李完用の要請により日本に併合してもらう。李氏朝鮮(大韓帝国)滅亡。
1948年 戦後アメリカ軍政庁の統治下にあったが、アメリカの後押しで大韓民国が成立。
1950年 アメリカとソ連の代理戦争である朝鮮戦争が起き分断国家となる。
1991年 ようやく国連加盟、史上初めて世界から独立国家として認められる。
1993年 韓国、軍事独裁制を脱し、史上初めて独立民主政体となる。
現在 いまだ言論、学問の自由もなく民主主義とは程遠い国である。北は論外。
175 :
出土地不明:2009/09/14(月) 15:39:07 ID:btonONQJ
百済→王族は扶余族、大和朝廷と親戚 、民衆は長江文明の遺臣の弥生人(百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家のふたつに大和出自伝説あり、民衆は弥生人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
高句麗→ツングース系女真人
高麗→ツングース系女真人+
渤海→ツングース系女真人+倭族系統
渤海と高句麗の民族的人種的なつながりははっきりとはわからないが、
新羅に滅ぼされた高句麗の遺民が建国した国ではないか、とは言われている。
何度も日本に朝貢している。
渤海が滅んだのち、今度はその遺民が高麗を建国した、というのがだいたいの流れ。
中国東北部にいた人々が一時期朝鮮半島に国を作ったとも言えるし、それが朝鮮人であるとも言える。
朝鮮半島は漢族、倭人、中国東北部族、モンゴル人等々、種々雑多な人種が入り乱れている。
日本と違って、半島というのはどこでもそういうもの。いわば人種民族の通り道的な存在。
176 :
出土地不明:2009/09/14(月) 15:40:00 ID:btonONQJ
177 :
出土地不明:2009/09/14(月) 19:29:48 ID:Kv4A6j/9
むかーしむかし、長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。
ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江に無いはずのクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも木製の。
最後の最後まで当時の江南の農耕具の主役だった石鋤を一切伝えてくれなかったんです。
おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系中国土器を伝えず、わざわざ遠く離れた北方の沿海州系の土器を
最古の水田遺構に伝えてしまいましたとさ。
おしまい(爆
178 :
出土地不明:2009/09/15(火) 11:26:00 ID:Dh4/Vav8
最近、韓流時代劇の「朱蒙」に嵌った。
古朝鮮から扶余、高句麗の話。
時代考証を行っているようだけど、どこまで真実か、でも面白すぎ。
卑弥呼が現れる前、紀元前のドラマだ。
179 :
出土地不明:2009/10/05(月) 13:09:29 ID:9vU1LLip
高句麗語と日本語が似ている件については何か意見はないのか。
180 :
出土地不明:2009/10/05(月) 23:46:54 ID:PXh4W7qA
本当に似てるのか?
181 :
出土地不明:2009/10/06(火) 08:34:29 ID:wCFIlOEI
言語の検証もせず民族の系統を議論してるんだな。
異物がほとんど残っていない高句麗書物から判明した高句麗語と古代日本語はそっくり。
ただしサンプルが少なすぎてなんともいえない。
ちなみに、中華によれば高句麗(扶余)の言語は中華(シナチベット)とも北方(アルタイ)とも違う独自の言語だったらしい
183 :
出土地不明:2009/10/07(水) 03:00:23 ID:qISdPsuQ
万葉集は古代朝鮮語で読めるとか言うトンデモさんが居るくらいだからな
あの辺の歴史関係は、もうどうにもならんよ
184 :
出土地不明:2009/10/07(水) 10:34:31 ID:O7l25Nsx
高句麗語と日本語の類似はトンデモではないだろう。
断片的に見える高句麗語の単語は日本語とあきらか音韻も意味も対応しているし、それは現代韓国語より日本語に近い。
俺の妄想では、日本語族(扶余語族?)を話す民族はもともと大陸の稲作可能な地域に住んでおり、
戦乱だかシナ系民族の膨張だかで北に押し上げられ一部は大陸北東部および朝鮮半島に、一部はさらに半島経由で日本列島に移動した。
そして日本に来た集団の言語は先住民の言語の影響を受け、日本祖語ができあがったんじゃないかな。
>>184 扶余は北満州起源(稲作不可)。
北満州にはわずかにD3が見られるが、これはチベット起源で、日本のDグループとは無関係
186 :
出土地不明:2009/10/07(水) 18:34:48 ID:O7l25Nsx
混血の進んだ現在では民族の起源と遺伝子型はそれほど相関しないと勝手に思っているんだが。
187 :
出土地不明:2009/10/07(水) 18:59:46 ID:Muof7PMz
188 :
素人:2009/10/08(木) 02:33:41 ID:lTYm6YmL
よく『世は満足じゃ』のような表現に、扶余と何か関係あるのかな?
中国系の『朕』という表現もあるけど、誰か詳しい人教えて ^-^
189 :
ベーシック:2009/10/10(土) 10:30:18 ID:iL1qXjGj
190 :
出土地不明:2009/10/10(土) 14:59:11 ID:Oo1KD+XO
>>188 フヨというのは鹿か豚を指す単語と読んだことがある。
貴人が自分をシカとか豚とは呼ばないだろう。
191 :
出土地不明:2009/12/16(水) 19:01:06 ID:Wl5/ARJ9
192 :
出土地不明:2009/12/20(日) 21:14:00 ID:+Z8HDp2l
今まで読んできた言語本で日本語と関係ありそうなのは高句麗語とビルマ系ボド語の身体語だけだな。
その他には多少でもまとまって類似する語彙をもつ言語はないようだ。
高句麗語もビルマ語もSOV型言語だろうから、日本語と同じだ。
しかし、ビルマ語となると遠すぎる。ビルマ系種族が江南にいたのだろうか?
193 :
出土地不明:2009/12/23(水) 12:57:09 ID:M9GAKbDV
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
194 :
出土地不明:2010/01/03(日) 02:38:49 ID:B6UTJ5pD
「扶余系」という括りがそもそも誤り。
「穢れ」という賤名を嫌ってのことでしょうが、「穢族系ツングース」「東胡・穢族系」が正しいのです。
・東胡→鮮卑→穢(わい)→穢四族(東穢・沃沮・扶余・高句麗)に分派
『漢書』『後漢書』より
BC126年漢の武帝が穢族に「穢王之印」を授け独立を認めた。
BC107年玄菟郡(楽浪郡の北)設置、穢族は北に逃走、鹿山の地で「扶余国」が興り「東穢」は江原道に移動。
BC75年玄菟郡、西に縮小移転、咸鏡道(日本海沿岸)放棄、「沃沮」独立。
BC59年玄菟郡、さらに西に縮小移転、中朝国境山岳地帯放棄、「高句麗」独立。穢族四派分裂終了。
「東穢」、「沃沮」は首長乱立で勢力低下、「高句麗」は中国と対立、「扶余」は逆に阿った。
『三国史・扶余伝』「漢末に公孫度が勢力を増したとき、扶余王の慰仇台(いきゅうだい、ウィクデ)が遼東郡に服属した。公孫度が高句麗・鮮卑を牽制するために一族の娘を扶余王の妻とした」
『隋書・百済伝』「百済は毎年4回、始祖である扶余王仇台を廟に祭る」
以上の項から高句麗と扶余は対立分派した敵対勢力であることがわかります。
朝鮮人が妄想している、半万年前から半島に住んでいたなどという「北扶余」は実在しません。BC209年の東胡四散から100年、穢族は楽浪郡の北に位置し、半島には進入していないのですから。
東胡とは中国がツングースに当てた呼び名です。「高句麗族は穢系ツングース」です。
辰国→三韓→任那・百済・新羅は全て倭人(弥生人、長江文明人)の国で日本の親戚でした。
扶余は三韓諸国の支配層で高句麗族と敵対した「穢系ツングース」です。
穢四族
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b2/Ancient_Korea_Taihougun.png
195 :
出土地不明:2010/01/03(日) 05:58:07 ID:a/VN/I8a
扶余族=朝鮮半島侵略民族
196 :
出土地不明:2010/01/03(日) 08:15:12 ID:B6UTJ5pD
「高句麗・高麗が朝鮮人のルーツ」
(1)現代朝鮮人の平均的DNA値
・C3型ツングース系の血が約1割、O2b型倭人・長江文明人の血が約5割、O3型漢族の血が約4割、他
(地域性、個人差があります。ある型を全く持っていない人もいます。北はツングースが多く、南は倭人の割合が多いとも言います)
(釣り目エラ張り好戦的な特徴がツングース系、済州島の白丁は虐げられた倭人の末で穏やかな性格、日本人と近い顔立ちとも言われます)
これは最新の父系Y染色体研究の成果ですが、恣意的なサンプリング、絶対的データ量の不足などによる誤差が無いとは言いきれません。
しかしながら現在、世界的に最も信頼されている研究内容であり、これを否定する勢力は南北朝鮮、ダーウィン否定論者、日教組シンパだけです。
ゆえにこれをベースに考察を進めます。これを否定する痴れ者とは議論する気もありません。
(2)ツングースの血脈
・C3型9割のオロチョン>ブリヤート>エヴェンキ>蒙古>満州>北朝鮮>韓国>日本1%弱
中国はツングースへの当て字に東胡と名付けました。BC209年に匈奴に敗れ四散した一族です。現代オロチョンに一番近かった民族なのかもしれません。
ブリヤート、エヴェンキは内モンゴル近辺の歴史に関係しましたが、朝鮮半島への関与は確認されていません。
・中国史書を読み解くと以下の説が類推されます。というか定説です。
東胡→室韋(しつい)→蒙古
東胡→鮮卑→靺鞨(まっかつ)→渤海(建国時高句麗族も合流)と女真(満州族)に分派
柔然、契丹、粛慎も東胡の末
・東胡→鮮卑→穢(わい)→穢四族(東穢・沃沮・扶余・高句麗)に分派
『漢書』『後漢書』より
BC126年漢の武帝が穢族に「穢王之印」を授け独立を認めた。
BC107年玄菟郡(楽浪郡の北)設置、穢族は北に逃走、鹿山の地で「扶余国」が興り「東穢」は江原道に移動。
BC75年玄菟郡、西に縮小移転、咸鏡道(日本海沿岸)放棄、「沃沮」独立。
BC59年玄菟郡、さらに西に縮小移転、中朝国境山岳地帯放棄、「高句麗」独立。穢族四派分裂終了。
「東穢」、「沃沮」は首長乱立で勢力低下、「高句麗」は中国と対立、「扶余」は逆に阿った。
『三国史・扶余伝』「漢末に公孫度が勢力を増したとき、扶余王の慰仇台(いきゅうだい、ウィクデ)が遼東郡に服属した。公孫度が高句麗・鮮卑を牽制するために一族の娘を扶余王の妻とした」
『隋書・百済伝』「百済は毎年4回、始祖である扶余王仇台を廟に祭る」
以上の項から高句麗と扶余は対立分派した敵対勢力であることがわかります。
朝鮮人が妄想している、半万年前から半島に住んでいたなどという「北扶余は実在しません」。BC209年の東胡四散から100年、穢族は楽浪郡の北に位置し、半島には進入していないのですから。
・朝鮮を支配してきた一割のツングース系血族ですが、日中史料を見る限り、その可能性があるのは高句麗族、扶余族、蒙古族、満州族だけです。
扶余族は高麗に粛清されました。多く残っているとは思えません。
属国とはいえ、蒙古族や満州族がそっくりそのまま支配者に入れ替わるとは考えられません。
よく元、清にレイプされた混血民族などという書き込みを見ますが、古より朝鮮は奴女が主要輸出品です。美女、美姫は中国に連れ去られたのであって、半島にはその血を残していないのです。
現朝鮮人のツングース血脈の多くは高句麗起源と見るのが一番常識的考えと思われます。
(続く)
197 :
出土地不明:2010/01/03(日) 08:15:53 ID:B6UTJ5pD
「高句麗・高麗が朝鮮人のルーツ」その2
(3)高句麗・高麗は同一民族
・『中原高句麗碑』で自国を高麗と記している。日中史料でも高麗表記。12世紀の自史『三国史記』から後高麗との区別のため、便宜的に高句麗表記が始まった。
・コリョとは高麗の朝鮮読みでコリアの語源でもある。日本読みはコマ。満州朝鮮族やロシア朝鮮族も自らをコリョ族と呼称している。
・AD901年、反乱相次ぐ新羅で後高句麗を興した弓裔は新羅王家を僭称しましたが、これはもう、コリョ(高句麗)勢力なのは疑いようも無いですね。
その弓裔を追放した配下の武将、王建が918年に高麗(後高麗)を建国しました。
そして『高麗史』に「王建の祖は長白山を越えてきた高句麗(前高麗)の大族」とあります。まぎれもないコリョ族(高麗族)です。
これを否定する人たちは史料が偽書だといいます。では何を信じればいいのでしょう。
真書と言われる史料だって為政者の意向で改ざんされています。私たちはそこから真実と思われる断片をを拾い集めるしかないのです。
(4)古代朝鮮は倭人の国
・人、水稲の遺伝子研究により、長江文明人(倭人・弥生人)がジャポニカ水稲を携え海路日本に渡り、それから半島に広がったことが世界中で確定されています。(朝鮮と日教組除く)
・黄河文明(BC5,000〜)より古い長江文明(BC14,000〜BC1,000)は温和な農耕社会でした。そこにBC2,000年頃から残虐な漢族(夏王朝)が侵略してきたのです。
それから千年、長江文明人は南へ東へ追いやられていったのです。そのDNA、02b型は現在ベトナム以南、満州、朝鮮、日本にしか残されていません。
・現在では、日本の弥生時代はBC1,000頃からではないか、との説が強くなっています。
・半島に弥生人が渡ったのもそれからボチボチということなのでしょう。それ以前の朝鮮半島に誰が住んでいたのかは定かでありません。
・同じ時期に殷の廷臣、箕氏(中国人)が周の武王から楽浪(半島北部)に封じられたと言われています。(周の属国としてです)その後、周の凋落で王を称したとも。
それ以降、半島北部は衛氏の支配、漢の楽浪郡と漢族の植民地となっていきました。
・日本から渡った長江文明人が住んでいた半島中部以南は、辰国(しん国、遼東郡からたつの方角の国という意?)と呼ばれていました。そこに好戦的な漢族や穢(ワイ)族が侵略してきたのです。
(まとめ)
辰国の後裔、三韓諸国(任那、百済、新羅)は扶余王を立て倭と連合し漢族や高句麗族と戦いましたが、分離工作に嵌められ仲間割れの結果滅亡したのです。
百済の租が高句麗初代東明王の息子などという嘘が『三国史記』にありますが、同じ分注でそれを否定、「沸流王か尉仇台が百済の租」と訂正しています。扶余族と高句麗族はあくまで別部族です。
三韓(半島南部)は倭人と漢人の民衆を扶余族が支配する日本の親戚国でした。そこに敵対する高句麗・高麗のコリョ族が割って入ってきたのです。
朝鮮半島における朝鮮人国家の歴史は西暦918年、高麗建国から始まります。それ以前の北の蛮族朝鮮人の歴史は中国東北部の中国史の一部にすぎません。
198 :
出土地不明:2010/01/03(日) 15:20:01 ID:ePvPoEai
中国ーツングース系百済の王族は倭によってその婚姻が決められていた。
基本的に百済王の后が倭人の中から選ばれ、
その王子が王位に付くまでの間、倭が王子を人質として扱った。
出典 ウィキ 百済
199 :
文責O2bさん:2010/01/04(月) 02:56:52 ID:PAbbNH11
新羅は倭人の国、朝鮮人の国じゃない
・『三国史記』に、三王家のふたつに倭起源伝説がある旨、記されている。
・新羅と出雲に残された四隅突出型墳丘墓、スサノオが新羅を建国した伝説。
・『新撰姓氏録』に新羅初代王は神武天皇の兄、稲飯命(イナヒノミコト)とある。
・『隋書東夷伝』に、辰韓(後の新羅)の王は百済人、とある。百済の王族は扶余族、倭王族とは親戚であるという。
・『山海経』に、楽浪の南に燕に朝貢する倭がある旨、記されている。当時のそこは三韓に別れる前の辰国であった。
・辰国は倭人の国? DNA研究により辰国の倭人と思しき民族が長江文明人の末裔(弥生人、百越人とも)であることがわかっている。
・失われた長江文明人の血は、現代ではベトナム以南、朝鮮、日本にしか残されていない。山東省から、日本から、海路で半島に渡ったと考えられている。
・その弥生人と共に、長江原産ジャポニカ水稲が日本から半島に伝わったこともDNA研究により判明している。
・中国史料によると、先住民の穢族が高句麗、扶余、沃沮の四族に別れたとある。穢族は東胡の末といわれている。
・東胡はツングース系、テュルクが混血しているとも言われる。BC209年に匈奴に敗れ四散、鮮卑や蒙古に別れた。女真もその末。
・同様にその後、遼東太守の公孫度が扶余王、尉仇台に嫁を与え、後の百済の地の王とした旨、記されている。
・倭、百済、任那、新羅の支配層は全て扶余族と見るべきか。ただし、全て民衆とは別民族。(扶余が天皇家とは限らない、蘇我氏説もあり)
・中国史料によると、秦韓(辰韓)の民衆は先住の倭人と始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)、とある。
・『隋書』、記紀からも、任那、百済、新羅がその当初、日本を宗主国として仰ぎ、往来していた旨、明らかである。
・現朝鮮民族にも、ツングース系(高句麗、扶余、蒙古、女真)の血(一割)、漢族の血(四割)、倭人の血(五割)が残っている。
・先住民たる倭人の五割にも及ぶ血だが、それでも大幅に粛清された結果だろう。(倭人は奴隷階級に落とされていたから。日本人に似た済州島民の例もある)
これらを総合するに新羅も百済、任那同様、日本の親戚国と見るのが正しい。民衆の血筋は現在の朝鮮と近い点もあるが、その支配層の歴史的出自が全く違うということだ。支配層の扶余族は高麗族に抹殺されてしまったのだ。
すると、朝鮮のルーツは新羅ではなく、高麗からということになる。
200 :
文責O2bさん:2010/01/09(土) 08:19:39 ID:KU4yZqRF
紀元前から朝鮮南部に住んでいた原住民「中国の言う倭人」は、
日本から水稲を携え渡ってきた長江文明人の末裔(いわゆる弥生人)であることがわかってきました。
古代朝鮮南部は「中国の言う倭人の国」すなわち「弥生人の国」だったのです。
<文化的社会>
・楽浪郡以前の北朝鮮は中国起源。
・辰国→三韓→任那・百済・新羅は全て日本起源。日本と血脈を交わし文化も交流。
(朝鮮人のいない素晴らしい文明社会)
10C後半、長白山大噴火(明らかな文明断裂)
<朝鮮人支配による千年の暗黒社会>
・異民族高麗(穢系高麗族「コリョ族、東胡ツングース系」)の侵略、王氏高麗建国。
・北の蛮族高麗の不徳の証、「大噴火・大凶作・社会混乱の記憶」を抹消するために大民衆弾圧が行われたのではないか?
・この高麗から新羅以前の素晴らしい文化、民衆文化が失われている。焚書坑儒、文革のようなものが延々と行われたと考えればいいだろう。
・李氏朝鮮建国(同族同士の身内争い、貴族武将のクーデター)、仏教、寺、経典、墓、信者を抹殺。全国民の9割を奴隷化、文盲化。
(日本が清を破り朝鮮に入ってみると、半島には原始時代のような暗黒社会が広がっていた)
この説が実証されると「日本人は誇りを取り戻し、うるさい朝鮮人とサヨナラできる」んだけどなあ〜。
201 :
出土地不明:2010/01/09(土) 19:54:24 ID:S1QZjcwU
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら組織で劇団型工作で朝鮮煙幕を炊き付け、
それを自ら叩いて自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
202 :
出土地不明:2010/02/04(木) 05:41:05 ID:4DGTQLzc
コリアはコリョ(高麗)が語源、ロシア・満州の朝鮮人は「コリョ族」を自称している。
コリョ族は穢(ワイ)族から分岐した東胡ツングース系民族である。
そしてアジアでも最古級の、シベリアバイカル湖近辺で遺伝的特徴が固定された血筋である。
ロシアではツングースカ隕石でも有名なツングース系と呼称され、今でもオロチョン族、エヴェンキ族、ブリヤート族が独特な文化・血脈を維持している。
ツングース民族を特徴化しているC3型父系Y染色体がそれぞれの部族血脈に占める、いわゆる「民族の血の濃さ」を以下に示す。
( C3型9割のオロチョン>ブリヤート>エヴェンキ>蒙古>満州>北朝鮮>韓国>チベット>日本1% )
中国のツングース系は地政学上、シベリアの部族のような孤高独立維持は許されず、混血・中華文明を受け入れざるをえなかった。
その民族名称の音に合わせ東胡と呼称されたツングース民族は、中華文明地域に南下大勢力を築いたが、BC209年「匈奴(テュルク系?)」に大敗北を喫し四散した。
中国史書を調べると、鮮卑(隋・唐を建国?)・室韋(しつい、蒙古の前身)・靺鞨(まっかつ、渤海と女真に分裂)・穢族(ワイ族、さんずいでカイ族とも)などに分裂したようだ。
契丹、柔然、粛慎なども東胡の末といわれている。
BC2世紀、朝鮮半島に進出したツングース民族が穢族。
・東胡→鮮卑?→穢族→穢四族(高麗、扶余、沃沮、東穢)に分裂、四族は互いに潰しあいコリョ族だけが勝ち残った。
918年の王氏高麗建国以来、ツングース系コリョ族が朝鮮の支配階級に収まった。
現在の平均的朝鮮人染色体構成は、ツングース系C3型1割、黄河文明起源の漢族系O3型4割、朝鮮半島の原住民(わかっている限り最古)で長江文明人・弥生人O2b型5割、他。
「アリラン」をはじめ、現朝鮮文化にシベリアツングース民族のそれが色濃く残されている。
203 :
出土地不明:2010/02/06(土) 14:08:26 ID:2+pDhHVQ
■■■悪の王者『台湾人工作部隊』の卑怯で卑劣で悪辣な工作の手口■■■
@まず日本人のふりをしながら朝鮮煙幕を炊き付け、それを自ら叩いて
自家発電でもって正義の味方を装う。
(朝鮮人を叩く正義のおじちゃんだ!と、この時点でバカ落ちる)
Aバカがダマサれ切ったのを見計らって、何十年もかけて作り上げてきた
それはそれは高度な誘導用の捏造創作を使って勝手に自分たちの祖先、
長江江南人が渡来したと狂言しまくる。
(バカ、ダマサれ信じ込む)
Bバレかけたら、邪魔な日本人に対して朝鮮人呼ばわりをする卑劣な狂言を
働く事で防衛し、再び@に戻って、A、@、A、@・・・と無限に繰り返す。
Cハイ、直接的関係など何も無い台湾人祖先「江南土人」が日本人の祖先になりました。
204 :
出土地不明:2010/02/13(土) 21:40:18 ID:yTnCxaQy
日教組の薦めてきた日本の教科書は「朝鮮ファンタジー史観」と「半島劣化朱子学」を
ベースにした、日本の学童全てに「自虐史観」を植え込むための洗脳装置でした。
在日民主党が「大東亜友愛圏という名の韓日再併合」を推し進めるなか、「日本文化は
全て朝鮮が伝えた」「中国が父、朝鮮が兄、日本が弟」という「日教組テーゼ」がいま
崩されるわけにはいかないのです。
それゆえに朝鮮学派と日教組シンパは定説を覆す新説潰しに必死です。
「台湾工作員の陰謀ニダ」とか(笑)。それが既に世界潮流の定説になりつつあるにも
かかわらず、です。
「楽浪郡を代表とする北朝鮮への中国の進出。それと平行して朝鮮半島に居住していた
という中国のいうところの倭人(朝鮮人は韓人と主張すると)は、実は所謂弥生人であった」
「平均的現代朝鮮人遺伝子の5割を占める所謂倭人の血は、紀元前に日本で低温耐性がついた
揚子江原産ジャポニカ水稲を携え半島に渡った所謂弥生人(長江文明人)の物である」
これこそが新しい定説です。
205 :
出土地不明:2010/02/21(日) 13:56:00 ID:PFeAj2Ff
206 :
出土地不明:2010/05/16(日) 19:41:26 ID:vwnhDBpm
「魏志韓伝」の中に、新羅の老人の話として、朝鮮半島は、昔、「馬韓」しかなかったが、
そこへ秦人がやって来て、半島の西に「辰韓」を建国したと記されている。
207 :
LUNAMASK:2010/05/18(火) 15:48:16 ID:uxswqRO3
>>671 おじゃまします。
L群は鹿飼い・ブリャートで、一方、神やらいの対象はミレット・牧畜・アルタイ系。
出雲ではあらゆる青銅器を鋳造しているようです。
邪馬台国はA群青銅で銅鐸を鋳造していたが卑弥呼時代からB群銅鏡が入手でき
ようになった。
崇神は欲を出して出雲のL群に手を出そうとしたが、出雲は荒神谷に秘匿したというこ
とでしょう。
208 :
www:2010/08/06(金) 00:28:56 ID:lpWYe4Cu
本当に無知だな...一部の人々はwwwwww
どのように高句麗、百済、新羅の人々と、今の韓国人が完全に間違っているとぴったりと断定ジウルスがない?
古代には国境もはっきりしていないだけでなく、民族という概念も大きく作用していない。もちろん、今の韓国人と当時の高句麗、百済、新羅の人々とは全く同じことはできない。
途中で中国人の血と、他の多くの民族の血がより多くの混在になったのは、正しい..しかし、現在の韓国人の血を作っているゴトジュンウイ1つは、まさにそのブヨギェ活力源である...
まあ、日本もソクヨトウル可能性も高いが、韓半島は、元の倭人の固有の領土だったということは、本当にとんでもない主義である..
もし、今の韓国人の血がすべてそれらと異なっている場合は、、当時の朝鮮半島南部と北部にあったブヨギェの人々は絶滅でもされたというのか?すべての移住は、のか?そりゃ言葉では本当にオクジダ..
現在の韓国人は言葉では、単一民族だが、、付与系の血、満州族の血、中国系の血、三韓の血も混ざってなって構成される民族である..
それは日本も同じだというのに?
これにより、どのように韓半島は、元日本人の固有の領土だったとすることができるのか??
209 :
出土地不明:2010/08/07(土) 08:46:22 ID:G3gU+MGE
210 :
出土地不明:2010/08/07(土) 11:41:02 ID:eCArGOLS
208は、本国在住の韓国人だろうな。
はっきりと、日本人と韓国人は違うと言っているよ。
共感できるね。
211 :
出土地不明: