>>28 まず、私感ってことでの理解を前提として。
とりあえず、28さんの後半部分について、
これは、主人公は、ハウルではない、と、冒頭部分で感じたので、
私は、ソフィーを主人公として、映画を見続けたわけです。
物語全体も、ソフィーの主観で物語が進んでいくし。
冒頭の若いソフィーに萌えているので、「ばあさん」=恋愛対象外ではないんです。
ハウル自身、眠っていて本当の年齢に戻ったソフィーを見ているので、
ばあさん姿が虚像であることは、早くから気づいていた。
それも、街で助けた少女で沼地の魔女の手紙を持ってきていることから、
ソフィーに呪いがかかっているのは承知していた。
だからこそ、いっしょに暮らすことを認めたわけだと、私は理解しました。
見る側としても、そこに気づいていれば、
ばあさんソフィーに萌えるのではなく、時々垣間見る若いソフィーを追う様にみれば、
嫌悪感をいだくことはないのでは、ないでしょうか。
(あの時々若くなるのは、ソフィー自身の精神的年齢。
恋しているときは若く、恋におびえているときは老いて見える。
宮殿に向かうときは、ハウルの母親相当の姿になっている。
荒野を歩き回っているときとは比べようもないくらい、背がまっすぐになっている)
たとえていえば、メガネ少女萌えに近いかもしれない。
(周囲からはメガネをかけていてブスに見える少女だけど、メガネを取ると美人ってケース)
この話で、ハウルの男前てのは、パセリにもならないっと思っているんですが。