ちょっとぱんな氏にレスしておこうかなw
ちょっと長いけどねw
http://tv8.2ch.net/test/read.cgi/ainotane/1133191615/240 時代とか流行という観点でいけば
いわゆる「モーニング娘。」ってのはもう過去のものなんじゃない?
だからこそ復活でありノスタルジーでいいんじゃないかなw
つんく不要論を唱える人は具体的につんくの権限について
どの程度の考えがあるか触れるべきなんじゃないのかなぁ。
あれだけの金が動く商売でつんくみたいな雇われマスターが
単独でグループの方向性から人事面までの戦略を考えてるわけないし
むしろそれだけの権限が与えられているなら
まず誰も彼の首なんか切れないんじゃない?
結果責任の話が議論スレで出ていたけれど
ずっと売上が下がり続けているのに、つんくが解任されないというのは
彼があまりに強大な権限をもっているか、まったくの傀儡・道化であるか。
つんくの独裁ならハロプロは永遠にこのままだし
つんくが傀儡なら解雇したって別に何も変わらない
彼には少々の権限と責任があるんじゃないの?って考えもわかるけど
専門領域と言われる楽曲制作ですら編曲家やメンバーの責があるわけでね。
つんくだけ切り離してなんちゃらなんてのは詭弁というか
自分の推しメンをサルベージしたいだけちゃうんかとw
かなりの独裁体制と思われる小室でも
彼の背後には@の松浦はじめ優秀なブレーンが何人もいたわけ。
ステージ上の小室はプロデューサー兼芸人だから、まさに全権統治だけど
プロデュースのみの時は最終的に依頼人のジャッジが全てなんだよね。
だから広告屋や依頼主からクレームがあればいくらでも手直しする。
そもそもはビーイングの長戸がタイアップ全盛期に
メロディをストックして、この楽曲を誰に歌わせるかというとこまで
広告屋にジャッジさせていたという話があるけども
アンチビーイングとしてtrfを売り出した小室でも結局
同じ穴の狢になってしまったわけ。
そういうスタイルがメディアで受けたのは、やはり便利だから。
大物芸人の楽曲は欲しくても、やはり彼らが作ってきたものに対して
「イメージと違うんだよね〜」というひと言だけでダメ出しするのは
広告屋でも大変なわけ。相手がビッグだからさw
そんな時に小室のように広告屋に近い立場で楽曲制作を請け負ったり
長戸のように必要なものをそろえて、あとはスポンサーや広告屋が
好きに組み合わせていいよってスタイルは非常に融通もきくし
一定のクオリティも保障されてまったくもってして便利だったんだよね。
最近はアニメなんか特にそうだけど
レコード会社が制作費出して枠もってるんだろうから
多少そのへんの事情は変わっているとは思うけどね。
で、つんくもその流れの延長線上にあって
違うのは幸か不幸か本体はタイアップ主導型の案件が少なかったこと。
そもそも娘。の出自が番組の企画物だってのもあるけどね。
だから基本的に彼にジャッジをしてきたのは身内つまり彼の雇い主でね。
彼が結果的に責を問われないのは、社内での彼の仕事は上司のOK貰っている
わけで彼の独断専行なんかではないからでしょう。
それでも、ダメになったwと言われる5期加入後ですら外向きの仕事、
ポッキーガールズやビーナスムース、環境省文化祭とつるんだ浪漫
楽天に捻じ込んだマンパワーなんかは「おや?!」と思う作品を提供している。
最近だとベリ工のギャグ100回なんかでも
TV版プリキュアED聴いたことのある人なら
これがプリキュアサイドの意向を汲んで作った楽曲だってのはわかるでしょう。
逆に内向け、例えば「涙が止まらない放課後」みたいな
紺野のソロ写真集販促のためにリリースした作品なんて
目的が全然違うわけだからね。やっつけでもいいわけ。
まぁそれでもアレンジはおもしろいって感じる人もいたみたいだし
いろんな意味で通向けなんだろう。今のハロプロは。
リリースされる意図が違うのに
単につんく作品として比較して責任なんちゃらはちょっと違うだろうね。
ま、外向けでもコケてることは変わりないかw
外向けの仕事ってのは完全に裏側に徹していても
それをコーディネートしている人たちがいて
彼らのサジェスチョンってのは、つんくからも
それなりのものを引き出すことができるのでしょう。
結局ジャッジする人間の問題だと思いますね。
だからこそ事務所のエロい人の動向が気になるわけで
安倍の盗作問題について安倍自体の活動うんぬんはなちヲタ以外興味なくて
その後ろ盾になっている人間が失脚すれば、それは旧主流派の一掃に
繋がる可能性もあるし、ゴロッキーズやキッズ、ガッタスといった
新興勢力の台頭とも関係があるわけですよ。かなり電波だけどねw
つんくだめなら他の人連れてきてっていう人もいるけど
利権が複雑ならギャグ100回みたいにマーベラス盤とピッコロ盤の
同発って形態を取らざるを得ない場合もあるわけです。
自前主義のピッコロからしたら全然おいしくない話だけどw
作品中に矢口とメンバーを捻じ込んだんだから、お互い様だろうけどね。
芸人同士のコラボでも違うレコード会社から同発ってのはよくある。
それは音楽が版権ビジネスだから当然で、売れるとわかっていれば
作家の作詞作曲印税だけで済ますわけないんだからw
このあたりに触れないで誰か何処かから有名人連れてきて!ってのは
俺はよくわからない発想なんですよね。
フリーの作家もいると思うけどね。
個人で版権管理しているなんてかなりの大物じゃないかな。
もしくは管理するまでもないまったくの無名作家とか。
大手のレコード会社ってのはいつも新人作家探してるわけで
「これは!」ってのはだいたい唾つけとくでしょ、ふつう。
職業作家目指す人なら自分で売り込みに行くか師匠筋がいるわけだし。
だからこそ座付作家を育てようって考えが出てくる。
うまくいくなら自分らで育てた方が便利だしね。恩着せがましくできるからw
ドライな版権ビジネスの反面、義理を欠いちゃいけない世界みたいだしね。
ゼティマ、ハチャマ、ピッコロってのは
そういうセクションまで持っているレコード会社ではないでしょう。
あくまでお抱えタレントのグッズとしてCDをリリースしたり
握手会を仕切るwのが仕事なわけでね。つんく云々というか
組織全体の問題であるわけですよ。
眼に見えるところにある人面疽を外科的手法で切除するってのは、
まぁわかるけどそもそも不規則な生活習慣故の人面疽なわけで
そこを改善しないとねぇと思うんですよ。
つんく復活の手がかりとかw
まぁジョークなんだろうけどw俺が不思議なのは誰一人として
つんくがひとりでモーニング娘。を売ったなんて思ってないのに
つんく切ればどうにかなるんじゃね?って流れになることだね。
ふつうは構造論になって最後はハロプロ解体話で終了すると思うんだけどw
娘。があってハロプロがあるんじゃなくて
ハロプロの一ユニットとして娘。があるわけでしょ?
キッズユニットは当然、娘。を雛形にしていて
メンバーの入れ替えをしなければ、娘。メンバーの
平均年齢とならぶ時が必ずくるわけですよ。
そうすると似たようなユニットがハロプロ内に
3つ存在することになるわけ。
いわゆる4期までの娘。の妹がゴロッキーズで
4期までの娘。から生まれた一卵性双生児がベリと℃でしょ?
似ているのは当たり前なんですよ。だからこそ本体が生き延びるには
アイデンティティを取り戻せって話をするのです。
オーデ落選組みのリベンジであり
ふるさとの惨敗からラブマの逆転勝利であり
「復活」こそが娘。のキーワードなんですよ。
そういった演劇的要素はやはり必要になってくるでしょうね。
ただ今だって手売りした日には5万枚なんてちょろいでしょ。
だから実際関係者の責任なんて問われる段階じゃないんだよねぇ。
俺はつんくを擁護しているのではなくて
彼にジャッジを出す側の人間と組織・業界の構造問題だと
言っているわけです。つんくと同じような仕事量で
より高い質をあげることができる便利屋がいればそれでかまわない。
プロデュースの方法については
メンバーが固定しない娘。では仮につんくではなくても
「モーニング娘。」というカラーを打ち出すにはバラバラな作家を
起用するよりも、ひとりのプロデューサーが作詞作曲から手掛けていく
方が世界観が作りやすいだろうという話をしたのです。
娘。単体に関しては近い将来、必ずハロプロ再編ってのが
あるわけで、そこに打ち勝つには、コピーやクローンが
手に入れることのできない唯一の武器、それは記憶であり歴史であり物語ね。
それを大切にしなさいって話です。
一方で卒メン再結集という不穏な動きwがあり
はたまた他方では初期娘。のB級テイストを内包した
キッズユニットが跋扈している。
今の娘。つまりゴロッキーズってのは中途半端なんですよ。
卒メン集団の本家汚れ芸に勝てるわけないし
キッズユニットの新鮮さに勝てるわけないし
ゴロッキーズのスタンスをはっきりさせるべきで
彼女達のアドバンテージってのは娘。の看板を持っていることでしょ?
だからいわゆるモーニング娘。的なものに立ち返れって話をしたのです。