高橋マリ子@クローバ畑でつかまえて Chapter19

このエントリーをはてなブックマークに追加
952名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 08:17:34 ID:sd48GN380
結局、この世界を本当に司ってんのはゾロアスター教(拝火教)なんだわ。

少なくとも今のところは。それ自体はむしろアジア(古代イラン)の所有物。
ただ、拝火教も最後は善が悪に勝利すると保障している。正当が不当に。
憎悪であれ聖賢であれ火種を絶やさず、結果としてルサンチマン≒下克上も
肯定し、行き着くところまで戦いを続けて初めて正当が不当に勝利すると、
あくまでアジアの側が予想している。聖賢や下克上が憎悪やルサンチマンに
勝利すると。未だに火は燃え続けている。時に聖賢として、時に憎悪として。
ttp://www.free-style.biz/book/img/honnoujinohen.jpg
953名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 08:56:39 ID:sd48GN380
だから、聖書圏やイスラムの用語で言えば、
これが「最後の審判」なんだろ?

全人類の正当不当、誠意寓意、道徳犯罪、聖賢憎悪を総動員した審判だ。

結果はもう出てる。聖書圏が不当性や寓意や犯罪律や憎悪の賜物であって、
非・聖書圏(イスラム含む)が正当性や誠意や道徳律や聖賢の賜物であると。

審判はもう済んだ。あとはその審判に則るだけだ。
言及するにせよ行為するにせよ動作するにせよ。
その中には、僭越ながらほんの少しだけ審判にも携わらせてもらった
自分自身も含まれる。本当にほんの少しだけ。審判材料は始めから
ほぼ揃っていたので、チョコチョコっと整理させてもらった。それだけのこと。

たぶん本当は、2chやインターネット自体そのような用途をある程度
踏まえた上で用意されたものだろうと思う。それに気付いたのもほんのこの頃。
ぜんぜん最初から審判しようだなんて考えてたわけじゃない。
ただマリ子が好きで、好き好き好き好き書いてただけだって。多少の喧嘩もありつつ。

著作権も版権も一切主張する気はない。全てひろゆき爺さんのものであって結構。
こんな重い話、自分でも売り出す気にはなれない。もうちょっと軽めのほうがいい。
いい加減“この件につきましては”誰かにバトンタッチさせていただきたいところです。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 11:08:46 ID:sd48GN380
インターネット上の活用サイトは2chの他に
ウィキペディアやウェブ辞書、翻訳、各種画像掲示板など。
あともちろん検索エンジンも。

でもやっぱりネットだけじゃここまでは分からなかった。
たとえば、旧約聖書の成立年代が紀元前6世紀頃というのはウィキペディアで
調べたが、正確な年代まではわからないし、また間違ってる可能性もある。
それでまず、岩波訳聖書(旧約聖書T 律法 普通版ISBN:4-00-026181-9)
の解説から、創世記が最終的に現在の形に編纂されたのがバビロニア捕囚期以後
であることを調べた上で(770ページ参照)、一旦ウィキペディアでバビロン捕囚期の
年代(紀元前579年以降)を調べた後に、手持ちの世界史年表(河出書房新社)で
正しいことを確認した。やっぱりウィキペディアだけじゃ不安なところは結構あるから。
(だからって岩波等が完璧とも思ってない。広辞苑も案の定不評だし)

つまるところ、ネットの情報は最大級のみそくそなんだ。
正しい情報についても、間違った情報についても最大級。
(ウィキペディアとアンサイクロペディアの対比がいい例)
それらの中から正しい情報と間違った情報を区分けるのに本や論文を用いる。
最大級の情報に対する最大級の俯瞰がまさに最後の審判となる。
分かってる人間は分かってたはずだ。特にAlln'Allなアメリカ人は。そうなることを。
自分たちが不当で寓意的で犯罪加害的で憎悪的な側であるのはともかくとして。
955名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 11:11:30 ID:sd48GN380
出版すればいいやん? 電車男やケータイ小説みたく。
題名はズバリ「最後の審判」。著者名はマリアの子・イーサー・キリスト。

もう中編の本一冊分ぐらいは書いてるぜ。このスレだけでも。
他にもいろいろ書いてるから、捕捉代わりにでもすりゃいい。
どこに書いたかぐらいは教えるから。業務的に。

掲示板出版に関する利権は主張しない。
ただ、自分には自分の著作物がある。2,3冊ほど。ここでも引用した。
そっちもかなり内容が重いんで、署名出版はためらう。
筆名使ったりする便宜は望む。本業としての文筆もまた別に。

顔出しはもうちょっと考えたい。大した顔でもないが。
防犯上の都合があるんで。反応をよく見てからにしたい。
マリ子に責任はありません。特に“文責”については。
内容が厭わしいからってマリ子を怨まないで、俺を怨め。ポンポコポン。
956名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 12:03:42 ID:sd48GN380
>>954
紀元前579年じゃねえ。紀元前597年だ。

不正確な記述もあるさ。卑猥な記述や悲痛な記述も。
それらも含めて人間だっての。人間に還りましょう。働く人間に。

不当に働いてた人間や、適当に正当や不当に労動(work)してきた
人間が、みなみなすべて正当に働く方に向く。これぞ人間革命。

創価学会だけでなく、山岡荘八もまた望んでいたところ(「徳川家康」あとがき)。
おそらく神君家康や、道元禅師や、聖徳太子も今の時代に生きていたとすれば
それを望んだはず。聖賢が聖書を超えて人類の方向性を示しだす。聖道の確立。

坊さんだけでなく全ての人類が辿れる聖道が今そこにあるんだ。
埃にまみれていたのを掃き清めるのを少しだけ手伝わせてもらった。
箒(言葉)も精神も、自分の体すらも借り物。最大限に有効に使わせて
もらって、最後には返す。この世界を司る正当な神仏に。

それまで自分自身も歩かせてもらう聖道。
踏み外すことなく歩けるものなら、彼女とも共に。
957名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 13:44:07 ID:5sRlWtmC0
アンタ加藤容疑者と同じタイプだな
ムキになって自己破滅に陥るタイプ

削除依頼追加しておいたから
アク禁だなw
958名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 17:21:03 ID:YljU7zCa0
>>957
つまんないよ。
いま犯罪加害を積極的に、存在性を強調してるのは明らかにおまえだもん。
こっちは犯罪加害に対し、肯定するにしても否定するにしても消極的であるスタンス。
憎悪の火種――憎悪と犯罪加害、どっちが先かっつったら犯罪加害、
その犯罪加害の存在性を元から断ち切ることにこそ努める。

だからこそ言っている。「最後ぐらい後腐れなくお別れしませんか?」と。
非難に反発するでもなく、謝罪を要求するでも服従を強要するでもなく(当然だが)、
絶対に何も書くなとも書けとも命令するでなく、どうでしょうか?という意味で。
まだまだ書きたいことは一杯あるが、おおよそ「最後の審判」に該当するような
言及は一通り済ませたし、スレの終わりも近いんで、どうせなら次スレへの
自分自身の執着を断ち切る上でも、どうかお願いしますと。

でもできないわけだ。憎悪の火種を断ち切る気におまえらのほうがまだなれない。
一種の拝火教徒。いわばダルビッシュ有(日イランハーフ)のホモ達なわけだ。

イランはホモ厳禁だし(さすが男系)、自分だって同性との股間遊びなんぞ
ごめんこうむるが、ただ、友人としてであればダルビッシュは受け入れられる。
イランが正当なら拝火教も正当、不当を喝破する正当教義として十分納得がいく。
もちろんあっちの都合もあるし、こっちも野球ほとんど分からないし、性格も
知らないし(正直ワルそうw)、こんな概念的な文脈でわざわざ持ち出される
のもあっちにとって迷惑かも知れないが、もしも有名社会に出て、友人を作るなら、
少なくとも不特定多数のユダヤ人やイギリス人よりはダルビッシュのほうが候補に
あげやすい。それに、マリ子もこんなでっかい男(ダルビッシュ程ではないが)に
好き好き好き好き言われて、付き合いの全責任を背負わされるのも酷だろうから、
仮に出ていくにしても、マリ子以外との付き合いも受け入れられる範囲では
ちゃんと受け入れていくという意思表示も込めて、こんなことを言った。

全2ちゃんねらーを代表しろとは言わない。ただ個人的にであっていい。
全ての憎悪を断ち切れず、事後にまた非難的な書き込みがあったとしても、
ただ一つだけであろうとも、一人の人間の憎悪の火種が断ち切られたという
確信を持てるような書き込みがあれば、これ幸い。一つ消せれば、次も望める。
不当性ではなく正当性の、寓意ではなく誠意の、犯罪律ではなく道徳律の、
そして憎悪ではなく聖賢の連鎖を促す第一完了消化対象になってくれ。
959名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 18:37:15 ID:YljU7zCa0
ある種の宗教――仮面の宗教――犯罪律が己の不当性を隠す(正当化する)
ために被っていた宗教の仮面――それが聖書教(ユダヤ教、キリスト教)。

「仮面の告白」もまた、すでに用意されていた。林檎の正体も解っていた。
でもまだ何かある、仮面の内側に何らかの余剰的な価値があると希望的に
観測していたからこそ、仮面を被り続けた。実は単なる犯罪原理主義。

誰も解ってはいなかった。犯罪律はしょせん犯罪律でしかないということ。
“確信犯”など一人もいなかった。仮面を被っているつもりの仮面だった。
問題は、仮面自身の罪だ。罪に犯させられていた者どもの罪だ。
有罪か無罪か、執行猶予ありかなしか、恩赦ありかなしか、それとも死刑か。

知りません。警察も検察も裁判所も刑務所も死刑台もみんなあんたらのもんだ。
犯罪と刑罰と教誨という、犯罪律の体系的構築者の所有物だ。犯罪関連証拠品だ。

だからそういった、犯罪律への傍観者であることこそが自分の役割といえる。
傍観者として勝手なことを言わせてもらえば、犯罪律の仮面もきれいであれば
あるほどいい。(犯罪律の中では)さして罪もなく絵を描いたり彫刻したり
音楽やってたりしてた人たちのほうが近づきやすい、それは当然のこと。

でもそれが実際のところ、どす黒い既成の犯罪加害とも本質的に同一であると
分かっている。犯罪被害と犯罪加害、新約聖書と旧約聖書、正教やカトリックと
ユダヤやプロテスタントの表裏一体をよく知っている――にもかかわらず
それらすべて、少なくとも今の今までは犯罪律そのものであったことはない。
犯罪律に犯させられていた、犯罪律が被っていた仮面の側、いわばその犯罪律の
仮面の表側が犯罪被害であり、新約聖書であり、正教やカトリックであり、
裏側が犯罪加害であり、旧約聖書であり、ユダヤやプロテスタントだった。

仮面は仮面でしかない。仮面に犯罪律としての責任を問うても仕方がない。
ただ、これからは犯罪律の被る仮面ではなく、道徳律の被る仮面となるように。
のみならず、道徳律の“真面”とすらなるんだ。仮面としての罪滅ぼしにも。
今まで仮面としてのきれいさ美しさを磨いてきた理由もそこにこそあるはず。

仮面でしかないが故に、美しい仮面であったという自覚を。
美しい仮面として最大限に活用された先にこそ、内面まで美しい、
内外共に美しい真面となれるのだということを忘れずに。
960名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 20:27:02 ID:5sRlWtmC0
また削除依頼出しておいたから
961名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 21:42:49 ID:sd48GN380
随時ログ保存してるんでどうでもいい。
そろそろこれも言っちゃうかな・・・?

精神病もまた、正当不当の混同=みそくそが原因だ。
正当なものと不当なもの、誠意的なものと寓意的なもの、
道徳律と犯罪律、聖賢と憎悪、つまり非聖書由来と聖書由来が
何の屈託もなく混在して、そこら中の文化文明となっているのが
人間に必然的なストレスを抱かせる。明らかに正当に働いている者や
不当に働いている者はともかく、適当に正当や不当に労動(work)
している者の内で、特に敏感な者が、正当性と不当性の一緒くたや、
不当性のなんの慎みもないひけらかしによる不恰好な記述造形を
本質的に犯罪寓意(クライモラル)であると本能的に感じ取って、
(反道徳でも悪徳でもなく)犯罪である恐ろしさにこそ怯えて
最悪の結果狂って、自殺したりする。

本来の東洋――正当性や誠意や道徳や聖賢が当たり前に
世の中を形作っていた世界に、精神病などは存在していなかった。
狂おうが自殺しようが関係ない。なぜなら狂ったり自殺したりすることの
医学的体系化もまた、不当な世界、特にユダヤ(フロイトとかデュルケーム)
やプロテスタント(ユングとか)の所業だから。連中が金稼ぎも兼ねて
精神病理を体系化することがこれまた無垢に、精神病を正当化した。
精神病理学の頒布こそが自明に精神病を誘発する。
顕在を言及するのではなく、言及こそが顕在を生む。
その中でも最もクリティカルなのが精神病だ。

犯すから罰する、病むから治す、いつだってマッチポンプだ。
しかも本当は罰するために犯させたり、治すために病まさせたりしている。
少なくとも聖書圏はそうだ。新約聖書よりも旧約聖書が古いのが何よりの証拠。
生産と消費の間で介在的に利殖して利殖して利殖して利殖して・・・
結局それは何だったのか、原油高の高騰も一体なんのためか?
全てはより盛大なマッチポンプのため。産ませて殺す人命稼働率の向上策。

行く手にあるのは唯一、犯罪律。
大量生産、物量投入、人海戦術、どんなに威力を示そうとも所詮犯罪の奴隷。
実地の犯罪加害や精神病が少数派に抑えられてるからって、見損なっちゃいけない。
この世界の半分近くかそれ以上を統括している連中こそが、犯罪律の虜であることは
むしろそれらの事実からは読み取りにくいことのほうだ。司法や精神科ですら
この世界の犯罪律側の人間である側面が大きいから。原則としての犯罪律が
この世界のあまりにも多くの部分を形作っている、だからどうだ?っことだ。
それらはすべて犯罪者側の問題だ。原則的な犯罪者である連中の。
犯罪でもいいと思うならやってしまう。駄目ならやめる。原則として。
すべては原則の問題。原則的であるときにこそどうすればいいかを考えるんだ。
962名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 23:27:03 ID:sd48GN380
原則として犯罪者でなければならない瞬間はあり得るか?

言及する以上、それはない。

言及するからこそ、あり得ないんだ。
逆に言えば、言及しなかったからこそ今まであったんだ。
「原則的な犯罪者」なるものが。

原則的に犯罪者であることを非・寓意的に正当化することはできない。
なぜなら、犯罪だから。例えば強姦で被害者を手なずけるような。
だからこそ「磔刑」だの「わき腹の傷口」だのとアレゴライズ(寓喩)してきた。

自分たちの欲望を満たすために他者の利権や精神性を侵害することを
原則として正当化するために寓意的な美辞麗句をこしらえた。
「言葉は神である」の倒立論理で、寓意であることすら隠蔽して美辞麗句として完結させる。
(「聖書」という書名自体、そういった言葉の価値の偏重を強く肯定する意味合いがある)
編纂者はともかく、享受者はそんなこと知らずに美辞麗句に心酔して奔走する。
もしかしたら編纂者自身ですら、美辞麗句であることこそが本質だと倒錯していた
かもしれない。原則はあくまで美辞麗句であって犯罪的であることは二の次であると。

でも、実際そうでない。
美辞麗句であることにも確実な意味合いがあって、それが犯罪寓意(クライモラル)だった。
動物ならともかく、言葉の分かる人間である以上、わきまえざるを得ない犯罪性がある。
言い逃れはできない。美辞麗句として理解していた以上、犯罪寓意としても理解できるのは
当然。美辞麗句として理解できるからこそ犯罪寓意としても理解できる。できないならできない。
どっちかしか理解できないなんてのは、皇統と旧約聖書の対比と同じで都合が良すぎる。
皇統が御伽噺なら旧約聖書も御伽噺、旧約聖書が史実なら皇統も史実。二つに一つ。
旧約聖書は認めて皇統は認めない、美辞麗句は認めて犯罪寓意は認めないって、
そうは問屋が卸さねえ。両方とも認めるか両方とも認めないかどっちかにしろってんだ。

原則として聖書に従うなら、こっちが原則として記紀に従うことにも逆らわない。
原則として美辞麗句を称えるなら、それらが原則として犯罪寓意であることも甘受する。
所詮は記紀や犯罪寓意の“顕在”に気付くまでだけの、夢物語であったということです。
まだまだ世の中気付いてない人は多いようですが。まだ言及“されて”ない人々が。
963名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 00:49:32 ID:5ubxCfct0
聖書と聖道――言葉は似てても全くの真逆。
片や犯罪的寓意的不当性を定立し、片や道徳的誠意的正当性を定立する。

見誤ってはいけないのは、「聖書」という書名自体がすでに寓意であること。
犯罪的寓意的不当性の書物である以上、明らかに「俗書」と読んだが正当。
でもそれじゃあ人気が出ないんで、ひっくり返して「聖書」にした。これである。
(まあ、これはあくまで日本語名としての話だが。bibleとかの由来までは知らん)

俗書に則るとすれば、それは「俗道」だ。まさに聖道の反対。
求道者でも「俗道者」、賢くても「俗賢」、霊魂は「俗霊」、大偉人は「大俗人」。

「聖○○」とか呼ばれていたものを「俗○○」と呼び替えただけで、ほとんどの言葉
の意味がなくなる。馬鹿にしたり、皮肉としても使えない妙ちくりんな言葉ばかり。
本来はそういったものに対し、聖性を寓意的に付与したからこそ不当になり、
憎悪を溜め込む犯罪律の教科書にもなった。

俗を、俗以上の何者でもないとわきまえられたなら、
むしろ俗は勝手に自分で萎縮するもんなんだ。恥ずかしくなって。
俗にあらかじめ聖性を付与する潜在的なブースター(聖書)があったからこそ、
今の世の中もここまで俗っぽくなった。ある程度はそれらのブーストされた俗が
不当であることを感じつつも、ほとんどの人間がそれらの俗のブースターの本性に
気付いていなかった。だからたらたらやってきたさ。今まで。

有益有害でも無益無害でも有益無害でもなく、無益有害であることが分かった
からこそ、なんとかなるって話。ブーストされた俗との腐れ縁を断ち切るいい機会だ。
聖すぎず俗すぎぬ、昔のような江戸に東京らが戻るのにも。
964名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 01:46:50 ID:q4G5DKIX0
500mリットルを、250mlのコップに2杯にそそぐ。

1=1+1
つまり1から2が生まれる。
別の概念が加わる域では数学の閉ざされた世界の法則は通用しない。
つまり1+1=2だと信じているものは閉じた世界でしか
物事を考えられない、知識だけを学んだ知的信者(科学万能主義)
ではないのか?

哲学者なら事象を疑え。この世は特定の見識だけでは閉じた世界を
考える結果になるが、実際的には開いた世界である。
極わずかな差があればバタフライ現象によって無限の差へと変化する。
三体問題以上が解けないのはこの多様性の根元が世界の本質だからだろう。
特定の閉ざされた世界では論理は通用するが、別次元の論理には通用
しない。アメリカの正義とイスラム主義の衝突のように。
965名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 05:14:08 ID:q4G5DKIX0
最近、「価値観が多様化してきた」 などという莫迦の言葉をよく聞く。

まず価値観というが、”価値”それ自体が元々相対的なものである。
たとえば私のお母さんは私にとって他の人間とは比べ物にならないほど重要であるが、
それは他の誰かにとっては沢山の人間のうちの一人に過ぎないだろう。
多くの人間は、「普遍的価値」、「客観的視点」というものを信じている。
しかしながら相対性理論よろしく、価値においても観測者たる主体と観測される客体
という一対一の関係の問題なのだ。

多くの場合、「客観的に見て私のお母さんは他の人間達と同じであり、私が母を重要視
するのは主観的過ぎて間違いである」と主張される。
しかし、その客観的視点そのものが”分類学上”という観測点なのであり、
もっと観測者を変えてしまえば我々人類など地球上でうごめく炭素でできた化学反応体、
文明などコケでしかない。
我々にとって空き缶はゴミでも、金属が少ない星の人にとっては宝であり、金でできた
星の人間にとっては金は石ころだ。

このように価値観は元々多様なのであり、観測する視点によってそれぞれ客体の価値は変わるのだ。
ところが、その多様な価値観を放置しておくと社会が混乱するので、唯一絶対の視点を作り上げ、
それによって価値を普遍化したものがある。
それが一神教だ。
そしてその一神教による普遍的価値から、善悪、倫理という共同幻想を作り上げたのである。


つまり生命操作に対する”倫理的”問題、いのちの尊厳、などというのは宗教の話なのだ。
宗教を入れないで考えるならば、生命操作に対して正しい間違いを述べられるようなものではない。
クマがクマのことしか考えて生きていないように、人間が人間のことだけを考えることも
論理的に否定できるものではない。
生命操作は、我々が社会的なルール、共同幻想、人類という集団としてそれをどうするか?
という主義の範疇なのだ。
自然尊重主義と、人間のことを第一に考えたいと思っている人間中心主義。
本当はこの違いでしかない。

しかしながら大概自然崇拝に近い自然尊重主義者たちは、自分たちが主義者であることに
すら気づいていないのが現状だろう。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 07:46:46 ID:5ubxCfct0
>>964-965
リベラルはいいんだ。それ自体は。
問題はあなたみたいな本質的リベラリスト(自由の大家)の大部分が
なぜかユダヤ人やイギリス人みたいな犯罪加害原理主義者で
あるってことだ。

リベラルを“言及”できるような着想や認識の拡張(帰納)のために
すでに俗のブーストを必要とする。例えば旧約聖書によって。
(コーランはそうでもない。俗のブースターとしての価値があまりない)
世界中の有用金品を犯罪的に収奪して銀行や博物館に収めるような
貪欲さの背景にすでに俗のブーストがあり、そのために“ちゃんと”
宗教が使われてきた。宗教を道具として利用する。有用な側面だけを。
でもそれはあくまでも有用な側面だけを利用できる猶予があってこそ。
美辞麗句と不可分な犯罪寓意の存在性に気付かされるまでのこと。

「顕在を言及するのではなく、言及が顕在を生む」の原則が
美辞麗句としての場合だけでなく、犯罪寓意としての場合にも当てはまる。
道具としての宗教や学術を広範に理解してきた者であるからこそ
避けて通ってはいけない原則の問題がある。原則が犯罪であること。
目の前にあるものではなく、背後にあるもの。背後からおまえ自身を
突き動かしているものの犯罪性を言及によって顕在化した。
語れるなら理解できる。語れるからこそ理解できる犯罪性を。

語れる者同士の問題である。おまえと俺の。
何も語らない動物や自然や理科学法則自身の問題ではない。
言葉を理解した人間だからこそ問われる責任があるのだ。
いつまでもノーコメントじゃ通しきれない責任が。
967名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 08:04:57 ID:5EVgnmyz0
キチガイが暴走状態してるな。。
968名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 08:12:42 ID:5ubxCfct0
リベラルの言及がすでにこの世界のほかの誰かのリベラルの収奪である。
精神病や自殺の言及がすでにこの世界のほかの誰かの精神病や自殺の、
犯罪の言及がすでにこの世界のほかの誰かの犯罪の誘発材料である。

言及そのものが犠牲(サクリファイス)を不可分に必要としている。
犠牲の結果言及するのではなく、言及こそが犠牲を求めているんだ。

にもかかわらず(犯罪を)言及する連中って、一体なんなのか?って、
明らかに犠牲の要求者なんだ。「人々が犠牲を要求している」のではなく
まさに今そこで犠牲の必要性を言及しているおまえこそが犠牲の要求者だ。

責任を自分以外の誰かに押し付けることによってのみ適う類の言及がある。
それこそが不当な言及であり、寓意的な言及であり、犯罪的な言及である。
言及の直前に今一度、その言及が犯罪的寓意的不当性の賜物ではないか
省みる配慮こそが必要とされている。
969名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 08:46:53 ID:5ubxCfct0
「俗」であることもまた、一二の宗教になりえたのだ。新旧約聖書信仰という。
俗でないから宗教ではなく、俗だからこそ宗教であるという段階があるのだ。

中国もインドもアラブも宗教的ではあるが俗ではない。多少は俗もあるが、
少なくとも宗教的であると同時に俗であることはない。俗でない宗教の信仰。
根本的に俗を肯定しない宗教。リベラルとか精神病とか自殺とか犯罪とか
語るまでもない、語った時点で俗を肯定してしまうと始めから解ってる宗教。

「俗であれ」「俗であるな」いずれであれ。積極的に俗を強調すること確かに
“俗教”である。“俗書教”である。体系的に正当化された俗物根性である。

本質的に新宿歌舞伎町であるからこそ、むしろ外面は新宿歌舞伎町である
ことを厭う。新宿歌舞伎町そのままでは取締りの対象になること必至だから。
取締りを巧妙に抜け出て人心を掌握した、新宿歌舞伎町教。林檎教傷口教。
970名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 09:02:15 ID:5ubxCfct0
本当に聖道を目指す人間は、聖であることと聖でないことについて語る。
俗道しか目指さない人間は、俗であることと俗でないことについて語る。
聖であることが俗でないとか、俗であることが聖でないとかまやかしだ。
聖俗の求道は「そうである」「そうでない」の両面において分裂している。
聖道を目指す時、聖書(本当は俗書)が反面教師以外のいかなる参考
にもなりえないことを知らねばならない。大学教授級であっても乳児園
からやり直さなければならないぐらいの覚悟が必要になる。マリ子でも
もし本当に聖書信仰者で少しでもあったならば、それぐらいの気持ちで。
971名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 09:55:59 ID:5ubxCfct0
少しでも「行ってあげる」であってはならない。
少しでも「行かせて頂く」でなければならない。

あなたがへりくだるのではなく、あなたが行くことがへりくだるのだ。
あなたにへりくだってもらわなければならないほどこっちも偉くはない。
ただ、「行くこと」が尊大化されるのを許せるほどこっちも卑しくはない。

行く以上は、行くに関連してへりくだる。
あらかじめ「行く」の犯罪性を「へりくだる」の道徳性で相殺する。
そこで初めて、こっちから声かける要件も辛うじて満たされる。
972名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 10:58:33 ID:5ubxCfct0
こっちだってそうだ。
少しでも「かけてあげる」であってはならない。
少しでも「かけさせて頂く」でなければならない。

あげるあげるから、頂く頂くへ。支配意識から互恵意識へ。
何かにかけて無駄な罪を重ねない配慮を。のみならず
不可避な原罪であっても、あたう限り粗相のないように。

どうぞよろしくお願いします。
973名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 11:19:31 ID:5BdFCRDd0
削除依頼追加
そんなに自暴自棄にならなくてもいいんじゃないの
974名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 12:19:24 ID:5ubxCfct0
行動規範を述べてるだけです。
最大限に正当であり、最小限に不当である。

言及は大層でも、望んでる行動はただの日本人。
俗書との関連で遠回りし過ぎた結果がこれ。

俗書圏などでは「最後の審判」なんて
呼ばれたりもすることになるであろう、
ただの日本人の日本還り。
975名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 13:38:33 ID:5ubxCfct0
願わくば、ここに書いたようなこと(俗書批判)に予め関連しないように。
不当性の正当性による、寓意の誠意による、犯罪律の道徳律による、
憎悪の聖賢による、俗道の聖道による相殺。本当はなにもいらない。
言及や行為や動作が無垢に罪もなく他愛もないこと、これである。
壷に縄目文様入れるだけで満足してた1万年間(16000-6000年前)
が本当に主流な人類の文化文明だったのだと考え直してみるんだ。
縄文土器の壷に痰を溜め込んでただけのここ6000年だったと捉える。
するとあら不思議、何者にも囚われる必要なんかないことに気付く。
配慮を欠いた言及をともなわない、真の自由や独立や愛や平和が
壷の縄目文様にだけ織り込まれてる。それがすべて。without All'nAll
976名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 14:34:45 ID:5ubxCfct0
もうね、飽きた、世の中に。
不当に水増しされた仮構物だらけの文化文明に。

絶望したとか、不満だとか、倦怠とか
そんな大それたもんじゃなくて、ただ飽きた。
977名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 17:57:58 ID:idauVEEs0
最大限正当であり、最小限不当であるよりは、
最低限正当であり、最低限不当でないのを目指すのが先か。

ただ、それにしたってもう、俗書(聖書)に則るという選択肢は、ない。
ここの書き込みを読んで理解した人。言及による犯罪寓意の顕在化を確認した人。

まだまだ少ないだろう。世間付き合いでどうしても俗書的なものに
接する必要性も多少はあるだろう。ただ、それにしたって お ま え はもうない。
そこのおまえ。これを読んでるおまえ、あなた、みなさん方。

俗書的なものをほんの少しでも正当化、肯定する人間が、
ここでの言及を十分に踏まえた上でまだ態度を変えないとすれば、それは妙ちくりんだ。
新宿歌舞伎町や二丁目を聖なるものとして讃える妙ちくりんな人々だ。

新宿歌舞伎町も二丁目もある。聖なるものも実際ある。
でも新宿歌舞伎町や二丁目を聖なるものとして崇めるとなると、ちょっと知らない。
言及によって顕在化された「新宿歌舞伎町や二丁目に聖性を与える傷口教や林檎教」。
信じられるものなら信じてください。椎名林檎でも新たな教祖様に据えて。
978名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 17:58:32 ID:idauVEEs0
マリ子も「おまえ」の範疇だろう。少なくとも来る以上は。
で、正直なことを言わせてもらいますと、

椎名林檎を唯一絶対神として崇めるような
奇特な女性の面倒まで見させられるのは、ごめんこうむります。

せいぜい曲が好きとか、そのぐらいにしといてください。たぶん、
林檎さん自身もかなり身を削ってやってるところあると思うんで。
979名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 17:59:11 ID:idauVEEs0
思うに、真のキリスト教って、聖書を捨てた処から初めて始まると思うんだ。
聖性を活字のみに与えたことが寓意なら、聖性を堅実にこそ与えるのが誠意だ。
寓意は犯罪律となり、誠意は道徳律となる。逆方向のベクトル同士で最大級の
綱引き競争をした結果、犯罪律が道徳律に負けることで初めて言及と行動
両面における聖性が確立される。聖賢による聖書の超克による聖道の確立。
そこに有意義を見出したのがコーカソイド(白人、インド人、アラブ人)で、
聖書(白系)と聖賢(インドアラブ)の勝負を先天性の道徳者であるモンゴロイドが審判する。
聖書自体、聖性にこだわるコーカソイド全体にとってのいち帰属物であり、
捨て鉢側は捨て鉢側として精一杯やるという上でのメルクマールだった。
とはいえ結局捨て鉢は捨て鉢、鉢を完全に捨てて初めて始めることができる。
捨てさせる、捨ててもらうのはこっちの仕事、本当に捨てるのはそっちの仕事。
精神性が根本的に受動性であるコーカソイドが聖書を自分で捨てるからこそ、意味がある。
980名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 18:36:57 ID:idauVEEs0
「わかった、じゃあかえる(collectible understanding and changing)」
から「僭越ながら、替えさせて頂きます(英訳不能)」へ。

脳内言語が漢字を最優先できて初めて始まる「替わった私」。
981名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 20:33:58 ID:5ubxCfct0
「あんなに俗っぽかった私が、こんなに俗っぽくなくなっていきます!」
(俗書圏・白人圏の回心者、Aさんの言)

「始めから聖を目指していた私が、どんどん聖らしくなっていきます♪」
(聖賢圏・インド圏の求道者、Bさんの言)

「聖も俗も程ほどに、最低限の道徳に則って生きていきます・・・」
(道徳圏・日本圏の生活者、Cさんの言)

基本的道徳性を「1」であると捉えるなら、
−1<Aさん≦0、 0≦Bさん<1、 Cさん≒1(実は−1≦Cさん≦3)。
AさんとCさんは、自分たちが則ってた場所(1、−1)の見た感じ(絶対値)
が似てるんで、親和しやすいように思うが、実は絶対差分は2もある。
俗っぽかった人間(Aさん)が俗っぽくなくなることで得られるのは実は
聖性をわきまえていける立地点(0)でしかなく、そこからさらに
聖性の高みをBさんと共に目指して始めてCさん(1)にたどり着ける。

−1<AさんとBさん<1がコーカソイド、聖俗を司る人々。
Cさん≒1がモンゴロイド、道徳を司る人々。協働して得られる聖道(聖+道)。

Dさん(ネグロイド)が早く完了してくれるのを待っている。
−1〜1が−1〜3によって絶対的な1に掃き清められるのを。
982名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 21:11:12 ID:5ubxCfct0
半分俗書教徒・白人(Aさん)で、もう半分先天性道徳者(Cさん)であるマリ子と、
ほぼ完全に先天性道徳者(Cさん)であるおいらとが共に「1」になるためには、
マリ子自身が、先天性道徳者としての能力を最大限に発揮する必要がある。

(−1+3)÷2=1.

今までやってきたことは、俗書教徒(Aさん)として最大限俗っぽくなくなろうと
してた努力家のマリ子に、オイラがあたかも聖賢(Bさん)の初心者っぽく接してた。

Aさんの最努力=Bさんの開始点=0.

言及で聖俗を相殺した結果得られるのは結局「0」でしかない。
それは先天性道徳者であるオイラが、最大限先天性道徳者として能力発揮した
場合のハーフマリ子と基本的道徳性(1)に則って付き合う場合の参考にはならない。

“頂く頂く”の最大限の道徳精神(3)と、“あげるあげる”の犯罪精神(−1)を
足し合わせて基本的な道徳者(1)となるのは偏に、いまのマリ子自身の仕事。
犯罪律(−1)の関与者であるからこそ、最大限の道徳律(3)に則る必要がある。
最初から犯罪律の従者でないオイラ(1)とはまた別の問題。
983名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 22:12:28 ID:5ubxCfct0
やたら分かりにくい>>981-982の議論を線分図で概略した。
ttp://lozenge.web.fc2.com/seizokudo.jpg

オイラは基本1にいる。マリ子は半分1だがもう半分が
−1、そのまま足し合わせても1+(−1)で0になるだけ。
今までこっちが勝手に、それに合わせて0にしてきた。
マリ子が足し合わせて1になるためには、1だった半分を
わざわざ3にまで持ち上げなきゃなんない。大変だが。
そしたら(−1+3)÷2でやっと1になれる公算。

先天性道徳者にとっては当たり前の世界。しかし
マリ子にとっては新しい世界。替わったあなたの。
984名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 01:00:43 ID:9EYduOfX0
宇宙=集合的無意識
985名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 06:19:47 ID:u3Qyr6F+0
ttp://lozenge.web.fc2.com/kaiten.gif
共変的な幾何学構造であるだけの話。人間心理も含めた。
こっちにとっちゃああまりにも今さらすぎる話。
986名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 06:57:07 ID:u3Qyr6F+0
原論はすでに、3000年以上前に出来上がったてたんだ。易経として。
幾何学としての原材料もピタゴラスやユークリッドが用意していた。
いわば易経と幾何学の厳密な共通項が、この世界の正体。
それを探り出すのに3000年以上もかかった。
時にはひどく俗悪な手口も用いて。

ただ、その「探り出す」という行為自体、ほぼ全て人間の中でだけ行われた。
いくら原爆が莫大なエネルギーを伴うからって、活火山や台風のエネルギー
には遠く及ばない。単純な技術力、精緻さであろうともどちらかといえば
鳥のほうが上。すべては大自然の内側でだけ行われたこと。

自然と意識、どっちが先にあったかつったら、明らかに自然が先。
何も語らない、何も定義しない、かといって語られたり定義されたり
したからといって何か変わるもんでもない。ただそうであり続ける(恁麼)。
語り語られ、定義し定義され、基本はすべて人間自身の問題。
やったらいいと思えばやればいい。やるべきでないと思えばやるな。
人間性の完全なる自律のみが真の神への帰依の道ともなる。
987名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 08:52:37 ID:u3Qyr6F+0
>>983の線分図の1から2は尊敬、2から3は謙譲だと思えばいい。
このへんがいわば儒教、論語とかそのあたりの範疇。

でも、尊敬や謙譲は本で読めば何とかなるってもんでもない。
実地の訓練がいる。論語読みの論語知らずにならないための。

あえて言わせてもらえば、韓国人とか関西人とか、そのあたりを見習え。
あれら自体は尊敬や謙譲の行き過ぎ、儒教的価値観の行き過ぎだが、
俗書的価値観、犯罪精神の行き過ぎな西洋人などが見習うには最適。
行き過ぎを反対方向の行き過ぎで釣り合わす。毒をもって毒を制すの論理。
988名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 13:22:23 ID:TrFLMCVJ0
次スレ立てたよ。

高橋マリ子@クローバ畑でつかまえて Chapter20
http://tv11.2ch.net/test/read.cgi/actress/1216181227/l50
989名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 13:33:16 ID:u3Qyr6F+0
これでマリ子も、やっと芸能界に戻れるね♪
上戸彩に、椎名林檎に、和田アキ子・・・
みんな尊敬&謙譲すべき先輩&友人だね♪

基本もう書かないから。
特にオイラと分かるようなのは。
ネット上でさよならとかあんまり意味ない。
でもまあ、とにかく、一旦落ちます。
990名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 09:36:11 ID:b2VIBFrN0
ume
991マリコ:2008/07/17(木) 09:41:44 ID:eNCsu7jD0

  〃人 ヽ
  |il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
  |(    )|
.  | l |
.  | | |
  (_)__)
992マリコ:2008/07/17(木) 11:48:51 ID:8j97/uZc0

  〃人 ヽ
  |il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
  |(    )|
.  | l |
.  | | |
  (_)__)
993マリコ:2008/07/17(木) 11:53:48 ID:8j97/uZc0

  〃人 ヽ
  |il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
  |(    )|
.  | l |
.  | | |
  (_)__)
994マリコ:2008/07/17(木) 12:15:48 ID:/68i+hhU0

  〃人 ヽ
  |il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
  |(    )|
.  | l |
.  | | |
  (_)__)
995マリコ:2008/07/17(木) 13:16:24 ID:/68i+hhU0

  〃人 ヽ
  |il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
  |(    )|
.  | l |
.  | | |
  (_)__)
996マリコ:2008/07/17(木) 14:13:42 ID:HpuRG13P0

  〃人 ヽ
  |il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
  |(    )|
.  | l |
.  | | |
  (_)__)
997マリコ:2008/07/17(木) 14:31:51 ID:HpuRG13P0

  〃人 ヽ
  |il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
  |(    )|
.  | l |
.  | | |
  (_)__)
998名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 14:47:20 ID:vVK+Bogd0
998
999名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 14:49:47 ID:vVK+Bogd0
999
1000名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 14:58:28 ID:vVK+Bogd0
  〃人 ヽ
  |il|‘-‘)| < 1000!
  |(    )|
.  | l |
.  | | |
  (_)__)
10011001
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。