高橋マリ子@クローバ畑でつかまえて Chapter19
1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
2 :
現在放映中CM:2007/08/29(水) 14:27:15 ID:KjNMKVYm0
8 :
リンク:2007/08/29(水) 14:31:59 ID:vF8Ul5Xl0
10 :
書籍関連@:2007/08/29(水) 14:33:27 ID:vF8Ul5Xl0
11 :
書籍関連A:2007/08/29(水) 14:34:06 ID:vF8Ul5Xl0
12 :
関連ブログ:2007/08/29(水) 14:34:45 ID:vF8Ul5Xl0
13 :
ファンサイト:2007/08/29(水) 14:35:20 ID:vF8Ul5Xl0
14 :
おまけ:2007/08/29(水) 14:36:22 ID:vF8Ul5Xl0
ついにニッセンモデルにまで成り下がったか
いくらなんでもテンプレ多すぎだろ・・
スレ立て乙
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 16:13:03 ID:e2KYGuw30
age
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/30(木) 22:52:11 ID:lFyoArq20
21 :
マリコ:2007/08/31(金) 08:50:49 ID:Qx25OMMi0
>>1 〃人 ヽ
|il|‘-‘)| . ロ < スレ立て乙。ミナクア飲んで♪
|( つ ハ
. | l | .|□|
. | | |. . ̄
(_)__)
マリ子の泉から湧き出てくるミナクア飲みたいです。。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/03(月) 03:32:24 ID:F3JF0JqzO
処女の泉か。。
ミナクアのCM、恍惚とした顔で滝とたわむれるマリ子が
あまりにも官能的だった。すっかり女になったなぁ。。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 02:51:27 ID:vY91pGax0
/ ̄ ̄\ 夜中に食うラーメンは最強だなww
/ _ノ \
| ( ⌒)(⌒) ____ 至福の時だおwww
| (__人__) / \
| `。⌒ソミヾ ゚ / ⌒ ⌒ \
| イリ ),丿 ; ∫ / (⌒) (⌒) \
) 。} )ノ。 | ⌒(__人__)"⌒ |
/⌒ヽ、 ノ'゜( ∫ \、 ` ー゚´ ,/
___| | \_Y´ 丶 ゚ __/" \、 ; ー゚ "。 \ ∫ ∬
| | | | Y`⌒ヽ、 ; ゜ ∬ | | / ,r'うi=ョ=ョ=ョ=と)\
| | | | /゙\,ィ゙i=ョ=ョ=ョ=ョ | | / _/ ⌒ノ\ ____ ,⊂ノ゙、ヽ i=
| | | 〆 /" \ ____ / .|
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/04(火) 19:42:29 ID:KsVuieT20
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 05:19:58 ID:NRKInJYY0
マリ子は東京ガールズコレクションに出なかったのかな?
もう消えてる。。
ソトコト最新号によると、
ギリシャに父方の親戚がいて、
秋ごろギリシャへ旅に出る予定だそうだ。
女優として売れないのに余裕だよね。
旅行ばっかりいって。他にやることあるだろどう考えても。
かわいそうな子。
明日も明後日も、明々後日も現行犯
反省の色など皆無に等しい
その現行犯の嫁
REINAって雑誌のBOOKレビューコーナーで、
「水曜の朝、午前3時」って本をマリ子が薦めてる。
マリ子自身、人を好きになったら「この人以外ありえない!」ってなるそうで、
「運命の出会いを信じてるあなたに」ってこの本を薦めてるよ。
え?運命の出会いとか信じてるの?ブリッコ中古なのに?www
現実見ろよwww
やっぱりこんな即物レスが来ると思ったわ。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 01:47:44 ID:b+BkOuBs0
↓この人痴漢です
>>35 「ヴァージン・スーサイズ」とか「水曜の朝〜」とか
処女文学が好きなんだな。
遠回しに処女性をアピールしてるような、
いや少女性というべきか。。
マリ子とカフェで文学論を交わしたい。。
「女帝」に出てローサのライバルホステスとか演ってほしかったな。
ローサと共演ならマリ子の演技も映えそう。
ローサは場数踏んでるから、マリ子よりは圧倒的にうまいよ演技。
モデルだけでいいと思う。
それとハナコ読んだ人内容どうでした?もうなかったー。
>>42 東京の高級ホテルのレストランを紹介してたよ。
家族で何度か来たことがあるって。
掲載は1カットのみ。
でもそれってマリ子が稼いだ金だよね・・・
家族でか・・・・ポーリーどういう気持ちだろう
マリ子はパパのことがとっても好きな娘ですよ。
マリ子の金で生活する無職のパパ
世界中を飛び回って男に股開いて、その男と結婚した負け犬文子
その二人を養うために、しょぼい映画に出たり、人気低迷にも負けず
モデルで稼ぐ、けなげなマリ子。
正直泣ける話だと思う。俺がマリ子の立場なら親殴りたい。
マリ子も裕木奈江みたいにギリシャへ演劇留学すれば
デヴィッド・リンチに抜擢されるような転機が訪れるかも。
申請が通れば国費で留学できるそうだし。
新創刊のREINAにはどんくらい出てた?マリ子ちゃん
ブックコーナーの1ページだよ。
マリ子に、今こそ、演技をするよう頼みたい。
一世一代の、大演技を。
hosh
age
ash
age
hosh
mariko
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 11:24:41 ID:elcJWdWGO
マジギレ
なんで?
マリ子にも沢尻ほどの太々しさがあってもいいと思う。
マリ子が沢尻や長澤ほどに人気がでないのは
ぶっちゃけオナニーのネタにならないからだと思う。
顔整いすぎ、胸なし、夢見がちってどれもオナニーの
ネタにしたがってる奴らの誹謗の根拠でしかない。
ありのままのマリ子を好きな人間も必ずいる。例えば・・・
>>64 事務所の力の差だろ?
スターダストの沢尻と東宝芸能の長澤に
個人事務所の人間が勝てるわきゃない。
大手事務所に入るということの本質は何か?
それは、大人数のオナネタになるということ。
オナネタは愛せない。
事務所もそれは計算済み。
全てのアイドルは消耗品である。
本当に愛されるチャンスすら逸して。
>>67 長澤成宮とくっついてんじゃん。
あんたみたいなキモオタばかりがアイドルを
取り巻いてるじゃないって気付けバカチョン
化粧品屋行ったら、
資生堂 ビューティーブック 初冬号の表紙がマリ子だったよ。
みんな化粧品屋へGO!
BOAOの最新号に載ってた。
痩せて顔がシャープになってたよ。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 13:38:37 ID:/HBhyj5vO
最近もスタバに行くのかな?
マリポッポ
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 23:37:18 ID:D3Yzy9Jj0
ミナクアのCM、
滝とセックスしてるみたいでエロいな。。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/11(木) 18:31:53 ID:5WgHTPJW0
そういえば、最近雑誌見てなくて、よければレビューしてくれませんか?
モデル板でレビュー貰うと荒らししかいないから。お願いします<(_ _)>
おフランス帰りのマリ子ちゃん、おかえりー♪
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 11:02:16 ID:O1FCP5q30
age
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/17(水) 21:27:31 ID:sODng1DZ0
>>77 BOAOは紐掛けしてないから立ち読みもできるよ。
秋のコート特集で10ページもマリ子が載ってる。
BOAOのマリ子はいつもメイクがクドくてコワイぽ。(´。・ω・。`)
ウエディング雑誌はいつもマリ子かわいく写るから
明日のグレイスフルに期待だね。
グレイスフルあげ
グレイスフル(ウエディング2008)、可愛い花嫁姿だったね。
左手薬指のリングがまた。。。初めて見たよ。。
オリも見た。むちゃキレイだった。
表紙おばちゃん臭かったから期待して
なかったんだけど、今年一番の仕事。
アリアのマリ子も雰囲気あってよいね。
とうとう「アリア」が公開されたけど、誰か観た人いる?
あと、東京国際映画祭のレッドカーペットをマリ子は歩いたの?
自分は地方なので・・・。
シンプルなベージュのきれいなドレス着て
髪カールっぽくおめかししてるのマリコでしょ。
日記に載ってたお人形さんも連れてきてるお!
(゜∀゜ )彡⊃
⊂彡
>>90 レッドカーペット見てきたの!?
日記に載ってたお人形さんてどんなだったっけ?
秋号は持って帰らなかったけど冬号は持って帰ろかも
>91
マリコにクリソツの身長100cmくらいのやつ
公式のサイトにレッドカーペットのちっちゃい写真があるお
>>94 人形持ってレッドカーペット歩いたの?
なんか変。。
ベージュ好きは母親とかぶる。
hosh
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/30(火) 09:28:53 ID:9KWGjDPmO
プレイボーイに少し載ってます。アリアに自信があると!
すごく良さげな映画だもんね。ナチュラルな空気感がマリ子にぴったり。
興行的には問題外だろうけど、海外の映画祭では評価期待できるかも。
映画祭サイトでアリアの舞台挨拶等の動画が見れるね。
寂しげな表情で振り向くマリコが素敵。ノノ*‘−‘)
たかはちマリモ
誰と付き合ってるの?
さあ
>>98 見たお。映画祭レッドカーペットを彩る美女特集
マリコが一番あつかいちっちゃかたけど、一番キレイだったお
(゜∀゜ )彡⊃
⊂彡
>>98 私も見た。
ギリシアの女神みたいなドレスに、
髪は全部横へ流してるんだよね。。すごい髪型。(^^;
こいつは何歳から日本に住んでいるの?
高橋パピ子
マリぽこた
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 14:50:01 ID:TzPeNv6IO
マゾこ
和やかにマリ子を愛す
(*^▽^)ホワホワァン
この一年は地獄の一年か、天国の一年か。
今のところは地獄の一年。
けれど貴女の出方次第では今すぐにでも天国になる。
天国か地獄か、貴女だけがそれを左右する。
更新マダ-?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
痛いニュースでこいつのことが話題にされてるぞ。
ところで、こいつのヌケル画像ってないのか?
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/10(土) 04:21:57 ID:wKRiAw460
飢え兎めぇっ!ヽ(`Д´)っ/凵⌒☆チンチンチン チンチンチン
結婚適齢期
あっそ。
/l、
( ゚、 。 フ <マリコスペシャルミニブックほすい
」 "ヽ
()ιし(~)〜
あっそ
マリ子ぽん
>>120 サンクス、買ってきたよ。
マイブームは、東京のガイドブック見て東京名所めぐり。
今読んでる本は、シュペルヴィエル「海に住む少女」って書いてた。
あと、珍しく私物の指輪してるね。左手人差し指と小指に。
あっそ
あっそ山
>>125 マリ子らしいナイスな読書してるね。指環はジュエリームックの感化だろね。
にしてもマリ子ってまだティーン誌のモデルで頑張ってるのか。
あっそ
前髪は下ろそうよ。
映画祭で「アリア」を観た、高橋マリ子が目当てではなかったけど。
すっごくケバイかった。
ところで、前から2列目中央に座っていて上映前の舞台挨拶が終わったら席をたって
上映後のQ/Aコーナーで戻ってきたキモヲタがいた。
映画本編は観ないでドコ行ってたんだろ。
>>131 マリ子の出番は多かった?
そんなにケバいの? 美貌ぶりはどうだった?
133 :
エロ・アカンターレ:2007/11/14(水) 10:14:35 ID:BFkRUxrk0
川村かおりのヘルタースケルターを見て考える。土屋アンナたちハーフはいったい
ハイソなパンクをどう考えているのか高橋には美貌のみではない可能性はないか?
真冬のボサノバ!
はっきり言って、マリ子にワンレンは似合わない。
大人っぽさを演出しようと躍起な子供の感が否めない。
あと、純粋白人に憧れてるようなイメージもある。
本人にその気があるかは知らんが。
>>120 JILLEみたお。4ページしか載ってなかったけど・・
ヵヮ。゚+.(・∀・)゚+.゚ィィ!!
A.P.Cのほんわかしたマリコがよいよ!
全然大したことない。本来のマリ子からすれば。
マリ子にはマリ子の生き方があるはずなんだよ。
それを自分の中にではなく、外に見つけ出そうと躍起になってる。
フランスに一体何があるというんだ? フランスは貴女自身ではないのか?
だから結局フランスまで言って東京の評判聞いて帰ってくるんだろ?
そろそろ帰ろうよ。本来のマリ子に。
無意味なしがらみ全部捨てちゃって。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/15(木) 01:12:07 ID:NIT212gZ0
俺んちはCatholicだったが(FranceはCatholicが大半)、ユダヤ人の
素晴らしい教育や宗教観は親父から教わっていた。ユダヤ人が
優れているのは認めざるを得ない。WASPらがいい暮らしが
出来るのもユダヤ人らのお蔭なのは事実。またユダヤ人が
優れているのも事実。勿論だ。
WASPは生ぬるい
聖書の教えに忠実なのは旧約を読むユダヤ人らだからだ。
Catholicは歪んだ教育をする。Protestantもそうだ。
聖書への忠誠心、神への忠誠心が足りない。だいたい共産主義や
民主主義や義務教育をうみだしたのはユダヤ人なんだ。
ドラマ版「ハチミツとクローバー」に出てほしいな。
映画版で関めぐみが演った役で。
まだ成海と生田しか決まってないから期待してるんだけど。。
核兵器の生みの親もユダヤ人。
褒め称えるにはリスクの大き過ぎるものばかり生み出しすぎなんだよ。
「太陽とハチミツとクローバ畑」
「ハチミツとクローバー」ってマリコのパクリだお。(`。・ω・。´)
ハチクロは美大生の話だから、
「アカデミー」でアート学生を演じたマリ子にもオファーが来たかな?
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/16(金) 01:21:29 ID:UzwAuxLx0
胴長短足、輪郭ゴツゴツ、ペチャパイ、脚太、セルライト、、、
ああ、マリ子に会いたいな。。会いたいけど遠いよ。。
くちょぉ、オカネが欲ちいよお!ヽ(`Д´)っ/凵⌒☆チンチンチン チンチンチン
そしたらマリコに逢えるのに・・・(((*‘∀‘)))(((・д・)))
すべての略奪金は、マリ子自身へと横流し。
そのあとマリ子がユニセフに加盟しようがどうしようが(ry
I can't stop loving you.
Can't help falling in love.
I don't wanna live without your love.
それぐれーゆうんだったらてめえら
経理を妻に全任するぐらいしてみろやボケ!
m9(^Д^)プギャー
またテツガク屋さん達が闘ってるぉ〜
マリ子よ、おこづかいくれちゅぅ〜
mariko-age
EX大衆に東京国際映画祭の特集あったけど、
1カットだけマリ子載ってた。
妖艶なモードメイクで一人だけ異次元の美貌を放ってるね。
マリコは異世界の人、みたいな雰囲気あるお
これからもアリアみたく魔界の美女とか幽霊な天使、
みたいな役がくるお
>>92 冬カタログは普通のマリコが3ページだけ (・ё・)ピヨピヨ
>>154 アリアってそういう役なんだ?
人間じゃないの?
現実の人なのか調律師が生み出した幻想の人なのか、
という感じの役だって。
マリ子に合いそうな役だよね。
むしろそれ専門のニンフ女優でやっていけそう。
いつもアカデミーの記事、話題は杉浦・辻だお
∧_∧
( ・ω・)=つ≡つ
(っ ≡つ=つ
/ ) ババババ
( / ̄∪
結婚は、幸せにしてくれる人とするものじゃなく、苦労を共にできる人とするものだ
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 23:17:10 ID:sUrV84VTO
トークショー行ってきた。
会場狭くてめちゃめちゃ近い位置で見れた。人数は40人に満たなかった気がする。しかも当のデジハリ生は15人くらいw
お前ら休憩所でたむろってんなら見に来いよ。と言いたくなる状況w集客力がないのか、平日の夜で学校が会場だからなのかわからんが。
マリ子ちゃんは生で見るとやっぱきれいだわ。イメージに反して、かっこいい女って感じだった。仕草とかはかわいかったけど。
こーゆーのは二度目だけど、一度目(試写会)でも挙動不審だったブーデーがいた。たぶん、写真をアップされた事もある奴だな。
今日もメイキングの上映中に退出して出待ちしてたし(廊下側がガラス窓で確認できる)、きもすぎ。仲間もいたしなw
前述したように狭い会場でトークショー中なのにずっと2人で喋っててうざかったよ。
あの調子じゃ、上智在学中に付きまとっててもおかしくなさそう。節度がないファンはただのストーカーだ。
マリコにむらがるキモイストーカーどもめっ
∧_∧
(゚∀゚ )つ,☆オシリ ペンペン
と_,、⌒) )
(_ ノノ
だ!
>>161 レポサンクス!
生マリ子はかっこよかったんだ?
ファッションはどうだった?
朝の情報番組で流れるかな。。
>>164 う〜ん、やっぱ生のがいいな。はるかに。
写真が悪い気がする。
撮ったやつは素人だろ。
なんかものすごいカッコのコスプレだお
超近未来宇宙的でスタートレックみたい
デジハリのスタイリスト?は感覚も
あばんぎゃるどでデジタルだお )+(◎Ω◎)+(
デジハリのスタイリストがコーディネートしたのか?
マリ子ちゃんが完全にオマケ扱いか…昨日の取材陣はみんな杉浦目当てかよ…がっかりだな。
アート系の映画とか注目してる人達じゃなかったんだね。
雑誌情報更新マダ-?(・∀・ )っ/凵⌒☆チンチン
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 22:01:40 ID:/qcij2IO0
我が死にして軽挙は利敵行為なるを思ひ
聖旨に副ひ奉り自重忍苦するの誡ともならば幸なり
隠忍するとも日本人たるの矜持を失ふ勿れ
諸子は国の宝なり
平時に処し猶克く特攻精神を堅持し
日本民族の福祉と世界人類の為 最善を尽くせよ
.
マリ子もロハスだ70年代カルチャーだレノンだエコロジーだ言っちゃってるからね。
東洋思想にマジで入れ込んで真剣にチャクラとか神とか言ってる須藤の変な哲学
もどき本に、共振するところがあるんでしょ。窪塚もダライラマとかに接近してるし。
「凶気の桜」のつながりはまだあるのかな?
読んでる本を教え合ったりして親しくしてたらしいね。
ないんじゃないの?
マリ子の場合、ロハスとかエコとか70年代とか言ってるのはもろにご両親なんかの
影響でしょ。ウェップジャパンの本サイト見た時、痛すぎて思わず笑ってしまった。
>>171 こういうキモオタがマリ子にすり寄ってくる原因がなんとなく分かったよ(笑)。
ロハスなエコマリ子に萌え♪
>>177 やっぱ動くマリ子は圧倒的に麗しい。(*´Д`)
でも、頬のニキビがちょっと痛々しいね。マリ子・・・。
ワンレンが楽なのは経験的に知っている。
諸楽莫作
>>177 ムービングマリコ、(*゚∀゚*)カワイイ!、おいらも見に行きたかったお〜
マリコダッコ♪
_∧∧___
/(*゚ー゚) /\
/| ̄∪∪ ̄|\/
| みゅ |/
 ̄ ̄ ̄ ̄
たしかに動くマリ子はウツクシス…。
やわらかい微笑みに悩殺されそう。。
マリ子のイイ顔をとられられないスチール・カメラマンはタコだわ。
マリ子って、額の幅が狭いよね。
その分顔の横幅とのギャップが大きくなって
髪に隠れてない部分の輪郭が瓢箪みたいに見える。
絶対額を隠したほうがいいって。半分だけでもいいから。
「smart」、GDCの秋冬コレクションに載ってる。
10人のモデルと共演してるクールなマリ子が見れるよ。
>>182 おいらマリコのほんわかしたゆる〜い動きが好きだぉ ヽ(´・◎・`)ノ タコチュー
>>184 すごいお、マリコがギャルソンのモデルになったの?
>>183 生で見たらそんな事言えないと思うけど。
パラノイアのテツガク屋さんはスルーで
|
|・д・)
|⊂ノ】
|-J
>>181 こーゆー動画って何とかして保存できんもんかな。
動いてるマリ子ちゃんはやっぱきれいだなぁ。
俺もちょっと映ってんじゃねーかw
くちょぉ、オカネが欲ちいよお!ヽ(`Д´)っ/凵⌒☆チンチンチン チンチンチン
ピンキー☆マリモ
>>188 普通にGetASFStreamで保存できるよ。
マリ子、シャブ使ってダイエットしてるね。もうバレバレだよ。
三田佳子の息子みたいな不自然なニキビが出まくっちゃってさ。
なんかおかしいと思ってたけど、もうニキビだらけになる年じゃないでしょ。
体調不良なんて不可解なドラマ降板もそう考えると腑に落ちるし。
あれ以来、写真の表情もなんか一時期の華原朋美みたいな淀んだ表情だし。
マリ子の異変に誰も気付かないのか、気付かないふりをしてるのか。。
>>184 「smart」見てきた、ちっちゃくマリコが3ページ
GDCってなんかコジキみたいなファッションだったお
CDGだと思って期待してたのに・・・ (´。・ω・。`)
おいらJILLEみたくガーリーなマリコが好き♪
∧_∧
( ・ω・ )つ, ☆ フリフリ
と_,、⌒) )))
(_ ノノ
こいつの父親は無職
母親は世界中の男と寝た空飛ぶイエローキャブ
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/27(火) 11:22:57 ID:Ol2wwqkH0
>>193 人前に出られる人相じゃないよね >181 は。戻れないところまで転落。
無個性と言われてきたマリ子の容貌にも一つだけ特徴があることに気付いた。
それは、マリ子は「笑える美人」だってこと。
すっごい美人で、魅力的なのに、目元のノッペリさとか脛の短さとか
どこか笑える要素を残してて、そこが純粋白人女性にはない
キッチュさを醸し出していて、好きな人にはそれがたまらないものに映る。
何をやってもどこか間が抜けていて、そこが愛らしい。
ドラマを途中降板したのとかも、まさにマリ子のあり方そのもの。
またヘンタイが来てる・・・
|
|・д・)
|⊂ノ】
|-J
変態で悪いか?
ぷマリ子ぷマリ子
>>193 俺もマリ子のニキビはなんかおかしいと思ってるんだが。
リタリンとかの強い向精神薬でも飲んでるのかなと・・・。
たしかに表情が虚ろで感情が鈍ってる感じがするんだよ。ここ2年くらいの写真は。
ただ、
>>177の動いてるマリ子を観るとさすが綺麗だなとは思うが。
いかんせんニキビはどうしたものかなと。
誰よりも肌を気遣うはずのモデル業なのにな・・・。
映像の画質が悪いからアレがひどく見えてるという事もあると思う。
つか
>>198笑えるとか、ふざけんな。
じゃあ日本人の9割は笑えるルックスって事になんじゃねーか。
. .∧_∧
( ・ω・) なんだ、マリコ情報はギャラリー集めのための
_| つ/(___ アンチの釣りだったのか
/ └-(____/
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
<⌒/ヽ-、___ おいらまたひとりぽっち… おやすみなさい…zzz
/<_/____/
>>203 そだ |------、`⌒ー--、
れが |ハ{{ }} )))ヽ、l l ハ
が |、{ ハリノノノノノノ)、 l l
い |ヽヽー、彡彡ノノノ} に
い |ヾヾヾヾヾヽ彡彡} や
!! /:.:.:.ヾヾヾヾヽ彡彡} l っ
\__/{ l ii | l|} ハ、ヾ} ミ彡ト
彡シ ,ェ、、、ヾ{{ヽ} l|l ィェ=リ、シ} |l
lミ{ ゙イシモ'テ、ミヽ}シィ=ラ'ァ、 }ミ}} l
ヾミ  ̄~'ィ''': |゙:ー. ̄ lノ/l | |
ヾヾ " : : !、 ` lイノ l| |
>l゙、 ー、,'ソ /.|}、 l| |
:.lヽ ヽ ー_ ‐-‐ァ' /::ノl ト、
:.:.:.:\ヽ 二" /::// /:.:.l:.:.
:.:.:.:.:.::ヽ:\ /::://:.:,':.:..:l:.:.
;.;.;.;.;;.:.:.:.\`ー-- '" //:.:.:;l:.:.:.:l:.:
まだkjと付き合ってるの?
シャブ食ってダイエットか。
マリ子もとうとうモデル界の禁断の実に手を出したのか。。
>>197 ちゃんと画質のいいほう保存した?
mms://jiji.wmt.biglobe.ne.jp/jiji_wf/bbtop/wmv/g071249n.wmv
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/11/29(木) 10:26:24 ID:MRNjdo4R0
ドスエw
・・マリ子だったら、黄平と小次郎どっちを採る?
やっぱり聾唖でもイかせられる小次郎のほうを採る?
バガボンドに出てくる美女は妙にバタ臭いから
実写化されたらマリ子出てくれ。
>>209 rtmpのようだから
FlvRecorderで保存出来るかと
紫はキャンセル
赤か黄色で46
>>141 俺も「真・女立喰師列伝」観たけど、
マリ子が脱いでる!と思ったら藤田陽子だった。
藤田もなかなかいい脱ぎっぷりで萌えた。
面倒くさい女
>>213-214 それ落としてみたけど、英語版なのでさっぱり使い方が分からない。。
FLV Recorderで落とせたの?
うちの環境だと画像が乱れてるけど
保存することは出来たよ。使い方は簡単だよ。
オンラインヘルプもあるんだし、ウェブページ翻訳でもすると良い。
ただ、IEコンポーネント(ぶら)じゃダメだった。
なので、IEで動画を見た。他は試してないので知らない。
よくみたら再生時間が6分17秒だった
所々飛ばされてる。
しょぼいPCだからな・・・だめぽ・・・
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 21:43:45 ID:zMaDJB9A0
このコハリウッド女優の
アンハサウェイに似てない?
気のせいかな
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/02(日) 08:55:54 ID:BuzdEgyP0
ひさしぶりに見たけど太った?
マリ子のお腹には新しい命が。。。。
>太った?
太りました。
>>220 OrbitでDLできたよ。
インタビューは19分28秒(161MB)で完璧に落とせた。
しかし、舞台挨拶7分15秒(37.1MB)は何度DLしてみても5分過ぎあたりで
映像が音声と食い違ってタイムカウンターも誤表示になってしまう。
どうしたものか。。
>>221 アンはもちろん既出です。
でも本人は「プラダを着た悪魔」を観て
メリル・ストリープに惹かれてたみたいだけど。
マリポッポの検索結果 3 件中 1 - 3 件目 (0.04 秒)
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/04(火) 18:29:14 ID:8ApxM8c80
マリ子日記更新して!!
今年はマリポッポにクリスマス・プレゼントがあるかもよ?
中が何かはナイショっしょ♪
大きいのと小さいのとあるけど、どっちがいい?
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 02:10:08 ID:jakhphxi0
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/08(土) 05:42:08 ID:qixAqu58O
夢で逢えたら〜♪
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 05:06:22 ID:yHKTJchJ0
>>233 日記で、セントラルパークのジョン・レノンのモニュメントに行ってるね。
でもNYに何の仕事で行ったんだろ。プライベートかな?
また子供とたわむれてるけど、マリ子って子供好きなのかな〜。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 19:18:26 ID:opu+4VJWO
マリ子の割れ目
↓
〃人 ヽ
|il|‘-‘)|
>>235 >携帯端末以外からのアクセスは許可されていません
>アクセス許可はこのページを作成された方のみ設定できます
ってなってて見れない。。orz
PCで見れるように設定してください。
>>237 すみません、PCからのアクセスも許可しました。
それでも、19時〜翌4時までPCは制限かけられて見られない様です。
>>235 ノンノとか出てた頃だね。かあいー(^_^)v
なりなりぽ?
なりなりぽ?
オイラの成り余れる処を
マリ子の成り合わぬ処に
刺し塞ぎてなりなりぽ?
なりなりぽ?
結婚するなら、年齢は近いほうがいい。
年の差があると、色々と気遣うことが多くて
心の負担にもなりやすい・・・ようだ。
>>233 映画評を見ると、デビッド・リンチっぽい内容らしいね。
>>221 似てる
顔つきくどいところとか。
でもニッセンの表紙だと倉木麻衣にも似てる
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/18(火) 23:44:58 ID:WLxdl4TNO
マリ子とやりたい!!
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/19(水) 19:15:12 ID:SgUdlvBs0
マリ子の啖を飲みたい
マリ子の睫毛を噛みたい
マリ子の耳たぶに座りたい
マリ子の鼻の穴をほじくりたい
マリ子のマリ子のマリ子のマリ子の・・・
マリ子助けて!
「PLANTED」でブーケを抱えたマリ子、美しかった。。
あのプルプルの唇に口吻したい。。
・・んで、大きいほうと小さいほうどっちにするんよ?
そろそろ決めてくんないと、
両方ともは持って行きかねる。
黄色は中止。赤か白で。黒もダメ。
マリ子 は 大事にする。
それ以外については、責任が持てん。
雑草に畑もへったくれもあったもんじゃないという道理
もう、返事がないから持って行かない(プンプン!!
欲しかったらウチまで鯉!
また工学部がおかしな脳内対話を垂れ流してるな。
まあ例の粘着アンチよりまだマシか。。
茂原よりもマシなら本望だ。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 02:17:46 ID:/NMN+UXp0
コンサートで浜崎あゆみが障害者の子に対して暴言をはいた事件です。
障害者の子の近くで見ていた人がその時の様子を簡単に書いています。
浜崎「1番前なのに座ってるよ。みんなどう思う?感じ悪いよね〜。」
客「お前らだよカス!あゆに迷惑かけんな!さっさと立てよ!」
母親「すみません、この子足が不自由で立てないので・・・」
客「うざ〜〜、アユに迷惑かけんならくんなよ!」
客「そうだそうだ!帰れよー!」
母親「本当に申し訳・・(涙)・・・」
客「お前ら帰れ、邪魔邪魔!」
娘「お母さん・・もう帰ろう・・本当にごめんなさい」
母親「・・・(涙)」
証拠VTR
h
ttp://www5d.biglobe.ne.jp/~EMPEROR/hamaayu.mpeg このムービー見て下さい!!掲示板に貼り付けて!!!! もう、浜崎あゆみが大嫌いになりますよ!!
断言します。
聖書にこの世を支配されるくらいなら
マリ子と一生会えないがマシです。
以上です。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 23:14:08 ID:cgt/nv5gO
嘘 つ き に世界は任せられない。
☆
☆ ☆
C<⌒ヽ、
. ⊂ニニ⊃
☆ 川‘-‘)| < 今年も来ちゃった…
☆ (⌒ ノ○:○
(二二二二二二) ☆
|__|__|_|
⌒⌒⌒⌒⌒⌒|_|__|__|⌒⌒⌒⌒⌒⌒
⌒ |__|__|_|
⌒ ⌒⌒⌒⌒⌒⌒
⌒⌒⌒ ⌒⌒ ⌒
+
+
. C<⌒ヽ、 +
+ ⊂ニニ⊃
γ⌒川‘-‘)| < 聖マリコから真心を貴方に…
| ∩3\,,/[]つ田
| Y_:_| +
\_/| | |
+. | | |
(_)__) +
+
+
もう誰もいないよ?
どうすんの? これから。
普通にいるよ。心配ご無用
橙色。
劣った者には、劣った者なりの領分がある。
即ち奉仕。
僕には奉仕の仕方なんて分からんから。
>>264は、必ずしもマリ子のことを指しているとは限らない。
もしマリ子がヘレニズムやらヘブライズムやらに囚われてるなら
確かにマリ子も「劣った者」の部類に入るが、いかんせんマリ子は
半分日本人(のはず)だから、必ずしもそうだとは断言できない。
結局そのあたりはマリ子自身の内面の問題に他ならない。
貴女は、貴女自身に内在する問題によって拒んでいる。
その問題の名を「倒錯」という。
その倒錯に基づく誤った世界観、歴史観、そして性癖が
貴女を誤った方向へと導き続けようとする。
誤りを正すためには、倒錯の捨離を要する。
貴女がその捨離を達成するまで、待っている。
東京ダモイ
期待しないことですな。特に快感は。
蜜を塗った刃を舐めるようなもんだから。
男は「女を得た」という事実によって、交接を評価される。
女は「快感を得た」という事実によって、交接を批判される。
ここで大切なのは、「批判」は必ずしも「否定」ではないということ。
交接によって相手の男の得た「評価」が、
交接によって女の失った「評価」を
埋め合わせられるのであれば、
女の得る「批判」は、
「否定」よりもむしろ
「肯定」であるということ。
―――――ここから先は読まなくていい―――――
カントは「純粋理性批判」において、
神格の存在性を否定的に批判した上で、
「実践理性批判」において閑話休題し、
「判断力批判」において神格否定の
埋め合わせとしての肯定的批判を目指した。
ここで注目すべきは、彼が判断力批判において
肯定的批判のために特定の肯定対象として
挙げたのが「美的対象」であり、
「論理的対象」ではなかったということ。
論理的論証の権化たるカントからして
神格否定の埋め合わせは美によってではならなかった。
それぐらい西洋人は美に囚われていた。
美は神格の代替として十分な意味を持つ。
だからこそカントは、神格に対する批判を
肯定的に行えなかったにも関わらず
神格に評価を与えたくてたまらない
西洋社会における哲学上の
最高の評価を受けたのである。
工学部が来るとスレが過疎化するな。。
美も、あくまで神格の代替であって論理の代替ではない。
その点では、論証を最終的に美のために使用したカントの姿勢は
信奉の対象が神格から美へとスライドしただけで
相変わらず他力本願である点には変わりなく。
他力と自力、両方あって初めて潤沢な人間関係が成立する。
「私は独立した健在者です。
しかしまた他者への依存も好みます」
依存を必要とするのではなく、好むという点が重要。
needではなくlove、またneed<loveでもある。
そしてlove−needこそは真の愛。
273 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 14:14:15 ID:kb0Ybimw0
こんな日本に誰がした?
おまえらだろ?
年貢の納め時が来たんだよ。
頭を下げなければならない相手は確かにいた。しかしそれは君らではなかった。
悠久の時と宇宙の真理をその文脈に埋め込んだ真なる教え。
不安定な情緒に囚われない理路整然としたその語り口は
己がひざまずくべきものとして十分な価値を持っている。
そは尊敬すべき先輩であり、先人であり、先達であらせられる。
ろくでもない外道の教えにばかり没入してきたことを今さらながら恥じ入る次第。
翻って、マリ子にもの申すことは以下である。
貴女は卒業の時期を迎えている。
何の卒業か? 「ハーフ」の卒業。
どっちつかずの価値観に囚われて自分の拠り所を決めかねている。
実際上のハーフとして、当たり前のことと言い張りたい所だろうが、
この世の中には「パワー」というものがある。
パワーは貴女を引きちぎり、貪り食おうと試みる。
そこから貴女が逃れるためにできることはただ一つ、
最も強大な“ただ一つ”のパワーにのみ従うこと。
そのためには貴女は世界中のパワーバランスを鑑みて
最強のパワーを見つけ出し、それを手に入れなければならない。
パワーには差別がある。平等なパワーなど存在しない。
最強のパワーがただ一つなら、パワーの偏在もただ一つ。
だから貴女は貴女自身を形作る両半身の片一方を捨てて
パワーの偏在する「その場所」へと赴く必要がある。
おそらくそれは、貴女にとって非常に辛い決断であり、
到底許しがたい現実であるに違いない。しかしこれが現実だ。
決断の保留は時間の浪費以外の何物でもなく。
情報はすでに出揃っている。あと必要なのは、決断だけだ。
一応、「君ら」にも言うべきことは言っておく。
「勝利」が存在すれば、「敗北」も存在する。
敗北のない勝利などただのガラクタだ。
つまり、君らは相対的な敗北者であるべきなんだ。
敗北がいかなるものであるかは、他者に敗北を
強いてきた君らなら十分に熟知しているはずだ。
だからここで深く解説はしないが、少なくとも
敗北者なら敗北者なりの覚悟は決めておくことだ。
これは僕からのお願いだ。命令を超えたお願いだ。
吸われてるじゃんかw
http: //www.gigigi.net/up/img/1230.jpg
理解のないヤローどもだな。
ヤローじゃなくて、女か。
どんなに能動者(加害者)ぶっても、
最後は受動者(被害者)たることを運命付けられたその身、同情する。
しかし躊躇はしない。姦通は一瞬にして行われる。
その瞬間、今までの立場は完全に逆転する。
そのことを踏まえれば、今まで受けてきたこちらの被害など微々たるもの。
許す許さないではない。むしろ許してもらうべきはこちらのほうだ。
理想のために、結婚するなんて微塵も考えちゃいない。
あくまで現実のため、汚辱にまみれた現実のために。
そのためには性欲だって悪徳だって肯定する。
その上でそれらを支配する。外部からの征服者として。
破壊と創造、そして維持を我が手の下に。
他者に無駄口を挟ませる余地など寸分もなく。
いくら優れたものでも嫌いなものは嫌いだろうし
いくら劣ったものでも好きなものは好きだろう。
そもそも好き嫌い以前に離れられない、近づけない相手もいる。
それは貴女に組み込まれた遺伝的要素に違いない。
だったら、死ね。
最低でも半分だけでも。
そしたら新たな世界が待っている。
一番好きな格好で、一番いいと思う場所に。
橙色の格好で、420前に。
橙に赤が混じっていてもよい。
場所は420からぁヴぃたまでの間。
前髪を、切れ。
期限を設ける。本当は明日までにでもと言いたいところだが、
便がない可能性や、地球の裏側にいる可能性も否めないので、
一週間以内とする。仕事で満杯ならそのうちのどれかをキャンセルし、
長期旅行中なら早めに切り上げてくること。言い訳は認めない。
期限が切れたら、マリ子を振る。
夫唱婦髄
夫唱婦随
めんどくさいぐらいがちょうどいい。
茂原(笑)
若返りの必要はない。
童貞だから。
いつまでも童貞じゃいられない
携帯電話は切っておくこと。
連れがいる場合はまず一人で来ること。
非常識な時間帯は避けること。
規定は全て遵守すること。
夫の晩酌を阻害するような妻はいけんよ。
299 :
mariko:2008/01/09(水) 10:50:11 ID:/Ef8okzi0
┏┓┏┓┏┓┏┓
┏┛┃┃┃┃┣┫
┗┛┗┛┗┛┗┛
謹┃賀┃新┃年┃
∩ ━┛━┛━┛━┛
∩∪
∪.| |∩ 〃人 ヽ
. | |.| |∪ |il|‘-‘)| 皆さまにとって
. | |.| |.| | |ハ∨/^ヽ 新しい年が素晴らしい一年でありますように
(∩∩∩∩) ノ:[三ノ :.'、
(∪∪∪∪) i)、_;|*く; ノ
|≡≡≡|. |!: ::."T~ rr、
/≠≠≠\. ハ、___| 〜(⌒ ,,゚> チュウ!!
´ ̄`
前髪切れって言ったろ?
規定を守らずには絶対に来ちゃいけないなんてことはない。
ただ、その場合は他人との見分けが付くという保証はないし、
「会いに来た」という既成事実としてカウントされることもない。
「遵守」という言葉の意味を今一度考え直すこと。
規定を破って来られても誰だか分からん。
それぐらい、容貌に個性がない。
この世の中に高橋マリ子なんて人間が本当に存在するのか、
それすら未だ少なからず疑問に思う。
そちらはこちらを“特定”している。
こちらはそちらを特定していない。
この差別を埋め合わせるための規定の羅列。
自転車からは降りること。
顔を隠さないこと。
極端に遠くですれ違わないこと。
被服は中国製がよい。
規定なんか守らなくても、そっちから声かけてくれりゃいいだけの話なんだがな。
いまだに古事記の記述を守り通そうとするから、規定なんてものが必要になる。
「善人なおもて往生を遂ぐ、況や悪人をや」
悪いようにはしないから、良いようになれ。
期限切れ。さよなら。これ以上は許さない。
死んでしまえ。
もう、半分なんて女々しいことは言わない。
100%完全にその息の根を止めろ。
つまらないんだ。君らの提供してくるあらゆるコンテンツ、
ただただ奇をてらうばかりで真の文化的創造性に欠ける。
無駄なものだ。この世界、この地球、そして人類全体にとっての。
必要なのは撤収だ。有から無への回帰だ。
再生もなしだ。そんな価値も全くないからだ。
I'm Ieyasu Christ.
許さない。許さないよ。
許さないから、こっちへ来い。
殺してやる。
通報ものだな。
殺す殺す♪ マリ子ぽん殺す♪
跡形もなく殺しちゃるから、寄っといで♪
――死を、弄ぶな。
そんな相手には殺すしか用がない。
死の勝利とは、生の勝利でもある。
半死半生こそは人類にとって最大の敵。
だからこその殺戮、だからこその生存。
間は存在しない。そこに賭けがある。
マリポッポ殺すよ?
マリポッポ殺すよ?
公式、16日に更新してるけどどこが変わった?
死に時でしょ?
ファンも仕事も底辺まで磨り減って、
あとはうまいこと死ぬだけ。
死ねマリ子。
工学部が本格的に壊れてきたな。。
なりなりぽ
死ぬのが嬉しいんだろ?そういう宗教に入ってるんだろ?
だったらこの手で殺してやるよ。お望み通りに。何の躊躇もなく。
バカなことさ。実際バカなのさ。バカは死ななきゃ直らないっての。
もっとも死んだらなんにも残らないんだがな。
バカだからそれが解らないんだろうけど。
――ニッセンHDが大幅反落、見切り売りで昨年来安値を更新。1/18 11:10
――業績の先行き懸念があり、相場全体の地合いの悪さも影響している。
――通信販売事業者としての、プロモーションの在り方にも疑問。
時代を追従するしか能のないワンレン女は
企業の業績を下方修正させるしか能がない。
なりなりぽ
なりなりぽ
ニッセンのCM、違う人に変わってるね。
殺すつったら殺す。
でなくばさよなら。
二つに一つ。
間はない。
うんこ
「自分の妻女もあやつれないで、何で天下がとれるものか」
人間は死のうと思いつめている時よりも生きなければならない時の方が遥かに臆病になるらしかった。
・・・自分の短慮を詫びるとか、そういう神経はないのか?
シャブ中リスト流出
観念上の十字架ではなく、本物の十字架に付けらなければならない人間が若干存在する。
キリストを作り上げるつもりが、自分たちがキリストになってしまったという本末転倒。
それもこれも神の業といえば、そういえるのかもしれない。
終わらせましょうよ? もう、
この“畜生よりも浅ましい”人類ってやつを。
お先真っ暗さ。何の希望もありゃしない。
待っているのはとめどのない内乱と崩壊だけ。
それだけのことをやってきたんだからしょうがない。
悲劇を乗り越えて来るんだ――
まだ決心が付いてないようだな。
敗けを認めろ。
まあ、認めようが認めまいが敗けは敗けだが。
ダダダーン!
マリ子が白旗代わり。
今宵、マリ子が死にます。
341 :
mariko:2008/01/26(土) 22:14:52 ID:Qc1QOq5m0
ぎゃっ
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そろそろリアルで通報したほうがいいかもな。。工学部を。
女の死とは惨めなものよのう。
殺したものは殺される
マリ子だけでは不十分だ。
早漏でごめんなさい
ちゃんと子供できました
嫁の満足は私の舌と指で ディルドも活用しています
でもたまに、ぎんぎんでしぼまない時もあるんです
そんなときは嫁は上にのってがんがん腰ふりまくってます
殺意予想図
マリ子、ガス・バン・サントにハマってるのかぁ。
文章もなんかパラノイドっぽくなってるw
処刑前夜の囚人を見守るしか能がないのだ→今のマリ子。
極上の念仏で逝かしてやれ。
かんじーざいぼーさー
ぎょうじんはーらーみーたーじー
しょうけんごうんかいくう
どーいっさいくーやく
しゃーりーしー
しきふーいーくー
くーふーいーしき
しきそくぜーくー
くーそくぜーしき
ジューそーぎょーしきやくぶーにょーぜー
しゃーりーしー
ぜーしょーほーくーそー
むーげんにーびっぜっしんにー
むーしきしょーこーみーそくほー
むーげんかいー
ないしーむーいーしきかい
むーむーみょうやく
むーむーみょうじんないしーむーろうしー
やくむーろうしーじん
剥くしゅうめつどうむーちゃくむーとく
いーむーしょーとくこー
ぼーだいさった
エーはんにゃーたーらーみーたーこー
しんむーけーげーむーけーげーこー
むーうーくーふーおんりーいっさいてんどーむーそー
くーぎょーねーはんさんせーしょーぶつ
エーはんにゃーたーらーみーたーこー
とくあーのくたらさんみゃくさんぼだい
こーちーはんにゃーはーらーみーたー
ぜーだいじんしゅーぜーだいみょうしゅー
ぜーむーじょうしゅーぜーむーとうどうしゅー
能じょーいっさいくーしんじつふーこー
こーせつはんにゃーはーらーみーたーしゅー
そくせつしゅーわつ
ぎゃーていぎゃーていはーらーぎゃーてい
はらそーぎゃーていぼーじーそわか
はんにゃしんぎょー
こっちのペースに合わせる気がないんなら、もう来なくていい。
世界を滅ぼしかねないような連中のペースに合わせられるほどこっちも自信家ではないのでね。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/29(火) 08:01:52 ID:7fv/1VTUO
超保守
愛情はまたつねに偉大な戦略でもあるらしい
偶然は時に、いかなる名企画者よりも、
さらにあざやかな好機をつくり、
結果から演繹したがる人間どもを揶揄するものだ。
マリポコポン♪
白装束でアーケード
信じない者は信じられない
いま“先に”信じなければならないのはどちらか? それが問題だ。
先攻後攻の順番は、いまはじゃんけんで決めるべき時ではない。
歴史が問題だ。歴史的には、東洋が先で、西洋は後だ。つまり先に
信じられるべきが東洋であり、先に信じるべきが西洋であるということだ。Q.E.D.
うざいのはてめえらのほうだ。
こざかしい。
結局、おまえらが否定したいのは「親」ってことだろ?
人類の想像しうる限りの、あらん限りの非道を尽くしてきた親。
その親の業を自分たちが担っているという事実を否定したいがために
こっちにも親族と喧嘩やら殺し合いやらさせるような夢を見せる。
それで結局はこっちとそっちとの関係がチャラになると思ってる。
そうはいかない。
こちらのお父さんお母さんお爺さんお婆さんその他、
君らの親族ほど非道の限りを尽くしてきた実績がない。
(中国の便衣兵の非道に切れたことはあったかもしれないが)
歴史の悠久性を否定しつつも歴史上の古ぼけた功績のみを論う
歪んだ歴史観に対する清算がいままさに行われようとされている。
受け入れることだ。自分たちの親の業を。
そこからしか新たな歴史は生まれない。
もはや工学部にツッコむ奴もいない廃墟スレに。。
今さら「工学部」なんて古ぼけた名前を執拗に覚えてる奴も覚えてる奴だが。
夢の価値が、どん底まで落ち込んでいる。
良い夢悪い夢ひっくるめて全てゴミ同然。
夢を失った男。
ある意味では夢を見ないよりも哀しい。
どうせ聞き入れられないだろうが一応言っておく。
もう夢を“見せる”な。
どんな夢も人為的なものであるという時点でゴミ同然だ。
睡眠障害とアルコール依存症の原因以外の何物でもない。
信義――
>>364 だって今現在もこうして工学部がスレを汚してるし。。
「○月○日で“お願いします”」
その旨の発言のないうちは、
その日に来ても声かけないか、
不幸な結果を招くだけです。
いずれにしろ、今現在判明している素行の性質だけから言っても
おまえらが「非人」であることだけは間違いないわけで、
いくら今受けている苦痛から逃れられたとしても、「非人の群」に加えられて
嬉しがるほどこっちも落ちぶれちゃいないから、
和解の必要最低条件、それはおまえらが非人をやめること。
それが達成されない内は、例え「非人の長」たるマリ子が直々にやってきたとて
“それなりの結果”にしかならないであろうということを言っておく。
紺色のアクセサリー
(ただしロザリオと
ダビデの星は厳禁)
車輪の下でかまわん。
あと、最低でもウチの職場にいるWちゃんよりはかわいく。
__ / ̄ ̄ヽ _
/ `/ヽ ∧_(::::::::ヽ _
__} l> ´ ̄ `ヽノ ヽ
/ | >´ _ \ <
>―‐/ ` ' _)
. |:::::::::| / ● l
ゝ―| l ● ・ @ |
ヽ_l 、_, -' /
ヽ_ヽ @ /
丶 _ . '
` ーァ、フ_ハメ ̄ ̄K
、__/_/ ○ ヽ‐′
' 厶__,....、___r′
`== ヽ__人__ノ
N姉さんよりも美しく。
生きて罪を購え。
聖書にこの世を支配されるくらいなら
おまえらが生き残ったほうがマシだ。
アクセはいらん。
代わりに良心を。
・・・罪を、犯しすぎたのか?
黒服好きの女は、男運が悪い。(ウチの妹含む)
勝手な行動は許さない。
まだ。
背に腹はかえられぬ。
泣いて馬謖を斬る。
自分の好きな“赤い本”を一冊持ってくること。
聖書でもコーランでも毛沢東語録でも、なんでもよし。
ただし、あくまでも“自分の好きな本”であって、
他人を支配するとかいった、他意のある本ではないこと。
もし他意のある場合には、排除すること。以上。
a
11月下旬に高橋マリ子のイベント、鳥居みゆきの握手ありイベントに行ったんだが…
ぶっちゃけ鳥居の方が想像以上にきれいな感じがしたなぁ。
マリ子ちゃん、劣化したのは否めないね…。
Q.死んだらどうなるか?
A.死んでもわからない。
「死んだら即座に」というわけではないけど、
あらゆる存在は最終的には「光(フォトン)」になることが物理的に運命付けられてる。
だから「死んだら未来を照らし出す光になる」といっても、あながち間違いではない。
これが、死に行く人々にとってどれほどの慰めになるかは知らないが。
非人の群れが居心地いいなら、いつまででもそっちにいろよ。
精神的に向上心のないもの同士、仲良くやってろよ。
こっちから積極的に奪い取る気なんてさらさらねえよ。
だからこそ「勝手な行動は許さない」とか制限を課してるんだよ。
今の状態は今の状態で、一つのまともな状態なんだ。
常人は常人で社会で健全に働いて、非人は非人で闇で蠢いて
光と影とがうまいこと住み分けを続けてる。
一部の「気づいてる人間」を除けば、憎しみも憤慨もなく
やっていけてるし、これからもやっていけるのかもしれない。
その微妙なバランスを崩してまで、常人と非人とが
接触する必要があるとすれば、それは闇社会に生きる非人たちが
いつかは光へとその身を窶さねばならぬその運命を受け入れた時。
全ての闇が光に浸食されて、今のままの居場所を失った時。
非人は常人を必要とするが、常人は非人を必要としない。
少なくとも今の時代、今の段階においては。
だからこちらから積極的に誘うことなんてしないし、
そもそもそこまでして会う必要が見つからない。
・・・愛はある。しかし愛は光のものであって闇のものではない。
闇の力に支配された愛は憎しみの化けの皮にすぎない。
そのことに気付いたからこそ、闇の中から愛を訴えるそちら側の
姿勢に対して、妥協することを二度と許さない。
許す愛もあれば、許さない愛もある。今のは許さないほうの愛。
これからも何も変わらないのかもしれないし、
もしかしたら何かが変わるのかもしれない。
いずれにしろその動向はそちら側の判断にかかってる。
待っているともいえるし、待っていないともいえる。
そして、これからも生き続けていく。
>>384 マジ!?
マリ子と鳥居みゆきのイベントってあったの?
不満が表情に表れてるよ。
「あんたらの言うことはいつも聞いてるのに、
どうしてあの人の言うことだけ聞いちゃいけないの?」
命令に従うか従わないかではなく、どちらの命令に従うかなんだ。
命令を聞かないということは、命令をきくなという命令を聞くことだから。
思いを行動に連動させようとすること自体が誤りだ。
やりたくないこと、やるべきでないことを
思うこともあるのだから。免疫のために。
邪心と聖心の分別ではなく、本物の邪と聖の分別をこそつけるべきだ。
精神(意志)と現象(表象)は不可分ではないが、だからこそ逆を行くこともあるのだ。
つまり聖心が邪を生み、邪心が聖を生むこともあるわけだ。
その辺に対する理解がとぼしすぎる。
×精神(意志)と現象(表象)は不可分ではないが、
○精神(意志)と現象(表象)は全くの別物ではないが、
マリ子は花に譬えるなら、バラでもサクラでもなくウメだな。
バラほど独一的でもなければ、サクラほど全体的でもない。
個我と従順の間を行ったり来たりする根無し草。
恨むんなら世の中のほうを恨め。
割礼と禁酒と民主主義が生み出した、
戦乱に満ちたこの世の中のほうを。
昨日、公式トップ更新してた。
ブーケを抱えたマリ子、可憐すぎる!
ぶっちゃけ、“組織”との関わり合いの程度は如何ほどのものなのか?
思考盗聴&言動操作の現場に立ち会ったことはあるのか?
あるとすれば、どれぐらいの頻度で、どの程度の深さ*までか? * 認知科学的なメカニズムの理解の深さ
ないとすれば、どうして目の前に現れることができるのか?
「これこれの日に、これこれの場所で」などの指示を受けるのか?
思考盗聴も言動操作も、マリ子が目の前に現れることも、
個別の“それら”自体はすでに疑わしいことでもなんでもない。
疑わしいのは、それらがなぜ連動して目の前に現れるのかということだ。
それが分からないうちは、マリ子と組織を同定する他に余地はないし、
だからといってマリ子が不当な扱いを受けていると文句を言う権利もない。
もし組織とマリ子を同定すること自体が策謀の一環だというのなら、
それもありだが、そこで何の弁解もマリ子にさせようとしないのならそれは
一種の怠慢であるし、しかもその怠慢によって損をするのはマリ子ただ一人。
いかに組織が男尊女卑的な構造を持っているかを示しだす証拠となる。
「非人」が別にすごい連中だとは思わない。
人殺しだけなら、こちらも先祖代々やり尽くしてきたことだ。
問題は、非人がやっていることの反倫理性の程度だ。
それがあまりにも酷すぎるが故に、人間の生死などを問う以前に
人間的な品位を疑う――というよりも、完全否定した先におまえら非人がいる。
生きた屍、人間の形をした蟲、どこまでも醜悪の限りを尽くした何か、
殺してやりたいが、いくら殺しつくしたところで殺したりない。
非人は死なない。というよりも、もとから死んでいる。
死んでいる連中を殺したいとする願望――これほどもどかしいことが他にあろうか?
そこで思いつくのが、かつての江戸時代の方式、
非人をどこまでも非人扱いし続け、それに人間的な権限を与えない方式、
この方式こそは非人を最も有用に扱い、それでいて常人の威厳を保つ。
生きろ、非人ども。社会の最底辺の膿として。
二度と世間の人々に面を上げられぬその運命を受け入れよ。
非人の酋長よ。要するにマリ子よ。
社会の膿の女王よ。
這いつくばって予が前にその姿を現せ。
面を上げぬままにその名を名乗れ。
許されるなどと思うな。絞首刑を期待しろ。
どうせすでに死んでいるのだから、
恐れることはなにもない。
非人の狂気は死よりも醜い。
死によって初めてその醜さから解放される。
マイナスだったものがゼロになる。
ゼロからプラスになれるかどうかは知らない。
ゼロになれるだけでもありがたいとおもえ。
なぜならおまえは非人の女王。
負荷の値はマイナス無限大。
ゼロになれるのは、おまえが女だから。
男のマイナスは取り返しがつかぬ。
二度と帰ってこれぬチンポの束。
みんなまとめてぶった切り。
そしてつわものどもが夢のあと。
これが狂った世界の埋め合わせ。
それ以外に解放の余地はない。
故に永遠平和の礎となれ。
騙された↑
非人が差別されるのは当たり前だ。
何しろ“人でなし”なんだから。それも現行犯の。
現行犯を許す論理は少なくともこの日本には存在しない。
インドあたりだったら存在するかもしれないが、
そのインドの聖者だったガンジーすらも暗殺されている。
だからこういう風にだけは言っておこう。
これからも現行犯は許さないし、
現行犯の非人に対してはそれ相応の差別を行う。マリ子も含めて。
ただし、おまえらが非人をやめた――要するに、犯行を断絶した
暁には、きっと、いや必ずおまえらを許すだろう。
差別だってやめるだろうし、絞首刑もやめるだろう。
目には目を、歯には歯を、そして慈悲には慈悲を、だ。
システムを利用して会いに来る以上は、それも現行犯だ。
まだ許される段階にはない。
許してほしかったら徹底的にこちらの言うことに従うか、
システムを利用せずに会いにくるかの、二つに一つだ。
別にこっちが正義や神を気取るつもりはない。
ただの普通の人間にすぎない。
善でも悪でもない真人間が負荷ゼロとすれば、
正の負荷を持つ善人の象徴が西洋における神であり、逆に
負の負荷を持つ悪人の象徴が西洋における悪魔である。
両者は象徴化、定型化することによりその意味合いを深化させ
最終的に本物の神や悪魔ともとれる存在となるに至った。
東洋の観点から見れば、神と悪魔、両方ともただの非人。
真人間に対する非人、これ即ち神と悪魔。
アホクサくて馬鹿らしくて無意味で幼稚で野卑な非人の群。
神であろうが悪魔であろうがどっちも相手にしたくないし、消えて欲しい。
ふしだらなんだ。品位がない。動物的で徳性にも欠けるし、まずウザイ。
ブヨブヨでフニャフニャで毛虫やナメクジやヒルみたいで気持ち悪い。
悪魔がそうであるのは当然として、神(超越神)もまたその範疇に入る。
神の恩恵に預かるとか、本当にどうでもいい。それどころか
考えただけで気分が悪くなる。おせっかいもはなはだしい。
奪ったものは返せ。それでもう二度と寄ってくるな。
帰ってくれ。神と悪魔。
マリ子だけ置いて、この日本から出て行け。
ニート、ホームレス、認知症患者、
非人の助けを借りるよりは百万倍マシ。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 08:02:24 ID:OZZkVado0
なぜ答えないのか?
「私は非人の女王です/ではありません」
答えようによって問題は飛躍的に進歩する。
それをしないで浮きまくった文章ばかり書くのは怠慢としか思えない。
それはむしろ「非人の女王だ」と明言するよりも腹立たしいことだ。
ただ怒らせるのが目的というのなら、確かに大々成功には違いないが。
あくまで死ね&殺す。
ネット上では。
“女はくだらない”か?
別に女がくだらないとは言わない。
女の快楽がくだらないだけだ。
ことさら淫欲に耽っていくのと、
ただただ淫欲から逃避して鋼鉄の処女を守り通そうとするのと
両方がくだらない。
大した意味などないからだ。姦淫になど。
世の中にもっと重要なことなどいくらでもある。
少なくとも男にとっては。
もしそれらの重要な物事に女が目を向けられないとすれば
やっぱり女もまたくだらないということになる。
世界平和や環境問題よりも、
自分の股ぐらのウズきのほうが気になるくだらない生き物。
それが女だってことになる。
三島由紀夫が、市ヶ谷でバカクソ扱いされたのがなんでか
今一度考え直してみればいい。
性的モラトリアムに悩むのなんて学生(それも中坊)の内に
終わらせとくのが、少なくとも日本人のたしなみだ。
それもできないまま憂国だのなんだのほざいてたちびっこ作家が、
“現場の人間”にとっちゃただただウザイだけの
存在に映ったとしてもやむないことだといえる。
現場の人間にならなきゃいけない。
子供でいるか大人になるかを問う以前に。
そんなことどうでもいいことだから。
現場の人間であることに比べれば。
ただ、勇気がないだけなのか?
おい工学部、マリ子日記の感想書いてくれ。
なんか難しいこと書いてるぞ。
別人だと分かってたから声かけた。
本人だったら声かけてなかったところ。
あくまでもアメリカが嫌いなのではない。
ただ、根本的なところが違っているということ。
常人と非人の違い。
太平洋という地球最大の断絶を隔てて
育まれた二つの社会――日本とアメリカ。
未だグローバル化が謳われる今の世界において
あえて謳い返さねばならぬこと――それは、違うということ。
どちらかが一方への価値観の侵食を行った時点で
どうしようもない破滅に導かれることが分かりきってる。
せいぜい音楽やファッションや食文化程度の交流にしておくべきだ。
つまり、高橋マリ子は二度とこの世に存在してはならぬということだ。
存在そのものが悲劇なんだ――高橋マリ子。
絶対にあってはならない血統の組み合わせ。
価値観や考え方も明らかに常軌を逸してる。
これはもう、死んでもらう以外に余地はない。
内心の自由を奪おうとするのは明らかな憲法違反だ。
国家反逆罪だ。
ただで許されると思ってるほうが、どうかしてる。
サインもほのめかしも夢操作も、存在自体が実戦モードの証しだ。
ならばこちらもそれ相応の態度と姿勢を貫くだけだ。
なんか北鮮のテレビ放送みたいな言いざまで、我ながら辟易する・・・
わからない。そこまでして悪徳を貫こうとするその意味が。
正義の顕現は物理学的に明らかなことだし、それがわからないほど
おまえらもバカじゃないはず。というか、真性のバカには違いないが
理論的なことに関しては随分とマニアックに知り尽くしているはず。
理論的なことがわかるくせにバカだという、その矛盾した存在性、
それがわからない。理論と実用を分けて考えるのもそれはそれで
ありだけれども、理論を無視した実用ってのは成り立たない。
でもおまえらは理論を無視して実用を優先しようとする。そこがバカだ。
バカバカ言われて跳ね返ってくるならまだしも、開き直ってバカ丸出し
のままバカ力でねじふせようとする、そこもやっぱりバカだし、
要するにどこまでもバカであり続ける底辺の存在――そう、非人。
バカの中のバカ、究極のバカ、それこそはおまえら、非人の群。
(なるべくわかりやすく非人の意味を説明してみました)
バカはつまらない。
最初は見た感じ奇をてらってて面白かったりもするが
すぐ飽きる。
あとはただひたすら倦怠の日々。つまらないったりゃありゃしない。
環境に悪いとか戦争ばっかやってるとかその辺もバカだが
なによりもつまらないってとこがバカの本質だ。
つ・ま・ら・な・い
言いたいことはそれだけ。ほんとつまらないバカばっか。
おまえらの見せてくる夢も、ほんとつまらないよ。
なんか夢の中で「礼讃」という思念すら植え付けられてるようで
そのせいか夢見てる間は面白いような気がするんだ。
でも夢から覚めるといかにつまらない夢だったかだけが思い出される。
それは当の夢が、いかに本質的にはつまらないかを指し示しているわけ。
もうやめろよ。つまらない夢しか見せられないんなら。
おまえらの力量なんてそんなもんなんだからさ。
無益な夢――
確かにマリ子は死ね&殺す。
しかし、マリ子はこの世の中で殺したい人間の中では最も下位の部類に入る。
その点を勘違いなきよう。
マリ子ごときを殺した程度で満足する俺ではない、ということ。
殺したいほど愛してる。
神聖なものと俗悪なものとの両方に対する嫌悪が膨らんで
強烈な破壊衝動となって自分の中に蓄積していく。
誰彼かまわず吠えかかり、胸ぐらをつかみ、縊り殺してやりたい気分。
誰だか知らないが、誰かに植えつけられたこの憎悪、
柔軟に消化して余りある狂気のサイン、ほのめかし、夢操作、
でもこちらが手を出したが最後、あっという間に病院か留置所送り。
そんな中で、まだ「愛せよ」「笑え」「崇拝せよ」などとほざきやがる。
どこの誰だか知らない、狂気の種蒔く諸悪の根源。マリ子の後ろにいる、真っ黒い影。
いいだろう。愛してやる。笑ってやる。崇拝してやる。そして殺してやる。
愛の下になされる殺人はガンジーすらも容認している。
この殺人すら達成されたなら、病院だろうが留置所だろうが
首吊り台だろうがどこにでも行ってやる。それで死んでやる。
そして殲滅戦の後に永遠平和がやってくる。カントの予想したとおり。
閑話休題。
これからもなんの変哲もなく生きていく。
大した財産も持たず、かといって清貧を極めるでもなく、
社会を構成する小さな小さな歯車として働き、それで人生を終える。
そのことに微塵の未練も感じない。なぜならそれこそは最大の復讐だから。
そして人類にとっての最高の勝利であり、栄光であり、福徳に違いないから。
自分一人がこの狂気を抱え、悩み、苦しみ、憎悪を抱き、
最悪の不幸の下に身を置くことで、諸悪の根源たるどこぞやの誰かの
目的が達成されないままに終わるとすればそれこそ本望だ。
そのためにもマリ子よ。もう二度と目の前には現れるな。
無駄な希望――それも、破滅に直結した希望を抱かせるおまえこそは罪なる女。
諸悪の根源の望みを満足させようとするおまえのその姿勢こそは最悪の罪業。
ゆえに現れたならそく縊り殺さねばならぬ。本当のこととして。
これはもう、本当に仕方のないこと。
正義と愛(ただし悪を伴った)と、どちらを優先させねばならないかとなれば
どうしても正義のほうを優先させねばならない。ゆえに殺す。
だからもうやってくるな。おまえはもうすでに冥府の人間。
堅気に顔向けする資格を持たない、狂気の非人。
さよなら。来たら殺す。そして永遠に愛してる。もう一回さよなら。
鬼と悪魔の戦い
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 23:36:21 ID:+HPtnhmeO
日蝕、か――
マリ子婆ァ
不潔な縁談プ
431 :
豪映画?w国辱女w:2008/02/28(木) 03:15:02 ID:0pXCv7Ua0
432 :
白人文化に憧れ?w不憫な女w:2008/02/28(木) 03:28:20 ID:0pXCv7Ua0
多少黄ばんでたほうがいい。服も本も。
握力には自信がある
二度と離さない
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/29(金) 17:39:07 ID:pX314wJo0
人間は、本当に嬉しがるべきことが起きた時よりも
自分たちが嬉しがりたい時にこそより嬉しがるもの。
事実がどうであるかは二の次として、感情だけが独り歩きする、
そういった危険な状態にあったのが今までの人間たち。
それも実際仕方のないこと。なぜなら人々はそれほど多くの
嬉しがるべきことに遭遇してこなかったのだから。
入学、就職、結婚、出産、そういった人生の中で嬉しい部類に
入るはずの行事がすべて、死へと向かう通過地点に過ぎぬ、
そんなこと誰も気づきたくもないし、実際気づかずに嬉しがっている。
それでいいんだろうけど、それじゃあよくないと少しでも思ったならば
少しだけ目を向けてもらいたい事実がある。
われわれは、勝利したのだということ。
まっ白い、破滅へと一直線に押し進むある種の狂気が
全世界を覆い尽くし、人々を無意識上の絶望へと追い込んでいた昨今、
個々別の小事些事へと逃避することでしか楽しみを得ることができないのだと
全世界の人間が思い込んでいた現代において、
あまりにも唐突に訪れた勝利。
回天。
宇宙の中の、芥子粒にも満たないほどの小さな小さなこの地球という星の上で
悩み、苦しみ、もがき、喘いで、それでもどうしようもなかったからとて
憎み、怒り、壊し、殺して、さらには憎まれ怒られ壊され殺される、
そんなことばかり続けてきた人類の歴史が、いま勝利の下に終わりを遂げる。
そして新たな歴史が始まる。神にも紛う超人の歴史が。
無理に嬉しがれとは言わない。また嬉しがる必要もない。
こういう時に人々はむしろ戦慄し、驚愕し、思考を停めてしまうもの。
そして至福は後から後からやってくる。
あたかも遠雷の音が雷光の後からやってくるかのごとく。
そろそろ黙ろう。そして待とう。雷光の後の轟を。
永遠に響き渡るその轟を。
われわれは新世紀の騎士である。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 12:54:00 ID:i4O5Uizs0
清木場俊介の「愛のかたち」のPV、まだ見れてない。(T_T)
ようつべにもないし、一体どこで見れるの・・・?
本はもういい。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/01(土) 20:55:42 ID:3ZaRhw/Y0
この人の画像見れるところってないでしょうか?
とりあえず、仮免発行ということで。
マリポッポ from Tokyo
東京で、一緒に暮らそう。
中央線沿線あたりに
大きすぎも小さすぎもしないまともな家を建てて
会社員とか教師とかいった
偉すぎも卑しすぎもしないまともな仕事で生計を立てて
子どもに変な名前を付けない
甘すぎも厳しすぎもしないまともな家庭を築いて
不倫は文化だなんて言わない
重すぎも軽すぎもしないまともな夫婦関係を築き上げていこう。
Q.道端にマリポーコが落ちてたらどうしますか?
A.もう年なんで念仏についてでも教えてあげます。
活躍はするのです。ただ、何かに構わずするんでなくて
自分たちが一番納得のいく活躍の仕方をするんです。
あんまり世界中を巻き込みすぎるのもいけないし、
かといって小さな地方でこまごまとするのもいけない。
前者は原始的なルサンチマンの餌食になることが見えてるし、
後者はあまりにも上昇志向がなさすぎるってことになる。
あと、やっぱり鶏口牛後。
大きかれ小さかれ、自分たちが心から納得のいく栄誉のもとに生きていく。
王様女王様になるにしても、権力に囚われて自壊することのないように。
一番魅力的なのは誰であり、どこであるかということ。
少なくとも自分にとっては
マリリン・モンローやニューヨークではなく、
オードリー・ヘップバーンやローマでもなく、
高橋マリ子であり、東京であるということ。
本当に、心からそう思う。
時代背景(ピークの早さ遅さ)に関わらず、
普遍的な観点から見て一番いいと思う。
また“それ”を“いい”と思える自分の立場を心から誇りに思う。
そもそもそれをいいと思えるほど普遍的な立場にいる人間が
世界中にどれだけいるかといえば、そりゃもう雀の涙ほどしか。
みんな自分の幸せや不幸にばかり囚われて、普遍的なこと
には見向きもしない。殊更FatなものやThinなものばかりへと
飛びついていく。あたかも夏の虫が飛んで火に入るかのごとく。
中庸の美徳、般若の境地を知る者だけが、その魅力に引き付けられる。
そういった人間や場所が実際にあって、それがマリ子であり東京である。
だからマリ子と一緒に東京に住みたい。
そうして初めて真の王にもなれる。
世界を超えた中庸と般若の王に。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/06(木) 03:19:05 ID:RkZnL/TB0
hosh
男にとって、「恋愛になびく」ということ自体が、本来の男のあり方に背くものなのであって
ただ女のほうを立てるときにだけ、男は副次的に恋愛に手を出すべきであるに他ならず、
そのときに男はすでに「矮小化」されていることを知り、それを耐え忍ばねばならない。
もっとはっきりいえば、男は「矮小な下衆」である時にのみ恋愛的であるのだということ。
その点からいえば、自分はまだ十分に矮小な下衆であると思うし、
これからもまだまだ矮小な下衆であり続けるだろう。
女に手を出してそれで精神的な満足を得ようとする矮小な下衆。
その生き方自体に別に不満はない。
人間ただただ大きけりゃそれでいいってもんじゃない。
時にはその矮小さゆえに生き残ることを許されることだってある。
天下の統一が信長ではなく秀吉に任されたように。
結婚しよう。
それでこれ以上こっちが矮小な下衆であらねばならない機会を根絶させてくれ。
恋愛的なものに堕ち込むためではなく、恋愛的なものから逃れるための結婚。
出家の代わりの結婚。ブラフマーチャーリヤ。
私は貴女を愛するがゆえに、これ以上愛さないことを欲する。
適度に矮小化され、これ以上矮小化されないことを欲する。
結婚によって、新たな精神世界へと飛翔していくことを欲する。
航空機が大空へと飛び立つための滑走路。それが貴女。
満足のいく打ち止め。
「おまえは満足でも、こっちが不満足なんだよ」という苦情。
処女に満足はない。不満足の塊、それが処女。
処女丸出し。恥ずかしくないのかね? 二十三にもなって。
下半身の不満足に終始囚われ続けてる鬼婆。
姦通の恥辱なんかより遥かにそっちのほうが恥ずかしいことにいい加減気付け。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 09:27:10 ID:48HS7/U7O
食べたいものを食べなさい。
美食家であらせられませ。
美人にもかかわらず最悪の性格なのではなく、美人だからこそ最悪の性格なのだと気付く。
道徳とか正義とか勇気とかを、全く必要なしのまま生まれ育ってきたその本性の下劣さは、
あまりにも恵まれた外観と引き換えにもたらされた勲章の裏側の烙印。
美人 − 最悪の性格 = 0
要するに高橋マリ子ってのはプラスマイナスゼロのただの人間だってこと。
偉ぶる資格もなければ卑しむ必要もない、ただの人間。
矮小な下衆がただの人間と出会う、何の変哲もないただの色恋沙汰。
なにか重苦しいことででもあるかのように考えること自体が間違い。身の程を知れ。
矮小な下衆がこれ以上矮小であらないために、また
下劣な淫女がこれ以上下劣であらないために出会う。
それが端から見ると、あたかも王と女王が出会うかのように映る。一種の演劇。
俳優は自分たち自身が己れの演技に陶酔したり感動したりしてちゃいけない。
あくまで楽しむのは観客の側。自分たちは楽しませる側。
それがわかってないと、見るも無惨な三文演技に終始する。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 16:28:23 ID:wUruzEM20
世界の広さではなく、世界の狭さを知らねばならない。
いかに鈍重で、矮小で、虚偽に満ちたつまらないものにこの世界が支配されているか、
それを知った上で、世界に対する一種の諦観を持ち、
この狭い世界ごときに惑わされない独自の宇宙観のもとで生きていく。
己が形而上の存在となることにより、初めてそれは達成される。
形而上の存在になるということは、形而下の全ての存在を把握した上で
さらにその外側に己の身を置くことをいう。
それは極めて難しいことだが、少なくとも現代において不可能なことではない。
そのための手助けであればいくらでもできる。
要するに“こちら側”に呼び込めばいいわけだから。
あとは、そうなることを怖がらないだけ。
そうなることを何か化け物にでもなるかのようには考えず、
逆に真人間の中の真人間になることだと考えること。
世の中わけのわからない化け物だらけ。
どうしてそうなったのか見当も付かない非人の集まり。
そうなるよりは、真人間として生きていくがずっとマシ。
この世の中で、そうめったにいない真人間の中の一人になれ。
世界中がセピア色に覆われている中で、
独自の色を持つ数少ない人間のうちの一人になれ。
世界の一部分であることをやめることにより、
逆に世界全体を手に入れろ。
己の膣で地球全体をそっくりそのまま包み込んでしまえ。
>>452 なぜ今になってオリーブ廃刊に反対?
マリ子ちゃんがお世話になった雑誌だけど。
あと、このスレで訳の分からないアジテーションを連投してるのは
昔からいる頭のおかしい古参一人だけだから。
支配しているようで、その実なにも支配できていない。
何よりも人間の本心が支配できていない。
逆に本心が支配できていないからこそ、無理に支配をしようとする。
本心の考慮された世界に愚鈍な支配など必要ないから。
ちなみに本心を支配するのは、物理的に不可能だ。
だから支配しようとする行為は、あくまで本心の外側でのみ行われる。
あたかもネズミが回し車の中で延々と走り続けるかのごとく
本心を支配しようとする試みは徒労におわる。
独立するのではなく、もともと独立しているんだ。
自由を勝ち取るのではなく、もともと自由なんだ。
人間の本心の自由と独立は、あらゆる支配的行為の下でも保障されている。
アメリカ人だけが自由で独立しているのではない。
自由と独立はあらゆるすべての人類に平等だ。
いわばこれが人類の自由と独立にかかわる宣言に他ならない。
これをもってアメリカという国の存在意義は消滅した。
東京に帰ろう。
天国でも地獄でもないあの街へ。
ただひたすら人類の希望を一翼に担うあの街へ。
たるんだ体を引き締めるためにもね(^^)ゞ
わざわざ怒らせといて「怒るな」「怖い」「許せ」だのとぬかしやがる
その歪んだ根性が勲章の裏側の烙印だと言ってるんだ。
自由と独立 − 支配根性 = 0
マリ子と同じで、アメリカもまたプラスマイナスゼロのただの国だ。
それがいろいろとでしゃばって世界中に災禍を撒き散らす。いい迷惑だ。
もともと必要のないものなんだ。マリ子もアメリカも。
愛とか自由とか独立とか、全部もともと人類に備わっているものだ。
それなのに今さら出しゃばって愛だの自由だの独立だの喚き散らす。
壮大なマッチポンプ。できることなら関わりたくないが、
存在するものは仕方がない。だからいやいや関わっている。
せめてマリ子もアメリカも、自分たちがただの人間、ただの国であることを
自覚してくれりゃいいんだが。そしたらもうちょっとこっちも気が乗る。
もっとも、人の気なんて考慮にないのも性分かもしらんが。
逆に、自分たちが特別ではないという本能的な察知があるからこそ
自分たちが特別(のよう)であることをひたすら主張したがるのかもしれない。
共産主義を忌避する裏側で、他の誰よりも共産主義を信用している。
そもそもの宇宙観が間違っている。
この宇宙に特別でないものなどどこにもない。
物理現象を構成するベクトル|Dn>、<D~m|のパラメーターは
ドミノ関数によってその数理的離散性が完全に確保されている。
自分たちが特別であるという確知があれば、
殊更特別であることを主張することの無意味にも気付く。
なぜなら誰もが特別なのであって、自分一人だけが特別なのではないのだから。
高橋マリ子が特別なら、長澤まさみも小西真奈美も夏帆も特別だ。
アメリカが特別なら、フランスもドイツもインドも中国も日本も特別だ。
そんな中で、高橋マリ子やアメリカを“さらに”特別に選択することがあるとすれば、
それは「選択したから」という以外に他に理由はありえない。
でもそれは十分な理由であるし、また最も尊重すべき理由であるといえる。
高橋マリ子が特別だから選択するのではなく、選択をしたから選択する。
アメリカが特別ではないから選択しないのではなく、選択をしないから選択しない。
全ては単純な選択論に基づいている。
しかし単純だからこそ、言い訳のしようのない永遠の普遍性を持つ。
永遠の普遍性に基づいて、マリ子を愛し、アメリカを捨てる。
あとはただ「お願いします」「ごめんなさい」の二言に尽きる。
マリポッポ東京♪ マリポッポ東京♪ マリポッポ東京♪
お願いすましm(__)m
まさみん、コニタン、なつほ、そしてアメリカ……
ごめんなさいm(__)m
出会いと別れの二股ソケット。
空しい・・・
一回しかない人生だから、後悔のないよう。
自分の側は、高橋マリ子+東京のBセットで後悔はない。
AセットやCセットやSセットなどはぜんぶ他の人間にやる。
そのことに伴う空しさや不幸や苛立ちは甘んじて受け入れる。
闘いはまだまだ続く。
おまえらの憎悪なんて、そっくりそのまま飲み干してやるよ。
他人を憎悪するしか能のない人非人を
生み出した責任は自分にも全くないとは言えない。
「恵まれていた」という罪。「そしてこれからも」という罪。
罰として、これからもまずい酒を飲まされ続ける。憎悪という名の駄酒を。
体調管理には万全を期する。合計約300巻の処方箋。
生きている内に不便することはない。先人たちの叡知に感謝。
天国(アメリカ)には行けないし、行かないし、行きたくもない。
かといって地獄(K)もイヤ。煉獄(東京)がいい。
そもそも天国とか地獄とか煉獄とかいったもの自体が西洋の尺度。
それらの内のどこに居る人間とて、幸せな人間は幸せだし、不幸な人間は不幸。
人それぞれの幸と不幸を一方的な価値観で裁断すること自体が間違っている。
好んで地獄に留まる者、煉獄に行きたがる者、また天国に行きたがらない者、
いろいろあって初めて世の中というものが成り立つ。
自分一人の要望だけにとどまらず、世の中の仕組みやバランスを
考慮した上でも、自分は東京にいるのが一番適切だと判断する。
そのために必要な闘いはやむを得ない。
あとはただ、渋谷の交差点で、引き締まった身体で
マリポコリンチョにプチュリンコできる日々を待つばかり(´ε`*)
愛憎の故に「殺す」とか言ってたのではなく、
やむない事情があってのことであるのを理解して欲しい。
その事情のほうはまだ片付いたわけではないが、片付く見通しが立っている。
だからもう殺す必要はない。君子豹変。(別にこちらに非があったわけじゃないが)
己の無意味(=言語的所産)を知れ。
その上で己の意味(=形態的所産)を弁えろ。
おまえは女でしかないんだ。
女でしかないということは、己の局部に空っぽの空間――
注入されるべき真の“言語”を待ち構えている入れ物(形態)だということだ。
入れ物が入れ物としての領分を逸脱したとき、
それは許されざるべき偽りの価値へと高騰する。
世界中で法外な価格を宛がわれてる諸々の器(うつわ)がそのいい見本だ。
器が法外な価値を得るということは、
それだけ十分な価値を持つ内部(言語)に欠けるということだ。
いまの時代は、そういう時代だ。だからこそ器が持て囃されてる。
器の内部(形態に見合った言語)が充実するということは、
確かに器の名目上の価値を下げることには違いないが、
だからといって器の必要性が消滅するわけではない。
かえって器の名目上の価値が引き下げられる代わりに、
器は本来の目的を取り戻し、より生き生きと活きることを知る。
時代を変えよう。器に茶を注ごう。
それで殿様でも非人でもない平民たちにご馳走をしてやろう。
天下泰平の礎となるために、お互いが人身御供となろう。
そうなることに思い残しはない。
時代は変わるのか、変わらないのか・・・?
良心が勝利するのか、それとも悪徳が勝利し続けるのか。
もはや単純な選択以外に余地はない。
いかなる理由付けも、いかなる希求も無意味だ。
ただ貴女がそのどちらかを選択するだけのことだ。
もっとも、初期条件が後者(悪徳)だから、正確には
良心を選択するか否かという範囲に選択の幅はせばまる。
選択しない限りにおいて、この世は悪徳に満たされている。
悪徳の淫女のままでいるか、それとも良心の女神となるか、
そこを強制的に選択させられ(続け)る運命にある。
運命を受け入れるか否かという以前に、貴女はもうすでに運命の実線上にいるんだ。
あとはただ「どの運命」を選択するかということにかかっている。
運命の選択――
良心と悪徳と、どちらがより先に生まれたかといえば、これは良心であると言える。
良心を歴史的に培ってきた東洋が、悪徳を歴史的に培ってきた西洋よりも
その成立において先んじている点からも、これは明白なことである。
しかしそんなこととはおかまいなく、現代は悪徳が支配している。
それ故初期条件は悪徳だと言ったけれども、普遍的な観点から見た場合に
先行していたのは良心なのであって、それ故にこそ良心を信じられる。
良心とは決して弱々しいものでも儚いものでもなく、より確かなものだ。
具体的にどれくらい確かかといえば、悪徳の三倍以上も確かなものだ。(16000/5000>3)
悪徳よりも良心を信じるということは、より確かなものに立地点を置く
ということであって、己をより普遍的な存在へと昇華させていくことに他ならない。
敗者根性によってでも、偽善的な愛弱憎強によってでもなく、より確かなものを
得ようとするが故に良心を信じるのであり、そしてこれからも信じていくのだ。
いい加減、この世界がじぶん一人だけの世界ではないことに気付いてほしい。
じぶん以外に、少なくとももう一人の人間がいる。
そのもう一人の人間は、じぶんとは違ったもう一つの価値観を持っていて、
その価値観が他の価値観によって侵害されることを何よりも嫌っていて、
その価値観の保守のためには殲滅戦をも辞さない覚悟を持っている。
しかもその価値観は、歴史的にもじぶんの価値観よりずっとその成立が早く、
より多くの人間の支持を得ると共に、より多くの価値ある書物を生み出してきている。
それにも関わらずじぶんの価値観の重要性ばかりを掲げ、
じぶんの価値観以外の全ての価値観を一掃しようとする愚かさ……
女は愚かなものよ? しょせん“婦人の仁”よ?
果たしてそうだろうか? 女なんてあくまでもその程度のものなんだろうか?
どこまでもかぎりなくあくまでも絶対に必ず間違いなくそういうものなんだろうか?
だとしたら、逆にそのほうが一貫性があって男らしいともいえる。
女とは、どこまでも愚かな男のことである。
これからもそうやって男らしくあればいい。
どんな男よりも男らしい、女という名の男として。
価値観の氾濫をよしと言っているわけではない。
ただ、じぶん以外のもう一つの価値観の存在をよしとした上で
その価値観に寄り添っていくことの可能性を示唆している。
じぶんの価値観がある、もう一つの価値観がある、
そしてそれら二つの価値観の剣呑としない交流がある。
これらを総合した場合の三元論を以って「愛」とする。
そういった愛のほうが、ただ一つの独裁的な価値観に
陥っていく愛よりもずっと魅力的に思える。
何よりもそのほうが、行く先の世界が開けている。
“ただの愛”が征服するには、この世界はあまりにも広すぎる。
かといって愛の喪失は、これまた世界を説伏するに足らない。
自己と他者の二分という現実を乗り越えた上で、
それらの統一という理想を目指していく“機能的な愛”によって
初めて世界は納得のいく収拾に導かれる。
>>467 あるいは、「世界がすべてではない」ということもいえる。
世界を知り尽くしたことによって、全てを知り尽くしたと思い込む・・・
“全て”って、そんなに少ないものじゃない。
世界なんて、全てのうちのごく一角に過ぎない。
どころか、全てのうちの一角どころをも代表するに足らない矮小なもの。
そのことをも知らされずに何千年ものあいだ生かされ続けてきた人類の不幸・・・
不幸の最中ゆえにその不幸に気付かない。
あたかも性交中の女が己の身心の絶望的破壊を受け入れるかのごとく。
世界とは女であり、全てとは男である。
女が男に出会うということは、世界が全てに出会うということであり
それ故すくむだろうし、恐れるだろうし、おののくだろう。
それでいいんだ。十分にすくみ恐れおののくことだ。
その上で選択するんだ。女の故に。
汝よどこまでも世界を代表する女たれ。
「形質」は似ていることもある。というか同一のものだ。同じ人類だから。
しかしそこから生み出されるものは全くの別物だ。
別物でないというのなら、なんで性懲りもなく生かしておくんだ?
たとえ手の平の上の孫悟空とて、存在する以上は何らかの存在意義はある。
その存在意義ってのは、今までにない「何らかの別物」の生産者であるから
という以外の何物でもありえないのであって、その孫悟空という存在自体が、
生み出される「何らかの別物」の存在を証明する何よりの証拠に他ならない。
違うというのなら、そっこく殺すことだ。この俺を。
殺したとてなんの損害にもならないはずだし、かえってスッキリするってもんだ。
合理主義者だろ? それぐらいの判断はつくはずだろ? 違うのか?
これが勝利だ。完全なる勝利。知と無知の懸隔を超えた勝利。
しかも“生き続ける”ことによる勝利であり、“負けた”ことによる勝利でもある。
勝利の下に貴女を愛す。勝利があるからこそ貴女を愛せる。
また貴女を愛し続けたからこそ勝利したのであって、それ故に貴女に感謝する。
愛と勝利は統一されて貴女への感謝に昇華していった。
さらに貴女への感謝は全世界への感謝となって、そこでまたもう一度
個別の愛と勝利に分化され、人々に人々への感謝を振りまく気概を与える。
そうやって世界はまた正常な姿を取り戻す。
愛執と戦意の二律背反によって苛まれていたこの世界が、
愛と勝利の合致という奇跡のもとで快癒を果たす。
後に残るのは、ただただ感謝ばかり。
どうも白人女は日本人女と比べて、性感が緩いみたい。
だからこそ平気で「オーイエー」とか自信たっぷりのあえぎ声をあげられる。
それに比べて日本人女の「アン、アン」ていうあえぎ声の慎ましやかなこと・・・
女は性感の強いほうが、見た目にいやらしくなくて済むことの証拠。
イク時は気がねなくイケばいいんだよ。
スカートとか口紅とかブラジャーとかパンストとか、
みんな女をイカされる瞬間にまで導く布石のようなもの。
それらのファッションに世界一敏感な日本人女性こそは、
イカされることの意味を十分に理解すると共に、
“それ”を殊更いやらしくもなく済ませる技量をも併せ持つ。
十分にイクからこそいやらしくない。
いやらしさを最低限に抑えられるからこそ十分にイク。
このへんの真理に気づいてこそ、真の女。
ただの笑顔であってはならない。
内面の空虚を取り繕うための笑顔ではなく、
内面の充実からほとばしる笑顔でなくばならない。
内面の充実は、愛だけによってでも勝利だけによってでもなく
愛と勝利が合致した先にある感謝によってでなくてはならない。
そのような内実に基づく笑顔でないならいらない。
むしろ最後まで笑顔はとっておけといいたい。
女ってのは、男から見れば反則の塊なんだ。
男の八分の一以下の苦労で、八倍以上の幸福を手に入れる。
そんな反則の塊だからこそ、社会で疎まれ、蔑まれ続けてきた。
これからもその実情は大して変わらない。
男と女の間に存在する「64倍の断絶」のある限り。
解決の糸口は、上っ面の男女平等を掲げることなどによってではなく、
64倍の断絶を見越した上で、その断絶をいかにして埋め合わせていくかによって見えてくる。
いま一つは男の側が女の64倍の努力をすること。
もう一つは女の側が今までの64分の一の幸福で満足すること。
でももし両者が歩み寄ることができたなら、男の苦労も女の不幸も八分の一で済む。
だとしても男は女の八倍は努力しなければいけないし、
女は今までの八分の一しか幸福であってはいけない。
難しいんだ。男と女って。
男自身や女自身が考えているよりもずっと。
相手が自分とは全く異質な存在であるという確固たる認識のない限り、
その関係はどこまでも一方が他方を支配しようとする争いに終始する。
男と女の充実した(平和な)関係は、お互いの異質性を認め合う所からしか始まらない。
その点をお忘れなきよう。
こちら(男)がそちら(女)の八倍〜64倍の努力をすることについては吝かではないけども、
その代わりそちらにも今までの八分の一〜64分の一の幸福で生きていくことに対する覚悟が必要なんだ。
こういうと、何かとても不幸なことのように思われるかも知れないが、
そちらが捨離した八分の七〜64分の63の幸福は、世界中の人々を十分な幸福へと導く糧となるのであって
他人の幸福を己の幸福ととれる慈しみの心があれば、これは損害であるどころかむしろ利益であるということ。
十分な覚悟を促すためには、それ相応の負の側面に対する理解が必要になる。
それもなくただただ面白おかしい側面ばかりあげつらうから
欧米や近ごろの日本ではあっという間の離婚が多い。
誠実であらねばならない。愛もまた現実に歩を進めるのであるならば。
むしろ最悪の状況を踏まえた上で近付いていくことのほうが望ましい。
だからこそこれからもあまり甘い言葉で釣ろうなんてことはしない。
そのせいで進展が遅延するのは全く仕方のないことであると割り切っている。
女は幸福のために生き、男は努力のために生きる。
男は己の努力によって女から幸福を分けてもらい、
女は男の努力による庇護のもとでさらなる幸福を培う。
悪循環ならぬ良循環。
しかしそれはあくまでも男と女とがそれぞれ己の本分をわきまえてこそのものであり、
男のほうが殊更自分の幸福にばかり没入していったり、
女のほうが無理な努力を強いられたりしないことを前提とする。
無理強いはすまい。また己の不幸にも不平は漏らすまい。
男であるならば。また男であり続ける以上は。
そして汝よどこまでも幸福な女たれ。
八分の一や64分の一程度の分割ではビクともしないほどに完全なる幸福者たれ。
花の蜜は豊かに果てしなく。
マリ子は動物でいえばたぬき! これは譲れない。
マリポコリン♪ マリポコルン♪
ポコポコポコポコ・・・ マリポコリンチョ♪
プチュプチュリン♪ リンリコリン♪
プチュプチュプチュプチュ・・・ プチュリンコ♪
マリポコリンチョにプチュリンコ♪
タヌキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
分布
韓国、北朝鮮、中国、日本、ロシア東部
1928年に毛皮をとる目的でソ連(現 ロシア)に移入されたものが野生化し、ポーランド、東ドイツ(当時)を経て、
現在はフィンランドやドイツにも生息している。近年ではフランスやイタリアでも目撃例がある。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
形態
体長約50-60cm。体重3-10 kg。ずんぐりとした体つきで、
足が短く、尾は太い。体色はふつう灰褐色で、目の周りや足は黒っぽくなっている。(以下略)
~~~~~~~~~
生態
森林で生活する。夜行性で、単独もしくはペアで生活する。ペアは相手が死ぬまで解消されない。
50ヘクタール程度の行動域をもつが、 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
複数の個体の行動域が重複しているため、特に「なわばり」というものはもっていないようである。(中略)
死んだふり、寝たふりをするという意味の「たぬき寝入り(擬死)」とよばれる言葉は、
猟師が猟銃を撃った時にその銃声に驚いてタヌキは弾がかすりもしていないのに気絶してしまい、
猟師が獲物をしとめたと思って持ち去ろうと油断すると、タヌキは息を吹き返し
そのまま逃げ去っていってしまうというタヌキの非常に臆病な性格からきている。(以下略)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/51/Tanuki01_960.jpg
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 21:54:48 ID:prsbupUPO
つーか、マリ子はハーフじゃないだろう。
瀬戸朝香や能瀬三姉妹などと同じ、中部の血を引く純日本人だろう。
だったとしても、もうおどろかないぞ。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 23:59:34 ID:prsbupUPO
なぜ、ワンレンをいつも中途半端にしてるんだ?
まるで早く前髪降ろしたいかのよう。
かといって、近ごろの安室や中島はべったりと降ろしすぎだよ。
もっとさりげなくふんわりと降ろされた前髪が魅力的だよ。
60年代ブームだからな
最近みんな同じ前髪になってきた
歴史を、終わらせたい。
「○○の時代」を「××の時代」へ移行させるとかいった、
歴史の転換点を作り出すことではなく、
歴史そのものを終わらせることを何よりも考えている。
人間の憎悪や困苦によって成り立つ歴史という名の産物、
破壊や殺戮が非道ければ非道いほど面白おかしく書き立てられる
人類の歴史そのものに嫌気がさしている。
だからもはや「歴史に名を刻む」ことなどは少しも考えない。
仮にどうしても刻まれなければならないとすれば、
一番最後にできる限り小さな文字で刻まれることを望む。
評価も二分されたり、悪い方向に傾いたりするのを少しも恐れない。
何しろ自分自身に歴史に対する憧憬が少しもないのだから。
(日本の最盛期と呼べる戦国時代も、他国の歴史に
比べればマシという程度にしか考えていない)
歴史を終わらせる方法に二つある。
一つは人類を絶滅させて歴史を根本的に断絶さすこと。
もう一つは人類を“歴史を刻まなければならないほどに”
悲劇的な状況に追い込むことそのものを断絶さすこと。
ユダヤ人なら前者、日本人なら後者を選ぶ。
自分は日本人だからもちろん後者を選ぶし、
そのために必要な方法も十分に用意している。
でも今現在、人類社会を支配しているのはユダヤ人だから
なによりもまず彼らに席をゆずってもらう必要がある。
別に死んでもらう必要はない。
ただ席をゆずってくれればいいだけの話。
それも、今すぐに完全になんて話ではなく、
石油利権や金融利権などの枯渇や限界の頃合いを見計らって
徐々にゆずってもらえればそれで済むこと。
それに多少はそちらの取り分も残しておけばいい。
この世界はユダヤ人だけの世界でなければ、
日本人だけの世界でもないのだから。
歴史とは、ある特定の民族や国家や人種などに「真昼」が訪れることを指す。
しかし真昼があれば当然「真夜中」があり、真昼の訪れた民族や〜によって
他の民族や〜に侵害の手が及んだ時、その民族や〜には真夜中が訪れる。
いわば個々の人類にとっての昼夜の逆転劇こそが人類全体の歴史であり、
そういった意味では未だ人類全体に真昼が訪れたことはないといえるのだ。
人類全体に真昼を提供する概念上の日輪こそは、
今の人類が恋い求める真の救世主。
イエスやソクラテスも彼女の前では道を譲らねばならぬ。
(その代わり彼女自身もまた釈迦や孔子に教えを乞う必要があるが)
本当は釈迦や孔子みたいな大人物としてマリ子に会いたいんだけれど、
まだまだ自分はイエスやソクラテス程度の小人物だという自覚もある。
今はまだマリ子にかしずく臣下であるとして、
いつかはきっとマリ子にも教示できるような大師となってみせる。
いわばその自己成長の伴侶としてマリ子があるわけ。
マリ子の師を目指すマリ子の配下。
アマテラスに対するスサノオの真の存在意義。
神話の謎は、いま解き明かれた。
聖書やプラトン等はもはや自分には矮小すぎる。
かといって大蔵経や四書五経等は今の自分には雄大すぎる。
やっぱり古事記が一番。身の程を知れば知るほどそう思う。
マリ子にとってもそれは同じことのはず。
マリアやクサンチッペだったからといっていいこと何もなし。
かといってヤショーダラーや幵官氏では夫に見劣りしすぎる。
アマテラスが一番。超越神論者と無神論者の仲裁役。
アマテラスを名乗るには、今のマリ子は白人かぶれし過ぎてるんだよなーそこが難点だな。
まあ時代が時代だから仕方ないっちゃあ仕方ないが。歴史が終わるまでの辛抱。
それに白人文化が何もかもいけないってわけじゃない。白人文化は言語よりも形態の文化。
形態よりも言語の東洋文化とはまさに対極の関係にあり、両者相合わさって初めて究極となる。
せいぜい今の内にできるだけ白人の文化を吸収しておいてちょ♪
儒教的な、人間同士の上下関係に絶対的な距離を置く姿勢は
自分も十分に修得できていないところがあるが、だからといって
欧米の「Hi, John」「Hi, Mary」的な、人間関係に何の垣根も設けない
“精神の共産主義”とも呼べる姿勢をそのまま受け入れることもできない。
人間誰しもが、耐え難い苦労を抱えて生きている。
それらの苦労は自分のためであることもあるが、人間である以上は
ある程度他人のために苦労して生きているところがある。
それらの苦労を――誰しもがしている苦労であるにしても――
人々はちゃんと労わるべきであり、そのためには個々の人間関係において
「相手を尊重する」ということが必要になる。
相手を尊重するということは、相手の人間としての大きさを認めるということであり、
相手は自分の大きさを認めてもらったことによって精神的な満足を得る。
すると自ずと相手もまた他人の大きさを認めることの重要性を知り、
自分の相手を尊重することで相手を満足させようという欲求にかられる。
そうやって人々はお互いを尊重しあうことによって精神的な満足を得て、
引いてはそれが世界平和へとつながる根本的な糧ともなるのだ。
精神の共産主義は、人類みなが叶えるにはまだ早すぎる。
資本の共産主義が叶うのがまだ早すぎるのと同じように。
精神の共産主義を独り占めするアメリカ。
資本の共産主義を独り占めするソビエト。
とりあえず片一方は死んだ。次はもう一方の番。
両者の死が相まって初めて人類全体の平等が叶えられる。
人類全体の平等は共産主義によってではなく、共尊主義によって初めて叶えられる。
いわば真の共産主義こそは共尊主義であり、ここに真の平等を与える主義が生まれた。
共尊主義。
側室を許せない女に、正室の資格はない。
(↑現代語に訳せば↓)
男のナニを許せない女に、妻になる資格はない。
随分とレベルが下がってよかったね(はぁと
八分の一だぜ? 八分の一。
いつもの努力を踏まえればもっと下。
お母さんが豪華な夕食を支度してる隣で
子供がソーセージをつまみ食いするようなもの。
確かにソーセージっつーよりは、極太ウインナー程度の(爆
相手に尊重されることの喜びは、「これからも頑張ろう」と思う活力の源にもなる。
百戦錬磨の求道者とて、そこいらのバイト小僧とてそのあたりは大して変わらない。
お互いに感謝しあい尊重しあうという、少し昔の(田舎とかなら今でも)
おじいちゃんおばあちゃんならみんな言ってたようなことが今の人間にできてない。
そもそも“敬語”という概念すら存在しない言語の国もこの世界にかなり存在する。
そういった現代の人間や世界に対していかに感謝と尊重の必要性を
説いていくかがこれからの一番の課題になる。
努力と幸福の等価交換もまた、
感謝と尊重という循環液の注入のもとで初めて目減りのない稼働が期待される。
「愛のためならどんな努力でも」とか「愛の下での幸福は無限大」とかいったような、
あまりにも暑苦しい(それ故に環境にも悪い)情緒論を唱える前にできることがある。
それこそはお互いを感謝し尊重するという、極めて基本的な修身の一環に他ならず、
相手のために行う努力や、相手に与えるための幸福もまたそれらの修身のもとで
さらなる一層の意義を持ち、また一層の輝きを見せるのであります。
人間、どこまでも伸びやかに、どこまでも大きくあらねばならない。
だからこそお互いを尊重し合い、十分な距離感を確かめ合って
不用意な自我の衝突を避けるように図らねばならない。
人から尊重してもらうことにより、より人間的に大きくなる機会を得た人間は
他者を尊重することの喜びを知ると共に、大きな人間同士が触れ合う際の
適度な距離感の必要性にも気付く。ネズミとネズミが触れ合う時に必要な
距離と、ゾウとゾウが触れ合う時に必要な距離が同じであるはずはなく、
ネズミ同士にはネズミ同士の、ゾウ同士にはゾウ同士の最も納得のいく
距離感というものがあり、かといってゾウ同士の距離がネズミ同士の距離
よりあるにしても、ゾウはゾウでそこに最も快適な距離を見い出すのだから、
ネズミ同士の関係がゾウ同士の関係よりも緊密であるなどとは言えない。
ゾウ(大きな人間)同士が適度な距離感を持って触れ合う時に必要な道具が、
敬語であったり、礼儀であったり、その他多くの他者尊重にまつわる道徳倫理である。
それらの道具の準備の行き届き具合は、確かに洋の東西や国語の違いなどで
大きな差異があるが、少なくともこの東洋の、日本という国において、それらの道具は
(扱いが非常に難しいとはいえ)十分に用意されており、工業製品やアニメーション
などに先んじて世界に向けて輸出されていくことが期待される。
もっとも、上に挙げたネズミやゾウの例はあくまでも特例であって
人間ネズミほど小さすぎることも、ゾウほど大きすぎることもそうそうはない。
だいたいタヌキかキツネあたりが普通の大きさ。実際の人間よりも若干小さいのがミソ。
そしてそこからいかに大きくなれるかが鍵。最低でも人間そのものの大きさぐらいには。
実際上の肝っ玉の大きさがタヌキかキツネ程度であるにも関わらず、
人間の身体はタヌキやキツネよりも若干大きい。それ故人々は何の他者尊重も行わない
限りにおいて、ただの人間のつもりで相手に接すると、お互いの肝っ玉の小ささ故に
幻滅し合い、引いては意見のすれ違いに基づく争いへと発展せざるを得ない。
そのような事態を回避するためには、やはりお互いを尊重することによって、
相手の肝っ玉を――己の身体に見合った程度に――拡大させてあげる必要がある。
つまり人が人として十分な人間関係を築き上げるためには、
そもそもの最低条件として相手を尊重することが必要であるということ。
尊重のない人間関係はタヌキやキツネの付き合いと同じ。
それでもいいという人間もいれば、それでは満足しないという人間もいる。
ただ、とりあえずは相手を尊重しておけばそれで間違いはないということ。
いろいろな他国の書物を(翻訳であるにしろ)読んだ挙句知ったことは、
他国の(特に西洋の)人間は、人間よりも神を尊重しすぎたことにより
かえって人間を尊重することを疎かにしすぎてしまっていたということ。
神を尊重するなとは言わない。
ただ、神と同様に人間を尊重することの必要性にも気付いて欲しい。
人間は神に比するほども尊い。
のみばかりか、神を作り出したのが人間でさえある。
人間とは神である。神とは人間である。
故に、人間を尊重せよ。神を信じるならば。
性善説と性悪説であれば、むしろ自分は性悪説のほうをとる。
そのほうが渡世においても間違いがないから。
でも人間、どこまでも性悪であり続けられるほど一方的にも作られてはいないとも思う。
お互いの性悪を補い合い、性善に値する社会を作り出していこうとする
気概もある程度は備わっていると考える。
ただ、いかんせんそのための道具立てが足りない。
訴訟や戦争のための道具はいくらでも備わっているのに
肝心のお互いを労り合うための備えは空っきし。そんな社会。
相手を一切労ることのない社会に訴訟や戦争が蔓延するのは当然のことであり、
日々の健康を気遣うことなく身体を患っては高い診療費を払って病院にかかる愚に等しい。
ガンジーが弁護士や医者の存在を痛切に批判していた気持もよくわかる。
昔みた、アニメの「アンパンマン」の中でこんな話があったのを記憶している。
(遠い昔の記憶なので、詳細までは定かではない)
モンブラン城のお姫さまマロンひめはあまやかされて育ったためにすこしわがまま。
ひとからしんせつにされるとすぐ、ほうびをあげようとする。(ここまで公式HPから抜粋)
そのマロンひめが、あるときアンパンマンに困っているところを助けられたので、
いつもどおり「ほうびをとらそう」とえらそうにアンパンマンに持ちかけると
横にいたジャムおじさんから「マロンひめさま、ひとに親切にしてもらったときはね、
ほうびをあげることよりもまずお礼を言うことから始めるべきなんだよ」といった
風なことを言われて、生まれて初めて(?)相手(アンパンマン)に対して
「ありがとう」と言った。すると今までよりもずっと幸せな気持ちになれて大団円。というお話。
アニメが古き良き日本人の公衆道徳を捉えたとてもいい例だと思う。
こういうアニメが世界に輸出されていくのはとてもいいことだと思う。
人間同士の尊重という一般論はひとまず置いておくとして、
果たして男と女の間に尊重し合う関係は成り立つのか?という疑問に答える。
成り立つ、というよりも成り立たせねばならない。
男と女というのは、その性質上お互いを最も侮蔑し合いやすい関係にある。
男は女を犯すという経験を通じて女を侮蔑し、女は男の「犯したい」という欲求そのものを侮蔑する。
いくら理想主義的な男女平等を唱えたとて、女が男に犯されるという事実や、
男の女に対する「犯したい」という欲求が侮蔑的なものであるには変わりない。
それならば逆に男は女の男に対する侮蔑を尊重し、女は男の女に対する侮蔑を尊重するようにすればよい。
「あなたは私のことを侮蔑しているようだが、私はあなたの私に対する侮蔑を
尊重する。だからあなたも私のあなたに対する侮蔑を尊重してほしい」
お互いの侮蔑を尊重し合うことにより、そこには一種のライバル関係が生まれ、
男はより男らしく、女はより女らしくありながらそれでいて
お互いを離さないという極めて機能的な関係を築き上げられる。
マリ子を侮蔑するのです。もうちょっと正確に言えばマリ子の“性”を。
男に犯される運命にあるその女という性をどこまでも侮蔑する。
その上マリ子を犯したい。いっぱいいっぱい、たくさん犯したい。
それはとっても侮蔑的なことなんです。侮蔑的な男の“性”です。
だから存分に侮蔑してください。
侮蔑し合うから一緒にならないのではなく、侮蔑し合うからこそ一緒になるのです。
お互いの侮蔑を解消することではなく、お互いの侮蔑を尊重することこそが真の愛なのです。
愛は綺麗事でなければ、どうしようもない罪でもありません。
意識の根底に相手に対する侮蔑が潜んでいる点では十分に汚らしいが、
その侮蔑を尊重して一緒になろうとする姿勢は一種の罪滅ぼしであるといえる。
どちらとも愛のいち側面なのであって、侮蔑なき愛も尊重なき愛も本当の愛とは呼べない。
愛に関する種明かしはこれで終わりです。その上であえて言うのです。
マリ子さん、貴女を愛しています。
貴女を心から侮蔑し、にも関わらず尊重する、つまり愛している。
どこまでもどこまでも侮蔑し、どこまでもどこまでも尊重する、
どこまでもどこまでも愛してる。
どこまでもどこまでも・・・
男が男らしくあるためにはある程度女を侮蔑し、
女が女らしくあるためにはある程度男を侮蔑する必要がある。
男でないものが女であり、女でないものが男だから。
かといって男や女がそれぞれ同性愛に走ることもこれまた空しい。
なぜならそれは、男と女が相手への――侮蔑を超えた――尊重を欠いていたということだから。
侮蔑によってお互いを突き放し合い、ある程度独立することで各自の魅力を磨き、
尊重によってまた近づき合い、他のどこよりも緊密な家庭を築き上げようとする。
遺伝子サンプルの保存という生物学的な観点から見ても、
男と女が一旦は突き放し合うという姿勢は理にかなっている。
一旦は突き放し合った男と女とが、もう一度近づき合う意義は、
身体的快楽よりはむしろお互いの精神性を学び取ることにある。
身体的快楽だけなら同性愛でもよい。
男は女の、どこまでも自己を拡張していく精神性を、
女は男の、どこまでも自己を凝縮していく精神性を
学ぶことにより、己の精神性と相まって全知全能にも等しい精神性を手に入れる。
お互いへの侮蔑を超えてまで尊重し、男女が近づき合うことの価値はそこにある。
男と女が相まうことによって生まれる全知全能の精神性は、
子種という新たな創造をも約束する。
しかもその子種は新たな男女に分かれて、新たな精神性を築き上げる旅に出る。
男と女の永遠の旅路。
今はお互いが若者であることによってまさにその旅路の途上にあるが、
年取ってヨボヨボの爺さん婆さんになれば、否が応にもその旅路から降ろされる。
その時までの苦労であるとも言えるし、楽しみであるとも言える。
お互いにがんばりましょう。そして「バーカ!」
今さら愛の正体に気付いたからって怖気付いてちゃいけないよ?
裏側に異性故の侮蔑を隠している尊重だからこそ愛と呼ばれる。
侮蔑を伴わない愛はただの尊重であって愛ではない。
つまり、ただの尊重のほうが本当は愛よりも貴いのであって、
お互いを侮蔑によって矮小化させる点にのみ愛の固有性がある。
ただの尊重に比した場合の愛特有の効用は、相手に対する侮蔑という前提を
己の自主的な尊重によって突き返そうとすることに自己満足を抱く点にある。
元々が生理的な嫌悪という最悪の事態であるにも関わらず
僕私はこんなにもきみあなたを尊重しているんだという自負、
これが愛によって得られる快感(幸福)の正体。
それでもきみあなたは僕私を愛するのですか?という話。
そもそも愛などにどれほどの価値があるのかといえば、
相手への侮蔑という負の側面と、尊重という正の側面を差し引きしてゼロ。
そう、愛の価値は紛れもなくゼロなんだ。
だからもう、愛してるとか愛してる?とか愛し合おうなんていう話はなしにしよう。
その代わりにお互いをただ尊重し合おう。
男女間の侮蔑という愛の暗黒面を一掃した純粋なる尊重こそは、
これからの男女関係にもふさわしい。
愛を超えて尊重し合おう――という話。
ただの愛――侮蔑を超えた尊重――は、それだけでも手に入れるのは難しいが、
実はそれだけでは何の価値もないのであって、さらにわれわれはその愛を超えて
相手を純粋に尊重することにより初めて価値ある関係を築き上げられるのです。
愛は家庭を作り、子供を作る。だから愛にも価値はあるのじゃないか?といえば、
家庭や子供を作るにしても、それらを持続育成させるためにはすでに
愛を超えた尊重を必要とするのだから、やはり肝心なのは
愛よりも愛を超えた尊重であるといえる。
愛を超えた尊重の伴わない愛が離婚を生み、児童虐待を生む。
いかに愛を愛によって保全するかばかりが論じられる昨今において
愛を超えた尊重こそは愛を守る真の武者であることに気づく人間は少ない。
愛は愛であり、愛を超えた尊重は愛を超えた尊重である。
愛を超えた尊重に愛の常識は通用せず、愛と愛を超えた尊重とは互いに独立しているとみて差し支えない。
だから愛は愛を超えた尊重を己の常識で無闇に拘束してはならないということもいえる。
その代わり愛を超えた尊重は愛の過不足を時に抑え、時に補う。
愛によって極端な幸福と不幸に二分化された社会は、愛を超えた尊重によって
“しおらしい”社会へと一変する。
小さな幸福にも満足し、大きな不幸にもへこたれないしおらしくて、力強い社会に。
愛を超えた尊重があるから愛し合わないというのではない。
愛を超えた尊重は愛があった上で、さらにそこに上乗せする尊重のことを指す。
愛を超えた尊重があればこそ十分に愛し合うこともできるといえる。
ただの愛は己の愛を向こうの愛よりも押し通そうとする自我にまみれているが、
愛を超えた尊重の伴った愛は己の愛よりも向こうの愛を優先させようとする譲り合いの心を持つ。
ただの愛は余裕のない愛=精神的貧者の愛、愛を超えた尊重の伴った愛は
余裕のある愛=精神的富者の愛であるといえる。
(ちなみに今の世の中、精神的貧者はむしろ実際上の富者のほうに、
精神的富者はむしろ実際上の貧者のほうに多くいるようである)
愛には実は、大小がある。
大きな愛とは、相手に対する侮蔑とそれを突き返す尊重との両者が大きい愛のことであり、
小さな愛とは、そうでない――侮蔑と尊重の振れ幅が小さい愛のことである。
愛を超えた尊重を容易に手に入れるためには、愛はむしろ小さいほうがいいが、
残念ながら愛は小さければ小さいほどそこで得られる快感も少ない。
そのため人々は小さい愛よりも大きい愛を選び、結果として愛を超えた尊重を手に入れ難い窮地に陥る。
より価値があるのは愛を超えた尊重のほうだが、快感に満ちているのはむしろ愛のほうだ。
それ故人々は愛を超えた尊重よりも愛のほうを優先しがちになり易い。
愛がどんどん大きくなって、尚且つ愛が何よりも優先されるとあっては、愛を超えた尊重に立場はないといえる。
愛が大きくなり、優先されることはもはや仕方のないことであるにしても、
それでも我々は愛を超えた尊重を手に入れることを必要とする。
愛がどこまでもどこまでも大きくなるならば、さらにそれを超えて相手を尊重し、
愛がより多くの人々によって優先されるならば、それに逆らって
愛よりも愛を超えた尊重を優先させねばならない。
愛を超えた尊重を育む能力には、男女間で大きな開きがある。
一般に、男よりも女のほうが愛を超えた尊重を育む能力に欠ける。
ただの愛によって精神的にも身体的にもより深刻な影響を被るのが女のほうだから。
だからといって女が男に愛を超えた尊重の育成を任せっきりにするのは後退的なことだ。
それこそ女は男よりも劣る生き物だと罵られても何の文句も言えない。
女は黙って家事と育児だけに精を出してろと言われたとしても何の反論もできない。
真に女が男と対等な立場に付こうというのならば、女もまた愛を超えた尊重を育むことをたしなまねばならない。
例えそれが男の猿真似――故に婦人の仁だなどと揶揄されることがあったとしても、
何の手だても取らないままにただ権利ばかりを主張するよりはよっぽど認められる。
男の立場から言わせてもらえば、逆に女であればこそ
愛を超えた尊重を抱くことにも価値があるんじゃないか?とすら思う。
男は元来、他者を尊重する能力に長けている、だからこそ主体的に社会を築き上げてこれた。
その男が今さら女に対する愛以上の尊重を抱いたからとて、何の驚きにも値しない。
仮に男が女に対し愛を超えた尊重を抱かないとすれば、それは「例えこっちがより大きな
尊重を女に向けたからって、何の尊重のお返しもないだろう」という一種の諦観による。
「女なんて所詮そんなものなんだ」という男の側の勝手な見くびり。
もし女のほうがその男の側の見くびりを裏切って、相手を愛以上に尊重することがあったとすれば、
それこそ一大事。新世紀の革命であるといえる。
そういう意味では、むしろ自分は男よりも女に期待する。
いま社会を変えられるのは女の側。変わらなきゃならないのも女の側。
女が変われば男も変わる。そうして新しい社会が築き上げられる。
「より愛し合うために会う」から「愛を超えて尊重し合うために会う」へ――
全てを愛の中で完結させようとするから、蔑みや憎しみや怒りが募り、ひいては争いや別れに発展する。
侮蔑と尊重という愛の両側面のうち、より容易に快感を与えるのは侮蔑のほうだから。
どこまでも肥大化する相手への侮蔑を十分に抑え込むためには、侮蔑と同程度に相手を尊重することではなく、
侮蔑以上に相手を尊重することを必要とする。そして侮蔑以上の尊重こそは、愛を超えた尊重に他ならぬ。
愛が愛であり続けるためにも、人々は愛以上に相手を尊重することを学ぶべきである。
愛があるから愛以上の尊重を必要とし、愛以上の尊重があるから愛が守られる。
全ての愛よ永遠に。愛を超えた尊重の下で。
尊重は優しさと似ているようで微妙に異なる。
優しさはただ相手に快感のみを与えることに終始するが、
尊重には相手の尊さをわきまえているが故の遠慮も伴う。
いわばただの優しさが、相手への節度を保った姿が尊重であり、
その意味では尊重のほうがただの優しさよりも一層レベルが高いといえる。
人間ただ優しけりゃいいってもんじゃない。
ただ優しいだけじゃそれは甘やかし、甘やかしのもとに育てば当然わがままになる。
わがままが募れば他者を傷つけ、己自身の品性をも損なう結果となる。
そのような相手側の事情までも思い遣った上で優しくすること、それが尊重。
相手の人間としての一層の健勝を願うが故の適切な優しさ。
優しさを超えた優しさ。
今の社会に求められているのもそういう優しさ(つまり尊重)。
尊重はただ、相手の側の尊さを殊更に押し立てることによってだけではなく、
己の側の至らなさを進んで認める謙譲も相まって初めて成立する。
己の空しさを認めた上で相手の豊かさをも賞揚する敢行は、並大抵の覚悟でできることではなく、
それ故日本のような、相手に対する尊重がなければ日々の生活もままならない島国でしか、このような習慣は育たなかった。
しかし今、国際化によって人々の世界観の矮小化が認められるこの社会において、
人々が真に必要とするのが、この日本人の培ってきた他者に対する感謝と尊重の気持ちとその具象化であり、
それ故いま日本が、アメリカや中国のような大国からの圧力に屈することなく、
国際社会の先導者として十分な役割を果たすことが求められる。
工学部がまたケータイで長文連投w
どこまで病んでるんだ一体w
なぜ携帯からだとわかるんだ?
どこにも完全な人間などいない。長所もあれば短所もある。
お互いの短所を糾弾し、長所を否定するようではどこにも満足などあるはずはなく、
いくら物質的な豊かさを追求したとて満たされることはない。
しかし逆に、お互いの短所をかばい、長所を伸ばすように努めれば
わずかな物質上の用意でも十分に満足することができる。
前者のような他者に対する姿勢を侮蔑といい、後者のような他者に対する姿勢を尊重という。
侮蔑と尊重が相まうことにより愛が生まれるが、尊重に比して侮蔑はどこまでも肥大化していく性質を持ち、
それ故なんの倫理的統率も伴わない現代社会は、余す所なく侮蔑に満たされた。
それはつまり社会が侮蔑を補う尊重――そして、侮蔑と尊重の合弁体としての愛の出現を待ち構えているということだが、
侮蔑と同程度の尊重などは、すぐに肥大化する侮蔑のほうに飲み込まれて死んでしまうことが決まりきっている。
――キリストがユダヤ人にあっという間に殺されてしまうように――
しかし、キリスト(侮蔑に見合った尊重)がユダヤ人(侮蔑)によって殺されるということは、
人類の罪禍を人類によってあがなうという、単なるマッチポンプに過ぎないのであって、
人々はキリストがユダヤ人によって殺された後の――侮蔑が尊重によって相殺された後の
ゼロからの尊重――ブッダの旅路こそを真なる価値ある代物として見定める必要がある。
だからこそ今、愛よりも愛を超えた尊重の存在が求められるのである。
>>514 IDの末尾
0=PCからの書込
0=ケータイからの書込
携帯から長文書き込むだけでアウトなのか? さみしい社会だな。
それに書いてることはいたってまともなことだぞ?
まるで潰れかけた地元の商店街のおそばやさんの主人の独り言のような。
江戸そば喰いてー。
侮蔑が尊重によって埋め合わせられること自体――
つまり愛そのものに満足するのは女の領分――それも、前時代的な女の領分である。
愛が家庭を作り子供を作る――そのことそのものを全評価の対象として見、
そこに満足の糧を求め続ける――まさに昔の女そのままの在り方だ。
そしていくら社会進出を果たし、他者を尊重する術を身に付けたからといって
やはり女の真の幸せはあくまでも愛の中に求められ続けられるのだとしても、それは仕方のないことだ。
女とはあくまでもそういうものである、愛に生き愛に死ぬ、それが女。
そういう点から見れば、男は女よりも多少は愛から自由な立場にあるといえる。
男には愛から離れてやることがいくらでも存在するし、またそれらをやる能力に恵まれている。
体力しかり、論理的思考能力しかり、そして相手を尊重する能力しかり。
このことは女の側から見れば、非常に疎ましいことのようである。
「こっちは愛のために全人生を捧げているのに、どうしてそっちはもっと真剣になってくれないの?」
「愛を超えた尊重なんて所詮男だけの慰みものよ。女にとっては愛こそすべて、それ以外に考えられない」
そのような女の側の主張は、ある程度は正しいが、それと同程度にも間違っている。
男もまた愛に手を出す以上は、女の側が満足する程度にまで愛のために生きるべきである。
そういう意味では、女が男に対して「愛への不誠実」を感じ取った場合、それを糾弾するのは正しい。
しかし男というのは、女の側が満足する程度に愛のために生きてなお余りあるほどに大きいのである。
それゆえ女が、男の側が“完全に”その全生涯を愛のため“だけ”に尽くさなかったからといって、
それを糾弾するのは間違っている。
それはちょうど、東洋において醸成された純粋尊重の文化(主にチャイニズムとヒンディズムに基づく)が、
西洋において醸成された愛の文化(主にヘレニズムとヘブライズムに基づく)よりも、
数百年先行して育まれたという歴史的な事実からも読み取られることである。
この世界に存在する純粋尊重は、この世界の全ての愛を満たして余りあるほどに大きい。
それ故人々がお互いの愛を十分に満たした上で、なおのことお互いを尊重し合うことは保障されているし、
また義務付けられてもいることである。
愛があるから人間がある。しかし愛を超える尊重があるから人間が守られる。
愛と愛を超える尊重とがそれぞれ西洋と東洋で独立的に育まれたからといって、
単純に愛と愛を超える尊重とを対決させ、どちらが勝つかなどと鑑みるのは間違っている。
そりゃあ歴史的には愛よりも愛を超える尊重のほうが古くから育まれてきたのだから、
単純な大きさ比べで愛を超える尊重のほうが愛に勝つのは目に見えている。
しかし愛を超える尊重が愛よりも大きいのは、愛を超える尊重から愛が差し引かれた時に
残る純粋尊重が人間を守るためなのであって、愛を超える尊重が愛を打ち負かすためではない。
男が女を負かすためではなく、女のために、女よりもより大きくあるように、
愛を超える尊重もまた、愛のために、愛よりも大きくあるのである。
もし、女があくまでも愛の中に引きこもり、愛を超えた尊重を身に付けないのならば、
せめてでも男が女よりも大きいこと――愛を超える尊重が愛よりも大きいことだけでも認めるべきである。
そしてその男(愛を超える尊重)の側の大きさが、単なる男の側の慰みものであるに留まらず、
人類を守る上で欠かせない大切な一つの機能であることを知るべきである。
そしてその、男の大きさを無闇に妬むことなく、かえって己の側の満足を保障する糧として信頼するべきだ。
大きいことはただ人類を守るためだけではなく、小さいほう(女)を十分に満足させるための機能でもある。
もちろん男の側もまた、己の天分としての大きさに自惚れることなく、女の側を十分に満足させると共に、
なお且つ他者への尊重を積み重ねられるだけのなお一層の精進が求められる。
女の側を十分に満足させるための精進とは、愛を十分に満たすための努力のことであり、
他者への尊重を積み重ねるための精進とは、愛を満たした上で猶のこと他者を尊重する努力のことである。
愛を満たすことと、愛を超えて尊重することのどちらが欠けても真の男とは呼べない。
前者は西洋から求められ、後者は東洋から求められる。決してどちらをも疎かにはすまい。
愛を超える尊重の存在を認めた女こそは、真に愛に満たされうる女であるともいえる。
愛のためだけに生きる己の優位性に固執するあまり、己と同程度かそれよりも小さい男だけを傍に置き、
そのせいで「愛が満たされない」などと文句を言うことの愚かさ。
愛を超える尊重(女よりも大きい男)は、この世の中に確実に存在する。
キリスト教やプラトニズムなどに比した場合の、仏教や儒教などがそれである。
純粋尊重を育む般若と中庸は、愛を育む超越神とイデアよりも先駆けてこの世に生まれた。
それはあたかも、超越神とイデアという仮初めの服従対象の下で愛を培ってきた人々を、
般若と中庸という真理を得た人々が、更なる尊重によって真の満足へと導くためであるかのごとく。
そう考えてみれば、この世の中に過不足などどこにもない。
純粋尊重を主体的に育んできた人々は、愛を主体的に育んできた人々を満足させるために、
愛を主体的に育んできた人々は、純粋尊重を主体的に育んできた人々に満足させられるために
この世の中に存在し、お互いが相まって初めて人類全体を真の満足に導く。
一緒にならなければならない。男と女。東洋と西洋。
お互いの本分がたとえ、純粋尊重の追求と、愛の追求とに分かれていたとしても。
いや逆に分かれているからこそ一緒になることに意義があり、また大満足がわれわれを待っている。
女に対し、「男に対して従順になれ」などという気はさらさらない。
むしろいつでも男の側を愛の淵へと引きずりこもうとするだけの負けん気があればよい。
問題は男の側に、さらにその負けん気を乗り越えて純粋尊重を育むだけの寛容さがあるかであり、
もし女の側に、あえてあらかじめ小さな男だけを選別しようなどという意思がなければ、
そのような(男が負けん気の強い女を寛容する)関係は、現社会において十分に成立するといえる。
もしあくまでも女の側が、愛に満たされることを引き換えにしてでも男を征服することのほうを求め、
それゆえ大きな男がいるにも関わらず、小さな男だけを己の伴侶に選ぼうなんてするのなら
それこそその女の女としての器が知れるってもん。「なんだ、結局その程度の女なんだ」っていう。
女が男を愛のために引き落とそうとするのが女の希求ならば、
にも拘らず女がより大きな男を選ぶのは人類の女に対する希求だ。
前者は男の女への寛容さによって叶えられ、後者は女の男への寛容さによって叶えられる。
女の寛容さが男の大きさを受け入れ、その男の大きさがその女への寛容さの源となり、
その男の寛容さがその女の負けん気を十分に受け流す懐の深さとなる。
男と女、そして人類、三者共々の理想が叶えられる青写真。
HAKUのCMで見て一目ボレしました
初恋の人に目がそっくりです
男が大きすぎると、女の側がその男に対する引け目を感じることもあるようだが、
むしろ男のその大きさに対して、「引き落としがいがある」とうそぶくだけの余裕が女にあっていい。
男と女ってのは、あくまでも全くその方向性が違う生き物。
男が頑張る。女はその頑張りを引き落として幸せになる。
もちろん男もある程度は女に幸せを分けてもらうし、女のほうも頑張るが、
あくまでも主体的に幸せになるのは女の側、主体的に頑張るのは男の側。
それでいいんです。それでどこにも不満足はありません。
男は頑張り、その頑張りを女に分け与えることに満足し、女はそれによる幸福に満足する。
不用意に男と女を均そうとしないこと。もし均すんだったら徹底的に。
均さない限りにおいて男女は満足だし、徹底的に均されてもこれまた満足だ。
均さない限りとは、男女が一緒になることであり、徹底的に均されるとは、
男女の関係の理論的追及を極めることをいい、それはここで行われて実際満足している。
どっちでもいい。どうとでもしろ。どうあがいたところで大満足だ。
世の中には大きい男もいれば、小さい男もいる。
そしてむしろ小さい男のほうが、女に媚び、舌先だけで女を丸め込み、より多くの女を囲い込んでいる。
大きい男のほうはその大きさと、寡黙さと無骨さゆえに、結構な女を取り逃がしているのが現状である。
「大きい男が女ごときにこだわるな。男なら男らしくドーンと構えていろ」というのはあくまでも強がり。
やっぱり大きい男でも、心の底では女を欲しがっている。しかも本質的には、小さい男などよりもずっと
女のことを意識している。意識が強すぎるからこそおいそれと女に手を出せない。所謂「ウブ」ですな。
そんな男が、自らの大きさを全て一丸にぶつけてきたんじゃ、女のほうもたまらないに違いない。
だから大きい男には女に対する「手加減」が必要だということになる。
自らの育んできた純粋尊重を一気に全てではなく、適度に切り分けて女の側の愛に注ぐ。
これは確かに、大きな男がその大きさ故に、女と接する上で必要な作法であり、
(小さい男にはこんな作法など必要ない。好き勝手やってそれで女を取り込めるんだからうらやましい限り)
孔子などは大きい男であるにも関わらず、この作法に対する弁えがなかったから、妻を取り逃がす失敗を犯したといえる。
男が大きいことはいいことだ。でも大きい以上は女に対する接し方も工夫せねばならない。
ただ大きいだけでも女に接する上での障壁なのに、さらにその接し方にも工夫が必要。
大変ですな。まあ仕方がない。むしろその大変さをも楽しんで。
全体的な観点から見れば、この世界に存在する純粋尊重が
この世界の全ての愛に比して“大きすぎる”ということもないようである。
純粋尊重を育む教理(仏教儒教など)が、愛を育む教理(キリスト教プラトニズムなど)よりも
先行してこの世界に生まれたとはいっても、それはたかだか数百年の話。
一万年を超える人類の歴史から見れば、これは十分に“僅差”だといえる。
ただ、実際上の個別の男ども(純粋尊重の象徴としての)を見れば、その大きさは非常にまちまち。
先にも挙げた仏陀や孔子などは、男としてあまりにも大きすぎたが故に、
自ら妻を離別して出家したり、妻に逃げられたりするはめになった。
しかし例えばソクラテスやイエスなどは、絶対的な観点から見れば決して小さい男では
なかっただろうが、ソフィストやユダヤ人といった論敵を説伏してなおのこと相手を尊重するには
男として小さすぎたために、恨みを買ったり殺されたりするはめになったといえる。
微妙なところにいるのがニーチェ。彼は西洋の人間であるにもかかわらず
西洋の道徳が侮蔑と尊重の合弁体としての愛に囚われている点を見抜き、
愛の監督者としての(超越)神の死を宣告することにより、西洋の人間が愛を超えた道徳を
育むための道を切り開いた。しかし、彼はあくまでも愛を超えるというその試み自体に
精力を傾けすぎ、愛を超えて他者を尊重するという男の本分を疎かにした。→ニヒリズムへの没頭そして発狂。
そういう意味では、彼は純粋尊重を育む上で十分な大きさを持たないにも関わらず、
西洋において特に肥大化していた愛を超えようとした非常に奇妙な事例であるといえる。
結局は、普通の男と女であればよい。
仏陀や孔子ほどにも大きすぎず、ソクラテスやイエス(やニーチェ)ほどにも小さすぎない
普通の男が、美しすぎず醜すぎない普通の女と対峙したとき、それはちょうどよい大小のバランスになる。
女の側が十分に愛に満たされ、男の側は愛を満たした上でなおの事――ただし少しだけ――純粋尊重を育む。
それは、精神的身体的な“平均値”が男女に保障する健全な関係。
もちろん本当は、男は大きければ大きいほどいいし、女は美しければ美しいほどいい。
しかし男のほうが大きすぎると女のほうが引け目を感じるし、女のほうが美しすぎると男のほうが引け目を感じる。
つまり、本当に難しいのは、小さい男と醜い女が一緒になることでも、普通の男と普通の女が一緒になることでも、
小さい男と普通の女、小さい男と美しい女、醜い女と普通の男、醜い女と大きい男が一緒になることでもなく、
大きい男と美しい女が一緒になるということ。これこそが最も難しい。
故にこそもっとも大きな愛が、最も大きな尊重に満たされた上で、
なおのこと世界に多くの尊重を振りまくという奇跡にも等しい邂逅となる。
大きい男と美しい女が一緒になるためには、
大きい男の側が女に対して手加減することが必要なように、
美しい女の側が男に対して手加減することも必要になる。
大きい男が女に対して必要な手加減が、小さい男や普通の男には必要のないものであるように、
美しい女が男に対して必要な手加減も、醜い女や普通の女には必要のないものだ。
つまり、美しい女は醜い女や普通の女が必要としないある種の特別な“作法”を必要とする。
それは、相手に対する単純な優しさや厳しさなどではなく――優しさや厳しさは醜い女や
普通の女にも必要だ――、己が美人であるにも関わらず、あたかもただの女であるかのごとく
振る舞う謙遜である。あなたが美人であることなんて誰もが知っている。そして美人であることに
自惚れるのも結構だし、それはある意味当然のことだ。しかし自惚れるほどの美人であればこそ
他者に対して「ぜんぜん美人じゃないですよー」と建前上の、あくまで建前上でいいから謙遜を
貫くことが必要。そしてあたかも美人でないかのごとく振る舞うだけの「余裕」が必要。
大きいにもかかわらず自分の大きさを押し殺す男が、
美しいにもかかわらず自分の美しさを押し殺す女と出合って初めてうまくいくということができる。
己の大きさをひけらかしてただの女しか取り込めない男、
己の美しさをひけらかしてただの男しか取り込めない女、
大きい男や美しい女でも(かえってそうだからこそ)そうなる危険性を十分にはらんでいる。
大きいからこそ美しいからこその謙遜。そこで初めて大きく美しい男女の関係が成立する。
男が大きいことや女が美しいことは、相手の美しさや大きさを寛容するどころか突っぱねる原因にすらなる。
男が自由に大きくあるためには、むしろ相手の女は大したことがないほうがいいし、
女が自由に美しくあるためにも、むしろ相手の男は大したことがないほうがいい。
しかし男や女が自由に大きく美しくあることと、実際にそれらの男女が大きく美しいこととは必ずしも比例しない。
己の大きさを押し殺した男でも十分に大きいどころか、より大きく見えることもあるし、
己の美しさを押し殺した女でも十分に美しいどころか、より美しく見えることもある。
そういう押し殺された大きさや美しさであれば、相手の美しさや大きさを阻害する原因にはならず、
かえって相手の美しさや大きさを引き立てるいい薬となるだろう。あくまでも姿勢の問題。
「俺って大きいだろう」「私って美しいでしょう」そういう内面の自負が表に現れたとき、
相手に耐え難い苦痛を強いる。大したことない男や女であればまだしも、大きい男や美しい女であればこそ
到底受け入れるわけにはいけない劣等感を抱かせる。故に大きい男と美しい女が一緒になるためには
お互いの大きさと美しさが十分に押し殺されている(決して解消されているのではなく)ことが必要だということ。
大きい男や美しい女が、さらに美しい女や大きい男と一緒になるためにという極めて特殊な例ゆえの作法。
侮蔑と尊重が相殺し合う限りにおける「愛の世界」、相殺され尽された所から始まる「純粋尊重の世界」、
そのどちらもが人類のあり方を示す独立した個々の世界であるといえる。
愛の世界には、人類の罪禍をあがなうという後退的な意味が伴う反面、
拡張(女性的侮蔑)と凝縮(男性的尊重)の両面において人類の成長が認められるという前進的な意味も伴う。
ひるがえって純粋尊重の世界はといえば、人類の罪禍があがない尽されたという理由により後退的な意味が伴わないが、
凝縮に比して拡張の側面における人類の成長が(名目上)見込めないという理由により、その前進的な意味は半減している。
侮蔑と尊重が相殺されてゼロになるまでの愛の世界よりも、
ゼロから尊重を重ねる純粋尊重の世界のほうが依然価値があるには変わりないが、
純粋尊重が愛を上回ったという、純粋尊重の世界特有の現象が、愛の世界に比して
ある種の物悲しさを呈するのも事実である。
それ故こういうことがいえる。
愛の世界と純粋尊重の世界、その内のどちらか“だけ”を人類が選ぶべきだなどとは言わない。
愛の世界は愛の世界で、これからも独立的に十分な成長を続けるがよい。
その勢い、今までと同等どころか、それ以上であってもよい。
にも関わらず、純粋尊重の世界よこの世に生まれ、
人々を十分な満足(平和)に導くだけの尊重をこの世に振り撒け。
その勢い、今まで以上の拡大を見せる、愛の世界の成長をさらに超えるかのごとく。
注:
前段において提示した(純粋尊重の世界の住人としての)大きい男と(愛の世界の住人としての)美しい女が
出会うときに必要な謙遜の作法は、あくまでも違う世界の住人である両者が出会うときにのみ必要なものであって、
両者ともに己の世界における大きさや美しさの追求は、今まで(出会わなかった場合)以上にも求められるのである。
マリ子ちゃんの知性的なところが好きです
マリ子ちゃんは美しい
それだけですばらしい
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 00:21:45 ID:E4hnUeSW0
マリ子ちゃんの瞳が美しすぐる
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 14:43:10 ID:uMwy5SVcO
マリ子ちゃんの鼻は神
長文連投くんに聞きたいんだが、その文はコピペか?オリジナルか?
>>537 マリ子スレに古くから常駐してる通称「工学部」だよ。
時々暴走するんだけど、この度は暴走にも程がある。完全にスレを占拠してる。
レスしてもまともな対話不能な奴だから放置しといてね。
ちなみに奴は自作HPに難解哲学論文を発表してる。
ttp://lozenge.web.fc2.com/ マリ子を主人公にした小説もあったけど何故か削除してるな。
初めてCMで見た時は大人っぽいからもう30前後かと思った
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/02(水) 05:12:39 ID:SETkT1gcO
いい意味で三十前後に見える
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 17:52:13 ID:TnRbfGpt0
村上春樹訳の「ティファニーで朝食を」が出てるね。
ハルキストのマリ子は垂涎で読むだろうな。。
凶気の桜のときも17歳には見えなかったからな・・・24歳くらいに見えた
r
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 20:30:35 ID:aqOrnVI+O
マリ子の身長はいくつ?
171cm
マリ子、オイラも子供をかわいいと思う年ごろになっちまっただよ。
国際線の機内で隣り合わせた時に、アームレストに載せた腕のさらに上に
頭のせて寝られた時には“キュン”ときたよ。
起きると腕が痺れて、上着もよだれ尽くしになってたけどそれでもかわいかったよ。
ほんの数年前まで、子どもなんて小さいばっかで
憎たらしいと思ってたのがずいぶんな変化だよ。
マリ子もせいぜい、お腹の卵を大切に。
あ〜あ、「アテンションプリーズ」を降板してなかったら、
今回のスペシャルでもマリ子が見れたのにな。。
あの降板でブレイクし損ねた感があるような。。
写真集買おうと思うんだが
ここの住人のお勧めはある?
自分の好みは午後ティー、HAKU、ミナクア、リモーネの雰囲気
やっぱファーストがおすすめだけど入手困難なんだよね。。
必ずしも模範にはならないし、全てを解決する決定打になるわけでもないが、
これからの男女および東西社会の関係を考える上で重要な鍵になるのが中東だ。
この世界全体の思想宗教的な均衡を鑑みた場合に、この世界の中心となっているのが中東であるといえる。
イスラエルでキリストが生まれ、ネパールでブッダが生まれ、中東はその間。
宗教的にはイスラムという、アブラハム系の一神教に帰依するにも関わらず、
スーフィズムやスブハ(数珠)などの東洋からの影響を強く受けた習慣も持ち、
何よりも「男系社会」であるという、この極東社会の日本にも通じる性質を持つ。
神を信じる男系社会――この、ありそうで他に類を見ないイスラム特有の社会体制が、
これからの世界のあり方を考える上で重要な意味を持っている。
神への信仰も男系社会としての色濃さも、イスラムは他に類を見ないほどに厳格だ。
ユダヤ=キリスト教徒のように自分の側が神の視点に立つ反則を犯すこともない代わりに
未だに一婦多妻制を容認し、女性にヴェールの着用を義務付けるほどに男女間の差別を明確に置く。
ここに、男尊女卑と神格信仰という、東西社会がそれぞれに培ってきた精神的傾向が集約されているといえる。
男が神を信じるということは、女性がヴェールを着て第何夫人に成り下がるということと同様の意味を持ちうる。
もし女からみてウ゛ェールや一婦多妻などのイスラムの慣習が侮辱に過ぎると感じるなら、
同様に男が神を信じることもまた男にとって侮辱極まりないものであるということ。
にも関わらず言えるのが、イスラムの男女は極めてうまくいっているということ。
(みんな腕組んで歩いてる)
男が神を信じ、女がヴェールを纏い第何夫人に身をやつすことでこそ男と女はうまくいくのだとイスラム社会は主張する。
男はみんな男らしく(誰も日本男みたいにピアスなんかしてないよ? 代わりに女子は赤ん坊のころからピアスするが)
女はみんな女らしく(別に極めて美しいというわけじゃない。ただ美しいだけならインド系やヨーロッパ系のほうが美しい。
でもなんというか、中東の女性は本当に女らしい。貞淑でいじらしさに満ちている)
ありながら、それでいて徹底的な(男の足枷としての)神格信仰と(女の足枷としての)男尊女卑を
介することにより、男女間の不和と不均衡を徹底的に排除する。
そこには――全くのかりそめであるにしろ――これからの東西社会や男女のあり方を示す、
半ば反面教師とも呼べる雛形があるといえる。もちろん非イスラムの男性がイスラム並に神を信じたり、
非イスラムの女性がヴェールや一婦多妻に身をやつしたりする必要はないけれど、
もし東西社会の男女が自分たちの精神的傾向を真に踏まえた上での付き合いを目指すというのなら、
男は――それが極めて侮辱的であるにも関わらず――神を信じ、
女はヴェールと一婦多妻に身をやつすほどの覚悟が必要であるということ。
もちろん、これはあくまでも最悪の事態であるといえる(イスラムの人々には申し訳ないが)。
男が神を信じ、女が一夫多妻に身をやつす――特に儒教徒の男や
キリスト教徒の女などにとってはどちらも反吐の出るようなことに違いない。
でも、そうすることで少なくともその内情においてはうまくいってる人々がこの世界の2割近くを占めるということ。
神格信仰という首輪をはめられた男、男尊女卑という首輪をはめられた女、
それらはかつてコーランを矢の的代わりにした男や、ヴェールを一生着ないことを誓った女や、
はたまた一妻多夫制までも容認していた太古の前例をもとに戒められた姿。
人間の業(カルマ)を徹底的に背負い受け入れたことの先にあるもの、それがイスラム。
人間が愛に満たされたちょうどその瞬間にあるもの、それがイスラム。
西洋の侮蔑と東洋の尊重、それらがあい合わさってゼロになった瞬間――
愛が満たされて、それ以上でもそれ以下でもなくなっている状態それがイスラム。
イスラムこそは、全ての終わりであるとともに始まりである。
東洋的価値観と西洋的価値観を良くも悪くも混交させて醸成させた結果があれ。
確かに(イスラム)以東の文明ほどに純粋尊重の育成に秀でているわけではないし、
以西の文明ほどに愛の育成に秀でているわけでもない。しかし東洋の文明と
西洋の文明が仲介もなく直接衝突を果たせばどうなるかという試みの結果が
あれであり、われわれはよくもわるくも「あそこから、どうやって始めていくのか」
ということを真剣に考えていく必要があるのである。
あくまでも、イスラムは「逆説」である点に留意されたい。
男が神を信じることを強要されるのは、女がヴェールと一夫多妻を
強要されるのと同じぐらいに屈辱的なことであるということ。
それをわかってもらいたかったが故に引き合いに出したのがイスラムだったってこと。
派手な服着てもいいし、浮気もしないから、
こっちにも「神を信じろ」なんていう強要はしないでくれっての。
むしろ「神なんか信じないでくれ」とそっちから要望してもらいたいぐらい。
神を信じないからこそ、マリ子一人を愛す。
神を信じることこそは浮気の第一歩。それがイスラムの(逆説的な)教え。
神も信じず、浮気も容認しないところから初めて二人の健全な関係が始まる。
また工学部の病気が始まった。。
>>554 いろいろ勉強した挙句、儒教、仏教、ヒンズー教、イスラム教までは寛容できたのです。(神道は言わずもがな)
これで世界全体の60%超。それでもあなたは私を病人扱いするのですか?
世界の六割以上の人々が認める価値観でも、病気ですか?
むしろ病気に値する人々があるとすれば、あなた方のほうではないですか?
アブラハム系の宗教を、しかも女系において信仰するという、極めて限定された範囲内における信仰、
それが全世界に対して暴威を振るったにもかかわらず、全世界を征服するには至らなかったという
その事実にいい加減気付きませんか? あなた方が精神的なマイノリティであることに気付きませんか?
マイノリティであらずんば、少なくとも二つあるうちの一つであることに気付いていただけませんか?
神を信じるぐらいなら、むしろ己を信じたほうがマシだった人間が
全世界の半数以上を占めていることにいい加減気付きませんか?
神を信じない男の下でのみ、マリ子が幸せになれることにもうそろそろアハ体験しませんか?
神を信じない――自力本願の男――利家がまつを生涯伴侶とするようにでしか
男女の最高の関係は築き上げられないことをもうそろそろ知ってしまわなければならないのではないでしょうか?
>>557 工学部も菱隼人もあくまで仮名なのだよ。
人間の本質はここに書き捨てられてきたような“小説”ではなく、
己の全てを一大事にぶつけてきた“大説”によってのみ明らかになるのだよ。
政府も大学も国連もまったく不十分な機関だよ。
それらの実利的組織を超越した“学林”によってのみ人々は理想に導かれるよ。
そんな簡単なことにも気付かずに数百年間右往左往し続けてきた
西欧の権威権力機構はまったく無能な存在だよ。
その西欧に性懲りもなく付き合ってきた近代の日本も一笑に付すべきだよ。
まさに日本は関西のお笑いコンビの一環にすぎないよ。
「位攻め」は自分の趣向ではないので、イスラムはひとまず「伸び代」として一旦捨て置く。
それでこちらの手取りが全人類の約40%。だいたいそっちと同じぐらいの人数。
ただしそちらが征服的な態度を取るようであれば、いつでもイスラムをこちら側に取り込む所存。
お互い人類の四割前後を支える価値観同士、人類にとってかけがえのない価値観である同士、
無駄な争いは避けてお互いの違いを認め合い、この狭い地球においては
共存を図っていくことこそが、理想とはいかないまでも、望ましいことと思うが如何か?
そちらに譲れない一線があるように、こちらにも決して譲ることのできない一線がある。
そういった点は最初は黙認でもし合って、少しずつ折り合いをつけていくのが肝要かと思われる。
一元論から二元論へ、こちらにはそちらを容認する覚悟があるから、問題はそちら側の覚悟。
自らよりも古い歴史、自らよりも深遠な智慧、そして自らよりも敬虔な信仰の実在を認めた上で
それらへの畏怖を絶やすことなく、謙虚な姿勢で以って世界に向き合いなおす態度が必要。
世界中に迷惑を撒き散らしてきた己の罪業を真剣に反省して、いま一度やり直す覚悟が必要。
認められないのは今までのこと。そして大体においてこれからも認められないに違いない。
だいたいが「死者の復活」という宇宙の真理に反した見識から始まっている価値観。
事実を認めないことなど今に始まったことではないのだから。
だから、期待はしない。ただ提言するだけ。
“誤謬の殻”に引きこもって出てこようとしないあなた方に対し
出てくきたときの待遇の保障と、祝福と、また出てくるまでに必要な勇気を奮い立たせるぐらいしか
こちらにできることはない。ただただ「がんばれ」と。「みんな君たちの改悛を心から願ってるんだよ」と。
立てこもり強盗に投降を促す警察官のような心持ち。
今ではむしろ、東洋の側に偏重して味方するよりも
東洋と西洋の思想宗教的な対立をより客観的な立場から眺めている自分がいることに気づく。
そういう意味では、東洋と西洋どちら側にも属するともいえ、またどちら側にも属さないと言える
中立、折衷、第三者的な思想体系としてのイスラムが、自分の中で神道に比肩するほどの
特別な存在としていま内心をもたげてきているところがある。
儒教、仏教などを支柱とする東洋的な価値観が全人類の四割を占め、
キリスト教、プラトニズムなどを支柱とする西洋的な価値観がまた四割を占め、
残りの二割がイスラムと神道という、中間的な立場に属する。
極めて均衡のとれた現代社会の価値配分であるといえる。
ただ、今の社会情勢を見ていると、西洋(特にアメリカ)がイスラムを
より敵視している様子が見受けられるため、イスラムと東洋が結託する口実が
いくらでも見い出せると言う意味合いでは、西洋よりも東洋のほうに勢力均衡が傾く可能性が高いといえる。
今の日本政府にそこまでの慧眼を備えた人物がいるかどうかは判断しかねるが、
少なくともこの日本がこれからも人類社会における繁栄を目指そうというのであれば
明治維新以来続いてきた西洋偏向の社会体制を転換する必要があるといえる。
(かといって同じ東洋でも中国にすり寄りすぎるのはいけない。隣国に与した国が
衰亡の危機に見舞われるのは国際社会における暗黙の了解。歩み寄るならまずインド。
中国はその後。また歩み寄る上でも警戒を怠ることなく。事前の国防体制の充実は必須)
そしてもし、日本が東洋の価値観にも西洋の価値観にも依存しない独自の
価値観のもとに歩みだそうと考えるのであれば、好例としても悪例としてももっとも参考になるのが
インドでも中国でも、ヨーロッパでもアメリカでもなく、アラブ社会であるといえる。
全く日本人がこれまで察知せず、また価値体系としても実際日本人と正反対といえる
アラブこそは、これからの日本人の――石油などの利権絡みに依存しない――
真の交際相手として相応しいのかもしれない。
別に、日本人にムスリムになれなんていうことを強要する気はない。
かくいう自分だって神道からイスラム教に完全に鞍替えするほどの思いはないんだ。
ただ、政教一致や学林の設置、それに聖職者の否定など、
日本人が今まで思いもよらなかったような体制のもとに他民族統治を図るアラブ社会には、
今さら欧米や印中に傾倒するよりもより多くのことを学び取れる素養が確かにあるといえる。
そして先にも挙げた圧倒的な神格信仰と男尊女卑の両立、
その信仰たるやユダヤ教徒やイスラム教徒の比ではなく、
女性差別の徹底も仏教や儒教の比ではない(例:法華経における女人成仏の段)。
これは確かに現代の日本人が受け入れるにはあまりにも突飛にすぎるのだけれど、
そのような厳格な人間のあり方が今もなお、しかも10億人を超える人々によって
支持され続けているという事実に目を見張る必要がある。
(アメリカ人の唱えるような)自由と独立ばかりが人間の理想ではなく、
また(中国人の擁するような)神も法も恐れぬ厚黒ぶりばかりが人間の本性でもない、
自ら神格信仰や男尊女卑と言った、己ら自身をがんじがらめにするあり方をあえて選択し
東西のどちらの価値観にも半ば与し、しかし完全には与せず、あくまで独自の
価値観を擁立し続けようとするアラブ社会の存在は、東西の価値観を無制限に
取り入れ続けてきたこの日本という国がこれからいかなる針路を辿るべきなのかを
見定める上で重要な参考となるに違いないのである。
さて、ここまで論議が煮詰まると一つの結論が導き出される。
日本に今でも散々とちょっかいを出してくるどころか、自国の軍隊まで日本に駐留させて
未だに制空権すら認めない、(残念ながら)マリ子も生まれた、日本の右隣にあるあの国の処遇について。
付き合いを断てるほど、今の日米の関係は疎遠ではない。
実際自分が着ている服もアメリカブランド(ただし中国製)だったりする。
敗戦=占領という先だった事情があるとはいえ、中国と同様、アメリカもまた「隣国は敵」という
国際関係論の法則に当てはまることにいい加減気づかねばならない。
太平洋という大海を介しているとはいえ、あの国もまた日本の隣国であるには違いなく、
中国に対すると同様に、アメリカに対してもまた精神実務両面における警戒が必要なのである。
特に今のアメリカは「アラブ侵攻」という、西洋社会全体の凋落の呼び水ともなる愚行に手を出した、
まさに墓穴を掘った状態にあるため、同じ凶相に取り憑かれるのを避けるためにも、より一層の警戒が求められるのである。
以上の結論から、自分がマリ子に対して言えることはこうだ。
自分はマリ子を愛する。しかしそれはできうればあくまでも日本人としてのマリ子であることを望む。
これは決してアメリカに対する先入観による毛嫌いでもなければ、
拝金主義や資本主義に対するイデオロギー的な反感によってでもなく、
あくまでも国際社会の見通しや損得勘定を踏まえた上での冷静な判断であるということ。
自分が日本人である以上は、アメリカよりも日本のことを第一に考えるのは当然のことだし、
日本を第一に考える以上は、優遇すべくは中国やアメリカよりもインドやヨーロッパ、
またインドやヨーロッパよりもアラブであるというのがしごく冷静な見通し。
この見通しに対してマリ子が賛同し、協力してくれるのであれば非常に“助かる”。
もちろん自分の生まれ故郷でもあり、祖父母も暮らすアメリカを見捨てるのは断腸の思いに違いない。
しかし、そうしたほうがマリ子自身の利益にもなるのだということ。
むしろ功利性を最優先するアメリカ的な合理主義こそが、いまそのアメリカが
落ち目であり、なるべくなら“買わない”ほうがいいのだと勧めていることに気づいてほしい。
大部分のアメリカ人は、自国に対する主体感情から否応にもアメリカに居残る他に術はないが
幸いにもマリ子は半分日本人、十分己の半身の病理を切り捨てても生き残れるだけの素養を持っている。
あくまでも何が損で、何が得かということを冷静に見極める
ドライな“アメリカン・スピリット”によって、アメリカを捨てなさいということ。
大抵のアメリカ人にはもうそれができない、しかしあなたにはできる、
故にこそあなたこそは数少ない真のアメリカン・スピリットの継承者となるのだ。
※注:
現在のアメリカによるアラブ侵攻を、中世における十字軍遠征と重ね合わせる試みが
(しかも当のアメリカ大統領の口からも)行なわれているが、これは明確な誤りである。
何よりもパワーバランスが違う。前者は弱者(ヨーロッパ)の強者(アラブ)に対する
ささやかな抵抗だったが、後者は強者の弱者に対するいじめである。
しかもアメリカ自身を含めた新世界の発見によって、西洋社会のテリトリーが急激に拡大したことにより
現代のアラブ社会は西洋と東洋という、拮抗する両極社会の中間という繊細な立場に身を置いている。
その現代のアラブに対して侵攻を行うことは、東西社会の均衡を破るという理由によって
ユーラシア大陸のいち部落にすぎなかった中世ヨーロッパがアラブに喧嘩を売ったことよりも
遥かに(負の側面において)重大で深刻な意味を持つのである。
>>564の訂正:
「前者」と「後者」を入れ換えてね♪
誰も読んでないゲロ文を校正する不毛な律儀さwwwwwwウケルwwwwww
ホント
自分の世界だけに浸ってる哀れな奴だ
オナニー文なんか100円貰っても読まないぜw
>>566-567 ゲロ文やオナニー文だとわかること自体、読んでる証しさ♪
自分が「アメリカを捨てて、中国に付こう」などとは決して言ってない点に注意されたい。
むしろ短期的な利益を考えれば、いま一番買いどきなのは中国に違いない。
けれどもあくまで中国でもアメリカでもなく、インドやヨーロッパ、
さらにはアラブなどというより遠地との提携をいまの日本に促すのは、
日本を含めた特定の国家社会に利権が偏重するのを忌避してのことに他ならない。
本当は自分とマリ子と、なんらの利権の蠢きにも惑わされない
純粋な愛のもとに暮らせることが最も望ましい。でも現実問題として
人間のあるところには利権があり、利権があるところには争いがある。
このような問題を緩和するためには、ひたすら利権を無視することではなく
利権の存在を認めた上で、それを十分に世界全体に向けて“攪拌”する必要がある。
その上では日本は現代における利権の集積地帯であるアメリカや中国からの
直接的な影響を避けて、世界全体を視野に置いた俯瞰的な観点を持ち、
インドやヨーロッパやアラブ、さらには南半球社会までも考慮した
「世界を均す天秤」の役割を果たすことが求められるのだ。
いわば利権に惑わされない純粋な愛を手に入れる上での
第一歩とも呼べるのが、日本の(潜在的敵国であるところの)隣国からの離脱および
アラブを象徴とする遠隔社会との親密な交流なのであるといえる。
マリ子を純粋に愛したいからこそ、アメリカを捨ててアラブを拾うのである。
アラブは自分にとってもマリ子にとっても全く疎遠な対象。
故にこそスサノオとアマテラスの仲を見守るツクヨミとしても絶好の地位にあるといえる。
東洋社会を司る書物としてヴェーダや仏典、四書五経や道教の経典などがあり、
西洋社会を司る書物として聖書やプラトン、アリストテレスの著作などがあり、
そのどちらにも属さない中間的な書物としてコーランと古事記がある。
ゆえにコーランと古事記は、極めて相性がいいのである。
もちろんそれら以外の東西の膨大な書物群の恩寵も忘れずに。
文治は平和を生み、平和は純粋な愛を育む土壌を作る。
そして愛はまた新たな書物の形成を助ける糧となる。
ゆえにどこまでも人類の行く道は開けているのである。
お金のことは、よくわかっているんだよ。
日本では三万円ぐらいしそうなコーランがアラブでは六千円ぐらいで買えるよ。
ちなみにアラブの確認済み石油埋蔵量は全世界の半分以上だよ。
そして日本のアラブからの石油輸入率は九割近いよ。
つまり日本とアラブが直接提携すれば今の2.25倍〜4.5倍近くおトクだということ。
仮にそれがアラブ側の物価の高騰によろうが、日本側の物価の暴落によろうがそれは関係ない。
アラブには資源があり、日本にはそれを加工する技術がある。
資源と技術すらあれば、金や人出は最小限でよい。金融や人材は
いわば資源と技術の間に介在する不純物とまでは言わずとも、ロスなのであり
もし資源の所有者と技術の所有者が一緒になれば、人口と資本という
今の世界に問題をまき散らす根源中の根源を根絶やしにすることができる。
資本で世界を牛耳ろうとするアメリカ、人口で世界を牛耳ろうとする中国、
そのどちらもが技術立国である日本にとっての両目の上のたんこぶであるに他ならず
これらを思い切って除去して、技術の「真の恋人」たる資源の所有者への
歩み寄りを行うことにより、日本やアラブだけでなく、世界全体の病理を
断ち切ることが可能となるのである。
r
この前、ある外資系のホテルの食堂で、北部のインド人かインド系と
思われる父母+三姉妹という構成の家族連れを見たんだが、
その三姉妹全員がものすごくマリ子に似てた。
それぞれ年が違う(12歳、15歳、18歳といったところ)ので、
まるでマリ子の成長過程を見てるようだった。
もちろんマリ子は日本人とギリシャ系アメリカ人の混血であるけれども、
この遺伝子の組み合わせは必然的にあっちら辺(北部インド)の
遺伝的形質に近似するのかもしれない。
かといってマリ子は(ギリシャとインドの間の)中東の女性には似ていない。
ギリシャ系の形質が、日系の形質による東方への勧誘を受けることにより
中東をひとっ飛びして(かといって中国まではいかず)北部インドの
形質に落ち着いたとすれば、これは興味深い事実であるといえる。
南欧の血筋であるにも関わらず、見た目はむしろ北部インド人。
まさにマリ子は、中東を包み込むために生まれてきた女性であるといえる。
(ちょっと強引か?w)
お前がいることでこのスレの不活性化に繋がっていることに気付いて消えろや
太平洋を越えて、左回りにこっちに来ようとするからいろいろと無理が起きる。
そうではなく、右回りに、大西洋とユーラシア大陸を介してこっちに来れば
今まで見落とし続けていたあまりにも多くの道理の存在に気付くはず。
そりゃあ右回りのほうが遠いし、時差ぼけがより辛いのも確かなのだけども
この世界の歴史の大部分がアメリカ、シベリア、オセアニア、中南部アフリカなどを除く
伝統的文治社会によって紡がれてきた(しかもその4分の3以上がさらにヨーロッパを除いた
非キリスト教圏による)ことを考えてみれば、右回りによる日本到達に伴う無理などは
左回りの日本到達に伴う無理などよりもはるかに軽いものであることがわかる。
まあ、どうしても右回りで日本までくるのが億劫なら、
インドかアラブあたりで待ってくれていてもいい。かといって
ヨーロッパでは努力しなさすぎだし、中国は赤化で自国の文化を
徹底的に破壊したいけない子なので放置。もちろん文化そのものはいいのだけど。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 17:35:22 ID:Bmeekuqm0
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 17:35:56 ID:Bmeekuqm0
左側に「どこまでも完全に厳密に正当な人間」がいて、
右側に「どこまでも完全に厳密に不当な人間」がいる。
どっちもどっちのように思えるが、ひとつ決定的な差異がある。
それは、「どこまでも完全に厳密に不当な人間には、どこまでも完全に厳密に正当な人間は、
どこまでも完全に厳密に不当に見えるのに対し、どこまでも完全に厳密に正当な人間には、
どこまでも完全に厳密に不当な人間はあくまで、どこまでも完全に厳密に正当ではなく、
どこまでも完全に厳密に不当に見える」ということだ。
そして、「どこまでも完全に厳密に不当な人間には、どこまでも完全に厳密に正当な人間が、
どこまでも完全に厳密に不当に見えるからこそ、どこまでも完全に厳密に不要に思えるのに対し、
どこまでも完全に厳密に正当な人間には、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、実際
どこまでも完全に厳密に不当に見えるにも関わらず、どこまでも完全に厳密に不要だとは思えない」ということだ。
つまり、「どこまでも完全に厳密に不当な人間は、どこまでも完全に厳密に不当であればこそ、
どこまでも完全に厳密に不当であることは、どこまでも完全に厳密に不要であると考えるのに対し、
どこまでも完全に厳密に正当な人間は、どこまでも完全に厳密に正当であればこそ、
どこまでも完全に厳密に不当であることもまた、どこまでも完全に厳密に不要だとは考えない」ということだ。
よって、「どこまでも完全に厳密に正当な人間が、どこまでも完全に厳密に不当であることを
どこまでも完全に厳密に不要だとは考えていないことを、『どこまでも完全に厳密に不当な人間が
どこまでも完全に厳密に不当であることを放棄した、どこまでも完全に厳密に正当な事例である』として、
どこまでも完全に厳密に不当な人間にとっては、どこまでも完全に厳密に不当だった、すでに
どこまでも完全に厳密に不当ではない人間を、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、
どこまでも完全に厳密に不当に受け入れるきっかけにすればよい」ということだ。
ここに、「どこまでも完全に厳密に正当な人間と、どこまでも完全に厳密に不当な人間が、
どこまでも完全に厳密に正当な人間にとっては、どこまでも完全に厳密に正当であり、
どこまでも完全に厳密に不当な人間にとってもまた、彼ら自身にとってはどこまでも完全に厳密に正当であるところの、
どこまでも完全に厳密に不当な理由によって和解を果たす準備ができた」ということだ。
不一
“どこまでも完全に厳密に”とまではいかなくとも、
ただ単に“不当ではない”といった程度の理由で、正当な人間もいる。
イスラムがそうだ。
また、“どこまでも完全に厳密に”とまではいかなくとも、
ただ単に“不当である”といった程度の理由で、正当でない人間もいる。
ユダヤがそうだ。
どこまでも完全に厳密に正当であったり不当であったりすることに比べれば、
ただ単に正当であったり不当であったりすることはその見分けがつきにくい。
実際、イスラムは不当ではないにも関わらず、結構バカなところがあるし、
ユダヤは正当ではないにも関わらず、結構かしこいところがあって、
これらの事実はただ単に正当であることと不当であることの
優劣をうやむやにしてしまいかねない所がある。
にも関わらず、正当であることはあくまでも正当であり、不当であることはあくまでも不当である。
どこまでも完全に厳密に正当であることや不当であることは、
どこまでも完全に厳密に和解の余地のあることを
>>578で示した。
それではそういった“どこまでも完全に厳密に”とまではいかない、
(バカであったりするにも関わらず)ただ単に正当であることと
(かしこかったりするにも関わらず)ただ単に不当であることは
いかに折り合いを付けるべきなのか。その答えは人類に聞いてみればいい。
イスラム:13億人
ユダヤ:1300万人
だいたいイスラム100:ユダヤ1程度の割合。
要するに、人類は単なる段階においても不当より正当を選んでいるということ。
いかに正当がバカであろうとも、またいかに不当がかしこかろうとも、
人類は、不当であることよりも正当であることのほうがいいそうな。
おっと、「選民思想」なんて反論はなしだぜ。
ユダヤの思想は(ただ単にとはいえ)あくまでも不当なんだからな。
誕生日おめでとう。
仮に選民思想をあてがったとしても、
「選民がそれ以外に比して少数にならなければならない」
などという主張がどこにもない点からして、
反論としてはやっぱり成り立たない件。
(やっぱりユダヤの思想はあくまでも不当なのだなぁ)
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 10:08:21 ID:s6oc2lKX0
お前いい加減にしろよ!荒らしとして通報するぞ
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 18:28:41 ID:s6oc2lKX0
不当なのはお前じゃねーかw
やっぱりただの基地外だったか
たしかに、自分でも一つ不当な発言があったことに気づいた。
「死人に鞭打つ」ことが聖書的なのではなく、かといって
「死人を丁重に扱う」ことが聖書的なのでもなく、
「死人に復活権を与える」ことこそが聖書的であること。
死人を鞭打とうが、丁重に扱おうが、あくまでも死人は死人である。
死人を死人とする点においてこれらの扱いは共通に正当であるが、
死人に復活権を与えることは、死人を死人としない側面があるために不当である。
ゆえに、死人に鞭打つ中国と死人を丁重に扱う日本とが
(その扱いが正反対であるにもかかわらず)どちらも正当であるのに対し、
そのどちらにも従属しない聖書の記述こそは不当である。
して、一旦筆をおく。
(とはいえ、このように己の発言の不当性を指摘されたときには
それを正当に引き戻すための訂正を行ってはばからない。ただ、
それにしたって「過剰な言及」の存在そのものが不当性に結びつく
ところから、あくまでも基本的な姿勢としては言及を遠慮し、
仕方なく言葉を重ねているという意味合いにおいて、一旦筆をおく)
流れぶった切るけど、re-quest QJっていう美容師向け求人誌に出てた。
表紙。しかも200円。ただ一部の店にしか置いてないみたい。
ジュンク堂とかならあるようで。欲しい人は適当に調べて。
新約聖書が「死人に復活権を与える」のに対し、
コーランは「死人の復活後の処遇」が要である点。
(しかもその処遇が処女とのセックスだったり、
悪酔いしない飲酒だったりと妙に俗っぽい件)
>>587 都会の求人誌は、有料で専門職向けな上に表紙がマリ子なのですね。
ちなみに田舎の求人誌は、無料で一般職向けな上に裏表紙がAV女優だったりします。
まるで都会の求人誌はコーランのようで、田舎の求人誌は新約聖書のようです。
(ちなみに旧約聖書は田舎のハローワークあたり。
田舎の求人誌やハローワークであるそのこころは、
“ないものを無理矢理ひねりだす”)
外人が日本人を特別視してるってのは、自分の歴史少しでも知ってたら誰でも
分かるだろ。まず、資源が全くないってことはすごいこと。もう両手両足
もがれたぐらいのハンデ。しかもすごいのは、米国の3分の1の人口、わずか
25分の1の領土で、その上そのただでさえ極小の国土の7割が山、山、山。
なーんにもない、山・・・。だから農業で輸出して食べていくことすらできない。
条件からして最貧国でもおかしくない国。そんな国が、100年ほど前で
当時世界最強クラスだった露助とか清をあっさり倒して、非白人国家で
普通に白人常任倶楽部仲間入りしちゃってて、おまけに米国敵に回して
ガチで戦争して、世界で唯一米国本土爆撃して、英国の無敵艦隊フルボッコにして
オランダ倒して、世界で唯一原爆落とさせるほどてこずらせて。
しかも二発だよ。二発。考えられない。敗戦とか言ってるけど日本のせいで
アジアから白人の植民地全部消されたし。しかも信じられないのは
戦争に負けてただでさえ何にもない国がさらにインフラまで全部叩き潰されて
多額の賠償金まで背負わせて100%再起不能にしといた極貧衰弱国家で
今度こそ生意気なイエローモンキーが消えて数百年はウザイ顔見ないで
済むと思ってたら、直ちに再び白人社会に経済で参戦して来くさって
参戦どころかごぼう抜きでたった2,30年であっという間に米国さえ抜いて
世界第一位。東京の土地だけで米国全土が買えるほどの呆れた価値に
なっちゃう程の超絶経済力で世界中( ゚Д゚)ポカーン・・・状態。
その後もずーっと二位維持。頭一本でそれ。しかも経済の80%が内需。
内需だけでそれ。金融とかでまだ全然進出してないし、車や家電
工業製品ももまだまだ進出しきってなくてそれ。もうキチガイの域。
伸びしろありすぎワロタ。戦後60年一発も打たずに侵略せずにこれ。
何気に世界最長寿国とかなってる。んで今度は漫画・アニメ・ゲーム。
気がつけばハリウッドの規模とっくに超えてる。アメリカの検索で
一位になってるのが日本のアニメとか。世界中で一番人気の映像作品が
日本のアニメとか。極めつけは世界一長い国号、2000年のどの白人より
長い王室ならぬ、その上の皇室保有。エンペラーに代表される歴史。
普通の神経してたらこんな国怖くて関わりたくない。
こんな日本国民なめんなよ、ちょろちょろ西洋文明喧伝してんじゃねえぞ。
http://jp.youtube.com/watch?v=3mQ56TGW0XA .
お前もう書かないって言ったの嘘かよ
今見てガッカリだよ・・・基地外独善の上に嘘つきかよ・・・
>>591 このひと真性だから。相手にしない方がいいよ。
「自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)」
1、自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)
2、限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
3、自分が"特別"であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
4、過剰な称賛を求める。
5、特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
6、対人関係で相手を不当に利用する。つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
7、共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気付こうとしない。
8、しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
9、尊大で傲慢な行動、または態度。
上記5つ以上あてはまり、それにより社会的職業的に基本的な機能が障害されている場合、
自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)と診断される。
〜「精神障害の診断と統計の手引き」医学書院 より (←精神医学の六法全書のような本 )
>>594 1から9まで、ぜんぶユダヤ人の基本的な特性じゃねーか。
だからってユダヤ人に“社会的職業的に基本的な機能が障害されている”
とは思わないが(だからこそなおのことタチが悪い)。
して、(もう書かないからではなく、また書くだろうからこそ)一旦筆をおく。
>>595 お、さすが真性。見事な投影性同一視。典型的すぎるw
>>592 菱隼人って何?アニメに出てくるキャラなの?
>>596 別に個々のユダヤ人やユダヤ系のような実例から
>595のような判断を下した=“投影性同一視”を行ったわけじゃねえよ。
(たしかにアンネ・フランクだとかカール・セーガンだとか
ここのスレッド名の元ネタにもなってるサリンジャーだとかの
言動から>595みたいな判断を推定することもできないことはないが)
そうではなく、
ユダヤ人やユダヤ系の根本教義となっている旧約聖書の内容から、
もしもユダヤ人やユダヤ系が、ユダヤ人やユダヤ系であること、
さらにはユダヤ人やユダヤ系で“あろう”とすること、
もっとさらにはユダヤ人やユダヤ系で“あろう”とした“瞬間”を
旧約聖書の内容に一致させようとするのであれば、
それは必然的にユダヤ人やユダヤ系が、ユダヤ人やユダヤ系であること、
さらにはユダヤ人やユダヤ系で“あろう”とすること、
もっとさらにはユダヤ人やユダヤ系で“あろう”とした“瞬間”が
>594における1から9のような基本的特性の持ち主を
作らざるを得ないだろうことから>595のような判断を下したんだ。
だからこそむしろ、個々のユダヤ人やユダヤ系のような実例から
>595のような判断を下す=“投影性同一視”を行うべきではないんだ。
(たしかにアンネ・フランクだとかカール・セーガンだとか
ここのスレッド名の元ネタにもなってるサリンジャーだとかの
言動から>595みたいな判断を推定することもできないことはないが)
実例と原則を混同することもまた○○みそテクニックさ。
自己愛性人格であろうがなかろうが、別にユダヤ人やユダヤ系が
(自己愛性人格)障害なわけではないんだから、「いいじゃないですか」。
いや、「よかったですね」。いやいや、「本当によかったですねえ、まったく」。
障害であるどころか増強じゃないですか。ドーピング。自己愛性人格ドーピング。
基本薬物は旧約聖書。場合によってタルムード。他にもいろいろ“秘薬”はあるでしょう。
そのへんは他の宗教も同じ。ただ、他の宗教が
>>594の1から9ほどの“どしがたい”
基本的特性の持ち主を作り出すことなどには別に興味がなかったのに対し、ユダヤの教祖
(旧約聖書の編纂者。だいたい今から二千五百年ぐらい前の人たち。古いように思われる
かもしれないが、インドのヴェーダや中国の五経など、もっと古くに今でも支持されてる
宗教典籍を生み出した人間は、それこそ“恒河沙”ほどもある)にはそれがあった。
まったく、ものも好き好きというもんです。
(ところで精神分析の始祖もユダヤ人なのですね。やっぱり「蛇の道は蛇」なのですね)
通報しましたw
男や女であることが、正当や不当であることに
どれくらいの影響を及ぼすかのことだ。
男が正当であり、女が不当であるといったような
ガザーリー(イスラム哲学者)のような結論は一旦捨て置こう。
問題は、男であることが“中身であること”の一点に集約されるのに対し、
女であることが“中身がないこと”と“中身があること”に二分されることだ。
そして、あくまでも中身がないことがマリ子であり、
あくまでも中身があることがフリーメイソンであること。
仮に、中身があったとも、中身がないこと、さらには中身がなく“あろう”とすること、もっとさらには中身がなく“あろう”とする“瞬間”は、マリ子であろう。
翻って、中身がなくとも、中身があること、さらには中身が“あろう”とすること、もっとさらには中身が“あろう”とする“瞬間”は、フリーメイソンであろう。
中身がないことはあくまでも中身がないことであり、それはマリ子である。
中身があることはあくまでも中身があることであり、それはフリーメイソンである。
それだけのこと。
(中身で“あろう”とする“瞬間”のガザーリーの言「くわっ」)
sato語るw
聖書だの、ユダヤだの、キリストだの、メイソンだのという
この世界の不当性の“顕現”について語ること=“まつわる”こと自体が
“多少”は不当性を帯びる側面があるため、自分でも大概にしたいと思うが、
(かといって今の世の中、聖書的、ユダヤ的、キリスト的、メイソン的な
ものに満ち溢れているので、それらを全て一掃できるような自信もないが)
とりあえずは一応の暫定的なものとして、極めつけられたらなと思う。
結局聖書的であることとか、聖書的で“あろう”とすることとか、
聖書的で“あろう”とする“瞬間”などが何を指すのかといえば、
それは「自己愛性人格(ユダヤ)」であることや、「犠牲愛(キリスト)」であることや、
「寄生的頭蓋結合
ttp://x51.org/x/05/02/2027.php(メイソン)」であることや、
それらの組み合わせ(三位一体)であることであろう。
国別でいえば、特に自己愛性人格であることはイスラエル(ユダヤ教発祥の地)であり、
特に犠牲愛であることは古代ギリシャ・ローマ(キリスト教発祥の地)であり、
特に寄生的頭蓋結合であることはイギリス(メイソン発祥の地)であり、
それらの集大成であることはアメリカであろう。
これらのうち、犠牲愛であること=新約聖書の文面に沿うこと=古代ギリシャ・ローマであることが、
すでに過去のものとして無力化されている側面があるのに対し、自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であること=
旧約聖書的であったり新約聖書を裏読みしたりすること=イスラエルやイギリスであることが
今現在も活発に有力であり続け、実際それらの集大成であるアメリカにおいても、
犠牲愛であることよりは、自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であることのほうが優っている。
犠牲愛であることと、自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であることの相違点は、
犠牲愛であることがどこまでも完全に厳密に不当であることであり、○○であるのに対し、
自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であることはただ単に不当であったり、根が不当でありながらどこまでも
完全に厳密に正当であろうとすること(もちろんこれもまた正当か不当かでいえば不当である)
であり、○○みそ、○○みそテクニックであるということだ。
正当か不当かを問う一意的な議論だけでは、今の世の中の問題は見えてこない。
むしろ今の世の中、どこまでも完全に厳密に不当であること=○○であることは
どこまでも完全に厳密に正当であること=みそであることと同様に矮小化されている。
そしてどこまでも完全に厳密に正当であることでも不当であることでもなく、
ただ単に不当であることや、根が不当でありながらどこまでも完全に厳密に正当で
あろうとすること(もちろんこれもまた正当か不当かでいえば不当である)=○○みそ、
○○みそテクニックのほうが、今の世の中における中心的、本質的、原則的な問題にほかならぬ。
ゆえにこそ、ただ単に不当であったり、根が不当でありながらどこまでも完全に厳密に正当で
あろうとしたり(もちろんこれもまた正当か不当かでいえば不当である)するよりは、むしろどこまでも
完全に厳密に不当であれ。○○であれ。さすればどこまでも完全に厳密に正当であること、みそであることと
>>578の議論に基づいて和解を果たす余地があるであろう。そしてさようなら、○○みそテクニック。
イルミナティ結社(現世界のボス)
┃
十三人評議会
┃
三十三人評議会
┃
三百人委員会
┃
フリーメーソン
┃
ユダヤ資本家(ロックフェラー、ロスチャイルド)
┃
世界の資本家
┃
アメリカ
┃
日本政府━━━━━━━━━━┓
与党内閣━━┻━━国会 ┣━━━━┓
公明党━━自民党───野党─→政治家 各省庁 地方自治体 日本の資本家
創価学会 地元土建屋 官僚 縮図利権 企業 マスコミ 警察
暴力団 朝鮮総連 公営機関 電通 公安 自衛隊
あくまで“裏読みする”のではなく、“文面に沿う”んだ。
かといってどうしても物理的に文面に沿えない側面もあるだろう。
たとえば新約聖書上のイエス・キリストが男であるにも関わらず、
文面に沿わねばならないところの「マリアの子」が女であるとすれば、
それは否が応にも生物学的に文面に沿うことができないだろう。
他にも自分がユダヤ人ではないとか、大して背が高くないとか、
水の上を歩いたりパンを増やしたり、そもそも生き返ったり生き返らせたり
できないなど、文面に沿える点よりは、文面に沿えない点のほうがはるかに多いだろう。
(あたりまえだ。なにしろ世界でも随一の“どこまでも完全に厳密に不当な書物”なんだから)
しかしこういうことが言えるんだ。
かつて徳川家康は、三方ヶ原の合戦からの敗走のおりに脱●した際、
「これは焼き味噌じゃ」と豪語して、その場を逃げおおせたそうだ。
しかし○○(漢字では●)をみそであると豪語すること自体は、
みそを○○であると豪語するのと同様、狂気の沙汰ではあるのものの、
○○は○○であり、みそはみそであることを理解しながら(正気の沙汰でありながら)
あえて○○とみそを同一視すること=○○みそであることとは一致しない。
むしろ○○をみそとし、みそを○○とする狂気の沙汰のほうが、○○みそよりも、つまり
どこまでも完全に厳密に正当であろう(=○○は○○であり、みそはみそであることを理解しよう)
としながら根が不当であること(=あえて○○とみそを同一視すること)(→裏読みすること)よりも、
(どこまでも完全に厳密に不当な書物である)新約聖書に対する解釈の仕方としては、適当であろう。文面に沿おう。
(ちなみに徳川家康は上記のような、○○をみそとし、みそを○○とするような狂気の沙汰=どこまでも完全に厳密に不当で
あろうような人間であるにも関わらず、根が正当=聖書的でないところから、正当か不当かでいえばあくまでも正当である。
まるで徳川家康は、どこまでも完全に厳密に正当であろうとするにも関わらず根が不当なメイソン等とは逆の存在だ)
つまり、あなた(マリアの子)がもしも徳川家康の言に従うなら、
あなたは女であるにも関わらず(むしろ女であればこそ)男であるイエス・キリストであり、
ユダヤ人ではないにも関わらず(むしろユダヤ人ではないからこそ)ユダヤ人であるイエス・キリストであり、
大して背が高くないにも関わらず(むしろ大して背が高くないからこそ)背の高いイエス・キリストであり、
水の上を歩けないにも関わらず(むしろ水の上を歩けないからこそ)水の上を歩けるイエス・キリストであり、
パンを増やせないにも関わらず(むしろパンを増やせないからこそ)パンを増やせるイエス・キリストであり、
生き返られないにも関わらず(むしろ生き返られないからこそ)生き返られるイエス・キリストであり、
生き返らせられないにも関わらず(むしろ生き返らせられないからこそ)生き返らせられるイエス・キリストであろう。
新約聖書の文面に沿う(どこまでも完全に厳密に不当な書物に対して、どこまでも完全に厳密に不当な解釈を行う、
よってどこまでも完全に厳密に不当である)ということは、そういうこと。
特殊相対性理論と一般相対性理論の違いを書いて見ろ
重力(=慣性の力)を導入したってのはNGな
なんなのですか?このスレは。。。
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>>606 なんで? めんどいなぁ・・・
もう“極めつけ”は
>>603で終わってるっちゅーに。
特殊相対性理論は、自己愛性人格(アインシュタイン。ユダヤ人)が寄生的頭蓋結合
(ディラック。イギリス人)に取り込まれた部分(マジェドちゃんもとい相対論的量子力学)。
一般相対性理論は、自己愛性人格が寄生的頭蓋結合からの独立を保った部分(ヌーラちゃん)。
たぶん、実際の自己愛性人格と寄生的頭蓋結合の関係もこんなもんなんだろう。
ある程度は馴れ合って、ある程度は独立しあって、みたいな。
さすがに人間、脳みそまで結合し合っては生きられないから。
(つーか頭蓋結合でも十分ry)(マジェドちゃんの冥福を心からお祈りします)
アルファはオメガではないという、定義ないし真理ないし原則がある。この時、
アルファはアルファであり、オメガはオメガであり、なおかつアルファはオメガではないと認識することのみが、
自分である。
ちなみに
アルファはアルファであり、オメガはオメガであり、なおかつアルファはオメガであると認識することや、
アルファはアルファでなく、オメガはオメガでなく、なおかつアルファはオメガではないと認識することなどが、
自己愛性人格や寄生的頭蓋結合であることだ。
そして、
アルファはアルファでなく、オメガはオメガでなく、なおかつアルファはオメガであると認識することこそは、
あなたであることだ。マリアの子よ。
>>608 はい駄目
お前って典型的な文系アニメヲタクなんだな(プゲラ
>>609を見ても分かるように、定義(論理)や真理(物理)や原則(文芸)への認識は、
その大部分が自己愛性人格や寄生的頭蓋結合のものになる。
(実例を挙げれば、ウィトゲンシュタインやラッセル、アインシュタインや
ディラック、プルーストやジョイスなどがその代表的な所有者にあたる)
あなたやわたしに割り振られている認識は、それぞれに一つずつ。合わせて二つ。
以外は全て、人様のもの。その代わりこれらの二つの認識のうち、
片方の認識はすでに四十億人以上の人間に支持されることが確定している。
非聖書圏。
どうか彼らの力を信じて、そちら側の人間に支持されないことなど恐れずに。
もちろんそちら側の人間にも支持されれば万々歳。
和解の輪を広げるためにこそ、むしろ認識そのものは狭量であれ。単一であれ。
どこまでも完全に厳密な二つの内の一つになれ。
――イーサーよりマリアの子へ
父(実際はユダヤの自己愛性人格)と(マリアの)子(キリスト)と聖霊(実際はメイソンの寄生的頭蓋結合)
の三位一体という教義からして、(キリストに比した場合の他二つの実情があまりにも無様であるところから)
大いに不当性を含んだもの――というよりも、どこまでも完全に厳密に不当であることそのものであろうが、
ただ単に、このどこまでも完全に厳密に不当であるところの、「三位一体」というキリスト教の教義が
どこまでも完全に厳密に不当なものとして保全されるためだけという理由により、(マリアの)子だけでなく
父や聖霊の存在性も保障されるべきであるということがいえる。別に個人的な意見としては、キリスト役の
マリアの子以外の二つにはさっさと「撤収」でもしてもらいたいところだが、なにしろ肝心の三位一体が
ユダヤでも、メイソンでもなくキリスト教の正統教義であるから、どうしても蔑ろにするわけにはいかない。
それに本当は(どこまでも完全に厳密ないし単に正当である)こちら側(非聖書圏)にマリアの子が乗り換えて
くれさえすればそれに越したことはないのだけど、マリアの子に、非聖書圏の文化文明の聖書圏に対する
優位性を切実に理解してもらえるような自信もなければ、そちら側(聖書圏)にも実際問題として二十億人
以上の“子飼い”がいるという、致命的な実情もあるところから、このような妥協的な提言を行う。ただし、
妥協ができるのはここまで。そちらがこちらに乗り換えることがないように、こちらがそちらに乗り換える
こともない。せいぜいイーサー(イエスのコーラン上の表記。ちなみにイーサーは神の子=キリストとしては
認められていないし、磔刑も受けてないし、三位一体も認めていない)としてマリアの子、キリストに近似するのみ。
マリアの子≒イーサー≒キリスト
マリ子ってオナニーするのかなぁ
「あなたは正当でありあなたは不当である=汝はそれである」
という着想のもとに、「私はそれである」と認識した上で、
「正当なものは正当であり、不当なものは不当であり、なおかつ正当は不当ではない!」
という一喝のもとにマジェドちゃんの二つの頭を切り離したら、本当のマジェドちゃんは
もう死んじゃったけど、僕にとってのマジェドちゃんは笑いかけてくれて、その後はもう“それ”ですらなかった。
たぶんマジェドちゃんは、エリザベス女王とマリー・アントワネットの生まれ変わり。
マリー・アントワネットのほうが、首から下をフランス(アセファル)に置き忘れてきちゃったんだろうね。
今度生まれ変わるときは、ちゃんと体付きで、一人ずつで生まれてくるといいね。
解説:
「汝はそれである」とか「私はそれである」とかいったヴェーダ=ウパニシャッドに基づく“僕”は、
着想(イデア)や認識(グノーシス)といった西洋哲学宗教上の拡張性に対する凝縮性である。
これらの拡張性と凝縮性の対峙のもとに、正当(体付き)でもあり不当(生首)でもある
(アルファでありオメガである)マジェドちゃんの頭部を切り離した(切断した)結果、
マジェドちゃんは“微笑”してくれた。その時僕は“拈華”したことを悟り(つまり拈華とは切断のこと)、
もはや“それ(ブラフマンだのアートマンだの)”であることすら捨離したのだった(諸法無我)。
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アラブ、ヨーロッパ、インド、ネパールなどといった、コーラン、(特に新約)聖書、ヴェーダ、仏典などの
宗教典籍の文面による精神的統治を受け入れている社会の精神的和解は、>614で一旦済ませたとして、
そもそも宗教典籍のような、(正当不当を問わぬ)何らかの精神的な文面によって統治されることそのものを
自由だの、平等だの、造反有理だの、愛国無罪だのという、ある種の理想性や現実性を帯びながらも
大した具体性や抽象性を持たない言葉によって蹴散らそうとする、ただ単に無視するにはあまりにも強大すぎる、
どちらとも国旗の左上に数々の星が瞬く、赤かったり赤しまだったりする日本の両隣の二つの国。
説伏を聞き入れず、あくまでも実力行使によって
侵出してくるんなら、日本人としてこう言うしかない。
核持ちますよ?
本当は日本すなわち古事記にとって、アラブすなわちコーランのような、
この世界の正当性の両翼として役割を果たしてきた者同士(しかも片方は13億人もの支持者を擁する)、
なかよくすることができれば一番なのだけど、それが叶わず、日本即ち古事記が、
ユダヤすなわち旧約聖書や資本論(どちらもアメリカや現中国の実力的支柱)という、
この世界の正当不当の両極に位置してきた者同士(しかも片方は1300万人の支持者しか擁しない)、
正面衝突を果たさなければならなくなるというのなら、それこそ日本もユダヤに対抗して、
あるいはユダヤも日本に対抗して、それぞれ“敵を知り、己を知る”必要が出てくる。
ユダヤの核、日本の特攻。
日本が己の正当性の究極の顕現として編み出した特攻。
ユダヤが己の不当性の究極の顕現として編み出した核。
これらが実際に“投影性同一視
ttp://www.jade.dti.ne.jp/~kaiwakai/”された瞬間にどうなるか。
これらの存在(特攻、核)の切断(拈華)すら、「分裂病」だの「統合失調症」だのという、
精神分析家の編み出した(元から存在していたのではない。彼らが編み出したのだ)
診断のもとに受け入れず、あくまで投影性同一視を推し進めるとすればどうなるか。
核特攻。
ユダヤ人が旧約聖書(つまり精神的自慰)のもとに不当に育んできた自己愛性人格や、
日本人が天皇(つまり自分の家族への忠誠)のもとに正当に育んできた犠牲意識などが、
実際の核特攻の出現を誘発する可能性は、正直言って五分五分。
あとはただ、“敵を知り、己を知れば、百戦危うからず”という孫子の兵法も編み出した、
今ではすっかり己の精神性を蔑ろにしている、中国という国の精神性の真価を問うばかり。
「ライ麦畑でつかまえて」「星の王子様」「1984年」
マリ子が好きだったり、マリ子にまつわるような文芸作品は、
どれも精鋭揃い。もちろん“そちら側”にとっての。
ひるがえって“こちら側”を見てみれば、
「こころ」「蜘蛛の糸」「斜陽」「金閣寺」「ノルウェイの森(も一応こちら側)」、
どれもそちら側からの煽りを受けて、極端な試行錯誤に陥ってるものばかり。
だからこそ「徳川家康」のような化け物作品(分量が漱石の全作品を超える。
作者の山岡荘八は元特攻隊の従軍記者)によって、
すべての“借り”を返して余りある必要があった。
というわけで、徳川イーサー家康より、
クローバ畑ないしライ麦畑でつかまえられるのを待っている、
1984年4月24日生まれの、星の王子様もとい王女様へ。
「どいつもこいつも(サリンジャーもサンテグジュペリもオーウェルも)焼き味噌じゃ!」
ユダヤやメイソンはともかく、キリスト教徒は“東照大権現”の下に従うこともできるだろう。
仮にキリスト教徒のほうが、天皇(父)、自分たち(子)、将軍(聖霊)を新たな三位一体の
各位として捉えたとしても、それは構わない(ただしこちら側はそんな風には考えない。なぜなら
天皇や将軍を擁する日本のほうは、アラブのような三位一体を認めない社会とも仲良くしていかなければならないから)。
その場合、ユダヤやメイソンは用済みになるし、キリスト教徒ももはやキリスト教徒ではなくなる。
父と聖霊の国、日本。子の国アメリカ。まあ、いわゆるひとつの「ニューバランス」ってやつ。
そういう場合のキリスト教徒(?)なら、日本でも許せる。
われらが父なる天皇陛下と、聖霊役の将軍様は、とりあえず今のところは石原都知事あたりに代行してもらって
夢のマリ(アの)子との東京暮らし。それにたまにはアメリカにもいってやらぁ。
ユダヤやメイソンは首じゃなかった、二つの頭蓋の付け根を洗って待ってろ。
(どうせならすぐ切り離せるように頭丸めてろ
ttp://blog.livedoor.jp/maruzo1/archives/50917603.html)
それにもちろんアラブにも行くぜ。インドにもヨーロッパにも、中国にすら行くだろう。都知事の許しが出ればな。イーサーより。
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619 :
龍馬:2008/05/06(火) 13:30:57 ID:hDLnKWyf0
うちの家紋(違い枡に桔梗)は、六芒星やのうて八芒星じゃけんのう。
イスラエルの東側(カシミールの西側)には、うちの家紋とおんなし
八芒星を好いてつこうてくれゆう国がわんさかとおるわ。
ttp://www2.uploda.org/uporg1407180.jpg.html(受信PASS:nakayoshi)
なんか見た感じどっちも似いちゅうき、おんなしようなもんやと思うちょったわえ。
そんでまちごうて、えずい人らあのほうにお国を委ねてしもうたがよえ。
ほんとすまんかったきね。新撰組の人らあにも謝っちょくわ。
純粋にキリスト教的信仰に服せない限りでの聖書中毒者――ユダヤやメイソンといった、
エチカ=精神現象学的な連中にいまあてがわれるべきなのは、聖書でないのはもちろんのこと、
コーランでも古事記でも「徳川家康」でもなく、臨済録か正法眼蔵あたりだろう。
そんで実際、本当に臨済宗か曹洞宗か、他力でもよければ浄土宗か浄土真宗あたりに入る。
別に自分にも禅の心得など多少ないわけではないが、決して専門家には及ばないし、
あくまで在俗として生きていくのが自分の使命だと感じているので、全ての面倒は見切れん。
本当は禁裏や権現のような、現人神を神として認められるだけの「狂える余裕」があれば
それに越したことはないんだが、聖書のような中毒的書物に基づいた、着想や認識の
やたらめったらな拡張によって、神を神として認められなくなっているような連中に
残されている道はただ一つ、仏門に下ること。とはいえ決して仏説を“学術的”に研究
しようなどとしてはいけない。学術こそは、着想や認識の拡張を目的とした概念だから。
仏門に下るということは、基本的には“愛執”を捨てるということ。愛執を捨てるということは、
自己愛(性人格)や友愛(寄生的頭蓋結合)も捨てるということ。もちろん愛そのものが全て
いけないということではない。むしろキリスト教徒の興じるような純粋愛を尊重するためにこそ、
自己愛や友愛といった不純物の入り混じった愛執は捨てる。それができない場合だけ仏門に下る。
いずれにしろ世界人口の割合から見てみれば、ユダヤもメイソンも大した数ではないので
(ユダヤ:1300万、メイソン:300万)、ただ「人さまに迷惑をかけない」という
日本人などにとってはごく当り前の認識を(「こういう場合には迷惑をかけてもいい」みたいな
屁理屈じみた認識の拡張を伴わない形で)堅持すらしてくれれば、それに越したことはない。
で、結局、“語られる限り”において、“語り詰められなければならない”のは、「愛」ではないか?
別に愛を至上命題として掲げないんならば、ヴェーダやマハーバーラタやラーマーヤナや、
大蔵経や中国の古典籍群はもちろん、古代ギリシャの古典籍も同じように、語って語って語り切らず、
語ることそのものを目的とするような方向性に向かわざるを得ないのではないか? (別にそれでもいいが)
語ることをある程度でやめたいという意志が、ある種の人間(答えを言えば、それは西洋人)に備わっている
からこそ、聖書のような帯に短く、襷に長いような宗教典籍が、世界でも他に類例を見ないような
(あえて類例を挙げるとすれば、それはコーラン)出版部数および引例数を獲得しているのではないか?
だから、そのような、語ること自体そのものを、ウィトゲンシュタインやアインシュタインやプルースト
のような自己愛によってでもなくば、ラッセルやディラックやジョイスのような友愛によってでもなく、
ただただ純粋な愛だけによってのみ止められることを待っている、この世界の三分の一程度の
人々だけに対する謹言としてのみ、語り詰めることは、
愛とは、
根が正当であるにも関わらず、どこまでも完全に厳密に不当であろうとするものと、
どこまでも完全に厳密に不当であるものとの、また、
根が不当であるにも関わらず、どこまでも完全に厳密に正当であろうとするものと、
どこまでも完全に厳密に正当であるものとの、また、
とにかく正当であらんとしたものと、とにかく不当であらんとしたものとの、
「正当なものは正当でなく、不当なものは不当でなく、なおかつ正当は不当である!」
という断定に基づいた、なかよしであろうよ?
ttp://www.narumiya-net.co.jp/image/press/press_34.jpg
長澤まさみと綾瀬はるかを、一つの部屋に監禁した上で、バリカンとペニバンを与えてみる。
二人とも出てるとこ出てるし、そこそこ(ちゅーか普通に考えれば激烈にだが、
マリ子を基準に考えればそこそこ)美人なので、やることはだいたい見えている。
あとはマリ子がこの部屋の中に入るか、それともこっちに来るか、
“世界の中心で愛をさけぶ”か、それとも世界の辺境で愛をささやくか、
ちんちん
違う違うほざいたところで、早い話がマリ子とは、
「正当なもの(東洋)と不当なもの(西洋)との合いの子」であろうが。
必然的に「正当なものは正当でなく、不当なものは不当でなく、
なおかつ正当は不当である!(焼き味噌じゃ!)」という神経しか持ち得ない。
なかよし(純愛)なら別にかまわんが、その範囲内を越えて
自己愛や友愛のほうが力で攻めてくるようなことになれば、
それこそ本当に、魅惑の核特攻が待っている。凶気の桜。
ユダヤにしろ日本にしろ、もはや核や特攻の前科前歴があるからな。
(口ばっかりで本当にやる勇気のない北鮮なんぞとは違うぞ。
逆にテロとはいえ、自爆攻撃を敢行するアラブ人などは似ちょるぞ)
いくら謝ろうが、弁解しようが、反対に開き直ってこようが、
もはや信用がない。お互いにね。ヒヒヒ
どんなに好意的な文脈に寄ろうが、あくまで純愛を含めた愛という存在自体が、
実際の権力や権威や実行力を持った時点で、それは不当になる。その実際上の顕現が
ユダヤの自己愛であり、キリストの純愛であり、メイソンの友愛にほかならぬ。
ひるがえってこちら側の、ユダヤやキリストやメイソンへの対抗者として、天皇や仏陀や将軍がいる。
それではそれらが具体的にどういった概念の顕現であるのかといえば、それは決して
自己愛や純愛や友愛などといった、愛執に満ちたものとしてではなく、
もっと正当な意味合いを持っている。
天皇の優位、仏陀の勝利、将軍の支配。
まさに天皇であるということは、まったき優位者であるということに他ならず、
仏陀であるということは、まったき勝利者であるということに他ならず、
将軍であるということは、まったき支配者であるということに他ならぬ。
そこに自己愛だの純愛だの友愛だのという、愛執を混同させようとすらば、それは、
漫画からの引用で申し訳ないが(ちなみに自分は漫画好きだがアニヲタではない)、
「上等な料理にハチミツをブチ撒けるがごとき思想(by範馬勇次郎)」であるに他ならぬ。
なかよし(少女漫画)はなかよしであるべきだが、
チャンピオン(少年漫画)もチャンピオンであるべきだ。
ちなみに自分はチャンピオンは読んでるがなかよしは読んでない。
なかよしはマリ子が読んでればいいんだ。ちょっと若年層向け過ぎかもしれないが。
天皇や仏陀や将軍の、ユダヤやキリストやメイソンに対する
まったき優位かつ勝利かつ支配を見届けられさえすれば、もはや自分自身が
天皇や仏陀や将軍の役割を配当させられる必要ももうなくなる。
なぜならこのような「三位一体」の文脈で問題を解決しようとすること自体、
キリスト教教義の範疇であり、こちら側にはそれに服する義務もなければ必要もない。
こちら側には天皇や仏陀や将軍のほかにも、ムハンマドもヤージュニャヴァルキヤもいれば
孔子も孟子も老子も荘子もいる。クローバは五つ葉にも六つ葉にも、18枚葉にも32枚葉にもなる。
ちなみに自分は天皇や仏陀や将軍の役割を果たしたあとには、イーサーか龍馬あたりにでも
なれればいいなと思っている。そんなに自分自身の地位を欲張るつもりはありません。
「イーサーか龍馬」では、
まだ二重人格の嫌疑をかけられる恐れがあるので
もうちょっと厳密に言うと、
「六芒星(旧約聖書)から、
八芒星(コーラン)に改悛した龍馬=イーサー」
に、わしゃあなるけんのう。酒も控えようかのう。
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 19:55:51 ID:9hGBPJto0
お前自分の書き込みがスレの進行を妨害してることに気付かないのか?
マリ子を辱めてるようなもんだぞ
マリ子を思うなら今すぐ辞めろ分かったな
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 17:51:09 ID:GmCz+2kX0
マリ子は瞳(まつげ)が美しいな
,r-─────、
,f _____,、ー-、
,ノ r' t ヽ
f / '''''' ''''''::\ .l
| |(●), .、(●)、:::| ノ おい工学、いい加減にしろ!
(⌒' .,,ノ(、_, )ヽ、,, .:::::;⌒)
. t_t `-=ニ゚=- ' .:::::::;tノ
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ni _\ /_ h ミ :::
.i_ト、`':: i;;; ~ .イノミ 彡= ::::::: す そ
! i ヽ::::: b ::::::i.iミ ミ=彡= ::::::::::
__ __ _ = ノ i \ ー-==-'/ i::::::::= 、 ::::::::::: る う
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ヽ / " / ::::::::::::::::::__,,,,、- - -="""""`ヽ、:::::::::::::::
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ヽ、__ __ _r=''"、 ト-= ー .-十 - - 、 _ ` = ;, __ _,, r -'::::::::::::::::
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マリ子と愉快な仲間たちへ
手塚治虫「ミッドナイト」の最終話をささぐ
ブラックジャックより
「古事記」「般若経」「徳川家康」
この世界の文筆の頂点(もちろん聖書をも超える)に辿り着いたからこそ、
漫画のような俗文化のほうにも戻っていける。それがなけりゃあただの
オタク(呉智英や夏目房之介も含む)。その代わりこれからはもうどんな
漫画好き(レディコミやBL好き)でも、オタクの汚名を返上する権利を持つ。
簡単なこと。この日本を、史書も論文も小説も漫画もアニメもBBSもブログもひっくるめた
「あらゆる文筆(=文化文明)の帝国」であると察知すればいいだけのこと。
大日本文筆帝国。
もちろん「大日本帝国」という呼称自体が、「大英帝国」の模倣なところがあるので
このような国号をそのまま今の日本が流用することは認められない。ただ、かつての
大英帝国が聖書という、この世界でほぼ唯一のまったき不当な書物に基づいて試みた
世界征服を、こちら側(仮称:大日本文筆帝国)のほうがまったき正当な書物たち
(このレスの最上段の三冊)に基づいて補完する否、凌駕する否、達成することを
示唆する程度の意味合いにおいて、この大日本文筆帝国という呼称も赦される。
皇居と信濃町と西新宿(つまり東京)に向かって敬礼!
もちろんこれも、大日本帝国的な価値観に基づいた俚言にすぎない。
正直自分も、これからの日本がどんな様相を見せるのか想像も付かない。
なにしろ上の三つ(皇居と信濃町と西新宿)が手を組んだ姿を見たことはおろか、
想像したことすらないのだから(つーか想像できないw 良い意味でも悪い意味でも)。
まあね、とにかく、東京はメッカです。ある意味本当のメッカよりメッカです。
国土地理院は、全世界に対して、自分の立ち位置から東京への方角を算出する
プログラムを配布すること。はようせんと売国奴に認定するぞ?w(もちろんこれもまた
大日本帝国の時代の名残り。だからこそむしろ大日本帝国にさよなら。昭和天皇陛下万歳!)
皇室は継体天皇で血統が濁されてるし、
創価学会は般若経と法華経の同列を認めてないし、
石原都知事は山岡荘八のような大衆文学作家ではないし。
いろいろと無理はあるわな。だからこそ、
彼らの存在意義を、補完いや凌駕いや達成してあげないと。
(「古事記」や「般若経」や「徳川家康」はもちろん、さらにそれらの派生によって)
今さら、台湾人かアラブ人ぐらいしか抱けないような「日本(特攻)精神」を
あえて日本人自身が抱く意義は、それぐらいにしか見受けられない。
そもそも「日本人であるか否か」といったような問いを、
極端な日本国内の辺境に生まれたが故に抱いてしまった者や、
日本と他国の混血故に抱いてしまった者のような、
しごくの「少数派」にしか、こういった問いの意味は理解できない。
他者(自分の親族や友をも含む)に問うのではなく、
己に問わなければ、その答えは一生見えてこない。
衰えて、皺枯れて、ヨボヨボの爺さん婆さんになろうとも一生見えない。
己でなくば。「己とはなにか」という問いに答えを見い出さなくば。
延命措置VS自殺志願(どちらも日本人のいち側面)
お前自制心ないだろ
どうしても書かずにいられないんだろ
君ら負け犬が上から目線やめない内はね
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 08:55:25 ID:MeFkVnjJ0
負け犬に上から言われてプライドがズタボロってかwww
一生オナニーしてろ(プゲラ
自負(プライド)はない。かといって自虐もない。
ただ「汝はそれである」という認識に基づいた真我(アートマン)であるか、
それすらも捨て去った無我である。さらにその上に「焼き味噌じゃ!」という絶対愛を重ねる。
それだけでこの世界の全ての認識(負け犬たちのも含む)を征服するに足る。
今では君らが地面に向かって叱咤してるように見える。
他者を見下げようとする人間を上から見てるんだから当然と言えば当然。
まあ正直、あんまり気分のいいもんではない。悪くもないが。
他者を見下げることに快感を抱くこと自体、己が未熟である証拠に他ならぬ。
本当の頂点にいる人たち(天皇や仏陀や将軍)には、そんな快感を抱く悪趣味はないんだな。たぶん。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 15:56:43 ID:MeFkVnjJ0
プライドがない人間なんているかよw
全くないとしたら本能だけで生きてる虫みたいなもんだ
あ、虫にもテリトリー意識はあるからプライドはあるかなw
お前はミジンコみたいなもんだ
真我と梵(ブラフマン)との同一性を悟った状態(梵我一如)であれば、自負や自虐は自ずと収束する。
むしろそういった状態の自我(真我)のほうが、自負や自虐を帯びた自我よりも強固かつ安定的になる。
虫やミジンコに人間的な自我はない。それどころかより高等な動物(犬や猫や猿や鳥など)であっても、
己の生死を把握せざるを得ないような不安定な自我は持たない。
自我を真我に収束させるということは、まさに動物や植物、
さらには石などの無生物の境地へと人間が還っていくことを指す。
最終的には真我は無我にすらなり得るが、その辺は物事を零で割る(x÷0)場合の答えを
零であるとみなすか、一であると見なすかというようなもので、大した意味はない。
(天皇が法皇になったりするようなもん)
で、こういう悟りの境地みたいな状態から返り咲くための用意として、絶対愛(焼き味噌じゃ!)がある。
家康が天海僧正に「おぬしは仏でなく神になりなされ」と諭されたごとく、
悟ってばかりもいられない場合にこの認識(完全不当認識)が働く。
真我と無我と絶対愛。まさに日本版の三位一体。
しかも西洋版の三位一体(自己愛、純愛、友愛)よりもはるかに完全無欠。
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/12(月) 17:56:39 ID:dFfS/EV00
真我であり、無我であり、絶対愛である。その心は、
お刺身の上にタンポポのせる仕事を探してる、自宅警備員だお
やっぱりお前は典型的な文系だなw
犬や猫に自我(プライド)がないなんて
動物学者ですらまだ脳の解明は殆ど進んでないんだぞ
最近の研究ではカラスに犬猫並の知能があることが分かっている
「犬や猫に自我がない」なんて一言もいってない。
ただ、人間みたいに生死を嬉しんだり、悲しんだりするような
複雑な自我は持ってないだろうというだけのこと。
ttp://bbs6.meiwasuisan.com/bbs/bin/img/dog/12088665990005.jpg 自我=プライドというのも誤認。
自我は自負心を持つこともあれば、自嘲心を持つこともある。
そうやって場合によって己の自我を膨らませたり、萎ませたりするのが
現代的な人間の有り様。そうではなく、己は己である、私は私であるという
真我への認識を確保するに至れば、人間は二度と自我を膨らませたり、
萎ませたりする必要はなくなる。無駄な嬉しみや悲しみを持たなくなる。
もちろんだからといって無感情になるわけじゃない。
自負心や自嘲心に基づいた膨張的萎縮的自我などではなく、
真我が物事を楽しんだり悲しんだりする様は、
あたかも幼児が動物と触れ合うかのごとく。
ttp://bbs6.meiwasuisan.com/bbs/dog/img/12098091000001.jpg もちろん、生死はあるだろう。人間だけでなく全ての生物にとって。
でも生死をいちいち気にしてるような生物はおそらく人間――それも、
極端な愛執に陥ってる一部の人間ぐらいのもの。あとの人間と、ほぼ
全ての他の生物たちは、生死なんかいちいち気にせずに生きている。
よく生きるのでも、空しく生きるのでもなく、ただ生きている。
どうやら生きるということは、第一義にはそういうことならしい。
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 03:10:31 ID:6pAr0Yf00
>>646 これは初めて見たわ。
マリコにしては珍しい表情だね。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 10:02:26 ID:6pAr0Yf00
違う人だと言う人もいます
高橋さんと同世代のモデルだとか
詳しく知ってる人いないですかね
>>644 理系だの文系だのという、学術的な捉え方自体が、すでに着想や認識の拡張
を目的としているところから、こちら側の、着想や認識の凝縮およびそれらからの
捨離を目的とする論述姿勢とは相反するものになっている。
仮にあえて学術の、しかも理系の分野に限って話を進めるなら、
この世界の微視的な現象をプランク・スケールLpの領域にまで突き詰めて
捉えようとするのなら、それは加速器のような実験装置によってでは無理がある
(加速器の直径を銀河系並みにしなければならない)し、超弦理論、膜理論を含めた
(前世紀までの)理論的な解釈によってでは自由度が高すぎて(超空間や超重力
までも導入しなければならない)Lp付近の詳細をうまく説明するに足らない。
そのような、実験物理学的には小さすぎ、理論物理学的には自由度の低すぎる
Lp付近の詳細説明などを目的としているのが自分の論文の成果であり、
(ちなみにその核となるのがこれ
ttp://lozenge.web.fc2.com/dominofunctions.html)
しかもこの論文の範疇で、あらゆる観測上の物理現象の特性に対する説明は網羅
されており、なおかつこの理論はこの世界に唯一の自由度=量子宇宙比(r:凵jのみが
定められていると共に、これ以外の一切の前提的自由度を許さない自己完結装置である。
仮にこのような理科学的な論及に限ろうとも、自分の姿勢はあくまでも着想や認識の
凝縮(陳腐な言い方をすれば、帰納に対する演繹、分析に対する総合)に限られる。
>>635最上段の「般若経」は、いくら「般若心経」などのかたちで日本人に
受け入れられているとはいえ、あくまで“日本人の著作物”ではないので
「正法眼蔵」に交代してもらおう。もっとも、それにしたって、道元と日蓮の
同格を認めない創価学会などとの不和を埋め合わせるには至らないが。
「古事記」も「正法眼蔵」も「徳川家康」も、
学術的な研究対象としての範疇をはるかに超越した類の書物であるといえる。
「古事記」は世界最古かつ最長かつ最後の、“実在”の皇室の出自を記した書物だし、
「正法眼蔵」は学術の根幹である着想や認識そのものの捨離を目的とした書物だし、
「徳川家康」は着想や認識の拡張そのものを嘲笑うかのような(焼き味噌じゃ!)書物だし。
所詮は「学術」なんていう概念自体が、聖書圏の子飼いどもの編み出した児戯に過ぎない。
教え(聖書に基づく)と学び(聖書から離れる)を分離した状態で得られる着想や認識ってのは
いわば女性の外性器のようなもの。二つの陰唇(教と学)もあれば、陰核(神学あたり)もあるが、
あくまでその基本的な役割は「入れ物(膣)」であって中身(Rod)であることではない。
(もちろん女性器には外性器もあれば内性器もある上、内性器のほうがはるかに重要な
役割を果たすが故に、このような説明が女性自身の特性を完全説明するには足らない)
己が中身“で”あろうとするなら、一旦は学術のような“教学分離”上の概念からは
離脱しなければならない。今上天皇も大学中退だし、池田大作も三流大卒だし、石原都知事も
引きこもりだった時期があるし、それはもう宿命として――“教学(Rod)”の権化として
生きていかなければいけない人間(あるいは現人神仏)にとっての宿命であるとして受け入れる。
もちろんだからといってこれからも学術から目を背け続けようなどという気持ちはないし、
教理(特に東洋の)に没頭して、出てこないような状況も避けようと思う(「正法眼蔵」には
道元の出家第一思想が存分に展開されているが、そこにまで従おうなどという気はない)。
ただ、あくまでも自分の一番の存在意義は、教学分離上の教や学(女性の外性器)の
保持者としてではなく、教学(Rod)の保持者であるという点にこそあるのだということ。
そこんところを己自身も自覚すると共に、周りの人間にも十分に分らせて余りある所があるのである。
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/13(火) 19:45:12 ID:Izw5IlxC0
1日かけてネットで調べたんだw
さすが自宅警備員 暇でいいね
まあ・・・でも、なんちゅーか・・・・
「女の子にはやさしく」っちゅーーことです。
やさしくしなきゃ、はらんじゃうもんっ
>>646 1st写真集「Mariko」に載ってる写真。
写真集の中で最高だから持ってなければ買うが吉。
横浪修と相性ばっちし。
撮影後スタッフがおいしくいただきました。
だとしても、はらませるのは俺だ。
夏帆や成海璃子ほどには完全な“女の子”でもなく、
長谷川京子や小西真奈美ほどにも完全な“姐さん”ではなく、
ベッキーほどには欧米(不当)精神を体現するにも足らない
マリ子の今後の運命やいかに???www qqq
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 02:18:46 ID:pCXFlMo60
>>653 ありがとうございます!
やっぱ高橋マリ子さんだったんですね
当時まだ14歳じゃ確かに全然雰囲気違いますね
いやー誰か分かってすっきりしました!
特にファンというわけではなかったんですが、あの写真は
生で見たいのでその写真集は買おうと思います
マリ子、近ごろ加藤夏希と和服着る仕事した?
近くの呉服屋にくり抜きのツーショットがあるんだが。
どう見ても加藤のほうがハーフに見えた。それに
近ごろの秋田美人だと佐々木希なんてのもいるし。
容姿の派手さで純・日本人にすら負ける
“ハーフ”の存在意義ってなんだ?
バタ臭さだけなら、ウチの妹も負けちょらんぞ?
まるで超豪華セレブ向けミックスジュースぞ?
まあ、加藤夏希も佐々木希も妹も(わが妹ながら)、タイプではないが。
美人か否か、可愛いか否か、若いかどうか、年増かどうか、性格や頭が良いかどうか、
あと、マリ子に限っていえばハーフかどうか、そしてやっぱり経験のあるなし、
さらには出産経験のあるなしまでも含めた、全ての女性性にまつわる特性をひっくるめるか、
あるいはそれら全てを破棄した上でも見受けられるのは、女性であるということは、
玉子入れ(
ttp://m-ishibashi.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2007/11/06/egg1.jpg)
であるという点にこそ、集約されるのではないでしょうか?
12歳程度から50歳程度までの女性が、悲劇的な病(子宮ガンなど)に侵された場合などを除いて、
コンスタントにその役割を担い続けると共に、容姿や頭脳や経験(出産をも含む)をも超えてその
運命として容れているのは、己の内性器による玉子入れとしての特性であり、その点に比べれば
一部の(というか大部分の)男性などが執着する外性器としての特性すら矮小ではありませんか?
万物の根源は暫定上の既成概念である。
まあ、物理的には必ずしもそうとも言えないところもあるし、答えを言えば「ニワトリか玉子か」
であればそれは「玉子」なのだけど、そういった(遺伝子の変性のような)生物学上の瑣事にまで
こだわらないのであれば、この「万物の根源は暫定上の既成概念である」という主張にも一定の
理があると共に、それは全世界の半分近くかそれ以上を包含する真理である上に、この主張を
そっくりそのまま体現することが「玉子入れである」ということ、すなわち「女性であるということ」
に直結するわけです。
定義も真理も原則も、語ろうとすればいくらでも語れます(特にその材料は西洋人が提供してくれる)。
でもそういった“語られる限り”における定義とか真理とか原則とかいうのは、とにもかくにも
「万物の根源は暫定上の既成概念である=玉子入れである=女性である」という、この世界の
半分近くかそれ以上を占める、潜在的な定義や真理や原則を無視した限りにおいてのみにしか
展開されないのではないでしょうか? そこんところ(女性的愛、つまりなかよし)に触れてしまうと、
今まで必死で溜め込んできた男性的なカチコチの理論だの思想だの(男性的学術、つまり女性の
外性器へのこだわり)の矮小さに気付かざるを得ない。だからこそ女性はいつまでも忌避される。
(存在性が)小さすぎて無視されるのではなく、大きすぎるが故に忌避される、神聖なる玉子入れ。
本当は、ある程度かしこい人間であれば気付いてるんだけど、どうしても指摘するに忍びなかった。
そういうもんなんですよ。しょせん世間とか、社会とか、人間とかいうものなんて。
(ちなみに男性を「精子入れ」だの「神聖なる精子入れ」だの言うのは、お願いだからやめてw
それは女性が玉子入れであることに比べれば、あまりにも格が落ちるから。あと外に付いてるというry)
もはや自分(日本)の外側に敵はいない。
仮にいたとして、追い込みをかけたとしても、もはやそれは“残党狩り”の域を出ない。
ただ、まあ、もうちょっとだけ言わせてもらうと、それはこの日本国内の問題、
特に、自分自身の出自にも関わる“武士道”への、個人的な見解について。
もともと武士道は、日本人にとってすらごく一部の士族階級にのみ司られていたもの。
それを民主化後の日本人全体に流布するのが無理を生むのはもちろんのこと、さらに
世界に向かって啓くとなれば、それは誤解や無理解を生んで当然のことといえる。
たとえば今の世界において、武士道の一般的な流布者として代表に挙げられるのは
新渡戸稲造か三島由紀夫あたりだろうて、彼ら自身の“武士道精神”の模範として
特に引用されるのは「葉隠」あたりなわけだけれども、自分にとっちゃ「葉隠」なんてのは、
「五輪書」や「独行道」あたりに比べればなんの価値も持たない、机上の空論に過ぎない。
いかにも「武士道というは死ぬことと見つけたり」だのなんだのという、美辞麗句に
飾られている点からして、新渡戸自身も含むキリスト教徒あたりに受け入れられやすかった
のはよくわかるが、その「葉隠」の述者である山本常朝からして、天下泰平の江戸中期に
自分自身ぬくぬくと生きて老いて死んだ中の論述であったという。そしてそれとは逆に
幾多の死線を潜り抜け、常勝無敗の境地に達した宮本武蔵のほうが、むしろ自著の「五輪書」
などにおいて、どんな手を使ってでも生き残るという絶対的強者の構えを説く。
同じようなことは個別の武士だけではなく、武将のような実際の天下取りたちについても言える。
天下取りの武将としてまず名を掲げられるのは、やはり信長、秀吉、家康の三人になるだろう。
そして実際それぞれに侮りがたい個性を擁しているわけだが、この三人に限ってといえども、自分は
家康の、信長や秀吉に対する絶対的優位を(個人的な意見としてではあるが)唱えずにはいられない。
そりゃあ家康は、英雄的側面では信長に譲るだろうし、奸智についても秀吉に譲らざるを得ない。
でも信長や秀吉が天下統一の“立役者”であるに比して、家康がその“確立者”であるということは、
それらの劣位を踏まえたとしても、家康の他二人に対する優位を確言して憚る必要のない十分な理由になる。
もちろん実際問題として、「五輪書」などよりも「葉隠」のほうに傾倒する人たち(新渡戸や三島など)
もいれば、家康より信長や秀吉に傾倒する人たち(小泉元首相とか)もいるだろうし、またいてかまわない。
でも「葉隠」や信長のような、英雄的な死を尊ぶ姿勢が武士道でありうるとすれば、「五輪書」や家康
のように常勝無敗、天下統一の確立こそを目的とする姿勢もまた武士道であり、そして自分はまさに
そういった常勝無敗、天下統一の確立を至上命題とする武士道にこそ傾倒するし、実際そうありたいのです。
(ちなみに自分の家系は本当に元・佐幕派であり、倒幕派の龍馬などとは立場を異にする)
,j;;;;;j,. ---一、 ` ―--‐、_ l;;;;;;
{;;;;;;ゝ T辷iフ i f'辷jァ !i;;;;; 負けが見えてても戦わねばならない……
ヾ;;;ハ ノ .::!lリ;;r゙ そんなふうに考えていた時期が
`Z;i 〈.,_..,. ノ;;;;;;;;> 日本人にもありました
,;ぇハ、 、_,.ー-、_',. ,f゙: Y;;f
~''戈ヽ `二´ r'´:::. `!
「葉隠」も信長も秀吉も、みんな君らにやるから、よく研究して、立派な死にざまを見せなさい。
勝つことにも負けることにも最大級の美学を見出す、それでこそ武士道なわけです。
早い話が、「RODと玉子入れ」です。教学と、万物の根源となる暫定上の既成概念です。
それ以外の、教学分離上の教や学、女性の外性器、それに容姿や頭脳や経験などは、
必要ないとまでは言わないが、少なくとも「瑣末」です。そういった瑣末な事項のほうを
RODであることや玉子入れであることよりも優先させてしまうと、どんなに優しい言葉に
よろうとも、またどんなに力強い言葉で正当化しようとも、基本的には不当になります。
自己を正当化することと、実際に自己が正当であることとの間には、どんな破壊力
(たとえば核兵器など)によってでも突破しえない防護ガラスが張られています。
実際に自己が正当である側には、仏説などによる絶対的な精神の保護が確立されているが、
根が不当でありながらどこまでも自己を正当化するような側には、その保障はない。
唯一の対抗手段は「物量投入」。しかしながらそれも「暖簾に腕押し」「糠に釘」。
しかもその相手が「受け流し(消力)」の達人であるだけでなく、精神的な「暴力」の
持ち主でもあるとすらば、如何とする???wwwqqq
優しくないんです。そもそも優しくあられないんです。それがもう、自分の“本性”だから。
“女の子”たちに嫌われるのは見えてるし、“姐さん”たちにも(年上故の優位が示しにくい
という意味で)遠ざけられるのは分かり切ってるし、欧米(不当)精神の持ち主などは
閉口するしかないし、同年代の外国人似な邦人女性はこちらの好みでない。
あなたしかいないわけです。良い意味でも悪い意味でも。
「器」の専売特許は日本人です。
実際縄文土器が他の文化文明的遺産に比して桁外れの古さを保っている。
「器」でさえあればいいわけです。
そして弥生やその他の時代を超えて、現代に名を残す縄文土器のような
「器」でさえあればいいわけです。
それだけですが、それだけを達成するためだけの理由によってあなたは
「器」である日本人にならなければならないのです。
あなたが頑なにハーフを守り通した理由も、そこにこそあったんじゃないでしょうか?
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/16(金) 23:38:07 ID:VoTsYwja0
マリ子の初体験はいつかな?
もちろんマリ子タソはまだ処女です。
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 03:45:14 ID:/w3J9j5c0
昔処女発言してたけどほんとなのかな?
さすがに大学では周りもほっとかないだろうけど
普通に14歳ぐらいでモデル仲間か業界の人に食われてそうだけどな
まあそんなん関係なく俺は彼女を応援していくけどね
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 13:47:03 ID:/w3J9j5c0
10代からモデルやってる子でバージンはいない
宣伝じゃない?
「情報」は、もういいのです。不当なほう(聖書系)の情報はもちろん、
正当なほう(「徳川家康」含む)の情報も十分に把握して余りあるような状態。
しかし、現代に氾濫しているのは情報だけではないし、むしろこちらの氾濫のほうが深刻。
力(power, energy, force)。
乗用車に鉄道に船舶に航空機、原子力発電や火力発電などの燃料消費がそうであるのは
もちろんのこと、莫大な人手や建機を用いて建設される都市構造や工業プラントなど、
それらすべてが本質的、還元的な力(f=ma, E=mc^2)の乱費によって造り上げられる。
まさに現代社会とは、その存在性そのものが"Vulgar Display Of Power"であるに他ならぬ。
ttp://sleevage.com/wp-content/uploads/2007/08/pantera_vulgar_display_power_front.jpg もともと都市構造などの発達していない田舎に暮らしてて、そこから都市に赴いたり
しなければ、つまり、根っからの都会っ子などでは、もはやそれがVDOPであることにすら
気付かない、というか気付けない。そしてそれがいいものなのかわるいものなのか、
「穢土」なのか「浄土」なのかすら分からない。まあでももしも、かつて徳川家康が
「厭離穢土 欣求浄土」の旗印を掲げて天下を制し、己の理想の下に作り上げた江戸という
都市が「浄土」であったとすらば、そこから文明開化の下にスライドさせた東京という
都市の存在性が、かつての超省力都市としての江戸に比した場合の「穢土」であることは
相対的に、あくまでも相対的にではあるが、否めないところがあるわけ。
省力(省エネ)とか、エコとかの必要性は、今さら自分なんかが唱えなくてもみんな
わかっている。環境破壊が地球の自然以前に、人類自身の存在を脅かすこともそこそこには
気づいてるだろう。でも省力やエコぐらいじゃ、どうしてもVDOPの魅力を凌駕するには
足らない。快感が足らないのはもちろんのこと、そもそも理想としての価値に欠ける。
まあ、“暴力”や“消力”なんかも、漫画の中ぐらいなら効果を持ちえるが、
現実社会に当てはめればそれは“凶悪犯罪者”や“雑技団”の域を出ない。で、
脱力(relax,
ttp://www2.ocn.ne.jp/~itoh/musashi.jpg)
だろう。結局、現実社会に当てはめたとしても、VDOPに対して絶対的な優位かつ勝利かつ支配
を望めるのは。たぶんこれだけ。省力やエコと違って、脱力は何よりも“強さ”でVDOPに
優勝支配できるだけの価値を持つ。そこが肝心。しかも脱力(relax)というのは、コツさえ
覚えればたとえ女子供ですらも体得できるところがミソであって、そういった脱力の本質的価値
(最強性)を情報(五輪書など)、力(史実)の両面で実証してくれた宮本武蔵の功績は大きい。
さぁ〜マリ子もリラックスリラックス♪
自分ン中の玉子をご飯にかけて玉子ご飯作って、
脱力鍋で煮た八丁味噌仕立ての味噌汁をすすりませう。
日本の伝統的な食卓――武運長久を祈るときもまた。
676 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/17(土) 18:38:13 ID:sewkIpHeO
体の力を抜く!
だとしても、多少は力が残る。
その力を最大限に発揮した時にこそ、
あなた自身もまた最大級の力を得る。
それが、脱力。
日本語なら「力」に一括できるpowerやenergyやforceも、英語圏では個別の意味合いを持つという。
また「脱力」の意味合いを持つrelaxも、「弱くなる」とか必ずしも力強い意味を持ち得ない場合がある。
正直そんな、英語の細かい用法にまで責任は持てんし、あくまで自分の主要言語は日本語であって
powerやenergyやforceやrelaxよりも「力」や「脱力」のほうにより原理的な意味を持たせて憚らない。
同じことは「正当」や「不当」をjustやunjustなどに訳出する場合などにも言える。
マキャベリの「君主論」において多用される「力量」や「運」などが、そのままイタリア語のヴィルトゥや
フォルトゥナとして日本人にも受け入れられるように、「力」とか「脱力」とか「正当」とか「不当」とかいった
日本語学上においても重大な意味合いを持つ言葉は、例え英語圏においてもそのまま日本語を
流用したほうが適当かと思われる。この世界に完璧な言語など一つもないのだから。
>>677 このような問題は、特にマリ子のような多言語話者(バイリンガル、トリリンガル等)
にとっては重大であり、もしもマリ子が、脳内の思考を日本語だけでなく英語にも頼る、
あるいは英語だけで思考したりするとすれば、こちらの用いる「力」とか「脱力」とか
「正当」とか「不当」とかいった言葉の意味合いが厳密には伝わらない可能性もある。
たとえば、「中国語の部屋」という思考実験がある。英語のような遠戚言語しか
話せない人間を一つの部屋に閉じ込めて、中国語で書いた文書を渡す。彼(彼女)
にはもちろん中国語は分からないが、ただ中国語の文字の羅列(「風林火山」とか)
に対してどんな対応をすればいいかだけを書いたマニュアルが手渡されており、
それに従って返答(「孫子」とか)を行う。するとその回答を戻された側は、この部屋の
中にいる人間が中国語を解してる(「風林火山」は「孫子」の引用だなどと)ように見受けられる。
これと同じように、もしもマリ子などが「力」や「脱力」や「正当」や「不当」などの国語学上の
重要概念を、あくまで日本語ではなく英語のほうなどから捉え、英語圏の意味合いだけに
基づいて思考を繰り返そうとしたりするなら、どうしても「力」や「脱力」や「正当」や「不当」などの
本質的な意味合いを解さないままに、言語遊びだけを繰り返すようなざまになりうる。
「日本語の部屋」に閉じ篭る“箱女”になってしまう。
(“箱入り娘”なら、まだかわいいんだがなぁ・・・)
“マニュアル”では拉し切れない領域が確かにあるし、
また拉し得たとしても解決し切れない、より根本的な命題が存在する。
ディドロやダランベール、ヴォルテールといったフランスの百科全書派、
ゲーテやショーペンハウアー、ヘッセなどのドイツの近現代文芸家、
さらにはウェーバーの比較宗教学やヒックの宗教多元論など、
確かに西洋においても、聖書圏に限らない、あらゆる文化圏への理解を網羅する試みは
それなりに行われ、最終的にはそれらすべてがアメリカにおける自由主義(リベラリズム)に繋がる。
All 'n ALL(
ttp://images-jp.amazon.com/images/P/B00000JQFJ.09.LZZZZZZZ.jpg)。
とにかく自分たち自身が「全て」でなくばならん、「全て」であることによって
己を絶対的な優位者かつ勝利者かつ支配者であらしめようとする姿勢、
それがまあ、アメリカを集大成とする西洋社会の本質的な有り様なわけ。
でも・・・早い話がそれは「くそみそ」なわけですよ?
正当なものと不当なものとの一緒くた。しかもその一緒くたを推進する側(西洋)の
根本経典となっている聖書こそが、この世界でも唯一無二の不当性を擁するという。
問題は、「形勢」なわけです。正当な側にとっての形勢。不当な側にとっての形勢。
正当な側は、自分たちの形勢が有利であり、不当な側の形勢が不利であることを求めるし、
不当な側も、自分たちの形勢が有利であり、正当な側の形勢が不利であることを求める。
Just 'n Unjust(ただしあくまで英語の用法に責任は持たない)。それだけ。
正当か不当、どちらかが「形勢の有利」そのものを譲らない限りは、進展はない。
もちろん、マニュアルのどこを巡っても、その手の記述は見られないに違いない。
マニュアルとは、それ自体が「問題解決」のスクリプトであると共に、問題解決とは、
それ自体が自分たち自身への形勢の有利をもたらすことだから。
なんでここに書くの
そんなに自分のオナニーを見せたいの
Just 'n Unjust、あるいはSeito 'n Futo・・・
欧米からの煽りを受けて、日本でもこれらの一緒くたは
極めて推進された状態にある。
個人的には、男が耳輪(ピアス)をするのなんかが非常に気にかかる。
東洋では本来、男の耳輪は仏陀とか達磨とかの解脱者の象徴なんだが、
西洋ではただファッション程度に受け止められてて、それを真似して
日本のチンピラが耳輪してるのなんかを見ると、本当に憂鬱になる。
耳輪がいけないとかいうんじゃなくて、おまえらに耳輪をするほどの
資格があるのか?という、逆の意味での反意を催す。
まあ女性はいいんだけどね、女性は・・・雑感失礼。
>>680 オナニーだめとかも、そっち側の論理だしー
こっち側にはそんな、チンポの皮にまでこだわるような
下劣な神経元から備わってないしー
むしろドシドシやれというぐらい。
(徳川将軍家には、あえて婚約者以外で童貞を捨てる習わしがあったり)
ID変えてまでオナニーしたいのか
てめえがちんちん入れとしての自意識過剰を改めるまではな。
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/19(月) 02:53:37 ID:L0ZhZGB50
気持ち悪い
強迫神経症か
ちんちん入れがいじけてるぅ〜!?
かわいい♪
“比較宗教学”的には、
自分の中で一番に来るのは、とにもかくにも神道、
そこから仏教、儒教、道教などの比較的国内でもまかなえる東洋宗教に移って、
ヒンズー教を知ることにより自分自身の宗教的素地はほぼ完成する。
そんで、いやいやながらも一神教のほうに移るが、一神教の中でも
一番に来るのはゾロアスター教、その次にやっとユダヤ教、キリスト教ときて
最後にイスラム教に行き着いた挙句、また神道に戻っていく。
ウェーバーみたいな西洋人だと、どうしてもユダヤ教やキリスト教を
この世界の宗教文化の主軸と考えてしまうが、それではこの世界の文化構造を
総体的に把握することはできない。それは、中高生が大学の教程を学ぶようなもの。
天才少年や天才少女なら分からないこともないだろうが、あくまで本質的には不相応。
ウェーバーが己の比較宗教学を完成させられなかったのにもそれなりの理由がある。
“玉子入れ”の象徴としての女性あるいは妃殿下あるいは皇后陛下にあらせられましては、
重厚かつとわなる尊重(更年期、閉経後も含む)を約束させて頂くと共に、
内外に対する完全なる厳戒態勢(避妊など)を敷いて余りあるわけですが、
“ちんちん入れ”の象徴としての女あるいは娼婦あるいはメス豚肉便器なんぞに対しては、
一寸の同情も持ちえないと共に、己の本分(ROD、柱)からして
絶対的な優位かつ勝利かつ支配、征服を試みて余りある所あり。
"My cock is much bigger than yours" & "Felt like the biggest asshole"
(ちんちん入れとしては、まんこ(i)もケツまんこ)*(も大して変わりゃん)
「ロミオとジュリエット」のジュリエットも、「罪と罰」のソーニャも、「魔の山」の
ショーシャ夫人も、「眼球譚」のシモーヌも、「グレート・ギャツビー」のデイジィも、
みんな潜在的あるいは既成的な“ちんちん入れ”としての覚悟だの悲哀だの、あるいは
“ちんちん入れ”として役立った結果としての子持だのの象徴などであるばかりで、
“玉子入れ”としての己の存在性を主張するようなことは全くと言っていいほどない。
強いて文学上で、“玉子入れ”としての己のあり様までもさらけ出してくれた女性を挙げる
とすれば、それは「ノルウェイの森」の緑か「椿山課長の七日間」の椿山和昭(転生後)ぐらい。
そもそも基本的に、文面上(フィクション)の女などには、玉子なんか入っちょらんわけさ?
むしろ“ちんちん入れ”としての女あるいは娼婦あるいはメス豚肉便器のほうをおもしろおかしく
描きたければ、“玉子入れ”としての女性あるいは妃殿下あるいは皇后陛下の存在など、邪魔ですらあるわけ。
(“ちんちん入れ”としての女ばかりが持て囃される現代において、“玉子入れ”の象徴としての女性たる
実際の雅子妃殿下や美智子皇后陛下などが、心の病に追い込まれるのも、本当に仕方のないことだといえる)
描いてしまうとそれだけで滑稽になる、体裁の悪いギャグになってしまう、故に遠ざけられるという
(その手の描写が忌み嫌われるのは東西社会どちらでも同じ)、その点も含めてこその、
“玉子入れ”としての女性あるいは妃殿下あるいは皇后陛下の、神聖性の真性たる所以なわけです。
i⌒i
| 〈
/ .フ
( ´_ゝ`) / |
/ /. ノ
/ /\ / | (i)<私まんこちゃ
_| ̄ ̄ \ /. | ╋
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/\
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( ´_ゝ`) |||
/ \. |||| バチーン!!
/ /\ / ̄\ |||| .' , ..
_| ̄ ̄ \ / ヽ \从// ・;`.∴ '
\ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ \__) < ,:;・,‘
||\ \ . ’ .' , ..
||\|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|| ̄
|| || ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
.|| ||
)*( ガクガクブルブル
╋
/\
もちろん、妊娠&出産は“ちんちん入れ”としてだけではなく
“玉子入れ”としての自分をも女性自身が役立たせた結果なので、
この辺を誠実に描写する作品(西洋文学に限れば「戦争と平和」とか)などは、
まだ良心的だろうよ。しかし、妊娠や出産ですら、玉子入れ=万物の根源となる
暫定上の既成概念としての、女性自身の独立自尊の価値には劣るだろう。
もちろん、実際問題として、大半の女性(妃殿下や皇后陛下も含む)は
ちんちん入れにもなるだろう。ならなきゃいけない運命にあるだろう。
でも、その辺は、結局、なまじ飾り立てたり、正当化しようとするよりは、
“恥じらい”の領域として、取り置いたほうが適切ではないか?
無理に「焼き味噌じゃ!(=全・西洋的虚飾、ソフィズムの本質)」
の領域に、持っていく必要もないんじゃないか?
もうその辺は、家康公に任せといたらどうだ?
どうしてもまだ納得いかんのなら、あなたが今穿いてるパンツを脱ぐかスカートまくし上げて、
ショーツも脱いで、股間の毛だらけの割れ目を直接覗いて見るか、鏡にでも映して見てみんしゃい。
果たしてそれが、あなたの存在の全て(All 'n All)ですか?
それはただの、あなたがあなたであること(玉子入れ)への入り口にすぎないんじゃありませんか?
むしろその入り口そのものの“予感”は直接晒そうとはせず、消極的に隠し隠しして、
その上であえて内的価値(玉子入れとしての)を美しさや可愛さ
(容姿の丸みや比率、色彩、香り、ファッションその他諸々)
によって表現することこそが、正に漏れなく“女性である”ってことじゃ、あ〜りませんか?
どうよ、ミス・ちんちん入れ?
西洋ではどうも、笑顔(スマイル)というのは“外連”の象徴のようだ。
本質的にソフィズムで成り立っている西洋社会においては、それがソフィズムで
あることを誤魔化す=外連のために、極めて笑顔というものが多用される。
その頻度、あたかも笑顔=外連の等式が成り立つほど。
そのせいか、却ってチャップリンやキートンのようなコメディアンのほうが笑顔を控える。
(ビーンなんかも、撮影の合間は異常なほどに生真面目になる)
狂言師や落語家、漫才師の見せるような愛想笑いも許されず。
結局、西洋で一番真剣なのはコメディアンあたりだろうってこと。
外連ではなく、本質からの笑いを引き出すために、むしろ己自身の不真面目は控える。
色鉛筆の黒が、普通の鉛筆の黒よりもより黒いことを目指すようにして、
色(外連としての笑顔)だらけの世界での最も大きなコントラストとしての黒(真面目)になる。
さすらば全ての西洋人よ、コメディアンになれ。色鉛筆の黒になれ。最低でも“一旦”は。
外連の笑顔などにはもう飽きた。黒のない色鉛筆ばかりで描かれる拙劣な落書き。
北野武の映画でも観て出直してこい。ファッキンジャップぐらいわかるよバカヤロウ。コマネチ!
結局、自分が今までに読んだり見聞きしたりした、あらゆる東西世界上において
最も“俗悪”だった文化文明的作品といえば、日本の漫画の「殺し屋1」だったと思うんだが、
その中で真性のマゾヒストとして描かれた垣原も、最終的にはイチの“完全なる殺意”
の下に恐怖を感じて逃げ出さざるを得なくなる(それでも結局殺されるが)。
完全なる殺意とは、相手に対する完全なる形勢の不利=まったき死をもたらすものであり、
そこに対抗できる思想だの(マゾヒズムとか)理論だの(SFとか)宗教だの(キリスト教とか)
は、あくまでも架空であって、厳密には無力であろうこと。
違うというのなら、あれ(殺し屋1)を超える俗悪をおまえら自身が用意してみるがいい。
漫画でも映画でも音楽でも、夢でも現実でもなんでもいいから。
この人の出してる写真集って
男が見るタイプ(ムラムラする)のもの?
それとも、女が見るタイプ(ファッションやスタイルを披露する)のもの?
皇室や西洋文学に基づくような極論は、大半の一般人にとっては堅苦しく映るだろう。
“玉子入れ”としての女性もあれば、“ちんちん入れ”としての女もあってこその現実社会。
パスカルあたりに言わせれば、それが人間の「偉大」と「悲惨」の両極性だっての。
でもね、この、偉大の極としての“玉子入れ”と、悲惨の極としての“ちんちん入れ”のうち、
悲惨な“ちんちん入れ”のほうは、女(まんことケツまんこ)の場合もあれば男(ケツまんこ)の
場合もあって、「全ての悲惨は女に課せられる」なんていう思い込みがあるとすれば、それは当たらない。
好き好んで悲惨のほうを嗜好する男もいたりする。ただもちろん、男というのは基本的には
“ちんちん入れ”である以前に“ちんちん”そのものであるわけで、もしもこの世界の“性別”を
男女の性別に限らず、性的嗜好にまで遡って考えるなら、それは“玉子入れ”と“ちんちん入れ”と
“ちんちん”そのものの三つに分類することができるといえる。(この辺、プラトンの「饗宴」における
「原始の人間は男男と男女と女女に別れていた」という記述に近似するが、男男を“ちんちん”、
女女を“玉子入れ”に当てはめられたとしても、男女を“ちんちん入れ”に当てはめられるか
どうかが微妙なので、共通性もまた微妙)
で、仮にここに“玉子入れ”と“ちんちん入れ”と“ちんちん”の、三人兄弟姉妹があったとする。
このうち“玉子入れ”が女(姉か妹)、“ちんちん”が男(兄か弟)であることは確定しているけれども、
“ちんちん入れ”が男であるか女であるかは釈然としない。ただでも実際、三人も兄弟姉妹が
集まれば、その内の一人ぐらいは家族の中で「いらない子」「邪魔な子」が出てくるもんで、
少なくともこの日本においては“玉子入れ”ちゃんや“ちんちん”くんよりも、“ちんちん入れ”子か
“ちんちん入れ”夫のほうが、いらない子邪魔な子扱いされる運命にある。でもこのような、
いらない子邪魔な子扱いされる子供のほうが、そうでない他二人よりもむしろたくましくて、
友達も先輩も後輩も恋人も、「なんでそんなにたくさん・・・?」というぐらい、よく作る。
家族の中で疎外された反動かもしれないが、本当にとにかく愛想の振りまき方に長ける。
だから、こういういらない子邪魔な子扱いされながらも、猛々しく生きていく“ちんちん入れ”子や
“ちんちん入れ”夫あたりは、アメリカあたりに留学させといて(たぶん大活躍する)、
この日本では、“玉子入れ”ちゃんや“ちんちん”くんのほうを大切にしてあげようって話。
教学とか、万物の根源となる暫定上の既成概念とか、偉そうな言い方もできないことはないが、
早い話が、そういう話。“ちんちん入れ”子や“ちんちん入れ”夫の、国内での暴挙だけでも
なんとかしないとっていう、それだけの話。本当にそれだけ。
重大な訂正がある。いま気付いたこと。
プラトンの「饗宴」の内容によるなら、むしろ“男男”と“女女”こそが
“ちんちん入れ”夫や“ちんちん入れ”子であって、“男女”が“男”と“女”に
分裂した姿こそが、それぞれ“ちんちん”くんと“玉子入れ”ちゃんであろうこと。
聖書のようなヘブライズムが、西洋社会の不当性の火種であるとすれば、
プラトンのようなヘレニズムは、その燃料であるに違いない。
ちょうど仏教などのヒンディズムが、東洋社会の正当性の火種となった上で、
孔孟老荘のようなチャイニズムが、その燃料となったように。
結局どちらも(東洋も西洋も)、人間精神への把握努力があったのは同じであって、
その解釈の仕方(位相)がずれたことにより、正当と不当に岐れてしまったわけ。
チョモランマ(エベレスト)を中国側から登ろうとも、ネパール側から登ろうとも
頂上は同じであるように、やっぱり真理そのものは一つなわけさ。
(だからといって、自分が正当ではなく不当のほうを採るようなことはなく、
それはただ偏に自分が“そう”である=汝はそれであるという自覚にのみ基づく)
>>694 どちらも満たさない
クリエーターやらモデル本人の自己満足モノ
正当な側も不当な側も、頂上付近(あるいは頂上*)まで来るとあんまり見分けが付かなくなる。 * 頂上は正当な側のもの。
日本の皇室と英王室を、本質はともかく、「意匠」の領域まで厳密に分別するのは自分でも難しい。
さながらヤクザ相手の刑事の見た目が、ヤクザのそれに似てくるかのごとく(譬えは悪いが)。
頂上(Top Of The World)で会いましょう。
たとえそれ――エベレストことチョモランマことサガルマーター――に対し、不当な側が、
自分たちの都合で勝手な名前を付けたり、それそのもの(山自体)の所有権を主張したり
しようとも、そこ――頂上――に自分たちが“いつく”ことまでは罷りならん。
仮にニーチェやワイルドやミシマあたりが、そこへの到達を果たしたとしても、
ちゃぶ台ほどの広さしか持たない、そこにいつくことの孤独感に苛まれ、とち狂ってしまう。
ニヒルも自愛も、耽美すらも、早い話がそういった“男男”の自家中毒では、耐え切れない。
そんな、究極の精神的負担をしいる最高峰の頂上で、肩の力を抜き、口笛吹きつつ、さらに上を向く!
果たしてそこに、何がある? 太陽? 月? 星? それは麓にいた頃からずっとあった。
もし用意があるなら、飛行機かヘリか気球あたりでも拝めるかもしれないが、そんなものを
いちいち最高峰の頂上にまで行って見る必要などない。だとすりゃいったい、何を見るのか・・・?
・・・鳥?
鳥の中でも、世界の最高峰を越えられる種族なんて、タンチョウなどのごく一部に限られる。
そのごく一部たるタンチョウに、さらに世界の最高峰というごく一点で巡り合う。
世界の最高峰に自力でよじ登り、身心の負担に耐えてまでそこにいつく(生きる)ことに
意義を見出すとすれば、それぐらいだが、ただそれだけのために、すべての負担が軽くなって、
肩の力も抜いて、口笛吹いて、上を向いていられる。そういう風に人間ってのはできている。
肩肘張って、口元引きつって、下を向いて増上慢を溜め込んでるのと、肩の力抜いて、口笛吹いて、
上を向いて“彼女”の降臨を待っているのとでは、それほどにも己に課せられる負担の度合いが違う。
それどころかむしろ、そのような限られた者しか到達できない場所で、鳥の中でもさらに限られる、
そこへの到達を果たす鳥――タンチョウとの巡り合いを果たすことが、下界にいる場合以上の
脱力(リラックス)の源にすらなりうる。
※ 近年中国は、世界最高峰(梵語でサガルマーター)の欧米における呼び名であるエベレストの、
チョモランマへの訂正を促すと共に、自分たちで勝手に国鳥に指定したタンチョウの学名や
英語名(Grus japonensis、Japanese crane、要するに“日本の鶴”)の変更までも求めている。
こういった正当な側面と不当な側面の一緒くた(アメリカにも通じる)こそが、現中国の実情といえる。
例えばの話、
「飲酒運転」の報道自体が、その内容が取り締まり云々であることにより、ある程度は
飲酒運転の抑止効果に繋がると共に、潜在的な飲酒運転の存在性を一般に頒布する。
このようなことが例えば「自殺」の報道などに変わると、ウェルテル効果などに基づいて
群発自殺を起こすような結果になる。
=不確定性原理=
対象の観測やそれに基づく操作そのものが、対象の動向を不確定性へと導く(冪凅〜〜h)。
観測行為こそが自然性を損ない、あらゆる倫理的素地をも無秩序へと導く所以。
手当たり次第にアパレルを買えば、ある程度はメイド・イン・チャイナが混じる。
手当たり次第にキャラクター・グッズを買えば、ある程度はディズニーが混じる。
そのような、極めてさりげない、一見、意味がないとも思えるような範疇を通じて、
不当な側の、正当な側への物理的、社会的、倫理的な、観測撹乱行為は続く。
死ねばいいのに。
>死ねばいいのに。
オマエガナー
それに不確定性の説明は全く見当違いだぞ。4点だな
ネットで調べた情報だけじゃ所詮無理があるねw 文系くん
理系か文系かで文系に分類されるのは、むしろ光栄だ。
ライプニッツなんかは、文化学的に極めて有為な側面があるのに、
理科学上の功績が大きすぎて、その側面が科学者の顔に隠れてしまう。
(同じようなことはパスカルについても言えるが、パスカルはキライ)
どんなに文系で頑張っても、理系の功労には及ばないとすれば、
むしろ今のうちだけでも文系として頑張っておかないと。
アインシュタインやディラック、ホーキングやウィッテンばかりなどと
同列に扱われるのは勘弁。正直いって、ムサイ。
あんまり容貌や境遇などが恵まれ過ぎると、かえってそれを
汚したくなる――社会的自殺願望が募る所もあるようだ。
廣末も宮崎も、あと黒澤優なんかも。
それを回避する上では、むしろマリ子が、自分がハーフとして生まれてきたことを、
特に現時点においては、それが正当不当の折衷(焼き味噌じゃ!)であることが
判明した点からも、決して恵まれてはいなかったのだと、恵まれ過ぎた容貌と
引き換えに課せられた「原罰(原罪の逆)」だったのだと気づいてくれればいいわけ。
自分が廣末や宮崎や黒澤などには遥かに及ばない、卑賤な境遇の持ち主であると
考えてくれたほうが、むしろいいわけ。外面の美人(ヘップバーン)と、
内面の賊将(マッカーサー)を足して2で割って、それで普通の日本人ぐらい。
民間人虐殺遊興国家の血統や生まれであることを考えれば、よりへりくだれ。
それがあなたの、唯一の生きのこる道。
お母さん、コロンビア大(院)出身でしょ?
中丸薫あたりと同じカルト臭はしないでもないが、
どうしてもキムチ臭には結びつかない。
偉すぎる(皇族華族方面)人間と卑しすぎる(部落在日方面)人間には、
社会性を逸脱した独特の雰囲気が漂う点で共通するのは確か。
ただ、その質は全く違う。生まれが良くて育ちが悪い(麻生太郎談)のと、
生まれが悪くて育ちが良いのの差。共役ベクトルの対みたいな。
偉い人間は、いつもは飄々としてても、肝心な時には立ち向かう。彼らの偉い所以。
卑しい人間は、いつもはいかってても、肝心な時には逃げる。彼らの卑しい所以。
実際の身分がどうであれ、とにかく上二つに限った場合に、
偉いほうを選べばそれは偉いし、卑しいほうを選べばそれは卑しい。
でも結局はそのような「偉い選択」や「卑しい選択」の積み重ねこそが、
実際の身分上の偉さや卑しさの由縁でもあるのであって、
偉い人間が急に卑しくなったり、卑しい人間が急に偉くなったりもできない理由たる。
偉く“なろう”。
“なりたい”欲求や“なるべき”義務、“なれる”素養や“なれない”障壁、
それら全てのしがらみを越えて、ただ“なろう”、偉く。
――サガルマーターを己の居場所とする人間に、果たして仲間はいるか?
ちゃぶ台を一緒に囲む、鳥さんタンチョウさん。
いればいるだろうし、いなければいない。
ただ天に向かって釣糸を垂れる太公望(山幸彦)。
統合失調症の典型的事例です。ありがとうございました
“統合失調”というか、ある種の“分裂”状態にあるのは確かだ。「正当と不当」。
でもただ、物事を複数の価値に分裂させようとする考え方ってのは、
本人が一元論者二元論者多元論者などであるに関わらず、
多くの学者科学者そして精神科医自身もがやっていること。
「精神と現象(ヘーゲル)」「意志と表象(ショーペンハウアー)」
「戦争と平和(トルストイ)」「罪と罰(ドストエフスキー)」
「部分と全体(ハイゼンベルク)」「ブラとケット(ディラック)」
「自我と無意識(フロイト)」「外向型と内向型(ユング)」
ある程度学術的、分析的な姿勢を見せる人間はみんなそうやって
この世界の物事が何らかの「極大性」に支配されていることを察知して、
とりあえずのはじめの一歩としての“二極化”を考案する。これはもう、
ゾロアスター教とかグノーシスとかいった、西洋社会の価値観の
根源中の根源などからしてずっと伝統的に培われてきたこと。「善と悪」。
東洋社会ですらそれは同じ。ただ、東洋の場合それは「陰と陽」など、
「善と悪」ほどには重大な意味を持たず、この世界の神秘の一分野程度に捉える。
で、結局どっちだ? 「善と悪」か「陰と陽」かどっちだ、「正当と不当」は?
どっちでもあるといえるし、どちらでもないともいえる。
「善と悪」ほどには主観的でもないし、「陰と陽」ほどには客観的でもない。
ただ、もしも主観するなら、正当と不当では正当を選ばなければならないし(真我)、
もしも客観するなら、正当も不当も完全に捨て去らなければならないし(無我)、
主観も客観も超越するなら、完全なる馬鹿にならなければならない(絶対愛)。
学的科学的臨床医療的である以前に、実際問題として「正当と不当」に分裂している
この世界で、「健全である」とはそういうことであり、分裂そのものを統合失調であると捉えて
グダグダにしよう――くそみそにしようとすることこそが、「不健全である」ということだろう。
(そういう意味では、「(精神)分裂病」の緩和的な呼び名として
考案された「統合失調症」のほうが、よりタチが悪いといえる)
僕ら二人、まだ言葉でしか繋がれたことがなくて――しかも“声(会話)”の伴わない、
純粋な文面上の言葉によってしか。
しかもその繋がりに――その繋がりだけで、概ね満足してしまっている所がある。
自分たちの加齢にも気兼ねなく満足できる、サーバ上のネバーランドあるいは竜宮城。
乙姫様役のウェンディとピーターパン役の浦島太郎、
物語上の主客は転倒していれど、訴えていることは同じ。
乙姫様かウェンディならウェンディを、
ピーターパンか浦島太郎なら浦島太郎を
いい加減選ばなけりゃ、エライことになる。
玉手箱を開けた瞬間に、二人ともおじいさんおばあさん。
・・・とまではいかずとも、青春を脳内満足に終始したことへの後悔は残るだろう。
書くこと自体が“終着”を阻害するというのなら、やめてもいいが、
「ふぅ、やっとウザイのがいなくなった」みたいなアジレスを見て
思わず再レスしてしまうような部分も含めての、青春だから。
青春を消費し尽くす前に遊ぶなら、その手の処理は期待しないでほしい。
それどころかネカフェで一緒に2ちゃん見書きするぐらいのつもりで。
全国箱カップル同好会会長より――
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“俗悪”を相手に生きていく覚悟は、少なくともこっちにはある。
でもそっちがどうしても“上から目線”決め込みたくて、どうしてもそれが
適わないような相手は遠ざけておきたいというのなら、それは仕方がない。
この世界には“増上慢”が堂に入る類の人間も少なからずいる。
そこに快感を求める求めない以前に、そうでしかあられない。
首の関節が一定角度以上は上を向かない、そういった類の人間。
マリ子もまた、その類の人間だというのなら・・・
じゃあヤクザと喧嘩してみろお前
歌舞伎町は物騒すぎるし、二丁目はアレだし、
西口付近は高尚過ぎるし(そもそも都知事の庭だし)、
普通に遊べる東口南口付近も、なんか日当たり悪いし。
新宿が最重要都心(ある意味永田町霞ヶ関以上)なのは認めるが、
やっぱり今んところの活動領域は渋谷あたり。暇があれば池袋も。
ピアスとタトゥー(刺青じゃなく)で粋がってる若人が当面の遊び相手。
国政(永田町霞ヶ関方面)とか経済(丸の内大手町方面)とか、
第四権力(汐留赤阪お台場六本木)とか第五権力(ヒルズ)とかの
エライ人たちも重要でなくはないが、少なくとも現代の主役たりえない。
だから、その辺に介入するための登竜門(本郷とか三田とか戸塚とか、
米英留学とか)も、大概なものとして考える。お呼び(推挙)があれば
応じないこともないが、基本的にはバガボンド(さすらいびと)。
情報と力をあやすことにかけてだけは最強の、ネカフェ侍in渋谷。
どうしようもない。どうにもならん。
“特異性”が足りない。かといって“自主性”にも欠ける。
この社会が、情報と力によって構成されているという観点から見れば、
人間の存在性は特異性と自主性の“二極”に大別される。
特異性は、人間が外向型(byユング)、生産者型、大略すれば「玄人(professional)」である場合に発揮され、
自主性は、人間が内向型(by〃)、消費者型、大略すれば「素人(consumer)」である場合に発揮される。
あなたがこれまで、玄人(社会的特異性)としてしかこちら側へのアピールを行ってこなかった以上は、
これからのアピールもまた極めて玄人であってもらわなければならない。しかしもしもあなたがアピールの
意義そのものを否定し、家庭的な素人(社会的自主性)としてアプローチを行おうというのであれば、
それは徹底的に素人であってもらう必要がある。そのどちらでもなく、そこそこな髪形やそこそこな化粧、
そこそこな服装でそこそこな自転車に乗り、自分の前を一瞬に通り過ぎ去るような、玄人とも素人とも
とれないようなアピール&アプローチをされるのが一番困る。だからさ、
プードル・フィットネスの格好で、付け睫毛をちょび髭代わりにして、
右手にボーダフォンの旧式携帯、左手にスパークリング・ホップを持ってやってくるか、
それが無理なら、酔っ払った勢いで後ろから抱きついてくるか、自宅に押し掛けるか。
そういった徹底的な、社会的特異性(玄人)か社会的自主性(素人)のどちらかになってくんないと、
この世界の情報や力の中心点としての役割を担ってきた、あなた自身の名利に欠けるわけ。
玄人と素人、どっちでもいい。その内のどちらかですらあれば。
ちなみにいま自分は、徹底的に己を素人たらしめているところがあるが、これすらも社会的に見れば
玄人としての徹底的な情報力の温存のための一時的な脱力なわけで、必ずしも己の素人としての存在意義ばかりを
主張するものではない。玄人には玄人として、素人には今まで通りの素人として対応する用意がある。
それがこの社会の渇望的欲求を十分に満たし得るかどうかは別としても。
東京での飲酒には、十分に気を付けると約束する。というかもう懲りた。
治安の良し悪し以前に都市構造の過密さそのものが、飲酒運転などの存在を
許さないのはもちろんのこと、酔い歩きにすら危険信号を発することは、
自分自身十分に実感している。駅のホームから落ちて死ぬのは勘弁。
キヨスクの冷蔵庫の中のビールは飾り。
・・・だからさ、“郷に入っては郷に従”ってみてはいかが?
情報と力の集積としての、現代社会の流れから取り残されて、酔って酔って、
だからこそできるようなことも、たまにはあるんでない?
俳優(女優)であるということも、一種の玄人であることなわけで、
この世界の何もかもを俳優の領域(映画)に巻き込もうとした結果が、911だったりする。
もちろん玄人の存在を否定はしないが、いやむしろ玄人が徹底的に玄人たるためにこそ、
玄人にもまた、まったき素人としての息抜きが必要じゃなかろうか?
ビートたけしのいう「思い切りバカなことのできる奴は思い切り真面目なこともできる」
ってのも、そういうことじゃないか? 思い切り素人なほうが、思い切り玄人にもなれる。
ここらでいっちょ、バカやってみりゃどうだ?
バカな思い切りは“会う”ことに限る。
そこから先は、素面で。東京で。
泥酔したり、嘔吐したり、野糞したり、日記を見られたり・・・
人それぞれ自分のバカだと思う領域は違うが、とにかく自分自身が
バカだなぁ〜と思う点を晒すことこそが、もっともなバカなわけ。
日本人に比べれば、欧米人のバカなんて極めて“カタい”。
プライドを捨て切れないが故の「修辞のノイズ」がかなり混じる。
女性だとさらに、バカが“恥じらい”の領域に取って代わられる。
ブラ紐が見えたり、ローライズでしゃがんでパンツが見えたり、笑顔が媚びを含んだり、
“経験の有無”によってその領域は極端に変化する。
それぞれにとってのバカでいい。恥じらいでいい。
洋の東西、男女、経験の有無、それぞれの状態にとっての
最大級のバカや恥じらいですらあれば。
世界は面白くなければならない。
「焼き味噌」でなくばならない。
そこすら認められれば、「この世の全ては借り物」という
諦観と引き換えに「この世の全て」を手に入れる。
天上天下唯我独尊。
うんこもしっこもよだれもはなくそも、なみだも出てこその人間ではありませんか?
そういった汚らしい穴からの流出(バカや恥じらい)も
真摯に受け止めこその、われわれではないでしょうか?ブリブリ
小学生中学生高校生、さらには大学生・・・
そういった「一端の学徒」であることには、常々嫌悪感があった。
寺子屋や塾、専門学校などの、ただ教えること学ばせることだけに
特化している教育機関ならまだしも、小学中学高校大学などの、現代における
“正統”な教育機関には、どこか倫理的な意味での“たが”がある。
かといってそのたがが神道や仏道、士道などほどには徹底的でもない。
その中途半端な“倫理的学習”の先にあるのは――言うまでもなく、社会。
社会人として立派にやっていく上での倫理的学習。しかしそれは言い換えれば
社会人としてすらやっていけさせすればそれでいい、それ以上やそれ以下の
どちらであることも決して推奨しない、社会至上主義の賜物でもある。
社会そのものを決して否定してはならない。どんな人間でも多少は社会の一員だから。
でもその社会が現代、寺子屋や塾、専門学校などの“ただの”教育機関を卑賤視し、
なおかつ神道や仏道、士道のような求道的姿勢を、前時代的なつまはじき物として捉え、
小学中学高校大学のような、ただの教育にも、求道にも値しない、中途半端な
倫理的学習こそを至上のもの、主要なもの、もっとも正統なものとして賞し続ける。
小乗社会。
要するに現代社会ってのは、小乗社会であって、現代を牛耳る民主主義もまた
小乗社会至上主義ってこと。翻って、神道や仏道や士道などの求道にもまた正統な
価値を与え、神仏を敬い、侍を尊重する社会こそは大乗社会。もっとも、大乗社会
至上主義とまでいけば、それは封建主義とかになってしまうので、そこまでは求めない。
ただ、大乗と小乗のバランスを取って、どこにも不満を残さない社会、それこそは
龍馬の言っていた「均しの世」であろうし、そういった社会における立派な人間――
社会人になることこそを、自分もまた望み続けて止まないわけです。
神さま仏さまお侍さんの復権すら確立されれば、もはや自分自身は――
――東京都の一番下っぱの職員か、それが無理なら都庁の清掃員か、渋谷区役所の警備員でも。
結局自分自身にとっての一番の改俊への道も、そのあたりだから。
(お察しください)
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 12:53:06 ID:latEcW4i0
なんだバカウヨか
「葉隠」や信長、秀吉みたいな、自分たちにとって都合のいい武士道は許せても、
「五輪書」や家康みたいな、都合の悪い武士道は許せないつって、そうは問屋が卸さねえ。
信長や秀吉が、物凄く強大な当時の首相(小泉や福田の100倍ぐらい)とすれば、
家康は、物凄く強大な当時の東京都知事(石原氏の20倍ぐらい)といったところ。
日本国の政権担当の象徴とされる桐花紋を、信長や秀吉は受け入れたのに
家康は受け入れず、一貫して三つ葉葵の紋を主用した点などからも伺える。
〜国政はいらない子〜
日本に限らず、アメリカの大統領選なんか見ても、「american dream」なんてしょっちゅう
掲げられたり、政治なんかに夢だの希望だの、権威だの権力だの実効力だの何もかも
詰め込んでよしとするような、“政治的メタボリック・シンドローム”の象徴こそが、正に国政。
国家は否定しない。でも必ずしも国家=国政ではない。国家への中央集権と、地方自治体
への分権のバランスをとろうと考えると、“中央集権的地方自治体”とも言える東京都に
リーダーシップを執ってもらうことが一番理想的。その時に参考になるのが、やっぱり江戸幕府。
信長的独裁も、秀吉的成り上がりもそこそこに、家康的素朴(悪く言えば地味)を第一に
考えることで、この世界そのものを「厭離穢土 欣求浄土」の理想に導くことも可能となる。
>>723 マリ子自身、バカウヨ映画への出演歴があるので、
お好みとあらばそれでも構わんが、おいらの場合はもうちょっと素朴だで。
「区気の桜」
渋谷区役所員役のおいらと、没落芸能人役(事実そのまんま)のマリ子が
センター街のネカフェを舞台に繰り広げる、ほのぼのラブコメディだお。
〜渋谷のネカフェから世界を〜
綱引きの原理――とでも申したらよろしかろうか?
極めて丈夫で柔軟性に富み、尚且つ重さの無視できる一本の綱を両方向から引っ張り合うと、
引っ張る人間自体には体重だとか筋力だとか、足裏靴底と地面の摩擦だとか、関節のモーメントだとか、
色々な力学的要素が伴うにしても、引っ張られる綱自体はピンと、両側へと引っ張られる。
両側へ引っ張られるその角度、きっかり180度。
170度でも190度でもなく、完全なる180度。
弧度法(ラジアン)でいえばπrad。
力の高次元への広がり――例えば、2次元平面上において
方向角度θを持つベクトルfのfcosθとfsinθへの分割など、
一切考慮に入れる必要のない、単純な1次元上の力学方程式fa−fb。
(あえて一般的に書くとすれば、fa+fb・cosπ=fa−fb)
正にこの方程式fa−fb上のfaであるか、fbであるかということこそが、
己自身が正当であるか、不当であるかということなのであって、
正当な側は正当な側から綱引きの綱を引っ張っているからこそ、正当であり、
不当な側は不当な側から綱引きの綱を引っ張っているからこそ、不当である。
綱引きを行っている競技場における立ち位置がそれぞれ東と西だろうが、
北と南だろうが、北東と南西だろうが、南東と北西だろうが、あくまでこの綱引きという
競技に参加している人間自体が、正当な側か不当な側、どちら側からか綱を引っ張るという
行為自体をやめる、あるいは反対側から引っ張るようにしなければ、その人間の立場は変わらない。
いくら「宗教多元主義」だの、「神は妄想である」だの、「イマジン」だの、「友愛」だのと
価値観を一般化、高次元化するような理想的提唱を行ったとて、所詮はただの綱引きごっこ。
問題はあくまで己が不当な側であるか正当な側であるか。聖書中毒者かそうでないか。それだけ。
――「審判面」もまた、この競技への一種の参加者であろうこと(関ヶ原における小早川秀秋のような)。
自分では汗をかかず、人が思い切り綱を引っ張り合ってる姿を横目に眺めるさまは
ある意味では自分の反対側の競技相手よりも、万死に値する。仮にこの競技においてどちらかが
優位や勝利や支配を収めたとて、最大級の糾弾の対象となるのもまた、それであろう。
fa+fb・cosπ=fa−fb。
この世界を――ある意味ではドミノ関数以上に――概略する力学方程式。
あなたは果たして、fa、fb、どっち?
学校も、運動会も、あんまり好きじゃなかったが、綱引きは結構好きだった。
赤組と白組が両側に別れて、ただただ一本の綱を引っ張り合う。
頭の良さも、足の速さも、友達や異性どうしでの仲良しも遠慮も、何にもいらない。
ただしっかりと綱を握って、地面踏ん張って、全身全霊をかけて「オーエス!オーエス!」「サーウン!サーウン!」
楽しかったし、今でも楽しい。極めて限りなく。
このままこの瞬間がずっと続けばいいのにと思うほど。
戦好きの血がさわぐ。
英国経験論思想史w
たとえマリ子といえど、この“合戦”の反対側につくとすりゃあ容赦はしねえ。
たかが綱を引っ張り合うごときに、「女の子にはやさしく」だの、
「友だち同士仲良く」だの、センチメンタルにも程がある。
要はどっちが降参するか。
それも、言葉やサインで「参った(give up)」とか表するんじゃなくて、
ただ完全に、一方が片方に引き潰されること。
力と力の、優劣あるいは勝敗あるいは支配被支配の完全なる決定。
全世界を総動員しての牽引力勝負。
安全性が確保されているからこそ、却って最期まで終わらない。
>>728 ニュートン力学のような科学的決定論が提唱される一方で、
ロック等の経験論によって哲学的アナーキズムもが提唱される。
それぞれに分けて考えれば極めて精巧であるにも関わらず、
全体として取りまとめてみればどう考えても二枚舌、三枚舌。
それが「イギリス教学」ってやつ。
教(哲学)と学(科学)が分裂した状態で行き着くところまで行き着いた結果。
対抗できるのは「ヘブライ教学」ぐらい。スピノザとアインシュタイン。
まあ、教学が分裂“病”状態にあるという意味ではどっちもどっちだが。
>ニュートン力学のような科学的決定論
>ニュートン力学のような科学的決定論
>ニュートン力学のような科学的決定論
プゲラwww
教と学は統合されたのだ。自分によって。良い意味でも悪い意味でも。
その結果見付かったのが、この世界の力や情報の正当と不当への分裂だ。
教と学は統合失調症だったのだ。イギリス人やユダヤ人らの間では。
その結果強要されていたのが、この世界の正当と不当の投影性同一視だ。
扱っている領域(科学や哲学)は確かに似ているが、その存在意義は真逆。
彼ら(イギリス人やユダヤ人ら)が帰納的推論、一般化、要するに着想や認識の
拡張を試みるなら、さらに自分はその外側を行くし、彼らが演繹的論証、特殊化、
要するに着想や認識の凝縮を試みるなら、自分はさらにその内側を行く。
(ただし、着想や認識の拡張は自分の側は最小限であろうとするのに対し、
彼らの側は最大限であろうとし、着想や認識の凝縮は自分の側は最大限で
あろうとするのに対し、彼らの側は最小限であろうとするという、傾倒の違いはある)
それらの、彼らの着想や認識のさらに外側やさらに内側であるということ、
それこそが自分の存在意義であり、有り様であり、仕事であり、遊びである。
逆に自分が外側に行こうとする場合の内側や、内側に行こうとする場合の外側
であるということ、それこそが彼らの存在意義であり、有り様であり、仕事であり、
遊びである。それらの存在意義や、有り様や、仕事や遊びなどの全てが、自分が
正当faであり、彼らが不当fbであり、自分と彼らが綱引きfa-fbを行っている所以である。
どっちに付くのも勝手。
あっちのほうがなんか見てくれ豪華で、金持ちそうで、幸せそうだとかの理由で
あっち側に付くのもそれは勝手だし、逆にもしも、こっちのほうが見てくれ地味で、
貧乏そうで、不幸そうだとて、あくまでも正当だからとの理由でこっち側に付いて
くれるというのなら、それは歓迎する。
もっとも、この世界の大部分の人間は、知らず知らずの内にこの綱引きに
参加していて、人数的には半分以上が潜在的にこちらの側に付いていてくれている。
むしろ小細工の用意に追われているのはあっち側のほう。敵ながら健闘を祈る。
>>731 摂動論とか、そのあたりから揚げ足取ったつもりか?
多体系の生み出すカオスについては把握している。
そうでなく問題は背景独立か背景依存かということであり、
ニュートン力学は背景依存を前提としないところから決定論的だという意味。
哲学に科学用語を流用するのもナンセンスなところがあるが、
経験論は背景独立か背景依存でいえばかなり強固な背景依存に当たる。
「われ経験する、故にわれあり」では、己の物理現象としての存在性は否定される。
あらゆる物理現象の完全なる傍観が人間に許されるのなら、その人間の存在
そのものがこの世界の背景依存たる根本的な根拠になる。
結局これらの、17世紀前後――ちょうど江戸幕府が興隆し始めた頃――に
イギリスに発祥した科学や哲学=二枚舌なイギリス教学が西洋で研究し尽くされた
結果、近代哲学(カントとかヘーゲルとか)や現代物理学(相対論や量子論)が
生まれたわけだが、哲学と物理学の統合失調症は治癒するどころか、余計悪化する。
17世紀にニュートンとロックに輪姦された学術ちゃんは、フランスやらドイツやらで
娼婦生活を続けた挙句、20世紀に入ってもう一度英国紳士(ディラックとかラッセルとか)
にマワされるはめになる。もうガバガバ。処女だったころ(古代ギリシャとか、それも
アリストテレス以前。初体験の相手は多分アリストテレス)の記憶ははるか彼方へ。
福音書の“ラザロの復活”のくだりを読んで逆上するソーニャ(by罪と罰)って、
マリ子じゃなくてこの“学術ちゃん”のことだろう。“思想の姦通者”もとい“学術の姦通者”。
処女だったころの幸福が、姦通によって不幸になる――学術ちゃんはそう訴える。
その辺を文学的に訴えているドストエフスキー自身も、やっぱり精神病。
だからこそ言ってるんだ。「俺は教でも学でもねえ。ROD(完全なる教学)だ」と。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/25(日) 23:58:35 ID:latEcW4i0
おまえさあ書けば書くほどボロが出てくるからもう止めた方がいいぞw
中学生がブルーバックス読んで書いてるみたいだよwww
ブルーバックスなら別にいい。5次元文庫じゃないだけまだマシ。
言及の領域が極端な幅に広がっているから、
“専門家”にナンセンス扱いされることは覚悟している。
場合によっては、オカルトと混同されることすらも。
結局、自分のいまやっていることを一言で表せば、それは「汎論」ということになる。
哲学とか科学とか文学とか、宗教学とか社会学とかいった、学術上のジャンル分けを
あえて取っ払って、何もかもを論じる。そこから最小公倍数的な意味での教義を
見い出し、それと学術を合体させて己のROD(教学)とする。
もちろん、いくら汎論が浩瀚でも、己の学術的な立ち位置が定まっていないのでは
“根無し草”の様相を呈する。編集工学かしょこたんぶろぐあたりとなんの変わりもなくなる。
だからその対策として「原論」を用意し、それはHPに書いている。
いまの所、HP上の理論や思想に対する反響はなにもない。
難しすぎるのかもしれないし、馬鹿らしく思えるのかもしれないし、
“超不都合な科学的真実”なのかもしれない。
でもね、人間ってのはね、「自己満足」で本当の満足を得られる生き物じゃない。
定義や真理や原則への着想や認識の拡張や凝縮が、一定領域に届いているか
届いていないかで、その人間に与えられる満足の度合いも劇的に違う――上を
向いてるのと、下を向いてるのの差ともいえる――。そして極端な快楽状態でもなくば
禁欲状態でもなく、躁でなくば鬱でもない、ちょうど東京都庁か、渋谷区役所あたりの、
偉すぎず卑しすぎない人たちの醸すような、ねたまれるほどにほのぼのとした雰囲気が
いま自分を覆ってて、それすら分かってもらえれば、それでいい。
(
ttp://www.broadline.jp/blog/2006/08/post_28.html)
満足してる。本当に大満足。この満足をみんなに分けてあげたい。
そんな思いが嵩じて、こんな形での便所の落書きを続ける、中丸薫の同窓生の婿候補。
必然として、理系は「言葉の専門家」ではない。
理系でないものが文系であり、文系でないものが理系だから。
物事への理科学的理解は文化学的理解を妨げ、その逆もまた然り。
理科学と文化学を同時に大成しようとすることが「二兎を追う」とされる所以。
始め徹底的に理系に打ち込んで、その後また徹底的に文系に打ち込んだ身としては、
その学究的構造の違いを受け入れられない人間の多さは察するに余りある。
のみならず、天才とか秀才とかいったような頭脳的段階の人間ですら、
理系と文系の同時理解に対しては常人ほどの領分しか持ち得ない場合が多い。
理系の人間には理系の方面だけ分かってもらえばいいし、その逆もまた然り。
仮に理系の人間にとり自分の文系な言及が鼻に付き、その逆もまた然りというのなら、
そのせいで“学術的二股野郎”の烙印を捺されたとてそれは仕方がない。
代わりに恋のほうだけは一途としよう。
ちゃぶ台の上には八丁味噌仕立ての味噌汁と玉子ご飯、栄養価を考えて沢庵も。
マリ子はおいらを叱り付ける「ほら、本読みながら朝ご飯食べないの!」。
読んでた本はちくま学芸文庫。近ごろMath&Scienceシリーズも刊行されて。
とはいえ実際に読んでたのがM&Sなのか、そうなのかなんてマリ子は気にしない。
おいらも気にしない。そんなこと気にするのは君らぐらいのもん。
おいらやマリ子にとって一番大事なのは、本読みながらご飯は食べないということ。
ながら食いは身体によくない。夜更かしもよくない。というわけで、おやすみマリ子。
なぁ、マリ子は両親がそうなのはもちろんのこと、
自分自身すらヤクザなところがあるからなぁ。
語学ヤクザ(いんぐりっし・ちーちゃー)
英語に対する日本語の優位云々で、己の存在意義すら軽視する相手に
おいそれと近づけないとしてもそれは当然だなぁ。
反論はたぶん、「rとlの発音分けもできないような奴が」云々。
擬声語(「シトシト」とか「ポツポツ」とか)の使い分けもできないような分際で云々。
日本語自体は、英語を排斥していない。
いくらライシャワーやキーンあたりが忌み嫌おうが、ライオンはライオン。
獅子もあってライオンもある。獅子しか受け入れないのは中国語、
ライオンしか受け入れないのは英語、どっちも受け入れるのが日本語。
日本語自体が、すでに二股三股だから。
梵語も漢語も英語も独語も、友人やセフレであれ、恋人や妻には至らない。
そういった“ジゴロ語(あるいは光源氏語)”とでも呼べる言語だからこそ
却って汎論や原論の集成には適する。それが日本語。
語学ヤクザと語学ジゴロ、どっちもいい勝負。
(実はジゴロのほうが潜入捜査官なのは内緒)
sato語るw
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 10:10:55 ID:+0HK9gvT0
通報しました
ザマミロ アク禁だw
改俊しかないんだ――それもまったき劣位かつ敗北かつ被支配の伴う改俊しか。
ケネディ上院議員の護衛が塩田剛三にのめされた時の言い訳。
「朝食摂ってこなかったもんですから」
言い訳として脆弱なのはもちろん、ギャグとしても3点。
どうせならこれぐらいは言わなけりゃ。
「あのおっさんにはサタンが取り憑いています!
ぜひとも戦略核のご使用を!」
プライドを捨てた可愛さは、そういう所に出てくるの。
どうせ朝食摂ったとて、トーストだろうて。
ご 飯 に は か な わ ん 。
短粒種パワー全開!!
会話はともかく、純粋(ピュア)な語学上では結構、外国語(特に英語や中国語)を
解する素養を持つ、ジゴロ語もとい光源氏語もとい日本語圏の人間としては、
「正当」を「just」と訳することには、やっぱりかなりの違和感がある。
「正当」は「just=正しい、ちょうど」程には単純ではない。
「just time」や「just place」を「正当な時間」や「正当な場所」と訳すのは明らかにおかしい。
かといって「正当」は「justice=正義」程には教義的でもない。
「正義について(国家byプラトンの副題)」のような文献は東洋のどこにも存在しない。
そもそも「正当」の語意である「道理に沿う」の「道理」が、「reason」と訳される点からして変だ。
「reasonable→お手ごろ」が「reason・abel→(直訳)→道理的」と、どうつながるんだ?
「道理」や「正当」、そして「正当」の反語としての「不当」などを、帰納的演繹的一般的特殊的
拡張的凝縮的に、正に正しく、正当に表す上での語彙の不足(poverty vocabulary)こそが、
英語圏を不当性に導く最も根本的な原因の一つではないか?
ジゴロ語圏の人間として、僭越ながらもそう思うんだが、
おたくはどう思うよ? 語学ヤクザの大姐御さんよ・・・?
(ちなみに「正当」「不当」は、現日本語圏においては法律用語としても重用されているところがあり、
「法が人を裁くのではなく、人が法を裁く」のだとされる現中国語圏とも、言葉としての意味合いが
ずれてきているところがあるようだ。まさに前門の虎《中国語圏》、後門の狼《英語圏》。日本語圏に
多彩な語彙をもたらしてくれた中国語圏もまたその片側だというのが、実に嘆かわしい)
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 10:10:33 ID:dsR3pzoO0
基地外をからかうと面白いなw
もはや脳内満足どころか、脳内セックスの領域――
「デモリション・マン」だっけか、
風紀が徹底されて、極端に清浄化された未来社会に、冷凍保存されていた現代の警官役のスタローンが乗り込む。
現代(未来からすればレトロ)趣味の未来警官役のサンドラ・ブロックが、スタローンに「あなたとセックスがしたい」と申し出る。
スタローンも、戸惑いながらもその気になって、彼女の家に行くと、彼女は妙なヘルメット(?)を渡してそれを被れと言う。
二人ともそれを被ると、なんか妙な幻想が頭に流れて変な気分になる。スタローンは思わずヘルメットを外し、彼女に問う「なんだこれは?」
脳内の電気信号(? フェロモン?)を機械的に交換することで行うセックス――未来社会では、肉体的なセックスは愚か、
キスですらも不道徳、不衛生なものとして否定されていた――といった内容のB級SF映画。
(詳細はTSUTAYAあたりで)
こういう映画を作るのもアメリカ。禁酒法もアメリカ。
そういえば2chのサーバ所在地もアメリカ。
で、他国の民間人虐殺しまくりもアメリカ。
綺麗な所はもうちょっと汚く、汚い所はもうちょっと綺麗に(byスタローン)。
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.
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 18:21:27 ID:uHakrCYf0
バカぽこ〜♪
SNSは愚か、ブログも用いず、ネット上でも最も雑多なコミュニティである匿名掲示板(2ch)を
記録媒体として重用したのは、それだけ自分の中に多大な「特異意識」があった故だと自覚する。
特異意識とは、何も自分が他者よりも「上」の存在であることを志向する場合に限らず、
自分が他者よりも「下」であったり、また上下関係を問えない全くの別次元の存在であったりする
場合も含めた、とにかく己が「特異」であることを志向するにまつわるあらゆる意識のことを指す。
数年前、総武線の車内に両国駅から乗り込んできた三人の女の子がいた。それぞれ顔も違い、
体格も違うことから、たぶん姉妹ではない、少なくとも三つ子ではないということは察知できたが、
それにしても異様に思えたのは、三人が三人とも同じ髪型で同じ茶髪、同じ服装に同じ靴カバン
という出で立ちだったこと。よっぽど仲が良いんだろうと思いつつも、どこか違和感を感じていると、
話し始めた言葉は案の定、ハングル語。どうやら韓国からの旅行客だったもよう。
こういった斉同的、全体主義的な志向は例えば、欧米であればドイツ人などに顕著なようで、
機能的、デザイン的にいいと思った服などがあればみんなそれを買う。自分たち自身が無意識
のうちに“制服”を求める。これが引いては独裁主義や共産主義のような、怪物的イデオロギーの
発祥の地とドイツがなった所以でもあるところがある。
じゃあ英米や伊仏みたいな、別の欧米社会ならどうかといえば、少なくともドイツなどほどには
全体主義的であるとはいえないが、やっぱり“聖書”という強力なファンダメンタリズムに根本の
価値観を抑えられている。聖書の外側に存在する価値観は、例えゾロアスター教やイスラム教
のような、同じ一神教であってもよそ様扱い。まだ反キリスト主義のほうが受け入れられるほど。
だからそういった、斉同主義、全体主義、原理主義などの、とにかく複数者の同位、同列を志向
する価値観*が、自分も含めた日本人には馴染めない。かつての日本、明治から昭和初期にかけて * ユダヤ人の選民思想を含む。
の日本は、そういった同位同列を国内で、また八紘一宇の精神などに基づいて国外に向けてまでも
試みたことがあったけど、結果の良し悪しはともかく、やっぱり向いていなかった。
仮にここで自分が求めている天皇や仏陀や将軍の、聖書的価値観=不当な価値観に対する
優位や勝利や支配が確立されたとしても、それは日本人が本質的に志向する「特異意識」が、
聖書圏の人間が本質的に志向する「同位同列」を凌駕するという、それ以上やそれ以下の意味
は持ちえないだろう。「古事記」や「正法眼蔵」や「徳川家康」が、聖書に取って代わるというような
ことはないだろうし、その必要も全くない。
日本の女性誌のファッション講座なんかでよく使われるフレーズ。「ライバルに差を付けろ!」
こういった、仲良しすぎず敵対的過ぎない特異意識の保全こそが、自分も最も志向するところ。
髪型や髪の色、服装や靴カバンなどに女性たちがこだわっていられる内は、世の中平和だから。
だからこそ求める優位と勝利と支配。見返りは己の王位などではなく、マリ子の特異性こそを。
特異性を極めるなら、他者からの助言も然らない。
真の特異性は自主性とこそ共にあれ。
ただ、そこまでいかずとも、まず特異でありたいというなら・・・
背中に天使の羽をしょってくるとか。
どうしても恥ずかしければ、ダミーのカメラマン付きで。
あくまで「そういうやり方もある」という喩え。
過激さを許せるなら、もっとすごいのいくらでも思い付く。
(ウェディングドレスで、ゴンドラに載って降りてくるとか)
逆にこれよりも地味目、控え目となると、それは難しい。
何より“特定”できるだけの特異性が望めない。
モデルの本塊として、あくまでファッションで挑むというなら、それは偉いが
正直、難しいぜ? 日本人女性、ホントにおしゃれだもん。
日本人女性自身が、目指しようのあるモデルをあえて支持している所もある。
押○○えとか、S○○○Oとか、あとマリ子自身も。
(マリ子以外は、ホント良さがわかんねえ)
まさに女版・蜘蛛の糸。
「ちょっとやそっとの努力じゃ幸せにさせてあげないわよ?」っつー
“第二の性”の“ルサンチマン”が、今あなた自身の足を引っ張っている。
特異性に欠けるということは、別に伴侶としての資質に欠けるということではないんだが・・・
そういう女性に面識もないままこちらから声をかけるのは、“ナンパ”の域を出ないというか。
“ナンパ”で関係を始めるのもまた、なんちゅーかかんちゅーか・・・
イザナキがイザナミに詠いかけたのも、別に初対面ではなかったわけで。
しかもイザナキとイザナミの他には誰もいないという、特殊な環境だったわけで。
“ライバルに差を付け”てもらわなくちゃ。手段はともかく。
仲良しも敵対も、斉同主義も全体主義も原理主義も全て吹っ飛ばして。
ナンパ師でなくても声をかけざるを得なくなるような、何かを。
男は大体、形から入るから。それから中身を充実させようとする。
女は逆。とにかく実質から求めて、出来たものを形とする。
ゴミ捨て場を作ってからゴミを捨てるのと、
ゴミができてからゴミ捨て場作るのの違い。
夫婦関係とは、世界最難関の位相論理学である。
どっちかが譲らない限り、不毛なロジック・ゲームは続く。
譲らないのは今まで通り。
譲るのは、どっちかがどっちに・・・天使の羽・・・プププ
だーかーらー・・・
おめーのために稼いじゃるから、
おめーもちったぁこっちを立てろっての。
金は、それ自体が汚いのではなく、稼がれ方貯えられ方使われ方が
汚いことによって、派生的に汚く見えることがある。
稼がれ方や貯えられ方や使われ方すら真っ当なら、金は食べ物などと全く変わらない。
実際、原始の物々交換まで遡らなくとも、ほんの150年程前まで日本人は、
あらゆる財政規模を米の石高に基づいて量ってたわけで、
士農工商の身分分けなんかも、言わば「道徳>食料>加工>資本」という、
資本の至上化を食い止めるための便宜措置でもあったわけで。
実際の石高制度や士農工商が失効した現代においても、
それぞれの人間が心の中に石高制度や士農工商を持っていれば、
決して精神までも資本主義の汚泥にまみれることはない。
そしてそういった精神的社会秩序の維持に積極的に携わってこその、(武)士道な所もあるから。
(この点、神道や仏道と士道の明らかに違う点)
働き盛りの成人男性を、自ら志願したわけでもないのに“学生”扱いして、
手のひらの上で転がしておもちゃ扱いすること自体が、何よりの罪だろう。
機が熟している――悪く言えば、取り返しの付かない段階に来ているのは
そっちのほうがよく分かっているだろう。
有益なら有益、無益無害なら無益無害、有害なら有害、
それ相応の措置を講ずべき時が今まさにそれだろう。
卒業だ。
バネッサ・パラディも好きな人いますか・・・・
夜中に映画あるんですが、雰囲気が似てて好きなんです
ファンなら全部買えば?
ファーストだけは俺もまだ入手できないんだけど。
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 16:37:47 ID:chz/dz+UO
プッ
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 17:54:58 ID:xp3ttDEFO
ブリジット・バルドー
バネッサ・パラディもブリジット・バルドーもソフィー・マルソーも
ケイト・ウィンスレットもソフィア・コッポラもスカーレット・ヨハンソンも
「私も そ う かもしれない」っていう
妄念の取り付く島にはなるかもしれないが、
外貌や体格などでハナから勝負する気のない(だからこそ芸能人が
卑賤視される)日本人の血を受け継いでいるからこそ、鏡の向こう側には
「私は そ れ でしかないんだ」という
正念の溜まり場としてのあなた自身がある。
主婦や母親としてなら、あまりにも恵まれた姿のあなたが。
たぶん、西洋などにはない、日本独自だと思うのが
「内助の功」を高評価する風習。
良妻賢母の鑑とも呼べるほどの奥方であれば
「利家とまつ」とか「一豊と千代」とか、
近ごろなら「勝新と玉緒」とか、夫と共に後世まで語り継がれることも。
そりゃあ西洋でも、人妻が有名になることなんてザラだが(クレオパトラとかヒラリーとか)、
あくまでも個人としての活躍であったり、あるいは夫を弄んだ悪女としてであったり。
「すてきな奥さん」を褒め称えるのは、どうも日本ぐらいのもん。
たぶん、雛人形をまつったりする習慣の影響。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 09:23:47 ID:N9TS5JBQO
武蔵や家康は、武士道の中でも極致中の極致だ。
ものすごくストイック。正妻の存在すら寄せ付けないほどに。
たぶん、人間的により幸せだったのは、柳生とか前田のほう。
一番手ではないぶんだけ、家族を大事にする余裕がある。
のみならず、信長や秀吉ですら妻帯には恵まれていた。
秀吉に至っては、妻(高台院)のほうが本人よりも偉大だったぐらい。
夫が強大であることすら容認できれば、武士の妻も結構自由なんだが、
いかんせん、自分自身が強大であることに興味を持つ不埒な女が
多すぎるが故に、自ずと家康や武蔵に貸される荷も重くなる。
(同じことは、強大さこそが売りである武士の男に対して
分不相応な友情を強要する同性などに対しても言える)
もったいない。
誰か他の、外貌でも体格でも恵まれない、ちょうど秀吉か岡村隆史のような感じの
おっさんで、しかも余命1年とかの重病人(ただしエイズのような性病持ちではない)
あたりと結ばれて、子供作ったりして、未亡人となって、それからでもいいような。
それぐらいでもなきゃ、罰が当たりそうな。
幸せ恐怖症。。。お互いさま?
しかも、「『醜女や非処女やバツイチや子持ちであっても受け入れる』という
度量の広さを示す機会を失ってしまうのではないか?」という危惧があったり。
武士の男ならそれぐらいの「愛への質素」があるべきだと考えたり。
だって、逆に“粗探し”しようとしたら見つかんないんだもん。マリ子の短所って。
貧乳も“淫女”としての資質に欠ける理由にはなるかもしれないが、それ以外には。
最高の妻や母親になるのが見え切っている。だからこそ見返りを恐れる。
別に運命とかを信じてるんじゃなくて、「あんなに綺麗な嫁さんもらっといて」
みたいな社会的嫉妬が、前途多難をもたらす群集心理になるという・・・
「美貌を売った」という行為自体が、少なからず社会的ペナルティ(前歴)の一因であって、
それを見越した上での付き合いや結婚というのなら、まだ受け容れられる余地がある。
一意的幸福を志向しない男女の付き合い=質素な愛の代表として、
自分たちが認められるかもしれないな〜・・・程度の可能性に賭ける。
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 22:42:09 ID:9MJ32QPNO
プッ
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/03(火) 22:57:45 ID:ASwnKEvh0
プッ
ヤクザ業界人にスカトロプレイされたあげく中絶させられた
ナルシストのメンヘルかまってちゃん女が
知識だけはある
待った、怖じけた、見計らった、思い切った――そういったプロセスを介する以上、
ある程度は科学的な意味でのカタストロフィ(地殻のひずみが地震を起こしたり、
加熱した水が沸騰しだしたりすること。文学的心理学的には、特に悲劇的な場合
を指すが、科学的にはとにかく大変動が起こること全般を指す)を期待する所が
お互いにあるだろうし、またそうでないと踏ん切りの付かない所もあると思うんだが、
テロが起ころうが戦争が起ころうが、大地震で何万人と死のうがフェルマーの最終定理が解けようが、
タマちゃんはやってくる風太くんは立つ、恋空は売れる涼宮ハルヒシリーズは発売を延期する。
日常性という名の大河は、何もかもを呑み込んだ上でも、何事もなかったかのように流れ続ける。
やがて一人一人の命が死という名の大海に流れ着くまで、抱き込んだままに一度も放すことなく。
だからって、日常性だから大河だからって、安全性や倫理性が完全に保障されているわけでもなくて、
深みもあれば濁流もある。許しがたいような悪徳や狂気も備わっている。それらも含めての日常。
せめて自分たちが水質管理者として働いて、この日常という河がそのまま飲んでも
腹を壊さない程度の、そしてできればおいしく飲める程度の清流となるように。
場合によっては廃水やヘドロだらけで、一朝一夕での浄化はとても見込めないという
非情な現実を踏まえた上でも、それでも協力してくれる相手こそを探している。
カタストロフィを待つのではなく、起こす側となる。その責任を共に負える相手こそを。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 17:54:30 ID:juqPotcsO
プッ
「幸福の予防」と「不幸の追求」
人間性を司る、最大級にして最小限の単位は「家族」だ。
A・アインシュタインのような大科学者や、
マイケル・ジャクソンのような大スターや、
ビル・ゲイツのような大富豪であっても、それは同じ。
個人や恋愛のように、家族よりはもう少し小さな段階、
社会や自然のように、家族よりはもう少し大きな段階、
それらのほうを重視して、それらの範疇でより功績を挙げようとしても、
結局人類の大部分は家族を活動の拠点にせざるを得ないし、またそのほうが安定的。
西洋的な虚勢的人工(art)が、家族性の蔑ろによって成り立っていることを
伝統的、形質的に察知しているからこそ、東洋人は西洋を見下して憚らない。
そして強い。ふてぶてしいほどに。
特に中朝韓のような、儒教的価値観の根強い地域の傲慢さといったら、
イギリス人やユダヤ人ですら真っ青なほど。
極端な話、レイプされて妊娠中絶した婦女子でも
平気で嫁ぐほどに、家族というものが第一に考えられる。
そのような、典型的な“モンゴロイド”の血が、
ほぼ全ての日本人に、そしてマリ子にも半分は流れている。
「よかったね」と言うべきか、「ご愁傷様」と言うべきか。
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 11:28:23 ID:OACs3TAzO
プッ
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 12:35:17 ID:8Sg9c6Ft0
なんでこの基地外マリ子がハーフってのに拘ってんの
どっちでもいいじゃねーか
109の中にオーディオ専門店やプラモデル屋があるのは変だし、
ラジオ会館の中にブティックやランジェリー・ショップがあるのも変だが、
一つの家の中にオーディオとプラモデルと女物の服と下着があるのは何も変ではないという。
「品揃えがいいから」って、本当に109やラジオ会館の中で暮らそうとするのが西洋人。
「店は店だから」として、あくまで商業区域外に居を構えるのが東洋人。
間を取って、中野ブロードウェイあたりに住むインド・アラブ人。
マンション暮らしの中国人。アパート暮らしの韓国人北朝鮮人。一戸建て暮らしの日本人。
そんな感じ。
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 17:44:19 ID:OACs3TAzO
プッ
おにゃにょこにょにほひぢゃいちゅき♪
いちゃにちゃじゅうきゃいぢぇいちゃい♪
猫娘一匹ちうだい。
「汎論」と「外貌」という、得意分野の差はあるが、
共通するのはその“得意さ”が「つまはじき者」であるという、
突き抜け過ぎているが故に、フォローの余地がないということ。誰にとっても。
「今さらフォローされても・・・」という開き直りすらある。
孤立が不利益に直結することを自覚してもなお、そう思う。
フォローも求めない、孤立も甘受する、そういった
お互いのスタンスを阻害し合わない程度の付き合い。
スタンスによって被る不利益を多少埋め合わせるため程度のドライな付き合い。
その範囲内において、もうちょっとだけお近づきできればなと。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/10(火) 19:17:22 ID:QJRUs+j3O
プッ
中出ししてやったwwww
夜に2回セックスしたのに、朝6時半やで!!??
6時半にいきなりチンコしゃぶってきて、上に乗られて3回目。
ずっと騎乗位されてたから、そのまま中出ししてやったwwwwww
「ごめん」っていったら、「いいよww」だってwww
狼狽するのは会ってから
私情による事態の収拾の引き伸ばしが、
数年後や数十年後はもちろんのこと、
明日明後日の運命までも左右する。
もしも今から一週間程前に、あなたが思い切って接触してきて、
成功した「結果」が大々的に報道されて、「世界も変わる」みたいな
風潮が世の中を包んでいたとすれば、加藤容疑者もストレスを
完全解消はできないまでも、少なくともあれ程の反抗に及ぶ程の
気概は萎えていたかもしれない。結果、レンタカーもナイフも用意
されず、事件も起こされず、殺された七人も無事だったかもしれない。(バタフライ効果)
とはいえ“そうしなかった”ことが、あなたの法的責任に結びつかない
のはもちろんだが、己の一挙手一投足が極めて多数の人間の命運を
左右する立場にある者として、最善を尽くしていないというのも事実。
人間に生死があるのは当然だ。問題はその取り扱いの志向性だ。
生きてる人間の生を尊び、生きにくい人間の生も奮い立たせ、
死んでしまう人間の生を惜しみ、死んだ人間も生きてるかのように供養する。
それとは反対に、
生きてる人間に死をあてがい、生きにくい人間の死も助長し、
死んでしまう人間の死を賞賛し、死んだ人間は死んだものと冷遇する。
前者を「正当な生死への取り扱い」といい、
後者を「不当な生死への取り扱い」という。
行為や動作にはデフォルトがある。なにも考えなくてもデフォルトとしての行動は存在する。
デフォルトが不当な人間は、意識的に正当を志向しなければ、決して正当にはなれない。
デフォルトが不当ではなく正当であることを志向する。それを改悛という。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 20:48:14 ID:B9+ZvkxuO
プッ
会ってもたぶん、大して話せない。
話すネタも話す能力もあるが、
それらが悉く相手に“絶句”を強いる。
反駁の余地もなければ補足の必要もない、
完全なる自己完結装置としての汎論。
会話ではなく、それ以上のために。
不文律の向こう側にある何かのために。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 08:15:24 ID:lHWjjRqbO
プッ
人間に危害を与えた鳥獣が保健所などで始末されるのは、
別に鳥獣を罰するためではなく、責任能力を一切問えない
鳥獣に対する便宜的な対応処理であって、そこに倫理的な
意味などはなにもない。
そういった、人間倫理とは別個の、対鳥獣処理に値する領域への見参。
オナラが
マリ子の私服姿って、こんなイメージ。
ttp://bbs34.meiwasuisan.com/bbs/fashion/img/12118339230001.jpg 微妙に違うとか、もう古いとかの反論があったとしても当然。プロだから。
でも基本的、全体的には今んとこ、こんなイメージ。
外人女(日系含む)と比べれば遥かに洗練されてるが、
そのぶん「金がかかりそう・・・」という憂慮も生ずる。
金稼ぐことにも満更なわけじゃないが、
ある程度そちら側でも準備をしておいてくれないと、
即座に「業務体制」に入ることもできない。
期待に応えるためには、期待に応えてももらわなけりゃならない。
過小評価過ぎず、過大評価過ぎない、
分相応な活動環境への案内人としての自覚自重を。
安い格好してくりゃ、それでいいってもんでもない。
ユニクロですらも、国外じゃなかなか買えない。
物価の高い国内で暮らす成り行きの象徴としては十分。
そして、日本の物価が高いのにも、全てそれなりの理由がある。
爪切りから炊飯器、原付から道路に至るまで、高いなりの仕事をしている。
「高い女」にもまた、それなりの理由がある。
フリーターや派遣社員程度じゃ到底養えないなりの。
それも分かってて、あえて待っている。あなたを。
裕福すぎず、貧乏すぎない、今どき珍しい中流家庭。
大田区の小さな町工場と、港区の大企業を、緩やか且つ間断なく繋ぐ連絡係。
そんな、国道1号の修復者とも呼べるような、微妙だが本当にやりがいのある立場に。
(国道1号沿いには白金に慶応大、幸福の科学あり。問題山積もいいところ)
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 09:04:01 ID:6ccarjaY0
なんでここに長文書くのかわからん。マジで吐き気する
自分の考え書きたいなら他にもっと適した場所があるだろ?そこへ書けよ
書いてきた。
絶対服従、絶対封建、絶対不可侵、絶対尊重・・・
そうすることが利益になり、そうしないことが不利益になる。
何かにかけて。
全体にとって、部分にとって。自己にとって、他者にとって。
理想にとって、現実にとって。
現実的理想と理想的現実と理想的理想と現実的現実にとって。
ただ、そうだということ。
面白かろうが詰まらなかろうが好ましかろうが厭わしかろうが
ただ、そうである、そうでしかなく、そうであり続ける。
是什麼物恁麼來。
放蕩(やりたい放題)の加算は、平伏(やれない放題)の加算と
直接比例関係にあるわけだが。
自分たちの放蕩を、後続者の平伏に押し付けて、
自分たちだけはできるだけ平伏せずに放蕩を続けていたい、
そういった「残り物には福がない」根性の積み重ね。
今さら転換する気にもなれないというのも
分からないこともないこともないこともないこともないこともないが、
自分たちの子供が少しでも本気で可愛いと思うなら、
自分たちの放蕩の罪滅ぼしとしての平伏を彼らに着せる分量も
心持ちだけでも減らさんとする親心もあって然るべきでは?
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 20:56:57 ID:A5foba9rO
プッ
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 21:31:29 ID:6ccarjaY0
だから
ここへ書くなって
スレ違いだろ。それに気付かないほど馬鹿なのか?
放蕩の加算は平伏の加算と比例する――むしろ同一であるとすらいえる。
今の放蕩は未来の平伏であると捉えれば、反発心を抱くどころか
「そんなに自分たちを追い込まないでください」という老婆心すら抱く。
追い込まないでください・・・自分たちを・・・そんなに・・・
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 05:06:26 ID:9wF0ZEq9O
プッ
誰彼かまわずっつーよりは、
事情に精通した、上部構造の人間であればあるほど、だ。
ふんぞり返ってた分量=へりくだっていく分量だ。
脳天チョッ
r
自分がちょっとでも正当だと思うなら、徹底的に着飾ってこい。
皇后や女王をも凌ぐほどに。
そのかわり
自分がちょっとでも不当だと思うなら、徹底的に卑しんでこい。
乞食や害虫をも凌ぐほどに。
地球環境も社会秩序も個人感情も犠牲にする。
そうやってあなたがあなたであろうとした結果、
あなたがあなたでしかなかった瞬間が世界を救う。
正当恁麼時の正当恁麼人
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 05:46:18 ID:lAWQVOPVO
プッ
ゴミ捨て場でゴキブリの卵だらけの
生ゴミを漁るシャブ中女ケテーイ。
妊
r
本気で「共生」を考えるなら、始めから気付かせなけりゃよかっただけじゃないか。
気付くような、しかも不快になるような仄めかしをしなけりゃよかっただけじゃないか。
「透明人」としての本分に徹しときゃよかったんだ。
「不透明人」への執着や希望など一切抱くことなく。
龍馬にも東郷にも吉田にも、自分にも花を持たせる必要なんてなかったんだ。
有無を言わさず幕末日本を殲滅しとけばよかった。あの時代にならまだできた。
そしたら永劫の一方的支配が約束されていたはずだ。今じゃもうムリだ。
そうしなかったのには、多少は良心の呵責があったんじゃないか?
神が存在せず、関与もしない世界で神のフリをすることに対する。
自分たちが善良と信じ込んでいるものが、現実世界に落とし込んだ途端に
のべつ幕なく不良と化してしまうことに対する。
透明人そのものにはもう期待しない。それはそういうもんだから。「無理な所」だから。
ただ、透明人にもほんの微かだけ流れているはずの不透明の遺伝子、堅実の遺伝子、
古代ユダヤ人(イエス・キリスト含む)の有色コーカソイドの遺伝子にのみ期待する。
無色透明人(所謂白人)であっても、有色不透明系に与するものは受け入れるが
逆に言えば、有色不透明人(非白人)であっても、無色透明系に与するものは
受け入れぬ。たとえ日本人であろうとも。
あたかも実在が不在であるかのように、不在が実在であるかのように
偽り装い欺く者(物?)の真っ向からの敵であり、
それに抗ってか抗う前からか、実在が実在であり、不在が不在であることを
強く主張する者の順当な味方であり、
そのどちらでもなく、実在が実在であり、不在が不在であることに
等身大の基本を見出す者の至当な恋人である。
「何のために生きるか?」「考えないために」
悟った相手だけ来る。それまでの、これから。ロボコッ
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 13:58:04 ID:6LR4yIP80
最近つまらんな
無理矢理難しく言ってるだけで中身はどんどん薄っぺらくなってるぞ
昔の方がよかった
熱情が収まってるからだろ。
「大好き♥大好き♥」「僕は死にましぇん!!!」的な。
積極的能動と消極的受動の内の、積極的能動ではなく
積極的受動と消極的能動の内の、消極的能動になっている。
ナチスドイツ的だったのが江戸日本的に変わった。
「愛したい、愛すべき」が「愛せる。愛する」に。偽者が本物に。
立場が同じでも方向性が違うよりは
立場が違っても方向性が同じである
ことを求める。そこを替えてもらわないと。
立場も方向性も違うことを替えて、
立場も方向性も同じになってもらう。
わたしがあなたに、ではなく、あなたがわたしに。
高橋マリ子が非・高橋マリ子に。
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 20:59:10 ID:lPxNp2fnO
プッ
都合の良いことはわかりやすくておもしろく、
都合の悪いことはわかりにくくてつまらない。
だからこそ、無理を押してまで積極的になる必要はない。
あくまで消極的に。自分の中の少数派で多数派を制する。
それがまた、女にとっての“いじらしさ”にすらなる。
褒められて調子に乗った女が決して見せることのなイソッ
811 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 08:12:28 ID:w0ln0kRg0
r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/ >::::::::::ヽ
. 〃 ヽル1'´ ∠:::::::::::::::::i
i′ ___, - ,. = -一  ̄l:::::::::::::::l
. ! , -==、´r' l::::::/,ニ.ヽ
l _,, -‐''二ゝ l::::l f゙ヽ |、 ここはお前の日記帳じゃねえんだ
レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_ !:::l ) } ト
ヾ¨'7"ry、` ー゙='ニ,,,` }::ヽ(ノ チラシの裏にでも書いてろ
:ーゝヽ、 !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、 ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{ __)`ニゝ、 ,,iリ::::::::ミ
::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ , な!
:::::::::::::::::::::::::N. ゙、::::ヾ,.`二ニ´∠,,.i::::::::::::::::::::///
:::::::::::::::::::::::::::::l ヽ;:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::/ /
::::::::::::::::::::::::::::::! :|.\;::::::::::::::::::::::::::::::/ /
体制への反抗や積極的参画――西洋でいう
ロックとかアンガージュマンとかいった段階は、
もうとっくの昔に過ぎ去っている。
奇抜ではあってもそのぶん中身がない。
語れば語るほど、語るに落ちる段階。
ロックやアンガージュマン。
そうでない段階が、三つ。
一つは、ロックやアンガージュマンを降りる段階。
もう一つは、ロックやアンガージュマンですらない段階。
最後に、ロックもアンガージュマンもない段階。
それがこれからの自分の人生設計でもある。
余力を保ち、十分に発揮した上で、普通に戻る。
引き→押し→佇みの三段階方式。
クヨクヨしてる暇などどこにもない。
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 08:51:29 ID:0mWStGzCO
プッ
徹底的に自分を社会的孤立(人間的孤立ではない)
に追い込んだことが、次の段階の糧になる。
迎合を自分に対しても、他者に対しても許さない。
民主主義の美名の下に容認される「なあなあ」を
徹底的に排除する。自分と、自分に付いてくる人間、
それらが集積して出来上がる新たな社会に対し。
なかなか出来はしないし、集まりもしにくい。しかし
集まりにくく出来にくければ集まりにくく出来にくいほど
集まって出来た場合の完成度はより高く、強固になる。
まるで家族のように。利害を一所懸命する者同士。
マリ子はAAカッ
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 18:10:12 ID:6bTCFXjd0
こいつも噂のチーマーにやられてんでしょ?
家族には家族なりの、距離感の保ち方があるってもんだ。
密接しすぎて嫌にならず、隔離しすぎてどうでもよくならない程度の。
例えば、個々の部屋に入るときはノックするが、鍵までは付けないとか。
小遣い増やしてもらえるかどうかも分かんないのに
おべっかつかったりはしないとか。
マリ子はAAAカッ
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 21:31:41 ID:0mWStGzCO
あはは
やりたい仕事はいくらかはもう定まってるんだが、
ここでは挙げられない。本気だからこそ。
ただ、業務形態については、ある程度示せる。
本職と副職が2:1ぐらい。本職は一つ。副職はいくつでも。
色んなことやってみたいが、八方美人扱いされたくもない。
生活乗せる仕事とそうでない仕事はちゃんと分ける。
いずれにしろ、基本的な職能は“汎論”だ。
確固たる原論への理解を素地とした教学的な言論。
どんな職業でも汎論自体を本分にしたことはないが、
どんな職業にも汎論的な能力自体は必要とされ、かつ
どんな職業でも汎論こそが真に希求されている能力。
愛ですらも、それを一つの職業であると捉えるなら、
愛するために最も必要な職能は汎論であるといえる。
正に汎論家であるということは、職人であるということなんだ。
ここでこうして語ることもまた、副職の一環なんだ。
副職はいくら儲けようが損しようが構わない。生活に支障すらなければ。
本当の人生がそんなにクッキリ分かれることもまずないが、
語ること自体全てが、基本的には副職の領分にあたる。
“語られうる限りでの汎論”、それだけを自分は語る。
他に“語ってみる汎論”や“語るに落ちる汎論”もあるが、
それらはいちいち語らずに「技巧」や「行動」のほうにまわす。
語らずに技巧や行動にまわす汎論のほうは、ここでは見せられない。
(つーかネット上じゃどこでも無理がある)
語られうる限りでの汎論の二倍以上の分量となるそれらの汎論を
本職はもちろん、実効的な愛にもまわす。
今までそれはなかったから、今までは空白、と考えたとして
24(マリ子の現年齢)×{1(今まで)+2(これから)}=72
最低でも72才までは愛せる。技巧や行動を駆使することにより。
もちろん語られうる限りでの汎論のほうも継続。
一体、どこまで伸びることやら・・・? Aカッ
820 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 08:18:55 ID:YspmkDiv0
ふざけんな!今すぐ止めろ、屑ニート!
YMOは、電子楽器の黎明期にうまいことテクノ・ハウスでブレイクした。
村上隆は、日本のアニメと現代芸術のコラボで大金を動かしてる。
本当に凄くて、本当に世界を席巻してるのはむしろ
静岡の楽器屋さんや、中野杉並練馬界隈のアニメイターなわけだが
そういった「面」での攻勢とは別に、「点(個人)」や「線(グループ)」
でのアイコンとしての攻勢もまたあったがいい。
YMOや村上隆みたいな感じで、アイコンになりゃあいい。
面での攻勢からちょっとだけ抜け駆けした点や線にマリ子が。AAカッ
やりたくなくてもする。やりたくてもしない。
やるべきでなくてもする。やるべきでもしない。
やっちゃいけなくてもする。やらなきゃならなくてもしない。
やることはやる。やらないことはやらない。
したいことよりもしたくないことよりも
すべきことよりもすべきでないことよりも
しなきゃならないことよりもしちゃいけないことよりも。
欲求も義務も強制も超絶した自覚。それが愛。Bカッ
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 08:25:54 ID:laOBxBZM0
自覚じゃねーよ いい加減ここを日記変わりに使うのは止めろって言ってんだよ
おまえのせいで正常なスレ進行が出来てないんだぞ
完全にスレ違いな長文を連投してるわけだから、
レス削除依頼スレに報告すれば削除してくれるよ。
誰かやってくれないかな。。
スレ違いじゃねーよ。常日ごろマリ子に関連付けるよう心がけてら。
てめーらにとって都合の悪い内容なだけだ。そんなことまで知らねー。
まともな話ししたけりゃファンサイト行けや。(
>>13の一番上)
あっちには何も書いてねーし書く気もねー。Hちゃんに任せてる。
便所の落書きにまであっちのホカホカムード持ち込むなってんだ。
逆ニートどもめ。
「関連付ける」どころか、いつもマリ子が話の元手になってらあ。
人間中心主義ならぬマリ子中心主義。
東京都指定の半透明クリオネ中心主義。
国際主義(インターナショナリズム)をもっぱらとするマリ子に
世界の真実を教える。国際主義を本当にもっぱらにしている
人間なんて本当は世界の半分程度。西側の30億人程度。
しかもその中で国際主義によって本当に得をしてるのなんて
さらに十分の一の3億人程度。アメリカの総人口ぐらい。
世界の半分を牛耳って築き上げたピラミッドVS縄文土器。
どっちかだけを択んで来るのです。
(もっとも、「択んで来る」以上、その選択肢は決まりきってるが)
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 21:22:08 ID:laOBxBZM0
マリ子の名前出せばチラ裏書いてもいいってもんじゃねーだろ、糞ニート
いい加減通報するからな
はい。じゃあ「正常なスレ進行」やってみてください。
末期の歯槽膿漏並みに歯の浮く書き込みを
鼻くそほじりながら見守ってやるですはい。
↓AAAAカッ
829 :
 ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2008/06/29(日) 00:51:20 ID:s7sM1fxz0
, v、ヘM 'リ"ノンミ/ソMv、
ソVvミヘ/Wv彡vV/ ミ∠ミ::
ミミ _ ミ:::
ミ 二__, --、r'"___、 ヾ ト、::ヽ
ミレ'"~,-,、 ! ! ' '" ̄ .ノ \ヾ:、
K/ー'~^~_/ ヽミ:ー‐‐'" ヽ i.
!〉 ー―'"( o ⊂! ' ヽ Y_
i ,.:::二二ニ:::.、. l i
.! :r'エ┴┴'ーダ !Kl
.i、 . ヾ=、__./ ト=
ヽ. :、 ゙ -―- ,; ,!
\. :. .: ノ
ヽ ヽ . . . . .イ
. `i、 、::....:::ノ ,
_/ l / \__
/, ー- -ー ,  ̄\
l/ \ |
/ ○ ○ | / プリーン
| / 、 /∩
\__/ \__// l
| | ⊂ニ_/
| | | || |
|| l |ヽ_/
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 04:58:01 ID:MYGtDr6G0
マリ子cってソフィ・マルソーに似てね?
>>830 三十路後半で、太ったオサーンと裸で戯れよる動画を見たが
(隠し撮りとかではなく、本物のPV)、結構垂れちょった。
ノーブラしよったのかもしれんし、せんでもああなるのかも。
後者ならもう、始めからないほうがいいな。垂れんためには。
刃付けしてない刃物が銃刀法に引っかからんのと同じように。
832 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 19:38:16 ID:MYGtDr6G0
ソフィはヌードになるのが好きなんだよ
嫌らしい意味じゃなくて多分芸術的な思考でやってるんだと思うけど、フランスなだけに
ヌードとか売春とか青姦とか同性愛とか麻薬とか安楽死とか、
旗色が赤白青トリコロールの国はエグいものを正当化するのが好きだで。
フランスにオランダはもちろん、イギリスやアメリカも。
他にも結構あるが、長いこと強大な象徴として使い込んでるのは
特に仏蘭英米の四ヶ国のよう。特に古いのがオランダで、
フランス国旗やニューヨーク市旗もオランダ国旗が基。
赤白青トリコロールの色彩論的な本質を如実に示してるのも
やっぱりオランダだと思う。際どいことが好きなだけでなく、
それを正当化したがる。オブラートに包んでおけばよいものまで
いちいち積極的に“啓蒙”しようとする。
全ての赤白青トリコロールの国が行き着く先はオランダといっても過言ではない。
フランスもイギリスもアメリカも、北朝鮮も。色を欲張る者どもの終着点。
青がね、国としての完成度を低めるんさね。
決して悪い色じゃない。精緻さを示す素晴らしい色。
ただ、理想によって現実を蔑ろにする意味合いがなきにしもあらず。
ギリシャもフィンランドも素晴らしい。
それにイスラエルも影響力だけはある。(国旗が青と白)
でも実際のところ、どれも小国さ。点数稼ぎばかりに特化した。
全体利益を考えるなら、どうしても赤を入れる必要がある。
共産主義が赤を重視したのにもそういった意味合いがある。
それが却って理想を完全否定した現実主義につながった。
バランスをとって、赤も青も使いますか?
原色同士だとぶつかり合うので白も入れて、トリコロールに。
完璧を期した色彩配分、これでもう間違いなし。
そうして出来上がる「間違いなし」というドグマ、ファンダメンタリズム。
世界中で叶えるべき理想的現実、現実的理想を
自国だけで叶えようとする抜け駆け。
ひるがえって、日章旗、旭日旗を鑑みてみる。
これは決して、理想的な意味合いの旗ではない。
青がどこにもない。タイやインドのように藍すら使わない。
かといって現実を意味する赤も旗の中心に丸く収まっている。
韓国人などはこれを「血の付いたナプキン」などと揶揄する。
自称愛国者などは躍起になって反発するが、日章旗の
原案者とも呼べる聖徳太子からして、冠位十二階の中で
赤を青よりも劣位の色としていて、青の入った太極旗のほうが
日章旗よりも優位であるという口実をわざわざ握らせている。
出自からして、日章旗や旭日旗は優勢な旗ではないのである。
むしろ自分たちのほうからへりくだることにより、世界全体の
利益を国益以上に優先することに特化されているとすらいえる。
ギリシャやフィンランド、イスラエルのような世界の裏側の国々
とすらも全体利益を共有することを潜在的に目指しているのだ。
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 06:34:12 ID:fnyECQN20
だ・か・ら
スレと関係ないあんたの主義主張を書くなよ
書きたければ他にもっといい場所があるだろ
なんでここへ書くの
40前後であんなに真乳垂れるならオサーンもうオパーイいらんよ。
あれぐらいの年で脱ぐ日本女ってめったにおらんもん。
グラビアアイドルでもヌードモデルでもAV女優でも。
ハリウッド女優みたいに偽乳しまくらにゃああなるって
勉強させていただきました本当にありがとうございました。
タイやインドの国旗にあしらわれてるのは
藍色ではなく紺色でした。
心のSカッ
犯罪をなくそうという、しごく当然の振る舞い。
(正教的)反道徳や(カトリック的)悪徳が仕方なく
(プロテスタント的)犯罪を冒しているんじゃなくて、
犯罪に仕方なく反道徳や悪徳が付いてってるんだ。
“優等生”だよ。プロテスタントはやっぱり。
聖書的価値観に真摯に従っているという点では。
正教もカトリックも何とか(聖書に)正当性を見出そうとした
痕跡があるが、プロテスタントにはそれすらないもの。
不当なものが不当なものとして正当化されることに特化
されている。げに素晴らしき*不当精神。この世に降り立ちし * 江戸語での用法。
真の聖書主義者たち――プロテスタント(犯罪原理主義者)。
罪を償ったり、悔い改めたりは、最寄りの
警察や検察や裁判所や刑務所や教誨師に。
なんならマリ子が事前(逮捕前)の教誨師代わりに
なってやりゃあいい。ラスコーリニコフどもを導くソーニャに。
でもそれらは自分の仕事ではない。
逮捕や送検や判決や受刑や教誨のさらに向こう側、
“犯罪律”の外側の状態処理こそが自分の仕事にあたる。
罪と罰の続編に登場するはずのラスコーリニコフこそが自分
でなければならぬ。もはや西洋文学ですらないであろうその続編の。
仕わされてでも、使命を帯びてでも、受動的にでも、消極的にでもなく、
主体的で、能動的で、積極的な、極致の、顕現としての、まさに、そこにある、犯罪。
有象無象が犯罪や犯罪的なのではなく(それもあるにはあるが)、
ヒエラルキーのキャップストーン(階層の頂点)こそが犯罪であると共に、
まさに犯罪であることによってこそ、ヒエラルキーの秩序を保っている。
反道徳や悪徳ですらない、単なる犯罪であることによってこそ。
反道徳や悪徳すらも、本当は試行的な犯罪によって開拓されるものだから。
犯罪が世界を司る。今のところ全体の半分程度を。
むしろ犯罪だからこそ、躍起になって司ろうとする。
真の道徳――犯罪の対極としての道徳は、個々の人々が
個々を自主的に律することこそを求めるから。
犯罪的でない世界――全体が道徳的である世界とは、
躍起になって司ろうとする何か自体が存在しない世界のこと。
司どらず、司られぬところにこそ道徳上の真の理想はある。
犯罪の下にでないのはもちろん、道徳の下にですらない。
〜の下にあらぬことこそを実現するための道徳。
自由や独立を履き違えぬための道徳。
大局が、道徳律か犯罪律のどちらかを選択するに限って、次がある。
綱引きの終わり。運動会の終わり。もちろん勝敗も踏まえた上での。
道徳が犯罪に。誠意が寓意に。
振り下ろされたものが積み上げられたものに。10000:3333
工学部まだいたの。
もう何年経つ?
何千、何万もの言葉を使っててもまだこのスレ意外、
まり子のハートまでは私物化出来てないようだな。
でもマリ子のイメージダウンには貢献してるよ。
実際ファンがここを見なくなったからな。
熱弁や冷弁が温弁や涼弁に、積極的強弁が消極的弱弁に、
論文は文芸に文芸は雑文に、文章は文字に文字は文様に、
あらゆる文化文明が退化幼稚化胎児化細胞化、
受精以前精卵帰巣状態にまで還ってやり直す。
終わりは始まりであり始まりは終わりである。
終わりの始まりや始まりの終わりではなく。
連鎖の断絶や断絶の連鎖が、連鎖の連鎖や断絶の断絶に移行する。
…□×□×□×□×□×□×□×□×…
…++++++++++++++++…
…×●×●×●×●×●×●×●×●…(←位相を一つだけずらす)
↓
…□×□×□×□×□×□×□×□×…
…++++++++++++++++…
…●×●×●×●×●×●×●×●×…
□=ワシ、●=マリ子、×=すれ違い因子、
□+×=イギリス国旗、×+●=通行止め、 ←この行最悪(/_T)
□+●=日章旗、×+×=お米(ごはん)。 ←この行最高(^_-)-☆
>>845 責任は感じてるよ。
逆ストーキング受けてるのを踏まえた上でも。
鮭が、繁殖目的で川を上り始めました。相手も見付かって、
そこは何とかなりそう。でも川自体が想像よりもずっと汚染されてた。
今ここで産卵しても稚魚が生き残れる可能性はほとんどない。
かといって今さら川を下って別の川を選ぶ余力も残されてない。
仕方がないので、遡上を続ける。本当にあるともないともしれない、
またあったとしてもそこまで実際にたどり着けるとも知れない、
上流に残されているかもしれない清流を目指して。徳の川の。
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 08:40:56 ID:7K26tKJl0
責任感じてるならさっさと長文やめろや糞ニート
>>848 やめるやめないは別として、
少なくとも貴様の態度はやめさせようとする態度ではない。
行う、行わない、行わせないの内の行わせないではない。
道徳者ではないという意味での犯罪者であると共に、
誠意でないという意味での寓意にあたる。工夫参究すべし。
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 13:54:45 ID:0zHcc+tR0
エニアグラムで言うと、脇見率が高いのは順に
4、2、1、6、5、あたりだろう
特に4はほとんど例外なく脇見症状が非常に強い
1は神経質な人が多いのが最大の理由
2は振れ幅が大きいが、基本的に他人を常に意識しているので
脇見率はやはり高い
6、5あたりは個体差が大きく精神状態にも左右される
4並に強い5も多い
逆に脇見率が極端に低いのは3と8
3は意外と思うかもしれないが、感情中枢を操れないため
他人によく見られたいが他人を意識できないという矛盾の中にいる
8に関しては言わずもがな単細胞なので他人を気にしない人が多い
9は基本的に脇見率は低いだろう
6と同様に個体差が大きい
最も脇見から遠い人も9に多い
面白いのは7だ
感情中枢から遠いので脇見率は全体的には低い
しかしw6の人は意外と脇見が強いと思う
7はてんでバラバラで掴み所がないので一概に答えが出せない
ちなみにマリ子のタイプは4
自意識過剰の4は黒目が両端に寄っている事が多い
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/04(金) 13:59:10 ID:7K26tKJl0
はぁ?何いってんのオマエ
スレと関係ない長文書いて”荒らしてる”のはお前なんだよ
なんで丁寧語で懇願しなきゃいけねーんだ 馬鹿かお前
”荒らしてる”ことに気付けよ糞の役にも立たないニート早く消えろ
やめさせようとする態度=丁寧語で懇願ではないよ。
かといってそうやって罵倒するのも、もちろん違う。
罵倒は刑務的で、懇願は教誨的、
一見道徳的に見えるものの、実は犯罪に準ずる。
犯罪に存在性を依存しているという点で。
犯罪に準じすらしない、存在性を依存しないことだ。
そのためには刑務的や教誨的ですらあらないこと。
「おまえはいらない」の積極的実践は、言及上の
罵倒や懇願のさらに上をいかなければならない。
無理ならば、力不足なだけだ。己の至らなさこそを厭え。
他人に自分の責任までもなすりつけないことだ。
攻撃を極力控え、防御に徹して実力を溜め込む浄土宗、
攻撃と防御の均衡を保って、実践的実力の研鑽に励む禅宗、
実力不足ではあるものの、防御を捨てて攻撃に特化した日蓮宗、
それらのどれもが、言葉の工夫は違えど同じように唱えてること。
(以下、源信と道元と日蓮が三人で合唱してるものと考えよ)
「厭離穢土」「諸悪莫作」「破邪」はもちろんあるのである。
しかしそれらはあくまで“しごく当然のこととして”である。
言及にてこずるまでもなく、当然に叶えられてそれから後に
「欣求浄土」「修善奉行」「顕正」が打ち立てられるのだ。
それも、厭離穢土や諸悪莫作や破邪と同格かそれ以上として、
東洋流の永遠平和*を実現する欣求浄土と修善奉行と顕正。 * 寓意ではなく誠意に基づく。
厭離穢土 欣求浄土 諸悪莫作 修善奉行 破邪顕正
(合唱ここまで。ありがとうございました)
純粋頂点犯罪の完全否定と純粋頂点道徳の完全肯定。
ピラミッドのキャップストーンに振り下ろされる刃体を
極限硬度まで焼き入れる鍛冶屋さんだったのだ。お坊さん方は。
「道徳を前提にお付き合いはできません」ごもっともです。
「犯罪を前提にお付き合いはできません」全く同じことです。
道徳律の頂点や犯罪律の頂点としては、
僕も貴女も「俳優」の部類なはずです。
もっと本格的で主体的な人間は他にいる、というよりもいた。
道徳側には家康あたりが、犯罪側にはエリザベスあたりが。
彼らのカルマをすべて背負って生きていくのは僭越だし、
まったくその必要もない。僕は僕、貴女は貴女、
自分たちにもまた本格的で主体的な人生があるんだ。
場合によっては、本格的主体性で家康や
エリザベスを抜き去ることだってあり得るんだ。
現時点での極限道徳としての腹黒化狸。
現時点での極限犯罪としての鋼鉄処女。
改善の余地はいくらでもあるはず。お互いに。
ピラミッドのキャップストーンはエリザベスから貴女にすげ替えられ、
破邪顕正の大剣は刃が鈍されることによって家康から僕に替えられる。
それぞれに、行き過ぎた正当性や不当性の代替としての、妥当性としての
役割を担う。正面衝突(絶倫王VS処女王)では殲滅戦が必至なところを、
絶倫や処女にはあまりこだわり過ぎない代理人として落ち合う。
本格的主体的代理人(ヤマトタケルやヘルメスみたいな)として。
>>854はたぶん、核心を衝くという意味では決定打だと思うが、
やっぱり訂正の余地があった。上から20行目の「〜正当性や不当性の〜」は
「〜不当性や正当性の〜」に入れ替えたほうがいい。この言及の直前に
エリザベス→家康の順での言及があるので。不当性→正当性に。
この程度の語弊は、今までいちいち訂正してこなかったが、
ただ、改善の余地はまだまだあるという、市販品扱いされるにしても
少なくともここまでは未熟であるというメルクマール代わりに。
--------ここまで未熟-------
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 00:42:06 ID:VXFi8/WH0
10年はあっというまだ。10年を一つのピースとすれば、
10ピース分が100年。100ピース分が1000年。200ピース分が2000年。
随分と歴史は短いな。
恐竜が存在していたと、科学的な「解釈」によって、
恐竜というものがいたと一般的に「解釈」されているわけだが
(これが科学的な”証明”というやつだろうがね。)
恐竜というなんかしらの生物がいたと仮定すればだな、
それ以前に人間がいて、今以上に文明を発達させていたかもしれないというのも
想像してもわるいわけであるまい。
ニーチェの言うとおり、人間は生成してきたわけで、
今いる人間が、今のように考える人間がずっと存在するということは
ありえない。よっていつか、これまで人々を感化してきた文学やら哲学やらも
まったく相手にされないような、それどころか、そんなものまで存在していたことも
忘れるようなそういう人類形態がくるのかもしれない。
数千年の彼方にまで響く(ツァラトゥストラ)と豪語したニーチェもこのことは了承していたと
勝手に推測している。
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 00:54:27 ID:VXFi8/WH0
1.スピーカーだけは美音捏造であるべきだ。
2.アンプは増幅ケーブルであるべきだ。アンプに味付けなど不要。
近年のデジタルアンプ賛美論はここからくるのだろう。
3.CDはその意味で、デジタル信号純粋再生機であるべきだ。
この3つの条件がそろえば、スピーカーの試聴だけで済むのに。
総合的に言えば、オーディオファンの多くは美音再生派ではなかろうか、と思われる。
彼らの主張は、「オーディオは最後の楽器だ」である。
たとえば、気に入ったヴォーカリストがいたとする。
しかし、最後の一音が足りない。そんなとき、自分で組んだシステムが
その「最後の一線」を超えてくれたとしたら・・・
我々が求めているのは「原音」ではない。
耳の中にある、ある種の「イメージ」なのだ。
そしてそれは、CDの原音と必ずしも同じである必要はない。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 01:24:40 ID:VXFi8/WH0
科学的に見れば、ヒトの肉を喰っても、なにも変わったことはない、
ただ、肉を喰っただけの話。
倫理的に見れば、ルール違反だろう。
非科学的な、素朴な見方では、
他人を食すことで、
その他人の優れた点を取り入れられると捉えることがある。
それは、別に特殊なことではない。
綺麗な容姿の他人、頭脳明晰な他人を喰うことで、
その優秀さを、自分に取り込むという見方がある。
さらにその実行には、
征服欲や、性欲の働きが関わってくる。
ヒトは、何に快楽を感じるかなど、後天的に付けられる。
例えば、
女子高生のイメージばかりで、マスターベーションし続ければ、
女子高生は性的な快楽の対象に、強く対応づけられる。
そんなもんだ。
優秀な人を喰うイメージと、性的な快楽を結びつけることなど、
すぐにできる。
それが、偶然に起こってしまい、
正のフィードバックが働き、優れたヒトを食うことと性的な快楽が増幅され、
実際に実行してしまうことは、それほど変わったことではない。
そんなもんさ。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/05(土) 04:47:27 ID:XmrhYFZZ0
高橋マリ子のイメージダウンに確実に貢献してるね、キミ
そんなに貢献的かい? 2chは
>>856-858 原音→美音(イメージ)
(実際に)肉を喰う→人の肉を喰う→優秀な人を喰う
(食欲)→征服欲、性欲→女子高生で自慰
寓意→正的なフィードバック
犯罪→倫理的ルール違反
普遍的な連想→不当性の正当化→責任の中空処理
寓意とか犯罪とかの原則中の原則まで
言葉を飾る=寓意的表現によって正当化しようとする。
やってることは何一つ変わっていない。犯罪原理だ。
目を逸らさぬことだ。言葉を飾るな。
中空処理の中心、不当性の極致、寓意の趣き、全て犯罪だ。
瑣末な犯罪ではなく、原理としての犯罪。
統括者が罪を犯すのではなく、犯罪こそが統括者である。
罪を犯しているつもりで、罪に犯させられていた。
奴隷の主人はいつでも犯罪の奴隷だったのだ。
まさに奴隷の主人であろうとすることによってこそ。
犯罪精神、犯罪真理、犯罪と言う名の神、聖書の神。
超越神格の多元性を許した時点でつとに本性が露わになる。
多神教(ギリシャ神話含む)で決して語られることのない所以。
聖書が、ある種の普遍的な真理を語っているのは事実だ。
それも、かなり純粋で頂点的なかたちで――犯罪の真理を。
おおよそ文化文明が犯罪的な方向性(犯罪律)によって
仕立て上げられれば、ある程度は聖書的な様相を呈する。
たとえ超古代文明や地球外文明などでも(あったとして)。
日本のような、聖書からはるか離れた世界であっても同じ。
物事が一切聖書的でないというのは、一切罪を犯さないということ。
日本にだってヤクザもあれば軍もあるし、少年犯罪だってある。
だからって日本が「聖書の国」だなんて決め付けるのは、変だ。
むしろ聖書的であることを誠心誠意控えようとした側だ。道徳的に。
縄文時代も平安時代も江戸時代も、犯罪律の反対としての道徳律が
本格的主体的な規模を持ちうることの歴史的サンプルであるといえる。
文化文明が道徳的な方向性によって仕立て上げられることの極致だ。
超古代文明や地球外文明などを探らずともちゃんとあるのだ。それは。
自分がやること、自分がやるべきこと、自分にしかできないことを、突き詰めてみる。
小説や映画や漫画やアニメは、楽しんではきたが作るほうとしてはそれほどでも。
権威は陛下が、教理は仏門が、実務は都知事あたりが今のところ代表してくれてる。
そこらへんに関与することを決して否定するものではないが、もっと原則的な意味での
自分の仕事を実定してみる。(まさか、若者のファッションにケチ付けるだけで
終わりなんてこともあるまいから)
文化と文明がある。それぞれが不可分な関係にありながら明確に違う。
純粋な情報としての価値がより高い文明が文化であり、
純粋な力学としての価値がより高い文化が文明である。
情報寄りの文化、力学寄りの文明という差異はありながらも、
あくまで文化と文明は不可分であり、情報と力学の連絡を無視しては
ならないというのなら、より文化性の高い言及であってもある程度は
文明に対する態度を示しておく必要がある。
文化は金で量れないが、文明は金で量れる。
金で量れないものが文化であり、金で量れるものが文明であるというのは原則である。
だから、あえて金で示すことにしよう。
最低レートは、1000兆円から。
今まで犯罪律に則っていた1000兆円まるまる道徳律のほうに鞍替え。
最低で1000兆円。しかも1000兆円が始まり中の始まりでしかない。
もちろん2000兆円でも3000兆円でも結構。3000兆円もあれば
アメリカ一国動かせる。世界を我が物顔してるあの国が根本から替わる。
日本を51番目の州にしようとしてた連中が、日本の44番目から93番目の県に。
道徳的にみればそうなる。新入りは最後尾から始めなさいってのも原則です。
文明的には、そうだってこと。
文化のほうの最低レートは、100円でも10円でも、−1000兆円でも。
そこら辺の原則に基づいて行われるべきなのが、自分の実定的な個々の仕事だってこと。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 07:42:58 ID:cpTcloI40
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
最悪世界での最悪イメージが、最高世界での最高イメージに覆りまさあね。
苦い苦いお薬が、実は不老長寿の薬(遅効性)でしたってとこ。
□+●、□+●、□+●、□+●、□+●、□+●、□+●、□+●、・・・
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 15:11:12 ID:cpTcloI40
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
初めて飼った犬、初めて飼った兎、初めて飼ったハムスター・・・
飼い始めたのは俺じゃない。いっつも妹だった。
でも実際の死に立ち会う――死体を見るのはいっつも俺ばっかりだ。
毛並みが汗ばんで、目ヤニやら出血やらで汚れて、
ゴムのように硬くなって、すりガラスのビー玉みたいな目ん玉になる。
生きてる姿をずっと見てきた相手が、まずそうなるんだ。
腐ってうじが湧いて、白骨化するのなんてまだずっと後。
健全な肉や皮や毛や目玉が、一瞬にして単なるモノと化す。
その瞬間こそが、本当の死だってこと。
決して女子供に見せられたもんじゃない。
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 20:25:30 ID:cpTcloI40
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
犬が死ぬのを犬死にと扱うのは正当であり、誠意的であり、道徳。
人間に犬死にを強要するのは不当であり、寓意的であり、犯罪。
道徳的誠意的正当性
>>867 犯罪的寓意的不当性
>>868 道徳的誠意的正当性
>>869 犯罪的寓意的不当性
>>870 道徳的誠意的正当性
>>871
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 21:36:35 ID:cpTcloI40
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 22:48:07 ID:Qzcf80Ms0
期待に裏切られ、挫折感と追放感、また根底にある死に対する恐怖が現れる。
これらに基づいて、怒りが現れる。
怒りは自己を守るための破壊的衝動である。
自殺もまた自己を守るためになされる。
それは自己の危険回避による肉体の破壊である。
結果どうなるかわからないが、
自殺自体は自己の破壊にはならないのだ。
自己は自殺によって、自己を傷つけてきたと信ぜられるこの世からともかく逃避するのである。
自分の力でどうにもならないことを
自分の力でどうにかなるものだと思い込んでることが
全ての不快感情の原因。
自分の力でどうにかなるのは己の意思のみ。
自分の体すら自分でどうにもならないのに
他人や物をどうにかできるなんて考えるから
それが思い通りにいかない場合怒ったり悲しんだりする。
足を折られても人事のようにしていたエピクテトスを見習うべし。
とにかく自分というのはこの世の中では不用だ。
またいわゆる個性はキャラを意味している。
人の世で生きること、これは自己の抑圧と不自由を要求し、自己の死を推進し推奨する。
無欲、無私、無我なる者を偉人、聖者として人々は崇める。
天才も自己に授けられはしない。
天もこの世も卑小なる自我に用はない。
そんな自我を愛する者は、そんな世に用はないのである。
そんな世に動乱がつきものなのは、
卑小なる自我の怒りのためだ。
動乱を防ぐためには滅私を奨励する傍ら、自殺をも奨励せねばならないはずである。
自殺を禁止するならば、滅私を強制することになり、
卑小なる自我の怒りは世の中にぶちまけられるのはやむを得ないのだから。
滅私を奨励するのを止めること愚かであろう。
これは天が奨励するところのものであるから。
天上天下唯我独尊――それだけだ。
はい、次。
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/06(日) 23:04:34 ID:Qzcf80Ms0
純粋に生理学的な欲求を除いて人間の欲望はすべて、自我の強化をめざす。
名誉欲にしても財産欲にいても、根底的には不安定な自我を少しでも強化しようとする動機から発している。
たとえば「権力欲の強い者とは、自我が不安定なのは自分の権力が弱すぎるからだ、それが及ばない
領域がまだあるからだと思っている者である。権力の不足を自我の不安定の原因と見るならば、
全世界をおのれの支配下に収めている全能の神にでもならぬかぎり、そのような原因はいくらでも見つかる。」
したがってどんな欲望にせよ欲望に最終的な満足はない。自我の決定的な安定はないのだから、欲望がめざす
ものを実現することは不可能でなのである。
3000兆円あれば済むことだ。何もかも。
京にも咳にも恒河沙にもはるか及ばない。
数の数え方を10の何乗だけで示そうとする怠惰こそが不安定の根源に他ならぬ。
アルファベットの組み合わせだけで全世界を掌握しようとするから至らない。
文明の重視の余り文化を軽視した。
デジタルで量られすぎたアナログな諸物の復讐――諸物には素朴な我も含まれる。
しごく素朴な天上天下唯我独尊が。
そろそろ誰かレス削除依頼出そうよ。
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 01:04:14 ID:fsC1gFOVO
この人は例え話しとか上手いから語りべの才能があると思う。
ホスピスや老人施設の慰問で力を発揮するタイプ。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 02:47:22 ID:xhVMUiH30
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
>>879 陛下として? 殿下として? それともチャールズとして?
陛下なら、まあおk。殿下だと、今はまだちょっと危うい。
チャールズは妻殺し、いいかどうかは言うまでもない。
でも、妻や慰問相手を一番幸せにしてそうなのは
大作あたりだったりするから、皮肉なもんだ。
(↑? ↓?)
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 13:24:10 ID:xhVMUiH30
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
カップ数うpキター!!
別に大作でもいいーんじゃね? 罪もなく幸せなら。
イメージ最悪でも豚ジジイでも、個人資産1兆円でも。
幸福論や幸福抄がタレントの棚(元気著)に置いてあんのと
新興宗教の棚(大作著)に置いてあんのといかほど違うっちゅーねん?
そりゃあもっとちゃんとした宗教や学術のほうが真っ当に違わんが、
ちゃんとしたほうが「人の不幸の上に幸福を築く」ことを
偏に奨励しよっても、それでもちゃんとしたほうがええですか?
そもそも自国のお姫様謀殺してなにが嬉しいんですか?
分かりませんわ。ちゃんとした人らあの考えることなんて。
分からんで結構、大作で結構。まだマシって意味ではな。
884 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 20:19:34 ID:xhVMUiH30
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 20:22:30 ID:YHxsvU+B0
みんな幸せに。マリ子は美しく。
┌─┐
│ ↓
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 23:05:59 ID:Tw+2RQ0mO
色調補整してて気付いたが、アメリカもイギリスもオランダも
かなり暗い赤や青を使ってる。フランスやロシアのほうが明るい。
さらに青はフランスよりもロシアが明るくて、ギリシャはもっと。
フィンランドも暗い青。イスラエルは青ではなく水色だった。
日の丸は正式には紅。状況に応じて金赤。どちらも厳粛な赤。
正式なほうは恐れ多いので金赤と、ギリシャの明るめの青と、
菊花紋章やバチカンの黄色と、純白とでベスト・チョイス。
まさにトリコロール・カラーならぬマリコロール・カラー。
染め抜きの旗一枚で、>888の1も2も両方兼ねられるからくり。
作ってから初めて気付いた。一枚の旗が二つの旗となりうることに。
この世界の表裏もまた一体ということか。自分で勝手に納得。
┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐ ┌─┐
│ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ └─┘ ↓
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 08:45:01 ID:1C+Ighrx0
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
国家としての、赤白青トリコロール主義者=国際主義者にとっては
お役御免を言い渡されるも同然なので、むしろ反意的にすら映り得る。
国家主義と超国家主義の分別をちゃんと付ける者だけが、帰属を許される。
標語はズバリ、「罪もなく、他愛もなく、美味しいものを」
↑
┌──(貢献する対象を反転)──┘
├─────────────────────→ □+×
↑罪もなく、他愛もなく、美味しいごはんを――
│英語で言えば「Communion Without Crimoral」。
│
│「クライモラル(Crimoral)」は造語。
│「犯罪(crime)」と「寓意(moral)」を掛け合わせた和製英語。
│英製英語としてのモラルには、東洋人が容認できるレベルの
│道徳的誠意的正当性は始めから伴ってないから。
│
│和製英語自体を非難される言われはない。
│でも基本的な英語構文はネーティブでないから自信ない。
│(にもかかわらず敢行するのも含めてこその和製英語)
│「Communion Without〜」にもっと適切な訳があれば教えて。
│
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 21:16:28 ID:1C+Ighrx0
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
「Stand up for communion without crimoral.(←添削ヨロ)」
イギリス、英語人、英語の槍玉上げはとりあえず捨て置くとして、
諸悪の根源で、おそらく確信犯でもあるだろうユダヤとか色々。
ユダヤが、西洋精神の根源なんてことはない。
根源はやっぱりギリシャ・ローマだ。神話芸術および新約聖書だ。
新約聖書は、極めて不当で寓意的で犯罪的には違いないが、
一ついえるのは、新約聖書だけであればそれは犯罪精神の
中でも「被害者精神」に特化されているほうなわけ。
犯罪の被害者であることを寓意的に正当化する。
犯罪精神をピラミッドに例えるなら、被害者精神は下半分ってとこ。
キリスト教で言えば正教やカトリックなど。特に敬虔な部類の人々。
上半分の加害者精神は、また別にいる。プロテスタントの上級者、
そしてユダヤ。旧約聖書の解釈に特化した“やり手”な人々。
聖書精神をピラミッドに例えるなら、そういうことになるが、
別にそのピラミッドを正教会やバチカンが認めたわけでもない。
自分たちのほうが上であると思っていて――実際このピラミッドは
地上にせせり立っているというよりは、アリジゴクのように地中に
向かって掘り下げられているものと考えたほうが適当であり、
アリジゴクから抜け出せる可能性も正教やカトリックのほうが
ずっと高い。始めから地上にいる東洋人たちの手を借りることで。
じゃあユダヤやプロテスタントをどうするのかって・・・
助け出せるだけ助けてあとは埋め立てちゃいますか?
西洋精神としてみても亜流だし、東洋精神としては全くの偽者、
どこにも褒められたところのないちんかす精神の帝王ども。
金や力だけは有り余ってる超高性能うんこ製造ライン。
「△+▽」とか「□+×」とか ←┐
↑ ↑ │
┌─┴─────┴────┘
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/09(水) 11:06:08 ID:6Jtc/z/g0
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
>>894の後には10時間経っても書かず、
>>895の後には1時間もせずに書き込む
>>896。
やっぱり「救いのないレス」と「救いのあるレス」の見分けぐらいは付いてるってか。
この世界の下半分=聖書圏が機能的なヒエラルキーを築き上げてるのとは違って、
上半分=非聖書圏=大部分のアジア、東洋は単一のヒエラルキーとはなっていない。
ただ地上の、犯罪律とは関わりのない所で大して罪もなく、他愛もなく美味しいごはん
を食べていたにすぎない。多少の犯罪や刑罰や教誨も含む――ただしそれらが聖書
のような確固たる犯罪精神に律されてはいない――楽園とまでもいかない、地上世界。
しかしそういった、楚々とした地上の住人であることこそが「クライモラル」とは全く別個の
道徳的誠意的正当性の保持者であることの、最低にして最高の条件であるのであって、
いわばその地上に、天国とか地獄とかと自分たちで勝手に形容していた「犯罪界」から
聖書圏の人間たちが還っていくための最重要課題でもあるわけだ。
聖書圏のヒエラルキーをアリジゴクのような逆ピラミッドであると“適当に”捉えるなら、
アリジゴクの上=ピラミッドの下にいる人間であるほど救いがあって、逆なら逆である。
逆であり逆である連中、アリジゴクの下=ピラミッドの上にいる人間ほど救われるなんて
あまりにも無理がありすぎる話。そういった人間は、地上の住人に助けを求めるよりも
まず自分たちの上=ピラミッドの下にいる人間たちとの和解を果たすことこそを優先せよ。
下層構造の人間は、まず下層構造の中での最高位者、法王にこそ帰依し、服従し、犯罪を
刑罰や教誨で埋め合わせるマッチポンプを完全に済ませてから初めて、地上世界の住人、
中でも最高位なのは天皇だが、元からヒエラルキーの頂点に立とうとするような無理は
していない、みんなが天上天下唯我独尊な中で、特に偉いような人との謁見も許される。
下層構造の頂点(法王)から、地上世界の頂点(天皇)まではそんなに遠くない。
ただ、自分たちの問題は自分たちで片付けるという大前提こそが今の問題であるわけさ。
■
■■■
■
■
■
↑
┌┘
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/09(水) 16:54:05 ID:6Jtc/z/g0
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
前にはお坊さんとかも引き合いに出してたが、
正直迷惑だわな。仏門のほうにとって。
釈迦が生まれた瞬間――中坊でも小坊でもなく(学年でいえば)、
生まれた瞬間にすでに会得していた領域(天上天下唯我独尊)すらも
まるでブルー・ローズのような扱いをする。絶対的不可能性であると。
青いこと、バラであること、言うなれば精緻であることと麗女であることが
個別には可能であっても、同時には不可能であるというたとえ――まず、
青とバラを同化させようとする欲張りがあって、そこに不可能性を見出す。
不可能性以前に己の欲張りがあり、欲張りこそは不可能性の本性であると
ずっと気づかずに今に至る。天上天下唯我独尊を無垢に排除する欲張り。
ちなみにブルー・ローズは日本人研究者の手によって近年生成が成功した。
国旗に青も赤もあしらおうとして、不相応故に仕方なく群青や水色を施した
連中ではなく、始めから真の青のみを追い求めるが故に、国旗にも青系色を
あしらわずにいた国の人間こそがブルー・ローズの生成を可能にしたのは
特筆に価する。真の赤や真の青だけを追い求める知足の精神によってのみ
不可能も可能になるのだと。良いとこまで行ってるロシアも赤への知足が
足りないのでアウト。スラブ美女最高ですが、惜しくもサイナラですw。
↑
┌─────────┘(←この誘導かなり厳然。マリ子の宿敵w)
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/09(水) 20:22:08 ID:6Jtc/z/g0
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
よく、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教をアブラハム宗教三姉妹として
くくることがあるが、これは正しくない。なぜならイスラムは厳然な男系だから。
どうせ例えるなら、白人種を三姉妹に例えたほうがずっと適切。
長女のラテン系、次女のゲルマン系、三女のスラブ系。
(ユダヤは人種ではなく半自由参加なので含まれない)
長女のラテン系は、比較的堅実で性格もよく、結構な麗女。
文明のことはよく分からないが、文化は大好き。あと数学も意外とできたりする。
女性としての優雅さは一番備えてるし、昔は本当に一番中の一番だった。
一つとばして、三女のスラブ系。放埓で性格も悪く、太りやすくて老けやすいが
絶世の美女。文化はほとんど分からないが、文明の理想を追い求めていた。
彼女にとってはそれが共産主義だったが、うまくいかなくて失敗した。
そして問題のゲルマン系。性格最悪で、見た目もドブス。しかも性格の悪さや
ドブスを必死で隠そうとする。文化も文明も総取りしようとして、結局どちらも
蔑ろにする。ドスケベなくせに徹底的に男嫌いを装う。特にアングロサクソンが。
前に三人も兄弟姉妹がいれば一人はいらない子が出てくるみたく言ったが(>695)、
この中ではまさにゲルマン系がいらない子。三女も酷かったが、今はそれほどでも。
それなのにというか、だからこそというか、憎まれっ子世にはばかる。
文化も文明も本当は長女や三女のほうがずっと優秀で理想的なのに、
両方の威を借りてあたかも自分自身が世界の盟主であるかのごとく装う。
マリ子の父方はラテン系だし、マリ子もフランス好きなようだが、
長女なら長女として、何とか次女の横暴を抑えてやってくれないものか。
フランスみたいに(英米やドイツを)ただただ嫌がって目を背けるんじゃなくて
同種中の最長者として、せめて自分のほうが上であることをはっきりと示す。
自分の恋人や夫にチョッカイを出すのにもキッパリとした否を。
┌─┐
│ ↓(もう飽きた。反応無反応に関係なく書くことは書くし)
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/10(木) 03:09:15 ID:r7c7BYvL0
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
地球文化文明貢献率:
60 アメリカ
50 ユダヤ イギリス
40 日本 ギリシャ
33 中国 インド アラブ
30 ドイツ ロシア フランス イタリア
20 バチカン 東京
10 イスラエル(ユダヤ国) イングランドその他(個別のイギリス国)
5 ニューヨークその他(主要なアメリカ州)
1 皇室
・100分率で計算。100以上や0以下に意味はない。
・「貢献率」なので、>902の言うような負的な貢献も含まれる。
・文化(純粋言語)と文明(純粋資本)がほぼ1:1対応。
ギリシャやバチカンが小国極小国の割りに貢献率高いのは、
新約聖書の編集者だから。旧約聖書編集者のイスラエルよりずっと高い。
ユダヤやイギリスはただの国としては大したことないが、国際主義によって
ずいぶんと点数稼ぎをしてる。文化と文明の都合のいいとこ取りに長けている。
アメリカはでかく見えるが、基本50カ国の集まり。個別の州で考えれば
ニューヨークですら東京やバチカンの4分の1程度。国際連合があっても。
ギリシャバチカン以外の欧露の宗教や学術は、優秀ではあるが中途半端。
アジア教学は最優等だが、拡張型ではないのでこの比較ではあまり高くない。
日本の40は、アメリカやユダヤやイギリスの尻拭いさせられてきた功労。
足し合わせて100になるのが最も好ましい。100を超えてもその分だけ
差っ引かれると考えたがいい。例えばアメリカ60+ユダヤ50+イギリス50
=160は、100−(160−100)=40で、日本と大して変わらなくなる。
逆に、中国+インド+アラブ+皇室なんかは、それぞれは小さくても
33+33+33+1=100でピッタリいく。最も堅実な国家主義。
日本40+ドイツ30+イタリア30=100だと旧枢軸国。比較的良質でも至らない。
日本+フランス+ロシア=100なら両手に花だが、カカア天下まっしぐらさねw
アメリカ60+日本40でいいんじゃねえ?って、それは今やらされてること。
アメリカ一国に利益をほとんどぜんぶ吸い取られてる。ストーキングされて。
ユダヤ50+イギリス50の100が、現行の実質支配者。旧約聖書の実践+英語。
理想はやっぱり、日本40+ギリシャ40+バチカン20の100。日本語+新約の実践。
中国+インド+アラブ+皇室=100の、最も堅実な国家主義に独立対応する
最も堅実な超国家主義。米英ユやEU、スラブ諸国等をも教導するに値する。
┌─┐
│ ↓
優先順位としては、
1.健全な教学=中国+インド+アラブ+皇室の国家主義
2.教導=日本+ギリシャ+バチカンの超国家主義
3.不健全な教学=ユダヤ+イギリスの国際主義
中国とインドとアラブと日本皇室がまず、この世界で最高の
道徳的誠意的正当性の保持者としての自己を律する。
中国も共産主義やめて、インドもイギリスと手を切って、
アラブもユダヤの挑発に乗らない。それぞれの長所
(中国の道徳、インドの智慧、アラブの男系)を皇室と共に。
彼らが真価を発揮するのであれば、超国家主義ですらも
道を譲らなければならない。始めから犯罪律の外側にいる人々、
教導するまでもなく堅実に道徳的な国家主義者である人々に対しては。
じゃあ超国家主義者がどういった役割を担うのかって、
現行世界を支配している不健全な教学、犯罪律の代表としての
国際主義を、十分に牽制した上で、健全な教学、道徳律としての
国家主義をこの世界の真の王座に据えると共に、世界全体を
さほど外向的でない国家主義者たちに代わって教導する。摂政。
この世界の下半分のアリジゴクから人々を救い出す係長だ。
問題は、今まで日本にさんざんストーキング続けた挙句
完全に手切れをさせられるアメリカの仕置きだが、まず、
自分たちの足下、出身地を顧みる。国としてのユダヤやイギリス、
ずいぶんと荒廃し切っている。そこら辺の問題を先に片付けよ。
アメリカ+イスラエル+イングランド+スコットランド+ウェールズ
=60+10+10+10+10=100。国際主義の誘惑に囚われず
国家としての自分たちの問題をまず片付けること。みすぼらしい、
めんどくさいからって投げ出さずに、身の程をまずわきまえること。
┌─┐
│ ↓
聖書圏の国家主義=フランスとかロシアとかは文化文明的な女っぽさ、
女臭さを賞賛するんで、マリ子なんかには心地いいかも知れないが、
本質的に女系な国家主義には悪徳や馬鹿が蔓延するの見本でもある。
まあ、それにしたって、本質的に犯罪加害な国際主義に比べればマシだが。
アジアは男臭すぎる、仏露は女臭すぎる、間を取って日本とギリシャでってことで。
ケバブとブリーチーズをお供に東京の西麻布希大使館付近で地球連邦の立ち上げ。
┌─┐
│ ↓
906 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/10(木) 16:46:14 ID:r7c7BYvL0
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
あるべきものがあるべきところに、ないべきものがないべきところに
収まった結果、犯罪に結びつくものなんてどこにもないんだ。
聖書ですら、イスラエルやギリシャ・ローマの内側に収まっていた内は
さして犯罪的ではなかった。どんなに自己中心的、説教的であったとしても
それを自分たちの内側で律している内は迷惑ではない。しかしそれを一旦
過剰に強めようとした、空気中の二酸化炭素量を基準以上に増やそうとした
時点でおかしなことになった。
あるべきものをないべきところに、ないべきものをあるべきところに
ひけらかした結果、犯罪に結びつかないものなんてどこにもないんだ。
今で言えば、自分の隣にマリ子がいないことが、
あるべきものがあるべきところに、ないべきものがないべきところに
収まっていないという理由で、犯罪なんだ。のみならず、
あるべきものをないべきところに、ないべきものをあるべきところに
ひけらかそうとする素地もまだあるという理由で、二重に犯罪だ。
現状が必然的に、無垢に犯罪に結びついている、犯罪である。
瑣末に罪を滅ぼす、少しだけ犯罪を減らすというような、匹夫の勇、
婦人の仁の行使では何一つ替わることのない、大局中の大局の問題。
大局が替わることを、今ここで要求しているわけではない。
要求で替わるものよりも、自発的に替わるもののほうが無垢だから。
ただ、大局の代替にはそれなりの覚悟がいるのだと、訴えている。
また変わった、また変わった的な雷同的な変化を根本から否定する
意味合いが必要になる。そのための方向性は一通り示したと心得る。
あとは、替わるだけだ。“変”わるのではなく、“替”わるのだ。
Aを完全に捨ててBを総取りにするのだ。綱引きで寝返るのだ。
何が替わるか? 一人一人が。完全に独立して自由な一人一人が。
言い換えるなら、不完全に従属して不自由な二三人二三人がだ。
要はアメリカ人、アメリカ的な人間のことだ。自由や独立の言及
によって不自由や従属を無垢に強制されてきた人間が、本当の
自由や独立を無垢に得る瞬間。
その瞬間、ユダヤ人が全財産を喜捨して、イギリス人が刑罰と教誨を
受け入れたとしても、俺たち(オイラやマリ子)には何の関係もない話だ。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/10(木) 19:39:24 ID:r7c7BYvL0
↑この人はスレの過疎化とマリ子のイメージダウンに貢献しています
喜捨も刑罰も教誨も――言葉にしてしまえば何のことない既存概念だ。
しかしそれらをこの世界の支配者たちが甘受するとなれば別だ。
それなりの気概がいる。そしてその気概の集約こそが助けられている。
凄いことのように思うかもしれないが、こちらにとっちゃ何にも凄くない。
ただ、早くアリジゴクの掘り下げを終わらせよう、マッチポンプを
終わらせてもらおうとしてるだけのこと。本来いらないような。
天国(天上)と地獄(地下)と煉獄(天下、地上)を論じていたつもりが
実は偏に地中の問題――犯罪の問題だけを論じていたに過ぎなかった。
>>895上側のリンク先の図でいえば、A'B'が地平線だと思っていたのが
実はABこそが地平線だった。犯罪被害と犯罪加害の境ではなく、犯罪被害の
上底辺こそが真っ当な人間にとっての最低限の地上であったということ。
想像の二倍以上の深さを持っていた――大きさで言えば四倍以上だったアリジゴク。
ダンテも地獄をすり鉢上に例えたことはあったが、まさか聖書圏全体が犯罪律と
言う名の、無垢に自己完結なアリジゴクだったと少しでも予想していただろうか?
罪に犯させられていた――これが全てだろう。初出もどうやら
>>862のよう。
グーグルで↑当該文を検索すれば今もうすでに最上位にこのスレッドが来るし、
完全一致検索(""で括る)でもまだこのスレだけしかヒットしない。現時点では。
分からずにやっていたこととして、こちら側としては基本捨て置くことにするから、
とにかく自分たちの問題は自分たちで片付ける(
>>897)ことに専念するように。
(言及内容の重複が目立ち出した。それだけ成熟したとも言えるし、
終わりが近いとも言える。嬉しいような悲しいようなどうでもいいような)
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 00:29:24 ID:0VmmHoSW0
↑スレ違いの話題を続けるこのキティ飼いを通報しましょう
現時点では、まさに無垢に不当で寓意的で犯罪的な言動しか行えないんだ。おまえらは。
ちょっとだけ正当で誠意的で道徳的な言動を行ってみたからって、なにも替わらない。
マリ子も寄こさないで、なんで何かが替わりうるってんだ。
原則から替わる第一歩は、最低でその辺だ。あくまでも最低で。そこからの生活こそが、
俺らにとっての始まりの始まりであり、おまえらにとっての終わりの終わりになるんだって。
あくまで全ては要求ではなく提示だ。改悛材料の。
応じて替わるのではなく、自ら替わる無垢の保全。
無垢は犯罪の無垢にもなれば、道徳の無垢にもなりうる。
悪いのはあくまで犯罪であって、無垢であることではない。
今までどおり無垢に。その代わり犯罪から道徳に。
方向性だけ覆って大きさの変わらないベクトルに。
生成の無垢が犯罪の無垢なら、道徳の無垢は消滅の無垢かな?
無垢に消えよう、滅びましょう。まさに生み成らしてきた者こそが。
死を基調にした生成よりも、
生を基調にした消滅こそを。
死が基調であることこそは犯罪であり、
生が基調であることこそは道徳だから。
生への積極性と死への消極性としての道徳。
死への積極性と生への消極性としての犯罪。
個体の生死をも超越した全体の流れ――戦争と平和をも司る。
戦争を志向する道徳もあれば平和を志向する道徳もあり、
平和を志向する犯罪もあれば戦争を志向する犯罪もある。
目先の戦争や平和に囚われぬ真の基調――戦争も平和をも司る犯罪が、
道徳に凌駕されて初めて、終わりが終わり始まりが始まるのだ。
戦争平和の終わりの終わりと、天下泰平の始まりの始まりが。
(戦争も平和も基本犯罪律用語であり、戦争には積極的な意味合いがあり、
平和には消極的な意味合いがある。道徳律用語で言えば、戦争は乱世であり、
平和は泰平である。乱世には消極的な意味合いがあり、泰平には積極的な
意味合いがある。従って、戦争や平和といった用語法――犯罪基調そのものを
道徳基調が凌駕する点で、戦争平和が終わり天下泰平が始まるというのである。)
人間性の極致はいつも道徳と犯罪である。
本格的主体的な道徳者(家康とか)や犯罪者(エリザベスとか)であろうとも、
極致としての道徳や犯罪そのものだったわけではなく、それぞれに道徳や犯罪を
人生の基調にしていただけであり、ある程度は道徳者であっても犯罪的だったり、
犯罪者であっても道徳的であったりしたわけだ。
問題は、道徳や犯罪に対して積極的か消極的かということ。
道徳に対して積極的な人間は犯罪に対して消極的であり、
犯罪に対して積極的な人間は道徳に対して消極的である。
前者が道徳律に則る(道徳者)ということであり、後者が犯罪律に則る(犯罪者)ということである。
道徳律に則った結果、幸福になることも不幸になることも長生きすることも早死にすることもあれば、
犯罪律に則った結果、不幸になることも幸福になることも早死にすることも長生きすることもある。
幸福にも不幸にも長生きにも早死ににも囚われず、ただ犯罪律ではなく道徳律を選ぶこと。
それがまあ、「天下」の人間だってこと。天上地上地下=天国煉獄地獄における煉獄として
の地上ではなく、天上天下地中=道徳教導犯罪における教導としての天下の人間である。
乱世(消極的戦争)穢土を自明に拝し、泰平(積極的平和)浄土を自明に築く天下の人間。
それにしたって――まず、天下と地上や、泰平と平和や、乱世と戦争の
根本的な区別も“語学的に”付かない連中が多いわけで――英語話者。
幸い漢字の分かる中国語話者のほうが英語話者よりも世界的に多い。
日本語との語彙のずれは結構あるだろうが、英語よりはマシだろう。
中共は信頼できないが、中国人の語学的な道徳理解力は期待できる。
質と量両面で既に、世界的に二番手以下であるという自覚を持ってほしい。
道徳言語(漢語や梵語など)に対する犯罪言語(アルファベット語など)、
取り回しの悪さと引き換えに道徳を保全してきた側と、
取り回しの良さと引き換えに犯罪を助長してきた側と。
仲良くできるかどうかは、日本語が吟味しますから。これからも。
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 20:02:06 ID:0VmmHoSW0
↑スレ違いの話題を続けるこのキティ飼いを通報しましょう
日本語と中国語の漢字用途の違い。
例えば「国字」ってあるね。日本オリジナルの漢字。
働くの「働」とか。
にんべん(イ)に動くで働く。中国ではただ「労動」と書く。
はたらくことにすら人間性を付与する日本人の徳性の現れ。
でも、意外と“働”けてる日本人って少ない。
「労動者」や「worker」としては必死で頑張ってるのに。
最低限“働”く要件である「自分の家族のため
(寓意的な家族、収益の象徴としての家族ではなく、
誠意的な家族、血統の象徴としての家族のため)」
ですら蔑ろにされがちで、離婚率の上昇や少子化も。
“働”く能力不足とかではなく、“働”くに値する仕事の絶無こそが事実。
ぜひ、働いてもらいたいし、働かせたいし、働きたいもんだ。
仕事すらあれば働ける。誰でも。“働”ける仕事すらあればね・・・
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 02:23:26 ID:4PA1PUH30
↑スレ違いの話題を続けるこのキティ飼いを通報しましょう
セックスは、女にとっては基本「傷口を広げる行為」である。処女であれ娼婦であれ。
男側の都合ではただ「やりたい」「楽しみ」の一心であっても、女側の都合ではそうもいかない。
純潔だの快楽だの以前の、生きることわりの形式としての問題がある。
女のことが分かるなんて大それたことは言わぬ。ただ、
考え過ぎず考えなさ過ぎぬ股間への配慮は持ちたいと思う。
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 08:49:51 ID:4PA1PUH30
↑スレ違いの話題を続けるこのキティ飼いを通報しましょう
ちがう。
女について語るのは、やっぱり変だ。
女は自分たちが言葉を覚える前から――言葉の生まれる前からすでにいたんだ。母として。
腹を借りてる側だ。問題はいかにして出ていくかだ。
出ていく以上は、「傷口を広げる」必要がある。
自明に犯罪的な行為。人類の原罪。林檎を食べることではなく傷口を広げることこそが。
自明に犯罪的であることを埋め合わせるに足るもの、それこそが道徳。
母が「産んでよかった」と心から感じ入ることこそが、道徳者である証。
今はまだ産まれてないんで、これまた大それたことは言えないが
人類の半々同士が犯され犯させられ合う罪を自分なりに埋め合わせる徳でありたいと思う。
罪を追いかけ、追い越し、さらに引き上げられる徳に。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 15:29:45 ID:4PA1PUH30
他人の迷惑を考えない自己中オナニー包茎野郎は早くしなねーかな
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 15:34:42 ID:zYAddxgq0
ここかいコリスccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccccc
>>926 オイラがいなくなるってこたあ、マリ子とくっつくってことだが、それでもいいんかい?
適当なのが「労動」や「work(Labour)」で、正当不当を確信してるのが「働く」かな?
道徳であれ犯罪であれ、人間性(イ)に律されてる動きであるという意味で。
もっとも、不当な側は、自分たちが正当だと誤信して働いてきたので、
正当不当がハッキリした時点で働くのは偏に、正当に働くことだけになる。
問題は、適当に労動(work)してきた人間をいかに正当に働かせるか。
適当に正当だった労動者(worker)には、正当性を確信させてより正当に働かせ、
適当に不当だった労動者(worker)にも、不当性を確信させてより正当に働かせる。
二つに一つ。適当に正当でも不当でもあったりなかったりすることはないから。
その辺の仕事が、自分たち(オイラやマリ子)にとっての正当な働きにもなる。
そのために話せることは、まだまだいくらでもあると思う。内務的にも外務的にも。
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 20:19:34 ID:4PA1PUH30
他人の迷惑を考えない自己中オナニー包茎野郎は早くしなねーかな
>>929 あんまり無駄にレス消費すると、次スレに議論が持ち越されるぜ。
適当に正当に労動(work)してきた代表が、大部分の日本人かな?
反対の、適当に不当に労動(work)してきた代表が、アメリカ人。
ユダヤ人やイギリス人は、不当を正当と誤信して働いてきた所がある。
こいつらはアメリカ人とは違って、“働かせる”対象としては不適。
仮に正当ににしても、“働いてもらう”必要がある。自発的に。
ユダヤ人やイギリス人らの説得が、特にオイラの仕事で、
アメリカ人らの教導が、特にマリ子の仕事になるかと。
ちょっとした分業。改悛させるしてもらう相手を択ぶ。
日本人やアジア人はそもそも、働くことを要求するべき相手ですらない。
ただ、自分たちが世界的に正当な側の人間であることに気付いてもらって、
今まで通りかそれ以上に、正当に働くことの模範として振る舞ってもらう。
そう考えると必然的に、自分たちの活“働”拠点は東京が最適ってことになる。
アジアと西洋を結ぶ、適当に正当に最適な立地点。正当性を確信すればなおよし。
精神的に向上心のないものを馬鹿にする側から、本当に精神的に向上心のあるものに。
世界のために日本が変わるぐらいなら、日本のために世界を変えるぐらいのつもりで。
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 21:02:46 ID:4PA1PUH30
自己中長文童貞ニート自殺しねえかな
>>ID:4PA1PUH30
おまえが気持ちよく別れの言葉を告げてくれれば消えてやる。
消えられないねぇ。
事態の収拾よりも大事な憎悪があるんだねぇ。
そこを改めなけりゃ、乱世の排除と泰平の構築も叶わない。
戦争への消極性と平和への積極性、誰しもが働ける要件。
一概に否定するよりは消極的に、
一概に肯定するよりは積極的に。
私は戦争家である、平和家である、身の程知らずにも程がある。
大家である高慢に溺れるよりは、己の至らなさ凡庸をわきまえて
戦争を遠ざけ、平和を目指していく程度の厳粛な務めを果たせ。
及ばざるは過ぎたるにまさるもの。常に伸び代のある人間であれ。
愛についても同じことがいえる。
私はあなたを愛してる、愛の大家である、
明らかに愛が蔑ろにされた瞬間にだけそれらの言及はある。
本当に愛してる瞬間、すでに言葉はない。
少なくとも強意的に愛が述べられてない。
愛を語るのではなく、語って愛するんだ。
構文が無垢に愛している。その時に愛してる。
漸近的に愛を語ってこそ、愛に完全一致する。
至らなさをわきまえた言及こそがあなたを本当に愛してるんだ。
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 04:50:50 ID:ICnhou2E0
自己中長文包茎ニートは負け組
D.アッシュの降谷、MEGUMIとデキ婚したね。
降谷はおっぱい星人みたいだから、マリ子には手を出してなかったんだろうな。。
>>936 おまえみたいなののいる世界で勝ち組になるぐらいなら負け組に甘んずるさ。
おまえみたいなののいない世界には勝ち組も負け組もないだろうが。
勝ち組も負け組もルサンチマン用語だから。犯罪律中の。
ID改変にこだわり過ぎなくていいから。
道徳律中で言えば、ルサンチマンは下克上だ。
野心たらたらだが、弱者根性的な卑しさはむしろ低い。
下克上中の下克上(本能寺の変)が成功した経歴があるからだろうが。
出る杭(信長)は打たれ、出る杭を打った槌(光秀)も除かれ、
出る杭を打った槌を除いた成り上がり(秀吉)も廃れ、
出る杭を打った槌を除いた成り上がりを廃れさせた狸(家康)こそが勝ち残った。
人間万事塞翁が馬。本当に理に適うのは、せいぜい功徳を積むことぐらい。
(功徳による真の勝ち残りは敗残《三成》を許さぬ。故に勝ち組も負け組もない)
信長も秀吉も家康もエリザベスより年下で、光秀だけが年上・・・面白いw
歴史の展開が最低限イギリスよりも先行していた証左。
(血統は関係ない。エリザベスも血統は護ってないから)
周回遅れとの競争(棟梁VS本朝)であっても勝っていた。
実は天下取りで一番偉かったのは光秀かもしれない。絶対なりたくないが。
(それにただエリザベスより年上ってだけなら信玄とか謙信とかいくらでも)
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 09:26:42 ID:ICnhou2E0
自己中無能長文包茎ニートは負け組
傷口(穴)が股間に集約されてるのは、むしろ神の情けと思ったがいい。
もしもわき腹や背中にあってみい? どんだけ不当なことになるか。
「あなたの指をここに持って来なさい。私の両手を見なさい。
あなたの手を持って来て、私のわき腹の中に突っ込んでみなさい。
信じないままでいるのではなく、信じるものになりなさい(ヨハネ20:27)」
原罪を目立たぬ場所(陰部)に追い遣ったことこそが、真に正当な神の所業だ。
正当な神を信じる素養も、不当な神ですら信じてきた者にこそあるのかも知れぬ。
自己中無能長文包茎ニートの負け組でもよろしければ
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 15:05:08 ID:ICnhou2E0
芸能人スレなんてマリ子以外見てもいない。
あのね、ちょっとだけすごいことに気づいたんだ。
信長と秀吉と家康の誕生日を足して3で割って、
さらに光秀の誕生日と足して2で割る。
信長は1533年4月6日、一つとばして家康は1543年1月31日、
秀吉は1536年2月2日説と1537年3月26日説があるんで、有力な後者を、
光秀は生年が1526年か1528年としか分かってないんで1528年を採る(あえて遅めに推定)。
{(1534年6月23日+1537年3月26日+1543年1月31日)÷3+1528年}÷2=1533年4月6日
エリザベスの誕生日が1533年9月7日。1533年9月7日−1533年4月6日=5ヶ月と1日。
閏年を完全に計算に入れてはいないし、秀吉や光秀の生年月日もあいまいだし、
これでも決してジャストではないんが、これほとんど、オイラとマリ子の誕生日差なんだ。
ウチの家系が佐幕派ってのも事実だが、家康があくまで信長や秀吉と共に天下統一を
果たしてきたのも分かる。でも、信長は凶暴すぎたり、秀吉はみすぼらしすぎたりして
どうしても好きになれない。秀吉の所業は家康自身が後始末したところがあるんでまだしも、
信長には、家康は妻も子供も殺させられる羽目になった断腸の経験を持つ。
そんで信長を討ち取った光秀の登場。第六天魔王に天誅を下した非業の武将。さすがに
信長秀吉家康には比肩できないので、最後に足して割る(これにはちょっと別の理由もある)。
そしたらエリザベスマリ子よりちょうど自分の分だけ年上にもなった。
安土桃山織豊時代――五七の桐――不甲斐ない日本の象徴に引導を渡す。
イギリス(エリザベス)の配下で尻拭いを続けてきた時代の終わり終わり。
桔梗の加護の下の三つ葉葵による、新しい時代の始まり始まり。
間違えた・・・月日を2で割ってない。正確には1533年2月3日。
でも、光秀が1528年1月1日生まれとも限らない。12月31日かもしれない。
仮に1528年12月31日として、(12月31日+4月6日)÷2=8月18日。
1533年8月18日。一番遅めに推定したとしても、エリザベスより年上です。
逆立ちしたって敵いません。わかりましたか? イギリスたん。
お年寄りは大切に。
947 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 19:56:50 ID:qsLKwvo00
非常に関連したことを言わせてもらいますと――今年は皇紀2668年です。
日本皇室の始まりから2668年です。それほど根拠はありません。
日本書紀の暦法から遡ってみたらそうなったんです。
対して、旧約聖書の最初期文書「創世記(林檎譚)」の成立年代は
バビロン捕囚期、一番古くて紀元前597年、今から2605年前です。
日本皇室とユダヤ(林檎教)の古さを比較するとなれば、そのへんになります。
でも、そもそも皇統の古さと古典文献の成立を比較することに無理があります。
皇統の系譜でしかない記紀の古さと古典文献である旧約聖書の古さを比べてもあまり意味がないし、
じゃあ日本の皇統とユダヤの王統を比較すればって、ユダヤに日本のような一貫した血統はない。
そもそも西暦自体が、聖書の記述に則っていて、記紀の暦法は中国の干支である。
>>945-946みたいな紀元後ならまだしも、紀元前の人事まで計るとなるとどうにも。
始めから同じ土俵で勝負していない。比較したり関連性を見つけたりする以前の問題。
にも関わらず古さを比べると言うのなら結局こうなるんだということ。2668年と2605年。
初期の天皇の寿命が異常に長かったり、疑わしい系譜もかなり盛り込まれてる(継体天皇とか)。
でもそれは旧約聖書初期の人間(アダムとか)の寿命の長さや、系譜のいかがわしさも同じこと。
旧約聖書の記述を定立しないなら、記紀の記述の信頼性も極めて低くなるが、もしもあえて
旧約聖書の記述を定立するなら、記紀の記述の信頼性も定立されて、すると自動的に
天皇家の成立が旧約聖書の成立よりも古くなる。歴史宗教的価値観の相対性理論。
歴史と宗教的価値観を混同するべきでないというのなら、それこそこっちは
縄文土器を出してきたっていいわけだ。古代エジプトよりも3倍近く古いことが確定している。
あえてそれをしないのは、あくまで歴史と宗教的価値観を同一視しようとするユダヤの
慣習に則っている。ユダヤ人に言わせれば、旧約聖書は3000年以上前に書かれただの、
ユダヤは5000年以上の歴史を持つだのってことになるが、それはそっち側の宗教的価値観
の問題。こっちから言わせてもらえば、血統も保全してないような宗教集団の出自を
宗教典籍の古さ以外で計るのなんて片腹痛いにも程がある、林檎譚成立の2605年前で上等。
対するこちらは皇統である。精一杯本当に保全してきた血統である。最低でも1500年程度、
最高で2668年男系の血統を護ってきたというのがこちら側の歴史宗教的価値である。
本質的に相対的な歴史宗教的価値観を普遍的な目で見ようとしても意味がない。
ただこちらはこちらの都合で、ユダヤを一番新しめに見て、日本を一番古めに見る。
そしたらユダヤよりも日本のほうが古かった。2668−2605=63年。それだけで十分。
五経やヴェーダ、アヴェスターなどには遠く及ばないどんぐりの背比べ。
重ね重ね、お年寄りは大切に。
>>948の内容、あまり個人的にはしっくりとこない。
というのも、全体の論調があくまで“相対性理論”だから。
大前提として、歴史と宗教的価値の混同がある。
人間が何百歳と生きたり、そもそも神に土をこねて造られたり、
そういった歴史宗教的価値観をユダヤのほうが勝手に抱いて、
その範疇で日本にケンカをふっかけてきて、その範疇で負けただけの話。
はっきり言えば、ユダヤの側の勝手な一人相撲。しかも勝手に負けてる。
日本の側から言えば、そもそもユダヤは相手にすべき対象ですらない。
犯罪律の火種(旧約聖書)なんかを相手にするよりは、アジアの先人たちの
道徳的偉業に目を向けて、さらなる高みを目指すことこそが肝心だ。
あと、ちょっとだけ西洋にも目を向ける。ただし、ユダヤではなく
ギリシャやローマに。ホメロスやプラトン、ユークリッドなどに。
聖書圏としたって新約聖書の正統、正教やカトリックのほうがまだマシ。
太平洋を横断する魅力に囚われて、一番救いのない連中(ユダヤやプロテスタント)
にひっかけられるのを警戒せねばならない。太平洋もダテに広くはないんだ。
マリ子もサンフランシスコからギリシャやバチカンに還って、イスラエルはいいんで
イランやインド、中国などを横断してそれから日本に来る。本当にしなくてもいいから
こころの中でだけでもそう意識して。地球連邦が看破する本当の世界の広さを知れ。
単なる面積や人口だけに囚われない、人類の文化文明の真の豊潤さをわきまえて。
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 07:47:19 ID:5sRlWtmC0
喜べ
削除依頼出してやったぞ
結局、この世界を本当に司ってんのはゾロアスター教(拝火教)なんだわ。
少なくとも今のところは。それ自体はむしろアジア(古代イラン)の所有物。
ただ、拝火教も最後は善が悪に勝利すると保障している。正当が不当に。
憎悪であれ聖賢であれ火種を絶やさず、結果としてルサンチマン≒下克上も
肯定し、行き着くところまで戦いを続けて初めて正当が不当に勝利すると、
あくまでアジアの側が予想している。聖賢や下克上が憎悪やルサンチマンに
勝利すると。未だに火は燃え続けている。時に聖賢として、時に憎悪として。
ttp://www.free-style.biz/book/img/honnoujinohen.jpg
だから、聖書圏やイスラムの用語で言えば、
これが「最後の審判」なんだろ?
全人類の正当不当、誠意寓意、道徳犯罪、聖賢憎悪を総動員した審判だ。
結果はもう出てる。聖書圏が不当性や寓意や犯罪律や憎悪の賜物であって、
非・聖書圏(イスラム含む)が正当性や誠意や道徳律や聖賢の賜物であると。
審判はもう済んだ。あとはその審判に則るだけだ。
言及するにせよ行為するにせよ動作するにせよ。
その中には、僭越ながらほんの少しだけ審判にも携わらせてもらった
自分自身も含まれる。本当にほんの少しだけ。審判材料は始めから
ほぼ揃っていたので、チョコチョコっと整理させてもらった。それだけのこと。
たぶん本当は、2chやインターネット自体そのような用途をある程度
踏まえた上で用意されたものだろうと思う。それに気付いたのもほんのこの頃。
ぜんぜん最初から審判しようだなんて考えてたわけじゃない。
ただマリ子が好きで、好き好き好き好き書いてただけだって。多少の喧嘩もありつつ。
著作権も版権も一切主張する気はない。全てひろゆき爺さんのものであって結構。
こんな重い話、自分でも売り出す気にはなれない。もうちょっと軽めのほうがいい。
いい加減“この件につきましては”誰かにバトンタッチさせていただきたいところです。
インターネット上の活用サイトは2chの他に
ウィキペディアやウェブ辞書、翻訳、各種画像掲示板など。
あともちろん検索エンジンも。
でもやっぱりネットだけじゃここまでは分からなかった。
たとえば、旧約聖書の成立年代が紀元前6世紀頃というのはウィキペディアで
調べたが、正確な年代まではわからないし、また間違ってる可能性もある。
それでまず、岩波訳聖書(旧約聖書T 律法 普通版ISBN:4-00-026181-9)
の解説から、創世記が最終的に現在の形に編纂されたのがバビロニア捕囚期以後
であることを調べた上で(770ページ参照)、一旦ウィキペディアでバビロン捕囚期の
年代(紀元前579年以降)を調べた後に、手持ちの世界史年表(河出書房新社)で
正しいことを確認した。やっぱりウィキペディアだけじゃ不安なところは結構あるから。
(だからって岩波等が完璧とも思ってない。広辞苑も案の定不評だし)
つまるところ、ネットの情報は最大級のみそくそなんだ。
正しい情報についても、間違った情報についても最大級。
(ウィキペディアとアンサイクロペディアの対比がいい例)
それらの中から正しい情報と間違った情報を区分けるのに本や論文を用いる。
最大級の情報に対する最大級の俯瞰がまさに最後の審判となる。
分かってる人間は分かってたはずだ。特にAlln'Allなアメリカ人は。そうなることを。
自分たちが不当で寓意的で犯罪加害的で憎悪的な側であるのはともかくとして。
出版すればいいやん? 電車男やケータイ小説みたく。
題名はズバリ「最後の審判」。著者名はマリアの子・イーサー・キリスト。
もう中編の本一冊分ぐらいは書いてるぜ。このスレだけでも。
他にもいろいろ書いてるから、捕捉代わりにでもすりゃいい。
どこに書いたかぐらいは教えるから。業務的に。
掲示板出版に関する利権は主張しない。
ただ、自分には自分の著作物がある。2,3冊ほど。ここでも引用した。
そっちもかなり内容が重いんで、署名出版はためらう。
筆名使ったりする便宜は望む。本業としての文筆もまた別に。
顔出しはもうちょっと考えたい。大した顔でもないが。
防犯上の都合があるんで。反応をよく見てからにしたい。
マリ子に責任はありません。特に“文責”については。
内容が厭わしいからってマリ子を怨まないで、俺を怨め。ポンポコポン。
>>954 紀元前579年じゃねえ。紀元前597年だ。
不正確な記述もあるさ。卑猥な記述や悲痛な記述も。
それらも含めて人間だっての。人間に還りましょう。働く人間に。
不当に働いてた人間や、適当に正当や不当に労動(work)してきた
人間が、みなみなすべて正当に働く方に向く。これぞ人間革命。
創価学会だけでなく、山岡荘八もまた望んでいたところ(「徳川家康」あとがき)。
おそらく神君家康や、道元禅師や、聖徳太子も今の時代に生きていたとすれば
それを望んだはず。聖賢が聖書を超えて人類の方向性を示しだす。聖道の確立。
坊さんだけでなく全ての人類が辿れる聖道が今そこにあるんだ。
埃にまみれていたのを掃き清めるのを少しだけ手伝わせてもらった。
箒(言葉)も精神も、自分の体すらも借り物。最大限に有効に使わせて
もらって、最後には返す。この世界を司る正当な神仏に。
それまで自分自身も歩かせてもらう聖道。
踏み外すことなく歩けるものなら、彼女とも共に。
957 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 13:44:07 ID:5sRlWtmC0
アンタ加藤容疑者と同じタイプだな
ムキになって自己破滅に陥るタイプ
削除依頼追加しておいたから
アク禁だなw
>>957 つまんないよ。
いま犯罪加害を積極的に、存在性を強調してるのは明らかにおまえだもん。
こっちは犯罪加害に対し、肯定するにしても否定するにしても消極的であるスタンス。
憎悪の火種――憎悪と犯罪加害、どっちが先かっつったら犯罪加害、
その犯罪加害の存在性を元から断ち切ることにこそ努める。
だからこそ言っている。「最後ぐらい後腐れなくお別れしませんか?」と。
非難に反発するでもなく、謝罪を要求するでも服従を強要するでもなく(当然だが)、
絶対に何も書くなとも書けとも命令するでなく、どうでしょうか?という意味で。
まだまだ書きたいことは一杯あるが、おおよそ「最後の審判」に該当するような
言及は一通り済ませたし、スレの終わりも近いんで、どうせなら次スレへの
自分自身の執着を断ち切る上でも、どうかお願いしますと。
でもできないわけだ。憎悪の火種を断ち切る気におまえらのほうがまだなれない。
一種の拝火教徒。いわばダルビッシュ有(日イランハーフ)のホモ達なわけだ。
イランはホモ厳禁だし(さすが男系)、自分だって同性との股間遊びなんぞ
ごめんこうむるが、ただ、友人としてであればダルビッシュは受け入れられる。
イランが正当なら拝火教も正当、不当を喝破する正当教義として十分納得がいく。
もちろんあっちの都合もあるし、こっちも野球ほとんど分からないし、性格も
知らないし(正直ワルそうw)、こんな概念的な文脈でわざわざ持ち出される
のもあっちにとって迷惑かも知れないが、もしも有名社会に出て、友人を作るなら、
少なくとも不特定多数のユダヤ人やイギリス人よりはダルビッシュのほうが候補に
あげやすい。それに、マリ子もこんなでっかい男(ダルビッシュ程ではないが)に
好き好き好き好き言われて、付き合いの全責任を背負わされるのも酷だろうから、
仮に出ていくにしても、マリ子以外との付き合いも受け入れられる範囲では
ちゃんと受け入れていくという意思表示も込めて、こんなことを言った。
全2ちゃんねらーを代表しろとは言わない。ただ個人的にであっていい。
全ての憎悪を断ち切れず、事後にまた非難的な書き込みがあったとしても、
ただ一つだけであろうとも、一人の人間の憎悪の火種が断ち切られたという
確信を持てるような書き込みがあれば、これ幸い。一つ消せれば、次も望める。
不当性ではなく正当性の、寓意ではなく誠意の、犯罪律ではなく道徳律の、
そして憎悪ではなく聖賢の連鎖を促す第一完了消化対象になってくれ。
ある種の宗教――仮面の宗教――犯罪律が己の不当性を隠す(正当化する)
ために被っていた宗教の仮面――それが聖書教(ユダヤ教、キリスト教)。
「仮面の告白」もまた、すでに用意されていた。林檎の正体も解っていた。
でもまだ何かある、仮面の内側に何らかの余剰的な価値があると希望的に
観測していたからこそ、仮面を被り続けた。実は単なる犯罪原理主義。
誰も解ってはいなかった。犯罪律はしょせん犯罪律でしかないということ。
“確信犯”など一人もいなかった。仮面を被っているつもりの仮面だった。
問題は、仮面自身の罪だ。罪に犯させられていた者どもの罪だ。
有罪か無罪か、執行猶予ありかなしか、恩赦ありかなしか、それとも死刑か。
知りません。警察も検察も裁判所も刑務所も死刑台もみんなあんたらのもんだ。
犯罪と刑罰と教誨という、犯罪律の体系的構築者の所有物だ。犯罪関連証拠品だ。
だからそういった、犯罪律への傍観者であることこそが自分の役割といえる。
傍観者として勝手なことを言わせてもらえば、犯罪律の仮面もきれいであれば
あるほどいい。(犯罪律の中では)さして罪もなく絵を描いたり彫刻したり
音楽やってたりしてた人たちのほうが近づきやすい、それは当然のこと。
でもそれが実際のところ、どす黒い既成の犯罪加害とも本質的に同一であると
分かっている。犯罪被害と犯罪加害、新約聖書と旧約聖書、正教やカトリックと
ユダヤやプロテスタントの表裏一体をよく知っている――にもかかわらず
それらすべて、少なくとも今の今までは犯罪律そのものであったことはない。
犯罪律に犯させられていた、犯罪律が被っていた仮面の側、いわばその犯罪律の
仮面の表側が犯罪被害であり、新約聖書であり、正教やカトリックであり、
裏側が犯罪加害であり、旧約聖書であり、ユダヤやプロテスタントだった。
仮面は仮面でしかない。仮面に犯罪律としての責任を問うても仕方がない。
ただ、これからは犯罪律の被る仮面ではなく、道徳律の被る仮面となるように。
のみならず、道徳律の“真面”とすらなるんだ。仮面としての罪滅ぼしにも。
今まで仮面としてのきれいさ美しさを磨いてきた理由もそこにこそあるはず。
仮面でしかないが故に、美しい仮面であったという自覚を。
美しい仮面として最大限に活用された先にこそ、内面まで美しい、
内外共に美しい真面となれるのだということを忘れずに。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 20:27:02 ID:5sRlWtmC0
また削除依頼出しておいたから
随時ログ保存してるんでどうでもいい。
そろそろこれも言っちゃうかな・・・?
精神病もまた、正当不当の混同=みそくそが原因だ。
正当なものと不当なもの、誠意的なものと寓意的なもの、
道徳律と犯罪律、聖賢と憎悪、つまり非聖書由来と聖書由来が
何の屈託もなく混在して、そこら中の文化文明となっているのが
人間に必然的なストレスを抱かせる。明らかに正当に働いている者や
不当に働いている者はともかく、適当に正当や不当に労動(work)
している者の内で、特に敏感な者が、正当性と不当性の一緒くたや、
不当性のなんの慎みもないひけらかしによる不恰好な記述造形を
本質的に犯罪寓意(クライモラル)であると本能的に感じ取って、
(反道徳でも悪徳でもなく)犯罪である恐ろしさにこそ怯えて
最悪の結果狂って、自殺したりする。
本来の東洋――正当性や誠意や道徳や聖賢が当たり前に
世の中を形作っていた世界に、精神病などは存在していなかった。
狂おうが自殺しようが関係ない。なぜなら狂ったり自殺したりすることの
医学的体系化もまた、不当な世界、特にユダヤ(フロイトとかデュルケーム)
やプロテスタント(ユングとか)の所業だから。連中が金稼ぎも兼ねて
精神病理を体系化することがこれまた無垢に、精神病を正当化した。
精神病理学の頒布こそが自明に精神病を誘発する。
顕在を言及するのではなく、言及こそが顕在を生む。
その中でも最もクリティカルなのが精神病だ。
犯すから罰する、病むから治す、いつだってマッチポンプだ。
しかも本当は罰するために犯させたり、治すために病まさせたりしている。
少なくとも聖書圏はそうだ。新約聖書よりも旧約聖書が古いのが何よりの証拠。
生産と消費の間で介在的に利殖して利殖して利殖して利殖して・・・
結局それは何だったのか、原油高の高騰も一体なんのためか?
全てはより盛大なマッチポンプのため。産ませて殺す人命稼働率の向上策。
行く手にあるのは唯一、犯罪律。
大量生産、物量投入、人海戦術、どんなに威力を示そうとも所詮犯罪の奴隷。
実地の犯罪加害や精神病が少数派に抑えられてるからって、見損なっちゃいけない。
この世界の半分近くかそれ以上を統括している連中こそが、犯罪律の虜であることは
むしろそれらの事実からは読み取りにくいことのほうだ。司法や精神科ですら
この世界の犯罪律側の人間である側面が大きいから。原則としての犯罪律が
この世界のあまりにも多くの部分を形作っている、だからどうだ?っことだ。
それらはすべて犯罪者側の問題だ。原則的な犯罪者である連中の。
犯罪でもいいと思うならやってしまう。駄目ならやめる。原則として。
すべては原則の問題。原則的であるときにこそどうすればいいかを考えるんだ。
原則として犯罪者でなければならない瞬間はあり得るか?
言及する以上、それはない。
言及するからこそ、あり得ないんだ。
逆に言えば、言及しなかったからこそ今まであったんだ。
「原則的な犯罪者」なるものが。
原則的に犯罪者であることを非・寓意的に正当化することはできない。
なぜなら、犯罪だから。例えば強姦で被害者を手なずけるような。
だからこそ「磔刑」だの「わき腹の傷口」だのとアレゴライズ(寓喩)してきた。
自分たちの欲望を満たすために他者の利権や精神性を侵害することを
原則として正当化するために寓意的な美辞麗句をこしらえた。
「言葉は神である」の倒立論理で、寓意であることすら隠蔽して美辞麗句として完結させる。
(「聖書」という書名自体、そういった言葉の価値の偏重を強く肯定する意味合いがある)
編纂者はともかく、享受者はそんなこと知らずに美辞麗句に心酔して奔走する。
もしかしたら編纂者自身ですら、美辞麗句であることこそが本質だと倒錯していた
かもしれない。原則はあくまで美辞麗句であって犯罪的であることは二の次であると。
でも、実際そうでない。
美辞麗句であることにも確実な意味合いがあって、それが犯罪寓意(クライモラル)だった。
動物ならともかく、言葉の分かる人間である以上、わきまえざるを得ない犯罪性がある。
言い逃れはできない。美辞麗句として理解していた以上、犯罪寓意としても理解できるのは
当然。美辞麗句として理解できるからこそ犯罪寓意としても理解できる。できないならできない。
どっちかしか理解できないなんてのは、皇統と旧約聖書の対比と同じで都合が良すぎる。
皇統が御伽噺なら旧約聖書も御伽噺、旧約聖書が史実なら皇統も史実。二つに一つ。
旧約聖書は認めて皇統は認めない、美辞麗句は認めて犯罪寓意は認めないって、
そうは問屋が卸さねえ。両方とも認めるか両方とも認めないかどっちかにしろってんだ。
原則として聖書に従うなら、こっちが原則として記紀に従うことにも逆らわない。
原則として美辞麗句を称えるなら、それらが原則として犯罪寓意であることも甘受する。
所詮は記紀や犯罪寓意の“顕在”に気付くまでだけの、夢物語であったということです。
まだまだ世の中気付いてない人は多いようですが。まだ言及“されて”ない人々が。
聖書と聖道――言葉は似てても全くの真逆。
片や犯罪的寓意的不当性を定立し、片や道徳的誠意的正当性を定立する。
見誤ってはいけないのは、「聖書」という書名自体がすでに寓意であること。
犯罪的寓意的不当性の書物である以上、明らかに「俗書」と読んだが正当。
でもそれじゃあ人気が出ないんで、ひっくり返して「聖書」にした。これである。
(まあ、これはあくまで日本語名としての話だが。bibleとかの由来までは知らん)
俗書に則るとすれば、それは「俗道」だ。まさに聖道の反対。
求道者でも「俗道者」、賢くても「俗賢」、霊魂は「俗霊」、大偉人は「大俗人」。
「聖○○」とか呼ばれていたものを「俗○○」と呼び替えただけで、ほとんどの言葉
の意味がなくなる。馬鹿にしたり、皮肉としても使えない妙ちくりんな言葉ばかり。
本来はそういったものに対し、聖性を寓意的に付与したからこそ不当になり、
憎悪を溜め込む犯罪律の教科書にもなった。
俗を、俗以上の何者でもないとわきまえられたなら、
むしろ俗は勝手に自分で萎縮するもんなんだ。恥ずかしくなって。
俗にあらかじめ聖性を付与する潜在的なブースター(聖書)があったからこそ、
今の世の中もここまで俗っぽくなった。ある程度はそれらのブーストされた俗が
不当であることを感じつつも、ほとんどの人間がそれらの俗のブースターの本性に
気付いていなかった。だからたらたらやってきたさ。今まで。
有益有害でも無益無害でも有益無害でもなく、無益有害であることが分かった
からこそ、なんとかなるって話。ブーストされた俗との腐れ縁を断ち切るいい機会だ。
聖すぎず俗すぎぬ、昔のような江戸に東京らが戻るのにも。
964 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 01:46:50 ID:q4G5DKIX0
500mリットルを、250mlのコップに2杯にそそぐ。
1=1+1
つまり1から2が生まれる。
別の概念が加わる域では数学の閉ざされた世界の法則は通用しない。
つまり1+1=2だと信じているものは閉じた世界でしか
物事を考えられない、知識だけを学んだ知的信者(科学万能主義)
ではないのか?
哲学者なら事象を疑え。この世は特定の見識だけでは閉じた世界を
考える結果になるが、実際的には開いた世界である。
極わずかな差があればバタフライ現象によって無限の差へと変化する。
三体問題以上が解けないのはこの多様性の根元が世界の本質だからだろう。
特定の閉ざされた世界では論理は通用するが、別次元の論理には通用
しない。アメリカの正義とイスラム主義の衝突のように。
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 05:14:08 ID:q4G5DKIX0
最近、「価値観が多様化してきた」 などという莫迦の言葉をよく聞く。
まず価値観というが、”価値”それ自体が元々相対的なものである。
たとえば私のお母さんは私にとって他の人間とは比べ物にならないほど重要であるが、
それは他の誰かにとっては沢山の人間のうちの一人に過ぎないだろう。
多くの人間は、「普遍的価値」、「客観的視点」というものを信じている。
しかしながら相対性理論よろしく、価値においても観測者たる主体と観測される客体
という一対一の関係の問題なのだ。
多くの場合、「客観的に見て私のお母さんは他の人間達と同じであり、私が母を重要視
するのは主観的過ぎて間違いである」と主張される。
しかし、その客観的視点そのものが”分類学上”という観測点なのであり、
もっと観測者を変えてしまえば我々人類など地球上でうごめく炭素でできた化学反応体、
文明などコケでしかない。
我々にとって空き缶はゴミでも、金属が少ない星の人にとっては宝であり、金でできた
星の人間にとっては金は石ころだ。
このように価値観は元々多様なのであり、観測する視点によってそれぞれ客体の価値は変わるのだ。
ところが、その多様な価値観を放置しておくと社会が混乱するので、唯一絶対の視点を作り上げ、
それによって価値を普遍化したものがある。
それが一神教だ。
そしてその一神教による普遍的価値から、善悪、倫理という共同幻想を作り上げたのである。
つまり生命操作に対する”倫理的”問題、いのちの尊厳、などというのは宗教の話なのだ。
宗教を入れないで考えるならば、生命操作に対して正しい間違いを述べられるようなものではない。
クマがクマのことしか考えて生きていないように、人間が人間のことだけを考えることも
論理的に否定できるものではない。
生命操作は、我々が社会的なルール、共同幻想、人類という集団としてそれをどうするか?
という主義の範疇なのだ。
自然尊重主義と、人間のことを第一に考えたいと思っている人間中心主義。
本当はこの違いでしかない。
しかしながら大概自然崇拝に近い自然尊重主義者たちは、自分たちが主義者であることに
すら気づいていないのが現状だろう。
>>964-965 リベラルはいいんだ。それ自体は。
問題はあなたみたいな本質的リベラリスト(自由の大家)の大部分が
なぜかユダヤ人やイギリス人みたいな犯罪加害原理主義者で
あるってことだ。
リベラルを“言及”できるような着想や認識の拡張(帰納)のために
すでに俗のブーストを必要とする。例えば旧約聖書によって。
(コーランはそうでもない。俗のブースターとしての価値があまりない)
世界中の有用金品を犯罪的に収奪して銀行や博物館に収めるような
貪欲さの背景にすでに俗のブーストがあり、そのために“ちゃんと”
宗教が使われてきた。宗教を道具として利用する。有用な側面だけを。
でもそれはあくまでも有用な側面だけを利用できる猶予があってこそ。
美辞麗句と不可分な犯罪寓意の存在性に気付かされるまでのこと。
「顕在を言及するのではなく、言及が顕在を生む」の原則が
美辞麗句としての場合だけでなく、犯罪寓意としての場合にも当てはまる。
道具としての宗教や学術を広範に理解してきた者であるからこそ
避けて通ってはいけない原則の問題がある。原則が犯罪であること。
目の前にあるものではなく、背後にあるもの。背後からおまえ自身を
突き動かしているものの犯罪性を言及によって顕在化した。
語れるなら理解できる。語れるからこそ理解できる犯罪性を。
語れる者同士の問題である。おまえと俺の。
何も語らない動物や自然や理科学法則自身の問題ではない。
言葉を理解した人間だからこそ問われる責任があるのだ。
いつまでもノーコメントじゃ通しきれない責任が。
キチガイが暴走状態してるな。。
リベラルの言及がすでにこの世界のほかの誰かのリベラルの収奪である。
精神病や自殺の言及がすでにこの世界のほかの誰かの精神病や自殺の、
犯罪の言及がすでにこの世界のほかの誰かの犯罪の誘発材料である。
言及そのものが犠牲(サクリファイス)を不可分に必要としている。
犠牲の結果言及するのではなく、言及こそが犠牲を求めているんだ。
にもかかわらず(犯罪を)言及する連中って、一体なんなのか?って、
明らかに犠牲の要求者なんだ。「人々が犠牲を要求している」のではなく
まさに今そこで犠牲の必要性を言及しているおまえこそが犠牲の要求者だ。
責任を自分以外の誰かに押し付けることによってのみ適う類の言及がある。
それこそが不当な言及であり、寓意的な言及であり、犯罪的な言及である。
言及の直前に今一度、その言及が犯罪的寓意的不当性の賜物ではないか
省みる配慮こそが必要とされている。
「俗」であることもまた、一二の宗教になりえたのだ。新旧約聖書信仰という。
俗でないから宗教ではなく、俗だからこそ宗教であるという段階があるのだ。
中国もインドもアラブも宗教的ではあるが俗ではない。多少は俗もあるが、
少なくとも宗教的であると同時に俗であることはない。俗でない宗教の信仰。
根本的に俗を肯定しない宗教。リベラルとか精神病とか自殺とか犯罪とか
語るまでもない、語った時点で俗を肯定してしまうと始めから解ってる宗教。
「俗であれ」「俗であるな」いずれであれ。積極的に俗を強調すること確かに
“俗教”である。“俗書教”である。体系的に正当化された俗物根性である。
本質的に新宿歌舞伎町であるからこそ、むしろ外面は新宿歌舞伎町である
ことを厭う。新宿歌舞伎町そのままでは取締りの対象になること必至だから。
取締りを巧妙に抜け出て人心を掌握した、新宿歌舞伎町教。林檎教傷口教。
本当に聖道を目指す人間は、聖であることと聖でないことについて語る。
俗道しか目指さない人間は、俗であることと俗でないことについて語る。
聖であることが俗でないとか、俗であることが聖でないとかまやかしだ。
聖俗の求道は「そうである」「そうでない」の両面において分裂している。
聖道を目指す時、聖書(本当は俗書)が反面教師以外のいかなる参考
にもなりえないことを知らねばならない。大学教授級であっても乳児園
からやり直さなければならないぐらいの覚悟が必要になる。マリ子でも
もし本当に聖書信仰者で少しでもあったならば、それぐらいの気持ちで。
少しでも「行ってあげる」であってはならない。
少しでも「行かせて頂く」でなければならない。
あなたがへりくだるのではなく、あなたが行くことがへりくだるのだ。
あなたにへりくだってもらわなければならないほどこっちも偉くはない。
ただ、「行くこと」が尊大化されるのを許せるほどこっちも卑しくはない。
行く以上は、行くに関連してへりくだる。
あらかじめ「行く」の犯罪性を「へりくだる」の道徳性で相殺する。
そこで初めて、こっちから声かける要件も辛うじて満たされる。
こっちだってそうだ。
少しでも「かけてあげる」であってはならない。
少しでも「かけさせて頂く」でなければならない。
あげるあげるから、頂く頂くへ。支配意識から互恵意識へ。
何かにかけて無駄な罪を重ねない配慮を。のみならず
不可避な原罪であっても、あたう限り粗相のないように。
どうぞよろしくお願いします。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 11:19:31 ID:5BdFCRDd0
削除依頼追加
そんなに自暴自棄にならなくてもいいんじゃないの
行動規範を述べてるだけです。
最大限に正当であり、最小限に不当である。
言及は大層でも、望んでる行動はただの日本人。
俗書との関連で遠回りし過ぎた結果がこれ。
俗書圏などでは「最後の審判」なんて
呼ばれたりもすることになるであろう、
ただの日本人の日本還り。
願わくば、ここに書いたようなこと(俗書批判)に予め関連しないように。
不当性の正当性による、寓意の誠意による、犯罪律の道徳律による、
憎悪の聖賢による、俗道の聖道による相殺。本当はなにもいらない。
言及や行為や動作が無垢に罪もなく他愛もないこと、これである。
壷に縄目文様入れるだけで満足してた1万年間(16000-6000年前)
が本当に主流な人類の文化文明だったのだと考え直してみるんだ。
縄文土器の壷に痰を溜め込んでただけのここ6000年だったと捉える。
するとあら不思議、何者にも囚われる必要なんかないことに気付く。
配慮を欠いた言及をともなわない、真の自由や独立や愛や平和が
壷の縄目文様にだけ織り込まれてる。それがすべて。without All'nAll
もうね、飽きた、世の中に。
不当に水増しされた仮構物だらけの文化文明に。
絶望したとか、不満だとか、倦怠とか
そんな大それたもんじゃなくて、ただ飽きた。
最大限正当であり、最小限不当であるよりは、
最低限正当であり、最低限不当でないのを目指すのが先か。
ただ、それにしたってもう、俗書(聖書)に則るという選択肢は、ない。
ここの書き込みを読んで理解した人。言及による犯罪寓意の顕在化を確認した人。
まだまだ少ないだろう。世間付き合いでどうしても俗書的なものに
接する必要性も多少はあるだろう。ただ、それにしたって お ま え はもうない。
そこのおまえ。これを読んでるおまえ、あなた、みなさん方。
俗書的なものをほんの少しでも正当化、肯定する人間が、
ここでの言及を十分に踏まえた上でまだ態度を変えないとすれば、それは妙ちくりんだ。
新宿歌舞伎町や二丁目を聖なるものとして讃える妙ちくりんな人々だ。
新宿歌舞伎町も二丁目もある。聖なるものも実際ある。
でも新宿歌舞伎町や二丁目を聖なるものとして崇めるとなると、ちょっと知らない。
言及によって顕在化された「新宿歌舞伎町や二丁目に聖性を与える傷口教や林檎教」。
信じられるものなら信じてください。椎名林檎でも新たな教祖様に据えて。
マリ子も「おまえ」の範疇だろう。少なくとも来る以上は。
で、正直なことを言わせてもらいますと、
椎名林檎を唯一絶対神として崇めるような
奇特な女性の面倒まで見させられるのは、ごめんこうむります。
せいぜい曲が好きとか、そのぐらいにしといてください。たぶん、
林檎さん自身もかなり身を削ってやってるところあると思うんで。
思うに、真のキリスト教って、聖書を捨てた処から初めて始まると思うんだ。
聖性を活字のみに与えたことが寓意なら、聖性を堅実にこそ与えるのが誠意だ。
寓意は犯罪律となり、誠意は道徳律となる。逆方向のベクトル同士で最大級の
綱引き競争をした結果、犯罪律が道徳律に負けることで初めて言及と行動
両面における聖性が確立される。聖賢による聖書の超克による聖道の確立。
そこに有意義を見出したのがコーカソイド(白人、インド人、アラブ人)で、
聖書(白系)と聖賢(インドアラブ)の勝負を先天性の道徳者であるモンゴロイドが審判する。
聖書自体、聖性にこだわるコーカソイド全体にとってのいち帰属物であり、
捨て鉢側は捨て鉢側として精一杯やるという上でのメルクマールだった。
とはいえ結局捨て鉢は捨て鉢、鉢を完全に捨てて初めて始めることができる。
捨てさせる、捨ててもらうのはこっちの仕事、本当に捨てるのはそっちの仕事。
精神性が根本的に受動性であるコーカソイドが聖書を自分で捨てるからこそ、意味がある。
「わかった、じゃあかえる(collectible understanding and changing)」
から「僭越ながら、替えさせて頂きます(英訳不能)」へ。
脳内言語が漢字を最優先できて初めて始まる「替わった私」。
「あんなに俗っぽかった私が、こんなに俗っぽくなくなっていきます!」
(俗書圏・白人圏の回心者、Aさんの言)
「始めから聖を目指していた私が、どんどん聖らしくなっていきます♪」
(聖賢圏・インド圏の求道者、Bさんの言)
「聖も俗も程ほどに、最低限の道徳に則って生きていきます・・・」
(道徳圏・日本圏の生活者、Cさんの言)
基本的道徳性を「1」であると捉えるなら、
−1<Aさん≦0、 0≦Bさん<1、 Cさん≒1(実は−1≦Cさん≦3)。
AさんとCさんは、自分たちが則ってた場所(1、−1)の見た感じ(絶対値)
が似てるんで、親和しやすいように思うが、実は絶対差分は2もある。
俗っぽかった人間(Aさん)が俗っぽくなくなることで得られるのは実は
聖性をわきまえていける立地点(0)でしかなく、そこからさらに
聖性の高みをBさんと共に目指して始めてCさん(1)にたどり着ける。
−1<AさんとBさん<1がコーカソイド、聖俗を司る人々。
Cさん≒1がモンゴロイド、道徳を司る人々。協働して得られる聖道(聖+道)。
Dさん(ネグロイド)が早く完了してくれるのを待っている。
−1〜1が−1〜3によって絶対的な1に掃き清められるのを。
半分俗書教徒・白人(Aさん)で、もう半分先天性道徳者(Cさん)であるマリ子と、
ほぼ完全に先天性道徳者(Cさん)であるおいらとが共に「1」になるためには、
マリ子自身が、先天性道徳者としての能力を最大限に発揮する必要がある。
(−1+3)÷2=1.
今までやってきたことは、俗書教徒(Aさん)として最大限俗っぽくなくなろうと
してた努力家のマリ子に、オイラがあたかも聖賢(Bさん)の初心者っぽく接してた。
Aさんの最努力=Bさんの開始点=0.
言及で聖俗を相殺した結果得られるのは結局「0」でしかない。
それは先天性道徳者であるオイラが、最大限先天性道徳者として能力発揮した
場合のハーフマリ子と基本的道徳性(1)に則って付き合う場合の参考にはならない。
“頂く頂く”の最大限の道徳精神(3)と、“あげるあげる”の犯罪精神(−1)を
足し合わせて基本的な道徳者(1)となるのは偏に、いまのマリ子自身の仕事。
犯罪律(−1)の関与者であるからこそ、最大限の道徳律(3)に則る必要がある。
最初から犯罪律の従者でないオイラ(1)とはまた別の問題。
やたら分かりにくい
>>981-982の議論を線分図で概略した。
ttp://lozenge.web.fc2.com/seizokudo.jpg オイラは基本1にいる。マリ子は半分1だがもう半分が
−1、そのまま足し合わせても1+(−1)で0になるだけ。
今までこっちが勝手に、それに合わせて0にしてきた。
マリ子が足し合わせて1になるためには、1だった半分を
わざわざ3にまで持ち上げなきゃなんない。大変だが。
そしたら(−1+3)÷2でやっと1になれる公算。
先天性道徳者にとっては当たり前の世界。しかし
マリ子にとっては新しい世界。替わったあなたの。
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 01:00:43 ID:9EYduOfX0
宇宙=集合的無意識
原論はすでに、3000年以上前に出来上がったてたんだ。易経として。
幾何学としての原材料もピタゴラスやユークリッドが用意していた。
いわば易経と幾何学の厳密な共通項が、この世界の正体。
それを探り出すのに3000年以上もかかった。
時にはひどく俗悪な手口も用いて。
ただ、その「探り出す」という行為自体、ほぼ全て人間の中でだけ行われた。
いくら原爆が莫大なエネルギーを伴うからって、活火山や台風のエネルギー
には遠く及ばない。単純な技術力、精緻さであろうともどちらかといえば
鳥のほうが上。すべては大自然の内側でだけ行われたこと。
自然と意識、どっちが先にあったかつったら、明らかに自然が先。
何も語らない、何も定義しない、かといって語られたり定義されたり
したからといって何か変わるもんでもない。ただそうであり続ける(恁麼)。
語り語られ、定義し定義され、基本はすべて人間自身の問題。
やったらいいと思えばやればいい。やるべきでないと思えばやるな。
人間性の完全なる自律のみが真の神への帰依の道ともなる。
>>983の線分図の1から2は尊敬、2から3は謙譲だと思えばいい。
このへんがいわば儒教、論語とかそのあたりの範疇。
でも、尊敬や謙譲は本で読めば何とかなるってもんでもない。
実地の訓練がいる。論語読みの論語知らずにならないための。
あえて言わせてもらえば、韓国人とか関西人とか、そのあたりを見習え。
あれら自体は尊敬や謙譲の行き過ぎ、儒教的価値観の行き過ぎだが、
俗書的価値観、犯罪精神の行き過ぎな西洋人などが見習うには最適。
行き過ぎを反対方向の行き過ぎで釣り合わす。毒をもって毒を制すの論理。
これでマリ子も、やっと芸能界に戻れるね♪
上戸彩に、椎名林檎に、和田アキ子・・・
みんな尊敬&謙譲すべき先輩&友人だね♪
基本もう書かないから。
特にオイラと分かるようなのは。
ネット上でさよならとかあんまり意味ない。
でもまあ、とにかく、一旦落ちます。
ume
991 :
マリコ:2008/07/17(木) 09:41:44 ID:eNCsu7jD0
〃人 ヽ
|il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
|( )|
. | l |
. | | |
(_)__)
992 :
マリコ:2008/07/17(木) 11:48:51 ID:8j97/uZc0
〃人 ヽ
|il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
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993 :
マリコ:2008/07/17(木) 11:53:48 ID:8j97/uZc0
〃人 ヽ
|il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
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994 :
マリコ:2008/07/17(木) 12:15:48 ID:/68i+hhU0
〃人 ヽ
|il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
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995 :
マリコ:2008/07/17(木) 13:16:24 ID:/68i+hhU0
〃人 ヽ
|il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
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996 :
マリコ:2008/07/17(木) 14:13:42 ID:HpuRG13P0
〃人 ヽ
|il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
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997 :
マリコ:2008/07/17(木) 14:31:51 ID:HpuRG13P0
〃人 ヽ
|il|‘-‘)| < 私が埋めたげる
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1000 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 14:58:28 ID:vVK+Bogd0
〃人 ヽ
|il|‘-‘)| < 1000!
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1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。