☆Round 7 - Reggae好きなヤツ Hand ina di Air!

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466名無しチェケラッチョ♪
いい機会なので、コクソンとボブの比較をしてみます。

忘れてはならないのは、ボブも「タフ・ゴング」というレーベル、スタジオのオーナー、
また、プロデューサーであった事。
マーカス・ガーベイ・ドライブにあるタフ・ゴングは、スタジオ・ワンの数倍の敷地があります(元フェデラル)。
ホープ・ロードにある以前のタフ・ゴングは、現在ボブ・マーリー・ミュージアムになっています。

コクソンとボブのビジネス面での決定的な違いは、大メジャーとの関係ではないでしょうか。
ボブは、既にロック市場でも力を付けていたアイランド・レコードとタッグを組みました。
ミックスの手直しや、派手なギターを入れ、白人市場にも訴える作品に仕上げた事は、皆さん御存知と思います。
結果、強力な流通や宣伝をバックに、ボブの音楽は世界中に知られるようになりました。
これは、クリス・ブラックウェルの手腕にも大きく依ると考えます。

一方のコクソンは、晩年、および一部の例外を除くと、大メジャーとの関係は見当たりません。
70年代に、ユナイテッド・アーティスツから数タイトルのリリースがありましたが、
これも、他のプロデューサーの作品が混じった「レゲエ・アンソロジー」シリーズの一部に過ぎません。
アメリカでは、後にハートビートが提携を結びます。しかし、これも同レーベルがインディーズとして
誕生した頃からの付き合いで、クリス・ウィルソンとの個人的な関係が大でした。

初期作品は、アイランド等からもリリースされてはいますが、60年代のみです。
70年代にレゲエを大々的にプッシュしたバージンや、ワーナーからのリリースは、全くありません。
単に金額の問題ではなく、他者が音源をいじる事を極端に嫌ったと聞いています。
一時はソニーが契約に漕ぎ着けようとしたらしいのですが、結局無理だったそうです。

ボブは、当然ながら、自身の音楽の追求が第一であったと思います。
新人の育成には熱心ではありませんでした。
コクソンは、金銭的な部分は別とすると、新人の発掘・育成にも重点を置いていたのではないでしょうか。
スタジオ・ワンが、アーティストから「カレッジ」と呼ばれる所以は、ここにあると思います。