【京極堂】 魍魎の匣 4匣目 【第弐談】

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194名無シネマ@上映中
辛口感想(若干ネタバレ有)

ちょうど枕にぴったりの高さくらいある京極夏彦の原作は、この監督向きだと思う。
そして、多くの原作ファンは、間違いなくこの映画の話の進み具合に舌を巻くだろう。
それくらいうまいのだ(若干、臭い芝居はあるが)。
映画始まって1時間40分くらいまでは、もう完璧なのだ。特に、中国ロケを日本の風景として使っているのだが、
これが奇跡的にはまっている。
しかし…
最後のクライマックス、原作ファンは脳天をカチ割られることとなる。
そして、原田眞人という監督を知る人なら、
「うわぁ〜、そっちやっちゃったの! あんた、『ガンヘッド』で懲りてなかったんかいな」と思う事になる。
少なくとも京極堂シリーズの最もキメの場面は、静なる舞台に凛と登場する京極堂の憑物落しのシーンである。
それを、最低の特撮センスしか持ち合わせていないこの監督が、ドンガラガッシャン、ドンガラガッシャンとどこから現れるのか、
鉄パイプだの、白いスモークがあちこちから噴出される舞台で、あの京極堂がコントすれすれの演技を披露するのだ。
ファンなら間違いなく「こりゃダメだ」とつぶやくはずだ。
全ては物語の解釈の仕方だ。前作「ウブメの夏」を監督した実相寺監督は、間違いなくこの物語を妖怪映画として捕らえていた。
もしくは憑物落しの映画としてアプローチし、見事に物語を語るに破綻したのだ。
それを原田監督は犯罪映画、もしくはミステリーとして捉えている。
見事にあの長大な物語を語る事には成功したが、この物語が持つ空気を表現する事はできなかった。
誠に、京極夏彦の映画化は難しい。