愛知県長久手市 −AICHI38−

このエントリーをはてなブックマークに追加
883東海子:2013/08/04(日) 20:38:08 ID:6Ykeu2cA
それにしても、昔の武士は責任感が強かった(人もいた)
帰れば帰れない事も無いだろうに、東北や遠方から出てきて、戦ってるわけじゃない、どっちの戦かはっきりしなくても、遠い方でも、豊臣については人たちでも元信長の部下なんだから、この辺の領地の人なんだろうし(おそらくこの戦いだと思う。長久手にも跡がある)
もう一つは織田が兄弟で争ったんだから、地元も地元、ジモティー同士の戦いで、これも近所ですぐ帰れるのに。
この兄弟同士の戦いより、小牧長久手の戦いの方が大きいから、十数人の落武者が敗武者として自害という大仰なことも起こり得るのではないかと思う。兄弟のはそんなに大きく無さそう。
長久手に行ってそう思った。

負けて帰ると領地減ってるし、食い扶持だけかかる厄介者的なものになるのではないかという思いもあったのかも。

話は変わるが、三年味噌という三年熟成させたものは美味しいらしく、武士に食わすなという言い伝えみたいなものがあったと、長久手じゃない市の図書館の味噌の本にあった。
直接田で力を出してないのに、俸禄だけ持っていく奴には、美味しい味噌を与えてはいけない、という百姓の知恵みたいな。

武士というのは、江戸時代でもあまり好かれてない微妙な存在だったようだが、律儀に死んでしまう武士たちもいたんだなと思った。
884東海子:2013/08/04(日) 20:45:07 ID:6Ykeu2cA
が、しかし、討った方と討たれた方の子孫が、後に婚姻し縁戚関係を結び、その時に自分の父を討って貰った領地が、たった5千石と知りショックを受けたという話もあるが、そこまでの敵でありながら縁戚関係を結んでしまうというのも
この時代の大らかさというか、江戸時代より合理主義だったからなのかなあとも思ったが、いいかげんと言えばいいかげんなので
自害までした人たちも、そこまでしなくて良かったのに、とも思った。


---------------------

で、とりあえずは、饅頭にして供養して成仏して欲しいと思う。

神というのは、人間の歓喜する姿を見る事で歓ぶということになっているから、祭や踊りを神に奉納するということで、祭の山車や神輿の練り歩いた目的地が、神社になっている。
成仏させるとかは、ちょっと系統が違うんだろうけど、基本的に神の加護を得ようとするには、神を歓ばせることをすることに
元々の日本古来の素朴なアニミズムではなっているはずなので
あながち間違った考え方でもないと思う。
885東海子:2013/08/04(日) 20:51:11 ID:6Ykeu2cA
死んだら皆、仏なので、呪いなんて、するわけないのに

呪いは人の心の中にあるのに。。。

と、カラッとした長久手から、帰って来ると、思ってしまう

繰り返しになってるかもしれないけど、そう思わずには、居られないというか・・: