【東海】 ♪♪♪ 岡崎市 全般 第117話 ♪♪♪

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893東海子:2011/11/04(金) 23:06:12 ID:hTCJ8qNA [ dynamic-101-50-172-210.gol.ne.jp ]
矢作川は古代「御川」と呼ばれる聖なる川だった。
実は「三河」の由来は「御川」であり、三つの川ではない。
「矢作川、乙(女)川、男川」「巴川(矢作川水系)、巴川(豊川水系)、男川」はそれぞれ合流地、水源地付近の地元民が唱え始めたたわごと。
「矢作川、豊川、天竜川」はもっともらしいが、昭和期に学校教師が考えた俗説に過ぎない。

「御川」は人の世の穢れを流し去る女神であり天照大神や弁天様の原型でもある「瀬織津姫」の御神体そのものだったのだが、それを埋め立てろ!と罵る輩が登場したことに衝撃を感じる。
神罰として氾濫が起きるような事態にならなければよいが…
>>891が述べていることは科学的事実だが、古代であれば、これは神罰として恐れられる事象であろう。

と、ちょっと893な記念カキコ。
894東海子:2011/11/04(金) 23:15:53 ID:hTCJ8qNA [ dynamic-101-50-172-210.gol.ne.jp ]
先日、ヒストリアを見ていて思ったのだが、狗奴国が一宮(尾張一帯)にあったというのであれば、邪馬台国は隣接するエリア(御川や伊勢等)にあった可能性が高い。
卑弥呼を打ち負かした狗奴国の王がすぐに失脚し、卑弥呼の養女が女王に選ばれたのならなおさらだ。

魏志倭人伝に載っていて、記紀に載っていないこともそれを支持する。
なぜならば、御川にあった王朝(秦氏一族と思われるが、大和朝廷とは対立)は持統天皇晩年の「東国行幸」あるいは「三河行幸」という事実上の戦争によって滅ぼされており、この王朝に関する記述は徹底的に削除された。
よって、御川王朝の起源であった「邪馬台国」についても記述困難となり、記載が抜けてしまったと考えられる。

と、ちょっと894な記念カキコ。

実は893も894も巫山戯てなくて、真剣にそう思い詰めている電波な私。