いわきってどうよ?Part129

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934ゆきんこ:2013/08/13(火) 13:14:42 ID:XE5EL0zw
日清戦争間近の時に、石炭輸送のために現行ルートが決まった。
この時、はじめから小名浜なんてガン無視だった。
人間より石炭のほうが重要だった。
なんで綴(つづら)、今の内郷に決まったのか。
もちろん浅野財閥と小野田財閥(これは湯本から分岐する)のためだった。
主要産業は全部長州の企業がなぜか握っていた。常磐炭坑は特に人間がポイ捨てされる場所だったから夕張以上に争議が頻発した。
地元中小企業だった入山炭坑もあり、戦時に磐城炭坑と合併し、常磐炭坑になった。
これが後の常磐興産。この会社だけ、鉱員を守っていく。
昭和30年代に臨海都市を中心に発展した小名浜は産業指定都市を受けて大発展したけど、
前も言ったけど福島臨海鉄道は1972年に廃止になった。
臨海地区に自動車通勤する人のために中央台住宅地が出来た。これがいわきニュータウン。
まったく鉄道というか鉱山が発展した場所から遠い場所に出来た。鹿島に立抗だけはあるけどあれは空気入れるためのものだ。
昭和51年、常磐炭坑は完全に閉山した。常磐炭田自体はは昭和60年、茨城中郷炭坑が最期となった。
公害炭で、品質が悪かったため小野田と浅野はとっとと昭和30年代に撤退していた。今はセメント屋だな。
四ツ倉のほうが鉱山の町のおもかげが残っている。住友セメントだったから。