【3.11あの日】〜東日本大震災〜体験記録Vol.1【絆の足跡】

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490ゆきんこ:2012/04/08(日) 11:19:13 ID:t3GrRJbw
去年の今頃は福島第一原発での復旧作業をしていた。
現在とは状況も違うので孫請け作業員でも金額は良かったけど正直行きたくはなかったな・・・。

会津若松から向かったが、磐越道はガタガタで途中の風景も地震の爪痕が生々しく残ってる
前線基地のJヴィレッジで装備を整え、検問の先は文字通りゴーストタウン
ガレキの山や見る度に緊張感が高まり、フクイチに到着した時にはもうお腹一杯w

フクイチ構内はゴジラの襲撃の後の様な容赦無い破壊だらけ
第一印象は「これ、本当に収束させられるの?無理だろ」だったな
免震重要棟に入り先発隊と会うが、みんな顔が疲労と悲壮が入り混じった顔で廊下に所狭しと座り込んでいる
現場の人間の表情で大方の進捗予測が付くが「こりゃダメだな」マジでそう思ってたが
先発隊と作業の打ち合わせをすると、意外にみんな元気で目が死んでない
「とにかくスピード勝負だからな」「車から降りたら移動は全部走るぞ」「コケたら置いてくからなw」
軽い笑いや冗談も出てるし先ほどの予測が間違いだったと思い直す。
ただ、連絡体制やら統率やらがメタメタで無駄に間誤付く事が多く
並みの突貫工事ではない事がわかる。

いよいよ個人線量計を渡され先発隊と東電の放射線管理員と一緒に作業箇所に向かう
車が原子炉建屋に近づくにつれ警告音の鳴る間隔が早まる
やることは理解してるし、シミュレーションもしてきた。
車を降りると全員小走りで走り出したw我々も雰囲気にのまれ走り出す
シミュレーションよりもかなり早いペースで資材を運び作業に取り掛かる
放管員がサーベィメータを片手に「ここは15分以内です」
作業箇所事にタイムリミットを告げられる
見たことも無い長いブームのコンクリート圧送車で放水されモクモクと蒸気を上げる建屋を尻目に
異常なハイペースで作業を進め、無我夢中過ぎて体を動かしている実感が無い不思議な感覚
作業を終え免震棟に帰り付いた時には先ほどの先発隊と同じ様に疲れきった表情で狭い廊下に座り込んでいたw

私自身は会社独自の放射線規定量を超えたのでもう行くことはないが、今でもあの頃の感覚は憶えている
何か化け物の元にでも向かうような何とも言い難い感覚と纏わり付くような恐怖感
こんな事は二度と体験したくないし、誰にも体験させたくないね。