>営団地下鉄の「戦後」はこの丸の内線の着工に始まったと言っても過言ではないと思う。昭和26年4月、まず池袋−御茶の水間
>からスタートした。この時なぜこんな区間を…と思うのが本音だが、実は御茶の水から先のルートが確定していなかったから
>だという。
>工事中、いろいろ出てきたらしい。貝塚、ナウマン象の骨、旧海軍司令部の地下壕に始まり、茗荷谷では頭と胴の離れた人骨が一
>度に20数体見つかったという。これは江戸時代に隠れキリシタンを閉じ込めた牢があって、処刑された人達だろうと言われてい
>る。
>ここから先は神田で今のJR線、銀座線と連絡する予定だったという。また銀座は通らずに直接日比谷へ向かう事が考えられてい
>た。これらの案はまず神田付近の密集地に新たに地下鉄を通す技術が当時なく、後に現在の淡路町経由に落ち着いた。銀座経由と
>なったのは日比谷のビル街の基礎の下を地下鉄が掘り進むのには、これも当時無理があったため。
(以下省略)
http://www.ne.jp/asahi/mulberry/mt/ginzasen/story21.htmより。丸ノ内線って、この上なく無計画に延伸していった線なんですね。