1 :
ちゅらさん:
川平慈英が王族ってテレビでやってたが・・・
2 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 01:17 ID:xTWoHLPk
[ users.otc.ne.jp ] ほとんど内地にいるんじゃ・・・
3 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 01:24 ID:3zppDA4k
[ 218-228-232-205.eonet.ne.jp ]
4 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 01:24 ID:ETQdlhuk
[ global-user05.toshima.ne.jp ] 名字が思いっきり「尚」って人は各界で活躍してるよな。
それ以外の親戚って本人以外は末裔って知られてないんだろうね。
5 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 01:36 ID:dAu31MsA
[ 218-228-232-182.eonet.ne.jp ] >>4「尚」って苗字の日本人っていないよな・・・
その名前の人は王族とみてええんかな?
6 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 01:44 ID:DwQpQyCk
[ YahooBB219052106065.bbtec.net ] 羽地家でもよろしゅうございますか?
7 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 01:57 ID:RRas2FaE
[ 218-228-232-213.eonet.ne.jp ]
8 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 01:59 ID:KHJRyDrc
[ sf194.nirai.ne.jp ] >1
友達にいるけど
9 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 02:01 ID:RRas2FaE
[ 218-228-232-213.eonet.ne.jp ]
10 :
なーぷー ◆A7.J/I/C..:2003/02/05(水) 02:43 ID:ZoUUMWAw
[ 53.pool0.ipcokinawa.att.ne.jp ] 尚(たかし)くんなら僕の友達ですが何か?
11 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 20:43 ID:sSCZoG7c
[ fb172075.ot.FreeBit.NE.JP ] 本土在住の「向氏」ですがなにか?
12 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 21:02 ID:KHJRyDrc
[ sf194.nirai.ne.jp ]
13 :
ちゅらさん:2003/02/05(水) 21:03 ID:oeBWbE2A
[ p6f928c.oknwnt01.ap.so-net.ne.jp ] 沖縄人の4割か6割、どちらか忘れたけど、それくらいが琉球王朝の末裔。
過去に遡れば祖先はほとんど同じ。
14 :
類美t:2003/02/07(金) 13:37 ID:v.ZAmPxo
[ nt.cepis.org.pe ] やっしょう、まかしょう。
15 :
沖縄担当大臣:2003/02/07(金) 13:41 ID:yVvvCbRg
[ smtp.city.okinawa.okinawa.jp[localhost.localdomain] ] わんは久米島・金丸系譜の末裔なりりん。
16 :
ちゅらさん:2003/02/07(金) 16:58 ID:ZtD.u09s
[ nas04-19.ii-okinawa.ne.jp ] おめぇんち案外フツーだなー
17 :
マング−ス:2003/02/07(金) 17:48 ID:rT33obZs
[ n219124.ap.plala.or.jp ] 沖縄に尚家の方々を呼び戻し、首里城に住んでもらって、
首里城を沖縄の皇居にしましょう。
18 :
ちゅらさん:2003/02/07(金) 21:02 ID:CB5J00Pc
[ sf194.nirai.ne.jp ] 尚陛下、万歳!!と言ってますがそれが何か?
19 :
ちゅらさん:2003/02/08(土) 01:37 ID:B/hSDtl6
[ ntokym013097.okym.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
20 :
ちゅらさん:2003/05/23(金) 00:53 ID:jIZ5HD7o
[ laveen-usd-e08.cybertrails.com ] (・∀・)
21 :
ちゅらさん:2003/05/23(金) 02:14 ID:NpfcOQl.
[ usr08165.tontonme.ne.jp ] 沖縄の家系を辿ると皆(宮古まで)元は首里って話になるよな
内地でよく言われる「清和源氏の流れ」みたいなdデモ話だよね
22 :
ちゅらさん:2003/05/23(金) 09:00 ID:3BJ1rEdA
[ sf195.nirai.ne.jp ] 士族とかは首里系・那覇系・泊系それに久米三十六姓などがあるんじゃないの?
23 :
会社員:2003/05/23(金) 14:08 ID:sE93egHE
[ G038079.ppp.dion.ne.jp ] うちは 真栄田系 尚泰久王から嘉陽家と真栄田家に分かれた末裔です
24 :
ちゅらさん:2003/05/23(金) 15:19 ID:vtRb0NDc
[ z170.211-19-66.ppp.wakwak.ne.jp ] この話題を天皇家でやると「全員朝鮮人」ってなるのか?
25 :
ちゅらさん:2003/05/23(金) 23:48 ID:W3NNjD.Y
[ R214190.ppp.dion.ne.jp ] 尚巴志の孫(分家)出身って、うちのばあちゃんが言ってた・・・
26 :
ちゅらさん:2003/05/23(金) 23:54 ID:NpfcOQl.
[ usr08165.tontonme.ne.jp ] 「尚」繋がり自慢が多いんだけどさぁ〜、
結局「尚家」って侵略してきた薩摩に「無血開城」しちゃった屁たれでしょ?
一族郎党たとえ皆殺しに遭おうとも「王の誇り」を持って抵抗して欲しかったよ。
で、その後も侵略者に媚へつらって生きながらえた厚顔無恥な奴らでしょ?
そんな奴の子孫だって自慢しているのおかしいよ。
27 :
ちゅらさん:2003/05/24(土) 04:37 ID:cXESwJNU
[ bu187.nirai.ne.jp ] 薩摩が攻めて来た時長老の一人が大和人は米を大切にする民族だから
死んでも米を踏んだりしないとご飯で道を封鎖したそうな
そしたら食べながら来たそうな
ささやかな抵抗。
28 :
ちゅらさん:2003/05/24(土) 07:44 ID:PpEZQEjU
[ YahooBB218113226051.bbtec.net ] >26
第一尚氏と第二尚氏をごっちゃにしてないか?
尚巴志、尚泰久は第一尚氏で
簒奪により王位に就いた第二尚氏の金丸とは何の血縁もないんだがw
29 :
ちゅらさん:2003/05/24(土) 17:10 ID:Ns2pKL3I
[ Air1Aba189.ngn.mesh.ad.jp ] 第二尚氏でも、400年続いたから、子孫なんて掃いて捨てる程、子孫がいるでしょ?
30 :
暴れ地鼠 ◆vQ9xkOln6Q:2003/05/24(土) 21:57 ID:cRv8rQhQ
[ 210.232.59.171 ] >>26>結局「尚家」って侵略してきた薩摩に「無血開城」しちゃった屁たれでしょ?
侵略してきた米英に断固抵抗して無辜の国民をたくさん死なせたサダム・フセインは、個人的には為政者として失格だと思うよ。
旧日本軍と同じことやってやがる。
31 :
ちゅらさん:2003/05/25(日) 11:27 ID:qzZheIgE
[ R218104.ppp.dion.ne.jp ]
32 :
ちゅらさん:2003/05/25(日) 11:30 ID:qzZheIgE
[ R218104.ppp.dion.ne.jp ] 途中すまそ:
抵抗することに意味があるとおもわれ
抵抗しないと言うのはなにされてもいいと認めるような物
その後日本軍の大きな戦争でイラクよりたくさん死んだね
だから、どうせ負けるなら抵抗ぐらいしろと
33 :
ちゅらさん:2003/05/25(日) 16:55 ID:ve.YsgHo
[ sf195.nirai.ne.jp ] だから抵抗してたくさん死ぬことにどういう意味があるのかと。
34 :
ちゅらさん:2003/06/19(木) 22:27 ID:83n5S/lo
[ ACCD730E.ipt.aol.com ] いまN捨てで、琉球王国の墓暴きやってるぞ!!
35 :
思兼:2003/06/19(木) 22:41 ID:og7Jm6BQ
[ ktsk117251.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] この浦添ようどれの発掘でゆっくり遺跡をみれなかったんだよな。
36 :
泣人:2003/06/19(木) 22:54 ID:ipNhgbn2
[ ipa87.cosmos.ne.jp ] 母方のDNAが南方中国系だったんだよね。
琉球も日本と同じでいろんな民族の血がまじりあって一つの民族を
形成したのかもしれませんね。
37 :
ちゅらさん:2003/06/20(金) 03:33 ID:KfdgujhQ
[ YahooBB220057080175.bbtec.net ] そういやさっきのテレビのニュースでやってたなぁ。。
ミトコンドリアのDNA調べたら判ったんだったんだっけ?
日本本土には同じタイプのDNAもってる確率が皆無だとか・・
38 :
ちゅらさん:2003/06/20(金) 11:24 ID:fTUk7sjo
[ YKMfa-01p3-172.ppp11.odn.ad.jp ] 抵抗することより抵抗しないことの方が勇気がいるし立派かもしれないよ。
戦うというとカッコイイけどそのために犠牲が出るなら戦わないほうがいいさ。
琉球のプライドは次元の高いところにあると思うけど。
39 :
2:2003/06/20(金) 20:17 ID:cK7pUEFk
[ naha007n030.ppp.infoweb.ne.jp ] 2
40 :
島尻です・:2003/07/27(日) 18:05:10 ID:goE8KePs
[ at-living.com ] 俺は源為義の子孫で同時に舜天王の子孫だけど何か・・・
41 :
臣下:2003/07/27(日) 19:08:41 ID:.0IgHPqA
[ YKMfa-01p5-222.ppp11.odn.ad.jp ] >38 に賛成!!!
過去の歴史を見てもいつもタカ派が戦争を起し、結果悲惨な目にあっている。
威勢のいいもの、声の大きなものには要注意だ。
42 :
ちゅらさん:2003/07/27(日) 20:26:22 ID:4nLVHuQY
[ U055144.ppp.dion.ne.jp ] 普天間かおり がそういう家系って聞いたことがある。
43 :
ちゅらさん:2004/05/09(日) 22:50:34 ID:kNhdpYdw
[ YahooBB221016092053.bbtec.net ] 普天間かおり、いいねえ!
44 :
ちゅらさん:2004/05/09(日) 23:09:22 ID:1v/TBFqc
[ qu1.nirai.ne.jp ] >38
「楽」だしね。
牧歌的な県民にはあってると思う。
45 :
ちゅらさん:2004/05/09(日) 23:16:35 ID:QZnFs9.c
[ PPPa324.aichi-ip.dti.ne.jp ] 直系は東京に住んでると首里城で聞いたけど。。。
46 :
ちゅらさん:2004/05/10(月) 00:06:21 ID:s8qE9ZLY
[ Air1Abb014.ngn.mesh.ad.jp ] 尚って、朝鮮にも同じ姓があるよ。
何代遡っても、平民の姓だけど・・・
47 :
ちゅらさん:2004/05/10(月) 12:34:20 ID:tok8x5R2
[ p5233-ipad04yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] tesuto
48 :
ちゅらさん:2004/05/10(月) 12:46:05 ID:o1oCKMZc
[ YahooBB218113240070.bbtec.net ] 王国の末裔ってへんじゃね?
王統とか旧貴族とか
王国の末裔だったら
移住者以外はみんな末裔じゃん。
49 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 16:18:17 ID:ZE2e8ZLo
[ p6003-ipad03yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] 沖縄の人は全て王族の子孫。
あなたはあなたの父と母の子供。(当たり前すぎて誰も不思議に思わない。)
お父さんにもお父さん、お母さんがいる。お母さんにもお父さん、お母さんがいる。
ほら、たった二代さかのぼっただけで既に先祖が4人もいるんだぜ。(飽くまで単純計算の場合だよ、念の為。いとこ同士とかの結婚では祖父母共通ということになるがな。)
先祖は一代さかのぼる毎に倍々になる。このやり方で行けば10代さかのぼれば1024人の先祖がいる計算になる。15代で32768人だ。
仮に琉球王国の成立を舜天が王位についた1185年頃として、現在まで約800年だ。一代あたりのスパンを約20年とすると(今上陛下は125代の天皇である。現在は約皇紀2600年余だから一代約20年と計算。)
800年÷20年=40、、、つまり40代ほどの世代が入れ替わっているわけだ。
さっきのネズミ算式でいくと、これはもう天文学的な数字になって到底ありえない。5500億人くらいになるのかな?
大昔の人口は今よりはるかに少ないはずだからその地域に住む人は皆兄弟という事が分かる。
ゆえにナンボ王族の子孫を自慢しようが良く考えると全然自慢にならない事に気づく。
むしろ王族の血を引かず800年間「ハルサー」の血を引いている方が確立から言ってはるかにすごい事なのである。
ゆえに王族の血云々を言う前に今の自分を見つめるほうがはるかに大切である。先祖の自慢してもしょうがない。
直系に生まれつくのはそれなりにではあるが、、、、それ以上でも以下でもない。
王族の血を引く話をする前によくよく考えて話をしたほうが良い。
昔、桓武天皇を血を引くことを自慢してたやつがいた。そいつはどうしようもない奴だった。俺は内心(こんなの子孫だとご先祖様も泣いてるな)って思ったものだ。
それから先祖がどうこういうのは控えるようになった。あまりにも滑稽である。
50 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 17:28:17 ID:3xPNSaso
[ qu1.nirai.ne.jp ] つっこみどころ満載。
士族でも身分の差は絶大。
下級士族が上級士族と姻戚関係になるのでも大変ってば。
ましてや王族なんて
机上の理論で検証に耐えられず空想にすぎない。
もうすこし歴史勉強してから計算してみてよ。
琉球家譜にはどこの家(氏族)から妻をもらったかまで書き込まれて
学生でも追跡調査はできるから調べてごらん。
51 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 18:11:53 ID:ZE2e8ZLo
[ p6003-ipad03yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >50
俺も全て調べたわけではない。勉強不足の部分もあろう。
琉球の王家は少なくとも舜天、エイソ(字忘れた)察度、第一尚氏、第二尚氏があるな。
第二尚氏は最後の王家でそれなりの地位を確立していたのは認める。
沖縄の王朝(この呼び方も仰々しいのであるが、便宜上使う)は表向き禅譲で王家を継承しているが実際はクーデターによるものがほとんどである。
現に第二尚氏はクーデターを起こしたことを隠してはいない。
第二尚氏以外の王族が落ちぶれてハルサーしててもなんの不思議はあるまい。
あなたの言う王族とは第二尚氏のみではないか?
第二尚氏のみが王族という考えであればあなたの言うことが正しいのであろう。
しかし、まわりに必ずいる「王家の子孫」
この氾濫ぶりをあなたはどう思う?
ひどいのになると何とか王の妾の子孫ってのもいるんでっせー。
ここまでくりゃ、何でもありって思ってしまうよな。
この理屈で行くと日本人は全て天皇の子孫である。ともいえる。
しかし、「おれ、何々天皇の子孫なんだぜ、すごいだろ」っていう奴はあまりいない。
それぞれ分をわきまえているのであろう。
して、あなたは何王の子孫なのか?
52 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 18:40:35 ID:3xPNSaso
[ qu1.nirai.ne.jp ] 仮定がまちがっとらんか?
>しかし、まわりに必ずいる「王家の子孫」
とりあえずおいらの周りには王家の子孫と吹聴するやつはいない。
その思い込みをはずさないと話がかみあわないな。
53 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 18:54:05 ID:.dv9gSKw
[ YahooBB219197176139.bbtec.net ] 那覇市教育委員会編纂の『氏集』でご自分の氏から調べてみれば?王族系の氏、首里系の氏、那覇系氏など、
詳しく載っているからあいまいな所が明確になるよ。第二尚氏の尚氏が直系、向氏が少し前に分かれた傍系など、
それ位は調べれば分かる。後は、図書館行けば色々資料はあるから調べてごらん。
54 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 19:01:53 ID:ZE2e8ZLo
[ p6003-ipad03yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >52
>仮定がまちがっとらんか?
もう少し詳しい指摘を頼む。
俺の周りにはたくさんいたぞ。
思い込みか、、、、、
そう言われればそういう気もする。にしても多すぎるが、、、
高校の時は少なくとも3人ほどいたな。
みんなひょうきんで愛すべきキャラクターだった。
内地で仕事してた時、沖縄出身の人と一緒になったことが何回かあったが、
「お前、俺のウチを知らんのか、何々家はどこどこの門中でどーたらこーたら」
と始まったときは正直辟易したよ。全員が全員ではないがな。
「だから何なんだ、今は普通の人ジャン。」
あと、飲み会で隣のテーブルの親父が先祖はどうのこうの言ってるのも聞いたことある。
それは場所が首里だったからか?
地域性によることが大きいのかも知れぬ。
こんな意見書いてるからって王制や、天皇制に反対してるわけじゃないよ。
むしろ尚家には沖縄に戻ってきて欲しいくらいだ。
王制の復活はありえんが今の沖縄にロマンは生ずる可能性はあるな。
そうすれば首里城もただの飾りじゃなくなるだろう。
まぁ俺が言いたかったのは繰り返しになるが、王家と縁をつけたがる
奴が多いからちょっと考えた方がいいんじゃないのって事。
あんたも文面から察するに王様の子孫だろ?
俺の文で気分悪くさせたみたいだな。
ごめんよ。悪く思わんでくれ。
55 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 19:11:04 ID:ZE2e8ZLo
[ p6003-ipad03yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >53
ありがとう。
でも俺、自分のルーツ知ってるんだ。
ウチに家計図あるし。
こう言うとすげぇ、いやみったらしくねぇ?
俺自身(卑下してるわけではないが)大した人間じゃないから先祖の事語るのは
すごく憚られるよ。
俺が先祖の事語るとそれこそさっきの
「桓武天皇の子孫」みたいになっちまうからさ。
56 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 19:13:09 ID:ZE2e8ZLo
[ p6003-ipad03yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >55
家計図→家系図
57 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 19:23:04 ID:E6dTkufo
[ FLA1Aaa057.okn.mesh.ad.jp ] 多いよ、王族の子孫だとか名士の氏族だとか言う奴。
殆どは明治、または戦後に捏造された嘘の家系話なのだが。
家系図が残っていない(戦争で焼けたにしろ、戦前には確実にあったと言う
証言が見当たらない)場合は、基本的に後で作られた嘘家系話なので、
恥をかく前に吹いて回るのをやめるように。
58 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 19:34:46 ID:3xPNSaso
[ qu1.nirai.ne.jp ]
明治時代に、一般市民にも苗字を付けることが許されるようになった時、家系図を捏造して独自で作るのが庶民のあいだで流行ったんだってさ。
59 :
かなー:2004/05/23(日) 19:35:37 ID:ifcV5xAs
[ l223254.ppp.asahi-net.or.jp ] なんでも「中城護佐丸」の合同シーミーをしたら子孫と名乗る人が200人以上集まったとか?
まぁ王家の末裔じゃないだろうけど、「琉球王国の末裔」であることはオレもそうだ。
60 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 19:46:59 ID:3xPNSaso
[ qu1.nirai.ne.jp ]
「久米三十六姓」の末裔っている?
61 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 19:59:51 ID:ZE2e8ZLo
[ p6003-ipad03yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >60
久米三十六姓!
そっちの話題の方が面白いな。
なんせ、沖縄の歴史を影で動かしていたのは彼らだからな。
彼らの協力なしには尚巴志の琉球統一もありえんかったのだろう?(違ってたらごめん)
知りたい。だれか教えてくれ。
62 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 20:23:06 ID:/3n12R8A
[ tusp12.nirai.ne.jp ] 沖縄の家系図は王府とその家とで管理してたから
一方だけ捏造してもすぐばれる。
本土の家系図のようなお金で売買するニセ家系図ってのはなり立ちにくいんだけどね。
63 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 20:24:39 ID:.dv9gSKw
[ YahooBB219197176139.bbtec.net ] >>60・61
沖縄で初めて麻酔手術したのは、久米系の人だよねぇ。
他にも優れた技術を持った方々が沖縄に移住して貿易や沖縄の文化の発展に
貢献してきたのは事実だよ。
苗字もある程度特定できる図書館で調べてねぇ!!
それと沖縄の名前は、名前頭である程度門中が特定できるので、それを参考に調べれるといいよ。
自分の名前でなくても、叔父さん爺ちゃんの名前に同じ名前頭が入ってるから、それと、
今の苗字で分かる場合が多いからねぇ。それと『氏集』さえあれば特定はできます。それより先に
シーミーとかで親戚が集まる場で聞くのが一番はやいけどねぇ。
64 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 20:26:34 ID:3xPNSaso
[ qu1.nirai.ne.jp ]
65 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 20:37:18 ID:3xPNSaso
[ qu1.nirai.ne.jp ]
66 :
ちゅらさん:2004/05/23(日) 21:12:26 ID:3xPNSaso
[ qu1.nirai.ne.jp ]
67 :
ちゅらさん:2004/05/29(土) 01:54:58 ID:YNwS6wJE
[ YahooBB220057084186.bbtec.net ] ヨメさんが、王氏といってる。
墓には王氏ってかかれてる。
確かに旧姓は仲宗根。
68 :
ちゅらさん:2004/05/29(土) 02:59:00 ID:6jWFpOTY
[ NOTch-01p1-69.ppp18.odn.ad.jp ] 一休禅師は南北朝時代に後小松天皇の子として生まれ、六歳で出家しました。
小さい頃から批判精神が旺盛であったようで、こんな話があります。
ある高僧の説法の時、その高僧が、自分は身分の高い家柄の出身だと言うことを自慢げに
話しているのを聞いて、一休禅師は両耳をふさいでその場から立ち去った、といわれます。
一休禅師こそ、天皇の子という最高の家柄の出であるが、そんな俗世間の地位も名誉も
財産も捨てて出家したはずなのに、それを自慢のタネにした高僧が許せなかったのでしょう。
69 :
ちゅらさん:2004/05/29(土) 03:03:14 ID:qoyjhClA
[ qu1.nirai.ne.jp ] >67
じゃあ、嫁さんは久米三十六姓「王 立思」の末裔だね。
(
>>65参照)
70 :
67:2004/05/29(土) 16:38:18 ID:AZa3gfcY
[ alfaproxy.pai.net.pl[alfa.pai.net.pl] ] まあ、家柄とか血筋とかもったいげに話すヤシにろくなのいないけどね。
71 :
ちゅらさん:2004/05/29(土) 16:44:29 ID:qoyjhClA
[ qu1.nirai.ne.jp ] 冷めた視線で物を言うヤツにもロクなのいないけどね。
72 :
ン唖:2004/09/06(月) 15:00:17 ID:.nkXiXIk
[ c229.115.c3-net.ne.jp ] 旧朝香宮家のホームページにのってる屋敷に沖縄の獅子があるよ
日本人が皆朝香だと限らない結構沖縄に李家の子孫もいたりして
結局宮さん春川でヒューん ドっかーんかもね フッ
73 :
ちゅらさん:2004/09/06(月) 15:53:14 ID:muVjSTO2
[ dsl21345.fip.synapse.ne.jp ] 喜界島の当主永家の末裔はダチだがなにか?
74 :
ちゅらさん:2004/11/25(木) 22:33:32 ID:zrK/q/1s
[ YahooBB221078017031.bbtec.net ]
75 :
源為朝琉球国王:2004/11/25(木) 22:44:22 ID:bJhq3ipU
[ proxy305.docomo.ne.jp ] 誰だ? 俺を呼んだのは?
76 :
ちゅらさん:2004/11/25(木) 23:57:35 ID:SRZRGSmY
[ qu1.nirai.ne.jp ] >>75>源為朝伝説は日本政府の沖縄に対する「皇民化教育」によるでっちあげっすよ。
台湾の鄭成功とはワケが違うのよ。
けなげに信じてるんだ…。
77 :
ちゅらさん:2004/11/26(金) 08:50:33 ID:vgHaTfcQ
[ 220.57.188.183 ] 「オレは天皇一族の子孫だ」
「俺は徳川家の一族だ」
「私の先祖は尚家よ」
どこの地域にもいつの時代にもいる大バカ野郎ども。
それがどうかしましたか? で、今のあなたは何なの?
「はは〜っ、王家の御子息様〜」って土下座すれば満足?
78 :
ちゅらさん:2004/11/26(金) 09:31:16 ID:syph32f6
[ 210.234.85.143 ] >>76 馬鹿ですか・・・恥ずかしい
それ以前からありますが・・・・・・
79 :
ちゅらさん:2004/11/26(金) 10:43:51 ID:AXemC15Y
[ qu1.nirai.ne.jp ]
80 :
ちゅらさん:2004/11/26(金) 18:58:04 ID:KmqESWow
[ iipe43.nirai.ne.jp ] 首里の桃原にあるよ尚家の屋敷
とてつもなくでかい
家だぞ
敷地の一部は桃原農園って名前で
お金とって一般公開してるぞ
81 :
ちゅらさん:2004/11/26(金) 19:21:07 ID:AXemC15Y
[ qu1.nirai.ne.jp ] Q.「中山の王が源氏の子孫であるというのは本当ですか?」
沖縄のもっとも古い歴史書「中山世鑑」には、13世紀前半に活躍した中山王舜天が源為朝の子供であると記述されています。
「保元の乱」で平清盛に敗れ、伊豆大島に島流しになった源為朝はその後大島を脱出し沖縄に流れ着き、南部に勢力を持っていた按司の妹と結婚し男子をもうけ、妻子を残し本土へ帰っていきます。
その残された子供がのちの舜天だというのです。
では、なぜこのような伝説が歴史書にまで書かれたのか。
「中山世鑑」が書かれたとき、沖縄は「琉球国」として独立国の形はとっていたが、実際は「薩摩藩」を通じて幕府に服属していました。
徳川氏も島津氏も系図のうえでは「源氏の子孫」ということになったいたので、日本の武士政権と琉球の政権を関連づけるために「琉球の最初の王が源氏の子孫」であるとしたほうが都合がよかったのです。
82 :
ちゅらさん:2005/06/05(日) 15:39:19 ID:4Y6etWfg
[ iipe42.nirai.ne.jp ] ( ´_ゝ`)
83 :
ちゅらさん:2005/06/05(日) 16:07:42 ID:DI7nifqw
[ ris3186.ryucom.ne.jp ] ニラタン、今度はあげ荒らしでつか?
84 :
ちゅらさん:2005/06/05(日) 16:21:08 ID:Yazk1D62
[ adf120.mco.ne.jp ] 源為朝伝説は薩摩入りより昔からあるようだよ。
本土から来た落ち武者達を治め易くするために作られた話ではないかと言うのが
最近の説のようです。
85 :
ちゅらさん:2005/06/30(木) 20:34:39 ID:Tqhplv0c
[ YahooBB219031221027.bbtec.net ] 某島尻郡のある村の四役の一人は血統書月の第一尚氏の末裔。
第一尚氏は尚円が王位についたとき、各地のイナカに逃げてある村へ云々。
尚布里や尚泰久やその子たち、モモトフミアガリの墓もその村にある。
86 :
ちゅらさん:2005/06/30(木) 21:23:15 ID:CSsYkJ7c
[ iipe42.nirai.ne.jp ] 名前返せーっていったら返してもらえるあらに?
今の尚さんは内間に改姓。
その85の言ってる奴が尚に改姓するってのは面白くもなんともないな。
87 :
ちゅらさん:2005/06/30(木) 22:09:09 ID:EKgIdY7Q
[ YahooBB220057104015.bbtec.net ] 漏れの母方のひいじいさんはサムレーの末裔。
お袋はそのじいちゃんから「サムレーの子供はこうでないとならん」というのを
もの凄く沢山教わったらしいが、子供心にはただ怖かったと70を超えて自分の孫が
出来て初めてそんな話をしよった。
我ったー氏の系図は漏れの親父が整理したから、いつかルーツや逸話を調べてみようと思う。
88 :
ちゅらさん:2005/06/30(木) 22:14:50 ID:RCmVPZ9Q
[ qu1.nirai.ne.jp ] 第一ショウ氏は皆殺しになってるよ。昔の琉球にもアナスタシアが居たのか?
89 :
ちゅらさん:2005/06/30(木) 23:00:07 ID:LX2Mm5VU
[ user202235215155.otc.ne.jp ] ずけらんって苗字で名前の頭に「朝」がつくひとは、王家の血筋だよーん
あと、最近思ったけど当真當間?って苗字も嗣?って字多くない?
90 :
ちゅらさん:2005/06/30(木) 23:31:04 ID:tq00DAEo
[ YahooBB220057083121.bbtec.net ] >>80建て替える前の家は入ったことあるよ
正月だったので尚家の人にお年玉もらった
ガキだったので王家の人の家とは知らず「デケー家だな!おい」
くらいにしか思ってなかったw
91 :
ちゅらさん:2005/06/30(木) 23:43:59 ID:tq00DAEo
[ YahooBB220057083121.bbtec.net ] そんな漏れは「久松5勇士」の末裔
92 :
ちゅらさん:2005/06/30(木) 23:48:45 ID:RCmVPZ9Q
[ qu1.nirai.ne.jp ] ウミンチュの末裔って事だな
93 :
ちゅらさん:2005/07/01(金) 00:14:28 ID:bx4HJl5g
[ qu1.nirai.ne.jp ] そんな俺も野国総官の末裔にして謝名うえーかたの末裔
94 :
某中学生:2005/07/01(金) 20:10:25 ID:bx4HJl5g
[ qu1.nirai.ne.jp ] いちょー、尚真王の末裔です。
95 :
某中学生:2005/07/01(金) 20:12:25 ID:bx4HJl5g
[ qu1.nirai.ne.jp ] <<89、嘉陽田って苗字の人も長男は「朝」がつきます。
↑は尚真王の末裔と家計図に・・(ぇ
96 :
ちゅらさん:2005/07/01(金) 20:36:01 ID:LV7h/7CY
[ pd31b75.ykhmac00.ap.so-net.ne.jp ] 王族でもね・・・
侵略されて傀儡国家の王族だからw
イミナイよ
97 :
ちゅらさん:2005/07/01(金) 23:40:01 ID:zpwaySnU
[ iipe42.nirai.ne.jp ] 安室も朝がつきます。
ってことはなみえーちゃんも末裔?
きゃーーーーー、やっぱただの歌姫ではなく正真正銘の姫だったのねー。
98 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 00:38:11 ID:98muETUk
[ YahooBB220057104015.bbtec.net ] 信じられないかもしれないが、
>>96のアオリは1980年代に高良倉吉が琉球王国を
再評価するまでマジ陰口として使われていた。
行政も歴史建造物や遺構保存に無関心で玉陵など事実上捨てられていた。
だから東京で貧乏に耐えながら必死に文化財を守っていた直系の末裔は、後に
掌を返すように「尚家で管理する宝物や文化財を県や市に寄贈して」と言ってきた県関係者に
非常に強い不信感を持っていたようだ。
ここらへんも戦争反対基地撤去が最優先で、土地の歴史や文化に対する誇りを十分教わらず
ヤマトに対する劣等感も残り続けた我ったーうちなーんちゅーの悲しい性質だよな。
99 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 00:46:29 ID:lMEV2/52
[ iipe42.nirai.ne.jp ] なるほど故にたまうどぅんは首履高生の喫煙場所になってたのか。
100 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 04:17:40 ID:ZNb5amVY
[ qu1.nirai.ne.jp ] 王族の末えいは手を見れば分かるらしいぞ
うちの母が昔から言ってた武士など階級層の手は
指とか太く丸っこくて短いが、はるさ〜とかの手は
細くて長いんだってよ。
101 :
思兼:2005/07/02(土) 04:50:40 ID:ehOh7W7Y
[ p3058-ipbf405marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp ] >>98すごく興味深い話をきけた。
確かにそういうことがあっただろうね。明治、大正、昭和初期にかけて、
沖縄人は自ら大和同化を献身的にすすめてきた。その反面で、それまでの
自民族の文化、歴史を卑下し、忌み嫌う感情も芽生えたに違いない。
明治初期の文明開化で日本は欧米に習おうとそれまでの日本土着の文化風習を
どんどん捨てていったが、同じ事が沖縄に起きたとしても全く不自然じゃない。
むしろさもありなんというべきだな。
これまで、尚氏が文化財の寄贈に抵抗したことに釈然としないものを感じていたが、
その話を聞いて見方が180度変わったし、やっと納得できた。尚氏にしてみれば、
自分たちの歴史を捨てて、大和に追従していくふがいない自民族の故郷に、
王族として守ってきた文化財を寄贈しようとは思わなかったろうね。
102 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 05:32:58 ID:Fhj7.f9g
[ YahooBB219019072068.bbtec.net ] はぁはぁ
103 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 08:34:05 ID:ZNb5amVY
[ qu1.nirai.ne.jp ]
104 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 08:42:40 ID:yRwqp4BU
[ fnttkyo005046.tkyo.fnt.ftth2.ppp.infoweb.ne.jp ] 沖縄の人間は、なんでもいいから理由をつけて、
自分たちとはどこかが違うと思う人間を排斥しようとするんだよ。
昔はそれが同じ島の中の隣の山(国)であったが、今は県外になっただけですね。
基本的に野蛮だしな。
歴代王朝も、内部で争って無茶苦茶やるだけやって自爆してる歴史だ。
いろいろ理由つけて正当化しているが野蛮。
結果的に女性が被害を受けてきたのが沖縄の王朝絡みの歴史なわけだが、
それを都合よくするために、名目上、女性が上に立つ崇高な神権政治のような
体裁になってる。いろいろ読むとわかるが、アホな男有力者が無茶やって
周囲のまじめな女(神あたいした女という扱い)が心中するような話が
やたらと多い。
105 :
思兼:2005/07/02(土) 11:02:22 ID:4JWydoxI
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] >>103いや、オレも玉陵が長く放置され荒廃していたという話は聞いたことがあるんだわ。
事実として、グスクの発掘作業なんかもついここ15年くらいから本格化したものだし。
そういうことを踏まえると、遺構保存に無関心だったという
>>98の話は信憑性があると
思う。これから自分でも調べてみるけど。
>>104そりゃ日本を含め島国に共通して見られる傾向であって、相対化して
とららえないと意味がない。野蛮という評価もまるで主観的で無意味だし。
名目上、女性が上に立っていたのではないよ。女性を神官とする信仰は
王朝時代以前からあって、尚氏はそれを統治体系に取り込んだだけ。
これは琉球王国の基礎知識だよ。そもそも古来の母系社会、女性優位の傾向は
古代のヤマトと共通して見られる傾向だし、女性が神人であるという民間信仰は
それと関連させて見ていく方が興味深い。ちなみに王朝時代から支配階層に
門柱制度が導入されるにしたがって、琉球は男性優位社会の傾向に変わって
いくわけだけど、基底にあるのはあくまで女性優位社会なんだよ。
106 :
思兼:2005/07/02(土) 11:03:40 ID:4JWydoxI
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] すまん。
×門柱
○門中
まあわかると思うけど。
107 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 11:07:01 ID:tiOhLVzs
[ 219-100-245-20.denkosekka.ne.jp ] 琉球の歴史ものでなんか面白い本ある?
108 :
思兼:2005/07/02(土) 11:35:07 ID:4JWydoxI
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] >>107小説とかはわかんない。
まあ、「新琉球史」(琉球新報社)が一番かな。入門書とはいえないけど、分厚くて
沖縄学の学者が多面的に琉球の民俗文化歴史風習等の説を語っている。
入門書なら、外間守繕の「沖縄の歴史と文化」(中公新書)。実際はやや難しいけど。
沖縄学の大家の本なので読んでおくべき。じっくり読めば、琉球・沖縄について
広範に概略をつかむことができる。また、沖縄学の創始者である伊波普猷が書いた
「古琉球」(岩波文庫)は外間守繕が補筆したもので、一読すべきかと。
王国時代は研究の第一人者といえる高良倉吉の「琉球王国」(岩波新書)がやはり
おススメ。王国の概略をつかめる。第一級資料にあたりたいなら一番簡単に読めるのは
外間先生が校注した「おもろそうし」(岩波文庫)でしょうね。
この辺からあとはいろいろ自分で探して見ていくのがいいです。
109 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 12:48:43 ID:98muETUk
[ YahooBB220057104015.bbtec.net ] >>103人をシッタカー呼ばわりする前に図書館行っておまいの大好きな地元マスゴミ紙の社会面だけ読め。
尚家本家が宝物保存で長年世話になった仲介役の台東区長、県関係者と一緒に県庁で「仲直り」会見の
記事見れ。
現当主の尚栓はホントは寄贈などしたくなかっただろうと思う。
記事中にも「経済的に尚家だけで管理するのはもう限界」と本人が吐露している。
明治以降の同化政策うんぬんではなく、戦後何度も支援要請したにもかかわらず
80年代の再評価まで完全無視されてきたんだから不信感は簡単には消えないだろう。
戦後ずっと「食えない文化より今日のメシ」を優先させた行政やイデオロギーだらけの
地元マスゴミを批判するのは簡単だが、本当は今でも民衆・大衆文化以外には関心を
示さない個々の県民のほうが罪が深いじゃないか?
110 :
ちゅらさん:2005/07/02(土) 17:49:33 ID:JZQMTMNg
[ YahooBB220057176035.bbtec.net ] 俺も王氏系列です上運天だから年に一回は集まりなどがありますよ去年は中国に王氏の墓に國場家などみんなでいきましたよ
111 :
ちゅらさん:2005/07/03(日) 00:03:39 ID:KpgISNq.
[ user202235215155.otc.ne.jp ] まぁ戦争があったんで、どうしても戦前の歴史は後回しになってしまったんだろうね。
現在はだいぶ歴史や文化に対する認識が高まってるからいいんじゃないでしょうか?
112 :
ちゅらさん:2005/07/03(日) 01:36:50 ID:MbjXg3AM
[ qu1.nirai.ne.jp ] >>107ム〜チ〜の由来なんか面白いよ!
鬼になった兄を妹がモチ作って一緒に食べ
わざわざ兄の前で股オッぴろげて見せつけ驚いた兄が
崖から落ちて逝くって話だ。
113 :
ちゅらさん:2005/07/03(日) 03:03:52 ID:iWZnBzGk
[ adf240.mco.ne.jp ] 琉球民族と言っても基本文化は大和と同じだし。(言語、建築、着物、食文化など)
地理が離れていて同化が他の地方と遅れていたせいで国家として独立してたけど、
結局琉球人って日本人だろ。
独立国家だけど鎌倉幕府からは琉球人は日本人と判断されてるし。
まあそこが沖縄の人が本土にむかつく所だけどね。
114 :
思兼:2005/07/03(日) 06:40:17 ID:pz2IHf.2
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] >>113でもまあ、その理由なら、大和民族なんて琉球と基本文化の同じ琉球民族の
一部だという逆の言い方もできる(笑) 確かに琉球が大和から得たものもあるが、
外国から琉球を経由して、あるいは琉球で咀嚼されてから日本に伝わった文化
だって山ほどあるよ。
そもそもその「日本人」の定義にしても、鎌倉時代だと、本州内にさえ大和朝廷に
組しない民族や集落はあったわけだし、なにをもって日本人、日本とするかは難しいよ。
大和=日本ということなら、琉球はあきらかに大和ではないよな。ナショナリズムに
おいても琉球人には確固として琉球と日本を分ける認識があったし、王府中心に見るなら、
中華帝国の一部だったという見方だって成り立ちうる。そもそも、琉球王は儀礼上、
また公文書上でも、日本国の天皇ではなく、中国皇帝に承認されて就いていた。
それは薩摩に侵略された1608年から幕末までの間でさえもそうだった。
たしかに、古琉球には鎌倉にたいして一種へりくだった意識もっていたことをにおわす
史料はある。でも、琉球が国としての体裁をとり始めてから、王府がどちらを宗主国と
考えていたかといえば、断然中国でしょうね。
つまるところ、沖縄・琉球を論じるのは、そういう複雑な土地を包括する
この日本とはなんなのかを客観的に、多角的に認識することでもあるわけだ。
115 :
思兼:2005/07/03(日) 07:15:38 ID:pz2IHf.2
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] >>109それは、沖縄人が琉球王国に自分のアイデンテティを求めていないからだと思う。
沖縄人は決してナショナリズムが希薄なわけではないよ。むしろ強いくらいだ。
「沖縄ナショナリズム」なんて言葉があるくらいだから。
でもそれは本質的に郷土主義なんだな。シマ意識。島国根性であって、必ずしも
琉球王国やそれに定義される琉球民族の民族主義と一致するものではないわけさ。
島の外は異界というのは、島国にとって誰も否定できない永遠の事実なんだよな。
逆に言えば、島人というだけで同胞とみなすことができる。またそうでなければ
資源の限られた土地で生きていけない。権力者の支配体系や統治体系は、
そうしたシマ意識に支えられる社会に上乗せされるだけのものでしかない。
尚氏王朝も、ヤマト世も、アメリカ世も、とどのつまり「かりそめ」であると。
そういう意識が根底にあると思う。
まして、沖縄の民衆は王国時代には圧政を、戦前のヤマト世では差別を味わい、
自分の国や民族に誇りを持つなんて視点を持てずにきたわけだから、
沖縄人があえて自民族の歴史文化を称揚しないのはごく当たり前に思えるよ。
でもまあ、さびしい話ではあるけどね。
116 :
ちゅらさん:2005/07/03(日) 14:54:14 ID:vfkvA3V.
[ iipe42.nirai.ne.jp ] 中国は宗主国だったのか?
この見方、ものすごく疑問。
思うんだけどさ、沖縄にとっての日本(本土)、中国ってつまるところ町工場に対する大手メーカーって存在なんじゃない?
今風に言えばトヨタ様、日立様、
みたいな存在なんじゃないかなぁ。
もっとはっきり言ってしまえば
『超お得意さま!』
ゆえに琉球国王はいろんな国におべっか使ったってわけだ。(なんてったって社長だからな。社長営業は今でも有効に働くってもんだ)
町の下請け工場が一社だけの仕事を請けてるだけ、っていうのはリスクが大きすぎる。
コレを壮大な歴史とかロマンとかアイデンティティで語ろうとするからいつも途中で話がおかしくなってしまう。
と思うんだけどさ。
フラーの考えかね?
117 :
思兼:2005/07/03(日) 17:48:16 ID:pz2IHf.2
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] >>116客観的には完全に宗主国だよ。でも中世中国の中華思想は、属国に対して支配者
として一方的賦役を負わせるものではくその逆。「中国にかしづくなら優れた我々から
お前ら下々に褒美をやろう」という思考なんだよ。中国は朝貢に対してその数倍の
価値のものを属国に返した。もちろんこれにはそんな感情論は抜きに、そうしたい
中国側の特殊な事情があったんだが、それはともかく、そういうわけで、当時、
中国を宗主国とすることは、中国側よりも属国側に大きなメリットがあった。
だから、琉球側の意識としてはあなたの指摘はほぼ妥当でしょ。
琉球は外貨獲得の手段として、また中世東アジアにおいて国際的に独立国として
承認されるため、中華帝国の覇権体系に組み込まれるメリットを選んだということ。
つまり中国を利用する国家戦略。事実、琉球はあらゆる中国の属国の中で、もっとも
多く朝貢貿易を行った国のひとつ。つまり、もっとも多く中国から金をまきあげて
潤ってたわけだ(笑)
…というような指摘は高良倉吉がしてる。これは決してロマン論ではないと思うよ。
118 :
ちゅらさん:2005/07/03(日) 18:59:37 ID:M1k.AA7U
[ wbcc1s13.ezweb.ne.jp ] 俺名字『尚』だけど王族とは何も関係ないらしいorz
119 :
ちゅらさん:2005/07/03(日) 19:02:21 ID:vfkvA3V.
[ iipe42.nirai.ne.jp ] 源や徳川でも全然関係ない人っているから気にするな。
でも尚家の分家で向をしょうと読ませてるのはかなり無理があると思った。
120 :
ちゅらさん:2005/07/03(日) 19:11:21 ID:QRA5f6T2
[ ris3180.ryucom.ne.jp ] 欠字ってやつですな…。
121 :
ちゅらさん:2005/07/04(月) 01:21:08 ID:8G.8fWQU
[ YahooBB220057104015.bbtec.net ] >>117は琉球・東アジア史をよく勉強していると思われ。漏れも素直に見習いたい。
しかしスレの趣旨へ戻るため敢えて質問する。
「なぜにウチナーのサムレーはスルーされているのか」
昔からヤマトの一部ヲタ連中の間では「漏れの家系は○○の足軽をしていた」
「先祖は○代藩主の家来」という話は、家柄自慢として辛うじて残っている。
しかしウチナー場合、系図の上では○○親雲上/○○筑登之に繋がる由緒ある家系と
(たとえそれがデッチアゲでも)自慢するしないは別に代々語り継がれても
いいはずなのに、先祖のエピソードがどこかで消滅している。
幕末までの過程で経済的に困窮した点はウチナーもヤマトの辺地も同じだとは
言い切れないが、映画「北の零年」のような伝承が沖縄に残っていないのは
サムレー達が没落し都落ちする過程の中で民衆の支持を得られなくなる何かが
あったのか、そうでなければヤマトの武士とウチナーのサムレーとは本質的な
何かが違っていたのではないか。
122 :
思兼:2005/07/04(月) 05:19:11 ID:QokDPMAU
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] とりあえず思いつくのは
・琉球処分で、琉球の旧支配階層は大和人に冷遇され、没落するしかなかった。
・搾取者であり、民衆の支持をうけていないかった。
・琉球国内は長く平和で、サムレーは武名を立ててはいなかった。
ちなみに、尚氏は華族として本土に迎えられてたと思う。
でも、門中が残ってるよ。門中制度はもともと琉球王朝の支配階級が中国から
導入したものだ。後世になるにしたがって一般市民にも取り込まれていったけれど、
サムレーの末裔となる門中も生き残っているんじゃないの? 実際は知らないけど。
系図については、
>>66もいってるけど、王朝が公文書として詳細に作成しているので、
結構正確なものが残ってるといわれている。系図は政祭両面で重視されていて、
サムレーの身分も親から子についでいくけど、ノロだって祖母の次は孫娘とか、
母の次は娘とか、もしいなかったら従姉妹とか、わりと細かい決まりがあったそうだ。
123 :
思兼:2005/07/04(月) 05:20:26 ID:QokDPMAU
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] あ、一応フォロー。決まりは地域によって微妙に違ったそうです(笑)
124 :
をれ様:2005/07/04(月) 13:15:50 ID:ihzirQ/c
[ ZC045091.ppp.dion.ne.jp ] >121+122
先祖のエピソードがないわけではない。
単に伝えていないだけか、出自が引き継ぐべき歴史を有しない農民か、
沖縄戦や移民による断絶のどちらかだ。
しかしエピソードがあまり残っていないと感じているのは
当人の歴史に対する不勉強からきている場合が多いと感じられる。
家譜が残っている家を訪ねても、その内容を知らない(家譜そのものが読めない)
というところが殆どだ(をれの経験では)。
125 :
ちゅらさん:2005/07/05(火) 04:44:45 ID:bQQ04hSE
[ qu1.nirai.ne.jp ] 俺の地域は知ってるだけでも六代昔からこの辺に
住んでるが、シマの人たちが昔どこから来たのかルーツ
記した系図がシマのムトゥ屋〜”の墓に置いてあるとの事で
戦後すぐに父がそのムトゥ屋〜の親族亡くなって墓開ける時
皆で墓の中調べようとしたら、村の爺どもが罰当たりな!と
怒って調べること出来なかったらしい、今となっては墓も
潰してどうなったのか知る由もなし。
126 :
をれ様:2005/07/05(火) 15:29:50 ID:mWeVYqgs
[ ZC045091.ppp.dion.ne.jp ] >125
本当に「ルーツ」に関する文書なのかは疑問。
沖縄ではいわゆる系図そのもののみは私製でない限り存在しない。
(家譜と系図は異なる)
六代前だとされているが、そのあたりだと農民は目に一丁字もない状態で、
系図をふくめて記録そのものを文書として残すことはできない。
また仮に125のいう系図なるものが家譜であったとしても、
通常墓なぞでは保管しないものなので、この可能性も否定される。
127 :
をれ様:2005/07/08(金) 00:19:10 ID:t4J/yp1Y
[ qu1.nirai.ne.jp ] >119
>でも尚家の分家で向をしょうと読ませてるのはかなり無理があると思った。
漢音では「ショウ」の発声だ。
128 :
ちゅらさん:2005/07/08(金) 16:10:56 ID:wBlmAvhU
[ d288bf-024.tiki.ne.jp ] 僕は本土に住んでいるのだけど
最近はじめて親から名乗頭のことを聞いたんだけど
田場という苗字で名前の頭が典という字の門中は
どういう家系なのでしょうか?
129 :
をれ様:2005/07/08(金) 20:38:34 ID:t4J/yp1Y
[ qu1.nirai.ne.jp ] >128
氏は御氏(ぎょ・うじ)。
門中はいわゆる大宗家(ウフムートゥ)、中宗家(ナカムートウ)
を合わせて七家ある。
あなたに直近の家がこのうちのどちらかなのか、現段階の情報では特定不可。
位牌の写しでも教えてくれたら遡れるかも。
なお氏集通番号1788の御克秀 田場筑登之親雲上典寄 の家の経歴であれば、
簡単でいいのであればアップしても良いが、いかが?
130 :
ちゅらさん:2005/07/09(土) 15:43:45 ID:mg6M8om6
[ d288bf-059.tiki.ne.jp ] >129
苗字が田場で名前の頭に典がつくといっても
いろいろあるのですね。始めて知りました。
>なお氏集通番号1788の御克秀 田場筑登之親雲上典寄 の家の経歴であれば、
簡単でいいのであればアップしても良いが、いかが?
見てみたいのでアップをお願い致します。
131 :
をれ様:2005/07/10(日) 01:21:15 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] >130
いや、いろいろあるという意味ではない。
基本的に田場+典は全て御氏であって、この名を持つ者は全て門中と考えて良い。
分岐が遠いか近いかの問題で大きく七家に分類されるという意味。
ちなみにをれの調査では、田場+典(御氏)の分布は
首里、那覇、具志川、宜野湾、石垣に固まってみられるので、
首里・那覇はひとまず置いておき、具志川、宜野湾、石垣の田場は、
先の七家のうちの三家の後裔となるだろう。
首里・那覇は残り四家が分布していると推測される。
あーちょっと今日は眠いんでこれ以上の書込はパス。
ちなみに130よ、自分の先祖の名前ってどこまでわかる?
実家に電話して位牌の一番古い名前を調べて貰ってくれ、
位牌がなければ記憶にある名前でも良い、曾祖父くらいはわかるだろ。
(1870年以前に誕生している人間が良い)
132 :
ちゅらさん:2005/07/10(日) 02:58:38 ID:JxbNTskc
[ d288bf-059.tiki.ne.jp ] >131
くわしくありがとうございます。
残念ながら今のところわかるのは、西暦 約1887年に誕生した
○守(名前)です。(←こんな書き方ですみません。個人名ということでお許しください。)
この方の父は石垣島(八重山)で医師をしていたと聞いたことがあります。
今のところはこれだけしかわかりません。
133 :
ちゅらさん:2005/07/10(日) 10:44:26 ID:v4WRdcI6
[ iipe42.nirai.ne.jp ] うちは20代前まで分かるよ。
沖縄には系図の本(分厚い、枕にも利用できる)が普通に本屋で売ってるからそれで調べたほうが早いかもよ。
方法はとにかくおじー、ひーおじー、ひーひーおじー、ひーひーひーおじーを限りなく調べて照合するだけだよ。
注意は思い込みでやらんこと。何人か合ってればその家の出身ってことなんじゃない?
名乗り頭とかもヒントになるだろうしね。
同じ名前でも名乗りが違うと全然違う家系だったりするしな。
うちと同じ名前で全然違う名乗りのやつら(つまり違う家系)はむーるしにでぃきやー。
うちはでぃきらんぬーが多い。
ってここまで書いて言うのもなんだが、狭い沖縄で系図がどーのこーのってあまり関係ないと思うよ。
あれみると結局、みんな兄弟なんだなーってしか思わない。
134 :
をれ様:2005/07/10(日) 11:01:51 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] >132
あー1887年生まれくらいの若造(?)ではをれの調査対象外だから、
これから挙げる家とどれだけ近いか遠いかはまずわからない。
それは承知しておいてくれ。
ちなみに
>○守(名前)です。(←こんな書き方ですみません。個人名ということでお許しください。)
というが、物故者でしょ、気にせずに書きなさい。
だいたい何処の誰かもわからないあなたと、
無くなっている曾祖父あたりの名前くらいから何も得られる情報はない。
仮にそんなことが出来たとしても何のメリットもない。
第一あなたが私に求めていることも、個人情報の集大成であることをお忘れ無く。
ま、以下適当に簡単な経歴を書いていく。
135 :
をれ様:2005/07/10(日) 11:26:57 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 『氏集』(十四番)所載
1788「御氏 元祖御開烈田場筑登之親雲上典昌支流二子御克秀田場筑登之親雲上典寄」
について。
---------------------------------------------------------------------
始祖概略
『氏集』区分から「御氏」は首里系の士族であるということがわかる。
大宗家の家譜序文の写しが残っているが、
それにはもともと祖先は知念間切安座間の生まれであったことが記されている。
昌典なる人物が1674年に初めて王府に仕え、現在の田場+典を名乗る御氏の人間は、
全て彼の後裔にあたる。
昌典が王府に仕えたのち、家譜編集の布令が出されるが、
その時点では昌典はまだ知念間切に住んでいたため、家譜を得ることができなかった。
しかし後(1699年)に訴えを起こし首里赤田への居住が認められ、
1712年には訴えののちようやく家譜を得ることができたと記されている。
ちなみに家譜の序文はこんな旨で結んでいるぞ(なお序文は昌典の筆による)、
「子孫はこの恩を忘れるな」
一体この事実を何人くらいの現代の御氏の人間が知っているだろうか、気になる。
136 :
をれ様:2005/07/10(日) 11:32:31 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 一世 御開烈(ぎょ・かいれつ)
田場筑登之親雲上昌典(たば・ちくどぅん・ぺーちん・しょうてん)
1656.9.18生まれ。
父は1623生まれ1696.6.13死去、母は1629年生まれ1686.4.16死去。
子細は大宗家の家譜未確認のため不明。
137 :
をれ様:2005/07/10(日) 11:35:53 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] すまん、135、136の書込でミスがある。
名前の「昌典」は全て「典昌」の誤り。
尚典と音的に混淆させてしまった。
138 :
をれ様:2005/07/10(日) 12:05:55 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 二世 御克秀(ぎょ・こくしゅう)
田場筑登之親雲上典寄(たば・ちくどぅん・ぺーちん・てんき)
1686.7.28-1730.4.29
一世典昌の次男
1704 尚氏美里王子朝禎にお供し、薩摩へ渡った。同年帰国。
1707 医師・衡氏清林知光に医道を学ぶ。
1709 王府に医道を学びたい事を訴え、これが認められ薩摩へ渡る。
池水春意、馬場長軒、鶇木円隆、財津安仙、松山道慶の五医師に学ぶ。
1712 薩摩にあって医師と認められ、剃髪し玄長(のちに改めて元長)と称した。
※このころ医者は剃髪し、医者としての名、すなわち医号をもつ。
1715 六年間の学習を終え帰国。
1719 黄冠に叙せられた(=筑登之親雲上となった)。
同年冊封使節の一人であった中国の医者 王清<金+茲>から医道を学ぶ。
このとき王清<金+茲>から秘伝の書を授かった。
なお同じく葉氏の楚南兼章、全氏の屋宜盛聖もともに学んだ。
1723 御典薬となった。
1730 亡くなったとき、尚敬王が女官を遣わし、御玉貫一双を賜った。
139 :
ちゅらさん:2005/07/10(日) 12:16:31 ID:JxbNTskc
[ d288bf-059.tiki.ne.jp ] >137
おー!すごい。
本当にありがとうございました!感激です!
もっと詳しく調べる為に早めに戸籍をたどって
できるかぎり名前を調べたいとおもいます!
それと『氏集』っていくらぐらいするのですか?
出版社名など教えていただければありがたいです。
ネットで購入することはできないのでしょうか?
140 :
ちゅらさん:2005/07/10(日) 12:36:58 ID:JxbNTskc
[ d288bf-059.tiki.ne.jp ] 139です。
書きこみ途中なのにへんな事言ってすみません!
どうぞ続けてください!すみません!
141 :
をれ様:2005/07/10(日) 13:06:09 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 三世 御紹基(ぎょ・しょうき)
田場筑登之親雲上典盛(たば・ちくどぅん・ぺーちん・てんせい)
1720.1.27-1781.11.8
二世典寄の長男
1747 薫氏屋富祖筑登之親雲上仲英とともに医道を学ぶため薩摩へ渡る。
横内玄哲と父も学んだ鶇木円隆に師事した。
1751 四年間の学習を終え帰国。
帰国後納殿詰医者となった。
1753 黄冠に叙せられた(=筑登之親雲上となった)。
1765 剃髪し、玄長と称した(父の医号を受け継ぐのは珍しい例)。
1766 下庫理詰医者となった。
同年尚穆王の四男が疱瘡になったが、この保養に務めた。
この四男とは後の摂政・尚容 宜野湾王子朝祥。
1774 病に罹り、職を辞した。
1781 亡くなる。
142 :
をれ様:2005/07/10(日) 13:20:39 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 四世 御文翼(ぎょ・ぶんよく)
田場筑登之親雲上典克(たば・ちくどぅん・ぺーちん・てんこく)
1754.12.11-1801.2.15
三世御紹田 田場筑登之親雲上典左の三男だが、典盛に子が無かったため
嗣子として家統を継いだ。
(典左は典盛の弟で、典盛と典克はおじ・おいの関係になる)
1778 長男・御光顕 田場典儀 が数え二歳で亡くなる。
1781 毛氏座喜味里之子親雲上盛富とともに医道を学ぶために薩摩へ渡る。
小田医三に学んだ。
1783 二年間の学習を終え帰国。
1785 下庫理詰医者となり同時に黄冠に叙せられた(=筑登之親雲上となった)。
1796 御医者職に就いた。
1801 亡くなる。
143 :
ちゅらさん:2005/07/10(日) 13:22:12 ID:v4WRdcI6
[ iipe42.nirai.ne.jp ] っていうか出典を示したほうが早いんじゃないでしょうか。
田場さんも自分で調べる楽しみがあるでしょうから。
あ、横からすみませんね。
144 :
をれ様:2005/07/10(日) 13:30:29 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 五世 御必進(ぎょ・ひっしん)
田場筑登之親雲上典永(たば・ちくどぅん・ぺーちん・てんえい)
1783.1.23-1829.5.14
同族の御鵬翼 田場筑登之親雲上典弘の長男だが、典克の長男は夭折し、
他に子がないため嗣子として家統を継いだ。
1806 給地御蔵筆者となった。
1810 向氏当間親方朝祥とともに医道を学ぶために薩摩へ渡る。
西玄嘉、中馬龍見に学んだ。
1813 三年間の学習を終え帰国。
1814 下庫理詰医者となり同時に黄冠に叙せられた(=筑登之親雲上となった)。
1815 長男・御用教 田場典昆が数え二歳で亡くなる。
1829 亡くなる。
145 :
をれ様:2005/07/10(日) 13:31:27 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] >143
出典はすでに明示済み。
彼の希望があってをれは記述しているだけ。
146 :
をれ様:2005/07/10(日) 13:39:27 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 六世 御允恭(ぎょ・いんきょう)
田場筑登之典英(たば・ちくどぅん・てんえい)
1813.9.2-1854.11.10
同族の御盛材 田場筑登之親雲上典章の三男だが、典永の長男は夭折し、
他に子がないため嗣子として家統を継いだ。
1834 大台所筆者となる。
1838 長男・御日昇 田場典紀が数え三歳で亡くなる。
1846 佐敷御殿の御道具当筆者となる。
1848 佐敷御殿の庫理筆者となる。
1854 亡くなる。
147 :
をれ様:2005/07/10(日) 13:46:51 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 七世 御弘照(ぎょ・こうしょう)
田場筑登之典完(たば・ちくどぅん・てんかん)
1843.4.28-?
典英の次男。長男が夭折したため家統を継いだ。
1860 久慶門の御番筑登之となる。
(首里城の門の一つ。現在は有料区域からの出口となっている。
なお現在の首里城公園には木挽門、歓会門のところに赤い冠をした人が
入園者の数なんかをチェックしているが、あれが現代版御番筑登之。)
以降の記録は家譜に記載なし。
148 :
をれ様:2005/07/10(日) 13:49:46 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 七世 御宏基(ぎょ・こうき)
田場筑登之典真(たば・ちくどぅん・てんしん)
1847.11.8-?
典英の三男。
1870 久慶門の御番筑登之となる。
1871 長男・御世行 田場典興が誕生。
以降の記録は家譜に記載なし。
149 :
をれ様:2005/07/10(日) 13:53:21 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 七世 御宏業(ぎょ・こうぎょう)
田場仁屋典守(たば・にや・てんしゅ)
1849.12.13-?
典英の四男。
1863 カタカシラを結った(=元服した)。
以降の記録は家譜に記載なし。
150 :
をれ様:2005/07/10(日) 14:01:03 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] 以上が氏集1788の家譜の簡単な経歴。
なお翻訳にあたっては
@をれ様個人の観点から記事を取捨選択した。
A漢字は適宜いわゆる新字体に改めた。
B清暦から西暦への変換は厳密ではない
(「年」を単純変換し「月日」は記載日時のままである。
よって厳密には年がずれるおそれがある。旧暦の12月は新暦で翌年になるように)
C時折「○年間」という記述があるが、これも厳密ではない。
D御氏の位階称号については家譜で確認できるものまでを記載した。
あと他にも質問事項が出ているが、今回はパス。あとで書く。
日曜日を楽しみたいからな。
151 :
ちゅらさん:2005/07/10(日) 14:05:17 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] >>150いつも見てるけど、をれ様のbrogもすごいけど頭もすごくいいね。
152 :
をれ様:2005/07/10(日) 15:08:36 ID:G.O5J7Os
[ qu1.nirai.ne.jp ] >151
素直に喜びたい気持ちもあるが、niraiからだとIDが一緒になる場合がある。
自作自演の誹りは免れたいな。
ニフェーデービル。
153 :
ちゅらさん:2005/07/11(月) 17:39:50 ID:QUhOnI/.
[ d288bf-059.tiki.ne.jp ] >139です。
をれ様さん、本当にありがとうございます!
感激いたしました!こんなに細かく載っているのですね。
でも、をれ様さんが勤勉だから『氏集』を見て読めるのですよね。
私が見ても読めないと思います。結構、漢文のようにかかれているのですか?
だとしたら氏集を購入しても読めなかったらどうしようかな・・・
154 :
をれ様:2005/07/11(月) 22:22:19 ID:MwU9v5a6
[ qu1.nirai.ne.jp ] 139氏へ
喜んでいただけてなによりだ。
しかしをれがここに挙げている内容だが、
実は家譜に記述されている内容の十分の一位にしか過ぎない。
あくまで簡単に抜き出しただけで、他にもいろいろな情報が記載されている。
察しの通りある程度、いや、
かなりの知識の蓄積がないと読みこなすのは難しいと思う。
基本的に漢文が読めれば良いが、一つ一つの単語の意味が分からねば、無論 全体としての意味が分からない。
また琉球独特の表現や、当時の漢字表記のしかたまでを押さえるとまぁ内容が理解できてくる。
143がどういう意図で「自分で調べる楽しみがある」と行ったかは知らないが、
まぁ家譜なんぞ見たことがないのかもしれないし、
あるいは少なくともをれのような苦労をしなくても、
家譜が読めるようになったかも知れない。
いずれにせよ『氏集』や家譜の存在をしらない人に対しては、
かなり酷な作業を要求している。
えーと稿を改めて解題をしたいので一旦ここまで。
155 :
をれ様:2005/07/11(月) 22:42:58 ID:MwU9v5a6
[ qu1.nirai.ne.jp ] ■いわゆる家譜について
その家の人間(主に男性)の生没はもちおろん、いつどういった職についたか、
なにか大きな行事や工事、または国事行為に関わった経歴、褒賞の類、
はたまた罪に問われたことなどが連綿と書きつづられたもの。
分家し、別に家譜を持たない限りすべて同じ家譜に収録される。
1689年に系図座という役所が設置され、以後士族は全て家譜を持つようになる。
家譜は同一内容の物が二冊作成され、一冊は系図座に、
そしてもう一冊は各家で保管し、一定の期間を経て増補していった。
増補のたびに系図座に保存されたものとの校合が行われ、割り印を押すなどもし、
県外のいわゆる系図のように改竄・捏造・欺瞞の跋扈が防がれた。
久米系と首里・那覇・泊系や離島の家譜間では、若干の編纂方法の違いもみられるが、
すべて漢文調で記されており、経歴のほか時折草書の候文や漢詩、
金石文などが記載されているものも見られる。
156 :
をれ様:2005/07/11(月) 22:56:23 ID:MwU9v5a6
[ qu1.nirai.ne.jp ] ■『氏集 首里那覇』について
155で説明した「家譜」の目録とでもいうもの。
原本は台湾大学研究図書館にあり、那覇市企画文化振興課が翻刻と註を施したものを出版している。
異本的に目録であり、2865冊の家譜が当時(原本には光緒20(=1894)年)
の所有者と併せて記述されている(光緒20年当時の所有者名でない場合もある)。
何度も重複して述べるが、目録であり、この本自体には家譜の具体的な内容は記されていない。
これから分かるのは、基本情報である
@分家の数とその分岐点
A光緒20年当時の所有者名
(概ね現代の所有者の姓と一致。ただし以上で述べている所有者名は
現代的な「姓名」ではなく「××親雲上」とかいうもの)
が主となるだろう。
但し観察点を変えることによってさらなる情報も引き出せうる(ここでは割愛)。
157 :
をれ様:2005/07/11(月) 23:07:50 ID:MwU9v5a6
[ qu1.nirai.ne.jp ] 改めて139氏へ
家譜と『氏集』の簡単な説明は以上だ。
『氏集』を買わずにコピーで済ますという手段もあることを提案しておく、
沖縄県内の図書館であればたいていは置いていると思う。
通番号1787から1793が御氏の家譜だからその部分だけコピーをするがよろし。
まぁ『氏集』自体も安いから買ってもいいと思いもするが(\1500)、
一般の人がどれだけ使いこなせるかは疑問を挟む余地あり。
なおをれが訳出した1788の他 1793については現在その存在自体が確認されている。
うち1788は那覇市史の家譜資料(首里系)にも翻刻されている。
実家に電話して家譜や古文書があるか聞いてみてくれ、もし存在して、
1788、1793以外ならその家譜には歴史が眠ったままだ。
その場合をれに知らせてくれるととても嬉しい。
158 :
をれ様:2005/07/11(月) 23:38:59 ID:MwU9v5a6
[ qu1.nirai.ne.jp ] >133
いいことを教えよう。20代前まで遡れる家はそんなにない。
あと分厚い「系図の本」だが、これらは基本的に『氏集』と
いくつかの家譜を焼き直したものに過ぎず、それ以上の情報はのぞめない。
「沖縄で系図がどーのこーのってあまり関係ないと思うよ」
というがこれはあなたが「家譜」を一元的にしか捉えていないだけではないのか。
子孫が先祖の歴史を辿り、知る場合、それは単に先祖の栄光を傘に着るという
低レベルな感情からのみではない。
あなたにも親がいるだろう、そしてあなたの親にもまたその親がいる、
人間は木の股から生まれない、人間は人間の子として生まれる。
自らの先祖が、何処で何をしたのかを知っているのと知らないのでは、
そして遙か何百年も隔てた先祖の名前をはじめ、生没なども手に取り分かるということ・・・
これは幸せなことなのではないのか?
こと家譜は琉球全体の歴史を紐解く鍵となる情報に足り得る、
自らの先祖の足跡だけではなく、自らの郷里の歴史をも同時に学べるものである。
機会があればあなたの家にある家譜は誰が守ったのか、
どういう思いで守ったのかを尋ねてみると良い。
多くの家譜がいかにしてあの沖縄戦をくぐり抜けたのか、
子孫に何を伝えたいため、あるいは命を賭してまで守ったのか。
一冊の古文書に拘り、命を賭け、曾祖父や祖父が現代のあなたに伝えたもの、
その家譜の中の歴史の重みと、その輝きとを知って欲しい。
159 :
をれ様:2005/07/12(火) 00:32:39 ID:tw/j0T3c
[ qu1.nirai.ne.jp ] をれは最近からこの掲示板に出入りしていて、
過去の記事を見ていなかったのだが、今日見直して焦った(情報のいい加減さに)。
をれもそこまでヒマじゃないから全ては無理だが、
特に目に付いた明かな誤りは過去に遡り訂正を加えていきたい。
160 :
をれ様:2005/07/12(火) 00:38:07 ID:tw/j0T3c
[ qu1.nirai.ne.jp ] >103
>「現当主の尚栓」
譲渡された時の当主は 尚裕様。
音が同じ人物に尚詮(しょう・せん)氏がいるが、直系の人物ではない。
また、尚裕様は当時の当主で現当主ではない。
161 :
ちゅらさん:2005/07/12(火) 00:38:53 ID:tw/j0T3c
[ qu1.nirai.ne.jp ] >159
あんまし、焦らんでもえーよ。
急いで訂正する必要もねーよ。
ゆっくりでえぇですから、
これからも、ご指導ヨロスコお願い致します。
162 :
をれ様:2005/07/12(火) 00:44:09 ID:tw/j0T3c
[ qu1.nirai.ne.jp ] >102
ケアレスミスで本人も気が付いているだろうが、これから学ぶ人のために。
×外間守繕 → ○外間守善
×「おもろそうし」 → ○「おもろさうし」
特に「おもろさうし」については誤記が甚だしい。
別スレの「沖縄の地名を語る」とかなんとかいうとこにも書いたが、
書き言葉と話し言葉の区別がつかない人が多いと感じる。
発声は「おもろそうし」で良いが、表記は「おもろさうし」だ、
図書館の検索や書誌情報の検索では「おもろそうし」は誤記していない限りヒットしない。
なお何かと話題のゴー宣の沖縄論でも「おもろそうし」と誤記をしている。
163 :
をれ様:2005/07/12(火) 00:49:46 ID:tw/j0T3c
[ qu1.nirai.ne.jp ] >104
>歴代王朝も、内部で争って無茶苦茶やるだけやって自爆してる歴史だ。
当時の資史料は残っていない。
誰かが想像で語った歴史に過ぎない。
>結果的に女性が被害を受けてきたのが沖縄の王朝絡みの歴史
さてどうだろうか。
尚宣威王の退位の事例もあり、少なくとも第二尚氏の初期までは
厳然たる力を有している。
164 :
をれ様:2005/07/12(火) 01:01:32 ID:tw/j0T3c
[ qu1.nirai.ne.jp ] >89
>ずけらんって苗字で名前の頭に「朝」がつくひとは、王家の血筋だよーん
基本的に名乗頭に「朝」の字がついていれば、王の後裔であることが推測される。
無論 「名乗頭」として受け継がれていればだ。
現代では、命名が自由になり(使用漢字の制限はあるが)、
また特に昭和期からこの慣習は薄く成りつつなっているから
全く関係のない人間が「朝」をつけていることもある。
ただし「朝」がついているからと意って則名家であるわけではない、
たとえ王家の裔だろうが、功績や能力のない者・家は無禄に落とされた。
一つの線引きとして「王朝時代の間切名」の大きさを見れば良い。
名家とよべる家や王家に非常に近い有力な家は、大きな間切の名を冠している。
たとえば「伊江」「今帰仁」「読谷山」「與那城」がそうだ。
どうよ、そうそう目にする名前じゃないだろ。
165 :
をれ様:2005/07/12(火) 01:04:57 ID:tw/j0T3c
[ qu1.nirai.ne.jp ] >161
ういーっす。今日はこの辺りにしておきます。
166 :
をれ様:2005/07/12(火) 01:18:42 ID:tw/j0T3c
[ qu1.nirai.ne.jp ] あー推敲しないで書いているからマズい文章があるな。
一番ヤバめなのを訂正しておく
>>155
>県外のいわゆる系図のように改竄・捏造・欺瞞の跋扈が防がれた。
↓
>県外のいわゆる系図のように改竄・捏造・欺瞞の跋扈が起こることはなかった。
167 :
思兼:2005/07/12(火) 09:55:59 ID:wdPZZgT6
[ ktsk111062.catv.ppp.infoweb.ne.jp ] >をれ様
おおー、なんか専門的な人が出てきた。すごいですね。
氏集を読んでるというだけですごい。高良氏の本でそんなものがあるのかーくらい
にしか思ってなかったから。読んでて面白い。
ここは貴方の様にちゃんと沖縄学を学んでいる人はいないので、
今後も意見されていくことを望みます。
特に素人はなかなか一次資料にあたることはできませんので。
168 :
ちゅらさん:2005/07/29(金) 16:51:24 ID:TKmuQ/.2
[ usr04218.tontonme.ne.jp ]
169 :
ちゅらさん:2005/07/29(金) 17:26:18 ID:qoyjhClA
[ qu1.nirai.ne.jp ] >168
チュウゴクの人じゃないの?
170 :
ちゅらさん:2005/07/29(金) 17:55:18 ID:TKmuQ/.2
[ usr04218.tontonme.ne.jp ]
171 :
しゅりんちゅ:2006/06/11(日) 01:37:06 ID:cq0JxZ9.
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] 今日初めてこの掲示板をしりました!
1年前までは激しくやり取りしてますが今は誰もいないのでしょうか?
をれ様〜もう1度カムバック!
172 :
しゅりんちゅ:2006/06/11(日) 15:08:23 ID:cq0JxZ9.
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] 苗字というより門中がキーワードなのでしょうか?
173 :
gokuu:2006/06/12(月) 00:13:43 ID:gGHznkuI
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] 俺も王家の子孫と会ってみたいさぁ〜
周りにはいなかったけどなぁ(ちなみになふぁんちゅ)
誰か継承者はいないばぁ〜!!!!
174 :
ちゅらさん:2006/06/12(月) 00:15:24 ID:vKd8kUNE
[ softbank219052106056.bbtec.net ] 北斗神拳
175 :
ちゅらさん:2006/06/12(月) 01:22:27 ID:nEiX.crc
[ softbank220057048026.bbtec.net ] 私は地球人の末裔らしいのです。確かめたことありませんが。
176 :
gokuu:2006/06/13(火) 01:05:17 ID:cl.xcLMw
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] どぅしにならんね〜?
177 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 00:32:44 ID:1JYRffE.
[ adf175.mco.ne.jp ] なりマース
178 :
をれ様:2006/06/16(金) 00:44:35 ID:hmQIVCqs
[ sf194.nirai.ne.jp ] >171
久々にこのスレを見た(苦笑)
なんだか気乗りがしなくて放置していたけど、
そのごレスはあまりついていないようだな。
179 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 01:38:26 ID:nTU9t6WI
[ softbank220057084046.bbtec.net ] 向氏の末裔です、門中と云う言葉だけ流行っているのが、気になります。
わたしの親たちは、門中とは云わず、一門(イチムン)
または時によりチュイチムンと云っていました。
180 :
しゅりんちゅ:2006/06/16(金) 01:52:24 ID:0vKECXoc
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] キターーーー!
神降臨!!!
をれ様待ってましたよ〜♪
よっ! 琉球の知恵袋!
あなたが登場しないからレスがないのでは!!!?
181 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 02:00:02 ID:lXd9k.yk
[ p4185-ipbfp202yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >>179貴様が薩摩に無条件降伏して、琉球を薩摩に売り渡した屁垂れの子孫か!!
すべての沖縄県民に、土下座して謝罪しれ!!!
182 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 02:07:19 ID:nTU9t6WI
[ softbank220057084046.bbtec.net ] 尚氏は直系、向氏は傍系。
183 :
しゅりんちゅ:2006/06/16(金) 02:16:05 ID:0vKECXoc
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ]
184 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 02:18:41 ID:uQ6emyp2
[ softbank220057048117.bbtec.net ] 与○、○花、与○覇って苗字は王族の末裔って坊さんがのべとった
185 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 02:33:49 ID:nTU9t6WI
[ softbank220057084046.bbtec.net ] >>181薩摩やニッポンの足かせから琉球を取り戻せってこと?
はぁーそれって独立せよと云うことですかぁ?
186 :
しゅりんちゅ:2006/06/16(金) 14:27:52 ID:0vKECXoc
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ]
187 :
ネットサバイバー:2006/06/16(金) 19:30:05 ID:GIHBmjYQ
[ wbcc1s03.ezweb.ne.jp ] 確か尚はし(無念)の直系って東京在住じゃね?
名字変わってないらしいけど
188 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 20:00:06 ID:mp2tM8kQ
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] 一応みんなの見解として王族の末裔ってのはいわゆる「第二尚氏」の末裔と受け取っていいのでしょうか。
それとも第一尚氏の末裔も王族の末裔としてもよろしいんですかね?
なんてったって尚巴志ですからね。当人たちにしてみれば自分たちこそ尚氏であると思ってるかもしれませんね。
それはおいといて、その第一と第二って血縁関係はないそうですが、二つとも伊平屋、伊是名という極めて近い土地の出身ですよね。
それに第一第二ともに海賊の末裔と言われてるし。(ソースは?え、知りません。亀島先生の琉球歴史の謎とロマンにそう書いてありました)
実は二つは血縁関係があったんじゃないですか。
金丸は大恩のある主家を討ったあとしゃーしゃーと尚を名乗ってます。財産をそのまま乗っ取る(首里城とか)のは分かりますが名前も家紋(ヒダイグムン)もちゃっかり奪ったのは何故なんだろう。
実はこの二つの一族って基は同じなんじゃないのかな、、、と。
で、当時はあまりにも当たり前の話で一々記録しなかった、、とか。
どうなんでしょうね〜。
189 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 20:15:34 ID:.xa5ss1g
[ wbcc3s12.ezweb.ne.jp ] 東京台東区に住んでいるのは尚巴志の子孫ではなくて、尚泰の子孫だよ。一応尚円の子孫でもあるけど
王朝交代は革命思想ですよ。
儒教思想のなかにもあるよ
190 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 20:24:29 ID:nTU9t6WI
[ softbank220057084046.bbtec.net ] ヒダイグムンって?初めて聞きますけど、なんなんでしょう。
191 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 20:28:02 ID:mp2tM8kQ
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] ヒダイグムン(人によってはヒジャイグムンとも言う。)とは左三つ巴のことです。
言葉では説明しにくいんですが人魂(たとえが悪いか)が三つ渦巻いてる紋って見たことありませんか。
192 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 20:33:37 ID:43lDmKVk
[ p13084-adsan10honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] 尚氏のルーツはやはり中国なのかな?
193 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 20:50:49 ID:nTU9t6WI
[ softbank220057084046.bbtec.net ] 両親とも向氏の末裔ですが、
耳あかはパサパサ乾燥なので縄文系ではなく、弥生系かなと。
でも鼻は筋が通って高いです。色白です。手足は長い。
知り合いの中国人を見ていて、ルーツを感じるのはまったくありません。
194 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 21:35:12 ID:nTU9t6WI
[ softbank220057084046.bbtec.net ] >>191首里那覇が地元の者ですが、
ヒジャイグムンまたはヒザイグムンと云う言い方を聞いてきましたが、
ヒダイグムンと云う言い方は沖縄のどの地域の言い方でしょうか?
195 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 21:46:02 ID:mp2tM8kQ
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] うーん、顔つきだけでルーツたどるのはかなり困難だと思います。
会社にやはり向氏の末裔いますけど、思い切りうちなーじらーですよ。
アムロちゃんだって普天間かおりだってうちなーじらーですからね。
顔つきだけではわからないですよ、多分。
でも193さんは(文面から推測すると)わりと第二尚氏の血を多くひいていらっしゃるかと思います。
もしかするとひょっとすると尚氏のルーツは北方に求められるのかもしれませんね。
196 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 21:50:18 ID:mp2tM8kQ
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >194
いいかげんな事書いて申し訳ありません。
ヒダイグムンなんて言い方ないですね。当方の思い違いでした。
すみません。
197 :
ちゅらさん:2006/06/16(金) 23:41:19 ID:g/ImZBLg
[ iipe42.nirai.ne.jp ] http://www2.oiuw.oiu.ac.jp/5/5-6.htmこれ家譜のデータベース。
首里、那覇、泊の系譜あり。
家譜を残したご先祖様も偉いがデータベース化した人間もえらい。根気のいる作業だったろうな。
さあ、みんなもルーツ探しだ!
と言いつつこれはちょっと学がないと読めないな。漢字ばっかりだ。
でも親切に(○○家)と書いてあるので自分の名前探すのはたやすいかも。
同じ名前でも氏(うじ)が一致しないと意味ないので気をつけて。
をれ様のように知識がある人が読めばまさに宝の山だと思う。
198 :
ちゅらさん:2006/06/17(土) 15:30:29 ID:C7FGOlsQ
[ ZC164077.ppp.dion.ne.jp ] 尚 明
父は琉球最後の国王である尚泰の六男・尚光。
1938年東京帝国大学を卒業し大蔵省営繕管財局へ入省。1964年建設省住宅局長を経て、 1966年には日本住宅公団理事となり、1971年には日本住宅公団の副総裁に就任。その後も(財)日本住宅リフォームセンター(現在の(財)住宅リフォーム・紛争処理支援センター)初代理事長をはじめ(財)住宅産業情報サービス、(財)性能保証住宅登録機構などの理事長をつとめた。
NHK放送の「プロジェクトX挑戦者たち」でも取り上げられている(第6回「妻へ贈ったダイニングキッチン」〜勝負は一坪・住宅革命の秘密〜)が、公団の初代住宅計画部課長のとき「ステンレス流し台付き公団住宅」を考案。いわゆるダイニングキッチンを世に送り出し、住宅に革命をおこした。
現在、(財)住宅リフォーム・紛争処理支援センター主催の「住まいのリフォームコンクール」においては、尚明の功績を称え、国土交通大臣賞や(財)住宅リフォーム・紛争処理支援センター理事長賞とならび、その名を冠し、尚明賞として、マションリフォームで優秀な作品に与えられる賞を設けている。
この墓所には自身のほか父・尚光をはじめ、母・福子、夭折した弟・尚英、そして妻の道子が眠る。
妻・道子はいわゆるタコさんウインナーの考案者でもあり、料理研究家としてNHK「きょうの料理」の講師をつとめた。次男の尚承は母の影響を強く受け料理人となり、母と同じく「きょうの料理」の講師をつとめるほか、NHKドラマの「ちゅらさん」の料理指導もおこなっている。また外祖父は彫刻家の米原雲海で、これが尚家と米原家の墓所が同敷地内にある由縁である。
199 :
ちゅらさん:2006/06/17(土) 15:33:20 ID:C7FGOlsQ
[ ZC164077.ppp.dion.ne.jp ] >1
川平じえいの父。
1927年生まれ。沖縄出身。
ミシガン州立大学大学院卒(コミュニケーション経営)。
沖縄時代、琉球放送常務取締役。沖縄放送協会(OHK)会長を経て、1972年沖縄の施政権返還に伴いNHKに移り、1983年経営主幹(国際協力担当)を最後に退職。その後(財)放送文化基金監事などを務めて、1992年昭和女子大学教授となり、英米文学科長、文学部長、副学長を経て、2001年副理事長となった
200 :
ちゅらさん:2006/06/17(土) 15:34:31 ID:eG2z7gqs
[ softbank220057048026.bbtec.net ] われわれは 地球人だ
201 :
ちゅらさん:2006/06/17(土) 15:57:48 ID:C7FGOlsQ
[ ZC164077.ppp.dion.ne.jp ]
202 :
ちゅらさん:2006/06/17(土) 20:35:40 ID:Hck0hgQE
[ sf194.nirai.ne.jp ]
203 :
株式会社琉球タイムス社長 山田萬太郎:2006/06/17(土) 20:58:18 ID:KKXpEk9I
[ softbank221025080148.bbtec.net ] 琉球独立に反対するヤマト右翼の最大の論理矛盾及び脳欠陥、
<中国による、チベットの弾圧反対、チベットの独立に賛成>
でも、琉球独立反対、琉球独立派弾圧賛成なんだよね。
とゆうことはこいつらは何の正しさもない自分勝手な主張だけ
だということだよね。フラーってゆうことだね。
ははははバーカ!張り倒すぞッ!バカドモ!
204 :
しゅりんちゅ:2006/06/17(土) 21:51:25 ID:top2E1SQ
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] をれ様は何処へ?
205 :
ちゅらさん:2006/06/18(日) 17:25:51 ID:WXyB2a/o
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ]
いあぁ〜
うちな〜魂
は永遠です!
206 :
ちゅらさん:2006/06/18(日) 23:17:46 ID:LbTnQ3b2
[ softbank220057170010.bbtec.net ] 尚家の孫氏の門中って 親に聞いてて
嗣って字がついてるんだけど
子供の時はださい名前だと思っていたんだけど
今はすごく気にいっている(自己満足で)
207 :
ちゅらさん:2006/06/18(日) 23:54:20 ID:xfjt8WSE
[ qu1.nirai.ne.jp ] >>206それって・・・
齢とともに、だんだん自分の可能性に限界が見え始めてきたので、見切りを付けて
「家筋」である程度の優越感を感じて自分を保とうとシフトしたって事なだけなんじゃねーのw
208 :
ちゅらさん:2006/06/18(日) 23:58:57 ID:/N5.MCig
[ sf194.nirai.ne.jp ] いちいち他人を罵倒して楽しいのか?
209 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 00:41:14 ID:9gBjRdeY
[ wbcc3s10.ezweb.ne.jp ] まあ所詮自己満足らしいですから…。
210 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 01:06:52 ID:lfISBDbk
[ softbank220057052101.bbtec.net ] 自分の家は琉球王国に仕えてた人の子孫。
って親から聞いたんだけど、本当かどうかがわからん。
色々調べてみたりしたけど成果なし。
こういうのってどこでわかるんだろう・・。
211 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 01:08:18 ID:W5y.BMNs
[ wbcc3s05.ezweb.ne.jp ] 家譜。
なければガセ
212 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 01:08:48 ID:IZAoLd.s
[ p4155-ipbfp01yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] 湯田とヵ?!
213 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 01:08:56 ID:KiAcf7OE
[ qu1.nirai.ne.jp ] >>210明治時代に家計図の偽装が全国的に流行ったらしいからな。
そんなのより現在の自分を子孫に誇れるように持っていったらいいんじゃないのかな。
214 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 01:10:09 ID:KiAcf7OE
[ qu1.nirai.ne.jp ] 家計簿みたいになっちゃったw
家系ね。
予断だけど、横山先生は火計で亡くなったらしい。
215 :
210:2006/06/19(月) 01:33:43 ID:lfISBDbk
[ softbank220057052101.bbtec.net ] >>213何か、武士で宮古に流されたとかなんとか。
いや、今の自分の方を頑張ろうとは思っているよ。
でも先祖とかちょっとわかるなら知りたいなって感じなだけ。
ありがとうね。
216 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 01:36:12 ID:W2c/nqzA
[ wbcc3s07.ezweb.ne.jp ] ご先祖様は政治犯なのか?
217 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 01:37:22 ID:lfISBDbk
[ softbank220057052101.bbtec.net ] いや、そういう流されたではないと思うけど・・。
移住みたいな左遷みたいな感じかな。
218 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 09:54:59 ID:0fackSeY
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >206
孫姓で名乗頭に嗣がつく人は尚巴志の弟の子孫の可能性が高いですね。
名前が平田、当間(当真?)宮城だったらもっと確率高い。
一族の口碑では尚巴志は自分の長男を弟の家に養子にやったそうです。(比嘉朝進先生の本参照)
>210
197の家譜を参考にするとよいです。でもここに出入りしてる人では
をれ様以外読めないと思いますけど。
本家の直系の名前とどこから妻を迎えたとか子供の名前くらいは
漢文が読めなくても理解できるでしょう。
家の人に氏(うじ)を聞いてみるといいです。
たとえば尚巴志の子孫だったら 孫、習、武、明、ヨウ、等
尚円の子孫だったらおおむね 向(ショウと発音する)。
護佐丸だったら毛。
外にもたくさんあります。
>213
偽家系図、あるにはあるかもしれませんが沖縄の家譜は捏造は
難しいと思いますよ。ご自分でいろいろ調べてみれば納得される
はずです。
>210
当時宮古に流刑ってのは重大な罪もあったでしょうが、家族からの訴えで
流されたってのもあったようです。
理由が「気儘」とかですね。
今で言う「気儘」とは意味が違っていたかもしれませんね。たとえば仕事しない、とか。
そんなだったら自分も今頃訴えられてます(笑)
あとは宮古在番奉行なんて役職もあったようですので一概に流刑とは
決め付けられないと思います。
219 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 10:30:24 ID:KiAcf7OE
[ qu1.nirai.ne.jp ] 農民の子孫です
220 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 12:14:33 ID:l0RjqOe.
[ softbank220057048117.bbtec.net ] 宮古島は極悪犯の流し場といわれているけど、みんな当時の刑罰内容を本当に理解しているのかな??
殺人・放火はもちろん、小額の盗みであっても、「処罰」=「死刑」の時代だよ??
身分の低い者ほど、その処罰内容(死刑方法)が残酷になってるけどね。
流刑になる者の殆どは、身分のある程度高いものにのみ適用。
それでも、殺人・放火はいくら身分が高くてもアウト。
殆どが「政治犯」として捕らわれたものが流刑の対象になったと理解してるけど。。
221 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 12:48:32 ID:36iaGuvw
[ 203-211-241-210.dynamic.tontonme.ne.jp ] >>みんな当時の刑罰内容を本当に理解しているのかな??
>>小額の盗みであっても、「処罰」=「死刑」の時代だよ??
沖縄で?
元文献は何??
222 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 13:33:21 ID:ss69QyGo
[ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ] 土人が土人を差別してどうするw俺ら日本人からすりゃ、おまいら皆搾取罪。
223 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 17:21:08 ID:PXsuj4ZY
[ wbcc3s11.ezweb.ne.jp ] 「処罰」=「死刑」なら島流しは存在しないはずなんでは?
224 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 17:58:38 ID:ZMpuzUC6
[ PPPa245.fukuoka.acca.dti.ne.jp ] >>203国際法で侵略戦争が禁止されてから武力併合されたチベットと前近代に侵略された琉球を一緒に論ずるのは
無理があるのでは。大体ダライ・ラマのように琉球王が世界に日本の非道と主権回復を求めてるわけじゃないし
一般人も独立なんて求めてないし、沖縄人が民族絶滅政策されてるわけでもないし。
中山国が沖縄と周辺諸島を平定したのは侵略ではなく琉球統一で
薩摩の琉球侵攻→属国化→明治政府が琉球王府廃止したのは日本統一ではなく侵略と考えるのは…
気のせい
225 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 18:44:07 ID:DNuV0/Ks
[ y164194.ppp.dion.ne.jp ] 結局スレずれのレスばかりだな
こんな所に高い世界で暮らす人達のネタは集まるわけないか
自分で検索した方がいいね
226 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 19:48:04 ID:KiAcf7OE
[ qu1.nirai.ne.jp ] 高い世界なんだw
227 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 20:42:49 ID:7XYYMgwQ
[ softbank220057084046.bbtec.net ] >>225 高い世界ってあの世のことかぁ、
それともすばる星雲とかアンドロメダ星人?
宇宙人も沖縄まちBにおしのびでくるんだ・・・
228 :
株式会社琉球タイムス社長 山田萬太郎:2006/06/19(月) 23:30:29 ID:jd2oYuY2
[ softbank221025080148.bbtec.net ] >>224気のせい? お前バカか?
薩摩の琉球侵攻→属国化→明治政府が琉球王府廃止したのは日本統一ではなく侵略と考えるのは…
琉球国が薩摩、日本に統一されたのではなくて、侵略されたというのは、沖縄、琉球、副読本
など歴史教科書、歴史学者の間でも常識だぞ、もっと勉強しろ笑われるぞ。
229 :
ちゅらさん:2006/06/19(月) 23:40:07 ID:7XYYMgwQ
[ softbank220057084046.bbtec.net ]
ヘッヘッヘラヘラヘラヘラへー ヘッヘッヘラヘラヘラヘラへー ヘッヘッヘラヘラヘラヘラへー
230 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 00:12:55 ID:kglZWSV6
[ softbank220057095047.bbtec.net ] 宇宙人が侵略してくるぞ〜!
231 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 05:59:22 ID:1U1.6oOw
[ softbank220057084046.bbtec.net ] ちょっとマジレスね。
親から聞いた話。
廃藩のドサクサの時首里王府で会計をしていた役人のゆかりのものですが、
その時宝物を首里のヒータティモウに隠したそうです。上の人の指示で複数人で。
その後取り出したとは思いますが、気になります。
金めのものもあったかもしれないが文書とかも入っていたんだろうなって思います。
ヤマトゥに知られたくないいろんな帳簿とか。
そのじいさんは当時の過労で若くして亡くなったそうです。
232 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 18:59:38 ID:xIbG7eDk
[ PPPa245.fukuoka.acca.dti.ne.jp ] >>228権威主義ですね。なんて沖縄人に都合のよい常識なんでしょうね。その常識の根拠は、ダブルスタンダードの根拠は
なんですかね。そもそも琉球王国支配地域に住んでる人たちを沖縄人とひとくくりにしてしまうのもおかしいですね。
那覇人、奄美人、石垣人、宮古人、八重山人と分けるべきですね。
233 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:03:08 ID:BiWGewP2
[ ntoknw025029.oknw.nt.ftth4.ppp.infoweb.ne.jp ] 首里城は王居というよりは沖縄県庁の本館にした方がいい。
泉崎は那覇合同庁舎だ。
234 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:07:06 ID:9GHgKOB2
[ 221x248x244x138.ap221.ftth.ucom.ne.jp ] 沖縄人が日本の国籍を取得したのはいつだったか分かる人?
235 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:13:04 ID:NlInTLd.
[ wbcc3s02.ezweb.ne.jp ] それどっかのスレにガイシュツだから自分で調べろ。
236 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:14:00 ID:5d5oocyg
[ wbcc3s08.ezweb.ne.jp ] 首里城本館じゃ狭すぎるんでは
237 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:15:59 ID:9GHgKOB2
[ 221x248x244x138.ap221.ftth.ucom.ne.jp ] >>235自分で調べろだって(笑)。自分は知ってて聞いてるんだけどねw
みんなは知ってるのか聞いてるだけw
238 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:19:26 ID:9t7K176I
[ wbcc3s06.ezweb.ne.jp ] また民族キモヲタの登場かよ。
チラシの裏にでもかいとけよ。
ってか、他のネタはないのかよ
239 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:20:25 ID:9GHgKOB2
[ 221x248x244x138.ap221.ftth.ucom.ne.jp ] 何?それw
240 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:42:21 ID:y43G.fio
[ qu1.nirai.ne.jp ] 2chでやれ。
生半可な知識では怖くて2chに行けないからここで書くのはわかるけどさ・・・
241 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 20:59:47 ID:jarBOZgw
[ ZE123012.ppp.dion.ne.jp ] だから自分で検索した方がすぐだってよ
なんの為に検索があんだよ
242 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 21:08:52 ID:jarBOZgw
[ ZE123012.ppp.dion.ne.jp ] >228
世界中にある近代国家がどういう過程で今あるかと
武力や交渉で国家が成立して成り立ってる
琉球自体元々ばらばらだった物を統一して一つの国にした
日本本土もそう。左翼系は都合の良いカテゴリー、部分でしか歴史を語らないから頭痛いけど
スレからずれた話題なのでスルーしていいよ
末裔ネタの為のスレだから。
243 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 21:09:11 ID:9GHgKOB2
[ 221x248x244x138.ap221.ftth.ucom.ne.jp ]
244 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 21:40:14 ID:4Jdkd15c
[ wbcc3s01.ezweb.ne.jp ] 同じネタを何度もリサイクルするところからして、自信の無さを感じる。
245 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 21:51:55 ID:iEIv9N22
[ wbcc3s03.ezweb.ne.jp ] 近代国家は領土確定をしはじめた時からだよ。
沖縄でいえば琉球処分から後のこと、契機は台湾人の琉球漁民殺害事件・台湾出兵。それ以前は前近代。
スレ違いではないと思うよ。
台湾出兵や日清戦争がなければ、琉球三分割案で八重山が中国になっているところだったし。
どっかのバカのひとつ覚えよりはよっぽどましだよ。
246 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 22:04:20 ID:9GHgKOB2
[ 221x248x244x138.ap221.ftth.ucom.ne.jp ] >>244それなら234の問いに解説付きで答えてごらんよ。自信があるんだろ?
247 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 22:10:40 ID:5d5oocyg
[ wbcc3s08.ezweb.ne.jp ] なんでお前のマッチポンプに付き合わないとイケナインダヨ。
も前が引用した国会答弁が正解とばかりにいいたいんだろ?
というより、も前の話は誰も聞きたがってないからチラシの裏にでも行ってくれ。
248 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 22:12:47 ID:9GHgKOB2
[ 221x248x244x138.ap221.ftth.ucom.ne.jp ] あれれ、それが解答なのかい? がっかりさせるなよ〜w
249 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 22:13:40 ID:2W6U3F9c
[ wbcc3s09.ezweb.ne.jp ] はいはいワロスワロス。
250 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 22:14:07 ID:67fse85E
[ softbank221078023017.bbtec.net ]
251 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 22:14:35 ID:2W6U3F9c
[ wbcc3s09.ezweb.ne.jp ] マスかき済んだか?
252 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 22:17:16 ID:9GHgKOB2
[ 221x248x244x138.ap221.ftth.ucom.ne.jp ] 笑w
253 :
ちゅらさん:2006/06/20(火) 22:18:58 ID:jarBOZgw
[ ZE123012.ppp.dion.ne.jp ] >245
十分スレ違いでしょ。琉球王国の末裔のヤシいる?? ってスレなんだから。
それ相応のスレなどこの沖縄まちBにはちゃんといつもあるじゃん
まちB沖縄は荒らしの集まりだからなんでも有りって言うならしょうがないけど
254 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:22:36 ID:BQbPPoWI
[ qu1.nirai.ne.jp ] >>252そもそも書き込むスレ自体間違えてるし・・・
まあ、「振り上げた拳の降ろし所」がみあたらないみたいだし、
定期的に書き込んでは,「w」の付いたレスで返す、の繰り返しを行うしかないだろうね。
ちょこちょこ付き合ってレスしてあげるから感謝しろよな。
255 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:24:24 ID:lObNgCKM
[ wbcc3s11.ezweb.ne.jp ] またあまやかしちゃって…
そのうちまた調子に乗っちゃうよ。
256 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:26:42 ID:Jib4U65Q
[ p12056-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] >>254そういう君もスレ違いだし。
自分のこと棚に上げないでね。
257 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:30:54 ID:yprTa2/6
[ wbcc3s03.ezweb.ne.jp ] どこのスレでもコケにされまくってるな。誰とは言わんが。
258 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:34:33 ID:Jib4U65Q
[ p12056-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] 誰と言ってもかまわんよ。
259 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:35:40 ID:T5tiF81Y
[ wbcc3s10.ezweb.ne.jp ] 心当たりがあるのかな?
260 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:47:50 ID:Jib4U65Q
[ p12056-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] 何の心当たり?
261 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:51:22 ID:VWxpw1EI
[ wbcc3s06.ezweb.ne.jp ] もう相手する人いなくなっちゃったから、多摩板に帰ったら。
262 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:52:09 ID:Jib4U65Q
[ p12056-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] 誰が?
263 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:57:28 ID:yprTa2/6
[ wbcc3s03.ezweb.ne.jp ] アンタが
264 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 00:58:38 ID:Jib4U65Q
[ p12056-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] アンタって?
265 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 01:18:44 ID:VWxpw1EI
[ wbcc3s06.ezweb.ne.jp ] 多摩板に帰りなさい。下校の時刻です。
266 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 01:19:25 ID:Jib4U65Q
[ p12056-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] だれが?
267 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 01:20:37 ID:Ow/MZyk6
[ wbcc3s07.ezweb.ne.jp ] 東京人は多摩板に帰りなさい。下校の時刻です。
268 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 01:21:06 ID:Jib4U65Q
[ p12056-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] 東京人ってだれ?
269 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 01:24:09 ID:7L0emReU
[ wbcc3s04.ezweb.ne.jp ] 東京人は多摩板に帰りなさい下校の時刻です。
270 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 01:25:34 ID:Jib4U65Q
[ p12056-adsah09honb5-acca.tokyo.ocn.ne.jp ] 多摩ってどこにあるの?
271 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 01:28:08 ID:7L0emReU
[ wbcc3s04.ezweb.ne.jp ] 東京人は、多摩板に帰りなさい。
下校の時刻です。
272 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 01:30:27 ID:7L0emReU
[ wbcc3s04.ezweb.ne.jp ] 東京人は多摩板に帰りなさい
下校の時刻です
・。
273 :
しゅりんちゅ:2006/06/21(水) 01:44:45 ID:wMm6h5/w
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] をれ様〜
カムバック!!!!!!!!!
274 :
しゅりんちゅ:2006/06/21(水) 01:44:49 ID:wMm6h5/w
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] をれ様〜
カムバック!!!!!!!!!
275 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 02:17:31 ID:dVsVPEyc
[ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ] ウチなんかは王家御用達のメカケ一族だったらすぃー。
276 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 02:27:11 ID:xtmKA2Cc
[ softbank220057084046.bbtec.net ] ふ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん・・・
きっとかなりまたは超美形。それにちぶるもディキヤー。
277 :
276:2006/06/21(水) 03:03:12 ID:xtmKA2Cc
[ softbank220057084046.bbtec.net ] 家系がメカケ?メカケ一族?
なんかびみょぅにへんなー。
一族のだれかが側室だったってことですか?
278 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 12:46:21 ID:H3zdyRAI
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] みなさん、いくつかある天女伝説をご存知でしょう。
尚真の側室に銘苅子(めかるしー)の娘がいます。
この銘苅子の娘こそ天女の子と言われてる人です、多分。
つまり銘苅子の奥さんが天女だったって話です。
よくよく考えてみれば王族の末裔って話よりもこっちの方がある意味
すごいです。
天女の子孫ですよ、天女の!
ほんで、その子孫の方々は当然今も大勢いらっしゃいます。
あなたの隣で普通に生活してるはずです。(私は会ったことありませんが)
尚真の血を引いてる方がいればそれとなく聞いてみるといいです。
もしかしてその方こそ天女の子孫かもしれないですよ!
279 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 12:55:49 ID:tY2I3kiM
[ sf194.nirai.ne.jp ] いい病院紹介しようか?
280 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 13:10:00 ID:H3zdyRAI
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] まあそんなこと言わないで下さいよ。
為朝伝説と並んで事実ではないかもしれませんが
話としては面白いじゃないですか。
天皇陛下だって一応神様の子孫ですからね。
目くじらたてることもないですよ。
281 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 13:33:39 ID:xtmKA2Cc
[ softbank220057084046.bbtec.net ] 尚真の四男の朝福の広がりのものですが、
爺婆から天女関わりの話は 聞いたことねー。
282 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 14:21:44 ID:H3zdyRAI
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] >281
すみません、ちょっと調べてみました。
尚真と銘苅子の娘の間には娘が生まれてるようです。
その娘は系内(いとこ?)の朝易さんというとこに嫁いでるようですね。
つまり281さんのご先祖様の朝福さんのお姉さんか妹にあたる方がそうです。
すみません、もしよろしければ伝説とか口碑が伝わってれば教えていただけると
ありがたいです。
もっとも、事実とか史実とかいう問題ではなく、一族の間にはこう伝わってるよー
とかですね。
283 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 15:31:34 ID:H3zdyRAI
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] 282の文脈がおかしいので訂正させてください。
尚真と銘苅子の娘の間には娘さんが生まれてるようです。
その娘さんと281さんのご先祖様の朝福さんとは兄妹(姉?)に
なるわけです。
その娘さんはいとこ?の朝易さんのとこに嫁いでいます。
つまり、その朝易さんという方の子孫が天女の血を引くといわれてる
方々です。
284 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 16:31:38 ID:xtmKA2Cc
[ softbank220057084046.bbtec.net ] >>282トートーメーにもちょっと聞かそうかねー。
日常とは別次元の話だけど、なんか面白い。
オラーの短絡的脳だと。
天女→羽衣衣装→天竺→インドとか、に飛んで行っちまう。
285 :
ちゅらさん:2006/06/21(水) 20:10:34 ID:H3zdyRAI
[ p4016-ipad07yosemiya.okinawa.ocn.ne.jp ] ぜひ聞いてみてください。
よろしくお願いします。
天女というとかなり荒唐無稽で伝説に過ぎないかもしれませんが、自分も
やはり何かそう思わせる事があったと思ってます。
天女話を振った自分としては一応ソースを明らかにしてこの話題を閉じたいと
思います。
281さんどうもありがとうごさいました。
家譜データベースよりコピペ
二世朝易(見里王子)
童名魏鼎號浄叡行二天順元年丁丑歳生因至朝孟幼稚入承兄統而爲家督也嘉靖十六年丁酉八月初五日卒壽八十一
父尚宣威王
母不傳
室 尚眞王姫佐司笠按司加那志童名眞鍋樽生死年月不傳號慈山葬寳口墓
『其母乃茗苅子遇天女爲夫婦而所生者也其來歴詳于神道記』
『』は自分がしました。
そこにはこう書かれています。(すみません、多分です。間違ってたらご指摘お願いします。)
『其の母、すなわち銘苅子、天女に遇し(会い)夫婦と為し生まれたる者也。其の来歴の詳しくは神道記に宇り(有り?)』
なんかステキな話ですね。
286 :
をれ様:2006/06/21(水) 21:31:56 ID:tY2I3kiM
[ sf194.nirai.ne.jp ] >しゅりんちゅ
いや、閲覧はしているけどね、気乗りしなくて。
下らない書込群が気持ちを萎えさせるのよ。
287 :
をれ様:2006/06/21(水) 21:35:41 ID:tY2I3kiM
[ sf194.nirai.ne.jp ] あーそうね、せっかくだから少し書いておこう。
例の家譜のデータベース(筑波大のヤツね)は
那覇市史に収録されているヤツの電子化。
家譜は目録で1800冊以上あったのが知られているから、
収録されているのはごくごく一部だから、家名が同じだからと言って、
即自身の先祖と早合点しないようにな。
288 :
をれ様:2006/06/21(水) 21:42:55 ID:tY2I3kiM
[ sf194.nirai.ne.jp ] あと銘苅子ね。
子孫(尚宣威王の直系)にあたり位牌を継承している直系の家は湧川家。
残念だが最近当主がお亡くなりになったばかりで七七忌も済んでいない。
息子さんはいるのでまぁ継承には問題ないか。
天女が沐浴していたカーは新都心、国際高校近くに現存する。
最近周囲の開発で地表がコンクリで覆われ水の湧出量は激減、もう天女はこないね。
銘苅子の墓所は識名にある。銘苅子を祀った堂は湧川家に隣接して
それこそ銘苅にある。
探しに行くのは良いが、管理者もいるし家に隣接しているので、
節度と礼儀を守るように。
289 :
しゅりんちゅ:2006/06/23(金) 00:25:37 ID:OonVJkmE
[ FLH9Aac014.tky.mesh.ad.jp ] をれ様〜!
やはりあなたがこなければこのスレは意味がないです!
湧川家ってやっぱりうごいんですね!
皆金持ちだし…
290 :
宮古マン:2006/06/27(火) 00:40:49 ID:Z8UKRe3.
[ 218.185.141.156.eo.eaccess.ne.jp ] レスを見てたら参考でいいから教えて。おじいが佐久川っていうけど琉球唐手の佐久川寛賀と関係あると思う?あとおじいと結婚したおばあが宮古の仲宗根豊見親の子孫って聞いたけどどんな?旧姓が、名字は新崎。
291 :
teru:2006/07/03(月) 19:42:08 ID:b0WcMxoQ
[ user10247.gctv.ne.jp ] 名乗頭というもんがあるから、それを見れば一発で関係あるかないかわかる。
おじぃの下の名前の1文字目は?
あと、仲宗根豊見親の子孫ということはおばぁの兄弟の名前がわかれば速攻で立証できる。
292 :
ちゅらさん:2006/07/03(月) 19:50:31 ID:afRRuNuI
[ 218.231.122.168.eo.eaccess.ne.jp ] おじいの一文字目は博、おばあの兄弟は、名前分かるけど漢字が分からんわけよ。
293 :
teru:2006/07/03(月) 21:30:29 ID:b0WcMxoQ
[ user10247.gctv.ne.jp ] とりあえず、「沖縄門中大事典」にあたってみた。佐久川寛賀は首里の士族。氏は易氏。
博の字の名乗頭は見つからなかった。そうするとその親くらいまで戻らないとたぶん氏も
判明しないと思う。おばぁの兄弟の名前には多分「玄」の字が入ってると思う。
294 :
宮古マン:2006/07/03(月) 21:51:28 ID:afRRuNuI
[ 218.231.122.168.eo.eaccess.ne.jp ] ありがとう。
おじいの親とおばあの兄弟か。調べてみたらまた言うさ。あと、比嘉は家紋が3っつか4っつあるさーね?
それと同じように、佐久川だからって、佐久川寛賀の子孫とは限らん?比嘉と同じようにたくさんある?
琉球の時代は、士族以外に普通の人も名字もってた?
だからもしかしたら、おじいの上の代の誰かが佐久川を名乗って佐久川なったとか?
295 :
ちゅらさん:2006/07/03(月) 22:04:25 ID:MbjXg3AM
[ qu1.nirai.ne.jp ]
296 :
ないちゃー:2006/07/03(月) 22:10:02 ID:afRRuNuI
[ 218.231.122.168.eo.eaccess.ne.jp ] くそないちゃーの顔のしょぼさにやられた
297 :
teru:2006/07/03(月) 22:13:26 ID:b0WcMxoQ
[ user10247.gctv.ne.jp ] 士族は領地で苗字がころころ変わるので氏でみんな区別してるね。特に琉球の場合は・・。
易氏佐久川家は代々「寛」の字を名前の一文字目に入れてる。佐久川という苗字自体でも氏違いで
10あるからね・・・。比嘉はもっと多くて全部氏違いで22ある。墓に「OO氏門中墓」ってかいてないかね?
それが一番わかりやすい。
298 :
ちゅらさん:2006/07/03(月) 22:24:40 ID:MbjXg3AM
[ qu1.nirai.ne.jp ]
299 :
宮古マン:2006/07/03(月) 22:27:50 ID:afRRuNuI
[ 218.231.122.168.eo.eaccess.ne.jp ] 宮古に5年帰ってんから分からんさ。
って事は、易氏佐久川家ではないでその10のうちの佐久川家って事ね?
それとも、士族でもなくて 普通の平民で自分で名乗った?
300 :
ないちゃー:2006/07/03(月) 22:31:55 ID:afRRuNuI
[ 218.231.122.168.eo.eaccess.ne.jp ] あと、くそないちゃーのチャリンコ社会にやられた
301 :
ちゅらさん:2006/07/03(月) 22:38:24 ID:WLBQBLO6
[ ZH249233.ppp.dion.ne.jp ]