南さつま市を語ろう11(加世田・笠沙・大浦・坊津・金峰)

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141名無しでよか?:2008/10/21(火) 11:51:56 ID:tMp7yDjA [ pl366.nas938.p-tokyo.nttpc.ne.jp ]
それは数年前にアンチ小泉が妄想記事書いたヤツをコピペしたのが未だに出回ってるんですよ。
加世田市の歴史とか紐解いて調べてみよう。ググればネットでも簡単に郷土資料なんか出るよ。

そもそも関東の富士あたりから下向してきた薩摩鮫島氏の宗家が金峰町の新山に残ってるんだから
鮫島純也の出生地と言われてる万世小松原のことも少し調べれば解ることなのにね。

今は江戸期の大洪水の結果で万之瀬川の流れが変わって、河口が相星から新川になってるけど
万世の小松原は万之瀬川の旧河口港で商人街だった。氾濫で潰れるまでは片浦・坊津と同様に良港だったそうだ。

小泉純一郎の父・純也が生まれ育ったという万世の小松原に鮫島姓が多いのは、
戦国末期に鮫島宗政が弟の宗行に家督を譲り、武士をやめ商人となって小松原港で
中国や南方の貿易を取り仕切り始め土着して、その一族の末裔が多数残ったからだと言われています。

ちなみに万世に唐仁原って地名はあるけど、字の通り中国からの渡来人による由来かと。
渡来人が江戸期に薩摩に土着して武士に取立てられたのは通詞などの役職に限られてる。笠沙の林氏とか。

鹿児島には薩摩焼の陶工が住んでる朝鮮人地区はあったけど、そんなもん加世田には全く無い。
陶工達は伊集院や加治木などの河川流域に集められ、江戸時代には厳しく移住が禁止されていた。
その陶工集落では幕末まで朝鮮語が使われてたって話だけど、万世には名残も何も無いでしょ。

外務大臣にまでなった東郷茂徳(本姓は朴)が士族株を買ったりしてたけど、ああゆうのはハッキリ記録に残る。
江戸期は明や清は兎も角、朝鮮は何もかもズタボロで当時の日本に独力で渡る余裕なんてあったかどうか…。

旧町名の「万世」ってのは大正14年に新しく東加世田村から町制施行で付けられました。
万葉集にも句があったと思うけど、語は『万(よろず)世に』から来てます。
どういう選定理由で名付けられたのかは私は知りません。

まぁ、長きに渡る繁栄を願って名付けられた町名とも言えますが、
万世一系とも言われる天皇家が「末永く続きますように」って意味でOKかと。
多分、日本の至るところに同じ町名・地名がある筈。しかも大体が同時期くらいに付けられた新しい地区名。

以上、ざっくりとした説明と推測終わり。朝鮮とは全く関係なし。