九州地名談義

このエントリーをはてなブックマークに追加
1名無しでよか?
九州の地名について語り合うスレです。
いろんな地名の由来や土地にまつわる言い伝え、
伝説などについて楽しく話しましょう。
面白地名・珍しい地名・難読地名などもどんどんあげていきましょう。
また、地震多発の昨今。地名は昔の地形を知る手がかりにもなります。
たかが地名、されど地名。侮れません。幅広い話題で語り合いましょう。
2名無しでよか?:2006/02/03(金) 17:30:08 ID:msYt2VMU [ SCOfa-02p2-165.ppp11.odn.ad.jp ]
2ゲット ズサー AA略
3名無しでよか?:2006/02/03(金) 20:08:35 ID:TdPv66d2 [ p9103-ipad03miyazaki.miyazaki.ocn.ne.jp ]
民俗神話板よりのピックアップ。
例えば、こんなヤツでもいいのか??w
↓↓

1 :天之御名無主 :01/11/26 16:21
「彦」と言う字は男の子の名前にしか使いませんよね。
と言うか、「海彦山彦」の民話にある如く、男らしさを象徴する字だと思います。
何かで聞いたのですが「彦」の字は
「ノ」の部位がチンチンを表し、それが「立」って
一人前の男になるチン毛が3本生えたころ…と言う意味で成り立った字が
「彦」の字であり、転じてチンチンそのものを「彦」の字で表しているらしいです。
…その上で、地図で彦根の位置を見てハッ!と気づいたのですが、
琵琶湖って何だか垂れさがったチンチン(巨根ではありますが)に見え、
ちょうどその根っ子の所にあり、
だから「彦根」と言う地名になったのではないかと思うのですが…
板違いだったらすまんこってすが、知ってる人、教えてください。
因みに彦根はいい所です。彦根プリンスに泊まって鳥人間コンテストと地蔵盆を見ました。
大津と違って琵琶湖の水も綺麗でした。
4名無しでよか?:2006/02/04(土) 11:39:55 ID:gAnut2sk [ ppp1309.hakata02.bbiq.jp ]
1です。スレの趣旨が分かりにくいかもしれないので説明をします。
>>3
地名に関する疑問や豆知識、神話や伝説や土地に昔からある言い伝え、歴史的な話も良いですし
「これは面白い」という珍しい地名をピックアップしたり話題はなんでもいいです。
身近な地名について、ざっくばらんに話しましょう。

また、テレビで言っていたのですが、水に関係する字がつく地名は昔は川や沼地だったそうで
現代は、人的に地形が変えられているので分からないだけだそうです。
地名は先人が残した遺産のようなものであり、警告の意味も含まれているので
災害対策の観点からも、地名をむやみに変えることはよくないと言っていました。

それだけでなく、地名の変更でよくあるのは、大字が取れた時旧地名を廃止して
味気ない無機質な地名に変えられてしまうことも多くあります。
博多駅の周辺の駅前○丁目というのも、昔はそれぞれ町名があったはず。
消えてしまった町名を掘り起こしてみたり懐かしむのもいいかもしれません。

では、まず豆知識を。

福岡市南区桧原の西側、油山のふもとの一帯を昔は駄ヶ原(だがはる)といいました。
この地名の由来は、黒田藩の馬の放牧場があったからだと言われています。
今の花畑園芸公園の近くにある駄ヶ原池で馬を洗っていたそうです。
5名無しでよか?:2006/02/04(土) 12:36:13 ID:2OeFgso2 [ P061204007011.ppp.prin.ne.jp ]
>地名の変更で消えてしまった町名を掘り起こしてみたり

これちょっとおもしろそう。いまはみんな覚えていても
忘れ去られるものだから、ネットに書き残しておくのは良いね。



熊本城から2,3キロ北へ行くと「御馬下(みまげ)」というところがあります。
ここから城域へは、身分が高い人でも馬を下りて徒歩か籠で行くしかありませんでした。
熊本城の防衛ラインなんですね。ここからだらだらしたゆるい上り坂や
(いまはだいぶ直されてしまいましたが)ツヅラ折りの道が続いてます。
6名無しでよか?:2006/02/04(土) 17:29:46 ID:iD/tT16Q [ ntfkok089156.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
おお素晴らしいスレ!
稀代の悪政・平成の大合併や町名変更などで地名がどんどん失われる中、
なんとタイムリーな!
>>4
駄ヶ原はバス停名に名を残してますね。駅名も含めてそういう例は多い気がする。
7名無しでよか?:2006/02/06(月) 12:03:44 ID:kZTzkKIQ [ ppp1309.hakata02.bbiq.jp ]
>>5
地形的にも面白そうなところですね。読み方も難しい。
田原坂から上熊本駅まで抜ける草ボウボウの道も昔何度か通りました。
熊本は心をそそる道が多い。でももう道路整備されて変わってしまったかな?

平成の大合併で多くの地名が消えていった。寂しいことです。
駄ヶ原は私が小さい頃、親や近所の年配者は皆「駄ヶ原」と呼んでいました。
でも実際には東油山六丁目。バス停名でしか名前が残ってないですね。
バス停は、どこでも古い地名を残すものが多く面白いものです。

大分県に「夜明けダム」(日田市大字夜明け)というのがあります。
九州の屋根ともいえる、ダイナミックな山岳地帯・耶馬溪への入り口にあたる
夜明け付近は、その清清しい名前に相応しい景色が心を捉えますね。

北九州市小倉南区の蜷田(になた)は難読で手こずりました。
津屋崎の在自(あらじ)、古賀市の米多比(ねたび)、長崎市の女の都(めのと)も難しい。
久留米でバスを待っていると頻繁に来る「長門石・目達原 神埼経由」
(佐賀県神埼郡三田川町大字吉田目達原)のバスを
私はずっと長いこと「もくたつばる」と思っていました。
先日、神崎を通っていた時に偶然、終点の目達原バス停を発見しました。
読み方を(めたばる)だったと知ったのも、つい最近です。

佐賀県唐津市の鏡山を別名ひれふり山と言います。
由来は唐津人なら知っている、日本三大悲恋物語の一つ・松浦佐用姫伝説です。
朝廷の命令で朝鮮半島への出征のおり、青年が松浦の地に宿泊しました。
そこで土地の豪族の娘「佐用姫」と恋に落ちました。しかし船出の日は来て別れ別れになることに。
佐用姫は鏡山の頂上で青年の船を見送り、衣のひれを振り続けました。
このことから、ひれふり山と呼ばれるようになりました。
現在、鏡山の頂上には松浦佐用姫の銅像が建てられています。
8名無しでよか?:2006/02/06(月) 13:10:04 ID:ei8CPXKc [ FKCfi-01p2-91.ppp11.odn.ad.jp ]
(熊本=KU)(大分=O)(鹿児島=KA)
(宮崎=M)(福岡=F)(長崎=N)(さが=SAGA)

健軍ku、駄の原o、柞原o、出水ka、前原f、糟屋f、須恵f、
志免f、目尾f、頴娃ka、川内ka、芥屋f、可也山f、百道f
9名無しでよか?:2006/02/06(月) 13:41:34 ID:L7Xe0KQs [ softbank220061216247.bbtec.net ]
目尾は、どうしたらああ読めるのか、未だに解らない?

理由教えて?
10名無しでよか?:2006/02/06(月) 14:16:48 ID:L7Xe0KQs [ softbank220061216247.bbtec.net ]
もう一つあった。
木偏に八と書く、地名。
これも、どういう意味なのか教えて。

杁とは、字が違うらしいね。
119と10です:2006/02/07(火) 11:05:55 ID:qvpwRNOc [ softbank220061216247.bbtec.net ]
すいません。
自己解決しました。
書き込みの後、友人との話題にしたら、
調べてくれました。

9番は、実に福岡らしい、理由でした。
10番は、単に古語らしい物でした。
無駄に使って、ごめんなさい。
12名無しでよか?:2006/02/07(火) 11:13:26 ID:Tj25iTQQ [ z217.211-132-147.ppp.wakwak.ne.jp ]
>>11
その答えを書いてくれると由来を知らない他の人のためにもなるのではないかな?
無駄に使ったと謝る方が無駄使いだよ
13名無しでよか?:2006/02/07(火) 12:29:02 ID:hRNMcE9A [ ntfkok089156.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
>4
最近の町名変更の例は前原市。
老松町とか上町とか、歴史あるたくさんの町名が消えたそうな。
前原の人、消えた町名がわかったら教えてくださらんか。。
14名無しでよか?:2006/02/08(水) 01:12:01 ID:2xpJGbOM [ ppp1309.hakata02.bbiq.jp ]
志登・池田・板持(いたもち)・蔵持(くらもち)笹山・有田。
いろいろあったようですね。
潤(うるう)・浦志(うらし)は、まだ残っていますが、これも将来的にはどうなるか。
前原駅の周辺は全滅してしまったようです。駅から少し行ったところに
加布羅(がぶら)という場所が昔はあったんですが、町名としては残ってないようですね。
福岡近郊で、大字・小字まである町名は希少になってきました。
大字・小字に、ふと面白い名前がついていることが多く私は好きなんですが。
前原のどこかに蛇石という小字がありましたが・・・これには昔話があったと思います。
志摩町の野北に近いところに久米というところがあります。
そこにある久米神社は聖徳太子の弟・来目皇子が祭られているそうです。
太子の片腕であった皇子は、新羅征伐のため筑紫にくだります。
そして、糸島に駐留していた皇子が軍の本営を置いていた
ここ久米の地で推古11年(603年)、病により没したとされています。

>>9,10
気になるので、どこの場所の知名なのか教えてください。そして由来なども。

佐賀市にも面白い町名があります。
大財(おおたから)・多布施(たふせ)・八戸溝(やえみぞ)。
15名無しでよか?:2006/02/08(水) 01:27:29 ID:gu67UYDM [ softbank220060156028.bbtec.net ]
>>9 飯塚市の目尾(しゃかの)やろう? 当て字さ
16名無しでよか?:2006/02/08(水) 08:06:11 ID:UoVNFgv. [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>15
目尾(しゃかのお)、当て字じゃない。
これが面白い。

bWが、クイズにしてるから、答えなかったけれど?
17名無しでよか?:2006/02/11(土) 01:53:56 ID:FpiEFIw2 [ ZT045238.ppp.dion.ne.jp ]
興味深いスレですね。

参考になりますかどうか…
Wikipedia 『難読地名』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%A3%E8%AA%AD%E5%9C%B0%E5%90%8D
180=大分:2006/02/11(土) 04:26:02 ID:Tya/fhJY [ FKCfi-01p1-190.ppp11.odn.ad.jp ]

  机張原= o
19名無しでよか?:2006/02/19(日) 01:35:40 ID:NDppCBi6 [ ppp1309.hakata02.bbiq.jp ]
飯塚の目尾を地図にて確認しました。
周辺には池が多いですね。
ナマエ池という池の名前が面白くて笑いました。
隣の小竹町の塩頭溜池が読めません。
池の名前というのも難読なものが多い。
糟屋郡粕屋町の駕輿丁池も難しい。
>>17
ありがとうございます。
20アッガイ・無色透明 ◆FbG5CSJUTA:2006/02/19(日) 01:49:24 ID:8lbc73vw [ FLH1Abm071.fko.mesh.ad.jp ]
・・・住所書く時フリーズするネタですか??
21名無しでよか?:2006/02/19(日) 01:59:34 ID:NDppCBi6 [ ppp1309.hakata02.bbiq.jp ]
もちろん何でもけっこうです。
この地名に笑ったというネタでも良いです。
22名無しでよか?:2006/02/19(日) 14:20:54 ID:XP9lFJ9w [ acfkok002032.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
北九州市内では
下上津役(八幡西区)
頂吉(小倉南区)
ぐらいが難易度最強ですかね。
23名無しでよか?:2006/02/19(日) 16:01:57 ID:0kwKINvY [ ntfkok089156.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
>>14
詳細サンクスです。志登は「志登ドルメン」つって古墳だか棺石?があったところ。
蛇石は確か二丈町じゃなかったですかね。確認しておきます。
何しろあのへんの地名は考古学的香りが特に濃いだけに、失うのは惜しい。
そもそも町名変更にどんな利益があるんでしょう。
役所の関係部署の方がいらしたらご教示願いたいです。
>>16
目尾って旧幸袋線の駅にもありましたね。飯塚、目尾、終点幸袋の激短な盲腸線。
24名無しでよか?:2006/02/27(月) 16:50:17 ID:nvXsp9iY [ softbank218117200034.bbtec.net ]
福岡は神功皇后と関係のある地名が多いような

飯塚は立去る時に言った「いつかあおう」が訛ったものだし
宇美は応神天皇を産みはったからでしたよね
25名無しでよか?:2006/02/27(月) 18:48:48 ID:TZw4fmvM [ z33.220-213-83.ppp.wakwak.ne.jp ]
>>22
猿喰
下馬寄
東馬寄
26朱雀は有名だよね。:2006/02/28(火) 02:46:44 ID:jcaL1SS. [ FKCfi-01p2-114.ppp11.odn.ad.jp ]
源氏物語との関係性を今後、すこしづつ研究します。

関屋=筑紫野市? 太宰府市?
27名無しでよか?:2006/02/28(火) 05:22:41 ID:7aM37B36 [ softbank220060232015.bbtec.net ]
>>26
太宰府市。
2826:2006/02/28(火) 20:27:39 ID:Dw61HwZw [ FKCfi-01p2-111.ppp11.odn.ad.jp ]
>>27 ありがとうございます。
29名無しでよか?:2006/03/01(水) 00:54:45 ID:joCZ2QpE [ softbank220061004153.bbtec.net ]
伝説と文献がごっちゃですが

「福岡県筑紫野市針摺」
むかしむかし、菅原道真が天拝山と太宰府との間を移動していたとき、
道端で老人が斧を砥石で研いでいました。
道真が「おまえは何をしているのか?」と尋ねましたら、
老人は「針を作っているんです。」と答えました。
道真は太い鉄から針を作ろうとしている老人にいたく心を打たれ、
まだまだ私も精進せねばと反省の念を抱いたそうです。
そして、道真は「この地を針摺と名づける」と言ったそうです。


「佐賀県鳥栖市」
奈良時代の地誌である『肥前国風土記』に養父郡の項目があり、
その中に「鳥樔郷(トスノサト)」とあるのが最初。
それによると「応神天皇の時代、この郷で鳥屋を造り、
いろいろな鳥を集め飼い馴らして朝廷に献上していたので、
鳥屋郷といったが、後の人が鳥樔郷と改めた。」とされています。


「佐賀県三養基郡基山町」
景行天皇が巡幸の折り、筑紫の国の御井の郡の高羅の行宮にて国見をされた。
そのとき霧が基肄の山を覆っていた。
天皇は「その国を霧の国と言うべし」と言われた。後の人は改めて基肄の国と名付けた。
そして国防の大城である基肄城が出来、その山が国の象徴となって
基肄の国の山=基山(木山)となる
30名無しでよか?:2006/03/01(水) 00:58:45 ID:joCZ2QpE [ softbank220061004153.bbtec.net ]
西鉄の駅名・地名の由来↓
http://www.ensen24.jp/monoshiri/
3128:2006/03/01(水) 02:07:01 ID:9gVJrVmQ [ FKCfi-01p2-141.ppp11.odn.ad.jp ]
>>29 おっと!勉強になりそうですね。

>>30 これから拝見するつもりです。
32名無しでよか?:2006/03/02(木) 00:50:23 ID:.DtkGJqM [ softbank220061004153.bbtec.net ]
「福岡県大刀洗町」
室町時代の初期、南北朝時代に九州南朝方の将、菊池武光が日本三大合戦のひとつ
大保原の戦いで勝利した後、血で汚れた"太刀を洗った"ことからついたことは有名。

しかしよく見ると"太"ではなく"大"。
これは明治新政府が自治体の整理と登録を行った際に、誤字登録したことによる。
自治体からは抗議が出たが、当時は政府の力が今と比べ物にならないくらい強く、
うむを言わさず押し切られた。
その後昭和に入り、議会で本来の字に戻す案も出たが、すでに定着したということで
変更には至らず、現在に至る
33名無しでよか?:2006/03/02(木) 02:59:44 ID:stnwvlps [ FKCfi-01p1-140.ppp11.odn.ad.jp ]
なるほど。

鳥栖市? 乗目?
34名無しでよか?:2006/03/02(木) 09:28:47 ID:5nyKz1JU [ 205.39.205.61.west.flets.alpha-net.ne.jp ]
那珂川町恵子(えこ)
那珂川町南面里(なめり)
那珂川町仲(ちゅう)
35名無しでよか?:2006/03/04(土) 01:03:39 ID:pPoT1DTI [ softbank220061004153.bbtec.net ]
九州特有の原(ハル, バル)という読み方のところは
開墾地であることが多いようだ。
36福岡系:2006/03/04(土) 01:55:33 ID:qf2uvnt2 [ FKCfi-01p1-183.ppp11.odn.ad.jp ]
前原、原田…  桧原←これも??
37名無しでよか?:2006/03/04(土) 10:10:08 ID:h2Ada1u2 [ p5034-ipbffx01tenjimi.fukuoka.ocn.ne.jp ]
どうでもいいけど、難解地名にはルビふれよ。クイズ形式の場合は忘れずに後日、回答もだしとけよ。
でないと既出の福岡県粕屋町の「かよいちょういけ」北九州市の「こうじゃく」や佐賀県の「みやき」郡
は難解すぎるぞ。

原だと福岡県春日市の春日原(かすがばる)、中原は北九州市も佐賀県三養基郡も(なかばる)だね。
原をハル、バルと読むのは朝鮮(韓国)語の影響とも聞いたことがある。
38名無しでよか?:2006/03/04(土) 13:20:09 ID:T1MW8usU [ softbank220061216247.bbtec.net ]

原を「ばる」と、読むことについては、
T-maruさんと言う方のHPの中、
『「〜原」を「ばる」「はる」と読む地名』に、
結構詳しく書いてある。

http://www.shochian.com/harubaru.htm

ご本人曰く、色々なHPが、黙ってパクって行くらしい。
39名無しでよか?:2006/03/04(土) 18:03:41 ID:u4sX2SN2 [ ppp4839.hakata02.bbiq.jp ]
糟屋郡と筑豊を結ぶショウケ越えの由来が神功皇后に関係していたのを
つい最近になって知りましたよ。宇美八幡からショウケを越えて大分の宇佐神宮に行ったんですよね。
>>23
数年前の地図帳、データが古くなってきたので買い替えようかと思っていましたが
ここのところの町名変更の多さを見て、捨てるのを思いとどまりました。
前原周辺の地名もネットの地図じゃ既に書き換え済みで見ることもできませんし。
簡潔で単純な地名よりも、何やら怪しげな匂いのする奇妙な地名の方が好きですよ。
>>29
いろいろ面白い話をありがとうございます。
針摺峠は、前々から変わった名前だな、何か意味がありそうと思っていましたが
まさか菅原道真に関係していたとは。ところで、道路標識に峠と書いてあるのに
あそこは全然峠ではありませんよね?なんなんだろうか。
太宰府市と大宰府、二つの漢字があることにも気がつかなかったですし。
>>36
桧原もヒバルですよ。原をハラと読む方が少ないのではないかと思います。
九州の原の多くが「ハル・バル」ですよね。筑紫野市大字原の県道35号線に
原交差点がありますが、これも私は当然のごとく「ハル」と読んでいましたが。

駕輿丁池は地元民にしか分かりませんよね。直方に感田という所がありますが
あれはガンダというそうですね。昔、感田池というのがあったようです。

那珂川町の恵子をケイコと読んでいた私は間抜けです。
現人橋はすぐにアラヒト橋だと分かりましたが。

ところで、個人的に好きではないのが、土地を造成して分譲している住宅地の
会社が見栄えや響きだけで決めた地名です。どこも同じような名前で個性がなさすぎるし
土地の歴史や文化に何の関連性もないので、そこだけ浮いた感じがしてしまう。
土地を売る側・買う側ともに、響きが綺麗ならそれで良しなんでしょうが。

筑後の耳納(ミノウ)も面白いですね。羽犬塚も絶対何か伝説がありそうで興味があります。
犬といえば、有名な犬鳴峠。これも普通の名前ではないですね。何か意味があると思います。
というのも、秋田県に犬吠峠というのがあるからです。ここには語り伝えられている民話があります。
http://www32.ocn.ne.jp/~kaijin_b/inuboe.htm
このことからも考えると、犬鳴峠も何か云われがありそうですね。
4036:2006/03/05(日) 01:04:12 ID:LIrl.442 [ FKCfi-01p2-254.ppp11.odn.ad.jp ]
>>39 説明ありがとうございます。私は元転勤族の子どもですので、
  読み方については、いわば二刀流ということになります。
41名無しでよか?:2006/03/05(日) 01:48:08 ID:x/fM0bMY [ softbank220061004153.bbtec.net ]
地名はいろんな理由でつけられますから、全ての「ハル」「バル」を
同じ由来には出来ないと思います。

「カキ」と「コケラ」も本来は異なる漢字であるのに、同字で扱うこともあるように、
違ったルートで来たものが、溶け合って現在では同じというパターンもあろうかと
42名無しでよか?:2006/03/05(日) 06:16:25 ID:XjreLhzs [ softbank220060232015.bbtec.net ]
福岡県久留米市高良内青峰(せいほう)団地
だれでも読めるか。
43名無しでよか?:2006/03/07(火) 15:40:48 ID:HaDDG0V2 [ p5034-ipbffx01tenjimi.fukuoka.ocn.ne.jp ]
西鉄バス久留米管内 系統番号40番「久留米営業所-佐賀駅バスセンター」バス停名

長門石(ながといし)千栗(ちりく)道瀬橋(ずうせばし)目達原(めたばる)
44名無しでよか?:2006/03/07(火) 19:46:07 ID:rWnPnXqc [ p4226-ipad108fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
大牟田市の平原町は「ひらばるまち」だが、笹原町は「ささはらまち」。

ちなみに、大牟田には地名の地元読みというのがある。
「八江町」は本来「やつえまち」だが、ワンダーランド八江店は「はちえ」店。
また、「勝立」は正確には「かつだち」だが、地元の人は「かったち」または「かっだち」と読む。
45名無しでよか?:2006/03/07(火) 20:04:40 ID:Am1BR.Os [ 61-27-234-244.rev.home.ne.jp ]
北九州の門司区大里(ダイリ)から新門司に抜ける峠道の途中に
鹿喰(かじき)トンネルと猿喰(さるはみ;前出済みw)トンネルがある
やっぱり鹿を喰ってそのあと猿も喰ったのだろうか
その付近には、昔の山城跡もあるから…

地名とはちょっと逸れるけど
別府の手前にある由布岳と鶴見岳の伝説は
実は近年の研究で科学的に根拠があることがわかったと聞いて
とても面白いなぁと思った
とても壮大な地球の脈動を感じた(どんなかは宿題ねw)
46:2006/03/07(火) 21:26:58 ID:cOjkoIr. [ M064202.ppp.dion.ne.jp ]
平蔵免[不明]
高銭野[こうせんや]
玄ケ野[げんがや]
ホケ松

以上筑後市、熊野・一条の小字。
47名無しでよか?:2006/03/07(火) 21:44:19 ID:NvnLnFOA [ M064036.ppp.dion.ne.jp ]
角川書店の 大日本地名辞書 は各都道府県の地名が事細かに網羅されている本だが、
この本は初版より一貫して、全47都道府県のうち、ある二県だけ小字一覧が欠けている。
奈良県と福岡県。
県庁がOkを出さないんだ。理由は言うまでもないんでしょうが。
48名無しでよか?:2006/03/08(水) 00:26:52 ID:ACTMLdEo [ ppp0821.hakata02.bbiq.jp ]

えっ!まさか?そんなことで?あんまり関係ないと思いますがねえ・・・
小字にこそ面白い味のある地名が多いというのに
なんてもったいないことを。ぜひ、小字一覧を設けてほしいものですね。
純粋に地名研究をしたい人の方が多いはず。嫌な話ですね。
49名無しでよか?:2006/03/08(水) 00:45:56 ID:ACTMLdEo [ ppp0821.hakata02.bbiq.jp ]
高良内に向かう道すがらに千本杉というバス停がなかったですかね?
昔は杉林だったのかなと想像してみたり。その隣の十三部も意味ありげで気になる。
千栗は遺跡のある所ですね。千栗土居遺跡だったかな。
筑後には蒲池という場所があって、蒲池姓が筑後一円の広範囲の地帯に多くいますね。
かの松田聖子の本名も蒲池ですし。蒲池氏というのは、筑後を支配していた豪族なんでしょうかね。

地元ならではの読み方というのはありますね。
たとえば、久留米市原古賀町の「はらんこが」も方言がそのまま読みになっている。
>>45
面白い。福岡市城南区と早良区にまたがる地帯に
やたらと「隈」がつく地名がある場所があります。
干隈 田隈 七隈 何か気になります。
由布岳の伝説も知りたいですね。ロマンを感じる話はいいですねえ。

>ホケ松
しかし、大字・小字名は面白いものが多い。
50名無しでよか?:2006/03/08(水) 00:46:15 ID:kfvWir/o [ p5017-adsao06douji-acca.osaka.ocn.ne.jp ]
平成の大悪政で長崎県「雲仙市」なる漠然とした所になってしまったが・・・
「長崎県南高来郡千々石町」を一発で読めたら相当な地名通か長崎県人。
「ながさきけんみなみたかきぐんちぢわちょう」と読む。
天正少年遣欧使節の一人「千々石ミゲル」はここの領主だった千々石氏の人間だ。

地名で分からんのが福岡市早良区の「田(た)」。福岡にいたとき、なんて読むのか、どんな変わった読み方が
あるのか真剣に悩んだ。で、何か変化球があるのかと思ったらストレートだった。ちょっと変化つけて「でん」
とかにすればよかったのに。
51名無しでよか?:2006/03/08(水) 00:46:44 ID:Q4NpYxbI [ softbank220061004165.bbtec.net ]
難解地名って出来れば由来も知りたいな
52名無しでよか?:2006/03/08(水) 00:50:46 ID:kfvWir/o [ p5017-adsao06douji-acca.osaka.ocn.ne.jp ]
>>49
あと、博多区にも「月隈」「金隈」がある。
七隈の由来ははっきりしてて、大宰府天満宮に行く使節団の一行が今の七隈
近辺で車(牛車か馬車だろう)を止めて休んだらしい。その車が七台あったので
「七車」。それが転じて「七隈」になったらしい。
53名無しでよか?:2006/03/08(水) 00:56:47 ID:ACTMLdEo [ ppp0821.hakata02.bbiq.jp ]
ちぢわは長崎県人にしか解らない珍しい読み方ですよね。
長崎県の人と知り合った時「ちぢわ」を知っている事が長崎県人の合言葉でした。
「ちぢわを何で知っとうとや?こんなの長崎のやつしか知らんぞ」というように。
長崎市に現川(うつつがわ)という山間の町(村?)がありますが、これも同じく長崎人の合言葉でした。
早良区田は、田住民が「本当に、田しかない所やん」と笑っていましたよ。
5449:2006/03/08(水) 01:01:04 ID:ACTMLdEo [ ppp0821.hakata02.bbiq.jp ]
>>52
おお、そうでしたか。私はてっきり、熊でも捕獲して毛皮を干したかとばかり(笑)
元々の言葉が転じて別の言葉になり地名になる例の一つでしたか。
飯塚の「いいつか逢う」のようなものですね。
55名無しでよか?:2006/03/08(水) 01:27:39 ID:Q4NpYxbI [ softbank220061004165.bbtec.net ]
>49
「隈」は道や川の曲り角を表すことばで、奥まった場所の意
実は"熊本"も昔は"隈本"だった
56名無しでよか?:2006/03/08(水) 01:42:42 ID:Q4NpYxbI [ softbank220061004165.bbtec.net ]
>49
松田聖子は筑後の蒲池一族の末裔。実はZARDもそう。
筑後にはたくさん国人がいたから、一帯を支配していたわけではないが、
その中でも指折り上位にいたのは本当。
ただし宗家は竜造寺のだまし討ちによって滅亡。

こういう地名と人名が被る場合は、大半は地名が先。
蒲池も同じく地名が先だが、漢字は違っていたようだ。
57名無しでよか?:2006/03/08(水) 02:23:30 ID:lgQWgSlg [ M064036.ppp.dion.ne.jp ]
>>48
いや、関係あるんです。これは確実なことです。
なぜならば、両県とも、許可しない理由として、公式にそうした旨の見解をハッキリと示しているからです。
アチラさん方の勢力の強さという点では、まさしく全都道府県中ダントツの二大巨頭であり、聖地と言えうる県ですからね。
58名無しでよか?:2006/03/08(水) 02:47:09 ID:lgQWgSlg [ M064036.ppp.dion.ne.jp ]
カナ混じりの奇異な地名といえば…

二タ [ふた] 福岡県小郡市 大字
二タ子 [ふたご] 佐賀県唐津市 大字
二タ松 [ふたまつ] 福岡県北九州市 町名

『マツバ』『ドヲデ』@佐賀県(現唐津市)呼子町 小字

>>4
『駄』といえば、
佐賀県肥前町に 『駄竹』、
大分県玖珠町に 『十五駄』、
というものがありますね。いずれも小字。
59名無しでよか?:2006/03/08(水) 03:30:10 ID:zpy9frwc [ R216202.ppp.dion.ne.jp ]
>>53
田の区域よりわずか南側に 田村 という区域がありますが、ここももともとは 田 であったのだそうです。
通称にて 田村 と呼ばれることが多かったため、やがて公称そのものが同様に転じたとか。

そういえばその早良より更に東の地、前原に、 神在 という地名があって、これが妙に頭から離れないときがありました。
いかにも神域を思わせる名に実も伴っていまして、200以上の古墳が存在する前原の中でも最大級の円墳であるとされる、
国指定史跡 釜塚古墳 が地内に存在しています。ちょうどその場は 前原市大字神在字釜塚 であると案内板に示されていました。
60名無しでよか?:2006/03/08(水) 08:33:34 ID:PgXhT1UY [ 68.43.205.61.west.flets.alpha-net.ne.jp ]
>49
那珂川町に西隈・東隈
筑紫野市に隈という地名もある

おもしろい小字
ヲヘ田(那珂川町)
ウトロ(春日市)
ちなみに那珂川町には小字に川がつくところがおおい
今光西川原・後野外川原・後野内川原・後野河野・西隈川原など
ほかにもある。やっぱり由来は那珂川だろうか?
61名無しでよか?:2006/03/08(水) 11:59:55 ID:CVSMQB2E [ ppps0035.hakata.bbiq.jp ]
>>44
大牟田の勝立は地元の人とテレビ・ラジオでの読みが違ってたけど、そういうことだったんだな。
>>49
久留米市の十三部はじゅうさんぶだけど、川渡って隣の佐賀県みやき町は板部(いたべ)、綾部(あやべ)だね。
部の読みも原のようにいくつかあって「ぶ」や「べ」と読んだりね。「べ」だと近畿地方の物部(もののべ)
みたいに豪族名らしいね。
難解ではないが、久留米市に江戸屋敷という地名があるけど久留米・有馬藩の江戸藩邸勤めの武士の屋敷が多かっ
たからだそう。
>>55
そうそう。熊本も元はといえば隈本。熊本県の菊池は隈府(わいふ)。
62名無しでよか?:2006/03/08(水) 17:25:25 ID:/EQV53ts [ ppps0873.hakata.bbiq.jp ]
>>49
勘違い多すぎ。蒲池一族ってのは確かにいたが、蒲池法子=松田聖子が、かの一族の末裔だとなぜ断定できる??
明治以降に蒲池姓名乗った連中もたくさんいる。聖子の親戚の蒲池♂知っているが、かの豪族とは無縁との由、言ってた。

「隈」
猿だ鹿だとの地名レスみて「隈」を出してるから「熊」を連想したいんだろうが、君は「馬鹿」か?
「隈」は「池」や「窪み」の意だ。
「目の下にクマができた・・」と言うが如し。
七隈は池が七つ点在してた地だから七隈。単純な話だ。
干隈は干上った池があったから。田隈も窪みや潅漑池があったからだろう。
大隈は大きな池があったから。雑餉隈は雑穀の取引場があったから。


宮崎の椎葉村には「鹿野遊」という地名がある。「かなすび」とよむ。
まさに鹿が群れて遊んでいるような山野&森林の地。
こういうのを素敵な地名というのだろう。
63名無しでよか?:2006/03/08(水) 17:38:49 ID:8n1gRayg [ 61-27-234-244.rev.home.ne.jp ]
まぁまぁ…あげあしとらずとも…
「かなすび」はためになりました
64名無しでよか?:2006/03/08(水) 17:50:02 ID:UoVNFgv. [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>58
 佐賀県唐津市 大字
 福岡県北九州市 町名

唐津は、町名が無く大字からかもしれないが、
北九州市は、区名があるだろ?
65名無しでよか?:2006/03/09(木) 10:14:23 ID:857wlWlc [ p4224-ipad29fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
>49
「田隈」は、早良郡田隈村が成立する際に、西端の早良郡田村の「田」
と東端の早良郡干隈村の「隈」を合体させた地名です。現在の早良区
田隈は、早良郡野芥村の一部であった早良郡西脇村に該当します。

>>50、53、59
早良区田村も西区田も、早良郡田村すなわち早良郡田隈村大字田に由
来します。早良区田村は村名を採用し、西区田は字名を採用したもの
なのでしょう。



>>62

地名に採用されている現在の漢字表記からその地名の由来を推測する
ことが正確とは限りません。

52さんのいう「七車」は、菅原道真が左遷された大宰府政庁との関係
において、七隈の由来の一説としてあります。なお、元寇時代の文献
には、「七隈原(ななくまばる)」と表記した箇所があります。
また、55さん、61さんのいう「隈本」は、「熊」から「隈」を連想し
た見解ではななく、熊本の由来の一説としてあります。

なお、『筑前国続風土記』には、現在の干隈を「干熊」と記載した箇
所があります。
また、中国の古文書や、地名漢字二文字化政策前の日本の文献には、
博多を「覇家台」、「八角台」、「羽形」などと表記した箇所や、早
良を「佐和良」などと表記した箇所があります。

これらの表記の差異は、誤植の可能性もあるとはいえ、漢字文化が浸
透していない時代などには漢字表記よりも「クマ」などの地名音が重
視されていたことの証左となります。

地名の由来を探究する際には、現在の漢字表記も参考にしつつ、それ
だけにとらわれずに、地名発祥当時の時代背景、地形状況などを勘案
する必要があるでしょう。
66名無しでよか?:2006/03/09(木) 13:59:45 ID:hFCSXQSI [ p5017-adsao06douji-acca.osaka.ocn.ne.jp ]
>>65
非常に参考になるご意見ありがとうございました。「田」は昔から「田」だったのですね。
近年になって開発が進む前は本当に田しかなかったところですが・・・。
七隈の由来は地元の自治会の広報かなんかで知りました。面白い由来だなと思ったものです。
ただ、「七車」以前になんと呼ばれていたのかは気になるところではありますが。
そういえば「樋井川」も「比伊川」(だったかな?)と書かれていた時期もあったようですね。
67名無しでよか?:2006/03/10(金) 07:53:20 ID:ZHOXEsIQ [ FKCfi-01p2-32.ppp11.odn.ad.jp ]

                    高祖山
68名無しでよか?:2006/03/11(土) 18:48:35 ID:H4qui6.U [ ppp0821.hakata02.bbiq.jp ]
>>62
断言も何も、蒲池一族の事は56の書き込みを見て初めて知ったんですよ。
ただ単純に蒲池という地名と、筑後に蒲池姓が多いことから何かあるのでは?と推測しただけです。
興味が出たので蒲池について調べてみました。以下は抜粋。真偽のほどは知りません。

坂井泉水 本名 蒲池幸子
神奈川県秦野市出身
久留米市に住んでいたことがある。
松田聖子(蒲池法子)と坂井泉水(蒲池幸子)は
現在の民法では親戚にはならないが、血縁関係はあり先祖は同じ柳川の蒲池氏。

筑後の蒲池家は、鎌倉時代に筑後国三潴郡蒲池庄の地頭職として下向した源久直が初代。
蒲池村に定住し、蒲池を名乗ったことが、蒲池家の始まり。
南北朝末期の蒲池武久の次の代に宇都宮三河三郎藤原久憲を婿養子に迎え
戦国時代に全盛期を迎える蒲池家の直接の祖は、
この蒲池中興の人である蒲池久憲公にある。

松田聖子(蒲池法子)の実家は、柳川城の城主だった大名の蒲池氏の流れをひく旧家の出。
蒲池氏の第十六代目の蒲池鑑盛(蒲池宗雪)の三男の蒲池統安の次子である応誉の子孫の家で
父親の葬儀は、生家の菩提寺であり、江戸時代は柳川藩主立花氏の家老格だった
本家のある柳川市の良清寺で行われた。

蒲池家系図(学習院大学所蔵)は
蒲池鑑盛の嫡子の蒲池鎮漣の娘である蒲池徳子(徳姫)の子孫である
旗本の蒲池鎮克(窪田治部右衛門)のひ孫の蒲池崇の子の蒲池道晏の家に伝わるもの。

蒲池氏#子孫たち
http://www.keys99.com/keys/k838/8A9792728E81238E7191B782BD82BF/
蒲池物語:蒲池氏の歴史と史跡
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/1235/

>>57
そうでしたか。非常に残念なことですね。それにしても全国で二県だけとは・・

春日のウトロとはどこだろう?本当に奇妙ですね。探してみたいと思います。

>漢字文化が浸透していない時代などには漢字表記よりも「クマ」などの
>地名音が重視されていたことの証左となります。

大変勉強になります。万葉がなも意味は二の次の当て字ですよね。
市町村合併の際にも、いろいろな事由が発生することもあるでしょうし。
地名に於ける「隈」が表す意味は皆さんのご指摘のとおりのようですね。
地名とは奥深いものです。皆さんの博識には頭が下がります。
それぞれ勘違いも多いかもしれませんが、推測から学術的なことまで
何でもざっくばらんに自由に語り合える場としたいと思います。
6956:2006/03/11(土) 21:41:00 ID:uv2BlSMM [ softbank220061004165.bbtec.net ]
おやおや、久しぶりに除いてみればちょっと○○な方が暴れていたようですね。

62の矛先は49さんではなくて、おそらく私なんでしょうが、ほぼ65さんが
諭していただけてますんで問題ないですね。
さすがにきっちり知識としてらっしゃる方は、公共の場で人を「バカ」呼ばわりなんかしません。
それ以上に勉強になるご意見もいただけました65さんにはすごく感謝いたしますm(_ _)m

そして49さんにはお詫びします。
まさか自分のカキコミが原因でとばっちりが行こうとは。
気分を害されたと思いますので。
7056:2006/03/11(土) 21:55:24 ID:uv2BlSMM [ softbank220061004165.bbtec.net ]
62のあれな話は誤解を生むので、さらに添削させていただきますと、

「隈本」の言葉が最初に出てくるのは室町初期の頃、伊東氏の軍忠状の中にあります。
この後から「隈本」もしくは「隈元」の名でたびたび古文書の中に出てくるわけですが、
関が原の戦い以降、その恩賞として肥後に赴任した加藤清正が熊本城を築城した際に
改めたというのが一番有力説です。ただし改めた由来ははっきりしません。

「雑餉隈」は"雑掌"が由来とされています。
役人の役職名であり、また人をもてなすための酒や食物、引出物や贈り物のことを示すのですが、
太宰府詣の人々のためにもてなしの酒や食事を供する店があったことから名付けられたといわれる。
このことは先の65さんが引用した「筑前国続風土記」に記載があります。
隈は御笠川の蛇行のことのようです。

さらに国語力も乏しいみたいなんで、「目の下のクマ」は
"光の明暗"を示した言葉で、"凹凸"を示すものではありません。以上。
71名無しでよか?:2006/03/12(日) 00:16:02 ID:nZDOqQrA [ p2051-ipad105fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
65の文章を書き込んだ者です。
皆さんが私の書き込みを参考にしてくださっているようで光栄です。
私も、特に福岡市以外の地名については、56=69=70さんなど皆さんの
書き込みを参考にしております。ありがとうございますm(__)m

>>66
「ひいがわ」も昔と今とでは漢字表記が違うようです。
樋井川と確定的に表記されるようになったのは、早良郡上長尾村など
の合併によって早良郡樋井川村ができてからのようです。

>>49=68
私も、地名の由来について、専門的な議論に入り込んでしまうよりは、
確実な資料に乏しい中でも自由な語らいができれば…と思っています。



ちなみに、個人的には、62さんの意見も地名の由来としてはありうる
かなと考えています。七隈や干隈にも池は現存していますから…。
ただ、このように考えると、池(農業用水?)が点在している福岡市
南区に「〜隈」という町名がないのはなぜかなという疑問も湧いてき
ます。

福岡市南区についていえば、老司、曰佐、上警固(警弥郷)は、太宰
府(or鴻臚館)に関連する役職が地名になったものといわれています。
七隈の由来を大宰府との関連に求めるとすれば、大野城二丈線(県道
49号線)に沿って、大宰府に関連する地名があることになります。
ただ、このように考えられるとしても、当時から大野城二丈線のよう
な道があったのかとか、老司などが那珂郡(筑紫郡)に属していたの
に対して七隈が早良郡に属していたことは考慮しなくてもいいのかと
いう疑問も湧いてきます。

いずれにせよ、地名の由来としては、少なくとも、@地形状況(池が
あったなど)によるものと、A時代背景(政治的な役職を持つ人が住
んでいたなど)によるものとがあり、地名の由来については一律に断
定できないのかなと個人的には感じています。
72名無しでよか?:2006/03/12(日) 14:18:34 ID:AV52rveY [ softbank220061004165.bbtec.net ]
北部ばかりでなく、南九州もネタが欲しいですね。
73名無しでよか?:2006/03/12(日) 18:55:03 ID:C4dV1gaA [ FKCfi-01p2-181.ppp11.odn.ad.jp ]

                   頴 娃
74名無しでよか?:2006/03/12(日) 19:01:56 ID:E4ST/Oxs [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>73
永六輔氏が盛んに宣伝してるんで覚えた。
7573:2006/03/12(日) 19:14:15 ID:C4dV1gaA [ FKCfi-01p2-181.ppp11.odn.ad.jp ]
なるほどね。
 米ノ津 出水 高尾野 川内
76名無しでよか?:2006/03/12(日) 19:52:02 ID:E4ST/Oxs [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>75
三つ目まで素直に読める。
最後は、備蓄基地・発電所で有名じゃない?

宮崎の「トロントロン」のいわれが聞きたいな。
本当に南州公絡みなの?
77名無しでよか?:2006/03/12(日) 21:02:28 ID:4cCezO/I [ p5017-adsao06douji-acca.osaka.ocn.ne.jp ]
地名もそうだけど、南九州(特に鹿児島)で「○本」が「○元」と表記されるケースが
多いのはなぜか知りたい。
たとえば「坂本」が「坂元」になる具合に。
78馬出大学-文:2006/03/13(月) 16:07:12 ID:cChD6ego [ ppps0841.hakata.bbiq.jp ]
第一義的には「隈」は「池」や「窪み」でOKでしょう。
奥まったところ・・・などというのは、ボキャ的にも変ですし、かなり歪曲した解釈ですね。
中部地方には千曲川というのがあり、また身近な九州には日田に三隈川(ちっご川の上流?)があります。
「千曲」だと、「いくつもまがりくねった」的な感じが出ますが・・。
川が蛇行した後に出来る三日月湖は、たしかに「隈」と通じるかもしれません。
そういう意味で、千曲と三隈は相関性あるでしょうが、「隈」という表記で残ってきていることに大きな意味を見出すべきでしょう。
80年代ころまでの市や区の資料見ると、七隈は「七つの池」を地名由来としています。七車説はほとんど出てきません。
七隈大学の学校案内パンフにも、昭和の時代までは、そう紹介されています。
90年代以降、その七隈大学自体が学校の敷地規模拡大や、あるいは外環道路の工事などで
多くの池を潰してきたこともあって、
新たな地域の魅力発信として、
歴史ロマン溢れる「(太宰府政庁の)七車」説がクローズアップされてきたものでしょう。
それと"光の明暗"と地形の"凹凸"も、いわば鶏と卵の関係ですね。
明=凸 暗=凹 ですし、どっちも相関ありますよ、それは。
目の下の「隈」と解答してあったら、私なら正解の○を与えますよ。
79名無しでよか?:2006/03/13(月) 23:19:19 ID:XidxMIcM [ softbank220061004165.bbtec.net ]
変に捻じ曲がらないで、国語辞書の一つも引いてごらんよ
80名無しでよか?:2006/03/14(火) 10:10:16 ID:Cljfs7w. [ 222.36.205.61.west.flets.alpha-net.ne.jp ]
那珂という地名もなんとなく気になるなぁ
81名無しでよか?:2006/03/14(火) 10:13:38 ID:Cljfs7w. [ 222.36.205.61.west.flets.alpha-net.ne.jp ]
>68
ウトロは春日市の白水ヶ丘付近です。
ウトロ窯に由来があるそうです。詳しいことはわからないのですが…
82名無しでよか?:2006/04/01(土) 19:55:12 ID:lgQfHQ4E [ ppp1717.hakata10.bbiq.jp ]
ウトロの意味を教えてくれてありがとうございます。本当、面白い名前ですよね。

他スレで知ったのですが、小郡〜太刀洗の広い範囲にかけて古戦場があり
そこから周辺の地名も発生したようです。
太刀洗は有名ですが、宮の陣が古戦場からの由来とは知りませんでした。
8373&75:2006/04/07(金) 01:32:53 ID:Upgn8/ig [ FKCfi-01p2-155.ppp11.odn.ad.jp ]
>>74 なるほどね。
   お茶の栽培は鹿児島県内では知覧町に次ぐものかなぁ?よくわからないもので。
>>76 薩摩川内市は、それで有名です。
>>77 「元」は中華人民共和国の旧国名だろうか?まさかそれに由来するのか?

永犬丸
84名無しでよか?:2006/04/07(金) 02:09:21 ID:/.FT.QCU [ softbank220061004165.bbtec.net ]
>83
元はモンゴル民族、中国は漢民族です。
全く関係ありません。
8583:2006/04/08(土) 05:04:18 ID:39KJTPTk [ FKCfi-01p2-170.ppp11.odn.ad.jp ]
>>84 おくわしいですね。どうもありがとうございました。
86名無しでよか?:2006/04/09(日) 06:39:00 ID:UTXU9N3c [ FKCfi-01p1-93.ppp11.odn.ad.jp ]

                 山崎古戦場(福岡市西区)
87名無しでよか?:2006/04/09(日) 08:39:54 ID:zOPK9OY6 [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>86
88名無しでよか?:2006/04/19(水) 01:10:54 ID:2cvJ7nyw [ 61-22-195-86.rev.home.ne.jp ]
>>76
宮崎一の珍地名 トロントロン (宮崎交通HP内↓)
URL:http://www.miyakoh.co.jp/miyakoh/busstop/torontoron/index.html
89名無しでよか?:2006/04/19(水) 17:37:38 ID:r/BiQHDk [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>88
ありがとう。
90名無しでよか?:2006/04/24(月) 00:57:12 ID:CPQnV98M [ FKCfi-01p1-111.ppp11.odn.ad.jp ]
来春(らいは)と読むらしい。(福岡県)
91名無しでよか?:2006/04/26(水) 23:41:13 ID:91LcegDk [ softbank220061004165.bbtec.net ]
神功皇后の笠が風に飛ばされ、落ちたところから東側が「御笠(みかさ)」。
しかしなにかとネタの多い御方だ。
92名無しでよか?:2006/04/30(日) 09:40:36 ID:yAHkCsVw [ i60-36-200-211.s02.a040.ap.plala.or.jp ]
ヒシャテガ
93名無しでよか?:2006/05/14(日) 21:03:31 ID:qiEOVpBY [ 61-27-195-96.rev.home.ne.jp ]
飯塚の目尾と書いて(しゃかのお)と読む。
気になりませんか???
94名無しでよか?:2006/05/14(日) 21:36:36 ID:PYD1ZlVw [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>93
詳しいことを省くけど、
平安時代の国司四部官に、
「守(かみ)」「介(すけ)」「掾(じょう)」「目(さかん)」とあり、
あの地には、目の役宅があったらしい。
「尾」は、八幡西区折尾とかと同じく、小高い地名を指す「尾」らしい、
それで、「さかん(の)お」が訛って「しゃかのお」になったらしい。

どちらと言えば、古典の「蜻蛉日記」の世界だね。
95名無しでよか?:2006/05/14(日) 21:52:39 ID:qiEOVpBY [ 61-27-195-96.rev.home.ne.jp ]
>>94
そうだったんですか?ご親切にありがとうございます!
やはり地名には歴史が色々あるのですね。最近は
南風台等の馬鹿馬鹿しいデベロッパーが付けた地名もあります
からね。。
96名無しでよか?:2006/05/14(日) 22:33:41 ID:oC1o7/1Y [ softbank218116156145.bbtec.net ]
>>79
古語辞典が良いと思います。
日のあたる所が隈
日が当たって影ができたところも隈
両方の意味あります。

>>94
おなじ読みでも字が違うと別の職種になってます。色んな字ありますよ。

>>57
あの団体のトップが3代続いて福岡の人間ですもんね。
97名無しでよか?:2006/05/14(日) 23:57:51 ID:EumWnd.A [ softbank220061004165.bbtec.net ]
>96
「隈」は「明暗」の意味であるのは、現在国語辞典でも古語辞典でも同じことです。
でも「凹凸」の意味はみかけませんね。

「物陰」は「隈」だが、それは凹凸状態を表現してるわけじゃない。
目の下の隈も血色による斑状態を明暗に例えたもので、
殴られてるわけじゃないんだから、目の周りが凹凸になってるのを示したものじゃない。

ちなみに七隈の由来の別説を見つけました。
http://www.ja-kasuya.or.jp/history/001-1201.html

ストーリーの背景は違いますが、基本は「七車」のようです。
ただし話の内容はツッコミ満載のような感じもありますが・・・(笑)
98名無しでよか?:2006/05/15(月) 00:11:35 ID:zl70frd6 [ ppp3357.hakata10.bbiq.jp ]
もみじ屋敷

筑前の国は福間の里に立派な造り酒屋があった。その屋敷の跡には今では家が立ち並び往時の面影はない。
しかし、屋敷跡の古い井戸だけは、つい最近まで残っていたそうだ。

その造り酒屋が栄えていた頃のこと。毎年秋の終わりになると糸島の漁師達が漁が暇になるので
この造り酒屋へ倉男として仕事に来ていた。新米を蒸し、モロミを大きな桶に入れて
五、六人でかき回しながら、どぶろく作りを始めるのだった。

ある年の秋の暮れだった。宗像の里の空は星の美しい夜だった。倉男衆も仕事が終わり眠っていた。
ひっそりと静まりかえった酒倉に、お澄みという下働きの四十女が背に乳飲み子を背負い
しのび足で入ってきた。お澄みは働き者で、造り酒屋の旦那様も目をかけていたが困った癖があった。
お澄みは大変な酒豪だった。旦那様もそれは承知で、毎晩二合の酒をお澄みにつけてやっていた。
しかし、お澄みはそれでは堪えられなかった。それで、酒倉に忍び込んでは盗み飲みをしていた。
この晩も、酒倉の新酒の盗み飲みに入ってきたところだった。

真っ暗な倉の中でも、お澄みには慣れたもの。いつものように酒樽の栓に手をやった。
ところが、どうしたことか栓を間違えて、あろうことか酒樽の親栓を抜いてしまった。
たちまち新酒が吹き出て、あっという間に酒倉の中は新酒のきつい香りでいっぱいになった。
倉いっぱいが酒びたしになり、広々した屋敷一帯が新酒の匂いにむせてしまった。
屋敷中の者は目を覚まし、倉にすっ飛んで来た。

お澄みは、酒倉の出口に倒れ酒の気にあたって気を失っていた。
旦那様は、お澄みの姿を見て全てを悟り激怒した。「出て行け!」と怒鳴った。
夜が明けかかった頃だった。お澄みは乳飲み子を抱いて酒倉の傍にあった
大きな井戸の中へ乳飲み子と一緒に身を投げた。

そんなことがあってからというもの、毎年その夜がやってくると
あの乳飲み子の手のひらによく似た、もみじのような赤い火や青い火が
あの大きな井戸の上を舞いながら飛ぶようになった。
そして、その井戸の底からは、赤子の哀れな泣き声が聞こえてくるようになった。

それで、宗像の里の者達は、いつからともなく、この造り酒屋の屋敷のことを
もみじ屋敷と呼ぶようになったそうだ。

@宗像郡福間町(現・福津市)の、この屋敷跡と古井戸がどこにあったのか定かではない。
あるいは土地の古老なら知っている人もいるかもしれない。
99名無しでよか?:2006/05/16(火) 00:49:58 ID:JeuYvGZc [ 61-22-195-86.rev.home.ne.jp ]
>>93
飯塚・目尾地名由来 → 筑前國続風土記 巻之十二 ↓下記HPのPDFにあり
http://www.lib.nakamura-u.ac.jp/kaibara/fudo/head.htm
100名無しでよか?:2006/05/16(火) 12:08:15 ID:ucgfVPsA [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>99
自分で、読んでみた?
101名無しでよか?:2006/05/16(火) 12:58:46 ID:YLXuS5Fo [ cwtl7sgts51.jp-t.ne.jp ]
別に殴られなくても
疲れた時は目の下に凹みできるお。
地名じゃなくて屋敷名?の由来が長々しい民話とともに出てたので
地名にまつわる菓子名で
さかえやの最中=「すくのかめ」について語ろかなw
なぜ筑豊の菓子屋が春日の地名に基づく菓子名前を名乗ったか?
102名無しでよか?:2006/05/17(水) 00:23:29 ID:H/bxYbx6 [ ppp3357.hakata10.bbiq.jp ]
なんで春日で出た遺跡にちなんだ名前をつけたんですか?
103名無しでよか?:2006/05/17(水) 00:43:15 ID:cuBE8zjs [ softbank220061216247.bbtec.net ]
>>101
単に、地元から出土した土器が、須玖式土器だからじゃないの?
104101:2006/05/17(水) 01:16:13 ID:qT8XoM4A [ cwtl7sgts51.jp-t.ne.jp ]
あの最中の形は須玖式土器の形ではなく、当時の発掘で全国的に有名になった須玖岡本遺跡から出土した数多くの瓶棺=カメカン=人骨入り棺桶 の形。
須玖の瓶=すくのかめ
夥しい数の瓶が出たこと、それにより金印で有名な奴国の王墓であろうと推察されたことで、ちょっとしたブームになった。
スワ耶馬台国か!?…で話題になった吉野ヶ里出土の頃に北部九州一帯で「卑弥呼饅頭」的な名物や菓子が量産されたのと同じような顛末でしょうな。。
105名無しでよか?:2006/05/17(水) 06:10:06 ID:jRXR3VbE [ 61-22-195-86.rev.home.ne.jp ]
100>読みました。
106名無しでよか?:2006/05/18(木) 22:28:24 ID:TLY9A5ds [ ppp3357.hakata10.bbiq.jp ]
つまりダジャレってことですか。そういえば、吉野ヶ里出土の時はブームがあったかな。
「ひみこの詩」とかいう菓子が発売されたのもその頃だったか。

ところで、興味深いサイトをみつけました。
地名は言語学と深い関りがあると考えられますが、日本の地名は縄文時代の言語に通じるようです。
自然崇拝していた古代人は、自然を人の体に例える考え方があったようです。
川も、そのような考え方から人の体に例えられて
水源は頭 山の斜面を流れる川は胸 川の曲がり角は肘 中流の石の原は腹
下流の河口は川尻、または女性の陰部に例えてきたらしい。
地名は、縄文時代の古い言葉を化石のように残してきたものも少なくないと考えられます。

九州の地名で縄文語との繋がりがあると考えられるのは

大村 (内海の)奥深い岡 諫早 磯の山の際 多良見 浪の踊る入り江 口之津 河口のアゴ、岬

島原の子守唄に出てくる一節「鬼の池ん久助どんの 連れんこらるばい」は
明治・大正期に、島原から海外へ渡った「からゆきさん」の歴史に関る。
その頃の島原半島の子供達は、人買いは天草オンノイケから来ると思っていたからだ。

福岡 獲物をたくさん捕る所 博多 浅瀬の所 志賀島 大きな岡の太地のアゴ、出崎
多々良 (流れが)踊り踊りする 井尻 それ(神/獲物)の土地
能古島 尊い所、祭場 立花山 踊る所、祭場の鼻、出崎 千早 祭場の陸岸

これを見ていると、どうも古代は神聖な場所とされた所が各地にあったようですね。

参照↓

各地の地名から縄文後を探す・日本語語源に迫る
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/
107匿名:2006/08/30(水) 14:41:36 ID:fiuhNNJ6 [ softbank218114110124.bbtec.net ]
なぜ老司というところに老司古墳があるのか???誰かおしえてww
野多目でもぃぃんじゃなぃか????
108名無しでよか?:2006/08/30(水) 14:53:37 ID:evgT5F56 [ FKCfi-01p2-147.ppp11.odn.ad.jp ]
机張原(きちょうばる?=大分市) これは、ガイシュツだったかなぁ
109名無しでよか?:2006/09/02(土) 01:27:09 ID:0h0RnZYs [ softbank220061004117.bbtec.net ]
>107
遺跡の名前は小字名が優先されるんじゃなかったかな?
110名無しでよか?:2006/09/03(日) 17:18:38 ID:Bg0yKAbs [ ppp3124.hakata10.bbiq.jp ]
福岡市早良区次郎丸。周囲に「一郎丸」や「三郎丸」という地名はない。
一九九六年当時、次郎丸中学校の校長だった安川文夫さんがまとめた冊子
「次郎丸の歴史」によると、鎌倉時代―戦国時代にかけて存在した田地の登録名に由来しているという。
「〇〇丸」という地名が沿岸部の干拓地に多いことから、次郎丸付近に海岸線があった時代に
開拓した人が自分の名前をつけたとも考えられている。
駅から外環状線と交わる県道を南へ。一本裏の路地に入り、五分ほど歩くと
しっくいの白壁づくりの民家が並ぶ通りがある。(1)通称「次郎丸三丁目の白壁通り」。
二〇〇三年に「第十七回福岡市都市景観賞」を受賞した。
細い路地に沿ってどっしりとした建物が並んでいる。
江戸時代末期から一九三五年ごろまで、しょうゆや酢の醸造・販売店や造り酒屋、質屋など
約二十件の商店が軒を連ねていた。
当時は「新町」と呼ばれ、旧早良郡南部の中心地として栄え
旧早良郡北部の西新や姪浜町に次ぐにぎやかな通りだったという。
111名無しでよか?:2006/10/14(土) 01:55:38 ID:wxByYtgo [ ppp3243.hakata10.bbiq.jp ]
福岡市中央区地行、地獄行きの略で地行w
地行には、江戸時代は処刑場(斬首)があった。
112名無しでよか?:2006/10/28(土) 15:40:07 ID:UOpQ.2vg [ 219-103-12-58.btvm.ne.jp ]
都城(宮崎)に志和地(しわち)地区があります
夏になったら志和地祭りには毎年ゲストにウルトラマンがきます
113名無しでよか?:2006/11/03(金) 11:07:05 ID:KDu3iL0I [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
福岡市南区曰佐は、その昔通訳が住んでいたところ。
喋る(曰く)のを補佐する(佐)という意味。
114名無しでよか?:2006/11/03(金) 18:10:00 ID:B1.cOqkE [ nthkid113151.hkid.nt.ftth.ppp.infoweb.ne.jp ]
115修行中@Gen ◆saqaGen.co:2006/11/03(金) 18:33:44 ID:t4zflzTQ [ pl-762-218.bunbun.ne.jp ]
宮崎の土々呂・・・
116名無しでよか?:2006/11/04(土) 00:37:45 ID:mNHYq11I [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
何と読むのだ?
117名無しでよか?:2006/11/04(土) 04:23:10 ID:bhOdp87E [ FKCfi-01p1-102.ppp11.odn.ad.jp ]
トトロ?
118修行中@Gen ◆saqaGen.co:2006/11/04(土) 19:16:09 ID:tNt6rmXQ [ pl-762-218.bunbun.ne.jp ]
>>117
正解w
119修行中@Gen ◆saqaGen.co:2006/11/04(土) 19:16:22 ID:tNt6rmXQ [ pl-762-218.bunbun.ne.jp ]
>>117
正解w
120名無しでよか?:2006/11/14(火) 02:12:18 ID:phKUpymQ [ gd202157007008.u17.kcn-tv.ne.jp ]
流れが読めない上にクレクレでスマソ。

熊本駅の裏手に昔あった旧地名(通称?)、知ってる人がいたら教えて欲しい。
無論他意は無い。子供の頃よく行った場所だが、名前だけが思い出せないだけだ。
121名無しでよか?:2006/11/14(火) 09:49:51 ID:qBguUUm2 [ p1251-ipbf601fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
九重町に大吊り橋が出来た。つり橋の名前が「夢・大吊り橋」とは芸がないというか、色気がないというか、
役人の命名でぢょうね。折角、「振動の滝」なんかがあるのだから「振動の大橋」「九重(ここのえ)の大橋」
とか、地名とか他に歴史に由来した名前が欲しいね。「夢」じゃねえ。こういう名前は「動く」といって、
「花」でも「星」でもいくらでも動かせるのです。九重町以外には存在しない名前が欲しいね。

地名は、遺跡、古文書、伝承と並んで歴史の重要な手がかりになるものです。現代人が勝手に変更するのは
愚のきわみです。最近の施設や公園など「ふれあい・・」「希望の・・」などの名前がつけられますが、
よくないですね。


それにしても、最近、公園や施設の名前って「ふれあい○○」や「希望○○」ばかり。
面白くないね。
122問い1 博多五町はどこどこ?:2006/11/14(火) 12:51:14 ID:YUbWb8ko [ FKCfi-01p1-205.ppp11.odn.ad.jp ]
おっしゃるとおりで、復活した例ってありますかね。
123名無しでよか?:2006/11/14(火) 13:05:30 ID:p2M.Hemg [ softbank218117064029.bbtec.net ]

ここで話題になってる「隈」だが
佐賀県、筑後、福岡市、糟屋郡、大分の日田以東では
確認できない。
これは九州西南地域ちょうど甕棺地域と一致しないか?
万葉集の百隈、記紀の隈襲
由来なのではないのか?
ここで上の方でえらそうに「池」だの断定口調で
語ってるのが居るけど本当なのか?
124名無しでよか?:2006/11/14(火) 15:11:02 ID:p2M.Hemg [ softbank218117064029.bbtec.net ]
どっかの学者さんが真剣に「隈」の起源を研究してくんないかな、
漏れは隈は隈襲の隈だと信じてるけど
125名無しでよか?:2006/11/14(火) 15:55:35 ID:YTCJq8JM [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
> 地名は、遺跡、古文書、伝承と並んで歴史の重要な手がかりになるものです。現代人が勝手に変更するのは
> 愚のきわみです。

禿げ上がるほど同意。新興住宅造成地に不動産屋がつけたがる安直な名前は
どれも地元の歴史に何の由来もなく、とってつけたような商品名ばかりだ。酷いのになると日本語じゃないものもある。
「○○ヶ丘」「○○台」「○○杜」どこもかしこもこればっかりだ。土地とは何の脈略もない地名にもならない商品名。

区画整理後に役人が変更する地名も同じようなものだ。
博多五町も今となってはバス停名だけに名残りを残しているものも多いのではないか。
何が博多駅前○丁目だよ。いったいどこまで駅前なんだよ。駅から遠すぎる駅前なんですけど?

隈の字は薩摩大隈にもあるが、細かな字名などには存在しないのか?
126名無しでよか?:2006/11/14(火) 16:17:52 ID:3TTXWRts [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
熊 .隈 「くま」という言葉には神という意がある。漢字は後から当てたもの。
127名無しでよか?:2006/11/14(火) 23:35:57 ID:p2M.Hemg [ softbank218117064029.bbtec.net ]
久留米で神代ってかいてクマシロって読むじゃん
クマが神であるという可能性はあながち
128名無しでよか?:2006/11/14(火) 23:39:31 ID:p2M.Hemg [ softbank218117064029.bbtec.net ]
佐賀にも日隈とか中津隈とか大隈とか隈の地名は多い、
筑後地方にも小隈、横隈とか沢山ある
漏れはクマソの名残だと思えてならないが
熊本にもおおかっちゃろ?
129名無しでよか?:2006/11/14(火) 23:42:01 ID:p2M.Hemg [ softbank218117064029.bbtec.net ]
他には有名どころではバル(原)か
ヤンバル(原)クイナ
これは九州沖縄全域に共通する地名
謎は多い
130名無しでよか?:2006/11/14(火) 23:48:05 ID:UHP2TJRY [ 61-22-155-21.rev.home.ne.jp ]
新田原
131名無しでよか?:2006/11/15(水) 00:20:43 ID:p1.v9zaM [ softbank218117064029.bbtec.net ]
吉野ヶ里の近くにある田通ヶ里
これは但馬守がこちらに遠征して地元民を支配していたという
ことから来てるという説が有力。
但馬守というのが存在したのは弥生時代のことと
かんがえれれている。
記紀、肥前風土記から・・・
132名無しでよか?:2006/11/15(水) 00:58:18 ID:dD.sW.WQ [ gk004.leo-net.jp ]
>>130新田原
しんでんばる、は福岡県行橋市(JR日豊本線の駅もある)

にゅうたばる、は宮崎県に所在する航空自衛隊新田原基地

しんでんばる駅の次の駅は築城(ついき)。航空自衛隊築城基地が目の前にある。
飛行機の世界では、築城基地の隣の基地は新田原基地なのだが、JRの駅も築城の
隣にあるため、知らない人は(自衛官でも)混乱するみたい。
133名無しでよか?:2006/11/15(水) 12:42:47 ID:p1.v9zaM [ softbank218117064029.bbtec.net ]
古賀茶屋、”こがんちゃや” で一発変換、ATOK優秀。
これも方言だったのねん。
134名無しでよか?:2006/11/15(水) 15:31:17 ID:w.wlaiPs [ p2082-ipbf216fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
邪馬台国って耶馬渓だとは思わないかい?卑弥呼の後の台与(トヨ)、豊の国に結びつかないかな
135名無しでよか?:2006/11/15(水) 15:48:05 ID:p1.v9zaM [ softbank218117064029.bbtec.net ]
そぃは漏れが2chで指摘したことあるとばってん
あんまり賛同えられんかったよ。
豊が豊国なことはまず間違いなかって思うとばってん
耶馬渓ば邪馬台国の名残っちゆうたら
いや、そりゃちがうちゅう輩のおらしたけん
だまっとる。
それに、那珂川にも耶馬渓っちゆうとのあるけん
それだけじゃ説得力にかくっとよねー
漏れはそうじゃなくても邪馬台国は豊国に
あるとしんじとっとばってんね。
136名無しでよか?:2006/11/18(土) 20:32:14 ID:8w.t7iNs [ FKCfa-02p3-27.ppp11.odn.ad.jp ]
天孫降臨の地が前原市の高祖だと思う今日この頃。
なんで筑紫の日向の高千穂が宮崎県の高千穂なん?
筑紫の日向といえば伊都国周辺だろ?
天孫降臨の伝説なんて元々、中国や韓国の話なんだ
から、彼らがコメ作りに向いた地を見つけて最初に
降立つ地といえば北部九州沿岸もしくは山口県西部
沿岸。事実、唐津、前原、宗像、長門には渡来文化
を持つ氏族が小国を造ってきた。天皇家の元となった
一族はその中から出てきたと考えるのが自然。
137名無しでよか?:2006/11/18(土) 21:05:33 ID:1YYJWcbM [ ddae44d51.oct-net.ne.jp ]
大分の昆布刈って地名が気になる・・・
どう考えても有史以来海のそばでは無いと思うんだが・・・。
138名無しでよか?:2006/11/18(土) 21:21:59 ID:fOLvzVMA [ FLA1Aal172.sig.mesh.ad.jp ]
大分で言えば「湯布院」「由布院」の表記の違い。
何故この様な違いが生じたのでしょうか?
中学の修学旅行で訪れて以降、気になってます。
ご存知の方、教えて下さい(既出ネタだったらすみません)。
宜しくお願い致します<m(__)m>
139名無しでよか?:2006/11/18(土) 22:13:38 ID:1YYJWcbM [ ddae44d51.oct-net.ne.jp ]
正しいかわかんないけど、由布は国が使って、地元じゃ温泉売り出したいから
湯布だって聞いたような気が・・・
なんとなくでごめん
140名無しでよか?:2006/11/19(日) 01:09:06 ID:FsJMYIbA [ softbank218117064010.bbtec.net ]
>>136漏れも小学生のことそう考えてた。
141名無しでよか?:2006/11/19(日) 01:57:07 ID:sSLSEf0. [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
昆布刈て面白い地名だね。太宰府も二つあるってよ。大宰府と太宰府。つい最近まで全然気がつかんやった。
湯布院も二つあるのに気づいてなかったよwなんでやろうね?

気になる地名シリーズ。大野城市牛頚。勝手に語源は牛の首かと思ってた。
牛の屠殺場があったらしいと聞いたことがあったので牛の首-牛頚と決めつけてた。
でもよく考えたら牛の屠殺場なんか地名が発生するような昔にあったわけないか。
牛肉を食べる習慣は明治以降に入ってきたわけだし。
142修行中@Gen ◆saqaGen.co:2006/11/19(日) 06:01:17 ID:Lql/ikL6 [ pl-762-218.bunbun.ne.jp ]
過去から、拾ってきまつた↓

「九州の「こりゃ読めない地名」教えっこ 」
http://snow.jamfunk.net/kyukei/log/dat1/chimei.htm
「九州の「こりゃ読めない地名」教えっこ2」
http://snow.jamfunk.net/kyukei/log/dat3/1014904959.html
143名無しでよか?:2006/11/19(日) 14:05:53 ID:IlCOUA1U [ ppp5565.hakata08.bbiq.jp ]
白木原(しらきばる)出身者だが、小学校の地元の歴史で白木は朝鮮の新羅、原は拓けたところを意味する朝鮮語から由来していると習ったが。
144名無しでよか?:2006/11/19(日) 14:18:49 ID:Q/oh05io [ p5161-ipad112fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
>>138
由布院は、もともとの地名(だから駅名もこっち)。
湯布院は、昭和の大合併で由布院町+湯平村が合併してできた合成地名。

詳細は自分で調べてね。
145名無しでよか?:2006/11/19(日) 21:22:24 ID:FsJMYIbA [ softbank218117064010.bbtec.net ]
>>143
随分,自虐的じゃね?
白木はそうにしてもバルは沖縄にでんあるちゃけん
朝鮮語と関係なかっちゃなか?
146名無しでよか?:2006/11/19(日) 23:12:59 ID:IlCOUA1U [ ppp5565.hakata08.bbiq.jp ]
>>145
原「バル」の由来がすべて同じとも限らないが・・・
147名無しでよか?:2006/11/20(月) 00:42:44 ID:wmZ/ce1k [ softbank218117064010.bbtec.net ]
バルの由来が同じとは限らない?
想像を超えた疑問でたまがった。
福岡弁と筑後弁は似てるが
福岡弁は朝鮮語起源で筑後弁は東北弁起源かもしれないというくらい
想定を超えた疑問。
限らないといえばなんでも限らない日本語は英語が起源かもしれないし
チョン語が起源かもしれない。
おまえ的な論理ならな
148名無しでよか?:2006/11/20(月) 01:27:18 ID:veggL4Uw [ softbank220061004183.bbtec.net ]
>141
「牛頚」
あまりおどろおどろしい由来でもなさそう
http://www2.csf.ne.jp/~ushikubi/


話しは変わるが、クマソのクマは
球磨地方のことだと個人的には思ってる。
149名無しでよか?:2006/11/20(月) 01:33:12 ID:beDXQOO6 [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
>>144
久大線の駅に湯平がある。由布院の次の停車駅だったはず。
合成地名は役所がつけた暗愚なものばかりだが、湯布院に限ってはなかなかセンスあるね。
(平成の大合併で誕生した地名はどれも酷いものばかり。)
その昔、いくつかの村を合併させて誕生した糸島郡の場合は
内陸部の伊都村と海側の志摩村が合体してイトシマ郡になった。
150名無しでよか?:2006/11/20(月) 01:39:38 ID:beDXQOO6 [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
>>148
牛頚の資料サンクス。案外、いい感じの由来だったね。
個人的に、こういう個性的で面白い地名はずっと地元で大切にしてほしい。
画一的で無機質な地名、没個性で何の脈絡もない地名は本当にうんざりするから。
牛頚住民の一部には「牛の首を連想してイメージが悪いから地名を変えろ」
などとほざいているバカタレがいるらしいからな。
あと、尻の字がつく地名も勝手に改ざんするバカもいる。
151名無しでよか?:2006/11/20(月) 01:40:45 ID:wmZ/ce1k [ softbank218117064010.bbtec.net ]
>話しは変わるが、クマソのクマは
>球磨地方のことだと個人的には思ってる。

それは中学生の時思ってた
理由は誰かが言ってたから
高校生になったあたりからちょっと疑問抱きハジメタ
なぜなら隈の地名が福岡佐賀に集中してるから
一方北九州には一つもない!
強烈な驚き!
152名無しでよか?:2006/11/20(月) 01:47:54 ID:wmZ/ce1k [ softbank218117064010.bbtec.net ]
クマの地名は福岡市から西南に集中している。
が大隅半島にもある。宮崎、長崎にはあるのでしょうか?
クマソの勢力圏にクマの地名が残ってると思う。
太宰府の栗隈王もクマソの王だね。
153名無しでよか?:2006/11/20(月) 06:40:26 ID:79kBv6lk [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
くま=神の意は民族学で定説になっている。
勝手に解釈しないように。
154名無しでよか?:2006/11/20(月) 08:45:18 ID:27nHXx.U [ FKCfi-01p1-214.ppp11.odn.ad.jp ]
嘉穂町っていま、ある?
嘉麻市?
「大隈」
155名無しでよか?:2006/11/20(月) 23:36:14 ID:wmZ/ce1k [ softbank218117064010.bbtec.net ]
嘉穂、日田あたりがクマ(隈)の一番東?
156名無しでよか?:2006/11/21(火) 22:31:45 ID:nEtF74uo [ softbank220061004183.bbtec.net ]
どうしても熊襲と隈を結び付けたい人がいるみたいだが、
その可能性は極めて低い。

そもそも「熊襲」という名称自体、侵略者たる中央政権が
勝手につけた呼称であって、熊襲にあたる部族が
自ら名乗ったものではないからだ。

熊襲について唯一の記録を残す中央政権が
無事その土地を奪って勢力下に押さえたのに、
追い出した蛮族の名称を土地に残したままにするだろうか?
極めてありえない話です。
157名無しでよか?:2006/11/21(火) 22:43:27 ID:nEtF74uo [ softbank220061004183.bbtec.net ]
>136
神武東征説が大前提に話しが始まる人たちにとって
都合が悪いからなのではないでしょうか?w
158名無しでよか?:2006/11/21(火) 23:30:57 ID:dVsVPEyc [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
「隈」は窪地や 池 の意が、だよ。
大隈は大きな池があったから
七隈は七つ池があったから(福大のパンフにもそう書いてあった)、
干隈は 干上がった池があったから…
目の下にクマが出来たと言うがごとし。
かように隈と熊襲は無関係ではあるが
しかし≫156 の後半部分の主張もおかしい。
熊襲は 北西は人吉あたりから、南東は鹿屋あたりの山間部にいたとされる。人吉あたりの「球磨」地方と大隅半島の「曽於」地方。
曽於は もともと 曽の国と於の国の総称だし、
まさに「球磨」と「曽」に分布してた民族だからクマソ。熊襲の字は当て字だとしても、呼称のクマソは地名から来ていると普通に考えられる。
159名無しでよか?:2006/11/22(水) 00:13:03 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
万葉集には奥まった地域である九州を指して
百隈と九州を呼んでいるから
>>158も大嘘ツキ。

つまりどれもこれも一つの説、考え方に過ぎず。
隈=クマソも一つの説だよ。
隈は福岡佐賀から大隅半島に分布している。

>
160名無しでよか?:2006/11/22(水) 00:27:20 ID:qAJPjulw [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
百隈が 奥まったなんて説は瑣末な珍説にしかすぎず。
重箱の隅つつきしかしない、いいかげんな知識で人を大嘘付きなどというおまえは大白痴だなw
161名無しでよか?:2006/11/22(水) 00:36:46 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
>>160
『百隈の道は来にしをまたさらに八十島過ぎて別れか行かむ(刑部三野)』
じゃあ、これをどう解釈するんだ?
この百隈の隈を池と読み替えると
どういう情景を記述してることになる?
162名無しでよか?:2006/11/22(水) 00:43:49 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
日本大百科辞典には
熊襲は隈背ともかいてある。これは七隈、雑餉隈の隈と
同じじゃないか
163名無しでよか?:2006/11/22(水) 00:45:41 ID:qAJPjulw [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
池でも意味通るんじゃね?別に。
池がたくさんある地域を往還してたとしたら それで辻褄あわないことないだろ?
窪地とすれば更にスムーズに詠める。
逆に 無理やっこ 「奥まった」と訳すると苦しくないか?w
164名無しでよか?:2006/11/22(水) 00:52:28 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
目の下の隈、窪み。
では七隈、干隈、篠隈、大隈、乙隈、月隈、西隈等の地名は
すべてそうか?
そして同じ意味で日本全国各地にこの隈があるのか?
漏れは隈は西南九州一帯と東北の一分しかしらない
165名無しでよか?:2006/11/22(水) 00:58:59 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
神功が征伐した安の豪族も熊鷹といって熊の名で呼ばれている。
神功が熊鷹を倒し安堵したことから夜須の名付けられたと記紀は述べる
天智の頃の太宰府の王も栗熊王。
熊、隈と福岡佐賀は切ってもはなせないだろ
166名無しでよか?:2006/11/22(水) 01:04:28 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
池、窪みだけの意味なら日本全国どこも隈だらけだろ?
その疑問に回答できるのか?
どうせできないだろ、だから
大嘘つきのレッテルを
即座の張られんだよ。
167名無しでよか?:2006/11/22(水) 01:04:30 ID:iuojv2J6 [ J046234.ppp.dion.ne.jp ]
そうそう、みんな説に過ぎない。定説だよっていう人がいるがこれまでどれだけ定説が
覆されてきたことか。

しかし、じゃあ、「クマ」という宇宙人が村をつくったところに「クマ」がつくんだよ。
これも「僕の説」だからいいだろうーって言っても説得力はない。

つまり、これまでの説にとらわれることなく、ある程度説得力のある話、または
事実じゃないかも知れないけど、これは面白いと思える話でいいんじゃないかな、この場は。
学会の発表じゃないんだから。ダメ?

そこで僕の説だけど、「クマ」は目のクマなどと通じる奥に引っ込んだ所、で、熊襲にも
関係がある。
つまり、大和政権の支配領域の端っこの奥に引っ込んだ目立たない所に
熊襲がこっそりと入り込んで住んでいた、というのはどうだろうか?ダメ?
168名無しでよか?:2006/11/22(水) 01:09:49 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
隈の地名は調べた限りでは飯塚、日田より東にはない。
宇佐に畿内豪族の拠点があったのは確かなので
そのせいか
169名無しでよか?:2006/11/22(水) 01:14:17 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
畿内人が九州を呼ぶとき
人も地名も隈、熊と呼ぶケースが多い。
これは福岡佐賀地域で特にみられる。
170名無しでよか?:2006/11/22(水) 01:17:36 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
なにより卑怯なのがちょっと旗色悪くなると
レス速度が鈍る白致。しかもこういうバカに限って
ちょと煽ると即レスしてくる。
パターン化したバカw
171名無しでよか?:2006/11/22(水) 01:23:29 ID:iuojv2J6 [ J046234.ppp.dion.ne.jp ]
城南区倉瀬戸、福大のそばの地名。
倉瀬戸→クラセド  これはクライスト、つまりキリストに関係あるそうです。
むかしキリシタンが首を切られたところだという話です。本当かどうかは知りませんが。
172名無しでよか?:2006/11/22(水) 01:29:36 ID:iuojv2J6 [ J046234.ppp.dion.ne.jp ]
もう一つ思い出した。八女ってのはむかしの文献に
「八刀vと書かれたものがあるそうです。
口に羊とかいて「メー」と読ませた分けです。
173名無しでよか?:2006/11/22(水) 01:33:28 ID:7ycKew8o [ P222013037144.ppp.prin.ne.jp ]
まあ落ち着けよ
174名無しでよか?:2006/11/22(水) 02:06:18 ID:iuojv2J6 [ J046234.ppp.dion.ne.jp ]
>>82ほか
 春日市のウト口って「うとろ」ではなく「うとぐち」って・・・知ってるよね?
175名無しでよか?:2006/11/22(水) 02:09:55 ID:Xl0tdFIY [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
地名というものは、きっと元々は場所を指す通称だったのだろう。
「あそこの松が六本生えている所から南に一里そこから西に一里」「池が七つある所でよ」
「ほら、梅の林がある所の近くたい」「キリシタンが首ば切られたげな、怖かねー」
「この前キリシタンが斬首された所を通って」「ほら、例のキリシタンの・・」
「「例のクライストの・・」「クライストの近くに・・」「ああ、あのクライセトね」
(だんだん訛ってくる)「クライセトば通って梅の林に行きんしゃい」「嫌ばい、あそこは通りとうなか」

そういえば城南区一帯は教会がやたら多いな。172の説は面白すぎwそれ、まじか?
176名無しでよか?:2006/11/22(水) 02:12:03 ID:rtULOed6 [ ntfkok045096.fkok.nt.adsl.ppp.infoweb.ne.jp ]
おお、このスレが盛り上がってる!
177名無しでよか?:2006/11/22(水) 02:33:04 ID:iuojv2J6 [ J046234.ppp.dion.ne.jp ]
>134
 耶馬溪っていうのは来山陽がつけたらしいから邪馬台国とは無関係だろう。
178名無しでよか?:2006/11/22(水) 02:36:36 ID:iuojv2J6 [ J046234.ppp.dion.ne.jp ]
遠賀は岡だったそうだね。
179名無しでよか?:2006/11/22(水) 03:02:16 ID:iuojv2J6 [ J046234.ppp.dion.ne.jp ]
由布院はもともと由布の方。由布ってのは大昔国に納めていた特産物の
木綿(ゆう)から来ているって聞いたぞ。木綿というと現在ではコットンの
ことだけど昔は木の皮からとった繊維で作っていたらしいぞ。
本当かなあ?
180名無しでよか?:2006/11/22(水) 03:08:33 ID:iuojv2J6 [ J046234.ppp.dion.ne.jp ]
>>145
 朝鮮語由来がなぜ自虐的なのか?
 大昔は朝鮮は今と違って日本から見て先進国であり多くの文化を取り入れていたし、
 多くの朝鮮人も渡ってきていたのだから朝鮮語由来の地名が多くても不思議ではなかろう。
 「原」→「はる」は朝鮮語の「パル」から来ているとか牛頸の「くび」も朝鮮語の
 「クピ」からとか、大利とか惣利も朝鮮語由来だと聞いたことある。
 真実かどうかは分からないし、僕も鵜呑みにしているわけではないがそういう説があることは
 確かだ。複数の本で見かけたことがある。
181匿名:2006/11/22(水) 05:38:33 ID:z4elId7o [ p5141-ipad04sinnagasak.nagasaki.ocn.ne.jp ]
阿連、内院、久田、鶏知、女連、読めますか?
182長崎ルーツで長崎知らず ◆p1HXAJ0kVA:2006/11/22(水) 07:36:45 ID:hgooMZAA [ FKCfi-01p1-144.ppp11.odn.ad.jp ]
だめだ。読めません。

例)連=むらじ と読むこと、なかったですかねえ…。あゝ…地理族のオレ様としたことが…

鬮場
183名無しでよか?:2006/11/22(水) 09:56:58 ID:fAQnoqMQ [ p2006-ipbf511fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
>>178 「岡」は神武東征のときに日向〜宇佐〜岡に立ち寄って・・・と「記紀」にある。
    しかし、ニニギノミコトの天孫降臨は英彦山だという説もあり、その父、天忍穂耳命は
    英彦山神宮の祭神である。この時から、英彦山から流れる川が二つになる所を「二又」
    そして再び落ち合う所を「落合」、川に添田をえたので「添田」、そして、田を増やして
    「桝田」、その田に添って流れてていく先を「田川」と呼んだそうな。
184名無しでよか?:2006/11/22(水) 14:04:25 ID:3286iZgM [ p1169-ipbfp01miyazaki.miyazaki.ocn.ne.jp ]
RtlRNY1M

こいつ、大丈夫か?w
185名無しでよか?:2006/11/22(水) 14:23:25 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
>>180
バカじゃね?惣利の惣という鎌倉時代の全国的行政制度
おまえんごったバカはでてくんなって・・
186名無しでよか?:2006/11/22(水) 14:26:25 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
>>180
ああ、失礼、本をみてそういう風にかいてあったのね・
187名無しでよか?:2006/11/22(水) 14:28:00 ID:yhdrL4.M [ 221x246x33x210.ap221.ftth.ucom.ne.jp ]
>>180
俺も何で「自虐的」なのかわからん。
日本語がよくわからん外国人なんだろうな。>145は。
一般的には君の通りだよ。

大野城市の牛頸は地形の形態からきてるともいわれている。
188名無しでよか?:2006/11/22(水) 15:20:31 ID:Bc1Jawow [ P222013036091.ppp.prin.ne.jp ]
まあオチ付けって
189名無しでよか?:2006/11/22(水) 19:48:39 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
だけんさ、しゃっち九州にすんどるもんがっさい。
九州の地名が朝鮮由来ち本にないとっとば
鵜呑みにせんでちゃよかろーもんっちいいよっとたぃ。
それば否定するごたっ証拠もあるっちゃけん、
それにも目ばむけにゃんめーもんって。。
そん一つがバル、沖縄んヤンバルも朝鮮由来って
なろもん?そがんとも一応指摘しとかにゃんめーもんじゃん。
わざとんごと、都合のわるいとば言わんけん
鵜呑みかなんか工作しとっとかそういう風にきこゆっとたい。
190名無しでよか?:2006/11/22(水) 23:17:45 ID:G8FGxEMs [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
僕もなんでもかんでも朝鮮由来には反対ですが、沖縄の地名は本土の古い言葉が
残っていることが多いから「バル」も関係はあるかもね。
191名無しでよか?:2006/11/22(水) 23:40:40 ID:G8FGxEMs [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
どうでもいいけど、ここって間違いが許されないような場所か?
どれが真実かも分からんような話の中で自分の意見と合わないからと
みんながいちいち「バカ」だとか「ハクチ」だとか「うそつき」だとか
言ってたら収拾がつかなくなるだろ?

やめようよ、悪口は。
悪口なしで、意見で対抗できないか?
192名無しでよか?:2006/11/22(水) 23:43:33 ID:c1jjJPf2 [ softbank220061004183.bbtec.net ]
>158
クマソは地名から来ている事は承知。
人名、団体名が地名に由来することは多い、、、
というよりは日本史を振り返ると主要部を占めていますが、
その逆と言うのは古代から近代史までを見ても、
自分が知ってる範囲ではまれなんですよ。
今回はその逆パターンを否定してるんです。

筑紫地区で絶大な人気を誇る菅原道真すら、
彼の名にちなんだ地名を知りません。
メジャーどころでは愛知県豊田市くらいしか知らないんですが、
どこか由来が確実で、例に出来そうなとこご存知ですか?
193名無しでよか?:2006/11/22(水) 23:51:58 ID:RtlRNY1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
天神の菅原という苗字は九州ではあまりきかんね。
一説によると肥前高木氏がその遠縁とか本でみたけど。
ちなみに福岡に多い天神はほぼ道真からきてるというのが定説。
デンパ学者は道真以前の天孫信仰が由来だと言い張ってるけど
そういうデンパボンを鵜呑みにして定説と言い張るヤシの
おおかっちゃん。
鵜呑み例としては七隈の隈が福大のパンフでみたとかっさい。
筑前風土記とかじゃなか?
194名無しでよか?:2006/11/23(木) 00:04:41 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
>192
 人名由来の地名が多いといいたのか、少ないといいたいのかよく
 分からないのですが。
195名無しでよか?:2006/11/23(木) 00:10:31 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
クマソはヤマトの蔑称でありクマソの自称にも由来してる。
隈は福岡に派遣された防人歌にもちゃんとでてくる。
隈の地名は福岡佐賀熊本の至るとこにある、本州地域にはほぼ無い!
七隈に留学した朝鮮人留学生かなんかしらんばってん
副題のパンフ鵜呑みして定説げな言い張るのは
どー考えてもおかしかろーもんて。
196名無しでよか?:2006/11/23(木) 00:16:25 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
「遠賀」がもともと「岡」だったのは知っている。
「遠賀」は「おか」を万葉仮名で表したものらしい。
ここで分からないのは、そこに住んでいる人々は、むかしから「おか」と
発音していたと思われるが、ずっと継続して住んでいるにもかかわらず、
いつのまにか「おんが」と発音が変わってしまったのはいつ頃なんだろう?
そしてなぜ変わったのだろう?
197名無しでよか?:2006/11/23(木) 00:27:42 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
賀は賀正のようにめでたいという意味のあろ。
佐賀は太宰府の北向いて左で佐賀かなっと思ったり
したけどそういうのはデンパ学者の領域はでん。
直接的には佐賀は百済出兵の時に名前のある佐賀氏に由来してる。
その頃から賀の文字が多用され岡は賀から遠いかどうか
しらんばってん遠賀になったちゃなかかな?
あてずっぽばってんね。
ちなみに遠賀川流域は九州の弥生式土器発祥の地と
考えられていて、出雲に関係の深い物部氏の拠点でもある。
198名無しでよか?:2006/11/23(木) 00:40:37 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
岡、崗とも書かれ、「おか」と言われていたが、奈良時代に全国の代表的な地名を
よい文字を使って二文字にしなさいという天皇の命令が出されたので、岡が遠賀になったの
です。遠賀の文字は万葉仮名で、発音だけを表しているから、漢字の意味は基本的には
関係ない。安が夜須になったのも同じだろう。
他にも例は色々ある。
ただ、分からないのはなぜ発音が「おんが」になったかということなんですよう。
誰か知りませんか?
199名無しでよか?:2006/11/23(木) 00:45:39 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
そうそう、なんちゃら天皇の時、弐文字にせれって
勅令のあったつば思い出した。
和妙抄んころ夜須は安で朝倉は安佐久良かなんかの表記に
なとった。
200名無しでよか?:2006/11/23(木) 00:46:04 ID:Xe0YqtEs [ softbank220061218225.bbtec.net ]
筑紫の国の国の崎 とほく霞て海に入る
遠賀の水門も望むべし
目蔭をかざせ汐境 響灘 玄界の波
澄みわたる朝の幻 馴れ馴れて海の若人
吾こそは洋の独り子 吾らかく若々し
身は健やかに 気宇ひろく 筑紫の海の如 あらむ
201名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:05:40 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
筑紫はつくしが本来の読みで尽くしから来てると筑前風土記にある
人によるとツングース(ツングース語で山々を超える)から来てると
いう人がいる。ばってん、すでに基本的日本語ができあがってると考えられる
3世紀魏志倭人伝の伊都国周辺の地名にちくしに近い読みはないので
この説は苦しいと思う。
直接的には筑紫は関西におった
孝亨天皇の裔の日下部(筑紫)に由来してると考えるのが妥当。
このころから筑紫の文字の顕れる。
202名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:12:04 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
春日市上白水、下白水
通常京都を向いて上、下だけど
これは上が南、下が北。
おそらく、太宰府ばむいとっちゃなかかな?
203名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:13:33 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
筑紫ってのも興味深い地名ですね。僕もむかしから勝手に考えているけど分からない。
ただ、魏志倭人伝にないってことだけど、むかしは筑紫は九州全体を指してたらしいよ。
古事記に書いてあるそうだ。
204名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:23:21 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
古事記は7,8世紀にその時に生きてる関西の権力者に
よってかかれた歴史書だから現時点を述べたものではなく
それだけじゃ本当に昔からあったかどうか判断しにくいよ。
中国外交文書、3世紀魏志倭人伝に筑紫の文字はないが
その後6世紀にかかれた後漢書倭伝には筑紫にあたる文字のある
のを考えると4から6世紀ころに
筑紫にあたる文字が顕れたと考えるのが自然のように思う。
筑紫野市にある筑紫神社に一度いってみては?
205名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:31:10 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
筑後風土記逸文によると筑後地域を中心にヤマト政権との
壮絶な戦いによる地域の荒廃ぶりが述べられている。
漏れは戦い尽くしたからきたかもと考えてる、
時代的にピッタリ合うし、尽くしの由来として妥当かなっと
206名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:35:32 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
筑紫という文字限定でなく竺紫とか他の文字でも出てきますね。
古事記を否定されてはちょっと困りますが、政治権力とはあまり関係のないところで
筑紫について書かれているところもあると思いますよ。
207名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:40:27 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
記紀(古事記、日本書紀)は否定まではせんけど、
やっぱ、7,8世紀の関西の権力者によって
かかれたというのはあるけんねー
208名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:43:05 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
古事記には、具体的には次のように書かれている。
 「次に筑紫の島を生みたまひき、この島も身一つにして面四つあり。」
 「筑紫野国を白日別といい・・・」
 四国に続いて九州の説明がなされているところだから、特に政治的な意図はないように思える。
 
 筑紫の国ってのは現在の筑前・筑後あたりを指しているようだ。
209訂正:2006/11/23(木) 01:47:32 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
筑紫野←×  筑紫の
210名無しでよか?:2006/11/23(木) 01:52:05 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
3世紀魏志倭人伝の傍国が記紀と一致せず
6世紀後漢書倭伝の傍国が記紀と一致するかという
のがあるから
211名無しでよか?:2006/11/23(木) 02:11:29 ID:6BmThews [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
古代の文献で九州全体を指すのに「つくし」「つくしの国」と書かれているね。
筑紫は元々は「つくし」と読まれていたのだろうか。
212名無しでよか?:2006/11/23(木) 02:18:49 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
古事記では九州は筑紫の島で、筑紫の国は現在の筑前、筑後に一致するんじゃない?
「ちくし」か「つくし」かはよく分からないなあ。
ひょっとして「トゥクスィ」だったりしてね。
213名無しでよか?:2006/11/23(木) 02:21:42 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
勝手な妄想をするなら、ヤマト政権から見て、すでに支配尽くした場所だったからとか。
でも、「イ行」で終わる言葉って、動詞が名詞化したのが多いらしいから、
「つくす」という動詞が名詞化したと考えるのもあながち・・・。
214名無しでよか?:2006/11/23(木) 02:32:55 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
>>202
 下白水は今の下白水公民館あたり、上白水はミスターマックスあたりが中心だったからほとんど太宰府に対しては変わらないような気がする。まあ、すこーし南の上白水の方が太宰府に近いと言えなくもないけど・・・。

 白水ってのは、もともと泉だったのが、元明天皇の厳命で二文字にしなければならず、上下にわけて白水にしたそうだ。
 そして近年ふたたび、泉という地名が新たにつけられている。面白い現象だ。
215名無しでよか?:2006/11/23(木) 02:54:17 ID:MiZCSwD6 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
>>214
君はモノ知りですね。
感心しますたよ。
泉と白水は同じといわれてるのは知ってたけど
これも元明天皇の時やったったいね。
216名無しでよか?:2006/11/23(木) 03:08:11 ID:aG6P2uqY [ J046141.ppp.dion.ne.jp ]
↑物知りではありませんよ。中学校の社会の時間に習いましたバイ。
 余談みたいな感じで。
217名無しでよか?:2006/11/23(木) 09:41:48 ID:7TEafjD2 [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
筑紫は
大和関西から見て
西にズンズン進み、
道が尽きるところ=「つくし」
だというのが定説wじゃないのか?

春日の白水の上下は単に川の上流下流域からだろ。
白水と言う地名は古くからあったとしても それに上下をつけたのは ずっとあと、比較的最近。
218名無しでよか?:2006/11/24(金) 05:12:33 ID:sqb2pn.w [ I036004.ppp.dion.ne.jp ]
筑紫については定説はないというのが定説だと思うが。
筑紫の方が関西の大和より古いと勝手に思ってるし。
219名無しでよか?:2006/11/24(金) 07:16:07 ID:ZWvCRFYw [ softbank218117064010.bbtec.net ]
定説というのは定説と言われた時点で
常識と思うバカがいるから危険。
あまり使うべき言葉じゃない。
220名無しでよか?:2006/11/24(金) 11:12:43 ID:MKAeAwlY [ 221x246x33x202.ap221.ftth.ucom.ne.jp ]
>>193
菅原は福岡都市圏や佐賀県東部の神社・寺やその縁者に多い。
家紋も梅鉢。
221名無しでよか?:2006/11/24(金) 15:53:03 ID:uvVlVSmI [ ppps0506.hakata01.bbiq.jp ]
>>192
天神なんじゃない?
天神様=菅公だから。
222名無しでよか?:2006/11/24(金) 18:11:12 ID:RlgdiYH6 [ p1207-ipbf304fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
北部九州、福岡県東部に京都(みやこ)郡というのがある。第14代仲哀天皇にちなんだ仲哀トンネルがある。
仲哀天皇は日本武尊の子で、妻は神功皇后、そして応神天皇の父である。この京都(みやこ)は京都府よりも
早くから「京都」と呼んでいたようだ。京都府は単に「京」(みやこ)であった。詳しく調べると逆転するかも
知らないが、京都府庁に問い合わせると、どうも京都(みやこ)郡のほうが古いらしい。正確な事を知っている
方はいますか?「京都」は延喜式に「京」は尾張風土記に記されているようです。
223名無しでよか?:2006/11/24(金) 20:03:26 ID:STwYlZYo [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
我が母校の校歌。

筑紫野(つくしの)に光あふれて たくましく伸びゆく緑

>>212,213,217

校歌なので適当に作詞したのかもしれんが筑紫野と書いて
つくしのと読ませることもあるような。
奈良時代だったかに福岡県全域を襲った地震は
つくし大地震と記録されているとか。

> ひょっとして「トゥクスィ」だったりしてね。

古代語は現代の日本語にはない発音もあったらしいからな。
平安時代でさえ、現在の日本語とはまったく違う発音だったとか。
224名無しでよか?:2006/11/25(土) 00:52:45 ID:ooOfKLlQ [ I036078.ppp.dion.ne.jp ]
竺紫とか竹斯とかの表記もあるらしいね。
225名無しでよか?:2006/11/25(土) 00:54:48 ID:ooOfKLlQ [ I036078.ppp.dion.ne.jp ]
つくしが沢山生えていた、というのはNGでしょうね?
226名無しでよか?:2006/11/25(土) 00:57:20 ID:VPS7NU.Y [ softbank218117064010.bbtec.net ]
ツクシはなんでツクシかっていうことから考えると
わかったりして
227名無しでよか?:2006/11/25(土) 00:59:02 ID:ooOfKLlQ [ I036078.ppp.dion.ne.jp ]
こんなページ見つけましたバイ。

ttp://www.tsukushi.or.jp/furusato/index.htm
228名無しでよか?:2006/11/25(土) 23:49:19 ID:uPUNj7Ug [ ppp1732.kitakyushu03.bbiq.jp ]
祝子

宮崎県北部をドライブしてて標識で見たんだけど、
その下にローマ字で houri と書いてあった。

びっくりしました。
229教えてけろ?:2006/11/26(日) 20:35:05 ID:.4DMp0TU [ 61-22-148-145.rev.home.ne.jp ]
前原の手前にある筑前高校。
筑前町にないのに、なぜ?
230名無しでよか?:2006/11/26(日) 20:50:13 ID:BJFOb6r6 [ softbank220061218225.bbtec.net ]
>>229
名前の由来は、少なくとも筑前町からでは無いと言うことでしょう。
福岡市内だから、旧筑前領内は確かでしょう。
231名無しでよか?:2006/11/26(日) 21:06:52 ID:BPtgbeEU [ softbank218117064010.bbtec.net ]
ネタやろもんじゃん。
232名無しでよか?:2006/11/28(火) 00:06:43 ID:QLgDOH9. [ softbank218113065100.bbtec.net ]
【飯香の浦】いかのうら
近くの入り江の形がイカに似ていることからと地元民は言っている
233名無しでよか?:2006/11/28(火) 01:19:53 ID:p4fCyxrI [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]

場所はどこね?
234名無しでよか?:2006/11/28(火) 01:27:02 ID:Oyizsr4o [ softbank219009013071.bbtec.net ]
野面はどこでしょうう?
235名無しでよか?:2006/11/28(火) 02:05:23 ID:NgI3FJbM [ softbank220061218225.bbtec.net ]
野面は八幡西区の南西部、木屋瀬地区。
236名無しでよか?:2006/11/29(水) 13:51:28 ID:EmJcggBI [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
スレ違いだが、筑紫哲也は筑紫という苗字から
漠然と福岡県の人だと思い込んでいたが実際にはどうなのかね?
八代の八代亜紀、黒木町の黒木瞳みたいなもんだろうと勝手に決めつけていたが。
237名無しでよか?:2006/11/29(水) 14:52:29 ID:Rg/LJ.O2 [ softbank218117064010.bbtec.net ]
筑紫哲也は日田人です。
彼は福岡県にルーツがある
筑紫氏に繋がるといいますね。
筑紫氏は日下部氏と同じで孝亨天皇の末裔でもある。
238名無しでよか?:2006/11/30(木) 04:48:47 ID:MFZ/GVdE [ L115079.ppp.dion.ne.jp ]
○○天皇の末裔というのは大抵の武家に伝わっているがほとんどあてにならない、と思っている。
239名無しでよか?:2006/11/30(木) 07:17:23 ID:agD9kD1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
筑紫は太宰府大弐藤原なんとかとも血縁があるし
天皇族、関西系と深いつながりがある
240名無しでよか?:2006/11/30(木) 07:19:16 ID:agD9kD1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
連投すまんけど
元々筑紫地区と呼ばれた太宰府春日大野城那珂川は
魏志倭人伝の奴国に否定されている。
漏れは3世紀に筑紫という地名はないと考える
241名無しでよか?:2006/11/30(木) 12:25:29 ID:Os2NMUr. [ ppp2703.hakata10.bbiq.jp ]
そんな由緒ある家柄でしたか。真偽はともかくとして。
柳川の蒲池を拠点とした筑後の蒲池氏のようなものか。

> 魏志倭人伝の奴国に否定されている。

否定とは?
242名無しでよか?:2006/11/30(木) 23:09:18 ID:agD9kD1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
否定×、比定
後漢書倭伝には筑紫の東には秦王国ありとある
八幡のことか
243名無しでよか?:2006/11/30(木) 23:25:36 ID:agD9kD1M [ softbank218117064010.bbtec.net ]
蒲池は清和源氏だから随分新しい天皇族ですよ。
蒲池が清和源氏かどうか疑う人も多いらしいけど
244名無しでよか?:2006/12/01(金) 02:16:37 ID:m3ySubow [ FKCfi-01p2-138.ppp11.odn.ad.jp ]
潤 (うるう?:福岡県前原市)
245名無しでよか?:2006/12/30(土) 21:51:06 ID:1/bRBHcg [ FLH1Adr100.fko.mesh.ad.jp ]
北九州市小倉北区鋳物師町。棒読みが訛った系。あと南区の朽網も。
思わず昔のたたずまいを想像してしまうわかりやすい町名だなぁ。米町、魚町、紺屋町、鍛冶町、鋳物師町
246名無しでよか?:2007/01/31(水) 01:08:32 ID:q0ISSvvU [ ppp1583.hakata10.bbiq.jp ]
↓これは知らなかった。地元では有名な話なのか?


百道に刑務所が移転したのは大正2年
だけど江戸時代にはすでに「百道」と言われていた

だから
刑務所脱獄犯が松原を縫うように逃げた細い道が百(=いっぱい)あったので百道と言う
ってのは大間違いで、むしろ
燃料になる松の落葉を拾うための細い道が百(=いっぱい)あったので百道と言う
のほうが適切
「犬鳴村」みたいなおどろおどろしい俗説を鵜呑みにしてはいかんですよ
247名無しでよか?:2007/02/10(土) 07:28:33 ID:JxR0KHPI [ softbank219024214021.bbtec.net ]
>>243
蒲池氏は源氏でも清和源氏ではなく嵯峨源氏。
248名無しでよか?:2007/03/05(月) 15:47:09 ID:dAu31MsA [ ppp2722.hakata10.bbiq.jp ]
>>148
牛頚という地名の由来は諸説ありますが
筑前国続風土記と筑前国続風土記拾遺によると
かつて古野山(現在の牛頚浄水場)の形が
牛が首を伸ばしているかのように見えたことから
というのが最もよく知られている説だそうです。
また、ここは古墳時代から平安時代にかけ
須恵器を焼く登り窯が数多く存在した地域で「牛頚窯跡群」は
日本三大窯跡群の一つに数えられています。
天狗が活躍する伝説なども残されており
今のように市街化が進む前の一帯は、ひょっこり天狗が現れてくるような
山深い地域であったことを伺わせます。
249名無しでよか?:2007/04/13(金) 23:02:52 ID:y.1rDjIE [ ppp4129.hakata10.bbiq.jp ]
薬院の由来。名前のとおり、薬にかかわりがある地名である。
その昔、那珂郡薬院村となる前身、対明貿易の盛んな中世には
薬草を栽培していたという伝えが残っている。
薬草園の薬を利用した施薬院があったため薬院と呼ばれるようになった。
江戸時代、黒田如水・長政親子が筑前の城主として移封されて
巨大な福岡城を構築した時、肥前掘から水を引き入れ
さらに四十川(現在の薬院新川)の流れを巧みに組み合わせて
福岡城の東南地区の水溜をつくり、外敵に備えたといわれている。
そのため、江戸時代には掘端と呼ばれていた。
やがて大正十三年、九州鉄道(現在の西鉄大牟田線)の福岡-久留米間が開通し
その時、薬院という駅名が発足した。
そして昭和二年、東亜勧業大博覧会のおりに城南線が開通し
城東橋、薬院大通りという名前が生まれた。
250名無しでよか?:2007/05/03(木) 20:38:50 ID:pYlVdbpY [ FKCfi-01p1-93.ppp11.odn.ad.jp ]
由来は施薬院か…
251名無しでよか?:2007/05/28(月) 23:29:19 ID:Nu6CtZX2 [ ppp3324.hakata10.bbiq.jp ]
黒田藩時代は医薬に関しては大変に熱心で
中国朝鮮の和漢薬から長崎西洋医薬にいたるまで幅広い医学を学んでいた。
薬の施薬院があったことから、その名がついたという薬院は
かなり広い地域の地名だった。

明治22年福岡市政が施行されたおりは
この辺りには薬院町・薬研町・薬院堀端・薬院東川端
などと名づけられた町名があった。

昔は鴻臚館から大宰府政庁を結ぶ大宰府官道の名残りのところでもあり
大正時代に福岡市が大きく発展を遂げた大動脈の一つ、
市内電車の循環線と城南線を結ぶ要点で
通称5号線とクロスする地点を薬院大通りと呼んだ。

戦後は市民の緑住地帯の出入り口として
薬六つ角など、四方より城の南へ集まる重要な地点であった。
252名無しでよか?:2007/05/29(火) 13:50:05 ID:HmkUAA2s [ FKCfi-01p1-212.ppp11.odn.ad.jp ]
えび の
253名無しでよか?:2007/05/30(水) 01:10:23 ID:BIoC0J3A [ ppp3324.hakata10.bbiq.jp ]
そういえば、久留米出身(幼少時に住んでいた)で蒲池氏の末裔である
ZARDのボーカル坂井泉水さんが27日に亡くなりました。
ご冥福をお祈りします。
254名無しでよか?:2007/05/30(水) 19:40:46 ID:7n1Ou9aM [ FKCfi-01p2-30.ppp11.odn.ad.jp ]
入来
255名無しでよか?:2007/06/06(水) 19:55:10 ID:Jg.lsVpU [ dhcp-ubr3-3175.csf.ne.jp ]
自殺だったの?
256名無しでよか?:2007/06/16(土) 02:08:40 ID:WO/LW3Rc [ FKCfi-01p1-253.ppp11.odn.ad.jp ]

                      早 岐
257名無しでよか?:2007/06/23(土) 16:34:50 ID:YxTy/1fs [ p3223-ipbfp301fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
んん
258名無しでよか?:2007/06/23(土) 18:28:13 ID:fuHYoa9o [ FKCfi-01p1-161.ppp11.odn.ad.jp ]
仁田峠(雲仙温泉)
259名無しでよか?:2007/06/23(土) 20:24:04 ID:X/izIw/k [ p0055-ip02fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp ]
福岡市早良区南部の金山(カナヤマ)は、その名の通り金山(キンザン)。
その下の多々良瀬は砂金を獲るための「タタラ」を篩っていた瀬だったから。
一帯の町名である「石釜」は獲れた金鉱石を石釜で精錬していた場所だから。
260名無しでよか?:2007/06/23(土) 20:24:55 ID:xN4uk/ow [ softbank218116232012.bbtec.net ]
何このスレ、今発見スタw
261名無しでよか?:2007/06/23(土) 22:02:08 ID:Xe0YqtEs [ softbank220061218225.bbtec.net ]
「タタラ」を篩っていた、ってのがわからない?
262あたらし:2007/06/23(土) 23:00:50 ID:u7bBKU/k [ FKCfi-01p1-171.ppp11.odn.ad.jp ]
篩う 篩いにかける 「篩い」=道具の名まえ
263名無しでよか?:2007/06/24(日) 02:54:46 ID:h8mVvIUk [ softbank220061218225.bbtec.net ]
>>262
悪いが「ふるう」は、読めば解る。

普通、たたらは篩えない。
この場合の「たたら」は、何だろう、と。
264正直、すまんかった:2007/06/24(日) 03:50:49 ID:A6lSWyr6 [ FKCfi-01p1-24.ppp11.odn.ad.jp ]
ああそう…
265名無しでよか?:2007/06/24(日) 06:42:55 ID:7j.rrFEI [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
「タタラ」は「踏む」か「吹く」だろうね…
篩う… ?
使い込んだタタラを此所で篩って煤を落としたり洗ってたりしてたから多々良瀬?
だとしたら「瀬」だから合点がいくけどな…
266名無しでよか?:2007/06/24(日) 09:04:16 ID:zfv98BCE [ softbank218116232012.bbtec.net ]
>>259
う〜む、なるほど...
267名無しでよか?:2007/06/24(日) 09:05:25 ID:zfv98BCE [ softbank218116232012.bbtec.net ]
じゃぁ、多々良川は?上流に金山があったの?
268名無しでよか?:2007/06/24(日) 09:12:51 ID:zfv98BCE [ softbank218116232012.bbtec.net ]
たたら 0 【〈踏鞴〉】
(1)足で踏んで風を送る、大きなふいご。鋳物に用いる
たたら-ぶき 0 【〈踏鞴〉吹(き)】
炉に砂鉄と木炭を入れ、たたらで送風して行う鉄の製錬法。古代から行われ、現在も日本刀に用いられる

鉄の精錬所があったのかな?
単純な頭w
269名無しでよか?:2007/06/24(日) 11:54:01 ID:VrBu/T3E [ FKCfi-01p2-17.ppp11.odn.ad.jp ]
福岡市西区 今山(標高約80m?)は、
日本最古の製鉄所だったのではなかっただろうか?
270名無しでよか?:2007/06/27(水) 23:59:15 ID:VSrIErgs [ ppp5257.hakata10.bbiq.jp ]
有明海の湾奥につながる九州最大の河川・筑後川とその流域は
大和政権が奈良にできるまでは、出雲などと並び日本の中心地の一つだったはず。
筑後平野一円が見渡せる久留米の高良山は、移り変わる権力者の居住地だったろう。
古代の人は古神道とともにあったが、高良山はその拠点でもあったと思う。
その久留米の名前の由来を今は誰も知らないのではないだろうか。

何故、地名が久留米というのか地元の大半の人が知らないように
例えば、筑後市の羽犬塚の「羽犬」のことも地元の人は知らないだろう。
これはギリシャ神話のドルフィン(羽を持ったライオン)が転じたもの。

日本の古代史研究家の大半は、日本史と世界史を分けて研究しているが
日本史は世界史の一部であることを考えると世界史と繋がっているといえる。
その視点に立つと、日本史の絡まった紐がスムーズにほどけるであろう。
271名無しでよか?:2007/06/28(木) 00:00:20 ID:/leC3iv. [ ppp5257.hakata10.bbiq.jp ]
そこで久留米の由来を考える。
太古、フェニキア人が海の貿易で栄え、富と同時に権力も持ったが
地球の最東端の日本に辿り着く前に、現在のベトナムのメコン川流域に居た
クメール人達を奴隷にした。
そのクメール人達が漁をしながら居ついたのが久留米だろう。
また、九州北部に多い久米姓もこれから来ている。

因みに、西遊記で孫悟空などと共に天竺へ向かう河童の沙悟浄もクメール人。
クメール人は頭を剃る風習を持っていた。
筑後川に何故河童伝説があるか、これで判るだろう。クメール人は勇壮でもあった。
何故、侍が頭を剃って髷をしていたかも大方察しがつくのではないだろうか。
髷はお洒落の飾りであった。
272名無しでよか?:2007/06/28(木) 00:01:47 ID:/leC3iv. [ ppp5257.hakata10.bbiq.jp ]
柳川には、大和町に鷹ノ尾という地名がある。
鷹ノ尾の東の方には瀬高町の女山(ぞやま)がある。
女王山だったのが時の権力者(筑後を治めていた田油津媛を討った
神功皇后と武内宿彌)によって現在名に変名されたという俗説がある。

女山を鷹の頭に見立て、太陽が上る東を向かせれば鷹ノ尾の地は鷹の尻尾に当たる。
ついでに瀬高の地名は「背鷹」からきたのだろうと考えることができる。

女山は女王の卑弥呼がいたところではなく、魏志倭人伝で登場する
難升米(なんしょうばい)が居城したところではないだろうか。
邪馬台国の出先機関があった糸島から、煙で合図を九州南部まで送った中継点の一つ。
その九州南部とは、宮崎県の都城ではないかと思われる。
273名無しでよか?:2007/06/28(木) 00:02:43 ID:/leC3iv. [ ppp5257.hakata10.bbiq.jp ]
都城市には大王や鷹ノ尾という地名が残っている。卑弥呼の居城は小高い丘にあり
現在は市立博物館が建てられている。戦国時代初期は島津氏が城を築いた。
その隣にこんもりとした古墳のようなものがある。戦後すぐに神武天皇をまつる神社となった。
魏志倭人伝には「卑弥呼の墓は計百歩」とある。
中国の一歩は日本では二歩(つまり両足)という。
この古墳を歩いてみると、ちょうど二百歩ある。

魏志倭人伝に登場する頃から戦前までの日本人の崇拝の対象は太陽だった。
エジプトの太陽信仰が入ってきているようだ。
瀬高町の女山と大和町の鷹ノ尾の関係のように、都城でも卑弥呼の居城と鷹ノ尾の地名は
東西の同じ関係にある。
274名無しでよか?:2007/06/28(木) 04:22:18 ID:Vks8iKUg [ P222013037148.ppp.prin.ne.jp ]
宇佐はUSA
275名無しでよか?:2007/06/28(木) 13:49:30 ID:5lX2Iu4E [ FKCfi-01p1-37.ppp11.odn.ad.jp ]
>>273 ひきつづき解説をよろしくお願いいたします。
    都城について、
    都城は、なぜ、都城と言うのでしょうか?
276名無しでよか?:2007/06/28(木) 21:14:30 ID:B7GqET8. [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
は?
卑弥呼がみやこんじょに居たとな?
珍説乙
277自問自答さん ◆Z9O4S2EFZk:2007/06/28(木) 23:31:22 ID:kpldE456 [ FKCfi-01p2-142.ppp11.odn.ad.jp ]
>永和元年(1375)には、北郷氏2代誼久(よしひさ)が、
>都嶋(みやこじま 現在の都城市城山公園)に築城し、
>都之城と称したことが都城の地名の由来といわれています。(宮崎県庁 文書関係のHPより。)

というわけか。
278名無しでよか?:2007/06/29(金) 02:15:45 ID:K1HUmjMg [ softbank220061004002.bbtec.net ]
>273
当時の人と現代人の足の長さの違いは考慮してる?
200歩も歩くと誤差レベルじゃすまない差だぞ
279名無しでよか?:2007/06/30(土) 00:58:11 ID:BE8JOxME [ ppp5257.hakata10.bbiq.jp ]
珍説でも俗説でも自由に発言していいスレだと思う。
別に学術的正確な説を論議する場ではないのだから。ロマンだよ。

殷墟という地名の地が昔の中国にはあった。(今でもあるか?)
そこには、「ここに殷の都があった」という土地に古くから伝わる俗説があった。
その頃、殷はまだ伝説の中の国で実在したという証拠もない時代だった。
20世紀初頭になってから発掘が始まり、殷の都であったという確かな痕跡が発見されてから
伝説だった国家が実在したことが確認された。
俗説も馬鹿にならない一つの例であると思う。

都城にも俗説はある。断定的なものではない。いくつかの俗説の一つだよ。
邪馬台国ではないにしろ、力のある大きな国があったのかもしれない。
280名無しでよか?:2007/06/30(土) 01:02:47 ID:BE8JOxME [ ppp5257.hakata10.bbiq.jp ]
>>278
体格はどうなのかね。
古代から現代まで日本人の体格は一定ではなく
時代時代によって変動してきた。
江戸時代〜が最も身長が低くなった時代だとも聞いた覚えがある。
281名無しでよか?:2007/06/30(土) 01:03:02 ID:TnQn/3qM [ wtl7sgky51.jp-k.ne.jp ]
みやこんじょ は 反ヤマトの 熊襲 や 隼人 が支配してたエリアでつよ
282名無しでよか?:2007/07/01(日) 12:09:34 ID:a4lLs4mc [ softbank220061004002.bbtec.net ]
いろいろ説はあっていいだろうが、諸々の学術的根拠に基づいた中に
いくつか異説が混じっているから「面白い」で済む。
珍説ばかりえりすぐって並べたら、整然さのかけらもない
落書きスレになるだろうよ
283名無しでよか?:2007/07/01(日) 16:29:01 ID:oE3JGJnA [ ppp3976.hakata14.bbiq.jp ]
天生田
284名無しでよか?:2007/07/02(月) 12:54:30 ID:QyMro6Lk [ h220-215-238-231.catv02.itscom.jp ]
石灯籠、菩薩堂
285名無しでよか?:2007/07/02(月) 20:42:00 ID:RAsgUWZI [ gate214.bunbun.ne.jp ]
地名に「鳴」が付くトコあるだろ。
犬鳴とかさ。
他にもいろいろあんだけど。
これはさ、心霊的に・・・・・
あるんだよ。
286名無しでよか?:2007/07/02(月) 22:24:41 ID:FdREz/dE [ softbank220055168007.bbtec.net ]
>>285
八幡西区鳴水は?
287名無しでよか?:2007/07/13(金) 18:24:37 ID:neq3SKKo [ dcbd5be9d.oct-net.ne.jp ]
英彦山の英彦ってのはなんで?
288名無しでよか?:2007/07/21(土) 23:40:08 ID:by5IGb1s [ 125-13-61-142.rev.home.ne.jp ]
>>287
平安初期までは「日子山」と呼ばれたが、嵯峨天皇の勅により「彦山」
江戸時代 霊元法皇から「英」の尊号を受け、
以来「英彦山と呼称するようになった。・・・(福岡県百科事典より転載)
289初心者:2007/08/07(火) 21:28:24 ID:NVlHRBk2 [ i60-47-42-37.s05.a040.ap.plala.or.jp ]
もみじ屋敷についてですが確かに実在してました
その屋敷は20年位前までは借家として利用されてましたが以降は空き家となり確か16年前までは屋敷と蔵と例の井戸まだ残ってました
屋敷と蔵を繋ぐ廊下したに例の井戸があり裏庭にも、もぅ1ツ井戸がありました
その場所には今はもぅ家が建っており場所は何かあったらいけないので言えませんがタマタマ(もみじ屋敷)で検索したらコチラが出てきたので書き込みさせていただきました

では〜^^ノ
290名無しでよか?:2007/09/23(日) 23:30:09 ID:2RuFl04g [ ppp1455.hakata10.bbiq.jp ]
中国晋時代の歴史書にある「魏志倭人伝」。
魏、呉、蜀の三国時代約六十年間の出来事を記したもので
その完成は西暦二八〇年前後とされている。
その中には、二〜三世紀の日本列島について克明に伝える約二千字があった。
女王卑弥呼が登場する邪馬台国の記載でもあるが、その存在はいまだに謎に包まれている。

これとは対照的に、伊都国は、朝鮮半島から邪馬台国に至るまでの
末盧国(まつろこく・今の唐津付近)と奴国(なこく・今の福岡市・春日市周辺)
との中間点に登場し、その所在地は福岡県の糸島とされている。

現代でも前原市には「怡土(いと)」と呼ぶ地域がある。
「伊都」の地名は時代とともに少しずつ文字を変えながらも
その響きを千八百年後の今に伝える。
291名無しでよか?:2007/09/26(水) 01:16:10 ID:KQWh0SoI [ softbank220061004063.bbtec.net ]
>285
ない
「犬鳴」は元々「稲置」という説あり

亀レススマヌ